ごちゃまぜボックス

1 名前:弦崎あるい 投稿日:2004/04/05(月) 22:37
少し前に「恋愛爆弾2」というスレで番外編を書いていたのですが、
ちょっと放置期間が長過ぎて倉庫行きになってしまったので、
新しくスレを立てました。

番外編だけでは多分スレが余ると思うので、他にも中編くらいの
長さで色々と書いていこうと思ってます。

2 名前:弦崎あるい 投稿日:2004/04/05(月) 22:40
途中から書いても話が分からないと思うので、もう一度初めから
載せます。今度は1ヶ月に一回くらいの更新を目安に放置しない
ようにしますので、もう興味のある方は気長に待ってて下さい。


3 名前:空も飛べるはず 投稿日:2004/04/05(月) 22:42


         「空も飛べるはず」


4 名前:空も飛べるはず 投稿日:2004/04/05(月) 22:45
「あなたがたは以前に自分の過ちと罪のために死んでいったのです。
この世を支配する者、そしてそれに従順な者たち、それらは働く
意思に従い過ちと罪を犯して歩んでいました。」


確かに人は罪深くて業を背負った生き物だよ。
でも現実にそんなことを意識する人は滅多にいないけどね。
恩や情けはすぐに忘れるのに、憎悪や仇だけはしつこく覚えてる。


「私達は皆こういう者たちが中にいて、以前は肉の欲望の赴くまま
に生活し、心の欲するままに行動していたのであり、そういう人々と
同じように生まれながら神の怒りを受けるべき者でした。」


心を支配するのは己の欲望とくだらない執着だけ。
重なり合うことしか頭にない、そんな単純で卑猥な動物なんだ。
でもそれが永遠に進化することのない人間本来の愚かさ。


「しかし憐れみ豊かな神は私達をこの上なく愛してくださり、
その愛によって罪のために死んでゆく私達を生かし、あなた方は
その大いなる恵みによって救われたのです。」


でも神様なんて所詮は人々の理想であり偶像でしかない。
私達が無能で汚れた存在だからこそ暗く湿っぽい鎮魂歌を嫌い、
祝福と愛に満ちた賛美歌を好んで歌っている。



人は救ってほしいから何に向かって手を伸ばすのかもしれない。



5 名前:空も飛べるはず 投稿日:2004/04/05(月) 22:49
神様の言葉は溢れるように街中に流されていた。


けれど道行く人々は無神論者なのか無視して平然と通り過ぎる。
そして神様を信仰している者なのか、金儲けのだけに働く労働者か、
大して身なりの良くない中年の人達が神様の言い残した為になる
お言葉が書かれたプラカードを高々と持ち上げている。

その持っている棒にはレコーダーが取り付けてあって、さっきから
神様の言葉が大音量で街中に流れっぱなしになっていた。
それを適当に聞き流していたけれど、さすがに3回目ともなると
私はいい加減に飽き始めていた。

信仰には全く興味ないから元々真面目に聞く気はない。
一応実家は何らかの宗教に入っていたようだけど、その名称や詳しい
ことは何も知らなかった。
それに神様を信じたことなんて今まで一度もない。


だって例え信じても私を救ってはくれないから。



6 名前:空も飛べるはず 投稿日:2004/04/05(月) 22:52


その日、街は久しぶりの晴天に浮かれているようだった。


けれど浮かれているのはいつものことだ。
宙に浮いていて不安定だから予測不可能な事件が起こったりする。
いつから人や街がそうなったのかは知らないけど。

私はビルの隙間の壁に寄りかかりながらタバコを吹かしていた、
けれどどうやら傍から見ると随分と異様な存在らしい。
でも確かにどうも見てもガラは良くないし、近寄り難いということ
は自覚している。


それに補導されても文句を言えない年だった。


私はタバコを吸いながら遥か遠くにある澄んだ空を見つめていた。
高いビルに囲まれながらすまなそうに顔を出している青色。
それは人間の残した最後の良心な気がした。

何をしようが、どんな風に生きようが、人は最期にあそこへ行く。
でも空へ魂が昇っていくという思想はあまり現実的ではないし、
おまけに極めて信憑性がない幼稚な考え方かもしれない。
そう思ってるのは前にTVでやっていたからで、私は別に天国とか
地獄に大して興味はなかった。



ただそこはこの埃ぽっい街よりはマシだろうなと思った。


7 名前:空も飛べるはず 投稿日:2004/04/05(月) 22:58
どこのお偉いさんか知らないけれど、自分の名前と都合の良いこと
しか言わずに作り物の笑顔と共に白いワゴン車が通り過ぎていく。
でもそれこそ本当の騒音。

他人の為に尽そうとする若者の間を迷惑そうな顔で擦り抜ける人々。
どこかの貧しい国の為か、それとも自分達の国の為か、または
悪徳商法に引っ掛ける為なのか、薄汚れたバインダーを片手に次々と
手当りしだいに声を掛けていく。


けれど道行く人は誰しも自分で精一杯だし興味もないらしい。


そんな何事にも無関心で自己中心的な街にも少し飽きていた。
私は吸い終わったタバコを道に投げ捨てる。
道行く人々は一時的な興味の視線と、軽蔑しているような白く冷たい
視線だけを向ける。

私は誰に向けてでもなく軽く嘲笑すると、新しいタバコを押し出して
口に咥えた。
そして本通から外れた人気のない薄暗い裏通りへと向かった。


どうやら私は『混沌とした世間が生み出したゴミ』らしい。
皆そう思うことだけは一致しているようだった。
けれど私はそれに反発する気もしないし半分くらいは同意してる。


不実で混沌としているところは街と人は似ている。
高く聳え立つ誇らしげな高層ビル群、流行を先取りして笑う人々。
それは見た目には華やかで美しいけど所詮はそれだけ。

見栄えだけ昔に比べて良くはなった、けれど心は薄まって内容は
お粗末になったように思える。
そして何事にも決して深く関わり合おうとしないのが、いつしか
普通のことになった。
でもそういう私自身もそんな人間の1人だった。



こんな世の中だから人々は生きるほどに何かを失っていく。


8 名前:空も飛べるはず 投稿日:2004/04/05(月) 23:02
私が上京ときはまだ16歳という年だった。
別に何か目的があったわけでもなく夢なんて微塵もなかった。
ただあの重苦しい空間から逃げ出したかった。

私の生まれた場所は千葉県の奥まったところにある、それなりの
人口もいる大きな村だった。
でも別にこれといって何もない不便な場所だ。


その村で一番権力があり支配していたのが私の実家だった。


良家とでも言うのだろうか、古い木造建築ながら50人は暮らせ
そうな大きな家に私達家族は召使い雇って住んでいた。
そして父親は村の中では誰も逆らえない無敵の王様だった。

昔はある程度の知名度を持つ政治家で今も多少の発言力を持っている
らしいが詳しいことは興味がないので知らない。
そういう権力者の父親なものだから村長すら頭が上がらない。


だから村に住んでいる者で逆らえる者は一人もいなかった。


それは家族の私にしても例外ではなかった。
だから村はまるで小さな独裁国家のようで、居るだけで息が詰まる
空間だった。
とても閉鎖的でまるで時代遅れの鎖国してるような場所。


だから私は生まれ育ったその村から逃げ出した。


9 名前:空も飛べるはず 投稿日:2004/04/05(月) 23:05
親は特に何も言わなかった、反対もされなければ止められもしない。
それは私があの家では透明な存在だったから。
跡継ぎにはちゃんと弟がいるからいなくても何の問題もない。

でもそれも理由の一部に過ぎない、私は何をさせても出来が悪い子
だったから。
良家の名には相応しくないバカで無能な落ちこぼれ。


それはとても安直で分かりやすい考えで、役に立たないものは
この世にはいらないってことだった。


両親は家の名に恥じないよう私に色々と習い事をさせた。
ピアノにバレイに英会話や絵画教室、情操教育とかいう名目で
それらを週5ペースでやらさせれていた。
空いてる日は家庭教師がやって来て学校の予習と復習。

毎日がそんなだから私は当たり前のように友達と遊べなかった。
でも格の違いというやつなのか、それとも親にでも止められている
のか、私には友達と呼べる子が1人もいなかった。

年や性別なんて関係なく、村中の誰もが一線を引いていたのは
幼いながらに何となく感じていた。
そんな犠牲を払ったというのに習い事の効果は殆どなかった。

特に絵なんてひどいものでそれは自分でも自覚していた。
割合良かったのはピアノや楽器関係くらいだと思う。
それでも特に優れてはいなくて腕前としては上の下レベルだった。


そんな何も出来ない私は自然と両親から見放された。


10 名前:空も飛べるはず 投稿日:2004/04/05(月) 23:10
ここまで出来が悪いとはさすがの張本人達も分からなかったらしい。
そして中学へ上がる頃には私は近所でも有名な不良だった。
その頃は本当にバカだったから非行に走ったけれど、それは少しでも
親の目を自分に向けたいという思いがあったから。

けれど存在自体が見えてないかの如く無視され続けていた。
そんなバカ娘が自分から出て行くと言うのだから、きっと両親は両手を
上げて喜びたい心境だったと思う。

でも生まれる前は家を継がせたくて『圭』という、まるで男みたいな
名前を付けて期待をした。
けれど生まれた子は何一つ親の期待には応えられない、無能でバカな
役に立たない子ども。


それは笑いたくなるほどの皮肉だった。


だから親の愛情は必然的に弟が全て浚っていった。
でも私は悔しいとかは思わなかった、愛情なんて欲しいと思ったのは
初めだけで今は別に欲してはいなかった。

そんなもの無くても人間が生きていると思っていた。
逆に煩わしくなくて自分には丁度良い。
だって欲しければ適当に言葉を吐いて、甘えたようにしな垂れれば
大抵の男は抱いてくれておまけに金をくれた。

嘘ぽっい愛なら誰もが私に与えてくれる、それで十分だった。
習い事には向かなかったけれど人生の世渡りには才能があったらしい。


だから上京しても特に苦労なんてしなかった。


11 名前:空も飛べるはず 投稿日:2004/04/05(月) 23:13
毎日街を歩いては適当なカモを探して日を凌ぐ。
時にはガラの悪い奴等と一緒に犯罪まがいの事までした。
でも残念なことにその時はまだ未成年だったもので、ちょっと長い
お説教だけでいつもすぐに釈放された。


その頃はまだ未成年者の犯罪天国だった時代。


私やバカな悪友達にはとって万引きや恐喝はただのゲーム。
だから罪の意識を感じる心なんて微塵も持ち合わせていなかった。
警察から逃げきれれば勝者、捕ってしまえばそこでゲームオーバー。

それで明日になればまた同じことを繰り返す。
そんな毎日でも村にいたときは感じえなかった充実感があった。
閉ざされていたあの生活よりも自由で飽きなかった。

それに親は銀行に毎月それなりのお金を振り込んでくれた。
でも本当にそれだけで手紙をくれたり訪ねて来ることは、 村を出て
半年が経ったけれど今のところは一度もなかった。

世間で言うところの金で手を打たれたというやつだ。
けれど私はそれで構わないと思っている、親の愛情なんて期待する
だけムダなのだと随分昔に知った。

12 名前:空も飛べるはず 投稿日:2004/04/05(月) 23:17
あの人達が私に対して何の感情も持っていないのは明白だった。
そのことに今更嘆くことも驚くこともない。
送ってくれる仕送りのおかげで生活には殆ど不自由しなかった。

けれど私は自分の家を持とうとはしなかった。
どこか特定の場所に住まず繁華街辺りを点々として暮らしていた。
無論それはお金が足りないからではない、少しだけ遊ぶ金を減らせば
家賃なんて余裕で払えていける。


ただ私は一つの所に留まるのというのが苦手だった。


どうも家というもの自体に良いイメージを持てなかった。
だから夏は大体公園や街の路上とかで野宿だったし、今みたいな
冬は適当につるんでいる仲間のとこで世話になったり、オヤジと
一緒にラブホというときも少なくなかった。

そんな乱れた生活を送っていたけど後悔は全くなかった。
大人になったら困ると皆言うけれど、私は元々人並みの人生なんて
歩めない存在だから。

それは上京する前から何となく感じていた。
きっと私みたいな人間はいつかの日か破滅するのだと思う。
そういえばいつの頃だったかは忘れたけれど、幼い自分に向けて
父親が言った言葉がある。

『お前は間違いなく人並みの人生なんて歩めない』
あの時はまだ幼かったから意味が分らなかったけど、今ならちゃんと
父親が何を言いたかったのかが分かる。



だけど破滅的な人生なんて私にはお似合いだ。


13 名前:空も飛べるはず 投稿日:2004/04/05(月) 23:22
でも私にとって突然大きな転機が訪れる。
それをありきたりの言葉で表現するならば、まさに運命の日だった。
私があの人と出会うことになった日。



その日は朝から続く雨が未だに止む気配がなく、冬の到来を告げる
身を切り裂くような北風が吹いていた。
時間はもう夕方過ぎで普通ならもうご飯の時間だったと思う。

あのときは誰もが都合悪くてどこの家に泊まれず、上手い具合に
オヤジも引っかからなかった。
運が悪い自分を恨みつつも、どこか当然のような気もしていた。

だって不良仲間やホテルで一夜を共にした人も含め、誰一人として
私は真面目に付き合ったことがなかった。
心を開かずに見せかけと上辺だけで誤魔化しながら遊んでいた。


でも私はそのことに全く不満はなかった。
ただこういう緊急事態になったときに誰も助けてはくれない。
それだけのことだった。


14 名前:空も飛べるはず 投稿日:2004/04/05(月) 23:25
適当に遊んでたから相手も真剣になってくれず簡単に見捨てられる。
でもそうなるだろうとは予想していたし、今更そういう関係について
悔やむようなことはなかった。


だから私は小さな公園の滑り台の下で雨宿りしていた。


ここは繁華街から何時間か歩き回ってようやく見つけた場所だった。
タコの形をモデルにしていて四方に下りるところが伸びている、
というあまり見かけない形式の滑り台だった。

年代物なのか当初真っ赤だったろう外壁はピンク色に薄れている。
そして中が空洞になっていたのが私にとって何より幸いだった。
強くなりだした雨は当たらないし、冷たい風も多少は防いでくれた。

季節は冬真っ盛りで私は手足を擦りながら息を吐いて温めた。
でもそんな努力も虚しくさっきから寒さで体が小刻みに震えている。
一応冬らしい格好はしているけれど一夜乗り切れる自信はない。

金があればまだ方法はあっただろうけど、今月の仕送りは全て
使い果たして財布には5円しか残っていない。
銀行の通帳残高も確か250円くらいしかなかったと思う。


15 名前:空も飛べるはず 投稿日:2004/04/05(月) 23:30
でもそれくらいあれば安いパンかおにぎりは買える。
けれどもし手数料がかかったら半分消えるし、第一そんな細かい金が
銀行で下ろせるとは思えなかった。
でももし仮に下ろせたとしても、私には場所も知らないコンビ二や
銀行まで行く気力がない。

今のこの状態でさえ意識が朦朧としてきているのが実状だった。
だから私はここで野たれ死ぬことも覚悟した。
別に悲観や妄想ではなく、現実的に考えて死ぬ可能性も少なくない。

冬の寒さで体の体温は下がっているし空腹を満たす食べ物もない。
そうなれば絶対に死なないと断言することは難しい。
でも実際そうなったら私らしい陳腐な人生だな思う、だから少し
吹き出すと噛み締めるように笑った。


16 名前:空も飛べるはず 投稿日:2004/04/05(月) 23:34
そんなとき少し遠くの方から微かに足音が聞こえた。
でも私は大して気にも止めなかった、それでこの悲惨的な状況が
好転するとはとても思えなかったから。

それにこの状態に気づいても大概の人は見捨てて通り過ぎていく。
他人を助けてくれるなんて奴は滅多にいない。
人々は異物になんて関心を寄せず平然と無視するに決まっている。

もし助けてくれる奴がいたら神様に代わって祭られたほうがいい。
現実はいつも冷たくて汚いのに、その足音は徐々に私の方へと
近づいてくる。

それならきっと金品目当てで近づいてくるのだと思った。
ホームレスとか危ない奴が服や物でも取ろうとしているに違いない。
そんな悲観的なことしか私の頭には浮かんでこなかった。


でもこんな狂った世の中に希望を持つなんてできない。


けれど足音はまるで当然のように私の目の前まで静かに止まった。
でも襲ってくる気配もなく人影はその場に立ちつくしていた。
それから少しして訛ったような、変なアクセントのついた言葉が
上から聞こえてきた。

「遠くから見た時は猫だと思ったんだけど・・・・・。あはは、
こりゃまた随分とでっかい猫だねぇ。」
それは困惑しているようで、でもどこか楽しそうで呑気な口調だった。


17 名前:空も飛べるはず 投稿日:2004/04/05(月) 23:38
私はこの状況とその言葉にただ唖然としていた。
でも不意にこのバカでお人好しの顔が見たくなって顔を上げた。
すると降り続いていたはずのいつの間にか雨は止んでいて、その人の
後ろには目が眩むような金色の太陽が輝いていた。



私にはそれが何だか神様の後輪のように見えた。



その人は軽く膝を曲げて視線を合わせると、当たり前のように
優しそうな微笑みを浮かべて言った。
「一緒にウチへ来るかい?」

私はその言葉を聞いてからまるで子どものように頷いた。
優しい顔して危険な奴はたくさんいるくらい分かってる。
でもその胡散くさい言葉になぜだか自然と頷いている自分がいた。


それはきっとこの人が天使に見えたから。


まだ親が親だった頃、童話や絵本で見せてくれた絵を思い出した。
それは白くて純粋で誰にでも優しくて真っ直ぐというイメージ。
目の前のこの人はあまりにそれに当っていて、だからその姿に
自分の思う天使の姿を重ねたのだと思う。

それは今の自分とは真逆で一番遠い存在。
でもだからこそこの人なら私を救ってくれるような気がした。
神様なんて曖昧なものは期待しないけど、目の前にいる天使には
非現実的なことも叶えてくれる淡い期待を抱いた。



だから私に伸ばされた白い小さな手を静かに掴んだ。



18 名前:空も飛べるはず 投稿日:2004/04/05(月) 23:39


こうして私は彼女と知り合い、それから成り行きで一緒に暮し始める。
でもそれは今からもう5年も前の話。
そのとき私はまだ16で、彼女は21だった。



19 名前:空も飛べるはず 投稿日:2004/04/05(月) 23:42
その人の家は公園から歩いて多分10分とかからなかった。
高級マンションというほどの外見ではないが、今いる現在地から
考えると家賃は相当するはずだ。

玄関の表札には一人の名前しか表記されてないことから推測して、
どうやら彼女は一人暮しをしているらしい。
または結婚しているという可能性も考えられるけど、そこまでお人好し
なら病院へ行くことを勧めたい。


そして喜ぶべきか家に入ると他者がいる形跡はなかった。


同居人が出迎いにも来ないし、他者らしい靴も見当たらない、
また恋人とのツーショット写真も置いてなかった。
どうやら普通に一人暮しをしているらしい。

そんな彼女の詮索は一時置いといて、私は服や髪が濡れていたので
すぐに脱衣場へと強制的に連れていかれた。
そしてお風呂を沸かすには時間がかかるというので、手短かで済む
シャワーを借りることになった。

何にしても私には入れるだけで有り難かった。
シャワーを浴びるとさっきまでの寒さが嘘のように消えていく。
でも長居するのも悪いと思い髪だけ洗って出た、すると脱衣場には
彼女が用意してくれた服が置いてあった。

脱いだ自分の服は洗濯でもされたのかその場にはない。
そんなわけで着るものがないから仕方なく用意された服を着た。
にしても見知らぬ他人だというのに、ここまで世話する精神には
少し頭を下げたくなる。


でも絶対に詐欺に引っ掛かるタイプなのは間違いない。

20 名前:空も飛べるはず 投稿日:2004/04/05(月) 23:45
それに親切は確かに有り難いけれど私は本気で信用していなかった。
だって上手い話には裏かまたは鋭いトゲがある、それはいつの時代
でも通用する言葉だから。


でも嬉しそうな彼女の顔を見ると疑っている自分に罪悪感が募る。


「その服よく似合ってるべさ。」
彼女は上から下まで舐めるように眺めると、満足そうな顔をして
何度も頷きながら言った。

でも私の今の服装は上に灰色のTシャツに下には紺色に赤い3本線の
入ったジャージ。
そんな格好で似合うと言われても何だか素直に喜べなかった。

でもいつもなら冷たく素っ気無い態度で言葉を返すはずのに、
そのときの私はなぜか躊躇ってしまった。

「・・・・・ありがとうございます。」
とその場を上手く流すために抑揚のない声でお礼を言った。

こんな風に私が人に気を遣うなんて滅多にしないことだった。
他人を疑い、嘘を吐き、決して信用しない、これは社会で生きていく
為のルールだと上京してからずっと信じていた。

だから上っ面だけで人を気遣うことは何度かあっても、何の得もない
のにしたのは今日が初めてだった。
他人は利用するためだけに存在しているのだと思っていた。

でも彼女は今まで出会ってきた奴らとは根本的に違う。
具体的にはこの無知な頭では言えないけれど、本能的にそう感じた。


だからいつもとは違う態度を取ったのかもしれない。

21 名前:空も飛べるはず 投稿日:2004/04/05(月) 23:49
「じゃぁご飯にするべさ!お腹空いてるっしょ?」
彼女は質問しながら答えを聞かずに勝手に納得すると、軽く手を
叩いてから立ち上がって台所へと行ってしまった。

そして一人見知らぬ部屋に残された私には何もすることがなかった。
手持ち無沙汰のまま仕方なくカーペットの敷かれた床に座り、
ご飯ができるのを彼女の後ろ姿を見ながら待っていた。


それからすぐに包丁が小刻みに何かを切る音が聞こえてきた。


「そういえば名前なんていうの?確かまだ聞いてないよねぇ?」
彼女は器用にも作業を続けながら背を向けて問いかけてくる。

「・・・・・ケイ。保田圭です。」
私は少し考え込んだ末に素直に自分の本名を教えた。
一瞬偽名で答えようと思ったけど、そこまでする意味もないと
考え直した。

「ケイ?へぇ〜、いい名前だねぇ。すごく似合ってると思うよ?」
彼女は無邪気に笑みが想像できるような弾んだ声で言った。

「ありがとうございます。」
私は感情のこもっていない冷たい声でそれに返答した。

22 名前:空も飛べるはず 投稿日:2004/04/05(月) 23:52
この名前に黒い過去があることを当然彼女は知らない、
それは当たり前のことなのに何だかひどく腹立たしく思えた。


「ナッチはさ、安倍なつみっていうんだよ。」
彼女は聞いてないのに嬉しそうに自分の名前と愛称まで教えてくれた。

「ふん・・・・・ナッチか。」
私は軽く鼻で笑うと抑揚のない声で彼女の名前を呟いた。


きっとこの呟きは聞こえてない。
だけど初めから聞かせるつもりなんてなかった。
愛称を呼ぶ気なんてないし、馴れ合うつもりも毛頭なかった。


23 名前:空も飛べるはず 投稿日:2004/04/05(月) 23:54


それから20分くらいして今日の夕御飯は完成した。


「ほい、お待たせ。」
嬉しそうな声と共に料理を両手に持って彼女はやって来た。

見たところ豪華という感じは全くなく、何の変哲もない普通の素朴な
家庭料理のようだった。
でも香ばしい匂いと空腹も手伝ってそれは美味しそうに見えた。

湯気が立ち昇ってるところがまた食欲を誘う。
本当はすぐにでも手を伸ばしたかったけれど、彼女が座るまで手は
膝の上に置いておいた。
これでも昔の躾が厳しかったせいで最低限の礼儀は弁えている。

そして最後に飲み物をテーブルに置くと、彼女は私の様子を見て
急におかしそうに吹き出した。
「ぷっ!あっははは・・・・・いやぁ〜、ケイちゃんって意外に
律儀だね。ナッチなんか待たずに食べてて全然いいのに。」
そうして1人で楽しそうに笑いながら向かい側に腰を下ろす。

「別に律儀じゃないですよ。ただ全員が揃うまで先に手をつけては
いけないって親に教わりましたから。」
私は変な誤解をされると困るので淡々とした口調ながら反論した。

でもその言い付けを守ったことは殆どなかった。
今まで会った他の奴に対してもここまでしたことはない。
なのにこの人には礼儀良く接しているのは自分でも不思議だった。

24 名前:空も飛べるはず 投稿日:2004/04/05(月) 23:57
「へぇ〜、結構教養があるんだね。それよりさっきから敬語使ってる
けど別にいいからね?何か苦手だからさ、そういう堅苦しいし。
だって年いくつなの?そんなになっちと変わらないっしょ?」
彼女は少し感心したように感嘆の声を上げてから、まるでお酒が入って
いるかのように饒舌に話し出した。


はっきり言ってこういう人が一番苦手だった。
色々質問されるのは煩わしいし、たくさん話すのも面倒で嫌だ、
それに何より自分の中に勝手に踏み込んでくる感じが嫌だった。


「年は今年で16歳です。」
私は一切余計のことは言わずに要点を押さえて簡潔に答えた。

「16?ひゃぁ〜!ってことはナッチと5つも違うんかい?見た目が
すごく落ち着いてるからもう少し上かと思ってたよ!」
彼女は目を見開いて大げさに驚くと少し興奮した様子で言った。

でもこっちの驚きだって十分に大きかった。
確かに年上だとは思っていたけれど、まさか5歳も上とは予想外だった。
顔が童顔だしそれに似合って行動も幼い感じがしたから。

でも5つも違うと言うことは彼女は現在21歳ということになる。
その事実に久しぶりに本気で驚いてしまった。

25 名前:空も飛べるはず 投稿日:2004/04/06(火) 00:00
「いやぁ、5歳も違うってのには本当に驚いたね。でも敬語とかは
使わなくていいからね?変に気を遣われるのは嫌だしさ。」
彼女はまだ少し興奮の余韻を残しながらも、最後に諭すように
優しく笑う。

「分かりました、なるべく直すようにします。」
私は軽くため息を吐き出すと一応納得したように頷いて見せた。

でもそう言いながら直す気は全くなかった。
別に拾われた恩とか、上下関係に対する礼儀とかそういうのではない。
ただ敬語を使わないと距離が縮まるように思えたから。

きっと今の彼女は私の最終防衛ライン付近にいる、だからこれ以上
先に踏み込まれない為に考え出した防御壁だった。

「あっははは、早速敬語使ってるべさ。ケイちゃんって意外に
ボケてるって言われるしょ?」
彼女は腹を抱えながら本当に面白そうに大声で笑った。


でもその無邪気な笑顔を見ていたら、私のこの防衛壁さえも意味も
なく崩れてしまうような気がした。


26 名前:空も飛べるはず 投稿日:2004/04/06(火) 00:03
次の日の朝、私は柔らかい感触を唇に感じて目を覚ました。
「随分と良いサービスだね」と内心皮肉なことを思いつつ、私は
長いため息を吐き出すとゆっくりと上半身を起こした。

彼女は仕掛けた悪戯が見事に決まって喜ぶ子どものように笑っていた。
キスされたというのは例え寝起きでも感覚で何となく分かった。
けれど私は特に咎めるという気にはなれなかった。


別に問い詰めて何を知りたいわけでもない、でも一番の理由は朝から
そんな気力と体力がなかっただけだ。


「いやぁ・・・・キスしちゃったよ。」
彼女は自分でしていながら恥ずかしそうに顔を赤く染めて言った。
私はただもう呆れるしかなくて深いため息を吐き出す。

けれど彼女はそれを怒った意思表示だと勘違いしたらしく、とても
慌てた様子ですぐに手を合わせて謝ってきた。
「ご、ごめん!怒った?怒った?絶対怒ったよね?今のはちょっと
した遊び心でさ、本当にゴメン!」

私は短い髪を乱暴に掻くと先程よりも深くて長いため息を吐いた。
「別に気にしてないですから。」
そして宥めるような感じでできるだけ柔らかい口調で言った。

たかがキスぐらいで恥ずかしがるような心は持ち合わせてない。
「キスなんて誰とでもしましたよ、形式だけのものなら飽きるほど。」
という言葉が続いて出そうになったけど、この場で言うのに相応しく
ないので飲み込んだ。

27 名前:空も飛べるはず 投稿日:2004/04/06(火) 00:06
「本当?ウソとかついてない?」
彼女はそれでも不安そうな顔をしてこちらの様子を伺っている。

「嘘なんてつきませんよ、それにキスしたぐらいで怒ったって
仕方ないですし。」
私は頬を掻きながら少し困ったような微笑みを浮かべて答えた。


それは日常茶飯事で使っている得意の作り笑いだった。
でもそれで彼女が茶番劇を終わらせてくれるなら、こんなことは
私にとって造作もない。



「良かった〜。あっ!言っとくけど誰にでもするわけじゃないからね?
それにまた敬語使ってるべさ、昨日禁止って言ったしょ?」
彼女は胸をなで下ろして安堵のため息を吐き出すと、すぐに子ども
みたいな言い訳を一気に捲し立ててきた。

未だにこの人が自分より年上なんて信じられない。
これで5歳も上というのだから人間は本当に不思議な生き物だと思う。

「そういうことにしておきま・・・・・くよ。」
私は敬語をタメ口に言い直してから適当に話を聞き流した。

それから洗面所に行くためにベットから降りると、彼女が背後で
何気なく呟いた言葉が聞こえてきた。
「ケイちゃんって何か悲しそうな瞳をしてるよね。」
なぜかそのたった一言を言われた途端に私の頭は一気に血が上った。


まるでそれが禁断の呪文だったかのように。


28 名前:空も飛べるはず 投稿日:2004/04/06(火) 00:07
「何も知らないくせに分かったこと言うな!」
勢い良く後ろに振り向って怒鳴りつけると、彼女の襟元を引っ張る
ように掴かんでベットが軋むほど乱暴に押し倒した。

私のことを何一つ知らないくせに理解したようなことを口走る。
その無神経さと鈍感さが何だかとても癪に触った。
でもすぐ我に返ると慌てて襟元から手を離して彼女と距離を置いた。


そうして当然のように二人の間に沈黙が訪れた。



「・・・・何も知らないのに変なこと言ってゴメン。」
けれど彼女は怒ることも怯えることもなく、こちらの顔を覗き込むと
至って普通に謝ってきた。

「いえ、私の方こそどうかしてました。」
私は軽く鼻で笑うと自嘲気味な口元を歪めて髪を掻き上げた。

たった一言であんなに取り乱すなんて自分でも今のはどうかしてると思う。
いつも人の話を聞き流している私を思えば有り得ない事だった。
今まで他人には何の関心も抱かなかった。


興味ない奴等の戯言に心を揺り動かされるはずがなかった。


29 名前:空も飛べるはず 投稿日:2004/04/06(火) 00:10
彼女は軽くため息を吐き出すと突然吹っ切れたように話し出した。
「ケイちゃんに初めて会ったときさ・・・・・まるでナイフみたいな
人だと思った。目に映るもの全て鋭く切り裂いてしまうような、
そんな感じがした。」
彼女は子どもに言い聞かせるような優しい声で諭すと、私の頬に何の
躊躇もすることなく平然と手を伸ばして触れた。


そのときいつも込み上げてくるはずの嫌悪感はなかった。


私はあまり人に触られるのが好きではなかった。
自分は平気で触れるくせに相手には触らせないなんて、随分と勝手な
言い分だということは分かっている。

でも何だか心を覗かれるような気がして嫌だった。
私は自分の心は誰にも見せないと決めていた、だって誰も受け入れて
くれる人なんてはいないから。
他人なんて信用するだけムダだと幼い頃に既に悟っている。

「でもさ、その瞳の奥はすごく寂しげでさ、深い悲しみで満ちてる
ような気がしてさ、だからナッチは放っておけなかったんだべ。」
彼女特有の訛った言葉は相変わらず波のように揺れていて、そうして
静かに私の心の中へと溶けるように入ってくる。


そして初めて会ったとき同じ天使の微笑みを浮かべた。


30 名前:空も飛べるはず 投稿日:2004/04/06(火) 00:12
それはまるで太陽みたいに温かくて輝いていた。
でもその笑顔を見て確信を持った、私と彼女は生きる次元の違う
人間なのだと。


なのにこちらへ向かって手を伸ばそうとするのが不思議だった。
私のことを簡単に見透かしていて、それでも恐れずに平然と触れる。
でもこの心には誰も触れさせるわけにはいかない。
そう誓ったはずなのに彼女の侵入を容易く許してしまう自分がいる。

だからいつか心を奪われてしまうのかもしれない。
嬉しそうに笑いながら私の髪を優しく撫でている彼女を見ていたら、
不意にそんな予感がして体が少しだけ硬直した。



まるで未来にそうなることを暗示している、そんな気がした。



31 名前:空も飛べるはず 投稿日:2004/04/06(火) 00:15



32 名前:空も飛べるはず 投稿日:2004/04/06(火) 00:15




33 名前:空も飛べるはず 投稿日:2004/04/06(火) 00:16


一応レス隠し

34 名前:つみ 投稿日:2004/04/06(火) 12:07
続編おつかれさまです!
圭ちゃんの過去のやつですよね〜・・・
楽しみにしてます!
35 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/08(土) 00:17
遅ればせながら発見しました。
痛めみたいだけど期待してますヨ。
36 名前:弦崎あるい 投稿日:2004/05/27(木) 22:18
>つみさん 前のときもレスくれましたよね?
月に一回更新できるかできないのかなので、気長に待っていて下さい。

>名無し飼育さん 見てくれてありがとうございます。
期待に添えるくらいかなり痛い話になっていくと思います。


37 名前:空も飛べるはず 投稿日:2004/05/27(木) 22:21
二人が共同生活を初めてから2週間が経った。
私は相変わらず働かずただ部屋に居座っていて、彼女の帰ってくるのを
待っているという堕落した生活を送っていた。


いわゆる世間一般で言うところのヒモ状態になっていた。


でも彼女は文句の一つも言わず太陽みたいな笑顔で接してくれる。
やはり異常なくらいお人好しらしい。
また私達は肉体関係を持つこともなくその気配すらなかった。

拾われたという事実からしてそっちの趣味ではないかと邪推もした。
またそういう状況になっても受け入れる覚悟もしていた。
抱かれることには慣れているし、女性との経験がないわけでもない。

一泊の料金とすれば安いものだと思っていた。
でも実際はキスされるくらいで極めて健全な日々の生活を送っていた。
それに彼女が私にするキスというのも、幼いマセた女の子が父親に
するような類の行為だと勝手に分析している。

何にしてもこちらに恋愛感情があるとは到底思えなかった。
つまり私を拾ってくれたのは純真な人助けの精神からきてるようで、
勘繰るほど彼女に後ろめたい理由はないことが判明した。

でも人を拾うという時点で人道的に問題があるような気もする。
とにかく私達は普通に同居人という関係だった、といっても多少甘い
新婚夫婦のみたいなところがあるけれど。


38 名前:空も飛べるはず 投稿日:2004/05/27(木) 22:23
そして二人が起きるのはいつもお昼過ぎだった。


彼女は起きると一番初めにコーヒーメーカで朝の一杯を入れてくれる。
それにミルクを少しだけ入れて私が飲んでいる間に、髪を梳かしたり
軽く化粧をして簡単に身仕度を整える。

それから急いで台所に立って手早く遅い朝食を作ってくれる。
「簡単でゴメンね」と彼女はいつも謝るけれど、あんな美味しい朝食に
文句をつける奴なんて誰もいないと思った。

そして二人で談笑しながら遅い朝食を取る。
それが済むと彼女は休むことなく掃除や洗濯などの家事に取りかかる。
私は特にやることがないので椅子に座ってテレビを見ているだけ。


何もしないで済む生活は本当に楽だった。


私が唯一自主的にやることは今のところ一つしかない。
全ての作業が終わって少し疲れ顔の彼女にカフェオレを作ること。
そのキッカケはたまたま冷蔵庫に牛乳とコーヒーが少し余っていた
ので試しに作ってみた。

さすがに毎日何もせずにいるのは良心が少し痛む。
大したことではないけどそれでも自分なりに精一杯の気遣いだった。
でもそんな些細なことなのに彼女はとても喜んでくれた。

子どもが初めて手料理を作ってくれた親の心境なのかもしれない。
どんな心境にしても他人が笑ってくれるのが何だか嬉しくて、私は
バカの一つ覚えみたいに毎朝作った。


だから今は当たり前のように二人分のカフェオレを手早く作る。
そうして彼女が出掛ける前の一時の会話を楽しむ。

39 名前:空も飛べるはず 投稿日:2004/05/27(木) 22:26
「はぁ〜、疲れたぁ。専業主婦の人って偉いよ、これを毎日やって
るんだもん。」
彼女は作業を終えると椅子に腰を下ろして項垂れながら溜め息を吐く。

「そのセリフそのままそっちに返すよ。」
私は台所でカフェオレを注ぎながら何気ない口調で言葉を返した。

「えっ!なっちは全然エラくないって!だって適当に手抜いてるし。」
すると彼女は勢い良く首を横に振ると照れた様子で謙遜した。

「ふ〜ん。はい、出来たよ。」
私はそれを軽く受け流すとテーブルにカフェオレを置いて自分の席に着く。

「ありがと・・・・・ぷはぁ〜、何か生き返るって感じだね。」
彼女は喉が乾いていたらしくカフェオレを一気に半分くらい飲み干すと、
顔に似合わずオヤジ臭いこと感想を言った。

「今日も帰り遅いの?」
私は一口だけ飲むと話題の一つとして本日の帰宅時間を聞いた。

「う〜ん、どうだろう?でもなるべく早く帰るようにするよ、
寂しがり屋の圭ちゃんの為に。」
彼女は自分で恥ずかしいことを言っておいて勝手に照れている。

「まぁ、お腹が空くから早めのご帰宅を期待してるよ。」
そんな様子を見ながら私は溜め息混じりの呆れた口調で答えた。


そんなたわいもない会話がまた続いて、気がつくと窓の外は夕暮れ色に染まっていた。


「あっ、もうそろそろ出ないとヤバいかも。」
彼女は壁掛け時計を見ると椅子から立ち上がり慌ただしく準備する。
整うとすぐに玄関に駆け込むようにして向かうので、私はゆっくりと
椅子から立ち上がりその後を追う。

「それじゃなるべく早く帰るようにするから。」
彼女は乱暴に足を靴に滑り込ませると顔を上げて柔らかな笑顔で言った。
そしていい加減慣れたけれど子ども扱いして頭を軽く撫でられる。

「まぁ、頑張ってきてよ。」
私は少し気恥ずかしそうに笑いながら一応労いの言葉を掛けた。


そして彼女は満足そうに頷いて仕事現場へと意気揚々と向かっていった。


40 名前:空も飛べるはず 投稿日:2004/05/27(木) 22:30
彼女の出て行った家はとても広くていつも持て余していた。
もう2週間も経つから自分が欲しい物がある場所くらいは何となく
分かる。

それに夕ご飯は彼女が作り置きしてくれるから不自由はない。
この頃は密かにその夜に食べるご飯の献立が楽しみだったりもする。
テレビを長柄で見ているか眠っていれば予想以上に時間は潰れる。


そうして彼女が帰ってくるのをただ待っている。


でも大体帰ってくるのはいつも深夜番組を見ている時間だった。
ドア越しに音がすると私はソファーで横になっていた体を起こし、
軽くため息を吐き出してから玄関までお出迎えに行く。

面倒くさいと思うけれど慣れてくるとこれも普通になった。
初めは部屋で待っていたんだけど、彼女に「犬みたいに出迎えて」と
言われたからずっと今みたいにしている。
「犬みたい」というのが少し気に触ったけど何も言わなかった。

「ただいま〜。」
彼女はドアを開けると同時ぐらいに私に抱きつき、そして嬉しそうに
笑いながら耳元で安心したような声で言った。

それから強引に頭を引き寄せられて首筋に顔を埋めさせられた。
でも彼女の微かに匂う石鹸のような香りと温かさに少しだけ心が和む。
初めはこれも戸惑ったけどもう10回くらいされたので慣れた。

「寂しくなかった?怖くなかった?知らない人が来てもドア開けたり
してなかった?」
彼女は本気で心配そうな顔して覗き込んでくると次々と質問する。
でもそれはどれも私の年齢に聞くべき言葉ではないと思う。


41 名前:空も飛べるはず 投稿日:2004/05/27(木) 22:35
「はぁ・・・・・子どもじゃないから、大丈夫。」
言葉の代わりに長いため息を吐き出すと抱きつかれた体を離した。

「なっちからしたら圭ちゃんはまだ子どもなの。まぁいいや、
それよりおみやげ買ってきたんだ、見て見て!ファミコン!」
それから彼女は少し不貞腐れた顔で窘められる、でも一転変わって
今度は目を輝かせると持っていた袋からみやげ物を取り出した。


それは大抵の人が知っている数十年題前に流行った家庭用ゲーム機で、
今は完全に市場から外れている物だった。


「せめてそれにスーパーをつけてほしいんですけど・・・・・。」
私はしばらく言葉に詰まってから頬を掻きながら遠回しに言った。
でも本当は少し前に販売されたプレイステーションが欲しかった。

「あ、ゴメンね?今度はそれ買ってくるから。」
彼女は軽く謝ってから新しいお土産を買う予定ができて嬉しそうに
笑っている。

「それもあんまりいらないかな。っていうかプレステはダメなの?」
私はせっかく喜んでいるところを悪いと思いながらも速攻で水を差す。

「ないよ、だってなっちはプレステ嫌いだもん。」
すると競ったわけじゃないだろうけど彼女は平然と即答する。

「なんで?」
私はその言葉の真意が全く分からなくて聞き返した。

「何だろう?機械ぽっいから?冷たい感じが嫌いなのかも。」
彼女は問いに眉を額に寄せて考え込むと少し躊躇してから答えた。

相変わらず抽象的な表現をよく使う人だなぁと思った。
今に始まったことたではないけれど、時々彼女の言っている言葉は
理解不能になる。

42 名前:空も飛べるはず 投稿日:2004/05/27(木) 22:40
「いや、ファミコンも普通に機械ですから。」
私はつい敬語になりながらとても自然な流れで突っ込みを入れる。

「それはそうなんだけどさ・・・・・何かちょっと温かくない?
う〜ん、まぁ、上手く言えないからそんな感じで。」
彼女は焦れったそうに床を足で叩くと不意に答えを出す、そして勝手に
1人で納得して割り切ってしまった。

明確な答えを教えてもらえない私の方がもどかしくなった。
「まぁ、別にこれはこれで面白そうだからいいよ。それより今日は
いつもより帰りが早いんだね。」
だけどこれ以上会話をするのが面倒だったので何気なく話を逸す。


でも彼女はその言葉を待ってましたとばかりに突然詰め寄ってくる。
こういうときは大抵話が長くなる、それはこの2週間の暮らしの間で
得た知識の一つだ。


「そう!ちょっと圭ちゃん聞いてよ〜。まずなっちはこう現場で
待ってたわけ、でもいつもまで経っても連絡こなくってさぁ、そんで
今ってすごい寒いっしょ?もう少し半泣き状態だったんだけども、
で、それでも待ってたらようやく連絡がきたわけさ!
だけどそれでいきなり「帰れ」だよ?急に予定が変わったんだって。
でもこっちはずっと待ってたわけっしょ?もうっ!人を一体何だと
思ってるのって感じたべ!?」

彼女は話し出すと止まらなくなるときがある、というかただ一つの話に
背景や心情が混じって長いだけだった。

でも一瞬で色々と変わっていく様々な表情、たかが愚痴になぜか
すごく真剣な眼差し、身振り手振りしてその場を表現したりする。
話はあんまり面白いとは思わないけれど彼女自身はとても面白い。


だから基本的に他人の話や長い話は無視していた私なのに、長くても
ずっと聞いていられるのかもしれない。


43 名前:空も飛べるはず 投稿日:2004/05/27(木) 22:42
長い時間を潰す方法を私はたくさん持っている。
あれから結局プレステも買ってもらったし、その他にパソコンや巷で
話題になってる本など、明らかに供給が自給より上回っていた。


でもどんななに物を与えられても空間の密度だけは埋まらない。
彼女の重さを何かで代用することはできない。
だから物静かな部屋でたまにどう過ごしてしていいか分からなくなる。


私はとりあえずコーヒーを入れるとソファーに座って一息つく。
「さてと、これからどうすっかな。」
と軽く頭を掻きながら白い天井をぼんやりと見つめて一人呟いた。

本当にこれから何をしようか分からず困っていた。
でも少し前までは一人でいるのが当たり前だったのに、今更こんな
ことを思う自分にたまに少し呆れる。

だけど誰と一緒にいてもずっと一人でいるのと同じだった。
なのに彼女といると温かくて何だか癒されてるような気さえする。
私はぬるま湯に浸りすぎてその心地よさから抜け出せない。


ただ彼女には何かしら裏があるような気がしていた。

44 名前:空も飛べるはず 投稿日:2004/05/27(木) 22:45
私は軽く息を吹きかけてコーヒーを冷まして口にする、それはお湯が
少なかったらしく顔を顰めるほど苦かった。


彼女は一応仕事はしているけれど出掛けるのは大体夕方だった。
帰ってくる時間は決まってないが大抵は深夜かたまに朝帰りもある。
この時点でOLや事務系の仕事というのは考えにくい。

でも居酒屋など朝方まで営業している店で働いているとも考えられる。
けれど今度はそう考えても彼女はあまりに羽振りが良すぎる。


私は不意に窓の方へと首を向けてみると遠くに小高いビル群が見えた。
繁華街から少し歩くけど新宿の高層マンションで、おまけに一人暮し
なのになぜか無駄に2LDKはある。

東京の中心的な所だから場所柄を考えても家賃が安いはずない。
何かの悪条件があって家賃が安いかのと思ったけど不便なところは
一つもない。

お風呂とトイレは別でまして大きいし、日当たりも高いところに
立てられているので抜群に良い、近隣も繁華街から離れているせいか
とても静かな所だった。

そんな部屋だから悪いところは全く見当たらない。
そして彼女はここに住みながら他人を一人平然と養い、さらにヒマを
持て余す私に色々な物を与えてくれた。


それはどう考えも金が有り余っているとしか思えない程に。


45 名前:空も飛べるはず 投稿日:2004/05/27(木) 22:51
改めて私は部屋を見回してみるとそこはお土産品で溢れている状況だった。
だからおかげで彼女のいない時間に暇を感じることはなくなった。
でも今更ながら彼女の年齢から考えればお金の待ち合わせの辻褄が合わない。

水商売かそれとも何か非合法な仕事でもしてるのかもしれない。
でも想像してみても彼女には全く似合わなくて、失礼だけど私は噴き出して
笑ってしまった。


だけど何の仕事をしてたって本当は構わない。
それにヒモ状態の自分が道徳的なことを言っても説得力なんて皆無だ。
今はただ一緒に暮らしていければそれでいいと思っている。

こんなに人に懐くなんて自分でも未だに信じられないけれど、心を開きかけて
いるのは間違いのない事実だった。
それはきっと今まで会ったことのない種類の人間だからかもしれない。

だって彼女だけが私に手を差し伸べてくれて、まっすぐ目を見てちゃんと話を
聞いてくれて、包み込むように優しく抱きしめてくれた。
だから例え世間から外れた非道な人間であっても彼女は今も天使に見える。


ふと考えがあまりにも飛躍し過ぎたなと私は一人で苦笑いすると、さっき入れた
濃すぎるコーヒーを口に運んだ。
けれどそれは余程時間が経っていたのか既に冷たくなっていた。


46 名前:弦崎あるい 投稿日:2004/05/27(木) 22:52



47 名前:弦崎あるい 投稿日:2004/05/27(木) 22:53



48 名前:弦崎あるい 投稿日:2004/05/27(木) 22:55


注意 最後にコピぺでミスって見にくくなってます。

49 名前:つみ 投稿日:2004/05/27(木) 23:11
更新お疲れ様です!
まってました!
やすなちが楽しみでつい覗いたら・・・
それにしてもなちさんの仕事って・・・
やはりあれに何かつながりがあるんでしょうか・・?
月イチでも待ってます!
50 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/29(土) 20:37
同じくお疲れ様です。
一見幸せそうに見える中、伏線がちらほらと・・・
51 名前:弦崎あるい 投稿日:2004/08/18(水) 22:33
>つみさん 言いそびれただけなんですが、このやすなち編は保田さんの
過去ってだけで、矢口さんの話とは全く繋がってないです。
1ヶ月どころか気がつけば3ケ月も放置していて、もし更新を期待されて
いたならスイマセンでした。


>名無し飼育さん 伏線張ってるんですかね?
一応最後までの流れが頭の中にあるだけで実はあんまり考えてないです。
ただ安倍さんの仕事はちょっと訳ありなのでそこは隠してます。

52 名前:弦崎あるい 投稿日:2004/08/18(水) 22:43
「ん・・・・。」
微かに物音がした気がして私はベットから上半身を起こした。

カーテンから淡い光が少しだけ漏れていて、その光に目を細めると
擦ってから部屋にある時計を見る。
そしてまだ3時半なのが見間違いであることを祈った。

あまりに彼女の帰りが遅いので昨日は一人でベットに入った。
でも昨日といっても既に12時を過ぎていたから実際に寝たのは
今日ということになる。
睡眠時間確保の為に寝ようとしたけれど、何だか完全に目が覚めて
しまって溜め息を吐くと私はベットから抜け出した。

でもリビングに行ってみると彼女の姿はなく部屋は薄暗いまま。
さっきの物音は気のせいかとも思ったけれど、すぐに自分の耳が
正しかったことを確信する。

ベランダの窓が少しだけ開いていて黄色のカーテンが靡いている。
どうやらまだコートが手放せない季節だというなのに、なぜだか
彼女は外に出ているらしい。
相変わらず意図の分からない行動に一端は寝室に戻ろうと思ったが、
1人苦笑い浮かべると頭を掻きながらベランダへと向かった。


53 名前:空も飛べるはず 投稿日:2004/08/18(水) 22:45
窓を開けてすぐに目に飛び込んできたのは淡い紫色に染まった街。


眠らない街や不夜城などとよく言われるけれど、私には今この街が
眠っているとしか思えなかった。
見渡す限りの人々と顔を顰めるくらいの音に溢れてたことが信じられない。
街は恐ろしいくらい静かで聳え立つ高層ビル群が少し無気味に見えた。


それは私の知らない街だった。


彼女は防犯フェンスの縁に肘を置いて眠っている街並を見つめていた。
でもその口には平然と煙草がくわえられていて、紫色に染まった一筋の
煙が薄暗い空へとゆっくり昇っていく。
彼女の細まった瞳はここではないどこか遠くを見つめていた。

童顔で精神年齢が低くて幼い、見慣れたいつもの性質は完全に潜めていた。
目の前にいるのは21歳かそれ以上の年の私の知らない女性だった。
そんなとき不意に微風が吹いて彼女の髪を揺らす、そして煙草の煙が乱されて
私の鼻を掠めて流れていく。


それはお酒が入ってるチョコレートみたいな甘ったるい匂いだった。

54 名前:空も飛べるはず 投稿日:2004/08/18(水) 22:47
「へっ?・・・・・ちょ、ちょっと待った!窓を開けるときはノックしてよ!」
彼女は私と目が合うと一瞬にして固まって、それから硬直が解けるまでに
しばらくの時間を要した。
そして煙草を吸ってるのが見つかった中学生のように急に慌て出した。

それは私の知っているいつもの彼女だった。
でもかなり動揺していたらしく煙草の灰が自分の掌に落してしまう。
「熱っ!あぁ、もうっ!圭ちゃんのせいで火傷したぁ〜。」
彼女は掌に息を吹きかけながら軽く睨むと無茶苦茶な理論で責め立てる。
でも初めの台詞の「ベランダの窓を開けるときにノックしてよ」というところ
から既に意味不明だ。


「火傷までこっちのせいなの?」
深い溜め息を吐き出すと呆れた口調で無駄と知りながらも反論した。
だって何が起こっても大概のことはみんな私のせいになる。

「うん、圭ちゃんのせい。」
彼女は軽く頷くと本当に子どもに見える無邪気な笑顔で答える。
でもここまで思いきり断言されると逆に腹を立てることがなかった。

「はいはい、火傷させてすいませんでしたね。」
私はもう慣れていることなので軽く受け流すと自分の非を認めて謝った。

「ち、違うって!圭ちゃんのせいじゃないべさ!」
けれど彼女はいつもこちらが謝るとそれを焦りながら否定する。

「っうか、タバコって何吸ってるの?」
これ以上は押し問答になることを知っているので私はわざと話を逸らした。

「えっ?いや、その・・・・アーク・ロイヤル・スイートだったりして。」
彼女は気まずそうな顔になって言葉を少し濁してから言った。
どうやらあまり触れられたくない話題だったらしい。

「それって結構強いよね?まっ、吸ったことないからあんま知らないけど。」
私は床に落ちている煙草の吸殻に見てから興味なさそうな口調で呟いた。

「う、うん、まぁね。」
彼女は無理矢理に笑っているのが分かるほど頬が引き釣っていた。
それから重たい空気によって二人の言葉は止められた。

55 名前:空も飛べるはず 投稿日:2004/08/18(水) 22:49
その重苦しい空気を出しているのは明らかに彼女だった。
私は元々話すのがそんなに好きじゃない人間なので平然と黙っていた。
そして彼女は思い詰めたような深刻な表情をして俯いている。

でも何を思ったのか突然顔を上げるといきなり少し早口で話し出す。
「へへっ、驚いた?というか驚くに決まってるよね?だってタバコ吸ってた
なんて意外だったでしょ?そういうのキャラじゃないってうかさ・・・・・・
キッカケは上京したてのときだから16のときかな?その、あの、あれだよ、
あのバイト先の先輩!そんときキャメルライトを勧められてさ、で、
なっちバカだからキャラメルライトかと思ったの!それで吸ったらありえない
くらいマズかったわけよ!でもそれからタバコの魅力っていうの?
何かハマっちゃってさ、それで今でも吸い続けてるって感じかな。」
そして一人漫才のような言葉の羅列が終わるとまた沈んだ顔して項垂れる。

私はどういう言葉を返していいか分からず黙っていた。
言うべきことはたくさんある気がするけど、どれも言うに値しない気もする。
にしても初心者にキャメルライトを勧める先輩はある意味すごい人だと思う。
それをキャラメルだと勘違いして吸った彼女も、とてもすごい人だと思った。
何にしてもこれで煙草を吸い続ける気になったのが一番すごい。

そんなくだらないことを内心思っていると、彼女がいきなり私の服の袖を
握り締めると強く引っ張った。
「なっちのこと・・・・・・キライになった?」
それから顔色を伺うような目をして弱々しく掠れた声で言った。

その瞳は親に嫌われるのを恐れる子どもそのもので、本当に純粋で今にも
壊れてしまいそうな綺麗さだったから少し見惚れた。
でもそれは自分にも身に覚えがあるせいか胸の奥が一気に熱くなった。



56 名前:空も飛べるはず 投稿日:2004/08/18(水) 22:53
「べ、別に。だって嫌いになる理由がないし。まぁ、男だとたまに女がタバコ
吸うのはイヤだとか、自分も吸ってるのにワガママな奴がいるけどさ。」
私は急に恥ずかしくなって顔を逸らしながら慰めるような言葉を掛けた。

「うん!なら、良かった。」
すると彼女は一転して太陽みたいな眩しい笑顔で大きく頷いた。
それから甘えるように私の肩口に頬を擦り寄せてから静かに頭を当てる。

「はいはい、そりゃ良かったねぇ・・・・。」
その行動に軽く溜め息を吐き出してから呆れた口調で呟いた。

本当にこういうときの彼女は子どもそのもので、さっきの大人の顔がまるで
錯覚だったような気さえする。
でもこの子どもぽっい笑顔を見ているほうが安堵を覚える。
それから私は無意識のうちに彼女の淡い茶色の髪を優しく撫でていた。

「えっ、はぁ?!何やってんの、自分?」
不意に我に返ると両手を離して上にあげながら今の自分の行動に混乱した。

でも彼女は何も言い返してこなくて沈黙の答えが返ってくる。
もしかして気に触ったのかと思って顔を覗いて見ると、私は深い溜め息を
吐き出して大きく項垂れた。

彼女は肩に持たれたまま寝息を立てて気持ち良さそうに眠っていた。
テレビとかでよくあるあまりにお約束な展開を目の当りにして、言葉もなく
ただ脱力してしまいしばらく頭を擡げられなかった。


57 名前:空も飛べるはず 投稿日:2004/08/18(水) 22:55
「全く、いい気なもんだよ。っうかこっちだって眠いちゃうの!」
私はその様子に段々腹立たしくなってわざと少し大きめの声で言った。
でもそれは無駄な抵抗だったらしく起きる様子は全然見られない。

このまま一人問答を続けるのもバカらしいので私は彼女を抱えて寝室に向かう。
そのとき何気なく街の方に視線を向けると、本来の色と喧噪を少しずつ戻そう
としているように感じられた。
けれど私達は正反対にこれから心地よい暗い眠りへと誘われる。

私は片手で彼女を支えながら窓を開けて部屋の中に入る、そしてカーテンを
閉めると微かな朝日のせいで暗さが和らいでしまう。
壁掛け時計は何度見直してももうすぐ4時になろうとしていた。
これから寝始めるから二人が起きるのはいつものようにお昼になりそうだ。
それは睡眠時間を確保の為でもあるけれど、この時間の世界は私には
とても明るすぎるから。


こういうとき自分は普通の人の生活とつくづく違うのだと思う。


58 名前:空も飛べるはず 投稿日:2004/08/18(水) 22:57




59 名前:空も飛べるはず 投稿日:2004/08/18(水) 22:57




60 名前:空も飛べるはず 投稿日:2004/08/18(水) 22:57




61 名前:50 投稿日:2004/09/02(木) 11:51
更新お疲れ様です。
まぁマターリ待たせてもらいますヨ♪
物語の方はじわりじわりと進んで行きますね。
景色の描写が上手く表現されていて心地よいです。
62 名前:弦崎あるい 投稿日:2004/10/14(木) 23:25
>名無し読者さん レスありがとうございます。
本当にまったり更新してますが、飽きずに見てくれて嬉しいです。
でもこの話は確かにゆっくり進んでいて長めに思えますが、結構
先は短かかったりします。

63 名前:空も飛べるはず 投稿日:2004/10/14(木) 23:30
私は肌触りが良い白いバスタオルを頭に乗せて乱暴に拭きながら
リビングに入る。
彼女は3人掛けの大きなソファーに座りながらテレビを見ていた。
それは場に合わない黒いサングラスをかけたおじさんが淡々と司会を
こなしているという、何とも妙な音楽番組で私も何回か見た事が
あった。

彼女はお手製のクッションを抱きしめながらそれを見つめている。
その姿は相変わらず子どもそのもので少し吹き出して密かに笑った。
それから私は冷蔵庫に向って中から買い溜めしてある炭酸飲料の缶を
取り出すと、彼女の方に向かって歩きながらプルタブを開けた。
炭酸特有の空気の抜ける音がして乾いた喉を潤すために一口飲もう
とする。


「立ち飲みなんて行儀悪いからやめなさい。」
とまるで親のように嗜める声が聞こえてきて私は思わず手を止める。
どうやらテレビが一段落着いたのか、前を向いていた首を捻って
顔がこちらを向いていた。

「そりゃ悪かったね、なっつぁん。」
私はタオルを肩にかけると反省する様子もなく飄々とした軽い調子で
答えた。


でもジャージにTシャツというラフな格好で片手には缶ジュース、
我ながら呆れる程この家に平然と馴染んでいるなと改めて思ったら
自然に苦笑が漏れた。
それに最近は彼女の事を勝手につけた愛称で呼ぶようになった。
でもそれも当然といえばそんな気もする、早いものでここにもう
3ケ月もお世話になっているのだから。
飽きやすい私がよくもこんなに居続けられるのが、自分のことながら
とても不思議だった。


64 名前:空も飛べるはず 投稿日:2004/10/14(木) 23:32
「絶対反省してないっしょ、その言い方は。まぁいいや、それより
随分上がるの早いね?まだ15分くらいしか経ってないよ?」
なっつあんは完全に後ろに体ごと向けると背もたれに両肘を乗せて、
こちらを見上げながら自ら話題を変えて話し掛けてくる。

「あぁ、何か面倒くさかったから今日はシャワーだけにした。」
それはいつもの事なので私は気にせず平然と振られた話に答える。
そしてお腹の辺りが痒かったからTシャツを捲って何気なく肌を
掻いた。

「ぷっ、あはははは!もうっ、圭ちゃんオヤジくさいから!!」
なっつあんはそれがツボにきたらしく手を叩いて笑いながら甲高い声で言った。
でも不意になぜか笑顔が消えて代わりに真顔でこちらを見つめてくる。


その視線を辿るとどうやら腹の辺りを見ていることが分かった。
それなら笑いが消えても仕方ないかと思って私は自嘲すると、自ら
服を軽く捲くし上げてヘソから腰まで連なっている傷を見せた。


65 名前:空も飛べるはず 投稿日:2004/10/14(木) 23:36
「これって傷、だよね?」
なっつあんは不安そうにこちらの顔色を伺いながら戸惑った声で
言った。

「引いた?まぁ、大抵の人は引くから別にいいんだけどさ。」
私は変に心配なんかされたくなくてわざと冗談を言うような感じで
明るく言葉を返した。
これを見た人は大抵本当に引いていたし、又は事情も知らないのに
同情するバカのどちらかだった。

なっつあんは微笑を浮かべると無言のまま静かに首を横に振る、
そして治そうとするかのように傷跡に手を当てて優しく擦る。
「今も痛いの?」
それから目を細めて微笑むと柔らかい声で聞いてきた。

「うんん、もうとっくに完治してるから痛くないよ。でもあんときは
ちょっと無茶しすぎてたなぁ。」
私は傷をつけた当時の事をふと思い出し思わず苦笑しながら答える。


私の存在全てを平然と無視する家族、まるで腫れ物にでも触るように
接する村人、恐れて遠巻きに見ながら悪口か良くない噂しか言わない
クラスメート。
あの頃は封鎖的で陰険なあの小さな世界の全てが私を苛つかせた。

だから毎日のように意味ないケンカをして、誰彼構わず人を傷つける
のが当たり前だった。
そうでもしないと胸に渦巻く黒い霧に呑み込まれてしまいそうで、
それである日ちょっとヤバい奴らに手を出してお返しにこの傷を
貰った。

この傷を見せると余計な心配といらない同情をされる、でもそれ以上に
自分の過去を晒しているみたいで嫌だった。
金の為に見知らぬ誰かにこの傷を見せる度、勝手に過去を詮索される
気がして一度だって良い気分にはなれなかった。


だから少しだけ心を許し始めている彼女に見せたくなかった。

66 名前:空も飛べるはず 投稿日:2004/10/14(木) 23:41
「じゃぁ、ここは?」
なっつあんはソファーの上に膝立ちになると静かに手を私の胸に
置いた、そして射ぬくような真っ直ぐな瞳とはっきりとした声で
言った。


でもそれに答える言葉が見つからなくてただ口を結んで視線を逸らす
ことしかできなかった。
すると微かに生温かい手が突然頭から耳を掠めてなぞるように頬に
辿り着き、自然に私はなっつあんの方に顔を向けて目を合わせた。

その瞳はとても悲しそうに見えた。
でもそれは同情や憐れみのせいではなくて、美化かもしれないけど
私の悲しみを吸い取った所為のように思えた。
そのとき飽きずにこの家にいる理由が何だか少し分かった気がした。


なっつあんは天使の微笑みを浮かべてから自分の頭を私の胸に軽く
押し当てる。
「今も痛いの?」
そして胸元で先程と同じ言葉を絞り出すように呟いた、それは少し
震えていて弱々しくて今にも泣きそうな声に聞こえた。

「さぁ、どうだろね?・・・・・・もう痛みを感知する場所なんて
とっくに壊れてるから分からないよ。」
私は軽く鼻で笑うと少しの間考え込んでから茶化すような軽い口調で
答えた。

それは皮肉を言ったわけではなくて本心だと思う、中学生くらいから
心を痛めた記憶が今に至るまでないから。
そんな繊細な部分は本当に幼かった頃に無くしてしまった。


でもそのとき壊れたはずの心が締めつけられて少し痛んだのも、
また事実だった。


67 名前:空も飛べるはず 投稿日:2004/10/14(木) 23:41



68 名前:空も飛べるはず 投稿日:2004/10/14(木) 23:41



69 名前:空も飛べるはず 投稿日:2004/10/14(木) 23:43
いつもより更新が少ないですが、訳あってこれが限界です。


70 名前:50 投稿日:2004/11/03(水) 11:15
切ないですねぇ。
そして先は結構短いと・・・。
いろいろ大変みたいですけど
無理しない程度に頑張って下さい。

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