出逢いと別れ
- 1 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/16(水) 18:58
- いきなりですが、なちよしを書きます。
某なちよしヲタさんに贈りたいと思います。
不定期な更新になると思いますが、ひとつ、宜しくお願い致します。
諸事情ございまして、レスには答えられないと思いますが、
ご感想・ご批評は大歓迎ですので、お気軽に書き込んで下さい。
- 2 名前:第一章・カテキョ 投稿日:2004/06/16(水) 19:00
- 〔青天の霹靂〕
初夏の夕方、私はオフクロに呼ばれて一階に降りていった。
オフクロはリビングのソファに座り、まったりとした時を楽しんでる。
西日が庭木の間から差し込み、少しだけ室温が上がっていた。
私はオフクロの前に座って、テーブルの上にあるクッキーをつまむ。
すると、オフクロは信じられない事を言ってのけた。
「す、住み込みのカテキョ?」
これには驚いた。いくら私の成績が悪いといっても、
まさかカテキョを住み込みさせて勉強させるとは。
私の家は個人病院。オヤジは凄腕の外科医で、オフクロは看護部長。
こんな家庭環境だから、私も理科系進学クラスにさせられた。
「その方が、勉強も捗るでしょう?」
オフクロは呑気に紅茶を飲みながら言うけど、
私にとってみれば大問題もいいとこだよ。
私の自由はどうなる? 私のまったりした時間は?
私のプライバシーは? 私の貞操はどうなるんだァ!
「じょ、冗談じゃねーよ! オレが犯されてもいいのかよっ!」
住み込みのカテキョなんて、まっぴらごめんだ。
この家の二階は、私のオアシスだというのに、
むさ苦しい男なんかが来たら、空気が汚れてしまう。
嫌だ。絶対に嫌だ。そっちがその気なら、私にも考えがある。
確か、学校の寮が一室だけ開いているはずだ。
- 3 名前:第一章・カテキョ 投稿日:2004/06/16(水) 19:00
- 「何を言ってるの? 若い女の子よ」
「へっ?」
理数系のカテキョだから男かと思ったら、どうやら女性らしい。
しかし、理数系の女なんて、不細工なのが多いからなァ。
理科系の大学ってのは、極端に女の子が少ないから、
えらい不細工な女でもモテモテって話だった。
男で二十歳くらいは、やりたい盛りだという。
そんな狼の群れの中に雌を放り込めば、間違って食べてしまうのもいる。
既成事実が出来てしまえば、こうした不細工女は強気に出るものだ。
「ま、まあ、女でもだ。汗っぽいのは嫌だよ。汗っぽいのは」
私も決して痩せているわけではないけど、不健康に太った女の汗は臭い。
おまけに皮下脂肪まで汗と一緒に出てくるから、皮膚が妙にベトついてる。
そんな女に限って「あたし、少食なんだよ」なんて言ったりするんだ。
少食で痩せねーのは人間じゃねーっての! 光合成でもしてんだろ!
「お父さんの恩師のお孫さんでね。可愛らしい娘さんよ」
「まさか、オレより年下なんてこたーねーだろうな。
年下のカテキョなんて洒落になんねーからよ」
バレー部の後輩の辻希美みたいなのがカテキョだったら恐ろしいからなァ。
「その因数分解は間違ってるのれす」「三平方の定理は・・・・・・」
なんて舌足らずに言われたら、きっとぶっ殺しちまうだろうなァ。
やっぱり、カテキョは女子大生のお姉さんじゃねーとよ。
柔らかそうな長いストレートの髪で、白いブラウスが似合う人。
背がスラッと高くて、笑顔の素敵な人がいいなァ。
- 4 名前:第一章・カテキョ 投稿日:2004/06/16(水) 19:01
- 「大学四年生よ。今年は就職で忙しいみたいね」
やったー! 最低条件の女子大生はクリア!
大学四年って事は、二十一か二十二くらいだな。
・・・・・・可愛いって、どんな感じかなァ。
クラス委員の梨華ちゃんみたいな感じかなァ。
それとも、美貴ちゃんかなァ。ごっちんかなァ。
「それで、部屋はどうするの?」
家族はたった三人だってのに、この家は5LDK+Sなんて広さだ。
使ってもない部屋が三個もあって、過疎化した田舎の家みたい。
私が結婚した時のために、二階にはキッチンやバス・トイレまでついてる。
今どき次男坊や三男坊なんて、十人に一人もいやしないのに。
「あんたの隣の部屋に入って貰おうかと思って」
「冗談じゃねえよ!」
何かと思ったら監視じゃねーか!
CIAか? KGBか? モサドか?
可憐な女子高生を監視して何が楽しいんだ!
オレだって青春したい! 遊びたい!
イケナイコトもしてみたい!
「何を怒ってるの? あんたが真中の部屋を占領してるんでしょう?」
・・・・・・そうだった。二階は三部屋しかなかったんだ。
一階にはオヤジがいるから、どうしても二階になっちゃうんだろうなァ。
ああ、オレの青春も終わりかよ。短い青春だったなァ。
- 5 名前:第一章・カテキョ 投稿日:2004/06/16(水) 19:02
- 「ったく! 判ったよ! 勉強漬けで発狂すればいいんだろ?」
「あ・ん・た・の・た・め・で・しょう!」
うっ! オフクロはこえーからなァ。
ブチキレると、パーシモンのゴルフクラブやら、
王貞治のサイン入りバットを持ち出して暴れやがる。
止めに入ったオヤジの額に、七針も縫う裂傷を負わせた。
この間も私の成績が悪いからって、スリーパーホールドで落とされたっけ。
下手に逆らおうものなら、命がいくつあっても足りない。
「・・・・・・はい」
くそっ! まだ八時だけど、もう寝る。
勉強漬けなんて嫌だよ。・・・・・・嫌だよ。
- 6 名前:第一章・カテキョ 投稿日:2004/06/16(水) 19:02
- 〔出逢い〕
梅雨の中休み。今日はそんな天気だった。
昨夜まで降っていた雨があがり、アジサイの葉の上を、
カタツムリの親子が、実にゆっくりと移動している。
切れかかった雲の隙間から青空が見え隠れし、
家の前のアスファルトが急速に乾いてゆく。
私の家から聖ダルセーニョ女子学園までは、
普通に歩いて二十分くらいの距離。
私はいつも八時に家を出ていた。
「よっC、おはよぉ」
作ったような声は、小学校から一緒の梨華ちゃんだ。
ちょっと色は黒いけど、このところ急に女らしくなった。
梨華ちゃんは細い割に胸は大きいし、ウエストは締まってる。
私のようにズンドウで、ブカブカのBカップじゃない。
彼女には、こうした身体が似合ってる。
でも、私はこんなエロい身体なんてごめんだ。
「あのさー、いつまで『よっC』なのかなァ」
私は中学時代から『よっC』って呼ばれていた。
中学のバレー部で、私はセンターをやっていて、
特にCクイックを得意としていたのに由来する。
それをどう勘違いしたのか、いやらしい眼つきで、
「俺にもやらせろ」なんて男がいたから困った。
頭にきたから金属バットで殴ってやると、
それが話題になって、何も言われなくなった。
- 7 名前:第一章・カテキョ 投稿日:2004/06/16(水) 19:03
- 「あちゃー、ご機嫌ナナメ?」
梨華ちゃんは顔を顰めながら、困ったように舌を出す。
そんな仕草は、小学校の時からまったく変わってない。
私にとっては親友なんだけど、クサレ縁的要素も強かった。
いつも泣く寸前まで笑っている梨華ちゃん。
時に、その笑顔が煩わしくなる事があった。
「いつも明るくていいね。ホルスタイン梨華ちゃんは」
私は「あーん、待ってよぉ」という梨華ちゃんの声を聞きながら、
一人でどんどん先に歩いて行ってしまった。
雲の隙間から眩しい太陽の光が差し込み、
もうすぐそこまで燃える夏がやってきていた。
- 8 名前:第一章・カテキョ 投稿日:2004/06/16(水) 19:04
- 私の席の前に梨華ちゃんが座ってる。右横がごっちんで、左が美貴ちゃんだ。
私達は聖ダルセーニョ女子学園高等部の美少女四人組。
二年生の松浦や高橋、斎藤は次期美少女三人組ってとこか。
一年生の辻・加護・紺野・小川は、自ら『新美少女四人組』なんて言ってる。
私が小川に「お前は違う」って言ったら、マジで怒ってたっけ。
「なんて夢観ちゃってさー」
「アハハハハ・・・・・・辻がよっCのカテキョ?」
美貴ちゃんは可笑しそうに笑ってる。
そりゃ可笑しいよなァ。辻は頭がわりーから。
一年生の実力テストじゃ、紺野がぶっちぎりの一番。
この学校も、いくら女子高だからって、
成績を廊下に貼り出すとは情け容赦ねーよな。
紺野と反対側のぶっちぎり一位は辻だった。
「でもよー、住み込みのカテキョなんて洒落になんねーよ」
同情して頷く梨華ちゃんは、マジで可愛いなァ。
ついつい抱きしめてブチュっとしてみたくなる。
梨華ちゃんは身体が柔らかいから、あんな事やこんな事・・・・・・。
い、いかん! 何を考えてるんだ私は!
「そうだよね。これこそ監理教育」
ごっちんも、たまにはいい事言うなァ。
私は一日中、監理される事になる。
それは日本国憲法の三大原則のひとつ、
基本的人権の尊重を踏み躙るものだ。
- 9 名前:第一章・カテキョ 投稿日:2004/06/16(水) 19:04
- 「ゴルァ! 席につかんか!」
おっと、担任の裕ちゃんじゃんか。
この人も、もう三十だってのに、まだ結婚しねーな。
あの性格じゃ、男も寄り付かないってか?
・・・・・・あの女は誰だァ? 新しい事務員かァ?
「静かにせえ! ええか? 教育実習の先生やで」
教育実習? あれは五月じゃなかったか?
それにしても童顔だなァ。あれじゃ高校生で通るぞ。
辻や加護と一緒にいても、全然、違和感がねーじゃんか。
しかも、一年生と同じ赤いジャージ姿だし。
「安倍なつみです。これから三週間、みなさんと日本史の勉強を・・・・・・」
「ねえ、彼氏いるの?」
美貴ちゃん! それじゃ、コギャルと同じだよ。
せめて「恋人はいますか?」くらいにしないと。
ほらほら、あの困惑した顔。可哀想じゃん。
ママに言いつけられたら大変だよー。
「藤本、勘弁してやりや。困っとるで」
さすが裕ちゃん。ナイスフォローだね!
あらら・・・・・・赤くなっちゃって。
ほらほら、笑われてるよ。頑張れ実習生!
「そんな事は関係ありません!」とか、
「舐めんなこのガキ!」くらい言ってみろよ。
- 10 名前:第一章・カテキョ 投稿日:2004/06/16(水) 19:05
- 「藤本さん。でしたね? あなたには彼氏がいるんですか?」
「それは・・・・・・」
「答えられませんか? 自分で答えられない事を、人に訊くのはどうでしょうね」
「・・・・・・ごめんなさい」
おお、やるじゃんかァ。みんなシーンとなっちまったァ。
そうだよなァ。聖ダルセーニョ学園の生徒は、基本的に処女じゃねーと。
何しろ尼さん系の学校だからよ。不順異性交遊=即退学だからなァ。
昔は「男を誘う」とかで、登下校の際には眼だけしか出せなかったそうだ。
イスラム教じゃねーんだからよ。そんなに息苦しいのだけは勘弁してほしいなァ。
「謝ることはありません。私は提案したんですから。
でも、人を好きになるって、素晴らしい事だと思います」
恋愛か・・・・・・こういった話は苦手だなァ。
イケナイコトには興味あるけど、何だか面倒臭そうだし。
そういった方向に直結する私って、おかしいのかなァ。
男は高校くらいになると、やりたい盛りだとはゆーけど。
ああ、私も男っぽいって言われるしなァ。
私もやりてー盛りなのかなァ。
「ね? 中澤先生」
「へっ? ああ、ああ、そやな。そやで」
人を好きになるか・・・・・・私はどうなんだろう。
梨華ちゃんや美貴ちゃん、ごっちんは大好きだよ。
オヤジやオフクロだって好きだしね。
それとは違うのかなァ。よくわかんねーや。
- 11 名前:第一章・カテキョ 投稿日:2004/06/16(水) 19:05
- 「あのぉ・・・・・・」
「何や石川。安倍先生に質問け?」
梨華ちゃんはクラス委員だから、裕ちゃんも一目おいてる。
品行方正、容姿端麗、頭脳明晰、そして体系抜群だった。
これで色が白ければ、凄まじくエロい女子高生ってとこだ。
それこそ、元空挺部隊みたいな護衛をつけないと、
やりたい盛りのガキどもの餌食になるだろうね。
「同性の恋愛って、イケナイコトなんでしょうか」
「アホ! いいも悪いもあらへんわ! ええか? そんな勿体無いこと・・・・・・」
裕子! そこまで男に飢えてたのかよ!
勿体無いとか、そういった問題じゃねーっての!
これはデリケートな問題なんだよっ!
「石川さんですか? 同性の恋愛だって、あっていいと思います」
同性の恋愛? ああ、レズとかホモとか言われるやつだろ?
よくわかんねーけど、線引きが曖昧なのに、何で差別するんだろう。
それなら、バイセクシャルの場合はどうなるんだろうね。
「そうなんですかぁ」
「ただし、あくまで少数派ですから、それなりの覚悟は必要でしょうね」
そういえば、繁殖が悪だった時代、同性愛は奨励されたんだった。
限りある食糧の消費を抑えるため、産児制限のあった時代もある。
そうした時、絶対に妊娠しない同性愛は、猛威をふるったらしい。
それが背徳的であるといった感覚は、ごく最近になって生まれた。
- 12 名前:第一章・カテキョ 投稿日:2004/06/16(水) 19:06
- 「日本史の中で、同性愛が蔓延した理由を考えてみましょう」
へえ、独特の世界を持った人なんだなァ。
物凄くクリスタルな心がチラッと見えた気がする。
ああ、一生懸命なんだ。この人は、どんな時でもそうなのかなァ。
それだけ不器用なのかもしれないけど、どうしてだろう。
私は、こういった人が好きなんだよなァ。
「みなさんは織田信長に、どういったイメージがありますか?」
「残酷。先鋭的。下克上。鉄砲。金持ち」
「恐怖政治。多産系。うつけ者。イケメン」
「桶狭間。姉川。長篠。敦盛。高身長」
織田信長は中世以前の体制を破壊した張本人だったなァ。
現代だったらレーニンや毛沢東以上の革命家なのかもしれねー。
信長は明を攻略しようとしてたらしいから、もしそうなったら、
『信長語録』の携帯を義務づけたりしたのかなァ。
「織田信長って、バイセクシャルだったんですよ」
「ええっ! そんなー」
「この時代は、バイセクシャルが普通だったんです」
おお! これは新ネタじゃねーかァ。
女子高生に大人気の織田信長がバイセクシャル?
まさか、家康や秀吉と・・・・・・。
秀吉はねーよなァ。あくまで家来だからよ。
それでも、信長は二十人くらい子供を作ってるよなァ。
イケナイコトが好きだったの? おお! 絶倫!
- 13 名前:第一章・カテキョ 投稿日:2004/06/16(水) 19:06
- 「あまり信頼出来る史料ではありませんが、
武田信玄や上杉謙信もバイセクシャルだったといいます」
そういえば、何かの本で読んだ事があるぞ。
戦国時代は合戦が長引くと、男同士で×××をしちゃったらしい。
合戦大好き人間の上杉謙信は、生涯独身を貫いた人。
あっちの方は、男同士だった可能性が強いなァ。
何しろ北条家から養子(景勝)を貰ったくらいだし。
「時代によって、バイセクシャルは肯定もされ、否定もされたんですね」
「太古の時代には、人口の増加が死活問題だったそうや。
『楢山節考』にもあるように、生産性のなくなった人は捨てられるんやね。
なんでかっちゅーと、人口の増加は、食糧問題にまで発展したんや。
だからこそ、そうした時代には、繁殖しない恋愛が奨励された。
同性でいくら×××しても、けっして妊娠したりしないからや」
なるほど。バイセクシャルを奨励して、人口増加を抑制するのかァ。
同性愛だけを奨励すると、その後の生産人口に影響が出るって事だな。
それがバイセクシャルなら、奨励・禁止を計画的に繰りかえせば、
自然に増加する人口を自由に調節出来るわけだ。
「バイセクシャルというのは、同性愛者とは別なんです。
つまり、相手の性を二義的に考えているという事ですね」
へえ、そうなんだ。この人は頭がいいなァ。
って事は、まず人間として相手を好きになるんだな?
そりゃ崇高な事じゃねーか。いや、いいねえ!
バイセクシャルマンセーじゃねーか。
- 14 名前:第一章・カテキョ 投稿日:2004/06/16(水) 19:07
- 「それじゃ、教科書の117ページを開いて下さい。
今日は『楽市楽座』について勉強しましょう」
安倍なつみっていうのか。可愛らしい人だなァ。
裕ちゃんより判りやすい話をするし。
あんな人がカテキョだったらなァ。
でも、社会科の教諭の卵じゃ理科系は無理か。
「室町時代以前は、米の生産量で大名の力が決まっていました。
でも、戦国時代に入ると、そんな悠長な事なんか言ってられません。
各大名は国力を上げるためには、手段を選ばなかったんですね」
その結果、大名は商業に力を入れたんだよなァ。
でも、どの大名も試行錯誤してて、効果的な商業保護が出来なかった。
そうした中、織田信長が美濃や近江で行われた楽市に眼をつけたんだ。
関所を廃止して、誰でも自由に商売が出来るようにしたんだよね。
市や座の特権を廃止して、大名が直接売上税を徴収する。
これで信長は、大金持ちになったんだったよなァ。
「それでは、なぜ、織田信長が商業を保護したのかを考えてみましょう」
日本史かァ。オレは国立なんて行ける頭じゃねーから、必要ねーもんなァ。
それ以前に、理科系の大学に行ける頭なんてものもねーし。
カテキョに勉強を教わって、どこまで成績が上がるんだろう。
何か鬱になっちゃうよなァ。バレーでもやってた方がいいな。
- 15 名前:第一章・カテキョ 投稿日:2004/06/16(水) 19:07
- 六時間目が終わって下校時間になると、もう四時になっちゃう。
今の時期はいいけど、冬なんかは、もう暗くなり始めてる。
朝は晴れてたのに、午後から雨が降ってきたし、何か鬱になるなァ。
えーと、傘はどこだったっけかな。
「よっC、マック(関西ではマクド)寄っていこうよぉ」
梨華ちゃんかァ。最近、特にエロい身体になってきたなァ。
小学生の時は太ってたのによ。女ってわかんねーな。
こうして騙される男が、いったい何人いるんだろう。
女子高生はある意味、ステータスなんだけど、
この時期の女の子は、一番可愛い年頃じゃないかなァ。
中には「小学生が最高」なんていう危ない男もいるんだけどね。
この前も、辻と加護をナンパしてる危ない男がいたっけ。
「梨華ちゃん、美貴も行くよ」
最近、美貴ちゃんがくっついてくるなァ。
美貴ちゃんは、ごっちんと仲がよかったのに。
まあ、私は大らかなO型だからね。
来る者は拒まず、行く者は追わずだな。
でも、梨華ちゃんが離れちゃったら寂しいな。
何しろ十年以上の付き合いだから。
「よっCも行くよね?」
ごっちんも行くのか。行きたいな。
でも、今日は早く帰らないといけない。
私の監視役、住み込みのカテキョが来る日だから。
- 16 名前:第一章・カテキョ 投稿日:2004/06/16(水) 19:08
- 「ごめん、今日は行けないんだ。住み込みのカテキョが来る日だから」
「そぉ、残念だわぁ」
梨華ちゃんは、本当に残念そうな顔をしてくれる。
私もカテキョさえ来なかったら・・・・・・うおおおおおー!
あぶねー! ブチキレそうだった。
「ごめんね。梨華ちゃん」
ああ、一緒に行きてーなァ。
こうなっちゃうのも、一人娘の宿命だなー。
ごっちんみたいに大家族ならいいのに。
子供ってのは、親ばかりは選べねーし。
これから毎日、行動を監視されるのかなァ。
私の青春は、どこに行ったんだー!
「じゃあね。悲しいよー」
私は後ろ髪を引かれつつ、雨に濡れる校舎を後にした。
- 17 名前:第一章・カテキョ 投稿日:2004/06/16(水) 19:08
- この時期の雨は、霧雨までいかないけど、弱くてベトベトしてる。
ルーズソックスには泥が跳ねてるし、膝は雨で濡れて気持ち悪かった。
空気中に漂ってるカビの胞子が、私の体内で繁殖しそうだから怖い。
清潔な水と私に能力があれば、内臓を全て掻きだして洗いたいくらいだ。
「ただいまー」
誰もいない家に帰るのは、もう私の生活の一部だった。
幼い頃から両親は共働きで、物質的な裕福とは裏腹に、
精神的な豊かさとは縁遠い家と言ってもいい。
梨華ちゃんが両親とディズニーランドへ行った話を、
私は小学校低学年の時に聞いていた。羨ましかった。
ディズニーランドへ行った事が羨ましかったわけじゃない。
両親と遊びに行けた事が羨ましかった。
「今日のおやつは・・・・・・」
冷蔵庫の中には、買ってきたプリンがあった。
このプリンを食べて、夜九時の夕食まで待つ。
その時間まで、私は勉強したりテレビを観たり、
お風呂に入ったり、梨華ちゃんとメールしたりした。
「プリンか・・・・・・」
このイライラするほど甘いプリンには、何の愛情も感じられない。
私は空腹だった。私には温かい食べ物が必要だった。
友達と一緒にいると、この空腹を忘れる事が出来た。
別に親を恨んではいない。それほど私はガキじゃない。
- 18 名前:第一章・カテキョ 投稿日:2004/06/16(水) 19:08
- 「タバコでも吸っちゃおうかなァ」
私は部屋に上がると、机の引出しからマイルドセブンを出した。
喫茶店から持ってきた紙マッチを使って火をつけてみる。
煙い。美味しくない。何が楽しくてタバコなんて吸うんだろう。
オヤジはタバコこそ身体を蝕むものだと言っていた。
タバコを吸う人は、自分の身体を壊すために吸ってるの?
私には判らない。私には。
「うげっ、気分が悪くなってきた」
私はタバコをトイレに捨て、部屋の換気をした。
冷たくて、それでいて湿った空気が流れ込んでくる。
この不快感は私の心と似ていた。
寒くて震えているのに、汗をかいてしまう。
私は制服を脱いだ。全裸になる。勿論、靴下も。
ここにいる私は、男を誘惑する罪深い女。
けっして芸術的な身体なんかじゃなかった。
でも、それが私。裸の私だった。
「・・・・・・眠い」
ベッドに倒れ込むと、途端に睡魔が襲ってくる。
夏がけの羽毛布団に潜り込むと、不快感も心地よくなってきた。
汗の臭いと、タバコの口臭に吐き気がする。
このまま身体が壊れてしまっても、ドラマチックでいい。
希望は破壊の向こうにある。創造は破壊されるためにある。
破壊は・・・・・・破壊は・・・・・・。
- 19 名前:第一章・カテキョ 投稿日:2004/06/16(水) 19:09
- どのくらい寝たんだろう。
雨がやんで、さらに湿気を帯びた空気が入ってきていた。
身体中の毛穴が詰まってる感じがする。
シャワーを浴びたい。熱いシャワーを。
私は勢いよく起き上がると、
スウェットの上下を着てバスルームに向かった。
「ん?」
バスルームからシャンプーの匂いがする。
オフクロが二階のバスルームを使ったのかなァ。
おまけに電気までついてるし。
まあ、どうでもいっか。
私はバスルームのドアを開けた。
「ぎょえー!」
「うわァ! 何だ?」
オフクロかと思ったら、若い女がいるじゃねーか!
ちょっと太めの小柄な女じゃんか。
何で見たこともねー女が湯船に浸かってるんだァ?
「ドアを閉めてほしいべさ。じゃないと大声だすべよ」
「っていうか、あんたは誰?」
そういえば、今日からカテキョが来るって言ってたなァ。
もしかすると、このコロコロしたのがカテキョ?
そうだったら私は泣くぞ。髪は短いし、ちっともお姉さんじゃない。
おまけに、聞いたこともねー方言があるじゃねーか。
- 20 名前:第一章・カテキョ 投稿日:2004/06/16(水) 19:09
- 「あ、安倍なつみ。君は?」
「ああ、オレはひとみ・・・・・・安倍? 安倍先生?」
何てことだ! 教育実習の安倍なつみ先生じゃねーか!
高校の教育実習生が、何でこんなところに?
そうか! こいつは夢だ。夢なんだ。
ほっぺをつねってみれば・・・・・・痛いよ!
これは夢じゃねーのか? だったらどうなってんだよ!
「ひ、ひとみちゃん! 女の子だったんだべか?」
「どーゆー意味だゴルァ!」
安倍先生は、私を男の子だと思ったらしい。
たしかにボーイッシュだとは言われるけど、
ストレートに男と間違えられたのは初めてだ。
腹が立った反面、自分の容姿に自信がなくなってきた。
これでも中学時代は、山内美加の再来と言われたもんだ。
「アハハハハ・・・・・・もうじきご飯だべよ」
「あんた、オレに見覚えねーか?」
「ああっ! ・・・・・・誰だっけ?」
この女は天然なのか、ボケてるのか。
聖ダルセーニョ学園高等部三年、
美少女四人組を知らねーのかァ?
ホルスタインの梨華ちゃんを筆頭に、
ツッコミの美貴ちゃん、居眠りのごっちん、
そしてホクロのよっCとは私の事だっての!
- 21 名前:第一章・カテキョ 投稿日:2004/06/16(水) 19:10
- 「オレ、聖ダルセーニョ学園高等部三年A組なんだけど」
「何となく教育実習してる学校のような気がするべさ」
困ったような顔の彼女は、年下の私からみても可愛いと感じた。
しかし、この方言は何なんだろう。東北弁じゃなさそうだし。
とにかく、うちの高校の教育実習生がカテキョって事らしいな。
でも、社会科の教師の卵が、理数系なんて教えられるのか?
「まァいいや。次、オレが入るからね」
「わ、判ったべさ。すぐ出るから」
私はバスルームのドアを閉めると、軽い眩暈をおぼえた。
もしかして、私と一緒に登校し、私と一緒に下校する気なのか?
そんな事にでもなったら、梨華ちゃん達とマックに行けないじゃん。
まあ、私は大らかなO型だから、共存の道を模索してみる事にした。
- 22 名前:(●TーT) 投稿日:2004/06/16(水) 19:14
- 今日はこのへんで失礼致します。
レスは大歓迎ですが、誹謗・中傷だけはご遠慮頂けたら幸いです。
また、近いうちに更新しますので、宜しくお願い致します。
- 23 名前:めかり 投稿日:2004/06/16(水) 21:05
-
おもしろそうです。
これからも頑張ってくださ〜い♪
- 24 名前:(●TーT) 投稿日:2004/06/17(木) 18:59
- >>23
ありがとうございます。
更新出来る内に更新しておきます。
- 25 名前:(●TーT) 投稿日:2004/06/17(木) 18:59
- 〔呼び方〕
今日の夕食は、彼女の歓迎パーティとなった。
とはいっても、仕事に忙しいオヤジとオフクロだから、
近くのファミレスからのデリバリーがほとんど。
狭いテーブルに、鳥の唐揚げやピザ、サラダにローストビーフが並ぶ。
高価なものばかりだけど、これは『御馳走』なんかじゃない。
『御馳走』というのは、足を使って用意したもの。
茶道でいう『一期一会』の精神に基づくものだ。
だから、不味くはないけど、どうも味気なかった。
「大学四年? 教育実習は三年でやるんじゃねーの?」
「ちょうど、お母さんが死んだの。だから出来なかったんだべよ」
彼女は母一人子一人だったらしいから、そりゃ悲しかっただろうな。
話を聞くと、経済的な面から実家を人に貸し、学費に充てていたそうだ。
そんな話を聞いたオヤジだったから、彼女が恩師の孫ということもあって、
こういった結果になったらしい。しかし、天涯孤独か。こんなに若いのに。
「でもさ、オレが苦手なのは数学と理科だよ。社会の先生に理数系なんて出来るの?」
「なっちは国立大学生だべよ。入試じゃ理科も数学もやったべさ」
自分で『なっち』って言うのか。しかし国立大学! こいつは驚いたなァ。
たしか、センター試験を受けてから、個別の受験をするんだったっけか?
私には関係ない世界の話。何しろ私は三流大学でも危ない状況だ。
ところで、このあたりで国立っていうと・・・・・・どこだろう。
早稲田は私立だし、慶応や明治も私立だよなァ。
中央って国立だっけ? 法学部が有名らしいけど。
- 26 名前:第一章・カテキョ 投稿日:2004/06/17(木) 19:01
- 「どこ?」
「ひとみ、失礼でしょ」
「なっちは東京大学」
とととととと・・・・・・東大? 日本の最高学府じゃねーか!
数々の政治家・文豪・学者・医師を輩出したエリート大学。
京都大学が関西の名門なら、東京大学は日本のトップだ。
驚いたなァ。オヤジもオフクロも、驚いて固まっちまってる。
せめて都立大学くらいだと、ここまで驚かなくても済むのに。
「って言いたいとこだけど、『東京』と『大学』の間に『学芸』が入るべさ」
東京学芸大学? 東横線の駅名に、そんなのあった気がする。
よくわかんねーけど、さすがに東京にある国立だから、
東大までいかないとしても、やっぱりすげーんだろうなァ。
頭がよさそうには見えないけど、人は見かけじゃねーから。
早稲田大学の大槻教授なんて、どう見ても学者じゃねーだろ。
上野公園の青テントにいても、ぜんぜん違和感ねーもんなァ。
「アハハハハ・・・・・・安心した。東大生だったら、畏れ多くて」
オヤジ、たかが学歴で卑屈になってどーする。
今の時代、東大卒でも就職すらできねーのがいるんだぞ。
学会じゃ肩身の狭い三流医大出身のオヤジでも、
こうして立派に、個人病院を経営してるじゃねーか。
だいたい、人生の勝ち組なんてのは、最後に決まるもんだ。
死に直面した時、いい人生だったかどうかなんだよ。
どんなに偉くなっても、どんなに金持ちになっても、
死ぬ間際に後悔だけはしたくねーもんなァ。
- 27 名前:第一章・カテキョ 投稿日:2004/06/17(木) 19:01
- 「でもさ、いくら教育実習生でも、学校の先生と生徒が同居なんてマズイじゃん」
そういえば、もうじき期末テストがあるなァ。
彼女が日本史の出題ポイントを教えてくれれば、
その分、他の教科を勉強出来るじゃん。
ここはひとつ、利用出来るものは利用させて貰・・・・・・。
「公私混同はしないべさ。なっちは教育学を専攻してるし」
「チッ」
「今の『チッ』ってなんだべさ。『チッ』って」
「あ、いや、アハハハハ・・・・・・」
そうは問屋がおろさないってか?
今度の期末テストで赤点なんてとったら、
私は理科系進学クラスから追い出されちゃうよ。
こうなったら、頼みは彼女だけだしなァ。
「さてと、もう十時になったことだし」
「もう寝るの? はえーなァ」
頭がいい人は、たっぷり睡眠時間をとるらしい。
かのアインシュタインは、十時間以上も眠ったらしいから。
セントヘレナ島に流されたナポレオンが四時間しか眠らなかったのは、
どうしても、頭の方は凡人だったからだろうなァ。
アフォな連中が自分の睡眠時間と比較して、
「ナポレオンは昼寝をしてた」なんて事を言ってるけど、
体力をあまり使わないと、三時間も眠れば充分なんだよね。
- 28 名前:第一章・カテキョ 投稿日:2004/06/17(木) 19:02
- 「誰が寝るって言ったべさ。さあ、ひとみちゃん、勉強だべさ」
「そ、そうくるかよ」
始まった。地獄の監理教育が。
私はこのアウシュビッツ=ビケルナウ収容所で、
精神が破壊してしまうまで勉強する事になる。
さらば、吉澤ひとみ。さらば、我が青春の日々。
「早く! 『時は金なり』っしょ?」
「はいはい。さすが国語の先生だなァ」
「アハハハハ・・・・・・社会科だべさっ!」
私は尻を叩かれ、唖然とするオヤジとオフクロを置いて、
彼女に促されるまま、二階の自室へと向かった。
- 29 名前:第一章・カテキョ 投稿日:2004/06/17(木) 19:02
- 私の机の横に、彼女は椅子を持ってきて座った。
こうして見ると、彼女は本当に中学生みたい。
私から渡された数学の教科書を見ながら、
彼女は何やらブツブツと呟いていた。
「一学期の期末テストは、一学期の復習っしょ? まずは数列からだべね」
彼女は徐に教科書から眼を離し、私を見つめた。
数列ってのは、どうも好きになれないなァ。
まだ因数分解の方が、私には合ってるみたいだ。
微分積分なんか、私にとっては異次元の話だし。
関数も部分的にしか理解出来てないと思う。
とにかく苦手なのが幾何(図形)なんだよね。
「数列は数的推理の基礎的なもので、一定の条件を・・・・・・」
「ハァ?」
頼むから日本語で言ってくれー!
私は泣く子も萌える女子高生だっての!
ましてO型なんだから、もっと感覚的に言ってくれなきゃ。
数的推理? 何だそりゃ?
「だから、クイズみたいなもんだべさ。面白いよ」
彼女はノートに数字を書き出した。
8・16・32・64・128・256・512。
何だ? パソコンのメモリみてーだなァ。
セレロン300、メモリ32じゃmeはきつい。
このスペックじゃ、すぐにフリーズしちまう。
- 30 名前:第一章・カテキョ 投稿日:2004/06/17(木) 19:03
- 「この数字には、一定の規則があるんだけど判るべか?」
「・・・・・・単純に二倍になってるだけじゃん」
「そうだべさっ! ここには、常に二倍っていう条件があるの」
7・14・21・28・35・42・49・56・63。
舐めてんのかァ? +7が条件じゃねーか!
いくら何でもなァ、このくれーは判るってんだよ!
「条件は+7でしょ」
「そうだべさ! やれば出来るっしょ?」
「こんなに簡単なのは、誰だって出来るよ」
13・24・35・46・57・68・79・90・101。
これは・・・・・・何だろう。えーと13は素数だし。
これには、どういった規則性が・・・・・・。
「やっぱり、ここで引っかかったね。13に11を加える条件だべさ」
そんな事に気づかないなんて! わーん、口惜しいよ!
私は駄目だなァ。こういったところが弱くて。
タネ証しをされると、騙された自分が惨めになるよ。
「これが複雑になると、条件に演算が出てくるべさ」
彼女は条件の演算に、スラスラと計算式を書いた。
そう難しい計算じゃないから、中学校の数学で解けそうだ。
彼女はいくつかの問題を私に解かせると、
いきなり驚いた事を言いだすではないか!
- 31 名前:第一章・カテキョ 投稿日:2004/06/17(木) 19:04
- 「ひとみちゃん、問題を作ってよ。なっちが解いてみる」
そんな事を言われても・・・・・・。
私には問題を作るセンスなんてものはない。
でも、ここまで言われたら、作らないと女が廃る。
えーと、まず演算を考えて、それから数字の羅列かァ。
問題でも作りながら、彼女のプロフィールでも聞いてみよう。
「安倍先生。出身は何県?」
「北海道だけど、その安倍先生ってのは、やめてほしいべさ」
「なんで?」
私が顔を上げて彼女を見ると、
とても恥ずかしそうな顔をしていた。
何で『先生』が嫌なんだろう。
別にいやらしい言葉でもないのに。
彼女はガリガリと自分の頭を掻く。
すると、シャンプーの匂いがした。
「なっちは、まだ『先生』じゃないっしょ?」
「カテキョの先生でしょ? それに、もうすぐ先生になるし」
「とにかく、『先生』はやめてよ」
私は演算を作ると、ノートに正数を羅列してゆく。
偶数を掛けるから、演算のX=3.5にしてみた。
これで、彼女はどこまで数的推理ってのが出来るかな。
私は彼女にノートを見せ、その力量を試した。
- 32 名前:第一章・カテキョ 投稿日:2004/06/17(木) 19:05
- 「これは複雑だべね」
「何て呼べばいいの?」
「みんなからは『なっち』って呼ばれてるよ」
彼女は今年二十二歳になるから、私よりも四歳年上だ。
そんな人を『なっち』なんて軽々しく呼んでいいのかなァ。
『安倍先生』が嫌なら『なつみさん』って呼ぼうと思ってたのに。
だけど、彼女にはやっぱり『なっち』が似合ってる。
『安倍先生』や『なつみさん』よりずっと。
どうしてだろう。何でこんなに『なっち』が似合うんだろう。
「えーと、6X=21だから、2X=7、X=3.5だべさ」
「すげー! さすが国立だなァ」
自分ではかなり複雑にしたつもりだったけど、
さすがに彼女はスラスラと解いちまった。
それにしても、あの方言は北海道だったのか。
北海道っていえば、タラバガニやトウモロコシが美味いよな。
ああ、それと赤っぽいメロン。夕張メロンだったっけか?
北海道は酪農が盛んだから、乳製品も美味しいんだよなァ。
「ひとみちゃん、どんどん問題を作るべさ」
「その『ひとみちゃん』は、やめてくれねーかなァ」
梨華ちゃん、美貴ちゃん、ごっちんはいいとして、
『ひとみちゃん』だけは、どうしても身体が痒くなる。
私は『ひとみちゃん』なんて性格じゃないから、
素直に『ひとみ』と呼び捨てにされた方がいい。
- 33 名前:第一章・カテキョ 投稿日:2004/06/17(木) 19:05
- 「学校じゃ何て呼ばれてるの?」
「ええと『よっC』かな?」
Cクイックが得意なだけで『よっC』なんて呼ばれてる。
小学校・中学校の同級生だった梨華ちゃんから始まり、
美貴ちゃんやごっちんも私を『よっC』って呼んでるなァ。
こうやって他人からつけられるのが、ニックネームってやつだ。
英語圏の場合、名前によって愛称が決まってるから面白くない。
ロバート=ボブ、マイケル=ミッキー、レベッカ=ベッキー、
エリザベス=べス、トーマス=トミーなんかがそうだ。
「だったら決まり。
なっちは『よっC』って呼ぶから、よっCは『なっち』って呼ぶんだよ」
な、なっち・・・・・・何となく恥ずかしいんだけどなァ。
しかも、年上に向かって『なっち』は抵抗がある。
彼女は私に、そう呼んで貰いたいらしいけど、
ここはちょっとだけ譲歩してもらおう。
「『なっちさん』でいい?」
「不満もあるけど、まあ、いいべさ」
このニッコリと笑った顔。童顔だなァ。
梨華ちゃんや美貴ちゃんとは違った可愛らしさだね。
思わずほっぺにスリスリしたくなっちゃう。
って女同士じゃん。私っておかしいのかなァ。
- 34 名前:第一章・カテキョ 投稿日:2004/06/17(木) 19:06
- 「それじゃ、問題は作っておいてね。学校でも出来るっしょ?」
「宿題かよ」
「次は物理だべさ」
なっちは私の教科書を見ながら、一学期の範囲を確認してる。
物理ってのは、公式を憶えないといけないから、とにかく面倒なんだよなァ。
まだ化学の方が、どういった化学反応をするかで面白い。
私に必要なのは化学と生物だってのに、何で物理なんかするんだろう。
「同じ質量の物質をくっつけて、片方に衝撃を与えると、どういった状態になるか」
「ハァ?」
「つまり・・・・・・これは実験が必要だべさ」
「実験? どこで?」
「明日、学校でやってみるべさ」
何となく嫌な予感がしたんだけど、なっちはどうしても実験をする気らしい。
どういった実験をするのか、興味の方が先にたつなァ。
「もう、十一時だべさ。今日は終わりにしようね」
「あの・・・・・・たった一時間だけど」
カテキョってのは、最低でも二時間くらいやるんじゃねーのか?
まさか、朝早くから叩き起こすなんてのは勘弁してくれよ。
これから女に飢えた連中とチャットして、女王様気分を味わうんだから。
寝るのは毎日、深夜一時を過ぎた頃だからね。
- 35 名前:第一章・カテキョ 投稿日:2004/06/17(木) 19:06
- 「明日から、もっと早い時間にやるべさ」
「うん。・・・・・・あの、おやすみなさい」
「おやすみ」
なっちが部屋から出てくと、急に寒くなった気がする。
私の部屋って、こんなに広かったっけ?
エアコンの除湿のスイッチを押して、私はベッドに横になった。
安倍なつみ。可愛くて優しい人だなァ。どうするか・・・・・・。
とりあえず、日記でも書く事にするか。
◇ ◇ ◇ ◇
2003年6月10日(火)
何と! カテキョは教育実習の安倍なつみ(なっち)だった。
可愛くて優しい人。でも、北海道の方言が抜けないカッペちゃん。
天涯孤独らしいけど、そんな素振りは全然なし。
学校で教育実習してる時と、ずいぶん印象が違った。
- 36 名前:(●TーT) 投稿日:2004/06/17(木) 19:10
- 第一章はネタっぽいですが、第二章以降はそれなりにするつもりです。
今日は、このへんで失礼致します。
- 37 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/18(金) 02:23
- おじさん期待しちゃうぞー
- 38 名前:(●TーT) 投稿日:2004/06/18(金) 22:18
- >>37
ありがとうございます。
ご期待にそえるよう頑張ります。
- 39 名前:第一章・カテキョ 投稿日:2004/06/18(金) 22:18
- 〔過激な実験〕
翌日、私が起きて一階に行くと、なっちが食事を作っていた。
いつもはコーンフレークだけなんだけど、今日は目玉焼きと焼き魚がある。
なっちは料理も出来るんだなァ。私は・・・・・・料理が苦手だ。
「おはよう。今、お味噌汁を持ってくからね」
温かいご飯。お味噌汁。ひじきの煮物。目玉焼き。焼き魚。
朝から和食は苦手だけど、何か嬉しくなった。
こんなに気分のいい朝は、生まれて初めてかもしれない。
気がついたら、なっちと一緒に朝食の用意をしてた。
「うわァ、豆腐とネギの味噌汁」
素人の作る食事だから、お世辞にも最高とまではいかない。
でも、温かい食事が、これほど美味しいとは思わなかった。
オヤジとオフクロは、まだ寝てるみたいだ。
「美味い!」
「そう? よかったべさ」
なっちの笑顔が、朝から私を幸せにしてくれる。
私は急に食欲がでてきて、三杯もおかわりをしちゃった。
部活を辞めたし、太っちゃうだろうなァ。
でも、そんな事なんかより、この美味しい食事を楽しみたかった。
私が舌鼓を打つと、なっちは喜んでくれる。
いい笑顔だった。最高の笑顔だった。
- 40 名前:第一章・カテキョ 投稿日:2004/06/18(金) 22:19
- 「あっと! 今日は中澤先生と打ち合わせがあったべさ!」
なっちはご飯を掻き込むと、慌ててバッグを持って飛びだしていった。
いつもと同じで一人になった。何かガランとしてるなァ。
私は食器を洗浄器の中へ入れる。しかし便利になったもんだ。
もはや主婦は、洗い物という作業から開放された。
「さてと、オレも支度をしないと」
トイレに行って歯磨きと洗面をしたら、パジャマから制服に着替えて、
寝グセでぶっ飛んだ髪を梳かして、恥ずかしくないように整える。
これにリップクリームを塗ったら、もう出かけられる体勢が整った。
梨華ちゃんや美貴ちゃんは、毎朝、三十分もかけておめかしするらしい。
たしかに、聖ダルセーニョ学園屈指の美少女であり続ける以上、
そうした時間的な投資は必要かもしれないなァ。
でも、私にとっては、あまり意味をもたない時間だった。
「ふわぁ、出かけるの? いってらっしゃい」
ようやくオフクロが起きてきた。オヤジはまだ寝てるのか?
入院患者の容態が急変すれば、深夜でもオヤジとオフクロは飛んで行く。
だから、朝はゆっくりで、いつも私が出かける頃に起きてくる。
小学校の頃から、そんな生活だったせいか、別に違和感なんてものはない。
「行ってきます」
雨だ。さすが梅雨だなァ。おっと、梨華ちゃんだ。
エロい身体しやがって。胸揉んじゃうぞゴルァ!
- 41 名前:第一章・カテキョ 投稿日:2004/06/18(金) 22:20
- 二日目になると、なっちにも余裕が出てきたみたいで、
適当に冗談を交えながら、楽しい授業をしていった。
いつもと同じに放課後になったのまではいいけど、
例の物理の実験をしていない。
どうやら、なっちは忘れちゃったみたいだなァ。
私は仕方なく職員室に行ってなっちを呼んだ。
「例の実験をしてないんだけど」
「わ、忘れてたべさ!」
理科室を使うとなると、鍵やら何やらで面倒だった。
もっと簡単な事で、実験出来ないのかなァ。
私がそう思ってると、梨華ちゃんと美貴ちゃん、
ごっちんの三人がやってきた。
「よっC、今日もマック行けないのぉ?」
「ああ、行きたいのはヤマヤマだけど・・・・・・」
なっちと約束した数学の問題を作らないといけないし、
物理の実験をやらなくちゃいけなかった。
あんまり誘いを断ると、もう誘ってくれなくなっちゃうよ。
どうにかなんないかなァ。
「たまには気を抜いてもいいっしょ。あんまり遅くなっちゃ駄目だべよ」
「だから、実験はどうすんだよ!」
職員室前の廊下で、私となっちは困っていた。
それを三人は、不思議そうな顔で見ている。
そういえば、カテキョがなっちだって言ってなかった。
- 42 名前:第一章・カテキョ 投稿日:2004/06/18(金) 22:20
- 「そう言われても・・・・・・そうだ! みんな、並んで頭をくっつけるべさ」
なっちは私と梨華ちゃんの頭をくっつけて、
反対側にごっちんの頭をくっつけた。
そして、ごっちんの反対側に美貴ちゃん。
こんな事して、実験になるのかよ。
「これが実験だべさ!」
私達が数珠つなぎになって何かと思ってると、
なっちはいきなり梨華ちゃんにダイビングヘッドバットをぶちかました。
頭蓋骨と頭蓋骨がぶつかりあう凄まじい音がして、
梨華ちゃんは白目を剥いて昏倒する。
しかし、梨華ちゃんと頭をくっつけてた私は、
別に何も感じる事はなかった。
「あがっ!」
ところが、反対側にいた美貴ちゃんは、
凄まじい勢いで飛ばされ、廊下を滑走してゆく。
私には何が起こったのか判らなかった。
「こ・・・・・・これが、同じ質量の・・・・・・」
なっちは足にきてたが、根性で立ち上がった。
私は白目を剥いた梨華ちゃんが心配でたまらない。
どうやらなっちは、凄まじく過激な実験をしたようだ。
これは振り子を使って実験するようだけど、
なっちは手近なところで、人の頭を使ったみたい。
- 43 名前:第一章・カテキョ 投稿日:2004/06/18(金) 22:21
- 「わ・・・・・・判ったべか? ・・・・・・よっC」
「過激な実験すんじゃねーよ!」
私は梨華ちゃんを抱き起こし、正気に戻るのを待つ。
ごっちんも頭に衝撃を受けてたけど、美貴ちゃんの介抱を始めた。
これだけ印象的な実験のお陰で、私は同じ質量の物質の、
反動というものを知る事が出来た。
「め、眩暈がするんだけどぉ」
梨華ちゃんは、ようやく正気に戻り、私に抱きついていた。
頭に大きな瘤が出来てたけど、心配はいらないみたい。
吹き飛んだ美貴ちゃんにも、これといった怪我はなくて、
私は胸を撫で下ろした。
「アハハハハ・・・・・・とりあえず、マックに行こうよ」
ごっちんは、あいかわらずマイペース。
私もO型だけど、ごっちんみたいにGoing mywayじゃない。
天真爛漫なごっちんには憧れる。羨ましい。
「ナンパされたりするんじゃないべよ」
「うるせーな。判ったよ!」
私はちょっとふらつく梨華ちゃんの肩を抱きながら、
久しぶりのマックへ行く事にした。
- 44 名前:第一章・カテキョ 投稿日:2004/06/18(金) 22:21
- 駅前のマックは混んでたけど、何とか四人が座る場所を確保出来た。
私はシェイクとポテト、梨華ちゃんはアップルパイとコーヒー、
美貴ちゃんはナゲットとコーラ、ごっちんはビッグマックセットだった。
いくら私立の女子高でも、千円弱もするビッグマックセットを注文するとは、
ごっちんのブルジョワぶりに、私達は羨望の眼差しを送る。
とにかく寝てばかりのごっちんだったが、驚くほどよく食べた。
この時期の女の子っていうのは、とにかく食べてないと気が済まない。
それでも、ごっちんほどよく食べる子は、むしろ珍しい方だった。
「羨ましいなァ。それだけ食べて太らないんだから」
「美貴も太る方じゃないけど、そこまで食べないよ」
ごっちんは梨華ちゃんに次ぐプロポーションをしてる。
私とは根本的に違う体形で、ちょっと羨ましいなァ。
ごっちんもO型だから、細かい事なんか全然気にしてない。
そういった飾らない性格が、みんなから好かれてるんだ。
「で、さっきのは何だったわけ?」
「というと?」
「安倍先生の頭突きよぉ。まだ痛いんだからぁ」
「美貴も痛かった」
「ああ、あれは・・・・・・」
困った。カテキョがなっちだって言っていいのかなァ。
いくら教育実習生でも、教師と生徒が同居してるなんて。
ここは、テキトーに誤魔化すしかねーだろうなァ。
でも、何て言ったらいいんだろう。困ったなァ。
- 45 名前:第一章・カテキョ 投稿日:2004/06/18(金) 22:22
- 「だ、だから、同じ質量の物質を・・・・・・」
「そんな事を訊いてんじゃないのよぉ」
「何で社会科の教育実習生が、物理の実験なんかしたのか」
「やっぱり、ビッグマックは美味しいね」
言い出しっぺのくせに、ビッグマックに夢中のごっちんは別として、
ツッコミの美貴ちゃんと、昏倒させられた梨華ちゃんは騙せねーな。
こうなったらヤケだ! 何とでもなれ! 私は言うぞ!
「実は・・・・・・」
「チーン」
「オレの・・・・・・」
「ビー」
「・・・・・・美貴ちゃん、鼻をかむのやめてくれる?」
「しょうがないじゃん。美貴は鼻炎なんだもん」
そうだった。美貴ちゃんは鼻炎持ちで、いつも鼻をかんでる。
そのせいか、いつも駅前で配られるサラ金のティッシュを持ってた。
女子高生には関係ないサラ金やパチンコ店のティッシュでも、
美貴ちゃんはなぜか持ってるんだよなァ。
「『実は』何なのよぉ」
「オ、オレのカテキョ、なっちなんだよ」
「なっち? 誰? 美貴、わかんない」
「安倍先生がよっCのカテキョなのぉ?」
私はこれまでの経緯を、驚く三人に説明した。
なっちが国立大の学生だって事や、オヤジの恩師の孫って事。
経済的に苦しくて、オヤジが面倒をみる事。天涯孤独な事。
- 46 名前:第一章・カテキョ 投稿日:2004/06/18(金) 22:23
- 「それで、物理の実験をする事になったんだよ」
「美貴達は振り子の鉄球かよ!」
言っちゃった。ヤバイなァ。
なっちが教育実習をクビになったらどうする?
そうだ! みんなを口止めしておこう。
なっちは就職しなきゃいけないし。
「秘密だからね。絶対に口外しないでよ」
「勿論! 美貴は誰にも言わないよ」
「美貴ちゃんが一番心配なんだけどなァ」
私達がそんな話をしてると、いきなり人数が多くなった。
気がつくと、一年生の辻や加護、紺野と小川がいるじゃんか。
こいつらは、先輩を先輩って思ってねーから厄介なんだ。
いくら注意しても、特に辻は何も判ってない。
「すげー! ビッグマックセットなのれす」
「後藤さん、おごってくださいよ」
「うちら、新美少女四人組やで」
「そうそう。私達は・・・・・・」
「小川、おめーは違うだろう」
「何でですか!」
礼儀知らずな後輩達でも、こうして慕われれば嬉しくなる。
私達が卒業した後、この子達が聖ダルセーニョ学園の顔になるんだ。
そういえば、私達も先輩達に甘えたっけ。
これが聖ダルセーニョ学園、いや、女子高生なんだよなァ。
- 47 名前:第一章・カテキョ 投稿日:2004/06/18(金) 22:23
- なっちのやり方は、とにかく変わってた。
数学に関しては、私に問題を作らせて、なっちが解いてゆく。
物理や化学では、とにかく実験に終始していた。
二日目のカテキョでも、なっちは数学の問題を解いただけ。
そして、化学の教科書を見ながら、なっちは思い出したように言った。
「物質っていうのは、気体になると体積が増えるべさ」
そんな事は判ってるっつーの。
だから水蒸気は、空気中に逃げてくんだろーが。
そんな事よりも、実験がやりてーな。
今日みてーに過激な実験はゴメンだけどよ。
「だったら、爆発ってのは?」
ダイナマイトや爆弾は、凄まじい爆発力を持ってるじゃん。
あれは、どういった理屈になるんだろう。
TNTやC4プラスチック爆薬で実験してみたいなァ。
確かC4だと、三グラムで人を殺せるんだったかな?
「例えばガス爆発は、水素と炭素の化合物が、
燃焼という条件によって急速に化学反応を起こした状態だべさ」
おいおいおい! だから私は泣く子も萌える女子高生だっての!
そんな難しい解説で、解るわけがねーだろーが。
私はO型なんだからよ。もっと感覚的に説明してくれねーかなァ。
かといって、往年の長嶋茂雄みたいに「スーっときてバン」じゃ困るけど。
- 48 名前:第一章・カテキョ 投稿日:2004/06/18(金) 22:24
- 「わかんねー!」
それで、何で爆発するのかがわかんねー。
燃焼しただけなら、Coが出て終わりなんじゃねーの?
つまり、あたりが火の海になって終わりじゃねーのかァ?
何で「ドカン」となるんだよ「ドカン」と。
「物質は加熱すれば、分子の活動が活発化して、体積が増えるべさ」
そんなこたー判ってる。
体積が増え過ぎると、気体になっちまうんだよなァ。
それを『気化』ってゆーくらいは、厨でも知ってるぞ。
ちなみに『帰化』は、申請して許可が下りないと駄目。
ハングル語で『〜様』は『貴下』ってゆーんだよな。
「体積が増えるから爆発するの?」
体積が増えるって、どーゆー事なんだよ。
太れば体積が増えるっちゅーの。
皮下脂肪が増えると、温まりにくくて冷めにくい。
冷え性が太ると、冬は悲惨なもんなんだよなァ。
「一気に気圧が上がるわけだから、これと同じだべさ」
なっちは紙袋を膨らませて、手で叩いて割ってしまった。
なるほど、それで室内のガス爆発は、物凄い事になるのか。
熱と衝撃の二本立てだもんなァ。何でもいいや。とにかく実験やりてー。
- 49 名前:第一章・カテキョ 投稿日:2004/06/18(金) 22:24
- 「なるほど・・・・・・」
火事でのバックドラフトは、密閉された空間に高温のガスが溜まり、
いきなり多量の酸素を供給された時に起こる爆発的燃焼現象。
可燃性のガスが発生する新建材を使い、鉄筋やツーバイフォーなど、
密閉された空間が多い建造物で発生しやすい。
このバックドラフトで、これまでに多くの人命が失われてきた。
「気体が爆発する理由は判ったけど、固体が爆発するのは?」
「理論としては同じなんだけど、実験してみようか」
やった! 実験しよう! TNTだ! C4プラスチック爆薬だ!
私はこの家を吹き飛ばすくらい興奮してる。早くやりたい。
どうも破壊とか爆発って、物凄く興味をそそるんだよなァ。
こういうのって、人間の本質的な部分に関係があるみたい。
「やろうやろう」
「それじゃ、よっCは炭を買ってくるべさ」
炭? バーベキューのついでに実験しようってのかァ?
まあ、それはそれで大歓迎だけどよ。
どうせなら、スペアリブ食いながら、
冷たいビールでもガーッとやりてーなァ。
- 50 名前:第一章・カテキョ 投稿日:2004/06/18(金) 22:25
- 「それじゃ、バーベキューに梨華ちゃん達を呼んでいい?」
「ほえ? バーベキュー? 実験に参加したいんならいいけど。
でも、なっちの事、みんな知ってるんだべか?」
「アハハハハ・・・・・・今日、三人には話しちゃった」
「しょうがないべねえ。まあ、規則を破ってるわけじゃないけど」
こうなったら、のんびりしてられねェ!
今度の日曜日でいいよなァ。場所は河川敷でいいだろ。
肉はごっちんと美貴ちゃんに頼むとして、問題は野菜だよなァ。
焼いて食うより、サラダにした方が美味いからよ。
なっちと私でやってみるか。後はビールだよなァ。
梨華ちゃんに用意して貰おうかなァ。
あのエロい身体だったら、制服着ない限り、
女子高生なんて思われねーだろうし。
「なっちさん、今度の日曜日に河川敷でいい?」
「ああ、いいべよ。河川敷なら安全っしょ」
こうなったら、早いとこ勉強を終わらせちゃって、
梨華ちゃん達にメールしないとなァ。
爆発実験とバーベキューかァ。うふっ、待ち遠しい。
◇ ◇ ◇ ◇
2003年6月11日(水)
なっちの過激な実験には驚いた。でも、もっと過激な実験が出来そうだ。
今度の日曜日が楽しみだな。なっちは料理が上手い。いい奥さんになれるよ。
久しぶりに美味しい朝食が食べられた。なっち歓迎。私って単純?
- 51 名前:(●TーT) 投稿日:2004/06/18(金) 22:26
- 今日のところは、このへんで失礼します。
また、近い内に更新致しますので、宜しくお願い致します。
- 52 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/25(金) 22:35
- なちよしですか。
楽しみです。
ちょっと壊れ気味のなっち、そのなっちに惹かれていくよっすぃーがどうなっていくのかが。
これからも更新も楽しみにお待ちしております。
- 53 名前:第一章・カテキョ 投稿日:2004/06/29(火) 21:01
- 〔バーベキュー〕
土曜日になると、私は炭を買いに、近くのホームセンターに行った。
メイド・イン・マレーシアの安い炭と、備長炭の高級品を買う。
鉄板焼きなら何でもいいが、金網を使って肉を焼くには備長炭に限る。
炭を使うと遠赤外線で、肉の中にまで熱が入るからいい。
牛肉を最高に美味く食べるのは、やっぱりレアじゃないと駄目だ。
安物の炭だと、表面は焼けてるのに、中は冷たかったりする。
レアというのは生ではなく、充分に熱の通った状態をいう。
貧しい時代を引き摺ってる人は、やたらと肉を焼きたがる。
今は流通もしっかりして、傷みかけた肉なんて売ってない。
食べた事のないものは食べないというフロンティアスピリッツの不足。
日本人はいつから、ここまで保守的になっちまったんだろう。
「さてと、炭は買ったし。あれ? シャブシャブ鍋じゃねーか」
若い世代の人達に、シャブシャブは評判がよくない。
って言うより、若い人達の多くは食べ方を知らないんだ。
いつだったか、シャブシャブを食べさせる店に行った時、
若いカップルが「不味い」と隣の席でぼやいてた。
見ると、寄せ鍋の如く、全ての食材を鍋の中に放り込んでる。
そして、薄茶色に変色した肉を食べながら、美味しくないと言う。
そりゃ美味くねーだろ。そんな食べ方は、一番不味んじゃないかな。
シャブシャブってのは、そうやって食べるんじゃない。
一枚ずつ肉を取って、湯の中でヒラヒラさせるんだ。
そうして、ピンク色になったところを食べる。
淡白な豚シャブはポン酢で食べると美味しいし、
癖の強い牛肉は胡麻ダレで食べるのがオススメだ。
- 54 名前:第一章・カテキョ 投稿日:2004/06/29(火) 21:02
- 「冬になったら、シャブシャブパーティなんかもいいなァ」
関東のスキヤキは美味くない。スキヤキは関西風に限る。
ただし、ネギはナナメ切りじゃ駄目なんだよなァ。
ネギはブツ切りにしないと旨味が逃げちまうからよ。
ああ、早く肉を食いてー!
「オレはビールでいいけど、梨華ちゃんはワインだっけか?」
日本でワインといえば、必ず赤ワインが出てきやがる。
赤ワインはブドウを砕いたまま醗酵させて、
最後に絞るから赤い成分が残ったままなんだ。
白ワインは絞ったジュースを醗酵させるから透明に近くなる。
つまり、赤ワインの方が原始的な作り方ってわけだな。
勿論、色だけじゃなくて、味の方も全く違ってる。
赤ワインはブドウの皮も一緒にしちゃうから、どうしても渋くなっちまう。
頭の悪い女どもが、ファッションで赤ワインなんて飲んでたなァ。
赤ワインが肉に合うなんてのは妄想でしかねーっての!
逆を言えば、渋い赤ワインは肉料理にしか合わねーって事だ。
その点、仕事をしてある白ワインは、おおよそのものに合う。
「梨華ちゃんはドイツワインが好きだったなァ」
ドイツワインは、ほとんどが白ワインだった。
勤勉でこだわりを持つ民族性が表れてるなァ。
美貴ちゃんとごっちんは、ビールでもいいのかな?
っていうか、女子高生が飲んじゃまずいだろ。
でもまあ、タバコを吸うよりいいかな?
イケナイコトするより健全だっての!
- 55 名前:第一章・カテキョ 投稿日:2004/06/29(火) 21:03
- 私が帰ってくると、なっちは変なビンを持ってた。
白い粉の入ったビンと黄色い粉が入ったビン。
ラベルには『硝石』と『硫黄』って書いてある。
硫黄っていえば、火山の麓で採れるもんじゃねーの?
温泉の成分に硫黄なんてのがあった気がする。
たしか蔵王の白濁した湯が硫黄泉だったか?
「炭を買ってきたよ」
「こっちも買ってきたべさ。それじゃ、よっCは炭をすり潰して」
すり潰す? 何で炭をすり潰すんだろうなァ。
そーか! 粉塵爆発の実験に利用するんだな。
可燃物の粉塵は周囲が空気に晒されてる。
それに引火すれば、酸素の供給量が多いから、
一気に燃焼しちまうんっだったなァ。
つまり、高熱になって体積が膨張する。
それが粉塵爆発ってやつだ。
「どのくらい作るの?」
「えーと、これが五百CCだから、一リットルでいいべさ」
一リットルだったら、マレーシア産の炭の半分くれーだなァ。
まあ、安かったから、この炭は二個買ってきたからいいけど。
そういえば、物置に使ってねーすり鉢があったなァ。
面倒だから、あのすり鉢を使ってやろうじゃねーか。
炭なんか入れれば真っ黒になっちまうけど、
どうせオフクロは料理なんかしねーし。
今は胡麻ペーストなんかが売ってるからなァ。
- 56 名前:第一章・カテキョ 投稿日:2004/06/29(火) 21:04
- 「それじゃ、作業が終わったらお昼にするべさ」
なっちは料理が上手いからなァ。
私はなっちの手料理で、随分と満足してる。
お陰で太っちゃって困ったよ。
今日のお昼は何だろうなァ。
おっと、電話だ。何だよ梨華ちゃんか。
〈よっC、明日は何時に行けばいいのぉ?〉
「ああ、なっちさんがクルマを運転してくれるから、オレの家に十一時でいいよ」
〈判ったわぁ。美貴ちゃんとごっちんに連絡しとくねぇ〉
「うん、宜しく。それじゃあね」
さてと、炭でも砕くとするかァ。
そういえば、酸素の発生実験で、火のついた炭が燃え上がったなァ。
安物の乾電池の中身とオキシフルで、酸素が発生するんだった。
難しく言うと二酸化マンガンに過酸化水素水だったよなァ。
炎は中央より、外側の方が高温になる。
それだけ酸素の供給量が多いからなんだよな。
私って頭がいいなァ。なーんちゃって。
- 57 名前:第一章・カテキョ 投稿日:2004/06/29(火) 21:04
- うへっ! 眠い。昨夜は興奮して眠れなかったからなァ。
こんな睡眠不足でビールなんか飲んだら、悪酔いしそうで怖い。
ビールの悪酔いは、思いっきりつれーからなァ。
バーベキュー用の網と鉄板は用意したし、後は梨華ちゃん達が来るだけだ。
「よっC、きたよぉ」
来たな? エロい身体のホルスタイン梨華ちゃん。
梅雨だってのに、今日はピーカンじゃねーか。
そういえば、梨華ちゃんとどこかに遊びに行くと、
必ずと言っていいくらい晴れてるなァ。
そうか、梨華ちゃんは晴れ女だったのか。
「アハハハハ・・・・・・バーベキュー」
ごっちんは完璧にバーベキューモードだなァ。
それにしても梨華ちゃん、すげー服装だぞ。
ピンクのタンクトップに、白いミニスカートかよ。
これで夜歩きなんてしたら、襲ってくれって言ってるようなもんだ。
「さて、そろそろ行くべさ・・・・・・あれ? 藤本さんは?」
美貴ちゃん? あれ、美貴ちゃんがいねーぞ。
どうしたのかなァ。まさか、梨華ちゃん、連絡しなかったの?
美貴ちゃんはあれでいて、ブチキレるとこえーからよ。
裕ちゃんですら、美貴ちゃんを怒らせないようにしてるんだから。
一年生の小川なんて、完全に美貴ちゃんにびびってるもんなァ。
- 58 名前:第一章・カテキョ 投稿日:2004/06/29(火) 21:05
- 「り、梨華ちゃん、重いよー」
美貴ちゃん! 何でクーラーボックスからビーチパラソルまで持ってるの?
これってイジメだったりして・・・・・・んなわけねーか。
美貴ちゃんはイジメても、イジメられるキャラじゃねーもんな。
「美貴ちゃんがジャンケンで負けるからよぉ」
「全員集まったね? それじゃ、荷物を積むべさ」
オヤジのクルマは、トランクが広いからいいよなァ。
梨華ちゃんと美貴ちゃん、ごっちんが後部座席で、
私が助手席・・・・・・って、なっち? 何やってんだ?
「よっC、このクルマ、ハンドルがないべさ」
「へっ?」
「げげー! 何で左側にハンドルがあるの?」
「そ、そりゃベンツだから・・・・・・」
オヤジのクルマは、メルセデスベンツS 600 long 。
SOHC V12 ツインターボ 5513cc なんだよな。
よくわかんねーけど、1600万円くれーするんじゃねーかな。
高速道路を250キロくれーでぶっ飛ばしても、
クルマの中じゃ普通に話が出来るくらい静かだよ。
「何で右ハンドルじゃないんだべさ!」
「S 600 long に右ハンドルなんかねーよ」
まさか、なっちは右ハンドルしか運転した事ねーのか?
ちょっとこえーけど、安全基準はドイツ国内になってるし。
- 59 名前:第一章・カテキョ 投稿日:2004/06/29(火) 21:06
- 「ベベベベベベ・・・・・・ベンツだべか!」
当たり前だろーが! このエンブレムがダイハツに見えるかよ!
しかしなァ。こんなクルマは、ヤクザしか乗ってねーぞ。
しかも蛍光の多摩ナンバーで、番号が『や・893』だからなァ。
いかにも長渕ファンのオヤジらしいぜ。
「なっち、自信が無いべさ」
「平気平気。周りのクルマがよけてくれるから」
「車両保険、入ってるんだべか?」
「たぶん」
「・・・・・・やっぱり、バスで行くべさ」
「いいから運転しろゴルァ!」
「うううう・・・・・・知らないべよ。ぶつけても」
なっちはどんな道路でも、時速二十キロ以上は出さなかった。
それでも、このクルマじゃ、誰もパッシングしたりしない。
オヤジもよせばいいのに、後部座席はスモークガラスだからなァ。
かなりセンターライン寄りを走っても、対向車はハザードを点けて停車してくれる。
なっちは、マジで泣きそうな顔をしながら運転してた。
「危ない! 割り込みだべさ! ―――ひえー! クラクション鳴らしちゃったべさ!」
いきなり、割り込んだクルマが左に寄って停車する。
なっちはよせばいいのに、わざと徐行して運転手を見つめた。
運転手が眼を合わすわけねーっての!
なっちはクラクションを鳴らした事を謝ろうとしてるだけかもしれないけど、
この運転手にしてみれば、生きた心地もしねーんじゃねーの?
- 60 名前:第一章・カテキョ 投稿日:2004/06/29(火) 21:06
- なっちの超安全運転のおかげで、河川敷に着いたのは、午後一時近くになってた。
今日はバーベキューって事で、ごっちんや美貴ちゃんは朝食を食べてない。
さすがにこの時間になれば、誰だって腹が減るもんじゃねーかなァ。
「と、到着したべさ。―――なっち、物凄く疲れたんだけど」
「オレの方が、もっと疲れたから安心しろよ」
河川敷は雑草が生い茂っていたけど、
何とかバーベキューが出来そうなスペースを見つけた。
しかしなァ。ベンツでバーベキューなんて物凄く珍しいぞ。
まあ、どこかのアフォな男達がナンパに来ても、
S 600 long を見れば逃げ出すだろうな。
「美貴、お腹すいた」
「それじゃぁ、早速バーベキューにしようよぉ」
「アハハハハ・・・・・・バーベキュー」
茫然自失のなっちはおいといて、私達でバーベキューの用意を始める。
最近じゃ学校の鞄くらいのコンロがあるから、便利になったもんだなァ。
まずは、安物の炭を親指くらいに砕いて、着火材の上に盛り付ける。
それから、備長炭を周りに置いて火を点けるのがコツだ。
私が炭を熾してると、美貴ちゃんとごっちんがパラソルで日陰を作る。
そこに梨華ちゃんが折りたたみのテーブルを置いて、肉を皿に盛った。
- 61 名前:第一章・カテキョ 投稿日:2004/06/29(火) 21:07
- 「暑いわねぇ。まだ六月だってのにぃ」
梨華ちゃん、ちゃんとUVカットのローション塗ってるかなァ。
赤くならないで、すぐ黒くなっちゃうからよ。梨華ちゃんは。
毎年、九月になると、梨華ちゃんはインド人になっちゃうから。
あれでサリーでも着て新宿あたりを歩いてたら、
絶対に「ナマステ〜」なんて声をかけられるよなァ。
「アハハハハ・・・・・・よっC、ビールある?」
「そこのクーラーボックスに入ってるよ」
ごっちんはこの陽気だから、ビールを欲しがった。
肉を焼くまで待てばいいのに。
でも、何か私も飲みたくなってきちゃった。
「見て見て! 美貴はホームカクテルセットを持ってきたの」
「すげー!」
こいつは本格的だなァ。
シェイカーからカクテル用の酒が十種類以上。
ウォッカ・ジン・スコッチ・バーボン・ブランデー。
私が判るのは、このくらいだなァ。
- 62 名前:第一章・カテキョ 投稿日:2004/06/29(火) 21:08
- 「お酒なんて飲んじゃ駄目っしょ!」
「いいじゃんかよ。ちょっとくらい」
なっちは、ようやくリバースしたみたいで、
ベンツから降りると、腰に手を当てて口を尖らせた。
裕ちゃんあたりだと迫力があるんだけど、
なっちが注意しても可愛いだけだっての。
「もう、酔うまで飲んじゃ駄目だよ」
「はーい」
おっと、炭が熾きてきたぞ。
さあ、肉を焼いてバーベキューの始まり始まり。
うー、炎天下で火の近くにいると、物凄く喉が渇くなァ。
ビールビールっと。ちょっと高いけど、エビスビールは美味いぞ。
「ゴキュゴキュゴキュゴキュ・・・・・・プハー! うめえ!」
「美貴ちゃん、ドライマティーニ出来る?」
「オフコース! ごっちんはドライマティーニだね?」
おう! ごっちん、いいペースじゃねーかァ。
ビールの次はドライマティーニかァ?
肉が焼けたぞ。次は骨付きカルビだな。
- 63 名前:第一章・カテキョ 投稿日:2004/06/29(火) 21:08
- こんな調子で、二時間もすると、私達はへべれけになってた。
そりゃそうだ。ごっちんはドライマティーニを五杯も飲んだから。
美貴ちゃんはモスコミュール・ブルーハワイ・ソルティドッグ、
スクリュードライバー・ジントニック・わけわかんねーカクテルを飲んでる。
梨華ちゃんもワインを一本開けた後、ビールを二本も飲んでるし。
オレはビール四本と、冷酒(純米吟醸酒)五合も飲んだ。
「酔うまで飲むなって言ったっしょ!」
頬を膨らますなっちは、年下の私が見ても可愛い。
その柔らかそうなほっぺに、スリスリしたくなっちゃった。
私は酔うと、どうも過激な愛情表現をするらしい。
「なっちさーん。えへへへへ・・・・・・」
「うっ、お酒臭いべさ」
「あたしもまぜてよぉ」
おお、いいぞ梨華ちゃん。
みんなでなっちに懐こうじゃねーか。
スリスリスリスリ・・・・・・
「美貴ちゃん、おっぱい小さいね」
あっと! ごっちん、直に触ってるよ。
美貴ちゃん、抵抗しねーのかよ。
私が触ろうとすると、物凄い抵抗するくせに。
こんなの不公平だー!
- 64 名前:第一章・カテキョ 投稿日:2004/06/29(火) 21:09
- 「いやー、それほどでも」
美貴ちゃん、完全に酔っ払ってるなァ。
頼むから、帰りのクルマの中で吐かないでよ。
あんな狭い空間でゲロなんて吐かれたら、
それこそアウシュビッツのガス室と同じだからよ。
「いい加減にするべさっ! さあ、実験やるよ!」
「ふぇい」
なっちは黒い粉が入った小さな容器をいくつも持ってた。
こいつは昨日、私が砕いた炭じゃねーの?
それをティッシュで巻いて、紙縒にするのか。
これって、何となく導火線みたいな気がするなァ。
「紙テープでグルグル巻きにすれば、即席の爆竹だべさ」
なっちは黒い粉をティッシュで包むと、
導火線を差し込んで、きつく巻いていった。
チャッカマンで導火線に火を点けると、
いきなり「パン」と鳴って、なっちが驚く。
「おもしれー」
どうやら、火薬を爆発させるためには、
なるべく密閉させた方がいいみたいだなァ。
その方が、破裂音が大きくて面白い。
手持ち花火みてーに紙が薄いと「シュー」てなるんだ。
- 65 名前:第一章・カテキョ 投稿日:2004/06/29(火) 21:10
- 「硝石と硫黄と木炭で、黒色火薬が作れるんだべさ」
黒色火薬っていうと、火縄銃の発射薬だよなァ。
火縄銃は黒色火薬を使うから、燃えカスが残る。
それにしても、火縄銃ってのは、マジでじれったい。
掃除して、火薬を入れて奥に押し込むんだっけ?
それから弾を入れて、また押し込むんだよね。
そして、弾が出てこないように、和紙を詰め込むんだ。
これで撃てると思ったら大間違い。
火皿を開けて、ここにも火薬を乗せて火縄に火を点ける。
これで初めて撃てるようになるんだよなァ。
「なっちさん、鉄砲の原理は?」
「あれも体積の膨張だべさ。一方向だけにエネルギーを開放してやればいいの」
なっちは地面に鉄パイプを突き刺し、そこに黒色火薬を入れた。
そして、火のついたマッチを中に入れると、空砲が放たれる。
そうか、火薬は瞬時に燃焼して膨張するから、爆発するんだ。
「なっちさん、ロケット砲なんかの原理は?」
ロケットは銃や大砲と違って、発射薬を燃焼しながら飛行する。
いわゆる手持ち花火の原理だとは思うんだけど、
どう考えてもゼロからの加速には無理があるんだよなァ。
迫撃砲もロケット兵器だけど、あれは初速を得るために、
砲身の中で燃焼させて砲弾を押し出してるんだ。
それを横にしたのがバズーカだけど、無反動にするために、
後方からもガスを逃がす仕組み。だから射程が短い。
- 66 名前:第一章・カテキョ 投稿日:2004/06/29(火) 21:10
- 「あれも火薬を燃焼させてるんだけど、燃焼速度を落としてるべさ」
「そんな事が出来るの?」
「燃焼するには酸素が必要っしょ? 酸素の供給量を少なくすればいいんだべさ」
こればかりは、火薬を圧縮しないといけないから、危険が大き過ぎる。
是非とも実験したいところだけど、今回は見送っておこう。
ちなみに、スペースシャトルは水素を使ってるんだよなァ。
確か、水素だけは、酸素が無くても燃えるんだよね。
「安倍しぇんしぇー、ブランデー飲む?」
美貴ちゃん、ゴキゲンだなァ。
私も気持ちいいけど、美貴ちゃんは眼が据わってる。
美貴ちゃんって『素』の顔になると、意外に怖かったりするよね。
『素』でも変わんないのは、やっぱりごっちんだろうなァ。
「なっちは運転があるべさ」
「んだとゴルァ! 美貴の酒が飲めねーってのか? アアン!」
「危ない! ここには火薬が・・・・・・」
美貴ちゃんが持ったボトルからブランデーが零れると、
いきなり目の前に火柱が上がった。
私は何が起きたのか判らないまま、後方に吹き飛ばされる。
驚いて起き上がると、そこは阿鼻叫喚の地獄だった。
- 67 名前:第一章・カテキョ 投稿日:2004/06/29(火) 21:12
- 「わァァァァァァァァーん!」
なっちが持ってた容器が次々に爆発して、
傍にいた四人が泣きながら逃げ回ってる。
すげー! 特撮ヒーローものの番組みてーだ。
知らなかった。火薬ってアルコールで発火するのか。
「アハハハハ・・・・・・耳鳴りが・・・・・・するべ・・・・・・さ・・・・・・がくっ!」
「な、なっちさん!」
おい、しっかりしてくれよー!
なっち以外に運転手なんていねーんだからよ。
くそっ! なっちは重てーなァ。
「怖かったよぉ」
そりゃ怖かっただろうな。梨華ちゃん。
あのマイペースなごっちんですら、
泣きながら逃げ惑っていたんだからよ。
- 68 名前:第一章・カテキョ 投稿日:2004/06/29(火) 21:12
- 全員が軽い火傷と、全身が煤だらけだった。
髪はところどころ焦げてて、なっちは服も破れてる。
やっぱり、爆発の破壊力って凄まじいんだなァ。
私達は一気に酔いが醒めちゃって、帰る事にした。
「だから、酔うまで飲むなって言ったんだべさ」
「それは『後の祭』って言うんだ・・・・・・ん? 交通検問?」
まだ夕方だってのに、どうやら交通検問みたいだ。
なっちは飲んでないから、別に怖くも何とも無い。
大きな三角表示に『止まれ』って書いてある。
何だろう。スピード・・・・・・なわけねーか。
「一斉検問です。免許証を・・・・・・どうしたの? 火事?」
「・・・・・・実験だべさ」
「へっ?」
「化学と物理の屋外実験だって言ってるっしょ。
なっちは聖ダルセーニョ学園の教師だべさ。実習生だけど」
なっちが疲れた顔で説明すると、ようやく警官も話が判ったみたい。
なっちの実験は、確かに面白いんだけど、このまま行くと絶対に死人が出る。
もう、火薬とか劇薬の類は実験しないようにしよう。
- 69 名前:第一章・カテキョ 投稿日:2004/06/29(火) 21:13
- 「そ・・・・・・それじゃ、気をつけて」
「あ」
検問が終わってなっちがクルマを発進させた時、
パトカーの陰から出て来た白バイと接触した。
接触っていっても、少しだけ「コツン」と音がした程度。
白バイが倒れないくらいの、ごく弱い接触だった。
「ヒィィィィィィィィー! 交通事故だべさァァァァァァァァァー!」
これにびびったのが、白バイの警官だった。
何しろベンツ S 600 lng だもんね。
白バイの前タイヤとベンツのバンパーが擦れた程度。
私がクルマを降りて見てみると、別に凹んでもいなかった。
「ベベベベベベベベ・・・・・・ベンツ S 600 long!」
バンパーの交換修理になると、百万円くれーはかかるだろうなァ。
でもまあ、凹んでないし、これといった傷もねーからいいか。
なっちが少し右寄りを走ったせいもあるけど、
道路に出るのに左右確認しない白バイ警官がいけない。
- 70 名前:第一章・カテキョ 投稿日:2004/06/29(火) 21:13
- 「ななななななな・・・・・・なっち、逮捕されるべか?」
「されるわけねーだろ」
なっちは完全にパニック状態。
それ以上にパニックだったのが白バイ警官。
これが軽自動車くれーだったら強気に出れるだろうけど、
メルセデスベンツ最高級グレードじゃなァ。
「クルマの方はいいけど、運転手がパニックになっちまったよ」
「せせせせせせせせせ・・・・・・先導しますので!」
「それじゃ、吉澤病院まで頼むわ」
数人の警官が、泣き叫ぶなっちをベンツから降ろして、
パトカーの後部座席に放り込んだ。
てっきり逮捕だと思ったなっちは、大暴れして泣き叫んでる。
そして、緊張した警官がベンツに乗り込むと、
まるで要人警護の車列みてーに走り出した。
「何だ。吉澤さんのベンツだったのか」
ベンツを運転する警官は、胸を撫で下ろしたように言った。
そりゃそうだろうなァ。ヤクザ者だったら、骨の髄までしゃぶられる。
- 71 名前:第一章・カテキョ 投稿日:2004/06/29(火) 21:14
- 「何となく酒臭いんだけど、お前等高校生だろゴルァ! 署まで来い!」
げげっ! 墓穴を掘っちまった。飲酒がバレたら停学もんだぜ。
うちの高校は厳しいからなァ。運が悪けりゃ自主退学かな?
どうしよう。逃げ足に自信のある四人だけど、クルマの中じゃ無理だし。
「・・・・・・接触」
「アハハハハ・・・・・・お酒飲んじゃ駄目だよ」
ナイスごっちん! はー、助かった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
2003年6月15日(日)
今日は川原でバーベキュー。梨華ちゃん、美貴ちゃん、ごっちんとなっちで楽しんだ。
黒色火薬の実験は、アルコール抜きでやった方が安全かもしれない。
パトカーに先導させるオマケもついて、とっても楽しい一日だった。
- 72 名前:第一章・カテキョ 投稿日:2004/07/11(日) 18:41
- 〔期末テスト〕
なっちの教育実習が終わると、すぐに期末テストの時期になる。
あんないい加減な勉強で、本当に成績が上がるのかァ?
英語や社会、国語はいいとしても、問題は数学と物理だ。
数学なんて私が問題を作って、なっちが解くだけの勉強。
「明日から期末テストだべさ。まあ、数学は楽勝っしょ」
「こんな勉強やってて、楽勝もクソもねーだろうがよ!」
私は関数の問題を作りながら、呑気にアイスを食べるなっちに言った。
なっちは私が難しい問題を作っても、スラスラと解いちまうんだよなァ。
まあ、国立の現役女子大生だから、このくれー軽いんだろうけど。
「なっちとしては、満点とって欲しいけどね」
「無理に決まってんじゃん。オレは泣く子も笑うよっCだぜ」
理科系進学クラスなのに、文系しか出来ない美少女。
それがこの吉澤ひとみ。通称:よっCだっての。
鳴くよ(794)ウグイス平安京遷都。白紙(894)に戻そう遣唐使。
いい国(1192)創ろう頼朝さん。いざ見ろ(1336)尊氏室町幕府。
『古事記』太安万侶。『徒然草』清少納言。『源氏物語』紫式部。
『土佐日記』紀貫之。『みだれ髪』与謝野晶子。『斜陽』太宰治。
六法とは『憲法』『民法』『刑法』『商法』『刑事訴訟法』『民事訴訟法』
十二支は子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥。
自民党三役は『幹事長』『政調会長』『総務会長』
日本開国の際に、アメリカが突き付けたのは、治外法権と関税自主権。
- 73 名前:第一章・カテキョ 投稿日:2004/07/11(日) 18:41
- 「そうだべねえ。数学と物理が満点だったら、なっちが海外旅行に連れてってあげる」
「マ、マジ? 九十点代だったら?」
「アハハハハ・・・・・・国内旅行だべさ」
それでもいい。私は修学旅行くらいしか経験してないもん。
両親が病院なんて経営してるから、家族旅行なんてした事が無い。
なっちとは血がつながってないけど、家族みてーなもんだからよ。
伊豆あたりの一泊旅行でも、私にとってみれば人生最大のイベントだ。
「八十点代は?」
「だーめ! なっちが一生懸命教えてんだべよ。九十点以上はノルマっしょ?」
どこが一生懸命なんだよ。私に問題を作らせて、自分は解いてるだけじゃんか!
物理の実験でも、梨華ちゃんに頭突きはくらわすわ、川原で爆死しそうになるわ、
電気実験で感電するわ、揚力の実験で窓ガラスは割るわ。
「とれるわけねーっつーの!」
「そんな事ないよ。頑張るべさ。よっCは・・・・・・」
なっちは二年生までの試験結果を見ながら、腕を組んで考え込んじゃった。
そんなに成績が悪いのかなァ。こんな事だったら、大学の付属高校に行けばよかった。
でも、医大の付属高校なんて滅多に無いし、あっても超難関だからなァ。
- 74 名前:第一章・カテキョ 投稿日:2004/07/11(日) 18:42
- 「・・・・・・国語と社会の成績がいいべさ」
あたぼうよ! 国語と社会、それから英語にかけちゃ、ちょっとは自信があるんだ。
何しろ暇だからよ。日本史にかけちゃ、小和田哲男・二木健一の本は読破してる。
おかげで『古事記』の原文(漢文)にも返り点を付けられるぞ。
新聞も三大紙は読んでるし、聖教新聞と赤旗まで読んでるんだ。
最近じゃ、日経新聞やサンケイスポーツまで読んでるんだぞ。
そのせいか、スワローズファンになっちまったんだよなァ。
「夏休みだけど、旅行に行くべさ。テストの成績に関係なく」
「どこに行くの?」
「ひ・み・つ」
「けち!」
私は頬を膨らませてみたが、何だかウキウキしちゃった。
だってさー、初めての家族旅行だよ。
そんな約束をしたんだから、もう興奮だぜー!
伊豆でいいよ。伊豆で。伊豆だって面白そうじゃん。
城ヶ崎海岸で、なっちを突き落とす真似をしてみる。
バナナワニ園で、なっちとワニを格闘させてみる。
波勝崎で、なっちと猿をバトルさせてみる。
いのしし村で・・・・・・なっちの祖先だからなァ。
旧天城トンネルで、肝試しもやってみてーし。
宿は銀水荘か大和館がいいかもしれねーなァ。
- 75 名前:第一章・カテキョ 投稿日:2004/07/11(日) 18:43
- 数学のテスト当日、私は運を天に任せ、開き直っていた。
理科系進学クラスから文系大学に行った先輩もいる事だし。
どうせ数学なんて、社会に出たら使う必要もなくなる。
そんな意味もねーもんを、私達は必死で勉強してるんだ。
「よっC、あたし数学自信ないのぉ」
「梨華ちゃんは、いつも学年トップじゃんかよ!」
旺文社の実力テストでも、梨華ちゃんは全国で百番以内に入ってる。
つまり、数学にかけては、東大確実の頭を持ってる事になるんだ。
ただ、梨華ちゃんは社会が苦手だから、国公立は無理だろーな。
私にしても、センター試験問題で自信があったのは社会だけだったけど。
「ほな、問題配るよってな。話をしたらあかんよ。ゴルァ! 話すなゆーとるやろ!」
相変わらずの裕ちゃん節だなァ。一年生の頃はマジで裕ちゃんが怖かった。
あの怒鳴り声に、梨華ちゃんと二人で震え上がった事もある。
それでも、お人好しの性格で、嘘をつくのが下手なタイプらしい。
裕ちゃんは、どこか誘導尋問に弱いところがあって、
中間テストじゃ出題傾向をポロリと言ってしまった。
そのおかげで、中間テストでは全員が日本史だけは成績が良かった。
「ふう、裕ちゃんじゃ数学なんて判るわけねーか」
私のポロリと言った一言が、裕ちゃんのプライドを傷つけたらしい。
裕ちゃんはマジな顔をして、ツカツカと私の席までやって来た。
まずい。かなり怒ってるぞ。三十女が怒るとこえーなァ。
- 76 名前:第一章・カテキョ 投稿日:2004/07/11(日) 18:43
- 「上等やないか! 高校の数学くらい、うちだって・・・・・・うっ!」
「ど、どうしたの?」
「アハハハハ・・・・・・うち、文系やったから」
そうだよなァ。日本史の教師じゃ、数学なんてやらねーもん。
なっちなんか、私に問題を作らせて、自分で解いてるだけじゃん。
これで成績が上がったら、そんな楽な事なんかねーっての。
こんな問題なんか・・・・・・あれ? こいつは簡単だなァ。
っていうか、出題者の考えが見えてくるじゃん。
「X=3だから、Y=5になるのか・・・・・・おっと、ここは引っかけだな?」
出題意図が判っちゃうと、ネタをばらされたマジックみてーだ。
私は気を削がれながらも、二十分くらいで全問終了する。
もう結果は見えてる。ケアレスミスが無けりゃ満点は確実だ。
私は見直しをしない事にした。なぜなら、ここで全力を尽くしてはいけない。
なぜなら、まだ進学への第一歩は、スタートしたばかりだから。
「ん?」
私が机に伏せて居眠りしようとすると、横の席のごっちんと視線が合った。
すると、ごっちんはニッコリと笑い、私に口だけで「見せて」と言う。
私がどうしようか迷ってると、ごっちんは白紙に近い解答用紙を見せる。
これじゃ、下手をすると、ごっちんの夏休みがなくなっちゃうじゃん。
私は仕方なく、解答用紙を机の端にやって、ごっちんから見やすいようにした。
- 77 名前:第一章・カテキョ 投稿日:2004/07/11(日) 18:44
- 「後藤、キョロキョロするんやない」
裕ちゃんに見つかった。
でも、裕ちゃんは、そう注意しただけだった。
確かにカンニングはいけない事かもしれない。
それに、カンニングで点数を稼いだところで、
後から苦労するのは本人なんだな。これが。
私もこれが中間テストだったら見せなかったと思う。
だけど、もう楽しい夏休みが、すぐそこまで迫ってるじゃん。
「今回の数学は難しいやろ? 石黒先生が自慢しとったで」
えっ? これって難しい問題だったの?
私だったら、もう少し手のこんだ問題にするけどなァ。
関数にしたって、二重の計算を基本にするだろうし。
それでもなっちは、スラスラ解いちゃうんだよね。
「さあ、そろそろ時間やしな。名前書き忘れたらあかんで」
裕ちゃんはテスト終了五分前になると、いつもこう言った。
私は名前を確認し、次の物理に備えて瞑想する事にした。
数学は何とかなっても、物理は実験ばかりで、勉強らしい勉強をしてない。
とりあえず、公式を思い出せるだけ思い出してみよう。
「はい、終了や! 解答用紙を回収せえ!」
裕ちゃんは解答用紙を回収すると、さっさと職員室に戻っちまった。
こんな簡単な問題でいいのかなァ。また、満点が数十人も出るのかァ?
でもまあ、私のレベルに合わせてくれたって事で、結果オーライだっての。
- 78 名前:第一章・カテキョ 投稿日:2004/07/11(日) 18:45
- 「梨華ちゃん、難しかったね」
全教科が平凡な美貴ちゃんなら、このくれーは余裕だろう?
数学の鬼・石川梨華なら、あのくれー余裕のよっCだっての。
この私でも簡単だって思ったんだからよ。
「うん、一問だけ解らなかったわぁ」
「へっ?」
「アハハハハ・・・・・・おいら、よっCに見せて貰わなかったら、玉砕してたよ」
みんな、ヤマが外れたんじゃないの?
だって、すげー簡単だったよ。私でも出来たんだからさ。
ごっちん、いつも私より成績いいじゃん。
美貴ちゃんだって、私より出来るでしょう?
「はい、静かに! これから物理の試験を始めますよ」
誰かと思えば、保田の圭ちゃんかよ。
圭ちゃんは音楽教諭だっての!
音楽の教師が物理のテストなんてやっていいのかよ!
って、試験官は誰だっていいのか。
- 79 名前:第一章・カテキョ 投稿日:2004/07/11(日) 18:45
- 「いいですか? このテストは記述問題が多いですよ。
皆さん、アレグレットでやらないと終わりませんからね」
アレグレットかよ! モデラートじゃ終わんねーってか?
アレグロだったら、どのくらい時間が余るんだよ!
突っ込みどころ満載じゃねーか!
「それじゃ、始めて下さい」
げげっ! マジで記述問題じゃねーか!
ここは「慣性の法則」で「空気抵抗」かな?
まずい! ペンWくらいまでCPUの回転数を上げないと。
えーと、V×A=Wだから、抵抗器の種類は・・・・・・。
橙色が「3」で緑が「5」だよなァ。
関東が五十ヘルツなのは、アメリカ製の発電機で、
関西が六十ヘルツなのは、ドイツ製の発電機を使ったからなんだよなァ。
モーターを同一規格にするには、交流を直流に変換してやればいい。
「光の三原色?」
確か絵具だと赤青黄がそうだよなァ。全部混ぜると黒になるんだっけ?
光の三原色は、赤青緑だったよな。全部混ぜると無色になるんだった。
光を屈折させると、外側が赤で内側が紫だったっけ?
内側から、し(紫)ら(藍)せ(青)ろ(緑)お(黄)と(橙)こ(紅)だったな。
波長の関係で、光が屈折する際に、こういった順になるんだ。
- 80 名前:第一章・カテキョ 投稿日:2004/07/11(日) 18:46
- 「先生、あのぉ、漢字が判らないんですけどぉ」
そうかァ。梨華ちゃんは数学の鬼だったけど、漢字は苦手だからなァ。
まあ、理数系には漢字なんて必要ねーわけだし、仕方ないってか?
国語と社会に関しては、私がクラスでトップだからなァ。
「うーん・・・・・・辞書は見ちゃいけないし、困ったわねえ」
「英語なら判るんですけどぉ」
「意味が判ればいいと思いますよ。私から平家先生に話しておきますから」
そうだよなァ。日本人がノーベル賞なんか貰っても、学会論文は英語だから。
変に日本語で憶えるより、英語の方が実践的だと思うけどなァ。
実際、日本に来る技術者は、ほとんどが英語を話すみてーだしよ。
平家のみっちゃんみてーに「しゃいえんしゅ」なんて言ったら通じねーっての!
それはそれとして、よし! 最後の問題・・・・・・。
「・・・・・・へっ?」
かかかかかかかか・・・・・・核融合? 確かアインシュタインの理論だったな。
核融合ってのは、軽い原子核同士が合体する反応だったような気がするぞ。
重水素と三重水素一グラムで、石油八トン分のエネルギーだったっけか?
化学反応したら、わずかに質量が軽くなるから、アインシュタインの理論、
『質量とエネルギーの等価性』通りに、エネルギーに変わるんだったよなァ。
つまり、八百万倍のエネルギーってことだから、石油の消費量が激減するのか。
- 81 名前:第一章・カテキョ 投稿日:2004/07/11(日) 18:47
- 「そろそろ時間ですよ」
こりゃすげーや。やっと間に合った。
平家のみっちゃんも、かなり意地の悪い問題を出したもんだぜ。
この場に及んでも、カリカリと鉛筆で書く音が聞こえる。
・・・・・・そうだ。空いたスペースに、同じ質量の物質の反動について書いてやろう。
なっちが梨華ちゃんを昏倒させた過激実験。あれは印象的だったからなァ。
数個の同じ質量の物質に、同じ質量の物質をぶつけると、
そのエネルギーは、反対側の物質に反動として表れる。
A方向からの力をXとし、物質一個の重さをYにした場合・・・・・・。
「はい、終了です。解答用紙を集めて下さい」
「あーん、ヤバイよぉ」
梨華ちゃんが泣きそうな顔してる。
そりゃそうだよなァ。
前半こそ()内を埋めればよかったけど、
後半は「光の三原色について述べよ」
「核融合について述べよ」だけだからなァ。
「核融合なんて、美貴は解んなかったよ」
「おいら、『核なんていらねェ。牛乳が飲みてェ』って書いた」
「ごっちんはRCサクセションかよ!」
思わず突っ込んでみたけど、確かにメルトダウンはこえーよなァ。
日本は戦略目的で使われた核の被爆国だけど、
世界最大の被爆国はウクライナなんだよね。
チェルノブイリ原発事故が、ソ連崩壊の一因だとする説があるくらいだ。
- 82 名前:第一章・カテキョ 投稿日:2004/07/11(日) 18:48
- 「よっCは出来たのぉ?」
「うん、まあね」
あれだけ苦手だった物理が出来たのは、何かとっても嬉しいなァ。
私の頭がフリーズする力学さえ克服出来たら、何とかなりそうな気配。
西東京女子薬科大くれーなら、何とか入れそうな気がして来たぞ。
出来りゃ、薬害エイズ訴訟で問題になった生協大くれーに入りたいけどよ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
2003年7月11日(金)
今日で一学期の期末テストが終わった。
何とか二学期も、同じ教室で授業を受けられそうだ。
でも、夏休みは勉強漬けだろうな。
青春を謳歌したいよー!
〈第一章・カテキョ 終〉
- 83 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/22(木) 18:00
- 暫く家を空けていまして、申し訳ありません。
不定期更新になると思いますが、これからも宜しくお願い致します。
- 84 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/07/22(木) 18:01
- 〔テスト結果〕
この聖ダルセーニョ学園じゃ、成績を廊下に貼り出す事になってる。
今回、数学・物理・化学・英語の合計点は、320点くれーだろう。
追試ライン(50点)と補習ライン(60点)には引っ掛からなかったみてーだ。
私達が見守る中、裕ちゃんが理科系進学クラスの順位を貼り出す。
「アハハハハ・・・・・・今回も最下位からやで」
ほんと意地わりーな。いい死に方しねーぞ。
掛け軸みてーに丸めた和紙を、横にして貼って行く。
名前は縦書きで、その下に四教科の内訳と合計が書いてある。
赤字は追試で、緑字は補習対象という事だ。
「50位 上戸彩 数52 物42 化68 英71 合計233点」
うわっ! 沖縄の美少女は、物理追試の数学補習かよ。
こいつは夏休み、全くエンジョイ出来ねーだろーなァ。
胸がでけーのに、海にも行けねーぞこりゃ。
「今回、数学と物理は難しかったみたいやね」
「24位 後藤真希 数92 物61 化62 英66 合計281点」
ごっちん、数学がすげーなァ。他は補習ギリギリだけど。
ってオイ! これは私が見せてやったからだろう!
私的には数学が95点、物理が80点、化学が80点、英語が70点だ。
だいたい325点って自己採点したから、今回は二十番代かァ?
- 85 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/07/22(木) 18:02
- 「18位 藤本美貴 数66 物67 化88 英86 合計307点」
やった! 美貴ちゃんは300点突破じゃねーか。
ん? 中間は300点だと、35位くれーだったぞ。
確か、私が280点で44位だったんだから。
「9位 木村麻美 数79 物78 化89 英90 合計336点」
あれ? 私の名前が無いじゃねーか。
ももももも・・・・・・もしかして、理科系進学クラスから除籍?
そんな事になったら、親に勘当されちまうよォ。
なっちは追い出されちまうだろうなァ。
「2位 石川梨花 数88 物72 化96 英91 合計347点」
「先生、『梨花』じゃなくて『梨華』なんですけどぉ」
ああ、もう駄目だ・・・・・・。私が一位なんてありえねー!
とうとう理科系進学クラスから追い出されるのかァ。
文系進学クラスに入れるかなァ。国語か社会の教師にでもなろう。
今の時代、教員資格なんて持ってても、就職なんて出来ねーからなァ。
医者になりてー気持ちもあったけど、私の頭が悪いから仕方ない。
「1位 吉澤ひとみ 数100 物96 化78 英76 合計360点」
「げげー! そんな馬鹿な! 」
中間テストじゃ、数学62 物理 60 化学78 英語80 の280点だったのに。
ごっちんが286点の41位で、私は44位だった。何かの間違いじゃねーの?
だいたい、数学の鬼の梨華ちゃんですら、88点しか取れない問題なんだぜ。
でもなァ。やけに簡単だったような気がするなァ。
- 86 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/07/22(木) 18:03
- 「よ、よっC、どうしちゃったのぉ?」
「オレが聞きてーよ」
みんな驚いてるけど、私が一番驚いたっての!
どうすりゃ、こんな点数が取れるんだよ。
なっちのカテキョなんて、かなりいい加減だからなァ。
「てめー、どんな勉強したんだゴルァ!」
げっ! 石黒先生。この人はこえーからなァ。
声にも迫力あるし、裕ちゃんの倍くれーこえーぞ。
私が悪くなくても、思わず「ごめんなさい」って言っちゃいそうだ。
もうじき3人目を出産するらしいけど、こえーママだよなァ。
「とととと・・・・・・特に変わった事はしてません。ただ、問題を作って・・・・・・」
「問題を作ったのか。それじゃ、理解出来るよな」
「へっ?」
どういう事だ? 問題を作ると理解出来るの?
そいつは知らなかったなァ。でも何で?
私的には理解したなんて自信がねーんだけど。
「後藤! 確か吉澤と隣の席だったよな」
「アハハハハ・・・・・・ト、トイレ」
ごっちんは美貴ちゃんの手を引きながら、トイレに逃げてった。
まあ、ごっちんも隠れて努力するタイプだから、
夏休み明けには、一学期の内容はマスターしてるだろうね。
- 87 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/07/22(木) 18:03
- 「ねえ、よっC。海に行こうよぉ」
海かァ。真上から照り付ける太陽。焼ける白い砂浜。エメラルドグリーンの海。
ボディボードに岩場じゃシュノーケリング。浮輪に乗ってプカプカ。
カキ氷に焼きソバ、カレーライス。どういうわけか、海だとラーメンが美味い。
でも梨華ちゃん、ちゃんとUV対策しないと、インド人になっちゃうからなァ。
美貴ちゃんは細いから、ハイレグのワンピースなんか似合いそうだし、
梨華ちゃんは胸がでけーから、白いビキニなんか似合いそうだぞ。
「そうだなァ。八月は忙しくなりそうだから、七月の内に行っちゃおうよ」
「そぉねぇ。ごっちんと美貴ちゃんも誘ってみるわぁ」
ダルセーニョ学園の美少女四人組が海に行くんだから、
きっとナンパの嵐になるだろうなァ。
イケメンだったらいいけど、ダサい男がったらブチキレちゃうよ。
―――しまった! なっちの朝食が美味しいから、ついつい食べ過ぎ。
このお腹のぜい肉、どうしよう。困ったなァ。
ワンピースだと、縊れがねーのが判っちゃうし。
「と、とりあえず、マックで海の打ち合わせをしよう」
久し振りのマックに行って、夏休みの話をしたい。
高校生活最後の夏休み。羽目を外しても、思い切りエンジョイしたい。
でも、教育学専攻のなっちは何て思うのかなァ。
難しい事は考えないで、楽しむ事だけを考えよう。
通知表を貰ったら、ワクワクする夏休みだ!
- 88 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/07/22(木) 18:04
- 私達は授業が終わると、久し振りに駅前のマックへ行った。
そろそろ夏限定のマックシェイクが出る頃だから、
私達はメニューに注意しながら注文してみる。
普段、あんまりお金を使わないごっちんは、
こうしたところで、高いものを注文して目立ってた。
O型で負けず嫌いな私も、財布と相談しながらビッグマックを注文した。
「いいな。二人ともリッチで」
美貴ちゃんはアイスコーヒーとポテトだけ。
梨華ちゃんもハンバーガーのセットだった。
どうせ、一口を狙ってるんだろ?
この間は、美貴ちゃんに半分近く食べられた。
「アハハハハ・・・・・・海」
ごっちんは、すっかり海モードに入ってる。
そうだよなァ。東京の海なんて、港ばっかりだし。
暗緑色の腐った水なんて、海じゃねーっての。
シュノーケルとフィンでも買おうかな。
おっと! その前に水着を買わねーと。
「それでぇ、どこの海に行くぅ?」
「オヤジの友達が、逗子マリーナに部屋を持ってんだよ」
そういえば、オヤジはクルーザーなんて持ってたなァ。
三千万もした中古のクルーザーだけど、オヤジは一回しか乗ってねーはずだ。
向こうで動かせる人を雇うと、いくらかかるんだろうなァ。
- 89 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/07/22(木) 18:04
- 「いいねえ! 美貴、小型船舶の四級持ってるの」
小型の四級っていえば、五トン未満OKだったっけか?
オヤジのクルーザーは五トンって言ってたからOKじゃねーか。
こいつはいいや。美貴ちゃんに操縦してもらって、クルージングだァ。
「でもぉ、東京駅から横須賀線でしょう? 疲れちゃうわぁ」
「なっちに運転手を頼んでみるよ」
私がそう言った瞬間、全員の顔が引き攣った。
そうだった。みんな、バーベキューに行ったんだった。
そういえば、パトカーに先導されたっけ。
「だ、大丈夫だよ。なっちも運転上手くなったし」
甲州街道から環八、第三京浜、横浜新道、横横道路だから狭い道はねーよな。
まあ、多少ぶつかっても、ベンツだから国産よりかは安全だと思うし。
しかしなァ。なっちが運転すると、後部座席じゃ足が組めるんだから。
「ごごごご・・・・・・ごっちん、保険入ってるぅ?」
「簡保の学資保険に五百万、養老保険に五百万入ってるよ」
合計一千万かァ。いい保険に入ってるかねーか。
交通事故死だと、運転手じゃねーから三千万も出るのか。
入院保証も一日一万五千円もつくしなァ。
書類さえ揃えば、その場で現金をくれるから便利だ。
- 90 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/07/22(木) 18:05
- 「あたしはぁ、井伊名生命なのぉ」
掛け捨てのTVで有名な保険会社かァ。
でもよ。一入院六十日までしか保証しねーよなァ。
頭部損傷事故なんかじゃ、リハビリ入れて半年くれーだぞ。
しかも、書類が揃っても審査とか何かで随分と待たされる。
仮に脳外科手術を受けて半年入院だと計算して、
だいたい三百万円はかかるもんなァ。
井伊名だと手術代が六十万円と入院費が六十万円。
つまり、残り百八十万円を貯蓄から支払う事になっちゃう。
簡保だと手術代が六十万円と入院費が百八十万円。
相殺すると、貯蓄の持ち出しは六十万円で済む。
「ま、まあ、何かあったら、うちの病院で面倒看るから」
こう見えても吉澤病院は、外科だけでも一般外科、
整形外科、形成外科、口腔外科、脳神経外科があるんだ。
CTからMRIまで、最新の設備を誇ってんだぞ。
東京都から第三次救急の依頼が来たけど忙しいから断ったんだ。
「そうよねぇ。よっCの家は病院だもん」
なっちが運転手だと、みんなびびっちゃうよなァ。
でも、なっちがいたら楽しそうだし、やっぱり大人がいねーとなァ。
せっかく海まで行って補導されたんじゃ、話になんねーからよ。
- 91 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/07/23(金) 21:01
- 〔海へ・その1〕
私が理科系進学クラスでトップになった事を、なっちはとても喜んでくれた。
それにしても、あんないい加減な勉強の仕方で、よくトップになれたよなァ。
二人で夕食を食べてる時、それとなくなっちに訊いてみた。
「あんな勉強の仕方で、本当に大丈夫なのかよ」
「あんな勉強の仕方って、なっちを疑ってるんだべか?」
鼻の穴を膨らませるなっちは、かなり自信を持ってるみたい。
でも、私にはどうしても、あの勉強方法がいいとは思えなかった。
あんなゲームのような勉強で成績が上がったら、
必死に勉強してる奴等に悪いからよ。
「そうじゃねーけど、勉強してるって感覚がねーんだよ」
「それでいいんだべさ。勉強なんて苦しんでやるもんじゃないんでないかい?」
そりゃ、楽しく勉強出来りゃいいけどよ。
私は物凄く不安なんだっちゅうの!
たまたま今回はトップになれたけど、
二学期の中間テストで元に戻ったら意味ねーっちゅうの。
「数学の石黒先生に言われたんだ。問題を作ったから理解出来るって」
「当たり前っしょ。理解出来てない問題なんか作れないべさ」
そ、そうなのか? まさか、なっちはそれを見越して?
だとしたら、物凄く効果的な勉強方法を知ってた事になる。
そういえば、なっちは国立大学で教育学を専攻してるんだった。
もしかして、なっちって凄い人なんじゃないかなァ。
- 92 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/07/23(金) 21:01
- 「ところでさー、みんなで海に行かない?」
「海だべか? いいねえ」
逗子マリーナにオヤジの友達が部屋を持ってる。
そこに泊まれば、思う存分遊べるってわけだ。
海っていったら西瓜割り、海水浴、花火が定番。
なっちもこのところ、ベンツの運転が慣れてきたみたいだし。
「なっちさんは北海道だろ? 泳げんの?」
「馬鹿にするんじゃないべさ! 北海道にだって海水浴場があるんだよ」
なっちの趣味が水泳だったとは知らなかったなァ。
まるで、ウルトラセブンみてーな奴だぜ。
何ていうか、その、プックリ浮きそうな気がするなァ。
「よっしゃー! なっちさん、運転よろしく」
「げげっ! またベンツだべか?」
なっちは慣れたから大丈夫だよ。―――きっと。
ここからだと、環八から第三京浜、横浜新道、横横道路かなァ。
逗子マリーナまで、二時間半といった感じじゃないかなァ。
途中、休憩しても三時間あれば着くと思う。
「電車で行くより安上がりじゃん」
「そういった問題じゃないっしょ」
「いいからいいから。それじゃ、二十三、二十四、二十五の三日間だからね」
私は背後から「ベンツ怖いべさァァァァァァァァー!」という叫び声を聞きながら、
階段を駆け上がって自分の部屋へ行ってしまった。
なっちには悪いけど、クルマがあると便利だからなァ。
- 93 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/07/23(金) 21:02
- 海への出発当日、生憎の雨だった。
東シナ海に台風もあったりして、波が心配だなァ。
今晩も雨だと、花火が出来ねーじゃんか。
海に来たら、海岸で花火するのが風情っちゅうもんだ。
ガキはゴミを散らかすままだけど、ちゃんと始末するのが大人。
集合時間は朝の七時だから、誰かしら遅刻すると思ってた。
ところが、こういった事になると、みんな時間厳守だから面白い。
「梨華ちゃん、荷物多いね」
真っ先にやって来たのが、大きな荷物を抱えた梨華ちゃん。
まるで、半月くらい海外旅行するみてーな荷物だ。
スキューバ一式入ってんじゃねーの?
「これでも整理したのよぉ」
まあ、トランクは広いからいいけどね。
おっと、美貴ちゃんとごっちんだ。
美貴ちゃんは小さなスポーツバッグ。
こんなもんじゃねーか普通。・・・・・・ってごっちん。
まさか、その紙袋だけかよ!
「必要以外のものは置いて来るんだよ」
ちょっと中を見せて貰おう。
水着とタオル、ゴーグルと下着、UVカットローションだけ?
いかにも飾らないごっちんらしいけど、これで平気なの?
まあ、替えの服は梨華ちゃんが売るほど持ってるみてーだけど。
- 94 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/07/23(金) 21:03
- 「そ、それじゃ、行くべさ」
なっちはこんな長距離、運転した事がねーみてーだ。
高速道路は交差点がねー分、安全じゃねーかなァ。
国産と違って、制動面では世界水準のメルセデスだし。
「はーい」
私達はベンツに乗り込んで、逗子マリーナを目指した。
甲州街道を新宿方面に行って、環八通りを目黒方面。
第三京浜に乗って、そのまま横浜新道から横横道路。
こいつは道を間違えようにも、間違えないなァ。
「よ、よっC、ナビを頼んだべよ!」
「ナビなんて必要ねーだろうが!」
「標識なんて見てる暇が無いんだべさァァァァァァァァァー!」
私は免許持ってないけど、なっちよりは運転に自信があるなァ。
クルマを運転するのって、やっぱり運動神経が影響すると思う。
なっちは頭こそいいけど、運動神経がいいとは思えないもんな。
「みんな乗ったべか? それじゃ行くべよ!」
道路は意外と空いてて、わけも無く環八に入れた。
環八も空いてて、私達は八時前に第三京浜に乗る事が出来た。
第三京浜は片側三車線の自動車専用道路。
直線が多いせいか、ついついスピードを出しちゃう。
・・・・・・って、なっちは例外かよ!
- 95 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/07/23(金) 21:04
- 「なっちさん、ここは五十キロ以上出さないといけないんだよ」
「そそそそそ・・・・・・そんなァァァァァァァァァァー!」
「アハハハハ・・・・・・ゲームセンターと同じ感覚で運転すればいいのに」
またごっちんは、無責任な事言って。
なっちみてーないい子ちゃんは、ゲーセンなんて・・・・・・。
「えっ?」
「鈴鹿が得意なんだべよ。なっちは!」
すすすすすすす・・・・・・鈴鹿って、F1かよ!
ここは鈴鹿じゃねーっての! 第三京浜だよ!
さささささささ・・・・・・最高時速八十キロなんだァァァァァァァー!
「キャアァァァァァァァァァァァァァァァァー!」
「ここここここ・・・・・・怖いよー!」
超音波に近い梨華ちゃんの悲鳴が響く中、
なっちは猛スピードで乗用車やトラックを追い越して行く。
あのごっちんが、怖くて震えてるじゃねーか!
いくらメルセデスベンツS600longでも、この速度の急ハンドルは危険。
うわァァァァァァァァァァァァー! ぶつかるー!
「抜かさせないべさァァァァァァァァァァー!」
このクルマに反応したランサーが、対抗意識を燃やして追って来た。
ランエボも、はえークルマだからなァ。でも、ベンツの敵じゃない。
とにかく値段が違うっての。なっち、負けんじゃねーぞ!
けどよ。ランエボは大丈夫なのか? 三菱車だろう?
- 96 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/07/23(金) 21:04
- 「直線でぶっちぎってやるべさァァァァァァァァァー!」
そうだ! 頑張れ! 負けるな! アクセル全開!
直線じゃパワーがモノを言うからなァ。
・・・・・・げげー! 時速二百五十キロ越えてる。
新幹線じゃねーんだからよ。ここはちょっと減速。
「なっちさん! 制限時速の三倍くれー出てるんだけど」
「あー! ゲームオーバーだべか? くそっ!」
ゲームじゃねーっての! 死ぬかと思ったぜ。
なっちはようやく流れに乗ってくれた。
ふーっ。手に汗握るって、こういう事なんだな。
未来のある女子高生を四人も乗せてるんだからよ。
もう少し加減ってものをして貰わねーとなァ。
「あれ? 梨華ちゃん、寝ちゃったんだべか?」
「ね、寝たっていうより、気を失ったんだと思う」
「よっC、怖かったよー」
美貴ちゃんは顔が引き攣ってたし、ごっちんはべそをかいてた。
そりゃそうだよなァ。あんな運転されちゃ、生きた心地しねーもん。
- 97 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/07/23(金) 21:05
- 横浜新道を通って暫く走ると、横浜横須賀(横横)道路に入る。
ここまで来れば、一時間ちょっとで逗子マリーナに着くんじゃないかな。
この調子で行けば、九時半にはマリーナに着けると思う。
「また降って来たなァ」
もう、七月も下旬だってのに、梅雨みてーな天気が続いてる。
そういえば、いつだったか米不足で、えらい事になったっけ。
何にしても、せっかくの海なんだから、晴れて欲しいよなァ。
「みんな、サービスエリアで休憩するべさ」
「そうだなァ」
この時期、水分を摂って足の血行を良くしないと、
エコノミークラス症候群に罹る可能性がある。
血の塊が心臓に入る分には何とも無いけど、
肺に入ると呼吸が出来なくなって死んじゃうんだよな。
どういったわけか、男の人は罹り難いって話だ。
「あった。横須賀PA。みんな、少しでいいから歩くんだべよ」
十代でエコノミークラス症候群なんて聞いた事ねーけど、
まあ、動かねーよりかはましだろーなァ。
おっ、ソフトクリームが売ってるぞ。食いてー。
- 98 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/07/23(金) 21:06
- 「よっC、ソフトクリーム食べようよぉ」
「梨華ちゃん! カキ氷に決まってんじゃん!」
ごっちん、何を怒ってんだァ?
そーかァ。ごっちんは海モードだから。
海といえばカキ氷に西瓜、海の家でラーメンだもんなァ。
最近じゃ砂浜でバーベキューする人も増えたらしい。
「意外に混んでるべさ」
運転手のなっちは、空いてる駐車スペースに、
ゆっくりと慎重にクルマを入れた。
げっ! 隣のクルマ、思いっきり族車じゃん。
この暑いのに、特攻服着たヤンキーもいるよ。
まずいなァ。絡まれたらどうしよう。
「危ない! いきなりドア開けんじゃないべさァァァァァァァァー!」
なななななな・・・・・・なっち! 相手はどう見てもヤンキーだよ。
紫色のグロリアで竹槍なんて、かなり凶悪そうな族じゃん。
場合によっちゃ、拉致されてレイプされるかもしれねーぞ。
確かにいきなりドアなんて開けた方が悪いけど、
そんな族に怒鳴るなんて、マジでどうかしてるよ!
「んだとゴルァ! ・・・・・・すすすすすすす・・・・・・すいませーん!」
「へっ?」
あらららら・・・・・・みんな族車に乗って行っちゃった。
そーかァ。メルセデスベンツS600 longだもんなァ。
蛍光ナンバーにスモークガラスじゃ、カタギのクルマには見えねーよ。
- 99 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/07/23(金) 21:07
- 「意外に素直な子達だべね」
「このクルマにびびったんだよっ!」
美貴ちゃんとごっちんがトイレに行ってる間に、私達はソフトクリームを買った。
生憎の空模様だけど、こうしてソフトクリームを食べてると、何だか幸せになる。
トイレを終えた二人は、美貴ちゃんこそソフトクリームだったけど、
ごっちんはカキ氷に固執して、キーンとなる頭を抱えながら食べてた。
「アハハハハ・・・・・・崎陽軒のシュウマイがあったべさ!」
「ちょうだーい!」
「俺も!」
「美貴も!」
「おいらも!」
そういえば、朝は忙しくてまともに食事してなかった。
どうやら、梨華ちゃん達もそうらしくて、シュウマイは瞬く間に無くなる。
べそをかくなっちが可哀想で、私は一番大きいやつを二個買って来た。
- 100 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/07/23(金) 21:08
- 結局、ここで遅い朝食という事になって、みんなで楽しく食べた。
天気は悪くても、みんなでいれば楽しい。特に今年はなっちがいるし。
私達はこのPAで小一時間過ごし、出発する事にした。
「うううう・・・・・・食べ過ぎたべさ」
「あれだけ食べれば、当たり前だっての!」
「美貴の倍は食べてたよ。ソフトクリームにシュウマイが二十四個」
「ウーロン茶とアメリカンドッグ、ハンバーガーにザルソバも食べてたわぁ」
「アハハハハ・・・・・・海」
ポッコリと出た腹が苦しいのか、なっちはリクライニングを少しだけ倒した。
今は山の中だけど、もうじきエメラルドグリーンの海が見えて来るだろうな。
天気予報じゃ、今日は午後から晴れるっていうんだけど、どうかなァ。
青い空にエメラルドグリーンの海、焼ける白い砂浜。これが夏の海だっての。
「日本史の宿題って、自由研究でしょう? よっCは何をするのぉ?」
「うーん、『桶狭間役』と史実の相違点でも研究しようかなァ」
『桶狭間役』は帝国陸軍参謀本部が監修した戦術の教科書で、
陽動作戦と奇襲作戦についての具体例として書かれている。
つまり、史実よりも戦例を掲げる事が最優先されてしまったんだなァ。
『信長公記』や『三河物語』によると、織田軍は山麓から攻め上ってるから、
奇襲攻撃でも何でも無かった事になっちまう。
だいたい、今川義元の可動兵力は、せいぜい一万五千人だった。
一方の織田信長は、少なくとも一万人くらいは動かせる。
『桶狭間役』にあるように、今川軍四万五千もの兵力は、
同盟していた北条・武田を合わせた総兵力なんだよなァ。
- 101 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/07/23(金) 21:09
- 「美貴、桶狭間の戦いって、よく知らないよ」
今川義元が率いてた兵力は、せいぜい一万人くらいじゃないかなァ。
この程度の兵力で、上洛なんてのは絶対に不可能だったし、
義元がやって来た最大の目的は、西三河の占領と篭城してた大高・鳴海両城の開放。
ここで私の新説になるんだけど、確かに信長軍は二千人くらいだったけど、
桶狭間の戦いに参戦した織田軍は六千人を超えていたというもの。
事実、筆頭武将の佐久間信盛は、二千五百の兵で大高・鳴海を包囲していたし、
那古野城の林秀貞(通勝は誤り)も熱田で合流しているはずだ。
他にも佐々勢・千秋四郎勢数百が、先陣を焦って玉砕してる。
「知らないのぉ? 織田信長が今川義元を破った戦いよぉ」
一方の今川勢は、先陣の家康を大高城に配置しちゃったから、
せいぜい七千くらいで、桶狭間にいた事になるんだよなァ。
しかも、『信長公記』じゃ、義元がいたのは「桶狭間山」ってなってる。
つまり、今川義元も戦国武将だから、窪地で休憩なんかしなかった。
ちゃんと「山」に布陣してたって事になる。でも、そこに悲劇が襲い掛かったんだよ。
梅雨の終わりの激しい雷雨。これによって、山の前後に配置してた今川軍が孤立。
山頂の本隊と合流したくても、滝のように雨水が流れる斜面を登れず皆殺しにされた。
士気の上がった織田軍は、水量が減った斜面を攻め上り、本隊に襲い掛かったんだ。
「そのくらいは知ってるっての!」
山頂の本隊は、木々の葉から立ち上る霧で、山麓の状態が見えなかった。
やがて、霧が晴れると、そこには皆殺しにされた夥しい今川兵の死体と、
異常に興奮した六千近い織田軍の姿があったんじゃないかなァ。
焦った義元が後詰を呼ぼうとしても、大高道の瀬名勢は泥田の中を蠢いてた。
とりあえず、義元は大高城に逃げ込み、陣を立て直そうとしたみてーだ。
そこを追撃されて、首を取られちまったのが、桶狭間の戦いってわけだな。
- 102 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/07/23(金) 21:09
- 「それじゃ、おいらは姉川の戦いを研究しようっと」
ごっちんは短絡的なんだからなァ。姉川の戦いは信長上洛からの伏線。
更に、浅井・朝倉滅亡まで調べないといけないから、研究は大変だよ。
浅井家の立場は複雑で、南近江六角氏や美濃斉藤氏との対立、
足利将軍家や三好家との関係も徹底的に調べないといけない。
勝った織田・徳側連合軍が浅井を攻めなかったのも、
この段階ではまだ、信長は浅井長政を許そうと思ってたんだよね。
それに、伊勢長島願証寺の一向一揆が激しさを増してた頃だし。
金ヶ崎のリベンジだけじゃ、薄っぺらなもんになっちまうからなァ。
「姉川の戦いって、ちょっとマイナーよねぇ」
マイナーなんじゃなくて、絡みが多過ぎて埋もれちゃうんだよ。
織田軍の強さを知った浅井・朝倉軍は、これ以降ゲリラ戦を始める。
信長が願証寺を攻撃してると、近江坂本城を攻撃して森可成を殺す。
驚いた信長が坂本に来ると、浅井・朝倉軍は比叡山に逃げ込んじゃう。
これで信長が激怒しちゃうんだよなァ。
「美貴は長篠の戦い。鉄砲三段撃ち!」
違うって。あれは「三段構え」であって、鉄砲を三つに分けて撃ったんじゃない。
自然の川と空堀、馬防柵の三段構えと、馬を撃ち殺す事によって、
武田軍の機動力を奪い、領地の生産高を減らし、一揆を起こさせ封じ込める作戦。
つまり、織田軍は普段、農耕に使われてる馬を殺す事が目的だった。
事実、長篠の戦いのメインは、槍同士の平地戦だったからなァ。
だいたい、火縄銃ってのは、撃つまでに物凄く時間がかかるもんなんだ。
銃身を掃除して火薬を押し込み、弾丸を押し込んで、丸めた和紙を入れる。
火皿に火薬を盛って、火縄をセットして初めて撃てるようになるんだ。
「早合」っていって、和紙に火薬と弾丸を包んだものを使ったらしいけど、
それでも、掃除や火皿に火薬を盛る作業は省略出来ないんだよなァ。
- 103 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/07/23(金) 21:10
- 「あたし、花魁を調べようかなぁ」
「あ、おいらも花魁がいい」
「美貴も!」
ふっ。理科系進学クラスの日本史なんて、まあ、こんなもんだよなァ。
私も本当に勉強したいのは、やっぱり日本史や国文学なんだよね。
でも、将来的に吉澤病院を経営して行くんだから、何か手に職をつけないと。
看護師か薬剤師かァ。私に医師なんて似合わないだろうなァ。
- 104 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/07/24(土) 22:53
- 〔海へ・その2〕
私達が逗子マリーナに着いたのは、お昼ちょっと前だった。
雨があがり、西の空が青くなってきたから、もうじき晴れるみたい。
クルージングは明日にして、今日は浜辺で遊ぼうじゃねーか。
私達は部屋で水着に着替えて、近くの砂浜へと繰り出した。
「梨華ちゃん、ピンクのビキニかよ」
「いいな。美貴も梨華ちゃんくらい胸があればいいのに」
「アハハハハ・・・・・・海」
美貴ちゃんは黒のビキニで、ごっちんは黄色のワンピース。
私は去年と同じブルーのワンピース。なっちは白いビキニだった。
さすがに天気が悪いから、浜辺は空いててよかった。
私達はパラソルを砂に突き刺すと、嫌がる梨華ちゃんに、
UVカットのローションを塗りたくった。
「あれぇ? ベトベトしないよぉ」
最近のUVカットローションは、ベトベトしないからいい。
私も焼けると赤くなっちゃうから、肩と背中、顔に塗った。
そんな事なんか気にしないごっちんは、真っ先に海へ走って行く。
曇空だから、ちょっと泳ぐには寒いかもしれないけど、
こうしたバカンスを楽しむのもいいもんだなァ。
- 105 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/07/24(土) 22:54
- 「わーい」
さすがに元気なごっちんは、浮輪を掴んで海に入って行く。
梨華ちゃんと美貴ちゃんが続くけど、水が冷たくて立ち往生してる。
西の方じゃ薄日が差してるってのに、こっちは厚い雲の中。
「なっちさん、行かないの?」
「なっちは留守番してるべさ。ちょっと疲れたし」
そりゃ疲れるだろーなァ。あんな運転したんだからよ。
私が浮輪を持って海に向かうと、梨華ちゃんがべそをかきながら逃げて来た。
どうやら、ごっちんと美貴ちゃんに水をかけられたらしい。
冷たかったんだろうなァ。きっと、虐められたと思ってんだな。
「あっ!」
梨華ちゃんの小さな悲鳴に振り返ると、中学生くらいの女の子が倒れてた。
困った顔の梨華ちゃんは、「痛いなぁ」って言いながら歩いてる。
きっと、双方がよそ見をしながら歩いてて、ぶつかったんだろうな。
梨華ちゃんは小柄だけど、エロい身体の持ち主。
中学生くらいじゃ、弾かれちゃうかもしれないね。
「どこに眼つけとんじゃゴルァ!」
「肩の骨が折れたかもしれない」
私はもう波打ち際まで来てたけど、ガキの声で再度振り返った。
すると、梨華ちゃんが中学生の女の子二人に囲まれてた。
どうやら、あの中学生二人は、梨華ちゃんを恐喝するみてーだなァ。
梨華ちゃんは典型的な虐められっ子だから、ここは助けてやるかな。
- 106 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/07/24(土) 22:54
- 「治療代払えよ!」
「ちょっと胸が大きいからって、偉そうにすんじゃないわよ」
「そ、そんなぁ。そっちがぶつかって来たんじゃないのぉ」
私が三人のところへ歩いて行くと、波打ち際にいた美貴ちゃんも気付いた。
美貴ちゃんは、薄ら笑いを浮かべながら、私の横で指の間接を鳴らす。
こう見えても、美貴ちゃんはキレるとこえーからなァ。
「とりあえず、三万くらい出してくれる?」
「そうじゃないと、男の人呼ぶからね」
「呼んでみろゴルァ!」
私は背の高い転んだガキの頭を、美貴ちゃんは眼の寄ったガキの頭を殴った。
拳法でもやってたら別だけど、このくらいの中学生なら私達の敵じゃない。
反撃されても一撃で沈める自信がある。バレーを甘く見るなってんだ。
「痛!」
「ざけんじゃねーぞゴルァ! ガキのくせに カツアゲなんかしやがって!」
「よっC、この子達に、ちょっとヤキを入れてあげようか」
涙目で抱きつく梨華ちゃんを美貴ちゃんに任せて、
私はびびりまくる二人を脅かしてみた。
ちょっと睨んでやると、中学生なんか可愛いもんだ。
泣きながら謝って来るから、私もついつい笑っちゃった。
- 107 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/07/24(土) 22:55
- 「ご、ごめんなさい」
「ひっく、お金が欲しくて・・・・・・」
私達は二人をパラソルのところまで連れて行って、詳しい話を聞く事にした。
二人の話によると、電車で遊びに来たそうだが、お金を落としてしまったらしい。
帰りの電車賃も無いから、仕方なく誰かを恐喝しようとしたそうだ。
「だからって、恐喝はいけないべさ」
「ったく、腹減ってるかァ? それじゃついてきな」
私は二人を連れて、近くの海の家に向かった。
てっきり警察に突き出されると思ったんだろう。
二人は人目を憚らず、号泣しながらついて来る。
私は海の家のテーブルに着き、置いてあったメニューを渡した。
「好きなもんを頼みな」
「へっ? でもお金が・・・・・・」
「いいから頼め。悪い事なんかすんじゃねーよ」
「は、はい!」
思ったより素直でいい子達みてーだし、帰りの電車賃くれーは出してやろう。
このまま放っておくと、悪い男に引っ掛かりそうだからなァ。
まあ、私もオヤジから小遣いを巻き上げて来たから、懐にも余裕があるし。
- 108 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/07/24(土) 22:56
- 「で、家はどこなのよ」
「立川です」
「へえ、近所じゃねーか」
私がクリームソーダを飲む間、二人は一心不乱に食べ続けた。
よほど空腹だったんだなァ。きっと朝も食べてないんだろう。
焦って変な男に捕まらなくて本当に良かった。
「オレは吉澤ひとみ。聖ダルセーニョ学園高等部三年。お前等は?」
「田中れいなっていいます。立川市立清水中学二年です」
「私は道重さゆみです。れいなと同じクラス」
話によると、れいなのオヤジが、クルマのリース会社を経営してるそうだ。
十年前、さゆみのオヤジと一緒に会社を興して、かなり順調らしい。
まあ、立川っていったら、隣の隣町ってところだからなァ。
こいつ等も、こうして見ると、意外に可愛い顔してるじゃねーか。
聖ダルセーニョ学園に入って来たら、きっと美少女組に入るんだろうなァ。
特に田中の小悪魔的な可愛さには、思わず萌えそうになっちまった。
「ラーメン、ナポリタン、カレー、ピザ、ハンバーガー、よく食ったなァ」
「ごちそうさまです!」
屈託無く笑う二人に、私まで嬉しくなった。
この子達は今、子供と大人の中間にいる。
私も数年前は、この子達と同じだったんだ。
そう思うと、黙っていられなかったんだなァ。
- 109 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/07/24(土) 22:56
- 「さあ、腹が膨れたら、ひと泳ぎして、遅くならない内に帰るんだぞ」
私は海の家の会計を済ませると、二人に一万円札を渡した。
二人は固辞したけど、これが無いと帰れないじゃんか。
「返さなくていいから」と言って、私は田中の手に握らせた。
おっと、田中も道重も、そうウルウルした眼をするなよ。
「ひとみさん、メアド教えて下さい!」
道重がケイタイを出して、私のメアドを打ち込んだ。
子供ってのは、ちょっとしたキッカケで仲良くなっちまう。
まだ二人は子供なんだなァ。・・・・・・って、私もそうか?
- 110 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/07/24(土) 22:57
- 私が二人を連れてパラソルのところに戻ると、
なっちと梨華ちゃん、美貴ちゃんの三人が困った顔をしてた。
何かと思って周囲を見てみると、横に極道らしき連中がいる。
まあ、極道といえど、海水浴くれーするだろうなァ。
「さゆ、あのおじさん、背中に絵が描いてあるよ」
「本当だ。アハハハハ・・・・・・変なの」
「なななななななな・・・・・・何て事言うんだべさァァァァァァァァー!」
なっちは眼を剥いて二人の口を塞いだ。
絵が描いてあるわけじゃねーよ。彫ってあるんだっての!
あれは刺青。タトゥーってやつに決まってんじゃんか。
ひゃー! 見られてる。見られてるよォ!
「よう、そこのねーちゃん」
見てる! 見てるよ! 梨華ちゃんと美貴ちゃんは俯いたまま。
なっちは泣きそうな顔で自分を指差した。首を傾げる田中と道重。
私は仕方なく、なっちに頷いてみせる。こえーよォ!
このアフォ二人が馬鹿な事言ったお陰で、やっちゃんを怒らせちまった。
「ななななななな・・・・・・何だべか?」
因縁つけられて、拉致されて、海外に叩き売られちゃうのかなァ。
薬漬けにされて、廃人になって死んで行くなんてサイテーじゃねーか。
これだけ美少女が集まってんだから、高値がつくのは間違いないけど、
嫌だよ! そんなの、絶対に嫌だよ。うわァァァァァァァァーん!
- 111 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/07/24(土) 22:57
- 「北海道出身だろ? 方言で判ったぜ」
「そそそそそそそ・・・・・・そうですけど」
「俺もそうなんだ。いや、懐かしいなあ」
「へっ?」
話を聞いたら、この人達は極道じゃなくて、鳶職人さんらしい。
まあ、職人さん達は、見た感じがかなり極道っぽいからなァ。
中には刺青してる人もいるけど、根本的に極道とは違う。
常に命を張った仕事では、極道にひけはとらないんだが。
「へえ、ねーちゃんはミキティに似てるなあ。俺、ミキティのファンなんだ」
パンチパーマで背中に刺青が入ってるっていうのに、
このおじさんは、アイドルのミキティが好きみたい。
引き攣りながら苦笑する美貴ちゃんと握手してる。
いや、いいじゃねーか。このよっC、感動ものだなァ。
「あれ? ところで、ごっちんは?」
すっかり海モードになってた、ごっちんの姿が見えないぞ。
ようやく薄日が差して来たけど、まだ水中なら身体に良くない。
そろそろ身体を温めてやらないと、低体温症になっちまう。
私達が鳶さん達からオニギリを貰って食べてると、
困り果てたごっちんが、大勢の若い男を引き連れて来た。
- 112 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/07/24(土) 22:58
- 「よっC、ナンパされちゃったんだけど、しつこくてさー」
「カノジョ、真希ちゃんと一緒なの? 向こうでボート乗ろうよ」
「ヒューヒュー、スタイル抜群じゃん。ねえ、何て名前?」
「ナンパはノーサンキューだべさー」
私達はテキトーにあしらってたけど、あまりにもしつこい。
梨華ちゃんやごっちんは我慢強いからいいけど、
短気な私と美貴ちゃんは、ブチキレ寸前だった。
それを察したのか、なっちが男達にキッパリ断った。
「どこにも行かない。ナンパは迷惑だべさ」
「うるせーな! オメエには用はねーんだよ!」
「そんな言い方はねーだろうがよ!」
私がブチキレる寸前、鳶さん達が止めに入ってくれた。
背中に龍の刺青が入った鳶さんが男達を睨むと、
さすがのナンパ師も、そ〜と〜びびってるみたいだった。
「嫌がってんだろうがよ。いい加減にしろよ」
「ははははははは・・・・・・はい」
「場合によっちゃ・・・・・・」
「アハハハハ・・・・・・すみませんでしたァァァァァァァー!」
ナンパ男達は、蜘蛛の子を散らすように逃げ出して行った。
そりゃそうだよなァ。鳶さん達は、どう見ても極道だからよ。
私達だってマジで極道者だと思ったもん。
鳶さん達に助けられて、私達はすっかり打ち解けた。
さすがに鳶さん達は身軽で、宙返りなんかを見せてくれた。
- 113 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/07/24(土) 22:59
- 「何だ。吉澤病院の娘さんか。今度、外装工事とかあったら、宜しくお願いしますよ」
鳶さん達は、何と府中の人だった。
話によると、うちの病院にかかった事もあるらしい。
そんな話で盛り上がり、いつの間にか飲み会になってしまった。
下戸のなっち以外は、みんな嫌いじゃないから、
あれよあれよと言う間に、ビールの空缶が山になる。
近くの海の家の店員は、このお得意さんを逃すまいと、
一時間おきに注文を取りに来た。
「れいなぁ、凄くきれいだよ」
気がつくと、すでに夕方で、太陽が伊豆半島に沈んで行くところだった。
オレンジ色に染まった相模湾が、とってもきれいで、私達はホロ酔い気分で眺めてた。
海で泳いだのはごっちんだけだったけど、こんなにきれいな夕日が見れたんだ。
私達は言葉も忘れて、この美しい風景を堪能していた。
「うげげー! もうこんな時間。帰らないと」
田中と道重は、七時になったから帰る事にした。
まあ、逗子からなら、二時間もあれば立川に着く。
あんまり親に心配かけんじゃねーぞ。
二人の頭をクシャクシャっと撫でると、
ニッコリ笑って抱き付いて来た。
「じゃーな」
二人は私達に何度も頭を下げ、東京に帰って行った。
夕暮れの海岸で、ちょっとセンチな気分になるけど、
これから大興奮の花火大会じゃねーかァ。
私達は親切にしてくれた鳶さん達に別れを告げると、
ひとまず逗子マリーナに引き上げた。
- 114 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/07/24(土) 23:00
- 部屋でシャワーを浴びて着替えると、ごっちんが花火を用意してた。
その量たるや半端な数じゃ無い。確かに派手にやった方が面白いけどなァ。
ごっちんはバーナータイプのガスライターを持ってて、これで連続発射するらしい。
「どこかでご飯食べて、花火やるべさ」
そういえば、腹減ったなァ。近くのファミレスでも行くか。
でもなァ。どうせ海まで来たんだから、海鮮物を食べてーなァ。
地魚の刺身でもやってる店はねーのか? 誰かに訊いてみるか。
「美貴、焼肉がいいな」
「海まで来たのよぉ。海鮮物を食べようよぉ」
「アハハハハ・・・・・・花火」
ごっちんは、すっかり花火モードに入っちゃったなァ。
ここらだと、ボラとかイシダイ、カワハギあたりだね。
サザエの壷焼き、アジやイカなんかも獲れると思った。
そろそろ三浦西瓜なんかも出て来る時期だったなァ。
「昨夜、インターネットで調べたべさ。逗子寿司っていうお寿司屋さんがいいらしいの」
「ズシズシ? 思いっきりシャレじゃねーのかァ」
逗子寿司は逗子マリーナから、クルマで十分くらいのとこにある。
大通りを逆に行くと、心霊スポットとして有名な小坪トンネルだ。
だいたい、三浦半島自体が心霊スポットなんだよなァ。
三浦一族ってのが、どうもコーカソイド(白人)って噂もあるし。
今やマリンパークで有名な油壷は、その昔、北条氏に攻められて、
三浦一族が終焉を迎えた新井城の下にあるんだよなァ。
- 115 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/07/24(土) 23:00
- 名前の由来は、北条軍に殺された三浦兵の血で湾が油壷みてーになったから。
「そんじゃ、地魚食べに行くべさ」
横須賀なんかは、旧海軍の基地があった場所で空襲を受けてる。
勤労奉仕の子供達が、大勢焼け死んだって話もあるしなァ。
先端の三崎はマグロの遠洋漁業の基地で、ここもいわく付きだ。
遠洋漁で急死した人は、マグロと一緒に冷凍されるんだ。
そして、この三崎港で解凍され、行政解剖にまわされる。
陸地で死ねなかった人の怨念が、ここで解凍されるってわけだ。
「電気消すわよぉ」
私達が出て行った後、この部屋には闇の住人達が現れるかもしれない。
そう思うと、帰って来るのが嫌になる。忘れよう。そんな事は。
なっちの嬉しそうな顔を見ると、私達は楽しみに来たんだって実感する。
やっぱり、なっちを連れて来てよかった。
「カワハギの肝が食べられそうだべさ」
カワハギの肝は、褐色の刺身で有名。
新鮮な物しか刺身で食べられないから貴重だなァ。
刺身って聞くと、どうも日本酒が飲みたくなる。
冷やした純米吟醸酒は、口当たりがいいからスイスイ行っちゃう。
まずは淡麗なスッキリ味で、酔って来たら濃厚なドッシリ味。
うひゃー! 想像しただけで涎が出るー。
- 116 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/07/30(金) 21:26
- 〔海へ・その3〕
地魚の刺身を満喫した後は、ごっちんが楽しみにしてた花火。
二十四本の打ち上げ花火を、ごっちんは片っ端から点火して行った。
節操無く連続発射されるロケット花火は、かなりのインパクトだなァ。
近くで花火をやってた連中も、この派手さに呑まれちゃったみたい。
「アハハハハ・・・・・・すげー!」
ごっちんのはしゃぎようは、見てる私達まで楽しくなる。
あたりには火薬の臭いが充満して、美貴ちゃんは鼻炎で鼻水タラタラ。
なっちは咳込んじゃうし、ちょっとした戦場状態だなァ。
手持ち花火もあったんだけど、ロケット花火の方が興奮する。
やっぱり、視覚だけじゃなくて、音でも楽しめるからなァ。
「もう十一時だべさ。帰ってシャワーでも浴びようよ」
ホロ酔い加減の私達は、意外に汗をかいていた。
逗子マリーナの部屋に戻ると、私達は全員でバスルームに入る。
狭いバスルームに五人も入ったもんだから、
みんな座る事も出来ないで、立ったままシャワーを浴びた。
「うっ!」
梨華ちゃん、ここ来てまた胸が大きくなったなァ。
ごっちんもナイスバディだし、羨ましいぞクソッ!
私はどうせ貧・・・・・・おっと! 上には上がいたなァ。
なっちはポヨポヨした身体の割に、胸が小さいじゃねーか。
- 117 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/07/30(金) 21:27
- 「アハハハハ・・・・・・なっちさん、可愛いね」
「ほえ? 背が小さいって意味だべか? なっちは小柄だよ」
そういった意味じゃねーっての!
私となっちは白いけど、梨華ちゃんとごっちんは黒いなァ。
色黒の子って、胸も大きいのかなァ。いいな、大きくて。
私の胸が小さいのは、ほとんど遺伝だから手の施しようが無い。
オフクロもばあちゃんも、悲しいくらい小さかったからなァ。
「はっ!」
「何? 何か言った? よっC」
「べべべべべべ・・・・・・別に」
ひえー! 美貴ちゃんは私やなっちなんてもんじゃねーぞ。
私はこれまで、これほど貧乳の女子高生を見た事があるだろうか。
美貴ちゃんは、男の子より少しだけ胸が大きい程度だった。
きっと、辻や加護の方が、美貴ちゃんの数倍は大きいだろう。
まあ、大きな胸をコンプレックスにするなんて、幸せな悩みかもしれない。
「美貴の胸、小さいでしょう?」
「ま、まあな。小さい胸が好みって男もいるし」
「慰めてるつもり?」
私は引き攣って首を振ったけど、美貴ちゃん機嫌悪くなってるよ。
確かに美貴ちゃんの胸を見てると、少しだけ優越感を持てる。
私が美貴ちゃんくらいの胸だったのは、小学校の頃かなァ。
記憶が確かなら中三の頃は、もうBカップだったような気がするし。
- 118 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/07/30(金) 21:27
- 「美貴ちゃん、やめなよ」
ごっちんが宥めてくれて良かった。
しかし、人の胸でここまで緊張する私って何?
だいたい胸に人格があるわけじゃ無し。
胸の大きさなんて、人間性を否定する道具なんかじゃない。
お洒落感覚や男性の価値観に縛られる必要も無い。
それが藤本美貴であり、石川梨華なんだ。
「よっCだって威張れた胸じゃないでしょう?」
「アハハハハ・・・・・・まあね」
「胸なんて子育ての道具だべさ」
「へっ?」
いきなり、なっちが本質を突く事を言うもんだから、みんな眼が点になっちまった。
究極を言えばそういった事になるんだろうけど、やっぱりスタイル的に気になる。
女らしい身体に憧れるのは、何も女子高生だけじゃないはずだ。
「おっぱいなんて授乳器官っしょ? 妊娠すれば嫌でも大きくなるべさ」
「そりゃそうだけどよ。でも、そういった問題でもねーような気がする」
「きゃあ! 美貴ちゃん、触らないでよぉ」
梨華ちゃんは大きいからなァ。私も触ってみたくなる。
何となく、なっちが仕切ってくれたお陰で、
ちょっと重くなった空気を変える事が出来た。
その後、背中の洗いっこや、シャワーを掛けたり掛けられたりで、
こんなところでも楽しんじゃうのが女子高生だった。
- 119 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/07/30(金) 21:28
- 「ふーっ、サッパリしたとこで、ビールでも飲むかァ」
私はバスタオルで髪を拭きながら、冷蔵庫からビールを出して開けた。
逗子寿司じゃ日本酒だったんで、ここは冷たいビールを一本。
三百五十ミリのエビスビールを一気に飲み干すと、
汗をたっぷりかいて乾いた体内が潤う感じがした。
「もう、酔うまで飲んじゃ駄目だよ」
下戸のなっちは、景気よくビールを飲む私を見てため息をついた。
気が付くと、美貴ちゃんはサントリーのカクテルを飲んでたし、
梨華ちゃんはドイツワインをラッパ飲みしている。
ごっちんはジャックダニエルをストレートをやりながら、
ミネラルウォーターのチェイサーといった西部スタイル。
みんな嫌いじゃないから、ガンガン行っちゃうんだよね。
「ビールにはウインナーと揚げ物が合うなァ」
私は買って来た鳥の唐揚げを食べながら、皮付きウインナーを茹でる。
梨華ちゃんはチーズを食べてたし、ごっちんはビーフジャーキー。
ナッツを食べてたのが美貴ちゃんだった。
ウーロン茶を飲みながら、それを片っ端から食べるのがなっち。
「今日は飲んでばかりよねぇ」
そういえば、浜辺でもビール飲んだし、日本酒も飲んだよなァ。
でも、こういった場所じゃねーと、ワイワイ出来ねーからよ。
卒業しちゃえば、これまでみたく会えなくなっちゃうし。
- 120 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/07/30(金) 21:29
- 「もう寝るべさ。・・・・・・っていうか、ベッドが二個しか無いんだけど」
寝室にはシングルベッドが二個だけだからなァ。
まあ、女の子だから二人づつ寝れない事も無いけど。
この場合、一番小柄ななっちが、ソファで寝るんだろ?
判ってんじゃねーか。なっちはソファに寝転がった。
「アハハハハ・・・・・・おいらも寝よう」
ごっちん、ペース速過ぎだよ。
ガンガン飲んで、ジャックダニエルが半分になってる。
って、私もビール五本目だったなァ。
さて、私もウインナー食べたら寝ようかな。
もう一時になる事だし。
「よっC、一緒に寝ようよぉ」
「そうだね」
梨華ちゃんや美貴ちゃんだったらいいけど、
ごっちんと一緒に寝る事になったら狭いだろうなァ。
せめてセミダブルじゃねーと、寝た気がしねーぞ。
「暑いからエアコンをつけて寝よう」
私達はベッドルームに入ると、タオルケットを掛けて寝る事にした。
昼間の疲れや酔いも手伝って、瞬く間に睡魔が訪れる。
今日は色々あったけど、面白い一日だったなァ。
- 121 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/07/30(金) 21:29
- 夢を観てた。私は幼い子供になって、お母さんのおっぱいを探してる。
そんな記憶が私にあるとは思えないけど、これはきっと本能なんだろう。
赤ん坊にとっての糧は、優しいお母さんのおっぱいしか無いんだ。
私の手が柔らかなものに触れた。これこそ、私が探していたものだった。
「あん」
「へっ?」
何となく眼が覚めて来た。ビールを飲んだせいかトイレに行きたい。
カーテンの外は、ようやく青味がかった明るさのする時間だった。
そんな明るさだから、室内の様子を見る事は出来ない。
そういえば、ここは逗子マリーナで、昨夜は梨華ちゃんと一緒に・・・・・・。
「痛いよぉ」
げげー! 私とした事が、梨華ちゃんの胸を握り締めてた。
慌てて手をどけると、何を思ったか、梨華ちゃんが抱き付いて来る。
中学の修学旅行の時、こんな事があったような気がするなァ。
梨華ちゃんは、いつも私にくっついてた気がするぞ。
「優しくしてくれるんなら、触ってもいいよぉ」
「ごめん、そういったつもりじゃ・・・・・・」
「お返しよぉ」
今度は梨華ちゃんが私の胸を触って来た。
別に嫌な気はしないけど、何かくすぐったい。
膀胱も破裂寸前だし、ここはひとまずトイレに行くか。
- 122 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/07/30(金) 21:30
- 「ごめん、ちょっとトイレに行って来る」
「えー? 逃げるのぉ?」
「オホン!」
やばっ! あれは美貴ちゃんだ。
梨華ちゃんとイチャイチャしてるの気付かれたかァ?
でもまあ、こんな可愛い事も女の子のスキンシップなんだな。
さすがに○○○や×××されちゃうと、怖い気もするけど。
「しーっ!」
私は唇に人差し指を当てて、静かにトイレへ行った。
破裂寸前の膀胱を開放するのは、この上ない快感だなァ。
まるで、全身の毒素が流れ出て行くみたいな感じ。
恍惚の表情で便器に座る姿なんて、誰にも見せられないなァ。
「ふう」
私はスッキリしてトイレを出ると、キッチンに行く。
喉が渇いたから缶コーヒーを冷蔵庫から出して飲んだ。
ふと気が付くと、ソファで寝てるはずのなっちがいない。
ソファの下を探しても、なっちの姿は見当たらなかった。
ちょっと心配になって、玄関の鍵を見たら空いている。
どうやら、なっちは朝の散歩にでも出掛けたようだった。
- 123 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/07/30(金) 21:30
- 「梨華ちゃん、散歩でもしない?」
こんな時間に眼が覚めちゃって、する事といったら散歩くらいだ。
せめて温泉でもあったら、朝湯を楽しんだり出来るんだけどなァ。
どういったわけか、朝湯をすると、朝食が面白いように入るんだ。
「そうねぇ」
私達は着替えると、早朝の散歩へと繰り出した。
日の出前の浜辺は、涼しくて本当に気持ちいい。
沖では釣り舟が停泊している。釣りする人は早起きだ。
海は朝だと違う顔をしてる。昼でも夜でも無い顔。
静かな波音が、私の心を癒してくれた。
「夜の海は怖いけどぉ、朝の海は素敵だわぁ」
そう言うと、梨華ちゃんは私の腕に抱き付いて来た。
小柄な梨華ちゃんだからいい。
これがごっちんだったら、うざってーだけだなァ。
それに、ごっちんって、ちょっといっちゃってるし。
「そこのアベック。朝っぱらからイチャつかないように」
波打ち際を歩く私達に背後から声を掛けて来たのは、
先にここら辺を散歩してたなっちだった。
黄色いノースリーブのワンピースが、
日の出前だってのに、やけに眩しく映った。
私は何か嬉しくなって、気が付いたらなっちと手をつないでた。
- 124 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/07/30(金) 21:31
- 「これから市場に行こうと思ってたの。一緒に行くべさ」
「市場ぁ?」
「ここらだと、逗子港の魚市場だなァ」
梨華ちゃんは魚市場ってものを知らないみたいだなァ。
ここら辺の沿岸漁業でも、魚市場は早朝からやってる。
葉山や鎌倉の旅館やホテルが、買占めに来るんだよね。
中には東京や横浜から、仕入れに来る人までいるんだ。
「歩いて十五分くらいだから、ちょっとした散歩だべさ」
私達は山の向こうに朝日を感じながら、魚市場に向かって歩いて行った。
- 125 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/07/30(金) 21:32
- 魚市場は早朝だってのに、思い切り活気に満ち溢れてた。
何でも磯マグロが揚がったとかで、トランス状態の競が始まってる。
こんな純銀よりも高いものを買う方も買う方だが、食べる方も食べる方だ。
日本人のマグロ信奉主義には、もう飽き飽きしてるんだよね。
実際、下魚とされる地魚の方が、刺身で食べて美味かったりする。
確かにマグロが好きで食べてる人もいるんだろうけど、
多くの人はブランド品としてマグロを食べてる気がするなァ。
「えっと、おじさん、鯵はあるべか?」
「鯵? ダブついてんだ。キロ百円でいいよ」
「イカは?」
「一パイ百円」
「五ハイ欲しいんだけど、三百円にしてよ」
「しょうがねーな。四百円にしてやるよ」
なっちは鯵を二キロ、イカを五ハイ買った。
これで六百円は安い。東京じゃ軽く倍はする。
まあ、仕入れ業者には、もっと安く卸してるんだから、
私達みたいな一般ユーザーはこの時代、大切にされた。
「おねえちゃん、美人だからこれもやるよ」
「アハハハハ・・・・・・ありがとう」
市場のおじさんは、なっちの持った袋の中にサザエを一個入れてくれた。
石鯛に齧られたみたいで、殻の形があんまり良くないやつだ。
こうしたものは商品にならないから、市場の人の胃袋に入るらしい。
売り物にならないが、充分に美味しいものを添付してくれる。
こうした何気ない気配りが、消費者としては嬉しいものなんだ。
- 126 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/07/30(金) 21:32
- 「さて、買い物が済んだし帰るべさ」
ケイタイを見ると、まだ朝の六時前だった。
ようやく山の頂から、朝日が顔を出し始める。
今日も暑くなりそうだけど、まだこの時間だから涼しい。
帰りは浜辺じゃなくて、舗装された道路を通った。
「梨華ちゃんは、どこの大学を受けるんだべか?」
大学かァ。そうだよな。理科系進学クラスにいるんだからよ。
せめて看護師か薬剤師の専門学校くれーには行かねーと。
オヤジやオフクロは大学に行けって言うけど、
私の頭じゃ医科大なんて無理だよなァ。
「東京女子工科大で生産工学を勉強したいのぉ」
すげー! 東京女子工科大なんて、国立より難しいじゃん。
まあ、梨華ちゃんは数学・理科・英語が得意だからいいけど。
それで、生産工学って、いったい何をするんだァ?
工場の生産管理か何かをするのかなァ。
「あそこは難しいっしょ? 何しろ就職率が八十パーセント台だから」
そうだった。今や大学のレベルは就職率がものを言う時代。
大学の四年間は、ずっと就職活動ってのも珍しくない。
大学としても就職率は大切だから、単位なんて二の次。
めでたく就職が決まれば、卒業証書が送られてくる寸法だ。
- 127 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/07/30(金) 21:33
- 「そうなると、理科は物理を選択だべね」
「そうねぇ。ちょっと自信が無いのぉ」
梨華ちゃんで自信がねーんだったら、私は無理だなァ。
何しろ、まぐれで数学と物理が良かっただけだから。
やっぱり、私は医師よりも日本史の教師の方が合ってる。
でも、受け手のある状況なんだから、贅沢なんて言ってられない。
医師でも看護師でも薬剤師でも、何かしら資格を得れば、
後はオヤジから経営哲学を学べばいいんだ。
「梨華ちゃんは数学が得意っしょ? 物理は大丈夫だべさ」
そうなんだよなァ。数学が出来ねーと、物理なんて判んねーもん。
私は数学が苦手だったから、当然ながら物理も苦手なんだ。
考えてみりゃ、小学校の頃から算数は苦手だったもんなァ。
まあ、算数さえ出来りゃ、生活で困る事はねーんだけど。
「そうかしらぁ。不安なのぉ」
梨華ちゃんが不安になるのも判るなァ。
私なんか大学に行けるかどうかも不安だから。
何にも資格なんて取れなかったら、オヤジ怒るだろうなァ。
それこそ勘当されちまうよ。
「勉強するべさ。自信がつくまで」
言葉で言うのは簡単だけどよ。
自信がつくまで勉強するなんて容易じゃねーぞ。
- 128 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/07/30(金) 21:34
- 魚市場で買い物をした私達が逗子マリーナに帰って来たのは、
朝日が照り付ける六時を少し過ぎた頃だった。
ちょっと眠いけど、睡眠不足を押しても気持ちのいい朝だ。
美貴ちゃんとごっちんは眠ってるけど、私達は朝食の準備を始めた。
「梨華ちゃん、鯵を三枚におろすべさ」
「ええっ! そんな難しい事、出来ないわぁ」
そうだなァ。魚を三枚におろすなんて、かなりのテクニックだろ?
道場六三郎じゃねーんだからよ。そんな職人技なんて無理だよ。
だいいち、出刃包丁なんかもねーじゃんか。
こんな文化包丁で魚が三枚におろせたら世話ねーよ。
「ったく、鯵も三枚におろせないんだべか?」
なっちは溜息をつきながら、まな板と文化包丁を洗う。
確かに昔は魚をおろせるのが主婦の条件だったらしいけど、
今は切身が基本でスーパーに並んでるもんなァ。
「なっちさんはおろせるのかよ!」
「簡単だべさ。見てなよ」
なっちは文化包丁で、まず鯵の頭を落とした。
腹を裂いて小骨と一緒に内臓を取り出すと、ビニール袋に捨てる。
それから背骨に沿って、身を切り取って行く。
骨と頭は、後から味噌汁のダシにするから残しておくらしい。
三枚におろした鯵の皮は、手で簡単に剥がす事が出来る。
ふーん、こうやるのかァ。意外に簡単だなァ。
- 129 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/07/30(金) 21:34
- 「面白そうだなァ。梨華ちゃん、やってみようよ」
梨華ちゃんはこういった事に意外に器用で、
なっちも「筋がいい」なんて褒めてた。
そこで、私は皮を剥がし、味噌汁を作る事にした。
味噌汁なんて、それほど難しいもんじゃない。
「豆腐は細かく切った方が口当たりがいいべさ」
沸騰したお湯に、鯵の頭と背骨を放り込む。
ちょっと煮込んで、賽の目に切った豆腐を入れる。
そして、火を止める寸前に、味噌を溶かせばいい。
味見しながら作れば、素人だって簡単に出来るんだ。
「なっちはイカを料理するべさ」
三枚におろした鯵はタタキにして食べる。
細かく叩いてワケギと混ぜれば出来上がり。
ワサビ醤油でもいいし、ショウガ醤油でもいい。
これをアツアツのご飯にかけると、何杯でも食えるんだよなァ。
「新鮮なイカだから、肝の漬物が出来るべさ」
なっちは器用にイカの肝を取り出し、口広のビンに入れて行く。
それに塩を振っておけば、美味しいイカ肝の塩辛になるらしい。
今日は食べられないけど、数日すれば味わえるそうだ。
私はイカ肝の塩辛なんてものは食べた事が無い。
でも、なっちが美味いっていうんだから美味いんだろうな。
- 130 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/07/30(金) 21:35
- 「足は焼いて、身は刺身がいいね」
刺身は切るだけでいいから、私と梨華ちゃんが担当する。
なっちはフライパンにバターを敷き、イカ足を放り込んだ。
イカ足がこんがり焼けた頃、醤油と日本酒を少々入れる。
ちょっと焦げ目がつくくらいが美味しいんだよなァ。
好みで胡椒や唐辛子をかけてもいい。
「よっCと梨華ちゃんは、タマネギサラダを作るべさ」
タマネギサラダは大好物なんだよなァ。
タマネギを刻んで、レタスの上に盛り付ける。
それにポテチを砕いて掛けて、マヨネーズと混ぜるんだ。
それにプチトマトを乗せて、脇にハムを添えれば完成。
刻んだタマネギは水にさらすと、辛味が抜けて美味くなる。
辛いものが好きな人は、そのままでもいいみたい。
「よっC、ウインナーがあるべさ。食べちゃおうよ」
「そうだね」
ウインナーの食べ方は、日本じゃ炒めるけどドイツじゃ茹でる。
これにケチャップとマスタードをかけるのが美味いんだよなァ。
野菜不足が気になる人は、レタスで包んで食べてもいいし、
ほうれん草とコーンを炒めたものを添えてもいい。
ほうれん草とコーンがあったから、私はソテーを作る事にする。
なっちと暮らし始めてから、私は色々な料理を教えて貰った。
- 131 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/07/30(金) 21:35
- 「さあ、もうじき七時だべさ。二人を起こそうよ」
私達は美貴ちゃんとごっちんを起こし、朝食を食べる事にする。
朝から豪勢な食事に、みんなは大喜びで、四合のご飯を完食した。
私は慣れてるから良かったけど、梨華ちゃんは食べ過ぎで胸焼けしたみたい。
そうだよなァ。なっちの料理は美味いからよ。
「それじゃ、美貴ちゃんとごっちんが後片付けだべさ」
「はーい」
こういった時だけ聞き分けのいい二人。
二人が洗い物をしている間に、私達はクルージングの準備をする。
マリーナの会員証と、受付で必要な乗船名簿。
UVカットのローションと、飲み物やタオル。
美貴ちゃん、免許証を忘れてねーだろうなァ。
「ちゃんとトイレに行っといてね。五トンの船じゃトイレは無いよ」
そういえばそうだった。
オヤジの船にはトイレが無かったんだ。
男ならデッキから立ちション出来るだろうけど、
女性じゃそういったわけには行かない。
まして、若い女の子だから、間違ってもそんな事は出来ない。
私達は交代でトイレに陣取り、クルージングに備えた。
- 132 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/08/04(水) 17:32
- 〔海へ・その4〕
九時になると、私達はマリーナに行ってオヤジの船に乗り込んだ。
とりあえず、全員が救命胴衣をつけ、不測の事態に備える。
海の上では、絶対に安全なんて事は無いし、五トンの船じゃ救命ボートも無い。
万が一、沈没なんて事になったら、無線連絡した上で救難信号を打ち上げる。
海に飛び込んだら、ひたすら救助が来るのを待つしか無い。
下手に泳ごうものなら、あっという間に体力を奪われて死んじまう。
とにかく、遭難したら動かないで救助を待つ事。
それが生き残るための鉄則だった。
「さあ、行くよ」
私達がウキウキしながら笑顔でオヤジの船に乗ると、
マリーナのスタッフさん達が繋留ロープを解いてくれる。
このところ、雨ばかり降ってたけど、今日は久し振りのピーカンだった。
美貴ちゃんは舵をとりながら、ゆっくりと船を発進させて行く。
細くて非力な美貴ちゃんだけど、こうして見ると頼もしいなァ。
まあ、全員の命を預けてるんだから、頼もしくなきゃ困るんだけど。
「梨華ちゃん、タイタニックごっこしようよ」
私と梨華ちゃんは舳先に行って、タイタニックごっこをする。
大した風じゃ無かったけど、それでも雰囲気だけは味わえるなァ。
どうしても、流行った映画の真似をしたくなるのが女子高生だ。
そういえば、美貴ちゃんはヤクザ映画しか観ないんだったけか?
高倉健や菅原文太、鶴田浩二、清水健太郎、哀川翔のファンだからよ。
これに長渕剛や岩下志麻が入って来りゃ、立派なヤクザ映画ヲタだ。
- 133 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/08/04(水) 17:33
- 「いいな。美貴もやりたい」
美貴ちゃんがタイタニックごっこをしたいとは意外だった。
タイタニック号って、ツタンカーメンのミイラを運んでいたんだよなァ。
出港時にも火災を起こしてたっていうし、やっぱり呪われてたんだ。
この船はディーゼルエンジンだし、まさか呪われてるなんて事はねーだろ。
「アハハハハ・・・・・・操舵手が離れるわけには行かないべさ」
なっちとごっちんは、サングラスをかけて、夏のクルージングを満喫してる。
照り付ける太陽。エメラルドグリーンの海。爽やかな潮風。
あっと! 梨華ちゃんにUVカットのローションを塗らなきゃ。
ただでさえ黒いのに、日焼けなんてしたら完璧なインド人だからなァ。
「梨華ちゃん、UVカットローションを塗ろうね」
「でもぉ、せっかく海に来たのよぉ。少しは焼きたいなぁ」
私は「充分黒いから」と宥めて、梨華ちゃんにローションを塗った。
梨華ちゃんはすぐに黒くなっちゃうから、マリーナのスタッフが驚いちゃう。
確か日本人が乗って行ったのに、帰って来た時にはインド人がいた。なんてね。
それでなくても、このままサリーを着れば、立派なインド人になっちゃうのに。
「さーて、ちょっと飛ばすよ」
「GO!」
ごっちんは安易に美貴ちゃんを煽ったけど、この後、とんでもない事になっちゃう。
美貴ちゃんはヨットハーバーから三百メートルくらい離れた場所に来ると、
いきなりエンジンを全開にして、凄まじい操縦を始めやがった。
- 134 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/08/04(水) 17:34
- 「ヒャアァァァァァァァァァァァァァァー!」
五トンもある船が、モーターボートみたいに水上を走る。
転覆防止装置は警告音が鳴りっ放しだったし、
ちょっとした波を乗り越えると、一瞬だけ船が宙に浮いた。
デッキで転がるなっちを、ごっちんが片手で捕まえる。
私も梨華ちゃんも、船体につかまって悲鳴を上げてた。
「オヤジの船を壊す気かよー!」
「このくらい平気だって」
どうも美貴ちゃんは、クルーザーと水上バイクを間違えてる。
五トンのクルーザーってのは、小回りが利かないんだよっ!
視界にはスカイブルーとエメラルドグリーンが交互に映る。
ミシミシと船体が軋んで、物凄く不安になっちまう。
船ってのは、波に向かって行くように作られてるから、
横波を受けたりするのは致命的なんだよなァ。
船体が横になった時に、横波なんか受ければ転覆しちまう。
「み、美貴ちゃん! ちょちょちょ・・・・・・ちょっと休憩しようよ」
「やだよ」
美貴ちゃんは私の提案を蹴ると、更に激しく船を暴走させた。
遠心力と勾配によるGが襲い、速度の割に恐怖心がある。
アスファルトと接地してるクルマの方が、まだ安心感があった。
クルーザーのディーゼルエンジンが唸りを上げ、真っ黒な排気煙が噴出す。
強烈なGが脳を揺さ振り、次第に嫌悪感が増して来た。
- 135 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/08/04(水) 17:34
- 「よ、よっC、気持ち悪いよぉ」
まままままま、まずい! 梨華ちゃんの顔が真っ蒼だぞ。
これって、乗り物酔いの中じゃ最悪の船酔いってやつだ。
内耳の三半規管が麻痺して、平衡感覚が無くなるんだよなァ。
一時的なメニエール病って事が言える状態だ。
「グェログェログェロゲェェェェェェェェェェー!」
ついにごっちんが吐き出した。
あれだけ朝食を食べたんだから、吐く量も半端じゃ無い。
ごっちんの横にいたなっちも、つられて吐き出しちまった。
もう、こうなったらゲロ吐きが伝染したように、
梨華ちゃんと私も、海に向かって吐きまくっちまう。
「・・・・・・って、みんな何やってるの?」
美貴ちゃんは船を停めて、苦しんでる私達に訊いて来た。
何って、見て判んねーかゴルァ! 弁当食ってるように見えるかよ!
「み、美貴ちゃんが、あんな操縦するから・・・・・・うえェェェェェェェー!」
「みんなでつわり? 集団妊娠か。アハハハハ・・・・・・」
私は胃の内容物を吐き出したら楽になったけど、
梨華ちゃんとなっちは、延々と吐き気に見舞われてる。
まずいなァ。このまんまじゃ、脱水症状になっちゃうよ。
陸地の涼しいところで休ませないと、熱中症を起こしちまう。
- 136 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/08/04(水) 17:36
- 「美貴ちゃん、とりあえず戻ろうよ」
「せっかく来たのに?」
「なっちさんと梨華ちゃんを休ませないと」
「アハハハハ・・・・・・ボラが集まって来た」
ごっちんは、みんなの撒き餌に集まって来たボラを見て、
指を差しながら愉快そうに笑ってる。
笑いながら胃液を吐くごっちんは、マジで解らない子だ。
「梨華ちゃん、大丈夫?」
「気持ち悪いよぉ」
デッキに倒れ込み、顔だけ出して吐きまくる梨華ちゃんを、
私と美貴ちゃんで何とか立たせてみる。
酔った時は立ってる方が楽なんだよなァ。
膝や背骨が、少しでも揺れを吸収してくれるから。
私が梨華ちゃんを介抱してると、デッキの上をなっちが這って来る。
そして、凄まじい形相で私の足にしがみ付くじゃねーか。
「何で梨華ちゃんだけ介抱するんだべか? なっちは無視だべか?」
「別に無視したわけじゃねーけど」
「この薄情者! ・・・・・・うえェェェェェェェェェー!」
「うわァ! デッキで吐くなっての!」
私はなっちを抱え上げ、海に向かって吐かせた。
デッキで吐かれた日には、掃除が大変だからなァ。
別になっちを無視したんじゃなくて、
梨華ちゃんの方が重症だと思ったから。
- 137 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/08/04(水) 17:37
- 「それじゃ、船を戻すよ」
「アハハハハ・・・・・・ゆっくりお願い」
美貴ちゃんは船をヨットハーバーに向けたけど、
梨華ちゃんは苦しそうに喉を鳴らしてる。
楽しいはずのクルージングが、船酔いのせいで・・・・・・。
「危ねーなゴルァ!」
美貴ちゃんがいきなり船の舵をきった。
そのお陰で、梨華ちゃんは危うく海に落ちるところだったし、
デッキに転がってたなっちは、ロープフックに頭をぶつけて悲鳴を上げる。
何事かと思って前を見ると、一台の水上バイクがUターンして来た。
「んだと! てめーの方が前を見て無かったんだろうが!」
水上バイクに乗ってたのは、どうも子供みたいだ。
でも、子供が水上バイクなんて乗れたっけか?
一応、髪も染めてるし、小柄な大人なのかなァ。
それにしても小せー女だぜ。
「クルーザーの前を横切るなんて、安全航行のマナー違反だろうが!」
「何ィ? てめーは小型船舶保護義務ってのを知らねーのか!」
水上バイクと五トンのクルーザーじゃ、衝突した時の被害が違う。
だから、大きな船には、小さな船を保護する義務があるんだよな。
でも、マナーからすれば、前方を横切るのはいけない事じゃん。
まあ、ここはお互いに引かなきゃな。衝突しなかったんだし。
- 138 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/08/04(水) 17:38
- 「美貴ちゃん、もういいじゃん。ぶつからなかったんだから」
「そうだべさ。早く帰ろう・・・・・・うえっ!」
「アハハハハ・・・・・・水上バイクっていいね。グェログェログェロゲェェェェェー!」
水上バイクに乗ってカラフルな水着を着た小柄な女の子は、
なぜかサングラスを取って私達を見詰める。
ちょっと寄った眼の奥二重瞼で、しかも、
どうしたわけか右目の方が左目より小さかった。
きれいな顔をしてる割に、気の強い女の子なんだなァ。
「何となく、なっちの声がしたような気がするんだけど・・・・・・」
「・・・・・・矢口? ・・・・・・うえっ!」
なっちと水上バイクの女の子が見詰め合う。
そして、全く同時に笑い出したじゃないか。
どうやら、二人は知り合いみてーだなァ。
方言がねーところをみると、東京の人なのか?
まあ、関東の都会じゃ、あんまり方言はねーけど。
「矢口、こんなところで何やってんだべさ。・・・・・・うえっ!」
「アルバイトだよー。水上バイクのレンタルショップ」
へえ、この女の子は矢口っていうのか。
なっちも小柄だと思ったけど、彼女はもっと小柄。
まるで小学生みたいな身長だなァ。
でも、ウエストはあるし、身体の割に胸もでかい。
私達よりも、少しだけ年上って感じがした。
- 139 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/08/04(水) 17:39
- 「なっち、これからどこに行くの?」
「逗子マリーナに戻るんだべさ。・・・・・・うえっ!」
「へえ、オイラは葉山マリーナだから、すぐ隣だね」
彼女は矢口真里っていって、なっちの大学の後輩らしい。
メカに詳しくて、水上バイクの調子をみてたそうだ。
まあ、接触しそうになったけど、なっちの知り合いだったから、
そんな事はワヤになって、彼女と私達は笑顔で別れた。
「ああ見えて、本当は気が小さいんだべさ。・・・・・・うえっ!」
彼女はなっちのひとつ年下で、同じ教育学を専攻してるそうだ。
右も左も判らないで東京学芸大学に入学して来た彼女を、
先輩であるなっちが色々と面倒みてやったらしい。
いかにもなっちらしいんで、私はすぐに想像出来ちまった。
きっと、「そこじゃないべさ」「いいからついて来るべさ」
なんて、全てを悟ったように言ってたんだろうなァ。
「なっちさん、これからどうする?」
「一休みしたら、今度はゆっくりクルージングだべさ。・・・・・・うえっ!」
「もう、乗りたくないよぉ」
また船に乗る気でいるのか。本当に懲りねーなァ。
あの矢口って人、水上バイクに乗ってたよな。
もしかして、この船も動かせるんじゃねーの?
バイトで忙しいのかなァ。よかったら一緒に乗らねーかなァ。
そうすりゃ、美貴ちゃんもタイタニックごっこが出来るわけだし。
- 140 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/08/04(水) 17:39
- 逗子マリーナに戻って休憩してると、なっちのケイタイに電話が掛かって来た。
船酔いも随分と良くなって、梨華ちゃんも午後ティーが飲めるようになった。
私とごっちんは、アイスクリームを食べたら、ほとんど全快した感じかな。
「あーん、まだフラフラするよぉ」
梨華ちゃんは私に抱き付いて来る。
そうなんだよなァ。船酔いって陸にいても揺れてるんだ。
こういった時は、酩酊するまで飲んだ方がいいって話だぞ。
グデングデンに酔っちゃえば、三半規管なんて麻痺しちまうから。
「いいよ。おいで。うん、待ってるべさ」
なっちはケイタイを切ると、ベッドから起き上がってニッコリ笑った。
なっちがこういった顔をした時は、何かしら頼み事のある時。
電話の内容から、例の矢口って人を仲間に加えろって事だろうなァ。
私はいいけど、他の子はどうなんだろう。
「みんなにお願いがあるべさ」
「矢口さんだろ? オレはいいけどね」
「な、何で判っちゃうんだべか?」
ったく。なっちの考えるような事は、だいたい判るっつーの!
矢口さんとタイマン張りそうになった美貴ちゃんが心配だけど、
ああ見えてサバサバした性格だから、引き摺ってはねーだろ。
まあ、なっちの友達なら、悪い人じゃねーだろうし。
問題は矢口さんが私達に合わせられるかだね。
梨華ちゃんのブリッ子、ごっちんのマイペース、美貴ちゃんのツッコミ。
- 141 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/08/04(水) 17:40
- 「あの人、ちょっと怖そうだな。美貴、怖いよ」
「矢口なんか全然怖くないべさ。ああ見えて気が小さいんだよ」
そうだぞ美貴ちゃん。恐らく九十九パーセントの人が、美貴ちゃんの方が怖いって言うよ。
特に『素』になった時の顔。たまに写真に写ってるけど、何て言うか物凄い顔だぞ。
背の高い先輩に睨まれるより、百倍は怖い感じがするなァ。
「安倍先生がそう言うんならぁ、あたしはいいわよぉ」
「アハハハハ・・・・・・クルージング」
これで決まりか? ・・・・・・って言うか、
もう矢口さんに「おいで」って言っちゃったじゃん。
まあ、事後承諾ってのも、なっちらしくていいかなァ。
「その安倍先生はやめてほしいべさ。なっちでいいよ」
そうだよなァ。ここまでみんなと一緒に遊ぶ先生なんていねーもん。
私達より四歳上だけど、全然違和感がねーぞ。なっちは。
だいたいなっちには、大人っていう雰囲気がねーんだよな。
先生っていうか、優しいお姉さんって感じなんだよなァ。
「それじゃ、美貴もよっCみたいに『なっちさん』って呼ぼう」
「なっちでいいの? アハハハハ・・・・・・気さくな人でよかった」
・・・・・・ごっちんに敬語とか期待する方が間違ってるな。
一応、恐怖は感じるみたいだし、身の危険も感じるみたい。
食欲もあるし、よく寝る。でもこれって・・・・・・。
ごっちん、原生動物と一緒だよ。プランクトン並だぞ。
- 142 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/08/04(水) 17:40
- 「それじゃ、矢口が来たらお昼にするべさ。お昼はシーフードのパスタでいい?」
やったー! なっちのパスタはうめーからなァ。
アサリに海老、イカとホタテを使ったシーフードスパゲティ。
バターと生クリーム、塩胡椒だけで、よく味が出るもんだ。
ミートのトマトソースも好きだけど、なっちのホワイトソースは最高。
みんなが「美味しい」なんて言うと、私も嬉しくなっちゃうんだよなァ。
「よし、オレは何をすればいいの?」
「それじゃ、パスタを茹でて。簡単っしょ?」
そりゃ簡単だよ。こういった時のために梨華ちゃん・・・・・・。
駄目だ。梨華ちゃんは、まだ船酔いが完治してねーもんなァ。
だったらごっちん・・・・・・。駄目だ。すっかりクルージングモードだし。
えーい! こうなったら、美貴ちゃんに任すしかねーじゃんか!
「み、美貴ちゃん!」
「ななななな・・・・・・何? 美貴、ケンカ弱いよ」
「そうじゃねーよ。一緒にパスタ茹でようよ」
ったく、美貴ちゃんには敵か味方しかねーのかよ。
でも、矢口さんって、どんな人なんだろうなァ。
子供みてーに小さい人だったけど。
まあいいや。一緒に遊べば話が出来るし。
- 143 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/06(金) 00:56
- 矢口参戦キタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━!!
- 144 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/08/11(水) 08:47
- 〔海へ・その5〕
矢口さんがやって来たのは、十二時を少しまわった頃だった。
丁度パスタが茹で上がり、なっちが作ったソースに絡めてる頃。
玄関のチャイムが鳴ったんで私が出ると、本当に小さい彼女がいた。
「アハハハハ・・・・・・さっきはどーも」
近くで見ると、とっても可愛い顔をしてる。
なっちにしてみれば、こんなに小さい矢口さんを、
本当に猫可愛がりしたんだろうなァ。
「どうぞ」
「はーい、お邪魔しまーす」
さすがに手ぶらで来るほど非常識じゃ無い。
コンビニの袋の中には、レディボーデンが入ってる。
どういうわけか、メロンシャーベットも入ってた。
何ていうか、矢口さんは物凄く元気な人だなァ。
「おっ、パスタかよ。なっち、オイラはタラコだからね」
「判ってるべさ。矢口のはこっちだよ」
「アハハハハ・・・・・・女子高生? いいね。若くて」
最初は警戒してた美貴ちゃんや梨華ちゃんも、
すっかり矢口さんのペースに乗せられちゃった。
こんなに背が低いのに、矢口さんが来ただけで、
いきなり部屋の中が明るくなった気がするなァ。
- 145 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/08/11(水) 08:47
- 「あんた梨華ちゃんっていうの? でけー胸だなオイ!」
「真希ちゃん? オイラの妹もマキっていうんだよ。アハハハハ・・・・・・」
「美貴ちゃん? オイラ、てっきり脂ぎった中年オヤジかと思ってさー」
「ひとみちゃん? 男前だなオイ!」
矢口さんの凄いとこは、その話術だった。
面白い話を矢継ぎ早に言うもんだから、
ごっちんなんかは腹を抱えて笑ってる。
これだけ話が出来る人って、頭がいいんだろうなァ。
「出来たべさっと」
「はい! はいはいはいはい」
矢口さんはチョコチョコ動き回って、テーブルにスパゲティを並べる。
その仕草が可愛らしくて、なっちが面倒みてるのも判るような気がした。
いつもニコニコしてるし、精神的に安定した人っぽいぞ。
矢口さんがやってると、何でも面白そうに見えるから不思議だなァ。
「みんなは牛乳だけど、矢口は何を飲むんだべか?」
「オイラはウーロン茶がいいなー」
話によると、矢口さんは牛乳や乳製品が苦手だそうだ。
だから背が低いのかァ? でも、胸はあるなァ。私より。
女の子が六人も集まると、食卓は賑やかってなもんじゃない。
一口食べては話し出す始末だから、食事に三十分以上もかかる。
それでも、これだけワイワイ食べるのも楽しくていいなァ。
- 146 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/08/11(水) 08:48
- 「そうしたらさー。頭が禿げ上がったオヤジなのー」
矢口さんは話題に事欠かない人だなァ。
いつの間にか、矢口さんの話になっちゃってるし。
こんなに小さいのに、エネルギッシュだなァ。
私のまわりには、いつも明るい子がいるんだけど、
矢口さんはハロゲンライトくれー明るいぞ。
なんか、もう1個太陽が降臨したみてーだ。
「矢口さんと安倍先・・・・・・なっちさんは、同じサークルなんですかぁ?」
「んなわけ無いじゃん。なっちがサークルなんてやる顔に見える?」
「どういう意味だべさァァァァァァァァァー!」
「ひゃー! ごめんなさい!」
矢口さんの頭を抱える仕草は、年下の私から見ても可愛らしい。
でも、私よりもなっちとは長い付き合いなんだなァ。
そう思うと、ちょっと嫉妬っぽい感情が生まれちまう。
あれ? どうしちゃったんだろう。なっちは同性じゃん。
「矢口は小型船舶の免許もってんだべか?」
「オイラ? うん、二級だけどねー」
二級っていえば、美貴ちゃんと同じ免許だったなァ。
そうか、これで操縦出来るのが二人になったわけだ。
矢口さんが操縦してれば、美貴ちゃんもタイタニックごっこが出来るし、
あの暴走をやられないから、こっちも安心ってもんだ。
えーと、オヤジの船なんだから、私が操縦する人を決めていいんだよなァ。
- 147 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/08/11(水) 08:48
- 食後の休憩が終わると、今度は六人でクルージングだ。
べそをかく梨華ちゃんを説得して、何とか船に乗せた。
私達が出港しようとしてると、なぜかパトカーがやって来た。
「ちょっと待って! 君が操舵手か? 免許証を見せてくれ」
横柄な態度に、矢口さんは露骨に嫌な顔をしてる。
ここらへんだと、逗子警察署なのかなァ。
何の取締りだか知らねーけど、口の利き方ってもんがあるんじゃねーの?
こいつら、ちゃんとした教育を受けてねーのかなァ。
「はい、これでいい?」
「こっちによこせ。番号を照会するから」
当たり前のように矢口さんの免許証を持って行く警官。
矢口さんが口を尖らせてると、なっちが口を開いた。
「ちょっと待つべさ」
「なんだよ」
「勝手に人の免許証を持って行くんじゃないべさ!」
おお! なっちも言うじゃん! そうだそうだ。
こいつは官憲の横暴な弾圧ってやつじゃねーか?
だいたい、日本の警察権力は強過ぎるんだよ。
それ以前に、マナーのなってない警官が多過ぎる。
スコットランドヤードみてーに、紳士な警官はいねーのかよ。
だから欧米から馬鹿にされるんだっての!
- 148 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/08/11(水) 08:49
- 「何だと? この暑いのに、こっちだって仕事なんだよ!」
「勝手に免許証を持って行くなって言ってんだべさァァァァァァァァー!」
「そうだよ。メモして行けばいいだろ!」
ついつい私も、なっちと一緒になって言っちまった。
でも、これだけ横暴だと、ちょっと腹が立つからなァ。
「ちょっと番号照合するんで、貸して貰えませんか?」
こうやって言われれば、気持ちよく渡せるのによ。
「生意気だな。公務執行妨害で逮捕するぞ」
うっ! ここここここ・・・・・・こえーよォ!
そ、そんなに威嚇しないでも・・・・・・私は花も恥らう女子高生だぞ。
警棒まで抜く事ねーじゃんか! まさか、殴らないよね。
あんなもんで脳天を殴られたら、血塗れになっちまうからよ。
っていうか、こっちは丸腰なのに、武器を使うのは反則だ。
「検挙してみるべさ! 裁判でとことん戦うよ!」
「馬鹿な! 裁判ってのはな、時間とカネがかかるんだよ!」
「んなわけないじゃん。刑事裁判だから国選弁護人だよね。
弁護士費用は国が負担するし、負けた時の裁判費用だってたかが知れてる」
矢口さん、すげー! 国立の大学生になると、そんな事まで知ってんのかァ?
警察に逮捕されて、検察に送致されて、刑事訴訟法にしたがって告訴される。
刑事裁判の場合は、最初が地方裁判所になるんだよなァ。
起訴状朗読から判決まで、数回の法廷が開かれるんだっけ?
私選弁護人の場合は、弁護士費用がかかるけど、国選弁護人だったら必要無いのか。
- 149 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/08/11(水) 08:49
- 「さすが矢口だべね。伊達に法科専攻してるわけじゃないってか」
「だ、だいいち、逮捕されたら、大学だって除籍処分に・・・・・・」
「そんなもん、無罪だったら、いくらでも覆せるべさ」
そうだよなァ。逮捕されたって、犯罪者って決まったわけじゃねーんだからよ。
裁判で有罪が確定して、初めてペナルティが科せられるんだよなァ。
訴訟慣れしてない日本じゃ、被疑者=犯罪者ってイメージが強いけどね。
松本サリン事件の河野さんは、ちゃんと警察から謝罪されたんだろうか。
「だいたい、何の目的で、免許証を取り上げるんだべか?」
「だから、この免許証が有効かどうかって・・・・・・」
「だったら矢口だけじゃなくて、このヨットハーバーの全員を調べるんだべね?」
「いや、それは時間的に・・・・・・」
「そんなの不公平っしょ! 警察を総動員してもやるべさァァァァァァァァー!」
「こういうのって、差別なんじゃないですかぁ?」
おお! 梨華ちゃんまで戦列に加わったなァ。
次は誰だァ? ごっちんは・・・・・・駄目だろうな。
そうすってーと、美貴ちゃんも戦列に加われ!
「最終警告だぞ。それ以上邪魔すると、公務執行妨害で逮捕する」
「美貴は神奈川県警と警察庁に投書するよ!」
さすが美貴ちゃん! でも、野次馬が集まって来たぞ。
そりゃそうだよなァ。美少女達が警察を相手にしてるんだからよ。
野次馬の中からは「負けるんじゃねえぞ!」とか、
「俺が証言してやる」なんて声も聞こえて来る。
そのうち「警察、帰れ」のシュプレヒコールになった。
- 150 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/08/11(水) 08:50
- 「はーい、そっちの方、声が小さいよー。アハハハハ・・・・・・」
・・・・・・ごっちん。何か勘違いしてるみてーだけど。
こんな事で盛り上げてどーすんだっての。
でもまあ、警官も動揺してるし、いいかもしんない。
何か、こうしたみんなの力っていいなァ。
「くそっ!」
警官は矢口さんの免許証を叩き付け、逃げるように行っちまった。
野次馬の皆さんは、拳を突き上げながら歓声を上げてる。
パトカーが見えなくなると、みんなで野次馬の皆さんに挨拶をした。
何となくパターンを踏襲した感じがするけど、
まあ、みんなが喜んでくれりゃいいか。
「なっちだよ。みーんなの顔が見えてるよー」
「こういうのって、癖になりますね! 鼻血が出ても許してねー!」
「海に来て美味しいものを食べた結果! イヤ〜ン!」
「石川梨華ぁ、頑張りましたぁ」
「どすーん! みんなも一緒に、どすーん!」
「美貴だけ仲間外れなんだけど」
野次馬の皆さんも付き合ってくれたし、嫌な事は忘れられた。
口々に「良かったね」と言って、野次馬の皆さんも散って行く。
私達は気を取り直すと、午後のクルージングを始める事にした。
オヤジの船はライトが無いから、夜間の航行は出来ねーんだ。
- 151 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/08/11(水) 08:50
- 「船を出すよー」
エンジン音が上がり、船が岸壁から離れて行く。
あれだけ凄まじい船酔いに遭ったなっちと梨華ちゃんは、
どういうわけか私に抱き付いて離れなかった。
美貴ちゃんとごっちんは、お約束通り、
舳先に陣取ってタイタニックごっこをする。
美貴ちゃん良かったなァ。念願が叶って。
「うわぁ、よっC、気持ちいいねぇ」
これだよ、これ! この雰囲気がクルージングなんだよ。
潮風に靡く髪、真上から照り付ける太陽、紺碧の海。
白い波の下に、大きな黒い影・・・・・・ってオイ!
なななななななな・・・・・・なんじゃこりゃァァァァァァァァー!
「すげー! アハハハハ・・・・・・サメじゃん」
「アハハハハ・・・・・・」ってごっちん、笑い事じゃねーだろ。
この大きさ、裕に十二メートルはあるっての!
この船よりも大きいんだよ! 体当たりされたら沈没する。
「よっC、ジョーズだよぉ。怖いよぉ」
「ホオジロザメだべさァァァァァァァァァァァー!」
なっちはパニックになるし、美貴ちゃんはマストに登り出すし。
私だって、すげー怖いんだけど。梨華ちゃん、そんなに抱き付くなっての!
体当たりされて海に投げ出されたら、容赦無く襲って来るんだろうなァ。
- 152 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/08/11(水) 08:51
- 「アハハハハ・・・・・・ホオジロザメは、あんなにクネクネしてないよー」
矢口さんは余裕の表情だなァ。
そんなに余裕ぶっこいてていいのか?
相手は魚だから、謝っても許してくれねーだろうし。
いざ戦うっていっても、サメに勝てる武器がねーぞ。
この船には圧搾空気も拳銃もねーんだっての!
私はロイ=シャイダーになれるのか?
「ホオジロザメに似てるけど、あれはウバザメだよ。微生物しか食べないサメ」
「へっ?」
まるで、水面近くを日光浴してるかのように、
このウバザメはクネクネと泳いでる。
そういえば、ジョーズのモデルになったホオジロザメってのは、
もっと獰猛でカッコイイもんなァ。
あらっ? 何か無茶苦茶大きな口じゃねーか。
そうか、海水ごと微生物を飲み込んじゃまうんだなァ。
こんなアバウトなサメってのもいるんだね。
「ジンベイザメに次ぐ大きさを誇るサメだよ。このあたりじゃ珍しいけどねー」
矢口さんの話によると、ウバザメってのは回遊魚らしい。
つまり、餌になる微生物を追って、温かい海を回遊してるそうだ。
夏になって海水温度が上昇したため、このあたりまでやって来たらしい。
サメっていうと、どうしても獰猛な人食いザメを連想しちまうけど、
人を襲うサメなんてのは、そんなに種類が多くないそうだ。
- 153 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/08/11(水) 08:51
- 「船酔いしないように、何か食べてたら?」
矢口さんは操縦がうめーなァ。
何か、とっても安心して乗っていられる。
こういうのを、大船に乗ったつもりっていうんだろう。
確かに揺れるんだけど、心地よい揺れなんだよね。
「なっちは酢漬けイカ持ってるべさ」
「あたしはぁ、ピーナッツ入り柿の種」
「アハハハハ・・・・・・おいら、あたりめ」
「美貴はビーフジャーキー」
「オレは天狗舞の純米酒」
ウーロン茶や天然水も積んでるんだけど、
私は何となく日本酒を持って来ちゃったんだよね。
でも、何だかんだいって、みんな肴になるもんしか持ってねーじゃんか。
天狗舞の純米って聞けば、ワイン党の梨華ちゃんだって催促する。
なっち以外は嫌いじゃないから、デッキで宴会が始まった。
「このお酒、美味しいわぁ」
「だろ? だろ? 天狗舞と久保田は、日本酒の最高峰だよ」
暑さも手伝って、私達は日本酒をガンガン飲んじまった。
あっという間に天狗舞を空けちまったけど、どうも飲み足りねーなァ。
私はウイスキー好きのオヤジの事だから、どこかに隠してねーかと、
キャビンのあちこちを、ひっくり返して探してみた。
そうしたら案の定、デッキの椅子の下から、
シーバスリーガルの二十年ものが出て来たじゃねーか。
- 154 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/08/11(水) 08:52
- 「梨華ちゃん、氷あったっけ?」
「げげー! シーバスリーガルの二十年ものじゃねーか!」
矢口さんはいきなりエンジンを停めて、ウイスキーに抱き付いて来た。
シーバスリーガルっていえば、十二年ものが有名なんだよなァ。
最近じゃ安くなって、二千五百円くれーで買えると思ったけど。
二十年ものになると、少しは高いのかなァ。
「矢口、そんなに有名なお酒なんだべか?」
「シーバスリーガルの二十年ものなんて、正規で買えば一万円はするよ」
へえ、そんなに高価なウイスキーだったのか。
まあいいや。どうせオヤジだって忘れてんだろ。
私は栓を抜いて、氷を入れたマグカップに注いだ。
「オイラも飲みたいよォォォォォォォォォォォー!」
「矢口は駄目っしょ。船を操縦しなきゃいけないべさ」
なっちはべそをかいて膨れる矢口さんを抱き締めた。
何か妬けるなァ。矢口さんは小さくて可愛いし。
ここまでストレートに、なっちに甘えられて羨ましい。
私はダブル以上あるウイスキーを一気に呷った。
「くーっ! 効く!」
モルトの香りが鼻腔に抜け、芳醇な味が舌から食道へ流れて行く。
少しして、胃が火照って何とも言えない幸せな気分になった。
ビーフジャーキーを一口齧り、美味しい水のチェイサーと一緒に飲み込む。
- 155 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/08/11(水) 08:52
- 「よっC、矢口の分も残しておいてね」
チッ、なっちに頼まれたら無視出来ねーなァ。
私達は車座になって、速いピッチで飲んだせいか、
半分くらい飲んだところで、ごっちんと美貴ちゃんが潰れた。
矢口さんは大喜びで、ウイスキーを持って放さなかった。
「よっC、夕焼けだよぉ」
あれほど頭上で照ってた太陽が、伊豆の山の方に沈みかけてる。
今日一日の疲れを溜めた夕日が、相模湾をオレンジ色に染め出した。
そろそろ帰る時間だ。楽しかったクルージングも、そろそろ終わり。
矢口さんが逗子マリーナに舳先を向けると、私と梨華ちゃんは、
後部デッキに座って、美しい夕日の相模湾に酔っていた。
「楽しかったぁ。よっC、ありがとう」
「何言ってんだよ。みんながいるから楽しいんじゃん」
ふと後を見ると、なっちも操舵室から顔を出して、夕日を見ていた。
色白の顔がオレンジ色に染まって、物凄くきれいに見える。
眼がキラキラ輝いて、純真無垢な少女のように見えた。
私が見惚れてると、梨華ちゃんが腕に抱き付いて来る。
夕日はきれいだけど、なっちの方がきれいだったなァ。
- 156 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/08/28(土) 11:11
- 〔海へ・その6〕
逗子マリーナに戻ると、シャワーを浴びてから、みんなで夕食を作った。
冷蔵庫に残ってる鯵をフライにしたり、コールスローサラダを作ってみる。
といっても、動いてるのは私となっちだけだった。
矢口さんはテーブルで自分の分のシーバスリーガルを満喫してたし、
美貴ちゃんとごっちんは、完全に酔い潰れて寝室で寝てる。
他に元気だったのは梨華ちゃんだったけど、買い物に行って貰った。
「矢口、肴が無いと寂しいっしょ? これでもつまんでなよ」
なっちはチーズとソーセージ、キュウリを爪楊枝に刺したものを作っていた。
こうしたものが作れるんだから、なっちって器用なんだなァ。
そういえば、フライは簡単だけど、天婦羅って上手く揚がらないんだよ。
どうやって衣を付けるんだろうなァ。マジで難しい。
「なっちさん、天婦羅って、どうやって作るの?」
「天婦羅だべか? ちょっとしたコツなんだよ」
なっちは小麦粉に冷水を注ぎ、生玉子を入れて雑に掻き回した。
小麦粉は完全に溶けてなくて、何だかいい加減な感じ。
それにイカをつけると、無造作に油の中へ放り込んだ。
「ここからが勝負なんだべさ」
なっちはスプーンでダマだらけの小麦粉を掬い、
菜箸でイカを転がしながら、油の中に垂らして行く。
そうすると、見事にふっくらとした天婦羅が出来上がった。
- 157 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/08/28(土) 11:12
- 「プロは菜箸だけでやるけど、スプーンを使えば簡単だべさ」
そうだったのか! 衣は油に入れてから作るんだなァ。
それで揚玉が出来るのかァ。言われてみればそうだけど。
天婦羅ってのは、塩で食うのが美味いけど、
私は衣に漬け汁が染みてるのも好きなんだよな。
ただ揚げるだけだと、衣が出来ねーもんなァ。
「漬け汁は、麺つゆをだし汁で割ってやるんだべさ」
最近の市販の麺つゆは、マジで美味くなったからなァ。
基本的にカツオだしだから、昆布のだし汁がいいみたい。
それで割って味を整えて、大根おろしとショウガを添える。
これで、そこそこ食べられるものになっちまう。
「油の温度管理と、火の通るタイミングが重要なんだべよ」
そうしたものを計算しながら、衣を付けて行かないといけない。
そうしないと、ネタが生だったり、衣が固まりきってない場合がある。
ネタが煮える時間を、予め知っている必要があった。
また、小麦粉を練り過ぎると粘り気が出てしまい、
衣がサクサクじゃなくて、カリカリになっちまうんだ。
「衣はサクサク、ネタはジューシーが一番っしょ?」
なっちは揚げ終えたイカ天を、小皿に取って私に渡した。
私は塩を振りかけて、一口だけ食べてみる。
サクッとした歯応えに、甘いイカの身の味が口の中に広がった。
- 158 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/08/28(土) 11:12
- 「そうそう。これだよこれ!」
イカや海老を天婦羅にしたものを、かけそばに乗せれば天婦羅そばだ。
汁を吸った衣は、物凄く美味いんだよなァ。うー、涎が出る。
天婦羅そばはカロリーこそ高いけど、関東の味が凝縮されてるんだよなァ。
ラーメンとは違った美味さがあって、私はそばの方が好きなんだ。
「この時期なら、天ざるがいいべさ」
天ざるはそばを食いながら、天婦羅を味わおうっていう、いかにも関東らしい発想。
アツアツの天婦羅と、キリキリに冷したそばが、妙にマッチするんだよなァ。
天ざるにビールや冷酒ってのは、夏の定番って言っていいんじゃないかな。
最近じゃ薄味のツユが人気だけど、江戸前のそばツユってのは濃いもんだ。
だからビールや冷酒がすすむんだけど、それだけを食べるんだったら、
天婦羅だけにツユをつけて、そばは希のままで食った方がいい。
「うめーなオイ」
矢口さんは最高に幸せそうな顔をしながら、速いピッチで飲んでた。
なっちが揚げたフライドポテトを、矢口さんは楊枝に刺して口に放り込む。
行儀の悪い事だけど、矢口さんがやると、何か可愛らしいんだよなァ。
口惜しいけど、私には矢口さんみたいな可愛らしさってのが無いんだよね。
「梨華ちゃんが帰って来たら、二人を起こしてご飯にするべさ」
少しすると梨華ちゃんが帰って来て、みんなで食事になった。
ごっちんと美貴ちゃんは、まだ酔ってたけど二日酔いにはなってないみたい。
さすがに十代の肝臓は、アルコールを分解するのもはえーなァ。
- 159 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/08/28(土) 11:13
- 私達は食事を終えると、これからどうするかを話し合った。
飲んでばっかりいるのもいいけど、折角海に来たんだから、
ここでしか出来ない事をやってみてーよなァ。
みんなが考えてると、美貴ちゃんがポツリと言った。
「肝試しはどう?」
肝試し? 肝試しっていうと、暗い中を歩くやつだよなァ。
暗いとこなんか、別に怖くもねーんだけどよ。
みんながキャーキャー言うのも面白れーよな。
それでなくとも三浦半島は、全体が心霊スポットだからよ。
「こ、怖いよぉ」
「アハハハハ・・・・・・肝試し」
ごっちん、すっかり肝試しモードに入ってる。
肝試しなんて、そんなにワクワクするもんじゃねーのに。
どうでもいいけど、薮蚊が多いとこは嫌だぞ。
それでなくても、私はO型で蚊に食われ易いからよ。
「心霊ポイントだと、ここからは小坪トンネルが近いべさ」
って、なっちまで肝試しモードなわけ?
このあたりの山は鎧摺っていって、急勾配なんだよなァ。
戦国の昔には、三浦一族の砦があったらしい。
後北条氏の攻撃で、大勢の三浦兵が玉砕した場所。
そういった無念が、このあたりに渦巻いているかもしれない。
五百年前の怨念が残ってるとすれば、それはそれで恐ろしいもんだ。
- 160 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/08/28(土) 11:13
- 「よっCと一緒なら、肝試ししてもいいよぉ」
梨華ちゃん。たまに、そこまで自分を演出しなくても。って思う。
黙ってニコニコしてるだけで可愛いんだから、わざわざブリッ子しなくても。
ところで、美貴ちゃんとごっちん、なっちと梨華ちゃんが肝試し支持派だから、
これで矢口さんがOKしたら、マジで肝試しする事になるだろーなァ。
「それじゃ決まりね。なっち、運転宜しくー」
「ベンツは五人乗りだべさ」
「矢口さんくれーなら、何とか乗れるだろうがよ」
私が言うと、なっちも笑顔で頷いた。
最悪は後部座席の三人が、矢口さんをタオルケットで包んじまえばいい。
それで足元に転がしておけば、警官も人間だなんて思わねーだろうし。
そうと決まれば行動は早い。私達はすぐに出掛ける支度をした。
なっちは念の為に、ペットボトルに日本酒を入れ、ラップに塩を包む。
「そんじゃ、行くべさ」
なっちの号令で、私達は興奮しながら出発した。
まずは、小坪トンネルに行って、怖い話をしてからだな。
そうだなァ。戦国時代に首を取る話をしてみようか。
あれって、太刀で叩き切るんだよね。
その前に矢や槍で刺されて出血してるもんで、
首を叩き落しても、大して出血しねーそうだ。
兜首なんて取った日には、大手柄だったそうだぞ。
その首を井戸水できれいにするのは、女の人の仕事だったそうだ。
- 161 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/08/28(土) 11:13
- 私達が小坪トンネルに着いたのは、十一時過ぎだった。
この時間になると、交通量もすっかり減って、寂しい感じがする。
新しい方はそうでもねーけど、古いトンネルは気味がわりーなァ。
しかも、ぽっかりと浮かんだ満月は、血の色みてーに真っ赤じゃねーか。
トンネルの中から吹いて来る風は、どこか冷たく湿ってて、
全身に鳥肌が立つくれー気味のわりーもんだった。
「ふーん、けっこういるみたいだべねえ」
「なななななな・・・・・・何がぁ?」
そりゃトンネルの中にいるのは、蛾や甲虫みてーに走光性を持った生物。
いくら鎌倉が近いからって、アライグマが生息してる場所には見えねーなァ。
トンネルに入ってみたら、夥しい数のアライグマがいたりすると、
それはそれで、物凄く怖いとは思うんだけどね。
「なっちには霊感があるんだよ。オイラには無いけどねー」
やっぱり、そっちかよ。この場所に来ると、物凄くリアルなんだけど。
ほら、梨華ちゃんなんか、完全にびびっちゃってるよ。
この程度でブルッちゃうなんて、梨華ちゃんは可愛いなァ。
うちも病院だから、ステっちゃう(死んじゃう)患者さんもいる。
私も何回か亡くなった患者さんを見てるけど、
そんなに怖いもんじゃねーよなァ。
「な、なっちさぁん。何か見えますかぁ?」
梨華ちゃんは完全にびびっちゃってる。
これで、一人でトンネルを歩けなんて言ったら泣いちゃうだろ。
- 162 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/08/28(土) 11:14
- 「うーん、思ったより多いべさ。大丈夫だと思うけど」
「それじゃ、ペアでトンネルの向こうまで行って帰ってくる。いいね?」
矢口さんの発案で、一組づつトンネル内往復の肝試しが始まった。
先鋒は美貴ちゃん・ごっちんペア。この二人に怖いもんはねーだろ。
次に私と梨華ちゃん。最後がなっちと矢口さんだ。
なっちは持って来た塩を、全員の背中に少しづつ振り掛けて、
日本酒を数滴づつ膝あたりに垂らしてお清めをする。
こんな簡単な事でも、やるのとやらないのとでは、雲泥の差だそうだ。
「それじゃ、出発するべさ」
「はーい」
美貴ちゃんとごっちんは、嬉しそうに手を繋いで出発する。
狭いトンネル内なので、安全のために懐中電灯を用意した。
万が一、クルマに突っ込まれでもしたら、それこそ眼も当てられない。
そういった意味での肝試しは、ここじゃない方がいいなァ。
「怖いよぉ」
梨華ちゃんは泣声になって来た。
そりゃそうだよなァ。私だって怖くなって来たもん。
矢口さんは怖く無いのかなァ。なっちを信頼してるから?
何か口惜しい。これって嫉妬なのかなァ。
矢口さんはいい人だよ。ちょっと過激なとこもあるけど。
でも、なっちを占有してるみたいで面白くない。
なっちは私のカテキョなんだもん。
- 163 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/08/28(土) 11:14
- 「そんなに怖がる事は無いべさ。霊っていっても、みんな怖いもんじゃないの」
なっちの話は、とても判りやすかった。
人間でも悪さをするのは、ごく一部の人だけ。
大部分の人達は、『いい人』なんだよね。
それと同じで、悪霊ばかりじゃないって事。
サメにしても、そのほとんどが人間に食われちまう。
人間を襲うサメなんて、ほんの少数なんだなァ。
「このトンネルは、人間の世界でいえば、原宿みたいなもんだべよ」
いわゆる繁華街というやつだそうだ。
幽霊ってのは、こうした暗くてジメジメした場所に集まるらしい。
確かに陰陽道で行けば、人間は陽の気で幽霊は陰の気だった。
そんな説明をされると、かなり説得力を感じるよなァ。
「あれれ? なっち、美貴ちゃんとごっちんが帰って来たよ」
矢口さんが指差すと、懐中電灯の光が、こっちに向かって来ていた。
どうやら、美貴ちゃんの具合が悪くなったみてーだなァ。
言い出しっぺが恐怖でやられちまったのか? しょうがねーなァ。
私が笑いながら見てると、なっちは真剣な顔で美貴ちゃんを見てた。
「波長が合ったみたいだべさ。狐さんだべか?」
ごっちんの腕に抱き付いて震える美貴ちゃんは、
蒼い顔をして、とても具合が悪そうに見える。
そんな美貴ちゃんを、なっちは笑顔で迎えた。
- 164 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/08/28(土) 11:15
- 「アハハハハ・・・・・・美貴ちゃん、狐さんを連れて来たっしょ?」
「えっ?」
私は次の瞬間、美貴ちゃんの顔が狐に見えて飛び上がった。
何か、物凄く邪悪な気配を感じてたし、怖くてたまらない。
そこにいた全員が恐怖に引き攣ってるっていうのに、
なっちは全然動じる事無く、美貴ちゃんの背中を摩った。
「狐なんか怖くないべさ。大昔、狐と人間は友達だったんだよ」
そういえば、稲荷神社なんてのは、狛犬の代わりに狐がいるよなァ。
お稲荷様っていうのは神様で、狐がその使徒って事らしい。
五穀豊穣を司る神様だから、古くから日本人とは繋がりがあった。
そういえば、ここに来る途中でも、赤い鳥居を見たしなァ。
「全くイタズラな狐だべね。しっしっ」
なっちは美貴ちゃんの背中に、塩と日本酒を振り掛ける。
その途端、美貴ちゃんは嘘のように元気になっちまった。
すげー! なっちは除霊なんかも出来ちまうのか!
なっちはニコッと笑って、ポケットから揚玉を出した。
「これをあげるから、イタズラしないでね。荒らしに来たんじゃないから」
なっちは道路脇の草むらに、ビニール袋に入った揚玉を置いた。
なっちには霊が見えないそうだが、感じる事は出来るらしい。
その霊の気を読んでか、なっちは再びニコッと笑った。
- 165 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/08/28(土) 11:15
- 「仔狐だべさ。揚玉あげたから喜んでる」
なっちの話によると、本当に怖い霊ってのは、
どういったわけか、そこから動けないらしい。
いわゆる地縛霊ってやつで、物凄く行動範囲が狭いんだそうだ。
そうした所に近付かなけりゃ、怖い思いをせずに済むらしい。
「・・・・・・」
それにしても、喜んでる仔狐を感じたなっちの顔は、
まるで仔犬を抱き上げる時みてーだったなァ。
あんな顔で接しられたら、仔狐も嬉しいだろう。
優しいんだな。なっちは。
「動物ってのは加減を知らないから怖いんだべさ。でも、心は通じ合えるの」
なっちが言うには、波長が合う美少女が来たんで、
イタズラ好きの仔狐が、じゃれてついて来たらしい。
なっちが草むらに置いた揚玉の周りを、
仔狐が嬉しそうに飛び回っている光景が見えたような気がした。
「よっCと梨華ちゃんは、霊と合い難い波長だから平気っしょ」
何か馬鹿にされた気がしたけど、まあいいや。
もし、ついて来ちゃっても、なっちが祓ってくれるし。
狐狗狸さんって怖いと思ってたけど、そうでもないんだなァ。
霊が心だとしたら、誠意を持って接すれば、必ず通じ合える。
仔狐なんかはピュアだから、特にそうなんだろうね。
- 166 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/08/28(土) 11:16
- 「そんじゃ、行って来るぜ」
「よっC、怖いよぉ」
梨華ちゃんが私の腕に抱き付いて来る。
こんなにでけー胸しやがって、何が「怖いよぉ」だゴルァ!
そんだけエロい身体してたら、言い寄る男が怖いんじゃねーか?
どうなんだよ! アアン!
「へえ、涼しいなァ」
トンネルの中は、思ったより涼しくて、どちらかというと寒さを感じる。
ただし、それが実際に寒いのか、精神的に寒くなっているのかは判らない。
奥に行くに従って、何となく薄暗くなってるみてーだなァ。
そうか。入口はライトが多いけど、中程は少なくなってんだ。
「よっC、怖いのぉ。抱き締めてよぉ」
「しょーがねーなァ」
梨華ちゃんだったら、そう違和感はねーから、私は抱き締めてやった。
さすがに矢口さんや美貴ちゃんにねだられたら、ちょっと引くけどね。
梨華ちゃんは小さいし、何ていうか抱き心地がいいんだよなァ。
美貴ちゃんくらい貧乳だと、胸より先に腹がぶつかっちゃうし。
「そろそろ出口だよ」
美貴ちゃんが仔狐に憑かれた時はマジでびびったけど、
なっちもいるし、こうしみるとそれほど怖くねーなァ。
波長が合うってのは、何となく判るような気がするぞ。
- 167 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/08/28(土) 11:16
- 「帰ろうよぉ」
梨華ちゃんは得だよなァ。ちょっと顎はしゃくれてるけど、可憐で可愛いからよ。
私が「怖ーい」なんて言ったところで、誰も相手にしてくれねーもんなァ。
女の子が臆病なのは、妊娠した時に危険に近付かないためとか言われてる。
でも、私だって一応は妊娠出来るんだけど。出産出来る身体なんだけどさ。
どうも好奇心が先に来ちゃうんだよなァ。これって遺伝なのかァ?
「アハハハハ・・・・・・梨華ちゃん、先に行くよ」
私が恐怖に震える梨華ちゃんを、怖がらすために、その場で置いて走り出すと、
この世のものとは思えないほどの凄まじい超音波が背後から襲って来た。
「キャアァァァァァァァァァァァァァァァァー!」
「うがっ! み、耳が!」
鼓膜が激しく振動し、凄まじい痛みに見舞われた。
その声の高さは、往年のシンディ=ローパーやシーナ=イーストンを彷彿とさせる。
私の右耳から左耳へ、まるで矢が突き刺さったような痛みがあった。
「り、梨華ちゃん・・・・・・今のは効いたよ」
二万ヘルツくらいの『キーン』とした耳鳴りが、自分の声をこもらせた。
べそをかく梨華ちゃんに背後から抱き付かれても、私は耳鳴りと頭痛に茫然自失。
幽霊なんかより、生きてる人間の方が百倍怖いのは、世間の常識だっての!
それにしても耳がいてーなァ。難聴になったらどうしてくれるんだよ。
- 168 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/08/28(土) 11:17
- 「おいてかないでよぉ」
判った。判ったから、背後から胸を握るのはやめてよ。
そんなに強く握ったら、痛くてしょーがねーじゃんか。
確かにバレーでフライングレシーブすれば、胸から着くよ。
でも、こう握られるのには、どうしても慣れてねーんだ。
「判ったよ」
私が梨華ちゃんの手を握ると、爪が食い込むくらい強く握られた。
薄気味悪いトンネルだけど、そんなに怖いかなァ。
雑音を反響させて、『ゴー』って音が聞こえてる。
その音は、どこか文明の息吹のように聞こえた。
「そ、そんなに長いトンネルじゃないのねぇ」
クルマが通らないと、聞こえるのは雑音の他に、水の滴る音と足音だけ。
パタンパタン・・・・・・これは梨華ちゃんが履いてるサンダルの音だな。
ポフポフポフ・・・・・・これは私が履いてるスニーカーの音だろうね。
ヒタヒタヒタ・・・・・・裸足の音? だだだだだだ・・・・・・誰だよ!
「わァァァァァァァァァーん! なっちさーん!」
私は恐怖で白目を剥いた梨華ちゃんを小脇に抱え、なっち達のいるところへダッシュした。
幽霊ってのは足がねーんじゃねーのかよ! 何で足音なんかするんだよー!
ほんの三十メートルくらいが、梨華ちゃんを抱えてるせいか、途轍も無く長い距離に感じた。
少しでも休もうものなら、幽霊にとり憑かれる恐怖が先行しちまったんだなァ。
- 169 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/08/28(土) 11:17
- 「アハハハハ・・・・・・子供の霊だべさ。イタズラしないの。ねっ」
なっちが塩と酒を振り撒くと、さっきまで感じてた気配が無くなって行く。
私は白目を剥いた梨華ちゃんを、近くに停めたクルマに乗せてやった。
なっちの言うところによると、子供の霊もイタズラ好きで、
場合によっては加減をしないから、恐ろしい事もあるらしい。
「こ、こんなに怖い肝試しなんて、初めてだよ」
あのごっちんが震えてる。
裕ちゃんが真っ赤になって怒ってるのに、
笑いながら宥めてたごっちんが。
霊の存在を信じない連中は、ここに来てみろってんだ。
私だって一時間前までは、半信半疑だったんだから。
「オイラとなっちの番だよ。アハハハハ・・・・・・ゾクゾクするねー」
矢口さんがなっちの腕に抱き付いてる。
何か面白く無い。そこまでくっつくなよ。
二人の後姿を見ながら、私は何だか胸が苦しくなった。
これって嫉妬なのかなァ。よく判んねーや。
「何が仔狐だゴルァ!」
私が吐き捨てるように言うと、獣の咆哮とラップ音が聞こえる。
や、やばい! 霊を怒らせちゃったかなァ。どどどど・・・・・・どうしよう。
えーと、アハハハハ・・・・・・いい考えが浮かばねーや。
こういった時は・・・・・・。
- 170 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/08/28(土) 11:18
- 「ごめんなさーい!」
「よっC! どこに行くの?」
慌てる美貴ちゃんを尻目に、私は自慢の足で逃げ出した。
ところが、数メートルも行かない内に、私は派手に転んでしまう。
かなり凄い転び方をしたせいか、心配したごっちんが駆け付けた。
私は肩と膝を打って、物凄く痛かったんだけど、怖くて仕方ない。
なぜなら、足元に絡みつく小さな獣の感触があったからだ。
「よっC、大丈夫?」
「ごごごごご・・・・・・ごっちん! こえーよォォォォォォォォォー!」
私はごっちんに抱き付いて、とにかく怯える事しか出来なかった。
確かに私が悪かった。つまらない嫉妬から、罪も無い仔狐の霊に当たったんだから。
せっかくなっちに優しくして貰って、嬉しい思いをしてたっていうのに。
私が後悔と反省をしてると、不思議な事に、傷の痛みが和らいで行く。
それはあたかも、仔狐に傷口を舐めて貰ってるみたいだった。
「凄いねえ。まるで通勤電車並の混雑だべさ」
「そんなに沢山いるのー?」
なっちと矢口さんが帰って来た。
相変わらず、なっちとベタベタしてる矢口さんに、
私の嫉妬心が再び頭をもたげて来る。
私の視線を感じたのか、矢口さんは首を傾げながら近付いて来た。
なっちは私の怪我に気付き、矢口さんを追い越して駆け寄って来る。
なっちに心配して貰うのは嬉しいけど、何か気に入らない。
- 171 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/08/28(土) 11:18
- 「よっC、どうしたんだべか?」
「べ、別に。何でもねーよ」
私が俯くと、なっちは仔狐の気を読んだのか、困ったように微笑んだ。
何か心の中を見透かされてるみてーで、あんまり気分がよくねーなァ。
なっちは私の頭をクシャクシャっと撫でて、抱き上げてくれた。
複雑な気持ちが入り乱れ、口惜しいけど涙が出て来る。
こんな泣き顔なんて、みんなに見られたくねーよ。
「困った子だべねえ。仲直りするべさ」
なっちが言うには、仔狐もちょっと脅かしたつもりが、
私を怪我させてしまって萎縮しているという。
私はなっちの意見を受け入れ、揚げ玉を撒いて手を合わせた。
「ふーん、そういう事か」
矢口さんが私の背後でポツリと言った。
何を悟ったのか知らないけど、原因はあんたなんだっての!
明日になれば、私達は家に帰るから、もう矢口さんに逢う事もねーだろ。
海は楽しかったけど、ちょっと嫌な思いもしたなァ。
「さて、マリーナに帰るべさ。矢口は泊まってくっしょ?」
「え?・・・・・・ああ、オイラは・・・・・・店まで送ってよ。店に泊まるからさ」
矢口さんは私をチラチラ見ながら、ちょっと悲しそうな顔をしてた。
矢口さんには悪いけど、なっちを独占されるみたいで面白く無い。
私が黙ってると、よせばいいのにごっちんが口を開いた。
- 172 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/08/28(土) 11:18
- 「何でー? 一緒に泊まろうよ。アハハハハ・・・・・・」
「で、でも・・・・・・どうしようかなー」
矢口さんは遠慮がちに私の顔をチラッと見る。
結局、梨華ちゃんまで矢口さんを誘って、全員でマリーナに帰る事になった。
クルマの中で、私は終始無言。っていうか、自己嫌悪に苛まれていた。
何でもっと広い心が持てないのか。何で大人になれないのか。
そんな私の気持ちを知ってか知らずか、なっちは笑顔で後部座席の話を聞いていた。
- 173 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/28(土) 11:20
- 久し振りの更新でした。
長い事、更新しなくてすみませんでした。
これからも、宜しくお願い致します。
- 174 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/29(日) 03:50
- おおぅ
よっちゃんの気持ちが変化してきましたね…
おらワクワクしてきたど!
- 175 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/03(金) 18:03
- >>174
ありがとうございます。
ちょっとだけですが、更新します。
- 176 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/09/03(金) 18:03
- 〔プール前編〕
海から帰って来ると、なっちは二日後に、故郷の室蘭へと里帰りして行った。
お盆の時期は混むから、時期をずらしてお母さんの墓参に行ったんだ。
北海道には行った事がねーけど、やっぱり夏は暑いのかなァ。
室蘭はあまり雪が降らないらしいけど、こっちよりかは積もるんだろーなァ。
少女時代のなっちって、どんな子だったのかなァ。お転婆だったのかなァ。
「ふう」
私は机に向かって、鉛筆を転がしながら、なっちの事を考えてた。
エアコンのモーター音の中で、私は快適な環境を保証されてる。
それは単に親が裕福だって事にすぎず、私は特別な存在でも何でもない。
仏教思想で言えば、窓の外の柿の木に貼り付いてるカタツムリだって、
こうして見てる私と同じ『命』のあるものだった。
「サイン、コサイン、タンジェント」
私はなっちに解かせる問題を作っていた。
問題を作るのは難しいけど、慣れると無限に湧いて来る。
関数や微分・積分、幾何に至るまで、数学の範囲は広い。
証明問題は理数系の基礎的な事らしいから、
好き嫌いを言わずに克服しなきゃいけないところ。
なっちが唯一苦手としてる証明問題だからなァ。
何とか降参させて、新しい学習方法を考えて貰わねーと。
- 177 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/09/03(金) 18:04
- 「ん?」
まだ九時前だってのに、メールじゃなくてケイタイに電話が掛かって来た。
こんなに早起きするのは、梨華ちゃんくれーなもんだろ。
私が表示を見ると、案の定、梨華ちゃんからだった。
「はいよ。聖ダルセーニョ学園高等部、美少女ナンバーワンのひとみちゃんだよ」
《変ねぇ。ナンバーワンは、あたになのにぃ》
相変わらず作ったような声だったけど、もう慣れた。
だって、そろそろ十二年の付き合いになるんだよ。
オヤジやオフクロより、顔を合わす時間が多いってもんだ。
しかしなァ。小学校の頃は、もう少し白かった記憶があるんだけど。
「何だよ。まだ九時前だってのに」
《寝てたぁ? ごめんねぇ。あのさぁ、プールに行かない?》
「プール?」
そういえば、小学校の頃は、よく二人でプールに行ったなァ。
学校のプール開放日や、近くの市民プール、サマーランドにまで行ったっけ。
サマーランドはウォータースライダーとかあって、おもしれーんだよなァ。
フリーパスだと、遊園地の乗り物も乗れるから、退屈するって事がねーんだ。
《よっC、久し振りにサマーランドでも行こうよぉ》
「いいねえ!」
こういった誘いには弱くていけねーなァ。
私は二つ返事で、梨華ちゃんの誘いを受けちまった。
- 178 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/09/03(金) 18:05
- 「さてと、そうと決まれば・・・・・・」
私は水着を用意すると、病院の方へ行ってみる。
確か回診は九時過ぎからだったから、この時間ならオヤジを捕まえられる。
私が小走りに院長室へ向かうと、ちょうど中からオヤジが出て来るとこだった。
「あのさァ。梨華ちゃんとプールに行くんだけど、小遣いくれよ」
「ったく、他に言い方は無いのか?」
言い方も何も、ちゃんとしつけをしなかったのは、オヤジの方だろっての!
仕事にかまけて、こんなに可愛い一人娘を放っておいたんだからよ。
それは当然の報いってもんだ。恨むならテメエを恨めってんだ。
っていけねーな。ケンカしに来たんじゃねーからよ。
「この間も海に行く時にやっただろう?」
「だってサマーランドなんだもん。ねえ、頂戴よ。パパァ」
「あうっ! パパはやめてくれー!」
オヤジは苦笑しながら、財布から一万円札を取り出した。
まあ、一万円ありゃ足りるけど、出来れば二万円欲しい。
何かあったら場合、一万円じゃ心細いからなァ。
私が笑顔で待ってると、オヤジは溜息をつきながら、
もう一万円を取って渡してくれた。
「ありがとう。アハハハハ・・・・・・じゃあねー」
悪徳医師みてーに儲けてはねーけど、医者ってのは金持ちだなァ。
まあ、儲けたカネを社会に還元するのも、医師としての努めってもんだ。
- 179 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/09/03(金) 18:05
- 待ち合わせ場所の駅に行くと、まだ約束の時間前だってのに、
梨華ちゃんは私に「遅いよぉ」なんて言った。
どう考えても、梨華ちゃんに謝らなきゃいけない時間じゃない。
通勤時間が過ぎて、駅にいる人も疎らだなァ。
「今からだとぉ、十一時には着けそうだねぇ」
梨華ちゃんは嬉しそうに、私の腕を掴んで駅の階段を駆け上がる。
嬉しいのも判るなァ。最後にプールに行ったのは、中一の時だもんな。
あの時も、確かサマーランドだったような気がする。
パイプの中を滑るウォータースライダーで、私が転がっちゃったんだ。
瘤は出来るわ痣だらけになるわで、監視員のお兄さんに怒られたっけ。
「よっC、どんな水着持って来たぁ?」
「オレは海のと同じやつ。他に持ってねーもん」
梨華ちゃんくらいナイスバディだったらいいけど、
水着なんか幾つもあったって、置き場に困るだけだよ。
さすがにこの歳になると、スクール水着ってわけには行かない。
辻あたりだと、ギリギリで大丈夫かもしれねーけど。
「あたしはぁ、黄色に水玉のビキニにしたのぉ」
こいつ、私にケンカ売ってんのかァ?
私はビキニだと胸がブカブカして、飛び込んだら脱げちまう。
困った事に、準備体操で腕を回すと、ブラがズレちゃったりもする。
だから、ビキニは着れねーんだよ。文句あるかゴルァ!
- 180 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/09/03(金) 18:06
- 「ハヤブサ、乗ろうねぇ」
あの時はまだ、ハヤブサなんて無かったもんな。
フリーフォールにはマジでびびった記憶があるぞ。
だって、あれって待ってくれないんだもん。
私は思わずカラスみてーな叫び声を上げたんだった。
「ハヤブサかァ。ジェットコースターなら、まあいいだろ」
サマーランドもプール付きの遊園地だから、定番の乗り物はあるんだよなァ。
魔法の絨毯にバイキング。そういえば、スペースシャトル型の方は一回転しちまう。
何か落としてもいいように、下にネットが張ってあるんだよな。
コーヒーカップやメリーゴーランド、お化け屋敷なんてのもある。
人気のアトラクションは、ハヤブサとフリーフォールなんだよなァ。
「夏休みだけどぉ、平日だから空いてるよねぇ」
プールや遊園地ってのは、微妙に混んでる方がいい。
あんまり寂しいと、乗り物を動かして貰うのが悪くてね。
魔法の絨毯なんか二人だけで乗った日にゃ、
叫び声がハーモニーになって、どこまでも届いちまう。
梨華ちゃんのハイトーンは直進的な音なんだけど、
私みてーに低い声は、背後にいてもよく聞こえるんだよね。
「京王八王子からバスで三十分かァ。やっぱり十一時になるね」
私達は京王線に乗って、八王子方面に向う。
車内は空いていて、心地よい冷房が私の顔に当たっていた。
- 181 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/09/03(金) 18:06
- 電車とバスで一時間以上もかかると、ついつい眠くなっちまう。
私と梨華ちゃんは、バスの中で睡魔に襲われちまった。
二人とも受験生だから、深夜まで勉強してるせいだろうなァ。
ウトウトしたと思ったら、もう着いちまったのかよ。
「・・・・・・着いた。よっC、着いたよぉ」
「よっしゃー! 梨華ちゃん、フリーパス買おうぜ」
私達はバスを飛び降りると、フリーパスを買って、入場の時に手にハンコを押された。
ブラックライトを当てなければ、無色透明っていう優れもののインクを使ってる。
これって、郵便の自動区分バーコードのインクと同じじゃねーの?
まあ、何でもいいや。とりあえず、人畜無害って話だからよ。
「もうじき、波の時間よぉ」
室内プールじゃ、一時間おきに波を発生させてる。
馬鹿な親が小さな子供を放置して、溺れさせる瞬間でもあった。
監視員のお兄さんお姉さんが、最も緊張するイベントらしい。
まあ、小さな子供には危険でも、私達にとっては面白い瞬間だ。
「だったら急ごうぜ!」
私達はロッカールームに入ると、大急ぎで水着に着替えた。
浮輪を自分で膨らませる必要は無い。サービスを利用すればいい。
エアコンプレッサーで、数秒もあればパンパンになってしまう。
こうしたサービスが、海なんかとは決定的に違うところだった。
- 182 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/09/03(金) 18:06
- 「梨華ちゃん、早く!」
「待ってよぉ。ブラがしっくり来ないのぉ」
梨華ちゃん、寄せ過ぎだっての!
しかも、腹や背中の肉までブラに入れようとしてる。
「お前、おっぱいじゃないだろ」って肉は、
そのままにしとけばいいんだよっ!
「ちょっと不満だけどぉ、まあいいわぁ」
そんなにでかい胸して、いったい何が不満なんだァ?
私なんかワンピースで圧縮してないと、腹の肉がはみ出して来る。
バレーやってた頃は、腹筋が割れてたもんだったけどなァ。
おっと、場内アナウンスで、波の発生を告知してる。
私は梨華ちゃんの手を引いて、プールまで走った。
「おーい、にいちゃん。膨らませてくれや」
美少女二人が浮輪を持って来たから、サービスの兄ちゃんも嬉しそうだ。
・・・・・・って、何で梨華ちゃんの胸ばっかり見るんだよゴルァ!
「はい。少々お待ち下さい」
あっという間に膨らんだ浮輪を持って、私達は波の出るプールに入って行った。
波が出る時間でも、プールに入っているのは二十人くらいしかいない。
いくら夏休みだからって、平日の昼間は空いてるもんだなァ。
これで芋洗いみてーに混んでたら、波で揉まれたガキがぶつかって来る。
以前、ガキに頭突きをくらって、大出血してる間抜けなオヤジがいた。
- 183 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/09/03(金) 18:07
- 「よ、よっC、手を放さないでよぉ」
梨華ちゃんと私は、浮輪を付けたまま手を繋いでいた。
すると、低い唸りが聞こえて来て、一発目の波がやって来る。
一発目ってのは、そう大したもんじゃねーんだよな。
二発目、三発目になると、水面の高低差が出来て面白くなる。
こんな人工波でも、充分に楽しめるんだなァ。
「ヒャー!」
「アハハハハ・・・・・・おわっ! ガボガボガボ・・・・・・」
しまった! ひっくり返っちまった。
やべっ、人を蹴っちまった。すみませーん。
ってオイ! 浮輪の紐が足に絡まってるぞ。
や、やばい! このままじゃ足が上で頭が下じゃねーか。
えーと・・・・・・わァァァァァァァァァーん! とれないよー!
く、苦しい。このままじゃ溺れちまうぞ。ええい! ままよ。
私は大急ぎで、プールサイドまで泳いで行った。
「プハーッ! ・・・・・・し、死ぬかと思ったぜ」
私はプールサイドによじ登り、咳き込みながら不足した空気を補った。
それにしても災難だったなァ。いきなり溺れる寸前とはよ。
耳に入った水のせいで、あたりの音がボワーンと聞こえる。
普段よりも数倍、身体が重く感じて、動くのも億劫な感じ。
もう少し身体中に酸素を供給しないと、復活出来そうにも無い。
座り込んだ私のところへ、監視員のお姉さんが走って来た。
- 184 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/09/03(金) 18:07
- 「どうしました? 大丈夫ですか?」
「どうもこうもねーよ。浮輪の紐が絡まって・・・・・・えっ?」
私は自分の足首に絡まった浮輪の紐を見て、腰が抜けるほど驚いてしまった。
いったいどうすれば、こんな複雑な絡まり方するんだろう。
確かに浮輪の紐は緩かったけど、私の足首を三重に巻いてる。
まっ逆さまになった時は、驚いたから覚えてねーけどよ。
これじゃ、誰かが巻き付けたみてーじゃねーか。
「よっC、大丈夫ぅ?」
梨華ちゃんは浅いとこまで移動して、浮輪に入ったまま歩いて来た。
私は足に絡まった紐を解きながら、言い知れない恐怖に襲われている。
誰かが意図的にやらない限り、千にひとつもあり得ない状態だ。
私が蹴ってしまった人が、怒ってやったんだろうか。
いや、とっさに出来るような事じゃない。これは狙ってたとしか思えない。
「こんな事、ありえませんね」
「どうしたのぉ? 何があったのぉ?」
梨華ちゃんは泣きそうな顔で私の顔を覗き込む。
監視員のお姉さんも、しきりに首を傾げてた。
あの時、一番近くにいたのは梨華ちゃんだよなァ。
まさか、梨華ちゃんがやったのかァ?
いや、私が逆さまになってもがいてた時、
梨華ちゃんが浮輪に入ったまま、遠ざかって行くのが見えた。
それに、私は梨華ちゃんに恨まれるような事をした覚えが無い。
- 185 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/09/03(金) 18:08
- 「とりあえず、医務室に行きますか?」
「平気平気。水飲んじまったわけじゃねーし」
私は怖かったけど、梨華ちゃんに心配させたくない。
たまたまこうなったんだと自分に言い聞かせ、忘れる事にした。
バレー部を引退したからって、まだまだよっC様の体力は衰えちゃいねー。
「波が終わっちまったなァ。梨華ちゃん、屋外に行こうよ」
ここの屋外プールには、大きなウォータースライダーがある。
流れるプールもあるし、次の波を待つのにはいい場所だった。
屋外は曇り空だったけど、意外に蒸し暑くて汗をかきそう。
私と梨華ちゃんは、浮輪と小銭、ティーシャツを持って適当な場所を探した。
「ねえねえ、場所探してるの?」
いかにも軽そうな男が声を掛けて来た。
目的は梨華ちゃんらしい。このエロい身体だからなァ。
だいたい、プールや海でナンパして来る男なんて、
とにかく、えっちをしたいだけなんだろうね。
水着なんてのは露出度が高いから、サカリがついちまってる。
もう少しスマートな声の掛け方ってもんがあるだろうに。
「探すまでもねーだろ。こんだけ空いてんだからよ」
私と梨華ちゃんは、植込み近くの座れる場所に荷物を置いた。
ナンパされるのは嫌じゃないけど、しつこいと腹が立って来る。
そんなに女とやりたかったら、風俗にでも行けっつーの。
- 186 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/09/03(金) 18:08
- 「俺達の所に来ない? すぐそこだからさ」
「いいよ。別な子にアタックして来いよ」
変に相手すると、腹をすかせた犬と同じで、どこまでもついて来る。
ここで爽やかに引けば好感を持てるんだけど、そういった男は少ない。
人の迷惑も省みず、とにかく口説き落とそうと懸命になるんだなァ。
せっかくサマーランドに来て楽しいのに、これじゃシラけちまうよ。
「ちょっとだけ話でもしようよ」
「ナンパは迷惑だよ。悪いけど」
中には勿体ぶって、男を焦らすのがステータスだと思ってる馬鹿な女もいる。
でも、私や梨華ちゃんは、そんな演出をするのが嫌いだったし、
初対面だというのに、気安く声を掛けられる事も好きじゃなかった。
素敵な男性からスマートに声を掛けられれば、舞い上がっちまうだろうけど。
「そんな事言わずに・・・・・・」
「しつけーんだこの野郎!」
私が睨み付けると、男はびびって逃げ出した。
この程度の根性で、よくナンパなんてする気になったなァ。
あっと、梨華ちゃんまで震えてるよ。
やばい! せっかくの雰囲気を壊しちまったか?
どうもしつこくされると、ブチキレちまうんだよな。
私って短気なのかなァ。自分じゃのんびりしてる方だと思うけど。
いや、短気なのは美貴ちゃんの方が私より上だし、
いくら何でもごっちんよりかはのんびりしてねーなァ。
- 187 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/09/03(金) 18:08
- 「よ、よっC、ありがとう」
梨華ちゃんが私の腕に抱き付いて来た。
おおう、私の腕が梨華ちゃんの胸の谷間に。
・・・・・・谷間かァ。私は寄せて上げないとなァ。
二十歳くれーになったら、もう少し大きくなるのかなァ。
「さーて、気を取り直してウォータースライダーやろうぜ」
私と梨華ちゃんは、荷物をそこに置いたまま、
ウォータースライダーを待ってる人の最後尾に並んだ。
とはいっても、待ってる人は十人くれーしかいねーぞ。
そうだよなァ。これだけ空いてるんだからよ。
「おねーさん、美人だね」
「ほんとほんと。ナイスバディだし」
オウ! 最近の小学生のガキは、ちゃんと美的感覚があるじゃねーか。
そうだぞ。小さな頃から美的感覚を養ってねーと、大人になって苦労する。
「アハハハハ・・・・・・正直だなァ。いい子だ」
私が頭を撫でると、ガキ共は嬉しそうにしてる。
さっきのナンパ野郎も、これだけ素直だったらいいのに。
こうした無垢な事なんて、男はプライドが許さねーんだろう。
それにしても可愛いガキ共だ。後でアイスでもおごってやるか。
- 188 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/09/03(金) 18:09
- 「よっC、抜かされたよぉ」
「へっ?」
気が付いたら、ガキ共は私達を追い越して、嬉しそうに滑ってた。
もしかして、ガキ共が褒めたのは、私達を追い越すための嘘?
何て事だ! 私はガキ共の手の平の上で踊ってたのかァ?
「あいつら・・・・・・」
末恐ろしいガキ共だ。泣く子も萌える女子高生を手玉に取るとは。
私が口惜しさに歯軋りすると、梨華ちゃんはツボだったのか笑い出した。
そうだよなァ。あんなガキ共に褒められて、舞い上がった私が悪い。
何か物凄く恥ずかしいんだけど。
「よっC、怖いよぉ」
「ひゃー高いなァ」
頂上まで来ると、その高さが判るってもんだ。
下から見上げると、そう大したもんじゃねーと思ったけどなァ。
ここからは水田や山、民家や道路まで見えちまう。
中坊の頃に来た時は、そんなに高く感じなかったんだけど。
「スピードが出ますから、手を胸で固定して下さい」
そうだよなァ。変に手で縁を掴んだりしたら危険だもんなァ。
手が捩れて怪我するだけじゃなくて、コースアウトするかもしれない。
こんな高さから落ちたら、それこそ「痛い」じゃ済まねーぞ。
私は緊張して、身体が硬直した状態で滑走して行く。
- 189 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/09/03(金) 18:09
- 「ヒャァァァァァァァァァァァァァー!」
凄まじい速度で滑り降りると、水飛沫を上げて浅いプールに突入する。
心臓がバクバクしてる。こいつは物凄いスリルだった。
やべー! 癖になりそうだぜ。
おっと、私の後は梨華ちゃんだったなァ。
「あ、あっ、キャァァァァァァァァァァァァァァァー!」
超音波の悲鳴を上げながら、梨華ちゃんが滑って来た。
危ねー! 手は胸の位置から放すなっての!
ああ、手が弾かれて万歳しちゃったよ。
ってオイ! 水着が捲れちまったぞ!
「おお!」
周囲の熱い視線が梨華ちゃんに向けられてる。
そりゃそうだよなァ。ブラが首まで捲れちまったんだから。
ああ、見事な胸がポロンと零れちまってる。
横にいたおばさんは、自分の子供の眼を塞いでた。
「やーん、見ないでよぉ」
梨華ちゃんは慌てて大きな胸をしまった。
サービスし過ぎだっての! だから手を胸の位置にしろって。
私はべそをかく梨華ちゃんの手を引き、荷物を置いた場所まで戻った。
とりあえずタオルで身体を拭いて、ティーシャツを着る。
- 190 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/09/03(金) 18:10
- 「恥ずかしかったよぉ」
「いーじゃんか。別に見られても減るもんじゃねーし」
「そういった問題?」
私は膨れる梨華ちゃんの手を引いて、遊園地の方へ向かった。
まずは、メリーゴーランドやコーヒーカップといった軽いものから乗る。
初めから興奮するアトラクションに乗ると、ソフトなものは興醒めしちまう。
幾つか子供向けのアトラクションを経て、いよいよバイキングの出番だ。
怖がる梨華ちゃんと、最後尾に乗って動き出すのを待つ。
「よっC、ここって、もう傾いてるんだけどぉ」
「アハハハハ・・・・・・気にしない気にしない」
バイキングに乗ってるのは、私達とアベックが二組だけ。
平日の昼間なんて、遊園地はこんなもんだった。
やっぱり、バイキングは最後尾に乗るに限るぜぇ。
「降ろしてぇー!」と絶叫する梨華ちゃんの横で、
私はバイキングのスリルを充分に満喫していた。
「怖かったよぉ」
涙目の梨華ちゃんは、足を震わせて私に抱き付いて来た。
こりゃ、ちょっとインターバルとらねーとなァ。
これから遊園地のメインイベントのフリーフォール、
ジェットコースター、そしてハヤブサがあるんだからよ。
とりあえず、昼になったからメシでも食うかなァ。
プールのレストランやショップは混んでるから、
遊園地の方で済ませた方がいいみてーだなァ。
- 191 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/03(金) 18:11
- 今日のところは、ここまでです。
また近々更新致しますので、宜しくお願い致します。
- 192 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/09/18(土) 18:20
- 〔プール後編〕
レストランもいいけど、遊園地に来たらショップで何か買う方がいい。
アメリカンドッグにコーラ、鳥の唐揚げ、ハンバーガーなんてのもいいなァ。
女の子ってのは、どうしてもデザートに比重をかけちゃうんだ。
だから、ソフトクリームともうひとつ。クレープなんだよなァ。
「よっC、チョコクレープ美味しいよぉ」
「ほんと? そんじゃ一口」
こんな事が楽しいんだから、私達は幸せなのかもしれない。
二人で必ず違うものを買って、半分ずつ食べるのがいいんだ。
だって、そうした方が、多くの種類を味わえるじゃん。
プールは意外に体力を使うから、私達はかなり食べても平気だった。
「さて、これからジェットコースター、フリーフォール、ハヤブサだよ」
「アハハハハ・・・・・・少し休んでからよぉ」
梨華ちゃんは、少し引き攣りながら言った。
小さな頃からお転婆だった私とは対照的に、
梨華ちゃんはワンピースが似合う女の子だったっけ。
近所のガキと取っ組み合いの大ゲンカをする私を、
梨華ちゃんは泣きながら見てたんだよなァ。
「それじゃ、ちょっと休憩するかァ」
私達は風通しのよさそうな木陰のベンチに座った。
それにしても閑散としてる。まあ、平日の昼間だからなァ。
- 193 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/09/18(土) 18:21
- 「キャァァァァァァー! ななななな、何ぃ?」
梨華ちゃんが悲鳴を上げるから、私は何事かと思った。
どうやら、ビーチサンダルを履いた梨華ちゃんの足を、
何かが触っているみたいだった。
私がベンチの下を覗き込むと、そこには大きな蛇がいる。
ここらは東京っていっても、まだまだ自然が多いからなァ。
「でけーなァ!」
私は何か嬉しくなって、困惑して右往左往する蛇を捕まえた。
蛇を掴むのには、ちょっとしたコツがあるんだよなァ。
頭のちょっと下を後ろから掴むと、蛇は噛む事が出来ない。
いくら毒蛇じゃなくても野生動物の口の中は雑菌の宝庫。
噛まれれば破傷風等の感染症を患う可能性があるんだ。
「ほら、こいつは二メートルからあるぞ」
私が引っ張り出すと、蛇は暴れながら腕に巻き付いて来る。
それを引き剥がしながら、私は梨華ちゃんに蛇を差し出した。
「キャアァァァァァァァァ・・・・・・がくっ!」
アオダイショウの舌先が鼻を舐めた途端、
梨華ちゃんは白目を剥いて倒れちまった。
たかがアオダイショウごときで昏倒するとは、
梨華ちゃんも可愛いもんだなァ。
- 194 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/09/18(土) 18:21
- 「しょうがねえなァ。おめーは向こうに行ってろ」
私はアオダイショウを藪に放り投げると、失神した梨華ちゃんを介抱した。
さすがの私でも、マムシは怖いと思う。だって、あいつは怒った顔してる。
おまけに、興奮すると飛び掛って来るから、危険極まりないんだよなァ。
とにかく毒虫や毒蛇に刺されたり噛まれたりすると、痛みが継続するんだ。
ハチくらいだったら、アレルギーが無い限り、抗ヒスタミン系の塗薬でOK。
でも、毒蛇になると、血清を打たないと命に関わるから厄介なんだ。
「はっ! へへへへへへへ、ヘビだよぉ!」
「大丈夫、もういねーからよ」
正気に戻った梨華ちゃんは、凄まじい速さで逃げて行く。
私は梨華ちゃんを抱き締めて、もうヘビがいない事を告げる。
ようやくパニックから開放された梨華ちゃんは、
大粒の涙を零して泣き出しちまった。
「怖かったよぉ」
「アハハハハ・・・・・・わりーわりー」
どうも、こういった所にいると、子供の頃に戻っちゃうんだよ。
子供っていうのは、色々な生物に興味津々だからなァ。
カブトムシやクワガタを捕まえるのも、そういった感覚からなんだ。
私も秋の大きなカマキリには、興奮したのを憶えてる。
秋のカマキリは交尾したオスを食っちまって、
凄まじいまでの大きさになってるんだよなァ。
秋の時期になると、朝夕の気温が低いせいか、
よくアスファルトの上で日向ぼっこしてた。
- 195 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/09/18(土) 18:22
- 「よっC、もうヘビは嫌だよぉ」
「判ったよ。ごめんね」
さて、食後はまず、フリーフォールからだったなァ。
中学生の時は、さすがの私も超びびった記憶がある。
何しろ、あいつは最初から最後まで全自動だからよ。
こっちの都合に合わせてくれたりしねーんだよなァ。
「さあ、腹もこなれたとこで、フリーフォールに乗ろうぜ」
私と梨華ちゃんがフリーフォールの場所へ行くと、珍しく人が並んでた。
それでも、三個あるゴンドラをフル回転させれば、五分と待つ事は無い。
私達がゴンドラに乗り込むと、係員のお兄さんが安全をチェックしてくれる。
安全が確認出来ると、ゴンドラは一気に上昇して行った。
「よっC、怖いよぉ。手を繋いでてぇ」
梨華ちゃんが泣きそうな顔で手を伸ばして来る。
私が手を握ると、梨華ちゃんは嬉しそうに笑った。
その途端、ロックが外れ、私達は束の間の自由落下を体験する。
周囲の景色が、次第に速さを増して上に移動していた。
これが『落下』なんだろうなァ。
「ヒャァァァァァァァァー! よっC−!」
うわァ。これこそ、落下の恐怖を体感出来るアトラクションだ。
腹の中が無重力になり、物凄く気持ち悪いが、それもまた楽しい。
ほんの数秒で、私達は仰向けになってしまった。
- 196 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/09/18(土) 18:22
- 「すげー! 中坊の頃は怖いだけだったけどなァ」
「今も怖いよぉ」
私は梨華ちゃんと連れて、ジェットコースターに向かった。
サマーランドにある二種類のジェットコースターに乗り、
こうして一通りのアトラクションを楽しんだんだった。
それからもう一回、プールで遊ぶと、そろそろ帰宅する時間。
「アハハハハ・・・・・・よっC、楽しかったよぉ」
私達は着替えて外に出ると、バスの到着を待ってた。
楽しかった一日を思い出し、心地よい疲れが眠気を誘う。
私の肩に頭を乗せる梨華ちゃんは、疲れたのか欠伸をした。
蒸し暑い空気が二人を包んでいたけど、夕方の涼しさが、
もうすぐそこまでやって来ていたみたい。
「そうだなァ。また来ようよ」
今度はなっちやごっちん、美貴ちゃんも誘って来てーなァ。
このメンバーだったら、マジですげー楽しそうだしよ。
きっと、なっちが大ボケかまして、思い切り笑わせてくれるだろう。
来年、みんなが大学生になったら・・・・・・
「よォ。さっきは舐めた口きいてくれたな」
気が付くと、眼の前にさっきのナンパ小僧が立ってた。
ったく懲りねーやつだなァ。迷惑だってのに。
ナンパ小僧は、どういうわけか、かなり強気に出てた。
- 197 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/09/18(土) 18:23
- 「んだとゴルァ。ひ弱なくせに」
こんなひょろい奴に負ける気がしない。
バレーを舐めるなっての。確かに女は男より筋力が無い。
でもそれは、思い切り鍛えた結果だっての。
ひ弱な男に負けるほど、私は手を抜いて鍛えたわけじゃねー。
「こいつ等か? 舐めた口きいたのは」
げげー! 思い切り強そうなのが来たぞ。
まるでホイス=グレイシーじゃねーかァ!
やばいよ。このまま拉致されて強姦されちまうのかなァ。
何となく、あそこに停まってるワンボックスが気になる。
後部座席がマジックミラーじゃねーか!
あんなクルマに拉致されたら、後部座席で○○○や×××されちゃうよー。
「よ、よっC、怖いよぉ」
怖いのは私だって同じだっての!
まいったなァ。今更、謝っても許してくれそうにねーし。
こうなったら、笑って誤魔化してみようかなァ。
『アハハハハ・・・・・・ごめんねー』
↓
『いやいや、僕達も強引だったから』
↓
『それじゃ、どうも〜』
↓
『アハハハハ・・・・・・またねー』
- 198 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/09/18(土) 18:23
- なんてことになったら、最高にラッキーなんだけどなァ。
・・・・・・駄目だよー! そんなお人好しがいるわけねーじゃんか。
目当ては梨華ちゃんだろうから、私は殴られるだけかなァ。
痛いのは嫌だけど、レイプされるよかマシじゃんか。
いっそのこと、梨華ちゃんを置いて逃げちゃおうかなァ。
「よくも馬鹿にしてくれたな。タダで済むと思うなよ」
「クルマに乗れゴルァ!」
ホイス=グレイシーが梨華ちゃんの腕を掴んだ。
やばいよ。マジで危険だ。どどどどど・・・・・・どうしよう。
こうなったら、逃げるしかねーじゃんか!
「梨華ちゃんを放せ!」
私はホイス=グレイシーの股間を蹴り上げ、
ひ弱野郎の顔面にストレートを決めた。
唸りながら蹲るホイス=グレイシーと、
白目を剥きながら鼻血を噴出して昏倒するひ弱男。
「逃げよう! 梨華ちゃん、早く!」
私が手を引いて走り出すと、梨華ちゃんは凄まじい速さで逃げて行く。
百メートル十三秒ジャストの私だったけど、梨華ちゃんは平気で追い抜いた。
私が必死に走っても、梨華ちゃんとの距離は、どんどん離れちまう。
これって、どう考えても、百メートル十秒台じゃねーかなァ。
梨華ちゃん、春に体育の授業で測った時、確か十七秒くれーじゃなかったか?
- 199 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/09/18(土) 18:24
- 「怖いよぉー!」
お、追い付けねー! 梨華ちゃん、待ってくれよー。
あんなにでかい胸しやがって、逃げ足だけは速いんだからなァ。
スタート地点に強姦魔がいれば、梨華ちゃんは日本記録を塗り替えるぞ。
「り、梨華ちゃん! しししし・・・・・・心臓が破裂しちまうよー! 」
私達は一時間近くも全力疾走していた。
もう、あのナンパ野郎共なんか、影も形もねーよ。
いつの間にか、住宅地を通り越して、山の中に入っちまった。
ここはどこなんだよ。まだ東京都だよなァ。
「梨華ちゃんってば!」
梨華ちゃんは、ようやく止まってくれた。
もう心臓が限界。体力には自信あったんだけどなァ。
このところ、運動してないせいか、もう膝がガクガク。
凄まじい汗をかいて、脱水症状寸前ってところだな。
このまま水分を補給しないで走り続けると、
LA五輪のアンデルセン選手みてーになっちまう。
「よっC!」
いきなり梨華ちゃんに抱きつかれ、私は仰向けに転んでしまった。
梨華ちゃんも全身汗まみれで、濡れた手が私に触っていい気分がしない。
それでも、梨華ちゃんは私以上に臆病だから、ここは抱き締めてやるかァ。
私が背中手をまわして抱き締めようとすると、梨華ちゃんが顔を上げた。
- 200 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/09/18(土) 18:25
- 「よっC・・・・・・」
梨華ちゃんは切なそうな顔をしながら、私にキスしてきた。
これには、さすがの私もビックリ仰天しちまったよ。
だって、いきなりキスされたんだぜ。しかも梨華ちゃんに。
もう、動ける状態じゃなかった。私は身体が固まっちゃったんだ。
「好きなの。よっCが」
怖い。怖いよ。何か知らないけど怖いよ。梨華ちゃん。
私も梨華ちゃんは好きだけど、キスしたりする感情じゃない。
女の子同士だから、ある程度のスキンシップはあってもいい。
でも、キスしたりするのは、どう考えてもおかしいよ。
「ど、どうすんだよ。こ、こんな山道で」
私は何を言ってるんだろ。今は、そういった事を話す場合じゃない。
問題は梨華ちゃんが私にキスした事じゃないのか?
この道がどこに続いているかなんて、今はそれほど重要な事じゃないだろ。
だいたい、耕運機も入れないくらいに細い山道なんだから。
って蚊が集まって来た。私はO型だから、蚊の餌食になっちまう。
「どうやって帰るのぉ?」
何ィ? 帰り道も考えないで走ってたのかよ!
それはそうと、問題は梨華ちゃんがキスした事だろうがよ。
私は花も萌える女子高生なんだから、こうしたとこを無視されたら困る。
この際、梨華ちゃんにキッチリ説明して貰わねーと。
- 201 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/09/18(土) 18:26
- 「とりあえず、来た道を戻るしかねーじゃんかァ」
私が山道を戻り出すと、いきなり背後から梨華ちゃんが襲って来た。
背後を取るのは卑怯だぞ。これで裏投げでもされたら、受身がとれねー。
くそっ、ゴルゴ13でも熟読しておけば良かったなァ。
デューク東郷は、こうした時にどうやって起死回生の反撃したんだっけか?
「よっC、愛してるわぁ」
何だ。ただ抱き付いただけかよ。
ってオイ! 何となく胸を揉んでねーかァ?
梨華ちゃんは、こんなに小さな胸がいいのか?
あっと! 駄目だよ。ブラの中に手を入れるなって!
「直に触るのは嫌だよ」
私が梨華ちゃんの手を払って向き直った時、
何となく足が滑ったような気がした。
私は梨華ちゃんの顔が、次第に遠くなって行くのを感じる。
そして、ほぼ仰向けになった状態の時、
私は自分が谷に転落して行くのが判った。
「わァァァァァァァァァァァーん!」
「よっC−!」
みるみる視界の中の梨華ちゃんが小さくなって行く。
その瞬間、私は後頭部や背中に、木や草の衝撃を受けて意識を失った。
- 202 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/09/18(土) 18:26
- すっかり暗くなった頃、私は近所の農家の庭先で、
泣きながら冷たい井戸水をかぶってた。
私はちょっと頭を切ったくらいで、あとは幸運にも掠り傷程度。
泥だらけになって、このままじゃ帰る事が出来ない。
「こんなもんしか無いけど、良かったら着て行きなよ」
農家のおばさんは、くたびれたティーシャツをくれた。
ナイロン製のジョギングパンツは、すぐに乾くからいい。
私がバスタオルで身体を拭き終えると、おばさんが傷を消毒してくれた。
「家が病院だったら、ちゃんと診察して貰うのよ」
「はい。ありがとうございました」
私がべそをかいてると、梨華ちゃんがお姉さん風を吹かせて応対する。
ここは東京都町田市。間違っても神奈川県町田市じゃねーからな。
計算してみると、私達は二十キロ近くも走って来た事になる。
そりゃそうだろうなァ。少なくとも四十分以上は全力疾走したんだからよ。
「俺が送ってやるだよ」
じいさんが軽トラックで送ってくれるらしい。
でも、軽トラックって、二人乗りじゃなかったかァ?
気持ちは嬉しいけど、軽トラックに乗りたい気分じゃない。
私は軽トラックを固辞して、タクシーを呼んで貰った。
財布にはオヤジに貰った小遣いがあるから、タクシーでも足りるだろう。
十分程すると、女性運転手のタクシーがやって来た。
- 203 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/09/18(土) 18:26
- 「三鷹の吉澤病院までお願いします」
私達は親切な農家の人に何度も頭を下げ、タクシーに乗り込んだ。
タクシーの中は清潔で、嫌な煙草の臭いもしない。
女性運転手らしく、きめの細かい気配りがされていた。
終始無言の私とは対照的に、梨華ちゃんは何が楽しいのか、
やけにハイになって運転手と話をしてる。
そりゃ、ナンパ野郎に関しては私が悪いよ。
でも、キスされたり崖から落ちたのは、梨華ちゃんのせいだ。
「そうそう。プールの帰りなのぉ。ねぇ、よっC」
このハイテンションぶりっ子梨華ちゃんは、
私の欝な気持ちなんてわかんねーんだろうなァ。
何で梨華ちゃんにキスされなきゃいけねーんだよ。
何で崖からおちなきゃいけねーんだよ。
サイテーだぜ。ったく!
「よっC、そんな顔しないでぇ」
そんな顔も何も、みんな梨華ちゃんのせいじゃんか!
何で私が梨華ちゃんにコクられなきゃなんないわけ?
こう見えても、私は中学時代にはモテモテだったわけだし。
バレンタインデーには、靴箱にぎっしりとチョコが・・・・・・。
そ、そうじゃなくて、たくさんコクられたよなァ。
「好きです」なんちゃってよ。スカートをモジモジ・・・・・・。
あれ? 確か抱き付いて来た子は、ロングヘアの・・・・・・。
わァァァァァァァァァァーん! みんな女の子だよー!
- 204 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/09/18(土) 18:27
- 「・・・・・・だって」
「安倍先・・・・・・なっちさんが言ってたでしょう? 同性を好きになってもいいって」
何でこんなところでなっちを出すんだよ!
なっちは天真爛漫で、ちょと天然のところがあるじゃんか。
こんな事は想像もしねーで、思い付いた事を言っちまったんだ。
しかしなァ。どうりで梨華ちゃん、私にベタベタしてると思った。
まあ、女の子同士だったら、あんな事やこんな事しても妊娠しないし。
・・・・・・って、私は迷惑なんだよね。実際。
「いや、・・・・・・その・・・・・・まあ、何だよなァ。『好き』って言われるのは嬉しいけど・・・・・・」
「そうなのぉ? よかったぁー!」
だから、そういった意味じゃねーってのに。
いいから。いいからこれ以上、キスしたりするんじゃねーよ。
私だって花も萌える女子高生だから、ショックだったんだからね。
「オレ、梨華ちゃんとは幼馴染だし、そういった風には見れないよ」
「いいのぉ。あたしの事、嫌いじゃないんでしょぉ?」
梨華ちゃんって、こんなにポジティヴだったかァ?
どうも、何か間違ってるような気がするのは私だけかなァ。
裕ちゃんが言ってたみてーに、勿体無い事なんじゃねーの?
私達は聖ダルセーニョ学園高等部美少女四人組内の二人だぜ。
こうした重要なポジションにあるわけだから、出来れば対外的に・・・・・・。
後輩達の手前もあるしなァ。うーん、わかんねーよ。私には。
- 205 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/09/18(土) 18:32
- また、近い内に更新します。
もう少し頻繁にとは思うのですが、なかなか出来なくてすみません。
- 206 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/10/19(火) 19:22
- 〔志望校〕
なっちは予定より、二日遅れて帰って来た。
どうやら、故郷の室蘭で就職活動してたらしいけど、
この不景気では、採用なんて無いに等しいらしい。
でも、なっちは能天気というか何というか、
全く凹んでいないのには、私も少し驚いちまう。
まあ、これがなっちのいいところなんだけどね。
「ほえ? 梨華ちゃんにコクられたんだべか?」
私の作った数学の問題を解いていたなっちは、
鉛筆を置いて、困ったように首を傾げた。
そろそろ暦の上じゃ秋だけど、まだまだ蝉時雨。
蝉っていえば、あんなに身体の中が空洞なのに、
よく生きてるなァと思う。
「そーなんだよ。ったく、オレは女だってのに」
「ここは、∴2π<7だべさ」
「人の話、聞いてんのかよ!」
そろそろ太陽が頭上に近付いて、窓を開けてても暑くなって来る。
いくら打ち水をしたところで、数分もしたら蒸発しちまうだろう。
それだけアスファルトは焼けていたし、庭の土も乾燥していた。
暑さに弱いなっちは、額に薄っすらと汗をかいている。
私は窓とカーテンを閉めて、エアコンのスイッチを入れた。
設定温度を二十八度にしても、扇風機を併用すると、
かなり涼しく感じるから、環境にも身体にもいい。
- 207 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/10/19(火) 19:23
- 「聞いてるべさ。で? よっCはどうなの?」
「どうなのって・・・・・・梨華ちゃんは親友だからなァ」
いくらコクられても、梨華ちゃんは恋愛の対象じゃねーからなァ。
梨華ちゃんは好きだけど、恋愛感情の『好き』とは違う。
いきなりキスされて、乙女としての私はどうすりゃいいんだ?
おまけに胸まで触られたんだからよ。まあ、減るもんじゃねーけど。
「よっCに、その気が無いんなら、気を持たせちゃ駄目だべよ」
そうなんだよね。そうなんだけどさ。梨華ちゃんとの関係が壊れるのは嫌だし。
かといって、梨華ちゃんにキスされたり、胸を触られるのは嫌だしね。
っていうか、こういうのって、思い切りアブノーマルなんじゃねーかなァ。
何ていうか、自然の摂理に反してる感じがするんだけど。
「・・・・・・どうして平然としていられるわけ?」
「ほえ?」
「こんな背徳的な事・・・・・・」
私は言葉を飲み込んだ。なぜなら、それこそ差別だから。
なっちは言った。どんな形の愛があってもいいんだと。
多数派では無いからといって、排除するのは差別でしかない。
更に、現代の常識や倫理観などというものは、
日本の歴史からすれば、ほんの短い期間に形成されたものだ。
つまり、欧米の習慣に追従したにすぎない。
明治時代の文明開化は、数百年以上も続いた伝統文化を、
否定してしまったという罪も背負っているのだ。
- 208 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/10/19(火) 19:24
- 「違うよ。それは」
「ごめんなさい」
思ったより素直に「ごめんなさい」って言えた。
そんな自分に感動してると、なっちはニッコリと微笑む。
この笑顔こそ、私にとって最大の癒しだった。
「よっCは驚いたんだべさ。違う?」
そりゃ、誰だって驚くだろうがよ!
お陰で私は、崖からまっ逆さまだったんだぞ。
この後頭部の裂傷が、何よりの証拠だっての!
そういえば、まだいてーなァ。
「そりゃ、驚いたよ」
「女の子って、同性に恋しちゃう事もあるんだべさ」
そういえば、なっちは教育学を専攻してたっけ。
児童心理学ってやつに詳しいらしいからなァ。
確か、私も何かの本で読んだ事がある。
思春期の子供は、思考能力が未熟だから、
憧れを恋愛に直結してしまう可能性があるんだ。
「梨華ちゃんを傷付けないで断る方法って無い?」
なっちは頭がいいから、何か妙案があるんじゃねーかなァ。
私は当事者だから、視野狭窄になっちまってるし。
自分で男っぽいと思ってたけど、こういったところが女なんだよなァ。
- 209 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/10/19(火) 19:24
- 「無いべさ」
「えらく簡単に言うじゃねーか」
他人事だと思いやがって。親友からコクられたんだぞ。
本来、相談すべき相手だぞ。判ってんのかゴルァ!
そりゃ女の子同士だから、抱き合ったり手を繋いだり出来るよ。
でもよ。マジでコクられたら、思い切り意識しちまうだろうがよ。
「よっCの気持ちは判るけど、無いものは無いよ」
「だったら、どうすりゃいいんだよー!」
もう、わけ判んねーや。何で私が悩まなきゃいけねーんだ。
ああ、くそっ! 家出でもしてやろうかなァ。
家出? そうか! 出家しちまえば、悩む必要もねーってか。
こいつは我ながら、いい考えじゃねーか。
「梨華ちゃんだって、よっCとの関係を壊したくないはずだべさ」
「そりゃそうだろうなァ」
「でも、リスクを考えても、よっCに気持ちを伝えたかったんだべね」
そんなに想われたって、梨華ちゃんの気持ちに応える事は出来ない。
それが、二人の関係を終わらせてしまっても。だ。
別に好きな人がいるわけじゃない。・・・・・・ホントだよ。
私の美貌が、私の声が、私の大らかな心が罪なのか。
こんなに美しい女を産んだオフクロが悪いんだ。
- 210 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/10/19(火) 19:24
- 「それはそうと、そろそろ進学校を決めないとね」
そうだなァ。推薦入試がある大学なら、オヤジの顔で何とかなるかなァ。
オヤジは東京都医師会の副理事長なんてもんをしてるからよ。
確か任天堂大学には、推薦入試があったと思ったぞ。
あそこなら、ここから通学するにも楽だしなァ。
「オレの成績だと、任天堂大あたりがいいんじゃねーかなァ」
「任天堂大学だべか?」
任天堂大学は、元々製薬会社が創った大学だったなァ。
だから、医学部なんて付属みてーなもんで、
本来は薬学部が超有名な大学なんだよね。
確か看護学部もあったっけか?
「任天堂大学は、滑り止めでいいっしょ」
「す、滑り止め?」
推薦入試で合格したら、他の大学なんて受験出来ねーぞ。
まさか、一般入試しろってんじゃねーだろうな。
最近じゃ、どこの大学も、センター試験の成績が目安になる。
私にセンター試験を受けろっていうのか?
「そうだべねえ。帝都大学も滑り止めでいいっしょ」
ちょっと待ってくれよ。帝都大っていったら、理科系は有名だぞ。
特に、薬害エイズで有名になった薬学部や、医学部は難関だって話だ。
滑り止めなんて、私の成績じゃ無理だっての。
- 211 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/10/19(火) 19:25
- 「だったら、どこを第一志望にするんだよ!」
帝都大だって、私の成績じゃ無理だっての!
そりゃ私も、南里大学や西海大学に行きたいよ。
でも、理科系が苦手なんだから、しょうがないじゃん。
今からじゃ、どんなに頑張っても、夢のまた夢だよ。
「よっCの努力次第だけど、東京医科歯科大学あたりにしたら?」
「へっ? それって、国立だけど」
なっちは、東京薬科大学を間違えてるなァ。
あれ? でも、東京薬科大学に医学部なんてあったっけか?
まあ、私は薬剤師でも何でもいいんだけどさ。
医師とかなると、収入はいいけど面倒そうだし。
「そうだべさ。東京大学は、ちょっと厳しいかな」
「アハハハハ・・・・・・なっちの冗談、マジかと思った」
私が国立に入れるんだったら、大東女子医大や応慶義塾大、
大日大、西海大、南里大なんか、楽勝じゃねーか。
最悪は情報処理の専門学校にでも行こうと思ってたんだからよ。
「医大っていっても、国家試験に通る勉強をするだけだべさ」
そうだよなァ。医大なんて、国家試験の予備校みてーなもんだ。
解剖実習なんてあるから、ちょっとワクワクするけど、
とにかく国家試験をパスするための勉強しかしねーんだよな。
だから、インターンなんて制度があるんだった。
- 212 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/10/19(火) 19:25
- 「だから、オレは順天堂大学でいいよ」
「学費なんて、安いにこした事はないべさ」
「まさか、マジで国立を受けさせる気?」
なっちは大真面目で頷くと、ニッコリと笑った。
この笑顔に弱いんだけども、何で私が国立なんて受けないといけないわけ?
国立大学っていうのは、才能はあっても貧乏な家の次男坊が、
無医村に骨を埋めるために勉強するところじゃねーのか?
生憎、私は生まれた時から、恵まれた環境で育って来てる。
そういったハングリー精神ってのは、どうも苦手なんだよね。
「オレが受かると思ってるわけ?」
「勿論だべさ」
そりゃ、私が東京医科歯科大学を卒業すれば、
優秀な二代目として、吉澤病院の看板になるだろう。
けど、この私が東京医科歯科大なんて受かる要素がねーじゃんか。
だから、気持ち良く任天堂大学の推薦入試を受けさせてくれよ。
「とりあえず、東京医科歯科大に入って医師免許を取るべさ。
それから、東都大や西海大で博士号を取ればいいっしょ」
「は、博士?」
私を医学博士にしようとは、なっちのドン=キ=ホーテぶりには参った。
だいたい、ダルセーニョ学園で、国立に行った先輩なんて、
百二十年の歴史の中で、たったの三人しかいねーんだぞ。
しかも、医学部になんて進んだ先輩は皆無だってのに。
- 213 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/10/19(火) 19:26
- 「とにかく、よっCは国立を受けるべさ」
「マジかよー」
大人でもなければ子供でもない。
女子高生ってのは、青春の代名詞なのになァ。
私が高校生でいられるのも、あと数ヶ月。
その全てを受験勉強で終わらせていいのか?
一回っきりの青春なんだよ。
「よっCは国語と日本史が得意っしょ?」
「・・・・・・まあね」
「だったら、国立も夢じゃないべさ」
でも、なっちとの勉強も、つまんねーわけじゃねーし、
何て言うか、何となく成績も良くなってる気がする。
かといって、国立なんて不可能なのは判ってるんだけど、
どうも、なっちを信じたくなっちまうんだよなァ。
「ところでよ。旅行に連れて行ってくれるって言ったじゃん」
「ああ、忘れてないべよ。でも、夏休みじゃなくて、秋に行こうよ」
「何で?」
「秋の方が、美味しい物が沢山あるっしょ?」
そういえば、そうだよなァ。
なっちは、どこに連れて行ってくれるんだろう。
越前カニなんて、無口になるほど美味いしなァ。
問題は予算だけど、オヤジに言えば出してくれそうだ。
やっほー! 楽しみだなァ。・・・・・・って梨華ちゃんの件があったか。
- 214 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/10/19(火) 19:26
- また更新します。
見捨てないで下さい。
- 215 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/20(水) 01:00
- 更新待ってました!!見捨てないですよっ♪
よっちゃん色々あるのが青春ってもんだ!ガンバ!!
- 216 名前:通りすがりの者 投稿日:2004/11/03(水) 01:11
- 面白いです。最期どんな結末になるのか期待してます。
更新待ってます。
- 217 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/11/07(日) 19:41
- >>215
>>216
ありがとうございます!!!
もう、心配は無いとの事ですが、まだ体調が本調子ではありません。
こんなに体力が無くなった自分が情けないです。
徐々に運動を始めないと。
また、少しだけですが、更新する事にします。
- 218 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/11/07(日) 19:45
- 〔日本史と読書感想文〕
受験生にとって、夏休みなんて、とても早く終わっちまう。
学校の宿題から受験勉強、合間を見付けてのバカンス。
それでも、梨華ちゃんからのメールの返事を打ったりしてる。
お盆を過ぎると、台風シーズンの到来って感じかなァ。
東京は曇り空だけど、九州じゃえらい事になってた。
「だから、本能寺の変が起こった頃、奥羽は群雄割拠の時代だったんだべさ」
柴田勝家は対上杉、滝川一益は対北条、羽柴秀吉は対毛利、丹羽長秀は対長曽我部。
有力武将では明智光秀だけが、徳川家康の接待役で、留守番してたってわけだな。
明智光秀の誤算は、筒井順慶と細川藤孝が味方に付かなかった事に尽きる。
何で二人が日和見を決め込んだかというと、信長の死体が見付からなかったから。
本能寺の変はフェイクで、自分達の忠誠心を試そうとしてるって疑惑があったんだ。
それほど、二人は信長を恐れていたんだよなァ。
「秀吉は清洲会議で、丹羽長秀を味方につけて、信長の領地を継いだんだべね」
秀吉が光秀に勝てたのは、丹羽長秀の軍勢を吸収したから。
この時、信長の三男・信孝が長秀と一緒にいたんだよなァ。
だけど、長秀は信孝に、秀吉の配下へ入るように説得してる。
丹羽長秀っていったら、秀吉よりも上位の家臣だったんだよなァ。
それが、何で秀吉の配下になっちゃったんだろう。
私は織田家の中じゃ、丹羽長秀が一番好きなんだけどなァ。
- 219 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/11/07(日) 19:46
- 「それじゃ問題。秀吉が全国規模で行った政策は何だべか?」
「太閤検地と刀狩りじゃねーの?」
「正解」
検地は各大名の経済力を把握する上で、必要だったんだよなァ。
確か一万石で、二百五十人の兵を雇う事が出来るんだったっけか?
つまり、四十万石もあれば、一万人の兵を雇えたって事になる。
例えば、信長が上洛した時、尾張・美濃・伊勢を平定してたわけだから、
だいたい百六十万石はあった計算になるんだよね。
そうなると、当時の信長の可動兵力は、四万人って事になるんだ。
「刀狩りの目的は、やっぱり一揆の防止なの?」
「それが最大の要因だべね。きっと」
秀吉は一向宗等の鎮圧に東奔西走したから、
一揆に対しては慎重になっていたんだろうなァ。
信長にとって最大の敵は、一向宗だと言ってもいいくらいだ。
だからこそ、農民から武器を取り上げたんだろうね。
「安土・桃山文化ってのは、はえー話がバブルなんだろ?」
「そうだべねえ。建築ラッシュだったし、嗜好品が流行したから」
陶芸や絵画等の芸術作品が、高値で売買されてたんだから、
やっぱりバブル経済だったんだろうなァ。
朝鮮出兵あたりになると、先行投資が行われただろうし。
後の元禄文化から比べると、バブル的要素が強いんだよね。
それに終止符を打ったのが、徳川家康ってわけだ。
- 220 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/11/07(日) 19:46
- 「大坂の陣の頃は、浪人が溢れた時代だったんだべさ」
そりゃ今と同じじゃねーか。
リストラされた中高年は、働きたくても仕事がねーんだ。
アルバイトなら求職はあるけど、みんな正社員になりたい。
生きるための糧を得るには、相応の収入が必要だから。
「豊臣方の兵は強かったらしいね。背水の陣だからなァ」
失う物は何も無い浪人達は、死に物狂いで戦ったんだ。
それはまるで、天安門事件の時、広場に集まった若者と同じ。
自由を求めて体制と戦った彼等は、圧倒的な武力の前に倒れて行った。
その後も、マスコミにインタビューされた人達が、
次々と公安警察に捕まって処刑されたんだ。
「江戸開幕直後は、各大名の力が強かったんだべさ」
「だから、秀忠は参勤交代で、大名の力を弱めたんだよね」
外様大名を遠くに配置して、大掛かりな大名行列をさせれば、
それだけ出費が多い事になるんだよなァ。
その他にも、江戸全体の修復作業なんかを、
大名にやらせていたんだった。
「秀忠時代は、大名の配置替えや取り潰しが横行したっしょ?」
とにかく、難癖を付けて、大名家を取り潰したのが秀忠。
この非情な政策があったから、徳川幕府を存続出来たんだ。
ここまで慎重になっても、まだ不安を感じるのがトップなんだなァ。
- 221 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/11/07(日) 19:47
- 「今の会社と同じだべさ」
ワンマン社長は、対抗馬が出るのを恐れて、執拗なリストラをしてるんだ。
社内派閥で対抗馬に擁立されそうなやつを、徹底的に左遷しちまってる。
つまり、不況の名を借りた階級闘争の時代に突入したんだ。
団塊の世代は、階級闘争を否定して、全共闘をやった連中だってのに。
能無しのトップに限って、こうしたリストラを実践してるんだ。
「しかし、景気がよくなんねーよなァ」
「首相は郵政民営化で、景気がよくなると思ってるんだべかねえ」
小泉首相は、郵政を民営化すれば、資本が民間企業に流れると思ってる。
でも、郵政に資産運用なんか出来る連中がいるとは思えねーしなァ。
結局は、国債や元本保証型の債権で、莫大な金額を運用する事になる。
だいたい、郵政を民営化して、誰が得をするんだろう。
そこらへんが、私には全く判んねーんだよなァ。
「なっちさん。郵政民営化で、得をするのは誰なの?」
「そりゃ国民だべさ」
なっちは、地方自治体に押し付けられる特別会計の話をしてくれた。
例えば老人福祉施設を建設した場合、国から補助金が出るんだ。
でも、その補助金を貰うと、問答無用で簡保の債権を買わされるんだってさ。
つまり、自治体の財政が赤字だから借金するんじゃなくて、
国の補助金には、簡保の債権がセットされてるって事なんだと。
郵政が民営化すれば、この特別会計は無くなるから、
結果的に国民の税金が有意義に使われるって事らしい。
- 222 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/11/07(日) 19:47
- 「小泉さんも、そこを改革したかったんだと思うんだべけどねえ」
当初は郵政民営化に乗り気だった銀行協会も、
郵貯の定額貯金分をアテにしてだだけの話だしなァ。
まあ、銀行の不良債権こそ、実際は凄まじい金額らしいし。
このまま郵貯が巨大銀行になったら、民間金融機関なんて全滅だ。
それでも銀行は、自民党に政治献金するカネだけはあるんだよなァ。
「なっちさん。景気を良くする方法って無いの?」
「無い。・・・・・・と思う」
もう、日本は自力で景気を回復出来ないくらいに弱ってる。
どこの企業も、賃金を半分にして、二百パーセントの仕事をさせたいし。
国民が元気にならなきゃ、国なんて豊かにならねーのによ。
つまり、生産人口の扱い方が、根本的に間違ってるんだ。
管理職なんてアバウトなポジションが、日本には多過ぎると思う。
一般職と同じ仕事をして、更に管理職の仕事をしてこそ、
尊敬されるリーダーになるってもんだけどなァ。
「増税をして、大規模な国家プロジェクトを実行したら?」
「多少の効果はあっても、焼け石に水。それより、自民党の支持層が黙っていないべさ」
そうか、地道な投資をして、景気が回復するのを待つしか無いのか。
でも、道路公団を解体すれば、本当に道路が必要な所に建設出来るんだよなァ。
円滑な交通が確保されると、自然にクルマが売れるって事になるし。
自動車産業が元気になれば、鉄鋼や繊維、弱電も元気になるからね。
- 223 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/11/07(日) 19:48
- 「ところで、読書感想文は何にするんだべか?」
「ああ、『蜘蛛の糸』にしようかな」
『蜘蛛の糸』は地獄にいる悪人が、生涯に一度だけ蜘蛛を助けたという事で、
天国の仏様が、蜘蛛の糸を垂らして救済しようとする話なんだよね。
蜘蛛の糸ってのは、かなり丈夫なものらしくて、鉛筆くれーの太さがあると、
あのジャンボジェットでも捕まえちまうっていうじゃねーか。
そこらへんを織り込めば、そこそこの感想文になるんじゃねーかなァ。
「短編に逃げたべか?」
「そういう言い方はねーだろうが!」
「よっCのために、感想文作成用の本を買って来たべさ」
なっちは窓際に置いてあった紙袋を、私の眼の前に差し出した。
この大きさからすると、どうやら単行本みてーだなァ。
本なんてもんは、文庫本で充分なのによ。単行本なんて無駄だよ。
えーと、何だこれは? 『信長公記』って信長研究の根本史料じゃねーか。
「よっCは信長が好きっしょ? なっちも図書館で読んだけど、面白いよ」
「何で現代語訳じゃねーんだよ!」
そういえば、『古事記』も原文は漢字オンリーなんだよなァ。
まだ、仮名が考案される前だったから、まるで中国の書物みてーなんだ。
その点、『信長公記』は、仮名が多いから、まだ楽なんだけどね。
女の子に『源氏物語』が人気なのは、恋愛(官能)小説だという事と、
仮名で書かれた物だっていう条件があるからなんだよなァ。
それに、女性が書いたものだから、賛同出来る部分もあるし。
今じゃ、『源氏物語』は、ちょっとしたステータスになってる。
- 224 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/11/07(日) 19:49
- 「そんなに難しくないべよ。古語辞典があれば、簡単に訳せるべさ」
「オレは古語辞典なんて持ってねーぞ」
「だったら、図書館に行って来るべさァァァァァァァー!」
うっ! こえー! なっちは意外に迫力があるなァ。
裕ちゃんみてーに、ヤンキー系の怖さじゃなくて、
真綿で絞められるような、対抗の仕様が無いきつさというか。
可愛い顔してんのになァ。さすが大人だなァ。
「わ、判ったよ。それじゃ、早速、図書館に行って来るか・・・・・・」
「まだ、時間はあるべさ。数学と物理の復習を、先に終わらせちゃおうよ」
なっちは自分で作った問題を取り出した。
私にしてみれば、なっちから初めて問題を出されたんだよね。
何か緊張するなァ。数学だったら少しは自信あるけど。
物理はジュールの計算が、まだ不十分だった気がする。
力学が苦手なんだよなァ。何で計算しなきゃいけねーのかなァ。
「数学と物理は二十問づつ。制限時間は六十分だべさ」
「よっしゃー! そんじゃ、始めるぜ!」
げげー! いきなり√の因数分解かよ!
でも、こいつは作った事があるぞ。
そうそう、落ち着いて考えれば解るよ。
二問目は分数の因数分解か。こいつは私が得意なやつだ。
おっと、時間は大丈夫かァ? 余裕だぜー。
- 225 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/11/07(日) 19:49
- 「数学は二十五分で終わったぜ。後は物理だなァ」
「お喋りしないでやるべさ」
「へいへいっと」
あちゃー、いきなりジュールかよ。こいつは参ったなァ。
J=電流×電流×抵抗×時間(秒)だったよなァ。
物理は数学と違って、公式なんかは簡単なんだけど、
記憶してないと、絶対に解けないんだよね。
駄目だ! お手上げのやつがあるなァ。
「そろそろ時間だべよ」
「駄目だよ。物理は公式を覚えてねーのがあるもん」
私は解らない問題を残し、ここでギブアップした。
なっちは、素早く採点して、少し鬱な私に点数を告げる。
数学は九十五点。一問だけケアレスミスをしちまった。
ところが、物理は七十点。解らない問題があったからだ。
「数学は問題無いべね。物理がちょっと弱いかな?」
「大した勉強もしねーで、実験ばっかりやってたからだろうがよ!」
でも、なっちと実験した事は、なぜか忘れねーんだよなァ。
実験と理論がマッチして、初めて身に付くってのに。
やっぱり、物理で必要なのは、何といっても復習だよなァ。
理論を証明する実験をするんだから、その結果をまとめなきゃね。
そうだ。学説なんて調べると、理論の歴史が判って面白いかも。
ガリレオが提唱した、落下速度に質量は関係しない。なんてのも、
コペルニクスの天動説みてーな経緯があるそうじゃねーか。
- 226 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/11/07(日) 19:50
- 「ちなみに、この問題は、昨年のセンター試験の問題だべさ」
「ええっ! こんなに簡単なわけ?」
「だから言ったっしょ? なっちの学習方針に間違いは無いべさ」
そうだよなァ。なっちは教育学を専攻してたんだからよ。
どうすれば、力の付く勉強が出来るのか。なんていうのを考えるのも、
確か教育学の中に入ってるはずだからなァ。
「物理は難しかったけど、数学は馬鹿にされたみてーに簡単だなァ」
「公式さえ憶えちゃえば、数学より簡単だべさ」
確かに物理は公式が全てだからなァ。
物理は読んで字の如く、物の理論なんだよね。
つまり、必然の説明であって、偶然は無視されてる。
でも、世の中には必然より、偶然の方が多いかもしれない。
必然は客観的、偶然は主観的って分類されてるけど、
全てに理論が及べば、世の中は物凄く変わると思う。
科学は偶然から始まった事を、今の科学者は理解してるのだろうか。
「まあ、医者には数学と物理が必需だってか?」
「本当は、国語こそが重要なんだべけどね」
最近、語学力の無い医師が増えているという。
確かに、今の医師法で行けば、国家試験にさえ合格すれば、
誰でも医師になる事が出来るんだなァ。
しかし、医師会の論文からして、国語力の欠如は深刻な問題。
高価な医学書とかを、図鑑程度にしか活用出来ない医師が増えてる。
医師よ、常識者であれ。医師よ、社会人であれ。
- 227 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/11/07(日) 19:50
- また、更新します。
せめて、週一で更新出来ればいいんですが。
- 228 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/11/14(日) 20:03
- 〔転落〕
数学と物理のテストをやった後、私は図書館に向かった。
残暑が厳しく、蝉の声が銀杏並木に響いてる。
真っ青な空には、綿雲が流れてて、そろそろ秋の気配を漂わせてた。
刺すような日差しは、いくらか和らいだようでも、
私の肌を執拗に攻撃して、すっかり黒くなっちまった。
「ふえ〜、暑いよ〜」
市立図書館までは、歩いて十五分だから一キロくらいだ。
チャリンコだったら早いんだけど、雨が降ったら厄介だからね。
これだけ蒸し暑いと、夕立に遭う危険性があった。
日差しを考慮して、白いティーシャツに白いスリムパンツだけど、
とにかく暑いものは暑いんだよなァ。
「やっと着いた〜」
焼けるようなアスファルトの熱から開放された私は、
図書館内の冷房に、思わず顔がニヤけちまった。
とりあえず、学習室の予約をしねーとなァ。
「すいませーん。学習室の予約したいんですけどォ」
「今日はいっぱいですね。すみません」
まァ、冷房が効いた図書館の方が、勉強も捗るからなァ。
きっと、朝から勉強してる連中もいるんだろうね。
たまには違った環境で勉強したかったけど、
満員なら仕方ないから、古語辞典を借りて帰るとするか。
- 229 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/11/14(日) 20:03
- 「なるほど・・・・・・」
この時期になると、読書感想文の宿題をやろうと、
小中高の連中が、小説を漁るんだよなァ。
そのせいか、小説が並んだ棚には、空きスペースが多く見られる。
まずは、短編から無くなって行くみてーだぞ。
その証拠に、山岡荘八・徳川家康なんかは残ってた。
「えーと、古語辞典は・・・・・・と」
「すいましぇん。そこの『ももたろう』を取って欲しいのれす」
ああ、子供が絵本を見るのかァ。
『ももたろう』は、えーと・・・・・・あった。
そうかァ。この高さじゃ、子供は届かないもんなァ。
「はいよ。『ももたろう』・・・・・・げっ! 辻じゃねーかァ!」
「よっC先輩なのれす」
私を見てニッコリ笑ったのは、高等部一年生の辻だった。
体力だけは優秀だけど、頭の中身は無残なやつだったな。
確か当用漢字検定で、十一点なんていう記録的な点数をマークしたやつだ。
噂によると、未だに自分の名前を感じで書けないらしい。
「まさか、これを読むのか?」
「どくしょかんそうぶんなのれす」
まさか、辻がそこまで幼稚だったとは・・・・・・。
まァ、読書感想文だから、絵本も読書にはなるんだろうけど。
しかしなァ。よりによって『ももたろう』とは参ったぞ。
- 230 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/11/14(日) 20:04
- 「よっC先輩は、何を読むのれすか?」
「オレは『信長公記』を訳す古語辞典を探しに来たんだよ」
こいつに『信長公記』なんて言っても、判るわけがねーよなァ。
まだ加護くれーだったら、何とか理解出来そうなんだけどよ。
そうそう、こいつの学年には、歩く百科事典の紺野がいたっけ。
「『信長公記』れすか? 織田信長研究の根本史料れすね?」
「へっ? 何でお前が知ってるの?」
「そのくらい常識なのれす。他にも『織田信長文書の研究』があるのれす」
辻はそう言うと、分厚いA5サイズの本を持って来た。
その本の中には、信長直筆の書状の写真があったり、
ほぼ忠実に、信長の書状を写したものが書かれている。
そんな事より私が驚いたのは、辻がこんな事を知っていた事だ。
「何でおめーが知ってるんだよ」
「ののは歴史に興味があるのれす」
辻は私にノートを見せた。
そこには、日本武尊の熊襲攻撃について書かれている。
彼女は桃太郎伝説こそ、日本武尊による熊襲攻撃だと主張した。
その事を正当化するため、桃太郎伝説が誕生したという。
決して『ももたろう』を読んで感想文を書くんじゃない。
絵本は朝廷の策略の具体的な資料として活用するらしい。
てっきり、辻は凄まじいアフォかと思ったけど、
まるで大学の研究室でやるような事を実践してた。
辻がこのくれーすげー事をやってるんだから、
紺野はどれだけ専門的な分野に入り込んでるんだろう。
- 231 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/11/14(日) 20:04
- 「なァ、これで読書感想文なのか? 自由研究は何をするんだよ」
「仏教についてれす。日本における仏教の役割は・・・・・・」
辻は私に、仏教が日本では、どのように利用されたかを説明した。
大化の改新以前、仏教保護派の蘇我氏と、排斥派の物部氏が戦ってる。
蘇我氏は聖徳太子を味方につけて、物部氏を破ったんだよなァ。
聖徳太子は仏教を利用して、全国を支配しようとしたんだ。
つまり、政治の道具として、仏教を全国に広める事にしたんだよなァ。
だけど、仏教ってのは基本的に、悟りを開かないと救済されねーんだ。
だから、伝統宗教である神教と混合して、日本的な仏教になって行く。
「判ったよ! そんじゃあな」
こいつはヤバイぞ。辻くれーなアフォでも、あんな難しい事を調べてるんだ。
私は海に行った事を作文にするんだけど、一年生でも『仏教』だもんなァ。
三年生の私は、イスラム教の研究でもしねーと、マジでヤバイかも。
でも、梨華ちゃんも、物理学の論文を纏めるなんて言ってたしなァ。
こいつは量子学の本でも読まねーと、みんなに馬鹿にされちまうぞ。
とりあえず、帰ってから、なっちと相談してみよう。
「すみませーん。この本を借りたいんですが」
「古語辞典ですね? 返却は二週間以内になります」
私は図書館のカードを出して、小学館の古語辞典を借りた。
古文は嫌いじゃねーけど、一年の時にやったっきりだからなァ。
漢文の基礎が出来てりゃ、それこそ古事記でも読める。
でも、理解するには、どうしても古語が解らねーとよ。
さて、ようやく汗が引っ込んだのに、また暑い中へ行くのか。
- 232 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/11/14(日) 20:05
- 私は図書館で冷たい水を飲んでから、茹だるような暑さの中に出た。
鼻から入る空気が熱くて、まるでサウナに入ってるみてーだぜ。
銀行の横にある気温計は、信じられない事に三十九度を示してる。
都会ってのは、焼けたアスファルトのせいで、余計に暑いんだよなァ。
灰色のアスファルトは、遠くに行くと陽炎が出来て歪んで見えた。
やけに原色が眼に付いて、クルマの色さえ眩しく見えちまうぞ。
「暑いなァ」
帰って水風呂でも浴びるかなァ。それからアイスでも食って。
今日の晩飯は何かなァ。これだけ暑いと、鰻が食いたくなるぜ。
私は持ってたサングラスを出して、とりあえず掛けてみる。
眩しさが無くなった分、少しだけ涼しく感じられた。
「うへっ、歩道橋だった」
国道を渡るのに、図書館の近くなら横断歩道があった。
でも、ここまで来たら、歩道橋を渡った方が早い。
これだけ暑いせいか、どうも人通りが少ねーなァ。
歩道橋っていえば、人とクルマが同居するための手段。
ここさえ通れば、クルマに轢かれるなんて事はねーんだ。
「よいしょ」
アハハハハ・・・・・・。これじゃ年寄りだよ。
いくら暑くても、私は泣く子も萌える女子高生。
肌もピチピチだし、元気溌剌!
こんな階段くれー、一個飛ばしに駆け昇ろう。
- 233 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/11/14(日) 20:05
- 「はー、やっぱ疲れるわ」
歩道橋を駆け昇って国道を横切ると、後ろから子供達が走って来る。
子供は元気だなァ。おおっ! プールにでも行くのかァ?
五、六人の女の子達が、ビーチサンダルを履いてる。
彼女達は私を追い越して、歩道橋の階段を駆け下りて行った。
「アハハハハ・・・・・・子供は元気・・・・・・うわっ!」
私は誰かに突き飛ばされ、歩道橋の階段を転げ落ちた。
何とか受身を取ろうにも、階段だから止まらない。
階段の焼けたコンクリートが熱くて、膝や肘を打って痛かった。
これじゃ、『呪怨U』のラストシーンみてーじゃねーか!
私は酒井法子じゃねーっての! うわァァァァァァァァァー!
私が何とか止まったのは、階段の一番下に来てからだった。
「いてててて・・・・・・。誰だゴルァ!」
歩道橋の上を見ても、そこにはもう誰の姿も無かった。
それにしても痛い。足や背中を擦り剥いてるみてーだ。
不思議と頭は打ってねーから、命に別状はねーみてーだな。
「だ、大丈夫? 落っこちたの?」
通りがかりの婆さんが、私を抱き起こしてくれた。
膝や足首がいてーけど、どうやら骨は折れてねーな。
私はバッグを拾うと、ケイタイが壊れてないか確認した。
それにしても、誰が私にぶつかったんだろうなァ。
運動神経がよくて助かったぜ。
- 234 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/11/14(日) 20:06
- 「悪いな婆さん。誰かにぶつかられちまってよ」
「歩ける?」
「平気平気」
私は笑顔を作りながら、親切な婆さんに手を振った。
ああ、お気に入りの服が破けちまったよー!
これじゃ、まるでレイプされたみてーじゃねーか。
くそっ! 花も恥らう女子高生だってのによ。
「よ、よっC! どうしたんだべさ!」
家の前でベンツを洗ってたなっちが、私の姿を見て仰天した。
そりゃそうだろうなァ。服は破けちまってるし、膝からは血が出てる。
これじゃ、拉致されて、集団レイプされた被害者みてーだぜ。
真昼間からレイプする程、根性がある連中も珍しいけどなァ。
半袖で階段から落ちたから、肘や腕にも擦過傷があるからよ。
なっちが眼を剥くのも、まあ、判るといえば判るけどね。
「そこの歩道橋で、誰かにぶつかられたんだよ。あー、いてーなァ」
「大丈夫だべか?」
冷静になるにつれ、私は突き飛ばされた感触を思い出していた。
両手で背中を、『ポン』と押される感触がしたんだったっけ。
普通なら階段を転げ落ちる事は無かっただろうけど、
子供が横を走ってて、ちょっと油断してたからなァ。
自転車でコケた時は、物凄く痛かったけど、バイクでコケると、
もっといてーっていうんだから、凄まじい痛みなんだろう。
私は骨折した事なんて無いし、その痛みを想像する事が出来なかった。
- 235 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/11/14(日) 20:06
- 「とりあえず、消毒でもして貰うよ。アハハハハ・・・・・・」
家が病院だと、こうした怪我にも対応出来るからいいなァ。
二、三日経って、痛みが引かなきゃ、骨折の疑いもある。
そういった時、時間外でも、オヤジにレントゲンを撮って貰えるからよ。
痛み止めや抗生剤なんてものは、それこそ売る程あるわけだし。
「まあ、大した怪我じゃ無くて、よかったべさ」
私は病院に行くと、院長室でオフクロに消毒して貰った。
今は擦過傷でも、傷に貼り付かない繊維があるから助かる。
皮膚の再生を待ちながら、外気に触れないようにするもの。
オヤジやオフクロの時代には、綿のガーゼだったから、
取り替える度に、凄まじい痛みと出血を伴ったって話だ。
「さてと・・・・・・」
私は自室に着替えに戻ったが、どうも転落した時の事を思い出す。
あれは確かに、私に対しての殺意がある手の感触だった。
階段から突き落としたやつは、間違いなく、私を狙っていたらしい。
一人になってみると、その恐怖が、次第に大きくなって行く。
私は気が付いたら、窓の外でベンツを洗うなっちに話し掛けていた。
「な、なっちさん。ちょっと来てよ」
「どうしたんだべか?」
「いいから早く!」
どうしたんだろう。なっちの顔を見たら、涙が出て来た。
なっち、早く来てよ。早く! 一秒でも早く!
- 236 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/11/14(日) 20:08
- また、来週の日曜日には、更新したいと思っています。
寒暖の差が激しくて、身体がついて行きません。
皆さんも、身体だけは気を付けて下さいね。
- 237 名前:よしよし 投稿日:2004/11/17(水) 22:16
- なっちさん早く早く!!
- 238 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/11/29(月) 18:42
- >>237
早く早く!(w
ありがとうございます。
- 239 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/11/29(月) 18:42
- 〔疑惑の女〕
私は歩道橋での事を、出来るだけ詳しく、なっちに話した。
子供達が追い越した途端、背中を押されて転落した事。
そして、梨華ちゃんと行ったプールでの、信じられない出来事。
なっちは真剣に、それでいて優しい顔で話を聞いてくれた。
「小坪トンネルから、何か連れて来たんだべかねえ」
「や、やめてくれよォ!」
あの時はマジでびびったなァ。
狐の霊に子供の霊。勘弁してくれよー!
でも、なっちといると、何か安心出来る。
私は無意識に、なっちに抱き付いてた。
「アハハハハ・・・・・・何も憑いて無いべさ」
洗車した水が打ち水になって、涼しい風が部屋に入って来る。
濡れたアスファルトが太陽を反射して、私の部屋の天井を照らしていた。
そのせいか、いつもより明るい室内が、私は妙に不安を感じている。
なっちを抱き締める腕に、更に力が入って行った。
「誰かに狙われてる気がするんだけど」
歩道橋だけじゃない。プールでも誰かが私を溺れさせようとした。
どちらも、ひとつ間違えば、最悪の事態になってただろうな。
もし、私の心肺機能が、普通の女子高生と同じだったら。
もし、私の反射神経が、中高年並だったとしたら。
- 240 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/11/29(月) 18:43
- 「犯罪には動機ってものがあるっしょ? よっCを襲う動機は?」
「可愛いからかなァ。それとも、成績が上がったから?」
「自分で言ってれば世話ないべさァァァァァァァァァー!」
そうだよなァ。私を殺そうとする以上、何かしらの動機が必要だ。
私を殺して得をする人物が怪しい。でも、そんな奴なんかいたっけ?
待てよ。私が死んだらどうなるんだろうなァ。
生命保険金が入って来て、オヤジやオフクロは潤うよなァ。
ままままま・・・・・・まさか! 私の保険金を狙っての犯行?
もしかして、吉澤病院って火の車だったのかァ?
「な、なっちさん。もしかして、オヤジ達が・・・・・・」
「馬鹿な事言うんじゃないべさ」
「吉澤病院は火の車で・・・・・・」
「だったら、ベンツなんて乗れるわけないっしょ!」
そうだった。昨年の所得番付でも、オヤジは市内で十位くれーに入ってる。
腕のいい医師を揃えてるから、かなり遠くからも受診に来るんだよなァ。
確か、今年の春に導入した二台目のMRIも、税金対策だなんて言ってたし。
だいたい、個人病院で二台もMRIがあるなんて、うちくれーなもんだ。
「そうなると、妬みによる犯行なのかなァ」
「うーん、もし、誰かがよっCを狙ってるとしたら、その可能性が強いべさ」
私を妬むのは何故? 何故私が妬まれるんだろうなァ。
なっちのお陰で成績が上がったから? それとも、こんなに美人だから?
頭脳明晰、容姿端麗、弱肉強食、天衣無縫、国士無双、四文字熟語ってか?
- 241 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/11/29(月) 18:43
- 「しかしよォ。誰がオレに妬みなんか」
「キーワードは『子供』だべね」
「子供?」
「歩道橋じゃ子供がいたっしょ? プールも子供が集まる場所だべさ」
そうか! それは気付かなかったなァ。
子供っていえば、図書館で辻に会ったっけ。
まさか、辻が私を狙ってるのかァ?
私は辻に恨みをかうような事はしてねーぞ。
小川なら可能性はあるけどよ。
「子供かァ。でも、オレは子供に恨まれる事なんか・・・・・・」
「ほら、ほらほら、心当たりがあるっしょ?」
万引きしたガキを、とっ捕まえたのは、私が中三の時だしなァ。
女の子を虐めた悪ガキの頭を殴ったのは、もう一年以上前。
バレーを辞めて太り出した私に「ブタ」って言ったガキに蹴りを入れた。
でも、あのガキは近所で顔見知りだしなァ。
「命を狙われるような事は、絶対にねーぞ」
だいたい、私は一人っ子だから、子供と接点がねーんだ。
聖ダルセーニョ学園も、中高一貫教育だから、小学生なんていねーし。
あえて心当たりがあるっていったら、梨華ちゃんと一緒に行ったサマーランドで、
しつこくナンパして来たあの男達だけだしなァ。
でも、ナンパに失敗したくれーで、女の子を殺そうとするか?
私は一応、なっちにナンパされた件を話した。
- 242 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/11/29(月) 18:44
- 「そのステファン=レコが怪しいべさ」
「ホイス=グレーシーだって言ってんだろ」
しかし、私が溺れかけたのは、ナンパされる前なんだよね。
そうなると、ホイス=グレーシー達じゃねーような気がするなァ。
それに、K-1にも出そうな、あんだけマッチョな奴が、
私を歩道橋から突き落とそうなんて思うだろうか。
私は犯人が、力の弱い女に思えてならなかった。
「もし、犯人だったら、何でよっCを溺れさせたのか。
何で階段から突き落とす必要があったのか」
「おお! 探偵みてーだぞ。なっちさん」
なっちは犯罪心理学の分析みたいに、レポート用紙に問題点を書いて行く。
確実に私を殺すつもりなら、ナイフで刺したり、毒物を飲ませるだろう。
でも、犯人は私を確実に殺すという事をせず、突発的な犯行に近い状況だ。
それが何を意味しているかは、私には判らない。
「体力的に自信が無かったのかなァ」
「その可能性はあるべさ」
犯人は私より弱いから、正面から襲う事が出来ない。
仮に犯人が、ナイフ等を使って襲おうとしても、
私に勝てないと思ってるんじゃないか。
そうなると、犯人はひ弱な女という可能性が高くなる。
私の知る限り、ひ弱な女というのは、そう多くなかった。
ひ弱といえば、痩せてる奴とか、背が低い奴だよなァ。
- 243 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/11/29(月) 18:44
- 「誰か思い当たらないべか?」
「背が低くて力が弱そうなのは・・・・・・矢口さんかなァ」
も、もしかして! 矢口さんは私となっちの関係に嫉妬して・・・・・・。
そうだ。きっとそうに違いない。矢口さんは子供みてーに小さいもんなァ。
プールや歩道橋で、子供に紛れてても、ちょっと見ただけじゃ判らないし。
そういえば、逗子に行った時も、私を避けてるようなところがあった。
「アハハハハ・・・・・・矢口だべか? そんな事、あるわけないべさ」
「何で言い切れるの? だって、矢口さんなら、子供に紛れられるじゃん」
「犯罪には動機ってものがあるんだべよ。矢口にはよっCを襲う動機が無いっしょ?」
「矢口さんはオレとなっちさんの関係を・・・・・・」
私は語尾を消してしまった。
なっちには何の事だか判らなかったみてーだけどね。
私はなっちが好き。恋愛に似た感情だと思う。
でも、女の子同士なんだから、きっと恋愛とは違うよ。
あぐっ! 梨華ちゃんがいた! 梨華ちゃんは特別だよ!
「何を言ってるんだべかねえ。矢口はああ見えて、物凄く臆病だべさ」
矢口さんは気が強いところもあるけど、肝っ玉の小さいところがあるらしい。
確かに、あの身長じゃ、周りの人はみんな巨人だからなァ。
私にしても、メグカナあたりに威圧されたら、すげー怖そうだ。
・・・・・・だからって、矢口さんが犯人じゃないって証拠にはならない。
動機は充分だし、矢口さんくれー小柄なら、私の力には勝てるわけがない。
どうするか。矢口さんを呼んで、なっちと一緒に吊るし上げてみるか。
- 244 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/11/29(月) 18:45
- 「それに、矢口は隠れて突き落とすような事はしないべさ」
なっちが言うには、矢口さんなら正々堂々と勝負を挑んで来るという。
いくら正々堂々っていっても、私が矢口さんに負けるわけがねーだろ。
そうなったら、いくら矢口さんでも、きたねー手を使うしかねーじゃんか。
「や、矢口さんは、なっちさんに特別な感情を持ってるんだよ」
「へっ?」
なっちは自分の顎に指を当てて、驚いたように首を傾げた。
可愛い。物凄く可愛い。思わずキスしちゃいそうなくれー可愛い。
おっと、私は梨華ちゃんとは違うよ。ノーマルだからね。
私は一人っ子だから、姉妹の接し方が判らないだけなんだよ。
きっと、姉妹だったら、こんな関係なんだろうなァ。
「ブヒャヒャヒャヒャヒャー!」
なっちはいきなり、腹を抱えて爆笑しやがった。
何だっての! 人がマジで話してるってのに。
ラリアットでも決めてやろうかなァ。
「笑うとこじゃないんだけどさ」
「矢口は親友だべさ。そんな関係じゃないよ」
「判んないじゃん!」
なっちに矢口さんの気持ちが判るのかなァ。
矢口さんは、私となっちの関係を嫉妬してるみたいだったし。
私の眼に間違いはないと思うんだけどなァ。
だって、なっちって、こんなに可愛くて素敵な人なんだもん。
- 245 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/11/29(月) 18:45
- 「よっCは矢口を誤解してるみたいだべねえ」
矢口さんは明るくて、とっても頭がいいと思う。
色々な事を知ってて、背は低いけど大人だった。
私はどうも、矢口さんとは気が合わないみてーだ。
それっていうのも、矢口さんがなっちに甘えるのが、
どうしても我慢出来なかったからなんだよなァ。
「誤解? そうかなァ」
「なっちはよっCの何十倍も、矢口の事を知ってるべさ」
なっちは絶対に矢口さんが犯人じゃないって言うけど、
私にとって彼女は、疑惑の女なんだよなァ。
だって、他には全く心当たりがねーもんよ。
私の疑念は深まるばかりだった。
「犯罪者の母親が言うじゃねーか。『うちの子に限って』ってよ」
「・・・・・・それ以上、矢口の事を悪く言うと、なっちは怒るよ」
何で? 何で矢口さんなの? 何で私が一番じゃないの?
なっちにとって、私って矢口さん以下の存在なわけ?
私は・・・・・・私はなっちが大好きなのに・・・・・・。
嫌だ。・・・・・・嫌だよ。・・・・・・なっち・・・・・・。
- 246 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/11/29(月) 18:46
- 「よ・・・・・・よっC、どどどど・・・・・・どうしたんだべか?」
気が付いたら、私の頬を涙が流れてた。
何でだろう。何で涙なんか出て来るんだろう。
駄目だ。止まらねーや。アハハハハ・・・・・・。
なっちの顔を見ていたいのに、涙で見えねーぞ。
「・・・・・・わかんない」
なっちは驚いて『ごめんね』と言いながら、私を抱き締めてくれた。
ああ、なっちは柔らかいなァ。このまま・・・・・・このままでいてよ。
なっちの温もりさえあればいい。例え矢口さんが一番でも。
第二章・夏休み 終
- 247 名前:第二章・夏休み 投稿日:2004/11/29(月) 18:47
- これで、第二章・夏休みは終わりです。
次回からは、第三章に入ります。
まだ、何も書けていませんが、今後とも宜しくお願い致します。
- 248 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/30(火) 03:45
- なちヲタには
たまらん!ムフ―!
(0^〜^)なっちぃ
(●´`●)ヨシヨシだべ
あれだけ男っぽいよっしぃが、なっちにだけ見せる泣き顔って可愛いいんでしょうねぇ……
なちヲタのオィラにはこの作品は良いです。
これから感情の揺れ動きの部分が沢山ででくると面白いだろ〜な〜
なっち矢口-よっしぃの三角関係がこれから楽しみです。
頑張って下さ(ry
- 249 名前:偽みっちゃん 投稿日:2005/01/06(木) 11:57
- 再来週あたりから、第三章を始めたいと思います。
まだ、あまり書けていませんが、頑張りますので、
宜しくお願い致します。
- 250 名前:偽みっちゃん 投稿日:2005/01/16(日) 20:44
- 新年、明けましておめでとうございます。
って、もう十六日ですが。
また、不定期更新になると思いますが、今年も宜しくお願い致します。
- 251 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/01/16(日) 20:46
- 〔二学期始まる〕
まだ残暑が厳しい九月。正念場の二学期が始まった。
クラスのどの子も、多かれ少なかれ日焼けした顔をしている。
理科系進学クラスではあっても、やはり受験勉強は、体力が勝負だ。
だからこそ、夏休みは勉強の合間に、野外で運動しないといけない。
っていうのは名目で、みんな青春を謳歌したいんだよなァ。
「よっC、読書感想文なんだけどぉ」
梨華ちゃんは、クラス委員らしく、原稿用紙十枚も感想文を書いてる。
読んだ本ってのが、『相対性理論の研究』なんて難しいやつだった。
やっぱり、梨華ちゃんくれー優秀だと、そんな本を読むんだなァ。
私みてーに、『信長公記』なんて文科系のものじゃねーや。
「著者の経歴も、感想の対象になるのかなぁ」
『信長公記』は、織田信長の家臣だった太田和泉守牛一によって書かれたもの。
とにかく、メモする事が大好きだった太田牛一は、安土城の柱が何本だの、
梁の数が何本だの、吹き抜けの高さが何尺だのって、しつこいくれーに書いてる。
でも、それが発掘で証明されて、『信長公記』の信憑性がクローズアップされたんだ。
序章で「天地神明に誓って、嘘偽りは書いていない」と書いてあるから、
太田牛一の勘違い以外は、専門家でも高く評価してる史料なんだよなァ。
特に、群雄割拠だった頃の桶狭間の戦いでは、詳しい史料が無いのにもかかわらず、
戦闘に参加した太田牛一が、すげーリアルに描写してるんだよ。
こうした著者の経歴は、史料の信憑性を考える上で、とても大切な事になる。
伊勢湾台風で民家の蔵が壊れ、そこから発見された『武功夜話』に関しては、
後世に書かれたものだったし、ありもしない手柄を創作したりしており、
信憑性に問題が有りとされていたんだよなァ。
- 252 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/01/16(日) 20:46
- 「構わねーよ」
ごっちんは『ここまで判った! DNAの神秘』なんて本の感想文だし、
美貴ちゃんは『アウシュビッツの人体実験』なんて本の感想文だ。
異民族同士で戦争になると、人体実験が横行するから医学が進歩する。
ドイツはユダヤ人を材料にして、人体実験を行っていたし、
日本も中国人に人体実験をしたんだよなァ。
「静かにせえ! いつまでも夏休み気分やと、成績が落ちるで。ほんま」
裕ちゃんが教室に入って来て、二学期最初のHRが始まる。
しかし、新学期早々、成績が落ちるなんて、実にリアルだなァ。
ピアスを開けた子もいれば、茶色く髪を染めた子もいた。
新学期を目前に、髪を黒く染め直す子が多かったけど、
中には往生際が悪く、洗うと落ちる染料で黒く染めたのもいる。
だけど、そうした染料は、この季節、すぐに落ちちゃうんだよなァ。
「何や、上戸。ピアス開けたんか? ちゃんとしたとこで開けたんやろな」
ピアスを自分で開けるのは、女の子にとって危険な事なんだよね。
耳のツボに穴を開けるんだから、不妊になっちまう場合もあるらしい。
まあ、カトリック系の女子高だから、耳ピアスくれーの可愛いもんだ。
これが公立高校とかなっちゃうと、鼻や口なんかはいい方で、
中には乳首や性器にピアスする怖い連中もいるらしい。
乳首のピアスも注意が必要で、乳腺を傷付けたりして、
妊娠初期から母乳が流れる場合があるそうだ。
妊娠中に母乳の生産が活発化すると、流産の危険もあるらしい。
- 253 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/01/16(日) 20:47
- 「さて、それじゃ感想文を集めるで。みんな書いて来たやろな」
中には忘れた子もいたけど、ほぼ全員が感想文を持って来た。
でも、感想文くれーいい加減なものはねーよなァ。
だいたい、小学校で感想文の書き方を教えねーってのがいけない。
「面白かった」これこそが、究極の感想文ってやつなんだ。
どこが面白かったのか? なんて訊く教師がいるけど、
そんなもん、訊く方がどうかしてるんだっての。
「ほな、学級委員。後で集めて持って来や」
みんな、どんな本を読んだんだろうなァ。こいつは興味があるぞ。
よし! 梨華ちゃんを手伝うふりして、こっそり題名を覗いてやろう。
官能小説なんて読んだやつ、いるかなァ。いたらすげーなァ。
裕ちゃんが職員室に戻って行くと、私は梨華ちゃんに言った。
「梨華ちゃん、感想文を集めるの手伝うよ」
「ありがとぉ」
上戸は何を読んだんだ? えーと・・・・・・『我が闘争』かよ!
こいつ、ネオナチかァ? 共産主義を敵対視してたんだなァ。
・・・・・・って、娘小説かよ! まあ、これも感想文だけどな。
小倉は何を書きやがったんだ? おお! 『資本論』じゃねーか!
『資本論』っていったら、日本共産党の教科書なんだよなァ。
けどよ。今の日本にブルジョアなんているのかァ?
企業の株主は銀行だしなァ。その銀行は政府に保護されてるし。
・・・・・・って事は、企業は国に支えられてんじゃんか!
これって、もしかして共産主義なんじゃねーの?
日本って、何となく資本主義経済の国だと思ってたけど。
- 254 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/01/16(日) 20:48
- 「よっC、集まったぁ?」
「もう少しだよ」
三好は何を書いたんだァ? 『Windows Me公式ガイドブック』だと?
ブルー画面オンパレードの、スーパー不安定OSじゃねーか。
でも、Meは、デスクトップとスタートアップを軽くしてやると安定する。
まあ、半年に一回はインストールし直さないと、すぐに重くなっちまうんだ。
何でも一台のパソコンでこなせる魔法のOSなんて存在しねーから、
NT系のOSと使い分けてもいいんじゃねーかなァ。
「宮里、感想文を出しな」
藍ちゃんは何を書いたんだァ? 『コーランのこころ』だァ?
コーランっていったら、イスラム教の教科書みてーなもんだぞ。
アラーの神に絶対服従が、イスラム信者の条件だったよなァ。
いつの時代も、権力者は宗教を利用して、民衆を支配しようとする。
それを忠実に実行してるブッシュ大統領は、色々な意味ですげーよなァ。
「よっC、全部集まったよぉ」
「そんじゃ、これ」
私は集めた分を梨華ちゃんに渡した。
チラッと見た限りじゃ、『源氏物語』なんて人気だったね。
プレイボーイにやられちゃう話なんて、どこが面白いのかなァ。
変わったところだと、『六法全書』とか『古事記』なんてのがあった。
憲法なら何とか感想を書けそうだけど、民事訴訟法の感想は難しそうだ。
民法や商法は、解釈に個人差があるからなァ。
稗田阿礼をイタコにして太安万侶が書いた『古事記』なんて、
朝廷の異民族虐殺を正当化するだけの話じゃねーか。
- 255 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/01/16(日) 20:49
- 「ねえ、よっC。おいら教習所に行ってるの」
へえ、ごっちんはクルマの免許を取るのかァ。
そうだよなァ。理科系の大学に行くと、教習所に行く暇もねーって話だし。
それなら、高校時代に取っておいた方がいいのかもね。
どうせ就職するには、クルマの免許ってのが必需品だし。
「そういえば、矢口さんって免許マニアなんだよね」
美貴ちゃんは矢口さんの事を話し出した。
小型船舶免許から普通免許、中型自動二輪まで持ってる。
その他にもグライダー免許や、整備士の免許も持ってるらしい。
矢口さんはバイトしながら、気象予報士の免許も取るって言ってたなァ。
「オレも原付くれーは欲しいよ」
出来ればフュージョンあたりの、アメリカンスクーターがいいんだけどなァ。
アメリカンバイクだったら、カワサキのエリミネーターが好きなんだよね。
二百五十CCと四百CCがあるけど、どっちもツインカムだからよ。
アメリカンには珍しく、高速型エンジンが搭載されているんだな。
「ごっちんは、免許取ったら、どんなクルマに乗るのぉ?」
「とりあえず、セリカのGTOにしようかな」
セリカのGTOなんて、女の子が乗るクルマじゃねーよ。
女の子が乗るんだったら、赤いキューブだろうが。
新しいビートルも、そこそこカッコイイんだけどね。
メルセデスやBMWのスポーツタイプも捨て難いかァ。
そういえば、噂によるとフェアレディも復活するらしい。
- 256 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/01/16(日) 20:49
- 「いいな。美貴も普通免許が欲しい」
「ごっちんは、推薦入試だから、余裕なんだよなァ」
梨華ちゃんとごっちんは、推薦入試で受験するらしい。
美貴ちゃんは一般入試になるらしいけど、国立なんて受けるのは私だけだ。
上戸や小倉は、情報処理の専門学校を希望してたっけかなァ。
「よっC、半分持ってくれるぅ?」
「うん、いいよ」
私と梨華ちゃんは、感想文を持って職員室まで行った。
しかし、職員室ってのは、どうも敷居が高い感じがするよなァ。
職員室って事だから、職員の部屋っていう意味なんだよね。
でも、ほとんどの・・・・・・いや、全ての学校の職員室は、教員室なんだよ。
別に校則違反してるわけじゃねーのに、何か緊張するんだよなァ。
「先生、感想文を持って来ましたぁ」
「おお、すまんな。ほんじゃ、これを配っといてや」
裕ちゃんが梨華ちゃんに渡したのは、進路希望調査票ってやつだ。
こいつに、希望ずる大学名や学部名を書き込むんだよなァ。
私は東京医科歯科大学医学部を記入する事になる。
第二志望は、どこにしようかなァ。まあ、どこでもいいや。
「吉澤ひとみ十八歳。ちょっと来い」
このドスの効いた声は、石黒先生じゃねーかァ!
泣く子も黙る超怖い数学教師。もうじき産休だってのに。
笑った顔は美人なのによ。黙ってると怒ってるみたいなんだもん。
- 257 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/01/16(日) 20:50
- 「な・・・・・・何ですか?」
「そ、それじゃあ! アハハハハ・・・・・・失礼しましたぁ」
ああっ! 梨華ちゃん、逃げやがってー!
梨華ちゃんは数学が得意だけど、石黒先生にはびびってるからなァ。
私だって、石黒先生は怖いし、どうも苦手なんだけどなァ。
数学の授業が終わると、肩が凝っちまってるもん。
「一学期は頑張ったね。大学は、どこを受けるの?」
「ええと・・・・・・東京医科歯科大です」
これまで、ざわついていた職員室が、波を打ったような静寂に包まれた。
まるで、突き刺さるかと思うような視線が、一斉に私へ注がれている。
どうしたっていうんだよォ! 私が東京医科歯科大を受けちゃいけねーのかよォ。
「ほ・・・・・・ほんまやの? ほんまに国立受けるんか?」
「そそそそそ・・・・・・・そのつもりだけど」
ゆ、裕ちゃんと石黒先生が、怖い顔して私の胸倉を掴む。
ここここここ・・・・・・こえーよォォォォォォォォォー!
私が何をしたってんだよォ。タバコ吸ったのばれたのかなァ。
酒飲んだのばれたのかなァ。他には悪い事、してねーぞ!
「吉澤ァァァァァァァァァァァァァー!」
げげー! 平家のみっちゃんまで参戦かよォォォォォォォー!
こんなに怖い三人に囲まれちゃ、いくら私でもこえーよ!
そそそそそ・・・・・・そこの保田先生、助けてくれよォ!
・・・・・・怖い。怖い。何するんだよォ! 殴る気じゃねーだろうなァ!
- 258 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/01/16(日) 20:52
- 「お前、本当に東京医科歯科大を受けるの? あそこは特別だよ」
石黒先生は、マジでこえー顔してた。
眼を剥いたみっちゃんに、震えが止まらない裕ちゃん。
まるで、パンドラの箱を開けたような、この破滅的な雰囲気。
みんなはまるで、戦場へ行く兵士を見ているような眼だった。
「国立大学を受験するには、センター試験を受けなあかんのやで」
「そうや。しかも、高得点を取らな、門前払いやしな」
みっちゃんと裕ちゃんは、国立大学受験のシステムを説明した。
そんなこたー判ってんだよ。私は泣く子も黙る受験生だっての。
現役女子大生のなっちから、耳に胼胝が出来るほど聞かされてるし。
東京医科歯科大なら、数学と英語、理科は必須だよなァ。
他にも国語、社会といった全般的な学力が要求される。
医師ってのは、確かに科学者だろうけど、色々な知識が必要なんだ。
「センター試験は大した事は無い。問題は、東京医科歯科大の入試なんだよ」
石黒先生は、悲しそうな顔をしながら、ポツリポツリと話し出した。
それは、過去に東京医科歯科大を受験した子の話だった。
勿論、聖ダルセーニョ学園の先輩なんかじゃねーよ。
石黒先生の中学の後輩に当たる、圭織っていう人らしい。
「あそこの受験会場は、独特の空気があるんだそうだ」
そりゃ、試験会場だから、独特の重苦しい空気だろうさ。
一家の不幸を、一手に引き受けたような顔してるやつもいる。
確か、この聖ダルセーニョ学園を受けた時も、そうだった記憶があるなァ。
- 259 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/01/16(日) 20:52
- 「独特の空気?」
「そう。身体にネットリと絡み付くような空気」
その空気は、夏の熱風でも無ければ、冬の寒風でも無い。
春の暖かな風でも無ければ、秋の涼しい風でも無いそうだ。
受験生の全身に容赦無く襲い、その思考を麻痺させる恐ろしいもの。
その空気に耐えられず、受験会場を飛び出して行き、
都電に身を投げた受験生もいたというのだから恐ろしい。
「まあいいわ。今度の土曜日、圭織に会わせてあげる」
石黒先生は大きな腹を撫でながら、決心したような顔で言った。
その圭織っていう人は、いったい何をやってるんだろう。
まあいいや。土曜日だったら、なっちも休みだしなァ。
石黒先生と二人だけじゃ怖いから、なっちも連れて行こう。
しかし、鼻ピアスしてない時って、どうやって鼻をかむのかなァ。
「石黒先生、なっち・・・・・・いや、安倍先生も一緒に行っていいですか?」
「安倍? ああ、教育実習の安倍さんね? いいわよ」
やったー! これで、少しは怖くねーだろう。
でも、圭織さんって、どういう人なんだろうなァ。
矢口さんみてーだったら、少し嫌かもしれない。
まさか、なっちの知り合いじゃねーだろうから、
その点は安心していいのかなァ。
とりあえず、圭織さんから話を聞いてみねーと。
まあ、何とかなるべ。なっちがいるからよ。
- 260 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/01/16(日) 20:56
- また、近々更新致します。
暮れに温泉へ行きまして、どうも湯中りしたようです。
ようやく元気になりました。
それでは、今宵はこれで失礼致します。
- 261 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/01/19(水) 21:25
- 〔圭織・前編〕
土曜日の九時、私達は立川駅の改札前で待ち合わせた。
まだ残暑が厳しくて、妊婦の石黒先生は大変だなァ。
何しろ八キロからのボディスーツを着てるのと同じだ。
でも、生理がねーだけ、毎月苦しまなくていい。
「よっC。なっち、石黒先生って怖いべさ」
「オレだってこえーよ!」
石黒先生は美人だと思うけど、怒った顔は物凄く怖い。
あのマイペースなごっちんですら、マジでびびりまくるからなァ。
今年の四月の時点で妊娠が判ってたから、石黒先生は担任を持ってない。
あんな怖い先生が担任だったら、私は胃を壊しちまうだろーなァ。
「おはよう。ごめんね。遅くなって」
石黒先生は『ふーっ』と息をつきながら、大きな腹を突き出した。
しかし、立川駅ってのは、随分と人が多いなァ。
そういえば、立川って、さゆみとれいながいたんだった。
あの悪ガキ二人には笑ったけど、可愛い子だったなァ。
「い、石黒先生! おはようございます! ・・・・・・べさ」
なっち、えらく緊張してるなァ。
確かに石黒先生は怖いけど、取って食うわけじゃねーし。
今日は学校じゃ見せないような、普通のお母さんって顔だ。
夏物のマタニティドレスは、涼しげな色あいだけど、
何せ八キロは重いだろうなァ。
- 262 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/01/19(水) 21:25
- 「うわァ、この服だと、すげー大きく見える。触ってもいい?」
「うん」
私が石黒先生の腹を触ると、中の赤ちゃんが動いた。
もっと、ピクピク動くのかと思ったら、
ゆっくりと、お腹をブニューって押してる感じ。
私は何だか嬉しくなって、気が付いたら石黒先生と一緒に笑ってた。
「ええと、相模湖だったわね」
石黒先生が切符を買おうとしたから、私達は彼女を止めた。
私達は滅多に動かないオヤジのクルマを借りて来てる。
妊婦の移動は辛いだろうから、クルマで石黒先生と一緒に行こうと思ってたからだ。
事実、このクルマを運転するのは、最近ではなっちの方が多い。
「クルマだったの?」
「すみません。石黒先生のお宅が判らなくて・・・・・・べさ」
なっち、まだ緊張してるよ。
そこまで緊張しなくてもいいのに。
「ラッキー、電車代浮いた」
石黒先生って、思ったより可愛らしいところがあるなァ。
私は石黒先生の手を引いて、下りのエスカレーターに乗る。
臨月の妊婦は、羊水と胎児、胎盤、皮下脂肪で八キロ程太るんだ。
この時期になっちまうと、自分の足元が見えないから危険。
それでなくとも、八キロから体重が増えてるわけだから、
階段を踏み外したりすると、骨折なんてのも珍しくない。
- 263 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/01/19(水) 21:26
- 「べべべべべべ・・・・・・べさァァァァァァァァァー!」
エスカレーターから降りた途端、なっちが蒼くなって走って行った。
何事かと思ったら、女性警官がクルマに駐車違反のリングを付けようとしてる。
確かにハザード点けてたけど、もう十分以上も停めてるからなァ。
駅前のロータリーは、タクシーと乗降以外は駐車禁止だった。
「あなたが運転手さん? 駐車違反です」
「勘弁して欲しいべさ! あの人が乗るだもん」
なっちが私達を指差す。そうかァ。石原先生は妊婦だからなァ。
事態が呑み込めた石原先生は、お腹を押さえて眉間に皺を寄せる。
これで、具合が悪い妊婦の出来上がりってわけだ。
そういえば、石黒先生は演劇部の顧問だったなァ。
「妊婦さんですか。あなたは?」
「吉澤病院の居候・・・・・・オホン! 従業員だべさ」
「このベンツ、吉澤病院のだったのね」
よし、こうなったら、後は私の出番だなァ。
私は胸を張って、石黒先生をベンツに乗り込ませる。
そして、二人の女性警官に対し、臆する事無く平然と言う。
「他の用件で救急車が出ておりまして、仕方なくこのクルマで」
勿論、吉澤病院にも、患者搬送用の救急車がある。
私はダッシュボードから、車検証とオヤジの名刺を取り出した。
両方にオヤジの名前があるし、ベンツS 600 long なんて乗ってるのは、
日本でも数える程しかいねーはずだしなァ。
- 264 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/01/19(水) 21:27
- 「そうでしたか。もうちょっとで、駐車違反の手続きをするとこでしたよ。
次からは病院名のある駐停車許可証を、見える所に提示しておいて下さい」
「判りました。それじゃ、破水の危険がありますので、これで」
私はなっちを運転席に押し込むと、後部座席にいる石黒先生の横に座った。
これで、何とか無事脱出・・・・・・なっち、何やってんだよ!
こういった時は、さっさと逃げ出すに限るんだっての!
まだ、エアコンの冷気が残る車内で、私は手に汗を握った。
「あ、あの、免許証を返して欲しいべさ」
馬鹿! 何で免許証なんか渡しっ放しにするんだよ!
バレたら駐車禁止で反則金払わなきゃいけねーし、
警官に嘘ついたから、交番で説教くらうってのに!
「ああ、すみません。でも、乗用車で搬送なんてするんですか?」
いかん! あの女性警察官は、疑ってるみてーじゃねーか!
どどどどどど・・・・・・どうしよう。何かいい案はねーかなァ。
駄目だァァァァァァァァァァー! 頭の中は真っ白じゃねーか!
こうなったら、女性警官二人を跳ね飛ばして・・・・・・。
「ヒッヒッフー、ヒッヒッフー」
ついに石黒先生が、ラマーズ法を始めたァァァァァァァァー!
思わず私まで、一緒になってラマーズ法をやっちまった。
こうなったら石黒先生、ここで出産してくれよ。私も何か産むからよ。
待てよ。ベンツってのは、ドイツの安全基準で最上級だったなァ。
そうかァァァァァァァー! その手があったかァァァァァァァー!
- 265 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/01/19(水) 21:29
- 「だからベンツなんです。国産じゃ何かあったら危険ですから」
おお! 我ながらグッドアイデアじゃねーか!
馬鹿でかいアメ車には及ばねーものの、BMWやスウェーデンのボルボと並んで、
メルセデスベンツは、ヨーロッパ有数の安全規格をクリアしてるんだ。
国産の救急車なんかより、ずっと安全だってーの!
「成る程ね」
「それじゃ、急ぎますんで。ヒッヒッフー」
私もなっちも、冷汗をかいてた。
ハザードを消してクルマを発進させると、
そんな横で、石黒先生が可笑しそうにクスクス笑う。
イタズラっぽく笑う石黒先生は、どこか可愛らしいなァ。
私も石黒先生みてーな大人になりたくなって来た。
「た、助かったべさ。ヒッヒッフー」
私は石黒先生を看る振りをしながら、後方を確認してみる。
女性警察官は、他の駐車車両の取り締まりを始めていた。
どうやら、これで何とかなったけど、とりあえずオヤジに電話入れておくかァ。
そうすりゃ、警察から問い合わせがあっても、何とかなるだろーし。
「なっちさん、オヤジに電話入れとくよ。ヒッヒッフー」
「そうだべねえ。その方がいいっしょ。ヒッヒッフー」
土曜日の回診は、オヤジじゃないから、きっと院長室にいるだろうなァ。
私はオヤジの使ってる院内用のピッチに電話してみた。
あれ? 出ねーぞ。何やってんだァ? まさか、若い看護師と・・・・・・。
- 266 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/01/19(水) 21:29
- 〈何だよ。今、急性虫垂炎患者の手術中なんだけどさ〉
「あ、わりーわりー。立川駅で駐禁切られそうになってさ。ヒッヒッフー」
〈ちょっと止血しといてくれる? 何だって? 駐禁がどうしたって?〉
「だからよ。石黒先生が妊婦だから、搬送って事にしちまったんだ。ヒッヒッフー」
〈判ったよ。警察から問い合わせがあったら、そうしとく〉
「アハハハハ・・・・・・わりーな。ヒッヒッフー」
〈どうでもいいけど、何でお前がラマーズ法なんてやってるわけ?〉
「いや、何となく。じゃあね。ヒッヒッフー」
私がケイタイを切ると、石黒先生は大きな腹を抱えて大笑いした。
どうも、石黒先生のラマーズ法が、私となっちに伝染したみたい。
何でだろうなァ。私やなっちも、女だからなのかなァ。
クルマは甲州街道を抜けて、国立府中ICから中央高速に入る。
まあ、なっちも運転が慣れて来たからなァ。
「石黒先生、住所はどこ? ヒッヒッフー」
相模湖とは聞いたが、具体的な住所が判らないと、クルマで行く事が出来ない。
中央高速からだと、相模湖ICで降りればいいんだろうなァ。
でもよ。藤野町にあるのに、何で相模湖ICなんて言うんだろう。
考えてみれば、東名高速の横浜町田ICだって、ほとんど大和市だし。
「相模湖記念病院よ」
相模湖記念病院? 圭織さんって人は、医師なのかなァ。
石黒先生の後輩に当たる人だったら、まだインターンかもしれない。
どんな人なんだろう。何だかワクワクするなァ。
えーと、カーナビのリモコンで、相模湖記念病院って入れてみる。
あった! へー、相模湖ICから五キロくれーだなァ。
- 267 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/01/19(水) 21:30
- 「なっちさん、相模湖ICを降りたら、国道二十号を左折だからね。ヒッヒッフー」
「左折だべね? 判ったべさ。ヒッヒッフー」
さすがに、ベンツの中は静かだなァ。
エンジンが大きいせいか、九十キロ出てても、
ごく普通の会話をする事が出来る。
すぐに八王子ICを越え、景色は山間部へと移って行った。
「しかし、ベンツとは恐れ入ったわ。さすがに個人病院の令嬢よね」
「オヤジは、こういった部分で見栄を張りたがるんですよ」
「うちはサニーなんだけど、このクルマって高いんでしょう?」
「まあ、サニーなら十二台くれー買えると思うけど」
「げっ!」
まあ、うちの病院くれー大きくなると、それなりの収入はあるみてーだけど、
医師なんてのは、開業しなきゃ儲かる商売じゃねーよなァ。
うちのオヤジが有名になったのは、急性虫垂炎の手術の時、
他の外科医よりも大きく開くところにあったらしい。
急性虫垂炎っていうのは、物凄く深刻な病気らしいけど、
どこの外科医も小さくしか切らねーんだよなァ。
今じゃ二針が普通だけど、オヤジは万全のために三針分も切る。
そのためか、腹膜炎等の合併症の発見も簡単に判ったりして、
いつの間にか有名な外科医になっちまったんだ。
「高速に乗って正解だべさ。大垂水を通ったら、物凄い山道だから」
未だに大垂水峠は、走り屋のメッカになっているらしい。
毎年、大勢の若者が事故死したため、二輪の通行が規制されている。
でも、それでいいと思う。ここは道路であって、レース場じゃない。
- 268 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/01/19(水) 21:30
- 「よっC、中央高速を降りるべよ」
なっちは左にウィンカーを出し、減速車線に入って行った。
土曜日だってのに、まだ紅葉シーズンじゃないためか、道路はガラガラに空いている。
料金所では混んでたけど、こういった時にETC車はいいよなァ。
もっとも、左ハンドルの大型車じゃ、料金の支払いが面倒だし。
「思ったより早く着いたなァ」
相模湖インターを降りると、まず眼に飛び込んで来るのは、
遠くに見えるラブホテルが数軒と、とにかく山だった。
相模湖沿いの国道二十号線を走っていると、
少し澱んだ水面に反射した太陽が、クルマの天井に幾何学模様を描く。
「ニヒャクメートルサキヲ、ヒダリニマガッテクダサイ」
少しうざってーカーナビの音声が、あたかも過剰サービスのように聞える。
「そんなこたー判ってんだよ! 看板に書いてある」って、思わず突っ込みたくなる。
幾つかのカーブを過ぎると、左に入る小さな道が見えて来た。
看板にも、そこに相模湖記念病院があるという表示をしている。
なっちは左にウィンカーを出して、狭い道を左に入って行った。
「ほら、あそこが相模湖記念病院よ」
中央線と中央高速に架かった橋の向こうに、茶褐色の建物が見えて来る。
きっと、屋上からは相模湖が一望出来るんだろうなァ。
こんないい立地条件の病院なんか、そう多くはないだろうね。
うちの病院だって、屋上から見えるのは、三鷹の住宅街だもんなァ。
私達を乗せたクルマは、その落ち着いた雰囲気のある病院へと入って行った。
- 269 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/01/19(水) 21:36
- また、近々、更新しますので、どうか見捨てずに、お願い致します。
ウォーキングを始めました。まだ、四キロくらいが限界ですけど。
徐々に筋肉が戻って来るのはいいのですが、体重が増えて困っています。
- 270 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/01/23(日) 12:48
- 〔圭織・後編〕
病院に入ると、駐車場にクルマを停めて、大きな自動ドアから中に入って行く。
まるで、南国のホテルのような雰囲気に、ここが本当に病院なのかと思っちまう。
中に入ると、ピンク色のワンピースを着た女性が、ファイルを持って前を横切る。
彼女達の頭頂にある看護師の象徴に、辛うじてここが病院である事が判った。
「まるで、リゾートホテルみたいだべさ」
なっちは田舎者丸出しで、玄関から中をキョロキョロ見てる。
それもそうだよなァ。うちの病院とは大違いもいいとこ。
壁には油絵が飾られているし、通路には赤いカーペットが敷いてある。
とっても清潔で、病院特有の臭いや雰囲気が無い。
そんな中を、石黒先生は受付に向かって行く。
「飯田圭織に会いに来たんですが」
石黒先生は勝手を知っているようで、受付の事務員に会釈する。
病院の受付事務員にしては、ちょっと濃い目のメイクだけど、
雰囲気が雰囲気だけに、ほとんど気にならなかった。
「はい、二階ですね」
私達は外来者用ノートに氏名と住所を記入すると、
勾配の緩い階段を昇って二階へと行った。
二階の正面にはナースステーションがあり、
数人の看護師達が、カルテを見ながら飲み薬を分けている。
介護師らしき女性が、老婆の乗った車椅子を押してエレベーターへ向かう。
それは、どこにでもある病院の風景だった。
- 271 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/01/23(日) 12:49
- 「あそこだな。きっと」
石黒先生は、大きな腹を抱えて、ナースステーションの前を迂回して、
南向きの大きな窓のある部屋へと向かって行く。
熱くも無く寒くも無い。快適な温度管理をされた病院内は、
ある意味、この世の楽園なのかもしれない。
無機質な物ではなく、木目調のインテリア的な手摺が、
設計者の細かい心遣いとセンスを物語っていた。
「石黒先生、圭織さんは、ここで何を?」
圭織という石黒先生の後輩は、ここで医師をしているのかなァ。
それとも看護師? あるいは介護師なのかもしれない。
いずれにせよ、医療関係従事者である事は、間違いないだろう。
ナースステーションに近い個室には、重症患者が収容されており、
様々な器具が発する電子音が、廊下にまで聞えていた。
「会えば判るわよ」
石黒先生の表情は、とっても複雑なものだった。
何を思い、それをどう分析しているのか、私の頭では判らない。
ただ、ひとつだけ言えるのは、石黒先生にも緊張感を感じて来た事だ。
まるで、素足で歩いてもよさそうな、カーペット敷きの廊下の床面。
そこを歩く三人の履いたスニーカーの音が、実に生活感があった。
そうした生活感を感じられない空間が、私の眼の前に存在している。
サービスの行き届いたホテルと錯覚するような雰囲気が、
少なくとも私の視界を支配していた。
- 272 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/01/23(日) 12:50
- 「いたいた。彼女が圭織よ」
南向きに面した大きな窓の前に、車椅子に乗った女性がいた。
彼女は身動きもせず、ただ、じっと無表情で窓の外を見ている。
その窓から見える物といったら、太陽の反射でキラキラと光る相模湖の水面。
そして、緑に包まれた周囲の山々の間を、申し訳程度に縫う高速道路だった。
「圭織、久し振りね」
石黒先生が声を掛けると、彼女は全く表情を崩す事無く、
これまで通りに窓から外を眺めていた。
相模湖記念病院。ここは精神障害者の収容施設らしい。
多くはボケ老人みたいだけど、中には若い人もいた。
そんな中、彼女は人の数倍も美しく、輝いて見えた。
「今日ね、鳥が飛んでたの」
「そうね。このあたりじゃトンビを餌付けしてるらしいら」
石黒先生が手を握ると、圭織さんは少しだけ嬉しそうな顔になる。
そこには、旧知の仲であるいう雰囲気が存在してる。
学校じゃ凄まじく怖い石黒先生だけど、今の彼女は優しい顔をしてた。
このところ、あまり雨が降らないせいか、相模湖内に干潟が姿を現している。
圭織さんはパジャマの上にカーディガンを羽織り、静かに外を見ていた。
「鳥には自由があるのね。翼で大空を飛べるわ」
窓から見える視界の中に、一羽のトンビが、餌を求めて滑空していた。
ただ、それはあまりに遠いので、体形から推測するしか出来ない。
しかし、『それ』は大きな翼を動かす事無く、大空に堂々と弧を描いていた。
- 273 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/01/23(日) 12:51
- 「圭織・・・・・・さん?」
私が想像していたのは、白衣を着た颯爽とする女性。
でも、眼のあたりにしたのは、壊れてしまった哀れな女性だった。
彼女は私達の存在すら、気付かないようで、窓から外を見ている。
それが、どういった症状なのか、私達には見当も付かなかった。
ただ、判る事は、眼の下に隈が出来、常軌を逸しているという事だ。
「錆びた釘が刺さって、腕が痛いの。誰か抜いてくれないかなあ」
圭織さんは、自分の左腕に刺さった点滴注射の針を見ながら、
訴えるように、私達に言った。
それが、どんな薬なのか、私には判らない。
きっと、栄養分や精神を安定させる薬なんだろうなァ。
「極度のストレスで倒れて、この有様よ。もう、四年近くも入院してるわ」
「まさか!」
石黒先生は私の顔を見て、悲しそうに頷いた。
そうだったのか。圭織さんは、東京医科歯科大の試験会場で。
話には聞いてたけど、そんなに恐ろしい場所だったのか。
私は怖くなって、なっちの手を握り締めてた。
「何か飲もうか」
石黒先生は、自販機で缶コーヒーを買ってくれた。
四人でテーブルに着き、当り障りの無い話を始める。
圭織さんの透き通るように白い肌が、入院生活の長さを物語っていた。
- 274 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/01/23(日) 12:52
- 「圭織、一時退院とか出来るの?」
「・・・・・・籠の中の鳥は、飛べなくなるのよ」
「調子がいい時は、まだ会話になるんだけどね」
何を言ったところで、圭織さんとは普通の会話にならない。
それでも、石黒先生がプルを開けたコーヒーを、圭織さんは一口飲んで笑顔になった。
その無垢な笑顔に、私は何か恥ずかしいような気分になってしまう。
身体は正常でも、精神を病んだ若い女性に、果たして未来はあるのかなァ。
「あの年は、特に酷かったわ」
石黒先生は、四年前の出来事を、思い出すように話し始めた。
身体を動かせないほどの、とても重苦しい空気の中、
悲鳴を上げて飛び出して行った受験生が都電に身を投げた。
極度のストレスから呼吸困難になり、悶絶する受験生。
HBの鉛筆を、自らの頭に突き刺し、救急車で運ばれた受験生。
そして、圭織さんは崩れるように倒れ、そのまま心肺停止になったとか。
幸運な事に、東京医科歯科大だったために、応急処置が功を奏し、
死に至る事は無かったんだそうだ。
「圭織は、あんまり身体が丈夫じゃ無かったけど、あそこには魔物がいるのよ」
東京医科歯科大学。国立の医科大としては、東大に次ぐ権威ある大学。
でも、その重圧を乗り越えた者だけが、入学を許されるという。
四年前の事件以来、大学ではラグビー部の屈強な連中を動員して、
受験生が自殺したるするのを阻止しようとしているらしい。
それでも石黒先生の話じゃ、昨年度の受験生が、
持っていたカッターでリストカットしたそうだ。
- 275 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/01/23(日) 12:52
- 「なっちさんは、そんなに危険な大学を、オレに受験させる気なのかよ!」
「そそそそそ・・・・・・そこまで凄いなんて、思わなかったんだべさァァァァァァァー!」
びびりまくるなっちをよそに、圭織さんは、ただ虚空を見詰めている。
誰でも受験の時は緊張するんだけど、まさか、そんなに凄いとは。
いくら超有名な国立大っていっても、医大なんてのは、
医師免許の国家試験に、合格する予備校化してるんじゃねーのか?
「魔物は不安につけ込んで来るのよ」
「不安・・・・・・ですか?」
「圭織は数学が苦手だったの。そこに魔物が入り込んだのね」
「い、一応、霊的なものは感じないべさ」
国立の医科大ともなると、一族の命運を分ける重要な受験なんだろう。
そうした個人的な『気』が、重苦しい空気となり、受験生を襲うらしい。
いわば、背水の陣といった深刻な状態が、そうした『気』を産むんだろう。
事実、ここにいる圭織さんの境遇は、私と酷似していた。
親が医師で、自分もそれを生業とする宿命を背負い、
家庭教師である石黒先生に、国立東京医科歯科大学を受験させられた。
「悪い事は言わないわ! 東京医科歯科大は、諦めた方がいい」
石黒先生は真剣で、それでいて哀願するような顔で言った。
考えてみれば、他にも任天堂大や帝都大、西海大学なんかがある。
推薦して貰えれば、南里大学だってあるんだよなァ。
無理して国立に入る必要も無いってわけなんだけど、
何て言うか、どうも気に入らねーなァ。
って言うか、その重圧がどれほどのものなのか、
私は何だか挑戦してみたくなっちまった。
- 276 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/01/23(日) 12:53
- 「石黒先生、なっちさん。オレは東京医科歯科大を受けるよ」
「よよよよよよ・・・・・・よすべさ! そんな危険なところ」
「そうだよ。考え直した方がいい。吉澤家は学費に困らないじゃん。だから私立に・・・・・・」
「石黒先生! リベンジだよ。オレが圭織さんの仇をとる!」
正直なところ、怖くて不安がいっぱいだよ。
でも、誰かが、その空気を変えないといけないんだ。
それが私に出来るかどうか、そんな事は判らない。
もしかすると、圭織さんと同じになってしまうかもしれない。
ただ、それはそれで、楽なのかもしれなかった。
「よっC! なっちが悪かったべさ。もういいよ」
「よくねーよ! オレは東京医科歯科大を出て医師になるんだ」
ここまで言い切って、少し後悔した。
もう、後戻りは出来なくなっちまったからだ。
数学や物理には、まだ不安があるけど、
入試までには、なっちが何とかしてくれる。
まずはセンター試験に向けての勉強からだなァ。
「・・・・・・言い出したらきかない。それが吉澤ひとみだったわね」
石黒先生は、溜息をつきながら言った。
これって、我儘じゃねーよなァ。
これは戦いなんだよ。私と東京医科歯科大との。
もしかして、私はドン=キ=ホーテなのかもしれない。
ただ、私には味方がいるんだ。なっちという強い味方が。
実際、なっちのお陰で、成績が上がったんだから、
私は全面的に彼女を信用する事にした。
- 277 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/01/23(日) 12:54
- また、近々、更新したいと思います。
少しだけですみません。
- 278 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/01/27(木) 13:10
- がんがれ!よっすぃ
- 279 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/02/01(火) 20:44
- >>278
ありがとうございます。
今後も是非、成り行きを見守って頂ければ幸いです。
- 280 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/02/01(火) 20:45
- 〔対決?〕
夏休み気分も抜けた頃、例によって仲良し四人組で、
帰りに駅前のマックへ行く事になった。
もう、三年生は部活も引退したし、勉強以外にする事が無い。
だから、こうした息抜きってのも必要なんだよなァ。
「ごっちんは、またビッグマックセット? リッチねぇ」
マックシェイクだけの梨華ちゃんが、羨ましそうにごっちんを見る。
そういえば、ごっちんの家って、お父さんがいないんだっけ。
何でも、お母さんと歳の離れたお姉さんで、小料理屋をやってるらしい。
まあ、羽振りがいいとこみると、繁盛してるんだろうなァ。
「オレはポテトとコーヒーだけにしよう」
バレーを辞めたから、食べる量を減らさないと、それこそ太っちまうからよ。
それでなくても、昨年穿けたジーンズが、少しきつくなって来てる。
そういえば、体育会系の先輩が、部活を辞めた途端に太り出すのを、
私は昨年、嫌というほど見て来たんだった。
「美貴はコーラとアップルパイ」
こうして、他愛も無い話をするのが、女子高生にとっては、有意義な時間なんだ。
特に、勉強続きで恋愛も出来ず、ストレスが溜まってるんだからなァ。
だいたい、聖ダルセーニョ学園の美少女四人組がだぜ。
誰一人として、彼氏がいねーってのも、どうかと思うなァ。
まあ、女子高だから、男と縁がねーってのもあるけどよ。
- 281 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/02/01(火) 20:46
- 「そういえばさぁ。よっC、階段から落ちたんだってぇ?」
梨華ちゃんが唐突に言うと、いきなり笑い出すごっちんに、
飲んでいたコーラに、思わず咽かえる美貴ちゃん。
笑い事じゃねーっての! 私はもう少しで死ぬとこだったんだぜ。
歩道橋の階段だけじゃねーよ。プールでも死にそうになった。
「誰かに背中を押されたんだよ。オレ、狙われてるのかも」
「よっC・・・・・・」
梨華ちゃんが、不安そうに私を見詰めた。
って、ごっちんと美貴ちゃんは、もう話なんか聞いてねーよ。
ごっちんはビッグマックに舌鼓を打ってるし、
美貴ちゃんはアップルパイに噛り付いてる。
何だかんだ言っても、この二人は意外に薄情だからなァ。
「プールの時は、偶然に偶然が重なれば、納得行くよ。
でも、歩道橋で押された時は、何て言うか、悪意を感じたんだ」
私はポテトを齧りながら、ようやく治った腕を見せた。
擦過傷ってのは、風呂に入ると、物凄くいてーんだよなァ。
ようやっと痛みが無くなると、今度は痒くてしょうがなくなる。
かさぶたが剥がれて皮膚が再生しても、数ヶ月は色が違うもんなァ。
- 282 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/02/01(火) 20:46
- 「思い過ごしじゃないの? 美貴だって階段から落ちた事あるよ」
「アハハハハ・・・・・・ビッグマック、美味しいな」
今思うと、歩道橋には子供がいたから、偶然にぶつかったのかも。
私が転げ落ちたから、怖くなって逃げちゃったのかもしれない。
「オレは、矢口さんが怪しいって思ってるんだよ」
一瞬の沈黙の後、他の三人は爆笑しやがった。
いくら笑ったところでなァ。私の矢口さんへの疑惑は消えない。
矢口さんなら、子供に紛れられるし、動機だって・・・・・・。
「矢口さんが、そんな事する人に見えるぅ? アハハハハ・・・・・・」
梨華ちゃんは騙されてるんだよ。矢口さんに。
矢口さんは、きっと執念深いヘビのような性格なんだ。
なっちは友達だから、矢口さんを庇ってるに違いねー。
矢口さんは、私となっちとの関係を妬んでるんだ。
「そうか! 矢口さんなら、子供に紛れられるし」
「だろ? だろ? 美貴ちゃん」
さすが美貴ちゃんだなァ。
美貴ちゃんは、矢口さんの特徴を、瞬時に思い出した。
ごっちんは・・・・・・駄目だ。完全にビッグマックモードだ。
美少女なんだけど、どこかいっちゃってるんだよ。ごっちんは。
- 283 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/02/01(火) 20:47
- 「でもさぁ、動機は何なのぉ?」
「そりゃ、オレと・・・・・・」
げげー! 梨華ちゃんに、言えるわけないじゃんか!
一世一代の決心をして、私にコクったんだからなァ。
私となっちの関係に嫉妬して。なんて言ったりしたら、
梨華ちゃんは、一気にネガティヴ路線をまっしぐらだぜ。
「よっCとぉ?」
「いや・・・・・・なんつーか、その・・・・・・気が合わないっていうか」
「馬鹿じゃないの? そんな事で、人を殺そうとする?」
おおっ! いつの間にか、ごっちんが話に参加して来た。
そりゃそうだ。パワハラやセクハラされてるならいざ知らず。
ウマが合わないだけで、相手を殺そうとする人なんていねーもんなァ。
しかも、毎日顔を合わせるわけでもねーのに。
でも、馬鹿はねーだろ! ごっちん!
「こうは考えられないかな。よっCとなっちさんの関係を、矢口さんが誤解してるとか」
「誤解ってぇ?」
おい! それを言うか! 言っちゃうかよ。美貴ちゃん。
私は梨華ちゃんに、横に座ってる梨華ちゃんにコクられたんだぞ。
しかも、キスまでされて、胸も直に触られたんだからな。
これが男だったら、二、三発ヤキ入れてるところだぞ。
- 284 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/02/01(火) 20:48
- 「ああ、矢口さんはなっちを好きって事?」
馬鹿! こんな時に、ごっちんまで・・・・・・。
梨華ちゃんがネガティヴになったら、私が面倒みるんだぞ。
そうしたとこまで考えて、初めてもの言えっての!
・・・・・・駄目だよなァ。コクられた事、話してねーもん。
「ええっ! なっちさんと矢口さんって、そんな関係だったのぉ?」
そんな関係も、こんな関係も、梨華ちゃんだって私にコクったじゃねーか。
・・・・・・ちょっと待て。ちょっと待てよ。そうすると、次は訊いて来るよなァ。
「で、よっCは、なっちを、どう思ってるの?」
美貴ちゃんに訊かれるかと思ったら、ごっちんとは意外だったなァ。
で、だ。私の気持ちは・・・・・・なっちが好き。・・・・・・とは言えないよなァ。
うーん、どう答えるべきなんだろう。正直に言えば、梨華ちゃんを同時に失うし。
ここはひとつ、それなりに、言葉を濁しておくしかねーなァ。
「オレとなっちは、家族みてーなもんだからなァ」
「そうなんだぁ」
梨華ちゃん、その嬉しそうな顔は何だ。嬉しそうな顔は。
私のなっちへの想いは、好きだけど、もっと複雑なもの。
だって、なっちは私のお姉ちゃんだし、母親みてーなもんだ。
それに、とっても尊敬してるし、憧れだってある。
私が無条件で甘えられる相手。それがなっちなんだよ。
- 285 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/02/01(火) 20:48
- 「要するに、よっCがなっちさんと同棲してる事に、矢口さんが嫉妬してるわけよね」
「美貴ちゃん。同棲じゃなくて、同居なんだけどさァ」
これだから、理科系進学クラスは困るんだよなァ。
同棲ってのは、恋人同士が、一緒に暮らす事だろーっての。
私となっちは、親と一緒に住んでるんだから、同居だっての。
「そうなると、動機としては充分よね」
梨華ちゃんとごっちんは、首を傾げてたけど、
美貴ちゃんは、矢口さんが犯人だと思ってるみたい。
何だか、賛同者が現れて、救われたような気分だなァ。
やっぱり、矢口さんは怪しいよね。絶対に怪しい。
- 286 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/02/01(火) 20:49
- 私が家に帰って来ると、見慣れない靴が置いてあった。
私もなっちも、こんな厚底靴なんて履かねーもんなァ。
辻か加護あたりが、私の帰りを待ってたのかなァ。
私は靴を脱いで、居間の方へ入って行った。
「ただいまー」
「おかえり。よっC、矢口が来てるんだべさ」
「えっ?」
信じられなかった。何でなっちは、矢口さんを呼んだりしたんだ?
私を狙ってる容疑者じゃねーか。この場で対決するのか?
上等じゃねーか。私を甘く見るんじゃねーぞゴルァ!
「アハハハハ・・・・・・お邪魔してまーす」
「ど、どうも」
なっちと矢口さんは、キッチンで何かしてた。
私は鞄を放り投げると、乱暴にソファへ座った。
腕を組みながら睨むと、矢口さんは慌てて視線を逸らす。
気に入らない。そのオドオドした態度が、物凄く怪しい。
「何で矢口さんがいるわけ?」
「二人でケーキを作ってたんだべさ」
そういった問題じゃねーだろっての!
何で私を狙った容疑者の矢口さんを、家になんか上げたんだよ。
いくらなっちの友達でも、事と次第によっちゃ許さねーからよ。
こんなチビなんか、私のストレート一発で沈めてやる。
まあ、殺しはしねーよ。隣は病院だしね。
- 287 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/02/01(火) 20:49
- 「なっち、やっぱりオイラ、帰るよ」
「ちょっと待つべさ。ケーキでも食べながら、話をしようよ」
二人が作ってたのは、レアチーズケーキだった。
こいつは私の大好物なんだよなァ。
なっちが切り分けて、矢口さんがウーロン茶を用意した。
いくら仏頂面してても、大好物が出て来ると、嫌でも笑顔になっちまう。
そういったところが、私もまだまだ子供なんだなァ。
「さてと。よっC、矢口を疑ってたっしょ?」
私の対面に座ったなっちの横に、矢口さんが小さくなっている。
何となく、くっつき過ぎなのが気に入らない。
私はとりあえず、ウーロン茶を一口だけ飲んだ。
「まあね」
「だから、今日は疑いを晴らすべさ」
「疑いを晴らす?」
私が首を傾げると、なっちはニッコリ笑った。
この笑顔に弱いんだよなァ。
こうの顔を見ると、何でも許せちゃうからよ。
でも、どうやって矢口さんの疑いを晴らすんだろう。
「よっCが梨華ちゃんとプールに行った日、矢口はどこにいたべさ」
おお! まるで刑事みてーだなァ。カッコイイぞなっち。
なるほど。犯行当時のアリバイを探るんだなァ。
アリバイがねーなら、まず犯人と思っていいだろう。
- 288 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/02/01(火) 20:50
- 「八月の六日だよね。オイラ、葉山マリーナで、バイトしてたよ」
「よっCが階段から突き落とされた日は?」
「妹と、中華街と元町に行ってた」
げげー! 完全なアリバイがあるじゃねーか!
葉山マリーナからじゃ、サマーランドになんか来れねーだろうし、
きっと店の従業員や客が証人だよなァ。
横浜にいたんじゃ、三鷹になんか来れねーだろうし。
って事は、矢口さんはシロだったのかァァァァァァー!
「嘘じゃないべね?」
「ホントだよ。お店の人や、妹が証人だよ」
何てこった! でも、矢口さんじゃねーとなると、誰がやったんだろう。
プールでは梨華ちゃんと一緒だったし、図書館には辻がいたっけか。
まさか、犯人は梨華ちゃんと辻なのかなァ。
いや、それには動機ってものがねーじゃんか。
「でもさ、何で矢口さんは、ビクビクした態度なわけ?」
私が訊くと、矢口さんは口に運んでいたチーズケーキを、
慌てて戻すと、ウーロン茶を飲んでから口を開いた。
「オイラ、よっCに、何となく嫌われてるんじゃないかなーなんて」
「アハハハハ・・・・・・んなわけないっしょ。よっCはサバサバした子だべさ」
そうか! そうだったのか! やっと判った。
なっちが『矢口はああ見えて、気が小さい』って言ってたのは、この事だったんだ。
何か、矢口さんにわりー事したなァ。謝った方がいいだろうなァ。
- 289 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/02/01(火) 20:51
- 「矢口さん。疑ってすいませんでした」
「ホント、すまねーよ。アハハハハ・・・・・・」
矢口さんは大人だなァ。笑って私を許してくれる。
でも、不思議なもんで、こうして疑いが晴れると、
やっぱり、なっちと矢口さんは親友なんだと思う。
矢口さんがなっちに甘えるのが、微笑ましく思えちまった。
「チーズケーキ、美味しく出来たべさ。おじさんとおばさんの分を残して食べちゃおうよ」
なっちが厨房に行くと、矢口さんは私に顔を近付けて来る。
いきなりキスするんじゃねーぞ。もう、梨華ちゃんで懲りてるからよ。
まあ、こうして見ると、矢口さんも意外に可愛いじゃねーか。
なっちが可愛がるのも、何か判るような気がするなァ。
「よっC、違ってたらごめんね。もしかして、なっちの事・・・・・・」
「うん。好きだよ。でもそれは・・・・・・」
「いいの。別に同性だって、恋愛出来るわけだし」
矢口さんのニッコリ笑う顔。何か、とっても優しい。
私と幾つも違わないのに、矢口さんって大人なんだなァ。
こんな人を疑ってた自分が、とっても情けなくなって来る。
私は大きな口を開けて、チーズケーキを頬張った。
「実は、オイラもなっちに憧れてたんだよ」
矢口さんが言うには、先輩のなっちに憧れたんだけど、
好きな男の人が出来て、恋愛には発展しなかったんだそうだ。
以来、先輩後輩でありながら、親友になったらしい。
- 290 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/02/01(火) 20:52
- 「あのさ、もしも、もしもだよ。いきなり、なっちにキスされたとしたら?」
「え? ・・・・・・アハハハハ・・・・・・」
梨華ちゃんとは親友なんだよなァ。でも、いきなりコクられたわけだし。
経験豊富そうな矢口さんなら、どういうアドバイスしてくれるかなァ。
なっちは生真面目なとこがあるし、やっぱり田舎者だからね。
「女の子同士っていうのは、スキンシップをとりやすいの。
それは、男でも女でも、必ず女から生まれて来るからなんだよ」
「いや、そういった意味じゃなくてさ」
「よっC、梨華ちゃんの事を相談したいんっしょ?」
いつの間にか、なっちがチーズケーキを切り分けて、持って来てた。
まさか、さっきの話を聞かれたんじゃねーだろーなァ。
なっちを好きな気持ちは本当だけど、私にはコクる勇気なんて無い。
なっちに拒絶されれば、きっと、ここから出て行くだろうし。
「ええっ! 梨華ちゃんにキスされたの?」
矢口さん、そこまで興味津々って顔しねーでくれよ。
汗だくで二十キロ近くも走って、おまけに胸まで触られたんだからよ。
女の子同士で、ふざけて胸を触る事はあっても、
あれは確実に性的な意識があったんだと思う。
だから私は手を払いのけて、崖からまっ逆さまだった。
「コクられちまったんだ」
私が白状すると、矢口さんは法律的な事を話し出す。
性同一性障害の手術や戸籍の変更が、来年あたり可能になるとか。
- 291 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/02/01(火) 20:52
- 「だから、そういった事じゃなくてさ」
「よっCは、梨華ちゃんとの関係を壊したくない。でも、恋人にはなれない」
「うん」
私が力無く頷くと、矢口さんは腕を組んで考え始めた。
その隣じゃ、なっちがチーズケーキを美味しそうに食ってる。
くそっ! なっちにだって、少しは責任があるんだぞ。
ったく、他人事だと思い込みやがって!
「別に、キスくらい、いいじゃん」
「矢口! よっCは真剣なんだべよ」
「だったら、梨華ちゃんに言えばいいじゃん。『キスしないで』って」
そういった問題かァ?
梨華ちゃんは、私を性的な対象で見てるんだぞ。
あんな事やこんな事されたら、背筋が寒くなっちまう。
「何でも言い合えるのが、親友なんじゃないの?」
そうだ。そうだよな。何でも言い合えるのが親友。
だから、私は梨華ちゃんに、これまで何でも言って来た。
親友ってのは、恋人なんかとは違うんだ。
恋人には言えない事でも、親友になら相談出来る。
そうだよ。私と梨華ちゃんは親友なんじゃないか。
親友だからこそ、本音を言ってもいいんだと思う。
いつか、梨華ちゃんに、なっちの事を相談してーなァ。
でも、助かったぜ。矢口さんは、やっぱりすげーなァ。
- 292 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/02/01(火) 20:56
- 今日は、このへんで失礼致します。
どうも、寒くなると、古傷(膝)が疼くんですよね。
花粉症も始まって、辛い時期になりました。
- 293 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/02/11(金) 21:46
- 〔就職事件・前編〕
連休が終わると、あっという間に中間テスト。
この成績いかんで、進路が左右されると言っても過言じゃない。
理科系進学クラスの中には、専門学校の推薦で合格した連中もいる。
そうした子達は、後は卒業さえすればいいので、全く気楽なもんだ。
「ええか? この中間できばらんと、推薦出来へんからな」
裕ちゃんの脅しが始まった。
美貴ちゃんとごっちんは、推薦枠を狙ってるんだよなァ。
美貴ちゃんは卒の無いタイプだけど、ごっちんは厳しいだろう。
確か、美貴ちゃんは東京学院大の、経営工学科だったなァ。
ごっちんは、帝都大の人類工学だったっけか?
私も推薦で、南里大あたりに入れれば、こんな楽な事はねーのに。
まあ、これも試練だと思って、精一杯頑張るしかねーや。
「石黒先生が産休に入ったしな。代わりは平家先生やで」
「ちょっと待ったー! 平家先生は、理科じゃねーの?」
その時、教室のドアを開けて、平家のみっちゃんが入って来た。
平家のみっちゃんは、腰に手を当て、自信満々といった顔。
相変わらず、白衣を着て、科学者気取りをしてるなァ。
「ええか? うちは数学教諭の免許も持っとんのや。
いわば、理数系ならオールマイティ。オールマイティ平家やで!」
みっちゃん、そこまで言うと、えらくアフォっぽいぞ。
食塩水を蒸発させて『塩の結晶げっちょ』なんて言ってる方が可愛い。
- 294 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/02/11(金) 21:47
- 「理数系進学クラスは、毎日、数学と理科があるやろ?
そやから、まあ、毎日最低二時間は、うちの授業や」
「ブーブー」
「誰じゃゴルァ! ブーイングする奴は、容赦せえへんで!」
話によると、理科系進学クラスだけ、みっちゃんが数学と理科を担当するらしい。
まあ、みっちゃんは石黒先生みてーに、怖くねーからいいけどよ。
でも、みっちゃんを怒らすと、あのきつい眼で睨むからなァ。
一年坊の頃は、あの眼が怖くて、夢にまで出て来たもんだった。
「今回の中間は覚悟せえよ。物理・化学・数学は、平均点が七十点行けばええやろな」
これまで、理科系進学クラスの平均は、その三教科全て八十点以上だった。
それが、みっちゃんの頭ん中で七十点以下という事は、凄まじく難しい問題ってわけだ。
数学に関しては、少しだけ自信が出て来たけど、物理と化学は危機感を感じちまう。
やっぱり、なっちは文系の女子大生だからなァ。こいつは気合を入れねーと。
「そやな。平均点未満は補習にしよか」
ああ、みっちゃんも必死なんだろなァ。
先輩の石黒先生に、数学を任されたわけだし、
何としてでも、みんなを志望校に入学させたいんだ。
私は、みっちゃんが優しい人だと思ってる。
だって、学校を辞めたいって言った子を、
最後まで説得しようとしてたんだもん。
まあ、聖ダルセーニョ学園高等部教師の中じゃ、
石黒先生、裕ちゃんに次ぐ怖い人だけどね。
それはそうと、もうテストまで一週間しかねーし、
なっちと相談しながら勉強しねーとなァ。
- 295 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/02/11(金) 21:48
- 私は授業が終わると、急いで家に帰った。
とにかく、私が苦手とする物理と化学を、
何とかしねー事には、補習を受ける羽目になっちまう。
「ただいまー」
私が家に帰ると、なっちはどこかに出掛けていた。
そういえば、なっちは大学四年生なんだよなァ。
就職先を見付けなきゃいけねーんだ。
チラッと求人広告を見ても、契約社員ばっかり。
正社員への登用もあるなんて書いてあるけど、
どこまで本当だか判んねーしなァ。
「ふう」
私は鞄を放り投げ、リビングのソファに倒れ込む。
水素・ヘリウム・リチウム・ベリリウム・ホウ素。
化学は面倒臭いなァ。憶える事が多過ぎるよ。
フレミング左手の法則? 物理も面倒臭いなァ。
パソコンを弄って、書類を書くOLなんて仕事もあるんだ。
そうした仕事って、どのくらい面白いのかなァ。
「待てよ」
そういえば、なっちはパソコンも使えるし、国立大卒で頭もいいじゃんか。
就職活動なんてしねーで、吉澤病院の事務でもやりゃーいいんだよなァ。
パートタイムのおばさんが多いけど、経理なんかは正職がやるもんだし。
レセプトの計算だって、パートさん頼りじゃ、ちょっと不安があるらしい。
なっちがいれば、職場だって明るくなるし、いいんじゃねーの?
- 296 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/02/11(金) 21:48
- 「我ながらグッドアイデアじゃん」
そうと決まったら、それこそ実行あるのみ。
こういったところが、O型なんだろうなァ。
とにかく、O型のいいところは、行動力だ。
私は制服のまま、病院へと走って行った。
「オヤジ! なあ、オヤジったら!」
「何だよ。来週、税務署の監査が来るから忙しいんだよ」
院長室で、オヤジは怪しい帳簿を必死に直してる。
おいおい、脱脂綿が一ケースで、十二万円はねーだろっての。
DELLのコンピューター三台で、百四十五万円は高過ぎるだろ。
どんだけのスペックがあるんだよ!
事務室のDELLなんて、CPUがセレロン一ギガ、
メモリ二百五十六、HDDなんて四十Gしかねーじゃんか。
あれじゃ、せいぜい八万円だぞ。しかも液晶モニタ付きで。
領収書がありゃいいってもんじゃねーっての!
「ちょっと話があるんだけどさ」
「だから、何だよ。早く言ってくれ」
「なっちの事なんだけどさ」
「なつみちゃんがどうした?」
オヤジ、節税はいいけど、脱税なんてするんじゃねーぞ。
何でCTが一台しかねーのに、MRIが二台もあるんだよ。
しかも、一台しか稼動してねーじゃんか。
そんなカネがあるんだったら、優秀な事務員を雇えよ。
- 297 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/02/11(金) 21:49
- 「就職活動してるじゃん。ここで雇えばいいじゃんか」
「そうだな。それもいいかも」
「やった! だったら決まり!」
「判ったよ。判ったから、早く出て行ってくれ」
「約束だよ。パパァ」
「あうっ! パパはやめてくれー!」
これで決まり! なっちは吉澤病院に就職すりゃいいんだ。
出来れば一緒に住みてーけど、どうしてもっていうんだったら、
吉澤病院には看護師の寮もあるわけだしなァ。
まあ、なっちの事だから、うちに住むとは思うけど。
「話はそんだけ。じゃあねー」
私は院長室のドアを足で閉め、自宅に戻った。
これまでは、なっちにおんぶに抱っこだったけど、
これで少しは、役にたてそうだなァ。
しかし、あれが俗に言う脱税ってやつじゃねーのか?
税務署に、思い切り申告漏れを指摘されそうな状態だなァ。
「やった」
私はリビングに戻ると、思わずガッツポーズをしちまった。
何か、なっちのために出来た事が、とっても嬉しい。
ああ、早くなっち、帰って来ないかなァ。
就職の心配が無くなったら、かなりなっちの負担も減るだろうし。
今まで通り、いや、今まで以上に、色々遊びてーもんなァ。
なっち、喜んでくれるだろうなァ。アハハハハ・・・・・・。
- 298 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/02/11(金) 21:49
- 「ふー、ただいまだべさー」
なっちが帰って来た! 早く喜ぶ顔が見てーよ!
これまで、かなり面接したらしいけど、
悉く不採用だったらしいからなァ。
「おかえりー! なっちさん! グッドニュース!」
「どうしたんだべか? やけに嬉しそうだべねえ」
なっちはスーツ姿で、手にはバッグとスーパーで買ったタコヤキを持ってた。
きっと、私と食べようと思って、買って来たんだろうなァ。
今日もどこかで面接かァ? もういいんだよ。面接なんかしなくても。
「なっちさんの就職先、吉澤病院に決定!」
「へっ?」
なっちはキョトンとして、首を傾げてる。
私はなっちに抱き付いて、就職が決まった事を喜んだ。
とにかく、なっちに、私がオヤジに頼んだ詳細を説明する。
なっちは茫然として、私の話を聞いていた。
「なっちさん、これでもう、就職の心配なんてねーよ」
なっちは玄関先で立ったまま、酷く驚いた顔をしてたけど、
そのうち、どういったわけか、震え出しちまった。
そうか、よっぽど嬉しいんだろうなァ。
これまで、十数社も不採用の通知を貰ってたんだもん。
よかった。本当によかった。
- 299 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/02/11(金) 21:50
- 「・・・・・・何て事してくれたんだべさ」
「えっ?」
なっちは、持っていたタコヤキを落としちまった。
どうしたんだろう。私、何かしたのかなァ。
うっ! なっち、泣いてる。何で? 何でなの?
私、なっちに悪い事なんて、した憶えがねーのに。
「なっちは・・・・・・先生になりたいんだべさ!」
「そんな!」
「だから・・・・・・だから、学習塾や私立の学校を・・・・・・」
・・・・・・そうだった。
なっちは、教育学を専攻してたんだ。
だから、教育に関する仕事をしたかったんだ。
私は・・・・・・私は余計な事をしちまったんだ。
「・・・・・・ごめん。オレ、なっちさんの気持ちも知らないで・・・・・・」
「もう、いいべさ!」
なっちは私を突き飛ばし、二階に駆け上がって行っちまった。
・・・・・・馬鹿だ。私って、どうしようもない馬鹿だ。
何で、なっちの気持ちを考えなかったんだろう。
考えてみれば、なっちくれー頭がよけりゃ、
いくらでも就職なんてあるんだよなァ。
そうだよ。なっちは自分がやりたい仕事を探してたんだ。
私って、本当に馬鹿。どうしよう・・・・・・。
なっちに、何て言って謝ったらいいんだろう。
- 300 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/02/11(金) 21:50
- 「なっちさん! 待って! 待ってよう」
私は必死になっちの後を追った。
スリッパが脱げ、階段に脛をしたたか打ち付けたが、
そんな痛みなんて、全く気にならなかった。
なっちの部屋の前まで来ると、押し殺した泣き声がする。
私は何て事をしちまったんだろう。
「なっちさん! オレ、少しでもなっちさんの役にたちたくて・・・・・・」
「そんな事、頼んだ憶えは・・・・・・」
「ごめん! ・・・・・・ごめんなさい」
なっちを怒らせちまった。あの、陽気ななっちが泣いてる。
どうしよう・・・・・・。何て謝っても、許してくれそうにない。
嫌だ。そんなの嫌だよ。・・・・・・なっち、ごめんね。
嫌われたくない。なっちに、なっちにだけは。
「一人にして! 向こうに行っててよ! タコヤキでも食べればいいっしょ!」
「ごめんなさい! オレ、本当に馬鹿だった。・・・・・・ごめんね」
こんなになっちを傷付けちまったのかと思うと、
私も次から次へと涙が出て来て止まらない。
ここまで馬鹿な自分に、腹がたつどころか悲しくなる。
私なんか、身体だけは立派でも、まだ頭の中は子供だった。
そんな自分が口惜しくて、コンクリートの壁を拳骨で殴る。
痛い。痛いけど、なっちはもっと傷付いたんだ。
何度も、私は血が出るまで、何度も壁を殴った。
- 301 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/02/11(金) 21:52
- ちょっとだけですが、更新してみました。
どうか、見捨てないで下さい。
それにしても、眼と鼻が・・・・・・つらいです。
- 302 名前:ふぇいく 投稿日:2005/02/16(水) 15:36
- 作者サマ!読んでますよぉ!
なっち、許してあげて!って感じですが・・・。
どうなっちゃうんでしょう?楽しみです☆
- 303 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/02/20(日) 20:02
- >>302
ありがとうございます。本当に励みになります。(泣
最近、ようやく自分がとろい事に気付き始めました。
せめて、一週間に一回は更新出来るといいのですが。
- 304 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/02/20(日) 20:03
- 〔就職事件・後編〕
よく、ここまで涙が出るもんだなァ。
私は壁に血が付くと、階段を降りて行った。
胸が苦しくて、心が張り裂けてしまうそう。
どうすりゃいいんだろう。反省しながら考えよう。
「ひとみの馬鹿」
階段を降りると、ついでに自分の顔も殴ってみた。
唇が切れて、血が出て来る。自分に『ざまあみろ』と思う。
家に住んでる以上、また、嫌でも顔を合わせちまうなァ。
その時は、とにかく土下座して謝ろう。
なっちを傷付けちまったんだから。大好きななっちを。
「・・・・・・タコヤキ」
玄関には、なっちが落としたタコヤキがある。
私は拾い上げて、リビングに向かった。
これって、なっちが私と食べようと思って、
面接の帰りに、スーパーで買って来たんだろうね。
袋から出して、テーブルの上に置くと、
透明の容器の中に、大きなタコヤキが六個入ってた。
「なっち・・・・・・」
タコヤキを見てたら、また涙が出て来た。
きっと『美味しいべさ』なんて言いながら、
私と食べながら、ニコニコしたかったに違いない。
- 305 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/02/20(日) 20:03
- 「とりあえず、お茶でも煎れよう」
私は溜息をついて涙を拭うと、玄米茶を煎れながら、
タコヤキを皿に出して、レンジでチンする。
謝る言葉を考えながら、なっちの湯呑にもお茶を注ぐ。
降りて来てくれればいいなァ。とにかく謝ろう。
私の馬鹿な行動が、なっちをどれだけ傷付けたか。
「あち」
レンジで温まったタコヤキを取り出し、テーブルの上に置く。
面白いくれーに湯気が立って、それが私の顔にぶつかった。
香ばしいはずのタコヤキの匂いが、なぜか物凄く悲しい。
悲しい。湯気が当たっただけで、私はまた、涙が出て来た。
「な、なっちさん! お茶が入ったよ! 一緒にタコヤキ、食べようよ!」
私は階段の下から、なっちを呼んでみた。
すると、いきなり頭上で足音がするじゃねーか。
あれは、スリッパを履いたなっちの足音。
出て来てくれるのかなァ。私は期待で腹が痛くなった。
「食べるべ・・・・・・ぎゃァァァァァァァァー!」
ドアの開いた音がした瞬間、凄まじい地響きがした。
その直後、ボーリングのボールを落としたような鈍い音。
どう考えても、あれはなっちが仰向けに転んだ音だ。
私が階段を駆け上がると、廊下でなっちが頭を押さえてた。
- 306 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/02/20(日) 20:04
- 「何で濡れてるんだべさ! 痛い」
「なっちさん!」
なっちは私が落とした涙に滑って、仰向けに転んだみてーだ。
しかも、思い切り頭を打ったからなァ。
万が一の事があったら、取り返しがつかねーじゃんか。
なっちみてーに優秀な人が死んだら、社会的損失だ。
私は思わず駆け寄って、なっちの容態を診てみる。
とりあえず、切れてないし、意識ははっきりしてるみてーだ。
どうした対応をしたらいいか、私はケイタイでオフクロを呼び出してみた。
〈どうしたの?〉
「なっちさんが、転んで後頭部を打ったんだよ」
〈それで、意識はあるの?〉
「一応な」
「痛い」って言ってるから、意識はあるみてーだなァ。
とりあえず、病院で診て貰った方がいいだろ。
どうせ、動かしてもいねーMRIがあるわけだし。
私がそう思った瞬間、なっちは私のケイタイを取り上げた。
「アハハハハ・・・・・・転んじゃったべさ。うん、平気平気」
そう言うと、なっちは私のケイタイを勝手に切ってしまう。
私はなっちが心配で、強打したと思われる後頭部を触ってみた。
そこには、徐々に血の塊が出来て来ている。
俗に言う瘤なんだけど、こいつは痛そうだなァ。
他に打ったところは? お尻くれーなもんか。
- 307 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/02/20(日) 20:05
- 「大丈夫? 眩暈とか無い?」
「平気平気。でも、痛かったべさ」
よかった。なっちは頭を打ったけど、重傷じゃねーみてーだ。
人間の脳なんてのは、プリンみてーなもんだから、
ちょっと強い衝撃を受けると、慣性の法則に従っちまう。
その結果、血管が耐え切れずに、クモ膜下出血を起こしたりするんだ。
スノーボードで転んで、頭を強打したりすると、そうした事が少なくない。
「な、なっちさん。タコヤキ、食べるよね」
「・・・・・・うん」
私はなっちを引き起こして、階段を降りて行った。
なっちは、スリッパの音をさせながら、黙って私について来る。
アツアツに温まったタコヤキと、程よい熱さの玄米茶。
私はなっちと一緒に、ダイニングのテーブルに着いた。
「レ、レンジでチンしたんだけどさ」
ちょっとでも、温めた方が、タコヤキって美味いんだよなァ。
焼きたてみてーに、表面がカリッとはしてねーけど。
「湯気が出てるべさ」
なっちの笑顔が眩しかった。
こんなに素敵な笑顔のなっちを、
私は事もあろうか、泣かしてしまったんだ。
タコヤキにかぶりついて「あちち」というなっち。
そのなっちの可愛らしい姿が、涙で歪んじまった。
- 308 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/02/20(日) 20:06
- 「な、なっちさん!」
「ななななな・・・・・・何だべか? なっち、ケンカは弱いよ」
気がついたら、私はなっちを抱き締めて号泣してた。
こんなに泣いて、全く恥ずかしいもんだぜ。
でも、女の子なんだから、少しくれー泣いてもいいよな。
さっき、あれだけ泣いたってのに、よく涙が出て来るもんだ。
「ごめんなさい! なっちさん!」
「あ、謝るのは、なっちの方だべさ。ごめんね。よっCの厚意を踏み躙って」
なっちは落ち着いたのか、いつもと同じに優しい口調で言った。
それが、妙に悲しくて、私はただ、泣く事しか出来ない。
なっちは、こんなに大人なのに、私は周囲も見れないガキ。
自分本位の親切心から、大切な人を傷付けちまったんだ。
「オレ、なっちさんに・・・・・・ここにいて欲しくて。・・・・・・ごめんなさい」
強く抱き締め過ぎたのか、なっちの背骨が音をたてた。
そんな滑稽な音でも、何か涙が止まらねーや。
柔らかい。なっちは柔らかいなァ。気持ちいいや。
大好きなんだ。なっち・・・・・・なっち!
「よっC、なっちが怒ったのは、おじさんの話を断ると、ここに居辛いからなんだべよ」
そうか。そうだよなァ。なっちは、ほとんど居候だもんなァ。
居候が生意気な口をきいたら、居辛くなつのも当たり前。
そんな事に、私は全く気付かなかったんだ。
やっぱり、私は子供なんだなァ。口惜しいけど。
- 309 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/02/20(日) 20:06
- 「でも、・・・・・・嬉しかったべさ。よっCの気持ち」
「なっちさァァァァァァァァーん!」
ここまで泣いたのは、本当に久し振りだった。
なっちは・・・・・・オレのお姉ちゃんだし、とっても大切な人。
互いに血は繋がっていなくとも、私達は姉妹なんだ。
もう、なっちは、住み込みのカテキョなんかじゃない。
「何やってんだと思ったら、泣いてるの?」
気が付くと、オフクロが呆れ顔で立っていた。
一応は白衣を着てるけど、オフクロの仕事は人事が主だ。
看護部長って役職ではあるけど、要するに人事部長兼任なんだよなァ。
看護師のローテーションから、医師の配置まで、全てオフクロの権限だった。
「いいから、二人とも、そこに座りなさい」
どうやら、オフクロはなっちが心配で、ちょっ様子を見に来たらしい。
そりゃそうだよなァ。家族が転倒して、後頭部を強打したんだからよ。
オフクロは自分でお茶を煎れて、勝手にタコヤキを食べ始めた。
ゴルァ! このタコヤキは、なっちと私のものだぞ!
「なつみちゃん、院内学級って判る?」
「院内学級?」
オフクロの話によると、駐車場の上に、新しく病棟を建てるらしい。
そこでは、幼児から青少年期までの、子供の治療を主にするそうだ。
そういえば、都内では小児医療の絶対数が不足してるんだった。
以前は死んでしまった子供も、今では医療技術の進歩で助かるケースも多い。
- 310 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/02/20(日) 20:07
- 「なつみちゃん、そこで先生をやる気はない?」
先生というより、学習障害の子供のケア的な事になるらしい。
吉澤病院には、今でも十数人の子供が入院してるんだよなァ。
病院内で勉強出来れば、それだけ早く復帰出来るもんだ。
病気が原因で、留年しちゃう子もいるって話だしなァ。
「院内学級だべか・・・・・・」
なっちは考えながら、湯気の出てるお茶を啜った。
私はタコヤキで舌を火傷しながら、オフクロの話を聞く。
これまでは、ボランティアの教師が、入院してる子に勉強を教えてた。
なっちは私のカテキョをやってんだから、こいつは適材適所だぜ。
「普通の教師じゃ勤まらないわ。教育学を専攻した人じゃないと」
おお! なっちは教育学を専攻してたしなァ。
医学と教育学がタイアップして、新しい試みをしようってんだな?
これで、いくらか人数が集まれば、教育機関として認められるし。
場合によっちゃ、義務教育を、ここで終了させられるかもしれねーなァ。
「なつみちゃんは、ひとみの成績を上げてくれたわ。
その力量は、教育学で培われたものだと思うの」
オフクロも、たまにはいい事言うじゃねーか。
そうだよ。なっちは、教育学を勉強して来たんだ。
それに、私っていう臨床例もあるわけだしね。
なっちには、やり甲斐のある仕事だと思うけどなァ。
- 311 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/02/20(日) 20:07
- 「全てが初の試みなのよ。どう転ぶか判らないけどね」
「で、なっちさんには、何をさせるつもりなの?」
「そこの統括をして貰いたいの。知り合いの子を講師にしてもいいし」
何だ? どうも話が変わって来たじゃねーかァ。
私は事務員で、なっちを雇ってくれって言ったつもりなんだけど。
でも、問題はなっちの気持ちだよなァ。なっちは先生になりたいんだし。
「主人・・・・・・院長の考えなのよ。市議の中にも、応援する人がいるし」
そういえば、吉澤病院ってのは、外科と小児科が有名なせいか、
年寄りのじじいやばばあが少ねーんだよなァ。
どっちかっていうと、若い入院患者が多いもんな。
まあ、正直なところ、老人医療ってのは、カネにならねーから。
「何となく、凄く面白そうだべさ」
そりゃそうだろ。医学と教育学のタイアップだからなァ。
脳に障害を負った子供の教育は、それこそ難しいものだしね。
医学的見地から、どういった教育をすればいいのか模索する。
こいつは私でも、興味を惹かれる仕事だぜ。
「物凄く大変だと思うわ。経費もかかると思うし」
オフクロ、市からの補助をアテにしてやがるな?
もしかすると、モデル病院になって、国からも補助が出るかも。
そうなったら、病院の懐は傷まねーし、一石二鳥じゃんか。
大人ってのは、どうして、こう狡猾なんだろうなァ。
でも、まあ、なっちが家族でいてくれたら、私は満足なんだけど。
- 312 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/02/20(日) 20:08
- 「でも、なっちは自信がないべさ」
そうだよなァ。いくら教育学を専攻したからって、まだ教師じゃねーわけだし。
勉強は教えられても、統括となると、人を使わねーといけねーし。
そういった部分じゃ、なっちが不安になるのも判るよ。
なっちの不安そうな顔。やり甲斐のある仕事だろうけどね。
「大丈夫。医師と看護師、ソーシャルワーカーがフォローするわ。
それに、何かあれば、私だって応援するつもりだもの」
そうか。医師は数学や理科が得意だろうしなァ。
なっちは社会科の教員免許取得中だしよ。
中学の国語くれーなら、私だって教えられそうだし。
ソーシャルワーカーや看護師までがフォローするんだったら、
こいつは成功しそうな気がするけどなァ。
- 313 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/02/20(日) 20:09
- 「オフクロは看護学校出だろ? なっちさんのフォローなんて出来るのかよ」
「(カチン!)何だとゴルァ!」
うがっ! いきなりヘッドロックしやがって!
娘にいきなりヘッドロックする母親なんて、
そう滅多にいるもんじゃねーぞ。
畜生! 私の方が体重はあるんだ。
オフクロを持ち上げてやろうじゃねーか!
ふふふふ・・・・・・ざまあみろ。こえーだろ。
いてててて・・・・・・。締め付けをきつくしやがった。
くそっ! ここは起死回生のバックドロップで・・・・・・。
「甘い!」
オフクロはバックを取ろうとした私の足に、自分の足を絡ませて来た。
そして、変な体制になったと思った瞬間、私は肩から脇腹に痛みを感じる。
身体の柔らけーオフクロは、無理な体勢からコブラツイストをかけやがった。
何て事だ。私の左のアバラが、ミシミシと音をたて始めたじゃねーか。
「これでも東京看護大卒だゴルァ! 看護師を甘くみるなよアアン!」
「がががががが・・・・・・痛い・・・・・・・痛いよ・・・・・・(みしっ!)・・・・・・がくっ!」
背中の筋肉と脇のアバラが音をたてた瞬間、私は意識が遠くなった。
なっちの「大変だべさァァァァァァァァァー!」という声を聞きながら、
私は暗黒の闇へと吸い込まれて行く。
これは虐待だ。未成年者虐待。オフクロは逮捕されるぞ。
でも、なっちと仲直り出来た。・・・・・・よかったなァ。
本当に良かっ・・・・・・。
- 314 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/02/20(日) 20:10
- 今日のところは、ここまでにしたいと思います。
また、近い内に更新致します。
- 315 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/21(月) 01:09
- おもろいな〜
母は強しですね。続き待ってますよ
- 316 名前:春水 投稿日:2005/02/25(金) 23:29
- ♀さんご無事だったんですね(嬉泣)
お身体はもうよろしいのですか?
HPの方へ久しぶりにお邪魔したら、ご病気されていたと・・・。
やっぱり貴女の描くなっちは魅力的です。
よっすぃーも可愛い!私も近づけるよう頑張ろうと思います。
次回も楽しみにしてますね。
- 317 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/03/01(火) 21:11
- >>315
ありがとうございます。
そう仰って頂けると、とても嬉しいです。
本当に頑張ろうと思いますです。
>>316
ありがとうございます。私はなっちが大好きです。
お陰様で、切腹した割には元気になって来ました。
まだ完全に治ってはいませんが、元気をもて余しています。
もうじき、髪が生え揃いそうなので、早く帽子無しで外出したいですね。
リアルのなっち、大変だったけど、ガンバ!
- 318 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/03/01(火) 21:12
- 〔三次元と旅行計画〕
相変わらず、数学に関しては、生徒である私が問題を作って、
勉強を教えるはずのなっちが、それを解いて行く勉強方法だった。
私が苦手とする幾何学に関しても、その方式は変わらない。
平面は出来るんだけど、三次元になると、いきなりわからねーぞ。
「なっちさん、立方体になると、よくわかんねーよ」
「だろうと思ったべさ。だから、これでやってみよう」
なっちは私のパソコンの電源を入れてOSを立ち上げると、
よくわかんねーアルファベットだらけのCDを挿入した。
どんなもんかと、期待しながら見てると、そいつはどうやら、
ポリゴン作成ソフトみてーだった。
「三次元の質感を出すために、様々な命令をインプットしなけりゃいけないんだべよ」
「何でなっちさんが、アニメーターみてーなソフト持ってんだよ」
「秋葉原で百円で売ってたんだべさ」
なっちは他にも、美少女ゲームを、幾つか持ってた。
女の人で、こんなゲームをやる人なんていたんだなァ。
私はてっきり、引き篭もり系の若い男が、やるもんだと思ってた。
最近じゃ、女の子向けのゲームもあるらしいけど、
まだまだ中古でも高いはずなんだけどなァ。
- 319 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/03/01(火) 21:13
- 「ちょっと、あぶねーぞ。なっちさん」
ああ、まだ脇腹と背筋がいてーなァ。
オフクロはプロレス同好会に入ってたようだからな。
「この、デモ版をやると、三次元の意味が解り易いっしょ」
うーん、横をX軸、縦をY軸、奥行きをZ軸で表示するのか。
真ん中を0で表示するんだから、−5X+5Y+5Zにすると、
向かって左の上、手前の方になるんだなァ。
そうかァ。これを関数で考えればいいわけじゃん。
「意外におもしれー!」
私は立体的な星型を作って、回転運動を与えてやる。
そして、『遠ざかる』というオプションを選ぶと、
私が作った星が、回転しながら遠ざかって行く。
後は、色や輝き、光と影の位置をインプットしてやると、
本格的なアニメーションみてーになった。
「今やアニメーションは、みんな数学なんだべよ」
そうだよなァ。昔は背景にセル画を乗せて撮影してたんだ。
だから、物凄く膨大な時間と人、制作費がかかったんだよなァ。
でも、今はコンピューターを使って、かなり短時間で出来るようになった。
そういえば、『ジュラシックパーク』の恐竜達は、
みんなCGで合成してるってんだから驚きだよなァ。
- 320 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/03/01(火) 21:14
- 「うわっ、ヘルプはみんな英語じゃねーか!」
このソフト自体が海外のものらしく、解説は英語オンリーだった。
でも、私は英語が得意だから、難しいニュアンス以外は理解出来る。
こいつは英語の勉強にもいいなァ。えーと・・・・・・「vou」って何だ?
前後の単語で考えると・・・・・・「you」の間違いじゃねーか!
「これなら、英語の勉強にもなるべさ」
そうだよなァ。受験に必要なのは、会話じゃねーんだ。
最近じゃ小学校の頃から、英会話の授業があるらしいけど、
いくら会話が出来ても、書けなきゃ話になんねーんだよ。
親馬鹿でガキの頃から英会話なんて習わせたところで、
受験には何の関係もねーんだよなァ。
「ん? ストロボ効果?」
ストロボ効果っていえば、照明を短時間だけ点ける事の繰り返し。
そうすると、運動している物体が静止して見える効果だったなァ。
大昔のディスコだと、よく、こういった演出があったらしい。
しかし、今や『ディスコ』なんで死語に等しいもんなァ。
パラパラが流行って、もう新しいものが出なくなったからかも。
そんな事は、どーだっていいんだった。数学数学っと。
- 321 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/03/01(火) 21:14
- 「面白いっしょ? でも、ハマっちゃ駄目だべよ」
こいつはハマりそうだけど、私には時間がねーんだ。
数学に物理、化学、英語、国語、日本史、政治経済を勉強しねーと。
「オレはヲタじゃねーっての!」
これだと、私が苦手な幾何学も、解って来るから不思議だなァ。
平面を理解しねーと、立体なんて絶対に無理だからよ。
まずは、平面での理解をしねーと。えーと、三平方の定理は?
直角三角形の底辺の二乗+高さの二乗=斜辺の二乗だったな。
逆に、この条件が揃えば、その三角形は直角三角形なんだ。
「なっちさん、三平方の定理って、ピタゴラスだっけ?」
「そうだべさ。ピタゴラスは、三角形の絶対条件を、世界で最初に発見したんだべね」
ピタゴラスの定理は、直角三角形の面積を使って証明するんだったなァ。
直角三角形の各辺で、正方形を作るんだったっけか?
正方形の面積は、一辺の二乗だから、これで証明出来るんだった。
えーと、地球を3Dで作るには・・・・・・。
「本当の地球は、自転してるから、まん丸じゃ無いべよ」
「ええっ! そうだったのか!」
地球ってのは、時速一六六七キロで自転してるんだよなァ。
静止衛星なんていっても、実際は宇宙空間で、この速さで動いてるわけだ。
地上から数万メートルも上空だから、実際はもっと速いんだよね。
遠心力の関係で、地球は少しだけ赤道が膨らんだ形になってるらしい。
そうした事が、最近の科学で判ったんだっけかなァ。
- 322 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/03/01(火) 21:15
- 「ボイジャーの観測データだと、地表が確認出来たのは、外惑星だと冥王星だけらしいべよ」
そうだった。内惑星の水星・金星・火星は、地表があるって確認されてる。
だけど、木星や土星、海王星、天王星は、ガスの塊だって話だからなァ。
共通してるのは、みんな土星みてーな輪があるって事だっけ。
天王星っていえば、自転する向きが特殊なんだよなァ。
どの惑星も、いくらか自転角度があるんだけど、
天王星ってのは、縦に自転してる珍しい惑星なんだ。
つまり、一年の半分が昼で、半分が夜って事になるらしい。
もっとも、金星なんてのは、太陽が西から昇って東に落ちる。
しかも、一日が一年より長いっていうんだからなァ。
「なっちさん、将来、新婚旅行は宇宙旅行になるって、本当なのかなァ」
「どうだべねえ。でも、もう民間で宇宙旅行を募集してる会社もあるべさ」
ガガーリンが初の有人宇宙飛行をしてから、アメリカがアポロ計画を実行。
今やスペースシャトルで、意外に楽な宇宙飛行が行えるまでになった。
問題は地球の引力から脱出するまでの、強力なエンジンって事になる。
それが、今は水素を使うから、環境にも優しい燃料なんだよなァ。
「宇宙ステーションの中は、無重力なんだろ?」
「今の段階ではそうだべさ。でも、ソーラーを使って回転させれば?」
そうか! 筒状のステーションを回転させれば、遠心力が生じるわけだ。
それを重力にしてやれば、内側は地球と同じ環境が整備される事になる。
近い将来、宇宙ステーションに住む人も、出て来るんじゃねーかなァ。
二酸化炭素と日光があれば、光合成が出来て植物を栽培する事が可能。
そうすれば、酸素を供給しなくても、自然に作る事が出来るよなァ。
地球を見ながらの露天風呂なんて、それこそサイコーじゃねーか。
- 323 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/03/01(火) 21:15
- 「ただ、宇宙ステーションってのは、隕石にぶつかる可能性が高いんだべよ」
そうだった。地球に向かう隕石のほとんどは、自然衛星の月に落ちるんだ。
それでも、毎日のように、地球には隕石が落ちて来てるんだよね。
火星の外側にある小惑星群で衝突があれば、その破片が太陽の引力に負ける。
その結果、内惑星に向かって飛んでくるって寸法だ。
それが地球の軌道に入る可能性は、決して少なくないんだよなァ。
氷の塊なんかだったら、地球の大気に触れると摩擦で溶けちまうけど、
宇宙空間では大きなままだから、宇宙ステーションなんて一発だぞ。
事実、太陽に一番近い水星なんてのは、太陽に向かう隕石がぶつかって、
地表はクレーターだらけだって話だ。
「隕石が接近したら、ミサイルなんかで破壊すれば?」
「小さな隕石なら、それも可能だべね」
なっちの話によると、大きな隕石の場合、核ミサイルで軌道を変えるのが精一杯だとか。
それでも、数百万キロ先で、一ミリでも軌道が変われば、地球には落下しないらしい。
隕石の中には、スウィングバイ方式のように、惑星の重力に影響されちまって、
太陽と逆方向に飛んで行っちまうものもあるらしい。
「アメリカのレーガン大統領が指示したスターウォーズ計画は、
地球を隕石から守るために、発展しているみたいだべよ」
そうだよなァ。もう、イデオロギーよりも経済中心の世界だし。
冷戦が終わると、環境保護や食糧問題を考えるようになった。
地球上には、全人類を養うだけの食糧があるんだったっけ。
でも、その大部分が、先進国に集中しちまってるんだ。
- 324 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/03/01(火) 21:16
- 「もう、国益を考える時代じゃねーのかもなァ」
先進国を中心に、これから少子高齢化が進むのは確実。
そうした中で、国益だけを追求してたら、その国は滅亡しちまう。
なぜなら、消費が生産を上回っちまうからだ。
これからは、発展途上の国々に、先進国が投資しないといけない。
対テロリズムには、世界共通の敵なんて言ってる首相も、
何かあれば、すぐに国益を口にしてる現実。
要するに、アメリカが怖いだけじゃねーか。
「ところで、秋の旅行なんだけど」
「はいはいはい!」
こうした話には、弱くっていけねーなァ。
沖縄あたりなら、秋雨前線が通過しちまってるから、
思い切り海を満喫出来るぞ。
なっちの故郷、北海道でもいいし。
北海道はジャガイモ、トウモロコシ、乳製品だよなァ。
鮭もいい時期だし、イクラ丼も最高ってか。
「東京廻りをするべさ」
「やったー! 東京・・・・・・って、何でだよ!」
東京廻りだァ? ハトバスで誤魔化そうたって、そうは問屋が卸さねー。
東京に住んでるってのに、何が悲しくて東京見物するんだよ!
せめて、京都だろう。鳴くよ(七九四)ウグイス平安京だろうーが!
京都には嵐山、大原三千院、清水寺、平安神宮、比叡山、東寺、
三十三間堂、西本願寺、東本願寺、伏見稲荷大社、平等院、
二条城、本能寺、京都御所、北野天満宮、鞍馬寺があるじゃねーか!
- 325 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/03/01(火) 21:17
- 「よっCは、東京の何を知ってるんだべか?」
「何って、原宿、渋谷、池袋、吉祥寺や下北沢・・・・・・かな?」
「ふっ、センター試験・日本史の問題は、三分の一以上が江戸時代以降だべさ」
げげーっ! そうだったのかァ!
私の得意な中世史なんて、ほとんど出て来ねーんだ。
そりゃそうだよなァ。確実な史料がねーと、問題なんて作れねーわけだし。
特に、最近の傾向として、明治時代以降の近代史が多いらしい。
そういえば、東京の歴史なんて、ぜーんぜん知らねーもんなァ。
「まずは、小田原から始めるべさ」
「へっ? 小田原って神奈川県だけど」
「小田原城は、後北条氏の本城だったんだべよ」
そうかァ。秀吉の北条攻めから、家康の江戸開幕。
東京の歴史は、ここから始まったことになるんだよなァ。
それ以前、東京(江戸)なんて、漁村と雑木林だったわけだし。
そんじゃ、中間テストが終わった十月の三十一日から、
四連休で行こうじゃねーか!
- 326 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/03/01(火) 21:20
- 今日のところは、これで終わりにします。
週末には更新出来る予定ですので、どうぞ宜しくお願い致します。
みなさん、花粉症は大丈夫ですか?
私はグァバ茶と自然薬、マスクと目薬で対応しています。
- 327 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/02(水) 02:12
- 関東社会科見学楽しみにシテマース♪
- 328 名前:ふぇいく 投稿日:2005/03/04(金) 12:58
- 更新お疲れさまですm(__)m
ホントにここの、なちよしは最高です!!!
次回も楽しみにしてます♪
- 329 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/03/06(日) 20:04
- >>327
ありがとうございます。
社会見学(個人修学旅行)は、次回ということで。
今回は補習のお話になりました。
>>328
ありがとうございます。
それにしても、よっCのバイタリティには、書いてる私でも羨ましくなります。
なっちも意外に子供っぽいとこがあったりして、可愛くなっちゃいました。
- 330 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/03/08(火) 23:01
- 顎さん、ご迷惑をお掛け致しましたァァァァァァァァー!
次からは、慎重にうpする事にします。
お手数をお掛けして、すみませんでした。
- 331 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/03/08(火) 23:02
- 〔紅白試合〕
二学期の中間テストは、平家のみっちゃんが、えらく張り切ったお陰で、
数学の平均点が七十四点、物理の平均点が七十六点という悲惨な結果だった。
また、一学期の期末同様、廊下に試験結果が貼り出される。
すでに諦めた連中は、裕ちゃんの貼るところなど見ずに、
教室の中でふてくされてた。
「二学期からは、全教科を公表するで。ええな」
ブーイングの嵐の中、裕ちゃんは最下位から貼って行く。
あらら・・・・・・上戸の彩ちゃんは、追試二教科と、補習三教科かァ。
こいつは、クリスマスや正月どこじゃねーぞ。
「44位、小倉優子。数62、物63、化70、英85、合計280点
日本史74、国71、政経70、体76、音82、美83、合計456点」
うわぁ! ロリ系女子高生も、数学と物理が補習かよ。
クリスマスは無しだなァ。正月は何とか迎えられそうだけどよ。
優子目当ての男共は、寂しい夜を過ごすんだろうなァ。
「24位、後藤真希。数72・物75・化78・英82、合計307点。
日本史74・国70・政経71・体92・音80・美75、合計462点」
おお!、ごっちんは国語がギリギリセーフだったなァ。
十教科で769点ってのは、かなりいい線だぜ。
私は今回、化学と音楽、美術に自信ねーもんなァ。
- 332 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/03/08(火) 23:03
- 「11位、藤本美貴。数78、物72、化88、英89、合計337点。
日本史72、国74、政経77、体82、音88、美75、合計470点」
すげー! 美貴ちゃんは、十教科で807点かよ。
平均80点以上だから、楽々推薦入試の範囲内だ。
私も推薦入試だったら、こんな苦労なんてしないのに。
でも、私は圭織さんの仇を討たねーとなァ。
魔物がいる東京医科歯科大。勝負してやろーじゃねーか。
さて、ところで私はどうなるかなァ。
今回は梨華ちゃんも自信あったみてーだし、
ちょっと一位は無理かなァ。
「3位、吉澤ひとみ。数100、物96、化70、英80、合計346点」
日本史93、国88、政経74、体84、音70、美69、合計473点」
げげー! やっちまったァ! 美術、補習だよォ。
合計819点だぞゴルァ! それでも補習なのかよアアン!
そういえば、美術の先生は石井(通称:ピーチ)だったなァ。
何とか補習だけは、勘弁してもらえねーかなァ。
「1位、石川梨花。数98、物92、化98、英82、合計370点。
日本史74、国76、政経75、体100、音68、美82、合計455点」
「せんせぇ、『梨花』じゃなくて『梨華』なんですぅ」
うわぁ! 梨華ちゃんも、音楽が補習かよォ!
合計、825点でも、補習は補習なんだろうなァ。
でも、保田先生は優しいから、きっと一日だけだろうし。
私はどうなるんだろう。ピーチって、どうもキャラが掴めねーからよ。
- 333 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/03/08(火) 23:04
- 「今回、追試者は上戸だけやけど、上戸、宮里、小倉、石川、吉澤の五人は補習決定や」
梨華ちゃん、音楽が苦手だからなァ。
彩と藍、優子は、進路が決まってっから、
羽目を外さないように、見せしめ的要素がするぞ。
ああ、でもピーチのやつ、私にどんな補習させんだろうなァ。
「吉澤さん」
私は落ち着いた声で呼ばれて、右後方を向いた。
すると、そこには私に69点を付けたピーチがいた。
確かに私は近代美術史が苦手だった。
近代美術で知ってるのは、ピカソくれーなもんだっての。
「はい。オレ、マジで補習なの?」
「結論からすると、そういった事になるわね」
ピーチ、いったい何を考えてるんだァ?
私の希望は国立大学。美術大なんかじゃねーのに。
もう少し、甘い点数をくれたっていいじゃねーか。
私には理数の勉強で忙しくて、美術なんかやってる暇ねーよ。
「今日か明日の放課後、美術室に来てね」
「ふぇーい」
面白くねーなァ。クラスで三位だってのに、補習を受けるのかよ。
東京医科歯科大には、美術なんて関係ねーのに。
ったく、ピーチは何を考えてるんだかよ。
- 334 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/03/08(火) 23:05
- 「そんじゃ、今日の放課後でいいっすかァ?」
「うん。それじゃ、待ってるわよ」
何をさせるつもりなんだか。まさか、ピーチの肖像画でも描かせるんじゃ。
実物より美人に描かねーと、永遠に帰してくれそうにねーしなァ。
絵の具は苦手だから、クロッキーだけで許して貰おうかなァ。
「石川さん、あなたには特訓が必要です」
「保田せんせぇ・・・・・・」
梨華ちゃんは、どうも歌が下手だからなァ。
いい声はしてると思うんだけどなァ。
将来的には、エロゲーの声優なんてやったら、
大人気が出そうな気がするし。
「今日の放課後、音楽室に来なさい」
保田先生も声楽出身だから、歌には厳しいのなんのって。
私とごっちんでふざけてた時、物凄い顔で怒ってたもんなァ。
普段は温厚なんだけど、怒った時は、まじでびびった。
「はぁい」
私や梨華ちゃんは良かったけど、上戸の彩ちゃんは悲惨だった。
石黒先生に次ぐ怖さの平家のみっちゃんが、数学と物理を補習するからなァ。
そういえば、逆らった先輩は、みっちゃんにヤキを入れられて、
それっきり自主退学したって話だしよ。
- 335 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/03/08(火) 23:05
- 「上戸! 何やこの点数は。根性入れ直したるさかいな!」
こえー! みっちゃんって眼がこえーんだよなァ。
あの鋭い眼で睨まれると、蛇の前の蛙の如く、身が竦んじまうんだよ。
何でも甲状腺にポリープがあるらしくて、あんな眼つきになってるらしい。
いわゆる、バセドー氏病の軽いやつらしいけど、怖いのは眼つきより性格。
ブチキレると、骨格標本の頭蓋骨を投げ付けて来る。
私は条件反射でレシーブしちまったけど、痛いの何のって。
「ここここ・・・・・・根性ですか?」
沖縄出身のナイスバディも、みっちゃんの怖さを痛感するだろうなァ。
私も二年生の時、補習授業で間違えたら、骨格標本の大腿骨で殴られたっけ。
それだけスパルタだったせいか、今じゃ生物には自信があるもんなァ。
鯉の解剖は印象に残ってる。って、その後の鯉こくが美味かっただけだけど。
そういえば、魚類の心臓って、ツーサイクルエンジンと同じだったっけ。
確か、魚ってのは、心房と心室しかねーんだよなァ。
哺乳類みてーに、脳への酸素供給が重要じゃねーからだっけ。
まあ、エラ呼吸だからなァ。今度、ごっちんに訊いてみようかな。
「ええ男、紹介するで。人体模型君や」
みっちゃん! そのサディスティックな顔は何よ!
あらららら・・・・・・沖縄出身のナイスバディは、そ〜と〜びびってるぞ。
そういえば、うちの学校の人体模型って、妙にリアルなんだよなァ。
よせばいいのに、ピーチが顔をメイクしたらしいから、まるで生きてるみてーだ。
おまけに、ゴムやウレタンを使ってて、触った感触が気持ち悪い。
真っ暗な中で『彼』と出くわしたら、私でも悲鳴を上げるだろうなァ。
- 336 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/03/08(火) 23:06
- 「ちょっと待ったァァァァァァァァァァー!」
うん? 体育の中田久美先生じゃねーか。
彼女はバレー部の顧問で、私達はシゴかれたっけ。
中学時代はレフトかセンターだったのに、
高校に入ったらライトなんてやらされた。
ライトってのは、すぐにバックに入っちまうから、
レシーブが下手だと地獄なんだよなァ。
「中田先生、何ですかぁ?」
「お前等、理科系進学クラスだからって、体育の授業で手を抜きやがって」
あらららら・・・・・・。何か怪しい雰囲気になって来たなァ。
確かに、私達は勉強があるから、体育なんて気合が入らねーもん。
百メートル走で気合を入れたのなんか、負けず嫌いの美貴ちゃんくれーだ。
そういえば、私は十五秒くれーで手を抜いて走ったっけ。
受験生なんだからよ。少しくれー手を抜いてもいいじゃんか。
だいたい、この時期に怪我でもしたら、受験に影響するっての。
「お前等、罰としてバレーボールの試合して貰う」
「バレーの試合? 素人もいるんっすよ」
私だって元バレー部だから、普通の子相手にマジにはなれない。
迂闊にストレートでも決めようものなら、顔面直撃するかもしれねーし。
それに、私のジャンピングサーブを取れる子なんかいるのかなァ。
竹下佳恵選手みてーに、ジャンピングフローターならいいけど、
私は高橋選手ばりのパワーサーブだからね。
- 337 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/03/08(火) 23:07
- 「素人には別のプログラムがある。これから言う奴は、体育館に集合しろ。
後藤、石川、藤本、吉澤、上戸、小倉、宮里、木村、里田、三好、ミカ=トッド、
神田、栗山、鈴木」
へえ、運動神経のいい連中だなァ。上戸とミカはバレー部だったし。
ごっちんはオールラウンドだし、梨華ちゃんテニス部だったけど運動神経はいい。
これで紅白試合でもするのかァ? 上等じゃねーか。
素人相手に本気なんか出す必要はねーけど、
手は抜けねーだろうな。中田先生の事だからなァ。
「中澤先生、HRの時間を使いますよ」
HRの時間にバレーかよ!
体力を温存して、受験勉強させようって気はねーらしいな。
中田先生は頭の中まで筋肉じゃねーのかァ?
「ああ、ええよ。気合入れたってくれや」
マジかよ。まあいいや。バレーに関しては私がエースだったからよ。
ABCDクイックなんて、拾える奴はいるのかァ?
だけど、このメンバーだったら、多少の事じゃ怪我しそうにねーし。
「よし、次の時間。体育館に集合だゴルァ!」
まあ、バレーは汗かくからよ。ティーシャツにハーフパンツでいいだろ。
私のチームは誰になるのかなァ。梨華ちゃんはトスが上手いからな。
どうしても味方に入れてーよなァ。
ごっちんに上戸、ミカ、里田あたりがいりゃ問題ねーけど。
- 338 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/03/08(火) 23:07
- 「紅白試合をする。赤組は吉澤・石川・上戸・三好・木村・後藤・栗山。
白組は藤本・里田・宮里・小倉・神田・鈴木・ミカだ」
楽勝じゃねーか。問題は美貴ちゃんと里田、鈴木の杏ちゃんだなァ。
宮里の藍ちゃんも、あれでいてパワーがあるからよ。
こっちは木村のあさみちゃんにリベロ、梨華ちゃんセッターだな。
私がレフトで上戸の彩ちゃんはライトかな。ごっちんはセンター。
バックは三好・栗山でOKだろうね。
向こうはリベロにミカがいるからなァ。
守備が強そうなチームだぜ。
「負けた方は、体育館の掃除だからね」
おっと、こいつは負けられないぞ。
中田先生は、ピカピカにしねーとブチキレるからなァ。
私が一年だった頃、テキトーに掃除したら、
ステファン=レコ並のキックを入れられたっけ。
「よっC、勝てるかなぁ」
「任せとけって。オレはバレー部のエースだったんだよ」
梨華ちゃんは、そのネガティヴなとこを治さないと。
私なんか、悪い事なんか考えねーもんなァ。
おっと、私がマークされるから、作戦を考えねーと。
よし! 着替えながら考えるとでもするかァ。
- 339 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/03/08(火) 23:08
- さてと、早速体育館に来たぞゴルァ。
ふえっ? ネットが低いじゃんかよ。
二メートル十センチ。これじゃ中学の高さだぜ。
「さあ、始めるぞ! ゲームキャプテンは集合しろ」
中田先生の話じゃ、十五点先制のラリーポイントで、
三セット取った方が勝ちって事らしいなァ。
FL私・FCごっちん・FR上戸・BR梨華ちゃん、
BC栗山・BL三好(木村)で行くか。
「梨華ちゃん、オレがマークされるから、ごっちんと彩を使って。
オレがバックになればアタックもOKだから」
リベロはレシーブが苦手な三好に入れよう。
ふふふふ・・・・・・。これで貰ったぜ!
まずは相手サーブからだな? 梨華ちゃんDで行ってみよう。
向こうのサーブは、セッターのSAYAKAだな?
「あさみちゃん! 強めに返してぇ!」
サーブを取るのはリベロの仕事。
木村のあさみなら、難なくやるだろうなァ。
まずは速攻で、相手のペースを崩してやるか。
私にDだと、ダミーのごっちんのブロード、
上戸に警戒して、ブロックが二枚つくはずだ。
ストレートを決めれば、一点は確実だからなァ。
こっちはバレーで地獄を見て来たんだ。違いを見せてやるぜ!
- 340 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/03/08(火) 23:09
- 「ゲーム開始!」
さあ、来るぞ。SAYAKAはフローターで変化をつける気だな?
頼むぜあさみちゃん。よし! グッドタイミング。梨華ちゃんのジャンプトス。
ごっちんはブロード、上戸はオープンでジャンプした。
よっしゃー! 絶好のタイミングだぜー!
くらえ! よっC様のストレートだ!
「ピー! ポイント紅!」
今度は私達のサーブ。こいつは得意のCクイックで決めてやろう。
ミカは木村以上のリベロだからなァ。確実にSAYAKAに返すだろうな。
そうすると、打って来るのは美貴ちゃんか里田、鈴木の杏ちゃんだな。
オープンで来るなら、レフトの美貴ちゃんだろうね。
私とごっちんでブロック決めてやるぜー!
「行くわよぉ」
梨華ちゃんはオーバーサーブ。でも、回転が面白いんだよなァ。
おっと、さすがにミカだぜ。確実にSAYAKAに返すじゃねーかァ。
やっぱりレフトのオープンかよ。ごっちん、行くぜ!
私とごっちんの跳躍力だったら、美貴ちゃんは確実に止められる。
「ワンチ!」
いけねー! ごっちんが弾かれた! あさみ! 追いつけ!
よし! 拾った! 梨華ちゃん、ガラ空きのライト上戸に!
後方からのトスは難しいけど、上戸ナイスフェイント!
- 341 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/03/08(火) 23:10
- 「ピー! ポイント紅!」
よし、次はブロードのBクイックで行こうぜ。
向こうは美貴ちゃんを使って来るから、ごっちん一枚でブロックしろ。
安心しろって。最悪は一人時間差で決めてやるからよ。
「あちゃー、ごめんねぇ」
梨華ちゃん、コーナー狙い過ぎでアウトだ。
向こうは鈴木のサーブか。これでフロントが甘くなる。
梨華ちゃん、ブロードのBで決めちゃおうぜ。
クロスでSAYAKAの前に決めてやるよ。
「来たよ!」
木村、ナイスレシーブ。そこだ梨華ちゃん!
真横のパスだけど、少し低いか!
ええい、SAYAKA狙いだ!
くそっ! 上げやがった。でも、誰がトスするんだ?
宮里→里田だな? ブロック決めたるわ! うりゃー!
「よっしゃー!」
里田のクロスを完全にシャットアウトしてやったぜ。
これで3−1だからなァ。まずは六点先取だぜ!
上戸のサーブが帰って来たら、私がライトからオープンで決めてやる。
ミカ、取れるもんなら取ってみな!
- 342 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/03/08(火) 23:10
- 「行くぞ!」
上戸のサーブはドライブがかかってる。
へえ、ミカはよく拾ったな。でもフロントは美貴ちゃん頼りだ。
三好! 決めなくてもいいからブロックで球威を抑えろ!
よっしゃー! ブロックに引っ掛かった。梨華ちゃん、頼んだよ!
「うりゃ!」
「ピー! 紅ポイント」
どうだゴルァ! これが私のオープンだっての。
大山先輩みてーな破壊力はねーけど、ボールが唸っただろう。
これで、フェイントがしやすくなるぞ。
4−1だから、ここは連続ポイントで相手の戦意を喪失させよう。
よし、得意のCクイックだぞゴルァ!
「あちゃー」
上戸のサーブは、ミカに上げられちまった。
まずい。左右から攻めて来る感じだぞ。
どっちだ? この場合、センターの美貴ちゃんはダミー。
里田か? それともロリ小倉を使って来るか?
「優子!」
ロリだァァァァァァァァァー!
ごっちん飛べ! 私も間に合うか!
くっ! ワンチしちまったァ。
- 343 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/03/08(火) 23:11
- 「オーライ!」
さすがに木村だなァ。
梨華ちゃんに返してくれ。
よし! こいつが伝家の宝刀だ!
「は、速い!」
「ピー! ポイント紅」
どうだゴルァ。私のCクイックは健在だっての。
アハハハハ・・・・・・もう5−1じゃねーか。
あと一点取って、アクエリアスでも飲んで一服しようぜ。
上戸、サービス決めろ! ・・・・・・馬鹿! 外してどうする。
「みんな、まいには気を付けてね」
三好、何でお前が知ってるんだよ。
でも、里田なんて、バレー部じゃなかったぞ。
里田って、確かハンドボールやってなかったっけ?
・・・・・・な、何だ! あの変則的なジャンプサーブは!
それに、あの回転は、初めて見るぞ。
「へっ?」
「ピー! ポイント白」
真っ直ぐ飛んで来て、左にポトリって落ちた。
この回転、どこかで見た気がするなァ。
って、高津投手のシンカーと同じじゃねーか!
- 344 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/03/08(火) 23:12
- 「よっC、凄い変化だよぉ」
「あれじゃ取れねーよ。回転を見るんだ」
私達は里田の変化球に苦戦したけど、何とか6−5でタイムアウト出来た。
汗を拭きながら、各自の飲み物で水分を補給してると、中田先生がやって来る。
主審が片方のチームに来ていいのかァ? 飲み物はやらねーぞ。
「てめーら! そんなザマで北京に行けると思ってんのかァァァァァァァー!」
「ふげっ!」
「ひでぶっ!」
な、何だよ。何でいきなり掌底と肘を入れられねーといけねーんだよ。
いくら私立高校だからって、暴力はいけねーだろうが!
見ろ! 梨華ちゃんなんて、びびって泣きそうだぞ。
「いいか? お前等には北京でメダルを・・・・・・」
「あのぉ、あたし達はチームジャパンじゃありませんよぉ」
「アハハハハ・・・・・・。そうだったねー」
笑って誤魔化す問題かァ?
しかし、中田先生って、やたらとバレーに厳しいなァ。
もしかして、私達が生まれる前に、五輪に出てたりして。
まあ、厳しくするんなら、大山先輩や栗原先輩にしてくれよ。
「さあ、試合再開だよ!」
よっしゃー! ガンガン攻めるぞ!
よっC様の実力を、思う存分見せてやらあ!
- 345 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/03/08(火) 23:13
- 結局、試合は私達のストレート勝ち。
そりゃそうだよなァ。バレー部が二人もいるし。
おまけに、運動神経抜群のごっちんもいたしなァ。
ふーっ、何か爽やかな気分になったぜー。
ところで、運動神経の悪い連中は何してんだろ。
「先生、他の子達は何やってんすかァ?」
「ああ、裏で雑草を毟って貰ってんの」
草毟りかよ。でも、何で中田先生は、そんな事させんだろう。
学園には用務員のじいさんがいるってのによ。
いくらじいさんでも、給料分は働かねーとなァ。
安い賃金でこき使われて、じいさんも可哀想だけどね。
「何で草毟りなんか?」
「たまには身体を動かさないと、勉強も捗らないのよ」
そうか! それで中田先生は、私達にバレーをさせたんだ。
そうだよなァ。勉強漬けじゃ、身体も鈍っちまうしよ。
いい汗かいて、気分転換にもなったし、やっぱり中田先生はすげーな。
バレーには物凄く厳しい人だけど、ちゃんと私達の事を考えてくれてるんだ。
「中田先生、ありがとうございました」
私がお辞儀をすると、中田先生は嬉しそうに微笑んだ。
この時間は、中田先生から、私達へのプレゼントだったんだ。
体育教師じゃ、理科系進学クラスに協力出来ねーもんなァ。
やっぱり、中田先生は、私にとって恩師だったんだな。
- 346 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/03/08(火) 23:13
- 「梨華ちゃん、体育館の掃除、手伝ってよ」
美貴ちゃんが梨華ちゃんを誘ってる。
でも、オレと梨華ちゃんは補習があるからなァ。
「ごめんねぇ。放課後は補習なのぉ」
「オレも補習だぜ。ったくよ」
「そうか・・・・・・ねえ、ごっちん」
美貴ちゃん、今度はごっちんに泣き付いてるよ。
ごっちんは補習が無かったっけ。
美貴ちゃんと仲がいいんだから、
少しは手伝ってやるだろうなァ。
「アハハハハ・・・・・・じゃあねー」
「薄情者ー!」
さすが、ごっちんだなァ。
マイペースを通り越して薄情者になった。
- 347 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/03/08(火) 23:15
- 今宵はこれにて失礼致します。
また、近い内に更新致しますので、宜しくお願い致します。
- 348 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/03/19(土) 22:52
- 〔恥ずかしい補習〕
数学の授業なんて、もう面白くも何ともねーなァ。
教科書をざっと見ただけで、全部判っちゃうからよ。
みっちゃんの話なんか聞いてないで、化学の勉強でもしよう。
医者ってのは、物理と化学が必要なんだよなァ。
「吉澤、教科書が違うみたいやで」
げげーっ! みっちゃんに見付かっちまった!
こんな内職してたら、みっちゃん激怒じゃねーか?
どうしようかなァ。謝った方が利口だろうか。
「まあ、あんたじゃ数学は退屈やろ。迷惑にならん程度にな」
ふーっ! 助かったぜ。
でも、みっちゃんも私を応援してくれてるんだなァ。
色々な先生が、私のために応援・協力してくれてる。
こうなったら、全力で頑張るしかねーぞ。
「よっC、マック行こうよ」
授業が終わるとごっちんは気楽に言うけど、私と梨華ちゃんは補習があるんだゴルァ!
まあ、ピーチと圭ちゃんだから、そんなに厳しい授業じゃねーだろうけど。
美貴ちゃんとごっちんは、第一次(推薦入試)だから楽だろうなァ。
くそっ! マックにでも行って、ベーコンレタスバーガー食いてー。
「一人で行けっての!」
悪かったな。補習で悪かったな。ごっちん。
- 349 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/03/19(土) 22:53
- 私はピーチとの約束通り、放課後になると、美術室に向かった。
美術室は、美術部の連中が占拠してる場所だけど、
今日は展覧会があって、そっちに出掛けてるらしい。
「うす! 補習に来ました!」
美術室には、全く人の気配ってもんが無かった。
絵の具や粘土の匂いに混じり、無機質な石膏の匂いもする。
グランドに面した窓からは、フットサル同好会と陸上部の声がした。
それにしても、うちの学校は、広い敷地面積を持ってるよなァ。
バレー部が使う体育館。ここは中等部の体育館だったっけ。
バスケ部が使う体育館は、確か高等部の持ち物だった気がする。
水泳部には長水路(五十メートル)プールがあるし、
中等部のプールじゃ、シンクロナイズドスイミングまでたってた。
この他に、ソフトボール用のグランドや、乗馬用馬場まである。
これだけ大きな学校は、三鷹市にはねーだろうなァ。
「何だよ。いねーんなら帰るぞ」
私が帰ろうとすると、どこからかピーチの声がするじゃねーか。
かくれんぼしてんじゃねーんだからよ。ちゃんと出て来いっての。
「ちょっと待ったー!」
隠れてるんじゃねーよ。いったい、どこにいるんだ?
私が姿を探してると、ピーチは準備室から顔を出した。
何だよォ。美術準備室にいたんなら、もっと早く声を掛けてくれっての。
私だって、ごっちんと、マックに行きたかったんだからよ。
- 350 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/03/19(土) 22:53
- 「誰もいねーのかと思った」
「こっちに来てくれる?」
ピーチは私を準備室に呼び込んだ。
準備室っていうと、石膏像やらキャンバスが置いてあるんだよなァ。
こんな所で、いったい何の補習をしようってんだァ?
近代美術史なら、図書室でレポートを作った方がいいのに。
「さてと・・・・・・」
「先生、オレは近代美術史が苦手なんだよなァ」
「それは判ってるわ。とりあえず、脱いでくれる?」
「へっ?」
何で脱ぐんだろう。服を脱ぐ理由ってあるのかなァ。
そうか、上着を脱いで、汚れないようにスモックでも着るのか。
模写でもして、作品と作者の名前を一致させようってんだな?
私が上着を脱いで待ってると、ピーチは困ったように首を傾げた。
「全部、脱いじゃってよ」
「全部?」
何でスッポンポンに、ならねーといけねーんだ?
私を脱がして、何をしようてんだろうなァ。
まさか、ピーチって同性愛者だったのか?
そんなわけねーよなァ。噂じゃ彼氏がいるっていうし。
間違っても、男の前じゃ裸になれねーけど、
まあ、ピーチは同性だからいいけどよ。
- 351 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/03/19(土) 22:54
- 「脱いだけど?」
「やっぱり、思った通りの身体だね」
「何する気?」
やっぱり、ちょっと怖いなァ。
まさか、いきなり押し倒してイケナイコトなんて?
まあ、力じゃピーチには楽勝だけどなァ。
「自分をモデルに、デッサンしなさい」
そう言うと、ピーチは大きな鏡を持って来た。
でも、何で全裸じゃねーといけねーんだァ?
確かに裸婦像ってのは、古代から多く存在してる。
だからって、自分の裸を描かなくてもいいのに。
「安心しなさい。あたしも裸になるから」
そういった問題かァ? まあいいや。恥ずかしくもねーから。
へえ、ピーチって、思ったよりナイスバディじゃん。
やっぱり、大人の身体なんだよなァ。
私みてーに、ズン胴じゃねーんだ。
「やっぱり、互いにデッサンしてみよう」
デッサンはいいけどよ。何となくイケナイコトみてーな気がする。
だって、こんなとこを誰かに見られたら、危ない事してるみてーじゃんか。
でも、まあ、あんな点数をとった私がいけねーわけだし。
これで補習が終わりなら、助かったもんだぜ。
- 352 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/03/19(土) 22:55
- 「吉澤さん、筋肉の上に女性らしい皮下脂肪。いい身体よ」
そうかァ? 胸より腹の方が出てるんだぜ。
でも、誉められると、何か嬉しくなっちまうなァ。
女の子ってのは、誉められれば嬉しくなるもんだ。
私なんか「可愛い」なんて言われた事がねーもんなァ。
「かっけー」だぜ「かっけー」。私は女の子なのに。
「ちゃんと描いてる? いい加減だったら、また補習するわよ」
私に絵を期待する方が間違ってるんじゃねーか?
そんな才能があったら、絵を書きながら吟遊詩人やってるよ。
それに、私が受ける大学は、美術大学じゃねーんだっての。
「これでも、一生懸命なんだけど」
全体の輪郭が描けたら、次は影を入れて行って、立体感を出す。
ピーチは少し胸が小さいから、気持ち大きく描いてやろう。
影の入れ方で、巨乳にも貧乳にもなるからよ。
腹も出てるけど、ここは少しだけへっこましてっと。
「うーん、乳首が物足りないな」
乳首? 私の乳首が小さいっての? まあ、大きくはねーけど。
あくまで授乳器官なんだから、妊娠しねーと大きくなんねーだろ。
あれ? ピーチは何となく立派な・・・・・・っていうか、
私は乳首が発達してねーんだなァ。
埋没乳まで行かねーけど、ピーチみてーにコロコロしてねーや。
- 353 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/03/19(土) 22:56
- 「ちょっと大きくしようね」
「わっと! 触るなよォ!」
うへっ、ピーチに乳首を弄られたァ。
く、くすぐってーぞ。人の乳首を気安く弄るんじゃねーっての。
おわっ! 乳首を摘まむんじゃねーよォ!
「これでいいかな?」
げげー! 乳首が勃起しちまったァ!
何となく恥ずかしいなァ。感じちゃったみてーで。
刺激を受けると、乳首って勃起しちまうんだよなァ。
寒くて鳥肌がたっても、勃起しちまったりする。
これは女である以上、どうしようもねーんだ。
「ああ、いい感じに仕上がったよ。吉澤さんは?」
「これから顔だよ」
ピーチの顔って、どことなく地味なんだよなァ。
もっと、鼻を高くして、眼をパッチリさせてみるかな。
・・・・・・まるで別人になっちまったァ。
「描けたかな? それじゃ、見せっこしようか」
おお! さすがは美術の先生だなァ。
まるで、写真みてーに描いてるじゃねーかァ。
顔のホクロまで、忠実に描いてやがるぜ。
こうして見ると、私も満更じゃねーよ。
- 354 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/03/19(土) 22:56
- 「へえ、そっくりねえ」
「へっ?」
ピーチ、頭の中は大丈夫なのか?
うちの病院にMRIがあるから、診察して貰った方がいいよ。
これ、どう見ても、ジリアン=アンダーソンだぞ。
ちなみに、ジリアン=アンアーソンって女優は、
『X−ファイル』のスカリー特別捜査官なんだ。
ピーチとは、根本的に違う顔じゃねーか!
でも、こうした芸術系の人って、
どこかイッちゃってるのが多いんだよなァ。
「まあ、ちょっと外人っぽいけど」
ピーチが描いた私の絵は、まるで写真みてーだもんなァ。
それにしても、私って、こんなに綺麗なのか?
確かに美少女四人組の一人ではあるけど、
ほとんど冗談で言ってるだけだもんなァ。
でも、何で絵って、すげーきれいになるんだろう。
私を写真で撮っても、こんなにきれいじゃない。
「裸婦像のデッサンで、意外に難しいのは、乳首の表現なのよ」
ピーチは私が描いたデッサンに、手を加えて行く。
絵を立体的に見せるには、どうしても明暗を描かないといけない。
乳首は胸の頂点にあるわけだから、光の当たる場所って事だ。
それを、あまりリアルに描いちゃうと、妊婦の乳首みてーになっちまう。
- 355 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/03/19(土) 22:57
- 「唇と同じ感覚で、光沢を与えてやると、若さが表現出来るでしょう?」
私達は服を着た後、近代美術の裸婦像を見ながら研究した。
中世ヨーロッパの裸婦像が、いかにも写実的だったのに対し、
近代になると、『美』というものへの追求が垣間見られる。
それによって、ある程度の演出が、ところどころにあったりした。
「『叫び』で有名なムンクは、ロリコンだったのよ」
ムンクは画家としてより、版画家として有名なんだよなァ。
でも、じつに多くの裸婦像を描いている。
その中でも、十歳くらいの少女への執着が強い。
だからといって、ただの危険なオヤジじゃなくて、
少女の持つ幼さと色気、果ては処女性にこだわった。
「近代になると、こうした倒錯した作者が増えて来るのも事実」
「一般的には倒錯したように見えるけど、そこに『美』を見出せればいいじゃん」
「そうなの。その通りなのよ」
次にピーチは、ピカソのデッサン写真を見せてくれた。
ピカソっていうと、どうしても抽象画が有名なんだけど、
デッサンは超一流って感じがするなァ。
「抽象画の歴史は古いんだけど、近代アートの基礎になってるの」
近代アートは、ピカソよりも、もっと抽象的な作品が多い。
つまり、より思想的・比喩的な要素が強くなったと言える。
例えば、ピカソの『泣く女』では、左右の横顔を描くには、
ああした描き方しか無かったからなんだよなァ。
- 356 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/03/19(土) 22:57
- 「それじゃあさァ。アニメーションってのは?」
「アニメーションを語るには、漫画を理解しないと駄目」
漫画の歴史も古いんだよなァ。
確か、平安時代に書かれた『鳥獣戯画』が発祥だったっけか?
その後、絵本。つまり、描写を具体的に表現したものが出来たんだ。
それは、どこの国でも、同じような経緯があるらしい。
日本では田河水包が『のらくろ』で第一次漫画ブームを呼ぶ。
その後、手塚治虫が、爆発的な人気を呼んだんだ。
「登場人物に会話させることで、より細かい描写が可能になったのが漫画」
「そうか。絵と台詞の両方だもんね」
漫画の世界は、一人称・三人称にとらわれず、色々な描写が可能になったんだ。
言い換えれば、小説と映画をドッキングさせたようなもの。
だから、そこからアニメーションに行くのは、ごく自然な事だったんだね。
漫画からアニメに変わったんだから、最初は子供が観るものだった。
でも、最近じゃジャンルが増えて、大人用のアニメも少なくない。
中にはエロアニメなんてのもあって、危ない連中の必需品だそうだ。
「大戦後、アニメの先進国はアメリカだったの」
「ええっ! 今じゃ日本が最先端じゃねーの?」
アメリカのやり方は、数万枚も絵を描いて、撮影して行く方法。
それに対して、日本では手塚治虫が画期的なアイデアを出したんだ。
それが、背景にキャラを書いたセル画を乗せ、更に口を動かすセル画を乗せたもの。
この方式のお陰で、アニメの大量生産が始まったんだよなァ。
- 357 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/03/19(土) 22:58
- 「日本のセル画だと、細かい動きが制限されたの」
「成る程。ディズニーと手塚の競争が始まったわけだ」
莫大な予算をかけるディズニーに対し、手塚治虫は低予算で創作したんだ。
だからこそ、手塚治虫ってのは偉大なんだよなァ。
手塚治虫が、日本のアニメの礎を築いて、宮崎駿が芸術の域に押し上げた。
最近じゃ、CGを使うアニメも多くなって来たよなァ。
今やアニメも、コンピュータで作る時代になっちまった。
「で、補習の続きなんだけど」
「って、まだあるの?」
「当たり前でしょう? これ、国立近代美術館の招待券」
ピーチは私に、二名様まで無料っていう招待券をくれた。
まあ、いくら近代美術館とはいえ、国立だから入館料なんて安いもんだけどね。
これを、どうしろっていうんだろうなァ。まさか金券ショップで現金に?
そんなわけねーよなァ。どうせ、また感想文でも書かせるんだろう。
「これで、気に入った作品のレポートを提出して」
「やっぱり、そう来たかよ」
国立近代美術館って、上野だったっけ?
そういえば、なっちが修学旅行に東京見物するって言ってたけど、
そのコースに、国立近代美術館を入れて貰えばOKじゃん。
上野っていえば、動物園があったけかなァ。
日中友好条約で角さんが、パンダを連れて来たんだっけ。
中国は今、バブルだからなァ。このまま続くのかなァ。
じきに、日本人が上海あたりに、出稼ぎに行くかもしれないな。
- 358 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/03/19(土) 22:58
- 「吉澤さん、この絵、色塗っていいかしら?」
「えっ? ちょっと恥ずかしいなァ」
一応、十八歳未満じゃねーから、児童ポルノにはならねーけど。
ただ、芸術とポルノの境界ってのは、いったいどこにあるんだろう。
事実、純文学なんていっても、実際はエロ小説と大差ないわけだし。
有名な文豪の小説だって、エロなのは山ほどあるんだよなァ。
「これ、今度の展覧会に出品したいのよ」
「展覧会!」
待ってくれよォ。いくら絵とはいえ、私の裸を公表するのかァ?
ところでさ。ピーチは、何で私なんだろうなァ。
梨華ちゃんやごっちんの方が、綺麗だと思うけどね。
顔じゃねーぞ。身体の事だからな。
「吉澤さんの身体、凄く綺麗だと思うから」
「そんな。お世辞はいいよ」
私には判ってる。私の身体なんて、絶対に美しくない。
だって、私自身、梨華ちゃんやごっちんの方に『美』を感じるし。
「お世辞じゃないわ。素敵よ」
「アハハハハ・・・・・・何か照れくせーなァ」
「ボーイッシュでありながら、色気のある少女がいいのよ」
私に色気があるとは思わないけど、誉められて嫌な気はしねーなァ。
まあ、展覧会にでも博覧会にでも出品してくれよ。
どうせ、私に似てるってだけで、どこの誰だか判らねーわけだし。
でも、こんな補習授業で助かったぜ。ちょっと恥ずかしかったけど。
- 359 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/03/19(土) 23:00
- 今宵はこれにて失礼致します。
次回からは、なっち&よっCの修学旅行です。
- 360 名前:ふぇいく 投稿日:2005/03/20(日) 21:00
- 更新お疲れさまです。
修学旅行編、楽しみにしてます!!
- 361 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/03/26(土) 20:30
- >>360
ありがとうございます。こうしたレスは励みになりますね。
今後もひとつ、宜しくお願い致します。
まだ、修学旅行編の最初しか書けてませんが、
何とか週一で更新出来ればと思います。
- 362 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/03/26(土) 20:33
- 〔修学旅行・1〕
さてと、試験休みと連休を利用して、なっちと一緒に東京見物だ。
小田原に行くには、南下して港北ICから東名に乗る。
厚木で高速を降りて、小田原・厚木道路を行けばいいんだ。
小田原っていえば、『鈴廣』のカマボコが有名だよなァ。
どうせだから、温泉旅館に一泊なんていいと思うけどね。
「小田原までは、ロマンスカーで行くべさ」
「何でクルマじゃねーの?」
「時間が無いんだべよ」
新宿から小田急で、小田原まで行くらしい。
そこで小田原城見物をして、東京にとんぼ返り。
まァ、ロマンスカーなら、新宿から一時間ちょっとで小田原に着く。
なっちの計画によると、そのまま国会図書館らしい。
確かに国会図書館っていえば、日本中の文献が集まってる。
日本史の勉強をするには、ちょうどいいのかもしれねーなァ。
「新宿発、七時のロマンスカーだから、六時には家を出るべさ」
「げげー! そんなに早いわけ?」
六時に家を出るって事は、五時半には起きねーとなァ。
そんなに早く起きる事なんて、生まれて初めてだぞ。
まあいいや。どうせ、なっちが起こしてくれるだろうし。
それに、ロマンスカーの中で寝ていけばいいしよ。
ところで、旅行資金は、どこから出て来るんだろう。
なっちは、そんなにカネを持ってねーみてーだし。
- 363 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/03/26(土) 20:34
- 「なっちさん。旅行の費用はどうするの?」
「おじさんから貰ったべさ。計画を話したら、宿泊先の手配までしてくれたべよ」
オヤジ、やっぱり金持ちなんだなァ。
医者ってのは、そんなに儲かる商売なのか。
確かに儲かるだろうけど、人の命を左右するからなァ。
責任重大な仕事なのは、まあ間違いないだろうけど。
「それじゃ、旅行の支度はいいべか? 二泊三日だからね」
この季節、そんなに汗をかくわけでもねーし、下着を日数分と、
スウェットの上下でも持って行けばいいだろうなァ。
ところで、宿泊先ってどこなんだろう。東京はビジネスホテルかァ?
「なっちさん、宿泊先ってどこよ」
「えーと、赤坂プリンスホテルと帝国ホテルだべねえ。
ロイヤルスウィートって書いてあるけど、どんな部屋なんだべかね」
「すげー!」
赤プリと帝国ホテルのロイヤルスウィートルームかよ。
まあ、一泊数十万だろうなァ。二泊なら百万近いかも。
こんなホテルのロイヤルスウィートに泊まるなんて、
超有名な外タレか、国賓クラスだぞ。
「何が凄いんだべか?」
「今回の旅行費用、パートさんの年収並だよ」
パートさんはダンナの扶養範囲でやりたがるから、
年収で百三十二万円未満なんだよなァ。
時給が千円って計算すると、千三百二十時間しか働けない。
二百日ちょっと出勤すれば、一日六時間の労働時間って事になる。
- 364 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/03/26(土) 20:35
- 「そそそそ・・・・・・そんな大金なんだべかァァァァァァァァー!」
「そりゃそうだよ。だって赤プリと帝国ホテルのスウィートだろ?」
スウィートルームってのは、『甘い部屋』って意味じゃなくて、
寝室とリビングのある部屋っていう意味なんだよなァ。
まあ、超豪華な部屋には間違いないってとこだ。
私だって、スウィートに泊まった事なんてねーもん。
「そういえば、小田原からの帰りは、新幹線のグリーン車だべさ」
そうかァ。ここから小田原に行くんだったら、小田急でもいいんだけどね。
永田町に行くんだったら、東京駅から地下鉄を使った方がいい。
そうなると、やっぱり新幹線を使った方が早いだろうなァ。
しかし、オヤジも見栄っぱりだぜ。小田原からグリーン車とは。
「二日目の予定は?」
「近代美術館と、皇居周辺の散策だべさ」
「三日目は?」
「江戸風俗歴史館」
おお、これで、江戸の歴史から文化がサポート出来るんだなァ。
小田原から調べるってのは、家康の江戸移封の条件だからね。
三河・遠江・駿河を領地にしてた家康は、秀吉に煙たがられ、
遠く関東に改易って事になったんだよなァ。
「それじゃ、明日は早いから、もう寝るべさ」
なっちと一緒に修学旅行なんて、すげーワクワクするぜ。
困ったなァ。興奮して眠れそうもねーや。
とりあえず、旅行の支度でもするかァ。
- 365 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/03/26(土) 20:38
- 翌日、私がなっちに起こされたのは、五時を少し過ぎた頃だった。
まだ、ようやく東の空が明るくなってる頃で、まだ空には暁の明星・火星が輝いてる。
私が眠い眼を擦りながらダイニングに行くと、なっちは朝食の準備をしてる最中だった。
「よっC、目玉焼きのお皿を出して欲しいべさ」
ったく、なっちは朝からよくやるよ。
コンビニでサンドイッチでも買って行けばいいのに。
私だったら、絶対にそうするなァ。
だって、朝食を作るなんて時間が勿体無いもん。
その分、一分一秒でも眠ってたいし。
泣く子も萌える女子高生ってのは、眠い生き物なんだ。
「はいはい。これでいいかなァ」
今日の朝飯は、目玉焼きにハムサラダ、漬物と豆腐の味噌汁だ。
なっちの料理は美味いから、こいつは朝から二杯は食えるぞ。
そんなに食っちまったら、デブになっちまうっての。
ああ、いい匂いだなァ。くそっ! ブタになってやるよ!
「今日は小田原城と箱根の関所見学だべよ」
「昼はどこで食べる? やっぱり小田原? 」
「地魚の美味しいお店があるらしいべさ。そこにしようよ」
やったー! 地魚は高級魚に無い美味さがあるんだよなァ。
しかし、魚ってのは、煮たり焼いたり揚げたり蒸したりする。
おまけに、生で食べても寿司にしても味わえる食材なんだ。
こういった食文化を持つのは、日本人だけなわけだしね。
ああ、私は日本人に生まれて来てよかったなァ。
- 366 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/03/26(土) 20:39
- 「さあ出来たべさ。いただきまーす」
なっちは白菜の漬物まで作ってる。
塩と唐辛子だけで、こんなに美味しいものが作れるんだなァ。
きっと欧米の人間には、思いもよらない食べ物だぜ。
欧米人は基本的に狩猟民族だからなァ。
まあ、小麦や大麦も栽培してたけど、
日本人の米みてーな感覚じゃねーわけだし。
「なっちさんの漬物、すげー美味い」
「そう? よかったべさ」
ニッコリと笑うなっちは、すげー可愛い。
美味しいよ。マジで美味しい。
朝から温かいご飯を食べられるなんて、
私は幸せな人間なのかもしれない。
これまで、私の朝飯なんてコーンフレークだったもんなァ。
「ふー、食った食った」
「それじゃ、片付けて出掛けるべさ」
私達はオヤジとオフクロの食事を用意すると、
食器洗い機に入れて出発の準備を始めた。
どうせ二、三泊だから、着替えなんて少なくていい。
梨華ちゃんみてーに、売る程持ってなんか行かねーよ。
宿泊先にはドライヤーからタオルまであるから、
私の荷物なんてバーキンのバッグひとつだけだぜ。
なっちにしても、お洒落なバッグだけだしね。
こうしたとこで、旅に慣れた人の差が出るんだ。
- 367 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/03/26(土) 20:41
- 「なっちさんは、お化粧しないの?」
「そんな派手な化粧なんて必要無いべさ」
なっちはいつも、EVカットローションとリップクリームだけ。
色白だから、唇に少し赤味が差すと、凄く綺麗に見える。
童顔だし、なっちは可愛くていいなァ。
「よっCだって、ほとんどスッピンっしょ?」
「そりゃ、オレは高校生だもん」
って言っても、今の女子高生は派手な化粧が当たり前。
以前みてーに、ヤマンバギャルは見掛けなくなったけどなァ。
そういえば、聖ダルセーニョ学園じゃ、化粧の濃いやつはいねーぞ。
まあ、校則で化粧は禁止されてるけど、そんな事でうるさい教師はいない。
裕ちゃんや石黒先生、保田先生やピーチも、かなり厚化粧だしなァ。
教師が派手な化粧してちゃ、生徒に注意なんて出来ねーよ。
「眉や無駄毛の処理は、お洒落っていうか身だしなみだべさ」
男の人が髭を剃るのと同じってわけだな?
さてと、私は茶のブラウスにモスグリーンのパンツ。
上着はベージュのショートにしたんだけど。
・・・・・・なっち、まさかその格好で行くのかァ?
「な、なっちさん。着替えないの?」
「ほえ?」
色あせたジーンズにミッキーマウスのトレーナー、
上着は背中にキティちゃんの入った薄手の赤いジャンバー。
まさか、それで帝国ホテルのロイヤルスウィートに?
- 368 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/03/26(土) 20:41
- 「これじゃ、おかしいべか? なっちは普段着だよ」
「なっちさん、帝国ホテルのロイヤルスウィートに泊まるんだからさァ」
私はなっちの部屋に連れ込んで、とにかく恥ずかしくない服を選んだ。
散策するんだから、スカートよりパンツじゃねーとなァ。
ったく、なっちはジーンズしかパンツがねーのかよ!
あった! ベージュのパンツがあるじゃねーか。
これに黒のコットン生地のタートルネック。
白のカーディガンで、少しはアダルトな感じになった。
「こんな地味な服なんだべか? 可愛くないよ」
「これでいいんだよっ!」
唇を尖らすなっちの手を引き、私は大急ぎで出掛けた。
まあ、ホテルはどんな格好でもいいんだけど。
一応、それなりの格好をするのがステータスだっての。
「一流ホテルって、何か面倒だべねえ」
「民宿とは違うっての!」
「宿には変わりないんじゃないべか?」
「ランクってものがあるんだよっ!」
そういえば、今日の夕食は、帝国ホテルのレストランでフランス料理だぞ。
なっち、フランス料理のマナーなんて判るのかなァ。
判らなかったら、私が教えればいいか? それも恥ずかしいけどね。
どうせなら、ルームサービスにしちまおうかなァ。
それだったら、なっちが恥じをかく事もねーわけだし。
オヤジもアフォだよなァ。せめて中華料理や和食にすりゃいいのに。
箸さえ使えれば、だいたい恥ずかしい事はねーからよ。
- 369 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/03/26(土) 20:45
- 「さすがに、この時間は空いてるなァ」
やっぱり、中央線のラッシュアワーは七時からだ。
六時ちょい過ぎの中央線は、嵐の前の静けさみてーな感じ。
さすがに座れはしねーけど、立ってる人は一両に数人。
予定で行けば、新宿駅に六時四十五分に到着する。
これなら、小田急ロマンスカーはこね1号で、
小田原まで一時間と少しってわけだなァ。
「ロマンスカーは指定席だから、これで予習しとくべさ」
「予習?」
ロマンスカーなんだぜ。ロマンスカー。
小田急なんていったら、昭和初期から歌にあるくれーだ。
佐藤千夜子の『東京行進曲』で、「いっそ小田急で逃げましょうか」
なんて歌詞があったくれーだからよ。
ちなみに『ちよこ』じゃなくて『ちやこ』って読むんだ。
でも、何で私がそんな事なんて知ってるんだろう。
当時の若者はジャズで踊ってリキュールを飲んだそうだ。
そんなこたーいいからよ。小田原の何を予習しりゃいいんだァ?
「よっCは後北条家は知ってるべか?」
「早雲・氏綱・氏康・氏政・氏直が当主だっけか?」
早雲は汚い手を使って、堀越公方を乗っ取った。
そうして伊豆に手を広げて、東に進出したんだよなァ。
人のいい大森氏を騙して、小田原城を攻略しちまった。
何で西に進出しなかったのかというと、そこには今川氏がいた。
頭のいい早雲は、今川氏と和睦して、群雄割拠だった関東平野統一を目論んだ。
- 370 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/03/26(土) 20:45
- 「最大規模を誇ったのが、三代目・氏康の時なんだべさ」
氏康は狡猾な策略を駆使して、関東地方の豪族達を懐柔して行く。
こうして一五六〇年頃には、関東の八割を制覇したんだったななァ。
氏康は謙信や信玄に小田原を攻められるけど、何とか追い払ってる。
扇谷上杉氏を駆逐すると、関東の覇者になったわけだ。
「小田原城は日本一の堅城だったんだべよ」
「堅城? 高天神城や小谷城よりも?」
なっちは私に国土地理院作成の地形図を見せた。
五万分の一の地形図だったけど、小田原の様子が判る。
縮小コピーされた地形図には、マーカーペンで何やら書いてあった。
「一口に小田原城って言っても、当時はメトロポリスだったべさ」
「メトロポリス?」
「ピンクのマーカーで囲ったのが、当時の居城だべね」
へえ、意外に小さいんだなァ。
当時は水堀が珍しくて、ほとんどが空掘だった。
今でも国道一号線沿いにある山中城跡の空堀は有名。
寄せ手を空堀で立ち往生させて、弓や鉄砲で狙い撃つんだ。
「ここに篭城するのは、ほとんど最終手段だべね」
なっちは城の施設を詳しく教えてくれた。
櫓や馬場、大手門に搦め手、二の丸三の丸、そして本丸。
城っていうと天守閣が有名だけど、ここは当時、武器庫として使われたらしい。
北条氏は氏康の代になると、大量の鉄砲を購入してる。
それを土塀の銃眼から狙撃するのが戦法だったそうだ。
- 371 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/03/26(土) 20:47
- 「この緑のマーカーは武家屋敷を含むエリアだべさ」
当然ながら、武家屋敷も要塞化されてるんだよなァ。
本城に辿り着くまでには、この武家屋敷を撃破してーと。
まあ、ここまで攻め込んだのは、豊臣秀吉くれーなもんだ。
「この蒼い線は、小田原の外郭を示してるんだべよ」
「げげー! 小田原城って、こんなに大きかったのかァ」
武家屋敷の周囲には、大きな農家点在しており、
敵に攻められても、ここで数年は篭城する事が可能なのか。
だから上杉謙信や武田信玄に攻められても、
決して落城する事がなかったんだ。
「北条氏は本城である小田原城の支城、更に、その出城を持ってたんだべさ」
いわゆる、戦術的ネットワークってやつだな?
有名なところじゃ、鎌倉近くの玉縄城、津久井城なんかが支城で、
箱根十城、滝山城、小松城なんかが出城ってわけだ。
敵に動きがあると、狼煙や早馬で連絡をしたって話。
「早馬っていっても、乗り継がないといけないじゃん」
「そうだべさ。だから、『駅』ってものが出来たの」
北条氏は小田原へ続く街道に、馬を乗り継ぐための『駅』を設けた。
具体的な内容は、早馬じゃねーと判んないだろうしなァ。
氏康は今川・武田と同盟を結んだけど、越後の上杉氏や、
常陸の佐竹氏といった敵がいたわけだしね。
それに、いくら同盟して人質を出したところで、
そんなものは破られるのが当たり前の世の中だった。
- 372 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/03/26(土) 20:48
- なんて話をしてると、もう新宿に着いちまった。
都庁が移転してから、新宿はこれまで以上に混雑する。
いくら道路を広げても、それは焼け石に水といった状態。
死んだじいちゃんの話じゃ、昭和四十年代頃までは、
西新宿なんか、開発途中の原っぱだったって話だ。
そんな中、今じゃ土地が無くなっちまって、
小田急や京王といった近郊線は、地下に駅を増設して行った。
「えーと、小田急は・・・・・・」
「なっちさん、こっちだよ」
この切符は、JRと小田急、両方使えるから、連絡口から入ればいい。
しかも、ロマンスカーの指定席だ。・・・・・・あれ? 全席指定だっけか?
ロマンスカーに乗るには、特急券が必要だけど、もう前払いしてある。
そんなにキョロキョロしてると、田舎者だってバレバレだよ。
「ああっ! よっC! ロマンスカーだべさ!」
そんなに興奮する事なのかァ?
まあ、アイボリーに青い線の一般車輌よりは、
いくらか高級そうなイメージはあるけどよ。
私としては、700系新幹線の方が興奮するけどなァ。
「『はこね1号』か・・・・・・。電光掲示板から行くと、これがそうみてーだなァ」
それにしても、京王だってそうだけど、小田急は路線が複雑なんだよなァ。
『小田急』ってくれーだから、小田原まで行けばいいのによ。
唐木田行きとか箱根湯本行き、小田急江ノ島行きなんてのがある。
おまけに営団地下鉄・千代田線からJRにまで連結してるから始末が悪い。
近郊線だと東急みてーに、判りやすくすりゃいいのになァ。
- 373 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/03/26(土) 20:49
- 「六号車は・・・・・・あったべさっ!」
「特急券を拝見致します」
ったく、私鉄だってのに特急料金なんか取りやがってよ。
地下鉄や東急、京王、京浜急行なんか、特急料金なんていらねーぞ。
まァ、JRみたく馬鹿高くはねーけどなァ。
「特急券だべね? 特急券・・・・・・とととと・・・・・・特急券が無いべさァァァァァァァー!」
慌てふためくなっちは、涙目になりながらバッグの中を探す。
さすがにこれには、私も駅員も大爆笑になっちまった。
駅の自販機で買う以外、乗車券と特急券は一枚のチケットだから。
なっちは電車に乗るのが慣れてねーんだなァ。
「どどどどどど・・・・・・どうしよう。わ、忘れて来たみたいだべさ」
「くくくくくく・・・・・・このチケットでOKですよ」
駅員はこの珍客に、笑いを押し殺しながら言う。
唖然とするなっちは、放心状態で腰が砕けちまった。
これを目撃した他の乗客達も、笑いを我慢している。
私は可笑しさが醒めると、恥ずかしさが脳内を支配して行った。
「な、なっちさん。早く乗ろうよ」
私は茫然とするなっちを抱き支えながら、『はこね1号』に乗り込んだ。
なっちを窓際の席に着かせると、私は買ってきた缶コーヒーを手渡す。
とりあえず、コーヒーでも飲んで、リラックスさせねーと。
こいつは、なっちが正気に戻るまで、時間が掛かりそうだなァ。
それまで、私は小田原の予習でもしておくとするか。
- 374 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/03/26(土) 20:55
- 今宵はこれにて失礼致します。
これから、なっちとよっCの珍道中が始まります。
恥ずかしいですが、防塵マスクとスイミングゴーグル、花粉症の人にお勧めです。
でも、これでウォーキングすると、かなり怪しまれるので注意して下さい。
- 375 名前:激動の二学期 投稿日:2005/04/06(水) 19:41
- 〔修学旅行・2〕
小田原までは、ロマンスカーなら、ほんの一時間十六分。
私はなっちが作成した資料を読みながら、小田原の歴史を予習した。
北条氏は秀吉に攻められて滅亡。その後、大久保忠世が小田原を所領とする。
二代目・忠隣は京都出張中に、本多忠純の策略で所領没収になったとか。
ちなみに、忠隣は彦左衛門(忠教)の叔父に当たるが、二歳年下だったとか。
江戸幕府が順調になると、小田原は宿場町として栄えたんだよなァ。
やっぱり、箱根越えをするのに、小田原で一泊するのが普通だったらしい。
そうなると、風俗関係も発達し、岡場所や飯盛り女といった売春も横行した。
「風俗か・・・・・・。当時は混浴が当たり前だったんだよなァ」
ヨーロッパでは、風呂場内での売春が横行したから、混浴禁止になった国もある。
日本でも高級旅館とかなると、現代のソープランドみてーな事もしてたのかなァ。
さーて、小田原といえば、鈴廣のカマボコと箱根の関所が有名だったっけ。
関東平野は山に囲まれた大要塞みてーなもんだから、
こうした関所を設けて、厳重に取り締まりを行ったんだよなァ。
『入り鉄砲に出女』なんて、キャッチフレーズがあったっけ。
これは、大名の江戸屋敷に鉄砲を持ち込んで謀叛を防止するのと、
人質になってる大名の奥方を逃がさないようにしたんだよなァ。
でも、結果的には、効果があったとは思われないようだ。
「なっちさん。実際に『入り鉄砲に出女』ってあったの?」
江戸に鉄砲を持ち込む事は、藩を取り潰すくれー大罪だったそうだ。
松の廊下での刃傷沙汰どころの話じゃなかったんだなァ。
それに、人質を逃がしちまうと、謀叛しやすくなっちまったわけだし。
関所の役人は、大名の奥方の顔を知らねーといけないんだろうね。
- 376 名前:激動の二学期 投稿日:2005/04/06(水) 19:42
- 「あるわけないっしょ。たまに関所破りがあったらしいけど」
関所破りの多くは、通行手形を持てっない人達だったらしい。
そのほとんどが、道に迷ったという事で処理されてる。
実際に取り締まってたのは、『入り鉄砲に出女』なわけで、
通行手形を貰えない身分の人や、一般人には寛容だったそうだ。
中には処刑された人もいたらしいけど、それは全国指名手配中の凶悪犯。
あとは、取調べに時間を掛けて、チップを要求する役人も多かったらしい。
まるで、どこかの国の税関みてーな話だよなァ。
「さて、そろそろ小田原だべよ。午前中に小田原城を見学して、午後は関所見学だべさ」
私達は小田原で降りると、徒歩で小田原城に向かった。
今じゃ都会の小田原も、昔は宿場町だったんだなァ。
おっと、鈴廣の看板じゃねーか! こいつはカマボコを買って帰らねーと。
小田原なんていうと、カマボコの博物館まであるから面白い。
そういえば、小田原は円筒形の提灯も有名だったっけ。
急ぎで、どうしても夜に箱根を越える人が愛用したらしいなァ。
「小田原城は九時からだべさ。マックでシェイクでも飲むべさ」
そうだよなァ。小田原城までは、駅から歩いて十分もあれば着く。
でも、シェイクって、意外に吸引力が必要なんだよね。
私達はマックに入って、シェイクを飲みながら予習をした。
そもそも、火山灰質である関東平野の赤土は稲作に不向きで、
利根川の洪積地くらいしか使い物にならなかったらしい。
だから、古くから『牧』といって、馬を生産してたんだよなァ。
秀吉が家康を関東に移封したのは、閉じ込めるためだったらしい。
だけど、家康は経営能力を発揮して、枯れた土地を肥沃な大地にしたんだ。
- 377 名前:激動の二学期 投稿日:2005/04/06(水) 19:43
- 「秀吉は、それほど家康を怖がっていたんだべよ」
信長の死後、越中(今の富山県)にいた佐々成政は、
厳寒のアルプス越えをして、家康を説得したんだった。
プライドの高い佐々成政にしてみれば、成り上がり者の秀吉には、
どうしても天下を渡したくなかったみたいだね。
有耶無耶で終わった小牧・長久手の戦いは、
家康が晩年まで「あれは勝ち戦だった」って言ってたらしい。
家康っていえば、どうしても呑気なイメージがあるんだけど、
短気だから時間の掛かる攻城戦を避け、野戦ばかりしてたって話だ。
そのせいか、野戦にかけては絶対的な自信を持つようになった。
「それより、小田原城の資料館には、色んな物があるべよ」
そうだよなァ。小田原城っていえば、六百年近い歴史があるからよ。
室町・戦国・江戸と、多くの城主が統治を行った城なんだ。
現在の小田原城は、昭和になって再建したコンクリート製。
っていっても、天守閣だけで、他は公園になってるんだよなァ。
藩幕体制が整うと、一国一城令によって、城を持てない大名もいた。
つまり、城ってのは要塞だから、篭城出来なくしたんだよね。
「ところでさァ。今日の予定は?」
「午前中が小田原城と資料館。午後からは箱根の関所だべね」
っていうか、当たり前過ぎて、ちょっとつまんない。
確かに戦国から江戸時代を学習するにはいいんだけどね。
とりあえず、私はカマボコを買いたいんだけどなァ。
小田原まで来てカマボコを買わなきゃ、
京都に行って生八つ橋を買わないのと同じだからよ。
- 378 名前:激動の二学期 投稿日:2005/04/06(水) 19:44
- 私達はマックで時間を潰し、それから小田原城に向かった。
秋の小田原は、とっても過ごし易い陽気だよなァ。
千葉県みてーに、雨ばっかり降らねーしよ。
ただし、ここにはホッサマグナっていう活断層がある。
確か三つのプレートが、ここらでぶつかり合ってるんだっけ。
そいつが暴れれば、こんな町は壊滅しちまうだろう。
チャールトン=ヘストン主演の『大地震』なんて映画があったなァ。
「桜の木が多いなァ。春は満開だろうーね」
小田原城公園には、実に多くのソメイヨシノがあった。
春になれば、薄ピンク色の花を一面に咲かせるんだろう。
日本の国花でもある桜。だから好きなわけじゃない。
でも私は、薄ピンク色のソメイヨシノが大好きだった。
そうだ! 桜が咲いたら、みんなで花見でもしてーなァ。
「大人二枚」
なっちは資料館の入場料を払う。
オヤジから私を頼まれ、小遣いを貰っているらしい。
どこか故淡谷のり子みてーな顔したおばさんが、
仏頂面を少しだけ綻ばせながら、なっちに入場券を手渡した。
「さあ、入ってみるべさ」
なっちと一緒に、資料館の中へと入って行く。
そういえば、北条氏の家紋は、どこかのガス屋みてーだったなァ。
その家紋の入った幟が、威嚇するように私達を出迎えていた。
そういえば、織田家は織田木瓜、徳川家は三つ葉葵だったっけ。
- 379 名前:激動の二学期 投稿日:2005/04/06(水) 19:45
- 「鎌倉時代の北条氏と後北条氏は、基本的に別なんだべよ」
鎌倉時代の北条氏といえば、執権だから偉い地位にあった。
伊勢新九郎こと早雲は、伊豆にいた北条氏縁者とねんごろになり、
韮山城を攻め取ってから、北条氏を名乗るようになったらしい。
戦国時代・三大梟雄の一人だけあって、どこか胡散臭い感じがするぜぇ。
それでも戦国時代、百年近くも関東の覇者として君臨した大名の始祖。
ただの悪党じゃなかったってわけだなァ。
「これが戦国時代の槍かァ。なげーなァ」
二間半っていうから、約四メートル五十センチもある。
なっちの身長が百五十二センチだから、だいたい三倍もあるのかァ。
これでも、戦国時代の槍にしては短い方だったらしい。
織田信長が使わせた槍は三間半だから、約六メートル三十センチだもんね。
しかも、信長は半農半兵じゃなくて、プロの傭兵を雇ってたから、
その長い槍で、最初から突撃させたんだよなァ。
最初は槍で殴り合い、死人が出てから突き合いが始まるなんて、
まどろっこしい事なんか、信長は嫌いだったんだろうね。
「おっ、火縄銃もあるじゃねーかァ」
種子島に伝えられた鉄砲は、瞬く間に日本中に広まった。
それというのも、器用な日本人は、ポルトガル製の鉄砲をコピーしたらしい。
日本人のすげーとこは、単純にコピーするだけじゃなくて、
改良や工夫を通して、新製品を開発して行くとこなんだよなァ。
自動車やバイクなんか、発明したのは日本人じゃないのに、
今や世界各国に輸出されてるわけだしね。
家電製品しかり、半導体しかり。
日本人って優秀な民族だったんだなァ。
- 380 名前:激動の二学期 投稿日:2005/04/06(水) 19:46
- 「よっC、貴重な文献も見るべさ」
何か変色した和紙に、墨で字が書いてあるけど、私に読めるものじゃねーや。
ただ、武田信玄入道晴信って書いてあるのだけは、何とか解読する事が出来た。
それと、最後にある絵文字みてーのは、花押っていうんだよなァ。
本人が書いたっていう証拠になるんだったけか?
伊達政宗が花押の鶺鴒の眼に開けた穴の逸話があったっけ。
「これは?」
「武田信玄が北条氏康に宛てたもの。何かの礼状だべね」
古語の文語体で、しかも達筆で書かれちゃ読めねーよ。
せめて楷書かゴシック体で書いてくれりゃ、まだ読めなくはねーけど。
いくら国語と社会が得意でも、私はあくまで理数系だからなァ。
ってなわけで、私には文書なんかより、武器や防具の方に興味がある。
退屈な文献なんか読んでられねーっての。
おお! あれは野太刀じゃねーか。
「なっちさん、すげー刀だね」
合戦で使う刀は、江戸時代の武士が腰にしてるようなもんじゃない。
鉄や堅木で出来た鎧兜に対抗するんだから、それなりに丈夫なもんが必要なんだ。
そこで、騎馬武者ともなると、野太刀っていう頑丈な刀を持ってる。
しかも、刃渡りが百二十センチくれーの、凄まじく長いものらしい。
長いだけじゃなくて、刃も分厚いから、えらい重さなんだろう。
そんな刀でも、鎖帷子なんかを斬り付ければ、やっぱり刃こぼれしちまう。
おまけに、敵の血糊で滑りやすくなるから、一本だけじゃ足りやしない。
だから、常に騎馬武者の傍には、数本の野太刀を持った身分の低い、
その名も『太刀持ち』っていうのが付いていたそうだ。
- 381 名前:激動の二学期 投稿日:2005/04/06(水) 19:47
- 「ああ、あれは長巻っていうんだべさ」
「長巻?」
『長巻』っていうのは、初めて聞いた名前だなァ。
野太刀とは、どういったとこが違うんだろう。
見たところ、野太刀の柄が付いてねーやつみたいだし。
「これに、三尺の柄を付けたものだべよ」
一尺が約三十センチだから、意外と計算は楽なんだよね。
これがインチだのフィートになると厄介なんだよなァ。
欧米は十進法じゃなくて十二進法だからよ。
「三尺っていうと、九十センチ?」
「重い刃を扱い易くするためだべさ」
百二十センチもある分厚い鉄に、三十センチくれーの柄だったら、
それこそ重くて仕方ねーわけなんだよなァ。
腕力のある猛者ならいいけど、蛋白質不足だった当時、
そんなに力が強いやつばかりじゃねーはずだ。
そういった場合、支点と力点、つまり梃子の原理で解決出来る。
どうも理数系だから、そういった考えになっちまうんだよなァ。
「へえ、そいつは道理にかなってる」
しかし、柄と合わせて二メートル以上もある武器を扱うのは大変だろうなァ。
しかも、馬に跨った状態で、両手を使うわけだもんね。
罪人の首を刎ねたのも、本当は長巻だったのかもしれねーなァ。
一瞬にして首を刎ねた場合、一瞬だけ激痛がして終わりらしい。
とにかく、大量の酸素を必要とする脳が、一気に酸欠になるんだから。
- 382 名前:激動の二学期 投稿日:2005/04/06(水) 19:49
- 私達は資料館を出て小田原城を見物した後、なっちが調べた店で昼食を摂った。
かなりの歴史を持つ料亭らしくて、落ち着いた風情の中にも高級感がある。
手入れの行き届いた庭には、鹿威しが情緒のある音をひびかせてるし、
部屋に飾られた壷や掛軸も、それなりのものなんじゃねーかなァ。
こういったところは、かなり高いんじゃねーか? 私は金額を心配しちまった。
「なっちさん、ここ、高いんじゃないの?」
「どうだべねえ。金額を書いたメニューって物自体無いし」
なっちは場末の食堂感覚だけど、こういったとこは凄まじい金額じゃねーのかなァ。
私には腹黒い政治家が、裏金の話をするような場所に見える。
懐石料理ってわけじゃないけど、それに近い物が出て来るじゃねーか。
でも、料理が出て来ると、そんな事は頭から消えちまった。
「美味い!」
相模湾で捕れた近海物の魚介類に舌鼓を打ちながら、少しだけお酒も飲んでみる。
イシダイやシマアジ、カワハギ、イカの刺身に、カサゴの唐揚、キンメダイの煮物。
アワビのステーキ、サザエの壷焼き、トコブシの酒蒸しと来れば純米酒。
下戸のなっちはウーロン茶で、私は『丹沢山』を一合だけ飲んだ。
本当はもう一杯飲みたかったけど、これ以上はなっちが怒りそう。
「美味しかったべさー」
伊勢海老入りの味噌汁とシジミの炊き込み御飯に続いて、
小さな器にちょこっとだけ餡蜜が出た。
デザートが出たって事は、これで料理は終わり。
甘さを抑えた餡蜜で、寒天が口の中を爽やかにしてくれる。
これに、少しだけアイスがあるといいと思った。
クリーム餡蜜は、私となっちの大好物だからね。
- 383 名前:激動の二学期 投稿日:2005/04/06(水) 19:51
- 「失礼致します」
派手な和服を着た中年の女性が来た。
きっと、この料亭のおかみなんだろうなァ。
バッグを開けたなっちに、おかみは領収書を見せた。
なっちはニッコリ笑って、郵貯のカードを見せる。
いくら田舎者のなっちでも、多くの現金は持ち歩かない。
「承知致しました。では、お帰りの際に」
そう言うと、おかみは深々と頭を下げて部屋を出て行った。
デビットカード。預貯金のカードで買い物が出来るシステムらしい。
駄菓子屋なんかじゃ使えないけど、最近じゃブティックでも使える店が増えた。
こういった店が増えるといいんだよなァ。
やっぱり、女の子二人だけじゃ不安だしね。
「お腹が膨れたところで、箱根の関所に行くべさ」
「よっしゃー!」
なっちが支払いをしている間に、私は靴を履いて外で待ってた。
入る時は気が付かなかったけど、入口の左右に盛塩がしてある。
綺麗に手入れされたツツジの植木が、竹で出来た門にマッチしてた。
「意外に安かったべさ」
「幾らだったの?」
なっちは「一万二千六百円」と言いながら、私に領収書を見せた。
六百円は消費税だから、二人で一万二千円か。一人六千円。
でも、六千円にしては、かなり美味しかったし豪華だったなァ。
・・・・・・何かおかしいなァ。
- 384 名前:激動の二学期 投稿日:2005/04/06(水) 19:52
- 「なっちさん、これって十二万六千円じゃん」
「へっ?」
そうだろうなァ。あれだけ豪勢だったんだからよ。
銀座や築地の料亭じゃ、別に珍しい金額じゃねーけど、
この界隈にしては、かなり高級な店なんだろうなァ。
なっちは私から領収書を奪い取ると、蒼くなって数字を数え始めた。
「一、十、百、千、万・・・・・・じゅじゅじゅじゅじゅ・・・・・・十万!」
「そのくれーじゃねーかァ?」
「たたたたた・・・・・・大変だべさァァァァァァァァァァー!」
なっちは大慌てで、近くにあった郵便局に飛び込んだ。
私は意味が判らなくて、なっちから話を訊こうとする。
でも、パニック状態のなっちは、それどころじゃなかった。
ATMに飛び付くと、震えながら記帳ボタンを押す。
『通帳、又はカードを・・・・・・』
ATMの声が終わらない内に、なっちはカードを捩じ込んだ。
そして、暗証番号を押して、残高照会ボタンを何度も叩く。
ATMが行う作業を待つ間、なっちは泣きそうな顔をしてた。
「なっちさん、どうしたっていうの?」
「なっち、普通貯金には三万円くらいしか入ってないべさ」
たった三万円かよ。
あれ? でも、何で支払いが出来たんだろうなァ。
デビットカードって、預貯金額が少ないと支払えないはずだけど。
なっちの事だから、十万円くれー入れたの忘れてんじゃねーの?
- 385 名前:激動の二学期 投稿日:2005/04/06(水) 19:53
- 「定額貯金が減っちゃうんだべさ」
なっちは担保定額貯金の話をしてくれた。
通帳の後ろに定額貯金や定期貯金をしてると、
普通貯金がマイナスになると自動的に補填されるらしい。
こいつは便利な機能じゃねーか。
「もうじき満期なんだべよ」
もうじき満期って事は、平成六年くれーの貯金だから、
だいたい利子は三パーセント近いのかなァ。
定額貯金は半年複利だから百万も預ければ、
税金を引かれても百三十万にはなるって事か。
「出て来た! ・・・・・・ほえ?」
なっちの普通貯金には、百九十万円ほどの残高があった。
どうやら、オヤジかオフクロが、二百万円くれー入金してたらしい。
これだけあれば、二泊三日には充分な金額だよなァ。
鈴屋のカマボコを買っても、まだまだおつりが来るってもんだ。
「なっちさん、オヤジに費用を用意して貰ったんじゃないの?」
「アハハハハ・・・・・・。忘れてたべさ」
なっちのアフォ振りに、私は口を開けたまま唖然としてた。
見れば妙に新しいカードじゃねーかオイ。
デビットで支払いなんて、初めてじゃなかったのか?
ATMは『ぱるる』になってるのかよ!
もしかして、古い緑色の総合通帳じゃねーのかァ?
どうなんだよ! アアン!
- 386 名前:激動の二学期 投稿日:2005/04/06(水) 20:11
- >>385
× 鈴屋のカマボコを買っても、まだまだおつりが来るってもんだ。
○ 鈴廣のカマボコを買っても、まだまだおつりが来るってもんだ。
すみませんでした。
- 387 名前:激動の二学期 投稿日:2005/04/08(金) 21:31
- 〔修学旅行・3〕
しかし、何で小田原城にゾウやサル、孔雀がいるんだァ?
まァ、ここは城址っていうよりか、全体が公園になっちまってる。
堀なんかもあるけど、戦国時代の面影なんて全くねーし。
中世史ヲタの私としては、あんまり面白くはなかった。
復元した天守閣なんて、味気も素気もねーしよ。
「なっちさん、このバスに乗るの?」
箱根なのに、なぜか西武系のバスで、ボディにはレオの顔が描かれてる。
そういえばバブルの頃、西武グループが箱根にリゾート施設を乱立させたんだっけ。
確かパブリック専門のゴルフ場や、観光ホテル、貸し別荘なんかだったなァ。
それまで、ゴルフ場ってのは会員制で、接待の場としての役割が大きかった。
それを、誰でも気軽に利用出来るようにしたのは、革新的な事だったんだ。
「そうだべさ。秀吉が小田原包囲の指揮を採った石垣山城の近くも通るべよ」
って事は、あの違法的に高額な箱根ターンパイクを通るのか。
二ヶ所も料金所がありやがって、箱根新道の三倍近い値段を取る。
確か箱根ターンパイクは東急の持ち物だったよなァ。
そこを西武系のバスが走るのか? 何だか変な展開だなァ。
「ターンパイクは観光道路。箱根新道はバイパスってか」
仲の悪い西武と東急、そして小田急まで参入してるから、
箱根は商売の世界でも戦国的雰囲気があるんだなァ。
そんなこたーどうでもいいんだ。関所、関所っと。
- 388 名前:激動の二学期 投稿日:2005/04/08(金) 21:32
- 箱根の関所跡までは、小田原からバスで一時間。
当時の街道もあるけど、歩いて行くには根性がいる。
昔は道に迷わないように、尾根伝いに道があった。
今じゃハイキングコースになってるらしい。
時間が無い私達は、仕方なくバスを使う事になった。
「箱根の山は天下の嶮。函谷関もものならず〜♪」
バスの二人掛けの椅子に座って、なっちは窓側で遠足気分。
私はこの歌が好きだ。三連符のシャッフルから始まる。
そして、『雲は山を巡り霧は谷を閉ざす』では三連符が来るんだ。
どうも日本人は三連符に弱い民族らしいけど、
私はピアノでもギターでも、三連符は得意なんだよね。
「なっちさん、ご機嫌だね」
「だって嬉しいっしょ? 遠足みたいで」
そういえば、小学校の頃に、箱根まで来た記憶があるぞ。
修学旅行は日光だったし、何で来たんだったっけかなァ。
七年くれー前の話だけど、どうも記憶に残ってねーや。
きっと、あんまり面白くなかったんだろうなァ。
「なっちさん、小学校の修学旅行って、どこに行ったの?」
「札幌だべよ。なっちは室蘭だから、大都会に思えたべさ」
札幌かァ。ラーメン、タラバガニ、ジンギスカン鍋が有名だなァ。
おっと、時計台や雪祭りも忘れちゃいけねーなァ。
ジャガイモ、トウモロコシ。食べ物ばっかりじゃん。
- 389 名前:激動の二学期 投稿日:2005/04/08(金) 21:33
- 「中学の時は?」
「東京。『ここが日本の首都か』って思ったべよ」
東京なんて、私の生まれ育ったとこだもんなァ。
江戸前寿司、柳川鍋、もんじゃ焼き、雷おこし。
国会議事堂、皇居、東京タワー、ディズニーランド。
でも、東京ディズニーランドって、千葉県にあるんだよなァ。
「高校は?」
「京都・奈良だったべね」
京都・奈良は、私達が中学の時に行ったっけ。
奈良じゃ石舞台、東大寺くれーしか記憶がねーや。
京都は比叡山、大原三千院、清水寺、嵐山、平安神宮。
新京極では、お土産を物色中に、地元の不良にからまれたっけ。
あの時の梨華ちゃんの逃げ足、凄まじく速かったなァ。
「京都は美味しいものが無かったべさ」
「え? マツタケは食べなかったの?」
「公立高校でマツタケなんか無理っしょ」
そうだよなァ。京都のマツタケなんて一本一万円はする。
私達、聖ダルセーニョ学園中等部だから味わえたのかも。
そういえば、中等部の連中は、そろそろ修学旅行だなァ。
修学旅行は楽しいんだけど、帰ってから書かされる作文が面倒だった。
何しろ最低でも原稿用紙十枚だったもんなァ。
家に帰ってから、インターネットで調べたりしたっけ。
だって、夜中なんて寝ないで遊んでたし、
見学中なんてボーっとしてたもんなァ。
- 390 名前:激動の二学期 投稿日:2005/04/08(金) 21:34
- 「よっC、見るべさ。小田原が一望出来るっしょ?」
箱根ターンパイクを登るバスからは、小田原の市街地が手に取るように見えた。
今日は晴れてるせいもあって、遠くに丹沢の山々まで見える。
標高が上がって来たせいか、耳の調子が悪くなって来たなァ。
こういった時は、欠伸をするか何かを飲むと治っちまう。
私は持っていたウーロン茶を飲んで、耳を気圧の変化に対応させた。
「秀吉は、このあたりに石垣山城を造って、小田原包囲の総指揮を採ったんだべさ」
なっちの話によると、秀吉は大勢の人足を動員させ、密かに派手な城を造って、
完成するやいなや、一気に前の木を切り倒して小田原勢を仰天させたそうだ。
そこに側室や白拍子達を集めて、飲めや踊れの毎日を送っていたらしい。
信玄や謙信ですら攻略出来なかった大要塞だから、力攻めなんて真似はしなかった。
そりゃそうだよなァ。自給自足で数年は持ち堪えられる城なんだからよ。
「北条氏の支城は全て落城してるっしょ? 勝敗は明白だったんだべさ」
小田原城の中じゃ、毎日のように評定(会議)が開かれたそうだ。
確かに秀吉は、全国の大名を引き連れて来たんだから、
すでに北条氏直になんか勝ち目なんて無かったんだよね。
初めから秀吉に臣従してさえいれば、歴史は変わってたのに。
「どんどん状況が悪くなるのを、後世まで『小田原評定』って言ったんだべよ」
そりゃそうだ。いくら戦国の世だからって、戦には大義名分がいる。
関白になった秀吉から、『上洛して挨拶しろゴルァ!』って手紙が来ても、
小田原の北条氏直は、全く相手にしなかったんだよなァ。
京都から遠く離れた関東じゃ、秀吉の力なんて判らなかっただろうし、
あの信玄・謙信を追い払った自信があって、無視したのに違いない。
- 391 名前:激動の二学期 投稿日:2005/04/08(金) 21:34
- 「北条勢は信長の武将・滝川一益を追撃して大勝利だったっしょ?
秀吉が信長の後継者くらいにしか考えて無かったんだべね」
これで、馬の一頭でも贈っておけば、秀吉にも攻める口実が無くなる。
そういった点じゃ、伊達政宗の先見性は大したもんだったんだなァ。
何かと理由を付けては、秀吉の上洛命令を断ってるんだ。
政宗が秀吉と初めて会ったのは、この小田原城攻めの時だったっけ。
「包囲されて、すぐに降伏すれば、まだ救いようがあったのにね」
「そうだべねえ。所領は減っても、北条家が滅ぼされる事は無かったっしょ」
秀吉は人間操縦術の天才だから、恩を売って働かせる。
恐怖政治をした信長とは、そうしたとこが決定的に違ってた。
最終的に天下を取った家康も、すぐに隠居しちまって、
暫くは院政をしながら秀忠の政治を見守っていたんだっけ。
「北条家は守りに入ったから負けたんだね」
「そうだべね。秀吉を甘く見てたのと、北条家は氏康以降、野戦が弱くなったっしょ?
先に駿河に攻め込むとかすれば、家康とは禍根を残すけど、きっと秀吉は大喜びだったべさ」
そんな話をしてると、もうターンパイクの終点。
たまに、登り車線でネズミ捕りをやってるらしい。
そういえば、以前、オフクロもここで捕まったそうだ。
ここから左折すると伊豆スカイラインで伊豆高原まで行ける。
右折すれば、国道一号線。つまり箱根新道方面に行く。
ここから箱根の関所跡までは、ほんの数分で着くらしい。
なっちは食べてたポッキーをバッグにしまい始めた。
- 392 名前:激動の二学期 投稿日:2005/04/08(金) 21:35
- 「そろそろだべよ。このバスは元箱根行きだべさ」
私達は関所跡の近くでバスを降りた。
眼の前には日本有数のカルデラ湖である芦ノ湖。
最近じゃ誰かが勝手にブラックバスを放流したせいか、
芦ノ湖の生態系が壊れ始めているらしいじゃねーか。
いくら釣りブームでも、外来種を勝手に放流しちゃいけねーよ。
どこか日本古来の宗教が、仏教に侵略された感覚だなァ。
「よっC、こっちだべよ」
私はなっちに連れられて、箱根の関所跡へと歩いて行った。
そういえば、芦ノ湖の水って静岡県のものらしいよなァ。
まあ、神奈川県は奥相模湖、相模湖、津久井湖、丹沢湖、
そして宮ヶ瀬湖っていう膨大な水瓶を持ってるし。
いくら雨不足でも、神奈川県だけには給水制限ってものが無い。
東京なんて利根川水系のダムが枯渇すると、
神奈川県から水を分けて貰わねーといけないそうだ。
「おお! こいつが関所かァ!」
江戸時代の関所ってのは、ただの通関ゲートみてーなもんだ。
それ以前の関所。特に平安以前の関所は、ほとんど砦だったらしい。
東国の関東平野には、毛野国っていう大きな王国があって、
朝廷はかなり警戒してたそうだからなァ。
平安時代になっても、東国じゃ平将門や平忠常が乱を起してる。
朝廷の東国嫌いは、明治になるまで続いたんだ。
- 393 名前:激動の二学期 投稿日:2005/04/08(金) 21:36
- 「さあ、入ってみるべさ」
なっちが入場料を払って、私達は関所跡へと足を踏み入れた。
東海道っていうのは道の名前じゃなくて、地域の名前だったんだよなァ。
それがいつの間にか、道路の名前になっちまったんだ。
だから、箱根には多くの道が存在するんだよなァ。
事実、大涌谷の硫黄は、黒色火薬を使うための重要な資源。
大涌谷から箱根湯本へ向かう道だってあったわけだし、
箱根十城を繋ぐ連絡路だって存在した筈なんだ。
「へえ、人形があるじゃねーかァ」
箱根の関所の代官といえば、若手の登竜門だったらしい。
ここで無事に過ごせば、江戸でワンランク上になったそうだ。
だから、どちらかといえば事なかれ主義で、指名手配犯以外は、
ほとんど関所破りとしては扱わなかったって書いてある。
今も昔も、役人なんてもんは、そんなもんなんだろうなァ。
わけ有りの連中は、小田原あたりで道案内を頼むんだろうね。
駆け落ちなんて場合は、通行手形なんて発行されないから、
関所を通る事なんて出来やしねーもんなァ。
「うげっ! 晒し首だべさ」
江戸末期、晒し首になった写真が展示されていた。
気分のいいもんじゃねーけど、医者になるんだったら、
これくらいで驚いてたら商売になりゃしねーや。
しかし、上手く切れてるなァ。
やっぱり、後ろからスッパリ行くから、
板の上に置くと、少し上を向いた感じになるんだ。
- 394 名前:激動の二学期 投稿日:2005/04/08(金) 21:36
- 「よ、よっC、気味悪いべさ」
関所破りっていうのは、死罪の相当する重罪だったのか。
だから、駆け落ちなんかは、道に迷ったって事にしたんだな。
二代将軍秀忠は、何かと因縁をつけては、藩を取り潰した。
遠地に配置した外様大名にカネを使わせるために、
江戸屋敷と領地を行ったり来たりさせたんだよなァ。
前田家や島津家の大名行列なんか、それは絢爛豪華だったらしい。
「これくれーでびびってどーする」
「イラクの首切り動画を思い出したんだべさ」
なっちって2ちゃんねラーだったのかァ。
イスラム圏じゃ、首を刎ねるのが流行ってるからなァ。
それは、あんまり名誉な死刑じゃねーみてーだぞ。
イラクのイスラム原理主義者達は、外国人なら誰でも殺すみてーだなァ。
もう、アラファト議長が死んじまって、方向性が見出せないでいる。
イラク国民には喜ばれてる日本の自衛隊も、彼等は占領軍扱いだもんなァ。
道路を整備したり、医療活動するのに、原理主義組織過激派は撤退を要求した。
イスラム教って、そんなに排他的な宗教なんだっけか?
「ここにいるのは、あくまで幕府の代官だから、大名が通る時なんか、
失礼が無いように、かなり気を遣ったみたいだべねえ」
そうだろうなァ。ここで失礼があれば、将軍に言いつけられちまう。
そんな事になったら、下手すりゃ切腹ものだからなァ。
特に御三家の尾張徳川家と紀伊徳川家は、他の大名と別格だからよ。
ほとんどフリーパスどころか、代官自ら土下座して見送ったんだろうなァ。
- 395 名前:激動の二学期 投稿日:2005/04/08(金) 21:37
- 「東海道の他にも、中仙道や東北道にも関所はあったんだべよ」
それでも箱根の関所が有名なのは、それだけ旅をする人が多かったんだろう。
東海道は宿場町が発達していたし、相応の交通量があったんだなァ。
同じ尾張に行く中山道は、山道が多くて歩き辛かったんだろうね。
一般人は桟敷に座らされて、持ち物や手形等の検分を受けたそうだ。
「実際、大名の奥方が逃げたりすれば、幕府は討伐軍を編成するっしょ?」
「家を守るためにも、奥方は江戸から逃げたり出来なかったんだね」
箱根の関所自体が、謀叛の抑止効果になってたわけだ。
だいたい、江戸屋敷で大名の奥方が逐電したりすれば、
大規模な捜索活動が展開されるに決まってる。
それこそ、捕らえれば大手柄なわけだから、
旗本連中が鼻息を荒くして大追跡を始めるんだろうなァ。
「とにかく、江戸時代は大名にとって、暗黒の時代だったんだべね」
元禄文化が浸透した江戸じゃ、平民は豊かになってたんだけど、
特に外様の大名にとっちゃ、えらい出費に頭を抱えていたんだ。
そんな中でも、幕末まで裏金工作に余念が無かった長州・薩摩藩。
日和見を決め込む他藩を尻目に、倒幕の狼煙を上げたんだよなァ。
「それじゃ、箱根湯本まで降りるべさ」
なっちは箱根湯本でゆっくりしたかったみてーだけど、
せっかく箱根まで来たんじゃねーか。
これで温泉に浸からないと、バチがあたるってもんだ。
- 396 名前:激動の二学期 投稿日:2005/04/08(金) 21:38
- 「なっちさん。旧道の方に、日帰りの温泉があるよ」
「う〜ん、時間は・・・・・・それじゃ一時間だけだべよ」
私達はバスで元箱根まで行って、そこから乗り換えて箱根湯本を目指す事にする。
江戸時代には、草津や那須、そして箱根が庶民の行楽地だったらしい。
怪我をした大工や、更年期の女性なんかにも人気があったみたいだ。
特に、山を登らなくて済む箱根湯本は人気だったそうで、
その少し上にある宮ノ下も有名な湯治場としての歴史があるらしい。
「なっちさん、鈴廣のカマボコ、買う時間あるよね」
「午後六時半の新幹線っしょ。ギリギリだべさ」
もう、午後三時半だから、ここから温泉まで一時間四十分。
ゆっくり一時間の入浴で五時半だもんなァ。
タクシーで鈴廣に行って、箱根湯本駅に着くのが六時過ぎだ。
これって、まじでギリギリじゃねーか。
だいたい、箱根まで来て泊まらないのがいけねーんだ。
昔はどこかの大店の旦那が、妾連れて一泊旅行する土地だぞ。
バブル以降、宿泊客が激減して、どこの旅館も閑古鳥が鳴いてるらしい。
「鈴廣のカマボコなら、駅の売店でも売ってるっしょ?」
「小田原まで来て、鈴廣本店で買わねーと意味ねーだろうがよ!」
結局、バスはやめてタクシーを使う事になった。
最近のタクシーは、現金だけじゃなくて、
カードも使えるから便利になったもんだよなァ。
タクシーを使えば、温泉まで一時間で行けるから、
二、三十分は買い物する時間があるぜ。
- 397 名前:激動の二学期 投稿日:2005/04/08(金) 21:38
- タクシーで日帰り温泉まで行くと、迎えの時間を指定してから入浴した。
時間を気にしながら入浴するのは、どこか気持ちのいいもんじゃねーなァ。
ところで、ここが温泉かァ? まるで、そこらにあるスーパー銭湯みてーだ。
低温サウナがありーのミントサウナがありーの薬湯がありーの。
やっぱり、人気なのは露天風呂で、そこには数人のばあさん達が陣取ってた。
「若い子が来るなんて、珍しいねえ」
どうやら、常連のババアらしくて、鍋奉行ならぬ温泉奉行気取りだった。
やれ、身体を洗ったらサウナで汗を流してから、温泉で毛穴を広げろだの、
薬湯で皮膚から吸い込ませろだの、うるせーったらありゃしねえ。
頭から温泉に沈めて、息の音を止めてやりてーくらいだった。
「だから、順番が・・・・・・」
「うるせー! どうしようとオレの勝手だろーが!」
体重と皮下脂肪の多さじゃ負けそうだけど、こんなババアなら一撃で沈めてやるぞ。
苦笑するなっちと、背中の洗いっこをしたりして、温泉は充分に楽しめた。
脱衣所で飲むコーヒー牛乳は、殊の外美味いもんだなァ。
まだ暑くて、全裸でいる私に、なっちは髪を乾かしながら振り返った。
「こうして見ると、よっCのプロポーション、意外にいいべさ」
「ななななな・・・・・・何を恥ずかしい事言ってんだよォ」
プロポーションがいいのって、梨華ちゃんやごっちんじゃないの?
私は貧乳でウエストも締まってないし、自分でも好きな身体じゃない。
コンプレックスまでは行かねーけど、人に見せられるような身体じゃねーだろ。
そりゃ、美貴ちゃんよりか、少しだけ自信はあるけどねー。
でも、そういえばピーチも、そんな事を言ってた気がするなァ。
- 398 名前:激動の二学期 投稿日:2005/04/08(金) 21:39
- 「本当のプロポーションって、胸の大きさやくびれで決まるわけじゃないべさ」
「っていうと?」
「筋肉。女の子は筋肉が付き難いっしょ? それと皮下脂肪で決まるんだべさ」
まるでピーチと同じ事を言ってるなァ。
今の流行は、美白で細い身体だったっけ?
だけど、細すぎる子は、どうも不健康そうに見える。
鍛えた筋肉と、女の子ならではの柔らかい皮下脂肪。
やっぱり、これこそがプロポーションなのかなァ。
「男の人とは見る場所が違うんだべよ」
そうかァ。男ってのは、やたらと胸の大きさにこだわるからなァ。
でも、女性の胸なんて、ただの授乳器官でしかねーわけだしよ。
だいたい、身長が違えば、体格がかわっちまうんだよなァ。
矢口さんなんて、私より二十センチから背が低いから、
割合から行けば、ずっと大きな胸をしてるって事になる。
実際の大きさは、私と変わらないんだけどね。
「よっC、そろそろタクシーが迎えに来る時間だべよ」
「はーい」
私は服を着て、ざっと髪を乾かして終わりにした。
中には一時間もかけてブローする女がいるけどよ。
髪なんてのは、乾いて風邪ひかなきゃいいんだっての。
さて、鈴廣のカマボコでも買いに行こうじゃねーか。
他に小田原名物なんていったら、提灯や寄木細工、
どこにでもある温泉饅頭、大涌谷の温泉玉子くれーしかないし。
鯵の開きなんていっても、原産はスペインだったりするからなァ。
- 399 名前:激動の二学期 投稿日:2005/04/08(金) 21:40
- 「よっC、タクシーが来たべさ」
外に出ると、もう夕方の気配が漂って、どこか肌寒く感じた。
こうした山の中じゃ、日が陰ると途端に寒くなって来る。
温泉で汗をかくくれー温まったのに、鳥肌が起っちまった。
やっぱり、それだけ標高があるのと、空気が綺麗なんだろうなァ。
「『鈴廣』本店までですよね」
「そうだべさ。何分くらいで行くべか?」
「十五分くらいですかね」
こいつはラッキーだ。小田原名物のカマボコを買えるぞ。
何しろ『鈴廣』のカマボコは、新幹線の中でも売りに来るくれーだからなァ。
東京を出発すると『雷おこし』、横浜になると崎陽軒の『シュウマイ』、
小田原になると『カマボコ』って相場が決まってるからよ。
「さて、紅白のカマボコでも買おうぜ!」
食べ物には眼の無い私となっち。
勿論、お土産の他に、私達で食べる分を買う。
帝国ホテルのロイヤルスウィートで、
カマボコを食いながら純米酒を飲むのもオツだぜ。
私は何だか嬉しくなって、なっちと手を繋いでた。
- 400 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/10(日) 11:14
- 2ちゃんねらーなっちワラタよ
- 401 名前:激動の二学期 投稿日:2005/04/15(金) 20:16
- >>400
ラウンジの某スレを知らないと、笑えないかもしれませんね。
それにしても矢口は、どうなっちゃうんでしょうか。
あれくらいの事で、こんな騒動になるとは。
もう、四期・五期・六期だけになっちゃいましたね。
- 402 名前:激動の二学期 投稿日:2005/04/15(金) 20:18
- 〔修学旅行・4〕
東京駅に着いたのは、午後八時少し前だった。
おやつも食べないで温泉に入ったせいか、妙に空腹感がある。
血糖値が下がると、思考にも影響して、無口で怒りっぽくなって行く。
なんて、何かの本に書いてあったっけかなァ。
「腹減ったなァ」
「そうだべね。昼以降、温泉でコーヒー牛乳を飲んだだけっしょ」
とりあえず、駅の売店でポッキーでも買おう。
そうじゃねーと、夕食までもたねーぞ。
お土産のカマボコに手を出すって方法もあるけど、
こいつは鈴廣の極上品だからなァ。
「おじさんの話だと、八重洲口に迎車が来てるそうだべさ」
「迎車? 帝国ホテル御用達のハイヤーかァ?」
新幹線のホームから八重洲口までは、少しだけど歩かないといけない。
どうせだったら、西口にしてくれた方が、どれだけ助かった事か。
私達は、それほど腹が減って低血糖になっていた。
こんな飽食の時代に、何が悲しくて低血糖になるんだァ?
「なっちさん、キヨスクで何か買おうよ」
こうした時は、甘い物が一番だって誰かが言ってた。
何かを食べれば嫌でも血糖値は上がるんだけどね。
とりあえず、なっちの好きなポッキーをと・・・・・・。
- 403 名前:激動の二学期 投稿日:2005/04/15(金) 20:19
- 「ム・・・・・・ムースポッキーだべさっ!」
私となっちは、ムースポッキーを開封するや否や、瞬く間に食べ尽くしちまった。
それはまるで、飢餓状態にある難民キャンプの子供達みてーだなァ。
ついでにコーラを飲むと、血糖値が戻って来て、平常の思考が保てるようになった。
これ以上食べると、折角の夕食が入らなくなっちまうだろうし。
血糖値が上がっても、胃袋に隙間さえあれば、食べられるんだよなァ。
「もう一個・・・・・・」
「なっちさん、夕飯が食えなくなるぞ」
私はなっちを宥めて、引き摺るように八重洲口へ向かった。
東京駅の八重洲口っていえば、日本で最も人の出入が多いらしい。
確かに、日本の首都の名前を付けた駅なんだからよ。
ディープパープルのイアン=ギランは『トキヨ』って発音してたっけ。
ちなみにデビッド=カヴァーデイルは『トキオ』だったなァ。
八重洲口に出ると、休日にも関わらず、意外に人が多かった。
ところで、客待ちのタクシーとは別に、えらく長いクルマがあるじゃねーか。
「すげークルマだなァ」
「リムジンだべね」
ハザードを点け、道路使用許可証を立てたリムジンが停まってる。
その前には、大きなプラカードを持ったベルボーイみてーなのがいた。
きっと、地方の金持ちが、東京見物にでもやって来るんだろう。
しかし、もう八時だってのに、八重洲口には人が多いなァ。
列車が到着する度、大勢の人が改札から出て来るじゃねーか。
この時間になれば、そろそろデパートも閉店の時間だし、
買い物客なんかで混み合うのは当然なのかもしれねーなァ。
- 404 名前:激動の二学期 投稿日:2005/04/15(金) 20:20
- 「あれって・・・・・・」
私はベルボーイみてーな男が持ってるプラカードを見て仰天しちまった。
何しろ、そこには『安倍なつみ様 吉澤ひとみ様』と大きな字で書かれてたんだもん。
安倍なつみ。同姓同名はいるだろう。吉澤ひとみ。同姓同名くれーいるだろう。
だけど、その二人が揃って書かれてるなんて可能性は、皆無に等しいはずだ。
そういえば、プラカードの下に『帝国ホテル』って書いてあるぞ。
帝国ホテルっていえば、私達の泊まる場所じゃねーか。
「よ、よっC。帝国ホテルって、そんなに凄いとこなんだべか?」
「あれって、えらく恥ずかしいなァ」
眼が合った瞬間、男は満面の笑みを浮かべて歩み寄って来た。
こいつ、オヤジに頼まれて迎えに来たんだ。間違いない!
それにしても、ハイヤーじゃなくてリムジンとは恐れ入った。
いかにも、派手好きのオヤジがやりそうな事だなァ。
っていうか、帝国ホテルなら、有楽町か新橋から歩いてすぐじゃんか。
いくら何でもリムジンはねーだろ。リムジンは。
「安倍様と吉澤様ですね? どうぞこちらに」
男はリムジンのドアを開けると、背筋を伸ばして私達を案内した。
とにかく恥ずかしいので、私達は逃げるようにリムジンへ駆け込む。
運転手が乗り込み、クルマがスタートすると、私達はようやく溜息をついた。
さすがのなっちも、このリムジンでのお出迎えには恥ずかしいみてーだ。
まァ、普通の感覚なら、こんな演出されたら恥ずかしいだろうなァ。
毛皮でも着て、ゴージャスに決まってれば、まだ話は別なんだけど。
- 405 名前:激動の二学期 投稿日:2005/04/15(金) 20:22
- 「帝国ホテルをご利用頂きまして、誠にありがとうございます」
運転手は営業用の声で、だだっ広い後部座席に話し掛ける。
センチュリーのリムジンって、こんなに広いんだなァ。
なっちと向かい合うと、手が届きそうになかった。
何か怖いっていうか、いいのかなァ? って感じ。
とにかく、このリムジンってのは内装が凄い。
シートはレザーだし、肘掛はミンクの毛皮みてーだ。
天井には細工を施したシャンデリア風のルームライトがあった。
「ホテルまで十分程度です。宜しければ、お飲み物をどうぞ」
運転手が操作すると、右手のドアからテーブルが出て来た。
クルマが揺れてもいいように、テーブルにはドリンクホルダーがある。
でも、飲み物ってどこにあるんだろう。それに、何があるのかなァ。
口の中にポッキーの味が残ってるし、とりあえずビールでも飲んで、
夕食を美味く食えるようにでもするかな。
「お飲み物は、肘掛の中にございます」
大きな毛皮の肘掛を開けると、中は冷蔵庫になってるみてーだ。
ハーフサイズの赤白ワイン、ビール、日本酒、ウイスキーが入ってる。
なっちの方には、コーラとオレンジジュース、ミネラルウォーターが入ってた。
冷蔵庫の底に氷が入ってて、それで適度な温度になってるらしい。
まァ、最近はキャンピングカーでも冷蔵庫付きだしなァ。
もしかすると、そういった構造になってるのかもしれない。
とりあえず私がビールを取ると、なっちは首を横に振った。
- 406 名前:激動の二学期 投稿日:2005/04/15(金) 20:22
- 「ホテルは自販機の方が安いべさ」
「アハハハハ・・・・・・ご安心を。全て無料でございますので」
運転手に指摘され、なっちは「そうだべか」と安心する。
ったく、なっちはどこまで貧乏性なんだろうねぇ。
私達はロイヤルスウィートの客だぜ。
飲み物くれーはサービスが当たり前だっての。
「オレ、ビール飲むからね」
「それじゃ、なっちはコーラだべさ」
無料と聞いた途端、なっちは笑顔でコーラに手を伸ばす。
私はビールを飲んで、少しでも夕飯を食える状態にした。
不思議なもんで、少しアルコールが入ったくれーの方が、
どういったわけか空腹感や食欲が増すんだよなァ。
「ったく、未成年がビールで、大人がコーラだべか?」
「いいんだよ。なっちさんなんか、女子高生でも通用するっての」
「そ、そうだべか?」
お世辞なんかじゃなくって、私はマジでそう思ってた。
なっちは可愛い。本当に高校生でもおかしくない。
私は身長があるせいか、制服以外で高校生には見られないなァ。
大人に見られても、そんなに嬉しくもねーし嫌でもない。
まァ、二十代も後半にでもなりゃ、若く見られてーだろうけど。
- 407 名前:激動の二学期 投稿日:2005/04/15(金) 20:23
- 帝国ホテルに着いたのは、午後八時くらいだった。
部屋に荷物を置くと、ルームサービスが夕食を運んで来る。
私は備え付けのワインセラーから、シャトーリオンの白を出す。
甘くもなく酸っぱくもないワインで、まあ、無難なものだけどね。
コンソメスープを飲みながら、私はシャトーリオンを味わった。
「よっC、凄い部屋だべね」
「そりゃそうだよ。一泊三十万以上はするんだから」
今時、箱根の高級旅館でも、三万円で泊まれるんだから、
いかに帝国ホテルが高級であるかが判るってもんだ。
三十万なんていったら、中年サラリーマンの平均月収だぜ。
こうした部屋に泊まるやつもいるんだから、
日本って国も、貧富の差ってやつがあるんだなァ。
「サラダでございます」
オードブルが次々に出て来る。
テーブルマナーがどうのこうの言う連中は、
まじで貧民階級の代名詞と言っていい。
ナイフとフォークは端から使って行く?
そんな事しなくたって、使いたいものを使えばいい。
ほんの数百年前まで、フランスじゃ手掴みで食ってたんだ。
要は楽しく食事をする事。マナーなんてどうだっていい。
相手に不快な思いをさせない事こそが、究極のテーブルマナーなんだ。
慣れない日本人は、どうしても洋食に萎縮しちまうけど、
千利休の『一期一会』の精神こそが、とても大切なんだよなァ。
- 408 名前:激動の二学期 投稿日:2005/04/15(金) 20:25
- (よっC、どれを使って食べるんだべか?)
なっちはこうした食事に慣れてないんだなァ。
ちょっと、からかってやろうかな?
なっちは生真面目なとこがあるから、
きっと面白いように引っかかるだろうね。
「サラダは食器を持って、フォークでかき込むんだ」
そんなテーブルマナーなんて聞いた事ねーけど、
生真面目なっちは素直に実行するかなァ。
私はワインを飲みながら、なっちに注目してた。
「こ、こうだべか?」
「アハハハハ・・・・・・まじでやるとはね」
眼を丸くしたなっちの前で、私はサラダを食べて見せた。
フランス料理で器を持ち上げるのは、カップだけなんだよ。
皿を持ち上げるのは、マナー違反というか行儀が悪いとされてる。
でも、そんなこたーどうだっていいんだよ。
とにかく、美味しく楽しく食べる事なんだからね。
「だ、騙したべね」
蒼くなって怒るなっちを見て、私は大声で笑った。
でも、考えてみれば、なっちがマナーを知らないって事は、
こうした食事をした経験が無いってわけになる。
つまり、あまり裕福じゃなかったから、
こうした料理に慣れてないんだなァ。
- 409 名前:激動の二学期 投稿日:2005/04/15(金) 20:26
- 「・・・・・・ごめん。でも、どうやって食べてもいいんだよ」
「ほえ?」
なっちは眼を白黒させて、どういった事なのか考えてる。
ニッコリ笑った顔も可愛いけど、こうした顔も可愛いなァ。
なっちは童顔だから、まるで女子中学生みてーだぜ。
「ここには、オレとなっちさんしかいないじゃん。
マナーってのは、会席みてーな場所に必要なだけだよ」
いくら国立大学の学生でも、マナーの意味までは知らねーだろうなァ。
気心の知れた人と食事する時に、マナーもへったくれも無い。
変に上品ぶったって、アフォだと思われるだけだからなァ。
よっしゃー! このよっC様が、教えてやろうじゃねーか。
「食事なんてものは、苦しむもんじゃねーんだ。美味く食えればいいっての」
「でも、テーブルマナーが・・・・・・」
「そんなもんは、他人の前でする事だよ」
日本にも食事の際の『作法』ってもんがある。
まず、汁物に箸を付けるのは、米粒がくっ付かないようにするため。
マナーには、それなりの理論っていうか、理由があるんだよなァ。
上流社会ってのは、それを嗜みとはいうけど、私には退屈なだけ。
だいたい、皿にコシヒカリを盛って来るのは頂けない。
フランス料理には、白米をそのまま出すなんてのは反則。
そういった場合、フォークの背に乗せて食うなんてナンセンス。
何でもナイフとフォークで食べるなんて、どこかのアフォが考え出した愚行。
白米には箸かスプーンを要求すべきなんだ。
- 410 名前:激動の二学期 投稿日:2005/04/15(金) 20:27
- 「へえ、そうなんだべか」
寿司を箸で食う奴がいるけど、あれは手掴みで食べるのが常識。
箸を使った方が上品だなんて考えるのは、えらくアフォな考えだ。
職人が手で握ったものを箸で食う事自体、凄く失礼なんじゃねーか?
「銀のナイフでステーキを切ってもいいんだよ。
逆にステーキ用のナイフで魚を切ってもOK。
大きなフォークが使い辛かったら、デザート用のフォークでもいいんだ」
日本人はみんなと同じ事をしないと、どこか不安になる民族らしい。
「こいつは美味いな」なんて雑談してて、料理が冷めちまったら台無し。
それこそ、一生懸命に作った調理人に失礼ってもんじゃねーかなァ。
ソムリエに対しても、相手はプロなんだから、我侭を要求していいんだ。
一般家庭でレストランに行ったら、安価で好みのワインを要求すればいい。
もし、それで対応出来なかったとすれば、ソムリエなんて失格なんだ。
「なっち、テーブルマナーって、絶対だと思ってたべさ」
「そりゃ、ケースバイケースだけどね」
フランス料理に子供を連れて行くのだって、絶対におかしい事なんかじゃない。
子供が食べるんだから、手掴みやスプーンなんてのは当たり前だっての。
一般的な感覚で『行儀』をよくしてれば、テーブルマナーなんて邪魔なだけ。
食事に満足する事が、料理人に対して最高のマナーなんじゃねーのかなァ。
ちゃんとした店だと料理の温度管理が徹底されてるから、
スープを啜る必要なんてないし、皿を舐めたりしなけりゃ他の客の迷惑にならない。
テーブルマナーをちゃんと守ってても、大声で笑ったり叫んだり、
他の客の事を考えない方が、よっぽど迷惑な話だぜ。
- 411 名前:激動の二学期 投稿日:2005/04/15(金) 20:28
- 「なっちさんは茶道を知ってる?」
「勿論だべさ。なっちは日本史の先生だべよ。まだ卵だけど」
「茶道の真髄って何か知ってる?」
「あぐっ! ・・・・・・そこまでは」
茶道っていうと、すぐに千利休を連想するけど、もっと昔からあったんだよね。
千利休が始めたのは、日本流の茶道って考えていいんじゃねーかなァ。
利休は武人じゃなかったから、一般人・商人としての考えから茶道を見詰めた。
そこには仏教・儒教思想が見え隠れする。その究極の答えが『一期一会』なんだ。
「もてなす事。それが茶道の真髄なんだよ」
「でも、お茶って作法があるべさ」
「あれはひとつの目安として考えればいいの」
古今昨今、『御馳走』という言葉がある。
あれは、客人をもてなすために、走り回って用意した料理って意味。
それに対して、客は何をすればいいのか。
それが『作法』であって、『マナー』って事なんだ。
「だから、オレがなっちさんを歓待してるわけじゃねーから、
テーブルマナーなんて必要ねーって事なんだよ」
「そ、そうなんだべか?」
確かに『御馳走』を提供してるのはホテルなんだけど、
それに対して、私達は金銭を支払ってるわけだ。
まして、周囲に他の客がいるわけじゃねーし、
どんな食べ方をしたって、別にいいって事になる。
だからオヤジはスウィートにしたのかなァ。
- 412 名前:激動の二学期 投稿日:2005/04/15(金) 20:29
- 遅い夕食が終わると、私達は小田原・箱根見学の復習を始めた。
戦国時代の終焉は、小田原と言っても過言じゃねーだろう。
その後の関ヶ原や大坂の陣は、どっちかっていうと叛乱に近いもんだしなァ。
秀吉は関東を制圧して、眼の上の瘤である家康を移封しちまった。
「家康が幕府を開いて、秀忠が基礎を固めたんだよね」
私がパンフレットを整理しながら言うと、ソファに寝転んだなっちは、
「そうだべさ」って言いながら、私が作った数学の問題を解いてた。
スウィートルームの窓からは、煌びやかな東京の夜景が見える。
そういえば、家康が幕府を開いて四百年になるんだなァ。
二代目の秀忠は『武家諸法度』を制定して、各大名や旗本を管理した。
そして、娘を入内させると『禁中並公家諸法度』まで打ち出したんだ。
参勤交代も京を通過させず、伏見に奉行を置いて監理してたしね。
公家を京に押し込めるためには、そうするしか無かったんだ。
「三代目の家光は、威風堂々としてればよかったんだね」
「そうでもないべさ。老中達の暴走を監視しなきゃいけなかったし」
そうか。虎の威を借る狐は、諸大名や平民に無理難題を押し付ける。
単にお飾りとなるのを、何としてでも阻止しなきゃいけなかったんだ。
秀忠は家康に逆らえず、仕方なく家光を三代目の将軍にするんだけど、
これには大奥の力関係も影響してるからややこしくなる。
生母の小督の方は、次男・忠長を推していたけど、
家光の乳母・春日局が浜松城の家康に直訴したって話だ。
春日局は明智光秀の家臣だった稲葉一鉄の娘だからなァ。
信長の姪に当たる小督の方と張り合ったんだろうね。
いくら秀忠の正室でも、次期将軍の乳母には一目置くしかねーし。
- 413 名前:激動の二学期 投稿日:2005/04/15(金) 20:30
- 「よっC、数学は自信が出て来たっしょ」
「うん。っていうか好きになったよ」
なっちのお陰で、いつの間にか数学が好きになっちまった。
問題を作るのも解くのも、やってみるとおもしれーって感じ。
特に問題を解くのは、作ったやつの意図を垣間見れて面白い。
物理にしても、演算や法則を覚えちまうと意外に簡単だしなァ。
化学の式や元素記号には閉口したけど、それも何とかクリア。
「もう、理数系には問題ないっしょ」
「そうだなァ」
それもこれも、なっちのお陰だよ。
私が不得意だった理数系を、なっちは好きにさせてくれた。
元々、英語を耳で憶えなかった私は、スペルや文法が得意。
中学時代に油断しなかったから、今じゃ全く苦労しねーし。
発音は・・・・・・ま、まあ、外国に留学する気なんてねーから。
「この旅行が終わったら、勉強の時間配分を見直すべさ」
「時間配分?」
「うん。他の教科も勉強しないといけないっしょ?」
それもそうだなァ。
まだ英語だって完璧とは言えねーし。
国語も古文や漢字が苦手だしなァ。
政治経済も、まだまだ判らねー事が多い。
特に日本国憲法なんて、全部は覚えてねーしよ。
得意といったら、日本史くれーじゃんかァァァァァァー!
- 414 名前:激動の二学期 投稿日:2005/04/15(金) 20:31
- 「国語と社会は専門分野だべさ。覚悟しておく事」
「げげーっ!」
これからは、なっちの独壇場じゃねーか!
こいつはシゴかれるんだろうなァ。
ヤバイぞ。こいつはヤバイ。何とかしねーと。
かといって、これといった手段はねーし。
「まずは、過去三年のセンター試験問題をやるべさ」
「か、過去三年間!」
「国語・英語・日本史・政治経済。全部八十点以上じゃないと」
「・・・・・・じゃないと?」
「おしおきだべさっ!」
ど、どうする? こいつはヤバイぞ。
なっち、どういったお仕置きするんだろう。
まさか、ハイヒールの踵で踏み付けたりしねーだろうなァ。
鞭で叩いたりしねーだろうなァ。
これじゃ、完全なSMじゃねーか!
「か・く・ご・す・る・べ・さ」
こえーよォ。何をする気なんだよォ。
明日は江戸歴史資料館と国会図書館。
と、とりあえず、明日は明日の風が吹く。
不安な事は忘れて、今日は寝る事にしよう。
明日は赤プリに泊まるんだったなァ。
ああ、鈴廣のカマボコ食いてーなァ。
- 415 名前:激動の二学期 投稿日:2005/04/15(金) 20:35
- 今宵はこれにて失礼致します。
宜しければ、またレスでも頂けると嬉Cです。
- 416 名前:名無し 投稿日:2005/04/16(土) 21:16
- 更新乙です。
・・・おしおきかぁ
楽しみだなぁ
- 417 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/04/18(月) 09:59
- >>415
ありがとうございます。
おしおきは、もう少し先になってからです。
どうも、このスレだけでは終わらなくなってしまいました。
愚弟と同じような事を・・・・・・(泣
- 418 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/04/18(月) 10:00
- うげげー!
>>416の間違いでしたァァァァァァァァー!
- 419 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/04/18(月) 10:01
- 〔修学旅行・5〕
朝七時にモーニングコールが鳴ると、私達はモゾモゾと起き出した。
昨夜は遅い時間にたらふく食ったもんだから、胃が重い感じがする。
こういった時は、二度寝するに限るんだけど、なっちは許さないだろうなァ。
ベージュ色のカーテンの隙間から、大都会の朝日が差し込んで来る。
今日は休日だから、大都会が活動を始めるまでには、まだ時間があった。
「ふえー、眠いべさ」
そういえば、なっちの寝起きは始めて見る気がするなァ。
いつも私より早起きで、朝食の支度をしてるから。
海に行った時だって、私よりかなり早く起きてたみてーだし。
でも、眠そうに眼を細めるなっち、とっても可愛いよ。
「ストレッチでもして、眼を覚ますとするかァ」
私は嫌がるなっちをベッドから引き摺り落として、
バレーボールスタイルのストレッチングを始めた。
慣れてないなっちは、私が背中を押すと悲鳴を上げる。
しかし、なっちは身体が固いなァ。
「痛いっしょ!」
口を尖らすなっちも可愛いもんだ。
私が抱き付くと、途端に笑顔になった。
普通の人はストレッチを朝やるのがいい。
少しでも身体を柔らかくしておいた方が疲れないからだ。
- 420 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/04/18(月) 10:02
- 「朝食は何時だっけ?」
「八時に頼んであるべさ」
八時にルームサービスが来るらしい。
まだ四十分も時間があるから、ちょっと散歩でもしたい気分だ。
少し身体が鈍ってるから、階段でも駆け上がってみようかなァ。
おっと、パンプスじゃ階段を駆け上がるのは不向きだな。
スニーカーでも持って来ればよかったよ。
いや、待てよ。フロントに電話してみるかな。
「もしもし、スニーカーはありますか?」
〈少しならございますが、サイズはいくつでしょうか〉
「二十四と二十一」
〈かしこまりました。すぐにお持ち致します〉
私は受話器を置くと、ニンマリしてなっちを見た。
まだ、寝起きでボーッとしてるなっち。
体力じゃ私の方が、数段上を行ってるはずだぜ。
勉強ではシゴかれるだろうけど、こっちの方は私がシゴいてやる。
誰かが言ってたなァ。社会に出たら、何よりも体力が一番大切だって。
「スニーカーなんて、何に使うんだべか?」
私は黙ったまま、仁王立ちでなっちを見下ろした。
ジョギングに決まってんだろうが!
スニーカー履いて水泳するわけねーだろっての!
その後、階段登りのダッシュが待ってるメニューだぜ。
へへへへ・・・・・・。覚悟しろゴルァ!
- 421 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/04/18(月) 10:02
- 秋の清々しい空気の中、私となっちは帝国ホテルの周囲をジョギングしていた。
休日の朝なんて、本当に人通りが疎らで、ここが東京かと疑いたくなる。
皇居が近いせいか、聞いた事も無いような鳥の鳴き声も聞こえてた。
三鷹の住宅地で生まれ育った私は、野鳥といえばスズメとカラスしか知らない。
こんな東京にも色々な野鳥がいて、そういった研究会なんてもあったっけ。
混雑してない都心の歩道は、絶好のジョギングコースだよなァ。
私が少しだけピッチを上げると、後ろからなっちの泣き声が聞えて来た。
「ちょ・・・・・・ちょっと、は・・・・・・速いべさ」
こんなもんで息が切れるなんて、国立大の学生はモヤシっ子だなァ。
オヤジやオフクロも言ってる。医師・看護師に必要なのは体力だって。
外科医ともなりゃ、十時間にも及ぶ手術をする事だってあるんだ。
それに耐えうる体力があってこそ、初めて優秀な外科医になれる。
年取って体力が無くなった医師は、内科医にでもなるか廃業するしかない。
外来専門の老医師なんてのも、そこそこ味があって町医者にはいいかもなァ。
「まだ五分も走ってねーぞ。頑張れ」
今のバレーボールは、ラリーポイントになって時間が短縮された。
それでも、フルセット出場出来るだけの体力が必要なんだよね。
特にセッターともなれば、今じゃジャンプトスが当たり前になってるから、
並外れた体力と集中力、そして判断力が要求されるんだ。
レフトもマークされるから、クイックのダミーで跳ぶ必要がある。
センターに至っては、ブロードやブロックの対応等、
フロントの中じゃ、やっぱり体力が必要とされるんだよなァ。
割と体力を使わないのがリベロかな?
でも、基本的にフルで出場するからなァ。
- 422 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/04/18(月) 10:03
- 「お・・・・・・お腹が痛くなって来たべさ」
「しょうがねーなァ。そんじゃペース落とすよ」
二十分も走ると、なっちは汗だくで、酸欠の金魚みてーに口をパクパクさせてる。
私はというと、背中に薄っすらと汗をかいている程度だった。
倒れる寸前のなっちを抱えるように、私はホテルの中へと入って行く。
ここで少しインターバルを採り、それから地獄の階段ダッシュだ。
階の間が三十段あるから、十階までなら三百段ってわけだ。
一個抜かしで行けば百五十歩。踊り場入れても百八十歩くれーだなァ。
「よっしゃー! これから十階まで駆け上るぞ!」
「げげー! そ、そんなの無理っしょ!」
「なっちさん、オレも勉強を頑張ってるんだからさ」
「わ、判ったべさ」
私もバレーを辞めて、もう四ヶ月近くになる。
これまで運動らしい運動なんかしてなかったから、
十階まで行けるかどうか判らねーよなァ。
でも、ここは根性で、十階を目指すんだ。
「なっちさん! 行くよ!」
まず、宿泊客には使われない階段を、私は自分のペースで駆け上がった。
重い。身体がすげー重く感じる。やっぱり、運動不足なんだなァ。
三階くれーまでは、余裕で登って来れたけど、四階あたりから苦しくなって来た。
負けるか! 私は聖ダルセーニョ学園のエースだったんだ。
今やチームジャパンの華になった大山先輩や栗原先輩から、
それこそ地獄のような特訓を受けたんだからなァ。
- 423 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/04/18(月) 10:04
- 「くっ! まだ七階」
脚の筋肉が悲鳴を上げる。
こいつは筋肉痛になっちまうかもなァ。
アンメルツ、あったっけか?
早目に筋肉を温めるのも、痛くならない方法。
くそっ! 息があがって来た。
これだけ運動すれば、美味しい朝食が食える。
私もスタミナ無くなったなァ。
全身の筋肉が酸素を欲しがって暴れてる。
もう少しだ。もう少しでゴールだ!
「八階!」
この八階からが、そりゃきついのなんのって。
膝と足首のバネで、何とか前へ上へと進む。
これでペースを落としたら、たちどころに疲労が出ちまう。
ゴールした時の、気持ち悪いくらいの達成感を得たい。
だからこそ、私はこの苦行を何としてでも達成する。
とりあえず、今の目標は十階に到達する事だ。
「九階!」
あと、もう十数歩でゴールだ。
マラソンでいえば、競技場が見えて来たのと同じ。
踊り場を蹴ると、あと数歩でゴール。
私の額を汗が流れ落ちた。
- 424 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/04/18(月) 10:04
- 「ゴ、ゴール! やったぜ・・・・・・アハハハハ・・・・・・やったー!」
凄まじい疲労感や苦しさも、この達成感で解消される。
私は深呼吸しながら、不足してる酸素を体内に取り込んだ。
心拍が凄い音をたてて聞えて来ると、口の中がカラカラに渇いて来る。
バレーの試合の最中、私達が水分補給をしたのは、
確かポカリスウェットの水割りだったっけ。
冷たいと胃をやられるから、いつも常温にしてたなァ。
練習で息があがると、いつも心臓を氷で冷やしてたっけ。
それだけで、かなり息が楽になった記憶があるぞ。
ふーっ、脚の筋肉を冷やさないとなァ。
・・・・・・って、なっちはどうしたんだ?
「なっちさーん」
「よ、よっC! も、もう限界だべさ!」
なっちの声が階段の下の方から響いて来た。
いったい、なっちは何階あたりにいるんだろう。
もう、私がゴールして、三分は経つってのになァ。
耳を澄ますと、重い足音に混じって苦しそうな息が聞えて来た。
「なっちさん、今、何階にいるの?」
私が大きな声で訊くと、遥か下の方で手摺を掴む手が見える。
幾らなっちが運動不足でも、こんなに差が付くもんかなァ。
四十代後半になったうちのオフクロでも、そろそろ来る頃だぞ。
まァ、オフクロは体力がモノをいう看護師だし、
学生時代はプロレス同好会で活躍してたらしいから別格だけどね。
- 425 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/04/18(月) 10:05
- 「よ、ようやく六階だ、だべさ!」
「何ィィィィィィィィー! ざけんなゴルァ!」
私とごっちんじゃいい勝負。次いで梨華ちゃん。
美貴ちゃんはあれでいて、意外に足が遅いんだよなァ。
でも、負けず嫌いだから、自分の限界を超えて失神したりする。
・・・・・・こんなの、歩いて登っても五分もあればね。
って事は、なっちのやつ、歩いてやがんのかァ?
「まさか、歩いてねーだろうな」
「は、走れるわけないっしょ!」
うーん、なっちは鈍臭いと思ってたけど、まさかこれ程とは。
うちのオヤジやオフクロの方が、まだなっちより体力があるぞ。
立川駅で駐禁を切られそうになった時の見事なダッシュ。
あれは往年のフローレンス=ジョイナーを彷彿とさせたのに。
「ったく、先にシャワー浴びてるからね」
まじで、もっと体力つけないとヤバイぞ。なっち。
- 426 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/04/18(月) 10:06
- 朝のルームサービスは、私達がバスルームから出て来てすぐだった。
まず、牛乳・オレンジジュース・トマトジュース・コーヒーがあって、
何を幾ら飲んでもOKって事は、つまり個人バイキング方式だなァ。
なっちはまず、牛乳を頼んで一気に飲んじまった。
たっぷり汗をかいたから、渇いた体内が水分を要求してたんだろう。
私はトマトジュースを頼んで、まず、果物から食べてみる事にしよう。
「バナナとパイナップルを」
「かしこまりました」
うーん、さすがは帝国ホテルだなァ。
このトマトジュースは、手作りっぽい味がするぞ。
バナナとパインも、かなりの極上品みてーだ。
この時期のパインやバナナだから輸入物だろうけど、
さすがに帝国ホテルが用意するだけの味がある。
私はバナナとパインに舌鼓を打った。
「パンを軽く焼いて欲しいべさ」
「かしこまりました」
小さなオーブンで数秒だけパンを焼くと、
朝食担当の女性が皿にパンを乗せてなっちの前に置いた。
私はオレンジジュースを飲みながら、ホワイトソース風パスタを食べる。
朝は一日のスタートだから、体内でエネルギーになるものが必要。
澱粉質の物は糖質になって、脳や身体のエネルギーになるんだ。
早い話が、クルマでいうガソリンってわけだなァ。
勿論、三食共、万遍なく栄養を摂るのが基本なんだけど、
私にとって朝は特に、一日のエネルギー源が必要だった。
- 427 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/04/18(月) 10:06
- 「このウインナー、物凄く美味しいべさ」
ウインナーか・・・・・・。そういえば、暫くウインナーなんて食ってねーなァ。
私もなっちにつられて、ついついウインナーを食べてみる。
別に変わった物じゃない。ただ、このウインナーは『本物』だ。
ウインナーはブタの腸に、屑肉を詰めたものなんだよなァ。
安物は添加物を使ってるけど、このウインナーは全部ブタ肉だ。
脂肪分が無いとパサパサになっちまうから、肉の部位や脂肪量が大変な作業だろうなァ。
こうした洋食に関しては、なっちより私の方が知識があるみてーだ。
「このバターも凄いぜ。新鮮そのものだよ」
「これってバターだったんだべか?」
採れたての牛乳から遠心分離機で生クリームを採取する。
その生クリームに塩を混ぜて、更に遠心分離機にかけるとバターが出来上がるんだ。
このバターは白いから、まだ酸化してない事になる。
って事は、ここの厨房で作った手作りバターってわけだ。
「温野菜でサラダを」
「かしこまりました」
朝から生野菜は、消化によくないって何かで読んだっけ。
それに、生野菜だと量が多くてなかなか食えないんだよなァ。
軽く湯掻いた温野菜だと、消化にもいいし生の数倍は食えるんだ。
私はサウザンドレッシングで、ほうれん草とアスパラガス、
キャベツ、サラダ菜、ミズナ、そして生ハムを食べる。
早起きして運動すると、朝食でも面白いように入るんだなァ。
そして、ブルーベリージャムを乗せたヨーグルトがデザート。
- 428 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/04/18(月) 10:07
- 「そういえば、ジョギング中、鳥の鳴き声が聞こえたね」
「あれはホトトギスだべさ。『ケキョケキョ』って鳴いてたっしょ?」
あの声がホトトギスなのかァ。こんな都会でも、ホトトギスが生息してるんだなァ。
そういえば、ホトトギスって鳥は狡猾で、勝手に他の鳥の巣に自分の卵を産んじまう。
ホトトギスのヒナってのは、自分の触れたものを排除する習性があるから、
巣の中にいる他の鳥のヒナを地面に落としちまうんだっけか。
被害に遭った宿主は本能のまま、自分の数倍もあるヒナに餌を与え続けるんだ。
「他にはカッコウも鳴いてたべさ。遠くだったから、よっCは聞こえた?」
「えっ? それは気付かなかったなァ」
こんな季節になっても、カッコウなんているんだなァ。
カッコウって、確か渡り鳥じゃなかったか?
まあ、東京は都会で暖かいから、越冬するやつなのかもしれねーな。
カッコウも托卵する狡猾な鳥なんだよなァ。
って、ホトトギスの仲間だから当たり前なんだけど。
都会には、こうした鳥が生き残って行くのかもね。
「ホトトギスの仲間は托卵するっしょ?
でも、宿主のヒナと共存するのもいるんだべさ」
そうか。醜いアヒルの子なんて、そんな話なのかもしれねーなァ。
でも、鳥類って最初に見たものを親鳥って思い込むんだよなァ。
ホトトギスなんて、自分が宿主だと思い込まねーのかなァ。
それでも、今まで絶滅しねーで生き残ってるんだから、
自立する本能や同類を求め合うんだろう。
ホトトギスか・・・・・・。俳句の同人誌に、そんなのがあったっけ。
- 429 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/04/18(月) 10:08
- 朝の帝国ホテル・ロイヤルスウィートの窓から見えるのは、
紅葉が始まった皇居の木々と、だだっ広い日比谷公園だった。
日比谷っていえば、毎年メーデーが行われる会場だったっけか?
そういえば、オヤジやオフクロが高校生くれーの頃、
日比谷公園から暴走した一部デモ隊と警官隊が衝突したんだった。
確か数人が警官に撲殺されて、『血のメーデー』って呼ばれてる。
当時は赤軍なんかの事件もあって、警察庁は左翼を弾圧してたからなァ。
「日比谷公園も、色付いて来たなァ」
ここから国会議事堂までは、歩いても二十分くれーだったっけ。
腹も膨れた事だし、食後の運動に丁度いい距離じゃねーか。
バスって手もあるけど、こんな陽気だったら歩く方がいい。
バスや電車に乗ってると見えないものまで、歩いてると見える時がある。
そうした時って、何だか凄く得した気分になるんだよなァ。
「なっちさん、あそこの・・・・・・って寝てるよ!」
なっちはバスローブ姿のまま、ソファに転がって寝息をたててた。
まァ、朝からあれだけ運動すれば、眠くなるのも仕方ねーか。
それでなくても、なっちは運動不足って感じだもんなァ。
私なんか大山先輩や栗原先輩から、ゲロ吐くまでシゴかれたんだ。
お陰で春高バレーの地区予選じゃ、いいとこまで行ったんだけどね。
「起きろゴルァ!」
私がバスローブの紐を引くと、なっちは一回転して床に落ちた。
驚いたのか寝惚けたのか、「なっちはパクってないべさァァァァー!」なんて言ってる。
- 430 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/04/18(月) 10:08
- 「何をパクったんだよ。何を。まさか、塩でもパクったのかアアン?」
「ほえ? お塩? 塩は『ソルト』だったべさ」
そんな昔話はいいから、そろそろチェックアウトの支度しねーと。
えーと、今日の予定は国会図書館と、江戸資料館だったっけ。
国会図書館までは歩けるけど、江戸資料館は江東区深川だったよなァ。
霞ヶ関から半蔵門線で、清澄白河まで行けばいいんだっけか?
国会図書館近辺より江戸資料館近くの方が、昼食を摂るにはいい場所だ。
「早くしねーと日が暮れちまうよ」
「しまった! 寝過したべか?」
まだ九時半だけど、チェックアウトは十時って相場が決まってる。
これだけハイクラスのホテルならまだしも、ビジネスホテルなんかだと、
九時前から早くチェックアウトした客室の掃除を始めるからなァ。
物凄く居辛くなって、結局十時前にチェックアウトしちまうんだ。
「早く髪を乾かせ! 化粧しろ! 荷物をバッグに詰め込め!」
「べべべべ・・・・・・べさァァァァァァァー!」
あの鈍いなっちが、凄い早さで支度を始めた。
右手でドライヤー、左手で歯を磨いてるじゃねーか。
基礎化粧しながら荷物の整理。そして着替えるまで僅か十分。
後はリップクリームを塗れば終わりってか?
やれば出来るじゃねーか。
そんじゃ、フロントに電話してチェックアウトだな。
えーと、フロントは・・・・・・。
- 431 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/04/18(月) 10:10
- 今日のところは、これにて失礼致します。
また、近い内に更新しますので、宜しくお願い致します。
それにしても矢口・・・・・・。
- 432 名前:名無し 投稿日:2005/04/19(火) 22:18
- 更新乙です。
やはり某狩板のあの作品の作者さんでしたか。
文章がにてるなーと思ってました。
これからも楽しく読ませて頂きます。
- 433 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/04/22(金) 11:16
- >>432
ありがとうございます。
狩板から読んでいて下さったとは嬉しい限りです。
こうしたレスは、私にとって物凄く励みになります。
特にモチベーションを維持して行くには、どんなものより良薬です。
これからも、宜しくお願い致します。
- 434 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/04/22(金) 11:18
- 〔修学旅行・6〕
何とか無事にチェックアウト出来た私達は、
それぞれのバッグを担いでホテルの玄関を出た。
秋空ではあったけど、まだ日中は汗ばむくらいの陽気。
私はジャケットの胸ポケットからレイバンのサングラスを出した。
日本人にレイバンが似合う奴なんて、そんなに多くはない。
だいたいコーカソイドに合うように作られてるんだから、
モンゴロイドの日本人に合うわけがねーや。
って誰だ? 私達に近付いて来るのは。
「安倍様、吉澤様。国会図書館までお送り致します」
またリムジンじゃねーか。
きっと、オヤジが手配したんだろう。
ブルジョアの姫様じゃあるまいし、
普通の女子高生と女子大生なんだぜ。
リムジンで国会図書館に行ったら、
みんな何事かと警戒されちまうよ。
「いいよ。腹ごなしに歩いて行くから」
十時ともなると、かなり暖かくなって来る。
私は陽気に誘われ、分厚いレザージャケットを脱いで、
薄手のブラウスだけになった。
ピーカンの雲ひとつ無い空だけど、やっぱり秋の匂いがする。
こんな大都会にも、四季があるんだと痛感した。
- 435 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/04/22(金) 11:18
- 「歩くんだべか? ・・・・・・しょうがないねえ」
朝から身体を動かして、なっちは歩きたい気分じゃないはずだ。
その証拠に、朝食後には転寝しちまったくれーだしなァ。
でも、この大都会を、私は自分の足で歩いてみたかったんだよね。
勿論、東京全部を歩けるわけじゃない。そんな事は判ってる。
だからこそ、国会図書館まで行って、近世から近代の歴史を調べるんだ。
「激しい運動の後は、スローペースで運動するといいんだってさ」
血行を良くしていると、筋肉痛になりにくいらしい。
それに、こんなにいい天気なのに、外の空気を吸わないのは勿体無い。
このあたりは、東京の中でも緑の多い場所なんだよね。
連休中のせいか、人もクルマも多くないし。
「よっC、ここって本当に東京なんだべか? 妙に人がいないっしょ?」
「このあたりはオフィス街だからなァ。休日はゴーストタウンだよ」
ドーナツ現象って言われ出して、もう何十年になるんだろうなァ。
以前は山手線の内外だったけど、今じゃ通勤圏はその何十倍にも広がった。
中央線で行けば、高尾までは完全な通勤圏内だし、
東海道線じゃ通勤用の湘南ライナーなんてのがある。
京王線が橋本まで進出して、相模原も通勤圏内になった。
西武や東武、常磐線、東北線、京葉なんかが延長や乗り入れを始めて、
もう隣接県は、立派な通勤圏になっちまった。
最近じゃあんまり聞かなくなったけど、
バブルの頃は新幹線通勤なんてのもあったなァ。
- 436 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/04/22(金) 11:19
- 「イチョウが黄色くなって来たなァ」
かなり原始的な植物と言われるイチョウは、東京の道路を黄色くしちまう。
そういえば、ソメイヨシノも落葉樹だったっけかなァ。
春には淡いピンク色の花を咲かせ、すぐに若葉へと変わっちまう。
燃えるような緑の季節を過ぎると、今度は枯れて落葉。
そして無機質な季節を耐え、また花を咲かせる。
私はそんなソメイヨシノが大好きだった。
「銀杏を塩で炒ると、凄く美味しいべさ」
「そうそう。日本酒に合うんだよなァ」
「・・・・・・未成年は飲酒禁止されてるべさ」
「なっちさんが飲まねーから、オレが代わりに飲んでるんだよ」
法律的にはイケナイコトだけど、筋は通ってるよなァ。
確かに私は未成年だけど、酒類なんかほとんどが税金だぞ。
そうかんがえると、飲酒する私は高額納税者じゃねーか。
旧国鉄の債権補填に、かなり貢献してるんだぞ。
「桜田門を通るべよ。逮捕して貰おうか」
「飲酒・喫煙は現行犯じゃねーと無理だよ」
そんな話をしてると、噂の桜田門にさしかかる。
ここが国家権力の中枢。思想監理団体の巣窟だ。
警察は行政でありながら司法権を持ち、
立法に関する事まで手を広げている。
このままじゃ、ちょっと怖い世の中になりそうだなァ。
- 437 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/04/22(金) 11:20
- 「あれが警視庁の新庁舎で、隣が警察総本部。その手前が警察庁なんかの合同庁舎」
なっちはガイドブックを見ながら、立派な建物を指差して言った。
桜田門っていえば、幕末に井伊直弼が暗殺された場所だったっけ。
日本人は戦国時代に次いで、なぜか幕末が好きなんだよなァ。
特に池田屋事件での映画には、必ず階段落ちのシーンがある。
つかこうへいの『蒲田行進曲』じゃ、凄まじい階段を作って、
そこから転がり落ちるっていうテーマだったよなァ。
「警察庁は旧特別高等警察の延長だべさ」
一億総右傾化が進む中、警察庁は対テロを重視してるという。
一九七〇年代前半までは、学生運動なんかで思想監理が強化されてた。
でも、赤軍派が全滅してからは、共産主義者への監視も緩くなったみたい。
その反面、金融関係や公的機関利用者には、本人確認法を適用させてる。
テロリストへの資金供与を阻止するっていう触れ込みだけど、
警察が個人の経済情報を管理しやすいっていう見方も出来るよなァ。
「警察なんかに用はねーよ。さっさと国会議事堂に行こうぜ」
桜田門を通り過ぎると、もう国会議事堂が見えて来た。
国会議事堂は正面から向かって右が参議院、左が衆議院になってる。
その横に首相官邸・公邸があって、議事堂の裏手は各議員会館だ。
会期中、議員はここに詰めて、政策を練ったり陳情を訊いたりする。
その忙しさたるや、一般的な公務員の比じゃねーらしいぞ。
自分の選挙区で遊説もしねーといけねーし、休む暇がねーじゃんか。
もっと地方分権をして、中央集権体制を緩和すりゃ、
国会議員も暇になるし、数を減らす事も可能だ。
- 438 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/04/22(金) 11:20
- 「国会議事堂に用は無いっしょ? 用があるのは国会図書館だべさ」
国会図書館も、議事堂のすぐ横にあるんだっけ。
何だか厳かなイメージがあるけど、国会図書館って、
十八歳以上なら誰でも入館する事が出来るんだよなァ。
また、会員になると、複写の郵送サービスなんてのもやってくれる。
でも、私に必要なのは、議事録の閲覧なんかじゃねーんだ。
センター試験問題は、明治〜昭和が多いって話だから、
そこらへんの知識を強化しねーとなァ。
「通常国会の会期中、各委員は大忙しなんだべよ」
なっちの話によると、予算委員会だの環境委員会だのがあって、
全体で行う議会なんてのは、ほんの少しだけだそうだ。
わけの判らない委員会の数は、凄まじく多いらしくて、
議席の少ない政党なんて掛け持ちが当たり前らしい。
こういったところが、数=体制に有利なもんだって事だなァ。
だから、少数の保守政党は、みんな与党に入りたがる。
ところが、最大政党の自民党は、会派の対立が後を絶たない。
やっぱり、集金力のある派閥が、幅を効かせてるんだよなァ。
「なっちさん。国会記者クラブってあるじゃん。あれって?」
テレビなんかで、国会記者クラブからの中継等があるよなァ。
でも、警視庁記者クラブみてーに、事件の内容発表なんてねーみてーだし。
その反面、新聞の一面を飾る事が多いけど何か理由でもあるんだろうか。
国会の審議内容や、各党の意向なんかを取材してるみてーだけど、
どの新聞社でも、成り行きの予測をしてる場合が多いもんなァ。
- 439 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/04/22(金) 11:21
- 「あれは事前に登録したマスコミで、担当記者を送り込んでるんだべさ。
長く記者をやってれば、議員と顔見知りになるっしょ?
そこから情報を得て、特ダネを狙ってるんだべよ」
どんな重要事項・極秘事項でも、誰かが口を滑らしちまう。
そういったカモを狙ってるのが、派遣された記者達ってわけか。
国会記者クラブなんてとこは、生き馬の眼を抜く世界なんだなァ。
朝刊一面のトップを飾れば、出世に大きく影響が出るそうだからよ。
それにしても、最近の議員は口が固くて、記者も困るだろうなァ。
口が固過ぎたお陰で、あれこれ詮索される議員もいる世界。
逆に口が軽過ぎて、非難される事の多い総理大臣経験者。
「最近は『ノーコメント』の議員が多いけど、
記者は表情や状況から周囲の事が判っちゃうらしいべさ」
そいつはすげーなァ。そこまでやらねーと、記者になれねーのかよ。
大学で心理学でも専攻してりゃ、新聞社じゃ政治部に配属されるのかァ?
最近じゃ女性記者も増えてるけど、みんな心理学を専攻したのかなァ。
大学で心理学を専攻してりゃ、新聞記者になれるのか?
「そうかァ。政治関係記者って、きっと物凄い勘なんだなァ」
「一種の職人だべよ。記者っていうのは」
政治関係の報道ほど、記者の思想が反映されるものは無い。
新聞社によっては、保守思想色の濃い記者ばかり集めてるとろもあるし、
反体制思想色の濃い記者ばかり集めているところもある。
まァ、記事がそのまま掲載されるわけじゃなくて、
編集者による添削なんかが当たり前だろうしなァ。
- 440 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/04/22(金) 11:21
- そんな事を話しながら、私達は国会図書館に入って行った。
隣りには新しい子供用の図書館もあって、意外にオープンな雰囲気。
こうした施設も必要なんだろうけど、カネがかかってるなァ。
かといって『国会』って名が付く以上、粗末な建物には出来ねーだろうし。
日本で最多の文書・書物を所蔵するんだから、これだけ大きくても仕方ねーか。
「皇居は千代田区にあるから江戸城は平城だと思ってる人も多いべさ。
だけど、東京は大半が埋立地だから、当時は水城だったんだべよ」
これまでに類を見ない巨大な水堀に、高い石垣と土塀。
大手門はそのまま、町の名前にまでなったくれー立派だった。
他にも小城に匹敵するくれーの櫓や二重の水堀。
いくら謀叛をしようとしても、江戸屋敷にいる少人数じゃ、
決して落城しないように計算され尽くされてる。
そんな江戸城も、その機能を果たさないまま壊されちまった。
「ここじゃ、明治時代〜昭和の文献を探すべさ」
幕末から文明開化かァ?
戦国時代に次いで、幕末は日本史ヲタの巣窟。
将軍の徳川喜慶はケツを捲っちまったから、
幕府軍は京から江戸、会津そして五稜郭まで敗走する。
新撰組も土方歳三なんかは、五稜郭まで官軍と戦った。
この時、フランス人の軍事顧問がいた話は有名。
最後まで一緒に戦おうとしたフランス人に、
幕府軍の武将達は尊敬と友情を感じたって話だ。
いい話じゃねーか。フランスマンセーだなァ。
- 441 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/04/22(金) 11:22
- 「遷都後、各地で叛乱が勃発するっしょ?」
そうだった。西郷隆盛なんかは、利用されて捨てられた一人。
新体制が整う前には、必ずどこかで叛乱が起きるものなんだ。
そうした苦難を乗り越えないと、新しいものは生み出せない。
大坂の陣しかり戊辰戦争しかり、アメリカの南北戦争しかり。
「明治天皇は王朝復古と共に、近代化を推進したんだべよ」
明治政府が行った近代化の推進は、日本国民がついて行けないくれー急速だった。
廃藩置県から西洋文化の導入。鉄道や郵便事業の設置。身分制度の廃止等。
まァ、身分制度の廃止なんていったところで、イギリスをモチーフにしてたから、
いわゆる貴族・華族と呼ばれる人達もいたのは事実なんだよなァ。
でも、幕府が無くなったわけだから、『武家諸法度』や『禁中並公家諸法度』は白紙。
元武士を中心とした公務員制度へと変換されて行ったんだ。
「近代史の本は、ここらあたりだべね」
西南戦争が終わると、士族の組織的な抵抗が集結する。
このあたりから、岩倉具視の名前がクローズアップされて来るんだ。
明治天皇は岩倉使節団を使って、西洋の政治体制の研究を始めた。
自由民権運動が活発化して、佐賀の乱で江藤新平が敗れる。
そして徴兵令、伊藤博文による内閣の発足って事になるんだっけ。
一八八九年(明治二十二年)の二月十一日に公布されて、
翌年十一月二十九日から施行されたのが大日本国憲法。
つまり、明治政府は二十二年かけて、ようやく近代化の体制が整った事になる。
四百年近い鎖国をしてた日本は、僅か二十二年でヨチヨチ歩きを始めたんだ。
- 442 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/04/22(金) 11:23
- 「まず、明治維新の概念から見てくべさ」
明治維新自体は、国内矛盾と外交の面から、
政治的・体制的に新国家形成をしたってとこかなァ。
徳川幕府が傾いたのも、開国が原因だと言っていい。
実際には京都で勅があったわけで、東京に遷都したのは、
一八六九年(明治二年)になってからだもんね。
「明治維新の終結には、幾つも説があるんだなァ」
「中には自由民権運動と混同してる部分もあるべさ」
明治維新自体は、一八七七年(明治十年)の西南戦争終結をもって終わりでいいと思う。
武士政権の終結が目的だったわけだから、一応の目安がついたって感じかなァ。
王朝復古をもって、明治維新は終結とした方が、潔くていいじゃねーか。
これ以降は内政改革や制度変更等、具体的な目的が別になるからなァ。
まァ、こうした曖昧な部分は、絶対に試験には出ねーから安心は安心。
でも、こうした部分だけは、どうしても記憶に残っちまうんだよな。
「明治時代は維新〜自由民権運動〜憲法制定〜日清・日露まで押えとけばいいっしょ」
この流れに年号と関与した人物をコラボレーションさせて行く。
ええと、井伊直弼、勝海舟に桂小五郎、坂本竜馬、西郷隆盛、
新撰組は近藤勇、土方歳三、沖田は一番隊長だから下っ端か。
大久保利通、岩倉具視、板垣大助、伊藤博文、江藤新平。
大隈重信、山縣有朋、黒田清隆、陸奥宗光、桂太郎。
一八七一年、廃藩置県。一八七二年、太陽暦採用。
一八七四年、佐賀の乱。一八七七年、西南戦争。
まァ、色々とあったんだわな。明治時代は。
- 443 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/04/22(金) 11:24
- なっちが私を国会図書館に連れて来たのは、
近代日本史の勉強の他に、政治・経済の勉強の意味もあった。
そういえば、私は政治や経済が少しばかり苦手なんだよなァ。
日本国憲法は、基本的人権の尊重・平和主義・国民主権が三本柱。
でもよ。『基本的人権の尊重』って何よ。尊重されるだけかよ。
これって、民主主義の大原則、数の暴力=多数決と同じじゃん。
少数意見の尊重。尊重されるだけなのかよ。
『平和主義』っていっても、『平和』の意味が曖昧じゃねーか。
国家転覆を企んだ新興宗教に、破防法を適用しねーとかよ。
要するに、共産主義に対してしか破防法は適用しねーのか。
それと、何が『国民主権』だっての! 主権が国民にあるか?
日本の主権ってのは、官僚にあるんじゃねーのかよ。
みんな、テメエ達の都合に合わせた法律しか作らねーじゃんか。
「政治・経済に関する書物・文書は、全部ここに集約されてるべさ」
そりゃそうだろう。だから国会図書館なんだろうし。
私もそろそろ、日本国憲法全文くれーは憶えておかねーとなァ。
問題は経済。私は経済が苦手なんだよなァ。
インフレって何よ。デフレって何よ。
為替相場、金融ビッグバン、わかんねー!
だって、理数系進学クラスだから、政経なんてやってねーもん。
中坊の頃、ちょっとだけ社会科で触れた気がしたけど。
「なっちさん。オレ、経済が全くわかんねーんだけど」
政治に関しては少しだけ判るものの、経済なんか全くのお手上げ。
その事を話すと、なっちは少し考えてから、私を連れてロビーに出た。
- 444 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/04/22(金) 11:24
- 「資本主義と共産主義って判るべか?」
「うーん・・・・・・。よくわかんねー」
ここで、誰にでも判りやすいなっち先生の授業だ。
資本主義っていうのは、自由に生産して行く体制の事。
誰もが自由に生産すれば、物が余っちまうわけだなァ。
生産が消費を上回れば、当然ながら売れなくなっちまう。
だから、生産者は少しでもいい物を作ろうと競争するんだ。
「成る程ね」
一方の共産主義ってのは、計画的に生産する体制の事。
こっちは消費に合わせて生産して行くから物が余る事は無い。
でも、競争ってものがねーから、技術の向上がねーんだ。
「だから、資本主義と共産主義って、一長一短なんだべよ」
「そうだったのかァ。でも、好景気・不景気って?」
英語で言えば Good Times と Bad Times だったっけか?
簡単に言えば、物が売れるのが好景気で売れないのが不景気。
だから、共産主義体制には好景気・不景気ってものが無い。
これには波があって、必ず交互に訪れるものらしい。
物が売れれば、それだけ生産しなきゃいけないから、
雇用や設備投資が活発になるんだよなァ。
雇用が増えれば消費も増えるから、更に好景気になるんだ。
生産者は借金してまで設備投資するから金利が上昇する。
借り手が多けりゃ、金利が上がるのは当然だよなァ。
- 445 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/04/22(金) 11:24
- 「でも、今は不景気じゃん。不景気が続いてるよ」
バブルが弾けてから、消費が急激に減ったんだよなァ。
びっくりした生産者は、設備投資と雇用を抑えちまった。
それが悪循環になって、リストラなんて言葉が横行し始める。
そうなると、雇用が減って消費も減るから、不景気に輪をかけちまう。
銀行だって潰れる時代だからなァ。一九三〇年代の米国大恐慌と同じだ。
あの時はニューディール政策で、米国は危機を乗り越えたんだっけ。
今の日本に必要なのは、効果的な政策なんだよなァ。
「そりゃそうっしょ。雇用が回復しない限り、景気の回復なんて有り得ないべさ」
経営者達は連鎖的に、困ってもいない人件費の削減を提唱したんだよなァ。
骨抜きにされた労働組合は、ただの集票組織になっちまって、
最大の目的である組合員の労働条件改善なんか無視されてる。
公務員以外に与えられている労働者の三大権利、
団結権、団体交渉権、争議権の意味が無くなってるんだ。
「クリントン前大統領は、米国の経済を立て直したよね」
「知日派のクリントンは、円高に追いやって日本を犠牲にしたんだべよ」
円高ドル安になれば、日本製品が売れなくなっちまう。
日本国内の消費は限界に来てるから、ドル計算で売るしか無くなった。
そこで、日本はアジアの後進国に工場を移転したんだっけ。
そうやって生産コストを抑えて、何とか生き残って来たんだ。
そのお陰でアジア後進国のGDPが上がり、日本製品が売れ出す。
今やアジアの国々じゃ、日本製品を買うのがステータスだそうだ。
それにしても、なっちは何でも知ってるなァ。
- 446 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/04/22(金) 11:26
- 今日はこれにて失礼致します。
また、是非ともレスしてやって下さい。
- 447 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/04/26(火) 11:47
- 修学旅行・7〕
国会図書館での勉強は、私にとって大いに役立った。
先の戦争は勝者の論理にすぎねーんだよなァ。
日本はアメリカに虐められて、周囲の国と共に鎖国しようとしたんだ。
原油の産出地域が必要なため、日本はどうしても東南アジアが必要。
結果的にイギリス・フランス・オランダの植民地に侵攻した。
インドシナにクメール王朝を復活させたりして、
日本軍は次々に植民地を開放して行ったから歓迎されたらしい。
「日本の誤算はパールハーバーに尽きるべさ」
アメリカなんて大国を相手に、日本は勝てない戦争を始めた。
ノモンハンでソ連の実力を知った日本は中立条約を締結。
よせばいいのに関東軍は、インドまで攻め込んで大打撃を受ける。
日本は手を広げ過ぎちまったんだよなァ。
「でもさ。アメリカも酷いね。東京を無差別爆撃したし」
「あれは下町の小さな工場を狙ったんだべよ」
当時、東京の下町には、多くの町工場があったらしい。
そこで軍から委託された物を作ってたそうだ。
東京大空襲には、そういった戦略的な意味と、
日本国内の工業に打撃を与えるといった経済的な意味があったらしい。
それでも、広島・長崎に投下された原爆だけは許せない。
あれこそ、日本人を実験材料にしたアメリカの残虐行為。
でも、勝てば官軍だから、日本人は泣き寝入りするしか無かった。
- 448 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/04/26(火) 11:48
- 半蔵門線に乗るため、私達は永田町へ向かっていた。
半蔵門線は他の地下鉄より下を行くから、地下四階くらいになる。
銀座線は穴を掘って埋めたんだけど最近の地下鉄は違う。
半蔵門線等新しい地下鉄は、もう手掘りなんかじゃなくて、
毎分一メートルくれーで掘れる機械を使ってるんだ。
「えーと、清澄白河で乗り換えだべね」
「なっちさん。江戸資料館は清澄白河下車だよ」
深川江戸資料館は、江戸時代の下町を再現してるんだっけ。
メガロポリス江戸は、色々な職業があったんだよなァ。
特に深川あたりの下町じゃ、店が少ないって事もあってか、
天秤棒を担いだ物売りが大勢いたそうじゃねーか。
アサリ&シジミ売り、一心太助で有名な魚売りがそうだなァ。
「誰が深川だって言ったんだべさ」
「ええっ! 違うのォ?」
深川だぜ深川。あの深川なんだよォ。
深川っていったら、あの松尾芭蕉が住んでたんだぜ。
深川鍋。ああ、深川鍋食いてーのにィ!
「両国の東京江戸資料館に決まってるっしょ」
両国っていったら、相撲部屋がなかったかァ?
そういえば、美味い寿司を食わす店があったっけ。
まァ、両国に着いたら、ケイタイで調べればいいか。
半蔵門線で清澄白河まで行って、都営浅草線に乗り換えだったなァ。
- 449 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/04/26(火) 11:49
- 「両国だと丸の内線でお茶の水まで行って、JR乗り換えもあるなァ」
治安上の問題かどうか知らねーけど、皇居の地下だけは地下鉄が通らねーなァ。
だから、東京にはどうしても、直線的な地下鉄ってもんが無い。
そうだよなァ。皇居にだけ核シェルターがあったら都民の不満が爆発しちまう。
そうでなくても、皇室じゃ御家騒動勃発中だしなァ。
女帝だって多かったんだから、愛子天皇でもいいじゃんか。
宮内庁なんて遺跡の管理だけやってりゃいいのに、
何で日本の象徴を決めたがるんだろう。
「JRの方が近いべさ。だから丸の内線で・・・・・・」
「アハハハハ・・・・・・。今日はもういいけど、少しは歩こうね。なっちさん」
最近の日本人は足腰が弱っちまってる。
だからこそ、少しでも多く歩いて鍛えねーとなァ。
私だって疲れるけど、そこは根性で頑張るしかねーよ。
適度な運動は、頭にもいいって話だしなァ。
「お腹すいたべさ」
「そうだね。両国に美味い寿司屋があるらしいよ」
永田町の一番下まで降りると、ホームが筒状になってる。
例の工作機械で掘ったから、どうしてもそうなるんだそうだ。
確か『シーリング工法』って言ったっけかなァ。
土木は専門外だから、あんまり詳しくはねーけど。
ただ、東京ってのは埋立地が多いから、大丈夫なのかね。
直下型地震なんて来たら、地盤が液状化して地下鉄なんて終わりじねーか?
詳しい事は、地質学者にでも訊かねーと判んねーけど。
- 450 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/04/26(火) 11:50
- 「柳川の江戸資料館もいいけど、下町の事だけっしょ?」
そうだよなァ。下町の生活だけ判ったとこで、どうしようもねーや。
柳川っていうと、鍋物か松尾芭蕉が住んでたってくれーだもんなァ。
庶民の生活だけじゃなくて、武士の生活も判んねーと話にならねェ。
同時進行してたわけだから、それで一対なんだよなァ。
「なっち、地下鉄って、何だか怖いんだべさ」
「どうして?」
「何か息苦しくて」
「・・・・・・」
そういえば、ここらで地下鉄サリン事件があったっけ。
あれは完全なテロだったのに、裁判は殺人事件だったなァ。
もし、あれがサリンじゃなくてペスト菌だったら、
もっと多くの犠牲者が出てただろう。
ペスト・狂犬病・AIDSの三種類は、
発症したら助かる見込みがねーからよ。
「なっちさん、何か感じたりする?」
「ア、アハハハハ・・・・・・。ちょっとね」
地下鉄サリン事件被害者の無念が残ってるのかなァ。
みんな供養されたから、霊は残っていねーとは思うけど、
無念の思いが残留思念を生むって言うじゃねーか。
霊感の強いなっちには、そうした事が感じるのかなァ。
なっちは少しだけ震えてたけど、私はあまり怖くなかった。
- 451 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/04/26(火) 11:50
- 『一番線に電車が参ります。危ないですから、白線の内側に・・・・・・』
地下鉄ってのは、地上を走る電車と違って凄まじい音がする。
どうしても、音が反響しちまうからなんだけど、
狭い空間を物体が移動するから、自然に風が発生するんだよなァ。
マリリン=モンローなんかの、地下鉄の排気口でスカートが捲れるやつ。
東京にはああいった施設が、今でもあちこちにあるんだった。
「さあ、来たべよ」
半蔵門線っていっても、半分は乗り入れしてる東急の車輌を使ってる。
まあ、東京メトロ自体が、東急車輛に発注してるから仕方ねーんだけど。
私は銀座線のパンタグラフを切った時に、一瞬だけ停電する車輌が好きだったなァ。
どことなく、都電っていうか路面電車をイメージさせてたからね。
何となく今でも江ノ電あたりじゃ、走ってそうな気がするなァ。
『ドアが閉まります・・・・・・』
さすがに休日だけあって、車内はガラガラもいいとこだった。
私達は適当な場所に座ると、耳に口を近付けて話を始める。
この東急線の車輌は、以前までの旧型と違ってて、
ダイヤを正確にするためか、急発進・急停車気味なんだよなァ。
「なっちさん、妊婦が多いね」
私達の周りには、驚くほど多くの妊婦が座ってた。
少子化が進む中、ここまで妊婦が集中するのは、産婦人科くれーだぞ。
私は何だか気味が悪くなって、なっちの腕に抱き付いた。
- 452 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/04/26(火) 11:51
- 「ああ、みんな水天宮に行くんっしょ」
水天宮? そういえば、そんな駅があったっけ。
でも、何で妊婦が水天宮になんか行くんだろうなァ。
有名な産婦人科でもあるのかァ? って今日は休日か。
休日に診療してる産婦人科でもあるのかなァ。
「なっちさん、何で水天宮なの?」
「だって、水天宮は安産の神様っしょ」
そうだったんだ。水天宮って安産の神様かァ。
それじゃ、石黒先生もここに来たのかなァ。
水天宮ってのは『古事記』の冒頭に出て来る神様。
天御中主大神と安徳天皇・二位の尼・建礼門院の四神が祭られてる。
安徳天皇は僅か六歳にして、壇ノ浦で入水した不遇の天皇。
二位の尼は平清盛の奥さんで、安徳天皇のお婆さんだったっけ?
建礼門院は徳子っていって、清盛の娘・安徳天皇の母親だったよなァ。
「そうかァ。今日は休日で、しかも戌の日」
戌の日ってのは、安産祈願には絶好の日和なんだよなァ。
十二支の中で、犬が最も身近でお産が楽そうだからだろうね。
考えてみれば、食物連鎖から行けば羊は勿論、
牛馬が犬より下位なのに、意外と難産なんだよなァ。
子孫繁栄から行けばネズミだろうなァ。
一対のネズミがいれば、十年後には天文学的数字になってるからよ。
繁殖力から行けば、ニワトリも負けてねーってか。
何しろ毎日産卵するんだからよ。
- 453 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/04/26(火) 11:52
- 「ね。そうっしょ?」
本当だ。水天宮に着くと、妊婦さんとその母親らしい女性まで降りて行った。
今の女性は産休まで働いてるから、こうした連休に来るんだろうなァ。
それにしても、凄まじいまでのマタニティ軍団じゃねーかよ。
茶髪のヤンママや、お腹の子は恥かきっ子といった女性までが、
まるで民族大移動のように、ゾロゾロとエスカレーターに向かって行く。
「何か物凄い風景だったなァ」
動き出した車窓から振り返ると、ホームを歩く妊婦達全員が、
あの怖い怖い石黒先生に見えてギョッとした。
石黒先生=数学=数式が頭の中を駆け巡ってる。
いけね。今日は社会見学だったっけ。
「で? 明日は近代美術館?」
「そうだべさ。美術も日本史と大きな関係があるっしょ?」
そうだった。広重や歌麿といった江戸時代の日本画。
それが明治になって、西洋美術が入って来くると、
コラボレーションして新しい画風が出来たんだ。
こうした美術史も、センター試験には出るみてーだし。
「それより昼飯。両国に美味しい寿司屋があるよ」
地下鉄の中じゃ女同士の会話は聞取りやすい。
どうしても、低いノイズが多いせいだろうなァ。
ええと、次が清澄白河だ。乗り換えじゃん。
- 454 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/04/26(火) 11:53
- 両国に着くと、まず昼飯を食う店を探した。
ケイタイのサイトで『寿司・やまだ』を検索してみる。
あったあった。この一本裏手の路地かァ。
東京江戸資料館は大通り沿いだから、
その向かいの一本裏手の路地みてーだ。
「なっちさん、この裏あたりだよ」
「何が美味しいんだべか?」
「『江戸前握りのお任せ』がいいみてーだよ」
ここらは相撲部屋があるから・・・・・・いたいた!
見事な大銀杏じゃねーか。こいつは幕内力士かァ?
もう秋だってのに、力士は裸足に雪駄、浴衣だけで歩いてる。
しかも、背中が汗で濡れてるぞオイ。
確かに小春日和だけど、普通は歩くだけじゃ汗かかねーぞ。
「さ、さすがに両国だべね」
なっちも三倍くれーありそうな力士に圧倒されてる。
まァ、大銀杏を結うくれーだから、幕内なんだろうなァ。
そんな力士の後姿を見ながら、私達は『寿司・やまだ』を見つけた。
「らっしゃいませぇ!」
この威勢のいい声は、どうやら店主らしい。
自慢の腕を振るいながら、先客の寿司を握ってるみてーだ。
ちょっと怖い顔をした小太りの店主は、常連客と話をしながら握ってる。
そうだよなァ。寿司屋のオヤジは、話が上手くねーとなァ。
- 455 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/04/26(火) 11:54
- 「こっちに座ろうか」
私は空いてる座敷に上がった。
どうもこの店主は、どこかで見た気がする。
それがどこで、いつ見たのかまでは思い出せなかった。
私達が店内を見回しながら靴を脱いで座敷に着くと、
エプロン姿の女性がお茶とおしぼりを持って来る。
ここの奥さんなのかなァ。
「『江戸前握りのお任せ』を二人前だべさ」
「はい。『江戸前握りのお任せ』ですね。握りお任せ二丁!」
「あいよ! 握りお任せ二丁!」
常連客と話をしながらも、私達に愛想を振り撒く店主。
威勢のいい声が、実に小気味良く聞こえるよなァ。
『寿司・やまだ』なんて野暮ったい名前だけど、意外に気持ちのいい店じゃねーか。
まァ、こじんまりしてて、あんまり立地条件のいい場所じゃねーけどよ。
どうも『美味い』って評判になると、天狗になっちまうやつが多いのになァ。
こういった謙虚な職人こそ、これからの寿司業界に必要な人材だ。
「さすがに頑張ってるねえ」
「そりゃそうですよ。元気に生まれましたからねぇ」
どうやら、ここの店主に子供が生まれたみてーだ。
それで張り切ってるんだろうなァ。
子供が生まれるって、親になるってどんな感じなんだろう。
こんな私でも、いつかは親になるのかなァ。
- 456 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/04/26(火) 11:54
- 「元気のいいオヤジさんだべねえ」
「えへっ! 子供が生まれましてねぇ。三人目の」
へえ、このオヤジ、三人も子供がいるのかァ。
そういえば石黒先生も・・・・・・げげーっ!
石黒先生は旧姓を使ってるんだったっけ。
まさか、石黒先生の本名は・・・・・・山田彩。
こんな偶然があっていいのかァ?
「なななななな・・・・・・なっちさん」
「ほえ?」
(あの人、石黒先生の旦那さんじゃねーの?)
「そんな事あるわけないっしょ。苗字が違うべさ」
いけねェ! なっちは石黒先生が旧姓だって知らねーんだ。
たった二週間だけの教育実習生に、わざわざ旧姓なんて言わねーもん。
しかも、社会と数学なんて教科が違えば尚更そうだよなァ。
だいたい、なっちは石黒先生にびびってたからよ。
圭織さんと逢う時に、あれだけ緊張してたんだからなァ。
「ねえオヤジさん。石黒彩なんて知らないべよね」
うわっと! 言っちまったか!
ああ、そうだ! 思い出したぞ。
職員室の石黒先生の机の上。
確か、あそこに写真が挟んであって、
そこには二人の女の子と・・・・・・。
- 457 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/04/26(火) 11:55
- 「聖ダルセーニョ学園の人? 彩は女房だけど」
「・・・・・・べべべべべべさァァァァァァー!」
なっちが驚くのも当然だよなァ。
私だって石黒先生の旦那が寿司屋だなんて知らなかったもん。
そういえば、職人だって聞いた記憶があるけど、
まさか寿司職人だとは思わなかったよ。
だって、職人さんって聞くと地下足袋のイメージがあるし、
何か道具を使う仕事って感じがするもんなァ。
しかし、世間ってのは狭いもんだぜ。
「きょきょきょきょ・・・・・・教育実習ではお世話に・・・・・・」
「うっす。三年の吉澤ひとみです」
こうなったらヤケだ。ストレートに自己紹介しちまえ。
・・・・・・って、なっちは何を固まってるんだァ?
バレちまったもんは仕方ねーじゃんか。
こうなったら、何かサービスして貰おうじゃん。
可愛い生徒と教育実習生が来たんだからよ。
「何だ。女房の知り合いかよ。よっしゃー! ビール一本サービスしちゃうよ」
やったー! おおっ! エビスビールじゃねーか!
こいつは美味いんだよなァ。へへっ、ラッキー。
なっちは下戸だから、私が美味しく頂いちゃおうじゃん。
江戸前の握り寿司を食いながらエビスビールなんて、
今日はツイてるじゃねーかよ。
- 458 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/04/26(火) 11:56
- 「吉澤ァァァァァァァー!」
エビスビールの栓を抜こうとした瞬間、私は聞き覚えのある声に仰天した。
思わず振り向いてみると、そこには眼を吊り上げた石黒先生がいる。
ヤバい。冷静に考えて、こいつは物凄くヤバい状況だと思う。
だって、未成年なのに、しかも聖ダルセーニョ学園高等部三年なのに、
私は提供されたアルコールを飲もうとしてる状態だからなァ。
「いしいしいし石黒先生! 何でここに?」
「ここは旦那の実家なんだよ! それより、そのビールは何かな?」
飲酒・喫煙・不純異性交遊。この三本柱は処分の対象だったっけ。
確か飲酒=謹慎、喫煙=停学、不純異性交遊=退学だった気がする。
教師に見付かったんだから謹慎になっちまうのかなァ。
まァ、私は国立大受験だから処分されてもOKだけど。
そんな事より、どうやったら巧く回避出来るのかなァ。
とりあえず、ボケをかまして様子でもみてみるか。
「エビスビールですけど」
「そんな事訊いてんじゃねーよ。そのビールをどうするか聞いてんだ」
ヤバい。怒らせちまったみてーだなァ。
これが梨華ちゃんだったら、腹を抱えて笑ってるんだけど。
待てよ。ここは冷静に考えようじゃねーか。
『飲む』って答えたら、きっと謹慎になっちまうよなァ。
ギリギリ未遂だから、反省文くれーで済むかもしれねーなァ。
・・・・・・どうしよう。何かいい手はねーかよ。
・・・・・・そうだ! その手があったか!
- 459 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/04/26(火) 11:57
- 「飲みますよ。オレじゃないですけどね」
やったー! なっちが飲む事にすりゃ、私へのお咎めは無し。
こうした頭の回転、矢口さん程じゃねーけど私だって。
へへっ、どうだゴルァ! グウの音も出ねーだろうがよ。
こう見えても、私は国立入試を目指してるんだぞ。
「ふーん。それじゃ、何でコップが二個あるのかな?」
げげー! 私の眼の前には、白い字でサッポロビールと書かれたコップが二つ。
こいつは何て言って回避すりゃいいんだよォ! 三平方の定理じゃ駄目だし。
DNAはデオキシリボ核酸の略なんて、何の関係もねー事だし。
スイスの首都はジュネーブじゃなくてベルンなんだけど、これも駄目。
全人代は全人民代表者会議の略だけど、こいつも関係ねーなァ。
六四五年・大化の改新。衆議院は任期四年で解散する事がある。
電力(W)=電圧(V)×電流(A)。要するにパニック。
「悪いねえ。未成年だっけ? そんじゃ、君にはオレンジジュース」
・・・・・・旦那さん。石黒先生が居るなら、最初から言ってくれよォ!
なっちは固まったままだし、私はどうすりゃいいんだよォ!
逃げる? こいつはいいアイデアだけど、何しろ現行犯だからなァ。
今日のお勧め・アナゴの天婦羅、煮貝の手巻き、戻りカツオ。
いけねー! 頭の中がスパークしてらァ。
「アハハハハ・・・・・・。さすがの吉澤もお地蔵さん?」
石黒先生。冗談だったのかよォ。こ、腰が抜けた・・・・・・。
- 460 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/04/26(火) 11:58
- 今日のところは、このあたりで失礼致します。
- 461 名前:名無し 投稿日:2005/04/27(水) 15:58
- 更新乙です。
山田って聞いた時にもしかしてと思ったら
やっぱりブーチャンでしたか。(w
次回の更新も楽しみにしてます。
- 462 名前:第三章・激動の二学期 投稿日:2005/04/29(金) 07:39
- http://m-seek.net/cgi-bin/test/read.cgi/white/1114727723/
スレの限界です。上記に引越ししました。
今後とも、宜しくお願い致します。
>>461
レスありがとうございます。
今後とも可愛がって下さい。
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