Up In The Sky
- 1 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/26(月) 05:24
-
ー翼があれば空を飛べる 翼が無くても空を飛べるー
- 2 名前:-1- 投稿日:2004/04/26(月) 05:25
- なっちの夢って何?
うーん、保母さんになってたくさんの子供達と触れ合う事、かな
それってなっちらしいねぇ
そう?矢口の夢は?
パイロット!
スチュワーデスじゃなくて?
スチュワーデスもいいんだけど、やっぱ自分で運転したいじゃん?
なるほどー。かっくいいねー
もし飛行機運転できたら、絶対なっちを乗せて飛ぶから
そん時はよろしく
あー、空飛んでみたいなー
矢口ってさぁ、鳥になりたいとか思ってる?
・・・思ってる。子供みたいだって言いたいんでしょ?
そうじゃないよ。夢があって可愛いなぁって思ってるよ、ナデナデ
いつか、空飛びたい
- 3 名前:-1- 投稿日:2004/04/26(月) 05:27
- 夜のキャンパスは意外に人が多い。
数人で踊っている人がいたり、誰も聞いてる人はいないのにギターで弾き語っていたりする。
賑やかな夜のキャンパスを通り抜け、あの教室に向かっていた。
呼び出されたメールには、『あの教室に来てくれる?話したい事があるから』と書かれてあった。
あの教室、と言われてそれだけで分かるのだけれど、話したい事がある、という方に少し引っ掛かった。
夜にどこかに遊びに行こうと言ってもいつも断るのに、日が変わってからこんな連絡があるなんて、
こんな事は今まで一度も無い。
電話で話せばいいのに直接会いたいって事は、あまりいい予感はしない。
だって、本当ならもう寝てる時間のはずだから。
「北海道ではもうみんな寝る時間だから」とか言って、夜は全然相手してくれない訳だから。
うーんと唸りながら歩いていると、なつみと初めて会った場所、あの教室の前についていた。
教室は真っ暗だったが、外にある不良品の蛍光灯が微かに人影を照らしていた。
その姿を見て矢口は、考えていた事が全部吹っ飛んでしまった。
嫌な予感もその薄明かりから見えるその姿を見て、頭の中から一瞬にして消え去った。
- 4 名前:-1- 投稿日:2004/04/26(月) 05:29
- 「なっち!先来てたんだ!ごめん、遅刻しちゃったかな?」
目を凝らして腕時計を見ると、丁度待ち合わせの時間だった。
「ううん。全然大丈夫だよ。ごめんね、こんな時間に」
「ヤグチは夜大丈夫なんだって。で、どうしたの?」
「うん。あのね・・・」
「なっち?」
微かに見えるなつみは、物を言いにくそうに俯いている。
いつも笑っている人が沈んでいるのを見ると、すごく心配になる。
矢口はなつみの方に、一歩だけ踏み込んだ。
まだはっきりと顔は見えない。
「なっち、北海道に帰ることになったんだ」
「え?」
矢口はなつみの言葉がすぐには理解出来なかった。
『北海道』という単語が、頭の中を反芻する。
里帰りでもするって事?まだ休みじゃないよ、授業だって毎日あるよ。
ったくなっちはそそっかしいなぁ。
ここは東京だよ、なっち。北海道じゃないってばさ。
なつみの口から次に出た単語は、さらに分からないものだった。
- 5 名前:-1- 投稿日:2004/04/26(月) 05:29
- 「結婚する事になったんだ」
「え?」
い、今結婚って言った?
結婚って、あの結婚?なっちが?誰と?
「結婚したいなぁ」なんて簡単に口にする事はあっても、リアリティの無い単語。
「だから北海道に帰らなくちゃいけない。もう矢口とも会えなくなる」
会えない、会えない、もう会えないって
なっちとヤグチはもう会えないって事・・・なの?
結婚するからもうここには来ないって事なの?
- 6 名前:-1- 投稿日:2004/04/26(月) 05:30
- たっぷりと1分はあった。
矢口の頭の中が混乱していると察したのか、そこまで話してなつみも言葉を止めた。
『北海道』『結婚』『会えない』
3つの単語が頭をループし続け、それらを何とか繋げて理解する。
何を言えばいいのだろう。文章がまとまらない。
本気で思っているのか、心にも無い言葉なのか。
いや、どっちかなのかは分かる。
「そっか。おめでと、なっち」
「・・・ありがと」
「学校もやめるんだよね」
「うん。明日北海道に帰るから」
「明日?式には呼んでよね」
「呼ぶに決まってるっしょ。なっちのウェディングドレス、見に来てよ」
「うん」
「日取りが決まったら、連絡するから」
- 7 名前:-1- 投稿日:2004/04/26(月) 05:32
- なつみを照らしていた蛍光灯がバチンと音を鳴らし、完全に壊れた。
自分と同じように、暗闇の中でなつみも下を向いているんだと思った。
完全に真っ暗となった教室の前で二人は無言のまま、暫く時は流れた。
自分の中にあるものが何なのか、まだ理解できないでいた。
結婚願望があるからといって、先に結婚する人への嫉妬心でもない。
誰かに奪われた事への複雑な気持ちなのか。
何にしろ、素直におめでとうと言える気分ではない。
今蛍光灯が復活し、周りが完全に見渡せるようになったとしても、なつみの顔を直視する気にはなれない。
どんな顔をして自分に報告しているのだろうなんて予測もしたくない。
なつみが誰かの元へと行くという現実があり、その現実をねじ曲げる権利も義務もない。
これは相談ではなく、報告だから。
- 8 名前:-1- 投稿日:2004/04/26(月) 05:32
- 矢口は「じゃ、その時にまた」と言い残し、その場を去った。
頭の中は真っ白で、自分の足で歩いているという感覚が麻痺し、フワフワしているものに乗っているようだった。
夜に弱いはずのなつみからの真夜中のメール、何かしら感じていた嫌な予感は的中していた。
おめでたい事なのは分かっているし、それに対して自分に何言う権利も無いのかもしれない。
だけどこのすっきりとしない気分は何だろう。
まさかあの約束をずっと心のどこかで期待していたんだろうか。
なつみが言ったあの言葉をどこかで期待していたんだろうか。
もう忘れちゃったんだろうか。
来る時に見た踊る集団や弾き語っている男の子はまだいた。
その楽しそうな声と騒がしい音が、ガラスで爪をこすった時の音のように不愉快に感じられた。
- 9 名前:-1- 投稿日:2004/04/26(月) 05:33
- 時間が経つにつれてモヤモヤとしたものが噴出し始めた。
ずっと拳を握り締めていたせいで、腕には筋が出っ放しだった。
イライラはピークを極め、全く家に帰る気にはならず、そこら辺を歩き散らした。
周りの物に当たりまくって、触れるもの全てを殴り続けた。
手がずるむけになって血がにじんでいた事には気付かなかったが、ジンジンとしたものを少し感じた。
自動販売機を裏拳で思い切り殴った時、中から一本の缶ビールが落ちてきた。
それを取って一気に飲み干す。
一気に飲み干したところで酔えない、イライラする。
学校を抜けた後、どこをどう歩いたのか記憶に無い。
ただひたすら歩き続けた。
知らず知らずのうちにネオン街を抜け、裏道に入っていた。
真っ暗な路地裏は危険な香りがプンプンしていた。
こういう所じゃ何が起こるか分からない。
東京に来ても絶対に行かないようにしていたのに、今の気分じゃそんな事もどうでもよくなる。
何で今、こんな気分になってんだ、わかんないよなっち。
- 10 名前:-1- 投稿日:2004/04/26(月) 05:34
- そこはまるでスラム街のようだった。
散らばるゴミ、野良犬、野良猫。
数人でたむろしながら集まって何かをしている男達。
いかにもヤバそうな事をしているような少年少女。
歩くたびにニヤニヤした顔で物珍しそうにこっちを見てくる。
日本にもこんな所があるのかよ、と非現実のような薄汚れた世界。
目に入る人間、全員殴り倒したい気分になる。
今なら刺してもらっても構わない。
別に恨んだりしないよ。寧ろ感謝するかも。
もし誰でもいいから刺したいって思ってる奴。
ここに刺して欲しがってる人がいるんだけど。
見えない対象のせいで、そんな風にさえ思っていた。
- 11 名前:-1- 投稿日:2004/04/26(月) 05:35
- 「なーにやってんの?」
茶髪のいかにも、って感じの1人の男が話し掛けてきた。
クチャクチャとガムを噛みながら顔を近づけてくる。
前歯が少し欠けていて、体からはシンナーの臭いが漂っている。
目の焦点がずれている。不快極まりない奴。
こいつは人を刺したいって思ってるんだろうか。
『誰でもよかった。むしゃくしゃしていた』
加害者のコメントとしてよく見るようなこんな気分だったりして、コイツ。
「何?」
「いいものあるよ、多分今の君にぴったりの品なんだけど」
「・・・お金あんまりないんだけど」
「君、可愛いから安くしといてあげるよ」
人を分かったように話すなよ。
お前、ヤグチの何を知ってるって言うんだよ。
うざい、うざったすぎる。消えろ、キエロ。
頼むから今すぐ視界から消えてください。
- 12 名前:-1- 投稿日:2004/04/26(月) 05:36
- 「ねぇねぇ、今暇?暇だからこんな所歩いてるんだよね。だったら俺と遊ぼうよ」
「・・・」
前言撤回。
刺したいって思ってるのは、ヤグチの方かも。
「アンタなんかと遊ぶかよ」
男の表情が一瞬曇り、矢口の口の両端を掴んだ。
身長差は30センチぐらいある。
男の目は凍るような冷たさだった。
- 13 名前:-1- 投稿日:2004/04/26(月) 05:37
- 「おいおい、いい気になってんじゃねぇぞ」
「それはこっちのセリフだって」
矢口の目の方が冷たかった。
こんな奴に恐怖心なんてこれっぽちもない。
刺せ、させ、サセ。
刺してすっきりしたいんだろ。
たじろいだ男は手を離し、矢口から離れていった。
矢口は見下すような冷たい目線を、男の背中に送った。
薄汚い狭い路地裏に棒立ちになった矢口の目から、何故か涙が流れていた。
「何やってるんだろ」
ポタリと血が流れ落ちた矢口の左手には、男から買い取ったモノが握られていた。
- 14 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/26(月) 11:52
- なちまり?激しく期待しております!!
- 15 名前:-2- 投稿日:2004/04/30(金) 03:49
- 一週間もの間、無性にイライラしていた。
何もやる気が起こらず、家に篭りっ放しになっていた。
掃除も洗濯も何もしないで、たまに近くのコンビニにアルコールを買いに行くだけの生活。
酔うまで飲んで、無理やり酔って横になる。
何度も吐いていると、ついには胃液しか出なくなり、口の中が酸っぱさで充満する。
部屋の中はこもった空気で充満する。
部屋の中は空になったビール缶や空き瓶、脱ぎ捨てられた服で散乱していく。
人が暮らしているとは思えないような空間と化している。
- 16 名前:-2- 投稿日:2004/04/30(金) 03:51
- そんな中唐突に、真っ暗な部屋に携帯の着信音が鳴った。
ずっと無視していたが、何度もコールは繰り返されるので、電源を切っておこうと思い、
のそのそとベッドから這い出て、散乱した服の山の下から携帯を探し出した。
ディスプレイを見ると、久しぶりに見る名前があった。
出ようか出まいか迷ったが、意を決して通話ボタンを押す。
学校にも行っていないので、随分と顔も合わしていない友達。
人の声を聞くのも声を出すのも1週間ぶりでうまく声にならず、何度も咳をした。
「・・・カオリ?」
「矢口・・・」
妙に沈んだ声。
人を心配する余裕なんてこれっぽちも無いのに、妙に気になった。
「何かあったの?」
「あのね・・・」
友人の1人、飯田圭織の言葉を聞いて、残っていた力が全て抜けたような感覚があった。
頭の中は真っ白になる。
まだ頭の中で整理されていない非現実が、もう一度形を変えて押し寄せる。
何も出来なくて、自分が呼吸をしているのかさえも分からなくなる。
気がつくとその場にへたり込んで携帯を落とし、遠くから名前を呼ぶ声だけが微かに聞こえていた。
- 17 名前:-2- 投稿日:2004/04/30(金) 03:52
- 何とか立って久しぶりにカーテンを開けると、外は夕方だった。
狂っていた時間の感覚を少し取り戻した。
空を見ると、夕焼けの空に大量の雲が流れていた。
その雲は早いスピードで流れ、暫く眺めていると目が回ってきた。
頭の中はまだ狂っている。
もうずっと狂ったままのような気がする。
ぼんやりとしたままクローゼットの奥にしまってあった、ほとんど着た事のないスーツを取り出した。
手には何も持たず、1週間ぶりに家の外に出た。
久しぶりに浴びる太陽の光は、まぶしくて目がちかちかする。
外の空気はまるで、異国におりたったような味がした。
いつものブーツではなくあまり履かない革靴を出し、カンカンカンと階段を下りてタクシーを拾った。
- 18 名前:-2- 投稿日:2004/04/30(金) 03:54
- 「空港までお願いします」
窓に肘をつき外を眺めると、たくさんの人が歩いている。
笑っている人も沢山いる。
寂しさよりも軽蔑の方が勝っている、今はそんな感じだった。
心から祝う気持ちなんてひとかけらも無かった事を改めて実感する。
自分が思っていた以上に、1人の人間に依存していた事を認めたくはなかった。
その選択は間違ってたんだよ、やっぱり。
心の中でそう呟いた。
タクシーが走る道は混んでいる。
そこからどうやって飛行機に乗ったのか、ほとんど記憶はない。
- 19 名前:-2- 投稿日:2004/04/30(金) 03:57
- 北海道の空港に降り立った瞬間、東京の真冬以上の肌寒さを感じた。
一度来た事があったから、漠然とした記憶を頼った。
電車やバスを乗り継ぎ、最後は1時間ほど歩く。
空港からの道のりにはそれほど迷わなかった。
こんな所で育ったら、あんな風になっちゃうんだろうなって納得した。
矢口がなつみの家に着いたのは真夜中だった。
北海道の空は以前と来た時と同じように、眩く光る星が散りばめられていた。
なつみの家は山の中腹にあり、一番近くの家でも軽く数百メートル離れている。
畑の間にあるあぜ道がなつみの家への一本道。
空の天然の明りがその道を照らし、足を踏み外したり転んだりする事はない。
なつみと二人で手を繋ぎ、並んで歩いたのを思い出した。
たった一度だけ来たなつみの実家。
広大な土地にポツンと家があって、東京や神奈川では見れない景色だ。
- 20 名前:_ 投稿日:2004/04/30(金) 04:02
- >>14さん
ありがとうございます。でもあまり期待しないで下さい・・・
- 21 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/30(金) 23:03
- おもしろそうですね
更新楽しみにしてます
- 22 名前:-2- 投稿日:2004/05/04(火) 05:00
- ◆ ◆ ◆
- 23 名前:-2- 投稿日:2004/05/04(火) 05:01
- 『ここがなっちが育った所かー』
『そうだよ。どう、綺麗っしょ』
『うん、なっちがこんな風になったのか、今何となく分かった気がするよ』
『それってどういう意味?』
『そういう意味』
『それじゃ分かんないってばさー』
- 24 名前:-2- 投稿日:2004/05/04(火) 05:02
- 広大で綺麗な景色というのは、心に余裕を与えてくれるもの。
別に嫁ぐ訳じゃないんだから緊張する事なんてないのかもしれないけど、やはり人の親に会うというのは少なからずドキドキするものである。
「久しぶりだなぁ」と言いながら木の扉をガラガラと開けるなつみのイントネーションは、すでにここのものに戻っていた。
「さ、入った入った」ととびきりの笑顔でおいでおいでされたら、もう笑うしかなくて緊張感も全てなくなっていた。
奥からなつみの母親が小走りで出てきた。
見た目はそうでもないけど、雰囲気はやっぱり似てる。
「なつみ、お帰り。こんにちわ、矢口さんね」
「こんにちわ。矢口です。いつもなつみさんにお世話になってます」
「そうそう。なっちが矢口の世話してんの。手のかかる子でねぇ、困ってるの」
「まぁまぁ、この子ったら」
本当に笑うしかなかった。
- 25 名前:-2- 投稿日:2004/05/04(火) 05:03
- 初めてあったなつみの両親の第1印象はとても優しそうで、「あぁ、なっちの親だな」って感じだった。
なつみは何度も話していたらしく、「イメージ通りね」と言われた。
「どんなイメージだったんですか?」と訊くと、「そわそわしてて落ち着きのない子犬」という答えが返ってきた。
笑いながら冗談よ、と付け加えてくれた。喜んでいいのやら。
- 26 名前:-2- 投稿日:2004/05/04(火) 05:07
- 今日は父親は帰ってこないらしく、3人で一緒に晩御飯を食べ、その頃にはすっかり打ち解けていた。
所謂北海道の名産がこれでもか、というぐらい出てきてた。
親というのは、こういう時は張り切って作り過ぎてしまうものだという事は、自分の母親でも実証されている。
もういいです、ともなかなか言えず、来るもの拒まずでお腹の中に入れていった。
後半は完全に無理矢理。
食後になつみが「ちょっと買い物に行って来るね」と言って外に出た。
一緒に行くよと言ったけど、「大丈夫、先にお風呂にでも入ってて」と制した。
なつみの母は何かと興味があるらしく、身を乗り出して色々と質問をしてきた。
学校での事、プライベートな事、今までの事。
一方的に話し続けて満足そうななつみの母親は、ふと思い出したようにポンと手を叩いた。
娘に連絡をとろうとした時、机の上に携帯が置かれているのが見えた。
- 27 名前:-2- 投稿日:2004/05/04(火) 05:08
- 「あら、あの子携帯置いていったのね。しょうがないわ」
そう言うとなつみの母親は、はめてあった腕時計に話し掛けた。
「なつみ?ついでに牛乳買ってきて、よろしくね。ハイ送信、ピッ」
今までに何度も見た光景、デジャブ。
これをやられる度、申し訳ないと思いながらお腹を抑えて笑い転げた。
真っ赤な顔をして頬を膨らませるなつみを見るのは楽しかった。
これが本家本元。そう思うと笑いを堪えられなかった。
この親にしてこの子あり。
帰ってきたなつみの手には、袋に入った牛乳が確かにあった。
- 28 名前:-2- 投稿日:2004/05/04(火) 05:09
- 「電話代かからなくていいですね」
「あら、たまたまよ、たまたま」
安倍親子の意思の疎通に驚愕しながら、飲めないというのを忘れて思わずその差し出された牛乳を飲んでしまった。
最初はうっときたけど、本場の味に少しずつ慣れ、おいしいとまで思ってしまっていた。
多分、帰ってまた自分で買うかと訊かれればノー。
雰囲気にやられたって感じ。
こんな時間にわざわざ買いに行ったなつみを見た後だから尚更。
「あれ、矢口。牛乳飲んでんじゃん!」
「うん、何か飲める、コレ」
「すごいすごい!やっぱ矢口はやれば出来る子だねー」
なつみは矢口の頭を撫でた。
それに対して嫌な思いは何もなく、寧ろ単純に嬉しかった。
その様子を微笑みながらなつみの母親は見ていた。
まるで二人の母親に見つめられているようで、少し恥ずかしかった。
- 29 名前:-2- 投稿日:2004/05/04(火) 05:11
- 二人ともお風呂をあがり、二階のなつみの部屋に入った。
当時のまま残されているらしく、窓際に置かれてある机の方を見た。
セーラー服を着て、必死に勉強しているなつみの姿が頭の中に浮かんだ。
「ふふっ」
「な、何笑ってんの?やばいって、矢口」
「いや、何でもないって」
「なーに。言いなさい」
なつみは矢口の体をくすぐった。
二人バタバタと大きな笑い声を上げながら部屋で暴れていると、下から「静かにしなさいよー」という声が聞こえた。
散々暴れた二人は体力を使い果たし、その場でへたり込んだ。
- 30 名前:-2- 投稿日:2004/05/04(火) 05:12
- 「はぁはぁ。で、結局、何だった訳?まだ言わない気?」
「あ・・・あの・・・いや」
息を整える時間が欲しかった。
「そうだ。なっちの卒業アルバム見せてよ。いつのやつでもいいからさ」
「え?卒業アルバム?そんなのあるかなぁ。どこにしまったか忘れちゃってるよ」
本棚を1つ1つ漁っていると、少し埃の被ったアルバムが出てきた。
なつみはそれを手で払い落とし、矢口の目の前で広げた。
知らない頃のなつみは、今と変わらない無垢な笑顔を見せている。
- 31 名前:-2- 投稿日:2004/05/04(火) 05:14
- 「この頃のなっちの話、聞かせてよ」
「えー、そんなの面白くないっしょ」
「知りたいんだ、会う前までのなっちの事」
「何か恥ずかしいなー」
広大な土地で走り回り、大声ではしゃぐなつみの姿を想像した。
自然と触れ合う事なんて今までほとんどした事なかったから、それを羨ましく思った。
近くから物音が聞こえなくなる時間まで、二人でワイワイはしゃいでいた。
今まで話していなかった小さな事、当たり前のような事を、夜遅くまで話していた。
- 32 名前:-2- 投稿日:2004/05/04(火) 05:16
- 「じゃ、電気消すね」
「うん」
都会の夜とは違い、家の電気が消えると当たり一面真っ暗になる。
とめどなく聞こえる虫の声は、不思議と不快感はない。
今日一日中動いていたから体の方は睡眠を欲しているのに、脳はまだ動こうとする。
メーターを振り切ったテンションは、なかなか冷めてはくれないようだ。
「なっち、寝た?」
「まだ起きてるよ。矢口、眠れないの?」
「うん・・・ねぇなっち」
二つ並んだ布団の距離はゼロ。
矢口は自分の布団から手を出し、なつみの手を掴んだ。
一瞬なつみの体が硬直したように、矢口は感じた。
「いつまで一緒にいられるかな」
「なっちが矢口に嫌われるまで、かな」
「だったらずっと一緒って事だよ。ヤグチはなっちの事、嫌いになんてならないよ」
「そっかー。そうなる事を祈ってるよ」
なつみは手を強く握り返した。
手から伝わる温度は安心感を与え、脳も休んでくれる気になった模様。
大きく1つ欠伸をして静かに目をつぶると、そのまま夢の中へと飛んでいった。
二人の言葉は、一年と持つ事はなかった。
- 33 名前:-2- 投稿日:2004/05/11(火) 04:33
- ◆ ◆ ◆
- 34 名前:-2- 投稿日:2004/05/11(火) 04:34
- 二度目の訪問は一人だった。
もうすぐ春になろうというのに、北海道の夜は凍てついている。
前に来た時はあんなにも聞こえたのに、虫の声も人の生活の音さえも聞こえない。
僅かな記憶を手繰り寄せながら歩くにつれ、ぼやけた頭の中は覚醒してくる。
いまいち実感の無かった電話の内容を理解する。
だけど、単純に寂しさや悲しさを感じている訳ではなかった。
もっと大きなものが心の中を占めているような気がする。
それはあの薄汚れた裏通りで出会った男に感じた気持ちと少し似ている。
どこか蔑んでいるような。
何故何時間もかけてこんな所までやって来てしまったのだろう。
それは事実を確認したかったからに他ならない。
ただ事実確認をしたかっただけなんだ、と納得する。
自分の気持ちを出来るだけ冷静になって考えていると、見覚えのある家にはぼんやりと
灯りがついているのが視界に入った。
- 35 名前:-2- 投稿日:2004/05/11(火) 04:36
- 玄関に前にはなかった看板が立てかけてあり、机の向こう側に2人で受付をしていた。
黒い喪服を来たその二人は、俯き加減で会話はしていない。
遠目で見てそのうちの一人、見覚えがある顔だった。
肩まで伸びた長い髪が妙な色気を出していて、遠目からでもそれと判断出来る。
「カオリ・・・」
泣き疲れた後なのか、目を真っ赤に腫らして生気が感じられない。
それでも気丈を保とうとしているのが分かる。
矢口の知る飯田は、いつも自分の気持ちを内に閉じ込めるタイプだ。
飯田の姿を見た矢口は中に入るのを躊躇した。
- 36 名前:-2- 投稿日:2004/05/11(火) 04:37
- わざわざ数時間かけてここまで来たのにいざ目の前にしてみると、足が先に進まない。
だけど、目的は達成出来た。
ここから見えるものが全てを物語っている。
本当だったんだ、と。それが分かったんだから、もうそれでいいんだ。
矢口は挨拶も交わさないまま、なつみの家を後にした。
なつみの母親が外に出て呼んだ時、ふと顔をあげた飯田の目に矢口の後姿が映った。
「矢口!」
矢口に声が届かなかったのか、振り返らずそのまま歩いていった。
その声を聞いたなつみの母親は、驚いたようにそっちをみた。
「圭織ちゃん、今の・・・」
確かに矢口だとは思ったけど、100%の確信は無かった。
正直今の精神状態は正常だとは言い難い。
「いえ・・・見間違いだったのかもしれません」
「・・・そう。そろそろ中に入って休んで?」
「はい」
飯田は家に入る前にもう一度黒い影の方を見た。
もう人影は闇に消えていた。
- 37 名前:-2- 投稿日:2004/05/11(火) 04:38
- 飯田は二階に促され、遅い夕食をとった。
なつみの机の上をふと見ると、結婚を知らせる手紙が何通もあった。
その束の宛名を確認すると、『飯田圭織様』と書いてあるのがあった。
その束の一番後ろには、『矢口真里様』と書かれてあった。
全部調べてその束を机に戻すと、部屋になつみの母親が入ってきた。
「おばさん・・・」
「圭織ちゃん、本当に今日はありがとうね」
「いえ、そんな・・・」
「もう圭織ちゃんのウェディングドレス姿を見る事しか、楽しみなくなっちゃったわ」
なつみの母親は、無理やりの笑顔でそう言った。
飯田はそんな姿を見て、胸が締め付けられるように痛々しく思った。
- 38 名前:-2- 投稿日:2004/05/11(火) 04:39
- 「相手の方は今日?」
「ううん。仕事で忙しいみたい。明日には来て下さるらしいんだけど」
「そうなんですか」
なつみの母親は、どこに焦点を合わすでもなく呟いた。
「あの子、きっと怒ってるわよね」
「え?」
その言葉の意味がよく分からなかった。
今回の事になつみの母親が直接関係しているとは思えない。
「私達が勝手に決めた縁談、話し進めたりして」
「そんな・・・」
そう、だったんだ。
「今時政略結婚みたいな事させたりして。なつみ、私達の事恨んでたわよね」
「そんな事は絶対にありません!」
何故かそれだけは確信出来た。
なっちはお母さんの事が大好きだったから。
- 39 名前:-2- 投稿日:2004/05/11(火) 04:40
- 「圭織ちゃん・・・」
「カオリはなっちの事、よく知ってます!なっちはずっとおばさんの事大切に思ってました!
絶対におばさんの事恨んだりなんかしてません!恨んだりなんか・・・」
飯田は立ち上がって、涙を流しながらそう叫んだ。
「ありがとう、圭織ちゃん。でもね・・・やっぱり」
なつみの母親はふーとため息をついた。
飯田は、なつみの母親が急に老けたように感じた。
二人は生まれた時から結婚が決まっていたと説明された。
小さな頃から一緒に遊ばせるようにして、出来るだけ抵抗を少なくするように考えていたという。
ぎりぎりまで二人には知らせないでおこうという決まり事もあったそうだ。
今のなつみの母親の姿を見て、飯田はそれを責める気持ちにはなれなかった。
- 40 名前:-2- 投稿日:2004/05/11(火) 04:41
- 「あの子、きっと他にとても大切な人がいたような気がするの。それを・・・」
「おばさん・・」
「そんな気がするだけよ・・・」
飯田はその姿を見て、何て言ったらいいか分からなくなった。
懺悔の気持ちでいっぱいのなつみの母親。
謝りたくても謝れない。
だけど今日一日、なつみの母親は一滴も涙を流していない。
「圭織ちゃん、今日はほんとにごめんね。もう休んで?この部屋使ってもらっていいから」
「はい・・・ありがとうございます」
- 41 名前:-2- 投稿日:2004/05/11(火) 04:42
- なつみの母親は食器をのせたトレイを持って部屋を出た。
急に訪れた静寂が、少し恐かった。
昔は何度も泊まった事があったから、布団のある場所は知っている。
押入れから布団を出してそれを敷いた。
布団に入って目を閉じると、今日はとても冷え込んでいる事に気付いた。
窓のほうに目をやると、カーテンがさわさわと揺れている。
ほんの少しだけ窓が開いていて、外の冷たい風が入ってきている。
飯田は窓を閉めようとして立ち上がった。
窓の隙間から見える星は、空一面に瞬いていた。
「何でなっちが東京に行ったか分かってる?その理由なんて1つしかないんだよ」
矢口は色んな事を誤解している。
知らない事がたくさんある。
だから帰ったらちゃんと説明してあげないと。
このままだったら二人ともかわいそうだよ。
明日帰ったら矢口に会いに行こう、飯田はそう決心し、布団に潜り込んだ。
- 42 名前:-2- 投稿日:2004/05/11(火) 04:43
- なつみの結婚する予定だった相手の人は翌日現れ、簡単な挨拶だけ済ませてすぐに消えた。
何でも仕事でまたとんぼ返りしなくてはいけない、とか。
何て薄情な奴なんだと飯田は憤慨したが、なつみの母親が何も言わなかったのを見て怒るのを止めた。
なつみの葬儀は滞りなく行われた。
飯田は初七日までなつみの母親に付き添って手伝った。
その間、矢口の姿は見なかった。
- 43 名前:_ 投稿日:2004/05/11(火) 04:46
- >>21さん
拙い所も多々あると思いますが、今後ともよろしくお願いします。
Converted by dat2html.pl v0.2