戦場には青い空

1 名前:さすらいゴガール 投稿日:2004/03/07(日) 01:43

 森でりかみきの短編を書かせていただいております。
 当初自分のサイトのみで思っていたのですが、
 思うところがありまして、というか、半ば衝動的にスレッドを立ててることにしました。
 
 りかみきを中心に乙女組のメンバーのお話になると思います。

 短いエピソードを集めた短編集という感じでしょうか。
 森の短編集と比べて燃えどころが少なくて、しんみりした話ですが、
 よかったらご一読ください。

 森の短編に比べると、更新ペースは遅いと思われます。 
 なので下でひっそりとのんびりとと思ってますので、sageで進行でお願いします。 
 
 
2 名前:メンソール 投稿日:2004/03/07(日) 01:45

 ドッドッドッドッド…

 オンポロのトラックが最前線にほど近いキャンプの入り口でどす黒いガスを吐き出して揺れている。
 迷彩柄のもっさりとした車体のあちこちに穴。

「あ〜ぁ…」
 低くうなる野暮ったいエンジンの音にまぎれ、間延びしてすっとぼけた甲高い声。

 ぶるん!

 戦場を駆け抜けた歴戦の勇の体が大きく一つうなって、貧乏ゆすりをやめた。
 リカは乱暴にエンジンを止めると、そのまま自分の上半身よりでかいハンドルに寄りかかった。
「いいの?」
「いいの。どーせまだ来ないでしょ」
 ダッシュボードの上にごつい軍用ブーツを履いた足をどかっと乗せ、シートを倒してふんぞり返るミキは、ごそごそと胸のポケットからメンソールを取り出した。
「まぁね…」
 ライターで火をつけて、なんとなく吸い込んで、なんとなく吐き出す。
「行かなくてすむんだったら、行きたくはないしねぇ」
 メンソールを咥えて、枕代わりに両手を頭の後ろへ。
3 名前:メンソール 投稿日:2004/03/07(日) 01:46

 リカは不釣合いなくらいに晴れたすがすがしい空をぼんやりと眺めたまま、 ポツリとつぶやいた。
「このまま動かなくなったらさ、いかなくてすむじゃん」
「…」
 視線だけ動かしたミキの目に映るさびしげなリカの横顔。
「そりゃそうだけどさ、ちょっと延びるぐらいじゃん」
「…」
「いつまで続くのかねぇ…」
「…ほんとにねぇ」
 のんびりと雲が青空の中を泳いで、今日もうららかでいい天気。

 ピクニックとかしたら最高だろーねぇ。
 そうだねぇ。
 海とか行ったら、きれーだろうね。

 ここから相棒を走らせて35分とちょっとで、そこは鉛玉の飛び交う戦場。
 死神たちのダンスサイト。
 あっちこっちに天国への階段。 
4 名前:メンソール 投稿日:2004/03/07(日) 01:46

 少しだけ開けたウインドウから入ってくる風は心地いい。
 ミキが手だけを窓の外に出してトンと灰を叩き落す。
 リカはぽすっとシートにもたれかかった。
「さくらの連中、なにしてるかなぁ?」
「何? 愛しいあの人のこと、思い出しちゃった?」
「そんなんじゃないってばぁ!」
「いいっていいって! 照れなさんなって」
 くくくくって意地悪く笑うミキをリカがむーっとにらみつける。
 まぁまぁってなだめると、ミキはふーっと深々と煙を吐いた。
「まぁ…。向こうはこっちよりも大変だからね…」

 ゆらりと上る白い煙。
 ぼんやりとそれを眺めるミキ。
 ふと、香りに気づいて煙に目をやるリカ。

 すーっとまっすぐに上ろうとする煙になんだかやるせなさを感じて、視線を空へと移した。

「会いたいね」
「会えるよ」
「そうだね」
 ミキはフィルターを咥えてメンソールを吸い込むと、一筋の白い線を打ち消すように煙を吐き出した。 
5 名前:メンソール 投稿日:2004/03/07(日) 01:47

「ね、それ、どうしたの?」
「ん? これ?」
 ミキが咥えてたメンソールをリカに向ける。
「うん。っていうか、吸ってたっけ?」
「ううん。タバコ嫌いだもん」
「だよねぇ」
「けどさ…」
 ミキは一度灰を窓の外で落とすと、半分ほどになったそれをもう一度吸って、そして吐いた。
「やってらんないじゃん。なんかさ。だから…なんとなくね」
「ふ〜ん…。嫌いなわりには手馴れてるよね」
「気のせいでしょ」
「そーかなー」
 にやにやと笑うリカに、ミキが思いっきりガンをつける。
「ほんとだってば」
「はいはい」
 リカはふふふっと笑って、少しだけシートを倒してミキの顔を覗き込んだ。
 ミキがメンソールをリカに差し出す。
「吸う?」
「うん」
 差し出されたメンソールのフィルターを咥えると、シートに倒れこんだ。
 ふわっと吐き出された白い煙。
「自分だって吸ってたんじゃないの?」
「ううん。はじめて。カオたんに勧められたことはあったけど」
「ふーん…」
「これって、もしかしてカオたんの?」
「そっ。ジャケットに入ってたのみつけて、1本とってきた」
 悪びれる様子のない淡々とした口調。
 また一口吸い込むと、リカはじーっとメンソールを見つめながらふーっと吐き出した。
「やばくない?」
「一本くらいわかんないでしょ」
「でもさぁ、これってもう配給で来ないよねぇ。たしか…」
「そうだねぇ」
「すっごくよろこんでたよね…たしか。小躍りして、大事に吸おうって言ってたし」
「うん…」  
「…うん」
 リカはもう一度じーっと煙を昇らせてじりじりと短くなるメンソールとにらみ合う。
6 名前:メンソール 投稿日:2004/03/07(日) 01:47
 ゆらっとわずかに開いた窓から入った風に煙が消えた。
「まっ、いいか」
 リカはちょっとだけ後ろを向いてメンソールを見せる。
 ミキは首を小さく横に振った。 
 それこそ味わうようにゆっくりとふかして、そして、ゆっくりと吐き出した。
「こんなもんなんだね」
 のろのろと起き上がって灰皿の中で揉み消して捨てると、ぐるぐるとハンドルを回してウィンドウを下げた。
「気休めにしかならないかもね」
「妙に勘がいいからね、あの人」
「宇宙人だもん」
 そして二人で思い出したようにくっくっくっと声を殺して笑う。

 とおーくの方でかもめが鳴いたのが聞こえた気がした。
 きらきら輝く午後がなんだか恨めしい。
7 名前:メンソール 投稿日:2004/03/07(日) 01:48

 ちらりと時計に目をやると、リカはキーを回した。
 しかし、うんともすんとも言わない。
「あー…。おまえも行きたくないよね」
 かちっかちっと、何度か手を変え品を変え、エンジンの始動を試みる。
「がんばれ!」
 ガン!
 たぶん意味もないだろうけど右足を突き出して蹴ってみると、ようやく『どうん』と大声を上げて、また低くうなり始めた。
「いい子ね、相棒」
「よかったねー。おめでとー」
 ぱちぱちとミキの拍手。
 リカはラジオをつけると、シートを完全に倒した。
8 名前:メンソール 投稿日:2004/03/07(日) 01:49

 ノイズの合間を縫って流れるたぶんミディアムテンポの音楽。

 ミキの視界が空から少しだけ無表情気味なリカに変わる。
 目を閉じると、唇にやわらかい感触。
「なに?」
「口直し」
 すっと細い指が撫でるようにミキの目にかかる前髪を払う。
「お気に召さなかった?」
「そうだねぇ…。少しだけ罪悪感。それに…」
 リカの指がミキの下唇をなぞる。
「こっちの方がおいしいし」
「ふ〜ん」
 ミキは満足げに笑うと、一度と時間を確認してからうーんっと体を伸ばした。

 まだ誰かが来る様子もない。

 両腕を広げてミキがリカを招き入れると、抱き寄せてどちらからともなく唇が重なった。
 リカの左手がミキの頭を抱くように首に回り、右手が愛しむように髪を梳き、耳をいじり、頬をなでる。
 不釣合いな迷彩服をまとうリカの小さな背中に巻きついて強く抱きしめるミキの腕。
 重なった唇の端から零れる熱を帯びた吐息。
 舌の絡み合う柔らかな水音。
 強く抱き寄せるたびに起こるささやかな衣擦れ。

 ざらざらしたノイズの向こうで囁かれる途切れ途切れのラブ・ソング。
9 名前:メンソール 投稿日:2004/03/07(日) 01:49
 
 リカの手がミキの襟元にたどり着いたとき、現実が荒れた地面を蹴る音が聞こえた。

 リカがゆっくりと体を離す。
 それにあわせて起き上がったミキの手がそっとリカの頬を包むと、また二人の距離がなくなった。

 ざーっと耳障りなノイズの奥に消えたラブ・ソング。

  ほらー! あんたたち、いそいでー!
  あーいっ!
  あーっ! 待ってくださいよぉ!
 
 唇が離れる。
「ここからの続きは…戻ってきてからね」
「うん。わかった」

 そして互いに最高の笑顔を交し合うと、振り切るように背中を向けてシートを起こした。
 リカはラジオを消し、ミキはウインドウを全開に。 
  
  さゆっ! ほらっ! 速く!
  はーーーーい。

 うららかな初夏の風にミキが目を細める。
10 名前:メンソール 投稿日:2004/03/07(日) 01:50

 青い青い空と穏やかな陽気。
「リカちゃんのとこって、海の近くだっけ?」
「そうだよ。あったかくって、いいとこだよ」
「ふーん。ねぇ、これ…終わったらどうするの?」
「あたし?」
 リカがちょっとだけ首を傾げると、ミキはうなずいて返した。
「帰ろうかな…って、思ってる。まぁ、でも、帰っても誰もいないんだけどね」
 だから今ここにいるんだし…と少し困ったように眉を下げて笑うリカ。
 その笑顔に結局同じような困った微笑で返すと、ミキはぽつりとつぶやいた。
「じゃあさぁ、一緒に暮らさない?」
「え?」
「ミキもさ、リカちゃんとおんなじで戻っても誰もいないから」

 足音が段々と大きくなってくる。

「そうだね。楽しいよね、その方が」
「それにさ、ミキのとこ、寒いからさー。やっぱあったかいところがいいよね」
「ふふっ。海とか近いよ」
「ほんとにー!」
 うん。と力強くうなずき返すと、リカはミキの手を取ってぎゅっと握った。
「楽しみだなー!」
「ねー!」

 にぎやかな声とともに足音が止まって、がちがちと鍵を外す音。
 ドアが錆びて軋んだ音。
 わらわらと中にあがってきて車体が右に左に揺れる。

「やっときたね」
「もうちょっと遅くてもよかったけどね」
 ミキは荷台部分を覗く小窓を覆うカーテンを開けた。 
11 名前:メンソール 投稿日:2004/03/07(日) 01:50

 カオリが窓にばんっと張り付くと、ミキが思わずのけぞった。
「ミキ! あんたカオリのタバコ盗ったでしょ!」
「えー。しりませんよー」
「うそっ! だって臭いがするもん」
「そうですか?」
「そうだもん。あっ、リカっ! あんたミキのことかばってるんでしょ!」
「えー。そんなことないですよぉ」
「そーそー。気のせいですって」
 『ねっ』ミキはリカにウインクしてみせる。
「じゃ、行きましょうか」
 リカはギアを入れると、ぐっとアクセルを踏み込んだ。
「こら! 二人とも話をっ…!」
 がくんとゆれて、リカの相棒が唐突に動き出す。
 その反動で思いっきり後ろに転がったおとめ隊リーダー。
 ポンコツトラックに響く明るい笑い声は流れる風に乗って青空に放り出された。
12 名前:メンソール 投稿日:2004/03/07(日) 01:51
 
 緊張感もへったくれもなく進むトラックは前へ前へ。
 ダンスの相手を探す死神達の集う戦場にまっしぐら。
 天国の階段を上がったら、そこは輝くような真っ白い雲と永遠の青い世界?

 天使に会うのも、神様に因縁をつけに行くのもまだ早い。

 空は見上げるだけで、今は満足。
13 名前:メンソール 投稿日:2004/03/07(日) 01:51

「いい天気だね…」
「うん。今夜も星がきれいだろうね」
「…そういえば…満月かぁ」
「そうだね」
 リカの言葉を最後に二人から会話が消える。
 道なりに現れたカーブに合わせてリカがゆっくりとでかいハンドルを動かす。
 荷台もいつの間にかしんと静まり返っていた。

 うららかな午後。
 地面を揺るがす鉛色の怪物の雄たけび。
 火薬の効いた銃弾のドラムロール。
 そして奏でられる断末摩。 

 無作為に、無遠慮に撒き散らされる“死”。

 青い青い空の下に広がるすさんだ荒野はもう目の前に広がっていた。
14 名前:メンソール 投稿日:2004/03/07(日) 01:51

 
               ■             ■


15 名前:メンソール 投稿日:2004/03/07(日) 01:52
 
 車はおろか人気のない海岸線。
 クラシカルな赤いミニがゆっくりと止まった。

 太陽の光を受けて輝く初夏の海。
 水平線には真っ白い雲。
  
 カーステレオから聞こえるのは弾む恋の歌。
 ハンドルにもたれかかって一人が言った。

「ここ。あたしが住んでいた町」
「ふーん。これからは二人が住む町だね」
 
 いいところじゃん。ってもう一人が笑った。

 後部座席にはトランクが二つ。
 その上にちょこんと小さな包み。

『XXXX−XX  ○×町 イーダカオリ様 』

  じゃ、いこうか。
  うん。まずは郵便局だね。

 すーっとミニが動き出す。
 
 まっすぐに続いていく海岸通り。
 眠気を誘う穏やかな凪の音。
 暖かい光。
 遠くで時々かもめの声。

 のんびりと流れる空気の中になんとなく感じる実感。

 それは緩やかに流れる午後の一時。
 二人の前に広がる青い空はどこまでも眩しかった。
16 名前:メンソール 投稿日:2004/03/07(日) 01:53



「メンソール」 end
17 名前:メンソール 投稿日:2004/03/07(日) 01:58

 バトルものでもなんでもなく、青春群像なるものがかけたらいいな。
 ってか、かけるのか(?)
 こんな感じの物語をいくつか載せていきます。

 思ったよりも、余裕があったのか、はじめ方、かなりレスの分け方を失敗した…(鬱
 
  
18 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/07(日) 19:49
綺麗な作品ですね。楽しみにしています。
19 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/12(金) 02:21
一応、背景に戦争があるけど、殺伐としてないというか。
きれいで、ちょっと悲しい空気が良いですね。
楽しみにしてます。
20 名前:チロル 投稿日:2004/03/16(火) 01:27

 彼女みんなの恋人。
  
 時に甘酸っぱく、特にほろ苦く。
 だけどミルクのようにやさしく、アーモンドのように手ごわくて、パフみたいにノリのいい…素敵な彼女。 

 甘い甘いとろけるようなキス。
 2.5センチ四方のそんな彼女の名前は、チロル。

 甘い甘い、みんなの恋人。

「食べたでしょーっ!」
 
 時に争いも呼ぶけれども……。
21 名前:チロル 投稿日:2004/03/16(火) 01:28

「えー! 食べてないって!」
 詰め寄るノゾミにマコトがぶんぶんと激しく首を振る。

 それまで和やかだった食堂に一転して巻き起こった嵐。
 奥のテーブルで本を読んでいたカオリが眉をひそめて顔を上げた。
「なにー。どーしたのー?」
「ここに置いといたチョコがないのーっ!」
 真ん中の6人掛けのテーブルの端を指差して、ノゾミがマコトをきっと睨みつける。
 マコトはマコトでちょっと泣きそうな顔で口をへの字に曲げて睨み返した。
 その隣のテーブルでしゃべっていたレイナとサユミがはっと顔を見合わせる。
 
 マコトがポツリつぶやいた。
「そんなとこに置いとく方が悪いのに…」
「だって、ちょっとトイレ行っただけだもん」
 ノゾミもアヒル口で応戦する。
 二人とも瞳はうるうる。
 もはや我慢比べの意地の張り合い。
 
 カオリは二人の様子をただじっと見ている。 
22 名前:チロル 投稿日:2004/03/16(火) 01:28
 出口側のテーブルでスピードでもめてポーカーを始めていたリカとミキは手を止めた。
 探るように目を合わせると、まずリカが手札を明かす。
「エースのワンペア」
「2と6のツーペア」
 ミキが手札を明かすと、二人同時にため息をついた。
「なんか…半端だよね」
「…ね。さてと……」
 リカはゆっくりと立ち上がった。
「じゃ、後よろしく」
「おっけー」
 ミキは、涙目でにらみ合う二人の隣で小さくなってるレイナとサユミに向かって手招きした。
 呼ばれた二人はそーっと席を立つと、リカと入れ替わるようにミキのいるテーブルへ。
 そんな二人の肩を笑顔でポンと叩いたリカの行く先は、への字口とアヒル口の二人のところ。
「ほらほら。ケンカしないの」
「だあってぇ〜。楽しみにしてたんだもん…」
 リカはぷーっと膨れるノゾミの頭をなでると、マコトに目をやった。
 マコトはぐっと口を結んでふるふると首を横に振る。
「しょーがないね。まったく…」
 ポケットをごそごそと探ってそれを見つけると、そっとノゾミの手の中に押し込んで握らせた。
「キモチはわかるけど、そこに置いといたノノも悪い。あとでいいから、ちゃんとマコトに謝りなさい。マコトも、やってないんだったら、そんな泣きそうな顔しないの。ね?」
 こっくりとうなずくノゾミとマコト。
「じゃ、もうこの話はこれでおしまい」
 二人の肩をぽんと叩くと、くるりと背を向けて出口に向かって歩きだすリカ。
 ノゾミはそっと手を開いた。
「あっ!」声を出したのはなぜかマコト。
「リカちゃん!?」
「なぁに?」
 振り向くと、ノゾミが手の中のものを見せた。
 そこにはちょこんとイチゴ味のチロル。
 マコトがポカーンと口を開け、レイナとサユミが目を丸くしてなんでもないような顔をするリカに目を向けた。
 別段驚きもしないミキがちらりとリカを見る。
 ふっ…と小さな微笑が返ってきた。
「いいから。あたしは後でミキちゃんに分けてもらうから」
 ミキが自分を指差す。
 『ねっ』ってミキに笑いかけて、リカはそのまま食堂を出て行った。

 パタン…。

 後姿を見送ってしんと静まり返る食堂。
23 名前:チロル 投稿日:2004/03/16(火) 01:29

 ゴン!

「いだっ!」
「いてっ!」
 
 静寂を破ったのはカオリのゲンコツだった。
「大事に食べなさいって、言ったよね。ここが前線で少しは優遇されてるからって言ってもね、もう物資もなかなか来ない状態なんだから」
 長くなりそうな予感にノゾミとマコトが苦々しく顔を見合わせる。
「チョコレート一つでケンカしないの。それも二人よりも年下の子もいる前で。もう少し自覚を持ちなさい」
 腰に手を当てて怒るカオリの迫力にしゅんと肩を落とすノゾミとマコト。
 ミキはやれやれと笑った。
「なんだかねぇ」
 レイナとサユミはさすがにちょっと笑えないのか、あいまいに「はぁ…」と返すだけ。
 ミキは立ち上がると、二人の肩を叩いた。
「大丈夫だから。ちゃんと言えば怒らないよ。わかった?」
「はい」
「はい」
 二人の返事を聞くと、ミキも食堂を後にした。
24 名前:チロル 投稿日:2004/03/16(火) 01:29

 食堂を出てそのまま目の前のドアを開けると、頭の上にはたくさんの輝くコンペイトウ。
 真っ暗闇の中で輝く星星は、さすがに食べれない。

 なんとなくそんなことを思いながら、ミキはそのまま夜の静けさの中に歩を進めた。

 シャリ…。

 ジャリ…。

 土や砂利を踏む足音が妙に耳に心地よい。
 昼になれば見通しがやたらとよい平原。
 空高く舞うとんびの声に混じって、地面を低く這う砲弾の咆える声や軽快な速射砲の雄叫び木霊する。
 静かな空間にぼんやりと平穏を感じるから不思議と怖くない。
 それどころか、一歩一歩に生きてる自分を感じることができて、なんとなく口笛を吹いてみたくなった。

 星空に中に溶けていくささやかな音色は、どうやら弾ける恋の歌。
25 名前:チロル 投稿日:2004/03/16(火) 01:30

 暗闇の中でぽつんとうずくまってるポンコツトラック。
 口笛を吹くのをやめて、その運転席のドアを二度ノックした。

 …。
「ん?」
 返事がない。だけど普段閉まってるウインドウは全開。
 中を覘こうとステップに足を乗せると、頭の上から声がした。
「ミキちゃん?」
 リカが貨物部分の屋根の上から顔を出した。
「そんなとこにいたの?」
「うん。なんとなくね」
 ミキはしばしリカを見ていたが、なんとなく肩を揺らしてため息をついた。
「帰ろうか?」
「なんで? 上がっておいでよ」
「ん。じゃあ、お言葉に甘えて」
 全開になっているウインドウに足を掛けて運転席の屋根に上ると、そこから荷台の屋根に上がった。
「いらっしゃい」
「おじゃましまーす」
 ミキはリカの隣に座ると、空を見上げた。

 きらきら、きらきら。
 雲一つない快晴の夜空。
 時折やわらかく肌をなでる夜の風が、軍用のサバイバルジャケットを着ててもまだ少し肌寒い春の夜。
26 名前:チロル 投稿日:2004/03/16(火) 01:31

 リカはぴたっと体をくっつけると、自分とミキをかけていた毛布でくるりと包み込んだ。
「ずいぶん用意がいいじゃん」
「まぁねぇ」
 二人分の体温をじっくりと包み込む毛布。
 リカはまっすぐ前を向いたまま訊ねた。
「どうしたの?」
「なにが?」
 ミキはまっすぐ前を向いたままとぼけた。
 「もう」ってリカがとんっと肩をぶつける。ミキは同じようにやり返した。
「だってさ、チョコ…食べるんでしょ?」
「で、わざわざ来てくれたわけ?」
「そっ。来てあげたの」
「それはどーも。ご親切に」
「なにそれぇ。ココロがこもってないなぁ。あげないよ?」
「っていうか、持ってないでしょ。ミキちゃんだって」
 『ばれた?』って顔でふふーんって笑うミキ。
 ちょっとじとっとした目で一睨みしたらおどけて肩を竦めたミキに、リカはふふっと笑った。
「で、誰にあげたの?」
「レナとサユ。サユが見つけて、レナと分けたんだって」
「そっかぁ」
「まぁ、さすがにちゃんと謝れば怒らないでしょ。半分は向こうも悪いんだし」
「キモチは…わかるんだけどね」
27 名前:チロル 投稿日:2004/03/16(火) 01:31
 
 日に日に悪くなる…。
 という実感はない。
 でも確実に悪くはなっている。
 終わるのか。それはいつなのか。
 目の前に広がる闇のように何も見えない。
 せめて見上げる夜空のように目印の一つでもあったなら、隙間からのぞく星一つで雲の多い暗い夜で歩けるかもしれないのに…。
28 名前:チロル 投稿日:2004/03/16(火) 01:31
 リカは手探りでミキの手を探し当てると、ぎゅうっと強く握った。
 無言でその手を握り返すと、ミキはリカの顔を覗き込む。
「リカちゃん」
 そっと重なる唇。
 ひやりとした一瞬の冷たさがじんわりと温ためられて口移しで伝わっていく。

 たぶん、いつもより30秒ほど長い柔らかな口付け。
 ただ触れ合ってるだけなのに、途方もなくあたたかい…そんな気がした。

 なんとなく離れると、ミキはそのままリカを胸に抱き寄せた。
「こっちの方が甘いでしょ」
「…そうだね」
 トクン、トクン…と心臓の音。
 目を閉じるリカ。
 ミキは包み込むように抱きしめると背中を倒して床に寝そべった。
 リカが少しだけ体を起こそうと顔を上げた。   
「ごめん。重いよね」
 首を横に振って答えるミキ。
 リカは何も言わずにまたミキの胸の上にそっと頭を乗せた。
 
 トクン、トクン…。
 少し早い心臓の音が次第にゆっくりと落ち着いて、耳に心地いい。
 
 重なり合う体から布越しに伝わってくるぬくもりの愛しさ。

「きもちいい…」
「うん…」

 一つに溶け合っていく熱を逃がさないように、強く抱きしめあう。

 まだ肌寒い春の夜。
 ぼんやりと星を眺めながら、なんとなく気づいたときには二人とも夢の中だった。
29 名前:チロル 投稿日:2004/03/16(火) 01:32

             ■             ■


30 名前:チロル 投稿日:2004/03/16(火) 01:33

 リビングのテーブルのバスケットの中に彼女たちはひしめいてた。
 イチゴ。パフ入り。ミルク。アーモンド。ピーチなんていうのもいる。
 一つを手にとって包装紙をはがすと、ミキは口に放り込んだ。

 ゆっくりと広がる甘さ。
 なぜかひどく懐かしい気がした。

「リカちゃん。これ、どうしたの?」
「うん。なんとなくね。スーパーで見つけて…」
 トントントンと、昼ごはんを作る手を休めずに答えるリカ。 
 ミキはまた一つ手に取とると、なんとなくキッチンへ。 
「あの日、結局夜明けぐらいまでトラックの上で寝てたんだよね」
「そー。起きたらさ、もう体痛くってねぇ」
 包丁の刃についた野菜を指で落としながら、リカがくすくすと笑う。
 包丁を置いたのを確かめてから、ミキは後ろから抱きしめた。
「だけどさ、なんか久々によく寝たなぁ…って思った」
「うん…」
31 名前:チロル 投稿日:2004/03/16(火) 01:33

   宿舎の自分たちの部屋に戻ると、ベッドの横の小さな机の上にメモ。
  『ごめんね。ありがとう』
   ちょっとコドモっぽいカオリの字。
   そして、ちょこんとチロルが一つ。
   
 ミキは手していたチロルの包装紙をはがすと、リカの口に押し込んだ。
 そして、追いかけるように口付ける。
 二人の口の中に広がる少しだけほろ苦さ。
   
   本当は、本部に出向いたカオリがユウコからもらった差し入れ。
   人数分取り出すと、後は冷蔵庫に判らないようにして隠した。
  『いいことあったときのご褒美ね』
   カオリは二人にそう言った。
32 名前:チロル 投稿日:2004/03/16(火) 01:35
「んっ…。ミキちゃん!?」
「だって、まだ食べてなかったでしょ?」
「いつの話してるのよぉ」
「いいじゃん。いつだって」
「もう…」
 ちょっと頬を膨らませて、リカはコンロに火をつけた。
「危ないよ」
 だけどミキは後ろから抱きしめたまま動かない。仕方なくリカはそのまま刻んだ野菜をいため続ける。

 油が跳ね、フライパンの底を叩く木べらの軽やかな音。
 ミキの手によって入れられた白いゴハンが鮮やかな野菜と油によっておいしそうに色づいていく。
 食欲をそそる香りに思わず喉が鳴る。

「おなかすいた」
「もうちょっとね。あっ、そうだ! お皿出して?」
「…うん」
 ちょっとだけ歯切れの悪い返事をしておとなしくリカから離れると、テーブルに真っ白い皿を二つ並べた。
 最後にしょうゆをご飯のふちに一回しして軽く炒めると、リカは火を止めた。
「よしっ…と!」
 
 残り物を使ったしょうゆベースの焼き飯が完成。
 皿に、ちょっとミキの方に多めに盛り付けて、

「いただきます」
「めしあがれ」
33 名前:チロル 投稿日:2004/03/16(火) 01:35

 穏やかなランチタイムの始まり。
 食後のひと時をなにで過ごすかはもう決まってる。

「ねえ、これ食べたらさ、あれ飲もうか」
「いいね。そうしよ」

   軋む体にムチ打ってを食堂に行ったら、待ってましたとばかりに差し出されたブリキのマグカップ。
   中にはほんのりと湯気をたてた淡い褐色の水面。
   ミキがレイナとサユミに渡したチョコレートを頑として受け取らなかったノゾミ。
  『だって、そしたらノンが2つ食べることになっちゃうじゃん』
   そこでカオリが作ったのが、ホットチョコレート。

 たぶん自分が知っている中で、世界で一番、やさしい飲み物。

 火に掛けたミルクパンに一つ放り込むと、真っ白いミルクが崩れた渦を描きだしてほんのりと褐色に染まっていく。
 
 甘い甘い素敵な彼女。
 みんなの恋人。
 名前はチロル。
 たった一粒でみんなを幸せにできる不思議な子。

 溶けるように甘いくせに、切ないくらいにほろ苦い。

 なんだかあの日々を思い出して、二人は顔を見合って笑った。
 
 ゆったりと流れるランチタイム。
 窓から差し込むカーテン越しに射す白い光に、もう夏の気配が潜んでいた。
34 名前:チロル 投稿日:2004/03/16(火) 01:36

    「チロル」     end
35 名前:さすらいゴガール 投稿日:2004/03/16(火) 01:47

 あっ…。最初の一行に脱字発見…(鬱

 前回の更新から約一週間。もう少し早く更新できたらと思うのですが…。

 >>18 名無し飼育さん様
   ありがとうございます。己の力量不足もかんじるところですが、
   この空気が維持できたらと考えております。

 >>19 名無し飼育さん様
   ありがとうございます。
   どう描いてもそこには悲しみが漂うような背景が舞台ですから、
   少しでも上家が鮮やかに描かれればと思っています。
   むずかしいですが…。
    
36 名前:トーマ 投稿日:2004/03/16(火) 10:39
戦場の設定でありながら、物語が優しいトーンで流れてて、それがかえって切なさを誘って・・・
リアルの彼女たちもまたこんな感じの背景を背負っているようにさえ思えてきます。
次の更新も楽しみにしてます。
37 名前: 投稿日:2004/03/18(木) 16:06
背景が切ないからか
穏やかな雰囲気なのになぜか泣きたくなる
素敵な世界ですね こちらも楽しみにしてます
38 名前:警笛は高らかに 投稿日:2004/03/28(日) 03:45

 よく晴れ渡った真っ青な空。
 輝きを増す白い日差しに感じる夏の気配。

 運転席と助手席のドアを開け放し、大きく空に向かって腕を広げる相棒。 
 つなぎ姿のリカは平台の台車の上でその相棒に寄りかかって、広がる彼方の青をぼんやりと見つめていた。
 手の中でくるくる踊るスパナ。
 
 …今日もいい天気。

 大きく体を伸ばすと、台車に寝転んでガラガラと相棒の下にもぐりこんだ。
39 名前:警笛は高らかに 投稿日:2004/03/28(日) 03:45

 か細いライトの明かりを頼りに一つ一つ点検していく。
 
 よく動いてくれてる。
 ありがとね。
 これからもまだがんばってももらわないと、きっとあと少し。
 たぶんあと少し…。

 念入りに、慎重に…。
「あ…」
 モンキーレンチ…。
 緩みかかっているらしいボルトがそれを呼んでいる。
 パタパタと薄明かりの中で体を叩いてみる。
 手ごたえなし。
 とりあえず台車と地面も探ってみる。
 持ってきたつもり…になっていたらしい。
 どうあがいてもないのに気づいて、リカは台車を手で押した。

「はい」

 ちょうど腰まで出たところで、はしっと手に何かが乗せられた。
 この重量感。
 見れば油で黒く塗られた軍手の中にモンキーレンチ。
「あたり?」
 目をやると、ミキが地面に臥せってこちらを覗き込んでいた。
「あたり! ありがと」
「どーいたしまして。良い勘してるっしょ」
「すごいすごい」
「なんか気持ちがこもってないんですけどぉ」
「そーぉ〜?」
「そぉ。こもってない」
 ぺたんと地面に胡坐をかいなにやらごそごそしているミキの不機嫌な声。
 ちょっとおかしくてつい笑みが零れた。
「そー…ですかっ」
 リカはぎゅっと歯を食いしばってボルトを締め上げると、ガラガラと台車を手で押して光の中へと戻った。

 ライトを消して、真っ黒な世界から真っ白な世界へ。
 午前の太陽のはしゃいだ光を思い起こして、目を細めた。
40 名前:警笛は高らかに 投稿日:2004/03/28(日) 03:45

「わあっ!」
 
 きらきらと降り注ぐ水。
「ぷはっ! なっ…なにっ…んっ!?」
 ばさりと目の前が真っ白に覆われ、肌にふんわりとした綿の感触。
 がしがしとタオル地越しに顔の上を乱暴に手が暴れ回る。
「はいはい。暴れないでねー」
「ちょっ! んぐっ! んっっ!」

 わしわしわしわし。

「よしっ」

 はらりとタオルが取られて、ようやくリカは青い空と再び再開を果たした。
 むーっと見上げる青い空の中、燃えんばかりに光を反射する真っ白いTシャツ姿のミキがロりポップをくわえて満足そうに笑っている。
「ばっちり。きれいになったね」
「だからって、強くこすんなくったって良いじゃん」
「ダメダメ。油汚れはしつこいから」
「なによぉ。それ」
「でも、あんまり変わんないか」
「ひどーい!」
 リカは台車に寝転がったままぺしっとミキの腕を叩いた。
「なによぉ。ホントのことじゃん」
 くくくっていたずらっぽく笑うミキ。
 リカはべーって舌を出すと、体を起こして台車の上で胡坐をかいて相棒に寄りかかった。
「もー。気にしてるんだからさぁ」
 これからさらに黒くなる季節到来に、少しばかり憂鬱になんぞなってみる。
41 名前:警笛は高らかに 投稿日:2004/03/28(日) 03:47

 今年も暑くなりそうな予感。
 鋭い光の刃のようにすら思える太陽の光。
 
 リカは空を見上げた。 
 同じように空を仰いで、「ふぅん…」と小さくため息まじりに零すとミキは台車にまたぐように座った。
「予定通り…か」
「うん…」
「もうそろそろだよね」
 ミキが腕のやたらとごつい軍支給の時計にちらりと目をやる。
 少し汗ばんできたのを感じてリカはファスナーを下げて胸元を開いた。
「もっと暑くなりそうだね。今日は…」

 風もなく、ひたすらに降り注ぐ光と熱。
 邪魔するものは何もない空の中。
 ひらひらと舞うそれは、きっと花びらに過ぎないのかもしれない。
 
 いずこへと消えるのか、やがてどこかにたどり着くのか。

 だったら、それはどこ?
42 名前:警笛は高らかに 投稿日:2004/03/28(日) 03:47

 ぼんやりと遠く広がる青を眺めるリカ。
 キモチはここにないんだとわかるから、その横顔ははかなげで美しく、なんとも言えずミキの胸を少しだけ締めつけた。
 そっと腰に手を回して抱き寄せる。
「ん?」
「うん」
 ミキは不思議そうに首を傾げるリカの唇を塞いだ。
  
 コーラ味。
 そういえば、飲んでないなぁ。

 何でそんなことをふいに思ったんだかわからなくて、少しだけ苦く感じた。

 首に腕を回して、リカも与えられるキスに答える。
 何度も触れ合うたびに、吐息が交じり合うたびに、ここにいることがわかってひどく安心する。
 
  ここにいる。
  ここにいて。
 
  ここにいるから…。

  離れないで。
  離さないで。

  ずっと。
  きっと。

 だから、こうしているんだろう。
 これからも、きっと。

 やたらと静かなのだ。今日は。
 遠くでノゾミとマコトがはしゃぐ声も聞こえない。
 レイナとサユミに特訓をするカオリの声もしない。
 そわそわした空気が漂うベースキャンプ。
 リカはその空気から逃げるように兵舎から離れた駐車場で相棒の点検を始めた。
 ミキはその空気がうざったくって、とりあえずリカを探した。
43 名前:警笛は高らかに 投稿日:2004/03/28(日) 03:48

 カラ…

 台車がわずかに相棒から離れる。
 ずるずるとリカの体が下がる。
 ミキはそのまま押し倒すように上に覆いかぶさって、リカとロりポップを溶かすことに没頭し始めた。

 ガラッ…!

 ガンッ!
 ゴンッ!

「くぅーっ…!」
「んんーっ…」
 うーっと小さく唸りながら縮こまる二人。

 急にぐいっと勢いよく動き出した台車。
 前のめりになっていたミキはリカの相棒に強かに額を打ち付け、急に背中から壁が消えたりカは思い切り日陰でぬるい地面に後頭部を打ちつけた。
44 名前:警笛は高らかに 投稿日:2004/03/28(日) 03:48

 よろよろと起き上がる。
 リカは後頭部をさすりながら、目の前で悶絶して唸るミキの頬に手を添えた。
「だいじょう…」
「ぶじゃない」
「…だよね。見せて」
 ミキがアヒル口に上目遣いで見上げると、リカは赤くなっているところをそーっと指先でなでた。
「イタイのイタイのとんでけー……って?」
「……んー…」
 微妙な表情。
 リカは赤くなっている患部にふわりと口付けた。
 窺うように顔を覗き込むと、がりがりとロりポップを噛み砕き、まさになんとも言えないような…半ばにらむようにいじけた顔。
「…他の人にもやってんの?」
「えっ?」
「だから、今の…」
「だったら?」
「別にぃ」
 なんとなく視線を逸らした。
 なんとなく視線をそらされて、リカは思わずふふっと笑った。
「どうだろうね。どう思う?」
「…いじわる」
 ぼそりと転がり落ちた呟きをリカはきっちり受け取ったが、あえて何も言い返さなかった。
 よしよしと頭をなでて唇にキスなどと、行動にはしたけれども。
45 名前:警笛は高らかに 投稿日:2004/03/28(日) 03:49

 ぴーひょろー。
 とんびが頭の上でくるぅりと輪を描く。  
 また、ぴーひょろーと鳴いて、青い青い空の中をすいーっと泳ぐ。

 とんびが一つまた一つと円を描くたび、我が物顔で広がる白い閃光の中に勇ましい黒い影。
  
 リカは見上げた空の中にもう一つ勇ましい黒い影を見つけると、すくっと立ち上がった。
「リカちゃん?」
 台車の上に置いてけぼりを喰らったミキが首を傾げても微笑を返すだけ。
 開けっ放しの運転席の屋根に腕を載せ、ドアふちに立つと、近寄ってくる点から次第にはっきりとその姿を現した見つめたまま、ぎゅうっと拳を握り締めた。
「え…?」
 
 見慣れた機影。
 それは鋼鉄の翼を持つ物騒なカーキグリーンの天使。
 MM-10型戦闘機、通称ウィッシュ。 
 
 その姿にほんの一瞬、ミキの目がテンになった。
 加えたままのロりポップの白い棒がほろりと零れかけて、慌てて口を閉じた。

 そして、こちらに向かってくる皮肉な天使と一緒に、兵舎の方からバタバタと急ぐ足音。
 見ればノゾミとマコトが土煙を巻き上げてえらい勢いでこっちに向かってくる。

 キャンプから2時方向のあたり、少し離れた高いところ。
 機体にピンクの文字で書きなぐった『べーぐる かっけー』をしっかりと認めると、リカはでかいハンドルのど真ん中に拳を思い切り叩きつけた!
46 名前:警笛は高らかに 投稿日:2004/03/28(日) 03:49

 パァァーーーーーーーーーンッ!

 高らかに響けクラクション。 
 
 びくっとミキは体を震わせてなんとなく痛そうに目を細めた。
 角部屋の自室で読書していたカオリが窓を開けて身を乗り出す。
 余韻を残して響き渡ったクラクションを追いかけて空を仰ぐレイナとサユミ。
 ノゾミとマコトはつんのめるように相棒の横で止まって、空を見上げた。
「おいで」
 リカが手を差し伸べると、がしっと掴んでノゾミは運転席に上がる。
 マコトもノゾミにひっつくようにして運転席に登ってドアふちに立つ。
 
 ブゥゥーーーーン…

 プロペラ機の低い唸りを感じた。
 高い高い空の中。
 青い空に不釣合いなくすんだ暗い緑色がとんびよりも高い空を行く。
47 名前:警笛は高らかに 投稿日:2004/03/28(日) 03:50
 
 ノゾミとマコトは固く手を握り合うと、
「せぇーのっ!」
 ハンドルのど真ん中、クラクションを叩いた。
   
「よぉっすぃぃぃぃーーっ! あぁーいぼぉぉーーーーんっ!」
「あーいちゃーーんっ! あっさみちゃーーんっ! りぃーさちゃーーんっ!」

 クラクションに紛れた声。

 ミキはあまりもらしい機体の文字に目を細めて、ふっ…と笑った。

 ぴょんとトラックから二人が飛び降りると、運転席寄りに傾いでいた相棒がよろけるように揺れる。
 
 何とかバランスを保つと、リカはまたぎゅっと拳を握った。
48 名前:警笛は高らかに 投稿日:2004/03/28(日) 03:50

 パァァーーーーーーーーーンッ!

  『なにこれ!』
  『へへーん。いいでしょ』
  『べーぐる…って、好きだねぇ』
   呆れた口調もなんのその。
  『好きだもん。あっ! だったら、“リカちゃんだいすきー”にしようか?』
  『やめてよー! はっ…恥ずかしいじゃん!』
  『ははっ。でも、そしたらマジで怒られちゃうからね』
  『これだって、ちょっとやばくない?』
  『まぁね』
  『けど、よっすぃらしいね。好きだなぁ』
  『なんだよー。呆れたくせにー』
  『いいじゃん。別にー』
  『いいけど、別にー』
  
   笑いあって、じゃれあって…。
    
  『あたしって、わかりやすくてイイでしょ』  
49 名前:警笛は高らかに 投稿日:2004/03/28(日) 03:51
 
 パァァーーーーーーーーーンッ!

「なぁっちぃーーーーっ! やぁぐぅちぃーーーーっ!」

 いってらっしゃい。
 気をつけて。

 カオリの声にレイナとサユミが起き上がって顔を見合わせる。

「えぇーーりぃーーーーーっ!」
「えりぃぃーーーーーーーっ!」

 がんばれ! 
 がんばって!

 ミキは目の前を行こうとする鋼鉄の翼に手を振った。
50 名前:警笛は高らかに 投稿日:2004/03/28(日) 03:51

 パァァーーーーーーーーーンッ!

  『ははっ! よっちゃん、おもしろーい!』
  『ねぇねぇ!』
   ノゾミは整備員の机から油性マジックを2本持ってくると、当然とばかりにアイに1本を手渡す。
  『ちょっと待て! どっから持ってきたんだよ!』
  『まーまーいいから。ね、アイボン』
   二人してうなずき会って、なにやらピンクの文字の周りに揺らいで書き込む。
   それを見て、リカも書き終えたアイからマジックを借りた。
  『ちょっとぉ! リカちゃん!?』
  『いいじゃん。それによっすぃが一番でっかく書いてるだし』
 
  ピンクのでっかい“べーぐる かっけー”。
  その周りに小さく三つ。
  “べーぐる すてきー”
  “べーぐる さいこー”
  “べーぐる あいしてるぜー”
  揃いも揃って、全部ひらがな。

  『無敵になっちゃったね。よっちゃんのひこーき』

  そしてこのノリはこの後そのまんまアイのひこーきへと続いたりする。
51 名前:警笛は高らかに 投稿日:2004/03/28(日) 03:51


 パァァーーーーーーーーーンッ!

  『消えたくない…』      
   怖いとか不安とか言えないから、そんな言葉で濁した。
   なのにバカらしいくらいわかりやすい。
  
   固く爪が食い込むほど握り締められた拳をそっと包んだ。
   ゆっくりとほぐれて、そして繋がったリカの右手とヒトミの左手。
   暖かい手のぬくもりと一緒に伝わる小さな震え。
   
  『消えないよ……』
  
   もどかしい言葉。
   繋ぐ手に力を込めたら、引き寄せられて胸の中へ。
   息苦しいほどの強い力に感じる彼女の想い。
  
   ただ受け止めた。
   体に腕を回して、頭を抱いて…。   
   
  あれから1年。
  あなたは空を舞い、あたしは荒野を行く。

 パァァーーーーーーーーーンッ!

 パァァーーーーーーーーーンッ!

 パァァァーーーーーーーーーーーーーンッ!

 散り際が美しいのは花だけでいい。
 風に遊ばれ、ゆらり流れて散る花弁。

 雲を突き抜け、風を切り、果てしない青の中を行く鋼の翼。
 降りしきる鉛だまの雨。
 やがて消え行く音の世界。

 死神に誘われ、天使に遊ばれ、くるりくるりと舞う彼女たちもまた、一片の花びら。

 どこに行くのか。
 どこへ行くのか。  
     
 どうか行き着く先が、やわらかい未来でありますように…。
52 名前:警笛は高らかに 投稿日:2004/03/28(日) 03:52
 くるっと横に一つひねって、ぐーっと旋回して遠ざかる戦闘機。
 7人分の思いを乗せて、7人の下へと……。

「いっちゃった…」
 後姿を見送るリカの手は、強くハンドルを握り締めていた。
 
 パンと勢いよくノゾミが手を叩いた。
「そだっ! 手紙書こうー!!」 
「いーっすねぇ!」  
 ノゾミとマコトはまたけたたましい足音と砂煙を巻きたてて兵舎に走っていった。
「気が早いねぇ」
 わからなくもないけどさ。
 ミキはその後姿を眺めながら、パキッとロりポップの白い棒を指先で折ってポケットに無造作に突っ込んだ。
53 名前:警笛は高らかに 投稿日:2004/03/28(日) 03:52

 リカも運転席から飛び降りた。
 そして空に向かって大きく両手を突き上げて伸びを一つ。
「はぁ…」 
 手を下ろして笑っては見たものの、なんかヘンな感じがした。
 目はまだ、さっきまで点となって見えていた辺りを眺めている。
 ミキは笑えてないし、笑おうとするリカを後ろから抱きしめた。
「一緒だよ…」
 親指でとんとリカの心臓の上あたりを叩く。
「…」
「いつだって…。だから……ね」
 上手く言えないもどかしさ。
 包むように、だけど少しだけ力を込めて抱きしめると首筋に顔をうずめて、目を閉じた。
 リカはミキの手を取って自分の胸の上に置くと、目を閉じて空を仰いだ。

 天を仰ぎ、地に頭を垂れ、仲間の無事を願う。
 
 まぶた越しにでもわかる光の強さ。
 ふわりと風が吹いて、さらっと草の揺れる音。
 
 今日もよく晴れている。
 
 それはそれは憎らしいくらいに。
 この青い空のずっとずっと向こう、ずっとずっと高いところで繰り広げられている殺し合い。
 泣きそうなほどに青い空。
54 名前:警笛は高らかに 投稿日:2004/03/28(日) 03:53

 カンカン!

 カオリがフライパンを叩く。
 お昼ごはんの呼び出しに、ようやく目を開けた二人。 

 相変わらず落ち着かない空気は、よりいっそう濃くなっていくけれども、乙女隊の面々にとってはとりあえず穏やかな午後。
 どちらからともなく手を繋いで歩き出す。
 そろそろ頂に差し掛かる太陽の焼けつく陽射しを受けながら。
55 名前:警笛は高らかに 投稿日:2004/03/28(日) 03:54

     「警笛は高らかに」       END

56 名前:さすらいゴガール 投稿日:2004/03/28(日) 04:10

 やあっと久々に更新。
 クラクションって警笛だっけかと思いつつタイトルするオレ。
 まして、戦闘機云々や車の整備に関して大して知識がないので、
 正直細かいところは温かく見守っていただければ…と。
 調べるには調べたんですけどね。でもなんか細かすぎても雰囲気崩しそうだし…。
 って、言い訳ばっかで申し訳ない。
 
 フジモトさんのロりポップ、前作を見ると矛盾があるかもしれませんが、
 いずれその理由はちょろっとの扱いでも書くと思われますので、ご容赦を…。

>>36 トーマ様
 なんとなくこういう背景をかんじさせるというか…。
 自分でも描いてて不思議なのです。実を言いますと。
 楽しみにしてくださっていただけるとはうれしいです。
 世相を思えば軽々しい背景じゃないですから、せめてやわらかくありたいとは思ってます。

>>37 @様
 素敵な世界…。なんか不思議ですね。くすぐったいなぁ。
 ありがとうございます。 
 森と比べるとえらい違いですが、この世界観はかなり気に入ってます。
 
57 名前:さすらいゴガール 投稿日:2004/03/28(日) 23:22
今更ながらですが、一つだけ訂正を…。

45レス目

 誤 「近寄ってくる点から次第にはっきりとその姿を現した見つめたまま、ぎゅうっと拳を握り締めた。」

 ↓

 正 「点から次第にはっきりとその姿を現した黒い影を見つめたまま、ぎゅうっと拳を握り締めた。」

 という風に読んでください。
 確認ミスです。申し訳ないです…。
58 名前:おつかい 投稿日:2004/04/16(金) 14:18

 雲が太陽を隠せば、その間から覗いた空の青は深くて鮮やかで。
 それなのにすっきりとしないのは、雲がきっと低いところを泳いでいるからで、その青の深さと鮮やかさにため息をついた。

 空って不思議だ。
 どうしてこんなにキモチと繋がってるんだろう。

 マコトは兵舎から少し離れたところにある桜の木の下に座って、また一つため息をこぼした。
 悲しいぐらいに青い青。
 それはきっとこの空だ…、と、勝手に決め付けて、ぼんやりと思い出すのは同じような背中と笑顔の彼女こと。
 固く握られた右手の中には手紙。


  Dear マコト

   この手紙を見てる頃は、もう出撃の前日ぐらいかな?
   私はチョー元気っス。アサミちゃんもリサちゃんも元気だよ。 
     
                                         』

 そこから始まって、3枚に亘ってぎっしりと書き込まれた近況や思い。
59 名前:おつかい 投稿日:2004/04/16(金) 14:19

 電話もないわけではない。
 使っちゃいけないわけではない。
 声が聞きたいと思うけど、でも聞いたら離れがたくなりそうで…。
 言葉や声は胸に残る。だけど形には残らない。
 でも、文字は違う。
 文字は形に残る。そこにある言葉は胸に残る。声は胸から引っ張り出せばいい。
 
 いろいろと思いを馳せる。
 ほっとしたりドキドキしたり、励まされたり。
 けれど、時々不安にもさせる。
  
『 ドジって怪我しちゃったよ 』

 本当に一瞬、心臓が凍りついた。
 同じ日に届いたアサミとリサの手紙にも書いてあったし、大事ではないってわかっている。
 でも結局一睡もできなくて、“超”が500個くらい付きそうなほどのハイテンションで食堂に入ったら、ミキに怪訝そーな顔でにらまれた。
60 名前:おつかい 投稿日:2004/04/16(金) 14:19

 気持ちばかりが自分を置いて、遥か時間と距離とを飛び越えて行こうとしたがる。

「…アイちゃん…」

 寄りかかった葉桜の向こうに広がる灰色の雲の間から見える青は、さらさらと風に乗って歌う葉の柔らかな黒のおかげでぐっともう一段の深みを増している。

 ドドドドドドドド…
 
 エンジンの唸る音。

  『どーしたの?』
   声を掛けて、リカはぎゅっと手の中で長細く丸まった空色の便箋に気づいた。
   昨日の夕飯を過ぎたあたりからずーっとそわそわしているマコト。
  『なんかあった?』
   少しだけ落ちた声のトーン。
   うなずくこともせず、ただ目線をあげてじっとリカを見た。
  『…そっか』
   たぶん、それだけ不安そうな目をしてたんだな…と、ふと、気づいた。

 ザザザザ…

 マコトの座る桜に向かって近づいてくる幌を外した一台のジープ。

  『イシカーさん…。私……』
  『うん』
   にっこりと微笑んで、背中を一つ叩かれた。
  『待ってて』
  『は…はい』
  『カオリンにおつかい頼まれててね、向こうに行くから』
   その瞬間、キモチが天に昇った。
   けど、待ってるその5分の間に地面にズドンと突っ込んで深く深く潜っていった。
61 名前:おつかい 投稿日:2004/04/16(金) 14:20

 立ち上がって木陰から出ると、ちょうどジープが隣で止まった。
「ごめんね。お待たせ」
「いえ。すいません」
 ぺこりと頭を下げると、リカは助手席を指差した。
 ぐるっと前から回り込んで助手席のドアを開けて乗り込むと、ぬっと後部座席から誰かが頭を突き出した。
「よっ」
「フジモトさん!?」
「ひどいなぁ。マコッチャーン。ミキのこと無視しないでよー」
「いえいえいえ。そんなつもりじゃないですよぉ。目に入んなかっただけで」
「それも何気にひどいって」
「ふふふっ。たしかにね」
「あっ! ひどっ! イシカーさんまで。そんなことないですってば」
「いやいや。そんなことあるでしょ」
「ないですって!」
「あーどうかなぁ…」
 言いかけて、ミキの目にちらりと飛び込む右手に固く握られた手紙。
「あぁー。ほら。笑った笑った」
 さすがにからかいすぎたかと、ちょっと涙目になってきているマコトの頭をイイコイイコとなでた。
「泣いてませんって。ってゆーか、何でいるんですか?」
「つきそいだって」
 リカの言葉に、単に退屈してただけなんじゃぁ…という顔をするマコトに、ふふーんと微笑みかけてぽんぽんと肩を叩く。
「まっ、そーいうことなんで」
「外出許可取りに行ったら偶然会っただけなんだけどね」
「あー。そーなんですかぁ」
「そーなんですよ。実は」
「じゃあ、いこっか」
 リカはギアをドライブに入れると、ぐっとアクセルを踏み込んだ。
62 名前:おつかい 投稿日:2004/04/16(金) 14:20

 ヴゥゥゥゥゥーーーーン…
 ジャリ…ザり……ザザザ……。

 低い唸り。
 時折タイヤが砂を噛んでザラザラと騒ぐ。

 最前線に程近いベースキャンプから第8特別航空部隊、通称さくら隊が駐屯する基地までは車をかっばして約1時間。
 荒れたアスファルトの道路を、オープンカーよろしくジープは青く茂る広野を横目にまっすぐまっすぐに走っていく。

 カーステレオから流れる甘い恋のバラード。

 流れる地平線。
 頭の上をすれ違い、近づいては遠ざかる大きくて低い雲の群れ。
 対向車のない道路。
 ただなんとなく黙ったまま、風に吹かれること早30分。
63 名前:おつかい 投稿日:2004/04/16(金) 14:22

 運転席と助手席の間からにゅっと手が伸びてきた。
 手の中には3本のロりポップ。
 オレンジとピンクと水色の鮮やかな包み紙。 
「どれか一つ」
 ぬっとマコトの前に突き出すミキ。
 うーん…っと、一通り見回すと、
「じゃ、これで」
 マコトは水色の包み紙を手にした。
「んっ!?」
 抜けない。
「フジモトさん?」
「なに?」
「あのー。取れないんですけどぉ」
「うん。マコトはこれ」
 うん…って、と呆れるマコトの前に、ミキはピンクの包み紙のロりポップを差し出した。
「恋の味だからね。…たぶん」
「たぶんっスか」
 ありがとーございます。とは言ったものの、いじけるマコトの手中でくるくる回るストロベリークリーム味。
 リカはちらりと目をやって、すねた子犬のようにむうっといじけるマコトに微笑みかけた。
「まぁ、いいじゃん。いいなぁ。ピンクで」
「大丈夫。リカちゃんのもピンクだから。いちおー」
 ミキはぺりぺりとオレンジの包装紙をはがすと、 
「はい。リカちゃん。あーん」
 すいっと、ピンクがかったオレンジ色のロりポップを口元に差し出す。
 パクッとくわえるとリカの口の中に強い酸味とすっきりした甘さが広がった。 
「なにぃ? これ」
「ふふーん。ピンクグレープフルーツ」
「あーなるほどねぇ。確かにピンクだね。ありがとミキちゃん」
「どーいたしまして」
 ミキは手に残った水色の包装紙をはがして口に放り込んだ。
 マコトも包装紙をはがしてくわえた。
 まったりしたミルク味とイチゴの風味。
 なんかケーキ食べたいなぁ…。そんなことをふと思った。
 そしてもう一つの疑問が頭をすいっと過ぎる。
64 名前:おつかい 投稿日:2004/04/16(金) 14:22
「あの、フジモトさん。これって、いったいど−してるんですか?」
「ん?」
 助手席と運転席のシートに腕を置き、間から顔を出すロりポップをくわえたミキがちょんと首をひねる。
「だって、いっつもなめてるじゃないですか」
「よく見てるねぇ」
「見てますよぉ。だいすきだもん。みんなこと」
「うわっ! きもっ!」
 ほとんど条件反射で反応するミキ。
 リカは思わず声を上げて笑った。
「あーちょっとぉ!イシカーさーん! 笑うとこじゃないですってばぁ」
「あーごめんね。マコト。でも、戦闘中とか、あと…うん……。そうだね」
 ふふふっと目をいたずらっぽく細めてミキは笑った。
「知りたい?」
「うん!」
 きらきらと期待が込められたマコトの目。 
 ちらりとミキが運転席に目をやると、ふっと目を合わせてきたリカは左手で口元を押さえてくすくす笑っている。
「ないしょ」
「えーーーっ!」
「終わったらさ、教えてあげるよ」
 ミキはぽんとマコトの頭に手を載せて、ちょっと乱暴にかき回した。
「はーい」
「あと、みんなにはナイショだからね」
「はい」
65 名前:おつかい 投稿日:2004/04/16(金) 14:22

 カーステレオから流れるアップテンポのラブソングが風に流れて空に溶けていく。
 
「イシカーさん…あの…」
「ん? なに?」
 マコトの方は向かず、けれど笑顔で答える。
「あの…。あの……」
 リカに頬を寄せるように運転席のシートに置いた右腕に頭を乗せてマコトを見るミキ。
 マコトはきゅっと唇を噛み締めると、ちらりと手の中の手紙を、そしてざわざわと風に揺れる丈の短い草原へと目をやった。
 そして、ため息を一つ。
「…あの…。あたし……へんじゃない…ですよね…」
 視線は再び手の中の手紙。
 ミキは今度は頬にキスでもするかのように顔をリカに向けた。
 ミラー越しに見るどこか緊張してるような顔をしたミキ。
 リカはなんとなくカーステレオから流れる跳ねたメロディーを1フレーズだけ口ずさんだ。
 時速87キロでかっとぶジープが生み出す風がメロディーをさらっていく。
「へんじゃないよ」
 顔を上げて見たリカの横顔は、笑っていたけど、笑っていなかった。
「すきだよ」
「…」
 ミラー越しにリカとミキの目が合う。
「いいじゃん…それで」
 ぐっとアクセルを踏み込み、メーターがの針が一気に100へと突っ込んでいく。
「マコト」
「はい?」
「すき? タカハシのこと」
 ミラー越しに見たリカの目は息を呑むほどまっすぐで、じっとマコトを見つめるミキの目は真剣だった。
 マコトはしっかりと前を見た。
 ぎゅうっと手紙を握る両手の平に爪が食い込む。
「はい」
 人気のない街道の向こうに うっすらと基地の姿が見えてくる。
 ミキはぼすっと後部座席に体を投げ出すと、がりがりとロりポップを噛み砕いて飲み込んだ。
66 名前:おつかい 投稿日:2004/04/16(金) 14:23

 せつなくやさしい恋の歌は、カーステレオのスピーカーから風に乗り、灰色の影を抱く雲の隙間からのぞく青へと帰っていく。

 ステレオの音を打ち消すように、耳元で唸る風に負けないように、ミキは空に向かって怒鳴るように歌いだした。
 めいっぱい、せいいっぱい、届け恋の歌。
 マコトも一緒になって声を張り上げて歌いだす。
 リカはステレオを切った。

 とんちんかんなせつないやさしいラブソング。
 めいっぱい、せいいっぱい、空に響け。

 時速100キロを越えたジープは、残りの距離をあっという間に駆け抜けた。
67 名前:おつかい 投稿日:2004/04/16(金) 14:23

 さくら隊の兵舎の見えるところでジープを止めた。
 日中は暖かくなってきたとはいえ、約1時間、時速100キロほどで風に吹かれていたのは体を冷やすには十分で、届けに行く前にリカとミキは積んでおいた幌をつけて屋根を作ってから、
「マコトは車で待ってて」
 と言い残し、兵舎に向かっていった。
 なんでも、前回の乙女隊の戦況レポートを見たいとかで、カオリが作った報告書をナツミに届けるというのがメインのお使いらしいと、マコトは幌を作る手伝いをしながら聞かされた。
 
 まだ高速でぶち当たって髪をかき回していった風の感触が残っている。
 二人が兵舎に向かってからまだ10分。
 マコトの中ではすでに2時間。

 時折顔を出しては消える陽射し。
 間からのぞく空の青。
 握り締めてくしゃくしゃになった空色の便箋をできるだけ綺麗に畳むと、マコトは胸のポケットにしまった。
68 名前:おつかい 投稿日:2004/04/16(金) 14:24

 ザッザッザッザッ…!
 近づいてくる足音。

「おーーーーいっ!」

 いつも胸の中にあった声。
 今、聞きたかった声。

 マコトはドアを開けてジープから飛び出した。

「あっ! わあっ!」
 首にかじりつくように飛び込んできたアイをマコトはなんとか受け止めた。
「アイちゃん!」
「マコトー! 会いたかったよ〜」
 ぎゅうっと抱きしめて、しっかりと確かめる。
 そして少しだけ体を離すと、驚きとうれしさとでぱっと目を見開いたアイが相変わらずの早口で尋ねた。
「どーしたん? なんかあったん?」
「どーしたって、こっちが聞きたいよぉ! アイちゃん怪我したって言うから」
「あー」
 愛が罰の悪そうに目を細めて笑う。
 むっとマコトの口がへの字になる。
「アサミちゃんの手紙にもリサちゃんのにも書いてあったけどさ…。でも…」
「だったら、大したことないってかっとるやろ」
「だけどさぁ…。わかんないじゃん…」
 見てないもん…と、にらみつける。
 潤んだ目で見上げられて、そのへの字口といい子犬見たいやわ…と、ふっとアイの顔が柔らかくほころんでいく。
69 名前:おつかい 投稿日:2004/04/16(金) 14:24

 彼女は一人。自分は三人。
 まして戦う場所が違う。
 ズドン。
 それ一つで終わり。
 陸の上なら当たった場所にも運にも寄るけど、空の中では散っておしまい。
70 名前:おつかい 投稿日:2004/04/16(金) 14:25

「ごめんなぁ。不安にさせてもぉて…」
「バカっ…」
 べしっとアイの腕を叩くマコト。
「いった!」
「バカ」
「二度も言わんでいいって。もう」
「だぁってさぁ…」
 へたれモード全開のマコト。
 アイはマコトの手を取ると、そっと自分の頭の右側の辺りに置いた。
「こぶ?」
「うん。この間の飛行訓練でな、終わったあとえっらいフラフラになってまって…降りるときに頭からおっこったンよ」
 マコトの手の中にはっきりと感じる痛々しいふくらみ。
「…そうだったんだ…」   
「そうだった…って、しらんの?」
「うん。二人に手紙にも訓練で怪我したけど心配ないよ…しかなかったし」
「そーなんかぁ。あっしもその…心配掛けたくなかったから、大して書かんかったけど…」

 どっと疲れに襲われるマコト。
 たぶん、アサミもリサも不安にさせたくなかったんだろう。
 だからあえて細かくは書かなかった。
 まして出撃直前。
 余計な不安を与えたくない。
 けど、それがかえって招いた不安。
 そういえば、アサミちゃんの手紙、やけに何度も書き直されてたっけ…そんなことを思い出した。

71 名前:おつかい 投稿日:2004/04/16(金) 14:25

「ホントは書かないのが一番やって思ったんやけど、でも…知っててもらいたかった…。ゴメン」
「…いいよ」
 そっとこぶから手を離すと、そのままアイの手をぎゅっと握った。
「無事なのわかったから。私も同じだよ。きっと。だから…さ」
 そして、へへへっと照れくさそうにマコトは笑った。
「一人で騒いじゃったね。へへっ」
「ほんとやわー。でも、会えたからよかったわぁ」
「そうだね。また会いに来るよ」
「絶対やよ」
「うん!」
 そして、にひひひひって二人で顔を見合わせて笑う。
「そういえば、アサミちゃんとリサちゃんは?」
「あー。なんかアイちゃん行ってきなよ…って、自分たちはいいからって」
「そうなんだぁ」
「そのかわり、手紙預かってるから」
 軍支給の迷彩のジャケットの胸ポケットから2通の手紙を出してマコトに手渡す。
 淡い桜色の封筒とクリーム色の封筒。
 マコトは大事にそれを胸ポケットにしまった。
 アイはそれを見届けると、少しだけ声のトーンを落とした。
「マコト」    
「ん?」
「明日?」
「うん」
「そっか」
 視線を地面に一度落とすと、一転の曇りのない目をまっすぐにマコトに向ける。
「マコト」
 そして、ニカッと笑った。
「おまじない」
「おまじない?」
「おまじない。絶対生きて帰ってこれるように」
 つ…と、アイが一歩だけ距離を詰めて、そっと両腕に手を置く。
 まだちょっと意味がわかりかねるマコトの頭に「?」が飛ぶ。じっと目を見つめられて、「あれ?」とは思うが頭が上手く働かない。
 きゅっと袖を掴むアイの手。
72 名前:おつかい 投稿日:2004/04/16(金) 14:26

「…」
「…」
    
 すっと唇が近づいて、なんとなくだけど目を閉じることができなくて、吸い込まれるように瞳を見つめるマコト。
 
 あと2つ数えたら触れる唇。
73 名前:おつかい 投稿日:2004/04/16(金) 14:26

「あのー」

 ぱっとアイの顔が離れた。
 ぽかんと口を開けるマコト。
 アイの視線の先をたどると、そこにはリカとミキ。

「あれっ。ぶちゅっといっちゃいなよ。ぶちゅっと」 
 とミキが言えば、リカはリカで…。
「いやぁ…アイちゃん、なんかオトコマエ…」
 
 ふんっ…と息を吐き出すと、
「もうっ! あっち向いててくださいぃ!」
 真っ赤な顔でちょっと泣きそうに口を尖らすアイ。
 うがーっと急激にゆでだこ状態になってほけーっとしているマコト。
 リカとミキはクスッと顔を見合うと、
「はーーい」
「はーい」
 とりあえずあっちやそっちの方に顔を向けた。
 それをしっかり確認すると、アイははっと短く息を吐いた。
「マコト」
 囁いて、まっすぐに見つめて、掠めるように、まだ戸惑いの残るマコトの唇を塞いだ。

 時間が止まった。

 このままならいいのに…。
 そんなことを思う余韻もなく、我に返ったら目の前でアイがへへへへって笑っている。
74 名前:おつかい 投稿日:2004/04/16(金) 14:27

 ぽんっと照れかくしに腕を叩かれた。
「いったいって! アイちゃん」
「や…。せやって、なぁ!」
 耳まで真っ赤にしてうつむいて視線をさまよわせるアイ。

「ふぅーっ!」 
「ぃゃっほーーぃっ!」
「ひゅーひゅーっ!」

「えっ!」
「あ゛っ!」
 はっと声の方を見ると、リカとミキがにやにやと笑っている。
 そして、
「ちゃーんと、見てましたよぉ」
 ぱっと真横にスライドするように動いたリカとミキの間にいたのはエリ。
「うっそやろ…」
 呆然とするアイ。マコトはポカーンと口を開けたまま、目が点になっている。
「いやーーっ。あっついねぇ」
「もーっ。二人ともかわいーっ!」
「あー。なんかエリも恥ずかしくなってきましたぁ」
 はしゃぐ三人をよそに言われっぱなしのマコトとアイは互いにちらりと目を見やって、やれやれため息。
75 名前:おつかい 投稿日:2004/04/16(金) 14:27

 パタン、バタン。
 ジープのドアが閉まる。
 助手席にはエリ。後部座席にはミキがすでに乗り込んでいる。
「じゃ、アイちゃん。またね」
「うん。またね。マコト」
 うなずいて返して、マコトはドアコックに手を掛けて、少しだけ考えた。
「アイちゃん」
 向き直ると、アイの腕を掴んでぐっと胸に引き寄せて抱きしめた。
 これを最後にはしたくない。
 するつもりはないけれど、もう一度だけ。
 
 髪をさらりと舞い上げる風がいつの間に厚い雲を追い払って、輝くような陽射しが降り注ぐ。
 体にまだ残ってる抱きしめるマコトの腕の感触。
 そっと唇を人差し指でなぞった。
 なんや…イチゴ牛乳の味やわ…。
 飲むたびに思い出すんだろうな…と。
 砂煙を巻き上げて離れていくジープを、アイは見えなくなるまで見送った。
76 名前:おつかい 投稿日:2004/04/16(金) 14:27

 カオリのお使いは戦況報告のレポートのお届けと…。
「はい。みんなにはないしょね」
 ミキがプリン味のロりポップをエリに渡す。
「あっ! ありがとーございまーす」
 ぺりぺりと包装をはいでパクリ。
「なんか、変わった味ですねぇ」
 エリはふふっと目を細めて柔らかく笑った。

  『さびしいのは一緒だから』
   書類を手渡して、カオリは小さく笑った。 
  『マコトだけってわけにもいかないっしょ』
   そう言って、今度は苦笑いする。
  『あー。こんなに甘くっちゃいけないんだけどねー』
   って言うと、
  『でも、これからはさらに厳しくなるだけだから…』
   だからこそ…なのかもしれないけどって笑ったカオリの横顔。
   リカは何も言えなかった。   
   淡い窓越しの光が描き出した陰のあるその微笑が、あまりに美しすぎたから。
77 名前:おつかい 投稿日:2004/04/16(金) 14:28

 明日の出撃前にさくら隊からお迎えがやってくる。たぶん、マリとヒトミだろう。
 それまでのつかの間の時間。
 明日の今頃は青い青い空の下、泥にまみれて血の臭いと死の臭いに溢れた大地を、ただたださまよい、突き進む。
 死神たちが手招きする。天使がこの手を取ろうとする。
 誘惑を振り払って帰ってくるから、今はできるだけ笑っていよう。
 ほら、空だって晴れたから。
 
 対向車線にまったく人気のない道路。
 荒れた路面。
 包み込むようにただっぴろい草原がただただ流れていく。
 時速100キロで帰り道を行くカーキ色の鉄の塊。
 カーステレオから流れるロック。
 明日がどっちか知らないけれど、とりあえずまっすぐ進め。
 
 そしてベースキャンプの姿が見えてくる。
 頭の上にあった太陽は、ようやく西へと少し傾き始めた。
 フロントガラスの向こうに広がる空は、果てしなく鮮やかだった。 
78 名前:おつかい 投稿日:2004/04/16(金) 14:28

 「おつかい」        END
79 名前:さすらいゴガール 投稿日:2004/04/16(金) 14:32
 久々に更新しました。
 書き上げるのになんか異様に時間がかかってしまった…。
 ストックはあるのになぁ。
80 名前:キスとキオク 投稿日:2004/04/24(土) 22:03

 目が覚めたらベッドに一人。
 シングルベッドに一人はなんらおかしいことはないのだけれど、ミキは隣にいたはずの彼女がいないことに気づいてむくっと起き上がると、にらむように目を細めて太陽の光をがんばって遮るカーテンに目を向けた。
 どうやら今日もよく晴れているらしい。
 ちゅんちゅっんとすずめたちが歌うさわやかな朝。
 パタパタと足音がする。
 裸の肩に直接当たる空気に少しだけ身震い。 
 ミキはとりあえずベッドの下からパジャマの上着を拾い上げて腕を通すと、ボタンを二つだけ留めて
ベッドから抜け出した。
 足にまとわり付く空気がなんとなくまだ冷たく感じる。
81 名前:キスとキオク 投稿日:2004/04/24(土) 22:04
 ドアを開けると、玄関にリカの後姿。
「仕事?」
「うん」
 靴紐を締めて、『らびっと運輸』のロゴが入ったライムグリーンのストライプのユニフォーム姿のリカがデイパックを手にして立ち上がる。
「おはよ。ミキちゃん」
「おはよ」
 ミキはペタンペタンととりあえず玄関先に立った。
「起してくれればよかったのに」
「でも、ミキちゃん今日お休みでしょ? なんか…よく寝てたから」
「まぁねぇ。誰かさんのおかげでね」
「こら」
 ぺしっと手にしたキャップで腕を叩かれて、ふふっと思わずミキから零れる笑み。
 リカはシンプルな走るウサギのワッペンの付いたキャップをちょっと深くかぶった。
「朝ごはん、作ってあるから」
「ん。遅くなる?」
「ううん。たぶん大丈夫」
「ん。わかった」
 ミキはキャップのつばに手を掛けてくるりと逆向きにかぶせると、リカの唇を塞いだ。
「いってらっしゃい」
「うん。いってきます」
 なんだかんだとまだ起ききっていないような顔でふわっと笑って、リカは玄関のドアを開けて朝の光の中へと消えていく。
 なんとなく頭をかきながらその背中を見送ると、手近に合ったサンダルを突っかけて閉まりかかったドアにもたれかかって顔を出した。
 赤いミニのドアを開け、乗り込む前にドアとルーフの境辺りに軽く口付ける。
 それを見つめるミキから零れたあいまいなため息。
 
 パタン。

 運転席のドアが閉まって、ミニがぶんと唸って小さく震えた。

 パァン!
 
 クラクションが一つ。
 ゆっくりと動き出したミニはすーっと車道へと流れていった。

 ドアを閉めると、やけに静かだった。

 ミキはキッチンに向かうと、テーブルの上でぽつんと待っていたおにぎりを手にした。
「今日のお昼…か」
 流しには炊飯器の釜としゃもじ。
 あっという間に平らげると、とりあえずシャワーでも浴びようかと浴室に向かった。
 
「…」

 引っ掛ける程度に着ていたパジャマの上着を脱ぎ捨てる。
 鏡に映るどこか不機嫌そうな、だけど泣き出しそうな自分。
 鎖骨のあたりの赤いしるしに、そっと指先で触れた。
82 名前:キスとキオク 投稿日:2004/04/24(土) 22:04

                ■              ■
83 名前:キスとキオク 投稿日:2004/04/24(土) 22:05

 ガタンガタン!

 荒野を行くポンコツトラックが小石に乗り上げてがたがたと揺れる。
 小康状態の前線を少しだけ切り開いて後継の部隊へと引き渡した隊員たち。

 最前線を離れても前線には変わらない。
 ベースキャンプに戻るまでが戦闘です。
 道なき道を走るここはまだ、なんとなく自軍よりだが敵の陣営かもしれないグレーゾーン。
 
 黙ってハンドルを握るリカ。
 その隣でぐてっと座席にもたれかかってダッシュボードに足を乗せ、ロリポップの白い棒をふらふらと動かしながらぼんやりと外を眺めるミキ。
 後ろでは興奮状態から抜けきらないマコトがずーっとしゃべり通しで、放心状態のノゾミがうなずきもせずに腕にひしっと抱きついている。
 そんなノゾミの頭をなでながら、カオリがマコトに相槌を打つ。
 カオリの腕の中には、とにかくトラックに戻ってきたことで緊張が解けて震えが止まらないレイナと、そんなレイナの手を強く握ってぼんやりとまどろむサユミ。 
    
 最前線のポイントから野戦病院と臨時キャンプのトラック経由、ベースキャンプ。
 安全圏までの道のりは20分。少しずつ遠くなっているベースキャンプまでの道のり。
 
『あんたが気を抜いたらみんな死ぬぐらいでいなさいよ』
 運転を教えてそれを引き継がせたケイの口癖。
『帰るまでが戦闘よ』
 
 所詮殺し合い。
 ルールなんてあるのかないのか。
 それが戦争。
 現場行ってみぃ。決まりごとなんてなんちゃってルールやねん。と、かつて隊をまとめた青い目のリーダーはそうはき捨てた。  
 何があるかは、わからない。

 その日、リカは朝からなんとなく嫌な感じがした。
 ハンドルを握った瞬間なぜかぴりぴりと震えて、相棒が何かを教えてくれたような気がした。

 注意深くミラーを確認しながら、速度をできるだけ上げていく。
 ミキはちらりと横目でぐっと口を結んでハンドルを操るリカを眺めていた。
 カラダにへばりついた自動小銃の振動のせいかじりじりと残る興奮した神経。
 なのにやけに体は重い。ダッシュボードから足を下ろして座り直しただけで全身が悲鳴を上げた。
84 名前:キスとキオク 投稿日:2004/04/24(土) 22:06

 雨が降りそうだ。
 厚い灰色の雲が延々と広がって、けだるい景色が眠気を誘う。
 うっと腕を伸ばすと、ミキは再度ミラーに目を凝らした。
「リカちゃん…」
「なに?」
 ミキはシートの後ろからサブマシンガンを取り出しながらミラーにちらり映ったそれに目を凝らした。
「ジープ?」
「どっち?」
 ミラーからふっと消えて、ミキは急いでぐるぐるとウィンドウを下げて頭を出した。
 リカがアクセルさらに少しだけ踏み込む。

 サンドカラーの四輪駆動。
 兵士が1、2、3、4…5人。
 一人がスナイパーライフルを構えている。 

 奇襲!?

 すうっと頭が冴えていく。
「向こう! 左後方に敵車確認っ!」
 ミキの声に弾かれたように荷台が慌しくなる。
 マコトはきっと口を結んで自動小銃を手にした。
 放心状態だったノゾミも自動小銃を抱えると体勢を低くして荷台の壁に張り付いて息を潜める。
 レイナとサユミも銃を手に、応戦のためにつけられた小窓から外を窺いながら、自分の銃をぎゅうっと抱きしめる。
 進行方向左の壁にマコト、レイナ。右にノゾミとサユミ。
 カオリは銃を手に荷台の後部ドアの窓から確認した。
「全員構えて!」

「はいっ!」
 勢いのいい返事が6つ。

「リカは速度維持! 運転に集中! ミキ! サポート頼むねっ!」
「はい!」
「はいっ!」
85 名前:キスとキオク 投稿日:2004/04/24(土) 22:07

 ターーン!

 ライフルがミキの15cmほど前を突っ切っていった。 
 
「はじまりってか?」
 ミキはサブマシンガンを持ち直すと、身を乗り出した。

 タラララララッ!
 
 軽やかに火花を拭いて歌うサブマシンガンが四輪駆動車の足元を威嚇する。

「ちっ…。あたんねぇ!」 

 ぐーっと速度を上げて横につけると、サンドカラーの四輪駆動車は車間を50mほどに保ちながら、いよいよ本格的に潰そうと襲い掛かってくる。

 タラララッ!
 タララララララッ!

 火花が見えた。
 向こうの兵隊の必死な顔。

 左に右にハンドル切りながらかなりのスピードで蛇行するポンコツトラック。
 ぎゅいっ、じゃりっと、タイヤが泣き、荒野を踏みにじる。
 がたんとそのたびに大きくよろけて浮き上がる車体。

 マコトはぐっと踏ん張ると、小窓を半分ほど開けて銃口突き出した。

「いけっ!」
 
 タタタタタタタンッ!
 タンッ! タタンッ!

 レイナはぎりっと歯を食いしばった。

「くうっ!」
 
 タタタン!
 タタタタタタタタタタッ!

 火花を飛ばして飛んでいった弾丸の雨は四輪駆動車の足元で弾けて減速を促す。
 ふらりとよろめいて一時的にだが舎監が開いた。
 その間に呼吸を整える。
86 名前:キスとキオク 投稿日:2004/04/24(土) 22:08

「追い込まれてるっ…!」
 頭に叩き込んだ地図。
 確かにここはグレーゾーン。たしか近くに敵軍のポイントがあったような気がする。
 このまま向かえば敵の中へつっこんでいくことになるだろう。
 待ち伏せられていた。
 リカはぐっと奥歯をかみ締めて、あえてゆるやかな旋回を試みて四輪駆動車との車間をつめていく。

 タララララララララララララッ!

 四輪駆動に添えつけられたマシンガンの銃口がぱちぱちと光る。

 ドン!
 ドカドコドカドカドコドコベコッ!

「うわっ!」
「きゃっ!」

 マコトとレイナが体をすくめる。
 頑丈さだけがとりえの相棒の壁のあちこちがへこんで、3箇所ほど乱暴にのぞき穴が作られた。
87 名前:キスとキオク 投稿日:2004/04/24(土) 22:08

「うわぁぁぁぁっ!」

 ダダダダッ!

 マコの銃が火を噴く。
 ふらりと四輪駆動車がよろけて、一人がのけぞりながら車外に投げ出された。
 ガッツポーズもなく、ギラギラした目でそれを追いかけることもせずマコトは四輪駆動車をにらみつけたまま。
 ノゾミはレイナの隣でさらに勢いに乗ろうと畳み掛けるように引き金を引いた。

 タタタタタタンッ!

 また一人、車の中にかくんと消えた。
 肩の辺りから血が出ているのが見えたような気がした。

「よしっ!」
 と、小窓から体を少しだけ引いてノゾミがぐっと拳を握ったその直後!

 タララララララッ! 

 ドコッ!
 ドコボコッ!
 ガシャンッ!    

「きゃあっ!」
「わあっ!」
 きらきらとガラス片が光に反射して振り注ぐ。
 カチンカチンとガラスが跳ね、その中に肩を抑えてうずくまるレイナ。
 カオリはガラス片が肩に刺さったレイナを窓から引きずるように離して抱きかかえると、ノゾミにレイナがいたところに入るように指示して、サユミを呼んだ。 
「できるよね」
「はいっ!」
 救急箱をサユミに手渡すと、カオリはマコトの隣について銃を構えた。

 揺れる車内でサユミはナイフでレイナのジャケットを裂いて傷口を確かめると、突き刺さったガラス片を一気に引き抜いた。
「んっ!」
 レイナが眉をくっとひそめる。顔には大量の汗が浮かんでは流れる。
「大丈夫。血管からは外れてるみたいだから。思ったより…浅いかも」
 そして頭から必死にキオクを手繰り寄せ、一つ一つ確実に処置を施していく。  
88 名前:キスとキオク 投稿日:2004/04/24(土) 22:10

 スピードメーターの針は80キロを越えていた。
 体に鞭打ってかっとぶポンコツトラックとやけに若々しい四輪駆動車との車間は気づけば20メートルに程近い。
 緩やかに回り込ん追い抜いたところで振り切れるのか。このスピード。どうせおびき寄せられて相手の望むポイントに近づいてるに決まってる。
 それでもリカは速度をじりじりと上げ続ける。
 なんだったら相棒で横からぶち当たって吹っ飛ばしてやるっ!
『大胆な小心者ほど、戦場では長く生きられるもんなのよ』
 そう教えたケイはもういない。
『いざとなったらつっぱっしってけばいいのよ』
 迷ったらおしまい。腹くくっちゃえば後悔は無いから、って笑ってたっけ。でも、けっしてそうすれば死なないとは言わなかった。
『でも死んじゃったらおしまいじゃないですかぁ!』
『まぁねぇ』
 はははっと声を上げて笑ったケイ。
 ゆっくりと息を吐き出してがちがちになっている肩の力を抜く。
「ミキちゃん…」
「ん?」
「うん」
   
 二人の目が合う。
 ふっ…と、ミキは笑って見せた。

「くそっ! あっちいけぇっ!」
 ミキはタイヤを狙ってサブマシンガンの引き金を引く。
 タンタンッ…と小気味よく弾けて四輪駆動車はふらふらと蛇行をさせられる。
89 名前:キスとキオク 投稿日:2004/04/24(土) 22:11

 かっと目を開いたカオリのスナイパーライフルが一発必中よろしく、備え付けのライフルを弾いて方向を変えさせた。
「なんかすげぇ…」
 思わずミキはつぶやいた。
 そしてまたサブマシンガンの引き金を引く。
「とどめっ!」

 タタタタタタタッ!

 今度はタイヤではなく、フロントめがけて。

 甲高い悲鳴を上げてフロントガラスが弾け飛ぶ。
 運転手が前のめりに崩れたのが見えた。
 シートの後ろのバッグから手探りで手榴弾を探してとりだすと、サブマシンガンでまだ速度の落ちない四輪駆動車を牽制する。
「リカちゃんっ! 追い抜いて!」
「おっけぇぃ!」
 ぐいっとハンドルを回して一気に四輪駆動車の前方へと躍り出る。
 ミキは口で手榴弾のピンを引き抜くと、
「みんな体固定してっ!」
 ぽいっと後ろに向かって放り投げた。
 
 ドーーンッ!

 地面が揺れて、相棒がふらりとよろけた。
 どす黒い煙を上げてひっくり返った四輪駆動車が燃えている。
 仰向けになったタイヤはなおも回転を続けているのが見て取れた。
90 名前:キスとキオク 投稿日:2004/04/24(土) 22:11

 それでもまだここは戦場。
 見えきたポイント。
 待ち構えたように銃を構えている15、6人ほどの人影。

「前方に敵兵!」
 リカが声を張り上げた。
「リカぁっ!」
「はぁいっ!」
 カオリはすうっと深呼吸した。
 言わんとすることは、リカにもわかっている。ぐっとハンドルを握る手に力がこもる。
「そのままつっこめぇっ!」
「はあいっ!」
「全員かまえてぇっ!」
 カオリの声に全員が床に伏せる。
 サユミはぎゅっと怪我をしたレイナの肩をかばうように抱き寄せて、上に覆いかぶさった
 ミキもウィンドウを上げると、ぐっとドアの内ハンドルにつかまって前に屈むと、足をつっぱって体を固定する。
 リカは重心を下げてハンドルに乗っかるように体を寄せて前のめりになると、ぐいっとアクセルをめいいっぱい踏み込んだ。

「いけっ! 相棒!」

 うぉぉんっ!

 唸りを上げて、厳ついガタイが人の群れにつっこんでいく。
 迷彩色のそれはまるでありえないくらいでかい砲弾。

「カモーーーーーーンナッ!」 
91 名前:キスとキオク 投稿日:2004/04/24(土) 22:12
 
 ドンッ! 
 ドンッ!  
 ドコベコボコバコドカドコッ!

 まだまだ。

 ドンッ!
 ガンッ!

 いけっ! ガンバレ相棒!

 バキッ!
 ベキッ!
 ビシッ!
 
 フロントガラスにひびが入った。
 さっきから何かが当たった衝撃で相棒の体が痺れてる。
 リカの頭の中は真っ白で、ただ前だけしか見えなかった。
 妙にクリアな視界。鮮やかな色。
 目の前にあるものをひたすらに蹴散らしていく。

 人。銃。簡易テント。金属の資材。木材。木箱…。

 簡易テントの布をかぶったまま、こじんまりとした敵軍のポイントを駆け抜ける。

 ドーン!

 ぶるぶるっと地面が震えた。
 ミキが置き土産に放った二つ目の手榴弾。

 布がはがれて視界がやけに広やかになって、リカはすーーっと我に返った。

「…おわった?」
「おわった…」
 
 サイドミラーに映る黒煙。
 
 リカは頭の中からなんとか地図を引っ張り出すと、大きくハンドルを左に切って街道の方へと相棒を促した。

 泣き出しそうな空は結局泣き出さず、重苦しい灰色の空は時間の感覚さえも奪っていく。
 のっぺりした雲の下、誰もが話すことはなかった。

 街道に無事たどり着いてようやくポンコツトラックの速度が落ちる。

『安心したときこそ、安全運転』
「…はい」
 ケイの声が聞こえて、リカはつい苦笑いを浮かべた。
92 名前:キスとキオク 投稿日:2004/04/24(土) 22:13
 
 一本道をひたはしり、ベースキャンプに帰り着く頃には辺りは暗くなっていた。

 ぶるん。

 大きく身震いして、ポンコツトラックはふぅーっとどす黒い息を吐いて止まった。
 ふらりとシートに体を預けて、リカはぼんやりとフロントガラスのひび割れた弾痕を見つめていた。
 ミキもふーっと大きく肩を揺らして息を吐き出す。
「リカちゃん。おつかれ」
 ゆらりと差し出された手。
 ぱしっと受け止めてちっとも力の入らない手で握り返した。
「おつかれさま。ミキちゃん」
 そしてはぁっ…と、ため息が零れた。

 しばらくは誰も動けなかった。
 しかし、カオリは応急処置だけのレイナに気づくと、そおっと抱きしめてよしよしと頭をなでた。
「がんばったね」
「…はい」
「サユもがんばった。ありがと」
「はい」
 サユミの肩をぎゅっと抱きしめると、降りるように促す。
「マコト。おつかれ」
「はぃぃ。おつかれさまです…」
 うん。とうなずいて、ぎゅっと抱いてやると、まだ心臓がバクバク言っていた。マコトはへへっと泣き笑いで離れると、荷台のドアを開けてサユミと一緒にレイナを支えた。
「ノンちゃん」
「カオリぃ…」
 ひしっと抱きついて胸に顔をうずめるノゾミを受け止めて、ゆっくりと背中をなでる。
「がんばったね。お疲れ様。さっ、戻ってごはんだね」
「うん…」
「ほら、いこ?」
 ポンと背中を叩いた。
 こくりとうなずいてノゾミも立ち上がる。
 カオリは最後に運転席部分の小窓を二つノックした。
「リカ。ミキ。お疲れ。ありがとう」
 言葉は返ってこなかったが、ノックがひとつずつ帰ってきた。
93 名前:キスとキオク 投稿日:2004/04/24(土) 22:13

 がたがたと揺れて荷台が空になる。
 ミキも何とか体を起すと、トラックから降りた。
 地面に足をつけたら、体がぐらりとよろけた。
 重い体を引きずって運転席の方に回りこむと、ゆっくりとドアが開いた。
 ずり落ちるようにリカの体が崩れる。
「リカちゃん!」
 何とか下から支えると、ごめんって言葉と一緒に疲れた笑顔が降ってきた。
「大丈夫」
 心配そうに見上げるミキに微笑みかけて、慎重にゆっくりと地面に立った。まだおぼつかない頼りなげなリカをミキが腰に腕を回して支える。
 
 パタン。

 ドアを閉めて、ようやく終わったと…そんな気がした。

 リカはドアに触れたまま、視線をすっと横に流す。

 穴だらけであちこちへこんだボコボコの車体。
 少しだけ黒くすすけた荷台の側面上部。
 フロントガラスの弾痕。ウィンドウのひび。
 ドアのあちこちにも弾痕。埋まったままの弾丸。
  
 ちょうど目と同じ高さにあった弾痕の隣に、リカはそっと口付けた。

 慈しむようにそっと相棒をなでるリカを見つめるミキの腕にかすかに力がこもる。
94 名前:キスとキオク 投稿日:2004/04/24(土) 22:13
 カオリはポンコツトラックを見上げた。そして、
「ありがとう。お疲れ様」
 目を閉じて、やわらかいキスをした。
 ふふっとリカに微笑みかけると、うれしそうな笑顔が返ってきた。
 ノゾミが「ありがと」って恥ずかしそうにちゅっと触れる。
 マコトはへへって苦笑いしながら、「おつかれさま」とその横にぱっとキスをした。
 レイナとサユミはなにやら顔を見合うと、 
「ありがとう」
 ってサユミが車体にキスをした後、
「ありがと…」
 レイナが真っ赤な顔をしてちゅっとその少し下に。
 目を細めてそれを見届けると、ミキはリカが口付けたその横にキス。
 ささやかな外灯に照らされて、7人の勇ましいお姫様からキスで祝福されたポンコツトラックは、なんだか照れくさそうにうずくまっていた。

 それ以来、楽な戦闘などないわけだけども、ベースキャンプに戻ってきたらトラックへのキスは乙女隊の習慣になった。
 無事に帰れたことへの感謝と、ともに戦った仲間への労い。
 
 カオリは全員の顔を一度ゆっくりと見回した。
「今日はメインの作戦の方よりも、まぁ、たいへんだったわけだけど、誰一人欠けることなく、無事、戻ってこれました。戦況確認と反省は明日以降にします。各自随時シャワーと食事を取って、ゆっくり休んでください」
 カオリの言葉に聞き入る面々の疲れた顔。
「本日はこれで解散!」
 残った気力で隊長らしく凛と声を張る。
 敬礼が交換され、長い一日が終了した。 
 
 それぞれが重い足取りで兵舎へと戻っていく。  
 リカとミキはまだその場に立ち尽くしていた。
「リカちゃん…」
「うん…」
「…大丈夫?」
「うん。ゴメンね。なんかね…」
 そう言ってミキに顔を向けたリカの目がうっすらと赤くなっていた。
 頬に涙を伝った跡。
 ミキは涙の跡に口付けて抱き寄せると、やんわりと頬を包んで唇を重ねた。
95 名前:キスとキオク 投稿日:2004/04/24(土) 22:14

              ■              ■
96 名前:キスとキオク 投稿日:2004/04/24(土) 22:14

 ざぁっと音を立ててミキの体に降り注ぐ少し熱めの湯の束。
 体を滑り、または弾けてぱちぱちと足元で跳ねては歌う。
 
 ぎゅうっと自らを抱きしめる。

  サバイバルジャケットの背中を掴んだ手の力。
  指先に触れた雫。
  乾いた唇のかすかな震えと胸をじわりと突き刺すあたたかさ。

  涙が零れた。
  困ったように笑って、しなやかな指先が頬を滑り落ちようとする雫を拭い去って…。
 
 自らをその両腕でしっかりと抱きしめたまま、とん…とうなだれた頭を壁に押し付ける。
 
 パタパタパタと滴る水滴。
 軽やかな水音はただのノイズに変わり果てていく。
97 名前:キスとキオク 投稿日:2004/04/24(土) 22:15

 まだ何も終わっていないんだと、頭が納得をして、心が理解した。
 忘れかけていたぬくもりと感触は、あの時と一緒に胸の片隅からやってきて、いくら熱い温水に打たれたところで涙と一緒に流れてはくれないらしい。
 声を上げて泣いてもいいんだろうけど、そんな気にもなれなくて、泣いているのかすら今はわからない。
 顔を上げた。
 顔に当たっては落ちていくそのささやかな衝撃が少しだけ心地いい。
 
  自分だって泣いてるくせにと悪態をついて、笑って見せた。
  華奢な体を抱き寄せた。
  首筋に顔をうずめて、少し埃っぽくて汗ばんだ首筋にしるしをつけた。
  短く息を詰めて強張った体を強く強く抱きしめた。

  一緒だよ…。ずっと…。

 キュッ。

 流れ出たノイズが途切れ、しんと訪れた静寂。
 ぽたりぽたりとこぼれる雫の音がやけに大きく感じる。
 生暖かい空気。
 ゆっくりと髪をかき上げると、髪の先から溢れ出した水滴がぱらぱらと体を伝って落ちていった。
98 名前:キスとキオク 投稿日:2004/04/24(土) 22:15

 ドア一枚を潜り抜ければ、そこは朝の光に溢れていて、なにもかもが清々しいチカラに満ち溢れているような気がした。
 体を拭いたバスタオルを頭からかぶって、ショーツだけを身に着けてリビングへ戻ると、手にしていたパジャマの上着をソファに放り投げてどかっと座り込む。
 わしわしと荒々しくバスタオルで髪を乾かしながら、無性にリカを抱きしめたくなったキモチを追い払う。

 そんなこと、無駄なのにね。

 いっそサボらせちゃえばよかったかと、はう…とため息をつきながら頭からバスタオルをほっぽると、またパジャマの上着に袖を通す。
 淡いピンク色のパジャマ。
 膝を抱えて腕の中に顔をうずめると、コロンとそのまま横に転がった。
 ぽすっとやわらかく包むようにソファが体を受け止める。

 かちこちと時計の針の音。
 すずめの歌声と、時折前を通る車の音。
 
  出撃前、リカは誰よりも早くトラックに乗り込む。
  相棒にキスをするのを見届けて、ミキはそれからわざと5分ほど時間を空けて助手席をノックする。   
  ミキがドアに口付けてトラックに乗り込むことを、たぶんリカは知らない。
  知らなくてもいいことだし、マネをしたわけでもない。
  彼女が信頼している相棒へのささやかなお願い。ただそれだけ…。
  守ってあげて…と。
  ただ、それだけ。
99 名前:キスとキオク 投稿日:2004/04/24(土) 22:15

 静かに過ぎる時間が胸に押し寄せたキオクを感情へと転がしていく。
 サブマシンガンの衝撃。手榴弾のピンの味。トラックのドアの冷たさ。
 いずれ遠くなっていくだろうその日々は、それでも体と胸に焼き付いて離れない。
 きっとこのままなんだろう。
 ミキは目を閉じた。
 
 それも悪くない。
 まっすぐに見つめていけるだろう。
 抱えていけるだろう。
 分かち合うことだってできるだろう。
 
 良かったことよりも遥かに痛々しい事の方が多かったあの日々の中で、何を得て何を失ったのか、考えようと思ったら眠くなってきた。
 ただ一つわかるのは、けっして忘れてはいけない記憶なのだ…ということ。

「早く帰ってこないかなぁ…」

 丸まっていた体を伸ばして天井を見上げた。
 窓から射す真っ白なカーテン越しの光が柔らかく部屋を包む。
 緩やかに流れる時間を肌で感じる。
 あたたかい静けさの中に少しだけせつなさを感じながら、再び目を閉じた。
100 名前:キスとキオク 投稿日:2004/04/24(土) 22:16

   「キスとキオク」           END
101 名前:さすらいゴガール 投稿日:2004/04/24(土) 22:18

 何気に100げっつ。
 小説書いてこんなに疲れたの初めてです。
 それが作品のよさに繋がってるのかはわからないけど…。
 なんとなく脳内さぷりのおかげな気もする…。
102 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/25(日) 13:56
更新乙です。
おかげで私の脳内は活性化されています。

りかみきをはじめメンバーみんながかっこいい。
これからも楽しみにしています。
103 名前:名無し読者 投稿日:2004/04/25(日) 14:09
更新されるたびすごいの一言というか大好きな作品です
これからも楽しみにしています
104 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/27(火) 19:52
大好きです。頑張ってください。
105 名前:赤い世界 投稿日:2004/04/30(金) 03:10

 赤い、赤い、赤い。

 燃える空。
 黒い雲。
 響き渡る怒号。
 光。真っ白な光。
 昇る火柱。
 吹き飛ぶ家。そしてビル。
 
 赤い。赤い。赤い。

 声が聞こえない。
 叫んでるのに! 叫んでるのに!
 どこ!? どこ!?
 熱い! 熱いよ!
 
 火の粉が舞う。
 足元の瓦礫が走る邪魔をする。
 叫びも悲鳴も瓦礫の崩れる音さえも、炎の中に消えていく。
 
 赤い。赤い。赤い。

 何もかもが赤い。
 空も人も町も地面も川も。
 
 助けてっ! だれかぁっ!
106 名前:赤い世界 投稿日:2004/04/30(金) 03:12
 
「…っぁ!」

 しんとそこは静かだった。
 真っ暗な闇の中。
 リカは激しく呼吸をしながら、自分がどこにいるのかさえわからなかった。
 心臓が激しく鼓動を打つ。
 滑り落ちる汗。
 
「はっ…はっ…」

 聞こえるのは自分の口から零れる喘ぐような呼吸だけ。

 起き上がろうとして、ぎゅっと後ろからそれを妨げるように抱きしめる腕に気づいた。
 しっかりとリカの体を抱きしめて、まるですがるように肩口に顔をうずめるミキ。
 
「はっ…はぁ…っ」

 ぴったりとくっついたミキの体のあたたかさが少しずつ少しずつ、リカの昂ぶったキモチを溶かすようにほぐしていく。
 暗闇に目が慣れると、ようやくそこは寝室で、それがユメだったとわかってほっと息を吐く。
 それでもまだ鼓動の回転数は衰えない。
107 名前:赤い世界 投稿日:2004/04/30(金) 03:12
 
「…ミキちゃん」
「…」

 もう一度呼んでみようかと思ったが、首筋にかかる穏やかな寝息にそれをためらった。
「ん…」
 まるで守ってくれてるかのように上半身に回っていた腕をそっと持ち上げると、そぉっと滑るように抜け出した。
 息を潜めて、起さないようにそおっと、そおっと腕をベッドに下ろす。
「んん…?」
 飛び出た寝言にぴくっとリカの体が震えた。
 もしかして起きてるんじゃ…と思ったが、そろそろとミキから離れて起き上がると顔を覗き込んだ。
「んー…」
 起きてるときは何かとつっこみ厳しい彼女だが、まだまだその寝顔はいくらばかりかあどけない。
 リカはそっと頬に口付けると、起こさないように寝室を出た。

  なにもかもが赤い世界。
  まとわりつく熱気に死の臭い。
  足元に所狭しと転がってひしめいている死の影。

  煙で黒い空。
  悲鳴と叫び。
  何かが一つまた一つと崩れ去る音。

  本当に崩れたのは、たぶんささやかな幸せと平穏。
  炎の中に消えていった、誰もがかつて当たり前に手にしていた日常。
  
  たぶん、きっと。
108 名前:赤い世界 投稿日:2004/04/30(金) 03:13

 わずかなカーテンの隙間から月明かりが射し込むリビング。
 リカはカーテンを開けると、ソファに腰を下ろした。

 満月を2日ほど過ぎた大きな月が、高い空からリカを見下ろしている。
 ぼんやりと見上げたまま、リカは頭の中に浮かんでは流れていく記憶に飲み込まれていた。

 蒼い部屋の中に浮かび上がる赤い炎。
 逃げ惑う人影。
 燃え上がる街路樹。
 目の前で弾け飛ぶビル。
 
 体が震えだす。
 体を抱きしめても止まらない。強く、爪が刺さるほど強く抱きしめても、震えは増していくだけ。
「っ…あ…。ぁあ…」
 声が出ない。  
 どうして!? なんで!?

 怖い。

 怖い! 怖い! 怖い!
 
 助けを求めて途切れた悲鳴。
 体を焼かれた苦痛の叫び。
 泣き叫ぶ声。
 狂ったようにわめく怒鳴り声。

「…はっ…は…」
 息が苦しい。
 胸が痛い。
 
 誰か…。
109 名前:赤い世界 投稿日:2004/04/30(金) 03:14

「リカちゃん!?」
 
 …!?

「大丈夫。大丈夫だから…」

 ふわりと包み込まれる。
 心臓の音。
 体にしっかりと刻み込んだぬくもり。そして、匂い。

「…ミキ……?」
「…大丈夫だから」
 そっと髪を梳くように撫でられる。
 リカの呼吸が次第に落ち着いていく。
 リカは恐る恐るミキの体に腕を回すと、すがってしがみつくように抱きしめた。  
 まだ小刻みに震える体。
 なだめるように背中をさすり、頬に、耳に、首筋に唇を寄せ、頬を当てる。
「ごめん…ごめんね。ミキちゃん」
「なんで?」
「だって…起こしちゃった…」
 そしたら、コツンと頭に軽くゲンコツ。
「バーカ」
「バカだもん…」
「ホントだね」
 ずっとそのままでいればよかったのに…と、ミキは笑った。
 そして、ポンポンと背中をあやすように叩かれる。
 ぎゅうっとリカの腕に力がこもった。
「…そばにいて…」
「うん…」

 心臓の音は、誰にとっても懐かしい音。
 今はその音だけを聴こう。
 生きている。
 ここにいる。
 あたしも、あなたも。
110 名前:赤い世界 投稿日:2004/04/30(金) 03:14

 秒針が硬い音を立ててたった今を次々と過去に流していく。
 月明かり、部屋の壁に描き出される重なった二つの影。
 リカはそっとミキから体を離した。
「…ありがと…」
「…うん」
 そして二人の口から同時に出た溜息。
 ミキは立ち上がった。
「水、飲む?」 
「うん」
 一つうなずいてミキがキッチンへと消えていく。
 時間にして5分もかからないことのはず。なのに不安が体中を満たしていく。
 コップのぶつかり合う音、水道から水が流れ出る音、近づく足音、その一つ一つの動作に耳をそばだて、息を潜める。

 明かりをつければこの恐怖感や不安が消えるというわけでもない。きっとそれはそれで落ち着かない。けど真っ暗になってしまうと恐怖感に飲み込まれることも容易くわかる。
 月明かりの奇妙な心地よさ。
 不安も恐怖も消さないくせに、なぜか居心地がいい。
 だからたぶん、誰かを求めるのだろう。
111 名前:赤い世界 投稿日:2004/04/30(金) 03:15

 たった2分半。それがリカにはえらく長く感じた。    
「はい」
「ありがとう」
 コップを受け取ると、リカは一気に飲み干した。
「落ち着いた?」
「…うん」
 しかし、まだどこか思いつめるような、暗闇の中をのぞいているような冴えない顔色。
 ミキも一気に飲み干すと、そっと肩を抱き寄せた。
「うなされてたね…」
「……起きてた?」
「ううん。わかんない。…そんな気がした」
「ふーん…」
 伺うようなリカの上目遣い。
 ぴくりとミキの片眉があがった。
「あれ。なに? その目」
「ホントかなぁ…っていう目」
「いいじゃん。どっちでも」
 さらりと切り捨てたミキの口調に、リカはふと落ち着きを取り戻せたような気がした。
112 名前:赤い世界 投稿日:2004/04/30(金) 03:16

 薄暗がりの中に浮かび上がった影。
 木霊した声。   

 じっと壁を見つめるリカのまなざしが、どこか遠い日に帰っているように感じた。
「リカちゃん?」
「ねぇ、ミキちゃん」
「ん?」
「どうして今頃になって…こんなになっちゃうのかな?」
 言ってる意味がいまいちの見込めないミキ。
 リカはふふっと、首を傾げるミキに笑って見せた。
「へんだよね…あたし」
 笑ってるのに、泣いてるように見えるのはなぜだろう。青白い光に浮かんだ影がえらく物悲しい。
 闇を照らす月明かりは空を藍色に染め上げて星々を隠す。
 これが昼間なら、夏の初めらしいさぞきれいな真っ青な空が広がっていることだろう。
 はっと、ミキのキオクを何かが叩いた。 
「そっか…。もうすぐだね…」
「うん…」
 リカはソファに足を乗せて膝を抱えると、相変わらず蒼い空間に向かったまま言葉を投げた。
「軍にいた時はこんなことなかった…。まるっきり泣かなかったわけじゃないんだけど、いけない気がしたの。今は…その時じゃないからって…そう思ってた…」
 
  その痛みも、苦しみも、あたしは救うこともできないし、慰めることも叶わない。
  生きていくことだけがあたしにできること。
 
  ごめんね。なのに、あたしへんだよね。
  銃持って、戦ってんの。
  殺してんだよ。
  殺されちゃったのに…。殺されちゃったのに…。
  みんな死んじゃったのに、あたし…。
  
  あたしバカだよね。
  仇討とうなんて考えてないよ。ないのに、ないのに…ね。
  こんなことしか考え付かないんだもん…。

  こんなバカなあたしがね、今は泣いたらダメなんだよ。
  
「怖かった…。狂ったように泣き叫んでも、そこは赤いばっかりで……」
113 名前:赤い世界 投稿日:2004/04/30(金) 03:16

 赤い。赤い。赤い。
 狂ったように赤い世界。

「あの頃は平気で話せたのに……」
「…あの頃だからだよ」 
 ミキはリカの体を引き寄せて、頭を胸に抱き寄せた。
「…あの頃だから…」

 銃声。
 砲弾の怒号。
 硝煙の臭い。
 事切れて転がる兵士。
 荒野にしみこんでいく真っ赤な血。

 なにもかもが狂っていた世界。
 まともな人など、どこにもいない空間。
 
「…もう…泣いていいんだよ」

 それが戦場。
 それが、戦争。

「……っく…」
 パジャマの襟を強く握り締めるリカの体が小刻みに揺れる。 
 顔を胸に押し付けて、押し殺すような嗚咽。
114 名前:赤い世界 投稿日:2004/04/30(金) 03:17

 いつかこの記憶も彼方へと消え去るのだろうか。
 そう問われたら、こう答える。
 それはない…と。
 恐怖や痛みは悲しみへと姿を変え、悲しみはより大きな悲しみへ…。
 
 それを傷というのなら、傷なのだろう。
 それがどれほど痛ましい傷であっても、そこにいたということ、たとえその人の名前を知らなくても、知っていても、それはそこにいて生きていたという証。

 それが誰かの見知らぬ最期であっても、遺された者は、それを伝えていく。
 たとえそれが痛ましいことでも、もう二度と繰り返さないように。

「………ありがと…」

 人間なんて高が知れている。
 あの時それを見せ付けられ、そして、その後もそれを見続けてきた。
 どんなに祈りと願いを込めたところで、この手が届くはずの距離なのに指先にすら触れることはできなかった。 
 この悲しみがやさしさになるというのなら、どうかそのすべてを愛したかった。
 この痛みが強さがになるというのなら、どうかそのすべてを守りたかった。     
 だからせめて、許されるというのなら、そばにいるこの人を愛したい。そして、守りたい。
 それはわがままで、傲慢で、薄情なことかもしれないとしても…。
115 名前:赤い世界 投稿日:2004/04/30(金) 03:17

 リカは顔を上げた。
 薄明かりでもわかる充血した目。頬に光る涙の跡。
 まだ小さくしゃくり上げてはいるが、それでも声を上げて泣くことすらできないリカにミキはいとおしさと悲しみを覚えた。
 涙が頬をすうっと滑り落ちていく。
 自分のには構わずにそっと目元をぬぐってくれたミキの指先はやさしかった。
「ごめんね……」
 そう呟いてまたうつむいたリカの頬をミキの手がそのまま包み込む。
「謝らないで」
 そして、顔を上げさせる。
「いいから。もう…」
 ミキは頼りなげに光を宿すリカの瞳をしっかりと見つめた。
「…言ったじゃん。そばにいるって…」
 生きたまなざし。強い光を宿す瞳。
 逸らしたくなるほどに真摯に見つめられて、リカの胸が熱くなる。
 
 あぁ…。あたし、生きてるんだぁ。

 溢れ出した涙が頬を伝う。

「…っ……」
 
 4度目のありがとう…は、言葉にならなかった。
 あの日からどれだけの月日がたったのだろう。
 ずいぶんと長い時間だったような気がする。 

 リカは初めて、泣いた。
 
 声を上げて、ただただ悲しみをぶつけた。
116 名前:赤い世界 投稿日:2004/04/30(金) 03:18

 淡々と規則正しく動く秒針は明日へと向かっていく。
 この時間すらもいずれ遠い過去の記憶。
 太陽の光が射し込めば、またいつもどおりの毎日がやってくる。
 永遠など望まないが、この穏やかな日々が続けばいい。
   
 泣き疲れたリカを抱いて眠るミキ。

 今窓から見えていた月はいつの間に見えなくなっていた。
117 名前:赤い世界 投稿日:2004/04/30(金) 03:19

 「赤い世界」      END
118 名前:さすらいゴガール 投稿日:2004/04/30(金) 03:33

 これ書いてるときのテンションがかなり異常で、ほとんどを勢いで書いてます。
 わけわかんないな文になってたら実力不足です。もうしわけないです。
 なんかどうなのか正直不安…。
 今もなんか混乱気味…。
 でもこのテンションを維持して正直なところもう1つ書いてしまいたい気も…。

>>102 名無し飼育さん様
 ありがとうございます。脳内エステされましたか。よかったです。
 かっこいいですか? あまり意識してないのですが、うれしいです。
 かっこよくなるのは、現実の皆さんがそれぞれかっこいいからですよ。
 それが伝わっているのなら、うれしいです。

>>103 名無し読者様
 ありがとうございます。
 今回もすごいと思っていただけたならばうれしいです。
 ある意味救いのないというか、少ない物語ですから。
 
>>104 名無し飼育さん様
 ありがとうございます。
 その一言がうれしいです。
 その言葉に応えられるよう頑張ります。
 
 


 
   
119 名前: 日曜日  投稿日:2004/05/05(水) 23:59

 21インチのブラウン管の向こうでは、国のおエライさんがなにやら熱弁を振るっていた。
 耳を傾けて熱心に聞き入ってる者が誰一人いないお昼近い水曜日の食堂。

『今日、この日を忘れてはならない。私たち国民はこの……』

 ノゾミとマコトは何やらノートに落書きしてはケタケタ笑いころげている。
 窓辺でかなりマニアックにひねくれた恋愛小説の中へと飛んでいったカオリ。
 ぼんやりとリズムを取りながらヘッドホンステレオで何やら聴いているミキ。

『この地で、何の罪もない多くの方々の、そのかけがえのない命と、そして……』

 日課の基礎訓練を終えて食堂に入ったレイナとサユミは、のどかな食堂の中で一人延々と熱く語るブラウン管の向こうのエライ人に眉をひそめた。
「あれ? あの…イシカーさんは?」
 一人だけ姿が見当たらない。 
 レイナの素朴の疑問にぴたりと馬鹿笑いをやめたノゾミとマコト。
「出掛けてるよ」
 答えたのはミキだった。
「今日は…赤い日曜日だからね」
「あぁ…」
 レイナは妙に納得した。そういえば、リカ宛に軍本部から封書が届いていたらしいことを思い出した。
「そっか…。それで正装してたんだ」
 ぽつりと呟いたサユミの脳裏に浮かんだセルリアンブルーのベレーにダークブルーのスーツ姿のリカの後姿。
「じゃあ、行ってるんですか?」
 サユミがテレビを指差すと、活字の世界から帰ってきたカオリが顔を上げた。
「行ってないよ」
「でも、命令じゃないんですか?」
「本当はね」
「だったら…」
「強制ではないから」
 今度はレイナが首を傾げる。
「強制じゃない命令なんてあるんですか?」
 軍なんてものは、上の言葉は神の言葉である。
「軍じゃなくて国だからね。この式典の主催は」
 カオリはしおりを挟むとパタンと本を閉じてテレビに顔を向けた。
 ブラウン管の奥で切々と訴えかけるこの国で一番エライ人。  
「だから、一人の国民の意志として、断ることができる…と」
「はぁ…」
 わかったようなわからないようなレイナとサユミ。
120 名前: 日曜日  投稿日:2004/05/06(木) 00:00

『今ここに、改めて誓おう。手を取り合い、今こそ……』

 たしか、去年もこんなのだったよなぁ…と、ノゾミは思った。  

 緑も芝もまばらな疲れた公園の広場。
 演台で拳を振るうこの男の言うことは、結局要するにこういうこと。

 ― 立て、国民。あの屈辱を忘れてはならない。正義という名の下に報復を。死という鉄槌を。 

 言葉を変え、口調を変え、全く見事なもんだとミキは思った。
 
 なんとなくテーブルについて、レイナとサユミもブラウン管を見つめる。
 カオリはポンと手を叩いた。
「そうそう。軍関係者は各自演説の感想文提出ね」
「はぁ!?」
 1秒もかからない見事なミキのリアクション。
「えええっ!」
「うそーっ!」
 ノゾミとマコトの絶叫。
「えーーーっ!」
「なんでーっ!」
 レイナとサユミの非難の声。
 カオリは見事なその反応に満足そうに微笑んだ。
「なーんてね」

 ってこれ、冗談?

「もぉーっ! カオリぃ〜っ!」
「びっくりさせないでくださいよぉ!」
「イイダさん! 今の質悪いですよぉ!」
「あぁー…よかったぁ…」
「びっくりしたぁ! そんなの書けないよぉ」

 反応もまた、それぞれ。

「ごめんね。ちょっと退屈だったからね。でも、一応付けとかないと後々うるさいから、消さないようにね」
 「は〜い」と5つのふてくされた返事が返ってくる。 
 カオリは苦笑いしてまた活字の世界へと飛んでいった。
 
「でも、じゃあ、イシカーさん…そんなカッコしてどこ行ったのかな?」
 首を傾げるサユミに答えたのはノゾミだった。
「あそこだよ」
 サユミの中にその場所がぽんと浮かんだ。
「あ…」
「…あぁ…」
 そうだったんだ…とレイナもどう言っていいのか、あいまいに言葉が濁る。
 ミキはよく晴れている窓の向こうへとなんとなく顔を向けた。
121 名前: 日曜日  投稿日:2004/05/06(木) 00:01

     *

 広がる海の青は空の青。
 太陽の光できらきらと輝いて穏やかに凪いでいる。
 高さにして1メートル弱。横に1メートル半ほどのよく磨かれた白い花崗岩は、真昼の太陽の光を受けて鮮やかな空の青と穏やかな海の青によく映えていた。

 『 ----年 Apr.28 赤い火の中に消えた尊い魂よ、どうか安らかに 』

 港町の名前と日付、そして召された魂を慰める短い文が刻まれた墓石の前には、立てられた墓石と同じ横幅の花崗岩が長めの芝の中に埋もれるようにして収まっている。  
 軍の正装をしたリカはその前に腰を下ろし、長いこと祈りを捧げていた。

 丘を駆け上がる南風に髪が舞い、芝がさらさらと歌う。
 かもめが鳴き、静かな墓地に声は遠く響き渡る。

 足音がして、リカは祈りをやめて立ち上がった。
「ナカザーさん…」
「よっ」
 ダークブルーのスーツ、セルリアンブルーのベレー。同じように正装したユウコは軽く片手を上げた。
 リカが敬礼すると、ユウコは困ったように笑った。
「ええって。今日はそんな日ちゃうやろ」
「あ…」
 リカも眉を下げて困ったように笑う。
「習慣って…イヤですね」
「ほんまやな」
 ポンとリカの頭に手を置くと、ユウコは墓石の前にひざまずいた。
 1歩下がってリカは黙ってその後姿を見つめる。

 凪の音が聞こえるような気がするほど静かな霊園。
 またかもめが鳴いて、夏の香りがするさわやかな風が通り過ぎる。

 5分ほどの祈りを待つ間、リカはひざまずき頭を垂れるユウコの背中をただ見つめていた。
122 名前: 日曜日  投稿日:2004/05/06(木) 00:01

  『…』 
   以前の面影はない。
   美しい庭園も、真っ白い十字架も。
   そこで幸せと永遠を誓う二人の姿も、それを祝福する人たちの姿も…。
  『……』
   そこが正しい場所なのか、リカにはわからなかった。
   何もかもが崩れ落ち、地に伏して、焦げた臭いを発している。
   自分は確かにあの時ここにいた。
   火の粉で黒くすすけた淡いピンクのスーツもあの時まだ新品同様だった。  
   ぐるぐると帰ってくるキオク。目の前の現実。
   空腹と驚きと悲しみに疲れ切った体と心は、それをどう受け止めたらいいのか分からなかった。
  『ひどい…』
   だだっ広い空間に黒いとグレーの瓦礫の山。
   ごろりと転がっている焦げた人の塊らしい黒い物体。
   辺りを満たす焦げた臭いと腐臭。
 
  『……ひどいな…』
   ふと声の方を見ると、迷彩服に金髪の弾けた女性の軍人。
   じっと荒野を見つめるその顔は、落胆というよりも湧かない実感に戸惑っているように見えた。
123 名前: 日曜日  投稿日:2004/05/06(木) 00:03

 ユウコは立ち上がると、なんとなく困ったように笑った。
「なんて言ったらいいのか…よぅわからんもんやね」
「そうですね…」
「あんたは?」
「同じですよ。毎年なんて言っていいのか…」
「せやろな…。ウチがわからんのに…な」
 そして顔を見合って呆れたように笑う二人。
「嫌やな、こういうとき軍人ってゆーのは」
「ホントですね」
 
 仇を討つ気概があるのなら、こんな気持にもならないだろう。
 復讐なんてものがいかに馬鹿らしいかを知っているユウコ。
 復讐というものがいかに虚しいことかを知ったリカ。
 それを知らしめさせた戦場。

 それでも、ユウコもリカも自分の考えが稀有な方だとわかっている。
 
「何が望みなんやろぅな…」
「さぁ…。ナカザーさんにわからないことが私にわかるわけないじゃないですか」
「せやな。ウチもわからん。上の考えてることは」
「…」
「もう…4年になるんやな」
「…はい」

 戦争自体が始まって、すでに6年という月日。
 繰り返される小競り合い。
      
「早いな…」
「早いですね…」

 ここから1時間ほど西へ行けば、そこでは式典の真っ最中だろう。
 ここのところ戦績がよかったからさぞかし煽っていることだろう。
 それが良いのか、悪いのか。
 疲れきってるすべてにとって、まともな判断がつけば世話もないということ。

 欲をかいても、何も得られないだろうに…。
124 名前: 日曜日  投稿日:2004/05/06(木) 00:03

「今年も勝手なこと言ってるんですかね」
「そやろなぁ。乙女もさくらもようがんばっとるから」 
「…」
 ユウコは不満げに口を結ぶリカの肩を抱き寄せるとベレーの上からかき混ぜるように頭を撫でた。
「しょーがあらへんよ。気持を考えれば報復を望むっちゅうのは間違いやけど間違いやない。ウチかてそう思った」
「…」
 リカもそれは否定しない。軍に入った動機は報復ではなかったが、訓練をうけているうちに気持が膨れ上がった自分を知っている。
「せやけど、がんばらへんかったら、この国無くなってまうしな」
 
 報復を望まない者にとって、そこにいる理由は守りたい…ただそれだけ。
 何を守りたいかは人それぞれだとしても。

「ほんとやったら、うちらここにおったらあかんのやし」
「…」

 空襲被害者遺族のナカザーユウコ。
 空襲被災者であり、遺族であるイシカーリカ。

 今頃は誰かが壇上に立って、あの日のことを語り、そして故人を思い返しているのだろう。

「ナカザーさん」
「ん?」
「いい天気ですね」
 きらきら輝く海をまっすぐに見詰めるリカ。
 ユウコは空を仰いだ。
「…そうやね」

 あの日の空も真っ青だった。
125 名前: 日曜日  投稿日:2004/05/06(木) 00:03

   ユウコは門であったろうひしゃげた鉄の塊の前で力なく座るリカに声を掛けた。
   肩を揺らすと、ゆっくりと顔が自分の方を向き、虚ろに開いた目がユウコを映す。
  『大丈夫か?』
   リカは首を横に振った。
   まいったなぁとばかりにばりばりと頭を掻くユウコ。
  『…そうやね。すまんな』
  『いえ…。ごめんなさい…』
  『何で謝るん?』
  『だって…』
  『こんなん見て、大丈夫なヤツなんかあらへんて。少なくてもこの国に生きとったらな』
   
   幸せを誓う場所は空からやってきた鈍い色をした鉄の塊に踏みにじられた。
   無邪気にカラダを広げていく炎に包まれて、神聖なはずの場所は黒い消し炭の山。 

  『あんたは…なんで?』
  『……結婚式…』  
   ところどころに穴。真っ黒に汚れた淡いピンクが痛々しい。
   きっとその日に始めて袖を通したんだろうと、目を細めたユウコの眉間にしわが寄る。  
  『…従姉の…お姉さんの…』
   搾り出すよう小さくつぶやいて、ふらふらとリカは立ち上がった。
  『…あの…軍人さんは…?』
  『…妹がな、ここで式を挙げる予定やってん。下見に行くって…』
  『…そうですか…』
  『そのお姉さんのこと…あの子、きっと見とったやろうな…』
  『……はい…』
   
   はつらつとした陽射しの下、真っ黒な残骸はよく映えた。
   空に向かってひしめいていた建物が全部取っ払われて、広々とした空は満開の笑顔。

   ぎゅっとリカは拳を握り締めた。
   ユウコが抱き寄せると、リカは肩を震わせて泣いた。
   必死に声を押し殺して、だけど、すがるようにユウコの服を掴んで…。
   空を仰いだユウコの頬を滑る涙。
   青い瞳はただただ空をにらんでいた。
126 名前: 日曜日  投稿日:2004/05/06(木) 00:04
   
 雲一つない眩しい青。
 潮の香りに夏の気配。

 ユウコは墓石に目を落とした。
「結局、わからんかったしな…」
「そうですね…。でも、みんな一緒だから…」
「案外、寂しないのかもな。あの子もダンナと一緒やし」
 
 遠距離恋愛を実らせて、婚約者の住む街での挙式を待つばかりだったユウコの妹。
 輝きに溢れる空の下、薄暗い日常を吹き飛ばすくらいの情熱で愛を誓ったリカの従姉。

「あんたは?」
「ナカザーさんは?」
 
 かもめが鳴いた。

「寂しくないですよ」
「うん…。ウチかて寂しないよ」

 さらっと風が芝を揺らす。

「後悔はしてないです。私。…みんなにも会えたから」
「……」
「それに、生きてますから」
「…せやな」
  
  『………あんた……?』
   こくりとうなずくリカ。
  『そか…。行く当ては?』
  『…わからない…。……帰る家はあるけど…』
  
   いつまでもここにいるわけにも行かない。
   それどころか、これからどうやって生きていくのか…。
   
  『一緒においで』
  『え?』
  『避難した場所に戻るって行っても、あんたもようわかっとらんのやろ?』
  『……はい』
  『とりあえず軍の避難所におったらえぇ。帰る家があんのやったら送るし』
  『いいんですか?』      
  『良いも何も、もともとうちらは被災者の救援できたんやから。遠慮せんとぉ』
   ユウコは明るい笑顔でバンと背中を叩いた。
   じんと響いた痛みと微笑にリカは強さを感じた。
  『…お願いします!』
   ペコリと頭を下げると、ポスッと置かれたユウコの手がくしゃくしゃと髪をかき回す。
   ぶっきらぼうに、だけどやさしく。
127 名前: 日曜日  投稿日:2004/05/06(木) 00:05

「あれから、また会うとは思わんかったけどな」
 墓石を見ているようで、たぶんその向こうを見ているであろうユウコの瞳。
 リカは微笑を残したままうつむいて、芝に埋まる白い花崗岩に目を落とした。
「なんや…親御さんに悪いような気ぃして…」
「そんなことないですよ。ナカザーさんがいたから、私、受けたんですよ」
「なんやの? そんなかわいーことゆったって、なんもでぇへんよ」
「何言ってるんですかー。ホントにそう思ってるんですよぉ」
「またまたぁ。あんたなっちに憧れてたって言うとったやん」
「それもホントのことですから。…でも、あの時…ナカザーさんに会わなかったら、私、そんなこと考えなかった…」
「…」

 軍に属するということは、いわば国のために働くということ。
 死と隣り合わせとはいえ、生活が保障され一人でも生きていける…ということ。

 港町より30キロほどの町にある自宅へと送った時、悩んだ挙句にユウコが渡した志願書は、1週間後、しっかりと書き込まれてユウコの元に返ってくる。
 決意に満ちた目と緊張で震えた手、強張った顔。
 一生忘れないだろうと思った。

「毎年この話してますよね。そう言えば」
「…そうやね。言われてみれば…な」
 穏やかなまなざしできらきら眩しい海を見るリカ。
 ゆっくりと息を吐いて視線を落とすユウコ。
 リカがトンと肩をぶつけると、「こら」とユウコもやり返し、さらにヘッドロック。
「痛いですって! ナカザーさん! ギブキブ!」
「あかん。イシカーのくせに癖にナマイキや」
「なんですかぁ! それぇ」
 ぱさりとベレーが落ちて、ようやくユウコは腕を緩めた。
「かなしーなぁ。ウチはそんな子に育てつもりはないんやけどなぁ」 
「もう。何言ってるんですかぁ。こんなに素直に育ってるじゃないですか」 
 リカはベレーを拾うと、少し乱れた髪を手で直して被り直す。
 ユウコがじとっとした目を向けた。
「なんや、もう一回締めてもらいたいんか?」
「はい。すいません…」
128 名前: 日曜日  投稿日:2004/05/06(木) 00:06

 眩しい光を浴びて、名もわからない多くの人たちの永久の眠りを守る白い花崗岩。
 真っ青な海に映える白い姿は、どんなに生き生きとした光を受けても静かにそこで佇んでいる。
 
「午後になったら混むでしょうね」

「のんびりできるのも今だけやな」

 穏やかな風、緩やかに時の流れる静かな国営霊園。

 リカは時計に目をやった。
 針は12時を4分の3ほど過ぎたところを記していた。
「そろそろ式典が終わる頃ですね」
「もうそんなか。早いなぁ」
「はい…」
「じゃあ、そろそろやな…」
「そうですね」
 そして、ユウコとリカは再び跪いて、祈りを捧げる。

 また来るから。
 来年も、その次も、それからも…。

 かもめの戯れる声。
 耳元をくすぐるやわらかい風の音。
 一つの街を真っ赤に染め、黒い荒地の広がったあの日も穏やかだった。
 良く晴れて、緑が鮮やかな眩しい日曜日。
 不意に現れたいくつもの黒い影。降り注ぐ鉄の雨。
 ごく普通だった日曜日は、真っ赤に染め上げられ悲しみと憎しみに彩られた。

  緩和された入隊基準。
  膨れ上がった予算。
  報復に傾いた世論。
  熱狂する声。
  
 戦争は、この日を境に一気に加速へと導かれていく。
 
 血で血を洗っても、キレイになるはずなんてないのに。
 憎しみは赤い血を限りなく澄んだ水のように見せるんだと、リカは思った。
 結局人は右の頬を張られたら相手の右を張り倒すもんなんだと、ユウコはうんざりした。

 抱える矛盾。
 振り返ることは意味を持たない。
 いつかこの悲しみが空に帰ることができると感じる日までは…。 
  
 狙われたこの街は、もしかしたら…ただ運が悪かっただけだとしたら、神様はホントにいじわるだ。
129 名前: 日曜日  投稿日:2004/05/06(木) 00:06

 ほんのわずかな間だったのに、目を開けるとやけに光がまぶしく感じた。
「この次はケイ坊か…」
「早いですね……」
「もう…1年になるんやな」 
 そう言えば、あの日も確か晴れていたっけ…。

 うれしいときも悲しいときも、見上げればいつも青空。
  
 立ち上がると、背中に南風を受けながらユウコとリカは霊園の事務所へと歩き出した。
「ナカザーさん、これからどうするんですか?」
「ん? ウチはとりあえず呑み行く」 
「イナバさんとですか?」
「よぉわかっとるやん」
「って、去年もだったじゃないですか」
「ええやん。そんな細かいこと。まっ、代わりに出てもらってるから、ウチのおごりやけどね」
 ユウコはちょっと決まり悪そうに笑った。
「で、あんたは?」
「私はまっすぐ帰ります。明後日が出撃予定ですし」
「あ…。そう言えばせやったな」
「はい」
「がんばりや。みんなにも言っといてな」
「はい!」   
 リカが力強くうなずくと、ユウコはニッと笑って背中を叩いた。
 バンと炸裂したこれまた小気味いい音が静かな墓地に響いて、一瞬息が詰まったリカが体を丸めてむせかえる。
 リカの背中をさするユウコの腹を抱えて笑う声が今度は木霊した。
130 名前: 日曜日  投稿日:2004/05/06(木) 00:07

 小道を下って、やがて綺麗に並んだ墓石の姿がはたと消えると事務所の姿が見えてくる。
 下りきった小道の先にはちょっとした並木通り。
「ナカザーさん、今日は車ですか?」
「いや。ウチ、毎年この日は電車やで」
「あっ。そーなんですかぁ」
 意外そうな顔をしたリカ。
「なんかな、そんな気分やねん。あんたは?」
「私は左平次……じゃなくって、バイクです」
「は? 何なん? それ」
「え…それってバイク…ですけど」
「や、ちゃうくて、そのサヘイジって」
「あ、その、ミキちゃんが…」
「フジモトが?」
「はい。別に意味はないらしいんですけど、バイク見て、あっ、左平次だ…って」
「はぁ…。なんや…意外に変わったセンスしとるんやね。あの子…」
「はぁ…」
 同じように相槌を打ったが、何気にリカも気に入ってたりする。
「ちなみにカオタンはジョセフって呼んでます」
「はぁ〜。それはそれでなんかカオリらしいな…」
 すると、ユウコはくっくっくっと笑い出した。
「そういや、あの子…」
「どーしたんですか?」
「イシカー、カオリに伝言頼むわ」
「はぁ…」
「サンドラ元気かってゆーとって。まだ絆創膏貼ってんのって」
「あぁ…。はい…」
 不思議そうに首を傾げるリカ。
 
 並木の枝が淡い影を作って、ざわざわと風に揺れると心地いい風が二人を包む。
 小鳥がどこかでチチチ…と鳴いている。
131 名前: 日曜日  投稿日:2004/05/06(木) 00:08

 事務所の扉が見えてくる。
「そういえば、あんた…バイクで来たって言うとったよな」
「はい」
「そのカッコで来たん?」
「まさかぁ。ちゃんと迷彩で来ましたよ。最初は車でと思ったんですけど、気が変わったんで着替え直して持って来ました」
「ふ〜ん。また何で?」
 リカはちらりとユウコを見ると、すぐに視線を前に戻した。
「だって、考えずに済むじゃないですか」
「…」
「風を受けてたら、余計なこと考えないで…運転に集中できるかなぁって思って」
 そう言うと、リカはふふっと笑って、
「私、着替えてきますから待っててくださいよ、ナカザーさん! ついでにバイクとって来ます!」
 と、事務所に向かって走り出した。
「やなこったい!」
「えー! ひどーい!」
「10分たっても門まで来んかったら先帰るからなぁ」
「はーーーーい!」
 全速力で走るリカの後姿に、ふっと軽い笑みを零すとユウコはゆっくりとした足取りで門に向かっていった。
132 名前: 日曜日  投稿日:2004/05/06(木) 00:09

 程なくして……。

 ヴン…!
 ユウコの前に止まった軍用の250ccのオフロードタイプのバイク。その名も左平次。
「惜しいなぁ。あと1分でふつーに帰れるとこやったのに」
「えーー! そんなこと言わないでくださいよぉ」
 リカはエンジンを止めると、迷彩柄のフルフェイスのヘルメットを脱いでぐっとユウコの腕を掴んだ。
「ナカザーさんとタンデムするの楽しみにしてたんですよぉ」
「タンデムって、あんた…このカッコでバイク乗せる気やったんかい?!」
 スーツは見事までのタイトスカート。
「だって電車で…って言ってたから、駅まで送らせてもらおうかと…」
 なんとなーくうるうるし始めた瞳が上目遣いにをじっとユウコ見つめる。これ以上は落ちないでしょうというところまで下がった眉。
「あんた……それ反則やで」
「……はーい」
 けれどまだ拗ねて膨らむリカの頬。
 ユウコはばりばりと頭をかくと、ぶっきらぼうに言った。
「ったく、しゃーないなぁ。後ろに乗ってやるかな」 
 そしてぐりぐりとリカの頭をかき回す。
 ニッと笑って見せたら、すぐにリカから返ってきた笑顔。
「じゃあ、送らせていただきます!」
「っしゃ。飛ばせよ。ちんたら走っったらぶっ飛ばすで」
「はいっ! イシカーリカ、命を掛けて走ります」
 びしっと敬礼。
 ユウコはバシッと頭をはたいた。
133 名前: 日曜日  投稿日:2004/05/06(木) 00:09
 
 ヴン!
 トルルルルルルルルル……。

 エンジンが再び唸り始める。
「ナカザーさん」
 リカがヘルメットを差し出すと、
「あんたが被っとき。ほれ、リュック貸しぃ」
 ヘルメットを押し返して、リカの背中のリュックに手を掛けた。
「あ、すいません」
「いや、こんなん背負われてたらウチ座れへんし」
「あ…。そうですよね…」
 リュックを背中から下ろして手渡すと、ユウコがそれを背中に背負ってリカの後ろに座った。
「すっごいカッコやな…。ウチ…」
 タイトスカートで目一杯足を開くって言うのは、若いお嬢さんでなくともふつーはしたくはない。
 とりあえず笑ってみたせいか、リカの表情がなんとも言えず情けなくなる。
「大丈夫ですよ。ほら、この辺家とかないですから」
「…そやな。駅の周辺やたら見晴らしえーしな」
 どこか諦めたのか淡々しているユウコ。リカの腰に腕を回すと、
「よっしゃ。行こか!」
「はい! いくぜぇっ!」
 リカはライトをつけ、アクセルをひねってクラッチレバーを軽く握る。
 
 ヴゥン!

 気を吐くように唸りを上げ、軽くけりだしてステップに足を乗せると左平次が霊園の門を潜り抜ける。チェンジペダルを蹴ってギアを上げていくと、その姿はあっという間に田園風景の中に消えていった。
134 名前: 日曜日  投稿日:2004/05/06(木) 00:10

     *

 ベースキャンプにバイクのエンジン音が響いたのは、もうだいぶ日も傾いた頃だった。

 自室のベッドでぼんやりと天井を眺めていたミキは、ヘッドホンステレオのリモコンを操作して音楽を止めると、ゆっくりと起き上がった。

 階段を下りていくとちょうど食堂のドアの前で戻ってきたリカと鉢合わせた。
「おかえり」
「ただいま」
 ドアを開けて中へ入ったリカがきょろきょろと食堂を見回す。
「あれ? カオリンは?」
「ん? 台所じゃない?」
 ミキも食堂内を見回す。
 ノゾミは「おかえりー」と一声掛けると、
「カオリー! リカちゃんが呼んでるー!」
 と奥の方に向かって叫んだ。 
「あー。おかえりー」
 包丁を片手に迷彩服に白いエプロン姿のカオリが炊事場から出てくる。
「ユウちゃん元気だった?」
「うん。みんなにがんばれって伝えとけって」
「うん。そっか。わかった」
 にこりと微笑むカオリにリカはうなずき返す。
「あと、カオリンに伝言預かってるんだけど…」 
「伝言?」
「…うん。サンドラ元気かって、絆創膏まだ貼ってんのか…って…」
「…」
 さっきまでの微笑がふーっとカオリから消えていく。
 すーっとリカの顔色が引き、1歩下がってミキの後ろにそおっと隠れるようにして肩を抱きしめる。
 ただならぬ気配にミキもじりっと後ろに下がってドアノブに手を掛けた。        
「こらー! イシカー!」
 くわっと包丁を振り上げるカオリ。
「なんでそれ知ってんのよ!」
 ダーッと走り出すカオリにマコトがびくっと体を揺るわせ、ノゾミがくわっと目を見開いて包丁を振り回すカオリの顔に爆笑する。
「なんにも知らないよぉ! なんであたしに怒るのぉ!」
「あぁっ! 逃げよっ! ほら!」
 慌しく食堂を飛び出して階段を駆け上がるリカとミキを、ちょうど食堂に入ろうとしていたレイナとサユミが不思議そうに見送る。
135 名前: 日曜日  投稿日:2004/05/06(木) 00:10
「なん? 今の…」
「さぁ…?」
 サユミが首をかしげたところで、

 バンッ!
 
「うわぁっ!」
「きゃあっ!」

 包丁を片手に血相変えてすごい形相で飛びだしてきたカオリ。
 思わず恐怖に抱き合うレイナとサユミ。 
「ちっ…。ったく、ユウちゃんってばぁ…」
 そして何事もなかったように再び閉まる食堂のドア。

 基地内移動用の原付。
 つい交信をして山済みになった木箱へとまっしぐら。
 奇跡かな掠り傷程度のカオリと箱の角で少しだけフロントがへこんだ原付。
 ぺたんと絆創膏を貼って、ごめんね、ありがとう…。 
 まだ、入隊したての頃のお話。

「はぁ…」
「…ほっ…」
 ずるずると座り込んだレイナとサユミの耳に、食堂のドアの向こうで馬鹿笑いが止まらないノゾミの声が聞こえていた。
136 名前: 日曜日  投稿日:2004/05/06(木) 00:11

 リカはそのまま階段を駆け上がると、自分の部屋へ戻った。
 リュックを下ろすとそのままベッドに飛び込む。
 パタンとドアを閉めると、ミキはベッドに腰掛けた。
「お疲れ様」
 そっと手を伸ばして風に遊ばれていた髪をミキがなでると、
「うん…」
 目を閉じて、はぁ…っと吐き出した息と一緒にうつぶせている背中が大きく揺れた。
 窓の向こうはもう夕暮れの黄金色の輝き。
 ミキは包み込むようにリカの体の上にかぶさって抱きしめた。
「…ミキちゃん?」
「ん?」
 リカの耳元をやわらかい吐息が掠める。けだるい体にじっくりと広がるミキのあたたかさ。
「…なんでもない…」
 そして、ゆっくりと目を開けてふわりと微笑んだ。
 ミキは体を起こすと、リカをコロンと転がして仰向けにすると少しだけ距離を縮めた。
「キスしていい?」
 やんわりとリカの頬を包むミキの手。見つめる瞳に少しだけ緊張の色。   
 頬を包む手の上にリカは自分の手を重ねた。
「なんで断るの?」
「なんとなく」
「へんなの」
 リカはそんなミキの答えにくすりと笑うと、少しだけ体を起こした。
 するりと頬から手が離れて、その代わりしっかりとリカの手の中に包まれたミキの手。
 風で乾いた唇が掠めるようにミキの唇に触れた。
「ありがと」
 パタンと体をまたベッドに沈めて少しだけ照れくさそうに微笑むリカ。 
 きょとんとしていたミキはふっと目を細めると、薄く開いたリカの唇に自分の唇を寄せた。

 数えて20ほどの時間。
 じっくりとぬくもりの中に溶け込んでいくような感覚。

 重なった唇はやさしくて、少しだけ胸が痛かった。

 そのまま強くしっかりとリカを抱きしめて、ぼんやりとミキは呟いた。
「…おなかすいたね」
「ね…」
 そしてくすくす笑って、やがて静かになって…。
 カオリのフランパンの音が響くまで、二人はそのまま黄金色の光に包まれて深い眠りの中へと落ちていった。
137 名前: 日曜日  投稿日:2004/05/06(木) 00:11

                       ■                    ■

 若い木々の緑が鮮やかに萌えて、短い芝がようやくなじんだようなまだ生まれたてみたいな公園。
 のんびりと本を読んだり、散歩をしたり。
 遠くでは楽器をかき鳴らすパンクバンドのがなる声がいっちょ前に平和を歌っている。
 ミニチュアダックがはしゃいで、ハトが驚いて空へと逃げて行く。
 のんびりとした休日の風景を眺めながら、リカとミキは手を繋いで歩いていた。

 ゆっくりと大きな雲が風に泳いで太陽を隠せば、すうっと通り過ぎる風が心地いい。
 夏はもうそこに来ていて、半袖でも少し汗ばむ。
 ビール飲みたいねってミキが笑って、リカはしょうがないなと笑って帰ったらねと答えた。

 広い公園の片隅。
 イチョウの木の下にひっそりと白い花崗岩の真新しい石碑。


  繰り返さない。繰り返すまい。
    はかなく消えたあなた方の霊魂に誓って
                               』

 刻まれた文字の一つをそっと指でなぞると、リカは黙祷を捧げた。
 ミキもそれに倣って黙祷する。
138 名前: 日曜日  投稿日:2004/05/06(木) 00:12

 花束が耐えることない白い石碑。
 笑い声と穏やかな時の流れ。 
 かつて教会であり、繁華街の一角であった場所には緑が揺れている。
 
 ここで赤い炎の中に消えていった人たちは今、安らかなんだろうか。

 ミキは目を開けると、まだ黙祷を捧げているリカの横顔を見つめた。 
 繋いでいる手に力がこもる。
 祈りを捧げる横顔は、胸に何かがちくりと刺さってやるせないほど美しかった。

 ちちち…と小鳥が鳴いて枝から飛び立つ。
 1羽、2羽、3羽…。
 リカは目を開けると、輝きの中に消えていった小鳥たちを目で追った。
「…いい天気だね」
「うん」
 風がイチョウの枝を揺らして木陰がざわめくと、きらきらと太陽の光がリカとミキに降り注ぐ。
 ミキは眩しさに目を細めた。
「こんなになるんだね…」
「うん…」

 木陰の下にぽつんと白い石碑。
 にぎやかな公園の中でたった一つのゆるぎない静寂。

 リカは繋いだ手を離すと、指を絡めるように繋ぎなおして微笑みかけた。
「帰って、ビール飲も!」
「うん! じゃあ、買い物して帰ろうよ」
 声を弾ませて歩き出す。
「やっきにっく! やっきにっく!」
 歌いだすミキ。
 スキップするかの様にはしゃぐミキにつられてリカも歌いだす。
「やっきにっく! やっきにっく!」   
 微妙にハモる楽しげな歌は青い青い空の中へ。

 心が弾む日曜日の午後のひと時。
 まだ気温が上がりそうな気配を残して、太陽はのんびりと空の中に浮かんでいた。
139 名前: 日曜日  投稿日:2004/05/06(木) 00:12

   「 日曜日 」         END
140 名前:さすらいゴガール 投稿日:2004/05/06(木) 00:14

 勢いそのままに書き込むつもりがこんなに時間がかかるとは…。
 
141 名前:トーマ 投稿日:2004/05/06(木) 14:05
ナカザーさんとイシカーさんの会話、らしくていいですね!
現実の石川さんと藤本さんも、どこか戦友って感じがするので、
この設定はみごとにはまってて、羨ましいかぎりです。
次の更新も楽しみに待たせていただきます。
142 名前:シャボン玉  投稿日:2004/05/14(金) 23:31


 新しい朝が来て、洗濯機がごうんごうんと回る午前9時。
 
 ザバーッ。
 ザバーッ。

 おととい戦闘を終えた7着の迷彩服とその他がぐるんぐるんと回っている。
 灰色の泥水の真ん中に白い泡の固まり。
 洗濯当番で兵舎の勝手口の角にある二層式洗濯機を見つめていたマコトは、ふと、勝手口へと向かっていく。
 ノゾミがむうっと唇をちょっとだけ尖らせてマコトの後姿を目で追いかける。
「マコト?」
「すぐ戻るー」
 パタンとドアが閉まる。
 とりあえず洗濯層を見てるのも飽きたから、ガタガタとはっちゃけてる洗濯機から少し離れてぺたんと地べたに胡坐をかいて座った。
143 名前:シャボン玉  投稿日:2004/05/14(金) 23:32

 雲がのんびりと流れては、ノゾミの上に影を落として兵舎の屋根の向こうに消えていく。
 南からやや東よりに流れている風は短い草と土の香りがした。
 グランドのような空き地のような広場の向こう、約400m先辺りではリカが走っている。たぶんぼちぼち3周目くらい。ミキがからかいながら追い抜いて、ダッシュで追いかける。
「あーあー。バテるのに…」
 リカとミキの日課の訓練そっちのけになりつつある追いかけっこを目で追っていると、パタンと後ろの方で音がした。
「マコト?」
「へへへー。お待たせー」
 手には水の入った小さな広口のビン−たしかおとといまでメンマが入ってた−とストロー。そしてはさみ。
「なに? それ」
「うん。これはねー」
 マコトは洗濯機の傍らのバケツに入っている洗濯用具一式の中から、粉石けんと洗濯糊を取り出すと、ビンのふたを開けて目分量で粉石けんと洗濯糊を入れた。
「まぁ、見てのおたのしみってゆーことで」
「っていうか、シャボン玉?」
 ノゾミがビンを指差すと、
「ピンポンピンポ〜ン! あれ? わかっちゃった?」
「だって洗剤入れたじゃん」
「あ。そっか。そーだよね」
 ふたを閉めてびんをしゃかしゃかと振りながら、マコトもノゾミの隣に腰を下ろした。
「上手くいくかわかんないんだけどね」
「そーなの?」
「うん。本当は台所の洗剤がいいんだけどね、洗濯機見てたらこっちがいいなぁって思って」
「ふーん。っていうか、台所のの方がいいんだぁ」
「らしいよ。アサミちゃんが言ってた」
「ふーん」
144 名前:シャボン玉  投稿日:2004/05/14(金) 23:32
 
 しゃかしゃかしゃか。
 しゃかしゃかしゃか。

「マコト」
「な〜にぃ?」
「ののもやっていい?」
 ビンを振る手振りするノゾミ。
「いいよぉ。おもいっきし混ぜちゃってください」
「おもいっきしね。おっけぇー」
 マコトからビンを受け取ると、スロットル全開といわんばかりに激しく腕を振った。

 しゃかしゃかしゃかしゃかしゃかしゃか! 
 しゃかしゃかしゃかしゃかしゃかしゃか! 

「うぉぉぉー! のんつぁん、はやーっ!」

 時間にして2分50秒。

「どーだぁ! ハイ」
 マコトにビンを返す。
「ありがとー。じゃ、泡が引くまで少々お待ちください」
「はーい。うはー! 楽しみっ」
「だねーっ」

 びぃーーーっ!

「あっ! 終わったみたいだよ」
 マコトが立ち上がる。
 ノゾミもぴょんと立ち上がった。
「次なんだっけ?」
「次はぁ、脱水して、それからすすぎ」
 
 動きが止まった灰色の水が揺れる洗濯層。
 コックを排水にすると、マコトがザバッと腕を入れて、ザバッと脱水層に移し替える。
 脱水層に滑り込んだ迷彩服やTシャツをノゾミがぎゅうっと押し込む。
 眩しい空の青さは今日一日がとても暑くなる予感を感じさせる。そのせいか水の冷たさがキモチいい。
 移し終えてパタンとふたを締めると、タイマーをセットした。
145 名前:シャボン玉  投稿日:2004/05/14(金) 23:33

 ガン! ゴン!

 脱水層がよろけながら…。

 ガガガガガガガガ…!

 回転数を上げていく。
 マコトとノゾミはまた元のところへ戻ってぺたんと座った。
 マコトはさっそく泡の量が少しだけ落ち着いた石鹸水のピンのふたを開けた。
「どう?」
 ノゾミがビンを覗き込む。
 マコトは先端に4つの切込みを入れると少しだけ外に折って開き、石鹸水の中に差し込んで一度攪拌する。
 ぐるぐると5周ほどさせると、そっとストローをピンから取り出して切込みを入れてない反対側を銜えた。
 ふーっと、ゆっくりと静かに息を送り込む。
「ありゃ」
 ぱふっと泡がストローの先から零れた。
「うーん。だめなのかなぁ」
 マコトはもう一度石鹸水にストローを浸すと、ゆっくりと取り出して、そっとストローを銜えた。
「あっ…」
 またも、ぱふっと泡だけが零れる石鹸水。
 ぐりぐりと中をもう一度攪拌すると、
「のんにもやらせて」
「いいよ」
 ストローを渡すと、ノゾミはうりゃーと気合一発。えらい勢いでかき混ぜた。
「よし!」
 そっとストローを石鹸水から出して銜える。
 どきどきとストローの先割れた先端を見守るマコト。
146 名前:シャボン玉  投稿日:2004/05/14(金) 23:34

 びぃーーーーっ!

 ぽふっと泡がビンの中に飛び込んだ。
「あぁーっ…」
 ノゾミが肩を落とす。
 マコトはとりあえず洗濯機に呼ばれたのでそっちに向かった。

 いちおー片栗粉も入れてきたし、ちょっとだけ台所洗剤入ってんだけどなぁ。砂糖も入れたし…。

 レバーを脱水層に切り替えて注水すると、溜まったのを見計らってふたを閉め、また脱水のタイマーをひねった。

 ガタガタガタ…。

 貧乏揺すりするみたいに震える脱水層のふたに腕を乗せてマコトがノゾミに声を掛ける。
「どーおー?」
「んー。ダメ。なんかおしーんだよねぇ」
「惜しいって?」
「んー? なんかねー。小さいのができるかなぁと思ったら割れんのぉ」
「うーん…」
 マコトが首を傾げる。
147 名前:シャボン玉  投稿日:2004/05/14(金) 23:34

 びぃーっ!

 だみ声のブザーに呼ばれてふたから腕を離すと、脱水層ゆっくりと止まった。
 ふたを開けて脱水層から洗濯層に移し替えると、レバーを切り替えて蛇口をひねって水を溜める。
 マコトは空を見上げた。

 そういえば、向こうは明後日…出撃予定なんだよね。
 
 雲を泳がせる穏やかな空も、戦場の一つに過ぎない。
 マコトはなんとなくため息をつくと、水が溜まったのを確認してタイマーをひねるとノゾミのところに駆け寄った。
「貸して。のんちゃん」
「ん」
 ビンを受け取ると、マコトは4つに割ったストローの先端をTシャツの袖で拭いて、くるくる指で回しながらざっと確認する。
「どぉ?」
 ノゾミも顔を寄せてストローの先端を見つめる。
「よし」
 マコトは炊事場から持ってきたハサミを手にすると、
「ふんふんふ〜ん」
 4つに割った先端のそれぞれの真ん中にはさみを入れた。
「できた!」
 8つに割れた先端に少し角度をつけて折り曲げると、ふーっとビンの中に息を吹きかけて泡が逃げた一角にストローを差し込んだ。
「今度はね、たぶんだいじょうぶ」
 水面からストローを引き出してそっと銜えると、ゆっくりと息を送り込む。
「うっはーーーっ!」
 先端からふわぁっと大きくなっていく透明の球体。
 ノゾミの顔にぱぁっとひまわりのような笑顔が咲いた。
「できたー!」
 ぱちんとすぐに割れたけど、10cmを超えるくらいの大きなシャボン玉。ちょっとカラダが重たかったのか飛ぶことはできなかった。
148 名前:シャボン玉  投稿日:2004/05/14(金) 23:35

 でも、二人にはそれで満足。

「のんにもやらせてー!」
「うん」
 マコトのまねをして泡を息でどかしてそこにストローをつけ、そっと引き出しすとぱくっと銜えて、そおっと息を吹き込む。
 慎重に、慎重に…。
 透明な丸い石鹸玉に虹色の模様が描きだれて、ぱちんと弾けた。
「うっはーーーっ! すっごーい!」
 
 それから洗濯そっちのけでシャボン玉が青い空の中に飛んでは消えて、飛んでは消えて。

「飛んだーっ!」
「はははーーっ!」
 
 ふわりわりと小さなシャボン玉が風に流されていく。

 びぃーーーーーっ!

 洗濯機が呼んでるのにも気づかずにはしゃいでいたら、

「こらーーーっ! 2人ともっ。洗濯はっ!?」

 バンッと勝手口のドアが開いてカオリに怒鳴られた。

「はーい!」
「はーいっ」

 慌てて立ち上がって洗濯機までダッシュ。
 やれやれとため息をついてカオリは洗濯の続きをする二人のそばにいく。
「もう。遊んでもいいけど、ちゃんとやることはやる。わかった?」
「はーい」
「はい。すんません」
 へへっと笑って、マコトはすすぎを終えた洗濯物を脱水層に移し終えると、ノゾミが押し込んでふたを閉めてタイマーを入れる。
149 名前:シャボン玉  投稿日:2004/05/14(金) 23:35

 ガン! ガゴン!

 脱水層が唸る。
 とりあえず洗濯機から少し離れると、マコトは洗濯機の足元に置いたビンを取り上げた。
 カオリが首を傾げる。
「なに? それ」
「シャボン玉」
 ノゾミがにっこりと笑ってストローを差し出す。
「カオリもやる?」
「うん!」
 少女みたいに大きな目をきらきらと輝かせて大きくうなずくカオリ。
 
 そっと口付けるように息をやわらかく吹き込めば、ふわっと飛んでいくシャボン玉が一つ、二つ…。
 風に揺られてふわりふわり。

「きれいだねぇ」
 カオリはもう一つシャボン玉を青空の中に送り出すと、ストローをノゾミに返した。
「じゃ、洗濯しっかりね」
「あれ? イーダさん、もういいんですかぁ」
 マコトがちょんと首をかげる。
 そんなマコトの頭をよしよしと撫でると、
「うん。なんかねぇ。ポエムが書きたくなっちゃった」
「はぁ」

 びぃーっ!

 洗濯機が脱水終わったぞと二人を呼ぶ。
 ぽんとノゾミとマコトの肩を叩くと、カオリは兵舎の中へと戻っていった。
「ポエムだって」
「ポエムなんだぁ」
 顔を見合わせるノゾミとマコト。

 ふうっとストローから青空の中に飛び出したシャボン玉は、ふらふらと勝手口の方へと流れていく。
150 名前:シャボン玉  投稿日:2004/05/14(金) 23:35

 洗いあがったシャツは真っ白だった。
 コンセントを引き抜いて、洗濯物をかごに移した。
「マコト、競争だかんね」
「うっしゃ。負けないぞぉ!」

 よーいどん!

 洗濯ロープに飛びついて一つずつ干していく。
 ぱんぱんとシワを伸ばす軽やかな音。
 風にはためく白いシャツ。
 水で深い色みになった迷彩服。
 
「終わったー!」
「できたーっ!」

 ほぼ同時。
 
「なんだよー! ノンの方が早かったってばぁ!」
「いやいやいや。私の方が早かったって!」    
「いや、ノンの方が絶対早かったね」
「うんにゃ。私の方が早いですぅ」

 むむっとにらみ合って、やがてそれはにらめっこになっていくわけで…。

「あっはははははっ! のんつぁん、顔…顔っ」
「ぶはっ…んははははははっ! マコトだってぇ」  

 顔見合って大きな声で笑った。
  
 笑い声が木霊して、ゆったり流れる雲が腹ん中に吸い込んだ。
151 名前:シャボン玉  投稿日:2004/05/14(金) 23:36
 
 パタンと大の字になって地面に転がれば、地球はやっぱり丸いのか…なんてノゾミは思った。
 大きい雲や小さな雲。
 風が緩やかに形を変えたりちぎったりしながら、いずこへと流している。
 ノゾミは綿菓子のような雲をぼんやりと目で追った。
「あー。おなかすいた」
「っていうか、食べたばっかだよ」
「運動したじゃん。今」
 はたはた風になびく洗濯物をノゾミが指差すと、マコトが困ったように笑う。
「んー。まぁねぇ」
 洗濯ロープを引っ張るポールの足元からビンを手にして、マコトが寝転がるノゾミのそばに腰を下ろすと、ふたを開けて、ストローをつっこんでぐりぐりとかき回す。
 ふーっと膨らむシャボン玉がぱちんと弾けた。
 ありゃ…とストローを覗き込むマコト。
 ノゾミは『んあーーっ』と唸った。
「わっ! のんつぁん!?」
「腹減ったーーーーっ!」

 おいおい…と思ったが、見上げた雲はあんまりにもおいしそうで…。

「かぼちゃのぷりん食べたーーーーーいっ!」
「すし食いてぇーーーーっ!」
「ケーキ食わせろーーーーっ!」
「チョコをくれーーーーーーっ!」
「かぼちゃ食べたーーーーーーいっ!」
「焼きそば食いてぇーーーーっ!」

 少し離れたところで「ヤキニク食いてーーーっ!」って聞こえたような気がした。
152 名前:シャボン玉  投稿日:2004/05/14(金) 23:36

 まぁ、叫んでみたものの、青い空は微笑んでいるだけなわけで…。

「なんか、よけー腹減った」
「うん…」

 能天気に雲はおいしそうに形を変えながら二人の上に影を落として泳いでいく。
 はぁ…とため息を吐くノゾミ。
 シャボン玉に没頭するマコト。
 ふわりゆらりと、5cmほどのはかない透明のボールが風に流れていく。
「マコトぉ」
「んん? なぁに?」
「あのさぁ」
「うん?」
「アイちゃんとはちゅうしたの?」
「んぼがはっ!」
 ボコボコボコッ!
 ストローを銜えたままビンの中の石鹸水に浸していたマコトは思い切り噴出した。ビンの中からえらい勢いで泡が立ち上って零れていく。
「ぁ? マコト?」
「げへっ…ごほごほっ!」
 どうやら思いきり吸い込んだらしい。
 ノゾミはとりあえず背中を叩いてやると、
「ふーん。したんだぁ」
 別に驚く様子もなく呟いた。
 ぜーぜーと肩で息をして涙目のマコト。
「なんだよ。急にぃ」
「んー。別にぃ。気になったから」
「そんだけぇ?」
「んー…」
 空を見上げたまま小さく唸ってなにやら考えているらしいノゾミ。
 マコトはシャボン玉のビンにふたをすると少し離れたところに置いた。
「っていうか、何で?」
「なにが?」
「いや…何で…わかったのかなぁ…って…」
「…。この間、カメちゃん来た時、なんかマコト…女の子な感じだったから」   
「はぁ…」
 意外と鋭いんだな…と今更ながらに思う。
 ノゾミはまっすぐに空を見つめたまま。
153 名前:シャボン玉  投稿日:2004/05/14(金) 23:37

 真っ青。
 夏の空は限りなく透明で、それは太陽が力強く輝いているからだろう。
 暖められた風も雲の陰に入れば心地いい。

 むくっとノゾミは起き上がった。
「すきなの? アイちゃんのこと」
「え…」
 地面をじっと見つめるノゾミの顔は笑ってなかった。
 マコトはわけもなく戸惑う。   
「あー…そのぉ…」
「っていうか、すきなんだよね」
 そう言って向けられた笑顔はやさしくて、ますます混乱していくマコトの頭。
「のんつぁん?」
「うん。っていうかさ、今更照れなくても隠さなくてもいいって」
「てっ…照れてなんかっ」
「マコト、顔真っ赤」
「ふぇっ!?」
 ぺたって触ったら頬が熱かった。わけもない戸惑いの理由、それは見抜かれたことなんだと、ようやく気づいた。
 ノゾミは隣ににじよると、マコトの腕をうりうりと肘で突きまわした。
「なんだよぉ! なにすんのさぁ」
「だってさぁ! マコト言ってくんなかったじゃん」
「ええーっ! だぁってさぁ!」
 突かれる腕から何とか体をよじって逃げると、後ろからがっと抱きつかれた。
「だってじゃなーいっ!」
「だってさぁ…。…恥ずかしいっていうか…」
「えー。なんでぇ? キスしてんのに?」
「したけど……その…」
 もごもごと口ごもって真っ赤な顔のままうつむくマコト。
 ノゾミはむうっと顔をしかめた。
「まだ告白してないとか?」
「…うっ」
 なんだ図星かという目のノゾミ。
 ぽんとマコトの肩を叩いて、ぎゅっと抱き寄せてみた。
「あのさぁ。すきなら…ちゃんと言っといた方がいいよ」
「のんつぁん?」
 すぐ真横にあるノゾミの顔は地平線の向こうをにらんでいるようにも見えた。
「だってさぁ。わかんないじゃん…」
154 名前:シャボン玉  投稿日:2004/05/14(金) 23:37

 さくら隊の明後日の戦闘の舞台はポイントBと呼ばれる地点。
 軍需工場の空爆の援護だという。
 迎え撃つ敵機の迎撃が主な任務。

 その4日前にも市街地防衛でスクランブル出動をしている。

「……うん」

 おとめ隊の一昨日の戦闘では二つの部隊が全滅した。
 危うい状況が転がる中、よく帰れたものだと思った。
 占領された街の奪還に関わる激しい攻防。

「へんだなんて、思ってないから」
「…」
155 名前:シャボン玉  投稿日:2004/05/14(金) 23:37

 向こうの方でランニングを続けるすっかりばてたリカとまだ少し余裕のミキ。
 また茶化すように追い抜いたミキの後ろからリカが低いタックルをかますと、転がるようにもつれて草むらの中へ消えていく。
 ミキのうれしそうな笑顔がちらりと見えた。
 あー。たぶん、あのままいちゃいちゃすんだろうなぁ。
 ぎゅぅっとノゾミの腕に力がこもる。
「のんつぁん?」
 返事が返ってこないから、ノゾミが見てる方に目をやると草むらの中でじゃれあってるリカとミキ。
「あの二人は…したのかな?」
「なにが?」
「告白」
「さぁ…」
「まぁ…いいんだけどね。別に」
 ぱっとノゾミの腕が離れた。
 そのままパタンと後ろに倒れて寝転んだノゾミ。
 マコトが不思議そうな目を向けてるのに気づくと、またむくっと起き上がった。
「言っとくけど、うらやましいなんて思ってないから」
「…はぁ」
 間抜けた返事にノゾミがやれやれとため息をつく。
 今度はマコトの腕ごと体を抱きしめて背中に引っ付いた。
「たださぁ……」
「のんつぁん…?」
「別にすきだとか…そーゆーんじゃないから」
「は?」
「友達だけどさ」
「…それで?」
 返事の変わりに唇を塞がれた。

 きょとんとするマコト。
 ふん…と肩を揺らして息を吐くノゾミ。

 ふいに強くなった風がばたばたと洗濯物を揺らして行った。
156 名前:シャボン玉  投稿日:2004/05/14(金) 23:38

 ともすると不機嫌そうなノゾミの目は広場の向こうの短い草むらの中の二人。
 動かないと思ったら二人とも眠ってしまっている。
 戦闘の疲れもあるだろうけど、あんな不規則なペースで走ってればそれも当たり前で、胸の上に頭を置いているミキと、そんなミキを包むように抱くリカ。
 暖かい陽射しと風と柔らかい草。たぶんそれだけじゃないであろう穏やかな寝顔の理由。
「……のんつぁん?」
 せつないとか、さびしいとかそんなことを必死で抑えこんでいるようなノゾミの横顔。
 なんて言ったらいいのかわからずに、言葉がのどの奥で行ったり来たりする。  
 ノゾミはまたパタンと地べたに寝転がった。
「あーあー…。あいぼん、今なにしてんのかなぁ」
「…」
 マコトはよいしょとノゾミの隣に移動すると、同じように地面に寝転がって空を仰いだ。

 丸い地球。
 どんなに遠くても、どんなに高くても、この空はキミに続いてる。

「たぶん…こうやって空を見てるよ」
「…マコト?」
「だってさ、地球は丸いんだもん」
  
 遠くにいるわけじゃない。
 その気になれば届く距離。
 時間は残酷だ。
 やさしいくせに、残酷だ。
 
 想うほど、気が遠くなりそうなほど遠く感じるのなんでだろう。

「そっか。そうだよね」
「うん」
157 名前:シャボン玉  投稿日:2004/05/14(金) 23:38

 雲がこんなキモチを届けてくれるって言うんなら、叫んでみようかな?
 ふと頭の中を掠めた。
 けど、やめた。  
 どんなに神様が邪魔をしても、二人はたぶん一緒。
 今も、どんなときでも、きっと、最期の時も…。

「マコト…」
「んー?」
「…ぁー。なんでもない」
 
 すきだから、目に見える何かに焦がれて、目に見えない何かに焦らされる。

 マコトはポンポンとノゾミの肩を叩いた。
 
 風をはらんで揺れるTシャツの白さが目にまぶしい。
 真っ白に輝く太陽が隠れれば、そこには原色の鮮やかな青い空。
 とんびがひょろーっと鳴いて、風にのってふわりくるりと飛んでいる。

 マコトは起き上がると、ビンを開けた。

 ふわりと飛んでいったシャボン玉。
 風に乗ってすいーっと離れて、弾けて消えた。
158 名前:シャボン玉  投稿日:2004/05/14(金) 23:39

     *

 お昼ごはんは焼きそばだった。
 カオリを見ると、小さく笑ってウインク。
 ノゾミの顔がふわっとほころぶ。
 壁のホワイトボードの今晩のお献立には『かぼちゃの煮つけ』。
 マコトの顔に咲いた笑顔。
「よかったね」
 リカはマコトとノゾミの肩を抱き寄せた。
 ミキはマコトの肩越しにリカの肩に手を置いて体を寄せると、しーっと口に人差し指を当て、そっとポケットからロリポップを出した。
 ストロベリークリームとチェリー。
 迷わずストロベリークリームを手にするマコトに、リカとミキが顔を見合わせてクスクス笑う。
 頭に『?』を浮かべるノゾミ。

 そして、食事の後、二人に手紙が届いていることを知った。

 神様も、時々はやさしいらしい。

 そんだったら、戦争なんかなくしてくれてもいいのにさ。
 まぁ、そういうわけにもいかならしい。
 それが何でと言われても、神様だってわからない。

 その日、珍しく開かれた午後3時のティータイム。
 一つのテーブルを囲む7人の笑顔。
 お茶請けはユウコが差し入れてくれたアップルパイだった。
159 名前:シャボン玉  投稿日:2004/05/14(金) 23:40

    「シャボン玉」               END
160 名前:さすらいゴガール 投稿日:2004/05/14(金) 23:46

 ワタクシ的には暗めの話が続いたかなと思っているので、今回はのんびりな感じで…。
 というか、ツジさん…むずかしいなぁとか思ったり。

 >>141 トーマ様
  ありがとうございます。 
  「戦友」まさにこの言葉から浮かんだ物語ですから。
  そういう空気という雰囲気を持っているというか。
  ナカザーさんとのやりとりは書きやすかったですよ。
  タンデムは書きたいシーンでしたし。
  今回はりかみきというよりは…ですが、楽しんでいただければうれしいです。
   
 
161 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/15(土) 14:10
初めてレスします。
作者さんのお話がとても好きです。彼女達への愛情をすごく感じます。
更新の度に感動で泣きそうになってます。
これからも頑張って下さい。応援してます。
162 名前: 一人と一匹 投稿日:2004/05/22(土) 01:03

 木陰の向こうははしゃぐ太陽が我が物顔で燦々と光を放っている。

 ここのところ雨が続いて蒸し暑い。
 もうすぐ雨の季節なんだと、レイナは寄りかかっている木の匂いにそれ感じた。
 サユミも胸元の小さなシルバーのロザリオをいじりながら、のんびりと体を休めている。
 軽めのランニングから柔軟体操、筋トレをして持久走。締めのストレッチ。
 夏は自然とココロが浮かれるけど、この暑さだけはいただけない。
 Tシャツは汗にじんわりと濡れていて、はたはたと襟元を掴んで上下させて中に風を送りながら、
「今年も暑いんだろーなぁ」
 レイナはふぃーっと息を吐いた。
 しかしサユミは聞いてないようで返事がない。
「サユ?」
「ん?」
「なに見てんの?」
 じっと見つめているサユミの視線の先をたどっていくと、ぐてっと日差しを浴びているジープ。
 サユミはくいっとレイナのシャツを引っ張った。
「あそこ。ジープの下」
「下?」
 目を凝らすと、影の中で何かがきらっと光った。
「…ネコ?」
「うん。子ネコ」
 ジープの下でうずくまってる黒と茶色のぶちの入った子ネコがじーっと二人を見据えている。
 鋭い目つきにコドモながらに野生の強さ。
「なんかさぁ。誰かさんみたい」
「はぁ? 誰? それ。みきねぇ?」
「ううん。違う。こっち来ないかなぁ」
 サユミがそっと身を乗り出すように手を差し出す。
「おいで?」

「…」
163 名前: 一人と一匹 投稿日:2004/05/22(土) 01:04

 レイナは「ふむ」と首をひねると、
「にゃーん。おいで」
 と手を差し伸べてみた。

「…にゃ」
 むくっと起き上がって、子ネコがジープの下から出てくる。
 サユミがおやっと少しだけ目を細めた。
「なんか…ふらふらしてる」
「うん」
 初夏のくせにすでに炎天下の日差しの下に出てみれば、頼りなげにひょろっとした体。ぼんやりと茶や灰色に薄汚れた毛並み。
 
 レイナとサユミは立ち上がると、そーっと子ネコに近づいた。
 びくっと立ち止まって、大きな目でじいっとレイナとサユミを睨みつける。まったくもって子ネコらしくないかわいげのなさ。それも生き残りの厳しい野生ならではだから仕方がない。
「レイナ。もう一回」
「あ、うん」
 サユミにしゃがむように促されると、
「にゃあ。おいで」
 と手を出してみた。

「…」
 じいっとレイナを見つめる子ネコ。
「…」
 じいっと子ネコを見つめるレイナ。
「…」
 そんな一人と一匹をにこにこと眺めるサユミ。
 
 ふわりと風が舞い踊り、さらさらと木の葉が揺れた。
164 名前: 一人と一匹 投稿日:2004/05/22(土) 01:04

「にゃあ」
 子ネコはタタタッと駆け寄ると、ぽんとレイナのカラダに飛びついて、
「わっ!」
 慌てて抱きかかえるレイナ。
「ふふふっ。やっぱりね」
 子ネコの体を撫でるサユミの楽しそうな顔にレイナがむっと顔をしかめた。
「なに? どーゆうこと?」
「うん。だって、レイナに似てるなぁって思ってたから」
「はぁ」
「にゃぁ」
 そーかなー。とレイナが子ネコの顔を覗き込む。サユミに顎をくすぐってもらっている子ネコは気持ちよさそうに目を細めている。
「私も抱いていい?」
「ん」
 そっとレイナから受け取って包むように抱くと、もう警戒心はないのかサユミにも顔を摺り寄せる。
「思ったよりなつっこいね。この子」
「うん」
「だけど、すっごい軽いよ」
 ほとんど骨と皮。
「ね。レイナ」
「なん?」
「にゃ?」
「イーダさん。今お昼作ってるよね。なんかもらえるか聞いてみよう?」
「うん。そーだね」
「ね。レーナ」
 にっこりと腕の中の子ネコに微笑みかけると、
「にゃあ」
 元気のいい返事。
 はっと唖然とするレイナ。
「ちょっと…サユ?」
「だってさ、この子レイナのこと呼ぶたびに一緒に返事するんだもん」
 ねー。ってサユミが子ネコの顎の下をくすぐる。
「だからって…」
「ほら。行こう」
 とっとと歩き出すサユミ。
 レイナは納得行かない顔をしたままおとなしくついていった。
165 名前: 一人と一匹 投稿日:2004/05/22(土) 01:05

 今日も雲一つない青空。
 少し風が出てきたせいかさわやかに感じる。

「あ! イシカーさんとみきねぇだ」
 レイナが手を振ると、兵舎に入ろうとしていたリカとミキは足を止めた。
 駆け寄ると、リカとミキの目はすぐに腕の中でごろごろとのどを鳴らす小さな来訪者に向けられた。
「わー! 子ネコだぁ!」
「かーわいいー!」
 リカはうにーっと目を細める子ネコの耳の後ろをくすぐりながら、顔を覗き込んだ。
「どうしたの? この子」
「ジープの下にいたんです。それで、もうすぐお昼だから、イーダさんになんか食べるもの分けてもらえないかなぁと思って」
 サユミがそう言うと、ミキはぽすっと包むように手を乗っけて子ネコの頭をうりうりと撫でた。
「そっかぁ。なんか食べさせてもらえるといいねぇ」
「この子、ずいぶんとやせちゃってるしねぇ」
 と、のどをくすぐるリカの指に気持ちよさそうな子ネコ。
 ミキはじーっと顔を覗き込むと、トンとリカのひじを突いた。
「なぁに?」
「ねぇ…リカちゃん」
 ミキが子ネコからレイナに顔を向けると、リカも子ネコからレイナに視線を向ける。
「ミキちゃんも思った?」
「うん」
 子ネコはリカとミキを不思議そうに見上げて笑っている。
 レイナはなんとなーくイヤな予感がした。
 サユミは抱きなおすと、にこっと笑った。
「レイナ」   
「ん?」
「にゃ?」
 一人と一匹が同時にサユミを見る。
 リカとミキは顔を見合わせた。
166 名前: 一人と一匹 投稿日:2004/05/22(土) 01:05


「食堂を通るより、勝手口に行ったほうがいいかも」
 そういうリカの提案で4人と一匹は兵舎の表玄関を通り過ぎて勝手口へと回る。
「なんかさぁ。似てるなぁって思ったんだよねぇ」
「目がさ、すっごい良く似てるんだよね。でもさぁ」
 クスクスと後ろでリカとミキが笑っている。
 フクザツな顔をしたままのレイナと、ニコニコしてるサユミ。

 勝手口のドアを開けると、エプロン姿のカオリがちょうど炒め物を終えたところだった。
 リカが中に入っていく。
「カオたん。今いい?」
「うん。なに?」
「お願いがあるんだけど…」
 と、リカはカオリの手を取ると、勝手口の外で待つレイナとサユミとミキのところへと引っ張った。
 カオリがサユミの腕の中の子ネコに気がつく。
 少し段差があるので、しゃがむとちょうどカオリの真正面。
「あらー。かわいいねぇ。れいにゃ」
「んにゃ」
「んなぁ?」
 レイナが目を丸くして固まる。
 その横でミキが腹を抱えて笑い出した。
「ミキちゃん。笑いすぎ」
 とか言いながら、リカも笑いをこらえて炊事場から出ると、爆笑で崩れそうなミキの体に寄り添った。
 憮然とするレイナとごろごろとカオリに顎を撫でてもらって上機嫌のれいにゃ。
「なんですか? れいにゃって」
「この子の名前」
 にっこりと微笑むカオリ。
「でもメスかどうかわかんないじゃないですかぁ」
 レイナが納得いかずに食い下がると、サユミはれいにゃのカラダを包むように両手で支えて持ち上げた。
「メスだよ」
「ほらね」
 ちょっと待っててね。とれいにゃの頭を撫でると、くしゃしくしゃとレイナの頭を撫でて、カオリが流し台に戻っていく。
「なんかもらえるみたいだね」
 サユミが抱っこしなおして顔を覗く込むと、「にゃぁ」とれいにゃが応えた。
 ミキはがっとレイナの肩を抱き寄せた。
「そんなに拗ねないの。かわいいじゃん」
「なんか、妹みたいだよ」
 リカの言葉にレイナはれいにゃの顔を覗き込んだ。
「にゃ?」
「…」
167 名前: 一人と一匹 投稿日:2004/05/22(土) 01:05

 かわいくないといったらウソになる。
 ほんとはすっごくかわいい。
 だけど、そんなに似てるかなぁ。
168 名前: 一人と一匹 投稿日:2004/05/22(土) 01:07

「…」
 のどをくすぐったら、うがうがとサユミの腕の中からもがきだすから、

「はい。レイナ」
 サユミはレイナの胸にそっとれいにゃを押し付けた。
 仕方なく抱っこすると、レイナを見てうにゃぁと目を細めるれいにゃ。
 微笑んでるように見えるけど、その細い小さな体は震えていた。
「…」
「レイナ?」
「…あ、うん」
 どうやら“れいにゃ”が気に入ったのか、返事はしなかったけどくりっとした目はじっとサユミを見つめていた。
169 名前: 一人と一匹 投稿日:2004/05/22(土) 01:08
 カオリは流し台から戻ってくると、小さなアルミの皿を勝手口の脇に置いた。中には水でふやかして極めて薄くしょうゆとだしで味をつけたご飯。
「リカ。あと水持ってきて」
「うん」
 リカが炊事場に入ると、なんとなくミキもあとをついていく。
「なんかみきねぇもネコみたいだね」
「うん。かわいいかも」
 サユミとレイナは顔を見合ってクスクスと笑った。
 そんな二人の足元でがつがつと一心不乱に食べるれいにゃ。
 そっとリカがごはんの器のとなりに水の入った小さなアルミのボールを置く。
「おなかすいてたんだねぇ」
「うん。必死だよね」
 カオリの横にかがんで目を細めて見守るリカにおぶさるように抱きつくミキ。
「まだ子ネコだからね。ミルクもあげたいとこなんだけど、おなか壊しちゃうと思うんだよねぇ。だから、これで我慢ね」
 レイナとサユミの目をしっかり見て伝えるカオリ。
「はい」
「はい」
「配給で頼むのも厳しいし、あとはみんなのお給料から出し合って、ちゃんとしたものを買うっていうぐらいしかないんだけとね」
 カオリはそういうと、
「でも、それは万が一病気や怪我しちゃったときのための手段にしておきたいんだよね」
 このご時世だから、ただでさえ安くない動物医療は驚くような値段になっているだろう。
 カオリは小さく微笑んで、ため息をついた。
 そこに、
「あれー。みんな何やってんの?」
「どーしたのぉ?」
 と、声が二つ。 
 その場にいる全員の視線が声の方に向いて、れいにゃだけががつがつとご飯を頬張っている。
 なくなりそうなっていたのに気づいて、カオリはまた流し台へと向かった。
 ノゾミとマコトが輪の真ん中を覗き込む。
「うっわーーーっ! 子ネコだぁ!」
「はぁーーっ! ちっこーい!」

 がつがつ。
 がつがつ。

 それでも一心不乱に食べるれいにゃ。
 小ナベを片手に戻ってきたカオリがお玉で中に足してやる。
 ノゾミはそっと丸まって背中を撫でてみた。
「うわぁ。やせてるねぇ」
「すっごい勢いで食べてるよぉ」
170 名前: 一人と一匹 投稿日:2004/05/22(土) 01:09
     
 がつがつ。
 がつがつ。

 陽射しの眩しい午後。
 ちっこい一匹を目を細めて見守る7人。

 がつがつ。
 がつがつ。

「にゃあ」
 ごちそーさまとでも言ったのか、くりっとした目をきらきらさせて顔を上げた。
「うはっ! レイナだ!」
 と、ノゾミが抱き上げた。
「そっくりだぁ」
 マコトがのどをくすぐる。
 苦笑いするレイナ。
 サユミはそんなレイナにくすっと笑みを零した。
「この子、れいにゃって言うんですよ」
「名前?」
 ノゾミが首をかしげてれいにゃを覗き込む。
 マコトも望みに顔をピタッとくっつけるようにして同じように覗き込んだ。
「れいにゃかぁ。人だとレイナで、ネコだとれいにゃなんだぁ」
「カオリ? つけたの」
「そうだよ。のんちゃん、よくわかったね」
 へへと笑うノゾミの頭をカオリがよしよしと撫でる。
 リカはふと思った。
「カオたん。この子、どうするの?」
「あっ…そうか」
 ミキも気づいたらしい。

 通常特殊部隊でもない限り、動物の飼育はありえない。
 まして、配給自体が乏しくなっている現状では厳しいものがある。
 たとえここがまだ優遇されている最前線に一番近いベースキャンプだとしても…。
171 名前: 一人と一匹 投稿日:2004/05/22(土) 01:10

 カオリは『うーん』ととりあえず空を見上げた。
 不安げなレイナとサユミ。
 すがるような目のノゾミ。訴えるような目のマコト。
 リカとミキはじっと様子を伺っている。

 カオリはこほんと咳払いした。
「れいにゃを、乙女隊兵舎厨房防衛隊長に任命します」

 は?
 
 全員の頭に浮かぶはてな。
 きょとんとしているれいにゃ。
 カオリはれいにゃに敬礼すると、
「主な任務は炊事場や勝手口周辺のねずみからの防御、撃退。以上」
 凛と張ったカオリの声に、れいにゃがうがっと右の前足を伸ばした。手をくにって招いているけど、たぶん敬礼。そう思いたい。
「全員、返事は!?」
「はいっ!」
「にゃっ!」
 ありえないくらいきれいに揃った6人と一匹の声。そして整った敬礼。
 満足そうにカオリはうなずいた。

 基本的にれいにゃは兵舎に入れない。
 特に2階の各自の部屋には入れないこと。
 もし、入っても食堂まで。食事中は厳禁。
 それが約束。
 
「じゃあ、お昼にしようか。みんな、ちゃんと手、洗ってね」
 
 れいにゃはするりとノゾミの腕から抜け出すと、ふらりと木陰に向かっていった。

 この日から、朝、昼、晩と、れいにゃの戦利品に毎度のごとく上がるカオリの悲鳴が聞こえてくることとなる。
172 名前: 一人と一匹 投稿日:2004/05/22(土) 01:10
   
                   ■                    ■
 
 玄関のドアが開いた。
「ただいまー」
 リカの声。
 ソファでなんとなくテレビを見ていたミキは「んー」と声の方に顔を向けた。
 ぺたんぺたんと足音。
「おかえり」
「うん」
 リビングに入ると、リカはデイパックをドアのそばにおいて帽子を上に乗っけた。
「ごはんは?」
「まだ。ミキも帰ってきたばっかだよ」
「そっか」
 ミキの隣に座ると、
「おつかれさま。ミキちゃん」
「うん。リカちゃんも、一日おつかれさま」
 そして、軽いキスは気がつけば毎日の日課。
 そのままリカがミキにもたれかかろうとしたら手で制された。
「ちょっと待ってて」
「ん?」
「手紙来てたんだよ」
 テーブルに手を伸ばすと、ほらっとかわいいキャラクターの便箋を見せる。
「まだ見てないの?」
「うん。一緒に見ようと思って。リカちゃん、今日は早いって言ってたじゃん。だから」
「そっか。ありがと」
 リカを抱き寄せて、手紙の封を開ける。
「誰から?」
「レイナだよ」 
「レイナかぁ。今、まだ軍の学校だっけ?」
「うん。たしか3人ともね」
 レイナとエリはともかく、サユミが終戦後に軍に残ったことは正直なところ周りは驚いたが、リカはなんとなくそんな気がしていたし、ミキも驚きはしなかった。
『あの子らしいね』
 と言うだけで。
173 名前: 一人と一匹 投稿日:2004/05/22(土) 01:11

 封筒の中からは2枚に亘る手紙と写真が3枚。

『 
   Dear  リカちゃん & みきねぇ

    元気ですか? レイナは毎日はりきって訓練がんばってます。
    エリはあいかわらずおもしろくって、サユもあいかわらず鏡ばっか見てます。 
  
                                                     』

 そんな文章で始まった手紙。
「“リカちゃん”だって」
「くすぐったいね。なんか」
 そのせいか“リカちゃん”の後ろには『从* ´ヮ`)』な感じの落書き。
 手紙には訓練の様子とかサユミとエリとの他愛ない毎日のこと。軍中央部の近くにある学校のため、ユウコが講師として派遣されており、その校内武勇伝が眩しくらいにきらきらと描かれていた。
「相変わらずだなぁ。ナカザーさん」
「ね。一番手がかかってんじゃない?」
「でも、それがいいところなんだけどね」 
 同封されていた1枚目の写真には変顔のエリとレイナとサユミ。
 2枚目はユウコと一緒。
 そして、3枚目。
 リカが身を乗り出す。 
「もうすっかりお母さんだね。れいにゃ」
 子ネコに囲まれてすっかり貫禄がついた黒と茶色のぶちネコ。
「たしか基地で5匹だっけ?」
 リカはそう言うと、
「たしか…オスが1匹にメスが2匹だったよね」 
「そうそう。オスがジョンソンで、メスがチャーミーとミキティ。で、その後にメスのノンとオスのロクロー」
 ふふっとうれしそうにリカに微笑みかけるミキ。
「でも、みんなゴローって呼んじゃって、結局ゴローになっちゃんたんだよね」
「そうそう。5番目に生まれたからね」
 
 最初は一匹だった厨房防衛隊も、終わってみれば隊員6匹。
 非常に統制が取れて勇敢だったため、カオリの悲鳴は日に日に高くなり、リカとミキはいつしか苦笑いしながらその戦利品の埋葬に追われていた。
174 名前: 一人と一匹 投稿日:2004/05/22(土) 01:11

 今度は3匹。三毛とシロ。キジトラ。
 終戦後、軍の学校に入ったので寮生活となったため、レイナの実家に引き取られたれいにゃ一家。この写真も実家から送られたものを焼き増ししたらしい。
 後ろには、
『右からエリザベスとサユミンとユユ。全部メスです』
 と書き添えてあった。
 手紙には、
『もうすでにおめでたらしくって、お母さんに「ウチはネコだらけだよ」って言われました。』
 と。
 それでもレイナの家族に愛されていることは、ふっくらしたれいにゃを見れば一目瞭然。よほどの肝っ玉母さんらしく、レイナのお母さんに良くなついているらしい。やんちゃな子供を持ったせいか、どうやら気が合うようだ。
「そのうち、モーニング隊全員揃っちゃうかもね」
 ほんの少し前なのに、けれど、遠くから引っ張り出して思い出してきたかのように懐かしむ目をするリカ。
 そんなリカの肩にちょこんと頭を乗っけて写真を見るミキの瞳もまた、同じようにセピア色。

 真っ赤な夕焼けが差し込んで、リビングが橙色に染められる。

 リカは夕飯の支度に立ち上がり、ミキは送られた3枚の写真を壁のコルクボード貼った。
「今日の献立は?」
「んー。ミキちゃん、何食べたい」
「えっとねぇ、リカちゃん」
「こら」
 コツンと軽くゲンコツ。
 ミキはその手をぱっと掴むと、唇をすばやく奪い去った。
 してやったりとにかっと笑顔のミキ。やられたとむうっと眉根を寄せるリカ。
「いいじゃん。明日は二人とも休みなんだから」
「そうだけど…」
「じゃ、つづき」
 と言ったところでミキのお腹が、ふざんけんなとメシ食わせと声高く猛抗議。
 リカはくすくすと笑いながら投げキッスをプレゼントしてキッチンに入っていった。  

 ゆっくりと日が暮れていく。
 キッチンから軽やかな流れてくる音。
 真っ赤に燃える夕焼け空。
 一番星がきらりと窓の向こうでささやかな光を放っていた。
175 名前: 一人と一匹 投稿日:2004/05/22(土) 01:12

   「一人と一匹」             END
176 名前:さすらいゴガール 投稿日:2004/05/22(土) 01:16
 と言うわけで新作更新。
 なんか新婚さんみたいだな…いしかーさんとフジモトさん。
 和み系のお話をもう一つと言うことで。

>>161 名無し飼育さん様
 ありがとうございます。
 レスはワタクシの原動力にもなりますので、うれしい限りです。
 愛を感じていただけたなんて、本当にうれしいです。
 いつも感動を与えるものが書けているかはわかりませんが、
 少しでも心に残ってくれれば、本当に幸いです。
177 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/29(土) 01:01
この空気感がたまらなく好きです
更新楽しみにしてます 頑張ってください
178 名前:シャンプー 投稿日:2004/05/31(月) 11:06

 れいにゃがくぁ…とあくびをした。
 そこへひらひらとモンシロチョウ。
 ふわーっとれいにゃの視線が流れて、きらりと光った。
 
 ひゅっ!

 ふわふわと漂うチョウを振り下ろした前足が捕らえそこなうと、れいにゃはのらりくらりと舞うチョウの後を追っかけていった。
 カオリがそんな後姿にふんわりと目を細める。
 すっかり乾いたチョコレート色の地面にぴょんぴょんと跳ねる小さな陰。
 昨日までの鬱蒼とした大雨の一日はウソのようで、からりと晴れた空の青は眩しい。
 パタンと文庫本を閉じて傍らに置くと、大きく空に向かって体を伸ばした。
179 名前:シャンプー 投稿日:2004/05/31(月) 11:07

「カオたん」

 ふいに呼ばれて声の方を振り向くと、リカが勝手口から顔を覗かせていた。
「ん? どした?」
「ううん。別になんでもないんだけど、いい天気だなぁって思って」
 ブリキのマグカップを片手にリカは勝手口のドアを締めると、スペースを造ってくれたカオリの隣に座った。
「他のみんなは?」
「ののはお昼寝。マコトは部屋で手紙書いてるみたい」
「あぁ、愛しいアイちゃんに?」
「うん。愛しいアイちゃんに。さっき届いたらしいよ。で、レイナとサユは今日は軍学で基礎教練でしょ」
「そうだね。で」
「で…って?」
「あんたの愛しいミキティは?」
「愛しい…って…」
「違うの?」
 カオリが『んん?』と首を傾げて大きな瞳でリカを見つめる。
 リカは小さく肩を揺らして、にらむように上目遣いで見返した。
「…違わない」
 ぼそりと呟く。
 カオリがふぅっと赤く染まったリカの頬をそっと包んでよしよしと撫でる。
 恥ずかしさで少し拗ねたように唇をうにっと尖らせるリカ。
「もぅ…」
「ふふっ。それで?」
「うん…」
 とりあえず一度深呼吸。
「今日は……うん」
「リカ?」
「ほら。だから…明後日…」
「出撃予定の日だよね? 明後日…」
 カオリは腕を組んで右手を顎にやると、ふむと目線を斜めに落として地面を見やる。
 リカはマグカップに口をつけた。
 こくっとのどがなる。
 カオリがふぅ…っと目を見開いた。
「そっか…。うん。ごめん」
「ううん…」
 リカの穏やかな笑顔に、少し申し訳なさそうに眉を下げて微笑むカオリ。
180 名前:シャンプー 投稿日:2004/05/31(月) 11:07
 リカはすっと手にしたマグカップを差し出した。
「飲む? 水だけど」
「うん。ありがと」
 にっこりと微笑んでマグカップを受け取る。ほんのりと冷たいブリキに唇をつけると、ふと、リカを見た。
「いいよ。全部飲んで」
 笑顔で答えて、リカは壁にくっつけて置かれた木箱の上の本に気がついた。
 コクリコクリとカオリののどがなる。ちょうど渇いていたのどに透き通った水のやわらかさが心地いい。
「読書?」
「そっ。なんかね。お部屋で読んでるのもったいなくって。ここ、お気に入りなの」
 ちょうど食堂の真ん中ら辺。目の前にグランドを兼ねた広場。少し右手にははたはたとなびく洗濯物。
 なんともいえないのんびりとした光景の後ろには、広い広い真っ青な空。
「ふーん。なんでもない場所なんだけどねぇ」
「ふふっ。そこがいいの」
「うん」
 カオリからマグカップを受け取ると、リカは木箱の上に置いた。
「うーんっ…。いい天気」
 大きく体を伸ばして見上げたリカの視線の先にも青。
「しばらく晴れるといいね」
「そうだね」
 きらきらと広場の向こうに広がる短い草が輝いている。
 穏やかな午後の始まりは、きらきらきらきらと命の躍動に溢れた光の時間。
 カオリは隣で陽射しを受けて和むリカの髪に、そっと手を伸ばした。
「カオたん?」
「久しぶりに、洗ったげようか?」
「うんっ!」
 満面の笑顔で大きくうなずくリカ。
 やわらかい微笑を返すと、カオリはポンと肩を叩いた。
181 名前:シャンプー 投稿日:2004/05/31(月) 11:08

 リカはパタパタと勝手口を開けて中へと入って行った。
 カオリは洗濯機の前を通り過ぎると、その角を曲がって大雑把にいくつか積まれた木箱の中から二つを取り出して持ち上げる。
「よっ!」
 腰を入れてしっかりと上半身に預けると、慎重に歩を進め、洗濯機のそばで下ろした。
 すでにリカが軍支給のある意味無添加なシャンプーとリンス、バケツと45リットルのポリ袋、そして蛇口にホースを繋いで待っていた。
 二つの木箱をくっつけて並べると、リカは木箱の端に三つ折にして丸めたバスタオルを乗せた。
「ん。じゃあ、座って」
「うん」
 ポリ袋をごっこ遊びのマントをつけるようにして首に回し、胸元でしっかりと端を握って押さえると、カオリはリカの後ろ髪をポリ袋の上に下ろした。
 そして、カオリに頭を押さえながらゆっくりと箱の上に横になると、首を丸めたタオルの上に乗っける。
 カオリはサッとポリ袋を垂らすと、地面に下ろした余った部分にバケツを置いた。
 リカの顔の上にかごの中から取り出したタオルを置くと、
「じゃ、いくよー」
「うん」
 少し体をひねって、蛇口をひねった。
 色褪せた水色のビニールの先からキラメキを伴って溢れ出す水。
 あたたかい陽気のせいか、少しぬるく感じた。
 ホースの先端に親指で少し圧力をかけて勢いを作ると、リカの黒髪をじっくりと濡らしていく。
「どぉ? 冷たい?」
「大丈夫。ちょっと冷たいけど、気持ちいいよ」
 右手の指先を全部しっかりと使って、強く梳かすようにしゃかしゃかと水になじませて軽く洗い流す。
 それだけでもううっとりした顔をしているようなリカに、カオリはどこかくすぐったいような笑みを零した。
182 名前:シャンプー 投稿日:2004/05/31(月) 11:09

 かしかしかしかしかし…。 
 
 心地よい刺激。
 小気味のいい音。
 カラダがすうっと和んで、ふわりとした気持ちよさ。
 リカはぼんやりと浸っていた。
 
 カオリはホースをバケツの中に入れると、一度蛇口を閉めた。
「それじゃ、いよいよ行きますかねぇ」
 カオリはシャンプーを手にして手のひらに出すと、バケツの中の水を掬い取って泡立てた。 
 泡に包まれるカオリの手。
 そっと差し入れると、両手の指で手早く、だけどしっかりと少し力を入れつつ、リカの頭に刺激を与えながら髪を洗っていく。
 
 がしがしがしがしがしがし…。

 すっかり泡だらけになったリカの黒髪。
 包むように右に左に、生え際にと丁寧に指を動かしていく。

「なんか…懐かしいねぇ」
「うん。よく相談したよね」
「うん。懐かしいね。あん時はもう、この子、どーなるんだろうって思ったし」
「あたしもどーなるんだろって思ってた」
 へへへっとくすぐったそうに笑うリカ。
183 名前:シャンプー 投稿日:2004/05/31(月) 11:09

   入隊後まもなく、特殊任務として編成された部隊に配属されたリカとアイ。
   アイとともに配属された部隊は敵地偵察と情報収集。工作への下地作りという地味な任務。
   しかし、それはとても重要な任務。

   天才と称されたヒトミ。大器と望まれたノゾミ。幼いながらも非凡なアイ。
   生きるためという一点のみで入隊したリカ。
  『…あたし………』
  『できないって思ったら、一生できないよ』
  『……』
  『死ぬときは死ぬんだから』
   まっすぐに見据えるカオリの目は怖くて、だけど冷たくはなかった。
  『できないならできないでもいいけど、やれることがあるんなら、やれることをするの』    
  『……』
  『訓練に喰らいついてきてんだから、大丈夫だって』
  『だけど……』
    
「リカ」
「はい?」
「大きくなったね」

  『あんたができることをやれば、あたし達は誰も死なない』

「まだまだ。そんなことないよ」

  『もっとさ、あんたは自分の力を信じていいんだよ』

「まだまだ。カオたんにも、なかざーさんにも、教えてもらうこと…いっぱいだよ」

  『ポジティヴ』
  『…ポジティヴ?』  
  『ダメって考えるより、できるって考えな。カオリはリカを信じてるよ』

「ヤスダさんにだって、今でもいろんなこと、教わってるし…」
「うん…」
「でもね…ありがと」

 すっかり体の力が抜けて、されるままカオリの指の刺激を堪能する。
 そんなリカのやわらかい表情で、胸の中に広がるやさしいキモチ。
184 名前:シャンプー 投稿日:2004/05/31(月) 11:10

 がしがしがしがしがしがし…。

  愚痴を言えば呆れたように突き放されて、説教されて…。
  だけど、一生懸命に話を聞いて、諭してくれて…。
  いつしかカオリの愚痴を聞いてて、一緒に考えて…。
  二人して落ち込んで、けれど今度は妙におかしくなって…。

「ホント。リカとはさ、こーやって、いろいろ話したね」
「うん…」

 泡に包まれたリカの髪をまとめると、抱えて首に近い方から側面へと手を動かす。
 顔に置かれたタオルの端から、ちらりと見えたカオリの手首。
 ぎゅっと胸元のポリ袋を押さえるリカの左手に力がこもる。

「カオたん」
「ん?」
「たまにはじゃなくって、また洗ってもらいたなぁ」
「ふふ。そうだね」
「こうやって話せるの…なんかうれしい」
「うん」
  
 今度は反対側に少しだけ頭の向きを変えて、またがしがしと指がいったりきたり。

 何度この子の髪をこうやって洗っただろう。
 何回この人に髪をこうやって洗ってもらっただろう。
185 名前:シャンプー 投稿日:2004/05/31(月) 11:11
 
 がしがしがしがしがしがし…。

 首に近い辺りを洗い終えて、そっと頭の向きを正面に戻して髪から手を離すと、すうっとリカの右手がカオリの左手首を掴んだ。
「リカ?」
 しっかりと掴まれた手首。
 リカは笑っていなかった。
「…」
 何かを言いかけるようにうっすらと唇を開き、親指がそろそろとカオリの左手首をなぞる。
 辿ったのは、3センチ5ミリほどの1トーン明るいわずかにだけ盛り上がった一筋の線。
 よく見なければわからない、だけど明らかに不自然に刻まれた傷痕。
「…リカ?」
 何も応えず、ただじっと傷を見つめている。
 決して多いとは言えないなりにも恋をして、その度にこの傷に口付けられた。でも、不思議とうれしいとは思わなかった。
 リカは愛しむように傷の上に親指を何度か往復させると、手を放した。
「もう…痛くないよね?」
 ふわっと微笑んで、カオリの胸にじわっと膨らむぬくもり。
 こくりとうなずいて、リカの顔に置いた水よけのタオルを取り去った。
 そして、そっと顔を近づけて、目を閉じて…。
 リカの唇にふわりと重なった厚みのある柔らかなカオリの唇。
 
 ざわっと風が揺れて、バタバタとシャツが歌いだす。
 眩しい白が真っ青な空の中に泳いでる。
 
 気がつけば空には大きな雲が流れていて、太陽を隠したせいで原色に程近くなった空の青。
 目をすうっと細めて微笑むカオリ。
 パシャと頭の上の方で水の弾ける音がして、リカはなんとなく我に返った。
「さ。すすごっか」
186 名前:シャンプー 投稿日:2004/05/31(月) 11:11
 
 キュッ。

 ホースからあふれ出してバケツに飛び込む水のざわめき。
 髪に指を差し入れて、微妙な力加減を加えてわしわしとすすぐ。

 雲の陰が二人の間に落ちたかと思えば、また光が包み込んでいく。
 長期になることを見越して作られた最前線なのに木造の兵舎の二階の方から聞こえてくるハーモニカの“きらきらぼし”。
「のんちゃん、起きたみたいだね」
「うん。でも、まだ眠そう」
 ちょっとよれた2音混じったスローテンポな掠れ具合が、晴れた空に不似合いでヘンな哀愁を誘う。
 それとなく二人して口ずさんだ。

 きらきら光る空の星は、まだ空の青の中に隠れている。
 けど、このまま雲が空を覆いつくさなければ、きっと今日はきれいな夜空が見れるだろう。

 きらきらひかる空の星は、どんな風に見てるんだろう?
 こんな自分達を…。

 きっと『なんとなく』。
 そんな感じでもう一回流れてくる“きらきらぼし”は、さっきより少しだけ眠気がとんでいた。
187 名前:シャンプー 投稿日:2004/05/31(月) 11:12
 
 カオリはホースをバケツにつっこんで蛇口を閉めると、今度はリンスに取り掛かる。
 軽く手に広げると、リカの髪を包んで全体にいきわたるようにかしかしと手を動かす。

 ばらばらとロングトーンでドーやミーとかソーやら、Cとか2音3音と混じった音がバラバラと流れていく。

 手早くリンスを終えると、蛇口をひねって水を出す。
 
 適当に吹いてるのに飽きたのか、

「けろけろけろけろ、くわっくわっくわっ」
「けろけろけろけろ、くわっくわっくわっ」

 “カエルのうた”がのそのそと二人の上を流れていった。

 リンスを洗い流すと、カオリは蛇口を止めた。
 リカの顔の上のタオルを取ると、それで髪を包み込んでわしわしと軽く水気を拭き取ってから巻き付けた。
「はい。おわり」
「ありがと」
 リカは起き上がって巻きつけたタオルを解いてがしがしと髪を乾かすと、軽く手で整えて、ふうっ…と息をついてタオルを肩にかけた。
「なんか…すぐに乾いちゃいそうだね」
 少し汗ばむくらいにあたたかい陽気。暖められた風は暖かく、地平線を囲むように雲は並んでいるけれど、北東へと流れていく風が次から次からとせっせと運んでいく。
 雲に隠れてはまた現れる太陽。
 見上げて、カオリとリカは目を細めた。
188 名前:シャンプー 投稿日:2004/05/31(月) 11:12

 さらっとカオリの長い髪と、生乾きのリカの髪を風が舞い上げる。

 リカはうーんっと、ぎゅっと握った拳を高く空に突き上げて体を伸ばした。
「すっっごいキモチよかったぁ!」
「ふふっ。ありがと」
 とろけるような笑顔で言われて、自然とカオリの笑顔も綻ぶ。

 ガタッ!
「リカちゃん?」
 
 二人が見上げると、2階のたぶんそこはリカの部屋から窓からノゾミが顔を出した。
「何やってんのぉ?」
「カオたんに髪洗ってもらったのぉ」
「髪ぃ?」
「そう」
「のんちゃんも洗ってあげよーか?」
「うんっ! 今行くー!」
 パタンと窓が閉まった。
 カオリとリカはふふっと顔を見合って笑った。  
「のんちゃん、リカの部屋で昼寝してたの?」
「うん。ミキちゃん見送って戻ったら、ベッド取られちゃってた」
「ふふっ。そっか」

 ばたばたとにぎやかな足音。
 リカは立ち上がってぺたんと胡坐をかいて座っているカオリの後ろに回って、きゅうっと背中に抱きついた。
「たいへんだね。もう一人増えたみたいだよ」
「ね。みんな甘えんぼだからね。もぅ」
 とか言っているカオリの笑顔はうれしそうで、
「自分だって」
 と、リカは頬を寄せた。
「ばれた?」
 って笑うカオリ。
 そっとリカの手を握って、慌しく駆けてくるノゾミとマコトの姿ににっこりと目を細めた。

 木陰で眠っていたれいにゃが『ん?』と顔を上げる。
 ふーと辺りを見回して、くぁぁ…とあくびをすると、また丸めた体に顔をうずめて夢の中へ。
 のんびりと梅雨の中休み。
 午後は今日も緩やかに流れようとしていた。
189 名前:シャンプー 投稿日:2004/05/31(月) 11:13

     「シャンプー」              END
190 名前:さすらいゴガール 投稿日:2004/05/31(月) 11:18
いやー。時間かかった。
今更のように設定考えちゃったし。

かおりかですな。卒業の発表前から考えていた話だけに、なんかフクザツ?
いうかタイミングよすぎチックに…。 
意識しすぎないように気をつけましたけど…。
何気にいいら三姉妹だったり(+1)になってるけど…。

>>177 名無し飼育さん様
  ありがとうございます。
  暗くなりすぎ、だけど淡々と…のつもりで書いてます。
  それでもやさしい物語になれば…と。
  今回の物語も楽しんでいただけたら、うれしいです。
191 名前:雨と水割り 投稿日:2004/06/11(金) 23:52

 真っ暗な部屋の中、ミキは25回目の寝返りを打ってため息をついた。

 カチコチと秒針の音がやけに耳をつく。

 リカはミキに腕枕をしたまま、穏やかに胸を上下させて規則正しい呼吸を繰りかえしている。
 ミキはそっと頭を上げてリカの腕を体の横に置くと、毛布を引き上げて裸の肩を隠して、ごろりと体を横に向けてリカの横顔をじっと見つめた。
192 名前:雨と水割り 投稿日:2004/06/11(金) 23:53

 カチ、カチ…。

 けだるい体。いつもならそのままぬくもりにすべてを満たされて寝入ってしまえるのに、今日に限ってはそれができなかった。
 ザァ…とカーテン越し、窓の向こうから強い雨の音。
 なんだって今日はこんなに憂鬱な気分にさせられるのか、ミキはまたため息を吐く。
「ミキちゃん?」
 リカは向かい合うように体を横に向けた。
「…起こした?」
「ううん。起きてた」  
「…ずっと?」
「うん」
 惑いのない肯定と同時に、そっとミキの体がリカの腕に包まれる。
 ミキは目を閉じて、そのあたたかさにしがみついた。
「どうして?」
「わかんない」
 揃えた指先がゆっくりと前髪をかきあげて、額に舞い降りたキス。
 腕の中でミキはまため息を吐いた。
 ミキの髪をゆっくりとリカの指が梳いていく。なだめるように、落ち着かせるように、やわらかく、そして、やさしく。
「明日…仕事だよね」
「うん」
「だったら…少し寝ないと…」
「うん…」
 緩やかな心臓の音。
 直に触れ合う肌のあたたかさとカラダのやわらかさ。
 目を閉じてみたけど、それでも眠れそうにはなかった。
「わかってるんだけど…ね」
「……」
 リカは抱きしめる腕に力を込めた。
193 名前:雨と水割り 投稿日:2004/06/11(金) 23:53

 ザァ…。

 弾ける音。
 激しく踊り狂うように乱雑なビートを刻んで地面を跳ねる雨。

 リカは体を起こすとカーテンを開けた。
 わずかばかり明るくなった部屋。藍色に染め上げられた壁や床にうっすらと影が描き出される。
「雨…すごいね」
「うん…」
 暗闇に目が慣れたミキの瞳に映るリカの素肌。
 部屋を満たす温い空気に晒された乳房に向かってミキは右手を這わせた。
「…ミキちゃん」
 指先が乳房に触れたところで、リカがしっかりと手を捕まえる。
 手を捕らえられたミキのさびしげな瞳。
「…眠れない?」
「うん…」
  
 トトトトン…。
 トトトトン…。

 雨粒が窓を弾く。
 
 薄明かりの中、時計の針の位置を探ってみたけれど、結局はよくわからない。
 リカはふぅ…と大きく肩を揺らした。
「シャワー、浴びてきていいかな?」
「やだ」
 するっと体に巻きつく腕。そのままぐっと引き寄せられて覆いかぶさるように倒れる体を支えようと、リカはミキの頭の横に慌てて手を突いた。
 ミキがまっすぐに自分を見つめているのがわかる。
「ミキちゃん…?」
「…いいから……」
 吐息交じりの呟きは艶よりもせつなさに溢れていて、艶かしく頬を包み込んだ手のぬくもりがチクリと胸を突いた。
 戸惑いと愛しさと、悲しみと…。
「…」
 リカはゆっくりと体を沈めた。
194 名前:雨と水割り 投稿日:2004/06/11(金) 23:54

 この指先にどれだけの想いを込めてあなたを愛したら、抱えたその悲しみは癒えるのだろう?
 暗がりの中、指先で、唇で感じる火照った肌。
 悩ましげな声が耳をかすめて、その度に胸が痛む。
 あなたが望むとおりに壊してあげることができたなら…。
 口付けは熱を帯び、虚しい考えを頭の中から捨て去った。
 あなたの望むとおりにすべてをあげる。

 余韻の中を漂うミキを包み込むリカ。
 ミキはそっと背中に腕を回すと、肩甲骨の辺りをツーッと指先でなぞった。
「…っ」
 リカが痛みにくっと少しだけ顔をしかめた。
 指先に触れた傷。舐めたら血の味がした。
「リカちゃん…」
 微笑んで触れる程度に口付けるリカ。
 目を逸らすミキ。
「大丈夫。気にしないで。痛くないから」
「でも…」
「ちょっと油断しただけ」
 そう言って起き上がると、リカは暗闇に向かって呟いた。
「もっと…深くてもいいくらい」
「…」
「シャワー、浴びてくるね」
 リカは起き上がるとベッドから抜け出して床に落としたTシャツを拾った。
 その腕をミキが掴む。
「来る?」
「…うん」
 のそっと起き上がると、リカからTシャツを受け取った。
195 名前:雨と水割り 投稿日:2004/06/11(金) 23:54

   *

 流れ出る湯の勢いが肌に心地いい。
 地べたを這うような不安を抱きながら愛し合ってまとわりついた汗を洗い流す。
 気分を変えたいとリカは思っていた。
 ミキはぼんやりとうつむいたまま、なんとなくザーッと音を立てて降り注ぐ湯に打たれている。
 
 勢いに押されて抱いた。
 見上げる瞳はどこまでも灰色で、そこに自分の姿を必死になって探していた。
   
 衝動に任せて抱かせた。
 覗きこむ瞳は不安に震えていて、その姿が愛しくて何もかもを受け入れた。

 お湯に打たれて乾ききれていない傷口に触れた唇。
 後ろから腕ごと強く抱きしめられて、リカは突っ立ったまましなやかな肢体にいたずらに湯を滑らせていた。
「ミキ…?」
 くるりと体の向きを変えられ、顔を上げたと同時に唇を押し付けられた。
 ミキは強引に舌を割り込ませると、むさぼるようにキスに溺れた。

 ザーッ…。

 慌しく足元で弾ける水滴。
 背中に感じるタイルの冷たさ。
 体を伝っていく幾筋もの湯。

 熱気と激しさと…。
 眩暈がしそうな口付けは、軋んだ胸には痛いだけだった。
196 名前:雨と水割り 投稿日:2004/06/11(金) 23:55

   *

 寝室にほのかに照らす通りの向こうの街灯のわずかな明かり。
 窓を叩く雨の音。
 ベッドに上がってなんとなくミキは膝を抱えて顔をうずめた。
 
 3年か…。
 
 それが早いのか、それとも長いのか。
 今更のようにのしかかった悲しみに戸惑った。
 そして、たぶん、あの日もリカもそうだったのだろうと、なんとなく思った。
 
 キィ…。
 
 ドアが開いてリカが入ってきた。
 カランと何か涼やかな音を伴ってベッドに上がると、ミキの隣に腰を下ろした。
「はい」
 顔を上げると、暗がりの中でぼんやりと光を受けるロック・グラス。
 手にすると、シャワーの湯で火照った手のひらによく冷えたグラスと水滴が気持ちよかった。
「…リカちゃん?」
「少しは眠くなるかもよ」
 色まではよくわからないが、たぶんリカのことだからウィスキーだろう。
 一口含むと、氷できりっと冷えたほろ苦い液体がじわりと熱を引き連れてのどを通り過ぎていった。
 気分のせいだろうか、不思議といつもよりは苦く感じなかった。むしろあっさりしすぎるくらいだ。
「どう?」
「うん…」
 差し出されたグラスを受け取って、リカも一口飲んでみる。
「うん。いい感じ。初めて上手く行ったみたい」
 1:2。この微妙な加減を失敗してどうしても強めに作ってしまうリカ。そのせいかミキはまずいとは言わないながらも、あっけなく酔いつぶれてしまう。
「うまいもんだね…」
「でしょ」
 グラスをミキに渡す。
 受け取って煽るように流し込めばのどに焼け付くような刺激。
 ふっと吐き出した息は奥にほのかな甘さを隠したまろやかな香ばしさ。
 ミキは抱えてた足を崩して胡坐をかくと、壁に寄りかかった。
197 名前:雨と水割り 投稿日:2004/06/11(金) 23:56

 カチ、カチ、カチ…。

 なんとなく暗闇を見つめて、なんとなくカラ…とグラスを揺らす。
 リカもただ無言で暗闇を見つめたまま。
      
 あの日もこんな風に雨だった。

「3年経つんだね」
「うん…」
 カラ…と氷がグラスに当たる。
 
  霊安室にはすすり泣く声と喚く声。
  拳を床に打ち付ける人。
  冷たくなった体にすがって泣き叫ぶ人。

  家族。恋人。友達。

  何の前触れもなく、何ら大した理由もなく奪われた134人の命。
  負傷者が300人あまりにも上った列車爆破事件。

  軍付属の病院の霊安室を満たす悲嘆と憎悪。

  外は激しい雨。
  涙雨だというには少しばかり乱暴すぎる土砂降りの雨だった。
198 名前:雨と水割り 投稿日:2004/06/11(金) 23:56

 ぐっとのどが動いて、カランとグラスが泣いた。
 ふっと息をつくミキ。
「リカちゃん…」
「ん?」
「飲まないの?」
 ミキが軽くグラスを掲げる。
「ううん。いいよ」
 淡い光に浮かびがる小さな微笑。
 ミキは胡坐をかいたままずいっと体を寄せると、肩に腕を回してぐいっと引き寄せた。
「ん? なにぃ。ミキ様の酒が飲めないってか?」
「ちょっとぉ? ミキちゃん?」
 鼻をつくウィスキー独特の煙ったい甘さ。
 ふふ…と、ミキは笑った。
「で? どうなの?」
「どうなの…って…」
 自分もさっき一口飲んでるわけだから、まぁ、酒臭くないではない。
 暗がりの中、至近距離で顔を覗きむミキの目をじっと見ると、どうやら焦点があってないわけではなさそうだ。
「じゃあ、いただきます」
「うん」
 グラスの中でだいぶ小さくなった氷がぶつかり合う。
 ミキは一口含んで、ついとリカの顎に手を掛けた。
 口移しで飲まされた水割りは、やけに苦かった。
 
  黙々と身元確認作業を手伝うユウコの貼り付けたような無表情。
  激しく慟哭するミキに戸惑うアヤ。

  たぶん、後にも先にもあれだけ泣き喚いたことなんてなかった。
  
  灰色の、なんにも映してないような瞳。
  やさしい微笑み。
  涙に霞む視界の向こうに見えた泣き出しそうなリカの背中。
199 名前:雨と水割り 投稿日:2004/06/11(金) 23:57

 零れたため息。
 雨は相変わらず乱暴に窓を叩いている。
「リカちゃん」
「ん?」
「まだ…気にしてる?」
「…」
 うつむいてわずかに顔を背けるリカ。
「そっか…」
「……」
「ねぇ、リカちゃん」
 リカが顔を上げると、ミキはとん…と、Tシャツに隠れたリカの胸の上に手を置いた。
「ここだから」
 ミキの手のひらに伝わるたしかな鼓動の音。
「ここが…ミキの居場所だから」

 両親はもう雲の上。
 他愛もない理由。要するにそれは気に入らないっていう、たったそれだけのこと。
 そのせいでどこの誰ともつかぬ輩に大勢の人たちが吹っ飛ばされた。
 たとえ血の繋がらない親子だったとしても、かけがえのない存在。

「たしかに傷ついたけど……」
 きゅっとシャツを握り締める。
「ミキは……よかったと…思ってる」

 この先、あの時のように泣くことはあるのだろうか?
 これから先、あの日のように怒りをぶつけることはあるんだろうか? 
 
 たった一言で解き放たれた怒りと悲しみ。
 
 そっと、リカは胸に置かれた握り拳を包み込んだ。
 その手を繋いで、ミキはリカの胸に頭を預けた。
「…そばに…いさせて」
 消え入るような呟き。
 リカは慈しむように胸に置かれたミキの頭を抱き寄せて頬を寄せた。
「そばに…いてくれるんでしょ?」
 コクリとうなずいた。
 ただでさえ小柄な体が藍色の部屋の中ではよりいっそう小さく見えて、ぴったりとくっついた身体はずっと頼りなく思えた。
200 名前:雨と水割り 投稿日:2004/06/11(金) 23:57

 月日はいつか、こんな風に思っていたことを笑い話に変えてしまうのだろうか。

  仲間がいて、戦って、傷ついて、誰かを殺めて、誰かを守って…。
  そして失って、なにがまともか見失いかけて、それでも戦って、なのに誰も守れなくて…。
  大切な人達はあっけなく消え去った。
  残ったのは悲しみと、やり場のない怒り。
  無力だと知った。 
 
  何で戦うの?
  そこに意味はあるの?
  それだけのチカラが私にはあるの?
  守るものは何?
  敵は誰?

  なぜ、ここにいるの?

 月日はいつか、こんなキモチも遠い彼方の青い空の中へと消してしまうのだろうか。

 戦場はいつだって青空で、平穏だったあの日々も空は青かった。

 悲しい思い出もこんな雨に流されて消してしまえるのなら、どんなに楽に生きて行けることだろう。
 だけどそれが正しいとは、誰も言わない。
201 名前:雨と水割り 投稿日:2004/06/11(金) 23:57

 ザァ…。
 
 トン、トトン。
 
 雨の止む気配はない。
 明日も一日中雨だろう。…たぶん。
「もう…泣いて…いいんだよ」
 やわらかいぬくもりに包まれて、ふわりと囁いた言葉はミキの瞳に涙を溢れさせるには充分だった。
 そっとミキの手から消えかかった氷の浮かぶグラスを取り上げる。
「…っ…くっ……ぅ…」
 ぎゅうっとリカの胸に顔をうずめて小刻みに震えるミキの肩。零れ落ちた嗚咽。
 薄まって少しぬるくなった水割りを一気にのどに流し込むと、リカはグラスを窓辺においてゆっくりとミキの背中をさすった。
「悲しい時は……泣いたほうがいいんだよ…」

 トン、トトン。
 トン、トトン。

 雨は止まない。
202 名前:雨と水割り 投稿日:2004/06/11(金) 23:58

   *

 空が白む頃には、雨の勢いは少しだけやわらかくなっていた。

 それでも空一面にはライトグレーの雲。
 雨は小気味よく路面を叩き、水溜りに幾重もの波紋を描いている。

 赤いミニが小さな喫茶店の前に止まった。
「いいの?」
「うん」
 少しだけ晴れた目元で、ミキはいつものように明るく笑って見せた。
 それが強がりなのか、そうじゃないのか。
 不安げに見つめて、リカはやれやれとため息をついた。
「ホントに? 平気?」
「平気だってば」
「うーん…」
「それにね、今日みたいな雨の日じゃなくって…晴れた日がいいんだ」
「…」
「だから、ほら! 次にミキとリカちゃんが一緒の休みの日」
「あぁ。明後日?」
「うん。新聞見たら晴れそうじゃん。だからその日に…ね」
 まっすぐに見つめる瞳は穏やかで、向けられた笑顔に無駄な力はなかった。
 いつもの彼女がそこにいて、リカはいくつか小さくうなずいた。
「わかった。じゃあ、明後日は早起きしないとね」
「うん」
 ミキはカバンを肩にかけると、シートベルトを外した。
「じゃあ、行ってくるね」
「うん」
 それとなく互いの顔が近づいて、重なる唇。
「頑張ってね」
「ありがと」
「終わる頃になったら迎えに行くよ」
「うん。じゃあ…」
 と、言いかけて、ミキは思い出したように言った。 
「ねえ、コーヒー飲んでいきなよ」
「えぇ? あー。でも…悪くない?」
「何で? 何気ぃ使ってんのよ。常連のくせに。あっ。それともミキ様のコーヒーが飲めないとか?」
 ミキがクスクスッと笑って、ぬっと顔を近づける。
 ちらりと横目ミキを見ると、その唇にキスをして、リカはギアから手を離してキー回した。  
 低く唸っていたエンジン音が止み、震えていたミニがぴたりと動きを止めた。
203 名前:雨と水割り 投稿日:2004/06/11(金) 23:58
 
 カランカラン。
 喫茶店のドアのベルが軽やかに鳴り響く。
 漂ってくる香ばしいコーヒーの香り。

 通りの向こうに見えたアジサイの鮮やかな青紫。
 雨に弾かれて揺れる大きな葉。
 
 朝の雨の中をすずめたちがいずこへと飛んでいく。
 西の方から感じるの太陽の光の面影は、この雨がもういくらも続かないことを予感させていた。
204 名前:雨と水割り 投稿日:2004/06/11(金) 23:59

    「雨と水割り」     END
205 名前:さすらいゴガール 投稿日:2004/06/12(土) 00:00
時間かかっちゃった。
ちょっとわかりにくい話しかと思いますけど、
次の更新の時にはわかると思います。
206 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/13(日) 11:22
お疲れ様です。いつもチェックしてます。
作者さんのペースでのんびり頑張って下さい。
207 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/17(木) 22:46
綺麗な文でせつない描写がほんとに好きです。
透明だけどどこか暖かい感じもするし・・・
更新期待してます 頑張ってください。
208 名前:トーマ 投稿日:2004/06/18(金) 14:19
遅レスですけど、「シャンプー」の飯田さんとの感じイイですね。
彼女って、その存在自体が大人すぎるんで、どーしても色っぽくなりすぎると言うか・・
それを上手く綺麗にまとめてて・・
今作は、次回作にその背景が明かされるわけですね・・・期待して待ってます。
209 名前:青と灰色 投稿日:2004/06/21(月) 20:27

 全開にしたウィンドウから入ってくる風が髪をかき回す。
 押さえるように頬杖をついて眺める向こうには青い青い空。流れる大きな雲。のんびりと息づいてるいつもどおりの町並み。

 カーステレオから流れるアップテンポのオールディーズ。

 なんとなく耳を傾けながら、赤いミニが信号を越えて小高い山道へと入っていく。
「どっかで休憩する?」
 リカがハンドルを操りながら尋ねる。
 ミキはちらりと目線だけを向けた。
「ううん。大丈夫」
「…うん」
「リカちゃん、疲れた?」
「ううん。あたしも大丈夫だよ。でも、ほら。もうお昼近いから…どうかなって思って」
「うん…」
 家を出てから3時間。
 目的の場所まではもう少し。あと1時間ほどかかる。
 その間、二人はただ無言で、リカは運転を、ミキは窓の向こうを眺めているだけだった。
 決してそこに深い意味なんてなく、ただなんとなく。本当にそれだけだった。
210 名前:青と灰色 投稿日:2004/06/21(月) 20:28

 対向車線に車が途切れ途切れの2車線道路。
 リカはミニを路肩に寄せて止めると、シートベルトを外した。
「何がいい?」
 カバンから財布を出すと、反対車線の路肩に佇む自販機を目で示す。

 そんなに種類のないどこか古びた自販機。
 ミキは自分のカバンから財布を出そうとした。
「いいよ。おごるから」
「…」
 珍しいと言いたげな目にリカは困ったように笑った。
「たまにはいいでしょ」
「たまにじゃなくてもいいけどね」
 ふふっといじわるくミキが笑って、だけどリカはちょっとほっとした気分になる。
「わかった。じゃなんかおもしろそうなのにするね」
 にっこりと微笑んで、すたすたと自販機に向かうリカ。
「ちょっと待って! リカちゃん!」
 ミキのちょっと慌てた声もまるっきり無視して、
「ねー! つぶつぶオレンジとおしるこどっちがいい?」
「ちょっ…おしるこって!」
 今夏じゃん。
 そんなココロのツッコミなど聞こえてるはずもなく、
「わかったー。おしるこねー」
「リカちゃん!?」
 思わず運転席の窓から身を乗り出すミキ。

 ガコン! ガコン!

「マジ…?」
 こんな時期にホットって…。
 自販機の見事な汚れ具合と疲れ具合に何か嫌なものを感じるミキ。
 リカは缶の底を確認すると、両手でしっかりと抱えて小走りで戻ってきた。
「おまたせ。ハイ」
「ハイ?」
 渡されたのは赤いデザインでおなじみのコーラの缶。
 へなっとミキはうなだれた。
「あれ。ホントにおしるこ買ってくるとか思ってた?」
「…いや…その…」
 すごすごと運転席の窓から離れて助手席にぺタリと座り込むと、リカもドアを開けて運転席に座った。
 リカの手にもコーラ。
 ぷしっと缶を開け、微妙に不機嫌な顔でコーラをのどに流し込むミキ。
 そんなミキがかわいくて、微笑みながらリカも缶を開けて一口。
 ホルダーに置くと、シートベルトを締めた。
「じゃ、行こっか」
「うん」
 降り注ぐ陽射しのように和んだ空気を連れて、ミニはまたゆるやかな山道を走り出した。
211 名前:青と灰色 投稿日:2004/06/21(月) 20:29

                  ■               ■

 窓の向こうには星空。
 月明かりもない食堂は窓から射し込むほんのわずかな明かりを頼りに、うっすらと影を落としてひっそりと静まり返っている。
 窓辺のテーブルの端に座り、リカは組んだ手の上に顎を乗せてぼんやりと星を浮かべる広やかな黒を眺めていた。

  『…列車が爆発しました。車両2つから爆発があり……』
   アナウンサーの緊張に強張った顔。
   後ろで慌しく走り回る局員とスタッフ。 
  『…なおも炎上中です。それでは現場から……』
   風に煽られた雨の中、横転した車体は黒い煙を上げ、ちらちらと見える赤い炎。
   現場を囲む救急車や消防車の中に軍の車両。
   
 ドアを開けると、リカがぼんやりと窓の向こうを眺めていた。
 ミキはゆっくりと気持を落ち着けるように息を吐き出した。

   午前10時52分頃の惨劇。
   被害の拡大をおとめ隊の面々はテーブルでただ眺めているだけだった。
  『救出作業は難航しており、死傷者は400人を超える模様です』
   運び出される人々。
   救助者たちの怒鳴り声。
   そこも戦場だった。

  『なお、警察と軍はこの列車爆発についてテロ事件として……』
212 名前:青と灰色 投稿日:2004/06/21(月) 20:31

「リカちゃん」
「あ…」
「いい? 隣」
「うん」
 イスを引き、リカの隣に座ると、ミキも同じように窓の向こうを眺める。
 去年ともおととしとも故郷で見た時とも変わらない夏の星座が並んだ星空。
 リカは水滴に濡れたグラスを手にすると、周りの闇と同じ色になっている液体をのどに流し込んだ。
 そんなリカにミキの視線が映る。
「飲む?」
「なに?」
 リカは答えずに、グラスをミキの前に置いて背もたれに深く体を預けた。
 グラスを手にしたミキののどがこくっと動く。
「…水割り…?」
「うん」
 氷はすでに溶けていた。
 リカは薄く微笑んでいるようだった。
 ウィスキーでもなんでもない、けれど何かのアルコールを割った水割りは少なくとも上手くはなかった。
「おいしくないでしょ」
「…あぁ…うん…」
 暗闇に目が慣れて、リカが穏やかに笑っているのがわかった。
 ミキの前にあるグラスを手にすると、リカは味気ない水割りをまたのどに流し込む。
「少しは…眠くなるかなって…思ったんだけど…」
 グラスの中を覗いて、どこか疲れたように笑うリカ。
 ミキもイスの背に体を預けて藍色に近いダークグレーの天井を見上げた。
「1年か…」
「早いね」
「うん…」
 正直なところ早いのか遅いのかよくわからない。けれど、思い返してみればやっぱり早い…そんな気がした。
 コトッとグラスの底がテーブルを鳴らす。
 静かな静かな食堂。
 重いため息の零れる音ですら、やけに耳についた。
213 名前:青と灰色 投稿日:2004/06/21(月) 20:32

   それは一本電話から始まった。
 
   すべての番組を押しのけて列車爆破事件を流すマスコミ。
   だけどベースキャンプの食堂はいつもどおりで、のんびりとした正午。
   けたたましく騒ぎ出した電話を取りに立ち上がったのはリカだった。
  
   そういえば、今日田舎から両親が出てくるんだよね。
   なんて話した今朝。

   まだ連絡は来ない。 

   ミキはふと、強烈に嫌な予感がした。
   こっちに来るのに爆破された列車が通る路線を使う…。
  『ハイ。第8前線基地第7兵舎です。……シバちゃん?』
   電話は情報機関に所属するアユミらしい。
  『…ぇっ…! ……うん…』
   戸惑う声。リカの顔が曇った。
  『カオたん』
   険しいリカの表情にカオリはすぐに立ち上がって駆け寄ると電話を変わる。
   リカは食堂から事務室へと繋がるドアを開けて慌てて中に入っていく。
   電話を受けるカオリの真剣な顔。
  
   ミキの中に嫌な緊張感が増していく。
  
   すぐに事務室から飛び出したリカとカオリが頷き合う。
   リカはきゅっと唇を結んでそのまま食堂を駆け出て行った。
  『ミキ』
  『はい』
   厳しい表情のままのカオリに呼ばれて電話を変わる。
  『ミキちゃん!?』
   電話の向こうのアユミの緊張して上ずった声。
   すべては確信に変わった。
 
  『…ご両親、今…軍付属の病院に運ばれたらしいの』
214 名前:青と灰色 投稿日:2004/06/21(月) 20:32

 グラスをテーブルに戻し、リカは窓の向こうを見て呟いた。
「今年は晴れるね」
「うん…」
 地平線のぎりぎりまで星に埋め尽くされた空。
    
   外にでると入り口にジープをつけてリカが待っていた。
   飛び乗ると、カオリが『気をつけて』と言い終える前にリカはアクセルを踏み込んだ。
  
   ヴン!

   足元の水溜りを高く跳ね上げてジープが飛び出していく。
  
「怖かったよ。今思えばさ」  
 思い出してミキから零れる苦笑い。 

   カーキ色の塊が風と雨を蹴散らして時速100キロで飛んでいく。
   唸りを上げて突き進むその様は運転手共々鬼気迫るものだった。
   無言の車内。
   それがかれこれ3時間半。

「正直言って生きた心地しなかったよ。ありがたかったけど」
「ねぇ。自分でもすごいと思った。よく事故んなかったなぁって」
 リカもくすくすと笑う。
 ミキは思わずパシと腕を叩いた。
「ちょっと! なにそれー!」
「え。だってホントにそうじゃん」
「そうだけどさぁ」
 静かな食堂に響く笑い声。
 壁を跳ね返って届いた残響に気づいて、顔を見合わせて「しーっ」と人差し指を唇に当てた。
215 名前:青と灰色 投稿日:2004/06/21(月) 20:33

 再び静寂が訪れる食堂。
 リカの前に置かれたグラスを手にして、ミキが水割りを胃へと流し込む。
「夕方だったっけ? 着いたの」
「うん…」
 暗がりの中の静かな笑みを浮かべるリカに重い影が落ちる。
 ミキは真正面の暗闇を見つめていた。
 
   廊下まで響いている泣き声。
   なだめる声も嗚咽に詰まっていて言葉になっていなかった。
   忙しなく行き交う医師と看護士。
   途中で見た溢れかえる負傷者。 
   軍服やら迷彩やらとすれ違う軍関係者。
  
   ここは戦場なのかと思い知らされる。

   行き先としてミキに告げられたのは、院内でもっとも広い霊安室。

 はっと、天井を仰いで息を吐き出してみた。なにが見えるわけでもないのに。
「…。どうしてって…」
「…」
「霊安室って言われた途端に足、震えちゃってさ。でも、ウソだって…。ウソって…」
 掠れた声。
「ミキちゃん…」
 そっと力なく膝に乗っけられた手を取ろうとして、それは軽く手で制された。
「ふふ。大丈夫。大丈夫だから」   
 微かな外からの光に浮かんだミキは笑っていた…ように見えた。         
「なに? 泣いてると思った?」
「…」
「大丈夫。大丈夫だよ」
 その言葉を笑顔で一つ繰り返す毎にずきっとリカの胸がえぐられるように痛む。許されるなら、目を閉じて、耳をふさいでいたかった。
 うつむくリカ。
 ミキはそっと力なく下がっているリカの手を取って、しっかりと繋いだ。
「ミキちゃん…?」
「うん…」
 絡めた指先に力が込められて、リカの指先に生まれた鈍い痛み。
「リカちゃん」
「ん?」
「うん…」
216 名前:青と灰色 投稿日:2004/06/21(月) 20:33

   霊安室の扉は開け放たれたままだった。

   等間隔に並べられた遺体。
   物言わぬ妻の姿に崩れ落ちる初老の男性。
   挨拶もなしに旅立った恋人にすがって泣き喚く女性。
   友人の変わり果てた姿に必死に堪えて目を抑える青年。
   母親を泣きながらなだめる若者。
   目覚めぬ息子を前に狂ったように怒り、低い天井に向かって叫ぶ父親。
   震える手で別れの化粧を自ら娘に施す母親。

   穏やかな表情はひとつもない。
   あるというのなら、ただそう見えるだけ。

   苦悶にゆがむ顔。
   爛れたり、潰れて表情すらわからない者。
  
   穏やかな顔など、ここにはひとつもない。

   1歩、なんとか踏み出して中に入る。
   まだ何の現実感も沸かない。
   吐き気を伴う緊張感に鼓動を早められながら、悲しみの原と踏み入る。 

  『フジモト』
   呼ばれた方を見ると、制服姿のユウコがバインダーを片手に足早に向かってくる。
   ミキにはその表情は悲しみと怒りに満ちたこの空間で異様なほど冷静に見えた。
  『こっちや』
   ユウコの表情に努めて事務的に…そんな気配をリカは感じ取っていた。
   リカは支えるわけではなく、けど寄り添うように後をついていく。
   縫うようにまっすぐに歩いていくユウコの、この空気の中で気丈に動く背中が小さく感じる。
217 名前:青と灰色 投稿日:2004/06/21(月) 20:34

  『ミキたん!』
 
   この空間に合わない高い声も、切羽詰っていて痛々しかった。
   2つの簡易寝台のそばにアヤがいた。
   ユウコはその寝台の間に立ち止まって、丁寧に頭を下げた。
 
   壁のそばに少し間隔を置いて並んだ二つの遺体。
   真っ白のシーツに上半身を覆われて、父と母はミキの前にある。
   真っ白な顔。
   呼吸で上下する気配のない胸。 
   なのに、声をかけたら飛び起きて、
  『どうしたのぉ。そんな顔してぇ』
  『バカ。ほらっ。笑った笑った!』
   そんなことを言って小突いてくるような気がした。
  『……うそ…』
   体が言うことを聞いてくれない。
   なんとか手を伸ばしてようやく触れた母親の頬は、すべてを凍りつかせるほど冷たかった。
  
   その冷たさが、現実だと突きつける。

   アヤの泣き出しそうな目。
   ユウコは小さくため息をついた。
  『車両が横転した際に受けた圧迫での内臓破裂と一酸化炭素中毒やそうや』
   淡々とした声だった。
 
   目の前が回った。
   ふらりと崩れそうになったところを後ろからリカに支えられ、ミキはぐっと拳を握った。
218 名前:青と灰色 投稿日:2004/06/21(月) 20:34
  
「痛かった……よね」
 やわらかいミキの声。
 リカは首を振った。    
「…そんなことない」

   ミキは唇を噛み締めて、顔を上げた。
  『そうです』
   崩れそうになる自分を叩きあげた。

  『軍人になるからには、泣くなよ』
   母親はずっと大反対で、家を出る前日、父親にそう言われたことを思い出した。

   ユウコがじっとまっすぐに自分を見るミキの瞳を見つめ返す。
  『わかりました。では、ここにサインを』
   ユウコがバインダーを手渡す。
   バインダーを受け取ってサインをしようとボールペン握った手が震えた。
  『ミキたん…』
   きっと気づいていない。
   手元だけじゃなく全身が震えていた。
   噛み切りそうなほど強く唇を噛んで自分を保とうとしている姿がとてつもなく痛い。
  『すいません』
  『…』
   受け取ったバインダーの用紙に書かれたサインは素直に慟哭していた。
   無表情だったユウコの顔に切なさが少しだけ滲み出す。
   固く固く握り締めたミキの拳から血が流れた。
  
   立ち尽くして、しかし、体を震わせて、ミキが向かい合っている何か。
   それは怒りなのか、悲しみなのか、戸惑いなのか、絶望なのか。
   見ていられなかった。
   どうしていいのかわからなかった。
   アヤは、ただその姿を目を逸らさずに見つめるだけだった。

   悲しみは木霊して、嗚咽と名前を呼ぶ声が響き渡る。

   精一杯踏みとどまろうとする背中がリカにはせつなく映った。
   ユウコを見ると、同じような瞳をしていた。

   アヤはそんな二人に気がついた。
   灰色の瞳。  
   無表情と冷静さを装ってすべての感情を失ったような暗い灰色。
   けれど、その向こうに押し込められたものに、アヤは触れた気がした。
   リカが何かを言おうと口を開き、ユウコが力強くうなずいた。
219 名前:青と灰色 投稿日:2004/06/21(月) 20:35

   そして、リカは紡ぎかけた言葉を、呟くように口にした。

  『…いいな』

   パアンッ!  
 
   甲高い残響。
   リカの顔が激しく左にぶれた。
  『なによおっ! 今のっ!』
 
   ダンッ!
  
   大きく振り払った右手でリカの胸元を掴んで壁に背中を叩きつける。
  『いいなって…なんなのよっ!』
   
   ダンッ! ドンッ! 

   激しく何度も何度も襟元を掴んで壁にリカの背中を叩きつける。
   リカはされるまま、ただじっとミキを見つめていた。
  『ミッ…ミキたんっ!』
   怒って当然のことだ。しかし、このままではいけない。
   止めようと動き出そうとしたところを、
  『マツーラッ』
   ぐっとユウコに肩を掴まれた。
   低い声。爪が制服越しにぐっと肩に食い込んでくる。
  『えぇねん…』
  『…ナカザー…さん…?』
   その表情はまるで自分が殴られているかのようにアヤには思えた。

  『なによおっ! 今のっ…今っ…のっ…ことっ……っ…ぐっ』
  
   泣いていた。
   
  『ぐっ…。なんっ…でっ…』

   リカの肩を強く壁に押し付けて、噛み殺した嗚咽を零してうなだれるミキ。
   リカは頼りないミキの体ぐっと抱き寄せると、アヤに微笑みかけた。
   すっとユウコの手がアヤから離れる。
   リカはアヤに押し付けるようにミキの体を抱かせた。
  『リカちゃん!?』
  『うん』
   ポンとアヤの肩を叩いて、リカはくるりと背中を向けた。
   ぎゅっとアヤにすがってずるずると座り込むミキ。 
  『ぅぁぁっ…。くっ…うっ…ぁぁぁ…』
   その体と、声と涙を…吐き出された全部を全身で受け止めて包んであげる。
   それが今の自分がしてあげられることだとアヤは思った。

  『うあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!』
 
   一度吐き出した感情は、どんなに堪えても止まらない。
220 名前:青と灰色 投稿日:2004/06/21(月) 20:36

 あの日の、あの感触、あのキモチ、一日だって胸の中から消えることはない。
 リカはもう一度首を横に振った。
「痛く…なかったよ」
「ウソ」
「ウソじゃない。痛くないよ」
 リカは笑っていた。

 傷つけることだとわかっていた。 
 それでも言った。
 止めなかった。
 そうするべきだと思った。
 そんな自分に、あの痛みが痛いと言えるのだろうか?
 痛いのは、心。
 でも、その痛みすら、痛いと思ってはいけないと…そう思っている。

「いいんだよ。ミキちゃん」
 繋いでいた手を離した。

   『泣きたい時は…泣いたほうがえぇねん』

 ミキはその手を捕まえて、もう一度しっかりと繋ぎ直した。
「いいんだよ…」

 痛かった。
 溢れ出る感情をすべて吐き出した。
 怒りも、悲しみも、なにもかも。

 泣くだけ泣いて、後に残ったのは、それでも生きていくんだという現実。

「いいんだ…」
 
 突然の別れ。
 どこまでいってもそれは単なる暴力。
 
 痛みは消えることはないだろう。
 でも、和らげることはできる。
 形や種類は違っても、こうして痛みを抱えて、それでも前を向いてあがく人が…ほら、隣に。
221 名前:青と灰色 投稿日:2004/06/21(月) 20:36

「リカちゃん」
「なに?」
「…うん」
    
   帰る途中、階段を下りながらアヤは言った。
  『ちょっとだけ…リカちゃんがうらやましかった』
   どうしてと尋ねたら、
  『だってさ、ミキたん…泣けたじゃん』
   ってふわっと笑った。
  『思いっきり、わーって』
   悔しかったと呟いて、
  『言った言葉はたしかにひどいけど、あんまり怒んないであげて』
   そう言ったアヤの表情は少しだけさびしそうに見えた。

 まだ半分ほど残っている水割りをミキは一気に飲み干した。
 はっ…と息を吐く。

  『その言葉の意味……あたし、なんとなくわかるんだ』
 
 繋いだ手のやわらかい感触が生み出すあたたかさ。
 ミキはリカの頬に手を添えた。
 
 唇が重なる。

   重苦しいジープの中で場違いにアップテンポのオールディーズ。
   激しい雨の中、無言の3時間。  

   基地に着いてから、リカはどこかへいったきり兵舎には戻って来なかった。
  『リカちゃん、あの頃に…戻っちゃった』   
   暗闇に消えていく後姿にノゾミが呟いた。カオリも目を伏せてうなずく。

   あちこちに転がり、重なる、真っ黒に焦げた単なる墨の塊。

   空襲を受けた港町の復旧と遺体処理。
   ノゾミは最初の任務を終えたあの頃の姿を今のリカに見ていた。
222 名前:青と灰色 投稿日:2004/06/21(月) 20:37

 親指でそっと触れてみたリカの唇はかすかに震えていた。
「…ミキちゃん?」
「うん…」
 不安そうに自分を見つめるリカ。

   次の日の午後。
   相棒の中でただ遠くを眺めていたリカを見つけた。
   そしてミキは淡々と語るリカの口から、言葉の意味を悟った。

  『比べたって意味無いよ』
   
   笑っていた。
   
 最期を見るどころか、その姿もわからないまま失ったリカ。  
 最期を見ることはできなかったが、その姿を見ることはできたミキ。

 果たして、どちらがマシなのだろう。

「すきだよ」
「…」
 目を伏せて顔を背けるから、ミキは微笑みかけて頬に口付けた。
  
 いつか、この痛みだって消える日が来るかもしれない。
 今は泣けないけど、今は泣かないけど、いつの日か…。

 もう一つ夜を越えれば、鉛玉の飛び交う戦場にいる二人。
 なにもかもを赦してくれそうな伸びやかな空。
 もう…いいかなぁっていう気持ちを振り払って銃を握る。

「ミキさぁ…おとめ隊でよかったよ」
 
 ここには、仲間がいる。
 それぞれに痛みを持ち、それでも前を向こうとする仲間が…。

「うん…」

 眠れない夜。
 どちらが言い出したわけでもなく、一つのベッドで抱き合って、気がつけば夢の中…。
 短い夏の夜も、まだ空の白む気配はなかった。
223 名前:青と灰色 投稿日:2004/06/21(月) 20:38

                   ■                ■

 白い御影石が緑の芝によく生えていた。
 きらきらと眩しい夏の光を受けて、遠くには水平線と輝く海が見える。
 祈りを捧げるミキの背中を眺めていたリカも傍らにひざまずくと、目を閉じて祈りを捧げた。
 
 頬を射す陽射しと芝を揺らす暖かい風。

 目を開けると真っ白な光が眩しくて少しだけ痛かった。
 静かな墓地によく通るとんびの声。
「ミキちゃん」
「ん?」
「…よかったの?」
「そんなに不安?」
 逆に聞き返されて、リカは困ったように笑った。
 ふふ…とミキも笑顔を見せる。
「いいんだよ。これで」
「…」
「言ったじゃん」
 そばにいたいって…。
「聞いたよね?」
 そばにいてくれる…って。
 リカがコクリとうなずく。
「だから、いいんだよ」
 姉は自分のところに来たらどうかと言った。   
 ミキは首を横に振った。
 結婚した姉には愛する人との生活がある。
 まして自分と姉とには血のつながりが無い。その言葉だけで充分だった。

 そしてなにより、自分にはそばにいて愛しいと思う人がいる。

「ミキの居場所は、どこだっけ?」
 ニコッと笑ったミキの笑顔が夏の太陽よりも眩しく感じる。
 リカはトンと自分の胸に手を置いた。  
「ここ」
「そっ。正解。リカちゃんの居場所は、ここだから」
 ミキはリカの手を取ると自分の胸の上に置いた。
 そして、二つの名前が刻まれた白い御影石に向って言った。
「お父さん。お母さん。そういうことだから。ミキは、大丈夫だよ」
 たぶん、ありきたりなんだろうな。こんなセリフ。
 ミキはちょっとくすぐったかった。
 リカはそんなミキの手に指を絡めて、
「お父さん。お母さん。そういうことなので、よろしくお願いします」
 深く頭を下げた。
 白い御影石は青い空の中、なんにも答えはしないけど光を受けて静かに微笑んでいた。
224 名前:青と灰色 投稿日:2004/06/21(月) 20:38

   *

 帰りは遠回りして海岸線を通っていこう。
 真っ青な空と海を背景に赤いミニが走る。
 途中で買ったサンドウィッチの箱を開けると、ミキはハムサンドを銜えて、
「リカひゃん。あーん」
 タマゴサンドをリカの口元に運ぶ。
「うん。あーん」
「ん。はひ」
「うん」
 はむっと目線だけ前に向けたままタマゴサンドを銜えると、左手をハンドルから離して中身がちょっと落ちそうなタマゴサンドを手にした。
「おいひ」
「うん」
 ミキがぷしっとノンアルコールビールの缶を開けて、大きくぐびっと一口。
「はーっ! いいねぇ。サイコー!」
「ふふっ。ミキちゃん、おっさんだよ。それじゃ」
「いいの。いる?」
「うーん…飲みたいけどなぁ」
 飲んだら乗るな。乗るなら飲むな。これは基本。そのおかげで何度真夜中にケイとユウコに呼び出されたことか…。   
「やめとく。安全第一。帰ったらさ、ちゃんとアルコール飲もうよ」
「わかった。じゃ、これ」
 プルトップを引き上げてジンジャーエールを手渡す。
「まっ。気分は…だね」
「ふふっ。そうだね」
 手に残ってるタマゴサンドを一気に口に押し込んで、ジンジャーエールで流し込んだ。
「っはーっ! サイコー!」
「ほらぁ。リカちゃんだって」
 はははってミキが声を上げて笑う。
 ふっと目が合って、リカとミキは手にした缶を掲げた。
「乾杯!」
「乾杯!」
 なーんてね…って。
 笑い声に混じってコツンとぶつかり合った缶。

 カーステレオから流れるきらめく夏の午後によく合ったキャチーなメロディー。
 ふと感じる潮の香り。
 眩しい夏の午後。
 開け放たれたウィンドウの向こうの空と海は、どこまでも青く鮮やかに輝いていた。
225 名前:青と灰色 投稿日:2004/06/21(月) 20:39

    「青と灰色」             END
226 名前:さすらいゴガール 投稿日:2004/06/21(月) 20:51
 時間かかっちゃった。

 やっぱり平和が一番なのです。
 書きながらいろいろ考えてしまったけど、そう思った。

>>206 名無し飼育さん様
  ありがとうございます。
  のんびりとだけど、のんびり過ぎず更新していきたいと思ってます。
  
>>207 名無し飼育さん様
  ありがとうございます。
  自分ではそれほど意識していないのですが、そう言っていただけるとうれしいです。
  ちょっと照れくさいかな。
  ただ、厳しい世界が背景ですから、せめてどこかでやさしくありたいと、
  そんな風に思って書いてます。

>>208 トーマ様
  ありがとうございます。
  イイダサンって、オトナですが、でもなんか乙女で。
  そんな風に思って書いてます。ようするにキレイなのにカワイイのかなと。
  それが上手く出せてたのかな…と。
  そうなるように書いてますが、今回の更新で、
  前回に見えなかったた部分が見えてくれればと思っています。
  
227 名前:名無し飼育さん 投稿日:2004/06/24(木) 18:46
更新お疲れ様です。
最初から一気に読ませていただきました。
皆さんが感想に書かれていますが、とても素敵な文章ですね。
情景が思い浮かぶというか・・・話しの世界に引き込まれます。
これからも楽しみにしていますのでマイペースに頑張ってください。
228 名前:メロディー 投稿日:2004/06/28(月) 02:30

 初めての口付けはなんとなく。
 見つめあって、近づいて、重なった唇。      
 深い意味なんて考えなくって、触れ合うだけのやわらかい口付け。
  
 あの事件から2週間後に逮捕された犯人達の裁判開始を伝えるニュースがカーステレオから流れて、リカはスイッチを押して黙らせた。

 そしてすぐに訪れた2回目のキスは深く繋がって、今思えば拙いキスだったけどカラダが壊れそうなほど熱くなった。

 抱き合う腕。
 燃え上がるココロで熱を帯びた吐息。
 指先に触れた焼け付いた肌。
 
 今でもはっきりと覚えている、あの暑い夏の日。
 静かな夜。
229 名前:メロディー 投稿日:2004/06/28(月) 02:31

 ……。
 …。 

 相棒のフロントガラスの端に見える満月。
 ウィンドウを少しだけ開けた車内はどこか蒸し暑い。
 それでもリカはでかいハンドルに上半身を預けたまま暗闇を見つめている。
 隣にはシートを倒してブーツを脱いだ足をダッシュボードに乗せて寝転がるミキ。ふらふらと白い棒が揺れて、ぼんやりとした瞳の先にあるのは真っ黄色な満月。

 この月が反対側の地平線に沈んだら、その2時間後には断末魔の声が響く戦場。
 
 相棒の中で眠くなるまでぼんやりと過ごすリカ。
 そのリカの隣、助手席で同じように暗闇を見つめるミキ。
 いつもと変わらない、出撃前夜のひと時。
230 名前:メロディー 投稿日:2004/06/28(月) 02:32

 兵舎の方から聞こえてくるブルースハープ。
「ロックだね」
「うん…。ロックだね」
 ノゾミが決まって吹くのは比較的にぎやかな曲ばかりで、悲しいナンバーだったことはケイが空に帰ってしまった時だけだった。

 ノスタルジックな、だけど肩の力の抜けたミディアムテンポなメロディー。
 
 這って月まで行って鳥と共に見る孤独な景色。
 空はやっぱり、そこでも青いのだろうか?

 ヤスダさん? わかります?

 なんとなく口ずさんで、ミキはダッシュボードから足を下ろすと体を起こした。
 リカの肩に置かれたミキの手。
 振り返ると、リカはミキを抱き寄せた。
 
 孤独を連れて飛ぶ空は、きっと果てしなく広いだろう。
231 名前:メロディー 投稿日:2004/06/28(月) 02:33

 抱きしめる腕に力がこもって、ミキの細い首筋に噛み付くように吸い付いて少しずつ駆け上る。
「んっ…」
 銜えていた白い棒が口の端からほろりと零れた。
 抱え込むようにリカの頭を抱くミキの顔が低い運転席の天井を仰ぎ、すんなりとした首がさらけ出る。
 リカはやわらかく噛み付きながら唇までたどり着いたところで、ふっと抱きしめていた腕の力を緩めてコツンと額を合わせた。
「……リカちゃん?」
 はっ…と熱を帯びた吐息。じれて焦がれた唇。
 ミキは頬を押さえて自分から迎えに行った。
 深く繋がろうとするミキから逃げるように下唇を何度か食むと、リカはそっと体ごと離れた。
「…リカちゃん?」
「うん…」
 答えになっていない返事が一つ。リカはポスッと運転席のシートに体を沈めた。
 納得できない態度。体の中にくすぶった熱を抱えて覆いかぶさると、ミキは運転席のシートを倒してリカの顔の真横に両手を突いた。
「ゴメン…」
「何が?」
 自然と口調が厳しくなる。
 リカは困ったように眉を下げて笑った。
「そうだよね」
 そっとミキの肩に手を置いて体を起こすと、お気に入りのぬいぐるみを抱くように細いミキの体に腕を巻きつけてぎゅうと力を込めた。
「ねぇ…。ドライブ行かない?」
「…ぇ?」
 急に何を言い出すの? 
 戸惑いに目を見開くミキの唇をやんわりと塞いで、リカはふふっと微笑んでいた。
「ね? ミキちゃん」

 星空の海を渡る鳥達の群れがまあるい満月の中を通り過ぎていく。
 蒸し暑い夏の夜。
 静かな基地内に響き渡るブルースハープの音はさびしげだった。
232 名前:メロディー 投稿日:2004/06/28(月) 02:34

   *

 いつもは深い深い闇の中。
 顔を上げて少しだけ目線を上げれば満月。
 空を染めて、ヴンと唸るバイクの二人の照らして、真っ白い光が夜を貫く。
  
 ヴゥゥゥゥゥゥゥン…。

 ゴーグルをして細いライトが照らす闇に眼を凝らすリカの髪が風になびく。
 ぎゅっとリカの細い腰にしがみついて、背中に顔をくっつけて体を預けるミキの髪も時速80キロの風に揺れていた。

 真夜中のささやかなタンデムデート。
 律儀に外出許可を取って相棒の前でミキを待たせていたリカはサヘイジと一緒に戻ってきた。車かと思っていたミキもさすがに面食らったようで、リカはくすっと笑った。   
 そしてフルフェイスのヘルメットを見せた。
『いる?』
『いい。いらない』
 ヘルメットを断ったら、
『あー。なんか…ケメちゃんが夢に出てきそう…』
『んなわけないって』
『でも、あーみえてけっこーうるさかったから』
『あぁ…。そう言えば、よくリカちゃん叩き起こされてたもんね』 
『そーだよー』
『でも、そのわりにはスピード狂でシートベルト嫌いだったよね』
 って笑って、まっいっかって結論で片付ける。
 風を受けたい気分だったのは二人とも同じ。
 理由が同じだとは限らないけど、リカの背中にひっついてぼんやりとミキは流れる藍色に輝く草原を眺めていた。

 這って月まで行って鳥と共に見る孤独な景色。
 孤独を連れて飛ぶ空の色。

 ミキがなんとなくさっき聞いたブルースハープのメロディーを口ずさむ。

 孤独連れて飛ぶ鳥と眺める景色は、こんななのかなぁ?

 抱きしめた華奢な背中。
 全身で受け止めて伝わるぬくもりは風に流されず、じとっと汗ばんでシャツに染み込む。
 天の川と一緒に走っているような錯覚に陥って、月が無邪気微笑みながらおいでおいでと手招きして逃げていく。
233 名前:メロディー 投稿日:2004/06/28(月) 02:35

 見えてきた河の流れの上にもう一つ月の姿。
 リカはゆっくりとスピードを落とすとバイクを止めた。

 真夜中の河がゆらゆらと月を浮かべてゆったりと流れている。
 岸辺まで行かなければ聞こえないであろう穏やかな流れは、月の光に支配された空の代わりにすべての音を飲み込んでいるように思えた。
 短い草が月明かりの中、蒼く浮かび上がる短い草の茂った土手を少しだけ降りて二人は腰を下ろすと、しばらく黙って河を眺めていた。
 藍色の世界。
 満月が作り出す淡く眩しい光の空間は、穏やかでやさしいようでいて、なのになぜか落ち着かない不思議な世界。
 月に照らされてミッドナイトブルーの二人の影。
234 名前:メロディー 投稿日:2004/06/28(月) 02:36
 トンとリカがミキの右肩に頭を乗せた。
「どうしたの?」
「うん。思い出しちゃった…」
「何を?」
 ミキが少しだけ顔を向けると、リカは見上げて薄くさびしげに微笑んだ。
「最初のキス」
「…」
 今思い出しても、何でキスをしたのか、そうなったのかよくわからない。
 ただ、あの日…自らの過去を話したその日から、相棒にこもるたびにいつの間にか気がついたらミキは隣に座っていて、時に無言で、時になんとなくそれまでを語りながら過ぎていった時間。
 どちらからしたのかもよく覚えていない、不思議なキス。
 二人には本当になんとなく自然だった。
「あたし…」
「…なに?」
「怖かった…」
「…」
 空を渡る風がふわりと前髪をなで上げる。
「……今も…」    
 小さな呟きは届いていて、だけどミキは何も言わなかった。
 肩を抱き寄せて、月夜の下で青白いリカの唇に押し付けるように自分のそれを重ねて押し倒す。
 短い草がザラと音を立てる。

 ミキの肩越しに見上げる満月は、覗きこんだリカの瞳の中でも揺れていた。
「怖い?」
「うん」
 掴んだ肩に指先が食い込む。
「何で?」
「だって…オオカミなんだもん」
 ふっ…と力が抜けて、肩に食い込んでいた指先でやさしくリカの頬を掴みこんだ。
「満月だからね」
 口付けを落としたら、リカの腕がミキの背中に絡みついた。
「このまま……」
 
 どこにも行かないで。

「……ずっと…」

 そばにいて?
 
「…ずっと…」       
  
 赦してくれなくて…いいから。 
  
「ミキちゃん…」
 見上げるはかなげな瞳。
 受け止めた力強いまなざし。
「リカ…」

 ここにいるよ。

「…大丈夫」

 そばにいるよ?

「ねぇ…」

 このまま…。

「このまま…」  
 重なる二人の影と唇。
   
 すき…。あなたが…すき。
235 名前:メロディー 投稿日:2004/06/28(月) 02:37

 夏の満月は地平線よりもそれとなく近いところをゆっくりと、真っ赤な星に先導させて渡っていく。
 たくし上げたスリープシャツの下から現れた素肌をじめっとしたぬるい風が撫でる。
 ドクドクと鳴るリカの心臓の真上に愛しむように落とした唇。
 零れ落ちた吐息。
 
   考えた。
   考えに考えた。  

   復讐するのはたやすい。
   まして自分は軍人だ。
   まんまと忍び込んだ犯人がどこの人間であれ、敵なのだ。感情移入は容易い。  
  
   だけど、死んだ人は帰ってこない。
   悲しい。悲しくて、悲しいから、悔しくて、苦しくて…。
   苛立ち。怒り。憎しみばかりが積みあがる。
   死んだ人は帰ってこない。
   そんなことは神様にだってできない。

 神様は残酷だ。
 万能なくせに、か弱いヒトの子からすべてを奪おうとする。
 なぜ? 貴方はニンゲンの父じゃないの?

 都合よく復讐の名義に使われて、貴方はそんなことを…望んでいるの?

   わからない。
 
   わからない。
236 名前:メロディー 投稿日:2004/06/28(月) 02:37

 リカの手がミキのスリープシャツを強く掴む。
 傷を癒すように焼け付いた肌を滑るミキの手に切なげに眉をひそめて、はっと小さく喘いで身をよじるリカの熱い吐息が耳を掠める。
 
   なぜ? どうして?
 
 身勝手なヒトの子は、血に塗れた父なる神を崇高なものへと書き換えて…。
 くるくると繰り返されて出来上がる怖いくらい鮮やかな赤いメビウスの輪。
 断ち切るハサミはどこにもない。

   そうなのかな?

   本部にいた頃のふとしたやりとりを思い出した。  
  『あんなぁ。コドモのケンカならええねん。つまらん事で張っ倒しても』
   そんなユウコの口調は冷め切ってて、
  『けどな。戦争となったら別や。顔張らてイチイチ張り返しとったらキリないねん』
   笑ってはいたけれど、ひどくさびしげで…。  
  『まぁ…それをせんでいられたら…何の苦労もないけどな』
   ポンと力なく肩を叩かれて、会議に行く後姿がえらく小さく見えた。   
  
   そうかもしれなしいし、そうでもないのかもしれないし。
   それが簡単にできるほど、人は簡単なイキモノじゃない。

  『血で血を洗ってもキレイにならないのにね』   
   そして冗談めかしておどけるように、
  『血生臭くなるだけでさ』
   と言った口調はへんに淡々として明るくて…。 
   ハンドルに体を預けて視線の先には青い空。
   乾いた笑顔は疲れていた。

   そばにいればわかると思った。
   何を見つめて、何を考えたら、あんな風にやわらかく笑えるのか。
   その瞳の向こうに押し込めた悲しみのわけを知りたかった。
237 名前:メロディー 投稿日:2004/06/28(月) 02:38
 
 腕の中で昇りつめたリカの体から力が抜ける。
 額に張り付いた髪を払って、汗をやさしく拭って、包むようにふわりと抱きしめてキスをしながらリカの呼吸を落ち着かせる。

   見ていたのは戦場。
   見つめていたのはそこに渦巻く何か。
   流されないように、流れないように。
   抱えた痛みが血を流しても、目を逸らさずにまっすぐに。

   炎の中に消えて、青い空の下で見つめ続ける世界。     
   そこはいつだってやさしくなくって、だからせめてやさしくありたいと願った。
   
「ミキ…」
 ふわりと重なる唇。
 確かめるようにそおっと頬に触れるリカの手。
 指先に口付けて、ミキは乱れたシャツを直して胸に頭を乗せると、まるでしがみつくように抱きしめた。

   傷つけて、傷ついて。
   少しずつ見えて、感じて、わかって…。
   距離が縮まるたびに“イトオシイ”という言葉では言い尽くせない感情。

   あなたを包むことで、このもどかしさから開放されるのかな…。
  
 そして、あの日の…あの静かな夜が訪れる。
238 名前:メロディー 投稿日:2004/06/28(月) 02:39

 ミキは隣にごろりと寝転んで手を繋いだ。
 並んで見上げる夜空は満月の光に満たされても、それでも星で埋め尽くされていて、降り注ぐ白い光に頬を撫でられているようで、なんだか不思議。
 微笑んでいる夜の女神。
 
 同期の仲間に手紙を書いた後、愛しい彼女からもらった手紙を何度何度も読み返しすマコト。
 ノゾミはたぶんまだ、窓を開けてブルースハープを奏でてるだろう。
 ベッドでシーツに包まって膝を抱えてろうそくの炎を見つめるカオリ。
 サユミは胸のロザリオを握り締めながら天に向かって黙していて…。
 レイナがそっとれいにゃを部屋に連れ込んで小さな体を抱きしめて必死に眠りにつこうと試みる。 
 
 静けさがひしひしと運んでくる緊張と不安。
 かちりと秒針が一つ動くたびに明日へと近づいて、秒針が一回りで4度進む空の星達が太陽を地平線から引き上げる。
 繋いだ手に力が入った。
「ねぇ。リカちゃん」
「ん?」
「なぜ?」
「何が?」
「だって、それだけじゃないでしょ。理由」
「理由?」
「そう。さっきの」
「さっきの…」
 リカは少し考えて、
「ヤスダさんなら…知ってるかなぁって思った」
 空を見上げたまま、独り言のように呟いた。
「孤独な世界の空の色…」
「…」
「ゴメンね。わけわかんないよね。何か…そう思った」
 そして、リカは数え切れない星の瞬く空に向かって、さっきの曲を口ずさむ。
 そのフレーズを口笛で吹いて、ミキは体を起こした。
「ねぇ、リカちゃん」
「ん?」
 眺めていた月から視線を移せば、そこには微笑むミキ。リカも体を起こした。
「なんかわかったよ」
 そう言って、ミキはリカの手に指を絡めた。
 繋がる手と手が伝えるぬくもりは、いつだって温かい。
 あなたが、自分が、ここにいることを教えてくれる。
「一人じゃないから」
239 名前:メロディー 投稿日:2004/06/28(月) 02:39

    *

「たまにはいいもんだね。こういうのも」
 サヘイジを駐車場に泊めて兵舎に戻る途中、そう言ってミキは笑った。

 兵舎に戻ったらまだノゾミはブルースハープを吹いていた。
 マコトの部屋に灯る明かり。たぶんまだ2年前の冬辺りを読んでいるだろう。カオリの部屋にもぼんやりと明かりが灯ってて、
「たぶん23本目だよね。今頃」
「っていうか、よくストックあるよね…」
 などと話しながら兵舎の玄関ドアをくぐった。

 階段を上がるとそこはいつもどおりに静かで、だけど耳を澄ますとゴロゴロと動いてベッドの軋む音がレイナの部屋から聞こえた。
 サユミの部屋からは物音1つ聞こえこない。
 祈りを邪魔しないように足音と声を潜めて部屋に向かう二人。
 階段寄りのミキの部屋の前を過ぎようとしたところで、リカは後ろからスリープシャツの裾を引っ張られて、ぱっと手を取られた。
「ミキちゃん?」
 振り向いたら、ふふーんってにっこりと笑顔のミキ。
 リカはそのまま手を引いた。

 パタン。

 リカの部屋のドアが閉まる。
 夜が明ける頃には、たぶん二人とも夢の中。
 
 満月がブルースハープの音色に耳を傾ける。
 満天の星空が明日は晴れることを教えてくれている。
 今はまだひたすら静かな夜の中。
 イヤんなるくらい短い夏の夜。
 時間だけが7人の周りをせっかちに流れていた。
240 名前:メロディー 投稿日:2004/06/28(月) 02:40

       「メロディー」        END
241 名前:さすらいゴガール 投稿日:2004/06/28(月) 02:53
 前回で終わりと思ったのですが、
 これでいしかーさんとフジモトさんの過去という形のお話は一区切り(?)ということで。
 事件後の二人の葛藤を織り交ぜてみました。
 
 結局のところ、人間ってフクザツだなぁ。

 >>227 名無し飼育さん様
  ありがとうございます。
  一気に読んでいただいて、でも大変だったんじゃないのでしょうか?
とてもうれしいです。
  素敵な文章と言っていただけてうれしいです。
  まだまだ拙いばかりですが、この世界の中に何かを見て感じてもらえたらと思っております。 
 
 
242 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/29(火) 00:08
独特な世界観が素晴らしい。自然と涙が出てきます。
透明で儚い中に、力強さと血生臭さが。
上手く表現できませんが、とても好きな作品です。

243 名前:怪人さんは泣き虫で 投稿日:2004/07/05(月) 02:29

 ターン!

 長い銃身から飛び出した一発の弾丸が青空に吸い込まれていく。
 微かに聞こえた悲鳴が銃声の中に融けて、リカはビルの裏口側の角に身を隠した。

 カシャン。

 ボルトハンドルを操作して飛び出した薬莢。もう一度操作してカートリッジの弾丸を装填すると、所々煙が立ち昇る大通りを見据えながらライフルを構えて息を潜めた。

 タラララララッ!
 タララララッ!
 
 サブマシンガンの銃口から小気味いい破裂音。
 リカの隠れる銀行が入っていたビルの前では、置き去られた白い乗用車の陰に隠れたミキとノゾミが大通りを挟んで撃ち合っている。
 
 ターン!
 
 リカのいる隣の建物の角からカオリがライフルの引き金を引いた。
「ぁ…!」
 タタタッという音の向こうで最期の声。真正面のビルの3階にいた兵士が窓から消えた。
 
 カシャン。

 カオリのライフルから薬きょうが飛び出す。
 リカはふっと息を止めて引き金を引いた。

 ターン!

 ズンと肩から広がる衝撃。
 ビルの屋上からミキとノゾミを狙っていた兵士の頭からぱっと赤い血が飛んだ。
 カシャンと空の薬莢を吐き出して、また装填する。
 隣の方からも微かに乾いた金属が音が聞こえて、カオリのライフルがすぐさま火を噴いた。

 ターン!

 カオリが身を隠すビルの通りを挟んだ正面の外階段から兵士が転がって落ちていく。踊り場で止まった彼はもう動くことはなかった。
244 名前:怪人さんは泣き虫で 投稿日:2004/07/05(月) 02:29
 
 タタタッ!
 タタタタタタッ!

 放り投げられたように転倒した軽トラックの陰からマコトがアサルトライフルの引き金を引く。
 大通りの向こうのビルの角からパチパチと火花。

 タタタタタッ!
 ドンドンドン!

 乗用車を貫く弾丸。
 ミキとノゾミは銃を構えて焼けた歩道に伏せると、音が止まったのを見計らって自分の達の後ろのビルの入り口側の角に下がった。
「マコト!」
 ノゾミがカートリッジを取り替えるマコトを呼ぶ。
 ミキが親指で自分が身を隠しているビルの角の壁を指す。

 タタタッ!
 
 その隣ではレイナが歯を食いしばってサブマシンガンの振動を身体で受けている。
 軽やかな音の数だけ飛び出す薬莢。
 マコトはレイナとサユミに一言声をかけると、同時に身を低くして走ってきたノゾミとがっと腕をあわせてミキの隣についた。
「援護頼むね」
「はぃ!」
 軽トラックの方へ行く前に、真後ろ、ビルの勝手口側の角にいるリカに目をやった。
 ぐっと親指を立ててみたら、同じように親指を立ててニット笑って見せるリカ。そこにマコトも加わって、いつのまにカオリも親指をぐっ…と。
「ノッてんな。あの二人」
「うん。そーみたいですねぇ」
「負けてらんねぇ…」
 ミキはポケットからロリポップを取り出すと、マガジンを取り替えるよりも早い手つきで包装を剥いで銜えて、剥ぎ取ったポップなビニールをポケットに押し込んだ。
「よっしゃ」
 口の中に広がるエスプレッソの苦味。
 
 ドーン…!

 少し先の方から砲弾の音が聞こえる。
 
 ミキは低い大勢のまま一気に走り抜けて軽トラックの後ろにつけた。
245 名前:怪人さんは泣き虫で 投稿日:2004/07/05(月) 02:30

 タタタタタタッ!

 サユミのアサルトライフルが兵士の腿を貫く。
 崩れるところをノゾミのサブマシンガンが上半身に3つほどの真っ赤な穴を開けた。

 タタタッ!

 引き金を引いたまま事切れた兵士のマシンガンが空を撃つ。
 ミキはサユミにグッと親指を立ててみせると、そのまま後ろを指差した。
 サユミもうなずいて後ろ、カオリが身を隠すビルの通りに面した側、マコトの向かい隣まで下がった。

 タタタタッ!
 ドーン!
 タタタタタタタタタタタッ!

 残り少なくなってきた敵の部隊に味方の車両による砲撃。
 軽トラックをバリケード代わりにしたミキとレイナ、ノゾミの攻撃。

 じりじりと頭の上から身体を焼く太陽。
 長袖の無地のサンドカラーのサバイバルジャケットの下を滑っては染み込んでいく汗。
 雲ひとつない青空。
 通りの向こうをぼかす煙の色は重たい灰色。
 
 キュラキュラと甲高い音が聞こえる。
 レイナがくるっと後ろを向いて、なにやら指先を上に向けてくるくると回して、
「援護到着!」
 ピタリとカオリから向かって左手を指し示した。
「下がれ!」
 カオリが声を張る。
 ミキはレイナとノゾミに先に下がらせて、背中のディパックから手榴弾を取り出すと、ピンを引き抜いて思いっきり投げつけた。
 高い軌道を緩やかに描いて、カツンと大通りの4車線道路のど真ん中らほんに落ちた手榴弾が、

 ドンッ!

 カッと閃いて炸裂した。
 その隙にミキも下がると、ビルの角に身を潜めた。
 
 カタタタタタタタ…。
 キュラキュラキュラキュラ…。

 近づく戦車。
 ドン、ドンと地面に低い振動。
 
 ドーン! 
 
 ドーン!

 アスファルトが弾け飛ぶ音。
 立ち上る煙に空の色が淡くなっていく。

 リカはライフルを空に向かって構えたまま、自分の隣を走って戻ってきたサユミの息遣いと、マコトの足音を聞いていた。
 ミキがリカの真後ろに腰を下ろす。
 地を這う振動に焦点がぶれてぎりと唇を噛み締める。
 つーっと顎を滑り落ちた汗。
 煙にかすんだ空に向かってライフルの引き金を引いた。
246 名前:怪人さんは泣き虫で 投稿日:2004/07/05(月) 02:31

    *

 13時28分。
 制圧終了。

 奪い取った街の入り口を戦車で閉鎖して、掃討作戦に取り掛かる兵士達の顔は緊張していた。

 しっかりとした統制と的確な判別。
 両手を挙げている者には保護を。
 逆らうものには死を。
 それがルール。

 逃げ遅れ、潜んでいた人たちはおとなしく両手を上げる。
 突きつけた銃を向けながら一箇所に集めると、安全を保障することを約束する。
 敗残兵を捕虜として保護しながら、警戒して歩く街角。
 無線でカオリがやりとりしながら、そんなこんなでぴりぴりとした緊張は終わらない。
 捕虜と保護した住人を巡回して回るトラックに引き渡す。

 まだ太陽は張り切ってて、決して軽くない銃を手に身体はいい加減にしろと訴え始めている。
 チームで歩く最後列でカオリとリカはスリングでライフルを肩にかけて、安全装置に親指をかけたままハンドガンを手に後ろを警戒する。
 ミキとノゾミとレイナがサブマシンガンを手に先頭を歩き、間のマコトとサユミもハンドガンに持ち替え辺りを見回す。

 足元にははっきりと鮮やかな真っ黒い小さな影。
 風一つ吹かない街は夏だというのに埃っぽい。
 たぶんふだんでも静かであろう住宅街の午後はひどく静かで、肌を細かく突き刺すように緊張感を煽り立てる。

 ガレージや庭から飛び出していったタイヤの痕跡。
 進入した午前5時はすでに暑かった。
 生活観が残る庭先を横目に見ながら、はぁ…とノゾミが息を吐く。
247 名前:怪人さんは泣き虫で 投稿日:2004/07/05(月) 02:32

『…この街は…』

 投降を促す放送が頭の上をへろへろと通り過ぎる。
 掃討作戦に切り替わってからすでに3時間。もう夕方だという頃合なのにひどく暑い。
 「全員静止」
 カオリの声にぴたりと足を止めて振り返る。

 ここは最前線に最も近い街。前々からその危険があったせいか残っていた住民よりも兵士の方が圧倒的に多い。
 もうあらかた住人や敗走兵もいないだろう。
 街からは出ることは難しいし、抵抗しなければ撃たなくて済む。

 周囲の様子を確認すると、カオリは無線でこの作戦の現場指揮官と連絡を取った。
「はい。…はい。……はい」
 やりとりに耳を傾けながら熱気に揺れる町並みに神経を張り巡らす。
 にゃあ…と塀の上をのんきに歩いていくネコにレイナがびくりと肩を震わせて、サユミがくっくっと笑いをこらえている。
「はい。わかりました」
 無線を切ると、一斉に6人の真剣なまなざしがカオリに集まった。
 それを一つ一つしっかり見据える。
「これから先の予定を確認します」
「はい!」
 きれいに揃った6つの声。
「掃討作戦は現時点で85%完了しているとのことです。2時間後に終了。その後3つの部隊がこの街に残るようです。どの部隊が残るかはこの後正式な辞令があると思いますが、我が部隊は帰還すると考えていてください」
「はい!」
 揃った返事にうなずいて、カオリは話を続ける。
「すでに司令官と統治部隊も到着しているようです。それでは、今から本営に戻ります。各自、気を抜かないように」

 あと少し。
 あと少しで終わる。
 突入部隊が完全に占領統治する部隊と指揮官に街を引き渡して、始めてこの任務は終わりを告げる。まずはその前の第1ステップ。突入、占領。

 隊列を確認して来た道を引き帰した。
248 名前:怪人さんは泣き虫で 投稿日:2004/07/05(月) 02:32

 朝から戦闘の緊張感と疲労、そして真っ赤に燃え上がる太陽。
 あまりの暑さに鳥すら飛ばない真夏日を遥かに超した気温の日に長袖とずしりと重たい銃。
「あー。アイス食べたい…」
「のんつぁん…言わないで…」
 マコトが苦しげに呟く。
 ゆらゆらと立ち上る熱気。
 軍用ブーツを履いても焼けるように熱い足元。
「けどさぁ…」
 といいかけたところで、

 カタ…。
 
 ノゾミはふと何かの音を聞いた。
「なにぃ!?」
 キョロキョロと辺りを見回しても何かがいるという気配はない。
「ノンちゃん?」
「のの?」
 カオリとリカもノゾミが目をやる方に銃口を動かしながら見渡す。
 ノゾミはふーっと息を吐き出した。
「なんか…いる?」
 全員がその場に立ち止まり、細い路地を背中を合わせてそれぞれに銃口を向けて気配を探る。

 さして広くない道。
 点々と存在する塀の向こうに何がある変わらない。
 全員が息を呑む。
249 名前:怪人さんは泣き虫で 投稿日:2004/07/05(月) 02:33

 カタ…。

 まただ。
 ノゾミははっきりと確認して、くるっと体と銃口を自分の右手に向けた。
「そこっ…!」
 アルミのシャッターが開け放たれている車庫。
 全員がぱっとぽっかり開いている暗がりに重厚と身体を向けて身構える。
 車の姿はなく、置くには雑然と積み上げてあるダンボールや工具の棚。
 じっと目を凝らしていると、ダンボールの後ろで何かが動いたのがわかった。
 カオリがそっと声をかける。
「出てきなさい。抵抗すると、撃ちます」
 
 しかし、何の反応もない。

「出てきなさい。何もしなければ安全は保障します。出てきなさい」
 凛としたカオリの声に、ダンボールの後ろの影がざわざわと動いている。
 マコトは目を細めた。
「…コドモ?」
 小さな影が3つ。ごそごそと動いてるのが暗がりの中にはっきりと見えてくる。
 ノゾミがカオリを見ると、カオリは一つうなずいた。
「ねえ! 何にもしないから出ておいで!」
 すると、ノゾミの声に安心したのか、小さな影がこちらに向かってくる。
「…あぁ」
 レイナが少し痛そうに目を細めた。
 出てきたのはボウズ頭の男の子と女の子が二人。まだ5歳くらいだろうか。女の子のうち一人は3歳くらい見える。たぶんどちらかの妹なんだろう。
 男の子を真ん中にして、しっかりと手を握っている。
 男の子は歯を食いしばってカオリを睨みつけていた。
「…」
 にらむつもりはないが、内心どうしよう…。
 カオリは黙ってその瞳を見返す。
 かっこいいなぁ。
 なぜかヘンに誇らしい気持ちで男の子…いやいや、彼を見据える。
 メンバーも、銃口を向けることへの戸惑いを隠しながら、カオリの様子をうがっている。
 二人の女の子が男の子の後ろに隠れた。小さい女の子がきゅっと男の子のランニングシャツを小さな手で握り締める。
250 名前:怪人さんは泣き虫で 投稿日:2004/07/05(月) 02:34

 カオリはよし、と気合を入れた。
    
「ノゾミ、ミキ、レイナは銃を下げて。あとはそのまま」
 さあ、こっからはカオリは悪者だ。がんばれよ。ヒーロー君。
 命令に従って銃を下げると、カオリは銃口を向けたまま冷たく言い放った。
「手を上げて。抵抗したら撃ちます」
「カオリン!?」
 ぎょっとノゾミが振り返る。 
「ええっ!」とマコトが目を広いてポカーンと口を開いた。
 ちらりと横目で見やって、リカがあーぁと小さくため息をついた。その目はありありと大丈夫かなぁと言っている。
「早く!」
 もう一度厳しく言い放つと、ノゾミがたまらず立ち上がろうとした。
「ののっ!」
 リカが慌ててノゾミのジャケットを引っ張って無理やり座らせると、ミキががしっと肩を抱いて動きを封じ込めた。
「ちょっと! リカちゃんっ! ミキティ!」
「いいから。黙って見てなって」
 ドスの聞いた低い声に、ノゾミだけじゃなくサユミとレイナも震え上がる。マコトにいたっては涙目だ。

 カオリは銃口をしっかりと男の子の頭に定めている。
 頭なら当たれば苦しいことはない。
 部隊で狙撃手であるということは、それ相応の腕であるという証拠。外すということはこんなたかが狭い3メートルにも満たない距離ならなんていうことはない。

 ここまで軍規に忠実じゃなくてもいいんだろう。
 でも、ルールはルール。
 あくまでも、軍服を着て戦場にいる以上、軍規がすべて。
 人間である前に軍人なのだ。
 
 しかし、軍人である前に、人間なんだ。
251 名前:怪人さんは泣き虫で 投稿日:2004/07/05(月) 02:34
 
「手を上げて」 

 それに、何でこの子達はここにいるの?
 だいたいこの子たちの親はどこ? 何で一緒じゃないの? 
 突入情報を何度も流して民間人の脱出をそれとなく促していたはずなのに。

 考えただけで腹が立ってくる。
 それがしっかりと大きな瞳にあらわれていた。

 ぎょろっとにらむ大きな瞳。 
 ぬーんと聳え立つ長い髪の怪物。
 男の子は足元の石を拾った。
「あっちいけーっ!」

 ひゅんっ!

 小石がカオリに向かって飛んでくる。 
「あっ!」
 サユミがはっと口を手で押さえて目を見開いた。
 ガシッとカオリの額に当たって小石が転々と足元に転がった。
 男の子はまた石を拾うと、
「やだっ! こーさんなんかするもんかっ!」
 また小石をカオリに向かって投げる。
 
 ガッ!

 カオリはそれを身体で受け止める。
「カオたん…」
 青い空の中、衰える気配のない太陽に照らされて、カオリの作り上げた無表情の中の悲しそうな瞳が痛々しくリカに映る。
 ミキも苦々しくぎりっと唇を噛み締めた。
252 名前:怪人さんは泣き虫で 投稿日:2004/07/05(月) 02:36
 
 ひゅっ! ひゅ!

「あっちいけーっ! あっちいけーっ!」

 ガッ! バスッ!

 投げる小石を体で受け止めても突きつけた銃口を少しも揺るがすことなく、じっと見据えるカオリ。さっき額に当たってできた傷が赤く滲んで、一筋の血がのったりと滑っていく。
 マコトが口をへの字に食いしばって泣いていて、ノゾミもぎゅうっとリカにしがみついて泣いている。ミキはその背中を撫でてなだめる。リカも銃を構えた姿勢を崩さず、ただノゾミのすきなようにさせていた。

「あっちいけってばぁ!」

 ひゅっ!

 ガンッ!

 不思議な光景だと、女の子は思った。    
 自分よりちょっと歳が上のお姉さんが泣いてる。 
 それならそれであることなんだろうけど。
 でも、この人たちはテキなんだよって教えられた人がえーんって泣いてるんだもん。
 あのおっきい怪人さんも、なんかかわいそう。
 だって、泣きそうなんだもん。 
 
 はぁ…と息を整えて、カオリはぐっと引き金にかけた人差し指の力を込める。

 決まりは決まり。
 戦意無き者は保護。 
 たとえ無力でも背中を見せて逃げた者、抵抗する者には……死を。

 たとえ自分勝手でも、物事には決まりがある。
 それがたとえコドモでも、守らなければどうなるのか…。
 守ったなら、どうなるのか…。
 たとえどんなことであれ、オトナが身をもって示さなければ秩序なんてゴミ。

 戦場には戦場のルール。
 夢見が悪くなろうが、後悔しようが、それなりの秩序は大切なもの。
 
「バケモノっ! ギョロ目怪人あっちいけーっ!」

 ひゅっ!

 ガンッ!

 5個目の小石は左肩に当たって落ちた。
 今、自分の目の前にいるのは一人の男なのだ。
 体を張って弱いものを守ろうとする、いっぱしの男の姿なんだ。
 
 だから、だから…。
 
 ぐっとカオリは引き金を引いた。
253 名前:怪人さんは泣き虫で 投稿日:2004/07/05(月) 02:36

 パンッ!

 オートマチックのハンドガンのスライドが下がって薬莢ぴょんと飛び出した。
 乾いた音が高く高く青い空に吸い込まれていく。

 男の子が固まる。
 女の子も小さな女の子も固まった。
 泣いていたノゾミもマコトも固まる。
 サユミも固まり、カチンと凍りついたレイナの目の端からほろっと一滴。
 リカとミキはぐっと息を飲み込んだ。

 弾丸は男の子の足元に突き刺さっている。
 コンと地面に叩きつけられた薬莢が涼やかな音を鳴らして、カオリははーっと息を吐いた。
「手を上げて」
 静かな静かな昼下がり。カオリの声だけが響く。
 女の子が震える手で男の子のランニングを引っ張ってにこっと微笑みかけると、ゆっくりと両手を挙げた。
 それにつられて小さな女の子も手を上げる。
 男の子はぐしっと鼻をすすると、手で鼻をこすってカオリをにらみつけたまま両手を挙げた。
 
 ギョロ目怪人が笑った。

 男の子は涙でにじむ目と悔しさでいっぱいの胸でそう思った。

「全員銃をしまって。すぐに保護して」
「はいっ!」
「はい゛っ!」
 涙交じりの声もあったが、勢いよく返事は返ってきて驚くような速さで銃をしまうと、ノゾミとマコトがぎゅうっと子供達を抱きしめる。 
254 名前:怪人さんは泣き虫で 投稿日:2004/07/05(月) 02:37

 カオリはゆっくりとキモチを鎮めるように息を吐くと、がらんともぬけの殻になっている向かいの家の中に入って、塀に寄りかかるとずるずると座り込んだ。
「カオたん」
 リカが心配そうにしゃがみこんで顔を覗き込む。
 塀一枚隔てた向こうではほっとして泣き出した子供たちを必死になってあやす声が聞こえる。
「ゴメンね。カオたん」
「ばか。何であんたが謝んのよ」
「だって……」
 リカの目にうるうると涙が溜まりはじめる。
 カオリはやれやりと笑って両手を広げてリカを抱きしめた。
「リカが泣いたらカオ、泣けないじゃん」
「うそ。カオたん泣かないもん」
「…」
 そう言われると何も言えないじゃん。
 なんだかんだとよくわかってるね。
 カオリが鼻声になっているリカの背中をよしよしとさすってやる。
 リカは目を袖で拭って身体をいったん離すと、カオリをぎゅうっと抱きしめた。
「リカ?」
「ゴメンね。カオたん…。ありがと…」
 きつく抱きしめたまま20秒。
 リカはそっと離れると、ゆっくりと立ち上がった。
「…」
 その体を後ろからミキが包み込む。
255 名前:怪人さんは泣き虫で 投稿日:2004/07/05(月) 02:38

「ほらっ! 笑って! んばぁーーっ!」
「ナンダコノヤロゥ! いっち! にぃ! さんっ! ダーッ!」
「ダーッ!」
「あっ! ああっ! オガーさん! よけー泣いちゃいましたよぉ!」
「ええーっ!? 違うよ! のんつぁんの変顔のせーだよっ!」
「うぇーーーっ! なんだとぉーッ! マコト勝負っ!」
「おおーーーしっ!」

 通り向こうから聞こえるてんやわんやした声。
 リカはふふっと笑って、カオリにも泣き笑いみたいな笑顔。
「よかったね」
「うん」
 ちょっと目じりを押さえると、
「さっ。ちょっと本営の人たちとお話しするね」
 と無線機を動かし始めた。
 リカはそっと腰に回っているミキの手に手を重ねると、少しだけ首を巡らした。
 肩に顎を乗っけて柔らかく微笑むミキと、暑いけど、でもそのぬくもりにほっとする。
「ごめん」
「何が?」
「甘えてる。あたし…」
「…いいのに」
 なんとなく面白くなさそうに唇を尖らすから、リカはアヒルみたいに尖った口にちゅっと口付けた。
「リカちゃん!?」
「ふふっ。甘えてほしいの」
「だから、今してんじゃん」
 リカの腰を抱く腕に力が入る。
「…」 
「…」
 なんとなく無言で見つめあう。
 そっとミキが目を伏せて、リカの右手がミキの頬を包んで、もう一度……。

「コホン」

 カオリの咳払いにお決まりのようにハッとするリカとミキ。
「あのさぁ、ほっとかないでくれる? カオ、さみしくなっちゃうから」     
「ゴ、ゴメンね…カオたん」
 リカが情けないぐらいマユゲを目一杯下げて笑う。後ろのミキもてへへと苦笑い。
 カオリはやれやれとまだくっついてる…と思いつつ、
「今、まだこの近くに来れそうな巡回のトラックに来てもらうようにお願いしたから」
 そういうと、よいしょと立ち上がった。
「さて、チビッコたちの様子でも見に行きますか」
「はーい」
「はーい」
256 名前:怪人さんは泣き虫で 投稿日:2004/07/05(月) 02:40

 塀の向こうに出てみれば、まだ大騒ぎ状態で、リカはやれやれとため息をついた。
「なんかさぁ、ののとマコトのにらめっこで泣いてない?」
「うん。泣いてる。っていうか、コワイ」
 ミキがリカに引っ付いたまま同意する。
 子供たちがカオリに気づいて、
「わーっ!」
 って、また大泣き。顔をぐしゃぐしゃにして大洪水。
「あーもう! カオリィ! もーすぐ泣きやみそーだったのにぃ!」
 泣きやませるのに必死なノゾミの容赦ない一言とマコトのおろおろした目。
 カオリはちょっととほほと言う顔をして、リカとミキに苦笑いして見せた。
「えー。さっきからずっと泣いてんじゃん。もぅ。ノンちゃん。ひどい…。カオも泣きそうだよ」
「だってぇ!」
 カオリは負けじと泣きそうになっているノゾミとマコトの頭をよしよしと撫でると、
「ノンちゃん。ハーモニカ持ってる?」
「ブルースハープ? うん」
 ごそごそとフィールドパンツのポケットから出して見せると、
「何でも吹けるよね?」
「うん…たぶん」
 難しい顔をして首をひねるノゾミの傍らにしゃがむと、そっとぼそぼそとナイショ話。
 パーッと晴れていくノゾミを不思議そうな目で見つめるマコト、レイナ、サユミ。
「ね。どう?」
「うんっ!」
 ノゾミはマコトの肩を抱くと、レイナとサユミに手招きした。
 円陣を作ってなにやら秘密会議。
 ノゾミはにひって笑うと、
「それじゃ、はりきってぇーいきまーっ」
「しょーいっ!」
 マコト、サユミ、レイナが声をそろえた。
 ノゾミは子供達ににこっと笑って、ハープをくわえた。

 パパパパッ、パッパッパ、パパパパッ。   
 パパパパッ、パッパッパ、パパパパッ。

 陽気なイントロにリカとミキが「あぁ」と声を上げると、カオリはくすっと二人にウインクして見せた。
257 名前:怪人さんは泣き虫で 投稿日:2004/07/05(月) 02:43

 マコトがノリノリで踊りだすから、レイナとサユミもそれに合わせる。どうやら誰が誰と言うのも決まっているらしい。
 子供達の泣き声が止まって、イントロをにっこにこで踊るマコトをぽかんと見上げている。

 パパパパッ、パッパッパ、パパパパッ。   
 パパパパッ、パッパッパ、パパパパッ。

「白あげてぇあげません〜」
「じゃんけんぴょんのぉ」
「じゃんけんぴょんっ!」

「じゃけんぴょんっ!」
 カオリがついつい一緒にじゃんけん。
 小さな女の子がくすっと笑って、グーを出した。
 
 飛び上がりたい気持ちをダンスに変えて、レイナが弾けるようにハープに合わせて歌う。
 サユミも満開の笑顔でさっきよりも大きな動きで踊りだした。
 マコトにいたっては泣いちゃって、
「おーざがべんじゃぁ」
 濁点混じりになる始末。
 
「よかったね」
 リカの呟きに、ミキがぎゅっと抱きしめる腕に力を入れて、こくりとうなずいた。
「ね。カオたん」
「よかったですね」
「うん」
 カオリは目に溜まった涙を指でぬぐいながら微笑んだ。
「だって歌うのってたのしいもん」
258 名前:怪人さんは泣き虫で 投稿日:2004/07/05(月) 02:44

    *

 パッパァーーーーッ! 

 巡回して保護した人たちを預かる荷台の開けたトラックが到着した。  
 ガランとした通りの路肩につけると、子供たちを先に乗せて、あとからノゾミ、マコト、サユミ、レイナのおこちゃま組が乗り込む。
 ミキは3人の子供達に一本ずつロりポップを上げて、よしよしと頭を撫でた。
 それを見ておこちゃま組が騒ぎ出すと、リカが
「大きいおともだちは我慢しなさい」
 と、腰に手を当ててめっと叱った。
 しゅーんとなる大きいおともだちを見て、子供たちがケタケタと笑った。
 広い2トントラックの荷台に小さな子が7人だと、なんか王様になった気分。
 それだけと広々としているから、この分だとずっと歌って踊りっぱなしだろう。
 運転席の兵士がはしゃぐ子供たちに目を細めて笑う。
「じゃ、いくぞーっ!」
 おーって、元気のいい雄たけび。
「しゅっぱーつ!」
 7人で声をそろえて進行方向を指差すと、運転手はパッパーッとクラクションを鳴らして走り出した。
「カオリィ! あとでねぇ!」
「イイダさーんっ!!」
「イイダさーんっ! またあとでぇ!」
「イーダさぁーんっ!」 
 ぶんぶんと手を振って、しばらくしてから夕暮れの空にブルースハープの音がなんとなく聞こえた。
 カオリは振り返していた手を下ろすと、ぽんと両脇に立つリカとミキの肩を抱き寄せた。
「じゃあ、カオリたちも帰ろうか」
 うなずくリカとミキ。
 相棒が夕焼けの赤に染められて、3人を見守るようにたたずんでいた。
259 名前:怪人さんは泣き虫で 投稿日:2004/07/05(月) 02:45

    *

 家族のいる人たちは町の安全と住民の安全を約束して、書類など簡単なに記載をして自宅へ。
 家族とはぐれた子供や身寄りのない人はそれぞれ自国の施設で保護をする。

 子供達はしばらくは施設で過ごすことになるだろう。
 子供達を乗せたそのトラックのまま施設まで送り届けるように、カオリは無線で事情を話して許可を得ていた。そして、折り返しておこちゃま組をベースキャンプまで送ってもらう。駄々を捏ねられたら止まってもいいと許可してあることまで付け加えていた。

 そして、そのあと、おこちゃま組が歌っている間に、リカとミキに突入前、街の外につけた相棒を取りに行かせていた。
 笑ってくれたとしても、自分が一緒ではどっかで緊張するだろうから。
 悪者は、最後まで悪者らしくしないと。
 なんたって、カオはギョロ目怪人なんだから。

 いつ終わるかわからない。   
 しばらくはこの国で過ごさなきゃいけないんだったら、少しでも楽しい想い出に残るようにしてあげたいと、カオリは思った。
 充分、怖い思いをさせちゃったのだから。
260 名前:怪人さんは泣き虫で 投稿日:2004/07/05(月) 02:45

 相棒が沈む夕日を背に荒れた街道をひた走る。
 リカはハンドルを操りながら助手席に座るカオリに言った。   
「カオたん。よかったねぇ」
「うん…」
「笑ってくれたね」
「うん…」
 真っ赤になった目で、だけどへへって笑って出した小さな小さなグー。
「少し休んだら?」
 リカがちらりとシートに深く体を預けてまどろみつつある香りに声をかけると、助手席をカオリに譲って荷台部分とをつなぐの小窓にひじを乗せて寄りかかっていたミキも、
「ついたら起こしますよ」
 って微笑んだ。
 シートを倒して横になるとカオリはまぶたを閉じてはぁっ…とため息をついて、そういくらもたたないうちに眠りの世界へ。
 リカはミラー越しにミキに話しかけた。 
「ごめんね。ミキちゃん」
「リカちゃん」
「なぁに?」
 ミキの不機嫌そうな声にリカがちょっと戸惑った顔をして、ミキはそれがなんかかわいく思えてつい笑ってしまう。
「それ、今日2回目」
 ポンとリカの肩に手を置くと、
「謝らなくっていいから」
 今度は頭を撫でた。
「もっとミキに寄りかかってよ」
「戻ってからじゃダメ?」
「じゃ、とりあえずそれで了解してあげる」
「ありがと」
 カーステレオから流れるゆったりとしたクラシックが疲れた体を夢の世界に連れて行こうとするから、リカはステレオを消すと、ハンドルをぐるぐる回してウィンドウを開けた。
 夕焼けの赤い光に染め上げられて、ようやく熱が少しだけ向けた風が心地よく髪を掻き揚げる。
「カオたん…すごかったね」
「うん…」
 無表情でコドモに銃を向けて、なのにココロで歯を食いしばっていた顔は、穏やかな寝息を立ててぐったりと眠っている。
 ミキは腕を伸ばしてつんとほっぺを突いた。
「かわいいね」
「うん」
261 名前:怪人さんは泣き虫で 投稿日:2004/07/05(月) 02:46
  
 今思えば不思議な光景だ。
 必死になってなだめて、笑わせて。
 あの子達の心には何が残るんだろう?

 何をあたしたちはしてあげたんだろう。
 
 眠っている隊長の姿にふと思う。

 何をあたしたちはしているんだろう。

「ばかだよね…」
 リカは自嘲気味に小さく笑った。    

 戦争に意味を求めても、結局のところそこに意味なんてあるんだろうか?

「ね。ミキちゃん」
「ん!?」
 ミキが首を傾げる。
「うん」
 一人で納得したように笑って、ムッとしたミキにポスと頭を叩かれた。
「ふふ。なんかねぇ。意味なんてあるのかなぁって…思って」
 ミラー越しに見たリカの疲れた笑顔はそれでも明るくて、どうしようもなくキスがしたい。
「意味ねぇ…」
 呟いて、ミキは眠っている隊長に目をやって、ふむとため息を一つ。
 
 あたしたちは正しいんだろうか?
 どれが正義で、それが悪で、そんな簡単なものじゃない。    

「どこ行くんだろうね」
 なんとなく呟いて、ミキは眠気をこらえて運転をするリカの横顔を見つめた。
 相棒が真っ赤な夕焼け雲に背中を押されながら、ガタゴトと揺れる。
 ミキはよっと小窓から身を乗り出すと、唇にしたいところをぐっとこらえて頬にキスをして、すすっとまた小窓のふちに組んだ腕に顎を乗せた。
 きょっとんとしてリカの目が、ふーっと見開いて。
「なんか…目が覚めた」
「でしょ」
 
 相棒がガタゴト揺れる。
 ベースキャンプまではあと少し。
 カラスがかぁーと鳴きながら、藍色に染まり始めた空を飛んでいった。
262 名前:怪人さんは泣き虫で 投稿日:2004/07/05(月) 02:46

   *

「よぉ。カオリ。お疲れさん」
 
 兵舎の玄関の蛍光灯の明かりの下、ドアにもたれかかってユウコがいた。 
「ユウちゃん!?」
 カオリは立ち止まって大きいな目を更に大きく見開いて立ち尽くしていたが、
「…ユウちゃん…」
 むぐぅと顔を歪めると、だーっと走り出してユウコに飛びついてぎゅうっとしがみついた。
「…ユウちゃんっ!」
「ん。お疲れさん」
 ポンポンと背中をあやすように叩いて、やさしい口調で寝嫌ってやると、もうカオリの瞳からぼろぼろと涙が溢れ出して止まらなかった。
 ユウコがリカとミキにウインクすると、二人はぺこりと深く頭を下げると、勝手口の方へと歩いていった。
 
 『ナカザーさぁん』
  無線の向こうのリカはすでに泣き声に近かった。
  しっかし、兵士輸送のトラックから本部に直接なんてまた無茶なことを…。
  普通はありえない。よほどの緊急時以外は。けど、それがいかにもリカらしくて、
 『よっぽどのことかいな。で、どうした?』
  それなりに切羽詰まってるようで、まぁ後でお小言の一つもと思っていたが、
 『…。そりゃ一大事やな…』
  話を聞いたらそんな気もすぐに失せた。
  ミキの必死な呼びかけに、
 『ナカザーさん。お願いしますっ!』   
 『よっしゃ。任せとき』     
  二つ返事ですぐに無線を切って飛び出した。

  それが3時間前。
263 名前:怪人さんは泣き虫で 投稿日:2004/07/05(月) 02:47

 ユウコは自分より大きいカオリをしっかりと抱いて、あやすように背中を撫で続けた。
「なんやぁ。ユウちゃんびっくりしたでぇ。あんた…オトナになったなぁ」
 しかし、カオリはふるふると小さく首を振る。
「ちがぅ…もん……。カオ、カオ…ひどいことした……」
 ひっく、えぐ…っと嗚咽を拳ながら、カオリが少しずつ言葉を紡ぐ。
「だって…銃…向けたもん。…でも…でもね……カオ…」
「うん。わかってる。しゃーないよな。けど、生きとるやん。な?」
 コクリとコドモみたいにうなずく。 
 ユウコはちょっとだけ体を離して顔を覗き込んだ。
「あの子達な、楽しそうやったで。みんなで歌うたって、踊って…」
「…うん…」
「ツジちゃんとか、タナカとかミチシゲとかオガーとか、とーぶん帰ってこーへんかもよ。そんぐらい、あの子ら懐かれとったで。他の子たちにも大人気や」
「…ユウちゃん?」
「持ってかないかん書類があってな、施設に寄ってんねん。カオリのこと、ツジもオガーもタナカもミチシゲも…みんな心配とったで」
 真っ赤になった目からまだまだ涙があふれては零れ落ちるから、ユウコがそっと涙ををぬぐってやると、カオリは力無く微笑んだ。
「みんなに心配かけて…。カオ…隊長失格だね」 
「アホ! なにゆぅてんの」
「…ユウちゃん?」
 ユウコはさっきよりも強い力でしっかりとカオリを抱きしめた。
「あんたは、あんたが考え付く中で、最善の方法をとったんやないの」
「けど…見逃すことだってできたもんっ! カオっ…無駄に傷つけただけだもんっ!」
「せやな。けどな…。戦場や。あそこは戦場や…。見逃すことが正しいのか間違いなのか…正解なんてあらへんよ」

 降伏の意思を見せないものは、結局戦場ではまだ敵なのだ。
 だから、降伏させるように促した。
 オトナゲない。
 しかし、見逃したから、それが正しいと言えるのか?
 
 戦場には、何があるかわからない。

 だから、考えた。
264 名前:怪人さんは泣き虫で 投稿日:2004/07/05(月) 02:47

「うっ…くっ……ユウちゃん…」
 ずるずると崩れ落ちるカオリを支えながら、ペタンと座り込むと小さく丸まった背中を包むように抱きしめた。
 軍規に沿うのは真面目過ぎるかもしれない。
 けれど、だからこそ、カオリらしい。
「うちな、カオリのこと…誇りに思うで…」
「…ユゥちゃ…ん…」
 ぎゅうっと袖を掴んでいた手が背中に回って…。
「うわぁぁぁぁぁぁぁんっ!」
 カオリは思いっきり子供のように声を上げて泣いた。
「あーあー。こりゃツジなんかには見せらんなぁ」
 ユウコは苦笑いして、
「ギョロ目怪人は泣き虫やな」 
 と言ったら、カオリに無言でべしっと背中を叩かれた。
 まぁ、そんだけの元気があるなら大丈夫やろ。
 ほんま、あんた…えぇ仲間に恵まれたな。
 ポンポンとあやして、空を見上げた満天の星空。
「よぉ…がんばった」

 ひゅうと星が流れて一つ、二つ。
 きらりきらりと瞬いて消えた。
 明日も晴れるだろう。
 ゆっくり休めるような広やかな青い空とさわやかな風が期待して、ユウコはまた一つ流れた願い星にささやかな願い事をしてみるのだった。
265 名前:怪人さんは泣き虫で 投稿日:2004/07/05(月) 02:48

    「怪人さんは泣き虫で」               END     
266 名前:さすらいゴガール 投稿日:2004/07/05(月) 02:54
 なんかタイトル微妙ですが、いつも以上にシリアスな雰囲気かも。
 書きながらワタクシもかなり考えてしまいました。
 
 正義ってなんなんですかね。

>>242 名無飼育さん様
 ありがとうございます。
 この世界観はワタクシも気に入ってますが、なんか悲しい世界ですよね。
 今回は久々に本当に血なまぐさいシーンが初っ端からありますが、
 今回のお話も、なんか難しいと言うかそれぞれに思うところはあると思いますが、
 何かしら胸に残ればなぁと思っています。
267 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/05(月) 06:53
やっべ、ギョロ目怪人よりオレの方が泣き虫だ。・゚・(ノД`)・゚・。
268 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/05(月) 20:25
なんでみんなそんなに優しいんだよ・・・
目から変な水が出ました
269 名前:おかいもの 投稿日:2004/07/18(日) 13:53
 
 バン。

 そして数えること、1、2、3、4、5。

 パタン。

「…」
 業務用よろしくな大きな冷蔵庫のステンレスの扉に手を掛けたままのカオリ。
「…」

 パン。

 そして再び数えること、1、2、3、4、5。

 バタン。

 何もない。
 いや、あるのだ。
 足元のダンボールにはたまねぎやじゃがいも、サツマイモがまだある。

「…」

 肉がない。
 肉。豚でもない。鳥でもない。牛。ビーフなんてシャレた言い方もする。
 レタスはないがキャベツはある。
 ワカメがない。
 ハムは今朝使い切っちゃった。
 缶詰は…たしか合ったようななかったような。

 食料の補充はまだ少し先。
 追加は自腹です。

「…」

 シチューが食べたい。
 シチューじゃなきゃヤダ。
 今日はシチューなの。
 
 とはいえ、そこに深い意味はない。

「…」
 
 ごそごそと棚の横にある缶詰を入れたままのダンボールをかき回すと、すくっと立ち上がった。

 カツカツときりりとした足音を響かせて、カオリは調理場を出て行った。
 そして食堂にきゅきゅっとホワイトボード用のマーカーの滑る音。


   おるすばん、よろしく
  
             カオリ 
                    』
270 名前:おかいもの 投稿日:2004/07/18(日) 13:55

    *

 ベースキャンプから車を走らせること1時間。
 時速80キロほどで夏草が萌えてまぶしい草原を突っ切る街道を走り抜けると、そこにはベースキャンプから最も近い大きな街。
 
 もうすぐお昼時。
 街はなんちゃって小康状態の戦時下で必ずしも景気がいいとは言えないが、それでも行きかう車や働く人々は忙しない。なにもかもが疲れきっているというわけではなく、それを見せまいとするしぶとさ。
 風を受けながら、ニンゲンってすごいもんだなと、リカはふと思った。

 幌を外したジープの上には燦燦と輝く夏の太陽。
 日焼け防止のささやかな抵抗としてかぶった“TEAM OTOME”のロゴの入った迷彩キャップのつばをぐっと引き下げて、うつむき加減でハンドルを握るリカ。  
 助手席ではきゃっきゃとはしゃぐノゾミ。
 基地から出ることはあまりないし、出かけるといえば戦場ぐらい。はしゃぐのはわかるし、そんなノゾミの姿はかわいい。

 しかし…だ。

 はぁ…とため息をついた。
 通りを歩く人たちの目がジープを追いかける。
 聞こえる「ひゅ〜」という口笛と羨望。舐めるような視線。
 リカはもう一度ため息をついた。
「ねぇ…。カオたん」
「ん?」
「やっぱり…帰りは屋根つけようよぉ」
 ミラー越しに後部座席の中央で優雅に風を受けるカオリに情けない声で訴える。
 ノゾミはくるっと後ろを向くと、ちょこんと首をかしげた。
 カオリはゆったりと微笑み返してよしよしとノゾミの頭を撫でると、助手席と運転席に腕を置いて間から顔を出した。
「なんでよぉ。キモチいいじゃん。ねぇ、ノンちゃん」
「うん。カオリ、かっこいいよ」
「そぉなんだけど…」

 ティアドロップ型の緑がかった黒いガラスレンズにゴールドの細いフレーム。
 しなやかな女性らしい曲線をほのめかす軍支給のサンドカラーのチノシャツの下の真っ白なTシャツが眩しい。
 時速60キロ強の風に戯れる艶やかな長い髪。それを白く細いキレイな指でゆっくりと掻き揚げて…。
 
 目立ちすぎだよ……。
 誇らしい反面、さっきから感じる男達の熱い視線。
 ビーチならぬ街道中は、そりゃもう大騒ぎさ。
271 名前:おかいもの 投稿日:2004/07/18(日) 13:55

 大きなダンボールを持った若い男の子がほけーっとカオリを見つめている。
 手を振ってあげようとしたら、
「カオたん!」
 リカの厳しい声。
 仕方ないので、すれ違いざまにウインクをしてあげた。
 ぽっと赤くなる男の子。ふらーっとダンボールが零れ落ちそうになって慌てて持ち直す。
 まるで絵に描いたようなリアクションに、カオリはクスクスっと微笑んだ。
「…もぅ…」
 きれいなお姉さんが嫌いな子なんて、いるわけないじゃない。
 リカはダークブラウンのレンズが入った小ぶりのオーバル型のサングラスのブリッジを指で押し上げた。
 カオリはリカのキャップをひょいと取り上げて逆向きにかぶると、傍らに置いた軍支給のサンドカラーのテンガロンをぼすっとリカの頭に乗っけた。
「あのねぇ。あたしだけじゃないんだからね。目立つの」
「そーかなぁ」
「そーだよ。あんただってじゅーぶん見られてるんだから」
 んー。言われて見れば、なんかちくちくと感じないわけでもない。
 ちらり目線を横に流したら、自分と同い年くらいの男の子がぴくっと体を震わせて真っ赤になった。
「…」
「ほらね」
「…うん」
 まだ立ちすくんで真っ赤になっている男の子の姿を映し出すミラー。遠ざかっていくその姿にリカは困ったように微笑んだ。
 それに、ノゾミだって十分にかわいい。
「カオリン、飲む?」
 途中でカオリが買ってあげた無果汁のオレンジジュースをにかっと差し出す。
 無邪気な笑顔から覗き見えた八重歯がどう見れば17歳なのかと思うほどかわいらしい。
「うん。ありがと。のんちゃん」
 買ってあげたのはカオリなのだが、そんなのどうでもよくなるノゾミの笑顔は無敵である。

 普段は厳ついヤローどもしか乗ってない軍のジープに乙女。しかも3人。
 そりゃあ、足も止まるだろう。
 ましてそれが噂に名高い最前線の7本の薔薇、通称おとめ隊なのでは…とあったなら。

 そんなこととは露知らず、男達の視線釘付けな罪な女たちを乗せて、ジープは街の市場へ向かっていった。
272 名前:おかいもの 投稿日:2004/07/18(日) 13:57

   *

 戦争が6年も続いていれば、それなりに日々の暮らしにも影は落ちてくる。
 それでも人々は終わりの見えない踏ん張りどころの毎日をくじけないように笑って見せている。
 きっとそれは精一杯の強がりで、だからこそ、この国を守りたい。
 そんな強がりを目の当たりにしたからこそ、一刻も早く終わらせたい。
 軍用のシャツの下でトクトクと働く心臓がそんなことを考えさせる。
273 名前:おかいもの 投稿日:2004/07/18(日) 13:57

 市場をにぎわす威勢のいい声。
 山の幸に恵まれた国だから、並べられた鮮やかな野菜と果物は華やかで、旬のきゅうりはぴちぴちとしっかり張っていて、真っ赤に売れたトマトもなんだか魅惑的。
「キレイな軍人さん。まけとくよぉ!」
 そんな声ににっこりと微笑んで、カオリは一通り市場を歩き回る。
「どうだい? おじょうちゃん。食べてごらん?」
 なんて声がかかるから、リカは放っておくとどっかに飛んで行きそうなノゾミの手を繋いで、しっかりとカオリのチノシャツの裾を掴んで後ろを着いていく。
「んふ。おいしー!」
 マグロの切り身。ゆでたタコの足。朝採れたてのきゅうりをかじり、かじりついた真っ赤なトマトは何もつけなくても甘かった。
 野菜って、こんなにおいしいんだと知った17の夏。
 にかっと微笑んで店のオジサンたちを虜にしたノゾミは上機嫌でもらったご馳走を平らげていく。もちろん、そのごしょーばんにあずかるカオリとリカ。
「あー。のんちゃんのおかげでどこで買っていいかわかんないよ」
 カオリは軽くあぶった牛肉の切り身を頬張ってニコニコ顔のノゾミの頭を撫でる。
「いいじゃん。全部買っちゃえば」
「そうなんだけどね。配給とは別だから、自分でお金出すんだよ? のんちゃん」
「いいよ。のん、今お財布持ってないけど」
 さすがつじねぇさん、太っ腹…とリカとカオリが目を丸くする。そして、顔を見合うと、参ったね…と笑った。
 リカもとりあえず財布の中を一応確認すると、
「カオたん。あたしも少しくらいなら出せるよ」
「あれ。珍しい。いいの?」
「もう。珍しいって…。いいよ。カオたんのお料理おいしいもん。だから、ね?」
 って、首を傾げて甘えたように見上げてくるから、カオリは肩を抱き寄せると、
「よっし。じゃあ、はりきっちゃうぞー!」
 くるりと体の向きを変えて市場の中へと戻っていった。
274 名前:おかいもの 投稿日:2004/07/18(日) 13:59

 にぎやかな声。
 行きかう人々のやり取りも威勢がいいし、聞いていても楽しい。
 “生活”がここにある、そんな気がした。
 カオリはリカとノゾミと手を繋いで目的の店まで歩きながら、まずはこの空気を目と耳で楽しむ。

「おいしいよ!」
「はいよ! まいどっ!」
「っし。これもつけちゃおうかな」
「あぁ。だったらこれがいいねぇ。これをね、…そうそう。こうしてさ…」
「はい! いらっしゃいっ!」

 威勢のいいやり取りと駆け引きを楽しんで市場を出てくる3人。
 リカが抱えた紙袋には零れんばかりに野菜。
 カオリの左肩には氷を詰めてもらった肉と魚の入ったスチロールの箱。そして右肩に担いだこれまた野菜の入ったダンボール。
 ノゾミは調味料や缶詰の入った紙袋を抱えていた。
「なんとか間に合ったよ。お金」
 ジープに戻ると、カオリは後部座席に紙袋を置いたノゾミにダンボールの箱を取らせると、発泡スチロールの箱を運転席の陰になるように下に置いた。
「いっぱいまけてもらったもんね」
 と、リカが紙袋を同じように後部座席においてノゾミに向かって微笑む。
 カオリも目を細めて笑った。
「のんちゃんのおかげだね」
「へへへー」

   リカは運転手。ノゾミは出かる直前にたまたま会って、
  『一緒に行く?』
  『うんっ!』
   っていう簡潔なやりとりで着いてきただけ。

 終わってみれば、大活躍。
 当の本人は照れくさそうに笑っている。
275 名前:おかいもの 投稿日:2004/07/18(日) 13:59

「カオたん。これで終わり?」
「うん。買い忘れはないと思うんだけど…」
 ダンボールの中と紙袋をごそごそと確認するカオリとリカ。

 むうっと見上げた空は太陽が頑張ってるおかげでカンカン照り。
 ふうっとノゾミは息を着いて、なんとなく辺りを見回した。
「ん?」
 はたはたと頼りない風に揺れるのぼり。
 その横、店の前にぽつんと横に長い冷蔵庫。
「ふぅん」
 ノゾミはにっと笑った。

「えーと。大丈夫だね」
「うん。じゃあ、帰ろっか」
 と、カオリが腰に手を当ててよいしょと屈んでいた腰を伸ばすと、
「あれ? のんちゃんは?」
 いない?
 きょろきょろと見回すけど、さっきまで隣にいた八重歯がかわいいおこちゃまな17歳の姿がない。
「さっきまでここに…」
 リカもぐるりと辺りを見回して、
「あっ!」
 っと指をさした。
 指し示す方には横長の業務用冷蔵庫を覗き込むサンドカラーの半袖のチノシャツを着た小さな後姿。
 カオリは看板の『菓子問屋 山本商店』の文字を見て困ったように微笑んだ。

「みんなにはナイショだよ」
276 名前:おかいもの 投稿日:2004/07/18(日) 14:00

   *

 時速80キロ強でまた草原の中の街道をジープが駆け抜ける。
 考えてみれば生ものがあるわけで帰りは屋根をつけた。
 日陰に少しぬるい風がキモチがいい。そのせいか、長方形のラクトアイスを食べてはしゃいでいたノゾミはシートに体を預けて夢の中。
 二つのシートの間から顔を覗かせて、カオリはそっとノゾミの頬に触れた。
「のんちゃん、すっごく楽しかったみたいだね」
「うん。あんまりないもんね。こういうこと」
「そうだねぇ。みんなで来たら、もっと楽しんだろうけどね」
「ふふ。そしたら、カオたん疲れちゃうかもね」
「そうだねぇ。マコトとのんちゃんが一緒になったら倍くらいにぎやかだし、二人にそれとサユも食べるのすきだしね」
 すーすーと穏やかな寝息のノゾミ。
 暴走しかけるところをリカとミキが慌てて押さえ込んで、気がついたらレイナがはぐれてて、探しに戻ったらサユミが消えてて…。
「まぁ、それはそれで楽しいんだけどね」
 サユミが見つかったと思ったら、のんびりとこれおいしいですよぉ、なんて言われて…。
「たまには…戦場以外の所にも連れてってあげたいからね」
 カオリは風に揺れるノゾミのかっちりとした前髪をいじりながら呟いた。

 弾が飛び、悲鳴が飛び、人が飛ぶ。
 硝煙の臭いと乾いた土の香り。むせ返る血の臭い。
 それが自分達のもう一つの居場所。
 それが今、自分達が一番よく知っている場所。 

 体を張って、命をさらして…。

 それでも、そこは自分で望んで向かった場所。

「だって、疲れちゃうでしょ。それに、ほら。社会勉強もしないとね」

 軍人だって人間で、まして花もたぶん恥らう乙女たち。
 たとえ望んだからって、息抜きの一つもないとどんなにキレイな花だって枯れてしまう。

「ふふっ。そうだね」
 ミラー越しに微笑みかけたら、カオリから返ってきたやわらかい笑顔。
277 名前:おかいもの 投稿日:2004/07/18(日) 14:00
 
 流れる緑が目にまぶしい。
 その先には悠然と広がる青。
 雲ひとつない快晴な空で太陽が威張っている。

 カーステレオから流れる軽快なテンポのサマーソングを口ずさんで、リカはなんとなくそれを聴きながら軽快にジープを走らせる。
「カオたん」
「ん?」
「何作るの?」
「あれ? 言ってなかったっけ?」
「うん。聞いてないよ。でも、なんとなく…これかなぁっていうのはわかるけど」
「じゃあ、当ててみて?」
 クスクスと笑いながら、カオリが身を乗り出す。
 リカはちらりと目をやった。
「シチュー?」
「さぁ…どうでしょう…」
 といって、ドルルルルルル…と自分でドラムロールの音をつけると、
「ピンポーン。ビーフシチューでーす!」
 すると…、
「んー。しちゅぅ?」   
 ノゾミがむっくりと起き上がった。
「おはよ。のんちゃん」
「うん…。…寝ちゃった」
「キモチよさそうだったね。のの」
「うん…」
 ふわぁ…と大きなあくびが一つ。
 ふふ…。シチューって言葉が出てきて目が覚めるなんて、なんかのんちゃんらしいね。
 カオリがやわらかい手つきで撫でてあげると、てへっととろけるように笑うノゾミ。
 フロントガラスの向こうに、陽炎に揺らめいたベースキャンプの姿が見えてきていた。
278 名前:おかいもの 投稿日:2004/07/18(日) 14:01

  *

 トントントン。

 にぎやかな包丁の音。
 ミキが調理場を覗き込むと、
「リカ、これも切っといて」
「はぁ〜い」
 リカはにんじんを受け取ると、手早くピラーで皮を剥いて半分に割り、ざくざくと乱切りにしていく。
 カオリはジャガイモを剥きながら、
「だいぶ上手くなったじゃん」
「えへっ。最近はカオたんのお手伝いしてるからね」
 と嬉しそうに笑うリカにやわらかく微笑んだと思ったら、
「こらー! のんちゃんっ!」
 サラダに使うハムを失敬していたノゾミを怒鳴り飛ばした。
「もぉ。お手伝いしないんならマコトと遊んでらっしゃい」
「えー。だってマコト相手してくんないんだもん」
 そういえば、またラブレター書いてたっけ…と、便箋片手にサクラの木の下にいたのを思い出したミキ。
「ほら。のんちゃん、だったらこれ切って」
「はぁ〜い」
 まるで母親のようなカオリについ笑みが零れる。
 その隣で一生懸命手伝うリカはかわいくて、なんか微笑ましい。
 まるで新婚のだんなさんみたい…。
 そんな自分につい苦笑いするミキ。
 そこに、
「ミキ!」
「はいっ!」
「おいで。楽しいよ」
 と、カオリに手招きで呼ばれた。
 のそのそと中に入っていくと、包丁を置いたリカからエプロンを受け取って、ついでに後ろを結んでもらう。

 トントントントン。
 トントントントン。

 並んで黙々と、下ごしらえに頑張るカオリ、リカ、ミキ。
 ノゾミは気がついたら外でマコトと遊んでいた。
 カオリが手馴れたスピードで、
「このワカメ、わっ! 噛めん」
 なんて駄洒落を交えながらサクサクと進めていく。
 その駄洒落を聞き流し、時に苦笑いしてリカとミキもなんとかこなしていく。
279 名前:おかいもの 投稿日:2004/07/18(日) 14:02

 しばらくすれば煮込まれたスープのいい香り。
 
「ねぇ。カオたん。何でシチューなの?」
「しかもビーフですよね。ミキ的には何の問題もないですけど」
 そしたら、ふんわりと優美な微笑みと一緒に返ってきた、
「食べたかったから」
 その一言。
 リカとミキはらしいな…と顔を見合って笑った。

 煮込んで野菜が柔らかくなったのを確認すると、デミグラスの缶を開けた。
 そして隠していたカオリの“いいことあった日の晩酌用”の残りのワイン少しだけを入れて大人の味に仕上げると、ぴょこっと調理場を覗き込む4つの顔。
 そのわくわくがあふれ出している4人にくすりと笑いかけて、隠し味を少々。
 ふと開きっ放しの勝手口の向こうを見れば、黄昏色の空。
 真夏に煮込みの料理の厨房の蒸し暑さにカオリは額の汗をぬぐった。

「さっ。ゴハンにしよっか!」
280 名前:おかいもの 投稿日:2004/07/18(日) 14:03

 食卓に立ち上る白い湯気。
 それは幸せの証。
 一つのテーブルを今日はなんだか7人で囲んでみた。
 
 少しトマト酸味の利いたデミグラスソースに隠し味のハチミツでほんのり甘く食べやすく。オトナの味にちょっとだけコドモの風味。
「なんか…カオたんみたい」
 一口食べて「おいし」と微笑んだリカがそう言うと、ミキもこくりとうなずいた。
 寸胴を置いた隣のテーブルではマコトとノゾミが激しいおかわり争い繰り転げ、そこにのんびりとサユミが参戦して三つ巴の争いになっている。
 そんな3人にどこか圧倒されつつ、黙々と食べるレイナに、
「レイナ、おいし?」
 とリカが尋ねたら、
「はいっ! おいしーです!」
 なんて妙に声を張って答えるから、ミキがくっくっくっとおなかを押さえて笑いだした。
 むうっと真っ赤になるレイナ。
「なっ! 何笑っとーよ! みきねぇっ」
「だっ…だってさぁ。ねぇ。リカちゃん」
 話を振られたリカはというと、頭に『?』を乗っけてきょとんとしている。
 リカはなんかよくわからないけどとりあえず笑うと、噛み切る必要がないくらいにやわらかくなった肉が乗ったスプーンをそっと持ち上げてミキに見せた。
「ミキちゃん。いる?」
「うんっ!」
「はい。あーん」
 なんていうやり取りを、ちょっと面白くなさそうに見つめるレイナ。
 ったく…バカップルっちゃ…。
 なんて思っていたら、
「ほら。レイナ」
 自分の口元に向けられた肉がちょこんと鎮座ましますスプーンにどぎまぎ。ちらりと前を見たらミキがニヤニヤと笑っていた。
「あーん」
 って言うリカの声にドキドキを隠しながらおとなしく口を開けると、そっと滑り込んできた肉。
「おいひーです」
 って言ったら、返ってきたやわらかい微笑。
281 名前:おかいもの 投稿日:2004/07/18(日) 14:03

 零れんばかりによそって戻ってくるノゾミ。
 マコトはついでにパンもおかわり。
「また太るよぉ」
 ってミキが言うと、
「大丈夫です。走りますから」
 と、真顔できっぱり。キラリと光った目。
 レイナとのやり取りを何気に見ていたサユミもリカにあーんって食べさせてもらって、へへへっと笑っている。

 熱帯夜な食堂の中をなんとなく涼しい扇風機の風が通る。
 額に汗して食べるビーフシチュー。
 
 いいなぁ。
 シチューって。たまには夏でもいいよね。
 みんな楽しそう。よかった。
 頬杖を突いて、楽しそうな部下の姿を眺めていたカオリだが、ふと思い立つ。

 明日はそうめんにしよう。
 お昼はそうめん。

 そしてそのまま交信に突入するカオリ。
 ふと、我に返った頃には寸胴の中身はキレイになくなっていた。
282 名前:おかいもの 投稿日:2004/07/18(日) 14:04

 デザートはお手製のチーズケーキ。
 やっぱりそこは女の子。
 一気に華やぐ表情。
 ノゾミの厳しい監視下の元、均等に切り分ける。
 シチューはたまたま食べたかっただけだが、このケーキには意味がある。
「サユ、誕生日おめでとう」
「ありがとうございます!」
「おめでとう。サユ」
 紅茶で乾杯して、15歳を祝うささやかなパーティに様変わりするデザートタイム。
 先月のノゾミの時は様子を見に来たユウコが差し入れたシフォンケーキだった。
 ろうそくはないけれど、
「ハッピ、バァスデートゥ〜ユゥ〜」
 仲間たちの明るい歌声。
 サユミはちょっと頬を赤くして、だけど満開に笑顔を咲かせてかしこまっている。
 歌声は食堂の開け放たれた窓を飛び出して真っ暗な夜の中へ。

 きらりきらりと瞬いた夏の星座。

 カオリのチノシャツの胸ポケットにはラクトアイスの棒。
 そこに書かれたホームランの文字。
 あたりは買ったお店で取り替えましょう。 
 今度はみんなでお買い物だね。
 たまには出撃以外で全員ででかけたっていいじゃない。

 蒸し暑い夏の夜はなんだかやさしさに包まれているようだった。
283 名前:おかいもの 投稿日:2004/07/18(日) 14:04

      「おかいもの」           END
284 名前:さすらいゴガール 投稿日:2004/07/18(日) 14:15
大変時間がかかってしまった。
怠惰な自分に喝を入れねば…。
前回はいいところで変換ミスやら誤字やらで沈没しました。
今回は少ないといいなぁ…。推敲したんだけれども…。うぅ…。
本気でへこみましたさ…。

前回まで重いお話が続いたので、今回はいいら三姉妹で微笑ましく。
のんびりな感じを楽しんでいただけたらうれしいです。

>>267 名無飼育さん様
 ありがとうございます。
 泣いてもらえるとは思ってもいませんでしたので…。
 それを聞いたギョロ目怪人さんもまた大泣きすると思われますよ。
 みんな泣き虫でいいじゃないですか。
 それだけココロがあったかいってことなのですよ。たぶん。

>>268 名無飼育さん様
 自分でもやさし過ぎるなと思います。
 でも、こんな舞台だからこそやさしくあってほしいと思ったりも…。
 目から変な水を出させてしまいましたか。
 何かを感じていただけて、ありがとうございます。

 
 

285 名前:さすらいゴガール 投稿日:2004/07/18(日) 14:50
ごめんなさい。補足です。

280 9行目 すいまません。この変換ミスはわかりにくいので…。
  誤 寸胴を置いた隣のテーブルではマコトとノゾミが激しいおかわり争い繰り転げ…
  ↓
  正 寸胴を置いた隣のテーブルではマコトとノゾミが激しいおかわり争い繰り広げ…

281 19行目〜
 
  明日はそうめんにしよう。
  お昼はそうめん。

  この後に → 『 だって夏一番の人気者。 』 追加してください。                    
286 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/20(火) 02:32
どんな感想書いても陳腐になりそうで_| ̄|○
まぁとにかく、ここが今一番更新が楽しみな話だって事です!
287 名前:ロザリオ 投稿日:2004/08/09(月) 00:38

 夜半過ぎに降った土砂降りの雨も、やたらと早起きの夏の太陽のおかげで10時を回るころにはすっかり乾いていた。
 見上げる空には風にすうっと後ろ髪をなびかせるような雲。
 ベールのように淡く広がってなんとなく光を和らげるから、太陽が雲の向こうに隠れると吹いてくる風が涼やかで、今年も案外秋も早いかもとサユミは思った。
 もっとも、その5分後には雲一つなくなって、やっぱり今年は秋が来るのは遅いかも…と思わせられる。

 兵舎から東へ歩くこと5分。
 高い木の塀に囲まれた小屋のドアの前に立って、1つ大きく深呼吸した。
 この時間、射撃場にいるのはイシカーさんだけ。
 レイナはフジモトさんと格闘の特訓。
 ツジさんとオガーさんはランニング。
 イイダさんは…なんだろ…交信?
 とにかく、今はイシカーさんだけ。
 ドアノブを握って、なんとなくまた1つ深呼吸。
 たかが射撃場の中に入るのに、何でこんなに緊張しなきゃなんないのか。
 一度辺り見回して、ゆっくりと少し錆びついたドアノブを回した。

 入ってすぐ右手側のドアはハンドガン用のスペース。4つのブースに分けられて20メートルほど先に白と黒の丸いターゲット。
 サユミはそちらには目もくれず、まっすぐと突き当たりのドアを目指す。
 軍用のカーキグリーンのキャンパス地のショートブーツの底が床を一歩踏むたびに、ギシギシとワックスの剥げた木の板がかすれた声を上げる。

 ギシ、ギシ。

 たかが10メートルほどの距離の間に、わけわかんないくらい高まる緊張感。

 ギシ、ギシ。

 ぎゅっと握り締めた拳は胸の上。
 まっすぐ見据えてそこそこに歩けばもう目の前にはドア。その向こう、そこに広がる空気。
288 名前:ロザリオ 投稿日:2004/08/09(月) 00:39
 
『 ロングレンジ用 』

 目の高さより少しだけ高いプレートを見つめて、サユミはふっと息をついた。
 ほとんど乙女隊が占有化している射撃場。
 その中でもロングレンジスペース、ライフル用のその場所はスナイパーであるカオリとリカの二人の場所のようなもの。
 そこにあるのは沈黙と鼓動。
 静かなのに、静かだからこそはっきりと感じ取れる微かな息遣い。
 やがてそれすら周りの景色の中に溶けてしまう頃、飛び出した弾丸はターゲットのど真ん中に埋め込まれる。
 銃を構えてターゲットを見据える姿が神聖にすら思えた。
 きっと神様とお話ししてるんだろう、サユミはそう思っている。
 その邪魔をしてはいけない。
 胸のドキドキは、そういうことなんだろう。
 
 ドアノブにそーっと手を置く。
 ドキドキが加速する。
 まるで恋してるみたい。
 ちょっと可笑しくなって、ほっと少しだけ解けた緊張。
 今のうちにとドアをゆっくりと開けた。
289 名前:ロザリオ 投稿日:2004/08/09(月) 00:39

 キィ…ッ…。

 思いのほか大きくきしんだドアにびくりと跳ねるサユミ。
「…っ!」
 思わず声を出しそうになって慌てて口を左手で押さえると、静かに慎重にドアを閉めて足音を忍ばせて中に入った。
 仕切りのないシートだけが置かれた5つのスペース。50m先にあるターゲット。小さな木のテーブル。そしてなにやらいろいろと置かれた4段ぐらいの木の棚。そして銃を保管するロッカー。 
 奥から2番目。
 リカはライフルを構えて跪き、じっとターゲットを見据えている。
 風に揺れる草。流れる雲。窓にかかったカーテンがパタパタと揺れる。
 まるで色鮮やかな写真のように、一枚の絵としてリカはそこにいる。
 
 時間が止まっている。
 そんな錯覚。

 一度レイナと覗きに来た時、なぜノゾミたちがカオリとリカがここにいるときに射撃場に近寄らないのかがわかった。ミキでさえ二人でいるときはここには近づかない。
 静けさが生み出す張り詰めた緊張感。
 それはターゲットを見据え、微かな息すら殺して気配を消し去る研ぎ澄ました神経と集中力が生み出す“静寂”と言う名の異空間。
 そこを打ち破って暴れるツワモノはいない。
 世界を乱すものは、容赦なく撃ち殺す。
 そんな声が聞こえてくるからだ。
 その声の主はおそらく、他ならぬ自分自身なんだろうけど…。
 しかし、かくして障らぬ神になんとやら。
290 名前:ロザリオ 投稿日:2004/08/09(月) 00:40

 風の音、揺れる影。動かないリカ。
 サユミがぼんやりと異空間に飲み込まれているところを、高い声がちょっとばかりの緊張感を残したままあっけなくぶち壊す。
「サユ」

 ドキン!

 心臓が飛びだした。

「はいぃっ!」

 軽く30pほど飛び上がって、サユミはばしっと壁に背中をぶつけた。
 
 バクバクバクバク…!

 ぎゅうっと胸のロザリオを握り締め、へなへなと座り込む。心臓が痛い。それまでそれでもアップテンポのビートだったのにいきなりへヴィメタルである。ムリもない。
「サユ?」
 構えを解かないままもう一度呼んでみると、後ろの方から、
「はっ…はぃぃ…」
 よろよれとしたか細い返事が返ってきた。
 そこでようやく構えを解いて振り向くと、ぺたんと座り込んで胸に手を置いているサユミの姿。見開いたまま焦点のさまよった目がなんとなくリカを映していた。
 リカは安全装置を動かしてライフルを置くと、苦笑いしながらよいしょと立ち上がった。
 サユミの目がその動作をぼんやりと追いかける。
「サユ?」
「はい…」
 呆けた顔で見上げるサユミの前にしゃがむと、リカはふわりと微笑んで包み込むように抱き寄せた。
「ごめんね。驚かせちゃったね」
 やさしく囁いて、ゆっくりゆっくりと背中をさすってやる。
 よくわからないけどなんかいい匂い。
 あったかい…。イシカーさん…。 
 やわらかいぬくもりと一緒にリカの胸から感じるトクントクンと規則正しい鼓動にゆるゆるとまぶたが落ちてくる。懐かしい感触がふぅっと胸に甦ってきて、サユミは握り締めていたロザリオから手を離してリカの軍支給の半袖のチノシャツの袖を握り締めた。
 すっかり体を預けて目を閉じるサユミの背中や髪をなでながら、ゆらゆらと揺れる。
291 名前:ロザリオ 投稿日:2004/08/09(月) 00:41

 さらさらと風が歌って、湿度のやや高い風が屋根の影で気持ちいい。

 耳を澄ませば、
「たぁっ!」
 ミキにあしらわれても果敢に向かっていくレイナの気合がこもった声。  
「のんつぁん、おそーい!」
「えー…。もぉ…おなかへったぁっ…」
 ランニングをするマコトとノゾミのやりとりに、リカから思わずくすっと笑みが零れた。
292 名前:ロザリオ 投稿日:2004/08/09(月) 00:41

 ふーっと吐き出されたサユミのため息。
 ポンポンと背中を叩いて、リカは耳にそっと唇を寄せた。
「どう? 落ち着いた?」
 コクリとうなずくサユミ。
 うなずいて、リカは少しだけ体を離して顔を覗き込んだ。
「ホント、ごめんね」
「…」
 うつむいたままふるふると首を横に振った。右手はしっかりリカのシャツの袖を掴み、力なく床に触れていた左手がロザリオを包み込む。
「サユ…?」
「…大丈夫です…」
 不安げに見つめるリカに笑って見せて、サユミはそっと離れた。
「なんか…懐かしかったんです」
「…」
「お姉ちゃんにしてもらってるみたいで」
「…そっか」
 リカは少し戸惑ったように眉をハの字に下げて笑っていたが、ちょっとはにかむような笑顔で見つめるサユミの頭をくしゃくしゃとなでて立ち上がった。
「立てる?」
 手を差し伸べると、「はい」としっかりと掴んで立ち上がるサユミ。
 そのまま手をつないで、とりあえずシートに置きっぱなしにしてあるライフルを手にした。
「そんなにびっくりした?」
「だって、イシカーさん…見てなかった…」
「ん?  …あぁ…」
「わかるんですか?」
「うん。わかるねぇ」
「イイダさんも?」
「うん。カオたんも。あと、ケメちゃん…ヤスダさんも」
 ふぇ…と顔中に驚きを広げるサユミに、リカはちょっと困ったような照れくさそうな笑みを浮かべている。

 これがスナイパーなんだと思った。
 空気を変えてしまうほどの集中。
 銃声や怒号の渦巻く戦場にあってなお、彼女たちは絶対的な静寂。
 背筋が震えた。

 大して大きくないリカの手の中にある使い込まれて、だけどよく手入れの行き届いたライフル。
「なんかね、違うんだよね。みんな」
「何がですか?」
「何って…なんていうのかなぁ。空気…がね」
「空気…」
「うん。あとは足音とかね。ほら、ここは基地内だからみんな特に警戒するわけでもないし」
「で、わかっちゃうんですか?」
「わかっちゃうんだよね。これが」
 そう言って、これも訓練の賜物なんだけどね…って笑った。
293 名前:ロザリオ 投稿日:2004/08/09(月) 00:44

 じりじりと地面を焼く太陽の光の中、どこぞでセミが声を張り上げて残りわずかな命を証明している。
 なんとなく光に溢れた屋根の向こうの空を見上げて、そして視線をすうっと陽炎の中で揺れるターゲットへ。
 ライフルをテーブルに置くと、リカはターゲットに向かって指で銃を作った。
「ばんっ!」
 指先が呆れるくらい真っ青な空を突き刺す。
 サユミもその隣に立って、
「ばんっ!」
 ターゲットに向かって指で作った銃を撃ってみた。
294 名前:ロザリオ 投稿日:2004/08/09(月) 00:44

 バタバタバタッ!

 焼け付く白い陽射しの中でミミズを突いていたすずめがわたわたと飛んでいく。
「あははっ! ストラーイク!」
 リカはぐっと親指を立てた。そして、パチンとハイタッチ。 
 飛んでいくすずめをなんとなく見送って、リカはうーんと唸って両腕を高々と突き上げて体を伸ばした。
「どうしたの?」
「はい?」
 きょとんとした目を向けると、ふうっと腕を下ろしてテーブルに浅く腰掛けたリカが首をかしげている。
「ここって、あたしとカオたん以外何でかみんなあまり来たがらないでしょ。ののだってあたしがいるってわかってても来ないし。カオたんとよく不思議だねーって」
「はぁ…」    
 何で来ないのか。どうも当人たちはその理由がわかってないらしい。
 そっちの方が不思議です…とは、さすがにサユミも言わなかった。  
「あれ? あたし、なんかヘンなこと言った?」
「…いっ、いいえ! そんなことないですよぉ!」
「ほんとぉ?」
「ほんとですって!」
 はたしてスナイパーという人種はヘンに鋭いのか、それともサユミがただ単に正直すぎるのか。
「うーん…。わかった。でも…ね」
 リカの顔がふっと不安の色を帯びた真顔に変わる。
 じっと見つめる見透かすような瞳を、サユミは素直にまっすぐ見つめ返した。
「すごいですね」
「ん?」
「なんでもわかっちゃうんだなぁって」
「ふふっ。そんなことないよ」
 けど、サユミはふんわりと微笑むだけで、キラキラとまっすぐに見つめられてなんか照れくさいなとリカの顔が少し赤くなる。
 サユミもリカの隣でテーブルに浅く腰掛けて、乾いて焼けた地面と風に揺れる草が茂ったシューティングエリアに目を向けた。
「イシカーさん」
「ん?」
「私も…なれますか?」
 穏やかに笑ってはいるがその目は驚くほど真剣で、ふとリカの胸に過ぎる記憶。なれるよ。
「練習すればね」
 テーブルから離れると、リカは奥から2番目のシートに立ってライフルを構えた。
 照準の向こうにターゲットを見据えて、すうっと息を吸い込む。
295 名前:ロザリオ 投稿日:2004/08/09(月) 00:46
 
 空気が変わる…。

 たった一呼吸。
 それだけでリカの姿がやさしいちょっと天然なお姉さんからスナイパーへと変わる。
 サユミはじっとリカを見つめて呼吸を合わせてみた。

 スー。

 しかし、たった3メートルほどの距離でもリカが呼吸をしているのかがよくわからない。胸やおなかを見て、その微かな動きを探ろうと試みる。

 ハー。

 空気が張り詰めて、自分の中にも高まる緊張感。

 スー。

 少しずつ呼吸がわかるようになってくる。

 ハー。

 背筋をピンと張って、風に前髪をさらりと揺らすリカの姿が屋根の向こうの光の中に浮き上がって見えた。
 ふぅっと何かの気配を感じる。
 それでいて…やけに静かな自分の心と、すうっと視界の端から消えた風景。
 
 タン!

「えっ!?」

 気がつけば、ライフルを少し下げてターゲットを見ているリカ。
 カシャンと薬莢が飛び出して床板の上に転がった。
「ふーん。まぁ、こんなもんかな」
 ターゲットの真ん中の円の中にできた穴。
296 名前:ロザリオ 投稿日:2004/08/09(月) 00:55
 空の薬莢を拾ってシートとシートの境にある空き缶に入れると、リカはにこりと笑った。
「おいで」
「あ、はい」
 サユミがテーブルから離れて小走りで駆け寄るとリカに座るよう促された。
 リカはシートからいったん離れると、棚からケースを取り出して戻ってきた。
「なんですか? それ」
「これ? クリーニングキットだよ」
 サユミと向かい合うようにまたシートに座ると、体の横にケースを置いて開いた。
「メンテナンスは大事だからね」
 クリーニングロッドを繋ぎ合わせて先端に筒状のフェルトのようなものをつけると、ボルトを外して銃身にロッドガイドをつける。
 その流れるような作業に見とれるサユミ。
「ねえ、サユ」
「はい」
「見てて楽しい?」
「はい?」
「うーん。なんかね、練習しに来たんじゃないみたいだし」
 クリーナーと横文字らしきもので書かれたビンを空け、棒に刺したフェルトを中に入れて液を滲みこませて取り出す。
「わからないんでもないんだよ」
 油の臭いがつんと鼻をさす。
「あたしもよくヤスダさんやカオたんの練習見に行ってたから」
「イシカーさんも?」
「うん。あたし、入隊した頃は前列、今のミキちゃんとかののと同じポジションで、サブマシンガン撃ってたからね」
 銃身の中をクリーニングロッドがしゅっしゅっと往復する。
「でも、あたしよっすぃやののと違ってそんな体力やパワーがあるわけでもないし。それで…ね」
 付いて行くのがせいいっぱいだった頃。
 ただ必死になって、必死だった。
 何があるわけでもない自分を嫌でも見せ付けられて、死への恐怖よりも無力感で逃げ出したかった。
297 名前:ロザリオ 投稿日:2004/08/09(月) 00:57
「それにね、二人ともかっこいいの」
 2、3回ほど銃身の中を往復させたクリーニングロッドを抜くと、フェルトを外してビニールに入れた。
「見たことある? ヤスダさんなんかね、きりっとしててかっこいいし。カオたんはね、なんていうのかなぁ…女神?」
「女神?!」
「そう! あの緊張感っていうか空気。なんかこう…優雅っていうのかぁ。光が射してるみたいなの。あの姿には憧れちゃうなぁ…」
 要するに戦場の女神であるらしいその姿。
 ひどく簡単な説明だけど、サユミの頭にはものすごく鮮明に描きだされるイメージ。これだけ鮮やかなら、実物を見たらどれほどなんだろう。戦闘時とまた違った良さがあるらしい。
 リカは取り付けたブラシの先にさっきと同じ薬品をつけると、また銃身の中へと差し込む。
「あたしのなんか見るより、カオたんを見たほうが勉強にもなると思うんだけどなぁ。カオたん頭いいから教え方も上手だし」
「そんなことないですよ。私、イシカーさんが見たかったんです」
「またぁ。お世辞言っても何もでないよ。あたし、ちょーしに乗って本気にしちゃうよ?」
「ふふっ。してください」
 ちょこんと首をかしげて素直な笑顔で言われてしまったら、もう疑うことなんてできない。
 かわいいなぁ…。
 リカはロッドを往復させながら照れくさそうに笑ってみせて、少しだけ遠い目で続けた。
「ある日ね、ヤスダさんが誘ってくれたの。そしてね…」

  『あんたには、こっちの方がお似合いね』

「ライフルをくれたの。支給されたばっかりの真新しいの。それからカオたんも加わって、個人訓練の時はつきっきりであたしに時間を割いてくれて…。一ヶ月くらい特訓したかな…」
「そうなんですか…」
「うん。そのころはあたしとあいぼんで特殊編成の任務があったから、カオたんに特訓してもらうことが多かったけどね。ヤスダさんとカオたんにはいろんなこと、いっぱい教えてもらったよ」
 ロッド銃身から抜くと、ブラシを外してまたフェルトを先端にとりつける。
「あたしなんてまだまだだから。見てて何か学べるものがあるんなら、うれしいけどね」
 銃身の中に再びフェルトが入っていく。
298 名前:ロザリオ 投稿日:2004/08/09(月) 01:00
 ブラシに比べて微妙に引っかかるのか、腕に少しだけ力が加わる。
「イシカーさんも、かっこいいです」
「ふふっ。ありがと」
「上手く言えないですけど、どんな世界を見てるんだろう…って、そう思ったんです」
「世界?」
「はい。引き金を引くまで、しーんとした空気の中で何を見てるのかなぁ…って」
「…」
 銃身の中を往復していたフェルトが光のある外の世界に返ってくる。
 リカはフェルトを袋の中に捨てると、ふむと目線を落として軽く息を吐いた。
「同じこと…美貴ちゃんも言ってた」
「フジモトさんが?」
「うん」

『ねぇ。スナイパーってさ、構えてる時何見てるの?』 
 
「別に…何も見てないんだけどね」
「どういうことですか?」
「うん…」
 一つ自分に向かってうなずいて、ロッドに新しいフェルトを取り付けるとサユミからロッドを遠ざけるようにしてガンオイルをしっかりと吹き付ける。
「普通だよ。みんなが見てる世界と一緒」
 ガンオイルの滲みたロッドが銃身の中に入っていく。
「照準の向こうにターゲットを見据えて、呼吸を合わせて、集中して…。振動を少しずつ最小限に抑えて、撃つ…それだけ」
 その“それだけ”が難しいことなのに、あっさりと言い切るリカにサユミは驚く。
299 名前:ロザリオ 投稿日:2004/08/09(月) 01:00
「もちろん戦場じゃ時間なんかかけていられないけどね。だから、こうして訓練してる時は、撃たないでずーっと集中力を持続させるように訓練したりとか。あと…時々、カオたんみたいに交信じゃないけど思いにふけっちゃったりとかね」
「あの、たとえば…会話…ですか?」
「あぁ…なるほどねぇ。そう。そうかもね」
 そう言って、ふと顎に手をやって視線だけを上げて空を見上げたリカ。
「たとえば自分とか…。あぁ、よくヤスダさんと話してるかも」
「ヤスダさんと…?」
「うん。カオたんもよく言ってる。またケイちゃん来たよーって。住み着いてるのかもね」
 どうやら、ここはある意味本当にミステリースポットになっているらしい。
「まぁ…さびしがり屋さんだからね」
 呟くよう言って笑った顔はなんだか切なそうに見えた。 
「まぁ、それはともかく、でも…そうだなぁ。静かな世界では…あるかもね」
「静かな…」
「うん。音のない…だけど音だらけの世界」
「でも、それってうるさいんじゃないんですか?」
「ふふっ。そうだね。だけどね…静かなんだよね。なんか一つになった感じ」
「一つ…?」
「そう。音も気配も全部自分のものになったような…そんな感じかな」
 それがおそらく自分が感じた空気なんだろうとサユミは気がつく。考えてみれば、集中と張り巡らせた神経によって作り出された世界の中心にいるんだから…。
 リカはロッドを銃身から抜き出すと、黒く汚れたフェルトをビニールに入れてロッドを分解し始めた。
 そういえば…とサユミはふと、気づいた。
「あの…フジモトさん、ここ、来るんですか?」
「うん。たまにね。部屋の隅で腕組んでずーっと見てるだけなんだけどね」
「へぇ…」
「だからって何をするわけでもないし、ふらりといなくなっちゃうけどね」
 おそらく、何の会話もないんだろう。
 フジモトさんは、イシカーさんにいったい何を見てるんだろう。
300 名前:ロザリオ 投稿日:2004/08/09(月) 01:02

 すずめがちちち…と舞い戻ってきて炎天下の中でミミズを探して枯れた地面を突っつく。
 少し高い木の塀を越えてレイナの少しバテ気味な声が聞こえる。
 屋根の下の影とはいえ、ぬるい風に含まれた湿気がまとわりつく。

 ロッドをケースにしまうと、今度は布にガンオイルを吹き付けて薬室を丁寧に磨いていく。
「サユ」
「はい」
 銃に落としていた目線を上げ、何かを言いかけて開いた口を一度くっとつぐんでから、ふと考えるようにまた銃に目を戻した。
「ライフルを持つ人には、覚悟いるんだよ」
「…覚悟」
「そう」
 薬室を磨き終え、またガンオイルをつけて今度は銃身へ。
「スナイパーの仕事はね、確実に命を奪い去ること。もちろん、それはどんな銃でも倒すことイコール殺すことだから当たり前なんだけどね」
 磨きこまれて鈍い鋼の色に鋭い光が宿る。

「スナイパーとは」
『敵に知られることなく、命を奪う』
「それは相手に死の予感を与えずに命を奪うということ。未来を奪うことなの」
『それだけじゃない。奪い取った命のそばにあった人たちに悲しみや怒りを与える』
「それが戦争。それがあたしたちの仕事」
『だからこそ、あたしたちは』
「より強く感じる必要があるの」
『銃を手にするという重さを』
「命を奪うということの重さを」
301 名前:ロザリオ 投稿日:2004/08/09(月) 01:03
 リカの向こうに? 中に? 誰!?
 時折重なった声、そして気配。
 サユミの目はすうっとわずかに見開いていて、吸い込まれるようにやわらかく微笑むリカを見つめていた。
 右手で強くロザリオを握り締める。
 リカはふっと少し自嘲するように笑った。  
「キレイゴトだけどね」
 リカは油塗れになった手をタオルで拭くと、布を畳んでクリーニングキットのケースにしまうとぱちんとふたを閉じた。
「…そんなこと…ないです」
 サユミが小さく首を横に振ってみせると、リカはロザリオを握り締めた手にそっと自分の手を重ねた。
 そして、リカの瞳が色を失う。光にも闇にもなれない重い灰色。
「自分が死ぬこともそう。いつ消えるかわからない命…。たとえ…何があったとしても…」
 包み込む手はあたたかい。
 この手から、誰かがぬくもりを奪い去る…そんな日が来ないとは限らない。
「簡単だよね。人差し指1本で殺せちゃうんだよ」
 
 遠くにいようが近くにいようが、くいっと引き金を引けば簡単に人は死ぬ。
 銃によってはさまざまで、気づかないままだったり、両手じゃ足りないくらいの人たちをいっぺんに空に返したり…。

 そんな簡単なことなんだよ。
 そんな簡単なことでいいのかよ。

 何が正しい? 何が違う?

 そんな簡単なことでいいんだよ。 
 それでまかり通る今現在、自分のいる環境。
302 名前:ロザリオ 投稿日:2004/08/09(月) 01:03

「…」
 重なっている手を見つめて背筋にぞくりと冷たい何かが走っていく。
「怖い?」
「…はい」
 リカは体を寄せて包むように肩を抱き寄せると、ロザリオを握り締めた手を解いた。
 いぶし銀の小さなロザリオが夏の痛いくらいにまぶしい光の中で静かに手の中で横たわっている。
「考えてないよね?」
「はい」
 目を見てサユミはうなずいた。
 答えと強い瞳の輝きに、リカは少しほっとしたような笑顔を見せた。
「意味がないって…教えられましたから」

 あっけなく吹っ飛んだ。
 ドーンって地面が吹き飛んで、まるで木の葉みたいにひらひら飛んでいったのが人間で…。
 震えた。
 伏せた地面に振ってきたのは土と肉の固まり。
 その夜、レイナとエリと三人で抱き合って寝た。
 どんな体を寄せ合っても、強く抱きしめても、震えは止まらなかった。  
    
 いつしかそれは当たり前になった。

 自分の撃った弾で人が倒れた。
 うれしかった。

 自分は強いんだ。
 
「怖いです…」

 自分が。

 ふと気づく。
 簡単に殺せるということは、簡単に殺されるということ。

 足元に転がった味方の亡骸はぼんやりと空を見つめているようだった。
 何が起こったのかわからずに、ただぼんやりと…。

 手を見つめたら、真っ赤だった。
 そう思った。
303 名前:ロザリオ 投稿日:2004/08/09(月) 01:04
「イシカーさん。私…」
「…うん」
 ぎゅうっと抱きしめてロザリオを乗っけていた手を取って繋ぐと、リカはサユミの頭を引き寄せて胸にうずめさせた。

 トク、トク、トク…。

 テンポよく刻まれる心臓の音、布越しに伝わるぬくもりの暖かさにホッとする。

 ぴーひょろーととんびが遠くで鳴いた。   
 陽炎が揺れて、ざわざわと伸びっぱなしの草が塀のふもとで揺れた。

 建物の影とはいっても暑苦しい大気の中。だけどぬくもりは心地いい。
 目を閉じたサユミの中で浮かんでは消えて流れる風景。

   ちりんちりんと風鈴が囁いて、挨拶もなく突然帰ってきた父と兄は箱に入っていた。
   軍医だった父は基地へ戻る途中、襲撃にあった。
   その半年後、兄は前線で吹っ飛ばされて片腕がなかった。
  『顔がキレイなのは奇跡なんだよ』
   おばちゃんはそう言ったけど、死んだら奇跡も何もないじゃない。 
  
   母はショックで衰弱して、気がついたら父と兄のところに行ってしまった。
   姉と一緒に行き着いたのは親戚の家じゃなくって孤児院だった。 

   その2ヶ月後、町が襲撃された。
   孤児院の先生達と一緒に遊びに行ってた子を探しに行った姉は、傷だらけで路地裏に倒れていたらしい。
   孤児院の先生は見ちゃだめって言ったけど、言うとおりになんてできなかった。
   裂かれてぼろぼろの服。青あざだらけの体。きれいだった足を汚している赤い線。何かの異臭。
   キレイでやさしかった姉の姿はひどく疲れてて、まるで別人のようで涙も出なかった。

 記憶の中の大好きだったお姉ちゃんは、まだ、いつも笑っている。
304 名前:ロザリオ 投稿日:2004/08/09(月) 01:05

 ポンポンとあやすように背中を叩いていたら、サユミがゆっくりと体を離した。
「…すみません」
「ううん。いいんだよ」
 落ち着かせるように背中を撫でて、
「ごめんね。あたし、ヤなこと言っちゃったね」
 申し訳なさそうにリカが微笑むから、サユミは笑って首を横に振った。
 この子も強いんだ…。
 胸がくっと締め付けられる。自分を見つめるその瞳にちらりと覗く灰色の影。
 何も言わずに光を受ける胸のロザリオ。ゴシック調の細工が施されたロザリオは、たとえ3センチそこそこ小さくても荘厳で…。
 リカは触れようとしてそっと指を伸ばしかけて、ためらった。
「イシカーさん?」
 さまよった指はサユミの前髪をかきあげてそのまま梳くように髪をなで、そっと肩に置かれた。
「なんでもないよ」
「あの…いいですよ」
 胸元からロザリオを持ち上げたが、リカは微笑んだまま小さく首を横に振った。
「あたしには触れる資格なんかないよ」
「え…?」
「だって、神様なんかいないもん」
 時々見せる乾いた笑顔。そのときのリカはいつも寂しげで色褪せた瞳をしていた。  
「でも…っ」
「サユは…神様を信じる?」
「はい」
 よどみのない答えに、リカは瞳の向こうに淡い影を残したまま、だけどうれしそうに笑った。
「そっか」

 強いな…サユは。
 神様を信じるから強いというわけじゃないけれど、あんなことがあって、それでも信じることができる素直さがうらやましかった。
 神様は、みんな持っていってしまったから。
 赤い炎の中にすべてを包んで…。
 神様なんかいじわるだ。
 いや、そもそも神様なんかいないだろう。
 そんな自分がロザリオに触れる資格なんて、たぶんない。
305 名前:ロザリオ 投稿日:2004/08/09(月) 01:06

「イシカーさんは…何を信じるんですか?」
「仲間」
「…あぁ…」
「って、それは当たり前だよね」
 リカはおどけたように肩をすくめると、クリーニングを終えて膝の上に置いていたライフルを手にして構えた。
「神様はいないけど、大明神がついてるから」
 鮮烈な陽射しのかけらを受けて凛と光を宿すライフル。 
 大事にケースにしまうと、くしゃくしゃとサユミの頭を撫でてゆっくりとリカは立ち上がった。
 追いかけようと腰を浮かせたら、リカに手で制された。

 ぎしぎしと床板を鳴らしてロッカーの前でしゃがむと、ポケットから鍵を取り出した。
 カチャリと音がして並べ置かれたライフルを一本手にして、また鍵を閉めてリカが戻ってくる。
 リカが今使っているライフルに比べれば少しばかり新しく感じるが、それでもすごく丁寧に使われているものだということはすぐにわかった。
 サユミの向かいに座ると、リカはすっとライフルを差し出した。
「やってみようか」
 ドクンと心臓がなった。
 黒光りする鋼の銃身。柔らかいチークピースの木の色。
「はい」
 サユミの手がライフルを握った。
 リカはライフルを握ったまま、まっすぐにサユミの瞳を見つめて静かに語りかける。

「いい?」
 『いい?』
「銃を手にするということは、命を奪うこと」
 『銃を手にするということは、命を奪うこと』

 さっき時折聞こえた声がリカと重なっている。

「その重さを受け止めて、背負って生きていくの」
 『その重さを受け止めて、背負って生きていくの』
「それが…私たちの仕事」
 『それが…私たちの仕事』
「そして、使命」
 『そして、使命』

 銃を握る二つの手の上にもう一つの手。
 リカの後ろにはっきりと感じるあの人の姿。
 そして、リカの中に過るあの日の記憶。

「はい」
 『はい』

 うなずいて返したら、ふわりと微笑んだ。
306 名前:ロザリオ 投稿日:2004/08/09(月) 01:07
 
 リカの手が銃からそっと離れた。
 ずしりと感じる重み。
「大事に使ってね」
「はい!」
 緊張感が全身に行き渡って、だけどそれが心地いい。
 そんなサユミの姿にリカからも自然と笑みが零れる。
「メンテナンスとか、いろいろ覚えないといけないこともあるからね。しばらくは一緒に特訓だね」
「はい! よろしくお願いします!」
「うん。こちらこそね。カオたんにも言っておくから」
 そう言うと、
「じゃあ、まずはさっそく撃ってみようか」
 と、リカは今自分がいるシートをサユミに譲って、少し後ろに移動した。 
「ライフルは軍学の基礎訓でも持ったことはあるよね」
「はい」
「じゃあ、構えて」
「はい」
 銃床を肩に当て、少しぬるいチークピースに頬を軽く当てる。左手で銃身を支えて、右手の人差し指を引き金にかけた。
 照準の向こうに見据えるターゲット。
 ゆらりゆらりと炎天下の熱気に揺れて、ふいに風の音が耳についた。
 背中に感じるリカの気配。鼓動。そして呼吸。
 息をするたびにわずかに照準がずれ、鼓動が銃身を微かに揺らす。
「ゆっくり…。ゆっくりでいいよ。サユ。まずは慣れて」
 落ち着けるような静かなリカの声。
 すべての神経を使って呼吸をつめて、前に向かって意識を向けていく。
307 名前:ロザリオ 投稿日:2004/08/09(月) 01:07
 
 流れる雲。
 風が触れる感触。
 ざわざわと草がさざめく声。
 塀を飛び越えてきたレイナのへばった声。
 それをからかうミキの笑い声。
 自分の鼓動とリカの鼓動。
 
 いろんな音があるんだと思った。
 それなのに、こんなに静かに感じるのはなんでだろう。

 リカがさっき見ていた世界。
 そして、カオリもケイも知っている世界。
 
 トク…トク…トク…。

 つーっと汗が頬を滑り落ちる。
 たった引き金一つ引くだけなのに痺れる緊張感。
 
 これからも、もっといろんな世界を見ていくのだろう。
 そしてその価値観をいつかこの人と共有して、同じ世界のカケラを見ることができるんだろう。

 タン!

 引き金を引いて放たれた弾丸は、光の中へと消えていった。
308 名前:ロザリオ 投稿日:2004/08/09(月) 01:08

   *

 射撃場から出たら、兵舎へと戻るミキとレイナの後姿。
「おーい!」
 サユミがおっきな声で呼びかけて、立ち止まる二人。
 小走りで駆け寄ると、泥だらけでへとへとのレイナにミキが軽く引くほどのハイテンションのサユミが飛びついた。
「なっ…サユ、重いってば!」
「えへへへへへっ!」
 溢れんばかりのサユミの笑顔がわけわかんないレイナ。
 リカは苦笑いしているミキの隣に歩み寄ると、泥だらけでぐったり笑顔のレイナを見て、
「ずいぶん派手にやったねぇ」
 と笑うから、ミキは少し不満そうな顔をしてちょっと呆れ口調で言った。
「まだまだっしょ。もっとしごいてもいいくらいだよ」
「ふふっ。鬼」
 つんって肘で突っついたら。えいってミキもやり返す。
「なによぉ。リカちゃんの時なんかもっとすごかったらしいじゃん」
「まぁねぇ」
 入隊当時、ヒトミとノゾミ、格闘を得意としていた二人ですら、次の日もまともに動けないほどだった。

   特訓と称されたそれはほぼ休みなく2ヶ月。
   絶対に死ぬと4人は疑わなかったほどで…。

  『なんであんなちっこいのに勝てないんだよぉ!』
  『ぼーっとしてんのに…どっから何がくんのかわがんない…』
  『師匠の動き…早すぎて見えへん…』
  『殺されるかと思った……』
  
   戦い方をわかっているすばしっこいマリ。
   変則すぎる動きと力でねじ伏せるカオリ。
   実は速さだけじゃない、意外に正攻法のマキ。
   怖いのは顔だけじゃない、基本にも忠実なケイ。

   それを思えば今は確かに楽なのかもしれない。
   そういえば、あの頃あいぼん、まだふるさとの言葉で話してたっけ。
309 名前:ロザリオ 投稿日:2004/08/09(月) 01:09

 懐かしいあの日々に思わず零れる笑み。
 ぽんっとミキの肩を叩いて、そのまま腰に腕を回した。
「そうだね。もっと厳しくないとね」
「でしょ」
 きゃいきゃいとレイナにじゃれ付くサユミ。
 ミキは二人が出てきた方を一度振り返って確認すると、はしゃぐサユミに目を戻した。
「ふーん。そっか」
「ミキちゃん?」
「ん?」
 不思議そうな目を向けているリカにふっと微笑みかけた。
「十字架を背負う人が…増えたのか…ってね」
「…」
 ポンポンとリカの背中を軽く叩いて、ぐっと抱き寄せた。

 こうして太陽の下で笑っていられるはいつまでだろう。
 空の中、雲の上に行ってしまうにはまだ早い。
 もうこれ以上、誰も連れて行かないで。
 見上げたら、風が雲を運んできていた。
 太陽を少しの間だけ飲み込んだら、生ぬるかった風もやさしく感じた。

 ひとしきりじゃれていたレイナとサユミが手を繋いで二人のところに戻ってくる。
 ちょっとミキを軽く目で牽制して睨みつけつつ、疲れきっていたレイナの顔は一変してリカに向かってきらきらと輝いていた。
「あーあー。すっかりミキちゃんにいじめられちゃったねぇ」
 よしよしと頭を撫でてやると、薄汚れたTシャツの袖で汗をぬぐってからぶんぶんと首を横に振った。
「そんなことないです! まだまだぁ」
 ぐっとファイティングポーズを作ってミキを睨む。
 ミキも腰に手を当ててちょっとふんぞり返るように見下ろす。
「やー。二人ともこわーい」
「こわーい」
 リカとサユミがくすくすと笑う。
 レイナの少しも曲がったところのない素直さがなんかかわいい。そして、うらやましい。
 リカはチノシャツの胸ポケットから何かを取り出して、ぎゅっと握り締めた。
310 名前:ロザリオ 投稿日:2004/08/09(月) 01:09
「レイナ」
「はい?」
「レイナは、神様っていると思う?」
 はぁ…なんやろ突然…ときょとんとしたレイナだが、
「はい。いると思います」
 何のためらいもなくすぐに答えると、
「じゃあ、後ろ向いて」
「はい」
 おとなしく後ろを向くと、すうっと目の前を通り過ぎたシルバーのクロス。
 トンと胸の上に置かれて、なんかだか重さを感じた。
 リカは金具を止めると、くるりと自分の方に向かせてにこっと微笑んだ。
「大事にしてね」
「はいっ!」
 元気のいい返事がちょっとくすぐったい。
 レイナの手の中で輝くシルバーのクロス。細かい傷は多々あれど、2.5cmほどの小さな小さな飾り気のない十字架はなんだか神々しく思えて、レイナは思わず目を細めた。
 サユミはふと、リカを見た。
 やさしい微笑を返すリカ。
 サユミはそっと小さな十字架に触れた。
「レイナ、大事にしないと…ダメだよ」
「あったり前ったい。なんゆうっとね」
 あんまり真面目な顔をして言われたものだから、ついレイナの口から飛び出したふるさとの言葉。
 サユミは心外だと言わんばかりにむくれるレイナの手を引っ張って走り出した。
「うわっ! サユッ!」
「そーれっ! もーすぐお昼ごはんだーっ!」
 ばたばたと土煙を上げて兵舎に向かっていく。
 サユミに引っ張られてよろけながらついていくレイナ。
311 名前:ロザリオ 投稿日:2004/08/09(月) 01:10

 カン! カン! カン!

 ほどなくお昼ごはんを知らせるフライパンの音。
 腰に回していた手をそっと滑らせて、自分の腰に回っていたリカの右腕とってそのまま指を絡めて繋いだ。
「よかったの?」
「うん。あたしが持ってるより…きっとレイナのこと、守ってくれるんじゃないかな」
「…」
「神様なんか信じない人より、きっと守りがいがあるでしょ」
「まぁ……ね。けどさぁ…」
 続けようとして、ぎゅっと力を込めたリカの手にミキの言葉が途切れた。
「あたしには大明神がついてるから」
「…」
「だから、守ってあげてほしいの」

 人であったろう消し炭と瓦礫の中で見つけた誰のものかもわらかない十字架。
 小さな輝きの中に、きっとものすごいたくさんの思いが閉じ込められていて…。
 どうか一つの命を守ってください。
 都合のいいお願いゴト。
  
 きっとサユミなら託した意味を上手にレイナに話すだろう。
 この十字架を手にしたいきさつは、それからでもいい。

「それにね…。うん」
 繋いだ手をくいっと引かれて、ミキが「ん」とうつむきかけた顔を上げたらふわっと重なったリカの唇。
 ぴーひょろーととんびが円を描きったら、ぱっと離れた。
「リカちゃん…?」
「ふふっ。さっ、みんな待ってるから、行こう」
 いたずらっぽい笑顔を見せてリカは繋いでいる手を引いて走り出した。
312 名前:ロザリオ 投稿日:2004/08/09(月) 01:10

「リーカーちゃーーーんっ! ミーキティーーッ! はーやくーーーっ!」
 ノゾミが食堂の窓から身を乗り出している。

「わっ! 待って!」
 慌てて足を出したらもつれてこけそうになって、リカがクスクスって笑ったから、なんかおもしろくない。
「あっ! もぉ!」
 体勢を立て直してリカの手を引っ張って前に出た。

「もぉーーーーっ! おなかすいたぁ! いちゃいちゃしてないで! はぁやぁくぅーっ!」
 ノゾミの怒りの声にリカとミキが顔を見合ってふふふって笑う。
 にぎやかな二つの足音は青空に吸い込まれ、二人の姿も兵舎の中へと消えていった。

 暑い暑いお昼時。
 にぎやかな昼食が始まる。
313 名前:ロザリオ 投稿日:2004/08/09(月) 01:11

     「ロザリオ」                 END
314 名前:さすらいゴガール 投稿日:2004/08/09(月) 01:17
ものすごく時間かかっちゃった。
もう少しだけ、更新ペースをあげたい…。

遅ればせながらイイダさん、23歳おめでとう。

>>286 名無飼育さん様
 こうして書いていただけるだけでもうれしいです。
 一番楽しみにしてくださってるって言葉、感激しました。
 ありがとうございます。
 少しでも楽しんでいただけるよう、励みます。
315 名前:手帳 投稿日:2004/08/12(木) 06:07

 10時56分。
 前線に到着。
 ほどなくして、戦場に咲くバラ…通称乙女隊到着。
 
 部隊長が作戦の確認にいっている。
 僕はその間、これからともに戦う彼女達を見ている。

 トラックからあっという間に出てきて、誰も彼も厳しい顔つきで整列して隊長の指示を待っている。
 ちょうどレイコと同じくらいの女の子たち。

 もっとおしゃれもしたいだろうに…。
 だけど迷彩はよく似合ってて、銃を携えて背筋をピンと張って凛とした姿は男の僕がいうのもなんだけどカッコいい。
 そういえば、レイコは看護士を目指して勉強中だっけ。
 母さん。あいつもどっか男勝りで、そのくせおせっかいで…。たしか救護部隊に行きたいって言ってたよね。
 ここにいる僕が言うのもなんだけど、普通の看護士になるようにって、言ってね。母さん。

 今日は平原での戦闘。
 フェイスペイントを施した彼女達の緊張した顔。

 黒髪がキレイな隊長が戻ってくる。
 彼女が僕と同い年と知ったのはつい最近だ。
 なんていうんだろう。すごく色っぽくって、とても僕と同い年には見えなかった。
 そんな大人びた彼女だけど、はにかむようなこどもっぽい笑顔が印象的で…。
 きっと僕なんかじゃ不釣合いだろう。でも、一度飲みに誘ってみたいな。
 いや、やっぱりありえないよな。

 それ以前に、生きて帰れるだろうか。
 生きて、帰れるんだろうか…。

 僕たちは……。

「おい!」
「あぁ。今行く」

 母さん。
 今日も戦闘が始まるよ。
 いってきます。
316 名前:手帳 投稿日:2004/08/12(木) 06:10


   *

 今日も今日とて、空は青くて…。
 見上げたら吸い込まれそうだ。

 ギラギラまぶしい太陽。
 戦闘服には弾薬を目一杯詰め込んで、顔には迷彩のペイント。
 手にしたアサルトライフルの重さ。焼けた銃身。
 グローブをした手はじとっと汗ばむ。
 ふぅとため息をついて、見上げていた空からこれから突き進む草っぱらを見た。

 ドーン。

 遠くに響く砲撃の音。
 かすかに震える地面。
 
 じりじりと姿勢を低くして敵軍との接触ポイントまで近づいていく。
 段々となくなっていく雑草。
 戦車や砲撃にさらされた草むらは荒地に変わり果てる。

 ドーン!

 ドーン!

 背後から砲弾が頭を飛び込えていく。
 伏せてじっと息を潜めて、一気に塹壕まで走って飛び込む。

『撃てっ!』
『おおおおっ!』

 ダダダダダタッ!

 体に響く振動。
 びりぴりと骨が震える。 
 目の前で動くものすべてがターゲット。
 狙いを定めてひたすらひたすら、弾丸を打ち込む。
317 名前:手帳 投稿日:2004/08/12(木) 06:10

 ターン!

 あちこちで雄たけびを上げるマシンガンの後ろから微かな音。
 振り向けば20メートルほどのところに長くてきれいな髪を後ろで一つにまとめた美しいスナイパーの姿。
 まだ丈の長い草むらの中で長身の体を小さく小さく丸めて息を秘めている。
 
 タン!

 その5メートルほど横からまた一つ飛び出していった弾丸。
 ボルトハンドルを操作してじっと彼方を見据える小麦色の肌をしたもう一人のキレイなスナイパー。

 100メートル向こうあたりで兵士一人がくず折れて、300メートル戦車の上から一人が肩を押さえて中に消えた。
 
 彼が呟く。
『負けてられないよな…っ』
『あぁ…』
 女の子達が前線で体を張っているんだ。
 頑張らないでどうする!

 一つ先の塹壕にはショートカット元気のいいかっこいい女の子が、
『タナカァ! ぼさっとしてんじゃねぇっ!』
 鋭い檄を飛ばして、

 ダダダダダダダッ!

『おらおらおらぁっ!』
 マシンガンの引き金を引いている。

 ダダダダッ!
 ダダダタッ!

『うああああああっ!』
 実家で飼ってるネコのタマゾーによく似たかわいい顔の小柄女の子が激に応える。
 塹壕からわずかに目だけ覗かせて、小さな小さな体に衝撃を受け止めている。
318 名前:手帳 投稿日:2004/08/12(木) 06:12

 タタタタッ!
 タタタッ!

 ターン!

 タタタタタタタタタッ!

 ドーン!

 タタタタッ!

 タン!

 パララララッ!

 ドーン!

『伏せろぉぉぉっ!』

 ひゅーんと甲高い音を引き連れて背筋を凍らせる死の気配。
 塹壕の中に伏せて壁に体をくっつけて頭を抱える。

『ああああっ!』
『んぐぁぁぁぁっ!』
『うわぁぁぁぁっ!』
『きゃあああっ!』

 ドドドドッと体が激しく揺れた。
 風が渦を巻いて舞い上がる。
 激しい動悸。バクバクいって上手く息が出ない。

 はっ…はっ…。

 甲高い悲鳴も聞こえた。
 パラパラと振ってくる土を浴びながら、銃を構え直して前を見る。
 真っ黒に日焼けした小さな子がしきりに前髪を気にしていじっているのを、
『のんつぁん! 前っ! 前っ!』
 隣にいたちょっとふっくらした子…たぶんレイコと同い年くらいの女の子が諫めている。
『わかってるってばぁ!』
 彼女はすぐに銃を構えた。
319 名前:手帳 投稿日:2004/08/12(木) 06:12

 威勢のいい声を聞いてほっとする。
 前を向いて、向かってくる敵兵の位置を確認した。

 タタタタタッ!
 パラララララッ!

 引き金を引けば薬莢が流れるように飛び出して足元に転がる。
 弾幕を張って仲間の前進を援護しながら、少しずつ前へ。前へ。
 
 巻き上がる土煙。
 前の塹壕に向かって飛びだす!

 タタタタタタタタタタッ!

 風が煙を払って、目の前で赤い火花が光っているのが見えた。
 
 シュッ!

 耳のすぐそばを何かが走りすぎた。
『…っ!』
 なんとか塹壕の中に飛び込んで、そこで頬にちりっとした痛みを感じた。
 指先についた血。

 ターン!

 真後ろからの銃声。
 目の前で瞬いていた火花がぱっと空に向かって、敵の兵士がどうと倒れた。
 振り向いたら、彼女が大きな目で静かに前を見据えてボルトハンドルを動かして薬莢を弾き出していた。 
 少し離れたところにいた小麦色のスナイパーがニコッと見せたVサインに彼女がウインクを返す。
 
 ふっと目が合った。
 彼女は、小さく笑った。
320 名前:手帳 投稿日:2004/08/12(木) 06:14
 
 ひゅぅぅぅぅん…。

 きゅるきゅると気の抜けるような高い音が近づいてくる。
 また体を固定して塹壕の中でできるだけ体を小さくする。
 
 ドトドドドドド!

 揺れる。
 風が唸りをあげてまさに四方八方から吹き荒れて、土が舞い、味方の体が高く空に舞い上がる。
 ずれたヘルメットを押し上げて直すと、銃を構えた。
『くそっ! こっちの援護はねぇのかよ!』
 彼は苛立たしげに吐き捨てると、銃を構えた。

 タタタタタタッ! 
  
『くそっ!』
 
 ダダダダダッ!
        
 当たってるのか当たってないのか。
 土煙の向こう、あちこちでパチパチと火花がきらめいている。
 
 カタカタカタカタ…。

 キャタピラが荒野を踏みにじって枯れた大地を燃やして登った陽炎の中で揺れている。
 
 引き金を引け!

『ああああああっ!』

 ダダダダダッ!
 ダダダタッ!

 振動が体に響く。
 いくつもいくつも頬を滑っては落ちていく汗。
 誰かが前の方で倒れたような気がした。
『っしゃあ! やったな!』
 彼に思い切り背中を叩かれ、咳き込みながらもこぼれる笑顔。
 ごまかすように水筒を取って煽るようにのどに流し込んだ。
321 名前:手帳 投稿日:2004/08/12(木) 06:14

 目に飛び込んだ空の青。

 水筒をベルトに戻してマガジンを取り替える。
 耳をつんざく怒号。
 むかつくくらい小気味いいマシンガンの銃声。
 装甲車に踏みにじられて震える大地。

『ミチシゲッ! 伏せろっ!』
 元気のいいショートカットの女の子の怒鳴り声。
『はぁぃっ!』
 すぐに反応しておっとりとした女の子がぱっと塹壕に伏せる。
 直後、そのすぐ上をまっすぐな線が行く筋も走っていくのを見た気がした。 
 女の子はすぐに塹壕から目だけ出して、かわいらしい彼女には無骨すぎるアサルトライフルを構えた。
『いけぇぇぇぇぇっ!』

 ダダダダダッ!
  
 そのあとをショートカットの女の子が続く。
『うぉぉぉぉぉぉっ!』

 弾丸は敵陣に向かって勇ましく消えていく。
 
 生暖かい風が頬を撫でていく。
 硝煙の臭い。
 そして血の臭い。
 事切れて旅立った仲間の血は焼け付く陽射しでもう乾いていた。
 
 びゅうと風が唸る。
 塹壕から目だけを出して銃を構えて照準の向こうをにらむ。
『…?!』
 目が合った?
 そんな錯覚。
 向こうの兵士の銃口が、わずかに動いてさまよっている。
 
『…あ!』

 何かが脳裏に掠めた。
 銃口がわずかに上がって、引き金を引きながらその動きにあわせて立ち上がった。

 ドンッ!

『おいっ!』

 あ…!?
 胸が……あつ…い…。

 …あ……。
322 名前:手帳 投稿日:2004/08/12(木) 06:15

       □                 
  
 みんみんとセミがやかましい。
 窓を全開にした食堂で扇風機ががんばってもちっとも涼しくはならなかった。


   10時56分。
   前線に到着。
   ほどなくして、戦場に咲くバラ…通称乙女隊到着。
 
   部隊長が作戦の確認にいっている。
   僕はその間、これからともに戦う彼女達を見ている。

   トラックからあっという間に出てきて、誰も彼も厳しい顔つきで整列して隊長の指示を待っている。
   ちょうどレイコと同じくらいの女の子たち。

   もっとおしゃれもしたいだろうに…。
   だけど迷彩はよく似合ってて、銃を携えて背筋をピンと張って凛とした姿は男の僕がいうのもなんだけどカッコいい。
   そういえば、レイコは看護士を目指して勉強中だっけ。
   母さん。あいつもどっか男勝りで、そのくせおせっかいで…。たしか救護部隊に行きたいって行ってたよね。
   ここにいる僕が言うのもなんだけど、普通の看護士になるようにって、言ってね。母さん。

                                                                        』

 カオリの手に強く握り締められた手帳。
 前に座っている兵士は何も言わずに窓の向こうを眺めている。
323 名前:手帳 投稿日:2004/08/12(木) 06:16

 前線の自軍のポイントで何度か見たことのある人だという記憶があった。
 素朴な感じで、やさしい笑顔の人で、おひさまみたいに笑うから、この人大丈夫なのかな…と。
 やさしい人ほど長生きしないって感じがするし。
 よくリカに、
『ほら。あの人いるね』
 って、ひじで突かれ、
『けっこういい感じの人ですよねぇ』
 と、ミキにもにやにやされながらうりうりとひじでつつかれた。
 
  立ち上がったと同時に真後ろに倒れていくスローモーション。
  草むらから荒野に這い出てきたカオリは、片膝を着いた姿勢のまま固まった。
 『カオたんっ!』
  リカは飛び掛るようにかぶさると自分もろともカオリと塹壕の中に転がり込んだ。

   目の前で人が倒れた。
   そして、死んだ。
   事実はそれだけ。

   あの人がいた景色の向こうに自分に銃を向けた兵士がいた。
   彼が倒れた。
   そして死んだ。
   その彼の後ろにいたカオリ。

   けれどとりあえず事実は一つ。
   目の前で兵士が一人、死んだ。
   たったそれだけ。

  『しっかりしてっ!』
   声が遠く感じた。
  『…ごめん。大丈夫…』 
   戦場なんだから、目の前で人が死ぬなんて当たり前。
  『大丈夫だから…』
   言ってみたものの、ちっとも大丈夫じゃなかった。
324 名前:手帳 投稿日:2004/08/12(木) 06:16

 セミの鳴き声がやかましい。
 ぶーんと小さく唸る扇風機はのったりのったりと首を振って、カオリの髪をさらりと揺らす。

『    
   今日は平原での戦闘。
   フェイスペイントを施した彼女達の緊張した顔。

   黒髪がキレイな隊長が戻ってくる。
   彼女が僕と同い年と知ったのはつい最近だ。
   なんていうんだろう。すごく色っぽくって、とても僕と同い年には見えなかった。
   そんな大人びた彼女だけど、はにかむようなこどもっぽい笑顔が印象的で…。
   きっと僕なんかじゃ不釣合いだろう。でも、一度飲みに誘ってみたいな。
   いや、やっぱりありえないよな。

                                                    』

 カオリは文字の上をそっと指でなぞった。
 兵士は何も言わずに青い青い空を眺めている。
 
 ノゾミとマコトとレイナのはしゃぐ声。
 笑い声にまぎれて射撃場の方から微かに銃声が聞こえた。

 兵士は青い空を見つめたまま、ゆっくりと口を開いた。
「あいつは、よかったと思ってますよ」
「…死んだのに?」
 兵士はうなずいた。
 
 最期のときも穏やかな顔だった。 
 空を見上げて、微笑んでいるようにさえ映った。
 守ってあげられた…と、思っているのだろうか。

 ぎゅぅと握り締めて、手帳が歪む。
 パタパタと手の上に一滴、二滴…。
「死んじゃったら…意味ないです」

 それはたぶん、自己満足に過ぎない。
 守ってもらったのか、守ったのか、それすらはっきりしないのに。
325 名前:手帳 投稿日:2004/08/12(木) 06:17

 兵士はぽろぽろと涙をこぼすカオリの瞳をまっすぐに見つめた。
「生き残ってください。最後まで」

  僕たちは、なぜここで戦っているんだろう。
  もちろん、志願してきたわけだから、なぜなんてないはずなんだ。
   
  国のため、誰かのため。
  上手くはわからないけど、ここに僕たちが求めていた何かがあるのだろうか?
  時々わからなくなる。
  誰かが死ぬことが当たり前になる。
  誰かを殺すことも当たり前になる。
 
  それでも僕はここにいる。
    
  母さん。レイコ。
  僕は今日も戦場に立ちます。
 
  生きて帰ってきた時、僕はこの戦争の意味を考えることができるだろうか?
  憎しみも悲しみも、どこか遠くへ行ってしまったような気がする。
  なにもかもが麻痺していくような…。
  怖いです。

  せめて戦場で死ぬのなら、誰か守って死んでいきたい。

 日付は戦闘があった2日前。
 カオリは手帳を閉じると、兵士に返した。
326 名前:手帳 投稿日:2004/08/12(木) 06:17

     *
 
 見上げた空は今日も青かった。
 雲ひとつなく地平線の彼方まですっきりと広がって、なのに切なくなるのは何でだろう。

 ばか…。

 太陽を浮かべた青い空。
 のんびりのんびりと過ぎていく午後。

 深く頭を下げて、兵士は手帳を胸にしまって帰った。
 迷った末に彼はカオリに所に赴いて手帳を見せた。
 それがよかったのか悪かったのか、今はわからない。

 結局どれもこれも自己満足。
 だけど、それが間違っているとは誰も言えない。たぶん…。

 そっと指で涙をぬぐって、頭を激しく一つ振ってまた空を見上げた。
    
 たとえば自分が死ぬとしたら…。
 自分だってこの空に帰るのかわからない。
 生き残る保証だって何もない。
 
 日陰を通ってきた風がふいに気持ちよかった。
 ふわりと舞い上がる髪を押さえるようにかきあげる。

 もうこれ以上…誰かそっちに連れてかないで。

 さらさらと木の葉が歌って、くるりと輪を描くとんびの影がカオリの上に落ちる。
 静かな午後は緩やかに過ぎていくのだった。
327 名前:手帳 投稿日:2004/08/12(木) 06:18

    「手帳」            END
328 名前:さすらいゴガール 投稿日:2004/08/12(木) 06:20
なでしこジャパン勝ち点3おめでとう。

ほとんど思いつきで書きました。
いつもと視点が違いますけど…。
いろいろとわかりにくかったらごめんなさい。
他の人から乙女隊が書いて見たかったので…。
329 名前:zyao 投稿日:2004/09/03(金) 22:52
少しずつですが拝読させて頂き、今日「手帳」まで読み切りました。
作者さんの意図するところ、違うかも知れませんが
どうしても本物の娘。と重ねて読んでしまい、涙が出てしまいます。
更新、大変でしょうが、次回作期待しています。頑張って下さい。
330 名前:さすらいゴガール 投稿日:2004/09/14(火) 03:16
いつもお世話になってます。
私用のため、なんだかんだと今までにないほど日空いてしまっております。
近日中には更新いたしますので、もう少し、お時間ください。

それではそれでは…。

>>329
 作者も時折そんな雰囲気を感じることがあります。
 作者の力不足でつたない物語ですが、頃に感じ入るものを
 見ていただいているようで、うれしいですよ。
 これからもよろしくお願いします。
331 名前:特訓と午後の空 投稿日:2004/09/25(土) 18:48

 ギラギラと太陽が燃える。
 焼け付く鉄板のような枯れたグラウンド。
 大の字になっていい具合にこんがり焼けたレイナ。
332 名前:特訓と午後の空 投稿日:2004/09/25(土) 18:48

 バシャッ!

「ぶはぁっ!!」

 ばっと跳ね起きて目に飛び込んできた青い空。真っ白い閃光。
 そして、ブリキのバケツを手にしたサユミ。
 バケツのふちから零れた滴がキラキラと輝いてポタリとレイナの額に乗っかった。
「…」
 ぶるぶると頭を振ってかけられた水を飛ばしたら、
「ネコみたい」
 とサユミの一言。むうっと唇を尖らせて睨み付けるレイナ。どこかでにゃあとれいにゃが鳴いた。
「何すっとぉ!」
「水かけたの」
「だぁかぁらぁ!」
「だって、いいって言ったもん」
「はぁ!?」
「フジモトさんとイシカーさん」
 サユミがくるっと食堂の窓の方に顔を向ける。その先を追いかけると、窓枠に体を預けてニコニコと笑ってるミキとリカ。
「っていうか、かけろって言われた」
「…」
「ほら。日射病になっちゃうから、いこ」
 サユミが手を差し出すと、レイナは仏頂面をしたままガッと手を掴んで立ち上がる。
 そのままサユミに手を引かれてとりあえずとてとてと兵舎の屋根の下にできた日陰に入ると、さっきまでミキとリカがいた窓 の下にぺたんと足を投げ出して座った。
「ちょっと待ってて」
 サユミは座らずにそのまま勝手口から食堂の中に入って行った。
 なんとなくその後姿を見送って、ふぅ…とこぼれ落ちたため息。
「ん…?」
 ふと、膝の上に重さを感じて見てみると、「にゃ」とれいにゃがうれしそうな顔で見上げていた。
「こらこら。重いってば」
 とか何とか言いながら、よっこいしょと抱き上げて胡坐をかくとれいにゃをその上に乗っけた。
 ごろごろとノドを鳴らしながらごそごそとポジションを見つけると、くるっと丸まって嬉しそうにレイナを見上げて目を細めるれいにゃ。くしゃくしゃと頭をなでてからこしょこしょとノドをくすぐってやる。
333 名前:特訓と午後の空 投稿日:2004/09/25(土) 18:49

 地平線に連なる入道雲。
 そのまま顔を上げていくと、うざいぐらいに力強い夏の輝き。
 申し訳程度に張り出した屋根の影の黒と光の躍動感を濃縮した鮮やかなスカイブルー。
 
 ふぅ…。
 レイナからまた一つ零れでたため息。
 れいにゃの顎を撫でていた指先がなんとなく動きを止め、手がぽすんとそれとなく背中にのっかると、れいにゃはうにゅ…と鼻先を丸めた自分の体にうずめた。
 ぼんやりと眺める空の青さにすーっと意識が吸い込まれる。
 ぎしぎしと悲鳴を上げる体。のしかかってくる鉛のようなけだるさ。
 
 きょーもいーテンキばい…。

 目を閉じたら、、二度と帰ってこれないんじゃないかな…。
 ふと、そんなことを思うくらい重たくなった体が、陽射しを和らげる日陰の心地よさに今度はゆるゆるとまぶたを下ろさせようと試みる。
 膝の上のれいにゃのぬくもりが呆れ返るくらいよく晴れた夏らしい夏の暑っ苦しさにも関わらず、レイナの心をやわらかく包み込んでほぐしていく。
 のんびりと流れる時間と広々とした鮮やかな空の色。ささやかにそよぐ生ぬるい風。
 たいした時間もたってないのに、ギラギラまぶしい夏の光はレイナの白かった泥だらけのTシャツと髪をそこそこの生乾き程度まで乾かしていた。
 
 ……。

 ふーっとまぶたがくっつきかける。
 
「レイナ」
334 名前:特訓と午後の空 投稿日:2004/09/25(土) 18:50

 すうっと目に飛び込んできたブリキのマグカップ。
 顔を上げると、左手に自分の頭より大きい淡い金色のヤカンを持ったサユミがいた。
「ありがと」
 受け取ってマグカップに口をつけると、なんだか微妙に生ぬるい水。けれど今のレイナにはそんなことはささいな問題で、一気飲み干して、
「うはーっ!」
 空に向かって吐き出した感歎の声。
「もっといる?」
「うん!」
「…」
 サユミはふと考えて、レイナからマグカップを受け取ると中に注ぎ、
「はい」
 と、マグカップではなくそのままヤカンをレイナに突き出した。
「あぁ。ありがと」
「どーいたしまして」
 隣に座ると、サユミはにこっと笑ってマグカップを掲げる。
 レイナはコツンとマグカップにヤカンを当てると、注ぎ口に直接口をつけて呷るように傾けた。

 んぐっ、んぐっ…。

 レイナのノドが動く。
 サユミがめいっぱい水が入った4リットル入りのヤカンの底を手で押さえて支える。
335 名前:特訓と午後の空 投稿日:2004/09/25(土) 18:52

 んぐっ、んっ…。んぐっ。 
 
 夢中になってエライ勢いで水を飲むレイナを見ながらぼんやりとしていたら、
「んがぁっ!? ごほごぼっ! サッ…サユッ! がはっ! ごほっ!」
「んにゃぁっ!」
 突然降ってきた大粒の雨に慌てて飛び起きたれいにゃがレイナの膝の上から飛び出した。
 その声にハッとサユミは我に返った。
「あっ!? ごめん!」
 つい上げすぎたらしく、わっと勢いよく溢れ出した水を飲みきれず、陸にいながらにして溺れかかったレイナがノドを押さえて咳き込んでいる。
「ごほっ…。ごほごほっ!」
「ごめん。大丈夫?」
 さすがに申し訳なさそうに背中をさすって顔を覗き込むサユミにコクコクとうなずいて返すと、とりあえず抱きかかえていたヤカンを脇に置いた。
「…」  
 よくよく考えれば顔色一つ変えずにがっちり4リットルの水が入ったヤカンはそうとうな重さだったりするはずである。それを片手で渡してきたサユミの腕力にふと、やっぱ軍人なんやなぁ…などと妙な関心をする。もっとも自分も片手でそれを何気なく受け取ったりしたわけなのだが。
「レイナ?」
「んあぁ。なんでもなか」
「あっ。もぉ。見とれちゃったんでしょ。ほら、私かわいいから」
「はいはい」
 にこっと微笑むサユミをいつもどおり適当に受け流すと、レイナはぺたんと壁に寄りかかった。

 ぼんやり見上げる空の青はいつもどおり、何の変哲もない夏の青。
 それはもう、眩しいくらいにキラキラとギラギラと。
336 名前:特訓と午後の空 投稿日:2004/09/25(土) 18:52

「サユ?」
「うん?」
「レイナ、どれくらい気絶してた?」
「うーん…。どれくらいって……」
 サユミはちょこんと首を傾げると両手でしっかりと持ったマグカップを唇につけたまま、空を睨むようにして思い返してみた。
「にゃぁ」
 とととととっ…とれいにゃがレイナのところに戻ってきてまた膝に乗ってうずくまる。
「あぁ…。5分くらい?」
「5分?」
「うん。イシカーさんに呼ばれて射撃場に行こうとしたら倒れてるのを見つけて…。それで、駆け寄ろうとしたら調理場からイシカーさんとフジモトさんに呼ばれて…」
「で、サユが水をかけたと」
「うん。そんな感じ」
 こくりとうなずくと、レイナは眉をぐっと寄せて唇をへの字に曲げた。
「なんか…よくわからん」
「それはこっちだってば。いったい何があったの?」
「あぁ…」
 疲れきってまどろみ始めた体につられてうとうとしだす頭を起こそうと、レイナはヤカンを手にしてまた直接注ぎ口から水を二口ほど飲んだ。
「よけい眠くならない?」
「んー…」
 そう言われるとなんとなくそんな気もする。だったら言わないでくれればいいのに…と、隣でマグカップでのんびりと水を飲むサユミをじっとした目でにらんだ。
「レイナ?」
「あぁ。うん」
337 名前:特訓と午後の空 投稿日:2004/09/25(土) 18:53

 くるんと世界が回って、どんって背中に強い衝撃。
 首をねじ込むように手で押さえつけられて、ぱっと目の前が暗くなった。

 そこから先の記憶がなくて、目を開けたらサユミがいた。 

「たしか……」

  『なんだよ。もうへばったのかよ』

   そんなミキの一言がきっかけだった。

  『たいしたことねぇなぁ。口ばっかじゃん』
  『そっ…そんなことなかっ!』
  『ふーん。ミキにコテンパンされてるのに?』
  『…』
  『まだ一発ももらってないんだよねぇ。えーっと、今日で1週間かぁ』
  『…』
 
   どんなにどんなに向かっても気合を込めても、ミキに拳一つ掠めることができない。
   ロリポップの棒をふらふらと動かし、レイナの渾身の一撃をあっけなく交わして拳と蹴りを3つほど。キツイお返し。
   それでもミキが明らかに加減をしているのが嫌でもわかって、悔しさが言い表せないほど胸に広がっていく。
 
   募るばかりの苛立ちと不安。
   じわっとこみ上げた感情が目の端から零れそうになったから、ぐいっと袖で乱暴にぬぐった。

  『レイナ、あんたさぁ、格闘にそんな自信あんの?』
  『あるっちゃ! レイナ、誰にも負けんたいっ!』
 
   噛み付くように言い返したレイナにミキはふと目を細めて、ふらふらと遊ばせていたロリポップの棒をぴたりと止めた。

  『じゃあさぁ』

   ミキはふっ…と視線を流した。
   追い駆けた先にいたのは射撃場へ向かうらしいリカの後姿。
  
  『レイナ』

   くいっと顎で示されて、レイナはぐっと拳を握り締めて立ち上がった。

  『パワーないからねぇ』
   と、いつか昔の特訓のことを話してくれたノゾミからリカが格闘や白兵戦は苦手だと聞いている。

   見たことはないけれど、みきねぇみたいに凶暴じゃないはず…。
   苦手って言ってたし…。

 それが間違いだったと知った13時27分。蒸し暑いのどかな夏のひと時。 
 レイナのカラダは見事に宙に翻って乾いた地面に叩きつけられた。
338 名前:特訓と午後の空 投稿日:2004/09/25(土) 18:55

 鍛えられた兵士の背後に立ってはいけません。

 瞬時にスイッチが入ったリカの手がしっかりとノドを掴んで押し潰すように締めにかかっているのに気づいて、ミキは慌てて引き剥がした。
 その時きっちり口付けしているのをサユミは思い出して、ふむ…と意味もなく一つうなずく。
「なるほどねぇ…」
 我に返ったリカが大の字になって横たわるレイナの頬を軽く叩いても起きないことを確認すると、二人はそのまま勝手口へ。
 そんな二人を目で追いかけつつ、レイナのところへと思った矢先に呼ばれたサユミ。

  『でもさぁ、師匠がオバチャンだからさぁ…』
   
   徹底した基本第一。どんな時でも全力主義。
   そして、力がなくてもいかに勝つか、生き延びるか。その末に体得した関節技と相手の力を利用した投げ技。
   
  『それにさ、リカちゃんって』

 極度の負けず嫌い。

 そんなことを言ってたよねぇ…とサユミは思い出しながら、また水を一口。
 レイナは思い出してはぁ…と重いため息を吐いた。
「んにゃ?」
 と、れいにゃが首を傾げてどんより曇ったレイナを見上げるから、なんとなく丸まった体を撫でてやる。
 レイナの膝の上でぐるぐるとノドを鳴らして目を細めて笑うれいにゃの顎をくすぐると、サユミはぽつりと言った。
「やっぱすごいよねぇ」
「うん…」
339 名前:特訓と午後の空 投稿日:2004/09/25(土) 18:56

  『よく4人で動けなくなるまで特訓したよ』

   珍しく真顔で語るノゾミ。
   体はあちこち痛かったけど、教育指導役からの特訓を終えた後も自分達で続けた。
     
  『4人だったらさぁ、負ける気しないし』
 
   力のノゾミ。テクニックと機転のアイ。総合力の高いヒトミ。粘りと安定感のリカ。
   どんな相手であろうと、何人であろうと。
 
 あの時、マコトもサユミもレイナも、そこに4人の絆と強さを感じて、何を言っていいのかわからなかった。
 ただ、自分達もそういう風になれればいいな…と、そう思った。
 そして話を聞いた後、マコトはいつものように桜の木の下で手紙を書き始め、レイナはミキのところに行き、サユミは射撃場に行く決意をした。
340 名前:特訓と午後の空 投稿日:2004/09/25(土) 18:57

「サユ…」
「ん?」
「イシカーさん、やさしい?」
「ううん」
 間髪入れない即答に思わずサユミを見るレイナ。
 ちらりとそんなレイナの目を見て、サユミは淡々とマグカップの水を飲み干した。
「ちっともやさしくないよ。むしろすっごく厳しい」
「へぇ…。そう…なんだ」
「うん。でも、厳しいけど…楽しいよ」
「…楽しい…」
 呟いて、レイナはれいにゃを撫でる手を止めた。
 コトッとサユミが置いたマグカップの底が乾いた音を立てる。
「イシカーさん、技術ばっかりじゃないから…。教えてくれるの」
 サユミは手でライフルを構える振りをして、ゆらりと熱気に揺れるグラウンドをじっと見据えた。
「…」
 たしかまだ3日ぐらいのはず。だけどすでにその横顔はスナイパーの顔になりつつあるような気がして、ぎゅっと胸を締め付ける痛み。
 サユミはすっと構えを解いた。
「これから嫌んなっちゃうかもしれないけどね」
「…」
「でも、追いつきたい」
 青い空の下、地平線を囲むように広がる入道雲を見つめるサユミの瞳の強さ。
 レイナはぎゅっと口を結んで、
「…負けんたぃ」
 拳を固く握り締めて呟いた。
 サユミはうつむいたレイナにふふっと微笑んで空を見上げた。

 申し訳程度の屋根の日陰の向こうには、夏を凝縮した青い青い空。
 吸い込まれるようにどこまでも真っ青で、のびのびと太陽を泳がせて…。
 そんな空を、エリは今日も飛んでいるのだろうか。
 明日は確か、さくら隊は出動予定になっていたはず。
 自分達も明後日には、こんな気持ちのいい青い空の下、長袖の迷彩にずしりと肩に食い込む装備品のデイパックを背負って血に飢えた大地を這って行く。
341 名前:特訓と午後の空 投稿日:2004/09/25(土) 18:58

 そういえば…今年はずいぶん日焼けしたなぁ。
 サユミは真っ白なTシャツから延びた自分の腕を見つめて、なんなく苦笑いを浮かべた。
 隣にいるレイナも真っ黒に日焼けして、ぼんやりと空を眺めている。
「サユ」
「ん?」
「エリ、元気かな?」
「元気だよ」
 ふわりと風が泳いで、二人の前髪をふわりと持ち上げて去っていく。
 れいにゃがうにゅと器用に狭い膝の中で丸まった体を動かして二人を見上げる。
「サユ…」
「ん?」
「エリ、がんばってるかな?」
「がんばってるよ」
「…」
「…」
「ねぇ、サユ」
「ん?」
「ねぇ…」
 
 負けて…ないかな?
 がんばってるかな?

 言葉にできなくて、だけどサユミはにこっと微笑んでいて、よしよしって頭を撫でてくれたけど、なんか気恥ずかしくってついそっぽを向いた。

 軍学じゃ格闘は誰にも負けなかった。
 エリにもサユミにも勝った。
 けど、上には上がいて、絶対的な経験とかでは勝てないかもしれないけど、自信はあった。

 見えない、当たらない、届かない。
 ころころと転がる自分。見下ろすミキ。

 やっぱりすごかった。
 何が違うんだろう? 考えても答えなんか出るわけもなく、だから足掻いてみたところでどうにもならない。
 悔しい。悔しいけど…。

「サユ」
「ん?」
「レイナたち…すごいところにいるっちゃねぇ」
342 名前:特訓と午後の空 投稿日:2004/09/25(土) 18:59

 きっとそれまでだったら得られなかったものがここにはたくさんある。
 
   憧れて、田舎にいたあの頃は自分が大将で、腕に物を言わせて引き連れた男の子達と走り回って…。
   2軒隣の家のじぃちゃんが取ってた軍の広報機関誌が楽しみで、ニュースで娘。隊を見て絶対入るんだって誓った。
   入隊が決まった日、
  『親分の門出じゃあ!』
   子分のみんなが胴上げしてくれた。

   サユミ、エリ。
   絶対に勝てると思った。
   おもしろいヤツらだと思った。 
 
   訓練は厳しい。くじけた。泣いた。
   肌で感じる戦争。飛び交う銃弾と悲鳴。爆音。
   銃を構え、走る先輩達の背中。
   すごいと思った。

   震えた。怖かった。逃げたしたかった。 
   その度に3人で肩を寄せ合ってがんばった。踏ん張った。
 
「そうだね」
「うん…」

 エリが飛行訓練生に抜擢され、半年後、分隊でさくらへ。 
 サユミはスナイパーとして歩き始めた。

 自分には何があるんだろう。 

 飛行機乗りはエリートだというらしい。
 狙撃じゃ適わなくなるかもしれない。 
  
 レイナはじっと自分の手を見つめた。
343 名前:特訓と午後の空 投稿日:2004/09/25(土) 19:00

「そういえば…おもっいきし引っ叩かれたんよねぇ」

   あの時のリカの強い眼差し。
   叩かれた痛みと入れ替わりに恐怖が消えた。
   また無言で銃を構えるリカと入れ替わりに、今度はミキにぐいっと胸元を掴まれた。
  『死にたくねぇんだろ?』
   ドスの利いた低い声。ごりっと噛み砕かれたロリポップの音。
 
  『叩かれた意味と言葉の意味を考えな』
   ミキに投げ捨てられた体を受け止めたケイが、ぎゅっと強く抱き締めた後に言った言葉。

   前を見ろ。
   死にたくないのなら、後ろを向いてはいけない。

「あんときより…強くなっとぉかな?」
 きゅっと拳を握ってなんとなく呟いたら、ポコッと頭を叩かれた。
「サユ?」
「おバカ」
「はぁ!?」
「おバカって言ったんじゃっ! ボケ!」
 かわいい顔してムッと頬を膨らませたサユミのド迫力の一言に思わず面食らうレイナ。  
 サユミは身を乗り出すように呆気に取られるレイナの脇においてあるヤカンを手にすると、その注ぎ口から直接呷るように水を飲んで、乱暴に地面に置いた。
「サッ…サユ?」
「…おバカ」   
 
 毎日毎日泥だらけになって向かっていくレイナ。
 日に日に鋭くなっていく動き。
 訓練を終えた後のやさしいミキの眼差しに、たぶん気づいてはいないんだろう。
 
 届いた手紙にあっけらかんと書かれているエリのがんばり。
 ベースキャンプに上がってくるさくら隊の戦果。
 だけど、あっけらかんとした文面の中に見え隠れする不安。そして恐怖。

 追いつかないと。追い越さないと。
 がんばらないと。
 負けたくない…と、サユミは今日もライフルを手にする。

「必死なんだから…」
「…」
 拗ねたようなサユミの横顔。レイナは大きく肩を揺らしてため息をつくと、「そっか…」と呟いて苦笑い。
「そうだよ」
 くすっと微笑んで、サユミはまた空を見上げた。
344 名前:特訓と午後の空 投稿日:2004/09/25(土) 19:00
 
 いつだって空が青いの広いのも変わらなくて…。
 へばったり、うれしく飛び上がったり、辛くて凹んだり、悲しみに暮れたその時も、いつだってそこにある。
 そして、隣にはいつだって二人がいる。

   生きていくことを考えて軍に入った。
   救護部隊を希望するには年齢基準がまだ適わなくて娘。隊を希望した。
   兄と父がいた戦場。母と姉を奪った戦争。
   それがどんな姿をしているのか、しっかりとこの目で見たいと思った。
   それを話した時のリカの穏やかな、だけどひどく寂しげな瞳が今も印象に残っている。

 地平線の上に乗っていた雲が気がつけばゆっくりとこっちに向かってくる。
 ふいに出てきた風は南西からやや北東へ。
『あぁ、夕立が来るかもしれないわね』
 入道雲は雷雲だからね。あっちから来ると夕立になるわよ…と、いつか、西の方を指差して教えてくれたケイ。
 サユミはふと向かってくる風の方に顔を向け、そして空を仰いだ。
 そういえば、まだあれから射撃場で声を聞いたことがないな…。
「…」
 次々とこっちに向かってくる大きな雲。
 なんとなく強くなってきたように感じる風に舞い上がった前髪を押さえるように掻き揚げた。
345 名前:特訓と午後の空 投稿日:2004/09/25(土) 19:04

 とんっ…。

「ん?」
 肩に重みを感じて目を向けると、れいにゃを膝に乗っけたまま無邪気なあどけない顔ですーすーと眠ってしまったレイナ。
「あーあぁ」
 疲れてるんだね。お疲れ様。
 サユミはふわっと笑って、レイナの頬にそっと手を添えた。
 がんばったね。レイナ。
 薄く開いたままのレイナの唇のすぐ真横にキス。唇は起きてる時にとっときます。
「んぅ…」
 と小さく唸ったが、レイナは相変わらずすーすーと深い眠りの世界に落ちたまま。
「…バカ」
 とは言ったものの、まぁ反応あったからよしとしましょう。
 サユミはそっと髪を撫でて抱き寄せると、レイナの頭を自分の膝の上に乗っけた。
 体を倒したことで膝が崩れたので、れいにゃは横になったレイナのおなかにぴったりとくっいて転がるとまた目を閉じた。

 雲が太陽を隠して、生ぬるい風を冷ましてくれる。
 その心地よさにサユミも目を閉じた。
 次の軍学のお昼…中庭で食べれればいいのになぁ。レイナとエリと3人で…。
 目を開けたら、真っ白い大きな雲。
 さくら隊は明日、あの雲よりもうんと高いところ戦うんだ。
「エリ、がんばれ」
 呟きは風に運ばれて、届けばいいなと願った。
346 名前:特訓と午後の空 投稿日:2004/09/25(土) 19:06

 あれだけ熱くて眩しかった陽射しが和らいで、昼寝するにはちょうどいい日陰。
「サユ」
 頭の上から呼ばれて振り向いて顔を上げると、窓枠に身を乗り出すように体を預けているリカとミキ。
「寝ちゃった?」
 ミキが膝の上のレイナを見て穏やかに目を細める。
 リカは一緒に眠っているれいにゃにくすっと笑みこぼした。 
「ふふっ。なんか兄弟みたいだね」
「リカちゃん、それ言うなら姉妹だって。れいにゃメスじゃん」
「あっ、そっか。でも、ふふっ。気持ちよさそう」
「風が出てきましたからね」
 サユミはレイナの髪をなでながら、もう一度空に目をやって微笑んだ。
 ミキはとりあえず辺りを確認してから窓枠に足を乗っけると、
「ちょっとぉ! ミキちゃん!」
「いいから。よっ…と」
 そのまま外に飛び降りた。

「こら! ミキ!」

「あっ! カオたん!」
「やべ。見られてた」
 つかつかと向かってくる足音。
 リカと顔を見合って、ミキがぺろっといたずらっぽく舌を出して笑う。
 リカはやれやれと肩をすくめると、くるりとカオリの方を向いて唇に人差し指を当てた。
「カオたん、しーっ…」
「リカ?」
 怪訝そうに顔をしかめたカオリがやわらかく微笑むリカの視線を辿っていく。
 なるほど…と、カオリは肩を揺らしてため息を零すと、窓枠に上半身を乗っけて眠っているレイナの顔を覗き込んだ。
「寝ちゃったのか」
 サユミの柔らかい太ももを枕にして気持ちよさそうに眠るレイナ。
 ミキはそっと屈んで起こさないようにレイナの体の下に手を差し入れた。
「ほら、なんか曇ってきそうだから、部屋に連れて行こうと思って」
 『いい?』とサユミに目で確認して、サユミが傍らで一緒に寝ているれいにゃを抱き上げてにっこりとうなずいて返すと、よいしょとミキはレイナを抱き上げた。
「それじゃ、ミキが部屋に連れて行くから」
「うん。お願いね」
 カオリはそう言うと、目を細めてふんわりと微笑んだ。
347 名前:特訓と午後の空 投稿日:2004/09/25(土) 19:07

 じゃあと背中を向けたミキに、カオリはその素敵な微笑のまま言った。
「あと、ミキ、あんた今日のおやつなしね」
「ええっ!?」
 ぴたりと動きを止めて、レイナを抱えたままカオリに詰め寄るミキ。
 リカはそれでも目を開ける気配のないレイナの頭をサユミと一緒に撫でながらくすくすと笑った。
「ミキちゃん、あんまり大きい声だすと、レイナ起きちゃうよ?」
「いや。そーゆーことじゃないから。それよりどーしてですかぁ!」
「だって、窓から外に出たもん。それとこれとは別だから。女の子がそんなはしたないことしちゃいけません」
 「ね」、と、リカとサユミに同意を求めるように首を傾げてみせると、二人もそれに合わせて「ね」とちょこんと首を傾げた。
「ちょっとぉ…。リカちゃんまで」
 拗ねるミキ。リカはそんなミキの頭を撫でると、そのまま頬まで手を滑らせて、ちょっとだけ身を乗り出した。
 軽く唇と唇が触れ合う。
「ね。怒んないの」
「…わかった」   
 ちょっと釈然としないような顔をしたまま、レイナを抱えて兵舎の入り口へと歩き出すミキ。
 その後姿を見ながら、カオリはまるで女神のようにやさしい微笑みで言った。
「リカ、あんたもおやつ抜きね」
「えっ!?」
「じゃ、サユ、射撃の特訓しよっか」
「はい!」
 元気のいい返事を笑顔で受け止めて、つかつかと食堂の出口に向うカオリ。
「えー! ちょっとぉ! カオたん!?」
 パタパタと後を追いかけるリカ。
 二人のやりとりにくすっとサユミから零れ落ちた笑み。
「さぁ。私もがんばろ」

 焼けたグラウンドを冷ます風。
 まもなく射撃場から消えてきた銃声。
 のどかな夏の午後が大きな雲と一緒にゆっくりと流れていく。 
 
 その日のおやつはカオリ特製のレアタイプのチーズケーキだった。
348 名前:特訓と午後の空 投稿日:2004/09/25(土) 19:07

     「特訓と午後の空」              END
349 名前:さすらいゴガール 投稿日:2004/09/25(土) 19:08
大変ご無沙汰しておりました。
もう夏も終わったろうというのに夏の話ですが、しばらくはこんな調子です。
350 名前:トーマ 投稿日:2004/09/25(土) 23:58
飼育に来て、ここが更新されていると、すごく得した気分になります。
今回もいいですね。

レイナ頑張れ!
351 名前:zyao 投稿日:2004/10/04(月) 06:20
「特訓と午後の空」楽しく繰り返し拝読させて頂きました。
この世界感って言うか雰囲気が好きです。
小説ってハマると本当に面白いですね。
無理のされないで、更新、楽しみに待ってます。
352 名前:定期便 投稿日:2004/10/14(木) 03:17

 消灯、就寝は22時。
 時計の針は23時ちょうどを5分ほど回ったところ。

 キシ…キシ…。

 忍ばせる足音。

 キシ…。

 1つのドアの前で立ち止まると、マコトは薄暗い廊下をそろーっと見回した。
  しんと静まり返った廊下。
 木の板の床。突き当たりの窓の向こうにはそれとなく星空。

 なんとなく踏ん切りをつけるようにふんと息を吐くと、

 コンコン!

 木のドアを小さく2回ノックした。

 …。
 …。

「 …」
 反応なし。

 もう1回ノックしようと手を上げかけて、ふと迷って立ち尽くす。
 こまったなぁ…。
 もう眠っちゃったのかな…。
 でもやっぱり…と構えた手は軽く握られたり開いたり。

 …。

 たしか、このくらいならまだ起きてるって言ってたような…。
 でも…イシカーさん、よく寝る人だしなぁ…。

 …!

「ん?」
 ミシッ…っていった。ミシッ…って。
 その音の出所を探ろうと耳を澄ましてみると、なにやら部屋の中からぼそぼそと話し声が聞こえる。
 マコトはそっとドアに耳を近づけた。
353 名前:定期便 投稿日:2004/10/14(木) 03:17

「…ちょっ……ミキちゃん…いかないと」
「ダメ」
「もぅ…。待ってるって」
「…んーん。待ってないから」
  …待ってますってば。
「ね?  ほら」
「…えぇー。…………わかった」

 っていうか…あの…。

 声がぴたりと止まる。

 ギシ…。

 床板が軋む。
 そして、ぺたぺたと近づいてくる足音。
 あまりに静かな空気に気圧されて、思わずぐっと息を呑む。
 ぺたぺたぺた。
 足音がドアの板の向こうで止まった。

 キイッ…。
354 名前:定期便 投稿日:2004/10/14(木) 03:18

「なに?」
 地を這うような低い鋭い声。
 わずかに開いたドアの隙間から顔をのぞかせたのは言うまでもなく機嫌の悪いミキだった。
「そっちこそ」
 つい呆れ顔でポンと投げ返した言葉にくわっとミキの眉が釣りあがる。
 マコトがしまったと思ったときにはもうすでに遅かった。
「あぁ?」
 なんだって?
 鋭利なナイフそのものなミキの眼光がグサリと突き刺さってついつい後退る。
 そのままミキがずいと詰め寄ろうとした…その時、その背後からすうっと現れた手が2つ。
「んっ!?」
 絡みつくように口を塞いでミキの首に腕が巻きついた。
「んっ! んー! んんーっ!」
 押し付けるように手で塞がれた口から漏れるくぐもったミキの抗議の声。
 背後から現れた腕が問答無用とそのままずるずると部屋の中に引きずり込んでいく。

 キィ…。

「んーーっ!! んんーっ!」

 パタン……。

 ドアが閉まって、ほけーっと立ち尽くすマコト。
「あぁ…」
 何やら微かにジタバタと聞こえるような聞こえないような…。
 あっ…。今ぼすっ…って聞こえた。ぼすっ…って。
「…」
 とりあえずくわばらくわばら…と手を合わせる。

 そして廊下に再び戻ってきた静寂。
 消灯時間以降は当然ながら基本的に外出厳禁。
 まだ誰かしら起きてる人はいるんじゃないとは思うけど、この静けさ。妙に落ち着かない。
 まとわりつく夏の夜のぬるい空気が暗闇の不気味さを見事に盛り上げる。

 ふと、心もとなくなって、きょろきょろと所在無げに辺りを見回していたら、ふと、一つのドアに目が止まった。
「……」
355 名前:定期便 投稿日:2004/10/14(木) 03:20

 ケンカなんていうものは、始まりはささないものなのである。
 でも積もり積もって重なって、爆発したら…あぁ。なんかね。あとには引けない。
 鬱積していた“それまで”が意地っ張りとひねくれ者を作り出す。

  『マコトのばかーっ!』 
   ちくりと胸を刺す痛み。
  『のんつぁんのわからずやっ!』

 たぶん今更のようにあんなこと怒鳴る必要もなかったんだろう。
 でも、気がついたら声は出ていたわけで、その前にもうすでに目もあわせなかった。
 手が出なかっただけでもよかったのかな…。
 いや、いっそ殴ってしまった方が…。
 でも、乙女隊で一番の腕っ節のノゾミ相手にそんな勇気もないんだけど…。
 
「…」

 寝てるかな?
 
 藍色に染め上げられた兵舎の廊下。

 キィ…と擦れた音。
 振り向いたら、
「マコト」
 ようやく開いたドアの向こうでリカが笑っていた。
「ごめんね。お待たせ」
「いいえ。すんません。遅くに…」
「ううん。誘ったのはあたしだから」
 そう言って、リカはマコトを部屋の中に招き入れようと一歩内側に下がってドアを更に少しだけ開いた。

『んッ! んー! んんーっ!』
『んーーッ!! んんーっ!』

 ええっとぉ…。
 ふと脳裏を掠めた暗闇よりの使者。
 一歩踏み出して、目の前に広がる闇にぴたりと足が止まって次が出ない。
 きょとんと首を傾げるリカ。
「マコト?」
「あぁ…。はいはいっ…!」
 …バケモノはいないんだ。うん。しかもその正体はわかってる。
 なのにマコトはコクコクと何度も大きくうなずいて、そそくさと中に入った。
 薄暗い部屋の中、すぐに目に飛び込んできたのはきゅう…とのびてベッドに転がっているミキの姿。  
 ごくりと思わずマコトは息を飲んだ。
356 名前:定期便 投稿日:2004/10/14(木) 03:20
 
 パタン…。

 ドアが閉まって、思わずびくっと肩が震えた。
「適当に座って」
 何気なくポンと肩に置かれた手。
「ぅひゃぁっ!」
「きゃあっ!」
 ふうっと膝から力が抜けてペタンと座り込んだマコト。
 リカも胸の前で手を組んだまま、目を丸くして固まっていた。
「まっ…マコト!?」
「あっ…あぁ…えーとそのぉ…えへへへへ」
 笑ってごまかすって言うわけではなく、なぜだか笑うしかない…そんなとほほなマコトの笑顔。
 ふとベッドの端が視界の隅に映ったから目をやれば、きゅうと伸びてたはずのミキがぶるぶると小刻み震えていた。
「…」
 リカはやれやれとため息をついた。
「もぅ…。どーしたの?」
「あぁ。ほんっとになんでもないです」
 たとえ一瞬でもバケモノだと思ったなんて口が裂けても言えない。
 ベッドの上のミキの震えがさっきより大きくなっているように感じるのは気のせいだろうか?
 それにまだ気づいていないリカは、すっとマコトに手を差し出した。
「ほら。床の上じゃなんだから」
「あぁはい。でも、あの…」
「ん?」
 首を傾げるリカ。マコトはえへへへ…と笑った。
「腰…抜けちゃいましたぁ」
「…」
「くぅっ、ぅふっ、ぅふふっ…ぅふふふはははははっ…」
 マコトとリカの目がゆっくりと笑い声の方に向けられる。
「ぅはっ…ぅふふはっ……」
「……」
「……」
「ぁあっははははははははははははははははっ!」
 腹を抱えて爆笑するミキ。
 リカとマコトはゆっくりと互いの顔を見合わせた。
「…どうする?」
「…どうします?」
「っあっははははははっ! おっかしーっ! あー…ははっ…おなか痛い…。ぁははっ」 
やれやれとリカとマコトから零れ落ちたため息。
ぱきっとリカの指の骨が鳴った。
357 名前:定期便 投稿日:2004/10/14(木) 03:21

 ……
 …

 ようやく笑い袋から人間に戻ったミキはリカの膝枕でご機嫌だった。
 ノックしたあとの殺気立った目はどこへやら。ちょっと呆れ顔のリカに髪をなでてもらって満足そうに笑っている。
「ごめんね。マコト。なんかあたしもちょっとよけーなことしたよね」
 眉毛を下げて情けない顔で笑うリカに、マコトはぶんぶんと首を横に振って笑った。
「そんなことないですよぉ。あたしも腰抜かしちゃいましたし」
 そしてまたミキがくすくすと笑いだし、堪えようとリカのおなかにぎゅうっと顔を押し付けてうずめた。
 それがちょっとくすぐったいのか、ぴくりと体をすくめてリカは「もぅ。ミキちゃん」ってたしなめると、
「ごめんね。マジメな話しにきたのにね」
 って、困ったように笑った。
「ううん。いいんですよぉ。なんか…へへへっ」
「ん?」
「うん。いいんです」
 ちょっと、ホッとしたかも。
 それはここが魔界じゃなかったとかホラーハウスでもなかったとか、目の前で笑ってるかわいい人がバケモノじゃなかったとか、そうゆうことではなくて。
「なんか…少し楽になりました」
「そぉ?」
 首をかしげて、まだ不安げなリカ。
 ミキも埋めていたおなかから顔を離してにこりと笑った。
「なら、よかったじゃん。でもさ、どーしたの? こんな時間に」
「そーゆーフジモトさんこそ」
「んー。いいじゃん。別に。それとも何かモンクある?」
「いいえ。なんっにもございませんっ」
 きらりと光ったミキの眼光にぶんぶんと片手を仰ぐように振ってぱっとマコトの口から飛びだした否定。
 リカはやれやれと笑った。
「もぅ。ミキちゃん。あんまりいじめないの」
「えー。だってさぁ…」
 わざと拗ねて見せて唇を尖らせるミキがかわいいとマコトは思う。そんなミキに微笑むリカの髪をなでる手つきは穏やかでやさしい。二人の間にあるあたたかいやわらかな空気。

 そうなんだよなぁ…。
358 名前:定期便 投稿日:2004/10/14(木) 03:22
 
「マコト?」
「あ、はい?」
「うん。どうかした?」
「あぁ…。なんかいいなぁ…って思って。でも…」
「でも?」
 リカの手が止まる。ミキの目が言葉を促すようなリカの微笑みにそれとなく向けられる。
 マコトはふと目を床に落とした。
「あぁ…うん。なんて言うか…」
 結局なんて言っていいのかわからなくて、マコトは困ったように笑った。
「…そっか」
「…イシカーさん?」
「うん…。ねえ、マコト?」
「はい?」
「タカーシから…アイちゃんから手紙来たの、いつ?」
「おとといです」
「そっか…」
「…リカちゃん?」
 リカの微笑に少しだけ影がさしたような気がして、ミキがそっとリカの頬に手を伸ばす。その手を取って、きゅっと握るとリカはもういちど「そっか…」と呟いて小さく笑った。

  『のんつぁんのわからずやー!』

   食堂にそんな声が響き渡ったのは2日前。
   乱暴にドアを開けて飛び出して行くノゾミ。
   マコトは固く拳を握り締めて唇を噛んでいた。

   そもそも、その前の日から目も合わそうとしない。
 
   ぴりぴりと肌を焼くような殺気と緊張感。
   その日の夕食は凍てついた空気中で進んでいった。   

   そんな空気に気圧されて小さくなって黙々と食べるレイナとサユミ
   せっかくの楽しい食事が殺伐としてしょんぼりとするカオリ。 
   リカとミキはそれを見てとにかく場を和まそうと、
  『お肉すきすき』
  『おなかすきすきー』
   っと、とりあえず歌ってみたら、同時に『やかましいっ!』『うるせぇっ!』と言わんばかりの目でにらまれた。  
  『うわ…』
  『こわっ…』
   さすがのミキでも震えあがった。
   そしてよりいっそう空気がイライラと殺気立つ。
359 名前:定期便 投稿日:2004/10/14(木) 03:22

 たしか、あの時もマコトのチノシャツの胸ポケットには空色の便箋。
 食堂を飛び出していくノゾミの泣きそうな顔。
 リカは不思議そうに見上げるミキににこりと微笑んだ。

   もっとも、あの日、殺伐とした二人よりもそのとばっちりを食ったカオリを慰める方が大変で…。
 
   歌が裏目に出てますます食堂の温度が氷点下をはるかに超えて下がっていく。
   ますますしゅーんとなるカオリを抱き締めて、よしよしとリカが頭を撫でる。
  『カオたんの作ったごはん、おいしいよ』
  『そーですよぉ。あっ! ミキ、おかわりしちゃおっかなぁ』
  『あっ! じゃあ! レイナもっ!』
『私もお願いします!』
 『みんないっぱい食べて大きくならないとねぇ』
   リカも自分の茶碗代わりのブリキのボールを手に立ち上がった。
  『もーこのチンジャオロースー一口だけでご飯5杯はミキ、軽くいけちゃうね』
  『いや、レイナは6杯いけます』
  『みんな育ち盛りだもんねぇ』
   リカが一人一人によそって、サユミが手伝いながらそれぞれに渡していく。
   レイナはボールを受け取ると、
  『でも、みきねぇ、胸は育っとらんっちゃ』
   と小声で呟いたつもりが、にっこり笑顔で笑ってないミキの目がレイナを突き刺した。
  『言うじゃねぇか。自分も平らなくせに…』
  『レッ…レイナはこれからたいっ!』
   顔を真っ赤にして食い下がるレイナ。
   ふーっと、真下を向いていたカオリが顔を上げた。そしてうつろな目のままにっこりと女神の微笑み。
  『大丈夫。カオが育ててあげるから』
   
  『…』

   ぴしいっと凍りつくリカとサユミ。レイナとミキは自分の胸を腕で隠すように抱いて固まった。
 
   シーンと静まり返った食堂。
   かちゃかちゃと聞こえるのはマコトとノゾミが動かす箸の音だけ。
360 名前:定期便 投稿日:2004/10/14(木) 03:23

 思い出して、ミキがまたくくくくっと笑い出す。
「あんときはさぁ、ほんっとびっくりしたよ」
「あたしも黙々と食べてましたけどぉ、噴出しそうなっちゃった」
「なぁんだぁ。マコト、ちゃんと聞いてたんだ」
 リカがほっとしたように笑う。
「もちろんですよぉ。びっくりしたのなんのって。あれってぇ…」
 マコトが急に声を潜める。リカはこくりとやや真剣な面持ちでうなずいた。
「本気だと思うよ…。カオたん、ちょっと宇宙に行きかけてたし…」
 なるほど箍が外れたらしい。
 もともとキレイなものだいすきな人だから、まぁ、なんとなくうなずける。
 リカは前髪をいじろうとするミキの手を捕まえた。
「でも、どっちかがあの空気で笑ってくれれば、案外こんなに長引かなかったかな…って」
「…はぁ」
 それはマコト自身も思ったし、ノゾミも思ったことだろう。
 カオリの言動だって、もしかしてもしかすると、その辺の配慮もあったかもしれない。…いや、配慮があったらあぁはならないかもしれないけど…。
「すんません…」
 どっちかが意地を張れば、意地を張らないわけにはいかない。そんなに素直にできてないもん。
「なによぉ。マコトが謝ることじゃないよぉ」
「そーだよ。しょーがないじゃん。ね」
 ミキの言葉にリカがうなずく。
「ケンカしてるんだもん」
「…」

 かちこちと秒針の音。
 ふと静かになった6畳ほどの薄暗い部屋の中。
 またミキはリカの髪をいじろうと手を伸ばす。
361 名前:定期便 投稿日:2004/10/14(木) 03:23
「こら。ミキちゃん」
「んー」
「もぉ…」
 しょうがないなぁっと笑って、リカはそんなやりとりをぼんやりと見ているマコトにちょっと申し訳なそうに微笑みかけた。
「ごめんね。マコト」
「はぁ?」
「うん。そうなんだよね…」
「どーゆーことですか? イシカーさん」
「うん…」
 リカはちょっとだけミキに身体を起こさせると、座ったまま壁際に移動してぺたりと背中をくっつけて寄りかかって座り直した。
 ミキも一緒に移動してまた膝の上に頭を乗っけるところんと丸まって、少し真剣な目でリカを見上げる
「マコト。横おいで」
「あ、はい」
「あっ。立てる?」
「ん…。もぉだいじょーぶ」
 ゆっくりと立ち上がってリカの隣に同じように壁に背中を預けて座った。
 床のひんやりとした固い冷たさからふんわりと陽射しをいっぱいに吸い込んだ布団の柔らかさが心地いい。
 目を細めて笑うマコトの頭をよしよしと撫でて、リカは顔を目の前に淡く広がる暗闇に向けた。
「マコト」
「はい?」
「最近、何してる?」
「最近…ですか…? のんつぁんと走ったり筋トレとかしてる意外は手紙書いてることが多いです」
「うん。そうだよね。桜の木の下にいるの、よく見かけるし」
「落ち着くんです。あそこ」
 そばにいてくれてるような気がして…。
 うれしそうに、そしてちよっとはにかむように笑うマコト。
 そんな笑顔にリカは目を細めると、ゆっくりと言った。
「ねぇ、マコト。アイちゃんから手紙来たの、おとといって言ったよね。じゃあ、ののがあいぼんから手紙もらったのっていつ?」
「え…。いつって…」
 それはイシカーさんだって知ってるはずじゃ……。
 言葉にしかけて、マコトはふと口をつぐんだ。
 その様子をじっと見つめているミキの手がうにっとリカの耳たぶを引っ張った。
「…いじわる」
 ミキのちょっといじわるな微笑に、リカは肩をすくめて苦笑いで返した。
「あっ…!?」
 マコトがぱっと顔を上げた。
 リカはこくりとうなずいた。
「さびしかったんだよ」
362 名前:定期便 投稿日:2004/10/14(木) 03:24
  
  『ごめん。のんつぁん。へへ、ちょっと手紙書くからさぁ』
   手の中の空色の封筒。 
   いつもよりも明るさのくすんだノゾミの笑顔。
 
 
「あたしもミキちゃんと一緒にいることが多いし、そうじゃなければカオたんと一緒にサユの特訓でしょ」
「ミキもレイナと特訓してるかリカちゃんといるかどっちかだし。レイナとサユはたいがいいつも一緒」
「…」
 うつむくマコト。リカは落ち込んだ肩を優しく撫でながら、更に続けた。
「だからね。いっつも一緒だから…ヘンな言い方だけど、なんとなく…マコトに…任せっきりにしちゃってたんだよね」
「イシカーさん…」
 どう言えばいいのかはわからないけど、少なくともケンカをしたのは自分とノゾミ。
「別にイシカーさんもフジモトさんも悪くないじゃないですか」
「うーん。だけどね、もっと気づいてあげられたらなぁって…」
「けど…」
「みんなだいすきだよ。ののって、なんかねぇ、ほら、危なっかしくて…コドモで」
 そして、ミキがちょっと呆れたように笑いながら後を続ける。
「そうそう。よく食べるし、うるさいし、でもおっかしくってさぁ、無邪気だし、かわいいし…」
「ふふ。ね。かわいいから、なんか憎めなくって…。大事な…妹なのにね」
 そう言ってリカがさびしげに笑う。
「…」
「あいぼんから一週間くらい来てないんだよね。手紙。いつもはもっと頻繁にやりとりしてるのに…ね」
 アイとマコトもほとんど3日に1回の手紙の交換。
 アイとノゾミの手紙のペースもだいたい3日に一回。けど、一週間空いたことなんてなかった。
「不安で仕方ないんだよ。特にさくらの方は今かなり大変みたいだから…」
「……」
 ぎゅうっとマコトの手が固く固く握り締められる。
363 名前:定期便 投稿日:2004/10/14(木) 03:24

 戦況が厳しくなるほど手紙のやり取りの間隔は狭くなっていく。
 前は一週間に一回だった。
 二人の間の定期便は互いの戦況が激しくなるに連れて間隔を失って行く。
 そばにいられないから、せめて思いだけでも…。
 上手く伝えられないけど、そのすべてを鉛筆に込めた。

 基地を出て、本部内の郵便局を経由してベースキャンプへ。

 それでもほんの少しだけずれる日付。
 じわりと心の奥に溜まって行くもどかしさ。
 気持ちが募れば募るほど、知らない日々に想いばかりを馳せて潰れそうになる。

「のんつぁん……」

   手紙が着たあの日、桜の下でいつものように手紙を書いて戻った。
   玄関で見かけて声をかけたら、ちらりとこっちを見てさっさと行ってしまった。

 なにがなんだかわかんなかった。   

  『なにさぁ! アイちゃんアイちゃんって』
  『だったらさくらにいっちゃえばいいじゃんかっ!』   

 そういうことを言うのって、それだけ追い詰められてたって…ことだよね。
364 名前:定期便 投稿日:2004/10/14(木) 03:25
      
 さくら隊はここのところスクランブル出動が増えている。
 通常の防衛部隊じゃ足りないからと借り出されるらしい。


   昨日は市街地の防衛戦だったよ。
   街が無事でよかった。
   あたしもほら、ちゃんと帰ってこれたよ。

   もうすぐポイントDでの戦闘だよ。
   今度は海の上だって。あっちの空母ってすごいんだってヤグチさんが言ってた。
   アベさんは「問題ないって。ウチラってば無敵じゃん」って言うんだけど、怖いよ。やっぱ怖い…。
   ねぇ。海の上なら、おっこっちゃっても痛くないかなぁ?
   どうなっちゃうのかなぁって思うけど、でも、たぶん大丈夫。いや違う違うきっと大丈夫。
 
   でもね。マコト、怖いよ。怖いけど、マコトもそれは一緒なんだよね。
   だからね。ガンバル。
   マコトもがんばってるから。
   戻ってきたら手紙書くよ。待っててね。じゃぁ。
                                                              』

 3日前の戦況確認でさくらの近況が伝えられた。
 一気に攻勢をかけるために飛んだ10の部隊の半分が敵軍の都市防衛部隊とやりあって空に散った。
 一つの街を焼き払い、相手にもそれなりのダメージを与えたが、それ以上に損害も大きかったことを知る。

 “さよなら”という意味の語で結ばれなかった手紙。
 聞けばさくら隊の何人かが戻ってきた直後に倒れたとらしいカオリから聞かされた。
 心臓が握り潰される思いだった。

 そして次の戦地は青い青い海の上。
 青い青い空の下、戦う相手は鋼色の海の怪物たち。いったいそいつらはどれだけの仲間を食えば気が済むのだろう…。
 怪物の前ではたぶん、ひらひらと舞う飛行機なんぞハエみたいなもんなんだろう…。
365 名前:定期便 投稿日:2004/10/14(木) 03:26

「……あたし…」
 握り締めた拳。
 ポタリポタリと雫がスリープシャツと対のズボンを濡らしていく。
 ミキはよいしょと手を伸ばして頬を滑る涙を拭った。
「フジモトさん…」
「…うん」
 微笑んで返すミキ。
 リカはそっと肩を抱き寄せた。
「…ごめんね。マコト」
 けど、マコトはぶんぶんと首を横に振る。   
 リカは眉を思いっきりハの字に下げて笑った。
「ののにも…謝らないとね」
「…」
「誰よりも甘えん坊だって…わかってるんだもん…」
「…」
 きゅっと唇を噛むマコト。そんな彼女の頭をよしよしと撫でて、またすんなりとした指先で涙を拭うミキ。  
 マコトは指先が離れたのを見て、自分でごしごしと袖で乱暴に涙をぬぐって笑った。
「バカだよね。あたし」
「マコト?」
「だって、おんなじ立場だったら苦しいもん」

 ノゾミの小さな胸の内側で暴れ狂った嫉妬という名のバケモノ。
 でもそれは自分の中にも住んでいて、誰の中にも住んでいる。
 
「あたし、のんつぁんの言うとおりバカだよ。なのにわからずやって言っちゃった」
 へへって沈んだ空気を振り払うように明るく笑うと、すくっと立ち上がって、ベッドから飛び降りた。
「マコト?」
 リカの声にマコトはくるりとターンを決めて振り向くと、ニカッと笑った。
「ありがとーございます! もぉ、だいじょーぶぃ!」
 びしっとVサイン。
 互いに顔を見合ったリカとミキからくすっと笑みをこぼれた。
 マコトはコホンと咳払いをすると、
「そーゆーことなので、あんまりみんなの前でいちゃいちゃしないでくださいねー」
 と、ドアノブに手を掛けた。
「じゃあ、ありがとーございました。おやすみなさーい」
366 名前:定期便 投稿日:2004/10/14(木) 03:28
 
 パタン。

 ドアが閉まって、なんとなく静かになる。
 もっとも入ってきたときもなんだかんだと大騒ぎだった。よく誰も起きなかったものだと、リカは自分の膝枕を楽しむミキをなんとなく見つめた。
「…」
「…」
「そーゆーこと…って?」
 ぼんやりとリカが呟く。
 ミキはじーっとしばらくリカを見つめていたが、ぽつりと呟いた。
「よーするに、いちゃいちゃすんな…と」
「さびしいコもいるんだからね…ということだよね」
 ミキはコクリとうなずくとずっとリカの膝に預けていた上半身を起こした。
「戻るの?」
「なんで?」
 リカに半分背中を向けてベッドの足元の方に手を伸ばすミキ。
「え? だって、今…マコト、ほら…」
「けどさ、みんなの前でいちゃいちゃしてなきゃいいんでしょ」
「まぁ…ねぇ」
「でしょ。それとも、ミキ…戻ったほうがいい?」
 くるりと振り向いて鼻先が近づくくらいにリカに顔を近づけた。
「え…ぁ…」
 どう答えていいのかわからない。だけど表情にはっきりと浮かび上がっていたのは不安と寂しさ。
 ミキはそのままちょっとだけ首を伸ばしてリカの唇に自分の唇を押し当ててニカッと笑うと、足元で丸まっていたタオルケットを掴んだ。
「だから、ね。リカちゃん」
 そのままがばっと抱きついて押し倒す。
 ぎゅうっと抱き締められて悲鳴を上げるまもなくぼふっとリカの頭が枕に沈み込む。目を開けたら、満面の笑顔のミキ。
「ふふっ。このまま…ね?」
 そんなかわいらしい笑顔と甘ったるい声で言われたら、もぅ…、
「うん…」
 って言うしかないじゃない…。ずるいよ。
 その答えに満足げに笑って、ミキは梨華の胸に頭を乗せて目を閉じた。
367 名前:定期便 投稿日:2004/10/14(木) 03:28

 蒸し暑い部屋。
 やわらかいシャツの布地越しに伝わるミキの体温。
「熱い…」
「いいじゃん」
 生きてるって…証拠だよ?
「ちょうどいいよ」
 首筋をくすぐるミキの落ち着いた呼吸。ふうっと体温が上がっていくのを感じる。
 リカもミキの背中に腕を回すとぎゅっと力をこめて抱きしめて、鼻先を肩口にうずめた。
「…リカちゃん?」
「…うん」
 蒸し暑い部屋の中、それでもぬくもりがいとおしく感じる。
 あたし…恵まれてる…。
 すがりつくようにぐっと腕に力を込めて、体を預けるように少しだけ横に転がした。
 こうやっていられるのも今だけかもしれない…。
 消えないで…。
 もう…一人になるのやだよ。
「リカちゃん」
 耳を打ったやさしいミキの声。あやすように何度か背中を叩くと、ゆっくりと宥めるように慈しむように背中を撫でてくれる手。
 閉じた目の端からすっと一滴零れ落ちたのがわかって、リカはミキの肩に顔を押し付けた。 
 きっと気づいてないよね。
 こうやって甘えてくれたの…初めてなんだよ。
 ミキは撫でる手を止めてリカの頭を抱くと、それでもまだ離れてるといわんばかりに強く引き寄せて額に口付けた。
 このまま…時間が止まればいいのになぁ。
 
 かちこちと時は淡々と刻まれていく。
 どこかでイヌの遠吠えが超えたような気がした。
368 名前:定期便 投稿日:2004/10/14(木) 03:28
 
    *

 よく晴れていた。
 青い空はどこまでも広がって、青い海を包んでいる。
 頭の上も体も足下も青に囲まれるのって、どんな気分なんだろう。
 マコトは桜の下できらきらと光る木漏れ日を受けながら空を見上げていた。

 ゆらゆらと陽炎が立ち昇る。
 そっと幹に触れたら、なんだかやさしかった。
 目を閉じたら、彼女がくしゃって笑う顔が浮かんで、なんかおかしかった。
 そして、マコトはまた空を見上げた。 
 
「マコト」
「のんつぁん…」
369 名前:定期便 投稿日:2004/10/14(木) 03:29

 声の方に視線を移すと、ノゾミが難しい顔をして立っていた。
 そういえば今日もまだ朝から挨拶以外はトコともしゃべってないんだよね…。
 そのせいか落ちつきなく動く視線。唇を噛んだり舐めたり尖らせたりへの字になったり。後ろに回っている両手もなんだかごそごそと所在無げに動いているようで、くるくると変わるその様子はかわいかった。
「あっ! 何笑ってんだよぉ!」 
「あははっ。ごめんごめん」
「もぉ…。こっちは真剣なのにさぁ」
「そーなの?」
「そーなのっ!」
「そーなのかぁ」
 マコトはそう言うと、ふわっと目を細めて笑った。
「のんつぁん」
「んー?」
 まだ怒ってるノゾミのぶっきらぼうな返事。
 マコトは桜の幹から手を離してしっかりと向き直ると、まっすぐにノゾミを見つめた。
「ごめんね。のんつぁん」
 そしてぺこりと頭を下げたら、ノゾミがきょとんとしていた。
「あたし、のんつぁんの気持ち、考えてなかったよ」   
「…マコト」
「ほんとに…ごめんね」
「…うん。…ぃや…その…………………のんも…ごめんね」
 うつむいて、だけど視線だけを上げるノゾミにマコトはいつものように明るい笑顔で首を横に振った。
「…」
 それでもまだちょっと意地っ張りな部分が残っていたのか、小さな小さな呟き。それでも“ありがと”はちゃんとマコトの耳に届いていた。
「のんつぁんっ」
 ぎゅうっと抱きしめて、マコトはそっと耳元で囁いた。
「早く、返事書いてあげなよ」
「…!」
 ちょっとだけ首をめぐらせてマコトを見たら、ぶちゅってほっぺにちゅう。そしてにへへへへって、照れくさそうな笑顔。
「ねっ。なっかなっおりっ!」
 ばんばん背中を叩かれて、だけど、なんかうれしかった。
 ノゾミもなんだか照れくさくなって、へへって笑うと、おかえしにむちゅっとのマコトのほっぺにキスをした。
「じゃ、マコト、あとでね!」
「うんっ!」
 マコトの笑顔を受けて、ノゾミは走り出した。
 右手には淡い桜色の封筒。 
 マコトはまたそっと幹に触れると、木を見上げた。
370 名前:定期便 投稿日:2004/10/14(木) 03:30


  Dear のの

   のの。手紙、遅くなってごめんね。
   なんかね。目が覚めたらね、3日たってたの。
   基地までもどってきたのはなんとなく覚えてるんだけどね。
   なんかすっごい熱出ちゃってるらしいみたい。熱い。

   でもね。なんとか無事、帰って来れました。
   ののは明日だっけ?
   手紙つくころには…だよね。たしか。

   ねぇ、のの。
   会いたい。

   会いたい。
   
                                        』 
371 名前:定期便 投稿日:2004/10/14(木) 03:30
     
 ノゾミは最後に書かれた5文字をそっと指でなぞった。

“会いたい。”
 
 力のないちょっと震えた文字。
 だけどずっと待っていた見慣れた文字。
 とてもとても短い手紙。だけどほっとした。
「あいぼん…」
 ノゾミは顔を上げた。    
 部屋の窓の向こう。目の前に広がる青。    
 澄み渡って延々と広がっていく鮮やかな空の青さがなんだかひどく胸を締め付ける。
 会いたいよ…。
 同じことを思ってる。
 きっとベッドの上から、同じ空を見てるよね?
「…あいぼん」
  ノゾミは窓枠に腰をかけると、軍支給のカーキグリーンのカーゴパンツのポケットからブルースハープを取り出した。
「あいぼん。何歌おっか?」
 きっとずーっとベッドでじっとしてるから退屈だよね。
 そっとハープに口をつけると、ノゾミはゆっくりと息を吹き込んだ。
 
 青い青い夏の空を駆け上っていくミディアムテンポのメロディー。
     
 なんだかんだとあるけれど、人生はきっとすばらしい。
 一人じゃないってわかるから、だから笑顔でいるよ?
 
 机の上にはキャラクターものの便箋が散らばって、その上に丁寧に封をした手紙。
 明後日にはアイのところに届くだろう。
 
 ベースキャンプに流れるやさしい歌。
 うだるような暑さの中ののんびりとしたひと時。
 それでもふいに見上げた空はずいぶん高く感じて、透明感を感じる伸びやかなそのスカイブルーが秋の訪れを告げようとしていた。
372 名前:定期便 投稿日:2004/10/14(木) 03:30

   「定期便」         END
373 名前:さすらいゴガール 投稿日:2004/10/14(木) 03:37
もう少し早く更新する予定が思った以上に手こずる…。
もうちょっとペースアップしたいなぁ…。

>>350 トーマ様
 ご無沙汰しております。
 すごく得した気分なんていってもらえると本当にうれしいです。
 ありがとうございます。 
 なかなかペーストしてはご期待に添えてないですが…。
 
 レイナは頑張ってますよぉ。
 なんか書いててかわいいなぁと思ったり…。
 
 今回も楽しんでもらえたらうれしいです。

>>351 zyao_50様
 ありがとうございます。サイトのほうにも書き込みありがとうございました。
 あまり明るい空気の世界じゃないですが、そういっていただけるとうれしいですよ。
 雰囲気をすごい指揮してというわけではないですが、壊さないように書いてますので。
 お気遣いありがとうございます。でも、のんびり過ぎないように書いていけたらなぁと。
 
374 名前:トーマ 投稿日:2004/10/17(日) 00:54
更新、お疲れ様です。

乙女隊のメンバーは、それぞれいい味出してますね。
リアルでは、もうこのメンバーが揃うのを見れないのだと思うと、残念でなりません。
出来ることなら、リーダーの卒コンにでも、一夜限りの復活とか・・・ついでに二期タンも・・
375 名前:zyao 投稿日:2004/10/22(金) 06:34
「定期便」繰り返し拝読させて頂きました。
私ごとでスミマセンが
小川の心境にグッと来るのが有りまして、
今回はリアルの娘。より
自分と重り、涙が溢れ止まりませんでした。
過酷な状況の乙女隊からを沢山の勇気を貰い、
不安いっぱいだった気持ちが
今は憧れの人を信じ、
青空のように澄み切っています。
ありがとうございます。
またの次回作、楽しみに待ってます。
376 名前:黄昏色に歌とおもいで 投稿日:2004/11/05(金) 21:08

 カランカラン。

 渋い木目調のダークブラウンのドアが軋んだ音を引き連れて開いた。

 ランプの明かりほどのぼんやりとした橙色の照明。ほの暗い店内。
 L字になっている7人ほど座れるカウンターと4人がけのテーブルが一つ。
 そして、その反対側の壁に備えられた古いピアノ。その横にはでかいアンプとクラシカルなモデルのエレキギター。
 入り口の横手の隅にはジュークボックス。
 壁にかけられた時計の針が8の上を通り過ぎようとしている。
377 名前:黄昏色に歌とおもいで 投稿日:2004/11/05(金) 21:09

 カウンターにはマスター。そして、女が一人。

 乾いたドアのベルが揺れる音を聞いて、カウンターの女が金色の髪を橙色の淡い照明に煌かせて振り向いた。
「よぉ。早かったやん」
 女がグラスを掲げると、グラスの半分ほどの琥珀色が揺れて中の氷がカラ…と音を立てた。
 ドアを閉めて、ふんっと零れ落ちたため息。
 あーあぁ。ちょっとぉ、ユウちゃん、もぉ酔ってんじゃん。
 艶やかな長い髪をいらだたしげに掻き揚げると、目の前でグラスを片手に悪びれた様子もない酔っ払いをにらみつけた。
「もぉ。早かったって…急に呼び出さないでよ」
「えぇゃん。どーせ暇やったんやろ?」
「そーだけどさぁ…」
「なら、えぇやん」
「…」 
 言いたいことは山ほどあるが、カウンターをさっと見渡すと、とりあえずつかつかと機嫌悪いですと言わんばかりに靴音を立てて左隣に座った。黄金色に輝くシャンパンが置かれた右隣にはすでに先客がいる。
 すっと足を組み、カウンターに両肘を突いて組んだ手の上に顎を乗せ、隣の不適に笑う酔っ払いをもう一度にらむ。
 淡い橙色の光がそれらの一連の動作のシルエットを壁に描き出す。それをうっとりと眺めていたユウコは、そんな視線に気づいて愛しそうに目を細めた。
「そんな怒んなくったってえぇやん」
「…」
「カオリ、あんたがそんなんしたって、かわいいだけやで」
「ホントはそんなこと思ってないくせに…」
「アホ。何ゆぅとるかな。ごっつかわいーで。ヤグチの次ぐらいに」
「…バカ」
 比べる対象間違ってる。
 けれども、ちょっとだけカオリの顔に浮かんだ微笑。
 ユウコはふふふっとまた目を細めて笑顔で顔を近づけると、カウンターに向かって声をかけた。
「マスター」
 ひげが素敵な初老のマスターは小さな笑みを口元に浮かべてうなずくと、くるりと背を向けた。
「ユウちゃん?」
 ちょこんと首を傾げるカオリ。
 ユウコはふっ…と笑ってグラスを傾けた。
378 名前:黄昏色に歌とおもいで 投稿日:2004/11/05(金) 21:10

 カラン…。

 氷がグラスにぶつかって透き通った響きがほの暗い闇の向こうへと消えていく。
 カオリはなんとなく店内を見回して、ギターに目を留めた。
「あれは?」
 珍しいね…と呟くと、ユウコはちらりとギターに目をやった。
「あぁ。ここの常連やった人が置いてったらしいんやて」
「ふ〜ん」
 と、なんとなくうなずいてカオリは甘えるような上目遣いでユウコを見上げた。
「ん?」
「ん? ふふふっ」
 にこりと微笑むカオリ。
 ユウコはすっと視線を外して困ったように笑った。
「なぁん? 恥ずかしいやん。あまり見んといて」
「いいじゃん」
 ばか…と呟いて水割りを呷るユウコににこりと微笑むカオリ。
 ステアされてくるくると踊っている氷がカランカランとグラスにぶつかる軽やかな音。
 ほどなくして、カオリの前にことっと置かれたトールグラス。
「まっ、呑みぃ〜や」
「もう。居酒屋じゃないんだから」
 むうっと頬を膨らませつつ、炭酸の泡が弾ける淡い金色のグラスを手にすると、
「えぇやん。二人しかおらんのやし。な?」
「…もぉ」

 カン!

 グラスの乾いた音がほんのりとした橙色の明かりに消えていく。
 カオリはぐいっと勢いよく遠い黄昏時の色をしたアルコールをのどに流し込んだ。ジンジャーエールの粋な辛さとのどをスキップしていく炭酸が気持ちいい。
「なんなん…。自分だっていい呑みっぷりやん…」 
「いいじゃん…。のど渇いてたんだもん」
 カオリは半分ほどまでに減ったジン・バックをコースターの上においてユウコを横目で睨み付けた。
 そんな拗ねた様子にご満悦なユウコはぽんっと頭の上に手を乗っけると、よしよしと目を細めて撫でてやる。
「もぉ…。ユウちゃん!」
「えぇやん。そんなに急いで来てくれたんやもん。うれしぃやん」
「…だってさぁ…」
379 名前:黄昏色に歌とおもいで 投稿日:2004/11/05(金) 21:10
 
  これも一本の電話から始まった。

 『はい。第8前線基地第7兵舎です』
 『おぅ。イシカーか』
  どこのオヤジかと思ったが、その声にツッコミをぐっとこらえたリカの胸に過ぎった不穏な気配。
 『はい。ご無沙汰してます。ナカザーさん。元気ですか?』
 『まぁ、ぼちぼちやな。ところで、カオリ、今おる?』

「急すぎるよ…。そもそもさぁ…」

 『今、射撃場だと思います』
 『そか。じゃあ…』
  リカに店の場所を教えると、
 『じゃ、待ってるからな』
 『…』
  告げられた店の場所は車を時速100キロで飛ばして1時間半。
  リカはそろーっと時計に目をやった。
  19時38分。
  あぁ…夕食の片づけが終わって一段落だもんね…。
 『イシカー?』
 『はい!?』
 『なぁ、イシカー』
 『はぃぃ…』
 『上官の命令は?』
  ふふんと笑う声が聞こえたような気がした。
 
  なにがなんでも連れて来い。

 『…絶対です』

  ごめんね。カオたん…。
380 名前:黄昏色に歌とおもいで 投稿日:2004/11/05(金) 21:12

「…もぉ。職権乱用だよ…」
 申し訳なさそうなリカ。その後ろで怪訝な顔をしているミキ。
 カオリはやれやれとため息を吐いた。
「カオだってあぁ言われたら断れないのに…」
 クソマジメに上官の命令を守る運転手が120キロでかっ飛ばすジープ。正直背筋が凍った。
 なのにその呼び出した当の本人はにやにやと笑ってるし。
「えぇやん。たまには」
「たまに…って…。まぁ、そーだけど…」
「今日はまぁ、こっちの方に用事があったからやけど。せっかくやもん。呑みたいやん。カオリだってもぅオトナなんやし」
「んー…」
 どう応えていいのか難しい顔をしたまま首を捻るカオリにふふと微笑みかけ、ユウコはグラスに4分の1ほど残っていた水割りを一気に飲み干した。
「…付き合ってくれる子も…あんまおらんし」
「…」
 肘を突いて空になったグラスを柔らかい目で見つめるユウコの向こうで、ひっそりとたたずむシャンパン。
 また一つ、また一つと静かに泡を浮かべるシャンパングラスから目を離すと、ふいにユウコと目が合って、カオリはなんとなく慌てて目をそらした。
 ふっ…と、ユウコが笑った。
「今日はな、カオリと呑みたかってん」
「…」
「なっちでもヤグチでもあっちゃんでもみっちゃんでもなく…カオリと」
 そして、シャンパングラスに向かって「な」と小さく首を傾げて囁いた。
『いいじゃない。たまには』
「…」
 シャンパングラスの泡がまた一つ、また一つ弾ける。
 カオリはグラスを手にすると、すっと腕を伸ばした。 
381 名前:黄昏色に歌とおもいで 投稿日:2004/11/05(金) 21:12

 カン!

 シャンパングラスとトールグラスの生み出す透明な響き。
 カオリは残ったジン・バックを一気に飲み干した。
「マスター。バーボンを。ロックで」
 銘柄はマスターに任せると、ふぅと息を吐き出して、ユウコに微笑みかけた。
「呑まないの?」
「え…。あぁ」
 ユウコは同じものを頼むと、
「なんや…オトナになったなぁ…」
 としみじみと目を細めた。
「まぁね」
 空のグラスをマスターに手渡すと、カオリはもう一度店内を見回した。
「いい所だね」
「そやろ。視察で来たときに見つけてん」
「ふ〜ん」
「旨いのはもちろんだけど、意外に知られてないトコやし、値段も手ごろ、なんと言ってもマスターがえぇ人やし」
 マスターが照れ笑いを小さく口元に浮かべて会釈する。
 なんかその微笑がかわいくて、カオリはくすっと笑った。
 
 耳障りにならない加減で店内の後ろに流れる緩やかなナンバー。
382 名前:黄昏色に歌とおもいで 投稿日:2004/11/05(金) 21:13
 
 カランカラン。

 穏やかなメロディーの上にかぶさるように揺れて響き渡ったドアベル。
 重いドアが軋んだ音を立ててゆっくりと開いていく。
 ユウコとカオリが振り向くと、そーっとドアから顔を覗かせる緊張に強張ったリカとミキ。
 いらっしゃいませ…と言うマスターの温かみのある低い声と、ユウコとカオリの笑顔に二人の顔が少しだけ綻んだ。
「ほら。入ってきぃ。大丈夫だから」
 ユウコが手招きすると、ゆっくりとドアを閉めてリカとミキは店内に入った。
 初めての場所にきょろきょろと視線が動く。
 そんな二人がかわいくて、カオリとユウコに自然と浮かび上がる微笑み。
「てきとーに座りぃ」
「はい」
 リカはざっとカウンターを見渡すと、ミキの手を引いてユウコの右側に一つ間を置いて座った。
「リカちゃん?」
 とりあえずリカの右隣に座ったミキが空いている席を指差す。
「うん。もう、座ってるから」
「は…?」
 けど、ユウコもカオリも笑っているだけ。誰もいないリカの左隣、ユウコの右隣にはシャンパンのグラスが一つ。
 ミキ怪訝そうに目を凝らした。
『ちょっとっ。なによぉ』
「あ…」
 そっか。なるほど…。
 でしょ?
「さびしがりだからね」
 リカはそう呟いて佇むシャンパングラスに微笑んだ。
383 名前:黄昏色に歌とおもいで 投稿日:2004/11/05(金) 21:14

 ユウコはグラスを受け取ると、マスターになにやらオーダーした。
 それを見たリカは、
「ナカザーさん、あんまり呑みすぎないでくださいよ」
 と言ってみたものの、 
「イヤ」
 返ってきた答えはあまりにも簡潔。
「何でですかぁ!」
「だってカオリと呑むんだもん。こんなキレイな子とおったら酒が進むに決まってるやん」
「えーっ。でもぉ…」
「それに、リカちゃんがおるしな」
 にやにやと笑うユウコ。
 だよね…と、すーっと真っ青になっていくリカ。
「呑みすぎてもいいですけど…おとなしくしてくださいね」
 たぶん無理だと思いますけど…。
「大丈夫。ミキがいるから」
 ポンと励ますようにリカの肩を叩いて言ってみたものの、なんとなく空しく感じるのはなぜだろう。
 そんなミキにリカはちょっと困った顔のまま微笑み返した。
「あーあー。ほんまらぶらぶやな…」
「でしょ。いつのまにって感じなんだけどねぇ」
 相変わらず見詰め合っているリカとミキ。
 シャカシャカとシェーカーを振る小気味いい音が通り過ぎていく。
「ま、えぇやん。悪いことやないし」
 うらやましいけどな。
 ユウコはカウンターの下でしっかりと手を繋いで楽しそうに話す二人に目を細めて笑った。

 軽やかなシェーカーの音。
 曲が変わって新しいレコードから切ないバラードが流れてくる。
384 名前:黄昏色に歌とおもいで 投稿日:2004/11/05(金) 21:14

 リカとミキの前に置かれたカクテルグラス。
「わぁ…」
「キレイ…」
 そんな感嘆の声にユウコが嬉しそうに微笑む。
「未成年やからノンアルコールな。特にイシカーには運転してもらわなあかんし」
「なんか…かっこいい」
 ミキは女性らしいしなやかなスタイルのコリンズクラスに入った真っ白いカクテルを手にした。
「それはサラトガ・クーラーっていうんやで」
「じゃあ、これはなんですか?」
 リカが華やかなオレンジ色に染まったカクテルグラスを手にする。
「それはシンデレラや」
「シンデレラ…。ふふっお姫様だね」
「あれっ。この人自分で言ってるし」
「いいじゃーん」
 言うだけならタダじゃない。
 じゃない。
「自分の歳も自覚しようね」
「あっ。ミキちゃんってばひっどいなぁ。まだまだサユには負けてないつもりなんだけどなぁ」
「つもりでしょ」
「んー…。いや…その…」
「まっ。ミキにとってはお姫様だけどね」
 とさらりと呟いて、ニコッとリカに微笑みかけた。
「もぅ…」
 かっこよすぎ…。
 ちょっと赤くなってるかもしれないなと思いつつ、
「呑んでないのに酔ってる? ミキちゃん」   
 と怪訝そうに顔を近づけたら、ぱっと唇を奪われた。
「酔ってるかもね」
 グラスのふちを指でなぞって、ふふっとリカに流し目を送って微笑むミキ。
 頬杖を突いて園やり取りを微笑ましく見ていたユウコは、
「なんやフジモト、オトナやなぁ」
 と言うと、グラスを掲げた。
「ほら、乾杯や」
385 名前:黄昏色に歌とおもいで 投稿日:2004/11/05(金) 21:16
 
 カン! カンカンカン!

 軽やかな音を立ててグラスがぶつかり合う。

 透き通ったさわやかなのど越しにミキが「くーっ」と唸った。
「おっいしーっ!」
 そんなミキを見て、リカはそっとグラスに唇を当ると、ゆっくりとオレンジ色のカクテルをのどに流し込む。
 ひょこっと眉があがって、ミキが「んー?」って覗き込む。
「わぁ…」
「ん? イシカー、うまいか?」
「はい!」
「ねっ。ミキにもちょっとちょうだい」
「うん。じゃ、ちょっと飲ませて」
 はしゃぐ二人の姿にカオリとユウコの表情も自然と和らぐ。
「なんや、初々しいなぁ」
「ね」
「イシカー、それは、冷たいうちがうまいんやで」
 と、言ったら、
「もう飲み終わっちゃいました」
 えへ。と笑って、空になったカクテルグラスを振るリカ。その後ろでミキも空のグラスを同じように振っている。
「なんやもぅ、もうちょっと味わって呑まな。ねぇ、マスター」
 けれど、マスターはうれしそうに微笑むだけ。
386 名前:黄昏色に歌とおもいで 投稿日:2004/11/05(金) 21:16
 ユウコはふと、視線を落として何やら考えるような顔をすると、
「マスター、二人にシャーリー・テンプルを」
 マスターが一つうなずく。
「今度はちゃんと味わってな」
「はーい」
「はい」
 揃った返事にちょっと苦笑いのユウコ。
 カオリはくすくすっと笑った。
「普段はお姉さんだから、なんか二人ともかわいく見えるね」
「なーに言ってるんですかぁ。いっつもかわいいですよ。ね。リカちゃん」
「ね。ミキちゃん」
「あーもー。二人があっついのはよぉわかったから。あんま目の前でいちゃいちゃせんといて」
 ユウコがわざと眉を寄せて呆れたようにしっしっと手を振る。
 リカはえーっと眉を下げて困ったように笑った。
「無理言わないでくださいよぉ。じゃあ二人の世界に入っちゃうんで、ナカザーさんこそ邪魔しないでくださいよ」
「はいはい。いってらっしゃい」
 ひらひらと手を振るユウコ。
 カオリはすっとユウコの腕に自らの腕を回して身体を寄せた。
「いいもん。こっちだってらぶらぶだもん」
 ねーっ、うなずきあうユウコとカオリ。
 そんな二人を見てクスクスッと顔を見合ったリカとミキの前に置かれた二つのタンブラー。
 淡い火の明かりのような透き通った赤褐色のグラスを手にして、カチンと合わせると、リカとミキはユウコに向かっていただきます…とグラスを掲げて見せた。
 うなずき返して、ユウコはバーボンを一口含んだ。
 のどを焼くように通り過ぎてわずかに顔をしかめる。はっと吐き出した息はほろ苦て、なんなとく笑えた。
387 名前:黄昏色に歌とおもいで 投稿日:2004/11/05(金) 21:17
「なんやなぁ…。ほんま…オトナになったな」
「ユウちゃん?」
「んー。なん? そんな不思議そーな顔して」
「だって…。ユウちゃん、すっごく遠くを見てるから」
「そーか?」
「うん。ねぇ、ユウちゃん」
 カオリは組んでいた腕を解くと手をそっとユウコの肩に置き、顔をのぞこんだ。
「まだ、そんなに時間…経ってないよ」
 真剣に見上げる瞳。
 たぶん精一杯の言葉なのだろう。こうやって大きな瞳を潤ませて、じっと自分を見つめる強いまなざしはあの頃と変わらない。
「そやな。けど…うちらだって6年も経ってるんやで」
 うちら、何やってたんやろうな。
「6年か…。そう言われれば…早いね」
 あたしは何を見つけたんだろう…。
388 名前:黄昏色に歌とおもいで 投稿日:2004/11/05(金) 21:18

 毎日がガムシャラで、戦場に立てば生きていくだけで精一杯で…。

 何人が去って、何人がやってきて…。
 誰かが去って、そのたびに心に一つ穴が空いたようで。
 誰かがやってきて、そのたびに少しずつ心強く感じたように思えてきて…。

  『ここでやるべきことは全部終わった』
   そう言って軍を去った早熟の天才は、今他国で政治について学んでいるという。        
  『力じゃダメなんだよ』
   
   あの時のナツミの荒れようはすごかった。
   泣きじゃくって泣きじゃくって…。
   そうだよね。妹みたいだったもん。

「…せやろ」

 走って走って走って走って…。
  
  『悔いは無いよ』
   手に入れた一つの幸せのあり方。空に向かって投げられた花束。  
  『ずっと見てるから。あたしはあたしでさ、新しい戦場に出向くだけなんだよ』

   かっこいいこと言ってたよね。
   その言葉どおり、子育てというにぎやかな楽しい戦いの日々。
   今度はいつ軍に遊びにくるのかなぁ。   

   進む道は違うけど、心は一緒だから。

「うん。いろいろあったね」

 アスカが去って、アヤが軍を離れて…。
 サヤカが軍を飛びだしていったのも今思えば懐かしい。そういえば緑が鮮やかな時期だったね。

 今隣にいるユウコは本部に召喚され、そのまま昇格して本部異動で隊を離れた。

 マキも昇格して娘。隊を離れて、本部配属になった。
 そういえば、ケイが空に旅立って行ったのも、緑が美しい夏の初めだった…。

 シャンパンの泡の勢い緩やかになる。ただ静かにそこに佇んで、その後ろをささやかに流れるどこか悲しげなナンバー。
389 名前:黄昏色に歌とおもいで 投稿日:2004/11/05(金) 21:18

  
 だけど、それだけじゃない。

 カオリはふと、視線を頬杖を突くユウコの向こうに流した。
「考えてみたら…4年だもんね」   
 リカの華奢な後姿。それでもあの頃はもっともっと頼りなく見えたのに…。
 普通の女の子の小さな背中だってわかっているのに、一緒に戦ってきた年月が作り出したしっかりとした頼もしい背中。 
「そや。あのリカちゃんがあんなやで」
 今や軍の中でも押しも押されぬスナイパー。
「そうだよね…」

  倒れても倒れても焦点の合わない目で立ち上がって追いつこうとするリカ。
  影で悔しさとふがいなさに声を殺して泣いていたヒトミ。
  弱音を吐くまいと歯を食いしばって目に大粒の涙を溜めて見上げるノゾミ。
  負けじと睨み付けたアイの目からすっと零れ落ちた涙。  

「早いよね…」

  今でこそさくら隊副隊長のマリも、入ってきた時はただちっこいだけで大丈夫かコイツと思った。
  そのクセに負けん気ばっか強くて…。
  でも、いつのまにかなくてはならないムードメーカーになってた。

  空に帰ったケイも、なんか真面目でかたっくるしいし。なんかちょっと暗いし…。
  でもその頑張りと気遣いはありがたかった。いつもそれとなく支えてくれてた。
  いつだってそうだ。いなくなってみて気づくんだ、大きな存在だったことに…。 
  
  すごい子が入ってきた…。
  マキの持つ雰囲気は怖かった。何かを背負ったような鋭い目。
  だけど、笑うとかわいくて、なんだけっこう甘えんぼさんなんだってわかったら、なんかほっとして、嬉しかった。

「なんかなぁ…」
 
 その間、自分はどれだけ変わったんだろう。
 カオリはそっと目を閉じた。
 
390 名前:黄昏色に歌とおもいで 投稿日:2004/11/05(金) 21:19
 
 また一枚のレコードが終わる。
 ユウコがバーボンのグラスを傾ける音。
 リカとミキの楽しそうな話し声。

  ユウコの後を受けて隊長になった。
  不安で不安で仕方なかったけど、一人一人がまっすぐに前を見つめていて、心強かった。
  頑張れるって思えて、だから、みんなを引っ張っていけないにしても、せめて支える隊長になろうと思った。
  そしてそれからいくつかの戦場を駆け抜けて…。
 
  ぐっと歯を食いしばって厳しい訓練に臨むまっすぐなアイの瞳。
  入隊してその理想と現実の羽間で悩むマコトの横顔。
  どんなに辛い訓練だろうと黙々と挑むアサミの真剣な表情。
  小さな体で必死についていこうとするリサの強い意志に満ちた眼差し。

 あぁ…。そっかぁ。 

「ねぇ、ユウちゃん」
「ん?」
「うん。あたしね、幸せだなぁ」

 いつも強気なレイナ。
 芯の強いサユミ。
 負けん気の強いエリ。
 そして、経験と高い能力を持つミキ。

「なんかね、すっごい宝物…もってるんだなぁって」

 いつまでたってもふるさとの言葉が抜けない田舎娘。
 イヤんなるくらいの腐れ縁。だけど、けっして目を離すことのできない相手。
 ケンカした。口も利きたくなかった。今も時々大して変わんないかも。
 でも笑いあった。やっぱりなんだかんだってお互いよくわかってて…。

 あの子は太陽。だからあたしは月になる。
 だからって陰になったわけじゃない。
 満月はね、真夜中の太陽なの。

 あんたが頑張るから、あたしだって頑張るの。  

 ナツミにできて、カオリにできないこと。
 カオリにできて、ナツミにできないこと。

 神様は、うまく作ったもんだって思う。
391 名前:黄昏色に歌とおもいで 投稿日:2004/11/05(金) 21:20
 
「ふふっ。そう思わない?」

 隊は2つに分かれたけど、それでも誇りに思う。
 自分がこんなすごい部隊の隊長だったということを…。

「せやな」
 うちもな、同じ気持ちやで。
 ユウコはふっと微笑んで、またグラスを呷った。
 カオリも一口、バーボンを口にする。
 カランと氷が鳴って、微かな響きは淡い闇の中へと消えていった。
 ユウコはすっとカオリの左手を取ると、かすかに残る傷跡の上をそっと指で辿った。
「…ユウちゃん」
「なんや…もう…痛なぃんか?」
 カオリはコクリとうなずく。
 ユウコはふふっと目を細めて笑った。
「懐かしいなぁ…。ユウちゃん…あん時心臓凍ったで」

  ざわめくシャワーの音。
  タイルの上に排水溝に向かって描き出された数本の赤い線。

  消灯してから3時間。
  あまりに不自然な頃合の音に気づいたのは、たまたまトイレに行こうとしていたケイだった。
  
  ぼんやりと傷口を見つめる生気のない眼差し。
  シャワーから流れ出す湯に打たれるまま、シャワーブースの中にぺたりと座っていたカオリ。
  右手には軍支給の安全かみそり。 
  一瞬訳がわかんなかった。
  けれど、ぴたっと頬に落ちた水滴がはっと我に返してくれた。    
 
「ケイ坊が血相変えて飛び込んでくるからなんやと思ったわ」
「あの時って…まだケイちゃんとあんまり仲良くなかったんだよね」
「でも、来てくれへんかったら…なぁ…今頃…」
「うん…」
 カオリはなんとなくくるくると回していたグラスを口元に運ぶと、わずかに残っていた琥珀色の液体をのどに流し込んだ。
392 名前:黄昏色に歌とおもいで 投稿日:2004/11/05(金) 21:21

  結局現場の見た目ほど傷はたいしたことはなかった。
  けれどそれよりも心の方は深刻で…。
  窓の外をぼんやりと眺めながら、ノートに綴っていた簡単な詩はなにもかも否定的だった。

   つまんないよ。
   生きてたって。
   だって殺しあって、憎みあって。
 
   やだ! もうやだ!
 
   みんななくなっちゃえばいいんだ!

 今もたいして変わんないかなぁ。
 時々その頃のノートを見てふと思う。

  軍に入った頃は自分が国を救うんだ…って、英雄気取りだった。
 
  けど、現実は泥にまみれて、埃にまみれて、血の臭いと死の気配を体にまとわせてただひたすらに前を目指す。
  抱えていた理想とか、本当はどうでもよくって、ただ殺せ殺せと追い立てられる。
  一方的なエゴにすぎないかもしれない自分達の崇高な理想をゴリゴリと刷り込むように、繰り返し繰り返し…。
  気が狂いそうだ。
   
  飛び交う銃弾前では、それは真実なの? 
  ほら。ごらん。死の前には誰だって平等だ。
  何の区別もないんだよ。
  消えておしまい。 
   
  ここは戦場なんだ。
  目の前で誰かか死ぬなんて当たり前。
  ほら、オマエが撃った銃で人が死んでるじゃないか。

  同じこと。

  敵だろうが味方だろうが。

  あたしたちって何?
  ねぇ、教えて?

  そんなことを知りたがるヒマがあるなら、引き金を引け!  

  もう嫌だ!

  所詮、捨て駒なんだ。
  英雄なんて言ったところで、結局は人殺しなんだ。
  あたしの手は真っ赤だ。
  あたしは穢れている。

  ………
  ……

  でも、じゃあ、誰がやるの?
  どうすればみんなを守れるの?
  あたしには、何ができるの?
     
 今も答えなんて出ない。
 わかってるのは、ただ前に進むだけ。
 
 でも、できるだけなら、もう誰の死も見たくない。
 だから、だから頑張ろう。
393 名前:黄昏色に歌とおもいで 投稿日:2004/11/05(金) 21:22

 カオリは傷跡に触れたままのユウコの手を取ると、そっと握った。
「もぅ…大丈夫だから」
「…」
「ね。時々わかんなくなっちゃうけど、でもね、大丈夫」
 やわらかい、だけど強い瞳の輝きを伴った微笑み。
 ユウコはしっかりと目を見てうなずいて、きゅっと手を握った。
 いつのまにか話を止めてカオリを見つめていたリカとミキにも微笑みかけたら嬉しそうな笑顔が返ってきたから、なんだかくすぐったかった。
「ありがと」
「…なんやの…まったく…」
 そんな風に呟きながら、だけどもう一度ぎゅっと握ると、ユウコは空になったカオリのグラスを取り上げた。
「マスター」
 ユウコはマスターに手にしているグラスを渡すと、壁の方に何かを指し示すように視線を流した。
 どうぞ…と言うマスターに紙のコースターに何やら書いて渡すと、ユウコは席を立った。
「ユウちゃん?」
「ん?」
 ユウコはとぼけるように笑って壁際に置かれたギターを手にすると、アンプをいじり始めた。
「…ユウちゃん」
「久しぶりやな…」
 騒がしくならない程度に音量を加減すると、軽く爪弾いて鋼鉄の弦を震わせてみる。
 軽く唸ってやわらかい橙色の照明の中に消えた澄んだ音。
 申し分のないチューニング。渋い味わいのある音色。
「ん。えぇ感じや…」
 呟いて、ユウコはカウンターから手近にあったイスを持ってきて座った。

 ユウコの細い指先から紡ぎだされるメロディー。
 はかなく、せつない悲しい歌。
   
 アンプから響き渡る透き通った音。

 リカは立ち上がると、ユウコに微笑みかけた。
「リカちゃん?」
 ミキが首をかしげて見上げる。
 なんか、懐かしい…。
 そう言って、リカが向かった先はピアノ。
 きちんと手入れされている鍵盤に指を置くと、ユウコの奏でるギターに合わせて軽やかに動かした。
 重なり合った二つの音が生み出す一つ曲。
 少しさびしげで、だけどやっぱりせつなくて…。
394 名前:黄昏色に歌とおもいで 投稿日:2004/11/05(金) 21:23

 思い出はいつだって胸の中。
 美しく輝いて…。
 心の底で揺らめいて…。
 美しすぎて、ふと涙が溢れてくる…。

 やわらかいピアノの音色のやさしさ。
 ギターのせつない響き。
 
  『あっ、のんも混ぜてよ!』
  『じゃあ、うちドラム叩くわ』
  『あたし、ウッドベースできますよ』   

   小さい身体で力強い音色を出すノゾミのブルースハープ。
   起用にスティックを捌くアイのジャズドラム。
   少し独特で、だけど味のあるヒトミのウッドベース。

 カオリの目の前にぼんやりと滲んでくるいつかの日々。
 ユウコはちらりとリカに目をやると、リカもにこっと微笑んでうなずいた。
 小さいストロークで曲を締めると、そのまま軽やかにリカがイントロを奏で始める。
 軽快なテンポ。陽射しのようなメロディー。 
 ミキは綺麗に重なり合う二つの音に自分の歌声を重ねた。 
 
 それは初々しい恋の歌。
 
 楽しそうに歌うミキの横顔にすっと浮かび上がる面影。
 
  『あら、あたしも混ぜてよ』
   
   ケイが宇宙人と田舎者と眠り姫がいない隙を狙ってメロディーを歌いだす。

 黄昏色のシャンパンの泡が一つ、また一つ弾けていく。
 カオリの目からすーっと涙が零れた。

  
  『あっ! ケーちゃんずるいっ!』
  『あー! カオも入れてー』
  『ごとーも歌うー』 
 
   ケイに合わせてハーモニーを合わせながら、最後にはリードしているナツミ。
   その二人に合わせてコーラスしながら、時折さらっとメロディーを歌うカオリ。
   ナツミに合わせてメロディーをハモリつつ、気がつけばリードしていたりするマキ。

 そーいえば、そんなこと、してたよねぇ…。
395 名前:黄昏色に歌とおもいで 投稿日:2004/11/05(金) 21:24

 今思えばちょっと拙い演奏だったけど楽しかった。
 兵舎の娯楽室の窓から差し込むやわらかい金色の陽射し。
 みんなの笑顔。歌声。
 そう昔のことではないのに、ひどく懐かしいと思えるのはなぜだろう?

 カオリはミキの声に自分の声を揃えて歌いだした。

 どこまでも初々しい恋の歌。

 愛しい彼女を見つめて歌うミキの顔はやさしくて、なんだかくすぐったいなとリカが小さく肩をすくめる。
 カオリはシャンパングラスを手にした。
 黄昏の色の中、泡が一つ、また一つ浮かんでは消えていく。
 そっとグラスに口付けて、隣に座って歌っているであろう彼女の声を聞きながら、胸の中の想いを込めて歌った。

 橙色の淡い照明。
 やわらかい光の中に溶けて消えていく恋の歌。
 やさしくて、あたたかくて、ちょっとせつなくて、なのに甘い恋の歌。

 ギターの澄んだ余韻が心地よかった。
396 名前:黄昏色に歌とおもいで 投稿日:2004/11/05(金) 21:25

 ユウコはまたカオリの隣に戻ってくると、頬杖をついて穏やかに目を細めて笑った。
 コトン。
 そんな二人の前に置かれた清楚な白に染まったオールドファッション・グラスが二つ。
「これはな、流れ弾に当たって腕の中でなくなった恋人を悼んで作られたんやて」  
「…」
 真っ青な空の下、目の前でゆっくりと倒れていく兵士の後姿。
「もっとも…それは狩猟場の話やけどな」 
 ユウコはグラスを手にすると、淡い照明に透かすように掲げた。
「場所も意味合いもなんも違うけど、祈ろうや」
 凶弾に消えていったたくさんの魂に。
「せめてもの…手向けの代わりに…」
 祈りを込めて…。
 カオリは手にしていたシャンパンを一気に飲み干すと、グラスを手にした。

 カン!

 二つのグラスが響きあう。
 透き通ったその音は静かに橙色の光の中へと消えていった。
397 名前:黄昏色に歌とおもいで 投稿日:2004/11/05(金) 21:27

   *

 半分ほどに欠けた月が弦を上に向けて屋根の上に昇ってきたところで、ユウコは鼻歌交じりにご機嫌だった。
 まだなんとなく蒸し暑さは残るものの、頬を撫でる風に秋の気配。
 カオリとリカでそんなユウコを支えてようやっとドアを潜り抜けた。
「もぅ。ユウちゃん呑みすぎだよぉ」
「えぇやぁん。楽しいやんかぁ」
 あーあー。そりゃ楽しいけどね。
 カオリからやれやれと零れ出るため息。
 そういえば、こんなことも久しぶりだなぁ。
 リカはにこにこと楽しそうなユウコの身体を支えながらふと思った。あの時はこれに加えてケイがいて…。本当に収拾がつかなくって、よく泣きそうな顔でヒトミにお願いしてついてきてもらったっけ。
 とにかくこーゆーときは車に押し込んでしまうのが一番。
 カオリも泣き顔のリカと困惑したヒトミにお願いされて酔っ払い二人を拾いに来たことがあるのでよくわかっている。
「リカ、ミキ。とりあえず車をこの辺まで持ってきて」
「カオたん、一人で平気?」
 心配そうに見上げるリカにふんわりと微笑み返す。
「大丈夫。このままにしておけばそのうち寝ちゃうだろうから」
「それだったらこっちで寝かしちゃった方が早いんじゃないですか?」
 グーを目の前に出してミキが何の気なしに言うと、カオリは『じゃあ、やってごらん』と微笑んだ。
 ふむ。
 ぎゅっと拳を握り締める。
398 名前:黄昏色に歌とおもいで 投稿日:2004/11/05(金) 21:27
「あー。えぇ風やなぁ」
 気持ちよさそうに目を細めるユウコ。
「ふっ!」
 ミキは殺気と気配をぎりぎりまで押し殺すと、ユウコのみぞおち目掛けて突き上げるように小さなストロークで拳を振り上げた!
 キラリ。ユウコの目が光ったような気がして…。
「げふっ!」
 体がくの字に曲がったのはミキの方だった。
 しっかりと拳を左手でブロックされ、代わりに深々とミキの腹に突き刺さった右拳。
 瞬きの瞬間の出来事。
「お酒呑んだ時のユウちゃんってさぁ、無敵だから」
 遅いですよ…。今さら。
「げほげほっ!」
「大丈夫! ミキちゃん!」
 リカがユウコから離れてしゃがみこんで咳き込むミキの背中をさすってやる。
 頭の上の方から聞こえるケタケタと楽しそうなユウコの笑い声。
「まだまだ若いもんには負けへんでぇ」
 さすが初代娘。隊隊長…。
 じんわりと滲む悔しさと妙な納得。
 ゆっくりと顔を上げてミキは涙目でじっとリカを見つめた。
 もしかして、リカちゃんもわかってた…?
 うん…。ごめんね。
 頭を抱いてよしよしとミキを撫でる。
 自分だって何度同じ目にあったことか…。
 正直なところ、一人だからまだマシなのだ。
399 名前:黄昏色に歌とおもいで 投稿日:2004/11/05(金) 21:27

  決して無傷では済まされなかった決死のお迎え。
  迎えに行ったその翌朝、右目の回りに青あざができたリカ、左の頬を腫らしたヒトミを見て爆笑されたこともあった。 
  全身あざだらけにされて何度締め落としてやろうかと思ったが、酔っ払い二人は更にその上を行くわけで…。
 
 夜更け過ぎのバーのドアの前。  
 今思えば、そこもある意味戦場だった。

 後はとりあえず禁句さえ言わなければ、たぶん大丈夫。

「じゃあ、車取ってくるね。近くだから、すぐ来るね」
 なんとか立ち上がったミキを支えながら、リカが路地の向こうへと歩き出す。
 カオリはその後姿が通りの角に消えるまで見送ると、やれやれとため息をついた。
 そんなカオリにおやおやという顔を向けるユウコ。
「なんや。フジモトかわいそぉやん。まだ腹押さえとったで」
「もぉ。やったのは自分でしょ」
「けしかけたのはカオリやん」
「…気づいてたの?」
「当ったり前やんかぁ。じゃなかったらあんな鋭い拳交わせへんって」
 …ホントに酔ってるのかな? この人…。
 不思議そうに自分を見つめるカオリに、ユウコはにやっと笑って見せた。
400 名前:黄昏色に歌とおもいで 投稿日:2004/11/05(金) 21:28

 ちょっと視線を上げれば屋根の上に寝転がっているような月。
 顔を上げれば街の明かりの向こうにはいくつかの星。
 
 よいしょとユウコはカオリの肩に腕を回してぐっと抱き寄せると、空を見上げた。  
「なぁ、カオリ。英雄なんかな、おらへんねやで」
「…うん」
「うちらは所詮人殺し」
「…」
「イヤやったら、やめたらえぇ」
「…」
「でも、なぜおるん?」
 空から視線を移してカオリを見つめるユウコのやさしい目。
 カオリはふ…と空を見上げた。
「それは…隊長だから」
「…せやな。隊を預かる責任がある。でも、それだけや…ないやろ?」
 コクリとうなずいて、カオリはしっかりとユウコを見つめ返した。
「見届けたい」
 この戦いがどうなっていくのか。どういう最後を迎えるか。
 できることなら、仲間と一緒に、最後まで…。
 カオリは小さく微笑んで、ぎゅっとユウコの腰を抱いて支える腕に力を込めた。

 なんとなくきらりと星が流れたような気がした。
 本当に酔ってるのかな?
 そんなカオリにユウコはにやりと笑って、カオリはそんなユウコにくすっと苦笑いのような笑みを零した。
 気がつけば屋根の上に寝転がっていた月もずいぶんと高いところにある。
401 名前:黄昏色に歌とおもいで 投稿日:2004/11/05(金) 21:29

「なぁ、カオリ」
「ん?」
「また、呑もうな」
 ケイ坊も入れて…。
 今度はヤグチもなっちも誘って。
「うん」
 大きくうなずいて、ふいにカオリの胸をよぎった一つの考え。
 そっとユウコの腰を包むように抱き直した。
「ねぇ、ユウちゃん」
「んー?」
「ねぇ、キスしていい?」
 どこか真剣なカオリの瞳に、ユウコはやんわりと目を細めて笑った。
「えぇよ。すきにしぃ」
 そう言って目を閉じると、そっと頬を包むカオリの温かい手の感触。伝わってくる指先の緊張。
 心地よく酔ってほんのりと体温の上がったユウコの唇はやさしくて、なんとなく息を止めた。
 誰もいない少し狭い路地。
 さらっと夜風が流れて、遠くに聞こえてくるタイヤの音。
 そっと離れたら、なんだか名残惜しくて唇が妙にさびしく感じた。
 はぁ…とユウコから零れた吐息。
 照れくさそうに笑って、うつむいたまま乱暴にカオリの頭をかき混ぜる。
「ったく! オトナになりよって」
「ふふ。そんなことないよぉ」
「なにゆぅてんのぉ。もぉ」
 どっ…ドキドキしたやん…。
 ほんのりと染まっていたユウコの頬が真っ赤に染まっている。
 かわいいなぁ。
 ついつい顔が綻んでしまう。どうやら自分もそれなりによってるらしい。カオリはぎゅうっとユウコを抱きしめた。
「ありがと。ユウちゃん。だいすき」
 舌ったらずの甘えた口調。
 結局まだまだコドモなのかな。
 ユウコはしっかりと抱きしめた。

 
 それから程なくリカとミキがジープで戻ってきた。
 つい思い余ってミキがマリの名前を出した途端、さくら隊の基地へ行けとダダをこねだしたユウコ。
 なんだかなぁ。
 宥めなるカオリの顔に浮かぶ苦笑い。

 静かな街をゆっくりと走り出したジープ。
 はたしてすんなりと帰り着くのやら。
 少しだけ涼を帯びた風に吹かれ、藍色の夜中に寝転がって月はにんまりと笑いながらその様子を見守っていた。
402 名前:黄昏色に歌とおもいで 投稿日:2004/11/05(金) 21:29

   「黄昏色に歌とおもいで」          END
403 名前:さすらいゴガール 投稿日:2004/11/05(金) 21:37
久々に更新したら、なんかレス割失敗したし…。
時間かかってしまって、うーん。目指せ週1のはずが…。

なんか感情的になってるかも…。
そしてここんとこメインの二人差し置いて、かおりんらぶキャンペーン中な感じかも。

>>374 トーマ様
 いつもありがとうございます。
 そうですね。リアルではたしかに余程のことがないと見れないのはさびしい限りです。
 やっぱり素敵ですからね。この7人。もちろん、さくらもですが。
 2期タン復活などなど、そうですねぇ。本当にできることなら…ですね。

>>375 zyao様
 先のレスでは間違ってしまいごめんなさい。
 ご自分と重なりましたか。
 ワタクシの書くもので勇気を与えてあげられてるというのは、うれしい限りです。
 物語の彼女達の状況は、相変わらず先が見えていませんが…。
404 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/06(土) 00:08
いいですね。
同じ酒場のテーブル席にいたいです。
娘。ではおねえさんチームなリカミキが可愛く見えるステキなメンツですね。
これからも楽しみにしています。
405 名前:孤独なカウボーイ 投稿日:2004/11/24(水) 23:58
今日このスレを見つけて初めて読まして頂きました。
設定も世界観も描写も大好きです。
特にメインのカプがツボです。
更新楽しみにしています。
406 名前:zyao 投稿日:2004/12/07(火) 12:23
>>403 さすらいゴガール様
いえいえ。気になされないで下さい。
だいぶ遅いレスですが更新、お疲れ様です。
「黄昏色に歌とおもいで」拝読させて頂きました。
今回は意外にリアルな娘。と重ならかったで、すらすら読込めました。
自分の中で、この世界観のもう一つ娘。達が出来たのだと思います。
このテーブルに同席したくなる様な雰囲気ですね。
また曲がH.Pオールスターズの流れのようで素敵です。
また次回の更新楽しみにしています。
407 名前:2分57秒 投稿日:2004/12/15(水) 21:19

 色づく気配のない木の葉。
 暦はとっくに秋を迎えているのにいまだ疲れ知らずの太陽。
 飛び立つ訓練機のプロペラの音。
 まばゆい光が熱い地面に濃い機影を落とす。

 兵舎から少し離れた大きなクスノキの木の枝の上。
 アイは読んでいた文庫本から目を離すと、重なり合う葉の向こうできらきらと輝く青い空を見つめた。
 今日もよく晴れていて、雲ひとつない青。
 こんな空だったら、飛んだら気持ちいいだろうなぁ。
 きらきらと木漏れ日がアイの顔に降り注ぐ。
 ふいに飛び込んできた一粒の光にうっと目を細めた。
「あーあぁ…」
 暑いなぁ。
 すでにわかりきってることを口にするのは悔しくて、額に滲んだ汗を拭いながら軍支給のカーキ色のチノシャツの胸ポケットに文庫本をしまった。
 一通りの基礎訓練と雑務を終えてささやかな休憩時間。
 昨日はスクランブルもなかった。なんとなくのんびりできるのはなんか久しぶりで、大きくうーんと腕を伸ばすと、葉の向こうにわずかに垣間見える青をつかもうと手を伸ばした。

 みーんみんみんみん。

 セミがあちこちで鳴いてる。
 残暑厳しい今日この頃、いかがお過ごしですか?
 こっちもムカツクくらい暑いです。
 
 マコト…。
 今日は…戦場だっけ。

 木漏れ日は相変わらずきらきらと降り注ぎ、間から覗く青は高く、濃く、鮮やかだ。
 なんとなく口笛を吹いてみて、ふと、1フレーズ吹き終わってから歌ってみた。
408 名前:2分57秒 投稿日:2004/12/15(水) 21:20
 
 みーんみんみんみん。

 さらっと風が流れて、木陰に少しだけ熱を奪われた風がアイの頬を撫でていった。

「おーいっ!」

 下の方から声。
 見ると格納庫の方から油で黒く染まった淡いブルーのつなぎ姿のリサがこっちに向かって走ってくる。
「がーきさーん!」
 ぶんぶんと手を振ると、リサも手を振り返してきた。

 たったったっ…。
 テンポのいい足音が高く響いて空に吸い込まれていく。
 リサは大きく枝を広げるクスノキの木陰に入ると、
「なーにやってんのー」
 木の上で楽しそうに目を細めているアイを見上げた。
「んー。本読んでたー」
「またぁ?」
「うん」
「ほんっとお気に入りなんだねぇ。そこ」
「へへへへっ」
 だってここは空が近いから。
 無邪気な太陽に澄み渡る青。爽快な空に思い描くあの子の姿ににへっと笑ってみて、アイはするすると木から降り始めた。
「だけどさぁ、危ないよ?」
「だいじょーぶー。あっしサルの仲間やし」
「あーもー。何言ってんのー」
「へへへへっ。まぁ、大丈夫やって。落ちないから」
「…まったく」
 まぁ、アイちゃんの気持ちもわかるけどね。
 苦笑いを浮かべて、リサは隙間から覗く鮮やかな青に目を細めた。
409 名前:2分57秒 投稿日:2004/12/15(水) 21:20

 みんみんみんみん。
 セミがやかましい。
 短い命で必死に鳴いている。

 よいしょとアイが地面に降り立つと、
「おまたせー」
 と抱きついてきた。
「こらこらこらっ! あーついってば!」
「んー。夏だもん」
「って、あーそーだけどさぁ、ほら、あたし汚れてるからね? つなぎ油塗れだからさぁ!」
 それでも離れようとしないアイは、甘えるようにくしゃっと笑ってぬいぐるみを抱くようにリサを腕の中に閉じこめた。
「ちょーっとまってよー。相手が違うでしょって。ほらっ、アイちゃん、服、汚れちゃうってば!」
「いいの。だって、飛行機の点検してくれてたんやろ?」
「んー。そーだけど…」
「じゃあ、いい」
「アイちゃん?」
「だって、あっしは飛行機やもん」
「は?」
 わけわかんない。
 だけど、わけわかった気もする。
 だって、だから自分も全力でメンテナンスしているんだもん。
「…」
 満面の笑顔のアイ。
 リサはどこか呆れ返ったような笑顔を見せると、自分の体をぎゅっと抱きしめる手を取って繋いだ。
「ほら。行こう。そろそろ来る頃だよ」
「あっ! そっか!」
 そう言うと、アイは手をしっかり握ったまま駆け出した。
「うわわっ! アイちゃん!」
 急にぐいっと腕を引っ張られてつんのめるリサ。

 高く高く空に響き渡るあわただしい二つの足音。

 まだまだ陽射し溢れる午前10時半。
 郵便局員が持ってきた配達物がそれぞれの隊の兵舎へとたどり着く頃合。
410 名前:2分57秒 投稿日:2004/12/15(水) 21:21

 兵舎に戻ると、
「あっ! アイちゃん。ガキさん」
 アサミが手を振って走ってくる。
「アサミちゃーん!」
「うわっ! だからアイちゃん、ひっぱんないでって!」
 そんなリサにかまうことなくアサミに駆け寄って抱きつくアイ。
 リサはなんとか転ばないように、だけどしっかり手を繋いだまま、やれやれと笑った。
「もー。あぶないよ?」
 といってもアイはへへへへっと笑ってるだけ。
 アサミはそんな二人のやり取りにふわっと目を細めた。
「まぁいいじゃん。二人とも転ばなかったんだし」
「もー。あさみちゃんまでー」
 のんきだなぁ…と、ちょっと苦笑いしてリサは言った。
「アサミちゃんもポスト見に行くんでしょ?」
「うん。もうそろそろだよね?」
「ほら、早く行こ」
 アイはアサミの手をしっかと握ると走り出した。
「うわっ! アイちゃん!」
「わぁっ! あっ…アイちゃん!?」

 3つになった足音。
 ぐるりと回って兵舎の玄関をくぐって事務室へ。
 そして自分の名前の書かれたレターボックスを確認する。
「あっ!」
「おっ!」
「きたっ!」
 アサミ、リサ、アイの目がきらきらっと輝いた。
411 名前:2分57秒 投稿日:2004/12/15(水) 21:21

 ―――
 ――

 大きな腕を広げてゆったりそこに立つクスノキ。
 その木陰の下には手紙を持って座るアイ、リサ、アサミ。
「アイちゃんの、なんか厚ぼったいね」
 リサはつなぎのファスナーを下げて袖から腕を抜いて上半身だけ脱ぐと袖を腰のところで縛りながら、アイの手紙を首を傾げて覗き込む。
「うん。なんか固いもん入ってる」 
 そっと手紙の封を開くと中からでできたのは一本のカセットテープ。
「アイちゃんへ…だって」
 ラベルに書かれた文字をなんとなく読み上げるアサミ。
 アイはカセットテープのケースの表と裏を少し怪訝そうに見返すと、手紙に目をやった。
「…マコト…」
「アイちゃん?」
「どーしたの?」
 アサミとリサが心配そうに覗き込む。
 アイはふぅっと肩を揺らして息を吐くと、にこっと笑った。
「誕生日プレゼントだって」
 アサミはふわっと笑った。
「そっか。もうすぐだもんね」
「うん。けど誕生日は…こっちが出動予定入っとるし…」
「だからかぁ。少し早めの誕生日プレゼントだね」
「よかったね。アイちゃん」  
 うれしそうに笑うアイにリサも目を細めて笑った。
412 名前:2分57秒 投稿日:2004/12/15(水) 21:22

 みーんみんみんみんみん。

 淡い風にクスノキの葉が揺れる。
 アイは自分の部屋にラジカセを取りに走って戻って行った。
 その間にリサとアサミは自分に届いた手紙を読みふける。

 だいたい2週間に一度くるカオリの手紙には、カードに書かれたキレイなイラストかポエム。
 カードを部屋の壁に貼っていくのがリサの楽しみだ。
 けっこう不定期なリカの手紙には乙女隊の様子や気遣いの言葉やアドバイス。
 時々相談したいことをどこからか察して書いてくる時もあるから、ほんとにすごいなぁとアサミは思う。
 ミキの手紙も不定期だけど、前に書いたことに一つ一つていねいに答えてくれる。
 そしてボケと天然がひしめく乙女隊員へのツッコミ武勇伝が事細かくおもしろい。
 文字やらイラストやらにぎやかなノゾミの手紙。
 わりとマメだが、大体内容はあれ食べてこれ食べて。そういえばあんなことあったこんなことあった。
 見かけによらずかわいいレイナの手紙はけっこうマメ。
 ここのところは『れいにゃ観察日記』のようで微笑ましい。
 ピンクの便箋がかわいいサユミもかなりマメ。
 意外にしっかりした文章で、のんびりマイペースに日々の出来事を書きつつ、淡い夢がちらほらと…。

 一つ一つの文字に込められた言葉を記憶の中の声に置き換えていく。
 不安に気持ちには心強く、沈んだ気持ちに明るく、だけど時には少し厳しく。
 心に染み込んでいく一つ一つの言葉。

 
「あちゃー。ごめんね。マコト…」
 しゃべっちゃった。
「ううん。ありがと。ガキさん」
 にっこり微笑んだアサミの目がきらりと光った。…ようにリサには思えた。
「まっ、いっか」
 書いたまこっちゃんも悪いし。
 リサはとりあえずふむ…と一人納得した。
413 名前:2分57秒 投稿日:2004/12/15(水) 21:28
>412
↑すいません。上、更新ミスです。
飛ばしてください。話の腰折ってしまってもうしわけないです。
414 名前:2分57秒 投稿日:2004/12/15(水) 21:28

 みーんみんみんみんみん。

 淡い風にクスノキの葉が揺れる。
 アイは自分の部屋にラジカセを取りに走って戻って行った。
 その間にリサとアサミは自分に届いた手紙を読みふける。

 だいたい2週間に一度くるカオリの手紙には、カードに書かれたキレイなイラストかポエム。
 カードを部屋の壁に貼っていくのがリサの楽しみだ。
 けっこう不定期なリカの手紙には乙女隊の様子や気遣いの言葉やアドバイス。
 時々相談したいことをどこからか察して書いてくる時もあるから、ほんとにすごいなぁとアサミは思う。
 ミキの手紙も不定期だけど、前に書いたことに一つ一つていねいに答えてくれる。
 そしてボケと天然がひしめく乙女隊員へのツッコミ武勇伝が事細かくおもしろい。
 文字やらイラストやらにぎやかなノゾミの手紙。
 わりとマメだが、大体内容はあれ食べてこれ食べて。そういえばあんなことあったこんなことあった。
 見かけによらずかわいいレイナの手紙はけっこうマメ。
 ここのところは『れいにゃ観察日記』のようで微笑ましい。
 ピンクの便箋がかわいいサユミもかなりマメ。
 意外にしっかりした文章で、のんびりマイペースに日々の出来事を書きつつ、淡い夢がちらほらと…。

 一つ一つの文字に込められた言葉を記憶の中の声に置き換えていく。
 不安に気持ちには心強く、沈んだ気持ちに明るく、だけど時には少し厳しく。
 心に染み込んでいく一つ一つの言葉。
415 名前:2分57秒 投稿日:2004/12/15(水) 21:29

 ふわりと風が流れて、さら…と木の葉が囁く。
「アサミちゃん」
「んー」
「こないだマコト、かぼちゃプリン食べたんだって。イーダさんお手製の」
「えっ!?」
 すごい勢いでアサミが顔を上げて迫ってくるから、自然とリサはその勢いに少し身を引いた。
「あと、焼きいもしたって」
「えええーーっ!」
 予想できたアサミの叫びにリサがぱっと耳を塞ぐと、がしっとアサミが肩を掴んで揺さぶった。
「うわっ! あっ…あさみちゃんっ! 痛いって! わっ!ちょっ! ちょっとっ!」
「だっ…だってぇ! ほんとにぃ!?」
「う…うん。ほら」
 なんとか肩から手が離れると、アサミに手紙を見せてその場所を指で示す。
 ほんっと…おイモとかぼちゃになると人が変わるよねぇ。
 おもしろい。
 食い入るように文章を睨みつけるアサミにくすくすと笑いながら、リサももう一度手紙に目を通した。
「あっ!」
「ん?」
 不機嫌なままのアサミが眉をひそめて不思議そうにリサに目を向ける。

『 アサミちゃんにはナイショだよ。 』

「あちゃー。ごめんね。マコト…」
 しゃべっちゃった。
「ううん。ありがと。ガキさん」
 にっこり微笑んだアサミの目がきらりと光った。…ようにリサには思えた。
「まっ、いっか」
 書いたまこっちゃんも悪いし。
 リサはとりあえずふむ…と一人納得した。
416 名前:2分57秒 投稿日:2004/12/15(水) 21:31

 たったったった…。
 
「おまたせーっ!」
 四角いラジカセを手にアイが戻ってきた。
 はぁ、はぁ…と息を整えながらとりあえず座ると、おや…と拗ねたようなアサミに気がついた。
「どしたの?」
「おいも…」
「は?」
 アイの目がきょとんとしている。
 リサを見ると、はははっ…と乾いた笑い。
「あのね、乙女でおやつにイーダさんのかぼちゃプリンと、あと焼きいもしたって」
「あぁ! 書いてあったー! で?」
「へへっ。ナイショって気づかなくって…」
 えへへと笑うリサにアイはなるほどと笑った。
「なぁ〜んだ」
「あぁー! なによぉ〜」
 むっとアサミがアイいじけた目で睨みつける。
 アイはよしよしと頭を撫でてやると、
「アベさんにお願いしたらえぇやん」
「あっ! そういえば誰かの家からかぼちゃ、差し入れで送られてきてたよね!?」
 ポンと手を打ったリサ。
 ぽわぁっとアサミに笑顔が戻ってくる。
「そっかぁ! あとでお願いしに行こっ」
 もうすでにうきうき気分にのアサミにアイとリサが顔を見合わってくすくすと笑う。
 アイは自分に宛てられたマコトの手紙にもう一度目を通した。
「それにしても焼きいもって…」
「まだ暑いのにねぇ…」
 リサもしみじみと空を見上げた。

 かんかん照りの太陽。
 たしかに初秋らしく空は高くなったような気がするけど、それにしたって太陽の頑張りには驚き、呆れ返る。
417 名前:2分57秒 投稿日:2004/12/15(水) 21:31

「そういえばさぁ。乙女は…今戦場なんだよねぇ」
 リサは空を見上げた。
「…」
 便箋を丁寧に封筒に戻すとチノシャツの胸ポケットにしまうアサミ。
「だいじょうぶやって」
 アイはケースからテープを取り出すと、ラジカセにテープをセットした。

 青い青い空。
 強い陽射しにじんわりとにじむ汗をシャツが吸い込んでいく。

 長袖の迷彩の戦闘服。
 中身の詰まったデイパック。
 陽射しに暑く焼けた銃。革のグローブ。

 ぴーひょろーととんびが鳴く。
 リサはなんとなく呟いた。
「…暑いねぇ」
「うん…」
 くるりくるりと輪を描くとんびを眺めてうなずくアサミ。
 アイはポンッポンッと二人の肩を叩くと、
「だいじょうぶやって」
 無敵やもん…と笑った。
「ほら。早く聴こー」
「うん!」
「そうだね」
「っと、その前に…」
 アイはラジカセのボリュームを少しだけ上げると、
「じゃ、いくよー」
 カチッと再生ボタンを押した。
418 名前:2分57秒 投稿日:2004/12/15(水) 21:35

 じーっとテープが回りだす。
 四角いラジカセのスピーカーを息を凝らしてじっと見つめるアイ、リサ、アサミ。

   ごっ。ごっ。

   マイクを叩く音。
   そして…。

   『あー。てすてす』

「わっ! マコトやぁ!」

   『こほん』

   『ええっと、アイちゃーんっ! げんっきですかぁーーーっ?』 

 いつもより高い声。
 なんかちょっと微妙なハイテンション。
「あはははっ。元気だよーーっ!」
「なんかマコト、緊張してるねー」
「らしくないなぁ」
「えぇやん。かわいーって」

   『ええっとぉ、アイちゃん。アイちゃん、ええっとぉ…このテープが…』
   『マコトー。なにやってんのー』
   『あ゛っ!?』

 少しマイクから遠いのか小さい声。
 走ってくる足音。
「あっ。のんつぁんだ」
 アイが身を乗り出す。

   『ああっ! えっ、えーっとね』
   『なに? なんか歌うの? 吹いてあげよっか?』
   『え!? あー。うんうん。だから、そのっ』
   『っていうか、マコト、顔真っ赤』

「あーあー…マコト、すっごい慌ててる…」
「あー。なんかのんつぁんのハーモニカ、聴きたいかも」
「うん! 聴きたいね」

   『で、何歌うの?』
   『な…何歌うって!?』
   『だって、これ、アイちゃんでしょ?』

「あー…。バレバレやな…マコト」
「アイちゃん、赤いよ」
 ぽつりと言ったアサミに、アイは真っ赤な顔をしたままバシッと、
「いった! ちょっとーっ! アイちゃーん、あたしじゃないでしょー!」
 リサの腕を叩いた。

   『なになに!? とうとう言っちゃう!?』

「…」
「アイちゃん、顔から湯気でてるよ…」

   『のっのんつぁんっ!? そっ…そんなんじゃ…』
   『ののー? ん? マコト?』
   『ツジさん? オガーさん?』
419 名前:2分57秒 投稿日:2004/12/15(水) 21:37

「あっ、イシカーさんとしげさん」
「あー。マコト、ピンチですねー」
「あぅー。なんかあっしもドキドキしてた…」
 そんなアイにリサとアサミがくすっと笑う。

   『どうしたの?』
   『何してるんですか?』
   『あー、うん…あっ、あの、あのっ。えっとね』

    くっくっくっと笑ってるノゾミとわたわたして言葉になってないマコト。

   『マコト? 大丈夫? 赤いよ? 熱?』
   『なんかへんですよ? ヘンなものでも食べたんですか?』
   『ええーーっ! なーに言ってんのぉー。ふつーですっ。ふ・つ・うっ』
   『…』
   『…』
   『へんだよねぇ…? サユ』
   『はぁい…』
   『っくはぁーっ! マコトおもしろーいっ!』
   『もぉーーーっ! のんつぁんっ!』

「あ、マコト、キレた」
「まーねぇ〜。そりゃそーでしょ」
「でも、おもしろい…」
  
   『あれ? なんか録るの?』
   『あっ! イシカーさんっ!?』
   『愛のメッセージだって』
   
   『ええーーーーーっ!?』
   『うそーーーーーっ!?』
   『うわーーーーーっ!!』

  きれいに揃った3つの声。

 あまりの大音量にとっさに耳をふさいだアイ、リサ、アサミ。
「あー! びっくりしたーっ!」
「マコト…声大きいよぉ…」
「しんぞー止まるかと思った…」
 バクバクと弾ける鼓動を抑えようと胸に手を置いて呼吸を整える。

   『そっかぁ。ついに告白するのかぁ』
   『何歌うんですか?』
   『それがまだ決まってないんだよねー』

「なんかもう話し進んじゃってるよね」
「うん…」

   『なぁにぃ? うるさいよー』
   『あっ、カオたん』
   『どうしたの? もう、急におっきい声出すからびっくりしたじゃない』
   『あのね、カオリ。マコト、ついに告白するんだって』
   『だから、みんなで何を歌ったらいいか考えてたんです』
   『そっかぁ』

   『……あ…あのぉ…』
420 名前:2分57秒 投稿日:2004/12/15(水) 21:39
「あー。もーマコト、逃げられないねぇ」
「でもさ、いいんじゃない?」
 リサとアサミのやわらかいまなざしが真っ赤になってうつむくアイを包み込む。

   『そういえば、もうすぐアイちゃんの誕生日だもんね』
    くすくすっと笑って、『ね、マコト』とカオリ。   
   『いいなぁ。誕生日に告白かぁ。アイちゃん、幸せだね』
   『サユもそうゆう人、ほしいなぁ』
   『ふふっ。案外近くにいるかもよ』
    と、カオリが言うと、『はい!』とサユミの元気のいい返事。
   『あ、リカちゃんのおーじ様来たよ』
   『何やってんの?』
   『ん? まこっちゃん、顔真っ赤たい』
   『あ、ホントだ』

「もっさんとタナカちゃんだ」
「え? イシカーさんの王子様って、どっち?」
「え? もっさんでしょ?」
「そーなの?」
「うん。あの2人、なんか仲えーで」
「へぇー…。そうなんだぁ…」
「なんか意外だなぁ…」
「でも、けっこうお似合いかも」

   『で、何やってんの?』
   『あ、うん。あのね…』
    リカがミキとレイナとなにやら話し始める。
    はぁとマコトのため息。
    ぷぁーとハーモニカの音。
421 名前:2分57秒 投稿日:2004/12/15(水) 21:40
   『あー。なるほどねぇ。さくらまんかぁいーなわけだ』
   『あたっ! なにするんですかー! フジモトさーん』
   『あははっ! まこっちゃん、かわいーっちゃ』
   『もう、小さなむーねぇがーはりーさけそぉーって?』
    と、ミキ。リカは『ほら、おいで。マコト』と声をかける。
   『ふふっ。もう秋なのにねぇ。いいなぁ。マコトの心は春なんだぁ』
   『あれ? リカちゃんは違うの?』
   『…みきねぇとイシカーさんは年中夏たい』
   『そうね。熱すぎて言葉もないわね』
    と、カオリが言うと、少しの沈黙の後、
   『そうかなぁ?』
   『んー。どぉ? ミキちゃん』
   『だから…そーゆーとこがだって…』
    ぽつりとマコトがため息混じりに呟いた。        
   『まっ、いいじゃん』
    そしてまたミキが歌いだす。
    すると、ぽんっと誰かが手を叩いた。ハーモニカの音が止まったから、ノゾミらしい。
   『それでいーじゃん』
   
「ふふっ。決まったみたいだね」
「あはっ。アイちゃーん。ふふっ、照れてる照れてるっ」
 リサとアサミが真っ赤に頬を染めているアイをうりうりと美辞で突いたり、ぐしゃぐしゃと頭を撫でると、くすぐったそうにアイは目を細めて笑った。
「やっ! こらーっ! もぉ。恥ずかしいって」
「ふふっ。アイちゃん、かわいー」
「いいじゃん。いいなぁ。アイちゃん」

    その間に…。
   『メインがマコトで…』
    てきぱきと隊長がパートを割り振って、
   『あっ、でもこのフレーズはマコトが歌ったほうがいいよね?』
   『でさ、ここんところをさぁ』
    リカが修正を加え、ノゾミがさらにアレンジを加えていく。
   『音外さないでね。リカちゃん』
   『はーい。がんばりまーす』    
    ミキがさらりとつっこんで、どっと溢れる笑い声。

「なんや…楽しそう」
「ホントだね」
「いいなぁ」

   『よっし! じゃあ、がんばってぇ、いきまーっ』

   『しょーーーいっ!』

「しょーーーいっ!」
「しょーーーいっ!」
「しょーーーいっ!」
422 名前:2分57秒 投稿日:2004/12/15(水) 21:41

   『…』

    しばしの沈黙。

   『じゃあ、アイちゃんのために…歌うね』

 風がさらっと流れて、アイの髪をふわりと泳がせる。
 アサミはアイの右手を、リサは左手を握った。

   淡い想いを伝えるから、抱きしめて?
   あなたしか映らない。
   気持ちは固いんだ。着いていくよ。
   
   想いを伝えるから、ね、抱きしめて。
  
「…マコト」

   ふぅ…とマコトのため息。
  
 じーっとテープが回る音。

   わずかな沈黙の向こうから、ひそひそと声が聞こえた。

   『せぇ〜のっ!』

   6つの声がにぎやかに重なり合う。

   『たんじょーびっ、おめでとーーーーっ!』

「…」
 アイの目が大きく見開く。
「あっ…アイちゃん!?」
「アイちゃん?」
 アサミとリサが顔を覗き込むと、ぎゅうっとアイは二人の手を握り締めた。
「…うれしい」

   『ラブリー、おめでとーっ! はっぴー!』
   『あはははっ! はっぴー! おめでとーっ』
   『アイちゃん、おめでとー!』
   『タカーシ、お誕生日おめでとう!』
   『はっぴばーすでーあーいちゃーんっ!』
   『おめでとー! おねぇちゃんっ!』
   『あーいちゃーーんっ! おっめでとぉぉぉぉぉっ!』
423 名前:2分57秒 投稿日:2004/12/15(水) 21:42
  
「アイちゃん…」
 ぼろぼろと零れて乾いた地面に消えていく涙。
 アイは乱暴に目をこすって涙をぬぐいながら、照れくさそうに笑っていた。
「えへっ…。うれしい……。…ありがと…」
「よかったね」
  
 リサが肩を抱き寄せ、アサミがよしよしと頭を撫でる。
 一緒になって零れ落ちた自分の涙を指でぬぐいながら。

 カタン。

 短い短い15分弱。にぎやかなA面。

 みーんみんみんみん。
 セミが鳴いてる。
   
 さらさらと木の葉が歌い、秋の色を少しだけ見せ始めた高い空。
 太陽は今日も頭の上で輝いて、暑い陽射しがまだまだ肌をじりじりと焼く。
 この空の向こう。
 ずっとずっと行けば、その下には荒野。
 響く銃声。飛び交う砲弾。
 血の臭い。死の気配。
 今キミは、そこで何を見てる? 
 
 アイは空を見上げた。
424 名前:2分57秒 投稿日:2004/12/15(水) 21:43

    *

 ぶぅーん。
 プロペラの唸りを響かせて練習機が飛んでいく。

 クスノキの枝の上。
 いつもの場所でヘッドホンステレオを手に目を閉じるアイ。
 イヤホンから流れる愛しい声。やさしい歌。

   『アイちゃん。お誕生日おめでとう。

    あー…。うん。
  
    うんうんうん。あーなんかね…。えへっ。  

    改まって、なんかヘンだよね。

    へへへへへっ。

    あの、あのね。うん。

    …。

    もう一度、歌うね』

 昨日。マコトから手紙が来た。
 テープが届いた日から数えて3日。
 それだけでほっとした。それだけで胸がいっぱいになった。

   『はっぴばぁすーでーとぅゆぅー。

     はっぴばぁすでーとぅゆぅー』

    一つ一つのフレーズに想いを込めて。

   『はっぴばぁすーでぇ、でぃぁ、あーいちゃーん。

     はっぴばぁすーでーとぅーゆぅー』

「アイちゃーん?」
「おーい!」
 下から見上げるアサミとリサに気づいてニカッと笑ってアイが手を振る。
「あー。また聞いてるんだ」
「ほんとにうれしかったんだね」
 クスノキの方へと向かいながら、リサがそうだねと大きくうなずいて、いいなぁとアサミがふんわりと微笑んだ。
      
   『誕生日、おめでとう。アイちゃん』

 テープが届いたその日、涙が止まらなかった。

   『すきだよ。アイちゃん』

 離れていることがこんなにつらいと思わなかった。
 何度も何度も聴いた。
 擦り切れたら困るから、慌ててテープを探してダビングして…。
425 名前:2分57秒 投稿日:2004/12/15(水) 21:44

 B面2分57秒。
 緊張して時々起こる微妙な沈黙。
 マコトらしくない上ずったゆったりした口調。
 一つ一つの息遣い。

  会いたいよ。マコト。
  会って抱きしめたい。きつく…きつく、ぎゅっと…。

 かちっ。
 テープを止めて巻き戻しボタンを押す。

 きゅるきゅる…。

 甲高い音を立ててテープが巻かれていく。
 アイは空を見上げると、木の葉の隙間に見える澄み切った青を掴むように手を伸ばした。
 次にこの手がキミに触れるのはいつだろう?
 A面に入っていた歌を1フレーズだけ口ずさむ。
 ふいに飛び込んできた光に目を細めて伸ばした手を引いて手をかざしたら、なんだか青い空が笑ってるように感じた。
  
「おーい!」
「アイちゃん、お昼ご飯だよ」

 カチンと巻き戻しが終わったボタンが跳ね上がる。
 アイはイヤホンを外してヘッドホンステレオに巻きつけると、軍支給のカーゴパンツのポケットに入れて、
「今行くー」
 下で待っているアサミとリサの元へとするするとクスノキから降りていった。

 ぶぅーん。

 訓練機が戻ってくる。
 基地に響く低い唸り。
 午後は飛行訓練だ。
 どこまで行っても届くことない高い空。澄んだ青。
 ようやく秋の色に染まった風が3人の頬を優しく撫でていった。
426 名前:2分57秒 投稿日:2004/12/15(水) 21:45

     「2分57秒」              END
427 名前:さすらいゴガール 投稿日:2004/12/15(水) 22:03
あぁー…。すっごいショック…。
久々の更新でこんな形でミスるとは……。
>412 は 飛ばしてください。
本当にごめんなさい…。くぅ…。

こんなに時間がかかるとは…。
そして前回も微妙にミスしてた自分…。

だけど、楽しんでいただければうれしいです。
今回はさくら隊というより5期メンという感じですな。
相変わらずリアルと比べると時間軸ずれてますけど…。

>>404 名無飼育さん様
  ありがとうございます。
  遠くから見てるだけでもきっと楽しいかもですね。
  妹キャラな二人もかわいいですよね。
  どうしても作中でもお姉さんなので、たまにはこんな形も。

>>405 孤独なカウボーイ様
  はじめまして。ありがとうございます。
  メインの二人がツボとはまっことうれしい限りです。
  この世界観はほんと、このメインの二人あってこそです。

>>406 zyao様
  H.P.A.Sはまったく頭になかったので、本当に新鮮な感じです。
  でも読み返してみるとそうかもしれませんね。
  あいかわらずまったりまったりですが、今回も楽しんでいただければうれしいです。  

   




428 名前:さすらいゴガール 投稿日:2004/12/15(水) 22:07
まとめを…。

>407-411
>414-425

これが今回の更新分になります。
429 名前:さすらいゴガール 投稿日:2004/12/15(水) 22:12
>>407-411
>>414-425

ちょっと失敗。正しくはこれで…。
何度ももうしわけない…。
430 名前:変わらない朝 投稿日:2005/01/13(木) 20:18

 ちゅんちゅん。

 すずめの声。
 誘われるようにすーっと声を追いかけていって、たどり着いたのはやわらかいぬくもり。
 布団の暖かさと自分の体をしっかりと抱く肌の温かさ。
 リカはしばらくぼんやりと薄暗い部屋の天井を見つめたまま、首筋にかかる吐息を感じていた。
 カーテンの向こうはよく晴れているのだろう。カーテンの織り目が光に透けている。
 そっとミキの頭に手を置くと、まだ夢の中から戻ってくる様子のない寝顔を眺めた。
 戯れるように指先でさらさらの髪をいじりながら目覚まし時計に目をやったら、騒ぎ出すまでまだずいぶんとあるようだ。

 ぬくもりに包まれてうとうととまどろむ心地よさ。

 よいしょと抱き寄せたら、
「……ん…」
 もぞっと動いてしっかりとリカを抱きしめるミキ。
 
 ちゅん。ちゅんちゅん。

 指先でいじるのをやめて梳くように撫でると、くすぐったいのかちょっと肩をすくめた。いい夢でも見ているのか、幸せそうに微笑んでいる。
「…」
 前髪をすっと指先で上げてちょうど目の前にある額に唇を落とすと、んがっと腕を伸ばして目覚まし時計を止めた。
「さて…」
 朝ごはんの支度、しようかな。
 しっかりと自分を抱きしめるミキを起こさないようにゆっくりと腕を解くと、体から下ろして静かに布団から抜け出す。
 ベッドの下に落とした下着とシャツを拾う。
 ぬくもりが消えたことに気づいたのか笑顔が消えたミキの寝顔に、着替えながらついつい零れる苦笑い。
 そっと布団を上げてミキの裸の肩を隠すと、頬に口付けた。
431 名前:変わらない朝 投稿日:2005/01/13(木) 20:18

 ちゅん。
 ちゅんちゅん。

 ちゅん。
 ちゅんちゅん。

 目が覚めたらシーツにキス。
 むぅと不機嫌に眉をひそめてむくっと頭を上げると、時計を一睨み。
 素知らぬ顔をしている目覚まし時計はまだ鳴り出す5分前。すでに止められているから騒ぎ立てることはない。
「…」
 ちゅんちゅんと窓の外で鳴いているすずめの声を聞いてもちっともさわやかに感じない。
 がしがしと頭をかくと、布団にもぐったままベッドの下へと手を伸ばした。

 とんとんとんとんとん。

 包丁の音の軽やかなリズム。
 鼻をくすぐるバターの匂い。
 こぽこぽとフラスコの中のお湯が泡を立てて踊っている。
 テーブルにはサラダと白い皿が2枚。

 ラジオから流れるボーイズグループのさわやかなハーモニー。
 軽やかなメロディーは、キミが僕を愛してくれるなら何も気になんてしないさ…なんて甘い恋の歌。

 キッチンに立つリカが鼻歌を歌いながらフライパンを動かしている。
 ミキが足音を立てないようにキッチンへと踏み込むと、
「ミキちゃん。おはよ」
 明るい声はフライパンで香ばしく色づいたバターの香りとともにミキに届いた。
「おはよ」
 ちっ。気づかれた。
 気持ちはそのままぶっきらぼうに声に乗っかる。
「いつ気づいた?」
「ん? ベッドの中」
「はぁ?」
「ミキちゃん、ベッドの中で着たでしょ?」
「んー…。まぁ…」
 さすが名スナイパー。
 衰えてないねーって、でもさぁ……。
 なんとも言えない思いを抱えたままとりあえずつかつかと歩き出す。
「そんなことしなくてもいいんじゃない?」
「そんなこと?」
「だってさ…終わってんだから」
 ミキは後ろから閉じ込めるようにリカを抱きしめた。
432 名前:変わらない朝 投稿日:2005/01/13(木) 20:19

 かちん。

 リカはコンロの火を消した。
「…そうだね」
「そうだよ」
 もっと一緒にいてくれてもいいじゃん。
 抱きしめる腕にぎゅっと力が入って、首筋に口元をうずめる。
「…わかっちゃうんだよね…」
 でもここまでわかるのはミキちゃんだから。
 リカはミキのこめかみに口付けると、
「ほら、コーヒー淹れるから」
 ミキの腕をやんわりと解いた。
 
 白い皿にこんがりキツネ色に焼けたフレンチトースト。
 しぶしぶ座ったミキはふてくされた顔のままマーマレードのビンを手に取った。

 パカッ。

 とぼけた音を立ててふたが開く。
  
 リカはもう1枚焼き始めると、沸騰したフラスコの上にフィルターをセットしたロートを置いて、今度はミルクパンの牛乳を弱火で温め始める。
「ねぇ、ミキちゃん」
「…ん。なに」
「ん? な〜に膨れてるの?」
「膨れてないって」
「うーそ」
「うそじゃないって」
「えー。そーかなぁ?」
 リカはくすくすと笑いながら、コンロの火を消してミルクパンの中の牛乳を小さめの白いポットに移すと、ちょうど片面が焼きあがったフレンチトーストをひっくり返す。
「とてもそんなふうには、見えないけどなぁ」
 寝起きのいいミキが機嫌が悪い理由なんてすぐに思いつく。
 ポットをテーブルに置くと、リカは無表情を装うミキの髪を梳くように撫でた。
 ちらりとリカを見上げて、けど素っ気無い振りをして黙々とマーマレードをフレンチトーストに乗っけるミキ。
 わかってるくせに…。
 髪をいじっていたリカの指先が離れて、ついさびしくて指先を目で追って、小さな背中を眺める。
433 名前:変わらない朝 投稿日:2005/01/13(木) 20:21
 
 かちっ。

 火を止めて、フライパンを片手にリカが振り向いたら、さっとバツの悪そうな顔をしてミキが顔を背けた。
 あーあ。まったくもぉ。
「かわいいなぁ」
 ついつい言葉が零れ落ちて、ミキにじろりと睨みつけられた。
 まったくもって素直じゃない。
 それは自分もなんだけど。
 リカはもう1枚の皿にフレンチトーストを乗せてフライパンをコンロに置いた。
 すーっとフラスコのお湯が粉を持ち上げていく。
 リカが竹べらで粉を沈めていくと、ふわっと辺りに広がっていくコーヒーのまろやかな香り。
 ぼんやりとミキはそれを眺めたまま、ぼそりと呟いた。
「だって…」
「だって?」
 手を止めて言葉を繰り返すリカの目を一度ちらりと見上げると、
「いないんだもん」
 またふいっと目をそらして、フォークでちくちくとフレンチトーストに八つ当たり。
 ふふっとリカは笑った。
「そっか」
「あーっ! 何笑ってんの!?」
「だって、やっぱりかわいいんだもん」
 ゆっくりとロートの中をかき回していた竹べらを取り出すと雫を切ってからまな板の上に置いて、
「うれしいなぁ…って」
 小さく呟いて、アルコールランプをフラスコから外した。

 かぽっとカバーをかぶせて火が消える。
 ロートの中の琥珀色の液体がすうっとフラスコへと戻っていく。
 ふわりと広がるコーヒーの香り。
434 名前:変わらない朝 投稿日:2005/01/13(木) 20:23

 はぁ…。
 ミキから零れ落ちたため息。
「だってさ…目が覚めたらキスしてんだよ。シーツに」
 腹立つでしょ。ふつー。
「だって、ミキちゃん、すっごく気持ちよさそうだったから」
 起こしちゃったら…悪いなぁって思って。
「起こしてくれればいいのに…」
「ふふっ。寝顔もすきなの」
 リカはフラスコを手にすると二つのカップに半分くらいずつ注いでから、ポットに入った牛乳を注いだ。
「安心するんだ」
 生きてるんだ。
 一緒にいるんだ。
「今日も朝が来たんだ…って」
 
 いつもどおりの、何の変哲もない普通の朝。
 太陽がまぶしくて、すずめが鳴いていて、空が青くて、穏やかで、隣にはあなたがいて…。

 何事もない、そんな日常。

「平和だなぁ…って」

 雨の音を聞きながらまどろんだり、曇り空になんとなく起きるのを渋ってみたり。

「幸せだなぁって」
435 名前:変わらない朝 投稿日:2005/01/13(木) 20:23

 トンとミキの前に置かれたカフェ・オレ。
 ほのかな湯気を立てて、鼻をくすぐるやわらかい香り。
 ミキは1さじ砂糖を入れてかき回すと、何も言わずに考え込むように視線を下げたままカップに口をつけた。
「あちっ!」
「大丈夫?」
「…ぁ、うん」
 心配そうに微笑むリカをちらりと見て軽くうなずくと、ふーっふーっと息を吹きかけてカフェ・オレを冷ますミキ。
 リカは自分のカフォ・オレを作ると、砂糖を3つ入れてくるくるとかき回しながらふーっふーっとがんばって冷ましているミキを眺めていたが、
「ねぇ、ミキちゃん」
 そろそろかな…とカップに口をつけようとしたミキの手を包み込むように押さえて止めた。
「ん?」
 ミキが視線だけを向ける。
 リカはカップを持つミキの手を少しだけ押し下げると、息を吹きかけるために尖らせたままになっている唇を塞いだ。
 
 トン。

 ミキはカップをテーブルに戻すと、離れようとした唇を追いかけてリカの頭を捕まえた。
 するりと首に回った腕。 
 リカの手がミキの頬をそっと包み込む。

 ゆるやかなメロディーに包まれたやさしい歌。

 何度か軽く触れ合って、ようやく離れた唇。
 名残惜しそうに薄く開いたままのミキの唇をそっとリカの人差し指がなぞった。
「ご機嫌直った?」
「…さぁね」
 わざとらしく仏頂面を作ったままミキが再びカフェ・オレに口をつけた時にはもう少しぬるかった。
436 名前:変わらない朝 投稿日:2005/01/13(木) 20:24

 いつもより少し早く起きたから、なんとなくゆとりのある朝食。
 ミキが勤める喫茶店の、どこかリサによく似たひげのマスターが徹底して吟味してブレンドしたコーヒー豆で作ったカフェ・オレのやさしい甘さ。
 手作りのマーマレードが乗ったフレンチトースト。
 
 白いカーテン越しの光。
 窓の向こうから高く澄み渡った空が覗いている。

「今日は早いの?」
「うーん。たぶん大丈夫だと思う。お昼はミキちゃんとこで食べるよ」
「わかった。ランチ、用意しとくね」
「うん。エリカちゃんとユイちゃんも一緒になると思う」
「うん。待ってる」

 ちゅんちゅん。

 外ではすずめがにぎやかに歌っている。

 軽快な音楽からニュースへと変わったラジオ。
 最初の話題は国境近くの小競り合い。そして、テロ未遂の話題へと続いていく。
「…」
「…」
 甘いはずのカフェ・オレがほんの一瞬、苦く感じた。
 リカはふぅっ小さいため息をこぼした。
「…消そっか」
「…いいよ」
「どっち」
「そのまま」
 なんとなく投げやりにそう言うと、ミキは残ったカフェ・オレを一気に飲み干した。
 リカも無言でフレンチトーストを口に運ぶ。

 しばちゃん、どうしてるかなぁ。
 メロンのみんな…たいへんだろうなぁ。

 親友から来る手紙には何一つそのことは書かれていない。
 当然といえば当然なんだ。自分はもう関係ない。残ったとしてもアユミが話すことはない。
 だからこそ、心配でたまらない。
 近くにいれば、何かに気づいてあげることができるのではないかと思うから。
437 名前:変わらない朝 投稿日:2005/01/13(木) 20:25

「ミキちゃん」
「ん?」
「今度さ、お休みの時、行こうか? 遊びに」
「そうだね」

 アヤちゃん、たいへんだろうなぁ。
 無理しなきゃいいけど…。

 手紙では甘えるようなことは書いてあっても、何一つ書かれていない弱音。
 だからこそ無理をしているんじゃないかと気になってしかたがない。
 周りに誰かがいるとわかっていても、親友として自分ができることがあるのでは…。
 そんな思いに駆られると、いてもたってもいられなくなる。

 結局、自分はどこまで行っても離れられないんだろう。
 それは目の前にいるリカも同じ。
 ラジオから流れる淡白な声にじっと耳を傾ける。

 ニュースは、死者は出なかったものの多数の負傷者が出たことを淡々とした口調で伝えていく。
 時折じりっと混じるノイズ。
 心に深く突き刺さるようで、秋の空の透明度を増した青い色が少しだけ切なく感じた。

 戦いが終わったはずの互いの国で相次ぐテロ事件。国境での小競り合い。
 終わっていないのか終わっているのかすら、わからなくなる。

 リカは空になったカップを見つめて、ふと呟いた。
「なんか…不思議だね」
 ミキは何も言わず、じっとリカを見つめる。
438 名前:変わらない朝 投稿日:2005/01/13(木) 20:25

    兵舎の玄関の前で整列して、
   『番号!』 
    凛としたカオリの号令で、
   『いちっ!』
   『にいっ!』
   『さん!』
   『よんっ!』
   『ごっ!』
   『ろくっ!』
    1日は点呼から始まる。

    その後カオリは朝食の準備へ。
    厨房防衛部隊の戦果確認のカオリの悲鳴を聞きながら、各々自分の部屋の掃除と兵舎周りの掃除へ。

    朝食は朝7時30分。
    
    目覚めの1杯と集中力向上。
    疲れた体にもいいし、カフェインってすごいんだよ。   
    だけどコーヒーが飲めない子もいるからね。
       
    やさしい甘さとふんわりとしたあたたかさ。
    出撃のある日もない日も必ず出てきた、カオリの愛がこもったカフェ・オレ。
    朝1杯の、ささやかな贅沢。
439 名前:変わらない朝 投稿日:2005/01/13(木) 20:26

「あの頃と…変わってないんだね」
 たぶんあたしたち。

 朝1杯のカフェ・オレを飲んで、そして1日が始まったことを感じる。
 今は、あの頃と比べれば少しばかり静かで、だけどずっとずっと穏やかだけど。

「いいじゃん」
 ミキは食べ終えた皿を同じように空になったリカのと重ねると、流し台へと置いた。
「だってさ、何も変わってないんだから」

 そのままでいい。
 このままがいい。

 だから…。
 だから、そばにいて?

 後ろからリカを抱きしめて、頬を寄せた。
 そっとミキの腕にリカは手を置いた。

「ねぇ、ミキちゃん」
「ん?」
「まだ…みんな飲んでるかなぁ?」
「飲んでるよ。だって、1日が始まんないじゃん」
「…うん。そうだね」
 ふと、あの頃毎日飲んでいたカオリのカフェ・オレが妙に恋しくなった。
 まろやかだけどちょっぴりほろ苦いオトナのカフォ・オレ。

 ニュースは終わって、天気予報は今日も快晴だと明るい声で語っている。
 窓の向こう。遠く、国境の近くは今日も緊張感でぴりぴりしている。
 そんな緊張感もまだ二人には遠い過去にはなれないリアルなキオク、そして感情。

 少し早起きな朝。
 ふと時計を見たら、出かける時間が意外と迫っていることに気がついた。
440 名前:変わらない朝 投稿日:2005/01/13(木) 20:27

 ちゅん。
 ちゅんちゅん。

 ちゅん。
 ちゅんちゅんちゅん。

 簡単にシャワーを浴びて、リカはライトグリーンのストライプの入った制服に着替え、ミキはジーンズにボートネックのシャツ。
 一足先に出かけるリカを見送りに玄関先へ。
「じゃあ、行ってくるね」
「うん」
「ねぇ、ミキちゃん」  
 リカの腕がゆっくりとミキを包み込んで引き寄せる。
「どこにも…いかないから」
 耳元でふわりと囁かれた言葉のぬくもりに胸を掴まれる。
 ミキは力強く抱き返して顔をうずめた。
「うん…。そばにいる」

 不安になるのは、何も変わっていないから。

 たった一つの確信がほしい。
 それがあなたのぬくもり。
 そしてあなたの言葉。

 確かめ合って、ものたりなくて…。
 結局それもあの頃と変わらない。

「そばにいて」
 
 あの頃はもっと不安だった。
 だって、本当にいなくなってしまうと思ったから。
 それが怖くて、だからあなたを抱きしめた。

 些細なことでこんな風に感じるのも、たぶん今がおだやかだからだろう。
 変わらないということが、あながち悪いとばかりは言えない。
 だって、ここにいる。
 こうして、抱き合って感じてる。

 あの頃から今日まで、そして明日も…。
 何も変わらない。
  
 なんだか急におかしくなって、くすくすと笑いながら軽く唇を触れ合わせた。
「じゃあ、また後でね。ミキちゃん」
「うん。いってらっしゃい」

 今日もいつもと変わらない1日が始まる。

 見上げた空は高く高く澄み渡っていて、すずめが海の方へと仲間達と連れ立って飛んでいく。
 しばらくは快晴の秋の空。
 ようやく黄色に色づきはじめた庭の木々の葉がさらさらと、涼を含んだ潮風に揺れていた。 
441 名前:変わらない朝 投稿日:2005/01/13(木) 20:28

「変わらない朝」              END
442 名前:さすらいゴガール 投稿日:2005/01/13(木) 20:33
年明け最初の更新。
何気ない日常が続いていく。それって本当に幸せで大切なのもの、
そんな気がする今日この頃。

立て初めの頃と比べればのんびりになってますが、
今年もよろしくです。
443 名前:リースィー 投稿日:2005/01/23(日) 10:44
更新お疲れ様です。

変わらない朝でも確かに感じる幸せって良いですね。
のんびりな二人も良いです^^)

444 名前:リースィー 投稿日:2005/01/23(日) 10:45
すいません。ageてしまいました・・・。
445 名前:並木道 投稿日:2005/01/30(日) 04:08

 イチョウの葉がさらさらと秋風に揺れて、並木道は風の歌に包まれる。
 見上げれば、高い空の青に鮮やかな黄金色。
  
 吸い込まれるよう空へと伸びるイチョウの木。
 黄金色の道。
 さらさらと風に吹かれて並んで歌う秋の歌は、どこかさびしくもあり、悲しくもあり…。

 リカはそっと、ミキの手を取った。
446 名前:並木道 投稿日:2005/01/30(日) 04:09

                    ■                      ■

 ターン。
 ターン。

 遠くで銃声が鳴り響く。
 
 コッ、コッと軍用ブーツの硬質ゴムがひそやかに錆びたスチールを叩く。
 息を潜めて上がる階段。
 狭いビルとビルの間をひゅうと吹き上げる風がヘルメットからわずかに出た後ろ髪を舞い上げ、不気味な唸りを耳に残して去っていく。

 数階上ったところでそっとドアを開けてビルの中に入ると、リカは静まり返った薄暗い空間に耳を澄まし、目を光らせる。
 
 …。
 …。

 廊下をゆっくりと進んでいく。
 タイプを打つ音が今にも聞こえそうなオフィスビル。
 時間が止まったまま、ペンもタイプライターもデスクもイスも窓から差す光の中にひっそりと佇んでいる。
 一つ一つの部屋のドアを開けていく。

 …。

 ハンドガンの照準の向こうでカーテンが揺れてはためいていた。
「…」
 また一つ部屋を通り過ぎる。

 ドクン…。

 心臓が鳴る。

「……」
 
 声に出さずにゆっくりと細く息を吐き出す。

 …。
 …。
 
 リカは神経に触れるものは張り詰めた空気と風と自分の鼓動だけ。
 あたりをもう一度見回すと、一つの部屋に入って窓際に腰を下ろした。
 ハンドガンをしまうと、ストラップを肩から外してライフルに持ち替える。
447 名前:並木道 投稿日:2005/01/30(日) 04:10

 ふと、窓の向こう公園が目に入って、薄い雲が広がる淡く白い空に秋色に染まった木々の紅や黄色が眩しいくらいに鮮やかに思えた。

「…」

 タタタタタタッ!

 マシンガンの銃声が軽やかに空へと駆け上る。

 リカがわずかに壁から半身ずらして窓の外をうかがうと、道路の端と端で撃ち合いが始まっている。
 建物の角から応戦するミキとレイナ。
 ライフルを構えると、スコープで飛び交う弾丸の流れを確認しながらすぅっと銃口を動かす。

「…」

 スコープに映った人影。

 タタタタタッ! 
 タタッ!
 タタタタタッ!

 流れるようにマガジンから飛び出す弾丸。
 歯を食いしばって振動を受け止める男の顔から少しだけ照準を下げる。

 引き金にかける人差し指に満ちる緊張感。
448 名前:並木道 投稿日:2005/01/30(日) 04:13
 ターン…。

 砲弾の音にまぎれた銃声。
 ミキとレイナに向かってきた弾丸の雨が止んだ。
 あっという顔をして崩れ落ちた男。
 ミキはふと振りかえって空を見上げた。
「…」
 そして前を見る。

 マシンガンを手にしたまま息絶えた男。
 体を囲むようにゆっくりと広がる赤がオフベージュの薄手のセーターを染め上げていく。

 その様子をじっと見つめるレイナ。   
 ミキは突き飛ばすように肩を叩いた。

「行くよっ」
「あっ…はいっ!」
 
 レイナがびくっと体を震わせて、いそいそと銃を構え直して身を低くする。
 ミキが辺りを見回して後方に構えるサユミとマコトの位置を確認する。そして今度は前を向くと、T字路の角にある建物の影で身を潜めるノゾミを確認する。

 タタタタタタッ!

 パラララッ!
 パララッ! パラララララッ!

 銃声が追い立てる。
 ミキはレイナを先に行かせると、新たに現れた敵に向かって銃を構えた。
 
 タタタッ!
 
 威嚇するように足元に弾丸を撃ち込むと、パチッパチッとアスファルトから火花が生まれる。
 ミキはその間にビルの角から一つ先のビルの入り口に飛び込むと、少しを身を乗り出して銃を構えた。
 
 2人の男の姿。

 タタタタタタタタッ!

 マシンガンの銃口が閃いて、一人がああっとうめいて胸や足から血を吹いて倒れた。 

「…」

 パラララッ! 

 その直後、もう一人もマコトのアサルトライフルの銃弾を全身に受けて崩れ落ちた。 
     
 少し後ろの方から戦車の砲弾がアスファルトを弾く音が聞こえる。
 かすかに揺れる足元。
 伝ってびりびりと体に響いて、息が苦しい。
 ギリとロリポップの棒を奥歯で強く噛み締める。 

 街路樹や車を盾にして縫うように低い姿勢のまま走る。
 汗が頬を幾筋も滑り落ちる。
 サバイバルジャケットの袖で拭い去ると、レイナとノゾミが待つビルの影へと滑り込んだ。
449 名前:並木道 投稿日:2005/01/30(日) 04:13

「無事ついたみたい」
 マコトはふぅ…と息を吐き出すと、きょろきょろと辺りを見回した。
 自分がいる郵便局の隣のビルにはリカ。そして…。

「うわっ!」

 ひゅんっと弾丸が目の前を突っ切っていった。
 ぱっとドアの影に身を隠すと、
「オガーさん、よそ見しちゃダメ!」
 同じように身を隠すサユミに怒られた。
「いゃっ…あぁ、そうゆーんじゃないんだけどぉ…」
「もぉ! ぼーっとしないでくださいっ!」
「はっ、はぃぃ」

 パタラララララッ!

 ボコボコと壁に穴が開く。
 ドアから離れてカウンターを飛び越えると、裏口から出て細いビルの間の道を中腰で進んでいく。
 前をサユミ。後ろをマコトが警戒する。
 ぐるりと回って道路の向こうを見ると、まだ郵便局の中をうかがっている様子の銃を構えた青いパーカーの男がいた。
「民間人…?」
 呟いたマコトが痛々しげに眉をひそめる。
「…みたいですね」
 と呟いて、サユミはぎゅうっと唇を強く噛み締めた。

 とりたてて今は銃声は聞こえない。

 サユミが少しだけ身を乗り出して目の前の通りの先を確認する。
「無事みたいですね。フジモトさんにレイナとツジさん」
「うん」

 ドーン…。

 戦車からの砲弾が足元から二人の体をゆする。
 
 サユミは銃を構えると、男に照準を合わせた。
 マコトはサユミの背後を警戒して銃を構える。
  
 ゆっくりと息を吐き出して、ためらう指先にきゅっと力を込めるサユミ。

 男が郵便局を伺うのをやめ、歩き出す。  

「待って」
「え?」

 サユミが振り向くと、すばやく体を向き直したマコトが男に銃を向けて引き金を引いた。

 トトトトッ!

 パチパチパチッと銃口が橙色の火花を噴く。
 
 二人の目の前で男は弾かれたように体を躍らせると、ぱたりと崩れ落ちた。

「オガーさん…?」
「うん。行こう」

 マコトはすくっと立ち上がると、前にいる3人を援護すべくビルの陰から飛び出した。
「はい!」
 サユミもさっと立ち上がると、銃を構えて飛び出した。
450 名前:並木道 投稿日:2005/01/30(日) 04:14

 タタタンッ!

 タタタタッ!

 マコトとサユミを見つけた兵士が火花を閃かせた銃口を二人に向ける。
 ビルの陰に飛び込みながら、時々威嚇射撃をして交互にわずかな前進を試みる。

「あっ!」

 二人の様子を見ていたレイナが声を上げた。
 兵士はよろりと下がったかと思うと、どうっ…と音を立てて倒れた。
 
 ターン……。

 微かに聞こえる銃声。
「イーダさんっちゃ」
 レイナは隣のビルを見上げた。
 そんなに高い建物でもないのにひっそりと空に向かって聳えるような威圧感。
 その先に薄く広がる雲の白さが冷たく感じた。
 ふぅ…とゆっくり息を吐き出して銃を構え直すと、レイナは通りに目を戻した。
「マコトとサユも来たみたいだね」
 ノゾミが後ろを見てカオリの潜むビルの陰に身を隠した二人をに軽く手を振る。
 返ってきたうさちゃんピース2つにノゾミもうさちゃんピースで返すと、銃を構え直した。

 ひゅうっと風が唸って木の葉を舞い上げ、血の臭いを運んでくる。

 小さな3つの後姿を認めると、カオリはそっと窓から離れてガランとした部屋を出た。

 薄汚れた白い壁。
 何もないガランとしたその部屋は静けさもそのままに、結局何一つ変わることはなかった。
451 名前:並木道 投稿日:2005/01/30(日) 04:15

     *

 見上げた空は白く煙っていて、青空はずいぶんと遠く感じた。
 やわらかい光は冷たくて、吹く風の音は乾いていた。

 一歩踏み出せば、しゃりっと落ち葉が泣いた。
 ざわざわと歌うイチョウ並木。
 
 しゃくっ、しゃくっと一歩一歩、黄金色に色づいた公園の並木道を進んでいく。
 軍用ブーツのゴツゴツとした足音。

 遠くに見えるどす黒い煙。
 ぐるりと見回したら、ほら。あそこにも、ここにも。
 白く薄く広がる雲に向かって揺らめきながら上っていく。

 はぁ…。
 
 リカから零れ落ちた重いため息。

 並木道、少しペンキの剥げたベンチに寄りかかるように事切れた男。
 引き金にかかったままの銃。
 どす黒く変色したジャージ。

 ゆっくりと並木道を歩いていく。
 
 ライフルの引き金に指をかけたまま、奪い取った街の、静かな公園を進む。

 うずくまるように転がる兵士の遺体が一つ、二つ、そして三つ。
 そしてその向こうには銃を手にした若者や男が転がっている。

 銃を向けた来たものは、敵。
 撃て。
 ただ、それだけ。
 武装していれば民間人でも兵士だ。
 
 奪われた街を奪い返して、奪った街を奪われて。

 違うようで、でも本当は違いなんてない。
  
 私もあなたもただの人殺し。
 戦場という場の名を借りた、ただの人殺し。
 
 死んでしまえば、みな…同じ。
 守りたいものが何か、それが違うだけ。

 後ろから足音。
 聞き慣れた音ですぐに誰だかわかった。

「ミキちゃん」
「うん…」

 ミキはリカの隣に立つと、ゆっくりと気持ちを落ち着けるように息を吐き出して辺りを見回した。

 激しい抵抗を抑え付けた後に残った傷跡は、鮮やかな並木道のあちこちに転がる死体と立ち上る煙。
 公園から出れば砲弾で穴だけの道路と屋根のないビル。

 薄いベールのような雲からさす白い光。
 太陽はまだそれほど低くないのに辺りの景色を薄青くくすませて、そこが自分の知っている世界のなのかわからなくなるような錯覚。

 きっとこれは、たぶんユメなんだ。
452 名前:並木道 投稿日:2005/01/30(日) 04:15
   
                    ■                      ■

 ミキはリカの手を握った。

 さらさらと歌うイチョウ並木。
 見上げたら高く澄んだ空。
 青く青く、どこまでも青くて、手を伸ばしたら吸い込まれそうな気がした。 
  
 ぎゅっとリカが力を込める。
 だからミキも強く握り返した。

 少し冷たくなった風が二人の頬を撫で、髪を舞い上げでおどけながら駆けていく。
 あちこちに恋人達の姿。
 楽しそうな笑顔。

「行こうか。ミキちゃん」
「うん」

 しゃり、しゃりと一歩踏むたびに歌う枯葉。
 レンガ道を並んで歩く。

 穏やかな午後。
 歩く早さにあわせて少しずつ変わる景色。
  
 ふと、足を止めてミキはリカの唇を塞いだ。
 軽く触れて、すぐに離れて…。
 またさらさらとイチョウの木の葉が歌って、少し熱を感じた頬に秋の風はやさしかった。

 しゃりっ、しゃりっ…。
 そして再び歩き出す。
  
 二人を包み込むようまっすぐと前に広がる金色の道。
 冬の色をまとい始めた風に、淡く金色に染まり始めた太陽の陽射しはやさしかった。
453 名前:並木道 投稿日:2005/01/30(日) 04:16

       「並木道」            END
454 名前:さすらいゴガール 投稿日:2005/01/30(日) 04:21
炸裂的に重いですよね…。なんか。
なんでしょう、前作と比べるとなんか重いですが…。
なんていうか、上手く伝わればいいなぁと願いつつ、表現力のない自分がもどかしい…。

>>443 リースィー様
  ありがとうございます。
  なんていうんでしょう、幸せってささやかなものや些細なところにあるのかなぁ…と。
  age、sageは気になさらずに。実はあんまりこだわっていないので。
  連載中はできるだけ下のほうでひっそりと思っていただけなのですよ。
  書き込みしてくださったことの方がずっとうれしいですよ。
455 名前:ラムネの味と秋の空 投稿日:2005/02/11(金) 00:05

 天高く…。

「んにゃぁっ!」

 レイナ、翻る秋。

 ビターンッ!

 大の字に叩きつけられて、目の前の空は青かった。
456 名前:ラムネの味と秋の空 投稿日:2005/02/11(金) 00:06

 くぁ…。
 ずっと訓練を木陰で見つめていたれいにゃがあくびをする。
 よっこいしょと立ち上がると、うーーーんっと体を伸ばして、またくるくるとその場を回ってポジションを確認。
 パタパタと木陰に泊まっていたすずめが連れ立って飛び立つ。
 れいにゃはまたよっこいしょと座って体に顔をうずめて夢の中へ。

 雲一つない青い空。
 はぁ、はぁとなだらかな胸を上下させて、ぼんやりと高い空を見つめていたら、ひょこっと目の前に現れたミキ。
「ほら。もうおしまい?」
 ロリポップの棒をふらふらと動かしながら、ぺちぺちと頬を叩く。

 いつもどおり午後の特訓。
 かれこれ1時間。
 蹴っては殴られ、殴っては蹴られて、吹っ飛ばされて…。
 おもしろいようにコロコロと転がるレイナはすでに泥だらけ。
 振り上げた拳も繰り出した蹴りもミキにかすりもしない。
 ふらふらと動く白い棒が妙ににくったらしい。
457 名前:ラムネの味と秋の空 投稿日:2005/02/11(金) 00:06

 レイナは揺れ動く棒をじっと見つめていたが、んー…と小さく唸って、むくっと起き上がった。
「…」
 ミキも隣にぺたんと腰を下ろして胡坐をかくと、
「レイナ?」
 どこか複雑そうに眉をしかめたままうつむいたままのレイナの背中を撫でた。
 叩きつけられた背中を労わるようにやさしく上下する手のひら。
「なんかあった?」
「みきねぇ?」
 うつむいていた顔がぱっとミキの方へと向いて、わずかに見開いた目が戸惑うように揺れている。
「今日、ずーっとぼーっとしてたよね。いつもみたいに気合も感じなかったし」
「…」
 またレイナがうつむいて、ミキはポンポンと背中を叩いた。
「…みきねぇ」
「ん?」
「ぅん…」
 ふ…と零れ落ちたため息。
 レイナはぎゅうっと握り締めた右の拳をなんとなく所在投げに包み込んだ左手でいじり始めた。
「みきねぇ、レイナ…ようわからんちゃ」
「ん? 何が?」
「あん人たち…なんで戦かっと?」
「…」
「あん人たち…違う…」

    市街地の攻防。
    敵軍の兵士にまぎれて武装した人たち。
    むき出しの憎悪。
    向けられた銃口。

「わからんちゃ…」
 左手がぎゅうっと右の拳を握り締める。
 ミキは下を向いていた白い棒をひょいっと口の中のロリポップを下で動かして上に上げると、空を見上げた。
458 名前:ラムネの味と秋の空 投稿日:2005/02/11(金) 00:08

 延々と青い空。
 たてにも横にも延々と広がるだけの青い空。

 じーっと見つめても答えが出るわけでもない。
 ミキはポンと肩を叩くと、そのままレイナを抱き寄せた。
「きっとさ、守りたいものが…あったんだよ」
「みきねぇ…?」
「ありきたりだけどね」
 そう言ったミキの顔は空を見つめたまま。
 レイナはまた不満そうな顔でうつむいた。
「それだったら軍に入ったらいいっちゃ」
「できない事情があるんでしょ?」
「でもっ…!」
 顔を上げて、でも、その先の言葉が続かない。
「…でも……」
 吐き出された重いため息はさわやかな秋の空に溶けて消えた。
 抱き寄せた手をぽんっと頭に乗っけてよしよしと撫でるミキ。
「いい気分じゃ…ないよね」

   自分とレイナを狙っていた街人を狙撃したリカ。
   見上げた窓。
   映っていたのは薄い水色の空と煙の影。   

「でも、銃を持って向かってくるのは民間人であろうと敵だから」
「…」
 唇を噛むレイナ。
 ミキはごそごそとワークパンツのポケットを探ってロリポップを取り出すと、ぺりぺりと青い包装紙を剥がした。
「って、やっぱ割り切れるもんでもないけどね」
 ひょいとレイナの口元に差し出す。
 レイナがちらりとミキを見上げると、ほらと軽く上下に揺れた水色の飴玉。
 ぱくっと銜えると、ミキは棒から手を離してまたレイナの肩に手を置いた。
 ゆっくりと広がるラムネ味。
 なんとなく奥歯で軽くがしがしと噛みながら、それでもすっきりしない胸のうち。
「甘くなか…」
「そりゃぁね」

 戦争だからね。

「だから、捨てられないものがあるんでしょ」
「みきねぇ…」

 捨てられないもの。   
 誇り? 命? 家族? 仲間? 街?

 守るもの。
 守れないもの。
 諦めるもの。
 諦められないもの。

 守りたかったもの。
 諦められなかったもの。

「自分の命…捨ててもさ」
「…」

 そこになんの価値があるんだろう?
459 名前:ラムネの味と秋の空 投稿日:2005/02/11(金) 00:09

「みきねぇ」
「ん?」
「みきねぇ、何で入ったと?」
 ロリポップを銜えたまま、真剣な瞳で見つめるレイナ。
 ミキはしばらくじっと無言で見詰め返していたが、やがてふっと空を見上げた。

    山と草しかない真っ赤な夕焼け小焼けの帰り道。
     
   『やーい! でーこっ!』
   『はーげっ!』
   『でこおんなーっ!』 
 
    やんやと騒ぎ立てる男の子たち。
    これくらいならまだかわいいもの。
    腕っ節に自信のあるミキもまだ怒らない。

    しかしコドモは残酷で、

   『へへーんだ! もらわれっ子ぉーっ!』

    カチン。

    くわっとにらみつけたミキの目に騒いでいた男の子たちの声がやみ、引きつった笑い顔のまま固まった。

    のほほんとした田舎道。
    ほどなくして響き渡る男の子たちの泣き声。   

「強く…なりたかったから」
 そう言えば、帰ってからお母さんに叱られたっけ…。

   『女の子がとっくみあいのケンカなんてしないのっ!』 

 思い出して懐かしさと一緒にこみ上げる苦笑い。
 呟いて、じっと見つめる視線に気づいた。
「レイナ?」
「一緒っちゃ。レイナも強くなりたかった」
 ぎゅっと握り締められたままの拳。気持ちを抑えつけるように拳を包む左手。

 町では誰にも負けなかった。

 もっと強くなりたい!
 そしてみんなを守るんだ!
 悪いヤツらなんかみんなレイナが蹴散らしちゃるったい!

 そして立った戦場。
 
 戦う相手は兵士だけじゃないという現実。
460 名前:ラムネの味と秋の空 投稿日:2005/02/11(金) 00:12

「でも…やっぱりわからんちゃ。なんでふつーの人、撃たないかんと?」
「…」
「これじゃ…ただの人殺しとかわらないっちゃ…」
 うなだれるようにうつむいて、何度も何度も唇をかみ締める。
 ラムネの味の甘さもどこかほろ苦い。
 ミキはゆっくりと息を吐き出した。
「レイナ」
「はぃ?」
「うちらはさぁ、人殺しなんだよ」
「…! みきねぇ…?」
「兵士だろうが民間人だろうが、銃持って向かってくれば一緒なんだよ」
 
 軽やかな銃声。
 着弾した砲弾が地面を小さくゆする。
 あそこで、こんどはここで…。

 遠くに聞こえる悲鳴。
 怒鳴り声。
 
「降伏をしない者は?」
 ミキがじっとレイナの目を覗き込む。
 レイナは唇をかすかに尖らせて目をそらした。
「……」
 敵である。
「だから、撃つ。それが決まり」

 キレイゴトがまかり通らない。
 そこはそんな場所。
  
「強くなりたい…か」
 ミキはそう呟いて、顔を上げた。

 ぴーひょろと遠くでとんびが輪を描いている。
 秋の空にすーっと細い雲が流れ始めて、金色に色づき始めた日の光にミキは目を細めた。

「強さって…なんなんだろうね」
「みきねぇ…?」
「ミキも強くなりたいと思った。レイナも強くなりたいと思った」
「…ぅん」
「けどさ、強いから生き残れるわけじゃない」

 もしかしたら、強いから死んでしまうのかもしれない。
 だけど弱いからといって生き残れるかといえば、それもわからない。

 そもそも何が強さで、何が弱さなのか。
 それすらわからなくなる。

 ただ運が悪いだけ?
 
 死神に聞けるものなら、その基準、聞いてみたいもの。

「強くたって…」

 ぴーひょろー。
 とんびが鳴いた。

 高い高い秋の空。
 澄み渡るような青が寂しげに思うのは、たぶん気のせいだろう。
461 名前:ラムネの味と秋の空 投稿日:2005/02/11(金) 00:12

「…」
 がりっと飴を噛み砕くレイナ。
 ラムネの味はわからなかった。
 唇を尖らせて、眉間にしわを寄せて、小さな小さな胸の奥、戦っているのは理想と現実。
 真剣に考え込むその横顔にミキはほっとした。

 街の住人から激しく抵抗されるのは初めてではない。
 自分の住んでる街が奪われようとしているのだから、然るべきこと。

 だけどその意味にそれだけ深く思い悩む。
 そのことの意味。そのことの大切さ。

 ミキはポンと肩を一つ叩いた。
「みきねぇ…」
 肩に乗っかている手のあたたかさ。
 ぐっと力が入って、その加減にふと安心した。
「レイナ」
「はい」
「負けるなよ」

 自分に。
 そして、戦争に。

 ただの人殺しになっちゃいけない。

 何を守るのか、何を奪うのか。
 
 そのすべてから目を逸らさないで、生きていく。
  
 それがきっと、本当の戦い。

「はい」
 レイナはうなずいて、ふと、サユミから聞かされたスナイパーの心構えを思い出した。

  『銃を手にするということは、命を奪うこと』
  『その重さを受け止めて、背負って生きていくの』
462 名前:ラムネの味と秋の空 投稿日:2005/02/11(金) 00:13
 
 ぴーひょろー。
 高い高い空の中、とんびがまた鳴いて、くるりくるりと輪を描く。
 すーっと流れた雲が3本ほど、青い空の中をまっすぐに南西から北東へと流れていた。

 雲が出てきて、陽射しがあっても冷たさを感じる風がひゅうと兵舎前の空き地を駆けていく。
 木陰から出て日向を求めてのてのてと歩くれいにゃの後ろ姿。   

 レイナは射撃場を見つめたまま、ゆっくりと立ち上がった。
 まだカオリもリカもサユミも入っていないので、いつものようにひっそりとしている射撃場。もっともショートレンジの練習に来たノゾミとマコトがいたとしてもひっそりと静かな不思議な空間とも言える稀有な場所でもあるのだが…。
 ミキもそんなレイナの目線を追いながら、よいしょと立ち上がった。
「そういえば、レイナ、射撃の成績落ちたんだって?」
「うっ…。そっ…そんなことなかっ!」
「でもサユから赤点ぎりぎりって聞いたけど」
「でもちゃんと補修逃れたっちゃ!」
「ふーん。逃れた?」
「あっ…!!」
 しまったと慌てて口を押さえるレイナ。
 にやにやと笑うミキ。

「ミキちゃん?」
「レイナ?」

 どうやら射撃場に向かうらしいリカとサユミ。
 レイナはがばっとサユミに掴みかかった。
「さゆっ! こないだの射撃の成績ナイショって約束したじゃん!」
「え? そうだっけ…って、あっ!」
 サユがぱっと両手で口を隠した。
「もぉーっ。さゆぅっ!」
「へへへっ。ごめん! ごめんね。なんかね、ついね」
 苦笑いでごまかすサユミ。
「レイナはちゃーんと約束守ってるのにさぁ」
「ほんっとごめんね! レイナ」
 とはいえ、あんまり悪いと思ってないようなサユミ。
「あぁーっ! もぉーーーっ!」
 地団太を踏むレイナ。
463 名前:ラムネの味と秋の空 投稿日:2005/02/11(金) 00:13

 リカはそんな二人に首を傾げた。
「どういうこと?」
「あぁ。レイナ、軍学での射撃、赤点すれすれだったんだって」
「ふーん。あ、それをサユが…」
「そう。ミキに言っちゃった…と」
「ふん。そっか。それでか」
 くすくすと笑うと、リカはぽんとレイナの肩を叩いた。
「うわぁっ! もぉっ! っぁ…いしかーさん!?」
「じゃあ、これから少し練習しよっか」
「はいっ!」
 膨れっ面が一転、ぱあっと満開に笑顔が咲く。
 リカはサユミに確認して了承を得ると、
「ミキちゃん、いい?」
「ん、あぁ。うん。いいよ」
 まあ、でも二人っきりじゃないしね。
 とは言ったものの、あんまりにもうれしそうなレイナの笑顔がちょっと気に入らない。
 レイナはにひっと笑った。 
「サユ、みきねぇに特訓してもらえば?」
「えっ!?」
「レイナ!?」
 ちょっとまって言わんばかりに驚くミキとサユミ。
 レイナはにかーっと笑った。
「サユだって体技赤点ぎりぎりだったじゃん」
「レイナっ…それは」
 とサユミが言いかけるより早く、
「じゃあ、ちょうどいいじゃん」
 とリカ。
 当然ミキが黙っちゃいない。
「ちょっと待ってよ! リカちゃん!?」
「だって、特訓終わってるんでしょ? ほら赤点同士だし、たまにはとっかえっこ。いいよね?」
「あー……ぅん…」
 眉間に少ししわを寄せて、にっこりと微笑むリカに返す言葉のないミキ。
 そーなんだけどさぁ……。
 おもしろくない…と言わんばかりミキ。
 それを受け流してるのか気づいてないのか笑顔のリカ。
 みきねぇも、けっこうコドモっちゃ。
「ふふっ…。くくっ」
「レイナ?」
 サユミが不思議そうに顔を覗き込み、ミキに無言でにらみつけられる。
 ニカッとレイナはミキに笑って見せると、リカの手を取った。
「じゃっ、イシカーさん、お願いしますっ!」
「うん。行こうか」
 
 しっかりと手を握って射撃場に歩き出す。
 みきねぇ。たまにはレイナにもイシカーさん、独占させて。
 たまにはよかと?

 ふと口の中に広がったラムネの味は、びっくりするぐらい甘かった。
464 名前:ラムネの味と秋の空 投稿日:2005/02/11(金) 00:14
 
 のんびりと秋の午後。
 細く流れた雲を泳がせる青い空。
 弾けるような銃声の音。
 地面を蹴る足音。
 高く高く風に乗って吸い込まれていく。
 
 くるくると輪を描いていたとんびはどこかに飛び去って、白い月がひっそりと東の空に浮かんでいた。
465 名前:ラムネの味と秋の空 投稿日:2005/02/11(金) 00:15

      「ラムネの味と秋の空」     END
466 名前:さすらいゴガール 投稿日:2005/02/11(金) 00:17
なんか最近重い雰囲気の話ばかり書いてる気が……。

それでも楽しんでもらえたらうれしいです。
って、楽しめるのかなぁ…。
467 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/11(金) 02:26
十分楽しんでますよ
重い中にも希望が見えるから
468 名前:森の仲間とカゼひきさん 投稿日:2005/03/12(土) 02:28

「はぁっくしゅっ!」

 ゲホゲホと咳き込むマコト。
 よしよしと頭を撫でてやるノゾミ。

 窓の向こうは冬の風が舞っている。
 薄い青をした冷たい空。
 冷たいガラスを通り抜ければ昼下がりの陽射しがゆっくりと部屋を暖める。  

 床にペタンと座るノゾミはようやく咳が治まったマコトの額から濡れタオルを取ると、ざばっと洗面器に突っ込んだ。
 
 ザバザバザバ。

「ごめんね…。のんつぁん」
「何が?」
「んぁ…。遊べなくって」
 こーら。訓練じゃないの?
 カオリかリカがいれば確実にそう言われたであろう言葉に、ノゾミはちょこっと首を傾げた。
「いいって。しょーがないじゃん」
 そう言われてしまうとどう返していいかわからないものである。
 マコトはむーっと唇をへの字に曲げて、熱のせいもあって情けなく潤んだ瞳を隠そうと布団を鼻先まで引き上げた。
「それにさ、いい休暇じゃん?」
 疲れてたんだよ。
 ノゾミがギューッとタオルを絞る。

 ザバーッ。

 吸い込みきれなかった水が洗面器の薄い水面をにぎやかに叩く。
「治ったらさ、めいっぱい遊んでもらうから」
 だから、訓練は?
 またしてもそんな声が聞こえてきそうである。
「んーーーっ…!」
 さらにぎゅうっとタオルを絞り込む。
 ポタリポタリと落ちる雫。
「…ぅん。でもさぁ、退屈でしょ?」
 ポツリとマコトが呟く。
 そんなに絞るとタオル、ぬるくなるんじゃないなかなぁ…。
 とは、とても言えないほど一滴残らず絞ろうと耳まで真っ赤にしてタオルの水分と格闘するノゾミ。
469 名前:森の仲間とカゼひきさん 投稿日:2005/03/12(土) 02:30

「んんーっ! っがぁぁぁっ!」

 ポタッ。

 まだかすかに波打つ水面にふわーっと広がった一滴の波紋。
 ノゾミはふぅっと肩を揺らすと、満足げにタオルを広げた。
「マコト」
「…ん?」  
「楽しいよ」
「…は?」
「んー。だからさ、こうして、マコトの看病してるのも」
 パンとタオルを伸ばすと、
「あ、ぬるい」
 と、結局また洗面器につけてタオルを今度は少し弱めにきっちりと絞りなおす。
「それにさ、熱下がったり、ちょっと食欲出てきたり、そういうのがわかると…」
 
 パン!

 タオルをぴしっと広げる。   
「うれしい」
 へへっと笑って、てきぱきとタオルを折ると、ぽんとマコトの額に置いた。
 やわらかいタオル地からひんやりとした冷たい感触。
「それにさ…アイちゃん、心配しちゃうじゃん」
「ぁ…」
「アイちゃんのことだからさ、もぉすっごい落ち込んじゃって、暴れだすかもしんないじゃん」
「えー…アイちゃんに限って…」
 あるかもしんない。時々何考えてるのかわかんないこと言い出すし…。
「うーん…」
「マコト…」
 否定しなよ。少しくらいは…。 
「それにさ、あんま長引くと……ぅん。のぉもさ、その……待ってるキモチは…ぅん。わかるから…」
「…」

 眩しい空。
 やんちゃな太陽。
 陽炎揺れる夏の日。
 ノゾミとマコトの間に嵐を呼んだ、少し切ない色をした空色の手紙。
470 名前:森の仲間とカゼひきさん 投稿日:2005/03/12(土) 02:31

「なんてーかさ、ぅん。さびしいのって…イヤじゃん」
 マコトのほんのりと赤いもちっとしたほっぺをうりうりと突くノゾミ。
 ちょっと照れくさいのか、視線は少しだけ床に落ちていた。
「いたっ…くすぐったいって。のんつぁん」
「うん」
 ふにふにと相変わらず突き続ける。
「…早く治してさ、手紙書いてあげなゃ」
「…」
「だから、少し寝なよ」
「…あぁ、そうだね。うん」
 マコトはちょっと目尻を押さえると、少し咳き込みながら横を向いていた頭の位置を正面に置き直した。
 なんとなく布団をパシパシと叩いて整えてやると、ノゾミはよいしょと立ち上がった。
「じゃ、またご飯の時来るね」
「うん」
「じゃ」
「うん…」
 マコトが目を閉じる。
 それを見届けて、ノゾミはドアに向かって歩き出した。

 きしっきしっと床が鳴く。

「のんつぁん…」
「んー?」

 ノゾミの足音が止まる。

「…」

 はぁ…。
 言葉の代わりに聞こえたのはため息。
 
「大丈夫だって」

 ノゾミは明るい口調でそう言うと、ベッドに引き返してちゅっとマコトの頬にキス。

「マコト、おやすみ」
「…ぅん」

 パタパタパタ。

 ベッドから離れて行く足音。

 キィ…。
 パタン…。

 ドアが閉まって、小さくなっていく足音を聞きながらマコトは目を開けた。
 
「…」
 
 天井の木目のうねりをなんとなく眺めて、ぼんやりと吐き出した重いため息。

 朝からなんか体が重いなぁ。寒気するし…。セキは出るし…。
 そう思ったおとといの昼下がり。
 食欲もなくて、
『マコト? 顔赤いよ?』
 カオリに言われて、熱を測ったら38度5分。
 別にシャワー室で遊んだわけでもなく、寒いカッコをしていたわけでもなく…。

 何でこんなときに……。

 ごろりと横を向いて、小さく軋む床板の音になんとなく耳を澄ました。
471 名前:森の仲間とカゼひきさん 投稿日:2005/03/12(土) 02:33

 キシ。
 キシ。

 ゆっくりと階段を下りていく。
 
 ノゾミはぼんやりと床を見つめたまま階段を降りきると、ぺたりと階段の上に座り込んだ。
「はぁ…」
 零れ落ちたのは湿った重いため息で、ひざを抱えて唇を尖らせて床を見つめる。

 明後日は出撃予定。

 大丈夫って言った。
 でもそんなものは気休めにもならない。
 だからマコトも言わなかった。
 言えばノゾミが気にするから。
 そして、返ってくる答えだって、わかっていたから。

 でも、言った。
 それでも少しぐらい気持ちが晴れるかもしれないから。
 大丈夫じゃない、なんてシャレじゃ言えない。
 だって、大丈夫じゃないからマコトは寝てるんだ。
 
 だから、大丈夫。そう言った。

「…」

 ノゾミは立ち上がると、食堂のドアを開けて中に入った。
472 名前:森の仲間とカゼひきさん 投稿日:2005/03/12(土) 02:34

 窓辺のテーブルで読書にふけるカオリ。
 レイナとサユミはつまんなそうに軍学で出されたレポート制作。
 リカとミキはとりあえず七並べ。

 静かな静かな昼下がり。

 いつもに比べたら何か足りない。

 ノゾミは相変わらず唇を尖らせたまま、なんとなくとてとてと歩き出すと、カオリの隣に座った。 
「…のんちゃん?」
「…ぅん」
 どこか思いつめたようにじーっとテーブルを見つめるノゾミ。
 カオリはマニアックでサイケな恋愛が綴られた文庫本を閉じると、頬杖をついて顔を覗き込んだ。
「ん? どうした?」
 ポンポンとあやすように背中を叩き、そのまま抱き寄せる。
 ノゾミはゆっくりと視線を上げて上目遣いにカオリを見つめた。
「ぅん…」
 どこか思いつめているような目。
 カオリがよしよしと頭を撫でる。
 リカもノゾミが気になるのか、盛り上がらない七並べをやめてカードをまとめると、ミキの手を取ってカオリとノゾミの向かいに座った。
 サユミとレイナもまだ日があるから…とレポートを切り上げてテーブルにやってくる。
 ノゾミはじーっとカオリを見つめたまま。
「…」
「…」
「…」
「…」
 そんなノゾミをじぃっと見つめるリカ、ミキ、サユミ、レイナ。
「のんちゃん?」
 カオリがもう一度声をかける。
「ぅん」
 ノゾミが顔を上げた。
「ねぇ、カオリ」

 それからしばらくして、ジープが基地を飛び出し、兵舎の倉庫ににぎやかな音が引き渡った。
473 名前:森の仲間とカゼひきさん 投稿日:2005/03/12(土) 02:36

    *

 目が覚めたら、カラスが鳴いている声が遠くに聞こえた。
 すっかり暗くなった部屋。

 なんだかまだ体がずしっと重くて、少しぼんやりとしたまま天井をじいっと見上げる。
 いつもならおなか減ってしょうがないのになぁ…。
 腹の虫も熱のおかげでずいぶんとおとなしい。
 なんとなく額の上に乗ったタオルを取ったら、すっかりとぬるくなっていた。
「今…何時だ…」
 あんまり静かなのもさびしく思えて、なんとなく自分と会話を試みる。
 窓から指すわずかな明かりでベッドサイドの小机の上の目覚まし時計に手を伸ばす。
「んー…。5時かぁ」
 ちょっと過ぎた頃合を示す時計の針。
 目覚まし時計が机に置いた小さな衝撃でカチンと鳴った。
 マコトはうーと腕を伸ばして、窓を見上げた。

 星がちらちらと部屋を覗き込んでいる。

 はぁ…。
 なんとなくため息をついて、ぼんやりと星と見つめあう。

 ちかちかと瞬いて、熱と寝起きでけだるい体。
 藍色に染まった部屋にぽつんと一人。
 机の上の写真立ても藍色の中に溶け込んでいて、中で笑っている仲間の姿は見えなかった。

  4人で肩を組んでおっきな口を開けて…。

  眩しい笑顔のリサ。
  くしゃくしゃな笑顔のアイ。
  写真から飛び出すんじゃないかって勢いで馬鹿笑いするマコト。 
  目を細めて笑ってるアサミ。

  ポーズを決めて撮った後、ノゾミとアイに思いっきり笑わされて、そのすきにとヒトミが撮った1枚。

  後ろには青い空。 
 
「はぁ…」

 アイちゃん…何してるかなぁ?
 ごろりと転がって、また一つため息が零れた。

 アサミちゃん、今日は何食べたのかなぁ?
 ガキさん、元気かなぁ?

 向こうは…今日、何食べるのかなぁ?
 あー。今日、こっちはみんな…何食べるんだろう…?
474 名前:森の仲間とカゼひきさん 投稿日:2005/03/12(土) 02:39

 トントン。

 イイダさん、やさしいから…今日かぼちゃ料理とかってことはないと思うけど…。
 
 トントン。

 あーあぁ。たいくつだなぁ…。

「はぁ…」 
      
 トントン。

「はぁ、そーいえば…なんか静か?」

 一人ごちって、ようやく…。

 トントン。

 ドアがノックされてるのに気がついた。
 向こうでなんかボソボソと声が聞こえる。

 “まぁこぉとーっ。はーやぁくぅーっ!”

 “もぉ! ののっ!”
 “ツジちゃん、しーーっ!”

 んん? なんだなんだ?

 マコトはよっこらしょと少しだけ体を起こした。
「はぃ?」
 ごほごほと咳き込みながら返事をすると、

 ぎいっ…。

 ドアがゆっくりと開いた。
「あれ」
 誰もいない。
 なんかぼそぼそと声が聞こえたし、よく耳を澄ますとギシギシと床板の軋む音もする。
 なのに開け放たれたドアから誰かが入ってくる気配もない。
 
 と、思ったら…。

「ふぇ?」

 ひょこっとドアの下の方から顔を出したのは一匹の少し不恰好なカーキ色のタヌキのぬいぐるみ。
「…わぁ…」
 ひょこひょこと手を動かしてるタヌキは、なにやら軍支給のジャケットやシャツなど古着を寄せ集めて作られたものらしい。
 それによく見るとタヌキの着ぐるみをかぶった人形という方が正しいようで、大きく開けた口の間から覗く簡単な刺繍で描かれた顔は誰かに似ている。
「…ぁれ? のんつぁん?」

   『んー。のん、なにかなぁ?』
   『そうねぇ、のんちゃんは…タヌキかな?』
   『でもなんか、それってポンちゃんっぽい気もすったい』
   『うん。そうねぇ。でもほら、のんちゃん、よくおなか叩いてるしね』
   『そうそう。ごはん食べた後にね』
    ってリカが笑って、てへへっと笑うノゾミ。
475 名前:森の仲間とカゼひきさん 投稿日:2005/03/12(土) 02:40

「こんばんはぁ」
 ちょっと機械みたいなだみ声でタヌキがぺこりと頭を下げるから、マコトも慌てて頭を下げた。
「あぁ、こんばんはぁ」
「キミィ」
 わざとだみ声にしているらしくて、ドアの向こうから、ミキが笑いを押し殺す声が聞こえる。
「あ〜はぃはぃ」
「キミィ、さみしくないかね?」
「え…?」
「一人でずーっと寝てるだろ?」
「あぁ…うん…」
「だから、トモダチを連れてきたんだ。一緒に遊んでくれるか?」
 ちょっとだけ高めのだみ声で妙な命令口調でそう言うと、タヌキは後ろを向いてひょこひょこと手招いた。
 パッと現れたのはネコのぬいぐるみ。
「んにゃぁ!」

   『レイナはいいでしょ』
   『なんで? みきねぇ』
   『いや…だってねぇ、いいじゃん。ねぇ、リカちゃん』
   『え? あー。うん。やっぱネコだよねぇ』
   『うん。ネコよねぇ。かわいい子ネコ』
    とカオリ。ノゾミがけってーとノートに書き込む。
   『やっぱネコなんかぁ…』
    なにやらフクザツそうな顔をするレイナの頭をよしよしと撫でるリカとサユミ。

「レイナ!」
「ち…ちがうっ! ちがうっちゃ!」
「でも、口の中の顔、どー見てもタナカちゃんだし」
 マコトが指差すと、ネコがむーっと体を丸める。
 後ろの方ではくっくっくっ…と相変わらず笑い声押し殺すミキの声と、一緒になってこらえながらなだめるリカの声が聞こえる。
「でも、かわいい」
 てへっとマコトが笑ったら、ネコは照れくさそうに頭をかいて、
「なら…よかたい。にゃぁ、マコっちゃん」
「うん? なぁに?」
「まだトモダチおるとよ。おーい!」
「はーい!」
「あっそびっましょっ!」
 ひょこっと現れたのはサンドカラーと遠目には黒っぽく見えるオリーブカーキの2匹のウサギ。

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