CAST A SHADOW 2nd stage
- 1 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/09/12(日) 10:24
- 前スレ『CAST A SHADOW』
http://m-seek.net/cgi-bin/test/read.cgi/snow/1073817555/
こちらの板では初めましてです。
学園ものでアンリアルです。
話の展開が稚拙なので基本sage、ochi進行でお願いします。
更新速度は、あまり言明できないです。
- 2 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/09/12(日) 10:28
- 大会初日。
即ち現地に着いて2日目。
いつもと違う場所で迎える朝。
そのせいではないと思う。
普段であればこんなことはないのに、何故か今日に限って早く目が覚める。ベットから
ゆっくりと身を起こす。周囲を見回すと同室の人たちはまだ寝ているみたいだった。
起こさないように静かにベットを抜けると顔を洗って頭をすっきりとさせる。顔を拭いて
正面を見ると、鏡に映った自分の姿。
起きたばかりなのに
顔を洗ったばかりなのに
泣きそうな顔。
さっき何故か早く目が覚めたなんて思ったのは嘘。
本当は分かっている。
なんで早く目が覚めたのかは。
- 3 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/09/12(日) 10:30
-
―――美貴の顔が見たい―――
顔を拭いていたタオルをベットに投げる。
顔を綻ばせた紺野の顔が思い浮かぶ。苦しそうな美貴の顔が浮かぶ。
あの顔もこの顔も亜弥の知らない顔。亜弥の知らない美貴の表情を引き出せる人。
美貴を亜弥の知らない世界に連れ去ってしまう人。もう知っているから。
失ってしまうことの怖さを知っているから。大事なものだからこそ絶対に失いたくない。
もし失くしてしまったら、自分がどうなってしまうか分からない。
足音を忍ばせて部屋を出る。隣は美貴たちの部屋。
悔しそうな顔をした里田が思い浮かぶ。戸惑っている美貴の顔が浮かぶ。
真希と美貴との間柄と似たような繋がりを持っていて、違う役割を持っていた人。
分かっているから。あの人は亜弥を助けてくれないし、あの人に示さなければ、逆に
あの人はきっと美貴を連れ去ってしまう。今の自分の精一杯を見せ付けなければならない。
美貴たちの部屋の前に立つ。
- 4 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/09/12(日) 10:31
- あの離れていた3年間で学んだから。閉じこもっていても何も変わらない。背中を向けて
耳を塞いでいても何も変わらなかった。だから必死に足掻かなくちゃダメだ。
分かっている。
分かっては…いる。
だから…。
でも…。
今は美貴の顔が見たい。
いつもみたいに自分に笑いかけて欲しい。
里田に宣言した時の目の輝きは、そこにはなかった。
昨日の宣言は亜弥の精一杯の強がりだったから。
でも美貴がいれば、それはきっと強がりではなくなるから。
必死な想いで一度だけドアをノックする。
あまり何度もノックすると他の部屋の人も起こしてしまうかもしれないから。
だから自分のありったけの思いを乗せてドアを叩く。
たった一度だけ。
―――お願い…、美貴たん…。ひと目でいいから…。
- 5 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/09/12(日) 10:32
- ドアの前でゆっくりと崩れ落ちるように跪く。するとドアがゆっくりと開けられる。
『届いた!?』
そこには不思議そうな顔をした吉澤が立っていた。
「亜弥ちゃん!?どうしたの?大丈夫?」
今にも泣き崩れてしまいそうな亜弥を見て、驚いて声をかけるが、その質問の答えは返らない。
「……たん…は?」
「え?」
「美貴たん…は?」
「あ、ああ、さっき起きたけど…。」
その言葉を聞き、無言で部屋の中に入る。
そしてベットの上に座り込んでいる美貴を見つける。
「…?亜弥ちゃん、おはよう…」
言葉を返すことなく、そのまま美貴に抱きつく。
- 6 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/09/12(日) 10:32
- 「あ、亜弥ちゃん、どうしたの?」
だが、亜弥は顔を上げることなくそのまま抱きついている。仕方なく所在のない手を
背中に回す。
「…おまじない…。」
「え?」
「おまじない…やって…?」
「え、う、うん…。」
そう言って顔を上げた、その瞳は涙に濡れて潤んでいた。その目をみた美貴は、それまで
戸惑い気味だった表情を引き締める。
「…ミキティ?」
「よっすぃ、悪いけどちょっと外してもらっちゃってもいいかな?」
「え?う、うん、いいよ、元々もう集合場所に行こうかと思ってたから。」
「ありがとう。」
吉澤が部屋を出たのを確認すると、改めて亜弥の顔を覗き込む。
「…亜弥ちゃん?」
- 7 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/09/12(日) 10:33
- それは曖昧な呼びかけ。
質問でもあり、いざないでもある。
亜弥はどちらと受け取るのか。
亜弥はその呼びかけに目を閉じて応じる。
だからそのまま何も聞かずに、おまじないを始める。
「亜弥ちゃんの笑顔は、誰よりも可愛い。」
亜弥が何を求めているか分からないから。
「美貴は、いつでも亜弥ちゃんのことを見ているよ。」
自分の思いだけを乗せて呪文を唱える。
美貴におまじないをしてもらった、亜弥の瞳から一粒だけしずくが零れ落ちる。
それは、安堵と同時に決意を固めた亜弥の、想いを乗せたメッセージだった。
自分自身へのメッセージ。
「あ、亜弥ちゃん?」
だが、勘違いした美貴は慌てふためいた。自分のおまじないで亜弥が泣いてしまったのは
初めておまじないをしてあげた時以来だったから。
- 8 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/09/12(日) 10:34
- 「ど、どうしたの?なにかあった?」
そんな美貴を見てそっと口元を綻ばせる。
「…なんでもないよ、美貴たん。」
「でも…。」
「ふふ、ありがとう、心配してくれて。でも、もう泣かないよ?」
「そ、そう?」
「うん、絶対負けられないから。だから泣いている暇なんか、ない。」
そういった亜弥は真正面から美貴を見据える。いつもと同じように、自分のおまじないで
活力に溢れた瞳。だが、一瞬。ほんの一瞬。その瞳が揺らいだように見えた。
「亜弥、ちゃん?」
美貴の瞳に訝しんでいる色を見つけた亜弥は、視線を逸らすかのように立ち上がる。
「なにか…あった、の?」
「昨日ね、聞いた。」
「え?」
「里田さんから、美貴たんが北海道でどんなことをしていたか。」
「そ、そう…。」
- 9 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/09/12(日) 10:35
- 唐突に話題が振られて、その展開についていけずに少しどもってしまう。
背中を向けているため亜弥がどんな表情をしているのか分からない。
「紺野さん…だっけ?大変だったんだってね。」
「う、うん…色々あってね。」
亜弥の瞳が再び揺らぐが、ギュッと目をつぶり、自分に言い聞かせるように切り出す。
「でも、あたしは負けないよ?絶対に。」
「え?」
「あたし、昨日言ってきたの。里田さんに。絶対に負けませんって。あたしにも
負けられない理由がありますからって…。」
「…そっか…。」
「美貴たんは」
「え?」
「美貴たんは、それでも応援してくれる?あたしのこと。」
冗談っぽく言って振り向いた亜弥の顔には笑顔が浮かんでいた。だがその目は
決して笑っていなかった。
「当たり前じゃん。」
「それで紺野ちゃんたちが負けることになっても?」
亜弥の顔からは笑顔も消えていた。どこか縋るような表情。
だが、その言葉を聞いて美貴の表情から笑顔が消える。
- 10 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/09/12(日) 10:36
- 「…怒るよ。」
「え?」
「美貴が毎日しているおまじないは、亜弥ちゃんを励ますためだけにやって
いるんじゃないよ。」
「…ちがうの?」
「もちろん、励ますっていうのもあるけど、あの言葉はね。美貴自身への誓いの
言葉でもあるんだよ。」
「……誓い…?」
「うん…黙って心の中で思っていてもいいのかもしれないけれど、言葉にしておかなくちゃ
いけないこともあると思ってね。だから毎日自分に言い聞かせるためにも…ね。」
「美貴たん…。」
これ以上のものはない。
自分が欲しいと思っていた以上のものを美貴はずっと自分にくれていた。
さっき泣かないと決めたのに、思わず目から零れ落ちそうになる。
慌てて美貴に背中を向けると、泣きそうになった自分を奮い立たせるように大きな声を出す。
「もう集合時間だから、ロビーに行こう?」
そう言ってそのまま振り返らずにドアを開けようとする…が、鈍い音と共にドアは
また閉まってしまう。もう一度開けてみると、今度はすんなりと開く。不思議に
思って開けたドアから顔だけ出してみると、そこには、何故か鼻を押さえて
しゃがみこんでいる吉澤がいた。
- 11 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/09/12(日) 10:36
- 「どうしたんですか、吉澤先輩?集合場所に行ったんじゃなかったんですか?」
「え?あ、いや、忘れ物を取りにね…。」
「そうですか。意外に慌てん坊ですよね、吉澤先輩は。」
にっこりと笑いかける。そこには部屋に来る前までの、崩れ落ちそうな亜弥はもういなかった。
『おまじないっていうやつのせい…?』
不思議そうな顔をした吉澤に向かって、先ほどと同じように大きな声で告げる。
「さ、吉澤先輩も急がないと遅れちゃいますよ!」
戸惑い気味の美貴と吉澤の手を取るとそのまま走り出す。
もっともっと、美貴を、自分を、信じなくちゃ。
握り締めた手に想いを込めた。
絶対、紺野ちゃんには負けない!
- 12 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/09/12(日) 10:37
-
◇
- 13 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/09/12(日) 10:38
- 「暑いよ〜」
「もう少しだから我慢して!」
そう言い合いながら歩いている2人。
街路樹の陰に隠れながら歩いているのだが、いかんせん気温があまりにも高いため、
木陰でも十分蒸し暑い。風もほとんど吹いていないため、もはやただ全身で暑さを
受け止めるしかない。
「梨華ちゃん、もう帰ろうよ〜。」
「ダメだよ、ののは頑張って勉強しなくちゃなんだから。」
それも楽しくない目的のために歩いているとなれば、尚更その道程は蒸し暑く思える。
言葉にするとまた更に暑く感じるが、口に出さなければ気が済まない。
「また明日にしようよ〜。」
「ダメだよ。そうしたら明日も“また明日〜”なんてなっちゃうんだから。」
埒が明かないと考えたのか、余計暑くなるのも構わずに、駄々をこねる辻の手を取って
石川はずんずんと歩き始めた。なんだか漫画などでよく見かける“歯医者に行くことを
嫌がる子供を引っ張る母親”という構図になっている。周囲の人たちもまさか実写版で
見られるとはといった感じで眺めている。
そんな周囲の好奇とも呆れたとも取れる視線を全く気にしないで一心不乱に歩く。
しばらく辻を引きずって歩いていると、ようやく目的の本屋に到着する。
- 14 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/09/12(日) 10:39
- 「あ〜生き返る!!」
「死ぬかと思った〜。」
まさしくオアシスに出会った砂漠の旅人のような様相で本屋の入り口でへたり込む。
本屋の中はクーラーが効いていて快適な温度が保たれていて、外の灼熱地獄とは
無縁な空気が漂っている。
しばらく店の中で惚けていたが、中のクーラーに冷やされて正常な思考が出来るように
なると、早速参考書が売っているコーナーへと向かう。
「どんなのを買えばいいの?」
「え〜っとね、まず、見やすくて…」
仕方なく質問をする辻に対して、嬉しそうに参考書について語る石川。何がそんなに
楽しいのか、生き生きとした表情をしている。そんな石川に少し引きながらも、適当に
相槌を打つ。ここで分からないなんて言うと泣いてしまうか取って食われそうな感じが
していた。そして石川が是非にと薦める参考書を数冊購入し、本屋を出る。
「ねえ、梨華ちゃん、もう参考書買ったから良いでしょ?どっかで休んで行こうよ。」
「もう〜ののはしょうがないなー。じゃあ、ちょっとだけだよ?」
全ての我がままを聞いているわけにはいかないが、少し休むくらいなら構わないだろうと
判断して近くのファミレスに入る。ドリンクバーを注文して、適当に選んで席に着く。
ちょうど窓際の席が空いていたので、外の景色を眺めながらストローでジュースを飲む。
自分たちが涼しい思いをしている目の前を汗をかいた人たちが行き来している。
ちょっとした優越感を味わいながらしばらく通りの様子を眺めていると、飽きたのか
辻が話しかけてくる。
- 15 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/09/12(日) 10:39
- 「ねえ、梨華ちゃんは、遊びに行ったりしないの?ののの参考書選びを手伝って
くれるのは助かるけど…。」
「いいの、これでののの成績が上がるんならいくらでも付き合うよ?」
「う〜…それは、梨華ちゃんの教え方次第だよ。」
「何言ってるの!頑張るのは、ののでしょう?」
「ののは頭悪いからダメだよ〜。」
「頑張らないと高校生になれないでしょう?…あれ?そういえば、ののって志望校は
どこなの?」
家庭教師を務めているのに、うっかり確認していなかった。
「ののはね〜松浦学園がいい!」
「松浦学園?」
「うん、やっぱりバレーが強いところに入りたいから。」
「ののは本当にバレーが好きだね。」
「それに、亜弥ちゃんたちもいるし。」
「あ、そっか美貴ちゃんたちも松浦学園だったね。」
美貴ちゃんという言葉を聞いて、辻が思い出したように時計を見る。
「のの?どうしたの?」
「うん、もう開会式始まってるかな〜と思って。」
「あ、今日からだっけ?大会は。」
「うん。」
「美貴ちゃんも頑張ってるかな〜。」
- 16 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/09/12(日) 10:40
- その石川の言葉を聞いて、辻が可笑しそうに笑う。
そんな辻を訝しげに眺める石川。
「ん?何かおかしなこと言ったかな?」
「ふふ、ゴメン。それより梨華ちゃん、あまり亜弥ちゃんたちの前で美貴ちゃんと仲良く
しないほうがいいよ?2人が拗ねちゃうから。」
「え?2人って、松浦さんと後藤さん?」
「うん、あの2人は美貴ちゃんが絡むと人が変わるから。」
辻はそう言ってまた可笑しそうに笑った。そんな辻をしばらく困惑した表情で眺めていたが、
しばらくして、何かを思い出したのか身を乗り出して辻に話しかけてきた。
「ねえ、そういえば、美貴ちゃんて、中学時代バレーで有名だった、あの藤本美貴なの?」
石川の言葉を聞くとようやく笑いを引っ込める。
「あれ?梨華ちゃん、美貴ちゃんのこと知ってたの?」
「…うん…まあ…ね。」
「梨華ちゃんもバレーやってたの?…あれ?そういえば梨華ちゃんは部活やってなかったっけ?」
「うん、高校ではやってないよ。それに中学のときはテニス部に入ってたんだ。」
「あれ?じゃあ、なんで美貴ちゃんのこと知っているの?他の中学でもそんなに有名だった?」
「あ、ううん、そうじゃなくて、私の幼馴染がバレー部に入部した時に、その藤本美貴っていう
人の噂を聞いてね。なんか有名だっていう話だけは聞いてたんだ。」
そう言って曖昧な笑みを浮かべる。しかし辻は全く気にせずに話を続ける。
「そうなんだ〜。その人はまだバレーやってるの?」
「え?」
- 17 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/09/12(日) 10:41
- 辻にしてみれば何も意図しない質問であったのかもしれないが、石川は何故かそのことに
動揺している様子だった。
「あ、あのー、そうね、やっているみたい…。最近連絡とって無いからあまり知らないけど。」
「ふーん。」
自分で質問をしておきながら、あまり興味がないのか窓の外を眺めている。
そんな辻の態度に怒ることもなく、むしろそれ以上突っ込んだ質問がこなかったことに対して
密かに胸を撫で下ろしていると、不意に辻が呟く。
「…ごっちん?」
「え?後藤さん?」
「う、うん、なんかあそこの路地裏からごっちんに似た人が出てきたから…。」
そう言って指差した先には、両側を建物に挟まれた細い道があった。
離れたこちらから見ても、その道は昼間だというのに薄暗い印象を持った。
すると、そこから同じように人が数人、いや十数人出てくる。
「…あれは…ユウキ…やっぱりあれはごっちんだったんだ。」
「そうなの?でも、何やってたのかな?あの先って、確か行き止まりだよね?」
石川の言葉を受けてしばらく考えていたが、やがて結論が出たのか、勢いよく立ち上がる。
「ちょっと見てくる。」
「え?のの、見てくるって?」
「なんか変だから。」
- 18 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/09/12(日) 10:41
- 石川の意図した質問とは微妙にずれた答えを返して辻はファミレスを出る。石川も
急いで会計を済ませて後を追う。信号を渡り反対側の歩道に着くと、先ほど真希が
出てきた細い道に入る。少し歩くと石川が言ったとおりに行き止まりとなっている
ようだったが、一番奥は少し広い空間が広がっているようだった。
しかし、そこまで来ると、先ほどまで勢いよく歩いていた辻が唐突に足を止める。
すぐ後ろを遅れないように急いで歩いていた石川は思わずぶつかってしまう。
「ご、ごめん。」
「…………。」
声をかけたが、辻からの反応はない。
「のの?どうしたの?」
「………。」
顔を覗き込んでみるが、辻の目は一点を捉えたまま全く動かない。
不思議に思って辻の視線の先を追ってみる。
- 19 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/09/12(日) 10:42
- 「…ひっ!」
思わず声が漏れる。膝の力が抜けそうになるのを必死に堪える。
足元が急激に頼りなく感じられて、咄嗟に辻の肩に掴まる。
辻は微動だにしないでその先にあるものを見つめている。
「の、のの…あ、あれ…?」
震える指で石川が指し示した先には、1人の男が横たわっていた。
少し離れたこの場所からでもはっきりと分かる。
顔は血に染まって、どこが口か鼻かも区別がつかない。自分の身を守るかのように
がっちりと身体に回された腕は血で肌の色の判別もつかなくなっている。そして
膝から不自然な方向に曲がった両足。
しばらく2人とも呆然とその場に立ち尽くしていたが、不意に辻の肩にかかっていた
力がなくなり、背後で人の倒れる音がした。辻もその場に倒れてしまいたかったが、
このまま放っておくわけにはいかない。
ポケットから携帯を取り出す。
ボタンを押す手が震えていた。
- 20 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/09/12(日) 10:44
-
- 21 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/09/12(日) 10:44
-
- 22 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/09/12(日) 10:46
- 更新しました。
ダラダラとした内容で申し訳。
本当はこれに加えて、あそこがああなってああああすいません。
今回は校正することなく載っけてしまいました。
新スレを立てるかどうか悩みましたが、とりあえず勢いで。
これからもマターリお付き合いくださいませ。
- 23 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/12(日) 22:58
- 更新お疲れ様です。
実は今日初めて発見し、
最初から読ませていただきました。
自分はごま大好き人間なので気になるところもすごく
ありますが、ごまっとうのキャラがすごく自然で
一気に引き込まれ惚れました。
次回も楽しみにしています。無理なさらず頑張ってください。
- 24 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/14(火) 22:45
- 剣としての行動は許されざるモノなのか。
人情としては正義だが法としては悪?
知るべきでなかった事を知ってしまった
彼女のとるべき行動は?
新たにリンクしてきた彼女の位置関係は?
全ての謎は三年前に集約される。 期待大!(w
- 25 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/17(金) 12:08
- ごっちんは、出ないんでしょうか。
- 26 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/17(金) 15:26
- ohi
- 27 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/17(金) 15:27
- ochi
- 28 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/09/19(日) 20:15
- 開会式も終わり、会場では第一試合が始まる。日程的に初日に試合がない松浦学園は、
いったんホテルまで引き上げた後に近くの練習場に向かった。そこでは同じように
試合がない花畑高校が練習をすでに開始していた。連携の確認をしているらしく、
数人でネットを挟んで同じ練習を繰り返していた。
昨日のこともあり、亜弥はさり気なく花畑高校を観察する。
チームの副キャプテンである里田は、さすがにチーム内でも目立つ存在であり、すぐに
見つけることが出来た。すると、偶然かそれともこちらの視線に気づいたのか、不意に
里田と目が合う。
『あ、え、えっと…』
亜弥が内心慌てていると、里田はにっこりと笑って軽く片手を挙げた。それを見て
会釈をして返す。すると里田は親指を突き出し、頑張ろうと合図を送ってくる。
それに対しては、握りこぶしをつくって頑張りますと応える。そのしぐさを見て
嬉しそうに笑うと里田は練習に戻っていった。
- 29 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/09/19(日) 20:16
- 美貴や吉澤が里田と仲良くなった理由が、なんとなく分かった。
だってこんなにも気持ちが晴れやかだから。彼女の気持ちが快く送られてくる。
亜弥に対して色々思うところもあるだろうに、今の彼女からはそんな素振りは
見受けられない。
多分同じ学校だったならば、もっと仲良くなることが出来ただろう。そんな
予感さえした。
「亜弥ちゃーん、練習始めるよー。」
吉澤の声が聞こえてくる。
「はーい!」
切れのいい、晴れやかな返事を返し、チームメイトの下へと走って行く。
亜弥が合流すると、間もなく練習が始まる。柔軟をして、個人個人でボールを使った
練習が開始される。皆適当に近くにいる人と組んでいるようだ。亜弥も近くの人と
組んで練習を始める。しばらくは順調に進んでいたが、少し力の加減を間違えてしまい、
ボールがそれてしまう。相手の人がそのボールを取りに行っている間にさりげなく
周囲を見回すと、吉澤と美貴が目に入る。一番端のほうで練習をしている。当然に美貴は
選手ではないので練習はしていないが、近くにいて吉澤に逐一アドバイスをしているようだ。
- 30 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/09/19(日) 20:16
- 最近はいつもこうだ。
ちょっと前まではいつも練習中は自分が美貴を独占していたが、最近は吉澤が
独占している。普通であれば決して譲ることはないが、そんな考え以上に吉澤の
瞳は真剣で……切羽詰っていた。
何かを必死に振り切るような。
かたくなに何かを目指しているような。
- 31 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/09/19(日) 20:17
- とにかく練習中は、吉澤の瞳には美貴しか映っていないし、美貴もそんな吉澤に
何も言わずに付き合っている。だから亜弥は適当な人と組んで練習をしている。
自分の練習相手には事欠かない。何せほとんどの先輩は自分と組もうとするから、
こちらが何も言わなくても相手は決まってしまう。
まあ練習中くらいは話せなくても仕方がない。休憩中にでも話せばいいし。
「じゃあ、5分休憩!各自水分補給をよくしておくようにね!」
監督の声とともにインターバルに入る。亜弥も片手で水分補給をしながら、さりげなく
美貴の所在を探す。すると隅のほうで吉澤と2人でいた。そして休憩時間中にも関わらず、
フォームのチェックなどしているようだ。ふと周囲を見てみると自分と同じように2人の
様子を伺っている人が何人もいた。
そういえば、花畑高校の2人に気をとられていたけど、チーム内にも美貴に対して何やら
特別な感情を持っているらしい人たちもいたのだ。だが、とりあえずはそんな人たちも
亜弥と同じように話しかけることが出来ないでいるらしい。何となく2人の間に入り込めない
壁のようなものを感じるからだろう。そういう自分も同じだが。何だかお互いしか目に
映っていないような錯覚さえ起こしてしまう。実は亜弥自身も美貴といるときは周囲に
同じような印象を与えていたのだが、得てして自分のことには気づかないものらしい。
- 32 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/09/19(日) 20:18
- 「じゃあ、始めるぞ!」
結局美貴とは全く会話することなく練習が始まってしまう。しかも今度はチームの
フォーメーションの練習になるため、美貴はコートから出てしまう。仕方なくコート内で
大人しく練習することにする。
しばらく様々なプレイのシュミレーションをやっていたが、不意にボールが飛んでくる。
「すいませーん。」
どうやら隣の花畑高校のボールらしい。一旦プレーが中断する。その流れで何となく
ボールが飛んできた方向の花畑高校に目が行く。するとちょうど休憩に入ったところ
らしく、皆コートの外に歩き始めている。そんな中、コート外のある光景が目に留まる。
そこでは紺野と美貴がタオルを絞っていた。親しげに会話をしながら。
『美貴たん…楽しそう…。』
美貴が自分を大切にしてくれているのは十二分に分かっている。
多分時間が空いたのでマネージャーの数が少なそうな花畑高校の手伝いをしてあげようと、
純粋な気持ちで手伝ったのだろうというのも想像がつく。
でも、それでも。
やはり自分の目の前で、仲良くしている姿を見せ付けられて穏やかでいられるはずがない。
しかも相手は自分にはっきりとライバル宣言をしてきた子だ。
だが今は大会期間中で、自分は練習中の身だ。騒ぎ立てるわけにもいかない。
ギュッと唇をかみ締めてから視線を逸らす。
- 33 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/09/19(日) 20:19
- 「お願いしまーす!」
中断していた練習を再開させるべく声を出す。何も出来ないならせめて練習に集中して
気にしないようにしたい。だが、練習が再開されない。ふと見てみると反対側からサーブを
打つ役の吉澤がこちらには気づかずに、同じように美貴たちのほうを見ていた。
そして何故かその瞳は今までに見たことの無い種類のものに感じられた。
「吉澤!どこ見てんだ!」
「す、すいません!」
監督からの叱責により、ようやくこちらに意識を戻したらしい。
慌ててサーブを放ち、練習が再開される。
集中しよう
集中しよう
集中しよう
集中…しよう
…集中…しよう…
…集中…
…しゅう、ちゅう…
チラッ
「松浦!」
「え?」
- 34 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/09/19(日) 20:19
- 顔の左半分に何やら激しい衝撃を受けて、思わずその場に蹲る。
「大丈夫!?松浦さん!」
「大丈夫か!松浦!」
周囲から声がかけられるが、あまりの痛さに返事が出来ない。
どうやらスパイクのボールがもろに顔面に直撃したらしい。
しかし何とか立ち上がり応える。
「大丈夫です!……あ…。」
何か鼻の中を生暖かいものが通過する。
ポタポタ
「あ、鼻血…。」
誰かの声が聞こえる。
「大丈夫か?ちょっと休んでろ。」
「だ、大丈夫です。やれます。」
「馬鹿。鼻血を甘く見るな。それに、少し反応もおかしいからな。熱中症の危険も
あるから少し休んどけ。水分とって、しっかり鼻血も拭いてな。くれぐれも上を
向いたり鼻をかんだりするなよ。」
「はい。」
本当は自分が余所見をしていたのが原因で、ボールが直撃したのだから、このまま
休んでしまうのは何だか申し訳なかった。しかし鼻血が止まらなければ練習が
出来ないのは分かっているため大人しく鼻を押さえながら、コートの隅に座る。
- 35 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/09/19(日) 20:20
- しかし鼻血が出ていること以外は、いたって正常なため、なんだか落ち着かない。
しかも体育館の中は熱気と湿気で、纏わりつくような暑さによって身体中から
汗が吹き出てくる。急に動かなくなったのも原因だろう。
なんとか気を紛らわすために、周囲に目をやると、再び紺野と美貴の姿が目に入る。
あちらの高校はまだ休憩中らしく、みなくつろいでいる。そして美貴と紺野は
花畑高校の選手に囲まれながら楽しそうに会話をしているようだった。
半年前まであちらの高校にいたのだし、いつでも紺野と一緒にいたということだから
ほとんどの人たちを知っているのは当然のことなのかもしれない。
- 36 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/09/19(日) 20:21
- だが、それでも嫌だった。
そこにいる全員が寄ってたかって美貴を亜弥の知らない美貴に仕立て上げようと
しているように思えてしまって。美貴を遠くに連れて行ってしまいそうで。
目を逸らしたいのに、何故か視線は美貴たちから固定されて動かない。
会話が盛り上がっているらしく、紺野が冗談っぽく美貴の肩を叩いたりしている。
『嫌だよ。触らないでよ。』
美貴も楽しそうに紺野の頭を撫でたりしている。
『美貴たん、何でその子の頭を撫でてあげているの?』
紺野も嬉しそうに目を細めている。
今朝、美貴が自分に言ってくれたのに。
今までも美貴は自分を大事にしてくれているのに。
でもやっぱり抑えられない。
- 37 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/09/19(日) 20:22
-
自分が子供だから?
これは我がまま?
これは独占欲?
こんなに
こんなに嫉妬するなんて。
でも
抑えられない。
- 38 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/09/19(日) 20:23
- 勢いよく立ち上がる。
鼻を押さえたティッシュはそのままで。
むしろ少し鼻血を拭いてティッシュを血で染める。
そしてそのまま美貴に声が届くところまで移動する。
「美貴たん」
遠くに届けるような声ではなくて。
普通に至近距離にいる人に話しかけるような声のトーンで。
普通であれば聞き取れないような声の大きさで。
こんな時だけは、自信があるから。
きっと美貴なら聞き取ってくれるから。
「…亜弥ちゃん?」
果たして美貴は振り向いた。
「ど、どうしたの!?大丈夫!?」
亜弥のティッシュが血で染まっているのを見た美貴が慌てふためいて走ってくる。
「どうしたの!?なにがあったの?」
「うん、ボールが…。」
「ちょっと、寝てないとダメだよ!」
「大丈夫だよ、だいぶ止まってきているから。」
「何言ってるの!ちょっと来な!」
- 39 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/09/19(日) 20:23
- そう言って亜弥の手を引っ張って行く。
美貴に引きずられるように歩く亜弥が一瞬だけ紺野に視線を送る。
その目は心配そうな眼差しに溢れていたが、亜弥にはその目が自分を非難している
ように思えた。卑怯な自分を責めているように感じられた。だから思わず目を逸らす。
「亜弥ちゃんは、ちょっとそこに寝ていて!」
無理矢理、亜弥を寝かせると救急箱を開ける。
周囲のマネージャー達も冷やしたタオルを渡したりと慌しく動いている。
「大丈夫?ちょっと見せてみな!…傷はないみたいだね。」
亜弥の顔を覗き込んで、傷の確認をしてほっとした表情を浮かべる。
「もう、どうして顔なんかにぶつかるの!女の子なんだから気をつけないとダメでしょ!」
懇々説教をする美貴を見つめながら亜弥は、そっと口元を緩める。
『今は自分だけを見ていてくれている。』
だがそれも美貴に見つかる。
「何笑ってるの!?ちゃんと聞いてるの?」
「あ、ごめんなさい。」
「全く、亜弥ちゃんは昔から注意力が散漫というか…」
- 40 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/09/19(日) 20:24
- 再び美貴の説教は続くが、微妙に内容は逸れはじめていた。
そんな美貴の隙をついて、そっと隣の花畑高校を見てみると、もう休憩は終わった
ようで練習が再開されていた。里田たちはコート内に戻っていたが、紺野は先ほど
配ったタオルを回収しているようだった。そして回収が終わったのか両手一杯に
タオルを抱えて立ち上がる。そして、そのままこちらの様子を伺っているようだ。
その紺野と目が合ったような気がした。何故か目が離せなくなる。ただこちらを
見ているだけなのかもしれない。だが亜弥の目には、自分を責めているような、
美貴を求めているような、そんなふうに映った。
―――胸が痛い。
- 41 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/09/19(日) 20:25
- 「ご飯を食べている時も…」
「美貴たん。」
「気をつけ…え?なに?」
「鼻血止まったみたいだから、練習に戻るね。」
「う、うん…。」
続いていた美貴のお説教を途中で止めて練習に戻った。そっと紺野のほうを見ると、
タオルを抱えて外の水道に向かって歩いて行くところだった。
もしかしたら亜弥が気にしすぎただけなのかもしれない。
紺野は全く気にしていなかったのかもしれない。
それは亜弥の罪悪感が見せた幻だったのかもしれない。
だが、胸の内が痛んだのは…自分の心が悲鳴を上げたのは確かだった。
今まで見たこともない自分が顔を出す。
自分の知らない感情が自分を支配する。
失わないために、負けないために頑張るというのは、果たしてこういうことなのか。
- 42 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/09/19(日) 20:26
-
迷いながら踏み出した第一歩。
そこは知らないことだらけで、不安を掻き立てる世界。
自分が自分でないような、自分を保てなくなる世界。
自分は、こんなにも、不安定な……。
- 43 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/09/19(日) 20:28
- 更新しました。
週一くらいの更新ができるのが理想ですね。
とりあえずは早くあやみきごとを見たい!
レスありがとうございます。
>>23 名無飼育様
気に入っていただけたようで何よりです。
後藤さんは今ちょっとサブ的になっていますが、
あくまで中心人物の1人ですので動向を見守っていてください。
>>24 名無飼育様
おお!なんか映画の予告編みたいですね。カコイイ。
期待に添うことが出来るように頑張ります。
>>25 名無飼育様
後藤さんは場所と時間軸の関係ですぐには出てこないですが
また少しすると登場すると思います。少々お待ちください。
>>26-27 名無飼育様
お気遣いありがとうございました。
- 44 名前:名無し読者 投稿日:2004/09/20(月) 15:52
- 独占欲ですら可愛いです。更新お疲れさまです。
- 45 名前:nanac 投稿日:2004/10/07(木) 19:23
- 初レスです。
今後の3人それぞれの動きが楽しみです。
とくに、美貴たんと亜弥ちゃんの関係が発展するのか…(W)
すごく期待してます。
更新ゆっくりでもいいですので、お待ちしてます!
- 46 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/10/13(水) 22:44
-
パシィ!
会場内に静かに響き渡る音。
応援席にいる人合わせると3桁ほどの人間がいるのに、こういう音って響くんだな。
吉澤が場違いな感想を抱く。敵味方の選手たちだけでなく、会場中の人たちがその
場面を見ていたように思える。下手したらその瞬間を捉えたカメラもあったかもしれない。
頬を押さえた亜弥
その頬を叩いた美貴
会場中の人たちが一瞬息を飲む。
そんな雰囲気の中、美貴は静かに踵を返すと亜弥に背を向けた。
「そんな態度でプレイをするのはチームメイトに失礼だよ。全力を出せないのなら
交代させてもらいな。」
背中越しに冷たく言い放つ美貴の言葉が怒りに震えていた。
その言葉を聞いた亜弥は頬を押さえながら、俯かせていた顔を歪ませた。
どうしても頭を離れない。
美貴の顔を見るたびに思い浮かんでくる。
紺野の笑顔
里田の悔しそうな顔
そして吉澤の真摯な眼差し
それらがどうしても浮かんでしまう。
心を落ち着かせるために美貴の顔を見ても、逆に落ち着かなくなってしまう。
亜弥の精神状態は、美貴に依存しているといっても過言ではない。
もはや亜弥の精神は泥沼状態に陥っていた。
- 47 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/10/13(水) 22:45
- 〜〜
大会2日目
松浦学園にとっては初戦がある日。
この日は午前中に初戦、午後に第2試合がある。
大会の最初はグループリーグ戦があり、上位1、2位のチームが決勝トーナメントに
進出することができる。そしてグループリーグを勝ち抜いた時点でベスト16が
出揃うことになる。
松浦学園は全国大会常連のチームであり、この予選リーグで消えることは滅多に
なかった。しかし全国大会ではそんな実績はほとんど役に立たない。負けてしまえば
結局は伝統校も新設校も強豪校も弱小校も一緒だからだ。だから当然1試合1試合
気を抜くことは出来ない。
そんな中、試合に臨んだ午前中は結果的には3−0のストレート勝ちであったが
その内情は危ういものだった。どの試合も僅差での運がいいと言えるような勝利
だった。地区予選の活躍で一躍有名となった亜弥が出場するこの試合は、マスコミや
他のチームが多数注目する中、行われた。当然選手たちは過度の緊張に見舞われて
しまいなかなか思うような試合展開とならない。そんな中孤軍奮闘したのが吉澤
だった。ここ数ヶ月の真摯な練習振りや美貴とのマンツーマンの練習が功を奏したのか
明らかに地区予選のころよりもレベルアップした姿を披露した。しかしその吉澤と
全く対照的な存在となったのが亜弥だった。
- 48 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/10/13(水) 22:46
- 地区予選決勝で見せた、オーラさえ漂わせていた亜弥の姿はそこにはなく、プレイの
ひとつひとつに今ひとつ切れがなかった。そして時には試合中にも関わらずコートの
外を眺めているときさえあった。そんな状況のまま迎えた午後の第2試合。
第一セットも中盤。相手のなんとも無いスパイクを亜弥がレシーブミスしたところで
松浦学園のテクニカルタイム。コートの中から戻ってくる選手たちをベンチが迎え入れ
ている時。真っ直ぐに亜弥のもとに歩いていった美貴は、亜弥に声をかけ、亜弥の目が
美貴を捉えた瞬間に頬を叩いた。騒然とした雰囲気となるベンチ内外にも関わらず
美貴の表情に変化はなかった。声に感情は込められていたものの、その表情は全く
普段と変わりなかった。いや、変化がないというよりは表情がなかった。しかしまるで
能面のような表情となっている美貴からは、逆に単純な怒りの発露よりも深い怒りを
感じさせた。
〜〜〜
- 49 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/10/13(水) 22:47
- そんなこともあり少し浮き足立つような形となった松浦学園のベンチで監督が声をかける。
「まだ第一セットの中盤だ。落ち着いて行こう。…松浦、いけるか?」
亜弥の脳裏に今まで自分の頭の中に浮かんでいたことが再び浮かんでくる。
紺野の笑顔
里田の悔しそうな顔
そして、最近の吉澤の真摯な眼差し
だが、それらを全て振り払ってしまうほどの美貴の――
だから今だけは全ての雑念を振り払う。
美貴のあの目に震える。
美貴のあの目に奮い立つ。
今は震えない。
今は奮い立つとき。
「………はい!」
俯いている亜弥にあえて声をかけてきた監督に、小さいが力強い返事を返す。
そんな亜弥を見て安心したかのような顔をした監督が選手を送り出す。
「よし!じゃあ、落ち着いて、まずは一本だ!」
「はい!」
- 50 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/10/13(水) 22:47
- なんとか再び引き締まったチームの雰囲気を察して、コートに送り出す。
ブザーがなり、相手チームも出てくる。再開される試合。そんな中ベンチに戻った
監督は美貴に声をかける。
「大丈夫か?」
「…はい。」
主語が抜けた監督の質問に一言で返答する。
亜弥がいなくても勝ち上がっていくことは出来る。チームとはそういうものだから。
だが、勝ち上がっていくと必ず亜弥の力を必要とする時がくる。上のレベルにいけば
必ず1人の選手によって試合が左右される瞬間がくる。そしてその瞬間をものに出来る
力が亜弥にはあった。だから今後のためにも亜弥には早く立ち直ってもらいたかった。
そういう意味では、先ほどの行為は美貴による荒療治だと監督は見ていた。
そして試合は落ち着きを取り戻した。監督の目には亜弥は先ほどの荒療治により、
本来の力を発揮し始めていると映った。試合に集中し始めた亜弥と吉澤が、かみ合い
始めたのだ。もともと松浦学園は優勝候補の一角に数えられるほど前評判は良かったのだ。
第一セットを取った後も危なげなく試合を進め、結果的には第一試合と同様に3−0の
ストレート勝ちだった。
- 51 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/10/13(水) 22:48
- 歓声の中、コート内での挨拶を済ませてベンチに戻ってくる松浦学園の選手たち。
その瞬間を周囲の人たちの視線が追う。カメラが追う。
亜弥を。
美貴を。
先ほど亜弥の頬を叩いた美貴は、どう出迎えるのか。
みなの注目が集まる中、美貴が歩み寄る。
一方、亜弥はベンチの前で立ち止まる。
様子を伺うような不安を除かせた瞳を浮かべて。
試合中に関係ないことばかり考えていた自分は、美貴に見放されてしまったのではないか。
そんな想いが亜弥の足を止めさせた。周囲の好奇に満ちた目が亜弥を見つめる。
その周囲の様子自体には気づいていないが、確実に自分を捕らえている纏わりつくような
視線を感じて、その感覚が身体の動きを封じ込める。
しかし美貴はそんな亜弥に軽く微笑むと、思いっきり抱きしめた。
亜弥は少しだけ驚いたような表情を浮かべるがすぐに美貴に身体を預ける。
- 52 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/10/13(水) 22:49
- 「ちゃんと頑張ったね。」
「うん」
「ちゃんと見てたよ。」
「うん」
美貴の手が優しく亜弥の頬を撫でる。
「…頬、痛かった?ごめんね。」
「…ううん、いいの。大丈夫だよ。ありがとう。」
亜弥から身を離すとそこには、はにかんだ笑顔の亜弥がいた。
「美貴たんに抱きしめてもらったのって久しぶり。」
「ふふ、頑張ったから、特別ご褒美だよ。」
「おーい、お二人さん、そろそろいいかな〜。次の試合があるからベンチ空けるんだけど。」
至近距離で見詰め合って微笑みあっている2人に監督が声をかける。
「あ、はーい」
「すいませーん」
2人はすぐに離れて皆の後を追った。
だから気づかなかった。
今の2人の様子をテレビに収められていたことにも、雑誌や新聞のカメラに収められて
いたことにも。そしてそれが自分達の今後に影響を与えてくることなど想像もしていなかった。
- 53 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/10/13(水) 22:50
- 会場脇の選手控え室で、各自が軽く柔軟をして体をほぐし終わると、手早く荷物を
まとめて移動バスに乗り込む。宿泊しているホテルに着くと、荷物を部屋に置きに行き、
すぐに大広間に集まる。今日の試合のミーティングを行うために。そして監督を中心に
反省すべき点やうまくいった点を確認する。そして最後に吉澤が締めの言葉を言う。
「今日は順調に勝つことが出来ました。でも、反省点もまだまだ多くて、今日の試合
内容では、上にいったときに勝てないと思います。今夜も次の対戦相手のミーティングが
ありますが、それまでにもう一度反省すべきことを洗いなおしてください。」
言い終えた吉澤が視線を移す。そして他の部員も、監督もそれに倣う。
皆の視線の先にいるのは、美貴。
最近のミーティングの流れ。
普通はキャプテンが締めた時点でミーティングは終わりなのだが、最近では
吉澤の後で美貴の言葉によって最終的な締めとなる。もともとは地区予選中に冗談で
吉澤が最後の言葉を美貴に振ったのがきっかけだった。しかし、キャプテンであり
ムードメーカーでもある吉澤が心酔しており、今やチームの中心人物である亜弥が
慕ってやまない上に、今までの練習での指導ぶりでチーム内から高い信頼を得ている
ため、最近の流れが出来上がった。
そして地区予選の決勝で美貴の一言が、監督に亜弥を出場させる決断をさせたことにより
監督も美貴の言葉を軽んじないようになっていた。従って今やチーム全員が美貴の言葉で
締めることを望んでいる状況だった。
- 54 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/10/13(水) 22:51
- そんな流れで美貴が口を開く。
「えっと、美貴からはひとつだけ。全力を尽くして、後悔のないようにして下さい。」
簡潔な言葉で場を締めくくる。
そして全体でのミーティングは解散となる。
しかしこの後、試合に出た選手たちは皆、マッサージ等のクールダウンに入る。
試合直後にもやっているが、少し時間のたった今の時間帯は細かい箇所の
マッサージとなる。そしてそれが終わる頃には夕食となり、その後はビデオを使った
明日の対戦相手の対策だ。明日は3試合あるため、ビデオを交えた対策は2時間以上にも
及んだ。そしてその後ようやく解散、自由時間となった。
しかし自由時間といっても、明日も試合があるため早く寝なければならない。従って
自由時間も実質的には1時間程度である。また、多くの人は今日初戦の疲れもあり
早めに就寝してしまうだろう。
そんな中、亜弥はホテルの中を彷徨い歩いていた。
- 55 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/10/13(水) 22:51
- 『美貴たん、どこに行ったんだろう。』
隣の部屋自体に誰もいないため、吉澤に聞くことも出来ない。他の大部屋やロビーに
行ってもその姿は見つけられなかった。仕方なく当ても無く美貴を探して歩き回っていた。
『だから美貴たんも、携帯を持てばいいのに!』
何となく嫌だという理由で携帯を持たない美貴の所在は直接探し出すしかない。
気がつけばこちらに来てからまだ美貴と2人きりで過ごしたことはほとんどないように
思える。そして、今日の昼間の出来事。
ざわざわして、気持ち悪く、不安だけが胸の中を渦巻いている。
そんな気持ちを抱えたまま当ても無く歩く。
だが、ふと思う。
もしかしたら、花畑高校のところにいるのでは…?
その考えが浮かんだときには、既に足はエレベーターへと向かっていた。
自分たちが宿泊している階の2つ上にいるらしいので上のボタンを押すと、すぐに
エレベーターは昇ってきた。開いたドアに素早く乗り込むと2つ上の階のボタンを
押す。滑らかに動き出しすぐに着く。ドアが開く。一歩踏み出すと、そこには
自分たちがいる階と同じ光景が広がっている。同じホテルなのだから当然といえば
当然なのでが、何となく花畑高校自体を別世界のように感じている亜弥は別の場所に
迷い込んだ印象を抱く。
そろそろと足を進めて、部屋の様子を伺うが、如何せん外からではさっぱりと様子が
分からない。そもそも美貴がここに来ているのかさえ不確かなのだから、部屋を訪ねたり
することも出来ない。ここに来たのは無意味だったかなと思いなおして踵を返したときに
不意に目の前のドアが開いた。
- 56 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/10/13(水) 22:52
- 「じゃあ、このビデオは監督に返してきますね。」
そう部屋の中の人に言いながら出てきたのは、花畑高校マネージャーの紺野だった。
探している人とは全くベクトルの違う人が出てきたことに驚いてしまい、亜弥は
その場で固まってしまう。
パタン
ドアを閉めて歩き出そうとした紺野の足が止まる。
あるはずのない亜弥の姿を見てビックリしているようだ。
そしてゆっくりと頭が回転し始めたのか、目をパチクリとさせた後におずおずと
いった風に亜弥に問いかけてきた。
「あの、松浦さん、ですよね?どうしたんですか、こんなところで?」
「あ、え、えっと…。」
全く予想外の出来事でうまく口が回らない。
「その…。」
うまく話しだすことが出来ない亜弥に対して、紺野はゆっくりと微笑む。
「あの、言葉がまとまるまで待ちますよ?わたしも、よく美貴ちゃんに待って
もらっていましたから。」
- 57 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/10/13(水) 22:53
- 紺野の言葉に一瞬驚いたような表情を浮かべた亜弥だったが、“美貴ちゃん”という
言葉に反応したのか、急に表情を硬くした。
「あたしは今美貴たんを探しているんです。こっちに来ていませんか?」
そのあからさまな亜弥の態度に苦笑しながらもきちんと返答する。
「こちらには来ていませんよ。お急ぎでしたら、わたしも一緒に探しますよ?」
明らかに厚意で言ってくれている提案。
しかし今の亜弥は素直にその言葉を受け取ることが出来ない。
「いいえ、大丈夫です。あたしひとりで探しますから。」
あくまで突っぱねてしまう。
「でも、急ぎなんじゃないですか?わざわざこちらまで探しにこられている
くらいですから。」
傍から聴いていると紺野の疑問や提案は至極まともなものなのだが、亜弥から
すると違うものを邪推してしまうらしい。
「そんなこと言って、本当は美貴たんと一緒にいたいだけなんじゃないですか?」
とうとうストレートな言葉を吐き出す。
その言葉を少し予想していたのか、紺野の顔にはさほど驚いた様子は見受けられない。
「はい、一緒にいたいですよ。」
逆に紺野の言葉に亜弥は意表を突かれたような顔をする。
自分で聞いておきながら、本当に肯定するような回答が来るとは思っていなかったらしい。
- 58 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/10/13(水) 22:54
- 「美貴たんは…!」
その言葉を受けて亜弥が口を開いた瞬間に、紺野が亜弥の口を押さえる。
「!?」
「あの、場所を変えませんか?ちょっと目立つ場所ですので。」
そう言って少し困った表情をした紺野の視線を追ってみると、自分たちを見つめる数人の
瞳があった。確かに人通りのある廊下で話す内容ではないのかもしれない。
「こちらに来てください。」
そう言って紺野は、亜弥の返事を確認しないまま歩き出す。中途半端な状態で発言を
止められて行き場の無い思いをした亜弥は、仕方なくその後姿をおとなしく追いかける。
長い廊下の角を2回曲がると自動販売機のコーナーがあった。そこは少し広めの空間があり
ソファーも置いてあり、ちょっとした休憩スペースとなっているようだった。
紺野はそこの自販機でジュースを2本買うと、ソファーに腰掛けた。
「ここならあまり他の人は来ません。部屋には寄付のジュースが山ほどありますから、
わざわざ買いに来ませんし。どうぞ、座ってください。」
ソファーに座るように促し、亜弥の目の前にジュースを置く。
- 59 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/10/13(水) 22:55
- 「何かを飲みながらのほうが落ち着きますよ。どうぞ飲んでください。」
そう言うと自分もジュースのプルタブを開けて飲み始める。しかし亜弥はソファーに
腰掛けたものの、ジュースには手をつけずに黙っている。
「美貴たんは…」
「え?」
「美貴たんは、あたしの幼馴染なの。」
唐突に亜弥が話し始める。
「知っています。」
「ずっと一緒だったの。」
「お聞きしています。」
「いつもあたしの言うことを聞いてくれてたの。わがままも、おねだりも、どんなことも。」
「……。」
「あたしのことを大事にしてくれる、大事な人なの。」
「…見ていれば…、分かります。」
そこまで言ってから、亜弥は初めて紺野のほうを見る。
「美貴たんのこと……好きなんですか?」
「…大事な人です。」
亜弥の刺すような視線を正面から受け止め、目を全く逸らさない。
亜弥の質問を想定していたのか。
それとも亜弥をここに連れてきた時点で自分の気持ちを明かすことを決意していたのか。
全く動じずに言葉を続ける。
「わたしのことを励まして、支えてくれた大事な人です。命の恩人といっても過言では
ありません。今のわたしがあるのは間違いなく美貴ちゃんのおかげです。」
- 60 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/10/13(水) 22:56
- 淀みの無い返答
軽くはない想い
この人はまっすぐに美貴だけを見ている
「だから少しでも恩返しをしたい…美貴ちゃんが苦労していたら助けてあげたい。
喜んでいたらその喜びを増やしてあげたい。一緒に味わいたい。一緒にいたいんです。」
そこまで言って、再びジュースを口にする。
紺野に感情の高ぶりは見られない。
- 61 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/10/13(水) 22:57
-
ああ、違う
亜弥は唐突に思う。
自分の想いに昨日今日気づいた自分とは違う。
この人は胸に想いを秘めて、その秘めた想いは秘めたが故に余計に強くなり。
自分の気持ちを決めかねているような、持て余しているような、そんな自分とは全然ちがう。
―――この子は、もう決めている。
- 62 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/10/13(水) 22:57
- 「だから、この大会期間中は嬉しくて仕方ないです。美貴ちゃんを見ることができますから。
わたし達は勝ち残ります。ですから、松浦さんたちも勝ち残ってくださいね?」
そう言って紺野は立ち上がる。
飲み干した缶をゴミ箱に放り込む。
「では、明日こそは試合に集中してくださいね。」
その言葉に亜弥は勢いよく振り向く。
「今日のような様子では、うちのチームと当たるまでに負けてしまいますよ。」
「負けないもん!」
今日の無様な自分の試合の様子を言われて悔しかったのか、思わずソファーから立ち上がって
言い放つ。しかし、そんな勢いづく亜弥の様子にも気おされることなく微笑む。
「その気合で試合に臨んでくださいね。また頬を叩かれないようにしてください。」
そういうと紺野は歩いていく。
「絶っ対、負けないから!」
- 63 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/10/13(水) 22:58
- 紺野の背中に亜弥の叫び声が届く。
小学生のような物言いに苦笑しながら歩いていると、前方から慌てた様子の美貴が
走ってくる。
「美貴ちゃん、どうしたんですか?」
「あ、紺ちゃん!亜弥ちゃん見なかった?」
「…松浦さんですか?」
「うん、なんか同部屋の人たちも探しているんだけど、どこにもいないみたいで、
今みんなで探しているところなの。普段持ち歩いている携帯も部屋に置きっぱなし
になっているみたいだし…。」
亜弥の知らないところでちょっとした騒ぎになっているようだった。
まあ確かに、まさか他の高校のところにいるとはあまり考え付かない。
「松浦さんでしたら、今までそこでわたしと話してましたので、そこにいると
思いますよ。」
「え?本当!?こっちにいたんだ〜。」
「はい。でも松浦さんには感謝しないとです。」
亜弥の所在が分かって安堵した美貴が不思議そうな顔で紺野を見る。
- 64 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/10/13(水) 22:58
- 「感謝?」
「はい、寝る前に美貴ちゃんの顔を見ることが出来ましたから。」
「え!?こ、紺ちゃん…?」
にっこりと微笑んだ紺野は、美貴の頬にキスをする。
「あの時のお返しです。おやすみなさい、美貴ちゃん。」
紺野はそう言って歩いて行ってしまう。
何が起こったのか徐々に理解していくと共に、ゆっくりと顔が熱くなっていく。
亜弥にねだられたりして、自分から頬へのキスもやったことがあるが、逆に自分が
されることへの免疫が全くない美貴は、キスをされた頬を片手で抑え、その頬を淡く
染めながら紺野の姿を見送っていた。
『“あの時の”…?』
徐々に小さくなる紺野の後姿を眺めたまま、記憶を探る。
『…あの時………あの時…………。………!?あの時って、まさか紺ちゃん、あの時起きてたの!?』
紺野の言葉の意味をゆっくりと頭の中で考えていたが、その考えがある答えに行き着いて
慌てて紺野を追いかけようとするが、すでに紺野は別の部屋に入ってしまっていた。
- 65 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/10/13(水) 22:59
-
『ま、まさかね…あの時は紺ちゃんが寝ているのを確認したはずだし…。絶対寝ていたはず。』
必死に頭の中で自分自身に言い聞かせる。そうでないと恥ずかしくて仕方ないから。
頭の中で何度も、きっと別の意味で言ったんだ、という言葉を繰り返す。だから
その後ろで、中身が入ったままの缶を握りつぶして変形させるほどの怒りを発散させて
いる亜弥に気づくことはなかった。
しかし、当然亜弥としては、目の前で見せ付けられて黙っていられるわけが無い。
頬を手で押さえて固まっている美貴の背後に無言で近づく。
「美貴たん!今のは何!?」
「え!?あ、亜弥ちゃん!?」
すぐ後ろにいたにも関わらず全く存在に気づいていなかったらしい美貴は心底驚いた
ような顔をして振り向く。そしてそのことが余計に亜弥の怒りに油を注ぐ。
「美貴たん!今、紺野さんと何していたの!?」
「え、…み、美貴からは何もしてないよ!」
「じゃあ、なにを言ったの?いきなりあんなことしないでしょ?」
「え、ほ、本当だよ!美貴は亜弥ちゃんを探しに来ただけだし、紺ちゃんには
亜弥ちゃんを見なかったか聞いただけだよ!」
「…へぇ、紺ちゃんって呼んでるんだ…。随分仲良さそうだね。」
「う…!」
亜弥の冷ややかな目が美貴を刺す。
- 66 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/10/13(水) 23:00
- 「あ、いや、呼び方はまあいいじゃん。みんなそう呼んでるんだし。」
「里田さんは紺野ちゃんて呼んでたけど?」
「ぐ…!」
「美貴たんだけの呼び方なんだ?それで紺野さんとも、さっきみたいなことを
する仲なんだ?」
亜弥の目が細められる。
まずい。
どうにかして話を変えないと。
「あ、そうだ!亜弥ちゃん、早く戻らないと!なんかレギュラーの人だけで自主的に
ミーティングやっているみたいだよ。亜弥ちゃんの姿が見当たらないからミーティング
進められなくて。今、後輩とかも亜弥ちゃんのことを探しているところだったんだよ。
それで美貴も探しに来たんだから!」
「え、そうなの?…ん?っていうか、あたしはもともと美貴たんを探しにきたんだよ。
美貴たん、どこにいたの?」
あまりにもあからさまな話題の転換だったが、意外にもあっさりと食いついてくれた。
どうにか誤魔化せそうだと、そっと胸を撫で下ろして話を続ける。
- 67 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/10/13(水) 23:00
- 「監督のところだよ。」
「監督の?なんか美貴たん、多くない?そんなに打ち合わせとかするの?」
「ん?そうじゃないよ。打ち合わせだけじゃなくて、こういう大きな大会のときは
結構有名な監督とかコーチとか、有名なお偉いさんが来るから、今後の人脈作りの
ために紹介してもらっているんだ。だから監督の部屋に入り浸っている感じ。」
「そうなんだ…。」
「うん。あ、そうそう、それよりも早く行かないとミーティングが終わっちゃうよ。」
「あ、そうだね。」
そう言って歩き出す亜弥にホッとして美貴もその背中を追う。
「あ、そうだ、美貴たん。」
「ん?なに?」
「さっきのことは、後でじっくりと聞かせてもらうから。」
「…はい。」
全然誤魔化せてなかったみたい…。
亜弥ちゃんの背中が怖い…。
とぼとぼと亜弥の後ろを力なくついていく。
- 68 名前:CAST A SHAOW 投稿日:2004/10/13(水) 23:01
- 一方、先を歩く亜弥は美貴に気づかれないように軽いため息をつく。
美貴のあんなあからさまな誤魔化しに付き合ったのは、怖かったから。
まだ自分には覚悟が出来ていないから。
今ここで明確な答えを聞きたくなくて…。
再び軽いため息をつく。
今夜もまた眠れそうに無い。
- 69 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/10/13(水) 23:03
- 更新しました。
DVDに入ることは知っています。
ラジオやコンサの話も聞きましたが…。
二人ごと中止で落ちたモチベーションがどうしても戻りません…orz
今後は細々とした更新になるかもです。
何とかモチベーションが戻ればいいのですが。
ただいま萌えマナでリハビリ中。
レスありがとうございます。
>>44 名無し読者様
出来る限り可愛くなるように書きたいところですが、うまくいってますでしょうか。
>>45 nanac様
温かいお言葉ありがとうございます。今までよりも更新が遅くなりそうです。
マターリとお待ちくださいませ。
- 70 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/10/24(日) 18:29
- 〜〜〜〜
フォン!
空を切る音が頭上を通過する。
殴りかかってきたのを辛うじてかわした直後、左腕に激痛が走る。
そちらに視線を向けると鉄パイプを握ったやつが、今まさに2撃目を与えようと
振りかぶっている。咄嗟にバックステップで距離を取る。しかし距離をとったと
いってもせいぜい2、3歩程度。それ以上は後退できない。
- 71 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/10/24(日) 18:29
- 「真希ちゃん!もういいよ!逃げて!」
背中越しに大切な人の声が聞こえる。
だから絶対に後退は出来ない。
右手に持った、半分から折れた木刀を握り締める。
こうなってしまったら手の中のものは気休め程度にしかならない。
とにかくもう少しだけ時間を稼げればいい。
先ほど何とか1人だけ逃がした辻が、きっと助けを呼んできてくれる。
だから、その僅かな時間を稼ぐことが出来れば。
だが、相手もそれは承知しているらしく、じりじりと真希との間合いを詰めてくる。
左腕は持ち上げているのが奇跡なくらいに激痛が走っている。
恐らくは折れているだろう。だが、そんなことも気にならないくらいに全身が痛い。
周囲には十数人の人間が倒れている。
すべて真希が1人でやったのだが、その代償として負った傷は大きすぎた。
そしてまだ目の前には10人以上の人数がいた。
数が違いすぎた。
- 72 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/10/24(日) 18:30
- 自分の身体を見下ろしても、服は血で染まり、あちこち破れていてどれが地肌で
どこが衣服だか分からない。服も肌も血でどす黒く染められている。
先ほど指を突っ込まれた左目に関しては、もう開かなくなっていた。
もしかしたら失明しているのかもしれない。
だが、それを差し置いても守らなければならない人がいる。
「あたしのことはいいから!早く!死んじゃうよ!」
背後から聞こえてくる声は涙混じりの悲痛な叫びになっているが、それが逆に
真希を安心させた。まだ声が聞こえてくるうちは無事だってことだから。
振り向かないまま手短に応える。
「美貴やユウキが来るまでは…。」
口の中が切れていて喋るのもしんどい。
- 73 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/10/24(日) 18:31
- だが、その時。
「真希!亜弥ちゃん!」
美貴の叫び声が遠くから聞こえて、一瞬そちらに気を取られる。
かろうじて開いている右目でそちらを見ると、こちらに向かって走ってくる
美貴の姿が見えた。
「真希ちゃん!前!」
その声に視線を戻すと、自分に向かって鉄パイプを振り下ろそうとしている姿が
目に入った。
「!!」
やけに相手の動きがゆっくりと見える。
コマ送りで自分に向かってくる鉄パイプ。
動かない体。
メリ…
- 74 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/10/24(日) 18:32
- 実際には聞こえていなかったのかもしれない。
でも、真希の記憶ではその音を確かに聞いていた。
硬いものがゆっくりと破壊されていく音。
崩れ落ちる自分の身体。
駆け寄ろうとする美貴と亜弥。
その2人を捕まえる黒い影達。
動かない身体。
悲鳴を上げる2人。
周囲から笑い声が聞こえる。
耳も塞げない。
目も閉じられない。
2人が、こわれて、いく。
わたしも、こわれていく。
- 75 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/10/24(日) 18:33
- 〜〜〜〜
「姉貴、姉貴!」
「…ん…?」
気がつくとユウキに肩を揺すられていた。
「…ユ、ウキ…?」
「姉貴、大丈夫か?うなされてたぜ。」
「……。」
ユウキの手をどかすと、ゆっくりと身体を起こす。
そこには見慣れた自分の部屋が広がっている。
どうやらいつの間にか眠ってしまっていたらしい。
何気なく額を拭うと、夥しいほどの汗を掻いていた。
気がつけば全身、汗でビッショリだった。
ユウキが起こすのも無理は無い。
でも、それも慣れている。
最近の…いや、あの事件以来、自分の見る夢は2種類しかない。
今の夢も、もう見慣れてしまった。しかしそれでも自分には悪夢以外の何者でもない。
これは自分にとっての贖罪。償わない限りこの悪夢は続くだろう。
だが、そんな日々も、もうすぐ終わるだろう。
もうすぐなのだ。
「姉貴」
「…なに」
「最後の2人のうち1人を見つけた。今いつもの場所に連れてこさせている。」
「ふーん、ブービー賞だね。今回はスペシャルなプレゼントになる……のかな?」
- 76 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/10/24(日) 18:33
-
そう、もうすぐなんだから。
- 77 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/10/24(日) 18:34
-
「シャワー浴びたらすぐ行く。それまでに連れてきておいて。」
それだけ言うと、ユウキの返事も待たずに階下に下りて風呂場に入る。
少し温度を高めに設定して、一気に頭から浴びる。熱い湯により、徐々に頭が
すっきりとしてくる。すると先ほどの夢が一瞬頭の中をよぎる。
分かっている。
あの夢は自分の中の罪悪感が見せているということは。
実際の自分は鉄パイプで殴られて意識を失ってしまい、次に気がついたときは
見知らぬ病院のベットの上だったのだから。
だが、亜弥を守りきれなかった悔しさが、美貴を巻き込んでしまった後ろめたさが。
自分をさい悩ませる。
濡れた髪をかきあげて、鏡の中の自分を見る。
ひどい顔をしている。
今のこの顔を美貴が見たら何と言うか。
目をギュッと瞑り、頭を振る。
そしてゆっくりと目を開く。
風呂場から出ると、手早く身体を拭いて服を身に付ける。
髪を乾かしてから、机の上にあるサングラスを取る。
そして階下に降りてゆっくりとブーツを履き、玄関のドアを開ける。
そこには数人の男たちとユウキが真希を待っている。
何も告げずにその場を通り過ぎ、先頭に立って歩き出す。
- 78 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/10/24(日) 18:35
-
幾分、柔らかくなっている日差しに気づき目線を上に上げると、そこには沈みかけた
夕日が輝いていた。その光景の中に一瞬、人の顔が思い浮かぶ。
ふふ、心配性だったよな…2人とも…。
今にも泣き出しそうな亜弥とそんな亜弥を見て苦しそうな表情をした美貴が浮かぶ。
“約束”が頭の中をよぎる。
- 79 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/10/24(日) 18:36
- いつも輝いていた――
いつでも真っ直ぐに前を向いていた―――
自分を照らしてくれていた美貴の笑顔。
そんな美貴の顔が曇っていた。
どうしたら美貴の顔に笑顔が浮かぶ?
亜弥?
亜弥が沈んでいるから…?
亜弥が笑顔になればいいの…?
だったら、私が亜弥の顔を笑顔に変えてみせる。
亜弥が笑うことによって、美貴の顔に笑顔が戻るのだったら―――
- 80 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/10/24(日) 18:36
-
だったら…
亜弥が笑うのなら…
笑ってくれるのなら…
私は…そのためには……悪魔にでもなることができる…。
真希の瞳に再び昏い光が灯る。
- 81 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/10/24(日) 18:37
-
◇
「本当にいるの?」
「本当だって!教えてもらったんだから。」
「誰に教えてもらったっていうの?」
「…秘密。」
「秘密じゃわかんないよー。」
「いいじゃん誰でも。」
夕暮れ時の道を言い合いながら歩いている辻と石川。
「一応、私が連れ出していることになっているんだから、教えてくれてもいいでしょう?
なんかあったら怒られるのは私なんだから…。」
「それは感謝しているけど…まあ、いいじゃん。それは重要なことじゃないんだから。」
「でもなんでその人が、後藤さんの行動を把握しているのよ?」
「まあ、のんにもファンがいるってことで。」
「こんな食べてばっかりいる子にファンが……?そっか、豪快な食べっぷりにファンに
なったんだね。その子も大食い?」
「梨華ちゃん、うるさい!」
- 82 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/10/24(日) 18:37
- 言い合いをしながらも2人の歩みは止まらない。そして少し前を歩いている辻の足取りに
迷いはない。
「う、うるさいってなによ!」
「しっ!」
尚も反論しようとした梨華の口元に指を当てて静かにさせると、辻は物陰に隠れた。
それに倣って石川も一緒に隠れる。そして辻が見ている方向を見てみると、そこには
数人の男たちが歩いている。更にその少し前にはポケットに手を突っ込んで気だるそうな
表情を浮かべて歩いている後藤の姿があった。
「本当にいた…。」
呟く石川のほうを見ようともしない辻の表情は緊張で引き締まっていた。
「梨華ちゃん、行くよ。」
「え?い、行くって?」
「ごっちんを止めに行くの。」
辻は振り返らないまま応える。一方石川は、辻の言葉により昨日目撃したものを思い出す。
血だらけで倒れていた男の姿を。結局あの男は辻が電話で救急車を呼び、病院に搬送された
ということだった。そしてそれは、あの男が倒れていた場所から出てきた後藤たちの仕業に
よるものだろうということが想像できた。
- 83 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/10/24(日) 18:38
- 「のの、止めようよ。危ないよ…。」
「じゃあ、梨華ちゃんは、ここにいて。」
「何もののが止めなくてもいいんじゃない?家の人に言うとか…お母さんを知っているでしょ?」
その言葉を聞いて、辻がゆっくりと石川のほうに振り返る。その表情には確固たる決意が
浮かんでいる。石川は何となくその雰囲気に圧されて顎を引いて、一歩後ろに下がる。
「ごっちんは、自分で決めたら誰の意見も聞かない。唯一聞き入れるのは、美貴ちゃんと
亜弥ちゃんの意見だけ。それ以外の人の言葉には耳を貸さない。」
いつもと違う辻の雰囲気に戸惑いながらも、辻を止めようと必死に反論する。
「だったら、ののが行っても仕方ないんじゃないの?2人の意見以外耳を貸さないんだったら。」
だが辻はその言葉にもゆっくりと首を振る。
「だから、のんが行くの。美貴ちゃんと亜弥ちゃんがいないから。のんがやらなくちゃ
いけないの。」
「だからののじゃなくて、他の人でも…」
「知っているから。」
「え?」
「分かってるから。のんには、ごっちんの気持ちが分かるから。」
「…のの?」
「あの時一緒にいたのんは……そうしなくちゃいけないの……美貴ちゃんと亜弥ちゃんの
代わりに…。」
そこで言葉を区切るとそのまま辻は歩き出す。
石川に背中を向けて。
その後姿を見て、何となく1人にしておけないと思い、石川も後を追った。
この後に起こることに対する覚悟もないままに。
- 84 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/10/24(日) 18:40
- 更新しました。
コソーリコソコソ…。
- 85 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/24(日) 23:47
- やた!更新気付いちゃいました(笑)
えも、続きが気になり過ぎる終わり方・・・。
作者さん、続き待ってます!!
- 86 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/26(火) 19:50
- 待ってました。
更新お疲れさまです。
続き期待してます、頑張って下さい。
- 87 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/27(水) 05:43
- 更新乙です。
続きかなり楽しみです!
マターリ待ってますのでがんがってください。
(あと少し気になってたんですけど、
VBは高校の大会と国際大会ではルールが違いますよ)
- 88 名前:ホットポーひとみ 投稿日:2004/11/06(土) 22:37
- 更新お疲れ様です。
結構前に初めて読んですごい印象で
でもお気に入りに入れるの忘れてどの小説だったかわからなくなっちゃって
必死で探してようやく見つけ出しました。
今度は全部入れときました!
最初から全部読みましたがすごいです。
がんばってください。
- 89 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/11/07(日) 19:06
- 先ほどまで輝いていた夕日は完全に沈んでしまい、辺りには夜の帳が舞い降りていた。
しかしまだ夏の真っ最中であり、日が沈んだにも関わらず肌に纏わりつくような蒸し
暑さは健在であり、額や首筋を止め処無く汗が流れていた。
しかし前を行く後藤が歩くスピードを緩めることも無く進んで行くため、辻たちも
汗を拭いながら必死について行っていた。
「ねえ、のの。どこに行くのかな?」
「……。」
後藤の足取りに迷いはないようなのだが、先ほどからもう既にかなりの距離を
歩いていた。しかし石川のそんな至極当然な疑問に答えないで黙って歩いている
辻の表情は徐々に険しくなってきていた。
「…のの、どうしたの?お腹痛いの?」
「……。」
「……のの…。」
辻のいつもと全く異なる雰囲気に気づき、石川もなんとなく口を閉ざす。
そしてここに来てようやく後藤がある場所に入って行く。そこは傍から見ると
何ということの無い場所。
- 90 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/11/07(日) 19:06
- 「公園…?」
石川の呟きに辻が黙ったまま頷く。その様子から少なくとも辻は、この場所を知って
いるように見受けられた。
「のの、知っているの?この場所。」
「…うん…。…昔はよく来てた。」
「昔って…小学生の時とか?」
「………3年前まで。」
「え?」
「…ここには、もう来ることはないと思ってた。」
「のの?」
少しだけ潤んだ辻の瞳に戸惑う。
「…なにか、あったの?」
「……行こう。」
質問には答えずに石川の手を握って公園の中に入る。
公園は入り口こそ小さかったものの、奥のほうは意外にも広くなっており、外灯も
まばらとなっていることから、全体的に薄暗くて少し不気味な印象を与えていた。
しかし辻はそんな人気の無い公園を真っ直ぐと歩いて行く。その明らかに目的の
場所を知っているかのような足取りに再び石川が口を開く。
- 91 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/11/07(日) 19:07
- 「後藤さんの姿は見えないけど、こっちで合っているの?」
「…こっちに絶対いる。」
「分かるの?」
「…この公園をごっちんが選んだんなら、場所は絶対にこっちで合ってる。」
「なんで?」
「ここは、そうだから。」
結局辻からは的確な答えが返ってこなかった。
手を引かれながらも、石川が軽くため息をついていると、突然辻の足が止まる。
そしてそのまま強引に草むらに引き込まれる。
「のの!?」
「しっ!」
突然の行動に思わず辻のほうを見るが、人差し指を立てて静かにするようにという
しぐさによって口を塞がれる。慌てて口を閉じると辻の目がある方向を見るようにと
促してくる。その目線に従って視線を移すと、そこには確かに後藤の姿が見えた。
草むらから見ているため、全てを見ることはできなかったが、比較的見やすい位置
らしかった。そしてこの場から見る限り、公園内には10人前後の人数が集まっており、
外には見張りの人もいるようだった。
- 92 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/11/07(日) 19:08
- そして更に目を凝らしてみると、地面に座り込んでいる人が1人おり、その人物を
囲むように後藤や数人の人間がいた。座り込んでいる人間は、全身泥だらけで所々
血が滲み出ているようだ。だが、まだ終わりではないらしい。
「おら!立てよ!」
囲んでいるうちの一人が強引に座り込んでいる人の腕を取って立たせると、再び
その体に容赦ない仕打ちを刻んでいく。そして何故かその近くで空フカシをしている
バイクのエンジン音が余計にその仕打ちを惨たらしいものに演出していた。
殴られている男には既に抵抗する力は残されていないらしく、腹に一撃をもらうと
再び蹲るように倒れてしまった。
「……な、なんだって…いうんだよ…いまごろ…。」
倒れている男の声らしきものが聞こえてくる。地面に倒れているため、その声は
くぐもっていて聞き取りづらかったが、辻たちの位置にも辛うじて聞こえてきた。
「今更…?お前らがやったことに時効なんて無いんだよ。」
「手前ぇを入れてラスト2人なんだよ。」
「最後の1人はたっぷりと時間をかけてやるから、先に病院で待ってな。」
ただ言うだけでなく、何かを言うたびに皆各々蹴りを入れていく。そしてその度に
男がうめき声を上げているようだった。
- 93 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/11/07(日) 19:08
- だが、少し様子がおかしかった。倒れていて身体に激痛が走っているはずの男の
口から笑い声が漏れ始めていた。
「…く、くく……。」
「……何がおかしい?」
その笑い声に、初めてユウキが口を開く。
「…く、お前らがおかしくて、…っく、わ、笑ってるのさ…。」
「………。」
「俺を入れて、…っくぅ…ラスト2人だと…?馬鹿だな…。」
「何!?」
男の言葉に周りの人間がいきり立つが、ユウキはそれを片手を挙げて抑える。
「……あと1人の目星はついている。お前ともう1人が3年前の首謀者だったん
だろう?」
ユウキの声は冷静さを保とうとする、感情を抑制したものだった。
だが、ユウキの言葉を聞き、再び男が口元を吊り上げる。
「お、俺たち…が首謀者だと…?本当の首謀者は他にいるさ。ただ、直接し、知って
いるのは…あいつだけだがな…。」
「苦し紛れに適当言うな!」
男の言葉が感情を逆なでしたのか、囲んでいる人間の1人が男の顔面に思い切り
蹴りを入れた。その蹴りにより男は完全に意識を失ったのか、顔から地面に崩れ
落ちる。
- 94 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/11/07(日) 19:09
- 「適当言いやがって…もう立てねぇみたいだな。ユウキいいか?」
囲んでいるうちの一人が同じように囲んでいるユウキに確認する。
するとユウキは一瞬だけ真希を見ると、再び男に視線を戻し頷く。
「ああ。やれ。」
ユウキがそう応えると、座り込んでいる男を取り囲むように立っていた連中がその
円を解く。どういうことなのか分からないが、とにかく良くない雰囲気は続いている。
「ねえ、なんだか怖いよ…。もう戻らない?」
これまで黙って見ていた石川だが、限界が来たらしい。震える声で辻に話しかける。
だが、辻は全くそちらを見ないまま応える。
「ダメ。これからなんだから。」
「これからって?」
「今から行って、ごっちんを止める。」
「危ないよ。なんか怖そうな人もいっぱいいるし。後藤さん1人の時に言えば
いいんじゃない?」
「ダメ。のんは頭が悪いから、その場で止めないと誤魔化される。」
- 95 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/11/07(日) 19:10
- 辻は頑なに石川の言うことに耳を貸さない。
そして2人がそんなことを言い合っている間にも、目の前の状況は変化していく。
座り込んでいる男をその場に仰向けに寝かせる。男は既に完全に抵抗する意思を
失っているのか意識自体を失っているのか、為すがままとなっている。
そして男が仰向けになったところで、それまで空フカシをしていたバイクの
エンジンが再び唸りを上げる。
それを見て辻と石川の頭に嫌な予感がよぎる。
「まさか…!」
「…バイクで…!?」
思わず固まる2人を余所にバイクはますますエンジンをふかし始める。
その大きくなったエンジンに我に返った辻は、草むらから立ちあがり叫ぶ。
「ごっちん!もう止めて!」
「辻!?」
いきなり現れた辻に驚いたのか、真希がこちらを見て固まる。
しかしそんな辻と真希の様子にかまうことなく、ユウキがバイクの男に合図を送る。
けたたましいエンジン音と共にもの凄い勢いで走り出すバイク。
地面に仰向けになっている男は身動き1つしない。
- 96 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/11/07(日) 19:10
- 「止めてー!」
エンジン音にかき消される叫び声。
そして直後。
男の両膝を潰してバイクが走り去る。
男は完全に気絶していたのか、叫び声ひとつ上げなかった。
そこにいるのは、もはや動かないオモチャの人形のような“もの”
壊れたオモチャ。
「キャー!!」
その壊れたオモチャを見て、耐え切れなくなったのか石川が悲鳴を上げる。
必死に何かを振り払うように両手で頭を抱え込みながら。
しかしその声もすぐに強制的に止められる。
いつの間にか石川の目の前には見知らぬ男が立っており、石川の口を片手で押さえて
いた。そして残った片手にはナイフが握られており、眼前に突きつけられていた。
口を押さえられた感触から、自分が今どういう状況に晒されているのか悟ったらしく、
怯えた目をしながらも、大人しくその場に佇む。男は石川が声を上げなければ何も
する気はないらしく、その体勢のまま動こうとはしなかった。そしてユウキもその男の
行動を止める気配はなかった。
- 97 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/11/07(日) 19:11
- 妙に静まり返った中、真希は驚いた表情のまま辻と石川を交互に見やっていた。
そんな真希の目が一瞬、石川の視線を捉える。
石川の怯えたような、泣きだしそうな眼差し。
その表情、その目を見た瞬間。
亜弥の顔が石川の顔に重なる。
亜弥の涙を湛えた瞳。
「離してやんな。」
気がついたら口が勝手に動いていた。
そして真希のその言葉にユウキが男に放すように指示を出す。
男が離れたことにより、気が抜けたのか石川はその場に座り込んでしまった。
- 98 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/11/07(日) 19:12
- 「……。」
「……。」
座り込んでしまった横で辻と真希が黙ったまま立っていた。
瞳を潤ませながらも、しっかりと真希を見据える辻。
困惑した表情を浮かべたまま、その視線を受け止める真希。
「…辻…なんでこんな所に…。」
「後をつけてきたの。」
「あ、後を…?なんで…?」
「この前、ごっちんを見かけたの。それから血だらけの男の人も。」
「……。」
真希の言葉にも淀みなく答える。
いつもの舌足らずな喋りかたではなく、淡々とした受け答え。
逆に真希のほうがうろたえており、しどろもどろになっている。
しかしそんなやり取りも次の言葉により状況が一変する。
「のんが救急車呼んで、運んでもらった。」
「……なんで。」
「え!?」
「何でそんな余計なことを!」
「ごっちん!?」
辻の言葉に、突然それまでの雰囲気をガラリと変えて吐き出すように言い放つ。
- 99 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/11/07(日) 19:12
- 「あんなやつら!死んだってかまわないのに!」
「…ごっちん…」
「余計なことしないで!」
「ごっちん、あの人たち…もしかして、3年前の…?」
「そうだよ!あいつらは、私を…亜弥を襲った連中だ!」
真希の言葉に一瞬目を見開くが、それ以上のリアクションは起こさなかった。
「やっぱり。この前の人の顔、どことなく見覚えがあったから…。」
そう言うと、辻はうつむく。
「私の大事なものを傷つけたあいつらを絶対に許さない…。だからあいつら全員に
3年前の私たちと同じ目に合わせてやるんだ…。」
真希が吐き捨てるように言い放つ。そのあまりの怒気に、それまで呆然としたまま
話を聞いていた石川が、身体を震わせると怯えたように真希を見上げる。
そして目が合う。
そこにあるのは…。
吸い込まれそうなほどの。
自分を飲み込んでしまいそうなほどの。
底知れないほどの…昏い瞳。
石川は無意識のうちに、自分の身体を守るかのように両腕で自分を抱え込む。
それでも震える身体。今まで生きてきた中で経験したことの無い種類の震え。
身体の芯から止めど無く湧き上がってくるような。その感覚を人は恐怖と呼ぶ。
- 100 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/11/07(日) 19:13
-
「でも、ごっちん、止めてよ。こんなのごっちんらしくないよ!」
それでも辻はそんな真希の様子に怯むことなく言葉を放つ。
真希はその言葉に虚無を宿した瞳を辻に向ける。
その眼差しに辻も一瞬息を飲むが、それでもグッと堪える。
「何を言ってるの、辻?あんたもいたでしょ…あの日。あの時。あの場所に。
こいつらが何をしたか、その目で見ていたでしょう?忘れたの?」
先ほどまでと違い、静かな真希の声色。
だが、逆にその声に辻と石川が同時に身体を震わせる。
「こいつらは、あたしの目を奪った。美貴の足を奪った。亜弥の笑顔を奪った。
私たちの未来を…奪ったんだ。その愚かな考えで。」
何かが欠落している真希の声色。いや、欠落しているのではない。
その大きすぎる感情ゆえに、それを抑えるあまりに欠落しているように聞こえるだけ。
むしろ抑えたが故にその大きさを伺わせる…何か一線を越えてしまったと思わせる
真希の発する雰囲気。その雰囲気に呑まれて震えだす身体。
- 101 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/11/07(日) 19:14
- 「だからこいつらにも同じことをしてやるんだ。同じように…。」
低く響く真希の声。
こんな真希の声を辻は耳にしたことがなかった。
「分かったら、邪魔をしないで。あと少しなんだから…。あんたが何もしなければ
他に邪魔する人はもういないんだから。」
そう言うと真希は背中を向けて歩き出す。
周囲には気がつくと自分たちの他にはユウキしかいなかった。
先ほどまで目の前に倒れていた男も仲間が運び出したのか、その姿は見当たらなかった。
日がすっかり暮れて外灯に照らされた公園の中で真希の足音だけが辻の耳に聞こえてくる。
「あと残るは1人だけだから。そうすればこんなことも終わりになる。」
一言だけ残して去って行く。果てしなく昏い真希の瞳に、果たして自分の姿はどう
見えているのか。今の真希には自分の姿が映っていないように思える。
だが辻は真希の言葉に思い出す。
美貴も亜弥もいない今、真希を止めることができるのは自分しかいない。
震える身体に鞭を打ち、一歩踏み出す。
「やっぱり、やっぱり止めてよごっちん!こんなことして…こんなことしても、
亜弥ちゃんは喜ばないよ!」
真希がその歩みを止める。
「美貴ちゃんが悲しむよ!」
- 102 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/11/07(日) 19:15
- 辻の言葉が公園内に響き渡る。
そしてその言葉に真希が振り返る。
振り返った真希の顔は先ほどまでのものとは全く違っていた。
まるで仮面を着けたかのように。
その顔に浮かんでいるもの。
先ほどとは違う意味で思わず息を飲む。
「何言ってるのさ辻?こいつらがいなくなれば、もう亜弥を襲うやつらは、いなく
なるんだ。もう安心して暮らせるんだよ?そうすれば、亜弥に笑顔が浮かぶんだ。
亜弥に笑顔があれば…美貴が笑うんだ。私に笑いかけてくれるんだ!」
先ほどまで一切無かった悲痛な叫び。
初めて耳にする真希の心の声。
「美貴が…笑うんだ…。」
その声に、先ほどまでの恐怖によるものと全く違う感情により言葉を無くす。
「…ごっち……。」
先ほどまでの虚無を宿した瞳はそこには無かった。
同じ人間の中にこんなにも異なるものが存在するのか。
そこにあるのは、縋るような。
壊れそうなほどに追い詰められた瞳。
それは軽く触れただけで砕け散りそうにひび割れた宝石にも似て。
- 103 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/11/07(日) 19:16
-
そこで初めて悟る。
不安定に揺れた真希の心は限界に来ていたのだ。
3年前の出来事に未だ縛られている真希の心は。
自分は真希の何を見ていたのか。
今の真希の姿に。
あのころの。
1人で寂しそうに学校に通っていた亜弥の姿が重なる。
その亜弥を見守ることしか出来なかった自分の姿が重なる。
また繰り返すの?
また自分は大事な人が目の前でゆっくりと壊れていくのを見ているの?
また自分の無力さを味わわなければならないの?
いやだ。
もういやだよ…。
もう誰にもいなくなってほしくないよ…。
でも何もできないよ…。
自分には触れられないよ…。
どうしたらいいの?
どうすれば…?
- 104 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/11/07(日) 19:17
-
知らず瞳から零れ落ちる想い。
止められない。
真希の行動も
自分の涙も
守れない。
3年前の出来事に縛られたままの
真希の心も
自分の心も
止まらない涙に真希の姿が歪む。
視界が全てぼやけてくる。
だが、不意に頬に暖かいものが触れる。
気がつくと、真希が辻の流れる涙を指で掬っていた。
「…まき、ちゃん…?」
思わず普段呼んでいるあだ名ではなく名前で呼ぶ。
その言葉に真希は少しだけ目を細める。
今日初めて。いやしばらく振りに見る。
包み込むような瞳。
だがそれも一瞬だけ。
真希は踵を返すと、今度こそ足を止めずに公園を出て行った。
公園には座り込む石川と立ち尽くす辻だけが残された。
- 105 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/11/07(日) 19:18
-
「…姉貴、いいのか?」
公園を出たところでユウキが真希に話しかけてくる。
主語のない質問。だが真希には充分質問の意図が分かったらしい。
「いいんだよ。どうせあと1人で終わりだから。」
そう言うとポケットに手を突っ込んで口を閉じて歩き出す。
こうなると恐らく真希は何を質問しても答えないだろう。
ユウキはため息をつきつつ遅れないように歩調を合わせる。
「…待っていて…美貴…。」
誰にも届かない小さな呟きを残し、真希は暗闇に消えていった。
- 106 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/11/07(日) 19:19
- 更新しました。
マターリな更新速度になっていて申し訳ないです。
あと緑板の作者フリー短編用スレ6集目に『ふくしゅう』というものを
載せました。よろしければご賞味ください。
レスありがとうございます。
>>85 名無飼育様
うわ!気づかれてしまいましたね。
今後は徐々に色々なことが動き出していくと思われます。
読み応えのある作品になっていけば良いのですが。
>>86 名無飼育様
本当に遅筆で申し訳ないです。
いつも読者の方々をお待たせてばかりで…。
今後もマターリ更新が続きそうですが、よろしくお願いします。
>>87 名無飼育様
どぅわ!またやってしまいましたかorz
完全に作者の知識不足でございます。
今後はちゃんと調べて書くようにしていきますが、
変わらずに間違っていたらまたご指摘くださいませ。
>>88 ホットポーひとみ様
こんな作品のために苦労をおかけしました。
いつもコソコソと更新しているので確かに見つけづらいですね。
当初のころと雰囲気等が少し異なっているかもしれないですが、
今後もご贔屓のほどよろしくおねがいします。
- 107 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/27(土) 15:04
- 待ってます。
作者さん、がんばってください!!
- 108 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/10(金) 14:19
- おもしろすぎて前スレから一気に読んじゃいました!
作者さんがんばってね
- 109 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/12/19(日) 18:56
- 太陽の薄明かりが部屋の中に差し込んでくる。
夏真っ盛りとはいえ、まだ朝の段階では日差しはそれほど強いものではないが、
その明かりは寝ている人間の瞼を刺激するには十分な明るさを持っていた。
そして光はベットの中の住人である吉澤を覚醒へと導いていった。
吉澤は不意にスゥッと瞳を開き、周囲をキョロキョロと見回し、身体を起こして
完全に夜が明けていることを確認すると、軽く伸びをして隣のベットを見やった。
『…すごい寝相…』
そこには、最初に寝ていた時とは全く違う格好で寝ている美貴の姿があった。
全く、こんなに寝相が悪いなんて知らなかった。少し呆れた表情を浮かべながらも
苦笑いを浮かべる。
自分が昔憧れていた藤本美貴は、それはそれは格好良い存在だった。
遠く、高く、眩しい存在だった。
でも、今、隣で寝ている美貴からはそんな姿は全く思い浮かばない。
ただ、そんな美貴も好きだった。
昔のようにただの憧れの存在というだけではない、等身大の藤本美貴がそこには
いるのだから。
- 110 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/12/19(日) 18:57
- そんなことが嬉しくて再びその口元を緩ませる。そして一度思いっきり伸びをすると、
勢いよくベットから飛び起きる。自然に目が覚めたということは、そろそろ集合の
時間なのだからあまりのんびりしてはいられない。すでに廊下では他の部員たちが
歩いている足音がしている。そんな音にも全く目覚める気配のない美貴の身体を
揺さぶり、まだ寝ぼけ眼の美貴の手を引っ張ってベットから起こし、急いで準備を
させる。とは言っても顔を洗わせるくらいのものだが。
とりあえずまだ眠そうな美貴を引っ張って集合場所に行く。
そこにはほとんどの部員が既に集合していて、亜弥の姿もその中にあった。
「ふぁ〜ぁ、おはよう、亜弥ちゃん」
「あ、お早う美貴たん、お早うございます吉澤先輩」
「おはよう、亜弥ちゃんは偉いね、ちゃんと早く来て。どこかのミキティとは
大違いだよ」
「美貴たんは起こされるまで寝ている人なんで…すいません、迷惑かけて」
「いいじゃん、起こしてくれる人がいるんだから。人徳人徳」
「人徳じゃないよ、ちゃんと1人で起きなさい!」
「え〜、ちゃんと間に合ってるんだからいいじゃん」
「そういう問題じゃないの!」
- 111 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/12/19(日) 18:57
- 『ふぅ』
心の中でため息をつく。
自分だけだろうか、こんな感覚を抱くのは。
美貴はなんとも思わないのだろうか。
亜弥の言動に
眼差しに
不自然な熱を感じる。
今の会話でも美貴の行動を吉澤に亜弥が謝っている。以前がどんなふうであったかは
覚えていないが、吉澤の中では明らかに不自然な会話の流れに感じられる。
言葉の端々に感じられる、美貴への…。
最近吉澤は練習に熱中するあまり美貴のことしか見ていなかった。
だから余計にそう感じるのか、それとも単に自分の勘違いなのか――?
「あれ、よっすぃ達も散歩?」
不意に声をかけられる。
声がしたほうを見てみるとそこには花畑高校の面々の姿があった。
どうやら考え事をしていて気づかなかったらしい。
- 112 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/12/19(日) 18:58
- 「あ、おはようー、なに?まいちんたちも?」
「そうだよー、まあ近くに公園はあそこしかないしね」
「それもそうか」
泊まっているところが一緒なら身体を解しにいくような場所も一緒になる。
ましてや姉妹校で練習場まで一緒にとってあったりするくらいなのだから。
でも、里田たちがいるということは…
「あの、おはようございます」
「あ、紺ちゃん、おはよう!」
そう、マネージャーである紺野も一緒にいるということ。
先ほどまで亜弥と話をしていた美貴が紺野の姿に気づいて真っ先に挨拶を返す。
だが、何故か声をかけた途端に美貴が赤くなる。どうやら条件反射で挨拶を返した
らしいが、なにやら思い出して気まずくなったらしい。一方の紺野は赤くなった
美貴を見て、軽くはにかみながら視線を軽く逸らす。
まるで2人だけにスポットライトを当てているかのように吉澤の目には2人の姿が
浮き上がって見えた。そして後ろでそんな2人を悔しそうな眼差しで見ている
亜弥の姿はスポットライトの影に隠れていた。
「あ、あ〜ミキティも紺野ちゃんも、早く行こう?みんなもう行っているよ」
場の雰囲気を敏感に察した里田が2人に声をかける。そしてその声により我に返った
らしい2人がそそくさと歩き出す。そんな2人の姿に慌てて吉澤たちも後に続く。
みな誰もが口を閉じて足早に公園に向かって歩いていく。
美貴も亜弥も紺野も吉澤も里田も、皆、胸に焦燥感を抱いて。
一部の人を除いてその理由も分からぬままに。
- 113 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/12/19(日) 18:59
-
そんな雰囲気の中であった
最初の異変が起きたのは。
- 114 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/12/19(日) 19:00
- 「あの、写真を撮ってもいいですか?」
突然自分たちの集団に声をかけてくる人がいた。
声をかけた人を見てみると、どこかの取材の人だった。
「ええ、いいですよ、誰をですか?」
松浦学園も花畑高校も全国大会常連で、取材というのも慣れている。
だから別段不思議に思うことなく返事をすると、意外な返答が返ってくる。
「はい、あの、松浦さんと藤本さんをお願いしたいんですけど大丈夫ですか?」
「は、はい大丈夫です」
美貴も不思議そうな顔をしながら亜弥と並んで写真を撮られている。
一方、写真をお願いしてきた人も亜弥たちだけを撮るとすぐに立ち去ってしまった。
選手である亜弥に取材が来るのは分かるが、なぜ選手ではない美貴も一緒なのか。
しかもいつも来るような雑誌関係ではなく、新聞社の社員証を首からぶら下げていた。
- 115 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/12/19(日) 19:01
- 「なんだろうね?」
「さあ?」
不思議に思いながらも、たまにはそんなこともあるのだろうと、その時あまり気に
とめなかった。しかし、次に公園に着いたときにも同じように新聞社の人たちが
数人待ち構えていて、みな一様に亜弥と美貴が並んで歩いている写真を撮っていく。
そのうちの1人を捕まえて何故亜弥と美貴ばかり撮っていくのかを問いかけてみると、
「今、2人は注目され始めているよ」
という返答が返ってきた。
意味が全く分からなかった。
美貴たちは特に何かをした覚えが全くないのだから。
だが、とりあえず周囲がどれだけ騒ごうと、大会中である自分たちは周囲に流されない
ようにしっかりとしていないといけない。途中で取材のために他の部員たちからは
大幅に遅れながらも同じように身体を解す。そして足早にホテルに戻る。
部屋に戻ると急いで準備を済ませて、なんとか他の皆に追いつき一緒に会場入りする。
しかしそこでも朝の公園と同様の違和感を覚える。
会場に来ている人たちの人数が明らかに増えている上に、何故か皆、亜弥や美貴のほうを
見て、写真を撮ったりしている。特に、美貴がコンディション調整のため亜弥のほうに
近づいていくと小さな歓声があがるほど。
- 116 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/12/19(日) 19:01
- とりあえず皆気にしないようにしている。自分たちは一試合一試合が真剣勝負であり、
決して負けられない勝負ばかりなのだから、浮かれている暇などない。亜弥たちも
周囲には視線を合わせないようにして黙々とアップをこなして身体を温めていく。
「集合!」
吉澤の声により選手たちが集められる。
そして監督の指示があり、スタメンも告げられる。
監督、コーチの後にキャプテンである吉澤から発言がある。
「なんか周囲がいつもより騒がしいけど、しっかり集中するように。私たちは
試合をしに来ているのだから。気合入れていこう!」
「はい!」
気合の入った発言で選手たちに緊張感を生み出す。
そしてここにも僅かながらに変化がある。
このことに気づいているのは、実は亜弥だけだった。
最近はいつも美貴と練習をしている吉澤をうらやましく思っていつも注目して
いたから気づいたこと。
吉澤は自分自身のことを“私”と呼ぶようになった。
あまりに小さすぎて、本人すら気づいていないような些細な変化。
しかし、それは実は大きな変化。
- 117 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/12/19(日) 19:02
- 特段訛りのない吉澤が自分自身のことを多少おちゃらけた呼び方をしていたが、
そういったおちゃらけた部分を自ら捨て去ったのだ。
それが本人にとって良いのか悪いのかは誰にも、亜弥にも分からないことだが、
とにかく、その“私”という自分自身を指し示す言葉に全てが表れていた。
そしてそのことに亜弥のみが気づいていた。
ことある毎に2人の練習している光景を盗み見ていたし、2人の会話が気になって
仕方なかったから。だから徐々に変化していく吉澤の様子に気がついた。
それは外面的なものではなく、内面的なもの。
だからこそ亜弥だけが気がついた。
そしてもう1つ気づいていることがある。
「じゃあ、ミキティ、最後に柔軟に付き合ってよ」
「いいよ、よっちゃんは身体が固いから少しでも柔軟しないとね」
「手加減してよ?」
「大丈夫。でも身体を柔らかくしておかないとイメージ通りに身体が動かないよ」
それは美貴が吉澤を呼ぶときの呼び方。
今までのみんなが呼んでいるような“よっすぃ”ではなくて“よっちゃん”になった。
他のほとんどの人が呼んでいない、その呼び方は、まるで2人だけの合言葉のように
感じられて。疎外感を感じる。
- 118 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/12/19(日) 19:03
- 柔軟をしている2人の姿も亜弥の目にはじゃれ合っているように映る。
だからそんな2人を見ていたくなくて、視線を逸らす。
すると、隣のコートが視界に入ってくる。
そこには花畑高校のベンチがあり、奇しくもちょうど紺野がこちらを向いたところだった。
紺野はこちらに気づいたかと思うと、いきなり手を振ってきた。
亜弥が面食らっていると、紺野が大きく口を開く。
その口の動きを見ていると、何やら言葉を言っていた。
――― ガ・ン・バ・レ ―――
その口は確かにそう動いた。
亜弥が複雑な表情でそれを見ていると、紺野はフッと笑ったかと思うと、いきなり
自分の手を頬に当てて、殴られる真似をした。
すぐにそれが昨日、亜弥が美貴に殴られたことを指していることに気づいた。
昨夜の紺野との会話を思い出す。
そして、その後に美貴に対して紺野がしたことも同時に思い出す。
- 119 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/12/19(日) 19:03
-
『絶っ対に負けないから!』
紺野を睨みつけると、勢いよく踵を返して歩き出す。その様子は紺野の位置からも
怒りを発散させているのが分かるほどであり、そのあまりの亜弥の迫力に周囲の
選手たちは、皆自然と道を開けてしまう。
紺野は自分のとった行動の予想以上の効果に少し驚きながらも、そんな亜弥の
様子を苦笑しながら見送る。
だが、この効果は自分が狙ったもの。
これできっと亜弥はむきになってでも試合に集中してくれるだろう。
自分が悪者になってやる気を出させるなんて、損な役割だ。
もしかしたら亜弥に関わる人たちは皆同じ思いを抱いているのかもしれない。
何となく放っておけないような、無意識のうちに力を貸してあげたくなるような。
紺野の中に唐突にそんな考えが湧き上がってきた。
羨ましい役回りだな。
今果たしたばかりの自分の役回りと比べて密かにため息をつきながら、紺野は
チームのベンチへと戻っていった。
- 120 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/12/19(日) 19:04
- 今日は大会三日目であり、試合も予選の中盤戦となる。今日の試合で勝ち残れば
明日からの決勝トーナメントに進出できる。今のところ負けなしの松浦学園と
花畑高校は順当に行けば予選突破は確実な状況だった。そして今日の亜弥は昨日と
打って変わって気合が入った状態で試合に臨んでいる。
亜弥のコンディションは既にチームを左右するほどになっており、松浦学園は危なげない
試合運びで順当に勝ち進んでいた。
「2−0で松浦学園!」
主審の声により応援席から歓声が上がる。
最後の挨拶を交わしてベンチに戻る選手たち。
そしてそれを迎え入れる学園のベンチサイド。
亜弥もタオルを受け取り汗をふき取る。
無意識のうちに美貴の姿を探す。
すると美貴はベンチの一番端に立っており、隣のコートの試合をジッと見ている。
そのコートでは花畑高校が試合をしており、現在2セット目らしい。
試合内容は花畑高校のペースで試合が進んでいるようであり、ベンチの様子は
こちらから見てもとてもリラックスしたものだった。紺野もまた寛いだ様子で
スコアノートを持って試合を観戦している。
- 121 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/12/19(日) 19:05
- しかし美貴は花畑高校を見たまま全く動こうとしない。
美貴の視線は間違いなく花畑高校に向けられており、そこから一切視線を
動かそうとしない。そしてその視線は亜弥の目には熱いものを宿している
ようにも見えた。
そんな美貴の様子を見ていたくなくて、一度は美貴から顔を背けたが、それ以上に
美貴が自分以外の人間を熱心に見ていることは想像しただけでも嫌なものであると
思い直して、美貴のもとに歩み寄った。
「美貴たん、どうしたの?」
「え?あー、どうもしないよ」
「そう?なんか花畑高校の試合をずっと見ているみたいだったからさ」
「んー別になんでもないよ。ただ、ちょっと久しぶりにあのチームの試合を
観たな〜と思ってさ…」
「ふーん…」
亜弥は見逃さなかった。
質問された瞬間に、僅かに美貴の目が泳いだことを。
だが、以前の自分とは違う。
その目が泳いだ理由を問いただせるほど自分と美貴との関係に自信を持てないでいた。
だからただ、その場で美貴の隣に立って同じように試合を眺めることしか出来なかった。
- 122 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/12/19(日) 19:05
- 試合は先ほどから同じように花畑高校が優位に進めている。
このチームは松浦学園のスタイルと異なり、守備主体のチームというべきか、
ラリーの末に必ずポイントを取っていた。だから相手チームにも勝てるかもという
希望だけを持たせてはいるが、実際はラリーになっていること自体が花畑高校の
ペースで試合が進んでいることになる。そしてそのことに気づいたときには
すでに試合は終盤になっているという風合いだった。
ピー!
主審が最後の笛を吹いた。
どうやら試合が終わったらしい。
恐らく花畑高校はこのまま予選リーグを突破するのだろう。
喜びの表情でベンチに戻る花畑高校の選手たち。
そしてそれを迎える紺野の顔には疑いようのない満面の笑みが浮かんでいた。
一方、迎えられた里田たちの顔にも安堵に似た笑顔が浮かんでいた。
- 123 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/12/19(日) 19:06
- 美貴はその様子を確認するかのように眺めていたが、
「さ、亜弥ちゃん、身体も冷えちゃうし、美貴たちも引き上げよう?」
「うん…」
亜弥を促して歩き出した。
亜弥もその言葉に応えて、美貴の後ろからその背中を眺めながら歩き出す。
美貴は何も言わず、振り返らずに歩き続ける。
そして亜弥もそんな美貴に話しかけられずにいた。
その瞳で何を考えているのか…美貴の気持ちが分からなかった。
美貴との繋がりが見えなくなってきて…不安な気持ちだけが大きく膨らんできていた。
チーム状態とは反対に亜弥の精神状態は静かに下降線を辿っていた。
- 124 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/12/19(日) 19:08
- 更新しました。
間が開いたわりには、更新量少なくて申し訳。
今回更新はリハビリも兼ねていたりします。
次回更新が早くなることを自分でも祈ってます。
>>107 名無飼育様
お待たせしてすいません。
ちょっと短編に浮気していました。
次回更新はなるべく早くなるように心がけます。
>>108 名無飼育様
無駄に長くてすいません。
そろそろ話も佳境に(ry
- 125 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/01/03(月) 21:19
- 大会3日目も無事に終了し、松浦学園は予選リーグを1位通過する。
そして姉妹校である花畑高校も順当に予選リーグを負けなしの1位通過する。
試合が終わった選手たちは皆、寄宿舎であるホテルへと帰っていた。
しかしまだ時間的には夕方にもなっておらず、まして夏である今はなかなか
日が暮れない。
まだ強い日差しが差し込む中、亜弥は1人でホテルの中庭を携帯片手に歩いていた。
「だから、今日で予選リーグは終わり。んでもって明日から決勝リーグなんだ」
『ふーん、そっか…じゃあ、そろそろそっちに行かないとね』
「大丈夫だよ、真希ちゃんが来るまでは負けないから!」
『ふふ、そんなこと言っても全国大会だからね、油断しちゃ駄目だよ?』
「分かってますよーだ!」
携帯から聞こえてくる声は以前と全く変わりない真希の声で、耳に心地よかった。
今は美貴と話していても常に紺野のことが頭の中に浮かんでしまい、どうしても
気が晴れない状態だったので、そういった余計なことが頭に浮かんでこない真希との
会話は亜弥の疲れた心を癒していった。
- 126 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/01/03(月) 21:20
- 『ところで、美貴は元気にやってる?全然連絡よこさないけど』
「……えっ」
『ん?どうしたの?美貴、どうかしたの?』
「…な、なんでもない、元気にやってるよ…」
だからかもしれない。
全く油断していた。
真希の質問に一瞬つまってしまった。
それは、他の人であればまず気づかれることのない変化ではあったが、長年一緒にいた
自分たちの間では、その変化は非常に分かりやすいサインとして出てきてしまった。
『…なにか、あったの?』
「……」
電話越しに真希が柔らかく尋ねてくる。
その言葉に。
その優しさに。
自分の中の弱い部分を知っていて、それを守ってくれる真希だから…。
- 127 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/01/03(月) 21:21
- 「…美貴たん…が」
『……』
こぼれ出してしまった。
必死に隠していた弱い顔が。
「…いなくなっちゃう…」
『…』
誰にも言えないから。
自分の想いは誰にも分かってもらえないから。
亜弥が、美貴が歩んできた道のりを知るものは周囲には誰もいないから。
吐き出したかった。
胸に詰まったものを
どこかへ
想いのままに
自由に
でもそれが出来なかったから、胸に溜まった想いは、その中で渦巻き、暴れ、かき乱した。
それが漏れ出してきた。
いや、自ら曝け出した。
そうでないと、もう耐えられる自信がなかったから。
- 128 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/01/03(月) 21:21
- 「どうしよう…」
誰かに縋りたくて。
そしてそれは真希以外には思い当たらなくて。
だから知っていた。
『…待ってな…』
真希が必ずこう言ってくれることを。
「…うん」
亜弥は携帯を両手で縋るように大事に握り締めた。
その携帯が唯一の拠り所であるかのように。
『じゃあ、切るから』
「うん」
切れた携帯をポケットにしまうと、再び中庭を歩き始める。
その足取りは先ほどよりも少しだけ軽かった。
- 129 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/01/03(月) 21:22
-
- 130 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/01/03(月) 21:22
- 陽は完全に落ちて、夕食もとり終えた後。
いつもは翌日の試合に備えてビデオでの研究やチーム内での連携の再確認を行っている
ところだ。しかし明日の試合の準々決勝と準決勝の相手は、もう何度も試合を重ねている
相手だった。特に勝ち上がったら準決勝で当たるだろうと思われる松浦学園に至っては、
選手層のほぼ全てを網羅していると言っても過言ではないくらいに交流試合を重ねている
ことから、ミーティングは簡単なもので終了した。
そのため、いつもより自由時間が長めになったことから、里田は近所のコンビニまで
簡単な買い物に行き、いくつかのスナックやジュースを片手に、ホテルのロビーを通った。
すると、そこにちょうどコーチ達との明日の打ち合わせを終えた美貴が通りかかった。
「あれミッキーじゃん、何?打ち合わせ?」
「うん、まあ、そんなところ」
「そんな無駄なことしなくても大丈夫だよー、うちのチームが帰りの切符をプレゼント
してあげるからさー」
「何言ってんのさ、まいちんこそ明日の北海道行きの飛行機の手配をしておいたほうが
いいよ?」
「全然そんな心配してないから!…それより、ミッキーこれから時間ある?」
「え?うん、まあ後は特にやることはないけど…」
「じゃあさ、ちょっと付き合ってよ。私も暇なんだ」
そう言うと里田は、手に持っていたスナックの入った袋を軽く上げて美貴に見せる。
- 131 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/01/03(月) 21:23
- 「食べもんもあるしさ」
「じゃあ、またまいちんの部屋に行く?」
「あー、それだとまた同室の後輩に気を使わせちゃうからさ、そこのホテルの中庭の
ベンチなんかどう?」
里田が指した方向にはホテルの中庭が窓から見えていた。
ここのホテルの中庭はライトアップされている上に、中庭を散策できるように各所に
ベンチ等が置いてあり、夜でも心配なく外で寛げるようになっていた。
「うん、そうだね、良く考えたらこっちに着いてから忙しくて中庭になんて行って
なかったよ」
2人で中庭に出ると近くのベンチに座る。
ちょうど隣に街路灯もあり明るさでは部屋の中にいるのとあまり変わりないくらいだった。
そしてそこはホテルの廊下からもちょうど見えるような位置だった。
2人からは見えていないが、廊下を歩く人たちから美貴たちの様子は丸見え状態だった。
だからこそ2人は、亜弥が美貴の姿を確認して急いでエレベーターに向かったことに
気づいていなかった。
- 132 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/01/03(月) 21:23
- 「でも、本当のところどうなの、調子のほうは?自分のチームのことで精一杯で
あまり松浦学園の調子とか見ていないから」
「うーん、まあようやく上り調子になってきたかな?」
「ようやく…って、もう次は準々決勝でしょ?全国大会のベスト8でようやく上り調子って
いったいどうなってるの?」
「いや、まあ、色々ありまして…」
そう言って気まずそうに頭を掻く美貴。
里田はそんな美貴に軽く苦笑して、手にしていたペットボトルを一口あおる。
「松浦さんのこと?」
「え!?」
「なんか雑誌とか新聞でかなり大々的に取り上げられているみたいだよ?」
「え?何が?」
「昨日の試合中にミッキーが松浦さんの頬を引っぱたいたことと、その後に試合が
終了してベンチに帰ってきたときに抱きしめて迎えてあげていたことが」
「ええ!?そうなの?なんでそんなことが取り上げられてるの?」
「そんなの私も知らないよ。なんか今朝やたらにあなた達のことを撮っていく記者が
多かったから、よくうちに取材に来る記者の人に聞いたら言ってたの」
「なんでだろ…」
- 133 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/01/03(月) 21:24
- ただ美貴はいつもどおりの行動をしただけだった。
確かに引っぱたくことはあまりなかったが、そんなに注目されるほどのことでは
ないはずだ。
「まさか、美貴、体罰とかで訴えられる!?」
「いやいや、誰が訴えるのよ。監督とかならともかく、あなたは同じ高校生でしょ。
それに注目されているのは松浦さんのついでって感じみたいだしね」
「え?亜弥ちゃんの!?」
ガサ!
2人の後ろで突然何か物音がした。誰か来たのかと思い美貴が後ろを振り返る。
しかし振り向いてみても、そこには庭木があるだけで、誰もいる様子はなかった。
風か何かだろうと特に気にも留めずに話を続ける。
「亜弥ちゃん、やっぱり注目されてるの?」
「なんだ、ミッキー気づいてたんじゃん」
「うん、まあね。美貴の思ったとおりだ…」
「ほら、松浦さんてビジュアルも良いじゃない?だからアイドルみたいな扱いになって
いるみたいだね。それにバレーボール協会のほうでも強化選手に入れる案が出始めてる
みたいだよ?」
「ええ?そこまで話が進んでるの!?っていうか、まいちん詳しすぎ。内部の人間みたい」
「正確には私じゃなくて、その記者の人がだよ。それに、美貴も注目されているのも
本当だよ?どっかの誰かが調べたらしくて中学時代は選手として活躍していたって
記事にしているみたいだし」
「別に美貴のことはいいのに…」
「おかげで、うちの女神様がその記事に食いついちゃってさ。なんかコンビニに
売っているスポーツ新聞とかスポーツ雑誌全部買ってるよ」
「ええ?なんで紺ちゃんが買ってるの?」
- 134 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/01/03(月) 21:25
- 美貴がなんでとばかりに身を乗り出す。
そんな美貴に対して、やれやれといった風体でため息をつきつつ里田が応える。
「なんでも何もミッキー、紺野ちゃんに何で入院したとか、どんなバレー選手だったとか
全然話していないでしょ!?だから紺野ちゃんは少しでもミッキーの過去を知りたくて
記事を買いあさっているんだよ?」
「う…それは…」
「全くもう…まあ、紺野ちゃんもこっちに来てからは、よく笑うようになったから
いいけどさ…」
里田はそう言うと、ベンチの背もたれに寄りかかる。
少し斜めに座っているため、前髪が目元にかかり、里田の表情が見えなくなる。
美貴も口を開かないため、言葉が途切れる。
以前の北海道では良く話をしていた2人の間に沈黙が舞い降りる。
なんだかこちらで再開してからの里田と美貴の間には見えない溝があるように思えた。
北海道での2人とこちらへ来てからの2人。
その違いで考えられる理由は一つ。
「ミッキーに会ってからの紺野ちゃんは、本当に笑顔になったよ…私たちが
どれだけ頑張ってもマネージャーとしてしか笑ってくれなかったのに…」
「まいちゃん…?」
「あ〜あ、なんか悔しいなー…私たちって何なんだろう……紺野ちゃんには
ミッキーさえいればいいのかな…?」
- 135 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/01/03(月) 21:26
- 先ほどまでの明るい雰囲気がなくなり、何か歪なものに変わる。
笑顔なのに笑顔じゃない感じ。
自分自身に自嘲を込めて笑う。
何かを諦めたかのような笑い。
相変わらず表情は髪に隠れて読めない。
だが、その発する雰囲気には倦怠感が漂っていた。
「何言ってんの、まいちん?紺ちゃんはきっとそんなつもりはないよ?この前から
練習の様子とか、試合中の様子とか見てたけど笑顔だったし、一生懸命応援
してたよ?」
美貴が里田の言葉を否定するが、里田の発する雰囲気は変わらない。
シニカルな笑顔が浮かぶ。
「それはミッキーに会えたからだよ。ミッキーさえいれば私たちが試合で負けようが
勝とうが関係ないんだよ!」
はき捨てるような言葉。
だが、美貴も黙っていない。
「そんなことない!美貴は関係ない!まいちゃんは、本当に紺ちゃんがまいちゃんたちの
ことをどうでもいいなんて考えていると思ってるの!?」
思わず立ち上がり、ベンチに凭れて座っている里田を見下ろす。
- 136 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/01/03(月) 21:26
- 「紺ちゃんは、そんな子じゃない!まいちゃんも知っているはずでしょ!?紺ちゃんは…
美貴の好きな紺ちゃんは、そんな子じゃなかった!」
その言葉を聞いた途端、それまでベンチに凭れかかって座っていた里田が立ち上がる。
そしてゆっくりと美貴を見据える。
「知ってるよ…」
「だったら…!」
「紺野ちゃんがミッキーのことを好きだっていうことを」
「…え?」
美貴の瞳に戸惑いの色が浮かぶ。
一方の里田は、先ほどまでのシニカルな笑みを消して、静かに美貴を見つめている。
「紺野ちゃんが好きな人のために頑張ろうとしているのは私も知ってる。部員の皆も。
ただ、紺野ちゃんの好きな人がミッキーだっていうことを知っているのは私だけだけど。
どっちにしても、紺野ちゃんに勇気を与えてあげることが出来るのは私たちじゃない。
好きな人の励ましの一言なんだよ…」
「……」
「だから、今の言葉を紺野ちゃんに言ってあげて?そうすれば紺野ちゃんは頑張れる。
私じゃ出来ない役割だから…だからミッキーがやってあげて…お願い…」
「……まい、ちゃん…」
- 137 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/01/03(月) 21:27
- 美貴を静かに見つめる里田の瞳は大きく揺れていた。
その瞳から涙が溢れることはなかった。
だが、それが逆に里田の内に秘めた感情を表しているように思えた。
だから美貴はその感情の姿を読み取ろうと、その瞳を覗き込んだ。
しかし里田は視線をふいと逸らした。
「あ、まいちゃん…」
「ごめんね変な話しちゃって…私もう行くね?じゃあ紺野ちゃんに話をしてあげて?」
呼び止める間もなく里田は足早に立ち去ってしまう。
その場に残された美貴はしばらく1人で佇んでいた。
1人になると先ほどの里田の言葉が思い出される。
――――ミッキーさえいれば…
――――紺野ちゃんに言ってあげて?
- 138 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/01/03(月) 21:28
- そして頭の中に響く言葉に背中を押されるように歩き出す。
中庭からロビーに入り、エレベーターの前に立ちボタンを押す。
間もなく着いたエレベーターにフワフワと頼りない足取りで乗り込む。
周囲に目をやることもなく。
だからこそ、庭木の後ろから現れて、美貴のすぐ後ろをつけていた亜弥にも
全く気づいていなかった。
- 139 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/01/03(月) 21:29
- 亜弥はエレベーターの前に立ち、美貴が降り立つ階を確認する。
先ほど見ていた限りではエレベーターに乗ったのは美貴1人だけ。
つまり停止したところが美貴の目的の階。
普段であれば美貴と一緒にエレベーターに乗り込んでいた。
例え先ほどの会話を聞いた直後だとしても。
だが、今の亜弥には自信がなかったから、それは出来なかった。
今の美貴が紺野よりも自分を大事にしてくれるという確信が持てなかった。
だからもし、拒絶されたら…。
自分の頼りない足元は崩れてしまう。
美貴がいるから辛うじて、綱渡りで歩んできた自分の今の生活。
それが足元から崩れ去ってしまうだろうから。
そしてそれが崩れたらもはや立ち直る自信はなかった。
だから一緒のエレベーターに乗ることは出来なかった。
エレベーターの表示は着実に階を昇っていく様子を示していた。
3階…4階…
美貴たちの部屋は6階。
そして紺野たちの部屋は8階。
5階…
亜弥にとってはまるでカウントダウンだった。
- 140 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/01/03(月) 21:30
- そしてエレベーターは6階を通過した。
止まらないエレベーターに亜弥の足元が崩れだす。
慌てて自分も跡を追うためボタンを押す。
しかし他のエレベーターは上の階で停止していたため、すぐには降りてこない。
そうしている間にも美貴の乗ったエレベーターは8階で停止する。
もう間違いはない。
美貴は紺野に会いに行ったのだ。
早く自分も行かなくては。
2人が逢引している場面など見たくもないが、それを黙って見ていることも出来ない。
だから急いで跡を追いかけたかった。
「あれ、亜弥ちゃん、買い物?」
「おう、松浦、ちゃんと早く寝て体調を整えろよ」
その声に振り向くと、そこには監督と吉澤が並んで立っていた。
「え?あ、はい…あのちょっと急いでいるので…」
「なんだ、松浦、急ぐって…全く、全国大会に来てからお前、落ち着きがないぞ?
緊張しているのか?」
「いえ、そういうことでは…」
「なんか悩みがあるなら俺が聞いてやるぞ?」
監督はそのまま日頃、亜弥に対して感じていることを話始めてしまった。
『もう、急いでいるのにー』
- 141 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/01/03(月) 21:30
-
- 142 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/01/03(月) 21:31
- エレベーターが静かな動作で8階への扉を開いた。
美貴はそのまま迷わずに目的の部屋に向かって歩き出した。
そしてある部屋の前に行くと、少しだけ控えめにノックをする。
すると中から返事が聞こえて、おもむろに部屋のドアが開けられる。
「あれ、美貴ちゃん?どうしたんですか?」
ドアを開けたのは、お風呂上りなのか、石鹸の香りを漂わせた紺野だった。
少し身体もほてっているのか、その頬も少し上気しているようだった。
そんな紺野の様子に少し戸惑いながらも美貴が口を開いた。
「紺ちゃん、ちょっと話があるんだ…」
そう言った美貴の瞳は、真っ直ぐに紺野を捉えていた。
- 143 名前:前頭三枚目 投稿日:2005/01/03(月) 21:33
- 更新しました。
今後もコソーリ更新で行く予定です。
今年も引き続きよろしくお願いします。
- 144 名前:名無し飼育さん 投稿日:2005/01/03(月) 21:43
- 作者さま乙です。
毎回楽しみにしてます。
- 145 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/01/10(月) 17:43
- 突然の美貴の言葉に少しだけ驚いた表情を浮かべた紺野だったが、美貴の表情から
固い雰囲気を察して、すぐに答える。
「分かりました。でも、部屋だと同室の方がいらっしゃいますので、あちらの自販機
コーナーがあるところでもいいですか?」
「うん、美貴はどこでもいいよ」
2人して階の隅にあるコーナーへと向かう。
そこは昨日亜弥と紺野が話をしたのと同じ場所。
2人はL字型になっている椅子の角に座った。
昨日と全く同じように紺野はジュースを買い、テーブルの上に2人分置く。
だが美貴も亜弥と同じようにそのジュースのほうを見ようとしない。
そんな2人の姿が重なって見えて、紺野は苦笑しながらも昨日と同じようにジュースを
一口飲んでから声をかける。
「それで、お話ってなんですか?」
「う、うん…」
「…?」
話をしに来た割には、美貴は下を向いて話し出す様子はない。
不思議に思ったが、紺野とすれば2人でいられる時間が再び出来たことだけでも
嬉しかったので、そのことをそれ以上言及しようとしなかった。
つまり2人とも黙って椅子に座っている状態。
傍から見たら、まさしく何をやっているんだろうという状態。
静まりかえったロビーに時折、紺野がジュースを飲んでテーブルに缶を置く音だけが
木霊している。
- 146 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/01/10(月) 17:43
- しばらくそんな状態が続いていたが、やはりその沈黙を破ったのは話をするために
紺野の部屋を訪ねた美貴のほうからだった。
「紺ちゃん…」
「はい?」
「紺ちゃん…今、楽しい?」
「今って…たった今ですか?」
「あ、いや……うん、そうだね、今」
「楽しいですよ?美貴ちゃんと一緒にいられますから」
「…そっか」
それだけを言うと美貴は再び下を向いてしまう。
紺野が不思議に思っていると、今度はすぐに顔を上げてまた聞いてきた。
「じゃあ、今の状態は楽しい?マネージャーをして、皆のプレーしている様子を
ベンチから応援しているのって…」
美貴の瞳は真っ直ぐに紺野を捉えていた。
その逸らさない瞳をしばらく黙って見つめ返していた。
どんな状況であれ、美貴の目が何ものも間に挟むことなく、一部の隙もなく自分を
見つめていることは単純に嬉しかったから。
だが、問われたことには答えなくてはならない。
- 147 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/01/10(月) 17:44
- 「…楽しいですよ?チームの皆と同じ目標に向かった頑張って行くことができますし。
もうバレーが出来ない私でも全国大会を目指すことが出来ますので、嬉しいです」
美貴は紺野から視線を外さない。
その口元を
その瞳を
その表情を
全ての動きを見逃さないかのように
紺野から視線を外さない。
そんな美貴に紺野は微笑んで見せる。
真っ直ぐに見つめ返してみせる。
何も隠していない。
美貴に対して何も隠す必要はない。
美貴もすぐに紺野の意図に気づく。
探る必要なんてない
紺野の瞳がそう語っている。
だから、美貴はようやく視線を変える。
探るような視線は紺野の思いに対して失礼だから。
そして軽いため息をひとつ。
- 148 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/01/10(月) 17:44
- 「…そっか…」
ゆっくりと視線を外して、初めて目の前の缶ジュースに目をやる。
だが、やはり飲む気はないらしい。
ただ単に視線を逸らした先がそれだったというだけみたいだ。
いまひとつ要領を得ない美貴の質問に、紺野が不思議そうな顔をして見ている。
すると急に美貴の雰囲気が柔らかくなる。
「良かった…美貴、しばらく紺ちゃんに会ってなかったから、紺ちゃん変わっちゃったの
かと思ったよ」
「え?何がですか?」
紺野の質問に導かれたかのように、美貴の頭の中に先ほどの里田との会話が思い出される。
「んー…なんかさ、まいちんが美貴と紺ちゃんのこと変なふうな憶測してたからさ。
だからちょっと気になっただけ」
「変な憶測…?何ですか?」
「あ、あー…何でもない。たいしたことじゃないよ」
「そうなんですか?」
「そうなの。美貴が何でもないって言ったら、なんでもないの!」
- 149 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/01/10(月) 17:45
- 美貴が誤魔化すような口ぶりで強引に会話を終了させる。
そんな美貴を見て、紺野はくすくすと笑っている。
「全然変わってないですね、美貴ちゃんは…」
「何が?」
「そうやってすぐに強がるところとか。何かまずいことがあるとすぐに隠して
自分ひとりで解決しようとしますよね」
「え?そう?」
「そうですよ…変わってないですね…」
そう言って紺野は懐かしむような表情を浮かべる。
そんな紺野の様子に少し困惑したように、視線を逸らす。
その仕草さえも懐かしそうに見ている。
「人なんてそう簡単には変わらないんだよ」
美貴が拗ねた口振りで言い返す。
その姿は紺野よりも年上の人間にはとても見えない。
だからこそ、そんな姿が紺野の心を刺激するのかもしれない。
- 150 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/01/10(月) 17:46
- 「良いんですよ、変わらなくて。美貴ちゃんがそのままの美貴ちゃんでいてくれるから
私は約束を信じて頑張ることが出来るんですから」
「紺ちゃん?」
「変わらない美貴ちゃんだからこそ、あの時の約束を信じることが出来るんです。
あの約束が今の私の支えでもありますし…」
一度軽く目を瞑る。
そして再び開けられた紺野の瞳には、固く強い想いが込められていた。
「全てでもあります」
「紺ちゃん…」
真っ直ぐな
少し潤んだ
美貴だけを見つめる瞳。
- 151 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/01/10(月) 17:46
-
なんだろう。
身体が勝手に動いていたというか。
何かに導かれたように。
気がついたら美貴は紺ちゃんを抱き寄せていた。
- 152 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/01/10(月) 17:47
- 「…美貴、ちゃ、ん……?」
誰もいないコーナーで言葉を発する者はなく
沈黙が想いを重く深くしていく空間
その空間の端のエレベーターの扉が音もなく開き、そのまま動きを止める。
この空間の全ての時が止まっているかのように。
中に乗っていた人物たちの動きも止めて。
- 153 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/01/10(月) 17:48
-
- 154 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/01/10(月) 17:49
- 亜弥は急いでいた。
監督や吉澤の話を適当に聞き流しつつ時間を確認する。
もう美貴が8階に行ってから10分ほど経つ。
それなのに監督の話は一向に終わる気配を見せない。
はっきりいって自分は美貴や真希以外の人間の意見など聞く耳を持ち合わせていない。
だが監督は亜弥の様子など意に介することなく話しを続けている。
困って隣にいる吉澤に視線を移す。
すると吉澤も少し困ったような表情を浮かべていた。
さすがに黙っていた吉澤は亜弥の様子に気がついていた。
ただキャプテンという立場上、なかなか監督の話を中断させるのは難しい行動だった。
しかし、亜弥にとっては今この場では味方は自分の様子に気づいているらしい吉澤だけ
だった。だから亜弥は祈るような眼差しで吉澤を見つめていた。その視線を真正面から
受け止める。
さすがに亜弥の縋るような視線を見て、知らない振りをするわけにはいかなかったらしい。
吉澤はようやく監督を止めに入る。
- 155 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/01/10(月) 17:49
- 「監督、そろそろうちらは明日に備えて部屋に帰らないと。松浦さんもこの時間は
いつも柔軟とか身体を解していましたから」
「おお、そうか、いつの間にかそんな時間になっていたか、悪かったな松浦。時間を
取らせてしまって」
「いいえ、大丈夫です」
「そうか、じゃあ、吉澤も部屋に戻って明日に備えて寝ろよ」
「はい」
「じゃあな」
「はい、おやすみなさい」
ようやく監督が立ち去ってくれた。
そしてそれと同時に亜弥がエレベーターに乗り込む。
続いて吉澤も同じように乗り込む。
閉じられる扉
「いや、悪かったね、亜弥ちゃん、私も止めようとは思ってたんだけど」
「いえ、大丈夫です」
そこで吉澤はふと気づく。
亜弥の表情が固い。
それに何故か8階のボタンを押している。
自分たちの階は6階だ。
- 156 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/01/10(月) 17:50
- 「あれ?亜弥ちゃん、うちらの階は6階だよね?」
「いいんです。これで」
8階は確か花畑高校が宿泊している階だ。
そういえば。
そこで吉澤が思い立つ。昨日ミーティングをしようとしていたときに、亜弥だけが
見つからなくて、みんなで探していたら美貴が花畑高校のところで見つけて連れて
来ていた。
「あれ?亜弥ちゃん、花畑高校で誰か知り合いでも出来た?」
だが、亜弥はその質問には曖昧な表情を浮かべたまま頷くことも首を横に振ることも
しなかった。ただ、哀しげに微笑んだだけだった。その笑顔には見覚えがあった。
春先、初めて会ったころの亜弥の笑顔。しばらく見ていなかった笑顔。
何かを隠すような
何かに耐えているかのような
そんな仮面のような笑顔。
- 157 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/01/10(月) 17:51
- 美貴たちが来てからは、こんな笑顔など見せなくなっていたはずだ。
それなのにその笑顔を今見せている。
「…なにか、あった…?」
「……」
亜弥は答えない。
しかし吉澤も元来鈍い人間ではない。
その亜弥の様子から何かが起こっていることを察する。
だから6階で扉が開いても降り立つことはなかった。
亜弥も何も言わずにボタンを押す。
扉が閉められて再びエレベーターは上昇していく。
そしてゆっくりと8階に到着し、静かに扉が開かれた。
降りようとした亜弥と吉澤の動きが止まる。
廊下の一番端のほうを見たまま2人とも固まる。
まるで時間を止められてしまったかのように、2人ともある場所を見たまま動かない。
- 158 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/01/10(月) 17:52
- そこには、紺野を抱きしめている美貴の姿があった。
亜弥たちに気づくことなく美貴と紺野はそのまま動かない。
全く動かない4人。
その中で一番最初に動き出した人間。
それは美貴だった。
紺野を抱きしめていた腕を解くと、自分のすぐ下の位置にある紺野の顔を覗き込み、
そしてゆっくりと微笑んだ。
その美貴の様子を見て、次に動き出したのは紺野だった。
微笑む美貴に笑顔で応えた…瞬間、動きが再び止まる。
不思議に思ったらしい美貴が、紺野の瞳を覗き込む。
その瞳は美貴ではなく、そのずっと後方を見ていた。
その視線を追うように美貴が振り向く。
- 159 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/01/10(月) 17:54
- なんだろう。
亜弥の目には全てがゆっくりとしたスローモーションに映る。
そして自分の指がゆっくりとボタンを押した。
扉が閉じる瞬間に亜弥の瞳に映ったのは、美貴の驚いている表情だった。
- 160 名前:前頭三枚目 投稿日:2005/01/10(月) 17:56
- 更新しました。
この作品も、スレ立てしてちょうど1周年になります。
当初の予定では1スレに収まる上に半年で終了の予定だったのですが…。
現段階で逆算すると…………まあ、先のことは考えないようにします。
気が早いですが、そろそろ聖誕祭のネタでも仕込み始めようかと。
レスありがとうございます。
>>144 名無し飼育様
楽しみにしていただいてありがとうございます。
今後もマイペースで行く予定ですのでマターリお付き合いください。
- 161 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/01/10(月) 22:26
- 1周年記念おめでとうございます!1番乗りだ!
ラスト、映画のワンシーンのようでドキドキしました。
緊迫した関係の均衡はどうなるのか!?
お気に入りの小説です、続きマターリ待ってます。
- 162 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/01/10(月) 23:07
- 胸騒ぎが収まりません。。
それだけ引き込まれている自分がいます。
作者さん、助けてください(笑)
- 163 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/02/06(日) 18:35
- 美貴はしばらく亜弥が消えたエレベーターのほうを見て呆然としていた。
「あ、あや…」
無意識のうちに…なのだろう。
美貴は名前を呟くと2、3歩踏み出して立ち止まる。
その背中からは、動揺以外の気配は感じられない。
恐らく美貴の頭の中は、今は亜弥のことで占められているのだろう。
そんな美貴の様子に紺野が居た堪れなくなり声をかける。
「追いかけなくて、いいんですか?」
「……」
「松浦さん…きっと…」
そこまで言って口を閉じる。
先ほどまで頼りなさそうな背中を見せていたのに、紺野のほうに向き直った
美貴の目は、しっかりとした真摯な眼差しだったから。
「…分かってる……分かってる」
自分に言い聞かせるように繰り返して呟く。
だが、美貴は変わらずにその場から動こうとしない。
そして一度だけ唇をかみ締めると口を開く。
- 164 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/02/06(日) 18:36
- 「亜弥ちゃんには…後でちゃんと話をする。でもね、美貴は紺ちゃんに今日のうちに
…いえ今、言わなくちゃいけないことがあるの」
「言わなくちゃいけないこと?」
「そう、勘違いをしているだろうまいちんに言って欲しいことがあるの」
「里田さんに?」
「うん、紺ちゃんから伝えて欲しいことがあるの」
「…それは美貴ちゃんからではダメなことですか?」
「うん、美貴からじゃダメなこと」
先ほどの頼りない背中を見せていた姿とは異なり、美貴はしっかりと紺野の目を
見据えて答えてくる。
「美貴じゃダメというよりも紺ちゃんじゃなきゃ、意味がないことだから」
「私でないと…?」
「そう」
「どんな…?」
紺野の問いかけに美貴は一旦間を置く。
自分の中で整理をしているようだった。
そして考えがまとまったのか、再び口を開く。
- 165 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/02/06(日) 18:37
- 「まいちんが、"自分たちで紺ちゃんを元気付けるんだ"って頑張っていることには
気づいているよね?」
「はい」
「それで、紺ちゃんのために頑張っているけど、まいちんは、自分たちの頑張りは
無駄なんだって思っているみたいなの」
「え?無駄…?」
「そう、それでさっき、まいちんが美貴さえいれば紺ちゃんは元気になるなんて
間違ったことを言ってたの」
紺野の瞳が僅かに揺れるが美貴は全く気づかない。
「だから、まいちんに気づかせて欲しいの。まいちんたちのことを見て何も感じていない
なんてことはないっていうことを。まいちんたちの頑張りは紺ちゃんに届いているって
いうことを。紺ちゃんが何を必要としているのかって」
美貴の瞳に揺るぎはない。
そんな美貴の様子を切なげに見つめる紺野。
だが、今度は美貴はその様子に気づかない。
「明日になって、もしかしたら美貴と紺ちゃんたちの学校がぶつかるかもしれない。
そうなった後じゃ、結果がどうであれ、美貴の言った意味も紺ちゃんからの言葉も
信じきれないと思うの。だから、どうしてもそのことを紺ちゃんに伝えておきたかった。
伝えてほしかった。今日のうちに」
- 166 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/02/06(日) 18:38
- 先ほどまで頼りない背中を見せていた人物と同一人物とは、とてもじゃないけど
思えない。
「相変わらず、"自分自身以外"の人には気が回りますね…」
「え、何?何か言った?紺ちゃん」
小さく独り言のように呟いたので美貴の耳まで届かなかったようだ。
不思議そうな顔をして、瞳を覗き込んでくる。
そんな美貴の様子を見て、紺野は軽くため息をついて肩を落とす。
「分かりました。伝えてみます」
「本当!?ありがとう!っていうのも変かな…?」
紺野の言葉に喜びの表情を浮かべる美貴。
「でも、まいちんは大事な友達なんだ。美貴を励ましてくれて、一緒に頑張ってくれて。
勝手に自分の都合でいなくなった美貴の代わりに、紺ちゃんも励ましてくれた…
美貴の大事な友達だから……って、本人には絶対に言わないけどね」
そう言って、少し照れたような笑いを浮かべる美貴。
その様子を見た紺野は一瞬表情を緩めると、口元を綻ばして話しだす。
- 167 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/02/06(日) 18:38
- 「ふふ、美貴ちゃんは友達を大事にしますからね……あ、でも一つだけ美貴ちゃんも
勘違いしてますよ?」
「え?」
その言葉に改めてその顔を覗き込むと、紺野は先ほどまでと異なり何かを企んでいる
ような顔をしていた。
「何を勘違いしているの?」
紺野に声をかけてみると、紺野は楽しそうにそっと美貴の耳元に口を寄せてきた。
いきなりの紺野の行動に、逆に美貴は少し固まってしまっている。
「里田さんの言葉は一部分ですけど、合ってますよ?」
「え?」
「大好きな美貴ちゃんがいると元気になるのは本当ですから」
「えっ…あの…ええ!?」
これ以上ないというくらい目を大きく開いた美貴を楽しそうに見やると、
紺野はくるりと背を向ける。
そんな紺野を頬を染めて見送る美貴。
その光景は昨日と全く同じ光景。
そのことに思い至り、知らず美貴の口元に苦笑が浮かぶ。
北海道にいた頃は自分のほうが紺野のことをからかっていたりしていたのに、
今は完全に立場が逆転している。
少しだけ懐かしげな眼差しを送り、紺野の背中にそっと微笑んだ。
- 168 名前:三枚目 投稿日:2005/02/06(日) 18:39
-
- 169 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/02/06(日) 18:40
- ゆっくりと降りていくエレベーター。
その中では恐ろしいほどの沈黙が舞い降りていた。
エレベーターは6階では止まらずにそのまま1階まで降りていく。
吉澤は亜弥に声をかけることが出来ずにいた。
その震える背中を抱きしめることが出来ずにいた。
こんなことがあった時のために自分は傍にいたはずなのに。
2人の隙間に入り込もうとしていたのに。
今が、きっとまさにその時なのに。
あれほど望んでいた瞬間なのに。
それなのに身体が動いてくれない。
エレベーターの中には、ただ静寂だけが存在して。
まるで深海の奥底にいるように
2人の周りには見えない壁があって
腕ひとつを動かすことがとてつもない偉業に思えた。
- 170 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/02/06(日) 18:40
- 間もなくエレベーターがゆっくりと停止して、静かに扉が開かれる。
そこにはロビーが広がっていた。
どうやら1階に着いたらしい。
すると扉が開くと同時に亜弥が走り出す。
吉澤はすぐにその跡を追いかける。
このまま亜弥を1人にしておくのは、絶対にまずいと思ったから。
亜弥はそのまま外に出て行こうと正面ドアから出て行く。
外に完全に出られたら見失ってしまうかもしれない。
慌てて亜弥を捕まえようと足に力を込める。
そして亜弥がホテルの外に出てすぐのところでなんとかその腕を捕まえた。
「亜弥ちゃん!どこに行くのさ!?」
「……」
だが亜弥は答えようとせずに、その掴まれた腕を振りほどこうとしている。
一方、吉澤もその掴んだ腕を必死に離さないようにしている。
「落ち着きなよ、亜弥ちゃん!」
「……!」
- 171 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/02/06(日) 18:41
- そんな2人のやり取りが続けられる中、幸か不幸か誰も近くを通らない。
注目されないという意味では幸運だが、吉澤の他に止めるものがいないというのは
不幸なことだった。
しかし吉澤も必死だった。
亜弥の隙をつき、捕まえていた腕を離して、亜弥の腰の辺りに腕を回してがっちりと
ロックして捕まえる。
「離してください!」
「離せるか!どこに行く気なんだよ!?」
「どこだっていいじゃないですか!放っておいてください!」
亜弥の動きはますますメチャクチャなものとなり、吉澤が掴んでいた身体も引き離され
そうになる。だが、それ以上に強い力を込める。
「放っておけるもんか!!」
叫び声と共に今まで以上の力が込められる。
そんな吉澤の叫びに抑え込まれたかのように亜弥の動きが緩められる。
「…放っておいてください…今は…1人になりたいんです…」
亜弥は一気に力が抜けたのか、消えそうなくらい小さな声で訴える。
それに伴い、亜弥の身体から抵抗する力が全く抜けてしまう。
亜弥の腰に回されていた腕に雫が一粒、二粒と落ちてくる。
抑え込んでいるはずだった吉澤の腕は、いつのまにかその身体を支えるための
ものとなっていた。
- 172 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/02/06(日) 18:41
- そんな亜弥を見て
そんな亜弥を感じて。
「放っておけないよ…気になる子が、泣きながらどこかに行こうとしているんだから…」
今まで決して表に出てこなかった想いが、その口から零れだす。
自分の中で決意を固めて、それを達成するまで決して口にするつもりはなかった言葉が
今、その口から自然とあふれ出してくる。
つい先ほどまで言えないと思っていたその言葉が。
美貴に認められてから
真希に許されてから
亜弥に心を開かれてから
それから伝えようとしていた想い
だがその想いは、吉澤の中の戒めを簡単に破って飛び出してきた。
- 173 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/02/06(日) 18:42
- 吉澤の言葉に亜弥は、そのまま何も言わずに佇んでいる。
吉澤の言葉に反応したのか、それとも先ほどの光景のショックで動けなくなって
いるのか。どちらなのかは分からなかったが、2人は不自然な体勢のまま動けなく
なっていた。
そして一方の吉澤も動けなくなっていた。
それは自分の口から飛び出した言葉に驚いていたから。
- 174 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/02/06(日) 18:43
- 何故こんな簡単に出てきてしまったのか…?
そして何故…
何故…自分の。
たった今吐き出した自分の言葉にこんな感覚を覚えるのか…?
この感覚は…
ちがう…
何かが違う…
これは…
そう、違和感。
これは、違和感という感覚。
人に想いを告げること自体が久しぶりだった。
でも、この感覚は違うというのは分かる。覚えている。
好きな人に告白をしたはずなのに…なんでこんなにも自分は冷静なのか?
もっとドキドキするもんじゃなかったっけ?
もっと緊張するもんじゃなかったっけ?
- 175 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/02/06(日) 18:43
- そこまで考えてから、慌ててその考えを頭の中から振り払う。
取りあえず今は亜弥のことを…
「…何やってるのさ…」
不安を掻き立てる想像を振り払い、自分を落ち着けようとしている吉澤の努力を
無にするような声がかけられる。
固まっていた2人が同時に顔を上げた。
そこにはスポーツバックを肩から下げた、真希の姿があった。
- 176 名前:前頭三枚目 投稿日:2005/02/06(日) 18:45
- 更新しました。
本当にマターリで申し訳!
ただ今、聖誕月ということで短編作成中です。
まあ、あまり内容は聖誕と関係ないんですけどね。
完成したら、一応こちらにもリンクを貼る予定です。
間に合うかな…?
レスありがとうございます。
>>161 名無飼育様
分かりやすい表現と、読んだときに情景が浮かぶことを心がけているつもり
ではあるので、そう言っていただけるのは本当に嬉しいかぎりです。
今回更新は短編に浮気をしているために短くてすいません。
>>162 名無飼育様
今回はまたもや動悸息切れの原因になってしまったかも…。
誕生日前にもう一度更新予定です。
- 177 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/07(月) 21:02
- ふ・ふおぉぉぉぉっ(汗)
どうなるのかっっ! …ドキドキ(*´∀`)
- 178 名前:マチル 投稿日:2005/03/08(火) 11:48
- 読みたいぃぃぃぃぃ!
- 179 名前:名無し飼育さん 投稿日:2005/03/08(火) 15:29
- ・・・
- 180 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/30(水) 03:22
- 続きが気になるぅーーー
- 181 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/07(木) 12:31
- 作者さーん
待ってますよ
- 182 名前:名無しの荒らし 投稿日:2005/05/01(日) 01:40
- きぃにぃなぁるぅ
- 183 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/05/19(木) 20:52
- どうなるかドキドキ
- 184 名前:前頭三枚目 投稿日:2005/06/16(木) 22:23
- 長らくお待たせしていて申し訳ないです。
モチベーションが上がるのを待っていたのですが、なかなか
あがりません。これ以上お待たせするのは、読者の皆様や
管理人様に失礼だと考えました。
今日から1ヶ月以上経っても更新がない場合は放棄したと考えて
いただければと思います。
その場合は青板の「べたべたな物語」も同様と考えていただければ
と思います。
- 185 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/17(金) 08:06
- ち、ち、ち、ちょっと待って下さい。
待ちますから、大人しく待ってますから……またモチベーション上がるかもしれませんし。
いつまででも待ってますからm(_ _)m
- 186 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/28(火) 21:57
- 今日の特別番組で前頭三枚目さんのモチベーションが上がることを願っています。
- 187 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/07/05(火) 00:02
- 放棄の方が失礼だと、個人的には思う。
せめて区切りの良いトコまではと、切に願います。
m(_ _)m
- 188 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/07/06(水) 21:11
- さいらっきょ(^ε^)-☆Chu!!
- 189 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/07/10(日) 12:10
- 「あ…」
ただ空気がこぼれただけのような、声にもならない声が漏れる。
冷えた感情のこもらない声を最後に真希は黙ってこちらを、吉澤を見ている。
その目は感情を宿していない、冷え切った瞳。今まで目にしたことはあっても
実際に吉澤に向かって向けられたことは無かった視線がこちらに向いている。
だが、吉澤はその冷えた視線を真っ向から受けているにも関わらずに全く
動かなかった。いや、動けなかった。
亜弥を捕まえていた手だけが、すっと解かれる。
ゆっくりと真希が動き出す。
こちらに向けて一歩、また一歩と。
吉澤は睨まれた獲物のように動くことが出来なかった。
『本当に怖いものには惹き込まれるのか…』
真希の目を見たまま動けなくなってしまった自分自身の身体で新たな発見をする。
そんな吉澤と、同じように全く動かない亜弥の目の前で真希の歩みが止まる。
亜弥はゆっくりと口を開いた。
- 190 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/07/10(日) 12:11
- 「は、早かったね…真希ちゃん…」
「急いだからね」
震えるような亜弥の声に、真希の視線が和らぐ。
「え…へへ…見てよ真希ちゃん、吉澤先輩ってばあたしのことを捕まえて
離そうとしないんだよ」
「そうみたいだね」
不思議に穏やかな笑顔を浮かべて亜弥は話し続ける。その言葉に吉澤は
いつの間にか自分の手が亜弥を開放していたことに気がつく。
「あたしってば昔からモテモテだったからね。真希ちゃんも昔から大変だったでしょ
あたしに言い寄る人がいっぱいいて、それを美貴たんと………」
不意に自分の口から出てきた名前に、その言葉を止められる。そして何かに耐えるかの
ように亜弥は微笑んだ。不恰好に、歯をかみ締めて。
「亜弥…」
真希が手を伸ばし、亜弥の髪を撫でる。
2人の視線が交錯する。
- 191 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/07/10(日) 12:12
- 「…いいんだよ?私達の前では泣いても」
亜弥の目が驚きで見開かれる。
「…私たちが戻ってきた時の約束があったから、亜弥はつらくても今まで
泣かなかったんでしょ?」
亜弥が瞳に湛えながら頷く。
「でも、いいんだよ?今目の前にいるのは私なんだから…泣いても、いいんだよ」
そう言って優しく髪を撫でると、そっと亜弥の身体を引き寄せた。
そしてその身体を静かに包むと、あやすように軽く背中をたたく。
「いいんだよ…」
言葉だったのか、しぐさだったのか。
まるでそれが合図だったかのように亜弥の瞳からポロポロと零れ落ちてくる。
そしてそれは一気に流れ出す。
止め処無くあふれ出す。
その想いの深さを示すかのように。
- 192 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/07/10(日) 12:13
- そんな亜弥の姿を吉澤は黙って見つめている。
亜弥と真希に自分の姿は映っていない。
だが、吉澤の中ではそんなことは問題ではなかった。
―――亜弥を泣かすことの出来る人間―――
自分は違う。
真希には出来る。
そして恐らく美貴にも。
- 193 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/07/10(日) 12:14
- そういうことだ。
心を許すということは自分の奥を見せること。
それに触れられることを許すこと。
そして奥に触れられれば揺れる。
心が
気持ちが
感情が
つまりはそういうこと。
自分には揺らすことがまだ出来ない。
亜弥の感情を。
そして先ほど気づいたこと。
告白した時に感じた違和感。
全く揺れ動かなかった自分の感情。
それは自分が揺れなかったということ。
奥に触れられていないということ。
触れさせていないということ。
- 194 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/07/10(日) 12:14
-
いつからか、いつのまにか自分は。
亜弥に触れられようとしていなかった。
でも、最近の自分の感情は確かに揺れ動いていたのを感じていた。
それは確かな感覚。
では、それは何時?何処で?何に?誰に―――
- 195 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/07/10(日) 12:15
-
思考が出口を見出せなくなり、迷宮の入り口に足を踏み入れようとしたとき…
「よっすぃ、よっすぃ!」
「へ!?うわぁ!」
気がつくと鼻先に立って顔を覗き込んでいる真希の顔があった。
思わず2、3歩後ずさる吉澤を見て呆れた顔で口を開く。
「そんなに驚かなくてもいいじゃん。ちょっと傷つくよ」
「ご、ごめん、ちょっと考え事してたから」
「それよりごめんね、よっすぃ、なんか睨みつけちゃって。亜弥を引き止めて
くれてたんだって?」
「え?あ、ああいや、うん」
先ほどまでと全く雰囲気が違う真希に面食らいながらも、なんとか返事をする。
自分に対する呼びかけも以前のものとなっている。
ふと視線を逸らすと、亜弥もいつの間にか泣き止んでいるようだった。
ただ、先ほどより少しだけすっきりとした顔をしているように見えるような
気がしたが、その表情は相変わらず浮かないものだった。
- 196 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/07/10(日) 12:15
- 「ありがとうございました吉澤先輩」
「え?うん…」
だが、それでも少しだけ周囲のことも見えるようだった。
事態が急展開していることと、自分自身の感情のコントロールがうまく出来て
いないことにより、まるで自分はこの光景を第三者として斜め上から見ている
だけの傍観者のような気分だった。
ただ、逆にそのことが吉澤の頭を冷静にさせたのか、不思議に今のこの状況に
ついて思いを馳せることができた。
周囲を見回すと人気の無い時間帯ながらも、近くを通る人たちは皆こちらを
見ていた。そんな吉澤に真希と亜弥も気づいたらしく、二人も辺りを見回すと
佇まいを直す。
そしてそんな2人の姿を確認すると吉澤が口を開く。
「…部屋に戻らない?もう遅いし」
「……」
亜弥はまだ躊躇いがあるのか軽く視線を落としただけだった。
「私は今日は近くのビジネスホテルに泊まるんだけど、亜弥も来る?」
「え?」
亜弥が少し驚いたかのように真希を見つめる。
- 197 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/07/10(日) 12:16
- 「こんな状態で戻るのもちょっとあれだろうから。部屋はツインで予約して
あるんだ。本当はシングルが空いていなかっただけなんだけど、こうなったら
ちょうど良いかもしれない」
そういうと真希はスポーツバックを背負いなおす。
亜弥は逡巡しているようだった。真希が来たことにより先ほどホテルを飛び出そうと
したときより少しは感情のセーブが利くようになっているようだが、事態は何も
変わっていないようにも思える。
「今日だけ一緒に泊まっちゃえば?監督には言っておくから」
こんな状況では恐らく亜弥は今は真希の傍にいるのが一番だ。
自分の感情を理解していないような自分が傍にいるよりも、心を許している
真希が近くにいることのほうが亜弥のためになる。それに今部屋に戻れば気持ちが
落ち着かないまま美貴と会ってしまう可能性もある。
「これはキャプテン命令だよ。体調万全で明日は望んでもらわなくっちゃだからね」
「はい…じゃあそうします…」
こういうときは体育会系であったことに感謝をする。
普通に言ったって吉澤の言葉が聞き入れてもらえるかどうかは分からないけど、今の
亜弥は真希の下に行ける理由を欲しがっていた。
- 198 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/07/10(日) 12:16
- 「明日の時間には遅れないようにさせるから」
話がまとまったと感じたのか真希が背中を向けて歩き出す。
亜弥は吉澤に軽く一礼するとそんな真希を慌てて追いかける。
吉澤がそのまま2人の姿を見送っていると、2人はそのまま信号3つほど先の
ビジネスホテルに入っていった。どうやら本当に近くに部屋を取ったらしい。
その姿を確認すると吉澤は踵を返してホテルの中に入った。
エレベーターに乗って6階のボタンを押す。
軽い重力感と共にエレベーターが動き出し6階に静かに止まる。
いくつかの部屋を通り越して自分の部屋に戻る。
ドアを開けるとき少しだけ緊張したが、ドアは開いていなかった。
どうやら美貴は何故かまだ戻ってきてはいないみたいだった。
――まだ先ほどの紺野のところにいるのか…?
そんな軽い疑問が吉澤の胸を締め付ける。
締め付けを振り払うかのように豪快に服を脱ぎ捨てるとタオルを片手にシャワーに
向かう。勢い良く蛇口を捻り、熱いお湯を頭から浴びる。
先ほどからの事態の急転に飽和しかけた頭が少しだけすっきりした気分になる。
軽く汗を流すとタオルで身体についた水滴を拭い取る。部屋着を身に付けて
部屋に戻ったが相変わらず戻っていないようで、静まり返ったままだった。
- 199 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/07/10(日) 12:17
- 普段は静かな環境が苦手なので音楽かテレビを流しっぱなしにしていたが、今はまだ
頭の中がまとまっていない状態だったので、その静けさが心地よかった。
隣の部屋の携帯の音が聞き取れる程だった。隣の部屋には誰もいないのか携帯の
呼び出しが繰り返し鳴っているにも関わらず誰も出る人はいなかった。しかしその音も
しばらくすると聞こえなくなった。部屋には再び静けさが舞い戻る。
- 200 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/07/10(日) 12:18
-
『今日は色々あったな…』
時計の音以外何も聞こえてこない部屋で、ようやく先ほどまでのことを思い返したり
して心が落ち着きかけた頃、不意に部屋のドアがノックされた。
「はい?」
そろそろ早い人は寝始めても良い時間帯だ。こんな時間に誰が尋ねてきたのだろう。
そんなことを思いつつも返事をしてドアを開けるとそこには後輩が立っていた。
そして手には何やらメモらしきものを持っている。
「どうしたの?」
「あの…藤本先輩はいますか?」
- 201 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/07/10(日) 12:19
- 後輩は少し部屋の中を覗き込むようにして尋ねてきた。
「いや、部屋にはまだ戻っていないみたいだけど」
吉澤の言葉に後輩は少し困ったような表情を浮かべた。
「藤本先輩って携帯持っていないんですよね」
「うん、どうしたの?」
「それが…」
後輩は少し言いよどんでいたようだったが、手元のメモに目を落として、そして
吉澤に告げた。
「"辻"って人から藤本先輩宛に電話が入っているみたいなんです…」
- 202 名前:前頭三枚目 投稿日:2005/07/10(日) 12:22
- かなり久しぶりの更新なのに短くて申し訳ないです。
以前にコツコツと書いて決勝戦後まで出来上がっていたものを全て削除してしまいました。
今思い出しながら書いてますが、早くも最初のものと変わってしまっています。
次の更新も何時になるか分からないですが、少しでも進められればと思います。
>>177-188
まとめて返レスですいません。ご心配やご声援ありがとうございます。
上に書いたように少しでも進められればと思います。
モチベーション的には相変わらずでして、今は飼育の2作品読む以外は…。
取り合えずこちらを覗いている限りは続けたいと考えています。
- 203 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/07/10(日) 13:06
- 更新されてるぅぅ!!!!ぁりがとうございます!!
作者さん少しずつでもいいのでこれからも頑張って作っていってください。
次回の更新も楽しみに待っています。
- 204 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/07/10(日) 18:52
- 更新されたー ヽ(゚∀゚)ノ !!!!
がんがれ!作者さん
- 205 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/07/10(日) 23:37
- 更新お疲れ様です。
続きが読めてホントにめっちゃ嬉しいです!
これからも無理なさらぬよう作者さんのペースで頑張ってください。
ずっと待ちますんで。
では、次回も楽しみにしています。
- 206 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/07/13(水) 10:00
- おかえりなさい。
更新、とても嬉しく思います。
削除されたのも解る気はしますし、変わってきているのも解る気はします。
ともあれ、また書いて下さることが嬉しいです。
待っていますので、ごゆるりと。
- 207 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/07/26(火) 23:21
- おもしろくて1から一気に読んじゃいました☆昨日の夜からずぅーっとドキドキ
しながら読んでました。刺激的な話にのまれました↑待つのは苦じゃないです☆
続き楽しみに待ってます☆
- 208 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/08/23(火) 12:35
- エレベーターを降りて廊下を歩く。
すぐに目的の部屋の前に着き、鍵を取り出す。
差し込んで捻ってみると鍵が開く手ごたえ。
ドアを開けてみると部屋には誰もいない。
それを確認するとすぐに隣の部屋の前に立ちノックをする。
しかし反応は全く返ってこない。
先ほどからこのさして広くないホテルの中を歩き回って疲れてしまった。
仕方なく鍵を開けた自分の部屋に戻りベットに腰を下ろす。
微かにシャンプーの匂い。
どうやら吉澤は一度部屋に戻ってきたらしい。
亜弥も一緒なのだろうか。
ぽふっ
小さな音を立ててベットに身を投げ出す。
天井を見上げると、白い綺麗な色が広がっている。
その白い天井を目に焼き付けるようにして視線をずらしていくと、隅のほうに
綻びを見つける。少しだけ白い色がくすんでいた。
そのくすみに目を合わせたまま、瞳を閉じてみる。
瞼の裏になんとなく、くすみがかたどって見える。
その形が徐々に変化して、人の顔をかたどっていく。
- 209 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/08/23(火) 12:36
- 柔らかい頬、大きく泣きそうな瞳。
今までは目を瞑って人を思い浮かべるときは大抵、真希か亜弥の顔を思い浮かべていた。
それなのに今は、紺野の顔が思い浮かぶ。
微笑んだ紺野の顔
それを抱きしめた自分
瞳を伏せる亜弥
蒼白な顔色をした吉澤
頭の中をぐるぐると回って、その顔が皆混ざり合い、溶け合う。
いくつもの顔が重なり、1つの顔を作り出す。
怒っているのに、悲しげな顔。
離れようとしているのに、追いかけてほしそうな顔。
最近は自分に対してそんな表情しか見せなくなった。
真希は何をしているのだろう。
- 210 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/08/23(火) 12:37
- 再び瞼を上げると、そこには何も変わりなく天井の綻び目が見えた。
どこからか感じ始めていた。
自分の周りの何気ない日常が、綻び始めていることを。
自分は何を求めているのか、何処を目指しているのか。
皆は自分に何を求めているのか。
枕に強く顔を押し付けた美貴の肩は少しだけ震えていた。
- 211 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/08/23(火) 12:39
-
- 212 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/08/23(火) 12:39
- 思ったよりも広い。
だが、それ以上の印象は特に抱くことの無い部屋。
つまり何処にでもあるような普通のビジネスホテル。
ただ、そんな何処にでもあるようなホテルでも今の亜弥にはありがたかった。
とにかく今は気持ちを落ち着けたかった。
何か考えがあるわけではなかった。
ただただこの絶え間なく押し寄せてくる不安を落ち着かせたかった。
そんな亜弥の心情に気づいているはずの真希は、いたって普段どおりだった。
「亜弥ちゃん、お茶とウーロン茶どっちがいい?」
「…どっちでも」
「じゃあ、亜弥ちゃんはお茶ね。最近お茶ばっかりだからたまには
ウーロン茶とかも飲みたくなるよね〜」
「…そうだね」
「でもたまには炭酸も飲みたくなるって言うか、最近コンビニでも
コーラとか見かけなくなったよね〜時々無性に飲みたくなるんだけど
探すの大変だよね〜」
「…そうだね」
「あ、でも最近またCMとか見るようになったよね〜BGMの歌も売れてる
みたいだし。あ、あの歌ってる人のなまえって」
「真希ちゃん!」
- 213 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/08/23(火) 12:40
- 1人で喋り続ける真希の言葉を遮る。
唇をかみ締めて真希をじっと見つめる。
だが、真希はそんな亜弥に対して全く態度を変えることなく、それまでと同じ
ように柔らかい微笑を浮かべている。
亜弥はそんな真希を見つめたまま口を開く。
「真希ちゃん、あたし怖い。なんか怖いみんなみんな離れていってしまう感じがする」
「……」
「…さっき、美貴たん……紺野さんと抱き合ってた…」
「…!」
亜弥の言葉に、この部屋に入ってから終止穏やかな表情を浮かべていた真希の
表情に僅かに変化が起きる。だが、その変化はごく僅かなものであり、このときの
亜弥にはその変化を見つけることは出来なかった。
「真希ちゃん、あたし怖いよ…あたしたち…せっかく一緒にいるのに、なんか
みんなバラバラなほうを見ている気がして…みんな離れていっちゃいそうで…
…美貴たんも……」
「亜弥ちゃん、それはね」
「それに真希ちゃんも……」
「………亜弥……」
- 214 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/08/23(火) 12:41
- 亜弥は知らないはずだった。真希が2人の目につかないところで自分たちの過去の
精算――傍目には復讐としか見えない行為――をしていることは。
だが、忘れていた。
そして思い出した。
亜弥はこういう子だった。
3人のうちで最も明るく、最も騒がしく、最も元気で、最も我がままで、そして
最も感受性が強いことを。
洞察力や観察力に優れているとも言うのか。
亜弥には内緒にしていることでも、亜弥はそれを何処でか、どうしてか感じ取る。
そういえば、ユウキたちが亜弥を見守っていることについても、誰かに教えられなくても
気づいていたらしい。
「もう、いやだよ…一人になるのは嫌だよ…」
亜弥の搾り出すような声だけが部屋に響く。
そして下を向いた亜弥の肩が僅かに震えだす。
真希が唇をかみ締める。
- 215 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/08/23(火) 12:41
-
――また…
――また繰り返すの?
――自分たちは何のために戻ってきた?
それは…
――亜弥の涙を止めるため――
――亜弥の笑顔を取り戻すため――
それはきっと自分たちの笑顔にも繋がるはず…
- 216 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/08/23(火) 12:42
- 真希は亜弥へ一歩踏み出す。
「亜弥…」
その震える肩を両手で優しく包む。
触れるとビクリと一瞬身体を震わせたが、すぐに力を抜いて真希に委ねてくる。
「亜弥…」
もう一度その名を呼ぶ。
それにつられて視線が真希に向けられる。
その頼りなく見上げる瞳に、小さい頃の亜弥をダブらせる。
「亜弥はお腹が空くと、すぐに泣き出したよね」
「え?」
唐突な言葉に思わず固まる亜弥。
- 217 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/08/23(火) 12:43
- 「そうすると私と美貴で一生懸命お菓子を差し出してさ。亜弥がお菓子のおいしさで
笑顔になるまであげてさ。いつも亜弥にほとんど全部あげちゃう羽目になってさ。
私は食いしん坊だったから、結構きつかったよ。美貴は平気そうだったけど」
「…まき、ちゃん?」
戸惑う亜弥を全く気にすることなく真希は口を開く。
「いっつも亜弥ちゃん亜弥ちゃんって。美貴はクラスでもいつも亜弥の自慢をしてた。
クラスのみんなを集めてさ、自分のことじゃなくって亜弥のことを話すんだ。
あんなに可愛い子はいないって。将来はきっとモデルさんとか女優さんになれるって。
そんな話をするからみんな面白がって亜弥を見物しに行ったり。良く考えたら亜弥が
こんなにモテるようになった理由のひとつは美貴の自慢話のせいかもね。それでいて
亜弥の人気が出るとみんなに寄るななんて勝手なこと言ってさ」
真希の言葉は止まらない。
まるでそこには居ない誰かに話しかけるように。
視線もいつの間にか亜弥から外れて窓の外を眺めるように見ている。
だが亜弥の肩に置かれたその両手は変わらずに優しい。
「亜弥、覚えてる?美貴が珍しく風邪引いたときのこと」
「…うん…覚えてるよ…」
唐突に話題を振られるが、なんとかおぼつかない言葉で返す。
だが真希には気にならないみたいだ。
- 218 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/08/23(火) 12:44
- 「私達が中学に行って、亜弥が小学校に1人で通っていて、美貴は亜弥のことが心配で
たまらないからってさ、毎日小学校まで覗きに行ってさ。給食の時間とかお昼休みとか
少しでも長い休み時間があると小学校まで行っててさ、給食の時間に行くもんだから
毎日お昼抜きで。家に帰ってからも亜弥の部屋に押しかけて亜弥の一日の出来事を
全部聞かないと納得しないでさ。話を聞いても色々余計な心配ばっかりしてさ」
「…それで美貴たん、病気になっちゃったんだよね」
- 219 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/08/23(火) 12:44
- よく覚えていた。
毎日美貴は学校まで来てくれた。
毎日美貴は部屋まで来てくれた。
毎日美貴は話を聞いてくれた。
そして美貴はある朝、玄関から出てこなかった。
美貴の母から熱を出して起き上がれないということを聞いた。
亜弥は迷うことなく学校を休んだ。
熱にうなされながらも、美貴は学校に行くと言い張った。
誰が亜弥ちゃんを見守ってあげるんだと言い張った。
そんな熱にうなされながらも懸命に起き上がろうとする美貴を2人で押さえつけた。
そして亜弥は美貴の右手を握り締めた。真希は美貴の左手を握り締めた。
あたしは、ここにいるよ。
私が一緒に見守るよ。
その握り締めた手に想いをこめた。
- 220 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/08/23(火) 12:45
- 「病気になってまでさ。昔から美貴は加減を知らないんだから」
「…真希ちゃんもね」
知らず穏やかな表情を浮かべる亜弥。
そんな亜弥の肩に置いた手に力がこもる。
それに気づき再び真希の顔を見上げる。
「私たちは誰よりも美貴のことを知っている。違う?」
亜弥は黙って首を振る。
「私たちは誰よりも一緒にいた。そうだよね?」
亜弥は黙って頷く。
「私達は誰よりもお互いのことを知ってる。だから、それが全て。表面的なことは
信じない。美貴の口から聞いたもの以外は…ううん、美貴の口から聞いても信じない。
私は今までの自分が知っている美貴だけを信じてる。私は知ってるもの。美貴は
亜弥が悲しむようなことは絶対にやらないことを。亜弥は?信じない?」
「そ、そんなことないよ!信じてるよ!」
その声は深夜に差し掛かる時間帯ではあまり好ましくない音量だった。
思わず口を押さえる亜弥だったが、真希はそんな様子を見て微笑む。
- 221 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/08/23(火) 12:46
- 「やっと戻ってきたね。亜弥は元気でいてくれないとね」
「真希ちゃん…」
「よっすぃからのお願いもあるし、それに亜弥が元気で居てくれないと、美貴が
本当に心配するよ?もちろん私もね」
そういうと真希は亜弥の頭を軽くぽんと叩いた。
「さ、今日はもう寝よう?明日は大事な試合なんでしょ?」
「う、うん」
真希は亜弥からそっと離れる。
亜弥はそんな真希を戸惑った様子で見つめていたが、真希の瞳に浮かんだ色を見て今
自分がどんなことを言わなければならないか理解する。そして何かを振り切るように
勢い良く立ち上がる。
「そ、そうだよね。明日は準決勝なんだもんね、早く寝なくちゃね」
亜弥は無理矢理に笑顔を作る。
そんな亜弥を見て、真希も自分役割を果たす。
- 222 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/08/23(火) 12:47
- 「それに睡眠不足はお肌の大敵でしょ?可愛い亜弥ちゃんの顔にしわが出来ちゃうよ?」
「そ、そんなことないもん!無敵なお肌なんだから!」
「じゃあ、その無敵なお肌をさらに完璧にするために、早く綺麗にしてきな。
お風呂はまだなんでしょ?」
「うん」
「じゃあ私は後でいいから、先に入りな。明日早いんでしょ?寝坊すると怖い部長に
怒られるよ?」
「へへ、吉澤先輩って全然怖くないんだよ」
「じゃあ、監督に怒られないように、早く寝なさい」
「はーい」
軽く返事をすると亜弥は着替えを持ってバスルームに消えていった。
真希はその姿を確認すると、そっとベットに腰を下ろした。
- 223 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/08/23(火) 12:47
-
ふう
人知れずため息をつく。多少強引ではあったが、なんとか亜弥を少しでも元気付ける
ことはできた。ただ困ったときに昔からの幼馴染としての顔を引っ張り出すのは少しだけ
卑怯だったかもしれない。
だが、今度は別の問題が出てきてしまった。今度は逆に自分の元気がなくなってしまっていた。
恐らく亜弥が抱えている不安は正解だ。誰よりもお互いを知っている自分たちだから。
だからこそ感じた不安は的確なもののはずだ。同じ不安を自分も抱えていた。亜弥への言葉は
自分にも言い聞かせたものだったが、それは自分にとっては逆効果になってしまっていた。
『きっと、もう……』
真希はそのままベットに身を投げ出すと、枕に顔を埋めた。
自分の匂いのしない、新しいシーツやカバーの香り。
枕に強く顔を押し付けた真希の肩は少しだけ震えていた。
- 224 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/08/23(火) 12:48
-
- 225 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/08/23(火) 12:48
- ガチャリ
少し大きめな音を立ててドアは開かれた。
中は電気が点いていなかった。
ということは恐らく相部屋の人間はまだ帰っていないのか、もしくはもう寝ているのだろう。
電気はつけないままそっと足を忍ばせて自分のベットまで歩いていく。
徐々に目は暗闇慣れてきてはいたが、慎重に自分のベットに腰を下ろす。
そっと瞼を閉じるとその意識は耳にだけ集中する。
隣のベットから穏やかな寝息が聞こえてくる。
どうやらいつの間にか部屋に帰ってきて、もう眠ってしまっているらしい。
そっと瞼を開けると暗闇に目が慣れたらしく、部屋の様子がぼんやりとだが見えるように
なっていた。そのことを確認してから静かに立ち上がると、そっと隣のベットの傍らに立った。
ベットの住人は気づかずに全く起きる様子もない。
先ほどの電話のことを思い出す。
聞こえてきた辻の声は切羽詰った声をしていた。
相変わらず自分の知らないところで物語は進んでいるらしい。
だが、少しだけ分かってきたことがある。
それはどうやらいつの間にか自分もこの物語に参加しているらしいことだ。
- 226 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/08/23(火) 12:49
- 美貴と相部屋になったこと。
辻の電話を自分が取ったこと。
そして、その後ろから微かに聞こえてきた声。
ほんの少ししか聞こえてこなかったが、その特徴的な声は聞き間違うはずがなかった。
それは辻と一緒にいるのか、それとも偶然通りかかっただけなのか。
だが、間違いなく彼女は辻が電話をかけていた近くにいたはずだ。
何かが動き始めていることを感じる。
どうやら参加しているどころか、いつのまにかもうこの舞台から降りられなくなっている
ようだった。
静かに自分のベットに移動すると、シーツを頭までかぶり、枕に顔を埋めた。
何か自分が望まない物語にも巻き込まれたような気がする。
何も考えないように、更に枕に強く顔を押し付けた吉澤の肩は少しだけ震えていた。
- 227 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/08/23(火) 12:51
-
―― 決戦前夜…
それぞれの夜が更けていく…――
- 228 名前:前頭三枚目 投稿日:2005/08/23(火) 12:53
- 更新しました。
とりあえず今回も更新が出来て良かったです。
もはやこれだけ間が空いてくると、スランプとかネタにつまるとか有り得ませんね。
書き間違いはありますが…。
レスありがとうございます。
もう見ている人はほとんどいないと思っていたので嬉しい限りです。
>>203 名無飼育様
本当に少しずつになってしまっていますが、今後もお付き合いくださいませ。
>>204名無飼育様
ありがとうございます。がんがります。
>>205名無飼育様
お言葉に甘えてかなりのマイペースで進めさせてもらっています。
あまりお待たせしたくはないのですが。
>>206名無飼育様
わ、解かりますか…!
展開が見え見え?精進していきたいところです。
>>207名無飼育様
現代人は刺激を求めているのですね。
今回の更新には刺激物は…どうでしたでしょうか。
- 229 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/24(水) 14:24
- 更新してるぅぅ!!!お疲れ様です。
次回の更新も待ってます。
- 230 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/25(木) 07:59
- 更新ありがとうございます。
いえいえ、見え見えとかではなく(笑)
そうなるに至ったお気持ちは解るような気がします、と(^^)
また次回の更新、楽しみにお待ちしています。
- 231 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/25(木) 23:17
- 更新お疲れ様です。
今日気づきました…遅
更新嬉しいです。
今回の2人みたいなこういうどこかでつながっているっていう
感じがすごく好きなんです。
これからどうなっていくのか…楽しみに待ってます。
- 232 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/11/03(木) 19:51
- 更新はまだでしょうかぁ??早く続きが見たくて仕方ないのですが。
- 233 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/11/03(木) 23:00
- 落ち着いて、待っていましょう。
- 234 名前:sage 投稿日:2005/11/05(土) 12:03
- パート1はケータイじゃ見れない?見たくて見たくて死にそう…
- 235 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/11/05(土) 12:03
- パート1はケータイじゃ見れない?見たくて見たくて死にそう…
- 236 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/11/06(日) 20:59
- 昨日の夜までの茹だるような暑さが嘘のような、少しだけ涼しい朝。
そのせいか、街中には朝もやが立ち込めている。
遠くまで見通せないそんな中、朝も早くから人の話し声だけが聞こえてくる。
「じゃあ、今日は頑張りなよ」
「うん、しっかりと観ていてね」
「観てるよ。いってらっしゃい」
「いってきます!」
そこには、しっかりと寝て落ち着いたのか、時間が経ち冷静になったのか。
昨日より遥かにすっきりとした顔の亜弥がいた。
その足取りもしっかりとしたものになっている。
遅刻しないように早めに起こしてくれた真希と別れた亜弥は、すぐ近くにある
本来自分たちが泊まっているホテルへと戻った。
フロントマン以外には人の起きている気配のしないホテルのエレベーターを
使い自分たちの泊まっている階に降り立つ。
するとさすがに多少人の起きている気配がしている。
亜弥は自分の部屋には戻らずに隣の吉澤たちの部屋をノックする。
するとやはりキャプテンである吉澤はもう既に起きているらしく、すぐに
扉が開かれる。
吉澤は予想をしていたのか、ドアの前に立つ亜弥を見ても驚かずに穏やかな笑みを
浮かべた。
- 237 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/11/06(日) 21:00
- 「おはよう、亜弥ちゃん。よく眠れた?」
「はい!おかげ様で、ばっちりです」
「そっか」
「それで…」
「ん?ミキティかい?」
「え?なんで分かったんです?」
亜弥が本当に不思議そうな顔をして言うので思わず吉澤は苦笑をもらす。
「なんで分からないと思ったの?」
「え?」
ますます不思議そうな顔をする亜弥の頭をそっと撫でると、吉澤は亜弥に部屋への
道をゆずった。
「相変わらずまだ寝てるよ。もう行かなくちゃだから、また起こしておいて」
そういうと吉澤はさっさと部屋を出て行ってしまった。
『今は自分の出る幕じゃないな…』
吉澤は心の中で、そうごちると下に降りるべくエレベーターのボタンを押した。
- 238 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/11/06(日) 21:00
- 一方部屋に残された形となった亜弥は、しばらく吉澤が歩いていく姿を目で追っていたが
自分がこの部屋に来た目的を思い出したらしく、ハッとして部屋の中を見回した。
すると案の定、美貴はベットの中で眠っていた。
亜弥はベットの近くまで行くと美貴の寝顔を覗き込んだ。
『なんか美貴たんの寝顔を見るの、本当に久しぶりのような気がする…』
大会に出発する前の晩に、2人で一緒に寝ているのだからそんなことは決してないはず
なのだが、あれから色々とありすぎて何だか随分時間が経っているような気分だった。
何かおかしな夢でも見ているのか美貴の眉根にはほんの少し皺が寄っていた。
少しの間、ベッドに腰掛けて美貴の寝顔を眺めていると頭の中に色々なことが駆け巡り始めた。
様々な人たちの色々な顔が思い浮かぶ。
美貴の怒っている顔
真希の寂しげな顔
里田の困惑した顔
紺野の微笑んでいる顔
最近では常に付きまとう不安な気持ち。
それでも自分の気持ちに関係なく周囲が動いていく。
そして自分も動いていかなければいけない
- 239 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/11/06(日) 21:01
- 目の前には無防備な美貴の寝顔があった。
小さいころから見てきた寝顔。
自分のほうがいつも先に起きていたから、よく美貴のほっぺたをつついたりして
遊んでいた。そしてふざけて美貴のほっぺにキスもしていた。
最後にその頬に触れたのはいつだっただろう。
いつからそんなことをしなくなったのだろう…。
恐らくは3年前から…あたしは…。
美貴が帰ってきてからもすることはなかった。
小さい頃は何気なくしていたことが。
気がつけば出来なくなっていた。
なぜ?
それは自分の気持ちに気づいたから。
軽はずみに出来なくなったから。
美貴に触れること自体が今の自分にとっては神聖な行為になっていた。
だから軽はずみには出来なくなっていた。
でも、だからこそ、今…。
自分にとって神聖なものだからこそ、きっと自分に与えてくれる。
- 240 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/11/06(日) 21:02
-
美貴たん…
そっとベットに手をつく。するとその時、寝ているはずの美貴の口が誰かの名前を呟く。
その言葉に一瞬亜弥の瞳が見開かれる。そしてゆっくりとその目を細める。知らず瞳に
溢れてくるものがある。だが次第にぼやける視界でも、何故か美貴の唇だけははっきりと
認識ができた。
- 241 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/11/06(日) 21:03
-
今、あたしのことを考えてくれていなくてもかまわない
ほんのちょっとだけ…
ほんの少しだけ…
あたしに…
勇気を…
初めて触れた唇は、自分の涙の味だった
- 242 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/11/06(日) 21:03
-
- 243 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/11/06(日) 21:04
- なんとなく息苦しかった。
自分の周りを見えない壁で覆われているような。
そう思った瞬間、周囲に壁が現れる。四方が壁で囲まれているのに天井がなく空が直接
見える。それだけで、ああこれは夢だなと気づくが、だからといってどうしようもない。
その空はまさしく今の自分の心情を表しているかのようにどんよりと曇っていた。
夢の中でもすっきりとしていないな…。
分かりやすい自分の状態に夢の中でも思わず苦笑をする。
すると突然地面が揺れだす。いや、揺れているのは地面じゃなくて世界だ!
驚いて思わず声をあげる。
「うわ!」
「わ!」
- 244 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/11/06(日) 21:05
- 目を開くと白い壁が見えた。どうやら自分は夢を見ていたらしい。
何となく後味が悪い夢だったが夢の中身は今起きたばかりにも関わらずあまり
覚えていなかった。何となく軽い疲労感を覚えて起き上がろうとすると、人の気配を感じる。
そういえばさっき自分以外にも声が聞こえたような気がした。
そして気配を頼りに視線をずらすと、そこには昨日あれだけ探していた亜弥の姿があった。
ずっと自分を揺すって起こしていたのか両手で美貴の身体を押した体勢のままこちらの様子を
伺っていた。
「亜弥ちゃん!」
一気にぼやけていた頭が覚醒する。思わず飛び起きて亜弥の腕を掴む。
その力の強さに驚いたのか、亜弥の身体が少しだけ強張る。
だが、美貴はそんな亜弥の様子に気づかずにそのままの勢いで喋り始めようとする。
「き、きのう…!」
「おはよう」
美貴が勢いに任せて昨日の件を口にしようとした矢先、亜弥に言葉を遮られる。
「お、おはよう…」
「早くしないと、遅刻だよ?もうみんな行っちゃってるよ」
- 245 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/11/06(日) 21:06
- そういうと亜弥は美貴の身体から離れて腰に手を当てて、まるで幼稚園児に
言い聞かせるように言葉を吐いた。
早く早くと急かせる亜弥の様子は全く普段と変わらないように見えた。
だが、逆にそのことが美貴を不安にさせる。
「なにボーっとしてるの?遅刻するってば!」
固まっている美貴に対して亜弥はますます急がせようとする。
そしてそんな美貴に業を煮やしたのか、美貴の腕を掴んで引っ張ろうとする。
「ほら、美貴たん、起きてってば!」
「あ、亜弥ちゃん!昨日のことは…!」
美貴が昨日のことを話そうとすると、亜弥はそれまで掴んでいた腕を急に離した。
思わずバランスを崩しかけるが、なんとか踏みとどまる。再び話しかけようとすると
亜弥は、美貴が口を開くと同時に視線を逸らし背中を向ける。
「は、早く行かないと…」
- 246 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/11/06(日) 21:06
- 再び同じ言葉を口にした亜弥の言動から、美貴の言葉を聞く気がないことが
うかがい知れた。
だが、美貴としても昨日の件をこのまま亜弥に誤解させたままにしたくない。
今の亜弥が空元気を出しているのは美貴には丸分かりだった。
そして何処となくそわそわしている。
きっと昨日のことを誤解しているだろう亜弥は話を聞きたくないのだろうが、
自分もこのままにしておきたくない。背中を向けられたままでもかまわない。
「亜弥ちゃん、昨日…」
「聞かない!」
美貴が強引に話を始めようとした矢先、亜弥の叫ぶような声にその言葉は
かき消された。亜弥は俯いて美貴に表情を見せないようにしたまま口を開く。
「あたしは、今は何も聞かない。後で。この大会が終わるまで、何も聞かない。
だから美貴たんも言わないで」
- 247 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/11/06(日) 21:07
- 俯いたままで、亜弥の表情は見えない。
今の状況から分かることは美貴の耳に届いた亜弥の声は震えていなかったということだけ。
美貴は納得いかない表情のままに口を開こうとするが、亜弥のかみ締められた口元を
見ると、その口を一旦閉じてから、改めて口を開いた。
「分かったよ。この大会が終わるまでは何も言わないよ。でも必ず後で全部話すよ」
亜弥はその言葉に対して顔を上げることなく頷くと、そっと美貴の袖を掴んだ。
「…行こう?美貴たん」
「…うん」
このとき自分たちはどんな顔をしていたのだろう。
そしてこの時、話さなかったのは果たして正解だったのか間違いだったのか。
その答えは分からなかった。
- 248 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/11/06(日) 21:08
-
- 249 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/11/06(日) 21:08
- 黙々とこなしていくウォーミングアップ。
皆、自分の身体の調子を整えながら、徐々にテンポを上げていく。
キャプテンである吉澤を中心として淡々と行われていく。
それはある意味、いつもと変わらない光景。全国大会の準々決勝ということを除けば。
ただ、吉澤はそのことだけではなく、何だか不思議な感覚を味わっていた。
それは予感とでも言うべきものだろうか。
当然試合前の自分たちは負けることなんて微塵も考えていない。
仮に多少相手のほうが強くても戦略や根性と何とかしようと意気込むことはある。
だが、今日吉澤が感じている感覚はそういった類のものではなかった。
それは、確信に近い予感。
この試合は、負けない。
なんというか、流れというと陳腐な表現となるが、運命という河があるとすると
自分たちの河は間違いなく、この試合は勝つように筋書きが出来ている感じだった。
相手チームの様子をそっと窺う。
十分に強そうなチームだ。
きっと試合自体は接戦となるだろう。
だが、それでもきっと自分たちが勝つ。
- 250 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/11/06(日) 21:09
- それは自分が、あの3人の物語に参加してしまっているからという理由からではない。
何かの物語なんて相手チームにもきっとある。皆、色々な事情を抱えて生きているの
だから。
相手チームには、これで推薦が決まる人がいるのかもしれない。恋人との約束がある
人がいるのかもしれない。不治の病の子に試合で勝つ約束をしているのかもしれない。
それでも、この試合に勝つのは自分たちのチームで負けるのは相手のチーム。
そんな確信があった。
「集合―!」
ベンチから声がかかる。
吉澤は確かな予感を抱いて、ベンチへと歩いていった。
- 251 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/11/06(日) 21:10
-
◇
- 252 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/11/06(日) 21:10
- 始まりと終わりを告げる笛が鳴る。
吉澤の確信とも言える予感の通りの結果をもって。
だが、吉澤の表情に喜びの表情はない。それは当然の結果なのだから。
そしてそれはどうやら吉澤1人だけの感覚ではないらしく、松浦学園のベンチは
試合に勝ったにも関わらず浮かれている選手は1人もいなかった。
みな、自分たちの試合が終わると、汗を拭きながらも視線は隣のコートに向いていた。
そこで繰り広げられているのは、花畑高校の試合。
その試合の勝者が午後に松浦学園とぶつかることになる。
スコアは予想通りの表示となっていた。だが誰もそのことには一言も触れない。
誰もが口を閉ざして試合を見つめている。
そして5分もすると、大きな歓声と共に試合の終わりを告げる笛が鳴り響いた。
コート横のボードには結果が表示されていたが、その表示されたボードを見ても選手達の
表情に変化は現れなかった。ただ、その結果を見て吉澤だけが唯一口を開いた。
「みんな、戻るよ」
たった一言。
その声に従うように選手たちは皆、控え室へと歩き出す。
花畑高校の勝利を喜ぶ歓声を背中に受けながら。
- 253 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/11/06(日) 21:11
- 会場の皆が花畑高校に目を向けている。そんな会場をチームメイトに紛れて歩いていると、
吉澤の目が、観客席の端のほうに真希の姿を見つけた。吉澤の瞳に映った真希は全くの
無表情のように思えた。そしてその無表情さに、昨日の辻の電話での言葉が重なって、
少しだけ胸騒ぎがする。
先ほど試合前に感じた予感と何故か良く似通った感覚だった。
そのことを少しだけ不安に感じたが、今はそれを気にするべき時ではないように思えて
吉澤はそのまま歩みを止めなかった。
そしてそれは正しい行動であった。
もう事態は動き出していたのだから…
- 254 名前:前頭三枚目 投稿日:2005/11/06(日) 21:12
- 更新しました。自分のスレを見てビックリして慌てての更新です。
他のスレを読んでいるうちにすっかり自分が作者であることを忘れていました(汗
次回は忘れないように気をつけます。
>>229 名無飼育様
大変お待たせいたしました。季節が変わってしまうほど間が開いてしまいました。
次回は同じ季節内を目指します。
>>230 名無飼育様
ここ最近はスタンスに揺れはないですね。ただ、娘。関係は飼育以外で触れていないので、
現在の状況が全く…。
>>231 名無飼育様
人のつながりは簡単には途切れたりしないものだと思います。そのつながりをどういうふうに
思ったり感じたり名づけたりするかは人それぞれですよね。
>>232-233 名無飼育様
お待たせしてすいませんでした。今後もお付き合いしてもらえると嬉しいです。
>>235 名無飼育様
作者は携帯で見たことがないので良く分からないですが、参考にしてください。
ttp://m-seek.net/cgi-bin/test/read.cgi/imp/1122901044/43-51
ttp://i.ringoya.nu/?u0=http%3A%2F%2Fmseek.xrea.jp%2Fnovel.html
- 255 名前:名無し飼育さん 投稿日:2005/11/06(日) 23:43
- お待ちしておりました
更新乙蟻です
- 256 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/11/08(火) 02:18
- 更新されてるーーー!!
お疲れさまです
なんだか暗雲が…
次回の更新もお待ちしてます
- 257 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/11/09(水) 00:27
- 待っておりました☆
更新お疲れさまです!
すごく続きが気になります。
次回も楽しみにしてます
- 258 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/11/10(木) 00:07
- 載せていただいた方法でパート1の方も見ることができました!
ありがとうございました
次回も楽しみに待っています
- 259 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/11/10(木) 20:02
- 更新されてた*・゚゚・*:.。..。.:*・゚(゚∀゚)゚・*:.。. .。.:*・゚゚・*!!!!
このお話だいすきです。続きもまったりお待ちしていますので
無理せずにがんがってくださいね。
- 260 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/11/11(金) 01:32
- 更新されてるぅ!
楽しませていただいてます。これからも頑張ってください。
- 261 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/11/17(木) 18:26
- 更新まってますよぉ!
頑張ってぇ!
- 262 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/11/18(金) 17:07
- 更新まっております!
- 263 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/11/18(金) 18:42
- 脇の控え室。
時折、会場からの歓声が聞こえてくる。
現在、別トーナメント側の準々決勝が行われている。
松浦学園の選手達は皆一様に口もきかずに黙々とストレッチをしている。
次の対戦相手は、自分たちが1年のころから何度も対戦しているチーム。
特徴も癖も、わざわざ確認するまでもなく良く知っている。
そしてそのチームに自分たちは、ただの一度も勝ったことがないことも
誰もが承知している。
負けたくはない。
だけどどうすればいいのか。
勝てるのか?
皆誰もが、同じ考えが頭の中を支配していた。
そのことが試合を前にして誰も口を開かないという妙に緊張した空気を醸し出していた。
全国大会だからという理由ではない。
ただ、誰もがこんな空気を味わったことがなかった。
そんな中、監督の号令の下、集められる。
「次はいよいよ花畑高校とだ。どうだ?今まで何度も対戦してきたが、勝てるか?」
「はい!」
- 264 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/11/18(金) 18:43
- 皆、緊張感を漂わせた表情をしている。
試合前から負けるつもりのチームなんてどこにもない。
例え今まで一度も勝ったことのない対戦相手だったとしても。
「そうか。だが、今のままでは正直、俺は勝てるかどうか難しいと思ってる。
だがな、作戦次第で絶対に勝てると言い張ってる者がいるんだ」
恐らくは勝てないだろう。
監督を含めたチームの誰もが心の中で密かに感じていたことを真っ向から否定する人物がいる。
皆お互いの顔を見合わせている。
「確かに花畑高校は強いよ。でも美貴は、うちのチームのほうが絶対に強いと思うよ」
その声に一斉に注目が集まる。
「確かにエースのまいちんを中心に、あさみやみうなは全国でも5本指に入るくらいの
凄い選手達だと思うよ。でも大丈夫。うちのチームも全然負けていないよ。
両方見てきた美貴が言うんだから間違いないよ」
全く揺らぐことのない相貌でチームメイトを見回すその姿には、自信が漲っていた。
- 265 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/11/18(金) 18:44
- 「もっと自分たちの力を信じなきゃね」
そう言ってウィンクをする美貴の姿は、とても似合っていて、そして自分たちの勇気を
奮い立たせるものだった。
「絶対に勝つよ」
何か身体の奥から熱いものが湧き出てくるような感覚。
美貴の一言が自分たちの心に熱く流れ込んでくる。
先ほどまでの妙な緊張感はなくなっていた。
代わりに今この場に溢れているのは熱気や高揚感。
絶対に勝つ
その言葉は美貴が発すると、当然叶えられる、現実を帯びた力を持っていた。
それが自分を押し上げる。
吉澤は思う。
『こういう人たちが上に行く人たちなんだな』
美貴の言葉ではない。
美貴の存在が自分たちを奮い立たせる。
- 266 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/11/18(金) 18:44
- その姿をしっかりと見据える。
すると美貴は笑顔で頷いてくれた。
顔が熱くなる。
今の美貴の姿は間違いなく昔自分が憧れていた姿だった。
いつでも自信に溢れていて、輝いていて、誰もが憧れる。
そうか…
今、ここに至ってようやく気づく。
バレーがやりたかったんじゃない。
藤本美貴に憧れたんだ。
藤本美貴になりたかったんだ。
藤本美貴の傍にいたかった。存在したかったんだ。
そのためにバレーを選んだ。
そしてその選択はきっと正しかったんだ。
だってあの藤本美貴は、今間違いなく自分の側にいてくれているんだ。
- 267 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/11/18(金) 18:45
- だから自分も応える。
美貴の側にいることを許されるような人間であるべく。
美貴が今、望んでいる言葉を紡ぎだす。
「よっしゃ!絶っ対に勝つよ!」
「はい!」
もし、人が変わる瞬間があるとするならば。
それはきっと今このときのことなんだろうな。
- 268 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/11/18(金) 18:45
-
◇
- 269 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/11/18(金) 18:46
- 会場から控え室へと戻ってきた花畑高校。
その顔には、皆一様に笑顔が浮かんでいた。
いよいよ次は準決勝戦。あと2つ勝てば全国優勝。
実は花畑高校の今までの最高順位は全国ベスト4が最高順位だったのだ。
つまり先輩までの代ではこの準決勝が最高順位。
もし自分たちが決勝まで進めば、開設以来の最高順位となる。
だが、実際に選手達頭の中にはそういった過去のデータは特に気にするべき
ものではなかった。それは所詮過去の出来事であり自分たちとは関係がない。
知ってはいるが自分たちが勝ち取ったものではない。
だから重要なことは自分たちがどこまで行けるのかということだけだった。
そして次は、自分たちが入学してからずっと対戦を重ねてきた相手、松浦学園。
自分たちの代になってから負けたことはただの一度もないが、何度も対戦したからこそ
分かっている事実。松浦学園は十分に強い。自分たちが勝っているのはただ単純に
チームとしての相性がいいことだけだと考えている。
「いいか、次は準決勝だ。いくら今の試合がいい内容でも次の試合で負けてしまえば
結局は同じことだぞ。相手はお前達も良く知っている通り松浦学園だ。今まで
うちのチームは、負けたことはないが準決勝まで来たんだ。十分に強いチームだ。
油断するな!」
「はい!」
- 270 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/11/18(金) 18:47
- 「それから今、あのチームには新しいエースとして1年の松浦がいるが手ごわいぞ。
俺も中学時代の松浦を見たことがあるが、今までのプレーを見る限り、スパイクに
関してはスピードで勝負する選手みたいだ。スピードだけならもしかしたら今まで
対戦した中で一番速いかもしれない。まあ攻略に関してはいつも通りの対処で大丈夫
だろうが、プレースピードも速いからワンテンポ早く入ったほうがいいだろう。
あとの細かいところはコーチからあるから。気合をいれていけ!」
「はい!」
この後、技術的な細かいことに関しては別のコーチから説明があった。
確かに松浦亜弥のスパイクやプレースピードに関しては目を見張るものがあったが、
スピードだけではこの世界では生き残って行けない。速ければ速いなりに対処して
しまえばいいだけだ。
そしてコーチや監督から全ての指示が終わった後、いつも通りにキャプテンから
指示があるはずだったが、そこだけがいつもと異なっていた。
キャプテンが副キャプテンである里田のほうを見て一度だけ頷いてみせる。
里田も一度だけ頷くと監督に話しかける
- 271 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/11/18(金) 18:47
- 「すいません、監督。ちょっと選手だけにしてもらえませんか?」
「ん?どうした?」
「ちょっと、皆にだけ話したいことがあるんです」
「そうか。まあミーティングも終わったしな。あまり長引かないようにしろよ」
「はい」
あっさりと承諾した監督はコーチを引き連れて控え室を出て行く。
すると里田は他の選手以外の人たち。つまりマネージャー達にも同じことを促す。
「悪いけど、選手だけにしてもらって良いかな?」
実際にはマネージャーたちのほうを向いていはいるが、視線が合っているのは
マネージャーの1人である紺野だけにであった。
紺野は何か言いたそうな顔をしていたが、里田はあえて触れなかった。
副キャプテンからのお願いとあれば、試合に関することかもしれないし、
マネージャーたちは何か口を挟むわけにはいかない。
マネージャー達は不思議そうな顔をしながらも素直に控え室から退室する。
そして控え室には出場する選手達だけが残された。
しばらく誰も口を開かないでいたが、里田が決心したように口を開いた。
- 272 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/11/18(金) 18:48
- 「みんな、次はいよいよ松浦学園戦だけど、その前に皆に言っておきたいことがあるんだ」
里田はそう言うな否や頭を下げた。
「みんな、ありがとう。みんなのおかげでここまで来れた」
そんな里田の姿を皆選手達は何も言わずに見つめている。
この光景は数ヶ月前のものと全く同じ光景。
美貴が転校していった後の最初の試合の日。
里田は全く同じように皆に頭を下げた。
- 273 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/11/18(金) 18:49
-
『マネージャーの紺野ちゃんを笑顔にしたいの。だからみんなの力を貸して』
そういって頭を下げた里田の顔には悲壮な決意が漲っていた。
このとき部員たちは何も言わずに里田の肩を叩いた。
そして思わず顔を上げた里田を力強い笑顔で迎えた。
『私たちの大事なマネージャーが元気になるんだったら何でもやるよ』
理由も言わずに頼み込んだ里田に対して何も言わずに協力してくれた部員達。
そんな部員たちに里田は今、心から感謝をこめて再び頭を下げた。
みんな色々な理由を背負ってこのチームにいる。
それを自分だけの勝手な理由をチームに押し付けた。
私たちは仲良しこよしのチームじゃない。
色々な団体からお金も出ている。将来もかかっている。
勝つことを義務付けられた常勝軍団だ。
そのために花畑高校に入った。
- 274 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/11/18(金) 18:50
- そんな環境にいながら何も言わずに協力してくれたチームメイトに何も出来ない。
だから、唯一出来ること。
感謝をして頭を下げること。
それだけがこの優しい人たちに今出来ること。
「みんなのおかげで紺野ちゃんも笑顔が戻ってきた」
ありがたくて頭が上げられない。
そんな里田の肩を再び選手達が叩く。
数ヶ月前と同じように。
数ヶ月前よりも優しく。
「何言っているの、まいちゃん。私たちはやりたいことをやっただけだよ。
大事な大事なマネージャーが元気になるうえに私たちも嬉しい。
そんな良いことばかりのことをやるのは当然でしょ?」
そういって里田に微笑みかけてくる。
- 275 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/11/18(金) 18:50
- 「私達も紺野ちゃん大好きなんだよ。あの子の笑顔って、なんだか見てると暖かくなるしね」
そう言って笑った部員の笑顔は暖かかった。
「私達も知ってるよ、紺野ちゃんが誰に憧れて誰を見ているのかぐらいは」
「大事な一人娘みたいなもんだもんね」
そう言った部員達は、いたずらをしている子どものような顔をしていた。
部員達の言葉に逆に里田のほうが驚いた表情になる。内緒にしていたつもりが
いつの間にか、みんなには伝わっていた。
「でも娘をミキティのところにやるかどうかは、しっかりと見極めないとね」
「そうそう、悪いところに嫁がせるわけにはいかないからね」
そんなことを口にしながら、選手達は里田を見る。
「うちの娘はお安くはないでしょ?」
「簡単に差し出すわけにはいかないからね」
- 276 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/11/18(金) 18:51
- みな里田の言葉を待っている。
「みんな…」
顔が熱くなる。
零れ落ちそうになるものを必死に押しとどめる。
まだだ。
まだそのときじゃない。
里田はグッと胸を張った。
最高だ。
最高の仲間達だ。
今、私は本当に感謝する。
この仲間達と高校生活を過ごすことが出来て本当に良かった。
みんなが自分の言葉を待っている。
大きく息を吸い込んだ。
- 277 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/11/18(金) 18:52
-
「みんな、行くよ!」
里田は扉を開く
勝利への扉を。
- 278 名前:前頭三枚目 投稿日:2005/11/18(金) 18:54
- 更新しました。
今回は区切りの関係で短いです。
ちなみに花畑高校は詳細な設定が本当はあったりします。
レスありがとうございます。
短期間でこんなにレスをもらったのは初めてかもしれないです。
多謝多謝でございます。
- 279 名前:前頭三枚目 投稿日:2005/11/18(金) 18:55
- >>255 名無飼育様
素早いレスにこちらこそ乙蟻です。
>>256 名無飼育様
まあこのスレは気づけばいつも色々な暗雲が…。この危なっかしいスレを今後も
よろしくお願いします。
>>257 名無飼育様
今回はあまりお待たせしないで済んだかも。でも以前に比べるとだいぶ遅いですよね。
次回もあまりお待たせしなければ良いんですが。
>>258 名無飼育様
見ることができましたか。方法を詳しくお教えできなくてすいませんでした。
パート1共々よろしくお願いします。
>>259 名無飼育様
レスもらってた*・゚゚・*:.。..。.:*・゚(゚∀゚)゚・*:.。. .。.:*・゚゚・*!!!!
出来る範囲内で頑張ろうと思います。
>>260 名無飼育様
今回も楽しんでいただけましたでしょうか。
全国大会編も佳境でございます。
>>261 名無飼育様
頑張りましたぁ!
どうでしたかぁ!
>>262 名無飼育様
更新いたしました!
- 280 名前:前頭三枚目 投稿日:2005/11/18(金) 18:57
- ……見えづらいですねorz
- 281 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/11/19(土) 00:41
- 更新されてるぅ〜!!!!!
めちゃめちゃ待ってましたよぉ☆
次はいよいよ試合に突入ですね。
亜弥ちゃんがんばって♪
次回の更新も期待して待ってます!
- 282 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/11/20(日) 12:13
- 試合が始まりますね!
どんな結果になり、その後のみんなの運命はどうなるんだろ?
次回も期待してます
- 283 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/11/21(月) 09:36
- 更新ありがとうございます。
少しずつ収まりを見せる問題は、他の問題を想起させるんですが……
後々の楽しみですね。
今は、この大会の結末を楽しみに待っています。
作者様のペースで。
- 284 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/11/27(日) 21:21
- まだですかぁ?
- 285 名前:名無し飼育 投稿日:2005/11/27(日) 23:08
- まったり待ちましょうよ
- 286 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/03(土) 05:13
- まだかなぁ?
この作品大好きでめっちゃ続き気になるんです!
期待してます
- 287 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/12/04(日) 18:10
- 試合時間が近づき、一度は控え室に退場した両チームが再び会場に現れる。
両チームともに特に緊張した様子は見られずに、淡々と準備を始める。
美貴もいつもと同じようにベンチの椅子に座った。
ただ、今日はいつもと座る場所が違う。
いつもはベンチの端に座っているが、今日は監督のすぐ横に座っている。
今日の作戦は美貴が立てたもの。
指示は監督の近くにいたほうが出しやすい。
普通に戦ってしまうと、まだまだ花畑高校には勝てない。
だが、今の松浦学園ならば花畑高校にかなり近い実力をもっているはずだ。
それならば、その力の使い方に気をつければよい。
今までも花畑高校には完全に力負けをしてきた。
それは逆に言えば、花畑高校の強さを肌で感じているということ。
肌で感じているということは時として相手を大きく見せることもあるが、
違った視点でみればこんなに良い事はない。
- 288 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/12/04(日) 18:11
- 己を知ること。
そして相手を知ること。
知った上で挑む。
百戦危うからず。
本当は少し違う意味みたいだけど、同じことだ。
逃げることや避けることは出来ない。
勝たなければいけないのだから。
美貴が出した指示はそんなに多くない。
必要なことはほとんどやってきているのだから。
立てた作戦は、その力を出す方法とタイミングだけだ。
そして今回の作戦の成否は亜弥の体力が続くかどうかだけ。
だが、それはもはや祈るしかない。
- 289 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/12/04(日) 18:12
- 美貴はゆっくりと深呼吸した。
選手達には絶対に大丈夫なんて言い切ったが、そんなことはない。
実力を全部出し切ったとしても本当は五分五分くらいなのだ。
だが、あそこで自分があのように言わなければ、みんなきっとあの言いようのない
緊張感に飲まれてしまっていただろう。
手が僅かに震える。
ベンチが広く感じる。
いつだって怖くて仕方がなかった。
自分が選手だった頃から、本心では逃げ出したくて仕方なかった。
でも、それだけは出来なかった。
亜弥が見ていたから。
真希がいてくれたから。
今回ばかりは、自分は何の力にもなれない。
あとは選手達を信じるしかない。
何もやってあげられることはない。
美貴は、ただ祈った。
- 290 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/12/04(日) 18:13
-
◇
- 291 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/12/04(日) 18:13
- ベンチの横にいる紺野はギュッと手にしたタオルを握り締めた。
目の前では選手達が最後の調整をしている。
さっきは何を話していたんだろう。
そういえば、半年程前にも同じように選手だけであのようなミーティングを
したことがあった。
思い起こせばあの日から、このチームは負けたことが全くなかった。
それは昨年度の優勝チームを相手にしても同じだった。
何があったのかは分からないが、あの日からこのチームは変わった。
それまでもチームとしてはまとまっていた。
だが今のチームは1年ほど前のころとはまるで違う。
強い連帯感のようなものを感じる。
見なくても選手同士が何をするべきか分かっている気がする。
ただ、今日のチームも今までとひとつだけ違う点があるのだ。
それは、何故か選手達がみなこちらをチラチラと見ているような気がするのだ。
そのたびに紺野は自分が何かおかしなことをしているのかと気になって
辺りをキョロキョロしてしまう。
するとそれも可笑しいのか、今度はあからさまに笑いを堪えているような仕草を見せる。
- 292 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/12/04(日) 18:14
- なんだかバカにされているようで悔しい。
少しだけ頬を膨らませてみると、選手達はとうとう爆笑し始める。
さすがに恥ずかしくなって頬を戻しても皆まだ笑っている。
まるで試合なんてないかのような空気が漂っていた。
紺野はふと里田のことが気になってチラリと盗み見てみると、特にこちらを
気にする様子でもなく、センターのあさみと入念に何かのチェックをしていた。
そこで昨日の美貴の言葉を思い出す。
しかし、美貴から里田に話すように言われていたが、昨日からタイミングが悪くて
ほとんど会話をしていない。
だが今日の、いや今の里田はいつもと少しだけ様子が違うように見えた。
いつも身体から放っていた緊迫感というものが抜け落ちているようにも見えた。
今までその緊迫感は良くも悪くもチームを引っ張ってきていたので、少し気になる
ところでもあった。だが、今チームの雰囲気はかつてないくらいに良いように感じる。
- 293 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/12/04(日) 18:15
- 何があったのかは分からないが、チームが良い状態であるならば自分から言うことはない。
正直美貴のいるチームとやること自体には気後れしてしまう。
出来ればやりたくなんかない。
だが、美貴はバレーに対して手を抜くとかそういったことを一番嫌っていた。
先日も気が抜けていると、公衆の面前で亜弥に手をあげたくらいなのだから。
だから紺野は忠実に守る。
絶対に勝ちにいく。勝ってもらう。
今、自分はそのことだけに全てを集中させる。
しっかりとやっているところを見せることが美貴への恩返しでもあるのだ。
- 294 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/12/04(日) 18:15
- そして会場に合図のブザーが鳴り響いた。
両チームの選手たちがみなベンチに引き上げてくる。
そしてジャージを脱ぐと、皆ユニフォーム姿となる。
里田は脱いだジャージを紺野に渡す。
どちらも視線を逸らさない。
里田の目は何を語っているのだろうか。
だが里田はそっと紺野の頭を撫でると選手の輪に戻っていった。
選手達は最後の監督からの指示に返事をして、コートへと出て行く。
ネットを挟んで真ん中へと歩み寄る。
お互いにフルネームを言える対戦相手が目の前に立つ。
互いに握手をする。
これが高校生として両チームが対戦する最後の公式試合。
それぞれの想いがぶつかり合う。
- 295 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/12/04(日) 18:16
-
- 296 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/12/04(日) 18:17
- ついに始まる全国大会準決勝戦。
互いに勝手知ったる対戦相手。
練習試合も含めると何度対戦したのか数え切れない。
そして何度繰り返されたか分からない結果。
そのどれもが花畑高校の勝利で終わっていた。
少なくとも吉澤達の代では勝った例がなかった。
ネット越しに見える知っている顔は、強者のオーラを纏っていた。
もう何度も味わった胸にこみ上げてくる恐れ。
だが、もう違う。
今までの自分たちとはもう違う。
この恐れとは今日限りでおさらばだ。
吉澤はゆっくりと正面を見据えた。
そして審判の笛が鳴る。
- 297 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/12/04(日) 18:18
- サーブは松浦学園。
吉澤の膝が少しだけ震える。
やはり緊張しているらしい。
思い出す美貴の言葉。
『緊張するときは…』
相手チームのリベロの膝を見る。
『緊張するときは、相手の下半身だけ見ていて』
相手の顔を見るから呑まれたりするんだ。
サーブに反応する膝の動きを見れば、試合の出だしは分かる。
- 298 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/12/04(日) 18:19
-
動いた!
その瞬間、対角に見える里田を見ると既にバックステップで助走距離を作っている。
リベロによって綺麗にセンターに返されたボールは再び綺麗な弧を描く。
ダイナミックな踏み切りと共に打ち出される剛速球。
重い音を残し床に叩きつけられたボール。
ほんの3〜4秒の間に起きた出来事。
- 299 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/12/04(日) 18:20
-
『強い』
ワンプレイで再確認する。
全てのレベルが高い次元で完成されている。
こちらのサーブも相手チームの選手間を狙って放ってはいるが、そのサーブを
あっさりと拾われ、しかもセンターにきっちりと返す職人芸。
それを相手センターは、里田のジャンプ力が最大限に生かされる高さへボールを
ピタリとコントロールしている。
そして何よりも里田のスパイク。
打点の高さもさることながら、しなやかな体躯から繰り出されるそのボールは速く、
体重を乗せたそのボールは重い。理想的なスパイク。
一撃でこちらに戦慄が走る。
今までもこれを止められなかった。
だが、今日は違う。
- 300 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/12/04(日) 18:20
- 松浦学園は、いつもとは違った。
今のプレーを見せ付けられても動揺していない。
もう今までの自分たちではない。
『大丈夫、美貴の言ったとおりにすれば絶対に負けないよ』
『なんで分かるの?』
『だって、美貴は信じてるから』
『え?』
『みんな、自分で思ってるより凄いんだよ』
皆、美貴の言葉に耳を傾けた。
きっと今自分たちには魔法がかけられている。
吉澤は深呼吸するとしっかり前を見据えた。
そしてそれと同時に花畑高校サイドに少し動揺が見られた。
- 301 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/12/04(日) 18:22
-
「ポジションが…!」
花畑高校側も緊張していたのか、どうやら今になって気づいたらしい。
過去の試合開始時、必ず里田と吉澤は前衛の対角上に位置していたが、
今日、以前まで吉澤がいたポジションには亜弥が立っていた。
そして吉澤は後衛に立っていた。
応援のスタンド席でも気づいた人たちがざわついている。
『エースが入れ替わったのか?』
『吉澤が逃げた?』
吉澤の耳にまで届かなくても、大方何を言っているのか想像がつく。
だが、外野が何を言っていてもかまわない。
大事なのはこの試合に勝利すること。
そしてこれは必要なこと。
それならば、自分は迷わない。
何よりも美貴からの指示であり、そのための練習も積んできている。
ただ、その成果がどのように発揮されるのかは美貴からも全く聞かされておらず、
吉澤にもいまひとつ想像がつかない。
だが、美貴の魔法にかかっている自分は全く疑わない。
- 302 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/12/04(日) 18:22
- 吉澤が受けた指示はただ1つ。
前衛に出た時に思い切りスパイクすること。
それは今まで変わらないことで、どこが作戦なのか分からない。
『ただし必ず相手の一歩手前に落とすようにして』
『一歩!?』
『それか80センチ手前』
『もっと難しいよ』
『とにかくそこを狙って打って。拾われても…むしろ拾われるくらいで』
『そんな細かいこと出来ないよ〜』
『それ以外やらなくていいから』
『それで勝てるの?』
『勝てるから作戦なんだよ』
とにかく言われたとおりにするだけ。
ただひとつだけ浮かぶ疑問は、この半年間のこと。
美貴と2人で練習していたことは、ここでは使わないのか。使えないのか。
美貴はただ微笑んでいるだけだった。
吉澤に出来ることは指示に従うことだけ。
一度だけ深呼吸をして、再び構えを取る。
- 303 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/12/04(日) 18:23
- そこにちょうどサーブが飛んでくる。
しっかりとレシーブしたボールは、セッターから亜弥へ。
ざわ…
一瞬観客がざわめく。
それほどまでにそのトスは高かった。
だが亜弥は難なく合わせる。
相手ブロックの上から放たれるスパイク。
勢いを失うことなく叩きつけられたボールは後方へと流れていく。
松浦学園の応援席から歓声が沸きあがる。
一方花畑高校のベンチからどよめきが起こる。
そして里田の目は鋭く叩きつけられたボールの行方よりも、思わず亜弥の姿を追っていた。
花畑高校はたったワンプレイで亜弥への認識を改めなくてはならなかった。
亜弥のスパイクが早いことが重要なのではなかったのだ。
そのスパイクのスピードを生み出している原因があったのだ。
- 304 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/12/04(日) 18:24
-
この選手は…驚異的、だった。
スピードが速いなどと表層的な問題ではない。
ワンプレイで感じ取れるほどの足腰の強靭さと、そのジャンプ力。
そしてバネと化した身体の柔軟性と瞬発力。
柔らかく力強い。
理想だった。
「次が来るぞ!切り換えろ!」
監督からの檄に選手達がハッと我に返る。
- 305 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/12/04(日) 18:25
-
――ブロックの上から来るのか!?
想像の枠の外からの攻撃だった。
日本人同士の試合でこんなことは無かった。
サーブが移動して松浦学園にボールが渡る。
動揺が抜け切らない間に試合が再開する。
サーブをかろうじて拾うもやはりボールの繋ぎがどこかチグハグだった。
里田には渡らずに放たれたスパイクはあっさりと拾われる。
『まずい』
誰もが同じことを考えて亜弥を見た。
既に助走に入っている姿を見て更に動揺する。
ありえないミス。
亜弥が打ってくるのが見え見えにも関わらずブロックが1枚のみ。
動揺のためか、もう1人がブロックに入るタイミングを外してしまっている。
再び軽やかなステップから繰り出されたスパイクはブロックの腕を掠めて得点を重ねた。
湧き上がる歓声に心臓の音が刺激されて収まらない。
- 306 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/12/04(日) 18:25
-
『どうするどうする…』
焦るばかりで考えがまとまらない。
里田の耳に歓声が纏わりつく。
汗が張り付く。
喉が渇く。
- 307 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/12/04(日) 18:26
-
「一本!」
不思議と良く通る声だった。
- 308 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/12/04(日) 18:27
-
「一本しっかりと打ちましょう!」
初めてかもしれない、ベンチから発せられた声に熱していた頭が冷えてくる。
見なくても分かる。
きっと心配そうな顔をしてこちらを見ている。
普段は小さい声でしか話さないのに、熱中したときだけ大きくなる声。
紺野の前で不様な試合は出来ない。
ましてや相手は藤本美貴のいるチームの松浦亜弥。
頭を覆っていた熱が今度は頭以外の身体に移った気がした。
不思議に身体が軽くなる。
- 309 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/12/04(日) 18:28
-
「一本!私に回して!」
声が自然と里田の口から出ていた。
その数瞬後サーブが里田の頭上を通過する。
セッターに上げられたボールを見て助走をつける。
ジャンプをする前に打点のポイントが見える。
花畑高校のセッターは…あさみは優秀だった。
必ず自分の望む高さ、速さでトスを上げてくれる。
一瞬相手コート内に目を配った後にしっかりとボールを見据える。
『松浦の左肩口!』
そこに空いているスペースを見出していた。
ジャストミート。
だが落下の最中に目を捉えたのは、その手を出しにくい位置のボールにワンハンドで
反応する亜弥の姿だった。
多少ずれながらもセッターに送られたボールが再び亜弥に戻される。
慌ててブロックが2枚飛ぶ。
亜弥のスパイクはブロックアウトとなり、得点が更に重なる。
止まらなくなった勢い。
- 310 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/12/04(日) 18:29
-
完全に流れが松浦学園に傾いた中―――
最初のタイムアウトは花畑高校がとった。
- 311 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/12/04(日) 18:29
- 更新しました。
まあ出来るうちにしておこうかと…。
レスありがとうございます。
>>281 名無飼育様
いよいよ試合突入です。
ここは頑張りどころです。
>>282 名無飼育様
全国大会編も大詰めでございます。
なんとここまでに1年半近くかかっています。
- 312 名前:前頭三枚目 投稿日:2005/12/04(日) 18:30
- >>283名無飼育様
気がつけば解決していないこともゴロゴロと…。
ひとつひとつクリアしていければ…。
>>284名無飼育様
お待たせいたしましたぁ!
>>285名無飼育様
お気遣いありがとうございます。
>>286名無飼育様
お待たせしました。
期待に沿うことは出来たでしょうか?
- 313 名前:前頭三枚目 投稿日:2005/12/04(日) 18:31
- 名前欄…久しぶりにやっちまいましたorz
- 314 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/05(月) 18:24
- 更新乙です!
やばい!やばすぎです!
おもしろすぎるぅ〜゜・(>_<;)・゜
今後の試合結果
亜弥ちゃん美貴たんの関係
ごっちんがしてしまってること
気になることがありまくりなんで次回も期待して待ってます!
- 315 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/05(月) 18:43
- 試合きてた*・゚゚・*:.。..。.:*・゚(゚∀゚)゚・*:.。. .。.:*・゚゚・*!!!!
更新お疲れ様です。続きも楽しみにしています。(バレー好きなんですw)
まったりがんがってくださいね!
- 316 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/06(火) 09:03
- 松浦さん、かっこいい……。
いやぁ、どっちが負けるのも辛いなぁ。
次回も、また楽しみで仕方がないです。
- 317 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/12(月) 03:44
- 突然失礼します。いま、2005年の飼育を振り返っての投票イベント
「2005飼育小説大賞」が企画されています。よろしければ一度、
案内板の飼育大賞準備スレをご覧になっていただければと思います。
お邪魔してすみませんでした。ありがとうございます。
- 318 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/17(土) 13:06
- まだまだ待ってます
- 319 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/18(日) 21:18
- 待ってます
- 320 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/19(月) 22:33
- ochi
- 321 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/21(水) 14:49
- ずっと待ってます
- 322 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/22(木) 10:47
- マジせつなくて超いいです!
- 323 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/24(土) 12:05
- ヤッベー!ときめきますた
- 324 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/25(日) 00:35
- 気になりまくり
- 325 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/12/25(日) 17:49
- 汗が頬を伝って顎の先でしずくとなって落ちる。
里田はその汗を手で拭いながらベンチに戻る。
まだ第一セットの前半にも関わらず汗が止まらない。
完璧に止められた。
しかもワンハンドで。
自分のスパイクには自信を持っていたのだが。
誘われたのかもしれない。
あの一瞬、本当は逆サイドのほうにスペースを見出していたが、あまりに露骨に
スペースが空いていたため、逆に警戒してしまった。
しかし実際に裏を読んだつもりのスパイクも止められてしまった。
どちらが本命だったのか分からなくなる。
なんとも言えない不気味な印象だ。
- 326 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/12/25(日) 17:49
- ベンチに戻るとタオルを渡される。
里田は無言で受け取り汗を拭いながら監督を見る。
するとそれを待っていたかのように監督が口を開く。
「良かったな、里田」
「はい?」
返事というよりは、質問を投げかけているかのような返答。
だが監督は何も言うことなく満足そうな顔をしている。
「壁にぶち当たったな。しかも準決勝戦で。どうする。挑むか?逃げるか?」
「……」
里田は黙り込む。
監督は何かを急かすという様子でもない。
心の中で思わず苦笑する。
この監督…いや、このチームはいつもこうだ。
決して妥協を許さない。
頭ごなしに檄を飛ばされたほうがどれだけ楽なことか。
だが、監督はやる気がないとき以外は決して檄を飛ばさない。
ただ質問してくる。
- 327 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/12/25(日) 17:50
-
―――諦めるか…
―――乗り越えようとするか…
予想外の相手チームの布陣
松浦の予想以上の能力
出鼻を挫かれたチーム
完全に止められた自分のスパイク
高い壁が聳え立っている。
逃げる?
限界?
『……諦めが悪いんだよね…』
声が頭の中に響く。
今でも友達だと思っている人。
選手として再起出来なくても、バレーボールを諦めない人の声が。
- 328 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/12/25(日) 17:51
-
「…負けません!」
監督に向かって発した声は、予想以上に大きな声となった。
「そうか」
そんな里田をしっかりと正面から見据えた監督は、同じように選手達にも問いかける。
「どうだ、今お前達はリードされている。怖いか?それとも悔しいか?」
選手の相貌には同じ答えが浮かんでいた。
「そうか。それならば1つだけアドバイスだ」
監督はそう言うと、傍らに立っていた紺野の肩をポンと叩く。
軽く叩かれたにも関わらず、ふらついた足取りで出てきた紺野がおどおどしながら口を開いた。
なんだろう
今までマネージャーでしかない紺野が試合中に口を開いたことはなかった。
- 329 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/12/25(日) 17:52
-
「あ、あの…もしかして、何度もあのスパイクは打てないんじゃないですか?」
「え?」
その意外な言葉に一同の注目が集まる。
紺野の指していることが亜弥のスパイクのことであることはすぐに分かった。
だがどういうことなのか分からない。
「あのスパイクって、あのブロックの上から来る…?」
「はい…」
自信が無さそうに話す紺野の言葉に選手たちが考えこむ。
確かに自分で言うのもなんだが、自分たちは全国でもトップレベルの選手達だ。
つまり運動能力についてもかなり上位に位置するものを有している。
その自分たちよりも高い位置からのスパイク。
ジャンプ力が必要とされるスポーツのトップレベルに位置する自分たちのジャンプ力を
上回るジャンプなどそうそう出来るものではない。
「そういえば、結局今もブロックの上から来たのって最初の一回だけだったね」
- 330 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/12/25(日) 17:52
- 選手の一人が発したその言葉にハッとなる。
確かにその通りだった。
特にタイムアウト前のスパイクは狙ったのかどうかは分からないがブロックアウトに
よるものが多かった。
理由など分からない。
正解なのか不正解なのか。
だが、それが事実であればそれで十分だった。
「そうだね、大丈夫。何回かに一度しか打てないなら普通と同じ対処で大丈夫だよね」
「うん。全部スパイクを打つわけじゃないし。そう考えたらあせることないよね」
みな口々に自らを鼓舞する言葉が出てくる。
そんな選手達の様子に紺野もホッと息をつく。
するとふと傍らに里田が立っていることに気づく。
- 331 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/12/25(日) 17:53
- 「お役に立てましたか?」
そう言ってにっこりと笑う紺野には不思議と人を頷かせる何かがあるように思えた。
「うん、お役に立ちましたよ」
そういうと里田は紺野の頭をそっと撫でた。
そして再度決意を新たにする。
絶対に勝ってみせるからね…。
- 332 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/12/25(日) 17:53
-
- 333 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/12/25(日) 17:54
- タイムアウトで戻ってきた松浦学園の選手達の顔には笑顔が浮かんでいた。
「松浦さん、凄いよ!これなら十分対抗できるよ!」
「本当、初めてだよ。相手のほうが先にタイムアウトを取るなんて」
みな選手達は口々に亜弥に声をかけていた。
亜弥もその言葉に笑顔で応えている。
監督も特に言うことがないのか、特段の指示を出すことなく選手たちに会話を任せている。
吉澤もその会話を耳にしながら汗を拭う。
今のチームは完全に亜弥が中心になっているのを感じる。
だが、不思議と悔しくなかった。
負けず嫌いの自分が、体育会系の自分が悔しがらないことは逆に不思議だった。
そんな状況の中、ふと気がつくと静かに汗を拭いている吉澤の横にはいつの間にか
美貴が立っていた。
「よっすぃ、前衛に行ったら頼むよ」
「うん。でも、大丈夫なんじゃないの?亜弥ちゃんがあれだけ出来れば普通にやっても
勝てるんじゃないの?」
そう言う吉澤に対して美貴は静かに首を振る。
- 334 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/12/25(日) 17:55
- 「ううん、今は相手が面食らってくれているけど、そんなに甘くないよ。
すぐに修正してくるよ。それに…」
「それに?」
「亜弥ちゃんのあのスパイクは何度も相手のブロックの上から打てるもんじゃないんだ」
「そうなの?」
吉澤も後ろで見ていて驚いた。
相手ブロックの上からのスパイク。
防ぎようがないあのスパイクがあればまさに無敵だと思っていたのだ。
「あれは相手のタイミングを微妙にずらさせているんだ。ジャンプの瞬間の溜めとトスの位置を
ずらして相手にそういうふうに思わせているんだ」
「錯覚みたいなもの?」
「まあ、亜弥ちゃんのジャンプ力だけでもかなりのものなんだけど、それを更に効果的に
している感じ。でもだからそう何度も打てるもんじゃないんだ。そうなれば総合力は、
あっちのチームのほうが上なんだから、徐々にやられちゃうよ」
「そうなんだ…」
「それに…」
「それに…?」
「さすがにあっちの監督はうまいよ」
「監督…?」
意外な名前が出てきて吉澤が思わず花畑高校のベンチに目を向ける。
- 335 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/12/25(日) 17:55
- 「そう。あの監督は本当にこういう間の取り方がうまいの。流れがまずいと考えたら
こんな早いタイミングでも迷わずにタイムアウトを取ってくるし。本当だったら
この奇襲みたいなものであと2〜3点は取れる予定だったんだけどね…」
「……」
「まったく…選手を調子に乗せるのはうまいし、実を取る冷静な判断力も持ってるし。
敵にすると本当にやり難い監督だよ」
そう言う割には美貴の目には懐かしさを含んだ柔らかいものが浮かんでいた。
だがどうやら美貴は相手の監督のベンチワークまでも視野に入れているように見えた。
もしかすると美貴はコーチやトレーナーではなく、監督のほうが向いているのではないか
という考えが頭をよぎる。
「でも、亜弥ちゃんもその辺は分かっていると思う。昔から試合の流れとか試合展開を
教えこんできたつもりだから」
そう言うとチームメイトに囲まれている亜弥に視線を向ける。
吉澤もそれにつられるように亜弥を視界に入れる。
確かに選手達の声には笑顔で応えてはいるが、浮かれているという様子ではない。
いや、どちらかというと少し浮かない顔をしている。
- 336 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/12/25(日) 17:56
- 「さて、とりあえず痺れているだろうからスプレーくらいかけてくるか」
「え?痺れて…?」
美貴が救急セットを手元に引き寄せる。
突然の言葉に吉澤が疑問符を投げかける。
「亜弥ちゃんの左手。このセットの間は調子が戻らないかもね」
「左手…って、さっきのワンハンドのやつ…?」
そういえば先ほど里田のスパイクを片手で受けていた。
そのまま亜弥はプレーを続行していたから問題ないと思っていた。
「片手ではじき返せるほど、まいちんのスパイクは軽くない」
「……!」
「だから、よっすぃは最初の予定通り頼むね」
そう言うと美貴は吉澤の肩を叩いて歩いていった。
吉澤はその叩かれた肩を手で押さえて美貴の背中を見やる。
- 337 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/12/25(日) 17:57
- 叩かれた肩が熱い。
身体を動かしている自分にも感じ取れるほどの手の熱さ。
どれほど強く手を握り締めていたのか。
美貴の心の中の想いが伝わってくるようだった。
肩に当てた手から熱が伝わってくる。
身体が熱くなる。
美貴が望んでいるのだ。
自分に期待をしているのだ。
だったら
それならば
全霊を持って応えよう。
- 338 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/12/25(日) 17:57
-
- 339 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/12/25(日) 17:57
- 会場に鳴り響くブザーをきっかけに両チームがベンチから出てくる。
松浦学園のサーブから試合が再開される。
タイムアウト前と異なり落ち着きを取り戻した花畑高校の守りは堅い。
あっさりと拾うと、きっちりと速攻で流れを完全に断ち切る。
サーブが花畑高校に移るが、対する松浦学園もきっちりと拾ってくる。
試合が次第に拮抗したものになってくる。
めまぐるしく交錯する試合展開の中、吉澤が前衛に回ってくる。
相手コートに目を向けると里田も後衛に回っているようだった。
吉澤は再度美貴の言葉を頭の中で反芻する。
そして一度だけ右肩を回す。
やることは決まっている。
単純なこと。
ゆっくりと息を吐き出す。
適度に肩から力が抜ける。
吉澤も数々の試合をこなした経験を持っている。
入れ込みすぎると力は出ない。
- 340 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/12/25(日) 17:59
- 松浦学園にサーブが移っている。
亜弥が片手でボールを持って構える。
この試合初めての亜弥のサーブ。
軽い助走から繰り出されたジャンプサーブは、風きり音が聞こえるほどの威力を持っていた。
サービスエース。
湧き上がる歓声。
堅固な守りを見せる花畑高校でさえも、初見の亜弥のサーブは止められないらしい。
「大丈夫。きちんと集中すれば拾えるよ!」
里田の声が聞こえてくる。
副キャプテンでありながら、存在としてはチームの大黒柱の里田の声は花畑高校に
落ち着きを取り戻させる。
先ほどの亜弥のスパイクを初めて見たときのような浮き足立った雰囲気は感じられない。
そして亜弥の二度目のジャンプサーブ。
ドライブ回転をかけたそのボールは里田と同じく後衛にいるあさみの前で急降下する。
消えたかと錯覚するほどの落差を持ったそのサーブをあさみは辛うじて拾い上げる。
しかし辛うじて拾ったにも関わらず、きっちりとセンターに返されている。
- 341 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/12/25(日) 18:00
- もし花畑高校の中で最もセンスがある選手を上げるとすると、それはエースである
里田ではなくきっとあさみの名前が上がる。
そしてそのセンスはスパイク等の派手なところではなく、こういう地味なプレーにこそ
如実に現れてくる。
きっちりと返されたボールは堅実なトスにより、みうなの前に上げられる。
その右腕から繰り出されたスパイクは、里田にも劣らないと思えるほどの威力を持っていた。
きっと里田がいなければ、彼女が間違いなく花畑高校のスーパーエースとなっていただろう。
他のチームであれば確実にエースクラスのそのスパイクを松浦学園が辛うじて拾う。
まずは守備が出来るチーム。
それが松浦学園や花畑高校を指導したコーチ陣の共通の認識だった。
辛うじて拾われたボールがセッターの手により吉澤の前に上げられる。
やることは決まっている。
吉澤のスパイクはきっちりと里田の一歩手前に向けて放たれる。
しかし里田はそのボールを拾ってくる。
その威力に一瞬だけ顔をしかめたが、そのレシーブはセンターにピタリと返されている。
そして再びみうなから放たれたスパイクは、今度こそ得点を奪い取った。
- 342 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/12/25(日) 18:01
- ハイタッチをする花畑高校を見ても吉澤は動揺しない。
拾われたスパイクにも落ち込まない。
頭の中で再度声が響き渡る。
『拾われても…むしろ拾われるくらいで』
拾ってもらおうじゃないか
ここ半年間、毎日練習してきた。
半端なく筋トレもしてきた。
打ち疲れることなんかない。
一度決めたら迷わない。
吉澤はその後もひたすらに打ち続けた。
何度拾われても。
その目には里田しか映っていないかのように。
だが、そのプレーが試合に影響を与え始める。
徐々に点差が開き始める。
スパイクの多くは亜弥によって止められていたが、適度に散らして的を絞らせない
攻撃を仕掛ける花畑高校。
一方、松浦学園の攻撃は吉澤のスパイクがほぼ全て里田を標的にしており、更には
ほとんど拾われてしまっているため、なかなか得点が重ならない。
そして…
- 343 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/12/25(日) 18:02
-
「あさみ!」
思わず里田が声を上げるが、あさみは落ち着いていた。
ブロックをかわして放たれる亜弥のスパイクをしっかりと見据えてレシーブをする。
タイムアウト後、ブロックの上から来るスパイクに関しては無視。
それ以外のスパイクに絞って拾うように作戦を切り替えた花畑高校は亜弥のスパイクを
ほぼ狙い通りに抑えていた。
徐々にその強さの片鱗を見せ始める花畑高校。
その強さとは攻撃バリエーションの豊富さ。
試合展開によって戦術を変えることが出来る引き出しの多さがこのチームの強さでもあった。
第一セット終盤。
じわじわと離れた点差に気づけば花畑高校はマッチポイントを迎えていた。
それでも吉澤の心は迷わなかった。
自分の前に上げられたトスに対して、思い切り良く踏み切り里田の手前にスパイクを放つ。
もう何度目になるのか。
里田が顔をしかめつつもそれを拾う。
センターへと繋ぐと、みうなが確実にスパイクを叩き込む。
第一セットの終了を告げるかのように音を立てて床の上を弾んだ。
- 344 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/12/25(日) 18:02
- 予想通り。
この両チームの対戦を以前から知っていた人間であればきっとそのような感想を抱いただろう。
順当に花畑高校が第一セットを奪取。
だが当事者である両チームにその印象はない。
特に花畑高校にとっては、松浦学園に対する印象は全く別のチームに思えるほど
異なっていた。
それは表情に表れていた。
第一セットを取ったにも関わらず花畑高校の面々の表情は厳しいものだった。
試合の途中であることを考えても、その表情から全く油断などしていないことを窺わせた。
そして第二セット開始目前。
第一セットでは両チームともにタイムアウトの時間も含めてかなりの意見交換を
していたが、この第二セットが始まる前は逆に淡々としたものだった。
特に会話を交わすわけではなく黙々と汗を拭くだけ。
お互いに視線を交わすのみ。
やることが分かっている上に、やることが変わらない。
- 345 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/12/25(日) 18:03
- 松浦学園ベンチでは亜弥が左手を開いたり閉じたりしている。
しばらく繰り返すとグッと手を握り締める。
どうやら力が戻ってきたらしい。
その様子を横目で見ながら吉澤も軽く肩を回してみる。
第一セットはスパイクを片っ端から里田に向けて放った。
そしてその多くは拾われてしまった。
だが吉澤は第二セットも変わらずに里田へ向けてスパイクを放つつもりだった。
それが美貴の望むことだから。
だから自分は疑うことなくそれを続ける。
きっと理由は後で分かるはずだ。
一方里田はベンチの影で腕にスプレーをかけていた。
すぐ横では紺野が心配そうにその様子を見ている。
その紺野によってちょうど松浦学園ベンチから見えないような壁になっていた。
選手の不調や怪我は即ちチームの穴を示してしまうことになる。
そのため見つからないようにスプレーをかける。
ただ今回の場合はそんな配慮というよりは、単純に紺野が心配して傍に立ったことが
偶然ブラインドになったに過ぎない。
- 346 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/12/25(日) 18:04
- 里田はその心配そうな眼差しにチラリと視線を送ると口元に苦笑いを浮かべる。
そしてスプレーを置くと、心配そうな眼差しを向ける紺野の頭に手を置いた。
「大丈夫だよ。私たちは負けないから」
「はい…」
小さく返事をした紺野は大きな目で里田を見つめた。
タオルをぎゅっと握り締めた紺野の姿を見た里田はこっそりと口元を緩める。
まるでスポーツ漫画のヒロインそのままだね…。
その考えが頭に浮かんだ途端に自分の考えに再び苦笑する。
良く考えたら、そのままというよりも自分たちで紺野をヒロインに仕立て上げたのだった。
少なくとも自分たちの中ではヒロインに間違いない。
ヒロインのいるチームが負けちゃまずいよね。
里田はグッと口元を引き締めた。
- 347 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2005/12/25(日) 18:04
- そうだ。
自分たちは負けられないのだ。
その伸ばした背筋で前を見据える。
そこにはベンチから出てくる松浦学園の面々が見えた。
そしてその中に自分と全く同じ表情を浮かべた選手を見つけた。
そうだよね。
私たちはお互いに譲れないものを抱えているんだよね。
里田は急速に松浦に親近感を覚えた。
そう。
譲れない戦い。
第二セットが、始まる。
- 348 名前:前頭三枚目 投稿日:2005/12/25(日) 18:05
- 更新しました。
今年最後の更新です。
レスありがとうございます。
>>314 名無飼育様
喜んでいただけたようでなによりです。
まずは試合結果が一番最初に判明するのかな。
>>315 名無飼育様
作者はバレーの知識がチグハグだったりします。
変な箇所が出てきたら、こっそりと教えてくださいね。
>>316 名無飼育様
実は両方のパターンを考えました。
今はちゃんと決まっています。
>>317 名無飼育様
あらまあ
- 349 名前:前頭三枚目 投稿日:2005/12/25(日) 18:06
- >>318-321 名無飼育様
お待たせいたしました。
また次回までまったりとお待ちいただけるとありがたいです。
>>322 名無飼育様
自分でも改めて読み直してみたら、切なさに溢れていました(汗
>>323 名無飼育様
ときめいたというご意見は、初めていただいたので嬉しい限りです。
>>324 名無飼育様
更新しまくり(ちょっと違
- 350 名前:前頭三枚目 投稿日:2005/12/25(日) 18:07
- 何故ずれる…orz
- 351 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/25(日) 22:38
- 更新乙です
いや〜待ってましたよぉー!
そして予想通りのおもしろさですよ!
第1セットを取られた松浦学園はどうなるんだろぅ?
亜弥ちゃんと美貴たんの関係は?
まだまだ気になることだらけです
次回も期待して待ってます☆
- 352 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/26(月) 02:37
-
更新お疲れ様です
なんだかチームの一人になってリアルに空気の流れをみているようです
緊張感が伝わってきました、手に汗が!
- 353 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/26(月) 08:06
- 更新お疲れ様です
試合の描写とかリアルで好きです
次回の更新を、ワクワクしながらマターリ待たせてもらいます!
- 354 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/27(火) 19:01
- 更新お疲れ様でした。
>>341が好きです。バレーの良さはこの地味なプレーにこそあると思います。
ほんとに臨場感のある展開で、毎度ドキドキしながら読んでいます。
いまは純粋にスポーツを楽しんで、それぞれの関係がどうなるのか?
今後の展開もひっそり楽しみにしています。
- 355 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/01/07(土) 07:02
- 更新ありがとうございます。
いやいや、こう読み進めてきて、次回に思いをはせるとワクワクしますね。
両方の……ほへぇ、そういうものでしたか。
ともかく、作者様の紡ぐ結果を楽しみにお待ちしています。
- 356 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/01/12(木) 05:11
- ありがとうございますそして、これからもよろしくおねがいしますw
- 357 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/01/12(木) 18:38
- 更新まってますよ
- 358 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/01/15(日) 16:27
- たまにセッターとセンターがごっちゃになってるのが気になりましたが…おもしろいです。続きに期待しています。
- 359 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/01/18(水) 01:12
- 待ってます
- 360 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/01/19(木) 00:06
- まだまだ待ってます
- 361 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/01/19(木) 20:58
- 続き気になります
- 362 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/01/21(土) 02:28
- めっちゃ気になる
待ってます!
- 363 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/01/22(日) 16:16
- まだですかぁ?
待ち遠しい
- 364 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/01/22(日) 21:56
- 両チームがベンチから出てくる。
真希はその姿を観客席から眺めていた。
ほとんどの席が埋まっていたため、一番後ろで立ったまま試合を観ていた。
知り合いと来ていたわけではないので、特に口を開くこともなく試合を
観戦しているわけだが自分で何も話していない分、周囲の声が良く聞こえてくる。
花畑高校が優勢。
もしくはこのまま押し切ってしまう。
真希がいる場所はどちらの応援席でもなく、ちょうど中間地点に当たる場所。
そのため真希の耳に入ってくる試合に対する感想は、かなり客観的な意見という
ことが出来る。
実際、自分の目にもそのように映っていた。
過去の実績や実際の両チームの対戦結果等を自分も耳にしている。
それを判断するにチームとしては恐らく花畑高校の方が上なのだろう。
そして松浦学園が勝つためには何か策を講じなければならないだろう。
だが、今のところ第一セットを花畑高校が先取している。
- 365 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/01/22(日) 21:57
- 数セットを奪い合うバレーボールではとりわけ出だしが重要になってくる。
特に格下のチームが番狂わせを起こすためには第一セットを取ることが重要だ。
しかし実際には格上であるだろう花畑高校が先取している。
そして更に悪い条件を挙げるとすれば、そのセットの取り方が問題だった。
一般的にありがちな勢いに任せた取り方ではなかった。
きっちりと松浦学園の出方を伺ってから、その対策を講じた上でセットを奪ったようだった。
つまり流れや勢いといった不確定要素を抜き去った部分で競り勝っているということ。
完全に花畑高校のペースで試合が展開されているといっても良い。
こういったケースの場合、下手をするとストレート負けをする可能性もある。
ただ、松浦学園にそういった悲壮感は漂ってなく、花畑高校にも油断している雰囲気は
見当たらない。つまり両チームとも冷静に戦っている。
松浦学園のベンチでは小さいころより見知った顔が緊張で強張っているのが伺えた。
――このセットが勝負どころ…だね。
- 366 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/01/22(日) 21:58
- 自分たちが一緒にバレーボールをしていたころ、勝負どころでいつも美貴は今のような
強張った表情をしていた。
それは相手に勝てるかどうかというようなことに対する緊張ではなく、自分の作戦が
うまくいくかどうかの緊張から来るもの。
自分たちが"ごまっとう"として騒がれていたころ、ピンチに陥ってたときは必ず
美貴を頼っていた。美貴が相手チームのウィークポイント。つまり攻略方法を見つけ出し、
それを自分や亜弥が実行に移す。そうやって格上の相手にも打ち勝ってきた。
そして今このチームには実行できる亜弥がいて、自分の代わりを果たしているだろう吉澤もいる。
きっとここまではある程度美貴の思惑通りに進んでいるはずだ。
それはある理由から確信があった。
まだ、亜弥が全力を出し切っていないというか、全開になっていない。
長らく亜弥の全力のプレーを見ていなかったが、亜弥の本来のプレースタイルが今はまだ
見られない。昔紅白戦で、亜弥が全開になったときは真希と美貴の2人掛かりでも止めら
れなかった。
亜弥がまだ全開ではないということであれば、きっとそれは考えがあってのこと。
美貴のあの強張った顔は作戦を実行に移すタイミングを見誤らないために緊張しているのだ。
- 367 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/01/22(日) 21:58
- 真希はそっと苦笑する。
臆病なくせに、何も考えずに突っ走り、また立ち止まる。
怖いくせに平気な顔をして進んでいこうとする。
意地っ張りな末っ子だ。
視線を亜弥に移すと、彼女はしっかりと相手チームを見据えていた。
ただその視線の先は選手ではなく、ベンチを見ていた。
再び苦笑する。
相変わらず何を考えているのか分かりやすい子だ。
そっと目を細める。
『どんな結果になっても、わたしは二人の味方だよ』
その思いを表すかのように細められた瞳には親愛の情が込められていた。
その瞳は何を見ているときよりも優しさに溢れていた。
- 368 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/01/22(日) 21:59
-
- 369 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/01/22(日) 21:59
- 会場にブザーが鳴り響く。
それに合わせるかのように両サイドの応援席から歓声が上がる。
第二セットの開始。
花畑高校のサーブで試合が開始される。
そこで展開されるのは第一セットと全く同じ展開。
数度のラリーが続いた後、花畑高校がまずは最初にスコアを刻む。
ハイタッチを交わす間にも松浦学園を盗み見るが、特段声を掛け合ったりしていない。
だからとって試合を放棄しているような様子でもない。
一見すると両チームともに変化は見られない。
特に変化があるべき松浦学園側にも特別な動きは見られない。
里田はそれを不思議に思った。
- 370 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/01/22(日) 22:00
- 今日は美貴がベンチで監督の隣にいる。
自分も美貴については他の人よりは親しいため、彼女の行動パターンや特徴を
多少は捉えているつもりだ。
花畑高校に詳しく、また試合の流れを読むことの出来る彼女はきっとこの試合の作戦を
立てているはずだ。今までの試合でも彼女が試合について意見を出しているというのを
聞いたことがある。
それなのに松浦学園に全く動きが見られない。
第一セットを奪われたのだから、このセットを取らないと試合が終わってしまう。
そのためには一セット目とは違う攻撃をしなければならないはずだ。
だが、実際には同じような攻撃が続いているだけ。
そこまで考えて里田は頭を乱暴に振った。
考えすぎだ。
きっと自分たちの勢いがありすぎて作戦がうまくいっていないだけなんだ。
どんな作戦を立てていても、このセットを奪えばそれで終わりなんだ。
- 371 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/01/22(日) 22:01
- そっとベンチを盗み見る。
先ほどまでと同じように心配そうな顔。
なんでだろう。
自分たちのほうがリードをしている。
そしてこのセットも優位に展開している。
自分たちのチームが勝つことを願っているはずだ。
それなのになんでそんな心配そうな…泣きそうな顔をしているのだろう。
だが、ふとその視線に気づく。
紺野はチーム全体ではなく、自分のことを見ている。
何か言いたそうに。
それでいて何も発しないように唇をギュッとかみ締めている。
「まいちゃん!」
チームメイトの言葉に我に返る。
そうだ。
まだ試合中なのだ。
今は試合に集中しなければならない。
- 372 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/01/22(日) 22:01
-
- 373 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/01/22(日) 22:02
- 第一セットの流れをそのまま持ち込んだ花畑高校が、第二セットも流れを作っている。
エースに頼らない試合展開。
攻撃も時間差や速攻を織り交ぜて的を絞らせていない。
3−1
4−1
5−2
7−3
9−5
着実に得点を重ねていく。
通常であればこのまま試合はあっさりと決着をみるはずだ。
- 374 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/01/22(日) 22:03
- だがこの試合は通常の試合通りにはいかなかった。
定番に思われた試合展開に僅かな綻び目が生じる。
それはまず試合時間に現れ始めた。
流れを掴んだ花畑高校がそのまま押し切る試合展開。
観客の大半がそのような予想をし始めていた。
しかし本来そのような試合展開であれば、もっと試合の進行スピードは早くなるはず。
それにも関わらず、試合の流れはむしろ遅くなってきていた。
それは、両チームの間でラリーが始まったせいだ。
花畑高校は着実に得点を重ねている。
しかし第一セットのときと比べると、得点が加えられるまでの時間が格段に長くなっている。
この事実にまず、試合記録をつけているマネージャーが気がついた。
そして徐々にベンチサイドにいる他の人たちも気づき始めている。
- 375 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/01/22(日) 22:03
- エースに頼らない試合展開。
適度に散らした攻撃。
何かがおかしい。
何かが違っている。
得たいの知れない違和感だけがベンチを支配し始める。
リードしているのは自分たちのチーム。
優位に進めているのも自分たちのチーム。
それなのに、なにか得たいの知れない…そう、薄気味悪い印象を誰もが抱いている。
ベンチの誰もが勝っているにも関わらず、何かを振り払うような、自分に言い聞かせるような
表情を浮かべて応援していた。
そんな中、紺野がその違和感の正体に一歩近づく。
リードしているにも関わらず、コートの中にいる選手の表情が全く冴えていないのだ。
むしろ追い詰められたような表情をしている。
里田もあさみも、みうなも皆選手達の表情は戸惑っていた。
- 376 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/01/22(日) 22:04
- その困惑はそのまま紺野に直に伝わってくる。
どうしよう。
どうすれば。
紺野だからこそ気づいた。
試合の結果よりも選手を見てきた紺野だから気づいた。
だが、伝わってきた困惑は紺野にも伝染してしまった。
どうしよう
どうすれば
どうしたらいいのか
戸惑いのあまり紺野の口からそのまま飛び出してくる。
「どうしたらいいんだろう…」
なにを…?
紺野の呟きに周囲の人間が疑問の眼差しを向けたとき、観客席にいた真希にも同じように呟いていた。
- 377 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/01/22(日) 22:04
- 「そういうことか…」
真希はずっと試合会場観客席の最後尾で試合を眺めていた。
ありがちな試合展開を繰り広げている両チームに何か違和感を感じていた。
リードしているはずの花畑高校の動きにキレがないのだ。
流れに乗っているチームに必ず存在する躍動感というものがない。
スポーツの試合で流れに乗るという行為は、この上ない甘美の瞬間なのだ。
その心地よい瞬間を求めてスポーツ選手たちは苦しい練習に耐えている。
そしてその流れに乗った選手はその甘美の瞬間を身体を使って表現する。
それが躍動感というもので表される。
しかし目の前の花畑高校は、明らかにその躍動感に欠けている。
この躍動感というものは決して抑えられるものではない。
そして抑えてはいけないものなのだ。
何故ならば躍動感のあるプレーというのは、その選手のその瞬間の最高のプレーであるときが
多いからだ。自分の最高の力を出し切ることが重視されるスポーツにおいて加減することなど
まずありえない。
そうだとすると…。
- 378 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/01/22(日) 22:05
- 真希は身を前に乗り出した。
これは花畑高校は流れに乗っているのではない。
リードしているのではない。
改めて良く見てみる。
今度は松浦学園サイドを。
何故だろう。
こちらのチームのほうが、選手達がリラックスしているように見える。
負けているはずなのに。
- 379 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/01/22(日) 22:06
- 花畑高校のサーブが入る。
拾った松浦学園は第一セットと同じようにセッターから吉澤につなぐ。
鋭い振りから繰り出されたのはまたもや里田を狙ったスパイク。
それを里田は前のめりになって拾う。
多少低いがセッターに返ったボールをみうなへ。
ブロックをかわしてクロスに放たれたスパイクを亜弥がしっかりと拾う。
セッターに返ったボールが再び戻される。
するとレシーブをしたばかりのはずの亜弥が既に空中にいる。
バックアタック。
第一セットよりも幾分威力が増したようにも見えるそのスパイクはまたもや
里田の近くに。
それを里田が辛うじて拾う。
今度も低めに返ったレシーブに対してセッターがジャンプトス。
速攻を試みるが、松浦学園のブロックに阻まれる。
偶然大きく返ったため再度ボールをセッターに入れる。
再び速攻…と見せかけた時間差攻撃。
みうなのスパイクがブロックをかわして飛ぶが、またもや亜弥に拾われる。
セッターに入ったボールに対して、今度は吉澤にボールがあげられる。
松浦学園は徹底して吉澤、松浦の2枚エースを中心に攻めていた。
そして2人とも不自然なほど里田を狙ったスパイクを放っていた。
しかし方向が分かっているスパイクであれば、大抵のものは拾える。
里田が拾ったボールがセッターに送られる。
するとそのボールをセッターがトスフェイント。
松浦学園が拾い損ねてようやく得点が重なる。
- 380 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/01/22(日) 22:06
- 先ほどから同じ展開。
リードされている松浦学園は一本調子の攻撃。
そしてリードしている花畑高校はあの手この手で攻撃を仕掛ける。
しかし、これでようやく花畑高校が得点が二桁になる。
どんな試合展開であろうと結局は得点を必要なだけ積み上げてしまえば良いのだ。
里田は自分に言い聞かせながらボールを受け取る。
ただ、漠然とは感じている。
松浦学園の不気味な印象。
ここは確実に得点が欲しい。
里田は無理をせずにジャンプサーブを封印。
確実に相手コートを狙う。
しかし次の瞬間得点は松浦学園に加えられていた。
サーブミス!
- 381 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/01/22(日) 22:08
- なんでもないサーブのはずだった。
それなのにサーブを外してしまった。
なんだろう。
自分の身体に違和感を感じる。
まだ体力的には大丈夫のはずなのに。
身体が重く感じられる。
チームメイトたちが困惑した表情を浮かべている里田に声をかける
里田は違和感を振り払い、その声に笑顔で応えて自分のポジションに戻る。
サーブが松浦学園に移る。
そのとき。
観客席から松浦学園を見据えていた真希には感じ取れた。
松浦学園の雰囲気が…変わった。
花畑高校が里田に声をかけているとき。
確かに見た。
松浦学園の選手達全員が。
それはほんの一瞬。
そして確かに頷いた。
試合が始まってから全く身動き1つしていなかった美貴が。
- 382 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/01/22(日) 22:08
- 自分が松浦学園を応援しているからだろうか。
それとも昔からの慣れ親しんだ呼吸が教えてくれたのか。
今、確かに、間違いなく美貴は合図を出した。
知らず手を握り締める。
ここからが恐らく本番…勝負どころ。
私はここにいる。
だから支えてあげて…。
人を頼る歯がゆさを真希は再びかみ締めた。
- 383 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/01/22(日) 22:08
-
- 384 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/01/22(日) 22:09
- 里田がサーブミスをした瞬間。
そのときが来たと思った。
吉澤は無意識のうちにベンチのほうを見ていた。
その視線の先にいるのは、ただ座っているだけにも関わらず、やけに注目を引く存在。
美貴はこちらをじっと見ていた。
そして一瞬だけ出場している選手全員を見回す。
その首が一度だけ縦に動く。
口が開くことはなかった。
だが、確かに聞こえた。
『準備は出来たよ』
言葉でなくても伝わることはある。
そして確かに通じた。
- 385 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/01/22(日) 22:10
- 選手達はお互いをみることなく、今度は意思の疎通が行われる。
もはやアイコンコンタクトですらない。
周囲の状況を確認する。
サーブは松浦学園に移っている。
そして幸いにも吉澤が前衛にいる。
本来であれば吉澤の役目ではないのだが、ここは自分が出すべきだろう。
自分の背中にそういった類の視線を感じる。
そっと右手を背中に回す。
もともとサインは決めてあった。
単純
かつ
分かりやすいもの
『GO!』
決して見落とすことがないようにゆっくりと。
そして背中越しに選手達の緊張感が高まっていくのを感じる。
ここからが勝負どころ。
そしてここで流れを掴まないと、この試合の敗北が決定する。
サーブはジャンプサーブのような勢いのあるものでなくて良い。
確実なもので良い。
- 386 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/01/22(日) 22:10
- もはや試合開始時とは状況が違う。
花畑高校の攻撃は、もう十分に味わった。
どんな形でも大丈夫。
吉澤は深く腰を落とす。
ここからは己を高めることではない。
感覚を研ぎ澄ませることが大事だ。
一度だけ深く息を吸い込む。
さあ、いこう!
- 387 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/01/22(日) 22:11
- 吉澤が自分の心の中で掛け声をかけると同時にサーブが放たれる。
そのことが吉澤の気持ちを更に高める。
花畑高校はしっかりとレシーブしセッターに入れてくる。
みうなの位置を見る。
来ない
これは速攻だ。
ブロックの位置を調整。
ストレートにそのまま打たせる。
あっさりと拾いセッターへ。
吉澤は二歩下がりスパイクの体勢を作る。
それを見てブロックが二枚吉澤につく。
今までの吉澤のプレーを見ていれば当然の選択。
セッターからボールが送られる。
吉澤が足を踏み切る。
合わせて飛ぶブロック。
しかし吉澤はボールをスルーする。
その横にはノーマークの選手。
時間差攻撃。
- 388 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/01/22(日) 22:11
- 吉澤は単なる囮だった。
全くのノーマークから放たれたスパイク。
いくらエースではないとはいえ、ノーマークであれば余裕を持って決められる。
ハイタッチをしている松浦学園をしばし呆然と見ている花畑高校。
だが、ハッと気づき、お互いに声を掛け合う。
「みんな、ディフェンスが単調になってるよ。相手も色々やってくるんだから
ちゃんとケアしていこう!」
お互いに頷きあう。
改めて構える。
松浦学園のサーブが放たれる。
セッターにしっかりとボールが返される。
前衛のみうなを見ると先ほどよりポジションが開いている。
オープン!
- 389 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/01/22(日) 22:12
- 松浦学園のブロックはストレートのみをケア。
咄嗟にみうながクロスを放つ。
そこには亜弥の姿が。
しっかりとレシーブされたボールはセッターへ。
だが今までと異なり多少低めのボール。
それをセッターがトスした瞬間には既に吉澤は最高到達点までジャンプしていた。
Aクイック!
相手ブロックは飛ぶタイミングを掴ませてもらえていなかった。
全くのノーマークで放たれたスパイクは里田を狙うことなくコートに叩きつけられる。
ハイタッチを交わす松浦学園。
その様子を呆然と見ている花畑高校。
今のプレーの内容がしっかりと理解できたからこそ、選手達はその場に立ち尽くしてしまっていた。
- 390 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/01/22(日) 22:12
- 速攻や時間差などよくある攻撃方法。
花畑高校でも多用している。
だが、全く予想外だった。
この試合では吉澤は徹底的にスパイクを放ってきていた。
それに今までの対戦から吉澤はコンビネーションプレーや動きのあるプレー。
つまり空間的な動きを得意とはしていなかった。
良くも悪くも大砲だったのだ。
そして"不運にも"そういったプレーが許されるほどの実力を持ってしまっていた。
逆に考えると、それが里田たち花畑高校と松浦学園の差を生み出していたのだ。
エースを絡めた攻撃が出来る花畑高校とエースに頼る松浦学園。
そういった図式がそのまま両チームの実力差であった。
だが、その図式がいま崩れようとしていた。
あの吉澤の動きは、一長一短の思いつきで出来るものではない。
特に今の速攻などは、見事というほかないほどのタイミングで放たれていた。
事実自分たちのブロックは全くついていけていなかった。
不器用そうに見える吉澤がコンビネーションをしっかりと見につけてきたことにも驚いたが、
何よりも感じたのはそのプレースタイルの変換だ。
- 391 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/01/22(日) 22:13
- 全力を出し合ってプレーをすること。
それは、時に数百の言葉を交わすよりお互いを理解することが出来る。
その選手の限界を知ることにより、その選手を作り上げているものが垣間見えるからである。
プレースタイル、考え方、性格。
それを知っているからこそアイコンタクト等というものが成り立つのだ。
だから花畑高校は吉澤と会話を交わしていなくても、何度も対戦した中から、その人と性質に
ついて理解しているつもりでいた。
特に吉澤のように全国クラスのエースであれば自分のプレースタイルなどそう簡単には
変えたりしない。それが、たった数ヶ月会わなかっただけで大きく様変わりしていた。
だが里田…いや花畑高校の選手達はもうひとつ気になる点があった。
選手達には、まさかという思いがあった。
それ故に必ず確かめなくてはならない。
再度松浦学園からサーブが放たれる。
それをリベロが拾いセッターに戻す。
みうなが助走からジャンプをする。
だがセッターはそちらには出さない。
みうなは囮。
タイミングを合わせてバックトス。
本命は…Cクイック。
- 392 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/01/22(日) 22:13
- 完全にマークを振り切ったと思って振り切ったスパイクの前に立ちふさがったのは
2枚のブロック。
誰もいないコートに吸い込まれるボール。
湧き上がる歓声。
松浦学園の3連続ポイント。
ふと見るとみうなのほうにはブロックが1枚のみ。
全員が確信した。
完全に読まれている。
いや…もしかすると状況はもっと悪いのかもしれない。
会場にブザーが鳴り響く。
第二セットに入って初めてのタイムアウト。
第一セットと同じくそれは花畑高校から出されたものだった。
- 393 名前:前頭三枚目 投稿日:2006/01/22(日) 22:15
- 更新しました。
ようやくインターネットに接続出来るようになりました。
今年もよろしくお願いします(遅
今回は書いてそのまま上げてますので、おかしな点はご指摘ください。
レスありがとうございます。
>>351 名無飼育様
第二セットはこんな感じに展開しています。
なるべく品質は落とさないように頑張ります。
>>352 名無飼育様
書くときになるべく自分で試合風景を思い浮かべるように心がけてます。
ちゃんと皆様に伝わっていると嬉しいです。
>>353 名無飼育様
試合風景イメージしていただけたでしょうか。
次回もマターリとお待ちくださいませ。
- 394 名前:前頭三枚目 投稿日:2006/01/22(日) 22:17
- >>354 名無飼育様
どの場面が好きといっていただけるのは本当に嬉しい限りです。
いわゆる玄人好みという感覚ですね。
今このスレは完全にスポーツものになっています…。
>>355 名無飼育様
出来るだけ両チームからの試合展開というものを皆さんに見ていただければと思います。
もうじき結果が見えてくると思います。
>>356 名無飼育様
こちらこそよろしくお願いします(挨拶遅…
>>357 名無飼育様
お待たせいたしました。
>>358 名無飼育様
ごっちゃになってますね…ご指摘ありがとうございます。
今後も気づいた点がありましたらこっそりと…
>>359-363 名無飼育様
まとめて返レスですいません。
お待たせいたしました。
今後も更新の遅いこのスレをよろしくお願いします。
- 395 名前:タケ 投稿日:2006/01/24(火) 15:55
- 待ってました
すごいっす!
ひとつひとつのプレーがイメージできて緊張感や迫力が伝わってきました!
松浦学園は勝つことができるんでしょうか?
続ききになります
次回も期待して待っております☆
- 396 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/01/26(木) 07:07
- 更新ありがとうございます。
スポーツ物としても十二分に読ませてもらえますね。
力になれずにいるごっちんの描写が素敵です。
次回も楽しみに待っています。
- 397 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/03(金) 00:15
- めっちゃ続き気になりますぅ
- 398 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/02/05(日) 21:46
- ベンチに戻ってくる花畑高校の選手達はみな口を閉ざしていた。
監督も少し戸惑っているらしい。
確かにそうだ。
ひとりの選手のプレースタイルが1試合の間に変化することなど今までなかった。
だがそれは事実だった。
そしてもうひとつ事実があった。
「完全に攻撃パターンを読まれていたね。さっき」
選手の1人が口を開いた。
それを皮切りに皆ぽつぽつと言葉を発し始める。
「うん、確かに。今まで何度も対戦してるから読まれやすいって言うのもあるよね」
「第一セットから飛ばしたから全部のパターンを見せてるしね」
「タイミングの修正もされちゃったみたいね」
- 399 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/02/05(日) 21:47
- 過去の花畑高校と松浦学園の対戦は、全て花畑高校の勝利で終わっていた。
そしてそのことが今回、全て悪いほうに流れてきてしまっている。
誰しも負けたときの記憶というのは頭に残りやすいが、勝ったときの記憶は
その勝ったという事実に縛られてしまい、詳細には覚えていなかったりする。
今回のケースがまさしくそれであり松浦学園の選手達には鮮やかにその対戦の記憶が
残っていた。
普通高校生のチームであれば、数ヶ月で全く別のチームに生まれ変わったりするのだが、
この両チームの場合は定期的に何度も対戦している上にチーム戦術の土台も一緒なのだ。
他のチームと対戦するよりは遥かに互いの手の内を予想できる。
その上、松浦学園は第一セットで花畑高校の攻撃のほとんどを見て、細かいタイミングの
修正等を済ませているのに比べて、花畑高校サイドにはその情報がほとんどない。
それは松浦学園が徹底的にエースに頼ってきていた上に、その攻撃目標を一点に絞ってきて
いたからだった。
- 400 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/02/05(日) 21:47
- 「それに吉澤さんが速攻に加わってたね」
「うん…あれで完全に読めなくなってるよね。今までにない攻撃パターンだし」
「それにもうひとり…松浦さんも…」
そんな選手達の声を聞きながら、あさみは頭の中で嫌な考えがしきりにぐるぐる巡っている。
読まれているだけでない。
もしかして自分たちの攻撃は松浦学園にコントロールされていないか。
ゲームメイクは、ほとんどあさみが指示を出している。
そしてそのときに感じた違和感。
相手選手の動きに何か作為的なものを感じる。
何故だか松浦の姿が目の前にチラつく。
自分はそんなに意識していないはずなのに、何故彼女の姿が目の前にチラつくのか。
あさみの頭の中にはゲームプランではなく、そのことがずっと巡っていた。
監督がベンチ全体に目を配る。
選手達は完全に混乱に陥っていた。
まずい
完全に流れを奪われている上にチームもまとまらない。
もう時間もない。
監督が咄嗟に声をかける。
- 401 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/02/05(日) 21:48
- 「いいか。相手の攻撃に惑わされるな。2、3点くらいはくれてやれ!攻撃はみうなと
まいを中心に組み立てろ。第一セットであまり使っていないバックアタックをもう少し
増やしていこう」
「はい!」
監督の指示の途中でブザーが鳴り響く。
選手達のタオルを慌てて紺野たちマネージャーが回収する。
こんなに慌てたベンチワークは久しく目にしていなかった。
里田も同様なのかとその姿を探すと、ベンチ脇で腕にスプレーをかけていた。
そういえば第一セットのときもかけていた。
紺野が声をかけようとすると、里田はそのままスプレーをベンチに放って駆け出して
いってしまう。紺野はベンチに放られたスプレーを救急箱の中にしまう。
駆け出す瞬間、チラリと見えた里田の顔は何かに耐えるような表情を浮かべていた。
紺野は手にした救急箱をベンチに置くと、そっと里田の背中を追った。
『里田先輩…今日はまだ欲しいものを見せてもらってませんよ…』
心の中の呟きに当然のように里田は反応を示さない。
紺野は、ただ祈った。
- 402 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/02/05(日) 21:49
-
◇
- 403 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/02/05(日) 21:49
- タイムアウトで松浦学園の選手達がベンチに戻ってくる。
選手達の表情は引き締まっていて、第一セットの最初のタイムアウト時とは異なり
浮かれている様子は見受けられない。
ただし今までと違う点がある。
美貴がベンチから立ち上がる。
「みんな、ここからが勝負どころだよ」
誰も口を開かない。
だが誰もがその瞳に美貴の姿を映している。
「ここからは、よっすぃはコンビネーションを絡めていって。それから亜弥ちゃんは
後衛に入ったときはサーブも拾うようにして」
初めてとも言える具体的な指示が飛び始める。
「そろそろ相手も亜弥ちゃんのことに気づいてくるはず。みうなとまいちんがスパイクに
入るときは、かわしてくる可能性も頭に入れておいて!」
- 404 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/02/05(日) 21:50
- 選手以外が聞いても、一部に分からない指示が飛んでいるが、肝心要の選手達は美貴の
指示を完全に理解しているようだった。
そしてチームの監督はその指示を横で聞いているだけで、口を開こうとしない。
自分が言うべきことは全部美貴が言ってしまっているというのもあるが、この試合に
関しては、美貴に全てを任せる心積もりらしい。
選手達は美貴の指示が終わると各自が身体を冷やさないように軽く屈伸などをしている。
そんな中、美貴はこの試合が始まってから初めて亜弥の傍らに立つ。
「亜弥ちゃん、まだ行けそう?」
言葉だけであればそれは亜弥の身体を気遣っているようにも聞こえるが、実際その声に
含まれたニュアンスは、全く別のものであった。
気遣いではなく確認。
屈伸をしていた亜弥は、美貴の言葉に顔を上げる。
- 405 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/02/05(日) 21:50
- 「まだ大丈夫だよ。行けるところまで行ってみせるよ」
2人とも同じ表情を浮かべていた。
やれるところまで
いけるところまで
そういった曖昧なものではない。
成さなければならない。
だったらやるしかない。
ブザーが会場に鳴り響いた。
美貴は亜弥の背中を軽く叩く。
「見てるよ」
たった一言。
だが亜弥はその意味するところを理解する。
「うん」
亜弥は、そっと微笑みを浮かべて頷いた。
美貴が亜弥のプレーを見ていてくれる。
頑張る姿を
込めた想いを
目指すものを
美貴が見ていてくれさえすれば、亜弥には怖いものなど何もなかった。
- 406 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/02/05(日) 21:50
-
- 407 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/02/05(日) 21:51
-
両チームがコートに散る。
そして試合が再開される。
同じ時間を与えられた両チームだが、その時間を有効に活用できたのは松浦学園サイドであった。
それは選手の表情に表れている。
自信に溢れる松浦学園に比べて、花畑高校は頼りない印象を受ける。
「みんな、落ち着いていこう!とにかく最初は監督の指示通りにやっていこう」
チームの雰囲気を察して里田が声をかける。
選手達はその言葉に縋るように頷く。
そして松浦学園のサーブで試合が再開される。
ジャンプサーブ等の威力のあるものではなく確実にコートに放り込んでくるサーブ。
当然花畑高校もしっかりとセッターに返し、みうながスパイクを放つ。
それを亜弥が拾いセッターが吉澤に繋ぐ。
今回は普通のオープン攻撃だった。
そして里田がそれを何とか拾う。
- 408 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/02/05(日) 21:51
- この後の松浦学園選手達の動き。
まいが痛む両手を庇ったため思わずコート内に倒れこみ、偶然ではあったが一瞬だけ
試合を傍観するような形となってしまった。
だが結果的にはそれによって後衛からはっきりと見ることが出来た。
セッターに返された瞬間、確かに松浦学園の選手達はこちらの選手の立ち位置を確認
した後に意図的な動きをした。
みうなにボールが出た瞬間にブロックは極端にストレートを抑えに入る。
そして亜弥が空いているコースに滑り込んでくる。
ブロックを嫌ったみうなが、かわすスパイクを放つ。
そしてそのコースは亜弥の真正面。
セッターに返されたボールに対して吉澤が素早くジャンプする。
花畑高校も反応してブロックに入るがボールは後ろに戻される。
先ほどレシーブをしたばかりのはずの亜弥によるバックアタック。
後方からのアタックとは思えないほどの鋭さを持ったそれはコートのラインギリギリを
弾んでいった。
歓声が沸きあがるが、里田の耳には全く届いていなかった。
背筋に冷たい汗が流れる。
- 409 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/02/05(日) 21:52
- 先ほどあさみが感じたものを里田は具体的に目で見てしまった。
やはり自分たちの攻撃は松浦学園に読まれているだけではなく、コントロールされて
しまっている。
自分のときも同じだった。
今日はエースである里田やみうなのスパイクの決定率が著しく低い。
そしてやけに亜弥の姿を見ていたような気がしていた。
それは亜弥のことを意識しているからだと思い込んでいたが、それは大きな間違いであった。
実際に亜弥が里田とみうなのスパイクのほとんどを拾っていたのだ。
そして松浦学園は亜弥へスパイクを放つように誘導している。
それは亜弥であれば里田たちのスパイクを止められるという信頼から来るもの。
「まいちゃん、大丈夫!?」
チームメイトの声に、我に返る。
「う、うん。大丈夫だよ」
差し伸べられた手を取って立ち上がる。
だが里田の冷や汗は止まらない。
- 410 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/02/05(日) 21:52
- 自分たちのスパイクは止められている。
そして、第二セットからは他の選手たちのコンビネーションプレーも松浦学園に
読まれてしまっている。
それは自分たちに攻撃手段がないということに繋がる。
当然攻撃パターンはそれだけではないが、メインの攻撃を封じられてしまえば他の攻撃は
単なる搦め手。変則攻撃に過ぎない。
それでは自分たちのチームに流れを持ってくることは出来ない。
里田はグッと手を握り締める。
亜弥に止められているのであれば、亜弥が反応できないくらい鋭いスパイクを放てば良いのだ。
自分たちは今までも如何なるピンチもそうやって切り抜けてきたのだ。
そうやって勝ち抜いてきたのだ。
誰にも負けないくらい練習を積んできた。
だから誰にも負けるわけがない。
里田は松浦学園ではなく、たった一人を睨みつけた。
絶対に負けない。
- 411 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/02/05(日) 21:53
-
- 412 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/02/05(日) 21:53
- 試合はタイムアウト後も松浦学園ペースで進んでいった。
松浦学園の攻撃に隙はなく、連続してポイントが重ねられる。
そして試合会場の観客達も徐々に気づき始める。
花畑高校がいつもと違うことに。
そしてその原因に。
里田まいと斎藤みうな
花畑高校が誇る二大エース。
この2人を中心に、いかなるピンチも乗り越えてきた。
しかしこの試合に限って言えば、スパイクの決定率が著しく落ちている。
しかもその原因が本人たちにあるのではなく、相手チームによるものであった。
松浦学園の松浦亜弥。
観客達は最初、単に2人の調子が悪いのかと考えていた。
だが、試合が進むにつれてその考えは過ちであることに気がつきだした。
それは亜弥の動きが全てを物語っていた。
- 413 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/02/05(日) 21:54
- 観客席だけはない。
花畑高校ベンチも目を見張るほどのものだった。
ローテーションで里田が前衛に回っても亜弥の動きに影響はなかった。
里田が渾身の力を込めたスパイクに対しても、亜弥はボールに対して常に真正面で
構えていて、あっさりとレシーブをする。
そしてセッターがそのボールをあげるときには、既に亜弥は空中で最高到達点まで
ジャンプをしている。
第一セットでは手加減をしていたのか、スピードを抑えていたのか。
とにかく花畑高校は亜弥のスパイクを抑えることができなかった。
ベンチで紺野はその様子を両手を握り締めて見ていた。
試合開始前に監督が言っていたプレースピードが速いという意味。
今ようやく意味が分かった。
だがその監督も驚きの表情を浮かべていた。
ここまでとは予想していなかったのだろう。
- 414 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/02/05(日) 21:56
- 実際、紺野もマネージャーとして数々の試合を見てきた。
それこそ全国優勝したチームや上の世代の全日本クラスまで。
それにも関わらず、亜弥のような選手を見たことがなかった。
オープン、時間差、移動、速攻…およそ松浦学園の攻撃全てに絡んでくる。
そして攻撃だけではないのだ。
攻撃の前のレシーブに関しても絡んできており、更には花畑高校のエースの
スパイクを完全に押さえ込んでいる。
何故か必ず亜弥の真正面にスパイクが放たれるのだ。
まるで吸い込まれるかのように。
まいやみうなクラスの選手であれば一瞬の判断で避けることも可能であるはずなのに。
ベンチサイドからでは計り知れないことが起きているのだろうか。
里田の表情は冴えない。
いつも紺野に見せてくれるあの表情も浮かんでいない。
もうバレーボールが出来ない紺野の代わりに、浮かべてくれるものを…。
- 415 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/02/05(日) 21:57
- 試合の流れはその後も変わることはなかった。
第一セットはいったい何だったのだろうと思えてくるほどの出来だった。
完全に掴んだ流れを離さずに得点を重ねる。
第一セットでは遠く感じた20点もあっさりと通過する。
真希はそこまで来た時点でようやく息をついた。
これで松浦学園が第二セットを奪取するのは確実だろう。
亜弥も完全に実力を出し切っている。
まるでチームに2人亜弥がいるような印象を受けるほどのプレー。
実際にボールに絡むプレーが多くなっているためインパクトが残る。
派手なプレーやパフォーマンスをする亜弥には確かに華があった。
そのプレーのひとつひとつに歓声や拍手が巻き起こる。
亜弥のあのプレースピードの理由があった。
3年前までは、あんなに側にいながらも亜弥のプレーの凄さをいまひとつ分かっていなかった。
あまりに近すぎたせいなのか。
だが、今であれば亜弥の凄さが分かる。
- 416 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/02/05(日) 21:57
- まずは、あの凄まじいジャンプ力を生み出す原動力となっている強靭な足腰。
そしてその強靭な足腰に支えられたバランス感覚。
亜弥はどのような状況になろうと決して身体の正中線を崩すことがない。
身体の芯がずれることがなければ、次への行動に移りやすい。
レシーブの後、セッターがトスしたときに既にジャンプしていられるのはそのおかげ。
そしてそれらの武器を最大限に生かすことの出来る能力。
観察力。
まだ亜弥がバレーを始める前。
ずっと美貴や真希がプレーする姿を見ていた。
毎日毎日。
亜弥は2人のプレーを見ることによってバレーボールを覚えた。
見たもの、イメージしたものを自分のものに出来る亜弥はそうやってバレーを覚えた。
そしてその事実を可能にするもの。
亜弥のプレーの根幹を成すもの。
それが観察力だった。
- 417 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/02/05(日) 21:59
- 他の選手のプレーを頭の中で再現――イメージするにはまず観察することが大事だった。
そしてその観察力によって他の選手達の癖や特徴を掴むことが出来た。
他の人には分からなくても、亜弥だけは例え僅かでも癖や特徴を掴むことが出来た。
それは大きな武器だった。
選手の癖を掴み、プレーの先を読む。
これが亜弥のプレースピードをあげた最大の要因だった。
そして、それを有効活用するために攻撃ではなく守備のためにそれを用いた。
攻撃では亜弥や相手選手の出来によって、その効果に安定性が望めない。
また、亜弥のポジションによってはかなり限定された回数でしか生かせない。
それに引き換え守備であればレシーブやブロックによってほぼ全ポジションで使える
うえに亜弥や相手選手の調子にあまり左右されない。
松浦学園や花畑高校のバレーの基本スタイルとして守備を重視している理由も同じ
考え方が根本にある。
強豪チームとなる必須条件のひとつは安定性なのだから。
この試合。
大事な局面。
亜弥の能力は、いかんなく発揮されていた。
- 418 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/02/05(日) 21:59
- 真希は上から見ているからだろうか。
松浦学園の守備の様子が良く見えた。
まいやみうなによるオープン攻撃のとき、松浦学園は極端なほどの守備になる。
まずブロックは徹底的にストレートに対して封じ込めを図る。
まい達もブロックアウト等を狙ったりしているのだが、後衛も含めてストレートのみに
集中しているだけあってある程度しか通用しない。
しかし当然そこまでのかなり極端なストレート封じのためクロスに対して脆くなる。
そして空いているスペースは亜弥が全て受け持つ。
単純に空いているスペースとはいってもコートの1/3から半分近くを占めてくる。
しかし亜弥はそれでもスパイクを拾って見せている。
1人でカバーするには広すぎるその範囲。
しかし亜弥は全く意に介さない。
まず中間地点に立ち、まいたちがスパイクのためにジャンプした瞬間に一歩だけ移動する。
そしてスパイクが放たれた瞬間にも半歩だけ身体を移動させている。
すると亜弥の真正面に必ずスパイクが飛んでくる。
相手選手の癖や特徴を捉えることが出来る亜弥だからこそ出来ること。
瞬時に読み取り相手のプレーを予測する。
予測をすることによって次のプレーへの準備を誰よりも早くすることが出来る。
相手選手にはどこを見ても亜弥がいるような錯覚が起きているだろう。
そして外から見ているものにとっては、まるで亜弥に向かってスパイクを放っている
ように見える。
まいやみうなにとってはどこに放っても亜弥に拾われてしまう印象だろう。
- 419 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/02/05(日) 22:00
- またその他の花畑高校の攻撃も松浦学園に読まれてしまっている。
第二セットの終盤になってくると徐々に松浦学園の攻撃に慣れてきた花畑高校の
守備により、またラリーが続くようになっていた。
しかし、決定的に異なっている点が両チームにはあった。
単純且つ大きな問題。
エースの存在。
プレーをするごとに観客席から歓声が上がるほどの華を背負っている亜弥。
チームメイトとの連携により新たな自分の可能性を示している吉澤。
どこに放ってもほぼ全てのスパイクを止められてしまい、プレーそのものに精彩を欠き
始めているみうな。
そして、里田まい。
先ほどのサーブミス以降、まいの動きは冴えない。
動きが全般的に鈍い。
戸惑っているみうなに気づいて立ち直らせたいのだが、如何せん自分の身体がついてこない。
身体が重く感じられるのだ。
今まで試合中に疲労を感じたことなんてなかった。
だが事実として自分で実感できるほど身体が重かった。
花畑高校サイド、そしてまい自身も気づかないうちに絡め取られていた。
美貴の思惑に。
- 420 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/02/05(日) 22:01
- そして試合会場に漂う熱気が偏り始めていた。
熱気が更に観客の興奮を煽るのか。
徐々に歓声が大きくなってくる。
しかし歓声が上がっているのは松浦学園の応援席側からのみであった。
そしてより一層大きな歓声が沸きあがる。
どうやら松浦学園がマッチポイントを迎えたようだ。
いつの間にか後衛に回っていた吉澤がサーブを放つ。
徹底的に鍛えられた守備は伊達ではなく、こんな状況でも、いやこんな状況だからこそ
花畑高校のリベロがきっちりとセッターに返す。
そのボールをオープン攻撃。
助走したまいが大きくジャンプ。
これまでと同じくブロックはストレートをケアしたもの。
そしてクロスの位置には亜弥の姿が。
まいは一瞬だけ目を配りスパイクを放つ。
亜弥を避けるかのようなスパイク。
そのスパイクに対して亜弥は全く動くことはなかった。
そして他の選手も動くことはなかった。
誰も動かない。
そして放たれたスパイクは誰にも触れられることなく床を叩いた。
コートの枠の外の床を。
- 421 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/02/05(日) 22:01
- 思わずまいは呆然とする。
今の瞬間。
確かに自分の身体は反応した。
亜弥を避けようと。
亜弥から逃げようと。
花畑高校の選手達も気づいた。
自分たちのエースが何を考えたのかを。
誰もが口を開かない中、第二セット終了のブザーが鳴り響いた。
- 422 名前:前頭三枚目 投稿日:2006/02/05(日) 22:03
- 更新しました。
スポーツスレであれば、もう少し長くするところですが…。
レスありがとうございます。
>>395 タケ様
いよいよ試合も終盤戦を迎えます。
引き続き楽しんでいただければと思います。
>>396 名無飼育様
本当はもっと詳しく書いていきたいくらいなのですが…。
ちょっと趣旨と外れそうなので…。
今回も楽しんでいただけていると良いのですが。
>>397 名無飼育様
お待たせいたしました。
これからも気になるあいつでいられるように頑張ります。
- 423 名前:タケ 投稿日:2006/02/06(月) 02:05
- これで1-1ですよね?
試合も終盤に近づいてきて試合結果がきになります
てか亜弥ちゃんすごっ!
美貴たんもすごっ!
試合の雰囲気とかかなり伝わってきて読みながら手に力が入っちゃいましたよ
続きも期待して待ってます
- 424 名前:名無飼育 投稿日:2006/02/08(水) 15:47
- 2セット目なのでマッチポイントではなくセットポイントですね。試合状況が事細かに書かれていてドキドキしながら読ませていただいてます。続きが楽しみです。頑張ってくださいね!
- 425 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/10(金) 22:36
- 423ネタバレすんな…気を付けて
作者さん横やり失礼
緻密な描写がすごいなーほんとにドキドキしました
マイペースに頑張って下さい
- 426 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/10(金) 23:35
- スイマセン
- 427 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/11(土) 07:34
- 更新ありがとうございます。
当然ながら、今回も楽しく読ませていただきました。
これが一面にすぎないのかと思えば……すごいことです。
また次回も、楽しみで仕方がないです。
- 428 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/20(月) 02:47
- う〜続き読みてぇーー!!
- 429 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/25(土) 22:34
- 読みてぇ〜
- 430 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/02/26(日) 10:29
- 選手、マネージャー、監督。
花畑高校の全ての人たちが見守る中、里田はベンチに帰ってきた。
その顔は真っ青であり、今にも倒れてしまいそうだった。
「大丈夫か、里田!」
監督の呼びかけにも全く応えない。
誰が見ても、里田の様子はおかしかった。
選手達が口々に話しかけてみるが、里田の視点は定まらない。
みんな分かっていたから、必死になって呼びかけた。
ここ数ヶ月の里田は、異様なくらい緊張していた。
異様なくらい自分を追い詰めていた。
自分自身を追い込んでいた。
何かを振り払うかのように。
その様子は鬼気迫るほどのものであった。
- 431 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/02/26(日) 10:30
- この試合が始まる前。
ほんの僅かだが、その緊迫感が少しだけ抜け落ちたような感じがあった。
選手達は皆、里田の様子を気にしていた。
今まで張り詰めていた里田の変わりよう。
もしかしたら。
張り詰めていたものが途切れた時。
人は思わぬ崩れ方をする。
それは体調面であったり、精神面であったり。
行動であったり、考え方であったり。
皆が感じていた。
里田の吹っ切れた感覚が、なんとなく悪いほうに転がりそうで。
だが試合前の里田は確かに笑顔を浮かべていた。
だから少しだけ安心していた。
しかし、悪い予感は最悪のタイミングで当たってしまった。
普段であれば、この程度のことでは里田は挫けなかった。
いつでもチームを引っ張っていった。
里田の中で何が起きたのか。
- 432 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/02/26(日) 10:30
- 誰かが話しかけても里田は自分の世界に入っていて全く反応しなかった。
何の反応もなく、ただ虚ろな視線をさまよわせるだけ。
明らかに里田の瞳は何も映していなかった。
このときの里田の頭の中には、1つの言葉しか浮かんでいなかった。
その言葉が里田を支配していた。
- 433 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/02/26(日) 10:31
-
- 434 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/02/26(日) 10:31
- ベンチに戻ってくる松浦学園の面々。
上気した顔が。
軽い足取りが。
松浦学園の状況を物語っていた。
今の自分たちには恐れるものはない。
過去、花畑高校に破れた自分たちはもういないのだ。
誰もが確信していた。
そして美貴が満面の笑みで選手を迎える。
「みんな!凄いよ!やっぱり美貴の思ったとおりだよ!」
試合に出ていない美貴が一番嬉しそうだった。
皆、そんな美貴の姿を恥ずかしそうに見ていた。
思えば美貴だけだった。
試合開始前に自分たちに心強い言葉をかけてくれていたのは。
- 435 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/02/26(日) 10:32
- だから余計に恥ずかしかった。
自分たちですら知らなかった実力をしっかりと見ていてくれていたことが嬉しかった。
誰もが美貴の言葉を待っていた。
今の自分たちは、美貴の言葉であれば無条件に信じるだろう。
そして、そのことが自分たちに今まで以上の力を与えてくれる。
「大丈夫。第3セットもいけるよ」
もう迷わない。
花畑高校を恐れる理由などなくなった。
みな戸惑うことなく首をたてに振る。
「とりあえずみんな、水分を補給して」
夏場の体育館。
気温調整がされているとはいえ、これだけの熱気の中。
見ているだけの人はともかく、選手達は大量の汗をかいていた。
指示通りに各自が思い思いに水分補給をする。
そんな中、美貴は吉澤に声をかける。
- 436 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/02/26(日) 10:32
- 「やったね、ちゃんと練習の成果が出てるね」
美貴の言葉に吉澤が顔を綻ばせる。
「うん、ここ数ヶ月ミキティと2人で頑張った甲斐があったよ」
吉澤は嬉しそうに応える。
だが、ふと思いついたような顔をする。
「そういえば、なんでまいちんをあんなに狙ったの?」
頭の片隅でずっと抱いていた疑問。
里田がサーブをミスしたとき。
確かに自分は、それがサインだと思った。
美貴のほうを見て確認をした。
そしてチームのみんなへのサインは自分が出した。
だが、その理由が全く分かっていなかった。
何故里田はサーブをミスしたのか。
そして里田に何が起こっているのか。
- 437 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/02/26(日) 10:33
- 「うん、あんなにはっきりと現れるとは思っていなかったんだけどね」
美貴は吉澤の疑問に少し頭を掻きながら口を開く。
「あの指示はね、まいちんに実力を発揮させないためのものなんだ」
「発揮させない…?」
吉澤がオウム返しに呟く。
「うん、あのチームの柱は何と言ってもまいちんだからね。みうなも確かに実力は
あるんだけど、安定感がないんだよね。だからこそエースがまいちんなんだけど」
美貴は花畑高校に所属していたのだ。
選手個々人の実力にかなり詳しいのだろう。
その特性まで把握していた。
- 438 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/02/26(日) 10:33
- 「まず、あのスパイクの指示は二つの目的があったんだ。まず一つはスパイクを全て
まいちんに拾わせることによって体力を使わせたかったんだ」
「体力?」
「そう。普通なら1試合くらいでスタミナなんか切れないけどね。今日の試合は全国大会の
準決勝。しかも相手は美貴たちのチーム。亜弥ちゃんのことも意識していた…条件が
色々と整っていたんだ」
「条件?」
吉澤には分からなかった。
美貴が並べた条件とやらを頭の中で整理したが、特に何も思い浮かばなかった。
とりあえず目で美貴に話を続けるように促す。
「普通なら体力は十分だけど、絶対に負けられない試合で知らないうちにいつもの
数倍近い緊張を強いられる。その上スパイクは必ず自分を狙ってくる。狙われている
以上、それを拾わないと自分たちに勝利はない。つまり自分のプレーひとつひとつが
全て試合結果に結びついてくる」
ここまで来ると吉澤にも徐々に美貴の意図していたことが読めてきた。
だが、やけに美貴は自分にスパイクの位置まで細かい指示を出していた。
- 439 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/02/26(日) 10:34
- 「これだけでもかなり体力を削れるんだけど、念には念を入れて、少しスパイクを
ずらしてもらったの。やっぱり左右に少し振ったほうがより効率的だし、それに
多少ずれたスパイクによって、試合に熱中してくれば本来なら拾わなくても
いいようなスパイクまで拾ってくれるようになってくるだろうしね」
美貴は意図したのは二つだと最初に言っていたが、これだけでもかなり意図が見え隠れ
していた。そしてそれ以上に美貴のその言葉に少しだけ寒気を覚えた。美貴は冷静に
そして冷酷に分析をして実行していた。
勝負の世界では当たり前の話。
だが、仮にも友達なのだ。
対戦相手は。
自分もスポーツ選手だが、あまりあからさまにそういった部分を出したりすることはない。
少しだけ、過去の"ごまっとう"の強さを垣間見たような気がした。
「後一つはね、まいちんのスパイクを封じるのも目的だったんだ」
「スパイクも?」
吉澤の心の中の動きに気づかない美貴は話を続けていた。
- 440 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/02/26(日) 10:34
- 「そう。ここ半年よっちゃんには筋トレ中心にパワーもつけてもらったでしょ?
そのスパイクを十分に威力を吸収できずに受け続ければ、腕が段々と上がらなく
なってくるでしょ」
「え、吸収できずに?だってまいちんはちゃんとレシーブしていたよ。あの子
レシーブも、うまいしね」
里田はスパイクにばかり目が行きがちだが、基本的な部分もしっかりしている。
その証拠に吉澤たちが狙ったスパイクは、そのほとんどを里田に拾われていた。
「ううん、それが違うんだな。拾っちゃうから問題なんだよ」
美貴は吉澤の疑問に予想通りとばかりに答えた。
「2人にはスパイクをずらしてもらってたでしょ?」
「うん、でもそれは体力を削るためでしょ?」
「それだけじゃないんだ。スパイクをずらせば崩れた体勢でレシーブすることになるでしょ。
だから威力を十分に吸収できずにレシーブせざるを得ない。特によっちゃんみたいな
バカ力なスパイクは堪えるでしょ」
最後はからかうような口調で、吉澤の腕を軽く叩いた。
- 441 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/02/26(日) 10:35
- 「バカ力はないでしょ!」
吉澤が反論すると、美貴はじゃあねとばかりに踵を返して他の選手に声をかけに行って
しまった。吉澤はその後ろ姿を見送ると、ほうっと一つ息をついた。
はっきり言って、尊敬してしまった。
いや、以前から実は尊敬していたのだから、改めてといったところだが。
里田に対するものだけでもこれだけ考えているのだ。
きっとこの試合に関する戦略は、更に込み入った形となっているのだろう。
もはや聞こうとも思わなかった。
恐らく自分には理解が出来ないだろう。
同じ高校生なのに。
やはり、藤本美貴は凄い。
心臓が高鳴る。
試合中で身体が温まっているからでない。
心臓の高鳴りが胸に広がり、身体の芯から暖かい感覚が湧き出てくる。
なんだろう。
少しだけ、目頭が熱くなった。
今だけはこの心地よい感触に浸っていたかった。
- 442 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/02/26(日) 10:35
-
- 443 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/02/26(日) 10:36
- コートからベンチまでほんの十数歩。
かつてこんなに歩くことが困難になったことはなかった。
地面がうねっているようで、うまく歩けない。
周囲の状況なんてまるで分からない。
どうやってベンチに帰ってきたのかも。
監督が何か言っているが、耳に入ってこない。
逃げた
里田の頭の中にはその言葉のみがグルグルと回っている。
あの瞬間、松浦を避けた。
今まで浮かんでこなかったその思考。
その考えが、怖かった。
張り詰めていた緊張。
努力してきた自分。
一度も立ち止まらなかった。
一度折れてしまうと、もう歩けなくなってしまいそうだったから。
それなのに
たった今、自分は、逃げた。
- 444 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/02/26(日) 10:36
- たった一度
ほんの一度だけだが
自分を曲げてしまった。
折れてしまった。
それだけ。
たったそれだけで、歩き方が分からなくなった。
今までどうやってきたのか。
これからどうやっていけばいいのか。
怖かった。
逃げる選択をした自分が怖い。
再びどうやって立ち向かうのか分からない。
そうさせた松浦に立ち向かうのが怖い。
松浦が怖い。
- 445 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/02/26(日) 10:37
- 徐々に思考がずれていっていることにも気づかない。
思考が泥沼の様相を呈して、ますます落ちていく。
そしてその思考が身体にまで及び始め、僅かに身体が震えだす。
強く思い込むこと。
それによって挫けそうな自分を支えてきた。
それは良いときも悪いときも本人に影響を及ぼす。
里田の異様な様子に誰もが口をつぐむ中、1人だけその前に立った。
マネージャーである紺野だった。
周囲の注目が自然と集まる。
最初は里田にタオルを渡しに行ったように見えた。
だが、その手には何も持っていなかった。
そして静かに手を挙げた。
「あ…」
- 446 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/02/26(日) 10:37
- みうながそれに気づいて声をかけるよりも早く。
あさみが顔を上げた瞬間。
監督がコーチと善後策を論議している最中に。
紺野の右手が里田の頬を叩いた。
その音に周囲の音が止まる。
振り抜いた右手をそのままにしている紺野。
叩かれた頬を抑え、その紺野を見上げる里田。
思わず口に手をやる選手達。
誰もが何も発しなかった。
誰も動けなかった。
紺野がスッと手を下ろす。
感情の発露はなかった。
ただ、その瞳は少しだけ潤んでいて、どこかつらそうだった。
朗らかなイメージしかない紺野の意外な行動。
誰もが驚いたが、何も言えなかった。
静まり返る花畑高校ベンチ。
- 447 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/02/26(日) 10:38
- 里田は頬を押さえたまま呆然と紺野を見ている。
紺野は里田の焦点が自分に向いたことを確認してから言葉を紡ぎだした。
「こんなことして、すいませんでした……でも、気がつきましたか?」
「あ…え……?」
里田にはまだ多少の混乱した雰囲気が感じられた。
だが紺野は言葉を続ける。
「里田先輩。わたしは先輩には感謝しているんです。こんなわたしを色々と気遣ってくれて。
落ち込んでいたわたしを励ましてくれたのは先輩でした。つらくて泣いていたわたしを
支えてくれたのも先輩でした。わたしの高校生活は先輩がいなくては成り立たないくらいです」
紺野は静かに言葉を連ねる。
揺らぐことなく。
視線も逸らさず。
「先輩の言葉がいつもわたしを励ましてくれました。挫けそうなわたしを支えてくれていました。
色々な言葉をわたしにくれました。その言葉がわたしに力をくれました」
紺野がスッと手を差し出し、里田の両手を握る。
柔らかく包むその手は、不思議と里田の心を包み込んでいるようだった。
- 448 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/02/26(日) 10:38
- 「だから、わたしは今、こうしていられるんです。先輩がいたから、わたしはこうして
前を向いて立っていられるんです。先輩が支えてくれたから」
「紺野ちゃん…」
紺野はゆっくりと微笑んだ。
とても
自然な
柔らかい
包み込むような。
「だから、今度はわたしの番です。先輩、わたしは信じてます。先輩は負けないって」
「負けない…」
紺野の言葉をオウム返しのように繰り返す。
たったついさっき、里田は躓いた。
松浦から逃げ出した。
「皆さんと一緒に」
そう言うと紺野は周囲に目線を向ける。
それにつられて里田も目を周囲に向ける。
- 449 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/02/26(日) 10:39
- 「わたしは信じてます。先輩も。皆さんも」
紺野の声が心に響く。
「きっと勝つって」
里田の心を満たしていく。
信じている。
こんな単純な言葉が心に触れてくる。
声は耳で感じ取るものだと思っていた。
でも違う。
全身で、紺野の言葉を感じる。
その瞳を
その声を
その願いを
全身で感じ取れた。
- 450 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/02/26(日) 10:39
- 言葉が身体を温めてくれる感じがした。
徐々に周囲の状況が自分の中に流れ込んでくる。
今のチームの雰囲気
自分の状況
今は試合の途中。
まだ何も終わってはいない。
まだ自分は負けてはいない。
まだチャンスは残されている。
- 451 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/02/26(日) 10:40
- 周囲を見回す。
やっと気づいた。
なんて自分は暖かい視線に囲まれているのだろう。
誰も言葉に表していないのに、何を言いたいのか分かった。
その瞳が雄弁に語っていた。
誰もが同じ瞳をしていた。
自然と。
だれが言い出したのではない。
里田と紺野の重ねられた手のうえに次々と手が重ねられる。
ひとつになる。
今、その意味が分かったような気がした。
勝つ負けるではない。
応えるか応えないか。
余計な言葉はいらない。
- 452 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/02/26(日) 10:41
-
「ありがとう」
信じてる。
勝つことをじゃない。
みんながいるから、限界以上のものが出せるのだと。
自分が挫けても、躓いても、大丈夫。
わたしには強い味方がいるんだ。
信じられる仲間が。
里田の瞳に輝きが戻る。
- 453 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/02/26(日) 10:41
-
- 454 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/02/26(日) 10:41
- 吉澤に話しかけたあと、美貴は亜弥のもとへと歩み寄る。
亜弥は黙々と足をマッサージしている。
そして時折スプレーをかけている。
美貴はその傍らに立つ。
「亜弥ちゃん。ラストだよ」
「うん」
その言葉はまるで陸上選手にかけるような言葉だった。
だが、その言葉は間違ってはいなかった。
「体力は?」
「…多分、普通に行けば第三セット半分以上は行けそう」
そこには希望的観測はなかった。
冷静な状況分析だけだった。
「そっか…やっぱりこの試合の鍵は亜弥ちゃんの体力と、まいちんの精神力の勝負に
なったか…」
- 455 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/02/26(日) 10:42
- 美貴は確認事項を声に出して確認するかのように呟いた。
美貴の中では、亜弥の体力がこの作戦を成功させる上での鍵だった。
全ては亜弥の活躍によってこの作戦は成り立っていた。
1人の選手に頼るなど、作戦としては下の下。
美貴はそういう考えを持っていたが、亜弥のバレーボール選手としての能力は、
その考えを吹き飛ばすほどの魅力を持っていた。
「さっきベンチに引き上げていくとき、まいちんはかなり自信を無くしているように
見えたから、これでしばらく立ち直らないでいてくれれば…少なくとも試合半ばまで
そのままでいてくれればな…」
美貴は思わず呟く。
この試合の鍵のひとつである亜弥の体力はかなり限界まできている。
本人が試合の半ばまで言ってるのであれば、そういうことなんだろう。
あとはもうひとつの鍵である里田の精神状態だ。
何といっても里田は花畑高校の大黒柱だ。
彼女の出来は影響が大きい。
だから美貴としては、出来るだけ長く里田には落ち込んでいて欲しかった。
だが、美貴がそんな希望的観測を呟くと、亜弥がクスリと笑う。
- 456 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/02/26(日) 10:42
- 「相変わらずだね、美貴たん」
「え?」
不思議そうな顔をして美貴が視線を向ける。
亜弥は真っ直ぐに自分を見ていた。
思えばこの試合が始まってから初めて亜弥は美貴の名前を呼んだような気がした。
「いつもそうだった。作戦を立てるのは美貴たんで、実行するのは真希ちゃんとあたし。
でも詰めが甘くて、結局最後は根性論になっちゃうの」
亜弥は懐かしそうに笑う。
まるで思い出のアルバムを見ながら話しているかのように、亜弥の目は細められていた。
その言葉に一瞬だけ呆けていたが、美貴はすこしだけ頬を赤くして反論する。
「別にいいじゃん!少しくらい抜けてるくらいのほうが可愛げがあって!」
「そう言っていつも最後は開き直ってたよね」
あっさりと切り捨てられる。
美貴はぐうの音も出ない。
亜弥はそんな美貴を見て今度は楽しそうに笑った。
- 457 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/02/26(日) 10:43
- 「だから、美貴たんは気にしないで。美貴たんの尻拭いをするのはいつものことなんだから」
「尻拭いって何さ!」
「じゃあ、あと始末」
久しぶりの会話だった。
何も考えないで。
ただただ軽口を叩く。
2人の目が合う。
どちらともなく微笑む。
気持ちの良い雰囲気。
最近は久しくなかった気がする。
相手を勝手に大きくしない。
等身大の関係。
- 458 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/02/26(日) 10:43
- 会場にブザーが鳴り響く。
2人は黙って頷きあう。
そこにあるのは、馴れ合いではない。
依存ではない。
確かな信頼。
「頼んだよ!」
「行ってきます!」
第三セットが始まる。
- 459 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/02/26(日) 10:45
-
- 460 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/02/26(日) 10:45
-
- 461 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/02/26(日) 10:45
-
- 462 名前:前頭三枚目 投稿日:2006/02/26(日) 10:46
- 更新しました。
作者は専用ブラウザを使っているのですが、これだけ多いとさすがに
自分のスレを見失いそうです。
今回は、生誕記念更新ということにしておきます。
レスありがとうございます。
>>423 タケ様
今回は多少説明くさくなってしまいました。
試合の雰囲気は保っていたようで良かったです。
いよいよ全国大会編も大詰めになって来ました。
>>424 名無飼育様
そ、それは知らなかった…。
ご指摘ありがとうございます。
勉強不足の作者を今後もよろしくお願いします。
- 463 名前:前頭三枚目 投稿日:2006/02/26(日) 10:48
- >>425 名無飼育様
ありがとうございます。
ただ、話の展開のスピードが(汗
今後もマイペースに頑張ります。
>>427 名無飼育様
気がつけば、このスレのほとんどがこの試合で占められていました。
もう少々お付き合いください。
>>428 名無飼育様
引き続きよろしくーー!!
>>429 名無飼育様
お待たせしましたぁ〜
- 464 名前:タケ 投稿日:2006/02/27(月) 22:07
- 更新乙です
いや〜今回もおもしろかったです!
なんていうか、すっごい伝わってくるんですよ、緊張感とか
試合の風景もイメージしやすい感じですし
結果が気になる〜
次回も期待してます
- 465 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/28(火) 10:42
- 更新お疲れ様です。
まるで自分が今試合を実際に見ているみたいですごく
引き込まれちゃいますね。
ホントにどっちに転ぶか分からないような展開がとても
好きです。
続き楽しみにしています。
- 466 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/20(月) 01:56
- そろそろ続き読みたいなぁ〜
頑張ってください!
- 467 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/03/26(日) 14:57
- 両チームがコート内に入ってくる。
ついに最後のセットが始まる。
前評判では圧倒的に花畑高校が有利という話だった。
しかしそれを松浦学園が第二セットで引っくり返した。
観客席では、両方のチームを応援する声が渦巻いている。
しかし、少しだけ松浦学園による番狂わせを願う声のほうが大きいようだ。
観客は多くの場合、弱いほうに味方したり、番狂わせを願う。
目の前に奇跡が展開されることを期待している。
そして番狂わせを起こしたチームに惜しみない賞賛と賛辞を送る。
だが、観客は気づいているのだろうか。
本来は負けるはずのないチーム。
番狂わせを起こされた側のほうこそが、その試合に強い思い入れを持っていたのかも
しれないということに。
- 468 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/03/26(日) 14:58
- あさみはコートの中を歩きながら、考えていた。
里田と紺野のことはこの半年ずっと見てきた。
美貴が去った後の花畑高校は一時火が消えたかのようだった。
花畑高校のバレー部は全国大会常連であることから、かなりの大所帯だった。
しかも理由は知らないが、美貴は実際にはバレー部には所属していなかった。
だが、そんな美貴の存在の前にはそんなことは些細なことだった。
ふと視線を上げると、相手ベンチにいる美貴の姿が見えた。
その表情は引き締まっていて、思わず見とれてしまうほどだった。
ベンチにいるだけなのに、存在感を放っている。
数ヶ月前までは、自分たちのコート脇に必ずあったその姿。
美貴がいなくなった後、チームの雰囲気は、どことなくぎこちなかった。
何かがぽっかりと抜け落ちたかのようだった。
- 469 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/03/26(日) 14:58
- そんなときだった。
里田が皆の前で頭を下げたのは。
そして皆、里田の提案を快諾した。
もしかしたら、みんなも突破口をさがしていたのかもしれない。
チームを変えるきっかけを探していたのかもしれない。
チーム全員の考えなど分からない。
でも一つだけはっきりしていることがある。
それは、その日から、花畑高校バレー部は動き出したのだ。
里田と紺野を中心に動き出したのだ。
本人達がどんな思いを抱いているのかまでは分からない。
だが、少なくとも自分たちは、2人を中心に据えていたつもりだ。
- 470 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/03/26(日) 14:59
- 軽く屈伸をする。
両チームともにコート内に散っている。
あとは開始の合図を待つだけだ。
そんな中、そっと花畑高校のベンチを見る。
ベンチ脇で懸命な表情でこちらを見ている紺野の姿が目に映る。
その瞳には何を映しているのだろうか。
少なくとも、その目には喜びの光景だけを映してあげたい。
あさみはそっと口元を綻ばせる。
言い出したのは里田まいだった。
それなのに、いつの間にかしっかりと自分もその思いを共有していたようだ。
2人を中心に据えてきたのだ。
この試合で決着がつく。
短く息を吐き出す。
試合が始まる。
- 471 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/03/26(日) 14:59
-
- 472 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/03/26(日) 15:00
- どんな試合でも、まずは一本のサーブから始まる。
サーブの重要性は言うまでもないこと。
どんなチームでもサーブを大事にしろと指導がある。
どんなトップレベルでの試合でもサーブミスというものがある。
サーブミス。
それには色々な内容のミスがある。
単純に技術的なミスから、試合の流れを重視したためのチャレンジした末のミス。
チャレンジの末のミスというのは、その後の試合の流れを変えるほどの影響を
与えることは少ない。
両チームともそのことを熟知しているからなのか。
それともミスの恐怖を上回る闘争心がなせる業か。
とにかく両チームからはともにアグレッシブなサーブが放たれていた。
その多くがきっちりと相手コート内に入ることに両チームの基本レベルの
高さが伺えた。
松浦学園は第二セットからの流れを離さないために。
花畑高校は偏った流れを断ち切るために。
両チームともに気迫のこもったプレーが繰り広げられる。
- 473 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/03/26(日) 15:00
- しかし結果的には、松浦学園が第二セットの勢いをそのまま持ち込むことに成功した。
実際、チーム戦術として花畑高校は八方ふさがりの状況だったのだ。
それは途中で中断を挟んだからといっても容易に断ち切れるものではなかった。
試合の流れを読み取った松浦学園サイドの応援席が俄然強めの応援をしてくる。
歓声が松浦学園の勢いを後押ししているようだった。
そして花畑高校の応援席はチームと同じようにおされ気味の状態だった。
試合はまるで第二セットの再生を観ているようだった。
里田のスパイクも、みうなのスパイクも全て亜弥に止められてしまう。
松浦学園の攻撃パターンに慣れてきたことにより再びラリーが続くようには
なっていたが、肝心なときにエースの差が浮き彫りになった。
吉澤の速攻には何とかタイミングを合わせることが出来るようにはなってきていた。
だが、今や松浦学園の攻守を支えている亜弥を止めることが出来なかった。
チームのエースが完全に抑えられているのだから、挽回しようにもそのきっかけ
すらも作り出せない状況だった。
第三セットは第二セットと全く正反対で、松浦学園が順調に得点を重ねていく。
得点は次々と重なり、松浦学園はあっさりと得点を二桁に乗せた。
- 474 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/03/26(日) 15:01
- 美貴はここにきて、ようやく1つ息をついた。
とにかく先に二桁に得点を乗せた。
出来ればこのままリードを守りきって試合を決めてしまいたい。
美貴は焦燥感と共に亜弥を見た。
その肩が揺れていた。
先ほどのセットまで、亜弥は誰にも気づかれないように呼吸を整えていた。
だが、今は肩で息をしている。
もはや取り繕うことも出来なくなってきたようだ。
亜弥自身の読み通り。
もってあと少し。
セットの半分くらいまで。
- 475 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/03/26(日) 15:01
- だが、たとえスタミナが切れてしまっても相手チームがそのことに気づかなければ
しばらくはその事実を隠していることが出来る。
花畑高校コートを見る。
里田の表情を改めて見てみる。
何があったのか、第二セット終盤のような表情ではない。
瞳には力強い輝きが見受けられる。
そして先ほどからのプレーにも迷いがない。
完全にショックからは立ち直っているようだった。
強豪校の副キャプテンという肩書きは伊達ではない。
どうやら他人頼りの作戦は功を奏さないようだ。
だが、まだこちらの亜弥を見ている人物はいない。
きっと気づいている人はいないのだろう。
コート内にいる、あさみに視線を移す。
試合中にも関わらず必死に何かを考えているようだ。
- 476 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/03/26(日) 15:02
- プレー中でも頭を休めるな。
サーブをしているときも
レシーブをしているときも
常に頭を働かせているように。
美貴があさみに教えた言葉。
司令塔としてプレッシャーが懸かりやすいポジション。
少しでもその負担を軽減してあげたくて、自分が花畑高校にいるときは
色々アドバイスをしていた。
彼女は勤勉家だ。
もし気づくとしたら、それは彼女かもしれない。
気づくタイミングによっては逃げ切れるかもしれないし追いつかれるかもしれない。
他人の失敗を。
自分が教えた人物のミスを願いたくない。
美貴は思考を切り替えた。
自分は祈る。
亜弥が頑張ってくれることを。
チームメイトの頑張りを。
- 477 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/03/26(日) 15:02
-
- 478 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/03/26(日) 15:02
- あさみは必死に考えていた。
自分たちの試合の決着は里田の手でつけて欲しい。
だから第三セットは里田を中心に据えて攻めていくつもりだった。
だが、実際には里田のスパイクは、やはり亜弥に止められてしまっていた。
唯一の救いはそれでも里田の瞳の輝きは変わらないということ。
だが、このままではジリ貧になってしまう。
何か突破口が欲しかった。
だが焦るばかりで一向に状況を打開する案が浮かばない。
得点は積み重なっていく。
あさみは焦燥感に押しつぶされそうだった。
試合を打開するのは里田の役目。
だが、試合をコントロールするのは、チームの頭脳の役目を果たしていたのは
いつでもあさみだった。
- 479 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/03/26(日) 15:03
- 自分が後衛にレシーブをする瞬間も必死で考えた。
トスを上げている瞬間も必死で練っていた。
それがいけなかったのか、何でもないレシーブボールをミスしてしまう。
ボールはネットの下をくぐり、松浦学園ベンチの前で止まる。
あさみの視線がそのボールに合わせて移動する。
するとそのボールをベンチに座っていた美貴が拾い上げた。
あさみはその姿を見つめる。
不意に蘇る光景。
もう一年以上前。
花畑高校バレー部の練習場所には美貴の姿があった。
部員でもないのに、熱心に選手達に色々なことを教えて回っていた。
いつのまにかコーチでもない彼女の言葉に耳を傾けていた。
彼女のアドバイスは技術的なことだけではなく、試合に挑む姿勢についてのことも
含まれていた。
そして美貴はあさみにはチームの司令塔の役目について話してくれた。
- 480 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/03/26(日) 15:04
-
『いい?あさみ。ゲームをコントロールするには全体を見なければダメだよ。
自分のチームだけじゃない。相手チームの選手の状況とか特徴。両チームの
ベンチの状況。時間帯。得点差。あらゆるものが試合を作ってるんだよ』
『はい』
『苦しいときこそ、冷静にね。どうしてもダメだったら一度深呼吸をして
首をゆっくりと回してごらん。なにか違うものが見えるかもしれないから』
- 481 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/03/26(日) 15:04
- 目を閉じる。
観客のザワメキが大きくなったように感じる。
深呼吸。
何かが抜け落ちた気がした。
目を開けてゆっくりと首を回す。
目線が元に戻ると目の前には松浦学園の面々がこちらを不思議そうに見ていた。
その選手たちを落ち着いた気持ちで眺める。
松浦と目が合う。
彼女1人に自分たちは追い込まれてしまった印象だ。
松浦は肩で息をしている。
松浦学園のベンチを見てみる。
美貴の姿が再び目に入る。
しかし彼女はこちらを見ていない。
じっとどこかを見ている。
その視線の先は…松浦。
- 482 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/03/26(日) 15:04
- 松浦学園の監督を見る。
同じように動きはない。
だが、監督も松浦を見ている。
松浦はただ立っている。
何もしていない。
ただ、肩で息をしている。
あさみは視線を自分たちのチームに戻した。
里田の姿を見る。
その瞳は輝きが戻っており、落ち着いた表情を見せている。
疲労のためか少し呼吸が整わないようだ。
エースが決め手となっている試合。
あさみの頭の中で何かが光り、繋がった。
- 483 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/03/26(日) 15:05
- ボールが松浦学園に渡され、試合が再び再開される。
あさみは里田に視線を向ける。
すぐに気づいた里田が目を合わせる。
あさみは一度だけ頷くと全員にサインを出す。
攻撃方法と攻撃場所の指示。
自分の考えを確かめてみる。
あさみは大きく息を吸い込んだ。
松浦学園のサーブが入る。
真正面で捉えたレシーブは、あさみの少し後方へずれた。
それを一歩下がることで調整。
高々としたトス。
典型的なオープン攻撃。
インターバルにより幾分威力を取り戻している里田のスパイク。
空気を切り裂いて放たれる。
そのスパイクを亜弥がレシーブ。
素早いトスと同時に吉澤のスパイク。
速攻というよりも単純に低いトスによるオープン。
- 484 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/03/26(日) 15:06
- 吉澤のリズムに慣れた花畑高校はそれを拾い上げる。
あさみをそれを方向を変えつつ多少後ろめにトス。
みうなの思い切った踏み切り。
バックアタック。
目標を目指して一直線に飛んでいく。
そのボールを亜弥が珍しく回転レシーブ。
返ったボールを吉澤がツーアタック。
あまりトリッキーなプレーをしない吉澤の珍しいプレー。
タイミングを外された花畑高校は反応しきれなかった。
順調に積みあがる得点に観客席は歓声をあげる。
しかし、あさみの瞳には確信とも言える光が宿った。
間違いない。
松浦亜弥のプレーのキレが急速に落ちている。
今の回転レシーブがまさにそれだ。
今までは最初から着地点にいたのに、間に合っていなかった。
つまり足がついてこないのだ。
- 485 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/03/26(日) 15:06
- 松浦亜弥の情報は全国大会に来るまで全くなかった。
これほどの選手にも関わらず。
例え2軍にいてもこれほどのプレーが出来るのであれば練習試合で目に付いたはず。
松浦亜弥が松浦学園の理事長の娘というのは花畑高校に知られているほど有名な話。
学園にずっといたにも関わらずバレー部には所属していなかった。
それならば考えられることは二つ。
他の運動部に所属していたか、事情があってバレー部から遠ざかっていたか。
これだけのプレーが出来るほどの運動神経の持ち主。
もし他の運動部であったとしても相当な活躍ができたはず。
春以降という中途半端な時期に他の部活から移ることは考えにくい。
そうなると残るは1つ。
何らかの事情があってバレー部から離れていたのだ。
きっと里田や紺野あたりならその事情を知っているのかもしれないが、今の
自分たちにとって重要なことは彼女の過去ではなく、彼女の体力が切れかけている
ということだ。
部活を遠ざかっていたものが体力を取り戻すには、かなりの時間がかかる。
ずっと続けている里田でさえこの試合では疲労の色を見せているのだ。
それ以上に激しい動きをしている亜弥が疲れてきても何もおかしくはない。
むしろ亜弥のほうが先にスタミナ切れを起こすのが普通だろう。
- 486 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/03/26(日) 15:07
-
あさみはそこまで考えて再び確信した。
さきほどは単なる閃きだった。
だが今は確信を持って言える。
チームを引っ張ってきた松浦亜弥。
この時間からは違う。
彼女は狙うべき場所。
彼女はきっと両チームにとって、諸刃の剣なのだ。
- 487 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/03/26(日) 15:07
-
- 488 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/03/26(日) 15:07
- 得点が松浦学園に入り、再びサーブを入れるためボールが渡される。
その光景を美貴は嫌な予感とともに見ていた。
先ほどのあさみの視線。
間違いなく亜弥を見ていた。
そしてその後の攻撃。
偶然亜弥を狙ったものなのか、意図したものなのか。
もし意図したものだとするならば、相手が気づくのが早すぎる。
もう少し得点を重ねておかないと、まだ追いつかれる危険がある得点圏だ。
美貴は両手を組み、じっと前を見据えた。
その目の前でサーブが入れられる。
自分がいた頃からの堅い守備を披露して、あっさりと拾う。
セッターのあさみに入ったボールは低めに上げられる。
里田の速攻。
やはり亜弥目がけて放たれたスパイクを亜弥はレシーブで返す。
しかしボールが少し定まっていない。
亜弥も助走には入っておらず、トスは吉澤がスパイクをする。
- 489 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/03/26(日) 15:08
- 花畑高校はそれをブロックするが、そのブロックがボールを吸収し、そのまま花畑高校の
コートに落ちていく。
それを咄嗟に拾い、不安定ながらも何とか緩めのサーブで返してきた。
そのボールはゆっくりと亜弥の上に来る。
亜弥はしっかりとレシーブをしてセッターに返す。
今度は真正面に返ったボールをセッターがトス。
助走をした亜弥のバックアタック。
それを普段は花畑高校に所属している割には安定性のないレシーブでみうなが返す。
セッターから上げられたトスに里田がジャンプ。
亜弥が咄嗟に腰を落とすが、里田はそれをスルー。
影から人が飛び出す。
時間差攻撃。
亜弥の少し手前に放たれたそれを亜弥がなんとか拾うが、コントロールしきれずに
コートの外に出てしまう。
久しぶりの花畑高校の得点。
一気に湧き上がる観衆。
- 490 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/03/26(日) 15:08
- ハイタッチをする花畑高校サイド。
だが美貴の目にはそれは映ってはいなかった。
完全に亜弥が狙われている。
お互い手の内を知り尽くした同士。
互いの手の内を打ち消しあうような試合。
その試合を左右してきたエースの存在。
第一セットは里田の活躍で花畑高校が先取。
第二セットは新たなエースである亜弥の活躍で松浦学園が奪取。
そして第三セット。
そのエースが潰されようとしている。
松浦学園を引っ張ってきた。
試合を左右してきた。
その亜弥がこんどは狙われている。
松浦学園の大黒柱を折ることにより根底から崩そうとしている。
亜弥はレシーブをしたあと、膝に手を当てて中腰のまま肩で息をしている。
俯いた顔は垂れている髪の毛により覆われて、その表情は伺えない。
- 491 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/03/26(日) 15:09
-
完全にスタミナが切れた。
美貴が思わず立ち上がる。
そして観客席でも唐突に立ち上がる1つの影があった。
「亜や…」
咄嗟に美貴が声をかけようとしたとき、その行為自体を亜弥が封じる。
亜弥は、何も言うなとばかりにこちらに片手を突き出してストップという仕草をしていた。
そしてこちらに顔を向けると、ゆっくりと首を振った。
その目は。
その頑固な目は。
たった一言を語っていた。
- 492 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/03/26(日) 15:09
-
――― 絶対に負けたくない ―――
実際にその目を見ていたのは1〜2秒だろう。
だが美貴はもっと多くの言葉をその目と交わした気がした。
美貴が亜弥から視線を移すと吉澤がこちらを見ていた。
美貴が吉澤を見ていることに気づくと、にこりと笑って片目をつぶって見せた。
そして亜弥に歩み寄り、その肩を軽く叩く。
- 493 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/03/26(日) 15:10
-
「大丈夫!このままで負けないよ、私達は!」
その言葉に亜弥は少し驚いたような表情を浮かべていたが、言葉の意味をゆっくりと
理解したのか、しばらくすると嬉しそうに微笑んだ。
そして視線を花畑高校に向ける。
みんなが亜弥を見ていた。
だがそれを正面から受け止める。
そしてにこりと笑ってみせる。
それを見たあさみが、少しだけ目を見開いた後、ゆっくりと笑顔を作る。
何百何千の。
凡庸な言葉などいらなかった。
その一瞬でお互いが垣間見える。
積んできたもの。
背負ってきたもの。
全てをぶつけてみせる。
亜弥は定位置に戻るべくあさみに背中を向けた。
- 494 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/03/26(日) 15:11
- 美貴はその姿を見た視線を動かす。
なんとなく。
さりげなく。
その動かした視界に入ってきた人物がいた。
観客席でたった一人だけ自分と同じように立ち上がっている人物が。
美貴はそのたった一人の人物に気づくと目を見開いた。
すると美貴に気づいたのか、同じように立ち上がっていた真希はこちらに視線を合わせる。
目の前で見た光景に美貴は思わず縋るような視線を送る。
真希はそんな美貴の様子に気づいたようだった。
すると次の瞬間真希は、ふにゃっと笑った。
まるで美貴をたしなめるように。
困ったような
言い聞かせるような笑い方だった。
そしてジェスチャーで座れと言ってきた。
そこで美貴は試合中だということを思い出す。
コートに目を向けると既に試合が始まっていた。
仕方なく美貴はベンチに腰を下ろす。
おとなしく亜弥の頑張る姿を見ていろという真希の言葉は確かに美貴に伝わっていた。
- 495 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/03/26(日) 15:11
- 再開した試合は全くもって分かりやすい図式となっていた。
松浦学園は全く陣形を変えない。
亜弥を中心に守り亜弥を中心に攻める。
1つだけ変わったことといえば松浦学園の攻撃が全て里田へ向けられるものとなったこと。
一方の花畑高校も陣形自体には変化はなかった。
だがその攻撃は全て亜弥へと向けられるようになった。
お互いのチームのエースの潰しあい。
そしてエース同士もお互いのみに攻撃を仕掛ける。
どちらが潰されるのか。
里田まいVS松浦亜弥
その分かりやすい図式に会場も放送席もボルテージが上がる。
- 496 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/03/26(日) 15:12
- そして亜弥が以前ほど確実にボールを拾えなくなってきていることから徐々に得点差が
縮まり始める。
松浦学園の得点が20点台に到達したときには既に差は2点差となっていた。
逆転劇の更なる逆転劇を期待した観客の声援はもはや最高潮に達していた。
両チームともに疲労の色は隠せない。
今が一番苦しい時間帯。
里田、松浦両者ともに既に傍目で見て分かるほど疲弊していた。
1つ得点が入りプレーが途切れるたびに肩で息をしていた。
もはや整えようとしても整わない呼吸。
だがそれでも、その瞳の輝きだけは変わらなかった。
腰に手を当てていても
顎が上がってきていても
その瞳はお互いを捉えていた。
片時も逸らすことはなかった。
不思議な繋がりを感じさせるほどに。
- 497 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/03/26(日) 15:12
- 花畑高校のサーブが入る。
もはや亜弥以外の場所にサーブは行かない。
どれだけ疲弊しても身体が覚えている。
一瞬だけ息を止めて吐き出す。
吐き出した息と共に上半身の力を抜き、腕に力をこめて、インパクトの瞬間腕を引く。
完全に威力を殺されたボールは以前ほどの正確さはないもののセッターに上がる。
亜弥はもはや連続でのプレーが出来ないため、素直にボールは吉澤にあげられる。
そのボールを吉澤は渾身の力を背筋に込めて放つ。
ボールは一直線に里田へ向かう。
里田は近距離で受けたボールを辛うじてはじき返す。
ほぼ真上に上がったボールをみうなが、そのままスパイクするトリックプレー。
正確に亜弥の手前を狙ったボールに亜弥が必死に食らいつく。
辛うじて上がったボールを吉澤も辛うじて上に上げる。
だがネット際で行われたそのプレー。
上がったボールを花畑高校に狙われ、誰もいないコートにスパイクを許してしまう。
弾むボール。
- 498 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/03/26(日) 15:12
-
1点差。
思わず立ち上がる松浦学園の監督。
ここはタイムアウトを入れるべき。
そういう視線を美貴に送るが美貴は必死に首を振る。
今タイムアウトは取れない。
少しでも気を抜くと亜弥はもう立てない。
どんなにプレーの質が落ちていても亜弥を今外すわけにはいかない。
コートの中にはベンチから見えないものが存在していることがある。
そして今コートの中に必要なものは亜弥の姿だ。
エースとなった亜弥の存在だ。
それは理屈ではない。
美貴は必死に首を振った。
- 499 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/03/26(日) 15:13
- そして花畑高校もタイムアウトを取らなかった。
それはコート内の選手達が拒否をしていた。
サインはあさみが出していた。
だがその意思表示をしたのは里田だった。
今断ち切られたくない。
恐らく。
今の自分は最高潮だ。
足が攣りそうで、膝が震えていても。
身体が休むなと言っている。
頭がやりたいと訴えている。
心がこの瞬間を求めている。
その視線から亜弥を離さない。
この瞬間、自分たちはどれほどの言葉を交わしているのだろう。
心地よかった。
真正面からぶつかりあえる存在が嬉しかった。
- 500 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/03/26(日) 15:13
- 花畑高校からサーブが入れられる。
亜弥はきっちりとレシーブを返す。
セッターがトスを上げる。
久しぶりの亜弥のバックアタック。
もう亜弥は打てないと踏んでいた花畑高校サイドは意表をつかれる。
ただ1人、後衛に回っていた里田を除いては。
視線をお互いに合わせたままの里田は気づいていた。
どんなに苦しくても亜弥は止まらない。
この子はそういう子だ。
無数の声にならない言葉を交わした自分には分かる。
わたしには分かる。
それならば。
- 501 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/03/26(日) 15:14
- セッターであるあさみに上げた瞬間叫ぶ。
「戻して!」
その声につられてトスが戻される。
里田のバックアタック。
亜弥の真正面。
しっかりと拾い上げる。
セッターに上がる。
再び中空を舞う。
2度目のバックアタック。
ブロックの隙間をすり抜けてくる。
里田の守備範囲。
レシーブ。
セッターからのトス。
バックアタック。
亜弥の前にはブロックがほとんど飛ばない。
正面から受け止める。
上がったトスを三度目のバックアタック。
ブロックをすり抜ける。
里田はレシーブの瞬間、気づき身をかわす。
ボールはコート内を弾むことなく通りすぎた。
- 502 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/03/26(日) 15:14
- 同点。
マッチポイント目前。
ついに花畑高校が追いつく。
それでも入らないタイムアウト。
美貴だけではない。
コート内でも吉澤が間を入れるなとジェスチャーをしていた。
監督はどっかりとベンチに座りなおした。
そしてゆっくりと腕を組んだ。
最初で最後かもしれない。
全てを選手達と美貴にゆだねた。
自分たちの納得のいく試合をしてくれればいい。
責任は全て自分が請け負う。
それよりも見てみたかった。
監督の庇護の下を離れた選手達の…教え子たちの姿を。
同点になった後、両チームは一進一退の攻防となった。
花畑高校がリードすればすぐに松浦学園が取り返す。
そのまま松浦学園が得点を重ねてもすぐに花畑高校が取り返す。
両チームの得点は、本来決着がつく得点を既に過ぎていた。
- 503 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/03/26(日) 15:15
- 観客の声はもはや大きすぎてその声援の内容は聞き取れなかった。
だが、もはやどの選手達の耳にもその大歓声は届いていなかった。
それどころか今、この試合が全国大会の準決勝だということも意識の
中から完全に抜け落ちていた。
ただひたすら試合に打ち込んでいた。
高校生としては最高レベルの技術力、精神力。
その全てを持ち寄って、やっていることは単純なバレー。
里田対松浦。
ただそれだけだった。
誰もが初めてバレーを始めた頃のあのワクワクした気持ち。
勝つことが義務付けられていつの間にか忘れていた。
ただ、単純にバレーボールが好きで面白くて。
日が暮れてもボールを追いかけたあの日々。
何故か選手たちの頭をよぎっていたのはそんな幼い日々のことだった。
- 504 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/03/26(日) 15:15
- それはもしかしたら、里田と松浦の2人を見ているからかもしれない。
2人はただ比べていた。
自分たちを。
もう疲れて正確なプレーは出来なくなっている。
それでも、決して俯かない。
相手だけを見据えている。
それはお互いを試しているから。
- 505 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/03/26(日) 15:16
-
―――もうダメなんじゃない?ほら、もう諦めちゃえば?
―――そんなことないよ。そっちこそもう疲れたでしょ?
―――わたしは全然平気だよ。
―――あたしも全然平気だもん。
- 506 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/03/26(日) 15:17
- まるでそんな会話が交わされているかのような2人の表情。
それはいがみ合っているというよりは、幼い友達同士の子供がお互いに意地の張り合いを
しているかのよう。
そんな光景が浮かぶからか、選手達の脳裏には不思議と自分たちのバレーを始めた頃の
姿が思い起こされる。
『ねえねえお母さん、バレーボールやりたいよー』
『隣の子もやってるんだよー』
『勉強もちゃんとやるからさー』
『お手伝いもちゃんとやるからさー』
『もう、しょうがない子ね。ちゃんと約束守るんだよ?』
『本当!?やったー!!』
- 507 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/03/26(日) 15:17
- いつのまにか忘れていたものを思い出させてくれる。
試合も終盤を迎えて疲労もピークを迎えている。
それなのに選手達の顔に浮かび上がってくるものは笑顔だった。
楽しくて楽しくて仕方ない。
今、このプレーをしていることが嬉しくて仕方ない。
選手の誰もが笑顔を浮かべていた。
その光景を紺野は瞬きもせず見ていた。
この試合でずっと見たかったもの。
里田に望んでいたもの。
美貴がいなくなった後もバレー部のマネージャーを続けた理由。
自分がずっと欲していたもの。
それが今ここにあった。
- 508 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/03/26(日) 15:17
- 真希は零れ落ちた涙を拭いもせずに試合を観ていた。
亜弥の姿を見ていた。
光の下、活き活きと生きている亜弥の姿に胸が震えた。
半年前、久しぶりに会ったときの亜弥の表情が浮かぶ。
あの光を失っていた姿はもう欠片もない。
溢れんばかりの生がここにはあった。
今は全てを忘れてこの亜弥の姿を目に焼き付けておきたかった。
大切な子が巣立つ瞬間を
自分と美貴が必死で守ってきた子が飛び立つ瞬間を。
美貴は呼吸をするのも忘れていた。
里田と亜弥の気持ちが溢れているコート内をじっと見ていた。
2人の気持ちが直に伝わってきた。
真っ直ぐにぶつかり合う2人が嬉しかった。
支えてくれる仲間の存在が嬉しかった。
ただ目の前の試合を見据えた。
- 509 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/03/26(日) 15:18
-
誰もがこの試合の全てを見逃すまいとした。
いつしか観客席は誰もが立ち上がっていた。
両チームのベンチも立ち上がっていた。
- 510 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/03/26(日) 15:19
- いつ終わることなく繰り返されるラリー。
誰もが時を忘れて食い入るように見つめた。
どれだけの時間が過ぎたときだろう。
この試合で最も大きな歓声が会場中に響き渡る。
割れんばかりの拍手と歓声の中、
紺野は、静かに微笑んだ。
- 511 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/03/26(日) 15:19
-
- 512 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/03/26(日) 15:20
-
- 513 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/03/26(日) 15:20
-
- 514 名前:前頭三枚目 投稿日:2006/03/26(日) 15:23
- 更新しました。
間違えて自らageてしまったorz
この全国大会編終了後に再び短編を載せようかと思います。
レスありがとうございます。
>>464 タケ様
自分の書いていることが空回りしていないか不安だったのですが
そう言っていただけると嬉しいです。
>>465 名無飼育様
作者が両チームに入れ込みすぎたせいですね。
試合の熱気というものが伝わればと思います。
>>466 名無飼育様
お待たせいたしました。
更新の遅い作者ですが、引き続きよろしくお願いします。
- 515 名前:タケ 投稿日:2006/03/27(月) 00:40
- ぬぁ〜!!!
気になるぅ〜
いや〜今回もかなりおもしろかったです
鳥肌が立つくらい
しかもあの終わり方は気になりますよ!
いつ更新されるのかドキドキしながら毎日ここを覗いてた甲斐がありました(笑)
一体どうなるんだ?
次回も期待しまくりでまっております
- 516 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/29(水) 12:58
- うわ…なんだどうなったあああホントわかんない
一行一行ごとに引き込まれました
気持ちわかるなー純粋に楽むって
これぞ青春ですね
- 517 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/31(金) 05:24
- 割と静かに流れていくような文体なのに
だからこそ、でしょうか、その中にあるものが見えて、感じられるようで。
……泣きそう。
試合はもう終わってしまいますが、それだけじゃなく。
どこまでも追いかけたいと思います。
- 518 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/04/22(土) 19:27
- まだかなぁ〜
- 519 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/04/23(日) 22:31
- ふと耳に音が戻る。
チームメイトに抱きつかれながら周囲を見回す。
誰もが自分に抱きつきながら何かを言っている。叫んでいる。
観客席からは自分たちへの祝福の紙ふぶきらしきものが舞い降りていた。
だが、亜弥の心に浮かんだのは残念だという想いだけだった。
もっと味わいたかった。
全てを忘れてプレーしていた。
ボールとネットと里田しか見えていなかった。
他には何も見えていなかった。
世界にはそれしか存在していないかのように。
それは心地良い時間だった。
だから不意に音が戻ったとき。
不意に世界が戻ったとき。
心に浮かんだのは惜しむ気持ちだけだった。
- 520 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/04/23(日) 22:32
- チームメイトに揉みくちゃにされながらネット越しに姿を探す。
その姿はすぐに見つけることが出来た。
里田はこちらを見たまま、試合終了から一歩も動いていなかった。
亜弥が里田に気づいたのを確認すると、一瞬だけ猫のように目を細め、口角を少しだけ上げた。
そしてそのまま踵を返した。
言葉を交わすことはなかった。
その必要はなかった。
自分たちはもう十分に語り合った。
十分に通じ合った。
きっと…いや、間違いなく同じ世界を共有した。
それならば交わす言葉など必要なかった。
だから亜弥は今度は惜しむ気持ちなく背中を向けた。
- 521 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/04/23(日) 22:34
- そして観客席を見上げる。
そこには自分たちを祝福する観客たちの姿があった。
そして亜弥はその隅でこちらをまんじりともせずに見ている真希の姿を見つけた。
亜弥が手を振ると、それに気づいて少しだけ手を振り返し、そして立ち上がった。
声は届かない。
だが、その口の動きで分かる。
『おめでとう』
真希は亜弥の表情が緩んだことを確認すると背中を向けて歩き出した。
亜弥はその背中に心の中で感謝を告げた。
そして視線をベンチに戻す。
そこでは零れ落ちる涙を必死に拭いている姿が見えた。
それを確認してベンチに向かって歩き出す。
意地っ張りな
意外に泣き虫な
大切な人に笑顔を見せるために。
- 522 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/04/23(日) 22:34
-
- 523 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/04/23(日) 22:34
- ベンチに戻ってくる花畑高校の選手達の目には涙が光っていた。
だが、不思議に悔しさはなかった。
全てを出し切ったからなのか。
何故か達成感だけが残っていた。
それでも
何故か涙は止まらなかった。
皆、抱き合い、肩を寄せ合い、泣いた。
だが、誰一人として俯いてはいなかった。
垣間見える笑顔。
笑顔と涙はこんなにも綺麗なのか。
笑顔と涙はこんなにも似通ったものなのか。
- 524 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/04/23(日) 22:35
- 自らの頬を伝うものを感じながら紺野は意外な発見をした。
ふと視線を感じて少し顔を上げると、そこには里田が立っていた。
先ほど試合が終了した直後とは全く違う表情を浮かべて。
その顔には涙も笑顔もなかった。
ただ不思議そうな表情を浮かべていた。
紺野が立ち尽くす里田に歩み寄り、微笑みながら声をかける。
「お疲れ様でした……どうしたんですか?」
少し違う自身の声に、自分が涙を流していたことを認識する。
「どうして…笑顔でいてくれるの?試合には負けちゃったのに…」
里田の声は独り言とも取れるような小さなものだった。
「あ、笑っちゃいけませんでした?試合に負けたのに」
紺野は手で口元を押さえる。
だが里田は首を横に振っただけだった。
- 525 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/04/23(日) 22:36
- 「そうじゃなくて…」
そして少しだけ視線を落とした。
「そうだよね。今はミキティがいるもんね」
再び囁くように呟いた。
その言葉で紺野は思い出した。
昨晩の美貴の言葉を。
試合前に伝えるつもりだったが、その機会がなかった。
今からでも間に合うだろうか。
「里田先輩…わたしがなんでバレー部のマネージャーを続けているか…
分かりますか?」
そう言った紺野の目には少しだけ、里田がいつも見ていたものと違うものが混ざっている
ように感じられた。
- 526 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/04/23(日) 22:36
- 「それは…続けていれば…バレーにまた関わるかもしれないミキティに
そのうち会えるかもしれなかったからでしょう?」
里田の中では当たり前の考えとして根付いていたものだった。
いつも考えていたことだった。
だが、紺野はそっと、だがしっかりと首を横に振った。
「ちがいますよ…わたしはバレーが出来ないから…やりたくても…。
どれだけ望んでも、バレーは出来ないから…」
一瞬、紺野の目が自身の膝に向けられる。
「でもマネージャーでいれば…里田先輩達の側にいれば、あの時の興奮を味わえる。
初めて見た、"あの"バレーボールの試合をまた観ることができるかもしれないと
思ったからなんです」
「初めて…観た…?」
- 527 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/04/23(日) 22:37
- 初耳だった。
里田は紺野の近くにいると思っていた。
でも思い返してみると、何故バレー部のマネージャーをやることにしたのかを
聞いていなかった。
当時クラスメートだった美貴が、突然バレー部に紺野を連れてきたのだった。
そして、当時はまだ完全にクラスに溶け込んでいなかった美貴が、下級生の
手を引いて熱心に頼み込んでいる姿が珍しくて、ついそちらにばかり関心が
向いてしまっていた。そしてどうしてマネージャーなのかといったような
初歩的な質問を全くしていなかった。
「はい、初めて見たのは入院中の病室でした。お姉ちゃんが暇つぶしにって
DVDを持ってきてくれたんです。そこに入っていたのが、バレーボールの
試合でした…」
紺野は少しだけ目を閉じた。
そのときのことを思い出すように。
「そのときの…あの興奮が忘れられなくて…」
紺野はかみ締めるように呟いた。
- 528 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/04/23(日) 22:37
- 「あんなふうになりたい!あの中に入ってみたい……わたしは知りたかった。
バレーボールの楽しさを」
そこに映っていた選手達の姿が浮かぶ。
今、知っている姿より幾分幼い姿たち。
輝いていた
眩しかった
だから、羨ましかった
悔しかった。
「里田先輩…」
「…なに?」
「美貴ちゃんがいなくった後、先輩は勝利に拘るようになりましたよね」
紺野が瞳の奥を見透かすような視線を向ける。
里田は後ろめたいことは何もないはずなのに、つい目を逸らしてしまう。
「ま、まーね…勝ったほうが、みんな嬉しいと思ってね…べ、別に紺野ちゃんの
こととは関係ないよ?」
- 529 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/04/23(日) 22:38
- 急にそっぽを向いて、今まで張ったことのない意地を張り出した里田に、なんとなく
美貴の顔が重なる。
紺野のためにやっていたと白状したようなものだった。
紺野はそんな里田の姿に口元を緩める。
「そりゃあ、勝ったほうが嬉しいと思いますよ?」
「でしょ?」
紺野の言葉に間髪入れずに相槌を打つが、そんな里田に対して紺野は少しだけ
困ったような表情を浮かべる。
「でも、先輩達が試合で勝つことは、私にとってもっと違う意味がありました」
「違う意味…?」
紺野の言葉に里田は首を傾げる。
「はい。わたしが見ていたかったのは、勝ったときの皆さんの表情でした。
満足感っていうか充実した表情が、あの初めて見た試合を思い出させて
くれたんです」
- 530 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/04/23(日) 22:39
- そう言うと紺野はにっこりと微笑んだ。
それは先ほどまでの涙交じりでもなく、
春の日差しを思わせるような
暖かい微笑み。
「だから、先輩、今日はありがとうございました」
「え…?」
紺野は唐突に頭を下げた。
「今日の試合…確かに負けてしまいましたけど、わたしは見ることが出来ました。
今日の試合は、あのとき観た初めて見た試合に決して負けていませんでした。
もしかしたらもう二度と見ることが出来ないかもしれないと思っていたのに
また味わうことが出来ました。だから…」
- 531 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/04/23(日) 22:39
-
それは
ゆっくりと
はっきりと
里田の心に染み込むような
きっと一生忘れないような
「ありがとうございました」
紺野の笑顔だった。
- 532 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/04/23(日) 22:44
-
この3年間の頑張りの結果が。
その成果が
この笑顔であるならば。
自分がバレー部で過ごした日々は、きっと悪いものではなかったのだろう。
そんな想いが胸のうちを満たしていった。
そして浮かんできたものは、決して紺野の笑顔に負けることのない、
誰もが振り向くような笑顔だった。
- 533 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/04/23(日) 22:45
-
- 534 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/04/23(日) 22:45
- 試合が終了し、報道の人たちが選手に群がっている。
監督に今日の勝因を聞くマイクが向けられる。
キャプテンの吉澤にも。
だが、一番人が多かったのは亜弥の周辺だった。
バレーボール界に現れた期待の新星。
今まで全く名前の出てきていなかった亜弥が今大会で突然頭角を現した。
その人を惹きつけるプレーだけでなく、外見も人を魅了するものがあった。
こんな逸材を各社も放っておくわけがない。
浴びせられるフラッシュ。
寄せられるマイク。
亜弥の周囲には人垣が出来てしまい、他の選手たちは全く近づけなくなってしまっていた。
その姿を見た美貴たちは、とりあえずは亜弥たちをそのままに先にコートを後にした。
選手控え室に入り、選手達は各自汗を拭ったり着替えたりしていた。
あれだけの熱戦の後。
選手達はその場で入念なストレッチを始める。
- 535 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/04/23(日) 22:46
- 美貴もそのストレッチに付き合っていたが、しばらくするとそれも一段落つく。
だが、その頃になっても亜弥たちが戻ってくる気配はなかった。
そこでコーチの指示により選手達は一足先にホテルに引き上げることになった。
まだ明日も試合が残っているのだ。
時間があれば、出来る限りその時間は体調管理等に費やしたい。
美貴たちがホテルに着くと、既に花畑高校はホテルに戻っていたらしく、
数名がロビーに残っていた。
そして美貴はその中に里田の姿を見つける。
すると里田も美貴の姿に気づいたのか、こちらに手を振ってくる。
「ミキティ!」
「まいちん、あまりロビーであだ名を大声で呼ばないでよ」
「いいじゃん、どうせみんな知っている人たちしかいないんだから」
「まあ、そうだけどさ…」
里田は屈託なく美貴に話しかけてくる。
その様子は、何か吹っ切れた雰囲気を持っていた。
あれだけ勝負に拘っていた里田。
そして先ほどの試合は負けてしまっていた。
だが、それにも関わらず里田の表情は晴れやかなものだった。
- 536 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/04/23(日) 22:46
- 一旦会話が途切れる。
それは美貴が次の言葉を捜しあぐねてしまったからだった。
するとそんな美貴の様子に里田が気づく。
「ミキティ、もしかして気にしてる?」
「え?べ、別に気にしてないよ…勝ち負けは仕方ないことだよ…」
少しだけ、はぐらかすような美貴の答え。
「そうじゃなくて、私のこと。それから紺野ちゃんのこと」
「……」
あまりにも図星だったため、美貴は言葉を失う。
こういうときの美貴は非常に分かりやすかった。
すると里田は先ほどまでの晴れやかな表情を引き締めた。
「ごめんね、ミキティ。それから、ありがとう」
「え?」
突然お礼を言われたことに美貴が戸惑った表情を浮かべる。
- 537 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/04/23(日) 22:47
- 「紺野ちゃんのこと。わたしの勘違いだった。紺野ちゃんに言われたよ」
「え?紺ちゃんに?」
里田の言っている勘違いの言葉の意味が昨日の話であることはすぐに分かった。
「そう。紺野ちゃんが本当に欲しがっていたもの。…今まで考えていたことは、
わたしの勝手な思い込みだったんだね」
「まいちん…」
思わず美貴は里田の顔を見上げる。
だが、里田はそんな美貴の様子に慌てて首を振る。
「あ、変な意味じゃなくてね。ただ、わたしの勝手な思い込みでミキティと
紺野ちゃんには色々と気を使わせちゃったかなって思ってさ」
「そんなこと…」
里田は再びゆっくりと首を振る。
優しく美貴を見つめたまま。
- 538 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/04/23(日) 22:47
- 「だから、気づかせてくれてありがとう。今日は逆に紺野ちゃんから大切な
ことを教えてもらっちゃったよ」
「大切なこと?」
「うん。大切なこと。なんでわたしがバレーボールをやっているのか。色々
将来のこととか言われて、勝たなくちゃいけなくなって…なんか今まで
一番大切なことを忘れていたよ…」
里田は大きく息を吸った。
「わたしはバレーボールが好きなんだ。だからバレーボールを続けてる。
これが何よりも大事なことだったんだ。勝つことよりも。負けることよりも。
今日、改めて教えてもらったよ。紺野ちゃんと…松浦亜弥ちゃんに」
「亜弥ちゃんに…?」
「そう。バレーボールがこんなにも楽しいんだって。思い出させてもらった」
里田が言いたいことは分かった。
今日のあの試合を観たものならば誰もがその言葉に頷いたことだろう。
それほど2人の表情は似通っていて、楽しげだった。
- 539 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/04/23(日) 22:48
- 「…そっか」
美貴は嬉しそうに微笑む。
そんな美貴の様子を見て里田が微笑む。
そこからは、昨日までのわだかまりが嘘のように消え去っていた。
もう2人の間に溝は感じられなかった。
「里田せんぱーい!記念写真取るみたいですよ!」
2人の元に花畑高校の後輩の声が届く。
「今行くー!」
里田はその声に応えると美貴のほうを向いて、先ほどよりもはっきりとした
笑顔を浮かべる。
- 540 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/04/23(日) 22:49
- 「行かなくちゃ。じゃあ、ミキティ、明日も頑張ってね!」
「うん。まいちんは明日の試合は観ていくの?」
「うん、まあうちらはこれで引退だからね。せっかくだから決勝を見学させて
もらうよ。しっかりと見届けなくちゃね」
「そうだよね。やっぱり気になるもんね」
「うん、気になるよ。ミキティと紺野ちゃんの関係がね」
「な…!」
美貴が顔を真っ赤にするのと里田が背中を向けたのは同時だった。
「じゃあね〜!」
「ま、まいちん!!」
ロビー中に響き渡った美貴の声を背に、里田は軽快に走っていってしまった。
そしてロビーには、周囲の人の注目を一身に浴びてしまった美貴だけが残されていた。
「まったく、まいちんめ…!」
憎まれ口を叩く、その表情は晴れやかなものだった。
- 541 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/04/23(日) 22:49
-
- 542 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/04/23(日) 22:49
- 翌日の決勝戦。
優勝候補の筆頭であった花畑高校。
その花畑高校を下した松浦学園。
準決勝の勢いをそのまま持ち込んだ松浦学園が、その勢いのまま相手を下した。
その瞬間、松浦学園バレー部は、創部以来初の快挙となる全国大会優勝を成し遂げた。
そして松浦学園からは吉澤と亜弥がベスト6に選ばれた。
こうして夏の大会は、松浦学園バレー部の夏は終わりを告げた。
そして翌日の新聞には同じ見出しが並んだ。
- 543 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/04/23(日) 22:50
-
『高校バレーボール界に、期待の新星現る!』
そこには優勝旗を手に笑顔を浮かべる亜弥の姿が載っていた。
これ以降、亜弥の周囲は加速度的に変化していく。
用意された階段を登っていくために。
- 544 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/04/23(日) 22:51
-
そして、もう誰も今の亜弥に無口で下を向いていた姿を思い浮かべない。
初めは小さな一歩だった。
ただ、教室のドアを自ら開けただけ。
だが、その小さいが、確実な一歩が新たな亜弥を作り上げたのだった。
光の下。
亜弥は新たな歴史を刻み始める。
- 545 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/04/23(日) 22:51
-
- 546 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/04/23(日) 22:51
-
- 547 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2006/04/23(日) 22:53
-
- 548 名前:前頭三枚目 投稿日:2006/04/23(日) 22:55
- 更新しました。
これにて一区切りとなります。
あ、それでこの後、1つだけ番外編を挟みます。(予定)
まだ作成途中ですが、前後編になります。(予定)
レスありがとうございます。
>>515 タケ様
うわ、なんだかそこまで言っていただけると、鳥肌が立つほど嬉しいです。
>>516 名無飼育様
青春の1ページというのがこの試合のコンセプトでございます。
まあ、この後の本編も(ry
>>517 名無飼育様
いただいた感想も静かに流れるような雰囲気をお持ちですね。
どこまでも追いかけられるように頑張ります。
>>518 名無飼育様
更新しましたよ〜
- 549 名前:タケ 投稿日:2006/04/24(月) 00:08
-
キタ━(゚∀゚)━!!!
更新乙です
今回もかなり楽しませていただきました(≧▽≦)
勝ててよかったぁ〜
優勝できてよかったぁ〜
最初の小さな一歩が確実な一歩になってよかった
急激に変わる環境の中で亜弥ちゃんはどうなるのか?
亜弥ちゃんと美貴たんの関係はどうなるのか?
ごっちんはどうなるのか?
次回も期待してます
- 550 名前:名無し飼育さん 投稿日:2006/04/24(月) 12:07
- ネタバレはやめてください
- 551 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/04/26(水) 20:03
- そうですか、そうですか……
変わるということが、姫と騎士にどんな影響があるのでしょうか
更新ありがとうございました
また次回、楽しみに待ちたいと思います
- 552 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/09(火) 23:32
- 更新お疲れ様でした
毎回試合展開にハラハラドキドキしていましたが
最後までほんとうに楽しめました
今後の展開も楽しみにしています……
- 553 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/31(水) 02:25
- このことによってあの二人は一体どうなるんですかね?
次回も期待して待ってます
- 554 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/02(金) 00:05
- 紺ちゃんけなげでかわいすぎです!
みきてぃと結ばれることを祈ってます
- 555 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/11(日) 03:26
- 亜弥ちゃんとみきちゃんがくっついてくれることを願ってます
- 556 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/18(日) 00:45
- おいらも亜弥ちゃんとみきたんにくっついてほしいなぁ
- 557 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/24(土) 20:17
- 続き更新してくれますよね?
いつまでも待ってますから
- 558 名前:前頭三枚目 投稿日:2006/06/30(金) 09:55
- 今回から番外(過去)編スタートです。
視点固定です。
- 559 名前: 投稿日:2006/06/30(金) 09:56
-
<静止した時の中で>
- 560 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2006/06/30(金) 09:57
- 良く晴れた青空。
景色は徐々に冬に向けての装いを整え始めている。
黄色い葉をした落ち葉が風に吹かれて静かに舞い落ちている。
道は黄色い葉で埋め尽くされていて、さながら絨毯のようになっている。
キンモクセイの薫りも薄くなり始めた最近は、急に寒さが増してきたように感じる。
しかしその寒さを物ともせずに、黄色い絨毯の上を散歩する人々の姿が見受けられる。
その人たちの中には、笑顔の浮かんでいる人もいれば、何が気に入らないのか
不機嫌な表情を浮かべた人もいる。
ただ2人以上で歩いている場合は不思議なことにどちらかの顔には笑顔が浮かんでいた。
気を使っているのか、元気づけているのか。
- 561 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2006/06/30(金) 09:58
-
「ねえ、紺野さん大丈夫?」
私の思考は突然の言葉によって中断された。
「あ、う、うん、大丈夫。それでどうしたっけ?」
慌てて取り繕う。
そういえば今は部屋に同じクラスの子たちがお見舞いに来てくれていたんだった。
窓の外から視線を移すと、そのクラスメート達が自分を見て笑っていた。
「なんかボーっとしてるみたいだけど…」
「それはいつものことでしょ」
「ホント。紺野さん、入院していても全然いつもと変わんないね」
- 562 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2006/06/30(金) 09:58
- みな口々に勝手な感想を言っている。
そうは言っても、本人たちには何の悪意もない。
彼女達はクラスを代表してお見舞いに来てくれたのだ。
当然そんな彼女達が紺野に悪意に満ちた言葉を投げかけてくるわけではない。
だが、紺野にはそれが逆に自分の心を抉った。
今の彼女達の会話は普通の会話。
いつもの会話。
それに対して今自分は普通の状態ではない。
入院しているのだから。
普通の状態でない人に対して普通に振舞う。
それは確かに大事なことであり、大抵の場合では概ねいい方向に作用するものだが、
今の紺野にとっては全くの逆効果だった。
紺野にとっては今の彼女達の態度は自分が突き放されているように感じた。
いや、正確に言うと、みんなから置いていかれているような錯覚をもたらした。
「ありがとう、わざわざお見舞いに来てくれて。でももうすぐ診察の時間なんだ。
だから私そろそろ行かないとなんだ」
- 563 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2006/06/30(金) 09:59
- だから適当な理由を作ってしまった。
自分勝手な被害妄想だっていうのは分かっている。
彼女達の気持ちもありがたかった。
でもとにかく今は1人になりたかった。
「そうなんだ。じゃあ私たちはこれで帰るね。お大事にね」
クラスメートたちは口々に労わりの言葉を発して病室を後にした。
紺野はその彼女達に対して軽く手を振ってみせる。
外面は完璧だった。
自分はいつだって優等生でいられたから、この程度の仮面をかぶることは造作もなかった。
振っていた手を乱暴にベットの上に下ろす。
静まり返った部屋にくぐもった音だけが響く。
テレビもつけていないので部屋には時計の針が動く音だけがやけに大きく響いていた。
耳を澄ますと廊下を歩いている人の足音が聞こえてくる。
部屋のドアは閉まっているので誰が通っているのかは分からない。
ここは自分だけの部屋。
入院する際に、年頃の女の子だからと親が気を使ってくれたのだ。
- 564 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2006/06/30(金) 09:59
- ゆっくりと視線を自分の身体に向ける。
すると嫌でも目に入ってくる大げさなまでに捲かれた包帯。
いや、入院しているのだから決して大げさではない。
実際に自分はこれほど包帯で足をがんじがらめにしなければいけないほどの怪我を負ったのだ。
足を少しだけ動かしてみる。
すると自分の意図したとおりに動いてはくれたが、自分の意図したほどの大きくは
動かすことが出来なかった。
しかしその動きに痛みを感じなかったことに少しだけ安堵を覚える。
まだ怪我をして間もないからだろうか。
足を動かすことに躊躇いを感じる。
恐る恐る体勢を変えていると、部屋のドアがノックされる。
「はい?」
返事をすると、扉がそっと開かれて、そこから見慣れた顔が覗いた。
「お姉ちゃん?」
紺野の声を聞くと、呼ばれた本人はホッとしたような笑顔を浮かべる。
- 565 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2006/06/30(金) 10:00
- 「こら、ちゃんと寝てないとダメだぞ!」
口調に全く迫力がない。
本人も強く言うつもりはないのだろう。
後ろ手に扉を閉めると笑顔を浮かべたまま部屋の中に入ってくる。
「どう?痛んだりしない?」
変わらずに笑顔を浮かべてはいるが、先ほどまでの笑顔とは微妙に違う。
長年付き合ってきているとその笑顔の意味するところを理解することができた。
この笑顔は本当に話したいことを隠すときに浮かべる笑顔。
だが、この笑顔はもう1つの意味を持っている。
仕事用の笑顔。
身内に向けるべきではないものである。
それを浮かべているということは、やはり心配なのだろう。
いつもの太陽のような笑顔はなりを潜めていた。
「大丈夫だよ。今ちょっと体勢を変えようとしていたとこ」
紺野が安心させるように微笑むと、その意図を理解したかのように笑顔を浮かべる。
- 566 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2006/06/30(金) 10:00
- 「そっか、そりゃよかったべさ」
それまでの仕事用の笑顔を打ち消して、姉が本来持つ柔らかい笑顔を浮かべた。
「なっちも心配だったんだよ。あさ美が塞ぎこんでるんじゃないかってさ」
心底ホッとしたような姉の言葉に紺野も思わず笑みをこぼす。
姉は真っ白い看護服を着ており、その清潔さを強調している服の胸のプレートには
「紺野」の文字が刻まれていた。
「塞ぎこんでなんかいられないよ〜友達とかお見舞いに来てくれたりしてるし、学校の
先生とか部活の先輩とかも来てくれてるから」
姉の言葉にドキリとしながらも、平静を装って何でもないかのように応える。
血のつながりが成せる業か、それとも仕事で鍛えた賜物か、その言葉は紺野の胸のうちを
正確に表していた。
- 567 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2006/06/30(金) 10:01
- 「そっか〜それなら退屈しなくていいね。病院って患者さんにとっては暇な場所みたいでさ。
結構余計なことを色々考えちゃうみたいなんだよね」
もう遅いです。
色々考えちゃってます。
言葉を心の中にだけ留めておいて紺野はぎこちない笑顔を浮かべた。
「でも、あさ美もようやく学校に慣れてきたところだったのにね。学校の授業とか大丈夫かな?」
「うん、誰も来てないときは勉強するようにしてるから。それにさっき友達が授業のノートの
コピーを持ってきてくれたし」
「そっか、じゃあ大丈夫だね。それならちょうどいい機会だから英語の特訓とかしてみたら?
あさ美はこの間の中間も英語が足を引っ張ってたっしょ」
「え〜いいよ、わたしは北海道から出ないから英語なんて必要ないっしょ」
「そういう問題じゃないっしょや。これからは国際化の時代だべさ」
「お姉ちゃん、方言丸出しで国際化って言われてもさ…」
力が抜けてしまうが姉は真剣に話をしている。
天然もの道産子であり、どちらかというと天然のほうが前面に出ている姉との会話はいつも
どことなく真剣味に欠ける。
しかし、そのことは今の暗くなりがちな紺野には有難かった。
- 568 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2006/06/30(金) 10:01
- 「とりあえず、患者さんが元気でいられるのはいいことだよ」
姉はふと表情を変える。
こんなときの姉は家で見ているボケボケしている姿ではなく、どことなくキチンとしていて
まるで別人のように感じられた。
「でも元気過ぎるのも考えものだけどね」
「元気すぎる?」
病院で元気過ぎるなんておかしな話だ。
「あ、いや、でもやっぱり元気がないのかな?」
「…?」
眉根を寄せて、少し困ったような顔をしている。
その表情に、姉が何かを思い出しているのが伺い知れた。
「そんな人がいるの?」
- 569 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2006/06/30(金) 10:02
- 紺野が問いかけると姉は少しだけ首を傾げた。
それは話をすることを渋っているというより、どう説明したらいいのか悩んでいる
ように見えた。
2度3度と首を左右に傾けて考えていたが、どうやら頭の中で順序が纏まったらしく
その動きが止まる。どうも紺野家は話を始めるまでに時間がかかるらしい。
「あのね…」
「紺野さん!こちらですか!?」
姉のなつみが口を開くと同時に部屋の扉が開かれた。
「あ、やっぱりここでしたか!」
「ど、どうしたんさ。そんなに慌てて…」
部屋に入ってきた看護師の慌てふためいている姿にビックリして、なつみが
遠慮がちに声をかける。
「ノックもなしにすいません!あ、あの、510号室の患者さんがまた…」
「また〜!?もう、あの子は本当に…」
姉が少し呆れた表情で応える。
- 570 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2006/06/30(金) 10:02
- 「わたしたちも言ってるんですけど、たぶん紺野さんじゃないと収められないかな
と思って」
その言葉を聞くとなつみは軽くため息をつく。
「まったく、言うことを聞くんならちゃんと全部聞いてくれればいいのに…
ちょっとだけ素直じゃないのは分かってるけどさ」
なつみはそう呟くと佇まいを正す。
「じゃあ、お姉ちゃんはもう行くけど、あさ美はちゃんと勉強してるんだよ」
「うん。ありがとう」
忙しいなか自分のことを気遣って見に来てくれた姉に礼を言うと、気にしないでと
ばかりににっこりと微笑み、軽く手を振って部屋を出て行った。
ドアが音を立てて閉まるのを見送ると、紺野は振っていた手を降ろす。
訪問者がいなくなった部屋には時計の音と、時折部屋の外を通る人の足音のみが
聞こえていた。
突然手持ち無沙汰になったので、再び窓の外に目を向ける。
- 571 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2006/06/30(金) 10:03
- そこには先ほどと同じように散歩をする人々がいた。
ただ少しだけ人数が減っている。
気がつけば太陽の位置も変わっていて影の長さもだいぶ伸びていた。
視線を少しだけ遠くに飛ばすと木々の間からビルが並んでいるのが見える。
少し前までは毎日見ていたビル群なのに、今見ると少しだけ違うものに見えた。
ああいうビルではきっとたくさんの人たちが忙しそうに働いているんだろう。
目標を持って仕事にまい進している人がいて、上司の悪口を言っている人がいて、
ひたすらお客さんに謝っている人がいて、成果を上げて褒められている人がいて…。
誰もが日常を繰り広げているのだろう。
ふと視線を部屋の中に戻す。
そこには自分以外に何も空気を動かす存在がなく、逆にそれが空気を淀ませている
気がして。
そしてそれはそのまま時間をも淀ませている気がする。
- 572 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2006/06/30(金) 10:03
- 取り残された空間。
日常から切り離された。
時間が止まっている空間。
余計なことを考える。
先ほど姉が言っていた言葉。
的を得ていた。
きっと余分なことなんだろう。
でも今までの生活とあまりに違っていたからどうしても頭に浮かんできてしまう。
余計なことが。
それは突然のことだった。
まだ入学して半年しか経っていなかった。
中学校での生活にも慣れてきて、先生たちにも名前を覚えられていた。
成績も先日の中間テストで初めて学年で3番を取ることが出来た。
次は1番を狙っていた。
陸上部に入って、先日の中体連ではいい成績を残せていた。
周囲の期待も大きくなってきていたところだった。
自分の明日は光に溢れていた。
これから楽しい未来が待っているはずだった。
- 573 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2006/06/30(金) 10:04
- それがたった一瞬で、崩れ去ってしまった。
あの日、私はいつもどおりロードワークに出ていた。
いつものコースを快調に走っていた。
顔に当たる風が少しだけ肌寒かったことを覚えている。
道脇の家々からは木が枝を張っていて赤や黄色の原色が視界を埋め尽くしていた。
そして木々の中には秋の味覚を実らせているものもあった。
そんな景色を楽しみながら十字路に差し掛かった。
不意に視界を遮るものが見えた。
耳に響く音。
トラックのブレーキ音。
聞こえる悲鳴。
何が起きたのか全く分からなかった。
痛みも何もなかった。
ただ身体全体が異様に熱かった。
気がつくと普段は足元にある道路が何故か顔のすぐそばにあった。
そのことだけが不思議だった。
- 574 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2006/06/30(金) 10:04
- そして再び目を瞑ると次の瞬間、気がついたら病院のベットの上で、姉が心配そうに
自分を覗きこんでいた。
全く分かっていなかった。
自分が事故にあったことも。
身体が動かなくなっていたことも。
そして
ささやかな日常が奪われたことも。
原因はトラックの一時停止無視。
住宅街を有りえないスピードで走っていたトラックが偶然通りかかった紺野を撥ねた
とのことだった。
ただ、紺野にとってはそんな理由などどうでも良かった。
それは理解していないだけなのかもしれないが、なにしろ急に世界が暗転して
気がついたら病院のベットの上だったのだ。
ちゃんと理解しろというほうが難しい。
紺野がひとつだけ分かったことは、自分の日常が奪われてしまって、この切り離された
空間に閉じ込められてしまったということだけだった。
ここでの自分は決められた時間に起きて決められた時間に食事をして決められた
時間に寝る。今までも毎日同じ時間に起きたり寝たりしていたけど、ここでは
強制的にされてしまうからなんだか命令されて動いているような気がして、
なんだか窮屈だった。
ただ自動的に出されたものを食べて、決められた時間に寝ていた。
- 575 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2006/06/30(金) 10:05
- 光り輝いていた未来が没収されて、機械のような人生が与えられた気がした。
痛む足が自分の未来をさり気なく教えてくれていた。
医者に言われなくても自分で分かる。
自分の身体だもの。
きっと元通りにはならないのだろう。
石膏で固められているというのもあったが、足の筋肉が硬直していることが感じられる。
恐らくリハビリというやつをするのだろうが、とても元通りになるとは思えなかった。
だから紺野は塞ぎこんでいた。
お見舞いに来る友達や部活の仲間を出迎えながら。
様子を見に来る家族や姉の相手をしながら。
誰にもばれないように仮面のような笑顔を浮かべながら。
そして時々、1人になると涙をこぼした。
自分を待つ未来を嘆いて…。
誰にも気づかれないように深夜1人で…。
- 576 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2006/06/30(金) 10:05
-
その日の夜も部屋で1人涙をこぼしていた。
しばらく声にならない嗚咽を上げると、少しだけ落ち着いてきた。
そのまま窓の外を眺めていたが、ふと外に出たくなった。
部屋の脇に立てかけてある松葉杖を取ると、それを支えに立ち上がる。
外履き用の靴を履くと、部屋の扉を開ける。
廊下は薄い電気こそ点いているものの、ひっそりとしている。
時間が時間なだけにほとんどの人が寝ているのだろう。
時間が時間なだけに…。
そこまで考えて、今の時間帯に気づく。
この時間は病院の外には出られない。
せっかく靴を履いたのに。
ただ、ふと思いついただけだったから、それほど外に出たいわけでもなかった。
- 577 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2006/06/30(金) 10:06
- とりあえず部屋から出たことだし、せっかくだから病院内を散歩することにした。
まあ、堂々とウロウロすると看護師さんに怒られるから、こっそりと。
時間も深夜を回っているということがあり、紺野はなるべく足音を立てないように
慣れない松葉杖を操って、廊下をゆっくりと移動していった。
すると階段が目に入る。
そういえば他の階には行ったことがなかった。
それにこれからしばらくは松葉杖を使っての移動になるのだから今のうちに
慣れておかないと。
久しぶりに部屋の外にでたせいか、最近自分を覆っていた無気力感がなりを潜めて、
妙に前向きな気持ちになっていた。
健康なときには気づかなかったが、階段というのは松葉杖で上るには段差が急に
出来ていた。
病院なのだからその辺り気遣ってくれればいいのに…
頭の中に病院に対する不満が出てくるが、よく考えたら自分が勝手に階段を登っている
だけなのだ。たぶん看護師さんに言えば、エレベーターを使ってくださいという
当たり前な答えが返ってくるだけだろう。
- 578 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2006/06/30(金) 10:07
- 四苦八苦しながら階段を登っていると、いつのまにかひとつ上の階に着いていた。
全く同じ造りにも関わらず、何故か全く違う空間のように思えるその階に、少しだけ
興味が湧いた。
ちょっとした冒険心が紺野を動かす。
たまに外に出たことが、紺野の色々なものを刺激したらしい。
ゆっくりと廊下を移動していると、病室が唐突に途切れた。
妙に空間が空いていた。
どうやらほとんど自分のいる階と同じらしいが、一部分だけ異なっているらしい。
ちょうど広さは10畳くらい。
床を見ると何やら物が置いてあったあとがあった。
広さから考えるともしかしたらソファやテレビが置いてあるスペースだったのかもしれない。
ただ、なんらかの理由で撤去したのだろうか、それとも新しく何かを置くのだろうか。
そんなことを考えながら歩みを進めようとして、ふと気づく。
そこに"誰かがいる"
こんな夜中に。
誰もいない雰囲気なのに。
- 579 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2006/06/30(金) 10:07
- ここは病院ということを不意に思い出す。
友達の怪談話では、よく病院が出てきてた。
テレビで怖い話をする人も"病院が"とか言っていた。
急に怖気づいた紺野が慌てて引き返そうとしたとき、不意にその立っている人物が
こちらを見ていないことに気がついた。
怖くてたまらないのに、見たくてたまらない。
人間のもつ恐怖心と好奇心を天秤にかけると好奇心が勝つという。
今の紺野はまさにそんな状態だった。
好奇心が勝った紺野はそっとその人物に目を凝らす。
そこで思わず固まる。
その人物は全くこちらに気づいておらず、ひたすらに窓の外を眺めていた。
窓から差し込んでくる月明かりによって、ちょうどその人がいる場所だけが照らし
出されている。スポットライトに照らされているかのようなその姿が浮かび上がっていて、
何もないその周囲の空間は、まさに舞台の上のようにも見えた。
- 580 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2006/06/30(金) 10:08
- 切れ長な瞳。
スゥッと通った鼻。
強い意志を感じさせる眉。
綺麗に整った顔立ちをしていた。
そしてスラっと、綺麗に伸びた足。
窓の外を眺めるその人は近寄り難い雰囲気を醸し出していた。
そして青白い月明かりは、その人を神秘的に見せていた。
決して触れてはいけない、人間とは交われない存在のような。
誰も通らない病院は妙に静かで、まるで時間が止まっているように感じられた。
ただ、今まで紺野が感じていた淀んだ止まり方ではなく、この空間を大事に
切り取ったような感覚。
それはまるで神様が、この美しい空間が汚されるのを避けるために大切に
しまっておいたかのように。
- 581 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2006/06/30(金) 10:08
- 紺野はしばらく瞬きすることなく、その光景を眺めていた。
そして静かに廊下を引き返した。
話しかけてはいけない神聖な印象があった。
自分が踏み込むことによって、穢すようなことがあってはならない空間。
- 582 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2006/06/30(金) 10:09
-
一方的な邂逅。
それが私達の出会いだった。
- 583 名前: 投稿日:2006/06/30(金) 10:09
-
- 584 名前: 投稿日:2006/06/30(金) 10:09
-
- 585 名前:前頭三枚目 投稿日:2006/06/30(金) 10:11
- 更新しました。
北海道編、予定では4回で終了します。
ただ、来月から作者の仕事や住環境等全て激変するため、現時点ではネットが
繋がる環境なのかも判明していない状況です。
次回更新がなかった場合は、そっと哀れんでください。
>>549-557
レスありがとうございます。
まとめての返レスですいません。
レスを頂けるのは励みになります。
もし続けることが出来れば引き続きよろしくお願いします。
- 586 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/07/01(土) 12:24
- 更新ありがとうございます。
なるほどぉ……焦らされてるような(笑)
ですが、そちらも大事なところ。
やにやら作者様ご本人も大変なようですが、次回があることを祈っています。
- 587 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/07/02(日) 02:24
- 更新お疲れさまです
色々大変みたいですが更新していただけることを願ってます
- 588 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/07/02(日) 03:32
- >>587
作者さんがsage、ochi進行でって言ってるんだからレスつける時は気をつけようね。
そんな訳で一応落としておきます。
- 589 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/09/16(土) 03:20
- 待ってます
- 590 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/10/14(土) 02:55
- いつまでも待ってますから
- 591 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/11/03(金) 01:07
- 同じくいつまでも待ってます
- 592 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/11/19(日) 20:48
- 待ってます
- 593 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/01/08(月) 21:14
- まってます
- 594 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2007/01/08(月) 22:53
-
「ねえ、本当に知らない?」
「だから知らないよ〜」
紺野は次の日の朝、検診にきた姉に何度も尋ねてみた。
昨日見た人がどんな人なのかどうしても知りたかった。
綺麗な人。
その印象は強かったが、気になった。
あの瞳が。
儚げに細められた、切れ長な瞳に吸い寄せられた。
だからどうしてもどこにいるのか突き止めようと思った。
夜中に病院にいたのだし、来ていたものも病院服だった。
あれほど綺麗な人なのだから、きっと病院内でも噂になっているだろう。
特におしゃべり好きな姉であれば知っているに違いない。
そう考えて部屋に来た姉を捕まえたのに、その返事はつれなかった。
- 595 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2007/01/08(月) 22:53
- 「でも昨日見たんだよー、夜中に上の階でー」
「だったらそのほうが問題だべさ。夜中に1人で、しかも違う階に出かけるなんて!」
やぶへびだったようで、なつみが少しだけ怒った顔をする。
しかし極度な童顔である姉が怒った顔をしても全然迫力がない。
それどころか、人によってはその可愛らしさを強調しようとしているのかと
勘違いしてしまうことだろう。
とりあえず実の姉妹である、あさ美には意味のないことではあったが。
「まあ確かに、あさ美と同じくらいの子ならこの病棟には2人いるよ」
「ほ、本当!?」
あさ美の行動を咎めながらも、質問にはきっちりと応えてくれた。
その言葉を聞いて、あさ美は思わず身を乗り出した。
「でも、1人はどんぐりまなこだよ」
「じゃあ、もう1人は?」
「うーん、もう1人は確かに切れ長な目をしているけど…」
「本当?なんて名前の人!?」
- 596 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2007/01/08(月) 22:54
- やはりなつみは知っていたのだ。
そして昨日の人は入院している人なんだ。
だが、なつみを見てみると少し困惑したような顔をしている。
「でも、その子…物静かじゃないよ?」
「へ?」
思わず口が開き間の抜けた表情となる。
「むしろ正反対かな。いつもうるさいし、わがまま言うし」
「そうなの…?」
なつみは少しだけ困ったような表情を浮かべて笑っていた。
苦笑。
国語の時間に習った言葉が思い浮かぶ。
目の前にいるなつみは間違いなく苦い笑いをしていた。
「だから、あさ美が見た人はこの病棟の人じゃないと思うよ?」
「そうかな〜」
「だって思い当たる人いないし。もしかして、幽霊だったりして!」
「は?」
- 597 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2007/01/08(月) 22:54
- 突然なつみの顔がいたずらっぽいものに変わる。
「だ〜か〜ら、あさ美が見たのは幽霊なんだよ。なんてったってここは
病院なんだから。いたっておかしくないべさ」
ふぅ
目の前で分かりやすいくらいのオーバーアクションでため息をついてみせる。
「なにさ〜ため息なんかついて〜」
そんなあさ美を見ても、なつみは楽しそうだった。
「まったく…悪いけどわたし、霊感とか全然ないから。そんなことよりあまり
ここにいるとまずいんじゃないの?もう30分くらい経つけど」
「ええー!?そ、そんなにいた?やばい!」
あさ美の言葉に慌てて時計を確認すると机に放り出していた道具を手に取る。
- 598 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2007/01/08(月) 22:55
- 「じゃあ、おとなしく寝てるんだよ!」
言葉半分はドアの向こうから聞こえてきたものだった。
相当慌てているのだろう。
ドア越しに遠くのほうで何かがぶつかる音や悲鳴が聞こえてきた。
よくあんな抜けている姉が看護師なんてやっているものだ。
ドジなナースというのはリアルでいると患者にとっては恐ろしいだけだ。
なつみが部屋から去ると、途端に部屋の中は静けさに包まれる。
すると、紺野の中にモヤモヤとしたものが湧き出てくる。
1人でいると悪いことばかり考えてしまう。
怪我をする前の自分はそんなことはなかったのに。
胸の中のモヤモヤを吐き出そうと大きく息を吐く。
「…ハァ…」
少しだけ何かが抜けたような気がした。
モヤモヤしたものと
大事なものが。
- 599 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2007/01/08(月) 22:56
- そういえば誰かが言っていた。
ため息をすると幸せが逃げるって。
今まではそんなこと言われてもピンと来なかったけど、今の自分にはよく分かった。
もしかしたら今まで自分がしていたため息は違っていたのかもしれない。
今、自分が出したものが本当のため息なのかもしれない。
嫌なことに気づいて、再びため息をつきそうになり、慌てて口を塞ぐ。
これ以上不幸せにはなりたくない。
ため息にならないようにそっと息を吐き出していると、部屋のドアがノックされる。
「こんにちは〜リハビリの時間ですよ〜」
あさ美が返事をすると、リハビリの時間を告げる声が聞こえてきた。
姿が見えないのをいいことに、あさ美は少し眉をひそめた。
先ほどから胸の中を巡っているモヤモヤとした気持ち。
その原因のひとつは間違いなくこのリハビリだった。
いや、リハビリ自体に対するものではなく、リハビリに意味を見出せないことだった。
医者はリハビリをすれば、足は日常生活をこなすには問題ないくらいのレベルには
回復すると言っていた。
それは確かに喜ばしいことだ。
自分の足で歩けるのだから。
だが、あさ美はまだそれに満足できるほど自分の状況を把握できていなかった。
- 600 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2007/01/08(月) 22:56
- つい先日まで全く問題なく出来ていた行為なのだ。
何故それが出来ないのか。
そして自分が欲しいものはそんなものではなかった。
また走りたかった。
また挑戦したかった。
もっと速くなりたかった。
走れるようにならないならリハビリなんてやりたくない。
それはあまりにも子供じみた発想。
だが、あさ美はまだ子供だった。
だが、あさ美は聡い子でもあった。
自分が我がままな考えをしているのは分かっている。
でも、そうでも思わないと自分の気持ちに整理を付けられなかった。
冷静な我がまま。
ある意味、性質の悪い状態だった。
ただ、そんな精神状態で行われるリハビリは当然のことながら、うまくいくものではなかった。
- 601 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2007/01/08(月) 22:57
- 今日も大した進展もないまま、リハビリを終える。
リハビリを担当している看護師も不満そうな視線を紺野に向けているのが分かる。
まだ具体的には口には出していないから、紺野が気にしすぎているのかもしれないが。
事務的に食事を済ませると、早くも消灯の時間がやってくる。
病院の夜は、いつだって早い。
物静かな病室で外を眺める。
そこには、昨日と同じように月がひっそりと浮かんでいる。
夜空に浮かんだ月は、青白く不思議な雰囲気を醸し出していた。
あの人は、今日もいるのかな…
月を見ているうちに、昨日見かけた人のことを思い出した。
あの人の雰囲気と、月の雰囲気が重なって。
姉は、そんな人はいないと言っていたが、間違いなく自分はこの目で見た。
とても綺麗な人だった。
美しく、貴い人に思えた。
- 602 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2007/01/08(月) 22:57
- あさ美は、立てかけてあった松葉杖を取り寄せて、慎重に立ち上がる。
さすがにここ数日で、足を庇いながら立ち上がる動作には慣れていた。
昨日と同じようにそっと扉を開くと、周囲に誰もいないことを確認する。
ゆっくりと慎重に歩を進める。
何故だか、昨日よりもスムーズに歩ける気がする。
そして、リハビリの時より、きっと今は前向きな気がする。
階段を四苦八苦しながら登り終えて、通路を歩く。
しばらく歩くと少しだけ広いスペースが見えてくる。
あさ美は、通路とそのスペースの境目まで来ると、そっと顔だけ出した。
なんとなくその空間に入ることが躊躇われたから。
窓がある場所に目を向けると、その場所には昨日と同じように、人がいた。
そしてその人は間違いなく、昨日見かけた人と同じだった。
昨日と同じ姿勢で、窓の外の月を見ている。
昨日と異なり、その人がいるという前提で今日は来ているので、驚かずに
冷静に観察することが出来た。
改めて見ても綺麗な人だった。
だが、落ち着いて見ているからだろうか。
なんだか、その瞳が寂しげに思えた。
そして、そのことがなんだか、この綺麗な人を身近に感じさせた。
あさ美はぐっと息を飲み込んだ。
- 603 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2007/01/08(月) 22:58
-
近づいてもいいのかもしれない。
昨日は、その空間を穢したくなくて、その場で踵を返した。
だが、今日は逆にその空間に入りたかった。
その寂しげな瞳を見たら、逆に入らなければいけないような気がしていた。
あさ美は意を決して、一歩踏み出した。
…つもりが、思いっきり躓いてしまった。
深夜の通路に響く松葉杖の転がる音。
思いのほか良く響く。
思い切り顔を打ってしまい、思わず涙ぐむ。
痛いし、なんか打ったところが熱い。
手を当ててみるが、幸い血などは出ていないようだった。
ホッとしたが、次の瞬間、自分の置かれた状況を思い出す。
そっと顔を上げる。
バッチリ目が合った。
蛇に睨まれたカエルは、こんな気持ちなのかもしれない。
いや、こんな美しい蛇なら食べられてもいいかも。
そんなことが頭に浮かび始めたころ、その相手の表情に少しづつ変化が現れる。
そして、弾かれたようにその顔が崩れる。
- 604 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2007/01/08(月) 22:59
-
深夜に響く笑い声。
先ほどの松葉杖なんかよりも、もっと大きな声で。
楽しそうに笑う。
あさ美は呆然とそんな姿を見ていたが、段々と自分もおかしくなってくる。
気がつくと自分も笑っていた。
なんだかとても面白かった。
止まらなかった。
- 605 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2007/01/08(月) 22:59
-
- 606 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2007/01/08(月) 23:00
- ひとしきり笑うと、その人はおもむろに話しかけてきた。
「大丈夫?」
その一言で、あさ美は自分がまだ倒れたままだったことを思い出す。
「あ、は、はい。大丈夫です」
慌てて立ち上がろうとすると、松葉杖がないことに気がつく。
「取ってあげるよ」
その人はそう言うと、立ち上がって傍らにあった松葉杖を使って歩き出した。
『この人も足を怪我しているんだ…』
だがあさ美とは違い、器用に松葉杖で歩いていくと、あさ美の松葉杖を拾い上げる。
「はい」
「ありがとうございます」
- 607 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2007/01/08(月) 23:00
- あさ美は礼を言いながらその杖を受け取り、なんとか立ち上がる。
どうやら打ったのは顔だけのようだ。
よりによって顔だけ打つなんて。
あさ美は少しだけ落ち込む。
「ねえ」
そんなあさ美の様子を気にすることもなく、その人が話しかけてきた。
「は、はい?」
「こんな時間に何やってるの?」
もの凄く真っ当な質問。
だが、当然に本当のことなど言えるわけがない。
「まあ、病室にいても眠れないもんね。まったく、今日び小学生でもこんな
早く寝ないっつーの」
あさ美が返答に困っていると、その人は勝手に納得して話し始めた。
しかもその綺麗に整った顔立ちと対照的に、その言葉はかなり乱暴だった。
- 608 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2007/01/08(月) 23:01
- 「は、はあ…」
あさ美がそのギャップには戸惑って、即答しかねていると、その人は
急にあさ美の顔を覗き込んできた。
「ふーん…」
そしてゆっくりと頷いた。
「な、なんですか?」
「さては、リハビリが嫌なんでしょ?」
思わず目を見開く。
何も言ってないのになんでこの人はそんなことが分かるんだろう。
あさ美が驚いて黙っていると、その人は少し自慢げに笑った。
「だって、そんな顔してるもん」
思わず顔を手で触る。
そんな分かりやすい顔をしているのかな?
- 609 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2007/01/08(月) 23:01
- 「顔に書いてないって!」
そんなあさ美の様子を見て、またその人が楽しそうに笑った。
楽しそうに笑う姿をあさ美が困った表情で眺めていると、そんな様子に
気づいたのか、その人が笑うのを止めてこちらを向く。
「ごめんごめん、あまりにも分かりやすい行動するからさ」
「は、はあ…」
「あんた、面白いね」
なんだか良く分からないが気に入られたみたいだ。
「ここに入院してるの?…って、こんな時間に松葉杖ついて歩いてるんだから
当たり前か。そういえばお互い名前を知らないよね。美貴はね、藤本美貴って
言うんだ。あなたは?」
あさ美は、滑らかに繰り出される話に戸惑っていたが、美貴がじっとこちらを
見ているのに気がつき、ようやくたった今、自己紹介をされたことを思い出した。
「あ、わ、わたしは紺野あさ美です!」
すると美貴は人差し指を口元に当てた。
- 610 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2007/01/08(月) 23:02
- 「しーっ!声が大きいよ」
「す、すいません…」
慌てて口を押さえると、美貴はその様子すら楽しそうに眺めていた。
「そうそう。気をつけて話さないとね」
そう言ってウィンクして見せた美貴の姿に、あさ美はしばらく見とれてしまった。
「せっかくだし、少し話す?この階では、見かけたことがないけど、違う階?」
「あ、はい。1つ下です」
「そうなんだ。美貴はこの階なんだ。もう1ヶ月以上になるかな。えーと、紺野さんは?」
「わたしは2週間です」
「そうなんだ。それでリハビリに挫折?」
「なんで分かるんですか?」
何故まだ会ったばかりなのにそんなことが分かるんだろう。
あさ美は不思議で仕方なかった。
「あーまあ、そうかなって、さ」
だが美貴の口からは、はっきりしたものは返ってこなかった。
- 611 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2007/01/08(月) 23:02
- 「それよりさ、どうしてこんな時間に、こんなところウロウロしてるの?」
微妙な雰囲気を振り払うように美貴が明るい声を出す。
「えっと、まあ、気分転換…でしょうか?」
「いや、美貴に聞かれても」
美貴が困った表情を浮かべる。
そして、あさ美も戸惑った表情を浮かべる。
「そうですよね。…あの、藤本…さんこそ、どうしてこんな時間に?」
ふと思いついて、質問に質問を投げ返してみる。
こんな時間にウロウロしていたのは、多分美貴が先だ。
「はは、美貴のことは、美貴って呼んでいいよ」
だが、美貴は違うところが気になったらしい。
「はあ、…じゃあ、美貴…さん」
戸惑いながら、あさ美が名前を呼ぶ。
- 612 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2007/01/08(月) 23:03
- 「なんですか?コンコン?」
いきなりフレンドリー。
「こ、コンコン??」
「うん。紺野の紺でコンコン」
「なんかキツネみたいですね」
すると美貴は、じっとあさ美の顔を見つめる。
いきなり顔を凝視されて、あさ美が戸惑いながら顎を引く。
「な、なんですか?」
「キツネというより、タヌキに似てない?」
「ひ、ひどいです…」
いきなりの美貴の発言に、あさ美は目を丸くしたあと、軽く俯いてみせる。
「じょ、冗談だよ、冗談。目が大きくて可愛いなって思ってさ。キツネというより
タヌキかなって思っちゃってさ。でも、それも可愛いって意味でさ…ごめんね」
慌てた美貴が自らの発言に、微妙なフォローを入れる。
すると、あさ美は何事もなかったかのように顔を上げる。
- 613 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2007/01/08(月) 23:03
- 「なーんて、ウソですよ。良く友達に言われますから気にしてないです」
しれっと言い放ったあさ美の顔を、美貴は少しだけ驚いた表情で見ていた。
しばらくその体勢で固まったままだったが、やがてボソリと呟く。
「………その友達は正直ものだね」
あさ美が俯く。
「…やっぱりひどいです」
「あーっ、やっぱり冗談だってば」
慌てて否定。
「こっちもウソです」
しれっと返答。
- 614 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2007/01/08(月) 23:04
- 「……」
「……」
沈黙。
「タヌキ」
「ひどいです」
沈黙。
にらみ合いが続く。
「ふふ」
「ふふ」
やがて2人の口から笑いが漏れ始める。
そして深夜に控えめな笑い声が響く。
久しぶりに同年代と話したからだろうか。
2人は普段では考えられないくらい、急速にお互いに親近感を抱いていった。
そして、そのまま夜が更けるまで話し込んでいた。
それから2人は、毎晩同じ時間に同じ場所で会い続けた。
決して昼間ではなく、深夜のその時間、その場所で。
お互いに、暗黙の了解のように。
- 615 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2007/01/08(月) 23:04
-
- 616 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2007/01/08(月) 23:05
- 窓から差し込む日差しが目に痛い。
連日の夜更かしで、あさ美は少し寝不足になっていた。
「ふあ〜ぁ」
堪えきれずに、あさ美がアクビをする。
すると家からの荷物を持ってきてくれていた非番の姉がそれを見て呆れる。
「なに、あさ美。まだ眠いんかい?どうせ消灯後もこっそり起きてるんしょ。
ちゃんと寝ないとだめだべさ」
あさ美は、その声を聞こえない振りをする。
窓の外へ視線を流す。
そこには相変わらずまぶしい太陽があり、色々な人々を照らしていた。
最近は、月ばかり見ていたせいか、太陽の日差しが凶悪なものに思えてきた。
全てを照らしつくしそうな。
自分と美貴を温かく包み込んでくれる月とは違う。
- 617 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2007/01/08(月) 23:06
- 唐突に思う。
もしかしたら、もう自分は太陽が似合うことのない人間になってしまったのかも
しれない。
1人で考え事をしていると最近は暗いことばかりふと思いつく。
気持ちが顔に表れたのか、姉があさ美の顔を見て軽いため息をつく。
「まったく。大丈夫かい?今日も体調悪いからって言ってリハビリやらなかった
んだって?ちゃんと寝て、リハビリして、早く直さないとダメだよ?友達もこ
うやって千羽鶴作ってくれてるんだし」
そう言って姉は、部屋の隅にかけてあるクラスメート達からの千羽鶴を手に取る。
その千羽鶴は色とりどりの折り紙で作られていた。
そしてその脇にはクラスメートや部員からの寄せ書きが置いてあった。
どれも内容は似たり寄ったりだった。
がんばりなよ。
がんばれ。
あさ美には、その声が今にも聞こえてくるようだった。
だが、その声は、あさ美には届いていなかった。
いや、届いていたが、届けて欲しくなかった。
- 618 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2007/01/08(月) 23:07
- あさ美は、ため息をついてから、布団を頭からかぶった。
姉はその姿を見て、もう一度ため息をつく。
「あのね、リハビリはやらなくちゃ行けない時期があるんだよ?それを
逃すと今度は、なかなか元に戻りづらくなっちゃうよ」
看護師をやっている姉が言うのだ。
間違いはないのだろう。
だが、それでもあさ美は布団をかぶったままだった。
今のあさ美の頭の中を支配していたのは、もう足が元のようには戻らない
という考えだけだった。
もうあの風を
もうあの空気を
もうあの景色を
もうあの気持ちを
―――味わえない。
あさ美にはそれで十分だった。
幼い頃から走り続けてきた。
それがもう出来ない。
夜の美貴との時間は、ひと時だけだが、そのことを忘れさせてくれた。
あさ美は、ただ夜だけを待った。
- 619 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2007/01/08(月) 23:07
-
- 620 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2007/01/08(月) 23:07
- 「こんばんは、美貴ちゃん」
「こんばんは、紺ちゃん」
何度か会ううちに、2人の呼び名は落ち着いてきた。
そして2人の座る場所も落ち着いていた。
窓枠に腰掛ける美貴と、それを近くの折りたたみ椅子に座って眺めているあさ美。
月明かりに照らされる美貴の顔を見るのが密かな楽しみだった。
青白く照らされた美貴の顔は、やはり近くで見ても神秘的だった。
「どうしたの?紺ちゃん」
「へ?」
いつものようにさりげなく美貴の顔に見とれていると、ポツポツと話していた
美貴が少しだけ遠慮がちな表情で聞いてきた。
「なんだか、今日の紺ちゃん、少し暗いね」
ドキリ。
自分の雰囲気が相手に伝わってしまったことに少しだけ動揺する。
- 621 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2007/01/08(月) 23:08
- 「そ、そんなことないですよ」
そう言いながら、いつもの場所に座る。
だが、いつもは聞こえてくる美貴の声が聞こえてこない。
少しだけ視線をずらしてみると、美貴はこちらを見つめたまま黙っている。
いつもとは違う沈黙だけが二人の間に流れていた。
そんな中、美貴の言葉であさ美は昼間の出来事を思い出す。
聞こえない振りをして布団をかぶった。
でも分かっていた。
やらなくちゃいけないことは。
頑張らなくちゃいけないことは。
でも、どうしろというんだろう。
走ることが好きだった自分は。
走りたい自分は。
走れなくなった自分に。
どう頑張ればいいんだ。
そんな思いだけが頭の中に渦巻いていた。
それがいつの間にか顔に出てしまっていたらしい。
- 622 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2007/01/08(月) 23:09
- 「なんか悩んでる?」
美貴は真っ直ぐに見つめてきた。
まるで心まで見透かさんとするように。
あさ美にはそれが少しだけ怖かった。
「嫌なんです…」
だが、その真っ直ぐな瞳に押し出されたのか。
心のカケラが零れ落ちた。
「走れないのが…」
1つ落ちたら、ポロポロと落ちてきた。
「走りたいのに、走れなくて……好きだったのに。風が気持ちよくて地面を
踏みしめて景色が変わって色々な顔を見せて秋には甘い匂いがして朝には
スズメが鳴いてわたしはいつでも走っていていつでも好きなときに好きな
場所に行けて猫がわたしに鳴いて見せて…」
- 623 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2007/01/08(月) 23:09
- 止まらなかった。
言葉が滝のように。
「でも頑張れって走れないのにもう二度と走れないのに頑張れって走れる人たちが
走れないわたしに頑張れって走りたいのに走れなくて頑張れって頑張るって何を
頑張るって何?頑張る頑張れ何言ってるのって思ってお姉ちゃんが千羽鶴持って
リハビリしろって」
「紺ちゃん」
美貴の呼びかけに言葉の洪水が止まる。
だが逆に目からは止め処ない涙が溢れてきた。
止まらなかった。
入院してからの重い重いをすべて吐き出すかのように、止まらなかった。
美貴は何も言わずに立ち上がった。
先ほどまでとは打って変わった静かな表情。
まるで別人のような。
「そっか…」
- 624 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2007/01/08(月) 23:10
- 静かに美貴は呟いた。
その言葉であさ美は、我に返る。
そして今、自分はもしかしたら胸のうちにあった暗澹とした思いを全て
ぶちまけてしまった様に思えた。
思わず顔を抑える。
顔が熱い。
もしかしたら、初めてかもしれない。
こんな自分の中の暗い部分を誰かに見せてしまったのは。
あさ美は無性に恥ずかしくなった。
自分にこんな考えがあることを誰かに知られることが恥ずかしかった。
知らず俯いてしまう。
程なく沈黙が2人を包む。
もともと人が活動している時間ではない。
遠くで小さくサイレンの音が響いているだけ。
- 625 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2007/01/08(月) 23:11
- しばらく口を閉ざしていたが、ふと美貴の足に目が行った。
自分と同じように包帯が捲かれている。
そういえば以前、1ヶ月以上入院していると、美貴は言っていた。
怪我の理由も、怪我の内容も聞いていなかった。
自分よりも、もしかしたら酷い怪我をしているのかもしれない。
お互いに、自分の怪我のことには触れてこなかった。
普通なら入院していると、真っ先に触れられる話題なのに。
自分はそんなことを意識していなかった。
だがもしかしたら美貴が、意図的にそんな話題を出さなかったのかもしれない。
同じ場所の怪我。
だが、お互いに違うものを背負い込んでるのか。
あさ美の視線は、自分の膝と美貴の膝を行き来する。
すると美貴はそんなあさ美の視線に気がついたのか、苦笑いを浮かべる。
そっとあさ美の頭に手が置かれる。
- 626 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2007/01/08(月) 23:12
- 何も言わずに。
ゆっくりと頭を撫でられる。
あさ美は、そのままゆっくりと目を閉じる。
何故だかそのときはそうするのが、自然に思えた。
しばらく撫でていた手が止まる。
「ちょっと疲れちゃったよね…わたしたち…」
先ほどまでと少しだけ違うトーンの声が聞こえる。
まるで独り言のように。
だが、逆にそんなトーンだからだろうか。
あさ美の心に、すっと入ってくる。
「ちょっとだけ休もうか…」
ここにいるのは自分だけだったが、その言葉はあさ美だけに向けられていない
ようにも思えた。だが同時に、その声は間違いなく自分にも向けられていた。
そんな不思議な感覚。
- 627 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2007/01/08(月) 23:12
- 「はい…」
自分の発した言葉が自分の心に染み渡っていく。
少しだけ休もうかな…。
ちょっとだけ疲れちゃったのかも。
言葉の波紋があさ美の身体に、響いた気がした。
そして自分の返事は、美貴にも届いたように思えた。
もしかしたら自分の声としてではなく。
もしかしたら誰かの代わりとして。
美貴の身体に響いたような気がした。
少しだけ微笑んだ美貴の顔が何かに染み渡る気がした。
沈黙が優しく自分たちを包み込んでいく。
2人を照らす月明かりが、次第に隠れていく。
暗闇は、2人をゆっくりと包んでいった。
- 628 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2007/01/08(月) 23:13
-
- 629 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2007/01/08(月) 23:13
-
それからの私達の接し方は変わった。
夜、皆が寝静まってから会うのは変わらなかったが、二人の間の会話が極端に
少なくなった。
毎日、毎日、静かに、静かに、夜は更けていった。
それはお互いの傷を舐めあう行為だったのかもしれない。
未来に目をつぶった行為だったのかもしれない。
でも私達にとっては、この時間が貴重な時間だった。
同じ時間に同じ星を見て、同じ月を見て、同じ空気を吸っていることが。
―――――そして、私は……
美貴の目が自分を捉えていること。
美貴の口が自分の名前を呼んでくれること。
美貴の手が自分に触れてくれること。
―――――そう、私はいつの間にか……
- 630 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2007/01/08(月) 23:14
-
この目で美貴を見ていたかった。
この口で美貴の名前を呼びたかった。
この手で美貴に触れたかった。
毎日
毎日
毎日。
―――――美貴ちゃんのことを……。
- 631 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2007/01/08(月) 23:14
-
- 632 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2007/01/08(月) 23:15
-
でも、そんな日々に転機が訪れる
- 633 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2007/01/08(月) 23:15
-
- 634 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2007/01/08(月) 23:16
-
「退院?」
「そ。これ以上は入院していても同じだってさ。だから退院」
突然だった。
いつもの時間に、いつもの場所で。
この場所に来ると、いつもの位置に座る前に美貴から突然告げられた。
私達は理由があってこの場所にいる。その理由が無くなれば、当然この
場所からいなくなる。
「そうですか…」
思わず俯いてしまう。
もう会えなくなってしまう。
「まあ、美貴もそろそろこの生活に飽きてきていたし、ちょうど良いよ」
胸が痛い。
サバサバした美貴の口調が余計に心に刺さる。
自分だけだったんだ。
この時間を大切に思っていたのは。
自分の独りよがりだったんだ。
- 635 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2007/01/08(月) 23:16
-
そう思うと知らず涙が浮かんできた。
だが、ふと気づく。
美貴がいつまで経っても、いつも座っている場所に行かずに自分の前に立った
ままなのだ。いつも挨拶をすると立つのは嫌いと言って座ってしまう彼女が。
不思議に思い、堪えた涙がこぼれないようにそっと見上げると、彼女は初めて
見る顔をしていた。でも、初めて見るのに、知っている顔だった。
なぜなら。
その表情はきっと自分と同じ表情だからだ。
だが、あさ美が見ていることに気づくと、すぐにその表情が消える。
そして少しだけ困った顔をする。
「今日さ、言われちゃった」
美貴が唐突に口を開く。
「甘えるな……ってさ」
- 636 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2007/01/08(月) 23:17
- 誰のことを言っているのかは分からなかった。
だが、美貴はその言葉を言うと、自身の頬を押さえて、自分の言葉をかみ締めて
確かめるように目を瞑った。
「美貴さ…逃げてたんだ。大好きなことが出来なくなって…これからのことを
考えたら、逃げ出したくなってさ」
そう言った美貴の瞳は、確かに初めて見たときと同じ、寂しげな瞳をしていた。
「そしたら、看護師さんに言われた。逃げるな…って…。何故か、その言葉…
真希が…友達が言っているように聞こえてさ…」
知らない名前を呼ぶ美貴が少し遠い人に見えて。
あさ美は何と声をかけて良いのか分からなかった。
そして看護師の言葉は自分にも…あさ美にも向けられているようで。
沈黙が2人の間に舞い降りる。
「いつ…退院…するんですか?」
「…明後日」
「急…ですね」
「そう…だね」
- 637 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2007/01/08(月) 23:17
-
何を言えばいいのだろう。
聞きたいことはたくさんあった。
言いたいこともたくさんあった。
聞かなくちゃいけないこともあった。
言わなくちゃいけないこともあった。
でも、言葉が出てこなかった。
全ては頭の中で回っているだけで。
ぐるぐるぐるぐる。
考えれば考えるほど分からなくなって。
想いだけが膨らんできて。
出てこない言葉の代わりに、身体がそっと動いた。
手が美貴の服を握り締めていた。
想いを表すかのように強く握り締めていた。
自身も気づかないうちに。
だが、自身が気づいていなくても、想いは伝わっていた。
美貴は、腕を伸ばし、そっとその身体を包み込んだ。
- 638 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2007/01/08(月) 23:18
-
あさ美は、ただその存在を感じたくて身を預ける。
お互いの鼓動が聞こえる距離で、あさ美は震えていた。
このぬくもりを離したくなかった。
ずっとこの温かさを感じていたかった。
だが、美貴はその身体を静かに離す。
失われたぬくもりを惜しんで、あさ美の手が宙を漂う。
そんなあさ美の様子を見て、美貴はあさ美の髪を優しく撫でる。
そのぬくもりすら惜しくて、あさ美は髪を撫でている美貴の手を自分の手で
包み、頬に寄せる。それを見つめる美貴の目はどこまでも穏やかだった。
「ねえ、紺ちゃん…約束しようか」
その声は深夜の静けさに溶け込むような響きを持っていた。
「…約、束?」
「そう、約束。もう、挫けないって」
「…くじけない…」
美貴の言葉をオウム返しするあさ美。
美貴は言葉を続ける。
- 639 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2007/01/08(月) 23:18
-
「美貴、言われてから、ずっと考えた。今までの自分。今の自分。これからの
自分…。今の自分は…今までの自分を裏切っているんじゃないかって。
今まであんなに頑張ってきたのは、こんな自分になるためだったのかって」
美貴の言葉が少しだけ強くなる。
「美貴は、もう甘えるのを止めにする。紺ちゃんに甘えるのも、看護師さんに
甘えるのも……逃げることを、止める」
美貴の瞳を正面から見つめる。
美貴は初めて見る瞳をしていた。
「もう、絶対に挫けない。挫けてやらない。誰が挫けてやるもんか」
何故かは、分からない。
あさ美の中で、何かが震えた。
言葉ではなく、美貴の眼差しがあさ美の中に入ってきた。
それは怯えや恐怖ではなく、勇気や希望でもない。
でも、きっとこれは大切な何か。
今、美貴が立ち上がる姿が見えた気がした。
身体ではなく、心が立ちあがるのが。
- 640 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2007/01/08(月) 23:19
-
「紺ちゃん…」
決意を秘めた、真っ直ぐな眼差し。
澄んだ、曇りの無い瞳。
「一緒に…行こう?」
自分はきっと強くない。
美貴はきっと強い。
強くなれるんだ。
強さを持っているんだ。
きっと自分はそこまで強くない。
でも、美貴は言ってくれている。
こんな自分に。
そんなあさ美の思いを感じたのか。
美貴は、そっと微笑む。
優しく。
- 641 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2007/01/08(月) 23:19
-
「…大丈夫。…紺ちゃん……。1人じゃ、怖いかもしれない。つらいかもしれない。でも…」
美貴の眼差しの全てが自分に注がれる。
「2人でなら、きっと、頑張れる。美貴と紺ちゃんの2人でなら」
何かに囚われたように身体が動かなかった。
それは温かい何か。
心地いい何か。
そしてあさ美はその温かさを放したくなかった。
眼差しから目を逸らせなかった。
逸らしたくなかった。
その眼差しを見ていたかった。
自分を見ていて欲しい。
美貴の瞳に吸い込まれていく。
他には何も見えなくなる。
美貴の言葉と眼差しだけが入ってくる。
弱気な自分が息を潜めていく。
まるでおまじないの様に。
- 642 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2007/01/08(月) 23:20
-
美貴の手が包み込むように、あさ美の頬を撫でた。
その手から温もりが広がる。
美貴の想いが広がる。
「今度は、笑顔で会おう?きっと紺ちゃんの笑顔はもっと可愛いよ」
その瞬間、確かに、あさ美の胸はトクンと鳴った。
- 643 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2007/01/08(月) 23:20
-
- 644 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2007/01/08(月) 23:21
-
- 645 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2007/01/08(月) 23:21
-
美貴が退院して、3日。
あさ美はリハビリにも積極的な姿勢を見せていた。
美貴のように強く思い立ったわけじゃない。
でも、美貴に置いていかれたくなかった。
どこまでやれるのか分からない。
ただ、やれるところまでやってみようと思った。
「良かったよ、あさ美がやる気になってくれて。どういう心境の変化?」
「へへー、秘密」
看護師たちの言うことにも素直に従うようになった。
姉のなつみに対しても笑顔を見せるようになった。
だが、時々出てきてしまう。
「なーに、あさ美?ため息なんかついちゃってさ」
「え?」
「まるで乙女みたいだべさ」
「……」
- 646 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2007/01/08(月) 23:22
-
いまどき珍しい言葉を使用する姉に冷たい視線を送りながらも、あさ美はどきりとしていた。
ふとした拍子に、思い出してしまう。
会わなくなってから3日しか経っていないのに、自分の頭の中は美貴のことで
埋め尽くされていた。
美貴との約束どおり、頑張っている。
でも、頑張れば頑張るほど、美貴の言葉、美貴の姿、美貴の眼差しが思い出されて、
淋しいという気持ちが大きくなっていく。
たった数週間しか同じときを過ごしていないのに、こんなにも自分の中に美貴は息づいていた。
軽いため息を再びつくと、あさ美は慌てて口元を手で覆う。
また姉に咎められてしまう。
だが、姉にそんな様子は見られない。
不思議に思い、姉を見ていると、その視線に気づいたのか、少しだけ苦笑して口を開く。
「まあ、なっちも人のこと言えないさ。ついつい、色々思い出しちゃって。
あの子、ちゃんと頑張ってるかって…」
「あの子?」
いつも天真爛漫、単純明快を地で行く姉が、こんな静かに喋るのは珍しかった。
- 647 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2007/01/08(月) 23:22
-
「うん…前から騒がしかった510号室の子さ…先日退院したんさ…」
「う、うん…」
ついどきりとしてしまう。
美貴も先日退院したばかりだ。
「その子にさ、きついこと言っちゃってさ…」
「きついこと…?」
「そう。甘えるな…って…」
「…甘えるな…」
「そんで殴っちゃってさ…」
「な、殴ったの!?」
「それが元で担当代えられちゃって。あの言葉が最後の会話になっちゃったべさ…」
もしかして
もしかすると。
「そ、その子って、もしかして、膝を怪我していたりする?」
「あれ?良く分かったべ。あさ美と同じ場所怪我してる子。たぶんあさ美と
同じくらいの子だべさ」
- 648 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2007/01/08(月) 23:23
-
間違いない。
美貴のことだ。
なんてことだ。
こんな近くに美貴との接点があったのか。
「弱気になっているのを見て、つい言っちまったんだべ。前に見たときと全然
違ってたから…」
「前に見た?」
美貴は病院で初めて会ったのではなかったのか。
以前から姉とは知り合いだったのだろうか。
「いや、別に知り合いって訳じゃないんだけど…なっちがバレーボール好きなのは
知ってるっしょ?」
「うん」
「前に中学バレーの全国大会を映したのがあって、友達に借りたんだべ。そしたら
そこにその子が出ていたんだべ。そのときの表情と全然違っていたんさ」
「!」
美貴がバレーをやっていたこと。その話自体は知っていた。だが、美貴は強かったとは
言っていたが、全国クラスだとは一言も言っていなかった。
- 649 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2007/01/08(月) 23:23
-
「お、お姉ちゃん!」
思わず声が裏返る。
「そ、その映したやつまだある?」
「なんだべさ、突然…まあ、友達に焼いてもらったDVDなら家にあるけど…」
「それ見せて!」
「変な子だね、突然。じゃあ、明日もってきてやるべさ」
- 650 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2007/01/08(月) 23:24
-
- 651 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2007/01/08(月) 23:24
- 次の日、なつみは約束どおりDVDを持ってきてくれた。
あさ美は、それを機器にセットすると再生ボタンを押した。
そこには、中学バレーの決勝戦の様子が収めてあった。
そしてその中に、確かに、藤本美貴の姿があった。
今とあまり変わらない…いや、幾分幼い姿であった。
だが、その瞳は、今のものと全く変わらなかった。
いや、正確に言うと、あの夜に見た眼差しと同じものだった。
真っ直ぐに、強い意志を持った眼差し。
観に行った人が自分のデジカメで撮影したものらしく、映像には生の音声のみが
入っていて、解説のようなものは一切入っていなかった。あさ美のバレーボール
に対する知識は、学校の授業で習った程度のものだった。だから、どんなプレー
が凄いのかは全く分からない。でも、それ以上に画面を通しているにも関わらず、
惹きつけるものがあった。伝わってくるものがあった。
- 652 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2007/01/08(月) 23:25
- 画面は固定されている。
選手達をアップにしたりもない。
淡々と試合のみを撮影している。
それにも関わらず、あさ美の目に飛び込んできた。
美貴の笑顔。
そして周囲の選手達。
得点が決まると必ず美貴に駆け寄ってくる2人の選手。
身体全てを使って表現している。
その嬉しさを
その楽しさを
画面は動かない。
視点も動かない。
それにも関わらず、あさ美の目には大きく飛び込んできた。
はちきれんばかりの笑顔。
初めて見た。
初めて分かった。
笑顔の意味が。
あの晩、美貴が言っていた笑顔の意味が。
- 653 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2007/01/08(月) 23:25
-
美貴は、この笑顔を持っている。
この笑顔を待っている。
画面から歓声が伝わってくる。
耳に大きく聞こえる。
観客の声。
選手達の声。
その存在を示すかのように声たちが聞こえてくる。
そして徐々に伝わってくる。
その熱気が。
――――――眩しい…!
何も光っていない。
何も変わっていない。
でも、あさ美には、とても眩しかった。
自分が失っていると思っていた、光が。
そこには溢れていた。
―――――欲しい…
- 654 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2007/01/08(月) 23:26
-
それは喉の渇きにも似た。
凍える中での温もりにも似た。
初めて、心の底からの渇望だった。
試合は接戦ながらも、美貴たちのいる学校が逆転したところだった。
素人目に見ても勢いが違うのが分かる。
プレーの内容はよく分からないが、中心になっているのは、美貴ではなく違う人だった。
可愛らしい笑顔をしている人。
美貴より少し下くらいの年のように見えた。
その人を中心に試合は展開していた。
だが、それにも関わらず、チームの中心にいるのは美貴だった。
美貴がどんなことをしているのかは良く分からない。
だが、得点が動くたびに美貴が皆に声をかけ、皆がそれに応える。
そして更に勢いが増す。
試合はその勢いのまま、美貴たちのいる学校が勝利を収めた。
画面の中では、選手達が抱き合って喜んでいる。
美貴も、知らない誰かと3人で抱き合っている。
その瞳に光るものを浮かべて。
あの笑顔を浮かべて。
- 655 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2007/01/08(月) 23:26
-
―――――あの中に入りたい…
―――――あんなふうになりたい…!
知りたい。
知りたかった。
美貴のことをもっと。
知りたくなった。
バレーボールのことを。
美貴にあの笑顔をもたらしたバレーボールを。
悔しかった。
あんな美貴を知らなかったことが。
自分の前では見せてもらえなかった笑顔。
一度しか見ることが出来なかった眼差し。
- 656 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2007/01/08(月) 23:27
-
羨ましかった。
美貴の傍にいる人たちが。
同じ時間を共有できている人たちが。
陽の下で生き生きとしていた人たちが。
あさ美の中で、様々な感情が渦巻いていた。
もやもやとしたものが頭の中で、胸の中で渦巻いていた。
色々な自分が顔を出した。
きっと足は治らないと弱気な気持ち
今までとは違う苦労と今までと違う未来から逃げ出そうとする気持ち
我がままを言えば聞いてくれる姉や家族に甘えていた気持ち
美貴の顔が思い浮かぶ。
楽しそうな美貴に、温まる気持ち
美貴の傍ではちきれんばかりの笑顔をしている人を羨む気持ち
自分が美貴に近づけていない悔しい気持ち
- 657 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2007/01/08(月) 23:27
-
今の不甲斐ない自分が悔しかった。
美貴の全てを引き出せない自分に腹が立った。
『もう、絶対に挫けない。挫けてやらない。誰が挫けてやるもんか』
美貴の言葉が頭の中に浮かんでくる。
画面はいつの間にか何も映し出していなかった。
だが、あさ美はそれにも気づかず画面をじっと見据えた。
あさ美はじっと聞いていた。
自分の中で息づいたものを。
動き出した心の声を。
今、自分の胸の中心に宿ったものを。
そして、確かに感じた。
今、自分の前に確かに見え始めた。
- 658 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2007/01/08(月) 23:28
- 歩むべき道が。
事故以来、見失っていた道が。
真っ直ぐに、目の前に。
もう、挫けない。きっと。
そして
挫けてあげない。
この道はきっと、美貴へとつながっている道なのだから。
あさ美はDVDを取り出し、それを胸に抱きしめた。
そして、真っ直ぐに背筋を伸ばした。
- 659 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2007/01/08(月) 23:28
-
『今度会うときは、笑顔でね』
ゆっくりと窓際に立ち、窓を開ける。
思いっきり息を吸い込む。
コンコン…
控えめなノックが部屋に響く。
「はあい!」
返事に応えてドアが開けられる。
そして中に入ってきた人が目にしたものは、
陽の光が似合う、晴れやかな、あさ美の笑顔だった。
- 660 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2007/01/08(月) 23:29
-
- 661 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2007/01/08(月) 23:29
-
1ヵ月後、2人は再会した。
光の下。
約束の笑顔で。
- 662 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2007/01/08(月) 23:30
-
- 663 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2007/01/08(月) 23:30
-
- 664 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2007/01/08(月) 23:30
-
この道、確かに通じていたよね。
美貴ちゃん。
- 665 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2007/01/08(月) 23:31
-
- 666 名前:<静止した時の中で> 投稿日:2007/01/08(月) 23:31
-
- 667 名前:前頭三枚目 投稿日:2007/01/08(月) 23:32
-
長らく放置してすいません。まだこのスレを見てくれる人は残っているのでしょうか。
全4回の予定でしたが、あまりに間が開き過ぎたので一気にあげました。伏線回収の
ためと補足説明のための番外編だったりするのですが、ぐだぐだですね…。
次回からは本編に戻る予定です。…が、いつ更新できるかは…。
>>586-593まとめての返レスですいません。ありがとうございます。ご期待に応えることが
出来ていないとは思いますが、たまに立ち寄ってもらえると嬉しいです。
- 668 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/01/09(火) 00:06
- 大量更新ありがとうございます。
信じて待っていて、よもやリアルタイムで出会えるとは……
なるほどこんな感じだったのですね。本編の方もゆっくり待っていますので。
作者様のご都合のよろしいときに。
- 669 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/01/09(火) 00:40
- 更新お疲れ様です。
なんだか涙が滲んできました。
- 670 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/02/01(木) 06:44
- 更新お疲れ様です。
待っててよかったです。
次回の本編も楽しみにしてます。
- 671 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/06/07(木) 21:58
- 待ってますよ
いつまでも
- 672 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/30(月) 16:57
- まだまだ待ちますよ
作者さん頑張れ!!
- 673 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/08/05(日) 14:57
- 亜弥ちゃんとみきたんはどうなってしまうのか気になって仕方ないです
作者さん頑張って更新してくださいね
待ってますので
- 674 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/08/25(土) 11:37
- まだまだ待ちます
いつまでも待ちます
ここまで引き込まれる作品に出会ったのは初めてです
作者さん頑張れ!!
- 675 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/10/23(火) 00:44
- いつまでも待ちますよ
- 676 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/10/25(木) 23:45
- 頑張ってください
待ってます
- 677 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/10/25(木) 23:58
- ageないで下さいね。
- 678 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/11/05(月) 15:21
- まだ待ってみる
- 679 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/11/11(日) 01:21
- 更新待っとります!
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