さて、初スレ。
- 1 名前:chaken 投稿日:2004/05/05(水) 15:40
- 初めまして。
さーて、いよいよ初投稿になりますが、まずはこちらからどうぞ。
「スイセン」。
- 2 名前:chaken 投稿日:2004/05/05(水) 15:41
- 緩やかな傾斜の坂道を駆け足で駆け上る。
その先の高台は街全体を見渡す事が出来る。あたしはそこに座り込んだ。
景色は相変わらず絶景という他無かった。
時計の短針は三を回った所で、街は間延びした時間を紡いでいた。中央に大きく川が横たわっていて街を二分している。その川には等間隔に橋が架かっている。人や車はごみ屑のように小さく見える。
この高台はあたしが一人で散歩していた時に見つけた場所だ。
ここにいると不思議と心が静まる。何もかもが小さく思え、心が落ち着くのだ。だからこの場所を見つけてから、嫌な事があるとここに来てひたすら街を眺めた。
ふと小さな青が目に止まった。
水仙の花だ。
道端に幾つか小さく、しかし綺麗に咲き誇っている。透き通るような青があたしの心を揺らす。
水仙は厳しい冬に本格的に花を咲かせる。冬の花なのだ。
ゆらゆらと、儚げに揺れる。
ふと頭にある光景が浮かび上がった。
- 3 名前:chaken 投稿日:2004/05/05(水) 15:42
- あたしは子供の頃、違う街に住んでいた。小学校の入学と同時にこの街に引っ越してきたのだ。あたしは子供の頃から友達を作るのが下手で、一人でいつも遊んでいた。
そんなあたしの唯一の友達は花だった。
あたしはいつも決まった場所に行って一人で遊んでいた。一杯の水仙が綺麗に咲き誇っている河原だった。
風にゆらゆら踊るように揺れるその姿はいつもあたしの心を慰めてくれた。
その日もその河原で遊んでいた。すると日陰に隠れた一輪の水仙を見つけた。あたしは可哀相という感情に駆られ、その水仙を掘り起こしてそのまま花の咲いている方に移してあげた。
それからその花がなんだか自分に似ている気がして、その一輪の花を特に可愛がった。
水をやったり、話し掛けたりして本当に大事にした。あたしにとってその花は唯一無二の親友だった。
だから、引っ越す時、何よりもその花と離れる事が悲しくて、泣きじゃくって両親を困らせた。そんな事が不意に思い出されて、小さく笑みを浮かべる。
十二月の冷たい風が頬に吹き付けた。
- 4 名前:chaken 投稿日:2004/05/05(水) 15:43
- 失恋をした。
相手は五つ年上の社会人。
名前は石黒彩。あたしはいつも彩さんと呼んでいる。
付き合う発端になったのは、携帯のメールだ。
高校を中退して、ただアルバイトを繰り返す毎日。あたしの心にはどんどん退屈が募っていた。そんな時に見つけたのが、いわゆる出合い系サイトと呼ばれる物だった。
最初は相手と会う気なんか毛頭無かった。
メールをしているだけで暇潰しになるし、特に恋人が欲しいっていう気にもならなかった。
そんな時、彩さんと出会った。
驚くほど性格や好みが合って、メールをしているのが楽しくてしょうがなかった。
だから会う事になったのもごく自然な流れだった。
そうして会った相手は、良い大学を出ていて、仕事は出来て、それでいてあたしをないがしろにせず大事にしてくれて、さらに美人。まさに完璧な相手だった。
なんて素晴らしいシンデレラストーリーだろう。
- 5 名前:chaken 投稿日:2004/05/05(水) 15:44
- しかし、只一つ彩さんには欠点があった。
優柔不断。
それも優しい性格の表れかもしれないけれど、あたしは彼女の欠点だと思う。
彩さんは浮気をした。
相手は気の強そうな髪の長い大人の女の人だった。
浮気発覚の発端は皮肉にもあたしと彩さんが出会った携帯電話だった。
彩さんの家にあたしが遊びに行った日の事だ。
彩さんがトイレに立った時、あたしの目にふと彼女の携帯電話が目に入った。見つめているとそれは突然甲高い音を立てた。鳴り続けなかった事からすぐにそれがメールだとわかった。
ほんの好奇心だった。
けれどどこかで予感していたのかもしれない。何故か胸の高鳴りは大きくなっていく。
彩さんに限って。そう自分に言い聞かせるように深呼吸してから携帯を開いた。
- 6 名前:chaken 投稿日:2004/05/05(水) 15:44
- あやっぺ、昨日は楽しかったよ。また遊ぼうね。カオリ。
- 7 名前:chaken 投稿日:2004/05/05(水) 15:45
- あたしは昨夜の記憶を取り戻して脳内で現像した。
昨夜、あたしは彩さんに電話を掛けた。暫く経ってから電話に出た彩さんは何故か慌てていて、残業しなきゃいけないから、という言葉を残してすぐに電話を切った。
そのカオリという女の人は、彩さんがあたしとカオリさんとを二股にかけていた事を知っていたらしい。それでもカオリさんは退かなかった。
「あたしとカオリさん、どっちを選ぶんですか?」
修羅場の場面の名台詞をまさか自分が言うとは思わなかった。
「……」
彩さんは俯いたまま、黙りこくった。金髪の長い髪が彼女の端整な顔を隠している。あたしは意地を張ってしまった。
「別れましょうか」
そう言い捨ててあたしは店を出た。ふと空を見上げると、まるであたしの今の状態のように曇った空が涙で滲んで見えた。
- 8 名前:chaken 投稿日:2004/05/05(水) 15:48
- えー、とりあえず、今はage、sageは関係無しという事で進めていこうと思います。
初小説の拙い文ですが、楽しんで頂ければ幸いです。
「スイセン」は短めのものになると思います。
今日中にもう一回、更新したいと思います。
- 9 名前:chaken 投稿日:2004/05/05(水) 16:06
- 初小説ちゃうわ。初投稿でした。
感想待っております。
- 10 名前:chaken 投稿日:2004/05/05(水) 20:18
- 秋も深まり、朝の寒気が冬に移行し始めた季節の流れを感じさせる。あたしは街の雑踏の中で偶然、見覚えのある後ろ姿を見つけた。背が高く、長い黒髪。彩さんの浮気相手、カオリさんだった。何故声を掛けたのか、今でもわからない。気付いた時にはあたしはカオリさんに声を掛けていた。話しの流れで近くの喫茶店に入る事になった。
「別れたの…」
席に着いてから、カオリさんは唐突にそう言った。カオリさんと二人きりの空間に何故か気まずさは無かった。カオリさんの意思の強そうな目が伏せられている。カオリさんは続けた。
「私から振ったの」
そう言うカオリさんの顔に翳りが色濃く現われる。二人が別れるとしたら彩さんからだと予想していたあたしにとっては意外な言葉だった。
「なんでですか」
あたしは単純な疑問を口にした。カオリさんは俯いて小さく呟いた。
「あやっぺはあなたのことが好きだから」
心が揺れ動いた。カオリさんの言葉だけではなく、もっと動揺したのが顔を上げたその表情だ。
女のあたしでさえ見惚れるほど、美しい表情だった。
切なくて儚くて綺麗で、哀しく美しい、そんな表情だった。
- 11 名前:chaken 投稿日:2004/05/05(水) 20:20
- 穏やかに緩やかに時は流れていく。あたしは携帯を握り締めながら、街を見下ろしていた。携帯が音を立てるのをじっと待ちながら。
ふと、温かい何かがあたしの頬を伝った。
そっと頬を撫でてみる。冷えて悴んだ指に感触は無かったが、手を目の前に持ってくると、濡れていることに気付いた。
涙だった。こんなに自然に涙が流れたのは初めてかもしれない。ごしごしと乱暴に目元を擦り、涙を拭う。
「あれっ、先客かい」
後ろから可愛らしい声が耳に届いた。あたしは驚いて振り返った。そこに立っていたのは、白いワンピースを着た可愛らしい女の子だった。
くりっとした目に、さらさらと揺れる茶髪。彼女は口元を吊り上げて笑っていた。
本当に屈託のない笑顔で笑っていた。彼女を見た時、ある人物があたしの頭に真っ直ぐに浮かんだ。
昔、絵本で見た、天使だ。赤ん坊のような容貌で、屈託のない笑顔で笑っていた。背中からは真っ白い翼が生えていて無邪気に空の上に浮かんでいた。とても慈愛に満ちた瞳をしていたように覚えている。
別にその本の天使に容姿が似ている訳ではない。だけど彼女に瞳は確実にその天使に似ていた。彼女の着ている白いワンピースもさらにその印象を強めた。
- 12 名前:chaken 投稿日:2004/05/05(水) 20:22
- 「どうぞ」
あたしは彼女に隣りに座ることを勧めた。涙はいつのまにか止まっていた。彼女は無言で隣りに腰を下ろした。
「誰か待ってるの?」
彼女はあたしの顔を覗き込むようにして聞いてきた。こうしてみると本当に可愛らしい顔立ちをしている。
「ううん」
あたしは目を背けて、短く返事を返した。
「あたしも待ってた」
彼女はあたしの嘘を簡単に見破った。さらに彼女の言い方だと彼女はあたしを待っていたみたいに聞こえる。彼女の方を訝しげに見ていると、彼女は破顔してこう言ってきた。
「友達になろう」
初めてちゃんと彼女の目を見た。深い深い色をしていた。何故かその瞳を見て、幼い頃親友だったあの水仙を思い出した。その瞳に吸い込まれるようにあたしは頷いていた。
「携帯教えてよ」
そう言ってあたしは携帯を取り出した。さっきまで彩さんからの電話を待って握り締めていた携帯を。しかし、今は彩さんとの事なんて頭から消えていた。
あたしは会ったばかりの彼女に何故か凄く興味を持っていた。
自分でも不思議に思う。
あたしは、自慢じゃないが、人見知りする方だ。
学校でクラス替えがあったときだってあたしはいつも時間をかけてじゃないと馴染めなかったし、彩さんとだって大分時間が経ってからじゃないと話すことも出来なかった。それが幼稚園の時からだから、多分生まれつきの性格というものだろう。
なのに彼女とはなんか初対面の感じがしない。彼女といると、ずっと一緒にいたような、そんな不思議な親近感と懐かしさを覚える。
- 13 名前:chaken 投稿日:2004/05/05(水) 20:23
- 「ううん」
彼女は首を横に振った。あたしは視線で理由を尋ねる。
「あたしはいつもここにいるから。会いたい時に来て」
彼女はそう言って微笑んだ。
いつでもいるって、この近くに住んでいるのかな。
そんな疑問よりあたしはこれからも彼女と会えることが嬉しかった。あたしは心の中で明日もここに来ることをもう決めていた。
- 14 名前:chaken 投稿日:2004/05/05(水) 20:24
- 更新終了。
感想、批判、指摘、誤字脱字があればお待ちしております。
でわ。
- 15 名前:chaken 投稿日:2004/05/06(木) 18:01
- 更新でございます。
一気に完結するかも。
- 16 名前:chaken 投稿日:2004/05/06(木) 18:02
- 翌日、いつもより足早に坂道を駆け上り、高台を覗くと、彼女は約束通りそこにいた。昨日と同じ白いワンピースを着ていた。
「…こ、こんにちは」
「こんにちは」
昨日よりぎこちない会話。けれど、彼女はそんなこと気にも留めていない様子でにこにこと笑いながら街を見下ろしていた。あたしは彼女の隣りに腰を下ろした。
「ここっていつ知ったの?」
彼女は少し考え込むように唸ってから答える。
「んん…つい最近かな」
相変わらずにこにこしたまま答える彼女。その笑顔を見止めて彼女といると安心を覚える自分に気付いた。あたしはようやく名前も聞いてないことに気付いた。
「名前なんて言うの」
彼女はあたしに振り向いてにこっと笑って見せた。
「なつみ」
その笑顔につられてあたしもどんどん顔が綻んでいく。
「あなたは?」
「ひとみ」
あたしの答えになつみは小さく笑った。
「似てるね」
そういってなつみは笑った。あたしもつられて笑みが込み上がる。しばらく笑い合った後、突然なつみがあたしの頭にそっと手を伸ばした。
- 17 名前:chaken 投稿日:2004/05/06(木) 18:02
- あたしがなつみの行動の意図が分からず、戸惑っていると、そのまま、あたしの頭を膝の上に乗せた。
抗えない力、というのだろうか。
強い力ではなく、優しい力。優しく諭されるような感覚を覚えた。その逆らえない力であたしの頭はなつみの膝に吸い寄せられた。
なつみの膝は柔らかくて、あたしはすぐに安堵して頭を預けた。そこから見える街の様子もどこか優しい表情をしていた気がする。なつみはあたしの頭を優しく撫でながら言った。
「そばにいるから…」
あたしの目から唐突に雫が零れた。白いワンピースに水玉模様の染みが出来ていく。それでも、なつみは気にもせずあたしの頭を撫で続けてくれた。
涙でぼやける街は美しかった。
- 18 名前:chaken 投稿日:2004/05/06(木) 18:03
- 一週間が経って、緩い坂道を駆け上る事はもうあたしの日課になっていた。アルバイトも休んで毎日のように顔を合わせて、そしてずっと二人で街を見ていた。
なつみはいつも膝枕をしてくれた。そしていつも優しくあたしの頭を撫でてくれた。
そうされると、あたしは決まって眠たくなる。だけどあたしは何故か決して眠らなかった。
あの寝る前のうとうとしている時の、現実と夢の狭間にいるようなあのなんともいえず心地良い状態であたしは一日を過ごした。あまり話すことはしなかったが、たまに話すことはあたしの事ばかりだった。少し釈然としなかったが、あたしはなつみはあまり自分のことを話さない性格なんだと一人で納得して、特に気にしなかった。
なつみは本当に天使のようだった。
いつも白いワンピースを着て、本当に屈託のない顔で笑う。
なつみのその笑顔を見るといつもあたしも笑顔になっていた。
ただ、一つ気になることがあった。
それはなつみが時々、本当に極稀に見せる哀しい表情だ。
それは見ていると涙が出そうになるほど哀しく、儚く、美しい表情だった。それは、カオリさんの、あの表情を思い出させるものだった。
- 19 名前:chaken 投稿日:2004/05/06(木) 18:03
- 街はクリスマス一色だ。クリスマス専用とも言える赤と緑が、街に溢れ、至る所に人工的な光で装飾されたクリスマスツリーが飾られている。
あたしは足を速めた。心が浮き立つとはこの状態を言うのだろうか。
手には手の平大の小さな紙袋が握られている。
そう、今日はクリスマスイブだ。
そして、紙袋の中身はクリスマスプレゼント。これを受け取る人は、いつものように高台で街を眺めてる筈だ。
ほら、いた。
あたしはあたしに気付く様子の無いその背中に無言で駆け寄り、隣りに腰を下ろした。もちろんプレゼントを後ろ手に隠して。なつみは振り向いてあたしを確認すると、自分の膝をぽんぽん、と叩いた。あたしは紙袋をポケットに押し込んで、なつみの膝に頭を預けて、街を眺めた。やはり、街の雰囲気は浮き立っていた。幸せそうな空気が伝わってくる。
- 20 名前:chaken 投稿日:2004/05/06(木) 18:04
- あたしはそのまま、じっとプレゼントを渡す機会を窺っていた。そんな時、唐突に、なつみがあたしに言った。
「後悔のない生き方がしたいな」
ぽつりと漏れたその言葉はあたしの心に直に響いた。
まるで全て知っているような口ぶりに驚いて、起き上がってなつみを見る。
なつみは相変わらず笑っていた。そして、続けてこう言った。
「あたし、ひとみと会えて良かった」
普段なら照れるようなそのなつみの言葉をあたしは真剣に受け止めた。そう言うなつみの顔があの表情、哀しくて、切なくて、儚く、美しい、あの表情だったからだ。あたしはなんだかなつみが消えてしまいそうな気がして思わずなつみを抱き締めた。なつみは一瞬びくっと体を躍らせ、すぐに安心したように体を預けてきた。そしてしばらく抱き合った後、あたしは不意になつみを一瞬離し、口付けた。なつみは一瞬驚いた後、すぐに笑顔になって、今度は自分から口付けてきた。
なつみの唇は魔法のように柔らかく、暖かかった。
- 21 名前:chaken 投稿日:2004/05/06(木) 18:04
- 「はいっ」
暫く口付けを続けた後、あたしはポケットから紙袋を取り出し、なつみの前に差し出した。なつみが不思議そうな顔でその袋を見る。
「クリスマスプレゼント」
あたしは少し照れながらそう言った。その言葉を聞いた途端に、なつみの表情がぱぁーっと輝いた。
「ホント?あたしに?」
まるで子供のように純粋な瞳でそう聞いてくる。あたしは笑顔で頷いた。なつみは嬉しそうに紙袋を受け取った。
「開けてみてよ」
あたしの言葉にまたなつみは、いいの、と聞き返した。あたしが頷くと、また嬉しそうに笑って、紙袋を開いた。
- 22 名前:chaken 投稿日:2004/05/06(木) 18:05
- 綺麗に包装された包み紙の中から出て来た物は、ネックレスだった。シルバークロスの余計な飾りの無いネックレスだった。十字の部分の中心に青い宝石が埋め込まれている。その青は水仙の色に似ていた。
そのネックレスは、なつみに渡すプレゼントを捜して、たまたま通りかかった雑貨店で一目惚れして買ったものだ。
そのネックレスを見たとき、なつみの顔が真っ先に浮かんだ。
なつみに似合うと確信を持った。
なつみはラッピングをまた嬉しそうに解いた。
煌煌と輝くシルバーのネックレスを首に宛がう。
思った通りだ。その青はなつみに良く似合っていた。なつみは嬉しそうに笑った。まるで子供のようだった。
しかし、浮かれていたあたしは、その瞳が一瞬曇ったことに気付かなかった。
「ありがとうっ」
なつみが抱きついてきた。あたしは頬を緩ませながらなつみを抱きしめ返す。
しばらく抱きしめあった後、突然なつみが目を閉じた。
あたしは頭が理解するより早く、唇を重ねていた。
- 23 名前:chaken 投稿日:2004/05/06(木) 18:06
- 「……ひとみ、もうお別れなんだ」
長い口付けの後、なつみは唐突にそういった。気まずそうに俯いたまま。
あたしは一瞬何を言われたのか理解できなかった。
「えっ?」
頭の中で何度もなつみの声が廻る。なつみは続けた。
「あたし、もうひとみに会えないの……」
そう繰り返したなつみはさっきとは打って変わって泣き出しそうな表情で俯いている。立ち眩んで、倒れそうな錯覚に陥る。
「……なんで……?」
やっと搾り出した言葉になつみは俯いたままぼそっと答える。
「……あたしは……遠いところに行っちゃうの……」
- 24 名前:chaken 投稿日:2004/05/06(木) 18:06
- あたしは何か重いもので殴られたような鈍痛が頭部を襲う。涙がぽろぽろと流れてくる。止まらないどころかその雫は勢いを増して地面に吸い込まれていく。
――嫌だ、嫌だ嫌だ、嫌だ。
本能的に繰り返される拒絶の言葉。その言葉が頭の中で集まって、瞬間一気に弾け飛んだ。
「嫌だよぅ!」
気付くとあたしはなつみの腰に縋り付いていた。なつみはそんなあたしをあやすように頭を撫でる。
「ごめんね…ごめんね……」
そう繰り返すなつみの声はもう涙声だった。それにつられてあたしの悲しみも増幅されて更にしがみつく手に力が込もった。
- 25 名前:chaken 投稿日:2004/05/06(木) 18:06
- あたしの涙がまたなつみのワンピースに点点を作っていく。
その時不意になつみが消えていきそうな予感が廻った。
いや、それは気がした、で済ませられないほど現実に近い、絶望的なほどリアルな感覚だった。あたしは驚いて、弾かれるように一旦手を放して、なつみを見る。
「いやぁ……」
なつみは、消えかけていた。
ちかちかと点滅するようになつみの姿が不安定に揺れていた。向こう側の草叢が透けて見えた。まるで、テレビを見ているような感覚に陥る。
あたしは再びなつみに手を伸ばすが、空気を掴むだけでなつみに触れる事さえ出来ない。いくらなつみに手を伸ばしてもその手は空を切るばかりだ。
- 26 名前:chaken 投稿日:2004/05/06(木) 18:07
- あたしの目はとめどなく涙を流していた。体中の水分が全部無くなるんじゃないかというくらい涙が止まらない。抱きしめようと思ってもその姿はどんどん闇に支配されていく。
「なつみぃ!」
あたしは泣きながら叫んだ。その叫びが木霊して自分に返ってくる。なつみは段々と消えゆく中でふと笑みを浮かべた。
それは、あの切なく、儚く、哀しい表情ではなく、あたしがつられて笑ってしまうような、天使のような、屈託の無い笑顔だった。あたしは泣きながら、顔を歪ませ無理やり笑った。
目の前でなつみの姿がどんどん闇に溶けていく。
――行かないで。
「なつみ!」
そして、なつみは無になった。
なつみがいた場所にはあのネックレスが落ちていた。あたしはそれを拾い上げた。
「なつみぃ…」
そう呟いたあと込み上げてくる嗚咽を抑えきれずに、ネックレスを掴んだまま蹲り、涙を流した。
- 27 名前:chaken 投稿日:2004/05/06(木) 18:07
- 一週間が経っても坂道を駆け上がる日課は変わらなかった。あたしはまたこの高台から、街を見ていた。世間では正月を迎えているからか、街はひたすら静寂に包まれていた。
あたしの首にはあのネックレスが掛けられている。
隣りになつみはいない。
もうなつみの膝から見える街は見れない。
もう、なつみはいない。
零れそうになる涙をなんとか押し留めて、なつみの記憶を蘇らせた。あれからあたしはなつみのことを調べた。
よく考えれば、この近くに一軒も家など無い。だからこの近くは静かなのだ。街中の学校も、病院も捜した。やっぱりどこにもいなかった。
苗字も知らなかったことを改めて悔いた。
膨大な数のなつみという名前の子を片っ端から調べた。しかし、結局あたしの捜しているなつみは見つからなかった。
- 28 名前:chaken 投稿日:2004/05/06(木) 18:07
- 頭の中で次々になつみの事が思い出される。
彼女の何故か水仙を思い出す深い色の目。
そして、なつみの言葉。
「あたしも待ってた」
「あたしはいつもここにいるから。会いたい時に来て」
「似てるね」
「そばにいるから…」
「あたしは…遠いところに行っちゃうの」
そして、その時あたしは悟った。
- 29 名前:chaken 投稿日:2004/05/06(木) 18:08
- なつみの言った遠いところがどこかは知らない。けれど本当に遠いところなんだと。あたしには決して届かないぐらい遠い場所なんだと。
あたしは携帯を取り出して、何度掛けたか知れない短縮の番号を久しぶりに押した。
「もしもし、彩さん?久しぶりです」
ふと見ると水仙がゆらゆらと風に揺れていた。なつみが笑っている気がした。
- 30 名前:chaken 投稿日:2004/05/06(木) 18:09
- END
- 31 名前:chaken 投稿日:2004/05/06(木) 18:11
- えー、終わりです。
感想待っております。
次回作はあやみき(多分)。
- 32 名前:chaken 投稿日:2004/05/07(金) 22:22
- 予告通りあやみき短編。エロ含むので出来るだけsage。
ではどうぞー。
「it is a one of night」。
- 33 名前:it is a one of night 投稿日:2004/05/07(金) 22:23
- 「今から行っていい?」
美貴が断わらないことを知った上での亜弥の問い掛け。
「ん、用意しとく」
しかし、美貴も亜弥の確信通りの返事を返してしまう。
これはもはや条件反射だ。
それから美貴が適当な片付けを終えた頃、インターホンが亜弥の到着を告げた。
- 34 名前:chaken 投稿日:2004/05/07(金) 22:23
- 「へへぇ、来ちゃった」
美貴が扉を開けると、小首を傾げて片目を瞑って見せる亜弥。
半ば呆れたくなるほど、その仕草は亜弥の似合っていて、可愛かった。しかし、それを言うのも年上のプライドという物に憚られて、美貴は曖昧な苦笑を浮かべて亜弥を部屋の中に迎え入れた。居間に着くまでにマフラーやコートを脱ぎ捨ててベッドに飛び込む亜弥。
「コーヒーでいい?あ、ご飯食べた?」
美貴が問い掛けると、ベッドに仰向けに寝転んだまま亜弥が頷いた。
「食べてきちゃった」
美貴は、そう、と返すと、二人分のコーヒーカップを乗せた盆を部屋の中央にあるテーブルに置いてソファに腰掛けた。
- 35 名前:chaken 投稿日:2004/05/07(金) 22:24
- 亜弥はベッドから降りて、美貴の隣りに腰を落ち着けた。もともと二人掛けのソファは二人の距離を隙間無く縮めさせた。
テーブルに置き去りになっている亜弥専用のコーヒーカップには目もくれず、コーヒーを啜る美貴の顔を覗き込む。
さすがにこれだけ見つめられると、なんだか居心地が悪い。美貴はコーヒーが半分ほどになった頃、漸く声を上げた。
「どうしたの?亜弥ちゃん」
それでも答えを返さず美貴の顔を見つめ続ける亜弥に、ついに美貴も痺れを切らす。
- 36 名前:chaken 投稿日:2004/05/07(金) 22:24
- 「言ってくれなきゃわかんないよ?」
しかしそれでも亜弥に怒ることは出来ない美貴は、コーヒーカップをテーブルに預けて、亜弥と向き合って、優しく言葉を促す。見つめあった二人の間に流れるのは沈黙。
「ごっちんと仲良くしてた」
亜弥の拗ねたような言葉で沈黙は静かに破られた。美貴は記憶を探って該当場面を見つけ出した。
- 37 名前:chaken 投稿日:2004/05/07(金) 22:30
- とりあえず、一旦切り。
少量更新、申し訳ないです。
数日中に続きを。
- 38 名前:chaken 投稿日:2004/05/09(日) 13:59
- 続きです。
では、どうぞ。
- 39 名前:chaken 投稿日:2004/05/09(日) 13:59
- 今日の午前中はレギュラー番組の収録だった。その仕事はモーニング娘。の面々と一緒で、もちろんそのメンバーの後藤真希もそこに居た。美貴と真希は妙に馬が合う部分があって、友達として付き合っている。しかし、そのことはもちろん亜弥も知っていて、亜弥が拗ねている理由は二人のスキンシップだった。抱き合うことは当たり前、ハロープロジェクト内では過剰とも言えるスキンシップが日常的に交されている。
亜弥もそれを実践している一人だが、普段そういう事はしない美貴が真希と抱き合っているのは許し難いものがあった。
もちろんそれは今日少し上機嫌だった美貴が友情の延長として交したものだが、亜弥には納得が出来なかった。
- 40 名前:chaken 投稿日:2004/05/09(日) 13:59
- 「あれは…ちょっと抱き合っただけじゃん」
美貴の抗議にも亜弥は口を尖らせるばかりだ。そんな事で拗ねられるなら亜弥にも非がある事は多々あった。
「それに亜弥ちゃんだって加護ちゃんとかとキスしてるし」
その他容疑は諸々残っている。それでも亜弥にその言葉に動揺した様子はない。
「あたしはいいんだよぉ、キャラ的に。美貴たんってそういう事しないキャラじゃん。だから…」
分かるような、分からないような曖昧な亜弥の言い分。美貴は呆れたように言葉を返す。
「な、ん、で、亜弥ちゃんは良くて、あたしは駄目なのさ」
うー、と唸って上目遣いに自分を睨む亜弥が愛しい気がして、美貴は抱き締めたいという衝動に駆られるが、話しを続けるため理性でその衝動を抑えこんだ。
- 41 名前:chaken 投稿日:2004/05/09(日) 14:00
- 「だって、だって!あたしにもしてくれないのに!」
子供の様に両手をじたばたさせて、上目遣いに言う亜弥。
美貴は思わず頭を抱えたくなる。
――ああ、もう。なんで、この子はこんなに可愛いんだろう。
「あのね、あたしだって機嫌の良い日はあるのね?たまたま傍に居たのがごっちんで、亜弥ちゃんが居たらもちろん亜弥ちゃんを抱き締めてたよ。でもあの時亜弥ちゃん居なかったでしょ?」
確かにあの楽屋は真希と美貴と亜弥の合同のものだったけれど、その場面には亜弥はマネージャーに呼び出されて不在だった。的確な指摘に言葉を返せない亜弥。
「亜弥ちゃん?亜弥ちゃん以外に機嫌の悪い時にも抱き締めたくなるような人、居ないよ?」
じっと目を見つめたまま、そう言われると亜弥に返せる言葉は無く、ただ浮かぶのは嬉しさだけだった。
「へへぇ、美貴た〜ん」
亜弥は美貴の首に両手を回して思い切り美貴にしがみ付いた。
美貴は優しく穏やかな笑みを刻んで、亜弥の髪を撫でた。
- 42 名前:chaken 投稿日:2004/05/09(日) 14:00
- 「お風呂入っておいで?」
うん、と笑顔で頷くものの首に回した手を離そうとしない亜弥。美貴は柔らかく笑みながら、亜弥の髪に指を絡ませる。
「離さなきゃ、お風呂行けないよ?」
美貴の指摘に亜弥は口先を尖らせる。
「美貴たんも一緒に行こ?」
意地でも自分と一緒に居たいらしい亜弥の誘い。嬉しさと愛しさが込み上げる。
「あたし、さっき入っちゃったし」
美貴が申し訳なさそうに言うと、亜弥は渋々名残惜しそうに腕を外して、何度も美貴を振り返りながら、風呂場に向かった。美貴は亜弥を見送ると、自然に浮かぶ笑みを隠そうとせずに、ベッドの上で体を壁に預けて雑誌に目を落とす。
- 43 名前:chaken 投稿日:2004/05/09(日) 14:01
- 暫くして亜弥は今や亜弥専用となってしまった大きめな美貴のパジャマを着て出て来た。
亜弥は美貴に近づいてくると、美貴の雑誌を取り上げてソファに放ると、空いた美貴の前に後ろ向きに腰を下ろした。
そういう事、と美貴は納得して亜弥の腹に手を回して引き寄せる。亜弥は顔を綻ばせながら、美貴の手に自分の手を重ねた。
まだ乾ききっていないのだろうか、所々髪が濡れていた。
互いの体温が伝わる。風呂上りの亜弥の体は十分に温まっていて、美貴はその体温を味わうように亜弥の背中に顔を埋めた。
「亜弥ちゃん、良い匂い」
照れたように微笑む亜弥。亜弥がこの態勢に持ち込んだのには密着する為という他にもう一つ理由があった。
- 44 名前:chaken 投稿日:2004/05/09(日) 14:01
- 亜弥は美貴の片手をそっと取ると、自らの豊満な乳房に押し当てた。美貴の手の平に柔らかい、握ると壊れそうなほど柔らかい感触が広がった。
美貴が亜弥の行動の意図を測れずに戸惑いながら亜弥の顔を覗き込むと、亜弥は耳まで紅潮させていた。
亜弥の欲する行為を確信した美貴。そして愛しさと同時に沸き上がる悪戯心。
好きな子を苛めたくなる小学生の男子のような心情を亜弥と付き合い始めてから美貴は幾度と無く覚えている。
そしてそれは日常の一場面に唐突に沸き起こる。それを抑える術を美貴は未だ身に付けていなかった。
- 45 名前:chaken 投稿日:2004/05/09(日) 14:02
- 美貴は無言でその手をずらして亜弥の腹の前で手を組んだ。亜弥は戸惑ったように紅潮した顔で美貴を振り向いた。その掴み難い表情から美貴の意地悪がわかって。
「美貴たん…っ…」
美貴の焦らしに泣きそうな声を上げる。もう既にスイッチの入ってしまった体は時間と共に、美貴の感触を背中越しに感じる度に熱を増していく。
――発情。
ひどく動物的で被虐的な言葉が浮かんで亜弥は赤くなった顔をさらに火照らせる。
- 46 名前:chaken 投稿日:2004/05/09(日) 14:02
- きっかけはいつも覚えていない。
ただ美貴と居ると夜が近づくたびに体が熱くなり始める。
それは付き合い始めた頃から変わらない卓越した美貴の技術の所為かもしれないし、こういう感情も恋の内に入るのかもしれない。
ただ、一度意識して熱を持ち始めた体は美貴に触れられる度、美貴の笑顔を見る度、美貴を感じる度に高まっていく。
美貴は何も答えない。そして無言で手の平でパジャマの生地越しにその引き締まった腹を撫で始めた。
「ぅんっ……ん……」
普段なら意識もしない刺激も熱の篭もってしまった体には立派な刺激となって声を漏らす要因となってしまう。
- 47 名前:chaken 投稿日:2004/05/09(日) 14:03
- それでも美貴はさらなる刺激を与えてはくれない。
手はパジャマ越しに腹、脇腹を撫でるばかりで、弱い刺激にも神経を揺らされる亜弥にとっては辛いばかりだ。
亜弥は堪らず声を上げた。
「み…美貴た、ん…っ…、お願い…っ」
美貴は口許を歪めると、片手を亜弥の体に滑らせる。
脇腹から腰骨、そして到達した箇所は太腿だ。先程よりも幾らか強い刺激に亜弥は体を跳ねさせる。
「ぅあっ…あっ…み…たんっ……あんっ……」
太腿を淫らに這い回る美貴の手。
揉むように、這うように、擦るように。
ぴったりと閉じられている両足を美貴の片手が這い回る。
美貴は亜弥の太腿上で手を蠢かせながら、亜弥の耳元に口を寄せた。
- 48 名前:chaken 投稿日:2004/05/09(日) 14:03
- 「可愛い…」
ちろちろと耳朶を舌で弄ぶ。亜弥は目をぎゅっと瞑って体を震わせる。ぬるりと舌を耳穴に差し込んでうねうねと蠢かせる。
「ふっく…っ…!」
脳が直接掻き乱されるような感覚に亜弥の背筋にぞくぞくと何かが通り抜けた。そのまま耳を舌で責めながら、今度は両手で亜弥の太腿を擦り始める。
亜弥はぐったりと全体重を美貴に預けて、声を漏らしている。美貴は耳元で低く囁く。
「これだけでいいの?」
くすくすと意地悪い笑みを含ませた美貴の口調。亜弥は何度も思い切りかぶりを振るう。
- 49 名前:chaken 投稿日:2004/05/09(日) 14:04
- 亜弥の反応に満足した美貴は次の段階の意地悪に移る。
美貴は太腿の内側に両手を掛けて、閉じられている亜弥の足をゆっくりと開いていく。
亜弥の両足が持ち上げられて、大事な部分が晒された。
美貴の手によって亜弥の足は九十度以上に広げられている。
もちろんパジャマを着ているから直接外気に晒されているという訳ではないが、羞恥心は勝手に反応を示す。
「美貴たん…恥ずかしいよぉ…」
亜弥は顔を逸らしながら細々と恥ずかしそうに呟く。先程よりその顔はさらにより強く朱色を帯びている。美貴は口端を吊り上げる。
- 50 名前:chaken 投稿日:2004/05/09(日) 14:04
- 「いい格好だね?亜弥ちゃん」
亜弥はあまりの羞恥に黙り込んで俯いてしまう。
「ほら、自分で足、支えて」
美貴が促すと、亜弥は自分の両手を極端に広げられた両足の膝裏に掛ける。固定された亜弥の格好を確認すると美貴は両手を離した。
「ホントにいいよ。凄くえっちぃ」
耳元で紡がれる美貴の言葉に亜弥は堪らなくなる。美貴はその亜弥の心情を弄ぶように妖艶に笑む。
片手で亜弥の体を引き寄せて、もう一方の手の平をパジャマの上から亜弥の中心に押し当てる。
- 51 名前:chaken 投稿日:2004/05/09(日) 14:05
- 「ぅんっ…っ…」
軽く湿ったそこは手を溶かしてしまいそうな程の熱を孕んでいた。美貴はそっと手の平でその部分を撫で回す。
「あぅんっ…!んっ…くっ!」
待ち焦がれた刺激に思わず声を漏らしてしまう。熱く湿ったそこを擦りながら、反対の手は腹から這い上がって亜弥の豊満な乳房を捉えていた。儚いほどに柔らかい乳房をパジャマの上から軽く揉み上げる。
「はんっ…!うあっ…!」
刹那的な声を漏らして切なげに眉根を寄せる亜弥。秘部を撫でる手はそのままに、乳房を這っていた手が固く起ち上がった蕾を探り出した。指先で軽く擦れば、その蕾は対抗するようにさらに硬度を増していく。美貴はそれが面白くて何度も亜弥の蕾を引っ掻き回す。
「やぁっ!美貴たん…っ!くあ…っ!」
やがて、ぴん、と立派に起ち上がったそれを指先で弄りながら亜弥の耳元で囁く。
「ノーブラ?」
こくん、と頷く亜弥を確認して美貴は秘部を撫で回していた手を片方の乳房に向かわせる。
- 52 名前:chaken 投稿日:2004/05/09(日) 14:05
- 「片方だけじゃ可愛そうだよね」
軽く握るように揉み上げて、指先で即座に蕾を探り出す。
「ココ?」
指の腹ですり潰すように刺激を与えると、やはり反応して固くなってくる蕾。
「あんっ…!うあっ!あぁっ…!」
亜弥の敏感な反応に美貴はくすくすと笑みを漏らした。そして耳元で低い声色で囁く。
「上だけ脱ごうか」
そう言うが早いか、美貴の手は既にパジャマのボタンに掛かっていた。亜弥が答える間もなく美貴はボタンを外し終える。ちらりと覗く亜弥の白い素肌。美貴は片手ずつ手を通させて脱がせたパジャマを放ると、後ろから亜弥の首筋に唇を押し当てる。亜弥は小さく体を仰け反らせる。
「相変わらず綺麗なピンクだよねー」
覗きこんだ美貴が目に映したのは固く起ち上がった薄桃色の蕾。豊満な乳房の頂点でひくひくと震える蕾に自然に笑みが漏れた。指先を両蕾に掠らせると、亜弥は声にならない声を上げて、体を反らせた。
- 53 名前:chaken 投稿日:2004/05/09(日) 14:08
- 一旦切ります。
申し訳ないです。残り二回ほどで終われると思います。
- 54 名前:イーグルボーイ 投稿日:2004/05/09(日) 15:31
- 文章がすごく上手ですね〜、ストーリー的にも好きです自分!
あやみき好きなんで頑張って更新お願いします。
- 55 名前:chaken 投稿日:2004/05/09(日) 21:18
- >54様。
ありがとうございます。頑張りますので、これからも見捨てないで下さいませ。
では、続きです。
- 56 名前:chaken 投稿日:2004/05/09(日) 21:19
- 美貴はもう一度指先で小さく桃色の頂を擦る。
「くあっ!」
充血してすっかり敏感になった蕾はごく小さな刺激も過敏に享受してしまう。美貴は口端を歪めて亜弥に言葉を掛けた。
「そろそろ下が淋しくなってきたんじゃない?」
逆らっても無駄な事も知っている。それに何より亜弥の心の奥に灯った火は勢いを増すばかりだ。亜弥は素直に首を頷けた。
美貴はそれを確認して、自身の両足を持ち上げていた亜弥の手を優しく外した。亜弥の足が自然に前方に投げ出された。
- 57 名前:chaken 投稿日:2004/05/09(日) 21:19
- 「自分で脱いで?」
美貴の言葉に亜弥は羞恥に紅潮した顔を静かに意を決したように頷く。パジャマのゴムの部分に手を掛けて一気に脱ぎ下ろす。
「へぇ、ピンクだねぇ」
露わになった下着は淡く薄い桃色だった。そしてその中心は色濃く湿っていて、今まで耐えていた快感の度合いを示している。凝視されてる心地に羞恥を覚えて亜弥は俯く。
「ほら、下も」
美貴の耳元での呟きが妖艶さを増していて、これから行われるであろう行為に思いを馳せると、自分の中心がさらに熱を含んでいくのが分かった。
- 58 名前:chaken 投稿日:2004/05/09(日) 21:20
- 亜弥は下着に手を引っ掛けると、ふと生まれた迷いを吹っ切るように一気に引き摺り下ろした。
気の毒なほど真っ赤に染まる耳朶を甘噛みすると、亜弥は羞恥と曖昧な快感にぎゅっと固く目を瞑る。
ぴったりと閉じられている両足の中心の柔らかな茂みに手を伸ばして、その指先で溢れ出る蜜を掬ってみせる。
「ふあっ……」
透明な液が糸を引いた。鈍く濡れた指先を亜弥の目前に晒す美貴。
- 59 名前:chaken 投稿日:2004/05/09(日) 21:21
- 「こんなになってたんだね?」
美貴の問い掛けに顔を逸らすだけで何も答えられない亜弥。
美貴は再び口許を歪めると、両手で亜弥の膝の裏を掴んだ。
黒い予感が亜弥の中に迸った。
「ちょ…美貴たんっ?美貴たんっ?やぁっ…!」
亜弥の耳朶を甘噛みして言葉を途中で遮る美貴。
美貴は膝裏の手にほんの少し力を込めて亜弥のまさかの予測が的中している事を亜弥に伝える。亜弥は背中に冷や汗が伝うのを感じた。抵抗しない訳にはいかなかった。
- 60 名前:chaken 投稿日:2004/05/09(日) 21:22
- 「やぁっ!やめてぇっ!美貴たんっ!やめてっ!」
抵抗する亜弥に悪戯心は萎むばかりかどんどんと歪に膨らんでいく。美貴は両手に力を込めて亜弥の両足を開かせようとする。亜弥の抵抗も空しく両足はかぱっと簡単に開いてあっという間に九十度を超えて扇形に開かれた。
露わになった女芯が外気に晒される。亜弥は目を固く瞑った上に紅潮しきったその顔を背けることで羞恥の度合いを表しているが、美貴には悪戯心を煽るだけの効果しか持たない。膝裏をしっかりと支えながら美貴は亜弥の耳に口を寄せる。
「ホントにいい格好♪」
くすくすと笑みを漏らす美貴が恨めしくて仕様が無い。美貴は亜弥の両足を自分の方に引き寄せたまま、低く囁くように声を掛ける。
- 61 名前:chaken 投稿日:2004/05/09(日) 21:23
- 「自分で持っててくれたら、ちゃんと楽にしてあげるよ?」
美貴の提示した条件は意地悪でいて、それでも亜弥には拒絶することの出来ない条件だった。
亜弥は沸き起こる羞恥を何とか堪えて、美貴に従って自分の膝裏に手を掛けると、開脚した自分の足を支える。
- 62 名前:chaken 投稿日:2004/05/09(日) 21:23
- 「いい子だね。亜弥ちゃん」
外した手で亜弥の髪を優しく撫でる。
羞恥に耐えるその亜弥の表情を見て、ふと美貴に悪戯心が芽生えた。
「ね、ここってなんて言うんだっけ?」
そっと手の平で女芯を覆って尋ねる。柔らかな茂みが手の平に貼りつく。亜弥は目を見開いて美貴を見上げた。
「そ、そんな事っ!言えるわけないでしょっ!」
美貴はふわりと微笑んで少し強くそこに手の平を押し当てた。
- 63 名前:chaken 投稿日:2004/05/09(日) 21:25
- とりあえず、ここまで。
次回更新時には完結すると思います。
- 64 名前:イーグルボーイ 投稿日:2004/05/10(月) 18:00
- うおぉぉぉ・・シリアスですね。いじわるなミキティに萌えまし。
- 65 名前:chaken 投稿日:2004/05/10(月) 19:45
- 続きです。
今回で完結。
- 66 名前:chaken 投稿日:2004/05/10(月) 19:46
- 「聞かせてよ、お願い」
弱い口調でも確かにそれは美貴の命令である。亜弥はついに抵抗を諦めた。
「……」
しかし喉がその言葉を吐くのを拒否して、声が出ない。
「亜弥ちゃん?」
美貴は優しく問い掛けて、亜弥の喉を撫でた。するとまるで魔法のように喉は治った。
- 67 名前:chaken 投稿日:2004/05/10(月) 19:46
- 「美貴た…ん…」
「うん?言ってくれたら、美貴、嬉しいな。今あたしはどこ触ってるのかな?」
ついに心も体も美貴を受け入れた。
- 68 名前:chaken 投稿日:2004/05/10(月) 19:46
- 「…■■■■…」
- 69 名前:chaken 投稿日:2004/05/10(月) 19:47
- 亜弥は聞き取れないほどの小さな声でその答えを呟いた。か細い呟きにくすりと耳元で美貴が笑った。
「そうだね。亜弥ちゃん、可愛いよ」
そして美貴の攻撃は本格的なものとなっていく。
美貴は片手を伸ばしてその指先で亜弥の中心に触れる。
「やぁっ!」
くちゅっという水音は響くと共に亜弥の嬌声が響き、その体が大きく撓る。
- 70 名前:chaken 投稿日:2004/05/10(月) 19:47
- 美貴の指先は相変わらず器用で、即座に赤く充血している蕾を探し出した。
「やっ!美貴たんっ!くあっ!あぁっ!」
指先の腹ですり潰すように弄ると、亜弥は美貴の名前を呼びながら嬌声を上げる。美貴はさらに硬度を増して起ち上がってくる蕾を指先で転がす。
「あんっ!やっ!美貴たぁんっ!」
必死に自分の名前を呼ぶ亜弥が愛しくて仕様が無い。蕾を転がしながら笑みを漏らす美貴。
- 71 名前:chaken 投稿日:2004/05/10(月) 19:48
- 「ふふっ、可愛いよ。ココ?ココがそんなにイイ?」
揶揄するように言って、少し強めに刺激を加える美貴。
「くあっ!あっ!美貴たんっ!うあんっ!」
亜弥の嬌声に美貴は満足げな笑みと共に亜弥の耳元で囁く。
「ココと…」
その言葉と共に美貴の中指が蜜を溢れさせる亜弥の泉に挿し込まれた。
「くあぁんっ!」
声にならない声を漏らして亜弥は体を仰け反らせる。中指が全て埋め込まれてその姿を消すと、美貴はその指先で腹側の肉襞の一部分を軽く擦った。
- 72 名前:chaken 投稿日:2004/05/10(月) 19:48
- 「ふああぁっ!」
今までと比べ物にならない程に大きく艶っぽい嬌声を上げて体を跳ねさせる亜弥。過剰とも言える敏感な反応。思惑通りの亜弥の反応に美貴は口端を歪めた。
「ココが好きなんだよね?亜弥ちゃんは」
中指の先でそこを強引なほど強く擦り上げると、亜弥は再び甲高い喘ぎを上げて体を跳ねさせる。
「ふあっ!ああぁっ!美貴たぁんっ!くあぁっ!」
美貴は指先でそれを擦りながら、指を激しく揺らして水音を立てる。透明な亜弥の蜜が美しく散らされる。
- 73 名前:chaken 投稿日:2004/05/10(月) 19:48
- 「ちゅくちゅく言ってるよ?亜弥ちゃんの大事なところ。ほらほら」
どんどんと大きくなっていくその水音は亜弥の快感をひたすらに高めていく材料になる。亜弥の快感の箇所を的確に刺激しながら、指を豪快に揺らす。
「あっ!美貴たんっ!うあっ!だめぇっ!すごいっ!」
亜弥の嬌声にさらに指を早めながら顔を綻ばせる美貴。
足を自ら開いて羞恥に真っ赤になった顔を背けながら快感を享受する亜弥が愛しくて仕様が無い。
- 74 名前:chaken 投稿日:2004/05/10(月) 19:48
- 「何?もうギブ?いいよ。一杯、気持ち良くなって」
爪先で鋭く亜弥の弱点の肉襞を引っ掻く美貴。
「ふああぁっ!美貴たぁん!美貴たんっ!ふあっ!」
必死に足を抑えこんで開脚させたまま髪を振り乱す亜弥。
そのまま続行していた中指の先での肉襞への刺激と親指の腹で秘部の蕾を擦ったことでついに亜弥の快感は爆発した。
「ふああっ!イクっ!美貴たぁん!イクよぉっ!」
亜弥は美貴の腕の中で体を撓らせながら果てた。
- 75 名前:chaken 投稿日:2004/05/10(月) 19:49
- ベッドに体を寄せ合う二人をカーテン越しの月明かりが照らす。亜弥の息が落ち着く頃には日付は回っていた。
「可愛かったよ」
腕枕に乗せられて気持ち良さそうに目を細める亜弥に声を掛ける。亜弥は恥ずかしそうにはにかむ。
「美貴たん、意地悪だった」
拗ねたような口調。美貴は曖昧な苦笑を浮かべた。
「だって、あれだけするのにもすっごく勇気がいるんだよ?なのに、焦らすんだもん」
亜弥の言っている事は初め、亜弥が美貴の手を取って自分の乳房に当てた事だ。
「ごめんごめん…だって亜弥ちゃん可愛いんだもん」
腕枕をしている反対の手で亜弥の頭を撫でると亜弥は微笑んで見せた。
「そんなのわかってるよ」
微かな抵抗なのか、単純な自分への自信なのか、それでも愛しい事には変わりはない。
「大好きだよ」
美貴はそう呟きを落として、亜弥の額に唇を押し当てた。
- 76 名前:chaken 投稿日:2004/05/10(月) 19:49
- *END*
- 77 名前:chaken 投稿日:2004/05/10(月) 19:53
- 「it is a one of night」
これで完結でございます。
>64様。
レスありがとうございます。精進します。
次回作は苦手とするコメディものに挑戦したいです。
- 78 名前:chaken 投稿日:2004/05/10(月) 20:04
- 次回予告。
「紺野…」
ただ純粋に寄せる想い。
しかし彼女は振り向いてくれない。
「後藤さん…」
呼びかけても答えは返って来ない。
愛しいあの人はいつものように私に向いてはくれない。
切なく、そしてもどかしく、想いはすれ違う。
そんな折、動き出した三つの影。
果たしてこのアンバランスな均衡は崩れるのか。
乞うご期待っ。
- 79 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/14(金) 11:44
- 今日発見して読ませて頂きました〜♪
超━━(・∀・)イイ!!━━♪
作者さんの書くエロないしよし読んでみたいです♪
- 80 名前:chaken 投稿日:2004/05/15(土) 17:09
- >79様。ありがとうございます。エロいしよし、気が向けば書いてみたいです。
予告通り、今回はコメディに挑戦しようとおもったのですが、全くコメディの要素は消えてしまいました。
一応、三部作になっています。ちなみにちょこちょことエロが登場するので苦手な方は避けてください。
では、まず第一部「紺野あさ美奮闘記」
- 81 名前:後藤さんの想い 投稿日:2004/05/15(土) 17:10
- いつからか、真希は心奪われていた。
あの笑顔、あの声、あの瞳に自由を奪われていた。
「紺野…」
思わず呟いた名前に反応して、あさ美が振り向いた。
「なんですか?後藤さん」
あの笑顔で真希を見つめる。真希は慌てて手を振った。
「あ、ごめんっ。何でもない」
「そうですか…」
あさ美は少し残念そうに顔を伏せて、辻や加護達の元へと戻っていった。
真希は一つ息を吐いた。
- 82 名前:後藤さんの想い 投稿日:2004/05/15(土) 17:10
- 「どしたのー?」
その言葉と同時に真希の視界が闇に覆われる。その声の主に見当を付けて答えた。
「なっちぃ」
「へへぇ、ばれた?」
真希の目を覆っていた手を外して悪戯に微笑むなつみ。
「声でわかるもん」
得意そうに真希が言うと、なつみが真希の手を握った。
「ラブラブだもんねぇ、あたしたちぃ」
体を摺り寄せるなつみに苦笑いを浮かべる。
「まぁた、紺野見てたんでしょ?」
呆れたように言うなつみに真希は目を伏せた。
- 83 名前:後藤さんの想い 投稿日:2004/05/15(土) 17:11
- 「告白しなって」
体を付けたまま、なつみが囁いた。真希の思いを知っているのは真希以外にはなつみだけだ。
「取られちゃうよ?小川に高橋、あとよっすぃが狙ってるとか狙ってないとか…」
「えぇっ?」
慌てて立ち上がる真希に楽屋中の視線が集まる。
真希は赤面して腰を落ち着けた。なつみが含み笑いで話しかけてきた。
「ふふっ、可愛いねぇ」
「もーっ、からかわないでよ!」
そこで一転、なつみの表情が真剣なものに変わる。
- 84 名前:後藤さんの想い 投稿日:2004/05/15(土) 17:11
- 「でもホントだよ?ごっちんはもう娘。卒業したんだから、会う機会もなくなってきてるんだし…」
「…うん」
「ま、告白しなかったら、ごっちんはなっちのものーっ!」
おどけて風ななつみに真希は笑みを漏らした。
「なんでだよー」
そんな二人の掛け合いに切なげな視線を寄せる少女がいた。
「…後藤さん…」
あさ美の呟きは楽屋の喧騒に消えた。
- 85 名前:先手は小川さん 投稿日:2004/05/15(土) 17:12
- 収録を終えて、あさ美が廊下を歩いていると肩を叩かれた。
「あさ美ちゃん」
振り向くと、柔らかい笑みを浮かべた麻琴がいた。
「今日ってこのあと空いてる?」
「あ、うん。いいよ。なにか相談事?」
首を傾げた天使の笑みに麻琴は思わず見惚れた。麻琴は衝動を堪えきれずにあさ美を抱き締めた。
「ちょ、まこっちゃん?どうしたの?そんなに辛い事?」
その言葉に麻琴はある悪戯を思いついて口端を上げた。
「うん…実はね……ごめん!やっぱ、ここじゃ話せない!」
顔を背けて悲しみを体現する麻琴にあさ美の顔が強張った。
- 86 名前:先手は小川さん 投稿日:2004/05/15(土) 17:12
- 「じゃあ、私の家に行こうっ。そこなら話せるでしょ?ね?」
心配そうに肩に手を添えるあさ美に麻琴はその下に笑みを貼り付かせたまま静かに頷いた。
その影で愛は握り締めた拳を振り上げた。
「麻琴の思い通りにはさせんっ。あさ美ちゃんは私の物や」
愛は叫ぶと、二人の後を追った。
二人が到着した紺野邸。そのマンションの物陰に潜む愛。
「でも、いつ行けばええんやろ…」
心許ない愛の呟き。二人はもう既にマンションに入っている。
一人暮しのあさ美の部屋では麻琴とあさ美が向かい合って座っていた。
- 87 名前:先手は小川さん 投稿日:2004/05/15(土) 17:13
- 「どうしたの?まこっちゃん…」
心底、心配を含んだ口調であさ美が尋ねる。微かに沸く罪悪感を振り切って麻琴は切り出した。
「実はね…付き合ってる人がいるんだ」
麻琴の発言にあさ美は思わず顔を上げた。もちろんこの言葉は嘘である。麻琴の計画の一端だった。そして麻琴の策略に単純なあさ美はまんまと嵌った。
「何それ!初耳だよっ?」
麻琴は少し俯いて頭を下げた。
- 88 名前:先手は小川さん 投稿日:2004/05/15(土) 17:13
- 「ごめんね、今まで言わなくて…」
暫く沈黙が流れて、漸くあさ美が落ち着いた頃、麻琴は口を開いた。
「でね、相談って言うのは…」
あさ美は相談という単語に反応して身を乗り出した。麻琴は口篭もる。
「その…言い難いんだけど…」
言い淀む麻琴。そこであさ美に忘れ去られていた疑問が蘇った。
- 89 名前:先手は小川さん 投稿日:2004/05/15(土) 17:13
- 「ちょっといい?まこっちゃんの恋人って…男の人…?」
麻琴は呆けたように顔を上げた。
虚を付かれた。嘘の細部までは考えていなかった。
しかし何とか働く思考で答えを作る。
「う、ううん…」
あさ美に自身の恋愛対象が女性である事を伝えておかなくては、前に進まない。
「お、んなの人…なの?もしかして…メンバー?」
麻琴に焦りが滲む。そこまで話が込み入るとは思っていなかった。麻琴は曖昧に頷いていた。
- 90 名前:先手は小川さん 投稿日:2004/05/15(土) 17:14
- 「うそっ…だ、だだ誰っ?」
呂律の回らないあさ美。麻琴は脳内の混乱を押しきって答えた。
「ごめん…そこまでは…」
あさ美はその言葉に慌てて乗り出していた身を引いた。
「そ、そうだよね…ごめんっ」
漸く話題が終わった事に安堵しながら再度、話を切り出す。
「で、相談っていうのは…えっちの事なんだ」
言葉の中からある単語が選出され、あさ美の脳を占めた。そして反応してあさ美の顔が紅潮する。慌てたように両手を振り仰ぎながら、答えを返す。
- 91 名前:先手は小川さん 投稿日:2004/05/15(土) 17:14
- 「わ、私っ…経験ないよっ?だから…そういう相談は…」
麻琴は目線を上げてあさ美の瞳を射抜く。
「経験があるかどうかは、この際いいの。ただ、練習に協力して欲しいんだ」
真剣な眼差し。純粋なあさ美の頭には疑いすら起きず、首は自然と頷いていた。
「そっか、ありがと。協力してくれるんだね」
麻琴の最終確認にあさ美は再び頷きを返した。
「じゃあ、ベッドの方がいいから、ベッド、行こうか」
麻琴に手を引かれて、あさ美は寝室に入った。
シングルベッドの淵に並んで腰掛ける。
- 92 名前:先手は小川さん 投稿日:2004/05/15(土) 17:14
- 「とりあえず、段取りを確認したいんだ。もちろん服は着たままでいいから。あさ美ちゃん、いい?」
服は脱がなくてもいい、と言う麻琴の言葉は苦渋の決断だった。もちろん麻琴自身の意思としては排除を望んでいた条件だが、その言葉で怪しまれては全てが台無しになる。
だから欲望を抑えつけて条件を付け足したのだ。
麻琴の言葉にあさ美は黙って頷いた。
「キスぐらいは…いい?」
麻琴があさ美の肩を優しく抑える。
- 93 名前:先手は小川さん 投稿日:2004/05/15(土) 17:15
- 「あのっ、それは、ちょっと…。そのまこっちゃんの恋人にも悪いし…ね?」
麻琴は心の中で舌打ちを鳴らしながら渋々頷いた。自ら発案した架空の恋人の存在が仇となった。
「じゃあ、行くよ」
麻琴はそっとあさ美に口付けるふりをした。寸前で唇は触れ合わない。架空の行為に酔いしれる麻琴。そっと唇を離して、あさ美を押し倒す。
上目遣いに自分を見上げるその熱を含んだ視線に麻琴は欲情した。そっとなるべく静かにあさ美に覆い被さる。
- 94 名前:先手は小川さん 投稿日:2004/05/15(土) 17:15
- これから始まる想い焦がれていたあさ美との擬似セックスに痛いほどに胸が高鳴る。
麻琴はそっとあさ美の乳房に手を添えた。意外に豊満なその乳房を優しく揉みしだく。
「あっ…」
切なげに息を漏らすあさ美。興奮が加速して理性が押し負けていく。その手の平でティーシャツ越しに乳房を揉む。その手の平に微かに乳首の存在を感知した。
「あんっ…あ、それ以上は…っ!」
あさ美の手が麻琴の手首を抑える。
「あ、ごめん。つい…」
麻琴は渋々引いた。ここで完全に拒否されては作戦も台無しになる。
擬似セックスは段取り通りに進んでいく。
麻琴の手は脇腹を擽りながら、股間へと達した。
- 95 名前:先手は小川さん 投稿日:2004/05/15(土) 17:15
- 「あさ美ちゃん…首、セクシーだね」
麻琴はその白い首筋に唇を押し当てて、キスを落としていく。
「あ、だめ…跡ついちゃうよ…まこっちゃん…んっ」
麻琴は暫く首筋へのキスを続けてから顔を上げた。深追いはしないのが原則だ。
股間に押し当てた手の平が微かな湿り気を感じ取った。
「あれ、あさ美ちゃん…少し濡れてるよ?」
あさ美は顔を紅潮させながら不思議そうな視線を麻琴に向けた。
「濡れる…?」
その表情から濡れるという意味を理解していないのだと確信した麻琴は心の中で飛び上がって喜んだ。
- 96 名前:先手は小川さん 投稿日:2004/05/15(土) 17:16
- 「濡れるって言うのはね?とっても良いことなんだ。だからどんどん濡れていいんだよ?」
麻琴の言葉に不思議そうな顔を残しながらもあさ美は頷いた。
実際あさ美のせいに関する知識は胸を揉む、という段階までにしか至っていなかった。それ以上の行為の段取りがわからない。だから与えられる麻琴の知識は全て正しいものとして受け取るしかないのだ。
麻琴が心の中で飛び上がって喜んだのはあさ美の性に関する知識が浅い事を知ったからだ。この事を利用すれば擬似セックスをセックスへと繋げられるかもしれない。
「ほら、あさ美ちゃん、手の平が湿ってくよ?」
股間にさらに手を押しつけてあさ美の耳元で呟く。あさ美は呼吸を浅くしながら頷いた。
- 97 名前:先手は小川さん 投稿日:2004/05/15(土) 17:16
- 「ジーンズ、濡れたら嫌でしょ?」
あさ美は素直に頷く。麻琴はなるべく真剣な表情で続ける。
「脱がせても良い?」
賭けにも近かった。いくらあさ美でも脱がせる事がどういう事かは知っているはずだ。ここで疑われれば終わりだ。しかし逆に了承を得れば、大きく前進する。
しかし麻琴の策には全く気付く気配も無く、あさ美はあっさりと頷いた。
麻琴は少し震える手でホックを緩めてジーンズを下ろした。白い肉感的な足が露わになる。思わず衝動に駆られ、手を足に滑らせる。
「うぅんっ…」
あさ美が小さくうめいた。麻琴はジーンズを脱がせ終えると、股間に目を向けた。薄桃色の下着の中心は少し湿っていて、麻琴は思わず興奮のあまり卒倒しそうになった。
- 98 名前:先手は小川さん 投稿日:2004/05/15(土) 17:16
- そして麻琴は荒くなる鼻息を抑えて再びあさ美に覆い被さった。耳元に口を寄せて、手の平で股間を覆う。
「あ…まこっちゃ、ん…っ」
か細い声で麻琴を呼ぶあさ美。温かく柔らかい花弁の感触が感動を呼び起こす。ゆっくりとそこを擦りながら、麻琴は呟いた。
「パンツ、脱ご…」
そこであさ美の部屋に呼び鈴が響いた。
「あ」
あさ美は慌てて身を起こしてジーンズに足を通す。麻琴は呆然と膝を付いた。あさ美が申し訳無さそうに振り向く。
「あの、ごめんねっ。誰か来たみたいだから…」
玄関に向かうあさ美に付いていく麻琴。その表情は無粋な訪問者に対する怒りで満たされていた。
- 99 名前:先手は小川さん 投稿日:2004/05/15(土) 17:17
- 扉を開けると、そこには底抜けの笑顔で愛が立っていた。
「あ、あさ美ちゃん。麻琴も一緒やったん?」
あさ美は不思議そうな表情で愛に尋ねる。
「どうしたの?また泊まりに来たの?寝れなかった?」
愛は麻琴を一瞥すると笑顔を崩さずに答えた。
「いやあ、そう思ったんやけどぉ…今日は麻琴を連れて帰る」
「え、でも…今、その相談を…」
慌てて麻琴に振り向くあさ美を麻琴は怒りを押し殺した笑顔で制した。
「いいよ、練習はまた今度ね。今日は帰る」
「あ…そっか。うん、じゃあ二人とも気を付けてね?」
少し頬を紅潮させたまま、あさ美は二人を見送った。
夜の道を力無く歩く麻琴。その少し前には愛が歩いている。
「抜け駆けは無し、やね?」
愛が麻琴に振り向かないまま声を張った。
「当たり前じゃん」
麻琴は少し俯いて答えた。
「じゃあ、練習って何の事なん」
「また泊まりに来た、てのはどういう事かな」
二人の視線が火花を散らしてぶつかり合う。そして二人同時に視線を逸らした。再び前を向く。
「あさ美ちゃんは私のものやから。絶対譲らんよ」
愛の声に麻琴は俯いたまま呟いた。
「今度は絶対既成事実を作ってやるんだ」
麻琴の決意は轟々と燃え上がっていた。
- 100 名前:chaken 投稿日:2004/05/15(土) 17:17
- 100ゲット!
- 101 名前:先手は小川さん 投稿日:2004/05/15(土) 17:18
- 二人を見送ってからあさ美は一人で浴室でシャワーを浴びていた。麻琴に触れられた部分が熱を持って冷めないのだ。
「まこっちゃんの恋人って…愛ちゃんの事かなぁ…。迎えにくるくらいだし…」
見当違いの事を呟きながら、体を流す水束に身を任せる。
「でも、なんかむず痒いけど…気持ちよかったな…」
手は自然に股間へと伸びていた。
「あ、や…手が勝手に…」
指先で感知した股間の滑りに声を上げる。
「やぁ…ヌルヌルするよぅ…。おかしいよ、私…。変だっ…」
滑り出した手の動きは止まらない。指先が勝手に入り口を擦る。そのむず痒い感覚にあさ美は股を擦り合わせる。
「んっ…やだぁ…っ、だめっ…。はん…っ」
未経験の快感の波が押し寄せてくる。得も知れぬ恐怖感があさ美を襲う。そこで人差し指が中へと入りこんでしまった。
- 102 名前:先手は小川さん 投稿日:2004/05/15(土) 17:18
- 「うあぁっ!」
あさ美は声を上げて、膝から崩れ落ちた。甘苦しい快感の波が一気に襲い来て、嵐のように去っていった。膝立ちで震えながら、得体の知れない快感の余韻に浸る。
その箇所が尿道以外の役割を担っているとは知らないあさ美は、罪悪感に襲われた。
「や、だ…どうしよ…おかしいよ、おかしい…変だよ…」
肉襞はあさ美の指を断続的に締め付ける。あさ美は震える自分の体を抱きしめた。
- 103 名前:先手は小川さん 投稿日:2004/05/15(土) 17:19
- えー、とりあえず更新終了。感想などあればお願いします。
エロばっかりですいません。
- 104 名前:chaken 投稿日:2004/05/15(土) 17:24
- あ、メール欄間違えた。
- 105 名前:chaken 投稿日:2004/05/15(土) 19:25
- 気が変わったのでもう少し更新します。第一部完結に向けて。
- 106 名前:ごっつあんゴール。吉澤さん 投稿日:2004/05/15(土) 19:26
- 楽屋の普段通りの喧騒。あさ美は昨夜の自分の行為を脳内で何度も再生させては赤面していた。
「やっぱり…おかしいよ、私…絶対変だ…」
先ほどから独り言を繰り返すあさ美に楽屋中の訝しそうな視線が集中する。
「どうしたんだろ?」
真希が一人で俯いているあさ美に心配そうな色の視線を送る。
傍で同じようにあさ美を見つめていた愛が呟いた。
「あさ美ちゃん…」
その呟きを聞き咎めた真希はあさ美に近付こうとする愛に慌てて声を掛けた。
- 107 名前:ごっつあんゴール。吉澤さん 投稿日:2004/05/15(土) 19:26
- 「ちょっといいかな、高橋っ」
愛が不思議そうに振り向く。しかし引き止めたはいいが、口実が浮かばない。
「どうしたんですか?でも、今はちょっとあれやから…後で聞きますね」
笑顔を浮かべると、あさ美の元へ行こうとする愛。真希は慌ててその腕を掴む。
「後藤さん?まさか…あさ美ちゃんのこと…」
訝しげに聞く愛に真希は真剣な視線を返した。愛は目の色を変えた。
例え尊敬する先輩でもあさ美が絡むなら話しは別だ。
静かに火花を散らし睨み合う二人。
- 108 名前:ごっつあんゴール。吉澤さん 投稿日:2004/05/15(土) 19:26
- そこであさ美の肩が叩かれる。あさ美が振り向くと、満面の笑みでひとみが立っていた。
「よっ!」
あさ美の隣に腰掛けるひとみ。
「なんか悩みか?」
心配そうに尋ねるひとみにあさ美は考える。
この悩みを相談すべきだろうか。
そもそもあさ美は昨夜の浴室での行為がマスターベーションだとは思ってもいない。つまり相談をする事自体には抵抗はないのだ。
残りの問題はひとみが頼れるかどうかだ。
あさ美のひとみへの印象は普段は少し頼りないが、いざという時には頼れる先輩だ。
判断を固めたあさ美は話を切り出した。
- 109 名前:ごっつあんゴール。吉澤さん 投稿日:2004/05/15(土) 19:27
- 「実は、相談したい事が…」
ひとみは身を乗り出して瞳を輝かせた。
「よし、じゃあ今日、紺野の家でいい?」
ひとみの目を見つめてあさ美は頷いた。睨み合っていた真希と愛は二人の様子を見て溜息を吐いて離れた。
- 110 名前:ごっつあんゴール。吉澤さん 投稿日:2004/05/15(土) 19:27
- 仕事終了後、ひとみはあさ美の部屋であさ美と向かい合って座っていた。一通り、あさ美の話を聞いて、ひとみは心の中でガッツポーズを決めた。
憧れのあさ美を好きに出来る願ってもいない好機だ。
「じゃあ、あたしがレッスンしてやる」
「レッスン…ですか?」
ひとみの言葉に鸚鵡返しに返すあさ美。ひとみは頷く。
「そ。昨日紺野が風呂場でやった事は別に悪い事でもなんでもないんだ。誰でもやってる事なんだよ」
「えぇっ?」
素っ頓狂な声を返すあさ美。ひとみはにんまりと笑う。
- 111 名前:ごっつあんゴール。吉澤さん 投稿日:2004/05/15(土) 19:28
- 「あたしもやってるし、誰でもやってる。そのやってる最中は気持ちよかっただろ?」
あさ美は少し俯いて考える。そして暫くの沈黙の後、ゆっくりと頷いた。
「そういえば…気持ちよかったような…」
ひとみは間髪入れずに言葉を挟む。
「だろ?だからみんなやるんだよ。気持ちいいから。で、その気持ちいいやり方っていうのを教えてやるって言ってるの。いい?」
ひとみの問い掛けにあさ美は何の疑いも持たず頷いた。
- 112 名前:ごっつあんゴール。吉澤さん 投稿日:2004/05/15(土) 19:28
- 「じゃあ、ここじゃやり辛いからベッド行こう」
ひとみはあさ美をベッドの上へと誘導した。二人並んでベッドの上に座る。
「じゃ、まず脱いで」
ひとみの言葉にあさ美は驚いて顔を上げる。ひとみは暫く考えてから察したように付け加えた。
「あ、恥ずかしいか。でも、脱がなきゃ出来ないし…よし!じゃ、あたしは見ないから、下だけ脱いで」
あさ美は恥ずかしげに目を伏せる。ひとみは思わず心を揺さぶられた。
- 113 名前:ごっつあんゴール。吉澤さん 投稿日:2004/05/15(土) 19:28
- 「でも…見ないって言っても…」
あさ美の言葉にひとみは少し考えて提案した。
「じゃあこうしよ!あたしと背中合わせになろう!背中をくっ付けてたら、信用できるだろ?」
あさ美は小さく頷いた。
背中合わせになると、ひとみの背中から直接あさ美の体温が伝わる。これだけでも十分に胸を高鳴らせる材料になる。
あさ美が脱ぎ始めたのが、背中から伝わる身の捩りで分かる。
どうやら脱ぎ終わったようで、あさ美の動きが落ち着いた。
- 114 名前:ごっつあんゴール。吉澤さん 投稿日:2004/05/15(土) 19:28
- 「脱ぎました…」
妙な色気を含んだ呟きに思わず動揺するひとみ。
しかしこれから楽しみは始まる。
「じゃあさ…アソコは濡れてる?」
あさ美は少し態勢を整えた。そして今までまじまじと見た事のなかったそこに目を向ける。そこは昨夜と同じように湿り気を含んでいた。
「ぬ、濡れてます…」
あさ美の呟きにひとみは叫び出したくなった。そしてこのまま背中越しのこの少女を襲いたい衝動に駆られた。しかしそれを理性で何とか抑えこんで、続ける。
「触ってみな」
ひとみの言葉にあさ美は高鳴る胸を抑えて、恐る恐る襞に手を伸ばした。そこに到達すると指先に温かい愛液が纏わり付く。
- 115 名前:ごっつあんゴール。吉澤さん 投稿日:2004/05/15(土) 19:29
- 「どう?」
背中越しの声にあさ美はか細い声で答える。
「すごい…ヌルヌルが、纏わり付いてきます…」
ひとみは目を瞑り想像を膨らませながら荒くなる息を必死に抑える。
「じゃあ、その入り口の上にちっちゃい粒みたいなやつがないか?」
あさ美はじっと観察して小さな皮を被った蕾を発見した。
「あ、ありましたぁ…なんか皮、被ってます…」
ひとみは相変わらず目を瞑ったまま指示を飛ばす。
- 116 名前:ごっつあんゴール。吉澤さん 投稿日:2004/05/15(土) 19:29
- 「皮、剥いてみて」
「あ、はい…」
あさ美は返事を返すと、その蕾に手をやった。その瞬間、体に電流が走った。
「やぁっ!」
体を跳ねさせるあさ美。ひとみは驚いて振り向こうとするが、あさ美に両手を掴まれ静止した。
「ど、どした?」
あさ美は普段よりもさらに細い声で答えた。
「な、なんか…よくわかんなくなって…電流が走ったみたいに…」
背中越しにあさ美が愛しいと心から思った。しかし沸きあがる激情を抑えねば、先には進めない。ひとみは必死に落ち着く。
- 117 名前:ごっつあんゴール。吉澤さん 投稿日:2004/05/15(土) 19:29
- 「よ、よし…今度はゆっくりその皮、剥いてみ」
指示に従ってあさ美はゆっくりと恐る恐るその皮を剥いた。
赤く充血した蕾が現われた。ひくひくと小刻みに震えている。
その敏感な蕾はほんの僅かな空気抵抗すら刺激と受け取って反応してしまう。
あさ美はぞくりと背中に寒気を感じて目を固く瞑り、体を震わせた。
「出来た?」
「は、はいぃ…」
あさ美は息も絶え絶えに返事を返す。その声でひとみは計画が順調に進んでいる事を確信する。
- 118 名前:ごっつあんゴール。吉澤さん 投稿日:2004/05/15(土) 19:30
- 「じゃあ、そこ、触って」
「え、でも…」
先ほどの電流の刺激を思い出して反論するあさ美。ひとみは静かな口調で返す。
「いいから。今度はゆっくり、指の腹で転がすみたいに」
あさ美はひとみの言葉通りに指の腹をその蕾に押しつけた。先程よりは和らいだ刺激が体中に渡る。今度はそれが快感だと感知できた。
「それでグリグリしてみ」
あさ美は親指でクリトリスを『グリグリ』と刺激する。甘い快感が体中に染み渡る。
- 119 名前:ごっつあんゴール。吉澤さん 投稿日:2004/05/15(土) 19:30
- 「や…っ!何っ…う、あっ…!やん…っ!」
甘い声で呟き、体を捩らせるあさ美。ひとみは背中越しにあさ美の卑猥な姿を感じ取る。
「ほら、もっとグリグリ」
ひとみの言葉に沿ってさらに強くそこを刺激するあさ美。
すると昨夜、浴室での行為と同じような快感の波が打ち寄せ始めた。
「や、やぁ…!変になるっ…おかしくなるよぅ…!吉澤さ…んっ!ど、どーしたら…くっ!」
快感の波が高くなる度に自我が失われそうな恐怖感があさ美を襲う。必死に自分の名を呼び助けを請うあさ美にひとみは口端を上げた。
- 120 名前:ごっつあんゴール。吉澤さん 投稿日:2004/05/15(土) 19:31
- 「いいんだよ?おかしくなって。大丈夫だから」
あさ美の混乱は半ば強引に収められた。ただ目の前の快感を享受し、親指で敏感な肉芽を擦り上げる。
「あ、あ…っ!うあ…っ!だ、だめ…っ、ふっ…く…っ!だめっ…もうっ、あ、あぁっ!おかしくなるぅ…っ!くあぁっ!」
あさ美は最後に一際甲高い嬌声を上げて絶頂に達した。
背中越しに息を整えるあさ美の浅い呼吸が聞こえる。ひとみは目を閉じたまま鼻で空気を吸った。
甘酸っぱいあさ美の匂いがきちんと嗅ぎ取れる。
ひとみはあさ美に聞こえぬように呟いた。
「…これで、家に帰って五回はイケるな…」
ひとみの呟きは自身の含み笑いに紛れて消えた。
- 121 名前:ごっつあんゴール。吉澤さん 投稿日:2004/05/15(土) 19:31
- 結局この日はそれ以上の進展もなく、ひとみは大人しく家に帰った。
この方法がひとみが考えた最も怪しまれず、信頼を壊さず、自らの欲求を満たす方法だ。
この計画は長期計画だ。ひとみは夜道の途中で立ち止まる。
「うおぉー!一歩リードぉ!」
握り締めた拳を振り上げてそう叫ぶと、足取り軽く家路についた。
- 122 名前:ごっつあんゴール。吉澤さん 投稿日:2004/05/15(土) 19:32
- 今日はここまで。エロいしよし、書く事にしました。
いつになるか分かりませんが、完成したら発表致します。
- 123 名前:ごっつあんゴール。吉澤さん 投稿日:2004/05/15(土) 19:32
- エロなので流し。
- 124 名前:名無し読者 投稿日:2004/05/15(土) 20:20
- 面白い!特にあやみきが好きです。
もっとchakenさんのあやみき読みたいです。出来ればいつかまた書いてください。
モテ紺、かなり気になります。頑張ってくださいね。
- 125 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/16(日) 12:10
- エロ超━━(・∀・)イイ!!━━
- 126 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/16(日) 18:00
- (*゚∀゚)=3=3=3
いしよしも期待してます!
- 127 名前:意外に臆病な高橋さん。 投稿日:2004/05/16(日) 20:09
- ここ最近、あさ美の部屋に愛が訪れるのは日課になっている。
愛の最初の外泊の発端はあさ美に眠れないと電話を頻繁に寄越していたことだった。あまりにも電話が頻繁なのでいっそ自分の家に来ればいいとあさ美が提案したのだ。
元からあさ美に思いを寄せていた愛にとっては願ってもない誘いだった。
- 128 名前:意外に臆病な高橋さん。 投稿日:2004/05/16(日) 20:09
- それからというもの、愛が自分の不眠の具合に関わらず、あさ美の部屋に泊まりに来るようになっていた。
その間隔は大体、一週間に一度程度のものだった。
しかし最近、外泊のペースは毎日のようになっている。
これはもちろん愛が意図した事である。
ひとみや、麻琴、最近では真希などのライバルが発覚してから、危機感は日々募っていた。そして麻琴の架空の恋人を使った策略やひとみの長期計画が露わになった今、乗り遅れては取り返しがつかないと確信したのだ。
- 129 名前:意外に臆病な高橋さん。 投稿日:2004/05/16(日) 20:09
- 愛の計画はあさ美と同じベッドで眠るという点に重点が置かれている。この事を利用して勝負に出ようというのだ。
そして今日は仕上げの日だ。あさ美が性の方面に関して無知なのは承知している。それを利用した既成事実作りだ。
ちなみにひとみや麻琴然り、既成事実を作ろうという作戦は的を外してはいない。あさ美の場合、そうでもしなければ極度の鈍感ゆえ想いに気付かないのだ。
- 130 名前:意外に臆病な高橋さん。 投稿日:2004/05/16(日) 20:10
- そして今、暗闇の中で布団に入っている。隣にはあさ美がいる。目を瞑っているが眠っていないのは明らかだ。
そして愛は勝負に出た。
寝返りを打った振りをしてあさ美に横から抱きつく。そしてさり気なく乳房に手を添える。
「あ、愛ちゃんっ?」
焦った風なあさ美の声。愛はひたすらに狸寝入りを続ける。
- 131 名前:意外に臆病な高橋さん。 投稿日:2004/05/16(日) 20:10
- 「寝てる…よね…?」
愛は感動していた。その乳房の柔らかさは想像していたよりもずっと素晴らしいものだった。
そしてさらに寝返りを打った振りをして両手を乳房に添える。
「ぐ、偶然…だよね…。でも寝にくいなぁ…」
両手で焦がれた乳房の感触を堪能する。そしてその後、手は体を這いずり回る。
- 132 名前:意外に臆病な高橋さん。 投稿日:2004/05/16(日) 20:11
- 「あ、愛ちゃ…ちょっ、どこを…や…あ…」
愛の両手はパジャマを抜けて素肌に直接触れる。
すべすべや。愛は心の中で感動を込めて呟く。その肌を滑りまわる愛の手と指。
あさ美は素肌を直接捕らえる愛の手を外す事も出来ずに、ただ微妙な感覚を味わっていた。
「ふ…くぅ…っ、あ…や、あ…っ」
声が自然に漏れる。散々焦らすように撫で回された後、愛の手は下着の端を捉えた。へその下当たりがむず痒くなる。
- 133 名前:意外に臆病な高橋さん。 投稿日:2004/05/16(日) 20:11
- 愛の手は悪戯にゴムの部分を弄ぶ。そして遂に愛の指先がその下から入りこんだ。愛の指先が動き回る。柔らかな恥毛が撫で回され、ぞわりと首筋の当たりが寒気立った。
愛の指が恥丘に達しようという頃、あさ美は漸く我に返って愛の手をやんわりと外へ押し出した。
愛はあさ美に気付かれないように舌打ちを鳴らすと、大人しくあさ美の体から手を引いて、今度はあさ美に思い切り抱き付いた。進みたいが嫌われたくない愛の妥協案だった。
あさ美の良い石鹸のような匂いを一杯に吸い込みながら愛は眠りに落ちていった。
- 134 名前:chaken 投稿日:2004/05/16(日) 20:16
- 少量更新で申し訳ない。
>124様。あやみき好きなんでいしよしを書き終えたら書いてみたいと思います。
>125様。まだこの後もエロありなんで、お楽しみ下さいませ。
>126様。ありがとうございます。いしよしも早く完成させますので。
次回更新でようやく第一部の半分です。意外に長い。
- 135 名前:chaken 投稿日:2004/05/16(日) 20:19
- 流します。
- 136 名前:chaken 投稿日:2004/05/16(日) 20:19
- も一つ。
- 137 名前:chaken 投稿日:2004/05/19(水) 12:58
- 更新です。
- 138 名前:結局そうなっちゃうわけだ。 投稿日:2004/05/19(水) 12:59
- 真希の我慢は限界に達しようとしていた。
風の噂で麻琴、愛、ひとみの積極的な行動も耳にしていた。詳細までは聞いていないが、特にあさ美の性的無知を利用した擬似セックスに近い事を行っているという事も聞いた。
あさ美を誰よりも想っていると自負している真希にとっては我慢がならないのは当然だ。
それに最近では、あさ美を見ているだけで、自分では収まりきらない感情が沸いてくる。症状は確実に末期だ。
このままでは自分が欲求不満に陥る、と自分で言い訳を用意して、真希は勇気を振り絞った。
- 139 名前:結局そうなっちゃうわけだ。 投稿日:2004/05/19(水) 12:59
- 「ね、ね、紺野」
現在、愛と麻琴とひとみは上手い具合に楽屋にはいない。これ以上の好機は無い。
「どうしたんですか?」
あさ美は心なしか頬を朱に染めて振り向いた。その表情に真希は心打たれる。
「あの、今日っていいかな。予定ある?」
「え、いえ…無いですけど…」
あさ美は少し考えて返事をした。真希はひとまず安堵した。
「じゃあ、うちに来ない?」
「えっ!でも…いいんですか?」
あさ美の返事に真希は疑問符を浮かべた。あさ美が意識しているのはなつみだ。あさ美は仲の良い二人の事を恋人と思い込んでいる。しかし真希はそんな事は知る由も無い。
「いいよ?なんで?」
「い、いえ…じゃあ、お邪魔します」
「うん、今日の夜、仕事終わったら一緒に行こうか」
真希は胸を抑えながら言った。
「は、はい…」
あさ美は少し沈みながら答えた。
何を相談されるのだろう。なつみの事だろうか。
- 140 名前:結局そうなっちゃうわけだ。 投稿日:2004/05/19(水) 12:59
- あさ美の勘違いは仕事の後、真希の部屋について、紅茶を出されても続いていた。
真希は向かい合って紅茶を飲みながら、不思議に思っていた。
あさ美の様子がおかしい。
真希は当たり障りのないことを話し始めた。
しかしそれは逆効果だった。何しろ、真希の話す事はなつみに関する事が殆どだった。
「でね、なっちがさ…どした?紺野」
先ほどから沈んでいたあさ美に真希は声を掛ける。
あさ美はなつみの名前を聞く度に泣き出したくなるのを必死に抑えた。
何故、想いを寄せている人からその恋人の話を聞かされるのだろう。
- 141 名前:結局そうなっちゃうわけだ。 投稿日:2004/05/19(水) 13:00
- 「い、いえ…」
あさ美の表情を見れば真希は引き下がるわけにはいかない。
「そんな事ないじゃん。さっきから泣きそうな顔してるし」
あさ美は堪えきれなくなった。
真希が何も知らないのは分かっている。自分が真希を思っている事など知らない事は分かっている。真希に悪気がないのは分かっている。
「帰ります…」
これ以外に方法はなかった。あさ美は席を立った。
もちろんその方法は真希にしてみれば納得できないものだ。
真希は玄関に向かうあさ美を引きとめる。
「ちょ、待ってよ!」
「いえ、本当に良いんです…私、用事が…」
あさ美の言葉が嘘だという事は直感的に見破れた。
これまでどれだけ自分があさ美を見てきたかを顧みれば、当然の事だ。もう募った想いは堪えきれない。
- 142 名前:結局そうなっちゃうわけだ。 投稿日:2004/05/19(水) 13:00
- 「何で怒ってるの…?」
真希は後方からあさ美に抱き付いた。あさ美の心臓が思わず跳ねた。
「お、怒ってなんか…」
「怒ってるんじゃなかったら、何なのさ…」
あさ美は言葉を返せない。
何で恋人がいるのに、抱きつくのだろう。自分の想いなど知らないくせに。
疑問と憤りが沸いてくる。
「もう、優しくしないで下さい…。辛いんです…」
もちろん真希に事情を察する事など出来ない。それでも口が勝手に答えを出す。
「やだ」
あさ美は思わず言葉を失った。真希は回した腕に力を込めた。
- 143 名前:結局そうなっちゃうわけだ。 投稿日:2004/05/19(水) 13:01
- 「やだよ…。優しくするよ…だって…。あー、もう…言うよ?言っちゃうよ?」
「え?」
あさ美は呆けた声を返す。真希はあさ美の匂いを体で感じながら、遂に思いを吐き出した。
「好きなんだから」
あさ美は思わず目を見開いた。言葉が出てこない。
「紺野あさ美が好きです」
一瞬、その言葉が友人としての自分に向けられたものだと思ったが、この状況を考えて打ち消された。
けれど何故。真希にはなつみという恋人がいるはずなのに。
- 144 名前:結局そうなっちゃうわけだ。 投稿日:2004/05/19(水) 13:01
- 「キスしたいって、抱きたいって思う。そういう意味で紺野が好きです」
真希はもう堪えきれずにあさ美のうなじに唇を這わせた。
「や、…っ、でも、安倍さんっ…」
「なっち?」
あさ美から出てきた意外な名前に真希は聞き返した。
「後藤さんには…安倍さんがいる、じゃないですか…」
「うん、いるね…。でもそれが何の関係があるの?」
心底不思議そうな真希の口調にあさ美は焦れた。
「だからっ!後藤さんには恋人が…いる、じゃないですか…」
真希は目を丸くさせた。
「何言ってるの?いるわけないじゃん」
「だから、安倍さんっていう…恋人がいるじゃないですか」
真希の頭が混乱を起こす。
- 145 名前:結局そうなっちゃうわけだ。 投稿日:2004/05/19(水) 13:01
- 「なっち?え、でも…何で?え?なっちが恋人?」
「そう、なんでしょう?」
不安げなあさ美の問い掛け。真希は漸くあさ美の勘違いに気づいた。
「…紺野が好き」
「で、でも…」
「紺野が好き」
「でもっ!安倍さん…っく…」
あさ美の言葉尻が涙で滲む。真希は少し反省して言い直した。
「違うよ…。あたしは紺野が好き…なっちとは付き合ってなんかないってこと…ごめん、言葉が足らなかったね…」
「へっ?」
あさ美は素っ頓狂な声を上げた。振り向こうとするあさ美を真希は腕に力を込めて制した。あさ美の体から漂う石鹸に清潔な匂いを吸いこむ。
- 146 名前:結局そうなっちゃうわけだ。 投稿日:2004/05/19(水) 13:02
- 「紺野は好き?あたしのこと…」
あさ美は漸く自分の思い違いに気付いた。しかしその後に沸いたのは恥ずかしいという感情ではなく安堵だった。
「…はい」
あさ美はしっかりと頷いた。
- 147 名前:結局そうなっちゃうわけだ。 投稿日:2004/05/19(水) 13:02
- 「ほ、ホントに?」
「ええ…本当です…私も後藤さんが好き…」
真希は思わず改めてあさ美を抱き締めた。
「やった!紺野、あたし達、恋人?」
「…ふふっ、そうですね…」
真希はあさ美のうなじに鼻を寄せた。
「や、くすぐったいです…」
「へへっ、可愛くてたまんない」
あさ美は顔を紅潮させて俯いた。真希はあさ美の髪を鼻先で弄びながら呟いた。
「あたしは紺野のもの。なっちなんかの物じゃないよ。安心して…。心配いらないからね」
あさ美は真希の腕の中で微笑んで頷いた。真希はあさ美の首筋に唇を落としていく。
- 148 名前:結局そうなっちゃうわけだ。 投稿日:2004/05/19(水) 13:02
- 「覚えてる?」
突然の問い掛けにあさ美は言葉を返せない。
「さっき、あたし、キスしたいって言った」
あさ美は真希の言葉を思い出して赤面しながらも微笑んだ。
あさ美は首を回して真希の方を向くと目を閉じた。真希はそっと唇を合わせた。
甘い、柔らかい。二人が互いに抱いた感想だ。
そっと唇が離れる。そして真希は言葉を繋げた。
「その後さ、言ったこと、覚えてる?」
あさ美は再び赤面して、そして答えた。
「後藤さんに…その…してもらいたいです…」
真希は思わずあさ美に再びキスをした。
- 149 名前:結局そうなっちゃうわけだ。 投稿日:2004/05/19(水) 13:03
- 「ベッド、行こう」
真希に誘導されて、あさ美はベッドに向かう。
あさ美はこれから起こる事を全く知らない。麻琴の練習台になったので、多少は分かるが、キスより先は殆ど分からない。
あさ美は優しくベッドに押し倒された。真希の端正な顔が自分を見下ろす。あさ美は無け無しの知識を絞り出した。
「しゃ、シャワー…あの、浴びるんじゃ…」
真希は可愛らしい発言をする恋人を優しく見下ろした。
「ね、紺野。あさ美って呼んで良い?」
真希の微笑みにあさ美は少し恥らいながら頷いた。控えめな挙動がいちいち真希を刺激する。真希はあさ美の耳元で呟いた。
「あさ美のそのままの匂いがいいな」
あさ美の心音が激しく跳ねた。
- 150 名前:結局そうなっちゃうわけだ。 投稿日:2004/05/19(水) 13:03
- 少し変態っぽかったかな。
当の真希は呑気にそんな事を考えながら、あさ美を見下ろしていた。あさ美に頷く以外の選択は与えられなかった。
「あさ美…」
真希は呟くと、あさ美の唇を奪った。口先だけではない。何度も角度を変えて口付けて、上唇を啄ばむ。
そして舌を入れると、あさ美は体を跳ねた。空中に浮いたまま、開かれていた手がぎこちなく、固く握られる。
真希は舌で歯列をなぞり、温かい口内へと侵入させた。
未知の感覚があさ美を襲う。しかしそれは心地良い感覚だった。真希の舌があさ美の舌を突付く。
- 151 名前:chaken 投稿日:2004/05/19(水) 13:04
- 更新終了。次回には完結させたいと思っております。
その後にいしよしを書こうと思います。
- 152 名前:chaken 投稿日:2004/05/19(水) 13:05
- 少しエロ。
- 153 名前:chaken 投稿日:2004/05/19(水) 13:05
- なので流し。
- 154 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/20(木) 14:15
- イイ(・∀・)!!
- 155 名前:結局そうなっちゃうわけだ。 投稿日:2004/05/22(土) 09:44
- ぎこちなく舌を絡ませるあさ美を先導して、真希は激しくあさ美の口内を荒らしまわる。
唇を離すと透明な唾液の糸が引いた。
「気持ちよかった?」
真希の問い掛けにあさ美は小さく恥ずかしげに頷いた。
「可愛いなぁ…」
真希の手があさ美の乳房に添えられる。優しく揉みしだかれると、あさ美はむず痒い快感に襲われた。
「やぁ…は、変な…っ、気分、ですぅ…っ」
慈愛に満ちた視線であさ美を見つめる真希。真希は唯一の引っ掛かりを思い出した。
- 156 名前:結局そうなっちゃうわけだ。 投稿日:2004/05/22(土) 09:45
- 「ねぇ、あさ美は小川や高橋とかよしこに何をされたの?」
あさ美は不思議そうな表情を浮かべる。
「まこっちゃんには…あの、恋人がいるらしいんですよ…だから…その、えっちのことで悩んでるから、練習台に…」
真希の目の色が変わる。麻琴の嘘は容易に見破れる。
「どこまでされたの?胸は揉まれた?」
「ちょっとだけ…」
あさ美の答えに真希の嫉妬の炎が燃え上がった。
「こんな風に?」
真希は激しく両手で豊満な乳房を揉み上げる。あさ美は少し眉を顰める。
- 157 名前:結局そうなっちゃうわけだ。 投稿日:2004/05/22(土) 09:45
- 「う、あは…っ、あ、やぁ…、ふ、わあっ…」
真希の嫉妬の炎は消えない。
「で、脱がされたの?」
真希の問いにあさ美は不思議そうに答えた。
「?はい。ジーンズだけ…」
「パンツは見られた?」
あさ美は自身の記憶を掘り起こして頷いた。真希はますます険しい顔付きになる。
「触られた?こんな風に」
真希はそっとホックを緩めてジーンズを膝まで脱ぎ下ろして、その中心を触った。潤っている事がわかり少し顔が綻ぶ。
手の平でそこを擦ると、あさ美はか細い声を漏らしながら、顔を顰める。
- 158 名前:結局そうなっちゃうわけだ。 投稿日:2004/05/22(土) 09:45
- 「少しだけ…」
あさ美の答えに真希は麻琴への復讐の決意を固めていた。
「高橋には…?」
「愛ちゃんには特には…」
思い当たる節は見つからなかった。真希はさらに質問を続ける。
「よしこには?」
あさ美は頭の中に自室でのベッドのでの事を浮かべる。
「あの、気持ち良いことを教えてもらいました…」
「はぁっ?」
少し怒気を含んだ真希の声。親友への怒りを何とか抑えつつ先を促す。
「どういう事?」
「あの…言いにくんですけど…アソコ…を弄ったら…気持ちよくなっちゃって…その事で悩んでたら…」
顔を真っ赤に染めて途切れ途切れに言うあさ美。真希は楽屋で独り言を呟き、楽屋中の視線を浴びていたことを思い出した。そして真希と愛が睨み合っている間にひとみがあさ美に声を掛けていた事も同時に思い出した。
- 159 名前:結局そうなっちゃうわけだ。 投稿日:2004/05/22(土) 09:46
- あの時の事か。
真希は静かに怒りを滾らせた。あさ美は俯いて続ける。
「そしたら、吉澤さんが、それは誰でもやってる事だって言って…やり方を教えてくれたんです…」
「見せたの?裸」
あさ美は何度も首を振った。
「それは、恥ずかしいから…背中合わせて、教えてもらったんです…」
その光景を思い浮かべて、真希の嫉妬の炎は再び燃え上がった。真希はあさ美の瞳を覗きこむ。
「あさ美?それはね、一人エッチっていって、とてもエッチな事なんだよ」
「えぇっ?」
あさ美は初耳の情報に大きな声を上げた。
「これからはあたし以外の誰かに一人えっちしてるとこ、見られたらダメだよ?」
「は、はい…」
あさ美ははにかみながらこくりと頷いた。
- 160 名前:結局そうなっちゃうわけだ。 投稿日:2004/05/22(土) 09:46
- 「あたしに見せて。今」
あさ美は思わず目を見開いて、真希を見返した。
「だってさ、よしこだけなんてズルイ!あたしにも見せて!」
あさ美は思わず目を伏せた。
恥ずかしい。けれど真希の言葉は最もだとも思う。
「よしこはあさ美の声を聞いただけでしょ?じゃあ、あたしには足開いて、思いっきりそこを見せて」
あさ美は困惑する。真希はさらに後を押す。
「どうせ、これからエッチするんだからいいじゃん。エッチするにはアソコを見なきゃいけないんだよ?」
「え、そうなんですかっ」
「うん」
その言葉はあさ美の決意を固める要因の一つになった。
あさ美は一つ決意するように胸を抑えると、ジーンズを脱いだ。真希はごくりと唾を飲んで挙動を見守る。
- 161 名前:結局そうなっちゃうわけだ。 投稿日:2004/05/22(土) 09:46
- あさ美の薄青色の下着に思わず息を呑んだ。あさ美ははにかみながら、下着にも手を掛けた。
そして一気に脱ぎ下ろす。柔らかい茂みが露わになる。
あさ美の秘部が初めて自分以外の目に触れた。あさ美は思わず股を擦りつける。
「ほら、あさ美。足閉じちゃあ、だーめ」
あさ美は渋々といった風に両足の膝裏に手を掛ける。真希は期待に胸を踊らせてひたすらに待つ。
あさ美は耐えきれず顔を背けて膝裏を百八十度開いた。全開脚して露わになる女芯。
あさ美は紅潮した顔を背けながらも、ちらりと真希に視線を送る。その卑猥な姿に真希は釘付けになる。
全身を舐めるように見回した後、自然と視線は普段は決して露わになる事のないそこに向く。
汚れのない、綺麗に整った入り口。その下で既に剥き出しになって赤く充血した肉芽。まだ誰にも触れられたことのない聖地。自分の秘部を凝視する真希にあさ美は固く目を瞑った。
- 162 名前:結局そうなっちゃうわけだ。 投稿日:2004/05/22(土) 09:47
- 「や、後藤…さん、恥ずかしいですっ…」
「そう?」
真希は軽い返事を返して、ひたすら凝視を続ける。やがて真希は恥らうあさ美に視線を合わせた。
「あさ美?見せてよ。気持ちいい事…」
あさ美は断わる術など持ち合わせていなかった。あさ美は足を支えていた手を離して、開いたまま足を投げ出した。
「もう、ヌルヌルみたいだね?」
あさ美は顔を赤く染めながら小さくこくりと頷いた。あさ美は恐る恐る震える手をそこへと伸ばした。卑猥な水音が立った。
「あはっ。くちゅっていった」
「うぅ…後藤さん、イジワルですぅ…」
潤んだ瞳で真希を見上げるあさ美。真希は目を逸らして頭を掻いた。
「あーもうっ…わかんないかなあ…」
真希の言葉に疑問符を浮かべるあさ美。真希は少しあさ美との距離を詰めた。
- 163 名前:結局そうなっちゃうわけだ。 投稿日:2004/05/22(土) 09:47
- 「そーゆう目がさ、あたしを意地悪にさせちゃうんだよ?」
真希は手を伸ばしてあさ美の秘部に指先を掠らせた。
「あんっ!」
あさ美は高い声を上げて、体を捩った。真希は指先に付着した愛液を口に含んだ。
「おーいしーっ」
にんまりと微笑む真希にあさ美は目を伏せた。
「ほぉら、あたしの目の前で一番気持ちよくなるとこ見せてよー?」
あさ美は目線を上げて、真希を甘く睨んだ。真希はただ笑みを返すのみだ。あさ美は観念して、再びそこへ手を伸ばした。
しかし真希の綺麗な瞳に見つめられて、あさ美の興奮は否応無しに高鳴る。
再び、指がそこに触れると共にあさ美の顔は顰められた。快感に動かされてもう潤いきっているそこを弄る。
- 164 名前:結局そうなっちゃうわけだ。 投稿日:2004/05/22(土) 09:48
- 「ん…はぁ、っ…くっ…んっ…はっ…」
あさ美の半開きの口から漏れる魅惑の吐息に真希の興奮もどんどん高鳴る。あさ美の指先がもう剥き出しになっている蕾を探し出した。
「うっく…っ、はぁ…っあ、んはぁ…っ」
あさ美は強くそこを擦る、ひとみに教わった方法だ。
クリトリスをひたすらに擦る。単純な自慰の方法は余計に淫猥に思えた。真希の興奮も余計に高まっていく。あさ美に絶頂の波が打ち寄せ始める。
「く、あぁっ…!だ、めぇ…っ!やだ、やだっ…!」
合計たった二度のマスターベーションでは絶頂に対する恐怖心は消えない。
「だいじょーぶ。あたしがいるから、ね?」
真希の笑みにあさ美の恐怖は払拭された。あさ美は眉を寄せたまま喘ぐ。
「や、ごとーさん…っ!だめ…っ、っく…やぁ…っ!変になるっ…!おかしくなるよぅ…っ!ん、きゃんっ!」
最後に甲高い嬌声を上げてあさ美は体を撓らせた。体の痙攣と共に肉襞がびくついた。あさ美は背を反らせたまま、上がる息を必死に整える。
真希はそっと近寄ってあさ美の髪を撫でた。
- 165 名前:結局そうなっちゃうわけだ。 投稿日:2004/05/22(土) 09:48
- 「いーこだね…あさ美、大好きだよ…」
あさ美の横に回り首を片手で持ち上げて支える。あさ美は濡れた瞳で真希を見つめる。目尻に涙が滲んでいた。
それはあさ美のマスターベーションを目の前で見たばかりで昂ぶっている真希にとっては誘惑以外の何ものでもなかった。
「あさ美…」
愛しそうに髪を撫でながら呟く。あさ美は少し舌足らずな口調で答えた。
「ごとーさん…。私、初めてだから…優しくしてくださいね…?」
夢にまで見た台詞を呟かれ、真希は舞いあがった。
「うんっ」
真希はあさ美を優しく押し倒した。あさ美の体に覆い被さる。
「あさ美…もっと気持ちいいやり方があるんだよ、一人エッチって」
真希の手が下半身へと伸びる。にゅるりとしたそこを指先で撫で上げると、あさ美は声にならない声を出して身を捩った。
- 166 名前:結局そうなっちゃうわけだ。 投稿日:2004/05/22(土) 09:48
- 「あさ美はクリトリス、グリグリしてたでしょ…?確かにそれも気持ち良いんだけどぉ…」
感触でもう準備万端だと判断した真希は突然そこに指を挿入した。未だ何も受け入れた事のないそこは突然の侵入者を固く強烈に締め付けた。
「ふあ、あぁっ!」
真希はあまりの締め付けに少し顔を顰めた。
「きついかな…。でも、どう?これ」
指先で微妙に襞を掻き回す。あさ美は嬌声を上げてしなやかな体を跳ねさせた。
「やぁ…ふっ、すごい…っ!」
「ね、すごいでしょ?」
真希は限られた範囲の中で指を動かす。うねうねと絡みついてくる襞を掻き分けながら、奥へと進む。やがて壁に行き当たった。あさ美の処女膜だ。
「ちょーっとだけ、痛いかもだけど…終わったら、気持ちよくなれるから、ね?いい?」
あさ美は眉根を寄せたまま小さく頷いた。
- 167 名前:結局そうなっちゃうわけだ。 投稿日:2004/05/22(土) 09:48
- 真希の指先が膜を破った。
「あん…っ!」
真希はあさ美の反応を見る。
しかし当のあさ美は少し眉のしわを深くしただけで、痛がってはいなかった。
実際あさ美に痛みは殆どなかった。十分に潤っているせいだろうか、出血も殆どない。
「痛くない…?」
真希が尋ねるとあさ美は不思議そうに頷いた。
「は、はい…全然…」
「あさ美…ホントに処女?」
真希の問いの答えは決まっていた。自らの指で処女膜を確認したのだ。確かにあさ美は処女のはずだ。
とにかく痛みがないことに越した事はない。そう判断した真希は長い指を膣内で動かし始めた。
「う、あぁっ…!や、はぁ…んっ…!」
再び息を漏らし始めるあさ美。真希はあさ美の顔へ自分の顔を近づけた。
- 168 名前:結局そうなっちゃうわけだ。 投稿日:2004/05/22(土) 09:49
- 「ねぇ、そんな恥ずかしくさせてあげたくなる声、出さないでよ。あたしもイジワルになっちゃうよ?」
言うが早いか、真希は指を引き抜いていた。あさ美は一瞬、名残惜しそうな表情を浮かべる。真希は顔を離して、あさ美の足の間に座りこむ。そしてあさ美の両足の膝の裏を掴む。あさ美の表情が若干強張る。
「ほらっ!」
真希は手に力を込めてあさ美を開脚させた。さらにそのまま押し倒す。あさ美の体が丸まった。寝そべっていたあさ美の顔の目の前の位置に露わになった股間が見えるような卑猥な態勢が完成する。
「や…恥ずかしい…っ」
あさ美は思わず目を背けた。あさ美の顔の横に愛液が垂れ落ちた。
「あさ美?目、背けちゃ駄目だよ?」
真希の声にあさ美は恐る恐るそこへと目を向ける。露わにされた女芯はてらてらと卑猥な光を放っていて、その奥に真希の端正な顔が見える。
目を背けたくなる光景だが、興奮に囚われたあさ美には目を逸らす事は出来なかった。
- 169 名前:結局そうなっちゃうわけだ。 投稿日:2004/05/22(土) 09:49
- 「舐めちゃうよー?」
真希は露わになったそこに口付けた。
濁った卑猥な擬音が響き渡る。
「ひあぁっ!」
未知の感覚にあさ美は甲高く抜けた声を上げた。真希は顔を上げてあさ美に声を掛ける。
「見える?あたしのベロ」
真希は形の良い舌を伸ばしてあさ美に見せつける。そして舌を撓らせて愛液を掬った。
「あ、ん…っ!」
何度も舌で入り口を掠め取る真希。糸が引く光景にあさ美は耐えきれなくなって目を逸らした。
「見なさいってば」
真希に促されて視線を上げると同時にあさ美は再び眉根を寄せて嬌声を上げた。
真希の舌があさ美の膣内に入りこんだのだ。
ぬるりと締めつけてくるあさ美の襞。真希はさらに奥へと進む。あさ美はざらりとした真希の舌に思わず目を瞑り、シーツを握った。
- 170 名前:結局そうなっちゃうわけだ。 投稿日:2004/05/22(土) 09:49
- 滑った舌の感触が粘膜から脳に快感を伝える。
快感の波が一気にせわしなくあさ美を襲う。
「あ、だめっ…!またっ、おかしくッ…あっ!」
真希はさらに膣内を舌で探索する。あさ美の肉襞が収縮し始めた。真希は心の中でほくそえんだ。
「う、あ…っ!やだぁ…っ!変になるぅ…、だめっ!」
イッちゃえ、イッちゃえ。
真希は心の中で唱えて、さらに舌の動きを激しくした。激しく打ち寄せる波。
「や、やぁっ!おかしくなる…っ!はぁんっ!」
あさ美はそのままの体制で絶頂を迎えた。体の自由が利かず、快感の捌け口が見つからないあさ美は、シーツを固く握り締めて、口を大きく開いて、体を小刻みに痙攣させた。
- 171 名前:結局そうなっちゃうわけだ。 投稿日:2004/05/22(土) 09:50
- やがて波が通りすぎ、あさ美の動きと呼吸が落ちつく頃、真希はようやく開放して、あさ美を横たわらせた。そして隣に自分も寝転がる。あさ美の髪を撫でながら呟く。
「今日はもう寝ようか」
真希は片手で布団を掴み、自分たちの上に被せる。そしてあさ美を抱き寄せる。
「可愛かったよ…あさ美」
あさ美を抱き締めて、手を剥き出しの尻肉に当てる。
「…エッチ…」
「せっかくの幸せを味あわせてよ」
「…どうぞ」
真希とあさ美はそのままの体制で、お互いの匂いを感じながら眠りへと落ちていった。
翌朝、真希が先に目覚めた。隣には愛しい恋人の顔。
真希はあさ美の頬を両手で包んだ。あさ美が小さくうめいた。
「あ、ごめん。起きた?」
「おはよ、ございます」
少しはにかみながら挨拶を返すあさ美。
- 172 名前:結局そうなっちゃうわけだ。 投稿日:2004/05/22(土) 09:50
- 「可愛いなぁ、紺野は」
満面の笑みを浮かべた真希の言葉にあさ美は不思議そうな言葉を返す。
「呼び方…」
真希は暫く考えてやがて思い出したように頷いた。
「ああ、あさ美っていう呼び方は夜だけに使う事にした」
あさ美の顔が紅潮する。真希は得意そうに続ける。
「その方が、燃えるからね」
真希とあさ美は顔を見合わせて微笑んだ。
- 173 名前:結局そうなっちゃうわけだ。 投稿日:2004/05/22(土) 09:50
- 一週間が経ち、真希とあさ美が仕事を共にする「ハローモーニング」の収録日がやってきた。
手を繋いで、同時に楽屋入りした二人に視線が集中する。
「ど、どーいうことっ!」
真っ先にひとみが駆け寄ってきた。真希はじろりとひとみを睨み付けて、その後すぐに笑顔を浮かべた。
「こーゆーこと」
真希とあさ美の唇が重なる。その瞬間、楽屋は騒然となった。
あの日以来、あさ美は真希との恋人関係を隠していた。それは偏にあさ美の性格的なものの由来だった。
あさ美は赤面しながらも笑みを零している。硬直しているひとみを尻目に二人は二人がけのソファに向かう。
真希が横たわって、その脇にあさ美が腰掛ける。寝転んだまま、あさ美の髪を撫でる真希。あさ美は嬉しそうに頭を預けている。
それを見ていた麻琴と愛は揃ってがくりと肩を落とした。
「負けたんやな…」
「うん、完敗だ…」
なつみは慈愛に満ちた目で二人を見つめていた。
- 174 名前:結局そうなっちゃうわけだ。 投稿日:2004/05/22(土) 09:50
- そこでひとみが漸く立ち直った。
「ちょっと待てぃ!納得できるかぁ!」
ひとみが真希の元へと詰め寄る。真希はひとみに冷たい視線を浴びせる。
「納得できないのはこっちだっての!何も知らない可愛い紺野に何を教えこんだよ!」
ひとみは思わず一歩身を引いた。麻琴と愛が決まり悪そうに目線を合わせた。
あさ美自身が認識しているかどうかは別として、三人ともにやましい部分はある。
言葉を返せないひとみ、麻琴と愛を睥睨して、真希は再びあさ美とじゃれはじめた。
「…どーしよ。絶対バレてるよ…」
頭を抱えた麻琴の呟き。愛も同様に自分の体を抱きしめている。
「今日も、娘。は平和だねぇ」
「そうですねぇ」
「てゆうか、梨華ちゃん、抱きつかないで。離れてよ」
「いやですよ。だって矢口さんちっちゃいじゃないですか」
「や、意味わかんないし…つうかちっちゃい言うな!」
今日も平和な日常の一こまは穏やかに過ぎていく。
- 175 名前:結局そうなっちゃうわけだ。 投稿日:2004/05/22(土) 09:52
- *第一部完*
第二部へと続く
- 176 名前:chaken 投稿日:2004/05/22(土) 09:54
- 第一部終了です。第二部はごまこんの登場シーンは殆どありません。ご了承下さい。
>154様。素直に嬉しいです。精進します。
いしよしは実は今日中には仕上がりそうな勢いです。明日、多分一気に更新します。
- 177 名前:次回予告。 投稿日:2004/05/22(土) 10:03
- 確かに、初めは代用品だったのかもしれない。
けれどあなたの瞳を見つめ始めてから、そう思ったことはないんだよ。
亀井ちゃん。
私は彼女の代用品。
私はそれを承知で、あなたに引き寄せられたんです。
あなたに受けとめられることができるなら、どんな形でも良かったんですよ。
高橋さん。
これは、不器用に想いを寄せ合う二人の物語。
- 178 名前:次回予告2。 投稿日:2004/05/22(土) 10:07
- 一言で、絆が綻ぶ事もある。
そんな時にどうするかで二人の未来は変わってしまう。
それを運命と呼ぶのだろうか。
一方通行が通じる瞬間、それは愛へと変わっていく。
「てゆうか!うちらカップルじゃないから!」
「えー?あたし達、カップルじゃないですかぁ」
「違うから。断じて違うから」
「えぇー、もうあんな事やこんな事までしたのにー」
「何のことだよっ!」
こんな二人の物語。
- 179 名前:補足説明。 投稿日:2004/05/22(土) 10:10
- ちなみに第二部は前編と後編に分かれます。
次回予告が二つあるのはそのためです。
もちろん前後編でカップリングもそれぞれ違いますので、ご期待下さい。
- 180 名前:chaken 投稿日:2004/05/23(日) 11:51
- いしよし更新、の前にあやみき短編を一つ。
オチなし、エロなし、短いのでお暇な方だけ。
ではどうぞ。
- 181 名前: 投稿日:2004/05/23(日) 11:52
- やたらと絡ませてくる腕。熱の篭もった視線。過剰な密着を求めるスキンシップ。
そんな仕草に込められている感情を知っていた。
何を求めているのか、理解していた。
しかしどうしても踏み越えられない壁があった。
だから、今日も気付かないふりを続ける。
- 182 名前: 投稿日:2004/05/23(日) 11:53
-
wily and pure girl
- 183 名前:wily and pure girl 投稿日:2004/05/23(日) 11:53
- 「ねぇ、たん、今日家に行っていい?」
殆ど毎日のように掛かってくる電話。藤本美貴は一つ溜息をついて答えた。
「…いいよ。つうかどうせ断わっても来るでしょ」
電話口の向こうで松浦亜弥は明快に笑った。
「にゃはは、もちろん。わかってるじゃん」
三十分後に到着する、と言い残して電話は切れた。
- 184 名前:wily and pure girl 投稿日:2004/05/23(日) 11:54
- 美貴は携帯電話を折り畳んで机の上に放り出した。
正方形のテーブルを挟んで両側に向かい合わせてソファが置かれてある。玄関側には二人掛け、窓側には一人掛けのソファ。
美貴の指定席は二人掛けソファの右側だ。そして左側の席は亜弥の特等席になっている。
- 185 名前:wily and pure girl 投稿日:2004/05/23(日) 11:55
- 壁に吊られたコルクボードには亜弥と映った写真が溢れるほど貼り付けてある。
浴室には亜弥専用の下着、パジャマ、タオルが置かれてある。
美貴の部屋には至るところに亜弥の痕跡が残っている。
亜弥は週に二度、三度は必ず美貴の部屋に泊まりに来る。大抵、仕事が終わってから亜弥は美貴の部屋に訪ねてくる。二人共に仕事の入っていない休日は必ず一緒に過ごす。
十分過ぎるほどに美貴は亜弥と同じ時間を過ごしている。しかしそれでも亜弥はそれ以上の触れ合いを求める。そして美貴はそれを拒む。
それは美貴が保っているのは親友としての距離で、亜弥が求めているのは恋人としての距離だからだ。
- 186 名前:wily and pure girl 投稿日:2004/05/23(日) 11:56
- 美貴自身、亜弥が求めている感情の種類は十二分に理解している。
しかし、美貴にはどうしてもそれを受け入れる事は出来なかった。
それは美貴と亜弥が同性だからだ。
一般的な恋愛は異性同士、男女が行うものとされている。
ゆえに同性愛というものは常に世間に受け入れがたいものとされてきた。
ましてや芸能人同士が同性愛なんて、世間に受け入れられるはずが無い。
しかし亜弥はそれを求めてくる。純粋な感情を素直に直接ぶつけてくる。
- 187 名前:wily and pure girl 投稿日:2004/05/23(日) 11:56
- ある種、この場合は亜弥の方が楽なのかもしれない。
美貴は受け手に回っていて、常に逃げを考えて行動しなければならない。亜弥は想いをぶつけるというただ単純で正しい行動を取っているわけなのだから。
むしろ逃げる方が間違っている、という考えの方が一般的かつ絶対的だ。
美貴が決して亜弥を嫌っている、疎ましく思っている、というわけでは無い。相手が亜弥でむしろ喜びたいほどだ。明るく純粋で汚れの無い亜弥に美貴は惹かれている。
しかしそれでも気付かないふりを続けなくてはならない理由があるのだ。
二人は同性だからという、絶対的な事実がある。だから美貴は亜弥の気持ちを受け入れない。
- 188 名前: 投稿日:2004/05/23(日) 11:57
- 呼び鈴が鳴った。美貴が玄関に走り扉を開けると、満面の笑みの亜弥が立っていた。
「たんっ、寂しかったよぅ!」
亜弥は美貴の姿を確認するなり飛びついてきた。美貴は慣れたものとその体を受けとめる。
「はいはい、美貴もだよ」
呆れ口調で返して、亜弥の背中を撫でる美貴。ふと、亜弥は顔を上げて美貴に熱の含んだ視線を送る。
「ちゅーして」
亜弥は目を瞑って唇を突き出す。美貴は一つ息を吐いて、亜弥の頬に唇を落とした。
亜弥は目を開けて甘く美貴を睨んだ。
- 189 名前: 投稿日:2004/05/23(日) 11:57
- 「もう。ほっぺじゃないよぉ」
「ごめんごめん、とりあえず入って」
口を尖らす亜弥に適当な返事を返して、中へ入るように促す。
亜弥は渋々といった風に靴を脱いで中へと足を踏み入れた。
亜弥は普段通りに二人掛けソファの左側に腰を下ろした。そしてキッチンに立って紅茶の準備をする美貴に声を掛けた。
「もー、いいからこっちに来てよぅ」
そこで美貴は少し違和感を感じた。普段より少し呂律が回っていない。美貴は手を止めて二人掛けのソファに座り、亜弥の顔色を見た。
玄関で見た時は気付かなかったが、完全に赤みがかっていた。
「まさか、飲んでる?」
恐々と美貴が尋ねると、亜弥は笑みを零した。
- 190 名前: 投稿日:2004/05/23(日) 11:58
- 「ちょっとだけだよぉ、ちょっとだけぇ、えへへぇ」
完全に呂律が回っていない。よく注意すると亜弥の体からアルコールの匂いが漂っている。美貴は溜息を吐いた。
「また、なんでそんなこと…」
美貴の言葉を遮るように亜弥が美貴に体を持たせてくる。美貴の首に両手を回して、首筋に顔を寄せる。
「美貴たんのせいだよ…」
いつになく真剣な口調で亜弥が囁く。
亜弥の想いに対して、美貴は常に逃げ腰を保ち、逃げ道を確保してきた。
そして亜弥は逃げた美貴に対して深追いはしてこなかった。そうして二人は距離を保ってきた。
しかし今の亜弥の目は真摯に美貴を捕らえている。
逃げる事は不可能、美貴は亜弥の瞳を見つめてそう確信した。
- 191 名前: 投稿日:2004/05/23(日) 11:58
- 「ズルイよ、美貴たんは…私の、気持ち知ってるくせに…」
美貴が何も返さずにいると、亜弥はさらに言葉を繋げた。
「私は、美貴たんが好き…。付き合って欲しいの…」
逃げ道は絶たれた。その時点で美貴が亜弥に返せる言葉は一つに絞られていた。
「ゴメン…あたしは、亜弥ちゃんのこと、そうゆう風に見た事無いから…ごめん…」
美貴の返答に亜弥は無言で美貴から離れると、静かに部屋を出て行った。
「あ……」
出掛かった言葉は喉で堰きとめられた。
親友に戻ろう、なんて言葉は言えなかった。追おうにも足さえ動かなかった。
窓から漆黒の闇夜に輝く満月がやたらと綺麗に輝いていた。
- 192 名前: 投稿日:2004/05/23(日) 11:58
- それから亜弥とは頻繁な連絡こそ無くなったものの、連絡は取っていた。他愛も無い話をして一緒に笑う。お互いにあの夜の事には一言も触れない。
それでいい、と美貴は思っていた。
このまま親友に戻れるならそれでいい。
亜弥のことは好きだ。友人としてではなく恋愛対象として想っている。
だが、もし亜弥の気持ちを受け止めてしまったのなら、亜弥は幸せにはなれない。
普通の男性と恋をして結婚して子供を産む。
亜弥ほどの女性なら普通の幸せを掴めるのだ。それを邪魔してはいけない。
このまま親友の距離を保っていればいい。
- 193 名前: 投稿日:2004/05/23(日) 11:59
- あの告白から二週間ほどが経った。亜弥との連絡は数日置きに取り合っている。順調に親友に戻っているのだ。
そんな折の事だった。
美貴は仕事を終えて帰宅してから、自宅でテレビを見ていた。
シャワーを浴びて髪はまだ少し濡れていた。タオルでその髪を乾かしながら、何気なくテレビを見ている。
ふとその画面に亜弥が映った。亜弥の完璧な笑顔が大写しにされている。
ふと、そこで携帯電話が着信を知らせた。
亜弥専用の着信音だった。美貴は通話ボタンを押して呼びかけた。
「もしもし?」
少量の雑音が混じった電話口の向こうから亜弥の声が聞こえた。
- 194 名前: 投稿日:2004/05/23(日) 11:59
- 「あ、もしもし、美貴たん?」
「うん、どうしたの?」
「えーと、ね…今何してるの?」
普段の亜弥とは少し声調が違って聞こえた。声が普段より安定している気がした。
「家にいるよ、テレビ見てる」
「あ、そう…。ね、今から出て来れない?」
予想外の言葉に少々面食らったが、美貴は承諾の返事を返した。亜弥の誘いを断わる理由は無いのだ。
自分は亜弥の親友で亜弥を避ける理由などどこにも無いのだから。
亜弥が指定した場所は一度一緒に訪れた事のある公園だった。
夜でも照明がついていて、浮浪者もいない立派な施設だ。
- 195 名前: 投稿日:2004/05/23(日) 12:00
- 美貴はジーンズに着替えると、上に上着を羽織って外に出た。
その公園は美貴の自宅からはそれほど離れていない。美貴は自転車に乗ってマンションを出た。
夜空には三日月が浮かんでいた。美貴は亜弥の想いを断わった満月の夜を思い出した。
自転車を滑らせて公園の脇に止める。そして夜の公園に足を踏み入れる。人気の無い遊歩道を通って、広場に抜けた。
亜弥の姿はすぐに見つけられた。
広場の中央の芝生に立っている影。
月光と照明を浴びて、その姿は綺麗に映えていた。
- 196 名前: 投稿日:2004/05/23(日) 12:00
- 「亜弥ちゃん」
呼びかけると、シルエットが揺れて亜弥が振り向いた。
「久しぶりだね、会うの」
亜弥は儚いほど綺麗な笑みを浮かべて言った。
あの告白を受けた夜以来、電話やメール交換によって連絡は取っていたものの、直接亜弥と会ってはいなかった。
少し沈黙を置いて美貴は答えた。
「…ああ、そうだね」
美貴は亜弥に近寄っていき、距離を縮めていく。
「ちょっと待って」
残り数メートルの距離で亜弥は美貴を停止させた。美貴は不思議そうな表情を浮かべて足を止めた。亜弥は笑みを絶やさないまま言った。
- 197 名前: 投稿日:2004/05/23(日) 12:00
- 「ゲームしない?」
「ゲーム?」
美貴が尋ね返すと、亜弥は頷いてポケットを探った。
「コインを投げて裏か表か当てるの。裏だったらこのまま親友のまま」
亜弥が自身と美貴との関係に触れたのはあの満月の夜以来初めてだった。
美貴は苛立った。
せっかく親友に戻れるのに何で今更蒸し返すのだろう。
あの告白を終わった事にしたい自分がいた。募る焦燥と苛立ち。しかし美貴はその苛立ちを抑えて聞き返した。
- 198 名前: 投稿日:2004/05/23(日) 12:01
- 「表だったら?」
亜弥の表情から笑みが消えて、口元が引き締まった。
「私と付き合って」
美貴は表情を凍り付かせた。亜弥は無言のまま美貴の動向を見守っている。漸く我に返った美貴は険しい表情で言い返した。
- 199 名前: 投稿日:2004/05/23(日) 12:01
- 「自分が何言ってるのか、わかってる?」
亜弥は迷いも躊躇いもなく頷いた。美貴は鋭く亜弥を睨んで言葉を続ける。
「結婚も出来ないんだよ?」
亜弥の瞳に宿る決意は全く揺るがない。
「オランダにでも行けばいいじゃん」
平然とした口調で答える亜弥。美貴の焦りも段々と募っていく。
「みんなから変な目で見られるんだよっ?」
声色が微かに震えていた。それでも亜弥は動揺せずに美貴の瞳を見据えたまま答える。
「それでもいいの」
美貴の目尻から一粒の雫が零れ落ちた。それでも亜弥に動揺は見られない。美貴は涙声で続ける。
「親が…泣くよっ?」
その言葉は静寂を呼びこんだ。部屋には時計が時を刻む音と美貴のすすり泣きの声だけがやけに声高に響いている。
- 200 名前: 投稿日:2004/05/23(日) 12:02
- 暫くの沈黙の後、亜弥は静かに口を開いた。
「パパとママが泣けないくらい、幸せになるもん」
亜弥は静かに立ち上がって、美貴の元に歩み寄り、その細い体を思い切り抱きしめた。
「美貴たんとなら、そうなれる自信があるもん」
その言葉で美貴は漸く気付いた。
自分は怖がったのだ。純粋過ぎる亜弥の想いから逃げ出したのだ。亜弥が、ではなく自分が傷付く事を恐れて。ただ自分の保身の為に亜弥の気持ちを無視してきた。
しかし、逃げた自分を亜弥は追いかけてくれる。純粋な想いで包んでくれる。美貴は震える声で呟いた。
「ゲーム、乗っても良いよ」
- 201 名前: 投稿日:2004/05/23(日) 12:02
- 亜弥の体が美貴から離れる。亜弥は持っていた鞄のポケットを探り、コインを取り出した。
「じゃ、行くよ」
亜弥の手から放たれたコインは夜空に舞い上がり、一瞬だけ月光を反射して輝いた。
- 202 名前: 投稿日:2004/05/23(日) 12:02
- 平日の公園には母親と幼児の親子連れが目立っている。
二人共通の貴重な休日。前日に美貴の部屋に泊まった亜弥はこの公園への散歩を提案した。
美貴には亜弥の頼みを断わる理由もなく、付き合い始めて初めてのデートをする事になった。遊歩道を手を握って歩く二人。
「てゆうかさー」
美貴が間延びした声を上げる。
「ん?」
腕を絡ませて嬉しそうに亜弥が尋ね返す。美貴は亜弥と目を合わせずに答えた。
- 203 名前: 投稿日:2004/05/23(日) 12:03
- 「あの両面表のコインってどこに売ってたの?」
「ふぇっ?」
亜弥の表情が一変する。その表情に滲むのは焦りと動揺だ。
「バレてるに決まってるでしょー?」
得意そうに美貴が口端を上げる。亜弥は泳ぐ目を固定させようと必死になっている。
「じゃ、じゃあ、何で…言わなかったのよっ」
口篭もりながら尋ねる亜弥に美貴は満面の笑みを作った。
「さあ、なんででしょう」
ずるいー、と喚く亜弥を無視して、美貴は笑いながら再び遊歩道を歩き始めた。
昼間の公園には子供の声と鳥の囀りが木漏れ日の隙間から響いていた。
- 204 名前: 投稿日:2004/05/23(日) 12:03
-
***END***
- 205 名前:chaken 投稿日:2004/05/23(日) 12:05
- 以前書くといっていたあやみき終了です。
では、お待たせしました。
エロいしよしです。
- 206 名前: 投稿日:2004/05/23(日) 12:05
- ずっと、憧れ続けていた人がいる。
彼女が言葉を発する度に目はその唇に釘付けになって、その濡れた瞳が揺れるとどうしようもなくなった。
彼女の全てが欲しかった。
- 207 名前: 投稿日:2004/05/23(日) 12:06
-
今と過去と虹
- 208 名前: 投稿日:2004/05/23(日) 12:06
- 乳白色の厚い積乱雲が空を覆っていた。
絵に描いたような曇天だ。乳白色に覆われた空の表面からは今にも雨粒が降り落ちてきそうだった。
吉澤ひとみは空に向かって息を吐いた。
屋上は常にひとみが身を寄せる場所だった。それはテレビ局でも自宅のマンションのそれでも同じだった。
屋上という場所ではなく、そこから見える空が好きだった。特にひとみは曇天、この乳白色を好んだ。
見える限りの空は限りなく乳白色に覆われていた。
- 209 名前: 投稿日:2004/05/23(日) 12:07
- 「どうして…こうなっちゃったのかな…」
ひとみの孤独な呟きは階下からの喧騒に掻き消された。
憧れはやがて想いを形作り、そして恋となって、想いを伝えて受け入れられた瞬間に愛に変わる。
交際を始めた頃はそれまで押さえこんできた想いの丈を相手に求めて、そしてその想いの分だけ相手を思い遣った。
口付けを交わすだけで満足した時は過ぎ、やがてひとみは体を重ねても満足を覚えないようになった。
倦怠期なんて考えた事も無かった。それまでひとみの交際した相手とは全くそんな兆しも無く、またそれを実感するまで関係は続かなかった。
- 210 名前: 投稿日:2004/05/23(日) 12:07
- ひとみが石川梨華と交際を続けて約一年が経とうとしている。
二人の間の空気に倦怠期を実感し始めてから、梨華に接する態度、挙動がぎこちなくなり、会話の歯車もかみ合わなくなった。
距離は開いていくばかりだった。
ひとみはジーンズの後ろポケットから携帯電話を取り出してディスプレイを開くと、着信履歴を確認した。
梨華との最後の通話は一週間前に記録されていた。
「……」
ひとみは無言でディスプレイを閉めた。乾いた音を立てて携帯は折り畳まれた。
ひとみは携帯電話を握り締めながら、乳白色の空を見上げた。
相変わらず空は何も変わらず、雲の動きすら読み取れなかった。
- 211 名前: 投稿日:2004/05/23(日) 12:08
- かつんかつん、とリノリウムの床を踵で打ち鳴らしながら石川梨華は廊下を歩いていた。
最近、仕事においても失敗が目立つようになっていた。そして今日、目に余る失敗の連続についに中澤裕子の堪忍袋の尾が切れた。
「やる気無いんなら出ていき」
語気を荒げるでもなく、ただ冷たく言い放つ。静かな口調は中澤が本気で怒っている証拠だった。
圧倒的に自分に非がある事は分かっていた。
しかし募っていた苛立ちは前触れも無く、最悪の瞬間に暴発してしまった。
- 212 名前: 投稿日:2004/05/23(日) 12:09
- 「出ていきますよ」
一時の意地はすぐに自己嫌悪に変化した。目頭が熱を含んでいる。涙が出る前兆だった。
それを見られたくなくて、梨華は早足で廊下を通り抜ける。
仕事の不調の原因は明白である。
それは偏に恋人との不仲であった。
派手に喧嘩を起こした訳でもなく、あからさまに険悪な雰囲気が漂う訳でも無い。
互いの挙動の微妙な差異が二人の距離を開けている。
それを倦怠期と呼ぶ事も、分かっていた。
吉澤ひとみは同期で加入した仲間だった。少なくとも自分はそう思っていた。
ところが唐突な告白でひとみが自分を恋愛の対象としてみている事が分かった。
- 213 名前: 投稿日:2004/05/23(日) 12:09
- 同性愛など考えた事も無い梨華は面食らったが、直感的な印象はそれほど嫌なものではなかった。
むしろ嬉しいとさえ思う自分がいた。
恋人としての交際を求める言葉に了承の返事を返したのはその辺りが影響しているのかもしれない。
それから友人の距離では見えなかったひとみの側面を次々と知って、梨華はひとみに惹かれていった。
人を好きになるのがこれほど甘苦しく、狂おしい事だと、梨華は初めて知らされた。
ひとみは常に優しくあったし、梨華はひとみに惹かれていった。
- 214 名前: 投稿日:2004/05/23(日) 12:10
- きっかけは何だったのか、そもそもきっかけがあったのかすら梨華には分からない。
いつのまにか二人の間に距離が開いていて、手を伸ばすだけでは届かない距離になっていた。
しかしそれを飛び越える勇気は梨華には備わってなかった。
そこへ飛びこんで届かずに落下する自分が嫌で、梨華は現在もひとみとは気まずいままだった。
「梨華ちゃん」
聞き慣れた声が梨華を呼びとめた。梨華は足を止めて振り返った。そこには親友の不思議そうな顔があった。
「どうしたの?泣いたでしょう?」
柴田あゆみは梨華に駆け寄って梨華の目尻を拭った。
「ほら、泣いてる」
柴田は濡れた指先を梨華に晒した。梨華は小さく呟いた。
「ホントだぁ…」
柴田の表情に苦笑が刻まれる。
「話、聞こうか。参考までに」
解決できるかどうかは話次第だけど、と付け加えた。梨華は柴田に手を引かれるままに再び廊下を歩き始めた。
- 215 名前: 投稿日:2004/05/23(日) 12:10
- 空気が少し湿ってきた。雲行きが怪しくなってくる。
ぽつり、とひとみの腕に冷たい粒が落ちた。ひとみは空を見上げた。今度は頬に粒が落ちてくる。
「雨か…」
無感情にそう呟くと、ひとみは目を瞑った。段々と雨足は早まっていく。ひとみは目を瞑ったまま回想に耽っていった。
梨華と初めて会った時からひとみは梨華を恋愛の対象として認識し始めた。
細い線の体。申し分のないスタイルに天性の色気。どこまでも純粋無垢な性格。
初めて目が合って、微笑を貰った時から、ひとみの心は梨華に傾いていた。
それでも告白に至ったのはそれから半年ほど経った頃だった。
その時の事はよく覚えていない。ただ告白をする前の心地は覚えている。心臓の鼓動が頭に鈍痛を送りこみ、胃の辺りが酷く痛かった。
- 216 名前: 投稿日:2004/05/23(日) 12:11
- あの時の自分は現在の自分を想像していただろうか。
ひとみは目を開いた。雨粒は穏やかに降り注いでいた。ひとみはもう一度空を見上げる。
快晴の日より、雨の日が好きだった。雨の日の匂い、澄んだ空気、コンクリートを叩く雨音。
ひとみは大事な事を実行する日は常に雨の日を選んだ。ひとみが梨華に告白した日も雨の日だった。
想いを伝えた日。ひとみのマンションの部屋で、窓から見える雨を背に、口付けを交わした事。
今もその映像は鮮明に蘇る。
自分は梨華と別れたいのだろうか。
「梨華ちゃん…」
息苦しくなって、ひとみは一つ深呼吸をした。
靄がかかったように、自分の気持ちすらも分からなかった。
- 217 名前: 投稿日:2004/05/23(日) 12:12
- コーヒー豆の重厚な香りが空間を満たしている。すぐ脇の窓からは人通りの少ない裏通りが見渡せる。
「良い所でしょう?」
梨華の向かいの席に座っている柴田が得意そうな顔を見せた。
梨華をこの喫茶店に案内したのは柴田だった。テーブルにはコーヒーが二つ並んでいる。
「まだ、続いてるの?」
柴田には何度か相談した事がある。柴田は梨華とひとみの事情を知っていた。
「倦怠期なんて時間が解決してくれるもんだと思ってたけど…」
柴田はコーヒーカップを手にとって一口啜った。梨華は俯いたまま小さく答えた。
「全然…電話も掛かってこないし、メールも来ないし…」
柴田は静かにコーヒーカップを置いた。
- 218 名前: 投稿日:2004/05/23(日) 12:12
- 「やっぱ、新しい刺激っていうのが必要なんじゃない?」
「新しい刺激?」
梨華が鸚鵡返しに聞き返すと、柴田は頷いた。
「一回思いきり喧嘩してみるとか」
梨華の表情が一気に曇った。か細い声で梨華が言い返す。
「そんなの…そのまま別れちゃったら…」
そこで言葉を止めて再び顔を俯かせる。柴田は一つ息を吐いた。
「あのねぇ、どうせこのままじゃ絶対別れちゃうんだから、足掻いてみちゃっていいじゃん。…ま、どうするかは梨華ちゃん次第だけどさ」
梨華は何も言葉を返さない。柴田はさらに言葉を続けた。
「別に無理やり喧嘩しろって言ってるわけじゃないよ?でも、好きなら気持ちを伝えなきゃ。恋愛なんてそんな美しいものばかりじゃないでしょう。悪あがきしなきゃダメな時だってあるよ」
梨華は顔を上げて、柴田と目を合わせた。柴田は無言で大きく頷いた。
「…わかった。ちゃんと話してみる」
梨華は小さく力強く言った。逃げるのはやめる、という確固たる決意を込めて。
- 219 名前: 投稿日:2004/05/23(日) 12:12
- 窓の外には雨粒が激しく降り注いでいた。降水確率九十パーセントの雨だ。
ひとみはソファに腰掛けて、窓の外を見やっていた。
積乱雲から降り注ぐ雨粒。
雨、というより水の束、といった方が正しいのかもしれない。
せっかく貰った貴重な休日だが、さすがにこんな大雨の中に外へ出る気は沸かなかった。
ひとみはソファから立ち上がり、窓際へと歩いていった。窓に雨が叩きつけられて、滝を作っている。
硝子に映る自分の顔が歪んで見えた。ひとみは手を窓に持たせて、じっと外を見つめた。
こんなふとした瞬間に浮かんでくるのは決まって梨華の事だった。それは梨華に想いを寄せ始めてから、全く変わらない。
すれ違い、思いが伝わらない。もどかしい気持ちは無駄に募るのにただ一歩を踏み込む勇気は出ない。
やはり、梨華が好きだ。その事実に変化はないというのに。
- 220 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/23(日) 12:13
- そこで部屋の呼び鈴が鳴った。
ひとみは小走りに玄関へと向かい、扉を開けた。
そこには予想もしない相手が立っていた。
「梨華、ちゃん…」
目を丸めたひとみが呆然と呟く。梨華はひとみの目を見据えて答えた。
「よっすぃ、久しぶりだね」
梨華の髪が少し濡れていた。右手にピンク色の傘を持っている。梨華は言葉を続ける。
「話したいことがあるの…。入っていい?」
その口調に決意の深さが滲み出ていた。その目に圧されてひとみは小さく頷いた。
- 221 名前: 投稿日:2004/05/23(日) 12:13
- キッチンで紅茶を入れながら、ひとみはソファに座った梨華を見つめる。
梨華は話がある、と言った。
何の話か、最近の二人の雰囲気を見れば答えは一つに絞られる。
ひとみは二人分の紅茶を淹れて、机に置いた。心臓が痛いほど脈打っている。ひとみは小さく深呼吸して、梨華と向かい合ってソファに座った。
「あのね…」
梨華が真剣な口調で切り出した。ひとみも真剣な面持ちで梨華を見守る。
「私、怖いの…」
少し声色が震えていた。ひとみは何も言葉を挟まずに続く言葉を待つ。梨華は少し俯いた。
「このまま…ね、よっすぃ、と話さなくなって…遠くなって、離れちゃうのが、嫌なの…」
ひとみは何も答えられずにいた。梨華は俯いたままその華奢な体を小さく震わせる。目頭に熱が収束される。
- 222 名前: 投稿日:2004/05/23(日) 12:14
- 柴田にあのように言われたが、やはり口を付いて出るのはひとみへの純然たる想いだけだった。梨華は顔を上げてひとみの目を見据えた。濡れた瞳がひとみを捕らえた。
「ひとみちゃんが好き…」
梨華がひとみちゃん、と呼ぶ事は滅多に無い。ひとみの中に単純に嬉しさが沸き上がってきた。
実に簡単な事だ。
変わらずに自分を想ってくれていることが分かった。ただそれだけの事で今までの距離は吹き飛んだ。
- 223 名前: 投稿日:2004/05/23(日) 12:14
- 「あたしも、だよ。梨華ちゃんが誰よりも好き…」
ひとみは梨華の目を見つめて、しっかりと言い放った。
まるで今までの距離が嘘のように、二人は向かい合って見つめ合う。
静かにひとみが歩き出す。二人の距離が縮まっていく。
ひとみは梨華の前まで来ると、その細い体を抱きしめた。
想い焦がれた香り、感触。
「ふふっ、嘘みたいだね…倦怠期なんて」
耳元で梨華が囁く。ひとみは少し笑って答えた。
「ホント…。なんであんなに距離とってたんだろ…、こんなに好きなのにね…」
もう二人の間に躊躇いはなかった。
「梨華ちゃん?目ぇ、瞑ってくれる?」
ひとみが問い掛けると、梨華ははにかむように笑んだ。そして梨華は目を閉じた。二人の距離が無くなった。
- 224 名前: 投稿日:2004/05/23(日) 12:15
- ひとみはゆっくりと味わうようにその感触を堪能して、唇は離した。一瞬、頭の奥の方が心地良い痺れに襲われた。
「好き…」
ひとみは呟いて、梨華をソファに押し倒した。梨華の小さな肩を優しく抑えて、その体に覆い被さる。そして再び深く口付ける。唇で梨華の薄い上唇を挟み、優しく啄ばむ。
「ん、ふ…っ」
切なげに梨華から吐息が漏れた。舌でちろり、と下唇を掠めると、梨華が眉根をしかめた。その内にひとみの手は梨華の体を這いまわり、豊満な乳房に到達した。
「んあ…っ」
ひとみと舌を大胆に絡ませながら小さく喘ぐ。ひとみの長い指が梨華の乳房に食い込む。ひとみは唇を離して、梨華の耳元に寄せた。
- 225 名前: 投稿日:2004/05/23(日) 12:15
- 「相変わらず、感度は最高みたいだね」
その言葉と共にひとみの手がさらに強く梨華の乳房を揉みしだいた。
「や、あ…っ」
梨華の眉根が切なそうに寄った。
「我慢してきたもんね、一ヶ月くらいずっとシテないし。梨華ちゃんのエッチな体、さらにエッチになってるみたい」
揶揄する言葉に梨華は緩む目を引き締めてひとみを睨んだ。
「そんな事っ…あんっ!」
梨華の言葉は再びひとみの指が乳房に食い込んだ事で遮られ、代わりに甘い吐息が漏れた。
「そんな事、ないって?」
ひとみは揶揄するように笑んで、シャツの上から梨華の乳房を揉み上げる。
- 226 名前: 投稿日:2004/05/23(日) 12:16
- 「あ…っ、んは…っ…あっ…」
段々と梨華の息が荒くなってくる。ひとみの指先はぴん、と起ち上がった乳首を探し出して、そこを軽く弾いた。
「んは…ぁっ!」
梨華が体を撓らせて一際高く鳴いた。ひとみはくすり、と笑みを漏らした。
「かーわいっ」
中指の先でその尖った蕾を転がす。梨華の体がびくりと跳ねまわる。
「ほぉら、エッチじゃん」
余裕綽々という態度が悔しくて、何とか反論を試みるが、その前にひとみに唇で口を塞がれる。
「んっ…んふぅ…っ」
その間にもひとみの指先は的確な愛撫を続けていた。梨華の体のどこをどうすればどう感じるのか、ひとみは確実に知っている。
- 227 名前: 投稿日:2004/05/23(日) 12:16
- ひとみの手の平で転がされているという感覚が悔しくも恥ずかしくもあり、そしてまた嬉しくもあった。
すり潰すように指に蕾を押し付ける。快感が神経を通り、一気に頭の奥の方へ響き抜ける。
「んは、ぁ…っ!」
勝手に口から漏れる喘ぎもひとりでに跳ねる体も梨華自身ではどうにも制御は効かない。片手で乳房を弄くりながら、もう一つの手は下半身へと伸びていた。
初めはスカートの上から太腿を撫で回す。そして太腿からその肉感的な尻肉へとひとみの手が弄る。
「んっ…はん…っ!」
目を瞑って一生懸命に快感を甘受しながら、高く甘い鳴き声を漏らす梨華。やがてひとみの手はスカートを捲り上げて、直接素肌を撫で始める。肉感的な足をひとみの手が這い回る。
- 228 名前: 投稿日:2004/05/23(日) 12:16
- 「は、ん…っ!や、あんっ…!あ、うあ…っ!」
上半身と下半身。両方からの快感に思考が阻まれていく。
「梨華ちゃん、上、脱がすよ」
梨華は潤んだ瞳で何度も頷く。ひとみは笑みを漏らして、梨華のシャツをたくし上げた。
「ほら、バンザイして」
梨華が両手を上げる。シャツが脱がされて、浅黒い肌と豊満な膨らみを隠す薄桃色の下着が姿を現した。
ひとみはフロントホックを外して下着を取り去った。綺麗な椀型に形の整った豊満な乳房とその頂で立派に起ち上がり自己主張する薄い桃色の蕾。
「あ、起ってる」
梨華は赤く染まった顔を隠すように顔を横に背ける。ひとみは上に上げたままの梨華の両腕の手首を掴んで固定した。梨華はその無防備な肢体をさらけ出した。
- 229 名前: 投稿日:2004/05/23(日) 12:17
- 「や、何っ?」
梨華の不安げな声を無視して、ひとみはそのまま脇腹の辺りに唇を押し付けて、そのままどんどんと昇らせた。脇腹から脇を掠めて、鎖骨、そして乳房の周りを撫でるように優しく唇で愛撫する。
「あ、や…ッ!何っ、うあん…っ!きゃん…ッ!」
円を描くようにひとみの唇は乳房を這って、やがて頂上の蕾に行きついた。そこはもう既に小刻みに震えながら痛々しいほどに起って快感を待ち構えていた。
ひとみは舌で数回その蕾を味見してから口に含んだ。
「んあッ!」
梨華の体が一気に跳ねあがり、甲高い喘ぎが漏れた。
美味しい。
ひとみは心の中で呟いて、思い切りその蕾を吸い上げてみた。
- 230 名前: 投稿日:2004/05/23(日) 12:17
- 「はぁんっ!ん、はぁ…ッ!あ、ああ…ッ!すごい、っ…!」
引っ張られるように梨華の体が背中を支点に持ちあがっていく。ひとみの吸い上げに応じて梨華の体も反っていく。ひとみが漸く唇を離すと、梨華の体も一気に沈んだ。
「右だけじゃやだって?」
ひとみは梨華の答えを待たずに左側の乳首に吸いついた。
「うあ、っ…!は、やあ…ッ!ん、やぁっ…!」
舌でその蕾を転がしながら吸い上げる。その度に梨華の体が撓る。ひとみはその蕾を軽く甘噛みした。
「やはぁッ!」
梨華は一際大きく嬌声を上げて体を撓らせた。腰の辺りが震えた。ひとみは口を離すと梨華に揶揄の視線を送る。
「梨華ちゃんの乳首、すごいよ?」
ひとみに促されて梨華は自分の乳首を目をやる。
起ちあがったそこは赤く充血した上にひとみの唾液で淫靡な光沢を放っていた。
梨華は耐えきれずに目を背けた。
- 231 名前: 投稿日:2004/05/23(日) 12:18
- 「上だけでこんなだったら、下はどうなってるんだろね?」
ひとみの手がスカートのホックに掛けられた。ひとみが視線で梨華を確認すると、梨華は恥じらいながら小さく頷いた。
ひとみは指先だけで器用にホックを外し、スカートを脱がせた。露わになった薄桃色の下着の中心には大きく染みが出来ていた。ひとみが笑みを浮かべて梨華に視線を送ると、梨華は再び顔を背けた。
「前よりも敏感になってるんじゃない?」
ひとみは梨華の体を抱き起こしてソファに座らせると、その背後に回って梨華の体を抱きすくめた。
「ホントにエッチな体してるよねえ…」
ひとみは指先を下着の上から女芯に押し当てた。梨華の体が小さく跳ねる。ひとみは指先から熱と湿りを感じ取った。
「熱いよ、梨華ちゃんの」
ひとみはゆっくりとその入り口をなぞりながら、梨華の耳元で囁いた。梨華は目を瞑り、首を竦ませた。
- 232 名前: 投稿日:2004/05/23(日) 12:18
- 「こっちも起ってるのかな」
ひとみは呟くと、指先で染みの出来た辺りを中心に探り始めた。敏感な箇所を撫ぜられて梨華は小さく息を漏らしだした。
「ふ、あぁ…っ、あ…っ!く、んっ…!は、あっ…!」
「あ、あった。やっぱり起ってるや」
ひとみの指先が起ちあがった蕾を布越しに探り出した。
「ひゃんッ!」
梨華の体が大きく跳ねあがった。ひとみは梨華の蕾を下着越しに指で挟みこみ、軽く抓った。
「や、はぁッ!だめえっ!」
梨華はかぶりを振るいながら叫ぶ。さらに梨華の入り口から愛液が染み出てくる。
「脱ごうね?」
ひとみは言うが早いか、下着の淵に手を掛けて一気に引きずり下ろした。梨華の些細な抵抗すら許さない早業だった。
淡い茂みが晒される。そこは透明な液体で光っていた。
ひとみは梨華の体を自分の方に向かせると、唐突に唇を奪った。深い口付けを交わしながら、梨華を押し倒す。
ひとみは梨華の舌を吸い上げながら、その唇を被せる。
唇を離すと透明な糸が二人を繋いだ。
- 233 名前: 投稿日:2004/05/23(日) 12:18
- 「梨華ちゃん…」
ひとみは梨華の体に覆い被さったまま、指先を梨華の太腿に滑らせる。梨華は紅潮した頬を隠そうともせずに、焦点の合っていない瞳でひとみを見上げる。
その仕草がたまらなくひとみを欲情させた。
ひとみは左手を梨華の頬に添えて、右手で茂みを捉える。
「可愛いよ、梨華ちゃん…」
ひとみは呟くと、素早く梨華の口唇を奪った。そして唇を離すと、右手で茂みを探り、起ちあがった敏感な肉芽を探し出した。
「ふあ、ッ…!」
梨華の体が跳ねる。その蕾は皮も剥けて赤く充血して勃起していた。ひとみは指先でその蕾を転がす。
「梨華ちゃんはこうされるのが好きなんでしょ?」
ひとみはひたすらに優しくその蕾を転がす。決して強い刺激を与えないように優しく扱う。焦らすような、もどかしいような快感に梨華は身を捩り、切なげな視線でひとみを見上げる。
- 234 名前: 投稿日:2004/05/23(日) 12:19
- 「ひとみちゃ…っ、お願い…っ」
梨華の懇願にひとみは手を止める。口端を上げて梨華に問い返す。
「どうして欲しい?」
梨華は悔しそうに唇を噛んだが、ひとみの指が蕾を掠めると、再び顔を歪めて嬌声を漏らした。
「どうして欲しいのかな?」
繰り返すひとみの言葉。梨華は諦めて呟いた。
「入れて…下さい…」
ひとみは満足そうに微笑みを浮かべた。入り口を探り出して、まずは指先だけを挿入する。
「ふ、あぁ…ッ!」
梨華の肉襞が指を心地良く締め付ける。ひとみはさらに力を込めて指を奥へと押し込んでいく。
「うあ、あぁ…ッ!」
ひとみの中指が梨華の中へと埋め込まれていった。温かい梨華の襞が滑りながら指全体に絡みついてきて締め付ける。
- 235 名前: 投稿日:2004/05/23(日) 12:19
- 「梨華ちゃんのエッチなところがあたしの指、締めつけてるよ?」
恥辱を煽るひとみの言葉に梨華は何も言い返せずにただ顔を横に背けた。ひとみの指が梨華の中で動き始めた。
「う、あんッ!や、はぁ…ん…っ!だめぇ…ッ!」
ひとみの指が梨華の肉襞を掻き回す淫靡な水音が部屋に響く。ひとみは指で梨華の奥を探りながら、梨華の耳元で呟く。
「エッチな音だねえ、梨華ちゃん?」
ひとみの揶揄に梨華はさらに顔を紅潮させる。
「やあ、ぁん…ッ!は、恥ずかしいよぅ…っ!ひとみ、ちゃ…っ!」
ひとみの加虐心を煽る梨華の言葉。ひとみは激しく指を揺らして梨華の愛液を掻き出しながら、梨華に言葉を掛ける。
「ほら、ほら。気持ちいいの?」
敏感な箇所を的確に責めながら、梨華を追い詰めていくひとみ。梨華は息も絶え絶えになりながら答える。
- 236 名前: 投稿日:2004/05/23(日) 12:19
- 「き、気持ちっ、いいよぅっ!あ、ん…ッ!ダメっ…、もう…っ!」
ひとみは内壁に指を擦りつける。滑りが快感を増幅させる。ひとみの指はそこを捉えた。
「やんっ!」
梨華は甲高い声を上げて跳ねあがった。梨華の弱点だ。ひとみはさらにそこを強く擦る。
「だ、め…っ!い、そこは…っ、い…っ、イ、クぅ!ひと…っ、ちゃ…あ、くッ!」
梨華は体を撓らせながら潤んだ瞳でひとみを見上げる。
絶頂を求める懇願だ。ひとみは笑みを浮かべたまま頷いた。
「いいよ。梨華ちゃんの一番可愛い顔を見せて」
梨華の中で全ての我慢が解放された。
「きゃうんっ!」
眉を顰めながら堪らなく官能的な顔をして梨華は絶頂に達した。梨華が果てるともに女芯からは愛液が噴出して、絡みつく肉襞がさらに強くひとみの指を締め付けた。
- 237 名前: 投稿日:2004/05/23(日) 12:20
- 紅潮した顔を背けて上がる息を必死に整える梨華。ひとみはその梨華の頬を優しく撫でて、甘く囁いた。
「すっごく、可愛かった」
鈍い思考の中でただそれだけの言葉が響き、梨華は本当に純粋無垢な、屈託の無い笑顔を浮かべた。
- 238 名前: 投稿日:2004/05/23(日) 12:20
- 「すいませんでしたっ」
突然、楽屋を訪ねて、唐突に頭を下げる梨華に中澤は戸惑った。
「もうあんな事はしませんから、ホントにごめんなさいっ」
梨華は深く頭を下げる。素直に頭を下げる梨華に毒気を抜かれた中澤は慌てて答えた。
「ええよ、ええから。顔上げえや」
顔を上げた梨華の顔は清々しかった。中澤の脳裏にひとみの顔が過ぎった。中澤は納得した。
「ええけど、もう仕事に手、抜いたらあかんよ?」
「はいっ」
爽やかな笑みを浮かべて清々しく答える梨華。
「今日これからよっすぃとデートなんで、失礼しまーす」
梨華は勢いよく楽屋を飛び出した。取り残された中澤は半ば呆然と呟いた。
「ガキは大変やなあ…あ、雨、上がっとるわ」
楽屋の窓から外を見ると、先ほどまでの雨は止み、薄く虹が掛かっていた。
- 239 名前: 投稿日:2004/05/23(日) 12:21
-
***END***
- 240 名前:chaken 投稿日:2004/05/23(日) 12:23
- 更新終了です。
書くと言ってから大分経ちましたが、こんな感じでいかがでしょう。
満足していただけたら嬉しいです。
次回から第二部を始めます。
- 241 名前:chaken 投稿日:2004/05/23(日) 19:58
- えー、間違い発見です。
199の最後。
部屋には時計が時を刻む音と美貴のすすり泣きの声だけがやけに声高に響いている。
改め。
公園には大きな静寂の中、美貴のすすり泣きの声だけがやたら声高に響いている。
脳内変換、お願いします。
- 242 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/24(月) 14:27
- (;´Д`)ハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァ
エロ万歳!!作者様万歳!!
- 243 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/24(月) 22:51
- あやみきもいしよしも永遠(*´Д`)ハァハァ
お疲れ様です。最高です。
- 244 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/27(木) 23:16
- ちゃいこーです!!
- 245 名前:chaken 投稿日:2004/05/29(土) 11:45
- >242様。どうもありがとうございます。頑張ります。
>243様。その通りですね。はい。ご満足頂けて幸いです。
>244様。ちゃいこーですか。良かったです。
第二部更新です。
- 246 名前:娘。内恋愛。 投稿日:2004/05/29(土) 11:46
- 確かに初めは代わりだったのかもしれない。
もう手に入らない彼女の代わりだったのかもしれない。
しかし、今はもう違う。
彼女の代わりではなく、あたしは亀井絵里という少女自身に惹かれていた。その瞳、声、唇、全てに惹きつけられていた。
亀井ちゃんの全てがあたしを魅惑する。
- 247 名前:娘。内恋愛。 投稿日:2004/05/29(土) 11:46
- 私が代用品だということはわかっていた。
もう恋人のいる彼女の代用品だと言う事を承知した上で私は高橋愛という人間に惹かれていた。
もうどうにもならない。この感情に突き動かされて私は高橋さんに引き寄せられていった。
高橋さんの全てが私の全てになってしまった。
- 248 名前:娘。内恋愛。 投稿日:2004/05/29(土) 11:47
- 収録を終えて、愛は一人で自販機に向かっていた。
「高橋さん」
聞き覚えのある声で呼び止められて、愛は立ち止まった。
愛の予想通りの人物、絵里は少し口を尖らせて、愛の衣服の裾を掴むと拗ねた風な振る舞いを見せた。
「ウソツキ」
その後輩の突然の呟きに愛は面食らった。まるで覚えがない。愛は半ば恐る恐る尋ねた。
「な、何のことや?」
- 249 名前:娘。内恋愛。 投稿日:2004/05/29(土) 11:47
- 絵里の発言にはいつも驚かされる。思いも寄らない発言や切り返し。しかし、その絵里の会話術は話していて飽きない。それも愛が絵里を気に入っている一つの要因だった。
しかし如何せん、この少女は少し飛び過ぎることがある。
今度は何を言われるのだろう。
「家」
この絵里の短い単語で愛は思い出した。つい最近、絵里と話していて何気なく置き去りになった約束があった。
絵里の家を訪れるという約束。
それがおそらく彼女の言おうとしている事であろう。
- 250 名前:娘。内恋愛。 投稿日:2004/05/29(土) 11:47
- 「…ホンマに行ってもええん?」
在り来たりな約束だったし、取りようによっては冗談や社交辞令にも取れなくも無かった。
正直、あまり信用してはいなかった。
あさ美が真希と付き合い始めてから、自分が拒絶されてから、臆病になっているのかもしれない。
「ホントはイヤだったり?」
そんな訳はない。愛が慌てて手を振る。もちろん本心だ。
想いを寄せているこの少女の誘いを誰が断わろうか。
愛だって忘れていたわけではない。ただ、自分から約束の執行を迫る事も怖かった。
自覚以上に自分が臆病になっている気がする。愛は一つ息を吐いた。
- 251 名前:娘。内恋愛。 投稿日:2004/05/29(土) 11:48
- 「じゃあ、一週間後でええか?」
愛の言葉に絵里は満面の笑みで頷いた。
「はいっ。首を洗って待ってますんで」
「…それ、少し間違っとるよ」
「お風呂、御飯、それとも私?みたいな方が良いですか?」
「…そっちの方がええ」
全く掴み所がない。やはりこの少女はどこか変だ。愛は再び息を吐いた。逆襲の言葉を掛ける。
「行った時、あたしがおる間に寝たりしたら襲うで」
「欲求不満なら、お手伝いします」
平然とした切り返し。やはり中々敵わない。さらに絵里は逆カウンターを返してくる。
- 252 名前:娘。内恋愛。 投稿日:2004/05/29(土) 11:48
- 「紺野さんのせいですか?欲求不満は」
「…痛いとこ突くな」
「情状酌量で慰めてあげましょうか」
「…お願いします」
絵里の発言は本心を掴めないものばかりだ。愛はとりあえず直感での返事を心がけている。
絵里が変だ。そう思いながらも他人から会話を見れば、お似合いの変人コンビに見えている事を愛は知る由もない。
- 253 名前:娘。内恋愛。 投稿日:2004/05/29(土) 11:48
- そして一週間が過ぎ、遂に約束の日がやってきた。
愛は小奇麗なアパートの一室の前に立った。
絵里が一人暮しをしているアパートだ。
絵里から地図を貰い、駅から約十分、徒歩で辿り着いた。
亀井、という表札を確認して、呼び鈴を押した。
部屋の中から雑然とした音が立つ。部屋を走る絵里の姿が想像できて、笑みが零れた。
程なく扉が開かれた。愛は片手を上げた。
- 254 名前:娘。内恋愛。 投稿日:2004/05/29(土) 11:49
- 「おっす。ちょっと早かったか?」
約束の時間よりは一時間ほど早かった。しかし簡易な服装をした絵里は首を振った。
ふと愛は訝しげに目を細めた。
何故か顔が紅潮していた。愛はそれを不思議に思いながら、中へ入った。
「なんや、今日はやけにしおらしいんやね」
「…そんなことないです」
普段より小さな細い声で答える絵里。
- 255 名前:亀井さんウェイ。 投稿日:2004/05/29(土) 11:50
- やはりどこかおかしい。普段とは決定的に違う絵里の態度。愛は疑問を沸かせた。
立ち居振舞いが不自然だ。
頬は紅潮して、股を擦り合わせて内股で歩いている。
想像の仕方は好色なのかもしれないが、まるでセックスの途中に抜け出してきたみたいだ。
愛は自分の想像を振り払って軽口を叩いた。
- 256 名前:亀井さんウェイ。 投稿日:2004/05/29(土) 11:50
- 「なんや、そんなに顔赤くして。オナニーでもしてたん?」
しまった。愛は自分の発言を後悔した。
普段の会話がこんな風だからか、つい口を付いて出てきてしまった。愛は恐る恐る絵里を見上げた。
「し、してない…っ」
やはりおかしい。愛は再び疑問を蘇らせた。
普段の絵里なら、そうですね、高橋さんをおかずにしてました、と平然と言い放つのに、今の絵里は頬をさらに紅潮させて俯く。
- 257 名前:亀井さんウェイ。 投稿日:2004/05/29(土) 11:50
- 「なぁ、亀井ちゃん?」
絵里は愛の言葉にも耳を貸さず、股を擦り合わせて俯いている。魅惑を振り撒き、無意識に誘惑を続ける絵里。
元々、どうにもならないほど想いを抑えてるというのに、彼女はこれ以上我慢しろというのか。
完璧な被害妄想が愛を支配していく。
もう我慢は利かなかった。
愛は無言で席を立った。そして絵里に近寄ると、絵里の体を抱き上げた。
- 258 名前:亀井さんウェイ。 投稿日:2004/05/29(土) 11:51
- 「や、何っ、するんですかっ」
足と首を支えられて抱きかかえられた絵里が声を上げる。
「楽にしたる」
愛の言葉に絵里は潤んでいた目を鋭くして愛を睨んだ。
「そんな、してやるなんか言う人にされたくありませんっ」
愛はその言葉の鋭さに思わずたじろぐが、すぐに言葉を返した。
「すまん…」
端的な謝罪の言葉。愛は一旦、言葉を止めた。そして深い息と共に言葉を吐き出した。
- 259 名前:亀井さんウェイ。 投稿日:2004/05/29(土) 11:51
- 「ホンマは、亀井ちゃんが欲しい…」
その言葉に絵里は思わず目を見開いた。
「ホント?」
「…ああ」
「紺野さんの代わりじゃなくて?」
「…そうやね」
絵里は目を輝かせて、愛を見上げた。愛は少し照れ臭そうに視線を逸らした。
「それなら、あたしを高橋さんに捧げます」
思わず目を見開く愛。
- 260 名前:亀井さんウェイ。 投稿日:2004/05/29(土) 11:52
- 「亀井ちゃ、そんな台詞っ」
「漫画で読みました」
絵里の言葉に愛は一つ息を吐いた。
- 261 名前:高橋さんって結構エロい。 投稿日:2004/05/29(土) 11:52
- 寝室に辿り着いた二人。
愛はそっと絵里をベッドに下ろして横たわらせる。
「ホンマにしとったん?」
愛が問い掛けると、絵里は恥ずかしげに頷いた。
「エロいんやな?」
揶揄を含んだ笑みで愛が問い掛けると、絵里は甘く愛を睨んだ。
- 262 名前:高橋さんって結構エロい。 投稿日:2004/05/29(土) 11:52
- 「その目のほうが燃えるわ」
愛は突然絵里の唇を奪った。控えめな絵里の舌を絡み取り、生温かい舌を弄ぶ。歯列をなぞり、上唇を啄ばむ。
情熱的なキスに絵里の瞳が弓形にだらしなく潤んでいく。愛は目尻に滲む涙の粒を見て、微笑んだ。
唇を離すと、愛は絵里の髪を梳いた。
「可愛いやざ、絵里の癖に」
「…絵里…?」
突然変わった呼び名に絵里は問い返す。
- 263 名前:高橋さんって結構エロい。 投稿日:2004/05/29(土) 11:53
- 「そう、絵里の癖に」
絵里は嬉しそうに微笑んだ。愛は絵里の耳元に口を寄せた。
「絵里?好きやよ」
愛は舌を伸ばして、絵里の耳穴に挿し込んだ。
「ふ、うぅ…っ!」
絵里は目を硬く瞑り、手を固く握った。その仕草に愛は顔を綻ばせた。ぬるりと絵里の耳穴を掻き回すと、絵里は抜けたような声を出す。
「はっ、あ…っ、あぁっ…!」
愛は舌を引き抜くと絵里と視線を合わせた。
- 264 名前:高橋さんって結構エロい。 投稿日:2004/05/29(土) 11:53
- 「気持ちよかったん?」
「…なんか、変な、気分に…」
先ほどまでの愛撫に反応してか、絵里の耳が赤く火照ってくる。愛が指先でそっと耳を撫でると、絵里は体をびくりと強張らせた。
挙動のいちいちがことごとく愛を欲情させる。
愛は絵里の小振りな乳房を揉みしだきながら、片手を下半身に滑らせる。ホックとジッパーを同時に外して、ジーンズを摺り下げて脱ぎ下ろす。手は下着に添えられる。
じっとりと湿り気を帯びた温かみが手を通して感じ取れる。
- 265 名前:高橋さんって結構エロい。 投稿日:2004/05/29(土) 11:54
- 「もう中、ヤバイんやない?」
絵里は答えず、ただ赤面したまま俯いている。絵里は股を擦り合わせる。愛はそれに気付き、笑みを浮かべた。
「なん?してほしいん?」
絵里は内股を合わせながらこくりと頷いた。愛は口端を上げると、下着の中に手を侵入させた。そこはもう潤いきって、愛液を溢れさせていた。
- 266 名前:高橋さんって結構エロい。 投稿日:2004/05/29(土) 11:54
- 「う、わっ…ヌルヌルやざ…」
驚いたように愛が呟くと、絵里は耐え切れないという風に固く目を瞑った。ぬるりと軽く入り口を撫でる。
「や、はん…っ!んやぁ…っ!」
愛は絵里の耳元で囁く。
「分かる?熱いで?」
愛は固い蕾を探し当てて、軽く摘む。
「やあ、っ…あぁっ!たかぁしっ…さぁん…っ!」
滑るその蕾を指先で転がしながら、揶揄の言葉も忘れない。
「どした?そんなにええん?」
敏感な肉芽を容赦なく責め立てられて、絵里は息も絶え絶えになる。
- 267 名前:高橋さんって結構エロい。 投稿日:2004/05/29(土) 11:54
- 「絵里…ええ?」
愛はつぷりと指先を滑る入り口に侵入させた。絵里は眉根を寄せながらも頷いた。
「はい…高橋さんなら…っ、いいですっ…」
愛はゆっくりと絡みつく肉襞を掻き分けて指を奥へと侵入させた。
「あ、ん…っ!くあぁ…っ、やぁっ…!」
やがて指先に壁が当たった。愛は再び絵里に視線を合わせる。
絵里は浅い呼吸を漏らしながら頷いた。
愛の指が処女膜を貫いた。
「う、くっ…」
絵里が小さくうめいた。愛は空いた片手で額に貼りついた髪を掻き分ける。
- 268 名前:高橋さんって結構エロい。 投稿日:2004/05/29(土) 11:55
- 「大丈夫か?」
「はい…そんなにはっ、痛くない…っ」
幸い痛みも出血もほとんど無かった。愛は愛しそうに絵里の髪を撫でた。
「大丈夫になったん?」
「はい…」
「じゃあ、イカせるで?」
「…お願いします」
絵里は微笑んだ。愛はうねうねと絡みつく肉襞を掻き分けて、指を動かし始めた。
- 269 名前:高橋さんって結構エロい。 投稿日:2004/05/29(土) 11:55
- 「絵里はエロいし、敏感やから、すぐイクやろ?」
「そんなっ、んはぁっ!」
絵里の反論は愛が親指で敏感な肉芽を転がし始めた事で遮られた。そして愛の言葉通り、絶頂の接近を悟った。
「ん、やぁ…っ!だ、めっ…!ん、はっ…あぁっ!」
目の前には自分を見つめる恋人の顔。昂ぶる興奮と快感。
「んやぁ…っ!だめ、ぇっ!い、く…っ、あっ!」
愛は微笑んで指の動きを早めて、片方の手で絵里の唇を撫でた。愛の指を口に含む絵里。
- 270 名前:高橋さんって結構エロい。 投稿日:2004/05/29(土) 11:55
- 「ええよ?」
愛に全てを赦された気がした。快感が一気に開放された。
「あぁっ!イク…っ!あぁっ!きゃうんっ!」
絵里は最後に甲高い嬌声を残して体を撓らせた。指を締めつける襞が愛しくて愛は微笑んだ。まだ体をびくりと痙攣させながら、絶頂の余韻に浸る絵里。愛は横に寝そべって、絵里の髪を愛しそうに撫でた。
- 271 名前:高橋さんって結構エロい。 投稿日:2004/05/29(土) 11:56
- 「可愛かった」
絵里は息を整えながら答えた。
「紺野さんより?」
「ああ。可愛かった」
絵里は目を細めて微笑んだ。愛は絵里を抱き寄せた。
「みんな、なんて言うんやろ」
「エッチした事ですか?」
「アホか!あたしらが付き合ってる事や!」
「え、付き合ってるんですか?」
「はぁ?違うん?」
眉尻を下げて絵里を見つめる愛。絵里は思わず吹き出した。愛は不機嫌そうに顔を逸らした。
- 272 名前:高橋さんって結構エロい。 投稿日:2004/05/29(土) 11:56
- 「からかうな」
「でも聞いてません。まだ」
絵里の言葉に愛は少し赤面しながら情けない表情を浮かべる。
「…亀井ちゃん…言わせるん?」
「もちろん」
「付き合って…」
「イヤです」
「……」
「冗談です」
愛は思わず溜息を吐いた。
この少女と恋人でよかったのだろうか。
- 273 名前:高橋さんって結構エロい。 投稿日:2004/05/29(土) 11:56
- 「なんか、どんどんくっ付いてる気がする」
普段通り騒然とする楽屋の中で真里が呟いた。その小さな体を腕で覆っている梨華が答える。
「そうですねぇ…ごっちんと紺野、亀井と高橋、私と矢口さん。すでに三組…」
「最後のは納得できないけど?」
「……」
冷たい口調の真里の返答に思わず沈む梨華。そんな梨華を無視して真里は言葉を繋げる。
- 274 名前:高橋さんって結構エロい。 投稿日:2004/05/29(土) 11:57
- 「ねぇ、なっち。そう思わない?」
隣で座っているなつみに呼び掛ける。なつみは間延びした返事を返した。
「そーだねぇ…あたしも欲しいなあ…恋人」
二人の視線が自然と向くほうには、スナック菓子を片手に携帯と向き合うあさ美がいた。
「紺野、モテモテだったねぇ。そういえば」
なつみが呟くと、真里は盛大な溜息を吐いた。
- 275 名前:高橋さんって結構エロい。 投稿日:2004/05/29(土) 11:57
- 「結構、見てるのは楽しかったのに、いきなりごっちんとくっついてるんだもんなぁ…」
そこで雑音が割りこんできた。
「亀井ちゃん、やっぱりそれはちょっと…」
「えぇー?絶対ローション使ったほうが気持ち良いですってば。だってヌルヌルするんですよ?」
「って言ってもな…」
「こういう選択権は受け側にあると思います」
「……」
「いいですよね?」
「…降参、わかったやざ…」
笑顔で愛に体を寄せる絵里。なつみと真里は思わず顔を見合わせた。
- 276 名前:高橋さんって結構エロい。 投稿日:2004/05/29(土) 11:57
- 「…すげえ自然にエロい会話すんのなー…」
真里が感心したように呟く。なつみも同調を示す。
「ごっちんと紺野がバカップルなら、あの二人はエロカップルだね」
「ねぇ、あたし達はー?まりっぺー?」
高く響く声を上げて再び真里の体を抱きしめる梨華。
「うるさい。キショイ」
今度はめげる事無く、笑顔を崩さない梨華。
「段々、耐久力が付いてる気がする、コレ」
真里は目線で梨華を示す。なつみはじっと二人を見つめて呟いた。
- 277 名前:高橋さんって結構エロい。 投稿日:2004/05/29(土) 11:58
- 「…これは何カップル?」
「てゆうか!うちらカップルじゃないから!」
「えー?あたし達、カップルじゃないですかぁ」
「違うから。断じて違うから」
「えぇー、もうあんな事やこんな事までしたのにー」
「何のことだよっ!」
甲高い声の二重奏。なつみは一人呟いた。
「ペー、パー子カップル?」
二重奏を繰り返す二人から離れてなつみは楽屋を出た。
「こんなんで娘、辞めて大丈夫かな…」
不安げな呟きが通路に反響した。
- 278 名前:chaken 投稿日:2004/05/29(土) 12:00
- 第二部「娘。内恋愛」前編終了です。
メール欄失敗してます。
248からが「亀井さんウェイ」です。
ちなみに高亀のキャラは名前は言えませんがある名スレを参考にしております。
後半も近々更新します。
- 279 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/01(火) 19:44
- 楽すぃーですね。更新待ってますぅー
- 280 名前:chaken 投稿日:2004/06/06(日) 09:16
- >279様。ありがとうございます。更新します。
では第二部「娘。内恋愛」後編スタート。
- 281 名前:妄想恋愛家とツッコミ役。 投稿日:2004/06/06(日) 09:17
- 早朝のテレビ局、二つの並んだ影が廊下に伸びる。
「高橋さん、やっぱり気持ちよかったじゃないですか。ローション」
「…まぁな」
「高橋さん、やたら激しいんだもん」
「…言うな」
昨夜の情事を会話の種にして寄り添って進む。正確には絵里が愛にしがみ付いている格好だ。
集合時間よりは少し早い時間だった。
- 282 名前:妄想恋愛家とツッコミ役。 投稿日:2004/06/06(日) 09:17
- 「おはようございまーす」
返事を期待せずに挨拶をしながら楽屋の扉を開けた二人。
予想通り、返事は返って来ない。ただし、それは中に人がいないからではなく、唯一中にいた人物が返事を返せる状態に無かったからだ。
「うわー…いつにも増して黒いですねぇ」
「…亀井ちゃん、黒いじゃなくて暗いやと思う…」
「あ、そうですね」
楽屋の隅に蹲る物体を横目で確認しながら会話する二人。それでも漸く覚悟を決めた愛は極度の沈み状態にある梨華の肩に手を掛ける。
「何か、あったんですか?」
そこで服の袖が引っ張られる。愛が振り向くと口を尖らせた絵里が袖を掴んでいた。
「あとで相手したるから、な?」
絵里は袖を掴んだまま、渋々といった風に頷いた。自然と愛の頬が緩んだ。その様子を見ていた梨華は呟いた。
- 283 名前:妄想恋愛家とツッコミ役。 投稿日:2004/06/06(日) 09:18
- 「いいね…高橋と亀井は仲良くて…」
愛と絵里は顔を見合わせた。愛は恐る恐るといった風に梨華に尋ねた。
「もしかして…矢口さんと何かあったんですか?」
梨華は顔を伏せた。その反応が肯定を如実に物語っていた。
「…今日の朝、起きるまでは普通だったの。もちろん恋人だからー、そんなこともしたり、しなかったり、まぁ昨日の夜はそうなったんだけど…」
梨華は顔を赤らめる。相変わらずの要領を得ず、纏まらない話に二人は同時に息を吐いた。
「それで、朝起きて、なんとなく盛り上がっちゃって、もう一戦交えたのね?」
「意外に体力あるんですね…」
愛の呟きに梨華は意味深に微笑んだ。そこで絵里が割りこんだ。
「高橋さん、いつも一回で終わるのに」
「違うわ!それは亀井ちゃんがへたっとるからや!」
「そんな事無いですよ」
「…よーし、わかった。今度から嫌ゆうてもするからな」
「いやーん」
「……」
愛と絵里のやり取りに梨華は微笑みを浮かべた。しかしその微笑みはすぐに打ち消された。
- 284 名前:妄想恋愛家とツッコミ役。 投稿日:2004/06/06(日) 09:18
- 「ねぇ、終わった後、なんて言ったと思う?」
「さあ…?」
「何でしょうねぇ?」
首を傾げる二人に梨華は顔を歪めて言い放った。
「なっち、良かったよ、って」
少しの間が空いて、愛が尋ねた。
「…ホントにそう言ったんですか?」
梨華は当然という風に頷いた。愛は少し考えた後、絵里に向いた。
「でも、なぁ?そんなん、あれやと思うし…」
「あれ?」
「あれや。学校の先生にお母さんって言うてしまうようなもんやざ」
「ああ、あれは恥ずかしいですねぇ」
「やろ?あれはウケたらまだ救われるけど、ウケんかったらやたら気まずくなるし」
「確かに。言った人が惨めに思えてきますもんね」
独特のテンションで盛り上がる二人に梨華が細々と声を掛ける。
- 285 名前:妄想恋愛家とツッコミ役。 投稿日:2004/06/06(日) 09:19
- 「つまり…どういう事…?」
漸く絵里との会話を打ち切って愛が答えた。
「つまり、言い間違いっていうことです」
「そう…なのかなぁ…」
不安げに呟く梨華。愛が付け足すように尋ねた。
「その後、喧嘩でもしたんですか?」
梨華は顔を伏せて頷いた。そこで楽屋の扉が開かれた。三人が振り向くと、真里が楽屋に入って来た。全く三人とは目も合わさずただ鞄の中から財布を取り出すと、出ていった。
絵里と視線を合わせる愛。梨華は再び顔を伏せた。その表情にはさらに暗黒度が増している。
- 286 名前:妄想恋愛家とツッコミ役。 投稿日:2004/06/06(日) 09:19
- 「酷い、喧嘩だったんですか?」
愛が尋ねると、梨華は小さく頷いた。再び楽屋の扉が開かれる。
「おはよー!」
美貴が手を振り上げて挨拶をする。愛と絵里は揃って頭を下げた。美貴とは二人とも先輩後輩が複雑な関係なのだ。
「頭下げないでよ。先輩と同期じゃん」
寝起きが悪いはずの美貴が普段より明るい。珍しい美貴の影に浮かんでくるのは彼女の恋人である亜弥だ。
亜弥と良い事でもあったのか。二人は同時に悟った。
しかし、美貴の明るさは今の楽屋の雰囲気には不似合いだった。美貴が隅の梨華に目を止めて話し掛ける。
「おっすー、なんか暗いねー。矢口さんと上手くやってるのー?」
開口一番に地雷を踏んだ美貴に愛は呆然と口を開け、絵里と目を合わせる。
- 287 名前:妄想恋愛家とツッコミ役。 投稿日:2004/06/06(日) 09:19
- 「矢口さんの馬鹿ー!死んでやるー!」
甲高い声で物騒な事を叫びながら、楽屋から走り去る梨華。
美貴は目を丸くする。
「死んでやるって…」
呆然と呟いて、視線で愛と絵里に説明を求める。愛と絵里は顔を見合わせた。
廊下に出た梨華はそのまま二階のトイレに向かった。
梨華は鬱憤が溜まった時にはトイレに閉じこもる癖があった。
二階という理由は一階のトイレではメンバーと顔を合わせる危険があるからだ。
階段の踊り場の脇にあるトイレに入る直前にネックレスを落とした。誕生日に真里から貰ったプレゼントだ。しかし梨華は気付かずにトイレの中に入った。
- 288 名前:妄想恋愛家とツッコミ役。 投稿日:2004/06/06(日) 09:20
- 一方、自販機から楽屋に戻ろうとしていた真里は楽屋から飛び出す梨華に驚いて身を引いたが、次に梨華は聞き捨てならない言葉を吐いた。
「矢口さんの馬鹿ー!死んでやるー!」
「馬鹿って…ちょ、梨華ちゃんっ!」
真里は慌てて追い掛け始めたが、中々足の速い梨華を見失ってしまった。そして二階の階段の踊り場でネックレスを発見した。上には更なる階段が続いている。上の階には会議室などしかなかったはずだ。
ふと屋上という言葉が浮かんだ。
それが「死んでやる」という梨華の言葉と結び付いて、真里は青ざめた。そして慌てて階段を駆け登っていった。
- 289 名前:妄想恋愛家とツッコミ役。 投稿日:2004/06/06(日) 09:20
- 楽屋の中にはメンバーが集まり始めていた。
「矢口、石川、どこに行ったのー」
圭織が呼びかける。愛と絵里、そして美貴は同時にお互いに視線を交錯させた。
「まさか、死んでやるって言ってたけど…」
美貴の呟きに楽屋中の視線が集中する。圭織が慌てて美貴に駆け寄る。
「ちょ、ミキ?どういう事っ?」
そこで携帯の着信音が響いた。音の主であるなつみは集中する視線に手で断わってディスプレイを見た。
「あ、矢口だ」
全員の顔色が変わる。数多の視線を受けながらなつみは電話に出た。
- 290 名前:妄想恋愛家とツッコミ役。 投稿日:2004/06/06(日) 09:21
- 「もしもし?矢口?今どこ?」
返事は返ってこず、ただ暫くノイズが流れる。なつみがもう一度尋ねようとすると、漸く答えが返ってきた。
「梨華ちゃん、屋上から飛び降りた…。どうしよう…」
呆然とした風な涙の滲んだ声。なつみは思わず叫んだ。
「屋上から飛び降りたぁっ?」
楽屋中が凍りついた。そして次の瞬間、楽屋は騒然としてみんなは楽屋を飛び出した。
屋上に辿り着くと、真里は一人で膝を付いて、呆然としていた。圭織が一番に駆け寄る。
- 291 名前:妄想恋愛家とツッコミ役。 投稿日:2004/06/06(日) 09:21
- 「石川が飛び降りたってどういう事?」
上がる息と動揺を押し殺した口調。真里は震える声で答えた。
「だって、死んでやるって…。いないんだよぉー…」
圭織は顔を上げて、辺りを見回す。
「石川!」
呼び掛けるが、声は返って来ない。圭織は真里を揺り起こした。
「どこ?どこからっ?」
真里は何度も首を横に振る。脇で控えていた面々は一目散にフェンスへと散って、梨華を探す。
ところが、どの方向の地面には梨華は見受けられない。
最初にフェンスから離れた愛が真里に駆け寄っていく。膝を付く真里に合わせてしゃがんで話しかけた。
- 292 名前:妄想恋愛家とツッコミ役。 投稿日:2004/06/06(日) 09:22
- 「なんで、石川さんが屋上にいるっていうんですか?落ちるところは見ました?」
真里は諦めたように首を横に振った。
「だって…死んでやるって言ってたし…それにこれ、拾ったんだよ…」
真里は銀のネックレスを掲げた。
「これ、おいらが…梨華ちゃんに買ったものなんだ…」
「どこに落ちてたんですか?」
何時の間にか全員が愛の後ろから真里の挙動を見守っている。
「二階の階段のところ…」
愛はネックレスを受けとって、腰を上げた。
「とりあえず、屋上にはいないようです。戻ってるかもしれないし、楽屋に戻ってみましょう」
愛の意見に反論は無かった。圭織とひとみの二人が真里を支えながら全員で楽屋に戻った。しかしそこに梨華の姿は無かった。愛はネックレスを見つめて、暫く考えた後、何かを思い付いたように声を上げた。
- 293 名前:妄想恋愛家とツッコミ役。 投稿日:2004/06/06(日) 09:22
- 「これ、どこで拾ったんですっ?」
真里は焦燥しきった表情で答えた。
「だから、二階の踊り場だって…」
「踊り場に行ってみましょうっ」
愛の声に再びメンバー全員で二階の踊り場を目指す。
その途中で愛は絵里に耳打ちした。
「二階の踊り場って、トイレ無かったか?」
「あ、たしかあります」
そこに脇で耳を欹てていた美貴が口を挟んだ。
「トイレ?トイレがあるの?」
「そうですね。どうかしたんですか?」
絵里が不思議そうに尋ねる。美貴は指先を顎に滑らせた。
「梨華ちゃんって悩むとトイレ篭もる癖が…」
「ホントですか?」
声を裏返して愛が尋ねる。美貴が頷いた。
「うん。しかも結構、長い時間…」
三人は同時に顔を見合わせた。頭に浮かんだ考えは三人とも同様だった。
- 294 名前:カイヤ?いや、石川さん。 投稿日:2004/06/06(日) 09:23
- 二階の踊り場に到着して、真里はネックレスのあった位置を説明する。それは女子トイレのちょうど前だった。
「ここにあったんだよ…うん…あれ?」
三人の考えが確信に変わると同時に真里にも違和感が生まれた。目の前はトイレだ。自分の捜し人の癖は悩む時にトイレに篭もることだったことを思い出した。
「まさか…」
真里はトイレの入り口を睨む。愛と絵里、美貴はトイレの中へと入っていった。他のメンバーも後に続く。
清潔に保たれたひとけの無いトイレ。一番奥の扉だけが閉まっていた。愛がその扉をノックする。
反応はない。
- 295 名前:カイヤ?いや、石川さん。 投稿日:2004/06/06(日) 09:23
- 「誰かいますかぁ?」
絵里が呼び掛けるが、反響した声に返答はない。
「梨華ちゃーん?」
美貴が扉を叩きながら声を響かせる。
「梨華…リカチャンッテダレーっ?ワタシ、リカジャナイヨー」
言葉を言い直して甲高い声を裏返して何故か片言で返答する中に入っている人物。妙な空気の中に沈黙が流れる。
- 296 名前:カイヤ?いや、石川さん。 投稿日:2004/06/06(日) 09:24
- 「梨華ちゃん…でしょ?」
呆れたように尋ねたのはなつみだ。
「リカジャナイヨー」
それでもしぶとく片言を続ける人物。ひとみが頭を掻きながら溜息混じりに呟く。
「何で片言なんだよ…」
「何設定なんでしょうか…?」
あさ美も指摘を沿える。中の不審人物はさらに続ける。
「リカジャナイッテイッテルヨー!」
「カイヤ?」
その人物の怒った風な声の調子に愛が小さく呟いた。
- 297 名前:カイヤ?いや、石川さん。 投稿日:2004/06/06(日) 09:24
- さらに甲高い裏声は続く。
「リカジャナイッテ…」
「水ぶっかけますよ?」
「ひゃあっ!ごめんなさいっ!勘弁してくださいっ!」
絵里の言葉に中の人物、梨華は突然声の調子を戻して謝罪した。
「いじめられっ子の条件反射やざ…」
愛の呟きを追って、ひとみが呆然と呟いた。
「…やっぱ、梨華ちゃんっていじめられてたんだ…」
- 298 名前:カイヤ?いや、石川さん。 投稿日:2004/06/06(日) 09:25
- そこで真里が前に出た。扉を静かにノックする。
「梨華ちゃん?出てきて?」
優しい口調。なつみは静かにメンバーをトイレから出るように誘導した。メンバーがなつみ以外いなくなってから真里がなつみに声を掛けた。
「ありがと」
真里の呟きに笑顔を返してから、なつみもトイレを後にした。
扉の鍵が漸く開き、中から気まずそうな梨華が姿を現した。真里の怒りは覚悟していた。真里は無表情で梨華を見つめる。梨華はただ俯く事しか出来ない。
「すみませんっ。トイレから出たら、みんなの声が聞こえて、私が飛び降りた事になってるし…どうしたらいいのか分からなくって…」
- 299 名前:カイヤ?いや、石川さん。 投稿日:2004/06/06(日) 09:25
- 真里が動いた。梨華は思わず目を瞑り体を強張らせた。しかし次の瞬間、真里の小さな体は梨華の体にしがみ付いていた。
「梨華ちゃん…ごめん…」
予想外の言葉と行動に梨華は困惑した。
「や、ぐち…さん?」
「おいらが悪かった…。もう絶対あんなことしないから…ごめん…」
次の真里の行動に梨華は目を丸くした。唇がほんの一瞬だけだが触れ合った。付き合ってから初めての真里からのキスだった。梨華は涙を零しながら答えた。
「矢口さん…」
二人の体がさらに密着し合った。
- 300 名前:カイヤ?いや、石川さん。 投稿日:2004/06/06(日) 09:26
- それから結局、収録開始が少し遅れて、全員で頭を下げる事になった。
「あーあ、矢口さんと梨華ちゃんのせいで…」
「ほんとほんと」
メンバーの揶揄を含んだ文句を浴びながらも二人は笑顔だった。
- 301 名前:カイヤ?いや、石川さん。 投稿日:2004/06/06(日) 09:26
- 「矢口さんと石川さんって、どっちがタチなんやろ」
「矢口さんが良かったよ、て言うんですから…どっちだろ…」
「普通に考えたら矢口さんがタチやろ。でも…どうやろ…」
「高橋さん、いっつも言ってるじゃないですか。良かったって」
「…はずいわ」
「あ、でも可愛いって言ってくれるほうが多いかも」
「亀井ちゃんだって、気持ちよかったです、って言うやろ」
「高橋さん、目がやらしい」
「そ、そんなことないやざっ!」
さらに賑やかになった楽屋でなつみは息を吐いた。
「娘。はこれで、いいの…かな?」
不安はやはり尽きない。
- 302 名前:chaken 投稿日:2004/06/06(日) 09:29
- 第二部「娘。内恋愛」完、です。
後半はエロありませんでしたね。期待されてた方、すみません。
いよいよ第三部です。
第三部もエロ無しですが、頑張りますので是非よろしくお願いします。
- 303 名前:chaken 投稿日:2004/06/06(日) 09:30
- なんとなく隠しとく。
- 304 名前:chaken 投稿日:2004/06/06(日) 09:30
- 気恥ずかしいので。
- 305 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/06(日) 23:02
- カイヤ・・・ワラタw
- 306 名前:chaken 投稿日:2004/06/11(金) 15:24
- >305様。ども。笑って頂けましたか。これからもよろしくお願いします。
では、更新です。今回で完結になります。
第三部「愛しのエリー」
- 307 名前:始まりは少女漫画のように。 投稿日:2004/06/11(金) 15:25
- 人の気持ちは動きやすいものだ。
特にそれがどこにも傾いていないニュートラルの状態の時にはほんの些細なきっかけで動いてしまう。
それが禁忌だと知っていても、もう動いてしまった心は止まらない。彼女と恋人との親密な関係は毎日のように見せつけられているのに、なぜ彼女を好きになってしまったのだろう。
高橋の全てに囚われてしまった。
- 308 名前:始まりは少女漫画のように。 投稿日:2004/06/11(金) 15:26
- ダンスレッスンのスタジオでなつみは流れる音楽に合わせて踊っていた。
もう八時を回っていて、広いスタジオにはなつみ以外の姿は無い。
先ほど全員での練習が終わって、なつみは一人居残って練習を続けていた。
音楽が止まって、なつみは息を吐く。荷物の纏めてある一角に座りこむと、タオルで首筋の汗を拭った。
そこでスタジオの扉が開いた。
- 309 名前:始まりは少女漫画のように。 投稿日:2004/06/11(金) 15:26
- 「あれ?安倍さん。何してるんですか?」
三十分前、スタジオを出たままの格好の愛が立っていた。不思議そうに目を丸める愛になつみは力無い息を混ぜて答えた。
「見て分からない?練習だよ」
疲労のせいだろうか、少し口調が厳しくなってしまった。少し気まずく思いながら様子を窺うと、愛は意に介した様子も無く、壁際のロッカーに向かう。
「熱心ですね」
自分のロッカーを探りながら愛が呟く。話題転換の機会を逃さず、なつみは答えた。
「まぁね。何?なんか忘れ物?」
漸く探し物を見つけた愛は振り向いてそれをなつみに見せた。
- 310 名前:始まりは少女漫画のように。 投稿日:2004/06/11(金) 15:27
- 「ケータイ。亀井ちゃんに言われて気付きました」
はにかむような笑み。普段とは違う愛の表情が垣間見えた。
「まさか、一緒に住んでたりするの?」
「まさか」
愛は笑顔で首を横に振った。
「って言っても、最近入り浸りなんですけどね」
再びあのはにかむような笑みを浮かべる。なつみは呆れた風に首を竦めた。
「ラブラブだーねー」
冷やかす声に愛は曖昧に頷いて出口に向かう。なつみは練習を再開しようと腰を上げた。
- 311 名前:始まりは少女漫画のように。 投稿日:2004/06/11(金) 15:28
- しかし次の瞬間、体はバランスを崩した。
地面に向かう視界。なつみは思わず目を瞑った。
ふとなつみは体が浮くような感覚を味わった。恐る恐る目を開けると愛の端正な顔が目に入った。
- 312 名前:始まりは少女漫画のように。 投稿日:2004/06/11(金) 15:28
- 「大丈夫ですか?」
愛に支えられたのだと気付き、顔が熱を含んでいくのが分かった。胸が高鳴る。愛と目が合わせられない。
「じゃあ、あたし、行きますね。怪我はしないようにして下さいね?」
愛はなつみを立たせて、これだけ言い残すとスタジオを出ていった。扉の閉まる音を聞いて、なつみはへたり込んだ。
「…何だ、コレ…ベタ過ぎだってば…」
しかし言葉とは裏腹に顔の熱は一向に引かなかった。そのままさらに呟く。
「ヤバイかも…」
返答が返って来る事は無く、なつみは暫く座ったまま放心していた。
- 313 名前:安倍さんの挑戦。 投稿日:2004/06/11(金) 15:29
- 「んで、なっちは亀井とラブラブの高橋に惚れちゃった訳だ」
なつみの話を総合して真里が締め括る。真里の部屋には部屋の主である真里、なつみ、梨華の三人がいた。机を挟んで、梨華と真里、反対側になつみが向かい合って座っている。
「そういう訳よ」
なつみは頷いて溜息を吐く。なつみの話を聞いていた梨華が目を輝かせて言った。
「素敵じゃないですか。そんなロマンチックな状況で好きになっちゃうなんて…。憧れます…。ああ、禁断の恋に落ちて胸は苦しいばかり…この思いをどうしたらいいの…」
胸の前で手を組んで妄想混じりに呟く梨華の頭を叩く真里。
- 314 名前:安倍さんの挑戦。 投稿日:2004/06/11(金) 15:30
- 「ちょっとうるさいから黙って」
しかし厳しく言い放たれても梨華は平気で反論する。
「あれー?二人の時は優しいのにメンバーがいると変わっちゃうんですねー?いっつも梨華ちゃーん、膝枕ーって甘えてくるのにー」
「う、うるさいっ!黙れ!」
二人のやり取りに違和感を感じてなつみは首を捻った。そして違和感の正体に気付き、目を丸くした。
「矢口…ホントにそんな風に甘えてんの?」
信じられないという風に呟くなつみ。先ほどの会話で真里は否定はしなかった。真里は赤面して唸っている。
それが肯定の意味を含んでいる事は明らかだった。
親友からの冷たい視線を受けて、真里は小さい体をさらに縮こませた。先日の真里の勘違い事件から梨華と真里の関係は確実な変化を遂げていた。
- 315 名前:安倍さんの挑戦。 投稿日:2004/06/11(金) 15:30
- 「あーあ。バレちゃいましたねぇ」
含み笑いの梨華を睨むと真里はなつみに向き直った。
「とにかくっ!」
「ん?何の事?」
中々想像し難い真里が梨華に甘える姿を必死に想像していたなつみは話題の転換に付いていけず問い返した。
「高橋の事!」
真里の言葉になつみは納得して先を促す。漸く場が落ち着きを取り戻した。真里は息を整えて言い放った。
- 316 名前:安倍さんの挑戦。 投稿日:2004/06/11(金) 15:31
- 「一生、片思いだね」
容赦無い言葉に梨華が口を挟む。
「何でですか!そんなの分からないじゃないですか!」
真里は息を吐くと、梨華に向き直った。
「あのね、あの二人はただのカップルとはちょっと違うんだよ」
梨華は愛と絵里の姿を想像しながら首を傾げた。
「どういう事ですか?」
「あの二人はごっちんと紺野のカップルとかより絶対、別れる可能性が低いと思うんだ」
梨華は不思議そうに指先で顎をなぞりながら考える。答えはやはり割り出せず、梨華は真里に助言を求めた。
- 317 名前:安倍さんの挑戦。 投稿日:2004/06/11(金) 15:31
- 「あーいう、思いっきりラブラブっていう訳でもなく、ただ自然に一緒にいるっていうカップルはね、長く続く。まぁ、おいらの経験上だけどね」
「そうなんですか?」
真里は自信満々に頷いて、得意そうに続ける。
「おいらの経験をナメちゃあダメだよ」
自慢げに人差し指を振る真里。梨華は間髪いれず尋ねる。
「じゃあ、私達はどうなんですか?」
「…ま、そういう事でね」
「話変えないで下さいよー!私達はどうなんですかー!」
泣きそうな表情で迫る梨華を押し退けて、真里は真剣な口調で続けた。
「あの二人は互いが『必要』なんだよ。互いが互いを必要してて、補い合って、愛し合ってる。お互いがいないと駄目になる」
真里の真剣な眼差しがなつみを射抜く。なつみは暫く真里とみつめあった後、目を逸らして息を吐いた。
- 318 名前:安倍さんの挑戦。 投稿日:2004/06/11(金) 15:31
- 「だ、ね…。分かってる…。あたしだってわざわざ波風立てて卒業なんかしたくないんだ…。けど…そんな簡単なもんじゃないんだよ…」
切実ななつみに呟き。流れる沈黙がなつみの想いを表していた。先に反応したのは梨華だった。
「ねぇ、矢口さん。協力しましょ?だって安倍さん、こんなに好きなのに…」
梨華となつみの視線を受けて真里は溜め込んだ息を一気に吐き出した。
「わかったよ、努力はしよ」
真里の承諾の返事に喜んだのはなつみより梨華だった。
「良かったですねっ!私達、最大限に協力しますからねっ!恋は戦いなんだから!」
闘志を燃やす梨華になつみと真里は顔を見合わせた。発動したばかりの計画に一抹の不安がよぎった。
- 319 名前:安倍さんの挑戦。 投稿日:2004/06/11(金) 15:32
- 「高橋さん…」
「…すまんかったな」
「いえ、良いんですけど…ていうか嬉しかったんですけど…あんな道具、どこで仕入れたんですか?」
「…秘密や」
「昨日の夜は三回、今朝に二回ですかぁ…見直しました」
「…そりゃあどうも」
楽屋の隅の二人の会話に耳を傾ける人影が三つあった。
「…流石、エロカップル…。つうか道具って何使ったんだよ…」
真里の呟きになつみと梨華は同時に頷いた。
「ともかくラブラブ状態は変わらないみたいだね」
どこか自嘲的ななつみの呟き。梨華が慌てて口を挟む。
「諦めちゃ駄目ですよ!対策を考えないと!」
三人は輪になって、策を考える。
- 320 名前:安倍さんの挑戦。 投稿日:2004/06/11(金) 15:32
- 「何かある?矢口」
「…やっぱり、話を合わす事じゃない?とことん話を合わせるの。そしたら親近感が沸いて距離が近付くって、なんかのテレビでやってた。何とか効果っていうの」
真里の案になつみは少し考え込む。
「あ、亀井が楽屋出ていきますよ」
梨華が楽屋を出ていく絵里を指差す。なつみは腰を上げた。
「難しいけど…やってみる」
一人になった愛に近付いていくなつみの後ろ姿を見送る梨華と真里。なつみが愛の隣に腰を下ろした。
- 321 名前:安倍さんの挑戦。 投稿日:2004/06/11(金) 15:33
- 「おっす、高橋」
「あ、安倍さん、どうもコンニチワ」
頭を下げる愛。
「楽屋でのエロトーク、健在だね」
「悪影響ですか?」
「…いや、良いんだけど…純情ななっちには毒っぽい」
「毒ですか、てゆうか純情ですか」
「…純情ですよ、純潔の乙女」
「それは、ご迷惑をおかけして…」
「…いえいえ」
なつみと愛の会話を聞きながら梨華と真里は小声で話し合う。
- 322 名前:安倍さんの挑戦。 投稿日:2004/06/11(金) 15:34
- 「なっち、頑張ってるじゃん。盛り上がってるとはいえないけど、険悪じゃあないテンション。まるで高橋と亀井、そのまんまだよ」
「…安倍さんが答えるのが少し遅れてるから、一生懸命なことが伝わりますね。これで良いんですか?」
「良いんだよ、会話ってのは重要な要素だからね。これで楽しいっていうことが恋に変わっていくんだよ」
「そうですか?」
否定的な含みを持たせて尋ねる梨華の視線の先には抑揚無く盛り上がる愛となつみ。そこで楽屋の扉が開き、絵里が帰って来た。愛の隣に座るなつみを見て、愛の腕にしがみつく絵里。
「じゃあ、また」
「はい、どうもー」
なつみは愛に手を振って、真里と梨華の作戦本部へと戻ってきた。
- 323 名前:安倍さんの挑戦。 投稿日:2004/06/11(金) 15:34
- 「変じゃなかったかな」
開口一番尋ねるなつみに真里は親指を突き出した。
「オッケー、オッケー。でもさ、良く考えたらこの作戦って時間かかるよね。なっちもう卒業まで時間ないじゃん。卒業したら圧倒的に不利になるし、即効性のある作戦に変更しないとね」
「先に気付けよ!」
真里の株を奪うなつみの鋭い突っ込みに真里は思わずたじろいだ。
「…あれって体力要るんだから」
肩を落とすなつみの肩をぽんと叩く真里。
「大丈夫、次の作戦は大丈夫だから」
そこで真里の横で待機していた梨華が割りこんできた。
「じゃあ、次の作戦はなんなんですか?」
真里は頷いて説明を始めた。
- 324 名前:安倍さんの挑戦。 投稿日:2004/06/11(金) 15:34
- 「ま、簡単に言うと、色仕掛け、だね。名付けて「せくすぃ大人の魅力作戦」!」
作戦の概要は単純なものだった。
絵里のいない時間を見計らって高橋に近付き、さり気なく色仕掛けで誘惑する。そこで重要なのはあまり近付きすぎないことだ。警戒されては台無しだ。
愛がなつみに抱いているイメージを幼い先輩から色気のある先輩へと徐々に変化させていくのが狙いだ。
「具体的にはどうすればいいのさ」
真里はなつみの服を指差した。今日の衣装は胸の空いたキャミソールとふわりとしたスカートだ。
「基本的にはなっちに任せるけど…例えば、胸をちらっと見せるとか、スカートを少し捲って太ももをチラ見させるとかそういう感じかな」
なつみは鎖骨の辺りを指でなぞった。
「…やってみる」
- 325 名前:安倍さんの挑戦。 投稿日:2004/06/11(金) 15:35
- 再び絵里は楽屋を出ていて、愛は一人だった。好機を逃す手は無い。なつみは愛の隣の腰掛けた。
「仲、良いんだねぇ」
さり気なく体を密着させて胸を寄せてみる。
「…ええ、まぁ」
愛の視線が服の隙間から見える谷間に吸い寄せられる。なつみはソファの上に足を乗せて、体育座りの態勢になる。
「亀井、高橋の傍から離れないもんね、なかなか」
スカートが捲れて、太ももが露わになった。愛がその白い内股を凝視する。
「…今、いませんけどね」
なつみは上目遣いで愛を見つめた。目を離せない愛。
二人の様子を観察しながら声を交わす作戦発案者の真里と助手の梨華。
- 326 名前:安倍さんの挑戦。 投稿日:2004/06/11(金) 15:35
- 「高橋…動揺してるのかな…?」
梨華の呟きに真里は唸った。
「テンション変わらないから分かり難いんだよ、あいつ。ちゃっかりじっと見てるし…。もともとエロいからな…ラッキーとしか思ってないのかな?」
飄々とした愛の挙動からは読み取れない。
「パンツ、白なんですね」
スカートの中を凝視しながら愛が呟く。なつみはちらりと横目で真里を確認して、再び愛を見上げた。
「行け!」
声を押し沈めてなつみに呟く。なつみは少し足を上げた。揶揄するように微笑んで言う。
「もっと見たい?」
「是非、お願いします」
即答する愛。そこで楽屋の扉が開いた。途端に愛にしがみ付く絵里。なつみは渋々といった風に腰を上げた。
「じゃ、またねー」
「ありがとうございましたー」
愛と手を振り合ってから真里と梨華の元に帰るなつみ。
- 327 名前:安倍さんの挑戦。 投稿日:2004/06/11(金) 15:36
- 「成功…なの?これ」
自信無さげに問い掛けるなつみに真里は首を捻る。
「多分…成功じゃない?」
頼りない言葉。そこで梨華が口を挟んだ。
「でも高橋、ありがとうございましたーって言ってましたよ?冗談にしか思ってないんじゃないですか?」
三人は顔を見合わせて同時に溜息を吐いた。
「とにかく今日、うちで作戦会議ね」
真里の言葉になつみは力無く頷いた。
- 328 名前:ベッドの上で、すれ違う。 投稿日:2004/06/11(金) 15:36
- 最近、愛の自宅になりつつある絵里の部屋。
今もベッドに寝転んで雑誌を見ている愛の脇で体育座りで愛を見つめる絵里。
個別の仕事が入っていない限り、殆どの時間を共にして、常に体が触れ合っている。
それでも絵里は満たされていなかった。
愛はなかなか直接的な愛の言葉を言ってくれない。
絵里は愛の二の腕を指先でつついた。
- 329 名前:ベッドの上で、すれ違う。 投稿日:2004/06/11(金) 15:37
- 「ん?何ね?」
愛は雑誌を閉じて、首を絵里に向ける。絵里は愛の体を仰向けにさせて、腹に跨った。
「重いって」
愛が苦笑しながら言うと、絵里は体を倒して愛に抱き付いた。
「…甘えん坊やな、亀井ちゃん」
愛は自身の顔の横にある絵里の頭を撫でた。絵里は身を捩って愛の体から下りると愛の脇に体を寄せた。
「好き、って言って下さい…」
愛は口を閉ざした。ただ絵里の頭を愛しそうに撫でて押し黙っていた。絵里は顔を上げた。
- 330 名前:ベッドの上で、すれ違う。 投稿日:2004/06/11(金) 15:37
- 「何で、言ってくれないんですか…」
懇願を含む絵里の声。愛は顔を背けた。
「…はずいやざ」
愛の呟きに絵里は即座に言葉を返した。
「嘘」
「…嘘やないって」
暫く愛の横顔を見つめた後、絵里は体を起こした。
- 331 名前:ベッドの上で、すれ違う。 投稿日:2004/06/11(金) 15:38
- 「もう、知りません。今日は私、ソファーで寝ます」
絵里はそれだけ言い放つと、リビングに戻っていった。ベッドに取り残された愛は溜息を吐いた。
「…そんなん言われても…わからんのやもん…」
愛の呟きが無人の寝室にやたら大きく反響した。
- 332 名前:告白。 投稿日:2004/06/11(金) 15:39
- 作戦本部が設置されている真里の部屋。席順は普段通り、机を挟んで真里と梨華が隣り合って、向かいになつみが座っている。
「もう、告白しかないでしょ」
突然の真里の発言になつみが呆れたように言葉を返す。
「今までの作戦、何だったのさ」
「いいの!告白してから高橋がなっちを意識し出すかもしれないじゃん!」
力説する真里に反論は憚られた。そこで梨華が口を挟む。
「告白にも作戦はあるんですか?」
「もちろん」
真里は饒舌に説明を始めた。
- 333 名前:告白。 投稿日:2004/06/11(金) 15:39
- ポイントは二つだ。
まず、控えめを演じる事。決して絵里と別れて付き合って欲しいなどとは言わず、想いが募りに募って卒業も近いので耐え切れず言ってしまった、という演出をする。さらに「気にしないで。言いたかっただけだから」という言葉で後押しをする。
これで多少は気持ちは揺らぐ。
そして二つ目は色仕掛けだ。告白する時にさり気ない仕草で愛を誘惑して、さらに涙を浮かべ上目遣いで愛を見つめる。
「これで完璧!」
真里は得意げに胸を張った。なつみは少し唸った。
「大丈夫…なのかな?」
不安げな呟きに真里はなつみの肩を掴んだ。
「大丈夫!最後の上目遣いを忘れちゃ駄目だよ!途中でびびったりしたら、罰ゲームだからね?約束だよ?おいらたちは隠れて見てるから、ね」
力強い語調になつみは曖昧に頷いた。
- 334 名前:告白。 投稿日:2004/06/11(金) 15:40
- 収録一時間前。賑やかな楽屋は普段の喧騒を潜めていた。
原因は楽屋のソファで雑誌を見ている愛と隅でじっと座っている絵里だ。暗黒の空気を醸し出し、ひたすらに雑誌と睨み合う愛。絵里はただじっと座ったまま俯いている。二人の間には互いを拒絶するオーラが出ていた。しかし確実に互いを意識しあっていた。
その二人の様子を三人は観察して話し合っていた。
「今ってチャンスなんじゃない?」
真里が声を潜めてなつみに囁く。なつみは顔を伏せて押し黙っていた。
「ほら、喧嘩してるみたいだしさ。声掛けて来なよ」
真里に背を押される。なつみはジーンズのポケットの中の物を手探りで確認して、握り締めた。
- 335 名前:告白。 投稿日:2004/06/11(金) 15:40
- デート用の遊園地のフリーパスチケットだ。なつみは顔を上げて楽屋の隅と隅に離れた絵里と愛を見比べて、立ち上がった。
「頑張れっ」
真里の声が掛かる。ゆっくりとした足取りで愛の方へ向かう。
「ね、高橋」
愛が雑誌から顔を上げた。なつみは立ったまま愛の手を取った。
「ちょっと話があるんだけど…いい?」
「…後輩いじめですか?」
言葉は普段通りでも表情は精彩を欠いていた。
「そう思う?」
「…愛の告白とか?」
愛の視線が一瞬、絵里を捕らえた。そして再びなつみを見上げる。
- 336 名前:告白。 投稿日:2004/06/11(金) 15:41
- 「どうだろうね?」
なつみの意味深な微笑みに愛は言葉を失い、なつみに手を引かれるままに楽屋に出た。絵里は俯いたままその会話に耳を欹てていた。
隣の空き部屋になつみと一緒に入る愛。真里と梨華は扉の傍で聞き耳を立てていた。
部屋は簡素な作りで長四角の机を中心に一定の間隔でパイプ椅子が並べてある。
なつみは扉側の列の椅子に腰掛けた。愛は扉の前に立ったままなつみを見つめている。
「ね、そんなに怖がらないでよ。ホントにいじめる訳じゃないんだから」
苦笑混じりに愛に声を掛けるなつみ。愛は慌てて首を横に振る。
「いえ、そういう訳じゃ…」
「それとも怖がってるのは愛の告白の方?」
なつみの視線が愛を射抜く。愛は俯いた。暫く緩い沈黙が訪れる。先にそれを破ったのはなつみだった。
- 337 名前:告白。 投稿日:2004/06/11(金) 15:41
- 「…亀井と喧嘩でもした?」
振られた話題は先程よりも答え難いものだった。愛は再び口を噤んだ。
「あたしで良かったら、話聞くよ?」
なつみは隣の椅子を引いて促した。愛はゆっくりと歩を進めて、その椅子に腰を下ろした。
室内の会話の内容を聞いていた梨華と真里は顔を見合わせた。真里が焦った風に捲くし立てた。
「なんか、打ち合わせと違うぞっ?」
「でも、話聞いてから落とすっていう作戦なのかもしれないですよ?」
「…そうかぁ?」
とてもそうは思えない。続きの言葉を飲み込んで真里は再び室内に聞き耳を立てた。
- 338 名前:告白。 投稿日:2004/06/11(金) 15:41
- 「…あたしが、悪いんです。好き、とか、愛してる、とかそういう事が言えないから、亀井ちゃんが不安になって…」
俯いて呟く愛。隣のなつみは深く腰を沈めて、聞く態勢を作って真剣に愛の話を聞いている。
「どうして言えないの?亀井の事、好きじゃないの?」
穏やかな優しい口調で愛に問い掛ける。愛は一瞬顔を上げてなつみと視線を交わした。真剣な眼差しで自分を見つめるなつみ。愛は再び顔を伏せて告白を再開した。
- 339 名前:告白。 投稿日:2004/06/11(金) 15:42
- 「それが…わからないんです。あたし、つい最近まであさ美ちゃんが好きで…でも今は亀井ちゃんと付き合ってて…」
なつみは深く頷きながら話を聞いている。愛はさらに続ける。
「亀井ちゃんは好きです…けどそれが本当の自分の気持ちか信じられないんです…。これは自分の逃げなんじゃないかって…。あさ美ちゃんに振られたから亀井ちゃんと付き合ってるんじゃないかって…」
なつみは優しい眼差しで愛の瞳を覗き込み、問い掛けた。
「実際、そうなの?」
愛は慌てて手を振って否定した。
「そんなっ!…そうじゃないと、思いたいです…。ただそんなに簡単に気持ちが変わるって…信じられないんです…。自分の事なのに…」
最後に自嘲的な笑みを浮かべて再び俯く愛。
真里と梨華は再び顔を見合わせた。
「なんか、普通の相談っぽくなってきてる気がする」
「…そうです、ね…」
なつみは椅子を動かして愛の方へと向けた。そして愛と向かい合った。
- 340 名前:告白。 投稿日:2004/06/11(金) 15:42
- 「高橋はさ、亀井といるとどんな感じ?」
なつみの突然の問い掛けに愛は少したじろぎながら答えた。
「どんな…なんか、安心します…亀井ちゃんといると…」
「じゃあ、亀井にキスする時は?」
間髪入れずに問い掛けるなつみ。愛は即答した。
「そりゃあ、ドキドキ、します…」
「じゃあ、今、紺野といると安心する?亀井と同じように」
愛は慌てた風に首を横に振った。
「違いますっ!今はあさ美ちゃんといると楽しいかもしれんけど…安心はしません。亀井ちゃんとは全然違う」
なつみは目を伏せて一つ息を吐くと、再び愛の瞳を見つめた。
- 341 名前:告白。 投稿日:2004/06/11(金) 15:43
- 「じゃあ、亀井が好きなんだよ、高橋は」
「でもっ…」
なつみの言葉にまだ反論を返す愛。なつみはその反論を遮った。
「人の気持ちはね、動きやすいものなんだよ。振られたからじゃない。亀井が好きだから、高橋は亀井と付き合ってるんでしょ?」
愛が頷いたのを確認してなつみは続ける。
- 342 名前:告白。 投稿日:2004/06/11(金) 15:43
- 「そうでしょ?気持ちは不安定だから…あたしみたいに、ただ転ぶのを助けられただけで、好きになっちゃうんだよ。高橋」
愛の大きな瞳がさらに大きく見開かれた。なつみは顔を伏せた。
「告白した!…つうか告白なのか?これ」
扉の向こうで真里が呟く。同じく梨華が同調する。
「この流れって、絶対振られるパターンじゃないですか…」
梨華はそう呟いて苦しげに顔を歪めた。
なつみはポケットを探って、二枚のチケットを取り出した。
「ほら、亀井と二人で行って来な。仲直りだよ」
差し出されたチケット。愛は目を丸めたまま動かない。そしてゆっくりと視線をなつみに戻した。
「安倍さん、でも…」
なつみは愛の言葉を遮るようにチケットを愛の手に押し付けた。そして両手で愛の手を掴みそれを握らせる。
- 343 名前:告白。 投稿日:2004/06/11(金) 15:44
- 「はい。おねーさんの恋愛相談は終了。あとは高橋次第だよ」
しっかりと愛の目を見据えて言い放つ。愛は自分の手が握っているチケットに目を落として、もう一度なつみに目を向けて、思い切り頭を下げた。
「ありがとうございました!」
「うん、じゃあね。ラブラブになって帰ってきなよー」
なつみは笑顔を浮かべる。愛はもう一度頭を下げた。
「なっち…結局、振られた…のか」
真里が呆然と呟く。
「返事も、ちゃんと受け取らずに…」
梨華が暫く押し黙った後、真里の肩を叩いた。
「…でも、二人は納得してると思いますよ?」
愛が扉を開き、出てきた。片手には二枚のチケットを握っていた。愛は梨華と真里に頭を下げて、楽屋へと戻っていった。
二人は愛が去った後の空き部屋に入った。
- 344 名前:告白。 投稿日:2004/06/11(金) 15:44
- そこには力無い笑みを浮かべるなつみが座っていた。
「いちおー…告白はしたから、約束違反じゃないよね?」
乾いた声で小さく笑うなつみ。真里は駆け寄ってその小さな胸になつみを抱き締めた。
「バーカ…」
真里の呟きで堰は崩壊した。
「え、ぐっ…矢口…っ。高橋っ、優しかった…っ。っ…ちゃん、と…こたえてっ、くれた…。えぐ…っ」
嗚咽を漏らしながら真里の胸を濡らすなつみ。
「頑張ったよ…なっちは。あいつの見る目がないんだ」
真里の言葉になつみは顔を上げた。涙で濡れた顔が綻んだ。
「そうだね…っ、見る目無い…。お仕置きして、後悔させてやらなきゃ…」
真里は目を伏せて腕に力を込めた。なつみは再び真里の胸に顔を埋めた。
- 345 名前:愛しのエリー。 投稿日:2004/06/11(金) 15:45
- 珍しく、愛のいない自分の部屋。空いた空間がやたら気持ちを空虚にさせる。絵里は自分の手の中の紙切れに目を落とした。
「明日、仕事昼までやろ?あたしも昼までやから一緒に行こう?そこで待っとるから」
珍しく少し強引な力強い口調での誘いと共に渡された遊園地のフリーパスチケット。
愛の姿が脳裏に蘇る。照れ臭そうに笑う愛。夜、自分を名前で呼んでくれる愛。無邪気な笑顔で笑う愛。
色んな愛の表情が浮かんでくる。
絵里は決心して、一つ息を吐くと、立ち上がった。
- 346 名前:愛しのエリー。 投稿日:2004/06/11(金) 15:45
- 約束の時間は三十分前に過ぎていた。
絵里が遊園地の入り口に現われると、既に待っていた愛は遅刻を咎める事もせずに、満面の笑顔で絵里を迎えた。
「良かった…来てくれんかと思っとった。ホンマに良かった」
愛は胸を撫で落とすと、戸惑う絵里の手を握った。
「行こう、絵里」
絵里は目を見開いた。夜以外に公然の場で名前を呼ばれるのは初めてだった。愛はそんな事は気にも止めずに絵里の手を握り締めて、遊園地へと足を踏み入れた。
- 347 名前:愛しのエリー。 投稿日:2004/06/11(金) 15:46
- アトラクションを回っている間も愛はずっとこの調子だった。
絵里、と名前を呼んではしゃぎ、笑顔を見せる。ずっと手は繋いだままだ。態度はずっと優しいままで、戸惑う絵里をものともせずに、明るく話し掛けて来る。
そんな中で、絵里には疑念が沸いてきた。
愛はもうこの恋を終わらせようとしているのではないか。最後の思い出作りに遊園地に来たのではないか。
いささか後ろ向き過ぎると笑い飛ばせない疑念だった。
愛のひねくれた性格は知っているし、回りくどい優しさも知っていた。
一度沸いた疑念は払拭されるどころか、愛の笑顔を見る度に募っていった。夕刻を迎える頃、絵里の表情に笑顔は無かった。
怖い。別れを告げられる恐怖感が絵里を支配していた。
- 348 名前:愛しのエリー。 投稿日:2004/06/11(金) 15:46
- 「これで最後にしよか」
絵里は慌てて顔を上げた。愛は遊園地の定番である観覧車を指していた。別れの言葉ではない事に絵里は安堵して胸を撫で下ろした。しかし次には恐怖が蘇ってくる。
最後という事はここで何かが変わるはずだ。先日の喧嘩の事を考えれば、愛が考え無しに絵里を遊園地に誘うとは考え難い。
何らかの目的があるのだ。
盲目的に思考にのめり込んでいる絵里にはそれが別れであるとしか思えなかった。
さすがに夕方の観覧車は客が多かった。最後尾に付いた愛と絵里の間に会話は無かった。
痛い沈黙が二人を襲う。遊園地に入ってから会話と笑顔を絶やさなかった愛は黙りこんで表情を強張らせている。絵里は横目で愛を確認して俯いた。
- 349 名前:愛しのエリー。 投稿日:2004/06/11(金) 15:48
- 二人の番が回ってきた。係員に促されて愛と絵里は向かい合って座った。二人を乗せたゴンドラが動き始めた。
四分の一、回ったところで遂に沈黙の均衡は崩れた。
「なぁ、絵里」
絵里は一瞬体を跳ねさせて俯いた。
遂に時が来た。絵里は固く目を瞑った。
「なぁ」
愛の声が呼ぶ。絵里は返事を返さない。何か言葉を発したら全てが終わりそうな気がした。
- 350 名前:愛しのエリー。 投稿日:2004/06/11(金) 15:49
- 「絵里」
焦れる様子も無く、ただ優しく諭すように絵里の名前を呼ぶ愛。絵里は漸く顔を上げて、愛を睨んだ。
「何で、こんな事するんですか」
愛は一転して黙りこみ俯いた。それが絵里をさらに苛立たせる。
「言いたい事があるならはっきり言えば良いじゃないですか。高橋さんらしくないです」
絵里の口調が段々と厳しくなっていく。
「私、高橋さんがわからないです」
締め括ると、絵里も俯いた。重い沈黙が両者の間に流れる。
- 351 名前:愛しのエリー。 投稿日:2004/06/11(金) 15:50
- 均衡が破れたのは、ゴンドラが頂点にくる寸前の時だった。
「絵里…すまんかった…」
いつしか、辺りは夜を迎えていた。
窓の外の街が淡い採光に照らされて浮かび上がっている。
スモッグにぼやける街を背に愛は言葉を続ける。
「…あさ美ちゃんが後藤さんと付き合い始めて、すぐ絵里と付き合い始めた…。信じれんかった。自分が本当に絵里を好きなんかどうか…」
絵里はいつのまにか顔を上げて、愛を見つめている。瞳を見つめても、愛の真意は測れなかった。絵里の足は自然に震えていた。
「…でも、今なら言える」
愛は真剣な眼差しで絵里の瞳を射抜いた。
- 352 名前:愛しのエリー。 投稿日:2004/06/11(金) 15:50
-
「絵里が好きや」
- 353 名前:愛しのエリー。 投稿日:2004/06/11(金) 15:51
- 絵里の目が驚きに見開かれる。
ちょうど、ゴンドラの位置は頂点に達していた。最も高い場所から街が見渡せる。
「絵里が誰よりも好きや。愛しとる」
自分の意思と関係無く、涙が勝手に溢れた。頬を伝っていく透明な雫が反射して輝いた。
「ホント、ですか…っ?…嘘じゃ…っ…っ」
初めて聞く嗚咽混じりの頼りない声。愛は絵里の体を思い切り抱きしめた。普段より儚く、小さく感じた。
「嘘やない…。あたしは、絵里が好きやよ…?」
街を一番高く見渡せる場所で二人の唇が静かに重なった。
- 354 名前:んで、結局安倍さんは一人身なわけだ。 投稿日:2004/06/11(金) 15:52
- 「ついに、なっちも卒業だーっ!騒ぐぞーっ!」
真里の声が響く。
「おーっ!」
複数の声が重なった。ホテルの打ち上げ会場。畳の大部屋だ。卒業コンサートを終えて、メンバーやスタッフがそれぞれ塊を作って話し込んでいる。そこには先に卒業した真希や圭の姿もあった。
なつみは真里と梨華と一緒にテーブルを囲んでいた。
- 355 名前:んで、結局安倍さんは一人身なわけだ。 投稿日:2004/06/11(金) 15:52
- 「あーあ、なっちも卒業だぁなぁ」
真里が覚束無い口調で漏らす。既に飲酒している真里は酔っ払っていた。かなり酔いも廻って顔を赤らめている真里を梨華が優しく宥めている。なつみの片手にも半分残ったビールがあった。
「何気にいちゃつくなよー」
なつみが苦笑しながら真里を突付く。
「いいじゃんかぁ!ぶれーこーだ!」
真里が呂律の回らない口で返す。そしてなつみの指先はテーブルを二つ超えた先に向けられた。
- 356 名前:んで、結局安倍さんは一人身なわけだ。 投稿日:2004/06/11(金) 15:52
- 「こらぁ!そこもだぁ!イチャコラすんなー!」
そこにはあさ美を後ろから抱き締めている真希の姿があった。真希が首だけを回して答える。
「いいじゃんか!最近あんまり会えないんだからぁ!ね?」
あさ美が頷くのと同時になつみは溜息を吐いた。真希の声がさらに追ってくる。
「独り者は淋しいねぇ。ねぇ、あさ美?」
「うるさーい!」
なつみは叫び返して、指先を同じテーブルの目の前に座っている二人に向けた。
- 357 名前:んで、結局安倍さんは一人身なわけだ。 投稿日:2004/06/11(金) 15:53
- 「高橋ぃ?よくあたしの前でイチャイチャ出来るもんだね?」
絵里の肩に手を回しながら愛は締まりの無い笑みを見せる。
「いいじゃないですかぁ」
なつみのこめかみが反応した。
「ほー?あたしのスカート覗き込んで、見せてください、お願いしますって言ったくせにねー?」
愛の顔色が変わった。絵里の視線が愛に向けられる。
「違いますよっ!あれは見る?って安倍さんが言ったから!大体、胸だってあんなに寄せられたら自然に目が行く…」
墓穴を掘ったことに気付き口を閉ざすが時はもう既に遅かった。絵里は鋭い視線で愛を射抜くと、さっさと去って行ってしまう。慌てて絵里を追う愛の背中に声を掛ける。
- 358 名前:んで、結局安倍さんは一人身なわけだ。 投稿日:2004/06/11(金) 15:53
- 「今からでも大丈夫だよー?サービスしまっせー?」
「勘弁してくださいよー」
含み笑いの声に愛は情けない表情で抗議して、小さくなっていく絵里の背中を再び追いかけた。
「はーい、お仕置き完了っと」
なつみは笑みを浮かべながら、残ったビールを飲み干した。
- 359 名前:愛しのエリー。 投稿日:2004/06/11(金) 15:54
-
***END***
- 360 名前:chaken 投稿日:2004/06/11(金) 15:58
- 笑ってもっとベイベー…。
レイチャールズ氏、死去…。
ご冥福をお祈り致します。
第三部「愛しのエリー」完。これでこの三部作は終了です。
第三部を書いてる間、ずっと「愛しのエリー」をかけていました。
感想など、お待ちしております。
- 361 名前:名無し読者 投稿日:2004/06/11(金) 19:27
- 更新お疲れ様です。
最初からいっき読みました。自分の大好きなCPばっかりで幸せ〜(ぇ
亀高本当いい!!chakenさんの亀井さん、かわいすぎますぅ〜
またchakenさんの亀高読みたいです。これからも頑張ってくださいませ。
- 362 名前:無題。 投稿日:2004/06/19(土) 15:40
- もしも世界が終わるなら、その時、貴方はどうしますか。
死を覚悟で欲望の限りを尽くす?
気の赴くままに快楽を求める?
どうせ世界が終わるなら、何をしてもいい筈だ、と?
もしも世界が終わるとしたら…。
- 363 名前:無題。 投稿日:2004/06/19(土) 15:41
-
――世界が壊れると思いますか?
- 364 名前:無題。 投稿日:2004/06/19(土) 15:41
- 「もうすぐ、終わるで、絵里…」
高橋愛は赤い空に向かって呟いた。
幾重にも重なった雲の赤いグラデーションは幻想的で、やはり世界が正常ではない事を表していた。太陽は厚い雲や炭酸ガスの層に覆われてしまって、最近では姿を見ることは無い。
- 365 名前:無題。 投稿日:2004/06/19(土) 15:42
- 地球温暖化、オゾン層の破壊、大洪水、異常気象。
ほんの数年前までは耳を素通りしていた言葉が突如としてその脅威を振るい始めた原因は未だ解明には至っていない。
この科学が充分に発達しすぎた時代に警鐘は充分に鳴っていたはずだった。ただそれを現実と受けとめる覚悟がなかった為に、現在急速に進んだ環境汚染に対応できずにいるのだ。
- 366 名前:無題。 投稿日:2004/06/19(土) 15:42
- いつまでも青い星でいられると何の根拠があったのだろう。
温暖な気候に恵まれていたはずの日本も経験した事のない規模の大きな台風や発生例の少なかった竜巻の頻発によって壊れかけている。
政府が対策を立てるよりも遥かにその進行は凄まじく早く、日本崩壊の日は遠くはなかった。
- 367 名前:無題。 投稿日:2004/06/19(土) 15:42
- そしてそんな状況の世界に追い討ちを掛けるかのように流行り始めた原因不明の病。
その病気は死の病と呼ばれ、前触れも自覚症状も無く突如として発病して、高熱、酷い頭痛、めまいを伴って十二時間以内に死に至るという病気である。特効薬はおろか少しでも症状に効果のある成分さえも発見されていない。
感染病だという事だけは明らかでただ感染源も感染経路も不明だった。
- 368 名前:無題。 投稿日:2004/06/19(土) 15:43
- そんな追い詰められた状態に置かれた人類は狂った。
そして発狂した人々は悪夢を生んだ。
各地で強奪、殺人、強姦が毎日のように頻発して、人々は悪魔と化して、世界は悪夢に覆われた。
- 369 名前:無題。 投稿日:2004/06/19(土) 15:43
- ――さわさわ。
風の呼吸が聞こえる。膝の辺りまでも伸びた草は初夏の風に頭を撫で付けられてそのしなやかな体を折る。目に鮮やかな緑は今やこの狂った世界のオアシス、唯一の楽園というに相応しかった。
- 370 名前:無題。 投稿日:2004/06/19(土) 15:43
- 周りを緑に囲われたその状態で高橋愛は一人で歌っていた。
「高橋先輩」
自分の名前を呼ぶ、弾んだ口調の声に愛は歌を中断して振り向いた。木陰からひょこり、と少女の姿が覗いた。
「相変わらず綺麗な声ですねぇ」
ふんわりとした柔らかい笑顔で亀井絵里は愛に駆け寄ってくる。
- 371 名前:無題。 投稿日:2004/06/19(土) 15:44
- 絵里は愛の高校の後輩だった。
愛が絵里との出会いを回想する時、一番に浮かんでくるのは銀色に輝くナイフだった。
愛はその日、屋上に向かった。
世界が壊れていく中、学校にもその波が押し寄せてきていた。
その日の昼休みに穏やかな人柄で生徒に人気があり、信頼も厚かった教師が女子生徒を強姦して逮捕された。
その教師は例の病に冒されていたらしく、程なく警察署で死を迎えた。
被害者の女子生徒は泣いていた。
それは強姦されたからという事だけではなく、教師から病が感染したかもしれないからだ。感染経路は未だに不明だが、世間では体液による感染という説が囁かれているのだ。
- 372 名前:無題。 投稿日:2004/06/19(土) 15:45
- 午後から学校は休校になり、殆どの生徒は帰宅した。
愛には帰る場所がなかった。父親は愛の幼少期に事故で亡くなり、母親も半年ほど前に例の病で死んでしまった。
あの女子生徒の泣き崩れた顔がどうしても頭から離れず、一人の家に帰る気になれなかった愛は屋上を訪れたのだ。
立て付けの悪い扉を開けて広がる青い空と太陽。この空も近い内に太陽も見えなくなり、空は赤く濁った色になるとニュースが伝えていた。
- 373 名前:無題。 投稿日:2004/06/19(土) 15:45
- そして視線を下に移すと、少女がいた。
少女は扉に背を向けて座って、空を見つめていた。制服を着ていることからこの学校の生徒だということが察しがついた。そして少女の後ろ姿に愛は不思議な感情を覚えた。
小さく華奢な背中に儚げな虚無感を覚えた。
愛は足音を忍ばせて少女の背中から覗き込んだ。
少女の手には銀色のナイフが鈍い光を放っていた。少女の視線はそのナイフの尖った切っ先に向けられているようだった。
何故だか逃げる気は起きなかった。
世界は狂っていて、いつ誰に後ろから刺されてもおかしくない。けれども目の前に座っているナイフを持った少女からは逃げようという気は起こらなかった。
決して足が竦んで動けない訳でもない。
ただ少女は自分を刺さない気が、した。
- 374 名前:無題。 投稿日:2004/06/19(土) 15:45
- 「…何で、逃げないんですか?」
ふと少女が呟いた。幼さの残るあどけない声だった。愛は特に驚かず答えた。
「なんかな、あんたは安全な気がしたんよ」
少女は振り向いた。やはり幼さの残る顔立ちだが、どこか大人びた雰囲気を持っていた。やはり見た事のない少女だった。少女は芯の強そうな瞳で愛を睨むと、立ち上がり、愛の首筋にナイフを突きつけた。
- 375 名前:無題。 投稿日:2004/06/19(土) 15:46
- 冷たい刃の感触が愛の首に伝わる。首筋がぴりぴり、と痺れるような感覚に襲われた。
「これでも?」
しかしそれでもその感触に対して愛に恐怖心は沸かなかった。
「ああ、こわない」
少女は表情を変えずに、唇を噛んだ。そしてさらに愛を睨むと、突然愛の唇に口付けた。
「んっ…」
愛は息を漏らした。少女の生温かい舌が愛の口内に入り込んでくる。そして愛の舌を探し出して、自らの舌を絡ませ合う。
- 376 名前:無題。 投稿日:2004/06/19(土) 15:46
- ――ぴちゃ、ちゅぷ。
舌と舌とが絡み合う艶かしい水音が響く。
少女が唇を離すと、二人の間に透明な糸が引いた。少女は少し潤んだ目で愛を見ると、口端を上げた。
「もしも、私が病気持ってたらどうします?」
愛は少し目を伏せて、少女を睨みつけた。
「あんたこそ、あたしが病気持ってたらどうするんよっ」
少女は愛の言葉に目を丸くした。
「は?何言って…」
愛は顔を伏せて少女の言葉を遮った。
「…大切にせえよ。自分の命ぐらい」
少女は目を見開いた。そして少女の手からナイフが落ちた。刃先が地面に当たり、かつん、と乾いた音を立てた。
- 377 名前:無題。 投稿日:2004/06/19(土) 15:47
- 少女は亀井絵里と名乗った。この高校の一年生で、三年生の愛とは二つ学年が違う。
「私、高橋先輩の事、知ってます」
絵里は柵から外を見つめながら呟いた。愛はその隣に立った。
「あたしのこと?」
絵里は頷いて言葉を続けた。
「先輩、合唱部でしょ?私、毎日ここで合唱部の練習聞いてたんです。先輩の声、綺麗です」
愛の方に振り向いて笑って見せる絵里。愛は戸惑いながら答えた。
「あ、ああ…ありがとさん」
絵里はさらに笑みを深めた。
- 378 名前:無題。 投稿日:2004/06/19(土) 15:47
- 「今日も授業サボって先輩の声聞こうかなって思って、ここに来たんですけど…高橋先輩自身がここに来るとは思いませんでした」
言葉を途切れさせて微笑む絵里の顔は先ほど愛にナイフを向けた時の形相とは同一人物とは思えないほど優しく聖母のように穏やかだった。絵里はふと笑みを退いて静かに言葉を続けた。
「…私、家に帰れないんです。家にはお母さんと知らない男の人がいて、帰ったら酷いことされるって分かってるから」
儚げに目を伏せる絵里の横顔が驚くほど大人びて見えた。愛は殆ど無意識に言葉を発していた。
「じゃあ、うちに来るか?」
絵里は一瞬目を丸くして、愛と視線を絡めると、嬉しそうに頷いた。
- 379 名前:chaken 投稿日:2004/06/19(土) 15:51
- 新作です。とりあえずここまで。
>361様。亀高、お楽しみ下さい。応援ありがとうございます。
- 380 名前:無題。 投稿日:2004/06/23(水) 20:05
- 学校から出て、少し早足に歩く愛の後に絵里は小走りになりながら半歩遅れて歩む。
「なんでそんなに早足なんですかっ?」
息を弾ませながら絵里が問い掛ける。愛は早足のまま答えた。
「最近危ないやろ、外も。今日何で学校が休校になったか知っとるやろ?」
愛が歩きながら振り向いた。絵里は首を捻る。
「ああ、休校になったからみんな帰ってたんですか。でも何でですか?」
疑問符を浮かべた絵里の言葉に愛は目を丸めた。
- 381 名前:無題。 投稿日:2004/06/23(水) 20:05
- 「知らんかったんか。牧原先生おったろ?」
「ええ。歴史の」
絵里は不思議そうに愛の話を促す。愛は目を伏せて静かに言った。
「牧原先生が二年の子をレイプして捕まったんや」
「え」
絵里は目を見開いた。愛は再び前を向き、早足で歩き始めた。
「牧原先生、あの病気やったらしい。被害者の子、移されたかもしれんって泣いとった」
絵里は何も答えを返さず沈黙を保ったまま愛の後に続いた。
- 382 名前:無題。 投稿日:2004/06/23(水) 20:06
- 街の隅に佇む小さな二階建てのアパートの一室が愛の家だった。愛は入り口の扉をくぐって二階の部屋に向かった。
「ここや。なかなか味があるやろ?」
薄い木目調の古めかしい木戸を指して愛が笑いながら言う。絵里は愛と視線を合わせた。
「まあ、見様によっては味があるとも言えなくはないですけど…」
愛は苦笑を返すと、鍵を開けてその木戸を引いた。戸が開くと共に音が響いた。
- 383 名前:無題。 投稿日:2004/06/23(水) 20:06
- 「なんかきぃきぃいってるんですけど…」
絵里の呟きを無視して、愛は中へ入り、絵里を中に促した。
愛の部屋は外見とは異なり、意外に広かった。愛と母親が福井から東京に出て来て、この部屋に引っ越してきたのは父親が亡くなって暫く経ってからだった。その頃は経済的な余裕が無く、破格に安い家賃に見合ったここを選ぶしかなかったのだ。
「あまり散らかってないですね。綺麗好きなんですか?」
リビングを見回して絵里が問い掛ける。愛はキッチンで紅茶を立てながら答えた。
「綺麗好き、ゆうほどでもないけど…母さんと住んどった時はあたしが家事担当やったからな。掃除は体に染みついとるんよ」
絵里は振り向いて愛を見た。愛は視線を伏せて紅茶を淹れていた。
- 384 名前:無題。 投稿日:2004/06/23(水) 20:08
- 「お母さんは…?」
愛は答えずに二人分の紅茶を盆に乗せてリビングの中央にあるテーブルに置いた。そして椅子に座ると、絵里を向かいの椅子に座るように促す。
絵里は椅子に座ると紅茶を一口飲んだ。どこか懐かしく温かい味が口内に広がった。そしてカップを置いて呟いた。
「美味しい…」
愛も一口飲んでから答えた。
「やろ?母さんが好きやったんよ」
絵里が視線を上げた。愛は寂しげに笑った。
- 385 名前:無題。 投稿日:2004/06/23(水) 20:08
- 「母さん、あの病気で死んだんよ。半年くらい前やったかな。父さんは子供の頃、事故でな」
絵里は沈黙した。そして暫くの間を置いて呟いた。
「…お父さん、どっか行っちゃったんです。お母さんは私が知らない、他の男作って、家に連れこんで…」
絵里は苦しげな表情で吐き出した。愛は立ち上がった。そして窓の前に立った。
- 386 名前:無題。 投稿日:2004/06/23(水) 20:09
- 夕暮れの中に見える住宅街の一軒一軒に明かりが灯っていた。
ぼんやりと、滲むような薄灯りたちが黄昏の街を彩っていた。
「…あの灯りの中でみんな狂い始めてるんです。きっと…もうすぐ世界は終わるんです」
愛が気付くと隣には絵里が立っていて、同じ光景を見つめていた。愛はぽつり、と呟いた。
「ずっと、ここにおればええよ…」
絵里は静かに愛の手を握った。暮れ掛けた街はやはり薄ぼんやりと佇んでいた。
- 387 名前:無題。 投稿日:2004/06/23(水) 20:09
- 日を追うに連れて状況は厳しくなる一方だった。
太陽も隠れて十年後には氷河時代が再来するといわれている。
それを凌ぐ勢いで感染病が蔓延していく。
世界の崩壊よりも感染病による人類絶滅の方が早いだろう、という学説もある。
世界が終わる、この思想が共通認識となり、危険思想を生み出す。その危険思想がもたらすものは強奪、強姦、殺人などの凶悪犯罪だった。
街を歩けばそこかしこにその危険思想が蔓延っていて、いつ被害や巻き添えをうけてもおかしくない状況になっていた。もちろん学校などは無期限休校の状態である。
テレビのニュースで病気を持った教師に犯されたあの女子生徒が例の病気で死んだという事が報じられていた。正式発表は未だになされていないが、感染経路の一つに体液による感染があるのは確実であった。
- 388 名前:無題。 投稿日:2004/06/23(水) 20:10
- 食料の買い出しの為に二人は外出した。
街は寂寥の感すら覚えるほどにひとけが無く、それがかえって不気味だった。初夏には似つかわしくない気味の悪い生温かい風が余計にそれを煽った。二人は寄り添って身を隠しながら、歩んでいった。そして警戒を怠らずに近くの食料品店に到着した。店内もまた閑散としており、まるで人の気配がなかった。
「レジの人も、いないですね…」
絵里が店内を見回して呟く。この店でも強奪が起こったらしく、店内は散らかされ、荒らされていた。愛と絵里は足音を忍ばせて、店内の物を物色した。
- 389 名前:無題。 投稿日:2004/06/23(水) 20:10
- 「もう、金なんか意味無いんやな…」
愛が手の中の一万円札を握って呟いた。絵里は一瞬振り向いて、すぐにバッグの中に品物を詰め始めた。
帰り道も全く油断は出来ない。角に差し掛かる度に、愛は忍び足で確認する。
ちょうど三つ目の角に当たった時だった。愛は絵里に目に合図して先に走り、曲がり角の周辺を見回す。愛の後ろ姿を見つめていると、絵里は突然口を覆われた。
「…ッ!んーっ!」
絵里の声に反応して愛が振り向く。
- 390 名前:無題。 投稿日:2004/06/23(水) 20:11
- そこには一人の男に背後から羽交い締めにされる絵里の姿があった。二十台半ば辺りだろうか、いたって普通の服装だった。ただ一つ違うのはその男の血走って狂気すら孕んだその目だった。
愛は慌てて駆け寄ると、男を突き飛ばし、絵里の手を取った。しかし男はすぐに立ち上がり二人を追ってきた。
絵里は立ち止まった。
「絵里っ!」
愛は叫んで握った絵里の手を引くが絵里の体は動かない。絵里は後方を振り向くと、男にポケットから取り出したナイフを向けた。
男の動きが止まる。
緊張が張り詰めて、周りの雑音がやけに大きく響く。止めど無く流れる時の中でその場だけが取り残されたように動かない。
やがて男は一歩後に引くと、背を向けて逃げていった。
- 391 名前:無題。 投稿日:2004/06/23(水) 20:11
- 「……」
絵里は呆然とその背中を見送り、腰を抜かしてその場にへたり込んだ。ナイフが地面に落ちた。愛はそのナイフを拾い上げる。
「これ…まだ持ってたんか」
そのナイフは愛が絵里と初めて会った時、絵里が愛に向けた銀のナイフだった。
「…絵里…」
愛は呟いて地面に腰を落とすと、絵里を抱きしめた。
「自分の命ぐらい大切にせえよ、って言ったやろ」
愛は絵里の体を起こした。不安定ながら絵里は立ちあがった。
部屋に帰ると、愛は鍵を閉めて鍵の部分にチェーンを掛けた。
未だ放心状態の絵里はリビングのソファに座り、ぼんやりと中空を見つめていた。愛はその隣に座った。
- 392 名前:無題。 投稿日:2004/06/23(水) 20:12
- 暫くの沈黙をおいて、絵里は静かに口を開いた。
「…私、あの男に捕まってたら…何されてたんだろう…」
変わらず中空を眺めながら呟く絵里に愛は何も答えなかった。「あんな男にやられるなんて死んでも嫌」
絵里は愛と視線を合わせると、芯を持った瞳で愛の目を射抜いた。
「私、バージンなんです」
- 393 名前:無題。 投稿日:2004/06/23(水) 20:12
- 絵里は愛の手に指先を触れさせた。
「高橋先輩に奪って欲しいんです…」
細く掠れた声で妖艶に呟く絵里。愛は絵里の手に自分の手を重ねて絵里をソファに押し倒した。
「もし、あたしが病気やったら…移っても知らんで…」
絵里の目を見つめて愛が呟く。絵里が愛の瞳を見つめ返して微笑んだ。
「高橋先輩こそ…。移ってもいいんですか?」
愛は唐突に絵里の唇を奪った。唇同士が軽く触れ合う。
「アホ…絵里となら、移ってもええ…」
絵里は嬉しそうに笑みを浮かべると、愛の体に抱き付いた。
「私もです…」
- 394 名前:無題。 投稿日:2004/06/23(水) 20:13
- 触れ合う部分が溶け合いそうなほどの快感が支配して、熱と共に体を包みこんでいく。体液と体液を交換して縋るように愛を確かめ合う。
「これだけ…ッ、やったら…ッ、病気があったら…っ、もう、移っとるよな…ッ」
絵里の誰も触れたことのなかった場所に愛の指が埋め込まれる。絵里は頬から耳朶まで赤く染めて羞恥と快感に目を瞑って耐えている。
「絵里…?ええか…?」
絵里は目尻に涙を浮かべて頷いた。愛はさらに絵里の奥深くにまで侵入して、遂に絵里の純潔を散らした。
その瞬間、絵里は深く目を瞑り体をこわばらせた。指を引き抜くと、その部分から赤い純潔の証が流れてくる。
「高橋先輩で…良かった…っ」
息も絶え絶えに囁く絵里が愛しくなり、愛は絵里の体を抱き締めた。
- 395 名前:無題。 投稿日:2004/06/23(水) 20:13
- ――本日未明、アメリカ、コロラド州でビルに押し入った男がガソリンを被り、焼身自殺を図るという事件がありました。この事件で男とそのフロアにいた女性二人が死亡、他数名が重軽傷を負いました。
- 396 名前:無題。 投稿日:2004/06/23(水) 20:13
- ――連日続いている中東のイスラム圏内諸国での自爆テロですが、本日、現地時間、午後三時三十分ごろ、アフガニスタン北西部で自爆テロがありました。犯人とその場にいた十数名が死亡し、これで自爆テロでの犠牲者は三百人にも上ります。原因はやはり世界の崩壊という報道を受けてのことだと思われます。
- 397 名前:無題。 投稿日:2004/06/23(水) 20:14
- ――本日午前十一時ごろ、東京都練馬区で幼稚園に押し入った男が銃を乱射して自らもこめかみを撃ち抜き、自殺するという事件が起こりました。この事件で男と幼児数名が死亡し、近くにいた職員の女性一人が軽傷を負いました。
- 398 名前:無題。 投稿日:2004/06/23(水) 20:14
- ――先日起きました中国、広東省の小学校での教師による生徒の大量惨殺事件で、弁護人は犯人の教師に精神的な欠陥があったものとして、精神鑑定を申請することが明らかとなりました。
- 399 名前:無題。 投稿日:2004/06/23(水) 20:14
- テレビ画面を通じて伝えられる悪夢のようなニュースの数々。世界の各地で崩壊が進行していく。
日本も他聞に漏れず、治安悪化は著しいものになっている。
外は獲物を待ち構える悪魔たちで溢れていて、少女が一人で武器も何も持たずに外を出歩くなど自殺行為に等しいものになっていた。
そんな中、愛は唐突に提案した。
- 400 名前:無題。 投稿日:2004/06/23(水) 20:15
- 「散歩行かん?」
「へ?」
隣りでぼんやりと窓の外を見つめていた絵里は目を丸くした。そして窓の外を指差して言葉を返す。
「だって…外は危ない…」
愛はふわり、と柔らかく笑った。
「絶対、見つからん場所があるんよ。その場所を絵里に見せたい」
瞳を見つめて言う愛に絵里は自然に首を頷かせていた。
- 401 名前:無題。 投稿日:2004/06/23(水) 20:15
- アパートを出て、周りの警戒を決して怠らずに進んでいく。絵里のポケットにはあの銀のナイフが入っていた。
街はどこか閑散としており、不気味ですらあった。恐怖と緊張で足を進めるにも普段の数倍の体力を要する。それでも二人は神経をすり減らしながら何とか歩を進めていく。
その場所は近くの山の少し奥まった場所にあった。愛は絵里の手を引いて山道を抜けていく。
- 402 名前:無題。 投稿日:2004/06/23(水) 20:15
- 「普通に行ったらめっちゃかかるけど、この道ならすぐ着くからな」
近道というだけあってあまり整備や舗装はされていない道だった。五分ほどその狭い道を歩くと、やがて空間が広がった。
茂る林から広場のようにくりぬかれた空間。
- 403 名前:無題。 投稿日:2004/06/23(水) 20:16
- ――さわさわ。
優しい風に草木が揺れる。隙間なく生え揃った草は敷き詰められた緑の絨毯のようであった。そしてその緑の絨毯は風に煽られて楽しげに踊る。
そこからは街が一望することが出来た。
愛の部屋の窓から見るより、より鮮明に街、家の灯りを見ることが出来た。絵里はその壮大な景色に目を奪われた。
「まだあたししか知らん場所なんよ。絵里に見せたかった」
絵里は振り向いて愛を見た。愛と視線を合わせた絵里の瞳は純真な子供のように真っ直ぐな光を灯して、輝いていた。
- 404 名前:chaken 投稿日:2004/06/23(水) 20:18
- とりあえず切ります。
なかなか苦戦しております。
やはり文章を書くということは難しいですね。今更ながら実感しております。
近々更新いたしますので、よろしくどうも。
- 405 名前:無題。 投稿日:2004/06/24(木) 20:06
- 相変わらず感染経路や感染源などは不明なままだが、アメリカの学者の研究発表で例の感染症に自覚症状が伴うことが明らかになった。
「消えて…ッ!消えてよ…ッ!」
冷たい水で手を流しながら、絵里は手の甲を必死に擦っていた。絵里の手の甲には黒い斑点が数個あった。
例の感染症の自覚症状である。この斑点の出現から数日中に発症すると発表されていた。
- 406 名前:無題。 投稿日:2004/06/24(木) 20:07
- 「もうッ…!消えてよぉっ…!消えろぉ…っ!」
絵里は涙を流しながら手の甲を擦り続けた。しかし、その斑点は死の宣告を下すように一向に消えなかった。止めど無い絵里の涙の雫は水に混じって排水溝に流れていった。
「絵里、どしたん?なんか顔色悪いで」
ソファの隣に座っていた愛が顔を覗き込んできた。絵里は笑顔を作って首を振った。
「そんな事ないですよ。あ、そうだ。あの場所に行きません?」
絵里は明るい口調で言うと、愛の手を取って立ちあがった。その時に絵里は握った愛の手の甲を盗み見て確認したが、愛の手の甲には斑点は無かった。
その瞬間、涙が溢れそうになったが、絵里は唇を噛んでそれを耐えた。
- 407 名前:無題。 投稿日:2004/06/24(木) 20:07
- ――さわさわ。
風が揺れる。緑の絨毯がざわめいた。すると周りの木々もざわめき、歌う。風の二重奏が耳から直接通りぬける。
空はもう既に青を称えてはいなかった。太陽も隠れて、厚い炭酸ガスの層が空を覆い隠して、どこか幻想的な赤に染まっていた。
地面の緑と空の赤のコントラストはやけに映えていて、綺麗だった。
- 408 名前:無題。 投稿日:2004/06/24(木) 20:08
- この場所に訪れるのは二人の日課ともなっていた。二人でこの場所に到着するとすぐに絵里は愛に言った。
「ちょっと待ってて下さいね」
言い残して絵里は雑木林の奥へと走っていった。愛はその背中を見送って呟いた。
「なんや、絵里、最近変やざ…」
絵里はなかなか戻ってこなかった。
風が吹き抜けて、心地良い声で歌う。愛は風に誘われるように歌い始めた。歌を歌のは合唱部の練習以来だった。
綺麗に伸びる凛とした声。愛の歌が風の歌声と合わさり、絶妙なハーモニーを生み出す。
- 409 名前:無題。 投稿日:2004/06/24(木) 20:09
- 「高橋先輩」
絵里の声に愛は歌を中断して振り向いた。絵里は木陰から顔を覗かせて、悪戯そうに笑っていた。
「相変わらず綺麗な声ですねぇ」
絵里は両手を後ろに組んだまま駆け寄ってくる。愛は絵里の後ろに組んだ手を指差した。
「ん、なんや?それ」
愛が尋ねると、絵里は途端に目を輝かせて両手を差し出した。
絵里の両手には大輪の花が溢れていた。
濃い黄の鮮やかな色彩が咲き誇っていた。
最近、この場所に愛と通うようになって、絵里はこの黄色い花の群生地を見つけていた。愛も知らない場所だ。そしてその一面の黄色い花の中から出来るだけ多くの形の整った花を摘んできたのだ。
- 410 名前:無題。 投稿日:2004/06/24(木) 20:09
- 「名前は分からないんですけど…綺麗なの選んできました」
絵里は微笑んでその花を差し出す。愛は呆気に取られたように目を丸くした後、嬉しそうに笑った。
「ありがとさん」
両手を広げて花を受け取る。花びらが数枚手から零れた。零れた黄色い花びらが緑の上に落ちた。
「絵里…」
愛は花を抱えたまま、絵里に口付けた。
「…ッ!」
絵里は目を見開いて、咄嗟に愛の体を突き飛ばした。
愛の手に抱えていた花が緑の上に広がった。草の上にまるで一輪の花のように鮮やかな黄色が咲く。
- 411 名前:無題。 投稿日:2004/06/24(木) 20:09
- 暫く時が停止した。そして間を置いて漸く事態を認識した愛は呆然と絵里に視線を合わせた。
「なんで…」
絵里は目を伏せたまま、愛とは視線を合わせなかった。
突然、頭の中に映像が押し寄せた。
今朝のニュースで映されていたアメリカの学者の記者会見の映像だ。
不精髭をはやした学者は四方から炊かれるフラッシュの中で言った。
――手の甲の黒い斑点は死の宣告である。
- 412 名前:無題。 投稿日:2004/06/24(木) 20:10
- 愛は咄嗟に絵里の手を掴むと、手を裏返して手の甲を見た。そして目を見開いた。暫く動きを停止した後、呆然と視線を上げて絵里を見た。絵里は相変わらず俯いたままだった。
「絵里…」
絵里の手の甲には幾つも黒い斑点が浮き出ていた。
絵里の白い手の甲に毒々しい黒い斑点が不気味に滲んでいる。
緑の絨毯に咲いた黄色い花のコントラストが二人の足元に広がっていた。
- 413 名前:無題。 投稿日:2004/06/24(木) 20:10
- ――さわさわ。
風は相変わらず優しく吹いていた。緑の絨毯には絵里が寝転んでいた。その傍らには愛が座っていた。もう絵里の状態は起きあがることは出来ないほどになっていた。
緑の絨毯に寝転がった絵里は赤い空を見つめながら呟いた。
「きっと、高橋先輩と出会ってなかったら…死ぬことは怖くなかった。世界なんて終わればいいのに、って思ってた」
もう病状は進み掠れた声で呟く事しか出来なくなっていた。愛は絵里と同じ空を見つめながら黙りこくっていた。絵里はか細い声で続ける。
- 414 名前:無題。 投稿日:2004/06/24(木) 20:10
- 「でも、大切な人、大好きな人が出来ると…死ぬのが怖くなるものなんですね」
絵里は慈愛に満ちた微笑みを浮かべた。黒い斑点の残る絵里の手が力無く愛の手を求める。愛は絵里の手を握った。
「最後に握ったのが高橋先輩の手で良かった。最後に見れたのが高橋先輩と同じ景色で良かった。最後に見れるのが高橋先輩の顔で良かった…」
愛は絵里の額を撫でた。絵里の顔色は青白く、それでも浮かべる笑みは穏やかだった。
- 415 名前:無題。 投稿日:2004/06/24(木) 20:11
- 「世界が終わっても、世界は愛で満ち溢れています…」
愛の手は絵里の頬を滑る。絵里は本当に幸せそうに微笑んで見せた。
- 416 名前:無題。 投稿日:2004/06/24(木) 20:11
- 「世界が終わっても…愛しています。高橋さん…」
そこで絵里は目を閉じた。
まるで寝顔のような安らかな顔だった。
絵里の手には銀のナイフが握られ、鈍い輝きを放っていた。
愛は絵里の頬を撫でながら、笑った。そして絵里の頬に水の粒が落ちた。頬に流れる涙が輝いた。
まるで雨のように白い絵里の頬に大粒の雫が降って来る。
- 417 名前:無題。 投稿日:2004/06/24(木) 20:11
- 「…絵里…っ」
愛は赤い空を見上げた。そして呟いた。
「もうすぐ、終わるで、絵里…」
――世界が終わっても、世界は愛で満ち溢れている。
絵里の残した言葉が余韻を残して響いた。
赤い空が覆う世界の中、緑のその空間には二人の少女と黄色い花だけが咲いていた。
- 418 名前:chaken 投稿日:2004/06/24(木) 20:13
- 終わりです。
これで完結にしようかどうか迷っています。
気が向いたら続きも書きたいです。
- 419 名前:chaken 投稿日:2004/06/24(木) 20:13
- 流し。
- 420 名前:chaken 投稿日:2004/06/24(木) 20:13
- もいっちょ流しです。
- 421 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/25(金) 16:40
- 完結ですか、お疲れさまでした。
ずっとchakenさんの作品を見ていた自分としては
残念ですが……できたら続き読んでみたいです。
- 422 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/25(金) 18:48
- 初めて読みました。なんか上手く言えないけど空気が好きです
そのまま、終わりにするにはあまりにも...
作者さんにお任せします。
- 423 名前:chaken 投稿日:2004/06/28(月) 16:19
- えー、「無題。」という作品ですが…最初はこれで終わりの予定でした。
しかし、続きの構想はあるので待っていて下さい。
とりあえずプロローグのようなものだけ、書いておきたいと思います。
- 424 名前:無題。 投稿日:2004/06/28(月) 16:19
- 白。
ただそれだけだった。
背景は白く灼かれていて、その中には誰もいない。
勝手に視界に入りこんできていた他人、心を許した友人、尊敬していた両親の誰もいない。
そして隣りにいて笑っていた彼女も、その背景の中にはいない。
それでも、彼は自分を幸福だと思った。
彼女の手は温かく、少し特徴的な彼女の声も優しい。
彼女を抱き締める手もあれば、口付ける唇もある。
彼は至福だった。
- 425 名前:無題。 投稿日:2004/06/28(月) 16:20
- 朽ちかけた古い屋上の扉を開く。
眩しい太陽の光と共に、一気に風が流れこんできた。柔らかく撫でるような優しい風だった。
石川梨華は微笑むと、人影の乗った車椅子を押して屋上に足を踏み入れた。
空は快晴で、雲の一つすら見当たらない青空だった。
梨華は再び空を見上げると眩しそうに目を細めた。
「今日は、快晴ですね」
車椅子に腰を沈めていた吉澤ひとむが静かに言った。梨華はひとむの方に振り向くと尋ねた。
- 426 名前:無題。 投稿日:2004/06/28(月) 16:20
- 「分かりますか?」
ひとむは顔だけで頷いた。黒い真珠のように澄んだ瞳が梨華の顔を映し出す。
「空気が乾いて、風が穏やかです。空は青いですか?」
梨華は慈愛に満ちた微笑みを見せた。そして車椅子の取っ手を取り、ゆっくりと押して、狭い屋上を散歩し始めた。
「ええ…。気持ちが良い程の快晴です、ひとむさん…」
アスファルトに二人の影が色濃く刻まれていた。眼下に望む街は身動ぎ一つさえも立てずにただの風景の役割に徹していた。
二人だけの世界だった。
- 427 名前:chaken 投稿日:2004/06/28(月) 16:21
- 本当に短くてすいません。
これから書き進めていきたいと思います。
- 428 名前:無題。 投稿日:2004/06/29(火) 20:12
- 薄いカーテンから光が通過する。広い部屋が薄く照らされる。
大型のプラズマテレビにステレオオーディオ、立派な皮のソファ、セミダブルのベッド、部屋を豪華に装飾する調度品の数々。一人で過ごす部屋にしては広すぎて、豪華過ぎる。
ひとむはソファに背を凭せ掛けてまどろみに浸っていた。そこへ扉の向こう側から声が響いた。
「ひとむ坊ちゃま。そろそろお時間です」
ひとむの家の家事手伝いである柴田あゆみである。ひとむは間延びした声を響かせた。
「開けていいよー」
一拍を置いて扉が開かれる。エプロン姿のあゆみが部屋へと入ってくる。ソファでパジャマのまま寛ぐひとむを見て、あゆみは溜息を吐いた。
「何をやってるんですか。もう車は外で待機しているんですよ」
ひとむは口元を抑えて欠伸をすると、その重い腰を上げた。
- 429 名前:無題。 投稿日:2004/06/29(火) 20:12
- 「わかってるよ。でも僕は…やる気が出ないっていうか…」
あゆみはその丸い瞳でひとむを睨んだ。ひとむは諦めたように息を吐いた。
「…分かってるって。分かってる」
あゆみは言葉に詰まり、口を噤んだ。ひとむはクローゼットを広げて黒いスーツの上下と青いシャツを取り出して、着替え始めた。スラックスパンツを履き終えて、シャツに袖を通すひとむの後ろ姿を見ながらあゆみは口を開いた。
「ひとむ坊ちゃまにとっても良い話だという事です」
ひとむは顔だけを振り向かせた。あゆみはぽつり、と小さく呟いた。
「私だって…なんだか寂しいんですから…」
シャツを着終えたひとむは軽く笑ってあゆみの頭を撫でた。
「乗り気しないけど、何とか頑張ってみる」
ひとむはネクタイを締めて上着のボタンをはめると、広い玄関前に止まるリムジンに乗った。
運転手に挨拶すると、車は走り始めた。
- 430 名前:無題。 投稿日:2004/06/29(火) 20:13
- 広々としたシートに凭れかかり、ひとむは窓外の景色を見つめた。
吉澤家は元は古美術を専門に扱う仕事をしていた。それが高じて貿易にも手を広げて、今では大財閥として広くその名を知られるようになった。
その一家の一人息子としてひとむはこの家業を継ぐ事を幼い頃から約束され、古美術、特に絵画に関心があったひとむもそれを厭う気はなかった。
現在十九歳の大学生であるひとむに縁談が持ちあがったのは一ヶ月ほど前である。
ひとむはそれを断った。
結婚相手は自分で見つけるつもりでいたし、親の選んだ会った事も無い相手と結婚を意識するなどひとむには考えられなかった。実際、ひとむは背が高くスマートで特別に女性に縁が無いというわけではなかった。
- 431 名前:無題。 投稿日:2004/06/29(火) 20:14
- それでもこの縁談を受けたのには理由がある。
縁談の相手は吉澤家のひいき相手の会社の一人娘だった。会いもしないまま断われば角が立つし、とりあえず会うだけという条件で一ヶ月に渡る両親の説得に応じたのだ。
写真は見せられた事は無いが、容姿端麗で優秀で聡明な女性だという話だった。周りはこれ以上の話は無いと騒ぐが、ひとむは興味が沸かなかった。結婚を意識する年齢でも無いし、結婚に憧れているわけでも無い。今日も一度会って話をするだけで断わってもらうつもりで会場のホテルへ向かっているのだ。
ひとむは両親は謝りながらひとむを説得した。
一人息子であるせいか、両親は昔からひとむを特別可愛がった。しかし、可愛がるといっても過保護というわけではない。叱り、怒鳴り、笑い、愛情を持ってひとむを育てた。
ひとむの両親は普通の家庭にこだわっていた。大財閥でも関係無く、ひとむに誠実に向き合い、話をする、という事にこだわるのだ。吉澤家の豪邸で家事の手伝いがあゆみ一人なのもそのこだわりによるものである。
そんな両親であるから、今回の話は殊更、話し難そうだった。その両親の姿がひとむを頷かせる一つの要因だったのかもしれない。
- 432 名前:無題。 投稿日:2004/06/29(火) 20:14
- 「ふうっ」
ひとむは決心するように一つ息を吐いて、ネクタイを締め直した。
ホテルの豪華な玄関の脇に車が停まる。
「ありがとうございました。帰りはタクシーで帰りますんで」
ひとむは運転手に声を掛けると車を出た。リムジンは迂回して駐車場を出ていった。
「さて、と…」
ひとむは呟いてホテルの外観を見上げた。
果てしなく続きそうな階数、その敷地面積の広さにひとむは溜息を吐く。いくら縁談の相手が才色兼備だろうと、両親の為であろうと、どうにも気後れしてしまう。
ひとむの足は自然とホテルの玄関を避けて、中庭へと向かっていた。
ひとむが座るはずの席から見渡せる日本庭園。ひとむはその脇を抜けて、裏側の駐車場へ続く並木道に出くわした。
- 433 名前:無題。 投稿日:2004/06/29(火) 20:15
- 今年の桜の開花が少し遅れたせいで現在も桜は咲いていた。桜が舞い落ちて、道を桃色に染めている。道の周辺には全くひとけは無い。
しかし、その中にひとむは一つの人影を見つけた。
桜の樹下で佇む女性。
微風にそのたおやかな長い黒髪を抑えている。
物憂げで美しいその表情。
その気品漂う優雅な姿にひとむは一瞬にして釘付けになった。
足を止めたひとむにその女性が気付いた。
暫く視線を交わした後、先に動いたのはひとむだった。
駆け寄るでも歩み寄るでもなく、周りを見回しながら頭を掻きながら、落ち着き無い様子で近寄っていく。
- 434 名前:無題。 投稿日:2004/06/29(火) 20:15
- 女性と同じ桜の樹下で足を止める。桜の香りに混じって、女性のものと思われる微香が鼻先を擽った。女性の表情は動かない。ひとむは頭を掻きながら口を開いた。
「え、と…その…」
言いよどむひとむに女性は不思議そうに小さく首を傾げた。ひとむの白い頬に赤みが差す。
「綺麗ですね…桜も、その、あなたも…」
一瞬、女性の表情が固まった。そして女性はくす、と笑った。
「おかしな人」
口元を抑えて微笑むように笑う女性。
- 435 名前:無題。 投稿日:2004/06/29(火) 20:16
- ――マリアだ。
瞬間的にひとむは思った。
古美術、絵画の部類の中でひとむが関心を持っていたのは、聖母子像だった。その中でも特にダヴィンチの聖母子像はひとむの興味を引いた。ダヴィンチの描いた慈しむ“母”の表情と目の前の女性の表情は重なっていた。
「お時間、大丈夫なんですか?」
女性の少し鼻にかかった女性の声がひとむを現実に引き戻した。ひとむは我に返って尋ねかえした。
「え?」
「だって駐車場に向かっていたんじゃ…」
女性は並木道の先の駐車場を視線で示した。ひとむは慌てて首を横に振った。
- 436 名前:無題。 投稿日:2004/06/29(火) 20:17
- 「い、いえ、実はホテルで約束があったので…」
ひとむは顔を伏せた。約束に遅れることよりも女性と別れるほうが悔しく、悲しいように思えた。女性も顔を伏せて答えた。
「そうですか…私も約束があったんです」
「…そうですか」
二人の間に緩い沈黙が流れる。沈黙を経て、女性が先に会釈をしてホテルのほうへと駆けていった。
ひとむはその華奢な後ろ姿を見送って溜息を吐くと、通って来た道を戻っていった。
回転扉をくぐりホテルの中に入る。ロビーに座っている人影がひとむの姿に気付き駆け寄ってくる。
「ひとむっ。あなた何してたの?」
ひとむがなんでもない、とはぐらかすと、吉澤玲子は溜息を吐いた。
「確かに悪いとは思ってるわよ?でも仕方ないのよ。会うだけだから、ね?」
宥め方を知っている母親の説得にひとむは力無く頷いた。
「分かってるよ。先方はどこ?」
玲子はひとむを先導して歩き始めた。玲子の後に続いて歩きながら、ひとむの脳裏には先程の女性の微笑みが焼き付いて離れなかった。
――綺麗な人だったな…。
- 437 名前:無題。 投稿日:2004/06/29(火) 20:17
- 「ひとむ」
玲子の声がひとむを引き戻した。窓の外に中庭の庭園を望むホテル内のレストランに到着していた。
「あまりぼーっとしないのよ」
「…分かってるって」
玲子は窓際の席で足を止めた。その席には既に先方の娘と母親が座っていた。
奥側に座っていたため、娘の顔は確認できなかった。
玲子は深く頭を下げた。
「どうも、遅くなりました。ひとむ、そちらが石川梨華さんよ。ほら、ひとむも挨拶なさい」
玲子に促されて、ひとむは席に座る二人に頭を下げた。
「初めまして。吉澤ひとむです」
そこで頭を上げたひとむと奥の席に座る娘と目が合った。
「あ」
二人は同時に声を上げて、目を丸くした。
石川梨華はあの桜の樹下で出会ったあの女性だった。ひとむは零れる笑みを止められなかった。
「ど、どうも…いや…ははっ…」
「…くすくす」
二人は再び顔を見合わせて笑みを浮かべた。
- 438 名前:無題。 投稿日:2004/06/29(火) 20:18
- 梨華とひとむが面識があったことを話すと、二人の母親は気を利かせて席を外した。二人きりになり、そのままレストランで朝食を取ることになった。
ぴちゃん、と時折、鹿威しの音が響く。整えられた木の枝や植木。その脇に石段や灯篭やらが配置されている。池には色鮮やかな鯉が泳いでいた。
「ひとむさんは絵画に興味がおありなんですか?」
高い声と対照的にその声調は凛としている。ひとむはええ、と頷いた。
「今は大学に通いながら美術館でアルバイトをしています。り、梨華さんはご趣味か何かありますか?」
「そうですねぇ…」
梨華は顎に手を当てて考えこむ。実際に話をした梨華の印象はやはり聡明で賢く、どこか幼く可愛らしかった。
- 439 名前:無題。 投稿日:2004/06/29(火) 20:18
- 「あの、料理を今、習っていて…」
少しはにかみながら言う梨華にひとむは笑顔で尋ねた。
「へぇ、今度ご馳走してくださいよ」
「いいですよ。あ、でも…味の保証は出来ませんけど」
二人は視線を交わして、笑いあった。それから梨華は恥じらいながら付け足した。
「あと趣味、というか…笑われそうですけど…」
「笑いませんよー。何ですか?」
ひとむは笑顔で先を促す。梨華は少し顔を俯かせてか細い声で答えた。
「恋愛小説…が好きで…良く読んでるんです…。憧れるっていうか…」
「へぇ」
ひとむは意外そうに声を上げた。梨華は俯いたまま言葉を続ける。
「二十歳にもなって、子供っぽいかもしれませんけど…」
ひとむは慌てて口を挟んだ。
「そんなことないですよっ。素敵じゃないですか」
梨華は顔を上げて、表情を輝かせた。
「ホントですか?良かった。嬉しい」
本当に嬉しそうに笑う梨華につられてひとむも笑顔になる。
断わろうと決めていた縁談だったが、もうその選択肢はひとむの中から消え失せていた。
- 440 名前:無題。 投稿日:2004/06/29(火) 20:18
- 「また、会えますか?」
朝食を終えて、別れ際にひとむは尋ねた。ホテルの玄関に向かっていた梨華は振り返った。
「それは…母やひとむさんのお母さんを通じて、ですか?」
複雑な表情で問い返す梨華にひとむは慌てて首を横に振る。
「いえ…今度は二人だけで、散歩でも…」
梨華は幼い子供のように表情を輝かせて頷いた。
「はいっ。楽しみにしてます」
満面の笑みでひとむに頭を下げて扉をくぐる梨華。ひとむはその後ろ姿をじっと見つめていた。
- 441 名前:無題。 投稿日:2004/06/29(火) 20:19
- ひとむが帰宅すると心配そうなあゆみが出迎えた。
「断わってきたんですか…?」
ひとむは特上の笑顔を見せて首を横に振った。
「いや、彼女の事がもっと知りたくなったんだ」
へ、と目を丸くするあゆみを尻目にひとむは笑みを浮かべたまま自室に戻った。
- 442 名前:chaken 投稿日:2004/06/29(火) 20:20
- また近々更新します。
これからも、よろしくお願いします。
- 443 名前:chaken 投稿日:2004/06/29(火) 20:21
- 流し。
- 444 名前:chaken 投稿日:2004/06/29(火) 20:21
- 流します。
- 445 名前:chaken 投稿日:2004/07/01(木) 18:27
- えー、遅ればせながら。
>421様。続き、書かせていただきます。
>422様。これからも頑張りたいと思いますので、どうぞ温かくお見守り下さい。
続きです。
- 446 名前:無題。 投稿日:2004/07/01(木) 18:28
- 梨華から再び連絡があったのは数日後だった。
「お散歩、連れていってくれますか?」
「は、はいっ、もちろんっ」
ひとむが提案した場所は近くの土手だった。桜の名所であるが、穴場であるため、今の時期でもそんなに混雑していない。
待ち合わせ場所の駅に約束の十五分前に到着したひとむを出迎えたのはもう既に待っていた梨華だった。
- 447 名前:無題。 投稿日:2004/07/01(木) 18:28
- 「すみませんっ。待ちましたか?」
梨華はふわり、と微笑んで首を横に振った。
「いえ、全然。まだ時間は来ていませんし…」
梨華は腕時計と駅の広場に立っている時計塔を見比べた。それに、と梨華は付け足した。
「それに、待っている方が好きなんです」
梨華の履いているフレアスカートが風に揺れた。梨華のその微笑みにひとむは笑顔を返した。
花びらが舞い落ちる。散る花びらがちらほらと降ってくる。
初めて出会ったホテルの裏の並木道と少し似ているこの桜並木道。
淡い桃色に染められる一面。桜の香りが優しく香ってくる。
- 448 名前:無題。 投稿日:2004/07/01(木) 18:29
- 「穴場なんですよ、ここ。綺麗でしょう?」
ひとむが少し得意そうに尋ねると、梨華はええ、とこの光景に目を奪われながら答えた。
「こんな綺麗なところを好きな人と歩けるなんて夢みたいです」
何気なく梨華が口にした言葉にひとむは固まった。当の梨華も慌てて口を覆った。
ひとむはただ嬉しかった。梨華と気持ちが通じ合っている、この事実がひとむの心を幸福に満たしていく。ひとむは赤面して俯いている梨華に尋ねた。
「手、繋いでも、いいですか?」
梨華は顔を上げて目を見開いた後、すぐに満面の笑顔で頷いた。
「はい」
桜の染まる地面に繋がった二人の影が伸びている。相変わらず、ちらほらと桜の小雨が降っていた。
- 449 名前:無題。 投稿日:2004/07/01(木) 18:29
-
- 450 名前:無題。 投稿日:2004/07/01(木) 18:29
- 夕方だというのに空模様は薄暗い。
鈍い鉛色をした雲が空を覆い隠していた。
ぱらぱらと降っていた小雨も六時を過ぎると早足になり始めた。冷たい雨粒が頬や腕を打ちつけている。気温も下がり始めて、肌に突き刺すような寒さが襲う。
ひとけの無い街中を精一杯走っている背の高い影。ひとむは顔を伝う雨粒を拭ってさらに加速した。
- 451 名前:無題。 投稿日:2004/07/01(木) 18:30
- その一報が入ったのは三十分ほど前だった。家の電話でその一報を聞き、ひとむは愕然とした。
ひとむと梨華が交際を始めて、約一ヶ月が経とうという頃だった。ひとむの両親も梨華の両親も二人の順調な交際を喜んでいた。最近では梨華とひとむはお互いの親に挨拶に行こうと計画すらしていた。
そんな中に起こった悲劇。
電話越しの梨華の声は震えていた。
「お母さんが…事故に遭って…」
その声を聞き、ひとむはもう走り出していた。
梨華の母親には一回、あのホテルで会ったきりだった。感じの良さそうな上品な女性だった。梨華のひとむとの交際を応援してくれていると、ひとむは梨華から聞いていた。
- 452 名前:無題。 投稿日:2004/07/01(木) 18:30
- 病院に着く頃には、ひとむの体はずぶ濡れになっていた。髪の先から水滴が滴る。それが頬を伝ってぽつり、と床へ落ちる。
薬品の匂いが漂う病院内を小走りに行く。静寂の中、ひとむの足音が声高に響いた。
手術室の前には椅子に座っている梨華の父親の忠司とその脇に立っている梨華がいた。
ひとむが駆け寄っていくと、梨華が振り向いた。切れる息を何とか繋げて尋ねる。
「お母さんは…?」
梨華は悲しげに目を伏せて手術室を指差した。上には手術中の赤いランプが灯っていた。そのランプはやたらと不気味に見えた。
そこで忠司がひとむに気付いて振り向いた。
「おお、ひとむくん…」
低い声が頼りなく響いた。
初めての対面がこのような形になるとは思っていなかった。
彼は白髪混じりの頭を抱えたまま、その表情に焦燥を滲ませていた。
ひとむは無力感に顔を伏せた。
- 453 名前:無題。 投稿日:2004/07/01(木) 18:31
- 赤いランプが静かに消えた。
手術室の扉が開いた。三人は同時に顔を上げた。手術衣を着た医師が出てきた。三人は駆け寄る。
「母はっ…?」
梨華の声に医師は黙った。その表情は優れなかった。そして低い声で説明を始めた。
「運ばれてきた時にはもう虫の息で…手の施し様がありませんでした…。中へ、どうぞ…」
医師は目を伏せて手術室の中を指差した。
霞み掛かったような頭の中で医師の声は通りぬけるが、事実だけが認識できた。
ひとむは立ち尽くした。梨華はハンカチを口元に当てて嗚咽を漏らしていた。
やがて呆然と立ち尽くしていた忠司が手術室に入っていった。
ひとむは静かに梨華の肩を抱いた。梨華は力無くひとむに体を預けた。慰める言葉も掛けられず、ただ泣き続ける梨華の肩を抱くことしか出来なかった。
- 454 名前:無題。 投稿日:2004/07/01(木) 18:31
-
- 455 名前:無題。 投稿日:2004/07/01(木) 18:31
- 梨華の母親の死から初七日が過ぎた。通夜や葬式などひとむは時間の許す限り梨華に寄り添っていた。
片時も離れる事はなかった。常に隣りで梨華を気遣っていた。
「ひとむさん…手を握っても良いですか?」
潮の香りが漂ってくる。水面が太陽の光を反射し、眩しく輝いている。水は底が透けそうなほど透明だった。
綺麗な青だった。
二人は海に来ていた。
- 456 名前:無題。 投稿日:2004/07/01(木) 18:32
- 「梨華さん…」
ひとむは梨華の華奢な手を握った。梨華は地平線の彼方を見つめながら呟いた。
「多分、私は…あなたがいないと、だめなんだと思います…」
ひとむは何も答える事が出来なかった。ただ同じ、地平線の彼方を見つめる事しか出来なかった。
青い海の果てにすこしぼやける地平線はただ綺麗で、それが二人を切なくさせた。
- 457 名前:無題。 投稿日:2004/07/01(木) 18:32
-
- 458 名前:無題。 投稿日:2004/07/01(木) 18:32
- 冷たい雨が降っていた。
小雨だが、雨粒が心に突き刺さるような切ない雨だった。
ひとむは無人の街中を走っていた。
こんな切ない雨の日に梨華を一人にしてはおけなかった。
そしてひとむには決意があった。
- 459 名前:無題。 投稿日:2004/07/01(木) 18:33
- ――僕が梨華さんを守る。
ポケットの中に入っている四角い箱。アルバイトの給料を前借して貯金を集めて、自分で数日前に購入したものだ。
ふと、走るひとむの視界に黄色が止まった。足を止める。
花屋だった。
色鮮やかな淡い色彩が咲き誇っていた。その中で特にひとむの目を引いたのは鮮やかな黄色だった。
「すみません、この花を包んでもらえますか」
ひとむはその黄色を花束にして包んでもらい、購入した。
そして花束を抱えて再び、走り始めた。
- 460 名前:無題。 投稿日:2004/07/01(木) 18:33
- 冷たい雨。雨足が少し早まった。
梨華の家に到着した。梨華と交際を始めてから、何度か訪れた事がある。
門は閉まっていた。外から呼び鈴を押すと、家の扉が開いた。
「ひとむさんっ」
姿を現した梨華はひとむの姿に目を見開いた。白いシャツに淡い色のスカートという出で立ちだ。優れない顔色が雨のせいかさらに憂いを帯びて見えた。
「どうしたんですかっ」
梨華は慌てて駆け寄り、門を開けた。ひとむはその場に立ったまま答えた。
「こんな雨の日に、梨華さんを一人にしておきたくなかったんです」
梨華は目を見開いてひとむを見つめた。ひとむは柔らかく微笑んでみせた。
「これ、梨華さんに」
ひとむは抱えていた黄色い花束を梨華に差し出した。梨華はその花束を受け取った。優しい香りが梨華の鼻先を擽った。
- 461 名前:無題。 投稿日:2004/07/01(木) 18:33
- 梨華は笑みを浮かべて、涙を流した。
「ありがとう…ひとむさん…」
ひとむはポケットから箱を取り出して、梨華に開いてみせた。
そこにはまぶしい輝きを放つ指輪が収まっていた。
梨華は涙で濡れた視界の中でその指輪の意味を読み取り、ひとむと視線を合わせた。
「ひとむさん、これ…」
目を見開いたまま呟く梨華。ひとむは頷いた。
「梨華さんの傍にいます。ずっと…」
梨華はさらに涙を溢れさせて、ひとむに抱き付いた。花束の優しい香りが二人を包んでいた。ひとむは梨華の細い体をしっかりと離さないように抱き締めた。
冷たい雨は止む事無く、降り続いていた。
- 462 名前:無題。 投稿日:2004/07/01(木) 18:34
-
- 463 名前:無題。 投稿日:2004/07/01(木) 18:34
- 続く赤いバージンロード。
白い絹のウェディングドレスを身に纏った梨華。
光に包まれた教会。
ドレス姿の梨華と腕を組んで歩く忠司。バージンロードを歩く父子の姿に出席者の温かい視線が向けられる。
教会の壇の前で二人は足を止める。檀上にいたひとむは忠司に代わって梨華の手を握り、壇上へと誘導する。
梨華とひとむは向き合うと、幸せそうな微笑みを交わした。
- 464 名前:無題。 投稿日:2004/07/01(木) 18:34
- 「指輪の交換を」
神父の言葉にまずひとむはタキシードのポケットから指輪を取り出して、梨華の左手の薬指にはめた。
梨華ははにかみながらも嬉しそうに笑う。
そして梨華も持っていた婚約指輪をひとむの薬指にはめた。
神父の口上が始まる。
「病める時も健やかなる時も妻、梨華を愛する事を誓いますか?」
神父の言葉にひとむは凛とした声で答える。
「誓います」
神父は梨華の方へと向き、口上を始める。
「病める時も健やかなる時も夫、ひとむを愛する事を誓いますか?」
梨華は少し俯いて、顔を上げてひとむを見つめる。
「…誓います」
神父は頷くと一歩下がった。
「それでは誓いのキスを」
ひとむは一歩踏み出して梨華の肩に手を添えて口付けた。
長いキスの後、唇を離すとチャペルは祝福の拍手に包まれた。
- 465 名前:無題。 投稿日:2004/07/01(木) 18:35
- がらんがらん、と幸福の鐘が鳴り響く。
温かい拍手が二人を包みこむ。教会の扉の前で二人は満面の笑顔でそれに答える。教会の扉から続く道を両側から結婚式の出席者が囲っている。
「じゃあ、ブーケを」
司会であるひとむの友人が促す。その言葉で正装した出席客たちは梨華とひとむの前に集まる。
梨華は後ろを向く。そして両手でブーケを投げた。
青い空に舞うブーケ。ひらひらと一枚の花びらが舞い落ちた。
- 466 名前:無題。 投稿日:2004/07/01(木) 18:35
-
- 467 名前:無題。 投稿日:2004/07/01(木) 18:35
- 久々の休日だった。
穏やかな午後の時間が過ぎていく。リビングに柔らかい光が差し込んでくる。ソファの上に隣り合わせて二人は楽しそうに笑い合う。
結婚して同居し始めてから、二人きりの時間は殆ど話に費やしている。その大半は他愛も無い話である。
「あの縁談ね」
話が途切れた隙間に梨華が呟いた。ん、とひとむは尋ねる。
「断わろうと思っていたんです」
ひとむは一瞬目を見開くと、穏やかな笑みを浮かべて言葉を返した。
「…実は僕もです」
二人は視線を交わす。
「梨華さんじゃなかったら」
「ひとむさんじゃなかったら」
二人の声が重なった。二人は堪えきれずに笑みを漏らした。
- 468 名前:無題。 投稿日:2004/07/01(木) 18:36
- 入籍して式を挙げてから二人は同居を始めた。都内の一等地のこの新居は忠司とひとむの両親からの結婚祝いだった。しかしそこまで両親の財力に頼る事が情けないひとむは少しずつ返すつもりでいた。
ひとむは大学に通いながら経営学の勉強を始めた。父親の後を継ぐためだ。大学を卒業したら、父親の会社に就職して貿易の事を勉強したいと考えていた。
しかし残念ながらそれまでは生活費等は借りることにした。忠司が申し出てくれたのだ。はじめは忠司は全て負担するといったが、ひとむは首を振った。とりあえず現実的な事も考えて借りる、という形を取ったのだ。
- 469 名前:無題。 投稿日:2004/07/01(木) 18:36
- ふと梨華の笑みが途切れた。どんどん表情が強張っていく。
「梨華さん?大丈夫ですか?」
ひとむは不安げに呟いて梨華の背中に手を掛ける。
強烈な吐き気を催した梨華は慌てて洗面所に走っていった。気持ちを落ちつかせると何とかそれは収まった。
――まさか…。
梨華は鏡で自分の顔を見て思った。鏡の中には普段通りの梨華の顔が映っていた。そこにひとむの声が響いた。
「大丈夫ですか?」
洗面所に入ってくるひとむと梨華の視線が合った。梨華は自らの腹部に視線を下げた。
「もしかしたら…」
梨華の呟きにひとむは目を見開いた。
- 470 名前:無題。 投稿日:2004/07/01(木) 18:36
- ひとむは急いで救急箱を引っ張り出した。そして薬の箱の中にある妊娠検査薬を探し出した。
梨華の検査の間、ひとむの胸の高鳴りは収まるどころか増していった。落ちつき無くクッションを弄くったり、無意味にリビング中を歩き回ったりして過ごす時間は今までで一番長い時間のように感じた。
梨華がリビングに戻ってくる。その表情はどこか茫然自失といった風だった。
ひとむはソファから立ちあがった。
「梨華さんっ」
梨華は顔を上げて、ひとむを見つめながら呟いた。
「…陽性、です」
ひとむは目を見開いて捲くし立てるように尋ねた。
「てことは…?」
梨華は頷きながら答えた。
「妊娠してます、私…」
一瞬、時間が止まった。そして次の瞬間、ひとむは飛びあがって歓声を上げた。
「やったあっ!」
ひとむは梨華を抱き締める。
「良かったっ。僕達の赤ちゃん…良かった…」
搾り出すようにひとむは呟く。梨華はひとむの体を抱き締め返した。
「ひとむさん…ありがとう…」
何に対してなのか、梨華自身にも分からない。しかし堪らないほどの幸せな気持ちに包まれて無性にありがとう、と言いたくなったのだ。
- 471 名前:無題。 投稿日:2004/07/01(木) 18:37
- その足で梨華はひとむと共に産婦人科を受診した。
「妊娠七週目だね」
老人の医師は優しそうな笑顔で言った。二人は顔を見合わせて満面の笑顔を浮かべた。
「四ヶ月、安定期に入るまでは大事な体なんだから激しい運動などをしないように」
老人の言葉にひとむは何度も頷いて答えた。
「そんな事っ、僕がさせませんっ」
医師や周りの看護婦は温かく笑ってくれた。
「もう…ひとむさんたら…」
梨華は少し恥ずかしそうに優しく笑顔でひとむを咎めた。
産婦人科を出ると夕焼けだった。街が淡い暁色に染まっている。そんな些細な事でさえ、二人にとっては嬉しかった。
手を繋いだ二つの影が黄昏の道路に細長く伸びていた。ゆっくりと楽しげに二人の影は揺れていた。
- 472 名前:無題。 投稿日:2004/07/01(木) 18:37
-
- 473 名前:無題。 投稿日:2004/07/01(木) 18:37
- ひとむと梨華がその感染病のことを知ったのは、ニュースからだった。夜の習慣になっている、二人でソファに座ってぼんやりとテレビを見る時間での事だった。
ふと止めたチャンネルで緊急特番と題されて、その感染病の特集をしていたのだ。
謎の感染病と伝えられていた。感染源、感染経路は一切不明で発症から十二時間以内に死に至る恐るべき病気。
特効薬、効果の認められている薬なども存在しない。
症状は高熱、酷い頭痛、吐き気と発表されていた。
正式発表では無い、と前置きされて、感染経路は体液であると巷に情報が流れていることが伝えられていた。
感染者はどんどん広がっている、と締め括られて、その特番は終了した。
- 474 名前:無題。 投稿日:2004/07/01(木) 18:38
- 二人はこの特番で初めて病気の存在を知った。
「怖い…」
梨華はひとむの上着の袖を掴んだ。ひとむは梨華の肩を抱いた。
「大丈夫ですよ。僕が守りますから」
梨華は視線を上げてひとむと見つめ合うと、安堵したように微笑んだ。
実際はその病気を重大なものと受けとめていなかったのかもしれない。世界を揺るがす一大事、とは捉えていなかったのかも知れない。
- 475 名前:無題。 投稿日:2004/07/01(木) 18:38
- ――昨日、都内の高校で教諭が生徒を強姦するという事件が起こりました。その男は例の感染病に掛かっており、警察署で死を迎えたとのことです。
- 476 名前:無題。 投稿日:2004/07/01(木) 18:38
- 感染病が引き起こした悲劇だった。このニュースから一週間も立たぬ内に、世界各地で次々と信じられないような犯罪が相次いだ。
感染病の被害も世界規模で広がっていく。
それでも二人は気付けずにいた。
二人の世界は変わらない。幸せなまま過ぎていく。
愛し合う夫婦。妻の体に宿る新しい命。幸せの絶頂。
この幸せな世界が歪み始めている事に気付くはずが無かった。
- 477 名前:無題。 投稿日:2004/07/01(木) 18:39
-
- 478 名前:chaken 投稿日:2004/07/01(木) 18:40
- とりあえずはここまでという事で。
感想、待ってまーす。
- 479 名前:chaken 投稿日:2004/07/01(木) 18:40
- 流します。
- 480 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/01(木) 20:35
- ああ…。哀しい予感がします。
ですが、続きを待ちます。
- 481 名前:chaken 投稿日:2004/07/03(土) 23:28
- >480様。感想ありがとう。これから展開していきます。
では続きをどうぞ。
- 482 名前:無題。 投稿日:2004/07/03(土) 23:29
- ぼーん、と重厚な鐘が鳴り響く。
それを合図に漸く講義が終わった。それぞれに散っていく生徒たち。ノートを鞄に詰める人むの背中に声が掛かった。
「ひとむー。飲みに行かないか?」
ひとむの友人たちが一団となっていた。大学になって知り合った友人たちである。
「このメンバーで飲み会やるんだけどさ…」
「おいでよー、最近付き合い悪いよー、ひとむクン」
「そうだよー。盛り上がろうよー」
最近、付き合っていなかったのをここぞとばかりに責める友人たち。梨華と出会ってからはもっぱら梨華との約束を優先していた。ひとむは片手で友人たちに謝った。
「悪い。これから梨華さん連れて食事なんだ」
ひとむは反論を待たずに鞄を持って教室を出た。その後ろ姿を見送る友人たち。
- 483 名前:無題。 投稿日:2004/07/03(土) 23:29
- 「はぁあ…またかよ」
「仕方ないんじゃん。あんなに綺麗な奥さんいたらそりゃあ帰りたくなるだろ」
「理想の夫婦って感じだよねぇ」
「ひとむクンもカッコイイし、梨華さんは綺麗だし。しかもラブラブだし」
この友人たちはひとむの結婚式に出席もしているし、新居で食事に招かれた事もある。二人の仲の良さは溜息をつきたくなるほど見せつけられているのだ。
外から見ても、内から見ても、二人は正に理想の夫婦なのだ。
- 484 名前:無題。 投稿日:2004/07/03(土) 23:30
- ちかちかと人工的な灯りがちらつく。夜の空は吸いこまれそうなほどの闇を称えていた。近い内に星も見えなくなる、とニュースでは伝えていた。
しかしひとむは信じていなかった。相変わらず大学では間延びした平和な時間が過ぎていく。周りの状況は変わらない。実感できないのだ。
「ひとむさん」
梨華の声にひとむは振り向いた。梨華が駆け寄ってくる。ひとむは慌てて走り寄って止めた。
「走っちゃダメですよっ。安静にしとかなきいといけないんですから」
梨華の腹はまだ膨らんでおらず、体型も崩れていない。妊娠二ヶ月で今の時期が一番危ない時期である。
梨華は少し微笑んで謝った。
「ごめんなさい、ひとむさんが見えたらなんだか嬉しくなって…」
ひとむは赤面した。そしてその顔を隠すように梨華の手を引いて歩き始めた。梨華の手は温かかった。
- 485 名前:無題。 投稿日:2004/07/03(土) 23:30
- 少し街から外れたイタリアレストラン。ひとむが雑誌で見つけた隠れ家の名店だった。
ひとむは梨華を先導して中に入った。高級というよりは気さくな店内の雰囲気だった。ひとむがウエイターに予約席を聞き、確認する。そしてウエイターに続いて店内を梨華の手を取り、歩いていく。
その席には先客がいた。
「あゆみ。久しぶり」
ひとむが呼びかけると、あゆみは顔を上げて二人を見止めた。
「あ、こんばんはっ。吉澤家を手伝ってる柴田ですっ」
あゆみは立ちあがると深く頭を下げた。ひとむは苦笑して、梨華は微笑むとあゆみに頭を下げ返した。
「こんばんは。吉澤梨華です」
梨華は顔を上げるとあゆみに微笑んで見せた。その微笑みにあゆみは半ば見惚れた。
「とりあえず、座ろうか」
ひとむの言葉に促されて梨華とあゆみも席に着く。
- 486 名前:無題。 投稿日:2004/07/03(土) 23:30
- 会食が始まった。
この会食を計画したのはあゆみだった。結婚式や梨華が吉澤家に挨拶にきた時しか顔を合わせず、話したことが無いので梨華と会わせて欲しいとあゆみがひとむに頼んだのだ。
初めこそあゆみも緊張しきりで動作もぎこちなかったが会食が進むにつれて緊張もほぐれていった。それは料理が美味しかったというだけではなく、梨華の天性の優しい人柄に触れたからだった。
- 487 名前:無題。 投稿日:2004/07/03(土) 23:31
- 「あ、ごめん、ちょっとトイレ行って来るね」
デザートを食べ終わり、ひとむが席を外した。ひとむが後ろ姿を見届けてあゆみは梨華に話しかけた。
「…初めてあなたを見た時、なんて綺麗な人だろうって思いました。ひとむ坊ちゃんがあれだけ嫌がっていたのに、結婚までするなんて…きっと素敵な人なんだろうなって思ってました」
梨華はふわり、と微笑んでみせた。
「実際は、どうでしたか?」
あゆみは梨華に対抗するように満面の笑みを浮かべて答えた。
「最高に、素敵な方でした」
二人は顔を見合わせて微笑みあった。
- 488 名前:無題。 投稿日:2004/07/03(土) 23:31
- 会計を済ませて外に出ると、優しい夜の風が三人の頬を撫でた。方向が違うので店の前で別れることになった。
「楽しかったです。ありがとうございました」
あゆみは深く頭を下げた。梨華とひとみは首を横に振った。
「こっちこそ、楽しかったよ」
「本当に。また家にも遊びに来てくださいね」
梨華の言葉にあゆみは笑顔で頷いた。
ひとむが梨華の手をそっと握ると、梨華は嬉しそうに微笑みひとむに体を預ける。その後ろ姿は本当に幸せそうだった。
脆くも崩れる幸せに、浸っていた。
儚い、雲を掴むような幸せを、感じていた。
- 489 名前:無題。 投稿日:2004/07/03(土) 23:32
- そして、まるで定められていたかのように、悲劇は突然に起こった。
- 490 名前:無題。 投稿日:2004/07/03(土) 23:32
- 状況が読みこめなかった。目の前にはナイフの刃先が鈍く輝いていた。
「きゃあああっ!」
梨華の絶叫が響く。帽子を目深に被っている男の顔は見えなかった。ひとむは咄嗟に梨華の前に立ちはだかった。梨華を自分の後ろに隠して、盾になり守ろうと考えたのだ。
「僕が、梨華さんを守ります…」
言い聞かせるように梨華に呟く。梨華はただ恐怖に震えてひとむの背中にしがみ付いていた。
男は無言だった。
- 491 名前:無題。 投稿日:2004/07/03(土) 23:33
- そして突然、ひとむの目に熱が迸った。
襲い来る激痛。
ひとむは目を押さえながらも、何とか踏みとどまった。止めど無く血が流れてくる。
視界が赤に染まる。
男は梨華の体を突き飛ばして、逃げ出した。
「きゃあっ!」
梨華は悲鳴を上げて地面に倒れた。
――ぶちっ。
その瞬間、雑音は途切れて梨華の頭の中でその音だけが響いた。そして梨華の腹に鈍痛が走った。
「うっ…」
梨華はその場に蹲る。視界を見失ったひとむは音だけで梨華の居場所を判断して肩を支えた。
- 492 名前:無題。 投稿日:2004/07/03(土) 23:33
- 「大丈夫、ですか…っ?」
梨華は顔を上げた。ひとむの両目には縦に痛々しい傷跡が走っていた。梨華は目を見開く。
「ひとむさんこそっ!目から血が…っ」
再び梨華の腹部に鈍痛が走る。
ひとむの視界が赤に染まっていく。梨華の顔が見えない。
「梨華さんっ!ひとむ坊ちゃん!」
あゆみの声が響いた。蹲る二人に慌てて駆け寄る。腹部を押さえて蹲る梨華。目から血を流しているひとむ。
「誰かっ!救急車あっ!」
あゆみは叫んだ。
その声は静寂が支配する空に響いた。遠くでサイレンの音がやけに声高に響いていた。
- 493 名前:無題。 投稿日:2004/07/03(土) 23:34
- 静寂。
それが音となって超音波のように頭に直接響く。
――ピー。
耳鳴りにも似ていた。
ふわふわと浮き立ちそうな感覚に包まれていた。
何も無い。
何も動かない。
世界が止まったようだった。
――ピー。
頭に響く“静寂”の音。
その音で頭のそこかしこに散らばっていた意識の欠片がゆっくりと収斂されていく。段々と形となり、脳内に意識を再形成していく。
――ピー。
覚醒。
そして世界が再開した。
ひとむは最初に“色”を認識した。
- 494 名前:無題。 投稿日:2004/07/03(土) 23:34
- 白。
ただそれだけだった。
目を開けて、じっと目を凝らしても限りなく白だった。
ふと、薬品の匂いが鼻についた。
梨華の母が事故に遭った時に訪れたあの病院の薬品の匂いだ。
「病院…?」
ひとむは掠れた声を何とか絞り出した。手探りでベッドの脇を探る。冷たい取っ手がみつかり、ひとむはそれに掴んで体を起こした。
居場所さえ確認さえ出来ない。
怖くはなかった。ただ白い視界の中に梨華の姿を捜した。
「梨華さん…」
掠れた声で呟く。余韻を残して静寂に吸いこまれる声。
もう“静寂”の音は聞こえなかった。
- 495 名前:無題。 投稿日:2004/07/03(土) 23:35
- 「吉澤さん?起きましたか?ちょっと待っていて下さいね」
聞き覚えの無い女性の声。その足音が遠ざかっていく。
「誰…?」
ひとむは握っている取っ手をさらに強く握り締めた。
程なくして再び足音が聞こえた。その足音が一人分ではない事だけがわかった。
「吉澤さん、目は見えますか?」
低い中年の男性の声だった。ひとむは取っ手を握り締めて首を横に振った。
「そうですか…」
男性の声調が沈んだように思えた。
何故だか怖くなって、ひとむはさらに強く取っ手を握り締めた。手が痛くなるほど、強く握り締める。
- 496 名前:無題。 投稿日:2004/07/03(土) 23:35
- 「ここは…?」
ひとむは声を絞り出して尋ねる。先程の若い女性の声が答えた。
「病院ですよ」
ひとむは辺りを見回す。
視界は白だ。薬品も点滴も看護婦も医師の姿も見えない。
しかし薬品の匂いだけは鼻を付く。
それが事実を伝えていた。
目が見えない。
認識したくない事実を突きつけられる。吐き気を催したが、何とか持ちこたえる。
視界は白のままで何も変わりはしない。
混乱、そして絶望。
白。
それだけが頭に焼きついたように白だけが見える。
- 497 名前:無題。 投稿日:2004/07/03(土) 23:36
- 「ひとむさん…」
ひとむは顔を上げた。その鼻に掛かった声だけでその声の主が分かった。
ひとむは手探りで空中を模索する。
梨華の温かさを求めて、必死に探る。
「ひとむさん、私はここにいます」
ひとむの手に心地良い温かさが広がった。ひとむは両手で梨華の細い手を握り確認する。
「梨華です、ひとむさん」
涙が溢れた。どうしようもない安堵がひとむを包んだ。
機能しない瞳から涙が溢れ出してくる。
ひとむの体を梨華が包むように抱き締めた。
「大丈夫です…」
梨華の声が頭に流れこんでくる。
顔は見えないが体の感触や香りで分かる。
「梨華さん…」
ひとむは梨華の華奢な肩に顔を埋めた。梨華はただ優しく、ひとむを抱き締めていた。
- 498 名前:無題。 投稿日:2004/07/03(土) 23:36
-
- 499 名前:無題。 投稿日:2004/07/03(土) 23:36
- 「傷跡は残らないでしょう」
中年の医師のこの言葉が唯一の救いだった。梨華はそれだけを切実に喜んだ。
ひとむは失明した。
暴漢のナイフがひとむから光を奪ったのだ。
眼球全体の損傷が深く、失明は免れない。医師からこの事実を聞いた時、梨華は倒れそうになった。
しかし、ひとむの顔に傷は残らない。
この事を聞いて梨華は喜んだ。
ただの気休めでしか無い。それを十分に理解しているからこそその気休めを精一杯喜ぶしかなかった。
偶像に縋るように、希望の幻に縋るしかなかったのだ。
- 500 名前:無題。 投稿日:2004/07/03(土) 23:37
- 光を失ったのなら、せめてひとむの綺麗な顔に傷だけは残したくない。傷が残ったらきっとその傷を見る度、梨華はあの男の姿を思い出してしまう。ひとむは傷に触れる度にどうしようもなくやりきれなくなってしまう。
傷だらけになった上に傷口を抉るような苦しみまで与えたくはなかった。
- 501 名前:無題。 投稿日:2004/07/03(土) 23:37
- 梨華の腹にはもう誰もいない。ひとむとの間の新しい命はもういない。
あの転倒で梨華は流産してしまったのだ。
二重の苦しみだった。
あの一瞬でひとむの光を奪われ、新しい命までも奪われた。
怒りではなく、憎悪でもなく、ただ呆然、だった。
警察の捜査では、これが末期思想による犯罪であるという事だけしか調べはついていない。もちろん犯人も捕まっていない。
- 502 名前:無題。 投稿日:2004/07/03(土) 23:37
- 末期思想。
世界が終わる、という思想に取り付かれて衝動的な犯行に及ぶ、末期思想による犯罪が横行している事は知っていた。
世界各地で信じられない残虐な犯罪が頻発していることも知っていた。
ただそれが自分たちの身に降りかかることは予想していなかった。
自分たちの幸福を壊すなど思いもしなかった。
世界の歪みに気付かなかったのだ。
- 503 名前:無題。 投稿日:2004/07/03(土) 23:37
-
- 504 名前:chaken 投稿日:2004/07/03(土) 23:40
- 更新終了です。
お楽しみ頂けて、出来れば感想などくれればありがたいです。
- 505 名前:chaken 投稿日:2004/07/03(土) 23:40
-
- 506 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/07(水) 14:39
- 痛いよ〜。・゚・(ノД`)・゚・。
- 507 名前:chaken 投稿日:2004/07/10(土) 15:14
- >506様。これからもっと痛くなるかも…。
では、続きです。
- 508 名前:無題。 投稿日:2004/07/10(土) 15:16
- 「流産…」
ひとむはベッドの上で呆然と呟いた。個室であるから他には患者は誰もいない。ひとむは噛み締めるように繰り返した。
「流産…」
梨華は顔を伏せて目を瞑った。
この事実を伝えるのは断腸の思いだった。
充分に傷付いたひとむにさらなる刃を突きつけているような罪悪感に苛まれた。
ひとむは固く自分の手を握り締めた。
「守れなかった…僕は梨華さんを守らなきゃいけないのに…」
唇を噛むひとむを前にして梨華はただ俯く事しか出来なかった。
- 509 名前:無題。 投稿日:2004/07/10(土) 15:17
- ひとむの目は以前と変わりはない。
大きな目も綺麗な二重瞼も、以前と何も変わりはない。
ただ違うのは茶色掛かっていた優しい瞳の色が黒くなったことだった。
漆黒の闇を映す瞳の色。真珠のように綺麗であるが、どうしようもなく悲しい色だった。
その瞳が何も映していないのだと考えると梨華は悲しくなる。
一緒に歩いた桜並木の道も、二人で訪れた海の透明も、赤いバージンロードも、ひとむが渡した花束の黄色も、ブーケの色彩も、青空も、二人で帰った黄昏も、何も見えないのだ。
もう二度とあの色彩の美しさをひとむの瞳は映さないのだ。
梨華は衝動的にひとむを抱き締めた。
「梨華さん…?」
ひとむが呆然としながら呟く。梨華はひとむを抱き締めてその髪を撫でた。
「愛しています、ひとむさん…」
ひとむは手探りで梨華の体に手を回した。そして強く引き寄せ、抱き締める。
「僕もです…」
- 510 名前:無題。 投稿日:2004/07/10(土) 15:17
- ひとむの両親はひとむが目覚める前に何度か病院を訪れていた。もちろん梨華の父親も同様である。
しかし梨華の落ち着くまで二人でいたい、という提案で二人の両親は訪問を控えているのだ。
ひとむは失明してからさらに穏やかになった。凪のように静かな心で常に微笑みを絶やさないようになっていった。
ひとむは車椅子に乗る事になった。
日常生活には慣れるまで時間が掛かるため、それまで梨華が全て世話をすると申し出たのだ。
もちろん車椅子も梨華が動かす。ひとむも梨華を信頼しているし、梨華以外には押してもらいたくなかった。
そして梨華に車椅子を押してもらい、屋上に出ることが日課になっていった。
- 511 名前:無題。 投稿日:2004/07/10(土) 15:18
- 朽ちかけた古い屋上の扉を開く。
眩しい太陽の光と共に、一気に風が流れこんできた。柔らかく撫でるような優しい風だった。
梨華は微笑むと、ひとむの乗った車椅子を押して屋上に足を踏み入れた。
空は快晴で、雲の一つすら見当たらない青空だった。
梨華は再び空を見上げると眩しそうに目を細めた。
「今日は、快晴ですね」
車椅子に腰を沈めていたひとむが静かに言った。梨華はひとむの方に振り向くと尋ねた。
「分かりますか?」
ひとむは顔だけで頷いた。黒い真珠のように澄んだ瞳が梨華の顔を映し出す。
「空気が乾いて、風が穏やかです。空は青いですか?」
梨華は慈愛に満ちた微笑みを見せた。そして車椅子の取っ手を取り、ゆっくりと押して、狭い屋上を散歩し始めた。
「ええ…。気持ちが良い程の快晴です、ひとむさん…」
アスファルトに二人の影が色濃く刻まれていた。眼下に望む街は身動ぎ一つさえも立てずにただの風景の役割に徹していた。
二人だけの世界だった。
- 512 名前:無題。 投稿日:2004/07/10(土) 15:18
-
- 513 名前:無題。 投稿日:2004/07/10(土) 15:21
- しかし、一方で世界の感染病による影響は瞬く間に広がっていって、情勢もどんどん悪化していった。
さらに世界各地で温暖化や異常気象による災害が頻繁に起こっている。感染病が広がる前から囁かれていた世界の終わり、末期思想は現実のものとなろうしていた。
そして空は赤く染まり、太陽も隠れて、薄暗い赤が常に空を覆うようになった。
どこか幻想的で美しい赤。
しかし、それさえも人間たちの欲望の産物なのだ。
残虐な犯罪と醜い欲望が交錯する世界。
幸せだったはずの世界に醜悪な人間の本性が踏みこんでくる。
屋上の扉を開くと薄赤い世界が広がっていた。
- 514 名前:無題。 投稿日:2004/07/10(土) 15:21
- 幻想的な空。梨華はゆっくりとひとむの車椅子を押す。
「私ね、一つだけひとむさんの目が見えなくて良かった、と思うことがあるんです」
え、と声を上げてひとむが尋ねる。
「なんですか?」
梨華は車椅子を止めて、赤い雲に覆われた空を見上げた。
「この醜い世界を貴方には見せたくないんです」
ひとむの光と自分たちの新しい命を奪った犯罪。
醜悪な欲望と絶対的な悪が横行する世界。
そんな世界をひとむに見せたくなかった。
梨華はひとむを後ろから包むように抱き締めた。
抱擁という行為がこんなにも心を満たしてくれると梨華は改めて実感した。
- 515 名前:無題。 投稿日:2004/07/10(土) 15:21
-
- 516 名前:無題。 投稿日:2004/07/10(土) 15:22
- 治安の悪化は著しかった。
不用意に外を出歩く事はもはや自殺行為に等しかった。
世界には悪と欲望が渦巻いている。
ある日、その情報は唐突に二人の元に届いた。
「ひとむさん…ひとむさんのお父様とお母様が暴漢に襲われて…亡くなったって…」
盲目であるひとむに情報を伝えるのも梨華の役目の一つだった。しかし、それは酷く残酷な事のように思われた。
「……」
ひとむは黙りこむしかなかった。
もう戻らないのだ。
自分の光も梨華との間の新しい命も両親も幸福な生活も、何もかも壊れた世界が奪い去っていく。
無力。
それだけが自分の前に突きつけられて、ひとむは息苦しくなった。
梨華の顔が強張る。さらに梨華の声は続けた。
「私の、お父さんも…失踪したって…」
その声は震えていた。ひとむは言葉を失った。
- 517 名前:無題。 投稿日:2004/07/10(土) 15:22
- この広い世界の中でもう二人が帰れる場所は無い。二人を温かく迎えてくれる場所はもう無いのだ。
もう二人が帰る場所は無い。
その紛れも無い現実はひどく冷酷で惨めに思えた。
次々と襲い来る悲劇。
現実を前にして、二人はただ無力だった。
寄り添う事しか出来なかった。
ひとむは梨華の手を両手で包みこんで、優しく言った。
「死んでも…貴方を守ります…」
梨華は涙を溢れさせて、ひとむに体を預けた。震える華奢な体をひとむは精一杯抱き締めた。
- 518 名前:無題。 投稿日:2004/07/10(土) 15:22
-
- 519 名前:無題。 投稿日:2004/07/10(土) 15:23
- 病院のロビーが俄かに騒然としていた。
入院患者や看護婦などがテレビの前に釘付けになっている。
花瓶を差し替え終えて、ひとむの個室に戻ろうとしていた梨華は足を止めた。
大画面のテレビには記者会見の模様が映し出されていた。
不精髭を生やしたアメリカの学者がカメラのフラッシュを四方から浴びている。
――手の甲の黒い斑点は死の宣告である。
つまりは手の甲に斑点が浮き出れば数日内に発症するということらしかった。テレビの前で入院患者や看護婦は一様に手の甲を確認している。
病院には感染症の患者はいない。病院を訪れても手の施し様がないのだ。感染が広がっても困る病院側は受け入れを拒否している。感染者も治る見込みの無い事を知っていて病院を訪れるものはいない。
そんな中でどうせなら後悔せずに死にたい、という思想が生まれ、それが悲劇の連鎖を引き起こす。
- 520 名前:無題。 投稿日:2004/07/10(土) 15:23
- 梨華は手の甲を確認した。
斑点は一つも無い。少し浅黒い肌に何の変化も無い。
ふう、と安堵の息を吐く梨華。ふと花瓶が目に入った。
梨華は慌てて花瓶を持ち替えて、その手の甲を確認する。
斑点は見当たらない。両手ともに斑点は無い。
安堵の息を吐く。
――私がいなくなればひとむさんの世話を出来る人がいなくなる。
「…建前だな」
梨華は自嘲的に笑った。
――私自身が、ひとむさんと離れたくないだけだ。
そして梨華はひとむの病室へと急いだ。
梨華の置き忘れた花瓶の花。ひとむがプロポーズした日に持ってきた、あの黄色い花。
水に濡れた黄色い花びらの先から雫が零れた。
- 521 名前:無題。 投稿日:2004/07/10(土) 15:23
- ひとむの病室に駆け込んだ梨華は半ば叫ぶようにひとむの名前を呼んだ。
「ひとむさんっ」
病室に入って来たのが自分だと伝えて安心させるために梨華が考えた方法だ。もう殆ど習慣となっている。珍しく急いだ梨華の語調にベッドに座っているひとむは尋ねた。
「梨華さん。どうかしたんですか?」
梨華はベッドの脇のスチール椅子に座ると、ひとむの両手を取った。その手を裏返して手の甲を確認する。
両手とも、ひとむの綺麗な白い手には斑点の影も全く見当たらなかった。
梨華は安堵して溜息を吐いた。そして自らの額をひとむの手の甲に当てる。
自分の手の甲を確認した時よりも大きな安堵だった。
- 522 名前:無題。 投稿日:2004/07/10(土) 15:24
- 梨華の頭上から優しいひとむの声が降ってくる。
「どうか、したんですか…?」
ひとむは片方の手を解いて梨華の髪を撫でた。ひとむの手の甲に額を押し当てたまま、梨華は首を横に振った。
「なんでもありません…」
梨華は感染病の斑点のことをひとむに伝える気はなかった。
二人だけの世界で生きていたかった。
醜い現実を見ていたくなかった。
それが現実逃避以外の何物でもないと分かっていたが、梨華はそれが不恰好だとは思わなかった。
この、ひとむの温もりがあれば十分だった。
- 523 名前:無題。 投稿日:2004/07/10(土) 15:24
- 「ひとむさん、お食事、貰ってきますね」
梨華の温もりが途切れる。白い視界の中で不安が浮かび上がる。ひとむはベッドの傍にある取っ手に手を置いて、固く握り締める。
梨華が去って、静寂が生まれる。
ひとむは取っ手を握ったまま、耳を済ましていた。
足音が聞こえる。
廊下から病室に入る足音の主。
梨華の足音だと分かった。僅かに足音が不規則になっている。
昼食の盆を持っている梨華の様子が頭に浮かび上がる。
「大丈夫ですか?」
声を掛けると、足音が止まった。そして苦笑混じりの梨華の声が答える。
「ごめんなさい…。大丈夫です」
音が立つ。梨華がテーブルに盆を置いたのが分かる。
椅子が軋んだ。梨華が椅子に座った姿が想像できる。
- 524 名前:無題。 投稿日:2004/07/10(土) 15:25
- 「今日の御飯はハンバーグです。美味しそうですよ」
梨華の弾んだ声でひとむの脳内に梨華の笑顔が浮かぶ。梨華が皿と箸を持つ。
「あーんしてくださいね?」
おどけたように梨華が促す。ひとむは笑いながら口を大きく広げる。切り分けたハンバーグの味が口内に広がる。
「美味しい」
ひとむが言うと、梨華は微笑みを漏らした。
見えなくとも、視力の有無も関係なく笑い合える。
幸せだった。
目に映るものは全て白で、決して絶望ではなかった。
少なくともひとむはそう思っていた。
- 525 名前:無題。 投稿日:2004/07/10(土) 15:25
- 梨華の顔も肌の色も全て色褪せないまま、脳内に刻まれている。盲目に慣れていくにつれてひとむの視力以外の感覚機関は敏感になっていった。
今では梨華の声の抑揚、僅かな機微で梨華の表情は想像できて、梨華の立てる物音や気配で動作も判断できる。
梨華は密着を求めた。
常に体のどこかの部分を触れさせていた。
それは手を握ることだったり、腕を組む事だったり、抱き締め合うことであったり、様々である。
とにかく梨華は常にひとむの傍にいて、体を触れ合わせていた。
梨華が自分を安心させるためにそうしている、とひとむは分かっている。
実際、梨華が傍にいることでひとむは安堵を覚える。
逆を言えば、梨華が傍にいない時はそれがどんなに短時間であっても不安を覚える。
それはひとむの梨華への依存を表している。
梨華がいない世界は有り得なかった。
- 526 名前:無題。 投稿日:2004/07/10(土) 15:25
-
- 527 名前:無題。 投稿日:2004/07/10(土) 15:26
- 死刑宣告だ、と梨華は思った。
絶望の闇が梨華の体を下から徐々に蝕んでいく。気味の悪い感覚が精神さえも侵食する。
足が震え出す。その震えはやがて体中に広がっていく。かちかち、と歯が鳴る。
「あ…あ…」
唇の隙間から声が漏れる。
波が押し寄せているようだった。気を抜けば体ごと精神ごとその波に一気に攫われそうだった。
立っていることさえも辛くなり始めた。梨華は病院の洗面所の鏡の前で膝を付いた。震えを止めようと自分の体を固く抱き締める。
- 528 名前:無題。 投稿日:2004/07/10(土) 15:26
- ――何で、私なの…。
力無い呟きが頭の中だけでやけに声高に響いた。
しかし、どこかに絶望と同時に安堵があった。
――ひとむさんじゃなくて良かった…。
むしろこの感情の方が大きかった。ひとむの無邪気な笑顔が浮かぶ。それは確かに溜息を吐きたくなるほどの安堵だった。
涙が零れ落ちた。
ぽつり、と床に落ちて弾ける雫。それは少しずつ勢いを増して、やがて小さな水溜りを作っていった。
絶望の涙か、安堵の涙か、梨華自身にも分からない。あるいはそのどちらの感情も含んでいたのかもしれない。
- 529 名前:無題。 投稿日:2004/07/10(土) 15:27
- 自身の背に回された梨華の両手の甲には斑点が浮き出ていた。
黒く不気味な斑点が浅黒い梨華の手の甲に刻み付けられたように浮かんでいる。
死の宣告、だった。
自制が利かなかった。
ただその瞳に洗ったばかりのメスを映すと同時に梨華はそのメスを掴んでいた。
研ぎ澄まされた刃先が眩しく輝く。
その光は突き刺すような狂暴さと包みこむ優しさを秘めていた。その優しさが幻だと梨華は悟っていた。しかし無意識にそのメスの根元を強く握っていた。
刃の先には黒い斑点が浮き出る梨華の右手の甲。
死の宣告、憎悪の黒。汚らわしい、刻印だった。
- 530 名前:無題。 投稿日:2004/07/10(土) 15:28
- 「…この汚らわしい斑点を消してください」
梨華は刃先が放つ光の幻の優しさに祈った。目を瞑る。
右手に熱が走った。
梨華は目を開ける。赤く染まった手の甲。縦に走る傷。
赤の中に黒い斑点が鈍く輝いて見えた。
梨華は再び目を瞑る。
激痛はやがて衰え、慣れてしまった頭には熱としか認識されなくなっていった。
白いブラウスと白いスカートを鮮烈な赤が濡らしていく。
目を開ける梨華。
左手の甲に目を移す。血に染まった右手とは対照的に綺麗なままの左手。
黒い斑点、それを認識すると同時に梨華は目を瞑った。
- 531 名前:無題。 投稿日:2004/07/10(土) 15:28
- そして血にまみれた右手でメスを左手に振り下ろす。
「…汚らわしい、斑点を消して…」
梨華の呟き。飛び散る血飛沫。肉を抉る鈍音。
崩壊。
そして絶望。
梨華はひたすらメスを手に打ち込みつづけた。半ば盲目的に、狂信的に祈りを呟いていた。
「お願いします…お願いします…」
梨華は祈っていた。
――ひとむさんと、あと少しだけでも…一緒に…。
- 532 名前:無題。 投稿日:2004/07/10(土) 15:28
-
- 533 名前:無題。 投稿日:2004/07/10(土) 15:29
- 風が凪いだ。
時が止まる。梨華は車椅子を押す手を止めて目を瞑った。
白い視界。
梨華はひとむと同じ世界を体感しようと努める。
殺風景で切ないほど綺麗な白だった。
ひとむはこの世界で生きているのだ、と梨華は思った。
梨華は目を閉じたまま、空を見上げる。白い世界に祈りを込めた。
「梨華さん?」
車椅子の上のひとむが尋ねる。
再び屋上に吹きさらす風。梨華の黒い髪が揺れた。
その髪はひとむと出会った頃の艶を失っていて、潤いもなく乾いていた。しかしひとむの中ではきっとあの美しい黒髪のままだ、と考えると梨華は微笑みたくなった。
- 534 名前:無題。 投稿日:2004/07/10(土) 15:29
- 梨華は目を開いた。
広がる赤い空はどこか禍禍しく、歪んでいるようにも思えた。
「何ですか?ひとむさん」
そよぐような優しい口調がじんわりとひとむの耳に染みた。ひとむは手探りで梨華の手を握った。
「少しだけ、目を瞑っていてください」
少し微笑み混じりに、得意そうにひとむが言った。
梨華は疑問符を浮かべながらも理由は尋ねずに、ひとむの言葉に従って目を閉じた。
視覚が閉ざされた分、聴覚が澄まされる。
囁く風の音だけが優しく梨華の耳元で歌う。
風の音だけを聞けば、世界はひとむと出会った頃から何も変わっていないのではないか、と錯覚を覚えるほど澄んでいた。
ひとむは梨華の手を握ったままだった。ひとむの温もりと風がひたすら梨華に心地よさを与えていた。
随分長い時間、目を閉じて、風を感じていた。梨華は目を閉じたまま、微笑んでいた。
- 535 名前:無題。 投稿日:2004/07/10(土) 15:30
- ひとむに握られたままの右手の甲には包帯が何重にも巻かれていた。車椅子を支える左手も同様だった。
その白い包帯の下には癒えない傷跡が残っている。
洗面所の前で血まみれのまま気絶していた梨華は数十分後、看護婦に発見されて、すぐさま応急処置を受けた。
梨華の手は機能を失う事は無かったが、処置をした医師は傷跡は一生涯消える事は無い、と診断した。
一生涯はあと数日で終わります、と梨華は答えようとしたが、ひとむの顔が浮かんだ。
もし自分が感染症だと知られれば、ひとむにも感染の疑いが掛かる。そうなれば病院側はひとむを追い出すだろう。
自分が死んでもひとむが病院から追い出されるのだけは、と考えた梨華は結局そうですか、と小さく呟くことしか出来なかった。
- 536 名前:無題。 投稿日:2004/07/10(土) 15:30
- 数日前から梨華の体調は悪くなる一方だった。
高熱を抗生物質で和らげて、頭痛には鎮痛剤を用いて、何とか病と闘っていた。
痛みに耐えてひとむの前では笑顔を絶やさなかった。心配を掛けないため、そして悟られないように笑っていた。
しかし、限界が近い事も分かっていた。
酷くなる頭痛、吐き気。既に梨華は発症していた。そして梨華は薄々それを自覚していた。
もう一日も自分の命は持たない。
死に逝く自分の命が恋しくなり、死んでしまう事がこの上なく悔しく思った。
悲壮感では無かった。
ひとむと一緒にいられる残り僅かな時間を大切にする事を密かに梨華は誓ったのだ。
- 537 名前:無題。 投稿日:2004/07/10(土) 15:31
- 「梨華さん」
ひとむの声が凛と響いた。梨華は目を開けようとしたがひとむの声がそれを遮った。
「まだ。待って下さい。あと十秒…10、9…」
ひとむの声に合わせて梨華は心の中で秒を刻んでいく。ひとむの声は続ける。
「6、5…」
ひとむの声をなぞって梨華は心の中で数える。
(4、3…)
「2、1、ゼロ」
その瞬間、梨華の体がふわり、と浮遊感に包まれた。
翼で空を飛んでいるような気分だったが、やがて気付いた。
この温もりはひとむの温もりだ。
- 538 名前:無題。 投稿日:2004/07/10(土) 15:31
- 「いいですよ、目を開けて」
耳元で声が聞こえる。驚いて足が震えそうになる。
梨華は目を開けた。
ひとむの顔、大きな瞳、柔らかい髪。
背中に回された手の温もり。
懐かしい、温もりだった。
梨華はひとむの目を見つめる。
もちろん焦点の合っていない目は梨華の目を見返さない。しかし気配で気付いたひとむは答える。
「立つの、結構練習したんですよ。立って一番にしたかった。一番に梨華さんを抱き締めたかった」
少し高い位置から見下ろされる懐かしい感覚。
- 539 名前:無題。 投稿日:2004/07/10(土) 15:32
- 半ば寄りかかるような格好は不恰好だったが、それは確かに抱擁だった。
梨華は、ひとむを抱きしめる事は出来ても、もうひとむにこのように抱き締められる事は無いと思っていた。
梨華はひとむの胸に頭を預けた。
梨華の頭がひとむの胸の位置にあるため、梨華はよくこうしてひとむに寄りかかっていた。
(そして、ひとむさんは…)
ひとむの手が梨華の頭を優しく撫でる。ひとむはこの態勢の時にはいつも梨華の頭を撫でた。
(そうしてからひとむさんは言ってくれるの…)
「愛してますよ、梨華さん」
ぶわ、と梨華は一気に涙が溢れさせた。
(懐かしい…なんて懐かしいんだろう…嬉しいんだろう…)
ひとむの胸の中で梨華は泣いた。幸福の涙を流した。
梨華はひとむに体を預けた。
ひとむはその体を優しく受けとめた。まるで壊れ物を扱うように優しく包んだ。
ひとむは梨華が愛しくて堪らなくなった。
「愛しています、梨華さんを…」
強く、優しく梨華の体を抱擁する。
- 540 名前:無題。 投稿日:2004/07/10(土) 15:32
- 梨華は微笑んでいた。
苦しみは無かった。
ただ幸せだった。意識が浮遊する。思考が飛んでいく。
梨華は顔を上げてひとむを見つめながら言った。
「ひとむさん、貴方と会えた私は…世界で一番、幸せでした」
その瞬間、ひとむの脳裏に今まで見た事も無いような梨華の満面の笑顔が映し出された。
そして腕の中の梨華の体が少し軽くなった、気がした。
- 541 名前:無題。 投稿日:2004/07/10(土) 15:33
- 動かない、華奢な躯。
静止してしまった梨華の躯。
「梨華、さん…?」
ひとむは困惑を呟いた。梨華の体を支えながら、手探りで梨華の頬を撫でる。
視界は白のままで、何も変わりはしない。
風はそよいだままで、何も変わりはしない。
しかしひとむが触れた梨華の頬は冷たく感じた。
「嘘、ですよね…?梨華さん…」
自分を誤魔化すために空笑いを作る。
しかし腕の中の梨華からは答えは返ってこない。
- 542 名前:無題。 投稿日:2004/07/10(土) 15:33
- 「梨華、さん…」
呆然と呟いて、地面に膝を付く。梨華の体の重さがひとむの手に掛けられる。
「嘘、でしょう…?」
ひとむは呟く。そして腕の中で動かない梨華に向かって叫ぶ。
「嘘でしょうっ?梨華さんっ!」
梨華の体を揺すって答えを乞う。
しかし、梨華は動かない。
「うあああああぁぁっ!」
ひとむは梨華の体を支えたまま、叫んだ。その叫びが街に響くと同時に、ふわり、と風が吹き抜けた。
梨華の艶やかな髪がその風に揺られて柔らかく靡いた。
- 543 名前:無題。 投稿日:2004/07/10(土) 15:35
- 第二話、終了という感じです。
まだ続きがあります。話はこれで漸く中腹と言ったところでしょうか。
最後までよろしくお願いします。
- 544 名前:chaken 投稿日:2004/07/10(土) 15:36
- メール欄、間違えた。
- 545 名前:chaken 投稿日:2004/07/10(土) 15:36
-
- 546 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/10(土) 18:57
- 切ないよー・゜・(ノД`)・゜・。
続き楽しみしてます。頑張ってください。
- 547 名前:chaken 投稿日:2004/07/14(水) 10:55
- >546様。ありがとうございます。これからも頑張ります。
では更新です。
- 548 名前:無題。 投稿日:2004/07/14(水) 10:56
- 紺野が死んだ。
その厳然たる事実だけが突きつけられて、矢口真里は涙を流す事も出来ずに呆然としていた。
広い寝室の中のダブルベッドの中で眠っている彼女はもう眼を覚ますことは無いのだ。
ふとそんな考えが浮かび、どうしようもなく切なくなった。
眠り姫のように穏やかな表情だった。それがまた真里を悲しくさせた。
かちかち、と時を刻む時計の音が規則的に静寂を乱し続ける。
青白いほど白い肌に自然と手が伸びた。
あさ美の冷たい頬に触れて、真里はようやく涙を流した。
今まで我慢していたものが一気に溢れ出して、自分でも歯止めが効かなくなった。
- 549 名前:無題。 投稿日:2004/07/14(水) 10:56
- 「うぅ…っく…」
人の死などそんなに容易に受け入れられるものではない。真里は泣きじゃくりながら、それを改めて実感させられた。
ましてや僅か十二時間で受容できるほど、真里のあさ美への想いは乾いたものではなかった。
受け入れたつもりでいても、涙を流さずにいられない。
真里はスチール椅子から立つと、あさ美の華奢な体に凭れかかって、また泣いた。
そして天使のように優しい表情のまま逝った紺野あさ美の人生を悼んだ。
- 550 名前:無題。 投稿日:2004/07/14(水) 10:57
-
- 551 名前:無題。 投稿日:2004/07/14(水) 10:57
- ぱらぱら、と小雨が降っていた。それほど強くも無く、傘を差すほどでもなかったが、空は鈍く鉛色を称えていた。
入学式には相応しくない天気だ。
矢口真里は腕時計を確認してさらに小走りになった。この日のために購入したスーツが濡れていく。パンプスが水溜りで汚れていく。
「最悪ぅー!」
真里は叫ぶと、遂にスカートを捲り上げて走り始めた。
- 552 名前:無題。 投稿日:2004/07/14(水) 10:57
- 全ての災難の原因は昨夜の不眠にあった。大学を卒業して、初めての職場の女子高へ明日、初出勤しなければならない。
その緊張で全く眠る事が出来ず、今朝の寝坊に結び付いたのだ。
さらに起きてみれば小雨が降っていて、電車も少し遅れて、今に至っている。
現在の時間は九時を過ぎている。
二、三年生の始業式を兼ねた入学式は九時からで、その後すぐに新任式があり、そこで挨拶をしなければならない。
- 553 名前:無題。 投稿日:2004/07/14(水) 10:58
- 今年の新任の教師は真里とあと一人、真里と同じ大学卒業したての女性だと聞いている。
真里が赴任する高校は都立のいわゆる進学校で、有名大学へ多くの生徒を輩出している女子高だ。女子の進学校という事で
少し馴染み難い印象を持っていたのだが、教育実習でいってみるとそうでもなく、むしろフレンドリーに接してくれた。
そういう意味では普通の高校よりは緊張はしないが、それでも初めての仕事場である。社会人としての第一歩、と思うと、否応無しに緊張は高まった。
しかし、今は緊張どころではない。このまま遅れれば、初日を遅刻した問題教師として教師からも良い印象を持たれなくなるかもしれない。
真里はさらに足を早めた。
- 554 名前:無題。 投稿日:2004/07/14(水) 10:58
- 漸く校門が見えてきた。ぱっ、と腕時計を確認すると九時十五分前だった。なんとか間に合いそうだった。一応安堵しながらさらに走る。
雨足が少し速くなってきた。せっかくセットしてきた髪型が濡れてくる。肩まで伸ばした自慢の茶髪を乱されて、真里はああもう、と心の中で悪態を吐いた。
走りぬけながら校門をくぐる。
「ん?」
ふと真里は校門をくぐったところで足を止めた。
- 555 名前:無題。 投稿日:2004/07/14(水) 10:58
- 校門の傍、掲示板の前に少女が立っていた。
指定の制服に身を包んでいる。雨足は激しくなって黒髪が濡れているのに、傘も差さずに全くその場所から動こうとしない。
その表情は物思いに耽っているようで、真里が通ったことにも気づいていないようだった。
どこか見覚えのあるような気がして、目を凝らしてみたが、思い出せなかった。
真里は暫し見惚れていた。
少女の持つどこか物憂げな雰囲気が真里を惹き付けた。
ずっと少女を見つめていて、ふと、気付いた。入学式は始まっているはずだった。何故生徒がこんなところで立っているのだろうか、と真里は少女に声を掛けた。
- 556 名前:無題。 投稿日:2004/07/14(水) 10:59
- 「あの?あなた生徒?何してるの?」
すると少女ははっ、と顔を上げて真里を見た。しかしその表情は慌てた様子もなかった。
「あ、矢口先生ですか?もうすぐ新任式なのに来ないので迎えに来たんです」
「え?あ、ごめんっ!」
真里は少女の言葉を認識して慌てて頭を下げた。しかし少女は顔色を変えずに答えた。
「そんな、謝らなくてもいいです。ではどうぞ」
やけに大人びた事務的な対応に戸惑いながらも、促されるままに真里は少女の後に付いて、玄関に入った。
- 557 名前:無題。 投稿日:2004/07/14(水) 10:59
- 少女の素性はわからなかったがネクタイの色で二年生だという事が分かった。真里が担当した学年だが、この少女の事は思い出せそうで思い出せなかった。おそらく生徒会関係の生徒だろうと納得させて、少女の後に続く。
生徒数は普通だが、校舎はやたらと広かった。ほんの数ヶ月前の事が思い出される。
一ヶ月ほどはここに通っていたのだ。一応の地理はわかる。
それをわかっているのか、それともただ無関心なのか、少女は校舎内を案内する素振りは見せなかった。
- 558 名前:無題。 投稿日:2004/07/14(水) 11:00
- 玄関から真っ直ぐ廊下を進んで、途中で横に折れる。そこからまた長い渡り廊下を通って体育館に到着する。渡り廊下は屋根があったが、雨足はさらに激しくなっていた。すぐ横で雨音が響いている。
入学式という事もあって人の気配は全くなかった。少女も真里もただ無言で、辺りは雨音以外は静寂だった。
静寂を嫌う性格の真里だったが、少女との時間はそれほど苦痛ではなかった。安心して沈黙していられるのは珍しかった。
どこか心地良い雨音の中、真里は体育館が近付くにつれて緊張を高めていった。
- 559 名前:無題。 投稿日:2004/07/14(水) 11:00
- そわそわしながら髪の毛を弄ったり、身だしなみを気にしたりする真里に少女は声をかけた。
「……ですよ」
「え?」
少女のか細い声が聞き取れずに聞き返したが、少女はいえ、と言ったきり繰り返さなかった。
大きな体育館に到着した。雨音に混じり校長の挨拶が聞こえてくる。扉の前に立って真里は高鳴る胸を抑えて、ふう、と大きく深呼吸をした。
- 560 名前:無題。 投稿日:2004/07/14(水) 11:00
- すると、唐突に少女が手を差し出してきた。真里は不思議そうに少女の手を見つめる。よく見ると、少女の小さな手の中にはお守りが置かれていた。
「え?貸してくれんの?」
意外な少女の行動に真里が聞き返すと、少女はこくん、と小さく頷いた。
真里は先ほどまで無愛想だった少女に急に親近感を覚えた。
「ありがと」
真里は笑顔で言うと、少女のお守りを受けとって、ポケットの中にそっとしまった。
お守りのせいか、自然と緊張は解けてきた。
- 561 名前:無題。 投稿日:2004/07/14(水) 11:01
- いくらか落ち着いた真里は傍で俯いている少女に言った。
「私は矢口真里。あなたは?」
少女は顔を上げて、小さくか細い声で答えた。
「二年の紺野…あさ美です…」
名前を聞いて真里は漸く思い出した。教育実習中、受け持っていたクラスの生徒だった。
生徒会の書記で、大人しく、なかなか印象に残り難いタイプの生徒だった。その為か、真里はあさ美のことを忘れかけていた。真里は後ろめたさを隠してぽん、と手を付いた。
「ああ、紺野かぁ。久しぶりだねぇ。え、私の事、覚えてる?」
真里があさ美の顔を覗き込んで尋ねると、あさ美は一瞬、目を見開いた。
「ん?覚えてる?」
真里が尋ねると、すぐに表情を戻して、また小さくこくん、と頷いた。
- 562 名前:無題。 投稿日:2004/07/14(水) 11:01
- 聞こえていた校長の挨拶が終わった。真里はふと状況を思い出した。
「ああ!やばい!行かないと!じゃあ、紺野。副担任になると思うから、これからもよろしくな」
真里は体育館の扉に手を掛けた。しかし、ふと動きを止めて、あさ美に振り向いた。
「さっき、なんて言ったの?渡り廊下の時」
あさ美は顔を上げて、初めて、笑顔を見せた。
「大丈夫ですよ」
はにかんだようなあさ美に笑顔に真里は一瞬、見惚れた。
「頑張って下さい」
促すあさ美の声で引き戻され、真里は曖昧に頷くと、扉を開けて館内に足を踏み入れた。
- 563 名前:無題。 投稿日:2004/07/14(水) 11:01
- 小柄な身を屈めて中に侵入する。生徒たちの背後を通りぬけて、職員の席へと急ぐ。
「あ、不良教師だ」
真里がどきっ、として声の方を向くと、悪戯な笑顔があった。
「駄目だよ、遅刻は。矢口センセ♪」
二年生の列の最後尾で市井紗耶香は揶揄するような笑みを浮かべていた。つられるように笑みが零れた。
「うるさいよっ」
笑顔を引き締めて真里が小声でたしなめると、紗耶香はまた笑った。
- 564 名前:無題。 投稿日:2004/07/14(水) 11:02
- 市井紗耶香は真里の受け持ったクラスの生徒で、真里とはやけに馬が合い、教育実習以来も時々会ったりもしていた。
それ以外にも何人かとは付き合いを続けている。教育実習では真里の飾りの無い性格は好意的に受け入れられていたのだ。
職員の席に付くと一番端の自分の席に座った。
「随分と遅かったわね」
隣りの席の保田圭が揶揄するように言った。彼女はもう一人の新任教師で教育実習でも顔を合わせていた。
「最悪ぅ。寝坊だよぉ。昨日さ、緊張して寝れなくて…」
溜息混じりに答えると、圭は呆れたように息を吐いた。
「遠足前日の小学生か」
真里は何も言い返せず、ただうぅ、と唸る事しか出来なかった。ふと、圭は話題を変えた。
- 565 名前:無題。 投稿日:2004/07/14(水) 11:02
- 「よく覚えてたね、体育館。この学校広いでしょ?迷わなかったの?」
ああ、と真里はあさ美の顔を思い出した。
「忘れては無かったんだけど、紺野、ほら生徒会の書記の子がさ、わざわざ案内してくれて…。助かったよ」
安堵した風に話す真里に圭はへぇ、と言い返した。
「さっきから生徒会の席にいないと思ったら。不良教師のフォローまでしなきゃいけないとは生徒会も大変ね」
鮮やかな皮肉に真里はやはり何も返せなかった。
入学式は順調に進行して、そのまま新任式へ移行していく。
- 566 名前:無題。 投稿日:2004/07/14(水) 11:03
- 「えー、それでは今年、赴任された二人の先生に挨拶をしてもらいます。代表して、矢口先生、どうぞ」
進行役の教頭に促されて、真里は立ちあがった。ぱちぱち、と拍手が起こった。
「いよっ、不良教師ぃー」
紗耶香の声が響くと、体育館が笑いに包まれた。真里は赤面しながら、しぃー、と紗耶香を宥める。しかし紗耶香は相変わらずの調子で続ける。
「ミニマムー」
教育実習の期間中に一方的に付けられたあだ名で呼ばれて、真里はさらに赤面した。
「うるさいっ」
低い声で言うと、再び笑いが起こった。
早足になって壇上に上ると、来賓席に一礼してマイクの前に立つ。そして生徒の前で一礼する。
- 567 名前:無題。 投稿日:2004/07/14(水) 11:03
- しかしここでまた真里は窮地に陥った。
マイクの位置は通常通りだが、極端に小柄な真里には位置が高すぎるのだ。調節しようとするが上手くいかず、くすくす、と囁くような笑い声が届いた。
頭の中が混乱で濁ってしまい、背伸びしてスピーチを始めるが、やはり背が届かず、声が響かなかった。
壇上で混乱して何も出来ずにいた真里は、ただポケットの上からぎゅっ、とあさ美から貰ったお守りを握り締めた。
(あうぅ…誰かぁ…)
緊張と混乱で大して暑くも無いのに汗まで掻いてくる。
- 568 名前:無題。 投稿日:2004/07/14(水) 11:04
- 「矢口先生」
唐突に声が呼んだ。真里が顔を上げるとあさ美がマイクを直していた。要領をわきまえているのか、あさ美はあっさりとマイクを真里の位置まで調節した。
「大丈夫ですよ」
言い残すと、結局一度も視線を合わす事無く、あさ美は生徒会の席に戻っていった。
「いよぉっ、天然ミニマムぅー」
紗耶香の揶揄する声で真里は漸く我に返った。再び沸き起こる館内の笑いの中で緊張は解れて、なんとかスピーチをこなす事が出来た。
- 569 名前:無題。 投稿日:2004/07/14(水) 11:04
- なんとか胸を撫で下ろしながら席に戻る。座ると、圭が声を掛けてきた。
「お疲れ様。また助けられたね。紺野に」
真里は安堵の息を吐いて答えた。
「本当に。なんか奢ってあげなきゃね」
冗談混じりに言って、真里は笑った。
それ以外には特に何も無く、順調に進行して、入学式は終了した。クラス割は予想通りで、真里はやはり教育実習の時と同じ、2年C組の副担任となった。紗耶香やあさ美がいるクラスである。
- 570 名前:無題。 投稿日:2004/07/14(水) 11:05
- それぞれの教室に戻る途中、紗耶香が声を掛けてきた。
「感謝しろよう?場を和ませてやったんだからさぁ」
柔らかい笑顔につられて笑みを浮かべながらも真里はそれを隠して、つん、とした表情で返した。
「あんなの感謝できるかぁ。余計に頭ぐちゃぐちゃになったんだからな」
真里は乱暴に紗耶香の頭を掻き回す。紗耶香はもー、と言いながらも笑顔だった。そこで真里はふとあさ美の姿が見えないことに気付いた。
「あれ?紺野は?」
紺野、という名前を出した瞬間、突然に紗耶香の表情が強張った。真里はそれを不審に思いながらも繰り返した。
「ね、紺野は?」
すると、紗耶香は強張った表情を押し隠すように笑みを浮かべて、ああ、と答えた。
- 571 名前:無題。 投稿日:2004/07/14(水) 11:05
- 「紺野さんなら、片付けじゃない?ほら、体育館の」
紗耶香の言葉にどこか得体の知れない違和感を感じたが、厳しさを隠した紗耶香の表情は真里の追求を許さなかった。
戻ると、すぐに教室は騒がしくなった。
この学校ではクラス替えが無いのだ。だから真里が教育実習で訪れた当時は一年生だったこのクラスもそのままの面子で二年生へ進級したのだ。
さすがに女子高だけあって、凄まじく騒がしい。真里は教室の中を見回した。
まだ戻って来ていない生徒はあさ美だけだった。真里は後方のドアからそっと教室を抜け出して廊下に出た。
- 572 名前:無題。 投稿日:2004/07/14(水) 11:06
- ホームルームも始まっているらしく廊下に人影は無かった。
そこに2年C組の担任である牧原と共にあさ美が並んで歩いてきた。
途中で会ったのだろうか、と真里は特に不審にも思わず、牧原に頭を下げた。真里に気付いた牧原は頭を下げ返すと、あさ美と別れて教室の前方のドアを開けて中に入った。
あさ美は真里の立っている後方のドアに向かってくる。
「よっ、遅かったね」
笑顔で声を掛けると、あさ美は小さく頭を下げて教室へ入っていった。
「あれ?」
無視に近い形でやり過ごされて真里は一瞬呆然としたが、慌てて続いて中に入った。
- 573 名前:無題。 投稿日:2004/07/14(水) 11:06
- 「はい、静かにしい」
教壇に牧原が宥めると教室の賑やかはいくらか収まった。
牧原の柔らかい教え方は定評があって、生徒からは慕われている存在だ。真里も教育実習で顔を合わせている。確かに人柄もよく、教え方は丁寧だが、真里はずっと引っ掛かりを感じていた。
その正体にはまだ気付いていなかった。
ホームルームが始まり、牧原は連絡事項をいくつか伝えて、宿題の提出を促す。すると、窓際の最後尾の席で声が上がった。
「せんせーい!宿題、忘れましたぁ」
悪びれない紗耶香の笑顔に牧原は呆れた風に息を吐いた。
「またかぁ。じゃあ、明日。忘れんなよ」
はーい、と間延びした返事が教室に笑いを誘った。真里はこっそりと紗耶香の背後に移動して、軽く耳を抓った。
「いってっ」
紗耶香は飛びあがり、後ろを振り向いた。そして真里を認めると、何すんだよー、と軽口を叩いた。
- 574 名前:無題。 投稿日:2004/07/14(水) 11:07
- 「本当にだらしがないね。全く」
真里が呆れたように責めると、紗耶香は口を尖らせて反論した。
「何だよ。不良教師のくせにー」
「なんだとぉ」
真里はさらに紗耶香の耳を捻り上げた。いてて、という紗耶香の声と教室の笑いは重なった。そこで牧原の声が響いた。
「はい、じゃあ今日はこれで終わりだ。あ、紺野は残れ」
あさ美の席は廊下側の一番前だった。牧原に名前を呼ばれた瞬間、あさ美の肩がびくっ、と震えたのを真里は見逃さなかった。
(何だろ…紺野、なんか怯えてたような…?)
- 575 名前:無題。 投稿日:2004/07/14(水) 11:07
- チャイムが鳴り響き、生徒たちはそれぞれに散っていく。校門から制服の少女が吐き出されていく。2年C組の教室からも徐々に生徒の姿が消えていく。
「矢口センセ。せっかくなんだしカラオケいこーよ」
紗耶香が真里の肩を叩いた。紗耶香の背後には真里と仲の良い生徒たちが固まりになっていた。
「あ、先行ってて。まだ仕事あってさ。終わったら連絡するから」
「わかったぁ。来いよぉ?」
「わかってる」
先に紗耶香たちを帰らせて、真里は人影の無くなった教室に残った。残っているのは牧原と真里と呼び出されているあさ美だけだった。
- 576 名前:無題。 投稿日:2004/07/14(水) 11:07
- 牧原は先ほどからちらちら、と真里の方を見ていた。呼び出したにも関わらず、牧原は一向に話を始めようとしない。
妙な緊張感が張り詰めていた。
最初に痺れを切らしたのは、牧原だった。
「矢口先生。もう職員室に帰ってもらっても…」
言い難そうな口調に真里は首を振った。まだこの教室に用事が残っていたからだ。
「紺野に用事があるので。早くお話しなさって下さい」
気を遣いながら促すと、牧原は小さく舌打ちをした。真里は俄かに面食らった。その仕草は本当に憎々しげで、普段の温厚な牧原とは掛け離れたものだった。
- 577 名前:無題。 投稿日:2004/07/14(水) 11:08
- 「もういいっ」
吐き出すように言うと、牧原は息荒く教室から出ていった。
真里は呆気に取られていた。
今の行動と牧原に抱いていたイメージとの違いに呆然としていた。
「矢口、先生…」
か細い呟きが真里を引き戻した。気付くと、眼前にはあさ美が立っていた。
「な、何だったんだろうね?牧原先生…」
困惑を隠せずに真里は空笑いを交えて言った。あさ美は少し潤んだ瞳で真里を見つめていた。
- 578 名前:無題。 投稿日:2004/07/14(水) 11:09
- 「紺…」
「ありがとう、ございました…」
真里の言葉を遮って小さく言うと、あさ美はそっと真里の小柄な体にしがみ付いた。
「え?」
あさ美の言葉も行動の意味も分からないで真里は尋ね返した。
しかし、あさ美は何も答えずにただ真里の体を抱き締めるだけだった。
- 579 名前:無題。 投稿日:2004/07/14(水) 11:10
- この体験が、真里が何の壁もない隠し立てのないあさ美に初めて触れた“出会い”だった。
- 580 名前:chaken 投稿日:2004/07/14(水) 11:12
- 更新終了です。
最初は亀高の短編のつもりだったんですけど、思ったより長くなりそうです。
拙い文ですが、温かく見守ってやってください。
- 581 名前:chaken 投稿日:2004/07/14(水) 11:12
-
- 582 名前:chaken 投稿日:2004/07/14(水) 11:12
-
- 583 名前:無題。 投稿日:2004/07/18(日) 20:11
- 身体測定やら写真撮影やらの一学期初めの行事が終わってというもの、全く目の回るような忙しさだった。
副担任を任された2年C組のことではない。普段の授業に関する事だ。
真里の担当の教科は1、2年生の古文である。合わせて10クラスもの生徒の名前を覚えなければならないし、殆ど毎時間のように授業が詰めてある。さらに空いた時間で小テストの採点やら、授業の進行の調整やらをこなさなければならない。
それに比べると2年C組の副担任という責任は軽いものだった。そもそも副担任という位置付けは仕事が無い。たまに牧原の出張の時にホームルームを代わるくらいだった。教育実習中に牧原の出張は一度だけあって代わったことはあるが、正式な副担任になってからそれさえも無かった。
真里のポケットにはあのお守りが入っていた。いつか返そうと考えていたが、なかなか機会が無くそのままになっていた。
- 584 名前:無題。 投稿日:2004/07/18(日) 20:11
- そして入学式の日以来、どこかあさ美は真里を避けている節があった。
「ありがとうございます…」
入学式の日、か細い声で言って抱き付いてきた後、暫くそのままでいてからあさ美は教室から飛び出した。それ以来、真里はあさ美とは言葉を交わしていなかった。
廊下ですれ違っても、真里が声を掛けようとすると、あさ美は早足で行ってしまう。
お守りを返せないのは別段、気にはしなかった。ただ、もう一度あさ美と話をしてみたかった。
そしてあの言葉と行動の意味を聞きたかった。
そこに、何か重大なことが隠されているような気がしたのだ。
そしてその機会は唐突にやってきた。
- 585 名前:無題。 投稿日:2004/07/18(日) 20:12
- その日はちょうど梅雨入りが宣言された日で、じとじと、と湿った雨が降っていた。
真里は玄関に立って、空を見上げた。
「あーあ…失敗したぁ。朝は晴れてたのに…」
雨を睨みながら呟く。昨日の一時までの残業がたたって、朝を寝過ごしてしまった。何とか間に合ったが、天気予報など当然、見て来る余裕など無く、傘を忘れてしまって、今の状況に結び付く。
朝は全く快晴だった。しかし午後から降り出してきたのだ。もちろん置き傘などしていない。
「参ったな…」
人気の無い辺りを見回す。
もう放課後だ。運動部は雨の為に休みで、静まり返っていた。
紗耶香や圭などは帰ってしまったし、傘の当てなど無い。
- 586 名前:無題。 投稿日:2004/07/18(日) 20:12
- 「コンビニで買おうかな…あ、でも駅までなら濡れないか、いや…濡れるな…」
真里は困ったように辺りを見回す。そしてふと視線を止めた。
「あれ…?紺野…?」
職員用の玄関と二年生の下駄箱は廊下の通路を挟んで背中合わせのようになっている。背を向けて靴を履きかえるあさ美は真里の存在に気づいていないようだった。
「こーんのっ!」
呼びかけると、あさ美はびくっ、と体を震わせて真里の方へと振り向いた。そして真里を見つけると目を見開いた。
「よっ、久しぶりぃ」
真里はあさ美に駆け寄りながら声を掛ける。あさ美は目を見開いたまま固まっていた。
「おーい。だいじょーぶ?」
顔を覗き込んで真里が尋ねると、あさ美は漸く我に返った。そして困惑した様子で話しかけてきた。
「ど、どうしたんですか…っ?」
真里は苦笑すると、玄関の外を指差した。少し足の早まった雨がコンクリートを叩いていた。アスファルトのくぼみには水溜りが幾つも出来ていた。
- 587 名前:無題。 投稿日:2004/07/18(日) 20:12
- 「傘、忘れちゃってさ。紺野は?」
あさ美は階段の方を見て、か細い声で答えた。
「生徒会があったんですけど、残ってやる事があったんで…」
ふうん、と答えて真里はまた外を見つめた。
「大変だね、生徒会の書記も。あ、そうだ」
真里は思い出したように声を上げて、ポケットを探った。そして中からずっとしまいこんでいたお守りを取って、あさ美に差し出した。
「ずっと返しそびれてたから…」
真里は苦笑いしながら言った。あさ美はおずおずとそのお守りを受け取った。
「どうも…」
あさ美はお守りを受け取って鞄に仕舞った。
それきり均衡を保つ沈黙が訪れた。やはり先に耐えきれなくなったのは真里の方だった。
「じゃ、気を付けて帰りなよ」
笑顔であさ美の肩を叩く。しかし、あさ美は何か言い難そうにして帰ろうとしない。
- 588 名前:無題。 投稿日:2004/07/18(日) 20:13
- 「ん?どした?」
真里が不思議そうに尋ねると、あさ美は鞄の中からピンク色の折り畳み傘を差し出した。
「あの、これ…使います…?」
「あ、え?」
あさ美のの言葉に真里は力の抜けた声を返した。そして慌てたように言葉を返す。
「で、でも…紺野はどうするのさ」
あ、と虚を突かれたように漏らすと、あさ美は俯いて黙りこんだ。しかしすぐに顔を上げると言い返した。
「あの…私は家、近いから…」
でも、と真里は言い返す。
「教師が生徒から傘借りて、生徒を濡らして帰らせるわけにはいかないでしょ?風邪引いたらどうすんのさ」
あさ美はまた黙りこんだ。真里もつられるように沈黙に引きこまれた。
暫しのこの沈黙を破ったのはあさ美だった。
- 589 名前:無題。 投稿日:2004/07/18(日) 20:14
- 「…じゃあ、一緒に帰りませんか…?」
意外なあさ美の言葉に真里は俄かに驚いた。避けられていると思っていたあさ美からこんな言葉が出るとは思っていなかったのだ。
驚きはしたが、真里は単純に嬉しくも思った。
「いいの?」
確認すると、あさ美は小さくこくん、と頷いた。真里は笑顔を咲かせた。
「じゃ、お願いする」
靴を履き替えて外に出ると、雨は先程より少し強くなっていた。玄関の前に並んで立つと、あさ美はピンク色の折り畳み傘を開く。
「あれっ?あれっ?」
しかし、傘の部分が引っ掛かってしまってなかなか上手く開かない。その可愛らしい様子に真里は微笑んで、あさ美から傘を取り上げた。そして開いてみせた。
- 590 名前:無題。 投稿日:2004/07/18(日) 20:14
- 「ほい」
開いた傘をあさ美に渡すと、あさ美は少し頬を紅潮させた。
「ありがとうございます…」
小さな声で言うと、あさ美は遠慮勝ちに傘を真里の頭上に翳した。真里があさ美に振り向いた。
「あ、ごめんね。あたし、背がこーんなにちっちゃいから持てないんだよね」
おどけたように真里が言うと、あさ美は口元を押さえて少し笑った。それが無性に嬉しくて、真里も笑った。
傘の下、二人は並んで降りしきる雨の街を歩き始めた。折り畳みの傘はやはり小さく二人の肩は濡れていく。ふと、傘の位置がずれた。真里の肩に雨が当たらなくなった。真里があさ美の肩を見ると大分濡れていた。
「紺野、傘…」
真里が言うと、あさ美は少し笑った。そして何も答えなかった。あさ美のさり気ない優しさが素直に嬉しく感じた。
- 591 名前:無題。 投稿日:2004/07/18(日) 20:15
- 「あ…」
真里は唐突に思い出した。あさ美が反応して真里に振り向く。
「どうしたんです?」
いや、と答えて、真里は少し笑った。
「紺野と話す日っていっつも雨の日で、しかも私が寝過ごした日なんだ。入学式の日も、今日も」
真里は空を見上げた。あさ美もつられるように空を見上げた。
「いっつも紺野に助けられてる」
真里は苦笑しながら言った。あさ美は真里に振り向いて、笑顔を見せた。
雨音が心地良く二人の間を満たしていた。真里にとってあさ美との沈黙はやはり苦ではなかった。
- 592 名前:無題。 投稿日:2004/07/18(日) 20:15
- 「そういえばさ」
唐突に切り出した真里にあさ美は振り向いた。
「こうして紺野と話すのって久しぶりだよねぇ」
あ、とあさ美は声を漏らした。真里は少し微笑んで続けた。
「あれからさ、忙しくなって、全然会わなくなっちゃったもんね。ほんと久しぶり」
あさ美が何らかの理由で自分を避けていたことには真里は察しをつけていた。あさ美は気まずそうに黙っていた。
「ずっと、気になってた」
そして、真里は遂に核心を突いた。
「なんであの時ありがとう、って言ったのか。未だにわからないんだ」
自然と語調は鋭く、真剣なものになっていた。あさ美はまた押し黙った。
真里は決して急かす事無く、あさ美の次の言葉を待った。
人気の無い歩道を無言で歩き続ける。その間も真里の肩は決して濡れることは無かった。
- 593 名前:無題。 投稿日:2004/07/18(日) 20:16
- 暫く歩いてから、漸く重い沈黙は破れた。
「…入学式の日、矢口先生は私を思い出してくれました。名前を聞いただけで。私…」
あさ美はふと立ち止まった。真里も合わせて足を止める。
「嬉しかった…」
絞り出すような言葉には安堵があった。言い様の無いような深い安堵がその短い言葉に込められていた。
あさ美はぽつりぽつり、と話し始めた。
「教育実習でいらした時、覚えてないでしょうけど…ハンカチを貸してくれたんです…。私、その時辛くてどうしようもなくて、校舎の裏で誰にも見つからないように泣いてて…偶然そこに来た矢口先生は何も言わないでハンカチを貸してくれたんです…」
真里はおぼろげながらに記憶していた。しかし覚えているのは掃除をしていて、泣いている少女に会ったからハンカチを渡した、という大まかなことだけだった。
その少女があさ美であるとまでは記憶していなかった。
あさ美はポケットを探り、青いストライプのハンカチを取り出した。
- 594 名前:無題。 投稿日:2004/07/18(日) 20:16
- 「それからずっと辛いことがあると、そのハンカチをみて励まされてたんです」
あさ美は大切そうにそのハンカチを見つめる。
その薄い青のハンカチは確かに真里のものだった。あの時、少女に渡したものだった。
真里はあさ美に手を差し出した。
「さっきのお守り、貸して」
あさ美は一瞬、固まって真里を見つめると慌てて鞄の中を探り始めた。あさ美から傘を受けとって頭上に翳しながら真里は待っていた。
「あ、あった…っ」
あさ美はお守りを真里に示した。あさ美が立ち上がるのを待って、真里はそれを受け取った。
「そのハンカチあげるよ。代わりにこのお守りちょうだい」
真里の言葉にあさ美は一瞬、呆気に取られたように真里を見つめると、やがて満面の笑顔を咲かせた。
「はいっ」
真里はにこっと笑ってみせた。
- 595 名前:無題。 投稿日:2004/07/18(日) 20:16
- 漸く駅に到着した。真里は駅の前の信号で立ち止まった。
「もういいよ。今日は本当にありがとう。助かった」
笑顔で言うと、あさ美はいえ、と照れたように赤面した。
信号が青に変わった。人が流れ出す。
「じゃあ」
真里も進み始めたのを確認して、あさ美も歩き始めた。ふと信号の途中で真里は振りかえった。
あさ美は来た道を真っ直ぐに辿って引き返していた。
漸く真里は気付いた。
あさ美の家は近所にあって、わざわざ自分を送るために駅まで来たのだ。
- 596 名前:無題。 投稿日:2004/07/18(日) 20:17
- 「紺野ぉ!」
真里はあさ美の後ろ姿に叫んだ。俄かに周囲の注目が集まる。
あさ美は慌てて振りかえった。
「また、明日!」
大きく手を振ると、あさ美は笑顔で小さく手を振り返した。真里は満足そうに笑った。
そして周囲の注目に気付き、恥ずかしさを紛らわすために駅の構内に駆け込んでいった。
- 597 名前:chaken 投稿日:2004/07/18(日) 20:17
- 短いですが更新です。
- 598 名前:chaken 投稿日:2004/07/18(日) 20:17
-
- 599 名前:chaken 投稿日:2004/07/18(日) 20:18
-
- 600 名前:無題。 投稿日:2004/07/21(水) 13:48
- 快晴だった。
残業もなく、朝も爽やかに目覚めた真里は久しぶりにテレビの天気予報を見てから家を出た。
降水確率ゼロパーセント。洗濯日和。紫外線情報、強い。
本格的な夏日和だ。数日前に梅雨も明けた。これから暫くこの暑さは続くと天気レポーターは言っていた。
ただ今日に限って昼からは雨が降るらしいが、この快晴の空を見ると信じられなかった。
ちょうど通学時間と重なった。学校に向かうにつれて制服姿が目立ち始める。
「おはよー、矢口先生」
「ああ、おはよーさん」
「おっはー、矢口センセ」
「はーい、おはよう」
生徒たちは気軽に声を掛けてくれる。あの入学式で不本意にも“面白い先生”として有名になってしまったらしい。真里の丁寧な教え方は好評で、最近では仕事にも慣れてきて、まさに順調だった。
ふと、背後から声が掛かった。
「よっ、今日はご機嫌だねぇ」
振り向くと、圭が苦笑しながら立っていた。その顔色はあまり芳しくは無い。
「おはよ、圭ちゃん。どしたの?」
圭は先に歩き始めた。真里は慌てて並んで歩き始める。
- 601 名前:無題。 投稿日:2004/07/21(水) 13:49
- 「昨日、飲み過ぎちゃったみたい。胃がヒン曲りそうだよ」
顔色悪く、腹の辺りを擦る。真里は苦笑いを返した。
「一人で?」
真里が尋ねると、圭は小さく頷いた。真里はまた苦笑した。
「あたしを呼べよぉ。相手してあげるから」
圭は真里の頭をくしゃ、と掻き回した。
「子供には早い」
「子供じゃなーい!」
叫び返しても、圭ははいはい、と耳を貸す様子は無い。真里は半ば諦めて反論を止めた。
校門をくぐり玄関へと向かう。一番生徒が多い時間帯だ。流れに任せるように進んで、玄関に辿り着いた。
職員の下駄箱は二年生の下駄箱の近くにある。顔見知りの生徒たちが挨拶をしてくるのに、笑顔で答えながら、靴を履きかえる。
スリッパを取ると一枚の手紙が下駄箱の奥の方に押しこまれていた。
「何だこれ」
真里は手紙を取ると、履いていたミュールを下駄箱に押し込んで、スリッパを履いて歩き出す。手紙を見つめる真里に圭が訝しげに尋ねてくる。
「何?それ」
真里はふるふると首を振る。
「わかんない」
すると圭は頭痛のする頭を押さえながら投げやりに言った。
「ラブレターじゃない?モテモテだねぇ」
真里は呆れたように返した。
「ここ、女子高だよ?」
ああそりゃそうだ、と圭は適当な返事を返す。やはり気になって仕方が無い真里は歩きながら手紙を開封した。
- 602 名前:無題。 投稿日:2004/07/21(水) 13:49
- 粗い手書きの文字で記されてあった。
“紺野あさ美には近付くな”
真里は暫く絶句して、ぽつり、と漏らした。
「…何…コレ…?」
ちょうど昨日にあさ美と久しぶりに話をしたばかりだ。今もポケットの中にあのお守りが入っている。
差出人の名前は当然ながら、無い。
こんな事をする人物にも全く見当がつかなかった。
大体に意味が分からない。
あさ美に好意を寄せている人物が自分に嫉妬しているのだろうか。
それとも、何かあさ美自身に関する秘密でもあるというのか。
どちらにしろ、そんな得体の知れない手紙に従えるはずが無い。
真里は手紙を握り潰して、廊下のごみ箱に放りこんだ。丸まった紙はアルミのごみ箱に吸いこまれていった。
「何だったの?」
圭が訝しそうに尋ねてちら、と横目で真里を見る。真里は呆れたように肩を竦めて見せた。
「わけわかんない。生徒に近付くな、って」
「生徒?」
特に興味も無さそうに訊き返す。真里は頷いた。
「ほら、紺野だよ。書記の」
ああ、と圭は声を漏らした。
「入学式の時の」
そう、と真里は憮然と頷いた。その表情には微かに怒りすら読み取れた。
「何で誰かもわかんないヤツに従わなきゃなんないのよ」
苛立ちの混ざった口調で吐き出す。圭は真里の仕草を真似てふう、と肩を竦めて見せた。
- 603 名前:無題。 投稿日:2004/07/21(水) 13:50
- 今日は午前中は一、二、三時間目に授業が入っている。三時間目の授業を終えて職員室に戻ると、真里は机の上に積み上げられた紙の束に溜息を吐いた。
中間テストの採点だ。
一年生の分はもう終えて、二年生の分が途中でまだ残っている。
「ふうっ」
真里はまた溜息を吐いた。
「どしたよ」
声がすると共に隣りに圭がどかっと座った。真里と圭の机は隣り合わせだ。圭は抱えていた教材を机に置いた。
「テストの採点残ってんのよ、こんなに」
顔を歪めて机のテスト用紙を指差す。圭はゆっくりと椅子に背を預けた。
「大変ね」
呟くと、圭はマイルドセブンを取り出して一本を口に咥えた。
「圭ちゃんは次は空き?」
真里が尋ねると、圭は煙草に火を付けながら頷いた。そして深く煙を吐き出した。白い煙が天井に昇って消えた。
チャイムが鳴り、四時間目の開始を告げる。職員室から徐々に人が消えていく。
「さーて、始めますか」
真里は一人ごちて、赤ペンを取り出した。
- 604 名前:無題。 投稿日:2004/07/21(水) 13:51
- 黙々と時間が過ぎていく。作業ははかどっていた。隣りで圭は暇そうに煙草を吸っている。
「よし、次は…」
採点の終わったクラスの用紙を脇にどかして次のクラスの分を引き寄せる。
自分が副担任をしている2年C組のテストだった。採点を始める。
「市井紗耶香、25点…勉強、教えた方が良いかな」
溜息混じりに吐き出す。圭が隣りから口を出してきた。
「でも、聞いた話じゃあいつ、体育は満点だって。生物は15点だったけど」
ちなみに圭の担当は二年生の生物だ。真里は呆れたように溜息を吐いた。
「典型的なスポーツバカだね」
紗耶香の所属する女子バスケット部はなかなか有名で、紗耶香は体育推薦でこの進学校に入ったのだ。部活ではレギュラーで主力としてそれなりの活躍を見せている。
採点を進めていく。ふと、ある名前が目に止まった。
「紺野だ」
採点すると間違いは一つもなかった。
「100点だ」
圭が隣りから身を乗り出してあさ美のテスト用紙を覗き込む。そしてへぇ、と漏らした。
「この子、あたしのテストは95点だった。学年での最高点」
圭の言葉に真里はまじまじとあさ美のテスト用紙を見つめる。あさ美の顔が思い浮かんだ。
- 605 名前:無題。 投稿日:2004/07/21(水) 13:51
- 「優等生っていう感じしてたしね」
圭が煙と共に吐き出す。いや、と真里は言葉を返した。
「確かに優等生だけど、なんてゆうか…飾ってないっていうのかな、周りを助けて自分は損してそうなタイプ」
「お?」
圭は面白い事を見つけた、という風に言い咎めた。
「何よ、その自分は紺野あさ美の事をなんでも知ってます、見たいな口調は」
目を輝かせて迫る圭に真里は大げさに手を振った。
「まさか!そんなこと思ってないよ。ただ…見た目はそんな感じだなあ、って…」
そこで四時間目終了のチャイムが鳴り響いた。真里は一旦作業の手を止めて、大きく背を伸ばした。
職員室に戻る教師に混ざって聞き覚えのある声が真里の耳に届いた。
「失礼します。矢口先生いますか」
真里が入り口の辺りを振り向くと、あさ美が近くにいた教師に尋ねていた。真里は立ちあがった。
「紺野っ。どした?」
あさ美はぱっ、と顔を上げて真里を見つけると、少し小走りに寄ってきた。見ると、それぞれの手に一つずつ弁当箱を抱えていた。黄色の弁当箱とピンク色の弁当箱だ。
- 606 名前:無題。 投稿日:2004/07/21(水) 13:51
- 「おっす。どーしたの?」
あさ美は真里の前に立ち止まると、少し言い出し難そうに尋ねた。
「矢口先生…あの、お昼御飯って、お弁当ですか?」
真里はその質問に不思議に思いながらも首を横に振った。
「いや、大体は売店のパンかな」
真里は料理はあまり得意でなく、学校での昼食は専ら購買に頼っている。あさ美は少し安堵したように表情を見せると、黄色の弁当箱を差し出した。
「ご迷惑じゃなかったら、これ食べてもらえませんか…?」
消え入るような声で尋ねるあさ美。真里は驚いて、その弁当箱を見る。あさ美はじっと俯いたままか細い声で続けた。
「本当に…ご迷惑じゃなかったら…」
真里は漸く事態を飲みこむと、慌てて首を横に振った。
「いや!ありがと!本当にいいの?」
あさ美はこく、と小さく頷く。真里はその弁当箱を受け取った。
「じゃ、一緒に食べよ」
真里の提案に今度はあさ美の方が驚く。しかし、真里と視線を合わせると、嬉しそうにはにかんで頷いた。
そこで隣りから圭の声が割り込んできた。
「“見た目、そんな感じがした”の?」
揶揄するような語調だった。真里はうるさいっ、と一蹴してあさ美と職員室を出た。
- 607 名前:無題。 投稿日:2004/07/21(水) 13:52
- 真里とあさ美は中庭に向かった。
広い中庭にはもう既に沢山の生徒が陣取っていた。陽射しは相変わらず強かった。真里は空いているベンチを見つけるとそこにあさ美と座った。
「じゃ。食べよっか」
あさ美に確認すると真里は弁当箱を開けた。そこには色鮮やかなおかずの数々と御飯、その上にはふりかけで文字が書かれていた。
「…矢口、先生へ…?」
真里が文字をなぞって読むと、あさ美は赤面して俯いた。真里は顔を上げると、笑みを浮かべた。
「ありがと」
あさ美は赤面しながら小さく頷いた。
その弁当は美味しかった。真里は小芋の煮転がしを突付きながらあさ美に尋ねた。
「これ、紺野が自分で作ったの?」
あさ美は頷いた。もう既に自分の分の弁当を平らげて真里の食べる様子を見ていた。
「いっつも自分で作ってるの?」
何気なく、真里が尋ねると、あさ美の表情は少し曇った。真里はそれを不思議に思いながら、黙るしかなかった。
- 608 名前:無題。 投稿日:2004/07/21(水) 13:52
- 沈黙を破ったのはあさ美自身だった。
「…私の親、今、離婚調停中なんです。私はお母さんに引き取られて。昔はお母さんに作ってもらってたんですけど、お母さんはパートで忙しいから、今は自分で作ってるんです」
そう語るあさ美の表情は少し自嘲的に思えた。真里は暫く黙っていたが、意を決して口を開いた。
「えっと…このお弁当、美味しいね」
考えの纏まらないまま口にした言葉。言ってしまってから、真里は自分のボキャブラリーの無さに呆れた。
(もっとちゃんと慰める言葉もあっただろうに…)
しかし、顔を上げてあさ美を見ると、笑っていた。
「ありがとうございます」
笑顔で言うあさ美に真里は目を奪われた。
突然、日が翳った。陽射しが無くなって、辺りが暗くなってくる。
そして間もなく、雨が降り出した。ぽつぽつ、という弱い雨から段々と勢いを増して、力強くアスファルトを打ち始める。
- 609 名前:無題。 投稿日:2004/07/21(水) 13:53
- 「あ、やばっ…」
真里は慌てて弁当箱をしまうと、それを抱えてあさ美と共に校舎の中に逃げこんだ。
人通りの無い廊下。真里は窓の外で激しくなりつつある雨を見つめながら漏らした。
「いやあ、ホントにいきなりだねぇ」
真里があさ美の方に振り向くと同時に、真里の小さな体が温かさに包まれた。
あさ美はしがみ付くようにして、真里の体に抱きついていた。
真里が事態を認識するより早く、あさ美は真里の耳元で呟いた。
「キス、して下さい…」
唐突な言葉。それでも真里の首は自然と頷いていた。
「いいよ」
それはとても自然なことだった。
真里はあさ美を愛していたのだから。
あさ美は真里を愛していたのだから。
二人の唇が重なった。
暗がりの廊下には雨音だけがどこか切なく響いていた。
――それはまるで悲劇の予感のように。
- 610 名前:無題。 投稿日:2004/07/21(水) 13:54
-
- 611 名前:chaken 投稿日:2004/07/21(水) 13:55
- 更新終了です。
やっぱり、長くなりそう…。
- 612 名前:chaken 投稿日:2004/07/21(水) 13:55
-
- 613 名前:無題。 投稿日:2004/07/22(木) 09:01
- その日は珍しく朝から晴れていた。
しかしここ最近は雨の日の方が多い。
一度、梅雨明けしてから再び梅雨入りを発表という前代未聞の事態だった。暑さが続くと言っていたのに全く梅雨は長引いている。
いわゆる異常気象である。七月半ばだというのに全国各地では雨が続いていた。東京でも再度梅雨入りした。
今日は珍しい晴れ日だった。
職員室にも晴れた空気が入りこんでいた。真里は鬱屈そうに窓の外を見つめていた。青色の空が何故か疎ましく思えていた。
「あれ?今日はあの子は?」
背後から意外そうな声が掛かった。真里が振り向くと、圭はコーヒーを片手に隣り自分の席に座った。
圭はいつも昼食は取らない。ダイエットというわけでもなく、ただ食べる気がしないというだけらしい。基本的にはいつもコーヒーで済ましている。
- 614 名前:無題。 投稿日:2004/07/22(木) 09:02
- 「今日は晴れてるな」
紙コップのコーヒーを飲みながら圭が言う。真里はしきりに窓の外と職員室のドアの方ばかりを交互に見やっている。
「紺野、どこ行ってるんだろ」
あれからあさ美は殆ど毎日、弁当を作って来てそれを一緒に食べていた。しかし、今日は用事があるから待っていて、と真里に伝えたきりかれこれ十五分ほど姿が見えない。もうあと五分で昼休みは終わってしまう。
その時、職員室のドアが乱暴に開いた。
- 615 名前:無題。 投稿日:2004/07/22(木) 09:02
- 「大変ですっ!」
あさ美かと思って振り向いたが、そこで焦った様子でいたのは見知らぬ生徒だった。
早く来てください、ととにかく焦った様子のその生徒に真里は何故か嫌な予感を覚えた。
気付けば、真里は駆け出していた。
胸に溜まる黒い予感に耐えきれなくなったのだ。ただひたすら真里は走った。生徒が言っていた場所は歴史資料室だった。
ひとけの無い通路。真里は立ち止まると、歴史資料室の文字を確認してドアを開いた。
- 616 名前:無題。 投稿日:2004/07/22(木) 09:03
- そこにあったのは絶望の光景だった。
周りを書物に囲まれた薄暗い部屋。
その中央でくつくつ、と気味の悪い笑い声が響いていた。真里は視線を廻らせてその主に目を止めた。
膝を付いて頭を抱えて笑っている、牧原。
その脇には制服を着た女子生徒が自分の体を抱き締めて、震えていた。制服のところどころが破けている。
確認せずとも分かった。
そこで震えていたのはあさ美だった。
「紺野っ!」
真里は声を裏返らせて叫んで、あさ美に駆け寄った。そして震える体を思い切り抱き締めた。その震えはどんどん激しくなっていく。
「やぐ…せんせ…こわ…こわい…っ」
震えた声で呟くあさ美。真里は中央で笑っている牧原を見た。
- 617 名前:無題。 投稿日:2004/07/22(木) 09:03
- 牧原は頭を抱えながら呟いた。
「全部、お前らが悪いんだ」
呪文のようにただそれだけを呟いていた。真里は漸く事態を認識した。そしてきっ、と目を剥いて、牧原を睨みつけた。
「あの手紙も、あんただったのか!」
“紺野あさ美に近付くな”の手紙である。しかし牧原は呆然とした様子で真里を見返した。その表情はもう人間の表情ではなかった。
「手紙ぃ?何の事だァ?俺はただ、今、紺野をレイプしただけだぞ?」
一気に頭に血が駆け上った。爆発するように怒りが沸いた。
「ザけんなッ!あんた、何やったか分かってんのかッ!」
真里は怒りに吼えた。しかし、牧原は目をひん剥いて叫び返した。
「俺は、ただ粛正しただけだァ!お前らは女同士だろう!廊下でキスなんかしやがって汚らわしい!紺野は俺のものになるべきなんだ!」
そこで資料室のドアが開き、何人もの教師と警官が数人なだれ込んできて、牧原はその場で手錠を掛けられた。
牧原は頭を項垂れるようにして警官に連行されていった。
- 618 名前:無題。 投稿日:2004/07/22(木) 09:04
- 真里の腕の中ではあさ美が震えながら呟いていた。
「やぐ…先生…っ、助け…」
どうしようもない無力感に苛まれて、真里はただあさ美の体を強く抱き締めた。
午後から、学校は休校になった。
真里は応接室にいた。目の前にはショックを隠し切れない表情のあさ美の母親がいた。そして真里の隣りには俯いたきり、沈黙を保っているあさ美がいた。あれから真里はとりあえずあさ美にシャワーを浴びさせて体操服に着替えさせた。その間もあさ美は殆ど喋りもしなかった。
「とにかく、学校は暫く休校状態になると思われます。あさ美さんはゆっくりとご自宅で休養なさった方が…」
脇に立っている教頭が説得する。母親は額の汗を拭いて、はい、と答える。
「そうさせてもらいます」
母親はあさ美の方をちら、と見ると、居た堪れないような表情を浮かべた。
「じゃあ…」
教頭の促す声と同時にあさ美が立ちあがった。先ほどまで沈黙して身動ぎしなかったあさ美の唐突な行動に周囲は固まった。
「…私、矢口先生と一緒にいたい…」
そしてその発言にさらに凍り付いた。当の真里さえも驚いていた。そして視線は一手に真里に集中する。
真里はただあさ美を見ているだけだった。
- 619 名前:無題。 投稿日:2004/07/22(木) 09:04
- そこで、沈黙を裂くように応接室の電話のベルが鳴り響いた。
一番傍にいた真里が電話を取る。
「…はい、もしもし」
電話は警察からだった。
その内容は真里が予想だにしないものだった。
牧原が取調べ中に突然死んだ、というのだ。そして死因はあるウイルスによる感染症だった。
その感染症のことは真里も知っていた。最近、話題になっている致死率100パーセントの死の病気だ。発症して約十二時間で死に至る。正式には発表されていないが、感染経路の一つに体液による感染があるといわれている。それは医師の間ではもはや定説となっていて、体液を通せば感染は間違いない。
その病気で牧原が死んだ。
あさ美への感染は確実だった。
室内は一気に重苦しい雰囲気に覆われた。時計の音だけが声高に響いていた。真里はあさ美の手を握った。あさ美の体は静かに震えていた。
- 620 名前:無題。 投稿日:2004/07/22(木) 09:05
- 無理もない。死を宣告されたのだから。
前触れもないこの病気には診断材料がない。いくら検査をしてもウイルスは発見出来ない。感染を確かめる術はない。裏を返せば、感染をしていない、という希望が残っているのだ。
しかし、その唯一の希望も脆くも崩れさることとなる。
ふと、真里は気付いた。真里の握っているあさ美の手が熱を含んでいる。
「紺野っ!」
真里は慌ててあさ美の額に手を当てた。
「凄い熱…」
真里の手の平に熱が広がっていく。あさ美は倒れるように真里の体に寄りかかった。
症状の中に異常な高熱という項目があった。
感染は確実、だった。
- 621 名前:無題。 投稿日:2004/07/22(木) 09:05
- あさ美は静かに漏らした。
「私は…矢口先生と…一緒に…っ」
乱れる息を必死に整えるあさ美に真里は何も言えずにただその体を抱き締めた。そこで母親が口を開いた。
「…私は、あさ美の言う通りに、させてあげたい…。あさ美をずっと苦しめていたのは、私の身勝手だったから…」
母親は苦しげな表情で吐き出した。それが離婚した負い目だろうという事は容易に判断がついた。
「ありがとう、ございます…」
真里は頭を下げると、あさ美をおぶさって応接室を出た。
あさ美の体がやけに儚く、細く、思えた。
学校の回りは閑散としていた。元気の良い陽射しが場違いなように照り付けていた。それがどうしようもなく虚しかった
あさ美を負ぶったまま大通りに出ると、真里はタクシーに乗った。自宅の住所を告げると、タクシーは走り出した。
街にはいつもより人通りが少なく感じられた。
――ああ、なんて悲しい青だろう。
真里はただ青い空を見つめながら思った。そしてもう一度腕の中の愛しい少女を抱き締めた。
- 622 名前:無題。 投稿日:2004/07/22(木) 09:06
- 小さくも大きくもない平凡なマンション。エントランスを抜けてエレベーターに乗り、三階を目指す。途中で、管理人とすれ違い、あさ美の事を訝しく見られたが構っていられなかった。
自分の部屋に着くと、真里はまず寝室に行ってあさ美をベッドに寝かせた。
「大丈夫?待ってて」
そしてとりあえず氷枕と濡れたタオルを持って、ベッドに戻った。氷枕を敷き、濡れタオルを頭に乗せると、紅潮した顔色も幾分か落ち着いたようだった。
真里は救急箱を漁り、風邪薬と解熱剤を取り出した。
「効くか、わかんないけど…飲みな?」
あさ美は赤い顔で小さく頷いた。真里は起きる気力も無いあさ美に水で錠剤を流しこませた。
「じゃあなんか作ったほうが…」
立ち上がった真里の手をあさ美がぎゅっ、と握った。真里はベッドサイドの椅子に座り、あさ美の手を握る。あさ美は息も絶え絶えに呟いた。
「そばに…いて…っ、ください…」
真里は刹那、目を見開いて、やがて穏やかに笑んだ。
「…分かった。傍にいるよ」
真里はあさ美の小さな手を両手で包み込むようにして握った。
そして穏やかな表情で時々、汗を拭いたりしながら、あさ美を見守っていた。
- 623 名前:無題。 投稿日:2004/07/22(木) 09:06
- あさ美が眠りに就いたのは夕方頃だった。
穏やかな寝息を確認して、真里はずれた布団を掛け直してやると、立ち上がった。
「んっと…」
数時間、座りっぱなしだった体を思い切り伸ばす。そして椅子に座りなおすと、あさ美の額に貼りついた前髪をかき払ってやった。
「紺野…」
搾り出すように呟いて、穏やかな寝顔のあさ美を見つめる。
――思考が止まってたみたい。
真里はふと思った。
しかし、それが正解だろう。
まともにいちいち状況を理解していたら頭がおかしくなっていたかもしれない。
強姦された上に、死んでしまうと宣告を受けたのだ。
可愛い教え子、いや、愛しい恋人が――。
応接室で、警察からの電話で病気の説明を受けた時、結局途中で終わることになった牧原の取調べの内容を聞いた。
精神が錯乱状態にあったらしいが、おおまかなことは吐いていたようだ。
- 624 名前:無題。 投稿日:2004/07/22(木) 09:06
- あさ美が一年生の時、牧原はあさ美のクラスの担任だった。
牧原はあさ美に惹かれて、言い寄っていた。
好きだから付き合ってくれ、と。
しかしあさ美はことごとくそれを断わっていた。
そして牧原の行動はエスカレートしていった。
教室に残して何時間にも渡ってあさ美に迫る。そしてある時は成績や進路を盾に取り、あさ美を脅す。
あさ美にとっては拷問にも等しかっただろう。それをほぼ毎日のように受けていたのだ。
そう思うと、真里は唐突に悲しくなった。
その末に強姦され、身を裂かれるにも等しい苦痛を受けた。
さらに、追い討ちを掛けるように死を宣告されたあさ美の心中は、と想像すると、真里の瞳からは自然と涙が溢れていた。
そうなると涙は止めようが無かった。
「っく…」
ぼろぼろと涙をこぼしながら、真里は声を上げて泣いた。
穏やかなあさ美の寝顔が余計に切なかった。
こんなに穏やかに眠っているのに、十二時間後にはもう――。
真里は泣いた。ただ、それしか出来なかった。
- 625 名前:無題。 投稿日:2004/07/22(木) 09:07
- あさ美が目覚めたのはまだ夜が明ける前だった。
時計の針は午後三時を過ぎた。
夜の闇に支配されている空は雲に覆われていて鉛色だった。
雨が降っていた。
「目、覚めた?熱は少し下がってるみたい」
真里があさ美の額に手を当てて確認すると、微熱程度に火照ってはいたもののそれほど酷くはなかった。
「…矢口、先生…ずっと、起きてたんですか…?」
あさ美が大分赤みの引いた顔で尋ねる。真里はにかっ、と笑ってみせた。
「ああ。紺野が離れるなっていうからさ」
あさ美は一瞬、驚いたような表情を浮かべて、安堵したように微笑んだ。
「ずっと、傍に、いてくれたんですね…?」
真里が頷くと、あさ美はぽろ、と一粒の涙を溢した。真里は親指でその涙を拭ってやった。
「当たり前でしょ…」
真里は優しい表情で諭すように言った。
- 626 名前:無題。 投稿日:2004/07/22(木) 09:08
- 窓の外は雨降りだった。
しとしとと鉛色の空から小雨が降り落ちてくる。換気の為に少し開けておいた窓から雨戸越しに雨の匂いがした。アスファルトを叩く雨音が規則的に響いている。
優しい音に優しい匂い。
傷付いた二人を労わるように、癒すように――。
――しとしと。
優しく降り続けてくれる。
ひたすらに優しく、慰めるように、広くない寝室の空間を満たしていく。
小さな雨粒が空から放たれた弾丸のように落ち、地面で撥ねて散っていく。単純な行為の繰り返しだった。そして乾いた街を雨が濡らして、匂いさえも雨に染めていく。
雨をこれほど美しく、切なく思ったのは初めてだった。
真里は半ば祈るようにあさ美の手を握った。そして額をあさ美の手の甲に押し当てた。
- 627 名前:無題。 投稿日:2004/07/22(木) 09:09
- 沈黙。
そして静寂を雨音と時計の針の音だけが埋めていく
あさ美はぽつり、と唐突に呟いた。
「もうすぐ、ですね…。矢口先生…」
真里は弾かれるようにして顔をあげた。あさ美の表情は諦め――ではなかった。
ただ、目の前の死を受け入れているように、真里には映った。
あさ美は少し笑った。
「キス、嬉しかったです…」
無邪気な、子供のような表情だった。真里は堪らなくなって、気付くとあさ美に口付けていた。
あさ美は一瞬、目を見開いて、やがて少し哀しそうに笑った。
――矢口先生…。私を忘れないで下さい…。
重なった唇が離れる。
真里はどこか呆然としていた。あさ美は自分の手を握ったままの真里の手を撫でた。
- 628 名前:無題。 投稿日:2004/07/22(木) 09:09
- 「矢口先生…」
何かをせがむように呟く。真里は目を見開いたままだった。
「どうせなら、あなたに…」
あさ美はどこか哀しげな光を背負った瞳で真里を見た。
真里はその意味を理解した。
切実なあさ美の最期の願いを――。
そして、真里はあさ美の白い首に手を掛けた。
「愛して、います…」
それが、あさ美の最期の言葉だった。
天使のように優しい表情だった。
真里は呆然とあさ美の頬に手を添えた。
ひどく、冷たかった。
そして――。
真里は、泣いた。
あさ美の亡骸に縋りついて、涙が枯れるまで泣いた。
雨はまだ、止まなかった。
- 629 名前:chaken 投稿日:2004/07/22(木) 09:12
- 更新終了。
まだ続きます。つうか、これから佳境です。
- 630 名前:chaken 投稿日:2004/07/22(木) 09:12
-
- 631 名前:chaken 投稿日:2004/07/22(木) 09:12
-
- 632 名前:無題。 投稿日:2004/07/26(月) 13:03
- 相変わらず空は鈍い鉛色だった。
どんよりと幾重にも雲に覆われてグラデーションを作り出している。空に奥まるたびにその色は濃くなっていき、最期には暗黒色になっていた。
その先に何があるんだろう――。
そこはブラックホールのようだった。まるでそこに新しい世界の入り口でもあるかのように果ては見えなかった。
新しい世界?バカらしい――。
希望を寄せることは、信じることは自分の中で禁忌にしていた。
空の果てを見つめる。奥まった、ブラックホール。
新しい世界への扉?――。
もしもそうなら、神というものは果てしなく残酷だと思った。
もしも、この世界から抜け出せる方法があるなら――。
愛は思った。
もっと早く、絵里が死んでしまう前に、絵里と一緒にこんな世界、抜け出していたのに――。
――さわさわ。
周りの木々がざわめいた。
風に誘われるように涙が出た。乱暴に裾でそれを拭う。
無為に過ごす日々が続いていた。
この森で、日がな一日、愛は思い出に浸っていた。絵里との輝かしい思い出を回想していた。
――世界が終わっても、世界は愛で満ち溢れている。
「何で…?」
暫く発する事のなかった声を絞り出す。
死に際の絵里の穏やかな笑顔とあの言葉だけが愛の心のどこかにずっと余韻を残していた。
愛はまた声を絞り出した。
「何で、あんな顔で…あんな事が言えたんよ…?絵里…」
鉛色の空を仰ぐ。湿った空気が頬を撫でていった。
- 633 名前:無題。 投稿日:2004/07/26(月) 13:04
- 絵里の言葉の意味が愛には理解できなかった。
絵里は、世界を呪わなかったというのか。
何故?この壊れた世界のせいで死んだのに――。
あんなに優しい表情で、何故、世界は愛に満ち溢れている、と言えたのだろう。
この疑問がずっと愛の中に渦巻いていた。
少なくとも残された愛にはそんな事は言えない。
絵里という最愛の恋人を奪われて、なぜそんな事が言えようか。
絵里はこの壊れた世界に殺された。
愛は中空を睨んだ。絵里を奪った世界を睨んだ。
――さわさわ。
また、風が吹いた。
纏わりつく湿気が喉に僅かに残っている水分を奪っていく。愛はいつも手元に置いてあるペットボトルを取って、キャップを開ける。
傾けると、ミネラルウォーターはもう殆ど残っていなかった。
数滴だけ流し込むと、愛はペットボトルを置いた。
「散歩ついでに、調達してくるか…」
愛は腰を上げて、大きく体を伸ばした。
- 634 名前:無題。 投稿日:2004/07/26(月) 13:04
- 特に目的も無く、街を散歩する事は愛の日課になっていた。街には人影は殆ど無く、それがどこか爽快だった。
変質者に出くわした時に備えて、ポケットには大型電気店から盗んできたスタンガンを忍ばせている。
しかし、最近になってあまり変質者などを見かける事も無くなった。
街に人影を見かける事も滅多に無くなった。
時々、街をパトロールしている自警団に出会う程度だった。
この自警団は最近、結成したものだが、人数はそれなりに多い。有志で結成したもので、警棒とスタンガンを携帯して、独自で作った制服を着て街を歩いている。
最近の犯罪が本当に僅かだが減少傾向にあるのは各地で作られている自警団の働きだと言われている。
山を下りると、まずは大通りに出て、歩道を進む。
やはり車道には車の姿もなく、交差点にも全く人はいない。
大通りを隅まで見渡しても愛以外に人影すら見当たらない。
少し前なら人で埋まっているような場所だったのに、今では人っ子一人いない。
さながら荒野のように荒れ果てていた。
鈍い鉛色の空、ひっそりとした人のいない街。
普段通りの街。
この異常な光景を普通と捉えている自分がいた。
絵里のいない街を――。
苛立ちに任せて悪態を吐く。
「クソ…ッ」
愛は唾を吐き捨てると、再び歩き始めた。
- 635 名前:無題。 投稿日:2004/07/26(月) 13:05
- 行き付けの交差点の角にあるコンビニに到着した。
相変わらずコンビニの中には人の気配すらなかった。それでも商品は全くそのままになっていて、そこから人だけが抜け落ちたようだった。
愛は冷蔵庫の中からミネラルウォーターのペットボトルを取り出すと、キャップを開けて一気にあおった。
乾いた喉を一気に潤していく液体。特に味の無い水。
愛は同じミネラルウォーターのペットボトルを二、三個、鞄の中に放りこんで、コンビニを出た。
そのまま道路沿いに普段通りのコースを進んでいく。
大通りから外れて路地裏に出た。風俗店やスナック、ファッションヘルスなどが立ち並んでいる。
そこは淀んだ空気で濁って見えた。愛はその奥へとさらに歩いていく。普段通りの散歩の道筋だった。
愛はふと足を止めた。
人影の無い路地の裏に、車椅子があった。
そして、若い男らしき人影が車椅子に乗っていた。
- 636 名前:無題。 投稿日:2004/07/26(月) 13:05
- 「…車椅子…?何や、こんなとこで…」
愛は物珍しさに近寄っていった。さらさらとした茶髪、白いシャツと黒いスラックスパンツ。整った顔立ちに大きな目が印象的だった。
その男は車椅子を自分で押して路地を進んでいる。
しかし、しっかりとは方向も定まっておらず、その車体は時々ふらついている。
「あんた」
気付くと、愛は車椅子の前に立ってその男を引き止めていた。男は止まって辺りを見回すような仕草を見せる。
愛は男の前に立っている。
愛の姿は十分に視界に捉えて見えている、はずだ。
しかし、男は愛には気付かずにただ周りを見回している。
「こっちや」
漸く男の視線が定まった。しかし、明確に愛を捉えているわけではない。その視線は前方をぼんやりと見ているだけだった。
その眼球の動きに、男の挙動と重ねて愛は違和感を覚えた。
男が口を開いた。
「誰か、そこにいるんですか?」
低く、澄んだ声だった。
男は小さく視線を廻らせた。さ迷うその視線はやはりまるで定まっていない。
愛は確信した。
目が見えていないのだ。
認識すると同時に、愛は呆れた。
車椅子という事はどこか体に不具合があるのだろう。さらに盲目で外を出歩いていたのだ。健常者の愛でさえスタンガンを持ち歩かねばならない街を車椅子でうろついていたのだ。
- 637 名前:無題。 投稿日:2004/07/26(月) 13:06
- 「何のつもりや。死にたいんか?あんた」
呆れた風に愛は尋ねた。彼は何も答えなかった。
その様子は答える意思が無いというより、答えを捜しているという風だった。
愛は続けた。
「何をしてるかって聞いてるんやけど」
男は答えない。
沈黙。
愛が苛立って再び口を開きかけた時、男はぽつり、と漏らした。
「…わからないんだ。気付いたら、いつも、街をさ迷ってる…。自分でも、分からない内に…」
男はどこか苦しげに顔を伏せた。愛は男を見つめた。
この素性の知れない男に愛は自分と通ずるものを感じ取っていた。
かけがえのない相手を失った経験――。
もしかしたらこの男にもそんな体験があるのかもしれない、と彼の漆黒の瞳を見つめながら愛は思った。
- 638 名前:無題。 投稿日:2004/07/26(月) 13:07
- 「あんた、どこから来た?」
口が勝手に動いて言葉を紡いでいた。突然の問い掛けに男は少し戸惑ったように答えた。
「えっと、病院から」
男が挙げた病院はこの界隈から少し離れた大学病院だった。愛も名前を知っている有名病院だ。
愛は男の背後に回り、車椅子の取っ手を掴んだ。男の体が少し揺れる。
「な、何をっ…」
困惑している男に愛は言い放った。
「どうせ帰れんやろ。ここであんたを見捨てたら目覚めが悪うなりそうやから」
愛は車椅子を押し始めた。男は暫く沈黙した後、呟いた。
「…ありがとう…」
車輪を持っていた男の手が自らの膝の上へと移った。その瞬間、愛は彼の左手の薬指に指輪を見つけた。
「結婚、しとるんか?」
不躾かとも思ったが、他に話題もなかった。男は少し黙った後、小さく答えた。
「…ああ」
その語調にはそれ以上の追及を許さない厳しさがあった。愛は追求を止めて、話題を変えた。
「足も、悪いん?」
愛は彼の足を見つめながら問うた。スラックスの上からだと別段、変わった様子もない。義足というわけでも無さそうだ。男は首を横に振った。
- 639 名前:無題。 投稿日:2004/07/26(月) 13:07
- 「いや、足は悪くない。ただ、失明して間もないんだ。だから慣れてなくて、車椅子でしか移動出来ない」
そうか、と小さく答えて、愛は黙った。
さすがに初対面でそこまで込み入った事を聞くのは憚られる。
他に話題のないまま、会話は途切れる。
暫くの沈黙の後、男がぽつり、と漏らした。
「ありがとう」
愛はその言葉に何も答えなかった。
車椅子を押しながら、愛は自分に呆れた。
(何やっとるんやろ。放っておいてもよかったのに…)
それでも、何故かこの手を離す気にはならなかった。
「高橋愛。あんたは?」
愛は無愛想に尋ねた。男は少し笑って答えた。
「吉澤ひとむ。よろしく」
愛は暫く黙って、小さくよろしく、と返した。
- 640 名前:無題。 投稿日:2004/07/26(月) 13:08
-
- 641 名前:無題。 投稿日:2004/07/26(月) 13:09
- 矢口真里は中空を睨んだ。
相変わらずの不気味な空模様だった。禍禍しく、人間の醜い欲望を具現化したような鉛色だ。真里は鋭くそれを睨み付けると、再び視線を戻して、走り出した。
「クソッ…ここにもいない」
裏通りの路地の角を曲り、真里は憎々しげに吐き出した。風俗店やら雀荘の店舗が並ぶ雑居ビル郡を睥睨すると、また来た道を戻り、大通りを見渡す。
やはり捜している人影はおろか、人の気配すら見当たらない。
ふと、制服のジャケットのポケットの中で携帯電話が震えた。
真里は取り出して、通話ボタンを押すと、耳に押しつけた。
「もしもしっ。こっちにもいない。そっちは?」
真里は焦りを抑えて尋ねる。電話口の向こうから返ってきた答えは否だった。
「そっか。とりあえず、病院に戻ろう」
電話を切ると、ジャケットの胸ポケットに仕舞う。
愛車のバイクで十分ほど走ると、大学病院に到着した。裏の駐輪場にバイクを止めると正面のドアに向かう。そして覚えのある人影を見つけて真里は呼びかけた。
「柴田さん」
柴田あゆみは振り向いた。そして真里を見つけると不安げな表情のまま小走りに駆け寄った。
「ひとむ坊ちゃんは…」
真里は力無く首を横に振った。あゆみは落胆して肩を落とした。
- 642 名前:無題。 投稿日:2004/07/26(月) 13:09
- 梨華が死んでからすぐ、あゆみに手紙が届いていた。
力の無い字で記されていた内容。
それはもしも自分が死んだらひとむの世話をしてくれ、というものだった。
もちろん断わるはずも無かった。
あゆみは罪悪感を感じていた。
もしも、会食をしたあの晩、自分がもっと早く着いていれば、ひとむも視力を失わず、梨華も流産しなくて済んだのかもしれない、とあゆみはずっと葛藤していた。
そして梨華が亡くなって打ちひしがれるひとむの世話をあゆみは引き受けたのだ。
梨華を失ってというもの、ひとむはすっかりふさぎこむようになった。あゆみに当り散らすこともしばしばあった。
そして、ある日、ひとむは突然、ふらっと姿を消した。
あゆみは途方にくれながらも懸命に捜した。
そんな時、車椅子で街をさ迷っていたひとむを病院まで運んでくれたのが、最近出来た自警団の構成員の矢口真里だった。
それからも度々ひとむは姿を消すようになったが、その度にあゆみは真里の手を借りながら何とか見つけてきた。
しかし、今回はなかなか見つからない。
近場は隈なく捜した。車椅子でそれほど遠くにもいけないだろうが、とにかく範囲を広げるしかない。
- 643 名前:無題。 投稿日:2004/07/26(月) 13:10
- 「仲間に連絡するよ」
真里はジャケットから携帯電話を取り出した。その時、ふとあゆみは病院の前の通りから進んでくる人影に目を止めた。
見覚えのある車椅子とそれを押す人影。
「ひとむ坊ちゃん!」
あゆみは声を上げて駆け出していった。真里も携帯電話をしまってそれに続いた。
- 644 名前:無題。 投稿日:2004/07/26(月) 13:11
- 寄ってくる二つの人影に愛は足を止めた。
「来たで。迎え」
駆けてきたあゆみが車椅子の前で立ち止まる。
「大丈夫ですかっ?」
不安げなあゆみの声にひとむは少し決まり悪そうに俯いた。
「…ごめん」
あゆみは一瞬固まって、柔らかく微笑んだ。
「いいですよ」
愛は二人から視線を外して、遅れて走ってくる小柄な人影に目を移した。
その紺色の制服には見覚えがあった。自警団のものだった。
そして顔に視線を移して愛は驚いた。
「矢口、先生…?」
その明るい茶髪には見覚えがあった。
愛の通う学校に今年、新任してきた古文の教師だ。
1、2年生の担当だったので愛は真里の授業を受けた事は無かったが、入学式での独特のパフォーマンスは記憶に残していた。真里は立ち止まると、ひとむに声を掛けた。
「吉澤さん、もういい加減にしてよ」
呆れたようにひとむを見つめる。ひとむは俯いて小さく呟いた。
「…すみません。矢口さん、迷惑掛けて…」
また真里はこれ見よがしにふう、と溜息を吐いた。
「それを言うなら、柴田さんに言いな」
ひとむはまた俯いて黙った。そこで真里は漸く愛に視線を移した。
- 645 名前:無題。 投稿日:2004/07/26(月) 13:11
- 「あなたが見つけてくれたのか。ありがとう」
真里は小さく頭を下げる。愛はもう一度、真里を確認すると切り出した。
「あの、矢口先生…ですよね?」
顔を上げた真里の表情が僅かに変わった。そして訝しげに愛を見ると答えた。
「そうだけど…もしかして生徒?見た事無いけど」
真里は覗き込むようにして愛の顔を確認する。愛はああ、と答えた。
「三年生ですから。授業も受けた事ないです」
「そっか」
真里はまるで話を打ち切らせるように素っ気無く答えた。愛はそれ以上は聞かなかった。
しかし――。
愛は少し意外に思った。
入学式や時々校舎内で見かけていた真里の表情はいつも柔和で優しく常に笑顔だった、と印象に残している。
少なくとも、自ら進んで自警団などに入るようなタイプではなかった。もちろん、話した事も無いので確信など持てないが、今の真里の表情は学校で見かけた時とは掛け離れていた。
今の真里は隙の無い、殺伐とした表情だった。
- 646 名前:無題。 投稿日:2004/07/26(月) 13:11
- 真里はふう、と大きく息を吐いて沈黙を裂いた。
「とりあえず、吉澤さんが見つかったんなら帰ります。また、何かあったら」
真里は言い残すと裏の駐輪場の方へと消えていった。その背中を見送ってから愛は口を開いた。
「じゃあ、あたしも帰りますんで」
愛は背を向けると来た歩道を歩き始めた。
そこに凛とした声が響いた。
「また、来てくれないか」
愛が振り向くと、ひとむが愛の方を見ていた。その大きな目に浮かぶ瞳は漆黒を映していた。
愛は吐き出すように答えた。
「あんたが病院、抜けださんかったらいつか来る」
再び背を向けて歩き出す。
相変わらず人の気配が無い静かな街を歩きながら思う。
私は、またここに来るんやろうな――。
根拠も何も無い予感めいたものだけが残っていた。
- 647 名前:chaken 投稿日:2004/07/26(月) 13:13
- 少量更新。
では、また。
- 648 名前:chaken 投稿日:2004/07/26(月) 13:13
-
- 649 名前:chaken 投稿日:2004/07/26(月) 13:14
-
- 650 名前:名無し読者 投稿日:2004/07/26(月) 22:18
- へぇ〜こうなるんですか。
先が見えてなくてすごく気になります。
更新頑張ってください。
- 651 名前:無題。 投稿日:2004/07/29(木) 15:45
- その少女は母の命と引き換えに産み落とされた。
父親は母親が少女を産む前に病気で亡くなっていた。
生まれると共に少女は独りになった。
そして神の洗礼を受けた。
人の為になることをしなさい。それが選ばれたあなたの使命です――。
少女は孤児として施設に預けられる事になった。
産まれながらにして孤独を背負いながらも、少女は優しく、穏やかで、明るく、清らかだった。
その施設、ひまわり園で優しいその少女は同じ園の孤児たちに慕われながら育った。
少女は人の笑顔が好きだった。
人のために尽くすことが私の幸せ。
これが少女の心の奥で信念として成っていたものだった。
自分の分のおやつを他の子に分けてあげたり、園に寄付された大人用の衣服を貰ってホームレスたちに与えたりしていた。
- 652 名前:無題。 投稿日:2004/07/29(木) 15:45
- 中学に上がると少女は園の援助を受けて、一人暮しを始めた。
少女の明るさは中学校でも変わらなかった。
誰にでも優しく、そして人の為になることが大好きだった。
ある日、教室で少女の財布が盗まれた。
財布の中には生活費が全て入っていた。
しかし、少女は決して誰も疑う事無く、笑顔で言った。
「誰か困った人がもっていったんだよ。でも、財布の中少ないのにな。ちゃんと役に立つかなあ」
翌日、財布を盗んだクラスメイトは自ら名乗り出てきて、少女に謝罪した。しかし、少女はまた笑顔で言った。
「ううん、いいんだよ」
あはは、と少女は笑った。
少女の純粋さをあらわすエピソードである。
少女は聖母の生まれ変わり、だった。
少女が中学を卒業した日、ある女性が少女の前に現れた。
「あなたのその力でもっとたくさんの人を救いたいの」
女性は静かに言った。少女は頷いた。
「人の役に立てるなら」
少女は女性に連れられて姿を消した。
そして――。
- 653 名前:無題。 投稿日:2004/07/29(木) 15:45
-
- 654 名前:無題。 投稿日:2004/07/29(木) 15:46
- 揺られるようにゆっくりと浮かび上がる自我。
深海の奥深くに沈んだ意識がゆらゆらと揺れながら水面を目指して上ってくる。
深い夢から徐々に覚めていく。深層から淵へと。
水面を目指して、ゆっくりと――。
そして覚醒する。
「夢…?」
起き抜けに小さく愛は呟いた。視界に入る見慣れた天井。
まだぼんやりと気だるさの残る体を起こして周りを見回す。
何の変わり映えもしない狭い寝室。クローゼットにサイドテーブル、自分が眠っていたベッド。
見慣れた部屋だった。
状況の不変を認識すると、漸く先ほどの記憶が夢だと確信した。
しかし、何だったのだろう――。
人生の記憶。
もちろん愛の記憶などでは無い。かつて見た事のある映画や小説でも無い。自分の知っている誰かのものでも無い。
愛が触れた事の無い記憶だった。
- 655 名前:無題。 投稿日:2004/07/29(木) 15:46
- 「ま、ええわ」
愛は軽く頭を振ると、ベッドから起き上がった。
ベッドサイドでぴかっと銀が輝いた。目を止める。絵里が遺したナイフが鈍く輝いていた。
絵里が死んでというものの、これが傍にないと寝つけなくなってしまった。
そっと柄を握り締めて、輝く刃の部分を見つめる。
何度、このナイフで自分の命を絶とうと考えたか知れない。
絵里のナイフで死ぬのならそれも本望――。
しかし、何故か愛は実行に移さなかった。
移せなかったのではない。1ミリ動かせば死ねる、そんな状況を作った事もあった。
しかし、いつも何かが愛の行動を阻んだ。
愛の暴走を止める正体が一体何なのか、愛には見当もつかずにいた。愛はそっと呟いた。
- 656 名前:無題。 投稿日:2004/07/29(木) 15:47
- 「絵里…いつになったらあたしは死ねるんかなあ…?」
答えが返ってくるはずがなかった。愛は諦めたようにふう、と息を吐いてナイフをサイドテーブルにそっと戻した。
顔を洗って着替えると、愛は家を出た。もちろんポケットにはスタンガンを忍ばせている。
相変わらず、街にはひとけはなかった。愛はアパートの階段を下りるとふと立ち止まった。
また、来てくれないか――。
ひとむの言葉が脳裏に蘇った。気付けば向かっていたのはあの森ではなく、大学病院だった。
「何しとるんやろ、私…」
無人の道を歩きながら呟いた。
- 657 名前:無題。 投稿日:2004/07/29(木) 15:47
- けれど――。
このまま森に入り浸っていて何が出来るだろう。そんな疑問も同時に浮かび上がった。
しかし、葛藤をよそに愛の足は一心に迷いなく大学病院を目指していた。
そこに行けば、何かが得られるような気がした。
根拠も何も無いが、今の状況ではそれに縋るしかないように思われた。
「あの」
ちょうど曲がり角を曲ったところだった。背後からの突然の声に愛は一気に緊張を高めて、ポケットに手を突っ込み、スタンガンを握り締めた。そしてゆっくりと振り返る。
そこには女性が立っていた。すらっとした長身。長いたおやかな黒髪。はっきりとした端整な目鼻立ち。その姿に見覚えは無い。
- 658 名前:無題。 投稿日:2004/07/29(木) 15:48
- 「これどうぞ」
女性は名刺とチラシを愛に差し出した。
「え、あ…どうも…」
警戒を崩さずに二つを受け取る。すると女性はふわりと笑った。
「では、困ったことがあればご連絡を」
そう言い残して、女性は立ち去っていった。訳が分からないまま、愛は手元に残された名刺を見る。
“幸せの会 代表取締役 飯田圭織”
しっかりとした楷書体でそう記されてあった。“幸せの会”の文字の下には“Keep Piece Promise”と団体名称らしきものが書かれている。そしてその下にはホームページのアドレス、さらに手書きで電話番号と思われる数字の羅列があった。番号から携帯電話へつながる番号だと予測がついた。
「“幸せの会”…?」
愛は文字をなぞって呟いた。そしてチラシに視線を移す。
“救世主ののがあなたを過去から解き放ちます”
そして隅にはまた“幸せの会”のホームページアドレスと電話番号が書いてあった。こちらの番号は会社へと繋がる番号らしい。
- 659 名前:無題。 投稿日:2004/07/29(木) 15:48
- 「救世主…のの…ねぇ…」
愛は嘲るように呟くとチラシをくしゃくしゃに丸めた。しかし、ふと途中で手が止まる。
「過去から解き放ちます…」
愛は呟くと、丸めたチラシを名刺と共にポケットに突っ込んだ。
こんなものに期待するなんて、末期やな――。
自嘲気味に心の中で唱えると、愛は再び歩き出した。
「あなた」
また角を曲ったところで今度は聞き覚えのある声が愛を呼びとめた。愛が振り返るとやはり覚えのある人物が立っていた。
「病院に行くの?」
矢口真里は前に会った時と同じように、紺色の制服に明るい茶髪という出で立ちだった。
「ああ、はい」
愛が立ち止まると真里は少し小走りに近寄ってきた。
- 660 名前:無題。 投稿日:2004/07/29(木) 15:49
- 「私も病院に行くところだから、一緒に行こう」
相変わらず真里の笑顔には厳しさが漂っていた。愛は少し曖昧に返事を返す。
「あ、はい」
愛と真里は並んで歩道を歩き始めた。話題の無い愛は何気なく真里に尋ねた。
「何しに行くんですか?」
ああ、と真里は答えた。
「最近、吉澤さん、抜け出さなくなってね。ちょっと様子見に行こうかなあって…」
(へぇ、約束守ってるんだ…)
愛は心の中で呟くと、少し頬を緩めた。
「彼の場合は精神的なことが原因だから…」
真里は遠い目をしてつぶやいた。愛は瞬間的にひとむの指に輝いていた指輪を思い出した。
「奥さんのことですか?」
愛の言葉に真里は俄かに目を丸めた。
「知ってたの?」
「いや、なんとなく…」
あの時のひとむの厳しい言葉と言いようの無い切ない表情は今でも愛の脳裏に印象深く残っている。
真里は少し間を置いてから続けた。
「…あの病気で、亡くしたらしいの。奥さんを…」
それ以上は真里は言わなかった。愛もそれ以上聞こうとは思わなかった。
- 661 名前:無題。 投稿日:2004/07/29(木) 15:49
- ただ――。
あの時の予感は当たっていた、と思った。
やはり、彼にもかけがえのない相手を失っていたのだ。
愛はふと真里の横顔に目を移した。隙の無さを漂わせる凛々しい横顔だった。少なくとも、話をした事も無いが、愛はこんな表情の真里を見た事は無かった。
「…矢口先生は、何で自警団に…?」
ん、と俄かに険しい表情で真里が振り返った。
「話すらしたこと無かったけど、私は笑ってる姿しか見た事無かったんです。校舎で見かけた限りじゃ…」
真里は沈黙すると、ふう、と息を吐いた。
「校舎で見かけた限りじゃあ…私の事はわからないでしょう?」
愛は言い返せなかった。返せる言葉も見つからなかったし、何よりそれ以上の追求を許さない厳しさが含まれていた。
ひとむの時と同じように――。
- 662 名前:無題。 投稿日:2004/07/29(木) 15:49
- 病院に着くまで会話もなく、話題もなく、やはり人影を見かける事もなかった。いつもの事だった。誰にしても、今の治安の中、外に出るのを怖がるのは致し方ない事だろう。
受付を通りぬける。真里は顔見知りなので愛も特に詮索される事なく通過した。病院内ではちらほらと患者の姿が見えた。
五階、この病院の最上階の一番奥の特別個室がひとむの病室だった。今は亡きひとむの親が用意した個室だった。
二人はやはり会話のないまま病室の前に立ち、両開きの扉をノックした。
「はーいどなた?」
中からくぐもった声が返ってくる。柔らかいあゆみの声だ。真里は扉に向かってその少し高めの声を響かせた。
「矢口です」
声が返るより早く、扉が内側から開けられた。
「久しぶりです。あ、あなたも。どうぞ」
柔和な笑顔で真里と愛に挨拶をして、病室の中に促す。
ひとむはベッドの中ではなく車椅子に乗っていた。広い個室の中で窓に向かって座っている。
「来たで」
愛は背を向けているひとむに向かって声をかける。ひとむは車椅子を回転させて振り返った。やはりその目は盲目とは思えない。眼球が動かないのが不自然だが、本当に見えていないのか疑うほどに見惚れるような綺麗な黒い瞳だった。
「来てくれたのか」
ひとむの口調は少し嬉しそうだった。
「ああ、あんたが抜けださんかったから、な」
愛はぶっきらぼうに答えた。ひとむは笑みを溢した。
- 663 名前:無題。 投稿日:2004/07/29(木) 15:50
- ひとむの過去を知ったからといって何が変わるわけでもなかった。過去に触れるのを避けてぎくしゃくもしない。気を使い過ぎもしない。
何より、ずっと絵里の事を回想していた愛にとって、ひとむに多少、親近感を覚えていた。
「ええ部屋やざ」
愛は辺りを見回しながら漏らした。そしてほぼ全面ガラス張りの窓に歩いていく。
「きれーや」
眼下に広がる街の様子を見つめる。
まるでセットのように人のいない街は退廃的で、その寂しさはどこか芸術じみていた。恐怖に怯える人を閉じ込める建築物の群れ。遠くに見える観覧車はただの鑑賞用の彫刻になっていた。ここからは街の全てが見渡せる。
あの灯りの中でみんな狂い始めてるんです。きっと…もうすぐ世界は終わるんです――。
絵里の声が蘇った。
そういえば彼女の言葉は矛盾していた。
世界が終わるといったくせに、世界には愛が満ち溢れている、と言った。
世界が終わっても、と――やはり、彼女の言葉は掴めない。
最期のあの表情は世界に失望している風には見えなかった。
では、何故――。
- 664 名前:無題。 投稿日:2004/07/29(木) 15:50
- 「これはなんですか?」
思考を遮ったのはあゆみの声だった。振り向くと、あゆみは丸められたチラシと名刺を持っていた。ポケットを確かめると、やはりそれが無くなっていた。さっき落としたらしい。
「それ…来る途中で貰ったんです。女の人に」
真里があゆみの手の中にある名刺を取り上げて、覗き込む。
「“幸せの会”…KPPか…」
知っている風な口調だった。愛は刹那に尋ねた。
「知ってるんですか?」
ああ、と真里は顔を上げた。
「最近、よく聞くようになった宗教団体だよ。たとえば大事な人をなくしたりとかして心に傷を負った人を救済するっていう目的で活動してるらしい。その方法はよく知らないけど…」
大事な人を亡くした――。
過去から解き放ちます――。
絵里のことが瞬間的に思い浮かんだ。
そして、愛はひとむを見た。俯いて黙りこくっている横顔に複雑な心情が読み取れた。
- 665 名前:無題。 投稿日:2004/07/29(木) 15:51
- 暫くの沈黙を破ったのは意外な人物だった。
「連れていって、くれませんか?」
視線が一斉に集まる先には真剣な面持ちのあゆみがいた。真里はふと、目を細めると尋ねた。
「どういうこと?」
あゆみは俯くとその重い口を開いた。
「…ひとむ坊ちゃんは過去に囚われています。もう見てられないんですっ…。私はひとむ坊ちゃんと梨華さんを見てきました。だからこそ、耐えられないんです…っ」
悔しげに感情を吐露するあゆみ。そこに声を掛けたのは真里だった。
「そこに行ったってどうなるかは分からないんだよ?怪しげな宗教なんだし、もしかしたら詐欺かもしれない。変なカウンセリング受けて終わりかも知れない…」
再び場に沈黙が舞い戻ってきた。
やがて、口を開いたのはひとむ当人だった。
「僕、行きますよ。“幸せの会”」
あゆみは顔を上げる。愛も俄かに目を見開いた。ひとむのその表情には断固たる決意が読み取れた。真里はじっとひとむを見つめると尋ねた。
「本気なの?」
ひとむはしっかりと頷いた。真里はさらに言葉を重ねる。
「何より、あなた自身のことだから。まぁ、行ってみるだけなら…いいけど」
ひとむはまた頷いた。愛はそこに口を挟んだ。
「私も…行きます」
今度は愛に視線が集まる。真里は愛の表情を見てふう、と息を吐いた。
「なら、私も行く。詐欺なら…そんなことにつけこむヤツらは許せないし…」
皆、一様に感じていた。
過去を振り切れない自分自身を――。
失ったものへの未練を断ち切れない自分自身を――。
現実を未だに受け入れきれない自分自身を――。
- 666 名前:無題。 投稿日:2004/07/29(木) 15:53
- 僅か15レス…。
本当に少量更新ですね…自分。
もうちょいペースアップしていきたいです。
>650様。こうなりました。レス、どうもありがとう。
- 667 名前:無題。 投稿日:2004/07/29(木) 15:54
-
- 668 名前:無題。 投稿日:2004/07/29(木) 15:54
-
- 669 名前:無題。 投稿日:2004/08/04(水) 19:52
- 四人で病院を出ると歩き始めた。ひとむの車椅子はあゆみが引いている。相変わらず、薄暗い街に人影は無かった。
チラシと名刺に記されてあった“幸せの会”の住所は病院からそれほど離れてはいなかった。15分ほど歩くと、そこに辿り着いた。
真里はチラシを見つめて住所を確認する。
「間違いない、ここだ」
四人はその雑居ビルを見上げた。裏路地の一角の雑居ビル郡の一つが“幸せの会”の住所だった。一階の雀荘と三階の風俗に挟まれた二階に事務所を構えている。
しかし、入る前に一つ問題があった。ビルの中は段差が多すぎて車椅子では進めないのだ。
「降りや。車椅子」
愛が促す。ひとむはゆっくりと体を起こしてあゆみに体を預けた。愛はひとむの肩の片側を支える。
「すまない」
ひとむが申し訳なさそうに言った。愛は何も答えずにやり過ごした。車椅子は入り口に立てかけておくことにした。
四人は淀んだ空気の中に足を踏み入れた。煙草の匂い、密度の濃い淀みを払いながら、雀荘を通りぬけて、階段で二階へ進む。エレベーターはついていない。階段を上るのはなかなか難しかったが、何とか体を支えながら二階へと上がった。
そして二階には一つだけドアがあった。ドアには“幸せの会”事務所というプレートが掛けられていた。すりガラスで中の様子は見えない。
「開けるよ」
皆が頷くのを確認すると、真里はゆっくりとドアを引いた。
- 670 名前:無題。 投稿日:2004/08/04(水) 19:52
- 開いたドアから少し強いほどの冷房の空気が流れこんできた。四人はそっと中に入った。
入ってすぐに下駄箱があり、そこでスリッパに履き替えるようになっている。先客はいないらしく靴は一つもなかった。
玄関の脇に受付があり、下駄箱から上がるとそこがそのまま待合室になっているらしい。その先に診療室へのドアがあった。
「先に上がっといて、受付の人いないみたい」
真里はいち早くスリッパに履き替えて受付を覗き込んでいた。
三人は靴を履き替えると待合室に足を踏み入れた。そこそこhの広さの待合室はソファが何組か置かれていて、壁には子供用もキャラクターのポスター、棚には絵本、オモチャやらが雑然と置かれてあった。小児科、あるいは精神科に来たような錯覚を覚える。
愛とあゆみはまずひとむをソファに座らせると、続いてあゆみはひとむの隣りに、愛はコルクに貼られている掲示物の方に足を進めていった。
“keep piece promise.”
深い心の傷をお持ちの貴方。一人で苦しむのはナンセンス!
そんな時は“幸せの会”へご相談を。
救世主“のの”がきっと貴方の傷を癒してくれるでしょう。
「だから、救世主ののってなんなんよ」
愛はそのポスターの救世主“のの”の文字をなぞった。
名前だろうか。
“のの”という名称だけではそれくらいしか考えられない。
もしもこの“幸せの会”が新興宗教だとしたら俗に言う教祖様、という位置付けなのだろう。
愛は横に貼られたポスターに目を移した。
あの飯田という女性のワンショットの写真が移っている。そしてその下にはこんな記述があった。
我が会ではカウンセリング、あるいはヒーリングに関して料金は一切頂きません。
どういう事だろう。何か後ろにスポンサーでも付いているのだろうか。それとも寄付金でも募っているのか。
そもそもヒーリングという言葉が不可解だった。一般的にヒーリング治療というのは心理療法の事だ。
文面から察するにカウンセリングとは別の治療法があるようだ。ますます不可解なポスターを愛は訝しそうに睨んだ。
- 671 名前:無題。 投稿日:2004/08/04(水) 19:53
- 真里は受付から体を乗り出した。なかなか立派な作りである。
後ろのガラス張りの棚には薬らしきものが並んでいるのが見えた。処方箋も行っているのだろう。国から許可されたという証明書も飾られている。思ったよりまともな組織なのかもしれない。
「あのー!」
真里が少し大声で呼びかけると、奥のドアが内側から開いた。
そしてまだあどけない顔立ちの少女が姿を現した。白衣を着ている。ここで働いているのだろうか。胸に掛かっている名札プレートには道重さゆみ、と書かれてあった。
「あ、患者さんですか」
さゆみは小さく頭を下げると、受付の中にある椅子を引き寄せて真里の前に座った。
「何人ですか?」
真里は待合室を見ると答えた。
「三人です」
「ご予約はなされましたか?」
口調も少しあどけないながらも手馴れているようだった。
「いや、予約はしてないけど…診療、お願いできますか?」
「大丈夫ですよ。ではこれにご記入下さい」
さゆみが机の下から取り出したのは書類だった。氏名、年齢、住所、勤務先あるいは学校、電話番号、そつなく全てを埋めていく。そして最後に一つ奇妙な欄を見つけた。
- 672 名前:無題。 投稿日:2004/08/04(水) 19:54
- 「この…“心意気”ってのは…」
さゆみはああ、と顔を上げて答えた。
「診療に関する心構えです。ちゃんと書いてくださいね。あ、書類は代表者一名だけで良いですから」
さゆみは顔を伏せると何やら書類を相手に作業をし始めた。
真里は書類を前にして困惑した。暫く考えこむと、丁寧な文字で書きこみ始めた。
“よろしくお願いします”
当たり障りの無い内容だった。しかしその簡素な文面には真里の深層の希望が託されていたのかもしれない。
「はい。これでいいですか」
真里が提出した書類を一通り目を通すとさゆみは頷いた。
「結構です。では、呼ぶまで待合室でお待ち下さいね」
さゆみは書類を持って席を立った。慌てて真里は呼びとめた。
「あの、料金などは…」
さゆみは振り向いて笑顔を見せた。
「我が会は一切、料金は頂きません」
可愛らしい笑顔で言い終えると、さゆみはドアに消えていった。取り残された真里は呆然としていた。
料金を貰わない診療所があるのか。そもそも療法の内容すら説明は無かった。
- 673 名前:無題。 投稿日:2004/08/04(水) 19:54
- 釈然としないまま真里はあゆみとひとむが座っている隣りのソファに腰掛けた。そしてあゆみに話しかけた。
「料金は要らないんだって。やっぱり怪しいな」
え、とあゆみが聞き咎めた。
「お金はかからないんですか?」
「うん。かといって寄付金とかせびられた訳でもなし…。とにかく怪しすぎるんだよ…」
真里は顎に指を当てて深く考え込む。あゆみはひとむを見た。ひとむはじっと黙りこくっていた。
「どうぞー」
さゆみの声が響いた。真里とあゆみが立ちあがってひとむを立たせた。そして診療室のプレートが掛かったドアを開ける。愛もその後から続いた。
診察室は雑居ビル自体の広さを考えれば広々としていた。そしてインテリアもシンプルだった。広々とした空間にはカウンセラー用のデスクとスチール椅子が一つ、そして患者用のパイプ椅子。それ以外には何もなく、待合室と同じように壁にアニメキャラクターのポスターが貼ってあるだけだった。そしてさらに非常階段の横に奥へと続く部屋の扉があった。
そしてカウンセラー用の椅子には女性が腰掛けていた。
「あ」
小さく愛が声を上げた。飯田圭織だった。相変わらず艶やかな髪を靡かせていて、白衣を纏っていた。圭織は椅子ごと四人を振り向き、愛を見止めると微笑んだ。
- 674 名前:無題。 投稿日:2004/08/04(水) 19:55
- 「あなたは来ると思ってた」
他の三人の視線が愛に向けられる。何も言い返せずにいると圭織は席を立った。
「実は、私はカウンセラーじゃないの。あなたに渡した名刺の通り通り、“幸せの会”の代表取締役。治療をするのは…」
言葉を止めて、圭織はヒールをかつかつと鳴らしてあの奥へと続く部屋の扉に近付いていく。
「救世主、のの…」
愛が呟くと、圭織は扉の前で立ち止まった。
「その通り」
圭織は柔らかく微笑むと扉を開けた。
「あ、みんな入ってくれれば良いよ。さすがに一人ずつじゃ入りづらいと思うから」
扉からは明かりが漏れていた。
愛は最初に踏み出した。その後にひとむを支える真里とあゆみが続いた。
少し広めの部屋にはインテリアも何も無かった。
窓をしきるカーテンは全開だった。しかし、太陽の光は漏れていない。
部屋の中央に向かい合った椅子が二組。そして奥のほうの椅子には少女が座っていた。
「こんにちは」
少女はにこりと笑った。笑顔から八重歯が見えた。
ばたん、と背後でドアが閉まる音がした。そしてひとむたちの後ろから圭織が姿を現した。
「のの、気分はどう?」
優しげな笑顔で問い掛ける圭織に“のの”はまた笑った。
「いいです。絶好調です」
そう、と答えると圭織は部屋の隅からパイプ椅子を二つ取り出してきた。今まで気付きもしなかった。
圭織は“のの”と向かい合う椅子の両脇にパイプ椅子を立てる。“のの”の前に三つの椅子が並ぶ。
「えー、じゃあ、あなたは真ん中の椅子」
愛を指差して圭織が促す。“のの”が舌足らずな口調で圭織の言葉を継いだ。
「じゃあ、制服の人は一番左。あと男の人は右に座ってください」
真里は言われた通り左の席に、ひとむはあゆみに支えられながら右の席に座った。
「では、ちょっとお待ち下さい」
圭織が丁寧な口調で言うと、部屋から出ていった。
- 675 名前:無題。 投稿日:2004/08/04(水) 19:55
- 部屋に取り残された。愛は“のの”を観察した。
「どうしたの?何か付いてる?」
“のの”の問い掛けに首を振る。
特徴的な八重歯。お団子頭。幼い口調。15、6くらいだろう。あるいはもっと幼いかもしれない。衣服も普通のシャツにジーンズ。そんな少女が何故、救世主を名乗っているのだろうか。飯田圭織とどのような関係があるのだろうか。
「あなたは救世主なの?」
隣りから真里が尋ねた。“のの”はこくん、と頷いた。
「たくさんの人を救いたいの。人のために尽くすことが私の幸せ、だから」
びくん、と愛は体を跳ねさせた。
何故だろう。何やら正体不明の感覚が体を迸った。
しかし、その正体はわからなかった。
「じゃあ“救済”を始めます」
がらがらとストレッチャーを引きながら圭織が部屋に入ってきた。ストレッチャーの上には幾多もの器具が置かれてあった。
心拍装置から始まり、チューブに脈拍計などが雑然と並べられていた。
「ちょっとごめんね」
圭織はストレッチャーを椅子の横まで引いてくるとてきぱきとその器具らしきものを愛たちに取り付け始めた。
手馴れているのか、見かけより簡略な装置なのか、圭織はあっという間に作業を終えた。
こめかみや頭部にチューブを貼り付けられた。腕や胸にもチューブが付いている。そしてチューブは一つの機械へと伸びていた。テレビほどの大きさで画面には何も映っていない。
圭織はその機械のスイッチを入れた。
ピッ、ピッ、ピッ――。
画面に心拍を表す波形が三つ現れた。そしてその脇には脈拍数がデジタル文字で表されていた。おそらく三人それぞれのデータだろう。
そこで愛は漸くチューブを含めたそれが心拍装置、であると気づいた。
- 676 名前:無題。 投稿日:2004/08/04(水) 19:56
- ストレッチャーの上にはもう一つ、大きな機械が残っていた。
こちらには画面も無い。長四角の箱のような形状だ。
圭織はその機械と心拍装置のプラグをコードで繋いだ。
ヴヴッ――。
小さく電磁音が響いた。
暫くすると、頭がくらくらと痺れ始めた。
「どう、いうこと…っ」
真里は朦朧とする思考から声を絞り出して圭織を睨んだ。圭織は笑顔で答えた。
「大丈夫。危害は絶対に与えない。身体に対して支障は殆ど無いわ」
圭織の言葉を続けるように“のの”が口を開いた。
「大丈夫。きっと大丈夫」
その優しい声が音色のように心地良く響いた。“のの”は静かな声で続ける。
「大事な人を亡くすのは…好きな人を亡くすのは…とても悲しいこと…。まるで、自分の半分がどっか行っちゃったみたい…。だから好きな人が死んじゃうと、泣いてしまうの…」
“のの”の声に促されるように愛の脳裏にそっと、ゆっくりと浮かび上がってきた。
絵里との記憶が――。
- 677 名前:無題。 投稿日:2004/08/04(水) 19:56
-
- 678 名前:無題。 投稿日:2004/08/04(水) 19:56
- 目が覚めると、あの森だった。
いつも自分、そして過去に絵里と過ごしていた場所からは少し外れている森の深部。愛はゆっくりと体を起こして自分を確かめる。
どこか浮遊感に包まれているようだった。
何故――。
あの部屋にいた筈だ。しかし、周りを見回しても真里もひとむもあゆみも圭織も“のの”も、誰の姿も無かった。
立ち上がって自分の格好を確かめる。
あの部屋にいた時のままだった。黒いシャツブラウスにインディゴブルーのジーンズ、愛用のディズニーの腕時計もそのままである。
これはどういう事だろう――。
これが圭織の言った救済、だというのか。
それに、今の自分がここで目覚める前、確かに過去に引き戻される感覚を覚えた。もちろん過去に戻されたことなど無いので未知の感覚と言わざるを得ないが、感覚的に説明すると過去に引き戻された、という表現が一番しっくりくる。
ならば、ここは過去だという事になる。
「やとしたら…私は、今の自分のまま過去に来た…?」
そうだとすれば、過去の自分はどこにいるのだろう。
いや、落ち着け――。
まず、ここが過去かどうかを確かめなくてはならない。
愛はまず腕時計を確かめた。
三時を過ぎた頃だった。“幸せの会”を訪れたのが十一時だ。
時間的にはおかしい。四時間も眠っていたことになる。
なら、結局ここは――。
- 679 名前:無題。 投稿日:2004/08/04(水) 19:57
- 「…高橋先輩ぃ…」
木々のざわめきに混じって声が漏れていた。聞き違えるはずのない絵里の声。
愛は瞬間的に走り出していた。木陰を通りぬけて、いつもの場所へと一直線に向かった。
そこに、絵里が立っていた。
愛が貸したシャツとスカート姿。見紛うはずの無い黒髪。
「絵里っ!」
愛が叫ぶと、絵里はゆっくりと振り返った。
「あ、高橋先輩、どこ行ってたんですかぁ」
小走りに駆け寄ってくる。懐かしい笑顔を浮かべて。
絵里――。
一気に込み上げてくる激情に突き動かされて、愛は思いきり絵里を抱き締めた。
「絵里ぃ!」
懐かしい、柔らかい感触が腕に広がる。そしてそこからじんわりと安堵と愛しさが沸き上がってくる。
「もー、びっくりしたぁ。いきなりどうしたんですか」
少し嬉しそうな、苦笑混じりの声色で腕の中の絵里が言う。あの柔らかい、掴みどころのない話し方。ほんわかとした優しい声。全て、ずっと想い続けてきた絵里のままだ。
漸く理解した。
自分は今、過去にいるのだ。
過去の世界に今の自分がいるのだ。
ならば、過去の自分は現代に引き戻されたのだろうか。
どちらでもいい――。
絵里がいる。それだけでこんなにも満たされるのだから。
「愛しとるよ?ずっと。あんたの事、ホンマに好きやざ」
耳元で囁くと、絵里は顔を紅潮させる。そして小さく言い返す。
「私も高橋先輩の事、愛してます…」
嬉しい――。
これが、この言葉が私の全て――。
愛はふと絵里の肩を掴んで、顔を覗き込んだ。
そして噛みつくように口付けた。
「んっ…」
艶っぽい吐息を漏らす絵里。愛は貪るように激しく絵里にキスを続けた。そして背中に絵里の手が回る。
愛も背中に手を回して、さらに抱き寄せた。
- 680 名前:無題。 投稿日:2004/08/04(水) 19:58
- そしてキスを終えると、愛は少し紅潮した絵里の顔をみつめて言った。
「病院に行こう?」
絵里はきょとんとした表情で訊き返した。
「病院?何言ってるの、先輩」
愛は苛立って、絵里を急き立てた。
「やから!あんたの病気、今からなんかやっとけば治るかもしれんやろ!絶対に絵里を死なさんって決めたんよ!」
絵里の表情は変わらない。状況を読みこめていない不思議そうな表情だった。
「だから、病気ってなんですか?」
そうか、と愛は絵里の手を取った。裏返して手の甲を見る。
「やっぱり…」
絵里の手の甲には斑点も何もない。もとの綺麗な白い手のままだった。
まだ、発症する前なのだ。
「とりあえず、病院!な!」
愛は絵里の手を引っ張る。絵里は相変わらずきょとんとした表情で尋ねてくる。
「高橋先輩?大丈夫ですか?こんなに汗掻いてる」
絵里はスカートのポケットからハンカチを取り出して愛の額の汗を拭った。
「落ち着いてくださいよ。私はどこへも行きませんから」
どこへも行きませんから――。
そこで、ゆっくりと引っ張り出されるような感覚に掴まれた。
そして絵里のもとからゆっくりと遠ざかっていく。絵里は目を見開いて愛を見つめている。
「絵里ぃ!」
叫ぶが、絵里の姿はもう見えない。
そしてそこで遂に覚醒した。
- 681 名前:無題。 投稿日:2004/08/04(水) 19:59
- やはり、そこはあの部屋だった。インテリアの無い広い部屋。
両脇にはひとむと真里が座っている。そしてストレッチャーの脇には圭織が立っていた。
正面には“のの”が座っている。何も変わっていない。
「絵里…」
掠れた声で呟く。そこで圭織の声が響いた。
「“のの”の治療はここまでです。一番右、男性の方には軽い精神安定剤を出しておきます。これで寝つきは大分よくなると思います」
圭織は手早く心拍装置を取り外すと、ストレッチャーごと部屋の外に出ていった。
まだ、愛の鼓動は収まらなかった。
どこにも行きませんから――。
あの言葉が胸に焼き付いてずっと離れない。
「矢口さんは、もうここへは来ないで下さい」
“のの”が唐突に漏らした。愛は真里に視線を移した。随分と憔悴した風だった。汗が出ているし、少し息も荒い。
「きっと、辛いだけだから…。でも、いずれ救う。きっとあなたを過去から解き放ちます」
“のの”の円らな瞳には静かだが確固たる決意が読み取れた。
真里はまだ答える事が出来なかった。
ひとむの精神安定剤を処方してもらって“幸せの会”の事務所を出た。その頃には真里の様子は大分落ち着いたものになっていた。
「あれは、バーチャル映像だよ」
一人で先導して歩いている真里が唐突に言った。あゆみの押す車椅子に乗ったひとむが聞きとがめて問い返した。
「バーチャル映像…ですか?」
「うん。アメリカで最近、開発された技術だよ。あの中の景色も光景も自分の想像の中なの」
真里は言い捨てるようにあっさりと言った。愛はふと腕時計に目を落とした。針が指すのは十一時半だった。真里が話を続ける。
「あれは過去でもなんでもない。自分の想像が生み出した世界だよ。その証拠に見ていない…例えば、服装にしたって、見た事のない服は着てなかった筈」
愛は記憶を辿った。絵里が着ていたのは愛のシャツとスカート。どちらも絵里が着ているのは見たことがある。
- 682 名前:無題。 投稿日:2004/08/04(水) 19:59
- 「言動もどこか自分の望むような返答が返ってきてた。要するにあれは自分の想像を映像化して脳に現像する技術。…想像の中でも自分の愛する相手が自分の望むように、いてくれるなら…それに依存する人も出てくるだろうね。“幸せの会”のスポンサーはおそらくそんな人たち」
冷静な口調で言い終えると、真里はふう、と息を吐いた。
「依存しないと生きていけない人もいるんだろうね。多分私たちが思ってるよりいっぱい」
真里は薄暗い空を見上げた。愛はふとひとむに視線を移した。
ひとむはじっと結婚指輪を愛しそうに、そして泣き出しそうな表情で撫でていた。
この人たちが見た過去はどんなだったんろう――。
ふと沸いた疑問を打ち消して、愛はじっと空を見つめた。
- 683 名前:chaken 投稿日:2004/08/04(水) 20:01
- 更新終了です。
段々、話がごちゃごちゃしてきますね。
これからまだ一山用意しております。
ちなみに話で出て来たバーチャル映像とその説明は全くのデタラメですのであしからず。
- 684 名前:chaken 投稿日:2004/08/04(水) 20:02
-
- 685 名前:chaken 投稿日:2004/08/04(水) 20:02
-
- 686 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/07(土) 00:30
- すいません。長そうだったので『無題。』だけ読みました。面白いです。レスが付かないのが不思議なくらい
- 687 名前:名無し読者 投稿日:2004/08/07(土) 09:57
- 初めからいっきに読みました。面白いです。
これからはどうなるのか気になります。頑張ってください。
- 688 名前:chaken 投稿日:2004/08/09(月) 10:17
- あー、久々のレスが!
>686様。いやあ、嬉しいです。レスがつかないのはやはり力不足でしょう。これからもっと精進していきたいと思っております。
>687様。どーも。レスこそが作品を書く励みになります。これからもよろしくお願いします。
それではまた更新です。
- 689 名前:無題。 投稿日:2004/08/09(月) 10:18
- 真里は腕時計を確認すると、少し足を早めた。
昼だというのに全く空は曇っている。この不快な薄暗さにももう慣れてしまった。湿った空気も人影の無さももう日常になっていた。ここ最近のパトロールで街で会ったのは愛ぐらいのものだった。
真里の所属する自警団は、ある一つの組織に纏められている。
それが Freedom Within People である。略称はFWPだ。
これは最近、数が増えてきている自警団を組織で纏めて、より堅固に平和を維持するためにある、自警団の本拠地である。真理たちは主に本部、と呼んでいる。その支部として真理の所属する自警団があるのだ。
しかし、自警団の数の増加とは裏腹にどこの街も降着状態に陥っていた。こんな危ない場所に入られないと部屋に閉じこもっている人々が増えているのだ。東京では特にその傾向が顕著で車すら通りもしないという訳だ。ちなみに自警団の主な仕事はパトロールと警察と連携した犯罪の検挙、取締りである。
昨晩のパトロールを終えて部屋に戻ると、携帯に電話が掛かってきた。真里はディスプレイを開いて驚いた。
発信者の名前は保田圭だった。
あさ美の事件で学校が無期限休校になって以来、一度も会っていない相手だった。
あさ美の事件で真里は罪に問われなかった。あの病気のことはマスコミによって公に知れていたし、何よりあさ美の両親が真里を庇ったのだ。そしてあさ美が真里の知らない内に書いていた真里を庇う手紙が決め手となり、真里は異例ともいえる執行猶予もない無罪となった。
あさ美が死んで、自警団に入ってから、真里は学校の生徒や教師とは極力接触を避けていた。それは圭や紗耶香も例外ではない。愛との出逢いは全くの偶然だった。それ以外に学校関係者と接触は無い。あの事件以来、圭とも全く連絡をとっていない。真里は少し躊躇しながら通話ボタンを押した。
- 690 名前:無題。 投稿日:2004/08/09(月) 10:19
- 「もしもし?」
「もしもし。矢口?」
以前と全く変わらない、少し低い圭の声が返答した。連絡を避けていた手前、少し気まずかった。圭が続けた。
「久しぶりね」
「あ、ああ、久しぶり」
少しどもる真里に圭は突然切り出した。
「明日、会える?」
「え?明日?」
「話したいことと渡したいものがあるの。場所は学校。時間は一時ね」
有無を言わさぬ早口で真里は頷かざるを得なかった。圭は電話を切った。真里は切れた電話を見つめた。
普段と変わらぬ口調の中にどこか真剣さが滲み出ていた。
時計の針は12時50分を指している。漸く学校が見えてきた。外観はやはり変わらず大きい。生徒がいないという事を除けば何も変わっていない。随分と久しぶりのような気がした。普段のパトロールのルートではここは通らない。わざと選択しなかったのだ。
愛しいあさ美との思い出と悲劇の記憶が同居する学校を訪れるのはなかなか勇気が要った。しかし、この場合は約束なのだから仕方が無い。
腕時計が一時を指す前に学校に到着した。休校の為、閉じられている正門の前に圭は立っていた。
「矢口」
圭が真里に気付いて振り返る。ジーンズにTシャツ。以前とあまり変化は無い。少し髪が伸びた程度だった。真里は駆け寄っていくと、圭の前で止まった。
「自警団に入ったの?」
真里の制服に目を止めて圭が尋ねる。真里は少し息を切らしながら頷いた。
「そっか…」
圭はぽつりと呟いただけだった。
思い出話を語る気にはなれなかった。圭との思い出はすなわち学校での思い出で、そこには必ずあさ美がいるからだ。
“幸せの会”で見た記憶は最悪だった。
あさ美が死ぬ間際のキス、話、そしてあさ美を――。
真里は思考を打ちきった。あれ以来、思い出すことを禁止していた。思い出すだけでまた涙が出るからだった。
- 691 名前:無題。 投稿日:2004/08/09(月) 10:20
- 「まず、これ」
圭は突然ポケットの中から手紙を取り出した。
「あんたに」
圭に促されて真里は手紙を受け取ると宛名も差出人の名前も無い封筒を開いた。中には一枚の便箋が入っていた。
そこには手紙を書いた人の名前があった。
市井紗耶香――。
「さ、やか…」
呆然とその文字を見つめて呟く真里に圭は促した。
「読んで」
真里は便箋の丸文字を一字一句見逃さないように読み始めた。
- 692 名前:無題。 投稿日:2004/08/09(月) 10:20
- “矢口先生へ。
この手紙をあなたが読む頃には私は死んでいると思います。
実はあの感染症にかかってしまいました。
だから、死ぬ前にあなたに伝えたいことをここに書くことにしました。
まず、私はあなたに謝らなければなりません。
私は紺野さんが牧原先生に言い寄られてるってことを知ってました。
ある日の放課後に、忘れ物をして教室に戻ったら、牧原先生が大声で紺野さんを怒鳴っていたんです。
だけど、私はどうすることも出来ませんでした。そしてその場から逃げたんです。
それからも私は誰にも打ち明けることが出来ませんでした。
そして矢口先生が紺野さんのことを好きになってるって知りました。
とはいっても勘だったけど、それは当たっていたようですね。
下駄箱に書いた“紺野あさ美に近付くな”という手紙を書いたのは私です。
矢口先生が紺野さんと牧原先生のことを知ったら、悲しくなると思ったからです。
でも、それは私の早とちりでした。
きっと矢口先生なら紺野さんを救うことが出来たんです。
私がそれにもっと早く気付いていれば、あんなことは起こらなかった。
私は最もひどい加害者なのかもしれません。
紺野さんが死んだと知って、私はいてもたってもいられませんでした。
東京に天才と呼ばれてる日本人学者がいると聞きました。
アメリカでウイルスに関する論文を発表して、世界的にも有名な方です。
もしかしたらあの感染症も治せるかもしれない。
そう思って、私はその人のところを訪れました。
しかし、彼女は私の願いを聞いてはくれませんでした。
もうすぐ、私は死んでしまいます。
無責任なのかもしれませんが、私の願いをあなたに詫したいんです。
その学者の名前と住所を記しました。
あんな感染症は絶対にあってはならないのです。
遺された私たちが、あの感染症でなくなった人たちに出来ることは精一杯生きることだと思うんです。
それが紺野さんのためにもなると思います。
それでは、最後に。
ごめんね。
紗耶香より”
- 693 名前:無題。 投稿日:2004/08/09(月) 10:21
- 最後のごめんね、という文字だけ何度も消した跡があった。
「紗耶香…っ」
ぽたっ、と雫が便箋に落ちて丸文字が滲んだ。真里はそっと便箋を胸に抱き締めた。
「ごめんね…っ、紗耶香…苦しかったよね…っ」
涙を溢しながらそっと呟く。腕を組んでいる圭から声がかかった。
「1週間くらい前だったかな。突然、あの子が家に来てね。なんか職員室の名簿で調べたらしいんだけど…。あの子、赤い顔でふらふらしながらこの手紙を私に渡したの。最期まで、矢口の心配ばっかりしてた」
真里は顔を上げて圭を見つめた。圭の目は少し潤んでいた。
真里は便箋をもう一度確認した。
文の下の方に記されてあった。
福田明日香 東京都○○区○○町○○ビル
「絶対に救うよ…。紗耶香のためにも、紺野のためにも…絶対にあの感染症を治す薬を作ってもらう…」
真里は便箋を抱き締めて、決意を込めた口調で言った。
「頑張ってね。何も出来ないけど…応援してる。もしも、世界を救うことが出来たら…その時は酒の相手でもお願いするわ」
ふっ、と微笑むと、圭は背を向けた。真里はその背中に叫んだ。
「ありがとう!絶対に救うから!」
圭は振り向かずにひらひらと手を振った。真里は再び便箋の文字を見つめると改めて決意を固めた。
- 694 名前:無題。 投稿日:2004/08/09(月) 10:21
-
- 695 名前:無題。 投稿日:2004/08/09(月) 10:22
- あの日、“幸せの会”を訪れて以来、あの映像が頭に焼き付いて離れない。
絵里の笑顔、抱き締めた体の感触、キスの感覚。
あの笑顔が幻だとはどうしても思えなかった。
もちろん、愛は実際に絵里が息を引き取る瞬間を見ていたが、それでも信じたくはなかった。
諦めきれなかった。
ひとけの無い道を歩き進みながら、愛は手元の名刺を確認した。
“幸せの会” 代表取締役 飯田圭織
真里の言ういわゆる“幸せの会”のスポンサーたちも自分と同じようなことを思っているのだろうか。
例え、幻でも、自分の想像でも、一人よがりでも、もう会う事の出来ない愛する人に会えるなら構わない、と。
愛の足は自然とあのビルを目指していた。“幸せの会”のある雑居ビルを求めていた。
太陽の光すらなくなったこの世界の中で、思い出に浸る事でしか、希望を見出せない。
自分は弱い。
それを認めてでも、絵里と会いたかった。
「あなた」
聞き覚えのある声が凛として響いた。愛は立ち止まって声のした背後を振り向いた。
「矢口、先生…」
真里は小走りに走り寄ってくる。やはり紺色の制服姿だった。
愛の前で立ち止まると、じろっと愛の顔色を見た。
「病院に…行くってのじゃ無さそうだね。あなたも“幸せの会”のスポンサーにでもなるつもりなの?」
図星を突かれて、愛は何も言葉を返せなかった。真里はどこか呆れたようにふう、と溜息を吐いた。それが愛の神経を逆撫でした。
「…あなたは、強くて…正しいんですね…」
声を沈めながら愛は言った。真里は愛を見上げた。
「でも…強い人ばかりやない。正しい事ばかり言えるほど!強い人ばかりやないんです!」
愛は久しぶりに声を荒げた。誰かを相手に怒りを爆発させるなど、感情を爆発させる事など随分久々の事だった。
しかし、ぎっ、と真里を睨む愛の視線にも真里は全く表情を変えない。
「だからって逃げていて解決になるの?ずっと思い出に浸ってさ、もういない誰かのことを追い続けてさ、何になるの?もう、戻ってこないんだ…。私だって正しいわけじゃない。強いわけじゃない…。未だに受け入れられない事実から目を逸らしてるだけ…。でも、それでも生きなきゃいけない気がするから…生きてるの…」
苦しげに真里の表情が歪んだ。
- 696 名前:無題。 投稿日:2004/08/09(月) 10:23
- やっぱり、この人も同じだ――。
愛は真里も自分と同じ大切な人を失った体験をしていると確信した。
「あなたは…“幸せの会”で、バーチャル映像で、何を見たんですか…?」
静かな愛の問い掛けに真里は顔を上げた。そして目を伏せるとぽつり、と答えた。
「愛する人を…殺すところ、だよ」
愛は表情を凍らせた。真里の語調はまるで氷のように冷たくて、冷たい雨のように切なかった。
「別に、あなたが“幸せの会”に行きたいんなら、私は止めないよ」
真里は捨てるように言うと、愛に背を向けた。口が勝手に動いて、愛はその背中に言っていた。
「ほんなら!私は…どうすればいいんですか!」
真里はぴたりと足を止めた。そして顔だけを振り向かせる。
「…一緒に、来る?」
愛の足は動き出していた。真里の背中を目指していた。
その先に何があるのかはわからないけれど、自分に残された選択肢はそれしかないように思われた。
真里と愛が向かった先はひとむのいる病院だった。重厚な病室の扉をノックすると、柔らかいあゆみの声が返ってきた。
「どうぞぉ」
扉を開けて中に入る真里に続いて愛も足を進めた。あゆみは花瓶を取り替えていて、ひとむはベッドに横になっていた。そして指輪をさすっていた。あゆみは二人の姿を見止めるとひとむの手をぽんぽんと撫でた。
「ひとむ坊ちゃん?矢口さんと高橋さんが来てくれましたよ」
「…え?ああ」
ひとむは顔を上げると体を起こした。気配で大体の二人の位置はわかるようだ。ぼんやりと黒い瞳は真里と愛の姿を捉えていた。
「どうしたんですか?」
ひとむが不思議そうに尋ねた。三人が顔を合わせるのは“幸せの会”を訪れた時以来、一週間ぶりだった。真里が答えた。
- 697 名前:無題。 投稿日:2004/08/09(月) 10:23
- 「私さ、これからちょっと用事があるから、自警団の活動を休むことにしたの。暫くあなたが病院から抜けだしても面倒見れないと思うからさ。大人しくしてて欲しいの」
真里以外の三人は真里を見た。これから行動を共にする愛もその用事の内容を知らされていなかった。ベッドサイドに立っていたあゆみが問いかけた。
「用事って…?」
真里はちらっと愛の方を見た。
「そういえば高橋さんにも言ってなかったか」
真里はポケットの中からメモのような小さな紙切れを探り出した。それを愛に渡す。愛は紙切れに書かれていた名前をなぞった。
「福田、明日香…?」
真里はこくんと頷いた。
「日本でのウイルス研究に関する天才学者だって。もしかしたら彼女なら、あの病気の特効薬を、作れるかもしれない…」
あゆみと愛、そしてひとむの目が見開かれた。まず先に反応したのはあゆみだった。
「特効薬が…作れるんですか?」
真里は少し顔を伏せた。表情に少し翳りが映った。
「それは…わからない。もちろん、作れるならもうとっくに作っててもいいはずだけど…。作れないから作らないのかもしれないけど…でも、信じるしかないんだ。もう、こんな感染症、あっちゃいけないんだよ…」
感染症でかけがえのないものを失った、同じ体験をしたものたちにはその言葉はずっしりとした重みを持って響いた。
ひとむが漸く口を開いた。
「僕も…行きたいけど…さすがに足手まといになる。待ってるよ。きっと特効薬が出来る事を信じて…」
うん、と真里は頷いた。そして愛に目配せした。
「じゃあ、行って来るよ。絶対に、説得する」
ひとむとあゆみはしっかりと頷きを返した。
- 698 名前:無題。 投稿日:2004/08/09(月) 10:24
- 福田明日香の住所は病院から徒歩で行ける範囲にあった。街中からは随分とかけ離れていて木も緑も建物もない殺風景な風景が続く。
そんな景色の中に大きなドーム状のビルが一つだけ建っていた。一階部分は円形に建っていて、屋根がドームのような形状になっている。その建物は愛や真里の漠然とした研究所、というイメージとぴったり一致した。
電信柱の住所を確かめると、紙切れに書かれている住所と一致した。この建物に間違いない。
二人はその建物に近付いていった。近付くほどにその建物の巨大さを実感した。
真里がインターネットで調べた情報によると福田明日香は世界的に著名な学者らしい。
24という年齢で博士号を取り、ウイルスの分野において様々な発見をして、学会でも注目される存在だった。
しかし、一方で福田明日香の人嫌いという性格も有名だった。
大学時代に歴史的といわれる発見をして、あるウイルスに対する特効薬を作った。その発明だけで一生生活に困らないほどの資金を得た。金稼ぎには向いていないというこの業界では異例だった。そして独立して自分の施設を持ってからは助手やらの類は一切つけずに、人との関わりを絶って独りで研究を続けているという。
雑草の生えている土地にどかん、と無造作に建っている建物。
二人はそのドーム状の屋根を見上げた。
「ほぇー」
真里が感心したように漏らした。
まだ建物は真新しかった。表札やプレートなどは見つからなかった。この建物の名前らしきものさえ見当たらない。
愛は緩い石坂を上って漸くドアを見つけた。
「ここです」
愛の声に真里が大股で石坂を登ってくる。やはりドアの近くにもプレートやらはない。
- 699 名前:無題。 投稿日:2004/08/09(月) 10:24
- 「ここで、いいんですよね?」
愛は不安げに尋ねた。真里は握っていた紙切れを見た。そして辺りを見回した。他に一切の建物らしきものは無い。
「入るしかないでしょ」
愛と視線を合わせると、真里はドアを押し開けた。冷房の風とエタノールや薬品の匂いが漂ってきた。
中は間取りなどはなく、殆ど全てが研究のための部屋らしかった。手前にはパソコンや機械類、中央には大きな机。机上には書類や文献やらが散らかっている。奥のほうには実験用の器具、フラスコやビーカー、試験管などの装置があった。あとは奥に一つドアがあるだけだった。真里は中へ進んで辺りを見回した。
「福田さーん」
少し大きめに声を張り上げて呼びかける。愛はリノリウムの床を歩いて奥へ進んでいった。真里も機械を避けて奥へと進んでいく。
ふと唐突に奥にあるドアが開いた。
「誰?」
落ち着いた声色が響く。二人は足を止めた。ドアから出てきた人物は白衣を着ていた。まだあどけなさの残る顔立ちに無表情を貼り付かせて二人を見ていた。その手には拳銃が握られていた。
「自警団の方?何か用でも?」
福田明日香は真里の服装を見て気だるそうに尋ねた。真里はじっと明日香を見つめて頷いた。
「あなたに、お願いがあるんです。福田、明日香さん、ですよね?」
明日香は拳銃を机の上に置いた。
「そうですけど、あなたたちは?このご時世に強盗?」
人を小馬鹿にしたように言い捨てる。それでも、真里は表情を崩さない。
「私は矢口真里っていいます」
「あ、私、高橋愛です」
愛は慌てて言葉を継いだ。明日香はかりかりと頭を掻いた。
「そうですか。初めまして」
面倒臭そうな明日香の態度を無視して真里は話を切り出した。
「あの感染症の、特効薬を作ってください」
明日香は俄かに目を見開いた。明日香が初めて見せた表情らしい表情だった。しかし、すぐに無表情を戻した。
「馬鹿らしい」
ふん、と鼻を鳴らすと、明日香は背を向けた。愛がその言葉を聞き咎めた。
「馬鹿らしいってなんよ!」
明日香はちらっと愛の顔を見やると、また背を向けた。そして窓際にある観葉植物の葉を撫でた。
- 700 名前:無題。 投稿日:2004/08/09(月) 10:25
- 「だれか、大切な人が病気なんですか?」
相変わらず、言葉に含まれた馬鹿にしたような響きは変わらない。真里は少し顔を伏せた。
「大切な人は…死んだよ。あの病気で…」
ゆっくりと明日香は振り返った。
「矢口、さん?あなた…」
「市井紗耶香を知ってますか?」
真里は顔を上げて、明日香の言葉を遮った。愛は初耳の名前に真里に視線を寄せた。明日香ははは、と小さく笑った。
「あなたがそうですか。市井さんは少し前に私のところに来ましたよ。来るなりいきなり特効薬を作れの一点張りです。私の見るところあの方も感染していたようですが?」
真里は顔を伏せると小さく答えた。
「一週間ほど前、亡くなりました」
明日香の表情は特に変わった風に見えなかった。
「あなたのことも聞いています。あなたたちは私に特効薬を作れ、と言います。何故です?」
弾かれたように真里と愛は顔を上げた。
「そんなのっ、あんな感染症っ。酷すぎるやないですか!」
愛は当然の事を聞くな、という風に声を荒げた。明日香は薄く笑みを浮かべた。
「私が特効薬を作ったところであなたたちの大事な人は生き返りません。あなたたちは自分が長生きするために言っているんですね?」
「違うッ!」
真里が甲高い声を吐いた。
「違う!死んでいった人たちの為に!私たちは生きなきゃいけないんだ!」
しかし、明日香は全く表情を変えずに言葉を返した。
「あの感染症のウイルスはもともと自然界に存在しないものです。人間たちが吐き出した科学物質によるものだと推測できます。…空は灰色です。こんなこと有り得ますか?自然を壊したのは人間じゃないですか。あなたたちは何の為に私に特効薬を作れなどと言うんですか?」
二人は、言葉に詰まった。言い返す言葉が浮かばなかった。
「出て行ってくれませんか?」
明日香の言葉が重苦しく響いた。
- 701 名前:無題。 投稿日:2004/08/09(月) 10:25
- 研究所を出て、時計を見ると午後3時を回っていた。
「とりあえず、病院に戻ろうか」
力ない表情で真里が言った。愛は小さく頷いた。とぼとぼと荒廃した歩道を歩いていく。
「…答えられなかったね」
真里が俯いたまま小さく漏らした。愛はうなだれるように頷いた。
「何の為に特効薬を作る…か」
真里は漏らすと自嘲的に笑った。愛は何も言えなかった。
「もう、ここに来ても意味ないね。ここに来て、また福田さんにあんなこと尋ねられても答えられる自信、無いや」
言い終えると、真里はくつくつと笑った。愛が見た真里の表情は苦しげだった。
「…結局、何も振りきれてなかった。あの子の事も、私は何一つ受け入れてなかった。何の為に特効薬を作るの、わからないよ。世界を救いたいから?そんなの…思った事ないよ。私は、ただ…紺野と一緒に…」
紺野、の名前を愛は聞き止めた。聞き覚えがあった。
「紺野って…紺野あさ美、ですか?」
真里は少し間を置いて、小さく頷いた。
「…知ってるでしょ?あの事件の被害者の紺野。私が副担任してたクラスの生徒だった。それで、私と紺野は、恋人だった」
初耳の事実に愛は驚愕して目を見開いた。まさか、あの事件の被害者と真里に関係があるなんて思いもしなかった。
「…紺野のこと、愛してた。誰よりも…」
深く重かった。その言葉にどれほどの強い思いが込められているのかは想像に難くなかった。
- 702 名前:無題。 投稿日:2004/08/09(月) 10:26
- 「その、紺野を、私は…殺したんだ」
真里は言い放った。愛はまた目を見開いた。
「…死ぬ間際、紺野言ったんだ。病気で死ぬのは嫌だ。どうせなら私に…殺されたい、って…言ったんだ。そんで…私は、紺野の首に…手を掛けて…」
愛は目を見開いたまま真里を見ていた。真里はもう泣き出しそうな表情を浮かべていた。
「あれから犯罪が急増したからあんまりマスコミには取り上げられなかったけど、裁判があったんだ。けど、紺野のご両親や紺野が遺した手紙で私は無罪になった…」
言葉を噛み殺すように言う真里に愛は何も返せなかった。
- 703 名前:chaken 投稿日:2004/08/09(月) 10:27
- 更新です。クライマックスに向けて頑張ります。
- 704 名前:chaken 投稿日:2004/08/09(月) 10:27
-
- 705 名前:chaken 投稿日:2004/08/09(月) 10:28
-
- 706 名前:無題。 投稿日:2004/08/10(火) 16:39
- 普段通りの沈黙が病室を包みこんでいた。
しかし、それは決して居心地の悪いものではなく、信頼が為す優しく穏やかな雰囲気だった。
それはまた緩やかに破られた。
「僕はね」
ひとむがベッドに座ったままぽつり、と呟いた。窓外を見つめていたあゆみがゆっくりと振り返った。
「分かってたんだ」
ひとむの表情はとても穏やかだった。つられるように優しげな表情を浮かべながらあゆみは問うた。
「何をですか?」
ひとむは少し黙りこんだ。あゆみもその先を急かす事はしなかった。
また沈黙が生まれた。
あゆみはそのひとむの様子からひとむの言葉が梨華に関する事だと悟った。
梨華に関する話をひとむはあまり語りたがらなかった。
それが心の奥底でまだ梨華の死をどこか受け入れきれていないのだとあゆみは意味付けていた。
それを語るという事は少し前に訪れた“幸せの会”での治療が関係していることは明白だった。
「分かってたんだ、梨華さんは隠していたんだろうけど…。彼女の手に包帯が巻かれてただろ?梨華さんは苦しんでたんだ。自分で自分を傷付けるほど…」
梨華は手首を切ったことをいとむに隠していた。当然だろう。梨華は自分の弱みを決してひとむの前では見せなかった。
- 707 名前:無題。 投稿日:2004/08/10(火) 16:40
- 「そこまで追い詰めてたのは僕だ…。だから気付かない振りをしてたんだ。梨華さんにもう余計な心配は掛けたくなかったから…」
ひとむは突然苦しげな表情を浮かべた。
「ずっと苦しいんだ…。梨華さんは…死んだ…。でも…諦めきれないよ…。梨華さんに…逢いたい…。声を聞きたい…。抱き締めたい…。彼女が何を思っていたのか…知りたいよ…!」
あゆみにひとむがこんな類の感情を隠し立てなく、素直に吐露したのはこれが初めてだった。
やっぱりか――。
あゆみはずっと悩んでいた。ひとむは気丈とはいえないまでもそれなりに回復したような素振りを見せていた。それでも、梨華のことにはあまり触れなかった。
それは、やはりひとむはまだ梨華の事を吹っ切れていないのが原因なのだろうか。
あゆみは常にこの命題と向き合っていた。
そして、やはりその通りだった。
ひとむは、やはりまだ梨華の事を吹っ切れていないのだ。
梨華との過去を断ち切れずにいるのだった。
「逢いたいよ…」
そのひとむの悲痛な言葉にあゆみは黙殺も傍観も出来ずにtくちくと胸を刺す痛みに耐えながら立ち尽くす事しか出来なかった。
- 708 名前:無題。 投稿日:2004/08/10(火) 16:40
- そこで病室のドアがノックされた。
「入ってもいいですか」
真里の力無い声がドア越しに届いた。その声色の弱さは福田明日香を訪ねた結果を物語っていた。
かちゃとドアが開いて二人が姿を現した。そのどこか憔悴したような二人の表情にあゆみはさらに確信を深めた。真里はベッドサイドの椅子に座ると、溜息を吐き出した。
「ダメ、だったよ…」
ひとむもあゆみも何も返さなかった。重い空気に愛も俯くしかなかった。
真里は明日香とのことを包み隠さず二人に話した。
何の為に特効薬を作るのか。その問い掛けに答えられなかった事も隠さなかった。
二人は黙って聞いていて、真里を責めようとはしなかった。
苦しげな真里の声に、責める事は出来なかったのだ。
そしてひとむはその真里の気持ちが分からない訳ではなかった。おそらく、自分が明日香にその問い掛けを出されたら、きっと自分も答えられなかった。
自分も、梨華とのことを受け入れている訳ではなかったからだ。真里と同じように、未だに振りきれずにいるのだから。
「結局さあ…」
真里は俯いたまま呟いた。三人は真里に目を向けた。
「私さ、振り切れてなかった…。ぶっちゃけ、逢いたいよ…!もう一回、逢いたい…!逢って、抱き締めたい…!」
愛はぐっと唇を噛み締めた。ひとむも俯いたまま、何かを堪えるように拳を握っていた。あゆみはなんだか居た堪れなくなった。
先ほどのひとむと同じ言葉を真里は言った。
何とかしてあげたい。しかし、自分には何も出来ない。
それが無性に悔しくて、あゆみも唇を噛み締めた。
- 709 名前:無題。 投稿日:2004/08/10(火) 16:41
- ――コンコン。
圧し掛かるように重い空気の中に軽いノックの音が響き渡った。あゆみは不思議そうにドアを見た。
回診だろうか。しかし、ひとむは実質、病気は無い。それでも入院しているのは、もう家が無いことと通常通りに生活するにはリハビリが必要だからだった。病院側もそれを了承してひとむを入院させているのだ。
回診など必要は無い。事実、今まで回診など無かった。
ならば、誰だろう。
「飯田、圭織です」
凛とした声が響いた。四人ともに聞き覚えのある声だった。それぞれに顔を見合わせた。
圭織の訪問に心当たりは無い。あゆみは困惑気味の声を返した。
「ど、どうぞ」
「失礼します」
ドアが静かに開いた。そしてスーツに身を固めた圭織と“のの”が部屋に入ってきた。“のの”も圭織と同じようにスーツを着ている。幼い顔立ちと黒いシックなスーツが不釣合いだった。あゆみは戸惑いを隠せずに尋ねた。
「あの…何で…?」
圭織は四人を見回すと、引き締まった表情で答えた。
「あなたたちに、“救済”を与えたいんです」
その言葉に真里が顔を上げて訝しげに圭織を睨んだ。その視線にはさきほどから続く苛立ちが混じっていた。
「“バーチャル映像”のことですか?あれならもう…」
「違います」
真っ直ぐと伸びるように綺麗な圭織の声が遮った。その声に含まれた表現しがたい厳しさと潔さに真里は言葉を止めた。
「あんなのじゃない。本当の“のの”の力を…」
そこまで言うと圭織はちらっと“のの”に目を移した。“のの”はにこっと笑った。
- 710 名前:無題。 投稿日:2004/08/10(火) 16:41
- 「私は言いました、あなたたちを過去から解き放ちます、って」
“のの”はゆっくりと一人ずつ四人を見た。ひとむ、あゆみ、愛、そして真里を見ると、“のの”は目を瞑った。
「大丈夫、きっと大丈夫」
あの優しい音色が響いた。
「大事な人を亡くすのは…好きな人を亡くすのは…とても悲しいこと…。まるで、自分の半分がどっか行っちゃったみたい…。だから好きな人が死んじゃうと、泣いてしまうの…」
一字一句、間違いの無い治療の前に“のの”が唱えたあの口上だった。しかし、“のの”の声は続いた。
「でも、それでも、生きていかなきゃいけないんだよ」
そこで一気に四人の意識は呑み込まれた。
愛は漸く思い出した。
初めて“幸せの会”を訪れたあの日に見た夢の中の人生の記憶。
人に尽くすことが私の幸せ――。
あれは“のの”の記憶に違いない。
認識した途端に波に攫われたように唐突に愛の意識が飛んでいった。
- 711 名前:無題。 投稿日:2004/08/10(火) 16:42
- ――さわさわ。
聞き覚えのあるような風の囁きが愛を揺らした。ぼんやりと音だけを意識しながらゆっくりと目を開けた。
そこには青空があった。
絵里と出会った日のような、快晴の空があった。
愛はじっと空を凝視していた。随分と見ていなかったような気がする青空に目を奪われていた。
そして太陽は眩しく輝いていた。愛は目を細めて手を翳した。
当然だと思っていた青空と太陽。その景色が随分と懐かしいような想いを喚起させた。その感慨は胸の奥にじんわりと染みた。
ここは、どこだろう――。
今更ながらの疑問に愛はゆっくりと体を起こした。地面には草が敷き詰められていた。背中には微かに草の露で濡れていて、ふんわりとした感触が残っていた。
それにしても――。
見覚えの無い景色だった。
まるで映画で見るような田舎町の風景。とにかく見渡す限りの草原だった。果てがある訳でもない、視界の限りに緑が敷き詰められていた。畦道も山も無い、草原だった。さわさわと風が草の頭を撫でつけている。
- 712 名前:無題。 投稿日:2004/08/10(火) 16:42
- 「ん?」
愛は漸く近くに横たわる人影に気付いた。人影は三つ。
その内の一つに目を止めた。見覚えのある紺色の制服だった。
「矢口、さん…?矢口さん」
丸まっている小柄な体を揺らすと、のそのそと体を起こした。真里は愛を見とめると疑問符を浮かべた。
「何?高橋さん…?ここは…どこ?」
草原を見渡して、真里は途方にくれたように呟いた。愛は同じように草原を見渡して首をひねった。
「わかりません…。急に意識が飛んで起きたらここにいて…。“のの”の言葉を聞いて…前と同じみたいに…」
「ってことは…“バーチャル映像”の中?」
「いや…だとしたら、何で私たちが一緒にいるんですか?」
二人は顔を見合わせるとまた首を捻った。真里は視線を落として残りの二人を見つけた。
「起こすか」
真里はひとむの肩を揺すった。愛もあゆみの体を揺する。
あゆみは病室にいたままのジーンズ姿だったが、ひとむの服装は普段の入院着ではなく、白いシャツにジーンズという服装だった。愛も真里も見た事の無い服装だ。それが余計に二人を疑念を抱かせた。
- 713 名前:無題。 投稿日:2004/08/10(火) 16:43
- どうも、“バーチャル映像”にしては不自然である。
あの装置では見た事も無い景色はおろか服装などは有り得ないのだ。ましてや病室では心拍装置や機械を取り付けた記憶は無い。圭織も何ももっていなかった。ただ、“のの”の言葉で意識は飛んだのだ。
漸くひとむとあゆみが目を覚ました。
ひとむを起こした真里はひとむの目が覚めた瞬間に小さな違和感を覚えた。
大きくぱっちりとした瞳の色は茶色がかっていた。以前の真っ黒な色とは明らかに違った。さらにその瞳はしっかりと真里を捉えていた。ぼんやりとではなく、明らかな確信を孕んで真里を捉えていたのだ。
ひとむはその瞳に真里を捉えたまま口を開いた。
「もしかして…矢口さん?」
「見えてる…の?」
呆然と目を見開いて真里が尋ねた。ひとむはこくん、と頷いた。真里はただ呆然としていた。
「う…そ…」
真里は慌てて後ろを振り返って愛と起き抜けのあゆみに叫んだ。
- 714 名前:無題。 投稿日:2004/08/10(火) 16:43
- 「吉澤さんのっ、目が見えてる!」
あゆみと愛は同様に目を見開いた。ひとむの薄らいだ茶色の瞳はしっかりと二人を捉えていた。
「あゆみに…高橋さん…かな?」
あゆみは起きあがってひとむに駆け寄るとひとむの肩をがっと掴んだ。
「見えてるんですかっ?本当に?」
信じられない、あゆみは興奮を抑えきれなかった。ひとむは微笑みながら頷いた。
「ああ、見えるよ。あゆみだ」
あゆみの目は潤んでいた。ひとむはそっとあゆみの体を抱き締めた。そして、草原を見回した。鮮やかなほどの緑。どこか懐かしい景色だった。
その緑の中に人影を見つけた。真里でも愛でもあゆみでもなく、その人影はまさしくひとむが望んで求めていた人影だった。
「え?」
ひとむは思わず呟いた。
- 715 名前:無題。 投稿日:2004/08/10(火) 16:44
- 視線の先で梨華はふんわりと笑った。風が揺らすギャザースカートを抑えながら、笑っていた。
ひとむは目の前の驚愕に目を丸くした。
あゆみは突然固まったひとむを訝しく思ってひとむの視線の先を追った。
そして、呆然と呟いた。
「梨華、さん…」
その名前に真里と愛もその人影を見た。名前には覚えがあった。
梨華――。
亡くなったひとむの妻の名前だ。
あゆみはひとむから体を離して呆然と梨華を見ていた。ひとむは立ちあがった。
「梨華さん…!」
言葉にしきれない想いを胸に抱きながら走っていく。そしてその人影を思い切り抱き締めた。
じんわりと広がる、懐かしい焦がれた梨華の体の感触だった。
「ひとむさん。とても逢いたかったです」
高い声が懐かしく耳元で響いた。間違いなく梨華の声だった。梨華の香りだった。梨華の感触だった。
以前の“幸せの会”の治療とは確実に異なる現実感があった。
自分が今、間違いなく抱き締めているのは梨華だった。
- 716 名前:無題。 投稿日:2004/08/10(火) 16:44
- そしてずっと伝えたかった言葉を口にした。
「梨華さんっ…愛してます…!」
梨華はひとむの腕の中で微笑んで答えた。
「はい…。私も、ひとむさんを愛しています…」
そして、焦がれた答えを聞いて、ひとむはさらに強く抱き寄せた。
その様子を見ながら三人は顔を見合わせた。
これはどういうことだろう――。
この世界は決して“バーチャル映像”ではない。真里や愛は梨華の顔すら知らないのだ。想像の中の世界で知らないはずの梨華が現れるなど全くもって有り得ないのである。
まさか、これが“のの”の力なのだろうか――。
だとしたら――。
- 717 名前:無題。 投稿日:2004/08/10(火) 16:45
- 「矢口先生」
木の葉の躍るような軽やかな声が真里を呼んだ。真里は背後を振り返る。
大きく輝くように潤んだ瞳が真里を捉えていた。
あさ美はゆっくりと笑った。
「久しぶりです」
真里は足が震えるのを感じた。ただ、信じられなかった。
「こ、んの…」
あさ美はふわふわとした足取りで草原を渡ってくる。そして真里の前で立ち止まった。
「紺野…紺野…!」
真里が名前を呼ぶと、あさ美は嬉しそうに顔を綻ばせる。
「はい、紺野ですよ?」
衝動が体を襲った。そして抑える間もなく、それは体中を冒して、真里はあさ美を抱き締めた。
柔らかい、温かい。
忌まわしい記憶ではない。間違いなく今、真里はあさ美と生きた時間を共有している。
今、真里はあさ美と一緒にいるのだ。
抱き締めているのだ。
「どこ、行ってたのさ…!」
「…ずっと、矢口先生を見てました」
「バカ…」
「ずっと、一緒にいましたよ?」
真里は細い肩をさらに強く抱き寄せて首筋に鼻を寄せた。
紛れもなくあさ美の香りだった。
- 718 名前:無題。 投稿日:2004/08/10(火) 16:45
- 「あゆみ、高橋さん」
真里とあさ美の様子を見守っていた愛とあゆみの背中に声が掛かった。振り向くと、梨華とひとむが並んで立っていた。
その二人は草原の背景に映って、正に理想の夫婦を思わせた。
梨華は少し色黒で、しかしとにかく綺麗だった。
幸せそうな笑みを刻んでいる梨華の表情に愛は何故か絵里のことを思い出した。
唐突だった。
突然、背中に柔らかい感触がぶつかった。
「んひゃっ」
甲高い声を上げると、耳元でくすくす、と笑い声がした。
「相変わらず、イイ体してますねぇ」
声――。
聞き間違うことのない声だった。
匂い――。
決して紛うことのない絵里の香りだった。
- 719 名前:無題。 投稿日:2004/08/10(火) 16:46
- 「喜んでくださいよ。感動の再会ですよ?」
不満そうに耳元で声が言った。愛は涙を堪えながら言い返す。
「アホぉ…絵里のアホ…」
「何でですかぁ。もうちょっと愛してるとか言って下さいよ」
「…アホやよ、アホぉ」
「ふふっ、でも逢えて嬉しいです」
「私もや…」
愛は首に回る絵里の手を確かめるように握った。
これが絵里だ。
“幸せの会”での記憶は自分の記憶だった。でも、今、自分を抱き締めている絵里は違う。
愛が予測出来ないことばかりを言って、愛を困らせる絵里だった。愛が想い続けた絵里自身だった。
「でも、これからちょっとお別れなるんですよね」
口調は変わらなかった。普段のようにふわふわとした捉えようのない声だった。
しかし、絵里の言葉を愛はどこか予想していたのかもしれない。別段、取り乱すこともなく、狼狽も無かった。
- 720 名前:無題。 投稿日:2004/08/10(火) 16:46
- 「私のナイフ、まだ持ってるんですね?」
唐突に絵里が尋ねた。愛のポケットにはあの銀のナイフが入っていた。
「あれ、あげますよ。私にはもう必要無いですから」
「…なんで?」
ふふ、と耳元で絵里が微笑んだ。
「だって高橋先輩が守ってくれるから」
きっと、こんな微笑み方をする絵里にもうナイフなど必要無いだろう。そんなことを思いながら愛も微笑みを返した。
この絵里が本当の絵里の姿なのだ。
何にも追われていない、何も抱えていない、素直な絵里の姿なのだ。
「私たちはちょっとお別れしなきゃダメなんです。でも、もう大丈夫ですよね?高橋先輩」
気付けば、あゆみも梨華もひとむも真里もあさ美も周りを囲んでいた。愛はふふ、と笑って頷いた。
「…ああ、もう大丈夫や。ちゃんと前向けるわ」
愛はちらっと真里を見やった。真里はにっと口端を上げて笑った。
「おう。もう福田さんの質問にも答えられる」
その場にいる七人はそれぞれの顔を見合わせた。
「ちゃんと前を向いて生きていきたいから。私たちが、生きてる世界だから!」
その瞬間、世界は光に包まれた。
- 721 名前:無題。 投稿日:2004/08/10(火) 16:47
-
- 722 名前:無題。 投稿日:2004/08/10(火) 16:47
- 廊下の奥にあるステンドグラスから光が差し込んでくる。
主にリハビリに使われる長い廊下にはひとむ以外の使用者はいなかった。脇のソファには真里が腰掛けて、新聞を読んでいた。
ひとむの視力は段々と戻り始めていた。
多少は歩けるようになっていたが、車椅子生活が長かったせいでリハビリが必要なのだ。
視力の方には実のところ梨華の流産による精神的な影響の方が多かったらしい。
その精神的なショックも漸く乗り越えて視力は回復していた。
瞳の色もだんだんと茶色が戻ってきている。
真里は手摺につかまって歩くひとむにのんびりとした声をかけた。
「来週、退院だっけ?」
「ええ…っ。矢口さんもそろそろ職場復帰でしょ?」
「…まぁね」
真里は新聞から目を離さずに答えた。
ひとむには退院の許可が出た。視力も近い内に完全に回復するとの見通しだ。
- 723 名前:無題。 投稿日:2004/08/10(火) 16:47
- ひとむはあゆみと共に暮らすことを決断した。
近い内には父が遺した会社も継ぐ予定になっている。ひとむの希望で決まった復帰に社内に反対の声はなかった。
梨華との新居は売却した。しかし、梨華とのことを忘れたわけではない。あの日、梨華と逢って、ちゃんと受け入れることを約束したのだ。
前を向いて生きていくことを。
それは真里も同じだった。
真里はもとの高校への職場復帰が決まった。休学も終わって、愛はもう学校へ通っている。
真里の復帰に際してはあさ美の事件も関係して色々と問題やらがあったが、もともと事件の真相を知っている教師や生徒は真里を受け入れてくれた。もちろんそれには圭の手助けもあった。
- 724 名前:無題。 投稿日:2004/08/10(火) 16:48
- 沈黙が続く中、真里は新聞の文字をそのままなぞった。
「世界再生計画、かぁ」
紙面にはでかでかとその言葉が記されていた。ひとむははは、と笑った。
「雲を取り除いたので資金尽きたって聞きましたけど?」
「いや、何か資金提供者がどんどん増えてるって」
世界再生計画。
その計画が表立ったのは少し前だった。
世界の破壊、主に環境汚染などに対して人々から有志で資金を募り、大規模な対策を打つという計画だ。
何とも人任せだと当初は批判の的だったが、不思議なほど資金提供者は尽きず、遂に計画は始動した。
その第一弾として行われたのが、雲の切除である。
雲を分解する物質とそれを撒く機械の開発によって、見事に成功を収めて、雲や異常気象は良い方向に向かっている。
奇跡だと称えられる功績でさらに資金提供者は増える。続く計画は次々と予定されている。
- 725 名前:無題。 投稿日:2004/08/10(火) 16:48
- 「福田明日香さん、ノーベル生物賞だってさ」
「ああ、そりゃあそうでしょう」
「まぁねぇ」
真里と愛は福田明日香を説得した。
特効薬を作ってくれるように、と“のの”の“救済”によって得た答えを示した。
「私は誰かを愛したことがありません。大切に思ったこともありません。愛とやらを信じたことも…でも…少しだけ信じてみる気になれるかもしれません」
相変わらずの無表情で明日香は答えた。
もともと、あの感染症のウイルスに関する研究は進めていたらしい。その為、異例のスピードで特効薬を作った。
福田明日香の名前はヒーローとして世界中に知られたが、明日香自身の人嫌いは相変わらずで、まだあの研究所に一人でこもって研究を続けているらしい。
- 726 名前:無題。 投稿日:2004/08/10(火) 16:49
- 「矢口さんって自警団やめたんですか?」
ひとむが唐突に問いかけた。回りに誰もいないので、やけに声高に響いた。
「うん。復帰決まってからね。そういや、FWPとKPPって合併するらしいね」
「KPPって“幸せの会”?」
「そ。“のの”も忙しいらしいよ。自警団の組織と合併することできちんとした組織として世間に認知される。“のの”は救世主としては表に出なくなるって」
「救世主としては?」
「色々、あの力でお偉いさんとかを救うらしいよ。裏方に回るってことかな」
“のの”の本当の力を二人は実際に体験した。
あれは何かのトリックも無く、本当の“のの”の力だという。
精神的には何か理論があるらしいが詳しくは解明されていない。
とにかくあれで“のの”は世界を救いたいと言っていた。
人に尽くすことが私の幸せだから、と――。
「矢口先生。吉澤さん」
ジュースを持ったあゆみと共に現れたのは制服姿の愛だった。
「頑張っとるん?」
愛がひとむに尋ねた。ひとむは笑って答えた。
「ああ、一応ね」
愛はちらっと真里を目に留めた。真里は愛と目があうとふと思い出した。
- 727 名前:無題。 投稿日:2004/08/10(火) 16:50
- 「あ、そうだ」
真里は新聞を閉じた。ジーンズのポケットを探ってある封筒を取り出した。
「頼まれ物があったんだ」
「頼まれ物?」
愛は鸚鵡返しに聞き返した。ああ、と真里は封筒を手渡した。
「“のの”からの手紙」
愛は真里に頭を下げて、封筒を持って病院を出た。
中庭にはちらほらと人影が確認出来た。病院の前の通りにも車が頻繁に通るようになった。
以前の無人の街の面影は全く無い。
まるであの世界が嘘だったかのように――。
愛は近くにあった木陰のベンチに腰を下ろした。そしてそっと封を切って中から便箋を取り出した。
丸っこい文字でつらつらと書かれている文章を追う。
- 728 名前:無題。 投稿日:2004/08/10(火) 16:50
- “高橋愛 様へ。
えーと、久しぶりです。
今、私はパリにいます。
私の力でたくさんの人を救うために飯田さんと一緒に世界を回って、忙しい毎日を過ごしています。
“幸せの会”で初めてあなたたちを治療した時には私にはまだ力は無かった。
救世主として騙すだけしかできなかった。
飯田さんのなんとかっていう装置に頼ってスポンサーを募っていたのは、“幸せの会”を大きくして、もっと世界の為に出来ることをしたいっていう飯田さんに賛成したからです。
でも、あなたたちに会ってすぐ、力に目覚めました。
その頃、私は矢口さんや高橋さんや吉澤さんを救えなかった自分を悔しく思っていました。
だから、きっと神様があなたたちを救う力をくれたんだと思います。
こうして手紙を書いたのはあなたに聞きたいことがあったからです。あなたの意識に触れて、とても聞きたく思って手紙を書きました。
ののはたくさんの人を救って世界を愛で満たしたいと思っています。
世界は愛で満ち溢れています。
あなたの世界は愛で満ち溢れていますか?
ののより。”
- 729 名前:無題。 投稿日:2004/08/10(火) 16:50
- 「ふふ…」
愛は笑みを溢すと、ベンチを立った。便箋を封筒にしまってポケットに押し込んだ。
愛は中庭の中央に立った。
太陽の光が愛の肌を容赦なく照り付ける。
あなたの世界は愛で満ち溢れていますか?――。
愛は青空を見上げて、眩しそうに目を細めた。
雲一つ無い、空だった。
- 730 名前:無題。 投稿日:2004/08/10(火) 16:52
-
『あなたの世界は愛で満ち溢れていますか?』
+++Fine+++
- 731 名前:chaken 投稿日:2004/08/10(火) 16:53
- 「無題。」これで完結です。
これから言い訳っぽいあとがき書くんで見たくない方は飛ばしてください。
- 732 名前:chaken 投稿日:2004/08/10(火) 17:05
- ネタバレ注意。(みたくないなら飛ばして)
まず、この「無題。」という作品は物語の完成度としてはあまり高くないものとして仕上がってしまいました。
初めは短編の高亀で終わる予定だったのですが、終わり方があまりにもアレだったので、いしよし編、やぐこん編と続けることにしました。
キャラに関して。
吉澤はまぁ止むを得ず男性になってしまいました。
いしよし夫婦というのは自分でも書きたかったので良い経験になりました。
物語全体として。
やはり設定がネックでした。あまり上手く出来なかったのはやはり文才のなさでしょう。
ツジツマ合わせを繰り返して、設定はごっちゃに…。
あっちをやったらこっちも変えなきゃ、といった具合にこれほど振り回された作品は初めてです。
小道具について。
小道具を上手く使うということはやはり難しいですね。
まず高亀の場合はナイフ。
いしよしの場合はなんでしょう…指輪、かな(汗)。
やぐこんはハンカチとお守り。
どれも最後の方になると忘れてしまって上手くいかせませんでした。
- 733 名前:chaken 投稿日:2004/08/10(火) 17:14
- えーと、物語の変化を表す大道具(っていうのかな)は天気です。
まず、舞台設定の象徴として描いた太陽のない世界。
これが曲者でなかなか説明のしようのない設定です。
天気はすべてのカップリングにスパイスとして登場させています。
高亀は出会った日の天気が快晴で、それから紆余曲折を経て、亀井が死ぬ時には鉛色の空になる。物語の変化を天気と共に表しています。
いしよしの場合は吉澤の失明と天気、赤い空という景色との関係に特別な意味を持たせました。
やぐこんはなんといっても紺野が死ぬ時の雨の表現です。あれが全てです。
色々苦労しましたが、中篇(長編かな?)を一本書き上げたのは自信に繋がると思います。
これからもこの経験を生かして書いていきたいと思います。
長々と女々しい愚痴、申し訳ない。
このスレですが、更新はもうしません。
もし、また書くことがあれば、スレ立てますのでその時はまたよろしくお願いします。
なんといってもレスが一番の励みになりますし、感想を直で聞けるのはありがたいです。
それでは、(機会があれば)また。
- 734 名前:chaken 投稿日:2004/08/10(火) 17:14
-
- 735 名前:chaken 投稿日:2004/08/10(火) 17:15
-
- 736 名前:chaken 投稿日:2004/08/10(火) 17:15
-
- 737 名前:chaken 投稿日:2004/08/10(火) 17:17
- 最後にage。
- 738 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/10(火) 19:30
- 完結お疲れ様でした。
なるほど、こうなりましたか・・・。
空模様・・・読んでいるだけでその場面の風景が目に浮かぶ様でした。
また新作を書かれる時を楽しみにしています。
良いお話をありがとうございました。
- 739 名前:名無し読者 投稿日:2004/08/10(火) 19:54
- 完結お疲れ様でした。
感動をどうもありがとうございました(涙
あとがき(?)を読んでて、「あぁ、こんなに細かいところまで気にしてたんだ」とか
「なるほど。これはこういう意味だったんだ。」とか思っちゃうんですね。
chakenさん、あなたすごいですよ。
新作を心から楽しみにしています。
また、どこかで会えばいいですね。
- 740 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/10(火) 23:12
- 完結お疲れさまです。たしかにハンカチとお守りはw
とにかく面白かったです。時々見られた独特の表現もすごく良かったし
文章力を鍛えて後々『完全版』なんて書いたら大ヒット間違い無しですよ(この界隈で)
- 741 名前:chaken 投稿日:2004/08/16(月) 15:44
- レス返しを。
738様。目に浮かぶような景色。
いやー、実はいつもそれを意識して書いています。また、一番言われたかったことなのでありがたいです。
739様。感動していただけましたか!ありがたい言葉、どうもです。
あとがきはまあ、見ての通りです。言い訳っぽいです(w
740様。ハンカチとお守り…勘弁してくださいな(w。確かにアレは使えませんでしたねえ。
完全版っすか。いつか挑戦したいですね。いつか…多分(w
- 742 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/17(火) 04:11
- 倉庫に行かなかったみたいなので、よかったら新作スレたてたら教えて下すわい
- 743 名前:chaken 投稿日:2004/08/17(火) 12:46
- <742様。
倉庫行きにならなかったみたいですね。
新スレ、立てたら報告します。
- 744 名前:chaken 投稿日:2004/11/18(木) 19:23
- 銀板に新スレ立てました。
- 745 名前:chaken 投稿日:2004/11/18(木) 19:58
- http://m-seek.net/cgi-bin/test/read.cgi/silver/1100773293/
「赤い夜の空に祈ること」
リンク張っておきます。
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