僕ら
- 1 名前:チキン 投稿日:2004/09/07(火) 11:01
- こんにちは
いろいろな人にいろいろな感想をもってもらえるように頑張ります
- 2 名前:(1) 投稿日:2004/09/07(火) 11:09
-
何だか退屈だった。
「紺野さん、バイバイ」
「さようなら」
軽く会釈をして同級生に別れを告げ、図書室を出た。
時計は六時を回っていて、いくら夏の日が長いと言っても
太陽は西に傾きかけていた。
放課後図書室で勉強をしてから、歩いて十五分の家へ向かう。
日常だった。
だけど今日は違った。
- 3 名前:(1) 投稿日:2004/09/07(火) 11:14
-
「何してるの?」
声をかけた。
見覚えのある後ろ姿、ふんわりとした髪と柔らかそうな少し丸みのある
体が特徴的なクラスメイトの一人。
加護亜依さんだ。
「あ、あさ美ちゃん」
彼女とは特に仲が良いというわけではなかった。
二年生になって初めてクラスが一緒になったし、それまで面識もなかったので、
一学期が終わるこの時期までほとんど話したこともなかった。
だけどなぜか名前にちゃん付けで呼ばれた。
- 4 名前:(1) 投稿日:2004/09/07(火) 11:21
-
「何か捜してるの?」
顔色を変えずに言った。
しゃがみ込んで地面とにらめっこをしている加護さんに、
私の考察を交えた質問を。
「鍵捜してるの」
「鍵?」
「自転車の…」
私はここが自転車小屋の目の前であることに気が付いた。
「私も捜そうか?」
「いいのっ?」
放っておくこともできない。
- 5 名前:(1) 投稿日:2004/09/07(火) 11:27
-
「うん、どんな鍵?」
「ううんと、多分ピンクのイルカのキーホルダーがついてると思う」
「…わかった」
自分のものなのに多分なんて変だなと思いながら、私はしゃがみ込んだ。
「汗かいてるね。どのくらい捜してたの?」
「ええっと、四時からかな?」
「四時からって、二時間もっ?」
「え、もうそんなに経つ?」
加護さんは驚いた様子で空を見上げた。
「それだけ捜してないなら、もうここにはないんじゃない?」
私は少し呆れながら言った。
- 6 名前:(1) 投稿日:2004/09/07(火) 11:31
-
「ううん、最初は教室捜してて、次は廊下捜して、さっきここに来たから…」
しどろもどろに私に説明した。
「…じゃあここにあるかもしれないね」
私は答えた。
ただの愛想だけど。
「うんっ」
それでも彼女は笑って頷いた。
そしてまた地面の上を捜しだしたので、私もそれに倣った。
- 7 名前:(1) 投稿日:2004/09/07(火) 11:42
-
小学校の低学年の頃、誰かがクレヨンなどの私物をなくすと、
そのクラスの全員でそれを捜すのが常だった。
幼い子供がなくしたものなんて、大抵どこかに置いてそのまま忘れただけなので、
大勢で捜せばすぐに見つかる。
誰か一人が
「あったー」
と大声を上げれば事態は収拾するのだ。
私はその誰か一人になることが一度もなかった。
その時本気で捜していたのかさえはっきり覚えていないのに、
その記憶だけが忘れないで残っていた。
- 8 名前:(1) 投稿日:2004/09/07(火) 11:44
-
だからだろうか。
「あったー」
私は加護さんの嬉しそうな声を聞いた。
ゆらゆら揺れる桃色と銀色。
「よかったね、見つかって。
それだね、ピンクのイルカのキーホルダー」
近寄って淡々と声をかけた。
- 9 名前:(1) 投稿日:2004/09/07(火) 11:51
-
「うん、多分」
「…あの、多分って自分のでしょ?」
気になっていた疑問をぶつける。
「亜依のじゃないよ」
「は?」
上手く理解することができなかった。
「友達がなくしちゃってそれで捜してたの」
「その友達は?」
「一緒に捜してたけど塾があるから帰ったの。
亜依も帰ることになったんだけど、何か気になっちゃったから」
- 10 名前:(1) 投稿日:2004/09/07(火) 11:57
-
「だからって人のものを二時間も一人で…、すごいね」
私は呆気にとられていた。
「でもあさ美ちゃんだって人の物なのに一緒に捜してくれたよ。
おんなじだよ」
加護さんはにこにこ笑った。
「でも私、役に立てなかったし」
嘲るように苦笑した。
「そんなことないよ。
あさみちゃんが捜してくれて嬉しかったよ」
彼女はまた歯を見せて、溶けるような笑顔になった。
過去の自分に言われているような心地がして少し歯がゆかった。
- 11 名前:(1) 投稿日:2004/09/07(火) 12:03
-
「って、え、何してるの?」
加護さんは見つけた鍵を、自転車小屋の自転車の鍵穴に差し込んでいる・
おそらくその鍵をなくした友達の自転車だろう。
「せっかくだから自転車ごと届けてあげようと思って」
加護さんはあくまで笑顔だが、私の顔色は曇った。
そんな面倒なことをしなくても明日渡せばなんの問題もないだろう。
歩いて塾に行ったのだから家もそう遠くないのかもしれないし、
自転車以外の交通手段があるのかもしれない。
今から届けに行くことに、何の意味があるのだろう。
- 12 名前:(1) 投稿日:2004/09/07(火) 12:09
-
「あさ美ちゃん、早くー」
「はい?」
加護さんが例の自転車の荷台に乗って私を呼んでいる。
何故か荷台に乗って。
「な、なんで…」
「だって亜依、二人乗りのこぐ方下手だし」
「わ、私も行くのっ?」
総てのことがそう示唆していた。
それは全く私の予期せぬ出来事であった。
「え、行かないの?」
むしろ私は何故自分が行くことが当然のようになっているのか問いたい。
- 13 名前:(1) 投稿日:2004/09/07(火) 12:14
-
「いや、あの…行くよ」
断ろうにも断れない。
「ゴーゴー」
はしゃぐ加護さんの目の前のサドルにまたがる。
私の肩に後ろから手がのる。
私はそこまで背が高い方ではないが、
加護さんはその私よりも明らかに背が低い。
クラスでも背はかなり低い方だったと思う。
だから、手も小さかった。
「行こっ」
その手にきゅっと力がこもる。
色白で綺麗な指が私の肩に絡む。
- 14 名前:(1) 投稿日:2004/09/07(火) 12:22
-
「うん。あ、ねえ。その友達の家ってどの辺りなの?」
「知らなーい」
「知らないって、家に届けに行くんじゃないのっ?」
ふっとハンドルを握る力が抜けた。
「だって知らないんだもん。塾の近くに行けば
この時間なら会えるよ、きっと」
私は固まってしまった。
そして、感じていた。
加護さんは多分後先のこととか全然考えないんだろうな、と。
後っていうのは将来とかすごく先のことは勿論で、
1時間後、もしかしたら一分一秒先くらいの単位かもしれない。
何年も先の未来のために毎日勉強している私には、
考えられない生き方だった。
- 15 名前:(1) 投稿日:2004/09/07(火) 12:30
-
「塾は駅前だからとりあえずそっちの方行ってみよう?」
加護さんの声がして、思考はそこで止まった。
「うん」
ペダルに足をのせた。
ゆっくりと右からこぎ出す。
「おっ、おっ?」
加護さんが声をあげる。
自転車がバランス悪く左右に揺れたからだ。
「あ、あさ美ちゃん。大丈夫?」
本当のところ私はほとんど二人乗りをしたことがなかった。
小さな頃、初めて二人乗りをしたとき、転んで右足を縫ったことがあった。
それ以来両親がかたく二人乗りを禁止した。
元々しつけにはかなり厳しい方で、他にも私に対する禁止事項は数多くある。
- 16 名前:(1) 投稿日:2004/09/07(火) 12:37
-
「…大丈夫」
だけど今日は違ったんだ。
断らなかった。
後ろに加護さんを乗せて自転車を進める。
最初はぎこちなく、今はゆっくりだけど確実に前へ。
そしてこれからどんどん速くなる。
「気持ちいいー」
加護さんが叫び声を向かい風にのせた。
私も声をあげたい気分だ。
校門を出てすぐの短い下り坂でスピードにのった自転車は、
そのままの勢いで転がっていく。
こんな気持ちになったのはいつ以来だろう。
私の記憶が確かな範囲では、初めてのことなのかもしれない。
- 17 名前:(1) 投稿日:2004/09/07(火) 12:42
-
「あのさ…」
後ろから声がする。
「え?」
気持ちだけ振りかえって返事をする。
「ごめんね、いきなりあさ美ちゃんとか呼んで…」
「はい?」
「あさ美ちゃんっ、前っ」
「うわっ」
目前に迫っていたブロック塀を回避した。
加護さんは異様なくらい長く息を吐いている。
「なんで今更…、加護さ…」
「だからね、亜依のことも亜依でいいから」
「…亜依…ちゃん?」
「うんっ」
- 18 名前:(1) 投稿日:2004/09/07(火) 12:48
-
前を向いてるから確認できないけど、
亜依ちゃんはきっと嬉しそうに微笑んだのだと思う。
声から、そんな気がした。
「おかしな人だね…」
「え?」
「ううん、なんでもない」
私のため息のようなひとりごとは、
風の音が拐っていったままにしておいた。
- 19 名前:(1) 投稿日:2004/09/07(火) 12:49
-
(1)―了―
- 20 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/07(火) 20:24
- …なんだか大事にしたい雰囲気。期待…
- 21 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/07(火) 22:20
- いいですね。これからも期待しています
- 22 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/08(水) 22:25
- ど、どうつながるの、この後
- 23 名前:七誌さんデス 投稿日:2004/09/10(金) 20:41
- お、いいとこハケーン,ナリ。
なんだかいい雰囲気デスね。
次の更新も期待してますよ!
- 24 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/10(金) 22:23
- おう、良いですね。娘。小節でこう言うキャラで加護ちゃんが描かれるのは珍しいですね。
加護ちゃんファンとしては期待大です。早速お気に入りに入れましたので作者さん頑張ってくださいね。
- 25 名前:チキン 投稿日:2004/09/11(土) 15:05
- 皆様方レスありがとうございます
なんかいいですね元気出ますねこういうの
それじゃあ僕はさっさと更新することにします
短いですが近日中にまた書くと思うのでよろしくです
- 26 名前:(2) 投稿日:2004/09/11(土) 15:12
-
やがて駅の入口付近に着いた。
「絵里ちゃんっ」
同時に亜依ちゃんが声を上げる。
目線を追うと見覚えのあるクラスメイトが目を丸くしてこちらを見ていた。
「亜依ちゃん、なんで…」
「自転車届けに来たー」
私は不思議な感覚がしていた。
さっきまで私の世界の中には亜依ちゃんしかいなくて、
亜依ちゃんと私の空間のようなものができていて。
それが一気に覚めた、そんな感じがして。
嘘だと言えば嘘になる、もろいものの存在を感じた。
- 27 名前:(2) 投稿日:2004/09/11(土) 15:18
-
「そんな。よかったのに、別に…」
絵里ちゃんと呼ばれた亀井絵里さんは言葉を詰まらせている。
私の予想しなかった反応ではない。
亀井さんとは亜依ちゃんと同じでそこまで親しいわけではなかったが、
こんな事態にでくわした時の気持ちはなんとなく解る。
「えへへー、びっくりした?」
亜依ちゃんの笑顔はそんな常識主体の私の理屈を吹き飛ばしてしまうんだ。
「はい」
亜依ちゃんが荷台から降りたのを見計らって私もサドルから降り、
ハンドルを亀井さんの方へ傾けた。
- 28 名前:(2) 投稿日:2004/09/11(土) 15:21
-
「…どうも、ありがとう」
亀井さんは自転車に乗って、
私と亜依ちゃんは歩いてそれぞれ別方向へ向かう。
結局亀井さんは、会ってから別れるまで、
一度も私と目を合わさなかった。
- 29 名前:(2) 投稿日:2004/09/11(土) 15:22
-
(2)―了―
- 30 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/12(日) 01:12
- 更新お疲れ様です。
寝る前にのぞいてよかった。
なんか雰囲気よくって好きです。
更新の頻度や量は作者さんのペースでかまわないと思うので、気楽に楽しみながら書いてください。
- 31 名前:七誌さんデス 投稿日:2004/09/12(日) 22:15
- んぁ、更新されてるばい。
亀ちゃんって・・・照れ屋なんだからぁ〜(違
次もまってます^-^
- 32 名前:チキン 投稿日:2004/09/13(月) 10:38
- レスありがとうございます
続き書きます
- 33 名前:(3) 投稿日:2004/09/13(月) 10:50
-
翌日学校へ行くと、先日受けた学期末テストの結果を配布された。
名前を呼ばれ、担任から白地の紙を受け取る。
昨今の学校教育の方針により、成績優秀者が皆に掲示されることはなかったが、
自分の成績や順位は総てこの小さな紙に活字体で詰まっていた。
――学級順位一位、学年順位一位――
席に着いて真っ先に確認した。
総合順位学年一位。
点数にはさすがにばらつきがあるが、
ここの記載は中学生の頃から変わらない。
気が付くとため息をついていた。
それが何に対するものなのか、自分自身でも解らなかった。
- 34 名前:(3) 投稿日:2004/09/13(月) 10:59
-
「紺野さん、また学年一位?」
その日も変わらず放課後は図書室で勉強をしていた。
自然と話題は期末テストの結果になる。
「うん、まあ」
「すごーい」
「どうやったらそんな点とれるのさ」
こういう時は適当に相槌を打っていればいい。
自慢しても謙遜しても、反感をかうに変わりない。
「紺野さん、もう帰るの?」
「うん。なんだか教室に教科書忘れちゃったみたいだから
取りに行ってそのまま帰るね」
「わかった。バイバイ」
- 35 名前:(3) 投稿日:2004/09/13(月) 11:03
-
図書室と私のクラスは別館になる。
遠回りになるが教科書がなければ明日の予習ができない。
私はまたため息をついた。
今回も理由は解らない。
満たされない部分を埋めようとしてため息は出るのだと
何かの本が言っていた、なんてことを思い出す。
私は何が足りないというのだろう。
- 36 名前:(3) 投稿日:2004/09/13(月) 11:11
-
放課後のこんな時間に教室に入るのは、二年生になって初めてかもしれない。
「あ…」
声がもれ出た。
ドアを開けると、席に着いて教科書を開いている亀井さんの姿が見えたのだ。
亀井さんも私の声と存在に気付いて顔を上げた。
「昨日は、どうも」
私の方から声をかけた。
亀井さんもうつむく程度に頭を下げた。
軽い礼のつもりなのだろう。
「誰かと勉強?」
亀井さんの机は前の席の机と向かい合わせてあって、
その机にも彼女の机と同じように勉強道具が所狭しとのっかっていた。
- 37 名前:(3) 投稿日:2004/09/13(月) 11:16
-
「…亜依ちゃんと」
亀井さんは低い声で答えた。
いつもはもっと高くて細い声だったような記憶がある。
「そうなんだ。でも亜依ちゃんは?」
「…トイレ」
亀井さんは一度は顔を上げたが、
それからずっと教科書で顔を隠すようにして私と話している。
ここまで露骨だと私も、彼女が自分をよく思っていないとはっきり解る。
思い当たるようなことはないのだが。
- 38 名前:(3) 投稿日:2004/09/13(月) 11:21
-
それから何も言わず自分の席へ行って、教科書をとって出ようとした。
こうやって距離を置けば問題はない。
「あ、あさ美ちゃんっ」
響きわたる、明るくて少しハスキーな声。
「亜依ちゃん…」
私が手を出しかけた反対側のドアから彼女は入ってきた。
「何で何でー?」
「うん。忘れ物を取りにちょっと」
教科書を軽く上にあげて見せた。
亜依ちゃんは思い付いたように喋り出した。
- 39 名前:(3) 投稿日:2004/09/13(月) 11:26
-
「あのね、勉強してたの」
「うん」
「絵里ちゃんと」
「うん…」
知ってる、と思いながらも、亜依ちゃんの言いようが面白くて
少し笑ってしまった。
「絵里ちゃんが塾のない日はね、一緒にここで勉強してるんだ。
解らないとこ絵里ちゃんが教えてくれるの」
手で机をさしながら一生懸命に説明してくれている亜依ちゃん。
だけど亀井さんは、相変わらずうつむいたままだった。
- 40 名前:(3) 投稿日:2004/09/13(月) 11:32
-
「…亀井さんと仲いいんだね。
一年生の時も同じクラスだったの?」
それを少し気にしながらそんなことを言ってみた。
亀井さんの肩が少し振れたのがわかった。
「ううん。亜依ね、二年生になった時に編入してきたの。
だから絵里ちゃんはこの学校で初めてのお友達」
「そうなんだ」
知らなかった。
いくつもの中学校から一つの高校に集まり、一学年で四百人近くいる為、
全員の顔を知っているわけではないので当たり前のような感じはするが。
「あの…」
亜依ちゃんが何か私に言おうとしている。
だがそれを教室のドアの開く音がかき消した。
自然と三人ともそちらに目をやる。
- 41 名前:(3) 投稿日:2004/09/13(月) 11:42
-
「あ…」
あまりに意外な来訪者に、微量なほどの声が発せられた。
セミショートに綺麗に染まった茶髪。
実際はそれほどでもないのに、長身を思わせるすらりとした体型。
薄いマスカラの下からのぞく鋭い眼光。
藤本美貴さんだ。
- 42 名前:(3) 投稿日:2004/09/13(月) 11:47
-
藤本さんは私たちを見向きもせずに真っ直ぐ自席に向かい、
机の横にかけた鞄を手にとった。
私は黙ってその一連を見ていた。
藤本さんは年齢でいうと私たちより二つ年上になる。
平たく言うと留年していた。
話しかけづらいので大抵一人でいるし、授業も出ないことが多いので、
こんなにまじまじと見ることはなかった。
- 43 名前:(3) 投稿日:2004/09/13(月) 11:51
-
藤本さんが入ってきたところから出ようとした時、
突然亜依ちゃんの手があがった。
「美貴ちゃん、バイバイ」
美貴ちゃんって。
私だけでなく亀井さんもそんな風に思ったのだろう。
目を見開いて亜依ちゃんを見ていた。
多分私も同じような顔をしている。
藤本さんの背中に亜依ちゃんの声は間違いなく張り付いたはずなのに、
ドアから入ってくるのは開け放たれた風だけだった。
- 44 名前:(3) 投稿日:2004/09/13(月) 11:57
-
「亜依ちゃん藤本さんと話したことあるの?」
時を見計らって私は口を開いた。
「ううん、今初めて越えかけた」
なんとなく感付いていた。
亜依ちゃんはこういうのが亜依ちゃんなのであって、
私のようなものは亜依ちゃんではない。
私の選んでいく生き方と、亜依ちゃんの進む道は、
交わり所のないものなのかもしれない。
ふっと時計が目に入る。
そうだ、もう帰らなくてはならない。
「じゃあ勉強頑張ってね」
右手で鞄を持ち、左手で小さく手を振った。
「うん、バイバイ」
亜依ちゃんが笑顔で手を振る。
- 45 名前:(3) 投稿日:2004/09/13(月) 12:03
-
「あ、そうだ」
私は出しかけた足を止めた。
「ん?」
「亜依ちゃんさっき私に何か言おうとしてたよね。
藤本さんが入ってくる前」
「ああ、うん」
亜依ちゃんは何故か少し照れた様子で言葉を続けた。
「あのね…」
「うん」
「友達…」
「うん?」
亜依ちゃんは右手の平を自分の胸に当て、その手を今度は私の方へ向けた。
あなたと私、私と亜依ちゃん、そんなジェスチャー。
私と亜依ちゃんは、友達。
- 46 名前:(3) 投稿日:2004/09/13(月) 12:09
-
「うん」
私は笑って頷いた。
「うんっ」
亜依ちゃんも笑顔だ。
見ると彼女の耳は真っ赤になっていて、可笑しかった。
なんというのだろう、微笑ましいというものの類だろうか。
「じゃあ、また明日」
「バイバイ」
私が教室を出るまで亜依ちゃんは細くなった黒目だけの瞳が印象的な
笑みをうかべて、小さな手を何度も振ってくれた。
私もいっぱいまでそれを見て応えた。
前を向いて廊下を進む。
もうため息は出なかった。
- 47 名前:(3) 投稿日:2004/09/13(月) 12:10
-
(3)―了―
- 48 名前:チキン 投稿日:2004/09/13(月) 18:29
- >>44
「ううん、今初めて越えかけた」
↓
「ううん、今初めて声かけた」
ですね。すいません。今後気をつけます。すいませんっした。
- 49 名前:七誌さんデス 投稿日:2004/09/13(月) 21:42
- んまぁ、亜衣ちゃんったらぁ(照
初めてで美貴ちゃんって・・・。
でもそれが亜衣ちゃんの人気の秘密(?)なんですかね?
次回更新もまってます。
- 50 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/15(水) 20:52
- 続々と娘。登場ですね。
この先どう転回していくか楽しみです。
>>49 亜依だよ。
- 51 名前:七誌さんデス 投稿日:2004/09/15(水) 21:41
- >>50名無飼育さん様。
あ、ありがとうございます。
うっかりしてました。感謝デス。
- 52 名前:チキン 投稿日:2004/09/20(月) 15:37
- 皆様方レスありがとうございます
読んでると本当元気でます
- 53 名前:(4) 投稿日:2004/09/20(月) 15:46
-
教室の窓の向こうで蝉が鳴く。
一学期もあらかたが終わり、あとは夏休みを待つばかりとなっていた。
「それじゃあうちのクラスは学級展示で
ステンドグラスをすることにします」
しかし二学期が始まるとすぐ学園祭が待っている。
夏休みをつかってその作業をするため、一学期が終わるまでにおおよそ何をするか、
放課後のホームルームで決めなければならない。
今日も学級委員が司会となり、話し合いが展開されている。
私は席に着いてぼんやりと参加していた。
- 54 名前:(4) 投稿日:2004/09/20(月) 15:54
-
「隣のクラスは露店だってよ」
どこからか話し声が聞こえる。
私たちの学校の学園祭は、体育館を使用してのステージ発表、
中庭や校庭での露店、一階の教室を利用しての学級展示が行われる。
各クラスでその三つのうちから、自分達のすることを選ぶのだ。
「それで自由発表についてですが…」
自由発表というのは、校庭の一角に設置されたステージで、
有志たちがダンスやコントなどを披露するものだ。
参加する学年に枠などはないが、三年生のバンドなどが目立つ。
- 55 名前:(4) 投稿日:2004/09/20(月) 16:01
-
「ここのクラスは学級展示なので誰か出ないといけないのですが…」
楽に見える学級展示の穴がここだ。
代表二、三名、もしくはそれ以上が必ず自由発表に参加しなければならない。
「誰か出たい人いませんか」
学級委員の言葉を最後に、もう誰の声も聞こえない。
進んで出ようとする人なんているわけがない。
誰かお調子者が漫才でもやることになるまで、黙っていればいい。
しかし沈黙は、意外にも早く破られた。
「はい」
声と同時に手も上がる。
まくれあがったシャツの袖から見える白い腕。
亜依ちゃんだ。
- 56 名前:(4) 投稿日:2004/09/20(月) 16:11
-
「加護さん出てくれますか」
「うん。あと、あさ美ちゃんと絵里ちゃんと美貴ちゃんが出ます」
手を杖にしていた頬が、するりと滑り落ちた。
学級委員の問いに物凄い勢いで頷いた亜依ちゃんを凝視する。
そんな話聞いていない。
亀井さんの方を見ると、呆気にとられた顔をしていて、
とても何か言える状態ではなかった。
だいいち藤本さんはどうなのだろう。
一番後ろにあるその席を見る。
彼女はいることにはいるが、顔を机に伏せていて、
おそらく眠っている。
六限からあの状態な気がする。
「それでは自由発表は加護さん達に出てもらうということでいいですね」
私があたふたしている間に学級委員が決をとり始めた。
クラスの人間は最初は藤本さんの名前にざわついたものの、
亜依ちゃんの自信満々の姿を見て全員が拍手で応えた。
- 57 名前:(4) 投稿日:2004/09/20(月) 16:16
-
「え、ちょっ…」
小声で言った。
だけど今更断れる雰囲気ではない。
「じゃあ加護さん、紺野さん、亀井さん、藤本さん、
よろしくお願いします。次に展示の役割分担を決めます」
輝く夏の日差し、教室の議会は肝心な当事者を置いて進んでいく。
ただ、私の三つ隣の席で、
亜依ちゃんは満足そうに微笑んでいた。
- 58 名前:(4) 投稿日:2004/09/20(月) 16:17
-
(4)―了―
- 59 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/20(月) 16:30
- へへへ〜リアルタイムで読んじゃった♪
あいぼんの天真爛漫さが良いですよね。
それに振り回されて周りがどう変わってくかが楽しみです。
- 60 名前:チキン 投稿日:2004/09/23(木) 16:15
- いつもレスありがとうございます
ご期待に添えているか解りませんが…
それでは更新始めます
- 61 名前:(5) 投稿日:2004/09/23(木) 16:25
-
「亜依ちゃんっ、勝手にあんなの決められても困るよっ」
議会が終わり教室が解散とすると、私は真っ先に亜依ちゃんの席へ行った。
亀井さんも少し離れてはいるが、不安そうな顔でそこにいた。
「でも断らなかったんだからやるっきゃないじゃん?」
「そうだけど…その…」
言い返せない。
私の理屈の方が賛同者が多いはずなのに。
「大丈夫。みんなでやれば絶対できるって」
亜依ちゃんはにこやかに笑ってはいるが、
言葉に根拠はついてきていなかった。
「加護さん、大島先生が自由発表に出る人は参加用紙もらいに行ってって」
「はーい」
学級委員に呼ばれ亜依ちゃんは教室を出ていく。
「ちょっと待っ…」
私の制止は聞かずに、だ。
- 62 名前:(5) 投稿日:2004/09/23(木) 16:32
-
「まったく…」
ため息混じりに言う。
振り返ると亀井さんと目が合った。
見渡してみると他のクラスメイトは部活に行ったり下校していたりして、
教室には私と彼女しかいなかった。
「なんか、大変なことになっちゃったね」
挨拶代わりに言ってみる。
だけど亀井さんは、また曖昧に頭を下ろすだけだった。
「あの…さ、私、何かしたっけ?」
紙切れのように薄い声で私は言った。
「え?」
「いや、あの。避け、られてる感じがしたから」
何を言っているんだろう。
距離を置いていればそれでいいと、先日確認したのに。
私は何がしたいんだろう。
亀井さんは俯いたまま何も言わない。
- 63 名前:(5) 投稿日:2004/09/23(木) 16:38
-
「…ごめん、変なこと言ったね。気にしないで」
私は亀井さんから視線を外し、席へ戻ろうとした。
「避けてるんじゃないの…」
小さな小さな声が私の腕を掴んだ。
再び亀井さんを見る。
「避けてるんじゃなくて、私…」
涙声に変わっていくのがはっきり解った。
亀井さんはスカートのひだをぎゅっと握って下を向いている。
言葉を続けられそうではない。
こんな時亜依ちゃんなら何て言うんだろう。
考えている自分がいた。
わからない。
だけど聞いてあげたい、亀井さんが伝えようとしていることを。
詰まらせた、言葉の続きを。
- 64 名前:(5) 投稿日:2004/09/23(木) 16:42
-
「ゆっくりで、いいよ」
私は言った。
「ゆっくりでいいから、きかせてくれないかな?」
自然と言葉ができた。
亀井さんは顔を上げた。
初めて目と目が合った。
「そこ座ろっか」
近くにあった席を適当に差した。
亀井さんはゆっくり頷いて、椅子に腰掛けた。
私もその隣りに座った。
- 65 名前:(5) 投稿日:2004/09/23(木) 16:50
-
「ごめんね。でも本当に避けてるとかじゃないの…」
彼女の声は、先程よりも少しは落ち着いている。
「うん」
私は大きく頷いて見せた。
「なんかね、恥ずかしいんだ。私、子供の頃から人見知りすごくて」
机の木目を遠目で見ながら彼女はぽつりぽつりと言葉を紡いだ。
「だから初めて会った人とか、あんまり喋ったことない人とかと上手に話せなくて。
それで紺野さんともちゃんと話せなかったの」
「そうなんだ」
こんな風にしっかりと話を聞かなければ判らなかったこと、
あのまま関ることを避けていたら知りえなかったことが、
私の胸のつっかえをおろしていく。
- 66 名前:(5) 投稿日:2004/09/23(木) 17:02
-
「でも亜依ちゃんとは二年生になってから…だよね?」
「うん。私、中学の時から仲がよかった人としか
高校に入ってからほとんど話したことなくて、
このクラスにそういう人いなくて、最初どうしようと思ってたの。
だけど私が亀井で亜依ちゃんが加護だから、出席番号続いてて席も前後ろだったの。
そしたら亜依ちゃんが私の方振りかえって、
絵里ちゃんだね、よろしく、って言ってくれたの」
「私もね、あの自転車届けに行った日に、
亜依ちゃんにいきなり、あさ美ちゃんっ、て呼ばれたんだよね」
「やっぱり誰にでもそうなんだね」
「藤本さんにもいきなり美貴ちゃんって呼んでたよね」
「あれは本当びっくりしたよ…」
「ねー…」
話してみると亀井さんは、おしとやかでいい子だった。
黒くてさらさらの髪が似合っていて可愛い。
- 67 名前:(5) 投稿日:2004/09/23(木) 17:09
-
「亜依ちゃんって不思議な子だよね」
亀井さんの言葉を聞き、私ははっと彼女の方に目線を向けた。
そして眼を細めて頷いた。
「うん。なんか何考えてるかよく解らないよね。
行動がよめないっていうか…」
今まで会ったことのない種の人間だと、思う。
「だけどさ、なんか。
…あったかいよね」
温かい。
きっと亀井さんの言っているそれは、肌が感じるもののことではない。
これも私が久しく経験していないことだ。
上手くは言えないけれど、
亜依ちゃんと話していると心が温かくなってくる。
- 68 名前:(5) 投稿日:2004/09/23(木) 17:15
-
「うん…」
私は再び自分の顎と喉を近づけた。
「あのね…」
暫しの間を置いて、私は口を開いた。
「あさ美、で、いいよ」
亀井さんがすっと私の目を見た。
そして照れ笑いをしながら、言った。
「あさ美ちゃん…」
私も笑った。
「じゃあ、絵里でいいよ」
自分を指しながら彼女は言った。
何だか初めて亜依ちゃんと話したことを思い出す。
ゆっくりと私も彼女の名前を呼ぼうとする。
- 69 名前:(5) 投稿日:2004/09/23(木) 17:22
-
「絵里ちゃんっ」
だけどそれより早く亜依ちゃんが飛び込んできた。
「絵里ちゃん、あさ美ちゃんっ。美貴ちゃんはっ?」
「え、もう帰ったと思うけど…」
私は小さな声で言った。
「えー、何でひきとめてくれなかったのー?」
そんなこと、出来るわけがない。
「どうしたの?」
私の横から、亜依ちゃんに尋ねる声がした。
「うん。この紙に自由発表に参加するメンバーを記名しなきゃいけないから、
書いてもらおうと思って」
亜依ちゃんは小さい長方形の紙を取り出し、
私が座っている席の机にのせた。
- 70 名前:(5) 投稿日:2004/09/23(木) 17:26
-
「絵里ちゃんとあさ美ちゃんも書いてね。
亜依はもう書いたから」
「藤本さんの名前も、亜依ちゃんが代わりに書いたらいいんじゃない?」
筆記用具を取り出しながら私は言った。
「駄目だよ。こういうのはちゃんと自分の意思で書かなきゃ」
参加が決定されたときは自分の意思なんて関係なかったのに。
私は自分と同じようにペンケースを取り出していた
黒髪の彼女と顔を見合わせて笑った。
- 71 名前:(5) 投稿日:2004/09/23(木) 17:29
-
「ん?何で笑ってるの?」
「何でもないよね、絵里ちゃん」
「ねー、あさ美ちゃん」
亜依ちゃんは訳がわからないといった顔で首を傾げている。
亜依ちゃんが大事そうに抱えてきた紙に、
三人の名前が並んだ。
- 72 名前:(5) 投稿日:2004/09/23(木) 17:30
-
(5)―了―
- 73 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/25(土) 00:28
- 更新お疲れ様です。さてミキティの反応はいかに?
楽しみですね。
- 74 名前:チキン 投稿日:2004/09/25(土) 09:48
- レスありがとうございます
短めの更新ですが…書きたいと思います
- 75 名前:(6) 投稿日:2004/09/25(土) 09:56
-
その日は亜依ちゃんと絵里ちゃんと三人で家路についた。
絵里ちゃんは私たちに合わせて自転車を押しながら歩いてくれている。
ゆっくりと回る車輪が夕陽を浴びて輝いていた。
「明日は絶対美貴ちゃんに名前書いてもらおうっ」
亜依ちゃんは瞳を輝かせながら先頭を歩いている。
私と絵里ちゃんは、笑いながら相槌を打ったり、
二人で話したりしていた。
「私の家、こっちなんだ」
足を止めて私は言った。
赤信号の交差点で、自転車がさしている進行方向と
直角の道を指差す。
その突き当りには真っ白で巨大な建物がそびえたっている。
一番空に近い位置に、赤々と目立つ十字の印。
- 76 名前:(6) 投稿日:2004/09/25(土) 10:00
-
「そっか、あさ美ちゃん家って紺野病院…」
絵里ちゃんがそれを見上げて言った。
私は小さく頷いた。
「そうなんだ」
亜依ちゃんも絵里ちゃんと同じ仰角を向く。
「頭いいもんね。先生よく話してる」
絵里ちゃんは視線を地上に戻して言った。
亜依ちゃんは上の方を見上げたまま、動かない。
「亜依ちゃん?どうしたの?」
私が声をかけると、彼女ははっとこちらを向いた。
- 77 名前:(6) 投稿日:2004/09/25(土) 10:04
-
「ううん。何でもない、何でもない」
そして首を横に振る。
「ふう…ん。
あっ、もう青だよ、信号」
「本当だっ。バイバイ、あさ美ちゃんっ」
「バイバイ」
忙しく横断歩道を渡る二人の背中に手を振り、
私もその場をあとにした。
- 78 名前:(6) 投稿日:2004/09/25(土) 10:13
-
子供の頃は医者になろうと思っていた。
ただそれを目指して勉強をしていた。
中学校で学年一位をとり続けた。
その頃からだろうか、何か違うものの為に筆を走らせている、
そんな気がしたのは。
私に兄弟はいない。
あとを継ぎたい、継がなければならない。
私はその狭間の中に、いる。
真っ白い壁のようなそれを横目で見ながら通りすぎる。
あの日ついたため息の理由がわかった。
私には目的がないのだ。
何をするにしてもその部分がぽっかりと欠如してしまっている。
「ただいま」
下らない装飾で動きの鈍いドアを押し開く。
陽が昇って間もなく此処を出て、
それが沈む頃に戻ってくる。
その事にすら理由はなかった。
- 79 名前:(6) 投稿日:2004/09/25(土) 10:14
-
(6)―了―
- 80 名前:七誌さんデス 投稿日:2004/09/29(水) 18:40
- 更新されてました〜!やった〜!
亜依ちゃんって・・・なんかすごい・・・(笑)
次回更新待ってますよ!
- 81 名前:チキン 投稿日:2004/09/29(水) 20:36
- レスありがとうございます
嬉しさのあまりいっぱい書いちゃいそうです
- 82 名前:(7) 投稿日:2004/09/29(水) 20:45
-
夏休みまであと二日となった。
しかし進学校である我が校は、いかなる時も勉学から逃れることはない。
暑さは連日増す一方で、今日も、
太陽が鉄筋校舎を容赦なく照りつけていた。
二限が終わり、ややざわつく教室。
しかしその空気がにわかに滞る。
後ろ側のドアから、言葉もなく藤本さんが登校してきた。
あの日から、実に二日ぶりの登校となる。
「美貴ちゃん、おはようっ」
周りの視線がそこ一点に集まる。
私と絵里ちゃんはもう動じることはなく、
紙袋のように軽そうな鞄を持った女生徒と、
周囲の目を気にすることなくその彼女に近付く亜依ちゃんの経緯を見守る。
- 83 名前:(7) 投稿日:2004/09/29(水) 20:53
-
「これね、自由発表の参加用紙なんだけど、
ここに美貴ちゃんの名前書かなきゃいけないんだ」
例の紙を指しながら説明している亜依ちゃんの言葉に全く耳を貸さずに、
藤本さんは真っ直ぐ一番後ろの自席に向かって歩いていく。
「それでね、美貴ちゃんに書いてほしいんだけど…」
亜依ちゃんがそう言うと同時に藤本さんは席に着き、机に突っ伏した。
おそらく睡眠に入る体勢だろう。
「美貴ちゃんっ…」
藤本さんから返事はない。
「おーい、席着けー」
先生の声とチャイムを合図に、
藤本さんと亜依ちゃんの第一ラウンドは幕を閉じた。
- 84 名前:(7) 投稿日:2004/09/29(水) 21:00
-
「美貴ちゃん、ここに名前書いてほしいんだけど」
その授業が終わると、真っ先に亜依ちゃんは藤本さんの席へ行った。
私と絵里ちゃんも傍らに寄り添っている。
しかし藤本さんは、相変わらず何の反応もない。
「寝て、るんじゃない?」
明らかに絵里ちゃんの言うことは正しかった。
机に顔を伏せたまま、藤本さんは動かない。
たまに学校に来ても、彼女は授業中、寝ていることが多かった。
「起こしたらさ、まずいかな?」
ぷっ、と私と絵里ちゃんは、亜依ちゃんの言葉で同時に吹き出した。
「な、何で笑うのー?」
「だ、だって。急に亜依ちゃんが弱気になっちゃったからっていうか…」
「そう、なんか今更プライバシーみたいなこと言い出しても…」
- 85 名前:(7) 投稿日:2004/09/29(水) 21:07
-
でも、そういうところが亜依ちゃんらしさなのだと思う。
「だって寝てる人起こすのって悪い気がするじゃん。
だけど参加用紙に名前書いてもらわなきゃいけないし…」
「締め切りいつ?」
「八月の、二十日」
「一ヶ月以上先だね。焦ることないよ」
「うーん、そうだけど」
そうやって亜依ちゃんを諭している間に、四限の授業が始まった。
「おい、藤本。どこ行くんだ」
英文をさも流暢に読んでいた教員が、それを止め声を上げた。
藤本さんは授業中であるにも関らず席を立ち、
手ぶらで教室の出口へ向かっていく。
- 86 名前:(7) 投稿日:2004/09/29(水) 21:14
-
「こら、藤本っ」
先程よりも大きな教員の声にも動じることなく、
彼女は私たちの視界から消えていった。
「まったく…」
教員は諦めたように舌打ちをした。
私はなんとなく、藤本さんが出ていったドアを見ていた。
「おい、加護。何やってる?」
教員のその一言で、私はさっと亜依ちゃんの席を見る。
彼女は両手を机について、椅子から立ち上がっていた。
「はいっ、いえ。何でもありません…」
亜依ちゃんはそのまま、すとんと腰を落とした。
若干笑い声が上がる。
追いかけるのかと思った。
絵里ちゃんも同じように感じたらしく、目が合ったとき、苦笑いをした。
その後は何事もなく短針と長針の追いかけっこが進み、昼休みとなった。
- 87 名前:(7) 投稿日:2004/09/29(水) 21:22
-
昼食をとるのを後回しにして、私たち三人は藤本さんを捜した。
亜依ちゃんが先立って校舎のあちこちを歩き回る。
しかし、結局彼女はどこにも見当たらなかった。
「まだ締め切り随分先でしょ?
なんでこんなに急ぐの?」
かなり遅めの昼御飯を屋上でとりながら、私は亜依ちゃんに尋ねた。
絵里ちゃんも興味深そうに亜依ちゃんを見つめる。
「うーん。今度のは参加用紙のこともなんだけど、
授業勝手にいなくなっちゃ駄目だよって言おうと思って捜してたの」
自分も抜け出そうとしたのに。
ああ、だから追いかけなかったのか。
「うわ、予鈴なったよっ。急がなきゃ」
心の中で自問自答していると、絵里ちゃんが声をあげる。
私たちは慌てて荷物をまとめ、
曇り空から陽の当たるそこを立ち去った。
- 88 名前:(7) 投稿日:2004/09/29(水) 21:33
-
チャイムはとうに放課を告げ、聞こえる声は
部活動に熱中している生徒のものだけになっていた。
「美貴ちゃんっ」
しかし、そこに思わぬ声が上がる。
流石の藤本さんもポーカーフェイスを崩し、眼を見開いた。
あのまま五、六限の授業も藤本さんは姿を見せず、
いくら亜依ちゃんといえど今日はもう藤本さんとの接触を
諦めていると思っていた。
だけど亜依ちゃんは口元だけ大袈裟に微笑んで、言った。
「何人も、靴がなければ帰れないからね」
昇降口の大きな窓越しに陽の光を浴びながら、
藤本さんに向かって再び彼女は同じ詞を発した。
私は絵里ちゃんと並んでその後ろにいた。
子供騙しのような理屈だが、何故か納得させられてしまった。
人の下校を下駄箱で確認するなんて小学校以来なかった気がする。
- 89 名前:(7) 投稿日:2004/09/29(水) 21:40
-
「何だよ…」
表情を無に戻し、下駄箱から目線を落として藤本さんは言った。
声を聞くのは初めてかもしれない。
低くて、ナイフの刃のように冷たい声だった。
「駄目だよ、勝手に授業抜け出しちゃ」
亜依ちゃんは嬉しそうににこにこ笑いながら言った。
「関係ないだろ」
「あとね、自由発表の参加用紙…」
藤本さんのそっけない反応も気にせず、
亜依ちゃんはスカートのポケットから先の紙を取り出す。
しかし勢いがつきすぎたのか、彼女の右手からそれはこぼれるように落ち、
ゆっくりと藤本さんに近い位置に着地した。
彼女は黙ったまま自分の足元のそれを拾う。
- 90 名前:(7) 投稿日:2004/09/29(水) 21:52
-
「その紙に名前書いてほしいなって」
亜依ちゃんは変わらず笑顔だが、藤本さんは眉間に皺を寄せている。
私は絵里ちゃんと不安そうに顔を見合わせた。
「…っつーかさ、何で私なわけ?」
藤本さんの意見はもっともだった。
私や絵里ちゃんは勿論、亜依ちゃん自身でさえほとんど話したことがない彼女を、
何故こんなに引き寄せようとするのか。
私も、おそらく私の横にぴったりとくっついて立っている絵里ちゃんも、
疑問を感じていただろう。
「だって、美貴ちゃん優しいから」
風など吹いていないのに、私の背中まで垂らした髪が何かに揺られた気がした。
と、いうよりも、この空間の中にを目では見えない、言葉でも表せないものが
流れていったという方が正しいだろうか。
「…んだよ、それ。根拠ないだろ」
藤本さんは少し戸惑いながらも、相変わらず低いトーンで返した。
「…それ、拾ってくれたし、ね」
亜依ちゃんは控え目に藤本さんの右手に握られた長方形を指差した。
藤本さんははっとした表情でそれを見る。
- 91 名前:(7) 投稿日:2004/09/29(水) 21:59
-
亜依ちゃんは目を細めて微笑んでいる。
藤本さんがまとっていた張り詰めた空気を、その笑顔が躊躇なく崩していく。
亜依ちゃんの後ろの私たち二人も、思わず顔をほころばせる。
しかし、それも束の間だった。
「あ…」
ぐしゃりと音を立てる自由発表の参加用紙。
藤本さんが手の平でそれを握り潰していた。
そして締めた拳を開き、丸くなった白い塊を床に落とす。
「勝手なことばかり、言ってんなよ」
吐き捨てるように言い、
亜依ちゃんの胸元を突き飛ばして藤本さんは出口へ向かっていく。
したたかに押されてバランスを崩した亜依ちゃんは、
下駄箱に背中から衝突して尻餅をついた。
- 92 名前:(7) 投稿日:2004/09/29(水) 22:08
-
「亜依ちゃんっ」
顔をしかめて、こほこほと咳き込んでいる亜依ちゃんに近寄り声をかける。
これには私も怒りをおぼえ、藤本さんの方を振り返る。
だけど彼女の顔を見た途端、その感情はどこかに消え去ってしまった。
藤本さんは心配そうな表情で亜依ちゃんを見つめていた。
私と目が合うとすぐに180度向きを変えて、
足早に帰っていってしまったけれど、
その一瞬の藤本さんの表情が、私の瞳に写真のように焼き付いていた。
「亜依ちゃん、大丈夫?」
絵里ちゃんが亜依ちゃんの背中を撫でて介抱している。
亜依ちゃんは一回り小さくなった紙を、一心に伸ばしている。
亜依ちゃんから絵里ちゃんに捧ぐ言葉はなく、
絵里ちゃんから亜依ちゃんに捧ぐ言葉もなかった。
だけどそこには、亜依ちゃんの強い意思が感じられた。
- 93 名前:(7) 投稿日:2004/09/29(水) 22:11
-
だから、私は言った。
「自由発表、四人で出たいね」
亜依ちゃんは俯いていた顔を上げ、私の方を見た。
そして笑いながら大きく頷いた。
絵里ちゃんもそれを見て、微笑んだ。
何だか、私も笑う。
その日も三人で並んで家路を辿った。
- 94 名前:(7) 投稿日:2004/09/29(水) 22:12
-
(7)―了―
- 95 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/30(木) 00:01
- やっぱりなんかこの話って優しい気持ちになれて好きだな〜。
あと随所に見られる作者さんの描写が好きです。
ミキティのカバンとか、ひろったものとか、時間の流れる表現とか。
では次回更新も楽しみにしてます。
- 96 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/30(木) 19:49
- こんなに素直でいい子の加護は他ではちょっと読めないっすね
すごくよいです
藤本さんとどうなることやら楽しみです
- 97 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/02(土) 13:54
- そうそう、こう言うあいぼんなかなか読めないからあいぼんファンとしても嬉しいし、新鮮で良いよね。
- 98 名前:七誌さんデス 投稿日:2004/10/02(土) 16:49
- みきてぃは変わってくれるんでしょうか?
4人での自由発表、成功するといいですね。
続きも楽しみデス。
- 99 名前:チキン 投稿日:2004/10/08(金) 23:17
- 皆様方レスありがとうございます
名無し飼育さんの感想で涙が出かけたのは、内緒です
いつもより間が空いてしまってすみません
連休使って更新する予定なんでよろしくお願いします
- 100 名前:(8) 投稿日:2004/10/08(金) 23:29
-
「紺野さん、本当に自由発表出るの?」
登校中偶然一緒になった友人が、おはよう、の後に言った。
「うん、出るよ」
極めて短く返した。
「うそー。最近図書室にも放課後来ないし、どうしたの?」
私は顔をこわばらせた。
友人はまるで、私が自由発表に出てはいけない人間だとでも
言いたげである。
以前の私も、自分がそんなものに出るなんて考えたこともなかったが、
その友人の言葉は、今の私に言いようのない感情を芽生えさせた。
「別に、どうもしないよ。出たいと思っただけ」
まだ朝だというのに、すでにアスファルトからは熱気が伝わってくる。
今日で一学期が終わり、翌日から夏休みが始まる。
そのこととは違う何かが私の心を躍らせていた。
- 101 名前:(8) 投稿日:2004/10/08(金) 23:37
-
「今日も藤本さん、来なかったね」
絵里ちゃんが言った。
退屈な終業式を終え、やっとのことで解放された生徒はさっさと帰ってしまい、
教室には私と彼女と亜依ちゃんしか残っていなかった。
亜依ちゃんの席の近くに集まって、会話は続く。
「うん。昨日も来なかったし、夏休み始まっちゃったね」
応えながら首だけ動かして藤本さんの席を見る。
「こうなったら、学園祭の準備の時に
参加用紙書いてもらうしかないなー」
亜依ちゃんは席に着いて鞄の上に顎をのせ、その紙を見つめた。
「あのね、あんまり言いたくないんだけど…」
絵里ちゃんが下を向いて喋り出す。
「ん?」
「藤本さん来るかな、学園祭の準備…」
- 102 名前:(8) 投稿日:2004/10/08(金) 23:44
-
私は口には出さなかったが、絵里ちゃんと同じ意見だった。
普段の授業でさえなかなか来ないのに、
出席日数に関係のない学園祭の準備なんかに、わざわざ来るだろうか。
「大丈夫だよ」
私は亜依ちゃんの声を聞いた。
顔は笑顔だが、いささか強い声だった。
「来てくれるよ、美貴ちゃんは」
私は藤本さんを思い出していた。
瞼の裏に焼き付いた、亜依ちゃんを見つめるあの眼差し。
「うん。大丈夫だよ、きっと」
まだ疑問を顔に残している絵里ちゃんに言う。
彼女もひとつ、頷いた。
今はただ、あの藤本さんの表情を信じるしかない。
- 103 名前:(8) 投稿日:2004/10/08(金) 23:55
-
しかし学園祭の準備が始まって三日が経っても、
藤本さんは来なかった。
彼女のいない私たち三人は、どうしようもなく
学級展示のステンドグラスを手伝っていた。
「自由発表、大丈夫?」
またか。
先日登校を共にした友人が、
ガラスに赤色を付けていた私に話しかけてきた。
「大丈夫だよ」
「そう。でも藤本さん来てないけど、準備進んでるの?」
嫌なことを訊いてくる。
でもそれも仕方がないのかもしれない。
周りから見て私たちは、一種の不安材料に違いなかった。
「無理なら藤本さん抜きで三人でやってもいいんじゃない?」
「ううん。四人で、やるよ」
友人の言葉に即答した。
やや気持ちが高ぶっていることに気が付いた。。
その後友人は何も言ってこなかった。
不意に亜依ちゃんと目が合い、彼女が嬉しそうに微笑んだのを見て、
私は自分の顔まで手にしていた半透明の破片のように赤く染まるのを感じた。
- 104 名前:(8) 投稿日:2004/10/09(土) 00:03
-
学園祭の準備は、どのクラスも午前中には終わる。
午後になると各自帰宅したり、部活動へ行ったりする。
私と亜依ちゃんと絵里ちゃんは、学生食堂で昼食を済ませ、
教室へ戻った。
亜依ちゃんの席を中心に適当な机を合わせる。
教科書を広げ、それぞれ夏休みの宿題にとりかかった。
去年は図書室で例の友人達とやっていた。
今は、いつの間にか一緒にいることになった二人と居る。
その予想もしなかった偶然に違和の感がありながらも、
楽しさや嬉しさといった、前向きな思考が私の心を満たしていた。
「あさ美ちゃん」
亜依ちゃんが私を呼んだ。
「ここ、教えてほしいんだけど…」
- 105 名前:(8) 投稿日:2004/10/09(土) 00:11
-
彼女は身を小さくして、細い声で言った。
そんなに気にしなくてもいいのに、亜依ちゃんはいつも、
解らないところを私や絵里ちゃんに尋ねるとき、本当に申し訳なさそうにしていた。
曰く、人の勉強の邪魔をするのは気がひけるらしい。
「いいよ、もっと楽に質問してくれて」
私はその度に彼女に言った。
絵里ちゃんも大体同じことを言う。
「ごめん。本当にありがとう」
亜依ちゃんは教科書を近付けて身を寄せ、
私の話を熱心に聞いていた。
亜依ちゃんは説明するとすぐに理解してくれて、教えがいがある。
こんなにものわかりが良いのならもっと出来るはずなのに、と思ったが、
彼女は基礎的な文法や、公式を知らないことが多かった。
理由はしれないが、勿体ないと感じていた。
- 106 名前:(8) 投稿日:2004/10/09(土) 00:16
-
刻々と時は過ぎていき、時計は三時を示していた。
長針が右側に少しおじぎをしている。
「結構、時間経ったね」
私は軽く腕を伸ばしながら言った。
「本当だ。
うーん、疲れたー」
亜依ちゃんも私に続く。
しかし絵里ちゃんは、まだ黙々と参考書に目を向けている。
「絵里ちゃん、頑張るね」
私が声をかけると、やっと彼女は顔を上げた。
「うん。あ、もう三時だね」
先程の私と亜依ちゃんの会話も、
彼女の耳には届いていなかったらしい。
- 107 名前:(8) 投稿日:2004/10/09(土) 00:22
-
「絵里ちゃんは凄いんだ。
いっぱい勉強してるもん」
「凄くないよ、全然。ただ…」
亜依ちゃんの言葉に、絵里ちゃんは首を振って応えた。
ただ、終わり方が少し気になった。
「ただ?」
「ううん、なんでもない。忘れて」
「えー、最後まで言ってよ」
亜依ちゃんが机に肘をのせ、上体を絵里ちゃんに向ける。
「ただ…ね、なりたいものがあるから…」
「えっ、なになに?」
「それは教えない」
なんだよー、と亜依ちゃんが勢いよく背もたれに体を預けて
椅子に座る。
- 108 名前:(8) 投稿日:2004/10/09(土) 00:32
-
私は絵里ちゃんの、なりたいもの、という詞が胸に残っていた。
不意に、絵里ちゃんと目が合った。
「なんか、どこかのバンドが練習してるね。
自由発表出るのかな」
彼女が話しかける前に、私は話題をがらりと変えた。
怖かったのだ。
あさ美ちゃんは将来どうするの、とか、
お医者さんになるの、などと訊かれるのが。
将来のために勉強してはいるが、なりたいものが見つからなかったときの
逃げ道を多く作る為という漠然とした理由であること。
また、医者になることさえ、その憐れな敗走路の一つであることを
自分自身で確認するのが怖かった。
「自由発表かあ。そうだ、亜依ちゃん。
私たち自由発表なにするの?」
絵里ちゃんが上手く私の詞を拾ってくれたお陰で、
私は胸を撫で下ろした。
そして亜依ちゃんを見る。
- 109 名前:(8) 投稿日:2004/10/09(土) 00:39
-
「考えてはあるけど、それでいいかな」
「え、何。変なことじゃなければ」
変なこと、確かに亜依ちゃんは何を言い出すかわからない。
「変じゃない、変じゃない。
何で亜依が変わってるみたいなこというの?」
私は絵里ちゃんと顔を見合わせた。
亜依ちゃんは真面目な顔をしている。
可笑しくて、目線の間に笑みが生まれた。
亜依ちゃんはすねた様子でそっぽを向けた。
「ごめん、ごめん。
で、亜依ちゃんが考えてるのって何?」
「教えない。絶対教えない」
「ごめんって、亜依ちゃん」
私と絵里ちゃんが立て続けに謝るが、彼女はそれ以上口を開こうとしない。
- 110 名前:(8) 投稿日:2004/10/09(土) 00:42
-
「美貴ちゃんが来たら、言う」
しばらくそんなやりとりが続いた後に、
亜依ちゃんが小さな声でそう言った。
「うん、そうだね」
私は応えた。
絵里ちゃんは下を向いている。
ドラムの音が遠くからいっそう大きく聞こえてくる。
夏休みはまだ、始まったばかりだ。
- 111 名前:(8) 投稿日:2004/10/09(土) 00:43
-
(8)―了―
- 112 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/09(土) 08:20
- 亀井さん紺野さん、二人とも着実に影響されてきてますね
いろいろ進みそうな夏休みで楽しみ。
- 113 名前:チキン 投稿日:2004/10/10(日) 17:19
- レス有難く存じて居ます
それでは天気の悪い連休遣って更新しよう第2弾参ります
- 114 名前:(9) 投稿日:2004/10/10(日) 17:29
-
「なんか時間かかちゃったね。
絵里ちゃん、塾間に合いそう?」
「うん、余裕」
その日学校で勉強したあと、
私たちは軽く何か食べに入った喫茶店で時間を潰した。
絵里ちゃんが夕方から塾があるので、駅前まで一緒に向かっている。
「こっち近道だと思うんだよね」
ふと立ち止まって亜依ちゃんが言った。
彼女は住宅の壁と小さな川の間の道指差している。
駅の近くにも川が流れているから近道なのかもしれないが、
その道は絵里ちゃんの自転車がやっと通れるだろう程の狭さだった。
それに亜依ちゃんの話し方から、
彼女が一度もその道を通ったことがないのは明らかだった。
「ちょっとぐらい迷っても時間あるから大丈夫だよ」
たじろっていると、絵里ちゃんが耳打ちするように私に言った。
「じゃ、行こっか」
亜依ちゃんはすでに完全に舗装されてすらいないその道を歩き始めていた。
- 115 名前:(9) 投稿日:2004/10/10(日) 17:33
-
「こんな道あったんだ」
絵里ちゃんが川の流れを見ながら言った。
「うん。私もあんまりこっちの方来ないから知らなかったよ」
「よく来てても、ここを通ろうとは思わないかもね」
「えー、思うよ。面白そうじゃん」
亜依ちゃんの詞には、ただ呆れ笑いをするしかなかった。
- 116 名前:(9) 投稿日:2004/10/10(日) 17:43
-
しばらく進むと、道が開けて川と反対側の真横に公園が見えた。
公園といっても、それは小さく、かなり古いもののようで、
その存在すら私は知らなかった。
おそらく地域住民の出入りもないに等しいのだろう。
唯一ある遊具の二人用のブランコは、その片方の鎖が切れていて、
青色の塗装よりも赤茶色の方が目立っていた。
「あ…」
何でこんなところに彼女が居るのだろう。
水色のジーパンに、あっさりとしたデザインのTシャツといった
ラフな出で立ちで、彼女は居た。
隅の方にある花壇のブロックに腰掛け、
じっと地面を見つめている。
その横には一つだけ、向日葵が咲いていた。
「美貴ちゃんっ」
亜依ちゃんが彼女の名を呼んだ。
その声に気付くと彼女は一瞬こちらを見た後すぐに立ち上がり、
出口の方へ行ってしまった。
- 117 名前:(9) 投稿日:2004/10/10(日) 17:51
-
「美貴ちゃん、待って」
亜依ちゃんが追いかけようとしたが、間にあるフェンスが遮り、
藤本さんは見えなくなった。
「何、してたのかな」
公園の入口まで回りこんで、中に入ってみる。
足は自然と、藤本さんがいた花壇へ向かう。
「向日葵…」
適当な場所に自転車を止めて、絵里ちゃんが言った。
その花は、川に近い方の公園の端にある小さな花壇に、
ぽつんと咲いていた。
その花壇も公園と同様に荒廃しており、
囲いのブロックは、ところどころ数を欠いていた。
肥料だけは残っているのだろうか。
しかし、荒れ果てた様子と裏腹に、
花の周りには草が一つも生えていなかった。
- 118 名前:(9) 投稿日:2004/10/10(日) 18:01
-
「美貴ちゃんがお世話してたんだよ」
私と絵里ちゃんは同時に亜依ちゃんの方を向く。
「植えたのが美貴ちゃんかどうかは知らないけど、
これ作ってるの見た」
亜依ちゃんは向日葵の茎の横にある支柱を指差した。
向日葵には普通、支柱での補強はしない。
茎が折れて、そのため、こういった処置をとったのだと予想できる。
「その時、話しかけられなかった。
なんか一生懸命っていうか、なりふり構わずって感じで」
「それで亜依ちゃん、この道を通ったんだ」
駅から離れた遠い喫茶店にわざわざ行こうと言い出したのも亜依ちゃんだ。
藤本さんに会うために、もしくはこの花を見せるために、
さりげなく私たちをここに導いたのだ。
「ううん。違うよ」
「え…」
「ほんっとに一回たまたま見ただけだったから、
場所も覚えてなかったし、今回も偶然」
- 119 名前:(9) 投稿日:2004/10/10(日) 18:07
-
そんな偶然あるだろうか。
でも亜依ちゃんの行動の様を見ていると、
そんなものもあるかもしれないと思えてくる。
「絵里ちゃん、どうしたの?」
亜依ちゃんが声をかける。
絵里ちゃんは下を向いている。
藤本さんの話が出る度に、
彼女はこんなふうに俯いていた、気がする。
気が付いてはいたが、気にしてはいなかった。
それは私に人見知りをしていた頃の絵里ちゃんに、酷似していた。
「うん、あのね…」
絵里ちゃんは目線を下に向けたまま、
花壇の向日葵に近付いていく。
- 120 名前:(9) 投稿日:2004/10/10(日) 18:17
-
「私ね、本当は最初、
藤本さんと一緒に自由発表やるの嫌だったんだ」
絵里ちゃんは花びらを柔らかく撫でながら、言葉を続ける。
「最初っていうか、さっきまで。
あんまり話したことない人と話すの、私苦手だし、
藤本さんって怖い感じだから、上手くいかないって思ってたの」
そこまで話すと、彼女は花の黄色から手を離し、顔を上げた。
「だけどね、今は藤本さんと一緒に自由発表出たい。
この向日葵見てたら、藤本さん、
優しい人なんだって思うから」
絵里ちゃんは私たちに背を向けたまま、
再び目線を落とした。
「ごめんね。私、今まで藤本さんが一緒にやることにならなければいいって
思ってた。二人とも本気で藤本さんのこと説得しようとしてたのに。
本当にごめん」
- 121 名前:(9) 投稿日:2004/10/10(日) 18:25
-
絵里ちゃんの声はだんだん小さく、弱々しくなっていった。
彼女の気持ちもわかる。
ただでさえ人見知りをするのに、
藤本さんみたいにクラスで悪いように目立つ存在の人なんて、
余計馴染めないと感じて当然だろう。
気持ちは理解できるが、
私は絵里ちゃんにかけてあげる詞が見つからなかった。
「うわっ…」
絵里ちゃんの上擦った声がした。
彼女の背中に亜依ちゃんが勢いよく抱きついていた。
「ごめんなんて言わなくて、いいよ」
亜依ちゃんは絵里ちゃんの制服の白いシャツに顔をうずめて言った。
小さな声だったが、私にもはっきり届いた。
「亜依が言い出したことだし、絵里ちゃんが一緒にやるって言ってくれて
嬉しいよ。思ってること言ってくれたのも嬉しい。
もっともっと言って欲しい」
- 122 名前:(9) 投稿日:2004/10/10(日) 18:29
-
「亜依ちゃん…」
「頑張ろう。みんなで頑張って、自由発表出よう」
「うん…」
絵里ちゃんが頷いたのを見て、私は二人の元へ駆け寄った。
そのまま亜依ちゃんの体ごと、絵里ちゃんに抱きつく。
「あさ美ちゃん、痛いよっ」
「っていうか、暑ーい」
「へへ、本当だ」
なんだかんだと言いながらも、私たちはしばらく身を寄せ合った。
- 123 名前:(9) 投稿日:2004/10/10(日) 18:38
-
「あ。絵里ちゃん、塾っ」
向日葵が微かな風にのって笑い出した頃、亜依ちゃんが声を上げた。
「あー、急がなきゃ」
一足早く自転車に跨り絵里ちゃんが出ていく。
亜依ちゃんとその後を歩いて解ったが、この道は本当に駅への近道だった。
おそらく絵里ちゃんは塾に間に合っただろう。
「すごいね、亜依ちゃん」
得意そうに笑う彼女に言う。
本当に敵わない、この人には。
二人分の影が、実際の身長よりもずっと長く伸びていた。
- 124 名前:(9) 投稿日:2004/10/10(日) 18:39
-
(9)―了―
- 125 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/10(日) 22:39
- あっ、2話も更新されてた。
先日今年のミュージカルのDVD購入したんですが、
自由奔放でマイペースなところが、ここのあいぼんとイエロー(ミュージカル中での役)が
なんとなく似ててここの小節のあいぼんのイメージがより鮮明になって楽しみが増えました。
ってあんまり関係ないレスでしたね。すみません。
次回更新も楽しみにしてます。
- 126 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/12(火) 00:45
- 今日見つけて全部一気によみました。
とてもとても面白いですね!
これからも頑張って下さい。
応援してます!
- 127 名前:チキン 投稿日:2004/10/15(金) 22:47
-
こんにちは季節の変わり目お元気でお過ごしでしょうか
新しいお客様もご覧になられたようで恐縮です
それでは早速更新いたします
- 128 名前:チキン 投稿日:2004/10/15(金) 22:52
-
その後も藤本さんは学校に姿を見せず、
日付は七月から八月になっていった。
そんな夏がさらに夏らしくなってきていたある日、
亜依ちゃんが学校を休んだ。
その日絵里ちゃんと帰りながら、一学期も彼女は
ひょこっと休むことがあった、という話になった。
言われてみるとそうだったような気もする。
例の交差点で絵里ちゃんと別れ、私はそのまま家へ向かった。
- 129 名前:チキン 投稿日:2004/10/15(金) 22:57
-
翌日、亜依ちゃんは何もなかったように登校してきた。
「ちょっと風邪気味だったから」
などと言っていた。
この日も相変わらず、藤本さんは来なかった。
自由発表の参加締め切りまであと十数日しかない。
八月の十日から、盆休みで学校は完全に封鎖され、
それが解かれる八月二十日までに参加用紙を生徒会に
提出しなければならない。
事態はいよいよ深刻になっていた。
- 130 名前:(10) 投稿日:2004/10/15(金) 23:05
-
「行ってきます…」
重いドアを押して外へ出る。
昼下がりの太陽が頬を照らす。
とはいっても台風が近付いてきているため、空は曇りがちなのだが。
予報では明日の夕方あたりに直撃らしいので、
今のところ雨や風はなかった。
交差点を左に曲がる。
学級展示を午前まで手伝い、今日はすぐに家へ帰った。
夏休み明けに提出のレポートの資料を買いに、
駅前へ向かっているのだ。
「ありがとうございましたー」
本屋を出て駅の前を通った。
すぐ近くに川が流れている。
- 131 名前:(10) 投稿日:2004/10/15(金) 23:14
-
呼ばれている、気がした。
振りかえるが誰もいない。
誰もいなかったが、そこには道があった。
流れる川との平行線、いつか三人で音を立てて歩いた砂利。
気が付くと私は、その道を歩き始めていた。
その方角に別段用事があるわけではない。
家とも反対方向だ。
なのに私は、使命感に近いものを抱いて歩を進めていた。
程なくして道が開けた。
右手に錆びたブランコが見える。
「藤本さん…」
フェンス越しにあの鋭い眼光と目が合った。
彼女はあの時と似たような楽な私服で、
花壇のブロックに腰掛けていた。
しかし、私の姿を確認すると目を伏せて立ち上がり、
出口の方へ行ってしまおうとした。
- 132 名前:(10) 投稿日:2004/10/15(金) 23:22
-
「待って」
藤本さんは驚いた様子で立ち止まり、私の方を向いた。
「…下さい」
私自身も自らに驚愕していた。
心臓は高鳴り、気温の変化などないのに
汗を冷たいと思う感覚が芽生えていた。
藤本さんは立ち止まったまま動かない。
私は入口まで回りこんで、改めて彼女と対面した。
「なんで学校来てくれないんですか」
私の問いに藤本さんは微動だにしない。
「亜依ちゃん、藤本さんのこと信じてずっと待ってますよ」
亜依ちゃんの名前に、彼女は少し肩を揺らした。
- 133 名前:(10) 投稿日:2004/10/15(金) 23:33
-
「私と絵里ちゃんも同じです」
「馬鹿じゃないの」
地を這うように低い声で、彼女は私の言葉を遮った。
「あたしが出るわけないだろ、そんなの」
「私も自分が自由発表とか出るわけないと思ってました。
でも、亜依ちゃんと話すようになって、何だかいろいろなものの
考え方とか変わったんです。最近それが楽しいんです」
自分でも何がなんなのか解らないくらい、
次々と言葉が生まれ、口にしていた。
だけどそれらは私にとって揺るぎのない事実であった。
「あんたと私は違うんだよ」
藤本さんは私の横を通りぬけ、再びその場から去ろうとした。
私はその腕を捕まえるように言った。
「確かに私と藤本さんは違います。だけどそれは当たり前です。
私は私で、藤本さんは、本当はとても優しい人です」
「何言ってんだよ」
「向日葵のこと、助けてあげたじゃないですか」
- 134 名前:(10) 投稿日:2004/10/15(金) 23:43
-
その詞に藤本さんは振り返り、鋭い瞳をさらに尖らせて私を見た後、
私の肩を飛ばして公園の奥へ進み、花壇の前で立ち止まった。
そして左足を軸に右足を振り上げた。
その細い足が向かう先は、向日葵の大きな花を支えている、
茎と支柱だった。
「藤本さっ…」
「やめてっ」
私の声は間に合わなかった。
だけどさらに甲高い声が藤本さんの足に絡みつき、動きを封じた。
「そんなひどいこと、しないで下さい」
フェンスの向こうに立っていた声の主は、絵里ちゃんだった。
「藤本さんが植えて、大事に育ててきたんじゃないんですか?
一時の感情で壊すなんて、悲しいことしちゃ駄目です」
私の先の心理状態は、今の絵里ちゃんに似ていたのかもしれない。
とにかく彼女は、言葉が絶えず浮かんできて、
息が苦しそうだった。
- 135 名前:(10) 投稿日:2004/10/15(金) 23:49
-
「私が植えたんじゃないよ」
藤本さんはそう言って、私の横を通りすぎていく。
「誰が植えた訳でもない。勝手にそこに居るんだ。
あたしと一緒だよ」
私と絵里ちゃんは藤本さんに引き止めることも、声をかけることも出来ず、
ただその背中を見送っていた。
細くて、小さくて、哀しい背中だった。
「絵里ちゃん、どうしてここに?」
例の狭い道を通りながら、私は彼女に尋ねた。
「うん。塾に行く途中だったんだけどね、なんか気になったっていうか、
自然と足が向かってたっていうか」
「そっか」
- 136 名前:(10) 投稿日:2004/10/15(金) 23:53
-
「あさ美ちゃんは?」
「私も、おんなじ」
その後、しばらく会話が途切れた。
駅の裏手が見え始めた時、絵里ちゃんが口を開いた。
「藤本さんのこと…」
「うん?」
「もっともっと知りたい」
「うん…」
「きっと、素直になれないだけだから」
- 137 名前:(10) 投稿日:2004/10/15(金) 23:55
-
私の眼に、再び彼女の後ろ姿が浮かび上がる。
そして、いつか亜依ちゃんを心配そうに見つめていた
彼女の顔を思い出す。
「そうだね」
嵐は、私たちの遥か頭上で、刻一刻と近付いてきていた。
- 138 名前:(10) 投稿日:2004/10/15(金) 23:56
-
(10)―了―
- 139 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/16(土) 23:48
- 更新お疲れ様です。
あいぼんと紺ちゃん、亀ちゃんの願いが
ミキティに届くといいんだけど、な。
- 140 名前:チキン 投稿日:2004/10/17(日) 13:33
- レス有難うございます
ではとんとんとんと更新します
- 141 名前:(11) 投稿日:2004/10/17(日) 13:40
-
翌日は朝から雨が降っていた。
午後には台風が再接近するため、次第に雨足は強まり、
学園祭の準備も早めに打ち切られた。
「雨、嫌いだなあ」
傘をさして歩く帰り道で、亜依ちゃんが言った。
絵里ちゃんも今日は、自転車を使わずに歩いていた。
「なんで?」
私もどちらかと言えば雨よりも晴れていた方が良いが、
亜依ちゃんの言葉は私の興味をそそった。
「お空が見えないから」
単純だった。
少し、笑った。
- 142 名前:(11) 投稿日:2004/10/17(日) 13:47
-
「台風強いかな?」
「うーん。最初は強かったけど、この辺に来る頃には
多少弱まってるよ。速度もあるから早めに通り過ぎてくと思うけど」
絵里ちゃんの質問に、今朝ニュースで見たままを答えた。
「そっか…」
横で亜依ちゃんが、顔を曇らせて下を向いた。
気になったが、深くを追求しなかった。
いつもの交差点で二人と別れた。
小さくなっていく、亜依ちゃんの傘が風で飛ばされそうになり
彼女が必死にそれを押さえ、その傍らで絵里ちゃんが慌てている姿を
遠目で見た後、私は家路を辿った。
- 143 名前:(11) 投稿日:2004/10/17(日) 13:54
-
家に着き、自室に入ると、
私はひどく疲れを感じた。
外の天気もあんな具合で、心身が重たく感じ、
制服のままベッドに腰掛けた。
そのすぐ脇の窓を、雨が叩いていた。
私はそのまま上体をベッドに沈め、眼を閉じた。
どの位時間が立ったかもわからない。
意識があったかも解らない。
暗い、私の瞳の奥の世界で黄色いものがゆらゆらと揺れていた。
ぼやけていて、それが何なのか、はっきり確認できなかった。
風の音が、私の感覚を呼び覚ます。
それは、向日葵だった。
- 144 名前:(11) 投稿日:2004/10/17(日) 14:07
-
階段を一目散に駆け降り、傘もささずに外を出る。
いや、傘ももうその意味をなさないだろう。
風が雨を蹴散らして、吹き荒れていた。
予報を聞いて、私が予想していた以上だった。
「あさ美、どこ行くの」
母の声を背中に、私は走り出す。
向かう先は、小さな小さな公園の、眩しいくらい黄色い向日葵。
- 145 名前:(11) 投稿日:2004/10/17(日) 14:08
-
全身を冷たい水が濡らし、真っ直ぐ進もうとする体を
痛いほど強い風が邪魔をした。
それでも私は走ることをやめない。
「あさ美ちゃんっ」
目的地へと続く抜け道の入口で、絵里ちゃんと鉢合わせになった。
彼女もずぶ濡れで、右手には折れた傘を持っていた。
私たちはその後、何も言葉を交わさず、
細い細い道を一列で駆け抜けた。
川の水位も上がっているのだろう。
激しい音を立てながら、濁った水が二人の横を流れていた。
その速さにさえ、私は負けたくなかった。
- 146 名前:(11) 投稿日:2004/10/17(日) 14:08
-
(11)―了―
- 147 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/17(日) 20:07
- おう、どうなるんだろう???
それにしてもこんちゃん、気付かないうちに最初と比べるとずいぶん変わりましたね。
- 148 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/18(月) 01:18
- かなり危険な状況かも…
- 149 名前:チキン 投稿日:2004/10/20(水) 16:38
- レス有難うございます
それでは更新します
- 150 名前:(12) 投稿日:2004/10/20(水) 16:49
-
やがていつもの道の開けたフェンスの前にたどり着いた。
絶え間なく打ちつける雨と、錆びた金網を通して私達が見たものは、
黄色い花ではなく、白い背中だった。
制服の上に薄手の白いパーカーで身を包んだ亜依ちゃんが、
向日葵の支柱を手で持って、雨風から向日葵を守っていた。
どの位そうしているかは解らないが、とにかく彼女は
全身を雨で濡らし、風にふられて二、三歩たたらを踏んでいた。
しかし、決して向日葵から手を離すことはなかった。
「亜依ちゃ…」
「何やってんだよ」
私達が彼女に近付こうと入口まで近付こうとした時、
低いけどよく通る、大きな声がした。
私達が向かおうとした公園の入口に、藤本さんが立っていた。
もちろん彼女も、短い茶髪からすらりと伸びた足まで、
雨が濡らしていた。
- 151 名前:(12) 投稿日:2004/10/20(水) 16:58
-
藤本さんがどんどん亜依ちゃんに近付いていく。
私と絵里ちゃんもそれに続く。
「おいっ」
藤本さんが亜依ちゃんの肩を掴んで、こちらを向かせた。
「美貴ちゃん…」
亜依ちゃんの口が小さく開き、そこから弱々しい声がした。
彼女の顔は血の気が引いていて、元来の色白もあり、
その色は青色に近い。
どこかでぶつけたのか、左足は膝から血が流れていた。
「馬鹿。お前、何やってんだ」
「だって、向日葵・…」
「向日葵の前に、お前の体がどうなんだよっ」
今まで感情に起伏のなかった藤本さんが、
嘘のように声を上げて亜依ちゃんを怒っている。
しかしその怒りには怖さなどはなく、
代わりに熱い気持ちと優しさが、あった。
それが私にもひしひしと伝わってきた。
- 152 名前:(12) 投稿日:2004/10/20(水) 17:06
-
「だけど、支柱が倒れちゃったら、茎が折れちゃったら、
向日葵枯れちゃうよ」
「向日葵なんかまた来年咲くからいいだろ」
「でも、これとおんなじ花はもう、咲かないんだよ」
亜依ちゃんはしかっりと細い棒を握ったままだ。
「美貴ちゃんが大事に育てた花は、これ一つだけなんだよ」
亜依ちゃんは今だけを見つめて生きている、
その時、再び強く思った。
しかし、亜依ちゃんの体は限界だった。
足を滑らせて腰が落ちそうになるのを、
藤本さんが彼女の腰に手を回して助けた。
「亜依ちゃんっ」
私と絵里ちゃんも駆け寄る。
それに気が付くと、彼女は亜依ちゃんの体を私に預けた。
そして自分は向日葵をしっかり持って支えた。
- 153 名前:(12) 投稿日:2004/10/20(水) 17:11
-
「そいつを家まで送ってやれ」
藤本さんがこちらを見ずに低い声で言った。
「え…」
「何回も言わせるな。早くしろっ」
藤本さんの声が大きくなる。
だが、私は亜依ちゃんの家を知らない。
「私、わかるよ。
いっつも家までの帰り道だから」
私の心情を察し、絵里ちゃんが名乗り出る。
彼女は亜依ちゃんに左の肩を貸した。
そしてその体を両手で支える。
「美貴ちゃん…」
絵里ちゃんの上体の中で、亜依ちゃんが小さな声で
何かを求めるように言った。
- 154 名前:(12) 投稿日:2004/10/20(水) 17:15
-
「勝手なことしやがって」
それに応えているのか否か定かではないが、
藤本さんが喋り出す。
「お前にこんなことされる筋合い、ないんだよ」
強く花の支柱を握りながら、何だか苦しそうに顔をしかめて、
彼女は言った。
亜依ちゃんから返事はなかった。
- 155 名前:(12) 投稿日:2004/10/20(水) 17:21
-
「手伝います」
絵里ちゃんが亜依ちゃんを連れて公園を出たあと、
私は藤本さんの背中に言った。
亜依ちゃんの様子も気になったが、彼女には絵里ちゃんが付いているし、
今は藤本さんのことを一人にしたくなかった。
「お前も帰れ。何考えてんだ。
こんな台風の中で…」
「そんなの、自分でも解りませんっ」
言ったあと、風が身を揺らす中を進み、
向日葵の体の軸を握った。
「私はこんなことするような人間じゃありませんでした」
口開く度に、雨がその中に入ってくる。
だが、構わず私は続けた。
- 156 名前:(12) 投稿日:2004/10/20(水) 17:26
-
「もし、こんな時に今の私たちのようなことをしている人を見たら、
くだらないって馬鹿にするかもしれない人間でした」
風が、幾度も私たちの体を煽る。
藤本さんは、何も言わずに私の話を聞いている。
「だけど今は、誰が自分のことを笑っても構いません。
ここに居たいんです。だから、帰りません」
- 157 名前:(12) 投稿日:2004/10/20(水) 17:29
-
「…意味がわからないんだよ、
どいつもこいつも」
「はい」
降りしきる雨と、襲いかかる風の中で、
私は藤本さんと彼女の向日葵の側を、離れなかった。
- 158 名前:(12) 投稿日:2004/10/20(水) 17:30
-
(12)―了―
- 159 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/20(水) 17:36
- 更新お疲れ様です!リアルタイムで見てました!
これからどうなっていくのかものすごく気になります〜
- 160 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/22(金) 02:40
- 更新お疲れ様です。
亜依は不思議な子ですね。
- 161 名前:NANASHI 投稿日:2004/10/24(日) 14:08
- ちょっと精神的に疲れてたのでこの小節、最初から読み直し。
なんか少し気分が楽になった。
作者さんありがとう。
- 162 名前:チキン 投稿日:2004/10/24(日) 17:08
- レス有難うございます 読むたびに人の言葉の素晴らしさを感じてしまいます
なんだか最近深く考えすぎていろんなことにいちいち感動してしまうんですよ
そんなこんなで更新始めます
- 163 名前:(13) 投稿日:2004/10/24(日) 17:12
-
あの嵐の日から、二日が経った。
亜依ちゃんはその間、学園祭の準備に来なかった。
藤本さんも来てはくれなかった。
絵里ちゃんの話では、あの日亜依ちゃんを家に送っていった時、
彼女の顔はやはり青いくらい白く、
体も相当衰弱していたらしい。
気になったので、学園祭の準備が終わったら、
私たち二人で亜依ちゃんの家へ行ってみることにした。
- 164 名前:(13) 投稿日:2004/10/24(日) 17:17
-
「…居ないみたいだね」
呼び鈴を何度押しても、中から反応はなかった。
亜依ちゃんの家は、アパートの一階だった。
建物自体は古くないが、造りが質素で、失礼に言ってしまえば、
中流よりお金のある家庭が住むようなアパートではなかった。
「…どこかに行ってるのかな」
「中で寝てるとか…」
考えてはみたが、答えが出るはずもなく、
結局どうしようもないのでその日はめいめいに家路についた。
- 165 名前:(13) 投稿日:2004/10/24(日) 17:27
-
そして亜依ちゃんが来ないまま、学校は盆休みに合わせて閉鎖された。
私は休み中も何度か、絵里ちゃんと通った道の記憶を辿って、
一人で亜依ちゃんの家へ行った。
その度に私は、返事のないベルを鳴らすことになった。
一概に悪いように考える必要もない。
世間はお盆なのだから、どこかに帰省しているのかもしれない。
しかし私は、どうにもならないほどの不安に襲われていた。
とにかく亜依ちゃんに会いたかった。
だから、例の公園で彼女を見た時、
私は逃してはならないと、全てを掴むような気持ちで駆け寄った。
「亜依ちゃん…」
彼女は花壇の前にしゃがみ込んでいた。
私に気が付くと、こちらを向いて微笑んだ。
心なしか、やはり少し顔色が悪い。
しかしそれも、太陽の青い日差しのせいだと思える程だった。
- 166 名前:(13) 投稿日:2004/10/24(日) 17:33
-
「向日葵、枯れちゃったんだね」
花壇の方を向き直って、彼女は言った。
「うん」
あの台風はなんとか持ちこたえたが、花自体はかなり傷んでしまっていて、
間もなくして向日葵は枯れてしまった。
地面に寝そべっている向日葵を見るのは、辛かった。
しかしある日、向日葵は花壇から姿を消していた。
「…藤本さんが片付けたんだと思う」
その何もない空間と化した花壇を見て、私は亜依ちゃんに説明した。
- 167 名前:(13) 投稿日:2004/10/24(日) 17:40
-
「そっか…」
亜依ちゃんは、腰を落として目線を下に向けたまま、
私の話を聞いていた。
「美貴ちゃん、元気かな…」
私が藤本さんは変わらず、ずっと学校に来ていないと話すと、
亜依ちゃんはぽつりと呟いた。
私は、返す言葉が見つからず、一つ頷くだけだった。
「美貴ちゃんに会いたいな」
駅への抜け道を一緒に歩きながら、亜依ちゃんが私に言った。
彼女はあの時怪我した左足に包帯を巻いているため、
私は心持ち、ゆっくり歩くように努めた。
「そうだね」
私は答えた。
道の出口で亜依ちゃんに手を振り、別れた。
彼女に会うまでは、彼女が何処に行ったのか気になってしょうがなかったのに、
私はそんなことはすっかり忘れて、結局尋ねなかった。
- 168 名前:(13) 投稿日:2004/10/24(日) 17:47
-
やがて盆休みが明けて、八月二十日となった。
それは、自由発表の参加締め切りを意味していた。
「十二時までには絶対に
参加用紙を出さなきゃ駄目なんだよね…」
絵里ちゃんが言った。
教室の時計は十一時半をさしている。
学級展示の作業をしている生徒たちは、
無言で私たちに用紙の提出を促していた。
だけど私は、参加用紙に四人分の名前が欲しい。
亜依ちゃんや絵里ちゃんも同じ気持ちだから、その場を動こうとしない。
しかし、そんな強固な意志も、時間の流れを止めることは不可能だ。
- 169 名前:(13) 投稿日:2004/10/24(日) 17:56
-
「ねえ、もう諦めて参加用紙出してきたら…」
クラスメイトの一人がしびれを切らして私たちに話しかけてきた、
その時だった。
少し乱暴に音をたてて、教室のドアが開いた。
「美貴ちゃんっ」
亜依ちゃんが顔を明るくして、大きな声で言った。
藤本さんがなんだかきまりが悪そうに、教室の、
入口の前に立っていた。
私と絵里ちゃんも、思わず顔を見合わせて微笑む。
「…紙」
「え?」
私たちが喜びに浸っていると、藤本さんがおもむろに口を開いた。
「…なんか、名前書くんだろ。
よく解らないけど」
そうだった。
自由発表の参加締め切りまで、あと約十分。
- 170 名前:(13) 投稿日:2004/10/24(日) 18:01
-
「はい」
亜依ちゃんがその紙とペンの一式を、藤本さんに手渡した。
藤本さんはそれを無言で受け取り、
開いている机を台にして記名し始めた。
他のクラスメイトは、ぽかんとしてそれを見ていた。
「ほら」
書き終わり、亜依ちゃんにそれらを返す。
四人の名前が並んでいるのを見たくて、
私は肩越しに参加用紙を覗きこんだ。
藤本さんの字は、彼女らしい
ぶっきらぼうなもので、可笑しかった。
- 171 名前:(13) 投稿日:2004/10/24(日) 18:07
-
「じゃあ亜依、これ生徒会に持っていくね」
「うん」
言ったあとに、私もついていこうかと思い直したが、
もう機会を逃してしまっていた。
「あさ美ちゃん」
後ろから絵里ちゃんの声がした。
見ると彼女は、目配せをして、私に合図を送っている。
それがなんなのか、私はすぐに解った。
藤本さんが参加用紙に名前を書いてくれたら、
彼女に言おうと絵里ちゃんと話していたことがあったのだ。
二人並んで藤本さんの前に立つ。
- 172 名前:(13) 投稿日:2004/10/24(日) 18:14
-
「美貴ちゃんって呼んでいいですか?」
タイミングと声を揃えて、言った。
「…勝手にしろよ、もう」
呆れているような口調だが、
本当は照れているのであろう美貴ちゃんが、可愛かった。
締め切り間際になって参加用紙に、
少し前まで話したこともなかった四人の名前と気持ちが揃った。
作り話のようで、温もりの感触のあるような事実が、
私の心の中で確かに動いていた。
- 173 名前:(13) 投稿日:2004/10/24(日) 18:15
-
(13)―了―
- 174 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/24(日) 20:49
- 更新お疲れ様です。
どうなるかと思ったけど
3人の思いが美貴ちゃんに届いてよかったです。
- 175 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/25(月) 23:01
- やったーーーーよかったよかった
みんながんばれー
作者さんもがんばれー!!!
- 176 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/25(月) 23:28
- じわっときました
- 177 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/26(火) 06:43
- なんかあったかくなるね
- 178 名前:チキン 投稿日:2004/10/27(水) 22:28
- レス有難うございます
温かいお言葉を頂いて恐縮です
では短いですが更新します
- 179 名前:(14) 投稿日:2004/10/27(水) 22:35
-
「歌、唄おう」
言うまでは恥ずかしがりながら、しかし言葉にするとはっきりと、
亜依ちゃんは言った。
それは、自由発表で何をするかという私たちの問いへの答えだった。
「歌っ?」
正直、予想していなかった。
そもそも藤本さんを学校に呼ぶことで精一杯で、
そこまで考えている暇がなかった。
それで学園祭の準備が終わって空になった教室に、
こうやって改めて話し合う場をつくったのだ。
「でも私、歌下手だよ」
絵里ちゃんが渋った。
私も同じで、特に歌は上手くないし、
人前で唄う機会など滅多に得ずに生きてきた。
しかし私は彼女にこう詞をかけた。
- 180 名前:(14) 投稿日:2004/10/27(水) 22:41
-
「私だって下手だよ。でも一人で唄うわけじゃない、
みんな一緒だからできるよ。きっと」
絵里ちゃんは私の顔を見た。
「…そうだね」
そして笑顔で頷いてくれた。
「美貴ちゃんは?」
私と絵里ちゃんのやりとりを見届けたあと、亜依ちゃんが尋ねた。
「なんでもやるしかないだろ」
愛想には欠けるが、了解の返答だった。
「それでね、何曲か楽譜持ってきたんだけど…」
亜依ちゃんは、私たちの誰かがどうしても嫌だと訴えた時のことなんか、
考えてもいないような準備の良さだった。
- 181 名前:(14) 投稿日:2004/10/27(水) 22:48
-
四人が集まっている中心の机の上に
亜依ちゃんがばらばらと乗せた楽譜は、
誰しもが耳にしたことのある往年の洋楽流行曲ばかりだった。
あまりに普通で驚いた、なんて言ったら、
また亜依ちゃんがへそを曲げてしまうだろう。
「なんか、普通だな」
私の感想をそのまま言葉にしてしまったのは、美貴ちゃんだった。
絵里ちゃんもはっと私の方を見て、
そのあと亜依ちゃんの表情を伺った。
「じゃあ美貴ちゃんは、どんぐりころころのが良かった?」
どうしてそう極端に方向転換するのだろう。
洋楽とその童謡どちらかにするかで亜依ちゃんは悩んだのだろうか。
- 182 名前:(14) 投稿日:2004/10/27(水) 22:56
-
「…話飛びすぎだろ」
「じゃあ練習しよ。ここじゃ、ちょっと都合悪いね。
隣のクラスで勉強してる人もいるから」
亜依ちゃんは美貴ちゃんの言葉をまったくもっての無視で話を進めていく。
「体育館の裏は?
部活の声でかき消されて、唄ってる声が遠くまで届かないし」
絵里ちゃんの提案に賛同し、私たちは移動することにした。
教室を出る際に、私は美貴ちゃんに声をかけた。
「あんまり気にしないほうがいいよ。
亜依ちゃん、ああいう人だから」
彼女は短く、ああ、とだけ返した。
美貴ちゃんが加わってもやはり終始亜依ちゃんのペースで、
私たちの自由発表の練習が始まった。
- 183 名前:(14) 投稿日:2004/10/27(水) 22:57
-
(14)――了――
- 184 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/27(水) 23:02
- 加護ちゃん振り幅大きなー
こういう友人が実際にいたら結構大変かもとか思いつつ
いたらいいなあと思った
- 185 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/28(木) 17:46
- 更新お疲れ様です。
あいぼんいい性格してますね。
- 186 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/28(木) 17:46
- ごめんなさい。あげてしまいました…凹
- 187 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/29(金) 20:40
- こう言う発想が極端な子って良いな〜。
ところで何歌うんだろ?
- 188 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/31(日) 11:36
- お気に入りに登録させてもらいました。
- 189 名前:チキン 投稿日:2004/11/02(火) 22:30
- レス有難うございます
いつもよりご無沙汰してしまいました
早速更新します
- 190 名前:(15) 投稿日:2004/11/02(火) 22:36
-
「もう一回最初から唄おっか」
樹木の緑越しに午前の光を浴びながら、
私たち四人は体育館の外で唄っていた。
その中では、どこかのクラスがステージ発表の練習をしていた。
「絵里、低い。下につられてる」
「うん、ごめん」
練習し始めて五日も経つと、美貴ちゃんは私たちに慣れて
名前を呼んでくれるようになった。
呼び捨てなのがまた、彼女らしかった。
乱暴なようだが、頼り強さなどの方がより感じられた。
家族以外に、あさ美、と呼ばれるのは、
初めてだった。
- 191 名前:(15) 投稿日:2004/11/02(火) 22:46
-
「じゃあ、そこからやろう」
亜依ちゃんがソプラノ、私と絵里ちゃんが中間のメロディ、
美貴ちゃんがアルト、という具合に分かれることにした。
伴奏はない。
私たちの声だけを響かせる。
「まただ。ずれてる」
美貴ちゃんの低音は芯から通る、いい声だった。
亜依ちゃんの高い声も、伸びがあって綺麗だった。
私は絵里ちゃんと息を合わせながら、
必死で自分の音階を保とうとしていた。
しかし、そんな風に最初は滑るように上手くいっていた練習も
そろそろ壁にあたる時期ではあった。
「じゃあ、失敗したところからもう一回」
つっかえる場所はいつも同じだった。
二度目の転調のところで誰となしに音階がずれ始め、合わなくなってしまう。
無理矢理そこを越えても、ぎこちなさが残り
誰かが歌詞を間違える。
その繰り返しだった。
- 192 名前:(15) 投稿日:2004/11/02(火) 22:51
-
「ゆっくり何回も練習するしかないよ」
亜依ちゃんが元気な声を出しながら、
先陣をきって練習を促す。
しかし一向に上手くいかなかった。
「本番まであと一週間ちょっとだよね…」
絵里ちゃんか呟いた。
今日は金曜日で、来週の日曜日に学園祭が行われる。
二学期が始まってすぐなのが、私たちの学校の特徴だった。
「うん…」
絵里ちゃんの言葉が誰かへの呼びかけなのか確信はなかったが、
私は一応返事をしておいた。
そのままこの日の練習は打ち切られた。
- 193 名前:(15) 投稿日:2004/11/02(火) 22:57
-
その翌日は、いつもより寝坊ができた。
土曜日と日曜日は、原則として学園祭の準備を禁止されていた。
学校の敷地内でなければ自由発表の練習はできるのだが、
明日もやろう、の一言が昨日の私たちにはなかった。
遠慮、が生じていた。
それは私たちの間にある、
未だに壊れていない壁なのだと思う。
そのような滞った雰囲気が、少なくとも私には感じられた。
- 194 名前:(15) 投稿日:2004/11/02(火) 23:04
-
「あさ美、お願いがあるんだけど」
午前は勉強をして過ごし、読書でもしようかと思っていた昼下がりに、
母が私を呼んだ。
自室を出て階段を降りた。
「何ですか」
「これ、お父さんに届けてくれないかしら」
母は、少し大きめの封筒を取り出した。
「病院にですか?」
「そう。院長室にいらっしゃるから」
「はい」
両手でしっかりと受け取った。
父は厳格で、まさに威厳のある人だ。
母は真面目で、何かにつけて几帳面な人である。
しかし、想像されるほど家庭は堅苦しいものではない。
しつけや礼儀には厳しいが、父も母も冷たい人ではなかった。
従っていれば害はない。
小学校の時に見つけた答えだった。
さすがにあの台風の日に家を飛び出したのは、
あとで久しぶりにひどく怒られた。
- 195 名前:(15) 投稿日:2004/11/02(火) 23:11
-
病院の中は空調がきいていた。
自分の父が院長を務めているのに、
中に入るのはいつ以来だろうと考えるほどだった。
医者になるという将来しか見えていなかったときは、
よく出入りしていた。
大きな病気も患わなかったので、
院内の独特の臭いも懐かしく感じるほどだった。
「はい、お父さん」
「ああ、ありがとう」
真っ直ぐ院長室へ向かい、封筒を父に届けた。
当然ここにも長い間来ていなかったが、
大まかな部屋の配置は変わっていなかった。
父は奥の大きな机に着いていた。
「あさ美、少し話していかないか」
「はい」
眉間にしわを寄せ、白髪の混じった頭をかきながら父は言った。
「…お前の将来のことだ」
- 196 名前:(15) 投稿日:2004/11/02(火) 23:20
-
不自然だとは思っていた。
今まで、父が家に置き忘れたものを私が届けるなんてこと、
一度もなかった。
先に述べたようであった反面、父はとても不器用な人間でもあったので、
このような形でしか私と二人で話す機会を作れなかったのだと思う。
このことを母は知っていたのだろうか。
「高校二年生だからな、
そろそろ大学受験も本気で考えていく時期だ。
お前の人生だからお前の好きなようにさせてやりたいと
思っているが、なにしろ、うちはこうだから」
「はい」
「私の旨もお前に話しておきたい」
父とこんな風に面と向かって話すのは、初めてだ。
いつも間に母がいた。
重い空気が室内に立ち込めている。
「私はお前に病院を継いでもらいたいと思っている」
だから父のこんなにはっきりとした気持ちも、
言葉で伝えられたことはなかった。
- 197 名前:(15) 投稿日:2004/11/02(火) 23:28
-
「できればお前が医者と結婚して、
夫婦で病院を切り盛りしていってくれたらと思っている。
まあ、ここまではお前の気持ちもあるしな、無理にとは言わない」
父は私の顔を見ながら、言葉を発していった。
当の私は黙って父の話を聞いているだけだった。
「どうだ、あさ美。医者になってくれるか?」
父は低い声をさらに低めて、言った。
なんだか自分の父ではないようで、
目の前の光景そのものが違和感だった。
「はい」
私は嘘をついた。
正確に言えば虚言ではないかもしれない。
医者になりたいかと言われれば首を縦に、
なるかと言われれば縦に振る、そのような位置に私はあったので、
決して父を騙したわけではなかった。
「そうか。ありがとう、あさ美」
「…いえ」
最後に軽く会釈をして父の部屋を後にした。
- 198 名前:(15) 投稿日:2004/11/02(火) 23:35
-
他に用事はないので家へ帰ろうとすると、
病院の出口で見慣れた後ろ姿を見かけた。
「亜依ちゃん」
小走りで近付き、声をかけた。
彼女は私の声に肩をすくめ、ゆっくり振り返った。
「あさ美ちゃん…」
「どうしたの?こんなところに」
「うん、ちょっとね」
亜依ちゃんは一度私から目をそらし、
再び視線を戻して言った。
「この間、亜依、足を怪我したでしょ?それで…」
この間とはあの向日葵を助けようとした日だと、
容易に察しがついた。
あれからしばらく包帯を巻いていたようだが、
もうすっかり回復したと見受けていた。
私が自然と足の辺りに目線を落とすと、
亜依ちゃんは言葉を続けた。
- 199 名前:(15) 投稿日:2004/11/02(火) 23:45
-
「怪我自体は治ったんだけど、
病院で保険の書類とかに戸惑っちゃって、それで今日来たの」
「そうなんだ。大丈夫だった?」
「うん。大したことじゃないから」
亜依ちゃんが父の病院に来ていたなんて、知らなかった。
しかし、特に気にかかることはないので、
私はそれなりにしておいた。
お互いにこれからとりわけた用事がないのを確認すると、
私たちは少し、散歩をすることにした。
話は当然、自由発表のことについてになった。
「…どうしてもあの転調が上手くいかないんだよね」
「頭で解ってるのにできないから、みんな焦ってるんだと思う。
何回も練習してるのに成功しないから」
「だけどもっともっと練習するしかないと思うんだ。
四人でやればできるって、思うから」
私が亜依ちゃんの詞に頷く頃には、もう日が沈みかけていた。
私たちは二人の家のちょうど中間距離にある駅の周りを、
ぐるぐると歩き回っていた。
- 200 名前:(15) 投稿日:2004/11/02(火) 23:50
-
「あれ」
亜依ちゃんが声をあげた。
気になって私も前方をよく見ると、
黒くて長い髪の、後ろ姿が視界に映った。
例の向日葵があった公園の入口の前に、
絵里ちゃんが立っていた。
いつも抜け道から来ていたので、
ここがこの公園の近くだと、さっきまで気が付かなかった。
- 201 名前:(15) 投稿日:2004/11/02(火) 23:55
-
「絵里ちゃん、何してるの」
振り返った彼女の目から流れる涙を、
私と亜依ちゃんは、はっきりと見た。
「絵里ちゃんっ、どうしたの…」
言い終わるやいなや、絵里ちゃんが飛び込んできた。
「絵里ちゃん…」
彼女は声を立てていないが、私と亜依ちゃんの肩で顔を隠して、
おそらく泣いている。
私は亜依ちゃんと顔を見合わせた。
彼女まで泣きそうな表情になっていた。
「…何やってんだよ」
低い声が、聞こえた。
見るとそこには、美貴ちゃんが立っていた。
- 202 名前:(15) 投稿日:2004/11/02(火) 23:55
-
(15)――了――
- 203 名前:チキン 投稿日:2004/11/03(水) 00:04
- すいません訂正です
>>197
医者になりたいかと言われれば首を縦に
は
医者になりたいかと言われれば首を横に
です。すいませんでした。
- 204 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/03(水) 00:08
- 更新お疲れ様です。
へへへ〜またリアルタイムで読んじゃった。
作者さんって他に小節書かれてますか?
書かれてるのであればぜひ教えていただきたいのですが。
- 205 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/03(水) 10:18
- 更新おつかれさまです。
無事に発表できるんでしょうか。楽しみです。
- 206 名前:チキン 投稿日:2004/11/04(木) 23:14
- レス有難うございます
小説は他所でネタっぽいのをちょこっと書かせて頂いたことがありますが
(おそらくもう残ってないかと)
本腰入れて飼育で筆を持たせて頂くのはこれが初めてです
それでは更新始めます
- 207 名前:(16) 投稿日:2004/11/04(木) 23:24
-
偶然にも一堂に会した私たちは、
とりあえず公園の中に入ることにした。
すぐに目についたのは、ベンチだった。
朽ち果てて面影はないが、おそらく元は
空よりも青いくらいの色だったのだろうと推測がついた。
私と亜依ちゃんが絵里ちゃんを挟んで座り、
美貴ちゃんが反対側から背もたれにすがるようにして立った。
「大丈夫?」
絵里ちゃんの肩を抱きながら、私は言った。
彼女はこくりと弱く頷いた。
何があったの、と尋ねるべきか、
私は迷った。
触れられたくないことかもしれない、答えられないことかもしれない。
だから私は、
それ以上の言葉を彼女に与えられなかった。
- 208 名前:(16) 投稿日:2004/11/04(木) 23:32
-
「わ…」
絵里ちゃんがまだ涙の混じった声を発した。
亜依ちゃんが彼女の首下辺りに顔をうずめていた。
「…なんで泣いてたの?」
そしてそのまま、小さな声で言った。
絵里ちゃんは黙って下を向いている。
俯いた彼女の顎と、亜依ちゃんの頭があたるのが見えた。
「絵里ちゃんが話してくれなくても、
亜依は絵里ちゃんのこと知りたいって思うよ。
泣いてたら心配するし、話を聞きたいとも思う」
私も同じ気持ちだ。
だが亜依ちゃんのように、彼女に言うことができなかったのだ。
「…駄目かな?」
亜依ちゃんも何だか上擦ったような声になっている。
絵里ちゃんは、すっと私の方を見た。
私は、意思が伝わるように、ゆっくりと頷いた。
絵里ちゃんはまた少し、先程とは種類の違う涙を目に浮かべ、
再び亜依ちゃんの頭に顔を近づけた。
- 209 名前:(16) 投稿日:2004/11/04(木) 23:40
-
「前に言ったことがあったでしょ?
私、なりたいものがあるって」
いつかの放課後、一緒に勉強した時に、
そのような話をしたことがあった。
そのために絵里ちゃんは毎日勉強をしているのだと、
亜依ちゃんを交えて話した。
「うん、覚えてるよ」
私は応えた。
「そのことでね、親ともめちゃって、
それで家を飛び出して来ちゃったの」
絵里ちゃんの言った、親、という詞が、
ひどく冷たく感じられた。
彼女はまた言葉を続けた。
「なんか悔しくて涙が出てきちゃうし、
なんにも考えずに歩いてたら、この公園に着いちゃった」
絵里ちゃんは少し呆れたように、薄く笑った。
そこで彼女は話をやめ、しばらく誰も何も言わなかった。
- 210 名前:(16) 投稿日:2004/11/04(木) 23:46
-
「あたしの家、来るか?」
今まで沈黙を守っていた美貴ちゃんが
突然、言葉を発した。
「え。なんで…、いいの?」
「ここから近いし、あたし一人しか居ないから」
美貴ちゃんは一つ頷いて、絵里ちゃんの問いに答えた。
私は予想もしなかった展開のなりゆきを、
言葉もなく見守っていた。
「じゃあ、今日はみんなで美貴ちゃんの家に泊まろう」
また私の範囲外が起こった。
亜依ちゃんが瞳を輝かせて、大胆な提案をした。
- 211 名前:(16) 投稿日:2004/11/04(木) 23:51
-
「ね、そうしよっ」
亜依ちゃんは弾んだ声と顔で、真っ直ぐ絵里ちゃんを見た。
彼女は、半ば勢いで頷いた。
「…別にいいけど、何でお前が決めるんだよ」
美貴ちゃんの言うことはもっともだが、
何度も言うように、今の私たちにおいて、
全ての決定権は亜依ちゃんが持っている。
「だけど、面倒だから
ちゃんと家に連絡入れろよ。絵里もな」
こういう時に、美貴ちゃんは私たちよりも年上なのだと感じさせられる。
「うん」
各自、了解をした。
- 212 名前:(16) 投稿日:2004/11/04(木) 23:56
-
私は朝もやのようなすっきりとしない表情をしていた。
父と母が、こんなに急な外泊を、すんなり許すだろうか。
連絡手段は当然、電話になる。
顔も知らない人の家に娘をよこすような、両親ではない。
「あさ美ちゃん、行くよー」
いつの間にか立ち上がっているみんなが、
私を呼んでいる。
「…うんっ」
全ての事柄を、だけど、でつないでしまって、
私はこの四人で一緒に居たいと強く思った。
- 213 名前:(16) 投稿日:2004/11/04(木) 23:56
-
(16)――了――
- 214 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/05(金) 20:27
- 四人の絆ができあがってきてるかな
ドキドキ感が伝わってきた
- 215 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/05(金) 20:32
- 更新お疲れ様です。そうですか、他に作品があればそれも読んでみたかったです。
ミキティも着実に変わってきてますね。
続き楽しみにしてます。
- 216 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/06(土) 03:30
- 最後の2行に痺れた
- 217 名前:チキン 投稿日:2004/11/07(日) 10:35
- レス有難うございます
出かける前にさらりと更新していきます
- 218 名前:(17) 投稿日:2004/11/07(日) 10:42
-
「カレー、作ろうよ」
四人で固まって道を歩きながら夕飯の話をしていたとき、
亜依ちゃんが思い立ったように言った。
美貴ちゃんは簡単な弁当か何かを買って食べればいいと言っていたし、
私も、おそらく絵里ちゃんも、それで賛成しようとしていた。
だが、船長の意見を無視して船は進められない。
「カレーって…」
「キャンプの定番でしょ?」
「キャンプではないからね」
美貴ちゃんが、やんわりと亜依ちゃんに絡む。
しかし、彼女の意向を変えることはできないだろう。
「ね、みんなで作って食べた方が美味しいって。絶対」
そうして私たちの足は食料品店へ向かった。
- 219 名前:(17) 投稿日:2004/11/07(日) 10:48
-
黄色い買い物かごをカートに乗せ、それを押して店内を歩き回り、
私たちは買い物を進めた。
どのカレーのルーが美味しいだのと言い合ううちに、
それぞれの味の好みなど新たな発見があり、いちいち楽しい。
絵里ちゃんにも自然な笑顔が戻り、
嬉しかった。
考えてみれば、友達と夕飯の買い物をするなんて経験、
今までなかった。
亜依ちゃんと出会ってから、
生まれて初めてのことがまた増えた。
- 220 名前:(17) 投稿日:2004/11/07(日) 10:58
-
「なんか、いっぱい買っちゃったね」
白いビニール袋を手に持って、
絵里ちゃんと並んで歩く。
美貴ちゃんと亜依ちゃんは、少し前を歩いている。
内容は聞こえないが、亜依ちゃんがふざけているのを
美貴ちゃんが制しながら、何やら楽しそうに話している。
「美貴ちゃん、本当に大丈夫だったのかな…」
それを見つめながら、絵里ちゃんは言った。
「…だと思うよ。困ったような顔はしてなかったし」
大丈夫、の前に、泊まっても、
の言葉が入ると考察し、私は答えた。
「本当はすごく、助かったって思った。
やっぱり今日は家に帰りたくなかったから…」
彼女は下を向いて苦笑した。
「…美貴ちゃんは人の気持ちの解る、
優しい人だね」
「面と向かって言ったら怒られそうだね」
絵里ちゃんの言葉に同時に噴き出し、
前の二人に追いつこうと少し急ぎ足をした。
- 221 名前:(17) 投稿日:2004/11/07(日) 11:01
-
「大っきー」
到着した美貴ちゃんの家は、大きなマンションだった。
下からその頂上を見上げる。
「おい、早くしろよ」
すたすたと進んでいく美貴ちゃんが、
振り向いて私たちに声をかける。
「あ、うん」
三人ぞろぞろと彼女について行った。
- 222 名前:(17) 投稿日:2004/11/07(日) 11:07
-
美貴ちゃんの部屋は、七階だった。
エレベーター独特の閉塞感の後、
そのドアの前まで着いた。
「入れよ」
鍵を開けた美貴ちゃんが言った。
「お邪魔します…」
誰のものであろうと、人の家庭の住居に足を踏み入れるのは
緊張してしまう。
そんな私の様子を見て、美貴ちゃんが言った。
「そんな遠慮するなよ。
どうせ、あたし一人暮しだから」
一人だとは聞いていたが、
独りで住んでいるとは聞いていなかったので驚いた。
- 223 名前:(17) 投稿日:2004/11/07(日) 11:14
-
「え、家族は」
「親父が再婚して、実家に居られなくなったから、
あたしはここに住むことにしたんだ」
「じゃあ、お母さんは…」
「あたしを産んだ母親は、
あたしが六歳の時に病気で、な」
そう言って彼女は、こちらを見ずに
部屋の奥へ行ってしまった。
亜依ちゃんもそれに続く。
私は絵里ちゃんと顔を見合わせた。
意外だった、というよりも、
全く予想しなかったことに面を食らったという感じだった。
私たち二人も並んで靴を脱いであがった。
- 224 名前:(17) 投稿日:2004/11/07(日) 11:20
-
「きれー、かわいい」
入ったリビングには水槽が置かれていて、
中の熱帯魚を亜依ちゃんが興味深そうに覗いていた。
そんな彼女の姿を、
キッチンのカウンターから美貴ちゃんが見ていた。
外観が大きいだけあって、
部屋の中もかなり広かった。
家具類は簡素なデザインのものが多かった。
- 225 名前:(17) 投稿日:2004/11/07(日) 11:25
-
四人が人部屋に集まると、早速カレー作りが始まった。
私と絵里ちゃんがお米の準備をし、
美貴ちゃんと亜依ちゃんが野菜を切り始めた。
「美貴ちゃん。人参、もう少し
小さく切って」
亜依ちゃんが言った。
「なんでだよ」
まな板を覗いてみたが、
決して彼女が切った人参は大きくなかった。
「亜依、人参嫌いだもん」
「嫌いだからって何で小さく切るんだよ」
この美貴ちゃんの問いに、
その横の彼女は間の抜けた返答をした。
- 226 名前:(17) 投稿日:2004/11/07(日) 11:33
-
「好き嫌いは良くないんだよ」
「自分のことだろ…」
美貴ちゃんは力が抜けたのか、肩を落とした。
「だから、食べやすいように小さく切ってほしいの。
大きいと食べられないんだ」
ああ、なるほど。
私も絵里ちゃんも納得した。
「…わかったよ」
美貴ちゃんも渋々と、赤橙色の固まりを刻み始めた。
彼女と亜依ちゃんのやりとりを聞いているだけで、
笑いが止まらなかった。
- 227 名前:(17) 投稿日:2004/11/07(日) 11:40
-
そうして、どうにかカレーが完成した。
盛りつけて、リビングの長テーブルに運ぶ。
四者四様の方向を向いて、
ソファの前に座った。
一口、一口、と食べ始める。
「おいしい」
「本当、すごーい」
出来は大成功と呼べるものだった。
人参が、かなり小さめだったが。
「まあ女四人でカレーも作れなかったら
問題があるけどな」
美貴ちゃんは皮肉を言いながらも、
顔からは嬉しそうな笑みがこぼれていた。
その晩の食事は平生とは全く異なった、楽しいものとなった。
- 228 名前:(17) 投稿日:2004/11/07(日) 11:44
-
食べ終わると、四人で協力して片付けが始まった。
てきぱきと食器を洗い、収めていく。
「家に、ちゃんと連絡したのか」
誰にとでもなしに、といった口調だったが、
その意図を感じとって絵里ちゃんが口を開いた。
「うん、さっき携帯で」
「そっか…」
- 229 名前:(17) 投稿日:2004/11/07(日) 11:49
-
私も先程、家に電話を入れた。
母が出た。
友達の家に泊まる、と伝えると、
凄い剣幕でまくしたててきた。
心配いらない、とだけ念入りに断り、
勢いで電話を切ってしまった。
そのまま携帯電話の電源は入れていない。
今まで生きてきた中で
もっとも大きな、親、への反抗であった。
- 230 名前:(17) 投稿日:2004/11/07(日) 11:49
-
(17)――了――
- 231 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/07(日) 17:50
- 更新お疲れ様です。
きちんとにんじん食べる努力するあいぼん良いですね。
- 232 名前:ろむ 投稿日:2004/11/07(日) 18:26
- はじめて読みました。
ここに流れる優しい雰囲気がとても好きです。
がんばって下さい。
- 233 名前:チキン 投稿日:2004/11/11(木) 23:11
- レス有難うございます
更新します
- 234 名前:(18) 投稿日:2004/11/11(木) 23:19
-
後片付けがあらかた済むと、
私たちは再びリビングの、夕食の席を設けた場所に集まった。
買い込んだ菓子類をテーブルの上に出して談笑をし、
その一方で順番に風呂に入り始めた。
十時を回ると、全員が一部屋に落ち着いた。
私と絵里ちゃんと美貴ちゃんがテーブルを囲み、
亜依ちゃんは持ち出した椅子の上に正座して
熱帯魚を見ている。
部屋の中は、妙な空気ができあがっていた。
もう大笑いしながらするような話は尽き、
淡々と誰かが話し、その続きを
また誰かが紡ぐような展開だった。
それでいて張り詰めたような感じはせず、
むしろ、ずっとここに居たいと思う程だった。
- 235 名前:(18) 投稿日:2004/11/11(木) 23:28
-
「…ちょっと自分の話、していいかな」
そんな中で、いやそんな中だったからなのかもしれない、
絵里ちゃんが喋り出した。
席に着いていた全員が、彼女の顔を見た。
「私ね、子供の頃からずっと
通訳になりたかったの」
私たちの誰とも目を合わせずに、照れくさそうに
はにかみながら絵里ちゃんは言った。
「それが絵里ちゃんの言ってた、
なりたいもの?」
「…うん」
予期していなかったのは、その職業自体ではなく、
彼女がそのことについて語り始めたことだったので、
私たちは取り乱さず真剣に話を聞いていた。
「歳の離れた従姉妹のお姉さんがね、通訳やってるの。
その人は頭がいいのはもちろんだけど、
明るくて誰にでも自然に接する人なんだ。
私、人見知り激しいからそのお姉さんに凄く憧れてて、
だから通訳になりたいって思ったの」
- 236 名前:(18) 投稿日:2004/11/11(木) 23:34
-
絵里ちゃんの口調は、いささか強くなっている。
「すごいなー。
それで、いっつも勉強してたんだ」
亜依ちゃんが水槽の前から、こちらを向いて言う。
私も彼女に感嘆していた。
通訳になりたいという夢、
それに向かってひたすらに進んでいく姿勢、
私にはないものだ。
「…だけど実際になろうと思ったら、
もっともっと勉強しなきゃいけないし、
私みたいに内気な性格じゃ絶対に務まらないって
親は反対してるんだ。
今日はそのことでお母さんと本気で喧嘩しちゃって、
あの公園で泣いてたの」
- 237 名前:(18) 投稿日:2004/11/11(木) 23:40
-
絵里ちゃんの話はそこで終わった。
私は自分について考えていて、
彼女に差し出す言葉を思いついていなかった。
「…頑張れよ」
そんな私の横から、ぶっきらぼうな優しさが飛んで来た。
「あたしは、その…応援するから」
たどたどしい美貴ちゃんの詞に、
私は思わず口元が緩んだ。
「…ありがとう」
絵里ちゃんも少し笑みをこぼしながら、礼を言った。
「君たちの飼い主さんは、優しい人だね。
ちょっと照れ屋さんだけど」
亜依ちゃんが、水槽の中の魚たちに語りかけるように言った。
「亜依っ。お前、余計なことふき込むな」
心なし美貴ちゃんの顔が赤くて、可笑しかった。
- 238 名前:(18) 投稿日:2004/11/11(木) 23:49
-
場が落ち着くと、私は改めてゆっくりと部屋を見回した。
本当に広い。
独りだともっとそんな風に感じるんじゃないか、
なんてことをぼんやり思った。
「…一人暮しって大変じゃない?」
そんな時分に、
絵里ちゃんが美貴ちゃんに向かって言った。
「実家より、ずっといい。親父の顔を見なくて済むし、
向こうがあたしに居てほしくないって思ってるんだから、
わざわざあの家に居てやる必要もないしな。
一人暮ししたいって言ったら、
案の定こんな高そうなマンション用意して、
二度と帰って来るな、って言ってるようなもんだろ」
美貴ちゃんは何でもないように語るが、
内容は非常に胸を詰まらせるもので、
私はなんとも言えない表情でいた。
- 239 名前:(18) 投稿日:2004/11/11(木) 23:55
-
そんな私をよそに、気を使った様子もなく
絵里ちゃんが自然に言葉を続けた。
「私が通訳になることね、お母さんは成績とか
ちゃんとした理由で反対してるんだけど、
お父さんは私にあんまり離れた場所に
行ってほしくないかららしいんだ。通訳って外国に行くこともあるから。
お父さんにもいろいろ思うことがあるんだろうけど、
なんだかね」
「まあ、父親自体にもいろんな奴がいるからな」
私は、こんな風に自分のことを打ち明ける話が苦手だ。
だから頭上を飛び交う会話にのれず、
黙ったままでいた。
- 240 名前:(18) 投稿日:2004/11/12(金) 00:02
-
「亜依ちゃんのお父さんは、どんな人?」
私と同じくらい先程から会話に交じらない彼女に、
絵里ちゃんが声をかけた。
「うーん。亜依、お父さん知らないんだ。
亜依が産まれる前に死んじゃったから」
彼女は目線を水槽から一切はずさずに、
そのガラス越しに熱帯魚をつつきながら言った。
「あ、ごめん…」
「ううん。大丈夫、気にしないで」
私は自身を卑しい人間だと思った。
亜依ちゃんの言葉を聞くとすぐに、
彼女の住んでいる小さなアパートを思い出したからだ。
- 241 名前:(18) 投稿日:2004/11/12(金) 00:07
-
「あさ美、どうかしたか?
ぼーっとして…」
美貴ちゃんの声で、はっと我に返った。
「ううん、なんでもない。
絵里ちゃん、すごいなって思って。
なりたいものの為に毎日勉強してるんだもん」
適当な言葉を繕って、答えた。
「それは、あさ美ちゃんも同じでしょ?
お医者さんになるために、勉強してるじゃない」
私は、しまった、と思った。
先の美貴ちゃんへの私の応答は、
絵里ちゃんに今のような言葉を導き出させるのに
十分なものだった。
- 242 名前:(18) 投稿日:2004/11/12(金) 00:14
-
「私は、その…」
曖昧に流す方法を探した。
そのとき私は、自分の目の前に壁が見えた気がした。
それは、いつの間にかに自分自身が創ったものだと、解った。
しかし、そうならば、それを避けるのも
壊すのも乗り越えるのも私、ということになる。
「あさ美ちゃん?」
私は前へ進むことにした。
そうすれば私の手の届く範囲になる、そびえ立っているものは、
私次第でどうにでもなる。
「私、医者になるか迷ってるの」
言った。
誰も、自身さえも聞いたことのない、
自分の本当の詞を語る、声。
皆、驚いた様子で私を見た。
- 243 名前:(18) 投稿日:2004/11/12(金) 00:20
-
「一人っ子だったから、私、生まれたときから
医者になるって決まってたようなものだったの。
親も当然、そうなるように小さい頃から教育してた。
私も勉強が嫌いじゃなかったから、自分が将来
医者になるって信じて疑いようがないって感じだった」
ここで私はいくぶん声を低めて、
言葉を続けた。
「だけど、いつだったか、ふっと、
このまま医者になってもいいのか、って思うようになったの。
他にやりたいことはないのか、他に自分に可能性はないのか、って」
一言、一言、確かめるように言葉を発する。
声に出して初めて気付く、私自身の気持ちが
少なからずあった。
- 244 名前:(18) 投稿日:2004/11/12(金) 00:32
-
「このまま勉強すれば医者になれる。だけど、
なりたいっていう気持ちはなくて、
そんな半端な気持ちで命を扱うような仕事を続けていけるのかって
考えるようになった。
だけど他にやりたいことなんか見つからないから、
医者にだけはなれるように毎日勉強してただけなの」
言い終わった。
贅沢な悩みだと一蹴されるのが畏れて今まで話せなかった詞が、
声になって私を襲った。
しかし、自分だけではなく誰かに聞いてもらうことで、
その誰かが目の前にいる彼女たちであることで、
それはいくぶん紛れるのだろう。
「お父さんとかお母さんには話したの?
あさ美ちゃんがそんな風に思ってるって」
真面目な顔で私の顔をうかがって、絵里ちゃんが言った。
私は思いのうちを、ありのままに答える。
「ううん。親は、私の好きなようにすればいい、って体勢とってるけど、
内心は私を絶対に医者にしたいって考えてるから、
私がそんなこと話しても、聞いてくれないはずだから」
そっか、と絵里ちゃんは目を伏せた。
- 245 名前:(18) 投稿日:2004/11/12(金) 00:39
-
「…よく解らないなあ」
ここで亜依ちゃんが、横から声を発した。
ソファに座っていた三人が、一斉に彼女を見た。
亜依ちゃんは水槽の方を向いたままだった。
「亜依はね、伝えたいことは話した方がいいと思うし、
そうするようにしてるんだ」
亜依ちゃんは、こちらを振り返って、さらに続けた。
「一回で聞いてもらえなかったら、一回で解ってもらえなかったら、
何回だって話すよ。ちゃんと伝わるように」
亜依ちゃんだから言える詞だと、思った。
だが彼女が言ったような行動は、本当に、
私にはできないことなのだろうか。
- 246 名前:(18) 投稿日:2004/11/12(金) 00:43
-
「言わなくても解ることもあるけど、
どんなことも話さなきゃ解ってもらえないんだよ。きっと」
亜依ちゃんは、そう言って柔らかく微笑んだ。
ソファの上から、
各々の視線がテーブルに降りかかる。
「どんなことも話さなきゃ、か…」
絵里ちゃんが、亜依ちゃんの詞をなぞるように言った。
それは、私の心の中でも
繰り返し響いていた。
- 247 名前:(18) 投稿日:2004/11/12(金) 00:50
-
夜も遅いので、部屋を片付けて、
寝床をつくることにした。
布団が二人分しかないので、それは適当に敷いておいて、
あとはソファで寝ることにした。
「枕も二つしかないんだね」
亜依ちゃんが言った。
それに美貴ちゃんが応える。
「クッションがあるだろ」
すると亜依ちゃんは、さらに声を高めた。
「えー、クッションで枕投げするの?」
「…っていうか、しないよ」
美貴ちゃんが苦い顔で言う傍らで、絵里ちゃんが笑っていた。
「亜依だってしないよ。だけど、お泊まりの風流らしさの為に
枕じゃないと駄目だよ、ここは」
「ついていけないんだけど…」
そんなやり取りが続く中で、私はひっそりと部屋を抜け出した。
- 248 名前:(18) 投稿日:2004/11/12(金) 00:57
-
「もしもし、お母さん?」
携帯電話で家にかけた。
それに出た母は、質問を銃弾のように私に浴びせた。
「あなた、どこにいるのっ?
お父さんが、自分があさ美の将来について話したからじゃないかって
考え込んじゃって…」
「お母さんっ…」
母の甲高い声を遮って、私は言った。
自分は大事な仲間と一緒にいること、その人たちとやりたいことがあること、
を言葉をかいつまんでゆっくりと伝えた。
母は母で合間に口を挟んできたが、私はその全てにも
自分の気持ちを答えるようにした。
何度も、何度も。
- 249 名前:(18) 投稿日:2004/11/12(金) 01:03
-
「家が嫌になった訳じゃないです。
今夜はここに泊まりたい、それだけです」
母もとうとう受話器越しに頷いて、外泊を正式に許諾してくれた。
ぱたん、と音を立てて携帯電話を閉じる。
「あれ?あさ美ちゃんは?」
同時に部屋の中からそんな声がして、
私は慌てて返事をした。
「ごめん。今、行くから」
いつも一人では進めないわけではないけれど、
新しい道へ進むときには、背中を押してくれる彼女たちの手の温もりに
甘えてみるのだ。
- 250 名前:(18) 投稿日:2004/11/12(金) 01:04
-
(18)――了――
- 251 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/12(金) 01:13
- 更新お疲れ様です。
ん〜、感慨深いですね。
- 252 名前:チキン 投稿日:2004/11/13(土) 16:37
- レス有難うございます
更新します
- 253 名前:(19) 投稿日:2004/11/13(土) 16:43
-
「みんなーっ、おはよー」
目覚し時計の代わりに朝早く、弾んだ声が私を起こした。
「亜依ちゃん…」
彼女はソファの上に立って、横になっている私たちを
笑顔で見下ろしていた。
「なんだよ、まだ六時じゃん…」
美貴ちゃんが怒りをあらわにした口調で言った。
携帯電話の時計は確かに今、彼女が言った時刻を示していた。
日曜日の朝にあんな大きな声では、
近所迷惑にならないだろうか。
「亜依ちゃん…、どうしたの?」
絵里ちゃんが目をこすりながら問う。
- 254 名前:(19) 投稿日:2004/11/13(土) 16:49
-
「唄おうっ」
「は?」
「行こっ」
「え…」
状況も何も掴めないまま、私たちは最低限の身支度をし、
マンションの外に出た。
「なあ、亜依。どこ行くんだよ」
「公園。ここから近いんでしょ?」
公園とは、あの、公園のことで、昨日はそこから食料品店に行ったあとに
美貴ちゃんの家へ行った為あまり感じなかったが、
確かに地理的に近い位置関係にあると思う。
と、いうよりも亜依ちゃんは、
美貴ちゃんが昨日そう言っていたのを覚えていたのだろう。
ともかく目的地には、すぐに着いた。
- 255 名前:(19) 投稿日:2004/11/13(土) 16:59
-
「こんな朝早くから、声出るかな…」
とりあえず公園の真ん中に四人固まって立つと、絵里ちゃんが言った。
「大丈夫だよ」
亜依ちゃんはそう答えて、大きく息を吸った。
それに倣って私も、深呼吸をしてみた。
空を見る。
今日も晴れそうだ。
昇ったばかりの太陽が、きらきらと辺りを照らす。
それは近くを流れる川も一緒で、より輝く水が綺麗だった。
過ごしにくいくらい暑くなる前の
気持ちいい空気を十分に取り込んだあと、ゆっくりそれを吐き出す。
その最中ふと横を見ると、美貴ちゃん、絵里ちゃんと目が合った。
そして、笑う。
そんな私たちにも、朝日が降り注ぐ。
- 256 名前:(19) 投稿日:2004/11/13(土) 17:09
-
「…唄おうか」
互いに頷いて見せる。
かけ声なしに呼吸を合わせ、唄い始める。
最初は私と絵里ちゃんが数小節を斉唱し、
そこに美貴ちゃんのアルトが加わり、
さらに亜依ちゃんのソプラノも重なる。
出だしは今までにないほど上手くいった。
自然に笑顔がこぼれ、また声を高める。
そして、いつもつっかえる転調部分に差し掛かった。
四人全員がそれに気付いている。
だが、感じられる緊張感はなかった。
顔に笑みを残したまま、唄い続ける。
この時、私には初めて知ることがあった。
今まで私は、音程を外さないように
自分の声だけを聞いて唄っていた。
周りの声を何かが遮っていた。
もしかしたら、彼女たちもそうだったのかもしれない。
どおりで今日は、見晴らしがいい。
- 257 名前:(19) 投稿日:2004/11/13(土) 17:19
-
そして、曲の終わりまで着いた。
四人の声を重ねて、伸ばす。
亜依ちゃんの手の合図で同時に切った。
一瞬、ほんの一瞬だけ静寂が訪れ、夏蜜柑色に輝く粒が
私たちを囲んだ。
「でき…た?」
その絵里ちゃんの一言が堰を切り、一気に喜びが押し寄せてきた。
「今、一番上手くいったよねっ」
「うんうん。すごかった」
手を、とり合ったり叩き合ったりして、笑う。
私も訳の解らないような声を上げ、みんなと肩を寄せた。
- 258 名前:(19) 投稿日:2004/11/13(土) 17:24
-
「あ…」
ふと気が付くと、公園の入口から
見知らぬ五十がらみの男性がこちらを見ていた。
休日の朝からこんなところで騒いでいる私たちは、
かなり異様に見えるかもしれない。
私たちが沈黙すると、男性は通りすぎていった。
その気不味さに、私たちはほぼ同時に噴き出した。
とにかく、とにかく声を出して笑う。
- 259 名前:(19) 投稿日:2004/11/13(土) 17:28
-
「…やったね、亜依ちゃん」
皆の笑い声が飽和する中で、私は亜依ちゃんの耳元で囁いた。
すると彼女は嬉しそうに微笑んだ。
「うんっ」
私は再び壁を見た。
今度は自分の向かう先ではなく、すでに通りすぎた道の上に
それは立っていた。
そして私は、二度とそちらを振り返らなかった。
- 260 名前:(19) 投稿日:2004/11/13(土) 17:29
-
(19)――了――
- 261 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/13(土) 20:09
- 更新お疲れ様です。
いつもながら暖かいですね。
- 262 名前:チキン 投稿日:2004/11/16(火) 22:35
- レス有難うございます
いろいろな方のご好意や温かい感想のお陰で気付けば(20)です恐縮です
それでは更新いたします
- 263 名前:(20) 投稿日:2004/11/16(火) 22:41
-
とうとう学園祭当日となった。
「はー、緊張してきた」
絵里ちゃんが言う。
一時半から出番の私たちは、四人で一緒に昼食をとり、
すでに校庭の一角に設けられた自由発表のステージ裏にいた。
「客は今二、三十人ってとこかな。
あたしらこの次だろう?」
美貴ちゃんが言った。
体育館でのステージ発表や、露店にほとんどの客をとられるので、
自由発表を見に来る人は去年もそんなものだったと思う。
「ちえー。もっといっぱい人が来るかと思ってた」
亜依ちゃんが大袈裟に舌打ちをして言う。
その様子を見て、私は少し微笑んだ。
- 264 名前:(20) 投稿日:2004/11/16(火) 22:46
-
「ちゃんと、唄えるかな…」
いよいよ私たちの出番が迫ると、
絵里ちゃんが不安そうな顔をして言った。
「大丈夫だよ、練習で上手くできてたから」
私は彼女にそう言葉をかけた。
「うん…」
しかし彼女は、震えた声で返事をして、俯いてしまった。
元々人見知りをする性格なのだから、
彼女が人前で何かをするのを苦手としていて、おかしくない。
- 265 名前:(20) 投稿日:2004/11/16(火) 22:50
-
「…唄えるよ」
そう言って絵里ちゃんの手をとったのは、他の誰であるはずもなく、
亜依ちゃんだった。
「みんなで、唄おうよ」
彼女は絵里ちゃんの左手を右手でぎゅっと握り、
もう片方の手を私に向けた。
私はその小さくて白い温もりと、迷わず手を繋いだ。
そして絵里ちゃんの右手を美貴ちゃんが左手で握りしめた。
私たちはそのまま手を繋いでステージの上に立った。
- 266 名前:(20) 投稿日:2004/11/16(火) 22:59
-
そしていつものように笑い合って、いつものように呼吸を合わせ、
いつものように唄い始めた。
絵里ちゃんも、さっきまでの表情が嘘のような笑顔だ。
不思議な話ではある。
実質ほんの二ヶ月前に知り合った人たちと、
こんな舞台の上でこんな風に私は今、唄っている。
思えば、あの日が始まりだ。
あの、亜依ちゃんを後ろに乗せて自転車のペダルを漕いだ日に、
私の車輪も大きく回り始めたのである。
いつもはサドルから降りていた坂道も、
後ろからみんなに押してもらうことも覚えた。
また、反対の立場のときは、支えてあげたいと思うようにもなった。
だから私は唄っている。
難しい転調も越えて唄い終わると、拍手の渦が私たちを包んだ。
結果は大がつくほどの成功だった。
礼をしてそれに応え、その場を去った。
- 267 名前:(20) 投稿日:2004/11/16(火) 23:04
-
「やったー」
降りたばかりのステージの裏で、私たちは叫んで手をとり合った。
「拍手してもらえてたよね」
「うんっ。嬉しかったー」
興奮して次々に言葉が出てくる。
普段は冷静な美貴ちゃんも、満面の笑みで喋っている。
ただ、絵里ちゃんが下を向いていた。
「どうしたの、絵里ちゃん」
話しかけて顔を覗くと、彼女は泣いていた。
「絵里ちゃん、何かしたっ?」
私は慌てて問う。
しかし絵里ちゃんは、首を横に振って答えた。
- 268 名前:(20) 投稿日:2004/11/16(火) 23:10
-
「ううん、違うの。なんか嬉しくて…」
「…絵里ちゃん」
「今まではこんなこと、できなかったから。
人前で唄うなんてできなかったから。
それをみんなとできたのが嬉しくて、なんか涙が出てきちゃって」
彼女は涙がこぼれる前に
それを指で拭いながら、言った。
彼女の気持ちが反射鏡のように自分にも伝わるから、
私も少し泣きそうになった。
「馬鹿やろう。嬉しいときは笑ってればいいんだよ」
美貴ちゃんがそう言って
絵里ちゃんの頭をがしがしと撫でた。
「…うん」
絵里ちゃんは髪の毛を直しながら頷いた。
- 269 名前:(20) 投稿日:2004/11/16(火) 23:13
-
「そうだよ。笑えー」
「きゃ…」
亜依ちゃんがふざけて絵里ちゃんの両脇腹をくすぐった。
「ちょっと、亜依ちゃんっ」
「あはは。笑った、笑った」
緑の草たちが風に吹かれて絡み合うように、
私たちはじゃれた。
- 270 名前:(20) 投稿日:2004/11/16(火) 23:19
-
「亜依」
急に聞き慣れない声がして、そちらを振り返った。
小さな亜依ちゃんよりもさらに背の低い女性が、
こちらに向かって手を振っている。
しかし、歳は私たちよりも明かに上だろう。
亜依ちゃんのお姉さんか何かだろうか。
「お母さん」
「おかっ…」
私だけでなく、美貴ちゃんも絵里ちゃんも驚いた表情をした。
「見に来てくれたんだ」
「うん。上手に唄えてたじゃない」
その二人の話している姿は、どう考えても親子には見えなかった。
亜依ちゃんのお母さんは見た目よりかなり若く見えるのだろう。
- 271 名前:(20) 投稿日:2004/11/16(火) 23:24
-
「大丈夫だった?」
「…うん」
そう、と頷いて、亜依ちゃんのお母さんは私たちの方を見た。
「あ、お母さん。こっちから、
あさ美ちゃん、美貴ちゃん、絵里ちゃん」
亜依ちゃんが順番に紹介してくれた。
それに合わせて頭を下げて会釈をした。
「亜依の母です。いつも亜依と仲良くしてくれて、
ありがとう」
「うちのお母さんのことは、真里って呼んであげてね。
そうしないと返事しないから」
「亜依っ、うるさい」
真里さんが亜依ちゃんの頭を小突く素振りをした。
- 272 名前:(20) 投稿日:2004/11/16(火) 23:31
-
「じゃあ、亜依。私これから事務所に言って仕事があるから。
帰りが遅かったら先に寝てていいわよ」
「うん、わかった」
人ごみに消えていく真里さんの背中に、
亜依ちゃんは小さく手を振った。
事務所、真里さんはどんな仕事をしているのだろう。
私が疑問に感じたままを、絵里ちゃんが尋ねた。
「お母さん、建築デザインの事務所やってるの。
毎日忙しいみたい」
亜依ちゃんはためらいなく答えた。
「事務所やってるって、社長さん?」
「そうなるのかな、うん。でもそんな大したことじゃないよ」
真里さんからは想像もつかない仕事だった。
- 273 名前:(20) 投稿日:2004/11/16(火) 23:36
-
「へー、すごいな」
しかし、私には再び不可解の念が残る。
真里さんがそんなに大きな仕事をしているのに、
何故彼女たちはあのように小さなアパートに住んでいるのだろう。
そんなことを考えてしまう自分を恥じても、
胸のつっかえはおりない。
亜依ちゃんに関するこのような微妙な、ずれ、は前からあった。
それが何を意味しているのか、
私にはまだ解らなかった。
- 274 名前:(20) 投稿日:2004/11/16(火) 23:37
-
(20)――了――
- 275 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/16(火) 23:42
- 更新お疲れ様です。
ほんと気がつければもう20。レス数ももう300に手が届きそうな勢いですね。
でも長さを全然感じさせないのがすごいです。
新たな登場人物や謎が深まったりと続きがますます気になりますね。
- 276 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/17(水) 22:40
- GJ
- 277 名前:マルタちゃん 投稿日:2004/11/20(土) 13:40
- 初めましてです
マルタちゃんといいます。
あいぼん凄い謎ですね。
テレビで見るあいぼんも結構謎だったりしますが
それぞれの登場人物がすっごい当たってるていうか
続き楽しみにしてます。
- 278 名前:チキン 投稿日:2004/11/20(土) 15:55
- レス有難うございます
>>270におかしな文章があってすみません…訂正するのを忘れてました
それでは更新します
- 279 名前:(21) 投稿日:2004/11/20(土) 16:00
-
「美貴ちゃん、今日も来なかったね」
放課後のホームルームが終わりざわつく教室で、
絵里ちゃんが私に言った。
「うん、もう三日だね」
学園祭が終わってから、彼女は一度も学校に来ていない。
前は来ている方が珍しいくらいだったが、毎日彼女と会うのが
常になっていた私たちにとっては一大事のように思えた。
「これから行ってみようよ、美貴ちゃんの家」
亜依ちゃんが言った。
私も絵里ちゃんも頷いた。
- 280 名前:(21) 投稿日:2004/11/20(土) 16:06
-
しかし私たちはその日、美貴ちゃんの家に行くことはなかった。
そこに行く途中の目印となる公園の前で、
ばったり美貴ちゃんと顔を合わせた。
「美貴ちゃん…」
その声を合図になって、美貴ちゃんは振り返り
反対方向に歩き出そうとした。
「美貴ちゃん、待って…」
彼女を止めようと、亜依ちゃんが一歩前に出た。
しかし次の足が出る前に何故か彼女の動きは止まり、
力が抜けたように倒れかけた。
「亜依ちゃんっ」
彼女の体が地面に沈む前に、私が受けとめた。
大丈夫、と声をかける前に、亜依ちゃんが喋り出した。
- 281 名前:(21) 投稿日:2004/11/20(土) 16:12
-
「待ってよ、美貴ちゃん…」
少し鼻にかかる、辛そうな声だった。
「なんで避けるの?お話しようよ」
美貴ちゃんは亜依ちゃんを見た。
あの時と同じ瞳だ。
亜依ちゃんを突き飛ばして帰ろうとした放課後と同じだった。
「…行かないで。ちゃんと話してよ、美貴ちゃん」
このままあの時と何も変わらなかったら、きっと
美貴ちゃんの背中を見ることになる。
だから私は言った。
- 282 名前:(21) 投稿日:2004/11/20(土) 16:17
-
「最近学校に来ないから、私たち心配してたの」
「そんなの、いつものことだろ」
「違う」
「何が違うんだよ」
「解らないよっ」
言葉を重ねるごとに、私の口調も美貴ちゃんのそれも強くなる。
私はここでいったん声を低めて言った。
「解らないから、話してよ。美貴ちゃんのこと…」
それが彼女にとっていかに話しにくいことか、
何となく気付いている。
「なんで、学校来ないの?」
だけど私には、私たちには、話してほしい。
- 283 名前:(21) 投稿日:2004/11/20(土) 16:21
-
「…亜依、大丈夫か?」
ふと、美貴ちゃんも落ち着き払った声になって、言った。
「え、うん。足がもつれただけだから」
彼女はすでに私から離れ、一人で立っている。
「一応、中のベンチで休んでいけ。
あたしもついてるから」
美貴ちゃんは公園を指差した。
それが彼女なりの意思表現なのだと思った。
「うん」
亜依ちゃんは頷いた。
- 284 名前:(21) 投稿日:2004/11/20(土) 16:29
-
前にも座ったベンチに亜依ちゃんと絵里ちゃんが腰を下ろし、
私はその横に立った。
美貴ちゃんは少しだけ離れた場所にいる。
そして、重々しく口を開いた。
「あたしの母親、あたしが六歳の時に死んだって言ったろ?」
「うん…」
誰となしに相槌をこぼす。
「それから十年、親父と二人で暮らしてきた。
だけど高一の終わりに、親父が再婚するって言い出した」
美貴ちゃんは一度も私たちの顔を見ない。
「今まで何があっても二人でどうにかやってきたのになんだよ、って、
あたしはきれた。しかもその相手が若い女でさ、
母親だなんて思えなかった。思いたくなかった」
美貴ちゃんの感情が、胸を突き刺すように伝わってくる。
- 285 名前:(21) 投稿日:2004/11/20(土) 16:42
-
「だからあたしはそいつに反発してた。
そしたらだんだん、あたしが邪魔者みたいになってきた。
親父とそいつの間に子供ができて、あたしは家を出るしかなくなった」
美貴ちゃんの家に泊まったときは、そんな風には言っていなかった。
本当は辛かったのだと、感じた。
「一人暮し始めたら全部面倒くさくなってさ、学校も行かなくなった。
結局二年のとき留年した。
だけどその時ちょうどそいつが義理の弟を産んで、
親父すらあたしに見向きもしなかった。
あたしの留年を咎めることなんて、誰もしなかった」
現在私たちは二年生だから、美貴ちゃんはそれからずっと
留年していることになる。
「どうしようもないから、学校をやめようと思った。
だけど、そうはしなかった。それが最後の抵抗だった。
親父とそいつに屈しないための、手段だった」
美貴ちゃんは横目でこちらを見て、自嘲気味に笑んだ。
「それからは知ってる通り、学校に行ったり行かなかったりして毎日過ごした。
格好悪いだろ?こんなことでしか
やつらに歯を立たせることができないなんて…」
- 286 名前:(21) 投稿日:2004/11/20(土) 16:52
-
「格好悪いとか、そういうことじゃないよ」
そう言って美貴ちゃんの悲痛な告白を遮ったのは、亜依ちゃんだった。
彼女の言い方は、いつもより数段、厳しいものに感じられた。
「美貴ちゃんがそれでいいのか良くないのか、
どっちかだよ」
亜依ちゃんの主張には、的の中心をえぐるような
鋭い真っ直ぐさがあった。
「解ってるよ、そんなこと。あんたたちと自由発表に出て、
あたしも変わろうと思った。学校にも行こうと思った。
けど、今からあの高校に通って卒業することに
意味はあるのか考え出して、専門学校とか就職とか
いろいろ浮かんで…」
「やってみればいいじゃん、全部。
そうしないと何が自分にとって良いのか、解らないままだよ。
今やらないと、もう一生できないことだってあるんだよ」
今、という詞が強く私の胸に残った。
それは私にとって、亜依ちゃんの代名詞のようなものだった。
亜依ちゃんは、今、だけを見つめている節があったから。
- 287 名前:(21) 投稿日:2004/11/20(土) 17:00
-
「そうかもしれないな」
「だったら…」
「だけど、
誰もがあんたみたいな行き方ができる訳じゃないんだよっ」
美貴ちゃんの詞は、ずしんと重かった。
「先のことを考えずに進むなんて無理なんだよ。
早く親から独立したいけど、このまま親父やあいつの思惑通りに
家が知らない連中にのっとられていくのも腹が立つ。
そういうこと考え始めると、身動きとれなくなっちゃうんだよ。
今なんか見えなくなっちゃうんだよ」
これまで見せることのなかった、美貴ちゃんの黒い影が牙を剥く。
亜依ちゃんは下を向いてしまった。
「…なんか違うよ」
美貴ちゃんのか細い声に、太い芯のある詞がのって
私たちの耳に届いた。
- 288 名前:(21) 投稿日:2004/11/20(土) 17:07
-
「何か違うよ、美貴ちゃん。
将来なりたいものがあるから、やりたいことがあるから、
そのために毎日頑張っていけるんじゃん。
そういう気持ち、ないの?」
普段はおとなしい絵里ちゃんまで、興奮した口調になっている。
それは、何故なのだろう。
「そんなこといってる余裕は、もうないんだよ。
そういうこと選ぶための時間は通り越したんだ。
とにかく何かやらなきゃ駄目なんだよ、あたしは」
美貴ちゃんは、彼女が私たちより年齢で言うと二つ上だということを
強調するような言い回しだった。
「…悲しいだけだよ、そんなの」
絵里ちゃんの声は消えそうな程小さなものだったが、
美貴ちゃんにとっては、一本の槍が降ってきたようなものだったのだろう。
- 289 名前:(21) 投稿日:2004/11/20(土) 17:12
-
「勝手に言ってろ」
吐き捨てて、美貴ちゃんは公園から出ようとした。
「逃げるの?」
口で彼女の行く道を封じ、足で彼女の背中を追いかけた。
「逃げちゃ駄目だよ」
声に出して初めて解った。
私は、おそらく絵里ちゃんも亜依ちゃんも皆、
焦っていた。
学園祭も成功して心が通い合ったと思っていた美貴ちゃんの、
自分たちの知らない部分を見せらたことに衝撃を受けていた。
私は言葉を止めることができなかった。
- 290 名前:(21) 投稿日:2004/11/20(土) 17:21
-
「将来を盾にして、今何もしないのは、逃げだと思う。
美貴ちゃんが今、しなくちゃいけないのは、
将来のこと考えることじゃない。
お父さんたちとちゃんと話すことだよ」
私から目線を外していた美貴ちゃんの肩が、びくんと動いた。
私は声を柔らかく戻して言った。
「私だって美貴ちゃんに偉そうなこと言えた義理じゃないよ。
漠然とした将来のために、を掲げて、
毎日なんとなしに勉強してた。
でも亜依ちゃんに会って、みんなと唄って、
それまで今を懸命に生きていなかったんだって気が付いた。
だから将来なりたいものとか見つからなかったんだ。
だって、今より先に、未来は来ないから」
こんな風にくどい文句でしか結論を言えない自分は、
どこまでいっても自分なのだと、思った。
- 291 名前:(21) 投稿日:2004/11/20(土) 17:26
-
「それでも…」
美貴ちゃんは横顔を私に向けて、口を開いた。
苦痛を耐えるような表情で、かすれるような声だった。
「それでも、あたしは…」
「亜依ちゃんっ」
突然絵里ちゃんの大きな声がして、私はベンチの方を向いた。
亜依ちゃんが絵里ちゃんの方に倒れかかっていて、
絵里ちゃんが必死に彼女を呼んでいる。
「亜依ちゃんっ?」
私はそちらに駆け出した。
美貴ちゃんの足音も、後ろから聞こえた。
- 292 名前:(21) 投稿日:2004/11/20(土) 17:31
-
「どうしたのっ?」
「解らない。急に胸を押さえて…」
私の問いに、絵里ちゃんはかなり動揺した様子で答えた。
しゃがみ込んで亜依ちゃんを見る。
彼女は左胸辺りの制服のシャツを掴んで、
苦しそうに息を荒げていた。
顔は、信じられない程、真っ青だった。
何が起こっているのか目の当たりにしても、
何をするべきか考えることができず、私は呆然としていた。
亜依ちゃんは辛そうに顔を歪めているままなのに。
- 293 名前:(21) 投稿日:2004/11/20(土) 17:36
-
「何やってんだ。早く亜依をベンチに寝かせろっ」
その声で、私は正気を取り戻した。
「あたしが救急車呼ぶから」
美貴ちゃんが的確に行動を示す。
「うん」
絵里ちゃんと一緒に亜依ちゃんをベンチに横たわらせると、
私は彼女のシャツのボタンを上から二、三個外しにかかった。
「あさ美ちゃん?」
「なるべく楽な格好にしてあげるの。
絵里ちゃんはスカート緩めて」
彼女は頷いて、それに従った。
- 294 名前:(21) 投稿日:2004/11/20(土) 17:39
-
「亜依、もうすぐだから。しっかりしろ」
「亜依ちゃんっ」
呼んでも返答はなく、彼女の意識はだんだんと
遠くなっているようだった。
小さな口から弱々しい吐息がもれる。
「亜依ちゃん…」
やがて救急車が到着し、
ぐったりとした亜依ちゃんを運んで行った。
- 295 名前:(21) 投稿日:2004/11/20(土) 17:40
-
(21)――了――
- 296 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/20(土) 23:51
- なんだかいろいろと急展開。
続き楽しみに待ってます。
- 297 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/21(日) 00:31
- いろいろ考えさせられるな〜。
話も急展開で続きが気になります。
- 298 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/23(火) 01:06
- あいぼ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!
- 299 名前:チキン 投稿日:2004/11/25(木) 21:07
- レス有難うございます
それでは更新します
- 300 名前:(22) 投稿日:2004/11/25(木) 21:12
-
亜依ちゃんは父の病院に運ばれた。
彼女の処置が行われている病室の前の長椅子に座り、
私たちは皆押し黙ったまま、動こうともしなかった。
部屋の中の様子は全く解らない。
頭の中に、倒れた時の苦しんでいる亜依ちゃんの姿が浮かんで
離れようとしなかった。
- 301 名前:(22) 投稿日:2004/11/25(木) 21:20
-
静まりかえった廊下に足音が響き始め、私は顔を上げた。
「真里さん…」
小走りでこちらに近寄ってくる。
病院から連絡を受けたのであろう。
「みんな…、亜依は?」
少し息を切らして発した真里さんの問いに、美貴ちゃんが答える。
「中で治療を受けていて、まだ面会できません」
「そう…」
真里さんは目を細めて、病室のドアを見た。
彼女も混乱しているだろうと思い、私はできる限りの情報を伝えようと、
倒れた時の状況を説明することにした。
「私たちと一緒に居るときに、急に胸を押さえて倒れたんです。
そのまま意識がなくなって…」
「うん」
真里さんの反応は、驚くほど薄かった。
そこで私はあることに勘付いた。
そしてそれは自分だけではなかった。
- 302 名前:(22) 投稿日:2004/11/25(木) 21:28
-
「真里さん、亜依ちゃんが倒れた原因知ってるんですか?」
絵里ちゃんが私より先に声に出した。
真里さんは明らかに焦った様子で、はぐらかそうとしている。
「そうなんですか?真里さんっ」
美貴ちゃんも食いつく。
それでも真里さんは語ろうとせず、口をもごもごと動かしている。
理由は解らないが、何かを隠す必要があってそうしているのだろう。
「真里さん…」
そこで彼女に助け舟を出すかのように、病室から医師が出てきた。
「先生、亜依は…」
「容態は落ち着きました。あと一時間くらいで面会もできますよ」
白衣の彼の言葉に、全員胸を撫で下ろす。
「ありがとうございました」
「発作の原因については、後程お話します」
去っていく医師の後ろ姿に、真里さんはもう一度礼をした。
- 303 名前:(22) 投稿日:2004/11/25(木) 21:37
-
途端に気が抜けたのか、再び誰も何も言わなくなった。
このままでは先程まで真里さんを問い詰めていたことが、
なかったことになってしまう。
しかし私は、この流れを止める言葉を持っていた。
「亜依ちゃん、心臓が悪いんですか?」
その場にいた全員が、目を丸くして私を見た。
中でも真里さんの様子は尚更だった。
「あさ美ちゃん…」
確証はなかった。
でも、亜依ちゃんが押さえていた胸の位置、
真っ青な顔とあの苦しみ方、そこから私はそう仮定した。
もし真里さんが亜依ちゃんの体の状態を知らなかったら、
なんて事を考える余裕はなかった。
そして真里さんに、弁明の逃げ道をつくらせないためでもあった。
「どうなんですか、真里さん…」
美貴ちゃんの強い問いかけに真里さんは目を泳がせていたが、
しばしの後に一つため息をついた。
「…とりあえず、屋上に移動しようか」
そして、病室の前に立ちつくしている私たちに言った。
何も言わずにそれに従った。
- 304 名前:(22) 投稿日:2004/11/25(木) 21:42
-
その日は曇りがちだったため、屋上にいる人は少なかった。
「みんな、びっくりしたでしょ?
亜依が急に倒れて…」
隅の手すりに小さな体を預けて、真里さんは言った。
「はい…」
「本当にありがとう。
救急車を呼んだり、病室の前についててくれたり。
亜依の言ってたとおり、みんないい子ね」
真里さんは紐を解くようにゆっくりと話し始め、
そして本題の箱を開けた。
- 305 名前:(22) 投稿日:2004/11/25(木) 21:51
-
「…亜依ね、生まれつき心臓が弱かったの」
聴覚は正常にその言葉を受けとめたが、
頭の中にはそうはいかない部分がいくつかあった。
しかし、さらに真里さんは話を進めるため、
私は耳を傾けなければならない。
「今日倒れたのは、それが原因。
小さい時に手術したんだけどやっぱり難しいらしくて、
完全には治らなかった。
それで急に具合が悪くなること、あるの」
「じゃあ、亜依ちゃんがたまに学校休んでたのって…」
絵里ちゃんがいつか私と話していたことを言った。
「そう、心臓のことのせい。
体調が悪いときは、家で休ませてる。
あとあの子、激しい運動はできないの」
そういえば亜依ちゃんが走っているところを見たことがない。
体育の選択授業も、ずっと卓球だった。
- 306 名前:(22) 投稿日:2004/11/25(木) 22:00
-
「それに定期的に病院で検診を受けないといけなくて、
それにはここの病院にお世話になってるわ、あさ美ちゃん」
真里さんに名前を呼ばれると同時に、
私は病院で亜依ちゃんと会った日のことを思い出した。
父と真剣な話をしたあとで気が動転していたが、
確かに彼女の様子はおかしいと感じた。
保険の書類がどうとか私に説明していたが、
本当は体を診てもらっていたのだと、今になって知った。
「じゃあ、夏休みの台風が来た日のあとはどうしてたんですか?
私、何度か家に行ったんですけど、誰も居なくて…」
いつか亜依ちゃんに訊きそびれたことを、私は真里さんに尋ねた。
向日葵を助けようとした日、亜依ちゃんは雨に打たれ、
以来連絡がとれない日が続いた。
「…あのときは、入院してた。
私も仕事に行ったりで家はずっと留守だったかも。
ごめんね、せっかく来てくれてたのに」
- 307 名前:(22) 投稿日:2004/11/25(木) 22:06
-
真里さんの返答のあと、美貴ちゃんの顔が視界に入った。
彼女は思い詰めたような表情で、口を開いた。
「なんで黙ってたんですか?もしかして学校にも…」
「担任の先生には話してあるわ。
ただ、生徒にはふせておいてほしいって言ってあるの」
「どうしてですか」
真里さんは少し戸惑った様子で、下に向けた目を左右に動かした。
だがすぐに、覚悟を決めた、といった表情を見せて語りだした。
「今はあの子、さっき私が言ったようなことを守れば、
普通の子と変わらない暮らしができてるでしょ?
でも幼稚園には、ずっと入院してて一度も行けなかった。
そんな時にね、私はあの子と約束したの」
「約束?」
真里さんは大きく頷いて、答えた。
- 308 名前:(22) 投稿日:2004/11/25(木) 22:15
-
「できることはやろう、って。
心臓に負担のかからないことは、どんどんやろうって。
他の子供と変わらないように、ちゃんとやろうって。
小学校も体調の良いときは通わせた。
当時はまだ入院しがちだったし、今ほどの体力もなかったから
特別学級だったけど、勉強は学校に行けないときも
家でしっかりやらせた。
治療を続けて、少しずつできることが増えていった。
それで中学校は普通クラスに入れるようになったんだけど、
そこでちょっと問題がね…」
「いじめ、とか?」
絵里ちゃんの直球の質問に、真里さんは首を横に振った。
「それはなかった。だけどねあの子、体育や
校庭でみんなと走り回ることができないでしょ?
それが学校の子供たちに過敏に気を使わせちゃったみたいで…」
「そのときは亜依の心臓が弱いこと
秘密にしてなかったんですね」
美貴ちゃんが、確かめるように尋ねた。
- 309 名前:(22) 投稿日:2004/11/25(木) 22:23
-
「うん。やっぱり心臓が弱いって聞くと萎縮しちゃうみたいで、
同級生たちがなかなか亜依と一緒に遊んでくれなかったの。
もちろんそれは亜依の心臓のことを考えて、
無理をさせないようにってことだったんだろうけど、
できることはなんでもやろうとしている亜依には、
それが辛かった。
あの子にだってできる遊びはある。
中学校の頃には、よっぽど心臓に負担をかけない限り
大抵のことはできるようになってた。
街に遊びに行くことだってできる、普通の子と変わらずに。
亜依はそのことを話してなんとかみんなと一緒にやろうとしたんだけど、
やっぱり最後まで遠慮が残ったまま中学校卒業になっちゃった。
高校に入っても、それは同じだった」
そう言うと真里さんは、きゅっと唇を噛んだ。
亜依ちゃんと同じくらい、
真里さんも悔しかったんだろうと思った。
- 310 名前:(22) 投稿日:2004/11/25(木) 22:30
-
「…それでこっちの高校に編入したんですか?」
私が訊くと、真里さんは再び口を開いた。
「いや、正確に言えば編入は私の仕事の都合。
知り合いの事務所を任せてもらえるようになって、
それがある、この町に引っ越してきたの。
どうせ自分たちのことを知らない人ばかりなんだから、
心臓のことは黙っておくことにした。
そうすれば特別扱いされることはないから。
普通の高校生として学校に行けるから…」
「それで良かったんですか?」
美貴ちゃんが、重い重い言葉を発した。
「それは、正しいことなんですか?」
- 311 名前:(22) 投稿日:2004/11/25(木) 22:38
-
「…亜依ね、医者に、今こんな風に生活できるのが奇跡だ、
って言われてるの。
生まれたときは、一生入院したままかもしれないって聞かされてた。
だけどあの子頑張って、ここまで回復してくれた。
生きててくれた。
それでも油断するわけにいかないの。
突然心臓の具合が悪くなるかもしれないし、検査に引っかかったら
入院しなきゃいけなくなるかもしれない。
あの子にとって普通に暮らせる一日一日が、とっても大事なの。
明日には、失ってしまうかもしれないものだから」
亜依ちゃんは、今、だけを見つめて生きている。
その訳が少し、見えた気がした。
「…あの子、ここの高校に入ってから毎日本当に楽しそうでね。
美貴ちゃんの言う通り、正しいことなのか迷うこともあったけど、
あの子の嬉しそうな顔見てたら、私は何も言えなかった」
- 312 名前:(22) 投稿日:2004/11/25(木) 22:47
-
急に頭の中に、今まで亜依ちゃんと過ごした場面、
一つ一つの彼女の顔が浮かんだ。
その全ての彼女がそのような事情を抱えていたのだと思うと、
胸に詰まるものがある。
「ごめんね。それがあなたたちを驚かせて、
…傷つけることになっちゃった。本当にごめん」
そんなことない。
そんなことないから、そんなこと言わないでほしい。
「真里さん…」
医師と話があるからと、真里さんは屋上をあとにした。
私はそこに立ったまま、彼女の後ろ姿を見ていた。
すると突然、どんっ、という大きな音がして、
私は振り返った。
「ちょっと、どうしたの?」
絵里ちゃんが言う。
美貴ちゃんが手すりの壁を右手の拳で強く叩いていた。
そして体を震わせて、言った。
- 313 名前:(22) 投稿日:2004/11/25(木) 22:54
-
「何やってんだよ…」
声も、震えていた。
「何やってんだよ、あたしは…」
亜依ちゃんが今を精一杯生きているのに、自分は何もしていないではないか、
という気持ちが、美貴ちゃんの行動や詞には乗っているように思えた。
それは私だって同じだ。
亜依ちゃんが今まで生きてきた道程に比べると、
私は自分が生きていないのではないかとさえ思えてくる。
「美貴ちゃん…」
私は彼女の肩を抱いた。
それ以外何もできなかった。
見上げても青の見えない空模様が、やけに憎かった。
- 314 名前:(22) 投稿日:2004/11/25(木) 23:00
-
しばらくして私たちは、亜依ちゃんの病室に戻ってきた。
すでに面会謝絶はとけていたので、真里さんは居ないようだったが、
中に入ることにした。
「亜依ちゃん…」
個室の窓際に置かれたベッドに横たわっている彼女は、
まだ目を開けていなかった。
腕には点滴がつけられている。
近付いてみると、顔にはやや赤みがさしていて、少し安心した。
それぞれが思い思いの位置について、静かな時間が流れていく。
しかしその静寂は、穏やかとは似ても似つかぬものだった。
- 315 名前:(22) 投稿日:2004/11/25(木) 23:07
-
「亜依ちゃん?」
どのくらいか時間が経ったとき、ふと亜依ちゃんの目が振れたので、
私は呼びかけてみた。
やや眉をひそめた後に、彼女はゆっくりと目を開いた。
「亜依ちゃん…」
皆、安堵の息を漏らす。
亜依ちゃんは状況が理解できないといった面持ちだったが、
目を焦点が合うとすぐに、ベッドから起き上がろうとした。
しかしまだ体が重いのか、片肘をついて半分だけ上体を
起こしたかたちになった。
「亜依ちゃん、駄目だよ。まだ寝てなきゃ…」
私は慌てて亜依ちゃんが動こうとするのを制した。
「平気、平気。大丈夫だから」
そう言って亜依ちゃんは、腕についた点滴を
無理矢理外そうとした。
- 316 名前:(22) 投稿日:2004/11/25(木) 23:12
-
「駄目だってば、亜依ちゃんっ」
絵里ちゃんがその亜依ちゃんの手を掴んでやめさせた。
亜依ちゃんはうつろな目で繰り返した。
「平気だよ。大丈夫だもん、こんなの…」
そのとき、私は気が付いた。
亜依ちゃんは隠そうとしているのだ、、自分の心臓のことを。
だからこんなことするのだ。
だから、私は言った。
「…亜依ちゃん、私たち聞いたんだ。
亜依ちゃんの心臓のこと」
亜依ちゃんの動きが止まった。
「真里さんから聞いて、知ってるの」
- 317 名前:(22) 投稿日:2004/11/25(木) 23:18
-
私がそこまで言うと、亜依ちゃんは下を向いて、
小刻みに肩を揺らし始めた。
心臓のことを知られたと、解った途端のことだった。
大きな何かが崩れたかのように、
足下の地面が抜けてしまったかのように、
彼女はただただ俯いていた。
「亜依ちゃん…」
私は彼女の肩に手を乗せた。
すると亜依ちゃんは、ぱっとこちらに顔を向けた。
目は真っ赤で、涙がいっぱい溜まっていた。
そしてそれが流れ出すと同時に、
泣き声のように彼女は言った。
「やだよ…」
割れてしまいそうな声だった。
- 318 名前:(22) 投稿日:2004/11/25(木) 23:21
-
「やだよ、どっかに行っちゃ…」
亜依ちゃんは私たちに、幼い頃の記憶を重ねて見ているようだった。
そして、続けた。
「心臓動くのが、ひとより少し下手なだけだよ。
亜依のこと、嫌いにならないで…」
- 319 名前:(22) 投稿日:2004/11/25(木) 23:30
-
胸が塞がれたような、心地だった。
亜依ちゃんの目からは、とめどなく涙が溢れている。
真里さんから聞いて予想していた以上に、
亜依ちゃんは今まで辛い思いを積んできたのだと思った。
その気持ちの全てが、彼女の心の奥から
野兎のような瞳に集まり、流れ出ているのだ。
真っ白な四角い空間は、完全に動きが停止していた。
それを解いたのは、美貴ちゃんだった。
「ばかっ」
乱暴な口調で言って、彼女は亜依ちゃんの額に、
びしっ、と音がするくらいの、いわゆるでこぴんをした。
「いた…」
そして美貴ちゃんは、額を押さえる亜依ちゃんを、
包み込むように抱きしめた。
- 320 名前:(22) 投稿日:2004/11/25(木) 23:35
-
「嫌いになんか、ならないから…」
そのまま発した美貴ちゃんの声は、先程のものとは違う
落ち着いたものだった。
「嫌いになんかならないから。だから、ちゃんと言え。
辛いときとか苦しいときは、言え」
美貴ちゃんはさらに腕に力を込めた。
「…そうだよ。私たち、ちゃんと聞くから。
亜依ちゃんの話、ね?」
言いながら絵里ちゃんは、亜依ちゃんの背中を撫でた。
私も左手で亜依ちゃんの髪から肩を沿って、言った。
「みんな、亜依ちゃんのことが好きだから。大好きだから」
- 321 名前:(22) 投稿日:2004/11/25(木) 23:45
-
美貴ちゃんの胸の中で、亜依ちゃんが嗚咽を漏らすのが聞こえた。
「どんなことも言わなきゃ解らないんだから、さ」
いつか誰かが言ったようなことを美貴ちゃんが口に出した。
そして腕に抱いた赤目の兎に問いかけた。
「わかったか」
亜依ちゃんは泣きながら、何度も何度も頷いた。
そのまま私たちは、しばらく互いの温もりを感じあった。
それぞれがそれぞれの温かさと冷たさを持っている。
でも、こんな風に触れ合っているうちは、
涙が溢れるくらいの優しさだけが心を満たすのだ。
- 322 名前:(22) 投稿日:2004/11/25(木) 23:46
-
(22)――了――
- 323 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/25(木) 23:59
- おつです。
もっさんかっこいいなぁ。
- 324 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/26(金) 08:24
- 涙で >>321 の最後の5行が読めません
- 325 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/26(金) 17:43
- 更新お疲れ様です。
はぁ…感動です。泣いちゃいました。
- 326 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/26(金) 23:29
- なんか胸がいっぱいです。
- 327 名前:チキン 投稿日:2004/11/30(火) 20:16
- レス有難うございます
皆様の感想に、僕も涙がしくしくと流れてしまいます
それでは更新始めます
- 328 名前:(23) 投稿日:2004/11/30(火) 20:25
-
「加護さんは、今日も風邪で欠席です」
亜依ちゃんが入院して六日が過ぎていた。
担任の口からその真実が語られることはなかった。
「一応生徒にはふせておくことにしてるんだから、
仕方ないだろ」
帰り道を三人で歩いているときに、美貴ちゃんが言った。
「…そうだよね」
美貴ちゃんはあれから毎日学校に来ている。
そのことについて尋ねると、
「高校は卒業することにした。あんたたちと一緒に」
と言っていた。
がむしゃらな一歩だ、と自虐気味に言うので、
いいと思う、と私は彼女に言った。
美貴ちゃんは照れくさそうに、ばか、と言った。
- 329 名前:(23) 投稿日:2004/11/30(火) 20:36
-
その様子を見て絵里ちゃんが呟いた。
「美貴ちゃんってさ、可愛いよね」
言われた当人は、がくっと肩を落としたあとに絵里ちゃんを見た。
「なっ…」
「ほらー、すぐ赤くなってるもん。可愛いー」
私も思わず笑った。
確かに、冷静なようで感情が顔に出やすい面がある彼女は
その形容が似合っていた。
美貴ちゃんは片手で顔を覆いながら言った。
「からかってんのか、あんたたち…」
談笑しながら交差点を曲がる。
向かう先は白い巨大な建物だった。
- 330 名前:(23) 投稿日:2004/11/30(火) 20:46
-
「失礼します」
二、三度ドアをノックしたあとに、そう言ってそれを開けた。
「はーい」
明るい声が聞こえてきた。
もちろんその主は、亜依ちゃんだった。
「みんなー、お帰り」
彼女はベッドを半分起こして、その上に座っていた。
「どうだ、具合は?」
「大丈夫、昨日と一緒」
「そっか」
絵里ちゃんの塾がある日を除いては、
私たちは毎日三人揃って亜依ちゃんの見舞いに来ていた。
そして、することはいつも決まっていた。
- 331 名前:(23) 投稿日:2004/11/30(火) 20:54
-
「じゃあ今日は対数の不等式からだね」
私は鞄の中から数学のノートと教科書を取り出した。
「ごめんね、あさ美ちゃん。ありがとう」
「いいよ、私も復習になるし」
私は亜依ちゃんに、その日の学校の授業の内容を教えていた。
「本当嬉しいな。前は入院したら教科書見て
一人でやらなきゃいけなかったから」
その亜依ちゃんの言葉が少し悲しかったけれど、
彼女にその気持ちが伝わらないように、なんでもないふりをして聞いていた。
「なー、なんでここの訳がこうなるんだよ」
「だから何度も言ってるじゃん、美貴ちゃん」
私と亜依ちゃんがベッドに備え付けてある台を使って勉強をしている一方で、
ベッドの余った部分の上に教科書を開き、
絵里ちゃんが美貴ちゃんに英語を教えていた。
- 332 名前:(23) 投稿日:2004/11/30(火) 20:57
-
「もう一回頼む。あたしは二学期から挽回してかなくちゃならないんだから」
「しょうがないなあ」
そのなりゆきを私も亜依ちゃんも頬を緩めて見ていた。
そして私は亜依ちゃんに耳打ちをした。
「私たちも頑張ろうね」
「…うんっ」
彼女も嬉しそうに微笑んだ。
- 333 名前:(23) 投稿日:2004/11/30(火) 21:05
-
「すごい。亜依ちゃん、全部当たってるよ」
「へへー、やった」
亜依ちゃんがやった宿題を採点すると、赤い丸だけが踊っていた。
彼女の勉強熱心な姿勢には、本当に頭が下がる。
「ほら、美貴ちゃんも頑張らないと」
絵里ちゃんがわざとらしく言う。
「うるさいな。やってるだろ、ちゃんと」
美貴ちゃんが煩わしそうに答える。
絵里ちゃんに苛められる彼女が可笑しくて、
私は少し声を出して笑った。
その横で、小さな声がした。
「つっ…」
亜依ちゃんが右手で胸を押さえて、顔をしかめた。
その様子を見て、私は慌てて声をかけた。
- 334 名前:(23) 投稿日:2004/11/30(火) 21:12
-
「どうしたの、亜依ちゃんっ」
「大丈夫、ちょっと苦しくなっただけ」
そう答えて、数回深呼吸を繰り返した。
私たちは、黙ってそれを見ている。
最後に、ふー、と長く息を吐いて、彼女は口を開いた。
「よし、もう平気」
亜依ちゃんがそう言っても、私は不安だった。
「今日はここで終わりにしとく?」
私の言葉に、亜依ちゃんは慌てて答える。
「大丈夫。あと少しお願い」
そのとき私は、真里さんから聞いた亜依ちゃんの中学校の頃の話を
思い出していた。
亜依ちゃんが望むなら、やらせてあげた方が良いのだろうか。
「でも亜依ちゃん…」
「あさ美、絵里。今日はもう帰るぞ」
- 335 名前:(23) 投稿日:2004/11/30(火) 21:21
-
私が最後まで言う前に
美貴ちゃんが荷物をまとめて立ち上がり、言った。
「美貴ちゃん。亜依、大丈夫だよ」
亜依ちゃんがすがりつくような目をして言った。
言葉に表せない気持ちが、私の心に込み上げてきた。
美貴ちゃんは亜依ちゃんの方を見て、詞をかけた。
「そんな顔、するな。あたしたちの気持ちはもう言ったろ?
あんたを置いてどっか遠くに行っちゃう訳じゃないんだから、
心配するな。
あんたの体を気遣って、無理させたくないって思うこともあるさ」
私が言おうとしたおおむねを、彼女に言われてしまった。
「…そういうこと」
私は教科書類を鞄にしまい、亜依ちゃんの頭を撫でて囁いた。
「うん…」
亜依ちゃんもこちらに微笑を返して頷いた。
- 336 名前:(23) 投稿日:2004/11/30(火) 21:26
-
「美貴ちゃん、かっこいいー」
絵里ちゃんが鞄を肩にかけ、美貴ちゃんの背中を追いかけて言う。
「だからさっきから何なんだ、あんたは…」
「顔、赤いよ」
美貴ちゃんが絵里ちゃんの頭を軽く小突くと、
私は立ち上がって彼女たちに近付いた。
病室から出る際に、ちゃんと休むんだよ、
と亜依ちゃんに釘を刺した。
「うん」
亜依ちゃんは手を振りながら言った。
私もそれに応え、部屋をあとにした。
- 337 名前:(23) 投稿日:2004/11/30(火) 21:28
-
「亜依ちゃん、大丈夫かな…」
病院の建物から出てすぐに、絵里ちゃんが独り言のように言った。
「うん…」
見えない地平線に太陽が沈んでいき、私の生返事も闇に消えていった。
- 338 名前:(23) 投稿日:2004/11/30(火) 21:28
-
(23)――了――
- 339 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/01(水) 01:54
- 更新お疲れ様です。
先が見えないんでなんかドキドキと言うか・・・・・続き待ってます。
- 340 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/01(水) 02:05
- お疲れ様です。
なんかこれから悲しいことが起きそうな予感・・・
続きが楽しみです。
- 341 名前:チキン 投稿日:2004/12/07(火) 23:28
- レス有難うございます
更新します
- 342 名前:(24) 投稿日:2004/12/07(火) 23:33
-
亜依ちゃんが学校に姿を見せなくなって一週間と五日が経った月曜日、
担任の口から彼女が入院していることがクラスに告げられた。
皆それなりにざわついたが、
亜依ちゃんの詳しい病症までは語られなかった。
私はそんな空間の一人を為しながら、
以前の沈黙から今の告白に至るまでの経緯を思い返していた。
前の週の金曜日のことだった。
- 343 名前:(24) 投稿日:2004/12/07(火) 23:36
-
「亀井、ちょっと職員室に来なさい」
いつものように亜依ちゃんの病室に寄ろうと
学校から出ようとした放課後の廊下で、
急に絵里ちゃんが呼びとめられた。
振り返ると、クラスの担任が立っていた。
「…はい」
絵里ちゃんは小さく返事をした。
「下駄箱のところで待ってるね」
「うん、ごめんね」
私の言葉にそう返して、絵里ちゃんは担任についていった。
- 344 名前:(24) 投稿日:2004/12/07(火) 23:42
-
「なんだろうね」
「さあ…」
美貴ちゃんと首を傾げながらそんなやりとりを交わす。
絵里ちゃんは思い当たることがあるようにもとれる態度だったが、
実際は解らない。
ともかく私と美貴ちゃんは昇降口の前に腰を据えた。
しばらくは人ごみで賑わっていたが、
込み合う時間帯も過ぎていった。
そこで美貴ちゃんに数学を教えていると、
絵里ちゃんが手に何やら紙を持って帰ってきた。
「お、何だった?」
「うん、ちょっとね…」
美貴ちゃんが尋ねると、絵里ちゃんは浮かない顔をした。
「何かあった?」
私も問う。
絵里ちゃんは目をふせて、先の紙を取り出して答えた。
- 345 名前:(24) 投稿日:2004/12/07(火) 23:49
-
「これに出ないかって薦められたの」
彼女から受け取ってそれを見ると、英語スピーチコンテストの案内、
という書き出しが目に入った。
「え。これって毎年、学校の代表数人が出てるあれ?
市内の高校生が集まる…」
絵里ちゃんは黙って頷いた。
「すごいじゃん。これって相当英語できないと
先生から声かからないだろ」
美貴ちゃんが感嘆の声を上げる。
私も同じだ。
出たことも見たこともないので詳しい内容は知らないが、
このコンテストに出場するのは、英語教員が選んだ
前学年でも二、三人だ。
- 346 名前:(24) 投稿日:2004/12/07(火) 23:55
-
「…うん、でもね。断ろうと思ってる」
絵里ちゃんから発せられた言葉は、意外なものだった。
「え、なんで…」
強制ではないので、当然出場を辞退することもできるが、
彼女にはそれをする理由がないように思われた。
「よく知らないけど、通訳になるための勉強の
役に立つんじゃないのか?」
美貴ちゃんも私の質問に被せる。
絵里ちゃんは私たちから目を背けたまま口を開いた。
「去年出たの、その英語スピーチコンテスト」
私が美貴ちゃんと顔を見合わせると、絵里ちゃんは続けた。
- 347 名前:(24) 投稿日:2004/12/08(水) 00:03
-
「美貴ちゃんの言うように、将来英語の道に進むなら
出ておいて損はないって先生に薦められて。
だけど私、本番で大失敗したの」
「え…」
「人見知りな性格をなおせるかなって思ったんだけど、駄目だった。
緊張しちゃって、暗記した英文頭から抜けて真っ白になって、それで…」
絵里ちゃんはここで一端口を閉じたが、
ためらいながらも再び喋り出した。
「焦って壇上から降りたの。怖くなって、最後まで読まずに
その場から逃げたの」
私も美貴ちゃんも何も言わずに聞き入っていたので、
絵里ちゃんの話が止まると、完全な沈黙が訪れる。
遠くから聞こえる運動部の声や吹奏楽部の演奏も、
まるで異空間のものだった。
- 348 名前:(24) 投稿日:2004/12/08(水) 00:12
-
「だから今年は出ないのか?」
ここで美貴ちゃんが口を開く。
だが、絵里ちゃんは一切彼女の方を見ない。
「それは違うだろ。絵里が今も通訳になりたいって思ってるんなら
出たほうがいいんじゃないか?出なきゃいけないんじゃないか?」
美貴ちゃんの口調は段々と強く、速くなっていく。
それでも絵里ちゃんは俯いたままだ。
「通訳になりたいんだろ?やりたいんだろ?
それがあるなら迷わずに進んでいけばいいんだよ」
美貴ちゃんの言うことは正しい。
あまりに正しすぎたのかもしれない。
鋭い武器にもなり得るほどに。
「なりたいものがあるなら迷うなよ。逃げるなよ」
だから絵里ちゃんは、その美貴ちゃんの、
攻撃、から受ける苦しさの為に言ったのだ。
「そんなこと…」
- 349 名前:(24) 投稿日:2004/12/08(水) 00:22
-
ぱっと顔を上げて、きっ、と美貴ちゃんの顔を見て声を上げた。
「そんなこと、美貴ちゃんに言われたくないっ。
美貴ちゃんには私の気持ちなんか解らないよっ」
高い声が響き渡ると、絵里ちゃんは幻から醒めたような表情をし、
そしてすぐに顔を歪め、私たちに背を向けて昇降口から出ていってしまった。
「絵里ちゃん…」
私は彼女を追いかけようとしたが、
美貴ちゃんが顔をふせたまま立ち尽くしているので
そうもいかなかった。
「…絵里ちゃんも、本気で言ったんじゃないと思う」
そっと彼女に声をかける。
「解ってる」
彼女は下を見たまま静かに答えた。
「解ってるけどさ…」
- 350 名前:(24) 投稿日:2004/12/08(水) 00:28
-
呟いて美貴ちゃんは下駄箱から靴をとり、
私を待たずに出ようとした。
私は慌てて、追いかけようと声を出す。
「美貴ちゃんっ…」
「悪い。今日、亜依のとこ行くのやめとくわ」
後ろ手を振る美貴ちゃんの姿が、私の視界から消えていった。
「なんで…」
私は思う。
お互いが憎い訳じゃないのに、なんでこんなことになるのだろう。
なんで上手くいかないのだろう。
そして、なんで私は何もできなかったのだろう。
「こんなの、おかしいよ…」
- 351 名前:(24) 投稿日:2004/12/08(水) 00:34
-
私は、初めて一人で亜依ちゃんの病室に向かうことになった。
「美貴ちゃんと絵里ちゃんは?」
病室のドアを開けると、彼女はすぐに異常に気付いて
私にそう尋ねた。
「…絵里ちゃんは急に塾に行かなくちゃいけなくなって、
美貴ちゃんは風邪気味で亜依ちゃんに移したくないからって、
二人とも今日は来れないんだ」
亜依ちゃんに心配をかけさせないために考えておいた嘘を、
私はついた。
亜依ちゃんは、ふーん、と口では納得したような素振りだが、
合点がいかないという表情を残していた。
- 352 名前:(24) 投稿日:2004/12/08(水) 00:37
-
「じゃあ、やろっか。数学」
私は話を進めた。
何かあったの、と亜依ちゃんが訊いてくる前に。
そうなったら私は、何も答えられなくなるから。
「…うん」
私はそのとき、巧い詞の一つも出てこない自分という人間を、
心底呪ったのだ。
- 353 名前:(24) 投稿日:2004/12/08(水) 00:38
-
(24)――了――
- 354 名前:591 投稿日:2004/12/08(水) 01:06
- 更新お疲れ様です。
また新しい転回ですね。続き楽しみにしてます。
- 355 名前:チキン 投稿日:2004/12/16(木) 21:31
- レス有難うございます
間が空いてしまってすみません
それでは更新します
- 356 名前:(25) 投稿日:2004/12/16(木) 21:36
-
その日は早めに勉強を切り上げて帰った。
自室で床について目を閉じても、絵里ちゃんと美貴ちゃんの顔が交互に浮かんで、
私はなかなか眠りにつくことができなかった。
夜が明けると土曜日だった。
学校のない日は三人で連絡を取り合って亜依ちゃんの病室に向かっていたが、
この日は机に置いた携帯電話が音をたてることはなかった。
そのことを気にしながら重い昼食をとり、
昼から私は亜依ちゃんのところへ行くことにした。
- 357 名前:(25) 投稿日:2004/12/16(木) 21:43
-
いつものように病室に入る前、何度かノックをする。
しかし中から彼女の返事がない。
少し気兼ねがしたが、それを開けて中に足を踏み入れた。
窓の近くにベッドがあるのは平生と変わりないが、
その傾斜がいささか緩くなっている気がした。
その上に亜依ちゃんは横になっていて、
目を閉じ寝息をたてていた。
見舞いに来たときに彼女が眠っているという事態が今までなかったので、
私は戸惑い尽くしていた。
「ん…」
ふと亜依ちゃんが動いた。
「あさ美ちゃん…」
そしてまだ重そうな瞼を上げた。
「ごめん、起こした?」
亜依ちゃんは、ううん、と首を振って応え、言う。
「検査でちょっと疲れちゃって…」
右手で目をこすり、口元に少し笑みをつくっていた。
- 358 名前:(25) 投稿日:2004/12/16(木) 21:49
-
「じゃあ私、今日は帰るね。
ごめん、せっかく寝てたのに」
そう言って私は、ドアに手をかけようとした。
「あさ美ちゃん」
しかし、その動きを亜依ちゃんが止めた。
「何かあった?」
私が最も危惧していた詞で。
「…なんで?」
私はあくまで冷静を装って、逆に聞き返した。
「午前中に美貴ちゃんが来たの。
検査があるからすぐに帰ることになっちゃったけど、
風邪なんかひいてないみたいだった」
私が前の日についた嘘の虚を指摘している。
「それに、いつもは三人で一緒に来てくれるじゃない?」
- 359 名前:(25) 投稿日:2004/12/16(木) 21:56
-
自分で予想した通り、私は何も答えることができなくなってしまった。
「…言えないこと?」
亜依ちゃんは声を低めて言った。
「そんな訳じゃない」
「なら話して。なんか嫌だよ、こういうの」
亜依ちゃんの体のことを思って私は、美貴ちゃんと絵里ちゃんの一件を
黙っていたが、亜依ちゃんにとっては全く逆なのかもしれない。
「隠しあうのは、もうやめようよ」
亜依ちゃんは体を起こして真っ直ぐ私を見る。
「昨日、病院に行く前にね…」
話さないと決めていた。
だけど私は、全てを彼女に伝えた。
そこには後悔や自責の感はなく、安心と落ち着きがあった。
本当は一番に亜依ちゃんに話すべきだったのかもしれない。
隠しあうことなど、もう必要ない。
- 360 名前:(25) 投稿日:2004/12/16(木) 22:02
-
「…そうだったんだ」
私が話し終わると、亜依ちゃんが息を漏らしながら言った。
「亜依ちゃんはどう思う?」
私が尋ねると、彼女は一つ間をおいて口を開いた。
「美貴ちゃんのいうことが正しいと思う。
絵里ちゃんが通訳になりたいなら出なきゃ駄目だよ」
「私もそうだと思うんだけど…」
「絵里ちゃんも絶対、そうだって解ってると思う。
だけど難しいよね。自分で解ってることを人に言われるのは、
一番辛いから」
確かにひとの言葉は何故か胸に深く突き刺さるものだと、
私は思った。
「…そうかもね」
- 361 名前:(25) 投稿日:2004/12/16(木) 22:07
-
「だからって逃げたら駄目だもんね、きっと」
私は、こくんと頷いた。
「亜依も、逃げてちゃ駄目かな」
「え?」
「ううん、絵里ちゃんと直接話したいなって」
「うん…」
やはり亜依ちゃんの調子が優れないようなので、
私はそのまま病室を出たのだった。
「あ…」
病院の正面玄関を抜けてすぐに、
思わぬ人影を見つけて私は声を上げた。
「絵里ちゃんっ」
彼女も私の存在に気付く。
だが返事はせず、慌てた様子でその場を去ろうとした。
- 362 名前:(25) 投稿日:2004/12/16(木) 22:14
-
「待って」
私は彼女の背中を追いかける。
彼女は小走りで逃げる。
私は全力で走る。
交差点の前で、私の右手が彼女の左手を捕まえた。
絵里ちゃんはこちらを振り返り目をふせて、
私は彼女の前髪に隠れた顔をそれでも見つめて、
互いに黙る。
「何にも、言わないの?」
微動だにしないまま、絵里ちゃんが言った。
「何にも、言わないよ」
私は答える。
「本当はいっぱいあるよ、言いたいこと。
だけど言わない。
見てるずっと、絵里ちゃんのこと。
絵里ちゃんが自分で選んだ方に進んでいくの」
- 363 名前:(25) 投稿日:2004/12/16(木) 22:24
-
「何それ…」
「そのまんまの意味だよ。
私は絵里ちゃんの行く道に干渉しない。
だけどずっと絵里ちゃんのことを見てる。
絵里ちゃんは思うように進めばいい」
私は自分の手が震えているのに気がついた。
しかしそれは私のためじゃない。
絵里ちゃんの震えが、繋がっている私の右手に
伝わってきているのだ。
「だけど私、怖くて…」
「怖くたっていいよ」
「どうしたらいいのか、解らなくて…」
「迷ったっていいよ」
絵里ちゃんが少し顔を上げる。
今にも涙が溢れそうな瞳が見えた。
彼女は何か言おうとしたが、声に出す前に私の手を振りほどいて、
赤になったばかりの横断歩道に走り出した。
「絵里ちゃんっ…」
丁度そのとき車が動き出し、
私と絵里ちゃんの間に排気ガスが行き交いする。
私がたじろっている間に、彼女の背中は見えなくなってしまった。
- 364 名前:(25) 投稿日:2004/12/16(木) 22:34
-
その明くるひの日曜日、自宅にいた私の携帯電話に
美貴ちゃんから連絡が来た。
突然で驚いた。
内容は、午後から一緒に亜依ちゃんの病室に行こう、というものだった。
前の日に亜依ちゃんが疲れているようすだったのを思い出して
私は迷ったが、金曜日の絵里ちゃんとの件について
亜依ちゃんも美貴ちゃんと話したいだろうと思い、
その誘いを受けたのだった。
ロビーで待ち合わせて美貴ちゃんと一緒に病室に入ると、
亜依ちゃんのベッドの横に真里さんがいた。
仕事が忙しくてなかなか来れないようだが、
この日は仕事が休みらしく、朝からずっと付き添っていると言っていた。
亜依ちゃんは前日より少しは元気そうだったが、
ベッドに完全に体を預け横になっていた。
「あさ美ちゃん、いつも本当にありがとう。
亜依に勉強を教えてくれて…」
私が亜依ちゃんの側につくと、真里さんが言った。
「いえ、私も楽しいですから」
慌ててそう応える。
- 365 名前:(25) 投稿日:2004/12/16(木) 22:43
-
「あさ美ちゃんね、凄く教え方が上手なの。
で、美貴ちゃんと亜依はライバルなの」
亜依ちゃんが言う。
美貴ちゃんハやや微笑んで、口を開いた。
「ライバルねえ…勉強のか?」
「そう。でも亜依の方が勝ってるけどね」
「なんだ、その根拠のない自信」
美貴ちゃんも亜依ちゃんも笑い合う。
そして偶然つくられた静けさ。
その間をついて、亜依ちゃんは真里さんを呼ぶ。
「お母さん」
「なに?」
彼女は笑顔を残したまま応えた。
しかし次に亜依ちゃんが発した言葉で、真里さんの顔からも、
私や美貴ちゃんの顔からも、穏やかな表情は消えてしまうのだった。
- 366 名前:(25) 投稿日:2004/12/16(木) 22:50
-
「亜依の心臓、また悪くなっちゃった?」
亜依ちゃんはしっかりと目を開けて天井を見つめている。
「え…」
真里さんはそんな彼女に目を向けて、言葉をなくした。
私も何も言えない。
亜依ちゃんはそのままの状態で口だけを動かして、続けた。
「…だってこんな急に苦しくなって最近なかったし、
それに入院して一週間以上も経つのに元気にならないのも」
亜依ちゃんの声はプラスティックのように人工的なものに感じられた。
真里さんは押し黙って、なにか迷っている様子でいる。
「話してくれていいよ。亜依、逃げないよ」
その部分には先程までとは違う、力強さが含まれている気がした。
- 367 名前:(25) 投稿日:2004/12/16(木) 22:59
-
しかし、私は見たのだ。
気丈な振るまいと裏腹に、亜依ちゃんは掛け布団の上に置いた手で
その白いシーツを、ぎゅっと震えるほど握り締めていた。
本当は怖いのだろう。
私はそっと、いっそう小さくなった彼女の手を
左手で包み込んだ。
その私の行動は、亜依ちゃんしか気付いていない。
だけど、それで十分だ。
「お母さん」
彼女はもう一度、母親を呼んだ。
真里さんは巻き付いていた糸が外れたように柔らかく微笑んで、
亜依ちゃんの枕元に近寄った。
そして髪の流れに合わせてゆっくり娘の頭を撫で、言う。
「大きくなったんだね…」
私の手の中の、亜依ちゃんの拳に込められた力が弱くなったのが
はっきり解った。
天井から目を離し、じっと母親を見ている。
- 368 名前:(25) 投稿日:2004/12/16(木) 23:04
-
「…しばらく入院して、治療しないといけないって。
少しね、調子が悪くなっちゃったみたい」
真里さんもまた、亜依ちゃんの視線に応える。
私も美貴ちゃんも、黙ってそれを見ている。
「…そっか、わかった」
亜依ちゃんは薄く笑って言う。
「頑張るよ。また、学校に行けるように」
そして最後にこう付け足した。
「みんなと一緒にね」
彼女は私と美貴ちゃんを順に見た。
それぞれに微笑みあった。
だけど亜依ちゃんの言う、みんな、には、
もう一人含まれているはずなのだ。
- 369 名前:(25) 投稿日:2004/12/16(木) 23:11
-
「絵里…」
美貴ちゃんがその名を呼んだ。
彼女の目線を追うと、病室の入口の前に絵里ちゃんが立っていた。
いつからなのかは解らないが、彼女の表情から、
亜依ちゃんと真里さんのやりとりは聞いていたのだろうと思った。
「絵里ちゃん」
亜依ちゃんは嬉しそうに声をかける。
「へへ、なんか久し振り」
絵里ちゃんは涙をこらえている様子で、ベッドに近寄った。
「亜依ちゃん…」
そして、私がよけて空いた亜依ちゃんのすぐ横の場所にしゃがみ、言う。
「私ね、英語のスピーチコンテストに出ようと思うの。
だからしばらく準備でなかなか会いに来れないかもしれない。
だけど私、頑張るから」
亜依ちゃんは、うん、と頷いた。
- 370 名前:(25) 投稿日:2004/12/16(木) 23:17
-
絵里ちゃんは立ち上がってこちらを振り返り、言う。
「私やっぱり逃げようとしてただけだった。
ごめん美貴ちゃん、ひどいこと言って…」
美貴ちゃんは首を振って、言葉を返す。
「いいんだよ、そんなこと。
…頑張れよ」
「うん」
それを見て私は亜依ちゃんに向かって、
声を出さずに、よかったね、と口を動かしてみせた。
亜依ちゃんは右手を親指と人差し指で丸をつくり、
歯を見せて笑った。
- 371 名前:(25) 投稿日:2004/12/16(木) 23:19
-
その次の日、つまり現在私がいる今日、
担任の口から亜依ちゃんの入院が告げられることになった。
病と戦おうとする、亜依ちゃんと真里さんの決意が感じられた。
この先何があってもきっとうまくいく、
私はそんな気がしていた。
- 372 名前:(25) 投稿日:2004/12/16(木) 23:20
-
(25)――了――
- 373 名前:591 投稿日:2004/12/18(土) 00:47
- 更新お疲れ様です。
みんなすごいな〜
- 374 名前:チキン 投稿日:2004/12/21(火) 23:18
- レス有難うございます
更新します
- 375 名前:(26) 投稿日:2004/12/21(火) 23:26
-
「あたし、バイト始めようと思う」
段々と陽の短くなってきた放課後の、病院に向かって二人で歩いていた
途中の道で美貴ちゃんの発した言葉に、私は目を丸くした。
「なんか親の金に頼って生きてるのが嫌になってさ。
完全に援助なしで生活できるほどは稼げないだろうけど
少しはって思って」
美貴ちゃんはさらに続ける。
「最近、絵里が遅くまで学校に残ってコンテストの練習してるだろ?
あれ見てたら、あたしも何かやろうって決めたんだ」
コンテストの出場を決めてから十数日、
絵里ちゃんは毎日担当の教諭と、その準備に追われている。
休日のみ一緒に病院に行っている。
疲れてはいるのだろうが、彼女の表情は活き活きとしていた。
- 376 名前:(26) 投稿日:2004/12/21(火) 23:30
-
「という訳で、あたし今から面接に行ってくるわ」
「え、今から?」
「そう。じゃあな」
美貴ちゃんは軽く手を振り、病院と逆の方向へ走っていった。
美貴ちゃんの言った、じゃあな、が
いつもより重たく感じられた。
何気無い言葉だが、今生の別れの挨拶のようだった。
実際、以前の藤本美貴に私はもう出会うことはないのだろう。
「じゃあね…」
すでに遠い彼女の背中に私は手を振った。
- 377 名前:(26) 投稿日:2004/12/21(火) 23:39
-
「また急だなあ、美貴ちゃんも」
亜依ちゃんに美貴ちゃんのバイトのことを話すと、呆れたように、
だけど笑って言った。
彼女はこの頃気分が良いらしく、随分元気そうに見える。
「そのときの美貴ちゃん 何だか亜依ちゃんみたいだった」
と言うと、彼女は首を傾げた。
私は笑みをこぼしたあと、一つため息をついた。
「本当すごいな。美貴ちゃんも、絵里ちゃんも…」
思わずそう呟いてしまう。
亜依ちゃんの視線が少し気になった。
「ね、お散歩行こうか」
突然亜依ちゃんは言って、衣類の入っている紙袋を探り始めた。
「え…」
私が考えている間もなく、彼女は取り出したパーカーに袖を通し、
ベッドから立ち上がろうとしている。
「屋上行こ」
スリッパを履いて腰を上げると、にこっと笑いながら亜依ちゃんは言った。
頷いて、私も立ち上がった。
- 378 名前:(26) 投稿日:2004/12/21(火) 23:47
-
「んー、気持ちいい」
亜依ちゃんは軽く伸びをする。
屋上から見上げた空は晴れ渡っていて、
冬が始まる前の、秋らしい気候が漂っていた。
「亜依ちゃん、寒くない?」
「うんっ」
手すりのすぐ側にあるベンチに、私たちは並んで座った。
「ねえ、英語スピーチコンテストってどんな内容なの?
亜依、転校してきたから、いまいちよく解ってないんだよね」
「私も詳しくは知らなかったんだけど、絵里ちゃんの話だと
スピーチ原稿は自分で考えるんじゃなくて、あちらから出された課題を
読むんだって。で、その良し悪しを審査されるらしいの」
「そうなんだ。上手に読めるかどうかなんだね」
「でもそのスピーチを自分で訳しないといけないの。
感情込めて読むために意味を知ってたほうがいいから」
「やっぱり大変そうだね…」
亜依ちゃんはしみじみとため息をついた。
「…でも頑張ってるよね」
「うん…」
- 379 名前:(26) 投稿日:2004/12/21(火) 23:54
-
それから私たちはとりとめのない話をした。
最近の学校の様子から、
美貴ちゃんの面接はうまくいっているだろうか、など。
一通り語らうと、日も沈む頃になり、肌寒くなってきた。
「そろそろ戻ろうか、亜依ちゃ…」
言い終わる前に、亜依ちゃんが私の肩に頭をのせた。
「亜依、ちゃん?」
「あさ美ちゃん、知ってる?
病院には魔法がかかってるんだよ」
亜依ちゃんの方に顔を向けると、彼女はさらに体を私に預けて言った。
「何でだと思う?」
少し考えて、私は答える。
「…病気や怪我の治療ができるから?」
違うとは何となく解っていたのだが、
やはり亜依ちゃんは首を横に振った。
- 380 名前:(26) 投稿日:2004/12/22(水) 00:03
-
「…時間が止まってるの、病院の中は。
外の時間がどんなに動いても、中は変わらないんだ。
空気が冷えてくるのも外の世界だけ。
病院は一年中空調が効いてて、
夏は涼しいし冬は暖かいもん」
彼女はまた深く顔をうずめて続ける。
「人間も一緒だよ…」
私は眉に力を込めて聞いていた。
「病院の外のひとは前に進んでいくのに、亜依はずっとここにいる。
みんなどんどん変わっていく」
このとき亜依ちゃんの言った、外のひと、というのはきっと、
美貴ちゃんや絵里ちゃんのことだ。
「どうしたの?」
私は問う。
亜依ちゃんがこんなことを言い出したのは初めてだった。
動揺を隠せなかった。
- 381 名前:(26) 投稿日:2004/12/22(水) 00:10
-
「解らない。ごめん、変なこと言って。
ただのやきもちかも。…やなやつだね」
彼女の肩が上下に揺れた。
「…そんなことないよ」
「昔はこんな気持ちにならなかったのに、なんでだろ…」
亜依ちゃんはここで口を閉じた。
私も前を向いて何も言わない。
耳に届く、町や風の音全てが悲しかった。
「…病室戻ろっか。寒くなってきちゃった」
突発的に、この場の雰囲気を崩すように、
亜依ちゃんは言って立ち上がった。
そして屋上の出口へと歩いていく。
「亜依ちゃん」
私もベンチから腰を上げ、彼女の背中に呼びかけた。
- 382 名前:(26) 投稿日:2004/12/22(水) 00:16
-
「…その魔法、私にもかかってると思う」
正面を向いて彼女の姿を見つめ、言う。
「何で…」
亜依ちゃんはこちらを見ずに返す。
「私の時間も止まってる。
私も何もできないまま、ずっと進んでない」
亜依ちゃんと私はもちろん違う人間であり、立つ場所も違う。
だけど、これは同じだ。
「魔法は、いつか解けると思う」
やっと亜依ちゃんは振り返る。
目と目が合う。
「ううん、解かなきゃいけない。解いていこう」
自分の目標を決め、進んでいく。
「一緒に解いていこうよ」
- 383 名前:(26) 投稿日:2004/12/22(水) 00:20
-
何だか寒くなくなった。
ゆっくり近付いて、亜依ちゃんの体を抱きしめたから。
亜依ちゃんの心に触れたから。
「あったかい…」
へへ、と、いつものように彼女は笑う。
「ありがとう、あさ美ちゃん」
歩いていく道は同じではないし、出発点すら違うのかもしれない。
だけど今は、手を繋いで足を踏み出す。
- 384 名前:(26) 投稿日:2004/12/22(水) 00:21
-
(26)――了――
- 385 名前:七誌さん 投稿日:2004/12/25(土) 18:18
- お久しぶりで更新乙ナリ。
なんか重くなったと思ったらなかなかあたたかいお話ですね。
次回も楽しみにしてます。
- 386 名前:591 投稿日:2004/12/25(土) 20:39
- 遅くなりましたが更新お疲れ様です。
某所で少しこの作品がうわさになっていて私も嬉しくなりました。
続きも楽しみに待っています。
- 387 名前:チキン 投稿日:2004/12/26(日) 13:21
- レス有難うございます
更新します
- 388 名前:(27) 投稿日:2004/12/26(日) 13:27
-
「明日だね、スピーチコンテスト」
その放課後は、久し振りに三人集まって
亜依ちゃんの病室のベッドを囲んでいた。
「うん…」
「緊張してる?」
やや顔をこわばらせている絵里ちゃんに、私は言った。
「してない訳じゃないけど、去年ほどじゃないな。
やることはやったし」
しっかり前を向いて彼女は答える。
強さ、があった。
「明日はバイト休みだから、見に行くよ」
美貴ちゃんが言う。
彼女はガソリンスタンドでアルバイトをし始めた。
車がないから見学しに行けないね、と言った時、
そんなこと考えなくていい、と照れたように返していたのを
印象強く覚えている。
- 389 名前:(27) 投稿日:2004/12/26(日) 13:33
-
「亜依もね、先生に外出許可お願いしたの。
最近調子いいから、半日くらいどうにかなると思う」
亜依ちゃんは微笑みながら言う。
「そうか。じゃあ十一時にここに迎えに来るよ。
絵里の出番は一時くらいなんだろ?」
「うん。でも私は朝から会場に集合なんだ」
「あ、私も美貴ちゃんと一緒に亜依ちゃん迎えに来るよ」
ここで私も声を出す。
明日の午前十一時に私と美貴ちゃんが亜依ちゃんの病室に来て、
そこから固まって会場に行くことに落着した。
「ありがとう、あさ美ちゃん美貴ちゃん」
亜依ちゃんが、ちょこんと頭を下げる。
私も美貴ちゃんも、いいよ、と手を横に振った。
- 390 名前:(27) 投稿日:2004/12/26(日) 13:40
-
「…あのね」
息継ぎくらいの間をおいて、絵里ちゃんが口を開く。
「なに?」
軽く返事をしたが、あとに続く彼女の話は真剣なものだった。
「昨日の夜、親と話したの。
英語スピーチコンテストのことで」
私はある予感がした。
絵里ちゃんの両親は、彼女が通訳になることに反対しているから。
「何かあったのか?」
美貴ちゃんも同じように感じたらしく、
眉間にしわを寄せて言う。
「…明日、出ない方がいいんじゃないかって言ってきたの。
去年と同じように失敗するだけだからって」
- 391 名前:(27) 投稿日:2004/12/26(日) 13:47
-
私の予感とほぼ同じ内容で、胸が苦しかった。
だけど、ここからは違った。
「そのときね、私言ったの。
絶対に出る、もし優勝したら私が通訳になること許して、って」
正直、驚いた。
亜依ちゃんや美貴ちゃんも、目を見開いている。
「それで、どうなったの?」
私は尋ねる。
「ちょっと強引にだけど、親を頷かせた。
あっちは、私が優勝する訳ないって思ってるからかもしれないけど…」
絵里ちゃんは斜め下を見て、口篭ってしまう。
「そんな表情するな」
美貴ちゃんの言葉に、絵里ちゃんは顔を上げた。
美貴ちゃんは真っ直ぐ彼女を見て、続ける。
- 392 名前:(27) 投稿日:2004/12/26(日) 13:53
-
「頑張って練習してきたから言えたんだろ、もし優勝したら、って条件。
だったら明日だって大丈夫だ」
絵里ちゃんは、口を、きゅっと結んで頷いた。
「…じゃあ、そろそろ帰るか。暗くなってきたし」
窓を覗くと、空は闇に包まれていて
地上に電子たちが灯りだしていた。
「そうだね…」
私も絵里ちゃんも立ち上がる。
- 393 名前:(27) 投稿日:2004/12/26(日) 13:57
-
最後の最後、ドアをくぐる際に、
亜依ちゃんの声が肩を叩いて皆を振り向かせる。
「ふれー、ふれー、絵里ちゃんっ」
ベッドに腰掛けたままだが、丁寧に
右腕、左腕、両腕を開閉、の動きがついていた。
そして彼女は目を細めて、言う。
「…頑張ってね」
絵里ちゃんも口元をほころばせる。
「ありがとう」
手を振って、病室をあとにした。
- 394 名前:(27) 投稿日:2004/12/26(日) 14:04
-
それぞれの住居の位置関係により
私は、病院を出てすぐに他の二人と反対方向に歩き出すことになる。
別れの挨拶を済ませ、彼女たちは背中を見せる。
しかし私は、まだそこに立ったまま拳を握り、声を発した。
「絵里ちゃんっ」
振り返った彼女は驚いた様子で、
隣にいる美貴ちゃんも私を見た。
十分に声の届く距離なのに、大きく叫ぶように私は言った。
「私は、美貴ちゃんみたいに何かかっこいいことも言えないし、
亜依ちゃんみたいに大胆なこともできないけど、
だけどずっと応援してるから。
だから、あの…」
言葉を詰まらせた私に、絵里ちゃんは笑顔で言った。
- 395 名前:(27) 投稿日:2004/12/26(日) 14:06
-
「私、頑張ってくるから。
見ててっ」
人差し指と中指を立てた手を、私に向けた。
「絵里ちゃん…」
私もそれを返して応える。
病院の窓にも、明りが咲き始めた。
- 396 名前:(27) 投稿日:2004/12/26(日) 14:06
-
(27)――了――
- 397 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/26(日) 16:43
- 今日はじめてこれを見つけ、最初から一気に読みました。
ほのぼのしているけど、個々人物の特徴をはっきりだして
いるところがイイですね!今後も楽しみにしてます。
- 398 名前:591 投稿日:2004/12/28(火) 22:45
- 更新お疲れ様。
- 399 名前:チキン 投稿日:2005/01/03(月) 00:56
- レス有難うございます
そしてなんだか世間はお正月気分らしいので僕も一応、
皆様明けましておめでとうございます
それでは更新します
- 400 名前:(28) 投稿日:2005/01/03(月) 01:02
-
「十二時前か。よし、大体いい時間だな」
コンテスト当日、その会場である市民ホールに
美貴ちゃんや亜依ちゃんと私はいた。
病院を発つ際、仕事を一時抜け出してきていた真里さんが、
亜依をよろしくお願いします、と
彼女が側にいない時に、私と美貴ちゃんに強く頭を下げた。
だから、特に必要はないのかもしれないが、
私は亜依ちゃんの手をしっかり握って歩いてきた。
「中に入ってようか」
美貴ちゃんが取り仕切って、私たちは従った。
- 401 名前:(28) 投稿日:2005/01/03(月) 01:08
-
真ん中の方の席に、三人並んで座る。
他校の制服を着た男子生徒が、壇上でスピーチをしている最中だった。
「何言ってるのか全然解らないんだけど…」
「亜依も…」
傍らで二人はそんな会話を始めた。
私も大体の話の主旨が解る程度で、
普段の英語の聞き取りテストより数段難しいと感じた。
「すごいものに出るんだね、絵里ちゃんは」
亜依ちゃんが小さく呟く。
「うん…」
私と美貴ちゃんが、ほぼ同時に頷いた。
- 402 名前:(28) 投稿日:2005/01/03(月) 01:16
-
「次、絵里の番だぞ」
二、三人のスピーチを耳に運んだあと、
美貴ちゃんが小声で言った。
彼女の言葉通り、舞台袖から絵里ちゃんの姿が見えてきた。
壇上で頭を下げると、客席から拍手がなり始める。
誰よりもその音が大きくなるように、
並んだ三人は懸命に手を動かす。
やがて約束のように拍手は小さくなっていき、
絵里ちゃんのスピーチが始まった。
「すごい…」
大きな感嘆をのせて小さな声が発せられる。
ひいきなどそういった邪念は全くなしに、
絵里ちゃんのスピーチは素晴らしかった。
何故か私の頭に、知り合ったときの絵里ちゃんがよぎる。
最初の頃彼女は、私を見ることすらしてくれなかった。
だけど今は大勢の人を見て、そして見られながら舞台に立っている。
改めて壇上の絵里ちゃんに目をやる。
だが次の瞬間、それは起きたのだ。
- 403 名前:(28) 投稿日:2005/01/03(月) 01:24
-
「あ…」
絵里ちゃんのスピーチが急に止まる。
彼女の閉口によって。
まだ最後まで到達していないのは明らかで、私の推測が正しければ、
およそ半分程度しか終わっていない。
場内が少しざわつく。
「どうしたんだろう…」
亜依ちゃんが言った言葉に、私は応える。
「多分、少し台本がとんじゃったんだと思う。
前の人のと、さっき何か違った…」
「だからって何で黙っちゃうんだよ。
間違ったところからやり直せばいいだろ」
美貴ちゃんがじれったそうに言う。
もっともな意見なのだが、それが届くはずもなく、
絵里ちゃんは俯いてしまったままだ。
絵里ちゃん自身から聞いた、彼女の昨年のスピーチのことを思い出す。
そのときもこのような状態に陥ったのだろうか、
そして壇上から走り去ったのだろうか。
とにかく絵里ちゃんは、黙ったまま動かない。
- 404 名前:(28) 投稿日:2005/01/03(月) 01:28
-
「絵里…」
いても立ってもいられないといった様子で、
美貴ちゃんが席をたとうとする。
その彼女の膝に亜依ちゃんが手を乗せ、制した。
「大丈夫だよ、絵里ちゃんは乗り越えられる。
ほら」
美貴ちゃんが壇上を見る。
私もつられて、二人から目を離す。
- 405 名前:(28) 投稿日:2005/01/03(月) 01:34
-
絵里ちゃんは、瞳に力を込めて正面を見据え、
スピーチを続け始めた。
圧倒された。
先よりも会場に通る声、その強弱によって鮮明に伝わる異国の言葉、
全てを絵里ちゃんがつくり出していく。
「絵里ちゃん…」
そしてスピーチは終わりを迎える。
絵里ちゃんが一礼をすると同時に
多くの拍手が降ってきて、会場を満たす。
私は席から立ち上がって、両の手を何度も叩き合わせていた。
同じ影が、横にあと二つ見える。
絵里ちゃんは、堂々と壇上を降りた。
- 406 名前:(28) 投稿日:2005/01/03(月) 01:34
-
(28)――了――
- 407 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/01/04(火) 02:39
- よくやったという気持ち
- 408 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/01/05(水) 20:17
- 気持ちいい作品ですね
- 409 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/01/07(金) 00:05
- いつもながら良い作品ありがとう
- 410 名前:チキン 投稿日:2005/01/08(土) 21:55
- レス有難うございます
いつのまにかレス数400突破してしまいました 感謝してます
それでは更新します
- 411 名前:(29) 投稿日:2005/01/08(土) 22:02
-
優勝は、私たちが会場に入る前にスピーチを行ったらしい、
他校の女子生徒だった。
「絵里のところ、行こうか」
表彰式が終わると、そう言って静かに美貴ちゃんが席を立つ。
「うん、そうだね」
私も亜依ちゃんもそれに続く。
向かう先は、あらかじめ彼女と落ち合うことにしていた、
一階の自動販売機の前にあるロビーだ。
「あのさ…」
しばらく誰も口を開かなかったが、階段を降り終わる頃、
先頭をいっていた美貴ちゃんが、ぽつりと言った。
無言で目線を送り、彼女が続けるのを待つ。
美貴ちゃんは足を止め、言う。
- 412 名前:(29) 投稿日:2005/01/08(土) 22:07
-
「絵里のスピーチ、すごかったよな」
低くて重みのある、声。
美貴ちゃんの、声。
「うん…」
私も立ち止まり、応える。
「意味はさっぱりだったんだけどさ、伝わってきた。
なんていうか、絵里の言いたいこと」
美貴ちゃんの言葉は、まるで私の心の中をそのまま映し出しているようだった。
「うん」
先程よりも力強く、私は頷いた。
「あのね、お願いがあるんだけど」
亜依ちゃんが後ろから精一杯足早に階段を降り、
美貴ちゃんを追い越しながら言う。
- 413 名前:(29) 投稿日:2005/01/08(土) 22:11
-
「なに?」
彼女のこれからの挙動が気になって、私は口元を緩めながら尋ねる。
「えっとね、まだ言わない」
「なんだ、それ。何でお願いする方が偉そうなんだよ」
いたずらに微笑んで答えた亜依ちゃんに、
美貴ちゃんが呆れながら言葉をかける。
「へへ」
また亜依ちゃんは笑って、歩いていく。
彼女に追いつくように私たちも歩き出した。
- 414 名前:(29) 投稿日:2005/01/08(土) 22:19
-
「お…」
美貴ちゃんが声を上げる。
理由はすぐに解った。
見えてきたロビーの椅子に、絵里ちゃんが腰掛けていた。
すぐに彼女を呼ぼうとしたが、死角になっていた柱の影から発せられた声が
それを妨げた。
「…優勝、できなかったわね」
聞き覚えはなかったが、絵里ちゃんの母親が話しているのだと
何となく解った。
「まあ、これで諦めがついたでしょ?
今年も去年と同じでスピーチの途中で固まってしまったし、
あなたには通訳なんて仕事、無理よ」
冷たくて、淡々とした口調。
数歩進むことで、声の主を視界に捕らえることができた。
背格好がどことなく絵里ちゃんに似ていて、
やはり彼女の母親なのだと確信した。
奥に一人、男性の姿があった。
顔の感じからして、彼は絵里ちゃんの父親だろう。
- 415 名前:(29) 投稿日:2005/01/08(土) 22:28
-
「それじゃ、遅くならないうちに帰るのよ」
娘に背を向けてそう言い、絵里ちゃんの母親はこちら側へ歩いてきた。
立ち尽くしていた私たち三人に気が付いて、怪訝な顔をする。
「…何か?」
じとっと私たちの顔を見て言う。
正直なところ、恐い、と感じた。
何も言えなかった私と対照に、美貴ちゃんが一歩進み出て答えた。
「それしか、言わないんですか?」
「ちょっと何なの?あなたたち…」
「去年と同じだって?冗談じゃない。
絵里は最後までちゃんとスピーチしただろ?
あんた何見てたんだよ。絵里は去年とは違う。
何でそういうところ見てやらないんだよ」
私の右斜め前、美貴ちゃんがかなり興奮した様子で言葉を投げつける。
絵里ちゃんの母親はしばらく呆気にとられていたが、
美貴ちゃんからの石つぶてが止んだ隙をつき、
かっと目を見開いて反論した。
- 416 名前:(29) 投稿日:2005/01/08(土) 22:38
-
「あなたに何が解るのよ。私は絵里が生まれてからずっと
あの子のことを見てきたの。よその人にとやかく言われることじゃないわ」
「…ずっと見てきたなら」
私は、どうすべきだったのだろう。
目の前で口論している二人をなだめること、おさまるまで黙っていること、
いろいろ考えうると思う。
だが私は、無意識のうちに美貴ちゃんの前に踏み出て、
目上の女性にくってかかるかたちで言葉を放った。
「ずっと見てきたなら、何で気付かないんですか?
絵里ちゃん最近、すごく変わったじゃないですか。
人の目を見て話せるようになった。
ちゃんと自分のことを伝えられるようになった。
現に、もし優勝したら通訳になることを許してほしい、って
あなたに言ったんでしょう?
その言葉通りにはできなかったけど、だからって夢を諦めろなんて
今の絵里ちゃんを見てたら言えないと思います」
怒りというよりも、絵里ちゃんの気持ちがこの人に届いていないことに
激しい憤りを感じ、私は胸がいっぱいだった。
- 417 名前:(29) 投稿日:2005/01/08(土) 22:45
-
「何なのよ、あなたたち…」
目をそらし、絞り出したような声でその女性は言った。
ここでさらに私たちの後ろから、亜依ちゃんが歩み出てきた。
女性も、私も美貴ちゃんも、彼女に視線を注ぐ。
だが亜依ちゃんはその横を通りすぎていく。
「絵里ちゃん…」
皆、はっとロビーの中の椅子に目をやる。
それに腰掛けたまま、絵里ちゃんが泣いていた。
亜依ちゃんはその隣に座り、ゆっくり彼女の肩に手を回した。
「…どうしたの?」
優しく亜依ちゃんが尋ねる。
先程まで飛び交っていた私たちのとげのある言葉とは、別次元だった。
「悔しい…」
亜依ちゃんの腕の中、くぐもったような声で絵里ちゃんは言う。
「みんな応援してくれてたのに、私、
優勝できなかった…」
- 418 名前:(29) 投稿日:2005/01/08(土) 22:51
-
しゃくりあげながら、隠すように涙をぬぐいながら、
彼女は声を振るわせた。
亜依ちゃんは、空いている方の手で絵里ちゃんの髪を撫でて言う。
「すごかったよ、絵里ちゃん。格好良かった」
そして、頭と頭をくっつける。
「亜依は、そう思うよ」
絵里ちゃんは何も言わずに亜依ちゃんの体に顔をうずめ、
また一つ涙を流した。
「…母さん」
再び初めて聞く声がした。
その低さや呼び方から、今回もそれが誰のものかすぐに解った。
- 419 名前:(29) 投稿日:2005/01/08(土) 22:58
-
「その子たちの言う通りじゃないか?」
絵里ちゃんのお父さんが、自分のあごの辺りに手をやりながら、
落ち着いた口調で言った。
「あなた…」
「通訳になりたいっていう絵里の気持ちの前に、
無理に立ちはだかる必要はもうないんじゃないかな。
絵里は、本気だよ」
言葉の一つ一つに重みがあり、父親とはそうであるものなのだと
私は心の中で自然に解釈した。
「何言ってるのよ、あなたまで…」
彼の妻は、表情は冷静を装っているものの、声から察するに
かなり動揺している様子だ。
それをよそに絵里ちゃんのお父さんは娘の側に近寄り、
彼女に話した。
- 420 名前:(29) 投稿日:2005/01/08(土) 23:01
-
「絵里、今日は惜しかったな。
…もしお前にその気持ちがあるならお父さんは、
来年お前が優勝するのを楽しみにしているよ。
あの約束は、まだ生きているから」
おおらかな人だな、と思った。
包み込むように人と接する彼の態度から、
じかにそう感じられた。
「…それでいいだろう、母さん?」
そして、下を向いて押し黙っている自分の妻に問う。
- 421 名前:(29) 投稿日:2005/01/08(土) 23:10
-
「…勝手にしなさい」
高ぶった声でそう応えて、彼女は早足でロビーを出ていった。
「お母さん…」
絵里ちゃんが顔を上げて小さく呟く。
その彼女の肩に大きな手の平をのせ、絵里ちゃんのお父さんは言った。
「母さんな、父さんと結婚するまで小説を書く仕事をしてたんだ」
「え?」
思いもよらぬ言葉に、絵里ちゃんは反射的に父親の顔を見上げる。
「…知らなかっただろ?
母さん一度も言わなかっただろうし」
絵里ちゃんは、こくんと頷いた。
「人と違う仕事には、人と違う苦しみや悩みがある。
母さんはそのことを自分で知ってるから、娘の絵里に
通訳みたいな特別な仕事に就いてほしくなかったんだよ。
だから母さんのことを、あまり悪く思わないでくれ」
母親の歩いていった方向を見て、絵里ちゃんは応える。
「うん…」
- 422 名前:(29) 投稿日:2005/01/08(土) 23:16
-
「じゃあ、お父さんも帰るよ」
私たちの前まで来ると、彼は一度絵里ちゃんのほうを振り返る。
「…いい友達をもったね」
そして私たちに向かって軽く頭を下げ、その場をあとにした。
こちらも礼を返した。
- 423 名前:(29) 投稿日:2005/01/08(土) 23:17
-
「…さて、あたしたちはどうしようか」
美貴ちゃんが切り出す。
絵里ちゃんもすでに椅子から立ち上がっている。
「はい、美貴ちゃん。亜依、お願いがあります」
しっかりと挙手をして、彼女は言う。
「ああ、そうだったな。でもあんた、時間大丈夫か?
五時には病院に戻らないといけないだろう?」
「平気だって。近道があるじゃん」
「あ…」
- 424 名前:(29) 投稿日:2005/01/08(土) 23:23
-
泥のついた砂利がまだらに敷き詰められた細い道を、
私たち四人は並んで歩いていく。
「懐かしいね、この道」
「駅のすぐ裏に出るんだよね。そこからなら病院も近いや」
やがていつものフェンスが見えてきた。
錆びついたブランコや、向日葵の花壇も。
「ここでお願いがあるんですが」
亜依ちゃんが突然かしこまった口調で言うので、
思わず笑ってしまった。
「何だよ」
美貴ちゃんも目を細めて問う。
「唄っていかない?」
「ん?」
「自由発表で唄った歌」
思い出す。
初めて自由発表の練習が上手くいったのは、この公園だった。
- 425 名前:(29) 投稿日:2005/01/08(土) 23:29
-
「ね、ちょっとだけでいいから」
私たちの返事を待たずに、亜依ちゃんは入口の方へ歩いていく。
「おい、ちょっと待てよ。いいけど、大丈夫か?」
「一小節でもいいよ」
「それは短すぎなんじゃ…」
そんなやりとりを交わしながらも、美貴ちゃんを私は
亜依ちゃんについていく。
「…みんなっ」
その後ろから絵里ちゃんが、張り上げた声で呼びとめる。
私たちが振り返ると彼女は、すっと息を吸い込んだあとに言った。
- 426 名前:(29) 投稿日:2005/01/08(土) 23:32
-
「いろいろ全部、ありがとう。
みんながいてくれて本当に良かった」
「絵里ちゃん…」
照れたように笑うと、絵里ちゃんは私たちの方に駆け寄った。
「それだけ言いたかったの。
…唄おうよ」
皆頷いて、再び歩き出す。
- 427 名前:(29) 投稿日:2005/01/08(土) 23:39
-
「それじゃいくよ。一、二…」
随分と久し振りに感じたけど、体に染み付いた旋律が
あのときと同じように繰り出された。
このメロディとみんなの声、離れない、離さない。
心の中に住んでいた小さな空間で、
私たちは輪となって歌を唄う。
隣り合う笑顔と、優しさと、今、を抱きしめて。
- 428 名前:(29) 投稿日:2005/01/08(土) 23:40
-
(29)――了――
- 429 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/01/09(日) 00:42
- 暖かいですよね
みんな。。。
- 430 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/01/10(月) 11:51
- 仲間っていいですね…。
感動しました。
- 431 名前:チキン 投稿日:2005/01/16(日) 23:00
- レス有難うございます
更新します
- 432 名前:(30) 投稿日:2005/01/16(日) 23:07
-
「なるほど。こっちが過去形だからここが過去分詞になる訳か」
学校が終わったあとの、亜依ちゃんの病室に集まっての勉強会。
美貴ちゃんがシャープペンシルを片手に大きく頷く。
「そうそう。こつ掴んできたじゃん、美貴ちゃん」
横で教えていた絵里ちゃんも、満足そうに微笑む。
「美貴ちゃん調子いいね」
私も手を止めて、彼女に声をかける。
「明日はバイトで来れないからな。
今日のうちにいろいろ勉強しておこうと思って」
「あ、私も明日塾だ」
美貴ちゃんが言い、続け様に絵里ちゃんも話す。
「そっか」
私の隣りで亜依ちゃんが呟く。
夕暮れが別れをせかし、いつものように手を振って
私たちは病室をあとにした。
- 433 名前:(30) 投稿日:2005/01/16(日) 23:17
-
次の日の放課後、書店で参考書を買うために通った回り道で、
鮮やかな色々に囲まれた花屋に私は足を止めた。
そういえば、お見舞いにみんなで果物は買ったことがあるけれど
花はなかったな、と誘われるようにその店の中に入った。
店員に尋ねると、
「お見舞いにはフラワーアレンジメントが人気がありますよ」
と言うので、それをみつくろってもらい購入した。
いっぱいの朱鷺色や鉛丹色の花たちを抱え、
病室の廊下を歩く。
真っ白な壁、少し鼻につく薬の臭い、昨日までと変わりない。
違うのは、いつもより少し多い私の荷物だけ。
そう思っていた。
だから、病室のドアをノックしたあとに
真里さんの声が返ってきたとき、妙な胸騒ぎが私を襲ったのだ。
- 434 名前:(30) 投稿日:2005/01/16(日) 23:28
-
「今日の朝、突然発作が起きてね…」
椅子に腰掛けていた真里さんが、入口に立ったままの私に言う。
その傍らのベッドには、亜依ちゃんが横たわっていた。
点滴などの医療器具も確認できた。
「どうにか落ち着いてきたんだけど…」
真里さんの声をかろうじて拾いながら、ほぼ無意識に、
私は病室の奥に足を進める。
自分の動悸と足音が頭の中に鳴り響いていた。
真里さんの側まで来ると、亜依ちゃんの姿がよりはっきり見えた。
弱々しい呼吸を助ける為のマスクが口を覆っていて、
うっすらと目を開けこちらを見ている。
まぶたの下からのぞく黒目にも、苦しそうな表情が浮かんでいた。
私はしばらく、
体のあらゆる感覚を失ってしまったような状態に陥っていたが、
手にものを持っている感触に気付いて口を開いた。
「あの。これ、お見舞いです」
- 435 名前:(30) 投稿日:2005/01/16(日) 23:36
-
それを綺麗だと思う感情も私は忘れてしまっていたが、
買ってきたフラワーアレンジメントを真里さんに手渡した。
彼女は笑顔で受け取ってくれた。
「それじゃ私、これで…」
亜依ちゃんの具合が悪いときに長居するわけにもいかないので、
私はドアに向かおうとした。
しかしその腕に何かが触れ、私は立ち止まった。
見ると、布団の下から亜依ちゃんが手を伸ばしていた。
ほんのわずかに私の右腕に手をかける程度だった。
おそらく掴むだけの力が入らないのだろう。
それならば、私が彼女の手を握り締めればいい。
「亜依ちゃん…」
しゃがみ込んで両手に力をこめ、彼女の顔を見た。
亜依ちゃんはもう片方の手で口元のマスクをずらし、
私に何か伝えようとしている。
私はそのこぼれる吐息の方へ耳を傾けて、聞いた。
- 436 名前:(30) 投稿日:2005/01/16(日) 23:44
-
「お花、ありがとう…」
彼女の声は、病室の中に響くには小さく、
私の心の中に受けとめるにはあまりに大きかった。
「…いいよ、亜依ちゃん」
それを見届けると真里さんは、マスクとそれを持っていた亜依ちゃんの手を、
そっと元の位置に戻した。
私も握ったままの彼女の小さな手を布団の中に入れ、口を開いた。
「…大変なときにお邪魔してすみません。
失礼します」
「私も荷物の入れ替えしにいったん家に戻るから、
途中まで一緒に…」
「あ、はい」
私の返事を聞くと真里さんは左手で紙袋を持ち、
右手で亜依ちゃんの頭を撫でて彼女に声をかけた。
「すぐ戻ってくるからね」
亜依ちゃんはゆっくりとした瞬きを伴って頷き、
私と真里さんは部屋を出ていった。
- 437 名前:(30) 投稿日:2005/01/16(日) 23:50
-
静かだ。
病院の廊下は静かだった。
だけど頭の中が、ざわざわしている。
昨日亜依ちゃんは元気そうに勉強をしていたし、
その前の日もそうだ。
本当はどこか苦しかったのだろうか、我慢していたのだろうか。
いろいろな考えが浮かんでは消え、また生まれる。
重い足取りで突き当りまで来たとき、横から聞こえていた足音が止んだ。
「真里さん?」
言葉と同時にそちらを向くと、真里さんの肩が震えているのが見えた。
「もっと…」
絞り出すような声で、押し潰していた感情を吐き出すように、
彼女は言った。
- 438 名前:(30) 投稿日:2005/01/16(日) 23:56
-
「もっと丈夫な子に、産んであげればよかった…」
下を向いている真里さんの頬に、涙がつたうのを見た。
私は胸が張り裂けそうになり、何も言えなかった。
「なんであの子が、あんな辛そうに…」
亜依ちゃんの前では、娘の前では、
決して見せることのなかった真里さんの姿。
本当はずっと、あふれ出そうな感情をこらえていたのだ。
「ごめんね、いきなり。
普段は言わないんだけど、こういうときはね…」
しばらく経ったあと、落ち着いた声で真里さんは言った。
「いえ…」
首を横に振って応える。
病院の出口はすぐそこだ。
- 439 名前:(30) 投稿日:2005/01/17(月) 00:01
-
「あさ美ちゃん」
少し前を歩いていた私の名を真里さんが呼ぶ。
「はい」
体ごと彼女の方に向きなおす。
「…また、亜依のお見舞いに来てやってね」
彼女の言葉は、意外なものだった。
私はやや首をかしげる仕草をした。
「明日には口のマスクも外れてると思うし」
彼女の意図がよく解らなかったが、とりあえず私は頷いた。
すると真里さんは、まっすぐこちらを見て続けた。
- 440 名前:(30) 投稿日:2005/01/17(月) 00:09
-
「亜依、あれで頑固なところあるから、人前に自分の弱いところを
あんまり見せないところがあるの。私にすらよ。
だけどあさ美ちゃんたちには、凄く本音に近いものを出してると思うの。
そういうこと、これまでなかったけど、
あの子にとっていいことだと思うんだ」
いつか亜依ちゃんと屋上で話したことを思い出す。
あれが彼女の、人前に見せない部分、なのだろうか。
「忙しかったりしたら、無理強いはしないけど…」
ここで真里さんは、遠慮気味に一歩引き下がる。
私は笑顔で言った。
「いえ、絶対にまた伺います」
ほっとしたように真里さんも笑った。
「ありがとう…」
- 441 名前:(30) 投稿日:2005/01/17(月) 00:12
-
別れ際私は真里さんに、亜依ちゃんと真里さんって
よく似てると思います、と言った。
真里さんは、そうかな、と笑い、
足早に私と反対方向へ歩き出した。
私は、その背中にいつか追いつきたいと思った。
- 442 名前:(30) 投稿日:2005/01/17(月) 00:13
-
(30)――了――
- 443 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/01/17(月) 02:46
- 更新お疲れ様。
みんな優しいから余計切ないですね。
- 444 名前:チキン 投稿日:2005/01/21(金) 23:25
- レス有難うございます
更新します
- 445 名前:(31) 投稿日:2005/01/21(金) 23:29
-
翌日の放課後は、美貴ちゃんと絵里ちゃん、私の三人で
亜依ちゃんに会いに行った。
真里さんの言っていた通り、昨日つけていた呼吸マスクは外れていて、
話もできるくらい回復していた。
だが、ときどき苦しそうに眉を歪めているので、
その日も早くに帰路についた。
- 446 名前:(31) 投稿日:2005/01/21(金) 23:35
-
その途中、病院の中で偶然父と鉢合わせになった。
父は驚いた様子で、最近姿を見かけるがどうしたのか、と訊いてきた。
「友達のお見舞いです」
「友達…」
私の後ろにいた美貴ちゃんと絵里ちゃんが父にお辞儀をした。
父はそれなりに応えた。
「その子たち、じゃないよな。何て子のお見舞いだ?」
特にどうという意味はなしにだろうが、父は私に尋ねた。
「加護亜依ちゃんです」
答えた瞬間父の眉が、ぴくりと動いたのを私は見逃さなかった。
- 447 名前:(31) 投稿日:2005/01/21(金) 23:38
-
「そうか…」
そして父は私に重々しい疑問と不安の幕を落として去っていった。
「あの人、あさ美ちゃんのお父さん?」
絵里ちゃんが言う。
「うん…」
「じゃあ、ここの院長先生か…」
「うん…」
あたりさわりのない三人の会話が、ますます気持ちを低くさせた。
- 448 名前:(31) 投稿日:2005/01/21(金) 23:45
-
夜が明けると、土曜日の朝が始まっていた。
あまり食欲はなかったのだが、
私はいつもより遅めの朝食をとった。
休日であろうが何の日であれ母は何品か用意してくれるので、
今日もそれを口に運んだ。
「行ってきます」
玄関のドアを押し開けて、
冷やびやとしたものが混じりだした十一月半ばの
空気の中を亜依ちゃんのところへ急いだ。
彼女のことが気になって仕方がなかった。
- 449 名前:(31) 投稿日:2005/01/21(金) 23:54
-
「あら、あさ美ちゃん」
私が病室のドアに手をかける前に、その中から真里さんが顔を出した。
少々面をくらって棒立ちになる。
「おはよう」
そんな私に向かって、半分起こしたベッドに身をあずけている亜依ちゃんが
声をかけた。
さっぱりとした表情で笑っていて、顔色も良かった。
そのことに私はずいぶん安心をした。
「お母さん。仕事、早く行かなきゃ」
「あ、そうね」
亜依ちゃんの言葉に、真里さんは時計に目をやる。
その様子を見て私は尋ねた。
「これからお仕事ですか?」
「そう。まだ側にいてあげたほうがいいんだけど…」
「お母さん、休んでばっかりじゃ信用に関るよ」
「はいはい。うるさいな、偉そうに…」
苦々しく笑うと、真里さんはこちらを向いて目線を下げ、
「自分の病気のことで私が仕事を休むといつもあんな感じでね…」
と私にだけ聞こえるように言い、職場に向かって歩いていった。
それを見て笑っている亜依ちゃんを、私はとてもいとおしく思った。
- 450 名前:(31) 投稿日:2005/01/22(土) 00:01
-
「どう、調子…」
ベッドに近付きながら私は、努めていつものように
亜依ちゃんに声をかけた。
「だいぶん良くなったよ。もう少し点滴打っとかなきゃいけないけど…」
体動かすのもまだ少し辛いかな、
と小さな声で彼女は付け足した。
「そっか…」
「ねえ、あさ美ちゃん。
亜依のお母さんのこと、どう思う?」
彼女の唐突な質問に、私は目を丸くした。
「どうって…」
「自分の親ながら、三十五歳にしては若く見えると思うんだよね」
「三十五歳っ?」
真里さんの容姿からいって
その年齢そのものもかなりの驚きだが、
高校二年生の娘の親が三十半ばという事実にも開いた口がふさがらず、
私は戸惑った。
- 451 名前:(31) 投稿日:2005/01/22(土) 00:10
-
「大学一年生のときにね、亜依を生んだの。
その二、三ヶ月前にバイクの事故でお父さんは死んじゃったんだって」
なんで急にそんな話をするんだろう。
疑問を感じながらも、私はしばらく何も言わずに
彼女の口の動きを見ていた。
「それからお母さんの両親、
亜依のおじいちゃんやおばあちゃんに協力してもらって、
お母さんは大学に行きながら亜依を育ててくれたんだって。
亜依の入院費や手術費も出してもらった。
それからお母さんは大学を卒業して今の仕事を始めたの」
淡々と言葉を紡いでいた亜依ちゃんだが、
ここで息をつき、やや声を震わせて続けた。
「だけど亜依が四歳のときに事故でおばあちゃんが、
五歳のときに病気でおじいちゃんが死んじゃったの。
そのあとお母さん、大変だったと思う。
お仕事して、亜依の看病して、毎日毎日…」
- 452 名前:(31) 投稿日:2005/01/22(土) 00:19
-
彼女の声に実体の見えない力がこもる。
このときになって私は思った。
これはきっと、亜依ちゃんがずっと誰かに言いたくて
言えなかったことなんじゃないか、と。
とにかく彼女は話しつづける。
「亜依が入院したときの為に、
いつか亜依の心臓を本当に治せる手術ができるようになったときの為に、
働いたお金をこつこつ貯めて。
自分はろくに使いもしないでさ、亜依のために全部…」
そのときの亜依ちゃんの表情を直視できず、
私は自分の足元に目線を落としていた。
「…亜依がいなかったら」
そんな私をせめるように、彼女のかすれた声が
体の中心に刺さる。
- 453 名前:(31) 投稿日:2005/01/22(土) 00:29
-
「亜依がいなかったら、お母さん、もっと楽な生活ができる。
もっと大きな家に住める。
もしかしたら、再婚だってできるかもしれない。
だけど、亜依がいるから。亜依が、いるから…」
「亜依ちゃん」
「それだけじゃない。もしかしたら…」
「亜依ちゃんっ」
二度目の私の荒げた声に、亜依ちゃんは口を結んだ。
最後まで聞く前に、彼女に伝えられることが、
伝えたいことがあったから。
「みんな、思ってるよ」
握り締めて固くなった彼女の拳をほぐすように包み、
私は言った。
「亜依ちゃんに生きてほしいって、みんな思ってるよ。
絶対に、真里さんが一番そう願ってる」
真里さんの泣いていた姿が、私の頭の中に鮮明によみがえる。
「だから…」
そんな悲しいこと、言わないで。
- 454 名前:(31) 投稿日:2005/01/22(土) 00:36
-
「あさ美ちゃん…」
亜依ちゃんは頬を濡らし、私の名を呼ぶ。
「…あさ美ちゃん」
ただ、ただ彼女は私の名を呼ぶ。
私は彼女の目を見て応えた。
「もう、何も言わなくていいよ」
そばにいること、ときにそれだけで
人の涙をぬぐうことができるのだと思う。
私はずっと彼女のそばにいた。
- 455 名前:(31) 投稿日:2005/01/22(土) 00:37
-
(31)――了――
- 456 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/01/23(日) 01:28
- 更新お疲れ様です。
・・・。
- 457 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/01/25(火) 20:13
- いろんな人のいろんな優しさがしみるねぇ
- 458 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/01/28(金) 13:15
- 泣きそうです。
- 459 名前:チキン 投稿日:2005/01/28(金) 22:41
- レス有難うございます
更新します
- 460 名前:(32) 投稿日:2005/01/28(金) 22:50
-
「美貴ちゃんのバイトしてるとこ、見に行こうよ」
ある日の昼過ぎ、駅前を一緒に歩いていたときに
絵里ちゃんが言った。
「どうしたの、急に…」
当初の予定では、このまま二人で亜依ちゃんのところへ行くことになっていた。
その前に美貴ちゃんのバイト先での様子を見て、
病院でその報告をしようというのだ。
「ほら今日勤労感謝の日だし」
「うーん、意味が通ってるようで通ってないと思うんだけど。
第一、美貴ちゃん怒るんじゃない?」
「遠くから見てる程度ならばれないって。
あさ美ちゃんも見てみたいでしょ、美貴ちゃんの働いてるとこ」
そういう風に言われれば、私にだって確かに好奇の気持ちはある。
「まあ、ね…」
「じゃ、行こうよ」
「行っちゃおうか」
頷き合って歩き出すときに、
何だか絵里ちゃんが亜依ちゃんみたいだな、と思った。
- 461 名前:(32) 投稿日:2005/01/28(金) 22:57
-
美貴ちゃんがアルバイトをしているガソリンスタンドは、
駅から少し離れた大きな道路の傍らにある。
車道を挟んで反対側の道路からのぞいてみよう、ということになった。
「あれ…」
先に気付いたのは絵里ちゃんだった。
私たちの向かっている目的地の方角から、
アルバイトの制服を着た美貴ちゃんが走ってくる。
明かに様子が変だった。
私と絵里ちゃんを見ると、避けるように進路を変え、
脇の小道の中に入っていった。
「どうしたんだろう…」
絵里ちゃんが呟いている間に、私は美貴ちゃんを追いかけようと走り出した。
「あさ美ちゃんっ」
彼女もすぐに私に続いた。
- 462 名前:(32) 投稿日:2005/01/28(金) 22:59
-
美貴ちゃんの背中を見失わないように、
懸命に左右の足を交互に動かした。
彼女に何かがあったのは間違いない。
私の取っている行動に理由が必要ならば、
それで十分だ。
- 463 名前:(32) 投稿日:2005/01/28(金) 23:07
-
どれくらい走った頃だっただろうか、見覚えのある通りに出た。
確か、美貴ちゃんの家の近くだ。
必然的にあの公園も見えてくる。
美貴ちゃんはその中に入り足を止めた。
もちろん私と絵里ちゃんもだ。
「美貴、ちゃ…」
巧く声を出すことができないほど、息が切れていた。
誰もが同じ状態で、しばらく荒い息づかいだけが響いていた。
「…何だよ」
最初に生まれたのは、美貴ちゃんの
冷たくて距離のある言葉だった。
呼吸を整えて、私は応えた。
「訊きたいのはこっちだよ。何があったの?」
「何でもないよ」
「何でもないならこんなところまで走らないでしょ」
それから美貴ちゃんは黙り込んでしまった。
「何があったの?」
私はもう一度尋ねた。
美貴ちゃんは一つ息をついて、花壇のブロックに腰掛けた。
- 464 名前:(32) 投稿日:2005/01/28(金) 23:12
-
「…嫌なことがあると、よくここに座ってたなあ」
そして、懐かしそうに呟く。
以前、彼女がそこに座っている姿を見たことがある。
そのときは後ろに、向日葵が咲いていた。
「…さっき、バイトしてるとこに親父が来たんだ」
今度は、はっきり私たちに語りかけた。
その内容が意外で、私は無意識に尋ねた。
「え、美貴ちゃんと何か話すために?」
彼女は静かに首を横に振る。
「偶然、普通の客として。
あたし、あいつにバイト先教えてないし」
美貴ちゃんは花壇の土に手を下ろし、続けた。
- 465 名前:(32) 投稿日:2005/01/28(金) 23:22
-
「あたしが誘導したんだ、ガソリンスタンドの中まで。
学校の教員に見つからないように帽子を深くかぶってたから
あたしも最初は気付かなかったんだけど、
車に近付いて運転手に話しかけようとしたとき、
さすがにそれが親父だって解ったんだ。
焦ったけど他に手が空いてる人がいなかったし、
そのままあたしが対応した」
「…それで、どうなったの?」
絵里ちゃんが問うと、美貴ちゃんは手元の土を握り締め、
絞り出すように言った。
「どうにかなったなら、まだいいさ」
彼女の言っている意味が解らなかった。
「どういうこと?」
美貴ちゃんは拳の力を緩めて持っていた土を再び地面に落とし、口を開いた。
「あいつ気付かなかったんだ、あたしに。
レギュラーですかハイオクですか、って訊いても、
灰皿大丈夫ですか、って訊いても、
助手席のあの女と息子の相手しながら適当に応えてきやがる。
車の中と外は別世界でさ、本当にあたしとあいつらは
他人みたいだった」
- 466 名前:(32) 投稿日:2005/01/28(金) 23:34
-
美貴ちゃんの一つ一つの言葉から想像される情景は淋しい白黒で、
彼女のことを考え私は胸が熱くなった。
「金払うときになって、ようやくあいつ、あたしに気付いた。
そのあいつの顔がまた情けなくてさ。
しまった、って書いてあるような表情するんだ。
そんな目であたしを見るなら、わざと無視してくれた方がまだ良かったよ。
あたし、頭の中がわけ解らなくなって、逃げてきたんだ」
美貴ちゃんは手についた土をはたき、立ち上がってなお言った。
「本当は、逃げちゃいけないのにな。
弱いな、あたし…」
「それは違うよ。美貴ちゃんは弱くなんかない。きっと、違う」
それが私の詞だった。
理屈でひねり出したのではなく、率直で素直なものだった。
「…なんだ、それ」
「上手くは言えないけど…」
私に代わって、今度は絵里ちゃんが言う。
- 467 名前:(32) 投稿日:2005/01/28(金) 23:41
-
「逃げたいときは、誰にだってあると思う。私だってそうだった。
だけどそういうときに、美貴ちゃんたちが助けてくれた。
だから今度は私の番。
美貴ちゃんは強いから、自分の弱いところをちゃんと言ってくれた。
それで私たちに伝わった」
絵里ちゃんは、ゆっくり美貴ちゃんの手をとった。
美貴ちゃんを二人で挟むようにその反対側の手を私が握り、私は言う。
「美貴ちゃんが辛いときは、力になるよ」
絵里ちゃんと笑みを交わしたあと、美貴ちゃんの顔を見る。
彼女も私立ちの顔をそれぞれ見て、口を開いた。
「二人とも、ありがとうな。
とりあえずあたし、行ってくるわ」
「どこに?」
私の問いに、美貴ちゃんは笑顔で答えた。
- 468 名前:(32) 投稿日:2005/01/28(金) 23:47
-
「バイトに戻る。
接客の途中で飛び出してきちゃったから、
くびかもしれないけど、ちゃんと謝ってこないとな」
「…そうだね」
まだ温もりの残る手を、走っていく美貴ちゃんに振る。
その後ろ姿に乾いた空の光がさして、
きらきらと輝いていた。
- 469 名前:(32) 投稿日:2005/01/28(金) 23:47
-
(32)――了――
- 470 名前:(33) 投稿日:2005/01/30(日) 17:15
-
「美貴ちゃん、バイト続けられるようになったって」
翌日の朝、学校の廊下は登校してきた生徒が行き交っている。
その中で絵里ちゃんが、やや声を低めて
並んで歩いていた私に言った。
「うん、私も昨日美貴ちゃんからメールで聞いた。
ガソリンスタンド抜け出したあと、美貴ちゃんのお父さんが
店長さんに頭下げて謝ったって…」
「そのお陰で美貴ちゃん、バイト辞めなくてすんだんだよね」
美貴ちゃんはこのことをどう思ったんだろう。
携帯電話の画面に映る活字には、何も感じ取られなかった。
- 471 名前:(33) 投稿日:2005/01/30(日) 17:23
-
「今日、実家に行くよ」
三人集まって昼食をとっているときに、
あっさりとした表情で美貴ちゃんは言った。
「さっき親父に連絡しといた。
なるべく早くに仕事を終えてくるとさ」
淡々と美貴ちゃんは話す。
それが返って彼女の決断の強さを表していた。
「あ、そうだ。昨日のこと、亜依に話したか?」
美貴ちゃんは思いついたように顔を上げた。
「ううん。あのあと病院に行ったけど、割とすぐ帰ったの。
亜依ちゃんまだ少し辛そうだったから…」
私の返事に、美貴ちゃんは安心したように微笑む。
「そうか。一段落ついたらちゃんとあたしから言おうと思うから、
それまで話さないでおいてほしいんだ」
こんな風に、それがどんな道に通じていても自分のやり方を通すのが
美貴ちゃんなのだと思う。
「うん、わかった」
私を絵里ちゃんも笑みを返した。
- 472 名前:(33) 投稿日:2005/01/30(日) 17:32
-
その日は絵里ちゃんが塾だったので、私一人で
亜依ちゃんに頼まれていたコピーを病室へ渡しに行った。
まだ無理をしないほうがいいんじゃないかと言ったが、
調子が良いときに少しづつやりたいから、という彼女の言葉に押され、
私は頷いたのだった。
「ありがとう。いっつもごめんね、あさ美ちゃん」
亜依ちゃんはベッドにもたれたまま軽く頭を下げ、
簡素なクリップにまとめられた約束のものを受け取った。
「そんな、気にしなくていいよ。どう、調子…」
「大丈夫。点滴くんもいなくなったし」
亜依ちゃんは大げさに腕を振る。
その仕草を見て、私は目を細める。
確かに昨日より、そして日に日に表情や動きが
いきいきしてきたように見える。
しかしまだ安心はできないので、
一つ二つ話をしたあと私は帰ることにした。
- 473 名前:(33) 投稿日:2005/01/30(日) 17:38
-
家に着くと、陽の光よりも電気の灯りに頼る頃になっていた。
自室で課題を片付け始める。
しばらくすると母から夕食に呼ばれた。
大体いつもの時間だ。
「はい、すぐ行きます」
ドアを開けて電灯を消すと、丁度机に置いたままの携帯電話が鳴った。
しかし二、三秒で切れてしまった。
いたずら電話だろう、と思った。
母を待たせているし、放っておこうとした。
だが、ほぼ無意識に私は再び灯りをつけ、
操られるように携帯電話を手にとった。
着信は、美貴ちゃんからだった。
胸騒ぎがした。
- 474 名前:(33) 投稿日:2005/01/30(日) 17:40
-
私は階段を一目散に駆け降りた。
「あさ美、ご飯は?」
「すみません、出かけてきます」
母はまだ質問を繰り返してきたが、それらをすべて背中で返し、
私は家を飛び出した。
- 475 名前:(33) 投稿日:2005/01/30(日) 17:42
-
私は走った。
足は自然とどこかへ向かう。
そこに彼女がいる、と全身が信じていた。
私は走る。
向日葵の場所へ。
- 476 名前:(33) 投稿日:2005/01/30(日) 17:47
-
だがそこには、誰もいなかった。
壊れかけのブランコも朽ちたベンチも静かだった。
私は入口の辺りに立ちつくした。
乱れた息が落ち着いてくると、私は冷静を取り戻し、
手の中の携帯電話を思い出した。
最初から電話をかけなおせばよかった。
ボタンを押そうとしたが、すぐにやめた。
その必要はないような心持ちがしてきた。
自分の思い過ごしだと感じた。
それでも家へ帰ろうとしないのは、なぜなのだろう。
- 477 名前:(33) 投稿日:2005/01/30(日) 17:54
-
川沿いの砂利道を、やって来たのと反対の方向へ歩いていく。
やがて、通ったことのないところまで来てしまった。
しかし引き返す気にならない。
その気持ちより先に、小さな川に終わりが来てしまった。
だけど川の流れが消えたわけではない。
この辺りでもっとも大きな川に、小さなそれは
しとやかに流れ込んでいる。
私はその交わりを眺めた。
そして、ふっと気付いた。
川が川と出会ったように、私も見つけた。
「美貴ちゃん」
川に沿う土手の傾斜に、彼女は腰を落としていた。
「あさ美…」
驚いた様子で美貴ちゃんはこちらを向く。
「何でいるんだよ」
突き放すわけでなく、純粋に疑問を感じているような口ぶりだった。
- 478 名前:(33) 投稿日:2005/01/30(日) 18:00
-
「美貴ちゃんから電話があったから…」
「電話って、すぐ切れたろ?何でここが解るんだよ」
「偶然…」
自分自信でも信じられないが、それが事実だった。
「…たいそうな偶然だな」
美貴ちゃんはしばらく閉口したあと、ぽつりともらした。
その顔に少し笑みが見え、私も口元を緩めた。
「まさか来るとは思わなかった」
「来ちゃいけなかった?ずいぶん歩いたんだけどなあ」
「いや、嬉しいよ」
何だか美貴ちゃんらしくない言葉だった。
「普通に声が聞きたくなって電話したんだけど、
いざかけてみると恥ずかしくなって切ったんだ。
悪かったな」
「それは別にいいんだけど。…どうしたの?」
「なんで?」
「なんか、いつもと調子が違う」
下を向いて、また少し美貴ちゃんは笑う。
私は口角を下げる。
- 479 名前:(33) 投稿日:2005/01/30(日) 18:07
-
「ふっ切れただけだよ、全部」
美貴ちゃんは、ごろんと草の中へ身を倒す。
それを見て、私は声を低めて問う。
「…お父さんとのこと?」
美貴ちゃんは夜空を見上げたまま、答える。
「だから、全部だよ。これまでのこと、全部。
今日あいつの家に行ったら、さ」
その言葉に何かしら違和感があったが、美貴ちゃんは続ける。
「一年近く入ってなかった。
電話で親父がいるのを確認して、呼び鈴を鳴らした。
中を見た瞬間、足がすくんだ。
違うんだ、何もかも。あたしが住んでた頃とは。
そこら中あいつらと、がきの臭いしかしないんだ」
美貴ちゃんはまだ笑みを浮かべている。
私は眉間にしわを寄せて目を細め、彼女の話を聞いていた。
- 480 名前:(33) 投稿日:2005/01/30(日) 18:16
-
「そのとき思ったんだ。あたしはこれが嫌だったんだなあ、って。
きっと、あの家にいつか帰りたいって思ってたから、
母さんを暮らした家を取り戻したかったから、
今まで意地張ってきたんだなあ、って。
だけどもう、どうでもよくなった。
あの家は親父とあの女の家族が住む。
あたしは、あたしで生きればいいんだ。
それで全部ふっ切れた」
寝転んだまま、美貴ちゃんは手を天に向けて伸びをする。
その動作が終わると、私は彼女に声をかけた。
「お父さんたちと、話したの?」
「…本当は落ち着いていろいろと話そうと思ってたんだけど、
家に入ってすぐ結論が出ちゃったから、
手短にしか話さなかった。
バイト始めたから仕送り少なめていい、
高校は進級して来年必ず卒業する、
就職のことも考えてる、とかな」
美貴ちゃんの顔からだんだんと笑顔が消えていった。
「…それから、もうここには帰ってくるつもりはない、って。
最後に、さよならって言って出てきた」
- 481 名前:(33) 投稿日:2005/01/30(日) 18:22
-
「…そう」
私はそれしか言わなかった。
美貴ちゃんに必要なのは私の言葉ではない、と解っていたから。
「美貴っ」
聞いたことのない声が、やや遠くから聞こえてくる。
見ると、四十すぎくらいだろうか、
スーツ姿の男性が走ってくる。
それが私の望んでいる人物だと、簡単に察しがついた。
「父さん…」
目を丸くして美貴ちゃんは起き上がる。
「何で解ったんだよ、ここにいるって…」
「父さんに怒られて家を飛び出すと、
母さんがよくここに迎えに来てたからな」
母さん、というのは、亡くなった
美貴ちゃんの本当のお母さんのことだろう。
彼女は唇を噛んで下を向いた。
- 482 名前:(33) 投稿日:2005/01/30(日) 18:31
-
「そちらは?」
美貴ちゃんのお父さんは、私の方を見て尋ねた。
「…友達」
短く美貴ちゃんは返した。
私は丁寧に頭を下げた。
「そうか。…美貴、話をしていいか?
さっきはお前が一方的に喋っただけだったから」
美貴ちゃんは無言だったが、彼はそのまま話し出した。
「父さんが不器用で、新しい母さんとお前との関係を
上手く持っていくことができなくて、悪かったと思っている。
お前には、嫌な思いをさせてしまった」
美貴ちゃんのお父さんは、顔中にしわをつくって言う。
美貴ちゃんは相変わらず、何も言わない。
「父さん正直、今の母さんとの家庭と死んだ母さんとの家庭、
どちらが大切か決められないんだ。
だけどな、父さんはお前の人生をちゃんと応援したい。
もうあの家に帰ってこないって言われたのは淋しかったが、
お前が決めたことなら出きる限り援助する」
美貴ちゃんは、わかった、とだけ言った。
とても小さな声だった。
- 483 名前:(33) 投稿日:2005/01/30(日) 18:36
-
「じゃあ、父さんは帰るよ」
去っていく父の背中を、美貴ちゃんはただ見つめている。
ざっ、ざっ、という足音が、闇に響いては消える。
「…美貴っ」
彼は突然立ち止まり、こちらに少し顔を向けて言った。
「…母さんの命日には、毎年一緒に墓参りに行こう」
ざっ、ざっ、とまた足音が始まった。
「ばか親父…」
美貴ちゃんが、私の横で呟くように言う。
「勝手なことばっかり、言いやがって…」
- 484 名前:(33) 投稿日:2005/01/30(日) 18:44
-
私は彼女の方を見ずに、そっと言う。
「…美貴ちゃん、お父さん行っちゃうよ。
こんなところで言ったって、聞こえないよ」
美貴ちゃんの視線を感じたが、私は気付かないふりをした。
少し間があって、美貴ちゃんは一歩前に踏み出る。
「父さんっ」
そして胸を張り、大きく声を出す。
呼ばれた彼も彼女を見る。
「…またなっ」
誰に似たのか、ぶっきらぼうなあいさつだった。
だけど、さよなら、よりもずっと暖かい。
- 485 名前:(33) 投稿日:2005/01/30(日) 18:51
-
美貴ちゃんのお父さんは軽く腕を上げて応えた。
表情までは確認できなかったが、きっと微笑んでいたと思う。
「行こう、あさ美」
美貴ちゃんは、ぽんと私の肩を叩いて、
父親と反対の方向へ歩き出す。
「…美貴ちゃん」
「あさ美」
私が声をかけようとすると、彼女が先に口を開いた。
「力になってくれて、ありがとう。それから…」
私の斜め前、美貴ちゃんの声が聞こえてくる。
「これからも、よろしくな」
とても照れくさそうだった。
「こちらこそ」
川は流れてひとつになる、いつまでも。
- 486 名前:(33) 投稿日:2005/01/30(日) 18:52
-
(33)――了――
- 487 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/01/30(日) 22:58
- 更新お疲れ様です。
感動しました。友達っていいなー
- 488 名前:チキン 投稿日:2005/02/01(火) 22:34
- レス有難うございます
更新します
- 489 名前:(34) 投稿日:2005/02/01(火) 22:38
-
「来週から個人面談が始まるので、先日配布した進路希望用紙を
今週末に書いて月曜日に必ず提出してください」
授業後のホームルームで、念を押すように担任が言う。
大半の生徒が嫌気をさしたような顔をする。
「それでは終わります」
学級委員の礼が終わると、一斉に生徒がざわつき始めた。
- 490 名前:(34) 投稿日:2005/02/01(火) 22:45
-
「あたしは、進級するための話をする面談になるだろうな」
美貴ちゃんが教科書を鞄に収めながら言う。
彼女は昨日、亜依ちゃんや絵里ちゃんに
お父さんとのことを話した。
あれから彼女はまた雰囲気が変わった。
何というかいつも、すっきりとした表情でいる。
「私も外国語系の大学や学部、
もう一回調べてみようかな」
すでに帰り支度を終えた絵里ちゃんが言う。
私は居心地の悪さを感じた。
私だけ、進路に対するはっきりとした自分の考えを持っていないから。
それから絵里ちゃんは塾に、美貴ちゃんはアルバイトへ向かった。
私はいつものように病院へ立ち寄った。
- 491 名前:(34) 投稿日:2005/02/01(火) 22:53
-
「…どうしたの、あさ美ちゃん?」
ベッドの上の亜依ちゃんが、私の目の前で手を上下に振る。
どうやら会話の最中に、ぼーっとしてしまっていたらしい。
「ううん、何でもないよ」
ごまかすための笑顔をつくって応えた。
それを見て亜依ちゃんは静かに言った。
「…あさ美ちゃん、お散歩行こうか?」
「え、大丈夫なの?」
「最近ずっと寝てばっかりだったからね。
たまにはちょっと体を動かさないと」
いつかのように亜依ちゃんはパーカーをはおり、
一度ベッドの縁に腰掛けてスリッパを履いた。
「とと…」
「亜依ちゃん」
腰を上げようとしてふらついた彼女を、両手で支える。
その手を軽く握って亜依ちゃんは言う。
「大丈夫、大丈夫。これは最初だけだから」
そして今度は危なげなく立ち上がった。
「出発進行ー」
何かの運転手を真似たような口調で言い、亜依ちゃんは歩き出した。
- 492 名前:(34) 投稿日:2005/02/01(火) 23:00
-
並んで院内を歩きながら、いろいろな話をした。
自然と主に美貴ちゃんのことになったが。
「美貴ちゃんはこれからだよね」
亜依ちゃんが言う。
「うん。上手くやっていけるよね、美貴ちゃんなら」
私は前を向いて応えた。
「…亜依はね、やっぱり美貴ちゃんにはお父さんと、
お父さんたちと仲良くしてほしいんだ。
大変なのかもしれないけど、やっぱり家族だから」
「そうだね…」
私は重く頷いた。
- 493 名前:(34) 投稿日:2005/02/01(火) 23:07
-
そろそろ病室に戻ろうということになった頃、
小児科にある病室の大部屋の前を通りかかった。
中から大きな泣き声が聞こえてきて、ちらっとそちらに目をやると、
医師が幼い子供に注射を打とうとしているところだった。
泣き止まないその子を、母親らしき女性が必死になだめている。
「…亜依も嫌いだったなあ、注射。
あんな風に、いっつも泣いてた」
その様子を私の肩越しに見ながら、亜依ちゃんが呟いた。
「痛くない注射があればいいのにって、小さい頃ずっと思ってた。
病気を治すためにすることって、痛いことが多いから」
注射を終えた子供の頭を、母親が何度も撫でている。
それを見届け、私たちは歩き始めた。
- 494 名前:(34) 投稿日:2005/02/01(火) 23:15
-
「一度だけあったんだ、痛くない注射」
ゆっくり足を進めながら、亜依ちゃんは言う。
「へえ、どんなの?」
彼女は少し笑って答える。
「注射器は普通なの。
五歳くらいのときかな、やっぱり注射嫌でさ、
やだって言ってぐずってたの」
ずきりと胸が苦しくなった。
彼女は何でもないように話しているが、いや、
だからこそ私は息苦しいほどの感情を抱えているのだろう。
亜依ちゃんは変わらない調子で続ける。
「それがさ、あっという間に終わっちゃったんだ、その注射。
いつ始まって終わったのかも解らなかったの。
驚いたなあ」
「全然痛くなかったの?」
「うん」
ここで亜依ちゃんは声の高低を整えて言った。
- 495 名前:(34) 投稿日:2005/02/01(火) 23:22
-
「…あのときは解らなかったんだけど、たぶん
お医者さんが上手だったんだと思うの。
よくは覚えてないけど、あの先生に打ってもらった
あの一回だけは痛くなかったの。
それから、お医者さんってすごいなって思うようになったんだ。
痛くない注射がなくても、痛くない注射が打てる先生がいるんだって」
亜依ちゃんのその言葉は、やけに心の中に響いた。
胸の中の、もやもやとした部分を
指先でつつかれた感覚がした。
「亜依ちゃん…」
「なに?」
「…ううん。部屋、戻ろうか」
その日家に帰ったあとも私は、
自分の中に芽生えた何かと対峙しつづけた。
- 496 名前:(34) 投稿日:2005/02/01(火) 23:27
-
「あ、あさ美ちゃん」
翌日の土曜日、書店で絵里ちゃんとたまたま出会った。
大学の資料などが集まっている棚の前だった。
「進路希望用紙のため?」
先に絵里ちゃんがこちらに尋ねた。
私はしっかりと頷いて口を開いた。
「うん。絵里ちゃん、あのね…」
息をついて顔を上げ、言葉を発する。
「医師になって病院を継ぐこと、真剣に考えて見ようと思う」
「本当っ?」
絵里ちゃんは驚いた様子で声を高める。
「うん、目標ができたから…」
「目標?」
私は口元に小さく笑みをうかべて答える。
- 497 名前:(34) 投稿日:2005/02/01(火) 23:31
-
「痛くない注射が打てるお医者さん」
絵里ちゃんは、わけが解らないといった表情でいる。
無理もない、と私はさらに笑った。
すると鞄の中の携帯電話が鳴った。
美貴ちゃんからだった。
「もしもし、どうしたの?」
彼女の声はかなり慌てていた。
しかし、どうにか聞き取ることはできた。
「え…」
電話を持つ手が震えた。
胸が高鳴る。
「亜依ちゃんの容態が、急変した?」
- 498 名前:(34) 投稿日:2005/02/01(火) 23:31
-
(34)――了――
- 499 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/03(木) 21:36
- スレ汚しで申し訳ないのだが
両親に医者になるようにつっつかれてる高三です
どうして医者になるのか
そのへんこの作品読んでちょっとずつ考えられるようになってきました
作者さん頑張ってください
こんこんも
- 500 名前:チキン 投稿日:2005/02/03(木) 23:34
- レス有難うございます
頑張ります 更新します
- 501 名前:(35) 投稿日:2005/02/03(木) 23:41
-
すぐに絵里ちゃんと病院まで走った。
集中治療室の近くにある長椅子に、美貴ちゃんは座っていた。
その傍らには真里さんの姿も見えた。
私たちに気がつくと
美貴ちゃんは立ち上がり、こちらを見る。
「あたしと話しているときに急に苦しみ出したんだ。
看護師さん呼んだら、そのまま集中治療室に運ばれて…」
ぽつりぽつりと説明する。
私と絵里ちゃんは肩で息をしながら聞いていた。
「その途中に、ちょうど真里さんが来たんだ。
それからずっと、あのまま…」
真里さんは長椅子に腰を落として指を組んだまま、動かない。
それが現在の状態の深刻さを示していた。
- 502 名前:(35) 投稿日:2005/02/03(木) 23:48
-
しばらくすると、見覚えのある医師が出てきた。
一同が彼に注目する。
「…手は尽くしましたが、非常に危険な状態が続いています」
私は激しい動悸の隙間から彼の言葉を拾った。
その重みに押し潰されそうだった。
そして彼は真里さんの方を見据えて、続けた。
「お母さん、覚悟してください」
ふっ、と頭の中から全てがとんだ。
そして次の瞬間、その言葉の意味が雪崩のように襲いかかってきた。
覚悟、何の覚悟だ。
知っている。
こんなときに迫られる覚悟なんて、ひとつしかない。
怖くて考えようとしないだけだ。
医師は足早に去っていく。
- 503 名前:(35) 投稿日:2005/02/03(木) 23:57
-
「…覚悟なんて、とっくにできてるわ」
真里さんの声がする。
ぎゅっ、と拳を握る音も。
「何があっても、亜依が助かることを信じつづけるって
覚悟してる。ずっと、そうしてきたんだから」
彼女の目は真っ赤だった。
真里さんの決めた覚悟は、医師が求めた覚悟よりずっと、
強く心に決めるものが必要なのではないかと思った。
そして私は、やっと動くようになった自分の体を
美貴ちゃんたちの方へ向け、震える心の奥を言葉にした。
「…私たちも信じよう。亜依ちゃんが良くなること。
亜依ちゃんは絶対に大丈夫だ、って」
一人の願いよりも、多くの人の願いの方が叶いやすい。
実際そんな保証などどこにもないのだろうが、
亜依ちゃんが少しでも回復するならば、と
何かをしたくて仕方がなかった。
「…ああ」
美貴ちゃんが頷く。
絵里ちゃんは、そっと目を閉じ真里さんと同じ体勢をとった。
- 504 名前:(35) 投稿日:2005/02/04(金) 00:05
-
どのくらい時が経ったのか、にわかには勘定しがたいほどの間、
私たちはただそこにいた。
人間なんてはかないものだ。
一度は祈ることに集中しても、不安な考えは幾度も頭をよぎった。
その度になんとかそれを振り払おうと懸命になった。
「美貴ちゃん、どこ行くの?」
突然絵里ちゃんが声を発した。
椅子に座ったまま顔を上げると、美貴ちゃんがこちらに背を向けて
どこかへ歩いていこうとしている。
「いや、ちょっと…」
美貴ちゃんは最後の方を濁しながら答え、
再び足を進めた。
「私、ついていってみる」
言うが早いか私は立ち上がる。
美貴ちゃんの様子は明かにおかしい。
それが気になっての行動でもあるが、正直なところ、
じっとしていることに耐えられなくなったからでもあった。
動いていれば、押し潰されそうな重圧も
心なし紛れるだろうと思った。
- 505 名前:(35) 投稿日:2005/02/04(金) 00:10
-
「どうしたの、美貴ちゃん」
彼女は階段の踊り場にたたずんでいた。
横の窓から、夜の景色が覗いていた。
「母さんが入院してたときのこと思い出してさ…」
あ、と思った。
美貴ちゃんのお母さんは、彼女が六歳のときに
病気で亡くなったと聞いた。
背を向けたままの彼女の姿を見つめる。
「母さん、頼むよ。
まだ亜依をそっちに連れていかないでくれ」
「美貴ちゃん…」
私はそっと彼女の細い肩を抱いた。
- 506 名前:(35) 投稿日:2005/02/04(金) 00:17
-
落ち着きを取り戻してきた美貴ちゃんと一緒に
集中治療室の前まで戻ると、中から医師が姿を現した。
目は自然と、言葉を生み出す彼の口元へ向けられる。
「どうにか安定してきました。
あとは早く意識が戻ってくれれば…」
彼の言葉は何重にも折りたたまれているような厚みがあった。
とりあえず胸を撫で下ろしてよいのかもしれない。
しかし、もし意識がなかなか戻らなかったら、
という疑問も浮かんだ。
「そうですか。ありがとうごさいました」
真里さんもまだ顔をこわばらせたまま頭を下げた。
医師は目を細めて、また口を開く。
「お母さん。中に入ってもらって結構ですから、
側にいてあげてください」
真里さんはゆっくりと頷いた。
- 507 名前:(35) 投稿日:2005/02/04(金) 00:23
-
「君たちは帰りなさい。もう時間も遅いから」
今度は私たちの方を見て、医師は言った。
携帯電話の電源を切っているため正確な時間は解らないのだが、
なるほど院内は夜の静寂に満ちていた。
「そうね。女の子が出歩くには心配だわ」
真里さんも医師に同意する。
「でも、私…」
絵里ちゃんが眉間にしわを寄せて小さく呟く。
彼女の言いたいことは解る。
このまま家に帰っても、亜依ちゃんのことが気になって
どうしようもなくなるのは目に見えていた。
「…帰るぞ」
そうした混沌の中、美貴ちゃんが
はっきりとした声で言う。
- 508 名前:(35) 投稿日:2005/02/04(金) 00:29
-
「美貴ちゃん…」
絵里ちゃんが泣き出しそうな目で彼女を見つめる。
美貴ちゃんは、しっかりとその視線に応じ、
絵里ちゃんを私にだけ聞こえるほどの声で言った。
「ここにいたって、あたしたちは何もできない。
邪魔になるだけだ」
彼女の言うことは、悲しいくらいどこまでいっても事実だった。
私は苛立ちを感じた。
他の何に対してでもない、自分自身に。
「…わかった、帰ろう」
絵里ちゃんは静かに首を落とした。
真里さんに挨拶をして、私たちはその場を立ち去った。
最後に集中治療室の入口の方を振り向いた。
使用中、の赤いランプが目について、
しばらく離れなかった。
- 509 名前:(35) 投稿日:2005/02/04(金) 00:34
-
家に帰ると、母がすごい形相で迫ってきた。
「こんな時間まで何をしてたの。
連絡もないし電話も繋がらないから、心配したのよ」
「すみませんでした…」
力なく謝る。
どうこうと受け答えをするのもおっくうな気分だった。
「一体、どこに行ってたの」
「…入院している友達のところです」
私が答えた瞬間、部屋の奥で沈黙を保っていた父が、
ちらりとこちらを見た。
「…お父さん、亜依ちゃんのこと知ってますよね」
いつか病院で父と偶然会ったときのことを思い返す。
- 510 名前:(35) 投稿日:2005/02/04(金) 00:42
-
「あさ美、まだお母さんとの話が終わってないでしょう」
「亜依ちゃんの具合、どうなんですか。
詳しいこと、知ってるんですよね?」
母の制止など耳に入らないほど、私は興奮していた。
自分が何もできないこと、何も知らないこと、
その二つに飲みこまれそうな私にとって、
父はなんらかの糸口のように思えた。
「お父さ…」
「いい加減にしなさいっ」
父がこんなに大きな声を出すのは、久し振りだった。
「患者の病症を軽々しく口にすることはできない。
人の病を知ることは、自分もその人の病気を背負うということだ。
お父さんは医者として、その管理の責任を持っている。
今のお前に、彼女の病気の詳細を教えることはできない」
父の存在は、そんなに単純なものではなかった。
こらえきれなくなり、私はそこから飛び出した。
- 511 名前:(35) 投稿日:2005/02/04(金) 00:48
-
「待ちなさい、あさ美っ」
母の声が聞こえた。
構わず階段を駆けのぼり、ばたんと音をたてて
ドアの開閉をして自室に入った。
感情は声にならず言葉にできず、ベッドに突っ伏した。
父は医師という仕事に誠実だ。
医者になろうと思ったとき、自分にその気持ちがあったか考える。
解らない。
病気を患う人、診る人、看る人、自分。
浮かぶ自問と私は葛藤し続けた。
- 512 名前:(35) 投稿日:2005/02/04(金) 00:48
-
(35)――了――
- 513 名前:(36) 投稿日:2005/02/05(土) 01:05
-
泥にまみれたような心持ちの中、ふと思い立って時計を見ると、
真夜中をとうに過ぎていた。
人の摂理は正確にできているもので、
空腹をおぼえた私は下におりることにした。
台所は明りが灯っていた。
母が電灯をつけっぱなしにしておいてくれたのだろうと思い、
おぼつかない足取りでその中へ入った。
- 514 名前:(36) 投稿日:2005/02/05(土) 01:13
-
「お父さん…」
予想しえなかった光景だった。
父が食卓テーブルの定位置にしっかりと腰を落ち着けていた。
「…夕飯、そこにあるぞ。
温めて食べなさい」
そして起伏のない声で言った。
「はい…」
父の意外な態度にかえって気まずさを感じながら、
無造作に置かれた惣菜の皿を手にとった。
電子レンジの中で、のろのろと回転する自分の夕飯を眺める。
父は何も言わなかった。
無言で私に訴えていた。
こんな時間に何もしないで起きていることなど、
父の日常にはない。
私を待っていたのは明白だった。
白飯をよそい、温めなおした品と一緒に食べ始めた。
母の手料理をこんなに味気なく思ったことはなかった。
- 515 名前:(36) 投稿日:2005/02/05(土) 01:19
-
「…さっきは悪かったな。
きつい言い方をして…」
何の脈絡もなく、突然父は言った。
私は紙粘土のような膳から顔を上げる。
「いえ、私の方も感情的になってしまってすみませんでした」
形式ばったやりとりだ。
私と父の間に、見えない駆け引きが存在する。
「…お父さん」
私は箸をおろし、真っ直ぐと父を見た。
一人で自室にこもって、頭に浮かぶいろいろと
一つ一つ向き合ってみた。
そして今度は、父という現実と
逃げ出さずに対さなければならない。
- 516 名前:(36) 投稿日:2005/02/05(土) 01:26
-
「私本当はずっと、医師になること迷ってました」
父は口を閉じたまま、やや目を見開いた。
やはり気がついていなかったのだな、と確信した。
「…恐かったんです、人の命を救うなんて仕事が
自分にできるだろうかと考えると。
だけど、どうしても嫌だというほどでもないし、
お父さんの期待もあるから、漠然とした気持ちで
毎日の勉強をこなしてました。
そうすると、こんなに中途半端な自分が医師になっても良いのだろうか、
とますます悩むようになりました」
父は目を伏せて、私の話を聞いている。
私は父の視線の先あたりを見ながら続けた。
- 517 名前:(36) 投稿日:2005/02/05(土) 01:29
-
「そんなときに、亜依ちゃんたちと出会ったんです。
みんなそれぞれに悩みを抱えてて、だけど
今するべきことをちゃんと見つけて乗り越えていったんです。
私も病気で苦しんでいる亜依ちゃんを見ていて、
日本中に、世界中に同じように苦しんでいる人がたくさんいるなら、
自分が少しづつでも助けられるようになれればいいと
思うようになりました。
お父さんがさっき私に厳しく言った理由、
患者と携わるものとしての責任も理解しています。
だけど私にはまだ、それを掲げて生きていくだけの自信がありません」
頭の隅から全て片付けるように考えてみたが、
結局そこまでしかたどり着けなかった。
「…それで、どうするんだ」
父は重々しく口を開く。
私の突然の告白に、かなり動揺しているようだった。
「これからのことは、まだ解りません。
でも今は、今この一瞬は、私のしたいことはひとつです」
父がこちらを見ると同時に、私は言った。
「亜依ちゃんの近くにいたいです。
近くで信じたいんです、亜依ちゃんが助かることを。
亜依ちゃんは私の背中を押してくれた大切な人なんです。
何もできないから家でじっとしてるなんてこと、
私にはできません」
それが正しい行動なのかは解らないが、
少なくとも私にとっては真実だった。
- 518 名前:(36) 投稿日:2005/02/05(土) 01:32
-
「どうしたの、こんな時間に。
あら、あさ美。おりてきたのね」
いきなり母が顔を見せた。
格好からして寝床からそのまま起きてきたのだろう。
「お母さん。私、出かけてきます」
「なに言ってるの、こんな時間に。
駄目に決まってるでしょう」
母は当然のように否定する。
承知の上だ。
押し問答をする構えもできている。
「行かせてあげなさい、お母さん」
父の一言に、私も母も一瞬動きが止まった。
「あなたまで何を言ってるの。
外は危ないのよ」
「私が途中まで一緒に行くよ。
あさ美、ついてきなさい」
しばらく呆然としてしまっていたが、父が台所を
出るのを見て、慌てて自分もそれに続いた。
- 519 名前:(36) 投稿日:2005/02/05(土) 01:34
-
「お父さん、どうして…」
内玄関で父に尋ねた。
父は小さな声で、
「どうしても何も、お前が望んだことだろう」
と言った。
私にはまだ父の考えていることの大体が解らなかった。
真夜中の道を父と二人だけで歩く。
慣れない状況だった。
私の少し前を、歩幅の広い足で父は進んでいく。
「…人の命を救うには、その人を助けたいと思う心が必要だ」
二つ目の電信柱を過ぎた辺りのとき、
父は急に口を開いた。
「これはなんでもそうだが、
何かをするときには、その理由よりも、
それをしたいと思う気持ちが大切になってくるものだ。
口で言うのは簡単だが、その心を持つのは容易なことではない」
胸に突き刺さるほどに身に覚えのある内容だった。
私が黙ったままでいると、父は続けた。
「…今のお前は持っているじゃないか、そういう心緒を。
なくさないように大事にしなさい」
ただ素直に、父の言葉には温もりがあった。
「はい…」
私は父の横に並ぶために、やや駆け足をした。
- 520 名前:(36) 投稿日:2005/02/05(土) 01:35
-
病院にはすぐに着いた。
「中のスタッフには私から話しておいたから、行ってきなさい」
裏口のところで、父は私に言った。
ありがとうございます、と頭を下げ、
私はドアを押し開けた。
「あさ美」
まさに院内へ入ろうとしたとき、後ろから父に呼びとめられた。
父は二、三度横に目を振ったあと、言った。
「これまでお父さんが一方的にお前の将来を語っていて
すまなかった。
今度また、ゆっくり話そう」
私が頷くと父は目を落として、もと来た道を戻っていった。
- 521 名前:(36) 投稿日:2005/02/05(土) 01:37
-
薄暗い廊下を、私は迷うことなく歩いた。
前に座っていた長椅子の前を通りぬけ、
室内の見えるガラス張りまで足を進めた。
そこから中を見やると、様子がすべて眼界に入ってきた。
亜依ちゃんはベッドの上に横たわっていた。
口も鼻もレスピレーター、人口呼吸器のチューブや
細い管が入っていて、
体のあちこちに医療器具を取り付けられている。
瞳を閉じている彼女の動かない右手を、
横の椅子に腰掛けている真里さんが
ぎゅっと握り締めていた。
ただ呆然とその光景を眺めていた私の存在に、
ふっと真里さんが気付いて、目が合った。
真里さんは手と目で合図を送って、私をその中へ招き入れてくれた。
私は真里さんの横に腰掛けた。
- 522 名前:(36) 投稿日:2005/02/05(土) 01:40
-
「…まだね、意識が戻らなくて」
「はい」
近くで見ると亜依ちゃんの顔は真っ白くて戸惑った。
色白、などと言うものではなく、そこには色そのものがないのであった。
血の流れる赤、人間らしい肌の色、などが今の亜依ちゃんにはなかった。
「こんな遅くに大丈夫?」
「はい。私の方こそ
なんだか変な時間に来てしまって、すみません」
そのあと会話はなくなった。
亜依ちゃんの周りの機器が規則正しく音を発するだけになっている。
真里さんは亜依ちゃんの顔を見つめて、
両手で包み込むようにじっとその手を握り、祈っているようだった。
私は少し離れて真里さんと亜依ちゃんの両方を見ていた。
ぼんやりと考えた。
私たちが何も考えないでしている呼吸さえ、
今の亜依ちゃんは自分自身で行うことができない。
彼女の生きている証は、モニターに映る波形と
発される電子音だけなのか。
ただ、ぼんやりと考えた。
- 523 名前:(36) 投稿日:2005/02/05(土) 01:42
-
すると突然、亜依ちゃんの手が
真里さんの手を握り返すように少し動いた。
はっと覗きこむと、彼女は薄く目を開いた。
「亜依、亜依っ。わかる?」
亜依ちゃんはその真里さんの声に反応して、
彼女の方に顔を向け、小さくだがはっきりと頷いた。
「あさ美ちゃん。私お医者さん呼んでくるわ」
私は真里さんから亜依ちゃんの右手を受け取った。
握った彼女の手は、いつもより白くて力なくて、小さかった。
私は涙を流した。
亜依ちゃんの意識が戻って嬉しいと思う感情のせいでもあるが、
それよりも、今の亜依ちゃんの姿を見て自然と溢れる涙を、
私はこらえることが出来なかった。
「亜依ちゃん…」
彼女は私の方を見ていた。
目と目がはっきりと合っている。
- 524 名前:(36) 投稿日:2005/02/05(土) 01:44
-
そして、彼女は笑った。
口はチューブをくわえていて動かすことが出来ないから、
目を細めて笑顔を作り、私に向けた。
こんな時にまで、そんな辛そうな顔をしてまで、
笑わなくていいんだよ、亜依ちゃん。
私は、自分が泣いてはいけないと思った。
だから、精一杯笑おうとした。
意志はあっても涙をこらえることは出来ないので、
中途半端でどうしようもない笑顔になったと思う。
たとえそれがどんなに滑稽であるとしても、
私はそうすることしかできなかったのだ。
- 525 名前:(36) 投稿日:2005/02/05(土) 01:48
-
真里さんに呼ばれ、すぐに担当の医師がやってきた。
亜依ちゃんの呼吸を確認したり、彼女に声をかけたりした後、
真里さんに短い話をした。
大体の内容は、このまま亜依ちゃんが順調に回復すれば
割と早く一般病棟に戻れる、というものだった。
医師が去る際、真里さんは深く頭を下げた。
私もそれと同じように礼をした。
「真里さん。私、帰ります」
ちょうど良い具合に一つ間があくと、
私は真里さんに言った。
さすがに、迷惑ではないかと遠慮する情緒はあった。
真里さんは、おおらかな表情で手を振ってくれた。
私は頭を下げて応えたあと、もう一度亜依ちゃんの方を見て
病院を出た。
- 526 名前:(36) 投稿日:2005/02/05(土) 01:50
-
外で出迎えてくれたのは、明るくなり始めた朝の空のにおいだった。
いい天気になりそうだ、などと
変哲もないありふれたことを思った。
「あさ美」
ふと自分を呼ぶ声がした。
聞き覚えのある低い声。
「美貴ちゃん」
私も彼女の名を呼び返した。
足早に距離を縮める。
「亜依のところ、いたのか?」
美貴ちゃんが荒い声で言った。
彼女の亜依ちゃんのことが気になって駆けつけたのだろう。
私はそのまま頷いた。
どうだった、と美貴ちゃんはさらに興奮した様子で尋ねる。
- 527 名前:(36) 投稿日:2005/02/05(土) 01:52
-
「大丈夫。亜依ちゃんの意識、戻ったよ」
美貴ちゃんの表情が打って変わった。
「そうか…よかった。本当に良かった…」
安心して力が向けたのか美貴ちゃんは倒れこむように
前かがみの体制になった。
- 528 名前:(36) 投稿日:2005/02/05(土) 01:52
-
「…生きてるよ、亜依ちゃんは生きてる」
「あさ美?」
私自身、何がなんだか解らなかった。
自分に言い聞かせるように私は繰り返した。
「亜依ちゃんは、生きてるんだ」
美貴ちゃんはそっと立ち上がり、私の顔を見る。
「…ああ」
そして大きく頷く。
「生きてるんだ…」
亜依ちゃんは生きている。
私たちと生きている。
それが、証だ。
- 529 名前:(36) 投稿日:2005/02/05(土) 01:53
-
(36)――了――
- 530 名前:(37) 投稿日:2005/02/05(土) 18:14
-
数日が経ち、亜依ちゃんは以前の病室に戻った。
口のチューブも外れ顔色もだんだんと良くなり、
体力も回復していっているようだった。
彼女が集中治療室にいる間は、
三人揃ってがやがやとお見舞いに押しかけることを避けていたが、
それからは絵里ちゃんや美貴ちゃんと
学校帰りに亜依ちゃんの病室に向かった。
だが、話はできるものの表情がどこか辛そうなため、
あまり長居はしなかった。
- 531 名前:(37) 投稿日:2005/02/05(土) 18:25
-
「紺野。お前だけだぞ、まだ進路希望用紙出してないの」
その提出日から二日が過ぎたある日、
職員室に呼び出され担任にそんな催促を受けた。
「すみません、先生。
私の面談、最後の方に回してください」
担任は心底驚いている様子だった。
彼も当然父の病院の存在を知っているため、
私の進路決定が一番楽だと思っていたのかもしれない。
「勝手なこと言ってすみません。
でも、もう一度よく考えてみたいんです」
強い眼差しで担任を見つめ、私は言った。
彼はしばらく迷った様子だったが、
一つ息を吐いた後に切り出した。
「解りました。自分の一生を決める大事な時期だからな。
時間の許す限り、ゆっくり考えるといい」
ありがとうございます、と礼を言い、その場をあとにした。
ドアを閉めて廊下に出ると、移動教室であろう
どこかのクラスの生徒たちが騒いでいた。
「一生、か…」
その雑音の中に紛れて消えるほどの声で、私は呟いた。
一生とは、何なのだろう。
- 532 名前:(37) 投稿日:2005/02/05(土) 18:27
-
週末になり、昼過ぎから病院に向かった。
亜依ちゃんはずいぶんと元気そうになっていた。
ずっと彼女に付き添っていた真里さんも、これから一度職場に行くらしい。
しばらくすると絵里ちゃんが、そして美貴ちゃんも現れ、
結局全員が集まった。
「みんな、いっつも会いに来てくれてありがとう」
会話の節目に、小さな声で亜依ちゃんは言った。
「どうしたの、突然」
絵里ちゃんがベッドに深く身を沈めている彼女に
微笑みかけながら問う。
亜依ちゃんは至って固い表情のまま、こたえた。
「みんなが側にいてくれると、嬉しいんだ。
みんなが頑張ってるの見ると、亜依も頑張ろうって思うんだ。
だから、ありがとう。亜依に元気くれて」
それを聞いて美貴ちゃんは、
しゃがみ込んで亜依ちゃんに視点を合わせて柔らかく笑い、言った。
「礼を言うのはこっちの方だ。
あたしは亜依に、親父と向き合う力をもらったんだよ」
「私も、ありがとう。
通訳になること諦めないよ、絶対」
絵里ちゃんも同じように腰を落とし、言葉を発する。
亜依ちゃんもやっと、口元に笑みを浮かべた。
そして私の方を向いた。
私は笑顔で頷くだけだった。
- 533 名前:(37) 投稿日:2005/02/05(土) 18:30
-
「それじゃ私、仕事行ってくるね」
真里さんが鞄を肩にかけ、軽く手を上げて合図をする。
「うん、気をつけてね」
亜依ちゃんが応え、私たちも挨拶にお辞儀をする。
「いい子にしてるのよ」
ドアを開けながら意地悪そうに、わざとらしく真里さんは言う。
むー、と亜依ちゃんは大げさに怒った表情をする。
それを見て真里さんは笑い、部屋を出ていく。
安心していたようにも感じた。
「あ、お母さん書類忘れてる」
一寸もしない間に亜依ちゃんが
ベッドの横にある台の上に置かれた定形外の紙封筒に気がつく。
「もう、しょうがないなあ」
「私、届けてくるよ。まだ病院の中だろうし」
私は、さっと薄茶色のそれを手にとった。
「え。ごめんね、あさ美ちゃん」
ついていこうか、という美貴ちゃんの申し出を、
よく考えもしないうちに断った。
- 534 名前:(37) 投稿日:2005/02/05(土) 18:32
-
ちょうど病院から出ようとしている真里さんの後ろ姿を見つけ、
私は声をかけた。
彼女が振りかえると、私は手に持った彼女の忘れ物を軽く上にあげて見せた。
あっ、と真里さんは言い、面目なさそうに
こちらに小走りをしてきた。
「わざわざありがとうね、あさ美ちゃん」
私の手から届けものを受け取ると、苦笑しながら真里さんは言った。
「亜依ちゃんが笑ってましたよ。
人のことを子供扱いできた道理がない、って」
そう言ったときの亜依ちゃんは、なんだか嬉しそうだった。
それを聞くと真里さんは、書類の入った封筒をぎゅっと胸に抱き、
下を向いた。
どうしたんですか、と私は尋ねた。
「亜依がまた笑顔になれて、良かった…」
真里さんの声は、微かに震えていた。
「本当は、もう駄目かもしれないって思った。
次に発作が起きたらどうなるか解らないって言われてたから」
- 535 名前:(37) 投稿日:2005/02/05(土) 18:33
-
私の知らない現実があった。
真里さんはそれをも背負って、あの夜を越えていたのだ。
私が考えこんでいるのを見て真里さんは、
はっと言葉を止めた。
「ごめん。なに言ってるんだろ、私…」
真里さんは無理に笑って、病院をあとにした。
先日の父の態度、先程の真里さん。
亜依ちゃんがどれだけの難病を抱えていて、
それがどれだけ深刻な状況なのか、私は察した。
大丈夫だ、亜依ちゃんは生きている。
そう心に言い聞かせて、私は歩き出した。
- 536 名前:(37) 投稿日:2005/02/05(土) 18:35
-
病室に戻ると、
「もう十二月だね」
などと三人で話している最中だった。
「この辺は、まだ雪が降らないんだね」
亜依ちゃんが少し疑問を含めた調子で言った。
「ああ。あったかい気候だからな、
ここは基本的に」
美貴ちゃんが応える。
私たちの住んでいる街は、全く雪が降らないということはないが、
十二月初旬には近年、
記憶に残るほどの降雪はなかった気がする。
- 537 名前:(37) 投稿日:2005/02/05(土) 18:36
-
「亜依が前に住んでたとこは、たくさん雪が降ってたんだ。
小さいころ、お母さんがよく雪だるま作ってくれた。
でもはしゃいで大きく作りすぎて、胴体の上に頭が
乗っからないことがほとんどだったけど」
亜依ちゃんは楽しそうに話す。
手伝ってあげなかったのかよ、と美貴ちゃんが言うと、
彼女は少し困ったように笑い、言葉を返した。
「亜依は部屋の中から見てるだけなの。風邪ひくと
いろいろ大変で、寒い日は外に出られなかったから」
悪い、と美貴ちゃんは目をふせて言う。
亜依ちゃんは申し訳なさそうに、そんな顔しないで、と笑った。
- 538 名前:(37) 投稿日:2005/02/05(土) 18:38
-
「中学校にあがるころには、みんな雪だるま作らなくなるんだよね。
あれ、なんでかなあ。
そこに雪があるなら、だるまにしない手はないのに」
決して彼女にその気はないのだろうが、亜依ちゃんの言葉に
張り詰めたような部屋の雰囲気がほどけた。
私も小学校の低学年くらいしか、
大きくていびつな雪玉二つを上下に重ねた想い出はない。
「だるまにしなくても、そのままで雪は綺麗だってことに
気付くからじゃない?」
絵里ちゃんの言葉に感嘆する。
独特な視点で、味のある意見だ。
「…でもさ、雪だって生まれてきたんだから
何かになりたいと思うんだ。
すぐに消えちゃうから、せめてその前に」
「…おたまじゃくしが蛙になるみたいに、か」
美貴ちゃんが言う。
亜依ちゃんは笑って付け足す。
「そう。あひるが白鳥になるみたいに」
それは違う、と彼女に対して皆が一斉に声を出した。
- 539 名前:(37) 投稿日:2005/02/05(土) 18:40
-
日が暮れる頃に真里さんが戻ってきて、
入れ違いに私たちは帰ることにした。
「あさ美、絵里。明日暇か?」
しばらく歩くと美貴ちゃんが足を止め、前を向いたまま尋ねる。
「うん、予定ないけど」
絵里ちゃんが先に答える。
私も同じ旨を伝える。
そうか、と息をついたあとに美貴ちゃんは
また口を開いた。
「雪、取りに行くぞ」
言っている意味が、見えなかった。
- 540 名前:(37) 投稿日:2005/02/05(土) 18:40
-
(37)――了――
- 541 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/05(土) 22:21
- 連日更新お疲れさまです。
- 542 名前:チキン 投稿日:2005/02/06(日) 10:51
- レス有難うございます
更新します
- 543 名前:(38) 投稿日:2005/02/06(日) 10:53
-
翌日の朝早く、私は必要最小限の荷物を持って駅に向かっていた。
美貴ちゃんとの約束のためだった。
「おはよう」
到着すると、すでに絵里ちゃんの姿があった。
「おはよう。美貴ちゃんは?」
挨拶を返し、私は尋ねる。
「さあ、まだ来てないみたいだけど…」
「悪い、遅くなった」
絵里ちゃんの応答の後すぐに、美貴ちゃんが現れた。
大きなクーラーボックスを肩からかけて、少し息を切らしている。
- 544 名前:(38) 投稿日:2005/02/06(日) 10:54
-
「これに入れておけば溶けないだろ、雪」
美貴ちゃんは、ぽん、と重そうなそれを叩く。
「それはいいけど美貴ちゃん。
私たち、これからどこに行くか詳しいこと教えてもらってないよね」
絵里ちゃんが冷静な声で言う。
美貴ちゃんは、そうだった、と微笑み、応えた。
「あたしのばあちゃんのところに行こうと思うんだ。
電話したら雪、積もってるって」
彼女のおばあさんの存在は知らなかった。
絵里ちゃんと顔を見合わせる。
「じゃあ、もうホームに行こうか」
美貴ちゃんは、すたすたと歩いていく。
慌てて私たちもそれに続いた。
- 545 名前:(38) 投稿日:2005/02/06(日) 10:55
-
「…それにしても、すごい思い付きだよね。
病院に雪を持っていこう、なんて」
電車の四人用のボックスに座り、私は口を開いた。
これはすべて美貴ちゃんの提案だった。
「亜依に雪だるま作らせてやりたいな、って思ってさ。
防水の手袋してやれば冷たくないだろうし。
まあ、ほんの小さいのしか無理だけど」
「美貴ちゃん、すごいと思う」
絵里ちゃんが言うと、
「そんなことない」
と照れくさそうに笑った。
- 546 名前:(38) 投稿日:2005/02/06(日) 10:57
-
目的地には二時間ちょっとで着いた。
伸びをして、電車に揺られつづけた疲れをとる。
「日帰りだからな、もたもたできないぞ」
これは前々から少しずつ感じていたことだが、
美貴ちゃんは意外に早め早めで行動する人だった。
でも、確かに明日は月曜日で学校もある。
私は絵里ちゃんと並んで美貴ちゃんの背中を追った。
「うわあ…」
外に出た瞬間、言葉をなくした。
あたり一面、いわゆる銀世界だった。
「真冬になると、もっとすごいけどな」
美貴ちゃんは相変わらず歩を進めながら言う。
私と絵里ちゃんは、しばらく目の前の光景に見惚れていた。
- 547 名前:(38) 投稿日:2005/02/06(日) 11:00
-
それから歩いて美貴ちゃんのおばあさんの家へ行った。
久し振りだ、と懐かしそうに美貴ちゃんは街並みを見ていた。
彼女のおばあさんの家は、古い日本風の家だった。
雪間のない前庭を通り、美貴ちゃんが玄関の引き戸を開けると、
中からかわいらしい感じのおばあさんが出迎えてくれた。
優しそうな人だった。
お茶と菓子をもてなしてもらい、美貴ちゃんは
仲睦まじく、数年ぶりだという再会を楽しんでいた。
その様子に目を細め、ぐるりと家の中を見やると、
遺影らしき写真が目に入った。
「…あたしの母さんだ」
その挙動に気がついたのか、美貴ちゃんが私に声をかけた。
絵里ちゃんも写真に目をやり、言う。
「きれいな人だね…」
「…ああ」
美貴ちゃんの横顔は、誇らしげだった。
彼女の、母親に対する愛情が感じられた。
私はもう一度、じっと彼女の母親の顔を見た。
- 548 名前:(38) 投稿日:2005/02/06(日) 11:01
-
しばらくして、クーラーボックスに雪を詰め始めた。
どうせならとおばあさんの為、
庭の敷石が見える程度に雪かきをしようということになった。
「ふー、やっぱり外は寒いね」
絵里ちゃんが手に息をはきかけながら呟く。
「だからなるべく着込んで来いって言ったろ」
「言ってない」
そうだっけ、ととぼける美貴ちゃんに、
絵里ちゃんはきつい視線を送った。
- 549 名前:(38) 投稿日:2005/02/06(日) 11:02
-
「よし、そろそろ行くか」
いい具合に雪を集め終わると、美貴ちゃんは言った。
「ちょっと待って、美貴ちゃん」
私が声を上げる。
絵里ちゃんもこちらを向く。
「なんだよ。早くしないと特急に間に合わないぞ」
「まだ少し時間あるでしょ。だからね…」
忘れかけていた、想い出。
だけど誰もが、その方法だけは覚えている。
「雪だるま、作ろうよ」
きょとんとした後、皆笑い合った。
賛成の意だと解釈できた。
- 550 名前:(38) 投稿日:2005/02/06(日) 11:03
-
作ると決めたなら大きく、と気合を入れて雪転がしを始めた。
胴体を私と絵里ちゃんが、頭を美貴ちゃんが担当する。
三人がかりでないと頭が乗っからないくらいの、
立派な外形ができた。
「よーし。派手に飾り付けるか」
美貴ちゃんが、おばあさんの家から使えそうなものをもらってくる。
鼻は人参を使うことにした。
「亜依ちゃん、人参嫌いだったよね」
絵里ちゃんが言い、私はやや思い出し笑いをする。
「…生まれてきたんだから、立派な雪だるまにしてやらないとな」
美貴ちゃんが言う。
私は頷く。
「あひるが白鳥になるみたいに」
否定の声は起こらず、微笑みが間をすり抜けた。
- 551 名前:(38) 投稿日:2005/02/06(日) 11:05
-
「なんだか、亜依ちゃんに似てない?」
出来上がった雪だるまを見て、絵里ちゃんが呟く。
確かに、亜依ちゃんの肌は雪のような白さがあるし、
衣服のぼたんであしらわれた目も
彼女の、黒目の多い瞳を連想させた。
「本当だ」
美貴ちゃんも私も笑う。
言い出した本人の、絵里ちゃんも笑う。
雪明りで、笑顔が輝いて見えた。
- 552 名前:(38) 投稿日:2005/02/06(日) 11:06
-
(38)――了――
- 553 名前:(39) 投稿日:2005/02/07(月) 01:41
-
十四時八分発の特急列車に乗るため、
美貴ちゃんのおばあさんにお礼を言うと、すぐに駅に向かった。
「私たち最初美貴ちゃんのこと、
藤本さん、って呼んでたよね」
まとまって座席に着いてしばらくしたとき、
ふいに絵里ちゃんが言った。
「どうしたんだよ、急に」
横から美貴ちゃんが問う。
「なんか変な感じだなあって思ってさ。
あのころは美貴ちゃんのこと恐がってたもん、私」
だろうな、と美貴ちゃんは苦笑する。
それを見ながら私も言葉を発する。
- 554 名前:(39) 投稿日:2005/02/07(月) 01:42
-
「そんなこと言ったら私、絵里ちゃんのこと別の意味で
恐いって思ってたよ。全然私のこと見てくれないんだもん」
「だから、あれは人見知りしてたせいなんだって」
慌てた声で絵里ちゃんが言う。
解ってるよ、と私は笑った。
「でもね、人見知りもだんだんしなくなってきたんだ。
スピーチコンテストのときも、役員の人と普通に話せたし」
「…きっと、もう大丈夫だよ。
どんな人とも上手くやっていけるよ」
絵里ちゃんは照れたように微笑して、
ゆっくり首を縦におろした。
- 555 名前:(39) 投稿日:2005/02/07(月) 01:43
-
「やっぱりあれがきっかけだよな、学園祭の自由発表」
美貴ちゃんの言葉に、私と絵里ちゃんは真っ直ぐ頷く。
あの夏、あのころは、その成功に向けて走り回っていた。
「美貴ちゃん、なかなか参加用紙に名前書いてくれないんだもん。
本当に大変だったんだからね」
絵里ちゃんが、わざと怒ったような声で美貴ちゃんに言う。
「そんなこと言うけど、自由発表なんて普通、恥ずかしくて
そんなやすやすと引き受けられるものじゃないだろ。
悪かったとは思うけどさ。亜依を突き飛ばしちゃったし」
美貴ちゃんは、最後の方の言葉を少し俯いて濁した。
あの放課後に彼女が残していった表情は、まだ忘れずに覚えている。
初めて見た、美貴ちゃんの素顔だったと思うから。
- 556 名前:(39) 投稿日:2005/02/07(月) 01:44
-
「…向日葵見たときね、
美貴ちゃんって優しい人なんだな、って思ったよ」
絵里ちゃんが美貴ちゃんの方を見ながら、囁くように言う。
「あたしは別に優しくなんかない」
「優しいよ。あの花のお世話してたんでしょ?」
視線を外して素っ気なく言葉を返した美貴ちゃんに、
絵里ちゃんは強い口調になる。
その声に美貴ちゃんはやや目を見開く。
「ほっとけなかっただけだよ。
あたしみたいだったからさ、ひとりで咲いてるのが」
そして、低めた声で言った。
それが悲しくて私はしっかり美貴ちゃんの顔を見て、伝えた。
「…美貴ちゃんは、一人じゃないよ」
彼女はやっとこちらを見てくれた。
私はまた詞を発した。
「来年は一緒に育てようよ、向日葵」
ああ、と美貴ちゃんは呟いた。
絵里ちゃんも嬉しそうに笑った。
- 557 名前:(39) 投稿日:2005/02/07(月) 01:45
-
「みんなで美貴ちゃんの家に泊まりに行ったよね」
「そうそう、楽しかったよね」
話はまた新しい方向へ転がっていく。
記憶がどんどんと甦り、言葉になっていく。
「カレー作ったんだよな。
結局あまったから、あたしあのあと二日はカレーだったぞ」
美貴ちゃんの文句に声を出して笑う。
「だって亜依ちゃんがルーを全部入れちゃうんだもん」
「そうだった、そうだった。
人参の味を消すんだ、とか言ってね」
「だったら最初から入れなくても良かったのに。
ばかだよな、あいつ」
みんな口々に思い出した事柄を発していく。
その中で思い出したように、そういえば、と絵里ちゃんが声を低めて言う。
「…あとから亜依ちゃんに聞いたんだけど、真里さんがね、
好き嫌いに厳しかったんだって。
亜依ちゃん自身も子供のとき、心臓の病気治すには何でも食べなきゃ
駄目だ、って思ったのがまだ残ってるみたい」
ここで皆、感慨深そうに押し黙る。
- 558 名前:(39) 投稿日:2005/02/07(月) 01:45
-
「なんだかんだ言って、偉いよな。あいつ…」
下を向いたまま美貴ちゃんが呟く。
「…ぜーんぶ、亜依ちゃんが変えちゃったんだよね。
悩むだけで、今、をちゃんと見つめてなかった私たちを」
絵里ちゃんも遠い目で車両の前方を見ながら言う。
それからそれぞれが無言のまま、先程までの語らいを心に運ぶ。
「…美貴ちゃん、絵里ちゃん。
雪、しっかり届けようね」
電車が二つ目の停車駅を越えるころ、私が沈黙を静かに破った。
美貴ちゃんも絵里ちゃんも、ふっと微笑む。
「ああ。せめてものプレゼントってやつにな」
「それでもって、お礼だよね。いろいろなことへの…」
そして思い思いの詞を述べる。
私も深く頷いた。
- 559 名前:(39) 投稿日:2005/02/07(月) 01:47
-
定刻通りに電車は駅に着き、雪の入った
重いクーラーボックスを順番で持ちながら
私たちは病院へ急いだ。
「じゃあ、せーので入って亜依を驚かせような」
亜依ちゃんの病室がある階へ向かうエレベーターの中で、
美貴ちゃんが楽しそうに言う。
私と絵里ちゃんも口を緩めながら頷く。
亜依ちゃんはどんな顔をするだろうか、と胸が踊った。
- 560 名前:(39) 投稿日:2005/02/07(月) 01:50
-
ナースステーションの横を通りぬけ、
亜依ちゃんのところへ心と会話を弾ませながら歩いた。
打ち合わせ通り、せーの、で息を合わせ、
病室に飛びこもうとする。
ところがそれを実行する直前に、
医師が病室の中から出てきた。
私たちの姿を見ると、目をふせて去っていってしまった。
彼が開け放していったドアから、中の様子が見えた。
予想もしなかった光景が広がっていた。
いつの間にかに置かれた電子モニターの画面は、消えていた。
看護婦が、手早く周辺の機器を片付けている。
そして亜依ちゃんの体を強く抱きしめて泣き崩れる、
真里さんがいた。
頭の中から湧き上がる現実を、私は必死に拒んでいた。
彼女の元へ歩み寄るとき、
私の肩から、白が詰まった重い箱が
音を立てて床に落ちた。
- 561 名前:(39) 投稿日:2005/02/07(月) 01:50
-
(39)――了――
- 562 名前:(40) 投稿日:2005/02/07(月) 01:51
-
亜依ちゃんの葬式は、市内の施設で物々しく行われた。
絵里ちゃんは私の後ろに、美貴ちゃんは私の前方にいた。
私は二人の間に立っていた。
あちこちからすすり泣く声が聞こえてくる。
私の涙は、昨夜のうちに流し尽くしてしまった。
こんなときまで亜依ちゃんは、四角い黒枠の中で笑っていた。
いい写真だった。
- 563 名前:(40) 投稿日:2005/02/07(月) 01:53
-
「亜依さんは、本当にいつも明るい生徒さんで…」
弔詞を述べる担任の声が、まるで穴が開いているように聞こえる。
言葉の意味を、頭の中が理解しようとしていなかった。
「突然のことで私もクラスメイトも驚きと動揺を隠せないで…」
亜依ちゃんとのさいごの対話を思い出す。
美貴ちゃんが亜依ちゃんに、ありがとう、って言ってたなあ。
いつだったか絵里ちゃんも、亜依ちゃんや私たちに、
おんなじことばを言ってたなあ。
私は、言っただろうか。
一度でも、言っただろうか。
言っていない。
なぜあのとき、ありがとう、と言わなかったのだろう。
亜依ちゃんは何度も私にそのことばをくれた。
私はなぜ彼女に、ありがとう、と言わなかったのだろう。
もはやそれが流れる感触さえないが、私は涙を落とした。
私はもう、そのことばを彼女に贈ることができない。
- 564 名前:(40) 投稿日:2005/02/07(月) 01:54
-
葬儀が終わり、美貴ちゃんと絵里ちゃんと
冬の陽射しの中を歩く。
すべての感覚のない私には、冷たい晴天だった。
「なあ…」
どこに向かうのかはっきりしない足どりを止め、
美貴ちゃんが言う。
「あの公園、行こう」
泣きはらして、視界のぼやけた六つの目。
その提案に、焦点が合った。
- 565 名前:(40) 投稿日:2005/02/07(月) 01:55
-
さっきまで全くといっていいほど聴覚が働かなかったのに、
川の流れる音はやけに耳についた。
実際に聞こえる音と、記憶の中のそれが重なっているようだった。
亜依ちゃんの笑い声が、混ざっていたから。
「…やっぱり、ここにいたのね」
私たちは、しばらく黙ったままだった。
言葉を発したのは新たな来訪者だ。
「真里さん…」
意外な人物に、全員の顔に表情というものが戻る。
「ちょっと抜け出してきちゃった。
亜依から話に聞いたことがあったから、
みんなここにいるんじゃないかと思ってね」
真里さんの声は、からからに嗄れて掠れていた。
今日という日が、いや、ずっと一番辛かったのは、
きっと彼女だ。
- 566 名前:(40) 投稿日:2005/02/07(月) 01:57
-
「亜依は、みんなのことを話すとき本当に楽しそうだったの。
自由発表のときなんか、私が帰ってくるなり、
絵里ちゃんのこと、美貴ちゃんのこと、あさ美ちゃんのこと、
寝るまで聞かされたわ。もちろん入院してからも」
真里さんが懐かしそうに微笑んだのが、
胸に突き刺さるような切なさを感じさせた。
「絵里ちゃんは、英語が本物の外人さんみたいに上手で。
おとなしいように見えるけど実はすごく口がたって、
子供のころからの夢をずっと諦めないくらい芯の太い人だって」
絵里ちゃんが、涙を流してむせた。
「美貴ちゃんは、見た目ヤンキーみたいなんだけど、
すごく頑張り屋さんで、一度決めたら一直線な人だって。
それで、辛いときにさりげなく優しさをくれるって」
美貴ちゃんは、そっと下を向いた。
「あさ美ちゃんにはね、いろいろ自分の弱音を聞いてもらったって。
困らせるようなことも言って、悪かったかもって言ってた。
それだけ、なんだか安心できる人なんだって。…私もこれ、わかる気するよ。
真面目だからよく考えこんじゃうみたいだけど、
もっと肩の力抜くときもあっていいんじゃないかって笑ってた」
亜依ちゃんの顔を思い出してはまた、別の亜依ちゃんの顔が浮かぶ。
呆れるぐらいどこまでも、ひとのことを考えてる人だ。
- 567 名前:(40) 投稿日:2005/02/07(月) 02:00
-
「…勝手なお願いかもしれないけど、みんな
亜依の分も生きてね」
先程までと違う真里さんの声が響く。
「そしてできたら、なるべく笑ってて。
亜依は、人の笑顔を見てると幸せになれる子だったから。
そういう、子だったから…」
だんだんと声が震えていった。
胸が張り裂けそうになりながらも、彼女から目を離さなかった。
だけど、すぐに頷くことができなかった。
実際、わからなかった。
真里さんの言う、亜依ちゃんの分まで生きる、ということが。
いつか命を失うそのときを、ながらえるということだろうか。
その論理で言えば、死ななければ生きている、とういうことになる。
それは違うと思う。
亜依ちゃんの生き方は決して違う。
うまくは言えないけれど、確かに亜依ちゃんは、生きていた。
だから、こう言った。
- 568 名前:(40) 投稿日:2005/02/07(月) 02:01
-
「頑張ります」
美貴ちゃんも絵里ちゃんも同じ気持ちだったのだろう、
私のあとで一緒に続いた。
真里さんは、うん、と力なく、だけど気丈夫に笑った。
「さて、私は行くよ」
そして、悲しみを打ち消すかのような声で言う。
「あの子が心配するからね」
真里さんはしっかり前を向いて、公園の外へ歩き出した。
- 569 名前:(40) 投稿日:2005/02/07(月) 02:01
-
「…唄おうか」
真里さんの詞に、今出せる答えは、
これしかなかった。
首を横に振るものなど、居るはずがなかった。
いつもここで唄うことで、なにかを乗り越えてきた。
笑顔になってきた。
だから泣きからした声を精一杯絞り出して、
私たちは唄った。
上手に唄えるはずもない。
亜依ちゃんの特徴のある高い声がそこにない。
- 570 名前:(40) 投稿日:2005/02/07(月) 02:03
-
私は思った。
亜依ちゃんはもう、唄うことはできない。
私は泣いた。
亜依ちゃんはもう、笑うことはできない。
私は想い考えた。
亜依ちゃんはもう、私たちと一緒に学校に行くことはできない。
私は胸が痛んだ。
亜依ちゃんはもう、生きることに悩むことは出来ない。
私はむせびかえった。
亜依ちゃんはもう、思うことも、泣くことも、
想い考えることも、胸を痛ませることも、むせびかえることも、できない。
私は叫び唄った。
亜依ちゃんはもう、死んでしまった。
- 571 名前:(40) 投稿日:2005/02/07(月) 02:04
-
それから、半年余りが過ぎた。
「絵里、大学決めたんだって?」
「うん。結局、外語大学にね」
集まるのはあの公園。
円を作るのはあの花壇の前。
「美貴ちゃんは専門学校に決めたんだよね」
「ああ。やっぱ早く自活したいからさ、
就職率高いとこ狙いたいと思う。
やりたいことが見つかったら、そのときから頑張るさ」
大きくてきれいな向日葵が堂々と咲いている。
「あさ美ちゃんは…」
誰が見ても目を細めるくらい、鮮やかな黄色だ。
- 572 名前:(40) 投稿日:2005/02/07(月) 02:05
-
「お父さんの母校になる大学の医学部。
お父さんに薦められた訳じゃなくて、
自分で調べてて、いいキャンパスだと思ったから」
私は医師になることに決めた。
あれからいろいろ考えた。
生きること、それは、
人それぞれ違う意味を持っているんじゃないか、と。
例えば絵里ちゃんは、通訳になる夢を追いかけて生きる。
例えば美貴ちゃんは、自分のできることを見つけながら生きていく。
私はどうやって生きるのか考えたとき、
やはり亜依ちゃんの死のことを想った。
亜依ちゃんが死んで真里さんが泣いた。
絵里ちゃんが泣いた。
美貴ちゃんが泣いた。
もちろん私も。
医師になれば、そういう人たちを
自分自身の手でなくすことができる。
反面、そういう人たちを目にする機会も増えることになるだろう。
けれども、自分でも驚くくらい、その決意に迷いはなかった。
こういうことなのだな、と思った。
どんな困難があると知っていても、その道に進みたい。
絵里ちゃんや美貴ちゃんが持っているもの。
私も見つけることができた。
私は、医師になりたい。
- 573 名前:(40) 投稿日:2005/02/07(月) 02:05
-
「よし。そろそろ始めようか」
美貴ちゃんの号令に、私と絵里ちゃんは頷く。
あの日から小分けしてそれぞれの家で保管しておいた
雪を持ちより、形にしていく。
ちいさなちいさな雪のだるまに。
そして向日葵の横に、そっと並べる。
いつか溶けてなくなってしまうのだろう。
それを、土の中にしっかりと根を張る向日葵が
糧にしていくのだろう。
そういう、ことなのだろう。
「ありがとう、亜依ちゃん」
私は、今、を生きる。
- 574 名前:(40) 投稿日:2005/02/07(月) 02:06
-
(40)――了――
- 575 名前:僕ら 投稿日:2005/02/07(月) 02:07
-
僕ら ――了――
- 576 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/07(月) 02:29
- 何というか、急な展開でびっくりしましたが、ひとまず、お疲れ様でした。
- 577 名前:名無し? 投稿日:2005/02/07(月) 09:50
- 感動しました!!
ずっと読んでいたんですが、切なくて感動できて
自分の大好きな作品になりました!
お疲れさまでした。
- 578 名前:名無し飼育 投稿日:2005/02/07(月) 13:24
- 泣けました。
お疲れ様でした。
- 579 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/07(月) 18:47
- 温かい気持ちと寂しい気持ちがじんわり拡がっていく感じ
いいもの読ませてもらいました
- 580 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/07(月) 19:27
- いろんな想いが残りました
内容もですが、最後の更新日と時刻にも感服しました
- 581 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/07(月) 21:04
- 脱稿お疲れ様です
最後の方は雰囲気を壊したくないのでレスは控えさせていただいてました
なんか優しくて切なくて暖かい素敵な作品でした
すばらしい作品ありがとう
- 582 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/08(火) 01:28
- 本当にいいものをよませてもらいました。
ありがとうございました。
- 583 名前:名無し飼育 投稿日:2005/02/08(火) 03:06
- 感動したの一言です。
読めてほんとに良かったなぁと思える作品です。
お疲れ様です。そしてありがとうございました。
- 584 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/08(火) 10:52
- 素晴らしい作品をありがとうございました。
心から感動しました。
- 585 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/08(火) 23:45
- 精一杯今を生きる亜依ちゃん、その影響を受け成長していく仲間
全てに感動しました
私もせめて私の近しい人間で毛でも幸せにできたらなと思いました
暖かい作品ありがとうございました
- 586 名前:知 投稿日:2005/02/18(金) 19:52
- 一気に読ませていただきました!
一気に泣きました。。。
Converted by dat2html.pl v0.2