オンリーローリーストーリー
- 1 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/23(木) 21:27
- 色々と。
更新は遅いです。
- 2 名前:少女たちの終わらない夜 投稿日:2004/09/23(木) 21:27
- 時速60kmで走る車の中から見る景色はゆるやかに流れている。
人が流れ、建物が流れ、木々が流れていく。
時間も、ゆるやかに流れる。
美貴は目的地もなく車を走らせている。街は夕闇が濃くなり始めていた。だというのに
助手席の亜弥はサングラスをかけている。いつもダッシュボードに置いているもので、
それは美貴の私物だったが半分くらいは亜弥の私物でもあったので、彼女がそれを手に
取った時、美貴は何も言わなかった。
夕闇が濃くなる前からかけられているサングラスが、亜弥のプライドを保つために
使われているのだと美貴は判っていたし、そうすることで彼女が少しでも落ち着けるなら
それでいいと思ったから、文句をつけたりはしなかった。
- 3 名前:少女たちの終わらない夜 投稿日:2004/09/23(木) 21:28
- 恋という字を……と、亜弥が小声で歌う。「懐かしいね」美貴は世間話のように応じる。
「どうせなら自分の曲にしたら?」
「……もーもいろーの」
「冗談だよ」
車は目的地もなく走り続け、二人の会話にも目的はなく、そもそも会話になっているの
かも怪しいくらいで、仕方がないので美貴はアクセルを踏み続けた。
フラれちゃったんだよねえ、と、彼女は甘えるみたいに語尾を伸ばした口調で言って、
ああ甘えたいのかとそれで判って、判ったはいいが詳細を訊く気にもならずに「そっか」と
間の抜けた相槌を打ったのは、一時間くらい前の事だった。
- 4 名前:少女たちの終わらない夜 投稿日:2004/09/23(木) 21:28
- いつもと変わらぬ調子のメールで呼び出されて、いつもと違う様子の彼女を見つけて、
気晴らしにドライブをしようと彼女を車に乗せた。
助手席に座ってすぐにサングラスへ延びた手を視界の端に収めた時も、
美貴は仕方がないので黙ってエンジンをかけたのだった。
助手席で、どうしたもんかねえ、と、彼女は老婆にも似た語尾を伸ばす喋り方で、
倦みつかれたように笑って、サングラスをちょこんと耳にかけた。
どうしたらいいんだろね、と、美貴は何も考えないまま適当に答えて、少しずつアクセルを
踏み込んだ。
逢える回数は、少なかったらしい。それが彼女たちの関係にどういった影響を
及ぼしたのか、また及ぼさなかったのかは、美貴の関知しないところである。
- 5 名前:少女たちの終わらない夜 投稿日:2004/09/23(木) 21:28
- 彼女の部屋には風鈴があった。ガラス製の、透明な赤い風鈴で、それは美貴の自宅にも
あったが自分たちで買ったものではなかった。
一緒に行けなかったからせめて、と夏祭りの土産にもらったものだ。亜弥だけでなく、
美貴にも同じ物を買ってきたのは、律儀さゆえという事もあるだろうが、お礼の意味も
含んでいたんだろう。
会えない間、亜弥の寂しさを埋めるのは美貴の役目で、それは美貴だけが負った役目で、
だからいつも、僅かな優越感と共に「まいっちゃうんだけどさぁ」なんて並んで座る二人に
言っていたものだ。
フラれちゃったんだよねえ、と彼女が甘えて来た時も、風鈴はちりんと音を立てていた。
- 6 名前:少女たちの終わらない夜 投稿日:2004/09/23(木) 21:28
- 「元気出しなって」
「元気だよ」
亜弥はサングラスの奥で答える。
恋という字を……。また亜弥が歌いだして、美貴はこっそり溜息をついた。
隠し事を嫌う彼女は、いつでも何かあれば美貴に報告をしていたし、また美貴にもそれを
要求していた。自分の事に関しては、まあ教える事もあれば面倒臭いので言わない事も
あったが、彼女が言ってくることについては全て聞いていた。
「なんかあったら絶対一番に言うからね」と常日頃から口にしている彼女は、上手くいった
時もすぐさま電話をよこしたし、上手くいかなくなってしまった時も、やはりすぐさま
連絡してきた。
だから美貴は、いつも仕方なく車を走らせなければならない。
- 7 名前:少女たちの終わらない夜 投稿日:2004/09/23(木) 21:28
- 走っている車の中で話を聞くのが通例になって久しい。どちらかの自宅では騒ぎすぎると
外に洩れ聞こえてしまうし、かといってその辺の若者みたいにファミレスで話すのも
難しい。
そういう理由から、ある種の密室であり窓を閉めて走っていれば完璧な防音を
手に入れられる車内は、非常に便利な「ナイショ話部屋」なのだった。
そんな密室の中で、二人は仕方なくというように流れる景色を眺めている。
「別にさあ、世の中アイツしかいないってわけじゃないんだしさあ」
常套句ともいえる慰みを、我ながらつまんないなと思いながら口にする。
「まだ全然、亜弥ちゃんとかまだ18なったばっかだし、これからね……もっと」
いい人に巡り会えるよ、と続けるより先に、亜弥が鼻を啜ったので美貴は口をつぐんだ。
- 8 名前:少女たちの終わらない夜 投稿日:2004/09/23(木) 21:29
- ダッシュボードに置かれたポケットティッシュを取り、亜弥に放り投げる。
膝の上に落ちたティッシュを拾い上げた亜弥は、引き出した数枚で鼻をかみ、
新しく取り出した紙をサングラスの隙間に突っ込んで目を擦った。
「てゆーか外せよ」
「やだよ」
亜弥は拗ねた口調で言う。「いいじゃん別に、美貴しかいないんだし」ステアリングを
切ってから、一瞬だけ視線を彼女へ廻した。
「みきたんがいるからやなんだよ」
「なんでさ」
「だって、意地悪すんもん」
こんなに面倒見のいい人間をつかまえて随分な言いようだ。
美貴はアクセルを起こす。時速は50kmまで減速する。
- 9 名前:少女たちの終わらない夜 投稿日:2004/09/23(木) 21:29
- みきたんみたいな人だよ。最初の報告を聞いて、相手はどんな人なのかと尋ねた時、
彼女は照れたように少しだけはにかんで言った。
美貴自身は、会ってみても似ているかどうか、判らなかった。
亜弥に懐かれている自覚はあるし、その彼女が惹かれたのなら、自分では判らない部分で
似通っているものがあるのかもしれない。パーソナリティに関係なく、本質とか性質とか、
そういうような部分で。
だから亜弥はサングラスを外したくないんだろう。
「目、悪くするよ」
「別にいいもん」
「自分の顔見れなくなっちゃうかもよ」
「あー、それはちょっと困るねー」
彼女の喉から掠れた笑声が洩れたが、随分と痛々しい笑いだった。
ひゅん、と鳴るその笑声は、風鈴の音に似ていた。
- 10 名前:少女たちの終わらない夜 投稿日:2004/09/23(木) 21:29
- 恋という字を……。
「みきたんだったら、辞書になんて書く?」
「んー?」
「恋って字のとこに、なんて書く?」
夕闇が濃く落ちている。美貴は仕方なく車を走らせている。
「そうだなあ」
そこに足して……。
「きんにく君とか」
「ばーかばーかぶぁーか」
「三回も言わなくていいじゃん」
美貴は苦笑をして、「別になんも書かないよ」と答え直した。
- 11 名前:少女たちの終わらない夜 投稿日:2004/09/23(木) 21:29
- 「書いたって、意味ないし」
「そうだけどさ」
怒られそうだね、と亜弥が笑って、美貴は相槌代わりに小さく唸った。
揃いの風鈴をもらった日、彼女はにゃははと嬉しそうに笑って、柔らかい和紙に
包まれたままのそれを大事そうに見つめていた。
やったねみきたん、オソロの物増えたよ。
てゆーか喜ぶとこそこじゃないだろ。
そんなやり取りをして、和紙を解いた風鈴を手で持ってちりん、と鳴らした。
風鈴は、今も彼女の部屋で、涼しげに佇んでいる。
- 12 名前:少女たちの終わらない夜 投稿日:2004/09/23(木) 21:30
- 「作詞家さんが一生懸命考えた詞にケチつけちゃってさ」
「だよねー、しつれーだねうちら」
「ねー」
亜弥が話題をすり替えたがっているのが読み取れた。泣きたくないんだろう。
二人だけのこの車内で、他に誰もいない密室で、泣いてしまうのは彼女のプライドが
許さないんだろう。
「なんて人だっけ」
「んー、なんだっけ、結構ヘンな名前だった気がする」
「そうそう! あーっ、この辺まで出てんだけど、この辺まで」
高さを示すように喉元へ手を水平に当てながら亜弥が言う。
「てゆーかさ、またしつれーな事言ってるよね、ヘンな名前とかって」
「言ったのみきたんじゃん」
名前を思い出す事は諦めたのか、亜弥は手を膝に戻して笑った。
- 13 名前:少女たちの終わらない夜 投稿日:2004/09/23(木) 21:30
- 数年前に大ヒットしたその曲を歌ったグループは、しかしその一曲きりで活動を終えた。
よく言う「一発屋」というわけではなく、これから大きく活動するのだと誰もが信じて
疑っていなかったような時期に、唐突に、前触れなしに、神業のような素早さで解散が
発表され、それは返ってファンに強い思い入れを抱かせた。
そういう、誰かの残り香みたいなものが、自らの歌声ばかり聴いている亜弥をして
遠慮がちな鼻歌を歌わせたのかもしれない。
「恋という字を……」
「みきたんが歌わないでよー」
「あっえっなぁーいー」
「自分の曲かよっ」
軽く肩を小突いてくる手があって、それは本当は美貴の身体を包みたがっていた。
それはいつだって美貴だけの役目で、美貴にしか出来ない役目で、だからいつだって、
美貴は仕方なくブレーキを踏む。
- 14 名前:少女たちの終わらない夜 投稿日:2004/09/23(木) 21:30
- ゆるやかに流れる景色は止まり、夕闇に紛れた車は染まり、窮屈に呑まれた亜弥は困る。
「亜弥ちゃん」
美貴はシートベルトを外す。長い間運転をしていたので、肩が重かった。
みきたんみたいな人だよ、と言われて、嬉しくなかったと言ったら嘘になる。
そして、寂しくなかったと言えば、それもまた、嘘になる。
だったらどうして。美貴はそう思うのを止められない。
似ているのなら、共通するものを持っているのなら。もしも、抱いているものが同じなら。
どうして、彼女にこんな思いをさせられる?
シートに頭を預けた。首だけを彼女へ向けて、少年性すら匂わせる深い眼差しで
亜弥を見つめる。
わざとだった。
- 15 名前:少女たちの終わらない夜 投稿日:2004/09/23(木) 21:30
- 「美貴が許してあげる」
途端、亜弥の時が止まり、うろたえる彼女の言葉が途切れる。
「美貴が、亜弥ちゃんを全部許してあげる。美貴が亜弥ちゃんの味方してあげる。
……美貴が、亜弥ちゃんを泣かせてあげるから、いいんだよ」
ああ、と、亜弥がぽっかり空いた溜息を洩らした。
腕が延びてきて、座席を乗り越えるようにして抱きついてきた彼女を受け止めて、
その背中を優しく撫でてやる。
亜弥はサングラスをかけたままで、それでもその隙間から誤魔化しきれない雫がいくつも
こぼれていた。
- 16 名前:少女たちの終わらない夜 投稿日:2004/09/23(木) 21:30
- 「……結構さあ」
「うん」
「結構、本気だったんだよね」
存外しっかりとした声で彼女は言い、それから一度大きくしゃくりあげた。
「あんま、会えなかったり、電話も、けっこ、留守電ばっかだったりで。
でも……本気、だったんだけど」
「知ってるよ。美貴が全部知ってる。だから大丈夫だよ」
恋という字には、何も付け加えられないという事も、知っている。
揃いの風鈴は、本当は数日のうちに揃いではなくなっており、それは「面倒臭いので
言わない事」のひとつだった。
美貴は目を閉じた。
- 17 名前:少女たちの終わらない夜 投稿日:2004/09/23(木) 21:31
- 懐かれている自覚があり、それを受け入れるという事は自身も懐いているという事であり、
つまりは美貴が亜弥をとても大切に想っているという事だった。
ひとつきりの風鈴は、今もあの部屋で揺れている。
今すぐ戻って、風鈴を叩き壊してやりたいと、思った。
「明日から、また頑張ろうね」
「……うん」
亜弥が身体を起こし、助手席へと戻る。何かが吹っ切れたのかサングラスを外して、
ポケットティッシュの最後の一枚で顔全体を拭いた。
全然足りなかったから、美貴は身を捩って後部座席に放ってあったボックスを指先に
引っ掛け、亜弥の膝へ置いた。彼女はそれを取り出して乱暴に顔を拭った。
- 18 名前:少女たちの終わらない夜 投稿日:2004/09/23(木) 21:31
- 帰ろうかと聞いたら彼女が頷いたので、シートベルトを締めなおしてエンジンをかけた。
宵に入り、世界は暗い。亜弥はサングラスをかけない。
愛しい人……と亜弥が歌う。それは消え入りそうな鼻歌で、仕方がないので美貴は
聞こえなかったふりをした。
まる、まる……。消え入りそうだった鼻歌が本当に消えるまで、美貴は聞こえないふりを
し続けた。
「……恋ってのは、終わっちゃうからさあ」
疲れた声で亜弥が言うから、美貴は仕方なく相槌を打つ。
「なに?」
「恋って、終わっちゃうもんだからさあ……」
続きが亜弥の口から発せられる事はなく、代わりというように頭が左肩に乗ってきた。
「危ないって」言っただけで、美貴は帰路を走る。
時速は40kmに落ちた。
- 19 名前:少女たちの終わらない夜 投稿日:2004/09/23(木) 21:31
- 「みきたんとは、ずっと一緒にいる気がする」
「ふぅん」
「なんとなく、そうなる気がすんの」
「そっか」
彼女らしい言い方だと思った。
言い切る事もせず、決めるわけでもなく、ただ予感だけを口にして、美貴に対しても
「ずっと一緒だよ」などという返答を求めないわりに、どこかでそう言ってもらえる事を
期待している言葉だった。
現実的なようで夢見がちなその言葉を、美貴は気付かないふりでやり過ごす。
彼女が夢見る相手は、自分ではないから。似ていようが似ていまいが、それは他の誰かで
あって、美貴自身ではない。
- 20 名前:少女たちの終わらない夜 投稿日:2004/09/23(木) 21:31
- 「丸っていうか、点、みたいなさあ……」
午睡の寝言みたいな口調で亜弥が呟き、美貴は「ふぅん?」と続きを促す。
「終わっちゃうんじゃなくて、まだ先があるっていうか……」
深酒の末の戯言みたいな事を、亜弥はぶつぶつ言い続ける。
「ま、いいんじゃないの、それで」
「うん。それでいいよね」
それでいいのだと亜弥が言ってしまったので、美貴は仕方なく車を走らせた。
- 21 名前:少女たちの終わらない夜 投稿日:2004/09/23(木) 21:32
- 一人でいいんじゃないか、というような事を、亜弥がいない時に言われた事があった。
その「一人」というのが何を指しているか読み取れないほど鈍くはなかったし、
美貴自身、そう思うところもあったから、「かもね」と簡単に答えた。
あの時の会話が二人の関係にどういった影響を及ぼしたのか、また及ぼさなかったのかは、
気にならないわけではないが美貴の関知しないところだった。
恋というのは終わってしまうから、いなくなるのは自分の方がいいんじゃないかと、
向こうが考えたのかどうかは知らない。
もしそう思っていたのなら、美貴は迷わず亜弥の家へ向かってあの風鈴を叩き壊すだろう。
しかし、確かめる気にもならなかった。
- 22 名前:少女たちの終わらない夜 投稿日:2004/09/23(木) 21:32
- 「すっきりした?」
「……ちょっとだけ」
車を止め、今だ凭れかかっている亜弥を押し退けてシートベルトを外す。
訝しげに眉を顰める彼女に「買い物してくる」とだけ告げ、目線で一緒に行くかどうか
尋ねたが動かなかったので、美貴は彼女をそこに置いてコンビニエンスストアに
入っていった。
バイパス沿いにあるそれは、宵が更けた世界の中で、まるで建物自身が光を放って
いるかのように煌々と輝いていた。
目的は飲料だ。壁に埋め込まれた冷蔵庫のドアを開け、適当に物色して籠へ入れていく。
亜弥は派手に泣いたから喉が乾いているだろうし、自分は長時間の運転で疲れていた。
オレンジとかピーチとかが側面に書かれている、なんとなく甘そうな雰囲気の商品を
選んでレジへ持って行った。年かさの店員はちらりとこちらを一瞥して、あとは事務的に
バーコードを読み込んで、清算を終えた後にありがとうございましたとボソボソ言って、
自分の世界から美貴を断ち切った。
- 23 名前:少女たちの終わらない夜 投稿日:2004/09/23(木) 21:32
- 「お待たせー」
ドアを開けてから軽い口調で言い、ビニール袋を亜弥へ差し出す。
受け取った亜弥が中身を覗き、それから視線に微かな険を込めた。
「……みきたーん。うちらっていくつだっけ?」
「85と86じゃない?」
「それ生まれた年じゃん! 違うでしょ、未成年でしょ、なんでお酒買ってくんの」
「まーまー、たまにはね、たまには」
宥めるように振った手を、そのままビニール袋へ突っ込んで、ろくに見もせず取り出した
缶を亜弥へ押し付ける。運転するのでさすがに自分が飲むわけにはいかない。
亜弥は膨れっ面で手の中にある缶を睨みつけている。
「たまには、こういうバカみたいなことしてヤな事忘れんのも、いいんじゃない?」
ゆっくりと車を発進させて、美貴はにひひ、と悪戯に笑った。
- 24 名前:少女たちの終わらない夜 投稿日:2004/09/23(木) 21:32
- 呆れたような嘆息ののち、プルタブを爪で引っかく音が聞こえて、左隣を盗み見ると
亜弥は缶を一気に煽っていた。
「……ぷはーっ」
「おー、いい飲みっぷり」
「結構おいしい」
独り言みたいに呟き、亜弥が更に缶を煽る。何度も彼女の喉が動いて、口を離した時には
中身が消えていた。
「ジュースと間違えちゃったって事で」
「うんうん。ジュースだよね」
不意に背負った気疲れのせいなのか、何かがぷっつり切れてしまったのか、
亜弥はもう美貴がそそのかすまでもなくビニール袋から缶を取り出して、続けざまに
空けていった。
- 25 名前:少女たちの終わらない夜 投稿日:2004/09/23(木) 21:32
- 「どうしよ、明日も録りあるのに。お酒臭かったりしたらまずいよねえ」
「チューハイくらいじゃそこまでなんないって」
「ホント?」
「ほんとほんと」
「てゆーかジュースだしね」
「そーゆーこと」
三本が空になったあたりで、亜弥の瞳が胡乱になり始めた。
「寝ちゃってもいいよ」美貴が言うと、亜弥は小さく頷いて、シートの背凭れを半分くらい
倒した。
「……じゃ、ちょっとだけ」
「ん。着いたら起こすから」
「ごめんね、みきたんも明日早いのに、こんな時間までつき合わせちゃって」
「まあ、死ぬほど忙しいわけでもないし。明後日はオフだから、その時ゆっくり休むよ」
「ん……」
- 26 名前:少女たちの終わらない夜 投稿日:2004/09/23(木) 21:33
- 亜弥は既に目を閉じている。膝の上で組まれた両手は、どうしようもないほどの寂しさを
その中に握り込んでいて、美貴は仕方がないので片手を取って自分の腰辺りに触れさせた。
触れた手は遠慮がちに指を延ばして、美貴のシャツの裾を摘んだ。
「……みきたんがいてくれて良かった」
「……ん」
「恋って、終わっちゃう、から……」
すとんと、何かに引っ張られるようにして、亜弥は眠りに落ちた。
時速40kmを保ちながら車は進む。忙しない後続車が何台も追い越していく。
たまにあからさまなパッシングを受けたが、美貴は気にもせず時速40kmを維持した。
「恋という字を……」
ほとんど口の中から出ていないような小声で歌いながら、美貴はそっとビニール袋の
缶を取る。
- 27 名前:少女たちの終わらない夜 投稿日:2004/09/23(木) 21:33
- 手首でハンドルを支えて口を開け、ちらりと舐めた。炭酸がピリピリと舌を刺激して、
それから甘ったるい後味が残った。
「ジュースじゃん」
亜弥の指先は、美貴のシャツの裾を摘んでいる。
信号待ちで止まった時、なんの気なしに缶の側面に書かれた成分表示を斜め読みした。
缶には、アルコール分4%と書かれていた。
「……そんくらいだよ」
96%の同質と、4%の異質。
たった100分の4の違いで、亜弥は深い眠りについて、夢を見ていた。
それが似ていると言われた二人の絶対の違いで、だから美貴は、いつだって必死だった。
- 28 名前:少女たちの終わらない夜 投稿日:2004/09/23(木) 21:33
- 大事なことだよ。そう言った時の口調は、少しだけ荒かったかもしれない。
それはすごく大事なことだよ。やっぱ、あんたはあんたで、美貴は美貴なんだよ。
電話口で、なんとなく喧嘩のような調子で言った言葉は、相手には届かなかった。
電話を終えた後、怒りに任せて風鈴を割った。亜弥の部屋に入るたび、ちりんちりんと
涼やかに鳴る風鈴を出来るだけ見ないように背を向けた。
100%の現実は、4%の夢を引き止める手を持たず、しかしその頃はまだそんな事には
気付きもしないで、ただただ、どうにかして亜弥が見ている夢を壊さないようにと
願っていた。
けれど、夢は目が覚めたら終わってしまうから。
「一人よりも……」
消しきれない4%の残り香が、今でも亜弥を眠らせる。
起こすのが忍びなくて、美貴は仕方なく、時速40kmを保ちながら走り続けた。
- 29 名前:少女たちの終わらない夜 投稿日:2004/09/23(木) 21:34
-
- 30 名前:少女たちの終わらない夜 投稿日:2004/09/23(木) 21:34
- 。。。。
- 31 名前:少女たちの終わらない夜 投稿日:2004/09/23(木) 21:35
- 。。。。。
- 32 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/24(金) 18:44
- おお、いい始まりですね!
期待して次のお話も待たせて頂きます。
- 33 名前:ハニーポップは敵わない 投稿日:2004/10/01(金) 10:29
- ここ数ヶ月、亜弥の様子がおかしいと、古くからの友人である後藤真希は感じていた。
それは悪いものであり、悪いものではなかった。
要するに、悪いものであると思うのは真希だけであって、客観的には別段なんの変哲も
ない、彼女くらいの年頃なら全く不思議ではない状態だった。
ここ数ヶ月、彼女は常に何となく物憂げで、たまにほぅ、と溜息をついてみたりする。
その仕草は妙に色っぽい。
そして、数日に一度は薄ぼんやりとした顔で佇んで、遊びに来た真希が声をかけても
気付かないような事がある。そういう時の彼女は身体から何か甘いものが放出されて
いるような、彼女を形作る曲線そのものが微妙に変化しているような、違う誰かに
なってしまったような……つまり、言ってしまえばいやに「女」を感じさせる雰囲気を
持っているのだった。
それが何を意味しているのか理解できないほど、真希は幼くはなかった。
- 34 名前:ハニーポップは敵わない 投稿日:2004/10/01(金) 10:30
- 亜弥がこうなったのは、今年の四月、高校に入学してすぐの頃からで、思い当たる節は
それ以外にない。
高校! 忌々しい言葉である。進路を決める頃、真希は自分が通っている学校を
勧めたのだが、テニスの強豪校が通学可能圏内にあったため、亜弥はそこを選んで
しまった。彼女は中学時代、地区大会でベスト4に入った事もある実力者である。
今日もまた、亜弥はテーブルに頬杖をつき、憂いた表情で溜息を落とす。
「真希ちゃぁん」
ぽひゅん、と間抜けた息をついた後、亜弥が視線だけをこちらに向けた。
「どしたー?」
真希は努めて気のない様子を作る。
- 35 名前:ハニーポップは敵わない 投稿日:2004/10/01(金) 10:30
- 呼びかけてきたものの、亜弥はしばらく黙っていて、ひょっとして無意識だったのかと
真希が思い始めた時、彼女はまた、ぽひゅんと溜息をついた。
「まつーら、好きな人できちゃった」
「……ふーん」
知ってるよそんなのとっくの昔から。あたしを誰だと思ってんの、ずっとあんたの事見て
来たんだからそれくらいすぐに判るんだよ。
言い募りたい言葉を口の中で溶かして戻した。消化不良の言葉は胃の内壁にべったりと
張り付いて気持ちが悪かった。
「ガッコの子?」
「……うん。二個上のセンパイ」
「へえ。どんなの?」
「軽ヤン?」
「かる……?」
「目つき悪くて見た目チャラッチャラしてて短気で多分ズボラ」
「……おーい。そんなののどこがよかったの」
- 36 名前:ハニーポップは敵わない 投稿日:2004/10/01(金) 10:30
- 亜弥の隣に移動し、屈みこんで俯く彼女の顔を覗きこむ。亜弥は両手で頬杖をついたまま、
心持ち不機嫌そうな様子を見せ、それから憂う視線を揺らした。
「でも、笑うとめっちゃ可愛い」
ああ、そこにヤラレたのか。胸の内で呟いた言葉は、特に何の感慨もないものだったが、
呟いた後どういうわけか強烈な喪失感に襲われた。
親同士が友人だった縁があり、小さな頃から家族ぐるみでキャンプをしたり海へ行ったり、
そういう付き合いをしていて、互いの兄弟を交えて子供達だけで遊んだこともあり、
その中でも特にウマが合った亜弥とは、大きくなって次第に疎遠になっていった他の
兄弟とは違っていつまでも一緒に遊んでいた。
そういった中で生まれた感情は、ひょっとしたら恋と言ってもいいものだったかも
しれないし、長い間包み隠し続けた(その前に自覚していたかどうかも定かではない)
それは、今では違う何かに変化しているのかもしれなかった。
ただ、その感情は確かに在って、種類がなんであろうが形を変えようが、確実に存在して
いたから、真希は壮絶な失意を、味わった。
- 37 名前:ハニーポップは敵わない 投稿日:2004/10/01(金) 10:30
- 「コクったり、したの?」
内側に渦巻く、よく判らないものをひた隠しにして、真希は「相談に乗ってやる優しい
お姉ちゃん」を演じる。
「言えないよぉ。向こう、あたしの事なんか全然知らないし」
「へ? 話したこととかないの?」
「一回もない」
ふるんと首を動かす亜弥に、真希は呆れた吐息を洩らし、彼女のこめかみを人差し指で
突付いた。
「めっずらしい」
「乙女ですから」
「……ぶっ。乙女って」
なんだよぅ、と拗ねた声で言って、亜弥がこめかみを突付いてくる手を払い、唇を尖らせる。
真希は小さな苦笑を唇だけで形作ると、テーブルに腕を乗せて手を組んだ。
- 38 名前:ハニーポップは敵わない 投稿日:2004/10/01(金) 10:31
- 自我の確立、という点において、亜弥はかなり出来ている方だと、真希は思っている。
長子であることも無関係ではないだろうし、親の育て方も、当然起因しているだろう。
だから彼女は大概の場合、自分で考えて自分で決めて、自分で行動を起こす。
そんな彼女が相談を持ちかけてきたというのも珍しいし、気になる相手に話し掛ける
事すら出来ない、という状態なのも珍しい。
ああ、本当にそれは、乙女だ。
笑ってしまうくらい恥ずかしいその単語が、笑ってしまうくらい似合う。
彼女はきっと、笑ってしまうくらいに、本気だ。
「全然、あたしの事なんか知らないしさ。あたしも、三年てくらいしか知らないし」
「名前とかは?」
亜弥が首を横に振る。「廊下ですれ違うくらいだもん。判んないよ」拗ねた口調の返答は、
どうしてか真希の何かを揺さぶった。
- 39 名前:ハニーポップは敵わない 投稿日:2004/10/01(金) 10:31
- 「じゃ、なんで三年て判ったの」
「ネクタイのライン、青だったから。あーもー、名札とかついてればいいのに」
「そんな小学生じゃあるまいし」
眩暈を起こしそうなほど、何かがグラグラと揺れていた。
笑ってしまうくらいの彼女の本気が真正面からぶつかってきて、いつもはそれなりに
ちゃんと聞いてやれる言葉が、うまく頭に入ってこなかった。
「ねー、どうしたらいっかなあ」
「亜弥の好きなようにしたらいいよ」
「それ答えになってないーっ」
亜弥がむすっとした顔で寄りかかってくる。「そう言われてもねえ」考えるふりをして
目を天井に向け、彼女から逃げた。
- 40 名前:ハニーポップは敵わない 投稿日:2004/10/01(金) 10:31
- 例えば。
相談してきたのが他の友人であれば、アドバイスのひとつやふたつ、言える事もあるだろう。
止める事も進ませる事も、優しくする事も冷たくする事も、出来るだろう。
……恐いくらいの喪失感が。
「真希ちゃぁん、ちゃんと考えてよぅ」
フレンチトーストくらいは甘い声が聞こえて、肩に強く額を押し付けられた。
……痛いくらいの虚脱感が。
不意に恐くなって、抱きしめた。
「亜弥」
耳元で囁いた声が、自分でも驚くくらい艶を帯びていて、思わず息を呑んだ。
……狂おしいくらいの、訳のわからないモノ。
- 41 名前:ハニーポップは敵わない 投稿日:2004/10/01(金) 10:31
- それはひょっとしたら恋と言ってもよかったのかもしれないし、今では別の何かに
変貌を遂げているものの、ほんの僅かな残滓だったのかもしれない。
「真希ちゃん?」
戸惑いを含んだ呼び声で、止まることが出来たらどんなに幸せだったろう。
「いっちゃ駄目だよ」
「え?」
「あたしは」
言ってはいけない。行ってはいけない。
自覚していたかどうかも判然としない、その気になったらいつまでも隠しておける程度の
そんな感情は、口にする事すらおこがましく、彼女を連れてどこかへ行ってしまうなんて
もっての外。
「亜弥が」
知ってはいけない。知られてはいけない。
『やってみなくちゃ判らない』なんて、冗談にもならない。
- 42 名前:ハニーポップは敵わない 投稿日:2004/10/01(金) 10:32
- 「好きなの」
瞬間、自分を殴り倒したくなった。
咄嗟に抱きしめていた腕を解き、身構えるように口を引き結んだ。
届いていなければいい。あんな馬鹿馬鹿しい言葉は、彼女に届かなければいい。
届くべきじゃあ、ない。
……泣きたいくらいの後悔が。
「あ……」
亜弥は呆けたような表情で見つめてきている。
彼女の表情で、真希は自分が『負けた』事を悟った。
亜弥に負けたのでもなく、彼女の想い人に負けたのでもなく、自分に負けたのでもなく、
ただただ、どこかで誰かとしていた賭けに負けたのだと、そう思った。
神様の存在なんて、信じてはいなかったけれど。
賭けに敗れた代償は、自分がとてもとても大事にしていた何か。
- 43 名前:ハニーポップは敵わない 投稿日:2004/10/01(金) 10:32
- うなじの辺りから、誰かの指先にそれをしゅるんと抜き取られたような感覚がして、
真希はその場にへたり込んだ。
……静謐なまでの、絶望が。
「真希、ちゃん……」
自我の確立、という部分において、彼女は非常によく出来ている人間である。
冗談ばっかり、と笑い飛ばす事も、聞こえなかったふりも出来なかった彼女は、
どうするべきか判らずにいる。
「――――っ、嘘だよ!」
そうだ、全部嘘っぱちだ。
いつからか抱いていた想いも、今から抱えた喪失感も、いつかは忘れる敗北の事実も。
全て嘘だ。嘘だから、無い。
- 44 名前:ハニーポップは敵わない 投稿日:2004/10/01(金) 10:32
- 「ちょっとビックリさせてみようと思って言っただけだよ。そんな……そんなこと、
あるわけないじゃん」
彼女の視線は真っ直ぐに真希の顔へ向いている。自らの、道化のように嘘くさい笑みが
浮かんだ口元を、真希は気付かぬふりで切り抜ける。
亜弥が一度、口を開きかけ、何かを言おうとしたようだがそれは呼気に紛れた。
「ばっかじゃないの? そんなマジになんないでよ。ほんのジョーダンなのにさぁ」
逃げ出したい。
逃げ出したい? どこから? 誰から? 何から?
逃げ場なんて、どこにもないのに。
「……ごめん」
真希は一瞬、それを自分が言ったのだと思った。頭の中でぐるぐる回っていた音と
全く同じだったそれは、自らの口から発せられたものだと勘違いするくらい、微かで
罪悪感に満ちた音色だった。
- 45 名前:ハニーポップは敵わない 投稿日:2004/10/01(金) 10:32
- 勘違いだと気付いたのは、ふわりと腕が腰に廻されて、もう一度呟かれた言葉が聞こえた
からで、その声はどういうわけかひどく甘く、においたつような声だったからで、真希は
半身を削ぎ落とされたような感覚を覚える。
「あたし、すごい酷いことした」
「なに、言って」
「馬鹿にしないでよ。あたしだってずっと真希ちゃんと一緒にいたんだから、
本気か冗談かくらい、判るよ」
亜弥の腕に力がこもり、そこから何かが伝わってくる。
「……どういう意味かくらい、判るよ」
そこには、疑いようもなく何かが宿っている。
ああ、そうだ。
いつまでも一緒に遊んでいた彼女の中にだって、きっと、訳のわからない感情は、
在ったはずなのだ。
だから、今までずっと、一緒にいたんだろう。
- 46 名前:ハニーポップは敵わない 投稿日:2004/10/01(金) 10:33
- どちらのものも、いつの間にか別の何かに変わってしまっていて、亜弥の方が先に
新しいものを見つけたという、それだけのことだったのだ。
口に空いたがらんどうから、勝手に音が出てきた。
「……亜弥が好きだよ」
「うん」
「嘘かもしれないけど。ホントは、違うかもしれないけど」
「うん……」
ただの、記憶にもならない残像なのかも、しれないけど。
確かにそれは、在った。
「馬鹿みたいだね」
「うん」
「頷かないでよ」
側にいすぎたせいだろうか。植物に水を与えすぎると根腐れを起こすように、あまりにも、
持っている愛情を客観視できないほど互いに想い過ぎていたから。
『それ』が何であるか、『それ』と言う以外に、どう言えたのか、考える事もなく。
変わってしまったのか。
- 47 名前:ハニーポップは敵わない 投稿日:2004/10/01(金) 10:33
- そっと、彼女の身体を抱きくるんでみた。
「亜弥」
「ん?」
「犯していい?」
「……駄目」
がくう、と、漫画のように脱力しながら亜弥は言い、ますます強く、真希にしがみついて
きた。離れなかったのは、嬉しいと思えた。
誰かを想い続けることの難しさを知らないほど、真希は愚かでなかったし、想いを簡単に
忘れてしまえるほど、賢しくもなかった。
おそらくは彼女を抱いてみたところで吹っ切れはしないし、つい先程味わった喪失感を
埋められる事もないだろう。結局は、そういう事だ。後手に回ってしまった以上、もう
二度と、チャンスはない。
自分は賭けに負けたのだ。そうきっと、ずっと前に。
いつだったのかは知らないが、気づくべき時に気付かなかった、その時点で勝負は
ついてしまっていた。
きゅっとしがみついてくる腕には、もう何も含んでいなかった。
- 48 名前:ハニーポップは敵わない 投稿日:2004/10/01(金) 10:33
- 「そういうのは、無理だけど」
亜弥が身体を起こし、柔らかく、触れるだけのキスをしてきた。
目を閉じるべきかどうか迷っているうちに、触れ合っていた唇は離れる。
「ここまでね」
「……ん」
幻のような、現実感のないキスだった。
それも仕方のない事なのだろう。互いに違ってしまったその想いは、リアルにするには
あまりにも儚く、泡が弾けた時の残響程度の確かさしかなく、掴んで引き止めるには、
あまりにも時間が経ちすぎていた。
亜弥の髪に頬を寄せ、ふふ、と小さく笑う。
「もったいない事したかな」
「かもね」
「うちの弟、亜弥の事好きだったんだよ。知ってた?」
「……へへ」
- 49 名前:ハニーポップは敵わない 投稿日:2004/10/01(金) 10:33
- いつの間にか疎遠になった他の兄弟は、ひょっとしたら誰かが意図的にそうしたのかも
しれなくて、それは意識下のものではないかもしれなくて。
そういう、確かで不確かな、相手に対する訳のわからないモノ。
「うちの妹ちゃんもね、いっつも真希ちゃんと遊びたいーって騒いでたの。知ってた?」
「……んー」
彼女の形を確かめるみたいに、真希は腕の角度を変え、頬で触れ、髪を撫で梳いた。
それは盲目の彫刻家が自らの最高傑作を愛でているようでもあり、長年連れ添ってきた
伴侶の亡骸を抱いて別れを惜しんでいるようでもあり、ふとじゃれついてきた子犬の
腹を撫でてやっているようでもあった。
「真希ちゃんに全部あげれたら良かったね」
「そんなこと思ってないくせに」
「うん」
「頷かないでよ」
ぽふ、と亜弥の髪に手のひらをあてがい、その耳元で囁く。
- 50 名前:ハニーポップは敵わない 投稿日:2004/10/01(金) 10:34
- 「言っといで。亜弥なら大丈夫だよ」
「うん」
哀しくないとは言えない。それは失ってしまった想いそのものへの未練で、亜弥に対する
ものではないけれど、想いを具現化したものが彼女である以上、彼女を手離すことに
ついても、寂しくないわけじゃない。
それは言ってしまえば美しいほど愚直ということであり、また、馬鹿らしいほど聡いと
いうことでもあった。
ひょっとしたらそれは、親心みたいなものかもしれなくて、それは恋心が変化した末の
決着であるのかもしれなかった。
「もし駄目だったら、あたしのとこにおいで」
「うん」
「頷かないでよ」
真希は困ったように苦笑する。
するりと亜弥が離れ、においたつような笑みを浮かべた。
- 51 名前:ハニーポップは敵わない 投稿日:2004/10/01(金) 10:34
- 「ごめんね。ありがとう」
「うん」
まるで赤ん坊のように無防備な笑顔になった彼女を、心底愛しいと思った。
それでも、張り裂けそうな胸の痛みを覚えるには、時間が経ちすぎていた。
待ち構えるように、両腕をゆるく広げた。神様、もう一度だけ。昔そんなドラマが
あったっけな。真希は口の中だけでひとりごち、真っ直ぐに亜弥を見つめる。
神様になど祈らない。ギャンブラーではないから、そんな不明確なモノに祈るほど、
切羽詰まってはいない。
勝っても負けてもどちらでもいいのだ。そもそも勝負なんてとっくについている。
例えばカードゲームを終えて、意味のなくなった次のカードを裏返してみるような、
その程度のお遊びだった。
自信があった。ひっくり返したカードの絵柄が何であれ、彼女のこれからを本心から
祝福できると確信していたし、それに対して後悔はしないと言い切れた。
- 52 名前:ハニーポップは敵わない 投稿日:2004/10/01(金) 10:35
- 亜弥はそこで少しだけ怒ったような顔をした。
引き際が良くない、と言いたいのだろう。本当ならさっきのキスで打ち止めなのだ。
それ以上を望むのは完全なルール違反だし、何より亜弥が怒っているのは、真希が
そこまで愚かではないと知っているからだ。自覚があるのにあえてそうするという、
あまりにも「らしくない」愚かさが気に入らないのだろう。
それくらい判ってるんだよ、と表情で告げて、真希はくいと顎をしゃくった。
亜弥が一歩近づいてきて、真希の膝横へ手をつく。意味はないのだが、次のカードが
エースだった事に真希は喜びと失望を同時に味わう。
「――――っ」
やや乱暴なキスをされた。
さすがに意表を突かれて、真希が目を丸くしていると、亜弥は挑発するような角度に
唇の端を引き上げた。
「甘いよ」
思わず自身の口を手のひらで覆って呆然としている真希の、眉間から鼻筋にかけてを
亜弥の指先が撫で降りる。
- 53 名前:ハニーポップは敵わない 投稿日:2004/10/01(金) 10:35
- 「……まいった」
半ば無意識に呟いた。エースかと思ったらジョーカーだったらしい。
どんなカードにもなれる、変化の、魔性の、異形の、カード。
侮れない、という言葉が頭の中を通り過ぎていった。
どれでもなく、どれでもあるそのカードの位置は特別。最低でもあるが最高でもある
ジョーカーというのは、自分の手の中だろうが相手の手の中だろうが、存在していると
ひどく扱いにくい。
ふと、今まで見た事がなかった、彼女の根本を垣間見たような気がした。
「じゃーねー真希ちゃん。またメール入れんね」
「……うん」
小さく音を立ててドアがしまってから、真希はようやく手を口から外した。
「いやあ……、どこの誰か知らないけど、結構苦労すんじゃないの?」
名前も知らない亜弥の想い人に対して、ひょっとしたら同情と言っていいかもしれない
思いを抱く。
- 54 名前:ハニーポップは敵わない 投稿日:2004/10/01(金) 10:35
- そういえば、幼い頃は結構な頻度で彼女に振り回されていたような気がする。
もしもそれが今も消えていないのなら。それが、彼女の根本だとしたら。
「……気付かなくて良かったのかな?」
顎に手を当て、真希は低く唸りながら首を傾げた。
うたかたは跡形もなく消え、真希の中には半分くらいの愛情と、ほんの少しの痛みと、
これからを愉しむ余裕が残った。
負けたら負けたで、結構気が楽なものなのだなと、真希は荷が下りた肩を自分で
揉みながら思う。
立ち上がって、カーテンを開けた窓から玄関を覗く。
丁度亜弥が出てきたところで、彼女は真希の姿を見つけると、花開くような満面の笑みで
手を振ってきた。
真希は窓枠に手をついて、そんな彼女を心底愛しいと思いながら見つめていた。
ひょっとしなくても、恋とは違う意味で。
- 55 名前:ハニーポップは敵わない 投稿日:2004/10/01(金) 10:36
-
- 56 名前:ハニーポップは敵わない 投稿日:2004/10/01(金) 10:36
-
- 57 名前:ハニーポップは敵わない 投稿日:2004/10/01(金) 10:36
-
- 58 名前:sage 投稿日:2004/10/01(金) 19:31
- 前回もレスさせて頂きました。
良いですね〜、ごっちんの切ない思いがなんとも言えません。
次回も期待です。
- 59 名前:クイツメロマンチスト 投稿日:2004/10/02(土) 21:40
- 犬を拾った。
家業の焼肉屋を手伝って、開店前の店先を掃除しようと外に出たら、そこに寝転がっていた。
犬は泥だらけの姿で倒れていた。ひどく汚れ、微動だにしなかったが、死んではいない
ようだったので、哀れに思って店と続いている住居へ引き摺り入れ、とりあえず餌を与えた。
その後、汚れた身体を洗ってやり、居間に毛布を敷いて寝かせてやった。
目を覚ました犬は、茶色い毛色で人好きしそうな顔をしていた。
犬は首輪をしていなかったが、もしかしたら帰る家があるかもしれないと思って
近所の人に聞いたりした。しかし誰もそんな犬は知らないと言うので、折角だからと
置いてやることにした。
無事、焼肉屋の看板犬となったソレは、時々妙な事を吠える。
- 60 名前:クイツメロマンチスト 投稿日:2004/10/02(土) 21:40
-
- 61 名前:クイツメロマンチスト 投稿日:2004/10/02(土) 21:40
- 「らっしぇーいっ! 今日はハラミのいいのが入ってるよ!」
「もっと普通に接客しろ!」
看板犬の吉澤に、看板娘である藤本が蹴りを入れる。手が出なかったのは両方に
肉の乗った皿を持っていたからだ。
「おうっ。いったいなぁ、吉澤ちょー真面目にやってんじゃん」
「どこがだ、どこが! それじゃ八百屋か魚屋だっつーの!」
「ちょっとおばちゃーん、あたしここで苛められてんのよ。なんとか言ってやって」
客として入ってきた中年女性に吉澤が泣きつく。頼られた方は「あらあら、大変ね」などと
言いながら笑っていた。二人のこんなやり取りは日常茶飯事であり、常連にはすでに
馴染みとなっている光景だった。
藤本になんだかんだ言われつつ、吉澤は看板犬としての役目は立派に果たしていた。
フランクなキャラクターは、言う事を聞かなくなった年頃の子供を持つ中年層に受けが
良く、整った顔立ちがもう少し若年の客を集めている。
両親の話を盗み聞くと、彼女が来てから店の売り上げが何割か増えたらしい。
- 62 名前:クイツメロマンチスト 投稿日:2004/10/02(土) 21:41
- 「ちょっと、ひとみちゃんひとみちゃん、こっち来て一緒に食べなさいよ」
テーブルについていた女性が二人、吉澤に向かって手招きしている。子供達がみんな
独立しているという彼女たちは、吉澤と藤本を我が子のように可愛がっている。
「はーいっ」調子のいい返事をしてそちらに向かおうとした吉澤の首根っこを、藤本が
引っ掴んだ。「ぐふっ!」急に首を絞められた吉澤が呻く。
「仕事中」
「……らじゃー」
降参というように両手を上げ、吉澤は申し訳なさそうな顔を呼んでくれた二人に見せた。
「ごめんねー、美貴がうるさくってさー。また今度誘って」
「あら、しょうがないわねぇ」
「あの、すみません、一応仕事してますから」
執り成すように藤本が言うと、彼女たちも半ば冗談だったのだろう、いいのよ、と
軽く手を振ってきた。
- 63 名前:クイツメロマンチスト 投稿日:2004/10/02(土) 21:41
- 「……ホストかなんかじゃないんだから、ああいうのは上手いことかわしてよ」
「なに、妬いてんの?」
「勝手に言ってれば?」
小声でのやり取りは、吉澤が肩を竦める事で終わる。
来客を告げるブザーが鳴って、二人は同時に「いらっしゃいませ」と声を上げた。
入ってきたのは、まだ若いサラリーマン三人。うち一人が吉澤をいたく気に入っている
ことを、藤本は知っている。
以前、注文する時に連絡先を書いた紙を吉澤に渡しているのを見た事があったからだ。
彼女がそれをどうしたかまでは知らない。
よくやるよ、と口の中で呟いた。
呟いてから、人の事は言えないなと、思った。
- 64 名前:クイツメロマンチスト 投稿日:2004/10/02(土) 21:41
- 「お笑いコンビを組むのはどうだろう」
店じまいをしてから、揃って遅めの夕食を摂った後、自室でくつろいでいる藤本のもとへ
来た吉澤が唐突に言った。
藤本はベッドに投げ出していた身体を起こすと、訝しげに眉の角度を変えた。
「あんた、舞台役者になりたいんじゃなかったっけ?」
「そうだけど。でもお笑いもいいなーって最近思っててさ。ほら、今って結構ブームが
来てんじゃん。あたしのボケと美貴のツッコミがあれば、結構いいセンいくと
思うんだよね」
看板を下ろした犬は、ニコニコと心底嬉しそうに笑っていた。何がそこまで嬉しいのか、
藤本には判らない。
「よっちゃんの妄想癖はもーいいよ」
呆れたように言い、藤本は起こした身体をベッドへ戻す。
「なんでさー。おっかけとか楽しそうじゃん」
「楽しくないから。うざいから。めんどいから」
「えー。つまんないなー」
いい加減、飽き飽きしていた。彼女はその場の思い付きをすぐ口にして、それは大体
三日くらいで終わるのだが、そのいちいちに付き合っていたら脳みそが持たない。
- 65 名前:クイツメロマンチスト 投稿日:2004/10/02(土) 21:41
- ベッド脇にちょこんと腰を下ろして、こちらを覗きこんでいる吉澤に、藤本は呆れた
目を向ける。
「つまんなくていいの。あんたいっつもすぐ飽きんじゃん」
もうこの話はお終い、という意思表示のつもりで背を向けると、吉澤は構って欲しいのか
背中を指で突付いてきた。
「……コンビ名は『トリオ・DE・吉本』とかどう?」
「訳わかんないし」
「や、だから。吉澤と藤本で吉本」
「そこじゃなくて。なんでコンビなのに『トリオ』なの」
「チャンバラトリオだって四人だけどトリオじゃん」
「知るかそんなの」
「吉本が嫌なら藤澤でもいいよ」
「そういう問題じゃない!」
彼女とは万事が万事こんな調子だった。下らない事ばかり言う吉澤を藤本が怒鳴りつける
まで続き、その時だけは反省の色を見せる吉澤は、しかし次の日にはケロリとしている。
- 66 名前:クイツメロマンチスト 投稿日:2004/10/02(土) 21:41
- それはこういった将来についての話題だけでなく、過去についても同じことで、
どこから来たのかと聞けば「実はよんどころない身分にある人の隠し子で、世間を知る
ためにお忍びで旅に出ている」だの、「某国のスパイをしていたが追っ手が迫ってきたので
日本に逃げてきた」だの、「行方不明の父親を探して全国行脚中」だのと、よくまあ次から
次へと思いつくものだというくらい色々出てくる。
藤本は結局、拾ってから二週間くらいで真実を知る事を諦めた。
「うーん。お笑いはダメか」
「お笑いじゃなくても駄目だから。あんたはおとなしくここでパシリやってりゃいいの」
「いやぁ、将来を担う若者としては、やっぱり夢は大きく持っておかないと」
いひひ、と吉澤が笑う。お笑い芸人になりたいというのは大きな夢なのだろうかと、
藤本は思わず首を傾げた。
- 67 名前:クイツメロマンチスト 投稿日:2004/10/02(土) 21:42
- 背を向けていた身体を吉澤の方へ戻し、その整った顔立ちを見上げる。
構ってもらえると期待したのか、尻尾がぱふんぱふんと踊っていた。
「マジな話、よっちゃんって何がしたいの?」
聞くと、吉澤はくるんと目を廻して、天井を見上げながら低く唸った。
「うーん、世の中のためになる事がしたいかな。お笑いとかもさ、人を楽しませる
仕事じゃん」
「だったら、声掛けてくるおにーさんと少子化の防止に励めば? めちゃくちゃ社会に
貢献できるよ」
「いやー、そういうのはちょっとねー」
困り顔で笑いながら、吉澤がベッドへ登ってきた。
「ん?」
「今んとこ、美貴とすんのが一番気持ちいいし」
「ちょ……」
甘えるように抱きすくめられ、藤本が困惑気味に吉澤の肩を叩く。
- 68 名前:クイツメロマンチスト 投稿日:2004/10/02(土) 21:42
- 「なんでお笑いの話した後に、そうなるかな」
「振ったのはそっちでしょ」
「もうちょっとムードとかさぁ」
「本能にムードも何もないと思うけどね」
そりゃそうだけど、それこそ夢のない発言じゃないかな。藤本は言おうとしたが、
それもまた無粋かと思い直して口を閉じた。
彼女とは何度かそういう事になったが、飼い犬に手を噛まれた、というわけではなかった。
- 69 名前:クイツメロマンチスト 投稿日:2004/10/02(土) 21:42
- いつだったか、吉澤が眠れないと部屋に遊びに来て、取り留めのない話をしているうちに
彼女は床へじかに寝転がってまどろみ始め、それをなんとなく眺めていた事があった。
フランクなキャラクターのわりにその顔立ちは繊細で、その時はただ単純に、綺麗だと
思っただけだった。
吉澤はメンズの大きなスウェットを着ていて、顔がこれだけ綺麗なら、きっと身体の方も
綺麗なんだろうと、ふと思って、なんとなく見たくなって、ベッドから降りてスウェットを
めくり上げてみた。
白磁のような肌、という表現はよく使われるが、彼女の腹部は本当にそんな感じで、
ああやっぱり綺麗だなと感心して、ゆっくりと撫でさすった。
そこで彼女が目を薄く開けているのに気付いて、その眼が初めて会った時のそれに似て
いる気がして、なんとなく、哀れに思った。
だからそれは本当に、欲情というよりは憐憫のようなもので、泣いている子供の頭を
撫でてやるような、そういう感覚だった。
- 70 名前:クイツメロマンチスト 投稿日:2004/10/02(土) 21:43
- 丁度その頃、藤本も二年くらい続いていた交際に終止符が打たれたばかりで、だから、
正直に言えばそれは傷の舐め合い以外の何物でもなく、お互いに傷の理由を知らないまま
慰め合った。
本当に、なんとなく。
なんとなく、「この子ならいいか」と、二人とも思った。
名前を呼んでほしい、と、吉澤が何度かせがんで、耳元に唇を寄せて小さく呼んでやると、
彼女はいつも、心臓を鷲掴みにされているような表情で、無理やりに笑った。
気になる事ははっきりさせないと治まらない性分である藤本は、普段であればどうして
そんな表情をするのかと、しつこいくらいに尋ねるだろう。
しかし吉澤がそういう事をせがんでくるタイミングというのは、色々な事がどうでもよく
なってしまっているような状態の時ばかりなので、理由を聞いた事は一度もない。
「独りぼっちは、寂しすぎるよ……」
吉澤は、事の最中とか終えた直後とかに、よくそんな事を言った。
「あのね、これのどこが独りぼっち?」
藤本がそう言うと、吉澤は本当に、本当に嬉しそうに笑って、「だよね」と頷くのだった。
- 71 名前:クイツメロマンチスト 投稿日:2004/10/02(土) 21:43
- なんとなく始まった傷の舐め合いを終え、藤本は背中からくるまれるような形で吉澤に
寄り添っている。
こうしているのが一番落ち着くのだ。最初からそうなるように互いの身体は出来ている
のだとすら思えるような、絶妙の納まり具合だった。初めてそれを発見した時などは
感動すら覚えた。
「……てゆーかさぁ」
「ん?」
事後の気だるさを覗かせる、ゆったりとした声で、吉澤が相槌を打つ。
「なんでよっちゃんかなあ」
「なにが?」
「一応ね、美貴にも声掛けてくるおにーさんはいるわけよ。その中には結構カッコいい
人だっているわけね。けど、なーんかそういう気になれないんだよねえ」
「なに、あたしのこと好きって言いたいの?」
「いやそれは違うんだけど」
「速いなー。ちょー速かったなー今の」
- 72 名前:クイツメロマンチスト 投稿日:2004/10/02(土) 21:43
- 吉澤は苦笑混じりに言ったが、本気なわけでもないようだった。恋愛感情など持たれて
いない事は、聞くまでもなく判っているのだろう。
滑らかな腹部をゆるゆると撫でながら、吉澤がどことなく説教くさい口調で言う。
「仲いい友達が何人かいてもさあ、映画観に行くならこの子とか、旅行に行くならこの子
とかって、そういうのあるじゃん。なんかそういう……役割みたいな感じ。そん中で、
美貴にとって吉澤がこーゆー事する役割なんじゃないの?」
「そうなのかな」
「判んないけど」
判んないのかよ、と藤本が吉澤の腹に軽い肘打ちをした。吉澤は小さく笑いながら
身を引いて、お返しとばかりに藤本をくるむ腕に力を込めた。
- 73 名前:クイツメロマンチスト 投稿日:2004/10/02(土) 21:43
- 「判んないけどさ、とりあえず気持ちいいし」
「まあね。とりあえずね」
傷の舐め合いはひどく気持ち良くて、吉澤にくるまれるのはとりあえず居心地がいいので、
藤本は疑問に思う事はあっても不満に思う事はなかった。
この先、新しい恋をいくつ重ねても、吉澤の腕にくるまれた居心地の良さは自分の中から
消える事はないんじゃないだろうかと、睡魔に侵食されてぼんやりする頭で思った。
それもまた、なんとなく、だったけれど。
- 74 名前:クイツメロマンチスト 投稿日:2004/10/02(土) 21:44
-
- 75 名前:クイツメロマンチスト 投稿日:2004/10/02(土) 21:44
- 目を覚ますと、吉澤が何も身につけていない状態で、うつ伏せになって眠っていた。
相変わらずの綺麗な身体で、バランスの取れた曲線はいつも藤本に感心の息をつかせる。
あと10センチ脚が長ければ、モデルにでもなれるかもしれない。そう考えたらなんだか
悔しくなった。
そっと肩に手を置く。吉澤が動かないのを確認して、彼女のぼんのくぼの辺りに唇を
近づけた。
唇を押し当て、思い切り息を吹く。蝉の羽ばたきに似た音が響いて、吉澤が弾かれた
ように身体を仰け反らせた。
「おぅわああぁ!?」
情けない悲鳴を上げた吉澤は、豆鉄砲を食らった鳩のような顔をして、藤本を見遣った。
「おはよう」
「おはよ……。え、今なにしたの? 吉澤すんげーびっくりしたんだけど」
「別に何もしてないけど?」白々しい笑みで答えると、吉澤が微妙な顔つきで口をもごもご
させたが、何か言う前に藤本がその口を塞いだ。
- 76 名前:クイツメロマンチスト 投稿日:2004/10/02(土) 21:44
- 吉澤は、少しだけ驚いたようだった。
「ん?」
「や……別に」
起き上がり、呆気に取られた顔で首筋を乱暴に掻いて、吉澤は視線を藤本から外す。
「あんま、そういうのしないよね」
「何が?」
「キスとか」
「そうだっけ」
普段着に着替えながら、はぐらかすように答える。数えるまでもなく、キスをした回数は
身体を重ねた回数より少ない。だから吉澤は驚いたんだろう。
いまだぼんやりしている吉澤の顎を、人差し指でちょいと持ち上げ、藤本はふふんと
笑った。
- 77 名前:クイツメロマンチスト 投稿日:2004/10/02(土) 21:44
- 「早いとこ服着なよ。朝ご飯抜く気?」
「あっ、待って待って」
慌しくベッドを下りた吉澤が、散らばった服をかき集めて身につけ始めた。もちろん、
昨日と同じ格好で藤本の両親と顔を合わせるわけにはいかないので、これから自分の
部屋に戻って着替え直すのである。
「早くしなよー」バタバタと自室へ向かう吉澤の背中に声をかけ、藤本は居間へと足を進めた。
- 78 名前:クイツメロマンチスト 投稿日:2004/10/02(土) 21:44
- 吉澤は犬のくせに方向音痴らしく、よく道に迷う。
肉の仕入れを頼んだ時も、数時間帰ってこないと思ったら、情けない声で電話をかけて
来て、現在地を聞いてみれば全く別方向だったりした。
何度か電話で道を教え、普通の三倍くらい時間をかけて辿り着いた時、吉澤は電話よりも
情けない声で「帰ってこれないかと思ったよぅ」と言いながら藤本に抱きついてきた。
帰巣本能がないのかと呆れたものだったが、おそらく彼女はこの街の人間ではなかったの
だろう。流浪の旅人、というのは言いすぎだろうが、どこか遠いところからふらりと
やって来たのだと、藤本はそう思っていた。
家出、というのも違う気がしていた。そういうのより、彼女はもう少し……なんというか、
『切羽詰ってる』感じが漂っていた。
彼女はもしかしたら、根本的な『拠り所』みたいなものを、持っていないんじゃないだ
ろうかと、そんな風に思える雰囲気があった。
だから藤本は、彼女を哀れだと思ったのかもしれない。
- 79 名前:クイツメロマンチスト 投稿日:2004/10/02(土) 21:45
- とはいえ、普段の彼女は単なる調子のいい馬鹿であり、それに半分は呆れつつ、半分は
楽しみつつ過ごすのが心地良かったから、彼女が何者だろうが、どこから来ていようが、
藤本はあまり気にしていなかった。
「カルビクッパお持ちしましたー」
「あ、生追加」
「はいよ、生追加ー」
いつものように接客をそつなくこなしている吉澤を目の隅に置きながら、洗い場で山と
積まれた食器と格闘していると、新しい客が入ってきた。
「らっしゃいませー!」吉澤の軽快で人懐こい声が響く。軽口を叩かないところを見ると、
入ってきたのは常連ではないようだ。
首を延ばして入り口を見遣ると、家事に追われた主婦がちょっとした休息を得るために
家族で外食に来ました、というような、両親と子供一人の家族連れが、吉澤の応対で
テーブルに着いたところだった。
- 80 名前:クイツメロマンチスト 投稿日:2004/10/02(土) 21:45
- 吉澤がコップを三人の前に置き、「ご注文が決まりましたらお呼び下さい」と決まり文句を
口にした時、メニューから顔を上げた母親が「あら?」と呟いた。
「ちょっとあなた、ひとみちゃんじゃないの? 吉澤さん家の」
何故か微かに興奮した調子で言われた言葉に、吉澤は感情の見えにくい愛想笑いを浮かべ、
曖昧に首を捻った。
「そうでしょ? やだ、久し振りねえ。もう退院してたのね」
「あの……」
吉澤がきょろりと視線を廻し、覗き見していた藤本と目を合わせた。
その眼が今まで何度か見た事のある眼だったから、藤本は咄嗟に洗い場を飛び出して
彼女の隣へ急いだ。
「どうなさいました?」
極限の愛想を振り撒いて尋ねると、母親は「いえね」と中年女性特有の手振りをしながら
話しだした。
- 81 名前:クイツメロマンチスト 投稿日:2004/10/02(土) 21:45
- 「昔、ひとみちゃんのうちの近くに住んでたのよぅ。一昨年くらいに引っ越しちゃったん
だけど。
しばらくはねえ、全然話も聞こえなかったんだけど、でもほら、この前大変なことに
なっちゃったじゃない」
吉澤は愛想笑いを口元に貼り付けている。藤本はどうしていいか判らずにいる。
母親は気付かずに話し続ける。
「吉澤さんもねえ……、大変だったのは判るけど、一家心中なんて馬鹿なことしなくても
ねえ。ひとみちゃんも一人だけ残っちゃって、苦労もあるでしょう?」
不思議と、笑い出したくなった。
どうでもいいと思っていた事を、こんな風にあっさりと赤の他人に暴かれて、
隣を見れば吉澤は愛想笑いをしたままで、テーブルの向かいに座る父親は妻の口の軽さに
眉を寄せつつも何も言わず、子供は大人の都合などお構いなしに、冷麺を頼むかどうか
悩んでいる。
それは確かに、笑うしか、ない。
- 82 名前:クイツメロマンチスト 投稿日:2004/10/02(土) 21:45
- 「でも元気そうでよかったわぁ。ホントに、近藤さんから聞いた時はおばちゃんも心配で
心配で。お見舞いに行こうかと思ってたんだけど、どこの病院か聞くの忘れちゃったのよ」
「あの……」
吉澤がようやく口を開いた。
「人違いじゃないでしょうか?」
「え? でも……」
「私、オカムラといいますが」
「あら、そうなの? やだぁ、ごめんなさいね。でもホントによく似てるわぁ……」
母親は半ば疑っているようだったが、いいタイミングで子供が「注文していい?」と
聞いてきたので、藤本はエプロンのポケットから伝票を取り出して「どうぞ」と頷いた。
「あ、オカムラさんは洗い場の方お願い」
さりげなくなるように努力しながら、吉澤に向かってそう言って、彼女がその場を離れて
から三人分の注文を聞いて厨房に戻った。
注文を店長である父親に預け、素直に洗い物をしている吉澤の腕を引っ張って裏手へ
連れて行く。彼女は抵抗をしなかった。
- 83 名前:クイツメロマンチスト 投稿日:2004/10/02(土) 21:46
- 吉澤はへらへらと力のない笑いを口元に乗せていて、だらんと下げた腕は水滴が伝って、
ポタポタ落ちる水滴を見たら、なんだか無性に腹が立った。
「……オカムラってどこから出たんだよ」
「そこかい」
はは、と吉澤が苦笑をした。
「どうもー、オカムラタカコでーす」
「だからなんだよ、それ」
「そして君はヤベヒロコ」
「ナイナイかよっ」
あまりにも下らない偽名に、藤本はがっくりと肩を落とし、それから吉澤の濡れた両手を
強く掴んだ。
「さっきの……」
「ホントだよ」
意外にも、藤本はひどく動揺し、瞬間的に下を向いてしまった。吉澤が掴まれている
片手を外し、柔らかく藤本の頭を撫でた
- 84 名前:クイツメロマンチスト 投稿日:2004/10/02(土) 21:46
- 「あ、ごめん濡れちゃった」
「いいよそんなの、どうでも」
「……別に、隠してたとかじゃないんだけどさあ」
「うっさい」
「怒んないでよ」
「怒ってるんじゃないんだよっ」
どすん、と頭を彼女の胸に押し付けた。困惑気味の苦笑をして、吉澤はそれを受け止める。
藤本は、吉澤を憐れんでいた。彼女が哀れで可哀想で痛ましくて仕方なかった。
彼女の境遇が哀れなのではなく、こんな時まで笑う彼女が、笑う事しか出来ない彼女が、
哀れで仕方なかった。
「もうすぐ混んでくる時間だし。戻んないと」
「逃げんな、馬鹿」
有無を言わせず自室へ連れ込み、床に叩きつけるように座らせた。
それでも吉澤は困ったような苦笑のままで、藤本は彼女を殴りたくなったから、抱きしめた。
藤本に抱きしめられながら、力なくぼんやりと部屋の壁を見つめて、吉澤が呟く。
「聞きたい?」
「……聞きたくない」
「じゃあ言わない」
- 85 名前:クイツメロマンチスト 投稿日:2004/10/02(土) 21:46
- 彼女をここへ連れてきたのは、ただなんとなく、「どうにかしたい」という思いがあった
からで、詳細を知りたいなんて全く思っていなかった。
どうにかしたい、と思っただけで、どうしたらいいのかは判らなかったから、
藤本はただ、吉澤を抱きしめていた。
「てゆーか、あたしもよく覚えてないんだけどさ」
「聞きたくないってば」
「心神喪失っていうの? 何ヶ月かぼーっとしてて、気がついたら、
病院抜け出してたんだよね」
そして、当て所もなく彷徨って、力尽きて倒れたところを、藤本に拾われたという事
なんだろう。
吉澤が藤本の顔を上げさせる。真っ直ぐに見つめると、吉澤は「泣いてるかと思った」と
穏やかに言って、笑った。
「美貴に会った時も、結構ぼーっとしてたんだけど。ご飯食べさせてもらったり、
泊めさしてもらったりしてたらさ、なんかすんげー嬉しくて。
なんか、この人達の役に立ちたいなーって思ったら、戻れた」
- 86 名前:クイツメロマンチスト 投稿日:2004/10/02(土) 21:47
- 帰ってこれないかと思ったよぅ、と、情けない声で言いながら抱きついて来た時の事を、
藤本は不意に思い出していた。
その言葉がどういう思いから発せられたものだったのか判って、藤本は本当に、
彼女を哀れだと思った。
「初めてえっちした時も、嬉しかった。あたし、この子の役に立ってんだって思ったし、
この子、あたしのこと慰めてくれんだって思って、嬉しかったよ」
「……あんま上手くなかったけどね」
「うわ、こういう時にそういう事言うかー?」
くしゃりと笑い、吉澤が大きく仰け反る。
「しょうがないじゃん、女の子となんてした事なかったしさー」藤本の背中をバンバン
叩いて、それから縋りつくように寄り添った。
「今は?」
「んー、結構いい感じ」
「でっしょー? 頑張ったもん、吉澤」
「そんなことで頑張るなよ」
「だって、捨てられちゃったら困るし」
「怒るよ?」
「嘘だよ」
吉澤は速すぎるくらいのタイミングで言い、母犬の腹で丸まるように、ぐたりと脱力した。
- 87 名前:クイツメロマンチスト 投稿日:2004/10/02(土) 21:47
- 「……あーあ」
重い溜息を洩らし、ぐ、と体重をかける。支え切れずに床へ倒れこんだ藤本は、
それでも吉澤を離さなかった。
「愛されてたとは、思うよ」
「うん」
「けど、だからって何してもいいってわけじゃないじゃん」
「うん」
「いくら愛してっからって、そんなの冗談じゃないよ。そんなの、勝手すぎんだよ」
「うん」
「生きるための三大欲求ってあるじゃん」
「うん」
「美貴はあたしに三つともくれた」
「うん」
「嬉しかった。……嬉しかったよ」
別段、藤本は自分がしたかった事をしただけで、吉澤に対して「生きていてもいい」などと
許しを与えたつもりはない。
そうであっても、吉澤がそういう受け取り方をしたのだったら、それを否定する気もない。
下らない将来すら言えなかった時期が、彼女にはあったのかもしれない。
- 88 名前:クイツメロマンチスト 投稿日:2004/10/02(土) 21:47
- 藤本が吉澤の首に腕を廻して、あやすように髪へ指先を潜り込ませた。
それは憐憫以外の何物でもなかったし、単なる傷の舐め合いでしかなかったが、砂利に
混じる砂金のように、そういったものを取り除いて眼を凝らせば、愛情、みたいなものも
あるのかもしれなかった。
それでも藤本が抱いているそれの大半は憐れみであって、それ以上の、もっと綺麗な
ものには、なり得なかったのだけれど。
首筋をなぞられる感触に目を細めながら、藤本はゆっくりと身体を絡ませる。
「もうすぐ忙しくなる時間だってのに」
「あそっか。戻んないとね」
「馬鹿、いいんだよそんなの」
照れ隠しに言った事を真に受けた吉澤の頭を拗ねた面持ちで叩くと、彼女は少しだけ
決まり悪そうに笑った。
- 89 名前:クイツメロマンチスト 投稿日:2004/10/02(土) 21:48
- キスしてあげようかな、と思って、しかしそれはあまりにも「寒い」なと冷めてしまって、
それはなんとなく違うだろうという感じだったから、吉澤のシャツに手を潜り込ませて
背中を撫でるだけに留めた。
「てゆっか、ベッド行こうって。フローリングだから硬くて痛いんだよ」
「……ムードもへったくれもないなぁ」
「本能だからね」
「ああ……確かに」くすくすと笑いながら、吉澤は藤本を抱き起こした。
- 90 名前:クイツメロマンチスト 投稿日:2004/10/02(土) 21:48
- 吉澤に背中からくるまれて、事後の心地良い倦怠感に浸っていたら、不意にきゅっと
抱きすくめられた。
「よっちゃん?」
視線だけを軽く吉澤に向け、訝しげに呼びかけると、吉澤は藤本の耳に噛みついてから
そっと囁いた。
「あたし、ここ出るわ」
「え、なんで」
「いつまでもフラフラしてらんないし。あのおばさん、多分周りに言っちゃうしさ。
一家心中の生き残りがバイトしてるなんて、あんまいい話じゃないっしょ」
恩を仇で返したくないしね、と、痛いほど優しい声で呟いて、吉澤が頬を摺り寄せる。
藤本は腰に廻された吉澤の手に自身のそれを重ねると、ゆっくりと撫で上げた。
甲に人差し指をひたりと当て、次の瞬間思い切りつねる。
- 91 名前:クイツメロマンチスト 投稿日:2004/10/02(土) 21:48
- 「いてて!」
「なに言ってんの?」
藤本が身体を転じ、吉澤に向き合う。
脇の下に腕を差し入れ、ぐいとベッドに押し付けると、吉澤の不安そうな鼓動が
熱の引ききっていない肌から伝わってきた。
「あんた、美貴とお笑いコンビ結成すんでしょ?」
「へ……? あれ、本気にして……」
「あんたは美貴といたらいいんだよ」
吉澤はきょとんとしている。腰に廻したままだった腕が力なく解かれ、だらんとした
身体を代わりというように藤本が抱きくるんだ。
「それって、吉澤のこと必要だって意味?」
「それ以外にどう取れんの?」
「とか言って、彼氏できたら速攻ほっとかれそうなんだけど」
「そんな事しないよ」
藤本は真っ直ぐに吉澤を見つめている。
「絶対、しない」
同情で何が悪い、と胸の中だけで呟いた。
傷の舐め合いで何がいけない、とも呟いた。
それで生きていけるなら、価値という意味では十分だ。
もしかしたら、身勝手な愛情よりも。
- 92 名前:クイツメロマンチスト 投稿日:2004/10/02(土) 21:48
- これからの人生で、何度恋を知っても、彼女の腕の心地良さは忘れないと思えた。
藤本にとって、理由なんてそれで十分だった。「好きだから」なんていう曖昧な理由よりも、
説得力があるような気さえしていた。
吉澤が目を閉じ、ふうと細い息をついた。それは呆れているようにも見えたが、
せり上がってくる何かを堪えているようでもあった。
「そういうのも、いいのかなぁ」
向き合うために起こしていた上体を、吉澤に強く引き寄せられた。
「そういう風に、生きてくのも、いいかもしんないなあ」
「だから、そうしてりゃいいんだって」
「――――ははは! 何様だよ!」
「美貴様だよ」
「うわ、だっせぇー!」
大声で笑って、吉澤が強く強く、藤本を抱きしめる。
それは恐がっているようで、藤本は手のひらを彼女の心臓辺りへ押し付けた。
吉澤は大声で笑いながら、本当に、本当に嬉しそうに、泣いた。
- 93 名前:クイツメロマンチスト 投稿日:2004/10/02(土) 21:49
-
- 94 名前:クイツメロマンチスト 投稿日:2004/10/02(土) 21:49
-
- 95 名前:クイツメロマンチスト 投稿日:2004/10/02(土) 21:49
-
- 96 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/03(日) 01:44
- 面白い
- 97 名前:29 投稿日:2004/10/03(日) 04:25
- すばらしい
- 98 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/03(日) 15:23
- すごくよかった。溜息が出るほどに。
- 99 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/04(月) 14:50
- 拝読させて頂きました。
ここじゃ書き切れない程の様々な感想を抱きました。
作者さまの作品がもっと読みたいです。
楽しみに待っています。
- 100 名前:玉響の児戯の残骸の下 投稿日:2004/10/12(火) 04:13
- 石川が午後一時ちょうどに公園へ到着すると、吉澤は階段の上がり口で仁王立ちしていた。
『みどりの丘公園』という名のつけられたこの公園は、山を切り崩してマンションを
建てる予定だった会社が途中で潰れ、中途半端に均された土地を自治体が買い上げ、
しかしこれといって使い道の見つからないままになんとなく公園になった場所である。
住宅街から距離があり、来るまでにかなりきつい坂を上ってくる必要があり、更には
来たところで目新しいものなど何もないので、利用する人間はほとんどいない。
石川だって、呼び出されなければ一生足を踏み入れることなどなかっただろう。
切れ切れの息を整えながら、石川は怪訝そうな顔で吉澤を見る。彼女は腕組みをして
仁王立ちのままでいる。
「待ちくたびれたぞ石川!」
「時間ぴったりに来てるじゃん」
「あたしは11時半から待ってたのだ!」
石川を見下ろしながら、吉澤はえへんと胸を張る。
- 101 名前:玉響の児戯の残骸の下 投稿日:2004/10/12(火) 04:13
- 吉澤の傍らには、古ぼけた自転車が立ててあった。ママチャリである。確か、ギアは
申し訳程度の三段変速。
公園の入り口へ続く階段にはスロープなどついていない。バリアフリーが叫ばれて久しい
昨今、この見事な時代の逆行振りを見ても、自治体がここを持て余している事が判る。
つまり吉澤は、あの自転車を持ち上げて階段を上ったことになる。それについては
なんとなく感心した。
「で、なんなの、こんなとこに呼び出したりして」
怪訝そうな顔のまま石川は尋ねた。用があるのなら電話でもメールでもしてきたらいい。
わざわざこんなひと気のない場所まで連れ出す理由が判らない。
「あたしは11時半からここにいるから、お昼ご飯を食い損ねてる!」
吉澤はさっきから大声で喋っている。階段の上と下にいるとはいえ、そこまで声を
張り上げなくても、ちゃんと聞こえるというのに。
「なぁに、買ってきて欲しいってこと? 言っとくけど奢ってなんかあげないからね」
「ちがーう!」
ブン、と吉澤が大きく腕を振り回した。まるで駄々っ子だ。
- 102 名前:玉響の児戯の残骸の下 投稿日:2004/10/12(火) 04:13
- 気を取り直そうという意図なのか、一度咳払いをして、吉澤はさらに言葉を重ねる。
「おまけにさりげなく昨日は徹夜をしたので、もンのすごく眠い!」
「……じゃあ寝なよ」
なにが「さりげなく」なのか判らないが、いちいち言うと面倒なので、石川はそれだけ言った。
じゅわんじゅわんと蝉が鳴いていた。
石川の額には汗が滲んでいる。熱さのせいもあるが、ここまで坂を上ってきた事が
原因の多くを占めているだろう。
対して、見た感じ吉澤は涼しげである。肌の白さと相まって、なんとなく人形のように
見えた。
吉澤は自分が人間である事を証明するかのように、大きく声を張り上げる。
「体調は最悪! そしてこのベーグル号!」
バシンと自転車のサドルを平手で叩く。ベーグル号とは自転車の車号である。
- 103 名前:玉響の児戯の残骸の下 投稿日:2004/10/12(火) 04:13
- 「雨にも負けず、風にも負けず、雪にはたまに負けつつ、あたしと苦楽を共にしてきた
相棒だ!」
「……知ってるよ。よっちゃん小学校の頃からそれ使ってるじゃん」
「その通り、しかもろくに整備をしてないのでボロボロだ!」
眠っていないからハイテンションなのかもしれない。石川はそう口の中で呟いて、
早いところ本題に入ってほしいと願った。
風が一瞬強くなって、木の葉ずれの音が大きくなった。舞い上がった砂埃に石川が目を
閉じて、顔の上半分を手で覆う。
手を外し、吉澤を見上げると、彼女はベーグル号にまたがっていた。
「よっちゃん?」
「そんな最悪のコンディションで、あたしはこれからこの階段を一気に下りる!」
「え……えぇ!? ちょちょ、ちょっと、危ないよ!」
慌てて階段を上り始めた石川を、吉澤は気でも放つかのような勢いをもって手のひらを
突き出し、その場に押し留めた。それに気圧されて、石川は思わず足を止める。
- 104 名前:玉響の児戯の残骸の下 投稿日:2004/10/12(火) 04:14
- 公園には、二人の他は人っ子ひとりいない。
自転車に乗り、片手を真っ直ぐ突き出している吉澤と、呆けたような表情で階段の
一段目へ足を乗せた石川の間を、野良犬がのたくたと通り過ぎて行った。
「ね、ねえ。ホントに危ないよ。打ち所悪かったりしたら……大変なことになるかも」
「大丈夫だ、バカは死なないから!」
どういうわけか自信たっぷりに吉澤は言い、階段の中央に設置された手すりに
掴まっていた手を自転車のハンドルに移した。
呆気に取られている石川は、それを言うなら「馬鹿は死ななきゃ治らない」だろうと
訂正することも、それより馬鹿を自己申告するというのはどうなのかと問い質すことも
出来ず、ただ、じっと吉澤を見上げていた。
「あたしが、転ばずに石川のところまで行けたら」
吉澤がすぅと息を吸い込んだ。
「石川は、これから幸せになる!!」
殊更、大きな声で叫んだ。
- 105 名前:玉響の児戯の残骸の下 投稿日:2004/10/12(火) 04:14
- 「は……?」
立ちくらみがして、石川は手すりを支えにふらつく身体を持ち直した。
「あの……よっちゃんが危ないことするのと、あたしが幸せになんのと、
どういう関係があるの?」
「知らん!」
「はっきり言わないでよ!」
「あたしがそう決めたから、そうなんだ!」
言った後、唇を引き結んで、ベーグル号を少しだけ前進させる。
石川の鼓動が一度跳ね、元に戻ってから吉澤を睨みつけた。
「ねえ、ホントにやめなよ。怪我しちゃうよ」
「転ばなきゃいいんだよ!」
「転ぶってば、絶対!」
もう吉澤は聞く耳を持たず、両手でハンドルをしっかり握って、心持ち前傾姿勢になった。
石川の喉が大きく蠢いて、無意識に手を胸の前で組んでいた。
「行くぞ、ゴー!」
ペダルに掛かっていた足が、思い切り踏み込まれる。タイヤが一番目の段を下り、
次の段で飛び跳ねて、それは後輪へと伝わってどんどん大きくなっていく。
- 106 名前:玉響の児戯の残骸の下 投稿日:2004/10/12(火) 04:14
- 「ぬおぉぉ〜!!」吉澤が吼える。舌を噛んでしまいはしないかと、石川はハラハラする。
涼しげだったはずの吉澤の顔から汗が散っていた。気合の汗か、それとも冷や汗か。
ホッピングカーも顔負けの飛び跳ねっぷりを披露していたベーグル号は、半分を過ぎた
辺りでなけなしのバランスと相棒を投げ出し、勢い良く倒れこんだ。
「よっちゃん!」
ガシャガシャとベーグル号の断末魔が響く中、石川が階段脇の斜面へ叩きつけられた
吉澤のもとへと急ぐ。大の字になって倒れている吉澤は微動だにしない。
「大丈夫? ねえ、大丈夫!?」
揺すろうとして、頭を打っていたらまずいと思い直し、硬く目を瞑っている吉澤の胸元へ
手を当てて呼びかけた。
「うぅ……」小さな呻き声と共に吉澤が目を開け、自身を心配そうに見つめている石川を
見つけると、わざとらしいしかめっ面を作った。
- 107 名前:玉響の児戯の残骸の下 投稿日:2004/10/12(火) 04:14
- 「……ど」
「ど?」
「どんくらいまで行った……?」
「……ばかぁ」
泥だらけの擦り傷だらけになっておいて、何を気にしているのか。
「けっこうイイ線行ってなかった?」「行ってないよ、半分くらいだもん」言うと、吉澤は
更に渋面を作り、ちぇ、と小さく舌打ちをした。
吉澤が上体を起こし、口の中に入った泥を吐き出した。吐き出した物の中に、うっすらと
違う色が混じっているような気がしたが、吉澤は平気な顔をした。
石川は階段を上ると、水道で手持ちのタオルを濡らして戻り、吉澤の顔を乱暴に拭いた。
「いてて」
「もう、よっちゃん訳わかんない」
泥を拭ってみれば、吉澤の顔は右半分に大きな擦り傷が出来ており、瞼を切ったのか
目は開ききっていなかった。そこへタオルを当ててやると、吉澤はおとなしく目を閉じた。
「痛い?」
「ぜんっぜん痛くない」
「うそつき」
あてがったタオル越しに、吉澤の鼓動が伝わってくるような気がした。
- 108 名前:玉響の児戯の残骸の下 投稿日:2004/10/12(火) 04:14
- じゅわんじゅわんと蝉が鳴き、風が吉澤の服についた砂や泥を吹き飛ばし、石川が当てて
いるタオルは熱を含み始める。
吉澤が左目だけをそっと開けた。
「……見送りは、行かないから」
「なんで? 来てよ」
「誰が行くかよ、ばーか」
「ばかってなによぅ」
石川の手首を掴んでタオルを外させ、吉澤は視線を落とす。
いい加減、石川は彼女がどうしてこんな事をしたのか勘付き始めていたし、吉澤の表情は
それを確信に変えるのに十分な色合いを持っていた。
怒る気にもならなくて、吉澤の腫れ上がった右瞼を気にしながら、彼女の隣に腰を下ろした。
「どうしたらいいか……判んなかったんだ」
「……うん」
「なんか……なんかさ、いきなりだったし。まだガクセーだから、餞別とかっても
大したもんあげらんないし。
だから、あたしがすげえ事したら、忘れないかなって思ったから……」
ぼそぼそと言い訳のような口調で呟くのに、石川がぷかりと笑う。
- 109 名前:玉響の児戯の残骸の下 投稿日:2004/10/12(火) 04:15
- タオルを吉澤に渡し、空いた手で彼女の頭に乗っかった葉っぱを取り除いて、梳くように
撫でると、彼女はどこか笑いたいのを堪えるようなしかめっ面になった。
「確かに忘れないよね。こんなことすんの、よっちゃんしかいないもん」
「駄目だよこんなの。超かっこわりーじゃん」
憮然とした表情で唇を尖らせ、吉澤はふいと顔を背ける。
小さな頃からやんちゃで、お人形遊びよりもヒーローごっこが好きで、しかも毎回毎回
主人公のヒーロー役をしたがっていた彼女のその表情はしかし、どうしようもなく
「女の子」だった。
拗ねた横顔を見つめる、毎回毎回ヒーローごっこのお姫さま役になっていた石川の表情は、
どうしようもなく「お姉さん」だった。
「よっちゃんが大人になったら、戻ってくるよ」
「……嘘だ。戻ってなんかこれるわけないじゃんか」
「ホントだよ。いつかきっと、戻ってくるよ。そしたらまた一緒に遊ぼ?」
- 110 名前:玉響の児戯の残骸の下 投稿日:2004/10/12(火) 04:15
- 吉澤がすっくと立ち上がる。
「石川なんかと遊んでられっかよぉ!」荒い口調で言って、ベーグル号のハンドルを持って
立ち上がらせる。
ベーグル号はペダルが片方外れ、前輪のスポークがひしゃげていた。
突然癇癪を起こした吉澤に苦笑しながら、石川は立ち上がって、スカートについた
草を払い、肩を怒らせている彼女の背中を見つめた。
「……これじゃ、もっかいやんの無理だなぁ」
「もうしなくていいってば。危ないんだから」
腹いせなのか、吉澤は階段を爪先でガシガシ蹴って、自転車を押しながら下り始めた。
石川はその後を追いかける。
石川と視線を合わせないよう、少しだけ俯きながら、吉澤が呟いた。
「でも、半分くらいは行ったからさあ」
「ん?」
「半分くらいは幸せになれんだよ、石川は」
「だから、よっちゃんが決めても意味ないんだって」
「あるんだよ。意味……あるよ」
ガトンガトンとひしゃげたタイヤが階段を跳ねる。
- 111 名前:玉響の児戯の残骸の下 投稿日:2004/10/12(火) 04:15
- ベーグル号は、吉澤が小学生の頃から苦楽を共にしてきた相棒だった。
ヒーローになった後、お姫さまの石川を後ろに乗せて、家へと帰るのが決まりだった。
ペダルが片方取れ、スポークのひしゃげた自転車の荷台に、石川が乗る事はもうない。
「帰ったら、ちゃんと手当てしてもらいなね。顔に傷残ったら大変だよ」
「大丈夫だよ。もう痛くないし」
石川が、吉澤の右頬を指先で擦った。「い……っ」顔をしかめた吉澤は慌てて口をつぐむ。
「痛いんじゃん」
「痛くないって!」
石にぶつかり、ガトンッと自転車が大きく跳ねる。崩れかけたバランスを立て直し、
吉澤はぎゅっと唇を噛み締めた。
階段を下りきり、石川が吉澤と向き合う形になるよう、身体を反転させる。
- 112 名前:玉響の児戯の残骸の下 投稿日:2004/10/12(火) 04:16
- 「もう、こんな事しちゃ駄目よ?」
「石川に言われる筋合いないんだよ」
「またそうやって男の子みたいな言い方して。せっかく可愛い顔してんのに勿体無いなぁ」
「可愛くなんかなくていい」
子供に手を焼く大人のような溜息をついて、吉澤の頬に手を当てながら、石川は沁み込む
ような視線で彼女を絡め取る。
「……よっちゃんが大人になったら、また来るよ」
「来なくていいよ、ばーか」
「なんでよぅ」
頬から手を離し、石川が小さく肩を竦めた。
臆病者は、よく吼える。
吉澤がどれだけ臆病か知っている石川は、彼女が限界であると判断し、スカートの裾を
押さえながら立ち上がった。
「それじゃ、あたし準備残ってるから、もう行くね」
「……うん」
吉澤は、ボロボロの相棒と一緒に石川を見送った。唇を噛み締めているのは、身体の奥で
暴れる何かを逃がしてしまわないように堪えているからで、湿り気を含んだ視線は、傷に
よく染みた。
- 113 名前:玉響の児戯の残骸の下 投稿日:2004/10/12(火) 04:16
- 石川が振り返る。
「よっちゃん」
吉澤は応えない。
「今までも、これからも……あたしのヒーローは、よっちゃんだけだよ」
その瞬間、吉澤の身体が大きく震えて、それは逃がすまいとしていた何かが殊更烈しく
暴れたからで、口を固く閉じていたから、瞳の表面に薄い膜となって滲み出してきた。
「……石川ァ!!」
吉澤は怒鳴りつけるみたいな調子で叫ぶ。
「半分なんかじゃない! 石川は、石川はずっと最高に幸せになんだよ!!
あたしがそう決めたんだ!! だから……」
ぐっと、吉澤の喉が詰まる。まだだ。まだ、駄目だ。
あと一言だけ、言わなきゃいけないことがある。
大きく息を吸って、強く目を閉じた。
- 114 名前:玉響の児戯の残骸の下 投稿日:2004/10/12(火) 04:16
- 「……おめでとう!!」
目を閉じていたから、石川がどんな表情をしていたのか、吉澤には判らなかった。
吉澤は、咄嗟に目を瞑ってしまったことを後悔したが、瞼を上げたら更に傷に染みて
しまいそうで、恐くて開けられなかった。
「ありがと」
柔らかな声が聞こえて、堪らなくなった吉澤はくるりと身体を返して、下ったばかりの
階段を駆け上った。
中途半端な都市開発の犠牲となった公園には誰もおらず、それをいい事に吉澤は芝生へ
大の字に寝転がった。その勢いは寝転がったというより倒れこんだと言った方が近くて、
擦りむいた傷がまた痛くなって、吉澤はぎゅっと唇を噛む。
両腕で、目を覆う。
「……かっこわり」
笑顔で見送るとか、それが無理ならせめて、最後まで彼女の見える場所に立ち止まって
いるくらい出来たらよかったのに。
吉澤は熱を含んだ溜息をつく。
溜息と一緒に何かが逃げ出して、吉澤の内側はボロボロになって、だから吉澤は一層強く
腕を顔に押しつけた。
- 115 名前:玉響の児戯の残骸の下 投稿日:2004/10/12(火) 04:16
- ヒーローはお姫さまを助け出し、自転車の後ろに乗せて颯爽と帰って行くものだった。
けれど、お姫さまを迎えるのはいつだって、ヒーローじゃなくて王子さまの役目なのだ。
どれだけ頑張ったところで、ヒーローごっこは「ごっこ」でしかなく、本物の王子さまには
勝てやしない。
そんな事は、本当はずっと前から気付いていたのに。
「梨華ちゃん……」
そう呼べなくなったのは、いつからだったか。
きっと、そう呼べなくなった時から、吉澤はヒーローの資格を失ってしまった。
だから、偽物のヒーローは、王子さまにお姫さまを託さなくてはならない。
悔しいけど、認めてやるしかない。
じゅわんじゅわんと蝉が鳴いていた。
ベーグル号が吉澤と苦楽を共にして9年目。
荷台に石川を乗せなくなって、4年目の夏だった。
- 116 名前:玉響の児戯の残骸の下 投稿日:2004/10/12(火) 04:17
-
- 117 名前:玉響の児戯の残骸の下 投稿日:2004/10/12(火) 04:17
-
- 118 名前:玉響の児戯の残骸の下 投稿日:2004/10/12(火) 04:18
-
- 119 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/12(火) 10:31
- 面白い。
- 120 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/12(火) 13:43
- うわー…。良い。
- 121 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/12(火) 14:51
- 面白いです、とても
- 122 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/12(火) 23:47
- 独自の世界観を持ってらっしゃいますね。
それでいて凄く入り込みやすいストーリー。
まさに脱帽です。
- 123 名前:名無し野郎 投稿日:2004/10/14(木) 19:06
- 正直泣いたよ作者さん
- 124 名前:空気にして固形 投稿日:2004/10/26(火) 01:17
- てくてくと、高橋は歩く。その六歩後ろを、新垣が歩く。
前日入りとはいえ、これから全員揃っての練習もあるというのに、高橋はふらりと、
まるでちょっと買い物に行くのだというような雰囲気で出て行って、そのまま20分くらい
てくてくと歩いている。
新垣はその六歩後ろを追いかけている。別に彼女の様子がおかしかったとか、そういう
ことではなかった。単純に、ドアを開ける直前、高橋がこちらを見ていたから、ついて
来て欲しいのかと思って後を追ったのだ。
翌日行われるコンサートは、彼女の里帰りを兼ねている。
羽織っているパーカのポケットに手を入れながら、新垣は高橋の足跡を辿る。
駅について、高橋は入場券の次に安い切符を購入した。新垣も同じ物を買い求める。
改札をくぐって2番ホームへ入り、電車がやって来るのを待った。
高橋はホームに立っている。新垣はその後ろにあるベンチへ腰掛けている。
- 125 名前:空気にして固形 投稿日:2004/10/26(火) 01:17
- ポケットに10円ガムを見つけて、新垣は包みを解いて四角いガムを口に入れた。
安っぽい甘味と酸味が口の中で混じり合う。青りんご味と書かれていたが、どこがだろう
と首を捻る味だった。駄菓子屋のガムは、大抵そんな味である。
これは今朝、集合前に小川と紺野と一緒に買い物へ行った先で購入したものだ。
小川が高橋も誘ったそうだが、彼女は断ったらしい。
電車がやって来て、高橋が乗り込んだ。新垣はそれに続く。
二人が乗り込んだ車両に乗客は少なく、高橋は手前の席の端に座り、新垣はその逆側の
端に腰を下ろした。
新垣が高橋の故郷に足を踏み入れたのは初めてのことであり、鈍行列車に乗ったのも
初めてだった。だから新垣はこの電車がどこに向かうのか判らない。
地名はアナウンスで聞こえたが、それがどの辺にあるのかは知らないから同じことだった。
噛んでいたガムが、丁度いい感じに柔らかくなり、新垣はそれを膨らませたくなったが、
行儀が悪いと思われるのが嫌だったのでしなかった。
- 126 名前:空気にして固形 投稿日:2004/10/26(火) 01:17
- 三つ目の駅で高橋が立ち上がる。目線で追うとドアを抜けたので、新垣も電車を下りた。
高橋はてくてく歩く。てってけてーと走ったりはしない。
新垣がついて来れるようにと配慮しているのかなんなのか、一定のペースでてくてく歩く。
高橋を追いながら、携帯電話のディスプレイで時間を確認する。時間はまだある。
新垣は高橋を追いかける。
歩きながら、ガムを膨らませた。存外大きく出来あがったフーセンに、新垣はおおとか
声を上げたかったが、そのフーセンが邪魔をしたため、結局は妙な唸り声しか出なかった。
くっと息を吸い込んでフーセンを割る。だらんと潰れたガムを口の中に戻し、
また噛み始めた。
新垣が辺りを見回す。市街地とも言えず、かといって郊外という雰囲気でもなく、
なんとなく中途半端な、「街」と「町」の境界にあるような景色だった。
そういえば誰も自分たちを気にかけたりしていないなと、新垣はやっと気付く。
それがいいのか悪いのかは、また別問題である。
- 127 名前:空気にして固形 投稿日:2004/10/26(火) 01:18
- 「……愛ちゃーん。どこ行くの?」
ガムを口の隅に追いやってから声を掛けたが、彼女は反応をしなかった。
シカトかよ、と内心むくれながら、新垣は仕方なく追いかける。
タカハシアイ、という存在は、新垣にとって「謎」とほぼ同義である。
こういう風に突然どこかへ出かける、というのは初めてだが、唐突に不可思議な行動を
取る事は何度もあった。
そういう場面に出くわす機会が、新垣は他のメンバーよりも多い。それはお互いに特別
仲が良いメンバーがいないせいなのか、同期で行動を共にする機会が多いからなのか、
ひょっとしたら新垣の勘がとても鋭いせいなのかもしれなかった。
- 128 名前:空気にして固形 投稿日:2004/10/26(火) 01:18
- 妙な行動をするのは、吉澤や小川にも見られる傾向であるが、彼女たちは基本、
誰かに見られる事を前提として、つまりわざとオーバーに振舞って笑いを取る事を
目的としてそうしているのだが、高橋は誰も見ていないようなところで、おそらくは
無意識に行っている。
だから誰も気付かない事もあるのだが、新垣だけが気付くような時もある。
しかし彼女は、新垣がツッコミを入れると、「なに?」とかきょとんとした顔で
問い返してきたりして、うわあ判ってないよこの人、と、新垣はいつも呆れるのだった。
- 129 名前:空気にして固形 投稿日:2004/10/26(火) 01:18
- ガムを噛むのに疲れたので、新垣はポケットから包み紙を取り出してガムを吐き出した。
コンビニの前を通り過ぎる際にゴミ箱へガムを捨て、両手をポケットに戻して、
また高橋を追いかける。
飽きてきた。時間は、まだ少しだけ余裕があるが、それを彼女の気紛れに全て取られて
しまうのがなんだか面白くなくなってきた。
「……かーえろ」
独白のような調子で呟き、くるりと背を向ける。何度か曲がり角を曲がったものの、
駅までは標識を辿れば戻れるだろう。電車を下りたらタクシーを使ってもいい。
さすがに事務所からタクシー代は出ないだろうが、歩いて20分程度なら、それほど高くは
つかない。
新垣はスタスタと逆方向を歩く。すったかたーとは走らない。
- 130 名前:空気にして固形 投稿日:2004/10/26(火) 01:19
- くん、とパーカの裾を掴まれた。振り向き、掴んでいるのが高橋だと確認してから、
新垣は眉を眉間に寄せる。
「なに? 愛ちゃんも帰るの?」
「違うんやけど」
「じゃあ離してよ。あたしはもう帰るから」
「……もうちょっとやから」
「あのね」新垣は怒ったような顔のまま、強引に身体の向きを変えて掴まれているパーカを
解放させる。
「別に愛ちゃんがどこ行っても、それで怒られてもあたしには関係ないでしょ?
勝手に一人で行ったらいいじゃん」
「なんで? ガキさんあたしのこと嫌い?」
「はあ? なんでそうなんの? なんですぐそういうこと言うの?」
苛々と溜息をついて、新垣は唇を歪める。
- 131 名前:空気にして固形 投稿日:2004/10/26(火) 01:19
- 高橋に何か言うと、いつもこうなる。二言目には「あたしのこと嫌い?」で、新垣はそれを
言われる度に、なんだか胃の辺りを誰かにかき回されているような、鈍くて不快な思いをする。
「もうちょっとで、着くから」
高橋はそう言って下を向いた。それは俯くというよりうな垂れるといった方が正しい
ような仕草で、新垣はわざとやってるなら殴ってやると思いながら、彼女の肩を
ポンポン叩いた。
高橋がまた、てくてく歩きだす。新垣はその六歩後ろを歩く。
タカハシアイ、という存在は、新垣にとってそういう位置に居た。
- 132 名前:空気にして固形 投稿日:2004/10/26(火) 01:19
- 裏路地へ入り、散乱する生ゴミを避けながら進んでいく。おいおい、と新垣は口の中で
愚痴っぽく呟いた。一応アイドルなのに、こんなとこ入ってって大丈夫なんだろうかと、
新垣が不安を覚え始めた時、路地は終わり、ひらけた場所へ辿り着く。
「……うおぉ」
あまりアイドルらしくない声を、新垣が上げる。
そこは空き地なのか、ビルとビルの間に出来た半端な空間で、フェンスで周りを囲まれ、
コンクリート塀にボルトでバスケットゴールが取り付けられていて、地面にはビニール
テープでラインが引かれていた。誰かが作り上げたバスケットコートなのだろう。
新垣が育った街にも、似たような場所はあった。夕方くらいにその前を通り過ぎると、
自分より4,5歳上だろう少年たちが、3on3をして遊んでいるのを見ることができた。
しかし新垣が声を上げた原因はコートではなく、ボルトでくくりつけられたゴールの
下に描かれた絵だった。
- 133 名前:空気にして固形 投稿日:2004/10/26(火) 01:19
- ストリートアートとか呼ばれているもので、大部分についてはスプレーで描かれていたが、
良く見ると細かい部分はハケのようなものでペンキが置かれているらしく、油絵のように
立体的に色が乗っていた。
それは、新垣は知らなかったが、ミレーの『落穂拾い』を模したもので、しかし人物は
みんなヨレヨレの背広を着た中年であり、拾っているのは破れた書類だった。
果たして、これを描いた人の意図はなんであるのか、新垣には判らない。きっと高橋にも
判らないだろう。
こんな大人にはならないという意思の現れなのか、こんな所で遊んでばかりだと、
将来は冴えないサラリーマンになってしまうぞという警告なのか、ただ単に若者特有の
中年嫌悪から来るブラックジョークなのか。
新垣にとって、そんな作者の意図などはどうでもよかった。その絵はとても上手だったのだ。
その事に新垣は感動したのであり、それ以外については特に言う事はなかった。
- 134 名前:空気にして固形 投稿日:2004/10/26(火) 01:20
- 「すごいなー、いやすごいよ、これは」
壁の落書きといえば、何か難しい漢字をスプレーで書き殴っているものとか(大概、締めに
使われているのは『参上』だった)、よく判らないアルファベットの羅列とかしか
見た事がなかった新垣には、それはとても新鮮ですごいものに見えた。
「すごいやろ? あたしも昔、偶然見つけたんよ」
残っててよかった、と、高橋は笑った。
こういったストリートアートは、ほとんどが「街の景観を汚す」という理由で消されてしまう。
これが消されずに生き延びてこれたのは、裏路地の最奥にあり、あまり人目につかない
せいかもしれなかった。
確かに、褒められるものではないのだろう。いくら上手でも綺麗でも、それはただの
落書きであり、描かれているのはコンクリート塀で、所有者はこの絵の作者ではない。
けれど、新垣は確かにそれを見て感動したし、高橋は残っていてよかったと言った。
- 135 名前:空気にして固形 投稿日:2004/10/26(火) 01:20
- 新垣はひとしきり感心してから、高橋に向き直って、「で?」と問いかけた。
「ん?」
「いや、確かにこれすごいけど。それで? 単に見せたかっただけ?」
「んー、そうなんやけど」
新垣が呆れ顔になった。それなら、もっと時間がある時に連れてきたらよかったのだ。
何の説明もなく、コンサートの前日なんて忙しいこんな時に、これを見せようとした
意味が判らない。
何か言いにくそうに口を蠢かせながら、高橋はてってけてーと小走りに新垣へ近寄り、
パーカの袖を掴んだ。
「これ、あたしがすごいなーって思ったもんなんよ」
「ああうん、あたしもすごいって思ったよ。で?」
「……これ見せたら、ガキさん仲直りしてくれんかなって、思って……」
そこで新垣は、彼女と喧嘩をしていた事を思い出した。
- 136 名前:空気にして固形 投稿日:2004/10/26(火) 01:20
- きっかけは些細なもので、一緒に遊びに行こうと約束していたものの、前日に都合が
つかなくなって、高橋にメールで断りを入れ、それについて彼女が怒ったのだった。
返ってきたメールから察するに、どうやら彼女は送ったメールの文中にあった、
『ごめんねー』という言葉が気に入らなかったらしい。
『ごめんねー』と、最後に長音記号をつけたのが、真剣に謝っているように見えないとか
文句をつけてきて、その後はむかついただのなんだのと、そこまで言うかというくらい
長々と不満を綴っていて、さすがに新垣も腹が立ったので、翌日から彼女と口を利かなく
なった。
「え、てゆーかちょっと待って。怒ってたのって愛ちゃんの方じゃん!」
「そうやけど、ガキさん全然メールとかくれんし」
「いやいや、愛ちゃんだってしてこなかったでしょ?」
「こんこんとか麻琴とかとは話すくせに、あたしとは全然喋ってくれんかったし」
「だって愛ちゃんもあたしと目ぇ合わせてこなかったじゃん」
- 137 名前:空気にして固形 投稿日:2004/10/26(火) 01:20
- 高橋はむすっとして、ぶつぶつと新垣に文句を言ってくる。その全てに反論していき、
次第に苛々してきてしまい、乱暴に掴まれていた手を外した。
「あのね、最初に怒ったのも愛ちゃんで、メールして来なくなったのも愛ちゃんで、
喋ってこなくなったのも愛ちゃんでしょ? てゆーかあたしちゃんと謝ったでしょ?
なんでそんな、あたしの方が悪いみたいな言い方されないといけないわけ?」
「……別に、そんなん言うとらんもん」
「言ってるじゃん!」
こいつホントに年上か、と呆れながら、新垣は深々と嘆息をする。
別に、気付いていないわけではない。
仲直りをしたがったのも、彼女の方なのだ。
タカハシアイという存在は、本当に訳が判らない。こんな面倒臭い事をしなくても、
ただ一言、「ごめんね」とかなんとか言ったらよかったのだ。
喧嘩をした相手に自分の宝物を見せて許してもらおうとするなんて、発想が幼稚すぎる。
- 138 名前:空気にして固形 投稿日:2004/10/26(火) 01:21
- 「……ガキさんとはさあ、そんな、特別仲いいってわけでもないけど」
「そういうこと言うか。まあうん、そうだね別にね」
「けどなんか、ガキさんと喋れんのは、なんかヤなんよ」
「うわ超自己中。だからね、怒ったのは愛ちゃんの方であって」
「なんか、うまいこと息できんようになるっていうか」
「人の話聞けよ。息できないって、なにそれ」
大概、忍耐強いと思う。こと彼女に関しては。
高橋は首を傾げながら、低く唸る。
「なんやろ、喧嘩してない時は、別にガキさんと話さんでも平気なんやけど」
「さっきから何気に失礼なこと言ってるよね」
「……なんやろ、なんか、変な感じになる。なんでやろ」
本人に判らない事が、新垣に判るわけがない。
「もういいよ、はいはい仲直りね。そろそろ帰んないと集合に間に合わないから」
斬るように告げて、高橋の手を取って来た道を戻り始める。
「仲直りしたんかな?」「したした」適当に答え、新垣は帰路を急いだ。
- 139 名前:空気にして固形 投稿日:2004/10/26(火) 01:21
- 「あ、ソースカツ丼!」
「だーかーらっ、遅刻しそうなんだってば!」
定食屋のノボリを見つけてはしゃぐ高橋の手を力任せに引き、歩道へと戻す。
てくてく歩いて駅に向かう途中、彼女は何度も「あ、水羊羹!」とか「あ、越前ガニ!」とか
喚き、その度に新垣は手を引っ張って戻した。
本当に、忍耐強いと思う。我慢大会(対象:高橋愛)があったらぶっちぎりで優勝できそうだ。
優勝しても、おそらくは嬉しくないが。
高橋と繋いでいる手とは逆の方で携帯電話を引っ張り出し、時間を見る。
電車に乗って、駅からタクシーを使えばギリギリ間に合うくらいか。
遅刻するのは出来る事なら避けたいと、新垣は思っていた。リーダーである飯田の
説教は長い。
「ねーガキさん」
「あぁ?」
今度は何を見つけたのか、と多少気色ばんで振り向くと、高橋は脇に目を逸らすことなく
こちらを見つめていた。
- 140 名前:空気にして固形 投稿日:2004/10/26(火) 01:21
- 「あたしにとって、ガキさんはおらんといかんのだと思うんよ」
予想外の言葉に、新垣は思わず足を止め、訝しげに眉を寄せた。
「……あ、そう」
特別仲がいいわけでもないのに?という問いは、喉から先には出てこなかった。
まあ、そういう事もあるのだろう。
「あとね」
「なに?」
「この辺、田舎やから、次の電車に間に合わんと30分くらい待たんといかんのやけど」
「はあぁー!?」
新垣は都会っ子である。
電車なんて3分に一本は走っているという意識が当然のように存在し、だから高橋の
言葉にものすごく驚いた。
「ちょっ、そういう事は早く言ってよ!」
30分も待っていたら、確実に間に合わない。
一気に焦り出した新垣に、高橋はどうしてそんなに怒るのか判らない、という表情で、
小さく首を傾げた。
- 141 名前:空気にして固形 投稿日:2004/10/26(火) 01:22
- 「いや、ガキさん判っとるのかと思って」
「そんなわけないじゃん! こんなとこ初めて来たんだから!」
こいつは知ってたくせに、ソースカツ丼とか水羊羹とか越前ガニとか、呑気な事を
言ってたのか。
ギリギリと歯軋りしながら、新垣は慌てて走り出した。手を繋いでいる高橋も、
てってけてーと後に続く。
「だっ、大体ねえ、愛ちゃんがのんびりしてるからっ」
「だってガキさんが急がんからー」
「なんでそう、いっつも人のせいにするかなあっ!」
ぎゃんぎゃん喚きながら、新垣は全速力で駅を目指す。高橋はそのすぐ横をてってけてーと
走っている。
それはなんとも微笑ましく、青春風味にして滑稽な光景だった。
- 142 名前:空気にして固形 投稿日:2004/10/26(火) 01:22
-
- 143 名前:空気にして固形 投稿日:2004/10/26(火) 01:22
-
- 144 名前:空気にして固形 投稿日:2004/10/26(火) 01:22
-
- 145 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/26(火) 08:37
- これもいいですね。
ガキさんに幸あれ。
- 146 名前:名無し野郎 投稿日:2004/10/26(火) 20:26
- すっげーイイ
もうそれだけ
- 147 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/27(水) 00:05
- うん、この二人はこんな感じがいいね
気持ちいい
- 148 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/27(水) 00:48
- 作者さん素晴らしい
- 149 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/09(火) 14:59
- イイ! こういうの大好き
- 150 名前:危うさの周波数 投稿日:2004/11/13(土) 23:01
- 「みきたんが男の子だったらよかったのになー」
悪びれもせず、罪悪感の欠片もなく、不躾に亜弥は言った。「なーに、いきなり」美貴は
パジャマのボタンを留め終えてから、亜弥が潜り込んでいるベッドへ入る。
亜弥の体温で丁度いい具合に暖まったベッドの中で身体を伸ばすと、隣の彼女が少しだけ
首を持ち上げて、毛布から右手を出した。
「だってみきたん、あたしの理想なんだもん」
「理想?」
「ん。もうね、こんな好きな人とかいないよ、マジで」
恥ずかしげもなく亜弥は言い、頬杖をついて美貴の髪をいじり始める。
髪を揺する感触を、微かに煩わしいと感じながら、美貴は「ふぅん」と相槌を打った。
「一緒に買い物行ったり、長電話したり、会いたいって言えば来てくれたり、てゆーか
あんたも呼んでくるしね。あとはー、好きって言ってくれたりー、甘えてきたりー、
甘えさしてくれたりー、悩み聞いてくれたり、慰めてくれたり」
指折り数え、「ね?」と同意を求めてきたので、美貴は何が「ね?」なのかよく判らないまま
適当に頷いた。
- 151 名前:危うさの周波数 投稿日:2004/11/13(土) 23:02
- 具体的な例を挙げられたせいなのか、美貴もなんとなく彼女との付き合い方について
考えてみた。
考えれば考えるほど、本当にカップルみたいだと思った。いや、今時こんな馬鹿みたいな
カップル略してバカップルは、そうそういないのじゃないだろうか。
くらくらした。何か間違っている。
「だから、みきたんが男の子だったらよかったなーって」
「……あのさ、亜弥ちゃん」
「ん?」
「一緒に買い物行ったり、こんな風に泊まりに来たり、外で手ぇつないで歩いたり。
そういうのって、美貴が男の子だったら出来なくない?」
言われて、亜弥はきょとんと目を丸くした。オーバーな仕草である。
「そうだねー。そっか。だよねえ」
「全部同じじゃん」
美貴は苦笑をして、ぽふぽふと、宥めるように亜弥の頭を叩いた。
知り合ってから三年以上経っているが、確かに妙なものだ。初めのうちはここまで
仲良くなるなんて全く思っていなくて、それでもどういうわけか、いつの間にか、
彼女は最初に美貴を選ぶようになっていた。
- 152 名前:危うさの周波数 投稿日:2004/11/13(土) 23:02
- 「んじゃ、みきたん女の子のまんまでいいや」
「いいやとかじゃなくて、美貴女だから。男になるとか出来ないから」
「ほら、なんか手術とか」
「無茶言うな」
呆れた声で言い返す。亜弥はたまに変な事を言う。亜弥だけではなく、美貴が属している
グループのメンバーも、ほとんどがおかしな言動をする。ひょっとしてオーディションの
合格条件に『言動が変』とかあるのだろうか。だとしたら自分が落ちたのも納得がいく。
亜弥が美貴の髪をいじっていた手を毛布の中に戻して、探るように這い回った。
なんだろうと訝しんでいると、見つけた、とばかりに美貴の手を掴んで引っ張り出してくる。
うん?と視線で問うと、亜弥は自身の小指を美貴のそれに絡めた。
「でもやっぱ、みきたんはあたしの理想なわけさ?」
「……ん」
にひひ、と亜弥が笑った。
- 153 名前:危うさの周波数 投稿日:2004/11/13(土) 23:02
- 「運命の赤い糸って、あると思うんだよねぇ」
「いや、それって普通恋人に言うもんでしょ」
「だってすごいじゃん。北海道と姫路だよ? どっちかオーディション受けなかったら、
うちら出逢ってないんだよ? みきたんなんか一回落ちてるしさ」
「うっさいな」
「だから、あたしとみきたんは運命の赤い糸で繋がってたんだよ」
得意げな亜弥の様子に、美貴は困ったように笑って、「はいはい」と軽く流した。
亜弥は流された事に怒りもせず、にひひ、と笑ったまま下がりかけた毛布を引き上げ、
その内側で美貴に抱きついた。
「うあー、亜弥ちゃんあったかい」
「みきたんが冷たいんだって。あんたホント冷え性だよね」
「この湯たんぽはうるさいなあ」
からかうように言って、亜弥の身体を抱き返す。じわりじわりと体温が伝わってきて、
美貴はそれに誘われるように、目を閉じた。
「あ、湯たんぽとタンポポって似てる」
「似てないから」
やっぱり合格条件には『天然』とかがあるんだ。そうに違いない。
- 154 名前:危うさの周波数 投稿日:2004/11/13(土) 23:03
- 「というわけでね」
「へ?」
きゅっと抱きついたまま、亜弥が上目遣いで美貴を見つめてくる。
そこにあるものを見つけて、美貴は気付かれないように散らした溜息を、唇の端から
洩らした。
「なんていうかー、松浦はちょっと、みきたんに独占欲みたいなモノが、あるのです」
つん、と唇を立てて、亜弥は言った。美貴は長い前振りだったな、と思った。
以前にもあった事だ。美貴がグループに属する事になった時も、彼女は同じような表情で、
同じような台詞を吐いた。
しかしその切実さは、その時の比ではない。それはそうだろう。今回は、誰かが決めたの
ではなく、他ならぬ美貴自身が決めた事、だから。
「そりゃあね。みきたんだって年頃の女の子なわけで、そういうのだってあると思うよ。
判ってんだけど。判ってんだけどー」
- 155 名前:危うさの周波数 投稿日:2004/11/13(土) 23:03
- うだうだと唸る亜弥は、上手い言葉が見つからないようで困ったように眉を下げている。
「……別に、亜弥ちゃんと全然会わなくなるわけじゃないし」
「そうだけどー。それも判ってるんだけどー。……やっぱりちょっと、サミシんだぞっ」
「だぞっ」とか可愛い言い方をされても、美貴としてはどうしようもない。
それでか、とふと思い至った。美貴が男だったら、とりあえず独占は出来るだろうから。
という事は、もしも美貴が男であれば、確実に惚れさせる自信があるわけだ。
随分だな、と思ったが、今も状況としてはあまり変わらない。
ただ一点だけ、出来ないことがあるだけで。
しかしやはり、美貴にはどうしようもない事なのだ。分身の術が使えるわけでもなく、
コピーロボットを持っているわけでもないから、どうしたって時間は分割される。
亜弥がにじにじ登ってくる。好きにさせて、美貴は溜息をついた。
- 156 名前:危うさの周波数 投稿日:2004/11/13(土) 23:03
- 彼女に悪気はない。運命の赤い糸がどうとか言うくらいに美貴の事が好きなんだから、
今まで当たり前に与えられていたものが、これからは半分になってしまうという事に、
なかなか納得できないのだろう。
勿論、美貴にだって悪気はない。バカップルだと自分で思ってしまうくらいに亜弥の事が
好きなんだから、今まで同じように、これからも彼女とは仲良くしていきたい。
ただ、それとこれとは話が別、というだけの事だ。
「亜弥ちゃん我がままー」
「だってぇ……」
むいむい抱きしめながら、からかい口調で言うと、亜弥は不満そうに唇を尖らせた。
「だってやっぱ、みきたんがあっちの方にハマっちゃったりすんの、やだ」
「だから、別に亜弥ちゃんの事どうでもよくなったりしないってば」
「みんなそう言うもん。でもカレシ出来ちゃうと電話出てくんなくなったり
デート優先したりあたしと遊んでくんなくなっちゃうんだもん〜っ」
言っている内にテンションが上がったのか、まるで幼児のように亜弥が吠える。
- 157 名前:危うさの周波数 投稿日:2004/11/13(土) 23:04
- 「あのね……」
電話には必ず出て、メールも即座に返して、デートより亜弥との約束を優先して、
ついでに愛してると囁いて、キスとセックスもしようか?
苛立つ言葉は溜息に紛れる。それは間違っていると、当の美貴自身が痛いほど理解して
いたからだ。それは、違うはずの論点を無理やり同一視しただけの戯言でしかない。
むいむいと亜弥を抱きしめながら、美貴は苦しげに眉を歪める。
違う話なのに、どうしてどちらも同じ事を言うんだろう。
- 158 名前:危うさの周波数 投稿日:2004/11/13(土) 23:04
-
- 159 名前:危うさの周波数 投稿日:2004/11/13(土) 23:04
- ぽん、と頭を何かで叩かれて、美貴は顔を上げた。
「元気ないね。どしたの?」
柔らかい、しかし気遣いの見える笑みを浮かべたひとみが、こちらを見下ろしている。
「んー」美貴は小さく唸り、なんとはなしにひとみが持っている文庫本へ視線を移した。
さっき叩かれたのはこれだろう。
今日はレギュラー番組の収録日であり、二本撮りの一本目が終わった後、スタッフが
セットを組み換えるまでのちょっとした休憩に入っている。
ひとみは確か、さっきまで他のメンバーと遊んでいた。美貴の様子を訝しんで来てくれた
のだろう。相変わらず、気の回る人である。
美貴は視線を向こう側の壁に廻すと、はふ、と息をついた。
「……浮気してないのに二股かけてる気分」
「なんだそりゃー」
「ちょっとね」
意味が判らない、という意思表示なのか、ひとみが軽く肩を竦めた。
- 160 名前:危うさの周波数 投稿日:2004/11/13(土) 23:04
- 「よく判んないけど、元気出しなよ」
「元気なことは元気なんだけど」
「ふぅん? あんまそうも見えないけどね。ま、限界来たら力になるから」
ぽん、と今度は手のひらが優しく頭に乗る。
美貴はちょっとばかり感動した面持ちでひとみを見つめた。
「……美貴が男だったら、よっちゃんさんと付き合うな」
「そ? ありがと」
『独占欲』とか面倒臭い言葉を続けざまに投げかけられたせいか、ひとみの包容力が
いつも以上に心地良いものに思えた。
彼女だったら、誰と仲良くしていようが、きっとあんな事は言わない。どちらかと言えば
一人でうじうじ悩むタイプだ。
……それはそれで、面倒かもしれないが。
深入りせずにその場を去ったひとみと入れ替わるように、希美が背中に乗ってきた。
「美貴ちゃーん」
「おーっ、のんつぁん。あいぼんは?」
「ジュース買いに行ってる」
気楽な表情につられて、美貴は口元を緩ませる。まったく、得な子である。
- 161 名前:危うさの周波数 投稿日:2004/11/13(土) 23:04
- 「なんか元気ないねえ」
希美の言葉に、緩んだ口元は途端に苦笑へ変わった。誰の目にも判る程度には、今の
自分はいつもより覇気がないのだろう。正直者は損だな、と口の中だけでひとりごち、
美貴は背中に覆い被さっている希美を隣へ誘導した。
「……のんつぁん」
「ん?」
「もし、ここにオムライスとアロエヨーグルトがあるとして」
「うん」
「どっちかしか食べちゃ駄目って言われたら、どっち取る?」
「どっちも食べる」
「いや、そういうことじゃなくてね」美貴は肩を落としながら言い、もう一度説明をした。
「どっちか片っぽだけしか食べらんないの」
「んー……じゃあ、オムライス食べてからヨーグルト食べる」
時間差をつければいいというものでもない。
駄目だ。直接的に言うのが憚られて、慣れない比喩を使ったのが悪かったのか。
それとも食べ物に置き換えたのが悪かったのか。
- 162 名前:危うさの周波数 投稿日:2004/11/13(土) 23:05
- 「えーと、それじゃあ、オムライスとヨーグルトは置いといて。
あいぼんが安倍さんと喋っちゃ駄目って言ってきて、安倍さんもあいぼんと仲良くしちゃ
駄目って言ってきたら、のんつぁんはどうする?」
「あいぼんもなちみも、そんなこと言わないもん」
「……うん、そうだね。二人ともそんなこと言わないよね」
美貴は疲れた笑顔で頷き、相談に乗ってもらう事を諦めた。大体、最初から人選を
間違ったような気は、していたのだ。
折り良く亜依が戻ってきて、美貴は「ほら、あいぼん来たよ」と希美へ教えてやる。
「あいぼーん」「ののー」てててっと走り寄り、即座にきゃっきゃとはしゃぎ始めた二人を
横目に眺め、美貴は両手を組んでぐっと伸ばした。
「……オムライス食べてからヨーグルトじゃ、駄目なんだってさ」
腕を伸ばしたまま天井へ手のひらをかざし、ふと溜息をつく。
どちらも、二本ある美貴の腕が、両方欲しいのだそうだ。一本だけじゃ満足出来ないと、
臆することなく、悪気もなく、罪悪感の欠片もなく言ってきて、だから美貴は、困る。
- 163 名前:危うさの周波数 投稿日:2004/11/13(土) 23:05
- 「どっちも好きなんだけどね……」
「何が好きだって?」
「わ!?」
不意に後ろから口を挟まれて、美貴が思わずソファから腰を浮かせた。
「矢口さん……いきなり来ないでくださいよ」
「なんだと、藤本のくせに生意気だぞ」
「ジャイアンていうよりコロ助ですよね、矢口さんて」
「おいらコロッケより焼肉がいいな。てゆーか作品変わってるじゃんか」
「亜弥ちゃんはしずかちゃんですかね。お風呂好きだから」
「そんじゃお前はのび太くんな」
そこまで情けなくないですよ、と美貴が言ったが、真里はそれに反応せず、
さっきまで希美が座っていた美貴の隣に腰を下ろした。
- 164 名前:危うさの周波数 投稿日:2004/11/13(土) 23:05
- 「やっぱジャイアンやめ。ドラえもんになる」
「は?」
「ドラえもんはいい奴だから、のび太くんを助けてあげるよ」
「ジャイアンだって映画じゃいい奴ですよ」
「もういいって。話進まない。で、何悩んでんの?」
真里にまで見透かされてしまったか、と思った後で、ふと気付いてひとみの方を見た。
視線に気付いたひとみは、くすりと小さく笑って、美貴へ向かって指先をひらつかせた。
なるほど、そういう伝わり方をしたのか。いつもより少しだけお節介な彼女に、なんだか
こそばゆいような、妙な感覚を覚える。
真里に対しては、希美に言ったような例え話は意味がないだろう。
だから美貴は、素直に説明することにした。
「あのですね」
「うん」
「美貴、ちょっと前からお付き合いをしてる人がいまして」
「あ、知ってる知ってる、よっすぃから聞いたから。雑誌だけは気をつけろよ、ホント」
「説得力ありますね」
「うるさいよ。そんで?」
真里は一瞬だけ苦い顔をしてから、テーブルに置かれているクッキーへ手を伸ばした。
- 165 名前:危うさの周波数 投稿日:2004/11/13(土) 23:05
- 「亜弥ちゃんとも、まあ、ラブラブじゃないですか」
「だねえ。ホントすごいよ、お前ら。もう三年?とかなるっけ?」
「そんくらいですね。でまあ、そこでですね……」
美貴が口をもごつかせる。真里はクッキーを一口に収めた。
「なーんか二人とも、おんなじ事言ってくるんですよねえ……」
「おんなじこと?」
「……まあ、こっちの方優先しろ、みたいな」
「あー、ただでさえ時間取りにくいしね、うちら。そりゃまあしょうがないんじゃない?」
あっさりしたものだった。
「矢口さん冷たいぃぃ」拗ねてシャツをぐいぐい引っ張ると、真里は「あー」と面倒そうに
それを振り解いた。
「だってホント、しょうがないじゃん。藤本だって、それくらい判ってんでしょ?」
「……そうですけど」
「てゆーかさ」
真里は呆れ顔のまま、クッキーのせいで乾いた口を潤すために紙コップのジュースを
一口含んだ。
- 166 名前:危うさの周波数 投稿日:2004/11/13(土) 23:06
- 「ホントはどうするか決めてんじゃないの? 藤本」
美貴の喉が、ぐ、と詰まる。
これはひとみからの情報じゃないだろう。彼女にそんな事は言っていないし、内心を
読み取れるほど、勘の鋭いタイプでもない。
だからそれは、本当に、真里の観察力の賜物だ。
「それって一番いい方法?」
「一番の次くらいですかね」
「ああ、そんで最善策を探してたわけだ」
まったくもってその通りだった。ひとみがアドバイザとして真里を選んだのは、
なかなか賢明な判断だったと言える。
真里は行儀悪くソファに胡坐をかいて、難しい顔を美貴に向けた。
「藤本がどう決めたのか、なんとなく判るけど。それって結構、際どいよ」
「判ってますよ。だから相談してるんじゃないですか」
「でもおいらにも、それより上手い方法なんて判んないんだな」
頼りにならない先輩だ。美貴は失礼にもそんな事を思う。
- 167 名前:危うさの周波数 投稿日:2004/11/13(土) 23:06
- 「それより悪い方法ならいくらでも浮かぶんだけど」
「いやそれ意味ないですから」
「だろ? だからもう藤本が決めた通りにしちゃえばいいじゃん」
他人事だからか、真里は無責任に笑って、美貴の肩を乱暴に叩いた。
美貴が溜息をつく。勿体無い、というのがその時浮かんだ感想だった。
焼肉と鮭トバはどちらも好きだが、どちらかを選べと言われたら選べてしまう。
しかし、選ばなかった一方をもう二度と食べられないとしたら、やっぱりそれは、
勿体無い、と思うのだ。
- 168 名前:危うさの周波数 投稿日:2004/11/13(土) 23:06
-
- 169 名前:危うさの周波数 投稿日:2004/11/13(土) 23:06
- 帰宅してから、一本の電話を入れた。やはり、勿体無いと思ってしまって、話している
途中で何度か、「やっぱ今のナシ」と言いそうになったが、一度も言わなかった。
電話を終えてから、気晴らしに映画のDVDを観て、また携帯電話を手にした。
「会いたいんだけどさあ」
それだけで叶う願い。なんて簡単だろうと、少しだけおかしくて、小さく笑ってから、
いやホントにオカシイよ、と心の中で呟いた。
別のDVDをセットして、再生する。何度も観ているそれは、ストーリーも台詞も
ほとんどが頭の中に入っていたが、やはり同じシーンで感動して、同じシーンで笑った。
そういう、波長みたいなものがあるのだろう。
時間が遅いからか、インタフォンではなく携帯電話へのワンコールで到着を知らされ、
美貴は玄関へ迎えに出る。
「いらっしゃい」
「……あれ、元気だ」
「ん?」
- 170 名前:危うさの周波数 投稿日:2004/11/13(土) 23:06
- どういうわけか、ドア前に立っていた亜弥は拍子抜けした顔をした。その前はなんだか
切実な表情だったので、ひょっとしたら、美貴が具合でも悪くしたのかと思ったのかも
しれない。
「びっくりした。急に呼ぶから」
「ごめんごめん。ちょっとね、会いたくなって」
呼んで、来て。
呼ばれて、行って。
行って来て行って来て行って来て行って来て行って来て。
そういう、波長みたいな、もの。
――――キテます、キテます!!
コントのキャラクターが、頭の中で喚く。
わかってるよ、それくらい。美貴は神父に飛び蹴りをする。
- 171 名前:危うさの周波数 投稿日:2004/11/13(土) 23:06
- 上着を掛けている亜弥の背中に、美貴が声をかけた。
「亜弥ちゃんさあ、美貴と運命の糸で繋がってんだっけ?」
「あ、この前言ってたの? そうさー、もうギッチギチに巻きついてるから」
悪戯に笑い、亜弥が「カムカム」と手招きしてくる。ちょっと待って、と一声おいて、
美貴はキッチンへ飲み物を取りに向かった。
これが最善の次だというなら、それはやはりそういう事だし、勿体無いとは思うが、
後悔はあまりしていなかった。
全くしていないというわけでも、なかったけれど。
「あのさぁー」
「なにー?」
「別れちゃったー」
「え……?」
ペットボトルを冷蔵庫から取り出して、リビングへ戻った途端、亜弥に飛びつかれた。
「わわ、あぶな……」美貴は落としそうになったペットボトルを持ち直す。
- 172 名前:危うさの周波数 投稿日:2004/11/13(土) 23:07
- 「マジで? それってあたしがあんな事言ったから? 違うんだよみきたん、
あたし、そんなつもりで言ったんじゃ……」
「あ、違うちがう。そういうんじゃないから。や、なんとなくね、なんかそれほどでも
ないかなーって思ったから」
それは嘘だったし、発端は亜弥にもあったが、美貴はそれを何一つとして口にしなかった。
「だって、あんなに仲良かったのに」
「……仲がいいのと、好きってのとは、ちょっと違うよ」
それもやはり、嘘だった。
美貴は確かに愛情を抱いていたし、種類は何かと聞かれたら紛れもなく恋愛感情だったし、
出来る事ならもう少し、そう、仲良くしていきたかった。
そうしなかったのは、出来なかったからで、だから、そう……そういう事だ。
際どい、と、真里は美貴の決断を評した。
本当は際どいどころか、既に危うささえ内包しているかもしれない。
- 173 名前:危うさの周波数 投稿日:2004/11/13(土) 23:07
- その危うさを誰よりも自覚しているから、美貴は嘘をついたし、その危うさを誰よりも
判っていないから、亜弥は嘘を見破れなかった。
「だいたい、亜弥ちゃんが原因なら、こんな風に呼んだりしないって」
「ん……そっか、な?」
「そうそう。てゆーかちょっと離れて、さすがに苦しくなってきた」
思い切り抱きつかれているせいで、肺の辺りが痛い。亜弥を離してからソファに並んで
座り、手にしていたペットボトルを彼女に渡した。
「あ、この前あいぼんからメール来た。今度遊ぼって」
「うん」
「でね、みきたんも誘おっかって話してね、あ、あいぼんから聞いてる?」
「んー」
亜弥がじゃれついてきて、その遠慮の無さに軽く苦笑する。
「あいぼんがね、『亜弥ちゃんはいっつも美貴ちゃん美貴ちゃんやんかぁ』って。
ちょっと妬かれちゃった。へへ、妬かれちゃった」
「だねえ」
- 174 名前:危うさの周波数 投稿日:2004/11/13(土) 23:07
- ――――だって、フツー。
嬉しそうに話す亜弥の話に、適当な相槌を打ちながら、美貴は内心でひとりごちる。
――――約束もなしに、ワケも言わないで、会いたいってだけで来るとか、ないじゃん。
それこそ、バカップル、みたいな。
――――明日も、朝早いくせに。
横目で亜弥を見遣る。ずっとこちらを見据えていた彼女は、目が合うと「ん?」という風に
首を傾げ、美貴が笑うと、同じように笑った。
「亜弥ちゃん、美貴のこと好き?」
話の流れを一切無視した問いに、亜弥は少しだけ鼻白んだようだったが、それでもすぐに、
元の笑顔に戻った。
- 175 名前:危うさの周波数 投稿日:2004/11/13(土) 23:07
- 「うん。好き」
何の狙いもなく、亜弥は言い。
「美貴も」
何の衒いもなく、美貴は頷いた。
波長が合うのだろう。
全てにおいて際どい、そして際立った波長の同調。
全てにおいて危うい、そして泡立つようなテンションのリレイション。
そんな相手は世界に二人といない。『運命の糸』はなかなか頑固だ。
そう、たぶん、自らの力では、千切れないくらいに。
だから、もうしばらく、恋はいらない。
- 176 名前:危うさの周波数 投稿日:2004/11/13(土) 23:07
-
- 177 名前:危うさの周波数 投稿日:2004/11/13(土) 23:07
-
- 178 名前:危うさの周波数 投稿日:2004/11/13(土) 23:08
-
- 179 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/13(土) 23:37
- やっぱ面白いわ。それしか言えない。
- 180 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/14(日) 00:51
- ↑同意。
良すぎる。
・・・良すぎる。
すごい。ほんともうそれしか言えない。言っちゃいけない気がする。
- 181 名前:名無し野郎 投稿日:2004/11/14(日) 06:30
- また感動した
- 182 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/14(日) 08:55
- 魅了されます。作者様の執筆には頭が下がります、本当に。
次回更新待っています。
- 183 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/14(日) 16:03
- なんかもう…なんでこんなん書けるんですか。
すごすぎ。圧巻の一言です。
- 184 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/15(月) 02:17
- おもしろい
読んでて惹きこまれる
次回を楽しみにしてます
- 185 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/16(火) 20:16
- この二人の、境界線上に立っている感じがすごく出ててほんとに良かったです。
- 186 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/25(木) 07:06
- 脱帽。敬礼。
失礼を承知でお聞きしますが、作者様は以前、あやみきを1スレッド使って
書かれてましたか?気に障る質問でしたら、スルーして下さい。不躾ですいません。
執筆、頑張って下さい。
- 187 名前:梨華へ贈る真珠 投稿日:2004/11/27(土) 22:38
- 最初は飛行機かなにかの灯りだと思った。
空中で、ぽぅ、ぽぅ、と緩やかに明滅する赤い光に眼を取られ、ふとそちらに顔を向けた。
公園の奥で、ぽぅ……とその光はまたたいていた。
それが、眩暈がしそうなほどの上空から届いているのではなく、ジャングルジムの
頂上で誰かが煙草を吸っている灯りだと、数秒間眺めて気付いた。
どうせ酔っ払いかこの辺の不良だろう。梨華はもう光に構わず家路を急ごうとした。
塾帰りの今は、もう10時に近い。
「おねーさん」
ジャングルジムのてっぺんから声をかけられ、思わず足を止める。
理由は、その声の主が、意外にも幼く、人懐こそうな少女のものだったからだ。
再び視線を転じたその先で、ふあんと煙草の火が揺れた。
「こんばんわー」
「……こんばんは」
少女は月光の下で微笑んでいる。存外、穏やかだった。
- 188 名前:梨華へ贈る真珠 投稿日:2004/11/27(土) 22:38
- ジャングルジムの横棒に、段違いに足を乗せ、彼女はこちらを見下ろしている。
「あたしのこと見てた」
「……見てたわけじゃ」
「見てたよ」
人差し指と中指に挟んだ煙草を口まで持っていき、少女がすぅと一口吸い込む。
煙がひとかたまりに吐き出されたのを見て、少しだけ拍子抜けした。吸っているのでは
なく、ふかしているだけだと気付いたからだ。父親が煙草を吸う時は、もっと煙に流れが
生まれている。
少女は頬にガーゼを当てていた。暗くてよく見えないが、なんとなく、唇の端も赤くなって
いるように窺える。
つい。
明確な理由などないとは言わない。彼女に対して思うものがあったのは否定しない。
しかし、それでも正しく表現しようとすれば、つい、彼女へ近づいてしまったのだと、
そう表すより他なかった。
- 189 名前:梨華へ贈る真珠 投稿日:2004/11/27(土) 22:39
- 「怪我、してるの?」
「ん? ああ、これはねー、ファッションなのだ」
「……そんなの、聞いたことない」
「おねーさん遅れてんじゃないの?」
彼女の強がりに眉を顰め、ジャングルジムの頂上を軽くにらみつける。
視線は射抜くほどの威力もなく、ふふっと鼻から洩れた苦笑いにあっさりと弾かれた。
「おねーさん、なんて名前?」
「……梨華」
「りかちゃん。ふぅん……リカちゃん」
うんうん、と、少女は何かを納得していくように頷いて、何度も「りかちゃん」と呟きながら
梨華の顔を眺め、それからにっこり笑った。
「りかちゃんって感じする。かわいー」
「ありがと……?」
礼を言うのが正しいのかどうか判らないまま、梨華は曖昧に、独り言のように言った。
- 190 名前:梨華へ贈る真珠 投稿日:2004/11/27(土) 22:39
- 「あなたは?」
「あはっ。あなた、あなたかー。なかなかいないよね、そういう言葉使う人。
りかちゃん、ひょっとして結構年食ってんの?」
「失礼なこと言わないでよ! まだ高一なんだから!」
「高一。へー、なんだいっこしか違わないのか。
あたしはね、ごとー。ゴトーマキ」
ごとーと名乗った彼女は、自らの右頬を指して言う。
「後ろの藤に真実の希望で、後藤真希」
丁寧に、漢字をひとつずつ説明してくるのがなんとなくおかしくて、梨華は軽く笑った。
そうしたら、真希は不思議そうに首を傾げた。
「りかちゃんはどうゆう字?」
「果物の梨に、難しい方の華で、梨華」
「……果物のなしって、どう書くの? 難しい方のはなってこんなんだっけ?」
真希が木切れを拾い、砂地の地面に華と思しき字を書く。草かんむりの下に「田」があり、
その下に「十」を書いていた。形としては、まあ、近い。
- 191 名前:梨華へ贈る真珠 投稿日:2004/11/27(土) 22:40
- 「違うよ」梨華が棒切れを受け取って、真希が書いたものの横に『華』を、その上に『梨』を
書いて見せた。「ああ、そっちね、ふぅん」知ったかぶりをして、真希はそううそぶいた。
わりと、なんというか、可愛げのある少女である。
「ねえ真希ちゃん、その怪我……」
「あ、それやめて」
真希は「うげぇ」とでも言いそうな顔で手のひらを突き出し、梨華の言葉を途中で止めた。
「そう呼ばれると、なんか弟のこと思い出す」
「弟がいるの? きょうだいで『真希ちゃん』なんて呼ぶの、珍しいね」
「あー、上にもう一人お姉ちゃんがいるから。年も近いし」
ごっちんって呼んで。真希が言う。「友達はみんな、そう呼んでるから」ぶっきらぼうな
口調だが、どこか親しみやすかった。
それから二人は、ジャングルジムの頂上に並んで座って、ぼんやりと、なんとなく空を
見上げながら話をした。
- 192 名前:梨華へ贈る真珠 投稿日:2004/11/27(土) 22:40
- 梨華は真希を「ごっちん」と呼び、真希は梨華に「梨華ちゃん」と呼びかけた。
それで不都合はなかった。いつの間にかうやむやになってしまった真希の怪我についても、
梨華は訊くのを忘れてしまった。
ポケットから取り出した煙草に火をつけようとした真希を、梨華が鋭い眼で睨む。
視線に気圧されたのか、真希は気まずそうな表情で煙草をボックスに戻し、ポケットに
しまった。
「吸えもしないくせに、そんなことしないの」
「いやほら、吸えるけど身体に悪いし」
真希は再度うそぶいた。
「最近じゃ、外で煙草吸うと罰金取られるんだよ」
「ナントカ条例でしょ? それくらい知ってるよごとーだって」
「だったら」
「てゆーかさあ、普通、未成年だからとか言うよね、こういう時」
言われて、梨華は唇を尖らせる。自分が通っている高校にも、何人か煙草を吸っている
生徒がいることを知っているから、なんとなく、そういう正当な理由に頭が回らなかった。
- 193 名前:梨華へ贈る真珠 投稿日:2004/11/27(土) 22:40
- 「……吸わなくても、身体には悪いんだよ。舌が馬鹿になっちゃうんだって」
「ふーん。それちょっと困るかなあ」
梨華のポケットが震えた。それと同時に流行のポップスが流れ出す。
携帯電話の着信だった。ディスプレイを確かめると、自宅からかかってきている。
「ちょっとごめん」真希に断りを入れてから電話に出て、母親といくつか言葉をかわした。
いつもの帰宅時間になっても帰ってこないから、心配して連絡してきたらしい。
補習を受けていた友人を待っていて遅れた、と言い訳をして、すぐに帰ると告げてから
電話を切った。
「もう帰る?」
「うん……。ごっちん、いつもここにいるの?」
「んー、いつも、いつもってのは微妙かな。暇な時とか、けっこーいる」
交わした会話はそれだけで、次の約束を取り付けるわけでも、お互いの連絡先を教える
わけでもなく、ただ、じゃあねと手を振り合って別れた。
公園を出る時に、ふと振り返ってみると、赤い光がぽぅ、と灯っていた。
- 194 名前:梨華へ贈る真珠 投稿日:2004/11/27(土) 22:40
-
- 195 名前:梨華へ贈る真珠 投稿日:2004/11/27(土) 22:40
- 二週間くらい、真希とは再会しなかった。梨華は公園の前を通るたびに中を覗いてみたが、
ジャングルジムの頂上はいつも無人で、座る者のない玉座のように、ぽつねんと空洞が
空いているだけだった。
塾の模擬テストで、普段より格段に悪い点数を取ってしまい、肩を落としながら歩いて、
公園の前に差しかかった。
まっすぐ家に帰る気にはならず、ちょっと寄っていこうと公園に足を踏み入れる。
真希がいなくても構わないと思っていた。少しだけ、ほんの何十分か時間を潰せれば
よかったのだ。
「おっ、こんばんはー」
顔を上げると、真希がジャングルジムの横棒へ段違いに足を乗せ、携帯灰皿に煙草の先を
押しつけながら笑っていた。
「……ごっちん」
「ん? どしたの梨華ちゃん、なんか暗いよ。てゆーか黒い? 顔が」
「うるさいっ」
ひっぱたいてやる、と思ってジャングルジムをよじ登り、彼女の隣へ到達したが、
その顔を見た途端、殴る気などどこかへ行ってしまった。
- 196 名前:梨華へ贈る真珠 投稿日:2004/11/27(土) 22:41
- 初めて会った時より、顔の傷が増えていた。
二週間も経てば、傷もいくらか癒えるはずだろう。だからこれは、きっと、あれからまた
新しく負ったものだ。
今日はガーゼすら当たっておらず、殴られたようなのや引っ掛かれたような傷が、
そのまま剥き出しになっていた。
「ちょ……それ、どうしたの? 転んだとか言ったら怒るからね」
「……あは」
真希は横棒へ乗せていた足を片方持ち上げて、それを両手で抱え込んだ。
「まあー、なんていうんですかねえ」
「もしかして、おうちの人とうまくいってない、とか?」
「ううん。みんなけっこう仲いいよ。お父さんは死んじゃっていないけど、お母さんは
優しいし、お姉ちゃんも面白いし。ユウキはちょっと生意気だけど」
「取り得っつったら顔がいいくらいでさー」からから笑いながら、真希は弟について
そう言う。
- 197 名前:梨華へ贈る真珠 投稿日:2004/11/27(土) 22:41
- 「かっこいいの?」
「あたしとソックリ」
「うっわ」
弟を、けなしているふりをしながら持ち上げているのかと思ったら、単なる自分自慢だった。
「って、そうじゃなくて。じゃあ、それどうしたのよ」
「梨華ちゃんってさあ、喋り方がいちいち少女漫画だよね」
真希がポケットの煙草をいじりながら、視線を正面に変えて、梨華から目を逸らす。
「ごとーは正義の味方だから」
「……うん?」
「おんなじクラスの子が、ピンチになってるのを見過ごせなかったわけです」
「えらいじゃん」
「そしたらまあ、目をつけられてしまったというか」
判りやすい構図だった。ただし、判りやすいからといって解決法も簡単だとは限らない。
そんな理屈が通用するのは、学校のテストと箱に入ったバナナの取り出し方くらいだ。
- 198 名前:梨華へ贈る真珠 投稿日:2004/11/27(土) 22:41
- 幸いにして、と言っていいものかどうか、梨華はそういった状況に出くわした事はない。
当事者としてはもちろん、第三者として目撃した事もない。
だから、真希が具体的にどんな目に遭っているのかとか、そんな事は判らないが、
それでも彼女の傷は紛れもないリアルであって、だから……。
「先生とかに言ってみたら?」
梨華の言葉に、真希は仄かに笑った。
嘲笑みたいな笑みだった。
「言ってみよっか? そしたらセンセーは注意するだろうね。そこで終わりだよ。
で、その後はもっと酷くなる」
彼女の言葉も、紛れもないリアルだった。
梨華は何も言えずに押し黙る。
「梨華ちゃん、そういうの、偽善者っていうんだよ」
「……なによぉ…、あたしは、ごっちんのこと心配して……」
「うん。心配してくれたのは判る。でも梨華ちゃんは何も判ってない。判ってない人が
判ったふりして心配するのはギゼンだよ」
- 199 名前:梨華へ贈る真珠 投稿日:2004/11/27(土) 22:41
- 真希がポケットから煙草を出して、一本咥えた。
ゴツゴツしたターボライターで火をつけて、一口吸い込み、ふあぁん、とひとかたまりに
煙を吐き出す。
「舌、馬鹿になっちゃうよ」
「……うん、それは、ちょっと困るよね」
ターボライターは、彼女の顔みたいに傷だらけで、随分な年代物だと知れた。
梨華は煙草から目をそむけて、膝を抱えた。
「あたしね」
「ん?」
「そういう目に遭ったことないし、わりと学校も、進学系だからみんな大人しいし、
先生とかもいい人ばっかで」
「ふぅん」
「だから、ホントにわかんないけど。それでも、ごっちんはかわいそうだと、思う」
苦笑のように目を細め、真希は煙草を咥えた口の端を、きゅっと引き上げた。
「梨華ちゃん、わりと正直者だね」
「だって、ホントにそう思うから。だから、なんとかしてあげたいって思うよ」
「ごとーは正義の味方だから、自分のピンチは自分で乗り越えるよ」
- 200 名前:梨華へ贈る真珠 投稿日:2004/11/27(土) 22:42
- 短くなった煙草を、携帯灰皿に捨てて、真希が一息にジャングルジムを飛び降りる。
「あ、ごっちん!」ジーンズの彼女とは違い、梨華は学校の制服なので、当然スカートだ。
さすがに飛び降りることは出来ず、もたもたと鉄棒を伝って下り始めた。
「――――正義の味方ってのはさあ!」
梨華の背中に、真希の声が体当たりをした。
「あくまで『正義の味方』であって、『悪の敵』じゃないんだよねぇ!」
「はぁ? ちょっと、ごっちん。ちょっと待ってて」
「正義とか悪とか、そんなの、自分の中にしかないもんね。だから、誰かを倒せば
平和になるなんて嘘なんだよねぇ!」
「ごっちん! ちょっと待っててってば!」
「何が正しいかなんて、わっかんないよねぇ!」
梨華がようやく地面へ靴底をつけられた頃には、真希はもう、逃げるようにその場を
走り去っていた。
残された梨華は呆然と、真希のいなくなった公園の入り口を見つめて、それから溜息を
ひとつ落として家に帰った。
- 201 名前:梨華へ贈る真珠 投稿日:2004/11/27(土) 22:42
-
- 202 名前:梨華へ贈る真珠 投稿日:2004/11/27(土) 22:42
-
- 203 名前:梨華へ贈る真珠 投稿日:2004/11/27(土) 22:42
-
- 204 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/29(月) 23:32
- すごい、いい
- 205 名前:梨華へ贈る真珠 投稿日:2004/11/30(火) 23:14
- 異様にむしゃくしゃして、どうにかしてこのストレスを発散できないものかと悩んだ挙句、
材料を大量に買い込んでクッキーを作った。
全て目分量だったのが悪かったのか、オーブンの温度を確かめずに生地を放り込んだのが
悪かったのか、ちゃんと生地を練らなかったのが悪かったのか、おそらく全部だろうが、
クッキーは総じて煤のように黒くなった。
姉も妹も、それを一目見ただけで自室に引っ込み、仕方がないので可愛くラッピングを
して学校に持っていき、友人へ勧めてみたが、どういうわけか誰一人として受け取って
くれなかった。
ならば、と、塾でも同じように勧めたのだが、ひとり勇敢な少年が一枚を決死の表情で
口に入れ、直後教室を飛び出した以外は、誰もが曖昧に笑ってそそくさと逃げて行った。
そんなわけで、クッキーのような煤のかたまりのようなそれは、三度目に真希と会った
時も、可愛くラッピングされて梨華のバッグに入ったままになっていた。
- 206 名前:梨華へ贈る真珠 投稿日:2004/11/30(火) 23:14
- 「にが……っ」
暗くてよく見えなかったのか、ぽいっと口に放り込んだ真希は、思わず呟いてから
慌てて口をつぐんだ。
「ん……び、ビター?」
「お砂糖たくさん入れたんだけどな……」
「う、うん。たまにこの、ジャリッとした感触の中にくどいほどの甘さもありつつ」
真希は背筋をピンと伸ばし、機械のように口を動かしている。
「まずかったらまずいって言っていいよ……」
「いや……ごとー、煙草で舌が馬鹿になってんのかも」
言って、左手に乗せた包みから、二つ目のクッキーらしきものを取り出して口に入れる。
「んん……っ!」目を見開き、ゆっくりと咀嚼し、喉を大きく揺らして飲み込んだ。
新記録である。
「いいってば、そんな無理して食べなくても」
「や、こういうのもね、なかなか、うん」
真希は涙目になりながら、クッキーと思えなくもないものを口にしていく。
気を遣ってくれるのはありがたいが、なんというか、こういうのは逃げられるより辛い。
- 207 名前:梨華へ贈る真珠 投稿日:2004/11/30(火) 23:14
- 「そういうの、偽善者っていうんだよっ」
この前の真希を真似して言うと、彼女は視線をこちらに移して、数秒間見つめてきてから、
五つまとめて口へ押し込んだ。
「……うん、なかなか」ゴリゴリ音を立てながら噛み砕き、飲み込んでからうそぶく。
梨華は喜ぶより、怒るより、感動するより、なんだか呆れてしまった。
『正義の味方』は根性がないと務まらないのかもしれない。
結局、真希は可愛くラッピングされた可愛くないものを綺麗に平らげ、ご丁寧にも
「ごちそうさまでした」と梨華へ頭を下げてきた。
「……おそまつさまでした」
本当にお粗末だ、と思いながら、梨華は溜息混じりに答え、返された空の包みをバッグへ
しまいこんだ。
「いつもは、もうちょっとうまくできるんだよ。これはちょっと、失敗だったけど」
「ふぅん」
喉が渇くだろうからと、買っておいたミネラルウォータを渡すと、真希はそれを一気に
半分くらい飲んだ。なんとなく、それが一番腹が立った。
- 208 名前:梨華へ贈る真珠 投稿日:2004/11/30(火) 23:15
- げふ、と煤臭いゲップをして、真希が下から覗き込むように梨華を見遣った。
「今度、ごとーが教えてあげよっか?」
「なにを?」
「クッキーの焼き方。こう見えて、わりと料理好きなんだよね、あたし。
なんだったら今度作ってきてもいいよ」
梨華がつんと唇を尖らせる。「そこまで言うなら、見せてもらおうじゃないの」そっぽを
向いて答えると、真希は歯を見せながら笑って、ミネラルウォータをもう一口含んだ。
飲み口を軽く齧るその横顔を、梨華は横目に眺めた。顎を上げた、まるで下界を睥睨する
王者のような横顔は、しかし、これ以上ないほど頼りなかった。
ライオンのようだ、と、ひょっとしたらまるで見当違いかもしれない感想が、梨華の胸に
浮かんだ。
絶対的な弱さのために群れを作れない若獅子のような、それでも生まれ持った力のために、
他の種族と共存できないような、独りでいるしかないような、孤独。
- 209 名前:梨華へ贈る真珠 投稿日:2004/11/30(火) 23:15
- 「あの、さ」
「うん?」
「……携帯の番号、教えてくれない?」
真希は困った顔をした。
「ごめん、持ってない」
「え、そうなの?」
「あー、持ってたけど、壊れちゃった」
取り繕うように、ボソボソと呟いて、真希はミネラルウォータの最後の一口を大事そうに
飲んだ。
「壊」「れちゃった」という形で区切れるのではないだろうかと、ふと思った。
その間には、もう一文字、入るのではないだろうかと、そう思った。
しかし、それが当たっているか尋ねるのは、あまりにも酷だ。
「あ、うん、じゃあ、しょうがないね」
自分でも判るくらいにわざとらしい言い方になって、梨華は思わず俯いた。
真希は気にしていないという風に、段違いにしていた足を伸ばして、ブラブラ揺らした。
- 210 名前:梨華へ贈る真珠 投稿日:2004/11/30(火) 23:15
-
- 211 名前:梨華へ贈る真珠 投稿日:2004/11/30(火) 23:15
- 実に七回のチャレンジをした。
涙目になりながら、無理やり黒いかたまりを喉の奥へ押し込む真希に、反発心というか、
「見返してやりたい」という強い意識が生じ、キッチンを白くけぶらせながら七回クッキーを
焼いた。
七回目に焼きあがったクッキーは、綺麗なココア色に出来上がった。ココアパウダーを
入れた覚えはなかったが。
試しに、ひとつ摘んで味見をしてみる。今まで味見をしたものより格段にマシだった。
「美味しい」というには、なんというか、もうちょっとだったけれど。
それでも以前食べさせたものと比べたら大変な進歩である。梨華は満足げに頷いて、
いそいそとクッキーに近いものを可愛くラッピングした。
勇んで可愛くラッピングしても、別に待ち合わせをしているわけではないので、
思い通りに会えるということはない。
公園に行っても真希には会えず、クッキーはバッグの奥に押し込まれたままになって、
たまにゴソリと居心地悪そうな音を立てた。
- 212 名前:梨華へ贈る真珠 投稿日:2004/11/30(火) 23:16
- 今まで、真希と会っていたのが公園だけだったから、なんとなく、彼女とは公園でしか
会えないような気がしていた。
しかし、当たり前だが彼女は公園にだけ存在しているわけではないのだ。
「あっ」
友人と遊びに出た帰り、ふらりと横断歩道を渡っている後ろ姿を見て、直感的にそれが
真希だと判った。
背格好とか髪型とか、そういうもの以前に、そのまとっている孤独が、群れを持たない
若いライオンのようなたたずまいが、彼女だと知らせていた。
「ごっちん!」
人でごった返す横断歩道を無理やり突っ切って、背中に声をかける。
振り返った真希は、梨華を見つけると決まり悪そうに眉を歪めた。
「うっわぁ、なんかすごいね、グーゼンだねっ」
「ああ、うん、まあ」
少しだけ浮ついた口調になった梨華とは対照的に、真希は恋人に浮気現場を押さえられた
かのように、落ち着かない態度をとった。
- 213 名前:梨華へ贈る真珠 投稿日:2004/11/30(火) 23:16
- 「どうしたの?」とりあえず周りを見渡してみるが、誰かと一緒だというわけでもないようだ。
梨華には彼女の態度は意味が判らない。
「あの、ごめん。あたしこれからちょっと……ちょっとね」
「なんか急用でもあるの?」
「うん、ちょっと」
真希は「ちょっと」と言うだけで、具体的にどんな用事があるのか言わなかった。
その、何かを誤魔化そうとしている態度がなんとなく引っかかって、梨華は彼女の腕を
掴む。逃げられないようにするためだ。
「ごっちん、どうしたの?」
「いやホント、ごめん、ちょっと」
「ちょっとじゃ判んない!」
激昂して梨華は叫ぶ。こっちは七回もクッキーを焼いたのだ。その中で一番出来のいい
ものを可愛くラッピングして、この前のリベンジをするつもりで、真希に食べてもらって
「すごいじゃん」とかなんとか言って笑うところを想像して、だから、そういう事をすごく
楽しみにしていたのだ。
それ以上に重要な理由がなければ、この腕は離さない。
- 214 名前:梨華へ贈る真珠 投稿日:2004/11/30(火) 23:17
- 「怒鳴んないでよ。……ちょっとごとー、正義の味方やんなきゃいけなくて」
「……どういうことよ」
「どういうこと、どういうことって、そういうことだよ」
「また危ない事するんでしょう!」
「怒鳴んないでってば。大したことじゃないよ、ちょっと喧嘩するだけ」
ちょっと旅行に行くだけ、みたいな口調で真希は言った。その彼女の顔は、古くて
既にかさぶたになっている傷や、軽く引っかけば即座に血が流れそうな新しい傷が、
いくつもついていて、だから……。
「行かせない」
「いや、行かせない、行かせないっつってもねえ」
真希は困った苦笑をして、やんわりと掴まれている腕を外そうとしてきたが、
逆にその手も捕まえて、梨華は彼女を自分の方へ引き寄せた。
「偽善者って言ってもいいよ。事情も何も知らないでこんな事して、勝手だって思っても
いいよ。あたしは……ごっちんに、怪我してほしくない」
「うん、まあ、判るよ。判るんだけど、そういうわけにもいかないんだよね」
「判ってない!」
- 215 名前:梨華へ贈る真珠 投稿日:2004/11/30(火) 23:17
- だって、クッキーが。美味く、とは言えないが、今までで一番上手く焼けたのに。
約束も出来ないから、お互いに名前しか知らないから、いつ会えるか判らなくて、
でも、今日、いま、会えたのに。
クッキーが。バッグの中でゴソリと音。あの時より格段に、わりと、なんていうか、
ミネラルウォータを準備しなくてもいいくらいには。
- 216 名前:梨華へ贈る真珠 投稿日:2004/11/30(火) 23:17
- 苦いクッキーを食べたわけでもないのに、梨華の瞳に透明な膜が張り出して、それを
見つけた真希がうろたえたように喉の奥で唸った。
「うん、これはまた、どうしたもんかな。
判った、じゃあ、明日の夜にあの公園で会おうよ。ごとー、絶対行くから」
梨華は激しくかぶりを振った。半ば意地になっていたのかもしれない。
「……あたしも一緒に行く」
「え? 一緒にって、いや、そういうのもねえ、ちょっと」
「ごっちんがなんて言っても、ついてくからね」
「梨華ちゃん、やっぱ喋り方が少女漫画だね、うん、それはどうでもいいや。
だから、わりと、結構危ないわけね?」
よほど動揺しているのか、真希の言葉は脈絡がない。ギッと真正面から睨みつけ、
「ついてくから」と精一杯の低い声で言うと、なお真希の口から、ああ、とか、いや、とか
呻きのような相槌が洩れた。
- 217 名前:梨華へ贈る真珠 投稿日:2004/11/30(火) 23:18
- 「梨華ちゃん、ひょっとしてアレかな、テコでも動かないとか、そういう感じ?」
「ブルドーザでも動かないよ」
「わりとワケ判んないね」
「逃げないから離して。痛くなってきた」真希が掴まれている腕を示して、顔をしかめた。
梨華はすぐに離す事はせず、彼女の腕を伝うように手を滑らせて、終着点にある手を
握った。
絶対に逃がさない、という意思がようやく伝わったのか、真希は大仰な嘆息をして、
小さく頷いた。
「でもホント、やばそうだったら逃げてよ。わりと、なんていうか、容赦ないから」
それくらい、彼女の傷を見れば判る。
梨華は決意を込めた頷きを返して、真希と共に歩きだした。
- 218 名前:梨華へ贈る真珠 投稿日:2004/11/30(火) 23:18
-
- 219 名前:梨華へ贈る真珠 投稿日:2004/11/30(火) 23:18
- そこは工事現場のようだった。土の山の頂上に重機が置かれていて、麓から離れた位置に
プレハブ小屋があり、二点の中間あたりに倉庫のような建物があった。おそらく、木材か
何かを保管しているのだろう。
日はもう暮れていて、建設業者も全員帰っているようで人影はない。
「おや、早く来すぎちゃったかな」
真希は呑気にすら聞こえる口調でひとりごちた。彼女の腕にしがみついて、梨華は忙しく
辺りに視線をめぐらせている。
「……めんどくさくなったんじゃない?」
「めんどくさくかー。そうだと助かるんだけどねえ」
から、と笑い、真希は僅かに視線を緩めた。
直後。
- 220 名前:梨華へ贈る真珠 投稿日:2004/11/30(火) 23:18
- ガン、と鈍い衝撃が腕から伝わって、梨華は無意識に視線を真希に移す。
苦しげに顔を歪めた真希が、まるでスローモーションのように倒れこんでいった。
「ご……」呼びかけは最後まで言う事が叶わず、自らの後頭部にも、多分彼女が受けたのと
同じ衝撃が走る。
意識がブラックアウトするまでの刹那に、「誰? コイツ」という、知らない声の呟きが
聞こえた。
- 221 名前:梨華へ贈る真珠 投稿日:2004/11/30(火) 23:18
-
- 222 名前:梨華へ贈る真珠 投稿日:2004/11/30(火) 23:18
-
- 223 名前:梨華へ贈る真珠 投稿日:2004/11/30(火) 23:19
-
- 224 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/30(火) 23:28
- えぇぇぇ…これはまた。続き楽しみ。
- 225 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/01(水) 00:51
- つ、続きが気になる…
- 226 名前:名無し飼育さん 投稿日:2004/12/03(金) 18:24
- ごっちんが好きになりそう(嫌いと言うわけではないんだけど)
凄く魅力的です。
- 227 名前:梨華へ贈る真珠 投稿日:2004/12/04(土) 00:14
- 目を覚ました時、視界は真っ暗だった。
「ん……」じくじくと痛む首を押さえながら起き上がったものの、状況が理解できなくて
梨華はその場にへたり込んだまま、しばらくぼんやりとしていた。
「起きた?」
不意にどこからか声がして、本能的に身を竦ませたが、「梨華ちゃん?」という幾分不安げな
二言目でそれが真希の声だと気付き、梨華は手探りで声の方へ身体を寄せた。
「ごっちん、どこ?」
「こっちだけど、梨華ちゃん、動ける?」
「え? うん、動けるけど……」
「あー、んじゃ、ちょっと電気つけてくんない? 多分、入り口の方にあるから」
訝しげに眉をひそめながら、梨華は言われたとおりに灯りのスイッチを探した。
小さな窓から入り込む月光を頼りに歩き回るのは、ずいぶんと神経をすり減らしたが、
なんとかスイッチを見つけてパチンと反転させる。
- 228 名前:梨華へ贈る真珠 投稿日:2004/12/04(土) 00:14
- 即席で作られた小屋なのか、明かりはひどく乏しかった。しかし、とりあえず不自由しない
程度には光が広がった。
どうやらここは、さきほど見かけた木材置き場の中であるらしい。
奥に木材や小型のショベルカーなどが置かれていて、視線を右に転じると、
壁に凭れかかりながら座っている真希の姿が目に入った。
「……どういうこと?」
「どういうこと、うん、まあそのまんまだろうね。
いやはや、やっぱり正義の味方は悪の敵じゃないんだよねえ。悪の秘密結社だって
もうちょっと正々堂々と戦うもんね」
後ろ手に地面へ手をついた格好で、真希は眉間にしわを寄せながら笑った。
真希が動こうとしないので、梨華は彼女の側へ近寄る。自分は最初に殴られた後頭部の
痛み以外に、特別怪我もないのだが、彼女はもっと……なんというか、酷かった。
- 229 名前:梨華へ贈る真珠 投稿日:2004/12/04(土) 00:15
- 「ひ……っ」力なく伸ばされた彼女の、ありえない方向へ曲がった脚を見て、
梨華が掠れた悲鳴を上げる。
「ああ、うん、大丈夫。わりと麻痺してて痛くないから」
「痛くないからいいってもんじゃないでしょ!?」
よくよく見れば、後ろ手にされた真希の両手には手錠がつけられており、
地面に打ち込まれた金具で固定されていた。だから、彼女は動けなかったのだ。
彼女の周りの様子を見るに、ここで、一連のことは行われたのだろう。地面に跡が
ついているし、飛び散った鮮血が点々と落ちている。
ここで。
自分が、呑気に気絶してる間に!
「きゅ、救急車、あと警察も……」
「急がなくていいよ」
「なに言って……!」
「どうせ出られないから」
真希が顎でショベルカーの辺りを指し示す。
そこには、梨華のバッグと、真希が腰にぶら下げていたアウトドア用のポーチが放り投げ
られており、カード類をぶちまけられた財布と、無残に壊された梨華の携帯電話が脇に
転がっていた。
- 230 名前:梨華へ贈る真珠 投稿日:2004/12/04(土) 00:15
- 「あ……」梨華が絶望的に小さく呻き、フラフラとバッグへ近寄って、散らばっている
それらを取り上げた。
「ドアも、鍵掛けられちゃったし」
「嘘……」
「多分、月曜日になれば、工事の人とか来ると思う。運が良かったら明日、見回りとか
あるかもしれないし」
ひどく冷静に、真希は独り言のような口調で告げた。それは梨華に説明していたのかも
しれないし、自分に言い聞かせて落ち着こうとしていたのかもしれない。
彼女はうそぶくのが得意だ。
真希のもとへ戻り、その傍らにぺたりと腰を下ろして、梨華が彼女の頬を撫でる。
「ごっ、ごめんね」
涙声の謝罪に、真希は困ったように苦笑した。
- 231 名前:梨華へ贈る真珠 投稿日:2004/12/04(土) 00:15
- 「ごめんね、ごめんねって、わりとあたしの方が言う事だよね。巻き込んじゃったし」
「でも、あたしがもっと早く起きてたら」
「同じ目に遭うだけだよ。あいつらが梨華ちゃんに何もしなかったのが、わりと、うん。
不幸中の幸いってやつだよね」
同じ体勢でいると疲れるのか、真希は何度も身を捩じらせて楽な姿勢を探した。
その拍子に、ポケットから煙草のボックスとターボライターが落ちて、彼女は視線を
それに落とす。
「梨華ちゃん、いっこお願い」
「なに?」
「映画とかであるよね、死刑囚が最後に一本だけ煙草吸わせてもらえんの」
「……縁起でもないこと言わないで!」
吸えもしないくせに、と憤り、梨華は煙草とライターを自分の身体の後ろに隠した。
「や、縁起でもない、うん、別に死ぬ気なんかないんだけど」
例えが悪かったな、という表情で、真希は梨華に向かって首を傾げてみせる。
「ごめんなさい」のジェスチャだろう。
- 232 名前:梨華へ贈る真珠 投稿日:2004/12/04(土) 00:15
- 梨華は自分のバッグを漁って、可愛くラッピングされた(状況とのアンバランスさに
泣きたくなった)クッキーを取り出し、一枚つまみあげて真希の口に押し込んだ。
「中学生にはこれで十分なんだからねっ」
真希は「にが……っ」と呟くこともなく、涙目になることもなく、ただ黙ってクッキーを
咀嚼していた。
むぐむぐと、ゆっくり、飲み込むためにではなく、味わうために、咀嚼した。
「……うん、これはこれで、まあ、なかなか」
ビートを刻むように頷き、口を開けてみせる。梨華がもう一枚放り込むと、やはり、
むぐむぐと黙って食べた。
「おいしい?」
「えっとね、おいしい、おいしいっていうか、惜しい?」
「お、わりと上手くない? 今の」真希は得意げに笑った。梨華は褒められたのか
そうでもないのかよく判らなかったので、真希の横で膝を抱えて、またクッキーを
彼女の口に入れた。
- 233 名前:梨華へ贈る真珠 投稿日:2004/12/04(土) 00:16
- 「うん、ちょっと焦げ臭いけど、わりと、なかなか」
真希は傷だらけの顔をくしゃっと歪め、うん、と頷きながら、クッキーを全て平らげた。
「まあ、焦げ臭いけど」
「何べんも言わないでよ」
自分でも、そこはちょっと気にしていたのだ。
ラッピングを開けたせいか、なんとなく自分の方にまで焦げ臭さが漂っているような
気がして、梨華は小さく眉を寄せる。
「……てゆっか、ちょっと待って」
「え?」
「ホントに焦げ臭くない?」
真希が動物のように鼻をひくつかせ、ぐるりと視線を廻す。「ん、鼻血の匂いでよく
わかんないかな」わざとらしい冗談口調で真希は言った。うそぶく余裕がないらしい。
- 234 名前:梨華へ贈る真珠 投稿日:2004/12/04(土) 00:16
- どうする事もできず、危険に怯える小動物のように真希へ寄り添って(生憎というか幸い
というか、ライオンは囚われの身である)、じっと息を殺した。
次第に焦げ臭さは明確なリアルとなって二人へ届き始め、木材の背後から煙が立ち昇り
はじめた。
「ど、どういう事……?」
「表で誰か、煙草でもポイ捨てしたんじゃない? ナントカ条例知らないのかな」
「ちょっと、そんな呑気な事言ってる場合じゃないでしょ!?」
「うん、呑気、呑気じゃ駄目だね。梨華ちゃん早く逃げないと」
真希が顎で入り口を示した。「ショベルカー突っ込ませるとかすれば、多分開くから」
梨華は、真希に寄り添いながら、その顔を鋭く見つめていた。
たとえドアが開いたところで、両手を固定されている真希はすぐには逃げられない。
自分が助けを呼びに行くにしても、ここは郊外で街中からは随分離れている。
そんなにすぐには、救助など来れないだろう。
- 235 名前:梨華へ贈る真珠 投稿日:2004/12/04(土) 00:16
- 「ごっちんのこれ、外さなきゃ……」
「いや、わりと、厳しいよそれ。だから梨華ちゃんは逃げとかないと、ごとーは正義の
味方だから、多分なんとかなるよ」
「こんな時にまでふざけないで!」
「ふざけてない!!」
怒鳴り返し、真希は唯一自由になる左足で、地面を激しく蹴り叩いた。
「ごとーは梨華ちゃん死なせたくないの! だからさっさと逃げろっつってんの!!」
「だったら、あたしだってごっちん死なせたくない!!」
梨華が負けじと怒鳴り、真希の手を捕らえている手錠を壊そうと、力任せに引っ張ったり
揺すったりした。
「は……」真希が怒ったように呼気を吐いて、激しく首を振り、梨華の肩に頭突きをした。
「もういいから、お願いだから、逃げてよ」
「嫌よ。ごっちん見捨てるくらいなら、ここにずっといた方がマシだもん」
「なんでそう、喋り方が少女漫画なのさ……」
梨華の肩に頭を押し付けたまま、真希は小さく笑ったようだった。
- 236 名前:梨華へ贈る真珠 投稿日:2004/12/04(土) 00:16
- 煙が充満し始めている。二人とも激しく咳き込み、真希は苛立ちに左足の靴底で何度も
地面を擦り、梨華は諦めることなく真希の手錠を壊そうとした。
「ねえねえ、梨華ちゃん」
「なぁに?」
「梨華ちゃんって、処女?」
「は!?」
あまりにも場違いで不躾な質問に、思わず梨華の手が止まる。
「どーよ」真希は顔を上げて、生意気そうな笑顔で梨華を見つめた。
「そ、そんなこと、今は関係ないでしょ?」
「そうだけど。ごとーは処女なんだよねえ。わりと寂しくない? そういうのケーケン
しないまんま死んじゃうとかって」
こんな事なら去年告白してきたタケダとしとくんだったよ、と、本気なのかふざけている
のか判らない口調で真希は言い、小さく溜息をついた。
なんというか、あまりにも緊迫感がない彼女の様子に、梨華はぐたりと脱力し、
手錠をきつく掴んでいた手を真希の身体に廻した。
- 237 名前:梨華へ贈る真珠 投稿日:2004/12/04(土) 00:17
- 「ごっちん、恐くないの?」
「や、恐くない、恐くないわけないよ。だからこーやって気ぃ紛らわしてんじゃん」
「あ、ちょっといい感じ」小さな呟きに顔を上げると、真希は照れ臭そうに笑って、
梨華に擦り寄ってきた。
それは――――そんなはずはないだろうけれど、初めてぬくもりに触れた孤独者のようで。
梨華は思わずそれを受け止めた。
パチパチ、と、木が爆ぜる。
「ごめんね」
真希の首筋に浮かんだ汗を、ただじっと見ながら、梨華は無言でいて、聞こえなかったと
思ったのか、真希がもう一度、謝罪を繰り返した。
「ごめんね、こんなことになっちゃって」
「……ううん」
「梨華ちゃんって偽善者だよね」
「うん」
「ま、言い方変えたら正義の味方っていうか」
- 238 名前:梨華へ贈る真珠 投稿日:2004/12/04(土) 00:17
- 何が正しいか判らないままに。
何が正義か理解できないままに。
善と悪の二元論でしか論じずに。
自分の価値観しか信じずに。
けっして譲ろうとしない、正義の味方。
「ろくなもんじゃないよ」
「ホントだね」
死ぬのかな、と思ったけれど、どういうわけかリアリティがなく、もうすぐ、シーンが
変わって日常へ戻れるような気がしていた。
梨華は傷だらけの真希を優しく撫でながら、内緒の話をするように耳元へ唇を寄せる。
- 239 名前:梨華へ贈る真珠 投稿日:2004/12/04(土) 00:17
- 「初めて会った時、どうして声かけてきたの?」
「ん、どうして、どうしてかな。梨華ちゃんが可愛かったからかも」
「おだてたって何も出ないよ?」
「少女漫画だ」
くす、と笑い、真希は「わかんない」と幼い声で呟いた。
「……死んじゃう、のかな」
「そうだね」
「死ぬのは、恐いね」
「うん」
燃料に引火したのか、ショベルカーが激しく弾けた。
熱風が二人を包み、梨華は吹き飛ばされ、両手を固定されている真希はより強い衝撃に
遭い、気を失った。
梨華も壁に打ち付けられたショックで意識をなくし、それからは、ただ、ゴウゴウと、
建物が燃える音以外に、何もなくなった。
- 240 名前:梨華へ贈る真珠 投稿日:2004/12/04(土) 00:17
-
- 241 名前:梨華へ贈る真珠 投稿日:2004/12/04(土) 00:17
-
- 242 名前:梨華へ贈る真珠 投稿日:2004/12/04(土) 00:18
-
- 243 名前:梨華へ贈る真珠 投稿日:2004/12/05(日) 00:24
- 梨華が目を覚ましたのは、火事から三日を過ぎた昼のことで、ずっと付き添っていたらしい
母親と目が合ったとき、半ば無意識に彼女の安否を尋ねた。
「一緒にいた子は?」
母親は泣いていてまともに喋れる状態ではなく、連絡を受けて駆けつけた医師に
同じ質問をしたが、医師は難しい表情で首を振り、それ以上は何も言わなかった。
それは、もう二度と、彼女には会えないのだと、そう告げられたのに等しかった。
どういった経緯で助かったのかは判らないが、話によれば梨華は偶然にも断熱性の高い
板材の下に飛ばされたらしく、大きな怪我や火傷もなく、ひと月ほどの入院で回復する
事ができた。
退院してから、真希の家族と連絡を取りたい、と両親に訴えたが、もう彼女の家族は
どこか遠いところへ引っ越してしまって連絡先が判らないと言われた。
- 244 名前:梨華へ贈る真珠 投稿日:2004/12/05(日) 00:25
- 自分で探すにしても、梨華は彼女の名前以外、なにも知らない。引っ越した先も判らない
のでは、電話帳の「後藤」の欄を上から順に確認していく、というのも無理な話だろう。
罪悪感とか、寂しさとか、悲しみとかを抱えて、梨華はこれからを生きていくしかなかった。
入院中も友人や担任教師が授業内容を教えてくれたせいか、復学してからも授業に
ついていけず困る事もなかった。
初日こそ友人たちに色々と聞かれたが、「ショックでほとんど覚えていない」と答えれば、
みんな大人しく引き下がってくれた。誰かと一緒だったらしい、という噂を聞きつけた
友人もいたが、梨華はその質問に必ず首を横に振った。
一週間もすれば、誰も何も聞かなくなり、新しく買った携帯電話に大抵の情報が戻ると、
周りももう、梨華が九死に一生を得たことなどなかったかのように、当たり前の日常へと
戻っていった。
- 245 名前:梨華へ贈る真珠 投稿日:2004/12/05(日) 00:25
-
- 246 名前:梨華へ贈る真珠 投稿日:2004/12/05(日) 00:25
- 「やっべー、マジ0点だよ絶対」
「大丈夫だって、あのセンセいっつも部分点くれるじゃん」
「や、もうほとんど名前だけみたいな」
休み時間に入った途端、小テストの出来について愚痴を言い始めたクラスメイトを慰め、
梨華は苦笑しながらバッグから鏡を取り出して自分の顔を映し出した。
別に、自らの造形を確かめるために鏡を覗いているわけではない。
こめかみに近い位置、髪の生え際にあった火傷の跡を見るためだ。それが、最後の傷に
なっていた。
傷はもう、目を凝らさないと判らないくらいに小さくなっている。仕方がないことだろう、
あれから季節は移ろい、梨華は高校二年生になっていた。
「中間でもこんなんだったら、あたしもう生きていけない」
「大げさだよ」
「マジマジ。もう自殺するしかないね」
冗談で言ってから、クラスメイトは梨華の過去を思い出したらしく、気まずげに目を
逸らした。一部でそういった噂が流れていたのだ。
- 247 名前:梨華へ贈る真珠 投稿日:2004/12/05(日) 00:25
- 梨華は首を傾げて微苦笑した。
そんな噂は気にしていない。事実なんて自分だけが判っていればいい。
「ねえねえ、帰り、映画とか行かない? あたし観たいのあるんだー」
「あ、うん。いいね」
クラスメイトは気まずげな表情のまま、無理やり笑みを浮かべ、小刻みに頷いた。
携帯電話の情報サイトで、目当ての映画の上映時間を調べ、もう何人かに声をかけて
約束をつける。
映画を観て、時間があったら買い物をしたりとか、カラオケに行ったりとか、そこで
誰かの恋について語り合ったりとか。
そういう、当たり前の日常を、これからも過ごすのだろう。
始業ベルが鳴り、梨華は教師に一礼をしてから教科書を広げた。
退屈な授業を受けながら、窓の外を眺める。
空は晴れ渡り、当たり前だが星なんて見えない。それが少しだけ寂しかった。
彼女はお星様になったのだ、なんて考えは、「少女漫画だね」と馬鹿にされそうだったけれど。
- 248 名前:梨華へ贈る真珠 投稿日:2004/12/05(日) 00:25
-
- 249 名前:梨華へ贈る真珠 投稿日:2004/12/05(日) 00:26
- 放課後になり、梨華は約束していた友人たちと一緒に教室で雑談をしていた。
メンバーの一人が日直だったため、日誌を職員室に届けてくるまで待っているのだ。
映画の前にご飯を食べようか。どこがいいかな。マックでいいんじゃない?
そんな他愛もない話をしているところへ、同じクラスの男子生徒が遠慮がちに割り込んで
きた。「あのさ」という声に、全員が一斉に振り向いたからか、彼は怖気づいたように
身を引いた。
「石川さん」
「なに?」
「やだ、ひょっとして愛の告白?」友人が冷やかしてくる。やめてよ、と、梨華は困り顔を
して隣にいた友人を小突く。
「石川さんの下の名前って、果物の梨に難しい方の華で、梨華だっけ?」
スゥ、と、梨華の真ん中を何かが通り過ぎていった。
- 250 名前:梨華へ贈る真珠 投稿日:2004/12/05(日) 00:26
- 「そう……だけど。どうして?」
「いや、校門のとこでそういう事聞いてるのがいて。多分、石川さんのこと探してんじゃ
ないかなあ」
派手に椅子を鳴らして梨華が立ち上がった。友人たちも、呼びに来た彼も、驚いたように
梨華を凝視している。
「……ごめん。映画、また今度にしよ」
「え、ちょ、梨華?」
バッグを引っ掴み、ドアのところにいた彼を押し退けるようにして教室を飛び出した。
友情にちょっとばかり傷が付いてしまったかもしれないが、それくらい、彼女の傷に
比べたら大したものではない。
歯を食いしばり、懸命に走って、上履きから外履きに履き替えるのももどかしく、
爪先だけを引っ掛けるような形で外へ駆け出し、校門を目指した。
- 251 名前:梨華へ贈る真珠 投稿日:2004/12/05(日) 00:26
- 辿り着いた校門には、ライオンが。
手当たり次第に生徒を捕まえ、目当ての獲物でないと知るや、荒々しく離している
ライオンが、そこにいた。
そんな事をしていたら、いつか力尽きてしまうのに。
たったひとつだけしか捕獲しないなんて、あまりにも愚かしいのに。
「……ごっちん!」
胸を掻き毟る鼓動に耐えながら叫ぶと、獲物の足音を聞きつけたライオンの動きが止まり、
それから流れるように振り向いた。
たてがみが、風に揺れて、彼女の顔を一瞬隠す。
風が落ち着いて、現れた顔は、どこにも傷なんてなくて。
ああ、あぁ! 梨華が声にならない絶叫をする。
彼女は……!
- 252 名前:梨華へ贈る真珠 投稿日:2004/12/05(日) 00:26
- 「あ、梨華ちゃん見っけ」
それがあまりにも気抜けた声だったから、ボルテージが一気に下がって、梨華はその場に
へたり込んでしまった。
真希が手にした杖をつきながらゆっくりと歩み寄ってくる。右足を僅かに引き摺っていた。
「久し振りー。いやー、探した探した。だってごとー、何気に梨華ちゃんの名字も
知らなかったんだよね。とりあえず制服は見た事あったから、そこからなんとかなんない
かなと思って。知ってる? 本屋さんで制服図鑑とかって売ってんの。学校の名前とか
全部判るんだよ。ごとー超びっくり」
「なん……」
彼女が書店でマニアックな本を買っている姿を想像し、梨華は更に脱力した。
片膝をついた真希が、梨華の顎を持ち上げて、口の中に何かを入れた。
ほろん、と口の中で溶けたそれは、上品な甘さで、それが呼び水となったのか、
梨華の両目から雫が落ちる。
- 253 名前:梨華へ贈る真珠 投稿日:2004/12/05(日) 00:27
- 「あれ? 美味しくない? わりと自信あったんだけど」
突然泣き出した梨華に面食らったようで、真希は慌てた様子で梨華の頭を撫でた。
「煙草やめたんだけど、やっぱ舌が馬鹿になってんのかな」真希はうろたえたように、
先程入れたものを包みから出して見せてくる。
白くて丸い、小さな焼き菓子だった。
梨華は小さく首を振り、口の中に残る甘さを逃さないように、静かに口を開く。
「……死んじゃったと思ってた」
「ああ、うん、なんかあたしと梨華ちゃん、心中した事になってるらしいよ。
だから梨華ちゃんの家の人も、あたしと会わせたくなかったんだと思う」
「わりと、うちもそんな感じで」真希は苦笑しながら、また梨華の口に焼き菓子を入れた。
さっきの台詞からすると、これは彼女の手作りなんだろう。自分が彼女に食べさせた物とは
比べものにならないくらい、綺麗で美味しかった。
- 254 名前:梨華へ贈る真珠 投稿日:2004/12/05(日) 00:27
- 「おいしい。ホントに料理上手だったんだ」
「あは。ホントにって、なんだ、疑ってたの?」
苦笑いを交えた真希の言葉に、梨華は曖昧に首を傾げることで答える。
真希は軽く肩を竦め、梨華の髪をするりと撫でた。
「もっと早く探したかったんだけど。ちょっと、リハビリとかで時間かかって」
「……あたしが生きてるって、知ってた?」
「いや、生きてる、生きてるって思ったから。うん」
知らなかったけど、思ってた。
縋りついて泣き喚きたい気分だったが、どうにも身体に力が入らず、出来た事といえば
杖を持った彼女の右手に、自身の手を重ねることくらいだった。
真希はそれを左手で包んで、ゆっくりと撫でさすった。
- 255 名前:梨華へ贈る真珠 投稿日:2004/12/05(日) 00:27
- 「今度、クッキーの焼き方教えてあげる」
それは。
連絡先も、住んでいる場所も、通っている学校も知らない、名前だけしかなかった彼女と、
たったひとつだけ出来た約束だった。
「……うん」
梨華が真希に向かって口を開けてみせる。
真希はそこへ、最後の一粒を、丁寧に、捧げるように入れてやる。
ほろん、と焼き菓子が溶けて。
二人は太陽の下で微笑んだ。
- 256 名前:梨華へ贈る真珠 投稿日:2004/12/05(日) 00:27
-
- 257 名前:梨華へ贈る真珠 投稿日:2004/12/05(日) 00:28
-
- 258 名前:梨華へ贈る真珠 投稿日:2004/12/05(日) 00:28
-
- 259 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/06(月) 23:24
- はじめまして。
作者さまのみずみずしい感性に感動しっぱなしです。
痛々しい青という佇まいがたいへん素敵です。
そして、以前あやみきを1スレッド丸々で書いてらしたとのことで、
もしや、あのかたでは・・・、と思い当たるふしがあるのですが。
でもちがってらしたらどうしましょう。
もしかして、以前とカギカッコの書き方を変えていらっしゃいますか?
そして、過去にいちごまも書いていらしたりいたしますか?
不躾な質問で申し訳ありません。
ご迷惑でなければ返答をいただけるとうれしく思います。
- 260 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/07(火) 00:45
- ごっちんがライオンってのがイイなあ。
この2人だからできる雰囲気のお話で(他のお話もそうですが)スゴく楽しめました。次も楽しみにしていますw
- 261 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/08(水) 01:17
- 毎回毎回おもしろい。ため息が出ます。
えーと、いろいろと詮索するのはどうかなぁ…と思いますので、
あの作者さんだとしても生温かく見守らせていただきますw
…勘違いだったらすみません(;´Д`)
- 262 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/08(水) 22:09
- 作者さんはずるいなぁ…色んな意味で(負の意味は一切なし)
作者さんの文章には毎度、鳥肌がたちます。
これだよ、このリアルさだよ、と一人感動してます。以後もそっと見守っています。
- 263 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/09(木) 01:02
- 読めたことが嬉しいです。面白かった。良かった。寒かった。好きです。
- 264 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/15(水) 21:49
- 2スレッドまるごと使って田亀を書いてらした、あのかたではないのでしょうか?
- 265 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/17(金) 02:12
- >>264
とりあえずそういうのは聞かない方が…。
次はどんなのがくるんだろうと、楽しみでしょうがないです。
一日一回はここ覗いてますよ。ほんとですって。
- 266 名前:願いの中心で解を叫んだけもの 投稿日:2004/12/23(木) 03:21
- 砂浜を、さゆと一緒に歩いている。
さゆはコートのフードをバタバタさせて、降り積もる雪を払っている。
れいなの家に向かう途中に、この海沿いの道はあって、どうせだから下を、つまりは
砂浜を通って行こうと言い出したのはさゆだった。
高い防波堤に守られた歩道と違って、まさに吹きさらしの海岸は風がとても冷たい。
コンビニで買った携帯カイロをポケットの中で握りながら、わたしは肩を竦めて歩く。
砂浜は時期外れのせいか汚れていて、流れ着いた海藻とか、ドロドロになったビニール
とかが散乱していた。砂浜は亀が産卵するところなのに。なんちゃって。
誕生日がクリスマスと近いせいで、パーティーもプレゼントも一緒くたにされていた。
それに対して愚痴のように不満をぶちまけたら、さゆとれいなが相談して、れいなの家で
パーティーをしてくれるようになった。
わたしが小学生になるかどうか、という頃の話だから、もう十年くらい、それは続いて
いることになる。
十年くらい続いたそれは、たぶん、今年で最後になる。
- 267 名前:願いの中心で解を叫んだけもの 投稿日:2004/12/23(木) 03:21
- 「さゆ、寒いよ。上戻ろうよ」
「えー」
「風邪ひいちゃうもん」
ぎゅ、ぎゅ、と砂を踏みしめながら、さゆはフードをはためかせる。
落ちていた鉄パイプを拾って、剣道みたいにわたしへ向かって構えてきた。
全然似合っていない。さゆの夢はお姫さまになることだ。お姫さまは剣なんて構える
必要はないから、似合わないのも当然だけど。
「絵里、覚悟ー!」
「へえ!?」
慌てて逃げた。もちろん、さゆだって当てる気はなくて、ザンッと砂に激突した棒は、
そのままズズーッと引っ張られた。
「ちょっとどいて」
さゆに言われるまま、何歩か後ろに下がる。何かを書いてるらしい。
- 268 名前:願いの中心で解を叫んだけもの 投稿日:2004/12/23(木) 03:22
- 二人が両手を広げたくらいのハートマークが出来上がって、さゆは一度パイプを持ち上げ、
その中へ更に何かを書き加えていった。
「でーきたっ」
さゆが満足そうにハートを見下ろしている。わたしは彼女の隣に並んで、出来立ての
力作を視界に入れた。
"LOVE FOEBA―― SAYU→ERI"
……ほえば?
フォーエバーと書きたかったんだろうなあと思いながら、わたしはさゆの肩を慰める
みたいに叩いた。
わたしだって英語の成績はそれほど良くないけど、綴りが間違っていることくらいは判る。
さゆが書いた砂文字は、波が届かない場所にあって、わたしたちはそれをしばらくの間
眺めていた。時々、波がもう少しのところまで寄ってきて、その度にさゆが「あーっ」と
大きな声を出すので、わたしも一緒になって「あーっ」と叫んだ。
- 269 名前:願いの中心で解を叫んだけもの 投稿日:2004/12/23(木) 03:22
- 波が来るのはもう少しのところまでで、ほえばを消す事はなかったので、段々と飽きて
しまって、わたしが小さなくしゃみをしたのを合図に、さゆが歩き出した。
「あれ、あのままにしとくの?」
「だって永遠だもん。消しちゃだめなの」
「……恥ずかしいよ」
小さな町の中だから、さゆとえり、といえばまず確実にわたしたちの事で、ハートマークに
あんな文章じゃ、クラスの男子とかに見つかったら絶対バカにされる。
……別に、わたしが書いたと思われるのが嫌なわけじゃなくてね。
綴り間違えてやんのーなんて言われるのが嫌なわけじゃなくてね。
「今日、風強いから」
「ん?」
「夜になったら消えちゃうよ」
「そっかなあ」
夜になる前に、誰かに見られたら同じことだけど。
- 270 名前:願いの中心で解を叫んだけもの 投稿日:2004/12/23(木) 03:22
- さゆが消そうとしないまま、ずんずん歩いていくから、戻って消すのも悪いような気が
して、わたしは後ろ髪ひかれながら、砂の上のハートマークをそのままにして彼女の
後を追った。
「んわっ」
急に突風が吹いて、舞い上がった砂が目に飛び込んでくる。ゴロゴロしだした両目を
指で擦ろうとしたら、さゆに止められた。
「こすっちゃだめ」
さゆが真っ白なハンカチを取り出して、わたしの涙が落ちる目元に当ててくれる。
そっと、傷つけないようにハンカチで目の周りを拭いて、「パチパチして」と、まるで
小さな子に言うみたいにわたしへ言ってきた。
今日から私の方が年上なのに、これじゃ反対だ。
「もう平気くなった」
「ん」
「やっぱり上に行こっか」さゆが上の道路に続く階段へ足を運ぶ。
ぶおん、とエンジンをふかす音が聞こえて、わたしとさゆが顔を上げると、一台のRV車が
道路わきに停まった。
- 271 名前:願いの中心で解を叫んだけもの 投稿日:2004/12/23(木) 03:22
- 「よーよー、お姉ちゃんたち可愛いねー。一緒にドライブしない?」
助手席から身を乗り出して手を振ってきてるのは、ガラの悪いお兄さんでも恐そうな
おじさんでもなく、いまだ「成長期」という言葉を知らないお子ちゃまだった。
「れーなー」
さゆがれいなに手を振り返している。わたしはぼんやりと空色の車を見上げていた。
「つーか、早く乗って乗って。後ろ詰まっちゃうから」
れいなを押し退けながら、運転席にいた美貴さんが顔を出して叫んできた。
この季節は道路が凍ってて滑りやすいから、追い越しの時にいつもよりスピードを
落とすので渋滞しやすいのだと、去年くらいに聞いた気がする。
「はーいッ」わたしたちは慌てて車へ向かって駆け出した。
後部座席へ滑り込んで、バタンと勢い良くドアを閉める。わたしとさゆが座った奥には、
スーパーの袋やケーキが入っているらしい箱が押し込まれていた。
- 272 名前:願いの中心で解を叫んだけもの 投稿日:2004/12/23(木) 03:23
- 車の中はエアコンが効いていて、走ってきたせいもあるのか、コートを着ていると
暑いくらいだった。わたしはさゆにぶつからないように、もぞもぞとコートを脱いで、
膝の上に畳んで置いた。
「美貴さん、今年もお世話になります」
「はいよ」
慎重に車を発進させながら、美貴さんはハンドルを握っている手の指先をひらひらと
動かした。
美貴さんはれいなのお隣さんで、れいながこの集まりを企画した時から、お目付け役とか、
ストッパーとか、そんな風な立場で付き合ってくれている人だった。
誰かのお父さんお母さんみたいな、本当の大人が一緒だと、あまりはしゃげないから、
美貴さんくらいのちょっと大人な人の方が、わたしたちも遠慮しなくて済むので助かっている。
それにしても、わたしたちが小学生の頃、もう美貴さんは高校生になっていたから、
こんな子供っぽい集まりなんて嫌がりそうなものなのに、ずっとわたしたちと一緒に
遊んでくれている。
たまに口が悪いけど、たぶん、優しい人。
- 273 名前:願いの中心で解を叫んだけもの 投稿日:2004/12/23(木) 03:23
- 「美貴ねえー、ちょっとだけ食べていい?」
「駄目」
「ビスケットだけでも!」
「じゃ、ビスケットはれなの。肉は美貴のってことで」
「うわひっどー!」
車内にはフライドチキンの匂いが充満している。前の二人はかなりの肉好きだ。
一番好きなのは牛らしいけど、鶏でもいいみたいだった。
ぽす、と肩に重みがかかって、見ると、さゆがわたしの肩を枕に舟をこいでいた。
鉄パイプを振り回して遊んだりしていたから、疲れてしまったのかもしれない。
「寝かしといていいよ」美貴さんがバックミラー越しに言ってきたので、わたしは小さく
頷いて、さゆの頭を膝のコートに乗せてやる。
「絵里は眠くない? なんかあったかいもんでも飲む?」
「あ、うん」
「れな。ちょっと買ってきて」
「えー、なんで」
「美貴、運転席から降りたら切符切られちゃうし。
絵里はさゆの枕になってるから動けないし」
ドアのサイドポケットから五百円玉を取り出して、れいなに投げる美貴さん。
彼女はけっこうルーズなので、高速道路を走った時のお釣りとか、いつもあそこに
入れている。
- 274 名前:願いの中心で解を叫んだけもの 投稿日:2004/12/23(木) 03:23
- なんでれいなばっか、とか、美貴ねえは人使いが荒い、とか、ぶつぶつ文句を言いながら、
れいなは車を降りて自動販売機へと走った。
「あっ、れなの奴、買って欲しいもん聞いてないじゃん」
「れいな、せっかちだから」
「ったく、これでブラックコーヒーとか買ってきたら、肉は全部美貴が食ってやる」
主役はわたしのはずなんだけどな、という事は言わないでおいた。
こういうのを処世術と言うらしい。
戻ってきたれいなは、さすがにそんな悪戯をする度胸はなかったみたいで、紅茶とか
烏龍茶とか、当たり障りのないものを抱えていた。
「絵里、何がいい?」「あ、じゃあこれ」れいなが胸を反らすようにして差し出してきた
中から、ミルクティーを選んで受け取る。さゆを起こさないように、静かにプルトップを
開けて口をつけた。
- 275 名前:願いの中心で解を叫んだけもの 投稿日:2004/12/23(木) 03:24
- 美貴さんはコーンポタージュを一気飲みして、空き缶をドリンクホルダーに差し込んでいた。
ああいう人を、たぶん、つわものと呼ぶ。
「シートベルトしなよ」
「わかってるって」
れいながシートベルトを締めたのを確認してから、美貴さんは車を走らせ始めた。
眠っているさゆが、甘えるみたいにわたしの膝へ腕を添えてきて、なんとなくホッとした。
あったかいものを飲んだだけにホット。なんちゃって。
- 276 名前:願いの中心で解を叫んだけもの 投稿日:2004/12/23(木) 03:24
-
- 277 名前:願いの中心で解を叫んだけもの 投稿日:2004/12/23(木) 03:24
- わたしの首から五センチくらい下の位置で、美貴さんの唇は休まる事を知らずに
動いている。
「てゆーかこの前のは亜弥ちゃんがさあ……え? 違うよ、美貴、ちゃんと言ったもん」
唇と一緒で、美貴さんは指先もずっと動かしている。その指先にはわたしの髪が絡んで、
器用に編みこまれていく。動いていないのは、携帯電話を支えている首だけだった。
美貴さんの小さな頃からの夢は、美容師か福祉関係の仕事に就くことで、今はどちらも
していないけど、春から四つくらい県境を越えた街にある福祉系学校へ進学する予定に
なっている。
けれども、もうひとつの夢も捨てきれなかったらしく、こんな風に、よくわたしや
れいなの髪をいじって遊んでいた。れいななんて、アレンジだけじゃなくて切ってもらう
のも美貴さんに任せている。
「や、それは亜弥ちゃんが勘違いしたからで……うん」
わたしの背中にいるから見えはしないけど、美貴さんは拗ねた顔になっているんじゃ
ないかと思う。
- 278 名前:願いの中心で解を叫んだけもの 投稿日:2004/12/23(木) 03:24
- 電話の相手である亜弥さんは、美貴さんの友達で、わたしが通っている高校の三年生。
卒業後は、美貴さんと同じ街の大学へ進むらしい。
噂によれば、ルームシェアをするのだとか何だとか。女の子同士の同居というのは
あまり長続きしないらしいけど、なんとなく、美貴さんたちは大丈夫な気がする。
「んー、や、もういいよ。今、絵里の髪やってるから、もう切んね」
まるで喧嘩別れみたいな言葉だったけれど、口調はその反対だった。
「ごめんね絵里、うるさかった?」
「んーん。平気」
それから美貴さんは、集中し始めたのか無言になって、わたしの髪を丁寧に絡め取って
いった。
美貴さんと同じように、さゆとれいなも、春になったらこの町を出て行く。
さゆは都内にある全寮制の高校へ進学するし(理由は制服が可愛いから、だそうだ。
ふざけている、とわたしは思ったけれど、彼女にとってはすごく重要なことなのかも
しれない)、れいなはプロのダンサーを目指すために、高校へは上がらずに、もっと
遠い街のダンススクールへ入学する。
- 279 名前:願いの中心で解を叫んだけもの 投稿日:2004/12/23(木) 03:25
- わたしだけが、地元の高校の二年生になるだけで、あとは何も変わらない。
18歳になる前に、親元を離れるなんて、考えたこともなかった。
さゆもれいなも普通に県内の高校へ進学すると思っていたし、美貴さんだって、
自宅から通える距離に福祉系の専門学校があるから、そこへ入るのだと思っていた。
美貴さんがわざわざ遠くの学校を選んだ理由を、わたしもれいなも、気後れみたいな
ものがあって訊けずにいた。さゆは別に気にしてないみたいだった。
「――――ほい、終わり。うん、可愛い可愛い」
いつもはそのまま下ろしているだけの髪が、綺麗にまとめられていて、なんだか首の後ろが
寒いような感じで、わたしは思わず首を竦めた。
「絵里、できた?」
頃良くさゆがやってきて、わたしを見るとふにゃっと笑った。
- 280 名前:願いの中心で解を叫んだけもの 投稿日:2004/12/23(木) 03:25
- 「かわいー」
「えへ、ありがとー」
「さゆの次に」
「むかつくー」
怒ったふりで拳をかざすと、さゆはきゃあ、と可愛らしい悲鳴をあげて、わたしの手首を
掴んできた。
それを振り解こうと腕を振っているうちに、まるでダンスをするみたいになって、
ぐにゃぐにゃ遊んでいたら、いつの間にか『アルプス一万尺』へと変わっていた。
「はいはい、あんまふざけてないで、美貴の力作が崩れちゃうじゃん。
さゆ、下の方って準備できたの?」
「あ、もうちょっと」
「あそ」
わたしとさゆの横をすり抜けて、美貴さんが一階へ下りていく。
リビングではれいなが準備を続けているはずだけど、ひょっとしたらつまみ食いとか
してるかもしれない。
さゆならまだしも、美貴さんに見つかったらただじゃ済まない。わたしは美貴さんを
追いかけようとしたけれど、さゆが掴んでいる手に力を込めて邪魔してきた。
- 281 名前:願いの中心で解を叫んだけもの 投稿日:2004/12/23(木) 03:25
- 「ん?」
「絵里はもうちょっとここ」
掴んでいる手を引っ張って、さゆが無理やりわたしを座らせた。
まだ準備が終わってないから、ということなんだろうか。
床にじかへ座って、さゆが隣に腰を下ろしてきたのでそっちに顔を向ける。
「……さゆは、東京のガッコ、行くんだよね」
「うん」
「そんで、れいなも、ここ出てくんだよね」
「うん」
「……ちょっと、寂しい、な」
「うーん」
最後の相槌だけ、なんだか曖昧で、わたしはそれが気になったけれど、ここで具体的な
質問をして「別に寂しくない」とか言われるのも嫌だったから、口を閉じた。
リビングからは「『バ』なんだからaじゃん!」とか、「いや違う! 中学の時、書き取りで
間違った覚えがある!」とか、れいなと美貴さんの大声が聞こえてくる。
もしかして、チョコプレートに書く『Happy Birthday』の綴りについて言い合ってるとか
なのかな。なるほど、それでさゆがこっちに来たんだ。
なにせほえばだし。
- 282 名前:願いの中心で解を叫んだけもの 投稿日:2004/12/23(木) 03:26
- 「なんか寒い」
「んー、首出てるから?」
「そうかも」
さゆがわたしのうなじ辺りに手のひらを当てて、軽く擦ってきた。
「あったかい?」あまり変わらなかったけど、わたしは「うん」と頷いて笑った。
「美貴さん、やっぱり亜弥さんと一緒にいたいから、あの学校選んだのかな」
「わかんない」
「……そりゃ、さゆが知ってるとは思わないけど」
「でも、それでもいいと思うの」
別に、わたしだってそれが悪いと思ってるわけじゃない。
れいながちょっと可哀想だ、とは思うけど。あの子はずっと「美貴ねえ、美貴ねえ」って
ついて回ってたから、美貴さんの進路を知った時とか、かなり荒れたし。
さゆはわたしの首をさすり続けている。さゆのふくふくした手のひらが気持ちよくて、
膝枕をしてほしかったけど、髪が崩れてしまうから我慢した。
- 283 名前:願いの中心で解を叫んだけもの 投稿日:2004/12/23(木) 03:26
-
チョコプレートには『ハッピーバースデー エリ』と書かれていた。間を取って
カタカナに落ち着いたらしい。
もうちょっと調べるとかしてほしかった、と思わなくもなかったけど、口にするのは
大人げないので、それは見ないふりをした。わたしももう16歳だから、こういう部分では
ちょっと大人なところを見せないといけない。
「誕生日おめでと」
照れてるのか、れいなは顔を下に向けてプレゼントの箱を差し出してきた。
「開けていい?」「ん」中身はコートだった。以前、れいなと遊びに行った先で見つけて、
わたしはその時、しばらくその場を動けなかった。もう二ヶ月くらい前のことなのに、
れいなは覚えていてくれたみたいだ。
「あ、ちなみにそれ、美貴も共同出費ね」
美貴さんがフライドチキン片手に言ってくる。コートの値段は、確かに中学生が簡単に
手を出せるようなものじゃなかった。美貴さんは共同出費とか言ったけど、たぶん、
ほとんどは彼女が出してくれたんじゃないかと思う。
- 284 名前:願いの中心で解を叫んだけもの 投稿日:2004/12/23(木) 03:26
- コートを羽織ってみると、フードのファーが首を包んで暖かかった。さゆの手のひらには
敵わないけど。
「これ、すごい欲しかったのー。ありがとー」
嬉しくなって、その場でクルクル回った。「ほらほら、汚れちゃうから」れいなが呆れた
声で言ってきて、わたしの身体を両手で挟んでピタッと止めた。
「絵里ー。これ、さゆから」
「うん、ありがとー」
さゆから受け取った包みを開けにかかる。れいながニヤニヤしてるのと、美貴さんが
必死に笑いを噛み殺してるのが気になるけど、とりあえずさゆからのプレゼントが先決。
出てきたのは耳だった。
あの「おっきくなっちゃった!」の耳じゃなくて、三角形で、ふわふわした毛がついてる、
カチューシャみたいな感じの耳。
「えーと……」
「似合うと思うの」
さゆが無邪気に笑いながら、猫の耳を奪って、わたしの頭に乗っけた。
- 285 名前:願いの中心で解を叫んだけもの 投稿日:2004/12/23(木) 03:26
- 「ぶはは! 似合う、ちょー似合う!」
れいなが手を叩きながら爆笑する。「や、うん、可愛いんじゃないかなっ」美貴さんも
テーブルの縁を支えにしながら笑っていた。
「うん、似合うよ、絵里」
……さゆ、本気?
「おそろいなの」
さゆがもうひとつの包みから色違いの耳を取り出して、自分の髪に差し込んだ。
ああ、似合うね、さゆ……。うん、可愛いよ。すごく。
「あ、ありがと……」
「喜んでもらえてよかったの」
ひょい、とわたしの手を取る猫。
ちょっと泣きたかった。
「……も〜、みんな、最後なのにふざけないでよぉ……」
「へ?」
なんとか復活したらしいれいなが、下からわたしの顔を覗き込んでくる。
わたしはなんだか、れいなの呑気な態度とか、自分の間抜けな格好とか、まだ爆笑してる
美貴さんとか、いつも通りにふわふわ笑ってるさゆとか、カタカナのハッピーバースデー
とか、そういうものに全部腹が立って、ぎゅっと拳を握った。
- 286 名前:願いの中心で解を叫んだけもの 投稿日:2004/12/23(木) 03:27
- 「絵里?」
「だって、最後なのに、もうみんなで集まるとか出来ないのに、なんでそんな、
笑って……絵里のこと馬鹿にしてぇ……」
ギリギリ泣いてはいなかったけど、それに近いような感じで、れいなは急に慌てて
わたしの腕をさすってきた。
「え? 絵里、なんで? 最後とかってなに?」
「……さゆもれいなも、美貴さんだって、みんな、絵里んこと置いて行っちゃうじゃん。
絵里はずっと寂しかったのに、なんかみんないっつもとおんなじで、なんでぇ……?」
わたしはもう、自分でも何を言っているか判らなくて、ただ、れいながずっと腕を
さすっているのが、ちょっとだけ嬉しかったけど、それくらいで直るような機嫌の
曲がり具合でもなかった。
さゆも美貴さんも、なんだかきょとんとしていた。れいなだけが妙に慌てていた。
「や、ちょっと待って。最後って、れいなもさゆも美貴ねえも、冬休みとか帰ってくるから
来年も絵里の誕生日はこっちいるよ?」
「……え?」
潤んだ視界を戻そうと、わたしは何度もまばたきをした。
- 287 名前:願いの中心で解を叫んだけもの 投稿日:2004/12/23(木) 03:27
- 「……ホント?」
「まあ、美貴は亜弥ちゃん次第ってとこあるけど。亜弥ちゃんもその辺は判ってくれると
思うし」
順繰りにみんなの顔を見回すと、それに合わせて一人ずつ頷いていく。
――――あれ? じゃあ、じゃあ……。
「絵里だけ判ってなかったの!?」
「そんな感じなの」
「あー、美貴たちは学校のスケジュールとかもらってたから、当然そういうもんだと
思ってたんだけど、絵里は知らないもんねー」
ガシガシと頭を掻きながら、美貴さんが独り言みたいに言った。
わたしは自分の間抜け加減に腹が立ったけど、それは自分に対するものなので、
どこかへぶつけるわけにもいかなくて、八つ当たりで腕をさすっているれいなの頭を
ポカリと殴った。
「あたっ」
「そんじゃ、そんなの、絵里が馬鹿みたいじゃん!」
「みたいっていうかバ」
生意気な事を言おうとしたれいなの口を美貴さんが塞ぐ。
- 288 名前:願いの中心で解を叫んだけもの 投稿日:2004/12/23(木) 03:28
- 「ごめんごめん、てっきり絵里も判ってるもんだと思ってたから」言い訳をしてくる
美貴さんをひとつ睨んで、わたしはフライドチキンを両手で鷲掴みにした。
「もー、やけ食いしてやるぅー!!」
「ああ! ちょっと、いくらファミリーバレルっつっても数には限りが!」
れいなと美貴さんが大急ぎでチキンを確保し始める。
その横で、さゆはチョコプレートをおいしそうに食べていた。
- 289 名前:願いの中心で解を叫んだけもの 投稿日:2004/12/23(木) 03:28
-
- 290 名前:願いの中心で解を叫んだけもの 投稿日:2004/12/23(木) 03:28
- パーティーなのか食べ物争奪戦なのかよく判らないものを終えて、美貴さんに車で
送ってもらう。
さゆは疲れて、リビングのソファで眠ってしまったので、今日はれいなの家に泊まって
いくことになった。だから、車の中は運転席の美貴さんと、助手席のわたしだけだ。
「ホントごめん。すっかり忘れてて」
「もういいです」
わたしの頭には、まだ猫耳が乗っている。れいなはともかく、さゆが本気で可愛いと
褒めてくれたので、外すのがなんだかもったいない気がしたから。
車の中にはラジオが流れている。音楽番組のクリスマス特集で、年代別のクリスマス
ソングをずっと流していた。
「美貴さん、絵里、もういっこプレゼント欲しい」
「ん? あんま高いもんだと無理だけど。なにが欲しいの?」
「さゆとれいな」
美貴さんは前を向いたまま、目尻だけで小さく笑った。
- 291 名前:願いの中心で解を叫んだけもの 投稿日:2004/12/23(木) 03:29
- 「さゆはいいよ。でもれなは駄目」
「なんでー、けちー」
「れなは美貴のだから、あげません」
ずるい、と思った。遠くに行っちゃうくせに、もうれいなの事なんかどうでもいいくせに、
わたしにくれないなんて。
「亜弥さんに言いつけてやるから」
「別にいいけどね」
美貴さんは、わたしたちよりちょっと大人だから、わたしの我がままなんて軽く
かわせちゃうんだろう。
それは面白くなかったけど、さゆはもらえたので、そこで譲歩する事にした。
猫耳をつけて交渉。名付けてネコシエーション。
なんちゃって。
- 292 名前:願いの中心で解を叫んだけもの 投稿日:2004/12/23(木) 03:29
-
- 293 名前:願いの中心で解を叫んだけもの 投稿日:2004/12/23(木) 03:29
-
- 294 名前:願いの中心で解を叫んだけもの 投稿日:2004/12/23(木) 03:29
-
- 295 名前:名無し読者 投稿日:2004/12/23(木) 23:06
- 好きだな、こういうシチュエーションって。
やっぱ6期はいいな、うん。
- 296 名前:密やかな抹消 投稿日:2005/01/03(月) 19:10
- 小学生のお小遣いなんてたかが知れているので、大好きな漫画の単行本が出る日は、
美貴ねえの家に行って貸してもらうのが常だった。
バタバタと玄関先に黒いディバッグを放り出して(ランドセルなんて子供っぽいものは、
四年生で卒業した)、隣の家へ直行する。
「おじゃましまーす!」誰かが出るのを待つ事もなく、階段を駆け上がって美貴ねえの
部屋を目指した。
「美貴ねえー、帰って」
思わず言葉が途中で止まった。
美貴ねえは部屋にちゃんといたけど、その他にもう一人、知らない人がくつろいでいた。
「おう」美貴ねえがこっちに顔を向けて、くしゃっとした笑顔を見せる。
あたしはいつもと違う光景にうまく対応できず、ドアのところにつっ立ったままでいた。
「ごめん美貴ねえ、お客さん来てたんだ」
「いいよいいよ。亜弥ちゃん、こいつ、隣ん家のれな」
亜弥さんというらしい人に、軽く頭を下げる。彼女は近くの町にある中学校の制服を
着ていた。「こんにちは」あたしに合わせて会釈をした亜弥さんの、セーラーカラーが
少しだけ揺れた。
- 297 名前:密やかな抹消 投稿日:2005/01/03(月) 19:10
- 「れなちゃん?」
「や、ホントはれいなです」
「三文字って言いにくいんだよ」
美貴ねえが横から口を挟んできた。言葉通りの勝手な理由で、あたしは名前を
縮められている。
「あ、これか」あたしが人見知りを発揮してもじもじしている間に、美貴ねえが用事に
気付いて、まだ紙袋に入ったままの漫画を放り投げてきた。
いつもは自分が読むまで貸してくれなくて、あたしは美貴ねえが読み終わるまでずっと
待たされるのに、今日はすぐに渡してきたから、なんだか、嫌な感じだった。
美貴ねえにそんなつもりはないのかもしれないけど、「貸してやるからさっさと出てけ」って
言われてるような気がした。
「……美貴ねえ、忙しいの?」
「や、別に忙しいわけじゃないけど。今ちょっと、相談に乗ってるとこだから」
「いいですよ、そんなすぐに決めたいわけじゃないし」
「平気へいき。どうせれなはお隣さんだし」
立ち上がろうとした亜弥さんを、美貴ねえが腕を掴んで引き止める。
- 298 名前:密やかな抹消 投稿日:2005/01/03(月) 19:10
- 後で聞いたら、この時、亜弥さんはどの高校に進学するか悩んでいて、その辺で家族と
揉めたりしていて、高校見学に参加した時の案内係をしていた美貴ねえに、色々と話を
聞いてもらっていたそうだ。
そういう事情を知っていればまた違ってたと思うけど、何も知らないこっちにしてみれば、
どう見ても邪魔者扱いされたわけで、そんなの、面白いはずがない。
「み、美貴ねえっ。これ、れいなが先に読んじゃっていいの!?」
「あー、うん。ただし話の中身喋るなよ」
漫画を引き合いに出しても、美貴ねえはつれなかった。
ぎゅっと唇を噛み締めて、わざと乱暴にドアを閉め、自分の家に戻った。
紙袋から漫画を出したところで、亜弥さんに嫌な思いをさせてしまったかもしれないと
後悔したけど、いまさら引き返して謝るのも格好悪いから、結局そのまま漫画を読んだ。
大好きな漫画は、その巻だけあまり面白くなかった。
- 299 名前:密やかな抹消 投稿日:2005/01/03(月) 19:11
-
――――
- 300 名前:密やかな抹消 投稿日:2005/01/03(月) 19:11
- お年玉で買った低反発素材の枕に頭を埋めたあたしは、薄く目を開けて、
前髪をかき上げた。
「……やな夢」
眠りが浅いと夢を見やすいらしい。中学校を卒業してからは、不規則な生活になってたし、
もうすぐ親元を離れるということで緊張とかしているのかもしれない。
その辺が影響して、ちゃんとした睡眠が取れなかったんだろうか。
目は覚めたものの、しっかり覚醒するにはまだまだ遠くて、あたしはごろんと身体を
反転させると顔半分を枕に押し付けた。寝る子は育つっていうし。
別に身長なんて気にしてないけれど。
目を閉じて頭の中を空っぽにしたあたりで、ノックもなしにドアを開ける音が聞こえた。
「れなー、まだ寝てんの? 起きろー。起きろー」
「……なに」
身体は起こさないで、視線だけを美貴ねえに向ける。
美貴ねえはあたしの顔のすぐ近くに顎を乗せて、「買い物行こーぜ」と、甘えるみたいな
声で言った。
- 301 名前:密やかな抹消 投稿日:2005/01/03(月) 19:11
- 「……やだ、めんどい……」
「えー。れな、今ひまじゃん。美貴と買い物しようよー」
突き出された唇が鼻先に触れそうになって、あたしは毛布の中に潜り込んだ。
「どうせ荷物持ちさせるつもりなんじゃん。一人で行ってきてよ」
「あ、冷たい。美貴はれなをそんな子に育てた覚えはないよ」
「育てられた覚えもないし」
だいたい、引越し前日だっていうのに、まだ買うものがあるとか信じられない。
美貴ねえはいつもギリギリまで準備をしない人だけど、それにしたってのんびりしすぎだ。
亜弥さんはもう全部準備したって言ってたのに。この差はなんなんだろう。
毛布にもぐって、亀みたいに丸くなっていたら、のしっと上に何かが乗ってきた。
明らかに美貴ねえなんだけど。
「れなぁー」毛布越しに甘えた声が届く。
これじゃあどっちが年上だか判らない。本当にあたしより五つも上なんだろうか。
- 302 名前:密やかな抹消 投稿日:2005/01/03(月) 19:12
- 顔だけを外に出したら、予想外に美貴ねえの顔が近くにあって、ちょっと驚いた。
「わかった、付き合うからどいて」
「おっ、さっすがれな。優しい子に育ってくれて美貴は嬉しいよ」
ほとんど無理やりだったくせに、よく言う。
おまけに、やっぱり荷物持ちをさせられたし。
- 303 名前:密やかな抹消 投稿日:2005/01/03(月) 19:12
-
――――
- 304 名前:密やかな抹消 投稿日:2005/01/03(月) 19:12
- 美貴ねえと同じ高校に進んだ亜弥さんは、それからちょくちょく美貴ねえの家に遊びに
来るようになった。
それと同時期に、あたしは玄関先の靴を確認して、美貴ねえの部屋に入る前にノックを
するようになった。
大した事じゃなかったけど、彼女の靴が美貴ねえの家にあると、ちょっとだけ気分が
沈んだ。
亜弥さんのことが嫌いなわけじゃなかった。彼女は可愛くて、優しくて、それに、
すごく女の子らしい人で、もしあたしが男だったらお嫁さんにしたいくらいだ。
けれど、というか、だからこそ、というか。
自分でもそう思うから、亜弥さんが隣にいるときの美貴ねえを、あまり見たくなかった。
だからといって、靴がある日は遊びに行くのをやめるなんてことはなく、その日も靴で
亜弥さんが来ている事は判っていたけど、そのまま美貴ねえの部屋に向かった。
でも、ノックはしなかった。
部屋のドアが少しだけ開いていたからだ。大昔の神様の話を出すまでもなく、興味の
対象があるなら覗いてみたくなるのが心理で、あたしはそっと部屋の中を覗き見た。
- 305 名前:密やかな抹消 投稿日:2005/01/03(月) 19:12
- 美貴ねえと亜弥さんは何をするでもなく、申し訳程度には音楽がかけられていたけれど、
二人とも聴いてなんかいないことは、見ていてすぐに判った。
亜弥さんは美貴ねえの腕にくるまれて、赤ちゃんみたいに縮こまっていた。
「みきたん、明日も生きててね」
その頃には、彼女が美貴ねえを呼ぶ時のあだ名を「変なの」とか思う事もなくなっていて、
それでも、その台詞の奇妙さが、あたしの好奇心を刺激した。
「なに、それ?」
「だって、不安なんだもん。みきたんが明日、いなくなっちゃったらどうしようとか、
みきたんの心が、他のとこに行ったらどうしようとか」
「ふーん?」
「だから、明日もみきたんと一緒にいられるように、明日もみきたんを好きでいられる
ように、明日もみきたんに触れるように、みきたんは明日も生きて、あたしを好きで
いてね」
「……ん」
美貴ねえはちょっとだけ呆れていたみたいだけれど、ぽんぽんと優しく亜弥さんの頭を
叩いて、「約束する」と、彼女の耳元で囁いた。
- 306 名前:密やかな抹消 投稿日:2005/01/03(月) 19:12
- あたしは足音を忍ばせて、その場を離れた。
大きな病気にでもかかっていない限り、普通は、『明日を生きる』ことに疑問なんて
持たないと思う。
『いつか来る死』に怯えることはあっても、すぐそばにある、明日、という未来に不安を
覚えることなんて、ほとんど無いと思う。
それはなんだか、彼女の気持ちの強さのようで。
当たり前に、いつまでも美貴ねえと一緒にいられると思っていた自分を否定されたようで。
あたしはそれから、美貴ねえとちょっと距離を置きたいと思ったけど、美貴ねえはそれを
許さないというように、あたしが遠慮がちな素振りをみせると、いつも以上にあたしを
構った。
美貴ねえがどうしてそんな風にしたのかは判らない。
けど、なんだかあたしもそういう事が馬鹿馬鹿しくなってしまって、結局、それほどの
時間もかからずに元通りになった。
それでも、靴を確認するのと、ノックだけは、やめなかった。
- 307 名前:密やかな抹消 投稿日:2005/01/03(月) 19:13
-
――――
- 308 名前:密やかな抹消 投稿日:2005/01/03(月) 19:13
- 二日連続とか勘弁して欲しい。
しかも今日は、起きる前に美貴ねえが来ていた。
美貴ねえはあたしが目を開けるのを心待ちにしていたようで、聞こえるように吐いた
溜息にも負けず、あたしの前へずずいっと迫ってきた。
「れな、ドライブ行こう」
「やだ」
「なんで」
「……やな夢見て機嫌悪い」
これ以上ないくらいの不機嫌な声で答えたのに、美貴ねえはベッドに頬杖をついて、
くい、と首を傾げた。
「じゃあ丁度いいじゃん。ドライブで気分転換しよ」
思考が前向きなのは、時々人をいらつかせる、ということを、あたしは人生16年目にして
知った。
- 309 名前:密やかな抹消 投稿日:2005/01/03(月) 19:13
- 美貴ねえはあたしの機嫌なんてまるでお構いなしに、力尽くで布団を引っぺがすと、
あたしの脇に腕を差し込んで強引に起こした。あたしはわざと身体中の力を抜くことで、
それに抵抗する。
それでも、美貴ねえは力強く、あたしの身体を持ち上げてくる。
「んあぁ〜!」
「吠えるくらい元気なら大丈夫。さ、準備して」
「横暴だ! れいなは個人の自由を主張する!」
「自由?」
何故か不思議そうな顔をした美貴ねえが、あたしに廻したままの腕をぐいと引き上げた。
そうされると、当然、あたしと美貴ねえの距離が近づく。
美貴ねえはあたしの目を覗き込みながら、ゆっくりと口を開いた。
「それって、れなにとって美貴より大事なもんなの?」
本当に、ただ単純に、「不思議だ」という表情で、美貴ねえは言った。
疑問に思って尋ねたわけじゃなくて、お母さんが言うことを聞かない子供に向かって
「どうしてそんなに困らせるの?」とヒステリックに告げるのと同じ意味合いで、
美貴ねえはあたしに言った。
- 310 名前:密やかな抹消 投稿日:2005/01/03(月) 19:13
- 恐いような、嬉しいような気分だった。たぶん、そのどっちもあったんだと思う。
「美貴ねえ……」
「ドライブ行こうよ」
あたしの喉はきゅっと絞まっていて、うまく音を作れなかったから、代わりに顎を
引くような形で頷いて、美貴ねえの肩を軽く押した。
美貴ねえが手を離した。あたしはそのまま、ベッドに座り込む。
「車で待ってるから、準備できたらおいで」美貴ねえは普段通りの笑みを浮かべて、
部屋を出て行った。
あたしは、もそもそとパジャマを脱ぎ始めた。
- 311 名前:密やかな抹消 投稿日:2005/01/03(月) 19:13
- 街をぐるり一周して、海岸沿いの道路に出る。海は太陽の光でキラキラしていた。
この車は、美貴ねえの家族が共同で使っているものだから、今日でしばらくの間、
美貴ねえとはお別れになる。そういう意味ではあたしと同じ立場だった。
だからといって、車は別に寂しがったりしないだろうけど。
そう思ってから、自分が寂しがっているんだと気付いた。
だから、あんな夢を連続で見てしまったのかもしれない。
「さすがに道も空いてんねー。気持ちいい」
「そんなもん?」
「そりゃ、混んでる時よりはね」
あたしの場合、スムーズに走っていれば景色を眺めるし、そうじゃなければ寝てしまう。
だからどっちにしても退屈になるということはないけど、運転する人はそういうわけにも
いかない。
まあ、最後に気持ち良く走れるなら、それはいい事だ。
- 312 名前:密やかな抹消 投稿日:2005/01/03(月) 19:14
- 「海行くかー」
「車どうすんの?」
「下行ってもたぶん大丈夫だよ。四駆だし」
「でも、あっちって車入っちゃ駄目なんじゃ」
「細かいこと気にすんなー」
美貴ねえはハンドルを切って、海岸に続く脇道をゆっくり下り始めた。
コンクリートで固められた道路のすぐ下に車を止めて、あたしと美貴ねえは砂浜に
足をつけた。冬と春の境界にある季節だから、風は強くないけど寒い。
小学生の頃は、夏休みとかよく泳ぎに来ていたけど、最近はさっぱり来なくなっていた。
特別な理由はなかった。あたしも絵里もさゆも、行動範囲が広がっていたし、小さい頃に
泳ぎすぎて飽きた、というのもあるかもしれない。
「車で通ることはあるけど、下りてきたのって久し振りだなぁ」
美貴ねえもここ数年は来てなかったみたいで、懐かしそうに目を細めて呟いた。
「入っちゃおうか」「風邪ひくよ」あたしは芝居がかった溜息をついて、海へ近づこうとする
美貴ねえを引き止めた。
午後には新居に移動するっていうのに、この人はなに言ってるんだか。
- 313 名前:密やかな抹消 投稿日:2005/01/03(月) 19:14
- 美貴ねえが砂浜に腰を下ろした。あたしもその隣へ、同じように落ち着く。
「れなはいつ行くんだっけ?」
「四月入ってからだから、まだ半月くらいあるよ」
「そっか。でも半月なんてすぐだよ」
「ん」
海は太陽で光っていて、見ていると目が痛かった。
あたしと美貴ねえは、何をするでもなく、申し訳程度には波の音と風の音のメロディが
流れていたけど、それを聴いてるわけでもなく、その事に気まずさを感じない程度には、
二人の距離は離れてないらしかった。
それはどう考えても、美貴ねえの努力の賜物だったけど。
「……美貴ねえ、何時ので行くの?」
「二時半くらいだったと思うけど。うち出るのは二時ころかな」
あと四時間くらいだね、と言おうとしたけど、そんなこと、わざわざ言わなくても
当たり前だと気付いてやめた。
こんな風に、美貴ねえに言わない言葉が、あたしには、色々とある。
- 314 名前:密やかな抹消 投稿日:2005/01/03(月) 19:14
- たとえば美貴ねえが、二年間、この町に残っていた理由とか。
高校を卒業してすぐに進学したってよかったはずなのに、どうして今まで
そうしなかったのか、なんて質問は、答えが判っているから、訊かない。
他にも、なんか、色々。
- 315 名前:密やかな抹消 投稿日:2005/01/03(月) 19:15
- 美貴ねえのポケットで携帯電話が鳴ったけど、美貴ねえは誰からの連絡か確かめることも
しないで、それを無視した。
それがきっかけになったのかもしれないけど、きっかけはあくまできっかけであって、
別に思わず、とかそういう勢いのある行動じゃあなかった。
ただちょっと、言ってみようかと思っただけで、どうせ二人しかいないし、と、調子の
いい事を考えただけで、本当に調子が良かっただけだった。つまり、心の。
一生言わないと決めていたわけじゃない。
なんか、特に言わなくてもいいかな、と思っていたことだった。
小さなきっかけがあって、別に言ってもいいかな、に変わっただけだった。
「美貴ねえ、あんね」
「ん?」
けっこう、ドキドキしていた。
期待とかじゃなくて、その行動そのものに対する緊張だったと思う。
- 316 名前:密やかな抹消 投稿日:2005/01/03(月) 19:15
- あたしは深呼吸するみたいに、背筋を伸ばして口を開けた。
「――――れいなは、美貴ねえのことが好きです」
美貴ねえは何も答えなかった。
相槌すらなく、美貴ねえは砂浜についていた手を持ち上げて、あたしの肩に廻すと、
柔らかく抱き寄せた。
美貴ねえが何をしようとしているのか、判らないほど浅い付き合いはしていないし、
どこかでそういうモノを、あたし自身が、望んでいたかもしれない。
とはいえ、さっきみたいにドキドキはしていなかった。
だから、これもまた、流されたとかそういうことじゃなく、確固たる自分の意思で選んだ
行動で、やっぱり調子が良かったと言うしかないけれど。つまり、二人とも。
あたしは目を閉じて、美貴ねえはあたしにキスをした。
- 317 名前:密やかな抹消 投稿日:2005/01/03(月) 19:15
- 「餞別に、れなの初チューもらっとく」
美貴ねえは、あたしに対してだけものすごく自己中だ。
「帰っかー」美貴ねえの言葉に、あたしは立ち上がったけど、その場を動くことは
しなかった。すでに車へ向かって歩きだしていた美貴ねえは、あたしが留まっているのに
気付くと、訝しげにこっちを見遣ってきた。
「れな?」
「……別に、初めてじゃないもんね」
視線を鋭くして言うと、美貴ねえがくしゃっと笑った。
「ばーか。好きな人としたのじゃないと、キスって言わないの」
あたしの色々なものを見透かした顔だった。どこまで見透かされているのか、
あたし自身は判らないけど、多分、あたしが思っているより多くのものを、
美貴ねえは知っているんだろう。
初めてじゃなかった、というのも、本当は幼稚園くらいの時にお父さんとしたものを
理由にしただけだったから、それはやっぱり、美貴ねえの言葉通りだった。
- 318 名前:密やかな抹消 投稿日:2005/01/03(月) 19:16
- あたしが一緒に帰るつもりがないと気付いたのか、美貴ねえはさっさと車の運転席に
乗り込んで、エンジンをかけた。
窓を開け、肘を窓枠に乗せながら顔を出して、美貴ねえはいつもどおりに笑う。
「れなのそれ、なんつーか勘違いだからさぁ。あんま思い詰めない方がいいよ」
「……はあ?」
「んじゃねー。また夏に会おうっ」
美貴ねえは窓を閉めると、なんの遠慮もなく車を発進させて、潔く去っていった。
どこまでも見透かされているらしい。美貴ねえが亜弥さんと出発するまで、あたしは
帰らない気でいた。「夏に」というのは、だから正しい。
たとえ、そうでなくても、あんな風に言われたら、のこのこ帰れるわけがない。
- 319 名前:密やかな抹消 投稿日:2005/01/03(月) 19:16
- 「……逃げてんじゃねえよ」
あたしはコートを脱いで、海に飛び込んだ。
バシャバシャと波を蹴りながら、腰くらいの深さまで入り込んで、海へ両腕を差し込み、
勢い良く振り上げた。
あたしの腕に跳ね上げられた海水が、頭上からかかる。
何度も何度も、あたしは同じ行動を繰り返した。
海水が目や口に入ったせいで、痛くてしょっぱかった。
- 320 名前:密やかな抹消 投稿日:2005/01/03(月) 19:16
-
- 321 名前:密やかな抹消 投稿日:2005/01/03(月) 19:16
- 春うららかな午後、あたしは自室の出窓に腰掛けて、ぼんやりと外の景色を見ていた。
見たところで、いつもと変わり映えしない景色しかないけど、明日からはもうしばらく、
この光景を見る事も出来なくなるので、それはそれでいいのかもしれない。
「……勘違いとか言うなら、キスなんかすんなって話じゃん」
「なにー?」
「なんでもない」
「てゆーか、れいなもちゃんとやってよ」引越し準備の手伝いをしてくれている絵里が、
段ボール箱に荷物を詰める手を止めて、あたしに険のある視線を投げつけた。
そう言われても、なんだかやる気が出なくて、あたしは出窓に凭れかかって溜息をついた。
「やっぱ、美貴ねえのこと好きだったと思うんだけどな」
「え? いまさら何言ってんの?」
「……んー」
答えをくれそうな人はもういないし、どっちにしても、もう終わったことだから、
いくら考えても仕方のないことなのかもしれない。
- 322 名前:密やかな抹消 投稿日:2005/01/03(月) 19:16
- 手伝ってくれている絵里に対して、罪悪感みたいなものを持ち始めたので、あたしは
自分の顔を平手で叩いて気合を入れ、出窓から降りた。
部屋のものを片付けている途中、まだ壁に掛けられたままのコルクボードが目に留まって、
あたしは何の気なしにそれを眺めた。
ボードには、たくさんの写真がピンで留められている。学校の友達と撮ったものとか、
家族で旅行に行った時に撮ったものとかで大半が埋まっていて、端の方にはプリクラが
じかに貼ってあった。
「れいなー、サボんないでぇ」
「ごめんごめん」
絵里に見つかって怒られた。あたしは誤魔化すみたいにボードを壁から取り外した。
「それ、写真外してまとめといて。ここの隙間に入りそう」
「んー」
絵里に言われたとおり、写真をボードから外していく。プリクラは面倒なのでそのまま
残しておくことにした。
- 323 名前:密やかな抹消 投稿日:2005/01/03(月) 19:17
- 「――――。……」
ひっそりと、他の写真に紛れるように、目立たない位置へ留められた一枚を外して、
あたしはそれをしばらく見つめた。
絵里の様子を横目で見る。あたしに背中を向けた形で座り、CDを両手に持ったまま
固まっている。どうやったら綺麗に箱へ詰められるか悩んでいるようだった。
あたしはゴミ袋を持ってきて、絵里に見つからないように、そっと写真をその中へ入れた。
多分もう、美貴ねえの夢は見ない。
- 324 名前:密やかな抹消 投稿日:2005/01/03(月) 19:17
-
- 325 名前:密やかな抹消 投稿日:2005/01/03(月) 19:17
-
- 326 名前:密やかな抹消 投稿日:2005/01/03(月) 19:17
-
- 327 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/01/03(月) 21:49
- うん、えがったです。
- 328 名前:名無し読者 投稿日:2005/01/03(月) 22:10
- 淡い初恋か・・・青春してますなー
情景がパッと思い浮かぶ文にただただ敬服。
- 329 名前:読者専門 投稿日:2005/01/03(月) 23:56
- ずっと読んできましたが、とうとう我慢できずにレスします。
すっごいおもしろいです。なんていうか、好みの文章なんです。
これからも応援していきます。
- 330 名前:名無し野郎 投稿日:2005/01/04(火) 04:59
- すごく癒される
また素晴らしい作品ありがとう
- 331 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/01/04(火) 05:01
- 一瞬の甘いひとときと切なさと幼さ。
読んでいて鳥肌が立ちっ放しでした。
また読みに来ます。
- 332 名前:サウンド オブ シー 投稿日:2005/01/19(水) 00:49
- 大の字に寝転がりながら、吉澤は空を見上げていて、隣で寝そべっている辻は
すぐ側を歩いていく蟹を眺めていた。
砂浜は冷たく、着衣越しに伝わる冷気は痛みを覚えるほどだったが、二人とも
寒いとか戻ろうとか、そんなことは言わなかった。
波が規則正しく鳴いている。水平に広げた吉澤の手には、風で飛ばされた砂が
ひとつまみ分くらい溜まっていた。
「あ、ウミネコ」
吉澤が呟き、つられた辻が横向けていた顔を空へ移した。
「どこ?」
「飛んでっちゃった」
「よっちゃん嘘ついてんじゃないの?」
「ほんとだって。ニャーって鳴いてたじゃん」
辻は疑り深い表情で吉澤の横顔を見つめ、砂をつかんで彼女の左手にサラサラ落とした。
左手が中指の先端だけを残して砂に埋まるまで、辻はそれをくり返し、手のひらで
山を叩いて固め始めた。
「のの、なにしてんの?」「別に」本当に意味などないんだろう。登山家はそこに山があれば
登り、辻はそこに砂と吉澤の手があれば山を作るのだ。
- 333 名前:サウンド オブ シー 投稿日:2005/01/19(水) 00:49
- 「……がおー」
抑揚の無い声で吉澤が言い、手のひらの山を握りつぶした。
「あーっ」
「ヨジラ来襲」
「わけわかんねーよっ」
せっかく作ったのに、と膨れる辻へなんのフォローもしないまま、吉澤は砂だらけになった
手を軽く振った。
辻はもう一度チャレンジするかどうか悩んだが、吉澤が腕を曲げて
頭の下に隠してしまったので諦めた。
吉澤の隣に寝転がり、空を見上げる。ウミネコは見つからない。波はやむことなく鳴く。
吉澤の視線はぼんやりと空を捉え、そこから動かない。
- 334 名前:サウンド オブ シー 投稿日:2005/01/19(水) 00:50
- 「海って女なんだって」
「なんで?」
「英語でseaでしょ? 女の人も英語でsheだから」
「ふーん」
「あ、でも陸も『母なる大地』とか言うなあ。陸も女なのかな」
吉澤の理論はどんどん展開していく。辻はわからなくなってきたので相手にするのを
やめた。
「じゃあ男はどこにいんだろ。 のの、どこだと思う?」
「知んない」
「ノリ悪いぞ」
「のんは馬鹿だからわかんない」
「ののは別に馬鹿じゃないよ」
カラーリングをしすぎて痛んだ吉澤の髪が、風に遊ばれてうねる。頭をひとつ振って
目にかかった前髪を上げ、またぼんやりと空を見上げた。
辻も倣って空を見ていたが、次第に瞼が下りてきた。
- 335 名前:サウンド オブ シー 投稿日:2005/01/19(水) 00:50
- 「眠くなってくんね」
「波の音ってそういう効果があるんだってさ。CDとか売ってんじゃん。
ヒーリングだよ、ヒーリング。人間は癒しを求めてんだよ」
「なんで眠くなんの?」
「心臓の音とリズムが一緒だとかって聞いたなあ」
「誰に?」
「……忘れた」
辻は「カオリンじゃないの?」と聞こうとしたが、なんとなくやめた。
当たっていたら、吉澤の嘘を暴くことになるから、やめておいた。
無意識のうちに、吉澤の繊細な何かを慮れるようになるくらいには、彼女とも
長い付き合いになっていたし、年月を積み重ねても変わらない、辻のファジィな何かは、
食い下がることでもないと判断した。
その代わりに別のことが気になって、辻は上体を起こすと彼女の上に倒れこんだ。
「ぐえ」
吉澤が呻き、しかめた顔を辻に向ける。
辻は吉澤の胸辺りに耳を押し付けて、心臓の音を聞こうとしていた。
- 336 名前:サウンド オブ シー 投稿日:2005/01/19(水) 00:51
- 「聞こえんの?」
「うん。よっちゃんの音がする」
「どんな音?」
「ベーグルー、ベーグルー」
「かっけー。心臓までベーグル好きかよ」
「そんなわけないじゃん。よっちゃん馬鹿?」
「ノリ悪いぞ」
吉澤の胸を枕に、辻は前方にある海を眺めた。突き上げる波は高いが、押し寄せてきそうな
ほどでもない。まあまあ優しいといったところだった。
片耳からは波の音、もう一方からは吉澤の音が伝わってくる。心音もまた、ヒーリングを
うたわれている。だから、辻は眠くなる。
「のの、寝ないでよ」
「だって眠いんだもん」
吉澤が大きな溜息をついた。
眉間にしわを寄せ、全てに濁点がついているような口調で「ぬあー」と唸る。
「違うんだよ、あたしはののを癒すために来たんじゃないんだよ。
むしろあたしが癒されるために来たんだって」
「のんは癒し系だよ」
「絶対違う」
- 337 名前:サウンド オブ シー 投稿日:2005/01/19(水) 00:51
- 断言したわりに、でんと乗っている辻をどけようとはせず、潮風にあおられる髪も、
鬱陶しそうにしながらそのままにして、吉澤は大きく息を吸い込んだ。
胸が上下して、乗っている辻の頭も合わせて揺れる。波と船の関係性に似ていた。
辻が頭を回して吉澤の首へ顔を向けた。回転の応用力で吉澤の胸に強く負荷がかかり、
彼女は再度顔をしかめる。
「よっちゃんの音はー」
「ん?」
「よっちゃんの音は、恐い音」
辻は表情を消すと、ひどく大人びた顔立ちになる。そんな顔で、諭すような口調で、
痛ましささえ覗かせた言葉を呟いた。
吉澤は殴られた直後のような表情をして、一瞬だけ息を止めた。辻の頭も動かなかった。
「……どうなんのかな、これから」
独白に近い呟きに、辻は反応しない。
「なんか、やっぱ、他の子には言えないような悩みとかもあって、まいちんとか
アヤカとかには心配かけたくないし。
そういうの、気付いてくれたのが、あの二人だったし」
辻が吉澤から離れ、大の字になった。
- 338 名前:サウンド オブ シー 投稿日:2005/01/19(水) 00:51
- 吉澤は、さきほどまでのぼんやりとした視線ではなく、恋焦がれるような眼で、
空を見ていた。
よっちゃんはロマンチストのかっこつけだ、と、辻は思った。
ロマンチストだから、泣いているところを見せて慰めて欲しいのに、かっこつけだから
そんなカッコ悪い事はできなくて、空を睨むしかなくなる。
「矢口さんはリーダーになるからってわりとテンパってるし、美貴ちゃんさんには、
あんまそういうとこ見せたくないし」
「のんだって、よっちゃんのそういうとこ見たくないよ」
「……うん。ごめん」
「嘘に決まってるじゃん。よっちゃんのばかたれ」
「そっか」
堰を切ったように弱音を吐き始めた吉澤に苛立ちを覚え、つい厳しい口調になった。
辻はそれを誤魔化すように、彼女の頭を捕まえて、己の胸元へと誘った。
「ん?」
「しょうがないから、癒し系ののんがヒーリングしてあげるよ」
鼓動が聞こえる位置へ吉澤の頭を乗せ、「よしよし」と髪を撫でてやる。
吉澤は軽く苦笑をして、追憶に浸りかける眼を瞼で隠した。
- 339 名前:サウンド オブ シー 投稿日:2005/01/19(水) 00:52
- 「のんの音、聞こえる?」
「聞こえる聞こえる。お菓子ーお菓子ーって」
「お菓子を食べておっかしー」
ノリが悪いと言われたからノッてみたのに、吉澤は何も言わなかった。
「よっちゃん、重症だね」
「うん。結構ね」
「これからサブリーダーじゃん。もっとシャンとしろよ」
「うん」
二人の頭上で、ウミネコがニャーと鳴いた。
辻はその声の主を見つけていたが、ただ視線で追うだけで、はしゃぐ事はなかった。
ウミネコは、雲に紛れてすぐに見えなくなった。
「なんか、よっちゃんはいっつも悩んでんね」
「そうかな」
「うん」
幼さを全身で表現していた辻と加護の対応に悩み、自分自身の確立に悩み、確立された
キャラクターと本質とのギャップに悩んで。
他のメンバーだって悩んでいないわけではない。みんなそれぞれに悩んでいる。
辻だって色々と悩みがある。
- 340 名前:サウンド オブ シー 投稿日:2005/01/19(水) 00:52
- ただ、吉澤は頼らない。仲間たちと比べて、圧倒的に頼らない。
甘え方を知らないのかもしれない。脆くて傷つきやすいくせに、自分だけでなんとか
できる程度の力があり、そんな己の力量を理解しているから、余計に頼らない。
だからこそ、辛い。
誰かの支援を願うほど弱くもなく、困難を跳ね除けるだけの強さもなく、ただ、ただ、
苦痛に喘ぎながら乗り越えるしかないから、苦しい。
そこに、頼まれてもいないのに手を差し出すのは、いつだってあの二人のどちらかだった。
「でも、しょうがないよ。決まっちゃったんだもん」
「判ってるけど」
今だって、本当ならこの役目は辻のものではないはずだった。
それでも、役を負っていなくても、役に立つくらいはできる。
心音を差し出す程度のことならしてもいいと、そう思う程度には長い付き合いだった。
- 341 名前:サウンド オブ シー 投稿日:2005/01/19(水) 00:52
- 「甘えたこと言ってちゃ駄目なのは、判ってるんだ。多分、矢口さんの方が大変だし」
「どっちの方が大変とかじゃないよ。よっちゃんが大変だって思うのは、
よっちゃんだけの大変なんだって、のんは思う」
「うわ、ののに説教されちゃったよ」
「だってよっちゃん馬鹿なんだもん」
かは、と、吉澤が乾いた苦笑を洩らし、辻の心音から決別した。
立ち上がり、コートについた砂を落とす。耳にこびりついた心音が波の鳴き声と混じる。
吉澤は泣かない。
「わりと癒された」
「わりと?」
「いや……うん、わりと」
「すんげー癒されただろー」
吉澤の嘘を暴くために言った台詞を、吉澤は無視した。
辻はうつ伏せに寝そべって、眼前に砂山を作り始めた。そこに砂があれば、吉澤の手が
なくても山を作るのである。
少しずつ積み上げられていく山に、吉澤は眩しいものでも見るような眼を向けた。
一歩、踏み出す。もう一度足を上げて、一歩分踏み込めば、脆い砂山は簡単に崩れ去る。
そうするか迷うように、吉澤の左足は踵でタップを踏んだ。
- 342 名前:サウンド オブ シー 投稿日:2005/01/19(水) 00:53
- そんな彼女の破壊衝動を追い払うように、辻は両手で砂山の頂上を鷲掴みにして、
吉澤の脚をめがけて投げつけた。
吉澤は避けることなく辻の苛立ちを受け止めた。
「ツジラだぞー」
頂上が崩れた山の上に、辻がごろり転がる。
そのまま何度も砂山を行き来する辻に、吉澤が呆れたように言った。
「あーあ、砂だらけじゃん」
「すぐ落ちっからへーき」
立ち上がった辻の全身から、サラサラと砂が流れた。「ニャー」辻がウミネコの
真似をしながらその場で跳ねる。砂が勢いを増して流れ落ちていく。羽ばたきのつもりで
上下させていた腕を吉澤に取られた。「ニャー」辻はウミネコのままでいた。
捕まえている腕は押さえつけることはせず、辻が羽ばたくと一緒になって上下した。
既に飛び立ってしまった翼を、押さえつける事など、出来ないのだ。
- 343 名前:サウンド オブ シー 投稿日:2005/01/19(水) 00:53
- 吉澤が、腕を辻の腰に廻して持ち上げた。「オゥ」英語に似たニュアンスで辻が言う。
辻を持ち上げたまま身体を反転させ、帰り道を辿り始める。辻はゆあんゆおんと揺れて、
全身から砂を落とした。
「波って、うるさいね」
「かしましだ」
「ああ……やっぱ海は女なんだ」
疲れたのか、吉澤は微笑い顔で辻を下ろした。
途中、辻の爪先にコツンと何かが当たって、二人は同時に砂浜へ目を遣った。
僅かに光るそれを、屈んだ辻の指先が拾い上げる。吉澤も腰を曲げてそれがなんなのか
覗き見た。
「ビー玉」
「ホントだ。ラムネに入ってたやつかな」
薄い青緑のガラス玉を目の上にかかげ、辻はへらりと笑った。
- 344 名前:サウンド オブ シー 投稿日:2005/01/19(水) 00:53
- 「よっちゃんは、こんな感じ」
「え?」
「砂ん中埋まってたのに、全然傷とかついてないよ、これ。
よっちゃんも、なんか、そういう感じ」
辻は吉澤に向けてビー玉をかざすと、指先でクルクルと回して見せた。
ガラスのかたまりは、どこから光を受けても均一に煌いた。
いくら悩んでも、いくら重圧を受けても、いくら苦しんでも。
歪まない、壊れない、傷つかない。
不完全の中にある、安っぽい絶対。
吉澤は気弱く笑うと、辻の頭をぽんと撫でた。
「やっぱのの、馬鹿じゃないよ」
誰かに見つけて欲しいロマンチシズムと、誰にも見られたくないエゴイズム。
彼女のそういう部分を読み取れる程度には、辻は聡かった。
ザラザラする手の中にあるビー玉を、ポケットにしまいこんで、また、二人揃って歩きだす。
- 345 名前:サウンド オブ シー 投稿日:2005/01/19(水) 00:53
- 辻は鼻歌で自分の曲を歌い、吉澤はそれに適当なコーラスを付けた。二人ともふざけて
歌うから、それは上手くも格好良くもなかったが、不思議と違和感はなかった。
そんな不完全に含まれた調和を、辻は心地良いと感じていたし、吉澤もそうであるべきだと
思っていた。
「――――よっちゃんは大丈夫だよ」
歌い終えてから洩らした一言は、半分くらい「そうであれ」という願いだったが、
吉澤は嘘の部分を暴くことなく「あぁ」と小さく相槌を打った。
「でも、下の子に注意とかしなきゃいけないんだよなー。できっかなー」
「よっちゃん、のん達にも怒ったことないもんね」
「苦手なんだよそういうの。今までは……しなくてよかったから」
頑ななまでに、吉澤は彼女たちの名前を言わない。
それは、これからの決別に向けて努力しているようにも見えた。
辻は遠くを見つめながら、左手を持ち上げて、親指と人差し指を折る。
- 346 名前:サウンド オブ シー 投稿日:2005/01/19(水) 00:54
- 「のんは中澤さんにもカオリンにもいっぱい怒られた。あと、なちみにも」
中指も折って、ぐいと吉澤に突き出す。吉澤が戸惑いがちに頷いた。
「知ってるけど」
「でも、誰のことも嫌いにならなかったよ」
にかっと、幼い顔で笑う辻は、その陰から堅固な真実をうっすらと滲ませていた。
吉澤は崖縁から引き摺り上げられた自殺志願者のような表情で、三本指の折られた
辻の左手を凝視した。
だから大丈夫。繰り返す辻の左手を、吉澤の右手が握りこむ。
「そうだね……。うん、その通りだ」
祈りを捧げるように、吉澤は辻の手を握る。
臆病者でいる事を許さない辻は、吉澤が祈りを終えるまで待っている。
祈りは数十秒で終わり、吉澤が一度、ぐっと強く握って、離した。
辻は「グッド」と言うように親指を立てた。
- 347 名前:サウンド オブ シー 投稿日:2005/01/19(水) 00:54
-
- 348 名前:サウンド オブ シー 投稿日:2005/01/19(水) 00:54
- 女ばかりがごった返す部屋に入ると、迫り来るような喧騒が二人を包んだ。
全てがバラバラなのにひとつの音にも感じられるそれは、波の音に似ていた。
「あっ、いた! 二人ともどこ行ってたの!」
二人を探していたらしい飯田が、綺麗に整えられた眉を逆立てながらやって来る。
「携帯も置いてっちゃってるし、どっかで事故にでも遭ってるんじゃないかって
心配したんだからね!」
「うー……、ごめんなさぁい」
「まーまーカオリン、そんなに怒ると、ほら、しわが」
「言わないで! 気にしてるんだから!」
咄嗟に眉間を押さえた飯田に忍び笑いを洩らしつつ、吉澤は大丈夫、という風に
首を振った。
「ちょっと、ののと海行ってきた」
「そんなの、あんたらのカッコ見れば判るって。もう、こんな砂まみれになって」
辻のコートを叩くと、ぶわっと砂が飛び散った。飯田がそれに顔をしかめる。
「ん?」ポケット部分を叩いていた飯田が訝しげに呟き、何度か確かめるように叩いてから
ポケットに手を突っ込んだ。
- 349 名前:サウンド オブ シー 投稿日:2005/01/19(水) 00:54
- 「いやん。カオリンのえっち」
「なにこれ、ビー玉? どこから持ってきたの」
ポケットからビー玉を摘み上げた飯田が、それをためつすがめつしながら尋ねる。
辻が素直に答えるより先に、吉澤が己の胸元を指差しながら言った。
「よしざーの、ここ」
「は? 何言ってんの」
「ホントだもーん」
辻も一緒になって頷くから、飯田は頭上にクエスチョンマークを浮かべて首を捻った。
「ねえ、なんなの? どういう意味?」
問いを重ねる飯田に、二人はふふんと笑声を洩らす。
「内緒」
「ナイショ」
辻と吉澤は悪戯に笑いながら、人差し指を唇に当てた。
- 350 名前:サウンド オブ シー 投稿日:2005/01/19(水) 00:55
-
- 351 名前:サウンド オブ シー 投稿日:2005/01/19(水) 00:55
-
- 352 名前:サウンド オブ シー 投稿日:2005/01/19(水) 00:56
-
- 353 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/01/19(水) 14:19
- すばらしいの一言です。
- 354 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/01/19(水) 21:11
- すげぇとしか言いようがない
- 355 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/01/19(水) 21:21
- まじですごいですね
感動しましたよ
- 356 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/01/19(水) 22:47
- 他の誰でもなく辻をもってきたあたりがいいと思った。なんかハマってて。
- 357 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/01/20(木) 22:40
- 実話ですよね?
素晴らしいの一言。ありがとうございます
- 358 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/01/21(金) 05:32
- 温かい
- 359 名前:アイドルのIDOは過ぎ去りし日々の夢を見るか? 投稿日:2005/01/31(月) 02:03
- 久し振り。調子はどう? たまたま近くまで来たから。
頭の中で言うべきことを繰り返しながら、真希は病院の廊下を一人歩く。
真希はバッグを肩にかけているだけで、見舞いの品は何も持っていない。
ここが目的だったわけではなく、ただちょっと、気まぐれに寄ってみただけだ、という
演出をするために、わざとそうしていた。
そんな風に気構える必要性が生まれた事について、何を思うわけでもなかったが、
ただ手のひらに滲んだ汗が何かを言いたそうにしているようで、それを振り切るために
ジーンズへ両手をこすりつけた。
もう、どうなってるか全然判らないんですよ。興味本位で開いた雑誌に載っていた
言葉は本当だろう。真希だって、今の彼女がどうしているかなんて、全く知らない。
- 360 名前:アイドルのIDOは過ぎ去りし日々の夢を見るか? 投稿日:2005/01/31(月) 02:03
- 今日も、プロデューサーが世間話のつもりで洩らした一言を聞いて、それでただ、
ちょっとした気紛れ、もしくは気の迷いによって訪れただけで、そうじゃなければ
せいぜい、「そろそろなのかな」程度のことを思うくらいだったろう。ひょっとしたら、
それすらも思わなかったかもしれない。
受付で聞いた病室の番号を探し当て、ドアをノックしようとしたところで、握った拳が
震えている事に気付いた。
ちょっと、静かにしててよ。胸中で拳を諌め、唇から細く息を吐き出してドアを叩く。
「どうぞ」
返答は少しだけ覇気がなかった。具合が悪いのだろうかと、真希はドアを開けることに
躊躇する。
「……どうぞ?」
一度目より多少困惑したような口調で、再度返答があり、それに背中を押されるように
ドアを静かに開けた。
- 361 名前:アイドルのIDOは過ぎ去りし日々の夢を見るか? 投稿日:2005/01/31(月) 02:03
- 彼女は驚いたように息を吸い込み、それから戸惑いがちの微笑を浮かべて、さりげなく
膝にかけていた毛布を引き上げた。
毛布に隠れた下に、小さなものがあるのは見えていたのだけれど。
「あ……」
久し振り。調子はどう? たまたま近くまで来たから。
すべて言うつもりだったのに、ひとつも口から出てはこなくて、真希は仕方なく、
彼女に対して小さく頭を下げた。
合わせるように彼女も軽く会釈をして、やはり言葉を出し辛そうな調子で口を開いた。
「……ここ、よく判ったね。誰かに聞いたの?」
「ん、あの、つんくさんが……」
「ああ、そっか。一応、たいせーさんには連絡したから。そこから伝わったんだ」
「だと、思う」
「それにしても、わざわざ来てくれるなんて思わなかったよ」
「あっ、別に、こっち遊びに来たついでで……」
「……うん、そうだよね」
- 362 名前:アイドルのIDOは過ぎ去りし日々の夢を見るか? 投稿日:2005/01/31(月) 02:04
- お互い、腹の探り合いをしているような感じで、それを嫌だと思っていながら、
だからといってすぐに昔と同じ距離まで近づけるはずもなく、どうしようもないので
水を掻くような重苦しい会話をした。
「あの……なんて呼んだらいいかな」
「え?」
「だってもう、『市井ちゃん』じゃないし……」
遠慮がちな真希の言葉に、紗耶香は困ったように微笑った。
「市井でいいよ。それが一番呼びやすいでしょ?」
紗耶香が見せた譲歩に、真希は急に重力が倍加したような思いがして、気取られたく
なかったので曖昧に笑った。
ずいぶん柔らかくなったのだな、と、寂寥が匂う感慨を、真希はいだく。
昔はどちらかといえば硬質で、恐いもの知らずで、無意識な失言に傷つけられる事も多く、
馴れるまではそれなりに苦労したものだったが。
そんな時期も過ぎ去り、今は回りまわって初対面のようなぎこちなさで、二人ともそれを
持て余していた。
だからといって、もう一度「よろしくお願いします」と頭を下げる気は、真希には
なかったけれど。
- 363 名前:アイドルのIDOは過ぎ去りし日々の夢を見るか? 投稿日:2005/01/31(月) 02:04
- 「でも、丁度良かったよ。さっきまで泣いちゃって大変だったんだけど」
毛布の下に隠れた小さなものの事を言っているのだと、すぐに判ったけれど、
なんとなく、少しだけ間を置いて、
「ごめん、ゆっくりしてたかった?」
と他人行儀に言った。
「えっ、いや、そんなことないよ。来てくれて嬉しい、うん」
紗耶香は慌てて真希の言葉を否定する。油の切れた機械みたいに、ぎくしゃくと左右に
振られる首は、何かの拍子にゴロリともげて落ちそうだった。
真希もまた、一昔前のコンピュータグラフィックスくらいぎこちない笑みを浮かべ、
曖昧に頷いた。
「そんならよかった。
ちょっと見せてもらっていい?」
「うん」
紗耶香が静かに毛布を上げた。真希はその隙間を、おずおずと覗き込む。
- 364 名前:アイドルのIDOは過ぎ去りし日々の夢を見るか? 投稿日:2005/01/31(月) 02:04
- まだ首も据わっていない赤ん坊が安らかに眠っていた。両手をきゅっと握って、
たまにぴゅっと鼻を鳴らしている。世界に対する初めての反抗だろうか。
「可愛いね。市井ちゃん似かな」
「ああ、親とかは色々言ってるけど。自分じゃわかんないかな」
「眉毛の辺りがどことなく似てる」
「後藤、おまえ親戚のおばちゃんみたいだよ」
僅かに緊張が解けた様子で紗耶香は言い、赤ん坊の薄い頭髪をそっと撫でた。
真希が手を伸ばして、赤ん坊の手の中へ人差し指を差し込む。小さなものは小さな手で
指を握り、それが意外に強かったので驚いた。
「うわ、生きてる」
「当たり前じゃん。死んでたら困るよ、せっかく痛い思いして産んだんだから」
慈しむように赤ん坊を撫でながら、呆れたような苦笑をして、真希が指を離したのを
合図に毛布を戻した。
- 365 名前:アイドルのIDOは過ぎ去りし日々の夢を見るか? 投稿日:2005/01/31(月) 02:05
- 「みんな、元気にしてる?」
「うん。新しい子もいっぱい入って、ツアー中とかすごい賑やかだよ。
あと、よっすぃとかとは会わない日もメールしてるし、最近は田中ともメールしたり」
「田中?」
「あ、んとね、娘。の一番若い子。一緒に番組録ったの、二人で」
「二人で?」
「そういう番組、今やってんの。なんか、花火したり、ゲームしたり、観覧車乗ったり。
観覧車はちょっとまいっちゃったんだけどねー」
話題についていけなかった紗耶香は、そこでようやく糸口を見つけて、口元を緩めた。
「昔っから言ってたねえ、恋人と乗るまで観覧車乗らないって」
「うん、でも仕事だからさー。まあしょうがないかなーって。
別に田中が嫌だったわけじゃないんだけど」
紗耶香が冷蔵庫からミネラルウォータを取り出して、真希に差し出してきた。
すぐに帰るわけではないと判断したのだろう。素直にそれを受け取り、一口含んでまた
話し始める。
- 366 名前:アイドルのIDOは過ぎ去りし日々の夢を見るか? 投稿日:2005/01/31(月) 02:05
- 「田中も入ったとき中二でね、後藤も中二だったから、そういう話とかして」
「へえ、そうなんだ」
「なんか後藤もまだ、頭ん中はまだ中二だとか、そんな感じの」
真希はそこで言葉を切った。
世間話のつもりで洩らした一言が、何かを変えてしまう事もあると、自分自身、
近い過去に経験していたのに。
その一言が、何かを変えてしまう可能性を、実感として知っていたのに。
紗耶香は困惑気味に目を伏せ、小さく頷いた。
中二。14歳。
「いやほら、後藤もまだまだ子供だってことでね」
「……後藤は大人になったよ」
「そうかな、自分じゃわかんないな、へへ」
背筋を走る、薄ら寒いやりきれなさを隠すように、真希は身を捩らせる。
- 367 名前:アイドルのIDOは過ぎ去りし日々の夢を見るか? 投稿日:2005/01/31(月) 02:05
- 赤ん坊に握られた人差し指が、今更になって痛み始めて、それをもう片方の手で
庇うみたいに包んで、何度も関節を擦りながら、どうしようもなく笑った。
連絡も取らなくなって、何をしているのかお互い全く知らなくて、人づてに聞かなければ
どこにいるかも判らなくて、それをそういうものだと理解していて、それをそういうもの
だと理解しているのに。
14歳が、真希の中でくすぶる14歳が。
「あっ、今ねえー、フットサルもやってんの。後藤もメンバーでね、よっすぃが
キャプテンでね、監督は北澤さんでー。市井ちゃんがいたら絶対メンバーだったよね、
だってすごい運動神経良かったし」
「ごめん、そういう話はしてほしくない」
二度目の落とし穴に、真希は絶望的な表情をした。
それを見つけた紗耶香が困った目を細める。
- 368 名前:アイドルのIDOは過ぎ去りし日々の夢を見るか? 投稿日:2005/01/31(月) 02:05
- 「ああ、いや、怒ったんじゃないんだよ。ただ、わたしはもうそっちに行けないから」
「……うん。ごめんなさい」
「後藤はわたしに謝る時だけ『ごめんなさい』って言うね」
紗耶香は懐かしむように呟いて、真希の頭を柔らかく撫でた。
その感触があまりにも記憶と違っていて、そこはかとなく悲しかったが、
それは悲しむべきことじゃないのだと理解していたから、へへと照れ笑いをしてみた。
あの頃の彼女のままでいてほしいなどとは思っていなかったし、もう、なにもかもが
過ぎてしまったのだから、きっと、今の自身に何かを言う権利などない。
「……田中はね」
「うん?」
「後藤に憧れてたんだって」
「そうなんだ。すごいじゃん」
いじましくも捨てられずにいる14歳が、自嘲気味に溜息をつく。
今更、訊いてどうなることでもない。あの頃に訊けなかったのなら、それは訊かずに
いるべきだと、そんな事をしても仕方がないだろうと、そう思うのは19歳。
- 369 名前:アイドルのIDOは過ぎ去りし日々の夢を見るか? 投稿日:2005/01/31(月) 02:05
- そのために来たはずだったのに、真希はそれを出来ずにいる。
水の中でもがくような沈黙の中、真希は何度も水を飲む。
「昔は一番こどもで、いっつも誰かの後ついて回ってたのにね。
もう、今は憧れの対象になってるんだ」
「やー、照れちゃうな、あはっ」
台本でもあるんじゃないかと思えるような、わざとらしい話し方と笑い方。
お互い、そういうのには向いてないのだなと、二人は同時に溜息をつく。
しばらく、沈黙があった。
「後藤」
「……ん」
先に耐え切れなくなった紗耶香が、見惚れるほど穏やかに、真希へ視線を合わせた。
- 370 名前:アイドルのIDOは過ぎ去りし日々の夢を見るか? 投稿日:2005/01/31(月) 02:06
- 「わたしに訊きたいことがある?」
問われたのか、請われたのか、ちょっと判りにくい言い方だった。
その憎々しいまでに中途半端な優しさに急かされて、真希が口を開く。
「あの、後藤はけっこ、みんなのこと好きで。
よっすぃ大好きだし、なっちとかやぐっつぁんとかも好きだし、圭ちゃんも好きで、
そんで、みんなも多分、後藤のこと好きなんじゃないかと思ってるんだけど」
「うん」
「あの……」
「なに?」
真希は肺に溜まった水を吐き出すみたいに咳き込んで、苦しそうに顔をゆがめた。
「市井ちゃんは、後藤のこと嫌いだった……?」
ずっと訊きたかった。ずっと訊けなかった。
それこそが、いじましくも抱き続けていた最後の14歳で、しかし、そんなものは
ライナスの毛布には相応しくないのだと、とうの昔に理解していて。
だから、今日、ここに来たのだ。
紗耶香は穏やかなままだったが、その瞳にはごく僅かな哀れみがあった。
- 371 名前:アイドルのIDOは過ぎ去りし日々の夢を見るか? 投稿日:2005/01/31(月) 02:06
- 「……判らない」
真希はずっと上げられずにいた顔を、遠慮がちに紗耶香へ向けて、その表情を窺った。
透き通った眼差しが、静かに真希の胸をついて、それは苦しくなかったが、息がしにくい
緩やかな重圧をもたらした。
「わたしたちが必死になって手に入れようとしてたモノをあっさり持っていった後藤に、
やっかみみたいな気持ちが、なかったとは言えない」
「……あたしは、そんなこと」
「だからやっかみだよ。後藤にはそれだけの力があって、わたしたち……わたしには
なかったってだけの話」
宥めるように言葉を続け、紗耶香は両手を腰の辺りで組んだ。
「でも、後藤の教育係やってて、だんだん後藤が近づいてくれて。
後藤が笑ってくれたりして、そういうのを嬉しいと、思ったりもしてたんだよ」
「ん……」
「不思議だね。別に、なにか特別な事があったわけじゃないのに、後藤とはいつも
一緒にいたし、いつの間にか、それが当たり前になってたりして」
- 372 名前:アイドルのIDOは過ぎ去りし日々の夢を見るか? 投稿日:2005/01/31(月) 02:06
- 「当たり前すぎて、好きとか嫌いとか、わからないよ」そんな言葉で締めて、
紗耶香は静かに息をついた。
真希だって、本当は彼女をどう思っていたのか、判らない。
「いちーちゃん大好き」と、伝えた事がないではないが、それが本心だったのか、
その当時は考えた事もなかったし、今は考えても判らない。
劇的な出会いをしたわけでもないし(それどころか、まともに挨拶も出来なかった気が
する)、彼女に命を救われただとか、夕焼け染まる土手で殴り合いの喧嘩をしただとか、
そんな大層な経験があるでもない。
ただ当たり前に毎日を共に過ごしていただけで、それはどこまでも日常で、
世間的には非凡かもしれないが、当事者にしてみれば平凡な日々だった。
一瞬にして変わる事も、年月をかけて変化する事もなかったこの感情は、最も違和感の
ない言葉にすれば確かに「好き」なのだろうが、それしかないのかと言われたら、
そうでもないような気がする。
- 373 名前:アイドルのIDOは過ぎ去りし日々の夢を見るか? 投稿日:2005/01/31(月) 02:07
- 「なにかあったわけじゃないけど」
真希が何も言わないので間を持たせようとしたのか、紗耶香はとつ、と呟いた。
それに反応して彼女の方を見遣ると、視線はこちらを向いていなかった。
「それでも多分、なにもなかったわけでも、ないんだよ」
「……うん」
「きっと、忘れちゃうくらい小さいことが、わたしと後藤にはいっぱいあって、
今はもう思い出せないけど、そういうのをわたしたちは大事にしてたんじゃないかな」
「そう、かな」
紗耶香の言葉を肯定する事は簡単だったが、何も考えずに頷いたら逆に失礼な気がして、
しかし反論するのも違っていたから、真希は曖昧に相槌を打った。
もし、あの頃に同じ質問ができていたら、もっと違った答えが聞けただろうか。
忘れてしまうくらい小さな出来事を、忘れないうちに訊く事ができたら、彼女は硬質に
はっきりと答えてくれただろうか。
そうした方がよかったのか、いま訊いて正解だったのか、真希には判りかねたが、
おそらく、いつ訊いても、今と同じように泣きそうな顔をしただろうと思った。
- 374 名前:アイドルのIDOは過ぎ去りし日々の夢を見るか? 投稿日:2005/01/31(月) 02:07
- 「教育係だから、やっぱり、意識して厳しく当たってた時もあるし」
「うん」
「そういうのは本心でもないけど、嘘でもなかったし……」
見えるものだけが本当なのか、見えない場所にあるものこそが本当なのか。
本当の事しか欲しくないのか、本当の事なら要らないのか。
偽りに救いを見出すのか、偽られて失望するのか。
言える事だけが現実か、言うべきじゃない言葉こそが現実か。
聞こえた言葉だけが真実か、聞こえなかった声こそが真実か。
どうなってるか全然判らないんですよ。
当たり前すぎて。
彼女のいない毎日が、当たり前すぎて。
「あたしは……」
何を言うつもりだったのか、自分でも具体的な言葉を思い浮かべられないまま口を開き、
直後に赤ん坊が火の付いたように泣きだして、真希は口をつぐんだ。
- 375 名前:アイドルのIDOは過ぎ去りし日々の夢を見るか? 投稿日:2005/01/31(月) 02:07
- 「あ、ごめん。
どうしたー、ごはんかな?」
紗耶香が赤ん坊を抱き上げ、軽く揺すってあやし始める。
泣き声は頭の中を駆け巡っている。甲高いそれはずっと聴いていたら気が狂いそうだった。
真希は椅子ごと回転して紗耶香に背を向けた。背中に泣き声が何度も突き刺さってきて、
その痛みに顔をしかめる真希の目から、涙がひとつだけ落ちた。
少しの後に衣ずれの音が聞こえてきて、真希はますます振り返るわけには行かなくなり、
ちょっとだけ困ったな、と思いながら仕方なく果物かごの網目を数えたりして時間を潰し、
もう一度柔らかな布の擦れる音が耳に届き、けぷん、と可愛らしいゲップが続いて、
ようやく真希は椅子を戻した。
- 376 名前:アイドルのIDOは過ぎ去りし日々の夢を見るか? 投稿日:2005/01/31(月) 02:08
- 「お母さんだねえ」
「まあね」
「昔は後藤のかあさんだったけど」
「うん、昔はね」
強調するように繰り返した紗耶香に、真希は少しだけ面白くなさそうな顔をして、
それを見つけた彼女は呆れたのか、不恰好に片目を細くした。
満腹になって満足そうな赤ん坊を、紗耶香が差し出してくる。
「え?」
「抱っこしてみる?」
「わわ、だいじょぶかな、まだ首据わってないよね」
「大丈夫だって。けっこう丈夫なもんだよ」
気楽に言う紗耶香とは対照的に、真希はおっかなびっくり両腕を前に出して
赤ん坊を受け取った。
真希はふわふわと柔らかく、ほこほこと温かく、にごにごと動く小さなものを腕に抱いて、
感動したような面持ちで固まった。下手に動いたら、この小さないきものを、うっかり
傷つけてしまいそうな気がした。
- 377 名前:アイドルのIDOは過ぎ去りし日々の夢を見るか? 投稿日:2005/01/31(月) 02:08
- 紗耶香はそんな真希の様子を、くすくすと笑いながら見守っている。
赤ん坊に危害を加えられる可能性など、全く考えていない表情だった。
その程度の信頼を得られる程度のものは、きっとどこかにあったんだろう。
多分、二人とも忘れてしまった場所に、いつか、いくつか。
恐る恐る、赤ん坊の頬に人差し指の腹で触った。
赤ん坊はM字型の口を、まぐ、とうごめかせて、涎まみれの口を開けた。
ビクッと、真希が慌しく指を引っ込める。
「いい、いちいちゃん。助けて、動けない」
「そんなにビクビクしなくても平気だって。落とさない限り大丈夫だから」
「だってぇ」
真希は冗談半分に泣き顔をして、そっと身体を紗耶香の方へ向けた。
紗耶香が「やれやれ」という風に笑い、真希の腕から赤ん坊を引き上げる。
- 378 名前:アイドルのIDOは過ぎ去りし日々の夢を見るか? 投稿日:2005/01/31(月) 02:08
- 「そんなんじゃ後藤、将来こども産んだ時大変だよ」
「……その頃には、もっと大人になってるから平気だよ」
「14歳には早かったかな」
「19歳だよ」
赤ん坊の涎を拭いてやりながら、紗耶香が嬉しそうに笑った。
真希も、ホッと息継ぎをした。
紗耶香の膝の上で、お座りをさせられている赤ん坊の手に指を握らせる。
ぎゅぅ、と固く掴んでくる小さな手を、真希は優しく受け止める。
そのまま乱暴に振り回されて、微かな痛みに小さな苦笑を浮かべた。
「ねえ、後藤はわたしのこと嫌いだった?」
一緒に赤ん坊をあやしながら、紗耶香が不意に問う。
「好きだったよ」
真希は迷いもせずに答えた。
- 379 名前:アイドルのIDOは過ぎ去りし日々の夢を見るか? 投稿日:2005/01/31(月) 02:09
- 人差し指をつかまれたまま、真希は真剣な表情で、何もかもやり遂げたというような
口調で言い切った。
「嘘じゃないよ。……嘘じゃない」
「うん、わかった」
「たぶんね、この子と同じくらいには、市井ちゃんのこと好きだったよ」
「ふぅん」
赤ん坊は眠くなってきたのか、紗耶香の手のひらを枕にして動かなくなっている。
まるで紗耶香が世界の全てだと、絶対唯一の味方だと言わんばかりの姿勢で、
赤ん坊は眠ろうとしている。
「でも、後藤はもうオトナだから、市井ちゃんのことは、そんなに好きでもなくなってる」
「そうだろうね」
お気に入りの毛布は、捨ててしまった。
もう、自分だけで眠れるから。
- 380 名前:アイドルのIDOは過ぎ去りし日々の夢を見るか? 投稿日:2005/01/31(月) 02:09
- 「だからね。たぶん、もう会わない」
「うん。その方がいいと思う」
真希は赤ん坊の手を振り切って立ち上がった。
別に泣いてはいなかったし、そんな気持ちもなかった。
それほど寂しくはなかったし、まったく悲しくなかった。
癒えたものはあるが、癒えないものはなかった。
人差し指が痛くて、身体の内側から、何かが込み上げてきた。
それが笑いだったのか涙だったのかは判断しかねたが、どちらにしても、同じように
真希は微笑をしただろう。
- 381 名前:アイドルのIDOは過ぎ去りし日々の夢を見るか? 投稿日:2005/01/31(月) 02:09
-
- 382 名前:アイドルのIDOは過ぎ去りし日々の夢を見るか? 投稿日:2005/01/31(月) 02:10
- 帰りのタクシーの中で、真希は携帯電話を操作している。
遊ぶ約束をしていたのを思い出したのだが、待ち合わせの場所と時間を忘れてしまった。
既読メールをいくつか開いても、それらしき内容のものが見当たらなかったので、
すべて電話で済ませてしまったようだ。
そこで、改めて確認をするためのメールを打っているのである。
メールの送り先は友人である。通っていた学校の同級生だった相手で、それなりに
気心は知れているのだが、特にメディア上で話題に出したことはない。
向こうのプライバシーもあるし、そういう、いわゆる『普通の人』よりも、世間が
存在を知っている仕事仲間の話をした方が、受信する側も受け入れやすいからだ。
全く予備知識のない事をいきなり教えられるより、いくらかでも知っているものに
関する事の方が、理解しやすいのだろう。
- 383 名前:アイドルのIDOは過ぎ去りし日々の夢を見るか? 投稿日:2005/01/31(月) 02:10
- だから、このメールも、その先にいる人物も、きっと自らを取り巻く大多数にとっては
存在しないものである。
誰にとっても、知らないものは存在しない。有るのに無い。見えないから無い。
電話で交わしたはずの約束も、見えなくなってしまえば、もう本人たちの記憶以外には
存在しない。
今日のことも、おそらくメディア上で発言する事はないだろう。
発言しないから発現しない。メディアに存在しない他の時間(それは存在する時間よりも
ずっと長いものだ)と同じように、世間的には無いものとして、空白として、誰の目にも
触れないまま消えていく。
彼女は既に『普通の人』だ。世界中にたった一人の、当たり前に、つい最近幸せを
産み出した、どこにでもいるような。
- 384 名前:アイドルのIDOは過ぎ去りし日々の夢を見るか? 投稿日:2005/01/31(月) 02:10
- 大勢の人間を動かすわけでもなく、何かを支配するわけでもなく、ただ、己の手が
届く範囲にあるものだけを守ることで平和を得られる、それだけの存在だった。
それだけの存在に、なっていた。
そんな彼女と、たまたま旧知であったアイドルが、ごくわずかな時間を過ごして、
他愛も無い会話をしただけの平凡な一日だった。
世界にたった一人だけの二人が、ちょっと懐かしみながら昔話をしただけの。
話にもならないような、夢物語の今日だった。
- 385 名前:_ 投稿日:2005/01/31(月) 02:11
-
"Only lowly story" closed.
- 386 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/01/31(月) 02:12
- 何も考えずに書いたら、自分の85年組好きっぷりをさらけ出しただけとかorz
途中しらばっくれましたが、以前は円というコテハンでベタベタのCP物を書いてました。
名無しにしたのは、昔あやみきばかり書いていたため、最初の話であやみきスレだと
思われたら申し訳ないなあという過剰な自意識によるものです。うわあカッコ悪い。
レスを下さった方、読んで下さった方、ありがとうございました。
容量節約のためレス返しはしませんでしたが、反応いただけると嬉しかったです。
重ねて御礼申し上げます。
各タイトルの元となった作品が好きな方、怒らないで下さい。
- 387 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/01/31(月) 02:12
-
- 388 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/01/31(月) 02:12
-
- 389 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/01/31(月) 02:12
-
- 390 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/01(火) 00:08
- いつまでたっても悲しいなぁ。
素敵な物語達をありがとうございました。
(またどこかで書いて下さいね。。)
- 391 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/01(火) 03:55
- どの話もすごく好きです。
ちなみに自分も85年組好きです。
でも、そこに拘らずに好きになれました。
ありがとうございました。
- 392 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/01(火) 07:55
- あの人でしたか
素晴らしい作品をどうもありがとうございます
毎回楽しみでした
お疲れ様です
- 393 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/03(木) 01:55
- お疲れさま、そしてありがとうございました。
またどこかで会えたら嬉しいです。
- 394 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/05(土) 01:52
- 出会えてうれしいです
- 395 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/21(月) 06:44
- やはり、貴方でしたか。
途中、不躾な質問をして困惑させてしまって、申し訳ございません。
当時からずっと拝見しておりました。
いやぁ、素敵な物語に出会えて、幸せです。
作者さんがまた、筆をとる日に是非巡り合いたいものです。
お疲れ様でした。
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