案内板発企画リレー小説4

1 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/04(日) 00:00
このスレッドは、案内板のリレー小説スレ2の専用スレッドです。
以下の注意書きの熟読をお願いします。

☆読者さんへ
・このスレッドは”投稿”専用です。感想・批評・雑談は
 
 『リレー小説スレ2』
 ttp://m-seek.net/cgi-bin/read.cgi/imp/1021479823/
 にお願いします。

・また、企画の性質上過剰な先読み(「○○のあの行動は、絶対伏線で××になるんだって」等)は、
 後の作者さんの迷惑になる恐れがありますので、ご遠慮ください。
・なお、作者としての参加希望はすでに締め切っています。
2 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/04(日) 00:01
★作者さんへ
・投稿前に、まず自分の順番かどうかをもう1度確認してください。
・投稿ができる状態であれば、前の作者が終了を宣言していることを確認したうえで、
 その後投稿を開始してください。
・自分の順番になって、4日以上放置の状態が続く場合、参加意思なしとみなし、
 次の方に順番が移ります。
・ただし、投稿意思を示したうえでの投稿期間延長は3日間まで認められています。
・最後に投稿が終了したら、その旨を必ず宣言し、次の方への引継ぎを行ってください。
・以上の引継ぎに関する手続きはすべて

 『リレー小説スレ2』
 ttp://m-seek.net/cgi-bin/read.cgi/imp/1021479823/
 にて、行ってください。

・その他、詳細や質問・問い合わせ等も上記の『リレー小説スレ2』にお願いします。
・投稿するレス数は2レス以上20レス以内とします。
 名前欄は『○章 (章タイトル)』のように書き込んでください。
 また、メール欄については空白とします。
3 名前:_ 投稿日:2004/04/11(日) 23:05
空調の効いた暖かい部屋で、全身をすっぽりと覆う大きめのクッションの上で丸くなり、その少女は眠っていた。
年の頃は14、15歳に見えるその少女は、肩に掛かるほどの長さの髪をストレートに下ろし、薄い青色を基調としたクラシックな洋服を着ており、膝が隠れてしまうほどの長さのふっくらとしたスカートを履いている。
彼女はクッションの上で猫のように丸くなり、すやすやと寝息を立てていた。

突然、鍵が開く時の金属を擦るような小さな音が聞こえた。
彼女は、音に反応して頭をもたげ、玄関の様子を窺っている。
やがて、ガチャリ、と鍵が開く音がすると、静かに扉が開いた。
玄関の扉を開いて入ってきたのは、青い服の少女と同じ年頃の女の子だった。
軽くウェーブを掛けた髪を後で結び、目深に帽子をかぶって薄いブルーのサングラスをしている。
恋よりも美味しいものが優先度が高いらしく、食べ盛りの女の子らしい、少々ふっくらとした体格をしていた。
右手にブランド物のバッグを持ち、左手にはスーパーの買い物袋を持っている。
両手が塞がっているため、開いた扉の隙間に足を踏み入れ、肩をねじ入れて扉を開けた。
「ただいまぁ」
玄関口の少女の声に、彼女は、期待通りの人物であることを知って満面の笑みを浮かべた。
すくっと立ち上がると駆け足で玄関に向う。
そして、手荷物を廊下の脇において靴を脱いでいる少女に抱きついた。
「うわぁ、あぶないって」
少女は驚いて声を上げる。
驚く少女にお構いなしに、彼女は腰に両腕を回して胸に顔を当てる。
4 名前:_ 投稿日:2004/04/11(日) 23:06
彼女は猫の声を真似て「にゃーん」と甘えた声を出した。
彼女が猫のように振舞うことに、少女は、彼女にはわからない程度の小さいため息をついた。
「ねぇ、いつまで――」
途中まで言いかけて、少女は言葉を止めた。
少女に抱きついている彼女が肩を振るわせたからだ。
今度は、傍目に見ても分かるほど、はっきりとため息をする。
両手を回して彼女の両肩を抱くと、あやすように頭を撫でる。
「ただいま、ミケ」
少女が言うと、彼女は顔を上げた。
微かだが彼女の目には涙が滲んでいる。
少女は、彼女の頭を撫でながら微笑みかける。
「上がったらご飯にしような」
「にゃーん」
彼女は、嬉しそうに言った。
少女は彼女を離すと、カバンを持って廊下を歩き出した。
彼女は少女から離れると、スーパーの袋を持って少女の後を歩いた。
少女は、時折、気にかけるように後ろを振り向き、彼女は、信頼しきった微笑を浮かべる。
彼女が“ミケ”と呼ばれるようになり、既に3日が過ぎていた。
5 名前:_ 投稿日:2004/04/11(日) 23:07






       第一章 彼女が彼女をミケと呼ぶ理由






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6 名前:第一章 彼女が彼女をミケと呼ぶ理由 投稿日:2004/04/11(日) 23:10
くたびれた照明が淡い光をともす薄暗い店内の、細い通路に沿った赤いカウンター席には、背広姿の男性が数人座っている。
通路の置くの狭いスペースには二席のテーブル席があり、その席には女の子が二人座っていた。
油で少々べたついた木製のテーブルを囲み、出入口側に背を向けて座っている少女の名は辻希美といい、希美と向かい合うように座っているのは、同じ仕事仲間の紺野あさ美という。
二人は、今や全国的に名を馳せた国民的アイドルである「モーニング娘。」のメンバーであった。
希美とあさ美の前には、つい先ほど運ばれてきたばかりのラーメンが置かれている。

あさ美が、チャーシューを箸で捲り、出来た隙間に箸を突き刺すと麺み掴み持ち上げる。
途端に、真っ白い湯気が立ち上った。
そして、僅かな間空気に晒すと、スープの中に麺を戻し、適量を摘んでは箸で麺を持ち上げてる作業を繰り返し、口の中に収める適量を図っていた。
希美は、麺を箸でつまむと、口へと運びズズズっと吸い上げ、ちゅるん、と露を飛ばした。
「ね、ここ美味しいでしょ」
希美はあさ美に話しかける。
だが、あさ美は作業に没頭しており、ようやく適量を割り出すと、何かをやり遂げたときに人が見せる、あの、達成感と喜びに溢れた特有の笑みを浮かべた。
ようやく、一口で口に入れると美味しそうに口を動かす。
「ねぇ、美味しいでしょ」
あさ美は、二口目に取り掛かるべく箸を動かしていた。
「ねぇ、こんちゃん」
「え?あ、うん。おいしい」
7 名前:第一章 彼女が彼女をミケと呼ぶ理由 投稿日:2004/04/11(日) 23:11
希美は、何時ものことなのか慣れたもので、「もう」と言いながらもラーメンを啜り始める。
しかし、沈黙が耐え切れないのか箸を休めると湯気越しにあさ美を見つめた。
「まこっちゃんも来れば良かったのにね」
あさ美は二口目に息を吹きかけ、ようやく口に入れようとしていたところだった。
首を傾けて、口をぽかんと開けた状態で希美を見る。
「あ、うん。そうだね」
それだけ言うと、食事を再開した。
希美は少し腹を立てたが、顔に出ないように努めた。
その後も会話は希美が一方的に話しかけるだけで、あさ美の受け答えは単純なものだった。
次第に話しかけるのを止めて食事に集中したが、そもそも食事の速度が違い過ぎるため、あさ美が半分も食べきらないうちに希美は食べ終えてしまった。
チャーシューに箸を突き刺して、二つに割ろうと四苦八苦しているあさ美を、希美は詰まらなそうに見つめていた。
8 名前:第一章 彼女が彼女をミケと呼ぶ理由 投稿日:2004/04/11(日) 23:12
「そういえばさ、さくらって最近どう?」
「うん」
「楽しいの?」
「うん」
「楽しくないの?」
「うん」

退屈を紛らわせるために、話を振ると、条件反射のように決まった言葉が返ってくる。
その間も、あさ美は必死にチャーシューと格闘していた。
希美も慣れたもので、片膝をつきながら食べ終わるのを待ってる。
希美は、何気なく窓一つ無い注文札の架かった壁に目をやった。

「いい天気だね」
「うん」
「髪切った?」
「うん」
「ちゃんと聞いてるの?」
「うん」
「こんちゃんってさ、顔丸いよね」
「うん」

希美は、あさ美に視線を戻すと、小さくため息をついた。

「結婚でもしよっか」
「うん」
9 名前:第一章 彼女が彼女をミケと呼ぶ理由 投稿日:2004/04/11(日) 23:14
その二週間後、二人は教会のバージンロードを歩いていた。
希美はタキシードを不器用に着こなし、その右隣で純白のウェディングドレスを身に纏ったあさ美が、歩調を合わせてゆっくりと歩いている。
教会の正面には天使が描かれたステンドガラスが張られ、その手前にブロンズ製のキリスト像が立ち、真下にある教壇には経典を手にもつ白髪の神父が立っていた。
その教会は、小さいながらも燦然としていた。

希美とあさ美は神父の前まで歩み寄ると立ち止まった。
神父は、小さく咳払いをする。
「では、これより――」
「ちょっとまって」
希美に遮られ、神父は、再び咳払いをしてその小さな花婿を待った。
希美はあさ美の方を向いた。
その真剣な眼差しに、あさ美は、訝しげに首を傾ける。
「こんちゃん、本当にあたしでいいの?」
あさ美は、そんなことか、と顔を綻ばせる。
「はい」
「ほんとうにほんとうにいいの?」
「のんつぁんだから、いいんです」
希美は大きく深呼吸をした。
「わかった」
そして、神父に向き直る。
「よろしくお願いします」
10 名前:第一章 彼女が彼女をミケと呼ぶ理由 投稿日:2004/04/11(日) 23:17
神父は、お辞儀をすると、経典に右手を置いた。
そして、習慣となっている説教を始めた。
その長い説教を、希美は欠伸一つせずに聞いていた。
やがて、神父は説教を終えると、緊張している新郎に優しく微笑んだ。
「汝は、病める時も、健やかなる時も、彼女を生涯の妻とし、愛し、敬い、従い、慈しむことを誓いますか?」
「ち、誓います」
「汝は、病める時も、健やかなる時も、彼女を生涯の夫とし、愛し、敬い、従い、慈しむことを誓いますか?」「はい、誓います」
神父は満足そうに頷いた。
「神のみなにおいて、二人を夫婦とします」
神父が、そう、宣言すると、後ろで控えていた教会の少年が指輪を載せた盆を運んできた。
希美とあさ美は指輪を受け取ると、互いに交換する。
「それでは、誓いのキスを」
希美とあさ美は互いに向き合い、見つめ合う。
あさ美は、目を閉じて希美の唇をじっと待つ。
希美は恥じらいで顔を真っ赤にした。
「ちょ、ちょっとまって」
すばやくあさ美に背中を向けると、二度、三度と深呼吸をする。
「よし」
ガッツポーズをして気合を入れ、再びあさ美と向き合う。
「それじゃ、いくよ」
「はい」
あさ美は、再び瞳を閉じる。
希美は、あさ美の両肩を掴むと引き寄せる。
そして、ほんの少しだけ踵を上げた。
11 名前: 投稿日:2004/04/13(火) 01:18
HANDLING DESCRIPTION

An "EMANCIPATOR" is the innovative handgun which is not until now.

The gun barrel of this is a product made from nonmetallic and the size as a palm.
Though you hide in your hand in a pocket and pass along the metal finder of an airport,a buzzer does not sound.

An "emancipator" is sectional.
As shown in a figure, please separate all parts with nippers and assemble them according to a description.

We offer an "emancipator" to all revolutionists.
12 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/13(火) 01:30
 空港のトイレは快適だった。特に日本の国際空港のそれとあっては。
 彼女は程よく温度調節された便器に、衣服を着たまま腰掛け、ポケットから引っ張り出した紙製の箱を乱暴に破り捨てた。
 解放者。今の彼女の荒んだ気分にお誂え向けのネーミングで、思わず笑ってしまう。
 胡坐をかいた膝の上に説明書を広げ、彼女は部品を注意深く切り離し、箱の切れ端の上に並べる。その数わずか17。それから説明書と首っ引きでゆっくりと組み立て始める。説明はすべて英語だったが、図解があるのでそれほどの問題は無いだろう。大丈夫、時間はたっぷりあるし、この簡単な組み立て式のものはドライバさえも要らないのだ。
 掌には、じわっと汗がにじんでいた。
「……」
 彼女には、それが、自分の無謀な計画によるものなのか、それとも今この瞬間に空港で行われている記者会見のせいなのか、判断はつきそうになかった。
13 名前: 投稿日:2004/04/13(火) 01:35






       第二章 指輪物語






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14 名前:第二章 指輪物語 投稿日:2004/04/13(火) 02:02
 のりの利きすぎた真新しいシーツがざらっとして痛い。
 希美はあまりの寝苦しさに、思わず上半身を起こした。首の後ろがひりひりする。赤くなって擦り剥けているかもしれない。

 そんなにやんちゃなことはしなかったはずなんだけど。

 希美は溜息を吐いて、傍ら背を向けて眠る少女の姿を見る。二人で一緒にかぶった毛布は、希美が少し引っ張っているから、ゆるやかなカーブを描く背中があらわになっている。ほんの少しだけ点けた室内灯のあかりが、暗闇のなかにぼうっとその稜線を浮かび上がらせていて、希美の胸の鼓動を早くさせる。

「ん…」

 あさ美がかすかに身体を揺らす。希美の鼓動がひとつ大きく打つ。希美は慌てて毛布をひっつかみ、あさ美に背中を向けるようにして、ベッドのなかに倒れ込む。間一髪。入れ違いで、あさ美は身体を起こす気配を感じた。希美の鼓動が、在りえないほど早くなる。先週みんなで見たホラー映画のクライマックスのときだって、こんなに早くはならなかった。希美はぎゅっと目を瞑る。怖くないのに、希美は怯えていた。
 ふわ、っとした感触を前髪に感じる。
 あさ美の手が、希美の髪を撫でていた。希美はそっと目を開ける。あさ美の手が髪を撫でるごとに、不思議なくらい心臓の鼓動はおさまていった。
15 名前:第二章 指輪物語 投稿日:2004/04/13(火) 02:40
 希美が目を開けると、額を撫でるあさ美の指が目に入る。左手の薬指に嵌められたそれは、昨日、教会で二人が交換したものだ。シルバーのそっけないマリッジリング。希美の左薬指にも、同じデザインのそれが嵌められている。違うのは内側に刻まれたイニシャルが逆になっていることだけ。
 希美はあさ美の手をつかむと、そっと指輪に口づけて、寝返りを打ちながら優しく引っ張った。小さな嬌声をあげて、希美の胸の上に愛しい彼女が倒れ込む。裸のままで抱き合って、しばらく笑いあったあと、小鳥が啄ばむような軽い口づけを交わす。愛しい人が隣にいて、どうして寝てるだけなんてもったいないことができるのだろう? 夜はまだ始まったばかりだ。彼女たちが二人で歩む人生もまだ、始まったばかりだったのだけど。

   ◇

 フロントに頼んでいたウェイクアップコールで目を覚まして、二人は慌てて朝食に急ぐ。朝食はレストランではなく会議室のような一室だった。メインレストランと遜色ない品揃えでふんだんな食材が並べられている。会議室とはいっても、スタッフも同席していて、なかなか広く、眺めも良くくつろげた。
「あれ、それ、お揃い?」
 あさ美と希美の二人がトロピカルフルーツを物色していると、温かい飲み物をカップに注ぎながら美貴が声をかける。
 二人できょとんとしていると、美貴はにやりと笑った。
「二人でそろって左手薬指にしてるやつ。意味深だね」
 目ざとい。二人はたじろいで、左手を隠すように後ろに回す。くしくも同じ格好をしたものだから、美貴は苦笑いをして軽く肩を竦めた。
「ほんと仲いいねー」
 藤本は、ひらひらと手を振って、眠たそうにあくびをしながら、窓際の席へ一人さっさと陣取る。
 きょろきょろとあたりを見渡すと吉澤も石川もまだのようだ。あさ美と希美は顔を見合わせて頷きあった。
「もっさーん」
「いっしょに食べてもいいですか?」
「んあー、いーよー。むしろ歓迎。ものすごい勢いで歓迎。どうぞどうぞ」
16 名前:第二章 指輪物語 投稿日:2004/04/13(火) 02:58
「ぁ? なんか今ちょっと美貴よく聞こえなかったんだけど、もう一度いってくれるかな?」
「だからそのあたしたち…ね?」
「うん」
「結婚、したんです」
「うん、した」
「……はあっ?! ちょっとそれさあ、どういう意味さ?」
 希美が大まかな単語をぽんぽんと言い、あさ美が引き継いで細かく説明する。何度か激しく突っ込んでいるうちに美貴は精魂も尽き果てて机に突っ伏した。
「じゃあさ、何? つまり、キミタチは昨日、結婚したのね? 教会で式まで挙げちゃったのね? そういうワケ?」
 ぐったりとした美貴の言葉に、二人は満面の笑顔で肯定した。
「そりゃ、まだ籍とかはまだだけど」
「あたりまえだろバカ。どうやって日本で女同士で籍を入れるんだっちゅうの。そんな方法あったら美貴が知りたいよ」
「それは結構どうにでもなるんです。養子縁組とか一番ポピュラーなんですけど」
「ああそう…。そうなの…」
 美貴は自分の、ほんの軽い好奇心を後悔していた。目の前にいるのはモーニング娘。の仲間ではない。理解不能のエイリアンだ。コミニュケーションは崩壊寸前。美貴の常識も崩壊直前。いやむしろしてる。もうしてる。
 美貴は頭を抱えた。なんでそんな重大なことを、一人で聞かされてるんだあたし。ほんのちょっと早起きしただけなのに貧乏籤じゃないか。理不尽だ。これが美貴の嘘偽りない正直な気持ちだった。
「でさあ、これからどうするのキミタチ? 指輪つけたままでファンの前出て、いっしょにポラとか撮ったりするワケ?」
「あっ…」
「どうしようのんちゃん」
「でもさ、これ二人の愛の証だし」
「ね」
「…………」
 もう勝手にやってて。美貴としては放置してしまいたかったのだが。自分の同じグループのメンバー同士が結婚するってよく考えなくても、自分にも多大な影響が出るんじゃないのか、これ? 最悪の場合、このまま芸能界から干されまくりってことだって有り得るのだ。
 ソロ歌手に戻りたい。美貴は今、切実に願っていた。
17 名前:第二章 指輪物語 投稿日:2004/04/13(火) 03:12
 結局、二人は指輪を取らなかった。
 握手会で直接彼女たちの手に触れるファンたちが、指輪の存在に気付かないはずがない。
 指摘されるたびに二人は「のんちゃんとの/あさ美ちゃんとの、愛の証でーす」と微笑んだ。
 美貴が頭を抱えたことに、ファンは皆、それで納得してしまったのだ。美貴が驚いたことにスタッフのみならず娘。のメンバーたちでさえ、微笑ましいといった感じで二人を見守っているのだ。美貴は投げやりな気分で、それはそれでいかがなものかと思った。普通は、二人して男を作ったとか思ってしかるべきなんじゃないのか。現代日本は何か間違ってる。それともハワイまで来るようなファンが夢見がちなのか。美貴の心の平安と常識のために後者であって欲しかった。

 勿論、ハワイファンからの報告はインターネット掲示板にかかれ、マスコミ関係者の関心を引きつつあった。
 そして、それは起こったのだ。

   ◇

 ハワイに到着すると、彼女たちは有象無象の報道陣に取り囲まれた。
 お目当ては希美とあさ美と指輪である。到着ゲートにところ狭しと詰め掛けた報道陣は、美貴や、ほかのメンバーには目もくれず、希美とあさ美のところに直行した。
 二人は臆することもなく夢見るように微笑んで、こう言った。

「あたしたち、ハワイで結婚したんです」

 空港は悲鳴と怒号に包まれ、急遽、空港内のレストランを借り切って緊急の記者会見が行われる運びとなってしまった。あれよあれよという間に騒ぎがでかくなっていく。美貴は、二人の姿に自分の芸能生命の終焉を見ているかのような、絶望的な気分だった。
18 名前:_ 投稿日:2004/04/14(水) 21:13
遠く海を隔てた2箇所で騒動が起こる。
一つは、一部の人間にとっては予想通りの展開だった。
一つは、誰にも予測のつかない展開だった。
結果、まとめる人間はとんでもなく苦労することになる。
19 名前:_ 投稿日:2004/04/14(水) 21:14




第三章 2つの記者会見



20 名前:_ 投稿日:2004/04/14(水) 21:15
ずいぶん長い間、上空にいたことになる。
希美はこれからの日本での新生活を思い描いてとんでもなくドキドキしていた。

機内は快適とは言えなかった。
乱気流だかなんだか、ガタガタと数分おきに揺れる。
そのせいで、隣に座っていたあさ美が目を覚ましてしまった。

「おはよう」

あさ美の寝起きにこんなに優しい声をかけたことがあっただろうか。
希美は、自分の笑顔がいままでとはまるで異なっていることを自覚した。
自覚して照れた。むずかゆい心地よさ。

「なんだかほっとしてねちゃった……」
「……そう」
「のんつぁんが、私の手をずっと握っていてくれたから」
「私は、ドキドキしてて寝られなかったよ」
「なんで?」
「ずっと手がつながってるんだもん」
「なんで落ち着かないの?」
「落ち着かないとかじゃなくて……」
21 名前:_ 投稿日:2004/04/14(水) 21:15
寝起きで機嫌が悪いだけなのかなんなのか、あさ美がふくれてしまった。
単なる気まぐれならそれでいいが、ひょっとすると自分たちは選択を誤ったかもしれない。
接触に安心を覚えるあさ美。興奮して落ち着かない希美。
2人が一緒に暮らす上で、このギャップはなかなか厄介なものに思えた。

「きゃっ……」

機内が大きく音を立てて振動する。

「……あっ」

2人は強く手を握り合っていた。
目が合って慌ててそらす希美。

「……もうっ」

それが不満のようでご立腹のあさ美。

そのとき機内放送が流れ、悪天候により飛行機が日本に到着しないことを告げられた。
ふたたび、ハワイに戻るようである。

「よかった。ずっとのんつぁんと一緒だ……」

正直、10時間以上も飛行機に乗りっぱなしというのはうんざりだったが、そんなことは口に出さない。口に出すとまたあさ美が悲しむだろうから。

「じゃ……もう一眠り……」
「え?」
「おやすみ」
「お……やすみ」

希美の隣でやすらぐあさ美。やすらがない希美。この関係は、希美にとって負荷となるのかもしれない。
22 名前:_ 投稿日:2004/04/14(水) 21:15
あさ美はよく眠った。なぜこんなに寝られるのだろうと憎らしくなるほどよく眠った。よく眠りすぎて自分たちの到着した場所が、出発したのと同じハワイであることにあさ美は気がつかなかった。

「あたしたち、ハワイで結婚したんです」

勘違いが生んだ発言だった。ここはハワイですと突っ込むのもうんざりの希美。そのまま記者会見に突入した。
23 名前:第三章 2つの記者会見 投稿日:2004/04/14(水) 21:16
それにしても飛行機が方向転換したのだから、各社はハワイ在住の記者を緊急手配したことになる。そう考えるとよくもまぁこれだけの数が集まったものだ。彼女たちの極めてプライベートな発表だというのに。
ひょっとして妙な思想の持ち主が革命だとかなんとか騒ぎ出したりして。

美貴はひやひやしていた。彼女たちの将来を慮る気持ちが2割。それと、日本においてきた少女のことが8割。
突拍子もなく、予測なんてつはずもなく表情をくるくる変える少女のことを考えていた。彼女なら、希美たちの展開をうらやましがるに違いない。

―――みきたんと私だってそのうちねぇ

とかなんとか言うに違いない。
美貴にとってものすごく身近な少女。
美貴にとって、もっとも理解不能な少女。
24 名前:第三章 2つの記者会見 投稿日:2004/04/14(水) 21:16


ハワイのエアポートで希美たちが記者会見をしているあいだ、日本でも一つの騒動が起こっていた。
ハワイからの便は悪天候のため到着しない。
その放送が空港内に流れたため、計画者はまだ組み立てる前の武器を隠したままその場を立ち去ろうとした。そのとき、

「あややだ……」

なんと亜弥が、変装もサングラスも帽子もなにもしていない亜弥そのものがそこに立っていた。
亜弥はスタスタと計画者のもとに歩み寄る。計画者は逃れるチャンスを逸してしまった。忍ばせた武器にだけは感づかれないように、計画者は必死の笑みを浮かべる。

「ごめんください」

亜弥はそう言った。ひょっとしたら、自分の正体に気づいていないのか?計画者は祈るような気持ちでそう思った。

「みきたんを迎えに来たんですけど……」
「飛行機はハワイに戻ったよ」

計画者は亜弥に応えた。亜弥の表情が一瞬曇る。声で気づかれたかもしれない。
25 名前:第三章 2つの記者会見 投稿日:2004/04/14(水) 21:16

「……そ」

亜弥は何かを考えているようだった。
目を忙しく動かす。やがて、考えがまとまったのか、再び亜弥は計画者に声をかけた。

「私、今から告白しようと思うんです。世界のみんなに、私を認めてもらおうと思うんです」
「何を言って……」
「だって……そうでもしないと……」

亜弥の声はどんどん小さくなっていった。

「……振り向いてもらえない」

亜弥の話を聞いたとき、計画は変更した。
26 名前: 投稿日:2004/04/18(日) 04:35

 薄暗い室内。カーテンが開けっ放しになっている大きな窓──東側の壁一面を覆っている──から、うっすらとした月の光と、遠景の都市の光が射し込んでくる以外は、二人の少女を照らすものはない。
「ねえ」クッションの上に座り、同じソファの横に座る少女にだらしなくしなだれかかっている少女が気怠そうに口を開いた。
「電気つけなくて大丈夫かなあ」
「さあ……?」

 彼女が困ったように首を傾げる。少なくとも、自分たちがあれこれと気を遣って生活する必要はないとは言われていたけど。
 それでも、芸能人をある程度やっていれば嫌でもそういう習慣が付いてしまうみたいだった。

 ウェーブのかかった髪を揺らすと、彼女はゆっくりと立ち上がった。もたれ掛かっていた少女はそのままずるするとソファに身を沈めて、不服そうな鳴き声を漏らしてみせる。
 立ち上がった少女は苦笑しながら、壁のスイッチを押した。たちまち、真っ白い照明が部屋の隅々まで照らし出す。高い天井まである壁一面の窓は、途端に鏡に早変わりして、全ての様子を映し出した。
27 名前: 投稿日:2004/04/18(日) 04:35

 真新しいインテリアに、磨き上げられたばかりのピカピカのフローリング。キッチンの戸棚を開けば、高級でまだ指一本も触れられていない食器類一式が揃っている。二人の身長くらいありそうな大きくて薄いテレビは100以上のチャンネルがあり、DVDもCDもゲーム類も無数に用意されている。ソファとクッションには染みも皺も一つとしてなく、信じられないくらいに柔らかい。そんな生活感のない部屋に、生活感のない二人の少女が、なにをするでもなくじゃれ合っている。
 そわそわとして落ち着かなげなのは、新しすぎる部屋のせいだけではなくて、一挙一動を意識しないといけない状況がそうさせているのだろう。

「にゃーんにゃーん」
 クッションに身体を伸ばしたまま、少女はふざけたように、少しヤケ気味で、甘えた声を出して見せる。
 肩を竦めると、彼女はキッチンまでのろのろと歩いて行って冷蔵庫を開く。ひやりとした空気が頬に当たって、妙に心地がよい。
 お互いに、お互いの行動がわざとらしく意識したもののように感じられてしまって、なんとなく居心地が悪かった。彼女は冷蔵庫から牛乳のパックを取り出すと、ソファからちょこんと顔を出して様子を窺っている少女へ向かって放った。
「牛乳嫌いなの知ってるくせにぃ」
 少女が口を尖らせるのに、彼女はいたずらっぽく笑うと、口に指をあてて「シーッ」と牽制した。
「ミケ、駄目でしょ、ネコがそんな風に口きいちゃ」
 そうは言っても、彼女たちはそれほど真剣には考えていない。三日が過ぎて、ようやく今の状況を楽しめるくらいの精神状態にはなっていた。
28 名前: 投稿日:2004/04/18(日) 04:36



第四章 ある思惑





29 名前:第四章 ある思惑 投稿日:2004/04/18(日) 04:36

 クリーム色の仕切り壁が慌ただしく集められて、レストラン内に即席の会見場が組み立てられていた。ただならぬ雰囲気に、ウェイターたちが興味深げに視線を送り、時折ひそひそと何かをささやき合っている。
 藤本美貴は窓際の隅の椅子に座って、指先でテーブルを叩きながら、仏頂面でその様子を眺めていた。スタッフに混じって、二人の同期である四期五期のメンバーはもとより、他のメンバーたちもおめでたムードで嬉々として手伝いをしているのが、なんとなく釈然としない。
「藤本さん!」
 ハンカチで手を拭いながら、田中れいなが声をかけてきた。さっきまで、裏で二人の──新婚の辻と紺野夫婦の──メイクを手伝っていたのだった。
「なに」
「ヒマなら手伝ってくださいよ」
30 名前:第四章 ある思惑 投稿日:2004/04/18(日) 04:37

 美貴は面倒臭そうに顔を上げると、呆れたように言った。
「ていうかみんな呑気すぎ。誰も真面目に考えたりしてないわけ?」
「なにをですか?」
 れいなはちょっと首を傾げてから、パッと閃いたように指を立てて、
「あ、スケジュールとか大変ですよね。こんだけ帰国遅れちゃったら。でもマネージャーさんとかちゃんと考えてくれてると思うから、大丈夫ですよきっと」
「そうそう、帰ってからの仕事とかみんな穴開いちゃうから大変だよね……って、そっちじゃないってば!」

 わざとらしい乗り突っ込みをして見せても、れいなはまるで気付いていないようだった。美貴は溜息をつくと、真っ直ぐに座り直して、
「あのねえ、これから記者会見やるわけでしょ? いろいろ訊かれるよ、絶対。根ほり葉ほり」
「結婚記者会見って、ワイドショーとかでよく見ますけど……、あんな感じでいいんじゃないですか?」
「いや、全然状況違うし」
31 名前:第四章 ある思惑 投稿日:2004/04/18(日) 04:37

 本当にこんなことで大丈夫なのだろうか。美貴は心配になってしまう。加入前ならまだ他人事ですまされるかも知れないが、いまとなっては、自分の意志はどうあれ運命共同体なのだ。
「あのね、女同士とか、男同士もだけど、同性で結婚したがってる人たちって日本にもいっぱいいるんだよ。うちらみたいな有名な……自分で言うなって話だけど、実際そんな風な行動起こしたらどういう影響があるかって……ちょっと? 田中さん聞いてる?」
「あ、すいませんなんか呼ばれてるみたいなんで」

 熱弁する美貴に申し訳なさそうな一瞥を与えながら、れいなは慌ただしげにまた裏へと駆けていった。
 美貴は溜息をつくと、またテーブルにだらしなくもたれ掛かった。表では太陽がさんさんと健康的な光を放ち続けていて、美貴の暗澹とした不安が立ちこめる内面とは対照的だった。
「……ま、なんとかなるでしょ」
 半ば自分を説得するように呟くと、手の甲で額の汗を拭った。会見が予定されている時間までもうわずかしかない。
32 名前:第四章 ある思惑 投稿日:2004/04/18(日) 04:37


──

「プロポーズの言葉を教えてもらえますか?」
 前列に座った女性の記者がにこやかに問いかける。はにかんだまま顔を見合わせる希美とあさ美。すかさずあちこちでフラッシュが焚かれ、シャッターの押される音が重なり合う。
「あれ、どっちからだっけ?」
「やだ、のんちゃんからだよ」
 希美の言葉に、あさ美が照れくさそうに肩を叩いた。

 美貴の心配をよそにして、結婚記者会見はなごやかな空気の中で進められた。お馴染みの質問の数々──お二人のなれそめは? いつ頃から交際を? お互いに好きな部分はどこですか? ──メイクアップされた二人は終始照れたような笑みを浮かべていて、メンバーたちもそんな微笑ましい二人をほのぼのとした気持ちで見守っている。希美は少しリラックスした雰囲気のスーツ姿で、あさ美は白いドレスを身に纏っていた。どこからどう見ても、幸せな新婚夫婦そのもの……二人が同性であることを除けば。
33 名前:第四章 ある思惑 投稿日:2004/04/18(日) 04:38


「ところで、日本に戻ってからのプランなんかは、もう決めてあるんですか?」
 ワイドショーでお馴染みのレポーターが、マイクを向ける。
「プランってなんですか?」
「仕事とか、プライベートとか」
 真顔で訊き返すあさ美に、リポーターは言葉を重ねた。
 希美とあさ美は顔を見合わせて、揃えたように首を傾げた。またフラッシュとシャッターが待ってましたとばかりに連射される。

「それはもちろん……二人で暮らしますよ」
 少しためらいながらも、希美はしっかりとした口調でそう答えた。
 リポーターたちはどこか芝居がかった声をあげて、さらに質問を重ねて行く。
「籍はどうされるんですか?」
「今はまだ具体的には……」
「お二人は、今後ももちろんモーニング娘。のメンバーとして活動を続けていくわけですよね?」
「はい」
 その質問には、二人とも声を合わせて頷いた。
「つんくさんお得意の、お二人での新ユニット構想なんかがあったりとか」
 若いレポーターの言葉に、メンバーは一様に苦笑した。
34 名前:第四章 ある思惑 投稿日:2004/04/18(日) 04:38

「つんくさん今いないんで……」
 リーダーの飯田圭織が困惑気味に返した。
「ただ、今までのような、同じグループの中の二人、という間柄ではなくなるわけですから、いろいろと興味は惹かれますよね」
「それは、そうですよね」
 希美が頷いた。
「失礼な言い方かもしれないですけど、始めに一報を聞いたとき、いくら話題作りのためでもやりすぎだろう、なんて思ったんですけど」
 一人のレポーターが言うのに、みな笑った。どうしてもそういうイメージで見られてしまうのは仕方がない。
「それでも今日お二人の姿見て、安心しました」
「ありがとうございます」
 あさ美が言い、また二人は照れたように顔を見合わせて、シャッターが切られる。

35 名前:第四章 ある思惑 投稿日:2004/04/18(日) 04:38


──


「……」
 即席の雛壇に座って、なんとか仏頂面を晒さないように努力していた美貴は、ようやくリポーター陣の様子がおかしいことに気付いた。
 いや、おかしいというのはそもそもの始めから思っていたのだが──美貴は、ごく普通の結婚会見として振る舞い続けるリポーターたちに、ツッコミ所が違うだろうと突っ込みたくて突っ込みたくて仕方なく、うずうずと手首を揉んでいたのだった──しかし、その考えとは別に、彼らの態度にどこか調整されたような不自然さを感じた。
 そうだ、彼らは事前になにかの打ち合わせをされているんだ。美貴は確信した。それがなんなのかは分からないが、事務所のほうだってバカじゃない。言い方は悪いけど、こんな出来事でも後から自然な演出でストーリーをでっち上げて、それを最大限プラスに利用していくことを考える、そういう事務所だ。
 これは単なるプライベートな事情だけを聞きに来た会見じゃないんだろう。
36 名前:第四章 ある思惑 投稿日:2004/04/18(日) 04:38

「これからのお二人には、我々もこれから注目して追っていきたいと思っています。それでは、みなさんお疲れさまでした」
 仕切り役の、御用レポーターの一人の言葉で、ようやく記者会見は終了した。
「じゃ最後に、ツーショットお願いします」
 笑顔で二人並んで、お揃いのシルバーの指輪を見せながらという、慣例通りのツーショット撮影。二人の笑顔には一点の曇りもなく、これからの不安などは感じていないように見えた。
 撮影が終わり、希美とあさ美もようやく緊張から解かれたようにホッと顔を見合わせ、メンバーも力を抜いた表情で頷き合っていた。
 ただ、美貴は会見の最後の言葉がなんとなく気に掛かっていた。ただ結婚しておめでとうございます、では終われないとでも言いたげな雰囲気。どうやら、まだこの一件は波紋を広げて行きそうだった。
37 名前:第四章 ある思惑 投稿日:2004/04/18(日) 04:38


──


 そして、遠く離れた日本でもまた、同じように記者会見の準備が進められていた。


38 名前:  投稿日:2004/04/21(水) 01:27

「すいません。モーニング娘。さん、もうちょっとお時間いただけますか?」

記者会見を終え、ホテルに戻ろうとしていた時、先ほどのレポーターが走って戻ってきた。

「今日の会見の時間はもう終わりました。また今度にしていただけませんか?」
「ほんの少しでいいんです」
「困ります。彼女たちはこの後も予定がありますので」
「ほんの少しでいいんです。あのですね、さっき入った情報に寄りますと、日本で松浦亜弥さんが、藤本美貴さんとの結婚を宣言したと言うことなんですが」

マネージャーとやり合うリポーターの口から出た言葉は、美貴をどん底に突き落とした。
39 名前:  投稿日:2004/04/21(水) 01:28






       第五章 奏でられた狂想曲









40 名前:第五章 奏でられた狂想曲 投稿日:2004/04/21(水) 01:29

「私、みきたんと結婚しようと思ってます」

無数のフラッシュの向こうから聞こえた声。
ハワイとほぼ時を同じくして開かれた記者会見。
空港で突如行われた記者会見の主役は、亜弥だった。

そもそも、空港には多くのTV局が殺到していた。
彼らは本当はモーニング娘。を、いや、希美とあさ美を待っていた者たちである。
しかし、突然の悪天候による飛行機の不着の知らせ。
そして、そこに現れた亜弥の姿。
主役が入れ替わるのは容易いことだった。
41 名前:第五章 奏でられた狂想曲 投稿日:2004/04/21(水) 01:29
「私、みきたんのことが大好きなんです」

亜弥は続ける。
こうなることを計算していたのかどうか、それは亜弥以外の誰も知ることはできない。
変装も無しにこんな場所に来ること自体、彼らに見つけてくださいと言っているようなものであり、元々、メディアを通して亜弥と美貴の仲のよさは誰もが知っている。
加えて、希美とあさ美の結婚の知らせの直後である。
本当は美貴の帰りに合わせて言うつもりだったのかもしれない。
それはもう、今となってはわからないが。

シャッターの音混じりに耳に入る、亜弥とリポーターの声。
計画者はその様子を物陰からじっと見つめていた
ポケットにバラバラに収めた武器を、ジャラジャラと鳴らしながら。
42 名前:第五章 奏でられた狂想曲 投稿日:2004/04/21(水) 01:30
計画は中止になるはずだった。
飛行機が到着しないのならば、ターゲットはここに来ることは無いのだから。
しかし、今は違う。
自分のほんの十数メートル先に、亜弥がいる。
本当のターゲットは彼女ではなかったが、彼女でも差し障りは無い。
幸い自分の正体には気付かれていないようだ。
亜弥にも、周りの人間にも。

もう一度計画を思い返してみる。
ターゲットは変わったが、それ以外の誤差はほぼ無い。
前もって武器を組み立てられなかったことくらいだろうか。
だが、それもものの数分で片付く問題だ。
説明書は頭に入っている上に、彼女が想定していた以上に、組み立ては簡単なものだったから。
43 名前:第五章 奏でられた狂想曲 投稿日:2004/04/21(水) 01:30
計画者は一つ息を吐き、ズボンのポケットから手袋を取り出した。
手術用の薄いゴム手袋。
まずは右手。そして左手。
帽子を深くかぶり直す。
周りの人間は自分の行動に全く感心が無いようだった。
皆、先の人だかりに目を奪われている。
自分だけが別世界にいるような、そんな雰囲気さえ計画者は感じた。

ポケットから部品を一つずつ取り出し始める。
かすかに震える指先を気にしながら、手の中で丁寧に一つ一つはめ込んでいく。
一つ、二つ、三つ…
小刻みよい音を立てながら、武器はその形を成していく。
44 名前:第五章 奏でられた狂想曲 投稿日:2004/04/21(水) 01:31
そして、17個目の部品がパチンという音を立ててはめられる。
それが、計画の開始を告げる合図だった。
45 名前:  投稿日:2004/04/23(金) 03:10
人間には二種類ある。
猫になる人間と、そうでない人間だ。
46 名前:  投稿日:2004/04/23(金) 03:11




    第六章 同性結婚に猫は何匹必要か?





47 名前:第六章 同性結婚に猫は何匹必要か? 投稿日:2004/04/23(金) 03:12
彼女たちの背丈ほどもある大きなテレビでは、定時のニュースが流れている。
仏頂面のアナウンサーが原稿を読み上げ、テロップから現場の様子に移り変わると、
ナレーションにあわせて無人の裁判所が映し出される。
一回り裁判所を映し終えるとカメラはスタジオに戻り、次は天気予報です、とアナウンサーが告げようとしたところで、
彼女──ミケはチャンネルを取ってテレビを消した。
床に寝転がっている状態から、器用に上背を起こして作業をする。
ミケを足元に置く格好でソファに腰を下ろしていた少女は、迫りきていたアナウンサーの顔が消え、
代わりに自分たちをぼんやりと映しているスクリーンを見つめながらこぼした。
「流れないね」
「流れないかもね」
少女の足首に頬をすり寄せながら、ミケは返事をした。
真面目にニュースを見ていた少女と違って、ミケは先ほどから少女にちょっかいをかけることだけに集中している。
「流れないなら流れないでいいんだけど」
少女は髪の毛がかかっているミケの耳元をひと撫でしてから立ち上がった。
ごろにゃん、といかにも嬉しそうに鳴いてみせるミケに微笑を落とし、少女は台所へと向かう。
夕飯の支度をせねばならなかった。
冷蔵庫を覗くと、期日が過ぎるまでの三日分としては微妙な残量である。
「参った……」
少女は知らず呟いていた。
買い物に行こうか、いやそれには及ばないだろう、うまくやれば十分持つはずだ。
少女はミケに問う。
「ミケ、今日からご飯が一品減っても大丈夫?」
にゃう、というミケの返事は必ずしも芳しくは聞こえなかったが、少女はどのみち買い物に行く気などさらさらなかった。
厄介でかなわない。
48 名前:第六章 同性結婚に猫は何匹必要か? 投稿日:2004/04/23(金) 03:12
少女の宣言どおり、食卓には二品しか並ばなかった。
白米、鰹節が山のように盛られているほうれん草のおひたし、そしてコーンスープ。
ミケは机に顎を乗せたままおかずを順に見渡していたが、やがて不満そうに鳴いた。
「温かいじゃん」
ミケの視線の先には湯気を立てているコーンスープがある。
最近富に猫舌化が顕著であるミケに飲めるわけがない。
少女はわかっているという風に頷いて、
「冷たいのだと寒いでしょ?冷ましてあげるから」
大き目のスプーンでひと匙すくうと、小気味よく息を吹きかけ始めた。
湯気が散り散りになる。
五、六回繰り返したところでそろりとミケに向かって差し出すと、ミケもこわごわといった様子で舌を伸ばす。
舌先でつつき、舌の上で転がし、ようやく飲み込むと笑顔になった。
「おいしい」
喉をごろごろと鳴らしながら、冷や飯に口をつけた。
49 名前:第六章 同性結婚に猫は何匹必要か? 投稿日:2004/04/23(金) 03:13
一心不乱に冷や飯をかっ込むミケを見ながら、少女は自分の気持ちが変わってきていることを改めて確認していた。
とりあえず拘束は一週間、その後はミケの様子と少女の考え方次第でいかようにも変わる。
初め、少女はミケを嫌悪していた。
にゃんと鳴き、ことあるごとにすり寄ってくるミケに鬱陶しさを感じていたのは事実だ。
けれど、三日経ち、四日経つにつれ、次第に愛着が湧いてくる。
いや、少女はミケと呼ばれ始める前の彼女に好意を抱いていたのだから、愛着が湧いたという表現は正しくないかもしれない。
ともかく、今の少女はミケを愛している。
ミケの様子に急激な変化さえなければ、このまま同棲を続けることを希望しよう。
物欲しげにスープを眺めているミケに気づいた少女は物思いにふけるのをやめ、ミケの髪を撫でた。
ミケは嬉しそうに眼を細める。
50 名前:第六章 同性結婚に猫は何匹必要か? 投稿日:2004/04/23(金) 03:13


四日が過ぎたが、兆候は一向に現れない。
彼女──高橋愛はニュースを見終えるとテレビを消した。
日に三度、定時のニュースを見ることが厳命されているので仕方なく見ているのだが、目当ての報道は一向に成されない。
「デマかなぁ……」
ぽつりと呟いた高橋が腰掛けている信じがたい柔らかさのソファは、背を凭れると身体が沈む。
水に包まれているような心地よさがあるのはいいのだが、
気を抜くと手助けなしでは脱出できないところまで沈み込んでしまうのが難点といえば難点だった。
どうやらソファは大人の男性にあわせてメイキングされているらしく、
なるほど事務所の上の方の人間がやりたい放題するときに使う部屋なのだろうとの想像は容易についた。
「デマだよそりゃ」
床に寝転がっていた少女──加護亜依が応じた。
がっちり買い込んできたデザートのプリンを頬張っている。
「匿名の投書なんでしょ?
 よくあるのにねぇ」
「そうだよねぇ」
二人はそろって首を傾げる。
51 名前:第六章 同性結婚に猫は何匹必要か? 投稿日:2004/04/23(金) 03:14
「まぁいいけどさ、一週間も仕事がないなんて初めてだしね」
加護はこの無駄に豪華な調度品類に完全に順応したようだった。
気を遣うことはない、とのお達しどおり、DVDなどは見たらそのままでほったらかしてあるため、床の至るところに散乱している。
高橋もだいぶ馴れたとはいうものの、さすがにそこまで図太い神経で成り立っているわけではない。
これでいいのかなとは思いつつ、しかし片付けるのは憚られて、結局そのままになっている。
「お腹すかない?」
「作ろうか」
時計を見上げると、金の針が六時半を回ったことを示している。
ニュースが終わったばかりなので当然だったが、ことあるごとに時計を見るのは高橋の癖だった。
「何食べよっか」
加護が台所に向かいながら訊く。
料理その他一切は高橋の仕事だといわれていたのだが、申し訳ないと加護が訴え、水回りは日替わり制となっていた。
「かーちゃんの好きなのでいいよ」
「おっけー、腕が鳴るぜ」
二人はだいぶリラックスしていた。
事情はよくわからないが、ともかく一週間の休みが与えられたのと同じだ。
他のみんなはどうしているだろう。
高橋はぼんやりとそんなことを考えた。
高橋が加護をミケと呼ばなくなった一日目が更けていく。
52 名前:第六章 同性結婚に猫は何匹必要か? 投稿日:2004/04/23(金) 03:14


計画者は銃を握る。
人目につかないよう懐に隠して、記者会見の様子を窺った。
新たなターゲットとなった亜弥は記者の質問の受け答えに集中していて、こちらを窺う様子はない。
計画者は銃を握る手に力を込めたが、なかなか銃を抜こうとはしなかった。
計画者が気にしたのは、気忙しく辺りをうろついている空港関係者の存在だった。
亜弥を打つだけならば何の問題もない。
眼を瞑っていたってできる楽な芸当である。
しかしその後、正体を勘ぐられないままこの場から脱出できるかと考えると、甚だ心許ないといわざるを得なかった。
サイレンサーなどといった気の利いた装置は──あの部品のどこかに内蔵でもされていない限り──ない。
銃声が響けば二百近い目が一斉にこちらを向くことになるだろう。
その網をかいくぐることができるか、さらに、出入り口を封鎖される前に逃げ出すことができるか。
仮に達成できるとしても、そこまで派手な動きをすればどうしたって印象に残ってしまう。
計画者は逡巡する。
亜弥ひとりを消したところで済む話だろうか。
いや、何より先方が納得するだろうか。
53 名前:第六章 同性結婚に猫は何匹必要か? 投稿日:2004/04/23(金) 03:14
計画者の苦悶など露知らず、亜弥は滑らかに質問に答えていた。

「お二人の関係はどの程度まで進展を」
「よく一緒にお風呂に入ります」
「プロポーズの言葉は」
「考えていません」
「どんな家庭を築きたいですか」
「しばらくは、ペットと飼い主のような和やかな関係がいいです」
「藤本さんのどこを気に入られたんですか」
「全てです」
「藤本さんは結婚を了解してくれると思いますか」

しかしこの質問に対して、亜弥はしばらく考え込んだ。
どんな答えが返ってくるのか、記者団が固唾を呑んで見守っていると、亜弥は自嘲気味に小さく笑ってこう答えた。

「そうですね。
 ずるいことは承知していますけど、受けてくれなければ死んでしまうかもしれません」
54 名前:第六章 同性結婚に猫は何匹必要か? 投稿日:2004/04/23(金) 03:15


リポーターの報告を聞くと同時に倒れこんだ美貴は、空港の一室に横たえられていた。
意識がなくなってしまったわけではない、むしろ意識自体ははっきりとしたものだったが、
身体はしばらく自由になりそうになかった。
危険なきのこでも食べてしまったかのように全身が痺れている。
「ほらきやがった……」
予想通りの展開に悪態をつくよりすることがない。
美貴はわずかに黄ばんだ天井を見上げながら、これが夢であってくれることを痛切に願った。
結婚だぞ結婚、と自分の中で反芻する。
「結婚するということは夫婦になるんだぞ、夫婦。
 夫婦になったら、友達という関係を放棄することになるんだぞ。
 カミさんは親しいツレやから、なんて嘘に決まってるだろう。
 いや、嘘じゃなくても私には当てはまらない。
 というかそもそも結婚しないし。
 なんなんだよいったい畜生この野郎」
美貴は気づいていなかったが、全て言葉となって外部に放たれている。
呪詛は途切れる気配がなかった。
55 名前:第六章 同性結婚に猫は何匹必要か? 投稿日:2004/04/23(金) 03:15
怨念のこもった言葉を、ドアのノックが遮った。
今までずっと呟きを続けていたことに気づき、慌ててどうぞと美貴が応えると、ひょっこりと顔を覗かせたのは希美だった。
心配げな表情を浮かべている。
「大丈夫?」
希美は考えていることが顔に出やすい素直な子だ。
間違いなく気遣っているのは美貴にもわかったが、しかし美貴は素直に返事ができない。
そもそもの発端は希美とあさ美の結婚じゃないか、と思わずにはいられないのだ。
無論、亜弥の好意は昔から明らかだった。
しかし、燻っていた──触らなければもしかしたら一生燻り続けたかもしれない──火種に油を注ぎ込んだ側面は否定できないだろう。
「大丈夫だよ」
声は上ずっていないだろうか、眼光は鋭くなっていないだろうか。
無理かもしれないなと美貴は自嘲気味に思った。
56 名前:第六章 同性結婚に猫は何匹必要か? 投稿日:2004/04/23(金) 03:16
「あのね」
美貴の努力はとりあえず効を奏したらしく、希美は逃げ出す気配も見せずとことこと歩み寄ってきた。
上から覗き込まれる。
見知った──結婚以来少し綺麗になったかもしれない──顔が、不安げに歪んでいるのを美貴は見逃さなかった。
悪い知らせの予感がする。
「……亜弥ちゃんのこと?」
果たして、希美はやりにくそうに頷いた。
あの少女はまた何かやらかしたらしい。
美貴はもう何がなんだかわからなくなっていた。
「ちょっと待って、今はいわないで」
口を開こうとした希美の鼻を叩いて言葉を被せた。
これ以上怖ろしいことを聞かされたら死んでしまうかもしれない。
いや、もう私は死に体か。
むしろ死ぬべきか。
「もう少し体力が回復したら聞かせて」
できうる限り優しくいうと、希美はわかったと頷いて、相変わらず心配そうな視線をくれたまま部屋を出て行った。
「参った……」
ひとりになった部屋で、美貴は心の底から深いため息を吐き出した。
57 名前: 投稿日:2004/04/23(金) 21:23
「月日は百代の過客にして、行き交う年もまた旅人なり」   松尾芭蕉
58 名前:第七章 Don't tamper with the dug potato. 投稿日:2004/04/23(金) 21:24




第七章 Don't tamper with the dug potato.




59 名前:第七章 Don't tamper with the dug potato. 投稿日:2004/04/23(金) 21:24
「どうだった?」

希美が部屋を出ると、待ちかまえていたあさ美が声をかけてきた。

「うん、今は聞きたくないって」
「そう」

小さく頷き、あさ美は心配そうに、閉じられたドアにちらりと目をやった。
大きな目が寂しげに細められ、小さな唇がきゅっと引き結ばれる。
──綺麗だな。
こんな状況でありながら、その哀しげな横顔に希美の目はつい吸い寄せられてしまっていた。

「でもいつまでも隠してはいられないよ」
「分かってる」

振り向いたあさ美と目が合い、希美はどぎまぎしながらもそう答えた。
確かに美貴が全てを知るのはそう遠い話ではないだろう。
これだけの事件だ。
希美が伝えなくとも、すぐにでもマネージャーあたりが飛んでくるに違いない。
少しでもショックが和らぐようにと、自ら望んで伝える役を買って出た希美だったが、
思った以上にダメージを受けている美貴を見て、結局真実を告げることは出来なかった。
60 名前:第七章 Don't tamper with the dug potato. 投稿日:2004/04/23(金) 21:24
「どうする? 戻る?」
「……ん。それもちょっと」

ぼそぼそと言葉を濁す。
できることならあの場に戻りたくはない。
テレビの前に向かうのが怖いのだ。
おそらく、あの光景を映しているであろう画面を見るのが。

本来のワイドショーの時間はもう終わっていた。
しかもここはハワイだ。そんな番組が映るわけもない。
ただし、ケーブルテレビを使えばニュースは見ることが出来る。
NHKに限られるが。
そしてそこには、日本での記者会見の式場が未だに流れ続けていた。

「なにか食べる?」
「ううん、いい」

機内食のランチ以来何も口にはしていないが、さすがに食欲はない。
希美は黙ったまま天井を見上げた。
煌々と輝く蛍光灯をじっと見詰めると、先ほどの記者会見でのフラッシュを思い出す。
同じように松浦亜弥もフラッシュを浴びていたはずだ。
それがどうしてこんな事になってしまったのか。
どうして……。
61 名前:第七章 Don't tamper with the dug potato. 投稿日:2004/04/23(金) 21:25


計画者は口をあんぐりと開け、目の前で展開された思いもよらない光景をただ眺めていた。
空港内は大変な騒ぎになっていた。
たくさんの人が慌ただしく駆けめぐり、フラッシュが何回も炊かれる。
だが、それが逆に計画者の姿を目立たなくさせてもいた。
流れてくる汗を誰にも気づかれないようそっと拭う。

──信じられないことをする娘だ。まさかあそこまで思い詰めていたとは。

亜弥は前と変わらず、同じ場所に座っていた。
相変わらずの満面の笑み。
しかし、その喉元には大振りのナイフがぎらりと光っていた。

先ほどまで狙っていた少女が、自らの手で命を絶とうとしている。
手間が省けて良かった。そう考えてもおかしくない状況である。
だが、計画者は必死で考えていた。どうにかして止めなくてはいけない、と。

ほんの数分前までと矛盾する思い。
だが彼女にとってそれは必然であった。
なぜなら計画者の目的は命を奪うことではないのだ。
この手の中の銃はその名の通り、「解放」のために使われなければならないのだから。

計画者は大勢の人に囲まれた亜弥もう一度目をやった。
その顔に浮かぶのは何者をも恐れない強い笑顔。
計画者の背筋にぞくりと怖気が走った。
もしかして、もしかして彼女は全てを知って──。
62 名前:第七章 Don't tamper with the dug potato. 投稿日:2004/04/23(金) 21:25


「ミケ、大丈夫?」

画面を食い入るように見詰める彼女に、少女は声をかけた。
ちらりとこちらに目を移したミケは、またすぐにテレビへと視線を戻した。
いつもとはまるで違うぴりぴりとした様子に、少女はごくりとつばを飲み込む。

「今……何時?」

当然そう尋ねられ、少女は慌てて自分の手首にはめた小さな時計を確認した。

「あ、えっと八時だよ」
「ふぅん」

それきり、まるで少女に興味を無くしたように、ミケはじっと画面を見詰め続けた。
同じ年頃の女の子と比べてもひときわ小さな背中。
しかし今、その背中は大きな壁のように少女の前に立ちふさがっていた。
分かっていたことだ。覚悟していたことだ。
それでも少女は願っていた。このままの幸せな生活が続くことを。

運命の時はもうすぐそこまで迫っていた。
63 名前:__ 投稿日:2004/04/28(水) 04:54
――ある夏の日、家族のように愛した子猫との告別の日。

公園の舗装された遊歩道を少し離れて植えられた木の木陰で、透き通りそうな白いワンピースを着たその少女は、石が積まれただけの小さなお墓に両手を合わせて、大きな瞳からぽろぽろと涙を流していた。
その傍らで、おそらく同じ年頃の少女が、容赦なく照りつける太陽に半ば苛つき、憂さを晴らすように手にした小枝で草を払っていた。勢いよく小枝を振り下ろす度に、犠牲となった草草が、ハラハラと宙を舞う。

「ごめんね。助けてあげられなくて」

涙混じりの少女の声は、悲しみを抑えきれず、微かに震えていた。
傍らで、草むらを払って遊んでいた少女はその手を止めて少女を見下ろす。
小枝を投げ捨てると少女の隣で膝を折り曲げて腰を落とし、同じように手を合わせる。
「可哀相だったね」
隣で悲しむ少女に向けて呟いた。
しかし、彼女の声が聞こえていないのか何の反応も示さない。
同意が得られず訝しく思い、表情を窺おうと隣を見る。
その、元気をなくして沈みこんだ横顔に、同調するように悲しい顔をした。
「元気出してよ」
少女は首を横に振る。
「無理だよ。だって、ミケ、死んじゃったんだよ」
それっきり、二人は黙り込んだ。
64 名前:__ 投稿日:2004/04/28(水) 04:56
幾分かの時間が過ぎ、少女は多少の落ち着きを取り戻した。
少女の傍らで彼女の友人は、真剣な眼差しでミケの墓を見つめていた。

「そうだ!あたし、いい事思いついちゃった」

突然、少女は立ち上がると叫んだ。
少女は、驚いて顔を見上げる。
「いっ、いい事?」
「うん。やばいね。あたし、天才かもしれない」
不思議そうに見上げる少女に、楽しさを抑えきれないといった表情で頷いた。
「ねぇ、ミキってさ、ミケに似てない?」
そして、少女は満面の笑みを浮かべた。

――その時は、彼女が言っている言葉の意味を、彼女は理解できずにいた。
65 名前:第八章 夜が明けたら 投稿日:2004/04/28(水) 04:57






       第八章 夜が明けたら






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66 名前:第八章 夜が明けたら 投稿日:2004/04/28(水) 04:58
圭織は、若干歩速を早めて、美貴が泊まっている部屋へと向かっていた。
希美のたっての希望もあり、一度は部屋に閉じこもったまま出てこない美貴の事を任せてはみたものの、彼女のことが気がかりで仕方がなかったのだ。部屋の前まで行くと、案の定、ドアの前で、希美とあさ美が立ち往生していた。
「のんちゃん、紺野」
名前を呼ばれて圭織が近くに来ていることにようやく気が付くと、互いに顔を見合わせほっとした表情をする。
「もう遅いからあなた達はもう寝なさい。藤本には私から話すから」
圭織に言われ、希美は腕時計に視線を落とす。時計の針は、8時を少し回った時間を指していた。
「まだ、8時だよ」
圭織に腕時計が見えるように腕を上げる。
「のんちゃん、ここはハワイだよ。日本より19時間遅れてるから今は深夜1時」
希美が、確認するようにあさ美を見ると、あさ美は頷て答えた。
圭織は、意外と信用ないことにショックを受けつつも、二人をほほえましく見ていた。
67 名前:第八章 夜が明けたら 投稿日:2004/04/28(水) 04:59
「さあ、もう自分達の部屋に戻りなさい」
圭織は、表情を引き締めると、二人に部屋へ戻るように急き立てた。
「でも」
希美は美貴の部屋のドアを見て、心配そうに言う。
「藤本の事は私に任せて、ね」
圭織にそう言われ、希美は、しかたなく了解して頷く。
「二人ともー。新婚さんだからって、夜更かししたら駄目だよー」
圭織は、部屋へと戻ろうとする二人の背中に声をかけた。
希美とあさ美は、驚いて振り向いた。顔を耳まで真っ赤にしている。
「ばかーっ!」
希美は叫ぶと、舌を突き出した。そして、終始うつむくあさ美の手を取り部屋へと戻っていった。
圭織は、二人の後姿を見送ると、ドアに向き合い気合を入れる。
そして、ドアを数回ノックした。
「藤本、ちょっといいかな」
数秒の後、美貴はドアを開けて圭織を招き入れた。
68 名前:第八章 夜が明けたら 投稿日:2004/04/28(水) 05:02
  ◇

希美は部屋に戻ると、ベッドに腰を降ろして長めのため息をついた。両腕を広げて背中からベッドに倒れる。
「はぁ、どうしてこんな事になったんだろう」
あさ美は、希美の左側に静かに腰を下ろして左手をベッドに付き体を支えると、右手で希美の額にかかる前髪を、そっと払った。希美はあさ美の顔を見上げながら、なおも続ける。
「これって、あたし達のせいだよね。あたし達が結婚したからこんな事に……」
「……のんつぁん」
覗き込むように見下ろすあさ美を、希美はまっすぐ見つめ返す。まるで、彼女の瞳に写る自分の姿を確かめるかのように、瞬きをするのも忘れて、見つめていた。
あさ美は、引き寄せられるように顔を近づける。
「のん、つぁん」
小さい声でもう一度名を呼び、唇を重ねようとする。あさ美の髪がはらりと肩からこぼれ、希美の顔にかかりそうになる。あさ美は、顔を近づけたまま髪をかき上げると、邪魔にならないように反対側へと流した。そして、唇が触れるか触れないかのところまで近づいた。
「やっぱやだ」
希美の言葉に、あさ美は動きを止めた。二呼吸ほどかけて、ゆっくりと顔を上げる。
「やっぱりやだよ。あたし達のせいでみんなに迷惑かけるの嫌だよ」
あさ美は黙って見下ろしていた。
「あややがあんな事したのは元はと言えばあたし達が原因だし、ミキティが塞ぎ込んでるのも、やっぱりあたし達が悪いんだよ」
自分の体を支える両腕が、微かに震えだす。唇を震わせ、下唇を噛み締める。
「ミキティ、のんにすごく怒こってた」
顔は紅潮して赤くなり、瞳も微かに充血する。噛んでいた唇に、微かに血が滲む。
「ミキティの言うように、あたし達、間違ってたんだよ」
ぽたり、ぽたりと希美の顔に水滴が落ちる。
「離婚しよう」
69 名前:第八章 夜が明けたら 投稿日:2004/04/28(水) 05:03
ついには堪え切れなくなり、止め処なく零れる涙は、次から次へと希美の顔にぶつかって弾けた。
差し伸べる希美の小さな手が、あさ美の頬に触れると、頬を伝う涙をそっと掬った。
「あたし達、離婚した方がいいと思う」
とめどなく流れる涙は、瞬く間に希美の指を濡らしてゆく。
「ごめん」
希美が謝ると、あさ美は、ついに耐え切れずに泣き崩れた。
希美の服の襟を掴むと、胸に顔を押し当てて泣いた。
「ごめん」
希美はあさ美の頭に手を乗せると、もう一度謝った。
あさ美は涙で濡れた顔を上げ、希美の顔を覗き込む。
「分りました。ただし、条件があります。のんつぁんは聞かなければなりません」
「何?」
「離婚するのは明日にして下さい。今夜だけは、貴方の奥さんでいさせてください」
希美は頷いた。
「わかった」

70 名前:第八章 夜が明けたら 投稿日:2004/04/28(水) 05:04
  ◇

その夜、希美とあさ美は深く結ばれた。希美はあさ美を全て受け入れ、あさ美は希美の体の至る所に自分の印をつけた。気が付くと、ホテルの部屋に備え付けられた時計は既に3時を回っていた。
あさ美は希美の胸に抱かれていた。直に触れ合う肌の感触が心地よかった。目元は赤く腫れていたが、もうすっかりと気持ちは落ち着いていた。希美が奏でる胸の鼓動を、まるで子守唄のように聞いている。
「夜更かししちゃった」
希美が呟く。あさ美はそれに合わせて笑った。
「こんなに目を腫らせてたらみんな驚くね」
「朝までには治るよ」
「だといいんだけど」
あさ美は目を閉じると気だるそうにため息をつく。
希美は、手櫛であさ美の髪を削ぐと、指の間を髪が流れ落ちる感触を楽しんだ。
そのままあさ美は規則正しい呼吸を繰り返す。
「寝ちゃった?」
すっかり静かになってしまったあさ美に希美は囁いた。
「起きてる」
目閉じたまま答える。
「もっとお話しようよ」
「うーん、話といっても、食べ物の話題くらいしか思いつかないし」
「こんちゃんらしい」
希美が笑い、あさ美もつられて笑い声を上げる。
71 名前:第八章 夜が明けたら 投稿日:2004/04/28(水) 05:05
「あいぼん、今頃どうしてるのかな」
不意に、希美は話題を変えた。
あさ美は、目を開けると不安そうに希美を見る。
「加護さんの事、気になりますか?」
「うん、ちょっと。愛ちゃんと二人っきりみたいだし」
あさ美はがばっと体を起こして希美を見つめる。至近距離に近づくあさ美の顔はここ数日で見慣れたはずなのに、その真剣な表情に希美はどぎまぎしていた。
「どういうことですか?」
「ち、ちがうよ。別にあいぼんと愛ちゃんが二人っきりだから心配なんじゃなくてあいぼんと愛ちゃんの二人だけみたいだから大丈夫かなーって――」
「そうじゃなくて、どうして二人が一緒にいるって知ってるんですか?」
希美はキョトンとした表情で瞬きをする。
「えええと、ハワイに行く前日にね、あいぼんから電話あったんだよ。あいちゃんずで仕事だーって。確か、軽井沢かどっかの別荘地で収録があるって。あたしが軽井沢いいなーって言ったら、ハワイ組みが何言っんの?って言ってたから間違いないよ、うん」
「……そうですか」
そう言ってあさ美はほんの少し距離を置き、希美はほっと息を漏らす。
「あ、でも、このことは内緒ね。あいぼんもスタッフさんから口止めされてるみたいなこと言ってたから」
そして、思い出したように付け加えた。

72 名前:第八章 夜が明けたら 投稿日:2004/04/28(水) 05:08
  ◇

とある高級マンションの一室で、「モーニング娘。」のプロデューサーであり、自称天才音楽家でもある寺田光男ことつんくは、シルクのガウンを羽織り、優雅に夜景を眺めていた。
徐にリビングへ引き返すと、ガラス製のテーブルの上のワイングラスを手に取り、クリスタルのデキャンターに移したワインをグラスに注いだ。デキャンターをテーブルの上に戻し、テレビのリモコンを手に取ると、赤いレザー製のソファーに腰を沈める。
そして、リモコンでテレビの電源を入れると、適当にチャンネルを変えていく。
いくつかの番組を飛ばしながらリモコンを操作するその手が、不意に止まった。
テレビに映るそのニュース番組には、松浦亜弥が自分の喉に自分の腕ほどもある大振りのナイフを突きつけた映像が流れていた。

「えらいこっちゃ」

つんくは腰を浮かしてテレビに見入っていた。
そして、すぐさま携帯電話を手に取ると電話をする。
数回のコール音の後、回線が繋がる音がした。
『はい、中澤です』
「おう、中澤か。お前もニュース見て知っとるやろ。頼む、手ぇ貸してくれ」
『嫌です』
そして、電話は切られた。
つんくは、切られた携帯電話を寂しそうに見つめている。
「……お前、俺のこと尊敬しとるんとちゃうんか」
そして、そのまま固まると、少しの間、思考をめぐらせた。
一人納得したように頷くと、
「しゃぁない。あいつでもおらんよりマシやろ」
と、携帯電話を操作する。
数回のコール音の後、カチリと電話を受けた音がした。
「おう、まことか?俺や、つんくや」
『あれぇ?つんくさんじゃないですか。どうしたんですかぁ?』
「すまん、まこと違いや」
そして、つんくは電話を切った。

73 名前:第八章 夜が明けたら 投稿日:2004/04/28(水) 05:10
  ◇

「こんちゃん。ほんとに寝たの?」
希美はあさ美の耳元で小声で囁いた。
あさ美は規則的に寝息を立てて眠っている。
「ほんとに寝ちゃったか」
そう言うと、詰まらなそうにため息をつく。
あれからほんの少し前、加護亜衣の話題の後も数分ほど話をしていたら、
突然あさ美が
「明日も早いんだし、もう寝た方がいいと思う」
と言い出した。
それからのび太くん張り寝つきの良さで眠りについたのだ。

希美はあさ美の寝顔を見て、自分も大きく欠伸をする。
「あたしも何だか眠くなってきちゃった」
シーツを肩口まで引き上げると、あさ美に寄り添う。
「こんちゃん。大好きだよ」
あさ美の額にキスをして、重くなった瞼を閉じる。
「お休み」
そして、静かに眠りに落ちていった。

それから30分ほど時間が経過した。
あさ美は、目を開くと希美の寝顔を覗き込む。
起きている時より落ち着いた呼吸のペースに眠っていることを確認すると、そっと、ベッドから降りた。
そして、昨夜用意していた洋服に着替え終えると、希美に向かって身を屈めて頬に口付けをする。
「やん、くすぐったい」
そのまま寝返りを打つ希美にあさ美は頬を緩ませる。
「お休みなさい。のんつぁん」
あさ美は小声で呟くと、希美が目を覚まさぬよう、物音を立てないように、静かに、そっと、部屋を出た。
74 名前:第八章 夜が明けたら 投稿日:2004/04/28(水) 05:11
  ◇

夜の11時である。
成田空港の会見場では、亜弥の両親が必死の説得をしていた。
後藤真希は、その様子に半ば呆れ、半ば途方に暮れて見ていた。
帽子を目深に被り、サングラスをして、それとは分らぬように変装して、既に半日が経過していた。
空腹と疲れで、苛立ちすら覚えている。
突然、携帯電話が振動して着信がある事を知らせてきた。
真希は、騒ぎの輪から少し離れ、バッグから折りたたみ式の携帯電話を取り出した。
ディスプレイには『非通知』が表示され、正体が見えない相手に警戒をしながら、通話ボタンを押した。
「だれ?」
『あ、後藤さんですか?私です。紺野です』
電話の相手が見知った仲である事を知り、途端に緊張の糸を解く。
「紺野?もう知ってると思うけど、こっちは大変なことになってるよ」
『はい、私も松浦さんの行動には驚きました。松浦さんの性格を考えるとこうなる事は予想できたのに迂闊でした』
「ほへ、狙ってなんじゃないの?」
『まさか、確かに空港にマスコミを呼ぶことで相手を牽制するつもりでしたが、ここまで騒ぎになると私達も身動きできなくなります。逆効果ですよ』
「ま、これでよかったんじゃないの?それっぽい人見かけないし、諦めたんじゃないかな」
『だといいんですけど……』
「で、どうしたの?用があってかけたんでしょ?」
『はい、加護さんと愛ちゃんの居場所がわかりました。軽井沢です。他の3人も多分一緒です』
75 名前:第八章 夜が明けたら 投稿日:2004/04/28(水) 05:13
「へぇ、良く分ったね」
『のん……主人が加護さんから聞いていました』
真希は思わず顔がほころぶ。
「おめでとう」
あさ美は、どう答えていいのか返答に困っていた。
「……どうかしたの?」
真希は心配して尋ねる。
『いえ、何でもないです。ありがとうございます』
「だったらいいんだけど……。それにしても軽井沢か、範囲広いね」
『それなんですけど、私に心当たりがあります。前に、まこっちゃんに聞いたことがあるんですよ。後藤さんの方が詳しいんじゃないですか?』
「ん?あ、あー、あそこか」
心当たりがあるのか、納得して相槌を打つ。しかし、すぐに眉を寄せて怒ったような困ったような顔をする。
「小川のやつ、紺野にしゃべったのか……後でお仕置きだな」
『その時は是非私も参加を――』
「紺野も同罪」
『……それでですね。後藤さんは先に軽井沢に向かって下さい。私も日本に帰り次第――あっ』
「紺野?」
『おかぁさぁん?』
「何?どうしたの?」
『そういうわけだから私は大丈夫。うん、帰ったら連絡する。そっちもまだ寒いだろうから気をつけてね。じゃあ』
そして、通話はあさ美によって一方的に切られ、通話が通じていない時の、あの、ピーっという電子音に切り替わった。
真希は、携帯電話を耳から話すとじっと覗き込んだ。
「なるほど、私は紺野のお母さんか」
真希は納得して頷くと、携帯電話を閉じて、バッグに入れた。
そして、振り向き様に亜弥の様子を確認し、周りが亜弥に注目していることを確認すると空港を離れた。
その直ぐ後、ほんの数分の間に、朝から空港に張り付いていた人物も真希の後を追うように空港から姿を消した。

76 名前:第八章 夜が明けたら 投稿日:2004/04/28(水) 05:14
  ◇

朝、目が覚めると、昨夜まで隣で眠っていたはずのあさ美がベッドにいなかった。
希美はベッドから這い出し、あさ美が希美のために用意した洋服に着替えると居間へと向かった。
居間にもあさ美の姿はなく、浴槽やトイレ、クローゼットの中も隈なく探した。
しかし、どこにもあさ美は見当たらなかった。
希美は、言い知れぬ不安にかり立てられて、落ち着かなげにその場に立ち尽くす。
「こんちゃん。何処行ったんだよぉ」
そのまま、半泣きの状態でふにゃりとへたれ込んだ。
77 名前:     投稿日:2004/05/06(木) 06:08
 誰かが髪を撫でている。やわらかい感触。優しく、いとおしむように……。時折コツコツと硬いものが頭にぶつかる。薬指に嵌められた、二人の誓いのしるしだ。自分の指にも同じものが嵌っている。
 あさ美は腕を伸ばすと、隣に座って髪を撫でている希美の手を掴んだ。
「あ」
 希美は声をあげると、慌てて周囲を見回した。周りの乗客はみな寝静まってる時間だ。
「ごめん、起こしちゃった?」
 申し訳なさそうに希美が言うのに、あさ美は黙って微笑むと首を振った。
「大丈夫。私もなんか眠れてなかったから」
「私も……落ち着かなくて」

 沈黙の降りた機内に、小声で囁きあう二人の声が微かに響く。
「日本に戻ってからまたいろいろあると思うと……」
「心配しないで。私が」
 希美はそう言いながらあさ美の肩を抱こうとするが、あさ美はシートの上で身を捩ってそれを避けた。
「あさ美ちゃん……」
 悲しげな目で、あさ美の横顔を見つめる。彼女はまだ指輪のついたままの手で髪を梳くと、微笑を浮かべて振り返った。
「ごめん。でも今は」
「昨日のこと、まだ気にしてるの?」
 少し怒ったような口調で、希美は言った。
「それはそうだよ」

78 名前:     投稿日:2004/05/06(木) 06:09
 離婚と言うことを言い出したのは希美の方だった。そのことで、あさ美が感情的な蟠りを持っていることは理解している。しかし、
「しかたないじゃん、だって」
「いいんです。気にしてないですから」
 あさ美はそっけない口調で呟くと、倒したシートに深く身を沈めた。
「気にしてるじゃん」
 希美は思わず声を高める。あさ美は人差し指を立てると、垂直に唇へあてた。希美は口を尖らせたまま、不承不承、同じようにシートへ身を埋めた。
 昨晩と同じ唇とは思えないほど、それは冷たく乾いているように、希美には見えた。
79 名前:     投稿日:2004/05/06(木) 06:09
「私、離婚なんて考えてないですから」
 聞こえるか聞こえないかといったくらいの小声だったが、あさ美は確かに決然とした口調でそういった。
 希美は驚いてシートから身を起こした。
「だって」
「静かに」
 あさ美はまた指を立てる。その表情は驚くほど冷静で、しかし逡巡しているような気配は一切伺わせないようなしっかりとしたものだった。
「そのことは、また日本へ戻ってから話し合いましょう」
「……」

 希美は言いたいことが口からこぼれ落ちそうになるのを、懸命に押さえた。今度口を開いてしまったら、絶対に大声になってしまうに違いない。
 今までの自分に足りなかったのは自制だ──、と、目を閉じてシートに身を倒したまま、心の中で言い聞かせた。
80 名前:     投稿日:2004/05/06(木) 06:09



第九章 Three Of A Perfect Pair




81 名前:第九章 Three Of A Perfect Pair 投稿日:2004/05/06(木) 06:10
「電気でもつけたら?」
 圭織が声をかけるのにも、美貴はベッドの上で膝を抱えたまま、ぼんやりとうつろな視線を彷徨わせているだけだった。窓から、ハワイの美しい夜空の星々が見える。その光が、乱雑に散らかっている美貴の部屋を照らしていた。
「しょうがないなあ」
 圭織はぶつくさとぼやきながら部屋の照明をつけると、美貴の隣に腰を下ろした。美貴はだるそうに溜息をつくと、上目遣いで圭織のことを見つめた。

「美貴、日本に帰りたくないです」
「本気で言ってるの?」
「まさか。でも、このまま飛行機が飛ぶたびに天候不良でハワイへUターン、って感じでずっと閉じこめられたままって、ちょっと面白いと思いませんか?」
 どこまでが冗談で言っているのかよく分からない。とりつく島もないと言った様子の美貴に、圭織はつい声を高めそうになってしまう。が、彼女の心境を考えて、なんとか抑えたまま落ち着いて話を続けた。
「辻も紺野も心配してたよ? すごく罪悪感みたいなの感じてるみたいだったし」
「そう、でしょうね」
 感情のない声で美貴が呟く。圭織は俯いたままの彼女の顔を覗き込むと、
「二人だって悪気があって……」
「分かってます」
 美貴は遮るように言うと、顔を上げた。思いの外強い視線に、圭織は一瞬たじろいだ。
82 名前:第九章 Three Of A Perfect Pair 投稿日:2004/05/06(木) 06:10
「多分、辻ちゃんと紺ちゃんが結婚しなくても、遠からずこうなるってことは、なんとなく思ってたんです」
「ああ」
 飯田は頷いた。
「二人とも仲良かったもんね」
「それもありますけど」
 美貴はそういうと弱々しく笑った。どこか自嘲的なトーンが感じられるのに圭織は引っかかったようだった。
「それも?」
「ええ……。ここ最近ですけど、ちょっと亜弥ちゃんの様子が違ってるなって、少し感じることがあったんですけど」

 一旦言葉を止めると、側に置かれていたボックスからティッシュを数枚乱暴に引っ張り出すと、鼻をかんだ。
「それも、なんていうかよくあることっていうか、そんなのだと思ってたんであんまり気にはしてなかったんです」
「そうなんだ……」
「本当は、美貴の方が先に気付かないといけなかったのかもしれない……」
 殊勝な口調で呟いてから、しかし、また表情を強張らせると丸めたティッシュをクズカゴに放った。狙いは大きくはずれて、床に放り出されたままになっている化粧入れの側に転がった。
「けどだからっていくらなんでもやりすぎです」
「それはそうかもしれないけど……」
 圭織は、より悪い方向に向かっている空港の亜弥の様子をどう伝えたものか、考えれば考えるほど途方に暮れた気分になっていった。

83 名前:第九章 Three Of A Perfect Pair 投稿日:2004/05/06(木) 06:11
 それがどうしても、意識せずに表情に出て来てしまう。
「ていうかなんで飯田さんがムカついてるんですか?」
 美貴が口を尖らせるのに、圭織は慌てて両手で頬を撫でた。
「そんなことないよ」
「いますんごい勢いで睨まれてたんですけど……」
「そんなことないって言ってるでしょ」

 そういうとまた顔を歪める。美貴は二人の今置かれている立場がなんだかよく分からなくなってきた。
 もっとも、こうした理不尽な感覚は娘。に加入してしょっちゅうではあったので、大分耐性は附いていたのだが。

84 名前:第九章 Three Of A Perfect Pair 投稿日:2004/05/06(木) 06:11
「だからさ、考え方を変えればいいと思うのね、圭織は。同性で結婚するとか、そういうとなんか変な感じだけどさ、ほら、仲良しの二人が一緒に住むとか、そういうのなら別におかしくないでしょ」
「いや、住むとか、すごく話が飛躍してません……?」
 美貴の言葉にも、圭織は構わずに続けた。
「大体、娘。ってグループだし仕事仲間なんだから、一緒に住んだりする方がいろいろ効率よかったりするじゃん。自主レッスンにしても一人でやるより二人でやるほうがいいしさ。そういう風に考えれば、ほら、なにごともポジティブ思考で前向きに行った方が、圭織いいと思うんだよね」

 饒舌に目を見開いて語り続ける圭織に、美貴は溜息をつくと、
「ていうか美貴と亜弥ちゃんはグループ違うんですけど」
「え」
 圭織は冷静な突っ込みに一瞬言葉を止めたが、
「それはさ、ものの例えだってば! 要するに、一人でいるより二人でいるほうがいろいろ便利だってことを言いたかったのね。それこそ、松浦とミキティとか、辻と紺野とか、高橋とあいぼんとかさ」
「なんでそこで愛ちゃんなんですか」
「あ、いや。……だから例えだってばさ。三組綺麗なペアが揃えば完璧だってなんかの本に書いてあったんだよ」
 そういわれて強い目で睨まれると、美貴はなんとなく言い返す気が失せてしまう。この人は一体何をしに来たんだろう……。

85 名前:第九章 Three Of A Perfect Pair 投稿日:2004/05/06(木) 06:11
「ほら、こういう仕事してると、精神的につらいこととかもたくさんあるわけじゃん。そういうときに、一人で部屋に戻るより誰かいてくれた方がずっといいと思うのね。それこそペットみたいな」
「あっ」
 圭織の言葉に、美貴は突然、なにかに思い当たったようにベッドから立ち上がった。
「どうしたの?」
「ペットって」
「例えだかんね」

 圭織の言葉を聞き流しながら、美貴は以前亜弥に話したことのある一つのエピソードを思い起こしていた。
 あれはまだ小学生くらいのころだった。友達の飼っているネコが──たまたま、それはミケという名前だった──、原因は忘れたが、死んでしまった。二人でお墓を作った。悲しんでいる友達に、美貴は慰めの言葉をかけたんだ。そのことをなんとはなしに亜弥に話したとき、やけに彼女は不満そうな、敢えて言うなら嫉妬心を感じているような、そんな表情で美貴のことを見つめていた。
86 名前:第九章 Three Of A Perfect Pair 投稿日:2004/05/06(木) 06:12
「今、空港で会見やってるんですよね。ケーブルで見られるはず」
 美貴はそういうと、散らかっている床からさっとリモコンを救い出すと、部屋の隅に置かれている古びたテレビへ向けた。
「あ、ちょっと待って」
 圭織は慌てて美貴を止めようと立ち上がったが、すでに美貴は電源の入ったテレビのチャンネルを回し始めた時だった。

87 名前:第九章 Three Of A Perfect Pair 投稿日:2004/05/06(木) 06:12

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 開けっ放しの窓から流れ込んでくる風は、やけに肌寒い。高橋愛は一瞬身体を震わせると、ノースリーブから伸びた腕をさすった。軽く鳥肌が立っている。
 テレビの画面と、窓をちらちらと見比べたあと、さっと立ち上がると大きな窓へ向かう。表からは、風に揺られている木々の触れあう音と、一塊りになった虫の声が自然の匂いと一緒に吹き込んできている。
 このロッジは高台に立てられていて、窓に面しているバルコニーは斜面から突きだしており、向かい側は森へ面している。避暑地らしく、この季節になっても日が落ちてしまえば逆に寒いくらいだ。
 風が愛の髪を揺らした。しばし目を閉じて深く空気を飲み込んだあと、重い窓を勢いに任せて閉じた。

88 名前:第九章 Three Of A Perfect Pair 投稿日:2004/05/06(木) 06:12
「あー、いいお湯だったー」
 背後からの声に、愛は立ったまま振り返った。加護亜依がバスタオル一枚の姿で、全身から湯気を立てて部屋に戻ってきていた。
「おじさんっぽい」
 愛はそういうと、テレビの前に置かれた編み上げの椅子へ戻った。
「いいじゃん別に、誰がいるわけでもないし」
 湿った長い髪を下ろした亜依の姿は、普段見せている姿からは想像出来ないくらい大人びて見える。
「愛ちゃんもシャワー浴びてきたら?」

 亜依の言葉に、愛は黙ったままテレビの画面を示した。が、反応がないのに振り返ると、亜依は冷蔵庫を開いて飲物を物色してる最中だった。
「ねえ、ここビールとかないのかな?」
「あるわけないやろ」
 愛は背凭れに手をかけて身を伸ばしながらいう。
「それより、こっち来て。テレビ」
「なにかやってるの?」
89 名前:第九章 Three Of A Perfect Pair 投稿日:2004/05/06(木) 06:13
 亜依はパックのコーヒー牛乳を持ってリビングまで戻ってきた。テレビに目を向けると、ちょうどスタジオ映像から中継に切り替わったところだった。
「あ、亜弥ちゃん」
「よかった、まだなにも起きてない」

 愛の肘をついている向かい側に座ると、亜依はコーヒー牛乳を一口含んでからテレビに見入った。
 画面の中では、喉元に刃物を突きつけた姿勢のまま笑みを浮かべて取材陣に取り囲まれている松浦亜弥が、大勢の野次馬をバックにした空港の風景の中でスポットライトを浴びている。
90 名前:第九章 Three Of A Perfect Pair 投稿日:2004/05/06(木) 06:13
「なにも起きてない……のかな」
 未だよく状況を飲み込めていない亜依がぽつりと呟いた。
「うん……さっきからずっとこんな感じやから」
「そういう意味かい」

 取材陣が好き勝手に興奮した言葉を投げかけているので、一体誰が何を言っているのか騒音にまみれてよく分からなくなっている。
 ただ、亜弥の姿は普段通り──というよりも普段以上に、自信と確信に満ちた堂々たるものに映っていた。
「……で、亜弥ちゃんなにやってるの? ていうかあそこって空港? なんで亜弥ちゃん空港行ってるの?」
「ねえ、服来た方がよくない?」
 矢継ぎ早に問いかける亜依に、遮るように愛が返した。
「そ、そうだね」
 急に照れたような表情になると、それでも中継の亜弥のことが気になるのかちらちらと視線を送りながら、奥の部屋へ足早に消えていった。
 愛は深く息を吐くと、頬杖を突いてテレビの映像に見入った。

91 名前:第九章 Three Of A Perfect Pair 投稿日:2004/05/06(木) 06:13
 予定外のことが連続して起きているのに、ずいぶんと混乱させられている。辻希美と紺野あさ美が婚約し、すでにハワイで挙式をしているというニュースにまず驚かさせられたし、気象の乱れでそのハワイ組の帰国の遅れがあり、そして休む間もなく亜弥が空港でやらかしてくれた。
 テーブルの上に置きっぱなしになっているコーヒー牛乳に手を伸ばすと、半分ほど一気に飲み込んだ。やたらと甘く感じられる。
 空港ではまだこれといった動きはなく、膠着状態が続いているようだった。松浦はナイフを喉元に構えたままじっと黙ったままで、彼女を取り囲む取材陣たちの混乱も収拾できていない。

「なんか変わったことあった?」
 子供っぽい柄のパジャマを羽織った亜依が駆け足で戻ってきた。愛はコーヒー牛乳のパックを滑らせると、首を振った。
「まだ」
「それで、なにが起きてるの? ひょっとしてうちらとなにか……」
「それはまだ分かんないよ」

92 名前:第九章 Three Of A Perfect Pair 投稿日:2004/05/06(木) 06:14
 愛はテーブルのガラスの表面を撫でながら口調で言う。対面に腰をかけた亜依は伸ばした爪でコツコツとテーブルを叩きながら、不安を押し殺したような口調で呟いた。
「よかった。これでもし亜弥ちゃんとか他の子になにかあったら……」
 彼女の言葉の微妙なニュアンスに、愛は耳ざとく気付いたようだった。

「ねえ、今日のこのこと誰にも言ってないよね?」
「う……うん」
「本当に?」

 無意識に愛の口調に訛りが出てしまっていた。普段はコミカルな印象を与えるそれが、今の亜依にはひどくきつい口調に聞こえてしまう。
「実は……ののに」
「えっ」
 ぽつっと転がり出た言葉に、愛は目を丸くして亜依の方へ向きなおった。
「うちらがここにいるってこと喋ったん?」
「や、……ちょっとだけだよ。軽井沢で愛ちゃんと二人の仕事があるとか、ほんとそれくらい」
「ああー……」
 愛は大袈裟に背もたれに身体を投げ出すと、天井を仰いだまま額に手を置いた。

93 名前:第九章 Three Of A Perfect Pair 投稿日:2004/05/06(木) 06:14
 芝居がかった愛の調子に、亜依は不服そうに口を尖らせた。
「だって」
「あんだけ言われてたじゃん」
「大丈夫だよ、ののにちょっと喋っただけだし、ちゃんと口止めはしておいたし、もし誰かに喋ったって、それだけで分かる子なんていないよ」
「そんだったらいいけどさ」

 愛がまだ納得できないような口調で言いかけたとき、テレビの向こうでなにかの動きがあったようだった。
 二人は会話を止めると、揃って画面へ向きなおった。ようやく、取材陣が纏まって現場を落ち着かせられたらしく、一人一人の質問の段取りが決められたようだった。
 スタジオのキャスターと現場のリポーターとの会話が続いている向こうでは、まだ亜弥が硬直した姿勢のまま薄く笑みを浮かべて口をつぐんでいる。と、映像が切り替わり、亜弥のズームアップされた姿が大きく映し出された。

94 名前:第九章 Three Of A Perfect Pair 投稿日:2004/05/06(木) 06:15
「すいません、いいですか?」
 ワイドショーなどではお馴染みの有名リポーターが、出来る限り平静を装いながら亜弥へと声をかける。
「とりあえず、落ち着きましょう。松浦さん」
「わたしはずっと落ち着いてますよ」
 亜弥は静かな口調で言うと、まだざわついている報道陣を見回した。
「騒いでいるのはみなさんです」

 亜弥の冷静すぎる言葉に、報道陣も野次馬たちも一斉に息を呑んだようだった。
「ええと、お話を最初から確認させてもらってもいいですか?」
「どうぞ」
「まずは、松浦さんは藤本さんと結婚するつもりだと」
「はい」
「もしそれが受け入れられなかったら、……自ら命を絶つことも考えてると、そういうことですか?」
「……そうですね」

95 名前:第九章 Three Of A Perfect Pair 投稿日:2004/05/06(木) 06:15
 思い詰めたような表情で、喉元へナイフを構えた姿勢のまま答える亜弥の表情には、妙な凄みがあった。
 愛は口腔に溜まった唾を飲み込むと、乾いた唇を舌で潤した。
「なんかちょっとかっこいいかも……」
「演技だよ、えんぎ」
 対照的に、亜依は覚めた口調でじっと画面の亜弥を見つめている。
「そうなん?」
「決まってるじゃん」

 リポーターはハンカチで汗の浮いた額を拭うと、質問を続けた。
「しかし、松浦さんが死んでしまうと言うのは……私たちもやっぱり困るんですね」
 とても本心からの言葉とは思えなかったが、亜弥は頷いた。
「私も死にたいわけじゃないです」
「我々はどうしたらいいでしょう? 多分この中継は藤本さんもハワイでご覧になってると思いますが」
「そうですね……」
 亜弥は目を伏せると、しばし思案した。
96 名前:第九章 Three Of A Perfect Pair 投稿日:2004/05/06(木) 06:15
 その時、ロッジの奥から鋭く響く音があり、二人はビクッと身を震わせると目を見合わせた。
「電話や」
 愛が驚きの表情のまま呟く。亜依は、甲高い呼び出し音が鳴り続けている方向へ視線を向けると、
「誰?」
「あたし出る」
 そう言うと、愛は跳ね上がるように椅子から立ち上がり、奥へ駆け込んでいった。

97 名前:     投稿日:2004/05/09(日) 18:52
人間は、どうしようもない状況に出会うと、笑うことしかできなくなる。
そんなことを美貴は昔聞いた覚えがあった。
事実、美貴は笑っていた。
自分にナイフを突きつけている亜弥を見て、笑っていた。

「藤本……」

呼びかけても答えない。
口の端をひきつらせ、美貴は乾いた笑い声をもらしていた。

「帰ろう。とにかくさ、二人で話し合わないとさ」
「私にどうしろって言うんですか?にっこり笑って、結婚しようとでも言えばいいんですか?」

遮るように美貴は叫んだ。

「藤本……」
「出てってください!もう何も話したくありません」

ベッドに飛び乗り、美貴は枕に顔をうずめた。
圭織自身、美貴がどうするべきなのかわからなかった。
再度TVから、亜弥が美貴と結婚したいという発言が流れていた。
98 名前:     投稿日:2004/05/09(日) 18:53
「明日、お昼の便で帰るから。用意をしときなよ」

声は聞こえていたが、美貴は聞こえないフリをした。
圭織が部屋を出て、ドアを閉める音を聞き、美貴は顔を上げた。

再び自分の目の前に亜弥が現れる。
綺麗だった。
今まで美貴が見てきたどんな表情の亜弥よりも。
亜弥という美貴にとっての日常と、ナイフという非日常が一枚の絵になり、異様な雰囲気を醸し出していた。

しかし、美貴は画面をボーっと見ているうちに違和感を感じた。
心臓が激しく波打っていく。
脳にどんどん血液が送り込まれ、美貴の頭は胸の高鳴りとは裏腹に冷えていった。
そして、美貴は一つの結論に達した。

「亜弥ちゃん、演技してる」
99 名前:第十章 願いが一つ叶うなら 投稿日:2004/05/09(日) 18:55



第十章 願いが一つ叶うなら



100 名前:第十章 願いが一つ叶うなら 投稿日:2004/05/09(日) 18:56
受話器をとった愛は相手の言葉を待った。
自分達がここにいることは、内密である。
亜依が希美に言ってしまったが、それでも、自分たちがここにいることを知っている人間は、片手の指で足りるくらいである。

「加護?それとも高橋なの?」

受話器越しに聞こえる声に、愛は身を硬くした。
すぐに答えられなかった。
自分たちの居場所を知っているはずの無い、後藤真希からの電話であったから。
愛の頭には、ニ週間前の手紙がよぎった。
さくら組の仕事をしている時だった。
楽屋の扉に挟むように置かれていた、一通の手紙。
亜依と愛がそれに気付き、二人はそれを開けた。  
101 名前:第十章 願いが一つ叶うなら 投稿日:2004/05/09(日) 18:56
それは、差出人不明の手紙だった。
新聞や雑誌の文字を切り貼りして作られた手紙。
「ハワイ行きを中止しろ。さもなくば亜依の命を奪う」
要約すると、そういうことを書いていたように愛は覚えている。
後は、解放者という名前が記憶に残っていた。

それだけなら、二人とも気にしていなかった。
他のメンバーにいらない心配をかけないように、後でこっそりマネージャーに手渡しただけだった。
こういった類のいたずらは、過去に何度も受けているのだから。
しかし、それが同時に事務所にも届き、そこには亜依の姿を映した映像が同梱されていた。
仕事帰りの彼女や、オフを過ごす彼女。
最後に、銃の映像。ご丁寧に発砲した映像もあり、モデルガンではないことは明らかだった。
102 名前:第十章 願いが一つ叶うなら 投稿日:2004/05/09(日) 18:57
冗談にしては悪質過ぎる。
だが、ハワイ行きを中止するわけにはいかない。
事務所側の最大の妥協点が、今の二人の処遇だった。
飛行機に乗りこんだ二人は、離陸前に飛行機から降り、ここに連れてこられていた。
他のメンバーには一切事情は説明されていない。
当の本人である亜依にさえ、ここに連れてこられてから、簡単に事情を説明されただけだった。
知っているのは、事務所の一部の人間と愛だけ。

それなのになぜ?

受話器を握る手に力がこもる。
真希が二人の名前を何度も呼びかける声が聞こえる。

「愛ちゃん、誰からの電話?」

なかなか戻ってこない愛を、亜依が大声で呼ぶ。
その声が電話越しに真希の耳に漏れ聞こえる。

「高橋でしょ?ねぇ、返事して!加護もそこにいるのよね?」
「はい。後藤さんはどうしてここを?」

愛は観念して、真希の問いかけに答えた。
103 名前:第十章 願いが一つ叶うなら 投稿日:2004/05/09(日) 18:58
「詳しい話はそっち行ってからする。とにかく、私が行くまで動かないで」

電話は一方的に切られた。
部屋に戻ろうとすると、亜依が扉を開け、顔を覗かせていた。

「後藤さんからだった」
「ごっちん?」
「うん。今からこっちに来るって」
「ふーん」

亜依は予想外なほどに、そのことに関心を示さず、再びソファに腰掛けた。
流れるニュースは、一向に亜弥のことから離れる気配は無い。
愛も隣に腰掛ける。
TV画面の光に照らされる亜依の横顔を、愛はじっと見た。
104 名前:第十章 願いが一つ叶うなら 投稿日:2004/05/09(日) 18:59
「私が遊んでて、家事は全部愛ちゃんにしてもらうなんて、私はペットみたいだね」

二人でここに来た時、亜依はそう言った。

「かーちゃんが私のペットか……」
「にゃーん」

冗談交じりに亜依が腕に飛びついてくる。
バランスを崩し、二人はもつれ合ってソファに倒れこんだ。

「ミケ、今日からあなたはミケよ」
「にゃーん」

もう一度大声で鳴く亜依。
あれからもう7日が経っている。
ハワイに滞在している7日間だけという、二人の生活。
悪天候で飛行機が飛べないということもあり、急遽、延長されることになったが、それももう終わりが近づいている。
105 名前:第十章 願いが一つ叶うなら 投稿日:2004/05/09(日) 18:59
「ミケ……」
「にゃーん」

TVに集中していた亜依だが、半ば条件反射のように口から出ていた。

「絶対私が守ってあげるから」

寄り添うように体を倒し、愛は言った。
亜依は「にゃ」と短く言った。

二人の幸せな時間は、もう終わりを告げようとしていた。
106 名前:第十章 願いが一つ叶うなら 投稿日:2004/05/09(日) 19:00


電話を切った真希は、手早くメールを打ち始めた。
今、時刻は0時前である。
ハワイは5時。もう紺野は寝てしまっているであろうと思い、電話は掛けなかった。

『場所はわかったよ。朝までには着くと思う。
そっちの方は頼んだよ』

誰かに見られる危険性を考え、名前は出さなかった。
空港の外も、中と遜色ないほど人だかりが出来ていた。
駐車場を無視して、縦横無尽に止まっている車の波をかいくぐり、真希はタクシー乗り場へ向かう。
物陰から先ほどの真希の電話を聞いていた計画者は、数メートル離れて真希の後を追っていた。
真希は気付かない。
自分が付けられていることに。
二人は別々のタクシーに乗る。

「前のタクシーを追ってください」

計画者は低い声でそう告げた。
左手は銃を握ったままだった。
解放者という名のその銃を。
107 名前:_ 投稿日:2004/05/09(日) 21:42
解放者……。
その和訳を都合よく解釈することにしよう。そう。彼女はその言葉を革新者でも革命者でもなく、解放者と呼ぶ。その理由は解放者本人が一番よくわかっていた。

解放されるべきは自分である。

社会のためでも世界のためでも思想のためでもない。自分の……自分と彼女の幸せのため。それだけのために解放者は動く。孤独から、悲壮から、自分が解放されるためだけに。

支えを失った少女は間違いなく自分のところへもたれかかってくる。

それが彼女のハッピーエンド。
歪んだ愛情はどこまでも深く解放者を侵食した。
108 名前:_ 投稿日:2004/05/09(日) 21:42




第十一章 解放者




109 名前:第十一章 解放者 投稿日:2004/05/09(日) 21:43
「……ミケ」
「にゃん」

膝の上の亜依の髪を撫でながら愛は考える。

―――なぜ、こんなことに……

なぜ自分が亜依のために命をはるのだろう。好きだから……。それは確かにそうだ。愛は本気で亜依を愛している。

―――本当?

本気ならばなぜ……彼女のことをミケなんて呼ぶのだろう。
本気ならばなぜ……あの人の昔の呼び名を、亜依にかぶせたりしたのだろう。
110 名前:第十一章 解放者 投稿日:2004/05/09(日) 21:43
……

…………

「ミケ……」
「お願い。もうその名前で美貴を呼ばないで」
「なんで?なんでよ?藤本さんが呼べって言ったから、私は……」
「亜弥ちゃんがね……」
「……」
「そういうの、嫌がるんだ」

…………

……。

愛は気づいていた。自分は愛情の対象をスライドさせただけだ。亜弥に嫉妬して、取り乱して、美貴との関係を絶ってしまった自分の傷を癒すために。

ミケと呼べるなら誰でも良かった。ただ偶然、亜依のもとへ脅迫状が届き、愛が付き添いになった。最初は微妙に距離を置いていたが、ずっと2人きり。喪失感に支配されていた愛にとってはそれで充分だった。亜依を愛していこう。美貴のことは忘れよう。そう、思った。
111 名前:第十一章 解放者 投稿日:2004/05/09(日) 21:43
  ◇

辻と紺野。
松浦と藤本。
加護と高橋。

その3つは完全に自己完結をしていた。完膚なきまでにまとまりを持っていた。
これを、崩さなくてはならない。
当初の計画では3つものカップルを巻き込む予定はなかった。一点、崩すことができればそれで良かった。

亜依は隠れた。これは完全に予定通り。自分の幸福のために2番目に邪魔なのが亜依だったのだから。彼女は殺すまでしなくていい。あさ美を失った希美の喪失を自分が癒すまでの間、亜依が希美の支えとなることさえ阻止できれば、それでよかったのだから。

しかし飛行機は到着しなかった。

しかもそこへ亜弥が予想もしない行動に打って出た。狂っている。解放者は自分のことを棚に上げてそう思った。美貴のために自分の命さえも捨てるだなんて……。

好都合だと思った。亜弥が死ぬとする。直接の原因は亜弥と美貴であるが、その引き金となった希美とあさ美は離れ離れになることを余儀なくされるはずだ。希美が1人になる。自分の手を汚さずしてそれが達成されれば、これが一番良い。

美貴が亜弥を拒みさえすればそれでいい。
112 名前:第十一章 解放者 投稿日:2004/05/09(日) 21:44
  ◇

愛はテレビを見ている。亜弥がここまで追い詰められたのは自分のせいだ。自分が美貴を横取りしたのが全ての元凶。でも、

―――私だって必死だった。

曖昧なままで置こうとする美貴を、どうにか自分のものにしたかった。もし今、自分が美貴に電話をして「結婚なんてしないで!」と言えば、美貴は亜弥を拒むだろうか。愛は美貴と一緒にすごして気がついた。美貴は亜弥を妹のようにかわいがっている。それだけ。間違っても付き合ったり結婚したりはしない。美貴の気持ちは自分にある。だが、美貴は「妹」を大事にしすぎる。それが、愛の鼻に触った。まさか自分がああも取り乱して、何もかもを台無しにしてしまうなんて……。

でも、もう過ぎたことはしかたない。今は、亜依の笑顔を、亜依のやわらかさを感じていればいい。この幸福が失われたら、今度こそ自分は暴走するだろう。
113 名前:第十一章 解放者 投稿日:2004/05/09(日) 21:44
  ◇

解放者は自信があった。美貴には愛がいる。かならず愛が美貴を引き止める。亜弥の思いは届かない。死。希美とあさ美を襲う呵責。別れ。それでいい。それでこそ計画は完成する。希美は必ず自分の元に来る。

しかし、再び計画は頓挫してしまった。なぜか居合わせた真希が誰かと電話をしていた。その話によると、愛は軽井沢にいるという。焦った。なぜハワイにいない?なぜ亜依のところにいる?なぜ……美貴と愛が離れ離れになった。

愛の浮気?それとも……
ひょっとすると美貴は亜弥に傾くかも知れない。
2人が幸せになって、それに力を得た希美とあさ美は関係をより強固にするかもしれない。そうなったら……自分は行き場をなくしてしまう。

ひと時は自分の手にある凶器で亜弥を撃ちぬくことも考えた。
しかし、今の亜弥には近づけそうもない。

第3の計画を急いで立てた。亜依と愛を引き離し、愛に美貴を引き止めさせ、亜弥を自殺に追い込む。希美とあさ美を離婚に追い込む。

詳しい場所はわからなかったが真希は愛のもとへ行くはずだ。追いかければいい。
114 名前:第十一章 解放者 投稿日:2004/05/09(日) 21:44
  ◇

飛行機が日本へ近づく。死のうとしている亜弥。隠れている愛と亜依。苦悩している美貴。そして……自分とあさ美。

みんなおかしくなっちゃった。

何がいけなかったのだろう。何故歯車が狂ったのだろう。
希美は気づいていなかった。
今、最も暴走しているのが自分の昔の恋人であることに。
115 名前:第十一章 解放者 投稿日:2004/05/09(日) 21:44
  ◇

真希を乗せたタクシーが車体を揺らしながら高速を移動している。
スピードメーターは150を指していた。
こんなに猛スピードで走っているのに……後ろのタクシーはぴったりとくっついてきていた。おそらく追ってきているのは犯人……。その顔を確かめなくては。
真希はリアガラスから後ろの車を見る。

「うそ……」

信じられなかった。
彼女が亜依を殺そうとしているというのか。確かに彼女なら、亜依のプライベートを盗撮することも容易ではあるが。直接話がしたい。彼女の狙いを確かめたい。真希はかばんの中から携帯を取り出してスクロールさせる。

50音順だったから「安倍」の名前はすぐに見つかった。
116 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/11(火) 10:27
ぎょえー!まさかまさか!なんとなくは感じていたんですが・・
117 名前:  投稿日:2004/05/14(金) 00:11
天使には二種類ある。
堕ちた天使と、そうでない天使だ。
118 名前:  投稿日:2004/05/14(金) 00:12
   














   第十二章 終幕へ向けての挿話と残酷な天使のヒエラルキー
119 名前:第十二章 終幕へ向けての挿話と残酷な天使のヒエラルキー 投稿日:2004/05/14(金) 00:13


亜弥がナイフを手に取材陣とともにたたずみ、モーニング娘。を乗せた飛行機が向かい、真希と解放者
──このような物々しい呼称は彼女には似つかわしくないので、以降は彼女に真に授けられた名前を用いるのがいいだろう──
が軽井沢を目指すために離れた空港はまさに主戦場と呼ぶに相応しい舞台と化していた。
その事実自体は彼女たちの予想の範疇であったが、
しかし、出来上がった風景は、関わりあった彼女たちの誰一人として想像しえたものではなく、
つまり、彼女たちがそれぞれ思い描いていた計画の破綻を意味していた。
その因は、彼女たちが知っていなければならない情報を有していなかったことだろう。
120 名前:第十二章 終幕へ向けての挿話と残酷な天使のヒエラルキー 投稿日:2004/05/14(金) 00:14
たとえば、亜弥はそもそもこの一連の出来事について最も無知であった。
彼女のしたことといえば空港に刃物を持ち込んだことのみで、
するはずだったことといえば、帰りしなの美貴を刺すか、あるいは美貴の眼前で腹を割って見せるかのどちらかだったのだ。
まばゆいばかりに純粋な、そのため狂気的とも評される亜弥は、
美貴から注がれる視線と自分が美貴に注ぐ視線との乖離には早くから気づいていた。
美貴の眼差しは亜弥の表層をなぞっただけで通り過ぎていく。
それは、内側から美貴を愛した亜弥にとって何にも勝る苦痛となって肌を刺した。
状況を変えるには美貴が変わるか、亜弥が変わるしか方法はない。
亜弥はその最も古典的かつ一般的かつ美談的な方法にわずかにアレンジを加えたものを選択しようとしたに過ぎないのだ。
しかしその亜弥の悪戯心を刺激したのが「解放者」──安倍なつみだった。

たとえば、なつみは亜弥の思惑に気づかなかった。
あの時、空港で亜弥に飛行機の未着を問われたとき、
何の変装も施していなかった彼女はわき目も振らずなつみをめがけ歩を進め、質問を繰り出してきた。
つまり、亜弥は早くからなつみの存在を認めていたのだ。
なぜなつみが空港にいるのか、亜弥にはその理由がわからず、しかし同時に、なつみの見せたわずかな動揺を感じ取っていた。
どんな種類のものかはわからない、しかし、なつみは何かを隠している。
そしてそれ以上に確実だったのは、亜弥が眼前にいることを迷惑がっていることだった。
何か企んでいる、何をするつもりか。
亜弥の悪戯心が傍観を命じる。
自ら果てることも美貴を葬ることも、今日付けでこなさなければならない作業というわけではない。
ならば傍観せよ、己が常軌を逸した行動を胸に秘めているのならば、なつみが秘めていない理由はない。
亜弥は即座に答えを導き出す。
傍観とは安全の上に成り立つものだ、そして安全とは、衆人環視の場において成り立つものだ。
刺さることのない喉もとのナイフなど、存在していないにも等しい。
そうして亜弥は、観客を前に芝居を演じ始めたのだった。
121 名前:第十二章 終幕へ向けての挿話と残酷な天使のヒエラルキー 投稿日:2004/05/14(金) 00:15
たとえば、愛も亜依も自分たちが脅迫状の第一発見者ではないという事実を知らなかった。
手紙は楽屋の扉に挟んであったが、
しかし、人の往来の激しい仕事現場において、扉の手紙の存在にひとりとして気づく人間がいなかったとは考えられるだろうか?
いやそもそも、なぜ楽屋の扉などに挟みこんでおく必要があろう?
送り主はご丁寧にも亜依を隠し撮りしたビデオを事務所に送りつけている。
わざわざ亜依の近くにいる人間ですと宣言しているようなものだ。
それならば素直に「警察には云々」とお定まりの文を付して、亜依の家の郵便受けに投げ込めば済む。
近しい人間ならばこそ、手紙が発見されたあとの行動に大きな変化が起こることは考えづらいのだから
──つまりマネージャーから事務所という経路をたどることはほぼ間違いないとの推測は容易に立つということだ──
現場関係者などの、変に亜依たちと関わりの薄い人間に見られる危険性を考慮すれば、メリットはあれデメリットなどありえない。
結論すれば、手紙は楽屋の扉ではない、どこか別の場所で発見され、
そして真の第一発見者によって頃合いを見計られ、楽屋の扉に挟みこまれたということになる。
その真の第一発見者は他でもない、当日楽屋に一番乗りをしていたあさ美だった。
あさ美は一読後、ほとんど迷わずに、マネージャーに知らせるのではなく、亜依に知らしめる選択肢を選んだ。
危険は渦中の当人が知ることで対策が立つ、そう考えたからだった。
122 名前:第十二章 終幕へ向けての挿話と残酷な天使のヒエラルキー 投稿日:2004/05/14(金) 00:15
たとえば、あさ美は愛と亜依がハワイ行きを断念した理由を知らなかった。
突然スタッフから言い渡され──その説明が泥水をかき混ぜているような無為なもので腹が立った──、
さらには仕事内容や現場など一切の情報管制が敷かれているらしく、食い下がっても無下にあしらわれるばかりだった。
秘密は人を不安にさせる。
ましてや、楽屋にぽつねんと置かれていた脅迫状を読んでいたあさ美とすればなおさらだ。
あの程度の投書なら両手両足の指に余るほど目にしている。
まさかあれしきの脅しに屈してハワイ行きを中止するとは正気の沙汰ではない。
とすれば考えられることはただひとつ、陳腐な脅迫状以上の圧力がかかったということだ。
それはすなわち、差し迫った危険を意味する。
愛と亜依だけではない、ともすれば自分たちも危険に晒される。
あさ美は考えを巡らせ、そして亜弥と同じ考え──あさ美のほうが先に辿り着いた結論だったが──に到達する。
衆人環視の中ならば、予測不能の事態が起こる確率は減るのではないか。
人を集めれば、危険は身動きできないのではないか。
つまり、希美との結婚に不純な動機が混じっていたことを、あさ美は否定できない。
123 名前:第十二章 終幕へ向けての挿話と残酷な天使のヒエラルキー 投稿日:2004/05/14(金) 00:15
たとえば、真希はあさ美が知っている以上のことは知らなかった。
あさ美からかかってきた突然の電話で、必要最低限のことを聞かされただけだ。
「愛ちゃんとかーちゃんの居場所を捜してもらえませんか?」
話を聞く限り、キナ臭いことに巻き込まれている気配は濃厚だった。
「こっちで調べられることは調べてみますけれど、限界はありますし……」
「いいよ、調べてみる。
 でも、あんまりおおっぴらに調べたりしないほうがいいかな?」
「そうですね……万が一ということがあるので」
となると、ひとりでの捜索は難航するかもしれない。
真希は自然と、モーニング娘。を卒業したメンバー、すなわち中澤裕子、保田圭、そして安倍なつみの名前を思い浮かべていた。
「ああ、そうですね。
 手伝ってもらえれば、かなり捜索が楽になりますね」
「四人いれば、誰かは暇だろうからね」
このとき、真希は無論、あさ美も卒業メンバーを疑うことはしていなかった。

たとえば、希美はあさ美の本当の気持ちを知らなかった。
あさ美の抱いている希美への好意の深さを見誤っていた。
冗談のようなプロポーズからあれよあれよという間に築き上げた夫婦という関係、
それをまた冗談のように解消できると思うほどには希美は冷酷でも、またあさ美を愛していないわけでもなかったが、
しかし、夫婦という関係の解消によってふたりが以前のような友人関係に戻ることができると思っていた点については、
残念ながら甘いといわざるを得ない。
あさ美はこだわっていた。
何より内面的なものを欲していた。
妻になれないのならば娘でもいい、妹でもいい、いやペットですら構わない。
ともかく傍に、物理的にも心理的にも、希美の傍にいたいと願っていた。
124 名前:第十二章 終幕へ向けての挿話と残酷な天使のヒエラルキー 投稿日:2004/05/14(金) 00:16


長期戦になったが、元より覚悟の上だ。
亜弥はナイフを持つ疲労のたまった腕を左手首にあてがいながら、瞑目していた。
飛行機はすでに発っている、あとせいぜい二、三時間といったところだろう。
報道陣は入れ代わり立ち代わり、しかしほとんど数を減らすことなく亜弥の一挙一動を見守っている。
時折飛ばされる「お腹すきませんか?」といった面白くもない冗句を除けば、無駄口もなかった。
その場に居合わせた誰もが理解している。
飛行機が到着したとき、いや、美貴が現場に現われたとき、何かが起こる。
亜弥はいったい、どんな行動を起こすつもりだろう。

その当の亜弥は、考えていた。
つまり、自分はどんな行動を起こすのだろうか。
美貴はこの状況を知っているはずだ。
彼女はいったいどんな反応を示すものだろう。
そして自分自身は、彼女のどんな言動を望んでいるのだろう。
しばらく考えた末、亜弥は瞼を開いた。
目に映る風景は変わっていない。
この風景がどう一変するのか、それを思うと笑みすら浮かんでくる。
ふと、なつみの姿が消えていることに思い当たった。
どういうことだろう、彼女は何のために空港を訪れていたというのだ。
しかし、その疑問はすぐに立ち消えた。
今は、それより必要な、大事なことがある。

一言目だ。
亜弥は口の形だけでつぶやく。
美貴たんの一言目で、すべてを決めよう。
125 名前:第十二章 終幕へ向けての挿話と残酷な天使のヒエラルキー 投稿日:2004/05/14(金) 00:16


「どうなってんのやろ……」
潜めた声でつぶやいた愛の言葉を亜依が受け取って、言葉を返した。
「あんなごっちん、初めて見たな……」
息を呑む迫力だった。
電話での指示通り鍵をかけず開けておいた扉から転がり込むようにして飛び込んできた真希は、一声叫んだ。
「どっかに隠れて、呼ぶまで出てこないで!」
それ以上の質問を許さない声と視線にふたりはたじろいだ。
が、たじろいでいる二人に真希は容赦なく言葉を被せる。
「早く!」
結局何がなにやらわからないまま、ふたりはリビングを離れたのだった。
126 名前:第十二章 終幕へ向けての挿話と残酷な天使のヒエラルキー 投稿日:2004/05/14(金) 00:17


「出して」
手には「解放者」──尤も真希はこの名前を知らないが──、頬には普段と変わらないあどけない笑みを浮かべたなつみが、
明るい調子でそう真希にいう。
広々としたリビングは静寂に包まれ、向かい合うふたりの様子は緊迫感をいや増したが、
そんな中、テーブルの上に残っているコーヒー牛乳の紙パックが哀れなほどに間が抜けている。
間が抜けているだけならまだしも、その存在が同時に人の存在まで浮き彫りにしてしまうのだから性質が悪い。
「……何のこと?」
「なっちには時間がないの」
語るべくもないということだ。
まさか真希がコーヒー牛乳を飲んだと考えるはずもない。
「……裏口から出てっちゃってたりして」
「隠れてって叫んでたのに?」
聞かれていたか、と真希は舌を打つ。
しかし逃げてといってなつみと鉢合わせなどしたら笑い話にもならないし、真希の判断は消去法的に正しかったといえるだろう。
にもかかわらず、どうにもこれは厄介な状況というより仕様がない。
真希はなつみをひと睨みし、先刻の会話のやり取りを思い返した。

「高橋にお願いがあるだけなの」
タクシーの車中、震える手で携帯を握りしめ、どういうつもりだと問い詰める真希になつみはいった。
「高橋?加護じゃないの?」
「うん、もうあいぼんはいいの、今は高橋」

意味はよくわからなかったが、真希は自分の失策を痛感せざるを得なかった。
タクシーでつけてきているということは、空港で真希の話を聞いていたに違いない。
なつみがいつから計画を練っていたのか、また狙いは何かが定かでないのではっきりしたことはいえないが、
もしかしたら、真希がなつみたちに捜索の手助けを頼まなければ、こんな複雑な事態は避けられたかもしれない。
少なくとも、今は高橋などという理解不能なセリフが生み出されることはなかったのではないか。
なつみの狙いはあくまで加護だったはずで、
しかしその場に高橋が居合わせたことを知ってしまったために、標的を変えたのではないか。
127 名前:第十二章 終幕へ向けての挿話と残酷な天使のヒエラルキー 投稿日:2004/05/14(金) 00:17
「ごっちん」
なつみが憐れんだような表情をしてみせる。
懐かしい表情だと場違いにも真希は思った。
モーニング娘。加入直後のころ、レッスンで常に置いていかれていた真希をなつみは同じような表情で見つめ、
そしてレッスン終了後に、練習しよっかと声をかけてきたのだ。
しかし、現在のなつみが発する言葉は練習しよっかではない。
「ごっちんのこと、高橋よりずっと好きよ」
ある意味、練習しよっかよりも意図のわかりにくい言葉をなつみは吐いた。
真希の困惑をよそになつみは続ける。
「でも、今必要なのは、ごっちんじゃなくて高橋なのね」
そういうと、一歩真希のほうへと足を踏み出す。
「だって、のんのためだから」
瞬間、なつみの「解放者」が火を噴いた。
比喩ではなく、真希の眼には銃口が赤く燃え盛ったように見えたのだ。
左の踝からはじけたような傷みが競り上がってきたのはそれからすぐだった。
「っぁ……」
喉をねじったような小さな悲鳴が真希の口から毀れる。
血液が溢れる。
なつみは無言で真希の横を通り過ぎ、振り返らないままいった。
「大丈夫だと思うから、ゆっくりしてな」
そのまま奥へと消えていく。
こんなに痛くて何が大丈夫なもんか、と真希は思ったが、
しばらく考えた後、なるほどこれなら死ぬ心配はないということに思い当たった。
128 名前:第十二章 終幕へ向けての挿話と残酷な天使のヒエラルキー 投稿日:2004/05/14(金) 00:18


報道陣がざわめきだした。
何ごとかと亜弥が辺りの様子を窺ってみると、どうやらモーニング娘。を乗せた飛行機が到着したらしい。
ようやくか……とひとつ息をついた。
身体の力が抜け、危うくナイフが肌を掠めそうになり、亜弥は静かに苦笑する。
美貴が来たときには骸になっていましたでは、これまでなにをやってきたのかわからない。
冷たくなるのはもう少し後でもいいだろう。
もしかしたら、冷たくなるのは向こうかもしれないが。
129 名前:第十二章 終幕へ向けての挿話と残酷な天使のヒエラルキー 投稿日:2004/05/14(金) 00:18


雲が切れ、街並みが眼下に望めるようになって来た。
空港が近づいてきたことを感じ、美貴はわずかに憂鬱になる。
亜弥と対するのはまず間違いなく自分だ。
そのとき、亜弥を目の前にしたとき、いったい何をいうことができるだろう。
画面で見た亜弥は美しかった。
けれど、どれだけ美しくとも、亜弥と結婚しろとは無理な相談だ。
といって、それをまっすぐに伝えた場合、亜弥がどういった行動をとるのかは火を見るより明らかではないか。
ならば、結婚を承諾するか。
しかし、その場は凌げても見通しはまったく立たない。
美貴はこめかみを揉んだ。
鈍い痛みが頭を締め付ける。
どうするべきか結論が出ないまま、飛行機の前輪が着地する。
130 名前:第十二章 終幕へ向けての挿話と残酷な天使のヒエラルキー 投稿日:2004/05/14(金) 00:19


ひとつフラッシュが焚かれた。
それを機に、雨のような光が降り注ぐ。
亜弥は少し遅れて矛先を見た。
多数の人間がゆっくりと蠢いている。
得体の知れない虫のようにも見えた。
その虫の頭には美貴がいる。
亜弥はゆっくりとナイフに眼を落とした。
鈍く光るナイフ。
あと五分もすれば血糊に濡れる。
血液中の成分こそ違えど、その事実はどうあっても揺るがない。

美貴の鼓動は高鳴っていたが、それに反比例して頭の中は落ち着きを取り戻していた。
亜弥の願いを叶えることなどできない。
自分にできることはただ言葉を発することだけだ。
その言葉が亜弥の琴線に触れれば、彼女はナイフを取り落とすだろう。
その言葉が亜弥の癪に障れば、彼女は首を掻っ切るだろう。
美貴は考えることをやめた。
亜弥のため、美貴のため、亜弥が悪い、美貴が悪い、果てには希美やあさ美が悪い。
そんなことは、もはやどうでもいいことだった。
亜弥が死ぬか死なないか、あるのはその二つだけだ。

だから、いけなかった。
131 名前:第十二章 終幕へ向けての挿話と残酷な天使のヒエラルキー 投稿日:2004/05/14(金) 00:20
人波が亜弥の視界に入り、同時に美貴と視線がぶつかった。
亜弥は少し微笑んで見せる。
美貴も頬を吊り上げた。
人波が止まり、美貴だけが止まることを忘れたように亜弥に近づいてくる。
ドラマの一場面のような非現実的な空間が息づいて動き出す。
美貴が亜弥の目の前に立つ。
亜弥のナイフは左手首にあてがわれている。

「亜弥ちゃん」
美貴はひとつ息をついたあと、笑顔を作り直していった。
「ミキってさ、ミケに似てると思わない?」

ふっ、と耳の中で音が聞こえ、視界に薄いもやがかかった。
美貴の姿がぼやけ、言葉が曖昧に聞こえる。
何かいっている、しかしもうどうでもいい。
「どういうつもり……」
バカにしてるんだね、美貴たん。
あの話、私が嫌がってたのを知ってるくせにそういうこというんだ。
なにをいいたいのか知らないけど、なんかね、そういう回りくどいのは、一番嫌かもしれない。
亜弥はナイフを握りなおす。
美貴は何かいっている。
亜弥の身体が力を失い前に倒れる。

亜弥の耳にはナイフが肉を貫いた音は聞こえなかった。
つまらないな、と口の形だけでつぶやいた。
「最低……」の言葉を口にしていた。
毀れだした美貴の血に、亜弥の涙が頬を伝って溶け込んだ。
132 名前: 投稿日:2004/05/14(金) 02:01
 『解放者』
 彼女、安倍なつみは、よほどあの銃が気に入ったらしい。彼女自身が自らをそう呼ぶようになったのはいつのことからだろう。少なくとも、この無謀な計画が動き出した段階で、彼女はもうその名を使っていた。脅迫状へのサイン。おそらくそれが最初だ。今や彼女たちにとって、その名前こそが唯一にして無二の本質だった。そう名乗ったから、そうならざるを得なかったのか、或いは、そうせざるを得なかったからそう名乗ってしまったのか。卵が先か鶏が先か。どちらにせよ重用な問題ではない。
 計画者はため息をつく。彼女は、否、彼女たちは、皆、『解放者』を尊敬していた。崇拝していたとさえ言ってもいい。だからこそ、この計画に乗ったのだ。一足先にハワイからプラモデルに模されたピストルを持ち帰り、組み立てて、後発の娘。たちを待ち、そして。
「解放は解放。狂ってしまった糸を、そう人間関係の糸から解放してあげるの」
 『解放者』は、安倍なつみは、確かにそう言ったのだ。そして彼女たちはそれを信じた。
 だけど嗚呼神様、誰かが死ぬなんてそんなこと、想像してなかったなんて言ったら嘘になるけどでも、本当にそんなことは望んでいなかったんです。本当に本当なんです。
 計画者は、新垣里沙は痛みに呻く後藤真希そっちのけでものものしく家捜しする『解放者』を、彼女にとっての神様だったスーパースターを、安倍なつみを、あらゆる絶望と失意の込めたまなざしで見つめていた。いや、本当は彼女も気がついてはいたのだ。『解放者』の本当の思惑が解放ではなく、新たな呪縛にあることぐらいは。本当に狂っていたのは『解放者』と、それから計画者、新垣里沙自分自身だったことも。
133 名前:第十三章 普通の人々 投稿日:2004/05/14(金) 02:29






       第十三章 普通の人々






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134 名前:第十三章 普通の人々 投稿日:2004/05/14(金) 02:59
 藤本美貴は(何言ってんの最低なのはそっちじゃんか!)と突っ込みたい気持ちでいっぱいだった。ナイフの柄はまだ松浦亜弥に握られている。彼女はそれを抜く気も、さらにえぐるように突き動かす気もないようだ。ただ、刺したものをそのまま、動かさないように細心の注意を払って、そっとそのままにしている。腹部にのめり込んだナイフの感覚はまだ、美貴族は感じない。ただ何かが肉を割り込んで刺さっているという感覚だけが残る。歯と歯の隙間にフランスパンの皮が縦に挟まったときのような違和感。幸いにして、今のところはまだ、それだけだ。だけど美貴はこれが洒落にならない状況だということはよく判っていた。
 美貴は松浦亜弥に凭れ掛かるようにして両手を回した。腕のなかで、亜弥は軽く震えた。でもナイフは動かない。
 周囲はまだ誰も、美貴が刺されたことにさえ気付いていないだろう。もし気付かれたら? 多分、好奇心でいっぱいの報道記者たちが刺された美貴を少しでも良い場所で撮ろうと必死になって、もみくちゃにされて、ナイフだって動いてそれで、一貫の終わりだ。死体を報道カメラマンの前に晒した哀れなアイドルってことで藤本美貴の名は永遠に芸能史に残るだろう。アーメン。こんな非常事態で、一瞬でどうでもいいことまで考えてしまう自分に少し凹みながら美貴は軽く息を吸った。結論。自分はまだ死にたくない。だから、刺されたことを周囲に悟られるのは宜しくない。
 それに不思議なことだけど美貴は、ここまでされてなお、亜弥に悪感情は持てなかった。勿論、結婚は今でも論外だし、すべてが終わったら……ああ、本当に終わってくれるのなら!……普通に友達として、あるいは知り合いとしてさえ一緒に時間を過ごしたりするなんて御免だけどでも、それでもなお嫌いだとか憎たらしいとか、そういった感情は彼女の中のどこを探しても湧き上がって来ないのだ。少なくとも、今のところは。もし、このまま死んでしまっても化けて出てくることさえないに違いない。そこまで思って苦笑いする。先ほどから思考の回転が良過ぎる。おそらくこれが異常ということなのだ。
135 名前:第十三章 普通の人々 投稿日:2004/05/14(金) 03:19
「美貴たん……?」
「ん?」
「なんで、笑ってんの?」
 説明しようとして軽く息を吸い込み、自分の思考をすべて説明することの困難さに思い至って、美貴は結局、「べつに」とだけ言った。
 亜弥は眉根を寄せ、不本意そうに口をとがらせた。
「さっき」
「う?」
「さっきさ、何て言おうとしたの?」
「わかんない…、忘れちゃったかも」
「ミケとかミキとか」
「ああ…」
 美貴の作った笑顔に、亜弥は下唇を噛んだ。露骨に聞くんじゃなかったという表情だったが、美貴は気付かない。
「名前って重要だよね」
「……意味わかんない」
「そう?」
「ねぇ、たん? 死ぬ前にあの娘に会いたい?」
 ナイフを持つ亜弥の手に緊張が走るのが、突き刺さった刃を通して美貴にもわかる。
「あのこって誰?」
 美貴の訝むような声に亜弥は少しひるんだように視線を上げ、美貴をじっと見つめた。それから視線を逸らし、息をひとつ吸い込んで一息にこう言った。
「たかはしあい。恋人だったんでしょう?」
136 名前:第十三章 普通の人々 投稿日:2004/05/14(金) 03:46
   ◇

「……ねぇ……」
 辻希美が紺野あさ美の袖を引いた。二人の目の前には厚い人垣がある。その向こうには、美貴と亜弥がいるはずだ。場内のスクリーンにはTVカメラが捕らえた二人の生の映像が映っている。二人は抱き合って、なにかを囁き合い、微笑みあっているようにさえ見えた。
「なにか?」
「……おかしいよ、あの二人……」
 希美の目はスクリーンに釘付けになっている。あさ美は希美の視線をなぞり、また視線を希美に戻す。
「おかしいって、どこがですか?」
「うまく説明できないけど、おかしいからおかしい……あっ」
 突然、希美が強くあさ美の袖を強く掴んだ。希美の膂力は相当なもので、手加減なしに掴まれて、あさ美は軽く息を詰めた。いったいなにが、と希美を見れば、彼女は蒼白な顔をしてスクリーンを指さしていた。
「血!」
「えっ」
「美貴ちゃん、血が出てる……」
 再び希美の視線を辿る。美貴が身に付けた暗い色の服の影が、奥のほうが少し濃く見える。照明の方向からすると薄く散らないと不自然だ。あさ美の顔色も蒼白になった。
「そんな、まさか……」

   ◇

『番組の途中ですが、ただいまニュース速報が入りました。えー、芸能人の藤本美貴さんが羽田空港でハワイからの飛行機を降りたところ少女A(17)に報道陣の前で刺され負傷したそうです。えー、藤本さんは依然少女Aに拘束されているとのことです。繰り返します、芸能人の藤本美貴さんが少女に拉致され負傷しました。現場からの中継に切り替えます。現場からどうぞ』

   ◇
137 名前:第十三章 普通の人々 投稿日:2004/05/14(金) 22:45
 高橋愛が息を詰めるのを、加護亜依は隣で感じとっていた。
 下から漏れ聞こえるテレビニュースは松浦亜弥の、今ではただの少女Aとなってしまった彼女の、空港立てこもり事件を報じている。加護亜依がハワイ行き中止の要求に従わない場合どうなるかニュースを見ているがいい、と『解放者』は警告していた。だからこそ定時のニュース番組視聴が彼女たちの日課となっていたのだ。脅迫者は、『解放者』は、つまりは安倍なつみが、今、彼女たちの下でものすごい音を立てながら家探しをする彼女が、すでに正気を失ってしまっている彼女が、見せたかったニュースは松浦のそれだったのか。では、松浦も安倍の、つまり『解放者』の仲間なのか……。亜依には分からない。亜依に判るのは、安倍なつみが『解放者』であり脅迫者なのだとしたら、動機はただひとつ、辻希美でしかありえないということだけだった。標的が自分になるのもまだ、理解できる。紺野あさ美を除けば、亜依ほど希美と親しい人間はいない。
『はい、現場です。こちらからは藤本さんの無事は確認できません。すごい…、すごい人だかりです、あ、見えました、今人ごみの影から倒れている彼女の姿が、ええとあれは……藤本さん、藤本美貴さんの姿が見えます。大丈夫なんでしょうか……あ、今少し動きました。今はまだ大丈夫そうです。しかし、まつうらあ、少女Aは依然として藤本さんのそばにいて近寄れない状況です』
 機関銃のように喋り倒すレポーターの言葉に愛はがりっと床を掻いた。思いのほか大きな音に亜依は驚く。
138 名前:第十三章 普通の人々 投稿日:2004/05/14(金) 22:46
(ばか。見つかるって)
 亜弥が必死にそぶりで示しても愛は気付かない。後藤の決死の行動で間一髪、二人は天井裏に逃れることが出来たのだが、それもいつまで隠れ続けることが出来るのやら見当もつかない。
『あー、あの、藤本さんは無事なんでしょうか?』
 スタジオの声を聞き取ろうと必死で注意を傾ける愛を、亜依は痛ましく思った。そっと肩を抱くとぎゅっと腕を握り締められる。
『えー、情報が錯綜していてわかりません。先ほど警察のほうから刺されたという発表がありましたが、撃たれたとの情報もあります』
(ってーいたたたたたたたたたーっ)
 懇親の力で握り締められて、亜依はすんでのところで悲鳴を押し殺した。もちろん愛は、そんな亜依の苦痛に気付きもしない。
『どちらにしてもこの状況が長引けば危険でしょう。現場からは以上です。いったんスタジオにお返しします』
『はい、えーこの衝撃的な事件が起こったのは』
 『解放者』が自分ではなく高橋愛を求めているのはなぜか。ニュースを聞きながら、ずきずきと痛む腕を無視しようとしながら、亜依は理解する。安倍の望みはもしかすると……
「見ぃつけたぁ…。なんだ、そんなところに隠れてたんだ。なっち探しちゃったなぁ…」
 亜依の思考はそこで、なつみの心からの嬉しそうな声に妨げられた。
139 名前:第十三章 普通の人々 投稿日:2004/05/15(土) 04:17
   ◇

「このミサンガが切れるまで、美貴がミケになる」
 買って貰ったばかりだった真っ赤なミサンガを見せびらかすようにして、まだ子供だった美貴は、幼い友人に自信たっぷりにそう言い切った。子猫が死んだのは夏休みの初めで、時間はいやになるほどたっぷりあった。美貴はミケと呼ばれないと返事をしなくなった。暗い顔をしていた少女は、美貴がおどけたように、それでも真剣にミケの真似をするたびに、はじめは戸惑い、次は笑い、それからミケはそんなことしないとか、本物のミケならこうするね、とか、他人から見たら本当にくだらないことを、だけど二人にとっては手が抜けない真剣さで話し合った。それは二人にとってミケに別れを告げる儀式だった。実感できなかった死を実感する儀式だった。
 夏休みももう終わろうかという頃に、ミサンガが切れた。メキシコの呪具であり装飾具であるそれが切れるとき、願いが叶うという。
 その日、二人は公園でミケによく似た迷い猫を見つけた。餌を与えるとよく懐き、猫はそのまま友人の家に居座った。猫はミケと呼ばれ、美貴は晴れてミケではなくなった。

 願いは、叶ってしまった。

   ◇

 コイビトダッタンデショウ、という音の響きが、恋人だったんでしょう、という文章の形で聞き取れたとき、美貴の身体はもうそれどころではなかった。刺された場所に血が集まっていくようだ。どくどくと脈を打つたびに傷の位置がわかる。なにか重要なものが、おそらく生命力と呼ばれるものが失われていく感覚。これが普通の怪我ではないということだけは、医者でも怪我のエキスパートでもない美貴にも判った。美貴、死に掛けているのかな? 自問してみる。よくわからなかった。そんな気もするし、そんなことを考える余裕があるのだから、本当は全然大したことないのかもしれない。たしかに傷は痛いんだけど、今まで経験したなかで一番痛い部類には入るんだろうけど。
「……どうしてこうなっちゃったのかな?」
 美貴は泣きたい気持ちで、体重を預けて凭れている少女の横顔を見た。こんなふうに自分が死に掛けている、って言葉がきっと大げさな表現なんかじゃないこんなときに、親友だと思っていた、今一番自分と親しい存在である彼女は、そんなことしか気にしてくれない。これって、そんな関係しか築けなかった美貴の自業自得なんだろうか?
「全部、美貴たんのせいだよ」
140 名前:第十三章 普通の人々 投稿日:2004/05/15(土) 05:02
「美貴なにもしてない」
「好きだって言ってくれた」
「だって嫌いじゃないもん」
「美貴たんの好きって嫌いじゃないってだけの意味?」
「そんなことないけど…」
「一緒にクリスマスを過ごした」
「それは亜弥ちゃんのママがおいでって誘ってくれたから」
「指輪もくれた」
「亜弥ちゃんがほしいって言うから」
「一緒にDVD見た」
「そのほうがお得じゃん…」
「一緒にディズニーランドに行った」
「年間パスあるし」
「優しくしてくれた」
「普通だよ」
「あたしには特別だった」
「友達なら誰でもやるよ、そんなこと」
「じゃあ、友達みんな誤解しちゃうよ」
「しないもん。ありえない」
「でも高橋愛はした」
「なんでそこで愛ちゃん?」
「だって、だって、美貴たん、彼女にミケって呼ばせてたじゃない? 美貴たん言ったことあったよね? ミケって思い出の名前なんでしょう? さっきだってミケとミキは似てるとかわけわかんないこと言っちゃって、あたし一度も美貴たんのことミケって読んだことなんかないのに、そうだよね? だって」
 だってだってだって。亜弥の言葉が美貴の頭のなかでぐるぐるする。そこが限界だった。美貴はひざをがくりとついた。二人を取り囲んだ人の波がぶわっと動いたようにみえた。
141 名前:第十三章 普通の人々 投稿日:2004/05/15(土) 05:38
   ◇

 中澤裕子が事務所が持つ軽井沢の保養施設に着いたとき、殆どすべてのことは終わっていた。
 新垣里沙は途方に暮れたように、苦しそうに呻き声をあげて負傷した足を押さえる後藤の横で座って彼女の汗を拭いてやっていた。里沙は中澤の姿を認めるなり、ぼろぼろと泣き出した。
「どうしてここに?」
「うちは関わる気はなかってんけどな、ごっちんからメールもろてんやんか。『軽井沢に行く。なっちに気をつけて』って。ものごっつーやーな予感がしたから来てみてん」
 ちゃらっと、車の鍵を鳴らす。
「で、なっちは?」
「わかりません…。愛ちゃんと加護さんを連れて、どこかに」
 里沙の答えに裕子は考え込むように顎を撫でた。
「ふーん…、ま、ほな行こか」
「行こって、どこに?」
「ごっちんそのままにしとくわけにはいかんやろ。まず病院運ばな。詳しい事情は道々聞くわ」

   ◇

「おう、しゅうか。今何やっとんのや。おーそうか、それはよかったなあ」
 その頃つんく♂は、世間話に夢中だった。

   ◇
142 名前:第十三章 普通の人々 投稿日:2004/05/15(土) 05:57
 空港に隣接したホテルに、ハワイ組の残りの娘たちはいた。
 報道陣を避け、事件に巻き込まれることを避けた結果がこれである。
 マネージャーなどのスタッフは亜弥の起こした事件に忙殺され、出払っていた。
 彼女たちは誰から誘い合わせるでもなく一室に集まり、無言で事件の成り行きをテレビで見守っていた。
 移動の直前に刺された美貴は、依然カメラにその姿を捉えられたままだ。ぐったりとしていて、時折ぴくっと動く。美貴の顔からはすっかり血の気が引いていた。画面を眺める医療関係者たちは、藤本が危険な状態であると解説している。
 皆が皆、食い入るように画面を眺める中、紺野あさ美はひとり部屋の外に出て携帯電話を確かめる。
(……着信がはいってる?)
 メールを確認する。少し前に後藤から来ていたものだ。『軽井沢にいく。なっちに気をつけて』そっけない文面だったが、十分な情報量があった。安倍なつみが事件に関わっていることは、あさ美の予想の内だった。
 背後で息を呑む気配がした。反射的に振り返ったあさ美は、口に手をあてて立ちすくむ希美を見た。
「……そんな……」
143 名前: 投稿日:2004/05/18(火) 02:17
ここにぴんと引っ張られたゴムがある。

片方の端をはさみで切れば、ゴムは反対側に飛んでいく。
このとき飛んでいく力は引っ張った力に比例する。
仮にそれを受け止めようとする者がいるなら、気を付けなければいけない。
強い力で引っ張った物を切った場合、思いもよらない勢いで飛んでくるかもしれないから。
144 名前: 投稿日:2004/05/18(火) 02:17






       最終章 彼女が彼女にミケと呼ばれる理由





145 名前:最終章 彼女が彼女にミケと呼ばれる理由 投稿日:2004/05/18(火) 02:18
全てはあまりにも複雑に絡み合った、たくさんの人々の思惑によるものであった。
今回の事件を例えるなら、子供が雑然と片づけた家庭用ゲーム機だといえた。
強引に押し込まれたケーブル達はごちゃごちゃに絡み合い、いざというときに役に立たない。
この事件も同じだ。
自分から伸びた謀略と言う名の線が、自分自身をも縛り付けていく。
これを紐解くためには、力任せに引っ張ってはいけない。
一本一本の線をたぐり寄せ、丁寧に解きほぐさなくてはいけない。
それぞれの立場を明確にするのだ。

まずは最初の一本。
それは高橋愛から伸びた『嫉妬』という名の線。
146 名前:最終章 彼女が彼女にミケと呼ばれる理由 投稿日:2004/05/18(火) 02:19
タクシーの後部座席で愛は身を縮めていた。
隣に座っているのは自分の昔の先輩。今は『解放者』と名乗る狂気の塊。
どうしてこんな事になってしまったのだろう。
愛は混乱する頭の中で、必死に考えていた。
なつみが何を望んでいるのか、全く理解できない。
彼女の目的が辻希美である以上、余計なのは紺野あさ美だ。
そしてその次に余計なのは助手席に座っている加護亜依のはずだった。
何がどう転んでも、こちらに標的が向けられる所以がない。
それなのに、なつみの目的は自分だという。
分からない。
もしかすると、もう本人にしか分からない理由に突き動かされているだけなのかもしれない。

ぐっと歯を食いしばり、目を前に向ける。
視界に映るシート、その前では緊張した様子の運転手がハンドルを握っていた。
対向車もいない道だとはいえ、斜め後ろにいるなつみの拳銃を気にしすぎていて、
運転に集中していないのはどうにも不安でしょうがない。
拳銃で撃たれるのもイヤだが、事故に遭うのもイヤだ。
『死』──今まで遠い存在だと思っていた物が、急に近くに感じる。
なつみの指にほんの少し力が加われば、運転手がハンドル操作を誤れば、それはすぐに手が届く。
『死』は自分にだけ訪れようとしているのではない。
先ほど屋根裏で聞いたテレビの音声。自分の愛した女、藤本美貴にも『死』が訪れようとしている。

あるいはこれこそが因果応報という物なのだろうか。
亜弥をそそのかし、美貴の前で命を落とすよう誘導した自分への──報い。
147 名前:最終章 彼女が彼女にミケと呼ばれる理由 投稿日:2004/05/18(火) 02:19
そう、それはやはり『嫉妬』という感情だった。
あの日。美貴からミケと呼ぶなと言われたあの日。
その場ではなんでもないようなそぶりをしつつ、愛の心中は荒れ狂っていた。
こんな気持ちのまま、美貴とハワイに行く気にはならないほどに。
だから、亜依と一緒に日本に残らせてもらうよう事務所にお願いした。
それがさらなる悲劇を呼び、愛を今の状況に追い込んでいることを彼女は知らない。
知る由もない。

なぜ、そこまで愛は荒れてしまったのか。

美貴が亜弥に向ける感情、それは恋愛ではない。そう言い切れる。
では自分に向けられるそれは恋愛であったのか。
分からない。
亜弥と自分、どちらが美貴にとって重要な存在であったのか。
分からない。

だからこそ美貴をミケと呼ぶこと。それは大きなアドバンテージだったのだ。
美貴をミケと呼ぶこと。それはある意味、愛にとっての全てを象徴していたのだ。
ミケという名の由来も聞いた。
なぜだか分からないが心が沸き立った。
その名前に魅了された。
何気ない会話だった。幼い頃の微笑ましいエピソード。
それが何故、こうも心を振わせるのか。
無垢な少女の心に張り付いた、ほんの一かけの狂気。

もっとも、この狂気に蝕まれたのは愛だけではなかったのだが。
148 名前:最終章 彼女が彼女にミケと呼ばれる理由 投稿日:2004/05/18(火) 02:20
話を戻そう。

美貴を再びミケと呼ぶためにはどうすればいい。
簡単なことだ。
亜弥が呼ぶなと言ったから呼ぶことが出来なくなった。
ならば、亜弥がいなくなれば再びミケと呼ぶことができるはず。
だから愛は、亜弥に電話をして吹き込んだのだ。あること無いこと全て。
そして言ったのだ。
美貴を自分から奪うためには目の前で死んでみせるしかない、と。
ゴムの端を持つ者がいなくなれば、それはこちらに飛び込んでくるのだから。

冷静に考えればバカバカしい言い分だ。
そんなこと実行するなんてあり得ない。
だが、愛の言葉は亜弥の心をほんのちょっと押してしまった。
皮肉にも、同じ『嫉妬』によって狂気に傾きかけていた心を。

それでも、亜弥がナイフを取り出したのを見ても、愛はまだ冷静だった。
あまりに現実的では無い光景だったし、亜依の台詞ではないが、演技のようにも見えた。
第一、今の愛には亜依がいた。ミケと呼ぶことの出来る新しいペット。
まさか、あのナイフが本当に使われるなんて。
それも、その切っ先が美貴に向けて使われるなんて。

「うわっ!」

唐突に、運転手が一声あげて急ブレーキをかけた。
まさか、本当に事故──。
愛の心臓がとくんと跳ねる。
だが、想像していたような衝撃はなかった。

なつみがきつい視線をフロントガラスの向こうに向ける。
その視線を追って、前を向いた愛は見た。
透明なガラスの向こう。
道路の真ん中に立った一人の少女を。
149 名前:最終章 彼女が彼女にミケと呼ばれる理由 投稿日:2004/05/18(火) 02:20


続いての線は新垣里沙から伸びていた。
といっても、彼女はさほど重要な役回りだったわけではない。
『計画者』としてなつみに協力していただけだ。
『計画者』──それは個人を指す呼称ではない。
『解放者』であるなつみを中心とした、4人が自らに付けた名前であった。
なつみと里沙。そして亀井絵里と道重さゆみの4人。

病院に向かう道すがら──運転手はなんと保田圭だった──
裕子から質問を受けても里沙には何も答えることが出来ないでいた。
第一、里沙があの別荘にいたのは偶然だ。
もともとハワイから先に帰国した里沙達三人は、愛達と合流する予定だったのだ。
とはいえ、その場所までは知らなかったし、亜依が一緒だと言うことも知らなかった。
ただあさ美に、愛と合流する事を告げただけだった。
そして一人だけ愛のいる別荘に向かった。単に声をかけるためだけに。
今頃、隣の別荘に残された絵里とさゆみは、不安な気持ちで里沙を待っていることだろう。

だから別荘の出来事については、彼女は完全に巻き込まれただけに過ぎない。
今回の事件に彼女が関係したのは、なつみに『解放者』という銃を渡したこと。
そして、愛がハワイにいないことを、なつみに伝えなかったことだけだ。

そもそも何故、なつみは愛がハワイにいないことを知らなかったのか。
それはまさに、不幸な偶然の積み重ねであった。
150 名前:最終章 彼女が彼女にミケと呼ばれる理由 投稿日:2004/05/18(火) 02:21
そもそも里沙達はなつみの真の目的を理解してはいなかった。
娘。を解放する。その言葉にただ魅せられていただけだった。
よもや、自分の仲間の命を奪うつもりでいるとは思いもしなかった。
ただ、ゴムの端を切るのに利用されただけだなどと、考えもしなかった。
彼女たちは、なつみの放つ熱病のような狂気に支配されていたとしか言いようがない。

だから空港でなつみに銃を渡したときも、愛が美貴のそばにいないことをなつみに教えなかった。
それもある意味当然だった。
飛行機が到着しなかったのも偶然だったし、亜弥が事件を起こしたのは突発的な出来事だった。
里沙は、なつみの計画に愛の存在が関係しているなど思いもしなかったのだから。

ここにさらにもう一つの線が絡んでくる。
愛達の行方を探っていた後藤真希から伸びた線。
真希がなつみに頼んだのは、亜依の行方についてだけであった。
もともと依頼をしたあさ美でさえ、二人が同じところにいることを知らなかった。
だから手分けして探すことにしたのだ。裕子と圭には愛を、なつみと自分は亜依を探そうと。
特に意図はない。ただの偶然だ。
しかし、これで真希もまた、ハワイに愛がいないことをなつみに告げなかった。
もし、もっと早くにこの事実がなつみに告げられていれば。
いや、仮定の話をするのはやめよう。
既にほとんどの事象は表に現われた。後はそれを見ていくだけなのだから。

複雑に絡み合った何本もの線。
少しずつ見えてきてはいるが、まだ全てほどけてはいない。
さて、次の線をたぐり寄せてみよう。
それは思いもよらぬところから伸びていた。
151 名前:最終章 彼女が彼女にミケと呼ばれる理由 投稿日:2004/05/18(火) 02:21


「なつみが……なつみが……」
「落ち着いてのんつぁん!」

あさ美の携帯を後ろから覗き込んだ希美は、見慣れた、そしてこの状況では見るはずのない
名前を見てしまった。
自分の前の恋人。いや、あの関係を恋人と呼んで良い物かどうか。
祝福されたあさ美との結婚とは違う、もっとこう、背徳的とも言える、
自分ではない何かに影響されていたかのような関係。

「あたしの……のんのせいだよ。
 のんがなつみを捨てちゃったから」
「違う……違うよ!」

焦点を失った瞳がきょろきょろと動くのを、あさ美は手をこまねいて見ているしかなかった。
どうすればいい。
どんな言葉をかければいい。
こんな時に何をどうして良いのか分からない。
うろたえる愛しい人を前に、あさ美はただただ無力だった。

「止めなきゃ」
「止めるって……」
「きっとなつみは良くないことを考えてる。あたしには分かるんだ。だから止めなきゃ」
152 名前:最終章 彼女が彼女にミケと呼ばれる理由 投稿日:2004/05/18(火) 02:22
二人の関係は、あるちょっとしたお遊びから始まった。
冗談のようなきっかけで生まれた、本当ならすぐに消えてしまうような関係。
しかし、何故か二人はその関係にのめり込んでいった。
このままじゃいけない。希美の理性はずっとそう訴えていた。
でもその関係をやめるわけにはいかなかった。
自分に向けられるなつみの感情。それを無にすることは出来なかった。
そんなときに差し込んできた一筋の光。
それがあさ美の存在だった。
なつみとの普通ではない関係。そこに溺れてしまった希美。
あさ美との結婚は、そんな自分を日の当たるところへ戻すものだ。
希美はそう考えてもいた。
それなのに。

「なつみのところへ行く」
「行くって、安倍さんがどこにいるか──」
「なつみは絶対にここへ来る。ごっちんは軽井沢に行くって言ってたよね。
 もしかしたらなつみもそこに……」
「ダイジョウブだよ。心配いらない。
 それに、今から行ってももう遅いと思うよ」

後ろから聞こえてきた声に二人は驚いて振り返った。
話に夢中で気が付いていなかったが、そこには一人の少女が立っていた。

「まこっちゃん」

小川麻琴。本来そこにいるはずのない彼女の、のほほんとした笑顔。
それは、あさ美と希美にとって久しぶりに見る顔だった。

「安心して。あっちにはミケが行ってるから」
「ミケ?」
「そう。あたしの……ミケ」

そういうと、麻琴は満ち足りた柔らかな顔で笑った。
153 名前:最終章 彼女が彼女にミケと呼ばれる理由 投稿日:2004/05/18(火) 02:22


止まったタクシー。
ドアを開けたなつみは、道の真ん中に立つ少女に向かってゆっくりと歩み寄った。
手にした銃が見えているはずなのに、少女の顔におびえはない。

「久しぶり」

少女が声をかけた。
小柄ななつみの、更に下にある意志のこもった目が、真っ直ぐにこちらに向けられる。

「久しぶりだね……矢口」

少女──矢口真里は緊張したなつみの顔を見てふっと笑った。

「ホント、久しぶりだね。まさかこんなところで出会うとは思ってもみなかったよ」
「いつ以来かな」
「あの武道館以来かな。娘。のコンサート。──オイラが娘。を卒業したときの」

2005年、夏。
W(ダブルユー)として娘。を卒業したはずの加護と辻が、再びモーニング娘。に加入。
それと入れ替わるようにして、矢口真里と小川麻琴が芸能界を引退してから、およそ半年が経っていた。
154 名前:最終章 彼女が彼女にミケと呼ばれる理由 投稿日:2004/05/18(火) 02:23


「ミケって……誰のこと? もしかして麻琴──」

震える声で希美が尋ねた。

「そう、矢口さんだよ。あたし達、今二人で暮らしてるんだ」
「え、何? どういうこと?」

きょとんとしたあさ美に、麻琴は困ったような笑みを向ける。

「二人のことテレビで見てた。
 あたし達もあんな風に堂々としてたら良かったのかな。
 そしたら、今もあさ美ちゃん達と一緒に……」
「もしかして……まこっちゃんが娘。をやめたのって」
「えへへ、なんかね、やっぱりまずいかなって。
 特にミケが……矢口さんがそういうの気にする人だったから。
 ほら、公私のけじめは付けなくちゃいけないとかそういうこと言って」

二人が卒業するとき、時に理由は説明されなかった。
公式発表では真理は体調不良、麻琴は進学のため。
確かに説明するのは難しかっただろう。
好きになった人、それも同姓と一緒に暮らすためだなんて。

「正直、今回の事件が起こったことであたし達ももうダメかと思ってた。
 でも、ミケが大丈夫だって。あたし達は大丈夫だって言ってくれたから。
 だから、大丈夫。あたし達は大丈夫なんだ。
 でもね。ホントはうらやましかった。堂々と結婚したって言える二人が」

そう言った麻琴の顔は、同期で仲の良かった──そう、卒業してもずっと仲の良かった友達──
あさ美も知らないひどく大人びた物に見えた。
155 名前:最終章 彼女が彼女にミケと呼ばれる理由 投稿日:2004/05/18(火) 02:23


「あれはなんの仕事だったのかな。もう忘れちゃった。
 あの別荘に集まったんだよね。ごっつぁんも含めてオイラ達7人」

懐かしそうに真理が目を細めた。

「その時聞いた話、あのミキティの話。
 死んじゃった猫の代わりにミケになるって話。
 みんな、えらくハマっちゃって、んでペットごっこしようとか言い出して」

なつみは何も言わず、しゃべり続ける昔の仲間をじっと見詰めていた。

「ああ、でもあの時ごっつぁんはすぐ寝たんだっけか。
 それで、高橋とミキティ。
 なっちと辻。
 麻琴とオイラに別れて。
 そうそう、どこで聞いたんだか、三組綺麗なペアが揃えば完璧だ、とか言って」

タクシーの中では、愛と亜依が息を詰めて外の様子を伺っていた。
道路の真ん中で向かい合う二人の少女。

「最初はただの遊びのつもりだったんだ。
 でもその後も、調子に乗って一緒に暮らしてみようとか言い出しちゃって。
 とりあえず一週間、それで気に入ったらその後もずっととか……」
「あの時、矢口が一番乗り気じゃなかったのにね」

ようやくなつみが口を開いた。
156 名前:最終章 彼女が彼女にミケと呼ばれる理由 投稿日:2004/05/18(火) 02:24
「それなのに、その最初の一週間も過ぎないうちにすっかり心変わりして。
 びっくりしたよ。重要な発表するからテレビ見とけよ、なんて言われてさ。
 何かと思ったら娘。やめるとかそんなことになっちゃって」

力の抜けたなつみの顔を見て、真理はまた少し寂しそうに微笑んだ。

「そうだったね。
 でも結局、あれがオイラ達みんなを狂わせちゃった。
 あの猫の話。ミケの話。
 なんでだろうね。普通の思い出話なのに」
「そうだね。
 なんでこんな事になっちゃったんだろうね。
 あたしは……あたしはののを……。
 ミケを失いたくなかっただけなのに」
「なっち」

真理は表情を引き締め、なつみの顔を見詰めた。

「辻はミケにはなれない。あの子には無理だよ。
 あいつはミケでいるには素直すぎる。純粋すぎるよ。
 だから多分耐えられなくなったんだ。
 オイラには分かる。ミケでいるオイラには」
「矢口……」

なつみの顔がぐにゃりと歪む。その目からぽろぽろと大粒の涙がこぼれた。
まるで子供のように泣きじゃくりながら、なつみは叫んでいた。

「……分かってた! もうダメだって分かってた。
 でも……でも止められなかったんだよ。自分の気持ちを!
 ミケへの……思いを……」

くずおれるなつみの手から拳銃がぽとりと落ちた。
『解放者』と呼ばれる凶器。
それを手放したとき初めて、失った物はもう取り戻せないことを悟り、
なつみは本当に解放されたのかもしれなかった。
157 名前:最終章 彼女が彼女にミケと呼ばれる理由 投稿日:2004/05/18(火) 02:24


様々な思惑。
様々な望み。
複雑に絡み合った線と線。
しかし、それも残るは一本。
最後の一本は本人すら気が付かない、意識下の内から伸びていた。
それが、そのことが、今回の悲劇を引き起こしたことを誰も知らない。
最も細く、もっとも暗い色をした線。
それはやはり、彼女から伸びた線であった。
158 名前:最終章 彼女が彼女にミケと呼ばれる理由 投稿日:2004/05/18(火) 02:25


暗い。

そこには何もなかった。
どこまでも続く闇。
自分を包む物も、上も下も、いや自分自身さえ無いように感じる。

これが死ぬと言うことなんだろうか。
美貴は漠然とそう考えていた。

意識を失う瞬間、亜弥が何かを叫んだように思えた。
周りを取り巻いていたたくさんの人達が、急にその輪を縮めたように思えた。
しかし、それももうひどく前のことに思える。

何もないのに、美貴の思考は鮮明だった。
いやむしろ、何もないからこそよく見えるのかもしれない。
自分の心のうちに秘めた思い。
表に出すことの無かった感情。
消してしまいたかった思い出が。
159 名前:最終章 彼女が彼女にミケと呼ばれる理由 投稿日:2004/05/18(火) 02:25
ミケと少女。
純真な少女の考えた他愛もない遊び。
でありながら、それを聞いた人の心を狂わせていった遊び。
それは何故か。

あたしのせいだ。

美貴は思う。
今なら分かる。今回の事件は、全てあのミケの話がきっかけだった。
軽井沢の別荘で自分が他のメンバーに話して聞かせたあの話。
全てが無くなり、自分の隠していた物もさらけ出された今なら理解できる。
アレが全ての元凶だったのだ。
いや、正確にはあの話が人を狂わせたのではない。
あの話をした自分。その中に隠し持っていた狂気。
それがみんなに伝わった。
過ぎ去った過去として、忘れかけていた感情。

そう、最初それはただの遊びだった。
落ち込んでいた友人を慰めるためのものだった。
死を実感するための儀式でしかなかった。
しかしミサンガが切れたとき、願いが叶ったとき、美貴は気が付いてしまった。
自分の中の感情に。
ペットとして扱われる喜び。
ミケとして生きる快楽に。
160 名前:最終章 彼女が彼女にミケと呼ばれる理由 投稿日:2004/05/18(火) 02:26
女同士で結婚する?
そんなの信じられない。
優しくされたら好きだって誤解する?
そんなのあり得ない。

そうだ、あたしはノーマルだ。

……嘘だ。あたしはアブノーマルだ。
ペットとして扱われる事に快楽を見いだすヘンタイだ。

認めたくなかった。
自分の中にこんな感情があるなんて思いたくなかった。
だから忘れていた。
忘れていたはずだった。
でも、忘れていた物は無くなったわけではなかった。
ふたの開いたパンドラの箱。
少しずつ漏れだした狂気。
数多くの人を巻き込んだ不条理な思いは、ようやく一つの形を取ろうとしていた。

そうだ。
もう隠すことなど何もないのだ。
自分の感情に素直になれ。
認めることの出来なかった思い。
表に出すことの出来なかった気持ち。
それは……。
161 名前:最終章 彼女が彼女にミケと呼ばれる理由 投稿日:2004/05/18(火) 02:26






162 名前:最終章 彼女が彼女にミケと呼ばれる理由 投稿日:2004/05/18(火) 02:26
空調の効いた暖かい部屋で、全身をすっぽりと覆う大きめのクッションの上で丸くなり、その少女は眠っていた。
年の頃は14、15歳に見えるその少女は、肩に掛かるほどの長さの髪をストレートに下ろし、薄い青色を基調としたクラシックな洋服を着ており、膝が隠れてしまうほどの長さのふっくらとしたスカートを履いている。
彼女はクッションの上で猫のように丸くなり、すやすやと寝息を立てていた。

突然、鍵が開く時の金属を擦るような小さな音が聞こえた。
彼女は、音に反応して頭をもたげ、玄関の様子を窺っている。
やがて、ガチャリ、と鍵が開く音がすると、静かに扉が開いた。
玄関の扉を開いて入ってきたのは、青い服の少女と同じ年頃の女の子だった。
軽くウェーブを掛けた髪を後で結び、目深に帽子をかぶって薄いブルーのサングラスをしている。
恋よりも美味しいものが優先度が高いらしく、食べ盛りの女の子らしい、少々ふっくらとした体格をしていた。
右手にブランド物のバッグを持ち、左手にはスーパーの買い物袋を持っている。
両手が塞がっているため、開いた扉の隙間に足を踏み入れ、肩をねじ入れて扉を開けた。
「ただいまぁ」
玄関口の少女の声に、彼女は、期待通りの人物であることを知って満面の笑みを浮かべた。
すくっと立ち上がると駆け足で玄関に向う。
そして、手荷物を廊下の脇において靴を脱いでいる少女に抱きついた。
「うわぁ、あぶないって」
少女は驚いて声を上げる。
驚く少女にお構いなしに、彼女は腰に両腕を回して胸に顔を当てる。
163 名前:最終章 彼女が彼女にミケと呼ばれる理由 投稿日:2004/05/18(火) 02:26
彼女は猫の声を真似て「にゃーん」と甘えた声を出した。
彼女が猫のように振舞うことに、少女は、彼女にはわからない程度の小さいため息をついた。
「ねぇ、いつまで――」
途中まで言いかけて、少女は言葉を止めた。
少女に抱きついている彼女が肩を振るわせたからだ。
今度は、傍目に見ても分かるほど、はっきりとため息をする。
両手を回して彼女の両肩を抱くと、あやすように頭を撫でる。
「ただいま、ミケ」
少女が言うと、彼女は顔を上げた。
微かだが彼女の目には涙が滲んでいる。
少女は、彼女の頭を撫でながら微笑みかける。
「上がったらご飯にしような」
「にゃーん」
彼女は、嬉しそうに言った。
少女は彼女を離すと、カバンを持って廊下を歩き出した。
彼女は少女から離れると、スーパーの袋を持って少女の後を歩いた。
少女──紺野あさ美は、時折、気にかけるように後ろを振り向き、彼女は、信頼しきった微笑を浮かべる。
彼女──藤本美貴が“ミケ”と呼ばれるようになり、既に3日が過ぎていた。
164 名前:最終章 彼女が彼女にミケと呼ばれる理由 投稿日:2004/05/18(火) 02:28
前代未聞の事件。それも人気アイドルの絡んだ事件とあって世間は大騒ぎになった。
当然、モーニング娘。のメンバーもなんだかんだとてんてこ舞いになってしまった。
ようやく落ち着けるようになったのは事件から一ヶ月以上が過ぎてからだった。

そして、危篤状態だった美貴が意識を取り戻したのは、それからさらに一週間が経った後だった。

結局どういう風に決着がついたのか、あさ美にもよく分からない。
さすがに、あれだけの騒ぎを起こした亜弥は法の裁きを受けることとなった。
ただ未成年と言うこともあり、どういう罪になるのかはよく分からない。
世間への影響も考え、マスコミも公表を自粛しているようだった。
あさ美たちを取り巻く環境もこれからどんどん変わっていくだろう。
だが、それでも良い。
いざとなったらどうとでも生きてやる。
あさ美はそう考えていた。
何しろ自分は一人ではないのだから。

「ただいま」
「おかえり、のんつ……あなた」

顔を赤くしてそう言うあさ美を見て、希美も照れたように横を向いた。
一緒に暮らし始めてまだ間もないとはいえ、やはり恥ずかしいことには代わりがない。
165 名前:最終章 彼女が彼女にミケと呼ばれる理由 投稿日:2004/05/18(火) 02:30
「ただいま、ミケ」
「にゃーん」

希美とあさ美が、自分たちの新居に美貴を迎えようと考えたのは、ただの罪滅ぼしではなかった。
無論、二人が結婚を決めたことが事件のきっかけになったのは確かだ。
それに対する償いの気持ちもある。
しかし、意識を取り戻した美貴の姿を見て、ほっとけない気持ちになった部分の方が大きい。

「ほら、ミケ。おみやげだよ」
「にゃ」

希美の渡した袋を、ミケ──美貴は嬉しそうに破り始めた。
その様子を、二人は寂しげな表情で見詰める。

意識を取り戻して以来、美貴はすっかり変わり果ててしまっていた。
人間の言葉をしゃべることもなく、ミケという呼び名以外には反応もしない。
今年に入ってトレードマークにしていた肩までのストレートヘア。
クラシカルな服に身を包み、童女のように邪気のない笑顔をした美貴は、
本来の年齢よりもずっとずっと幼く見えた。

「にゃあ!」

袋から出てきたのはカラフルなミサンガだった。
飛びつくようにして希美に抱きついたミケは、ごろごろと喉を鳴らす勢いでじゃれつく。

「わはは、くすぐったい! やめろよミケ」
「ちょ、ちょっとミケ、くっつきすぎ。それ以上はダメ!」

希美の腰に顔をすりつけるミケを、あさ美が慌てて止めに入る。
やがて楽しげな笑い声が明るい室内に響き渡った。
166 名前:最終章 彼女が彼女にミケと呼ばれる理由 投稿日:2004/05/18(火) 02:31


美貴の隠していた思い。
考えないようにしてた感情。
そうだ。自分はずっとごまかしていた。

でも、もう隠す必要などない。
美貴は気づいてしまったのだから。

亜弥ちゃん。
結婚なんてあり得ない。
友達として、知り合いとして一緒に時間を過ごすのも御免だ。
でも、でもそう、命を奪われそうになっても、あたしはあなたを責めるつもりはない。
恨むつもりもない。

なぜならそれこそが美貴の願いなのだから。
美貴はペットになりたかったのだから。
飼い主が望むとおり、望むように生きる。
飼い主が望むなら、全てを奪われてもいい。
それが例え命であっても。

生殺与奪の権利さえその手に握られる。
そのことに美貴は快楽を感じるのだから。
だから、美貴はずっと待つよ。亜弥ちゃんが戻ってくるのを。

美貴は──ミケは自分の右手に付けたミサンガを嬉しそうに眺めた。
これが切れるとき、また願いは叶うだろう。
あの時と同じように。
ただ一つ違うのは、今度の願いは猫ではなく、飼い主が見つかるということだけど。


    ──fin

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