ポケチ!

1 名前:ささるさる 投稿日:2004/08/28(土) 01:26
ささるさると申します。
小説初挑戦になります。短期集中で載せていく予定です。5話くらいになると思います。
不慣れな点、たくさんあると思いますが、よろしくお願いします。
2 名前:第一話 投稿日:2004/08/28(土) 01:26
東京の夏はハンパじゃないと聞かされていたが、想像以上の蒸し暑さだった。
 もう何なのよ! まるで親の仇みたく暑いじゃない!
里沙はそう叫びそうになるのをかろうじて飲み込んだ。
大学入学とともに上京して経験する東京での初めての夏。
そして夏休みを遊ぶ金を稼ごうとバイトの面接場所の駅で電車を下りたのはいいものの、ドアが開いたとたんに猛烈な熱気と湿気にあてられ、わけもなく怒りの感情がこみ上げてきたのだ。
改札を抜けるとこの暑い中、半袖ではあるがブラウスの第一ボタンまでを律儀にしめた金融会社の女性社員が、元気よく「お願いしまーす」と連呼してポケットティッシュを配っている。
そのそばをすり抜けようとしたが、女性社員は見逃すことなく里沙の目の前にもティッシュを差し出してくる。
思わず顔を見上げると、見事な笑顔を返されてしまった。
 暑い中タイヘンなことですね、まったく!
内心そういい捨てながら勢いよく受け取った。
3 名前:第一話 投稿日:2004/08/28(土) 01:32
里沙がとげとげしい気持ちなのは蒸し暑いほかにも理由があった。自分が今から面接を受けようとするバイトがまさにこのティッシュ配りだからである。
勧誘されて入ったサークルの先輩から「儲かる。楽しい。ヤバイくらい」などとバイトまで勧誘されてしまったのだ。
無理矢理なのは大迷惑だったし最初っからやる気もないのだが、あまりのしつこさに里沙の方が根を上げてしまったのだ。
ところがその先輩は自分がやめたいので、その後釜として里沙に目を付けて無理に勧誘したらしかった。
4 名前:第一話 投稿日:2004/08/28(土) 01:32
頭から湯気が出るほど怒りまくったが、どうせ夏休みに遊ぶお金も欲しかったし、などと自分で自分を無理に納得させてしぶしぶやってきたのである。
ところが里沙の不幸はまだ続く。今度は面接場所に指定された事務所のビルがなかなか見つからない。
そうこうしているうちに折からの強烈な太陽光線にさらされて、大粒の汗がとめどもなくあふれては流れ落ちてくる。
「あっちいなあ、もう!」
ビルは見つからないわ、おまけに蒸し暑いわで気持ちが入り乱れてしまい、とうとう大声を出してしまった。
道路をはさんだ向こうの歩道では道行く人がジロジロと里沙の方を見る。
「なによお」
今度はさすがに声を抑えた。
5 名前:第一話 投稿日:2004/08/28(土) 01:33
しょうがなくそこいらの人に場所を尋ねてどうにかビルを見つけ、エアコンの利いた面接部屋に通されて、やっとこさ気持ちを落ち着けることができた。
しばらくぼうっとしていると部屋をノックする音とともにメガネをかけた涼しげな目元の女性が入ってきた。
「初めまして。面接を担当いたします、村田めぐみと申します」
ヤリ手OLっぽいパンツスタイルのビジネススーツに身を包み折り目正しく挨拶する。
里沙も思わず「よろしくお願いします」と頭を下げた。
6 名前:第一話 投稿日:2004/08/28(土) 01:33
「ええと、それでは面接を開始します。お名前は新垣里沙さん、ですね。このバイトは何でご存知になりましたか」
「大学のサークルで先輩に勧められました」
「では何をやるかはご存知ですよね」
「はい。ティッシュ配りです」
ああ、自分でしゃべっちゃった。さっきの蒸し暑さが頭の中でよみがえる。
「ハイ、面接は終わりです。新垣さん、合格!」
「ええ、もう合格っスかあ? なんかもうちょっと突っ込んだ質問とかないんですかあ?」
「いえいえ、そんなの必要ないの。名前を呼ばれて元気な声で返事できればそれでOKなの。このバイトの面接で家族構成だとかどこの学校だとか聞いても意味ないでしょ。あなたハキハキしてるし、だから合格」
「はあ?」
7 名前:第一話 投稿日:2004/08/28(土) 01:34
「じゃあ新垣さん。さっそく配ってもらいますからね。別の部屋に行って支度して下さい」
村田がビジネスライクにいい放つ。
「え、私まだやるなんていってないですよお」
「むむ、あなた自分から面接に来といて、合格したのに断るんですか?」
「うっ! いわれてみればそのとーり!」
ひょっとしたらこの二人、相性がいいのかもしれない。
「でも、でも、ちょっと考えさせてくださーい!」
「させるかあ!」
村田はそういうと部屋のドアを開け、遠くに向かって「ものども、出番じゃあ!」と大きな声で呼ばわった。
8 名前:第一話 投稿日:2004/08/28(土) 01:34
すると「ヨイショ、ヨイショ」というくぐもった掛け声とともに、丸メガネをかけた相撲取りの一団が、すり足をしながら大挙して面接部屋に入ってくるではないか。
「この子を支度部屋に連れておいき!」
村田にいわれた通りに力士たちは里沙を担ぎ上げ、今度は「ワッセ、ワッセ」といいながら部屋を出て行く。
その様子を見送ると村田は机の上の書類に目をやった。
「新垣さんとかいったわね。フフフ、我が社は面接にやってきた応募者は一人たりとも拒否させない!
そのための最終手段、『お相撲さんといっしょ』はどんな気分かしら! 
お相撲さんたち、今日もしっかりいい仕事、この目でしかと見届けたわ!」

9 名前:第一話 投稿日:2004/08/28(土) 01:35
里沙は担がれたままとある部屋の前まで連れてこられていた。
その入り口には『支度部屋』と、墨の黒さも鮮やかに書き付けられた白木の板がぶら下がっている。
「しどべや? しどべやって何? もう私ったら四字熟語は苦手なのよ」
里沙にとって漢字が四つ並んでいると、それはお構いなしに四字熟語なのだった。
一人の力士が部屋のドアを開け、里沙はその中に勢いよくほうり込まれた。
「あいたあ、もう何するんですかあ、いったい」
腰をさすりながら立ち上がろうとすると、窓際の椅子に脚を組んで腰掛け、外の景色を眺めている女がいる。
里沙のことなどまるで気にならないようで、煙草をくゆらせながら物思いにふけっている。
時折口からはずすと、ふくめた煙をゆっくりと吐き出す。
煙草は細身であるところからみると、どうやらメンソールだ。
10 名前:第一話 投稿日:2004/08/28(土) 01:35
里沙がしばらく見入っていると、向こうもようやく里沙の存在に気付いた。
「あ、こんちは。今日入った人? あたし、吉澤ひとみ。ヨロシク」
「に、新垣里沙です。よろしく」
「あーら、吉澤さん。今日は当番の日でしたっけ?」
見ると開きっぱなしのドアに村田が立っている。
「いや、今日ちょっとヒマだったんで。意味ないけど来てみたんです」
村田は里沙の方を向くとあらためて紹介した。
「こちらは吉澤ひとみさん。今大学の4年生でやはりバイトで来てもらってるの。
もうかれこれ2年は配ってるはずだからあなたの大先輩よ。
そして彼女はこの界隈のティッシュ関係者から『ポケットティッシュの女王』と呼ばれているの。
差し出された人は必ず受け取ってしまうという『神の手を持つ女』なのよ!」
里沙が思わず振り返ると、「神。神。」などといいながら吉澤が自分を指差しニコニコしている。
 軽い神様だなあ 
里沙は内心そう思いながら、いかにもいぶかしげに吉澤のことを眺めるのだった。


11 名前:ささるさる 投稿日:2004/08/28(土) 01:36
今回はとりあえず以上です。
12 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/28(土) 03:16
おっ!なんかよさげ
続き期待してます。
13 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/28(土) 09:03
おもしろそうw
期待。
14 名前:ささるさる 投稿日:2004/08/29(日) 08:46
レス、感謝です!


>12名無飼育さん
レスありがとうございます。吉澤と里沙のドタバタはもうちょっと続きます。


>13名無飼育さん
レスありがとうございます。更新した第二話にもお付き合い下さい。


それでは第二話です。。。
15 名前:第二話 投稿日:2004/08/29(日) 08:46
外はやはりとんでもない暑さである。
女子社員の制服に着替えさせられた里沙はキャリーカートに500個ぎっしり詰まった箱を3つ重ねてカラカラと引きずってゆく。
その前には同じ制服を着た吉澤が足取りも軽く駅前へと向かう。
里沙は高校まで学校指定の制服は着ていたが、およそまっとうに着たためしがなかった。
最初っから薄手の服を最小限度だけ着て、それをさらにカジュアルに着くずしていたのだ。
ところがこのバイトでは制服をきちんと着ろという。
16 名前:第二話 投稿日:2004/08/29(日) 08:47
ブラウスは第一ボタンまできっちり締め、スカートは膝まであるややタイトめ、夏服とはいえ生地は通気性が悪く、日陰にいても移動式蒸し風呂の中にいるようだ。
内心そうやっていろんな不満を数えていたら、前をスタスタ歩いていた吉澤が突然立ち止まった。
「よーしストップだ、新垣隊員! 今からここでポケチ配るから!」
おそらく今まで一人でやっていたところに里沙が来たので、話し相手や怒りのはけ口ができたとでも感じているのだろう。
吉澤はやたらニコニコとうれしそうにしている。
17 名前:第二話 投稿日:2004/08/29(日) 08:47
「じゃあね、どんなふうにやるか、あたしが最初配るから見てて」
そういうと吉澤は里沙が引いてきたキャリーカートを受け取り、箱を括っていたゴムひもをはずすとカートを折り畳んでそこへグルグルと巻きつけた。
それを建物の陰に立てかけ、積み上げた一番上の箱のガムテープを勢いよく引っぺがす。
気持ち悪いほどに整然と並んでいるティッシュを左手に10個はさみ、右手に1個持って目を軽く閉じると、その両手のティッシュをおまじないのようにトントントンと軽く突き合わせ始めた。
1、2分もの間ずっと突き合わせ続けると、それまで神妙な顔付きだったものが、まるで心の中の不安が消えていくかのように口元に笑みが浮かんできた。
そして人の流れのそばにポジションをとると満面の笑みとなり、
「お願いしまーす、お疲れ様でーす、よろしくお願いしまーす」
と元気よくティッシュを差し出し始めた。
18 名前:第二話 投稿日:2004/08/29(日) 08:48
そんな様子を眺めているうち、里沙には気付いたことがある。吉澤に差し出されて無視したり拒否する人がいないのだ。
出されたなりにみんながヒョイヒョイと受け取っていくのである。
荷物とカバンで両手が塞がっているサラリーマンもわざわざ受け取る。
ミュールの音をカツンカツンいわせ並んでおしゃべりに夢中のオネーチャンたちも、吉澤の姿を見もしないくせに手を伸ばしてサッと受け取っていく。
犬を散歩させている人が通り過ぎようとすると、なんと犬がジャンプしてティッシュをくわえていく。
向こうからハゲ上がった頭を汗と脂でテラテラにさせた親爺が、ハンカチで汗を拭き拭きやってきた。
「よう、ねーちゃん、あっついのに毎日大変だなあ。また5個ぐらいちょうだいよ。早くなくなりゃ早く涼しいとこに帰れるだろ」
「ハイ! いつもありがとうございます!」
恐るべし。馴染みの客すらいるのだ。
19 名前:第二話 投稿日:2004/08/29(日) 08:48
気が付けば吉澤は箱1つをものの10分ちょっとですっかり配り終えてしまった。
これはティッシュを受け取ってもらっているのではない。向こうから来る人たちはみなティッシュに飢えており、吉澤はそんな彼らにただティッシュをあてがっているだけなのではないか。
そうとでも考えなければ、とてもではないがこの様子を説明などできない。
そのあまりのハイピッチさに、里沙は口をアングリ開けてただただ見ているよりほかなかった。
『ポケットティッシュの女王』『神の手を持つ女』
村田がいっていたあの言葉が、今さらながらに里沙の頭の中でフラッシュバックする。
「はい、じゃあ里沙ちゃん、今やってみせたようにあなたも配ってみて」
「む、無理っスよお! 私あんなにパッパカパッパカ配れませんもん!」
「大丈夫だって! ポケチ配りは心! 心で配ればみんな受け取ってくから! テクニックとかそんなの関係ないから!」
「ホ、ホントっスかあ?」
「大丈夫だって! 騙されたと思ってやってみ!」
20 名前:第二話 投稿日:2004/08/29(日) 08:49
里沙は箱を1つ抱えると人の流れをはさんで吉澤の反対側へ行き、同じように左手に10個ほど持って配り始めた。
「おねがいしまーす、よろしくおねがいしまーす」
ところが誰も里沙のティッシュを受け取ってくれない。
相手の目の前に差し出すタイミングが悪いのか。声のトーンが暗いのか。立っている場所がよくないのか。
差し出しても差し出しても誰も受け取ってくれないものだから、里沙はなんだか自分の存在を否定されたような気持ちになって思わず向こう側にいる吉澤に大声で話しかけた。
21 名前:第二話 投稿日:2004/08/29(日) 08:49
「吉澤さーん、私ってカワイイですよねえ?」
「うーん、カワイイよお」
「じゃあですね、そういうカワイイ女の子が配ってるのになんで誰も受け取ってくれないんスかあ?」
「やっぱね、心が足りないんだよ。内面からにじみ出る自分自身というものが決定的に足りないんだよ。今まで親や先生や友達のいうことに影響されてばかりいたから、自分っていうものがないんだよ。道行く人たちにはそれが一目でわかっちゃうんだよ。だから誰も受け取らないんだよ」
「なんで吉澤さんにシレッとそこまでいわれなきゃいけないんですかあ。『騙されたと思って』とかいって、やっぱり騙されましたああああああああ」
「ポケチ配りは最初がツライ。たかがポケチされどポケチ、なーんちゃって。あ、ありがとうございまーす、お願いしまーす」
その場でオイオイ泣き出してしまった里沙を他人事のようにして、吉澤はなおもヒョイヒョイと配り続けるのだった。
22 名前:ささるさる 投稿日:2004/08/29(日) 08:50
第二話、以上になります。
23 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/29(日) 19:21
おーい!よっすぃ〜オイラにもポケチくれよ!w
24 名前:らいむ 投稿日:2004/08/29(日) 21:00
ガキさんが中心ぽくって嬉しいです。
作者さん頑張って下さいね!!
25 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/29(日) 22:07
おもしろい。
ガキさんがすごく生きてる感じがします。
続きも楽しみにしてますねー。
26 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/29(日) 22:57
新垣の声が聞こえてくるような。表情が浮かんでくるような。
魅力的でよいです。
吉澤とのコンビネーションもばっちりですね。
27 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/29(日) 23:22
タイトルが「ポテチ」に見えてしまう(ポテチだと主役が違うか)
女子大生なガキさんは、かわいいのか凛々しいのか、やっぱり馬鹿なのか、楽しみです
28 名前:ささるさる 投稿日:2004/09/05(日) 00:28
感想、ありがとうございます。

>>23:名無飼育さん
レスありがとうございます。たぶん今日もどこかの駅前で配っているかとw


>>24:らいむさん
ありがとうございます。ガキさんって普段もおそらくテレビでのキャラと同じですよね。
あのキャラをそのまんまコピペする感じで書けないかなっていうのがきっかけの一つでした。


>>25:名無飼育さん
ありがとうございます。そういっていただけると一番うれしいです。


>>26:名無飼育さん
ありがとうございます。二人ゴト見ててもガキさんは一家言があって語るキャラなんですよね。
ああいう部分をなんとかうまく料理できたらと。


>>27:名無飼育さん
>タイトルが「ポテチ」に見えてしまう
いわれてみればそのとーり!w 
この先のガキさんは果たしてどうなるでしょうか… 



では、第三話です。。。

29 名前:第三話 投稿日:2004/09/05(日) 00:29
吉澤のケタ違いの力を目の当たりにして、里沙はティッシュ配りにまったく自信を持てずにいた。
支度部屋でテーブルについて待機していても、沈んだ気持ちが顔に出てしまう。
「里沙ちゃん、大丈夫だって。こういうのってさ、慣れだから、慣れ」
吉澤がもり立てようとするが、里沙の気持ちは簡単に回復しないようだ。村田も心配して様子を見に来た。
「うーん、吉澤さんはなんたって神だからねえ。最初から一緒に配ったら自信も無くなるか。ま、おせんべいでも食べて、機嫌直して」
「はい…ありがとうございます…」
30 名前:第三話 投稿日:2004/09/05(日) 00:29
「里沙ちゃん、この前ポケチ配りは心だっていったけどさ、でも自分なりに工夫は必要なんだよ。いろいろ考えて試してみてさ…」
「吉澤さん、『ポケチ』ってなーに?」
話しかけても黙っている里沙を差し置いて、村田が横から口をはさんできた。
吉澤はそばにあったポケットティッシュを取り上げると、村田の目の前にズイっと突き出す。
「それなら正しくは『ポケティ』じゃない? ハッ、も、もしかして……」
31 名前:第三話 投稿日:2004/09/05(日) 00:30
村田が居住まいを正し質問する。
「あらためまして吉澤さん。アメを欧米風に何といいますか?」
「キャンデー」
「建物の下が高床式みたいになっているのは?」
「ピロテー」
「下着は?」
「パンテー」
「じゃあ、ポケットティッシュっていって下さい」
「ポケットテッシュ」
「違うでしょ! ティッシュ!」
「ああ、チッシュね」
32 名前:第三話 投稿日:2004/09/05(日) 00:30
「むむむむ、吉澤さん、やっぱりアナタ、発音がまるでオヤヂじゃないですか!」
「大丈夫ですって。書く時はちゃんとカタカナをちっこくしたゴチャゴチャの書き方できるから」
「ゴチャゴチャの書き方とかいわないの。そうやって書くのがフツーなんです。そういうこというとおツムの程度を疑われますよ」
「エヘヘ」
「エヘへって。いやしくも大学生なんだから、いって許されることと許されないことがありますよ!」
「あ、そうだ里沙ちゃん、今日さ、なんだったら見学に行こうよ」
吉澤が別の話題で無理にはぐらかそうとする。
33 名前:第三話 投稿日:2004/09/05(日) 00:31
「見学って…何の見学ですか…」
里沙が顔を上げて尋ねる。
「あたしもね、最初っからあんな風には配れなかったの。実は参考にしてた人がいるんだ。その人の配り方を今から一緒に見に行こうよ」
「ホントですかあ。お願いします!」
「じゃあ村田さん、今日は一応配ったってことにしといて下さい!」
「できるか、バカタレ! 今日は二人とも休み扱いじゃあ!」
34 名前:第三話 投稿日:2004/09/05(日) 00:31
怒りを爆発させる村田をほっぽって、吉澤と里沙は事務所を出ると電車に乗り、2つ目の駅で降りた。
「今日はいるかなあ。あ、いたいた」
吉澤は確認すると里沙の腕を引っ張って、すぐそばのハンバーガーショップに飛び込んだ。
駅前の様子がよく見えるよう2階の窓際に陣取る。
「あのね、里沙ちゃん…」と話しかけたら一緒のはずの里沙がいない。
きょろきょろしているとトレーにウーロン茶だけ載せた里沙が階段を上がってきた。
「わざわざ買ったの? 中に座るだけタダじゃん!」
「いや、ノドが渇いてたんで…」
「ホントに?」
里沙はバツ悪そうにニヤけるだけだ。
35 名前:第三話 投稿日:2004/09/05(日) 00:32
「もう、早く座って。あのね、あの女の人なのね」
吉澤が指さした方にいたのは、やはり金融会社の制服を着た、年齢は決して若くはない女性だった。
背もそれほど高くなく地味な印象で、立ち姿からしていかにも真面目そうだ。特に目立つような特徴はない。
しかし左手にいくつか持ってそれを右手でリズミカルに人の流れに差し出していくと、見ていて面白いくらいに出された人はヒョイヒョイと受け取っていく。
彼女もまた、吉澤と同じ『神の手を持つ女』であった。
36 名前:第三話 投稿日:2004/09/05(日) 00:32
「いい? 里沙ちゃん。あの人のすごいところはね、すべての動きがコンパクトなの。ムダな動きがないの。
右手で左手のポケチを取ってのセッティングとスタンバイ、右手を差し出すストローク、差し出す時に笑顔を出すタイミング、笑顔の作り方、その人との距離、受け取った後の手の引っ込め方。
すべてがミニマムで、コンパクトにまとまっているの。そしてそれらが自然に組み合っていてわざとらしさがないの」
「はあ…」
「動きがミニマムでコンパクトってことは、受け取る人にしてみれば威圧されないってことなの」
「威圧されない?」
37 名前:第三話 投稿日:2004/09/05(日) 00:33
「向こう側で落ち着きなさそうにしていかにも渡しますよって構えてて、近づいていくと待ってましたとばかりに出されたら、逆に受け取りたくなくなるよ。
コンパクトにまとまってるっていうのは、道ばたに立っていても威圧せずにそっと差し出してくれるってことなのよ。それは気軽に受け取れるってこと」
「はあ…」
「それにポケチ配りは早く終わらそうとして最初から勢い込んでしまうとダレちゃうんだ。ダレてくると動きが散漫になって見た目も悪いし能率も落ちる。
動きをミニマムにするというのは長丁場をこなす上で体力と体さばきの両方の温存という意味もあるの」
「はあ…」
38 名前:第三話 投稿日:2004/09/05(日) 00:34
「要はミニマム、アーンド、コンパクト。
この2つを自然にこなせるようにイメージトレーニングしながら配っていくのが、吉澤流ポケチ配りの王道なんだな、これが!」
「はあ…」


里沙はニコニコ顔の吉澤を見て、『ミニマムとコンパクトは同じだろうが!』とツッコミの一つも入れたかったが、それでも吉澤独特の着眼になんとなくうなずいてしまうのであった。
39 名前:ささるさる 投稿日:2004/09/05(日) 00:35
第三話、以上です。
ひょっとしたら次が最終話になるかもしれません。
40 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/07(火) 23:00
吉澤はオヤジですかやはり。
もう一人の神とはあの方であろうか。楽しみ。
というか次最終話なんて悲しいっす。続けてくれたらいいなあ。
41 名前:らいむ 投稿日:2004/09/11(土) 21:21
次回最終回なんですか??
もう1人の神、誰だか気になりますね〜。
せっかく面白くなって来たんですから、もっと続けて下さい!
42 名前:ささるさる 投稿日:2004/09/12(日) 21:32
感想ありがとうございます!

>>40:名無飼育さん
レスありがとうございます。最終話をお楽しみ下さい。

>>41:らいむさん
レスありがとうございます。最終話にもお付き合い下さい。


それでは最終話です。。。

43 名前:最終話 投稿日:2004/09/12(日) 21:33
「おねがいしまーす よろしくおねがいしまーす」
里沙はこの前、もう一人の『神の手を持つ女』をダシに吉澤からポケチ配りについて解説されたのが耳から離れず、自ら考え出した練習法『シャドー配り』を支度部屋の大きな姿見に向かってやっていた。
そこに人の流れがあると仮定して自分の配る姿を鏡に映し、一つ一つの動きを確認しているのだ。
44 名前:最終話 投稿日:2004/09/12(日) 21:34
椅子に座ってゆったりと扇子をあおぎ、後からその様子を見ていた村田が、隣に座っている吉澤に話しかけてくる。
「ちょっと吉澤さんの奥様、ご覧になりまして? 新垣さんの奥様、最近ずいぶんとご熱心じゃあございませんこと?」
「そうですわね、村田さんの奥様。あの調子でいくと、神の手を持つところまではいかなくても、天国をクビになった神様の手、くらいまではいくんじゃありませんこと?」
「んまあ、吉澤さんの奥様ったらおじょーずですこと、おじょーず」
「いえいえ、どういたしまして、おーほっほっほっほ、おーほっほっほっほ」
「じゃあ、わたくしも一緒に。おーほっほっほっほ、おーほっほっほっほ」
「ちょっと! 静かにしてもらえませんかね! 気が散るんですけど!」
「「失礼しました…」」
45 名前:最終話 投稿日:2004/09/12(日) 21:34

最近、里沙はティッシュ配りが面白くなってきていた。
実は今でもあまり受け取ってはもらえないのだが、それでも里沙の手からティッシュを取っていく人が少しずつ増えている気がするのだ。
吉澤のレベルまではいけないだろうが、それでもシャドー配りなどで練習した成果が形となって現れているように思え、それがまんざらでもなかったのだ。
練習すれば少しずつ成果となり、成果となるからまた練習に精が出る。里沙の中にいい循環が生まれつつあった。
ただバイトのスケジュールは、いまだに吉澤と一緒に配るよう調整している。
人から問われれば吉澤の技を盗みたいからと答えるつもりだったが、実のところはまだ一人で配る勇気がないからだった。
46 名前:最終話 投稿日:2004/09/12(日) 21:35
そんなある日、いつも通り支度部屋で吉澤と里沙が着替えていると、吉澤が独り言のように口を開いた。
「あたし、明日からしばらくこっち来れないから」
「え…どうしてですか?」
「就活、就活。そろそろ仕事決めなきゃいけないからさ。しばらくはそっちに集中」
「就職活動って、もう4年生も半年過ぎてるのに遅すぎませんか?」
「いいんだって。できなかったらできなかったでなにか考えるよ。ま、とりあえずやるだけやってみるよ。だからポケチ配りはしばらくお休み。その分里沙ちゃん、お願い」
「はい…わかりました…」
47 名前:最終話 投稿日:2004/09/12(日) 21:35
ずっと一緒にやってきた人がそばにいなくなると、なんだかスースー薄ら寒くなる感じがしたが、吉澤にとっては人生の一大事である。やむをえまい。
次の日から里沙は一人でキャリーカートを引き、駅前でティッシュを配った。
吉澤がいなくなるとティッシュの減りはさすがに目に見えて落ちたが、里沙は時間がかかってでも毎回のノルマをこなしていった。
最初こそ大変だったが、一人でやり続けてみると、どうやら一緒に配る時より吉澤の存在を意識しないで済む分いろいろと工夫のしがいがありそうである。
そうなるとますますこのバイトに興味が湧いてきて、里沙はがぜん毎日のようにスケジュールを入れティッシュを配り続けた。
吉澤が就職活動でがんばっている間に、里沙のティッシュ配りもかなりレベルアップし、吉澤の穴を埋められるようになってきた。
48 名前:最終話 投稿日:2004/09/12(日) 21:36
そんなこんなで、就活を心配しつつもなんとなく心の中の吉澤の存在が薄くなりかけていたある時のこと。
事務所にやってくると、里沙を見つけた村田がデスクの引き出しから手紙を一通手渡した。
「え、私に手紙?」
「吉澤さんからよ。なんか里沙ちゃんに伝言でもあるんじゃない?」


里沙は支度部屋に飛んで行くと早速手紙の封を切り、あわただしく便箋を広げた。
49 名前:最終話 投稿日:2004/09/12(日) 21:37

里沙ちゃんへ

突然だけど、お別れしなきゃいけなくなったんだ。
ホントは会ってサヨナラいいたかったんだけど、うまく自分の心境を伝えられない気がして。
それでこの手紙にしたんだ。ゴメンね。

就職、やっぱできそうにない。里沙ちゃんがいった通り、いくらなんでも遅すぎだよね。
あたし長女だし、東京で就職浪人で一人暮らししてもしょうがないから、田舎に帰ることに決めたんだ。
50 名前:最終話 投稿日:2004/09/12(日) 21:37
ポケチ配り楽しかったけど、やっぱりそれだけやってくわけにもいかないし、自分も次のステップに進んで行けないし。
自分に区切りをつけなきゃいけないから、もうそこへも行かないことにした。
だいたいポケチ配り始めたのって、自分を鍛えるためだったんだよね。
あたしって結構ネクラでさ、友達作るのとか苦手なんだ。
ちっちゃい頃から一人で遊ぶことが多かったしね。プラモ作りとかラジコンとか、男の子みたいな遊びばっかやってたもん。自分で考えていろいろ試せるようなものがぴったりフィットしてた気がする。
でもそのまんまじゃ二十何年間自分の中の世界しか知らないから、こんなんじゃダメだと思って。
だからせめてバイトでもして、世の中を少しでも知っておかなきゃって思ったんだ。
まあ、バイトでわかる範囲の世の中なんて、たかが知れてるだろうけどさ。
51 名前:最終話 投稿日:2004/09/12(日) 21:38
でもさ、このポケチ配り、結構ハマったんだよね。いろいろ試してみて結果が出るからさ。性にあったんだと思う。
だからね、燃えたね、あたし。里沙ちゃんが来た時もポケチ配りの面白さをなんとか知って欲しかったし。
かなりテキトーなこといったんだけど里沙ちゃんマジに受け取っちゃうからおかしくてさ。シャドー配りとかしてたよね。ポケチ配るくらいでそんなにマジになんなよ、くらいのイキオイだったじゃん。
だけど里沙ちゃんはあの時あたりからすごくヤル気が出てきたよね。
52 名前:最終話 投稿日:2004/09/12(日) 21:38
でもね、何かね、あたしこの先もうこんな楽しい思いできないような、そんな気がする。
もしかしたら、あたしの一生分の楽しさを全部ポケチに使っちゃったんじゃないかって思っちゃうんだよね。今思うと、あたし今までで一番イキイキしてたもん、このバイトやってて。
それにあの支度部屋があたしにとっては心を開放できる唯一の場所だったんだ。
だからあそこでタバコ吸ってぼうっとしたりできたし、あたしの話を聞いてくれる村田さんや里沙ちゃんにも、会えたんだしね。
53 名前:最終話 投稿日:2004/09/12(日) 21:38
なんかさ、大学卒業したら、ちっちゃい頃から自然にやってたこととか、自分にとって当たり前だったこととか、これからまったく通用しなくなっちゃうような、そんな感じがして。
今まで自分が立ってた床が突然なくなってまっすぐ下に落ちてくような。
だけどつかまるものが何もなくて、たった一人で真っ逆さまに落ちてくような。
いくら叫んでも誰も助けてくれないし、まわりも助けたくても助けられないような。
だからね、すごく怖い。
卒業したらこの世界が、見た目同じなのにまったく違う世界になっちゃう気がする。
周りは3年生から就職活動してたけど、あたしはなんだか自分で自分を異次元にほうり込むような気がして、とてもまともに就職活動なんてする気になれなかった。
たぶんこの先何かの形で仕事するだろうけど、ちゃんとできる自信ないんだ。
これから先の自分が想像できないし、それにたぶんいろんなことやって、たくさん挫折したりするんだろうな。そうなったら結局、一番楽しかったポケチのバイトのことがよみがえってくると思う。
54 名前:最終話 投稿日:2004/09/12(日) 21:39
もしこの世のどこかに楽しさだけでできあがってる空間があるとしたら、あたしはきっとポケチ配りのバイトすることで、その空間とつながってたんだなあって。だからまた楽しさに触れるためにはポケチを配るしかないんじゃないかって。
だからもし、何もかもダメだったら最後はポケチ配りに戻ると思う。

この世に駅前とポケットティッシュがあって、それとあたしに神の手が残ってれば、一人でなんとかやっていけるんじゃないかって、そう思うんだ。
                                         吉澤ひとみ


PS:里沙ちゃんの真面目さってあたしにはないものなんだ。それって里沙ちゃんの宝物だからさ。大切に持っておいた方が、ゼッタイいいからさ。
55 名前:最終話 投稿日:2004/09/12(日) 21:40





里沙は、しばらく手紙の文面に見入っていたが、やがて元通り折り畳むと封筒へと戻し入れた。
そして手帳に丁寧にはさみこみ、バッグの中へと、静かに収めた。


56 名前:ささるさる 投稿日:2004/09/12(日) 21:41

以上で終わりになります。お付き合いいただき、ありがとうございました。
57 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/19(日) 00:09
現実見せたって感じで、でも明るくていい終り方だった。
まさかこういうふうに締めくくられるとはねえ。
手紙の内容が吉澤にぴったりだし。
おもしろかったよ。
58 名前:ささるさる 投稿日:2004/09/30(木) 00:25
>>57:名無飼育さん
長らく返事レスしないで申し訳ありませんでした。
小説作法など何もわからず書きましたが、57さんのようにいっていただければ書き手冥利につきます。
ありがとうございます。
59 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/01/05(水) 20:51
へぇ〜。

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