夢限幻無

1 名前:takatomo 投稿日:2004/04/04(日) 22:31
藤本主役。たぶんオールキャストです。
リアルを混ぜつつ、ちょっと和な感じのファンタジー。
よろしければお付き合いください。
2 名前:1 水の章 投稿日:2004/04/04(日) 22:33
<1 水の章>

「ねー亜弥ちゃん、何も無いって」

藤本美貴は自分に背中を向けたままの少女、松浦亜弥に声を掛けた。
ここは薄暗い蔵の中。
自分の祖父の家にあるものだった。
どれくらい前からあるものなのかは見当もつかない。
美貴が子どものころには既に、今と同じようにぼろぼろだった気がする。
電気一つ無い蔵だが、壁には小さな穴がいくつも開いており、そこから漏れる陽の光のせいで不便さは無かった。
懐中電灯を一応持っているが、それほど使うことは無かった。
鼻をつく臭いはカビっぽく、物を動かすたびに埃が舞い上がった。

美貴自身、ここに入ったのは2回目だった。
一度目は幼い頃、従兄弟のお兄さんに連れられ入ったことがある。
祖父からは、幽霊が出ると脅されていたし、母親からは危ないから入ってはいけないと言われていた。
もちろん、そう言われるほど入りたくなるのが子どもであったから、美貴たちは忍び込んだのだ。
薄暗い中、小さな瞳が見たものは、無数の木で出来た箱と、至る所に張られた蜘蛛の巣。
ネズミが久々の訪問者に驚いたのか、走り回る音が聞こえる。
二人はすぐに怖くなって外へ出てしまったことを覚えている。
美貴にとっては、蔵の中のことよりも、埃だらけの二人を見た母親が、蔵に入ったことを知り、こっぴどく怒られたことの方が鮮明に覚えていた。
そんな嫌な思い出の蔵に今度は亜弥と入ることになった。
3 名前:1 水の章 投稿日:2004/04/04(日) 22:34
きっかけはふとしたことだった。
先日、美貴の祖父が亡くなった。
仕事の合間をぬって、葬式だけにはなんとか出席した美貴だったが、その時この蔵が取り壊されることを聞かされた。
もちろん、中にはたくさんの物が入っているし、その他の遺品の整理も山積みなため、すぐにというわけではない。
美貴が東京に戻って、そういう話をちらっと亜弥に話したこと。
それが全ての始まりだった。

「ね、ね、美貴たん、探検しない?」
「探検?」
「そうだよ。おもしろそうでしょ?」

そう言った亜弥の目は、昔自分を誘った従兄弟の目と一緒だった。
美貴自身、改めて言われて見ると、あの蔵の中身が気になっていたことは確かだった。
そうして、二人はオフの日に美貴の祖父の家までやってきたのだ。

美貴の実家にも何度か遊びに行っている亜弥。
両親は快く承諾し、鍵を美貴に渡した。

だが、美貴が熱中したのは初めの30分ほど。
出てくるものは表紙の見えなくなった古い本だったり、陶器の食器。
鑑定とかすれば高価なものなのかもしれない。
けれども、二人が求めているのは、見た目にわかる宝物だった。
二人の頭の中には、小判や黄金の像といったものしか浮かんでなかった。
4 名前:1 水の章 投稿日:2004/04/04(日) 22:35
「えーまだだよーもっと探してよー」

振り向きもせずに亜弥は言う。彼女は飽きを知らないんだろうか。
それとも美貴が飽きっぽすぎるんだろうか。
ともかく、美貴も大人しく作業に戻った。
懐中電灯を片手に箱を動かし、開けてはがっかりする。
そのサイクルを何度繰り返したことだろう。
新聞紙に大事に包まれているのは、やっぱりお皿や湯のみ。
たまに人形とかが出てくるくらい。
だが、美貴はふと感触の違うものを手にした。
丸い。筒のようなもの。
慎重に新聞紙を外していく。
出てきたのは一つの巻物。

「亜弥ちゃん、ちょっとなんか出てきた」

宝の地図かもしれないと、はやる気持ちを押さえ、美貴は亜弥を呼んだ。

「ちょっと待ってーこっちもなんかでてきたー」

折角のものなのに、亜弥の反応が少し寂しかった。
端がボロボロであり、美貴はそれを慎重に解いていく。
5 名前:1 水の章 投稿日:2004/04/04(日) 22:35
「何これ?」

美貴は思わずそう口に出したのも当然。
期待とは裏腹に、懐中電灯に照らされたのは、ミミズが這い回るような文字の羅列だった。

(なんだよ…期待させないでよ)

深いため息を一つ。
その時だった。後ろから声が聞こえた。

「美貴たん、美貴たん!すごいのが出てきた」

本日一番の亜弥の喜びの声。
美貴は立ち上がり、ガラクタの山を避けながら亜弥の下へ行った。

6 名前:1 水の章 投稿日:2004/04/04(日) 22:36
「ほら。これ、剣だよ。剣」

そう言って差し出されたのは、まさしく剣だった。
厳密に言えば剣ではなく日本刀。
鞘に納まった、50cmくらいのもの。
小太刀とでもいうんだろうか。
亜弥が抜こうとするが一向に抜けない。
柄の部分がさびて抜けないんだろうか。

美貴は亜弥から受け取り、抜いてみる。
意外にあっさり抜けた。
銀色の刀身が目の前に現われた。
傷一つ無い綺麗な刀身だった。

「どーして?私がやっても無理だったのにー」

亜弥の不満の声。美貴は答えず刀を構えてみた。
軽い。鉄で出来ているはずなのに、空気のように軽かった。
鞘の方が重いくらい。
7 名前:1 水の章 投稿日:2004/04/04(日) 22:36
「ね、なんか彫ってあるよ」

亜弥が刃元を指差す。
確かにそこには何か彫られていた。

「えっと…しのび…ふゆ?」
「すいかずら」

「え?」

その声は美貴のものだったんだろうか、それとも亜弥のものだっただろうか。
美貴自身、自分の口からでた言葉が信じられなかった
忍冬。
確かにそう彫られている。
そして、美貴はそれを「すいかずら」と読むことが出来た。
8 名前:1 水の章 投稿日:2004/04/04(日) 22:37
「美貴たん?」
「……」

美貴は刀を収めた。
この刀身を見ているとひどく気持ちが高ぶってきた。
まるで体の中に何か入ってくるかのように。
ナイフを持つ人が、誰かを刺したくなる衝動に駆られるように。
美貴の中にその感情が強く湧き出て、急いで刀を収めたのだった。

「美貴たん?」
「……」
「美貴たんったら!」
「あ…ごめん…」

亜弥に肩をゆすられて、やっと美貴は返事した。

「今日はもう、やめとこう…」

そう言って美貴は刀を横に立てかけた。
9 名前:1 水の章 投稿日:2004/04/04(日) 22:37


草木の眠る丑三つ時とでもいうのだろうか。
静寂に包まれた午前二時すぎ。
亜弥は障子の動く音で目が覚めた。
明日もオフであり、亜弥と美貴は祖父の家にそのまま泊まることになっていた。

亜弥は一瞬お化けかと思った。
だが、同じ布団で寝ているはずの美貴の姿が無いことに気付いた。

トイレかなという思いもよぎったが、心配になって亜弥は布団から出た。
あれから、美貴は何か変だった。
あの剣を取ってから。
話しかけてもボーっとしていることが多かったし、折角二人きりの夜なのに、美貴は何をするでもなくさっさと眠ってしまった。
おかしい。明らかにおかしい。
おそらく行く先は昼に入った蔵に決まってる。
亜弥は懐中電灯を持って、靴を履いた。
横にあるはずの美貴の靴は無かった。
10 名前:1 水の章 投稿日:2004/04/04(日) 22:37
「美貴たん…」

誰に言うとも無くそうつぶやき、亜弥は外へ出た。
もちろん、鍵はかかっていなかった。
懐中電灯の明かりを頼りに走る。
蔵に入っていく人影を、懐中電灯の明かりが捉えた。
背中が少し見えただけだったが、美貴であることを確信するには十分だった。

(美貴たん…)

胸騒ぎがする。
絶対に何か起こってしまう。
それが何かわからないが、美貴を止めないといけないことを亜弥は確信していた。

「美貴たん!」

蔵に入るなり叫ぶ。
だが、懐中電灯の光をいくら動かしても、藤本美貴の姿は無かった。

11 名前:takatomo 投稿日:2004/04/04(日) 22:38
以上更新終了です。
こんな感じで進んでいきます。
今後もお付き合いいただけると幸いです。
12 名前:名も無き読者 投稿日:2004/04/05(月) 11:15
新作キターーーー!!!!!
どうもお久しぶりです。
待ってましたよ〜w
今回はリアルの混じったファンタジーというあまり見ない設定・・・。
すごく楽しみですww
またついて行かしてもらいます。
13 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/06(火) 12:48
新作発見。
前作とは少し違った分野になりそうですね。
一個人としては、すでに疑問があるんですけど、
それを胸のうちにしまい、楽しみに読ませていただきます。
14 名前:1 水の章 投稿日:2004/04/08(木) 00:02


どこまでも落ちていくような感覚。
真っ暗な穴をひたすら。

それでも、恐怖心が沸かなかったのは不思議だった。
抵抗するわけでもなく、落ちていく。
やがて小さな光が見え始め、それがだんだん大きくなっていく。
美貴はその光に飲み込まれた。

目の前が真っ白になって、次にそれが次第に晴れていく。
木?
林?
森?
目の前に次々と広がっていく木々が、美貴の思考を移り変わらせていった。

「ここは…どこ?」

自分の周りを囲む木々。
少なくともここが祖父の家ではないことは確からしかった。
辺りを見回すと、不意に、自分の太ももに何か硬いものが当たった。
美貴の腰には一本の刀が差されていた。
15 名前:1 水の章 投稿日:2004/04/08(木) 00:03
「これは…忍冬…」

なぜ自分がそれを持っているのかわからないが、この場所とこれが関係していることぐらい、すぐに気がついた。
不意に周りに気配を感じた。
自分にそんな能力があるわけが無い。
美貴は剣士ではない。アイドルなんだから。
だけど、美貴にはわかった。
反射的に刀に手をかけた。

(一人…二人……全部で五人か…)

感覚的にわかった。
木を透けて見えているかのように。
美貴は一つ息を吐き、剣を抜いた。
それと木の後ろから何者かが飛び掛ってくるのは同時だった。
相手の太刀筋がスローモーションのように見える。

(そんなんじゃ亀だって切れないよ)

半身で避け、刀を抜くと同時にきりつける。
いつかTVで見た居合いの要領だった。
16 名前:1 水の章 投稿日:2004/04/08(木) 00:03
(一人…)

次の二人も同じ。
スローで流れる二本の刀の間を潜り抜け、すれ違いざまに両者を切った。
まるでヒーロー気分だった。
さすがに、美貴も夢だという意識はあった。

(夢の途中でそれが夢ってことを認識する経験は、無い人には無いらしいね。亜弥ちゃんは一度も無いって言っていたな)

そんなどうでもいいことを考えながら、残りの二人も同じように切っていった。
人を殺している。
その事実になんらためらいは無かった。
夢という意識が美貴から罪悪感を消していた。
手には感触がしっかり残っている。
峰打ちなんかではない。相手の皮を肉を骨を断った。
快感ともいえる思いに、美貴は酔いしれていた。
17 名前:1 水の章 投稿日:2004/04/08(木) 00:04

「あなた…誰?」

不意に後ろから声が聞こえた。
女性の声。しかも聞いたことのある声だった。

「矢口さん…」

振り返って美貴は言った。
自分の前にいるのは間違いなく矢口真里。
小さな体と茶色の毛。
着ている服はモノトーンの質素な服だったが。
いや、モノトーンという言葉を彼女に使うのは間違いだろう。
美貴が教科書で見たような服装。
靴では無く草履。
服も見るからに手作り。服というより、布を切って貼りあわせただけのような代物。
明らかに現代のものではなかった。
18 名前:1 水の章 投稿日:2004/04/08(木) 00:04
「あなたが…この人たちを殺したの?」
「だったら?」

沈黙が流れた。
美貴は刀をゆっくりと鞘に収めた。
だが、まだ柄から手を放しはしなかった。

「あなた、何者?」
「かわいい女の子以外の何に見えます?」

我ながら笑えない冗談だと美貴は思った。
だが、予想に反して矢口の口から漏れたのは笑いだった。
よく聞いたことのある笑い声だ。
美貴は思わず刀から手を放していた。

「いいや、あなたは私の敵じゃないようだもんね」
「たぶんそうでしょうね」
「名前は?」
「藤本。藤本美貴です」
「私は矢口真里。よろしくね藤本さん」

矢口からそう呼ばれるのは何年ぶりだろう。
まだデビューする前。一番最初のハロープロジェクトのコンサートのとき以来だろうか。
モーニング娘。の楽屋に挨拶に行ったとき、同じやり取りをしたように思う。
19 名前:1 水の章 投稿日:2004/04/08(木) 00:05
着いて来てと言われて、黙ってついていく。
どうせ夢なんだから、なるようになれ。
そういう思いがあった。

ひたすら矢口の背中を追っていく。
道を覚えようとか、どこにむかってるんだとか、そういう疑問は無かった。
夢が覚めればそんなことは必要ない。
ちっさな背中をじっと見ているだけだった。

どれくらい歩いただろうか。
森をいつの間にか抜け、石の敷き詰まった河原にでた。

「休憩しよっか」

矢口は草履を脱ぎ捨て、川に入る。
美貴も靴を脱いで川に入った。
ひんやりとした感触が疲れた足に心地よい。
綺麗な川だった。
透明で、川の深い所でも底が見えていた。
流れを逆行するように泳ぐ魚。
ちょっと手を伸ばせば簡単に捕まえられそうな気がした。
20 名前:1 水の章 投稿日:2004/04/08(木) 00:08
「藤本さんはさ」
「その呼び方やめていただけません?私のほうが年下なんですよ。
藤本とか、ミキティとか呼んで下さいよ」
「いくつなの?」
「19です」
「なんだよ、大人びた顔して、おいらよりぜんぜん年下じゃん!」

途端にがらっと口調が変わった。
どちらかといえば、いつもの矢口に戻っただけだと美貴は思った。

「じゃあ、藤本さ、その刀なんだけどさ」
「これですか?」

そう言って美貴は刀を抜いた。
水に反射された光が刀身を照らす。
矢口はじっとそれを見た。

「忍冬…」
「読めるんですか、矢口さん?」

てっきり、馬鹿にするなよという返事がくるものだと思っていた。
だが、矢口の顔は真剣な表情で、自分の声が聞こえてないかのようだった。
21 名前:1 水の章 投稿日:2004/04/08(木) 00:09
「あのー矢口さん?」
「まさかな…いや…でも…」
「矢口さん?」

なにやら小さな声でぶつぶつ言っているのが聞こえるだけで、美貴の声に反応する様子は無かった。

「矢口さん!」
「あ、ごめん…それ…どこで手に入れた?」
「どこって、私のお祖父ちゃんの蔵にあったんです」
「蔵?」
「えっと…倉庫みたいなもんです。見たことないんですか?時代劇とかでよくあるでしょ?」
「時代劇ってなんだよ?」
「へ?」

どうやらここは全く違う世界のようだ。
藤本は改めて確信した。
しかし、それにしてはリアリティがありすぎる。
どうも変だ。
今更ながら、美貴はそう思い始めた。

川に入って冷たいと感じた。
そもそもこれがおかしい。
これは美貴の持論だったが、夢の中で痛みを感じないのなら、熱いとも冷たいとも感じないのではないだろうか。
もし、今つめたいと感じているなら、それはおそらく…美貴が考えたくも無い最悪なパターンだろう。
一緒の布団で寝ているのは他でもない亜弥なのだから。

もし、そうでないのなら。
だとしても美貴にとって最悪なパターンなのかもしれない。
そう、これが全て現実ということなのだから。
22 名前:1 水の章 投稿日:2004/04/08(木) 00:09
頭を振る。そんなことあるわけないと自分に言い聞かせる。
夢の中でも冷たいものは冷たいんだ。
そう思って自分の頬をつねった。

痛かった。
凄く痛かった。

何度つねっても痛かった。場所を変えても痛かった。
叩いても痛かった。

「嘘だ」

そんなはずはない。
そんなわけは無い。

「嘘だ。嘘だ。嘘、嘘だ。嘘に決まってる」

念仏のように唱えた。
ならここはどこなんだ?
矢口さんは誰なんだ?
さっきの人たちは…
私が殺した人たちは何なんだ。

堰が決壊した川のように、思考が一気に美貴に押し寄せてきた。
23 名前:takatomo 投稿日:2004/04/08(木) 00:12
>>14-22 更新終了です。

>>12 ありがとうございます。
同ジャンルですが全く違うお話になると思います。よろしくお願いします。

>>13 ありがとうございます。
疑問が何か少し気になってたりしてますが、よろしくお願いします。

次の更新は週末にできればいいかと思ってます。
24 名前:名も無き読者 投稿日:2004/04/08(木) 16:32
更新お疲れ様です。
これは一体・・・?
僕にも思考が押し寄せてきます。
続きも楽しみにしてます。
25 名前:1 水の章 投稿日:2004/04/10(土) 23:23


「おーい、ミキティ?」

目の前で手をひらひらさせるが、全く反応しない。
今日はずっとこんな感じだった。
さっきまで美貴の隣にいた石川なら、ここで諦めていただろう。
しかし、今隣にいるのは吉澤だった。

「ミキティ」

肩をゆするとさすがに美貴も気付いた。

「ごめん…ボーっとしてた…」
「今日ずっとボーっとしてるじゃん」

吉澤が言うのも当然だった。
美貴の今日のミスの数は、いつもと比較にならないほどだった。
トークを振られても、反応が遅れる。
歌収録では振りを間違えることに加え、メンバーとぶつかることもあった。
26 名前:1 水の章 投稿日:2004/04/10(土) 23:24
「ごめん…何か私変だわ」
「疲れてるの?」

昨日までオフである。疲れているわけは無い。

「ううん…そんなんじゃない」
「そう…もし私できることがあったら言ってね」

(言えるわけない…私の悩みなんて言えるわけない)

言ってしまいたいという欲求は存在していた。
美貴はふと考えた。
どうして正義の味方は自分の正体を隠すんだろうと。
私ならきっと言ってしまう。
美貴はずっとそう思っていた。
でも、今、美貴はそれを言うことはできなかった。
そんなこと言っても誰も信じてくれない。
その思いが勝っていたから。
きっと正義の味方もそうなのかもしれない。

「あーばっかみたい」

美貴は呟いた。吉澤はもう隣にいなかった。
自分のカバンをさする。
細長く硬いものの感触が、カバン越しに伝わる。

(みんなの命を救うか…)

27 名前:1 水の章 投稿日:2004/04/10(土) 23:25
―――
―――――


「藤本?」

矢口の言葉は美貴には届いていなかった。

現在の状況に対する美貴の思考の99%は完成していた。
残りの1%。
後はその事実を認めると脳が決定を下すだけだった。
つまり、書類は完成しているのだ。
あとは書類に判を押すだけ。
だが、美貴の脳はそれを頑なに拒んでいた。

「藤本!こら、藤本美貴!」

矢口が叫ぶ。
今にも殴りかからんかのような矢口の剣幕だったが、美貴は一向に気づかない。
川の流れを見ているようで、実際のところは焦点の全くあっていない目。
その時だった。
28 名前:1 水の章 投稿日:2004/04/10(土) 23:25
「藤本」

小さな声だった。ほんの小さな声。
矢口の耳には聞こえないほどの声だった。
それでも、美貴はその声に反応を示した。
美貴の思考の渦の中心に入ってくるように。
頭の中にそれだけが強く入ってきた。
そして、それが美貴の思考を動かし始める。

「安倍さん?」
「なっち、いるの?」

美貴の声を聞き、矢口が口を開いた。
途端に川の向こう岸が白く霞んでいく。
それがどんどん美貴たちの方へと近づいてくる。
不安になり、矢口の方へと近づく美貴。
すでに1メートル先は真っ白で見えないほどだった。

「矢口さん…」
「大丈夫だよ。これもなっちの力なんだ」

なっち。この状況でその単語が、安倍なつみ以外の人間を差す可能性はきわめて低かった。
美貴は少し安心した。
もうここが異世界であるということは、理解せざるを得ない。
そうなれば、現実世界では、少々頼りない安倍だが、こういう状況においては、彼女の存在は美貴にとってありがたかった。
29 名前:1 水の章 投稿日:2004/04/10(土) 23:27
「矢口、ちょっと二人きりにさせて」

隣にいるはずの矢口の姿が消える。
それと安倍の姿が美貴の前に現れたのは同時。
美貴がよく知っている安倍の顔だった。
矢口と同様、まさしくそのまま。
違うのは着ているものだけだった。
矢口と違い、美貴はその現物を見たことがあった。
真っ白な千早と朱色の袴。
巫女装束というものだった。

「安倍さん…」

続けて何を言ったらいいのかわからなかった。
この安倍なつみは美貴の知る安倍なつみではないのだから。
30 名前:1 水の章 投稿日:2004/04/10(土) 23:27
「あなたはこの世界の住民ではないですね?」

突然の安倍の言葉に、美貴は反応できなかった。

「わかってます。その刀ですね。
どうしてそれがあなたの世界、現界にあったのかわかりませんが…」
「ちょっと、勝手に納得されても、こっちは何にもわかんないんだけど」

自分の答えを待たずに、勝手に話を進めていく安倍に、美貴はつっこむ。
それは、安倍が現れたことで、美貴の中に余裕が生まれている証拠だった。

「どこから話せばいいですか?」
「全部。何もわかんないんだもん」

美貴はようやく、自分が刀を抜き身でもっていることに気づいた。
すっと鞘に収める。
まだ数回しか扱っていないが、だいぶ扱いにも慣れてきたように思う。

「わかってるとは思いますが、ここは夢ではありません。現実の世界です」

安倍が言う。
納得していた美貴だったが、改めて断言されると、やはりショックを受けた。
31 名前:1 水の章 投稿日:2004/04/10(土) 23:28
「ここは、あなたにとっては幻界になります。普段あなたが生活している現界とは、表裏一体の世界です」
「ゲンカイ?」
「すいません。ここは、幻の世界と書いて、幻界。あなたの世界は、現実の世界と書いて、現界と言います。
しかし、それはあなたにとってのことであって、私達にとっては、この世界が現界で、あなたの世界が幻界になります」
「全然わかんないんだけど……いいや、とにかく、パラレルワールドだっけ?それでいいんでしょ?」

ゲンカイがどうとか言われても、美貴にはさっぱりわからない。
この世界は、パラレルワールド。
美貴はそう理解しておくだけにしておいた。

「で、この刀は何なの?」
「それは忍冬。五星刀の一つです」
「五星刀?もうわけわかんない。もっとさ、必要な所だけ教えて!
どうして私がこの世界に来たの?どうやって帰るの?
明後日から仕事があるんだから。こんな所にずっといるわけにはいかないのよ」
「帰る方法は簡単です。二つの世界を行き来することは、あなたなら簡単なはずです」
「へ?」

美貴は思わず声を漏らした。
よく考えるなら、それはとてもいいことには間違いなかった。
だが、美貴はどこかゲームや映画のような展開を期待していた。
誰かを倒さないと駄目だとか、ある道具を手に入れないと駄目だとか。
それを想定していた美貴にとって、安倍の答えは全くの予想外だった。
32 名前:1 水の章 投稿日:2004/04/10(土) 23:29
「その前に一つだけ、お話を聞いてください」
「何?」
「あなたが先ほど殺した者は、夕の民といい、矢口たち、朝の民を襲い虐殺を繰り広げてきました。
既に朝の民は矢口の村にいるだけで7人。後はちりぢりになって、夕の民から逃れています。
おそらく生きているのは全員で20に満たないほどだと思います」

夕の民と朝の民。
美貴はその二つの言葉を頭の中で反芻した。

「朝の民の大部分は、戦う術をもっていません。今残っている者たちは、おそらく術を持っている者だけでしょう。
しかし、それでも夕の民と戦うには、圧倒的に数が違いすぎます」
「それで、私に戦えって言うの?」

美貴は刀に手をかけた。
そんなことはまっぴらだった。
この世界がどうなろうと、私の知ったことじゃない。
さっさと元の世界に戻りたい。
その思いを込めて言った。
33 名前:1 水の章 投稿日:2004/04/10(土) 23:29
「そうしてくださるとありがたいです。先ほども言いましたが、あなたが持っている忍冬は五星刀の一つです。
はるか昔、五星刀を持つものが、朝の民を救ったと言われています。
今も、あなたの力が必要だということは、間違いないことです」
「五星刀ってことはさ、他に4つあるんじゃないの?」
「あるはずです。私が実物を確認しているのは、一本もありませんが」
「そう…」

自分一人しかいないという事実は、美貴の心を揺さぶった。
みんなの命が自分に掛かっている。特に矢口のように、別人とはいえ自分のよく知る人の命なら尚更。
迷ってしまえば、美貴はここに残らざるを得なくなるだろう。
だからこそ、美貴は安倍に尋ねた。

「戻り方教えてくれる?」
「わかりました」

安倍は躊躇する様子は無かった。
帰り方を教えなければ、美貴は残らざるを得ない。
いざとなれば、朝の民を救うことを交換条件に戻り方を教えるという方法もとることができた。
だが、安倍はそれをしなかった。
ただ、最後に一言だけ、美貴に言うだけだった。
「こっちに来る方法も同じですから」とだけ。
34 名前:takatomo 投稿日:2004/04/10(土) 23:34
>>25-33 更新終了

>>24 ありがとうございます。ごちゃごちゃしてる上に、今回更新分は説明文ばっかりで申し訳ないです。
ある程度進めば、まとめでも作ろうかと
35 名前:名も無き読者 投稿日:2004/04/11(日) 17:55
更新お疲れサマです。
ナルホド、物語が少しずつ見えてきましたね。。。
ミキティ頑張れw
続きも楽しみにしてます。
36 名前:1 水の章 投稿日:2004/04/14(水) 23:24
「みんなの命を救う……か」

今度は声に出してつぶやいた。
カバンをつかみ、立ち上がる。
今日の仕事はもう終わり。
一人になりたかったので、駅までの距離は歩くことにした。
みんなで晩御飯を食べに行こう、という矢口の誘いは断っている。
そんな自分の背中に「お疲れ」という言葉以外を、かけてくれる人はいなかった。

37 名前:1 水の章 投稿日:2004/04/14(水) 23:24

朝の民。
夕の民。
そして、五星刀。
わからないことはたくさんある。
やっぱり夢だったんじゃないのか。
気がつくと、蔵の中に立っていた美貴はそう思った。
空は少し白みはじめていて、扉にもたれかかるようにして眠っていた亜弥を背負い、家の中へと入った。
亜弥を布団に寝かしつけ、その横へと入る。
布団はもう冷たかった。
亜弥の体も冷たかった。
いつから自分を追って、あそこにいたかわからない。
そもそも、自分がいつの間に蔵に行ったのかさえ、覚えていなかった。
やっぱり夢に違いない。しかしそう思う一方で、美貴は夢ではないとどこか確信していた。

朝になって亜弥が目覚めると、昨夜のことを聞かれた。
だが、美貴は夢でもみてたんじゃないの?と言い続けた。
初めは否定し、怒っていた亜弥だったが、昼食が終わる頃には、何も言わなくなった。
だけど、美貴は気になって、蔵から忍冬だけは持ち出していた。
亜弥に見つからないようにこっそりと。
38 名前:1 水の章 投稿日:2004/04/14(水) 23:25
それから、なぜかこれを持ち歩いている。
自分でもわからない。
なぜか、美貴はこれを今朝カバンに入れた。
50cmほどの長さが幸いし、美貴の持っているカバンに収まる。
けれども、もしここで持ち物を調べられたら、絶対に逮捕されることは間違いない。
それはわかっていたが、美貴は家においてくることが出来なかった。

傍に忍冬が無いと、何かものたりないような。
靴紐がほどけているとか、歯を磨き忘れたとか。
それと同レベルの些細なひっかかりがあった。
39 名前:1 水の章 投稿日:2004/04/14(水) 23:25
信号が青になる。
一斉に動き出す人の波。
それに逆らうことも無く、美貴の体は流されていく。
もしかしたら、自分はこうして大きな何かに流されているんじゃないの?
美貴は考える。
忍冬を手にしてしまった時から、自分が大きな何かに支配されているのかもしれない。
だとしたら…
やっぱり行くべきであり、行かざるを得ないのかもしれない。

自分の手にみんなの命が掛かっている。
そのことに対する使命感と不安感が、美貴の中でうごめく。

その時、携帯が震えた。
亜弥からかなと思い、急いで取り出す。
だが、ディスプレイに映ったのは、後藤真希という文字だった。
40 名前:1 水の章 投稿日:2004/04/14(水) 23:26


半時間後、美貴がメールに書かれてあったファミレスに入ると、真希はすでに座っていた。
手元には空になったコーヒーカップが一つ。

「アイスコーヒー1つ」

ウエイトレスにそれだけ告げ、美貴は向かい合って座る。

「私も、お代わりもらえるかな?」

カップを差し出す真希。
ウエイトレスは伝票を書き、その場を離れた。

「どうしたの?いきなり?」

美貴は先に口を開いた。

「いやさ、よっすぃーから美貴が変だって聞いたからさ」

真希は答える。
会話はそこで途絶えた。
そもそも美貴と真希は親しいわけではなかった。
モーニング娘。もほぼ入れ替わりで入った形だ。
シャッフルでも一緒になったことはない。
ごまっとうで一緒になったが、あの時は亜弥がいたから、美貴と亜弥が話している横で、真希がそれを聞いているということが多かった。
同じハロープロジェクトの一員だが、こうして二人きりで話したことは、美貴の記憶では一度も無かった。
41 名前:1 水の章 投稿日:2004/04/14(水) 23:26
ウエイトレスがコーヒーを二つ運んでくる。
グラスが置かれ、氷同士がぶつかり、音が鳴る。
それと正反対に湯気を立てている真希のカップ。

美貴はミルクとガムシロップを入れ、ストローでかき混ぜる。
カランカランという小刻みな音が響く。
真希は何もいれずに、そのままカップを口に運ぶ。

二人とも無言だった。
黙々とコーヒーを飲んでいた。
42 名前:takatomo 投稿日:2004/04/14(水) 23:44
>>36-41 更新終了 少なくて申し訳ないです。

>>35 ありがとうございます。今後、もっと引っ掻き回していく予定なので(w
1章が終わる頃には全体像がわかるようになればいいかなと思っています。
43 名前:名も無き読者 投稿日:2004/04/15(木) 17:05
更新お疲れ様です。
この方も登場・・・。
はてさてどうなることやら。。。
存分に引っ掻き回しちゃって下さいw
楽しみにしてますww
44 名前:1 水の章 投稿日:2004/04/18(日) 00:36
「で、用はそれだけ?」

美貴が先にコーヒーを飲み終え、口を開いた。
カップを傾けていた真希の手が止まる。
それから残っているコーヒーを一気に飲み干し、彼女は言った。

「今日さ、まっつーにあったんだよね」

まっつーという言葉に、美貴の心臓がトクンと鳴った。
まつーとは他でもない。亜弥のことだ。

「美貴たん、絶対私に何か隠してるんだよね。ってさ。今日会った時に相談されちゃったんだけど。
よっすぃからのこともあったし…何があったのさ?」

わざわざ亜弥の言い方を真似してまで、真希はそう言った。

「何でもないって」
「ホントに?」
「うん。亜弥ちゃんはちょっと拗ねてるんだよ。美貴が意地悪したからさ」
「ふーん。そっか…」

そう言った表情は明らかに納得しているものではなかった。
真希はガタンと乱暴にカップを置いた。
45 名前:1 水の章 投稿日:2004/04/18(日) 00:36
「で、何なの?」
「……笑わないでよ」

このままでは、いつまで経っても返してくれそうに無い。
美貴は観念し、そう前置きしてから話し始めた。

改めて話してみると、自分でも何を言ってるんだろうと思う。
この話を真希が信じられるわけがない。
自分の言葉に表情を全く変えない真希を見ていると、余計にそう思った。

「ふーん」

全てを話し終えた時、真希が発したのはそれだけだった。
驚嘆も否定も嘲笑も何も無い。
たったそれだけ。
それだけに、美貴には真希の真意が量れなかった。

「わかった。ごめんね、仕事帰りに」

真希は伝票を手にして立ち上がる。
突然のことに驚く美貴。
真希の考えがわからない。
いきなり人を呼び出したかと思うと、隠し事を暴こうと躍起になり、見つけた隠し事が荒唐無稽であろうものにもかかわらず、素直に納得する。
やっていることが滅茶苦茶だ。
46 名前:1 水の章 投稿日:2004/04/18(日) 00:37
「ごっちん…どうして?」
「へ?」
「どうしてさっきの話信じるの?」
「へ?だってさ、本当のことなんでしょ?ミキティが本当のこと言ってるのに、信じちゃ駄目なの?」

彼女は何食わぬ顔でそう言った。

「違う…そうじゃなくて…どうして、本当のことって思うのよ?
あんなことあるわけないじゃない。作り話だって思わないの?」

周りの客の視線が次第に自分達に集まっていくことに、美貴は気付かなかった。
自分が大きな声を出していることに、彼女は気づいていなかったのだ。
47 名前:1 水の章 投稿日:2004/04/18(日) 00:37
「ミキティのことはさ、きっとまっつーに負けないくらい、よく見てるからさ。嘘ついてるかどうかくらい、見ればわかるんだよ。
「え?」
「何でもない。ごめんね。じゃーね」

真希は手を振りながらレジに向かい、会計を始める。
私も慌ててカバンをとり、追いかけるが、ごっちんは既に会計を終え、財布をしまい始めていた。

「奢りだって。わざわざ来てもらったんだから」

店を出て、それだけ言うと、再度手を振って真希は歩き始めた。

「なんなのさ…」

真希の後姿に美貴はつぶやいた。
それから、美貴も帰途についた。

48 名前:1 水の章 投稿日:2004/04/18(日) 00:37
結局、家に帰った時には、もう日付が変わろうとしていた。
明日は朝早いので、今日の仕事が早く終わったというのに、それが全く意味をなしていなかった。
けれども、真希に話したことで、思った以上に気が楽になっていたのは確かだった。
ただ、真希のことが気にかかり、結局悩んでいる量は変わらない、寧ろ多くなったようにも思う。
壁にもたれかけるようにカバンを置くと、バランスを崩し、横に倒れた。
口から黒い布にくるまれた刀が現れた。

幻界か。

美貴は刀にかかった布をはがした。
そして、腰にそれを差す。

もし、あれが夢だったなら、向こうの世界にはいけないはず…
万が一、夢じゃなかったとしても、すぐに戻ってくればいいだけだ。
戻り方は知ってるんだから。

美貴は自分を納得させた。
正直な所、その考えは言い訳に過ぎなかったに違いない。
向こうにもう一度行って見たい。
この時点で、美貴の中にその思いが確実にあったことは確かだった。
49 名前:1 水の章 投稿日:2004/04/18(日) 00:38
右手で刀を抜く。
片手で持ったまま、剣先で縦に4本線を描く。
次に横に1本、2本、3本、4本…そして5本。

美貴の視界から見慣れた自分の部屋の風景が消えた。
一昨日感じた不思議な感覚に襲われる。
真っ暗闇を美貴はどこまでも落ちている。
どこまでもどこまでも。

そして、光が美貴を包んだ。
50 名前:takatomo 投稿日:2004/04/18(日) 00:41
>>44-49 更新終了
次の更新まで少し空くかも知れません。そうなったらごめんなさい

>>43 ありがとうございます。オールキャストのはずなのに全然キャラが少ないです…
もう少ししたら出てくる予定です…
51 名前:名も無き読者 投稿日:2004/04/18(日) 13:37
乙です。
ナルホド、こうやって行くんですね。
ごっつぁんのセリフにいささか気になる部分もありましたが
これからの物語がますます楽しみですw
続きもマターリ待ってます。
52 名前:1 水の章 投稿日:2004/04/25(日) 17:14


見上げた空は赤かった。
目の前に広がる水を、美貴は湖だと理解した。
それは、波が無かったから。

この前に見た森はどこにいったのだろうか。
そもそも、自分は本当にこの間と同じ世界にいるのだろうか。
もしかしたら、全く別の世界なのかもしれない。
もしかしたら、今度こそ夢なのかもしれない。

美貴の手には忍冬があった。
相変わらず、重さというものを全く感じさせない刀だった。
それを軽く人差し指に当てる。ちくりとする痛みとともに、人差し指の腹にうっすらと血がにじむ。
夢ではなかった。
だが、それ以上に美貴を驚かせたのは、この刀の切れ味だった。
刃物といえば、包丁やカッターナイフくらいしか触ったことの無い美貴だが、刃を当てただけで、傷ができるということは、常識として考えられなかった。
53 名前:1 水の章 投稿日:2004/04/25(日) 17:15
恐ろしいほどの切れ味を持つこの刀、そもそも知らない世界に移動できる刀である。
今更切れ味うんぬんで驚くのも変な話かもしれない。

ともかく、これで夢ではないことはわかった。
現実。
これは現実だ。
私は知らないどこかにいる。
その事実を再確認する。刀を握る手は汗ばんでいた。

戻るという選択肢は、美貴の頭には無かった。
だからといって、目的も何も無い。
朝の民と夜の民、敵は夜の民であることは確かだが、美貴にはその見分けはつかない。

(とにかく、矢口さんか安倍さんに会わないと)

美貴はそう考えて歩き始めた。
湖の淵にそってゆっくりと。
広い湖だった。いくら目を凝らしても、向こう岸は見えなかった。
低く傾いた太陽は、湖を真っ赤に染めていた。
次第に周りにはごつごつとした大きな岩が現れ始めた。
54 名前:1 水の章 投稿日:2004/04/25(日) 17:16
どれくらい歩いただろうか、美貴は視線の先で何かが光ったように思えた。
近づいてみると、小さな銀色の棒のようなものが砂の間から顔を出していた。
美貴がそれを手にしようとしたときだった。
周りの砂が音を立てて立ち登る。
そして、美貴の体が回転した。

「ちょ、え、何なのさ」

自分が宙に持ち上がっているのを認識する。
皮膚に当たる感触は、糸のようなもの。
網だ。
その単語が美貴の頭に入るのと、目の前の砂埃が晴れるのはほぼ同時。
美貴は網の中にさかさまに吊り上げられていた。
55 名前:1 水の章 投稿日:2004/04/25(日) 17:16
「やったー大猟だー」

美貴の耳に届いたのは聞き覚えのある声。
目の前に現れたのは、よく見知った顔。

「辻ちゃん…」

美貴は思わず口に出した。
その言葉に、希美の顔が真剣さを帯びた。

「あなたは誰ですか?」
「それよりさ、降ろして欲しいんだけど?」
「駄目です。あなたはののの獲物なんです」
「あっそ、そー言うんだ」

美貴は右手を動かす。
忍冬はさっきの騒動の中も、自分の手から離れていなかった。
まるで紐でもついているかのように、無意識のうちに美貴はそれを離していなかった。
簡単に切断される網。
バランスの失った網は、美貴の体を簡単に解放した。
幸い下が砂地だったせいで、美貴は背中から落ちはしたが、痛みはほとんどなかった。
56 名前:1 水の章 投稿日:2004/04/25(日) 17:17
「あなた、何者なんですか?」

そう言った希美の目には怯えが見えた。
彼女の背中には武器らしきものが見えたが、それを抜こうとはしなかった。

「藤本美貴。朝の民だよ」

美貴はそう言った。少なくとも、自分は朝の民と名乗っている方がいいらしいと、美貴は判断したのだ。
これなら、希美が朝の民、夜の民のどちらであっても、それなりのレスポンスが得られるだろう。
だが、美貴が思っているどちらにも無い答えが、希美の口から返ってきた。
57 名前:1 水の章 投稿日:2004/04/25(日) 17:18
「嘘です」
「は?」
「嘘です。藤本さんは朝の民じゃありません」

「あいぼん!あいぼん!」

あっけに取られる美貴をよそに、希美は叫んだ。
美貴はその名前に対しては驚きはしなかった。
この二人が一緒にいないことの方が不自然なのだから。

後ろに気配を感じる。
背後に目がついているかのように、美貴にははっきりと、後ろに誰かがいることがわかった。
気配が動く。
美貴は刀を構えて振り返った。
58 名前:1 水の章 投稿日:2004/04/25(日) 17:18
まただ。
また、スローモーションのように見える亜依の動き。
美貴に向かって射られた矢は、ゆっくりと向かってくる。
避けることは簡単過ぎる。
寧ろ、美貴は矢が向かってくるのを待ちきれずに、走り出した。
後ろの辻に当たるかもしれないと思い、矢はすれ違いざまに叩き落した。
そのまま亜依に近づく。
亜依は射ったままの体勢で、立っていた。
美貴は亜依の弓を奪う。

そして、時間の流れは元に戻った。
事態を飲み込めない希美と亜依。
亜依は自分の手から弓がなくなっていることにさえ、すぐには気付かなかった。

「落ち着いてよ。私はたぶん敵じゃないからさ」

弓を持ち直し、美貴は言う
亜依は逆らっても無駄だと理解したのか、腰に下げていた矢筒を地面に投げ捨てた。
59 名前:1 水の章 投稿日:2004/04/25(日) 17:19
「あんた、何者?」
「私は自分が何かわからない。ただ、朝の民の人の仲間なことは確かだよ」
「そっか…のの、この人には適わないから、やめといたほうがいいよ」

美貴の背後に離れて立っていた希美は、背中の武器をとろうとして上げた手を下ろした。
美貴もそれを確認し、刀を戻した。

「私らは、一応朝の民です」
「一応?」
「ええ。昔は朝の民の里にいました」

希美は話し始めた亜依の横に座った。

「加護ちゃんは、安倍さんや矢口さんを知ってるの?」
「あなた、藤本さんは、何者なんですか?ののの名前といい、私の名前といい…本当に私達の味方なんですか?」

亜依の顔が険しくなる。
言葉に詰まった美貴は刀を抜き、二人の前に差し出す。
60 名前:1 水の章 投稿日:2004/04/25(日) 17:20
「忍冬…藤本さんはどこでこれを?」
「説明すると長くなるんだけど、安倍さんが言うには、私はこの世界の人間じゃないんだって。
とにかく、これで私が敵じゃないことはわかったでしょ?」
「ええ。疑ってごめんなさい」

ペコリと頭を下げる亜依。
その時、美貴は気配を感じた。
数を数えようとするが、10を超えたところでやめた。
たくさんという言葉で片付くような数だったから。

「どうかしました?」

美貴は答えず、亜依に弓を返す。
そして、刀を抜いた。
61 名前:1 水の章 投稿日:2004/04/25(日) 17:20
「あいぼん…」
「のの、大丈夫。私も藤本さんもいるから」

気配に気付いた亜依は、矢筒を拾い、矢をつがえた。
希美も背中から武器を抜く。
しかし、それは美貴が見知った武器と呼ばれるものとは、程遠いものだった。
木の棒の先に四角形の薄い木の板が挟まっているだけのもの。
一見すると、ボートを漕ぐ時に使うオールにも見えた。

気配が近くなる。
湖を背にした美貴たちを取り囲むように、岩影から人間が現れた。
刀を握るもの、弓を持つもの、槍を構えるもの、それぞれだったが、共通していることは、全員が黒装束だということだった。
相手が名乗らなくても、美貴には相手が夜の民であろうことは理解できた。

「あら、加護ちゃんと辻ちゃんじゃない?今日こそは逃がさないわよ」

人垣の奥から聞こえた声もまた、美貴がよく知っている声だった。
62 名前:takatomo 投稿日:2004/04/25(日) 17:24
>>52-61 更新終了。
次の更新も週末になりそうです。

>>51 ありがとうございます。
ようやくキャラが増え始めてます。
後藤はまた後ほどいろいろでてくる予定です。
63 名前:名も無き読者 投稿日:2004/04/25(日) 19:06
更新乙です。
このお2人もご登場ですねw
でも最後に出てきた謎の人物が気になる・・・。
次も楽しみにしております。
64 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/27(火) 03:48
更新お疲れさまです
突然ですが先程偶然元ネタ的な作品を発見しました。いや、それだけですw

スローになるシーンはヒーローやマトリックスを思い出しました。スゴイです、小説なのに
65 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/02(日) 23:40
「日本刀の作刀に関する覚え書き」
鉄と名がつくのは鋼の成分バランスを失ったものでそれを直接原料
としたものは日本刀と呼べない。要は和鉄の状態だと、炭素量が
高すぎるか低すぎるかのどちらかだということ。
つまり、炭素が低いと曲がるし、炭素が高すぎると折れるということ
だ。ただし成分だけではない。鍛練による強靭化や、熱処理の条件が
狂うと、「折れず、曲がらず、良く切れる」という状態にたどり着け
ない。
よく、日本刀の複合材効果を強調する人がいるが、焼入れ前に表面
に粘土を塗るとか、刃の断面の肉厚を最適化して、鋼の金属組織を
連続的に変化させているのが一般的。そうすると刃先は焼入れのとき
強く膨張変態をおこしマルテンサイトという硬い刃先になる。
また、その時の膨張により、日本刀には湾曲したそりが生まれる。
そうすると、刃先に圧縮応力が発生し、硬くてもなかなか割れにく
くなる。
また、和鉄というものは、瓶、釜、鍋の素材を主に指し
、どちらかというとアットホームなイメージがあり、ラーメン店
に「和鉄」という店名のものもある。いずれにしても、強靭な和
鋼(玉鋼)より日本刀が作られるのが正確な表現である。
66 名前:1 水の章 投稿日:2004/05/05(水) 20:34
上半身を覆う漆黒の鎧。
右手の先からは手首の代わりに一本の鞭が伸びていた。

金色の髪が、その黒い鎧と対照に映えていて。
美貴の見知った顔が、その髪の間から覗いていた。

「斉藤瞳。説明するまでも無いですけど、敵です」

亜依の声に美貴は軽いショックを受けた。
斉藤と美貴は、それほど親しいわけではなかった。
だが、それなりの付き合いはあった事は確かである。
シャッフルユニットで一緒になったことや、コンサートで一緒に過ごすこともあった。
だから、急にこの人は敵ですと言われても、美貴には簡単に割り切ることはできなかった。
67 名前:1 水の章 投稿日:2004/05/05(水) 20:34
別人であることはわかっている。
そうしないと自分たちが殺されるであろうこともわかっている。
そして、既に自分が人を殺めていることもわかっている。

それでも、美貴は納得できなかった。
なら、どうすればいいか。
答えは美貴の中ですぐに出た。

「ここは私に任せて」
「え、でも……」
「大丈夫だって」

亜依と言葉を交わし、美貴は刀を構えた。
斉藤の右手が振られる。
ヒュンという空気の擦れる音が美貴の耳に届いた。
目前を通る鞭に身をかがめるが、自分の後ろの亜依にまで届きそうになるのを感じ、すぐに刀で払い上げる。
亜依の目には、鞭が目の前でいきなり跳ね上がることしか映らなかった。
68 名前:1 水の章 投稿日:2004/05/05(水) 20:35
「貴様、何者!」

叫ぶ斉藤の前に、美貴の姿はあった。
斉藤の周りにいた夜の民が、一斉に武器を振るう。
だが、全ての武器は空を薙ぎ、驚く彼らは次々と弾き飛ばされていく。
斉藤にも、亜依にも、希美にも、目の前で起こっていることがわからなかった。
目の前で次々と気絶していく人間を、ただ見ているだけだった。
数分後、二本の足で立っているのが3人だけとなった時、美貴は再び姿を現した。

「まだやりますか?」

刀を斉藤の喉元に当て、美貴は言う。
引き下がってくださいという思いを内に秘めて。
斉藤は身動きが取れなかった。
相手の力量がわからないほど、彼女は能力がないわけではない。
この場引くべきだと、彼女の脳はすぐに指令を出した。
69 名前:1 水の章 投稿日:2004/05/05(水) 20:36
彼女が後ろに一歩引いたとき、美貴の体に異変が起きた。
美貴の目には斉藤がいくつにも見えた。
そして、手足が震え始める。
最初は小刻みに。そのうち、手に持った刀が大きく上下するほどに。
視界が白くなっていく。
息の音が頭に広がる。
多量の汗が自分の顔をつたっていることを、美貴は知覚していなかった。

亜依も希美も、そして斉藤さえも動けなかった。
美貴が倒れこむまで、一歩も。
70 名前:1 水の章 投稿日:2004/05/05(水) 20:37
ガタンという音で、やっと時が動き始める。

「これで形勢逆転ね」

斉藤は倒れた美貴に寄り添う二人を見下ろして言った。
右手の鞭はクルリと亜依の首に巻きつけられ、斉藤の元に引きずられる。
希美が咄嗟に足をつかむが、そのために余計に亜依の首が絞まっていく。
亜依のかすれたような呻きを耳にし、希美は手を離した。
斉藤が力を加えると、勢いよく、亜依の体が宙を舞った。
そして、鞭は首からするりと抜け、亜依は岩肌に叩きつけられた。

「あいぼん!」

希美は駆け寄ろうとするが、自分の首をめがけてくる鞭が視界に入り、進路を横に取る。
希美の肩を鞭が薙ぎ、服が裂ける。
焼けるような痛みを覚え、苦悶の声を上げる希美。
あらわになった肩には、赤い線がくっきりと走っていた。

「あいぼん、藤本さん」

希美の声に反応するものはいない。
斉藤の鞭はその間にも容赦なく向けられ、希美は気を失った。
71 名前:takatomo 投稿日:2004/05/05(水) 20:44
>>66-70 更新終了
期間空いた上に少なくて申し訳。
次回こそはもうちょっと・・・

>>64 ありがとうございます。れす調でない辻はものすごく難しいと痛感しております。

>>65 ありがとうございます。たぶん、こんな設定はありふれすぎてますので、元ネタ候補がいくつもあるかと。
何とか被らないように作っていきたいとは思っています。

>>66 安易な言葉を使ってすいません。ご指摘ありがとうございます。
72 名前:takatomo 投稿日:2004/05/05(水) 20:46
レス番号ずれてました。
64→63
65→64
66→65
です。すいません。
73 名前:名も無き読者 投稿日:2004/05/06(木) 17:19
更新お疲れ様ッス。
出た〜!!何か武器が似合う〜〜!!!
れす調でない辻さん・・・、同感ですw
続きも楽しみにしてます。
74 名前:1 水の章 投稿日:2004/05/12(水) 00:24


「美貴たん…」

4回目の電話も留守電へとつながった。
亜弥はベッドの上に携帯を投げ捨てた。
まだ日付が変わったばかりだった。
いつもこの時間に電話しても、美貴は出てくれた。
寝ていたとしても、着信音で起きるはず。
なのに…

亜弥は投げ捨てた携帯を拾った。
電池カバーに貼ってある二人のプリクラ。
携帯を開くと映し出される二人の壁紙。
お互いのイニシャルが入ったおそろいのストラップ。

ずっと一緒だった。同じものを共有してきた。
同じもので笑って、同じもので泣いて。
それなのに…
75 名前:1 水の章 投稿日:2004/05/12(水) 00:24
美貴は隠しているつもりだったが、亜弥は気づいていた。
美貴が自分に隠すように、あの刀を持って帰っていたことに。
亜弥は気付かないフリをしていた。
きっと、美貴の方からちゃんと話してくれる時が来る。
そう信じていたはずだった。

だけど、それに耐え切れなくなったのは亜弥の方。
わずか1日しか我慢できなかった。
画面に涙がこぼれる。
5回目の電話を亜弥は震える手でかけた。
76 名前:1 水の章 投稿日:2004/05/12(水) 00:25


「おい、起きろお前ら」

気絶した仲間を乱暴に蹴り上げていく斉藤。
美貴たち3人は一向に目覚める気配を見せない。
特に美貴は、激しく胸を上下させ、荒い息を続けたままだった。

「こいつ…何者なんだ」

自分に恐怖を覚えさせた相手に斉藤は近づいた。
小さな華奢な体。
腕も足も、すぐに折れそうなほど細かった。
彼女の着ている服は斉藤が見たこともないようなもの。
それはおおよそ機能性に乏しいであろうことは、一見してすぐにわかる。
後は手に持っている一本の刀だけ。
77 名前:1 水の章 投稿日:2004/05/12(水) 00:25
美貴が朝の民で無いということは、斉藤はわかっている。
朝の民にあるべき印が無いのだから。
朝の民を探して、連れて行く、もしくは殺す。
それが斉藤に命ぜられたことだった。
他の人間はどうしようが、斉藤の勝手だ。
美貴の力に斉藤は興味が無いと言えば嘘になる。
それでも、斉藤はここで処分する方をとる。
好奇心よりも、恐怖が勝っていた。

斉藤が起き上がった仲間から槍を取り、美貴に向ける。
槍を向けられていることを、美貴はわからない。
希美も、亜依も。
誰一人美貴を守るものはいないはずだった。
78 名前:1 水の章 投稿日:2004/05/12(水) 00:25
しかし、美貴に向けられた槍は振り払われた。

美貴と斉藤の間には、刀を構えた一人の人間がいた。
藍色の服と赤い帽子まとったショートカットの人物。
目から下を隠すように帽子から白い布が垂れ下がっていた。

「貴様、何者?」
「この子は殺させない」

斉藤の問いに答えず、そいつは美貴の手から刀を奪った。

斉藤が理解したのはそれだけだった。
背中がゾクゾクしていたことを覚えている。
猛獣を目の前にしたような凍えるような思い。
全てが終わってから、体の震えと共にそれはやってきた。

辺りに充満した血の臭い。
声が出なかった。
目を閉じることすらできなかったその瞬間に、全ては終わっていた。
立っているものは斉藤だけ。
無数の死体が並び、先ほどの人物とともに、美貴たち3人は姿を消していた。
79 名前:takatomo 投稿日:2004/05/12(水) 00:28
>>74-78 更新終了
少しだけです。続きは週末。

>>73 ありがとうございます。なんかそんな感じのイメージでした。
80 名前:みっくす 投稿日:2004/05/12(水) 06:14
更新おつかれさまです。
おっ、誰がでてきたんだ?
次回も楽しみにしてます。
81 名前:名も無き読者 投稿日:2004/05/12(水) 12:46
更新お疲れ様デス。
一体誰が・・・?
謎が増えていきますねぇ。。。
続きも楽しみにしてます。
82 名前:1 水の章 投稿日:2004/05/16(日) 22:38
斉藤が自分が置かれている状況を認識するのには、少し時間を要した。
ペタンとその場に座り込み、彼女は自分が見たことを必死に思い出そうとした。
だが、それは無駄な努力に終わる。
彼女は何も見えていなかったのだから。
目は開いていた。
というより、恐怖心から目を閉じたかったが、閉じるまでの間に全てが起こってしまったといった方が正しいのかもしれない。
10人以上いた人間が、全員ただの肉の塊と化した。

斉藤には美貴の手から刀を奪い取ったシーンがよぎった。
それと共に、美貴が全員気絶させたという事実も。
しかし、そこから五星刀という単語は、斉藤の頭の中に浮かばなかった。
彼女達、夜の民にとって、その単語は夢物語の中での単語。
それだけに、彼女の頭にはそれが出てこなかった。
83 名前:1 水の章 投稿日:2004/05/16(日) 22:38


水の流れる音に、美貴は意識を取り戻した。

(水…)

ボーっとする頭では、その言葉を導くのに時間を要した。
冷たく、硬い感触を背中に感じる。
目を開けているが、美貴の目には光は映らなかった。
それが余計に、美貴の覚醒を遅らせていた。


「藤本さんは起きた?」
「まだ」

美貴のいる穴を覗き込んだ希美が小声で答えた。
二人の前には布で顔を覆った人物が一人。
脇には忍冬が抜き身で置かれていた。

亜依たちはこの人物とほとんど会話をしていない。
目を覚ました時に、一言「私以外誰もいないから。安心して」と声をかけられただけ。
それからは、二人にスープのようなものを差し出しただけ。
それ以後は黙って座り込むその人物を、亜依と希美は器を傾けながら、時に美貴の様子を見に行きながら、ちらっと視線をあわさないように盗み見るだけだった。
84 名前:1 水の章 投稿日:2004/05/16(日) 22:39
私以外と言われても、その「私」が敵ではないという保障はどこにも無い。
亜依は弓から手を放していなかった。
矢筒に入っている矢は、一本も無かった。
残っていたそれらは全部落ちてしまっていた。
それでも、亜依は弓をいつでも構えられるようにしていた。
また、希美も背中に武器を差していた。
しかし、正確に言うとそれは自体は武器にはならない。
ただの木の板のついた棒である。
しかし、希美は媒者であった。
媒者、その名の通り仲立ちする者。
彼女の手にかかれば、万物の力を引き出し、使うことも可能である。
その際に必要なのが、この板のついた棒。
一般的に媒杖と呼ばれるものだったが、希美は瓶子(へいし)と呼んでいた。
それは彼女の母親がそう名づけ、呼んでいたから。。
希美が小さい頃に殺された母親が。

結局、二人がどれだけ警戒していても、その人物は動くことは無かった。
布で覆われているため、表情は全くわからない。
かけられた声から、女性だということはわかっているだけ。
敵か味方かわからない。
そもそも、ここがどこかもわからない。
緊張と不安に包まれた空間に動きが起こったのは、美貴がようやく覚醒し、起き上がった時だった。
85 名前:1 水の章 投稿日:2004/05/16(日) 22:39
「ここは…斉藤さんは?」
「藤本さん、大丈夫ですか?」
「うん…まだちょっとしんどいけどね…」

美貴は亜依と希美に視線をやって、答えた。
そして、その向こうにいる人物に目がいく。
自分が見たことのない人間。
しかも、顔を覆っている、いかにも怪しげな人物。
美貴は咄嗟に腰に差した刀に手をかけようとした。
しかし、そこあるはずの刀は無い。

美貴のその行動にあわせるように、その人物は刀を手に取って言った。

「忍冬、これはあなたのものですよね?」

布越しに聞こえる声を、美貴はどこかで聞いたことがあるように思えたが、思い出せなかった。
86 名前:1 水の章 投稿日:2004/05/16(日) 22:40
「そうだけど…あなたは?朝の民なの?」
「違います。私は朝の民ではありません」

そう言って右手の甲を美貴に見せる。
美貴にはそれがどういうことを意味するのかわからなかったが、朝の民では無いと言う言葉が、彼女の表情を強張らせた。
朝の民ではないということは、夜の民である。
美貴の頭がそう判断するのは当然のことだった。
だが、彼女は今、丸腰。
自分の切り札とも言える忍冬は相手の手にあるのだから。

「警戒しないでください。私は夜の民じゃありませんから、あなた方の命を狙う理由がありません」

忍冬を美貴との間に投げ、両手を挙げて言った。
まるで美貴の思考を読んだかのような発言。
美貴は視線をその人物から外さないまま、急いで手を伸ばして忍冬を拾い上げた。
87 名前:1 水の章 投稿日:2004/05/16(日) 22:44
「朝の民じゃないなら、夜の民でしょ」
「あ…あなたやっぱり向こうの人間なのね。
いいよ、いろいろ教えてあげる。刀を下ろして」

表情は見えないが、彼女が笑っていることはわかった。
自分のことをすぐにこの世界の人間ではないと言ったのは、安倍以来二人目である。
亜依と希美を見ると、二人ともこちらをじっと見ている。
美貴は不安を感じつつも刀を納め、腰を下ろした。

彼女は一度席を立ち、亜依たちに与えたスープを持って、美貴に差し出す。
美貴はそれをじっと見るだけで、飲もうとはしなかった。
その様子を大して気にも留めずに、彼女は話し始める。
「ちょっと長くなるけど」と前置きされた話が終わる頃には、スープはもう熱を持っていなかった。
88 名前:takatomo 投稿日:2004/05/16(日) 22:49
>>82-87 更新終了
次は説明文ばっかりの予定。

>>80 ありがとうございます。説明無しにどんどんキャラ増えていってるので混乱されるかと…
近いうちに説明文だらけの更新があると思いますのでその時に…

>>81 ありがとうございます。謎ばっかり増やして話が前に進んでないですね…
次回こそは何とか。
89 名前:名も無き読者 投稿日:2004/05/17(月) 17:55
更新お疲れサマです。
次は説明文ですか、
謎が少しでも解ければイイなぁ。。。w
次回も楽しみにしてます。
90 名前:1 水の章 投稿日:2004/05/22(土) 18:34
「私は朝の民ではないです。そしてあなたも。だからといって、夜の民ではない。
そもそも、この世に朝の民と夜の民だけいるのではないのです」

出だしはこうだった。
確かに、よく考えてみると当然のことだと美貴は思った。
この世に日本人とアメリカ人しかいないわけではない。
日本人でもアメリカ人でも無い、中国人やイギリス人だっている。
朝の民、夜の民というのを一つの種族として考えると、当然の結論だった。
しかし、その考えも少し違うもののようだった。

「朝の民というのは、そこにいる二人のように、左手に模様のある種族のことを言います」

振られた亜依と希美は、左手の甲を美貴に見せる。
そこにはうっすらと模様が見える。
言われないと気付かないぐらいのものだった。
それが何の形か美貴はわからなかった。
91 名前:1 水の章 投稿日:2004/05/22(土) 18:34
「日の光をあびると、もう少しはっきり浮かび上がります。
それが彼女達が朝の民と呼ばれる所以ですから。
そして、夜の民。これは、朝の民を襲う集団全体を指します」
「つまり、見分ける方法は無いってこと?」
「そうです。夜の民という種族は存在しますが、今では朝の民を襲う集団として認識されています」

これは非常に不利な状況であることを、美貴はすぐに理解した。
敵には自分達がわかり、自分達はどれが敵がわからないのだから。

「他に知りたいことは、この刀のことでしょうか?五星刀の一つ、忍冬です。
でも、あなたはこれを少しも使いこなせていません」
「どういうこと?あなたはこの刀の何を知ってるの?」
「忍冬。これは水を司る刀。でも、あなたは全く使えていない。
この刀の力に振り回されて、その反動であんなことになってしまって…」

反動というものが何か、それが自分がここにいる原因で、この人が助けてくれたこともわかっている。
だが、自分の質問が無視された上に、初対面の人間にそこまで非難されて穏やかでいられるほど、美貴には余裕が無かった。
92 名前:1 水の章 投稿日:2004/05/22(土) 18:35
「あなた何なの?自分なら使えるって自慢したいの?」
「そういうつもりはありません。それに、私はもうこれを上手く使えません。
この刀が選んだのはあなたなんですから」

強い語意に、美貴は驚いた。
なぜ、私が。
ずっと美貴が考えていたことだった。
なぜ私でないと、この刀でないと駄目なんだろうか。

「私に出来ることは、あなたに使い方を教えることだけです。
後はあなた次第です。あなたがその力をどのように使うかは任せます」

返事をせずに、美貴はスープに口付けた。
すっかり冷め切っており、生暖かさが喉に伝わる。
味なんて感じなかった。
頭を整理するきっかけにしたかっただけ。
93 名前:1 水の章 投稿日:2004/05/22(土) 18:35
それが功を奏したのか、美貴はとても大事なことを思い出した。
そもそも、自分がこの世界にきたのは、ちょっとした試しである。
そう、自分の生活する空間は向こう。そして、自分が気絶している間、どれくらいの時間が流れたんだろうか。
血の気が引いていくのを感じた。
仕事は?もしかしたら失踪事件にまで発展しているかもしれない。
大げさな考えだったが、美貴はそこまで混乱し始めていた。

「どうかしました?」
「私、こっちの世界にどれくらいいたの?明日も仕事…収録あったのよ。
えっと、もう遅刻?終わってる?どーしよー」

「大丈夫です。こちらの時間と向こうの時間の流れは別々ですから。
向こうでは数時間しか経っていないはずです」

慌てふためく美貴は、その言葉に動きを止めた。
変わらない妙な説得力がある言葉だった。
否定することは出来なかった。少なくともそうあることを、美貴は祈るしかったのだから。
94 名前:1 水の章 投稿日:2004/05/22(土) 18:35
「とにかく、一旦戻って…」

美貴は自分が無意識に一旦と言ったことに気付き、言葉を止めた。
本当はちょっといるだけのつもりだった。
だが、話を聞いて、この世界をほおっておけないと感じ始めていたのは確かで。
この世界に関わっていく事はまんざらでも無いと、美貴は思い始めていた。

「どうしました?」
「ううん、一旦戻ってまた来ることにする」
95 名前:takatomo 投稿日:2004/05/22(土) 18:37
>>90-94 更新終了
近いうちにもう一回更新するかもしれません。


>>89 ありがとうございます。謎が解けてるかどうか微妙です(w
余計に謎が増えた気もしてます。
96 名前:名も無き読者 投稿日:2004/05/22(土) 21:45
更新乙彼サマです。
むむ、わかったコトとまだわからんことが。。。
ミキティの心境の変化?ですか、そっちも気になります。
続きも益々楽しみですw
97 名前:1 水の章 投稿日:2004/05/30(日) 21:37


真っ白な壁紙が目に入った。
電気の灯った部屋の隅で光る電子時計で、日時を確認する。
まだたったの4時間しか経っていなかった。

腰から刀を外す。
鞘は新品同様の新しいものになっていた。
それは、ここに帰ってくるとき、鞘を交換したからだった。

鞘は向こうの世界においている。
顔を布で覆っていた彼女は、自分のことを杏と名乗った。
彼女が言うには、こっちの世界に来るとき、美貴の力ではどこに飛ばされるかわからないらしい。
真理と出会った森も、希美と出会った湖も。
そこに美貴がいったのは偶然であった。
ならば、今度、美貴が亜依や希美、そして杏に会う可能性は極めて低いだろう。
もしかしたら、斉藤といった夜の民の目の前に現れるかもしれない。
98 名前:1 水の章 投稿日:2004/05/30(日) 21:37
杏は言った。
忍冬の鞘を置いていってと。
そうすれば、鞘に引かれて、向こうに行ったとき、鞘に近い位置に現れると。
だが、抜き身でそのまま持っているわけにはいかない。
代わりにもらったものが、この新しい鞘だった。

美貴は半日ほど気を失っていたという。
だが、そんなことをお構い無しに、眠かった。
着替えもせずに、美貴はベッドに飛び込んだ。

携帯のアンテナの横についた小さなライトが点滅し、着信があったということを必死に美貴に訴えかけていた。

しかし、美貴がそれに気付いたのは次の朝だった。
着信履歴が松浦亜弥の名で一杯になっていることに、彼女が気付いたのは。
99 名前:1 水の章 投稿日:2004/05/30(日) 21:38
朝起きた美貴は、血の気が引く思いがした。
延々と並ぶ、着信履歴。そして、無言の留守電。

美貴が向こうの世界に行っているほんの少しの間に、それは起こっていた。

震える指で、かけなおす。
だけど、つながらない。
「電源が入っておりませんか電波の届かない所に…」
無常なアナウンスが耳に届くだけだった。

美貴は乱暴にボタンを押し、電話を切った。
そして、すぐさまメールを打ち始めた。
だが、美貴の手はすぐに止まる。
メールなんかじゃ嫌だ。
美貴の中にそんな思いがあった。
パチンと携帯を閉じ、美貴は準備を始めた。

シャワーを手早く浴び、服を着る。
戸棚にしまってあるパンを一つ加えながら、忍冬をカバンに押し込んだ。
財布と携帯をいれ、時計を見る。
ぎりぎりの時間だった。
残っているパンを口に押し込み、化粧を始めた。
100 名前:1 水の章 投稿日:2004/05/30(日) 21:38
亜弥が今日は早く終わるということを、美貴は一昨日聞いていた。
自分のスケジュールを反芻する。

今日は、来月に控えた新曲の発売に合わせての、テレビ収録。
それに加えて、ミュージカルの稽古や、ミュージカル期間中に放送する番組の収録。
殺人的なスケジュールが組まれていたが、今日はまだ早く終わる方だと言える。

しかし、時計が進む遅さに美貴はイライラしていた。
何度時計を見ても、全然時間が過ぎない。
移動をしても、収録が終わっても。
美貴が解放される時間、そして亜弥に会いにいける時間まで、まだまだ時間があった。
昼食として支給されたお弁当を勢い良くかき込み、外へ出る。

亜弥の携帯に電話をかける。
呼び出し音がなったが、亜弥がでてくれることはなかった。
留守電に切り替わったが、美貴は何も言わずに切った。

朝は晴れていた空からは、雨がぽつぽつ降り始めていた。
コンクリートを次第に黒く染めていく雨粒。
美貴はぼーっとそれを眺めていたが、さすがに髪が濡れるのが気になり、建物に戻った。
101 名前:1 水の章 投稿日:2004/05/30(日) 21:38
亜弥は、窓越しに落ちてくる雨を覗いていた。
右手に持った携帯は、振動を止めた。

出たかった。話したかった。聞きたかった。

「バカ」

亜弥は窓に映る自分につぶやいた。
すごくかわいくない顔をした自分に。
雨は勢いを次第に強めた。

その時、亜弥の携帯が鳴った。
ドキッとして、亜弥はディスプレイを見る。
かけてきたのは美貴ではなかった。
安心と落胆が同時に亜弥に降りかかる。
亜弥は通話ボタンを押した。
102 名前:1 水の章 投稿日:2004/05/30(日) 21:39


「お疲れ様」

収録が終わると美貴はカバンをもって、いそいそと去った。
亜弥のところにいくのは、23時を超えるだろう。
ちらっと携帯で時間を確認し、美貴は更に走る速度を上げた。

出る前に電話を掛けたが、相変わらず亜弥はでない。
呼び出し音が鳴っているのに。
家にいるはずなのに。

いろんな可能性が美貴の頭に浮かんで消える。
電車を待っているという、自分ではどうしようも無い時間がもどかしかった。

「美貴!」

そんな時、急に呼びかけられた。
振り返ると真希がいた。
ニコッと美貴に笑いかける彼女の顔が、美貴のすぐ後ろに。
103 名前:1 水の章 投稿日:2004/05/30(日) 21:39
「あれ?ごっちんって、この駅だっけ?」
「いやー違うよ。ちょっと美貴に話があってさ」
「話?」
「うん。まっつーがさ」

まただ。
また後藤の口からでるその言葉に、美貴に動揺が走った。

「亜弥ちゃんが…どうしたの?」

美貴は、自分が真希をにらんでいるということに気付かなかった。
真希も、それに気付いてないかのように、淡々と言葉を続けた。

「私さー昼に電話したんだよね。昨日あんな話したじゃん。気になってさ」
「……」
「別に昨日のことは言ってないよ。ただ、美貴は何も隠して無かったよって。
忙しくなるから、気が立ってるだけだよって言っといた」

昼という言葉が更に美貴を動揺させる。

自分の電話には出ないのに…
着信に気付いてるはずなのに…
104 名前:1 水の章 投稿日:2004/05/30(日) 21:39
「でもさ、まっつーはやっぱり何か隠してるって聞かなくてさ。
私は今からもう一回まっつーとちゃんと話して来ようかと思うんだけどさ」
「え?」
「こういう時って、美貴が行かない方がいいと思うんだよね。
美貴は今から行くつもりだったんでしょ?」
「そ、そうだけど…」
「こういうのはさ、友達に任せとくってもんだよ。ちゃんと報告するからさ」

真希はもう一度にっこりと笑った。
美貴は複雑な思いもあったが、真希のいっていることは正論でもあると、納得した。

「ごめんね。ごっちんまで心配かけて」
「いいよ、そんなのさ。また今度何か奢ってもらうからね」
「オッケー」

美貴は隣のホームへ行くため階段を降りていった。
真希は美貴の姿が見えなくなるのを確認し、携帯を取り出した。
105 名前:1 水の章 投稿日:2004/05/30(日) 21:40
「あ、もしもし、まっつー?
あのさ、美貴だけど、やっぱり今日いけないんだって。
ごめんね、お昼に連れて行くって約束したのに……」

「うん、ホントごめんね。うん、じゃーねー」

携帯を切ると、丁度美貴が目の前のホームに現れていた。
そして、その間を電車が止まる。
降りる客の波に紛れ、真希はホームを降りていった。

106 名前:takatomo 投稿日:2004/05/30(日) 21:42
>>97-105 更新終了。久々のリアルパートです。
切れのいいところまで書きたかったので、遅くなってごめんなさい。

>>96 ありがとうございます。混み入ってきましたので、ちょっと息抜きにリアルパートでも。
といってもこちらもごちゃごちゃし始めましたが…
107 名前:takatomo 投稿日:2004/05/30(日) 21:43
隠し
108 名前:takatomo 投稿日:2004/05/30(日) 21:43
隠し
109 名前:名も無き読者 投稿日:2004/05/31(月) 12:56
更新乙彼サマです。
久々リアルでほのぼのか、と思いきや。。。
大変ですな、ミキティw
次も楽しみにしてます。
110 名前:1 水の章 投稿日:2004/06/05(土) 00:11
電車が揺れを体に感じ、美貴はボーっと、窓に映る自分の姿を見ていた。
可愛くない。
睨み付けるような自分の表情。
腹が立っているわけじゃない。
亜弥のことが心配で。
でも、それを真希に任せてしまったことが。
腹を立ててるとしたら、亜弥にではなく、自分にだ。

煮え切らない思いのまま、美貴は家に帰る。
真希からの連絡はまだこなかった。
こっちからでもかけたかった。
何よりも、真希ではなく亜弥にかけたかった。

だけど、それはできなくて。
そして、代わりに美貴へかかった呼び出しの合図は、向こうの世界からだった。

刀が光を放つ。
鞘越しに飛び出す光。
一筋の青。
鍔元から強く、強く漏れる。

「こちらからあなたを呼ぶと、刀が青く光ります」

杏が言っていたことをすぐに思い出す。
刀を抜くと光は止み、美貴はそのまま刀を振った。
111 名前:1 水の章 投稿日:2004/06/05(土) 00:12


剣道というものを美貴は見た事が無かった。
だが、直感的にわかる。
美貴が今、杏から手ほどきを受けているのは、剣道なんかじゃない。
スポーツという範疇に属するものの教え方ではない。
人を殺す術。
無駄な動きは無い。
如何に早く敵の急所をつき、如何に早く戦闘不能にさせるか。

美貴の体を容赦なく叩く杏の手刀。

「これが本物の刀だったら、あなた何回死んでると思う?」

その台詞を言われるのすら、何度目だっただろう。
徹底的に型を無視し実戦をこなす。
一定時間ごとに、美貴が間違った点を杏が述べていく。
それを一つ一つ吸収していく美貴。
その速さが尋常ではないことを、杏はとっくに気付いていた。
112 名前:1 水の章 投稿日:2004/06/05(土) 00:13
この世界と向こうの世界は違う。
時の流れだけでなく、身体感覚も。
美貴はまだそのことを気付いていなかった。

しかし、二人の間には歴然とした差があったのも事実。
いくら美貴の上達が早くても、埋まらないくらいの大きな差が。

美貴は刀を右に構え、間合いを詰める。
木刀とはいえ、武器を持っている以上、明らかに間合いが広いのは美貴だった。
だが、そのリーチも、当たらなければ逆に欠点となる。
杏の肩から斜めに薙いだはずの刀はむなしく空を切る。
木刀をとめ、再び振る時間など、与えてもらえるわけがない。

美貴は木刀を地面にあて、後ろに飛ぶ。
その前を横切るのは、杏の右手。
下げた木刀はそのままに、左に一歩。
無防備な半身が美貴の目の前に広がる。
113 名前:1 水の章 投稿日:2004/06/05(土) 00:16
あとは思い切り下から切り上げるだけ。
ところが、力を入れた瞬間、美貴の体が後ろに傾く。
杏の右足は美貴の下腹部を押していた。
押していた。
まさしくそう。痛みは無かった。
蹴り倒すことも可能だっただろう。
だが、杏はそうはしなかった。それは彼女の余裕であったし、美貴をいたぶることが彼女の目的ではなかったから。

それでも必死に木刀を振り上げるが、距離があわなかった。
そのまま体勢を崩し倒れる美貴の首元を、杏は叩いた。

「惜しかったね」

そのまま手をとり、美貴を起こす。
何度もやったことだけど、未だに一本も取れていない。
114 名前:1 水の章 投稿日:2004/06/05(土) 00:17
疲れはある。
何も食べずにやってるんだ。
それこそ、休んでる時間も無いくらい、ずっと。
だけど、体の疲れ以上に、悔しさや、そして楽しさがあったから。
美貴は無我夢中で杏に向かっていった。

亜弥のことなんて頭の片隅に追いやられ。
時間を忘れて遊ぶ子どものように。
美貴の頭は完全に杏の一挙一動に占領されていた。

「もう一回!」

美貴は木刀を構えなおした。
115 名前:1 水の章 投稿日:2004/06/05(土) 00:17
そもそも、これは忍冬の力を有効に使うためのものであり、
杏は本心から美貴に殺人術を仕込むつもりは無かった。
言い方は悪いが人並み程度に。
忍冬の力をうまく使えるくらいに、美貴を鍛えるためのもの。
だが、その到達点がずれてきているのは確かで。
美貴は少なくとも杏の全てを盗もうとしていたし、杏も惜しみなく自分の全てを美貴に出そうとしていた。

ずれた目的は、時に本来の目的以上の収穫をあたえることがある。
邪な動機がなによりも強い力となるように…
116 名前:takatomo 投稿日:2004/06/05(土) 00:20
>>110-115 更新終了
いい加減一章を終わらせたいのに終わりません…
話もぜんぜん展開してません。
気長にお待ちください…

>>109 ありがとうございます。
展開がつぎはぎ状態で申し訳ないです。もう少し整理していけるよう努力します。
117 名前:名も無き読者 投稿日:2004/06/06(日) 13:25
更新お疲れサマです。
頑張ってますなミキティ〜w
ラストの二文が気になりますが、
次も楽しみにしてます。
118 名前:1 水の章 投稿日:2004/06/07(月) 22:39
そもそも、命というものの境界は何なんだろうか?

美貴は考える。

蚊を殺すことに罪悪感を覚える者はいない。
ゴキブリもそう。
魚も同じ。
だけど、犬を殺すのはかわいそうだと思う。
人を殺してはいけないと教えられる。

その境界は?
119 名前:1 水の章 投稿日:2004/06/07(月) 22:39
魚を殺して食べる。鳥を殺して食べる。牛を殺して食べる。
だけど、犬を殺して食べるのはかわいそうだと思う。
人を殺して食べるのは、想像するだけで吐き気すら覚える。

その境界は?

部屋の窓を全開にして、美貴は考えた。
時刻は既に2時を差している。
真希からの連絡はまだこない。
120 名前:1 水の章 投稿日:2004/06/07(月) 22:39
眠くは無かった。
疲れてもなかった。

半日以上、向こうの世界で動き回っていたのに。
不思議と。

牛を食べないと死ぬ。蚊を殺さないと、こっちが刺される。

単純すぎる答えが浮かぶ。
人は、この考えを自己中心と非難するのだろうか?

おいしい肉を食べたいから牛を殺し、刺されたくないから蚊を殺す。
つきつまるところ、それだ。
自分が被害を受けないために。
自分が満たされたいために。
121 名前:1 水の章 投稿日:2004/06/07(月) 22:40
犬がもし、自分を殺そうと噛み付いてきたら、殺しても文句は言われないだろう。
殺してもかわいそうだとは思わないだろう。

だとしたら、自分を殺しに来る奴等を殺すことに、罪悪感を覚えるのは、おかしなことじゃないの?

杏の最後の言葉が再びよぎる。

「この世界であなたの命を狙う人はごまんといて。その中にはあなたの知っている顔があるかもしれない。
仮に、あなたがその人を殺しても、あなたの世界でのその人は、死ぬわけ無い。
でも、あなたが殺されるとどうなるの?それでも、あなたは敵を殺さずに済ませられる?」

殺人術を教えるつもりは無かった。
彼女は言い訳がましく、そう付け加えた。
彼女が教えたのはそれ以外の何者でもないのに。
122 名前:1 水の章 投稿日:2004/06/07(月) 22:42
忍冬の力―時間の加速―は、使用者に多大な負荷をかける。
美貴が前に倒れたのもそのせいだった。
それを使う機会を最小限にするために、また、それを勝負どころで有効に使うために。
杏は美貴を訓練していたという。

だが、結果は、どうなった?

自嘲ともいえる笑いを美貴は浮かべた。
少なくとも自分は、人を殺す方法しか身についていないと美貴は自信を持って言える。

それは、杏自身感じていたことだった。
自分に向かってくる美貴の気は、まさしく自分を殺そうとしていた。
だから、杏は、最後に言ったのだ。
自分の過ちのせいで、堕ちていく美貴をせめて救うための言葉を。
少しでも美貴の中で罪悪感が消えるような言葉を。
そして、彼女自身の免罪符ともいえる言葉を。
123 名前:1 水の章 投稿日:2004/06/07(月) 22:44
真希からの電話はまだこなかった。
亜弥からの電話も。

メールを問い合わせしてみる。
届いたのは、卑猥な言葉を婉曲的に表現している出会い系メールが2通。
それだけだった。

不思議と焦りを感じていない自分がいた。
美貴は気づいていないが、彼女はどこか慢心していたに違いない。
亜弥は結局自分のところに戻ってくる。元通りに関係に戻れると。

根拠の無い自信。まさしくそうだった。
美貴は、自分が過去にそれで失敗している。
4年前に。モーニング娘。追加メンバーオーディションで落ちた時だ。
根拠の無い自信が打ち砕かれたときの辛さ、悲しみ。
美貴はそれを心の奥に押し込み、再び失敗しようとしていることに、気づいていなかった。

結局、その夜は連絡は来なかった。
真希にだけメールを送り、ベッドに入る。
朝になれば事態が変わることを信じて。
亜弥の自分に対する思いを信じて。
124 名前:1 水の章 投稿日:2004/06/07(月) 22:45
――――

夜が明けた。
美貴はメールの着信で起こされた。

差出人は真希。

起きたばかりでボーっとしている頭が、その文字を認識すると一気に冴える。
メールによれば、亜弥はまだ気持ちの整理がついていないらしい。
きちんと整理ができたら、亜弥から連絡する。
感謝の意を返信し、美貴は用意を始めた。

美貴は知らない。
同じ内容のメールは亜弥にも送られていることを。
そして、亜弥も、知らなかった。
美貴に送られたメールが亜弥と美貴の名前が入れ違ったメールであることを。

125 名前:takatomo 投稿日:2004/06/07(月) 22:52
>>118-124 更新終了です。
どんどん話が変な方向に進んでいる気がするのは、気のせいだと思いたい。

>>117 ありがとうございます。
いろいろと問題ばかり起こしてばかりで…
いつかは解決しますので、見守っていてやってください。

126 名前:ヤグヤグ 投稿日:2004/06/08(火) 23:37
更新乙です。
彼女は一体何をしようとしてるのか・・・気になる。
次回更新楽しみに待ってます。
127 名前:名も無き読者 投稿日:2004/06/12(土) 15:56
更新お疲れ様デス。(亀
ひゃー、、、
彼女の目的は一体・・・?
ドキドキしながら続きを楽しみにしてます。
128 名前:1 水の章 投稿日:2004/06/14(月) 20:48


「紺野…もうやめようか…」

突然の言葉。自分の最も愛しい人から放たれた「やめる」という言葉。
その意味をつかめないほど、あさ美は愚鈍ではない。
だが、それを素直に受け止めることができるほど、あさ美は愛していないわけではなかった。
それでも、あさ美が泣きつかなかったのは、やはり目の前の人物を愛していたから。
本当に、愛していたから。

あさ美の髪をなでる手。
自分を見つめる瞳。

一秒でもそれらを焼き付けていたい。覚えておきたい。
あさ美は、それだけ思っていた。

わかっていた。あさ美には。
鈍いとかとろいとか言われる彼女だったが、それはあくまで行動でのことで。
頭脳は誰よりも優秀なスーパーコンピューター。
ましてやそれが、自分の愛した人のことならば。
その力は、ほんの些細なサインすら見逃さず、分析し、答えをはじき出す。

わかっていた。そう、自分の目の前にいる人が、自分をいつしか見ていなかったことに。
129 名前:1 水の章 投稿日:2004/06/14(月) 20:48
「…後藤さん」

それだけの考えをめぐらした後に、あさ美は口を開いた。

「ごめん…」

次の言葉をさえぎるように、真希は言った。
自分が一番卑怯な言葉を口にしていることを、自覚しながら。

でも、真希は誓ったのだ。
自分が一番愛する人を手に入れるためなら、どんなことでもしてみせると。

真希は無言であさ美の部屋を出た。一度も振り返ることをせずに。
自分の背中を見つめているであろう、あさ美の目を見るのがつらいから。

バタンと閉められるドア。
その音が引き金となり、あさ美の頬に一筋の涙がこぼれた。
たった一筋の。一筋だけの涙が。
130 名前:1 水の章 投稿日:2004/06/14(月) 20:49


「後藤さん…」

部屋を出た真希にかけられた声。
振り返ると愛がそこにいた。

「ああ、丁度よかった…」

笑顔を作り真希は言った。
完全な作り笑顔。そして、皮肉な笑いだった。

真希は知っていた。
愛があさ美のことを思っていることを。
いつも、愛が自分たちの後ろをつけていた事を。

「さっきの話、本当なんですか?」
「ふーん、盗聴までしてるんだ……夜中なのにご苦労様だね」

そっけなく真希は言った。愛の目に動揺が走る。
ポケットに突っ込んだイヤホンを握る手に、力がこもった。
131 名前:1 水の章 投稿日:2004/06/14(月) 20:49
「いいよ。紺野のとこ、行ってあげなよ。今なら紺野はあんたに―――」

パシン

言葉をさえぎって響く音。
愛の手は真希の頬を叩いていた。

「あなたは……最低です……もう、絶対……あさ美ちゃんの前には現れないでください……」

喜びよりも憎しみが勝った。
あさ美を傷つけた真希。
そして、真希が部屋を出てから、自分の耳に入ってきたあさ美のすすり泣く声。
二人の会話を数ヶ月間聞いていたから。
愛は、どれだけあさ美が真希を好いていたか、痛いくらいにわかっていたから。

だから、彼女は真希が許せなかった。
打算なんてものを考えられないほどに。
それほど、彼女はあさ美を愛していたから。

真希は何も言い返さずに、愛に背を向けエレベーターに乗り込んだ。
愛は、しばらく逡巡したが、真希を乗せたエレベーターが下の階へと下りていくのを見届け、あさ

美の部屋へと入っていった。
132 名前:1 水の章 投稿日:2004/06/14(月) 20:49


新着メールはありません。

本日何度、美貴はこの画面を見ただろう。
事あるごとに問い合わせてみるが、いつも同じ結果。
パチンと携帯を閉める音に続くため息。
これも本日幾度目だろうか。

電話もまだ来ない。
メールもまだ来ない。

自分の曲のフレーズが頭によぎる。

電話をかければいい。メールをすればいい。
たった、それだけのことだった。
だけど、たったそれだけができずにいた。
まだ、美貴は亜弥を信じていた。亜弥に依存していた。
そして、それは亜弥も同じことで。
双方、連絡が取れないまま、一日が過ぎようとしていた。
133 名前:takatomo 投稿日:2004/06/14(月) 20:59
>>128-132 更新終了 
どんどんファンタジーじゃなくなってます…
次はそろそろ…

>>126 ありがとうございます。登場人物追加で更にいろいろと…
彼女が止まってくれません。

>>127 ありがとうございます。かなり方向性変わってます。
暗すぎてごめんなさい…
134 名前:名も無き読者 投稿日:2004/06/15(火) 04:01
更新お疲れ様です。
わぁ、、、
みんなやるコトが過激・・・ていうか犯罪?w
ファンタジーでコレが見れるとは思わなかったので逆にナイスです。
続きも楽しみにしてます。
135 名前:1 水の章 投稿日:2004/06/22(火) 00:18


「誰?」

その問いかけに意味はなかった。
彼女自身、自分の背後にいる人物がわかっていたから。
わかっていたというのは正確ではないかもしれない。

自分の周りに突如広がる、水蒸気を多く含む空気。
足音一つ立てずに近づいてくる気配。
そして、自分に対して殺気を放つ人物。

どれか一つだけなら、他の誰かかもしれない。
でも、これだけの条件が3つ揃えば、答えは一つしかなかった。

「こんなところにいたのね」
「悪い?こう見えても、結構便利なんだけどさ、なっち」

ごつごつとした岩肌が見えている大きな山の中腹。
自然に出来た広い空洞だった。
美貴に話した時とは正反対の厳しい表情のなつみ。
変わらない千早と袴という服装だったが、それは真っ黒で。
右手には一本の刀が握られていた。
136 名前:1 水の章 投稿日:2004/06/22(火) 00:18
彼女―杏―はゆっくりと立ち上がったが、振り返りはしなかった。
しかし、右手は腰に刺した刀に当てていた。

「藤本美貴、どうして彼女を助けたの?」
「たまたま、目に付いたからよ。目の前で人に死なれるのって、目覚め悪いっしょ?」
「嘘」
「じゃ、何て言えば納得してくれる?あなたを殺すため?」

その声に反応して、杏の背後で腕が振られる。
なつみの刀から無数の細い水の刃が放たれ、杏の背中を襲う。
左足を軸に、体を反転させ刀を抜く。
迫り来る水の刃が次々と水しぶきとなり宙に舞う。
処理し切れなかった一個が、顔を掠めた。

顔にかかった布が破かれ、ハラリと落ちた。
137 名前:1 水の章 投稿日:2004/06/22(火) 00:19
「さすがね、明日香…」

布の下から現れた顔は、紛れもなく福田明日香だった。

「どうして杏なんて名乗ってたの?藤本美貴は、あっちのあなたのことを知ってるの?」
「さぁね」

杏、いや、福田明日香は残りの布を破り、地面に投げ捨てた。
そのことは、触れられたくなかった。
明日香は、美貴と同じ、現界の人間だったから。
どうして、自分がここに来たか。
そして、なぜここにいるか。なぜなつみが自分の命を狙っているか。
彼女がそれを語ったのは、たった一人にだけ。

「だから、助けたの?あっちの世界の知り合いだから?」
「黙れ!藤本と私は関係ない!」

一歩で近づき、刀を振る。
だが、それは目の前の相手に届くことは無かった。
淡い光を放つなつみの刀がそれを数センチ前で止めていた。
138 名前:1 水の章 投稿日:2004/06/22(火) 00:20
「私は支配者になるべき者。お前みたいな半端者に切れるわけがないでしょ」

パキンという音をたて刀身が折れる。
それとともに、明日香を包み込むように、なつみから再度水の刃が放たれた。
急所を避けることで精一杯。
左手一本で避けきれないものを全て受ける。
利き腕は守る。
それは瞬時の判断だった。
だが、利き腕を守ったとしても、左腕の出血は、それを生かすことを許さないほど全身の体力を奪った。
ふらつく足元。
意識がなくなるまでのカウントダウンは猛烈な勢いで進んでいく。
心臓が激しく波打ち、その度に全身への痺れは広がっていった。

明日香は自分が刀を落としたことすら気付かなかった。
139 名前:1 水の章 投稿日:2004/06/22(火) 00:20

「藤本が、きっとなっちを止めるから」

明日香は最後にそれだけ言った。
死の瞬間と感じさせないほど、穏やかな声。
淡々と明日香は口に出した。
なつみの刀が、明日香の体を貫く。
なされるがままに明日香は後ろに倒れた。

140 名前:1 水の章 投稿日:2004/06/22(火) 00:20


「藤本さん、どうしたんですか?」

自分の前を歩く美貴の足が急に止まり、亜依は声をかけた。
再び幻界にやってきた美貴は、亜依と希美とともに、朝の民の里へと向かっていた。
美貴がこちらに来る前、二人は杏から鞘を渡されていた。

突然、自分達の前に現れた杏は、二人にこう告げた。

「朝の民の里、あなた達の事情は知ってるけど、そこに藤本を連れて行ってくれない?」

「どうしてもですか?」

明らかに嫌そうな顔で拒もうとする亜依。
当然である。
朝の民である彼女は、希美と共にそこから出てきたのだから。
141 名前:1 水の章 投稿日:2004/06/22(火) 00:21
「お願い。圭織に、会わせてあげて」

圭織という言葉は、二人にとって大きな意味を持つものだった。
自分達を助けてくれたことには変わりないが、二人とも杏を信じることは出来ない。
だが、圭織という名前を出されれば、二人はそれに従わざるを得なかった。

「あなたは行かないんですか?」
「うん、私は最後にやることがあるから」

杏はそれだけ言い残して去って行った。
二人は、それが杏の、福田明日香の姿を見る最後の機会だったとは、知る由も無かった。

142 名前:1 水の章 投稿日:2004/06/22(火) 00:21

「いや…」

立ち止まり、刀を抜く美貴。
忍冬が音を立てたような気がしたのだ。
再度、小さく忍冬が唸る。
それが、鞘を通して自分の中の何かを揺さぶった。
寂しい、悲しい感情。
涙を流せない刀が、代わりに美貴に涙を強要しているかのように。
深い、深い悲しみが美貴の中で膨らんでいった。

143 名前:1 水の章 投稿日:2004/06/22(火) 00:35
「泣いてますよ?」

亜依が言う。
美貴はそれを拭くことはしなかった。
なぜ、自分がこんなに悲しいのか、泣いているのかわからないが、そうした方がいいと、彼女は思った。

「加護ちゃん、目的地までもう少し?」
「……はい。この森の中にありますから」
「行こう…」

涙を流した表情とは裏腹の力強い声。
悲しみと共に、自分の中に沸々と湧き上がる何かがあった。
それは、使命感や正義感といった言葉で片付けられるようなものだろう。
だけど、それは、きっと美貴の本心ではないのかもしれない。
刀の意思。
美貴はそれに影響されているだけなのかもしれない。

美貴は、そのことには気付いていない。
これからも、気付くことは無いかもしれない。

半時間後、三人は朝の民の里にたどり着いた。
日の光すら届かないほど生い茂った、深い森に囲まれた亜依と希美の故郷。
そして、美貴は再会する。
真里と。
そして、なつみと。
144 名前:1 水の章 投稿日:2004/06/22(火) 00:35



<1 水の章 完>




145 名前:takatomo 投稿日:2004/06/22(火) 00:40
>>135-144 更新終了
やっと1章おしまい。出すべき謎や人物関係を一気に全部出していったので、話飛び飛びです。
導入ということで大目に見てやってください。
次からは、ファンタジー部分とリアル部分ももう少し繋がっていく予定ですので…

>>134 ありがとうございます。どんどん話が暗くなっていきます。
キャラが全員暴走気味なのは、気のせいということで…
146 名前:名も無き読者 投稿日:2004/06/22(火) 16:44
更新お疲れ様です。
っひょぉ!?急展開ッスね〜。w
今回のでファンタジーとリアルを繋ぐ穴が若干広がった気がしますが
これからどうなるんでしょう・・・?
次章も楽しみにしてます。
147 名前: 投稿日:2004/06/27(日) 14:55
―――

いつか、目覚まし時計が鳴って、そしたらベットの上で、いつもの朝が始まっちゃうんですよ。
ここでのことが実は全部夢だったってことがわかっちゃうんです。


―――
148 名前: 投稿日:2004/06/27(日) 14:56


―――――『夢限幻無 第2章 木の章』―――――


149 名前:2 木の章 投稿日:2004/06/27(日) 14:57
男は薄暗い闇の中を走っていた。
小さな明かりを求め、ただまっすぐに。

乾いた土を踏む音。
自分の口から漏れる空気の音。

どれに加えて、もう一つの音を、自分の耳が感じ取った時、男は足を止めた。
呼吸を整え、耳を澄ます。
自分の息の合間に聞こえる女の人の声。
それが歌だとわかるのには少し時間を要した。

男の背中に嫌な汗がつたった。
もしこの場で歌を聞いたなら、10人中9人が同じ反応をしていたであろう。
歌というものは、この状況ではそれだけの大きな意味があった。

身構えた男の真正面から衝撃が加わった。
切り裂かれたような痛み。
事実、切り裂かれていた。
男の腹部がじわっと染まる。
当てた手に広がる生暖かい液体。
男の意識は途絶えた。
150 名前:2 木の章 投稿日:2004/06/27(日) 14:58
「梨華ちゃん、お疲れ」

木の上から声がした。
梨華と呼ばれた少女は、声のする方へと手を振った。
数メートルもある木の上から、答えるように飛び降りた人影。
茶色がかった髪。
前髪の隙間から覗かれる容姿は、美男子とも呼べるような。
それと相対するかのように、不恰好なほどにバランスを損ねた大きな剣らしきものが、背中に背負われていた。
剣らしきもの。
彼女の武器を形容するには、その言葉がピッタリだった。
刃は広く、おおよそ剣という範疇に属するものではない。
斧。形状を問題にしなければ、それはそう呼んだ方がいいのかもしれない。
刀匠らが必死に作り上げている切れ味というものを、重量で単純に解決しているような。
切るよりも、押しつぶすことで敵の命を奪おうとする武器。
彼女の持っているものはそれであった。
だから、がっしりとした体格は、足元で息絶えている男のそれと、遜色なかった。
そして、彼女の左手にはうっすらと模様が浮かび上がっていた。
151 名前:2 木の章 投稿日:2004/06/27(日) 14:58
「よっすぃ」

梨華は駆け寄り口付けた。
あまりに自然な動作で行われたそれは、血の臭いが充満し始めたこの空間で、あまりに浮いていた。
よっすぃ―吉澤ひとみ―と打って変わった印象を与えるのが、梨華であった。
ピンク色に染め上げられた服の丈は短く。
力を加えれば折れてしまいそうな、細い四肢がそこから伸び、ひとみに絡み付いていた。

「誰?」

ひとみが声を出す。
梨華の手が動きを止めた。
だが、梨華はひとみから離れようとはしなかった。
152 名前:2 木の章 投稿日:2004/06/27(日) 14:59
「相変わらずのようで」

草木を踏み荒らす音ともに、亜依が姿を現し言った。

「お前も、相変わらず生意気なのは変わってないね」

ひとみはぶっきらぼうに答える。
亜依のすぐ後から出てきた美貴は、二人の関係が決して友好的ではないことを、直感的に察した。

「どうして、帰ってきたの?」

梨華の声。
ひとみと話すときとは打って変わって弱々しい声。
美貴は、梨華のこんな声を聞いたことが一度だけあった。
オーディションの時。
初めて梨華と言葉を交わしたとき、彼女は今みたいな声だった。
153 名前:2 木の章 投稿日:2004/06/27(日) 15:00
「飯田さんに会いたいんです」

美貴の後ろにいた希美が言う。
梨華とひとみは顔を見合わせた。

飯田さんというのが、飯田圭織であることを、美貴は気づいている。
彼女の良く知っている飯田圭織は、少々頼りない感じのするお姉さん。
美貴自身、ハロープロジェクトに入った時から、いろいろ助けてもらってはいるが、やはりまかせっきりにできない印象はあった。

いい加減、美貴は気づき始めている。
この世界の人間と、自分が知っている元の世界の人間が似ていること。
そして、朝の民と呼ばれるのは、モーニング娘。のみんなであること。

だからこそ、飯田圭織が絶対的なまでに、彼女たちの間で信頼されていることに、美貴は少なからず不安を覚えているのも事実だった。
もちろん、そんなことは、希美にも亜依にも言っていない。
もし言えば、それこそ二人の協力を得られない事態に陥るかもしれないのだから。
154 名前:2 木の章 投稿日:2004/06/27(日) 15:00
「ついて来て」

ひとみは3人に背を向けた。
梨華はぴったりとひとみの腕にくっついていた。
亜依たちも黙ってついていく。
美貴もそれに従った。

美貴たちが森に入ったとき、太陽はまだまだ沈む気配は無かった。
それからどれだけの時間が経ったかは分からないが、少なくとも日が沈むほど歩き回ったわけではないことくらい、美貴はわかっている。
だが、この森ときたら、それを錯覚させるほど薄暗く。
上を見上げても折り重なった葉が、日の光を幾重にも遮り、闇が広がるだけで。
ほんの数メートル先を歩く亜依たちの姿が、そして、梨華の派手な服が美貴には認識できるほどだった。
次第に美貴には自分たちの周りが、湿気を帯びていくことに気づく。
155 名前:2 木の章 投稿日:2004/06/27(日) 15:01
薄暗い中で、霧は白色ではっきりと見え、だが、その霧のために視界がより悪くなる。
すっと霧の中から伸びてきた手が、美貴をひっぱった。
美貴の体が瞬間強張ったが、「私です」という亜依の声が、徐々にそれを緩めていった。

どの方向に歩いているのかさえわからない。
視界もどんどん悪くなり、すでに自分の手を引いている亜依の姿も、肘から先は見えなかった。

それからもどんどん歩き続ける。
湿気で髪の毛や服はびしょびしょ。
がたがたの地面は、足元が見えないために、精神的な疲労も蓄積させていった。

前を歩く亜依の足が止まる。
もちろん美貴には、それは見えないわけで。
思い切りぶつかった。
156 名前:2 木の章 投稿日:2004/06/27(日) 15:01
「ご、ごめん」
「いえ、藤本さんこそ大丈夫ですか?」

美貴には、そう言った亜依の顔が見えてた。
霧は徐々に晴れていった。
美貴がそれに気づいたのは、自分の前にいる亜依の全身が見えたときだった。

「朝の里、着きました」


霧が晴れる。
現れたのは、数時間ぶりの輝かしい陽の光と、緑色の草原。
向こうの方に、家が見える。
美貴がいつも見ているような家ではなく、藁葺きの平屋だった。
157 名前:takatomo 投稿日:2004/06/27(日) 15:10
>>147-156 更新終了。2章開始です。
4期全員集合です。

>>146 ありがとうございます。
リアルとの関連性が一つのテーマなので、そこに注目して頂けるとうれしいです。
158 名前:名も無き読者 投稿日:2004/06/30(水) 16:08
更新お疲れ様デス。
おっ、四期総登場ですね。
次回あたりあの方も出て来そうで、話の広がり方が楽しみです。
ワクワクしながら次回もお待ちしてます。
159 名前:2 木の章 投稿日:2004/07/11(日) 02:15
見上げた空は雲ひとつ無い。
というより、太陽も無かった。
空全体が光っていた。
これは空なんだろうか、美貴にはそれが判断できなかった。

「圭織さんに会う前に、なつみさんに会ってもらいます」
「どうして?」
「そこの人、藤本さんだっけ?その人が持ってるの、五星刀でしょ」

希美に答えるひとみ。
刀すら抜いていないのに、どうしてそれがわかるのか、美貴は理解できなかった。

「どうして?どうしてわかるの?」

亜依が言う。
彼女は嫌だった。なつみに会うのが。
そもそもそれは、希美と亜依がこの里をでるきっかけとなったことでもあるのだが。
そして、なにより五星刀をなつみの元に持っていくのが嫌だった。
160 名前:2 木の章 投稿日:2004/07/11(日) 02:15
「やっぱりね…」

亜依は口元を押さえた。
ひとみはカマをかけただけ。
のってしまったのは亜依だった。
しかし、ひとみは知らない。
亜依が、なつみの所に五星刀を持って行くのが嫌なことを。
ひとみは、この二人―亜依と希美―がこの里を出て行ったこと。
そして、圭織を慕っており、なつみのことはあまり好きではないこと。
それだけの情報しかしらない。

圭織となつみ。
この里の実質のトップはこの二人だった。
だが、それは二人が対立しており、二分されているというわけではない。
表向きは。そう、表向きは二人とも何事も無かった。

「私の剣、これもさ、ただの剣じゃないんだよね。だからなんとなくわかる。
藤本さんが持ってるのがただものじゃないことくらい。それこそ、見たことも無いような力を持った刀だってことくらい」

先を歩くひとみに付いて行く二人。
美貴もそれに従う。
なつみに会うということは、美貴にとっては逆に安心できることだったから、前の二人とは違い、足取りは軽かった。
161 名前:2 木の章 投稿日:2004/07/11(日) 02:16
他に人はいないのだろうか。
そもそも家が並んでいるものの、人の気配は一切感じない。
気配よりも感じられないのは、生活の臭いだったが、美貴は気付かなかった。
静観としたそこを通り抜け、目の前の、一つ大きな家に着く。

「なつみさん」

ひとみが叫ぶ。
梨華はすっとひとみの手から離れ、横に立った。
亜依と希美も二人の後ろに隠れるように立つ。
居場所の無い美貴は、亜依と希美の間に割って入った。

「よく帰ってきましたね。あいぼん、のの」

声が聞こえた。
いつの間にか美貴の目の前には、なつみがいた。
亜依と希美は答えなかった。
やましい事があるかのように、俯いて目を合わせようとしなかった。
162 名前:2 木の章 投稿日:2004/07/11(日) 02:16
「藤本さんも、よく来てくれました」

美貴は軽く会釈する。
なつみはそこから話し始める。
相変わらずの、落ち着いた聞き取りやすい声。
だが、そこから得られる情報は、以前と変わりなく。
寧ろ、美貴にいうよりは、亜依と希美を諭しているような、そんな印象さえ受けた。

明らかな態度の違いに、美貴は気付いている。
亜依と希美がなつみに会いたくない理由はわからないが、少なくとも、二人がなつみを嫌っているのがわかる。
とすれば、圭織がその件に関わっているであろうことくらい、先ほどのひとみとの会話から、美貴は容易に推測していた。

だからといって、美貴はそれ以上考えることはしなかった。
まずは圭織に、飯田圭織に会ってから考えようと、美貴は思っていたからだ。
163 名前:2 木の章 投稿日:2004/07/11(日) 02:16
ナレーターのように語られるなつみの言葉を聞き流しながら、美貴は改めてひとみと梨華を観察してみた。
自分が知っている彼女よりも、ひとみは少し筋肉がついているだろうか。
背負われた剣は、自分よりも大きいのではないかと疑うほど。
重量にしても自分よりも重いのではないかと、美貴は思う。
それを軽々と背負い、また片手でそれを持っていたひとみの力を思い、美貴は驚きというよりは恐怖を感じていた。

それと相対するのが梨華。
か細い腕は、美貴の記憶にあるそれと同じであったが、隣にいるひとみのせいで余計に細く見えていた。
そして、派手なピンク色の服。
どういった色素を使えば、こんな風に染め上げられるのか、美貴は考えたくも無かったし、知りたいとも思わなかった。
梨華の武器は何なんだろうか?
美貴はそれを考える。

両手は何も持っていない。
何かを仕込もうにも、服はノースリーブ状態であり、何か隠している様子も無い。
唯一腕に巻かれたピンク色のリングがあるが、数センチの幅しかなく、何かをするというよりは、オシャレのためと考えた方がよかった。
胸の膨らみも、美貴が知るそれと同じように見え、お腹にかけてのラインも変わった様子は無い。
足も同様。
太ももがあらわになるほど丈の短い服であり、武器を隠し持っている様子は無い。
足元も同じ。全く何も無い。
そもそも、あの細い腕で、武器というものを操れるかと言ったら、やっぱりノーと答えるしかないわけであり。
164 名前:2 木の章 投稿日:2004/07/11(日) 02:17
だが、森の中で倒れている男は、明らかにひとみの剣で切られた死に方ではなかった。
横を通る時にちょっと見ただけだったが、ひとみの剣で死んだかどうかくらい、素人目にもすぐにわかることだった。
だとしたら、やはり何かがある。
美貴はそう思い、更にジッと梨華を観察するが、梨華はそれに気付いたらしく、美貴を睨むと、ひとみの腕を抱えた。
ひとみは梨華を一度見て、それから視線を美貴の方をチラリとやる。
美貴はばつが悪そうに二人から目を離し、なつみの方に目をやった。

なつみの手には、一本の刀があった。
淡い光が出ているのに気付いていたのは、美貴とひとみだけだった。
他の3人は見えていなかった。
そして、美貴にの頭に知らない単語が急に浮かび上がる。

「春女苑(はるじょおん)」

美貴の唇は確かにそう動いた。
165 名前:takatomo 投稿日:2004/07/11(日) 02:18
>>159-164 更新終了
間隔空いてしまってすいません。

>>158 ありがとうございます。
あの人は、もう少し後になりそうです…
166 名前:名も無き読者 投稿日:2004/07/11(日) 18:05
更新お疲れ様です。
彼女の武器・・・なんざんしょ?
さらに最後のアレも・・・。
続きも楽しみにしてます。
167 名前:2 木の章 投稿日:2004/07/20(火) 00:29


「五星刀の一つです」

なつみはそう言った。
美貴にはわかっていた。
見た瞬間から、それがそうであると。
それは使い手のいない刀。抜けない刀だった。

「これの持ち主を探してください」

なつみは続けてそういったのだった。
唯一の手がかりは、この刀が抜ける人間。
そして…朝の民であるということ。

五星刀を操れるのは、朝の民だけ。
例外的に、自分たち、この世界の人間で無い者。
なつみは美貴にそう言った。
168 名前:2 木の章 投稿日:2004/07/20(火) 00:29
だが、この朝の里に住む者で、これを扱える人間はいないという。
もちろん、亜依も希美も抜くことはできなかった。

朝の里以外に、朝の民はいるのだろうか?
美貴はその疑問の答えがすぐ目の前にあることに、言われるまで気づかなかった。

なぜなら、亜依と希美は朝の里を出た朝の民なのだから。
彼女たちのように、出て行った人間がきっといるに違いない。

その後、なつみが言ったことをよく聞いてはいなかった。
春女苑の放つ、どこか寂しそうな光に気を取られていたから。
母親とはぐれ、一人ぼっちで泣いている子どものような、寂しい光。
相手は刀だ。それを擬人化している自分がおかしかったが、確かにそう感じた。
169 名前:2 木の章 投稿日:2004/07/20(火) 00:30
亜依は、なつみから自分の手に渡ったそれを、慎重に扱い、いや、それは慎重というより警戒に近い。
まるで、敵からの贈り物であるかのように。美貴の目にはそう映った。
なつみはそれに気づいているのか、いないのか、美貴にはわからない。
変わらない調子で「お願い」と言って、なつみは消えていった。

それから、希美と亜依はお互い目を合わせ、刀をひとみに渡した。
ひとみは少し驚いたような顔をしたが、それを受け取り、抜こうとしたが、抜けなかった。
ひとみ自身、やっぱりねといった表情であり、以前に抜こうとしたことがあるようだった。

「それ持って、ついてきて。藤本さんも」

亜依は小声で言って歩き始めた。
大きな家をぐるりと迂回する。
誰もが無言で、先頭を歩く亜依のお団子がゆれるのを美貴は見ていた。
170 名前:2 木の章 投稿日:2004/07/20(火) 00:30
なつみがいた家の裏にある小さな家。
今まで美貴たちが通ってきた家とは違うのは、そこには生活感が感じられることだ。

「よっすぃと梨華ちゃんはここで待ってて」
「なんで?」

亜依にすぐさま反論するひとみ。
それきり、亜依とひとみは黙ったまま、じっと目を見合わせたまま。
ひとみがこういうのは、やっぱり深い意味はなく。
亜依がいやがるから言っているだけで、本人としてはおもしろ半分だった。

だが、それを理解するほど亜依は冷静でなかった。
会って間もない美貴はもちろん、希美も理解していなかった。
気付いているのは梨華だけ。
だが、梨華がそれを言うはずも無く。
171 名前:2 木の章 投稿日:2004/07/20(火) 00:30
キッとにらみつける亜依を、余裕を含んだ表情で見るひとみ。
その関係が崩れたのは、中から聞こえた声だった。
もっとも聞こえたのは亜依だけ。
彼女の頭に響いてきた声は、この家の主の声だった
驚きの表情で後ろを見る亜依。
突然の仕草にひとみは顔をしかめる。

「……入ってきて」

亜依はそのままひとみに背を向け、戸を引いて言った。
亜依の変化が理解できない美貴と、わかったようについていく希美。
ひとみと梨華は顔を見合わせついて行く。

電気がついておらず、中は薄暗かった。
そもそも、電気というものが存在しているわけは無いのだが。
木の格子がはめ込まれた窓から漏れこむ光がだけ。
だが、やけに奥は明るく光っていた。
172 名前:2 木の章 投稿日:2004/07/20(火) 00:31
もちろん通されるのはそこの部屋であり。
そこに座っている一人の人物は、もちろん飯田圭織であった。
安倍と同じ真っ白な千早。だが、袴も真っ白。
肩にかかる長い黒髪が、余計にその色を映えて見せた。
ただ、美貴の知っている大きな目はしっかりと閉じられていた。

「あいぼん、のの、ご苦労様」

目を閉じたまま圭織は言う。
亜依も希美も緊張が解けたかのようにはにかんだ。

「よっすぃ、梨華ちゃんも、久しぶり」

先ほどまでとは打って変わり、二人とも素直にペコリと頭を下げる。

「そして、藤本美貴さん、初めまして、飯田圭織です」

初めてそこで開かれた瞳。
吸い込まれそうな瞳を、美貴は逸らすことなくジッと見ていた。
173 名前:2 木の章 投稿日:2004/07/20(火) 00:31
「…わかりました。ごめんなさい。あなたの素性は謎だったので。
明日香と同じなんですね。あの子らしい…」

目を閉じ、一人納得したように圭織は言った。
明日香と同じ。それは色々な意味を含んでいる。
ひとみと圭織以外にはわからない、色々な意味を…

「そこに座ってください。全てを話します」
「あの…その…良いんですか?」

亜依がチラッとひとみに目をやり、言い難そうに尋ねる。

「ええ。この二人の力も借りることになるから」

圭織は言った。
全員が床に座る。


そして、声が聞こえた。
頭の中に。
全ての真実を語る声が。
174 名前:takatomo 投稿日:2004/07/20(火) 00:33
>>167-173 更新終了
次回は少し遅れるかもしれません…

>>166 ありがとうございます。彼女の武器は近いうちに出てくると思います。
次回は謎解き編ということで…(何回目の謎解き編だろうか…)
175 名前:名も無き読者 投稿日:2004/07/20(火) 10:17
更新お疲れ様デス。
・・・何者?w
謎解き、自分は答えを予想しつつ読んでるので楽しみです。
続きも期待してます。
176 名前:2 木の章 投稿日:2004/08/03(火) 01:26


『春女苑(はるじょおん)
 別名:春紫苑
 キク科ムカシヨモギ属。北アメリカ原産の帰化植物。大正時代に渡来。
 花言葉 : 追想の愛                       』

メモに書かれた文章に目をやる。
あの刀の名前が、花の名前ということすら知らなかった美貴。
もう一枚の紙を広げる。
それは自分の持つ刀の名を冠する花の情報。

『忍冬(すいかずら)
 スイカズラ科スイカズラ属の半常緑性ツル性木本
 花言葉:献身の愛・愛の絆・献身的な愛・友愛 』

共通点は無い。
強いて言うならば、花言葉に愛が含まれているだけだろうか。
177 名前:2 木の章 投稿日:2004/08/03(火) 01:27
―残りの五星刀とその使い手を探してください―

圭織はそう言った。
実際には頭に響いた圭織の声が、そう告げた。
精神感応能力。
圭織が持っているのはそれだった。
美貴たちの世界でテレパシーとかいわれるもの。

―なっちは、安倍なつみは朝の民を救うつもりはないですから―

圭織は続けてそういったのだった。
圭織の能力は精神感応。特に、彼女と目が合ったものは、自分の考えから過去まで全て見透かされてしまう。
目を閉じていたのはそのせいで、初対面で美貴の目を見たのはそのためだった。
178 名前:2 木の章 投稿日:2004/08/03(火) 01:27
―彼女を止めてください。できるのはあなたたちだけなんです―

希美たちが里を離れていたのもそのせいだという。
自分の能力でなつみの本心にいち早く気づいた圭織が、二人にそのことを告げ、里から離したのだ。
彼女たちの目的は、五星刀を探すこと。
そして、その使い手を見つけることだった。
ここにいてはいけない。
なつみはこの朝の里での出来事を全て知ることができるから。
圭織がいうには、そこはなつみの力でできた空間だと言う。
だからこそ、圭織は精神感応で美貴たちに伝えようとしているのだった。

どちらが真実を言っているのか、美貴には判断できなかった。
ただ、ひとみたちもそれは同じで。
里が二分していることを感じていたが、どちらにもつかなかった二人なだけに、それは余計に困難だった。
結局、二人ともなつみと圭織の目的が共に五星刀であることが幸いしてか、協力を仰ぐことができた。
美貴もそれに対しては考えが同じで。
全て手に入れてから、どっちが本当か見極めよう。
そういう結論で3人は落ち着いたのだった。
179 名前:2 木の章 投稿日:2004/08/03(火) 01:27
「藤本さん、そろそろ時間ですよ」

声をかけられ、美貴はメモをポケットに押し込んだ。
まだまだ整理は出来ていないが、それをする時間を取れるほど、自分たちは余裕がある生活を送ってるわけではない。
間近に控えたミュージカル。
美貴にとっての2回目となるミュージカルだった。
だけど、不安はそれほどでなかった。
他に気にしないといけないことが多かったから。
あっちの世界のこと、そして、亜弥のこと。

あれから一週間だが、連絡がこないことを次第にあきらめ始めている自分がいた。
会いに行く時間は無い。
そもそも亜弥は今、ツアーの真っ最中で、会うことは出来ない。
電話は何度かかけようとした。
だけど、やはり指が止まる。
避けられているんじゃないの?
迷惑じゃないの?
そんな葛藤が繰り返されるうちに、時期を逸してしまうから。
亜弥が東京での公演があると送ってくるチケットは、美貴の部屋で眠っている。
それが取り出されるのは来週のことだ。
180 名前:2 木の章 投稿日:2004/08/03(火) 01:27
来週か。

ため息をつく。
来週に帰ってくる。
その時、言おう。話そう。全部。
何を言えばいいのかなんて、わからない。
そもそも、彼女の考えがわからないから。
だが、それ以上に、自分がどうしたいのかわからないことに、美貴は気づいていなかった。

「藤本さん?」
「あ、ごめん、ちょっとボーっとしてた」

あさ美に顔を覗き込まれていることに気づき、答えた。
181 名前:takatomo 投稿日:2004/08/03(火) 01:30
>>176-180 更新終了
パソコントラブルで全部消えたせいで、遅れてすいません

>>175
ありがとうございます。内容大幅変更で結局謎解き無しのような…
申し訳ないです。
182 名前:名も無き読者 投稿日:2004/08/04(水) 01:37
更新乙彼サマです。
PCトラブル、自分もこないだ起こしたばかりです。w
大幅変更されようとついて行くのでこれからも頑張って下さいな。
チラリとあの子も登場して、続きも楽しみです。
183 名前:2 木の章 投稿日:2004/08/11(水) 19:53

頭の中に回っているのは亜弥のこと、真希のこと、圭織のこと、そしてなつみのこと。
バラバラだ。
みんな、バラバラだった。
完成図の見えないパズルのピースのように。
与えられた情報の断片は、全体像を決して美貴に見せようとはしなかった。

事態が動いたのは、その日の夜だった。

久しぶりに聞いた着信音。
着信音を歌う人間からの電話。
美貴が、もっとも待ち望んで、そして、もっともドキリとさせられる相手からの電話。

「もしもし」
「美貴たん、どうして?どうして電話くれないの?」
「え?」

美貴の耳に飛びこんできたのは、亜弥の涙声。
それが一気に美貴の頭から冷静さを失わせた。
184 名前:2 木の章 投稿日:2004/08/11(水) 19:53
「もう、駄目なの?」
「ちょ…どーゆーこと?」
「美貴たん、ずっと待ってたんだよ?ずっと…」
「だから、どーゆーことよ!説明してくんなきゃわかんない」

自分の叫び声が、余計に事態を悪くすることまで、美貴は気が回らなかった。

「ごめんね。もう、切るね」
「ちょっと、亜弥ちゃん?ねぇ、亜弥ちゃんてば」
「ありがとう」
「亜弥ちゃん!」

返ってきた言葉は、ツーツーツーという電子音だけ。
すぐに履歴からかけなおす。
呼び出し音が鳴る。
だが、相手は出ることは無かった。

家?
違う。亜弥ちゃんはツアー中だ。
会うことは……できない。

留守番電話に切り替わった瞬間に切り、再度かけ直す。
だが、今度は呼び出し音すらならなかった。

「電波の届かないところか、電源が入っておりません」

抑揚すらないアナウンスが聞こえるだけ。
185 名前:2 木の章 投稿日:2004/08/11(水) 19:53
「もう、わっけわかんない」

携帯をベッドの上に投げつける。
枕を抱え、何度も殴るが、美貴の気持ちは一向に収まることは無い。
苛立ち、焦り、不安。
負の感情が一気に噴出す。

その精神状態で、美貴が真希のことを思い出したのは、必然ではなく偶然だった。
だが、藁にもすがる思いでかけた電話。
美貴の必死さが見透かされているかのように、真希はなかなかでない。

真希はディスプレイに映る藤本美貴という文字をじっと見ていた。
着信音が一周し、二周目に入ったとき、ようやく真希は通話ボタンを押した。

「もしもーし」

真希はわざとおちゃらけた風に言った。
美貴が、自分にこれだけしつこく電話をかけてくる状況といえば、亜弥のことしかありえないのだから。
186 名前:2 木の章 投稿日:2004/08/11(水) 19:54
「ごっちん、亜弥ちゃんのことなんだけど」

なんとか聞き取れるくらいの早口で、真希の耳に声が届く。
その声で、自分の計画が予想以上に上手くいっていることを理解する。

「まっつー?まっつーがどうかしたの?」

笑みを殺しながら、尚も同じ調子で言う。
それから聞いた事情は、真希が想定していた以上のものだった。
完全なる破局。
そこへ向かう坂道に二人は指しかかろうとしていた。
あとは、真希が背中を押してやるだけ。
そうすれば、勝手に転がり落ちていく。

突き落とすのはのは……フジモトミキだ。
187 名前:2 木の章 投稿日:2004/08/11(水) 19:54
ふっと真希の頭によぎったのはあさ美の泣き顔。
あれから連絡は取っていない。
どんな様子か聞くことも無い。

関係ないことだ。

真希は思う。
亜弥のことは任せてくれと、再度美貴に伝える。
納得するわけもなく、反論が押し寄せてくる。
当然だろう。
だが、もう決まっている。

亜弥はもう美貴の下には戻らない。
来週。
カレンダーに赤く丸をつけたその日がXデー。
最後の締めをしよう。

電話越しに聞こえる美貴のわめく声は、真希の頭には入ってこなかった。
それよりも、真希の頭にあるのは亜弥のこと。
自分が誰よりも欲している彼女のことだった。
188 名前:2 木の章 投稿日:2004/08/11(水) 19:54
流し
189 名前:2 木の章 投稿日:2004/08/11(水) 19:54
流し
190 名前:takatomo 投稿日:2004/08/11(水) 19:56
>>183-187 更新終了
ちょっとだけですいません。たまにはリアルパートを。

>>182 ありがとうございます。
またまた書いてる分が一度消えました…買った方がいいですよね…
191 名前:名も無き読者 投稿日:2004/08/12(木) 14:29
更新乙彼サマです。
怖いッスよ、ごっちん。。。
自分は6年前のPCを使っていたので買い換えて
スペックの差にガクブルでした。
消えてしまうのはキツイので買い替え時かと・・・。
では次回もマターリお待ちしてます。
192 名前:2 木の章 投稿日:2004/08/22(日) 18:48


「遅いな」
「遅いね」

「気づいてないんじゃないの?」

ひとみが言った。
鞘を前にして座り込む4人。
ひとみ、梨華、亜依、そして希美。
そこに二人の少女がやってきた。

「お待たせしました」

髪をポニーテールに結んだ少女。
梨華と同じような布地の少ないピンク色に染められた服を身に着けていた。
そして、もう一人の少女は、腰に一本の刀を差していた。
亜依がここまで持ってきた刀、それを腰に差した彼女。
193 名前:2 木の章 投稿日:2004/08/22(日) 18:48
「亀井ちゃん、なかなかさまになってんじゃん」

亜依が言う。

「え、でも、私、刀なんて使ったこと無いんですよ…」

腰に差したそれに居心地悪そうな顔をする絵里。
春女苑という文字が刀身に刻まれたそれを、彼女は難なく抜いてみせた。

彼女と梨華と同じピンクに身を包んだ少女は、朝の里を離れた朝の民であった。
亜依や希美と一緒に暮らしていた彼女たち。
どちらかといえば、明確な戦闘手段をもつ、亜依や希美と違う彼女たちは、保護されていたといったほうがいいのかもしれない。
彼女たちが里を離れた理由は、人を探すため。
里を飛び出した幼馴染を探すため。
そのとき、丁度、圭織から先になつみのことを知らされていた亜依と希美が、里をでるということになり、付いて行ったわけだった。
だから、朝の里で春女苑が誰にも抜けないという事実を知ったときに、亜依の頭に思い浮かんだのは二人の存在だった。
案の定、絵里は剣を難なく抜いた。
194 名前:2 木の章 投稿日:2004/08/22(日) 18:49
そして、4人は美貴を待っていた。
このことの説明もある上に、次の目的地であろう場所は、できることなら戦力が多いほうが望ましかった。

だが、美貴は刀の放つ光に気づいてはいなかった。
丁度、真希との電話をしていたとき。
彼女が気づくのはずっと後。
ずっと後のことだった。

その間にも、絵里は何度か刀を振り回してみる。
美貴のような力を、今のところ絵里は発揮することはできなかった。
というよりは、彼女は気づいていなかった。
刀を振るたびに周りの木々がざわついていることに。
足元の草木が風も無いのに激しく揺らいでいることに。

「もう、行こうよ」

業を煮やしたひとみは言う。
梨華も頷く。
急いでいるわけではなかった。ただ、ひとみは待つのが嫌いなだけ。
加えて、美貴がいなくても自分がいれば大丈夫だという自信があった。
195 名前:2 木の章 投稿日:2004/08/22(日) 18:49
「でも……」

亜依は躊躇する。
彼女たちが次に向かう先は、圭織から出発前に聞いていた。
聞いていたというよりはヒントをもらっていただけだったが。
火の集まるところ。
とだけ、圭織は亜依に伝えた。
だが、亜依が知っている中で、火が集まるところなんて一つしかないのだった。
けれども、そこは非常に危険な場所だった。
その昔、夜の民がまだ人種だった頃に、彼らが生活していた場所、俗に言われる夜の里だった場所のすぐ近く。
噴煙を遠くからでも見ることができる大きな火山。

行ったものは戻らない。
そう囁かれるところでもある。
夜の民というわけではない。
全く別の集団、それがいると言われている。
そして、宝物はそういうところにあると、噂されるのは古来からの慣わしなんだろうか。
ご多分にもれず、そこにもそのような噂はあった。

「行くよ」

ひとみは立ち上がり、自分の剣を背負う。
亜依も希美と顔を見合わせ、鞘をとって自分の腰に差した。
196 名前:2 木の章 投稿日:2004/08/22(日) 18:49


汗が頬をつたう。
自分が今までずっと生活していた空間だが、改めてヒトが住む所でないと実感する。

「おい、獲物がきたぞ」
「了解」

脇においていた武器を手に取る。
長い鎖がジャラジャラと鳴る。
先に付いた鎌が炎に照らされ赤く光る。
まるでそれは血のようで。

外にでればまぶしい光が彼女を襲う。
それとともに彼女の左手の傷がうずく。
自分の出生を否が応でも認識させる、日の光が彼女は大嫌いだった。
197 名前:2 木の章 投稿日:2004/08/22(日) 18:50
見えた。
こんなところにやってくるのは、なかなかのバカだと彼女は思う。
難関のあるところにはお宝がある、なんていうのは伝説の話。
実際にあるわけない。

だが、そのせいで自分たちがここから動くことなく、生活が成り立っているのも事実だった。

今日の獲物は10人か。
鎧に身を固めた男が10人。
山道を登ってくるにはいささか不都合な格好のせいか、足取りが重い。
加えて、遠巻きではあるが、こちらが包囲していることにも気づいている様子は無い。

たいしたことは無いと判断し、合図がかかる。
一斉に飛び出す20人ばかりの集団にあっという間に飲まれた彼らは、抵抗するまもなく次々と倒れていく。
198 名前:2 木の章 投稿日:2004/08/22(日) 18:50
「つまんな」

血がべっとりとついた鎌で裂いた相手の荷物から、食べ物を取り出すと、それを無造作に口に運んだ。
おいしいとも感じない。
食べなければ死ぬから食べるだけ。
たったそれだけの行為。
殺すのもそうだ。
自分がここにいるのもそう。
そうしなければ死ぬから。

彼女の行動基準は全てそれだけだった。
199 名前:2 木の章 投稿日:2004/08/22(日) 18:56
「もう一個あっちにくるよ。今度は6人」

仲間の声が聞こえる。
食べかけていたものを乱暴に投げ捨て、鎌についた血をぬぐった。

「里田さん、どっちですか?」

近くにいた仲間に声を掛けた。

「おー田中、反対側だよ。火口に近いほう。急がないと終わっちゃうぞ」
「はーい」

彼女―田中れいな―は血の臭いの充満するそこから一気に駆け出した。

200 名前:takatomo 投稿日:2004/08/22(日) 18:58
>>192-199 更新終了
いい加減話し進めないとおわらなそうなので…

>>191 ありがとうございます。ごまっとうについては次回ちょこっとの予定です。
201 名前:名も無き読者 投稿日:2004/08/24(火) 23:08
更新お疲れさまです。
おー、出てきた出てきたw
リアルでの後浦なつみの登場で再登場が難しくなったごまっとうですが、やはり気になります。
てなわけで次回も楽しみにしとります。
202 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/31(火) 23:01
初レスです。
リアルが混じったファンタジーなんて面白いですね。
これからも読んでたまにレスするのでよろしくお願いします。
続きも楽しみにしてますので。
203 名前:2 木の章 投稿日:2004/09/05(日) 14:51


「もうちょっとだったのにな」

ひとみが小声で言う。
その意味を理解しているのは、誰もいなかった。

確かに、目の前で煙をもくもくと上げている火口まではもう少しの距離だ。
硫黄の臭いが立ち込め、短い草木がまばらに生えているだけの岩山。
それを半日ほど登ってきたため、それなりに疲労はある。
もっとも、疲れていては確実にいるであろう敵に出会ったときと戦えないという判断から、多めに休憩を取ってたため、半日かかったこともあるのだが。

「よっすぃ?」
「えっと、亀井だっけ?あんた戦える?」

梨華の問いかけに答えず、ひとみは絵里に尋ねるが、絵里は首を横に振った。
204 名前:2 木の章 投稿日:2004/09/05(日) 14:51
「やっぱりね…」

ひとみはうなだれる。
だが、彼女のさしてよくない頭はとまることなくフル回転していた。

「火口まで早足で進むよ。あそこなら背後を取られない」
「どういうこと?」
「周り、囲まれてるよ。遠巻きだけどね」

さゆみが悲鳴をあげるのを、ひとみは口をふさぐ。

「気づかれちゃいけない。あくまで囲まれたことを気づかれない振りで進むんだ。
連中も、火口まで追い詰めた方が逃がしにくくて楽なはずだ」

歩き始めながらひとみは言う。
5人は黙ってそれについていく。
実際、ひとみは自信が無かった。
たとえ火口まで行っても乗り切る自信が。
205 名前:2 木の章 投稿日:2004/09/05(日) 14:52
相手の気配は20を超えたところで数えるのを止めていた。
それに対してこっちは6人。
何より、パーティ編成が間違っている。
弓を使う亜依。媒者である希美。それに梨華とさゆみが共に持つ『能力』。
これらは全て遠距離戦闘に向くものであり。
刀を持つ絵里は、その扱いを知っていない以上、近接戦闘が可能なのはひとみだけ。
全員を守りながら戦うというのは不可能だった。

それでも、わずかな希望をかけ、ひとみは歩く。
絶望が始まる場所へ早く向かうなんて馬鹿げているが、今、襲われたらより状況が悪くなることをひとみは理解していたから。

亜依は歩きながらも、差した鞘を握って呼びかける。
美貴の存在、それが亜依にとっての希望で。
だが、救世主から音沙汰は一切無かった。

火口を前にひとみは足を止め。
5人はひとみの先に進み、全員一斉に振り返った。
206 名前:2 木の章 投稿日:2004/09/05(日) 14:54
武器を抜くひとみと絵里。
亜依は矢を番え、希美は瓶子を手にした。
梨華とさゆみだけは、両手は空のままだった。

「気づいてたのに、引き返さなかったんだ」

わらわらと出てくる人間の中で、一人の女がそういった。
レイピアのように細い剣を右手に。
だが、その長さは彼女自身よりも長く。
先がしなり、大きく湾曲していた。
里田まい。彼女はそう名乗った。

その後ろにいるのはれいな。
手に持った鎌は先ほどの血が残ったまま、黒ずんでいた。
207 名前:2 木の章 投稿日:2004/09/05(日) 14:55
「梨華ちゃん、道重、できるだけ遠くのをお願い。加護は私のサポート」
「私は?」
「ののは、ガツンとやっちゃって!」

指示を出し、ひとみは数歩前に出た。
梨華とさゆみは息を吸う。

敵方の一人の鼓膜が揺れた。
それと共に、体を切り裂くような痛みが走る。
事実、切り裂かれていた。
声もあげることができないまま、倒れる。

「声霊使いか…しかも二人…」

里田が理解し、口に出すまでに要した数分に更に二人がいきなり血にまみれて倒れた。
208 名前:2 木の章 投稿日:2004/09/05(日) 14:55
声霊使い。
その名の通り、声霊を使う者。
希美のような媒者の一種といわれるが、彼女たちは声を通してそれを行う。
声の聞こえた相手を対象とすることも、特定の個人に声を届けて対象とすることもできる。
今、梨華たちがやっているのは後者。
特定の個人に声を届け、生命を奪う。それ以外の人間にはただの歌声としか聞こえない。
その分威力が増すが、たった一人にしか攻撃を加えることができない。
効率の問題だった。
ある一定の長さの音を届けなければ、効果を発揮しないため、乱戦では扱いにくいものだった。

敵が迫る。
希美はその前に術を完成させていた。

「まこっちゃん!」

叫んで希美は瓶子を地面に突き立てる。
途端にひとみの前で地面が隆起する。
ひとみほどの高さまで隆起したそれは、徐々に崩れていき、形を成していく。
209 名前:2 木の章 投稿日:2004/09/05(日) 14:55
「はーい、のんちゃん、呼んだ?」

人型を成したそれは、口をそう動かした。
初めて希美の術を見るひとみと梨華は、ただただあっけに取られていた。
彼女たちが知る媒術とは全く異なる種類のものだったから。

「まこっちゃん、お願い」

そんな二人を気にも留めず、希美は命令する。
ゆっくりと動く麻琴の横にひとみは並ぶ。
なんにせよ、味方が一人増えたことは悪いことではなかった。

向かってくる敵は5人。
亜依の矢が一人に刺さり、動きを止める。
一番最初に自分のリーチに届いた相手を、ひとみは一閃する。
自分の体よりも大きい剣を、ひとみはまるで普通の剣を扱うような速度で振っていた。
だが、やはり大きな武器というものは、描く円が大きいため、ニ撃目が遅れる。
剣を戻すまでに二人、間合いに入ってきた。
一人は拳につけた爪のようなものを。
もう一人は短い剣を。
鼻先を掠める剣を顔だけを引いて避けるが、下半身は残ったまま。
そこに一人の左の爪が太ももに刺さる。
焼け付くような痛みで、目の前が真っ白になる。
剣を落とさなかったのは、彼女の闘争本能の成せるものだろうか。
空いた右の爪と、もう一人の剣が再度、ひとみを襲うが、それらは麻琴の決して早くは無い拳によって防がれた。
210 名前:2 木の章 投稿日:2004/09/05(日) 14:56
地の精霊である彼女の特徴は硬さ。
動きは遅いが、盾としての役割は十分だった。
そのまま麻琴に殴り飛ばされた二人。
ひとみは片膝をつくと、刺さった4本の爪を一本ずつ抜いていく。
一瞬で左足が真っ赤に染まる。
痺れから、痛みはなくなったが、動かせそうにもない。
加えて、出血で頭がボーっとしてきた。

自分たちの背後では、必死に亀井が剣を振り回し、亜依は矢が打てず、手に持って応戦している。
梨華とさゆみも指示通りにするのは無理と判断し、向かってくる敵から次々に殺していっている。
だが、悲鳴と共に、さゆみの口から歌声が止まった。
彼女のお腹に走る一本の赤い線。それは徐々に大きくなっていく。
敵の数は半分になろうとしていたが、勝敗はすでに決まり始めていた。
211 名前:2 木の章 投稿日:2004/09/05(日) 14:56
ひとみが剣を振る。
下半身の踏ん張りがきかないため、剣閃は鈍く。
波打つ剣先は敵を捕らえることは無かった。
相手も、ひとみは戦力外と判断し、ひとみを無視して、先に後ろに向かっていく。
麻琴も同様。
全く手ごたえの無い彼女に、次第に諦める。
また、彼女の攻撃はさして早いものではないため、こちらも脅威として捕らえられていなかった。

「かわいそうだから私たちが相手してあげるね。暇だし」

そう言って二人の前に立つのは、れいなと里田。

「どっちにする?」
「里田さん、あのゴツイのにしてくださいよ」
「マジで?」
「だって、れいな、ゴツイのあんまり好きじゃないんですよ」

にっこり笑って、れいなは鎌を構えた。
212 名前:2 木の章 投稿日:2004/09/05(日) 14:56
「いきます」

鎌を手にれいなは距離を詰める。
ひとみは剣を振るが、れいなの姿は消え。
代わりに剣先に重みを感じた。

「あんまり遅いから、乗れちゃいましたよ」

自分の剣の上にに立つれいな。
そこから伸ばされる鎌。
ひとみは剣を手放し、体をひねってそれを避けた。

「あら、そんなに簡単に武器捨てちゃいます?」
「私、素手でもすごいんです」
「笑えない冗談、見苦しいですよ」

れいなも鎌を手放した。
213 名前:2 木の章 投稿日:2004/09/05(日) 14:56
「ふぅん、後悔するよ?」
「簡単に勝っちゃう勝負、面白くないでしょ」

れいなの鋭い飛び蹴りがひとみの顔面にヒットした。
そのまま次々にひとみを殴り続けるれいな。
その場を動けないひとみは、成されるがままに。
両腕でガードするが、まるで蛇のようにれいなの拳はその隙間を縫って、ひとみに打撃を加えていった。

214 名前:2 木の章 投稿日:2004/09/05(日) 14:57
―――

「ったくなんで私がこんなの相手にしないといけないのよ」

里田はレイピアを構える。
長いその先を左手で持つと、剣はU字型にしなっていた。
踏み出すと同時にそれを左手を離す。
弾かれてゆれる剣先は、常識を超えた速度で麻琴の体の次々と削っていく。
しかし、地の精霊である彼女は血はおろか、痛みすら感じることなく。
何事も無いように、攻撃を加える里田に拳を振り下ろす。

「ばっかじゃないの、こいつ」

里田は飛び退き、悪態をつく。
真面目に相手しているこっちがバカらしい。
里田は改めてそう思う。
215 名前:2 木の章 投稿日:2004/09/05(日) 14:58
まだ揺れるレイピアを押さえ、里田は呼吸を整えた。

先につけられた重りをはずす。
剣先を囲むように取り付けられたそれは、里田がしなりを利用するためにつけたものだった。

万物には全て、中心があるという。
それを突けば、どんなものでも崩壊する。
人でも物でも。

里田は昔そんなことを教えられたことがある。
つまり、目の前にいるのも同じ。
そして、それを寸分くるわず突くために、里田は重りをはずした。
216 名前:2 木の章 投稿日:2004/09/05(日) 14:58
麻琴の攻撃をかわし、もう一度距離をとる。
全く見えない自分に腹が立つ。
どだい自分には無理なことだったんだろうか。
一向に中心が見えてこないまま、麻琴との追いかけっこが続く。

だが、途端に足元が動かなくなった。
視線を下げると、地面から生えた手が自分の足をつかんでいる。
地面につけた麻琴の左手は、手首から先が無く、里田の足元へ移動していた。

「な、何なの?」

気づいたときには、数メートル先から手だけが伸び、目の前に迫る麻琴の右拳。
全身を砕かれるほどの衝撃が襲う。
飛ばされて仰向けに倒れた。
空はぐらぐら回り、里田は脳震盪を起こしていることを自覚した。
腹部を襲う痛みは、おそらく骨折によるものだろう。
幸いにして腹部の骨折は動く分には問題は無い。
立ち上がり、レイピアを構える。
麻琴が3人にも4人にも見えていたが、里田には麻琴の胸に光る点を一箇所見つけた。
さっきまでみることのできなかった光。
217 名前:2 木の章 投稿日:2004/09/05(日) 14:59
里田はレイピアを向ける。
ゆっくりと迫ってくる麻琴が4人から3人へ、そして、2人。
最後に一人になる。
足をつかむ麻琴。
距離は2メートルちょっと。
伸びてくる手とすれ違うようにレイピアを伸ばす。

里田には麻琴の拳は届かなかった。
彼女の目の前でぼろぼろと崩れていく麻琴。
その代償は半分の長さに折れたレイピア一本。
目の前に残ったのは土の山。
里田は折れた先をそこに突き刺した。

218 名前:2 木の章 投稿日:2004/09/05(日) 14:59
―――

「梨華ちゃん、横」

亜依が言う。
5対10。
梨華はすでに歌っている余裕すらなく。
希美も小さな術を使うが、子供だましのようなものばかりで。
敵はひるむことなく、襲ってくる。
絵里は剣を振り、倒れているさゆみを守る。

「藤本さん、早くきてーや」

亜依は叫ぶ。
念じてつかみ続ける鞘からは何の反応も無く。
219 名前:2 木の章 投稿日:2004/09/05(日) 14:59
二度目の悲鳴は希美のもの。
そして、三度目は梨華。

敵の数は一向に減っていなかった。
囲む敵の間から見えるひとみは、動くことは無く。
全滅という言葉が亜依の頭を支配した。

手に持っていた矢が折れ、それと共に肩を切られた。

「藤本さん!」

亜依は最後にさけぶ。
もう剣は体勢を崩した自分の目の前に来ていた。
220 名前:2 木の章 投稿日:2004/09/05(日) 14:59
「藤本さんのバカー」


「ったく…来て早々、バカとはなによ?」

光が自分の前に沸き立つ。
暖かい光。
その中から聞こえた声に、亜依は耳を疑った。


221 名前:takatomo 投稿日:2004/09/05(日) 15:02
>>203-220 更新終了
遅れた分大目に更新。やっと主人公登場

>>201 ありがとうございます。ごまっとう出てこなかった…_| ̄|○
リアルは…次…くらいということで…

>>202 初レスありがとうございます。ちょびちょび更新ですがよろしくです。
222 名前:名も無き読者 投稿日:2004/09/06(月) 18:36
大目の更新、お疲れさまです。
皆さん結構個性豊かな戦闘スタイルもってますねw
敵方のあの子が気になりますが、続きも楽しみにしてます。
223 名前:2 木の章 投稿日:2004/09/11(土) 00:05


輝きを放つ剣に、美貴は布団をかぶせた。
断続的に光り続ける刀。
今の美貴にとって、その光は苛立ちを募らせるだけのものだった。

真希との電話を切った後、部屋には美貴のすすり泣く声だけが響く。
一方的な別れを突きつけられ、美貴は何かを見失っていた。
それは、冷静さであり、思考であり。
少し考えれば容易に答えが出るようなトリックに、美貴は気づかなかった。

まるで、タネを探そうと手品をしっかり見れば見るほど、簡単な仕掛けに気づかないように。
224 名前:2 木の章 投稿日:2004/09/11(土) 00:05
一枚のチケットを引き出しから取り出す。
「絶対来てね」といい、手渡す前に亜弥が軽く口付けたそれ。
プリントされた彼女の写真はにこやかに笑っていた。

反射的に破ろうと手をかけるが、力は入らなかった。
もう一度、引き出しにそれを戻す。

眠ろうと思い、電気を消すと、布団越しに光が目に入った。
光っては消えるそれが、美貴の顔を照らす。
まるでステージ上にいるような錯覚に襲われた。
自分が一人だった頃に。
自分ひとりにスポットライトが当たっていた頃に。
225 名前:2 木の章 投稿日:2004/09/11(土) 00:05
どこから狂ってしまったんだろう?

美貴は思う。

モーニング娘。に加入してから?
松浦亜弥という子とあってから?
ソロアーティストとしてデビューしたときから?
オーディションに落ちたときから?

答えは全てイエスのように思え、美貴は首を大きく振った。

違う。この刀だ。この刀さえ…
向こうの世界になんていかなきゃ…この刀さえなければ…

光を放つ刀を抜く。
美貴は憎しみをもって手にしたが、それから湧き出る光は暖かかった。
226 名前:2 木の章 投稿日:2004/09/11(土) 00:06
「関係ない…もうこんなものなんて…もう…バカ!」

美貴は刀を振る。
自分のお人よしさと真面目さを呪った。
普段はわざと険な態度をとるのはそれを隠すため。
頼まれると断れないのは、美貴自身が一番よくわかってるから。

「美貴たん、やさしいのに損してるよね」

二人で遊ぶことが多くなった頃、亜弥にそう言われた。

「どして?」と聞き返す美貴に、亜弥はニマッと笑った。
227 名前:2 木の章 投稿日:2004/09/11(土) 00:06
「いつも私、命令するのが好きなのみたいな態度でさ。
何か頼まれると絶対文句言うよね」

「なんで美貴が?」と自分の口調を真似る亜弥。

「そうかな?」
「そうだよ。美貴たんはSの振りして実は心底Mなんだと思う」

向けられた指をなんとなく拒否し辛くて。
美貴は亜弥の頭をぺチンと叩いた。

「いったーい」と頭を押さえる亜弥だったが更に続けて言った。


―――きっとね、美貴たんは自分のそういうとこに気づいてくれる人を好きになるんだろうね―――

228 名前:2 木の章 投稿日:2004/09/11(土) 00:06
それが、亜弥ちゃんなんだよ。

今なら思う。
痛感する。
自分がどれだけ亜弥のことが好きだったか。

人を呼び出してご飯作らせて。その味に文句言いながらも、おかわりをちゃっかりして。
一緒にお風呂はいるのに、お風呂を人に洗わせて。
コンサートのチケットは毎回手渡しで、行けなかったら泣いて怒って。
そのくせモーニング娘。のコンサートにはほぼ来なくて。

最低じゃん!
もう…最低だよ亜弥ちゃん…

「なのにさ…なんで好きなのよ…」

美貴の頬に涙が流れた。
229 名前:2 木の章 投稿日:2004/09/11(土) 00:06
だが、再び泣く間を与えずに、次に流れ込んできたのは、向こうの世界のこと。
鞘が見てきた情報が、美貴の頭に流れ込んでくる。
光が美貴を包む。
聞こえてきたのは自分の文句をいう亜依の声。

「ったく…来て早々、バカとはなによ?」

そう反論した美貴は、いつもの彼女に戻っていた。
再会の喜びはつかの間。
美貴は刀を振る。
亜依たちの状況はわかっている。
周りを全員倒さなければいけないということも。
230 名前:2 木の章 投稿日:2004/09/11(土) 00:07
出し惜しみしてる場合じゃないか。

美貴は刀に意識をこめた。
途端に周りの時間がゆっくりと流れていく。
地面を蹴った美貴。
砂が舞い上がる前に美貴は次の一歩を出していた。

柄の部分で鳩尾を一発。
続く敵の顎を刀背で叩く。
目の前の敵はこれでいい。
次は、後ろ。
231 名前:2 木の章 投稿日:2004/09/11(土) 00:07
身を翻し、絵里の前の敵を叩く。
全て刀背打ち。
だが、急所をついている上に、今の美貴のスピードは常人のそれをはるかに凌駕している。
命は奪わないまでも、致命的な打撃であることには変わりなかった。
そのまま、数人を叩いた後、美貴は時間を戻す。
忍冬の力の一つ。
それは使用者の時間を限界まで加速すること。
しかし、それははげしい体力の消耗を強いることになる。
以前、美貴が倒れたのもそのせいだった。

亜依の目には自分と目を合わせた美貴が、次の瞬間、背中を向けて、大きく肩で息をしているという状態に映った。

「亜依、それと…亀井ちゃん、けが人を頼むよ」

声もなく倒れる敵。それを見て驚く周り。
その隙に再度地を蹴った美貴。
今度は時間を加速する必要は無かった。
232 名前:2 木の章 投稿日:2004/09/11(土) 00:07
的確に突く急所は、加速の必要なく、相手の意識を奪う。
明日香に仕込まれた美貴の動きは、素人のそれとは程遠く。
隙を突いたとはいえ、百戦錬磨の相手を全く寄せ付けていなかった。

亜依も絵里も、美貴に言われたことを行わずに、ただただ美貴に見とれていた。
ほんの数分。
それだけで終っていた。誰一人殺すことなく。
意識を失い倒れる人の中に、美貴は立っていた。

「藤本さん!」

亜依に呼ばれ、美貴は刀を上げて答える。だが、戦いはまだ終っていなかった。
美貴の前に立ったのは里田。
斜めに折れた剣は変わらず先が鋭くなっていて。
短くなっただけということ以外、変化はなかった。
233 名前:2 木の章 投稿日:2004/09/11(土) 00:08
「鞘、貸してくれる?」

美貴が言う。亜依は美貴に向かって鞘を投げる。
受け取った美貴は、自分の腰にそれをつけ、刀を納めた。

「ふざけてるの?」
「そう思うの、まいちゃん?」

美貴は左手で鞘を持ち、右手を刀に掛けた。
不意に自分の名前を呼ばれた里田は、心を乱す。
美貴自身も、里田が前にいることにためらいはあった。
けれども、明日香に言われたことを思い出す。
ここにいるのは別人。
そう自分に言い聞かせる。

息を一つ吐く。
先ほどの戦いで乱れた呼吸を、美貴は必死に落ち着かせた。
234 名前:2 木の章 投稿日:2004/09/11(土) 00:08
里田が剣を振る。
大きくしなって美貴に向かうそれの動きは、線形的でなく。
避けるのが無理と判断し、美貴は時間を加速させた。
大きく弓なりにしなる剣の動きがわかる。
余裕をもってそれを避けると、美貴は亜依の元まで下がり距離をとった。

時間が戻る。
時を加速することに亜依も慣れてきたようで、突然目の前に美貴が現れることに、さして驚きは無かった。
だが、里田はそんなことは知らない。
いきなり目の前から消えた美貴を探し、隙ができた。
235 名前:2 木の章 投稿日:2004/09/11(土) 00:08
今だ!

美貴は刀を抜く。
居合いの要領だった。
美貴の力ではそれが鎌鼬を引き起こすには程遠い刀の速度だった。
しかし、それに時を加速する能力を付加すれば。
美貴が明日香と特訓しているときに閃いた方法だった。

刀を抜く一瞬のみで、体力的な負担も少ない。
必要なのはタイミングだけだった。
236 名前:2 木の章 投稿日:2004/09/11(土) 00:08
空気が音を上げる。
里田がそれに気づいたときは、彼女の腹部に真一文字に傷が走っていた。
血が一気に広がる。
殺さないために十分な距離をとったため、致命傷には至らない。
しかし、体の自由を奪うには十分だった。

「これで、おしまい?」

声がしたのは美貴の背後。
そこにはれいなを肩に担いだひとみの姿があった。
237 名前:takatomo 投稿日:2004/09/11(土) 00:12
>>223-236 更新終了です。
そろそろ2章おしまいです。

>>222 いつもありがとうございます。そろそろキャラをそろえないとまずいので…
一応これで全員出たように思います。
238 名前:名も無き読者 投稿日:2004/09/11(土) 18:56
更新お疲れ様でつ。
いや、強。
しかも最後の一文、何がどうなって・・・?
気になるのでおとなしく待ってます。
239 名前:2 木の章 投稿日:2004/09/20(月) 17:55


れいなは考える。
どうして自分は生まれたんだろうって。
れいなは考える。
でも生まれたから、死ぬのは嫌だって。
れいなは考える。
でも、私はこんな閉鎖空間で生きていたくないって。

外は危ないから。
自分よりも戦闘能力において劣っている大人に言われた。
ならあんたはどーなの?
一度言ってみたい言葉だった。
でも、それをするほど子供ではなかったから、言わなかった。
毎日毎日が退屈で。
適当に起きて、適当に駆け回って、適当に訓練して。
240 名前:2 木の章 投稿日:2004/09/20(月) 17:55
安倍さんや飯田さんが嫌いってわけじゃなかったけど。
あそこの方針に嫌気が差していたのも事実だった。
自分の居場所はここじゃないって、ずっと思ってた。
こんなところで縛られて生きていたくないって、思ってた。

やたらめったらに走って走って。
霧の中を突っ切って、れいなは一人、里を抜け出した。
何年前のことか、れいなは覚えていない。
だが、里を出てから彼女の背が、手のひら分くらい伸びたのは確かだった。

里にはもちろん仲のいい友達もいた。
いわゆる幼馴染というもので。
その子達が心配するだろうなぁとは思った。
それだけがれいなの心の枷となったが、それもすぐに割り切った。
241 名前:2 木の章 投稿日:2004/09/20(月) 17:56
そして、手の甲の証を消すために、皮膚を焼いた。
それは、朝の民であることを知られるのが、危険だからではなく、れいなは朝の里との繋がりを断ち切りたかったから。
それから、れいなはここに流れ着くことになる。

しかし、ここでの生活は、余計にれいなに生と死の境を痛感させられるものだった。
いくら朝の里でそれなりに力があるとはいえ、れいなはここにいる人間にくらべ、明らかに劣っていた。
武器を与えられたが、使い方を教えてもらえるわけも無く。
ただただ実戦。一歩間違えれば死んでしまう、そんな毎日。
それは、今も変わっていなくて。
そう、今、目の前に立っている一人の人間を殴り続けてる間も。
242 名前:2 木の章 投稿日:2004/09/20(月) 17:56
「もういい?」

ガードした腕の間からひとみの声が聞こえた。
それは最初と全く変わっていない声で。
拳が痛むほどにひとみを殴りつけているれいなは、思わず手を止めた。

「あんたさ、軽いんだよねパンチが。全然効かない」

ガードしていた両手を下げ、ひとみは直立に立った。

「強がるのはみっともないって」

れいながひとみの腹部を強打する。
だが、ひとみは倒れることも声を出すことも無かった。
243 名前:2 木の章 投稿日:2004/09/20(月) 17:59
「あんた、武器を捨てた時点で負けてるんだよ」

ひとみの拳がれいなのお腹を叩く。
れいなの体は鈍い音と共に一瞬持ち上がり、意識を奪い去った。

「そんなほっそい体で、どうかしようっていうのが間違ってるの」

武器の利点は確実な殺傷能力を保証するということ。
相手より小柄でも、たとえ子どもでも、当たれば致命傷を与えることができる。
丸腰になったひとみに対して、対等で叩きのめすつもりで武器を捨てたれいな。
しかし、それは対等でもなんでもなく。
体格差というハンディを自分に科しただけの結果となった。
ひとみはそのままれいなを担ぎ上げ、痛む足を引きずり、美貴たちの下へと行ったのだった。
244 名前:2 木の章 投稿日:2004/09/20(月) 18:00
「問題は…梨華ちゃん達か」
「それよりも、早くここを離れないと…」
「どうして殺さないんですか?」

亜依が問う。

「それより、どうしてよっすぃは田中ちゃんを担いでるの?」

亜依を無視して美貴は言った。

「知り合い?」
「いや、違うけど名前知ってる」
「なにそれ?」
「何でもいいじゃん。それよりどうして?」

「れいな…れいななの?」

二人の会話に割り込んできたのは絵里。
その剣幕に、ひとみはれいなを地面におろした。
絵里はすぐにれいなの顔を覗き込む。
数年前に見た面影ははっきり残っていた。
245 名前:2 木の章 投稿日:2004/09/20(月) 18:00
「その子、朝の民でしょ?」

美貴が言う。
モーニング娘。=朝の民という図式が成り立っているのならば、それは当然の結論だった。
ひとみは確認しようと、左手にはまっていた手袋を外す。

「何、これ…」

ひとみは持ち上げた左手を、思わず落とした。
焼け爛れた皮膚が露出する。
日の下でも、朝の民を示すそれは、見えてこなかった。
246 名前:2 木の章 投稿日:2004/09/20(月) 18:00
「れいな」

ひとみが落とした手を、絵里が握る。
彼女の腰に差した刀が一度光った。

「春女苑、木を司りし刀。その力は……」

光に合わせるように忍冬も光り、美貴の口から自然に言葉が漏れた。

「癒し」

絵里の声。
れいなの手を握る絵里の手が光る。
それは、爛れた皮膚を少しずつ元に戻していき。
それとともに、れいなの手には朝の民の証がくっきりと浮き上がっていった。
247 名前:2 木の章 投稿日:2004/09/20(月) 18:00
「すっごいね…あんたたち」

ひとみは言う。
彼女の剣にはこうした力が無く。
というより、五星刀以外にこんな力をもつものなど無いのだが。

「亀井ちゃん、できればみんなも治してあげて」
「はい」

れいな自体には外傷はなかった。
気を失っているだけ。
明らかにれいなよりも重傷の人間が後ろに転がっている。

「さて、この子どうしよう?」
「さぁ?」
「あれ?どうかしようとしたから、連れてきたんじゃないの?」
「違うよ。ただ単に殺せなかっただけ」

それだけ言って、ひとみは亀井に自分の足も後で治してくれるように言った。
248 名前:2 木の章 投稿日:2004/09/20(月) 18:01
「さぁ…田中ちゃんか重さん、どっちなんだろうな…」

それくらいの予想は容易にできた。
ひとみたちにはなぜそんな予想ができるのかわからないだろう。
しかし、美貴にはそれは容易だった。
朝の民=モーニング娘。という図式は完全に成り立っている。
つまり、こちらと向こうの世界は、何らかの共通性が存在しているのだ。
それならば、自分、亀井と来た五星刀の使い手。
次もおそらく同じ六期メンバーだと考えるのは、自然だった。

もくもくと煙を上げている火口をすぐ傍に、美貴は考える。
圭織の話から、火を司るであろう次の刀。
美貴のイメージ的には、それを扱うのはやはりれいなだった。
だとすれば、ここにれいながいることも、ただの偶然に思えなくなっていた。
249 名前:2 木の章 投稿日:2004/09/20(月) 18:01
そして、美貴はもう一つ考える。
その名の通り五星刀が5本なら、六期メンバーは4人しかいない。
最後の一本はどうなるのだろうか?

まさか、次に加入するメンバーなんてことは無いよね…

あまりに馬鹿げた自分の考えに、思わず笑いが漏れる。
でも、どこかありえそうで、美貴はなんとなく複雑に思えた。
自分たちが加入してから1年が経っている。
そろそろ美貴自身が初体験となる、加入の時がこんなところで示されているようで…

250 名前: 投稿日:2004/09/20(月) 18:02



<2 木の章 完>



251 名前: 投稿日:2004/09/20(月) 18:02
 
252 名前:takatomo 投稿日:2004/09/20(月) 18:06
>>239-249
更新終了。2章終了。あと…2章の予定。
でも話的には半分いってるのかは保障できません。

>>238 いつもありがとうございます。
主人公の設定を見直せば恐ろしいほど強くなってました。
まぁ…そのうちガツンと凹ませるときがくるようなこないような…
253 名前:名も無き読者 投稿日:2004/09/21(火) 01:24
更新お疲れサマです。
やはり、リアルと・・・。
ってえ?決まる前から投入確定?(マテ
そろそろ折り返しでつかね。
続きも楽しみにしてますよ〜♪
254 名前: 投稿日:2004/10/12(火) 22:50
―――

いつか、目覚まし時計が鳴って、そしたらベットの上で、いつもの朝が始まっちゃうんですよ。
ここでのことが実は全部夢だったってことがわかっちゃうんです。

人生なんてさ、夢みたいなもんじゃないのかな?

―――
255 名前: 投稿日:2004/10/12(火) 22:50




―――――『夢限幻無 第3章 火の章』―――――



256 名前:第3章 火の章 投稿日:2004/10/12(火) 22:50
炎が走った。地面を数度。
美貴はそれをただ見ているだけだった。
かすかに残った命の炎を飲み込む、大きな炎の舞を、ただ見ているだけだった。

そうして、全ての命が消えていく間、彼女は表情一つ変えなかった。
まるで、それが当たり前かのように。
美貴たちがご飯を食べ、眠ることが当然であるかのように。

彼女―田中れいな―はその行為に、大きな理由を持ち合わせていなかった。
257 名前:第3章 火の章 投稿日:2004/10/12(火) 22:51
『半夏生』
彼女の手にある刀はそういう名だった。
五星刀の一つ。炎を司る刀。
目を覚ましたれいなの下に姿を見せた刀。
そして、一瞬で彼女の仲間であった者たちの命を奪った刀。
258 名前:第3章 火の章 投稿日:2004/10/12(火) 22:51
パチンと音が響いた。
美貴が、れいなの頬を叩いた音。

「仲間だったんでしょ?」

叩いた自分をキッと睨みつけるれいなに、美貴は言った。

「仲間?違うね」
「じゃあ何なの?」
「生きるための手段かな」
「はぁ?」

首をかしげる美貴の頬を、れいなの拳が叩く。

「それと、倍返しが私の主義だから」

殴られた頬を押さえ、美貴はれいなに負けないほどの鋭い目つきで、彼女を睨みつける。
目をそらすことは泣く。
自然とお互い、両の拳を握っていた。
259 名前:第3章 火の章 投稿日:2004/10/12(火) 22:51
「れいな!」

絵里の声に、れいなの目が一瞬で動揺の光を見せる。

「え、絵里…」
「藤本さんに謝んなさい!」
「なんで?」
「悪いのはれいなでしょ?」
「どうして?」

「そんなこともわかんないの!れいなのバカ!」
「バカって何よ!」
「バカ!バカバカ!れいなのバカ!」

二人のいい争いが始まり、美貴はすっかり毒気を抜かれた。
そこには、自分がよく知っている二人の姿があって。
それは、その二人の間でおろおろしているさゆみも含めてであった。
260 名前:第3章 火の章 投稿日:2004/10/12(火) 22:52
しばらくして、絵里が泣き始める声が美貴の耳に届く。
それで、完全にれいなは折れたようで、美貴に頭を下げた。

「どうして、亀井ちゃんが怒ったかわかってるの?」
「よくわかんないけど、ヒトを殺しちゃダメなの?」

まるで幼稚園児のような質問。
空はなぜ青いの?とか、海水はどうしてしょっぱいの?とか。
れいなにとって、ヒトをなぜ殺していけないのか考えることは、それと同じレベルの疑問だった。
261 名前:第3章 火の章 投稿日:2004/10/12(火) 22:52
「どうしてダメってわからないの?」
「だって、殺さなきゃ殺される。殺さなきゃ、食べ物がない。生きていけない」

『仮に、あなたがその人を殺しても、あなたの世界でのその人は、死ぬわけ無い。
でも、あなたが殺されるとどうなるの?それでも、あなたは敵を殺さずに済ませられる?』

その答えに不意に明日香の言葉が重なった。
美貴自身も、割り切っているつもりだったが、実際は、先の戦闘では誰一人殺していない。
動けないほどの一撃を与えているだけで、きちんと手当てすれば助かるほどの傷でしかない。

あくまで、きちんと手当てが出来ればの話だが。
でも、自分は助かるほどのダメージしか与えていない。
それが、美貴の中での免罪符だった。

それなのに、目の前にいる子は、そのことの全てを否定している。
彼女にとっては、鶏を殺して肉を得ることと、ヒトを殺して、食料を奪うことが同一事項なのだから。
262 名前:第3章 火の章 投稿日:2004/10/12(火) 22:52
「もういい」
「え?」
「もういいから…でも、次、無抵抗な人を殺したら…」
「殺したら?」


「私が、あんたを殺すから」

263 名前:第3章 火の章 投稿日:2004/10/12(火) 22:52


「藤本さーん」
「何?」

振り返ってれいなを見る。

「あの…なんか最近、れいなって藤本さんに悪いことしました?」
「え?」
「何か、ものすごく睨まれてること多いんですけど…」

美貴はドキリとした。
こっちの世界に戻ってきても、簡単には頭を切り替えることができていなかった。
全くの同一人物が目の前にいるのだから。
だが、美貴は気づいていない。
現界において、幻界のことを考える機会は多いのに、その逆はほとんどなくなっていっているということに。
そう、美貴はそのことに気づいていなかった。
264 名前:第3章 火の章 投稿日:2004/10/12(火) 22:52
「気のせい、気のせい、大好きだよ」といって、れいなに抱きつく。
いつからだろうか。
自分が抱きつくとかそういうことを、抵抗なくできるようになったのは。

亜弥ちゃん…

事あるごとに自分に抱きついてきた彼女の顔がよぎる。
連絡は……無い。
メールを送っても、留守電にメッセージを入れても。
暇があればチェックする携帯には、亜弥を含め、誰からもメールが入ることは無かった。
265 名前:第3章 火の章 投稿日:2004/10/12(火) 22:53
「藤本さん、田中ちゃんにセクハラですか?」

考え事をしていて、れいなを抱きしめたままだったことを、美貴は完全に忘れていた。
抵抗しないれいなもれいなで、悪いと美貴は思う。

「紺ちゃんもしてあげようか?」
「いえ、結構です」
「だよねーそんなことしたら、ごっちんに殺されちゃうし」

何気なく言った言葉に、あさ美の表情が曇るのを美貴は気づいていない。
加えて、あさ美に続いて入ってきた愛に睨みつけられてることも。
266 名前:第3章 火の章 投稿日:2004/10/12(火) 22:53

「藤本さんも、松浦さんに怒られますよ」

腕の中でれいなは言う。
美貴は、曖昧な笑みを浮かべるのがやっとで、れいなから両手を離した。

コンサートまでは、あと二日だった。

267 名前:takatomo 投稿日:2004/10/12(火) 22:56
>>254-266
更新終了。3章開始。
間があいてごめんなさい…今回ばかりは企画にかまけてました申し訳ないです。

次は…割と早めのちょこっと更新だと思います…

>>253
ありがとうございます。
折り返しは過ぎてるでしょうか。
最後の一人は…トップシークレットで…
268 名前:名も無き読者 投稿日:2004/10/15(金) 16:50
更新&企画、お疲れサマでした。
戦慄の一方で少し切なくもなる彼女の問い。。。
いつかその答えがわかる時が来ればイイのですがね、、、
ミキティの変化、リアルでの悩みも新章に入ってますます気になります。
でわ続きも楽しみに待ってます。
269 名前:第3章 火の章 投稿日:2004/10/18(月) 01:04


「キャッ」

思い切り壁に押し付けられ、あさ美は短く悲鳴を上げた。
カンという鍵を掛ける音が響く。

薄暗いトイレの個室。
あさ美は怯えたように、自分の前に立つ愛を見た。

「愛ちゃん……」
「私でいいって言ったよね?」

あさ美は答えない。
両手を胸の前できつく握り、愛とは目を合わせようとしなかった。
それにいらつくかのように、愛はあさ美の腕を握る。
270 名前:第3章 火の章 投稿日:2004/10/18(月) 01:05
「痛い、痛いよ愛ちゃん」
「私で、いいんでしょ?後藤さんはもう関係ない。
なのに、なのにどうしてあんな顔するのよ!」

無理やり体から離されたあさ美の左手は、壁に強く押さえつけられる。
そのまま、無理やりあさ美の唇を奪う。
顔を背け抵抗するあさ美だったが、愛の右手が彼女の首をつかみ、それを許さない。
強く抑えられた喉は、空気を通すことができず。
加えて、開いた口を覆い被さる愛の口。
次第に、ボーっとしていくあさ美。
それは決して酸欠状態のせいではなかった。
左手にかかった力が抜けていくことを悟り、愛は一旦手を離す。
だらんと垂れるあさ美の両手。
無防備になった胸を愛の手が侵食していく。
それと共に、もう一方の手は、あさ美のスカートの中で動き始めていた。
271 名前:第3章 火の章 投稿日:2004/10/18(月) 01:09
「あぁ…」

愛の口から開放されたそれからは、荒い息と共に声が漏れ出る。
それを聞き、愛は満足したかのような表情を浮かべる。
指を、一本、二本…三本。
数を増やすごとに愛の手首にまで垂れる液の量は増えていく。
完全に力の入らなくなったあさ美は、壁にもたれることで、なんとか立っていることができた。
クチュクチュと音を立てるそこを、更にかき乱す愛。
あさ美の目が、トロンと垂れ下がる。
あさ美の声はどんどん大きくなっていくが、声を出しているという自覚さえ、彼女には無かった。

二人は気づかない。
トイレに誰かが入ってきたことに。
行為に完全に夢中になっていた。
完全に。
272 名前:第3章 火の章 投稿日:2004/10/18(月) 01:10
愛はどんどん指の動きを早める。
それと共に、あさ美の胸を貪る舌の動きも一層早くなる。
心音が頭にがんがん響き、視界が真っ白になっていく。
それは相手が真希の時と全く同じ。
その瞬間は、相手が誰であっても等しく訪れることとなった。

トイレに響くあさ美の声。
二つはなれた個室の中で、彼女はそれを聞いていた。
嘗て、自分だけが聞くことのできた、彼女のその声を。
273 名前:第3章 火の章 投稿日:2004/10/18(月) 01:10
荒い息遣いと、その中に混じるジュルジュルという何かを啜るような音。
誰が、誰の、何を啜っているのか。
真希には容易に想像がついた。
だが、彼女は動かなかった。
動けなかった。
自分の感情を抑えることだけが精一杯で。
自分には関係ないと、言い聞かせていた。
強く握った拳の中に血が溜まっていくのを感じながら。

彼女は、自分に言い聞かせていた。

これで、いいと。
自分は、無関係だと。
274 名前:第3章 火の章 投稿日:2004/10/18(月) 01:11


「藤本さん、さゆに用ですか?」

今度はさゆみが美貴に声を掛ける。
無理もない。
先に着替え終わった美貴が、椅子に座ってじっとさゆみを見ているのだから。

彼女は考えていた。
さゆみが4本目の刀の使い手だって、ひとみたちには伝えている。
「探しといてね」と軽く言って、美貴はこっちに帰ってきた。
戦力的にも、れいなの存在があり、美貴が向こうに残っている必要はない。
美貴としては、明日のコンサートが終わるまで向こうに行くつもりはなかったし、さゆみの刀を探し終える頃には戻ればいいくらいのつもりだった。
だが、それでもこっちのさゆみから、彼女のための刀のヒントが隠されているかと思い、自然と彼女の行動に目をやっていた。
275 名前:第3章 火の章 投稿日:2004/10/18(月) 01:12
「え?何で?」

もちろん美貴はそのことに気づいていない。

「こっちの台詞ですよ。私がかわいいのはわかりますけど、そんなに見つめないでください」

一人で勘違いをして、さゆみは美貴に背を向ける。
状況がよくわかっていなかったが、美貴は「ごめん」とだけ言っておいた。
だけど、そう言われるとなんとなく目のやり場に困り。
仕方なく美貴はポケットのメモに目をやる。

木:春女苑
火:半夏生
水:忍冬

鉛筆で走り書きした文字が並んでいる。
この3つの刀に共通しているのは、全て植物ということ。
だが、花言葉とか植物の形態に何も共通点はない。
4本目も植物名であることは、容易にわかるが、それは何のヒントにもなりそうになかった。
276 名前:第3章 火の章 投稿日:2004/10/18(月) 01:13
水、木、火…

美貴は小声で何度も唱える。
残り二つの刀のヒントはやはりこっちだろうということは、れいなのことからわかる。
火のところに、彼女がいて、彼女の刀もそこにあった。
となると…

美貴は何年も前にやったゲームを思い出す。
水、火とくれば…風?土?光?闇?
思い当たるロールプレイングゲームの中の設定を思い出す。
だけど、どれもありそうで、決定打に欠ける。
いっそのこと、全部心当たりのあるようなところを探せばいいのかもしれない。
だが、美貴はそんな地道なことは嫌だった。
277 名前:第3章 火の章 投稿日:2004/10/18(月) 01:13
「ねぇねぇ、紺ちゃん」
「はい?」
「水、木、火ときたら、次は何を思い浮かべる?」
「ど、どうしたんですかいきなり…」
「いいから答えて」

いつも通り、有無を言わせない口調で美貴は言う。
あさ美はしばし宙を見上げてから答えた。

「お芋ですか?」
「はぁ?」
「落ち葉があって、火があれば、焼き芋じゃないですか?」
「水はなんなの?」
「火事になったら大変じゃないですか」

「何はなしてるんですか?」

会話に入ってきたのは愛。
彼女の声にあさ美の体がビクンと動いたことを、美貴は見ていなかった。
278 名前:第3章 火の章 投稿日:2004/10/18(月) 01:14
「いや…何でもない」

自分をじっと睨み付ける愛の視線を避けるように、ため息一つ突いて背中を向ける美貴。
次に行くのは圭織の元だった。
もしかしたら、こっちの圭織なら向こうの彼女と同じ発想をしているのかもしれないと。
そう考えたから。

「えっと…」

同じ質問に、圭織も同じく宙を見上げる。
「交信中、交信中」と心の中でつぶやく美貴。

「土と…金?」
「その心は?」
「五行説って知ってる?」
「ゴギョウセツ?」

漢字すら思い浮かばない単語が、圭織の口から飛び出してきた。
279 名前:第3章 火の章 投稿日:2004/10/18(月) 01:15
「えっと、ちょっと前に陰陽師って流行ったでしょ?」
「えー、うん、なんか聞いたことあるかなぁ」
「詳しいことは私もよく覚えてないけど、そこで出てくるの。
ちょっと前に買った本に書いてたのは…」
「書いてたのは?」

そこから美貴は、ちょっと圭織に解説を求めたことを後悔した。
みんなが着替えを終わり、楽屋を後にしても尚続く、彼女の説明。
それは次第に五行説とは、全く関係ないことまで及んでいく。

だが、その労力に値する情報を得られてことは確かだった。
木、火、土、金、水という五行。
そして、五星という言葉が出たとき、美貴のそれは確信へと変わった。
280 名前:第3章 火の章 投稿日:2004/10/18(月) 01:16

水=黒=冬=北
木=青=春=東
火=赤=夏=南
金=白=秋=西
土=黄=土用=中央

圭織が取り出した本からメモした五行の関係。
これを自分のもう一つのメモと合わせた瞬間、美貴はすぐに向こうの世界に行くことを決めた。

281 名前:第3章 火の章 投稿日:2004/10/18(月) 01:17
 
282 名前:第3章 火の章 投稿日:2004/10/18(月) 01:17
 
283 名前:takatomo 投稿日:2004/10/18(月) 01:22
>>269-280 更新終了。謎解きーというか設定ネタバレに近いです。
加えて久々のエ(ry

>>268
ありがとうございます。展開かなり飛ばし気味ですので…
終われば次作を考えようかなと…
284 名前:名も無き読者 投稿日:2004/10/19(火) 21:44
わーい、エr(殴
し、失礼しますた、更新お疲れサマです。
ほぅほぅ、薄々気付いてみたりしましたが、っとなると・・・。
調べて予測でも立ててみますw
でわ次回も楽しみにしてます。
285 名前:第3章 火の章 投稿日:2004/11/26(金) 00:20


水、私の刀、忍冬。
これが全てだったんだ。

暗闇が開け、光が美貴を包む。

水と忍「冬」
木と「春」女苑
火と半「夏」生
ということは、残りは金と秋、そして土と土用。

さゆみのものがそのどちらかであることは、容易にわかる。
加えて、火や水ならまだしも、「金」や「土」に関係する場所を探すのは、具体性に欠ける。
だが、美貴は向かった。
なぜなら、彼女の中には、さゆみがどちらであるかの確証があったからだった。
286 名前:第3章 火の章 投稿日:2004/11/26(金) 00:21
真っ白な視界が開けてくると、すぐ目の前に亜依の姿があった。

「藤本さん、どうしたんですか?」

自分が呼んでもいないのに勝手にやってきた美貴。
亜依がそう言うのは当然のことだった。

「わかった。次の刀がどこにあるか」

美貴は周りにさゆみを探すが、彼女の姿はなかった。
自分の目の前にいるのは梨華と亜依と希美。
他の3人はここにはいなかった。

「どこなの?」

梨華が言う。
美貴は告げた。

「この世界で、金属に関係するところない?」
「金属?」

漠然とした問いかけ。
美貴は思う。
287 名前:第3章 火の章 投稿日:2004/11/26(金) 00:21
「そう、金属。武器とか…あれなら金色とかそういうの、何かない?」

言葉を変えたり、関連性のあることを言ってみたりするが、美貴自身、馬鹿げた問いかけだと思う。
だが、それが次の刀を見つけるべき唯一の手がかりであり、それなしに探すのは不可能だと美貴は考える。

「武器…あることはあるよ…金もある…」

梨華が口を開く。
亜依と希美は顔を見合わせたが、どれを指しているのか思いつかなかった。

「よっすぃが、帰ってきたら言う」

そう梨華は言って黙った。
いつも口数が少ない印象の梨華。
どこか影をしょっていて、ひとみについて回ると言った印象。
そんな彼女が見せるいつもの暗さとは異なる、ほんのささいな表情の変化。
亜依や希美が気づかない、そんなささいな変化も、美貴は感じ取ることはできた。
なぜなら、そんな梨華の表情を、美貴がよく知っている梨華が見せたことがあるから。
288 名前:第3章 火の章 投稿日:2004/11/26(金) 00:22
巨大化した兎のような動物を、ひとみが持って帰ってきたのはしばらくしてから。
後ろにいる絵里とれいなが両手に木の枝や、木の実も両手に抱えていた。

「おまたせー」

ひとみが言う。れいなも絵里も同じような軽いトーンで言う。
だが、れいなは美貴がいることに気づくと、途端に目つきが悪くなり、「あんた何でいるの」と不満そうに言った。

「いちゃ悪いの?」

その言い方にムカついたわけでもないが、売り言葉に買い言葉。
れいなを睨んで美貴は言う。

「れいな、ケンカしたら怒るよ」

すかさず絵里が言う。
どう見ても、れいなよりも立場も力も弱そうな絵里。
だけど、彼女の言葉にれいなは素直に謝った。
その様子がおかしく、美貴は思わず吹き出す。

「何がおかしいんですか」
「れいな!」

「あ、ごめん…」

さすがにれいなが怒るのも無理はないと思い、絵里に怒られた彼女に美貴は謝った。
289 名前:第3章 火の章 投稿日:2004/11/26(金) 00:23
「で、どうして美貴は来たの?まさか、お腹すいたからってご飯食べに来たわけじゃないよね?」
「あ、でもそれもいいかもね」

枝を組み、捕まえてきた兎に似た動物の皮を剥ぎ、調理準備を始めていたひとみに、美貴は答える。

「ダメだよ、あんたの分は勘定してないもん」

そう言って、ひとみはれいなの方をむく。
彼女は刀を抜き、枝にぶら下がった動物に向かって火を放った。
便利だねぇと美貴は思う。

「安心して。ご飯は帰って食べるつもりだから。で、梨華ちゃん、いい?」
「う、うん…」
290 名前:第3章 火の章 投稿日:2004/11/26(金) 00:23
梨華は話す。
ここから西へ二日ほど行ったところに、一つの村があるという。
村というよりは町。更に言うなら都市と言った方がいいのかもしれない場所。
そこで作られた武器は不思議な力を持っていると言われている。
実際、ひとみの剣もそこで作られたものだというから、説得力はあった。

「でも……」
「でも、あそこは止めといたほうがいい」

言葉に詰まって黙る梨華に、ひとみは横から言葉を続けた。

「あそこの人間は、今はもう夜の民だから」

美貴は「今は」という言葉に引っかかりを覚えた。
現に、ひとみの武器はそこのものだというんだから、何かしらのつながりはひとみにあるはずだったから。
しかし、美貴はそれをひとみに聞くことはできない。
彼女の表情が、それに触れないでということを如実に現していたから。
けれども、それを読み取れない人もいる。
というよりは、美貴と梨華以外、そのことには気づいた者はこの場にいなかった。
そして、彼女の性格上、それを黙って流すことはできなかった。
291 名前:第3章 火の章 投稿日:2004/11/26(金) 00:24
「どうして吉澤さんはその剣を持ってるんですか?
どう考えてもおかしいでしょ?夜の民が吉澤さんに武器をくれるって」

それはれいなだった。刀の先から炎を発したまま、彼女は早口でまくし立てた。

「それは…」

説明しようとするひとみの目をじっと見る梨華。
ひとみは、無理やり笑みを作って梨華に笑いかけた。

「私のこの剣は、その場所、金辿極炉(きんでんぎょくろ)に住んでいた、私の父のもの。
私は、朝の里に来る前、そこにいた。夜の民がやってくる寸前までね」

ひとみはそこで一度、言葉を切った。
さすがのれいなも、悪い事を聞いたということを自覚した。
292 名前:第3章 火の章 投稿日:2004/11/26(金) 00:24
シンと静まり返る。
誰もが、自分が何を言えばいいのかわからなかった。
だが、そこに向かわないわけにはいかない。
それは、美貴がよくわかっていた。
必ずそこに、さゆみの扱う五星刀がある。
梨華やひとみの話を聞いて、それをより確信した。

「いかなきゃ…ダメ?」

全員の顔を見回してから、最後に美貴の方を見て、梨華がようやく沈黙を破った。

「梨華ちゃん…」

ひとみと美貴の声がかぶった。
二人はそれからお互いに視線を合わせ、ひとみは梨華にしたように、美貴に対しても笑みを作った。
口元を緩めただけの、表情だけの笑み。

「ごめん…悪いけど二人の話聞くと、どうしてもそこにあるように思えちゃう」

ひとみからも、梨華からも視線をそらして美貴は言った。
「どうして?」ときかれたら美貴は答えることはできなかった。
五行説なんてものを説明するわけにはいかないし、何より、さゆみが「金」である理由なんて、もっと説明することはできなかった。
幸いにして、誰もその問いかけをしなかった。
293 名前:第3章 火の章 投稿日:2004/11/26(金) 00:24
「田中、そろそろ焼けたんじゃない?」

ひとみが言う。
れいなは一旦炎を止め、すっかり茶色の焦げ目がついた肉の塊を刀で切る。

「あ、いけますね。食べます?」

それが自然とその話題を流すきっかけとなる。
だが、全員の次の目的地はそこになっているのは、明らかだった。
取って来た木の実を周りに置き、みんなで肉と木の実を囲む。
美貴は、自分の分がないと言われたからではないが、また後で来ると言い残して、元の世界へと帰ることにした。
294 名前:takatomo 投稿日:2004/11/26(金) 00:30
>>285-293 更新終了
一月も更新なかった上に、久々の更新が少量なんてもうダメダメですごめんなさい。
緑板の方書いてましたごめんなさい。
心を入れ替えて、週一更新を目指していきますごめんなさい。


>>284 
え…と、おひさしぶりですorz
ちょうど考えていただく時間が取れたかなぁと(嘘ですごめんなさい
今後もマターリお待ちいただけると…
295 名前:名無し 投稿日:2004/11/27(土) 17:52
今日発見して一気によみました。
これからもがんばってください
296 名前:名も無き読者 投稿日:2004/11/29(月) 19:40
更新お疲れサマです。
えぇ、たっぷり考えられましたw
いやいやサボってるワケではないんですからお気になさらず。
んで何気にれなみきのやり取りが微笑ましいんですが。(ぉ
どっちの世界も気になりますが、続きもマターリお待ちしてます。
297 名前:第3章 火の章 投稿日:2004/12/05(日) 03:28


私は冬、そして北。
亀井ちゃんは春で東。
田中ちゃんは夏で南。

となれば、残るさゆみが西であることを、美貴は予想していた。
北海道と東京と九州。
自分たちの出身地を美貴は想定していたからだ。

後は、ひとみたちが金辿極炉に着くのを待てばいい。
こっちとあっちの時間の流れにどれだけ差があるかはわからないが、少なくとも今日中には着かないだろう。
仮に着いたとしても、美貴は行くことはしないだろう。
298 名前:第3章 火の章 投稿日:2004/12/05(日) 03:28
朝、目覚めた美貴は、シャワーを浴びた。
勢いよく流れるお湯が冷めた体を温める。
それとともに、彼女の心臓の動きを活性化させる。

亜弥ちゃんと会うのは何週間ぶりだろうか。

カレンダーの中では2週間半。
だけど、美貴の中では数ヶ月も会っていない様に思えた。
知り合ってから2年ほどだろうか。
2週間という期間を音信普通で過ごしたのは、お互い初めてのことだった。
299 名前:第3章 火の章 投稿日:2004/12/05(日) 03:28
髪をドライヤーで乾かしながら、鏡に映った自分の顔を見る。
疲れがはっきり見える顔。加えて、どこか不機嫌そうな顔。
ここ最近、ずっとそうだった。
幸いにして、ミュージカル中であったから、今の自分の顔をTVで見ることは無かったから、まだよかったが。
これから収録が重なって、数週間後には、今の自分の顔が公共の電波に乗ることを考えると、美貴の表情は更に歪んだ。

ドライヤーの音だけが響く部屋。
それが、妙におかしく。
美貴は髪の毛が完全に乾くのを待たずにスイッチを切った。
少々ぬれた髪を、手ぐしで乱雑に揃え、カーテンを開けた。
窓から差し込む光は、10時という時間を考えると薄暗く。
鍵を開け、空を見上げると、黒い雲が空を覆っていた。
300 名前:第3章 火の章 投稿日:2004/12/05(日) 03:32
「雨……降りそう……」

ぽつりと言う。
まるで、それが引き金となったかのように、雨粒が空から落ちてきた。
ぽとり、ぽとりと。
大きな雨粒が、少しずつ、少しずつ多くなり。
コンクリートを黒く変えていく。
窓を開けたまま、カーテンを引いた。

引き出しからチケットを取り出す。
「美貴たん専用」なんて文字が書かれた封筒の中に、それは入っている。
封の部分に赤く唇の形がついている。
亜弥が美貴に渡す前に、そこに口付けたせいだ。

美貴の記憶にある彼女は、いつも笑っていて。
いつも、自分に笑いかけてきて。
たまにそれが度を越えて鬱陶しさまで感じるときがあったが、美貴は自分がそれをも楽しんでいたように思う。
それだけに、あの日、涙ながらに自分を非難した彼女の顔を、美貴は想像できていなかった。
そして、それが美貴の中で、現実感を喪失させているのかもしれない。
自分の前では笑ってくれる。
会えば、亜弥は今までどおり笑ってくれる。
そんな自惚れともいえる思いが、美貴の中にあったことは、否定できなかった。
逆に言えば、美貴の中で、それが自分を落ち着かせるための唯一の手段だった。
301 名前:第3章 火の章 投稿日:2004/12/05(日) 03:32
家を出るときは、雨は更に激しく打ちつけてきた。
傘越しに感じる雨粒の勢い。
次々に広く、深くなっていく水溜り。
美貴は、早足でその雨の中を通り過ぎた。

駅に着いたときには、乾かしたはずの髪は、湿気を吸っていた。
タクシーにすればよかったと、美貴は後悔をする。
足元もかなり濡れており、もう6月だというのに、少し寒かった。
丁度、美貴が改札をくぐったときに、乗りたい電車は発車を始め、一本後の電車に乗る羽目になった。
時間は十分余裕をもって出てきたから、間に合わないわけは無かったが、次の電車が来る前の間、美貴はなぜか余裕を持てなかった。
10分後に到着したのは各駅停車の車両。
これで優に30分は遅れることとなる。
それでも、まだ十分な時間はあった。
雲に隠れてはいるが、太陽はまだ高く。
日が沈むまでに十分な時間はあったのだから。
302 名前:第3章 火の章 投稿日:2004/12/05(日) 03:32
車内は混んでいた。
扉の前に立ち、窓から外の景色を見る。
結露した窓を通して見るぼやけた世界。
輪郭しか見えることの無い世界。
まるで自分がこの世界の人間ではないような錯覚すら覚える。
美貴にとっての亜弥の気持ちも同じことで。
全然わからないことばかりだった。

手の平で窓を拭くと、くっきりと見える外の景色。
亜弥ちゃんの心もそうだったらいいのにと、美貴はぬれた左手をギュッと握って思う。
流れていく灰色の街。
色の無いビルと、対照的に色とりどりの傘を差す人々。
駅に着くたびに開くドアから車内に漏れこむ雨の臭い。
普段ならどれも気に留めないようなことが、今日の美貴にとっては全て特別なものとなっていた。
303 名前:第3章 火の章 投稿日:2004/12/05(日) 03:32
目的の駅についた頃には、雨は止んでいた。
しかし、黒くて厚い雲は、依然として美貴の頭の上にあり、それは西の空まで続いていた。
もう一度降り始める前にと、早足で進む。
そうして、美貴が亜弥のいるコンサート会場に着いた時は、丁度亜弥は1回目の公演が終わったところだった。

裏口へと回る。
自分がソロだったときにもコンサートをした場所。
関係者入り口の場所は把握していた。
そちらへいくと、スタッフも美貴に気づき、すんなりと中へと通してくれた。

廊下を歩き、松浦亜弥と張り紙のある扉を見つける。
扉は少し開いていた。

部屋に入ろうとして、ノブに手をかける。
そこで、美貴は二人の話している声が聞こえた。
一人は、もちろん亜弥の声。
もう一人は、真希だった。
304 名前:takatomo 投稿日:2004/12/05(日) 03:38
>>297-303 更新終了
少しだけですが…話全然進んでません…
次の更新の前に一つ、ちょっとしたものをはさむかもしれません。
はさまないかもしれません

>>295 結構な量を読んでいただき、ありがとうございます。更新はマターリですがよろしくです。

>>296 ありがとうございます。お言葉に甘えて今後もマターリと(銃声
れなみきとはまたまた通ですね…確かに萌えますが(w
305 名前:名も無き読者 投稿日:2004/12/05(日) 22:28
更新お疲れサマです。
えぇ通ですよw
何せ同盟に(ry
それにしてもいやー、何かが起こりそうなヨカーン。。。(汗
見守りましょう、どこまでも。
続きも楽しみにしてますね。
306 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/10(金) 03:21
俺の願いが届いたのか復活していた
うれすぃ・・・
本当にうれすぃ!!
307 名前:第3章 火の章 投稿日:2004/12/12(日) 03:06
「ミキティ、もうこないよ」
「うん…別に美貴たんなんてどーでもいいよ」

「そう?強がってない?」
「別に、どーでもいいってば」

亜弥は叫ぶ。
扉の向こうの彼女がどんな素振りをしているか、美貴は推して知ることができた。
だが、美貴はノブに掛けた手に力を加えることができなかった。

「そう、ならいいんだけど」
「どういうこと?」

亜弥は尋ねる。
コンサートは昼と夜の2回公演である。
その昼の公演が終わり、戻ってきた亜弥の前に現れた真希。
まだ、真希がモーニング娘。にいる時のコンサートに、亜弥は言ったことがある。
しかし、真希のコンサートには亜弥は行ったことが無かった。

確かに、美貴のことがあって、亜弥は真希に連絡を取ることが多かった。
それにしても突然すぎる。
真希特有の気まぐれかなとも亜弥は思った。
308 名前:第3章 火の章 投稿日:2004/12/12(日) 03:06
「ミキティはもうまっつーのことなんてどうでもいいのに、まっつーが気にしてたらかわいそうと思って」

その言葉に、美貴と亜弥の体は同時にピクンと動いた。
それに合わせかすかに揺れるドア。

真希は気づいていた。
美貴がすぐそこにいることを。
なぜか、真希にそれはわからない。
だが、真希は美貴の存在をわかっていた。
何かが自分の呼んでいる。
美貴の近くにいると、そんな感覚がいつしかするようになっていたから。

だが、それでなくても、美貴が今日ここに来ることは、容易に予想できることだった。
寧ろもっと早く来るものだと思っていた。
309 名前:第3章 火の章 投稿日:2004/12/12(日) 03:06
だけど、それでもいい。

真希は思う。
この方が好都合だと彼女の脳は判断した。
自分に背中を向け、汗を拭いている亜弥との距離は手を伸ばせば容易に届く距離。
そして、その二人と美貴との距離は数メートル。
隔てているのは薄っぺらいドア一枚。
鍵さえ掛かっていない。

「まっつー」

真希は手を伸ばし、亜弥の肩に手をかけた。
そのまま、グッと自分の方を向かせるとともに、もう片方の手で彼女の口を塞いだ。

「んんっ」

驚いた亜弥が声を上げるが、それは言葉にはならず。
手にしていたタオルは床に落ちた。
亜弥の目にはにっこりと笑う真希の姿。
前髪が頬に当たるほどまで近づいた真希の顔。
瞳に映った自分の顔を、亜弥は見ることができるほどの距離。
310 名前:第3章 火の章 投稿日:2004/12/12(日) 03:07
「まっつー」

真希はもう一度言う。
その言葉に、まるで催眠術でもかけられたかのように。
亜弥は目を閉じる。
真希の手が離れ、代わりに感じる彼女の体温。
時間にして一分程度。
ただ、唇を重ねているだけ。
それ以外の何もなかった。

「どうしたの、急に?」

唇を離し、亜弥は言う。
彼女にとっては何でもないこと。
軽いキスくらい、彼女にとっては日常茶飯事。
だが、美貴にその感覚は無いものだった。

中が静まったことが気になり、ドアからそーっと中の様子を伺う美貴。
うっすらと開けた目から覗き見た真希。
そんなことは気づかず、目を瞑っていた亜弥。
311 名前:第3章 火の章 投稿日:2004/12/12(日) 03:07
「べっつにーいつもやってるでしょ」

ミキティと。

語尾を真希は言葉に出さなかった。
だが、亜弥の顔に影が差したことから、真希は亜弥がその意味でとったことを確信する。
だが、美貴はその意味で取ってはいなかった。

真希と。

彼女の頭にはそれが自然に浮かんだ。
彼女にとってのキスは亜弥と違い、特別なものであり。
だからこそ、彼女の頭は自分のことを指しているという考えはなかった。
目の前で見せられたそれが印象深く、衝撃的であり、そして、彼女から冷静さを完全に奪っていたから。

失われた冷静さは、すぐに怒りへと形を変えて美貴の元へと戻ってくる。
もちろんそれは真希に対してであり。
けれども、まだ美貴には状況がつかめていない。
312 名前:第3章 火の章 投稿日:2004/12/12(日) 03:07
豹変した亜弥の態度。
つながらない携帯。
真希のアドバイス。

それらが繋がりそうで、上手く頭の中では整理できていなかった。
つなげようと、整理しようと、思い出そうとするほど、彼女の頭の中はバラバラになり。
与えられた情報から事実を抽出し、結論を正確に導くことなど到底不可能で。

真希は自分と亜弥の距離を離した。
亜弥は自分より真希を選んだ。
自分から離れていった。

煩雑に抽出された事実から美貴が出せる結論は、その3つだけだった。
そのうちの1つは確実に正しい事実で、残りは美貴の誤った結論である。
そうなるように仕組んだのは真希。
想像を働かせる隙間を十分に与える断片的で不透明な情報。
論理の飛躍した、とんでもない方向へと思考を向かわせる混乱した頭。
それは全て真希がそうなるように仕組んだものである。
美貴は、完全にそれに嵌ってた。
313 名前:第3章 火の章 投稿日:2004/12/12(日) 03:08
バタンという音をたて、ドアが閉まる。
それに気づいて振り向く亜弥に、真希は声を掛ける。

「そろそろ準備しなきゃダメでしょ?私帰るね」
「あ、そう…ありがとうね、わざわざ」

真希はゆっくりと自分のカバンを肩にかけ、部屋を出ようとする。
自分の方を向いた亜弥。
もうさっきのドアのことは彼女の意識から消えようとしている。
一度扉に向かうが、「あ、携帯おきっぱなしだ」と言って再び部屋の奥に戻る。
それらは、美貴が離れる時間を稼ぐため。
実際、美貴がいるときの妙な感覚は次第に小さくなっていく。
真希が部屋を出たとき、廊下に美貴の姿は無かった。

真希は亜弥に手を振ってから、建物から出た。
妙な感覚は建物の外に出ると大きくなった。
一本道路をはさんだ向こう側。
真希をじっと見ているのは美貴。
その視線は見ているというレベルのものではなく、睨んでいるといった方が正しい。
真希も美貴を同じように睨む。
314 名前:第3章 火の章 投稿日:2004/12/12(日) 03:08
空を覆う厚い雲からポツポツと落ちてくる雨粒。
二人の間を車が3台通る。
反対側の入り口の周りに、亜弥のコンサートのための人がぞろぞろと集まってくる。
水溜りに絶え間なく波紋が広がり始める。

「ごっちん、どういうこと?」

美貴はようやく口を開いた。

「どういうことってどういうこと?」

真希はそう言って道路を渡り、美貴の方へ行った。
315 名前:takatomo 投稿日:2004/12/12(日) 03:35
>>307-314
更新終了です
続いてお遊びの番外編でも
316 名前:番外編その1 投稿日:2004/12/12(日) 03:36
番外編その1(2はあるのか…)



「藤本美貴(夢限幻無) VS 飯田圭織(セバータイズ)」



317 名前:番外編その1 投稿日:2004/12/12(日) 03:36
不意に感じる殺意に、美貴は構えていた刀を抜いた。
目の前に現れた女性。
長髪の黒髪と、大きな目。
片手に持つ槍を除けば、美貴のよく知る人だった。

「飯田…さん…」
「藤本、いくよ」

構えられた槍が動く。
それと同時に美貴は忍冬を抜いた。

時間の経過が遅くなる。
それでも、飯田の槍は十分な速度で美貴へと向かってくる。
右手、左手、そして喉元。
次々に襲い掛かるそれを避け、美貴距離をとった。
318 名前:番外編その1 投稿日:2004/12/12(日) 03:37
飯田の目は、美貴の動きを十分に捉えているわけではなかったが、それでも大体は見えていた。
しかし、見えているだけであり、彼女のスピードについていけるかと聞かれれば、首を振ることしかできない。

だが、美貴も同様であり。
忍冬の力を使ってしか勝機が見えない。
それでも、やや自分が有利と言った程度だろう。
飯田の槍の速度は、時を加速させた状態で対処できるほどのもので。
それでも、明日香に手ほどきを受ける前の美貴では、たとえ加速させても避けることができないほどの速度だった。

だからと言って、常に忍冬の力を使うわけにはいかない。
体力の消費が尋常ではないからだ。

飯田が槍を構える。
忍冬は刀と言っても50cm程度の長さしかない。
離れた距離で有利なのは自分である。
今は槍の射程よりも離れているが、自分の間合いでは美貴が如何に速くても、飯田は対処できると計算していた。
しかし、もしその中に入られてしまったら。
相手の間合いになれば確実にやられるという計算も、同時に成立していた。
それは美貴も同じである。
319 名前:番外編その1 投稿日:2004/12/12(日) 03:37
だから、美貴は動けない。
逆に、美貴の動きを警戒しながら、じりじりと距離を詰める飯田。
彼女にとっては自分の間合いに入ってほしいからだ。

飯田が近づく前に、美貴はもう一度間合いを取る。
そして、刀を鞘に納めた。
ただし、右手はしっかり刀を掴んだまま。
左手を鞘に沿える。
5mはあろう二人の距離を0にする方法。
美貴にはそれがあった。

刀を抜く瞬間を飯田は全く見ることはできなかった。
しかし、反射的に体の前で槍を横にする。
けれども美貴の放つ空気の刃は、槍ごと飯田の体に傷をつける。

真っ二つに分かれた槍と、彼女の体を染める朱色。
槍によって幾分か軽減され、致命傷は避けている。
しかし、その朱色が美貴の判断を誤らせた。
320 名前:番外編その1 投稿日:2004/12/12(日) 03:37
美貴が確実に勝ちたいのなら、その場でもう一度刀を納めるべきであった。
だが、彼女がとったのは自分の間合いに入ること。
加速した美貴が飯田に襲い掛かる。
けれども、折れた槍は美貴の間合いと飯田の間合いを等しくしていた。

美貴の剣閃を、急所だけ上手く避けていく飯田。
剣激を止める事はできない。
完全に避けることもできない。
だが、槍と体をうまく使い、少ない動きで致命打を避けることくらいなら飯田にもできた。
それでも、致命傷とならないだけで、十分飯田の体力を奪うほどのダメージ。
次第に深くなっていく傷に、張っていた意識が先に限界に達し、飯田は足から崩れた。

勝った。

美貴がそう確信したとき、彼女の体も崩れ落ちる。
力の過剰使用。
彼女の体力は全て奪われていた。
321 名前:番外編その1 投稿日:2004/12/12(日) 03:37
結果

両者戦闘続行不可能のため引き分け



322 名前:takatomo 投稿日:2004/12/12(日) 03:45
>>307-314 本編

もうちょっと更新したかったんですが…キリが一応いいのでここまでで…

>>316-321 番外編 
こっちは完全にお遊びです。本編とは一切関係ありません。
しかもあんまりわからないネタです。
なんとなく没ネタスレで見かけてやってみたかっただけです。

>>313 ありがとうございますー
事が起こっているのか起こっていないのか…
いや、怒ってるんでしょうけどね、たぶん(字が違

>>314 申し訳ございませんとしかいいようがありません。
今後は祈っていただくようなことは無いように、何とかがんばりたいです。
323 名前:takatomo 投稿日:2004/12/12(日) 03:46
 
324 名前:takatomo 投稿日:2004/12/12(日) 03:46
 
325 名前:takatomo 投稿日:2004/12/12(日) 03:49
レス番間違えたorz

返レス
>>313>>305
>>314>>306


逝って来ます
326 名前:306 投稿日:2004/12/12(日) 05:05
全然、問題Nothing。
たった1ヶ月ちょい、大した問題じゃありません。
ただ、続けてくれるって事が分かったんで嬉すぃと・・・・。

自分のペースで全然、問題ないんで頑張ってください!!
327 名前:名も無き読者 投稿日:2004/12/15(水) 09:07
更新お疲れサマです。
うぉ、なにやらスゲー展開に、、、(汗
オマケも素敵でした。
久々に彼女の戦闘を読めて感慨深いモノが。w
では続きも楽しみにしてます。
328 名前:第3章 火の章 投稿日:2004/12/17(金) 01:17
「どういうこと?」

美貴はもう一度尋ねた。

「まだわかんないの?」

薄笑いを浮かべて真希は言った。
更に激しく降る雨。
だけど、二人ともそこから動こうとはしなかった。
前髪が水を含んで、額にべっとり貼り付くのを手でかき上げる。

「亜弥ちゃんに何を吹き込んだの?」
「別に、何も言ってないよ」
「嘘つかないで!」

シンと静まりかえる。
雨の音に紛れ、近くの通りを走るトラックのエンジン音が聞こえた。
美貴は次の真希の言葉をじっと待った。
頬を垂れる雫。
ぴったりと張り付く服。
靴下にしみこんでいく水。
だが、美貴は待った。
瞬きすら惜しむほど、真希を凝視し、ただ次の言葉を待っていた。
329 名前:第3章 火の章 投稿日:2004/12/17(金) 01:17
「ミキティ、邪魔なんだよね」

その瞬間だけ、雨の音が止んだ。
雨だけでない。
トラックのエンジン音。
自分の呼吸音。
心臓の音。
全てが消失し、真希の言葉だけが美貴に届いた。

「だからさ、もう私とまっつーの前に来ないでくれる?」

続いて届く声。
真希が手を差し出す。
小さなナイフが自分に向けられていた。

美貴は反射的に自分が腰に手を回した。
だが、そこにあるべきものは、現実世界ではあるわけもなく。
美貴の肩に掛けたカバンの中にそれはある。
330 名前:第3章 火の章 投稿日:2004/12/17(金) 01:17
今、何をしようとした?

美貴は自分に問いた。
そして、答えが自分の中で形を成す前に、震えが走った。
膝ががくがくと震える。
それは雨に打たれて下がった体温のせいなんかでは決してなく。
こみ上げてくる強烈な吐き気と嫌悪感。

殺したいなんて考えていなかった。
だが、体は動いた。
仮に、腰に忍冬があったとしても、真希を切っているわけはない。
しかし、美貴の体は確かに動いたのだ。

さすがに美貴の異変に気づいたのか、真希もナイフを下げる。
それでも、右手に握り締めたそれから、力を抜いているわけでもなかった。
331 名前:第3章 火の章 投稿日:2004/12/17(金) 01:18
「どっかいって」

目を伏せたまま美貴は言った。
これは、警告だった。
理性のタガがはずれて真希を殺してしまう可能性がゼロであると、美貴は断言することが出来なかった。
実際、それはゼロであるに違いない。
しかし、美貴はゼロと言い切る自信を失っていた。
そう、殺さないまでも、人を切ること、人を傷つけることに慣れてしまった自分に恐怖した。


視界が歪む。
頭に当たる雨粒が、まるで氷の塊のように。
ガンガンと頭に響いてくる。
立っているという感覚がなくなっていた。
どっちが空で、どっちが地面か。
それすら揺らぎ始めていた。
美貴の意識からは、目の前に真希がいるということがまだ残っているのかさえ、消えかけようとしていた。
332 名前:第3章 火の章 投稿日:2004/12/17(金) 01:18
真希も、まだ言いたいことがあった。
自分の前に今度現れたら殺すという脅しさえ、まだ言えていなかった。
そのために持ってきたナイフ。
少し町を歩けば目にする店で買ったナイフ。
殺傷能力なんて包丁にはるか及ばない。
カッターナイフの方がまだ利便性があるようなナイフ。
おそらく、そのまがりなりにもナイフと呼べるものが真希に与えるのは勇気や自信だけ。
勇気といっても、正しい勇気ではなく。
はりぼての勇気。
そして、虚勢。
最も大切な感情を、最も間違った道具を使い、最も間違った形で手にいれた真希。

だが、その真希でさえ、今の美貴にそれを言うことは出来なかった。
ナイフという手助けがあっても、真希は美貴に恐怖していた。
美貴から感じる雰囲気。
それに加え、美貴とは全く違った存在感。
自分が感じていた妙な感覚が、強く、大きくなっていった。

一歩、後ろに下がる。
美貴は微動だにしない。
もう一歩、もう一歩。
それから、真希は反転して走った。
背後から感じる気配が次第に小さくなっていくことを感じ、真希は安堵する。
だが、振り返ることはしなかった。
角を曲がってからも、足を止めず、振り返ることなく、真希は雨の中を走った。
333 名前:第3章 火の章 投稿日:2004/12/17(金) 01:18
美貴がそこを動いたのは、真希が去ってからゆうに10分は過ぎていた。
朝、目覚めたときのように、ボーっと頭がしびれている。
その頭に真っ先に浮かんだのは、亜弥のコンサートのこと。
カバンはすでにグショグショに濡れており。
封筒は透け、亜弥の口紅が滲み、それを真っ赤に染めていた。
破らないように慎重に取り出したチケット。
裏面は真っ赤。表面の印刷も酷く滲んでいた。

それを手に取り、美貴は会場へと入る。
もちろん、正面から入れば、ファンに見つかり大騒ぎになるので、再び関係者入り口から入ることとなる。
美貴は、自分がなぜさっき、ここをでてきたのか、忘れてしまっていた。
忘れてしまっていた。
それは厳密に言えば間違いである。
機能の大半を失った美貴の頭の中には、亜弥のコンサートを見るということ以外のものはなかったのだ。
334 名前:第3章 火の章 投稿日:2004/12/17(金) 01:18
美貴の目には、何も映っていなかった。
目を通して認識したものが、頭に残らない。
障害物を避けて進むためだけに、目的の扉へ向かうために、ただそれだけの機能のためだけに、彼女の目は存在していた。
視覚が脳を介さずに、手足に繋がっているかのように。
原生動物が光の射す方向へと進んでいくように。
今の美貴はまさしくそれに等しかった。

会場内へと入り、自分の席についても、美貴はその状態のままだった。
まるで人形のように、ぬれた髪を拭こうともせずにただ座っていた。
その美貴の目に光が戻るのは、亜弥がステージに現れた瞬間。
まるでスイッチでも入ったかのように。
続いてあふれてくるのは涙。
すっかり雨が乾いた顔にを湿らせる一筋の涙。

笑顔の亜弥をもっと見たいと思う感情と裏腹に、あふれてくる涙は視界を滲ませ。
亜弥の声を聞きたいと願う耳には、自分の嗚咽とすすり泣きが横から割り込んでくる。
335 名前:第3章 火の章 投稿日:2004/12/17(金) 01:19
その様子を、ステージから亜弥は目にしていた。
かなりの距離があり、美貴がどんな顔をしているのかまではわからない。
だが、自分が送った場所に、一番自分が何時でも目にできるところに、美貴がいる。
美貴をどこか期待していた亜弥だっただけに、うれしかった。
亜弥も涙をうっすらと浮かべる。
意地を張っていたのは自分だと、亜弥は気づき始めていた。


―― 美貴に聞いてみたんだけど、まっつーにも言えないって
美貴さ、最近よっすぃと一緒にいること多いよね。

―― 一度、美貴から距離をとってみたら?メールとか電話、無視するの。
1週間くらい待ってさ、まっつーが大事ならさ、きっとそれでも電話かけてくるよ

――え、美貴から電話来ない?うん、私にも来てないよ


真希の言った言葉が断片的に頭によみがえる。
思い出しては、美貴の姿を確認し、消していく。

336 名前:第3章 火の章 投稿日:2004/12/17(金) 01:19
美貴たんが私以外の誰かが好きだっていい。
私は、美貴たんが好きだから。
それに……私よりも可愛い女の子なんて、いるわけないもん

声を張り上げる。
リズムに合わせて体を動かす。
だが、それはたった一人のために。
他の誰でもない、美貴のために。

「私の、大事なみんなに向けて歌います」

亜弥の言葉に会場が沸く。
口ではみんなと言っていたが、心の中では美貴たんと亜弥は言っていた。

「聞いてください。YOUR SONG 青春宣誓」
337 名前:takatomo 投稿日:2004/12/17(金) 01:19
 
338 名前:takatomo 投稿日:2004/12/17(金) 01:20
 
339 名前:takatomo 投稿日:2004/12/17(金) 01:23
>>328-336 更新終了

>>326 ありがとうございます。お言葉に甘えてゆっくりじっくりと。
めざせ週一更新で、頑張ります。

>>327 ありがとうございます。たまには息抜きとしてなんか書いてみたかったんです。
第二弾は当分無いですが、また気が向いたらするかもです(w
340 名前:名も無き読者 投稿日:2004/12/20(月) 11:03
更新お疲れサマです。
境界があやふやになると危険なんですかね〜。(謎
でも行く先に光もあるのでしょうか。
とにかく先をマターリお待ちしてます。
341 名前:第3章 火の章 投稿日:2005/01/09(日) 22:23


「あーもう、なんでこんなに一杯出てくるんですか」

れいなは言う。
大声で叫びたいというのが本心だったが、余計に敵が集まってくる危険性もあるから、さすがの彼女もできなかった

木々から漏れる日の光が、彼らの手にしたさまざまな武器を照らす。
刀、鎌、斧、槍、矢。
周りを囲む20人以上の敵に対して、ひとみたちは7人だけだった。
彼らの共通点は、ただ黒い鎧を着ているというだけ。
それが、彼らを明確に夜の民だということを示していた。

「仕方ないでしょ。敵さんの家に向かってるんだから。

梨華と剣がかぶるように、ひとみは彼女の前で剣を横に構えた。
同じように、れいなは自分の体をさゆみの前に移動させる。
そのことで背を向け合う形になったれいなとひとみ
中央に梨華、さゆみ、希美。
れいなの隣には絵里。ひとみの隣には亜依という構図が自然に発生した。
342 名前:第3章 火の章 投稿日:2005/01/09(日) 22:23
先陣を切ったのはれいな。
距離をとって囲む敵の中に、彼女は切り込んだ。

「田中、バカ!」

ひとみの声は届かない。
彼女には決定的に足りてないものがある。
ここで、とるべき方法の中で、正解から程遠いことを彼女は行った。
何のために、ひとみが梨華の前に剣を置いていたか。
その行為を模倣したれいなだったが、その本質を全く理解していなかった。

炎をまとったれいなの刀は、鎧の上からでも相手を切り割く。
相手の囲いの一角は、確実にれいなによって崩されていく。
だけど、彼女がいないことで、さゆみの前には絵里だけになった。
343 名前:第3章 火の章 投稿日:2005/01/09(日) 22:23
元々、自然発生的にできた構図である。
だが、それは各々が意図を理解していたからこそ、自然にそれが起こったわけである。
術者3人を守るように、他の4人が前後につく。
戦力的にひとみとれいなに比べ、亜依と絵里は劣るから。
それぞれが分散し、前後を守る。
相手の数が圧倒的に多い中、戦況をひっくり返すのは術の力が一番有効だからだ。

しかし、れいなだけはそれを意図していなかった。
ひとみの真似をしてさゆみの前に立っただけ。
後は周りがそれにあわせて動いただけのこと。
そもそも、彼女は多対一の戦術を理解してはいないのだ。
賊としてずっと生きてきた彼女の実戦は、常に相手の数のほうが少なかった。
加えて、足手まといなものは死んで当然という中で育ったから。
誰かを守りながら戦うという選択肢が、彼女に芽生えるはずもなかった。
344 名前:第3章 火の章 投稿日:2005/01/09(日) 22:24
一角で火の柱が立つ。
向かってくる敵を裁きながらも、ひとみは背後強烈な殺気と熱を感じていた。

ヒュン

その合間を縫って音がする。
後方から放たれた弓矢。
斜め上から落ちてくるそれは、決して命中率が高いわけでもなく、加えて殺傷能力も低い。
だが、雨のように降ってくるのが見えるそれに、ひとみは対処法をもっていなかった。

「みんな、動かないで」

ひとみの耳に届く希美の言葉。続いて彼女は瓶子を掲げた。

「ガキさん!」

発されたその声に木々が答える。
木の葉が少女の形を作ったかと思うと、それはすぐに飛散し、ひとみたちを包むように舞った。
視界を完全に覆うほどに舞う木の葉。
だが、それが晴れた後、ひとみの視界に広がったのは、足元に散らばる無数の矢だった。
345 名前:第3章 火の章 投稿日:2005/01/09(日) 22:24
「ありがと」

ひとみがそう言って剣を構え直した時だった。
先ほどにも増して強烈な殺気。
わずか一瞬で、ひとみは死の恐怖を感じた。

それと同時に、炎が走った。
地面をニ度。たったニ度だけ走った。

そして収束する炎の中心に立つれいな。
立ち込める炎は、彼女の周りを一度ぐるりと回った後に消えた。
残ったのは焼けた肉の臭い。
動いているものはいなかった。
熱で赤く光る鎧。
その形は明らかに変形していた。

半夏生の力。
それは術と比較にならないほどに、戦況を一変させる力を持っていた。
346 名前:第3章 火の章 投稿日:2005/01/09(日) 22:24
刀が纏う炎を止め、れいなは鞘に納める。
6人、誰もが声を出せなかった。
自分たちの方に戻ってくるれいなを見ているだけだった。

「さゆ、絵里、怪我無い?」

掛けられた声に、首だけ上下に動かす二人。
その絵里の腕に切り傷があるのに、れいなは気づいた。

「怪我してんじゃん」

自分の服の裾を破り、絵里の手を取ろうとするが、絵里の手は、それをするりと抜け、代わりに頬に勢いよく飛んできた。

「れいな、バカ!もう知らない」

それが自分に対して言われたことだと認識するのには時間がかかった。
れいなの手から落ちた布が、地面にゆっくりと落ちていく方が早いほどに。
そして、絵里に頬を叩かれたということがわかったのは更にその後。
叩かれたことの意味、文句を言われたことの意味、そして、キラリと光る絵里の涙の意味をれいなは全く理解できなかった。
347 名前:第3章 火の章 投稿日:2005/01/09(日) 22:25
「絵里…」

絵里は、れいなに背中を向けて、自分の傷とひとみの傷を治し始める。

「さゆ…」

返事は無い。
まるで敵でも見るような、恐れと警戒と怒りの混じった視線が向けられていた。

「何それ…何?何なのよ!」

わからない。
みんなの考えがわからない。
さゆも絵里も、吉澤さんも石川さんも、辻さんも加護さんも。そして、藤本さんも。
全然わからない。
敵、倒したのに。
みんな怪我無く敵倒せたのに。
どうして?
何が悪いの?

拳を固く握る。
何かを殴りつけたい衝動に駆られたが、あいにく自分が辺り一体の木々まで焼き尽くしているのだから、何も無い。
348 名前:第3章 火の章 投稿日:2005/01/09(日) 22:25
そこに聞こえてきたのは男の声だった。

「おーい、こっちだ。煙が見える。おい、めぐみ様に連絡を」

はっきり聞こえるほどの近い距離。
間違いなく敵と考えてよい。

「くそ…新手が来る前に、行こう。もう少しだから」

ひとみは言う。
みんな頷く。
だが、れいなだけは何の反応も示さなかった。

「田中?行くよ、敵が来る」

ひとみに掴まれた手を力任せに振り解く。
れいなの目線は変わらず下を向いたまま。

「田中!行くよ」
「行ってください。私は行きません」
「どうして?」
「敵がくるんだったら、全部殺せばいい。行くなら行ってください。私は、あなたたちと一緒にいても仕方ない」

刀を手にすることなく、れいなの手からは炎が現れた。
拳を包むように広がる炎。
彼女の服が黒く焦げていくが、彼女自身は熱いとすら感じていなかった。
349 名前:第3章 火の章 投稿日:2005/01/09(日) 22:26
「田中……」
「行ってください。残るなら、巻き込んでも知りませんよ」

広げた手。
炎が弾けて消えた。
その手を今度は刀にかける。

ひとみは、それが脅しであることくらいわかっていた。
力づくでも連れて行くべきであることもわかっていた。
だが、今のれいなには到底自分はかなわないこともわかっていた。
徐々にれいなの殺気が高まっていく。
隠そうとも、抑えようともせずに放出された殺気が、先の戦闘で感じた死の恐怖をひとみに呼び起こすには充分だった。

「……死なないで。先行って待ってるから」

その言葉に返事は無い。
れいなには死ぬつもりは毛頭無い。
その言葉に込められた願いや忠告は、彼女にとっては無意味だった。
350 名前:第3章 火の章 投稿日:2005/01/09(日) 22:26
去っていく6人の音を聞き、れいなは刀を抜く。
敵が近くまで来ているのはわかる。
木々のざわめきから、自分が囲まれ始めているのがわかる。
抉り取られたように消失した森の中。
その森と荒地の境に、敵はどんどん集まってくる。

れいなからはほとんど敵は見えないが、その逆は隠すものが全く無く、丸見えだった。
遮る木々が無くなったため、日の光がれいなに当たる。
朝の民の証がくっきりと左手に浮かんでいだ。
351 名前:takatomo 投稿日:2005/01/09(日) 22:28
>>341-350 更新終了。
お詫びの言葉もございません…週一更新なんてしゃぼん玉ー

>>340 ありがとうございます…次こそは週一更新を…約束しますorz
352 名前:名も無き読者 投稿日:2005/01/09(日) 23:50
更新お疲れサマです。
や、お忙しいのですから無理せず(ry
今度はこちらの世界、
過去の生活で身についたモノは中々拭えないという所でしょうか。
連絡先の方が気になりますが、続きも楽しみにしてます。
353 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/01/11(火) 19:01
今日気づいて一気に読みました。
どんどん盛り上がってきてますね!
私は6期推しなのでより面白く感じます。
354 名前:第3章 火の章 投稿日:2005/01/15(土) 18:34
抜いた刀は炎につつまれる。
その炎がいくつもの軌道を描く。
向かってくる敵は全てその炎の餌食となっていた。
兜も、小手も、鎧も関係ない。
合わせた刃ですら炎につつまれ、持ち主を焼き尽くす。
怒声と悲鳴の渦の中、れいなは一人無口であった。

左手の証は次第に光りを放ち始め、それと共に刀の炎は勢いを増していく。
攻撃の手が止み、れいなを囲む敵の輪が何重にも形成されていく。
しかし、彼らはれいなに対して攻撃にでることを躊躇し始めていた。
足元に散らばる黒ずんだ仲間だった者たち。
立ち込める肉の焼けた嫌な臭いと相まって、視覚的、嗅覚的にれいなに対する恐怖を形作っていた。

れいなの右腕は炎につつまれていた。
まるで肩から先が一本の刀であるかのように。
そして、彼女はその腕を突き上げる。
炎が四方に弾けとぶ。
彼女を囲む者たちが次々に炎に呑み込まれていった。
355 名前:第3章 火の章 投稿日:2005/01/15(土) 18:35
肩口まで服が燃え、彼女の細い腕があらわになる。
細くしなるそれは、周りの敵にとって、死神の鎌にすら見えただろう。
れいなの周りの空気が熱気によってゆらめく。
その中心で火傷すら、いや汗一つかかない彼女はさましく死神だっただろう。

再び刀を構えるれいなに、その先にいた敵は恐怖から背を向け、走り出そうとする。
しかし、その兵士の首は瞬時に飛んだ。

「たった一人の獲物に背を向けるなんて何事?」

細い目にかかる髪は茶。
胸部だけ覆う軽装の鎧は黒。
両腕で持たれた鎌は、それに対して銀色に輝いていた。

「め、めぐみ様…」

兵士たちにとってはどちらも死神に見えただろう。
振った鎌があっさりと首をはねでも、顔色一つ変えることはない。
れいなに近寄る彼女の前を、兵士たちはおびえるように開けた。
356 名前:第3章 火の章 投稿日:2005/01/15(土) 18:35
「朝の民にこんなのがいたんだね…あんた、名前は?」
「聞いたほうが名乗るのが礼儀じゃないの?」

れいなは刀を向けた。

「私は村田めぐみ。あんたは?」
「さぁ?」

答えの代わりにれいなの刀からは炎が走った。
しかし、村田は鎌を振り、それをたやすく切り裂く。
真っ二つに割れたそれは、脇にいる兵士を飲み込んだ。

「やるじゃん」

驚きを隠すかのように、れいなは軽口を叩いた。
それとともに、村田の持っている鎌に、ひとみの剣と同じ気配を感じた。
刀を上段に構える。

鎌という武器を、れいなは少し前まで使っていた。
もっとも彼女はもっと小型のものだったが。
しかし、おおよその特性というものはわかっているつもりだった。

鎌での攻撃は先端を突き刺すことと、内側の刃で引き切ること。
その大きく湾曲した形状とは予想外に、大型のものは非常に使い勝手は悪い。
れいなより背の高い村田よりも、更に長い鎌であるが、引き切るということになると、鎌の長さの中まで相手を引き付けなければいけないため、実質的なリーチは刀を持つれいなと大差なかった。
357 名前:第3章 火の章 投稿日:2005/01/15(土) 18:35
近づくれいなの斜め後ろから刃がやってくる。
それを飛んで避け、そのままの勢いで刀を下ろした。
村田は柄でそれを受け止める。
れいなの体はまだ刀よりも上にある。
彼女は刀の先に左手を置いた。
円形をした鎌の柄をなめるように、先の方に体重の掛かった刀はれいな共々くるりと回転する。
村田の右手を深々と切りつけるとともに、れいなは彼女の背後に着地した。

激しい痛みが彼女を襲う。
思わず鎌を落とし、彼女は右手を押さえた。
血は全く出ていなかった。
高熱のれいなの刀が肉を切ると同時に焼いたせいだ。
真っ黒に変色した傷口からは煙が立ち昇り、周辺の皮膚は火傷を起こし真っ赤に腫れていた。

それでもすぐに鎌を拾い片手で構える。
村田の右手は指先すら動かすことはできなくなっていた。

れいなは振り返り、村田と向かい合う。
そして、止めをさそうと一歩踏み出したときだった。
れいなの足に巻きついたのは一本の鞭。
そのまま高く放り上げられ、れいなは地面に叩きつけられた。
358 名前:第3章 火の章 投稿日:2005/01/15(土) 18:36
「村、これで貸し一個だからね」

れいなが目の前からいなくなり、村田には斉藤の姿が映った。

「どうしてここに?」
「ちょっとある奴を追ってて。そしたらピンチだったから思わずね」

そこまで言うと、背後から放たれる殺気に、斉藤はれいなの方を振り返った。

「半夏生か。今日は次々と、一体どうなってるの?」
「まさか…さゆと絵里を…」
「ふふん…さぁね」

笑みを浮かべる斉藤。
れいなの刀には先ほどに増して炎が揺らめいた。

飛んでくる鞭を避けようとせずに刀で受ける。
簡単に切れると思っていたそれは、切れることなく刀に巻きついた。
ぐいとれいなは引っ張られる。
歴然とした力の差は、踏ん張る間すら与えてもらえなかった。
刀もろとも木にぶつけられる。
衝撃が走り、全身の骨が悲鳴をあげた。
しかし、それでも刀を離すことはできない。
立ち上がる間も与えられず、今度は地面へと。
鞭が刀から外れたのは、更に数度れいなが打ち付けられた後だった。
359 名前:第3章 火の章 投稿日:2005/01/15(土) 18:47
刀を包む炎は消え去っていた。
地面に刀を突き刺して立ち上がるれいな。
土にまみれたその姿に、依然として光を失わない眼光がひどく目立っていた。
斉藤の鞭がれいなの体を叩く。
何度も、何度も叩くが、れいなは避けることはできない。
ただ倒れずに立っていることしかできなかった。

「私にやらせて。この右手の借りは返さないとね」

キラリと光る鎌。
薄れ行くれいなの意識にも、それははっきりと映った。

鎌が振り上げられる。

その時、れいなは自分の体が浮き上がるのを感じた。
本当は彼女の足元が陥没し、1mほど落ちていったのだが、彼女にはわからなかった。
そして、彼女がいた場所を鎌が通り抜ける。

「その子は殺させない」

れいなは声を聞いた。すごく懐かしい声。
穴を覗く彼女の姿を見ても、すぐに誰か名前が出てこなかった。
360 名前:第3章 火の章 投稿日:2005/01/15(土) 18:47
「矢口…どうしてここに?」

村田が尋ねる。

「そちらさんにさっきから追いかけられててね。逃げてたら丁度この場面だったわけ」

真里は斉藤を指差す。
腰に一本の刀を差した真里は、以前に美貴が出会った彼女とは大きく変わっていた。
背丈や髪の色、着ている物は何一つ変わっていない。
だが、美貴がいれば絶対に違和感を感じただろう。

たった一本の刀が彼女の存在感を変えていた。
それは、美貴が、絵里が、れいながそうだったように。

真里は刀を抜く。
浮かび上がる二つの文字。
それには「夏藤」(ナツフジ)と書かれていた。

361 名前:takatomo 投稿日:2005/01/15(土) 19:01
>>354-360 少しだけ。
3章の区切りが無いままどんどん長くなってるような…
あと2回くらいで4章に行きたいです…

>>352 ありがとうございます。こっちいったりあっちいったり一貫性というものが無さすぎ…
次はまた元の世界の予定です…いろんなとこ飛び過ぎorz

>>353 一気読みありがとうございます。ちょびちょびの更新ですが追っていただけるとうれしいです。
362 名前:名も無き読者 投稿日:2005/01/16(日) 03:05
更新お疲れサマです。
キターとゆー感じです♪
と、思ったら寸止めで次は元の世界ですか。
どちらも気になるので無問題。(節操無
次回も楽しみにしてます。
363 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/01/16(日) 22:34
更新お疲れ様です。
緊張感あふれる場面が続いてドキドキしっぱなしです。
364 名前:第3章 火の章 投稿日:2005/01/27(木) 01:17


カチャカチャという音で、美貴は目を覚ました。
真っ白な天井が目に映る。
起き上がると、湯気の立ち上る器を持ってくる亜弥の姿が映った。

寝てたんだ…

美貴は少し恥ずかしくなった。
ほんの1時間くらいだったはず。
前日から熱が出て、寝込んでいる私のところに亜弥ちゃんが来て、お粥を作ってあげると言ってくれたのはいいけど、私が釜を洗わされてご飯を炊いたのだから。

「美貴たんは寝てなきゃダメだよ」

口をぷぅっと膨らます亜弥に、人に洗い物させておいて今更何をと思う美貴だったが、口には出さなかった。

「亜弥ちゃん、あのね、さっきも言ったけど、今あんまり食欲ないの」

それは亜弥の料理の腕前のせいというわけでは決してなかった。
むしろ、亜弥は美貴よりも上手いくらいなのだから。
本質的に気分が優れないために、食事を取りたくないだけ。
365 名前:第3章 火の章 投稿日:2005/01/27(木) 01:17
「せっかく作ったんだから食べてよ。食べさせてあげるからさ」

スプーンでお粥をすくい、息を吹きかける。
漂ってくるご飯の香り。
差し出されたスプーンに美貴は口を運んだ。
喉を通って胃に落ちるのが熱によってわかる。
味といっても白いご飯だけなのだから、おいしいもまずいもそもそもない。
加えて、風邪で味覚が変になっている美貴にとっては、味は無いに等しかった。

しかし、それでも美貴はおいしいと感じた。
それは亜弥が目の前にいるからであって。
亜弥が食べさせてくれるからであって。
美貴にとっての一番の調味料は、亜弥であることは間違いなかった。
それから、勧められるままに食べていった美貴は、気づけば器を空にしていた。
366 名前:第3章 火の章 投稿日:2005/01/27(木) 01:18
「ありがと」
「ううん」

スプーンを器に置いたカチャンという音が響いた。
不意におこった静寂。

お互いに聞きたいことはほぼ共通していた。
けれども、お互いそれを口に出すことはしなかった。
数週間ぶりにこうして同じ部屋で過ごす二人。
当たり障りの無い会話の連続で時間を繋いできた。
離れていた間のことは、お互い一切触れることも無く。
お互いが、また以前のように戻ったことを確認するかのように、他愛もない会話で自分たちの距離を探っていっていた。

「キスしていい?」

不意に亜弥が言った。
普段は了解すらとることなく、一方的にキスしてくる亜弥だったのに。
美貴は答える代わりに、口付けた。

「風邪、うつっても知らないからね」
「…そういうことはする前に言ってよ」

亜弥はベッドに飛び込んだ。
367 名前:第3章 火の章 投稿日:2005/01/27(木) 01:18
「マジでうつるってば」
「いいもん。私にうつったら美貴たんの風邪治るでしょ」
「そーゆー問題じゃな…」

反論する美貴の口を亜弥が塞いだ。
口内を暴れる亜弥の舌は、すぐさま美貴のそれを絡めとる。
口の端から漏れる唾液が美貴の首筋へと垂れていく。
だが、亜弥は一向に止めようともせず、貪るように美貴の舌を求めた。

「んぐっ…ふぁ…」

亜弥を離そうとしていた手は、いつのまにか亜弥の手を掴み、自分の胸へと押し当てていた。
ボタンの隙間から伸びる亜弥の指。
じらすように指先だけが美貴のそれを撫でた。
368 名前:第3章 火の章 投稿日:2005/01/27(木) 01:18
「亜弥……ちゃん……」

ようやく亜弥から解放された口だったが、美貴は彼女を求めた。
亜弥がゆっくりと自分のボタンを外していく。
その間を惜しむかのように、美貴は亜弥に再び口付けた。
4つ目のボタンが外れる。
それとともに、亜弥の口が美貴から外れ。
美貴の視界には亜弥の頭が映った。
甘くてどこかツンとする香りが鼻をつく。
しかし、それを感じたのは一瞬だけで、すぐに美貴は香りを感じる余裕すらなくなった。
乾いた唾液の跡をなぞるように、亜弥の舌は美貴の首筋を下りていく。
そのゆっくりとした動きとは正反対に、亜弥の右手は激しく美貴の乳房を弄っていた。
ゆっくりと迫る舌と右手が重なろうとするとき、美貴の体をが一度ブルッと振るえた。
亜弥はそれに満足したように、口を離す。

「たん、大好き」

普段よりもおどけた口調で言われたそれ。
それから、亜弥の右手は美貴の湿ったそこへ向かう。
下着が張り付くほどに、グシャグシャに湿ったそこに、亜弥はやんわりと触れた。
369 名前:第3章 火の章 投稿日:2005/01/27(木) 01:19
「あぁ…」

漏れ出る美貴の声に、亜弥はそこから太股に向けて指を動かしていく。
そこを小指でかすめる程度に、太股の内側を何度も、何度も撫でた。
そして、亜弥はそれをしながらも、次第に自分が濡れていくのを感じていた。
力ない美貴の手が、亜弥の手を掴み、そこに触れさせる。
しかし、亜弥はすぐに美貴の手から離れ、再び太股へ。

「たん、して欲しいときは何ていうの?」

ニヒッと笑う亜弥。
指先をそこに押し付ける。美貴の口から声が漏れた。
指についた液を亜弥はペロリと舐めながら、美貴の言葉を待った。

「…おね……」
「聞こえないよー」

指先を再度押し付ける。
美貴の口からさっきよりも大きな声が漏れ出た。

「おね…しま……」
「何?たん、そんなんじゃ聞こえないですよー」

言いながらも、亜弥のそこも美貴以上に濡れていた。
370 名前:第3章 火の章 投稿日:2005/01/27(木) 01:19

「…お願いします」

それが合図。
下着をずらし、美貴のそこに亜弥は指を二本入れた。
入れているのは自分なのに、亜弥は自分が入れられているかのような快感を同時に得た。
ぐちゅぐちゅと音を立てるそこを、何度もかき回す。

そして、二人の声が重なりあった。


371 名前:第3章 火の章 投稿日:2005/01/27(木) 01:20
美貴は目を覚ましたのは、まだ夜が明けるか明けないかの時だった。
隣で寝ている亜弥が、くしゃみを一つした。

「ったく…亜弥ちゃんが風邪引いたら大変なんだからね」

おでこに軽く口付けて、美貴は起き上がる。

そういえば…みんなはどうしてるんだろう…

向こうの世界に行かなくなって3日が経つ。
目的地にはとうについてもいい頃だ。

カバンにしまった忍冬は光らない。
光っていても行くことはなかったのだけど、ここまで光らないのは逆に心配だった。

亜弥はまだ寝ている。
明け方まではもう少し時間がある。

ちょっとくらいなら、大丈夫なのかも。

薄暗い中に光る忍冬の煌きが、美貴の心を揺さぶった。
それはもう、美貴の心を動かしたということでもあった。
372 名前:takatomo 投稿日:2005/01/27(木) 01:23
>>364-371
少なすぎですが更新終了
パソコンのせいで一回書いたのに全部消えて遅くなりました(言い訳

>>362 ありがとうございます。またまた次は向こうに(ry

>>363 ありがとうございます。横道にそれたといいますか、久々にこんなシーンでも…
373 名前:名無し読者 投稿日:2005/01/27(木) 18:40
最初からイッキに読みました。
すっごく面白いです!ドキドキしすぎてやばい!
これからついていきますので更新頑張ってください。楽しみしてます。
374 名前:名も無き読者 投稿日:2005/01/28(金) 01:34
更新お疲れサマです。
まぁ!ってなリアクションしか取れませぬが。
またまた次は向こうw
前回気になるトコで寸止めされたのでねぇ。
次も楽しみにしております。
375 名前:第3章 火の章 投稿日:2005/02/12(土) 15:54


森を抜けると見える金色の炉。
それは、炉というよりも塔に近かった。
枝のように、その壁面からは、いくつもの煙が吹き出ている。
その様子からは、まるで世界を支える大樹のようにも思えた。

金辿極炉。

この世に流れる武器のうち、名器といわれるものは、全てここで作られてきた。
以前は中立地であった。
武器の供給だけを目的に、彼らは完全なる自治を守っていた。
しかし、夜の民がそれを破って攻めてきたために、崩れることとなる。
朝の民も、その他の者と等しく暮らしてきたこの場所を。
8年前。
それは起こったのだった。

それ以来、ここは完全に朝の民への武器供給を行っていない。
それが、朝の民の数を急速に減らすのに一役をかっていることは、明らかだった。
376 名前:第3章 火の章 投稿日:2005/02/12(土) 15:55
6人は、森との境界で止まっていた。
紛れ込むことはたやすい。
人の移動が激しく、人口自体も多い都市なのだから。
しかし、問題は朝の民かどうかのチェックが設けられていることだ。

彼女たちの左手の証は、消すことは容易でない。
それこそ、れいながやっていたように、皮膚を焼くほどのことでは無い限り。
そんなことをすれば、証が無くても朝の民と疑われるに違いない。

ただ、彼女たちが留まっているのは、突破する術が思いつかないからではない。
強行突破しかないことは、ひとみも梨華も理解している。
彼女たちが留まっている理由は、れいなだった。
そんな中、光の中から現れたのは美貴だった。

「あれ、田中ちゃんは?」

第一声はそれだった。
円を組んで座る6人の中に、れいなの姿が無いことはすぐにわかった。
377 名前:第3章 火の章 投稿日:2005/02/12(土) 15:55
「知らないです。吉澤さん、もう行きましょうよ」

絵里は言う。
売り言葉に買い言葉のように言われたその言葉は、彼女の心配そうな表情では説得力の欠片も無かった。

「美貴がいるなら、強行突破も可能だ。それに、夜になれば森に出ていたうちらを探してたやつらが戻ってくるかもしれない。
そうなる前に、侵入しておきたいところなんだけどね」

ひとみは、れいなのことを美貴に説明してから、最後にそう言った。
さゆみと絵里は同意も反対もしなかった。
太陽は南中をとうに越している。
ふと左手を見るが、そこには何も無い。
この世界に時計というものが無いことを、美貴は初めて実感した。

「私と重さんの二人で行く。二人なら忍冬の力で、気づかれずにあの中へいける。みんなはここで待ってて」

美貴の言葉に反対するものはいなかった。
だから、美貴はそれを賛成ととった。
このままぐずぐずしていても何も始まらないのだから。
378 名前:第3章 火の章 投稿日:2005/02/12(土) 15:55
目的地は炉に間違いなかった。
ひとみが言うには、あそこの火が武器に不思議な力を与えるという。
自分たちの間を二人の人間が通り抜けたことを、兵士は気づくことは無かった。
彼らにしてみれば、間を風が横切ったとしか感じ取れなかったのだから。

内部は、想像以上ににぎわっていた。
新宿や渋谷といった都市に近いほど、人の通りは多かった。
恐ろしいことは、これら全員が自分たちに敵対するものであるということだった。
さゆみと手をつなぎ、不自然でないように証を隠す。
気づかれれば、いくら美貴といえども死が待っていた。

いくつもの家が並び、等しく煙の立ち上る煙突が備わっている。
歩く人の携帯する武器は、どれもどこかしら力を感じるものであり。
逆に、美貴の持っている五星刀の力を異質だと感じさせなかった。
379 名前:第3章 火の章 投稿日:2005/02/12(土) 15:56
巨大な炉は、どんな場所からも見え、いくつかの曲がり角を曲がりながらも容易にたどり着くことはできた。
近くで見るほどにそれは大きく。
美貴は今まで、これほど大きくて高い建造物を見たことが無かった。

入り口らしきものは見える。
扉は無く、中からは光とともに煙が漏れていた。

「行くよ」

その言葉が合図となり、さゆみは美貴の背中におぶさった。

その時だった。

突き刺すような悲鳴が後ろから聞こえた。
振り返ると、自分たちが入ってきた門のあたりに炎が立ち込めていた。
こんなことができるのは、この世で一人しかいなかった。

「ったく…何やってくれるのよ」

辺りがどんどん騒がしくなっていく。
それとともに炉には人が集まり始めていた。
守るべきはここということは、共通意識らしい。
380 名前:第3章 火の章 投稿日:2005/02/12(土) 15:56
今のうちに中に入ってしまうか、それともれいなのところへいくか。

美貴の中で葛藤が起こる。
どちらがいいか、美貴にはすぐに判断することはできなかった。
それが更に事態を悪くするということを、美貴が気づいたのはその後。

おぶさったさゆみの左手は、美貴の手から離れている。
つまり、証が露わになっていたのだ。
陽の光がそれをくっきりと映し出す。

朝の民が近くにいるという情報は、町の中には回っている。
いくら騒ぎの中とはいえ、これだけの人の目がそれに注目しないわけは無かった。

「こっちだ!」

一人が声を上げる。
それとともに美貴に向かって刀が抜かれた。
抜いていた刀でそれをうける。
その間にも炉の周りに集まった人たちは美貴を囲んでいく。
381 名前:第3章 火の章 投稿日:2005/02/12(土) 15:56
「もう、今度会ったら絶対殴る」

刃の角度を変え、受けた刀を流す。
がら空きの首元に柄を打ち下ろした。
現実世界で会ったら、本気で殴るかもしれないから注意しようと、美貴は思う。
それくらい、今の状況は最悪な方向へと向かっていっていた。

あれだけの炎の力があれば、これくらいの敵はまとめて叩けるんだけど。

無いものねだりをしてみる。
しかし、あれだけの力を使えば、確実に命を奪ってしまうことは目に見えているのだから。
例えあったとしても、美貴はそれを使わないだろう。

さゆみを背に、四方からくる敵をさばく。
できるだけ力を温存したかったが、それを許してくれるような状況ではない。
美貴の時間が早まる。
向かってくる5人の武器を瞬時に弾き、胴を薙いだ。
それを数度繰り返しても、周りの敵は一向に減る様子を見せない。
少しずつ包囲が遠巻きになってはいるが、とても突破できるようなものではなかった。
382 名前:第3章 火の章 投稿日:2005/02/12(土) 16:08
れいながこっちに来てくれないかと、美貴は思わずそう考えてしまった。
このままでは自分の体力が尽きて、殺されてしまう。
汗でべっとりと張り付いた前髪をかき上げ、美貴は刀をもう一度構えなおした。

その横で、さゆみの左手の証が一段とくっきりと浮かぶ。
美貴もさゆみもそれには気づかなかったが、証が陽の光で浮き出ているというよりは、証自体が弱い光を放っていた。

「私が刀を抜いたらすぐに捕まって。中に突っ込む」

美貴は刀を納め、炉の入り口を向いた。
柄を左手でしっかりと持ち、刀を振りぬく。
空気のこすれる音と同時に、血が吹き出る。
さゆみは美貴の腰に両手をかけた。

舞い上がった血が地面に落ちる前に、美貴の顔についた。
そのまま後ろにいる敵を左右に押し分けていく。
構えられた武器に両腕があたり、いくつもの傷がつけられる。
相手としては構えているだけだが、美貴は高速でそれに当たっていくのだから。
深い傷がいくつもついていくのは当然だった。
両腕が真っ赤に染まり、力が入らないが、忍冬を落とすわけにはいかなかった。
383 名前:第3章 火の章 投稿日:2005/02/12(土) 16:20
時の流れが戻る。
転がり込むように美貴は炉の中へと入っていった。
流れる血は、美貴の下半身にいくつもの染みを作っていた。

ここでは一度にあれだけの敵が押し寄せることは無い。
しかし、傷に加え、力を使いすぎた美貴にとっては、今では一対一の戦闘すら厳しかった。

さゆの歌声が響く。
自分たちが入ってきた穴の周りがぼろぼろと崩れていき、そこを塞いだ。

「ありがと」

刀を納め、美貴はその場に座り込む。
炉の内部は、煙が少し立ち込めていたが、熱くは無かった。
入り口を塞ぎ、陽の光が差し込む様子は無いが明るかった。
壁自身が光を放っていた。
さゆみの左手は一層光をまし、さすがに二人ともそれに気づいた。
384 名前:第3章 火の章 投稿日:2005/02/12(土) 16:20
「ここで間違いないみたいだね」
「はい。感じます。何かが、私を呼んでいます」

目をつぶり、耳に手を当ててさゆみは言う。
すぐに動きたいところだったが、美貴はすぐに立ち上がらなかった。
この中は、外とは明らかに違っていた。
座っているだけで、力が少しずつ戻ってくるように思えた。
だから、美貴はもう少し休む選択をした。
幸い、周りに人の気配はなかったから。
少しでも体力の回復をしておきたかった。

「田中ちゃんだったよね……」
「はい。絶対にれいなです」

二人ともよぎったシーンは違えど、ともにれいなが敵を焼き殺している姿を思い浮かべていた。
ひとみの話によると、その前から力を使っていたという。
たったあれだけの力でもう限界になる自分と、大きな力を連発して使用しているれいな。
自分では止められないかもしれないという思いが、美貴の中に生じた。
385 名前:第3章 火の章 投稿日:2005/02/12(土) 16:20
けれども、遅かれ早かれは止めなくてはいけない時がくるだろう。

自信はなかったから、それ以上考えることをやめた。
ただ、さっきの炎はひとみたちの目にもついているだろうから。
彼女たちがここにやってくる可能性は高い。
そうなれば、余計にやっかいなことになってくる。

できるだけ早く、ここにあるであろう刀を手に入れたいところだったが。
はやる気持ちを抑え、美貴はもう少し待っていた。
額の汗が引くくらいまでは、回復していたかった。
386 名前:takatomo 投稿日:2005/02/12(土) 16:24
>>375-385 更新終了…もう何も言えません。ごめんなさい。

>>373 ありがとうございます。更新は見ての通り遅いですが…最後までついてきて頂けると嬉しい限りです。

>>374 いつもありがとうございます。そしていつもお待たせしてごめんなさい…
田中については次回に色々と。色々と。
387 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/15(火) 22:51
更新お疲れ様です。
盛り上がってきましたね!
次回も楽しみに待ってます。
388 名前:通りすがりの者 投稿日:2005/02/17(木) 18:56
一気に読まさせていただきました。 れいなさん、相当いっちゃってますね、汗過去になんかあったのでしょうか? かなりすごくなってきましたね!ドキドキしなから拝見させていただいております!続きが気になります。更新待ってます。
389 名前:名も無き読者 投稿日:2005/02/19(土) 22:07
更新お疲れサマです。
まーまー、作者様もお忙しい身ですから。
戦闘も始まったようでますます楽しみです。
続きもマターリとお待ち致します。
390 名前:第3章 火の章 投稿日:2005/02/20(日) 17:27


「行こうか」

呼吸も整い、体の重さもほぼ無くなって来た。
美貴は立ち上がった。
さゆみもそれに続いて立ち上がる。

「こっちです。誰かが呼んでます」

さゆみが先に歩き出す。
炉の中へとどんどん進むが、熱は全くと言っていいほど感じなかった。
どんどん明るくなっていく壁と、さゆみの証。
それに加えて、自分の持つ忍冬まで音を立てている気がした。

「近いです」

穴を抜けると、そこは炉の中心部だった。
上から滝のように流れ落ちてくるのは、どろどろに溶けた真っ赤な鉄。
蒸気で下は全く見えないが、炉から得られたこれらが元になって、多大な武器が作れられていくことになる。
391 名前:第3章 火の章 投稿日:2005/02/20(日) 17:28
「あそこです」

さゆみが指差すのはその滝の源。
「秋桜(コスモス)」
刃に刻まれたその字が、五星刀であることを示すまでもなく、それだとわかる。

馬鹿げている。

美貴が心に抱いたのはその感情だった。
滝の源となる一本の刀。
宙に浮いたその刃先から、この鉄の滝は発生していた。

半夏生の破滅の力。
春女苑の治癒の力。
そして、秋桜の発生の力。

それに比べて、自分の刀の力はすごくちっぽけに思えた。

「藤本さん?どうかしました?」
「ん、何でもない。早く取りに行こう」

壁をぐるりと回って私たちは刀の元へいく。
そして、さゆみが刀に手をかけようとしたときだった。
392 名前:第3章 火の章 投稿日:2005/02/20(日) 17:28
「その刀に触れるな」
「誰!」

柄に手をかけ、声の方を向く。
浮いていた。
美貴のよく知っている人物が、炉の中心に浮いていた。

「保田さん」

美貴の呼びかけに、圭は驚いた顔をした。

「その名前を呼ばれたのは、何年ぶりでしょう。そもそも、誰かと話すこと自体久しい」

大きな目が美貴を見る。そこに敵意は感じられなかった。
左手に目をやる。
証は存在していなかった。

「この刀が必要なんです」

刀に左手を差し出したまま、さゆみは言った。
393 名前:第3章 火の章 投稿日:2005/02/20(日) 17:29
「それは、この炉を構成する全て。この炉の構造自体が、その力を増幅させる場になっている。
秋桜の力を借りて、この炉自体が秋桜を増幅させる場たらしめている。その刀を取るということは、すなわちこの炉の崩壊を意味する」
「でも、これがないと世界が救えない」

美貴は自分の言葉にハッとした。
そもそも、自分たちは何の目的で五星刀を集めているのだろうか。

朝の民を救うため?
それは安倍さんが言ったこと。
安倍さんを止めるため?
それは飯田さんが言ったこと。
どっちが本当か確かめるため?
たぶんそれが正解。

「世界を救う?こんな刀で世界を救えると思っておるのか?」

美貴は答えられない。
世界を救うのではない。
しいて言うなら、朝の民を救いつつ安倍さんを止める。これが正解。
世界なんて救えない。
救えるのは、自分の心だけ。
394 名前:第3章 火の章 投稿日:2005/02/20(日) 17:29
「私は、世界なんてどうでもいい。れいなを救いたい。れいなと絵里と、石川さんと吉澤さん、それに辻さんも加護さんも。
藤本さんだってそう。みんなが笑っていられるために、これがいるんです」

さゆみの言葉は、美貴の心の迷いとは次元が違うものだった。
エゴの塊。だけど、まっすぐな気持ち。

「それを持っていけば、この炉は崩れる。さすれば、この金辿極炉でもう武器を作ることはできなくなる。
ここで暮らしている人はどうなると思う?彼らの幸せは、彼らの笑顔はどうする?」

圭の表情が語気とともに一層険しくなる。
しかし、さゆみはそれを受け流すかのように微笑み、言った。


―――さゆね、思うの。武器がなくなったら、みんな争いなんてしないって

395 名前:第3章 火の章 投稿日:2005/02/20(日) 17:29
美貴は、自分がひどく馬鹿らしく思えた。
さゆみのまっすぐさ。私が世界の中心みたいな考え方は、やはり自分の知っている彼女だった。
それだけに、彼女が当たり前のように言ってのけることに迷う自分が、ひどく馬鹿らしく思えた。

刀に手をかける。
光が刃先から炉を上っていき、頂上から噴出した。
滝が消える。壁からの光も消える。
代わりに秋桜が二人を照らしていた。

「我も、所詮はここを作ったから、ここを守りたかっただけだ。お前たちと大差ない」

姿は消えたが、圭の声だけが二人には聞こえた。

「だが、覚えておけ。お前たちが守りたいものは、たくさんの犠牲の上に成り立っているとな」

炉で反響し、声が響く。
美貴は、そんなことくらいわかっていた。
だからこそ、開き直るしかないんだと。
今更刀を戻しても仕方ない。

なら、これからが少しでもよくなるように考えなきゃいけない。

このとき、美貴はこちらの世界に来て初めて、亜弥の笑顔が思い浮かんだ。
396 名前:第3章 火の章 投稿日:2005/02/20(日) 17:30
「藤本さん、行きますよ。壁を壊します」

壁に向かって刀を向けるさゆみ。
氷を溶かすように、次々と壁がなくなっていく。
そうして炉を抜けた美貴たち。
その瞬間だった。
刀が光り、その竜巻が全て消えた。
美貴だけでない。
さゆみの刀も。

そして、町の2箇所から3筋の光が天へと昇る。

「揃った…」

美貴は呟く。
涙があふれてきた。
美貴からも、さゆみからも。
刀がやっとめぐり合えた喜びを、二人に代弁してもらうかのように。
397 名前:第3章 火の章 投稿日:2005/02/20(日) 17:30


<3 火の章 完>


398 名前:takatomo 投稿日:2005/02/20(日) 17:35
>>390-397 更新終了。次は4章。
少量更新なんで、次は木曜くらいまでには…

>>387 ありがとうございます。もう後半なので、山場の連発で行く予定です。

>>388 ありがとうございます。れいなは壊れすぎてますが…たぶんなんとかなるはずです。

>>389 戦闘シーンは…もうちょっと先になりそうなのが悲しいところです。更新早くしたら今月中にはいけそうですのでがんばります。


皆様のおかげで残り2章ってとこまでこれました。感謝感謝です。
399 名前:takatomo 投稿日:2005/02/20(日) 17:40
うわ…訂正箇所がひとつ。

>>396
その瞬間だった。
刀が光り、その竜巻が全て消えた。


>その瞬間だった。
美貴の刀から放たれた光は天へと昇る。

書き直したのに直すの忘れてた_| ̄|○
400 名前:通りすがりの者 投稿日:2005/02/22(火) 22:25
ついに全て揃いましたね。でも外ではまだ田中ちゃんが 汗 無事に帰ることが出来るんでしょうか? 更新待ってます。
401 名前: 投稿日:2005/02/27(日) 02:21


―――

いつか、目覚まし時計が鳴って、そしたらベットの上で、いつもの朝が始まっちゃうんですよ。
ここでのことが実は全部夢だったってことがわかっちゃうんです。

人生なんてさ、夢みたいなもんじゃないのかな?

もし、この世界のことが本当に夢だったら?私がこの世界でやったことってどうなるんですか?

―――

402 名前: 投稿日:2005/02/27(日) 02:21


―――――『夢限幻無 第4章 金の章』―――――


403 名前:第4章 金の章 投稿日:2005/02/27(日) 02:22

「絵里!」
「さゆ、れいなは?」

絵里が最初に名前を出したのは、美貴ではなくれいな。
ましてや、さゆみが刀を手に入れたことではなかった。

「藤本さんが向かってる。私たちも行こう」

怒声の飛び交う町は、秩序というもののかけらすら存在していなかった。
炉の光が途絶えたことに気づき、炉に向かう者。
自分たちに向かってくる者。
そして、最後にれいなの光が昇った方向へと向かう者。

そうして分散しているおかげで、さゆみたちはずいぶん楽に動くことができた。
しかし、その一番の理由はれいなたちが分散する前に、かなりの数の夜の民を殺していることだということには、気づけなかった。
404 名前:第4章 金の章 投稿日:2005/02/27(日) 02:22
地面が揺れる。
走っていてもわかるほどに。
さゆみは知らない。
自分たちが炉に入っている間に、すでに数度、こうした揺れがこの町を襲っていることを。
そして、それは巨大な穴を作り、多くの人を飲み込んでは何事も無かったかのように元に戻っていることを。

夏藤。
操る力は土。

巻き起こる炎と飲み込む大地。
れいなと真里の強大な力を美貴が目にしたのは、地面の揺れが収まった後だった。

「矢口さん…どうして、こんなところに…」

れいなに声を掛けようとしたが、その横の人影に美貴は気づいた。
彼女の持っている刀が、五星刀の一つであることはわかった。
しかし、そこに刻まれた文字が、美貴を更に驚かせた。
405 名前:第4章 金の章 投稿日:2005/02/27(日) 02:23

夏藤。

自分が見間違えるわけはない。
距離はあるが、頭に直接映像が浮かんでくるかのように、真里の刀に刻まれた文字が美貴には見えていた。
周りにいる敵を攻撃をかわし、真里に近づく。

炉を出てから、美貴の体力は完全に回復していた。
いや、完全というよりは、いつも以上に力がみなぎっていた。
炉という場に集められていた力のなごりが、秋桜だけでなく、五星刀全部に宿されているからだ。

とはいえ、鉄の滝を形成するほどの力の名残。
それは十分な力だった。
時を加速させ、一気に真里に近づく。

まさか、そんなはずはない。
美貴は考える。

五季で5本。それが五星刀のはずだ。
私の持つ冬、田中ちゃんの夏、亀井ちゃんの春、そしてシゲさんの秋。
なのに、矢口さんは夏を持っている。
私の予想が外れていたの?

加速を終えた美貴の目の前に炎が広がる。
先に二人を止めないといけない。
406 名前:第4章 金の章 投稿日:2005/02/27(日) 02:23
れいなの刀を忍冬で受ける。
弾けた炎が、美貴の髪を少し焦がした。

「いい加減にしなさい」
「邪魔!」

れいなの刀に力が加わる。
刃が流れ、お互いの鍔が当たる。美貴は動けなかった。
引けば刃先が確実に美貴を襲うだろう。
力はれいなの方が強かった。
美貴の知っているれいななら、腕相撲で簡単に勝った覚えがある。
でも、明らかにその時と力が違った。

二人を囲うように、少し離れた場所から蒸気が沸き立ち始める。
膠着する二人を狙って放たれた矢は、その境で見えない壁に弾かれた。

水と司る忍冬と、炎を司る半夏生。
相対する二つの刀が合わさることで、お互いの刀の力が暴走を始めていた。
407 名前:第4章 金の章 投稿日:2005/02/27(日) 02:24

「そろそろ、引いた方がいいんじゃないですか、藤本さん?」
「それはこっちの台詞だよ」

二人の体が少しずつ力によって切られていく。
頬を、足を、腕を。
細かな切り傷が生じていき、二人の肌にはべっとりと血がにじんでいく。

さゆみたちがついた頃には、発生した蒸気が霧にように二人を覆い、ぼんやりと刀の光が見えるほどだった。


「なんだよ、これ……」

足を止めたひとみの口から、愚痴のようにこぼれた。
梨華はそっと後ろに隠れ、ひとみの肩に手を置いた。
希美はここに近づいてくるほどに、頭痛が増してきていた。
それがここに来て彼女の限界を超える。
亜依に寄りかかるように屈みこんだ。
408 名前:第4章 金の章 投稿日:2005/02/27(日) 02:24
さゆみと絵里は止まることなく、それに向かう。
刀が再び光を帯び始める。

「れいな!」

叫んで霧に手を伸ばす絵里を、場が容赦なく切りつける。

「絵里!」

悲鳴を上げて霧から弾かれた絵里の右腕は、彼女の治癒能力が無ければ二度と動くことはなかっただろう。
さゆみは絵里を引きずるように、ひとみたちの所まで戻った。

周りの夜の民も、いつしか攻撃することを止めていた。
全員が、その異様な光景を目にしていた。
誰も動くことができなかった。

たった一人を除いては……
409 名前:第4章 金の章 投稿日:2005/02/27(日) 02:24
「もう、意地張らずに止めなよ、田中ちゃん。今なら殴るだけで済ましてあげるから」
「何で藤本さんに殴られなきゃダメなんですか」

二人とも、もう刀にこめる力はほとんどゼロに近かった。
立っているのすら限界に近いほど、二人は疲弊しきっていたのだ。
しかし、刀同士が引き合うかのように離れようとはしなかった。

その時、二人の周りの霧が揺れ、一本の刀が間に入ってくる。
横から伸びるその刃先は、二人の刀を弾いた。

「もう、何やってんだよ」

霧が晴れる。
真里が刀を交互に二人に向けた。
彼女は少しも傷を負っていなかった。
しかし、美貴とれいなはそれに反論する間もなく、そのまま倒れた。

「石川、辻加護、それによっすぃ、来い」

真里の言葉で動き始める4人。周りの夜の民よりもその分、状況を理解するのが早かった。
ひとみと梨華はさゆみと絵里を促し、真里に近づく。
夜の民が再び武器を構えたのはそれから。

その前に、9人は土中に消えていった。
410 名前:takatomo 投稿日:2005/02/27(日) 02:27
>>401-409 更新終了。
もう絶対次回更新の予告とかしないでおこう。守れたためしが無いので…


>>400 ありがとうございます。田中が放置なので…次の次くらいに少しフォローを…キャラが増えると書けない人が一杯で。・゚・(ノД`)・゚・。
411 名前:通りすがりの者 投稿日:2005/02/27(日) 13:53
ついに終わったんでしょうか? 矢口さんの刀と田中ちゃんの刀、一体どっちが本物なんでしょう?
412 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/27(日) 15:00
更新お疲れ様です。
キャラがイキイキと動いてますねぇ!
読んでて面白いです。
413 名前:名も無き読者 投稿日:2005/03/04(金) 22:42
更新お疲れサマです。
いよいよ第四章に突入ですね。
彼女は一体・・・?
また気になる所で止めますねぇ。。。w
続きも楽しみにしてます。
414 名前:第4章 金の章 投稿日:2005/03/14(月) 21:08


パチパチと音を立てて燃えている薪を、美貴はじっと見つめていた。
闇の中、耳につくのはその音と、鳥の低くて不気味な鳴き声。
後は、自分の周りで寝ているみんなの寝息だけだった。
枝を火の中へと投げると、パチッと大きな音がした。

美貴が意識を取り戻してから、まだ数時間しか経っていない。
金辿極炉で起こったことが、まだどこか夢のように思える。
しかし、美貴の全身をつつむ気だるさが、やはりそれが現実であることを示していた。
415 名前:第4章 金の章 投稿日:2005/03/14(月) 21:08
真里が飛び込んできたのは覚えている。
彼女の手にあるのは、まちがいなく五星刀だ。
それは間違いない。
炉から出てきたときに感じたあの感触。
五本揃ったことを刀が確かに告げていた。

だけど、納得は出来ない。
春、夏、秋、冬。
この4つが揃い、北、東、南、西も一致している。
それなのに、最後がなぜ「夏」なんだろうか?
真里の実家は横浜。東京に近い。それもずれている。
美貴の予想が正しければ、残る一つは土用。
陰陽五行説に従うのなら、土用で中央のはずだ。
416 名前:第4章 金の章 投稿日:2005/03/14(月) 21:08
美貴が納得できないのは、ただ単に自分の説が外れているからという理由だけであった。
誰も、五行説だとは言ってはいない。
状況的にそうであるだけ。
だけど、美貴はそう思って納得できるほど、人間が出来ているわけではなかった。
そして、その疑惑は今度は真里に向かうこととなる。

だから、美貴は自分の世界に帰っていなかった。

真里はきっと何かたくらんでいる。
美貴の中で負け惜しみとしか言えない様な感情は、美貴の考えをそちらに向かわせた。

真里が見張りの時に、自分も見張りをするといったのはそのせいだった。

だが、真里は薪を拾ってくると行ってから帰ってこない。
数分のことだったが、美貴にはそのことを訝しんだ。
417 名前:第4章 金の章 投稿日:2005/03/14(月) 21:09
れいなは、まだ目を覚ましていない。
目を覚ませばすぐに思い切り殴るつもりだった。
しかし、寝顔はどうしても自分の知っているれいなが重なって。
さゆみや絵里の名前を寝言で言う彼女を見ると、さっきまでのことが嘘のように思えてくる。
けれども、このれいなは自分の知っている田中れいなとは全く違う。
そのことを再度自分に言い聞かせる。

絶対に、殴ってやるんだから。

その時、足音が聞こえた。
それが真里の足音だということは、五星刀の気配でわかったが、美貴は刀を抜いた。

「ちょっ、待って。私だってば」

暗闇の中から現れる真里はそう言った。
美貴は謝りもせずに刀を納めた。
薪をゆっくりと美貴の脇に置き、真里は隣に座った。
418 名前:第4章 金の章 投稿日:2005/03/14(月) 21:09
「朝の里まであと5日くらいかかるかな。藤本はずっとこっちにいるの?」
「そうですね、一度帰りたいんですが、どうしても気になることがあるんです」
「ふーん、そっか」

「あんたのことだよ」と、美貴は心の中で毒気づいた。
次の目的地は朝の里。
なつみと圭織、どちらが真実なのか、それを確かめに行かなければいけない。
寧ろ、やっとスタートラインに立っているのかも知れないと、美貴は思った。

「斉藤、村田、それに大谷って知ってる?」
「はい、知って……いえ、斉藤さんしか知らないです」

美貴は、慌てて訂正した。
自分が知ってるのは、自分の世界の3人。だが、こっちの世界では斉藤しか知らないのだ。
419 名前:第4章 金の章 投稿日:2005/03/14(月) 21:09
「夜の民のリーダー格なんだけどさ、この3人」
「はい」
「こいつらのせいで多くの仲間が殺されたって聞いた」
「誰にですか?」
「なっち」
「ふぅん」

急に胡散臭さが増してきた。
言ってみれば、なつみと繋がっているのは真里なのだから。
真里への疑惑はそのままなつみへの疑惑に繋がっていく。

「さっきも会ったんだけど」
「……」
「昔から、何度もあいつらに殺されかけた。その度に私は逃げることしかできなかったんだ」
「……」
「でもね、今は違う。私は戦えるのに逃げることができた」
「意味がわかりません」
「この刀のおかげだよ」

美貴の言葉を気にせずに、真里は更に続けていった。
420 名前:第4章 金の章 投稿日:2005/03/14(月) 21:09
「この刀、この刀はすごいよ。やられそうになっていた田中を助けることも出来たし、田中がいなかったなら、あいつらくらい倒せていたかもしれない。
結局、田中がいるから逃げてきたんだけどさ」
「……はい」
「藤本もさ、田中も亀井も道重もそうだ。この刀の力があれば、きっと夜の民を滅ぼせる」
「夜の民を滅ぼすんですか?」

「それは、安倍さんの望みでしょ」という言葉を飲み込んだ。
ひとみたちにも言ってある。
真里には圭織のことを言わないようにと。

「ああ。それで終わり。あとはみんなで楽しく生きていければいいかな」
「そう……ですか」

「藤本さ」
「何ですか?」

真里の声が急に明るいトーンになった。
まるで、今までの神妙な話に対する照れ隠しのように。
421 名前:第4章 金の章 投稿日:2005/03/14(月) 21:10
「藤本の世界って、どんなの?」
「私の世界ですか?」

ふっと上を見上げる。
自分の世界。
ここよりも文明の進んだ世界。
争いの無い世界。
いや、違う。争いなんて世界中のどこでも起こっている。
民族間の争いも。
ここと何も変わっていないのかもしれない。

進歩しているだけで。
刀が銃や爆弾に変わっただけで。
何一つ、変わっていないのかもしれない。

「藤本?」
「……いい、世界ですよ」

いつもよりもずっと鼻にかかった、変な声だった。
422 名前:第4章 金の章 投稿日:2005/03/14(月) 21:10
「争いもないし、平和だし。みんなが笑って暮らせる、いい世界ですよ」

見栄を張る自分がすごく嫌で、美貴は余計に寂しくなった。

「そっか、いい世界なんだな」
「……はい。いい世界です」

念を押すように言った。
それは、そうなって欲しいという願いを込めてだった。

「矢口さんに似た人もいますよ」
「え、マジで?」
「はい。矢口さんだけじゃない。よっすぃも、梨華ちゃんも、さゆも、亀井ちゃんも、田中ちゃんも。
辻ちゃんも加護ちゃんもみんないます」
「嘘、マジで?何やってるの?」
「みんな、同じ仕事をしてるんです。アイドルって言って」
「あいどる?」
「はい。みんなで歌を歌ったり踊ったりしてるんです」
「おお、何かカッコいいな。藤本もそのアイドルにいるんだろ?」
「はい」
「じゃあさ、何か歌ってよ。踊ってよ」

目をキラキラさせて美貴を見上げる真里は、自分の知る彼女と完全にダブった。
423 名前:第4章 金の章 投稿日:2005/03/14(月) 21:10
「ええ……じゃあ、ちょっとだけ」

美貴は短い枝を一本もって立ち上がった。
始めはみんなを起こさないようにと、声を抑えて歌う。
真里もそれにあわせて小さく手拍子をしていた。

しかし、いつしか歌うことが楽しくなっていく。
それとともに、歌声もしっかりと大きくなっていく。
人前で、自分の曲を歌うことなんて久しぶりだった。

懐かしい。楽しい。

歌うことがこんなに楽しいと思ったのは久しぶりかもしれなかった。
一曲を歌い終わった美貴は、もう一曲歌おうかとも思い始めた。
だけど、その思いは起き上がったひとみの「うるさい」の一言によって、一気に抑えられる。
そうして二人の見張りの番は終っていった。

424 名前:takatomo 投稿日:2005/03/14(月) 21:16
>>414-423 更新終了
案内板で名前出していただいた方々にも感謝を込めて、少ないですが更新。

>>411 二人のことはまだまだまだまだ引っ張ります。一応わかりにくいヒントは提示していますので、考えてみていただけるとうれしいです。
>>412 ありがとうございます。今回は矢口さんのフォローを入れつつ。もうちょっとみんなにフォロー入れたいと思います。
>>413 ようやく四章です。あと二章ということで、ようやく終わりが見えてきたかなと。最後までお付き合い頂けると幸いです。
425 名前:通りすがりの者 投稿日:2005/03/16(水) 17:55
戻ったら一波乱ありそうな感じですね。 あと、皆さんの関係も気になるところ、この5日間何も起きない事を願いながら次回更新待ってます。
426 名前:名も無き読者 投稿日:2005/03/27(日) 11:26
更新お疲れ様です。
うーん、どーゆーことなんだろう。。。?
ヒントが読めません。(爆
気になりますが、続きも楽しみにしてます。
427 名前:第4章 金の章 投稿日:2005/03/29(火) 01:18


その夜のことがきっかけになったわけでは決してない。
本当は、向こうの世界のことが気になったからなのだが、それでも帰る気になったのは、やはりあの夜のことが大きかった。
ただ、ひとみにだけは、真里に気をつけるようにだけは告げ、美貴は自分の世界へと戻ってきた。

美貴が帰る前に、目を覚ましたれいなは、状況がつかめないままにいきなり美貴に頬をぶたれた。
反撃しようとするれいなに、かぶせるように放たれた美貴のお説教は、相変わらず何の意味をもたなかった。
絵里もさゆみも遠巻きから見ているだけだった。
もう、二人に対しても心を開こうとしないれいなには、例え絵里やさゆみが涙を流したとしても、大きな意味を持たないだろう。

そんな場面を止めたのも真里であり。
真里が止めたから、二人は再び刃を交える事態には陥らなかった。
428 名前:第4章 金の章 投稿日:2005/03/29(火) 01:18
けれども、れいなの中には不満が積もるばかりであった。
正しいと思うことを全て否定され。
かといって、美貴やさゆみ、ひとみに梨華が敵を殺していないわけではない。
なのに、自分だけが非難される。
れいなには美貴の言っていることが、それだけのことにしか思えなかった。

美貴もそれは感じていた。
このれいなとは出会って時間が経っていない上に、自分の知っているれいなとは全く違う。
だが、ちょっとした仕草や表情は、自分が知っている彼女と同じである。
それがゆえに、彼女の気持ちが何となくわかるのだった。

そうは言っても、対処する方法はない。
なぜ人を殺してはいけないかを一から説明できるほど、美貴は宗教家でも哲学者でもない。
それに、れいなが説明しても素直に聞いているわけも無い。
だから、もっとも単純な方法で知らしめる。
悪いことをした動物には罰を与える。
人から犬まで。
時間はかかるが哺乳動物を広くカバーできる方法だ。
429 名前:第4章 金の章 投稿日:2005/03/29(火) 01:19
だが、ここにきてそれが少し変化しつつある。
真里の存在がそれだった。
本能的に、れいなは感じていた。
自分よりも明らかに高い能力をもつということを。
それだけでない。
彼女の近くにいると、力が湧き上がって来る。
金辿極炉の時もそうだった。
斉藤達から逃れ、体力も回復しないままに向かったそこで、れいなは変わらない力を発揮できた。
それも、今まで自分が操っていたものよりもはるかに大きな力を。
その大部分が炉の影響であったが、真里の持つ刀の力もあった。

地を司る刀。
れいなたちの持つ4本の刀の中央に位置する、最後の五星刀。
夏藤の力だった。

だからといって、れいなが人を簡単に殺していくことをやめるわけではない。
真里が言うから素直にその場は引くだけであった。
430 名前:第4章 金の章 投稿日:2005/03/29(火) 01:20


現実世界に戻ってきた美貴は、まだ薄暗い部屋と、亜弥が寝ていることを確認し、ほっとする。
それから時計を確認したが、自分が何分に出て行ったか覚えていなかったから、意味を成さなかった。

亜弥の横にもぐりこんで、頬にキスをする。
それだけで、すごく疲れが取れたような気がするから不思議である。

「おやすみ」

美貴は亜弥の背中にぴったりとくっついて、寝息を立て始めた。
431 名前:第4章 金の章 投稿日:2005/03/29(火) 01:20


それから、何もない日が続いた。
何もない日常だった。
朝起きて、仕事に行って、合間に亜弥とメールをして、夜帰ってくる。
ツアーが一段落した亜弥は、数日のオフがあり、美貴が帰ってくるのを待って家にやってくる。
美貴は翌日仕事があるのだから、特に何かするわけではない。
一緒にご飯を食べて、一緒に寝るだけ。
たったそれだけのやり取りだった。

真希とはあの日以来会っていない。
幸いにして真希に新曲の発売があるため、スケジュールが混んでいたため、一緒に仕事をすることも無かった。
次に会うのはこのままいけば半月後。
ハロープロジェクトとしてのコンサートの打ち合わせの時だった。
432 名前:第4章 金の章 投稿日:2005/03/29(火) 01:21
あさ美に真希のことを言うか、美貴は迷っていた。
あさ美の様子がどこかおかしい事に、自分のごたごたが片付いた美貴はすぐに勘付くことができた。
どこかビクビクした様子はいつも以上であり、常に周りを伺っているようにも思えた。

「藤本さん、最近あさ美ちゃんのこと、よく見てますよね?」
「そ、そうですか?」

丁度あさ美を目で追っていた時に背後から声を掛けられ、美貴は思わず敬語になってしまった。

「ええ。藤本さんには松浦さんがいるでしょ?」

声の主、愛は刺す様な目つきで美貴を睨んだ。
美貴は愛の目をちらっと見ただけで、すぐに目を逸らして反論した。
433 名前:第4章 金の章 投稿日:2005/03/29(火) 01:21
「別にいいじゃん。亜弥ちゃんがいれば、紺ちゃん見ちゃダメなの?」
「はい」
「でしょ、そんなの人の自由じゃん……って何言ってるの?」

愛の目をしっかりと覗き込む。
正常な目。
強いて言うなら、確かな悪意だけが感じられる目だった。

「あさ美ちゃんは、私のです」
「え?」
「後藤さんは松浦さんを奪えなかったんですね」

「愛ちゃん……何言ってるの?」

美貴が寒気すら覚える目だった。
この世にある、とても大事な何かが見えていないような目。
それが何か、美貴にはすぐにわからなかったが、欠落感はひしひしと感じることができた。
434 名前:第4章 金の章 投稿日:2005/03/29(火) 01:21
「ふふ、いいですか?あさ美ちゃんに何かしたら、殺しちゃうかもしれませんよ」

微塵のユーモアも感じさせない言葉だった。
脅し文句というよりも、単純に事実を述べた言葉のように思えた。

あさ美は変わらずに里沙や麻琴と話している。
そこで、美貴はようやく気づいた。
あさ美は周りを伺っているのではなく、愛の目を気にしているということを。
そして、あさ美の近くにいる者に投げかける、愛の鋭い視線を。

美貴は、愛が自分を見ていないことを確認し、携帯を手にとって楽屋を出た。
メールを送る相手はただ一人。
真希宛てだった。
435 名前:takatomo 投稿日:2005/03/29(火) 01:27
>>427-434 更新終了

そろそろお詫びする言葉がなくなってきました_| ̄|○

>>425 ありがとうございます。あっちでもこっちでも波乱の種だけまいてます(爆
全てに芽がきちんとでてくれることを祈りつつ…

>>426 ありがとうございます。ヒントは…意外に盲点な部分かと思われます。
気づかれるとネタバレしまくる恐れありなので、探らない方向でどうかひとつ。
436 名前:通りすがりの者 投稿日:2005/03/29(火) 13:47
更新お疲れさまです。 うぁ( ̄□ ̄;)なんかすごいことになってきました!地雷が幾つも埋められているようです! 続きが楽しみです。 次回更新待ってます。
437 名前:第4章 金の章 投稿日:2005/04/01(金) 01:12
「ん、美貴たん、またなんか隠してる?」
「ふぇ?」

美貴はスプーンを持つ手を止めた。
まさに口に入ろうとしていた時であり、美貴の口はあんぐりと開いたままになった。

「別に……」
「亜弥ちゃんには関係ないよ。って言うの?」

まさに言おうとしていたことを言い当てられ、美貴はバツが悪そうにスプーンをお皿に戻した。
カシャンと音がして、スプーンに乗せたオムライスの卵がずれ落ちる。
ジッと見る目を、亜弥は逸らす気配はない。

「言わなきゃダメ?」
「いいよ。美貴たんが言いたくないなら」

それ、すごく卑怯だから。

美貴は心の中で毒づく。
そうまで言われて隠しておくことは美貴には出来ない。
この間のようなすれ違いは、もうたくさんだった。
438 名前:第4章 金の章 投稿日:2005/04/01(金) 01:12
あさ美のこと、愛のこと。
そして、明日の夜、真希と会うと言うこと。

美貴はそれら全てを包み隠さずに話した。
亜弥は「ふぅん」と言っただけで、オムライスを口に運んだ。
口の端についたケチャップが、血のように見え、美貴は亜弥の口元から目を逸らした。

カチャカチャと音が響くだけの空間は、食事が終わるまで続いた。
美貴は、亜弥が何を考えているのか、考えようともしていなかった。
あさ美のこと、愛のこと、真希のこと、それにれいなや真里のこと。
気にかかることが多すぎた。
美貴は、この時に気がつくべきだった。
亜弥が、明らかに何かを企んでいるときの顔をしていることに。
439 名前:第4章 金の章 投稿日:2005/04/01(金) 01:13
「ごちそうさま」

先に食事を終えていたのは亜弥だったが、美貴が食べ終わるのを待ち、二人で同時に言った。

「帰るね」
「もう?」
「うん、明日からお仕事だから」

洗い物はもちろん美貴の仕事だ。
亜弥はどうしようもないとき以外は決して洗い物をしない。
手が荒れちゃうからと本人は言い訳するが、彼女の家の流しにビニール手袋が置いていた記憶は無かったから、きっと嘘。
でも、そんな亜弥が愛しく思える。

それだけじゃダメなんだろうか?
ごっちんも、愛ちゃんも、おかしい。
愛するってそういうことなの?
相手を独占して、人を傷つけて、それが好きってことなの?
440 名前:第4章 金の章 投稿日:2005/04/01(金) 01:13

「もう、わっけわかんない」

洗い物をしながら美貴は呟いた。
愛のことを含め、こっちのことは気になる。
だけど、向こうは向こうで気になる。
朝の里に着いたら呼んでと、いつもどおりの言葉を残して帰ってきたのだから。
おとなしく待っていたほうがいいのはわかっているけど。
やっぱり、いざ離れてしまうと、心配になってくる。

明日、終ったらすぐに行こう。

そう結論付けた美貴だったが、向こうの世界に呼ばれたのはそのすぐ後だった。

向こうから私の心、覗いてるんじゃないの?

美貴は苦笑しながら刀を抜いた。
441 名前:第4章 金の章 投稿日:2005/04/01(金) 01:13


緑に包まれた朝の里は、どこにもなかった。
草原が広がり、家がところどころに立ち並んでいた朝の里は、どこにもなかった。
霧がいつもよりも全然短いと感じたのは、ひとみと梨華。

それからだ。
霧が晴れ、8人の目に広がった光景は、煙の立ち上る黒い大地だった。
地平線の先まで見えるほどに、何も遮るものは無かった。
全てが燃え尽き、全てが炭と化していた。

「そんな、嘘だろ?」

真里が言う。
誰もそれを否定も肯定もしなかった。

唯一平静を保っていられたのはれいなだけ。
朝の里に対して何の思い入れもない彼女だけが、辺りの様子を一人観察していた。
それでも、彼女は何も見つけることは出来なかった。
黒い大地以外の何も無かった。
抵抗の後すらない、一方的な侵略の痕跡だけが、大地に刻み込まれているだけだった。
442 名前:第4章 金の章 投稿日:2005/04/01(金) 01:14
「何、これ?」

後ろからの声にれいなは振り向き、身構える。
それは、美貴の声だったからだ。
他の7人は、まだ呆然と立っているだけで、美貴の方を向こうともしない。
美貴は気づかなかった。
鞘は亜依の腰に差されたまま、手にとられてすらいないことに。
そう、亜依が美貴を呼んだのではないということに気づかなかった。

「夜の民が……」

辺りをうっすらと霧が包んだ。
けれども、それは以前に美貴が見たそれとは明らかに違った。

「なっち」

真里が叫ぶ。
目の前に現れたのは、千早を袴を身につけたなつみ。
違うのは、白いはずの千早すら、大部分が赤く染まっていたことだ。
バランスを崩す彼女を、美貴はすぐに支える。
軽かった。
空気のように軽かった。
風船を持っているような、そんな感じだった。
443 名前:第4章 金の章 投稿日:2005/04/01(金) 01:14
「私の霧の術が弱まったときに、ここを感づかれたのです。
残っていた者は、全員殺されました。もちろん、圭織もです」

嫌な感じを受けたのは、美貴とれいなだけだった。
他の7人は全く感じていなかった。
彼女たちの頭の中は、悲しみと怒りで充満しており、それを感じ取ることが出来なかった。

力の無かった者が、力を得たのなら。
今まで歯向かうことが出来なかった者が、見ていることしか、逃げることしか出来なかった者が、力を手に入れたのなら。

「なっち、夜の民はあそこだよね?」

真里は言う。
なつみは頷く。
その顔が、いつもなつみが嘘を隠している時と同じ顔だと美貴は思った。
それは、彼女の中に疑心があったから、そう見えただけかもしれない。
444 名前:第4章 金の章 投稿日:2005/04/01(金) 01:14
「行こう。あいつら、ぶっ潰してやる」

ひとみも梨華も、希美も亜依も、反対しなかった。
彼女たち全員の思考は麻痺していた。
ここに帰ってきた目的を忘れていた。

なつみと圭織、どちらの言っていることが本当かどうか。
それを確かめるためにここに来たはずなのに。

けれども、美貴は言えなかった。
目を赤くして、汚い言葉を吐く彼女たちに、何も言うことはできなかった。

だから、ただ着いていった。
これから起こることを全て見ていてやろうと思って。

夜の民のいるとされる場所。
朝の民が最も近づくことを恐れていた場所。

夜の里へと、美貴たちは向かった。
445 名前:第4章 金の章 投稿日:2005/04/01(金) 01:15
行程はすんなりと行きすぎた。
なつみの示した道を通っていくと、敵に会うことはないままに、夜の里へと足を踏み入れることが出来た。
不気味なほどに、順調に。
その順調さが罠ではないかと疑うことができたのも、やはりれいなと美貴だけ。
他のみんなはおかしいとさえも思うことは無かった。

生きている感じがしない場所だった。
人間の生活している臭いはしない。
あたり一面に盛られた土と、それに刺さる木の枝が等間隔で並んでいる。
お墓のようだと、美貴は思った。
それが墓だとすれば、これだけの数の墓がどうしてここにあるのか、美貴には全く理解できなかった。

自分たち以外に動いているものは無いかのような世界だった。
薄暗いそこは、しんと静まり返っていた。
湿った土の上を歩いているので、足音すら響かない。
じめじめとした空気は、全く風が起こらずに、体の周りにまとわりついているようだった。
そのせいで、暑くもないのに汗でべっとりと前髪が張り付いた。
446 名前:第4章 金の章 投稿日:2005/04/01(金) 01:15
誰も、何も言わなかった。
どっちに向かっているのとも、本当に人がいるのとも。
そもそも、そんな疑問を持てたのも、やはり美貴とれいなだけであり。
冷静な二人は、それらの疑問を投げかけたとしても、誰もが答えを持ち合わせていないことがわかっていたから、言わなかった。

その時だった。
一段と暗さが増した場所があった。
光を全て飲み込んでいるかのように、闇に包まれた場所。
ほんの、家一件分くらいの幅の場所。
そこに注意が行くのは当然で、そこへと向かうのもまた当然だった。

闇の中は、まるで別世界のようだった。
ひんやりとした空気と、こみ上げてくる嫌悪感。
自分の手足ははっきりと見えるのに、手を握っている先が全く見えなかった。
この感覚を、美貴は覚えていた。
初めて朝の里に入ったときの、霧の中と同じだった。

入る前の小さな幅とはどう考えても結びつかないような、広大な闇だった。
どれくらい歩いているかなんて、さっぱりわからなかった。
発する言葉すらも闇に消されていき、手を繋いでいる感触はあるのに、呼びかけても返事は無かった。
447 名前:第4章 金の章 投稿日:2005/04/01(金) 01:15
不意に足を止めて、美貴は気づく。
自分の手が引かれないということを。
手には感触はある。
けれども、それは動こうともしない。ただ感触があるだけ。

どういうこと……

一度手を離す。
けれども、感触は残っていた。
まるで水をかいているように、闇に感触があった。
だが、美貴にとって重要な事実は、自分が一人であるということだ。
はぐれた皆の名前を呼ぶが、返事は無い。
そもそも、声は闇に飲まれ、響くこともしないのだ。

何とかしないといけないと感じた美貴の手は、すぐに刀にのびる。
抜き放った忍冬は淡い光を発していたが、それが次第に大きくなって、美貴の視界を覆う。
目を覆った瞬間、体がふわっと浮き上がるような感覚を覚えた。
448 名前:第4章 金の章 投稿日:2005/04/01(金) 01:15
「忍冬」

声が聞こえる。

「半夏生、秋桜、春女苑……」

五星刀を次々と読み上げる声が。
その声は、美貴が聞き間違うはずのない声であり、けれども、一番間違いであって欲しかった声だった。

「そして、不完全なものが一つ」

目、口、鼻、髪の毛、指先、それら全てが、美貴の最も愛しい人の者であり。
そこにいたのは、間違いなく亜弥だった。

なつみと同じ、千早と袴姿。
けれども、白であったなつみの千早とは違い、亜弥のそれは漆黒だった。
449 名前:第4章 金の章 投稿日:2005/04/01(金) 01:16
「来たんですね。私を殺しに」

亜弥は言う。
真っ暗闇の中、そこだけくりぬかれた様に存在する亜弥と美貴の姿。
忍冬は、再び淡い光を放つ。

「亜弥ちゃん……」
「あなたは、朝の民ではないですね……それならば、話してもいいのかもしれません」

やんわりとした笑みを浮かべる亜弥。
その前置きの後に告げられた事実を整理する間もなく、美貴の周りに4つの光が現れた。
450 名前:第4章 金の章 投稿日:2005/04/01(金) 01:16
半夏生、秋桜、春女苑、夏藤。

その周りにいるのは、真里たち4人を含め、ひとみ、梨華、希美と亜依の姿もあった。

「亜弥ちゃんは、殺させないから」

美貴は亜弥に背を向け、8人に刀を向けた。


451 名前:第4章 金の章 投稿日:2005/04/01(金) 01:16
流し
452 名前:第4章 金の章 投稿日:2005/04/01(金) 01:16
流し
453 名前:takatomo 投稿日:2005/04/01(金) 01:19
>>437-450 更新終了

残り1.5章分くらいでしょうか。
いつもこれくらいすんなり書ければいいのに_| ̄|○

>>436 ありがとうございます。そろそろ収束させるために、地雷爆発させまくり大会になりかねません(w
454 名前:通りすがりの者 投稿日:2005/04/01(金) 02:08
更新お疲れさまです。 ついにあの人が・・(;_;) この後の行動が分からなくなってきました! 次回更新待ってます。
455 名前:第4章 金の章 投稿日:2005/04/02(土) 03:15


― 私は夜の民の最後の生き残りです 

放たれた炎を、美貴は切った。
それほどまでの剣速だった。
炎を切り裂くと共に、数メートル以上離れたれいなの服と皮膚一枚を切るほどに。
れいながとっさに一歩引かなければ、致命的だっただろう。

― 他の夜の民は、全て朝の民に殺されました

亜依の打った矢を払い落とし、向かってくるひとみの剣を受け止めることなく、体を流したまま、ひとみの脇を刀で薙ぐ。
力勝負なら分が悪い。それに、1対8という状況を打開するためには、まず人数を減らすことが先決だった。
耳に聞こえる歌声。
とっさにその場を離れた。
音の伝わる速度は秒速340m。
時間を加速させた美貴なら、それから逃れることが出来る。
けれども、そのほんのワンフレーズだけの歌が、美貴の体に痛みを与える。
服の下のに隠れた腹部には、殴られたような青い痣ができていた。
456 名前:第4章 金の章 投稿日:2005/04/02(土) 03:15
― 外にあるのはお墓です。朝の民に殺された私の仲間達のお墓です。

「あさ美ちゃん」

次に聞こえたのは希美の声。
人型に集まった水。
大きくしなったそれが美貴に向かって手と思われる部分を伸ばす。
横に避けたが、それは急に角度を変えて美貴を襲う。
つかまれた腕から、流れるように水の固まりは美貴にまとわりつき、彼女の全身を覆う。

こればかりは刀で切り裂くことも出来なかった。
もちろん、空気から遮断された美貴は、呼吸をすることは出来ない。

― 五星刀。それのために、朝の民は私達を狩ったのです。

けれども、美貴は冷静だった。
水に包まれることにより、逆に自分の中に湧き上がるものを感じた。

「五星刀の一、忍冬。その力は、水」

浮かんできた言葉とともに刀を掲げる。
美貴の纏う水が刀の先に集中する。
打てと念じると、刀から一線の水が放たれ、希美の手を貫いた。
瓶子が地面に落ちる。
457 名前:第4章 金の章 投稿日:2005/04/02(土) 03:16
― 五本の刀が揃った今、私を切ることで全てが完全になります。

亜弥の言っていること、なつみの言っていること、そして、圭織の言っていること。
どれが正解かなんて、今の美貴にはわからない。
言えるのは、亜弥が言っていることは、美貴にとっての全てであり。
たとえ、亜弥が自分の大好きな亜弥とは別人だったとしても、亜弥の姿をしている人間が傷つくのを見たくはないのだから。
だから、美貴は選んだ。

世界の全てを敵にしたっていい。
亜弥ちゃんがいればいい。
例え、それ以外の人を傷つけたとしても。

美貴は、気づいていなかった。
自分のその思考が、真希や愛のそれと極めて似ていることを。

再び放たれる炎と、それと共に突っ込んでくるれいな。
美貴の刀から放たれた水が炎を打ち消し、蒸気が二人の間に巻き起こる。
刀と刀を合わせる二人。
けれども、今度は簡単に美貴がれいなの刀を弾く。
458 名前:第4章 金の章 投稿日:2005/04/02(土) 03:16
― あなたも、私を切るんですか?

「亜弥ちゃんには、指一本触れさせないから」

美貴の剣幕は、さゆみと絵里を引かせるには十分だった。
れいなののど元に突きつけた刀。
それを動かさなかったことが、美貴の中に理性が残っている証拠でもあった。

じっと美貴の目を見るれいな。
美貴も逸らそうとしない。
それが、次の行動を一つ遅らせた。

今まで動くことのなかった真里が、初めて動いた。
真里に気づくまで、数秒の遅れが生じる。
そうして、れいなに向けていた刀を構えなおすのに、更に数秒。
その間に、真里は美貴の横を通り抜け、亜弥に切りかかった。
459 名前:第4章 金の章 投稿日:2005/04/02(土) 03:16
間に合わない。

時間を加速させる。
まるで、空気が糊のように自分に纏わりつく。
それほどまでに、美貴は加速していた。
一歩踏み出すのにも汗だくになりながら、美貴は止まった真里の刀と亜弥の間に体を割り込ませる。

時間が、再び動き始めた。
振り下ろされた刀は、美貴の前髪を掠めて、忍冬と打ち合った。
美貴は思わず目を閉じる。
ビリッと腕が痺れた。
460 名前:第4章 金の章 投稿日:2005/04/02(土) 03:17



再び目を開ける。
美貴は、自分の部屋にいた。
太陽の光が窓から差し込んでいた。
右手に握った忍冬と、痺れた腕。

夢?

夢にしてはリアルすぎた。
痛みも感じていた。

だからといって、もう一度向こうに戻ることはできなかった。
刀が、反応を示さなかった。
何度、向こうに行こうとしても、美貴が光に包まれることはなかった。

461 名前:takatomo 投稿日:2005/04/02(土) 03:23
>>455-460 更新終了
書けるうちに書いておきたいです。

>>464 いつもありがとうございます。主要キャラはやっとこれで揃いました。
全ての謎解き編は、もう少し後に。
462 名前:通りすがりの者 投稿日:2005/04/03(日) 17:44
更新お疲れさまです。 一体何が起きたのでしょうか(?_?) まさかもう・・・?? 次回更新待ってます。
463 名前:第4章 金の章 投稿日:2005/04/20(水) 20:44
携帯を見る。
表示はやっぱり合っていた。
今までのことが全部夢とか、そういう落ちでは決してなかった。

もう一度、向こうに行こうとしても、行く事は出来なかった。
苛立った美貴は、ベッドの上に刀を投げ捨てる。
時間を見れば、もう仕事に行かなければいけない時間が迫っていた。

そこから用意を始めても間に合うわけもなく。
美貴が着いたときには既に集合時間を20分過ぎていた。

気にかからないわけは無かった。
なぜ、行くことが出来ないのか。
仕事のちょっとした空き時間に試してみても、結果は同じ。
464 名前:第4章 金の章 投稿日:2005/04/20(水) 20:44
本来は行くことのない世界だという考えに、美貴は行き着くことはなかった。
刀の力で向こうにいけていたのだから、行けなくなる時が来る。
その単純な発想すら、考え付くことは無い。
もしかしたら、この瞬間にも亜弥が殺されているのかも知れない。
そう思うと、美貴は居ても立ってもいられなくなった。

けれども、事実としていくことが出来ない。
刀が拒んでいるかのように、少しの光すらそこから湧き上がってこなかった。

向こうに、このままいけないのなら…
こっちの世界の亜弥の無事は、朝から電話で確認している。
だとしたら、向こうのことが全て夢かなにかと納得できたら…

美貴は考える。
だけど、それは酷く目覚めの悪い夢になることに違いなかった。
465 名前:第4章 金の章 投稿日:2005/04/20(水) 20:44
美貴を向こうの世界に連れて行ったのが、刀の意思なら。
こちらの世界に留めておくのも意思である。

そのことを美貴が理解するのは、真希に会ってからのことだった。

美貴の家から少し離れた公園。
点滅する街灯に照らされたブランコに、真希は座っていた。
少しの気味悪さを感じたが、美貴はそれが街灯のせいだろうと思った。
時折光る光には、ステージで経験があるとはいえ、やはりこんな場所では気味が悪かった。

「紺野のことだけどさ」

立ち上がって真希は口を開く。
466 名前:第4章 金の章 投稿日:2005/04/20(水) 20:44
「私とは何の関係も無いから」
「は?」

真希の声が、くぐもったような声であることに気づく。
ボイスチェンジャーでも使っているかのような声が、真希の声とダブっていた。

「紺野にはもう興味は無いの。だから、高橋にあげた。高橋も喜んでるでしょ?」
「ごっちん、自分が何言ってるかわかってるの?」
「ふふ、別に……どうでもいいでしょ?美貴にはまっつーが居ればいいんだから」
「何それ?」
「美貴とまっつーね、二人でいるとこ見ると、すごくムカッとくるんだ。
ごまっとうのときにも実感したんだけどさ。やっぱり私、まっつーは大好きだけど、美貴と一緒にいるまっつーは大っ嫌い」

美貴は鳥肌が立った。
今まで一緒にやってきた真希がこんなことを考えていたと思うと、吐き気がこみ上げてきた。
467 名前:第4章 金の章 投稿日:2005/04/20(水) 20:45
「だから、美貴には死んでほしいのね。そしたらさ、まっつーは私のものになるんだ」

ちらつく光が、何かに反射して美貴は眩しいと感じる。
それだけの間だった。
美貴の前髪がパラパラと落ちた。

次いで、美貴が痛みを感じるまでに、ずいぶん時間が必要だった。
うっすらと赤い線が美貴の額に浮かぶ。
血が流れでるほどではないが、痛かった。
まるで紙で手を切ったときのように。

「私が欲しいのは、まっつーだけなんだから」

美貴はようやく気づいた。
自分が切られたということに。
そして、真希の手にあるのは、ナイフなんかではなく刀であった。
468 名前:第4章 金の章 投稿日:2005/04/20(水) 20:45
「どうして……」

額を手の甲で擦り、美貴は忍冬を取り出して構えた。
夏藤。
刀にはそう刻まれている。
はっきりと美貴にはそれを見ることが、いや、感じ取ることが出来た。

右からくる剣撃を、美貴は後ろに下がって避ける。
それはどう考えても素人のものではなかった。
刀を握ったことのある人間、しかも人を殺すことにためらいの感じられない人間のものだった。
真希の目は鋭く、目から光を発しているのではないかと思うほどに、狂気じみていた。
続く攻撃をかわしつつ、接近するが、それからどうすればいいか、美貴にはわからない。
切るという選択肢を外し、刀を落とさせようとするが、美貴の柄での一撃を真希は体を回転させて避ける。
469 名前:第4章 金の章 投稿日:2005/04/20(水) 20:45
そのままの勢いで裏から回された刀は、完全に美貴の死角となっていた。
咄嗟に忍冬で受けるが、無理な体勢で止めたそれには回転のエネルギーが加わっている。
飛ばされた美貴の体が地面を擦る。
続けざまに突き立てられる刃よりも先に、美貴は起き上がる。
口に入った砂を唾とともに吐き、美貴は刀を握り直す。

力が拮抗しているのを美貴は感じていた。
もしかしたら、相手の方が上かもしれないとも思った。

なら…

剣術で互角なら、それ以外のもので勝てばいい。
470 名前:第4章 金の章 投稿日:2005/04/20(水) 20:45
美貴は時間を加速させる。

けれども、それは起こらなかった。
街灯は変わらない周期で点灯を繰り返し、目の前に迫る真希の刀は変わらない速度で向かってきた。

混乱する頭のまま、なんとか振られる刀を受け止める。
しかし、突き上げられるように蹴り上げられる真希の足まで、美貴は考えが及ばなかった。
呼吸が一瞬止まる。
肋骨の間をめり込むようにつま先が侵入してくる。
瞬時に美貴の全身の力が抜けた。
止めていた刀が振り下ろされるが、運良くそれは忍冬の刃を滑って地面を切りつける。

その隙に距離をとろうとする美貴だが、体が言うことを聞かない。
汗を出すことに全力を注いでいるかのように、次々と汗が吹き出てくるだけで。
刀を握りなおすことすら、美貴にはできなかった。
471 名前:第4章 金の章 投稿日:2005/04/20(水) 20:46

「バイバーイ」

振り上げられた刀を見ようにも、美貴には頭をあげることすら出来なかった。

振り下ろされる刀。
向かってくる刀の起動から、美貴の姿が消える。
だが、それは決して超常現象でもなんでもなく。
ただの、人間の力。

強いて言うのなら、愛の力とでもいうのだろうか。

472 名前:第4章 金の章 投稿日:2005/04/20(水) 20:46

「たん!」

耳元で叫ばれる声は、瞬間的に美貴の意識を回復させる。
上げた視線に入ってくるのは、最も愛しい人の顔。
夜でも彼女の顔だけは輝いているように、そこにあった。
瞬間的にでも美貴の全身を痛みから解放する笑み。
亜弥が、美貴を刀から救っていた。

「あ、亜弥ちゃん…」

搾り出すようにでた声。
けれども、二人の言葉を邪魔するかのように、亜弥の背後に立つ真希は、刀を再度振り下ろした。
473 名前:第4章 金の章 投稿日:2005/04/20(水) 20:46
「亜弥ちゃん!」

叫ぶことしかできなかった。
精神的にどれだけ回復しても、体は変わらず満足に動かすことは出来ない。
美貴には見ていることしかできなかった。
ゆっくりと振り下ろされる刀が、笑みを浮かべた亜弥の背中をなぞっていくことを。

コマ送りのように、ゆっくり、ゆっくりと。
自分の経験した時間の加速が起こっているかのように。
笑みを浮かべたままの亜弥が地面に倒れるまで、それは続いた。

「完成した…ようやく、完成した」

美貴の叫ぶ声よりも大きく響いたのは、真希の声とそれに続く笑い声だった。
ただし、それは真希のものとは思えないような声。
腹の底から響いてくるような声だった。
474 名前:第4章 金の章 投稿日:2005/04/20(水) 20:47
真希は刀を掲げる。
美貴は見た。

夏藤という文字が変わっていくことを。
夏という文字の変わりに土と用が刻まれる。

刀から光が湧き出る。
それに同調するように、忍冬からも光が立ち上る。
475 名前:第4章 金の章 投稿日:2005/04/20(水) 20:47


光が3人を包む。
その光が消えたときには、3人の姿は無く、点灯する街灯だけが変わらずに公園を照らしているだけだった。

476 名前:第4章 金の章 投稿日:2005/04/20(水) 20:47
流し
477 名前:第4章 金の章 投稿日:2005/04/20(水) 20:47
流し
478 名前:takatomo 投稿日:2005/04/20(水) 20:49
>>463-475 更新終了

遅くなって申し訳ないです…
この世界って、密かにいまだに04年6月くらいだったりするんですが、矢口さんの扱いについては、ちょっと予定変更して変えます。

>>462 ありがとうございます。何か色々起こってますが、変わらずに読んでいただけるとうれしいです。
479 名前:通りすがりの者 投稿日:2005/04/25(月) 01:33
更新お疲れさまです。 えぇっ!?一体なにがどういう事でしょうか( ̄□ ̄;、現世にごっちんに刀が、しかも松浦さんの行く末は如何に!? 次回更新待ってます。
480 名前:第4章 金の章 投稿日:2005/05/05(木) 22:47


美貴の手を真っ赤に染める液体は、止め処もなく流れ続けた。
何度も繰り返し亜弥の名前を連呼する美貴は、自分達が幻界へと戻ってきたことすら気づいていなかった。
そこにはれいなもさゆみも、絵里もいた。
もちろん、ひとみも梨華も、希美も亜依も。
違うのは、真里がいないことと、亜弥が消えていること。
変わりにいるのは、美貴の腕の中にいる亜弥だけ。
れいな達が美貴の名前を呼んでも、美貴は返事すらしない。
そもそも、美貴に彼女達の声は聞こえてすらいないのだ。

亜弥が自分の腕の中で生命の火を消そうとしている。
美貴にとって、それ以上の重大事項があるはずもなかった。

体の自由は戻っていた。
けれども、そんなことを美貴が意識しているはずもなく。
必死に亜弥を揺すれば揺するほど、亜弥の死期を早めていることも、美貴は気づくことはなかった。
まるで、死を認識することのない子犬のように。
ただただ、死んだ母犬に寄り添って、顔をなめ続けるように。
美貴は、すでに気を失った亜弥を起こそうと必死だった。
481 名前:第4章 金の章 投稿日:2005/05/05(木) 22:47
そんな中、変化が突然に訪れる。

『土用藤』という名の刀。
宙に浮いたそれは、眩い光を放ち、闇に閉ざされた世界に現れた太陽のようにも思えた。
ただ、太陽と違うのは、それからは温かみは感じられずに、代わりに悪意が感じられるということ。
憎しみ、怒り、悲しみ。
そういった負の感情に満ち溢れた明るいだけの光が、美貴たちを照らしていた。
その下に倒れているのは真希と真里。
死んだように、並んで眠っている二人だった。
美貴はようやく事態に気づく。
こみ上げてくる吐き気をこらえ、光を凝視した。

「五星刀の五にして、水金地火木の全てを司る刀」

刀の後ろに現れたシルエットが話しはじめる。
482 名前:第4章 金の章 投稿日:2005/05/05(木) 22:48
「土用藤」

刀をつかむと、光は収まった。
幼い顔に垂れ下がった目。
ポニーテールの髪。
それは何一つ、美貴の知る人間に当てはまるものではなかった。

「久住、ようやく完成したのね」

その背後から聞こえる声。
周囲を包む湿気を、その場にいる誰もが感じたことがあった。

「はい、安倍さん」

その声とともに、久住の背後に現れたのはなつみだった。
483 名前:第4章 金の章 投稿日:2005/05/05(木) 22:48
「安倍さん……どういうことですか?」

梨華の問いかけに、なつみは答えずに笑みを浮かべるだけだった。
そして、なつみがそっと合図を出すと、土用藤が彼女に向けて振られた。

生じる無数の小さな刃が、梨華に向けて襲い掛かる。
梨華を突き飛ばし、剣を盾代わりにして防ぐひとみだったが、完全にふせぐことが出来ず、いくつもの刃が両足に突き刺さった。

「よっすぃ!」
「大丈夫!それより、次!来てるよ」

一箇所に固まったなら、一撃で全員がダメージを受けてしまう。
自分の元へと駆け寄ってくる亜依を止めた判断は正しかった。
しかし、彼女の傷は大丈夫と言えるほどのものではないことを、ひとみ自身が一番わかっていた。
れいなの放つ炎は、土用藤から放たれた水によって防がれる。
それによって生じた蒸気が当たりを包み、さえぎられた視界は、次の攻撃への対処を著しく遅らせた。
希美の、亜依の、そして梨華の悲鳴が順番に聞こえた。
484 名前:第4章 金の章 投稿日:2005/05/05(木) 22:48
「絵里、さゆ、みんなを、お願い」

れいなは言う。
それは彼女が二人を傷つけたくない一心からであって。
けれども、思いは時にすれ違う。
れいななんて死んじゃえと、表面上は思っている彼女達だけど……
この状況ではそんな意地を張ってなんていられない。
誰もが感じていた。
目の前にいる相手が、自分達よりもはるかに強いことを。
だから…絵里もさゆみもれいなに続いて刀を取る。
そして、それがれいなの枷となる。

二人を襲う刃に気づくれいなは、そこに体を割り込ませる。
人を守りながら戦う術を知らない彼女は、それくらいしか、他人を守る手段を思いつかない。
全身に刃を受けるれいな。
その後に、再び絵里とさゆみを襲う刃を、れいなはもちろん防ぐことができるわけもなかった。
485 名前:takatomo 投稿日:2005/05/05(木) 22:53
>>480-484 少しだけですが…更新終了です。
いろんな人に感謝しつつ……来週には更新したいです……

えーと、矢口さんのこともあり、かなりラストを修正中です。
何度も言いますが、このお話は04年6月くらいなんですよね……

>>479 ありがとうございます。色々起こったことは後に解説が入ると思います。それまでは流れから解釈していただけるとうれしいです。
486 名前:通りすがりの者 投稿日:2005/05/06(金) 07:06
更新お疲れさまです。 ま、まさかこんなにも早く出番が来るなんて・・・。次回更新待ってます。
487 名前:第4章 金の章 投稿日:2005/05/10(火) 01:15
聞こえた悲鳴は二つ。
けれども、血を流しているのは一人。
それは、絵里でもなく、さゆみでもない。

肩までしか伸びていない黒髪。
それは、美貴たちが以前会ったときからの一番の変化だった。
伸びた右手の先には、放たれた刃が収束し、宙にういていた。
ただし、そこに全て収束しているわけではなく、数本は深々と彼女の体に刺さっており、そこから血を吸い出していた。

自分の体に痛みが無いことを察した絵里とさゆみが、圭織の存在に気づく。
けれど、後姿ではそれが誰かわからなかった。
代わりに、彼女たちの頭に浮かぶのはれいなのこと。
圭織の向こうで倒れているれいなの体には、まるで剣山のように無数の刃が刺さっていた。
488 名前:第4章 金の章 投稿日:2005/05/10(火) 01:16
「圭織、生きてたの……」

圭織は答えなかった。
なつみがいることに驚くことは無かった。
なぜなら、彼女にはここまで見えていたのだから。
なつみの考えが、全てわかっていたのだから。

だから……

圭織は思う。
こうなる前に止めたかった。
でも、なつみもそれに気づいていた。
だから、朝の里を襲わせた。
彼女にとって、夜の民は敵なんかではなく、手ごまだった。
真里も、そして久住もそうだ。
この世界を支配するために、彼女が配置した手ごまでしかない。

しかし、彼女は自覚していない。
どうして、自分が世界を支配しようと考えたか。
そして、支配した後にどうするのか。
489 名前:第4章 金の章 投稿日:2005/05/10(火) 01:16
彼女の中にあるものは、支配するという欲求だけ。
人が誰しも不意に思う、ただそれだけの些細な欲求でしかないものだ。

圭織には見えている。
彼女の目にかかれば、それくらい簡単だった。
なつみも知らないことを、圭織は知っている。
だからこそ、彼女はなつみを殺すことはしなかったし、殺さずに止めようと考えていた。

もちろん、それは今も同じ。
寧ろ、今の方が強いかもしれない。
なつみを救ってあげたいという思いは。
490 名前:第4章 金の章 投稿日:2005/05/10(火) 01:16
ざっと辺りを見回し、状況を確認する。
意識を失っているものが、1,2,3…7人。
動けないものが2人。
そして、元気な者が2人。

美貴はもちろん動けない者としてカウントされている。
あれが、美貴の心の中に常にいる「亜弥ちゃん」だということが圭織にはわかる。
そして、早く手当てをしないと危ないことも。

「亀井、手当てを。美貴のところにいる子から。それから、田中、梨華ちゃん、のの、あいぼんの順に。亀井?わかってる?」
「は、はい…」

その場にへたり込んでいた絵里は、刀を持って立ち上がる。

「美貴、その子を助けたいならこっちに来て」

同時に圭織は美貴へと呼びかける。
この言い方で彼女が聞こえないはずもないし、動かないはずもない。
491 名前:第4章 金の章 投稿日:2005/05/10(火) 01:17
なつみはもちろん、それを阻止するために合図を送る。
けれども、久住は動けなかった。
圭織に驚いているわけではなかった。
余裕というわけでもなかった。
単純に動けなかった。
刀が言うことをきかなかった。

「久住、どうしたの?」
「わかりません、動かないんです」

そうしているうちに美貴は圭織の横へと移動する。

「亜弥ちゃんを、お願い」

美貴は亜弥の体を絵里の前に寝かせる。
絵里はその姿を見て、戸惑った。
ついさっきまで自分達のターゲットとなっていた人物であるから。
それに、美貴自身にも裏切られたという感覚が生じていたから。
けれど、今の状況を考えれば、それが間違いであることはわかる。
492 名前:第4章 金の章 投稿日:2005/05/10(火) 01:17
光に包まれる亜弥の顔色は、どんどんよくなっていく。
「終わりました」と絵里は告げ、れいなの元へと走っていく。
「亜弥ちゃん」という美貴の呼びかけに、亜弥の目が開かれる。
そこで、ようやく美貴は今の状況について考え始めた。
亜弥にこのことをどう説明すればいいのか。
血が飛び交うこの場所で、自分が人を切っていく姿を見られてしまうということを…

「美貴たん、私のことはいいから…」
「え?何言ってるの、亜弥ちゃん」
「飯田さんが、教えてくれた。声が聞こえたの。さっきからずっと」
「え…」

圭織の方を見る。
圭織は振り返りもしなかったが、彼女がやったのだとわかる。
493 名前:第4章 金の章 投稿日:2005/05/10(火) 01:18
「亜弥ちゃん……」
「美貴ちゃん、気にしないで。私、ちゃんと見てる」
「ちょっと、何言ってるのよ」

「見てる」じゃない。
私が見られたくないの…

「大丈夫、私はどんな美貴たんでも大好きだから」

美貴の思いを無視するように、亜弥はニコッと笑ってピースサイン。

「もう……そういうもんだいじゃないってーの」

小声で美貴は言う。
でも、なぜか元気が出た。

「一つだけ約束して」
「何?」

人が死んでしまうところは、見ないで……とは言えなかった。
だから……美貴はこう言った。

「見ないでって言ったら絶対目を閉じて」
494 名前:第4章 金の章 投稿日:2005/05/10(火) 01:18
頷く亜弥の顔を最後にじっくりと見た後、美貴は圭織の横に並ぶ。
正直、亜弥がいてくれると、美貴自身何でもできそうな気になるのだから。
だから、あえて亜弥のことを考えていようと、美貴は思っていた。

「飯田さん、大丈夫ですか?」
「こんなの、かすり傷」

刺さった刃は血で赤く染まっていた。
止まらない血は、圭織の体をつたって足元に溜まっていく。
真っ黒な地面だから、美貴はそれに気づいてはいなかった。

「久住!」
「は、はい」

ようやく刀を動かすことの出来た彼女が放つ無数の刃。
それは、全て加速した美貴により叩き落される。

「よーく、聞いて。なっちのことと、あの刀のこと」

絵里が全員の治療を終えたと同時に、頭に響く圭織の声。
それと同時に、忍冬と土用藤が激しく打ち合った。
495 名前:第4章 金の章 投稿日:2005/05/10(火) 01:19


第4章 金の章 完



496 名前:流し 投稿日:2005/05/10(火) 01:19
 
497 名前:takatomo 投稿日:2005/05/10(火) 01:22
>>487-495 更新終了 
次から最終章となります。5月中に終わらせたかったんですが、6月までいってしまったらごめんなさい。

>>486 いつもありがとうございます。次回から溜め込んでいた急展開の解説編みたいなwあと少しですが最後までお付き合いいただけるとうれしいです。
498 名前:通りすがりの者 投稿日:2005/05/13(金) 21:24
ついに最大の疑問が明かされるんですね? あと少し・・・作者様、もう見る事を放棄はしません。最後までお付き合いはさせていただきます。 頑張ってください。 次回更新待ってます。
499 名前:_ 投稿日:2005/05/15(日) 22:48
―――

いつか、目覚まし時計が鳴って、そしたらベットの上で、いつもの朝が始まっちゃうんですよ。
ここでのことが実は全部夢だったってことがわかっちゃうんです。

人生なんてさ、夢みたいなもんじゃないのかな?

もし、この世界のことが本当に夢だったら?私がこの世界でやったことってどうなるんですか?

忘れちゃうでしょ?だって、夢なんだから。夢なんて起きたらそこでおしまいだよ。

―――
500 名前:最終章 土の章 投稿日:2005/05/15(日) 22:48



―――――『夢限幻無 最終章 土の章』―――――



501 名前:最終章 土の章 投稿日:2005/05/15(日) 22:49

五星刀を作った人間は、欲していた。
この世を支配することを欲していた。
そのために、夜の民を殺した。

彼は、朝の民だった。

始まりは、そんなこと。
たった一人の人間の、ちっぽけな欲望。

そんなものだった。

502 名前:最終章 土の章 投稿日:2005/05/15(日) 22:49
ジンと両手に痺れが走る。
刃が打ち合うたびに生じる衝撃は、波となり、そして空気の刃となって美貴を襲う。
美貴を、襲うのみだった。
打ち合った衝撃波は、一方的に美貴にしか生じていなかった。

打ち合う速度も同じ。
力も同じ。
単純に刀の違いだけ。

もちろん、打ち合った際に生じるそれを避けることなんて不可能だ。

「美貴たん!」

亜弥の声が飛ぶ。
離れていてもわかるほどに美貴の体は赤く染まっていた。
503 名前:最終章 土の章 投稿日:2005/05/15(日) 22:49
「梨華ちゃん、のの、フォローを。れいな、行くよ」
「ダメ!」

ひとみの指示を瞬時に阻止したのは圭織。
不満顔でひとみは睨む。

「あなたの剣じゃ相手にならない。忍冬ですら打ち負けてるんだから」
「それじゃ、見てるだけってことですか?」

ひとみが反論したとき、彼女の後ろを人影が一つ通った。

「れいな!」

さゆみが叫ぶ。

「私の刀なら大丈夫なんでしょ。吉澤さんはそこで見ててください」

そう言い残して美貴のところまで近づくれいな。
美貴と久住は激しく打ち合っている。
二人の刀の力で、生じた場。
それは以前にれいなと美貴が打ち合ったときのように。
何人も入ることを拒んでいるかのように、そこだけ空気がゆがんで回っていた。
504 名前:最終章 土の章 投稿日:2005/05/15(日) 22:50
刀の先をその中にゆっくりと入れる。
手に伝わる振動は激しく、しかしそれは徐々にではあるが小さくなっていく。
ゆっくりと刀をその中に入れていく。

目の前では美貴が傷ついていく。
しかし、刀による攻撃は一切受けていないから、流れている血ほどは致命傷にはなっていなかった。

柄まで入り、いよいよ手を入れていく。
指にかかった瞬間、弾けるような衝撃が瞬時に全身を襲い、れいなは場の中へと吸い込まれていった。

目を開けたれいなを襲ういくつもの衝撃波。
れいなの目に映ったのは、外とは全く違う世界だった。
闇をベースにした世界とは違う、光の世界。
光の中に立っていると錯覚するような場所だった。

しかし、れいなはそれから動くことができなかった。
目の前で広げられている美貴と久住の競り合いは、お互い全くスキのないものであり、どこで割って入っていけばいいのか、れいなはタイミングが読めなかった。
完全に互角。
それがれいなの印象だった。
505 名前:最終章 土の章 投稿日:2005/05/15(日) 22:50
そして、その事実がれいなにあることを思い出させる。

同じ技量の最強の剣士同士が戦うことになった。
その時、片一方の剣を少しだけ重いものに変えられていた。
そうすれば、その些細な差が原因で、勝負が決まってしまうという話を、昔聞いた覚えがある。

つまり、今のままでは必ず美貴が負けてしまうということだ。
美貴の刀が押されて滑る。
その瞬間に、れいなは久住に横から刃を向けるが、軽く反転し避けられるだけ。
そうして死角から迫る土用藤に、れいなは間一髪で刃を合わせる。
体を襲う衝撃は、動きを止めるには十分なほどだった。
れいなを襲う刀をとめるのは美貴。
半端な体勢で止めたせいで、久住が力を掛けると、簡単に美貴の手から忍冬が離れた。

刀の力が作り出す場。
その中で、刀が離れるということ。
それが意味することは、たった一つだけ。
反射的に、れいなが刀を少しずつ入れていったも、彼女が本能的に感じていたからだ。

そう、だから…

場の力は全て美貴の体へと収束して消え去った。
506 名前:最終章 土の章 投稿日:2005/05/15(日) 22:50
「美貴たん!」

その瞬間をはっきりと見た亜弥は、美貴の下へと走った。
圭織やひとみの静止の声を無視し、走った。
れいなは、美貴の様子を見にいこうとするが、久住の攻撃がそれを許さない。
場が崩れたことにより、衝撃波は穏やかなものになっていた。
しかし、それでも発せられる熱気がれいなの顔を焼き付ける。
思わず閉じた目。
下から突き上げられる刃に、れいなは対処することが出来なかった。

亜弥が美貴に抱きつくのと、ほぼ同じくしてれいなは後ろに倒れる。

「田中ちゃん」

例えそれが自分の知っているれいなでは無いとしても、亜弥にとってそれはれいなであるから。
キッと久住をにらみつける亜弥。
美貴をギュッと抱くと、頬に息を感じる。
それが、少し亜弥を安心させるとともに、恐怖心をゼロにした。
507 名前:最終章 土の章 投稿日:2005/05/15(日) 22:50
「ん……そこか!」

急に久住が振り返る。
視線の先には真希。
体を起こし、自分を睨む彼女に、久住は刀を向けた。

「さっきから、あなただったんですよね。気が付きませんでした」
「まっつーに手を出したら、許さないんだから」

「でも、最初に切ったのはごっちんだよ」

真希の上からなつみが言う。

「違う……あれは、美貴を……」
「違くないよ。ごっちんは松浦を切ったの。そのおかげでこうして土用藤ができたんだから」
「違う……」

真希は目を伏せて呟く。
亜弥はそのやり取りをじっと見ている。
彼女が真希に対して覚えた憎しみは、自分が切られてことに対してではない。
美貴を傷つけたこと。それだった。
508 名前:最終章 土の章 投稿日:2005/05/15(日) 22:51
「どっちにしろ、いい加減やめてもらえませんか?なんかあなたの力で、この刀の力が使えなくなるんですよね」

言うが早いか久住は一足飛びで真希へ向かう。
振りかぶった刀を避けることは、いくら運動神経が良い真希でも不可能だった。

「…った……いったいなぁ」

土用藤が貫いた体は、真希よりも小さいものだった。

「亀井!」

ひとみが声を荒げる。
真里の肩から足に掛けて深く刻まれた赤い糸。
少しの間をおいて噴出した血。
誰が見ても明らかだった。
助からないことが。

「亀井、早く!」
「え……で、でも……」

真里の方を指差し、必死にひとみに訴えようとする。
その目は、涙が貯まっていた。
509 名前:最終章 土の章 投稿日:2005/05/15(日) 22:51
「何してるの、早くしないと!」
「よっすぃ、もう……無理だよ」

梨華が言う。
震えるひとみの腕に身を寄せながら。
必死にひとみの顔を覗き込むが、彼女の視線は倒れた真里から動かなかった。

「なっち……一つだけ教えて。私って利用されただけなの?」
「や、やぐっつぁん……」

真希が恐る恐る真里に近づく。
自分のよく知っている人の、想像したくもない姿。
震える唇で、真希は真里の言葉をなつみに向けて伝えた。

「ごめんね。でも、矢口と一緒にいたのは楽しかったよ」

スピーチだった。
真希と亜弥はそう感じた。
選挙のときの政治家が述べる「ありがとうございました」と同じ。
感情のこもっていない字面だけのもの。

「そっか……ならよかった……」

真里にはそこまで判断するほどの余裕はない。
与えられた言葉を鵜呑みにすることしか、できなかった。
そして、どこか満足したような顔で真里は生命活動を停止させた。
510 名前:最終章 土の章 投稿日:2005/05/15(日) 22:51
「やぐっつぁん!」
「騒がなくても、あなたもすぐに行きますから」

真里から離れない真希に、久住は刀を向ける。
それを止めるべくして放たれた亜依の矢。
背後から来るそれを、刀で素早く打ち落とす。
続いて、希美の水の術も同様に。
ただ、違うのは勢いを失って地面へと落ちた水が、真希を庇うように移動したことだ。
もちろん、希美がやったわけではない。
意思を持ったかのように、放たれた水が真希の前で収束した。

もちろん、そんなことが土用藤の前で役に立つわけがない。
けれども、それを見ている久住の隙に乗じて、さゆみが初めて刀を振るった。
柄で上手く止められた秋桜。
そうして、一度止められてしまえば、もうさゆみに勝機は無い。
五分の条件では、刀というものをほぼ扱ったことのないさゆみが、勝てるはずも無かった。

それでも、何度か久住の攻撃を受け止めることは出来た。
刀を弾かれそうになるのを、両手でしっかりと持っているだけといった状態ではあったが。
それは決して、さゆみの力ではない。
刀がさゆみを守るように動いていた。
511 名前:takatomo 投稿日:2005/05/15(日) 22:54
>>499-510 更新終了

最終章開始。当分バトルシーンの気がします。

>>498 ありがとうございます。あと10回更新以内には終わると思います。よろしくお願いします。
512 名前:通りすがりの者 投稿日:2005/05/16(月) 07:35
更新お疲れさまです。  ついに最終決戦ですね! 皆さん頑張れ! 次回更新待ってます。
513 名前:takatomo 投稿日:2005/05/21(土) 00:22

数度目の剣撃で秋桜が大きくしなった。
刃ではなく、側面で受けていたからだった。
縦の力には強いが、横方向の力には意外と脆いものだった。

カランという音と共に、真っ二つに折れたそれが床に転がる。
同時にさゆみの持つ残りの半分から、光のもやが漏れでる。
それは土用藤にまとわり、そして消えていく。

放心状態のさゆみに土用藤の狙いがつけられる前に、静止を無視したひとみが剣を振る。
久住をすっぽり覆うほどの剣が彼女を襲う。
しかし、両手で持った土用藤がそれをたやすく受け止める。
514 名前:takatomo 投稿日:2005/05/21(土) 00:23

「硬度低下」

久住の呼びかけに土用藤が光る。
その合図で、ひとみの剣はまるで粘土のようにたやすく土用藤に切り落とされた。
異変に気づいたひとみが剣を離さなければ、彼女の胴体もそうなっていただろう。

「何なの……これって道重の力じゃん」

秋桜の力。
金の力。
物質の硬度を自由に変換できる力。
ひとみの目の前で行われたそれは、まさしくそのものだった。

「五星刀を司るのがこの刀ですよ。さぁ、他の3つの力も頂きましょうか」

久住はひとみとさゆみを無視し、次のターゲットを絵里に絞った。
れいなの治療を終えた彼女。
守るようにれいなが刀を構える。
515 名前:takatomo 投稿日:2005/05/21(土) 00:23
先ほどの二の舞にはなりたくない。
呼吸を落ち着かせる。
刀の力だけの差だと、自分に言い聞かせた。
いや、寧ろ剣技は自分の方が上かもしれない。
れいなはそうも思った。

自分の目の前の人間が、どんな過去を持っているか知らないが、自分と同年代の人間で自分よりも戦闘経験の多い者はいないと、れいなは思っている。
多対一、一対多の戦闘において相手を殺す術、自分が死なない術を誰よりも知っていると。
だから、負けるわけにはいかなかった。

れいなは刀を下ろす。
打ち合いになれば不利である。
彼女の出した結論は、刀の打ち合いを避けることだった。
太刀筋を見極めて、剣撃を受け止めることなく避けていく。
振られた刀をギリギリで避けてしまえば、剣圧で生じた空気の刃がれいなを切り裂く。
大げさすぎるほどに避けていかなくてはならなかった。
516 名前:takatomo 投稿日:2005/05/21(土) 00:23
もちろん、そんな状況では今度は攻撃に転じることが難しくなった。
隙を見つけようとすればするほどに、れいなの足の動きが鈍くなっていく。
耐えられずにれいなは半夏生で受けてしまう。
右から、左から。
閃光のように走るそれを受けるたびに、巻き起こる熱波を、目を細めてこらえる。

至近距離から放つ炎は避けられ、代わりに地面が大きく揺れる。
土の力。
だとすれば、地上戦では不利だと、れいなは久住の姿を追うように飛び上がる。
跳躍力ではれいなに分があった。
最高到達点から降りてくる久住と、上る最中のれいな。
勢いは明らかにれいなの方が上だった。
止められた刃を勢いのままに押し切ると、半夏生はわき腹を掠めるように削いだ。
517 名前:takatomo 投稿日:2005/05/21(土) 00:23
苦悶の表情を浮かべながら降りていく久住。
それを追うように上から降りていくれいな。

圧倒的に有利なのはれいなのはずだった。
久住が重力に逆らって動きを止めなければ。
足元まで隆起した地面。
土の力で彼女は地面を作り上げたのだ。
落ちてくるれいなに軌道修正は不可能だった。
そのまま振った刀は軽く避けられ、その後に残るのは無防備な背中。
隆起した地面の側面を蹴り、逃れようとするれいなだったが、土用藤はそれを逃すことは無かった。

受身すら取れずに地面に叩きつけられるれいなと、彼女から離れて地面に突き刺さる半夏生。
飛び降りた久住は突き刺さった半夏生をなぎ払う。
巻き起こる炎の柱が、土用藤に収束していった。
518 名前:takatomo 投稿日:2005/05/21(土) 00:24
「れいな!」

走る絵里の進路を塞ぐように立つ久住。
足を止めずに刀を振りかぶり迫る絵里から、たやすく刀を弾き、回転して宙に舞うそれをつかんだ。

「これで、残り一つ」

軽く放り投げた春女苑は、真っ二つに折れた。

美貴はまだ意識を取り戻していなかった。
絵里によって治療は終わっているが、まだ、亜弥の腕の中。
忍冬が青い光を放っているだけで、美貴は目を覚まそうとしなかった。

久住の視線から美貴を隠すように、亜弥は美貴を強く抱いた。
519 名前:takatomo 投稿日:2005/05/21(土) 00:27
>>513-518 あまりに少ないので近いうちにもう一度。
5月中に終わりそうに無いので…6月完結を目指してがんばります


>>512 ありがとうございます。最後なので焦らずじっくり書きたいと思います。
520 名前:通りすがりの者 投稿日:2005/05/21(土) 11:45
更新お疲れさまです。 かなりヤバい状況が出来上がってしまった模様。 この先の展開が掴めません。 最終章次回更新まったりと待ってます。
521 名前:最終章 土の章 投稿日:2005/05/24(火) 01:46



完成した4本の刀。
彼はそれを忍冬、半夏生、秋桜、春女苑と名づけた。
水、火、金、木の力を持つ4本の刀。
それらを作り終えた彼は、五星刀最後の刀作りを始めた。
土の力をもつそれ。
そして、他の4本の力を兼ね備え、五行全てを司る刀、土用藤を。

しかし、彼の野望はあと一歩のところで途絶える。
残されたのは夏藤と呼ばれる銘を持つ刀。
土の力しかもつことのない刀。
522 名前:最終章 土の章 投稿日:2005/05/24(火) 01:47
彼の死とともに、五星刀は数多の人の手に渡り、散り散りになった。
しかし、その間も五星刀を使いこなせたものは一握りの人間だけだった。
そうして、男の死から10年の月日が流れる。

一人の朝の民の少女の手に、偶然渡った夏藤。
彼女は父親がその刀を打っていることを、おぼろげながらに覚えていた。


523 名前:最終章 土の章 投稿日:2005/05/24(火) 01:47

「飯田さん、このままじゃ……」

梨華はかすれた声でそういった。
先ほどから大きな声で彼女は歌っていた。
最初は声が届いていないのかと思っていた。
けれども、どれだけ大きな声を出しても、一向に久住に変化は現れなかった。
何らかの力で自分の歌声が無力化されているに違いなかった。

さゆみには、歌がなくても秋桜があった。
梨華には、歌しかない。

ほかに手段はないのだった。
希美も同じ。
先ほどから瓶子が反応しなかった。
火、木、金、土の4つが彼女の呼びかけに答えない。
水は、いまだに真希にまとわっているため、再度呼び出すことは出来なかった。
残りは亜依一人。
彼女の弓だけがたよりだったが、それも望みが薄い。
何もサポートのない状態で放つ弓は、術にすら劣る攻撃手段である。
524 名前:最終章 土の章 投稿日:2005/05/24(火) 01:47
それならば、圭織しかいなかった。
しかし、彼女の力では、数秒の時間稼ぎにしかならないだろう。
3本の刀の力を得た土用藤は、圭織の力では防ぎようもないほど強大なものになっていた。

「邪魔しないでね。できないだろうけど」

梨華の背後でなつみの声がした。
振り返って距離をとる。
亜依が咄嗟に放った矢を、なつみは軽く避けた。

「なっち」
「圭織、無駄だってわかるでしょ?あの刀は止められないよ」
「無駄ってわかっても、やらなきゃいけない。なっちを、あなたを止めなきゃいけない」
525 名前:最終章 土の章 投稿日:2005/05/24(火) 01:47
「それは、無理だよ」

たっぷり間をおいて放った言葉は冷たかった。
そして、なぜか寂しそうでもあった。

「なっち!」
「もう、無理なんだよ」

ギュッとなつみは一度目を閉じる。

そのとき、背後で激しい金属音がした。
土用藤と打ち合った忍冬。
しかし、忍冬を持っているのは亜弥だった。

もちろん、彼女が使えるはずもない。
美貴が扱えば重さすら感じず、加えて美貴自身の能力まで飛躍的に増大させる刀。
持ち主が変われば、その恩恵を受けることは出来ない。
526 名前:最終章 土の章 投稿日:2005/05/24(火) 01:48


刀が持ち主を選ぶ。
その言い方は、ほとんど正しい。
でも、もっと厳密に言うのなら……

五星刀は、波長の合う人間を操るのだ。


527 名前:最終章 土の章 投稿日:2005/05/24(火) 01:48
ズシリと重いそれは、打ち合った衝撃をそのまま亜弥の両腕に伝える。
肩まで痺れるほどの衝撃。
刀を落とさなかったのは奇跡に近かった。
しかし、再度角度を変えて振り下ろされる刀を防ぐ事はできなかった。
痺れているため、刀を動かすことが出来ないのだ。

「美貴たん!」

亜弥は叫ぶ。
それに応えるかのように、美貴の腕が動く。
右手で亜弥の手首を持ち、忍冬を動かした。
受け流した土用藤が美貴の額を掠める。
前髪がパラパラと視界を通り過ぎた。

「亜弥ちゃん、ごめん。離れて」

亜弥を突き飛ばして美貴は起き上がる。
その瞬間に感じるのは、異様なほどに力を帯びた土用藤。
自分が気を失っている間に流れた昔話、それはやはり現実のことであって。
そして、忍冬が負けることがあれば、もう止めることは出来ないことを自覚する。
528 名前:最終章 土の章 投稿日:2005/05/24(火) 01:48


手に取った瞬間に不思議な力が流れ込んだ。
少女は、それから変わった。
夏藤は、自身が完全な刀になることを欲した。
けれども、刀自身は動くことは出来ない。
だから、土用藤はなつみを使ったのだった。

そこから、なつみの意思は刀の意思となる。
朝の民の巫女という、一番上位に位置する彼女。
彼女にとって、朝の民は五星刀を探すための道具でしかなかった。

529 名前:最終章 土の章 投稿日:2005/05/24(火) 01:48
傷口はふさがっていても、血液を初めとする体力は全快しているわけではない。
美貴は、それに気づいていたから打ち合うことを避け、力を上手く逸らしていくことで、消耗を抑えようとする。
亜弥が切られてカッとなったときとは違う。
冷静な頭を美貴は持っていた。
そして、それがさっきまで互角だった二人の剣の腕に、確かな差を生み出していた。

「亜弥ちゃん、見ないでね」

刀を避けた勢いで振り返り、しっかり目を見てそれを伝える。
亜弥は頷いた。
後ろから振られる刀を逆手でもった忍冬で振り返らずに受け止める。
しっかりと亜弥の顔をもう一度見てから、刀をずらして美貴は久住の方へ体を向けた。

美貴はまだ気づいていなかった。
土用藤を受けるたびに、忍冬の刃が少しずつ欠けていっていることに。
ほんのわずかだが、確実に削れていくことに。
530 名前:最終章 土の章 投稿日:2005/05/24(火) 01:49
「……明日香といい、藤本といい、どうして忍冬をもつ人間はこうも邪魔するの?」
「手助けはさせない。なっちには私がいるんだから」

美貴を見るなつみの視界に、圭織は自分の体を入れる。
なつみの放つ針のように細い水。
圭織の手前でいくつも弾け、地面に水滴が次々と落ちていく。

「邪魔はさせない」

圭織がそう言った時、斜め後ろから亜依がなつみに向かって矢を放った。
圭織にしか意識を向けていなかったなつみが、それを上手くさばけるわけもなく。
急所をそらせることで精一杯だった。

「もう…何よりみんなが一番邪魔なのよ」

なつみを中心に霧が濃くなる。
そうして現れる4つの影。
希美と亜依はそのうち2人しかわからなかった。
全員わかったのは梨華とひとみだけ。
531 名前:最終章 土の章 投稿日:2005/05/24(火) 01:49

漆黒の鎧をまとう4人。
一人は右手代わりに鞭を持ち。
一人は身長よりも大きな鎌を持ち。
もう一人は金属で一回り大きくなった拳を握っている。。
そして、最後の一人は細身の体に何一つ武器らしきものを持っていなかった。


532 名前:takatomo 投稿日:2005/05/24(火) 01:52
>>521-531 更新終了。
あと5回前後の更新で終わる予定です。

>>520 ありがとうございます。最後なのに収束するどころか、事態が広がっていってる気がします…
533 名前:通りすがりの者 投稿日:2005/05/24(火) 21:04
更新お疲れさまです。  おぉっまた新たな宿敵でしょうか? ミキティと久住ちゃんの対決や如何に! 次回更新待ってます。
534 名前:konkon 投稿日:2005/05/30(月) 01:33
初めまして〜ですね。
今日読ませていただいて、一気にここまで読み上げました。
感想、すごい面白いです。
でも、そろそろ終わりなんでしょうか・・・?
最後まで楽しみにしてます。
がんばってください!
535 名前:最終章 土の章 投稿日:2005/06/05(日) 20:55
希美に向かう鞭の軌道を変えたのは、亜依の矢だった。
斉藤に向き合う二人は、肩をぴったりとくっつけて構えた。
誰も、疑問を投げかけることは無かった。
なぜ、なつみが彼女達と共にいるのかなんて、今となっては驚くに値しないことなのだ。

希美と亜依。
ともに距離を置いての攻撃を得意とする二人。
しかし、今の希美は、何の力も持たない。
地火木金の4つが彼女の呼びかけに答えないのは、媒者としての彼女の力よりも、土用藤の力のほうが強いためだった。
それでも、亜依にとっては希美が傍にいてくれるだけでも心強かった。
朝の里にいるときから、そして抜け出してからも。
常に自分の隣に彼女がいたのだから。
536 名前:最終章 土の章 投稿日:2005/06/05(日) 20:55
二人の前に立つ斉藤とは、何度も戦ったことがある。
いや、正確に言えば逃れてきたことがある。
彼女のテリトリーと希美たちのいたところがかぶっていたせいもあるが。
それこそ、何度も顔をあわせてきた。

ただ、そのときと明らかに彼女の目が違った。
空ろな目で繰り出される鞭によるするどい攻撃。
そのアンバランスなところに、二人はすぐに気づいた。

「操られてる」

亜依が自分の考えを口に出す。
斉藤だけでない。
ひとみたちと戦いを始めう他の3人も同じ目をしていた。

彼女達も土用藤の犠牲者だった。
夜の民に対する朝の民の殺戮から、朝の民に敵対するようになった彼女達は、真の夜の民ではない。
仮に、真の夜の民だとすれば、利用されることもなく殺されていたに違いないが。
537 名前:最終章 土の章 投稿日:2005/06/05(日) 20:55
亜依にも、希美にもそれはなんとなく理解できた。
だからといって、同情することはできない。
斉藤たちに殺された朝の民を、希美たちは小さな頃から知っているのだから。

シュンと空気を切り裂きながら、鞭が二人に迫ってくる。
後退することで、その間合いから離れることで、彼女達はそれを避ける。
そういった一番簡単な方法でしか、避けることができなかった。
鞭がどの方向から来てもいい。
一度距離をとってしまえば、彼女が動いた分だけ後ろに下がるだけでいいのだから。

そして、射程が鞭よりも長い弓矢は、そこからでも攻撃できる。
もっとも、亜依の放つ弓も、距離がありすぎて斉藤には容易に避けられるのだが。
しかし、二人にはそれでよかった。
彼女達がするのは時間稼ぎ。

ひとみ、梨華、そしてれいな。
残りの3人を相手する彼女達が勝負を決めるまで、こうしていればいい。
538 名前:最終章 土の章 投稿日:2005/06/05(日) 20:56
斉藤が苛立ち、一気に間合いを詰めてくる。
攻撃はせずに、ひたすら間合いを詰める。
しかし、それもまた亜依の計算のうちであり。
5本の矢を持ち、一気に放つ。
距離が詰まったところで放たれる、軌道の異なる5本の矢。
美貴のように時間を加速できなければ、避けることなんて出来ない。

致命傷には至らないが、鎧の上からでも十分にダメージを与えた。
けれども、斉藤は悲鳴すら上げることなく、体から矢を抜いていく。
その度に矢尻から赤い線が飛び出た。
亜依は追撃はしなかった。
なぜなら、今、彼女の手に持たれた3本が、最後の矢だったからだ。

抜き終わった斉藤は、一旦よろめいたが、すぐに立ち直る。
それからは警戒してか、それとも単純に動けないのか亜依には判断がつかなかったが、ジリジリと距離を詰めてきた。
539 名前:最終章 土の章 投稿日:2005/06/05(日) 20:56
「二人とも、お疲れ」

その時聞こえた声は、彼女たちが待ち望んでいたものだった。
メロディーにのせた高い声が、二人の鼓膜を振るわせる。
二人にとっても心地よい歌声というわけには行かなかったが、斉藤にとってはそれは自由を奪う声だった。

横を向くと、歌声の主である梨華がいた。
差し出した右手の親指を立ててにこりと笑うが、梨華はそのままバランスを崩す。
後ろに倒れ掛かる彼女を支えたのは、顔の半分を真っ赤に染めたひとみだった。

「これで、後はあっちだけですか」

左右にいる絵里とさゆみに支えられながら、れいなは言った。

「うん…」

ひとみが答え、全員が美貴の方を見たとき、カキンという小さな音が聞こえた。
540 名前:最終章 土の章 投稿日:2005/06/05(日) 20:56


音というものは波だ。
だからこそ、打ち消しあうことが可能である。
そして、相手の波を飲み込んでしまうことも、可能である。

梨華の目の前で、まさにそれが行われた。
自分の声がかき消され、代わりに相手の声が自分を傷つける。
高い梨華の声とは正反対の、低くてくぐもったような声。
それは、梨華の声を一瞬で飲み込み、彼女の体を傷つける。

柴田あゆみ。
夜の民で唯一の声霊使いの彼女の力は、梨華やさゆみのそれとは少し異なった。
彼女の声は、切ることが出来ない。
相手に与えるのは打撃である。
それゆえに、威力は落ちるが、声としての力は梨華よりも強いものだった。
541 名前:最終章 土の章 投稿日:2005/06/05(日) 20:56
ダメージを受けるたびに、梨華の歌が途切れる。
声霊使い同士の戦いは、主導権を握った方が圧倒的に有利なのだ。
歌が途切れる相手に対して、次々と自分の歌を重ねていくことが出来るのだから。

「石川さん!」

一方的にやられている梨華に、さゆみが呼びかける。
私も戦いますという意味の呼びかけだったが、手でそれを制した。
絵里やれいなとともに、彼女は村田めぐみを追い詰めようとしている。
今、彼女がこっちにくれば、その有利なバランスが崩れてしまうかもしれない。
ここは、自分がやらなければという意思が梨華の中にはあった。

しかし、その思いとは裏腹に、梨華は両膝を付いた。
口の中にたまった血が気管に入り、思い切りむせた。
柴田はそれを見て歌うのをやめ、ゆっくりと梨華に近づいてきた。
542 名前:最終章 土の章 投稿日:2005/06/05(日) 20:57
勝つ手段を何とかして考えなければいけない。
自分が勝っているのは威力だけ。
でも、それは当たらなければ意味がない。
刀を振っていれば、何かの拍子でまぐれ当たりすることがあるかもしれないが、声ではその望みも薄い。
いわば刀を抜かしてさえもらえない状態である。

方法は…全く思いつかない。
声でしか戦ったことのない梨華だったから。
それを使えないとなると、ただの女の子でしかない。
だから、やっぱり歌うことしかできない。

音のエネルギー、振動数、波長といったことは梨華は知らない。
単純に相手よりも大きな声を出せばいい。
梨華はそれだけを思った。
加えて柴田が梨華に近寄ったことで、二人の距離が縮まっていた。
543 名前:最終章 土の章 投稿日:2005/06/05(日) 20:57
空気中では音のエネルギーは吸収されていくが、特にそれは高音において大きい。
そのために高音は遠くまで届きにくいのだ。
もちろん、二人ともそんなことは知らない。
けれども、変わらない調子で歌った柴田の声は、大声で歌う梨華の声に飲まれていく。
柴田が声を張り上げたときには、既に彼女の体から血が流れ始めたときだった。
歌声から悲鳴へと変わっていく声。
途中、むせながらも歌い続ける梨華。

どれくらい傷ついているかは鎧のせいで判断出来なかったが、口から一気に吐き出される血を見ることで、梨華は歌うことをやめた。
もう、ここはいい。他のフォローに回らなければいけない。

ぐるっと一回転して周りを見る。
ひとみもれいなたちも大丈夫だと、梨華は判断した。
一番勝負がつきそうにないのは、亜依と希美のところ。
梨華は大きく息を吸い込んだ。
544 名前:最終章 土の章 投稿日:2005/06/05(日) 20:57


「えっと、大谷さんだっけ?」

目の前で拳を構える女性に呼びかけるが、返事の代わりに攻撃がくる。
ひとみの顔ほどもある拳は、ボクシンググローブと似たような形状のもので覆われている。
違うのは、それが金属で出来ていること。
しかし、彼女はその重さを苦にすることも無く、十分なスピードで拳を放つ。

1/3ほどの長さになった剣で受け止めるが、勢いに押される。
踏ん張った左足が滑ってしまうと、ひとみは体勢を崩した。
次の攻撃を、体勢を立て直すことを諦め、倒れることで回避する。
それでも掠めた拳が、側頭部から血を噴出させた。
地面を転がるように距離をとったひとみは、左目に流れ込む血を乱暴にぬぐった。

ひとみは剣を捨てる。
こんな中途半端なものは無い方がよい。
それに、格闘技も苦手じゃない。
545 名前:最終章 土の章 投稿日:2005/06/05(日) 20:57
だが、彼女の拳を止める手段がなくなったのも事実であり。
再び左目に血が入り、目を閉じたほんの一瞬を逃さずに打たれた拳は、ひとみの左のわき腹に突き刺さった。
骨が折れる音に加え、内臓まで圧迫されて損傷するほどの打撃に、意識を失いかける。
吐き気と共に口内に広がる鉄の味の液体を、勢いよく吐き出す。
それでも、ひとみは抱え込んだ相手の拳を離さなかった。
左腕全体で抱えた相手の右腕。
更に右肩に自分の右手を置く。
後は、思い切り膝を蹴り上げるのみ。

大谷のグローブは手首の少し上までしかなく、鎧は肩までしかない。
肘を破壊することは、簡単だった。

これでも、五分とまではいえなかった。
片腕を使えない大谷と比べても、ダメージは明らかにひとみの方が上だった。
徐々に顔色が悪くなっていくのを、頭から流れる血が隠していく。
546 名前:最終章 土の章 投稿日:2005/06/05(日) 20:58
相手の攻撃をただ受けるだけのひとみ。
それは、かつてれいなと戦ったときと同様だったが、その時と違うのは明らかに相手の攻撃力が大きいということ。
それでも、ひとみはじっとこらえて機会をうかがった。
わき腹を狙われる度に、防御していても激痛が走る。
必死に漏れる声を抑え、ただただ機会を待った。

そして、時は訪れる。
ひとみにじれた相手が、自分の右手を左手で持ち上げて殴りかかってくる。
単純な力の問題だった。
片手で持って攻撃する相手を、両手でそれを持って押し返す。
ひとみに押し戻された右の拳は、大谷の顔面を捉えた。
547 名前:最終章 土の章 投稿日:2005/06/05(日) 20:58

倒れる相手を確認する前に、激しく咳き込んだ。
口を覆った手から漏れる多量の血。
それはどす黒く、おおよそ人間の体内から出てくるような色をしていなかった。

思わずそれから目を逸らして顔を上げると、すぐ近くで梨華の歌声が聞こえてきた。
そちらを向くと、彼女の体勢がぐらっと揺れた。
それに気づいたひとみの体は自然なほどに動いた。
痛みを一時的に忘れてしまったかのように。
548 名前:最終章 土の章 投稿日:2005/06/05(日) 20:59


丸腰の3人に向かう大きな鎌。
起き上がったれいなだったが、土用藤に切られた傷は、彼女の右肩から背中を走っていた。
それでも、れいなは一人、村田に対峙する。
刀の力を借りなくても、傷を負っていても鎌を避けることはそれほど難しいことではなかった。
攻撃に転じる必要がないということは、それだけのハンデを埋めておつりがくるほどだ。
攻撃するのはさゆみでいい。
れいなにとって、そうした感覚を持つことは稀であった。
自分が攻撃することが出来ないから。
自分に余裕がないから。
そうした要因があってこそだが、初めてさゆみたちに任せていた。
549 名前:最終章 土の章 投稿日:2005/06/05(日) 20:59
鎌が空気を切る音に混じって聞こえるさゆみの声。
か細い声のどこにあれだけの力があるのか、不思議に思えて仕方がない。
いくら自分の力を過信しているれいなであっても、半夏生がない今は一対一でさゆみに勝てる自信は無かった。
徐々に遅くなっていく村田の攻撃。
鎌に逆に振り回されているように見えるほど。
途切れた歌に気づき、れいながさゆみの方を振り返る余裕があるほどに。

「さゆ、さっさと殺しちゃおう」

立っているだけで精一杯という風に見える村田の姿に、れいなは蔑みに混じり、軽く同情すら覚えた。

「ダメ。もういいでしょ。その人は戦えないから」
「さゆ、いい加減にして」
「やだ。私は殺したくない」

さゆみは首を振る。れいなは言い返さずに村田の体重を支えていた鎌を奪いとった。
550 名前:最終章 土の章 投稿日:2005/06/05(日) 20:59
支えを失って前に倒れる村田。
れいなはそれに向かって鎌を振りかぶる。
しかし、鼓膜が震えたことを感じると、両腕に痛みが走った。
カランと落ちる鎌。

「れいな……ごめん」
「さゆ……いい加減にしないと怒るよ」

だらりと垂れた両腕に血が滲んでいく。
ゆっくりと近づいてくるれいなに、さゆみは絵里に隠れるように肩にしがみついた。

「れ、れいな、もう……ね、そんな人に構ってるより、藤本さんを……」

絵里が言うが、れいなは不機嫌さを隠そうともせずに、さゆみの腕を引っ張った。
551 名前:最終章 土の章 投稿日:2005/06/05(日) 21:00
「れいな……」

おびえた声でさゆみが言う。
れいなは無言でさゆみを睨みつける。
そのとき、背後に感じた気配に、れいなは振り返ることは出来なかった。
振り返って確認している暇はないと、彼女の本能が咄嗟に感じ取ったから。

さゆみをドンと押す代わりに、れいなの体はその場に残ってしまう。
気配を頼りに体をそらせるが、鎌は彼女の右足を貫通して地面と繋ぎ止めた。

「れいな!」
「だから、言ったのに……殺しとかないとって」

そう言ってれいなは、背後に立つ村田を首だけ動かして確認する。

「れいなぁ」

涙声でさゆみがもう一度叫んだ。
鎌を抜こうとする村田だったが、深く刺さり過ぎているせいで、なかなか抜くことが出来ない。
小刻みに左右に動かさせるそれが、傷口を更に広げていき、れいなは耐えきれずに短く声をあげた。
552 名前:最終章 土の章 投稿日:2005/06/05(日) 21:00
その声が引き金となって、涙声で歌い始めるさゆみ。
先ほどとは比べ物にならない速度で、鎧の上から刻まれていく大きな傷。
村田の体を真っ二つに切断したのは数秒後だった。
それでもまだ歌うのを止めないさゆみを、れいなは手を伸ばして引き寄せようとする。
しかし、それを制止して、代わりにれいなの頬を絵里は思い切りぶった。

「何するのよ」
「さゆに……何でさゆに殺させたの?」
「殺させたんじゃない。さゆが殺したの」
「違う」
「違わなくない。さゆは殺してくれた。でなきゃれいなも絵里も殺されてたかもしれない」
「殺されてなかったかもしれないじゃない」
「それなら、どうしろって言うのよ?」

絵里はそこで言葉に詰まった。
あのままでは、殺されている可能性は高いことがわかっている。
でも、絵里はれいなのやり方だけは気に入らなかった。
553 名前:最終章 土の章 投稿日:2005/06/05(日) 21:00
その声が引き金となって、涙声で歌い始めるさゆみ。
先ほどとは比べ物にならない速度で、鎧の上から刻まれていく大きな傷。
村田の体を真っ二つに切断したのは数秒後だった。
それでもまだ歌うのを止めないさゆみを、れいなは手を伸ばして引き寄せようとする。
しかし、それを制止して、代わりにれいなの頬を絵里は思い切りぶった。

「何するのよ」
「さゆに……何でさゆに殺させたの?」
「殺させたんじゃない。さゆが殺したの」
「違う」
「違わなくない。さゆは殺してくれた。でなきゃれいなも絵里も殺されてたかもしれない」
「殺されてなかったかもしれないじゃない」
「それなら、どうしろって言うのよ?」

絵里はそこで言葉に詰まった。
あのままでは、殺されている可能性は高いことがわかっている。
でも、絵里はれいなのやり方だけは気に入らなかった。
554 名前:最終章 土の章 投稿日:2005/06/05(日) 21:01
「さゆは、どうしてまだ泣いてるかわかってるの?」

歌うことを止めたが、その代わり声を上げて泣き出すさゆみの頭を抱いて、絵里は言った。

「さぁ?」

れいなはそれを見ようともせずに、かがみこんで地面から鎌を抜く。

「私はれいなとは絶交だから、れいながどこで誰を殺そうがもう知らない。
これで戦いが終わったら、もう殺しあわなくて済むし、もう、どうでもいいの」

「でもね」と更に言葉を続ける絵里。
れいなは鎌を両手で持って、深呼吸してから自分の足からそれを抜いた。
足に全く力が入らずに、その場に座り込んだ。

「さゆは人殺しにさせないで。さゆは、争いなんてしたく無い子なの」
「……」

れいなはさゆみを見上げる。
さゆみがこんなに泣いているのを見るのは初めてだ。
555 名前:最終章 土の章 投稿日:2005/06/05(日) 21:02
人を殺すことに疑問を感じないれいなにとっては、どうして人を殺して泣くのが理解できなかった。
ただ、わかるのは、さゆみが本当に悲しんでいるということ。
そして、そんなさゆみを見ると心が痛むということだった。

「……ごめん」

れいなは呟く。
絵里はそれを聞いて、れいなに手を差し出した。

「ありがと」

その手をとってれいなは、絵里とさゆみに支えられるようにして立った。

「ごめん、さゆ」

もう一度、れいなはさゆみに言った。
さゆみは何も答えずに、手で涙をぬぐった。
556 名前:takatomo 投稿日:2005/06/05(日) 21:13
>>535-555 (553は二重投稿なので脳内消去してください)

周りのことを一気に…
あと3回くらいでしょうか。今月中には絶対終わらせたいですねぇ…

>>533 ありがとうございます。少し逸れてますが、次回からはそろそろ決着ということで。 
>>534 長いのに一気読みありがとうございます。あと少しですが、よろしくです。
557 名前:最終章 土の章 投稿日:2005/06/19(日) 02:10


美貴の耳に届いた音は、忍冬の刃が欠ける音だった。
目にした刀身には、いくつもの細かなヒビが入っていることに気づいた。
刀が負けているのも当然かもしれない。
相手は4本の刀の力を持っている。
なのに、こっちは一本だけ。

それでも、負けるわけにはいかない。

美貴が次に取る選択は、れいなと全く同じこと。
打ち合えば負けるのであれば、打ち合わなければいいということ。
558 名前:最終章 土の章 投稿日:2005/06/19(日) 02:10
美貴は時間を加速させた。
ゆっくりと動き始める世界。
だが、その中で変わらない速度で動く土用藤。

虚をつかれた美貴は、避けることを忘れ、刀で受け止めた。

時の流れが元に戻る。
いや、美貴の目には時の流れがいまだにゆっくりと感じられた。
半分の長さとなった忍冬が、地面に落ちていくのが、コマ送りのように見えていた。

ガクンと全身の力が抜ける。
刀に力が吸い取れれていくような感覚を覚えた。
折れた先から光が放たれ、それは一直線に土用藤へと至る。
倒れ掛かる美貴を、亜弥は支えた。

「完成……した」

なつみが言った。
土用藤は先ほどと比べ物にならないくらい、穏やかだった。
常に力を放っていた先ほどまでとは違う。
何も感じられないほどに、穏やかだった。

誰もが見守っていた。
久住自身も、自分の手の中の刀がどうなるかを見ているだけだった。
559 名前:最終章 土の章 投稿日:2005/06/19(日) 02:10
沈黙が流れる。
誰もが自分の呼吸音しか聞こえなくなった頃、変化は訪れた。

刀から放たれた光は、天を付き、久住はその勢いに耐えられずに刀を離した。
ひとりでに地面に柄をつけた刀は尚も光を放ち、それに次いでなつみと久住が糸の切れた操り人形のように、その場に倒れた。

「なっち」

圭織が近づこうとするが、彼女達には何かが共鳴する音が耳に届く。
割れるような音に、圭織たちは頭を押さえた。

「飯田さん、梨華ちゃん!」

自分のそばで苦しみだすみんなに、亜弥は問いかける。
彼女だけ何も感じなかった。
土用藤に操られていたなつみと久住を、刀はもう必要としなくなった。
自分が完成してしまえば、この世の全てを動かす力があるのは、刀自身。
使い手など必要なかった。
そして、それが意思を持って行うことといえば、朝の民を殺すことだ。
夜の民の命で作られた刀。
夜の民の怒りがつまった刀。
それの対象とならないのは、この場では美貴と亜弥、そして真希だけだった。
560 名前:最終章 土の章 投稿日:2005/06/19(日) 02:11
もちろん、そんなことを3人は理解できない。
美貴は目を覚ましたばかりであり、真希はまだ目覚めない。
五星刀を扱えなかった亜弥には、刀が意思を持つという考えすら思いつかなかった。
亜弥は悲鳴だけが響く空間に、どうしたらいいかわからずに、美貴をギュッと抱いた。

「美貴たん……」
「亜弥ちゃん……目、瞑ってて。見せたくない」

亜弥の腕を離して美貴は言った。
苦しんでのたうち舞うみんなの姿を見せたくは無かった。
それとともに、美貴の頭には、圭織の声が聞こえた。
あの刀を破壊してという声を。

だけど、美貴の手には折れた刀しかない。
忍冬という文字は、すでに消失していた。
五星刀の力は、土用藤に宿っているのだから。
しかし、美貴はなぜか確信していた。
時を加速させる力は、まだ残っていると。
561 名前:最終章 土の章 投稿日:2005/06/19(日) 02:11
五星刀としての力は、「水」の力。
時間を加速させる力は、それとは関係ないのだ。
なぜ、最初に美貴は、時を加速する術だけを教えられたのか。
それが五星刀の力と思うほどに、その力の存在を教えられ、自由に扱えていたのか。
それは、なつみを止めるために、この刀に備えられた力であったからだ。
五星刀を止めるには、同じ力ではとめることが出来ない。
全く別に力が必要になる。
それに加えて、その力は五星刀としての力を封印する役目も担っていた。

このことを行った人物は一人しかいない。
美貴以外に忍冬を扱えたもので、なつみの本心を知っていた人物。
彼女が刀に備え付けた力だった。

使い手に放棄された忍冬は、新たな使い手を捜して、時を彷徨った。
そうしてたどり着いたのが、美貴であった。
朝の民と対を成すものであって、朝の民で無いもの。
五星刀の力を持ちながら、五星刀でない忍冬は、自分の使い手として美貴を選んだのだった。
562 名前:最終章 土の章 投稿日:2005/06/19(日) 02:11
美貴は、そんなことをいちいち説明されていたわけではない。
全て直感だ。
土用藤の前で、加速を最大限まで上げる。
空気がねっとりとして、まるで水あめの中を進んでいるかのようだった。
半分の長さになってしまった刀だが、迷わずに振る。
光がまるで壁になっているかのように、刀が土用藤の周りで止まった。

力を込める美貴の目には、少しずつではあるが、刃が近づいているようにも見えた。
実際に、徐々にではあるが近づいていた。
体から吹き出る汗は、べっとりと美貴の体に纏わりつく。
吸い込む空気すら、纏わり付いて肺にまで到達していないような錯覚を覚える。
ゆっくりと、ゆっくりと近づいていくそれは、ようやく到達しようとしている。
美貴は更に両手に力を込めた。

その瞬間はあっけなかった。
両手に何か抵抗を感じるわけでもなかった。

代わりに風を全身を感じた。
どちらが上か下かわからない。
伸ばした足が地面を蹴ったことがわかった。
亜弥が自分を呼ぶ声が幻聴かとも思えるほど。
美貴は地面を舐めるように弾き飛ばされていた。
563 名前:最終章 土の章 投稿日:2005/06/19(日) 02:11
地面を滑るようにして止まった美貴。
全身の関節がきしむようだった。
刀の力を得ていない彼女は、すでに生身の人間と大差ない。
ただの女の子でしかなかった。

ぼんやりとした視界だったが、視線の先には変わらずに光を発している刀が見えた。
これで、ダメなの……
軽い絶望を覚える。
もう、他に何が出来るって言うの?
美貴は自分に問いかける。
残りの体力的に、再び時間を加速させることは不可能だった。

圭織たちは、すでに悲鳴すら上げなくなった。
焦点の定まらない手で、爪の跡が付くほどに頭を強く押さえていた。

564 名前:takatomo 投稿日:2005/06/19(日) 02:13
>>557-563 更新終了
次で最後まで書いてUPしてしまいます。
565 名前:通りすがりの者 投稿日:2005/06/19(日) 19:58
更新お疲れさまです。 いよいよですね・・・。 最終更新待ってます。
566 名前:takatomo 投稿日:2005/06/19(日) 20:51
最終更新前にレス返しをしておきます

>>565 いつもレスをありがとうございます。ご期待にこたえられるような最後になっていたらうれしいです。

567 名前:最終章 土の章 投稿日:2005/06/19(日) 20:52
「どうすればいいのよ!」

美貴は地面に向かって叫んだ。
それだけでも、ギシギシと自分の体が軋む。
自分の声だけが反響する不自然なまでの静寂は、生きているものは誰もいないのかと思わせるほどだった。

涙で更にぼやけた視界
そこに、動くものが現れた。
土用藤を美貴の視界から消したその後姿が、亜弥のものだということを、美貴はすぐに気づいた。
小さくなっていく後姿は、確実に刀へと近づいていっている証拠であった。

起き上がろうとするが、体が悲鳴を上げて叶わない。
誰かを探そうとするが、動けるのは亜弥を除いて誰もいない。

「亜弥ちゃん、ダメ!」

美貴の声に、亜弥は振り返りすらしなかった。
一歩一歩、迷うことなく亜弥は刀に近づいていった。
568 名前:最終章 土の章 投稿日:2005/06/19(日) 20:52
何とかできるのは自分だけしかいないとか、みんなを助けようとか。
そういった思いは、亜弥の中では一番ではなかった。
亜弥の中にあるのは、美貴をあんな目にあわせたものに対する怒りだけ。
それに、あの刀は自分なら扱うことが出来る気がした。

夜の民と対を成す亜弥だから。
どこかで完成した土用藤に惹かれていたのも事実だった

亜弥が近づくと、光が一段と激しくなった。
迷うことなく光の中に手を伸ばす。
ジュッという音がして、指先が赤く腫れる。
反射的に手を引っ込めたが、すぐに気持ちを落ち着かせてもう一度手を入れた。

ズキズキとした痛みが指先から掌、手首へと伝わっていく。
それでも、手を引くことは無く、亜弥は右手で刀身をつかんだ。
569 名前:最終章 土の章 投稿日:2005/06/19(日) 20:52
赤い液体が刀身を流れ、柄へと垂れて行く。
触れただけで切れてしまう土用藤は、容赦なく掌の皮を切断し、肉まで至っていた。

ぎゅと目を瞑り、奥歯をきつく噛んだ亜弥は、悲鳴も涙も何一つ出さずに、そのまま刀を持ち上げた。
左手を柄に添える。
右手から流れていく血は、柄まで至っては消えていき、刀が血を啜っているかのように、亜弥は錯覚した。

亜弥の背中にさえぎられ、美貴からは何が起こっているのか全くわからなかった。
ただ、光が徐々に弱くなっていくことだけは、理解できた。

「こんなものさえなかったら……」

亜弥は力を込める。
ずぶずぶと自分の手の中に刃が埋まっていくのもお構い無しに。
だが、刀は少しもしならない。
代わりに亜弥の右手から握力が無くなり、右手が離れた。
570 名前:最終章 土の章 投稿日:2005/06/19(日) 20:52
真っ赤に染まりきった右手は、親指以外は動かすことは出来なかった。
痛みすら既に感じることは無く、真っ赤な血が傷口に溜まっていくだけであった。

亜弥はそれでも右手を添えて刀を握りなおす。
右手の上から左手で覆うようにして両手で持った刀。
手にした瞬間に、亜弥の中に流れ込んでくるのは、吐き気をもよおすほどの嫌悪感。
憎しみ、悲しみ、寂しさといった、あらゆる負の感情が、両腕から脳へと駆け上がってくるのを感じる。

全身の毛穴が開き、汗が噴出す。
全身の皮膚の下で毛虫が這いずり回っているような、自分の体の中に明らかに異物が流入しているのを感じた。

「美貴……たん……」

亜弥は声を漏らした。
それが最後の意識。
それを最後に、亜弥の意識は真っ暗闇の中に放り出された。
571 名前:最終章 土の章 投稿日:2005/06/19(日) 20:53


明らかな亜弥の変化に気づいた美貴は、無理やり体を起こした。
錆付いた機械のように、ぎこちない動作でゆっくりと立ち上がる。

「亜弥ちゃん…」

先ほどから動くことの無い彼女の名前を呼ぶ。
だが、亜弥は振り返ることも無く、立っているだけだった。

折れた忍冬は美貴の少し前に落ちていた。
何とかそれを拾い上げる。
手にすると、少し体が軽くなった。
それでも、普通に動けるほどでしかなかったが、今の美貴にはそれでもありがたかった。
572 名前:最終章 土の章 投稿日:2005/06/19(日) 20:53
「亜弥ちゃん!」

肩を叩いた手。
そこから鳥肌の立つような何かを感じた。

「亜弥……ちゃん」

正面に回り込もうとする美貴に、急に振り返った亜弥は刀を振った。
後ろから迫る刀は、美貴の髪をばっさりと落とした。

「……冗談だよね」
「美貴たんを傷つけるものは許さない」

美貴の問いかけに対して聞こえる亜弥の呟きは、カセットテープのように、息継ぎも無く何度も繰り返される。
そして、言葉とは真逆に、亜弥は美貴を狙っていた。
573 名前:最終章 土の章 投稿日:2005/06/19(日) 20:53
繰り出される刀を避けたのは、偶然に過ぎなかった。
体勢を崩した頭の上を、刀が通過しただけ。
もちろん、二度は起こりえない。
地面についた美貴の左手に向かって、亜弥は土用藤を付き立てた。
美貴の口から悲鳴が漏れる。
もがけばもがくほど傷口は広がり、美貴の左手は死んでいく。
亜弥はその様子を見て、笑みを浮かべていた。

全身に広がっていく痛みは、美貴の体の自由を奪っていく。
痙攣にも似た震えを始めた美貴に満足したのか、亜弥は刀を抜く。
そのことが更に出血を誘発し、だらりと広がった美貴の手は、もう動くことは無かった。

「美貴たんを傷つけるものは許さない」

亜弥はその間も繰り返していたフレーズを、再度大きな声で言った。

「亜弥ちゃん……」

美貴から流れる涙は、痛みのせいではなかった。
ましてや、自分が死ぬことに対する恐怖からでもなかった。
自分に刀を向ける亜弥が、このままになってしまうということが、悲しかったから。
そして、亜弥を助けてやれない自分の無力さが悔しかったからだった。
574 名前:最終章 土の章 投稿日:2005/06/19(日) 20:53
「まっつー」

声が聞こえた。
その呼び方をするのは、美貴が知る中では一人だけだった。
茶髪はべっとりと血で黒ずんでいた。
髪だけでなく、頬にも乾いた血が黒くこびり付いていた。

「美貴たんを傷つけるものは許さない」

真希の方を向いた亜弥は変わらないフレーズを繰り返した。

「美貴は、そこにいるでしょ。まっつー、どうしたの?」

状況が全く理解できない真希でも、亜弥の様子が全く違うことくらい一目でわかる。
加えて、自分に向けられた刀が、以前に自分が手にしたものと同じであろうことも、真希は理解した。
575 名前:最終章 土の章 投稿日:2005/06/19(日) 20:53
「真っ暗だった。怖かった」

真希が言ったその言葉の意味を、美貴は少しも理解できなかった。

「真っ暗闇に一人でいて、声が聞こえてくるの。殺せ、殺せって。耳を塞いでも、目を瞑っても聞こえてくる」

亜弥は動かなかった。
真希の言葉を聞いている様には見えなかったが、刀を向けたまま動かなかった。

「でも、真っ暗闇なのにね、自分がやってることがわかるんだよ。おかしいでしょ。暗闇なのに見えてるんだよ……」

美貴を待つ公園の砂場に刺さっていた刀。
なぜ、それに目がいったかわからない。
刀だとすぐにわかった。
それも子どもはおもちゃを置き忘れたものでなく、本物のだということを。
普通なら、そんなものに近づきはしない。
だけど、気づけば手に取っていた。
それから、真希は暗闇に放り出されていたのだった。
576 名前:最終章 土の章 投稿日:2005/06/19(日) 20:54
「ただ、そんな中1つだけ、暗闇の中から違う声が聞こえてくることに気づいたんだ。後藤さん、後藤さんってね……」

刀が小刻みに震えていることを、真希は感じた。
自分の声が亜弥に聞こえている、彼女は自分と同じ状況にあるはずだと、そのことで確信した。

「それが、誰の声か、すぐにわかったよ。私もまだ未練タラタラなんだなって思った……まっつーにも聞こえないの?
聞こえてるでしょ?美貴の声が……」

自分は、その声を否定してしまったから。
必死にその声からも逃げようとしていたから。

「ほんっとムカつくけど……まっつーは美貴が好きなんでしょ……美貴を殺したって、まっつーは私のものにはならない」

真希は美貴を見た。
それは、以前のように殺意を持った目ではなく。
願いを込めた目だった。
美貴に、亜弥を助けて欲しいという願いを込めたものだった。

「亜弥ちゃん!」

美貴は叫ぶ。
いつしか亜弥が同じフレーズを繰り返すことをやめているのを、二人は気づいていなかった。
577 名前:最終章 土の章 投稿日:2005/06/19(日) 20:54
「亜弥ちゃん!」

もう一度叫ぶ。
真希が亜弥を横切り、美貴の方へと向かう。
亜弥はいまだに真希がいた方を向いたままだった。
刀が大きく揺れる。
土用藤という文字が少しずつ薄れていく。

真希は美貴を手を肩に回して立たせた。

「美貴たんを……」

亜弥は言う。
それは先ほどまでの声とは違い、感情がこもっていた。
美貴は真希からはなれ、ふらつく足取りで亜弥に近づいた。
肩に置いた手からは、もう嫌悪感は感じられなかった。
578 名前:最終章 土の章 投稿日:2005/06/19(日) 20:54
「亜弥ちゃん、大好きだよ」

美貴は目を閉じて顔を近づける。
数週間ぶりの口付けは、血の味がした。

カランという音が聞こえるのと、体重が自分に掛かるのを感じたのは同時。
背中に回された手がぎゅっと握られる。
美貴も両手を亜弥の背に回した。
左手を含めて、全身から痛みが消えている事に美貴は気づいていなかった。

口内へと勢いよく侵食してくる亜弥の舌と、格闘を繰り広げる事に夢中だった。
頭の後ろがジーンとした。
貪るようにお互いに食いつきあう唇。
うっすらと開けて見た視線が合う。
それから、二人はゆっくりと口を離した。

「美貴たん……」
「亜弥ちゃん……」

美貴の目に映るのは、いつもの亜弥で。
亜弥の目に映るのも、いつもの美貴だった。
579 名前:最終章 土の章 投稿日:2005/06/19(日) 20:54
見詰め合う二人の横で、真希は亜弥の手から離れた刀を拾い上げた。
何も感じない。ただの刀だった。
土用藤という文字も消えていた。

「終わったの?」
「たぶん……」

真希の問いかけに、美貴は言った。
それが引き金となったように、圭織たちが起き上がり始めた。

「みんな、無事だったみたいね」
「うん。五星刀の力がここに充満してる。すごい力……」

美貴にはもう感じることはできなかった。
だが、ひとみやれいな達には感じることが出来る。
立っているだけで、どんどんと力が溢れてくるような。
今なら刀無しでも力が使えそうなほどだった。
580 名前:最終章 土の章 投稿日:2005/06/19(日) 20:55
「終わったんですよね」

今度は美貴が圭織に問う。
圭織は頷いた。
目を覚まさないのは、なつみと久住だけ。
すでに命を絶たれた真里たちは、五星刀の力をもってしても、生き返ることは不可能だった。

「ありがとう、藤本」
「いえ……亜弥ちゃんとごっちんのおかげです」

そう言って頭をかいた美貴は、ようやく自分の左手の傷が治っている事に気づいた。

「それで……せっかくなのに残念だけど……藤本たちとは、もうお別れだ」
「え?」

思わず声を上げた美貴。
亜弥と真希の顔を見てから、もう一度圭織に視線を戻した。
581 名前:最終章 土の章 投稿日:2005/06/19(日) 20:55
「五星刀の力を借りないと、この世界と向こうの世界は行き来できない。五星刀の力がまだ残っている今しか、ないんだよ」
「それって、もう会えないってことですか?」

美貴が言う前に、ひとみが口を開いた。

「3人はこっちの世界の人間じゃないんだから、仕方ないことなの」
「そんな……」

言葉につまるひとみの肩に、梨華はそっと手を置いた。

「もう会えないんだ」

希美と亜依は二人で顔を見合わせた。

「なんだ……せっかく一発殴ってやろうと思ってたのに」
「れいな!」

拳を叩くれいなに、絵里とさゆみの声が揃う。
「冗談だって」というれいなの目を見て、決して冗談で言っているわけでは無いことを美貴は理解した。
582 名前:最終章 土の章 投稿日:2005/06/19(日) 20:55
これで最後なんだ……

美貴は思った。
時間にしてこの世界にいたのはほんの2,3週間だけのこと。
それこそ、夢を見ているようだった。

不思議な力の刀があって、敵を次々に倒していって……
それこそ、平和を守るための戦いだなんて、一時期本気で思っていたこともあった。
嫌なこともたくさんあった。寧ろ、そっちのが多いくらい。
人の汚い部分も山ほど見た。
亜弥ちゃんを巻き込んじゃったし、怪我させちゃったし……
いい思い出なんてそれこそ少しも無かったのに……

美貴は、そこまで考えると、自分が泣いているのを理解した。
それに気づき、亜弥はそっと美貴の腕を取った。
583 名前:最終章 土の章 投稿日:2005/06/19(日) 20:55
「美貴達には悪かったと思ってる。五星刀なんてもののせいで、こっちの世界に一方的に巻き込んじゃって」
「いえ……そのおかげでこうして会うことも出来たんですから」
「そういってもらえると助かる。ほら、もう行った方がいいよ。こっちのことは心配しないで。もう二度と、こんなことは繰り返させないから……」

圭織の目にも涙は浮かんでいた。
亜依に差し出された折れた忍冬を、美貴は手にした。

「亜弥ちゃん、ごっちん、私にしっかり捕まっててね」

真希が自分の肩をつかむのを確認し、美貴は刀を振り始めた。

縦に一本。

「さよならなんて言わないよ。あんたには感謝なんかしてないから」
「もう、れいな……もう会えなくなるんだよ!」
「知らない。さゆと違ってあの人には文句言われた覚えしか無いもん」
584 名前:最終章 土の章 投稿日:2005/06/19(日) 20:56
二本。

「すいません。本当に、ありがとうございました」

絵里が頭を下げた。

「れいなは素直じゃないだけですから」

さゆみが言う。
反論しようとするれいなの口を、さゆみは押さえつけた。

三本。

「ありがとうございました。私たち、足引っ張ってばっかりで、ごめんなさい」

亜依と希美。
美貴は首を振った。「そんなことないよ」と。

四本。

「さよならとか苦手だから言わないよ。でも、絶対に忘れないからね」

そう言ったひとみの横で、梨華は黙って頭を下げた。
585 名前:最終章 土の章 投稿日:2005/06/19(日) 20:56
横に一本。

「ありがとう。助かった」
「いえ……あの、私、ここに来てから何度も思ってたんですけど…」
「何?」

二本。

「いつか、目覚まし時計が鳴って……そしたらベッドの上で、いつもの朝が始まっちゃうんですよ。
ここでのことが、実は全部夢だったってことがわかっちゃうんです」
「人生なんてさ、夢みたいなもんじゃないのかな?」

三本。

「もし、この世界のことが本当に夢だったら?私がこの世界でやったことって……どうなるんですか?」
「忘れちゃうでしょ?だって、夢なんだから。夢なんて起きたらそこでおしまいだよ」
586 名前:最終章 土の章 投稿日:2005/06/19(日) 20:56
四本。

「そんなの嫌ですよ。夢じゃないですよね、ここで起こったこと。ただの夢なんかじゃ絶対ないですよね!」
「うん。私はそう思ってる」

五本。

「だから、私たちの事、忘れないでね」

3人は光に包まれた。

587 名前:最終章 土の章 投稿日:2005/06/19(日) 20:56


目が覚めたとき、美貴はベッドにいた。
隣には亜弥が寝息を立てている。
時計を見た。
まだ、朝の4時半。
ようやく夜が明け始めようとしている頃だった。

夢……

嫌な予感が美貴を襲う。
携帯を確認する。
日付は進んでいた。
美貴と真希が公園で会った翌日だ。

だが、美貴の不安はぬぐえない。
圭織にはああは言ったものの、不安で仕方なかった。
部屋を見回す。
588 名前:最終章 土の章 投稿日:2005/06/19(日) 20:57
刀があるはずだ。
忍冬が、きっと……

ベッドの横に立てかけられた刀。
鞘は忍冬のものだった。
恐る恐るそれを抜く。
文字は消えていた。
それに、真ん中で折れていた。

「よかった……」

安堵のため息をつき、美貴は刀を戻した。
589 名前:最終章 土の章 投稿日:2005/06/19(日) 20:57


それからは、美貴の生活は多忙を極めた。
今年はシャッフルは無かったとはいえ、亜依と希美の卒業というイベントとかぶさるように、カントリー娘。の新曲の発売も決まっていたからだ。
亜弥も夏から秋にかけて、再びコンサートツアーが始まり、二人はなかなか同じ時間を過ごすことは無かった。
最初のうちは、向こうの世界での出来事を、夢ではないことを確認するように話していた美貴だったが、次第にそれもすることはなくなった。
メンバ−の顔を見て、向こうの世界の彼女達を思い返すのも最初のうちだけ。
毎日のように、顔をあわせていれば、逆にそんなことは出来なくなっていった。
毎日のように顔をあわせるといえば、美貴は愛とあさ美の間の変化を感じ取っていた。
それには真希との仲が戻ったことが絡んでいるとかいないとか。
真希にそのことを聞くわけにはいかない美貴には、正確な情報は伝わっていなかったが、おそらくそうであろうと彼女は思っていた。

そうして、ただの思い出として胸の中に閉まっていた出来事が、再び美貴の中に鮮明に蘇るのは、約一年後だった。
590 名前:最終章 土の章 投稿日:2005/06/19(日) 20:57
「ねぇ、ミキティも賭けない?」

新曲のレコーディングの合間に、ひとみが美貴に声をかけた。

「何を?」
「7期メンバーに誰が入るかって。勝った人が焼肉おごって貰える事になってるんだけど」
「うん、やるやる」

焼肉と聞けば美貴は食いつかないわけは無い。
今日のレコーディング後にその収録が入っていた。
候補者のVTRを見て、それとなくコメントするだけのものである。
美貴にとっては初めての後輩となるのだが、前回の該当者なしという事態から、今回もという懸念が存在してイマイチ乗り気ではなかった。
591 名前:最終章 土の章 投稿日:2005/06/19(日) 20:57
レコーディングはいつもどおりに終わり、収録が入る。
映し出される人毎に、みんなが次々とコメントを言う。
そんな中、美貴は一人ボーっと見ていたが、一人の候補者の映像に変わった瞬間、思わず前に乗り出して画面を見た。

「ミキティ、この子にするの?」

梨華が言うが、美貴はVTRに集中して、聞こえていなかった。

「久住……小春……」

テロップとしてでる名前を読み上げる。
自分の記憶の中にある顔と、相違なかった。

なんだ……あの子も……結局そういうことか……

美貴は笑いを堪えた。
自分の知らなかった唯一の人間も、結局は自分の目の前にやってくることが、おかしかった。
592 名前:最終章 土の章 投稿日:2005/06/19(日) 20:58

「私、この子に賭けるよ。この子、おもしろそうじゃん」



593 名前:最終章 土の章 投稿日:2005/06/19(日) 20:58
最終章 土の章 完
594 名前:takatomo 投稿日:2005/06/19(日) 20:59
>>2-144  第1章 水の章
>>147-250 第2章 木の章
>>254-397 第3章 火の章
>>401-495 第4章 金の章
>>499-593 最終章 土の章

以上。夢限幻無 完結
595 名前:設定資料集 投稿日:2005/06/19(日) 21:00
・五行
作中にも一回書いたけど、対応表

(星 ― 色 ― 季 ―方位)
 水 ー 黒 ー 冬 ー 北
 木 ー 青 ー 春 ー 東
 火 ー 赤 ー 夏 ー 南
 金 ー 白 ー 秋 ー 西
 土 ー 黄 ー 土用ー 中央

水って言うのは黒色で、冬を表して、北の方角みたいなニュアンスで見てください(いい加減
「陰陽道 五行配当」とかでぐぐったら、わかりやすいサイトはいくつもあると思います。

この物語のほぼ全てはこれを元に設定していますので、もしかしたらネタばれしまくるかなとちょっと心配でした。
章の名前(水の章etc)もここから取っています。
596 名前:設定資料集 投稿日:2005/06/19(日) 21:00
・五星刀
陰陽五行説の五星(水星、火星、金星、木星、土星)から名づけた。
各刀には、季節名の入る植物の中から、花言葉と当人をイメージして当てた。(土用は花言葉関係無しです)

 春:春女苑(はるじょおん)別名:春紫苑
   花言葉 : 追想の愛

 秋:秋桜(コスモス)
   花言葉 :乙女の真心

 夏:半夏生(はんげしょう)
   花言葉:内に秘めた情熱

 冬:忍冬(すいかずら、にんどう)
   花言葉:献身的な愛

 土用:土用藤(どようふじ)別名:夏藤
    花言葉:歓迎

また、五星に対応する方位の人間を使い手とした。

北(水、冬):藤本(北海道)
南(火、夏):田中(福岡)
東(木、春):亀井(東京)
西(金、秋):道重(山口)
中央(土、土用):久住(新潟)、松浦(兵庫)

南と西が近いのはご愛嬌。
ちなみに辻が扱う五期も方位に合わせている。

北(水):紺野(北海道)
東(木):新垣(横浜)
中央(土):小川(新潟)
597 名前:設定資料集 投稿日:2005/06/19(日) 21:00
>>596 横浜じゃなくて神奈川じゃん_| ̄|○
598 名前:設定資料集 投稿日:2005/06/19(日) 21:01
・瓶子
辻の持つ媒杖の名前。
彼女の誕生花であるサラセニアの別名である「瓶子草」から拝借。

・夜の民
最初は「夕の民」でしたが、忘れていて途中から「夜の民」と打ってしまったので、それで通しています。

・二つの世界を行き来する方法
「九字」とよばれる陰陽道で呪法を使うときに使用されるもの。
縦に4本線を書いてから、横に5本線を引く。
599 名前:takatomo 投稿日:2005/06/19(日) 21:02
>>567-594 最終更新です。

>>595-598 設定資料集(おまけ)

600 名前:takatomo 投稿日:2005/06/19(日) 21:03
以上、1年以上に渡る連載でしたが(書くのが遅いだけ)最後まで読んでくださった皆様、ありがとうございました。
途中、かなりぐだぐだなのが自分でもわかり、今後はちゃんとプロットを固定して話を作ろうと思いました。
7期は、オーディション前から作中に存在をほのめかしていましたが、あまりに大人数が入ったり、オーディションの話すらでなかったら松浦で、というのが最初の予定でした。
でも、一人で、更に新潟ということで、挿入できてよかったです。
プロットを作っていなくてよかったと思った瞬間でした。

こういうのがあるから、娘。小説は面白いと思います。

最後に、一年間たらたらと書いておりましたが、このスレだけを書いていたわけではないので…(ぉぃ
名無しで立てたスレを告白します。

1.シアワセの風景(緑板倉庫:中篇。完結済み)
http://mseek.xrea.jp/green/1089472955.html
石川×田中。学園もの

2.Silent Science(海板:長編。現行)
http://m-seek.net/cgi-bin/test/read.cgi/sea/1102950698/
後藤、紺野、夏焼主役。近未来型ハードSF

3.距離感(草板:短編集。現行)
http://m-seek.net/cgi-bin/test/read.cgi/grass/1114327562/
更新ものすっごい遅いですというか一作だけしかないです。

海の方はぶっちゃけて、半年でこのスレと同じくらいの量書いてました。
ごめんなさいとしかいえないです_| ̄|○
冬の7期加入が該当者無しだったせいで、7期待ちをしていたのも、遅れた原因の1つですと最後に言い訳しておきます。

最後に、作者サイトとかも晒しておきます。
http://www.geocities.jp/takatomofroms/top.html
保存庫と日記と娘。小説の感想くらいしかありません。お暇な方はどうぞ…

次作は色々考えておりますが、当面は海板を書いていこうかなと思います。
新しく立てることがあれば、海のスレかサイトの方で報告します。
夏が開ける頃には、1つ考えてるのを立てたいとは思います。


最後までお付き合いいただいた皆様、ありがとうございました。
最後に、感想などいただけると嬉しく思います。
601 名前:通りすがりの者 投稿日:2005/06/20(月) 07:26
最終更新お疲れさまでした。 感想といってもだらだらと書くのはあれなので、ホントにお疲れさまでした。 最後によい結末になってよかったです。 海板のほうも拝見させてもらってるので、これからも頑張ってください。 ホントに最終更新お疲れさまでしたm(__)m
602 名前:名も無き読者 投稿日:2005/07/01(金) 13:45
完結お疲れ様でございました。
最初から張りついていた身としては感慨深い完結です。w
五星刀の謎もピシッと纏まってすっきりしました。
毎度のことながら好きな作品の完結は嬉しくもあり寂しくもありますね。
というわけでこれからは海の方にも追いつこうと思います。(爆
素敵な作品をありがとうございましたっ。(平伏
603 名前:優海 投稿日:2005/07/23(土) 09:57
引き込まれて最初から一気に読みました。
なんか・・すごいです。
作者さん頭いいんですねー。私ならこんな知恵絞ってできないです(笑
ほかの作品も楽しみに読みます。では…。
604 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/13(土) 17:40
だいぶ遅いですが完結お疲れ様でした。
自分はtakatomoさんのサイトよくチェックしてるくせに
作品を読むのは初めてです(マテ
始めのほうを読んだらどんどん引き込まれて1日かけて読みました。
ほんとにすごいとしかいえないです。
素敵な作品をありがとうございました。
605 名前:takatomo 投稿日:2005/08/17(水) 23:08
たくさんのレスをありがとうございます。

>>601 通りすがりの者様
いつもレスを頂きありがとうございました。通りすがりの者様のレスがあったからこそ、放置せずに完結できたのかなとも思います。
海のほうも期待にそぐわないように書いていきたいです。

>>602 名も無き読者様
途中で一度お姿が見えなくなったよう(ゲホゲホ 嘘です。
読んでいただいてありがとうございます。
私もスレの方、追わせて頂いておりますので、がんばってくださいね。

>>603 優海様
冗長的に長くなってしまったものを、一気に読んでいただきありがとうございます。
他のも同じ感じで長くなっていて、設定作るの好きなので混み合ったお話ばかりになってしまいますが、少しでも楽しんでいただけることを祈っています。

>>604 名無飼育さん様
ものすっごい告白をありがとうございますw
これからもサイトの方ともども、お時間のあるときに見ていって頂けるとありがたいです。

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