たまゆら
- 1 名前:名無し飼育 投稿日:2004/09/28(火) 03:54
- アンリアルです。
早めの更新を目指したいと思います。
- 2 名前:差し伸べた手、差し伸べられた手 投稿日:2004/09/28(火) 03:58
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参加総数150人、世界の中でも選りすぐりの資産家しか参加資格を持てない
オークション会場が一斉にどよめいた。
本日の目玉商品の登場だ。
「エイリアン」
それが、名称だった。
透明の四角い箱に入れられたそれは、身体を丸くするようにして眠っていた。
宇宙から発見された宇宙生命体。
その不気味さを含んだ名称とは裏腹に、エイリアンは見た目には人間と何ら変
わりなかった。
その小ささは人間の子供で言うところの3歳ぐらいだろうか。
非常に整った顔立ちをした可愛らしいエイリアンだった。
このエイリアンが発見されたのは約13年前。
銀河空域を漂流する円形カプセルの中に入っていたそれを、宇宙探査機関が回
収したことが始まりだった。
カプセルを回収した企業は国の要請を受けてエイリアンの生態調査に乗
り出した。
その結果判明したことは、エイリアンの成長は非常に早く、1年の間に人間で
言うところの18歳前後まで
成長し、その後はその状態が長く続くということだった。
それ以外はまったく人間と同じで、食事もすれば、病気もした。
その症状も全く人間のようだった。
13年前に発見された第1号のエイリアンは未だ、15歳程度の肉体状態を保
っているという。
- 3 名前:差し伸べた手、差し伸べられた手 投稿日:2004/09/28(火) 04:00
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その後、いくつかのカプセルが同様に漂流していたが、国はエイリアンに対す
るメリットを見通せず、その援助を打ち切ったと発表する。
国が手を引いたことに寄り群がったのがコレクターと呼ばれる種類の人間たち
だった。
特に熱心だったのは、若い容姿を好むコレクターたちだ。
若い状態を保ち続けるというエイリアンに好色の眼差しをもってコレクターは
飛びついた。
希少価値の高いエイリアンには法外な値段がつけられた。その後のエイリアン
たちの行く末も人道にはずれたものが数多かった。
しかし、人間と認定されていないエイリアンには保護規定がなく、動物以下の
扱われ方をされようが、それを罰するものは何もない。
国も突如ふって沸いた異生物の扱いに困り、またそれが少数だったことも手伝
いエイリアンたちの企業側の扱いについては目を瞑っている節があったのだ。
企業は莫大な金になるエイリアンをより高値で捌くためにオークションを利用
した。この日行われていたのも、そうした背景を背負い回収されたエイリアンの
一つだった。
- 4 名前:差し伸べた手、差し伸べられた手 投稿日:2004/09/28(火) 04:00
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「さぁ、本日の目玉、エイリアンの登場です。この1年で1番の上物です。こ
こまで綺麗な状態のものは中々出回らないでしょう!さぁ、入札を開始させて
頂きます」
「4千万!」
「4千5百万!!」
「5千5百万!!」
「6千800万」
「8千万!」
「8千400万」
「1億!!!」
「1億1千万!」
「3億」
その場に似つかわしくない少女の声が響いた。
一瞬どよめく会場。そして少女へと向けられる眼差し。
少女はそんな好奇の視線など気にしていないように強い眼差しをエイリアンへ
向けていた。
「他には御座いませんか?はい、それでは3億で落札です」
オークショナーがハンマーを打ち鳴らすと、少女は軽やかに立ち上がり、壇上
へ向かった。
サービスマンから万年筆を受け取ると、少女は書面にサインを記しまだ眠った
ままのエイリアンを見つめた。
彼女の胸には政府高官しか持つことのできない金色のバッチが鈍く光っていた。
- 5 名前:差し伸べた手、差し伸べられた手 投稿日:2004/09/28(火) 04:01
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- 6 名前:差し伸べた手、差し伸べられた手 投稿日:2004/09/28(火) 04:02
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松浦亜弥−若干15歳にしてその類稀なる外交手腕を買われ、外務省特別顧問
官に就任した異色の人物。
亜弥の家は元々莫大な資産家であり、財界はもちろんのこと各界に多大な影響
力を持っていた。無論、政界も例外でない。
跡目相続の骨肉の争いを嫌った亜弥の父親が行った資産分散のために生前に財
産分けをしたため、亜弥は自分の名義の不動産・動産を数多く所有していた。
亜弥は鉄の微笑みの異名を持つほど、笑顔の上手な少女であり、巧みな話術を
持っていた。
その周りには常に人に囲まれていたが、亜弥自身が誰かに心を開いているとい
う素振りは皆無だった。
亜弥は社交的だったが、それは社交の枠を出ることは決してなく、常に一定の
距離を保ち続けた。それはある事件をきっかけに一層顕著なものとなった。
- 7 名前:差し伸べた手、差し伸べられた手 投稿日:2004/09/28(火) 04:04
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事件以来、何に対しても心からの興味をほとんど示したことのなかった亜弥が、
強烈に興味を示したもの、それがエイリアンだった。そしてそれは今亜弥の手
元にある。
一人暮らしをする自宅に戻ると、亜弥は玄関にしっかりとロックがかかったの
を確認し、部屋へ歩を進めた。オークショナーによって絹の黒い布で包まれ
た箱を亜弥はそっとベッドの上に乗せた。
布を取り払うと、オークション会場で見たときと同じように透明な箱の中に小
さなエイリアンが眠っている。
亜弥は同梱されていた小さなリモコンのスイッチを押した。
プシューという空気が漏れる音と共に箱が開き始める。
壁のない状態に箱が開ききると、中に入っていたエイリアンはピクピクと小さ
く手を動かした。
恐る恐る亜弥が覗くと、寝転んだ状態で小さな目をぱちぱちと瞬かせ亜弥の顔
をじっと見つめた。
そしてふにゃふにゃした表情で「たぁ」と小さく声を上げた。
両手を上に突き出して「たぁたぁん」と泣きそうな声を上げた。
亜弥はそれを見ると目を潤ませ、それからとても愛おしそうにエイリアンを抱
き上げ、その柔らかい頬に頬擦りをした。
その日のうちに亜弥は秘密裏に戸籍を一つ買い取った。
そして、その名前を藤本美貴と名付けた。
エイリアンはその日から人間となり、藤本美貴となった。
- 8 名前:差し伸べた手、差し伸べられた手 投稿日:2004/09/28(火) 04:05
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- 9 名前:差し伸べた手、差し伸べられた手 投稿日:2004/09/28(火) 04:05
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- 10 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/28(火) 10:11
- 何か珍しい設定ですね…
先が楽しみです。期待!
- 11 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/30(木) 04:15
- おもしろそう。期待してます。
- 12 名前:歪む心、慕う心 投稿日:2004/09/30(木) 06:21
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亜弥の所有するエイリアン−今では戸籍を持つ人権ある人間となった−美貴の
成長は凄まじいものであった。
1年で15年分程の肉体的成長をとげるのであるから、身長も体重の増加も日、
1日に目を見張るほどだ。
知識の面でもそれは顕著だった。
亜弥の与える書物や映像を美貴は短時間で的確に理解し、曲解なく知識を吸収
した。
情緒の面でも亜弥は注意して思慮深い教育を美貴に与えた。
亜弥が美しいと思うこと、正義だと思うこと、そして、世界にはそういう道理
が通用しない場面が多々あることを美貴に教えた。
美貴は亜弥の言うことを懸命に理解した。
そんな美貴の姿勢は亜弥にとって仕事をするよりも遥かに楽しい時間だった。
亜弥は本当の母親のように美貴を可愛がった。
それは、亜弥の幼い頃の夢である「母親になる」ということにも繋がる。
亜弥は結婚願望というより、子供を持ち母親になりたいという気持ちを幼い頃
から持ち続け、特別な地位に昇った今でも心の中にそれを抱えていた。
その亜弥にとって美貴は心から慈しむべき存在−自分の子供と同様であった。
そしてそれは美貴の身体が大きくなるまで、ほんのつかの間の亜弥の安らぎに
だった。
- 13 名前:歪む心、慕う心 投稿日:2004/09/30(木) 06:22
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- 14 名前:歪む心、慕う心 投稿日:2004/09/30(木) 06:22
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1日で15日分の年を取る計算の美貴は亜弥の元へきてから三ヶ月で、既に7
歳程度の外見までに成長していた。
美貴の知識は既に7歳児の標準を遥かに超えていたが、情緒面では3歳児とさ
ほど変わりはなかった。
それは、亜弥の徹底的に甘やかした態度に大きく問題はあったのだろうが、元
々の素養として美貴は人に対して甘えたがる傾向にあった。
そしてその傾向は亜弥にも多分にあった。
元々亜弥自身も両親の愛情を降り注ぐように受け育った、幸福な少女時代を送
った。
しかし、それをただ幸福に過ごさせなかったのは、彼女の頭が良すぎたことに
ある。
亜弥は早いうちに世の中の流れというものをきちんと読み解く才能があった。
それはある意味不幸でもあった。
亜弥の周りの子供たちが素直に無邪気に喜ぶ中、亜弥はどこか虚無感を感じな
がら微笑んでいた。
それは自分ひとりだけがどこか違う空間にいるような孤立感を亜弥に与えた。
そのような孤独感を理解してくれる人間は亜弥の周りには残念なことに存在し
なかった。
- 15 名前:歪む心、慕う心 投稿日:2004/09/30(木) 06:23
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しかし、それを一人で乗り越えて行ける強さを亜弥は兼ね揃えていた。
それも才能の一つだったのだろう。
亜弥は生まれながらに訓練されたものとは根本的に違う精神的な強さを持って
いたのだ。
そのため、亜弥は自分でも気付かないうちに心の奥底に激情と呼ばれるような
感情を封じ込める癖がついていた。
それは家族に対しても例外ではなかった。
亜弥は家族が嫌いだったわけではない、むしろ大切に思っていた。
それでも好きだという感情とは別ものの抑圧が彼女の甘えを押さえつけていた。
その箍を美貴の前でははずすことができた。
とても自然に甘えることができた。
頬を寄せたり、唇を寄せたり、何も考えることなしに笑うことができた。
一番自分の無防備なところを見せることができた。
そういうことができたのは亜弥にとって人生で2度目の経験だった。
甘えることができる幸せを享受した亜弥にとって、その心地よさが何よりも大
切なものになることは当然だった。
亜弥にとって美貴は既に失くしてはならない大切な存在となっているのは亜弥
自身強く自覚していることだった。
しかし、それと同時に亜弥を引き裂くように相反する思いが亜弥の中に渦巻い
ていることも事実だった。
それはとても亜弥を苦しめていた。
- 16 名前:歪む心、慕う心 投稿日:2004/09/30(木) 06:24
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亜弥が幼い亜弥を育てる中で最も精神的に追い詰められたのは、美貴の突然の
病だった。
それは美貴が亜弥の元へやってきてから3ヶ月経った日のことだった。
その日、いつも通りに美貴は亜弥の腕に包まれた状態の身体を巧くベッドの外
へ抜け出させ、美貴用の洋服ダンスの前に立った。
亜弥が美貴の為に買い揃えた多量の服がぎっしりと詰め込まれたそこから、美
貴は一番上に重ねてあったTシャツと
昨夜脱いで、放りっ放しだったものを亜弥が丁寧にたたみタンス脇のハンガー
にかけたジーパンを引きずり出した。
パジャマを脱ぎ捨て、それらに着替えると美貴は亜弥の眠るベッドへと向かう。
その足取りは少しふらふらと浮ついていた。
美貴は何となく身体のだるさを感じながら、ベッドによじ登ると亜弥の顔を覗
きこんだ。
美貴は亜弥の眠っている顔をこうしてみているのがとても好きだった。
亜弥は幸せそうに目を閉じている。
美貴の世界は亜弥が全てだった。亜弥が幸せなことは美貴の幸せだった。
そこには何の駆け引きも存在せず、その意味で美貴はとても純粋だった。
いつも亜弥が自分にするように、柔らかくすべすべした頬を指でつついてみる。
亜弥はくすぐったそうに少し眉をしかめて、変わらず眠ったままだ。
美貴はくすくす笑いながら何度かそれを繰り返し、時計をチラリと見た。
7時半を少し過ぎたところだ。
- 17 名前:歪む心、慕う心 投稿日:2004/09/30(木) 06:24
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「亜弥ちゃん、おっきして。朝だよ」
美貴は亜弥の耳元に囁きかける。
しかし、亜弥が目覚める気配はない。
何度目かの囁きで、美貴はそのやり方を諦め、布団をめくると亜弥の胸の上に
馬乗りになった。
「朝だよ!しごとにちこくしちゃうよ!」
美貴は亜弥の胸の上でぼんぼんと跳ねる。
その衝撃で亜弥はすぐに目を覚ますがその機嫌はすこぶる悪そうだ。
「ぅ…、わかったからぁ…跳ねるのやめなさぁい」
「ちゃんと起きる?」
「起きるって…、ね…」
言いながら亜弥の瞳は眠たげで、今にも瞼が落ちてしまいそうだ。
美貴は亜弥の頬を小さな両手で包むと優しくぺちぺちと叩いた。
「起きるのだ、起きるのだ!」
- 18 名前:歪む心、慕う心 投稿日:2004/09/30(木) 06:25
-
3度目の起きるのだ、で亜弥はしぶしぶ身体を起こした。
そして、胸に乗っていた亜弥を滑らせるように膝に据わらせると、先ほど美貴
が亜弥にやったように
美貴の頬をその手で包んだ。
「よくもぺちぺちしてくれたなぁー、おしおきだぁー」
笑いを含んだ声で亜弥は美貴の瞳を覗き込む。
美貴も楽しそうにその瞳を覗き返す。
「おはよぉのちゅーだ」
言いながら亜弥が唇を尖らせて美貴に迫ると、美貴はきゃぁきゃぁ言いながら
その唇を首を振って交わした。
亜弥はそんな美貴を目を細めて見つめてからぎゅうっと抱きしめた。
そして、ぱっとその身体を離すと、美貴を膝から下ろし自分もベッドから降り
ようと、ベッドサイドに腰掛けた。
「亜弥ちゃんおきたぁ?」
「起きた起きた。もぉ、すっかり目ぇ覚めたよ。みきたんのおかげでね」
「えへへ。じゃあ美貴がご褒美あげましょう」
- 19 名前:歪む心、慕う心 投稿日:2004/09/30(木) 06:25
-
美貴のおかげという声に喜びを隠しきれないといった満面の笑顔で美貴はぴょ
んっと亜弥の首筋に飛びついた。
おや、と言ったふうに亜弥が美貴の方へ顔を向けると、美貴は亜弥の唇に自分
の柔らかい唇をちゅっと音を立たせて触れさせた。
それから、少し顔を離して首を傾げると顔をくしゃくしゃにして笑った。
「おはよぉのちゅうなのだぁ」
しばらくあっけにとられたように、目をぱちくりさせていた亜弥は嬉しいよう
な切ないような顔をして美貴をぎゅうっと再び抱き寄せた。
「もぉ、そんなのどこで覚えたのぉ」
「テレビのドラマで見たもん。こいのかけひきだもん」
「そっかぁ、じゃあたんは私に恋してんのか」
「そぉ。みきは亜弥ちゃんの恋人だもん!」
自信満々に言う美貴の愛らしさに亜弥は我慢できないといったように頭をくし
ゃくしゃと撫で付けた。
- 20 名前:歪む心、慕う心 投稿日:2004/09/30(木) 06:26
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「あーもーたんは朝から可愛いなぁ」
「あーもーあやは朝から可愛いなぁ」
「真似っこ?」
「真似っこ」
「ふははっ。よーしじゃあ朝ごはん作るか」
「その前に亜弥ちゃんは着替えるのだぁ」
「ふはっ、そだね、じゃあまずは顔を洗うのだ!」
「洗うのだ!」
亜弥はベッドから立ち上がり、美貴を抱き上げてから床に下ろすと手を繋いで
洗面所へ向かった。
亜弥にとっての心の底から沸きあがるような幸福感、それはこうした美貴との
何気ない日常の中に満ち溢れていた。
身支度を整え、朝食の支度を始めると美貴はテーブルのセッティングを始める。
亜弥に教わった通りに食器を並べ始めるが、小さい手で並べるそれは少し形が
悪く、ごった感があったが、亜弥は
美貴の頭を優しく撫でて褒めてあげる。
そんな幸福が、何にも代え難いものだということを亜弥は強く認識していた。
亜弥が仕事にでかけようとするのを美貴は寂しそうな目で見つめ、少し気だる
そうな様子をしていた。
亜弥はそんな美貴を見て、ここのところ仕事が忙しく帰宅の遅い日が続いたた
め美貴がナーバスになっているのだろう
と思い、その頭を優しく撫でた。
- 21 名前:歪む心、慕う心 投稿日:2004/09/30(木) 06:26
-
「今日は早く帰るように頑張るから、たんもお利巧さんで待ってるんだよ」
「うん、美貴、頑張るよ。ちゃんと待ってる」
「約束だぞぉ」
「うん、やくそく」
美貴は亜弥のことを見上げ、ふにゃりと笑った。
その日、亜弥は約束通り定時に仕事を切り上げ帰宅した。
まだ外は薄っすらと西日が射している。
亜弥は美貴のために上等の肉を高級食材を扱うスーパーで購入した。
美貴は肉が好きだった。
身体の成長に見合わないほどの多量の肉を消化する。
けれど、決して過剰に太ることはなく、バランスのよい肉体を維持していた。
亜弥は大喜びで自分に飛びつくであろう美貴のことを思い顔を綻ばせた。
そして、早足で自宅へと戻った。
ただいま、と玄関を開けるが返事がない。
それどころか、部屋の中は電気すらついていない。
亜弥は焦りでもつれる足で靴を脱ぐ。
放り投げるように靴を脱ぎ捨て、買い物袋をどさりとフローリングの床に落と
すと、飛び込むようにリビングに踏み込んだ。
美貴の姿はあっけなく見つかった。
ソファの上で小さく丸まるようにして寝転んでいた。
- 22 名前:歪む心、慕う心 投稿日:2004/09/30(木) 06:27
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亜弥は安堵の息を漏らすと、そっと美貴に近づき、その頬に手を触れた。
そして、亜弥はそこから伝わる美貴の体温の高さにぎょっとした。
ひどい熱だった。
抱き上げて見れば、美貴はぐったりと荒い息を吐き出すばかりでその目を開け
自分の姿を確認しようとしない。
朝に着せたシャツは汗でべったりと美貴の肌に張り付いていた。
亜弥は泣きそうになりながらタクシーを呼びつけると、大急ぎで救急病院へと
向かった。
抱きかかえられながら美貴は薄っすらと瞳を開くと、
「あやちゃんおかえりぃ」
と小さい声で亜弥に笑いかけた。
朝の気だるそうな美貴を思い起こして亜弥は胸がつぶれるような思いをしてい
た。
「ごめんね、たん、ごめんね」
泣きそうになりながら亜弥が謝るのを美貴は不思議そうに見ていた。
- 23 名前:歪む心、慕う心 投稿日:2004/09/30(木) 06:27
-
「苦しい時は苦しいって言っていいの。我慢しなくていいの」
亜弥は美貴の前髪を優しくかきあげながら言った。
「でも、やくそくした」
「ん?何?」
「みき、イイ子で待ってるってやくそくしたの。あやちゃんのこと困らせない
ってやくそく」
「たんっ…」
忠実な犬のように何の疑問も持たず亜弥を見つめる美貴の瞳は亜弥の心を強く
揺さぶった。
世界中で何があっても決して自分を裏切らない、そんな確証を与えてくれるよ
うな瞳だった。
亜弥はそんな美貴に何度も何度も心の中で頭を下げた。
亜弥は、自分のしようとしていることが正しいことなのか、分からなくなった。
世界で縋るものがたった一つしかないと言わんばかりに亜弥の手を握る美貴の
小さな手を見ていると、
その気持ちは大きく育ってしまいそうだった。
なら、縋るものを失くしてしまった私はどうすればいい?
亜弥はそれが利己心の塊だと分かっていながら、そう自分に言い聞かせること
で、バランスをとろうとする。
引き裂かれそうな心で亜弥は美貴の手を握り返した。
美貴の手と目と身体と、美貴の全てはそこに見える亜弥の全てを肯定していた。
- 24 名前:歪む心、慕う心 投稿日:2004/09/30(木) 06:27
-
それは正しくなかったし、間違ってもいなかった。
それはただ、事実だった。
医師の美貴に対する診断はウィルス性のインフルエンザだった。
幸い大事には至らず、4日後、美貴はすっかり回復した。
美貴が回復すると亜弥は美貴に拳銃の使い方を学ばせた。
それが、亜弥の出した答えだった。
- 25 名前:歪む心、慕う心 投稿日:2004/09/30(木) 06:28
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- 26 名前:歪む心、慕う心 投稿日:2004/09/30(木) 06:28
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- 27 名前:名無し飼育 投稿日:2004/09/30(木) 06:35
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>10>11さん ありがとうございます。目に留めていただき嬉しいです
ご期待に沿える自信はありませんが、楽しんで頂ければ幸いです
- 28 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/30(木) 21:01
- チビ藤本さんが可愛い!そして言葉にグッときました。
これから、どう展開していくのか大変気になります!
- 29 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/01(金) 21:22
- うおぉー、面白い展開です。
- 30 名前:哀しいことは 投稿日:2004/10/02(土) 18:06
-
美貴は亜弥が好きだった。
亜弥は優しい。
美貴のことをとても大事にしている。
それを美貴も感じるから、亜弥といると美貴は心から満たされた。
目に入れても痛くない、そんな例えが大げさにならないほど亜弥は美貴を可愛
がった。
美貴は自分を幸福だと思った。
比較する対象などないはずの美貴が自分を幸福だと思うことは本当は不幸だっ
たのかもしれない。
けれど、美貴は毎日を亜弥と過ごすことに泣きたくなるほどの幸福を感じていた。
- 31 名前:哀しいことは 投稿日:2004/10/02(土) 18:07
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休日の朝、亜弥は焦げ臭い臭いを鼻に感じ目を覚ました。
朝の弱い亜弥はのそのそと身体を起こし目をこすった。
横に美貴はいない。
いつものように起こしにもこない。
と、するとこの焦げ臭さは美貴の仕業か。
亜弥はベッドから降りると臭いのする方、キッチンへと足を進めた。
そこには、まだコンロに背の届かない美貴が脚立を使って鍋に火をかけている
姿があった。
脇のフライパンには黒くなった塊が転がっている。
「たぁん、何やってるのぉ?」
「あ、あ、起きちゃったの?内緒で作ろうと思ったのに…」
亜弥の声に振り返った美貴は決まり悪そうに俯いた。
亜弥が美貴の手元を覗き込むと、鍋の中には味噌汁がぐつぐつと煮えたぎって
いた。
「あのね、みきが朝ごはん作ってあげようと思ったの」
「ん。そっかぁ、ありがと」
亜弥は美貴の心遣いに素直に喜びを感じ、優しくその頭を撫でた。
それに安心したのか美貴は顔を明るくし、笑顔を見せた。
- 32 名前:哀しいことは 投稿日:2004/10/02(土) 18:09
-
「あやちゃんの好きなかぼちゃのお味噌汁なの」
「そっかそっか、たんはちゃんとあたしの好きな食べ物覚えててくれたんだね」
「あたりまえだよ。みき、あやちゃんのこと愛してるもん」
亜弥は思わず美貴を抱きしめる。
デジャ・ヴ。
けれど亜弥はそれを必死で追い払う。
重ねるのは辛すぎる。
美貴は嬉しそうに亜弥の背中に手を回している。
それから思い出したように、少し声のトーンを落として亜弥の胸の中で声を出
した。
「でもでも、たまごやき失敗しちゃったの」
「あ、焦げ臭かったのはそれかぁ。火、強すぎたんだね」
「ん。でも次は上手にやるよ!ちゃんとしたのあやちゃんに食べてもらう」
「あは、じゃあ期待してるよ」
亜弥はコンロの火を消して美貴を脚立から下ろすと、美貴の人差し指と中指に
巻かれた不恰好な絆創膏に気付いた。
優しく手を取り、心配そうに美貴の目線にあわすよう屈んだ。
美貴は決まり悪そうに亜弥を上目遣いで見ている。
- 33 名前:哀しいことは 投稿日:2004/10/02(土) 18:10
-
「これ、どした?」
「かぼちゃ…固かったから…ちょっぴり切っちゃったの」
「ちゃんと消毒した?」
美貴はふるふると首を振る。
亜弥は美貴の指の絆創膏をそっとはずすとその指を口に含んだ。
美貴はそんな亜弥をじっと見ている。
亜弥から感じるどこからしら哀しい空気、それを感じて美貴もなんだか悲しく
なる。
それはまるで自分が悲しくさせてしまったような気持ちを抱かせ、美貴は罪悪
感に包まれた。
美貴は亜弥から伝染した哀しみにいつの間にか頬を濡らしていた。
静かに零れ落ちる涙はタイルの床に水滴を作った。
驚いた亜弥が美貴の頬に唇を寄せて涙を拭って、優しく問いかける。
「痛かったの?」
「あやちゃんが」
「ん?」
「あやちゃんが、イタイとみきもイタイの」
「たん、どうしたの?」
「あやちゃんがかなしいからみきもかなしい。みきが哀しくさせてるのはもっ
とかなしくて、みき、あやちゃんに何もしてあげられないのはもっともっとかなしい」
- 34 名前:哀しいことは 投稿日:2004/10/02(土) 18:11
-
美貴は亜弥のために、それだけだった。
それ以外には何もなかった。
それ以外のものは溢れていたはずだったけれど、それ以外は選択肢にすら入ら
なかった。
亜弥はそんな美貴がひどく悲しく思え、ひどく愛しく思え、可愛くてたまらず、
泣きたくなった。
「あやちゃん、泣いてもいいよ。みきがぎゅっとしたげる」
「ばぁか、たん。そんな気障な台詞どこで覚えたんだよぉ」
「わかんない。でも、こういうのが一番いいんだって思ったの」
美貴の言葉と、小さな身体で亜弥を抱きしめようとするその体温に亜弥は衝撃
を受ける。
亜弥にとって何にも代え難い思い出が美貴の身体を通して、再現される。
亜弥は涙を抑えることができなかった。
ずっと流すことのなかった涙が堰を切ったように溢れ出た。
行き場をなくしていた思いが美貴の前で爆発するように噴出した。
亜弥は弱い自分を責める。
泣きながら自分を責める。
美貴の前で思い出に浸り、美貴を思って流す涙を責める。
答えを出したはずの自分がこんなにも揺れ動く不安定さを責める。
そんな亜弥の哀しみを美貴は小さな身体で全て受け止めようと必死に亜弥を抱
きしめた。
回りきらない腕を伸ばし、懸命に亜弥を抱きしめた。
それは美貴が亜弥にしがみついているようにも見えた。
どちらに見えたとしても間違いではなかった。
- 35 名前:哀しいことは 投稿日:2004/10/02(土) 18:11
-
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- 36 名前:哀しいことは 投稿日:2004/10/02(土) 18:11
-
*
- 37 名前:初恋の意味 投稿日:2004/10/02(土) 18:16
-
◆
- 38 名前:初恋の意味 投稿日:2004/10/02(土) 18:18
-
美貴と初めて出会った日、亜弥は白い頬を上気させ、高鳴る鼓動に胸を抑えつ
つ、その瞳を声をぬくもりを何度も反芻させながら眠れぬ夜を過ごした。
それはどこからどう見ても恋だった。
一寸の疑いもない亜弥の初恋だった。
藤本美貴は、世間で言うところの不良少女だった。
若者で賑わう都心部の繁華街をうろつく今時の若者だった。
平凡な家庭に生まれ、平凡な暮らしを送る毎日。
その平凡さは美貴にとって空虚とよく似ていた。
美貴の両親は共働きだったこともあり、あまり子供について顧みることをしな
かった。それを美貴は直接責めたことはなかったし、ある種の寂しい諦めを持
って迎え入れていた。けれど、その寂しさを割り切れるほど美貴は大人でなか
った。
夜の街へ繰り出す。
仲間が増える。
酒を覚える。
タバコを覚える。
クスリを覚える。
喧嘩を覚える。
- 39 名前:初恋の意味 投稿日:2004/10/02(土) 18:19
-
忘れる。覚える。忘れる。覚える。忘れる。覚える。
その繰り返しでも、絶えず何かが広がってゆく。
それは美貴の寂しさを潤したし、表面上だけでも安堵を得た。
同じような年頃の若者が群れ集まり現れては消えてゆく。
親の与えた金で道楽の狂宴を繰り広げる少年、ホストに貢いでソープへ消えて
いく少女、幼い好奇心と虚栄心に溺れて暴力団の使い走りをする少年、クスリと
いう快楽に溺れて身体を売る少女、欲しいものを我慢することもなくクレジットロ
ーンで未来を切り売りする若者。
美貴を取り巻く世界はそんなことが当たり前で、そんなことには誰にも関心を
抱かず、けれど誰もがこれは少し違う世界なのだという陶酔に酔っているような、
そんな世界だった。
- 40 名前:初恋の意味 投稿日:2004/10/02(土) 18:20
-
美貴は特別顔の知れた人間ではなかった。
特別に悪い奴でもなかったが、特別にいい奴でもなかった。
美貴は調子のいい保身と計算を上手に使い、巧くこの世界を生きていた。
適度に群れ、適度につっぱり、たまにクスリを流し小遣いを稼ぐ。
身体は売らなかった。
美貴は少し性的なことに関して神経質なところがあったからだ。
セックスよりも酒やタバコの方が好きだった。
酒やタバコよりも誰かと一緒にカラオケを歌うのが好きだった。
そして、そんな時に感じる孤独感に埋もれるのが嫌いでなかった。
それはとても矛盾していた。
美貴は誰かが欲しかった。
持て余した自分を包んでくれる誰か。
包んであげたいと思える誰か。
それは愛情に飢えているからだ、そんなふうに認めるのは癪だからしなかった
けれど、美貴は愛情がほしかったし、与えたかった。
- 41 名前:初恋の意味 投稿日:2004/10/02(土) 18:22
-
そして、美貴と亜弥が出会ったのは、夏の夜だった。
16歳と15歳の時だった。
暑くて、じめじめして、涼しい風なんて掠めもしないような夏の夜だった。
- 42 名前:初恋の意味 投稿日:2004/10/02(土) 18:24
-
頭脳明晰、容姿端麗、いつだって優等生の亜弥がその場にいるのはとても似つ
かわしくなかった。
亜弥の姿はとても浮いていた。
きちんと着こなされた制服、膝がほんの少しだけでたスカートも、指定のもの
であろう白のハイソックスも、綺麗に磨かれたローファーも
化粧気のない幼さを残した顔も全てが夜の若者の街には似つかわしくなかった。
亜弥は繁華街の中心を早歩きしながら、はめられた、と心の中で呟いた。
パーフェクトなまでに優秀な亜弥を妬む者は多い。
しかし、優秀な亜弥はそんな輩を相手にはしない。
相手にはしないが、社交としての最低限の付き合いは怠らない。
それが仇となった。
カラオケをしようと誘われたまでは良かったのだ。
しかし、そこにある悪意を見抜けなかったのは、亜弥が疲れていたせいもある。
亜弥の家はここのところ相続手続きで些か揉めていた。
金銭のことで諍いを起こすのは亜弥にとって最も敬遠したいことだった。
それはどう欲目で見ても醜い。
自分の身内となれば尚更だ。
揉めずにはいられない心情は理解できる。
しかし、共感はしたくなかった。
亜弥は自分の思い描く美学に忠実でいたいと思っていた。
優雅に、華麗に、美しく、そして可愛らしく。
鮮やかな手法と、理知的な言動を心がけていた亜弥にとって金を巡った相続争
いは不本意ではあったが、
金がこれからの人生の上でいかに必要なものかということも十分に承知してい
た。だからこそ亜弥は疲れていた。
それは油断となって亜弥を危機的状況に陥れた。
- 43 名前:初恋の意味 投稿日:2004/10/02(土) 18:25
-
カラオケが終わり、トイレへ行ってくると連れ立った級友達を亜弥は受付のソ
ファに座ってぼんやりと待っていた。
しかし、一向に帰ってくる気配がない。
トイレを覗いてもそこに自分の探す姿は見当たらなかった。
携帯電話をかけても通じない。
そこでやっと亜弥は気付いた。
夜の繁華街に置き去りにされたことに。
亜弥は自分の不覚を悔やんだ。
それは騙された悔しさではなく、自分の浅はかさに。
もっと研ぎ澄まさなくてはならない、もっと冷静でいなくてはならない。
亜弥は自分で自分を戒める。
駅へ向かう道すがら、突然亜弥の目の前に少年が立ちふさがった。
年は16,7といったところだろうか。
白目が充血して赤くなっている。
はぁはぁと荒い息遣いとだらしなく開いた口元、それに加え股間が隆起してい
た。ドラッグをやっていることは明白だった。
この街の者であるなら、適当にいなして逃げるか転がしてしまう。
しかし亜弥にはそんなことは分からなかった。
知識と教養に溢れていた亜弥にはこういう場合にどう対処したらいいのか、と
いう経験が絶対的に不足していた。
- 44 名前:初恋の意味 投稿日:2004/10/02(土) 18:27
-
頭は逃げ出せとシグナルを送っている。
ふらついた男をかわして逃げるのは亜弥の俊敏さを持ってすれば余裕であろう。
しかし、そんな思考とは裏腹に足がすくんで動かない。
亜弥は目の前の男に恐怖していた。
タバコとドラッグと酒の匂いが混じった息を吐きながら男は近づいてくる。
亜弥の腕を乱暴に強く掴むとじろじろと上から下まで嘗め回すように見てくる。
「ねぇ、お前そんなだせぇカッコして。可愛い顔なのにさ、もったいねーの。
俺、可愛がってやるぜ?」
男はニヤニヤとだらしなく笑いながら亜弥を引っ張り大通りから裏道へ行こう
とした。
亜弥の膝はがくがくと震え、言うことをきかない。
男に引きづられるように連れられていく。
生まれて初めて味わう恐怖感だった。
言葉が出ないという経験も初めてだった。
何に対してというより、世界の全てに対して駄目かもしれない、そんな思いが
頭を掠めたときだった。
不意に亜弥の腕は解放された。
男の腕はその前に立ちふさがった美貴によって捻り上げられていた。
- 45 名前:初恋の意味 投稿日:2004/10/02(土) 18:27
-
「ってーな!何すんだ!!」
男は怒鳴って美貴に掴みかかろうとするが、美貴は男の腕を放してひょいと避
けると、素早く後ろに回って軽くその背中を小突いた。
男はあっけなく足をもつれさせ転んだ。
美貴はその背中に声をかける。
「あんた、この子イタイケなチュー学生なわけよ。ちょっとそこら辺はわきま
えるべきじゃない?インコー罪、おまわり呼ぶよ」
「っつ…、っせーな、わかってんだよ」
「わかってんなら他、あたりなよ」
「けっ」
男は警察という言葉に威勢をなくし、大人しく引き下がるとフラフラと街の中
に消えていった。
美貴はまだ怯え、恐怖の抜けきらない亜弥の手を引いて歩き出した。
慌てて歩き出そうとするが、まだ足がついていかない亜弥はふらっとよろめく
と転んでしまった。
- 46 名前:初恋の意味 投稿日:2004/10/02(土) 18:28
- 美貴は振り返ると、路上に尻餅をついた亜弥を見て、亜弥と同じ目線になるよ
うに屈んだ。
そこで初めて亜弥はまじまじと美貴を見た。
きつめの目つきをしているがとても整った顔をしている。
黒いタンクトップから伸びる腕にはうっすらと綺麗な筋肉がつき、しなやかに
伸びていた。
少しだぼついたジーパンを履き、白いスニーカーは薄汚れて靴底が磨り減って
いた。
サラサラの茶色い髪を耳にかけながら、美貴は亜弥をじっと見つめた。
それからふにゃりと笑う。
あ、可愛い。
どこかぼんやりと亜弥は思った。
「あははっ、可愛い顔してるね、チュー学生。でもその制服で一人歩きは感心
しないな」
「あ、亜弥。私、松浦亜弥って名前、あります」
「っ…、何それ。ちょっと日本語おかしいであります。ちょっとマジあんたお
もしろい」
- 47 名前:初恋の意味 投稿日:2004/10/02(土) 18:28
-
亜弥から飛び出したたどたどしい自己紹介に美貴は愉快そうに声をあげて笑う
と、すっと立ち上がり見下ろすように亜弥に手を差し伸べた。
「藤本美貴。美しく貴い、おじょーひんな名前でしょ。いひひ」
美貴は歯を見せて照れくさそうに笑う。
亜弥は美貴の手を取る。
その手は少し汗ばんでいる。
美貴は亜弥を見つけた。
亜弥は美貴を認めた。
世界は少し変わった。
- 48 名前:初恋の意味 投稿日:2004/10/02(土) 18:29
-
*
- 49 名前:初恋の意味 投稿日:2004/10/02(土) 18:30
-
初めて出会った別れ際、亜弥は連絡先を教えて欲しいと美貴にねだった。
それはお礼の意味もあったし、繋がれた手から感じる感情の高ぶりも大きく関
係していた。
「ちゃんとお礼とかしたいし、連絡先教えて頂けませんか?」
「えー?お礼とか別にいいし。なんつーか、気まぐれ?そんな感じ」
「あ…、でも、気まぐれでもいいんです。私、助けてもらってすごく嬉しかっ
たから。私、あの時世界は終わるって思いました。でもあなたが…藤本さんの
手を握ったら、世界が始まった気がしたんです」
気まぐれ、と言われたことに少々傷つかないでもなかったが、亜弥は食らいつ
くように情熱的な眼差しを美貴に向けた。
美貴は世界が終わるだとか始まるだとか真顔で言ったら噴出してしまいそうな
台詞を大真面目に語る亜弥に興味を持った。
「おもしろいこと言う人だね。ま、いいか。結構美貴ってあんたみたいなタイ
プ好きかもしんない」
美貴はにかっと歯を見せて笑うと亜弥に向かって手を差し出した。
亜弥がその手と美貴の顔を交互に見ていると、美貴は苦笑した。
- 50 名前:初恋の意味 投稿日:2004/10/02(土) 18:31
-
「ケータイ。連絡先欲しいんでしょ?登録するから貸しなよ」
手をグーパーさせながら待つ美貴の言葉に、亜弥は慌てて鞄の中から携帯を取
り出した。
「わ〜お。これってば最新式の奴じゃん。ビジネスマンモデルなんっつて渋い
の持ってんねぇ。チュー学生のくせに生意気な奴。もしかしなくて金持ちでしょ」
「渋いですか?でも、私これを使いこなす自信がありますし、世間的に見て私
は金持ちの分類に入ります」
美貴の茶化す言葉に一つ一つ解答を出す亜弥を美貴は目を丸くして見つめた。
それからふはっと息を吐き出し、亜弥の頭をポンポンと叩いた。
「なるほどね、美貴は好きだわ、あんた」
一人納得したような口調で美貴はうんうんと頷いている。
亜弥は美貴の口から出た好きという言葉に反応し、胸の辺りをぎゅっと掴んだ。
- 51 名前:初恋の意味 投稿日:2004/10/02(土) 18:31
-
「まぁ、色々あんだろーけど、友達は選んだ方がいいから。カラオケに置いて
けぼり食らったんでしょ」
「何で知ってるんですか?」
「たまたま。美貴あんたの友達がカラオケから出てくるの見たわけ。あ、制服
が一緒だからさ、多分そうかなーって。
そんでなにやらいじめめいた会話してんじゃん。ちょっと気になって待ってた
らあんたが出てきたってわけ」
「気まぐれで?」
「そ、気まぐれでね。まー、美貴って正義感強いから、そういうの許せないわ
けでさ、あは」
ふざけた口調で理由を話す美貴を見て、亜弥は強烈に藤本美貴に惹かれている
のを感じた。
神妙な顔つきをする亜弥を見て美貴は困ったような顔をした。
「おいおい、ここ笑うとこ。そんなマジな顔しないでよ」
「あのっ、私、好きです」
「はぁ?」
「私、藤本さんのこと好きです」
「あはっ、何?ナンパ?」
「それでもいいです。私があなたのこと好きなこと知ってて下さい」
「……マジかよ」
- 52 名前:初恋の意味 投稿日:2004/10/02(土) 18:32
-
突然の告白は美貴にはもちろん、亜弥にも想定外のことだった。
唐突に口をついて出た言葉、そこには駆け引きがなかった。
それが亜弥には信じられなかったし、嬉しかった。
自分で定義していた自分が規格外になる感覚。
亜弥はそれを美貴に感じていた。
「まぁ、いいかな。可愛いチュー学生に愛されちゃうのもおもしろそうだしね」
美貴は笑いながら亜弥に携帯を返した。
「けど、今度はその格好じゃデートしてあげないよ。まー健全に昼の街っての
も悪くないけど」
「じゃあ次は藤本さんがびっくりするくらい可愛くしてきますよ」
「お、言うね。楽しみにしてます」
恭しく美貴がお辞儀をするのを見て、育ちが悪くないことを亜弥は感じる。
それから不意に亜弥は胸元のネクタイを引っぱられた。
ぐいっと身体が揺れると、近づいてくる美貴の顔。
頬に触れる柔らかな感触。
- 53 名前:初恋の意味 投稿日:2004/10/02(土) 18:32
-
「お近づきのシルシってことで。連絡ちょーだいね、亜弥ちゃん」
そう言うと、美貴は踵を返して夜の街へ消えていった。
亜弥はしばらくぼんやりと美貴の背中を見ていた。
それからゆっくりと自分の頬を撫でた。
別れ際に名前を呼ぶなんて、自分よりよっぽど駆け引きが上手だ、そんなこと
を思うと自然に笑みが零れた。
亜弥は一通目のメールを早速送る。
「大好き」
あぁ、ホント駆け引きなんてできてやしない。
亜弥はそんな自分を好ましく思えた。
- 54 名前:初恋の意味 投稿日:2004/10/02(土) 18:33
-
*
- 55 名前:初恋の意味 投稿日:2004/10/02(土) 18:33
-
*
- 56 名前:名無し飼育 投稿日:2004/10/02(土) 18:40
-
>28さん ありがとうございます。終わるまで気にして頂けるかは自信がないのですが…
>29さん ありがとうございます。面白がってもらえるというのは一番嬉しいです
大したものではないので、期待せずに読んで頂けると嬉しいです。
こけた時にショックがやわらぎます。
- 57 名前:名無し飼育さん 投稿日:2004/10/03(日) 05:31
- おもしろいよ
- 58 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/03(日) 15:45
- 面白いです!!
真面目な松浦さんもいいですねぇー
- 59 名前:名無し飼育さん 投稿日:2004/10/04(月) 03:00
- 落とします
- 60 名前:名無し飼育さん 投稿日:2004/10/04(月) 23:38
- んぁ
- 61 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/04(月) 23:58
- >>60
遊びたいだけなら依頼スレに持ち込むよ
おとなしくしとけ
- 62 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/05(火) 00:46
- ochi
- 63 名前:名無し飼育さん 投稿日:2004/10/06(水) 01:33
- おもしろいです!
更新まってます!!
- 64 名前:名無し飼育さん 投稿日:2004/10/06(水) 05:35
- 哀しい予感
いいですね
- 65 名前:名無し飼育さん 投稿日:2004/10/06(水) 12:27
- おち
- 66 名前:名無し飼育さん 投稿日:2004/10/06(水) 12:38
- >>65
遊びたいだけなら依頼スレに持ち込むよ
おとなしくしとけ
- 67 名前:亜弥☆〃 投稿日:2004/10/07(木) 00:23
- 今、最初から全部読まして頂きました!!美貴たんジュニァ可愛ぃ!!ャバぃ。ハマりました!!更新頑張ってくださぃ!!期待してますっ。
- 68 名前:分からない言葉、分かりたい想い 投稿日:2004/10/07(木) 00:54
-
亜弥が美貴と出会ってから3ヶ月ほどが過ぎた。
まさにくびったけ、そんな言葉が相応しいように亜弥は美貴の元へ時間ができ
れば足しげく通った。
時間がなければ、無理やり時間を作ってでも会おうとするその姿はたちまち噂
の的となった。
途絶えることなく続くメール。
学校前の待ち伏せ。
特別な用事ではない電話。
それらは美貴にとって煩わしいはずだった。
けれど、亜弥はそれを美貴に煩わしいと思わせない。
真っ直ぐに向かってくる亜弥に対して屈折ばかりしていると自覚していた美貴は
戸惑いつつ、面倒臭いとポーズを作りつつ、それでもどこか嬉しかった。
その内に美貴は、初めこそ好奇心で可愛がっていた亜弥のことが、ほとんどの
日々を共に過ごすうちに気のおけない存在になっていくことを感じていた。
不思議と亜弥にはどんなことを言われても可愛いと思ってしまう。
我侭を言われると、何故だか嬉しくなってしまう。
それが惚れているということだと美貴はまだ気付いていない。
松浦亜弥が不良に夢中。
そのスキャンダルは瞬く間に世間を駆け抜けた。
既に亜弥はその才能と財産を見込まれて、政界にデビューすることが決定してい
ただけにそれはより一層スキャンダラスだった。
次々と取り上げられる美貴に対する誹謗中傷、実名こそ出ないものの美貴を知る
者ならばそれが美貴であることは明白である個人情報の流出。
それがピークに達しようとした頃、亜弥はとうとう激怒した。
美貴はすこぶる冷静だった。
いや、冷静だったというよりもどこか冷えた気持ちでそれを見ていた。
- 69 名前:分からない言葉、分かりたい想い 投稿日:2004/10/07(木) 00:55
-
亜弥の部屋に呼び出され、映画を見ている美貴の隣で雑誌を読んでいた亜弥
はふるふると身体を震わせ顔を上げた。
雑誌を丸めると、ぽんっと床に放り投げ美貴の方へ鋭い視線を向けた。
「美貴たんっ!!」
「は、はい?」
突然名前を呼ばれた美貴は驚いて亜弥の方へ顔向けた。
美貴が亜弥に視線を合わせると、亜弥はふにゃっと嬉しそうな顔をするが、す
ぐに真面目な表情に戻る。
「雑誌!特に週刊誌の類、書いてあること酷すぎるよっ。しかも美貴たんのこ
とばっかり」
「別に美貴は気にしないよ。っつーか有名人になっちゃっておもしろいって感
じ」
「美貴たんはまたそんなことばっかり言ってぇ…。美貴たんのこと知りもしな
いくせにこんな酷いこと書かれるなんて許せないよ!」
「えー、だって美貴そんないい奴じゃないしさ。当たらずとも遠からずってと
こもあるしね」
「でも、私は許せない!」
「ふはっ…」
「何笑ってるのよぉ」
「だってさ、亜弥ちゃん自分のことより美貴のことでそんな一生懸命だからさ」
「むぅ…。仕方ないでしょ、私は品行方正で頭脳明晰、容姿端麗なんだから悪
く書きようがないんだもん」
「自分で言うなよ。ま、その通りだけどさ」
「大体、たんは関心なさすぎなの!少しは怒りなさいよ」
「んー、めんどくさい」
「すぐそういうこと言う…」
「美貴は、いいんだよ。亜弥ちゃんがかわりにぷんすか怒ってくれるからさ」
「それはたんが怒らないからでしょ!」
「あはは。ま、いいんだよ」
「もぉっ、とにかく私許せないから…」
「何するつもり?」
「もう美貴たんに関する記事載せないように圧力かけてやる」
「おー、でたねぇ。さすが期待の新星はやることがでかいね」
「茶化さないでよ…」
「ごめん。けどさ、いいから美貴は、ホントに。亜弥ちゃんがわざわざ手を煩
わさなくっても」
「…私、煩わしいなんて思ってない。私にとって美貴たんは…」
- 70 名前:分からない言葉、分かりたい想い 投稿日:2004/10/07(木) 00:56
-
亜弥は言葉を途中で切ると、さらに美貴の方へ身体を寄せ、その肩に自分の顎
を乗せた。
美貴は困ったような顔をして亜弥の髪を撫で付ける。
それから、ちょっと体勢苦しいからと言いながら亜弥を膝に横抱きにする。
亜弥は嬉しそうに美貴にしがみ付いた。
美貴はふと亜弥に対する胸の痛みを感じた。
それは、ちくちくと棘が刺さるような美貴の心の痛みだった。
美貴は自分の感じる痛みの正体を段々と掴み始めていた。
それを亜弥にぶちまけてしまいたい、と美貴は思い始めていた。
そうすることは亜弥に対してだけ許されることで、亜弥に対してだけしなくて
はならないようなことに思えた。
理屈ではなかった。
むき出しの感情だった。余りにも幼い愛情表現だった。
それにすら美貴は気付かない。美貴の恋は確実に育っているのに美貴はまだ気
付かない。
「美貴さぁ…」
「うん?」
「…まだ亜弥ちゃんと会ってからさ、そんな経ってないじゃない」
「そうだねぇ。3ヶ月くらい?」
「まだ、そんなもんか。けど、まぁ、亜弥ちゃんが毎日のようにくるから」
「きてあげてるの!」
「はいはい。じゃ、きてくれてるからさ、もうずっと長い間一緒にいるみたいな」
「えへへぇ。何々、美貴たんからの告白?」
「そう。告白」
いつもふざけたような口調の美貴が珍しく真面目な話しをしようとしている。
その雰囲気を感じ取った亜弥は、少し顔を強張らせた。
- 71 名前:分からない言葉、分かりたい想い 投稿日:2004/10/07(木) 00:58
-
「美貴ってさ、今まで生きてて、ってまだ16年しか生きてないけど。その16
年の中でさ、割と一人でいることが多かったんだよね。
家に親いることあんまなかったしね。それでさ、同じ人がいつも傍にいるって
経験、初めてだった。それってすごく心地よくて、ガラじゃないけど、幸せ感
じちゃったりして」
「ん…。私も幸せだよ?」
「そっか。けどさ、美貴的には亜弥ちゃんに美貴は釣り合わないような気がし
てる。だから、ちょっと、最近…ね。そういう雑誌にあるみたいにさ、美貴っ
て決していい子じゃないし、かといってめっちゃ悪いわけでもなくて、中途半
端だしさ。どこの世界いっても普通にもなれない。かといって特別にもなれな
い。亜弥ちゃんと美貴は大違いなんだなって、実感しちゃったりして」
「何だよそれ。何だよ…。つりあうとか釣り合わないとか、そういうこと言わ
ないでよ。特別とか、普通とか、そんなのは周りの人間と比べた時の比較でし
ょ。私、美貴たんとは二人だけの世界作れると思ってる。私にとって美貴たん
は一人だけで代わりなんていない。釣り合うとか釣り合わないとかそんな選定
はあり得ないの」
「美貴、分かんないんだよ。どうして亜弥ちゃんがそんなふうに美貴を好きで
いてくれるのか」
「理由が必要なの?」
「理由がないと不安だよ」
「どうして?私、美貴たんの手を取ったとき世界が変わったの。それに理由な
んてないと思う」
「亜弥ちゃんのいう世界って奴、美貴にはよく分かんない」
美貴の言葉に亜弥は少なからずショックをうけ、俯いた。
美貴は亜弥のそんな姿に少ながらず胸を痛める。
それでも亜弥は理解して欲しくて美貴に言葉を投げる。
- 72 名前:分からない言葉、分かりたい想い 投稿日:2004/10/07(木) 00:59
-
「私、美貴たんと出会った時好きだって思った。直感的にね。それから、たく
さん話してたくさん触れ合ってもっと好きになったの。もっと好きだなって感
じた。私の直感に理由をつけるのは難しいよ」
「だってさ、こう、具体的にどこが好きとかって…あるでしょ?」
「全部だよ。全部好き。今の私は美貴たんがいるから在り得るんだよ。美貴た
んがいなかったら私は違う私だよ。欠けてる世界の私だよ」
「美貴が亜弥ちゃんの世界を作ってる…。何だかでっかい話だね」
美貴はやはり亜弥のいう世界という概念が理解し難かった。
けれども理解したいと思う。共感できたらいいと思う。
「美貴が亜弥ちゃんを好きなのは…、美貴にとってさ亜弥ちゃんは欲しかった
誰かなんだ。亜弥ちゃんといると美貴は居場所があるような気がする。これっ
て亜弥ちゃんの言ってることと似てる?」
「同じ、がいいな。理由って後付なの。どうにでもして後から作れるの。ねぇ、
そう思う美貴たんの気持ちの始まりに理由はあると思う?」
「そうだなぁ…付けようと思えば、色々考えられるけどね…。突き詰めちゃえ
ばそんなものない…かもね」
「でしょ」
「そういうことか」
「そういうこと」
- 73 名前:分からない言葉、分かりたい想い 投稿日:2004/10/07(木) 01:00
-
亜弥のロジックに対する一応の解釈を見つけた美貴は、嬉しくなってふにゃり
と顔を崩した。
美貴に一応の回答を出させることに成功した亜弥は、嬉しくなって美貴の頬に
ほお擦りをした。
ただ、美貴は自分が不安に思っていることを解消したわけではなかった。
それでも、どこに行ってもアウトサイダーだった自分の居場所を見つけた、と
いうことを言葉に出して認識したことは美貴にとって大きなことだった。
亜弥は美貴の居場所。
そのフレーズは美貴の心に安らぎを与えた。
美貴は亜弥に恋をしている自覚はなかったが、愛しているという感情はこういう
ものなのだろう、という自覚がその時はっきりと芽生えた。
美貴は亜弥にお礼を言いたいと思った。
けれど、ありがとうというのは何か違う気がした。
亜弥が喜びそうな言葉。
歯が浮くような恥ずかしいと思ってしまう言葉。
けれど、それは今言うべき言葉だと美貴は思う。
直感的に。
「亜弥ちゃん、美貴は亜弥ちゃんのこと愛してる、と思う」
亜弥の目が丸く大きく見開かれ、直後くにゃんと表情を崩すと亜弥の身体は美
貴めがけてダイビングした。
美貴はその時少しだけ亜弥の言う世界というものが分かった気がした。
美貴は世界が変わるのを感じていた。
- 74 名前:変わる世界、変わる美学 投稿日:2004/10/07(木) 01:01
-
*
- 75 名前:変わる世界、変わる美学 投稿日:2004/10/07(木) 01:02
-
美貴の世界は亜弥よりも目に見えて変化した。
亜弥は美貴が自分以外の誰かと付き合うことを嫌った。
それが仕方のなかったことだとしても、亜弥は不機嫌さを隠そうとしなかった。
そして、美貴はそんな亜弥の独占欲に従った。
美貴にとってそれは心地よいものだったし、亜弥の我侭を聞くのはおもしろい
ことだった。
亜弥によって満たされる自分がとても好きだった。
タバコも喧嘩もクスリもやめた。
タバコは臭いとヤニによって汚れていく歯が嫌だと亜弥が言った。
喧嘩は美貴の身体に傷がつくのが嫌だと亜弥が言った。
クスリはそんなもの使わないでも私が気持ちよくすると亜弥が言った。
亜弥が嫌だと言うことは全てやめた。
亜弥がしたいということは全てやってみた。
夜の街をふらつかなくても美貴は寂しくなくなった。
持て余していた自分は亜弥に捧げた。
それは美貴を幸せにした。
そして亜弥を幸せにした。
だから美貴は満たされていた。
亜弥の強い想いに侵蝕されていくのを美貴はしっかりと認識していた。
変わっていく自分が嫌だと思うことは一度もなかった。
亜弥好みになっていくということ、それは美貴が自分でなくなることではなか
った。
むしろ、美貴が美貴であるために亜弥は必要不可欠な存在となり、亜弥なしで
美貴は自分を考えられなくなっていた。
それを亜弥に押し付けようとしないで済んだのは、美貴のその想いを上回る程
の亜弥の行動力にあった。
- 76 名前:変わる世界、変わる美学 投稿日:2004/10/07(木) 01:03
-
+++
- 77 名前:変わる世界、変わる美学 投稿日:2004/10/07(木) 01:03
-
美貴は久々に、夜の街を歩いていた。
ほんの少し前まで、毎日居た場所。
勝手しったるその街の路地に入り、奥へ奥へ裏へ裏へと進んでいく。
たむろする若者たちは美貴の顔を見ると、こそこそと何かしら噂話をしている。
嫉妬と羨望の混ざったような眼差しもあれば、蔑むような侮蔑の眼差しもある。
しかし、それらはどれも美貴には無意味なものだった。
そんなことで美貴は傷付かない。
美貴は既にそこには価値観を見出さない。
出掛けに亜弥にメールを入れた。
用事があるので帰りは遅くなる、と用件だけをいれた簡潔なものだった。
亜弥からは矢継ぎ早に質問メールが届いた。
どこで?誰と?何時まで?何をするの?何で一人で行っちゃうの?
一つずつ簡単に答えていく。
亜弥とであった街で。一人で。何時になるか分からない。知り合いに会いに。
亜弥ちゃん忙しいと思って。
最後の答えは嘘だった。
本当は、亜弥を連れて行きたくなかったのだ。
美貴が身を委ねていた世界を見られるのは嫌だった。
その簡素な答えに不満だったのか、亜弥はすぐに電話をかけてくる。
美貴が出ると、亜弥は噛み付かんばかりの勢いで美貴を問いただす。
苦笑交じりに美貴が応対すると、更に亜弥は気にいらないようで、益々不機嫌
そうな声になった。
電話口で唇を尖らす亜弥のことを美貴は容易に想像できた。
もぉ、いいもん。
と拗ねたように言い捨てると亜弥は一方的に電話を切った。
美貴は切れた電話を見つめて溜息をつく。
けれど、そこには愛しさが存分に混ざっていた。
帰宅してから亜弥のご機嫌をとらなくてはならないことを考えることさえ楽し
いと思えた。
一応、ごめんね、と謝罪のメールを打つと美貴は、足を進めた。
- 78 名前:変わる世界、変わる美学 投稿日:2004/10/07(木) 01:05
-
「よぉ〜、ミキじゃん。久しぶり」
やけに陽気な顔をした女が、美貴の肩を組むように近づいてきた。
くすくすと笑い声をたてながら女は美貴の顔をまじまじとみた。
「何か、あんた顔つき変わったね。しぁーわせそぉ」
「まーね。幸せだし。っつーかマイ、あんたハシッシやってんの?」
「えへへ。ちょっとね、イイ奴手に入ってさぁ」
美貴がマイと呼んだ女は、美しいスタイルと、美人と呼ばれる部類に属する顔
をしていた。
少女と呼ぶには大人っぽいが、完全に大人という雰囲気でもない。
美少女と美女の境目を漂っているとでも言うべきだろうか。
美貴はマイの年齢も、本名も知らない。
それはマイも同じことだ。
何故ならば、知らなくてもいいことだから。
名前も年もそこでは意味を持たなかった。
意味を持っていたのは、外見の美しさや格好良さ、喧嘩の強さ、金周りの良さ、
そういうことだった。
マイは美貴と共に時折、クスリを流すアルバイトをして小遣いを稼いでいた。
言わば仕事仲間のような存在だ。
偶然出会う以外には、滅多なことでは連絡を取り合わない二人だった。
そういう賢さを備えた二人だった。
そんなマイが美貴に連絡を寄こした。話しがある、と。
- 79 名前:変わる世界、変わる美学 投稿日:2004/10/07(木) 01:05
-
「で、用件は何?」
美貴は、ハシッシ臭いマイの肩を押すように距離を作ると不機嫌そうな顔をした。
臭いをつけて帰っては、亜弥にいらぬ疑いをかけられてしまう。
クスリはやらない、と約束したのだ。
美貴は亜弥との約束を破りたくなかったし、勘違いであったとしても破ったな
どと思われたくなかった。
「つぅーめーたーいー」
ニヤニヤと語尾を伸ばしながら喋るマイに美貴はイライラしていた。
トリップしている人間はシラフの時に相手にするには堕落しすぎていた。
美貴は軽く舌打をすると、吐き捨てるようにもう一度マイに問いかけた。
「わざわざ呼び出したんだから何かあんでしょ?ないなら帰るけど」
「せっかちだなぁ。もっとのんびりいこーぜぇ?ま、なんつーかさ、ミキって
ばこの街抜ける気でしょ」
「ま、ね。見つけたから、他にもっといいとこ」
ひゅうっとマイは口笛を吹き美貴をニヤニヤと見た。
「ここではない、どこかへってか。それはそれは…。ま、一応ここでミキとは
色んな思い出作ったりしたわけで。
やっぱなんか感慨あったりして。だからあたしから餞別やるよ」
「餞別?なんか怪しいなぁ、マイがそんなこと言い出すなんてさ」
「ふん。あたしだって取り合えず情みたいなもんはあるわけよ、ほらっ」
マイは相変わらず愉快そうにくつくつと笑いながら履いているジーンズのポケ
ットから白い紙包みを取り出した。
そして、それを美貴に向かって投げる。
- 80 名前:変わる世界、変わる美学 投稿日:2004/10/07(木) 01:06
-
「いい代物だよ。マァジでおすすめ」
「…草?」
「ふふん、詰め合わせ。奮発しちった」
「折角だけど、これはいらないよ。返しとく」
「はぁ〜?何、あんたキメんの好きじゃなかったっけ」
「好き、だったけど。もうやめた。気持ちだけもらっとく」
「あ、そ。いらないっつーんなら無理矢理渡したりしないけど」
「そうしてくれると有難い。それにしてもさ、こんなにたくさんどしたわけ?」
「ん、まぁね。おっきぃ仕事があったってことでさ」
「ヤー公絡みじゃないでしょうね…?」
「あー。それは違う。でも、もしかしたらもっとやばいかもね、あは」
「消える身で言うのも何だけど、ほどほどにね」
「あははは。おっもしろいこと言うようになったね、ミキ。心にとめておきま
ーす」
「じゃあ、美貴帰るよ」
「ん。しぁーせに。ってか、幸せなんだっけか」
ふとマイの瞳が一瞬暗くなる。
けれど美貴は既にマイには背を向けていてそれに気付かない。
マイの野次のようなかしましいからかいの声を受けながら美貴は路地裏を跡に
する。
ふと美貴は思い出していた。
この街での生き方を手ほどきしてくれたのは、あのマイだったのだ。
そんなことは随分な間忘れていた。
マイは全くの同格として美貴を扱ったし、美貴もマイを先輩扱いしたりしなか
った。
ハシッシをキメ、それでもどこか憂鬱そうな、悲しそうなそんな陰を持ってい
たマイ。
そんなマイを無意識の内に真似していた自分。
そのマイが今は随分と遠い存在に感じる。
随分現金なもんだよ、と、自分に向かって呟くが、それはすぐに掻き消えた。
美貴の携帯がブルブルと震え、彼女を呼び出していた。
- 81 名前:変わる世界、変わる美学 投稿日:2004/10/07(木) 01:07
-
「もしもし?」
携帯の表示ディスプレイは亜弥のキス待ち顔を映し出していた。
おや、と思いながら美貴は通話ボタンを押すと、押し殺したような亜弥の声が
聞こえる。
「今どこ?」
「え、あー。もう用事終わったからさ、駅に向かってるとこ。もうすぐ帰るよ」
「じゃあ東口の花屋さんで待ってる」
「は?」
「は、じゃないの!今、駅前にいるから!待ってるから!」
「ちょっ、待ってるって…」
「何よ?不満なの?」
「そうじゃないけど…」
驚きを隠せないけれど、それ以上に頬が緩むのを押さえられない。
美貴は自然と足が小走りになる。
「じゃあ早くきて」
「うん、走ってくから」
ぷつっと通話終了ボタンを押すと、携帯を片手に美貴は走りだす。
亜弥の独占欲が愛しかった。
我侭が可愛かった。
早く亜弥の顔が見たい。
それから、一緒に帰って、おしゃべりをしたり、カラオケをしたり、風呂に入
ったり、食事をしたり、同じ布団で眠ったり。
光で満ち溢れている亜弥との未来が美貴の頭を次々とよぎる。
そして、もうこの街にはこないんだ、そう思った。
人でごった返している駅前の花屋が見えてきた。
亜弥は少しだけ不安そうにキョロキョロとしている。
あぁ、っと思わず声に出してしまいたくなる程安心した。
- 82 名前:変わる世界、変わる美学 投稿日:2004/10/07(木) 01:07
-
「亜弥ちゃん!」
声をかけて駆け寄ろうとした時、不意に美貴は肩を掴まれた。
驚いて振り返ると、大柄でグレーのスーツを着た男が立っていた。
思わず険しい顔になる。
振り払おうとその手を掴もうとしたとき、男は鈍重そうな口を開いた。
「現行犯だ。ヤクのな」
反射的に亜弥の方を見た。
亜弥は美貴に気付き、不安そうな顔をして近づいてくる。
亜弥に見られている、そのことがひどく美貴を狼狽させた。
初めて美貴は犯罪と呼ばれる行為に手を出したことを後悔した。
「たん?どうしたの?」
亜弥の声が聞こえると、美貴は泣いてしまいそうだった。
- 83 名前:変わる世界、変わる美学 投稿日:2004/10/07(木) 01:08
-
「も、持ってないよっ。濡れ衣!」
震える声を絞り出し、歯を食いしばって美貴は男を見上げた。
男は眉間にしわを寄せると、低い声出しながら美貴をぐいっと引っ張った。
「言い訳なら署できいてやるから」
ぐらりと揺れる美貴の身体。
圧倒的な力の差。とても叶わない。逃げ出せない。
逃げ出したところでこんな間近で顔を見られていては意味がない。
「ちょっと、その人をどうするつもりですか?」
静かで、冷たい声が美貴の耳に響いた。
それは亜弥の声だったのだが、その声色も、口調も美貴が聞いたことのないよ
うな硬く尖ったものだった。
亜弥は怒っていた。
どんな理由があろうとも、美貴を無碍に扱うのは許せない。
それ以前に、男が美貴の肌に触れていることが最も許せなかった。
一番小さなことが許せない亜弥は、どんな理由があろうとも怒りを鎮めるわけ
にはいかない。
男は亜弥の発する異様な雰囲気に少し気圧されたものの、ぐっと喉の奥で咳を
すると懐から警察手帳を取り出した。
- 84 名前:変わる世界、変わる美学 投稿日:2004/10/07(木) 01:08
-
「この子の連れかい?私は少しこの人に事情を聞かなくてはならない状況にあ
ってね」
「警察…。それなら私も行きます」
「それは困った。関係者じゃない人間を連れていくわけにはいかないよ」
男は諭すような口調でやんわりと言った。
彼はまだ松浦亜弥に気付いていない。
亜弥はふっと短い息を漏らす。
「さ、取り合えず話しをしようか」
男は亜弥から視線を外し、美貴を見下ろすとその腕を引いて歩き始めた。
美貴は唇を噛んで俯いた。ちらりと亜弥の方を見ると、彼女は携帯を取り出し
てどこかへ電話している。
それが何となく見捨てられたような気にさせられ、美貴の目からぽたぽたと涙
が零れた。
亜弥はそれを電話しながらしっかりと見ていた。
頭に血が昇る。
- 85 名前:変わる世界、変わる美学 投稿日:2004/10/07(木) 01:09
-
私の、たんは泣いてる。
私の、たんが泣いてる。
私の、たんを泣かせた。
私の、たんを。
私の、たん。
私の。
私。
- 86 名前:変わる世界、変わる美学 投稿日:2004/10/07(木) 01:09
-
携帯を握る手の爪が白くなる。
亜弥の目は鋭く尖る。
亜弥の声も鋭く尖る。
どんなコネクションだって利用してやる。どんな地位だって利用してやる。
それが美貴のためならば、亜弥の美学が汚れてしまったって構わない。
それが新しい亜弥の美学になるのだ。
荒れ狂う心を抑え、亜弥は呼び出しコールを聞いていた。
ぷっ、と電話が繋がる音が聞こえた。
亜弥は努めて冷静に押し殺した声で言った。
「松浦です。警視総監をお願いします」
は?と電話口であっけにとられたような声が聞こえる。
亜弥はイラついた。目の前で会ったなら手を出してしまいそうなくらいに。
「外務省所属、特別顧問官松浦亜弥です。警視総監を出しなさい」
亜弥は厳しい声で自分の身分を名乗った。
あ、と息を呑む音が聞こえると、慌てたように失礼致しました!と大声が響き、
保留コールが流れてきた。
亜弥は美貴が連れて行かれた駅前の交番を見遣る。
つま先をタンタンと上下させながら亜弥は電話口の相手を待っていた。
- 87 名前:変わる世界、変わる美学 投稿日:2004/10/07(木) 01:10
-
*
- 88 名前:変わる世界、変わる美学 投稿日:2004/10/07(木) 01:11
-
亜弥は交番に入ると、ぐるりと中を見渡した。
殺風景な内装。
奥には衝立が置かれ、そちらの方から話し声が聞こえてくる。
入り口前の机に座り、何か書き物をしていた駐在員が優しく声をかけてきた。
「何かありましたか?」
「話しがつきましたので、奥で取り調べを受けている方を引き取りに参りまし
た」
亜弥の慇懃な口調と話しの内容に、駐在員はきょとんと目を見開いた後、訝し
げに亜弥を見た。
「ここはそんな冗談を言いにくる場所じゃないんだよ?いたずらできたんなら
あなたも罰せなくていけない。
用事がないなら帰りなさい」
「冗談ではありません。早く、藤本美貴を解放しなさい」
「お前、あの子の仲間なのか?自首にでもきたのか」
駐在員は亜弥のことを疎ましげに睨み付けた。
口調は大分荒くなっていた。
亜弥は相変わらず冷たい視線のまま背筋を伸ばし真っ直ぐに駐在員を見た。
ふと、駐在員は背中に冷たいものが走るのを感じた。
丁度、その時交番の電話が鳴り響いた。
駐在員はちらちらと亜弥の方を見遣りながら受話器を取り、一言二言話すと、
ピッと背中を伸ばし反射的に敬礼をした。
それから、慌てて衝立の向こうへ行くと、先ほど美貴を連れて行った刑事を呼
び出してきた。
刑事は驚いた顔をして受話器を取ると、しごく真面目そうにはっ、はっ、と返
事をする。
最後に了解であります、と敬礼すると、刑事は受話器を置いた。
- 89 名前:変わる世界、変わる美学 投稿日:2004/10/07(木) 01:12
-
「先ほどは大変失礼致しました。非礼の程お詫び致します」
刑事は亜弥の方を向くと、斜め上を見ながら額に汗の玉を乗せ敬礼をした。
駐在員はあっけにとられていたが、刑事が
「この方は松浦特別顧問官であられるぞ。敬礼!」
と、号令をかけると、慌てたように駐在員も敬礼をした。
亜弥は一応の敬礼を返すと、緊張しきった面持ちの刑事たちを尻目に衝立の奥
へ向かった。
そこでは、何事かと、不安そうな目でそわそわしている美貴の姿があった。
「あ、亜弥ちゃん…」
「もう大丈夫。さ、帰ろう?」
亜弥は美貴の腕を取って立ち上がらせようとする。
美貴は動揺していた。
家裁に送致されることはもちろん、最悪少年院まで覚悟していたのに、あっさ
りと解放されることが理解できなかった。
しかも、迎えにきたのが亜弥だったのが美貴には一層衝撃だった。
「ど、どうして?なんで亜弥ちゃんが?」
「ん、話しつけた」
ふにゃりと顔を崩して亜弥は笑う。
美貴はそんな場違いな亜弥の笑顔を見て、どこかおかしいな、と思う。
けれど、一方でどこか安心している。
亜弥はしきりに美貴の腕をさすった。
先ほど男に掴まれていた方の腕が気になって仕方ないのだ。
- 90 名前:変わる世界、変わる美学 投稿日:2004/10/07(木) 01:13
-
「話しって、どうやって?美貴、帰って平気なわけ?」
「うん、帰って平気。もう100%全然オッケーよ」
それから亜弥は美貴の耳に唇を寄せて、小声で囁く。
「ちょっと、ね、職権乱用」
あぁ、と美貴は納得した。
けれど、そんなことを亜弥にさせてしまった自分がひどく情けなかった。
亜弥はふわりと悪戯をした後のように可愛らしく微笑む。
それが何だか美貴をひどく惨めな気持ちにさせ、同時にひどく穏やかな気持ち
にさせた。
対する想いのうち、美貴は穏やかな気持ちを選択した。
それは美貴が亜弥を選んだということだった。
この先、いくら惨めな思いをしようとも、美貴は亜弥と一緒にいようと思った。
劣等感など抱いても仕方がないことなのだ、と亜弥が笑いながら言っているよ
うに思えた。
それは都合のいい美貴の解釈だったかもしれない。
けれど、亜弥はこうして美貴を救いにきたし、美貴はそれが嬉しかった。
即ち、亜弥は傍にいろと言っているのだ。
亜弥ちゃんが望むなら、どこまでだって一緒に行ける。
美貴は純粋にそう思えた。
亜弥がいなければもっと歯車の狂った生き方だったのだ。
亜弥のためにならたとえもっと狂ったとしても構わない。
真っ当と呼ばれる生き方がしたかったわけではない。
美貴は亜弥に求められる生き方をしたいと心から願った。
- 91 名前:変わる世界、変わる美学 投稿日:2004/10/07(木) 01:13
-
*
- 92 名前:変わる世界、変わる美学 投稿日:2004/10/07(木) 01:14
-
餞別だと言って美貴たちのアルバイトの範疇を超えた量のクスリを渡そうとし
たマイ。
そして、その時美貴は確かに断り白い紙包みになったそれを受け取ることはな
かった。
なのに、だ。
美貴はその後、後をつけていたという刑事に捕まった。
鞄の中からは覚えのないジッパー付きの透明なビニール袋に入った氷砂糖のよ
うなものがでてきた。
覚醒剤だった。
「まさか、ありえない!」
美貴は叫ぶが、刑事は証拠を掴んだと言わんばかりにニヤリと笑うと、自信あ
りげに美貴を追及し始めた。
これまで美貴が経験してきたクスリはハシッシだけだった。
流したクスリは他にもあったのだが、美貴はそれらを使おうとは思わなかった。
中でも覚醒剤は美貴が嫌っているクスリの一つだったのだ。
性的にだらしなくなる覚醒剤を使う輩、使われてしまう少女たちを美貴は常に
眉根を寄せてみていた。
それは、美貴自身のある面での潔癖さもあったがマイの影響も多分にあったの
だ。そのマイが自分をはめると言うことを美貴は想像すらしていなかった。
- 93 名前:変わる世界、変わる美学 投稿日:2004/10/07(木) 01:16
-
亜弥が迎えにきた後、美貴は何の咎めを受けることもなかった。
鞄の中に入っていた覚醒剤についても亜弥が何らかの手段でもみ消したようだ
った。
司法の裁きを受けなかった代わりに、美貴は亜弥から制裁を受けることとなっ
た。
亜弥の家に帰る道すがら、亜弥は美貴の腕に自分の腕を強く絡ませスタスタと
早歩きしていた。
真っ直ぐ前を向き、何も語らない亜弥を見て美貴も何となく声をかけることが
できなかった。
家に入ると亜弥は美貴の腕を解き、リビングへと進む。
慌てて美貴も後を追うと、亜弥はドンッとぶつかるようにして美貴を抱き締め
た。
腕ごと抱き締められた美貴は抱擁を返すこともできず、ただそれを受け止めて
いた。
「うぅ」
小さな呻き声を亜弥が漏らす。
喉の奥から搾り出したような変な音だった。
美貴はそれを耳元で聞き、亜弥が泣いているのではないかと、不安になった。
「亜弥ちゃん?」
美貴が声をかけると亜弥はその腕を解き、美貴の身体を離した。
その表情は美貴の予想に反し、怒りに満ちたものだった。
きゅっと唇を噛み締めると亜弥は美貴の目をじっと見つめた。
あまりに強い視線に思わず息を呑む美貴だったが、視線をはずさなかったのは
美貴の亜弥に対する想いがあったからだ。
ひゅっと亜弥が手を振り上げる。
次の瞬間、パーンという音を響かせて亜弥の平手が美貴の頬を打った。
衝撃で美貴の顔は叩かれた方向へ垂れる。
ジーンという音が頭の中に響いた後、打たれた頬がジリジリと熱を帯びジンジ
ンと傷んできた。
ゆっくりと顔を上げると、なみだ目の亜弥が見えた。
叩かれたことより、頬の痛みより、美貴にはその亜弥の状態が重要だった。
リビングに置かれたソファに二人並んで腰掛けると亜弥が唇を尖らせながら美
貴を責める。
- 94 名前:変わる世界、変わる美学 投稿日:2004/10/07(木) 01:16
-
「ばか」
「ごめん」
「ごめんじゃないぃ。そもそも何で一人で行っちゃうわけ?どうせマイって人
のとこに会いに行ったんでしょ?」
「いや、だから亜弥ちゃん忙しいと思ってさ…」
「私、今日忙しいなんて一言もいってません!」
「ごめん…」
「ばか!やましいことがあったんでしょ!だから一人で行ったんでしょ」
「ち、違うって!ただマイが呼び出すなんて滅多にないことだから…その…」
亜弥の怒りは美貴が警察に捕まったことではなかった。
美貴がマイに会いに行ったことにあった。
それは単に亜弥の嫉妬だった。
亜弥にとって重要なこと、第一は美貴が亜弥の元へ無事に戻ってくること。
それが達成された今、亜弥にとって重要なことは美貴が以前から懇意にしてる
マイの元へ会いに行ったという事実だった。
亜弥はマイのことが気にいらなかった。
実際に会ったことはなかったが、美貴の口からたびたび出てくるマイという人
物に嫉妬していた。
亜弥はできることならば、美貴の過去すらも欲しいと思った。
しかし、それは叶わないと分かっている。
だから一層、亜弥の知らない美貴の過去を知っているマイが羨ましく、嫉まし
くてたまらなかった。
- 95 名前:変わる世界、変わる美学 投稿日:2004/10/07(木) 01:19
-
「何してたのさ、二人っきりで会ったりして」
「別に…。ちょっと挨拶程度の話しだけど」
「挨拶程度の話しなのにどうしてわざわざ呼び出されたりするのよ」
マイと会った理由に食い下がる亜弥は適当なことを言っていては納得してくれ
そうにない。
美貴は乾いてくる唇をしきりに舐めていた。
「いや、だから、美貴はもうあそこには行かないって言ったらさ…餞別だって
クスリをくれようとしたんだ。
でも、美貴はもうやらないからって返した。美貴、もう、居場所見つけたから
って言って」
言葉を選ぶように美貴はゆっくりと亜弥に伝えた。
亜弥はクスリという言葉に少し眉を動かしたが、それ以外は表情を変えずに美
貴を見つめていた。
亜弥はクスリについて考えるより前に聞いておきたいことがあった。
亜弥は世間一般の恋する女の子以上に恋する女の子だった。
何もかもが飛びぬけて優秀で、鋭利で冷たい感じすらする亜弥が人間らしくも
ろに感情をぶつけている。
警察に捕まったという世間一般では大事な事件を亜弥の恋心は棚にあげる。
- 96 名前:変わる世界、変わる美学 投稿日:2004/10/07(木) 01:20
-
「居場所って…なぁに?」
「え。だから…」
いざ面と向かって問われると美貴は恥ずかしくなり答えられない。
しかし、亜弥は美貴の口から出される回答を待っている。
その答えを予想しながら、なお美貴の口から言わせようとしている。
亜弥は美貴からの愛の囁きが欲しくてたまらない。
みっともないくらいの愛情を示して欲しくてたまらない。
全てを束縛して亜弥と美貴以外何者も介在できない空間を作りたくてたまらな
い。それは無意識に。強すぎる想い故に無意識に。
「言わないと駄目?」
「駄目」
亜弥がきっぱりと言い切ると、美貴は一つ溜息をついてから俯き加減で頭を掻
いた。
「美貴はずっといたいと思う場所を見つけたってこと。それが亜弥ちゃんの傍
ってこと。だからもうあの街には行かない…」
美貴がぼそぼそと小さな声で言い終わると、亜弥は顔をくしゃくしゃの笑顔で
満たして美貴に飛びついた。
驚きながらも、亜弥が笑ったことが美貴は素直に嬉しかった。
「もうっ、美貴たんってばそんなこと思ってたんだぁ。可愛いんだからぁ」
「居てもいい?」
「当たり前。居てくれなきゃ嫌だよ。他の誰かのとこなんて許さない」
「うん、亜弥ちゃんの傍にずっといたい。亜弥ちゃんじゃなきゃ嫌だよ」
「もぉ、美貴たんってば!私だって美貴たんじゃなきゃ嫌だよぉ」
- 97 名前:変わる世界、変わる美学 投稿日:2004/10/07(木) 01:21
-
二人は照れ合いながらお互いの手をぎゅうぎゅうと握り合った。
亜弥は美貴の言葉を恋の成立として受け取ったし、美貴を離さないと思った。
美貴は亜弥の言葉を特別な存在して受け取ったし、亜弥の傍を離れないと思っ
た。
亜弥は美貴の唇にそっと自分の唇を押し付けて、嬉しそうに幸せそうに照れな
がら笑った。
美貴もそんな亜弥へ愛しさが溢れんばかりの表情でとろけるように笑った。
それでも美貴は気付かない。
美貴は愛に敏感だったが、恋には鈍感だった。
美貴が甘えるように亜弥の膝に頭を乗せると、亜弥はそれを優しく撫でてやる。
美貴を独占しているという実感を得た亜弥は心を満たし、そこに冷静さを取り
戻すと、ゆっくりと柔らかく美貴に語りかけた。
「ね、たん。さっきマイって人がクスリを渡そうとしてきたって言ったよね?」
「あ、うん。けど、美貴もうやってないよ!持ってた奴も全部捨てたし」
「ん、分かってる。だからさ、ちょっと気になる」
「何が?」
「だって、たんは持ってもいないクスリで疑惑かけられた上に捕まって、鞄の
中から出てきちゃったんでしょ?」
「それは…そうなんだよね。しかも入ってたのは覚醒剤だった。美貴はあれに
手出したことないのに」
「何か引っかかるんだよね。刑事が都合よく現場を見てたってのもすごく怪し
いし」
亜弥は続きの言葉を言い淀み、少しの間口を閉じた。
その様子に美貴は不安を感じながら、亜弥の言わんとしていることを考えた。
そして、単純なことを思いつく。
それは、あの街では日常茶飯事だったことなのに、美貴には信じがたいこと。
マイが美貴をはめたということ。
- 98 名前:変わる世界、変わる美学 投稿日:2004/10/07(木) 01:21
-
*
- 99 名前:変わる世界、変わる美学 投稿日:2004/10/07(木) 01:22
-
*
- 100 名前:変わる世界、変わる美学 投稿日:2004/10/07(木) 01:22
-
*
- 101 名前:名無し飼育 投稿日:2004/10/07(木) 01:41
- >57さん ありがとうございます
>58さん ありがとうございます
>60さん イヒ
>61さん いや、そんなお手を煩わさずとも…
>62さん ナイス
>63さん ありがとうございます。更新しました
>64さん げんなりされないといいのですが…。ありがとうございます
>66さん さいどのお心遣いありがとうございます
>67さん げんき一杯の感想ありがとうございます。ご期待に沿えるといいのですが…
59と65のochiは自分でした
ochi更新と書かなかったのが悪かったですね
申し訳ありません
壮大な展開にできないのでマターリと読んでいただけると幸いです
- 102 名前:マイとミキ 投稿日:2004/10/14(木) 00:38
-
初めてマイに会った時、美貴はささくれ立っていた。
美貴はまだ14歳で、中学3年に上がったばかりだった。
何となく毎日がおもしろくなかった。
性格が暗いだの、勉強ができすぎるだの、太っているだの、小さいだの、そん
なことをいちいちクローズアップしては
虐めを繰り返すクラスメイトたちがおもしろくなかった。
かと言ってそれを止めに入る程の勇気や正義感もなかった。
くだらないと思いながら傍観している自分、そんな自分もつまらない存在だと
思った。
たった一つや二つの差で威張り散らす上級生もくだらなく思えた。
何かといちゃもんを付けては下級生を叱ったり、しごいたりする先輩面がおも
しろくなかった。
虐めも行き過ぎた後輩指導も見てみぬふりをする教師が嫌いだった。
生徒指導と託けてセクハラまがいの言動をする教師には反吐が出そうだった。
要するに美貴は学校が嫌いだったのだ。
けれど、それを辞めてしまえる権利は美貴にはないように思えたし、世界はそ
ういうふうにまわっているのだという無意識の諦めが美貴の中にはあった。
何かと戦おうとか何かをやり遂げようとか何かを変えてみせようなどという気
概や思想は美貴には皆無だった。
それは周りのクラスメイトは愚か大人たちにも言えたことで、美貴は生まれて
此の方誰かにそういうことを教わったことはなかった。
美貴の知っている教育とは、差別をしない、という理想の元に繰り広げられる
矮小な者を育てるプログラムだった。
順位をつけるのは宜しくないと言いながら順位の良い高校へ、大学へ、企業へ、
資格へ。
個性を磨きなさい、と言いながら異質なものは排除するシステム。
心の教育を大切に、と言いながら心の叫びに蓋をする大人たち。
それらはどう見ても矛盾していたし、未来は明るいと思える要素は一つもなか
った。
けれど美貴は学校以外の何かを知らなかった。
だから学校へ行くしかなかったのだ。
学校を捨ててしまうことは美貴にとって世界が終わるようなことだった。
暗雲立ち込める世界でも、それは捨てるに値するものではまだなかった。
- 103 名前:マイとミキ 投稿日:2004/10/14(木) 00:39
-
その日もクラスの数人が体力も腕力も弱い男子生徒を苛めているのを目撃して、
何となくイライラしていた。
教師が通りがかりに注意しても、虐めを行っている生徒たちは
「遊んでるんですよ」
と、ニヤニヤ笑いながら弁解をした。
教師はそれを受けて、それならいいんだと立ち去ってしまう。
あれのどこをどうみたら虐めじゃないと言うのだろう。
美貴は怯えた表情でオドオドと当たりを見回しては殴られたり蹴られたりする
男子生徒を見ていた。
彼は誰にも助けて、と言わない。
虐められている、とも言わない。
けれど誰もが助けて欲しいと思っていることを知っていたし、虐められている
ことを知っていた。
誰もが見てみぬふりをした。
そこには善意はなかった。悪意だけが固まってゴロゴロと転がり誰も彼もの足
を躓かせていた。
「ちょっとあいつらやりすぎよねぇ」
クラスメイトの女子生徒が美貴に耳打ちするように言う。
そうだねぇ、と気のない返事を返す美貴に女子生徒はほっとしたように次の話
題を振ってくる。
「今日、隣のクラスの子とカラオケ行くんだけど美貴もいかない?」
「あぁ、いいね。今日、暇だったんだよ」
楽しいことに目を向けようと必死な自分たちをどこかに感じながら美貴はその
男子生徒のことを忘れようとしていた。
事実、カラオケに着く頃には美貴はすっかり彼のことを忘れていた。
- 104 名前:マイとミキ 投稿日:2004/10/14(木) 00:40
-
その日行ったカラオケは、若者の街と呼ばれる流行の発信源として雑誌にも頻
繁に取り上げられるところにあった。
よくこの街へ遊びにくるという隣のクラスの子の案内で、複雑に入り組んだ道
を進んでいく。
小奇麗で繁盛している店だった。
すぐに部屋に通されると、カラオケ店を紹介した子は穴場でしょ、と自慢する
ように笑った。
美貴も周りの子と同じようにすごいね、とか詳しいねとか当たり障りのない褒
め言葉を放つ。
意味のない言葉が次々と宙を舞い、時間を消費していく。
利用時間を過ぎて外へ出ると、すっかり陽は落ちていた。
駅へと向かう道すがら、いかにもちゃらちゃらしていますとアピールしている
ような少年が美貴たちの元へ近づいてくる。
ダボダボで今にも腰からずり落ちそうなズボンにはジャラジャラと大量のチェ
ーンが伸びていた。
その中に何故かスプーンがぶら下がっているのを美貴はちらりと視界に入れた。
少年は美貴の視線に気付くと、いやらしい笑いを浮かべながら美貴の腕を取った。
「ね、君興味あんの?」
「は?なんですか、離してください」
「カマトトぶんなよ、見てたじゃん?スプーン」
「知りませんよ、ちょっと離して!」
少年の絡み方は尋常ではなかった。
その不穏な空気に恐れをなした美貴のクラスメイトたちはオロオロと周囲を見
渡したが助けてくれそうな人間は見当たらなかった。
- 105 名前:マイとミキ 投稿日:2004/10/14(木) 00:41
-
「ちょっと離してあげて下さいよ。わ、わたしたち帰るんですからっ」
一人の子が勇気を出して抗議すると、少年は突如切れたように大声で怒鳴り始
めた。
「うるせぇ!!だまってねぇとてめぇらもおかすぞ!!」
その怒声に驚きすっかり怖気づいてしまった少女たちは美貴を残して一目散に
逃げ出した。
美貴はその少女たちの遠ざかっていく背中を見て絶望感を覚える。
ふと虐められている男子生徒のことが頭を掠める。
それでも何とかこの場を切り抜けなければならない。
美貴は身体をぐいっと捻ると思い切り反動をつけて戻した。
肩にかけていた鞄を少年の身体にぶつけたのだ。
数冊の教科書が入った鞄はそれなりの重みがあり、少年は驚いて美貴の腕を離
した。
その隙に美貴は走り出した。
後ろからは怒りで顔を赤くした少年が追ってくる。
美貴は必死だった。
駅までの道すらわからないので、出鱈目に走り回る。
人が一人やっと通れるような路地に入り込んだり、場末の匂いが立ち込める裏
道に入り込んだ頃、少年の姿は見えなくなっていた。
ほとんど明かりがないそこは、先ほどまでいた繁華街とはまるで別の世界のよ
うだった。
少年から逃げられたはいいものの、ここからどうやって駅に戻ればいいのか全
く分からない。
美貴は途端に不安に胸を押し潰されそうになった。
- 106 名前:マイとミキ 投稿日:2004/10/14(木) 00:41
-
すると、先ほど美貴が走り抜けてきた細い路地の方から声が聞こえてくる。
「おーい」
女の声だった。
目を凝らしてみていると、美貴より背が高くすらっとした女が美貴の前までや
ってきた。
「ふぅ。やっと追いついた。あんたこんなとこに一人できちゃ危ないって。ま
ぁ、さっきの状況じゃ仕方ないと思うけど」
「だ、誰?あなた誰ですか?」
美貴は震える声で尋ねる。
先ほどの恐怖心がまだ抜けきっていないのだ。
目の前の女が信用できるかも分からない。
「そんな警戒しないでよぉ。折角助けにきたのに傷付いちゃうわ」
「助けにきた?」
「そ。あんたさっきラリった奴に追いかけられてたでしょ?だから助けてやろ
うと思ったのにどんどん裏道入ってくんだもんね。
見失ったらどうしようかと焦った、焦った」
ガハハと女は豪快に笑った。
よく見ると、彼女はとても大人びた顔をしていて、美貴よりもずっと年上に見
える。
そして、とても綺麗な顔立ちをしていた。
- 107 名前:マイとミキ 投稿日:2004/10/14(木) 00:42
-
「ここはあんまり安全な場所じゃないから、取り合えず駅の方にいこ。案内し
たげるよ。あ、あたしの名前はマイ」
「マイ…さん」
「さんはいらない。マイだけでいい。あんた名前は?」
「み、美貴です。ふじ…」
「ミキ、ね。可愛い名前じゃん」
マイはフルネームを名乗らせる前に美貴の言葉を切った。
それは無言の圧力だった。
そして、美貴はそれを感覚的に理解した。
ここでは名前は呼び名でしかないのだということを。
その感覚を美貴は正しいと思った。
踏み込まない、踏み込めないのなら、名前など呼ばれなくたっていい。
ただ、なければ呼ぶときに不便だから。それだけの意味しか持たない。
「マイさん、っとマイは何でミキを助けてくれたの?」
「ん。なんでかなぁ。可愛かったから」
「はぁ?」
「ってのは嘘で、嫌いだから。ラリって女を襲う奴とか」
「ふ、ふぅん…」
マイの顔が険しく歪むのをチラリと美貴は横目で見ていた。
何となく嫌う理由を聞いてみたいと思ったが、聞かなかった。
それは美貴が踏み込み領域ではないと感じた。
「マイはいつもこの街にいるの?」
「えーと。まぁ大抵ね」
「じゃあどこいけば会える?」
「んー、東口のバーガー屋とかゲーセンにはよくいる」
「次会ったら声かけてもいい?」
「ミキ、質問ばっかだね。いいよ。そんなんミキの自由じゃん」
そういうとマイはくしゃっと美貴の頭を撫でた。
その日から美貴はマイに懐くようになり、マイは美貴に上手で小ズルイ生き方
を教えるようになった。
- 108 名前:マイとミキ 投稿日:2004/10/14(木) 00:42
-
*
- 109 名前:マイとミキ 投稿日:2004/10/14(木) 00:43
-
美貴は学校以外の世界があるということを初めて知った。
それは中学校という非常に小さな非常に閉鎖的なコミュニティしか持つことの
できなかった美貴にとって、大きなカルチャーショックだった。
マイに連れられて見た、夜毎繰り返される街の喧騒は美貴の心を慰めた。
必ず誰かがいる街へ繰り出すうちに美貴は初めて自分は寂しかったのだと気付
く。
一人の夜を寂しいと思ったことはなかったが、一人ではない夜を経験すること
によって知ってしまう孤独感。
街にいたって、結局は孤独なのだ。
けれど、人の気配や街のざわめきを聞いている分美貴は寂しくないような気が
した。
マイは街の最低限のルールや危ない場所と安全な場所、そういった基本的なこ
とからマイの持つコネクションなどを細々と教えた。
けれど、マイは決して美貴とつるもうとはしなかった。
マイの周りにはいつも誰かがいたけれど、それはいつも違う人だったし、誰に
対しても同じように付き合っていた。
美貴はマイのそういうところも格好がいいと思った。
群れるのは元々好きではなかった。苦手だった。
いつも同じことをしたがる女の子的なものを嫌悪していた。
- 110 名前:マイとミキ 投稿日:2004/10/14(木) 00:44
-
群れないマイを真似して、群れない美貴を確率させた頃、美貴の学校での態度
も随分と変わった。
群れない美貴の態度を、群れた生徒達は訝しげに扱ったが虐めることはできな
かった。
その代わりに、近寄らなくなっていった。
取り入ってくる者もいたが、美貴は相手にしなかった。
夜の街の人間の方が好きだったわけではない。学校の人間が嫌いだったわけで
はない。
そのどちらも美貴には大して意味を持たない。
圧倒的な虚無感、それを多少でも埋めてくれるのは夜の街だった。だから美貴は夜の街へ行く。
自分を見失うな!
美貴が学校を出ようと、下駄箱に向い廊下を歩いているとそんな語呂の書かれ
たポスターが貼られていた。
非行防止キャンペーンの物だった。
ふとそのポスターについてマイがハシッシを決めながら愉快そうに喋っていた
のを思い出す。
「見失う以前に、自分がないやつぁどーしたらいいわけ?」
それは幾分自嘲的でもあり、美貴は何とはなしに聞いていたその言葉を口の中
で呟いてみる。
「自分がない…」
そして考える。自分のあるやつが一体どれくらいいるのだろうか、と。
美貴は出会ったことがないように思えてくる。
マイでさえ、何か欠けていると思った。
いつか自分が見つかる日がくるのだろうか。自分の意味は見つかるのだろうか。
- 111 名前:マイとミキ 投稿日:2004/10/14(木) 00:45
-
「生きる意味がみつかんねーっつーの…」
美貴はポツンと呟くと、廊下を足早に抜け下駄箱で靴を履き校舎を後にした。
思春期らしいセンチメンタルに陥る自分をどこか覚めた目で見る自分がいるの
を感じながら、美貴は街へと足を進める。
可哀相な自分に酔ってしまうような感傷的な気分になりそうだった。
美貴はそんな自分が一番嫌いだ。
嫌いだけれども、その感傷を誰かにわかって欲しかった。
けれど、今日もその誰かはいない。
美貴は寂しいと思うまいと、思うほどに寂しくなった。
- 112 名前:マイとミキ 投稿日:2004/10/14(木) 00:45
-
*
- 113 名前:マイとミキ 投稿日:2004/10/14(木) 00:52
-
美貴は亜弥と初めて会った夜、マイにそのことを話した。
それはあまりにも亜弥との出会いが自分とマイとの出会いに似ていたからだっ
た。
マイに助けられた日から美貴は、いつか自分と同じような子を見つけたら助け
てあげたいと思っていた。
それがマイに対する憧れからくる模倣だということには気付いていなかったの
だが。
そして、美貴は亜弥に自分の本名を何の違和感もなく教えたことに気付いてい
なかった。
名前を持たない街で名前を明かすことの意味は特別であるはずなのに、全くの
無意識に美貴はそれを行っていた。全く気付くこともなく。
その偶然とこそ正しく運命と呼ぶに相応しいことだったのかもしれない。
ただ、それはどう言い様を変えたとしても後付の理由にしかならない。
ただそこにあるのは、名前を持たないはずの街で、藤本美貴が松浦亜弥にそれ
を教えたということ。ただ、それだけのことだった。
それはとても特別で、特殊で、無意味だった。
- 114 名前:マイとミキ 投稿日:2004/10/14(木) 00:53
-
いつも溜まり場になっているバーガー屋で二人はシェイクを片手にポテトを齧
っていた。
その日、マイはシラフだったから熱心に美貴の話しに耳を傾けてくれた。
美貴は一緒にハシッシを吸っている時のマイが嫌いではなかったが、それより
こうして話しをしたり、聞いたりしてくれるマイの方が好きだった。
「でもさ、その子全然謙虚じゃないっつーかすごい積極的なわけ。マジでおも
しろくってさ」
「ふぅん、ミキがそんなに気に入るなんて珍しいじゃんか」
「そ、そうかな?」
「そうだって。あんたいっつも突っ張った寂しい子猫ちゃんみたいだもん」
「なんだよ、それ。なーんかちょっとむかつく。それならマイは孤独な一匹狼
だ」
むかつくと言いながら笑い続けている美貴を見てマイは微笑した。
それからふーっと一つ溜息をついた。
「あたしさ、ミキ見てると時々幸せになることあるなぁ」
「は、はぁ?何、突然」
「いや、そのまんま。ミキっておもしろいよ、ミキが自分で思ってるより」
「そっかなぁ。別におもしろいことしようとか思ってないけど」
「なんつーか、行動とか。ま、分かんなくてもいいや。もしかしたらあたしに
とってのミキみたいなもんがミキの助けた中学生の子になるかもね」
「そっかな…。別にミキはそんなん考えてないけど」
「考えてなくったってなるようになるからね」
「ミキとマイみたいに?」
「そーそー」
- 115 名前:マイとミキ 投稿日:2004/10/14(木) 00:55
-
間延びした相打ちを打ちながらマイはぼんやりと遠くを見るような目をした。
「あたしさ、頑張りたかったんだよね。普通って嫌でさ」
突然語りだしたマイ。
それは美貴がマイと出会ってから初めてにも近いマイの身の上話だった。
美貴はマイがそれを語りだすことに奇妙な違和感を覚える。
だからこそ、真剣に聞かなければならないような気がした。
「結構つよーいスポーツ選手だったわけよ、これでも。普通は嫌でさ、頑張っ
た。自分でも才能あるとか思っててさ。そんで結果が出れば皆ちやほやするじ
ゃん?そういうの嫌いじゃなかった。っていうか好きだった。
でも利き腕をね、怪我して選手としては使い物にならなくなったんだ。漫画み
たいなことってホントにあんの。
でも、ま、しょうがないから普通になろうと思ったんだ。だけど無理だった。
普通よりちょっとだけ何でもできるっていうの?だけど一番上にはなれないの。
他人より頭飛び出しちゃってダントツ一番ってのが絶対できないわけ。でも普
通になれない。わかる?どうせなら、馬鹿か天才かどっちかの方がカッコいい
じゃん。でもどっちも無理。普通も無理。
どこにも行けない。それってね、あたしにとってすごい敗北感だったわけ。
学校とか会社とかこの街だって矛盾と差別に溢れてるわけじゃん。そういうの
気付いてるのにあたしには変えられない。
そんな力なんてどこにもない。だから頑張れないのよ。気付かない方がましだ
よ、そんなのって。
言うなればアウトサイダー。中途半端なはみ出し者。あたしの中じゃー一番カ
ッコ悪い。それが自分。
こんなこと言ったら傷付くかもしんないけど、ミキにも同じもんを感じる。
あんたはもっと悲しそうに傷ついた顔してるけどね。ははっ。だから好きだよ。
でも見てて悲しくもなるかな」
マイの言葉に口を挟むことなく、美貴はじっとそれに耳を傾けていた。
そして、マイが言葉を切ると、ふーっと細く長い息を吐いてから美貴はマイを
見つめた。
- 116 名前:マイとミキ 投稿日:2004/10/14(木) 00:57
-
「マイって意外と頭いーこと考えてたんだぁ」
美貴の漏らしたあまりにも頭の悪い感想にマイは苦笑した。
けれど、美貴は本当に頭の悪い奴じゃない。
わざとそういう気の抜けた言葉を発しているのをマイは分かっていた。
そういう部分はマイの最も気に入っている美貴の性格の一つだった。
事実、美貴は込み上げる言葉を飲み込み、ただそれだけを零した。
批判でも肯定でもなかった。
ただ、美貴はそれを聞いたのだ、ということだけを伝えたかった。
「まーねー。だからね、まぁ、要は忘れないで欲しいってこと。いつかここを
去ってもさ、マイって中途半端な奴がいたってことをね」
「おわーセンチメンタルぅ」
「だね。自分で言ってて鳥肌立っちゃった」
マイは笑いながら両手をクロスして自分の腕をさすった。
美貴はそれを見て笑いながらぽつりと呟く。
「わすれないっつーの」
「ありがと」
- 117 名前:マイとミキ 投稿日:2004/10/14(木) 00:58
-
何か変だなと美貴は思った。
それはいつものミキとマイではなかった。
けれど、次の瞬間からはいつものミキとマイになるのだと頭のどこかで感じて
いる。そして、それはその通りになった。
だから美貴は忘れないでおこうと思った。
今日の少し変なマイを。
センチメンタルになることのあるマイを。
マイを大好きだと思う自分を。
それは恋ではなかった。
愛でもなかった。
小さな世界で見つけた小さな憧憬だった。
そして、あやふやで不確かなものしか与えようとしなかったマイは時に幻のよ
うにも思えた。
- 118 名前:マイとミキ 投稿日:2004/10/14(木) 00:58
-
*
- 119 名前:マイとミキ 投稿日:2004/10/14(木) 00:58
-
*
- 120 名前:名無し飼育 投稿日:2004/10/14(木) 01:25
- 更新終了です。
二人ゴトDVD収録とかコンサMCとかラジオネタとかみんな大好きとか
燃料投下が尽きない今日この頃
ワッチョイワッチョイ
∋8ノハヾ ノノハヽ
从‘ 。 ‘) (VvV从
,, ゚し-○゚ ,, ゚○-J゚ ,,
- 121 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/15(金) 22:27
- 乙です。
この三人がどうなるのか次に期待……
- 122 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/16(土) 01:31
- >>120
可愛すぎ
- 123 名前:亜弥の好きな美貴、美貴の好きな亜弥 投稿日:2004/10/21(木) 23:44
-
二人が出会って半年が過ぎようとする頃、季節は冬になっていた。
学校では2学期がほぼ終わろうとしていた。
美貴は変わろうとしていた。
けれど、そのやり方がよく分からず、美貴は苦しんでいた。
人知れずこっそりと苦しんでいるつもりだったが、周りの目は美貴が思うより
も美貴を見ているもので、周囲は美貴が変わっていくのを感じ取っていた。
それはもちろん亜弥も同じことだった。
学校が終わると美貴は亜弥の家に行く。
それは半年の間に培われた二人の親密さの現れでもあった。
亜弥は迷うことなく美貴に合鍵を渡した。
美貴は戸惑いながらそれを受け取った。
戸惑いは喜びを隠すものだったし、まだ自信を持てない美貴の劣等感だった。
それでも、美貴は本当はとても嬉しかったのにまだそれを口にできていない。
- 124 名前:亜弥の好きな美貴、美貴の好きな亜弥 投稿日:2004/10/21(木) 23:45
-
会う約束をしていなくても、いるのが当たり前。
それは亜弥の家が二人の溜まり場であるというのとは違う意味を持っていた。
二人はつるんでいる関係というのとは違う関係を持っていた。
亜弥は意図して美貴をその場へ吸い寄せたし、美貴は無意識にそこへ吸い寄せ
られた。
美貴のそういう無邪気さを亜弥は心から好きだと思っていたが、同時に怖いと
も思う。
もしも、美貴が自分の前からいなくなるときがきたとしたら同じ無邪気さをも
って美貴は出て行くのだろう。
そうだとしたら、その無邪気さを愛している亜弥はそれを止める術を持たない。
しかし亜弥は別れに恐怖して美貴を自ら手放すようなことはしなかった。
例えば美貴が去ろうとする日がくるとするなら、また追いかけて手に入れれば
いい。
そう思える明るさと強さが亜弥にはあった。
亜弥は美貴と家族を作ろうと思った。
美貴は亜弥が家族だったらいいなと思った。
だから二人は口に出さずとも自然と家族のようになった。
一緒に暮らさない家族より、一緒に暮らす他人の方がよほど家族だった。
美貴と亜弥の中の家族の定義は生活を共にする者。
そこで血縁は最早何の意味も持たなかった。
- 125 名前:亜弥の好きな美貴、美貴の好きな亜弥 投稿日:2004/10/21(木) 23:52
-
その日、美貴は落ち込んでいた。
亜弥の部屋にある白い革張りのソファに寝転んで、テレビもつけずオーディオ
も鳴らさず、ぼぅっと窓の向こうに見える晴れた青い空と流れる雲を眺めていた。
がちゃり、と玄関の開く音がして亜弥が帰ってくる。
美貴は顔を上げずにおかえり、と声をかけた。
ただいまとおかえりを言われない、言うことのできない寂しさを二人は共有し
ていた。
だからそこには、挨拶という儀礼を儀礼で終わらすことのできない切なさが漂
う。
それはほとんど無意識に行われていたが、欠けてはいけない慣習だったし、無
意識に心を穏やかにするものだった。
美貴は少し張り詰めていた心がゆるゆると和らいでいくのを感じる。
そして、そこに自分でも思いがけない衝動を感じる。
- 126 名前:亜弥の好きな美貴、美貴の好きな亜弥 投稿日:2004/10/21(木) 23:53
-
「ただいまぁ。あれ、美貴たん寝てたの?」
鞄を下ろし、制服のネクタイを緩めながら亜弥はソファの上の美貴を覗き見た。
美貴はちらりと亜弥の方へ目をやるが、返事はしない。
代わりに拗ねたような顔をしてぷいっと顔を窓の方へ向けた。
美貴は甘えたくて仕方がなかった。
思い切り不条理を突きつけても、それでもいいよと頭を撫でて抱き締めて欲し
かった。
それはあまりにも幼い我が侭で、幼い愛情要求だった。
美貴はそんなことを考えている自分が恥ずかしいと、目を閉じる。
けれど、求める心を抑えることができず、美貴は期待している。
亜弥は少し首をかしげてから、ソファの前へ進むと美貴の頭を持ち上げて、そ
こへ腰を下ろした。
それから、自分の膝に美貴の頭を乗せる。
美貴はされるがままに亜弥に身体を委ねる。
亜弥はグルーミングするように慎重に優しく美貴の頭を撫でながら、美貴と同
じ方向へ目を向けた。
青い空は白い雲を次々と流している。
- 127 名前:亜弥の好きな美貴、美貴の好きな亜弥 投稿日:2004/10/21(木) 23:56
-
「今日、進路指導があった」
「ふぅん」
美貴がぽつりと語りだす。
亜弥はそれを優しい目で聞いている。
「将来についてどう思うかって聞かれたから、分かりませんって答えたら、ま
だ若いから仕方がないって言われた。
進路について希望があるかって聞かれたから、分かりませんって答えたら、少
しずつ考え始めないといけいないって言われた。
学校は楽しいかって聞かれたから、つまらないって答えたら、どうしてそう思
うって聞かれた。
少し考えてから、何もかも決まっちゃってるからって答えたら、お前それは甘
えだよ、世の中のことを何も知らないのに分かったような顔をしてすれていち
ゃ駄目だ、って言われた。
何も言わないでいたら、きちんと勉強して、きちんと就職なり進学なりして社
会を勉強しなさい。そうすれば今の自分がいかに甘えているか、恵まれている
か理解できるようになるぞ、って言うんだよ。
美貴は素直に分かりましたって出てきたんだけど、本当は全然分からない。
美貴はあの先生よりも全然生きてないけど、あいつが知らない世界はたくさん
知ってる。
世の中の汚くて醜くてどうしようもないところばっかりたくさん見たんだよ。
きちんと勉強して、就職して、世間がいう立派な身分ってやつになったとき、
いつかあそこを見おろすようになったら、あの頃の自分は何て惨めだったんだ
ろう、って思わないのかな。
恵まれていたなんて、きっと思えない。
美貴、甘えてたのかなぁ。甘えさせてもらった覚えなんてないけど、これが甘
えてるってことなのかなぁ。
そうだとしたら、甘えられない世の中ってちょっと辛すぎるんじゃないかって
思う。美貴は自分が何に甘えてるのか分からないよ。自分?他人?社会?そ
れとも全てなのかな」
- 128 名前:亜弥の好きな美貴、美貴の好きな亜弥 投稿日:2004/10/21(木) 23:59
-
美貴は自分の目から涙が零れ落ちそうなのを感じて、慌てて手の甲でそれを拭
った。
泣くつもりなどはなかった。けれど悲しい気持ちになっていた。
美貴は自分自身が情けなく、悔しかった。
自分が今、喋っている内容こそが甘えなのではないかと思えた。
大事なことがよく分からずにモヤモヤした気持ちを持て余していた。
自分がどこへ行きたいのか、何をしたいのか、そういうことがはっきりと見え
ず、それは苛立ちと哀しみと希望を残した絶望となって美貴を覆っていた。
亜弥はそんな美貴の頬をゆっくりと何度も撫でた。
愛しくて仕方がないというように、優しく柔らかく撫でた。
その手の温もりが何だかとても嬉しくて、美貴の目からは勝手に涙がまた零れ
る。
亜弥はそれをそっと指で拭うと目を閉じた美貴の額に唇を落とした。
それはとても優しい動作で、美貴は亜弥のことを暖かいと思った。
- 129 名前:亜弥の好きな美貴、美貴の好きな亜弥 投稿日:2004/10/22(金) 00:01
-
「美貴たんが、誰かに甘えているんだとしたら、それは客観的に見て大部分を
占めているのは親ってことになるかな。金銭的な意味でも、精神的な意味でも。
けどね、美貴たんは甘えるべきときに適切な甘え方をさせてもらえなかった。
だから甘え方が不器用なんだよ。
それは誰も責めたりなんてできないよ。美貴たんはちっとも悪くないもの。
大丈夫だよ。私に甘えていいから。美貴たんの甘え方で甘えていいんだから。
それから、二人で二人の甘え方を作っていこう」
美貴は亜弥の言葉を驚くほど素直に受け入れいていた。
他の誰でもなく亜弥の言葉だったからこそ素直に受け入れることができた。
それはとても不思議な感覚だったが、とても心地が良かった。
亜弥が悪くないと言ってくれた。
だったら他の誰が美貴を悪いといってもやっていけるように思えた。
亜弥にクスリのことで助けられた時、美貴は亜弥とならばどこまでへも行ける
と感じた。
その感覚が再び美貴を覆う。
亜弥は美貴の全てを受け入れてくれるような気持ちになる。
亜弥が自分を裏切る、などということは考える余地もなかった。
それよりも自分が亜弥を裏切ってしまわないか、そのことの方がよほど恐ろし
かった。
崇拝にも似た気持ちで亜弥を見上げると、亜弥は優しく笑っている。
美貴はぽろぽろと涙を流す。
- 130 名前:亜弥の好きな美貴、美貴の好きな亜弥 投稿日:2004/10/22(金) 00:04
-
「亜弥ちゃん、美貴は、美貴は…」
声にならない声をあげる美貴を亜弥はそっと抱き起こした。
そして、ぎゅうっと抱き締める。
美貴はずっとこんなふうに誰かに優しく強く抱き締めて欲しいと思っていた。
そして、それは父親でも母親でも、兄弟たちでもなく、教師でも友人でも、恋
人でもなかった。
松浦亜弥という年下の自分と同じ背格好をした少女だった。
「いいんだってば、美貴たんならなんだって」
亜弥の優しい囁きが美貴の胸を激しく揺さぶった。
亜弥はその時、美貴にとっての父であり母であり、姉でも妹でもあり、教師で
もあり、友人でもあるようになった。
そして、とろけるような甘さと、焦がれるような嫉妬をもたらす恋人となった。
美貴はそれがとても嬉しかった。
- 131 名前:名無し飼育 投稿日:2004/10/22(金) 00:12
-
*
- 132 名前:名無し飼育 投稿日:2004/10/22(金) 00:12
-
*
- 133 名前:名無し飼育 投稿日:2004/10/22(金) 00:13
- 短いですが、更新終了です。
>121さん
アリです
期待に応えられる自信はないのでマターリ読んでもらえるととっても嬉しいです
>122さん
∋8ノハヾ ノノヘヽヽ
从‘ 。 ‘)川VvV)<エヘヘ
c っc っ
し─'0 し─'0
- 134 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/23(土) 15:58
- >133 ふはぁ〜…可愛いw
切ないお互いの気持ち…いいですね。
更新乙でした。
- 135 名前:名無し読者 投稿日:2004/10/23(土) 17:09
- 一気読みしました。
二人の関係が大好きです。
AA可愛すぎ。
- 136 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/09(火) 22:59
- 最近見つけました。
とても気になる物語です。絶対終わりまで読みたいので頑張って下さいね。
- 137 名前:光る世界、漏れる存在 投稿日:2004/11/11(木) 00:06
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- 138 名前:光る世界、漏れる存在 投稿日:2004/11/11(木) 00:06
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赤い絨毯を正しい姿勢で真っ直ぐに堂々と歩く。
背丈こそ小さいがそれを大きく見せる普通とは違う雰囲気を放つ。
低いヒールが床を打つ音は赤く高級で毛並みの揃った絨毯に吸収されていく。
そうして気品を放ち、威風堂々とした立ち振る舞いは周囲の目を惹き、人々の
賛美の声と羨望の眼差しを彼女に注ぐ。
彼女はそれを好しとするが、そこに彼女の本当の意味はない。
彼女はそれをもうずっと前から知っていた。
そして、ずっと彼女にとっての本当の意味を知りたいと思っていた。
彼女は今、それを手にしていた。
それは彼女に自信を与え、彼女の世界は光で満ちていた。
彼女は益々輝いているようにも見えたが、彼女の優先順位は変化した。
その為、順位を下げられたために不満を抱える者が現れる。
彼女は彼女の光の世界からはみ出した者をうっかり見落としていた。
それは、彼女にとって見るべき価値はなかったから。
しかし、彼女が彼女の幸せを持続するためには見なくてはならない存在だった
のに、彼女はそれに気付くことができなかった。
- 139 名前:光る世界、漏れる存在 投稿日:2004/11/11(木) 00:07
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「あぁ、松浦。もうお帰りか?」
中肉中背という言葉の相応しい中年の男が亜弥に声をかけた。
男は名前を和田と言った。
亜弥とは党が同じものの派閥が違うために、亜弥の所属する派閥と度々派閥対立で火花を散らす先陣を切るのが和田だった。
党内内紛の対立派閥でリーダー的存在である和田は松浦亜弥をいたく気に入
っていた。できることならば取り込みたいと常々考えていた。
和田は後ろに引き連れた派閥内の取り巻きを振り向き方眉を上げてから亜弥の
横に並んだ。取り巻き達は数歩離れてその後ろをついて歩く。
「えぇ、今日のノルマは達成しました。やるべきことはやったつもりです」
「そうか…。そう言えばお前週刊誌に…」
「そのお話しならお答えしたくありませんね。それは私のプライベートですか
ら。仕事には関係御座いません」
「そうは言うが、お前。このところ何となく違うじゃないか。仕事に対するモ
チベーションが落ちているように俺には見える」
「それは和田さんの主観ですね。私は結果を出していますよ。あなたにそれを
言われるのはお門違いと言うものではないでしょうか」
「ふん。そう言われると見も蓋もないがな。ただ、俺は個人的にお前を心配し
ているんだよ。それは分かってもらいたいところだが」
「お気持ちはありがたいです。けれど私は私でやりたいようにやらせて頂きた
いと思います」
「何か悩んでいることがあるなら何時でも相談に乗るぞ。俺はお前とは派閥対
立などというくだらないことは関係なく一目置いているんだから」
「その派閥対立に心血を注いでいるようにお見受けしますけれど?」
「ははは。相変わらず手厳しいな、まぁ、俺はお前のそういうところが好きだ
がね」
「じゃあ、私も和田さんのそういうところ、好きですよ。私には持ち得ないと
ころですからね」
- 140 名前:光る世界、漏れる存在 投稿日:2004/11/11(木) 00:07
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亜弥は和田に向いにっこりと微笑むと、正面玄関前で立ち止まり亜弥を見送る
和田に背を向けて、外へ出た。
和田は亜弥の消えていく背中を見送ると、少し苛付いたように煙草をくわえ、
火をつけると煙を燻らせた。
「俺は松浦が大切なんだよ、本心からな…」
小さな呟きは誰に聞こえるでもなく煙とともに消えていく。
亜弥にとってそれは心にもない社交辞令だった。
和田さんが好き…とんでもない。私の思い描くスマートさとはかけ離れている。
ただ、私は彼を否定はしない。それだけ。
それは亜弥の仕事だった。
心にもないことを心からあるように見せかける、そこに秀でた亜弥はそれを簡
単に当たり前にやってのける。そして、それはまだ暴かれることはない。
本当は無感動なことに感動をしている振りをする、見せ掛け。
本当に亜弥の心が震えるのはただ一つ、藤本美貴を思う時だけだった。
- 141 名前:光る世界、漏れる存在 投稿日:2004/11/11(木) 00:08
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- 142 名前:光る世界、漏れる存在 投稿日:2004/11/11(木) 00:08
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- 143 名前:ホワイトクリスマス 投稿日:2004/11/11(木) 00:08
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- 144 名前:ホワイトクリスマス 投稿日:2004/11/11(木) 00:09
-
「ホワイトクリスマスって知ってる?」
「何それ?」
「クリスマスの日に雪が降るってこと」
「クリスマスって何?」
「神様の子供らしいイエス・キリストって人が死んだ日のこと」
「宗教的命日のことか」
「うん。その日は祈りと感謝を捧げる日らしいんだけどね、昔どっかの国では
その解釈を勝手に曲げちゃって
恋人たちのイベントにしちゃったんだって」
「すごいことするね。神もへったくれもないじゃないの」
「でも、素敵じゃない?」
「そう?」
「そうだよ。あまーい響きじゃない、恋人たちのクリスマスなんてさ」
「そうかなぁ。だったらそれがクリスマスである必要なんてないじゃない」
「まぁ、それはそうだけど。でもその国のクリスマスシーズンが冬だったから
さ、イルミネーションとかご馳走とか祈りとか、そういうワードが盛り上げる
のにうってつけじゃない」
「ものは採りようだからね」
「この国だって一緒だよ。丁度クリスマスのある12月は冬だし、まぁ雪は降
らないかもしれないけど寒いから寄り添って暖めあっちゃい
たくなるものでしょ」
「そうかな。美貴は布団の中で丸まってる方があったかくて気持ちいいと思う
けど」
「むぅ。じゃあ美貴たんは私とくっついてるより布団の中で丸まってる方がい
いって言うの?」
「そ、そうは言ってないけど」
「じゃあどういう意味?」
「だから、亜弥ちゃんがさ、居ない時はって話し」
「ふぅん…。一応納得しておく」
「そうしてくれると嬉しい」
- 145 名前:ホワイトクリスマス 投稿日:2004/11/11(木) 00:10
- 「でね、クリスマスにはサンタクロースっていう白い髭がもしゃもしゃ下あご
やらに生えた老人がいるの」
「また神の使いかなんか?」
「違うんだな、それが。サンタクロースは子供の味方みたいなもんなわけ。そ
れで、いい子にしてた子供たちにプレゼントを配って回るんだって」
「へぇ。それは随分と金持ちな慈善家だね」
「まぁ、実際にいたわけじゃないみたいだけどね」
「なんだ、作り話か」
「トナカイの引くそりに乗って空からやってくるらしいよ」
「トナカイは空飛べないじゃん」
「だから架空のお話しなんだってば」
「そんな子供騙しな話し誰も信じないんじゃない?」
「子供向けだからいいんだよ。それにさ、ロマンティックじゃない」
「そうかなぁ…。もし本当にいたら美貴は焼肉一年分とか貰いたいな」
「また、たんはそうやって夢のないことを言うんだから」
「いいでしょ、好きなんだから。亜弥ちゃんなら何を頼むのさ?」
「ん。聞きたい?」
「いや、別にいいや」
「こら!聞きたいって言え!」
「き、聞かせて下さい」
「よろしい。私の願い事はね、クリスマスにサンタクロースがやってきますよ
うにって」
「はぁ?何それ」
「や、だから、サンタクロース、見てみたいじゃない」
「…意外と子供っぽいよね」
「何だよぉ。可愛い願い事でしょ」
「まぁ、ね。でも他にもっとあるでしょ?例えば…」
「例えば?」
「いや、だから、その。好きな人とずっと一緒にいれますようにーとか。せ、
世界が平和でありますように!とか」
「後のほうの奴とってつけたように言いすぎだから。ふぅん、美貴たんってば
そんなお願いしてたの?かーわーいーいー」
「う、うっさいな」
「大丈夫。私は美貴たんだけだから。美貴たんも私だけって思ってるし。だか
らお願い事なんかにしなくたっていいわけよ」
「ま、またそういう恥ずかしいことを平気で言う…」
「嬉しいくせにぃ」
「…まぁ、ね」
「だからね、叶わないようなことをお願いするの」
「ふぅん」
- 146 名前:ホワイトクリスマス 投稿日:2004/11/11(木) 00:11
-
そんな何でもない普通の休日の会話。
亜弥は美貴の膝の間も滑り込むようにして美貴の胸を背もたれにしながら座る。
美貴は亜弥のお腹の辺りに手を回してきゅっと優しく抱き締める。
「美貴が…」
亜弥の髪の匂いを嗅ぐように鼻先を亜弥の頭に埋めながら美貴は呟きかける。
「なぁに?」
「んー。亜弥ちゃんの匂い落ち着く」
「へへ。私も美貴たんの匂い大好き。美貴たん大好き」
満面の笑顔を作りながら亜弥は美貴の手を取るとそこへ唇を何度も当てながら
宣言する。
美貴はそんな亜弥にくすぐったさを感じながら、決してやめてとはいえない嬉
しさを感じる。
「美貴も」
「うん、知ってる」
「そっか」
「うん」
クリスマスと呼ばれたその日まで、後5日。
美貴は亜弥の願いを叶えてやりたいと思う。
叶わないはずの可愛いお願い。
もしそれを叶えることができるのなら、それを叶えるのは自分だけがいいと美
貴は強く思った。
- 147 名前:ホワイトクリスマス 投稿日:2004/11/11(木) 00:11
-
+
- 148 名前:ホワイトクリスマス 投稿日:2004/11/11(木) 00:11
-
サンタクロースを見てみたい亜弥の願いを叶えるためサンタクロースになって
やろうと、可愛い意気込みの美貴だった。
亜弥から話しを聞いてから美貴は数える程しか入ったことのない図書館へ通い
サンタクロースについて調べた。
幸い資料はたくさん残っていたため、美貴はすぐにサンタクロースの容姿を知
るところとなる。
赤い三角帽子に白いボンボンと縁取り。
顔中を覆うような真っ白でふわふわとした髭。
赤い上着に赤いズボンを履き、腰には黒いベルトを巻いて手には白くて大きい
プレゼントの詰まった袋。
赤い鼻をしたトナカイに木製の大きなそりを引かせ空を翔るサンタクロース。
まさにファンタジー。
土地によって様々な形態があるようだが、とりあえず最も一般的と言われるサ
ンタクロースの様態を掴むと、美貴は
変装するためのプランを練り始めた。
元来手先が器用ではない美貴は、図書館で調べ上げたカラー写真の資料をプリ
ントアウトすると、洋裁店へ持ち込んだ。
写真と同じような服を作ってくれと注文すると、生地や微細なデザインについ
て問われたが、美貴はあまりよく分からずまかせると言ってしまった。
その結果、予想を遥かに超えた金額になってしまったので、美貴の手元に残っ
たお金は僅かなものとなった。
けれども高い金を払っただけあって、美貴の手元に届いた服は予想以上の美し
い出来栄えで、布も上等らしくとても肌触りのいいものだった。
仕立ても我侭を言って通常の2倍のスピードで仕立ててもらったことを考えれ
ばそんなに高い値段でもないかもしれない、美貴はそう考えて仕立て上がった
服を大切そうに抱えて洋裁店にお礼を言った。
- 149 名前:ホワイトクリスマス 投稿日:2004/11/11(木) 00:12
-
それから美貴は亜弥へのプレゼントを買おうと思ったが、予定していた指輪を
買うにはお金が足りな過ぎた。
仕方なくプレゼントを諦め帰路を歩いていると、途中のゲームセンターのユー
フォーキャッチャーに目を留めた。
景品は動物のぬいぐるみだった。中々可愛くできている。
美貴はゲームセンターに立ち寄ると、残ったお金を使ってそれに挑んだ。
運良く引っ掛けることのできたぬいぐるみは薄青緑の羊とピンク色のうさぎの
2つだった。
「ちょっと安いけど…ないよりいいかな」
美貴は取り出し口に落ちてきたそれらを取り上げるとぽつりと呟いてゲームセ
ンターを後にした。
- 150 名前:ホワイトクリスマス 投稿日:2004/11/11(木) 00:12
-
そして12月24日、クリスマスイブと呼ばれる日、美貴は学校から帰ると、
すぐに買い揃えていた道具を部屋から引っ張り出した。
白い布袋にぬいぐるみを詰め込むと美貴は着替え始める。
「っと…こんなもんかなぁ」
姿見鏡の前で美貴はくるりと回って自分の姿を確認した。
採寸を美貴自身で取ったため、ジャストフィットの衣装に問題はない。
三角帽を被り、綿で作った髭をもみ上げのあたりから顎と鼻下にかけてつける
と、ぱっと見ではこれが美貴だとは分からない。
トナカイを用意するのは無理として、美貴は出来る限りの用意はしたつもりだ
ったが、亜弥の反応を見るまではどうにも不安だった。
亜弥は必ず喜んでくれるはずという確信はあるものの、もしかしたら自分一人
の空回りかもしれないという思いも頭を掠める。
美貴は少しの不安と、少しの期待を深呼吸で飲み込むと部屋の電気をすっかり
消し、真っ暗にしてクラッカー片手にソファの影に身を潜めた。
「美貴ってば頑張りすぎかも…」
ぽつりと呟くと笑いがこみ上げてくる。
そのドキドキする感覚がとても好きだな、と美貴は思った。
- 151 名前:ホワイトクリスマス 投稿日:2004/11/11(木) 00:13
-
「ただいまーって美貴たんいないのぉ?」
亜弥は玄関で靴を脱ぎながら家中が真っ暗なことを疑問に思った。
家に上がると電気をつけるより先に鞄から携帯を取り出してメールと着信のチ
ェックをした。
しかし、メールも着信もない。
美貴が家を空けるなら連絡を入れるはずだ、と思いながら亜弥は少し不安にな
った。
美貴の携帯に電話をかけてみるとリビングの方から着信音が聞こえてくる。
亜弥がリビングの方を覗くと、ソファの前のテーブルの上に置かれた美貴の携
帯がぶるぶると震えながら着信音を鳴らしていた。
携帯が置き放しになっていることから美貴は家にいるのではないかと思った亜
弥は寝室を覗いて見るが、そこにも美貴はいない。
「どこ行ったんだよぉ…」
- 152 名前:ホワイトクリスマス 投稿日:2004/11/11(木) 00:13
-
弱々しく呟くと亜弥はソファに座り込みテーブルの上のリモコンで電気をつけ
ると膝を抱えて溜息をついた。
すると、さっと目の前を柔らかい感触で覆われ視界が真っ暗になる。
亜弥の身体は一瞬固くなるが、その温もりがすぐに美貴のものだと気付くと亜
弥は美貴の手を取り、くるりと振り向いた。
そして、ぎょっとする。
美貴は亜弥の前に回りこむとクラッカーを鳴らしてみせた。
ぱぁーんという音と火薬の匂いが立ち込める中亜弥は呆然と美貴の姿を見てい
る。
「サンタクロースだよぉ」
少し鼻にかかった甘えた声を出しながら美貴は亜弥の顔を覗きこんでみた。
亜弥は俯くと肩をふるふると震わせる。
美貴の予定なら満面の笑みを浮かべるはずの亜弥だったのに亜弥の反応は大分
違い、美貴は少し焦りを感じた。
亜弥と同じ目線になるように床に膝を付き亜弥を覗き込んでもまだ亜弥は顔を
上げない。
- 153 名前:ホワイトクリスマス 投稿日:2004/11/11(木) 00:13
-
「あ、亜弥ちゃん?」
「も…あは…あははは…美貴たんってば…もぉ」
亜弥はぱっと顔を上げて笑い声を漏らすと美貴の頭を抱えるようにして抱き締
めた。
「もぉ、美貴たん可愛いんだからぁ」
「ちょ、苦しいから離して」
美貴が亜弥の背中を叩くようにして抗議すると、亜弥はぱっと美貴の頭を解放
してまじまじとその顔を見つめた。
美貴は照れくさくなって立ち上がると頬を掻いた。
「サンタクロース…に見えないかな?」
「見える!っていうか何でそんな格好してるの?」
「え、何でって…。亜弥ちゃん見たいって言ってたから…」
「へ?」
「だから、亜弥ちゃんサンタクロース見たいって」
「言ったけど…。だからって」
「ごめん、こんなの嬉しくないか」
「ち、違うよ!!逆だってば」
「喜んでもらえた、のかな?」
「ちょっと結構、すごい感激したりしてる」
「ホントかよ」
「ホントだよ」
- 154 名前:ホワイトクリスマス 投稿日:2004/11/11(木) 00:14
-
亜弥は美貴の手を掴むとぐいっと自分の方へ引き寄せる。
美貴はそれに逆らわずに素直に亜弥の傍に近寄り、少し腰をかがめた。
亜弥は美貴の頬に手を伸ばすとくしゃっと髭を触り微笑む。
「もしゃもしゃしてる」
「だってサンタクロースって髭がすごいからさ」
「うん。美貴たん可愛いよ」
「あんま嬉しくないかも」
「そぉ?私はすっごく嬉しいけど」
亜弥は言いながら美貴の髭を引っ張って自分の顔に美貴の顔を引き寄せる。
鼻をちょんと突合わせてからちょんと唇を付き合わせた。
「ちくちくするよ」
「サンタクロースだからね」
ふにゃりと顔を崩すと亜弥は美貴の腰に手を回しお腹の辺りに顔を埋めるよう
に抱きついた。
「ふわふわしてて気持ちいい」
「そぉ?良かった」
美貴は嬉しそうに亜弥の頭を撫でる。
亜弥の幸せそうな顔を見てやってよかったなぁと思いつつ、すっかり忘れてい
たプレゼントのことを思い出した。
- 155 名前:ホワイトクリスマス 投稿日:2004/11/11(木) 00:14
-
「ね、この服どうしたの?」
「んぁ、ちょっと作ってみた」
「えぇ?わざわざそこまでしてくれたのぉっ!」
「まーね」
「もぉ、ちょっと、美貴たんってばぁ」
亜弥は美貴を見上げると瞳を潤ませてさらにきつく美貴を抱き締める。
美貴はそんな亜弥の反応にひとまず胸を撫で下ろすような気持ちになって亜弥
の髪を優しく撫で付けた。
亜弥が喜ぶことがいつからこんなに嬉しくなったのか、一瞬頭を巡らせるが明
確な答えは出てこない。
気付いた時には亜弥が喜ぶことが美貴の一番嬉しいことになっていた。
他にも楽しいことや嬉しいことは溢れていたけれど、順位をつけて一つだけ選
ぶのだとしたら、美貴は迷いなく亜弥を選ぶだろうと思った。
美貴は自分の意志で亜弥を選んだ。だから美貴は何も窮屈に思うことも卑屈に
なることもなかった。
美貴の自由はそこら中に転がっていて、その中から敢えて美貴は亜弥を選んだ
のだから。
「ホントさ、美貴たんって私のこと大好きでしょ」
にひひと笑って美貴を見つめる亜弥の瞳はきらきら輝いている。
美貴はそんな亜弥を見て頬を緩めると、返事はせずに腰に回された亜弥の手を
外して白い袋を持ち上げ亜弥の隣に座った。
ごほんと咳をすると美貴は袋の中に手を入れた。
- 156 名前:ホワイトクリスマス 投稿日:2004/11/11(木) 00:15
-
「では、サンタクロースから良い子の亜弥ちゃんにプレゼントをあげましょう」
「うっそぉ」
「マジ」
じゃじゃーんと言いながら美貴は袋の中からぬいぐるみを取り出して亜弥の膝
の上に置いた。
「全然凄くないけど、これプレゼント」
「か、可愛い!!」
「ホントはもっといいものあげたかったんだけど、ちょっとお金がね」
苦笑いのような顔をする美貴の顔を見て亜弥は少し唇を尖らせる。
「金額なんて関係ないでしょぉ。私は美貴たんがくれるんなら何でもめっちゃ
嬉しいんだから」
「あ、やっぱり?」
「ホントは知らなかっただろ」
「知ってた知ってた。でもちょっと不安だったかも」
「もー、ちゃんと分かっとけ」
少し怒ったような口調で、けれど嬉しさを隠し切れない表情で亜弥は美貴の鼻
先をちょんちょんと指でつついた。
美貴もそんな亜弥の態度にやっと心から安堵し、ふにゃりと笑った。
亜弥はコテンと美貴の膝に頭を乗せてねっころがると2体のぬいぐるみを両手
にもって掲げた。
- 157 名前:ホワイトクリスマス 投稿日:2004/11/11(木) 00:15
-
「羊とうさぎかぁ…」
「なんかうさぎって亜弥ちゃんっぽいよね」
「そぉ?どこが?」
「えーと、か、可愛いとこ」
「にゃはは。嬉しいこと言ってくれるねぇ」
「た、たまにはねぇ」
「毎日言ってくれて全然構わないのに。じゃあ羊は美貴たんかな?」
「えー、美貴って羊っぽい?」
「うーん、そうでもないけど、ふわふわなとことか似てるかなぁ」
「なんじゃそりゃ」
「さて、なんでしょ。まぁいいじゃない。じゃあ羊はミキウールね。うさぎは
アヤピョン」
「えー、それってアヤピョンの方が全然可愛いじゃん」
「まぁ、いいじゃーん。けってーい」
可愛くないと言いながら美貴は亜弥の額をぺちんと叩く。
けらけら笑いながら亜弥はぬいぐるみで遊び始めた。
ミキウールとアヤピョンをベタベタからませながら二ヒヒと笑う亜弥に美貴は
恥ずかしくなってミキウールを取り上げる。
「何するのぉ」
「恥ずかしいからやめてください」
「何照れてるんだよぉ。ぬいぐるみなんだからいいでしょ」
意地悪そうにニヤニヤと笑う亜弥の言葉に頬が熱くなった美貴は亜弥を膝から
下ろすと立ち上がってぺりぺりと髭を外した。
照れ隠しに頬や口の周りを触って火照りを誤魔化していると、亜弥も起き上が
って美貴の顔をまじまじと見た。
- 158 名前:ホワイトクリスマス 投稿日:2004/11/11(木) 00:16
-
「髭の美貴たんも可愛いけど、やっぱりいつもの美貴たんが一番いいなぁ。そ
の格好すごい可愛いよ」
「そ、そんなに褒められると照れるからやめて」
「可愛いなぁ。美貴サンタって感じでさぁ。また時々やってよ」
「は、はぁ?何のために?」
「可愛いから」
「えーコスチュームプレイって感じでやだなぁ」
「いいじゃんかぁ、ね」
「じゃあまた次のクリスマスにね」
「えへへ、約束だよ?」
「うーん、まぁいいか」
亜弥は美貴の小指を絡め取るとぎゅっと握った。
それからその小指にそっと唇を落とす。
そんな動作がいちいち可愛いなと美貴は亜弥を見ながら思う。
ちらりと美貴を伺い見て、どんな格好でも似合うなと亜弥は思う。
亜弥は美貴が自分のことだけを考えてくれたことが素直に嬉しかった。
ちょっとした発言、亜弥にとっては小さな発言をしっかりと聞き届けてくれた
ことが嬉しかった。
そしてそれを叶えようとしたものぐさな美貴の行動力が嬉しかった。
美貴は亜弥のことになると一生懸命になる。
それが亜弥に自信を与えた。
今まで自分が持っていたものとは違う質の自信。愛されているという自信によ
って亜弥は更に強くなる。
美貴が居てくれるだけで何でもできると思える。
美貴が居なくなることは考えられない。
それはずっと続くことだと思ったし、ずっと続かせていく自信が亜弥にはあっ
た。
- 159 名前:ホワイトクリスマス 投稿日:2004/11/11(木) 00:16
-
2体のぬいぐるみは寄り添うようにソファに転がり、美貴と亜弥も同じように
寄り添いあって床に転がった。
幸せだな、と二人は思う。
忘れないだろうな、と二人は思う。
そう思ってからほとんど全ての毎日を忘れていないことに気付いて思わず二人
は同時に噴出した。
そういうことの一つ一つが全て想い出になるのだなぁと優しい気持ちで二人は
微笑み合った。
そこには言葉は必要なかった。
そういうことって本当にあるんだな、と二人は思う。
そういうことを共有できる相手を大切にしよう、と二人は思う。
外にはここ数年12月中に降ることのなかった雪がちらついていることをまだ
二人は気がついていなかった。
ホワイトクリスマスだった。
- 160 名前:ホワイトクリスマス 投稿日:2004/11/11(木) 00:16
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- 161 名前:ホワイトクリスマス 投稿日:2004/11/11(木) 00:16
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- 162 名前:向けられた背中、抱き締められたい心 投稿日:2004/11/11(木) 00:19
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- 163 名前:向けられた背中、抱き締められたい心 投稿日:2004/11/11(木) 00:19
-
授業が終わり、帰り支度を整えていると、美貴の携帯がブルブルと震えた。
ディスプレイを確認すると、メールが一件。
差出人は亜弥だった。
(イチゴパフェが食べたいからみきたんの学校まで行きます。帰らないで待っ
ててね 愛しの亜弥ちゃんより)
以前、美貴の学校の近くにある喫茶店で食べたイチゴパフェを亜弥はいたく気
に入り、また食べたいと言っていた。
亜弥のこうした唐突な誘いを美貴は密かな楽しみにしていた。
亜弥は美貴を引っ張りまわす。そして美貴はそれが楽しくて仕方ない。
そのバランスの絶妙さは決して亜弥の計算ではなかった。
だから亜弥も美貴と過ごす時間が楽しくて仕方がない。
「愛しの」と自分でつけてしまう亜弥の自信に美貴は自分で言うなっつーのと
心の中で突っ込みながら返信を打つ。
美貴は柔らかく微笑んでいた。
校門の壁に背中をもたれさせながら亜弥を待っていると、何人もの生徒達が美
貴の前を通り過ぎていく。
時折チラチラと美貴を見て何事か話している生徒もいる。
美貴は興味がないふうにその生徒達をぼんやりと眺めていた。
ふと、美貴の前に立ち止まる陰があった。
驚いて顔を上げると、見たことのない生徒が4人のグループを作って美貴を見
ていた。
- 164 名前:向けられた背中、抱き締められたい心 投稿日:2004/11/11(木) 00:19
-
「あの、藤本先輩、私たち先輩のファンなんですっ!!」
そういうと、一人の生徒が美貴に向かって手紙を差し出した。
あっけにとられている美貴をよそに生徒達はきゃあきゃあと黄色い声をあげる。
「もし良かったら、読んでもらえますかっ?」
「は、はぁ…」
差し出されたピンク色の封筒を思わず受け取ってしまうと、少女たちはありが
とうございます頭を下げた。
「え、と、あのぉ…」
「藤本先輩、さよぉならぁ」
美貴に喋る隙を与えず頬をばら色に染めた少女たちは走り去って行った。
呆然とその後姿を見送っていると、美貴の肩がちょんちょんと叩かれた。
視線を向けると、そこには不穏な笑顔を浮かべた亜弥が立っていた。
- 165 名前:向けられた背中、抱き締められたい心 投稿日:2004/11/11(木) 00:20
-
「うぁあ、亜弥ちゃん、もうきてたんだっ」
「うん、みきたんが可愛い後輩にデレデレしてるあたりからねぇ」
「違うって、デレデレなんてしてないよ。大体顔も知らない人だったし」
「ふぅん。ふじもとせんぱぁいとか呼ばれてたくせにぃ」
「だからあっちが勝手にいきなり手紙渡してきただけなんだってば」
つんと唇を尖らせて、前を歩き出した亜弥を慌てて美貴は追いかけながら言い
訳を始める。
それを亜弥も美貴も楽しんでいた。二人の間の嫉妬遊び。
「ね、亜弥ちゃぁん。怒らないでよ」
「怒ってませぇん」
「怒ってるじゃんか」
「ファンですとか言われちゃってさ。モテモテでよろしい事ですねー」
「別にモテモテなんかじゃないし…。亜弥ちゃんだけで…」
「ん?今のもっかい」
「だから…亜弥ちゃんしかいらないってこと」
俯いて恥ずかしそうにボソボソと美貴が言うと、亜弥は満足そうに笑うと美貴
の腕に自分の腕を絡ませた。
にゃはは、と嬉しそうに笑う亜弥を見て美貴も笑う。
- 166 名前:向けられた背中、抱き締められたい心 投稿日:2004/11/11(木) 00:20
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「機嫌直った?」
「んふふ。もぉ、たんってば私のこと好きすぎっ」
いちゃいちゃという擬音が飛び交いそうな程くっついて二人が歩いていると、
ふらりと二人の前に男が立ち塞がった。
美貴が咄嗟に亜弥を庇うようにして半歩前へ出ると、男は美貴に押し付けるよ
うに封筒を差し出した。
「これ、あんたに渡せってマイから頼まれたから。確かに渡したからな」
半ば強引に美貴の手に封筒を握らせると男は走るように立ち去った。
マイ、という言葉に固まった美貴は視線を封筒に落としたまま動こうとしない。
美貴は忘れようとしていた。
大好きで、憧れていたマイ。
そのマイが自分を裏切るということは俄かには信じ難かった。
だから忘れてしまおうと思った。
それが逃げるということだとしても、マイという人間は美貴にとって裏切りと
いう形で汚したくない存在だった。
いつまでも美貴の憧れたマイで在り続けさせたかった。
- 167 名前:向けられた背中、抱き締められたい心 投稿日:2004/11/11(木) 00:21
-
亜弥はそんな美貴の空いている方の手を取るとぎゅうっと握り締めた。
その感触に我に返った美貴は亜弥の方を向く。
亜弥は少し悲しそうな顔をした。
「今日は帰ろうか」
美貴の返事を待たずに亜弥は駅の方へ歩き出す。
美貴は手紙を鞄の中に入れると亜弥に手を引かれるようにして歩き始めた。
先ほどまで砂を吐くという表現が似合うほど甘い雰囲気を醸し出していた二人
の間に微妙な空気が流れる。
美貴はマイからの手紙に気をとられ、亜弥はそんな美貴の態度が気になってし
ょうがない。
それでも固く繋がれた手が離れることはなかった。
亜弥の家に帰ると、美貴はソファに腰掛、テーブルの前に手紙を2通並べる。
一通はピンク色をした封筒に藤本先輩へと可愛らしい文字で書かれている。
もう一通は白い長封筒にしっかりと封がされ、表にはミキへ、裏にはマイと記
されていた。
亜弥はキッチンでグラスにウーロン茶を注ぐとそれを2つ持ってテーブルの上
に置いた。
ネクタイを緩めながら美貴の隣に腰を下ろし、美貴のリボン状のタイを緩めた。
「ありがと…」
「どっちから読む?」
「ん、じゃあピンクの方からにしよっか」
微笑交じりに美貴がそういうと亜弥がピンクの封筒を手に取り、ピリリと封を
開けると美貴に渡した。
- 168 名前:向けられた背中、抱き締められたい心 投稿日:2004/11/11(木) 00:21
-
美貴はそれを受け取ると、中身を取り出す。
ピンク色の可愛い便箋に綴られた可愛らしい文字。
覗き込んだ亜弥が声を出して読み上げる。
中にはクールな藤本先輩に憧れている、ファンとして藤本先輩を見ていたい、
そのような旨が書かれている。
美貴はその内容を苦笑まじりに聞いていた。
亜弥は読み終わると、ぽんと机の上に手紙を投げ出し、グラスを手に取り拗ね
た素振りを見せた。
「私の美貴たんなのになぁ…、なーんかちょっと妬けるかも」
「なんだよぉ、絶対亜弥ちゃんの方がもてるはずじゃん」
「私は恋人がいるからって断ってるもん」
「あ、そ、そぉなの?」
恋人という言葉に照れながら美貴は言葉を詰まらせた。
亜弥はそんな美貴を見て、その肩に自分の頭を乗せた。
「恋人でしょ?」
「あ、うん、そぉだよね…恋人」
「ファンクラブ、どうするの?」
「どうするも何も…。相手にしないよ」
「なら、まぁ、いいかなぁ」
「言うよ、美貴も。こ、恋人いるから無理って」
- 169 名前:向けられた背中、抱き締められたい心 投稿日:2004/11/11(木) 00:21
-
真っ赤な顔をしている美貴を見て亜弥は思わず抱きついた。
にゃははと、顔を崩して亜弥は美貴に頬擦りをする。
しばらく亜弥は美貴の身体をベタベタと触ると、気が済んだように美貴の手を
握って元の位置に腰を下ろし直した。
美貴はマイの手紙に視線を落としたまま押し黙っている。
亜弥はふっと息を漏らすと、美貴に声をかけた。
「たんが読みたくなったら読めばいいと思うよ?私、ちょっと着替えてくるね」
そう言うと、立ち上がり美貴の手を離そうとした。
美貴は慌ててその手を強く握ると、ぐいっと亜弥を引き寄せた。
ふらりと美貴の方へ倒れこむ亜弥を美貴はぎゅっと抱き締める。
「今、読むから、一緒にいて?」
少し震える声で美貴は訴える。
亜弥は小さく頷いた。
- 170 名前:向けられた背中、抱き締められたい心 投稿日:2004/11/11(木) 00:22
-
+ + +
- 171 名前:向けられた背中、抱き締められたい心 投稿日:2004/11/11(木) 00:22
-
ミキへ
手紙とか書くの久しぶりすぎて、字とか書くのも久しぶりすぎて、あたしっ
てばモバイル世代ってことをすごく感じる。
あー、そんなことはどうでもいいんだ。読んでくれるかどうか分かんないけど
、書きます。
できれば読んで欲しいと思いながら書いてます。
あんたと一緒であんまり頭良くないから変な文章になるかも。そこは許して。
あたし、ミキのことを裏切りました。裏切ったって何か違う?でも、そうだ
な、ミキはきっと裏切られたって思ってるんだろうな。
身なりのいいおっさんから金を積まれてミキをはめてくれって頼まれたんだ。
あたしミキのこと好きだったから最初はそんなことしないって思ってたんだけ
ど、けど結局引き受けた。
あたしはあんたが好きだったんだ。恋愛じゃないよ、勘違いすんなよ。
ミキはあたしに似てる。だから好きだった。前に話したことがあったよね、ミ
キは傷付いた寂しい子猫ちゃんみたいだって。そしたらあんたはあたしを孤独
な一匹狼だって言った。
あたし、なんかそれがすごく嬉しかった。こいつは同じ感覚を持ってるんだっ
てね。
昔読んだ本に、あ、一応あたしも本とか読むから。
その、読んだ本に書いてあった言葉で好きな言葉があんの。
「ほうたいを巻いてやれないのなら、他人の傷にふれてはならない」
ミキならこの言葉に共鳴するんじゃないかなぁ。あたしはしたよ、すごくね。
だからあたしは誰とも深い付き合いなんてしなかった。させなかった。
あたしは誰にもほうたいなんて巻いてやれない。誰もあたしにほうたいなんて
巻けない。
だってあたしは自分にすら巻く方法を知らないんだもの。
それは今でも変わらない。
- 172 名前:向けられた背中、抱き締められたい心 投稿日:2004/11/11(木) 00:22
-
けど、ミキは違ったみたいだね。
ほうたいの巻き方を教えてくれる誰かにあんたは出会ったみたいだね。
それが正直すごく羨ましかった。
あたしはあんたが思うようにクールで孤高を愛する人間じゃないんだ。
ホントはすごい寂しくて、アッタカイ場所が欲しくて、賑やかで愛って奴が溢
れてるところにいきたかった。
あ、すごいな、書いててすっごい恥ずかしいんだけど、これがホントの自分の
気持ちって分かってきたよ。
笑っちゃうね。
ねぇ、ミキ。
ハシッシ吸ってる時ってどんな気持ちがした?
あんたはやっぱり子猫ちゃんだから草ばっか吸ってたけど、あんたはどうして
他のもんに手出さなかった?
その未練たらしさと、半端な真面目さがあたしホント好きだったんだよ。
シャブ打たれてウリやらされてる子たち見て、悔しそうに睨みつけてるとこと
かさ、あんたのその中途半端だけど半端だからこそ正常な神経がすごい好きだっ
たんだ、マジで。
- 173 名前:向けられた背中、抱き締められたい心 投稿日:2004/11/11(木) 00:23
-
すごい好きで、ホント好きで、あたしミキに恋なんてしてないけど、それとは
もっと違う次元の好きで、何だろう、上手く言えないけど。
鏡みたいな。あたしの半分みたいな妹みたいな。
だから寂しかったんだ。ホントは悲しかったみたいだ。
あたしは何もしてあげられなかったのに、ミキがいなくなるのが嫌だと思った。
羨ましくて、だから足を引っ張ってやろうと思った。
汚いね。最低だね。
金が欲しかったわけでも、草が欲しかったわけでもない。
ミキを困らせてやりたかったんだ。あたし、マジ最悪。
最悪だからさ、ホント、後で後悔した。
あんたをはめたって警察行こうと思った。
でも、もうそん時にはミキは助かったみたいで、それ街の奴らに聞いて安心し
たんだよ。
けど、どっちみちあたしがミキに仕込んだ覚醒剤、追求されたらまたミキ疑わ
れんじゃないかと思ってさ、自首しちゃおうかと思った。落とし前。
もっかいやりなおせたらいいのにと思ったんだ。甘いね。笑っちゃうくらい甘
い。でも、そうしたかった。
そしたら、あたしに金を積んだおっさんの手の奴らみたいなのがさ、脅しにき
たんだよ。
タチ悪いの。女なのに容赦なくボコルわけ。
ありゃ、ヤー公じゃないね。ヤーさんとは全然違う悪さを感じたもん。
- 174 名前:向けられた背中、抱き締められたい心 投稿日:2004/11/11(木) 00:23
-
そんでね、あたし今頑張ってるんだ。
言ったじゃん?頑張りたかったって。だから今頑張ってる。死に花だっけ?咲
かせてみせよーみたいなね。
死にたくないけど。
こんなことで頑張ってンなよって笑われそうだけど。笑ってくれれば嬉しい。
ミキには謝っても謝りきれないくらいだから。
あたし、もしかしたら消されるかもしんないけどさ。それならそれで抵抗して
やろうとか思って。
バカみたいだよなぁ。書いてて思う。くだらねーって。
でも、テニスしてた時みたいに今一生懸命だよ。生きてる感じすんの。
テニスやめちゃってから、あ、あたしテニス選手だったんだよ?言ったっけ?
まぁいいや。
なんかもうやる気なくなっちゃってさ、悲劇のヒロイン状態。分かってんだけ
ど、自分に酔ってるの。
けど簡単に浮かび上がれなくってさ、どうでもいいやって思ってた。
生きてるうちに楽しいこととか溺れられるなら、長生きとか興味ないってね。
希望とか夢とかぼんやりしすぎててすんごい遠くにあると思った。
けどさ、いざ死ぬ、死ぬって書くと手が震える。怖い。
死ぬかもってなると、すっごい嫌だね。もっと生きたいって思うんだよ。
ミキみたいに居場所もほうたい巻ける人も見つけたいって思うんだよ。
自分で思ってたよりも100倍くらいみっともないな。こんなの。
- 175 名前:向けられた背中、抱き締められたい心 投稿日:2004/11/11(木) 00:23
-
ねぇ、ミキ、私、全然世のため人のためなんていいことしてこなかったし、そ
んなの自己満足のアホがやることだって冷たい目して見てた。
けどね、それでもいいから、あたし同じアホならいい奴だったって言われるよ
うなことしとけばよかったんだな。
この街はどうせあたしが消えたって何にも変わらない。本当に1ミリも変わらな
いんだね。寂しいね。
あたしだって消えてった奴なんて思い出しもしなかったくせに、マジで寂しく
なっちゃってる。
あー、駄目だ。絶対成仏とかできないかも。安らかに眠るとか、残された人々
の幸せを願うとか、
あいつらを許すとか憎しみを捨てるとか、全然無理。
- 176 名前:向けられた背中、抱き締められたい心 投稿日:2004/11/11(木) 00:24
-
もっと生きたいよ。
ごめんねミキ。
あたしあんたにメチャクチャ重たいもの押し付けようとしてる。
もし、また会えたらちゃんと謝らせて。
今度は普通の友達になれたらいいな。
戻り方も覚えとけばよかったなって今更思うけど、もう今更なんだよね。
うける。いや、うけないか。わらえねー?
でもこんなふうに突っ走ることできたんだってちょっと自分のこと好きになれ
たかも。
ホントちょっとだけど。
自分へのご褒美にミキへあたしの名前教えるの許してください。
忘れてもいいから。
ミキの名前も聞きたかった。図々しいけど。
じゃあまた。
もう戻ってくんなよ、あの街へ。
- 177 名前:向けられた背中、抱き締められたい心 投稿日:2004/11/11(木) 00:24
-
里田 舞
- 178 名前:向けられた背中、抱き締められたい心 投稿日:2004/11/11(木) 00:24
-
+ + +
- 179 名前:向けられた背中、抱き締められたい心 投稿日:2004/11/11(木) 00:25
-
「さとだ、まい…。マイ?何してんのあんた」
美貴は手紙を握り締めたまま青い顔をして呟いた。
そんな美貴を見て亜弥はぎゅっと美貴の腕を掴む。
その感触に美貴は我に返ると、亜弥を見つめた。
美貴は混乱していた。手紙に書いてある意味がよく分からなかった。
「どうしよう亜弥ちゃん、どうしよう。マイが消えるって。消えるって死ぬっ
て…」
死ぬ、という単語を口にして美貴は自分の手で口を塞ぐ。
ぐっと喉の奥が鳴る。
「たん?どうしたの、マイがどうしたって?」
亜弥はそんな美貴の只ならぬ様子に驚き、その顔を覗き込んだ。
美貴は泣きそうな目をしてマイの手紙を亜弥に手渡す。
亜弥はそれにさっと目を通すと、眉をピクリと震わせた。
- 180 名前:向けられた背中、抱き締められたい心 投稿日:2004/11/11(木) 00:25
-
「亜弥ちゃん、なんなのこれ?美貴をはめるって…マイが消されるって。何な
の?あの街にやばい奴らはたくさん
いたけど。いたけど、こんなのって何か変だよ」
「美貴たん…、これは多分私のせいだね…」
声のトーンを落として亜弥が呟いた。
ぼんやりとした頭を上げ美貴は亜弥を見る。
亜弥は険しい顔をしていた。
「私を潰そうとしている人間がいるか…それとも…」
「亜弥ちゃんを…潰す…」
美貴は亜弥の立場を思い出しはっとした。
亜弥はただの学生ではないのだ。
美貴は亜弥の手を強く握り締め、顔を寄せた。
何と言葉を発していいのか分からなかった。
ただ、傍にいたいと思った。
- 181 名前:向けられた背中、抱き締められたい心 投稿日:2004/11/11(木) 00:25
-
「油断してたのね、私。ごめんね、たん。すぐに調べるから」
亜弥は少し震える声でそう言うと美貴と目を合わせないように立ち上がり受話
器へ向かう。
慌てて美貴もその背中を追う。
電話越しに繰り広げられる会話は美貴のよく知る亜弥とはまるで別人だった。
亜弥はハリネズミのようだった。近寄るとちくちくと刺さる棘を感じるような
背中に見えた。
受話器を置いた亜弥は俯いたまま美貴の方を向こうとしない。
近寄らないで。
美貴はそう感じた。
亜弥からの初めて受ける拒絶。
それは美貴を打ちのめす。
けれど一方で美貴は感じていた。
離れないで。
- 182 名前:向けられた背中、抱き締められたい心 投稿日:2004/11/11(木) 00:28
-
ちくちくと刺さる棘をぐっと体中に刺し込んで、美貴は亜弥の背中を抱き締め
た。
亜弥に僅かでも求められているのならそこへ行こうと美貴は思う。
そこでどんな思いをしてもいいのだ。
亜弥がいない方がどんなに苦しいことか。
亜弥がくるりと振り返る。
その目は美貴を映しているが感情が見えない。
美貴はくっと息を飲み亜弥を抱き締めた。
今まで生きていた中で一番悲しかった。
亜弥が感情を押さえ込もうとしているところを目の当たりにしたのだ。
いつも明るく、太陽のように星のように輝いている亜弥が。
「亜弥ちゃん、泣いてもいいよ。美貴が傍にいるから」
亜弥の目から涙がぶわっと溢れた。
考えるより先に涙が溢れた。
美貴の肩にしがみ付いて思い切り泣き声をあげた。
亜弥は初めて負の感情をむき出しにして泣いた。
- 183 名前:向けられた背中、抱き締められたい心 投稿日:2004/11/11(木) 00:28
-
「大丈夫。美貴が亜弥ちゃんにほうたいを巻くから」
美貴は亜弥の背中を撫でながら呟いた。
マイの手紙を、マイを思いながら、それを上回る強い想いをこめて呟いた。
しゃくりあげながら亜弥は美貴を見つめた。
涙で霞んで見える美貴の目の中に自分が映る。
美貴は真摯な眼差しで亜弥を見つめ返す。
持ち合わせた言葉が余りにも少ないことが美貴は歯がゆかった。
ただ、抱き締めたり撫でたりすることしかできない。
「亜弥ちゃん」
美貴の呼び声は切実で弱々しく、哀しかった。
その声を聞いた時、亜弥は美貴のことを愛しているのだと思った。
- 184 名前:向けられた背中、抱き締められたい心 投稿日:2004/11/11(木) 00:28
-
*
- 185 名前:向けられた背中、抱き締められたい心 投稿日:2004/11/11(木) 00:28
-
*
- 186 名前:名無し飼育 投稿日:2004/11/11(木) 00:40
-
更新終了です。
>134さん
ありがとうございます
切ないと思って頂けるとは…嬉しい限りです
>135さん
一気読みありがとうございます
ガチな関係を楽しんで頂けるとすごく嬉しいです
>136さん
見つけてくれてありがとうございます
終わりまで気にして頂ける自信はありませんが、頑張りたいと思います
>135さん(おまけ
プニュプニュプニュプニュ
∋8ノハヾ ノノヘヽヽ ナニ?どしたの?
从‘ 。 ‘)σ)VoV从
( ノ( つ つ
(__)_)(__)_)
- 187 名前:名無し読者 投稿日:2004/11/11(木) 03:46
- 大量更新乙です!
お腹いっぱいです。
またもや可愛すぎなAA…w
- 188 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/14(日) 00:16
- やべー。この話すげー好きだ。
作者さんガンガッテネ!
- 189 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/14(日) 02:30
- 今日見つけていっきに読みました。
すごくいいです。
続き、楽しみに待ってます!!
- 190 名前:白と赤 投稿日:2004/11/18(木) 02:19
-
*
- 191 名前:白と赤 投稿日:2004/11/18(木) 02:20
-
マイの手紙を読んでから1週間が過ぎ、2週間が過ぎ、何の音沙汰もないままと
うとう2ヶ月が経った。
マイの行方は分からなくなっていた。
消息不明。
マイの住んでいたアパートはマイが手紙を寄こした頃に既に解約され、荷物は
運び出されていた。
誰もマイの行方を知らない。
街には既にマイの事を知らない人間が溢れ始めている。
マイは消えてしまった。
ただ、死んだということが確定していないことが希望だった。
したたかなマイのことだ。どこかで上手くやっているのだろう、そう思うと少
しは美貴の心は安らいだ。
それは亜弥も同様だった。
マイの手紙の一件以来、美貴は以前にも増して亜弥に優しかったし甘くなった。
亜弥は以前にも増して美貴を独占したし大切に扱った。
二人はお互いを特別扱いし合ったし、そのことが二人を強く結びつけた。
亜弥は段々と仕事が忙しくなり、帰りが遅くなる。
美貴は亜弥の家で亜弥を待つ。とっくに美貴を放任した親は何も言わなかった。
彼らはとても無責任だった。けれども美貴はもうそれに傷付きはしなかった。
無責任だったけれども無関心だったわけではない。彼らは美貴の扱い方が分か
らなかったのだ。
彼らもまたうろたえ、悩んでいたことを美貴は理解するようになった。
それは決して幸せなことではなかったけれども、美貴には亜弥がいて、亜弥が
欠けたものを埋めてくれたから
責めるだとか、諦めるだとかするようなことはしなくて済むようになったのだ。
美貴は亜弥の家から真面目に学校へ通うようになり、亜弥の家に帰るようにな
った。
そこは最早亜弥の家ではなく、亜弥と美貴の家だった。
- 192 名前:白と赤 投稿日:2004/11/18(木) 02:20
-
二人が出会って8ヶ月が過ぎ、二月も終わりに差し掛かった頃美貴は17回目
の誕生日を迎えた。
その日、亜弥は仕事を定時に切り上げ足早に帰宅した。
美貴は自分と亜弥のために自分の手で作れるささやかなご馳走を用意した。
亜弥はがちゃりと玄関をあけキッチンへ駆け込んでくる。
外がとても寒かったので、頬が赤くなっていた。
「ただいまぁ、たぁん」
「おかえりー」
亜弥の方をちらりと振り返りながら手を止めない美貴を見て亜弥は少し唇を尖
らせる。
手袋やマフラーを外しながら美貴の傍に寄ると、構ってもらいたくてしょうが
ない犬のようにまとわりついた。
美貴はそんな亜弥に苦笑しながら準備を整えている。
「ねぇ、たん。外めっちゃ寒かったのぉ」
「んー、そっかそっか、風邪ひかないようにリビング行ってヒーターにあたっ
ておいでよ」
「むぅ。違うよ、そうじゃくて」
「何?」
亜弥は不満そうに美貴の手を自分の両頬に当てさせる。
そして期待に満ちた目で美貴を見つめた。
美貴は亜弥が何を求めているか見当をつけながら、意地悪をしてとぼけてみせ
る。
- 193 名前:白と赤 投稿日:2004/11/18(木) 02:21
-
「うわ、冷たいなぁ。氷みたいだよ。しかも真っ赤だし、りんご病みたい」
「うー、違くてぇ」
「だから何?」
「ただいまたぁん、って私が言ってるんだからぁ、おかえりーって。ちゅって」
赤い頬をさらに赤くして亜弥は言う。
美貴はそれが可愛くてたまらない。
頭の切れる何でもできる亜弥。そんな亜弥が自分にだけ見せる普通の女の子の
部分。
それは美貴の宝物だったし、美貴が生きていく自信を与えた。
亜弥は美貴が必要だと、体中で表現してくれる。それが美貴は嬉しくて仕方が
ない。
両手で亜弥の頬を挟んだまま顔を傾け美貴は亜弥にキスをする。
音のない静かな優しいキスだった。
顔を離すと、亜弥はよしっと小さくガッツポーズを作り脱いだものを抱えてパ
タパタ部屋へと消えていく。
美貴は亜弥の背中を見ながら料理を盛りつけ始めた。
- 194 名前:白と赤 投稿日:2004/11/18(木) 02:21
-
「わおわお!すっごいじゃん、たんってばこんなの作れたんだぁ」
テーブルの上に綺麗に並べられた皿を見て亜弥は素直に驚いて見せる。
皿の上にはローストビーフが丁寧に切られつけ合わせの野菜と共に盛られてい
た。
それから、バケットにカットされたフランスパンが並び、グラスボウルにサラ
ダが盛られ、スープ皿からコンソメスープが
湯気を上げる。
「まぁねー、本気をだせばできないこともないってね。あ、ご飯もあるけどど
っちがいい?」
「やぁん、たんってば気遣いさんなんだからっ」
亜弥は自分の好みをきちんと把握し、合わせようとする美貴に相好を崩して抱
きつく。
どちらが誕生日なんだか分かりはしない。
よしよしと亜弥の頭を撫でてから、美貴はあっと小さく叫び時計を見た。
「やべ、ケーキ取りに行くの忘れてた!まだ開いてるはずだから取ってくるよ」
「えー、じゃあ私も一緒にいくぅ」
「いいよ、折角あったまったんだからわざわざ出ることないって。亜弥ちゃん
はシャンパン用意しててよ」
美貴はそういうと玄関の方へ歩いて行く。
亜弥は一緒に行きたい気持ちもあったが、美貴へのプレゼントを用意すること
を考えると丁度よいとも思う。
- 195 名前:白と赤 投稿日:2004/11/18(木) 02:21
-
「ん、じゃあ気を付けてね?」
「はーい。いってきます」
「いってらっしゃい」
白いダウンジャケットを羽織、白いニット帽を被り美貴は出かけていく。
亜弥はそれを見送ると部屋へ戻り、鞄の中から綺麗にラッピングされた小さな
箱を取り出した。
中にはシンプルなリングが二つ並んでいる。
リングの裏側にはそれぞれA&M、M&Aと刻まれている。
TOでもLOVEでもなかった。&が一番適していると亜弥は思う。
亜弥と美貴。
美貴と亜弥。
他に言葉はいらないと思った。
小箱を大切そうに持ちリビングへ戻り亜弥は玄関の方を見つめる。
「早くかえってこぉい。永遠の愛とか誓っちゃうんだから」
独り言を呟いて、照れて笑う亜弥は幸せを絵に描いたように柔らかい笑顔をし
ている。
- 196 名前:白と赤 投稿日:2004/11/18(木) 02:23
-
*
- 197 名前:白と赤 投稿日:2004/11/18(木) 02:24
-
「ありがとうございました」
丁寧にお辞儀をされ、更に丁寧にドアを開けてもらい美貴は店を出る。
折角お祝いだからと奮発して買った高級ケーキ。
箱に詰められる前にチラリと確認したそれはとても繊細に作られていた。
まるで複雑なインテリアのようにデザインされ、宝石のようにキラキラしてい
た。
亜弥ちゃん喜びそうだなぁ、そんなことを思うと顔が綻ぶ。
自分の誕生日だということは既に関係なかった。
イベントごとを亜弥はとても喜ぶから、それが美貴は楽しい。
だから美貴は一生懸命用意する。
本当はもらうはずなのに、美貴はケーキ屋で用意されたカードに亜弥へのメッ
セージを綴った。
それをしまったジーンズのポケットを叩きながら亜弥の口癖を真似てみる。
「もぉ、美貴ってば亜弥ちゃんのこと好きすぎっ」
ホントに。
- 198 名前:白と赤 投稿日:2004/11/18(木) 02:24
-
美貴は早く亜弥の顔が見たくて早足で家へ向かった。
亜弥と美貴が住むマンションのエントランスが見えかかったところで、美貴は
後ろからどんっとぶつかられる衝撃を感じた。
2,3歩よろめいてから振り返ると人影が美貴が歩いてきた方向へ走り去って
行くのが見える。
それから、背中がかーっと熱くなりずきずきと痛み始めた。
不思議に思い背中に手を回すとぺタリと何か液体が手に付くのを感じた。
目の前にもってくると美貴の掌は真っ赤に染まっている。
美貴は自分に何が起こっているのか理解できなかった。
ただ、どんどん痛みは広がり、呼吸すら苦しくなってくる。
ぼんやりとしてくる頭の中に浮かんできたのは亜弥の顔だった。
「あぁ、そうだ。家に早く帰らなくっちゃ…」
美貴はふらふらとエントランスへ入り壁に手をつたわせながらエレベーターに
乗り込んだ。
やけにぜーはーする。
やけに背中が痛い。
やけに目が霞む。
やけに手が赤い。
チーンという音が響きドアが開き美貴はよろめきながら降りると、霞んでいく
視界と思考をフル回転させて
家の前でインターフォンのボタンを押した。
すぐに開かれるドアと視界に飛び込む亜弥の顔。
あぁ、よかった。
ほっとするのと同時に美貴は玄関にばったりと倒れ込んだ。
美貴の着ていた白いダウンジャケットの背中は一面を真っ赤に濡らしていた。
- 199 名前:白と赤 投稿日:2004/11/18(木) 02:25
-
遠くから聞こえる亜弥ちゃんの叫び声。
少し顔を上げて見ると亜弥ちゃんはどこかに電話をしている。
何か泣きそうな顔で。
そんな顔しないで、もっと傍にきて。
あぁ、そうだ、美貴が行かなきゃ。
でも身体が動かないよ。何でだっけか?
- 200 名前:白と赤 投稿日:2004/11/18(木) 02:25
-
美貴が働かなくなりかけている思考を巡らせていると亜弥がぺたりと美貴の横
に座り込む。
美貴は持っていたケーキを思い出し、亜弥に渡そうとするが、箱は倒れ込んだ
衝撃で潰れてしまっていた。
「あぁ…、ごめん、ケーキ、だめんなっちゃったね。綺麗だったから、亜弥ち
ゃん、喜ぶと…」
息が切れて上手く喋れない美貴を前に亜弥は真っ青な顔をして震えていた。
美貴はゆっくり亜弥に手を伸ばし、亜弥のことを抱き締めようとする。
けれども身体が起き上がらない。
亜弥はその美貴の手を取ると強く握り締めた。
「たんっ。たんっ、どこにもいかないでよ。ずっと傍にいてよ」
「いかないよぉ。亜弥ちゃんの、傍が、一番、好き」
「私、たんがいないとっ」
震える亜弥が可哀相でならない美貴は困ったような顔をして亜弥を見る。
「どうしたの、亜弥ちゃん…、寒い?」
「ちがっ。美貴たぁん」
- 201 名前:白と赤 投稿日:2004/11/18(木) 02:26
-
美貴は重たくなってきた瞼を閉じ、ジーンズのポケットを探ろうと手を伸ばす。
けれど力が入らない。
「なんか…ちからはいんない…。後ろぽっけに手紙…かいて…」
「後ろぽっけ?今取るから」
亜弥が美貴のジーンズのポケットから2つに折りたたまれたカードを取り出し
握り締める。
美貴はどんどんと沈んでいくような感覚に囚われて、次第に亜弥の手を握る手
も弱々しくなっていく。
「たん、たん。美貴たん。美貴たん美貴たん」
「あやちゃん…たまにはみき、いおうと、おもって。むちゃくちゃだいすきだ
って…」
寝言のようなむにゃむにゃした声で美貴は呟く。
亜弥は美貴の手を離さないように強く握り締めた。
けれど、美貴はそれから喋らない。
遠くから救急車のサイレンが聞こえてくる。
亜弥は呆然と美貴を見詰めたまま微動だにしなかった。
救急隊員がやってきて美貴を運ぼうとしても亜弥は美貴の手を離さない。
仕方がないので救急隊員は亜弥ごと美貴を搬送した。
亜弥と美貴の家の玄関は美貴の血が少しだけ落ちていて、亜弥が座り込んでい
た床には美貴の書いたカードが落ちていた。
- 202 名前:白と赤 投稿日:2004/11/18(木) 02:26
-
+
- 203 名前:白と赤 投稿日:2004/11/18(木) 02:27
-
亜弥ちゃんへ
美貴の17回目の誕生日を一緒に過ごしてくれてありがとう。
美貴は幸せ者です。
こんなこと書いても調子に乗るなよ〜。
けど、美貴も亜弥ちゃんのこと大好きだから、いいんだけどさ。
美貴は最近やっと進路を決めました。
福祉の道へ進もうかなーって思う。
元々じーちゃんばーちゃん大好きだし。
少しは人のためになるかなって思うし。
後はやっぱりずーっと先の未来に亜弥ちゃんのオムツ変えてあげれるじゃん。
なんちゃって。
美貴は亜弥ちゃんと出会えてホントに幸せです。
何で亜弥ちゃんは美貴がいいのか未だにちょこっと謎だけど、それはまぁいい
や。
美貴も惚れてるし。
好きなんで。亜弥ちゃんが好きなんで。全然オッケーだよね。
まぁ、そんなわけでこれからも楽しく仲良くやっていこうね。
美貴たんより愛をこめて
なんちゃって
美貴より
- 204 名前:白と赤 投稿日:2004/11/18(木) 02:27
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- 205 名前:白と赤 投稿日:2004/11/18(木) 02:27
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- 206 名前:白と赤 投稿日:2004/11/18(木) 02:27
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- 207 名前:零れない涙 投稿日:2004/11/18(木) 02:28
-
美貴が亜弥の隣から姿を消し、1週間が経とうとしていた。
事件は大々的に報じられ、遅くない時間の犯行だったこともあり犯人は容易に
捕まるであろうと
世間の多くは思っていたが、その予想に反し捜査は難航していた。
通り魔的犯行として世間を震撼させたその話題も日々起こる犯罪のオンパレー
ドにすぐ埋もれていった。
仕事を休むこともできず、警察に事情聴取を受け、マスコミに追われ亜弥の日
々は多忙を極めていた。
ただ、学校を休むことはできたが亜弥にとってそれは何の気休めにもならなか
った。
亜弥の感情はゆっくりと軌道を逸らしてゆく。
- 208 名前:零れない涙 投稿日:2004/11/18(木) 02:29
-
あの事件の次の日、帰宅した玄関先に落ちていた赤い染みとメッセージカード
と潰れた箱からはみ出したケーキ。
亜弥はぼんやりと布巾で染みを拭き、ケーキを箱ごと処分する。
カードに目を通すとふっと微笑み美貴と撮った写真を入れてある引き出しにそ
っとしまった。
それから、テーブルの上に乗った冷め切ったローストビーフを一切れ口に放り
込んだ。
「美味しいよ美貴たん」
「もう全部冷めちゃったね。あっためなおそうか」
「ケーキもまた買わなきゃね。美貴たん潰しちゃうんだもん」
返事はない。
全てが亜弥の独り言になって部屋の中で浮かんでは消える。
「お風呂入んなきゃ…。何か汗かいちゃった」
「今日も一緒に入ろうか」
- 209 名前:零れない涙 投稿日:2004/11/18(木) 02:30
-
唇の端に微笑を作り、亜弥はリビングのソファに腰かける。
ソファの前に置かれた小さなテーブルに亜弥が用意したペアリングの入ったラ
ッピングされた箱が置かれていた。
亜弥はそれを手に取り、そっと箱のリボンを撫でた。
「えへへ。渡すの忘れちゃった」
「誕生日プレゼントっていうかぁ、誓いの指輪みたいなぁ」
「永遠の…」
ふと亜弥は言葉を切り静まりかえった部屋をぐるりと見回す。
誰もいないが、そこかしこに美貴の気配が漂っていた。
亜弥はぎゅっと箱を握り締める。
「永遠の愛、まだ誓ってないぞ…」
亜弥の心が急速に閉ざされていく。
冷たく張り詰めた暗闇が亜弥を覆っていくように、亜弥はその目から表情を失
っていく。
- 210 名前:零れない涙 投稿日:2004/11/18(木) 02:30
-
ふわりと鼻を掠める美貴の匂いに亜弥は目を閉じて大きく息を吸った。
体中が美貴で満たされるような感覚。
ただ、抱き締めてくれる身体がそこにはない。
テレビの上にはクリスマスに美貴がくれた羊とうさぎのぬいぐるみが寄り添う
ように置かれている。
亜弥の心がピリピリと音を立てる。亜弥は表情のない目で呟いた。
「美貴たん…、涙が出ないよ…」
それは切ない呟きだった。
誠実で切実で悲哀に満ちた呟きだった。
亜弥は握る相手のいない掌を開くとラッピングされた箱を開け、中から指輪を
二つ取り出した。
そしてその二つの指輪を自分の左手の薬指にはめ、斜め上に向かって翳してみ
る。プラチナで作られた指輪は鈍く美しく光っている。
二つの指輪はぴったりと亜弥の指におさまり、それがまた亜弥を切なくさせた。
まるで、分身のような、いや、分身以上の自分が自分であるために必要不可欠
な存在。それが藤本美貴なのに。
亜弥はそっと指輪に唇を落としてから左右を見渡した。
やはり美貴の姿はなかった。
そして、亜弥の瞳から涙は零れなかった。
- 211 名前:零れない涙 投稿日:2004/11/18(木) 02:31
-
*
- 212 名前:零れない涙 投稿日:2004/11/18(木) 02:31
-
*
- 213 名前:名無し飼育 投稿日:2004/11/18(木) 03:01
- 更新終了です
>187さん
アリです
満腹とのことで食傷気味でしょうか(オドオド
>188さん
好き、と言ってもらえるとは思いもよらず、とても嬉しいです
どうもありがとうございます
>189さん
見つけて下さってどうもありがとうございます
楽しみという期待に応えられる自信はないのですが、マターリと読んで頂ければ幸いです…
大阪スポフェスはあやみき祭りだったようで、燃料投下は嬉しい限り
イチャ
∋oノハヽノノハヽ
川*Vo) 。 ‘*从
ノ つつ ⊂ヽ
(__つ(_つつ イチャ
- 214 名前:名無し飼育 投稿日:2004/11/18(木) 03:18
-
AAずれた_| ̄|○
- 215 名前:名無し読者 投稿日:2004/11/18(木) 13:23
- 更新の中盤で動悸が激しくなり終盤では涙があふれ出ました。
思ってた以上にこの二人に感情移入してたみたいです。
続き待ってます…
- 216 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/18(木) 19:24
- 涙出ました…やばいよ。作者さん、きわどいとこ突かれた様な衝撃を味わいました。続き、期待してます。
- 217 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/18(木) 23:38
- そ、そんな・・・(T_T)
- 218 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/19(金) 01:22
- 胸が痛い。。。
涙が止まらない。。。
作者さん、頑張って下さい。
続き、期待しながら待ってます。
- 219 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/19(金) 16:51
- みきたんどうしたんだよぉ(泣
もう泣きそうです…ああどうにかして作者様!
更新大人しく待ってます…
- 220 名前:名無し読者 投稿日:2004/11/21(日) 02:57
- こんなのってないよ。
亜弥ちゃんが可哀想過ぎる…
- 221 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/27(土) 17:18
- 永遠の愛を誓うんじゃねぇのかよぉ!!
…悲し過ぎる…
- 222 名前:名無し読者 投稿日:2004/12/03(金) 04:25
- 初めて知り一気に読みました。
マイ、里田舞の破滅的な生き方に打たれました。
実際の里田まいにも何かしらこういう影を感じるのは何故でしょう。
- 223 名前:その価値は 投稿日:2004/12/05(日) 23:35
-
亜弥が歩く道は光に満ち溢れているように見られている。
亜弥を前にすれば、大きな事件でさえ、些細なことのように思われた。
何があったとしても、松浦亜弥さえそこにいるのならば、全てはそれでいい方
へ進んでいくように思われた。
松浦亜弥とは全てを乗り越える、いや、乗り越える必要すらなく、ただそこに
その存在が在るだけでいいのだと、人々が納得してしまうような天性のオーラ
を持っていたのだ。それを彼女が望もうと望むまいと、松浦亜弥というのは亜
弥を取り巻く世界の人々にとってそういうものだった。
そこには亜弥の哀しみや苦悩は在り得ない。
そんなものは存在しない。それが松浦亜弥なのだから。
- 224 名前:その価値は 投稿日:2004/12/05(日) 23:35
-
捧げられる哀悼の意は何の意味もない。
ただ、形式として投げかけられるだけのもので、美貴の家族でさえ、松浦亜弥
のネームバリューに萎縮して、ただただ頭を下げるだけだった。
美貴の家族には多額の見舞金と称した金銭が松浦亜弥の名義で松浦亜弥から送
られた。それは美貴の両親が一生かかっても稼げないようなひどく大きな金額
で、それでも亜弥は足りないだろうと思っていたが、美貴の家族はそれを受け
取ると一切の連絡を亜弥とは絶った。
それを亜弥は哀しいと思うことはない。
美貴の血縁で繋がった家族は亜弥にとって、それだけの意味しか持たない。
戸籍で繋がっているという意味でのお詫びをこめた見舞金。
亜弥が発信した藤本美貴に関連した世間への行動はそれだけだった。
後の事件に関する手続きの一切を亜弥は代理人に任せ、自身は関わろうという
姿勢を世間に対して見せなかった。
それを恐らく世間も望んでいたし、美貴の家族も望んでいたし、亜弥自信も望
んでいた。
- 225 名前:その価値は 投稿日:2004/12/05(日) 23:36
-
ただ、亜弥は決して忘れたりしなかった。
忘れられるはずがなかった。
亜弥の中の美貴は死んでいない。
何故なら亜弥はまだ生きているから。
亜弥はじわりじわりと地の底を這うような執念を心底に秘めている。
亜弥は自分が何をしたいのか、まだよく理解しきれていなかった。
けれど、体中の細胞が急き立てているような感覚を感じる。
許さない、許さない。
終わらない、終わらない。
何を許さないのか、何が終わらないのか、その答えはまだ亜弥には見えない。
亜弥は答えを求めるように、注意深く世界を睨みつけていた。
- 226 名前:その価値は 投稿日:2004/12/05(日) 23:36
-
*
- 227 名前:その価値は 投稿日:2004/12/05(日) 23:37
-
「エイリアン計画」
ロケットを宇宙に飛ばすことが飛行機を空に飛ばす気軽さと同じくらいのレベ
ルに到達している世界で、エイリアンが見つかったというのは言い様によって
は当然のことだったのかもしれない。
その存在を初めて知った時の亜弥の感想はこうだった。
だからその計画の責任者を任命された時もさしたる感慨は抱かなかったし、与
えられた業務をパーフェクトにこなすだけ、といった認識しか持たなかった。
発表された当時こそセンセーショナルな存在ではあったが、その生態や現状が
詳しく発表されることもなく、次第にその存在は薄れていった。
それは発見時こそ珍獣として珍しがられ見世物にされ衆人環視状態だったが、
時が経つにつれ珍しさが薄れ気にも留められない動物と何ら変わりはなかった。
亜弥もこれに関しては多くの一般人と同じく、さして気にしたことはなかった。
そもそも、発見当時の亜弥の年齢は2歳程度で、亜弥の世代ではそれが存在して
いる、という教科書で見知った程度の知識しかなかった。
- 228 名前:その価値は 投稿日:2004/12/05(日) 23:37
-
そして、亜弥はそこで初めてエイリアンたちの行く末と実態を知ることとなる。
そして、自分自身がその責任者を任されたことの意味を知る。
仲間になれと、そういうことなのだと、すぐに亜弥は理解した。
初めてその事実を知った時、亜弥は非常に冷静だった。
ただ、淡々とその事実を消化した。
疑問を抱いたり、生理的嫌悪感を抱く前に、その不条理な世界をただ飲み込ん
だ。
亜弥は自分のそんな暗闇に恐怖した。
その暗闇は先天的なものでなく、確実に作られたものだった。
その闇に蝕まれていく過程を亜弥は、背中を蟲が這い上がってくるような恐怖
感と嫌悪感をもって受け入れた。
拒めなかったのだ。
せりあがってくる闇はどうしようもなく、亜弥を侵食した。
その闇は亜弥にとって否定すべきものだったのかもしれない。
人間らしさ、だとかそういう哲学や教育ではなかった。
それは亜弥の恋心の残骸であり、彼女を構築する重要なパーツだった。
陽の当たる場所も、暗闇も、どちらも作り出したのは亜弥の恋であり、彼女は
それを永遠に捨てることも忘れることも消し去ることもできない。
また、そうしたいとも思わない。
許せないわけではない。
ただ、無関心なだけだった。
だから亜弥はそれを許さない自分を作り出す必要があった。
- 229 名前:その価値は 投稿日:2004/12/05(日) 23:38
-
亜弥はそれをあこぎなことだと分かっていた。
分かっていたからこそ、亜弥は厭世的になるわけにもそれまで以上に活力的に
なるわけにもいかなかった。
演じることは続けることによりいつしか真実になり、亜弥を侵蝕していく。
亜弥を形作っていた確固たる松浦亜弥は音を立てずにひっそりと消えて行こう
としていた。
そんな時、亜弥は業務の一環として視察に訪れた「エイリアン」のオークショ
ン会場で見つけてしまった。
亜弥の胸を唯一奮わせることができるはずの存在を。
そして、亜弥はそれを誰にも渡すわけにはいかなかった。
そして、亜弥はそれの本当の意味をまだ知るに至らなかった。
- 230 名前:その価値は 投稿日:2004/12/05(日) 23:38
-
◆
- 231 名前:その価値は 投稿日:2004/12/05(日) 23:38
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- 232 名前:その価値は 投稿日:2004/12/05(日) 23:39
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- 233 名前:揺るがない世界 投稿日:2004/12/05(日) 23:39
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*
- 234 名前:揺るがない世界 投稿日:2004/12/05(日) 23:39
-
美貴が亜弥の元へきてから2年半の間に美貴の身体はすっかり成人並になり、
知識も教養も優れ、身体能力は常人を遥かに越えていた。
少し生意気になった口調や行動はあるが、相変わらず美貴は亜弥の言うことに
従順だ。
美貴の世界はやはり亜弥だけだった。
亜弥はこれまで、美貴の身体に最高級のトレーニングを施した。
但し、それは全てがコンピューターで管理されたものであり、美貴はこれまで
亜弥以外の人間に触れ合ったことはほぼ皆無だった。
けれど美貴にとってそれは当たり前の環境だったので、特別な感情を抱くこと
はなかったのだ。
世界は美貴と亜弥以外の人間で溢れかえっていることは知っていたし、それが
どのような歴史を辿ってきたのか、ということも学習した。
しかし、それを身近で体験したり、その社会に加わりコミュニティを形成する
ことには美貴は興味を抱かなかった。
美貴には亜弥がいればそれで良かった。
美貴の社会は亜弥だけだったし、それ以外に関わるということは美貴にとって
非常に非生産的なことだった。
美貴の価値は亜弥にしかなかったのだから。
それを美貴は自然に、あくまで当然のものとして認識していた。
何も哀しいことはなかった。
何故なら、美貴にとってそれは常識だったのだから。
常識は流動するものだ、亜弥はそう言うが、美貴は自分に一つだけ決して揺る
がない常識を作成したのだ。
流動する目まぐるしい世界に属さずに、普遍的な世界に身を置くことを美貴は
意識せずに行い、また安堵していた。
- 235 名前:揺るがない世界 投稿日:2004/12/05(日) 23:40
-
美貴の世界は亜弥そのものだったのだ。
様々な知識を吸収していく過程で、美貴は自分が普通の人間とは違うことを認
識していた。
しかし、それについて嘆くだとか、感傷にひたるようなことはなかった。
自分は人間としてイレギュラーであるが、それが不幸とイコールにならないこ
とを知っていた。
美貴は自分の環境を客観的に見て、それが決して悲観するものではないという
見方をできる賢さを備えていたのだ。
亜弥は美貴が自分の出生について気付き始めた頃、美貴に対して「エイリアン」
であることを告白した。
そして、亜弥はその「エイリアン」たちの行く末について聞かせた。
主に性的玩具として利用され、物としてさえ扱われない存在を否定された存在。
美貴は興味深く、深刻に話しを聞いた。
それは美貴に迫った現実ではなかった。
美貴の世界は何時だって、亜弥と世界の終わり、そんな両極端な世界だった。
中間のない美貴の世界を埋めるのはやはり亜弥だった。
「エイリアン」について亜弥が行おうとしていること、それが正しいのか正し
くないのか、そんなことは関係ない。
亜弥はそれを許さないと言った。
それならばそれに従うだけ。
それが美貴の全てだった。
たとえそこに亜弥の綻びを見たとしても、美貴にはそれすらも全てだった。
- 236 名前:揺るがない世界 投稿日:2004/12/05(日) 23:40
-
亜弥の育てた美貴は、亜弥の認めた美貴と容姿がそっくりだった。
成長した美貴の外見は全く藤本美貴そのもので、亜弥はそれを時々眩しそうに
見つめる。
同時にひどく悲しそうに、切なそうに見つめる。
亜弥が美貴を失ってから一年後、美貴は亜弥の元へやってきた。
それから2年半の月日が過ぎ、亜弥は18歳の誕生日を迎えようとしていた。
身体トレーニングを重ね続けた美貴は亜弥の希望からボディーガードとしての
プログラムを習得していた。
その身体能力は常人とは思えぬものがあり、美貴は自分の持つ人間の知識と比
較して、やはり自分は人間ではないのだと感じる。
しかし、それは喜ばしいことだった。
亜弥は自分を守って欲しいのだと、美貴に言ったことがある。
美貴はその言葉を完全に実行するために努力を惜しまなかった。
取り憑かれたようにトレーニングを続けた。
自分の能力が亜弥の為に生かせるのなら、それ以上の幸福はないと思えた。
- 237 名前:揺るがない世界 投稿日:2004/12/05(日) 23:40
-
丁度その頃、亜弥は美貴を仕事の席へ同行させるようになった。
美貴はサングラスをかけ目深にキャップを被り顔がみえないようにして、陰の
ように亜弥の傍を離れなかった。
実際、亜弥の周りにはその容姿に心を奪われた変質者が絶えず付きまとってい
た。
美貴の仕事は主にそのような輩を撃退することだった。
亜弥の出先や住居周辺によく出現するそれらを美貴は要領よく的確に始末して
いく。
そういう時美貴はそれらを殺してしまいたい、と思うほど憎んだが、美貴の仕
事は殺すことではなかったので、ひどく仏頂面をして伸したそれらを警察や警
備員に突き出すという行動を繰り返した。
仕事をやり遂げると亜弥は優しく笑いながら優しく美貴の頭を撫でてくれた。
美貴はそうしてもらうと、先ほどまで感じていた燃え滾るような憎悪が不思議
と消えていくのを感じる。
亜弥の手はまるで魔法のようだと美貴は思い、その手の温もりこそがたった一
つの美貴の宝物だった。
- 238 名前:揺るがない世界 投稿日:2004/12/05(日) 23:41
-
家に戻ると、亜弥はただいまと言う。共に帰宅した美貴もただいまと言う。
亜弥はそれにおかえりと返すから美貴もおかえりと返す。
オウム返しのようなやり取り。
美貴に与えられたのは亜弥の言葉、亜弥の思想、亜弥の温もり。
だから美貴が与えられるのは亜弥と同じもの。美貴はそんなことには気付かな
い。
亜弥はそういう時には必ず薄く微笑む。
それが美貴は何だか寂しくて、けれど理由が分からなくて少し困る。
困るけれど、美貴は何も言わない。言ってしまえばきっと亜弥が困るから。
そんなふうにして毎日が過ぎていくある曇り空の日に、美貴は初めて買い物を
した。
亜弥はビルの中の一室で会議中だった。
美貴は別室で待機していた。特にやることもなく、ぼんやりと窓の外を眺める。
たくさんの車が走り、たくさんの人が歩き、たくさんのビルが並んでいた。
つい、この間まで映像と画像でしか見たことのなかった世界。
けれど美貴はずっと昔から知っていたような気がする。
雑多でごちゃごちゃと人が溢れ、緑の少ない景色が何となく懐かしいような気
持ちにさせる。
けれどそれはあくまで気のせいだろう。
ずっと映像や画像を見続けてきたせいで、それが実際に見てきたような気持ち
にさせるのだろうと思った。
ふと、窓から目を外し壁に掛けられたデジタル時計に目をやると今日の日付が
25と表示されている。
- 239 名前:揺るがない世界 投稿日:2004/12/05(日) 23:41
-
そうだ、今日は亜弥ちゃんの誕生日なんだ!
美貴は心の中で叫んだ。
日付の感覚を持っていない美貴にとって、今日が何月何日かということは意味
を持たなかったが、
誕生日はお祝いするものだ、と亜弥は美貴が亜弥の家に来た日の2月26日に
はプレゼントをくれたし、
食事も豪華だった。
そして、亜弥の誕生日である6月25日もそうやって過ごしてきた。
美貴は毎年プレゼントを貰うが美貴から亜弥にあげたことはなかった。
それは美貴が外に出たことがなかったからということもあるが、亜弥がいらな
いと笑って美貴の頭を撫でるから、美貴はそれで納得してしまっていたのだ。
しかし、今日美貴は買い物のできる状態にいて、ポケットの中にはいくらかの
お金も入っている。
亜弥が戻ってくるまであと40分程ある。
美貴は少し迷ってからポケットの中のお金を握りしめ部屋を出た。
- 240 名前:揺るがない世界 投稿日:2004/12/05(日) 23:41
-
初めての誕生日に亜弥は美貴にお揃いのシャツをくれた。
2度目の誕生日には黒いつなぎをくれた。
両方とも一度も袖を通していない。それはあまりに嬉しかったから。
あんまり大切だったから、美貴はそれを大切にしまっている。
「みきたんに似合うと思って」
微笑みながらプレゼントをくれた亜弥は美貴がそれを着ようとしないことを不
思議がったが、美貴が理由を話すと亜弥は嬉しそうに、そしてやはり切なそう
に笑って頭を撫でてくれた。
亜弥は何をあげたら喜ぶのだろうか。
美貴は考える。
亜弥は可愛いものや綺麗なものが好きだ。
美貴があげることのできる可愛くて綺麗なものはなんだろう、と美貴は思いを
巡らす。
考えても考えてもよく分からなかった。
亜弥が本当に欲しいものはきっとどこかにあるのだろう。
亜弥が切ない顔をするのはそれがないからなのだろう。
美貴はそれを何となく感じていた。
亜弥が本当に欲しいものを自分があげることができればいいのに、いつも美貴
はそう思う。
けれど、それが何なのか分からない。
- 241 名前:揺るがない世界 投稿日:2004/12/05(日) 23:42
-
ふと亜弥が大切にしているぬいぐるみのことが頭をよぎった。
亜弥は宝物なんだよ、と言って美貴にも触らせようとしないぬいぐるみ。
嫉妬がないわけではなかったが、それを見るときの亜弥の目があんまり遠いと
ころを見ているから
美貴は何も言えなかったし、決して触ることはなかった。
そこにはきっと亜弥の本当に欲しいものがつまっているんだろう。
ならばせめて似たようなものを、そう思い美貴はウィンドウを覗いて歩き始め
た。
しばらくウロウロしていると露店が多く出ている通りに出る。
様々なアクセサリーが並んでいる。指輪や腕輪、ネックレスやピンバッチなど
が並んでいる。
ゴツイものがほとんどだが、店によっては可愛らしいものもある。
サングラスの奥から美貴はそれらを覗いて歩いた。
目ぼしいものが見つからないまま露店街が終わりに差し掛かった時、最後の一
店で美貴は興味を惹くペンダントトップを見つけた。
様々な動物を模ったペンダントトップだった。
羊もうさぎもあった。
- 242 名前:揺るがない世界 投稿日:2004/12/05(日) 23:42
-
「これ、羊とうさぎの下さい」
「ハイ、ドウモアリガト」
店主らしき若い女は片言でニコニコと美貴を見る。
美貴は目当てのものを指差した。
「イッコズツペンダントスル?」
「一つの鎖に二つつけれますか?」
「オーケーオーケー」
若い女はニコニコ微笑ながら鎖を取り出し羊とうさぎを器用に通していく。
銀色のそれは鈍く光っていた。
女は美貴の前で出来上がった鎖を垂らして見せる。
羊とうさぎは寄り添うように重なってチンチンと音を鳴らした。
「ありがとう。それはいくらですか?」
「アナタイクラモッテマスカ?」
「ええと…持ってる分はこれだけ」
美貴は女の前にポケットの中に詰まった札を取り出して見せる。
「今あるのは10枚だけです。足りますか?」
「ワオ!イクラハラッテクレル?」
女は嬉しそうに美貴に聞く。
しかし、美貴はこういった値段の決められていない買い物の仕組みを知らなか
った。
ただでさえ買い物をしたことのない美貴は少し不安になる。
- 243 名前:揺るがない世界 投稿日:2004/12/05(日) 23:42
-
「これ、全部じゃ駄目ですか?」
「コレゼンブ?!リアリィー?」
「これじゃ足りない?」
「オーケー!!タリルネ!!」
女は一層顔を綻ばせて喜ぶ。
美貴も安心したように笑顔を見せると、女に最高額紙幣を10枚渡した。
気をよくした女は鞄の中から箱を取り出し、鎖を詰めると丁寧にラッピングを
施し美貴に渡した。
美貴はそれを受け取ると大事そうに持ち、その通りを引き返した。
そろそろ40分は過ぎようとしている。
美貴は走って亜弥のいるビルへと戻った。
- 244 名前:揺るがない世界 投稿日:2004/12/05(日) 23:44
-
帰宅すると、美貴は待ちきれないというように亜弥の手を引いてソファに座ら
せ自分もその隣に腰掛ける。
不思議そうな顔をする亜弥の手を取ると、美貴はそこにポケットから取り出し
た小さな箱を乗せた。
ニコニコと嬉しそうな美貴と掌の上にある箱を交互に見る亜弥。
「これなぁに?」
「えへへ、誕生日プレゼントだよっ!今日亜弥ちゃんの誕生日だもん!」
「あ、あぁ…そっか、今日は…。これ、みきたんが買ったの?」
「えへへ」
「最近忙しかったから忘れてたよぉ。ありがとぉ」
亜弥は微笑むと美貴の頭を優しく撫でる。
それだけで美貴は嬉しくなり、満足した気持ちになる。
「開けてもいい?」
「うん!開けて開けて!」
- 245 名前:揺るがない世界 投稿日:2004/12/05(日) 23:45
-
はしゃいで目をキラキラ輝かせる美貴に微笑みながら亜弥は箱を開けてみた。
そこには銀色の鎖が丸まるように置かれている。
指先でつまんで取り出してみると、鎖の先には何かがついていた。
それを掌に乗せてみると、そこには羊とうさぎを模った銀板細工が引っ掛けて
あった。
あ、と小さく息を飲んで美貴を見ると、美貴は相変わらずニコニコと笑ってい
る。
「あのね、亜弥ちゃんの宝物、あの羊とうさぎのぬいぐるみ思い出して、それ
で…」
言葉は途中で遮られた。
亜弥は鎖を握り締めたまま美貴を抱き締めたのだ。
美貴はゆるゆると亜弥の背中に手を伸ばした。その背中はいつも温かい。
「ありがと。大事にするから」
顔を見せないまま亜弥は呟いた。
「ホントは、亜弥ちゃんのホントに欲しいものあげたいんだけど…。みきには
それがわかんないから。
ごめんね、みきはいつも亜弥ちゃんに宝物もらってるのに、ごめんね」
「みきたん…」
みきたんが宝物だ。
そう言ってしまいたかった。けれど亜弥の中の美貴への想いがそれをさせない。
あの日に亜弥を覆った暗闇が亜弥を縛って離さない。
言葉の代わりに亜弥は美貴を強く抱き締めた。美貴は亜弥の肩に頬を乗せてす
り寄せた。
- 246 名前:揺るがない世界 投稿日:2004/12/05(日) 23:46
-
「もう、みきたんは身体ばっかり大きくて甘えたさんなんだから」
「駄目?亜弥ちゃんにこういうことするのはもういけない?」
「いけなくないよ…。でもみきたんってまだまだおっきな赤ちゃんみたいな時
あるよね」
亜弥が美貴の背中を優しく撫でながらくすくすと笑う。
亜弥の暗闇は底の方に確かに存在するものの、上からすぐに水で覆われるよう
に沈んでいく。
その水は時折干上がって暗闇が顔を覗かせるが、亜弥は水のコントロールが上
手だった。
それは恐らく不幸なことだった。
美貴はそんな亜弥のからかうような言葉を受けて恥ずかしそうに顔を赤くする
と、恥ずかしさを隠すように更に亜弥の肩に顔を埋めた。
亜弥はそんな美貴のことを愛しいと思いながらも、どこか冷えた気持ちでそう
した自分を見ている自分を感じ絶望的な思いに一瞬顔を歪めた。
そして美貴はそんな亜弥に気付いていながらどうすることもできずにただその
肩に顔を埋め続けるしかなかった。
- 247 名前:揺るがない世界 投稿日:2004/12/05(日) 23:46
-
*
- 248 名前:揺るがない世界 投稿日:2004/12/05(日) 23:47
-
*
- 249 名前:夜の出会い 投稿日:2004/12/05(日) 23:47
-
美貴は夜の闇の中を彷徨っていた。
隣に亜弥はいない。
亜弥は美貴の隣で熟睡しているはずだった。
いや、熟睡しているはずである。
けれど、亜弥は寝ながら泣いている。誰かの名を呼んで泣いている。
美貴はその名前を聞き取ってはいたが、それが自分ではないことをわかってい
た。
それは寂しい認識だった。美貴の心はどうしようもないやり切れなさではちき
れそうになって、
亜弥の隣にずっといたいのに、ふと亜弥の傍にいるのがいけないような気がし
てみたり、
要するに美貴の心は揺れ動いていた。
自分でもどうしたらいいのか分からない初めての感情を持て余していたのだ。
それは嫉妬でもない。絶望でもない。焦燥感だった。
亜弥に対する効果的な自分のすべきことが見当たらない焦燥感。
亜弥が美貴の名前を呼ぶ度に募るそれに美貴はとうとう溜まりかねて部屋を飛
び出す。
- 250 名前:夜の出会い 投稿日:2004/12/05(日) 23:47
-
マンションの窓を開けてベランダの柵へ足をかけると、ふわりと地上めがけて
飛び降りる。
美貴は音もなく猫のように器用に着地するとあてもなく走り始めた。
軽やかなランニングの足音は深夜の住宅街に木霊するが、それもやがて消えて
いく。
美貴はいつの間にか区画整理のために再開発が始まった地区へ足を踏み入れて
いた。
古めかしい平屋のような団地が軒を連ねる中、これもまた古めかしいビルが数
件朽ちかけて並んでいる。
手入れのされていない道路は道なき道と化し、雑草が鬱蒼と生い茂り、薄暗さ
と陰気臭さを盛り上げていた。
美貴はぐるりとそれらを見渡してから空を見上げると、空には少し欠けた月が
煌々と夜空を照らしていた。
- 251 名前:夜の出会い 投稿日:2004/12/05(日) 23:48
-
「月はこんなに明るいんだ…」
そう、独り言を漏らすと上の方から可愛らしい声が聞こえる。
「まるで初めてお月様を見たような言い方」
くすくすと小さな笑い声が漏れる方向を向くと、廃ビルになっている一つの5
階の窓から遠めでも分かるほど
白い肌をした少女がこちらを見ていた。
美貴はビルの真下まで近づいて、その少女を見上げた。
少女はにっこりと笑うと美貴に言葉を投げる。
「あなたは私のことを可愛いって思う?」
そのあまりに場違いな質問に美貴は戸惑い困惑して口ごもる。
少女は返事を待ってじっと美貴を見おろし続けていた。
美貴は目をこらして少女を見上げた。
少女は黒く柔らかそうな髪を二つ結びにしていた。その白い肌に黒髪はよく映
えた。
しかし細かなパーツはよく見えなかった。
- 252 名前:夜の出会い 投稿日:2004/12/05(日) 23:48
-
「きっと可愛いと思う。けどここからじゃぁ良く見えないよ」
「そう…」
少女は少し考えてから美貴に向かって手招きをした。
美貴はその手に吸い寄せられるように首を伸ばす。
「上がってきたらどうですか?」
少女はそんな美貴を見てくすくす笑いながら手招きを続ける。
美貴はとても不思議な気持ちがした。こんな気持ちは初めてのことだった。
嬉しいとも楽しいとも悲しいとも怒りとも違う。
少し胸がドキドキしていた。ふと亜弥が見せてくれた冒険へ出かける子供たち
の映画を思い出す。
きっと彼らが感じていたのもこういうものかもしれない。
不安の混じる好奇心。
美貴は階段をゆっくりあがりながら、映画のタイトルを思い出そうとするが中
々でてこない。
階段を上り終えると、そこには白い肌をして黒い瞳と黒い髪をした少女が少し
緊張したような表情で伺うように
美貴を見つめて立っていた。
少女は白いワンピースを着ていた。開け放たれた窓から吹き込む風で時折裾が
はためいていた。
黒目がちな瞳はつぶらで潤んでいてとても目を惹いたし、ぽってりとしたピン
ク色の唇も印象的だった。
唇の脇にあるほくろはとても効果的に彼女の顔全体を演出していて、幼い感じ
のする顔立ちと裏腹に妖艶さを醸し出させた。
- 253 名前:夜の出会い 投稿日:2004/12/05(日) 23:49
-
「可愛い、と思うよ」
美貴は向かい合うように立ち、少女を正面に見据えながら言った。
すると、少女はふんわりと嬉しそうに笑い、首を少しかしげる。
「良かった。私も可愛いと思うの。あなたのお名前は?私は道重さゆみってい
うんです」
「みちしげさゆみ…」
「そう。道が重いさゆみ。さゆみは平仮名なんだよ」
「さゆみ。さゆみ…。美貴はね、藤本美貴。フジにホンって書いて、美しく貴
い」
「そう。綺麗な名前ね」
さゆみは美貴の名前を聞いてまた柔らかく笑う。
そして、美貴は初めて自分の名前を亜弥以外の人間に名乗ったことにはっとし
た。
美しく貴い、これは亜弥が美貴に名前を教える時に言った言葉だった。
それを、亜弥が付けてくれた名前を亜弥以外に教える。
イレギュラーな自分を他人に知らせる。それは美貴にとって大きな出来事だっ
た。
目の前のさゆみという少女は不思議だ。
美貴はこれまで出会う亜弥以外の人間には大なり小なり必ず嫌悪感を抱いた。
それは理由のない美貴の内側から吹き上げるようなものだった。
しかし、さゆみにはそれを感じることがない。むしろ、安堵感のようなものま
で感じる。
美貴は自分の直感をまだ少し疑いながらさゆみに一歩ずつ近づいた。
さゆみは微笑んだまま動かなかった。
美貴がさゆみの目の前まで進むと、さゆみはきゅっと美貴の手を取った。
それからその手を自分の胸に当てさせる。
美貴はぎょっとしながらも、されるがままになっていた。
- 254 名前:夜の出会い 投稿日:2004/12/05(日) 23:50
-
「子供の冒険。あなたも私も子供です」
「何を言ってるの?」
「冒険だから、ドキドキするの。ほら、ね?」
「ドキドキ、してるけど、あなたは誰?」
「さゆみだってば。多分あなたと同じ」
「美貴と、同じ?」
こくりとさゆみは頷いてまた微笑む。
その笑顔は窓から差し込む月の光に照らされてとても綺麗だった。
そして、同じの意味を美貴はあぁと納得する。
彼女もエイリアンなのだ、と。
何かがあったわけではない。言葉で明確な確認をしたわけでもない。
それでも感じるものがあった。それは美貴が、さゆみが五感で感じたもの。
たった少ししかいない同じ処遇を受けた仲間に感じるもの。
美貴はそこで初めて頬を緩めた。
「美貴、ちゃん。可愛いよ、笑うと。私ほどじゃないけど」
「うん。さゆみは可愛いと思う」
「ドキドキしてる?」
「ドキドキしてるよ」
「ふふっ、スタンド・バイ・ミーだよ。子供時代の冒険。私のそばにいてって
こと」
「さゆみのそばに?」
「違うよ。スタンド・バイ・ミーだよ」
「知ってる」
「なら、いいね」
美貴は引っかかっていた映画のタイトルを思い出す。
スタンド・バイ・ミー。
さゆみと出会ったことは美貴にとっての冒険の産物だった。
そしてその出会いは美貴に初めて亜弥以外の世界を考えさせられるきっかけだ
った。
美貴はまだそのことには気付かずに、初めて見た同胞の手を握りその顔を見つ
め、ただ立ち尽くしていた。
- 255 名前:夜の出会い 投稿日:2004/12/05(日) 23:51
-
*
- 256 名前:夜の出会い 投稿日:2004/12/05(日) 23:51
-
*
- 257 名前:信じるものは 投稿日:2004/12/05(日) 23:52
-
美貴はさゆみと出会ってから夜になると度々、さゆみのいる廃ビルへ向かうた
め部屋を抜け出すようになった。
亜弥はそれには気付いていないと美貴は思っている。
美貴はいつも亜弥が目覚めるより前に部屋に戻り、亜弥の隣に潜り込む。
それはとても幸せな時間だった。
新しい発見をして、冒険をして、一番大切な人の胸に帰る。美貴は満たされて
いた。
これまでも美貴は自分は満たされていると思っていたのだが、それよりも更に
満たされる自分を知る。
亜弥さえいれば何もいらないと思っていた。
それは今でも変わらないが、そこにさゆみが与えてくれる新しい世界は美貴の
視界を広くさせる。
さゆみの言葉は時に支離滅裂で美貴を混乱させたが、そこから読み取ろうと考
え抜いた意味は美貴の心をざわつかせるものだった。
それは悪い意味ではなく、新しい発見という意味で。
さゆみは美貴に自分で考える方法を極自然に与えた。
それはさゆみが与えようと思ったものではないが、美貴はさゆみとの出会いで
そういうものを見出した。
- 258 名前:信じるものは 投稿日:2004/12/05(日) 23:53
-
月のない夜。新月の夜。
空は月が輝く夜よりも数段暗い。
美貴は懐中電灯を持ち込むと、足元を照らして廃屋が連なる道を歩く。
足元に感じる雑草のちくちくした感じが一層暗闇の不気味さを盛り上げるから、
美貴は少しずつ早足に廃ビルを目指した。
すると、ビルとは対する方からさゆみのふわりとした高めの声が聞こえてきた。
「お月様のでない夜、暗いけどお化けなんてでませんから」
いつものようにくすくすと笑いを含みながらさゆみの声は響く。
さゆみはいつもの廃ビルではなく、平屋団地のコンクリートで固められてでき
た平らな屋根の上に腰掛けていた。
「そんなに怖がらなくてもいいんですよ?怖いことは暗いことじゃありません」
「じゃあ怖いことは何?」
- 259 名前:信じるものは 投稿日:2004/12/05(日) 23:53
-
美貴はさゆみのいる団地の下まで足を進めると、上に向かって懐中電灯を照らす。
白色の光がさゆみの白い肌を照らした。
眩しさにも顔をしかめずさゆみはにっこりと笑って見せた。
美貴はそんなさゆみを見上げながら幻みたいだと思う。
けれど、さゆみは確かにそこに存在している。
美貴はひょいと跳び上がり屋根のふちに手をかけるとそこから懸垂をするよう
に身体を引き上げ屋根の上に登った。
さゆみはそんな美貴の動作をじっと見詰めながら自分の髪を撫で付けている。
美貴がさゆみの横にどかっと腰を下ろすと、さゆみは美貴の手を取り自分の髪
を触らせた。
「さらさらしてる」
「うん、可愛いでしょ。髪留めも可愛いの」
「ふわふわしてる」
さゆみの髪留めはピンク色のぼんぼんが二つ付いたものだった。
それはファニーフェイスのさゆみによく似合った。
さゆみは満足そうに笑うと、こてんと美貴の肩に頭を乗せた。
- 260 名前:信じるものは 投稿日:2004/12/05(日) 23:53
-
「怖いのは、神様のいる人」
「かみさま?」
「そう、神様。神様はなんでもできるから、神様がいる人も何でもできるの。
だから怖い」
「違うよ。神様は何でもできても、人は何でもできたりしない。そんな力は人
間にはないよ」
「あるよ?」
「ないよ。大体神様なんて人が作り出したんだもの」
「ふふっ。作り出したなんて、そんなことは関係ないの。だって神様は存在す
るもの。信じる者は救われるんだよ」
「…そんなの…。神様が存在するんならもっと幸せなはずだよ」
美貴は心の中で亜弥が…と呟く。
さゆみはそんな美貴の拗ねたような顔をちらりと見ると愉快そうに息をつき空
を仰いだ。
- 261 名前:信じるものは 投稿日:2004/12/05(日) 23:54
-
「幸せでない人は神様がいないの。神様は選択できるのに。そうしないのは幸
せを選択しないことかもしれない」
「不幸を選んでるってこと?そんなのっておかしい」
「神様がいる人はね、神の名の下に何だってできるんだもの」
「殺すことも生かすことも許すことも憎むことも…?」
「ふふっ。何だって」
「じゃあ神様がいない人は?」
「何ができるか分からない」
「何それ」
「さゆには神様がいないの。だからさゆは怖くないよ。だってさゆは何もでき
ないの」
「そんなことないでしょ?さゆはきっと何だってできるはずだよ…」
「何だってできる人は神様がいる」
「ねぇ、神様って何?」
「んぅっと、それはみんなちがう。誰もかれも違う」
「さゆの言ってる神様は、信じることのできるもののことなのかな…。それな
らさゆには自分がいるじゃない?」
「さゆは神様はいらないの。だって神様がいる人は怖いもの」
「じゃあ美貴も怖い?」
「美貴ちゃんは、悲しい」
「悲しい?美貴といると悲しいの?」
「美貴ちゃんは悲しい感じ。怖いのとは違うの」
「わかんない」
「さゆもよくわかんない」
- 262 名前:信じるものは 投稿日:2004/12/05(日) 23:54
-
さゆみはそう言うと空を見上げたままころころと笑った。
それからまた美貴の肩に頭を乗せる。
「さゆはみんなのこと怖いけど、美貴ちゃんは悲しいだけだから怖くないの」
「それってイイことかな?」
「わかんない」
「美貴もよくわかんない」
そう言いながら美貴もさゆみの頭に自分の頭をこつんと乗せた。
言葉では言い表すことのできない美貴だけのものだと思っていた闇をさゆみと
ならば共有できるかもしれないと思っていた。
けれど、やはりそれはさゆみとでも無理なのだと感じる。
しかし美貴はさゆみといるとそれを自然なことなのだと思える。
共有することなどできないのが当然なのだと思える。
そして、共有することができない悲しさを共有することができるような気がし
ていた。
- 263 名前:信じるものは 投稿日:2004/12/05(日) 23:54
-
月はない。
懐中電灯の光も消えてしまった。
闇の中で美貴とさゆみはひっそりと呼吸をする。
それは重なることはないが、重ねようとする努力はいらないのだと美貴は思う。
存在の断絶を初めから肯定しているさゆみは美貴にとって特別な存在になりそ
うだった。
けれど、美貴はそれが少し心苦しかった。
美貴の神様は最初から、そしてこれからも亜弥だと思ったから。
- 264 名前:信じるものは 投稿日:2004/12/05(日) 23:54
-
*
- 265 名前:信じるものは 投稿日:2004/12/05(日) 23:54
-
*
- 266 名前:名無し飼育 投稿日:2004/12/06(月) 00:10
- 更新終了です
>215さん
そんなふうに感じて読んで頂けるとは思いもよらずとても驚いています
と、共にとても嬉しかったです
ありがとうございます
>216さん
衝撃を感じて頂けるとはこれまた驚きです
その衝撃があだにならないように頑張りたいと思います
>217さん
。・゚・(ノД`)ヽ(゚ω゚=)モニュニュ
>218さん
ありがとうございます
期待は裏切られる可能性が高いと思いますが、頑張ります
>219さん
思いの丈をぶつけてくれるような感想を頂けるとは思いもよりませんでした
嬉しく思います ありがとうございます
>220さん
申し訳御座いません
こんな雰囲気の話しなのでご容赦下さい
>221さん
そこに感想を頂けたことがとても嬉しいです
>222さん
見つけて頂けて嬉しく思います
ありがとうございます
実際の里田さんはあほっぽいと思っていますがこの話の中の里田さんを気に
いって頂けたなら妄想のしがいがあったというものです
たくさんレスを頂き本当に驚いています
同時に嬉しく思いました
ありがとうございます
さいたまスポフェスはまたまたあやみき祭りだったようで…
燃料投下は心の底から嬉しい限り
ノハヽo∈
ノハ(‘ 。‘*从
(VvV*从U∩
⊂ ⊂_(^)(^)__,⊃
- 267 名前:wool 投稿日:2004/12/06(月) 14:12
- 初めまして。更新お疲れ様です。
シリアスな松浦さんと無垢な藤本さん、この二人の切ない関係に感情移入してしまいます。胸が痛い…。
道重さんの登場で今後の展開がどう変わるのか。
のんびりと更新を待たせて頂きます。
- 268 名前:考えるということ 投稿日:2004/12/09(木) 22:10
- *
さゆみはいつも違う服を着ていた。
そしていつもどこもかしこもぴかぴかに磨かれたように清潔そうに見えた。
それからさゆみには生活感というものが全く感じられなかった。
美貴はそれを不思議に思っていたが、中々聞きだせずにいた。
さゆみはいつもぽわんと笑っていたから、きっと聞いても笑っているだけのよ
うな気がしていた。
それに美貴は答えが欲しかったわけではなかった。
さゆみと一緒の時間を過ごすことは美貴にとって大切だったが、さゆみを形成
するファクターは目を瞑ってもいいことのように思える。
美貴はそう思おうとした。
- 269 名前:考えるということ 投稿日:2004/12/09(木) 22:10
-
いつものように美貴が廃ビルの入り口をくぐろうとすると、たんたんと階段を
降りてくる足音が聞こえる。
視線を上げると、さゆみがふわふわと笑顔を浮かべながら美貴の目の前まで降
りてきた。
「今日はお散歩。美貴ちゃんもきます?」
「あ、うん。散歩ってどこへ?」
「どこへでも」
「適当に歩くってことか」
美貴のセリフを待たずにさゆみはするりと美貴の横を通り抜け外へ出て行く。
美貴もさゆみの後を追うように、くるりと向きを変え外に出る。
夜風は涼しく、少し湿っていた。
くんっと鼻を鳴らすと少し土の臭いがした。
「ふふ、わんちゃんみたい」
「わんちゃん?犬ってことか」
「美貴ちゃんはきっと忠犬だね」
「何それ。美貴犬じゃないし」
「そう?」
くすくす笑いながらさゆみは美貴の腕に自分の腕を絡ませた。
美貴はふとさゆみが何でも知っているような気がして不思議な気持ちになる。
さゆみは何も聞かない。だから美貴は何も話さない。
美貴は何も聞かない。だからさゆみのことはよく分からない。
そんな関係のはずなのに、時折美貴はさゆみが自分のことを全部知っているよ
うに思え、そしてそれを嫌だと思わない。怖いとも思わない。ただ不思議に思う。
それからさゆみの言葉を受けて、自分の状況についてそんなものかもしれない
な、と思う。
それが嫌な発見なわけではない。
けれど、それを知ることは美貴を少しずつ内側から変えていくことに繋がった。
- 270 名前:考えるということ 投稿日:2004/12/09(木) 22:11
-
「あーめあーめふーれふーれ」
「雨降って欲しいの?」
「そうでもないよ。でももうすぐ降るだろうから」
「どうしてそんなこと分かるのさ」
「だって雨臭いもん」
「雨臭い?それってどんな臭い?」
「湿った香り。たちこめるようなむっとした土の湿った香りが鼻先を掠めるの。
ふふ、文学的」
「ふぅん…そんなもんなんだ」
「美貴ちゃんは何でも知ってそうで、あんまり知らない」
「そう、かな。そうかも。美貴はまあんまり外にでたことがないから」
言葉を切ってから美貴は何だか自分が言い訳をしているような気分になってい
た。
事実、美貴は映像や本からは吸収できない実体験という経験がほとんどないに
等しかったのだが。
それは人生の中のどのジャンルにおいても言えることだった。
唯一飛びぬけて経験値が高いのは戦うということ。
それは随分と野蛮なことのようでもあったが、美貴自身は気にしない。
美貴はそれが自分のやるべきことだと思っていたから。
それ以外の、亜弥が与える以外の物事は必要ないとすら思っていた。
けれど、さゆみといるとそれは少し間違っていたような気がしていた。
色々なことを知るのは楽しいかもしれないという気がしていた。
それから、そんなふうに思う自分は間違っているような気もしていた。
美貴の中には常に亜弥がいて、そこから出ようとすることはとても恐ろしいこ
とのように思えたのだ。
- 271 名前:考えるということ 投稿日:2004/12/09(木) 22:11
-
さゆみに引かれるようにして、ぼうぼうと生い茂った草むらの中を歩き回って
いると、ふとさゆみが足を止めた。
不思議に思い美貴がさゆみの方を向くと、さゆみの横顔は少し強張っていた。
美貴はゆっくりと、さゆみが目を向ける方へ視線を移す。
しかし美貴には何も見えなかった。
「さゆ?」
美貴が声をかけてもさゆみは返事をせずにきゅっと口を結んだまま一点を見つ
めていた。
美貴には同じような草むらが広がっているようにしか見えなかった。
さゆみは美貴の腕をするりと解くと、ふわりと飛ぶように駆け出した。
美貴はそれをぼんやりと見送る。
さゆみの髪を頭頂で2つに結わいた髪飾りがふわふわとゆれて見えた。
それは白い羽のような飾りがたくさんついたもので、ラメの入った部分が月光
を浴びてきらっと小さく光って見える。
美貴がそんなさゆみの背中を見つめていると、不意にさゆみの姿は草むらの中
に消えた。
驚いた美貴はさゆみの行った方向へ草むらを掻き分けながら進んでいった。
さゆみはしゃがんでいた。
その背中はひどく丸く、ひどく寂しそうに見える。
- 272 名前:考えるということ 投稿日:2004/12/09(木) 22:12
-
「さゆ、どうしたの?」
「いたい」
「どこか怪我でもした?」
さゆみは何も答えずじっとしゃがんだまま動こうとしなかった。
美貴は草を踏みつけながらさゆみの横へとしゃがみこみ、その手元に目を落と
してからさゆみの横顔を見る。
さゆみは足元の横たわった小さな仔犬をじっと見つめていたのだ。
仔犬は動かなかった。
こげ茶色の毛をした子犬の腹の辺りには黒い筋が何本か見えた。それはタイヤ
の跡だった。
「ミルクやお菓子をあげたの、このわんちゃんに」
「さゆの犬なの?」
「この子はこの子だよ。さゆのなんかじゃない。この子とってもいい子なのに」
「よく分かんない」
「今日はお菓子をあげようと思ったのに」
「ふぅん…。車に轢かれちゃったのかな、お腹んとこタイヤの跡みたい」
「いたいのにここまできたのね」
「死んじゃったの?」
「うん。死んじゃった」
「ふぅん。死んじゃったんだ」
さゆみは柔らかく仔犬の鼻先を撫でた。それはとても乾いていた。
それからさゆみは静かに涙を零した。
音もなく涙を流しながらさゆみは柔らかくない土を掘り始める。
- 273 名前:考えるということ 投稿日:2004/12/09(木) 22:12
-
「さゆの大切なものなの?その犬は」
「この子はさゆの前で温かい存在であるって示したの。この子はさゆの近しい
モノなの」
「温かい存在って、血が通ってるってこと?」
「さゆの手からお菓子を食べて、さゆの掌を舐めたの。さゆに向かって尻尾を
振って嬉しそうに撫でられたの」
「それが温かいってこと?」
「この子はさゆにとって生きている温かさを示した存在だったの」
「生きている温かさ?」
「さゆの目の前にこの子は何の意図も持たずに現れたの。さゆはこの子が可愛
いって選択をしたの。その時からこの子はさゆの生きた温かい存在になったの」
「じゃあそれってさゆが可愛いって思わなければこの子はどうなるのさ」
「さゆの横を通り過ぎた一つの事象でしかないのね」
「感情が重要ってことでしょ、要するに」
「さゆにとっては一番大切なことよ」
「そう。じゃあ美貴も手伝うよ」
「いい。これはさゆがやるの」
「どうして?美貴が手伝ったらいけない?」
「美貴ちゃんは自分で決めていないもの。それじゃ真摯じゃないもの」
- 274 名前:考えるということ 投稿日:2004/12/09(木) 22:12
-
美貴はさゆみの言葉に少しむっとして、それから眉根を寄せて考えた。
美貴にとって絶対なのは亜弥の言葉。
それから新しいことを見つけさせてくれるさゆみの言葉は刺激的だった。
刺激的ではあったけれど、美貴はまだそこから自分だけの言葉を紡ぎだすこと
はできていない。
美貴には何故さゆみが拒むのかが分からない。
美貴にとって当たり前になりすぎている受身の思考、それが受身であることす
ら美貴は気付けていない。
美貴は混乱していた。何が駄目なのか分からずに、そしてまるで自分自身が全
否定されたようで悲しくなった。
さゆみの横顔を見つめてもさゆみは何も言わずにもくもくと土を掘り続けてい
る。
その綺麗な指は泥まみれで黒くなっていた。
それから仔犬に目を移す。
仔犬は変わらず動かない。冷たく横たわっているだけだ。
- 275 名前:考えるということ 投稿日:2004/12/09(木) 22:12
-
美貴は仔犬のことを考えた。
さゆみを慕っていた仔犬は恐らくさゆみがくる時間になるといつもこの草むら
にやってきてさゆみを待っていたのだろう。
今日もいつものように仔犬はどこかからやってこようとしたのだろう。
けれど運悪く車に轢かれた。
それでも仔犬はさゆみに会いたくて傷付いた体を引きずってここまでやってき
て、それで冷たくなってしまったんだろう。
仔犬は最期までさゆみを想っていたのではないか?そうでなければ最期にここ
にくるなんて。
そんなストーリーを頭の中で展開させて、美貴はこの仔犬はまるで自分のこと
だと思う。
自分も最期の瞬間まで亜弥を想うだろうと思う。
食べ物をくれ頭を撫でてくれたさゆみを一途に慕い最期を遂げた仔犬のように、
亜弥を想うだろうと思う。
美貴はその時仔犬をとても近いものに感じた。
そして、その死を誇らしく思えた。
存在の消失ではなく、消失の仕方は美貴にとってリアルだった。
消えてしまうことは美貴にはあまり意味を持たず、そこまでのプロセスが重要
だった。
そして、そのプロセスを美貴は評価する。
なぜなら、やはりその仔犬は美貴にとって温かい存在ではなかったから。
それでも美貴はその時初めて自分自身の思考で決断をした。
丸ごとコピーではなく、一歩踏み出した美貴なりの答え。
- 276 名前:考えるということ 投稿日:2004/12/09(木) 22:13
-
「手伝う。美貴はその仔犬と一緒だから。美貴はその子をよくやったって褒め
てあげたいから」
「そう。なら、いいね」
さゆみはくるりと美貴に顔を向けるとふんわりと微笑んだ。
美貴はさゆみの横にしゃがみこむとさゆみが掘り進めた穴に手を伸ばした。
初めて掘った土はとても固くて指が痛かったが、美貴は仔犬に敬意をこめて指
に力をこめた。
仔犬の埋葬が済んだ頃、空から雨粒がぽたぽたと落ちてきた。
さゆみは仔犬を埋めた場所にポケットから取り出したお菓子をぱらぱらと撒く。
最初にでてきたのはクッキーだった。それから飴玉やチョコレートも出てくる。
最期にさゆみはきらきら光る金平糖をばら撒いた。
雨に濡れたそれはより一層美しく美貴は仔犬への餞に満足した。
雨はだんだん強くなり、美貴は亜弥の居る家へさゆみはふらりとどこかへ消え
ていった。
美貴はこっそりと戻った家の中で土まみれの手を洗いながら指先を見つめた。
爪にはさまった土を丁寧に落としながら、固い土を掘ったために赤くすこし腫
れぼったくなった指先が不思議と素敵なもののように思えた。
- 277 名前:考えるということ 投稿日:2004/12/09(木) 22:13
-
*
- 278 名前:考えるということ 投稿日:2004/12/09(木) 22:13
-
*
- 279 名前:亜弥の欲しいもの 投稿日:2004/12/09(木) 22:15
-
*
亜弥は夢を見ていた。
- 280 名前:亜弥の欲しいもの 投稿日:2004/12/09(木) 22:15
-
そして亜弥はそれを夢だと認識している。
あの日、美貴が亜弥の隣からいなくなろうとしていたあのシーンの続き。
亜弥は美貴を待っている。
指輪の入った箱を手にソファに腰掛けてそわそわと時計と玄関を交互に見てい
る。
もうすぐ美貴があの玄関から亜弥の大好きな笑顔を携えて入ってくるはずだ。
ケーキの入った箱を持って、亜弥ちゃんお待たせと言って。
そう、これは夢だから、美貴はきっと笑顔で。
ポォーンとインターフォンの音が響く。
亜弥は少し震える足を引きずるようにして玄関を開く。
そこには美貴が満面の笑みで立っていた。
「ただいま、亜弥ちゃん。ケーキ買ってきたよ」
白い箱を亜弥に差し出すようにしながら玄関を上がろうとする美貴。
亜弥は声が出ない。
ずっと会いたかった美貴が、亜弥の一番必要な美貴が目の前にいる。
喋っている。自分に向かって声を発している。
それが夢であると分かっていても亜弥は涙が出るほど嬉しかった。
全ての感情がそこに凝縮されたように頭がツンと痺れ、嬉しくて嬉しくて幸せ
で溜まらなかった。
- 281 名前:亜弥の欲しいもの 投稿日:2004/12/09(木) 22:16
-
「どしたの?ぼーっとしちゃって」
美貴が不思議そうに亜弥の頭を2度ぽんぽんと叩き、ケーキをリビングの方へ
持って行こうと亜弥の横を通り過ぎる。
亜弥は慌ててその背中を振り返った。
あの日、出て行ったのと同じ白いダウンコートに白いニット帽。
背中は真っ白なままで、他の色は何もない。
美貴はケーキをテーブルに置くと亜弥の方へ振り返った。
それから両手を広げて笑っている。
「亜弥ちゃん」
自分を呼ぶ美貴の声が亜弥の頭の中に響いた。
亜弥が小走りに美貴に飛びつくようにして抱きつくと、美貴は少しよろめきな
がらそれをがっちりと受け止めた。
「そんなに寂しかったのかよぉ。ったく亜弥ちゃんはいつからそんな甘えっ子
になったのさ」
美貴が少し困ったような苦笑交じりの声で亜弥の背中を撫でた。
その感触も、美貴の匂いも美貴の温もりも亜弥が記憶しているものと寸分違わ
ぬ美貴のものだった。
亜弥が恋焦がれて今でも止まない美貴の感覚そのものだった。
- 282 名前:亜弥の欲しいもの 投稿日:2004/12/09(木) 22:16
-
「寂しい。本当は寂しくて怖くて、もうこんなとこに居たくないって思うの」
「亜弥ちゃん?何がそんなに辛いの?」
「いないの、美貴たんがどこにも。どこにでも美貴たんの気配で溢れているの
に美貴たんがいないの」
「いるよぉ。いつだって、傍にいるってば」
「身体が、声が、温もりが手に触れて目に見えるものがどこにもないよ」
「いるじゃない、美貴が」
「違うの。あれは違うの」
「美貴が、あっちの美貴が分かってくれるよ、亜弥ちゃんのことは」
「いらない。分かってほしいなんて思わない。美貴たんがわかってくれたから
それでよかったのに」
「いらないの?あっちの美貴は」
「そうじゃなくて…。分かんないよ」
亜弥は美貴の両肩を抱えるように強く抱き締めたまま、美貴の顔をじっと見つ
める。美貴は少しだけ困ったように、それでも優しく亜弥を見つめている。
その眼差しは亜弥の胸を貫く。全ての感情が一気に波のように押し寄せてくる
ような感覚が亜弥を襲い、亜弥はたまらず美貴の首筋に顔を埋めた。
美貴の匂いが体中を満たし、温もりが体中を抱き締めた。
亜弥はもう、どうしようもたまらなくなってぽろぽろと涙を零す。
美貴は優しく優しく亜弥の背中を撫でながら柔らかく囁いた。
- 283 名前:亜弥の欲しいもの 投稿日:2004/12/09(木) 22:17
-
「どうして分かってもらおうとする余裕を作らないの?美貴にしたように」
「痛いの。美貴たんがいないことが痛くて、痛すぎて、どうしようもなくて。
だから分かってもらおうって余裕は持ち合わせられないの」
「痛いことを素直に痛いって言えばいいのに。亜弥ちゃんは真面目だ」
「そんなの!美貴たん以外に誰にできるって言うの」
「美貴だけに縛られることなんてないのに」
「違う。縛られてるんじゃない…。美貴たんと出会ってから私の世界には絶え
ず美貴たんがいるの。もうそれは切り離して考えられるような次元じゃないの。
私の一部なの」
「一部なら、そんなに痛がることはないよ。傍にいるんだから、それこそずっ
と」
「そんな風に割り切れない。割り切ったつもりでいても本当はずっと心が痛ん
で痛んであんまり辛いからそれを沈めて、心が死んじゃう」
「ごめんね、亜弥ちゃん。美貴はそんなふうになって欲しかったんじゃないの
に。痛いことを痛いって素直に言って欲しいと思っていたのに」
「美貴たんじゃなきゃ駄目だった。私は光の中にいるって思っていたのに、美
貴たんがいれば本当に光の中にいれたのに…。
美貴たんがいないと、私、光の中にいるって思い込まなきゃ駄目になっちゃっ
た。痛いことを痛いって感じないように自分に呪文をかけ続けなきゃいけなく
なっちゃった」
「あぁ、亜弥ちゃん。美貴はどうしたらいいのか分からない」
「ごめんね、美貴たん。たん、許して」
「亜弥ちゃんなら何だっていいんだよ、何だって」
- 284 名前:亜弥の欲しいもの 投稿日:2004/12/09(木) 22:17
-
亜弥はそれが夢であるということを忘れかけていた。
それくらい切実だった。
そして爆発するように美貴に苦しさをぶちまけた。
やはり美貴は哀しそうに、それでも逃げることなく亜弥を受け止めた。
それが亜弥は胸がはちきれそうに嬉しかった。
夢であったとしても嬉しかった。
それから夢であったからとても哀しかった。
胸が張り裂けそうに哀しかった。
もう亜弥を全肯定して優しく困ったように笑う美貴はいないのだから。
目を覚ますと、隣ではもう一人の美貴が亜弥のパジャマの裾を握り締めて寝て
いる。
それを見て亜弥は自分の業の深さに絶望しそうだった。
それでも、やはり亜弥にとっては一番大切なのは自分の恋した方の美貴だった。
- 285 名前:亜弥の欲しいもの 投稿日:2004/12/09(木) 22:17
-
*
- 286 名前:亜弥の欲しいもの 投稿日:2004/12/09(木) 22:17
-
*
- 287 名前:名無し飼育 投稿日:2004/12/09(木) 22:32
- 更新終了です
>267さん
はじめまして、ありがとうございます
そういう風に感じて読んで頂けるとは思っていなかったので驚いています
また、このスレのことを思い出した頃に読んで頂ければ幸いです
年末に向けて速度∩(゚∀゚∩)age …たいところですが…
マターリ
∋8ノハヾ ノノハヽo∈
从‘ 。 ‘)(VvV从
O^ソ⌒とO^ソ⌒とヽ
(_(_ノ、_(_(_ノ、_ソ
マターリ
- 288 名前:名無し飼育さん 投稿日:2004/12/09(木) 23:42
- とても大好きな作品です。。。
素敵です (o^-')b
- 289 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/10(金) 18:13
- 更新お疲れさまです。
作者さん、やばいよ、これー
マジ泣きそうです・゚・(つД`)・゚・
続きもマターリ待ってます
- 290 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/10(金) 21:19
- 悲しい…傷みを伴う愛って素晴らしい
幸せになって欲しいです
- 291 名前:名無し読者 投稿日:2004/12/10(金) 22:14
- やっぱみきたんがいないと駄目なんだよ〜
亜弥ちゃん…
- 292 名前:wool 投稿日:2004/12/11(土) 23:13
- 更新お疲れ様です。
松浦さん切ないよ…。夢の中での藤本さんの優しさもまた切ない。
松浦さんが早く救われて欲しいです。
- 293 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/12(日) 00:28
- 亜弥ちゃんとエイリアン美貴ちゃんとの物語がどう進んで行くのか…
どう進んでいこうとも最後まで読ませて下さい。楽しみに次回を待ってます。
- 294 名前:零れる言葉、掬う言葉 投稿日:2005/01/12(水) 01:40
-
さゆみは多くを語らない。
その言葉には多くの意味が含まれていそうでもあり、何もないような気もする。
例えそこに多くの意味が含まれていようがいまいが、それは美貴の受け取り方
一つで変わるのだということを美貴は知っていた。
だから、美貴はさゆみの言葉が好きだった。
そのまま流して受け取れそうでいて、どこまでも深みがあるような不思議をつ
むぎ出すさゆみの言葉が。
言葉を発しなくても美貴はさゆみの傍にいるとどこか落ち着くような気持ちを
感じた。
それは亜弥と居る時とは全くの別物だった。
一つになれない存在を肯定するさゆみは何者でもないという不安感を抱える自
分を肯定しているような気がしていた。
それだって美貴の思い込みかもしれない。
さゆみにそんな気はかけらもないかもしれない。
けれど、さゆみは美貴が自分の感じていることを話せばそれでいいのだと言っ
てくれるに違いないと思う。
美貴がそう感じるなら、そうなのだと美貴を肯定するだろう。
さゆみはそういう存在だった。
それは美貴を安堵させ、美貴にとって亜弥とは違う意味でなくてはならない存
在になっていた。
- 295 名前:零れる言葉、掬う言葉 投稿日:2005/01/12(水) 01:41
-
どちらか一つを選べと言われれば美貴はやはり亜弥を選ぶのだ。
さゆみを失った美貴はきっと暗闇の世界に行かなくてはならないのだろうと思
う。
一度手に入れてしまった光を失うということは憧れだけの喪失とは決定的に違
う絶望感を与えるのだ。
けれど、亜弥を失った美貴はきっと生きていくことが無理になってしまうのだ
ろうと思う。
美貴は自分の言葉を手に入れようとして、それは美貴自身の思考を手に入れる
ことに繋がった。
そして、美貴は生きることの意味全てが亜弥にあるのだと思った。
誰でもなく、美貴自身の心で。
- 296 名前:零れる言葉、掬う言葉 投稿日:2005/01/12(水) 01:41
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*
- 297 名前:零れる言葉、掬う言葉 投稿日:2005/01/12(水) 01:41
-
ふわりと儚げな笑みを携えてさゆみはそっと美貴に手を伸ばす。
強くもなく弱くもなく、さゆみは美貴の手を握る。
引き上げるでもなく、突き放すでもなく、たださゆみは美貴の手を握る。
そこから先は全て美貴に委ねられた握手。
美貴は足を踏み出すとさゆみの横に並んだ。
そして、さゆみの横顔を見つめた。
さゆみは首を傾げながら微笑をたたえたままの表情で口を開く。
「きらきら光るものを見るの」
「どこで?」
「ふふっ。楽しいところ」
「楽しい…どんなところだろう」
美貴は楽しいところについて考えてみた。
美貴は亜弥の傍とさゆみのいる場所についてしか知らなかった。
そして、それが楽しいところなのかというこは分からなかった。
だから美貴には楽しいところがどんなところか分からない。
美貴の瞳が一瞬不安げに揺れると、さゆみはそれを見落とさなかった。
- 298 名前:零れる言葉、掬う言葉 投稿日:2005/01/12(水) 01:42
-
「楽しいところは美貴ちゃんが楽しいと感じたところ。楽しいことは楽しいと
決まっているわけではないの」
「美貴にも楽しいはあるのかな?」
「それは美貴ちゃん次第なの。誰も美貴ちゃんに楽しいを押し付けることなん
てできないわ」
「でも、押し付けてもらえた方が楽なことだってあるじゃない」
「ふふっ。それはね、本当に楽しいを知らないから」
「押し付けられたものだって本当に楽しいものになるかもしれないよ」
「そうね。美貴ちゃんがそう思うのなら、それも本当の楽しいなのね」
「さゆはそう思わない?」
「さゆがどう思うかはどうでもいいの。美貴ちゃんは美貴ちゃんよ」
「でも、そんな、美貴が正しいなんて絶対なわけじゃないし」
「絶対正しいことなんてないの。何が正しくて何が悪いかなんて決まりは絶対
じゃないの。世界はいつも回るもの。
だから、大切なのは美貴ちゃんよ。さゆじゃないの」
- 299 名前:零れる言葉、掬う言葉 投稿日:2005/01/12(水) 01:42
-
美貴はさゆみの言葉を聴いて亜弥が教えてくれたことを思い出す。
常識は流動するものだ、と。
そして、美貴の常識は亜弥だった。亜弥という存在が美貴の常識だった。
それ以外は必要ないと思っていたのに、さゆみは美貴自身の常識を持てと言っ
ているように思える。
それは美貴を困惑させた。
それがいいことなのかどうか分からない。
それが亜弥にとっていいことなのかどうか分からない。
ただ漠然と故に純粋に思っていた、亜弥のために、ということ。
美貴は初めて気付く。
亜弥が美貴に何を求めているのか、美貴は知らなかったということに。
その事実は少なからず美貴に衝撃を与える。
美貴は言葉を選ぶようにゆっくりと口を開く。
さゆみはそれをじっと見つめている。
「美貴、ずっと知らなかった。美貴の楽しいは、ううん、美貴の全ては突き詰
めたら亜弥ちゃんに突き当たるのに。
なのに、美貴は亜弥ちゃんが何が楽しいのかも、何が悲しいのかも、知らない」
「そう」
「そう、だよ。何にもわかんない」
「知りたいの?」
「知るべきなの?」
「それはさゆには分からない」
「美貴は、何を知るべきなの?」
「さぁ?」
- 300 名前:零れる言葉、掬う言葉 投稿日:2005/01/12(水) 01:43
-
さゆはふわりと笑うと足を進めた。
その足取りはまるで羽の生えたかのように軽く、美貴はたちまちさゆみの背中
を見失いそうになり慌ててその後を追う。
追っても追ってもさゆみの背中は近くならず、美貴は不思議な不安と焦りを感
じならが懸命にさゆみの背を追い続けた。
周りの景色を見る余裕もなく、どのくらいの距離を走ったのかも分からなくな
り、たださゆみの背中だけを見つめていると、
不意にさゆみの背中が眼前に広がった。
さゆみは足を止めていた。
美貴はそっとさゆみの横に立つと、さゆみは美貴の方を見ないまま上を見上げ
るとふんわりと笑って両手を空に広げた。
その手を追うように美貴が空を見上げると、途端に眩いばかりのイルミネーシ
ョンが美貴の目に飛び込んできた。
様々な光の色を放ちながらキラキラと光っているのは、大きな観覧車だった。
ゴンドラはゆっくりと動いている。
周りを見渡すと、そこらじゅうに遊園地らしきアトラクションが並んでいた。
しかし、動いている観覧車以外はどれも沈黙し、ボロボロに朽ち欠けていた。
- 301 名前:零れる言葉、掬う言葉 投稿日:2005/01/12(水) 01:43
-
「捨てられちゃった遊園地なの」
「捨てられた?経営破綻したの?」
「放り出されちゃったの。誰も拾わないの。そして誰も壊さないの」
「だからさゆが拾ったの?」
「ううん。さゆは見てるだけだよ。今日は特別。キラキラしたものを見るから」
「この光はさゆがやったの?」
「そう。観覧車にお願いしてキラキラしてもらってるの」
「すごいね…さゆって」
「ふふふ。そういう褒められ方好き。いいね、こういう気持ち。だからさ
ゆは美貴ちゃん好きよ」
「そっか…。美貴もさゆのこと好きだと思うよ。綺麗、こういうの初めて見た」
「さゆができることを見せてあげたいと思うの」
「どういうこと?」
「さゆもよく分かんない。でもさゆは見せたいと思うの。だから…」
- 302 名前:零れる言葉、掬う言葉 投稿日:2005/01/12(水) 01:43
-
首を傾げながらふんわりと笑ったさゆみは赤や青、緑やピンクに染まる。
美貴はそれを見ながらぼんやりと綺麗だなぁと思った。
イルミネーションは次々と色を変えながら辺りを照らしている。
さゆみは観覧車に近づくと、ゴンドラの扉を開けて中に乗り込んだ。
そして、美貴を手招きする。
美貴がゴンドラに乗り込むと、さゆみは扉を閉め席に座った。
美貴もそれに倣い、さゆみと向かい合うようにして座る。
ゴンドラは段々と高度を上げながら回っていた。
美貴が窓から景色を眺めると、辺りは観覧車の放つ光に照らされてキラキラと
光っていた。
けれど、一方でその光に照らされて廃墟と化した遊園地の残骸が映し出される。
「光があれば陰があるってやつかな…」
「美貴ちゃん、センチメンタル?」
「そんなわけでもないけど…。そうなのかな?」
「人は光の方を求めるのね。暗闇は嫌うのね」
「そうだよね。誰だって光のあるところへ行きたいと思う。光って言葉が希望
のような意味だから」
「それが美貴ちゃんの言葉なら」
「え?」
「光が希望なら」
さゆみは目を細めて美貴のことを優しく見つめる。
美貴は何となく緊張してさゆみの言葉を待った。
美貴の目に映るさゆみの後ろの景色は遠くの街並みの光がポツリポツリと見え
る暗闇で、光は暗闇に負けるのだと、そんなことが頭の片隅に浮かんでは消え
る。
- 303 名前:零れる言葉、掬う言葉 投稿日:2005/01/12(水) 01:44
-
「キラキラしたものはさゆも好きよ。だから美貴ちゃんにも見せるの」
「え?もう見せてくれているじゃない」
「そうね。特別なの。本当に特別。今日はスタンド・バイ・ミーね」
「さゆ?よく分からない」
「ふふっ。それでいいの」
さゆみはいつものようにふわりと笑うと両手を胸の前でパチンと合わせた。
すると、それを合図にしたかのように地上が一斉に明るくなる。
丁度ゴンドラは頂上を少し過ぎたところだった。
美貴の眼下に広がる景色は、夜の闇を凌駕するほどの光を放つ輝く遊園地の景
色だった。
メリーゴウランドやジェットコースターがネオンをまといながら音楽を楽しげ
に鳴らして、機械の轟音を響かせながら
動いている。
目まいがしそうなほどのキラキラした光が美貴を覆う。
初めて自分の目で見た遊園地という場所。
親子連れや恋人たちや友人たちが遊ぶ作り物の世界。
美貴はその景色が自分が想像していたよりもとても美しく、とても楽しげで、
だからこそとても哀しかった。
- 304 名前:零れる言葉、掬う言葉 投稿日:2005/01/12(水) 01:44
-
「美貴、すごく嬉しい。すごく楽しい気分なんだ。こんなにすごいものが見れ
て。こんなに綺麗なものが見れて。でもどうしてだろう、すごく切ないよ」
「そうね。さゆもすごく楽しい。でも切ない」
「さゆもなの?」
「きっと理由は違うのね。暗闇に浮かぶ光は切ないわ。光に浮かぶ暗闇は可哀
相なの」
「そうだね。さゆ、美貴は暗闇でもいいと思う。でも暗闇は光を支えられない
のかな」
「その質問はよく分からないわ」
「亜弥ちゃんは美貴の光なんだ…。美貴は光を守りたいと思う」
「そう。美貴ちゃんは美貴ちゃんを知りたいのね」
「美貴のことを?亜弥ちゃんのことでなくて?」
「美貴ちゃんは美貴ちゃんを知らなければ亜弥ちゃんを知れないの、きっと」
「さゆは、知っているの?」
「そうね、少しはね。さゆはあなたよりお姉さんだもの」
「え?」
「さゆは15歳よ。存在してから15年目よ」
くすりと唇の端に微笑を浮かべて首を傾げるさゆみは外見だけ見たなら美貴よ
りも余程子供っぽく見えた。
しかし、美貴は思い出す。
自分は人間の年齢で図れる存在でないことを。
そして、それはさゆみも同じだということを。
- 305 名前:零れる言葉、掬う言葉 投稿日:2005/01/12(水) 01:44
-
*
- 306 名前:零れる言葉、掬う言葉 投稿日:2005/01/12(水) 01:44
-
*
- 307 名前:選択の意味 投稿日:2005/01/12(水) 01:46
-
さゆみは美貴の手を引いて少しだけ美貴の前を歩く。
美貴は黙って斜めに見えるさゆみの横顔を見つめて歩いていた。
さゆみはいつものようにふわふわとした笑みを浮かべている。
しかし、そこにはほんの少しの翳りが美貴には見えるように思えた。
何時の間にか夜は明けようとしていた。
朝日が昇りかけ、空を空色に変え、暗闇で見えなかったものが見えるように明
るさをもたらした。
そして、美貴の目には大きな扉が飛び込んできた。
上を見上げるとそこには屋敷と呼ぶに相応しい大きさのコンクリート造りの洋
館が大きく構えていた。
さゆみは美貴の手を離すと、扉の横に設けられたインタフォンのような機械に
指を触れた。
すると、扉は音もなくすっと開く。
さゆみは美貴の方を振り返るとふわりと首を傾げた。
- 308 名前:選択の意味 投稿日:2005/01/12(水) 01:47
-
「ここがさゆの…道重さゆみの居る場所。さゆの帰る所」
その表情はとても儚げだった。
ふわふわと微笑むさゆみがぽろぽろと崩れて消えてしまうのではないかと思え
るほど美貴には脆く見えた。
そして、反射的に美貴はさゆみの腕を掴むと自分の身体に引き寄せた。
ぼふっと音を立ててさゆみの身体は美貴の腕に抱き締められる。
「さゆ、消えちゃいそうだよ」
「ふふっ、みきちゃんは多感だね」
「たかん?」
「そう。多くのことを感じてしまう。それは優しいってことだってさゆは解釈
するわ。みきちゃんは優しいのね」
「みきは優しい?みきにはわかんないよ。みきはたださゆが消えちゃいそうな
のが嫌だ。そんなことになったら怖いよ」
さゆみは両手を美貴の肩に置くとそっと美貴の身体を押し返しながら一度目を
伏せて、それからまた目を開けて美貴を見つめた。
- 309 名前:選択の意味 投稿日:2005/01/12(水) 01:47
-
「さゆは消えたりなんかしないの。消えたりなんかはしないの」
その口調は少し強かった。
美貴はさゆみの口からそんな調子の言葉を聴いたのは初めてだった。
だから少しだけ驚いた。
それからさゆみはふんわりと微笑まずに扉の向こう側へと進んで行った。
だからとても驚いた。
美貴は慌ててさゆみの背中を追いかけた。
さゆみは扉の中に入ると、正面に構えたスロープを備えた階段の向こうに見え
る玄関ではなく
広い敷地に広がる庭へと歩いていく。
美貴が隣に並ぶとさゆみはすっと目を細めて唇の端だけで微笑んだ。
さゆみは少しだけ迷っていた。
これから美貴に教えようとしていることが本当に良い選択なのかどうか。
そう、思ってからさゆみは自分自身に苦笑した。
これは、さゆらしくないのね。さゆはさゆでいなくてはいけない。
私が作ったさゆらしくいないといけないのね。
- 310 名前:選択の意味 投稿日:2005/01/12(水) 01:50
-
そして、さゆみは庭の奥の林の中にひっそりと置かれた物置のような形をした
金属でできた建物の前に立つ。
シャッターの降りたそれはとても頑丈そうに見えた。
美貴は映像で見たことのあるシェルターという存在を思い出す。
今、目の前にあるものはそれによく似ていた。
想像していたものより随分と小さくはあったが。
さゆみがぱちんと手を合わせるとぶぅんとどこか遠いところで、深いところで
響くような音がする。
しばらくすると、固く閉ざされていたシャッターはゆっくりと上に持ち上がり
始めた。
がたがたと音をたてながら半分ほどシャッターが開くと、さゆみは美貴の手を
すっと掴みふんわりと微笑む。
「さゆは降りるの。美貴ちゃんはどうする?」
美貴がさゆみ越しにシャッターの向こうを見ると、そこには下に続く階段が伸
びていた。
そこに何があるのかは分からない。
けれどさゆみはそれを美貴に見せようとしている。
それは強制ではないし、美貴に選ばせようとしているけれど、美貴はさゆみが
自分に見せようとしている意思を強く感じた。
- 311 名前:選択の意味 投稿日:2005/01/12(水) 01:51
-
「行くよ。だって美貴は美貴を知らなきゃならないんでしょ。美貴は知りたい
と思うから」
「そう。じゃあ降りるのね」
さゆみはいつものようにふんわりと微笑み、美貴の手を少し強く握った。
美貴はそんなさゆみがいつもと違うように見えて、少し戸惑いを感じる。
「さゆが少しだけさゆじゃないみたい」
くっと一瞬さゆみが息を飲む。さゆみは驚いたような表情をした。
「やっぱり美貴ちゃんは多感なのね。さゆは少し怖いと思うの」
「美貴のことが怖いの?」
「うん。でも好きよ。怖いより好きが強いから。だからさゆは美貴ちゃんとこ
こにいるのね」
美貴は何と言っていいのか言葉に詰まり、困惑した顔でさゆみを見つめた。
さゆみはそんな美貴の視線を目を細めてゆっくり微笑んで受け止めるとくるり
と背中を向けて階段を降り始めた。
美貴はさゆみに引っ張られるようにしてさゆみの後ろから階段を降り進んでい
く。
後ろではシャッターが再び閉じていくがたがたという音が響いている。
- 312 名前:選択の意味 投稿日:2005/01/12(水) 01:53
-
「さゆはさゆのことも美貴ちゃんに教えるわ。それは美貴ちゃんが美貴ちゃん
を知ることだから」
「さゆを知ることは美貴を知ること…」
「そうね。それは少しイタイことだけどさゆは美貴ちゃんに知ってほしいのね」
「さゆが痛い思いをするの?そんなの美貴は嫌だよ」
「美貴ちゃんはやっぱり優しい。でもね、これはさゆが選んだの。そして美貴
ちゃんも選んだの。だからいいの」
「さゆが痛いなら美貴は選ばない」
「違う。それじゃ違うわ」
「違わない。美貴は美貴の気持ちでさゆが痛いなら嫌だって」
「さゆはその痛みを受けたいと思ってる。こういうなら美貴ちゃんはどう?」
「それは…」
「言葉はね、言い方一つで意味を変えるわ。だったらさゆが選んだ言葉で美貴
ちゃんが変わるっておかしなことじゃない?」
「そんなこといったって!それじゃあ言葉で気持ちを汲み取る意味がなくなっ
ちゃうよ」
「それは大切なこと?」
「美貴にとっては大切なんだと思う」
「そう。そうね、だからさゆは美貴ちゃんが好きなのね。じゃあこう言う。さ
ゆは美貴ちゃんに知ってほしいと思ってる。
たとえさゆが痛いと思っても」
- 313 名前:選択の意味 投稿日:2005/01/12(水) 01:54
-
それはさゆみが初めて美貴に示した頼みごとだった。
美貴に美貴自身の選択をさせ続けてきたさゆみのこれまでとは違う選択の提示
だった。
美貴は素直だった。
さゆみが望んでいるのならば、望むと言うのならば、その希望に沿った選択を
するべきだと思った。
その裏にもしかしたら秘められているかもしれない美貴が拒否することへの願
望、もしくは結果的に拒否した方が良いかもしれない、
そういうことを美貴は一切排除していた。
ただ、今あるこの瞬間のさゆみの言葉を尊重した。
言葉は美貴にとって意思に等しく、言葉にしない意思を読み解くことはとても
困難であり、美貴はその術を知らない。
- 314 名前:選択の意味 投稿日:2005/01/12(水) 01:54
-
「美貴もさゆが好きだよ。さゆがそれでいいなら美貴はそうする。美貴は知り
たいと思う、美貴の心で」
美貴は真っ直ぐにさゆみを見た。
その目を見てさゆみはまるで仔犬のようだと思う。
さゆみの近しい存在であった仔犬。
美貴はさゆみにとって近しい存在なのか、ふとさゆみは考えた。
それから、近すぎるのだな、と少し哀しくなった。
そして、いとおしいと思った。
- 315 名前:選択の意味 投稿日:2005/01/12(水) 01:58
-
地下へ続く階段を10分ほど下ると、クリーム色をした鉄製の大きな扉が現れ
た。
さゆみは扉に付いたハンドルのような形をした取っ手に手をかけると体中を使
うようにして、思い切り取っ手を左回りに回転させる。
すると、扉はぶしゅーっという空気を吐き出す音を立てながら重くわずかに開
いた。
その僅かな隙間からさゆみは扉の奥に侵入する。
美貴もさゆみに続いてその隙間に懸命に身を捻じ込んだ。
奥には更に扉があり、さゆみは屋敷の門前にすえつけられていた機械にしたの
と同じように、扉脇に設けられた機械に指を触れた。
それからさらに、その機械を覗き込み、瞳を奥にあるカメラに向ける。
すると、ピーッという機械音が響き渡り、続いて機械音のアナウンスが流れた。
「指紋、虹彩認証完了。扉が開きます」
アナウンス通り、2つ目のとびらは横にスライドしながら道をあけた。
さらにさゆみはそこでまた一つ手を叩いた。
それから美貴の方を振り返って首を傾げる。
- 316 名前:選択の意味 投稿日:2005/01/12(水) 01:58
-
「ここはね、セキュリティがちょっと厳しいから、美貴ちゃんが入るのは難し
いの。でもなんとかなったみたい」
「なんとかって…どうやって?」
「うーんと、説明するのは難しい。美貴ちゃんが足が速かったりたくさんジャ
ンプできるのと同じ」
「美貴のと同じ…。うん、何となく分かる」
「それでいいと思うの」
さゆみはふんわり微笑むと美貴の背中を押して前に進んだ。
「もし何とかならなかったらどうなるの?」
「美貴ちゃんは黒こげね。でもそんなふうになったらさゆ哀しいから良かった」
「み、美貴も良かった…」
楽しそうな声でそう語るさゆみの言葉は冗談にも聞こえず美貴は少しだけ背中
に冷たい汗をかいた。
- 317 名前:選択の意味 投稿日:2005/01/12(水) 02:02
-
そこからは暗く長い一本道の通路がしばらく続いた。
非常灯のような小さな灯りが通路の天井から美貴の足元をかすかに照らす。
その暗闇と光の按配は美貴の心を少しばかり不安にさせる。
一体この先に何があるのだろうか、と美貴は何度も口にしそうになっては飲み
込んだ。
聞いてはいけないわけではないのだろう。
しかし、美貴は直感的に感じていた。
この通路の先に何かがあるのだということを。
そして、それは耳で聞くよりも感じて知ることの方がはるかに有効なのだとい
うことを。
- 318 名前:選択の意味 投稿日:2005/01/12(水) 02:06
-
辿り着いた先はやはりとても薄暗かった。
広くもなく狭くもない空間に円筒型の大きなガラスケースが聳え立っていた。
中には何もない。上を見上げると複雑な配線が円筒の上部から天井に向かって
伸びているのが見えた。
その周りには大掛かりなコンピューター装置らしきものがある。
どれも静まり返り、長い間使われた形跡がないように見える。
美貴はそっとガラスケースに触れてみた。
それはひんやりと冷たく、うすぼんやりと美貴の顔を映し出す。
- 319 名前:選択の意味 投稿日:2005/01/12(水) 02:07
-
「ここはさゆのふるさと。ふるさとって、生まれ育ったところを指すの。だか
らここはさゆのふるさと」
「え?ここが…ふるさと?」
「そう。さゆはここでたくさんたくさんの短い時間を過ごすの。そして膨大で
矮小な知識をたくさん詰め込むの」
「さゆ?言葉遊びはよく分からない」
「ふふっ。雰囲気ね。意味なんて感じたようにとればいいの」
「みきはそういうの…よく分かんない」
「そうね。美貴ちゃんは正しいものを求めるから」
「そう?美貴はそんなふうに考えたことないけど」
「そう、だよ。でも、一つさゆは美貴ちゃんに伝えるわ。世界はたくさんある
の。数え切れないくらいたくさんあるの。
だから正しいことが何かって見つけるのはとても困難なの。神様はたくさんい
るもの。それでもたった一つの神様を信じるなら、それはそれで楽なことよ。
神様がいないよりもずっと楽な道しるべになるの。
けれど、とても難しいこと。神様がいないよりも目指すものがある苦しみがあ
るの。まるで包み込まれているようで、まるで縛られているようで、そんなも
のは感じ方一つで変わるのに」
「美貴の…神様…亜弥ちゃんだ。美貴は亜弥ちゃんが、ずっとすごく大切で大
事で…信じて…信じてる」
「ふふっ。知ってた」
「どんなふうに感じることがあっても、美貴には亜弥ちゃんしか、いないんだ
と思う」
「それは思い込みかもしれないのに?」
「たとえば思い込みだとしても、それなら美貴はずっと思い込み続けるよ。そ
れ以外は知らないふりをしたっていいもの」
「そうね、そういう美貴ちゃんがさゆはとても好きよ。こみ上げる熱い思い。
可愛くて仕方ないってこと」
- 320 名前:選択の意味 投稿日:2005/01/12(水) 02:07
-
さゆみは美貴の反対側に回るとガラスケース越しに美貴を見つめた。
ガラスの曲面がさゆみの顔と美貴の顔を少し歪めて、少しぼんやりと映し出す。
「ここでさゆは生まれたの。この中で」
さゆみは言いながらそっとガラスケースに手を触れる。
その瞳は揺らいでいない。
潤んでいない。
強くない。
光っていない。
何もない。
- 321 名前:選択の意味 投稿日:2005/01/12(水) 02:08
-
「さゆはね、道重さゆみっていうの。二人目のね。つまり、そうね、クローン
人間。そういうことね」
美貴は驚かなかった。その事実は大して美貴に意味を持たせなかった。
まだ美貴は気付いていない。さゆみがクローンだということの意味。
美貴がクローンだということの意味、それが亜弥とどういう関わりにあるかと
いうことを。
その時美貴はただ、さゆみのあまりにも何もない瞳の色に目を奪われていた。
どこも見ていないようで、全てを映しているような瞳に吸い込まれてしまうよ
うな気がしていた。
- 322 名前:選択の意味 投稿日:2005/01/12(水) 02:09
-
*
- 323 名前:選択の意味 投稿日:2005/01/12(水) 02:09
-
*
- 324 名前:名無し飼育 投稿日:2005/01/12(水) 02:30
- 更新終了です
>288さん
どうもありがとうございます
騙されてくれているうちが華です
>289さん
。・゚・(ノД`)ヽ(゚Д゚ )ヨチヨチ
マターリ待ってくれてありがとうございます
>290さん
そんな話しを書けていたら嬉しいのですが…
>291さん
そんな亜弥ちゃんがどうなるのか最後までお付き合い頂けると嬉しいです
>292さん
ありがとうございます
切ないと思って頂けるとは、思いもよらず嬉しいです
>293さん
楽しみにして頂けるのはとても嬉しいです
最後まで読んで頂けると物凄く嬉しいような気がします
あけましておめでとうございます。更新の間が結構空いててびっくりしました
申し訳
そろそろこけはじめてきたような気がするので生温かく読んで頂けると嬉しいです
○
γ⌒ヽ
(:::::::::::::::)
从‘ 。 ‘) 。 ノハヽo∈
/ (ミつ⌒゚。゚´. (VvV从
. (,,,,,,,,(_。⌒_)´ iニ二i、 ゚し-J゚
``´ (VoV)
⌒´` ⌒⌒`⌒ ⌒´` ⌒⌒`⌒
- 325 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/01/12(水) 21:26
- さゆが怖いくらいはまり役ですね。
たっぷりどっぷりこの話に引き込まれました。
- 326 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/01/12(水) 23:36
- 更新さんきゅうです!!
- 327 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/01/16(日) 09:41
- さゆの存在と藤本さんの真意…
良い感じですね
更新乙でした
- 328 名前:美貴の信実 投稿日:2005/01/26(水) 00:16
-
*
- 329 名前:美貴の信実 投稿日:2005/01/26(水) 00:17
-
美貴はさゆみの示した真実を知り、少なからず衝撃をうけた。
しかし、その衝撃はやはりとても遠い真実だった。
美貴にとって自分の出生の秘密などどうでも良かった。
それを知りたいと思ったのは、知ることが自分の大切なものを守ることに繋が
るから。
すなわち、亜弥のため。
亜弥を大切に思う気持ちはあまりに純粋で、生まれたての赤ん坊が母親に全身
全霊で頼り甘えるのと同じくらい純粋で、
そして我侭なほどに思いは深かった。
- 330 名前:美貴の信実 投稿日:2005/01/26(水) 00:18
-
一つだけ芽生えた新しい思いは複雑で、だからこそ美貴を苦しめる。
美貴はただ、純粋に亜弥を思い、亜弥を守りたいと思っていたのに、それをさ
せまいとする美貴の中に生まれた心。
嫉妬という心。
藤本美貴というオリジナルの存在を知ったことによる、亜弥の中での自分自身
の位置付けを納得しなくてはいけないのに美貴の心は揺れ動いた。
亜弥が本当に欲しいものをあげたいと思っていたのに、それがあまりに美貴自
身と密接しすぎていて、混乱を招く。
何故美貴じゃだめなのか。
- 331 名前:美貴の信実 投稿日:2005/01/26(水) 00:25
-
何故の問いに答えは簡単にでるから一層美貴を苦しめる。
自分はオリジナルの藤本美貴ではないから。
何が違うのか。
全てが。
それは絶望的だった。
美貴が信実をもって捧げたいと思う思いは、亜弥に一つももたらせない。
美貴はまだあやふやすぎる自我の中で形作ろうとしていた、自分だけができる
何かを確立する過程で手放してしまいそうだった。
それでも美貴が取るべき道は決まっていた。
美貴はそれ以外を知りたくなかったから。
それしかできない、そうであればいいと、そうであろうと強く強く想っていたから。
手にしかけていた何かを手放す気配を感じる美貴は、けれどそれを手に入れた
いとは思わない。
美貴が欲しいのはただ、亜弥のためにできる何か。
それは確固たるスタンダードポジションだった。
- 332 名前:美貴の信実 投稿日:2005/01/26(水) 00:29
-
亜弥の望むことを。
亜弥の口から発せられる美貴への命令を。
美貴が生まれてから恐らく死ぬまで変わることのない真実。
さゆみに言うところの忠犬、美貴はそれでいいと思う。
それでいいと言い聞かせていた。
手に入れようとしていた美貴だけの言葉は、行き先を失くして宙吊りのまま美
貴の前にちらついていた。
そして美貴はそうっと薄目をあけて暗闇の中からそれを見つめている。
美貴は分からない。
美貴は知らない。
美貴の世界は柔らかすぎて着地点を。
- 333 名前:美貴の信実 投稿日:2005/01/26(水) 00:32
-
*
- 334 名前:美貴の信実 投稿日:2005/01/26(水) 00:32
-
*
- 335 名前:さゆみのこと 投稿日:2005/01/26(水) 00:33
-
*
- 336 名前:さゆみのこと 投稿日:2005/01/26(水) 00:36
-
道重さゆみの父は世界でも高名な科学者だった。
彼の研究は表向き、臓器クローニングであった。
国内で望むような研究が進められなかった彼は、クローンの研究が推奨されて
いる国外へと旅立ち、
そこで歴史的な成果を収める。
それはクローン人間の誕生を成功させた、ということ。
しかし、このことはクローン人間反対が主流である世界の生命倫理学の流れを
考え国外は愚か、研究所外への
持ち出しをも厳重に禁止された。
研究をしている間は、その結果を出すことにだけ集中し、そこに伴う弊害に彼
は気付こうとしていなかった。
彼は信じていた、クローン技術はヒューマニズムに貢献できる絶対的なものだ
と。
研究は公表されることはなかったが、依然として完全なクローン人間を作るた
めに日夜実験は繰り返された。
- 337 名前:さゆみのこと 投稿日:2005/01/26(水) 00:38
-
それは彼の生きがいだった。
それを進めることが人類の平和と幸福に繋がることだと信じていた。
そうした生活を送るうちに、彼は研究所内で働く同じ国出身の女性と恋に落ち、
一定の段階を踏み、結婚をした。
それは彼に二つ目の生きがいをもたらした。
クローンではない、本来の形での人間の誕生。
彼は娘を得た。
- 338 名前:さゆみのこと 投稿日:2005/01/26(水) 00:39
-
父と母は娘にさゆみと名付けた。
父はさゆみを目の中に入れても痛くないというほど可愛がった。
そしてさゆみも良く父に懐いた。
それはとても幸せそうな理想の親子像だった。
父は幸せだった。
愛する妻と娘、やりがいのある仕事、恵まれた環境。
どれも彼を不幸にする理由は一つもなかった。彼は心から満足していた。
彼に家族ができる前と変わったことは一つ。
それは優先順位ができたこと。
彼の一番大切なものは家族になった。仕事はその次の2番目に大切なものになっ
た。
- 339 名前:さゆみのこと 投稿日:2005/01/26(水) 00:40
-
家族は彼の支えだった。仕事は彼の趣味になった。
家族は彼の生きがいだった。人生を支える生きがいだった。
仕事は彼の生きがいだった。人生を楽しむ生きがいだった。
- 340 名前:さゆみのこと 投稿日:2005/01/26(水) 00:40
-
彼の仕事はしごく順調で、彼はその中枢にいた。
クローン開発は最早彼無しでは考えられなかった。
彼の技術と頭脳は日々進歩を与え、日々真実は解明されていくように思えた。
そして、15年目に事件は起こる。
父は娘を失った。
男は妻を失った。
彼は人生を失ってしまったような気がした。
- 341 名前:さゆみのこと 投稿日:2005/01/26(水) 00:41
-
妻は娘を乗せた車で買い物に出かけただけだった。
自動車にはブレーキパッドに仕掛けがしてあった。ブレーキがかからないよう
な仕掛けが。
交差点の赤信号で止まれなかった自動車は横からスピードを上げて走ってくる
車に突っ込まれた。
全ての運が悪かった。
突っ込まれどころも、打ち所も、全てが悪い方向へ向かった。
即死だった。
彼は慟哭した。人生の支えを失った彼は抜け殻のようになった。
そして、犯人の動機を知った時、彼は壊れてしまった。
一本の細い張り詰めた糸で繋ぎとめられていたか細い神経はその重みに耐えら
れなかった。
- 342 名前:さゆみのこと 投稿日:2005/01/26(水) 00:41
-
「人間が人為的に人間を作り出すなど、神の領域を侵す不道徳だ!」
それは実に宗教的な理由による犯行だった。
どこからか漏れ渡った彼の研究成果により、彼の愛する妻と娘は命を落とした。
彼の衝撃は大き過ぎた。
誰もが幸せに向かうと思っていた。誰もが歓迎してくれると思っていた。
例え、反対を声高に叫ぶ人がいたとしても、救える命が増える手段を否定され
ることはないと思っていた。
彼は分かっていたつもりだった。いつかは理解されるものだと信じていた。
こんな形で結果が出るなどとは考えたこともなかった。
彼の痛みは彼が想像する以上の痛みだった。
- 343 名前:さゆみのこと 投稿日:2005/01/26(水) 00:41
-
内なる世界に引きこもった彼に、最早価値はなかった。
本国へ強制送還されると、彼はそれまでに蓄えた財産で少し広い土地を買い、
地下室を作り、そこに高価な研究機材を置いた。
誰もが、狂人の戯言だと思った。
誰もが、彼のことを見ないふりをした。
彼は何年も地下室に篭る生活を続けた。
時折外へ出て買い物をする姿も見かけられたが、それはとても異様な姿だった。
風呂にも入らず散髪もせず、異臭を放つ彼を誰もがキチガイ扱いした。
どんなに侮蔑の言葉を投げられても、屈辱を受けても彼は小さく妻と娘の名前
を呼んでいただけだった。
- 344 名前:さゆみのこと 投稿日:2005/01/26(水) 00:42
-
そして、彼は最愛の娘を復活させることに成功する。
彼は気付いていた。
彼は知っていた。
道重さゆみと同じ遺伝子を持っていたとしても、それが別の個体であることを。
もう一人のさゆみは全く違うさゆみになるかもしれないことを。
それでも彼はもう一度さゆみに会いたかった。
さゆみと同じ遺伝子を持った、自分の娘であるさゆみに。
培養するためのガラスケースを慎重に開け、彼は清潔に消毒した手でまだ赤ん
坊の大きさしかないさゆみをそっと取り上げた。
それは彼が記憶する、彼と妻の作り出したさゆみと同じだった。
彼は涙を流してその小さな新しい命を見つめた。
何度も名前を呼んだ。
それは、彼の中では間違いなく道重さゆみだった。
- 345 名前:さゆみのこと 投稿日:2005/01/26(水) 00:42
-
*
- 346 名前:さゆみのこと 投稿日:2005/01/26(水) 00:42
-
*
- 347 名前:幸福 投稿日:2005/01/26(水) 00:43
-
「さゆのパパはね、とても賢くて、とても繊細で、だから壊れちゃった。だか
らさゆが生まれたのね」
さゆみはゆらりと儚げに微笑むとガラスケースの上を見上げた。
その目は少し潤んでいるようにも見えたが、ガラスケース越しのさゆみはとて
もぼんやりとしていてはっきりしない。
美貴は薄っすらとさゆみの言わんとしていると理解していた。
さゆみがクローンであるということ。
さゆみが美貴と同胞であるということ。
すなわち、美貴自身もまた誰かのクローンであるということ。
それが美貴を知るということ。
- 348 名前:幸福 投稿日:2005/01/26(水) 00:44
-
「さゆが生まれてから、次にパパはママを創りだそうとしたの。それはパパの
幸せだったのね。
パパとママとさゆで暮らす。さゆはたった一年でこんなに大きくなってしまっ
たけれど、パパには
それは些細なことだった。パパはさゆの形をしたものとママの形をしたものが
必要だったのね。
さゆはそれでも良かったの。さゆはパパがとても好きだったもの」
さゆみは誰に語るふうでもなく、両手をガラスケースに付き顔を上に上げて目
を閉じながらゆっくりと息を吐く。
さゆみがこんなふうに語るのを美貴はどこか不思議な気持ちで見ていた。
それは美貴が知っているさゆみではないような気がしたが、その顔は身体は、
形はまぎれもなくさゆみだった。
- 349 名前:幸福 投稿日:2005/01/26(水) 00:47
-
「さゆが出来てからしばらくパパはさゆにかかりきりだったから、ママの作製
は見送られていたの。
んーん。もしかしたらパパは迷ってたのかもしれないのね、ママのこと。
パパは何も言わなかったけれど。
さゆが生まれて2年目に、どこからかパパとその成果を嗅ぎ付けた人間がさゆ達
の間に入ったきたわ。
それはさゆにとって不幸なことだったんだと思う。パパにとっても。さゆは、
そう思う。
その人間たちは、政府の人間だって言ったわ。国としてパパを応援したいんだ
って。
もう、その時のパパにはそういった人間の思惑だとか策略だとかそういうこと
を判断する能力が欠如してしまっていたの。
さゆも分からなかった。何も分からなかった。さゆはただパパと幸せに暮らす
ことしか分からなかったの。
そして、どうしたら幸せに暮らせるかも分からなかった。どうしようもなかっ
たのね」
- 350 名前:幸福 投稿日:2005/01/26(水) 00:48
-
さゆみの声は少し苦痛を秘めていた。
そして美貴はそれを敏感に感じ取る。美貴の心はちくちくと痛んだ。
必要ないと思っていた、さゆみを形成するファクター。
知らなければ知らないで過ごしていけると、それは大切なものではないと思っ
たそれを美貴は少しずつ大切なもののように思う。
美貴は自分はさゆみの表面だけをなぞっていただけのような気がしてくる。
さゆみが天を仰いで目を閉じる姿がどこまでも遠く、そして深く見えてくるよ
うな気がした。
美貴はどうしていいのか分からなかった。
じっと話しを聞くべきか、さゆみに声をかけるべきか、抱擁をするべきか。
何も分からなかった。そして、美貴はたださゆみを見つめた。
さゆみは美貴の視線にも動揺にも気付かぬように、話を続ける。
- 351 名前:幸福 投稿日:2005/01/26(水) 00:50
-
「それはね、国を上げてのプロジェクトを装った一部の人間たちの私利私欲の
ための計画だったの。
クローンはすぐに15歳ほどに成長を遂げて、その後はずっとその肉体を維持
するわ。それが何年生きるかは分からないけれど。
クローン技術が世界的に禁止されているのを利用して、彼らは金儲けを考え出
したの。そこには、崇高な精神や理想の未来なんてなかったのね。
パパを言いくるめると、彼らはどこからか連れてきた実験体のクローンを作ら
せたの。
ママを作るにはもっと実験が必要だって言ってね。パパはその通りに次々とク
ローンを作ったのね。
ただ、パパはそれがママに会うための一番最善の方法だって信じて、ただひた
すらに。ママに会いたくて。
作られたクローンは出来上がるとすぐに人工衛星に乗せて打ち上げられたの。
そして、さも偶然を装い発見されたわ。謎の宇宙生命体。
ふふっ、おかしな言葉よね。謎でもなんでもないの。
それを発見した人間たちが作り出したインチキよ。嘘で固められたエイリアン。
そして、売られていったのね。おもちゃとして。さゆはそれがとても哀しかっ
た。でもそれをどうしたら止められるのか分からなかった。
さゆはあんまり幼すぎたのね。だからさゆはバカなふりをするの。
そして本当にバカになってしまえばいいと思ったのね。でもそうはならない。
そんな簡単に壊れたりしなかった。
そしてね、クローンとして作られた人間には稀に通常の人間とは違う身体能力
があったのね。
さゆも、そして美貴ちゃんも。さゆが知っている何人かのエイリアン達はそれ
が原因で気味悪がられて処分されてしまったの。
処分…それは言葉通りのひどい扱いね」
- 352 名前:幸福 投稿日:2005/01/26(水) 00:50
-
さゆみは一気にそこまで喋ると目を開けてゆっくりと美貴を見た。
その瞳は揺らいでいた。
潤んでいた。
強く光っていた。
その深さに美貴は囚われた。
さゆみは怒っているのだと美貴は感じる。
そしてそれと同じくらい哀しいのだと。
美貴が抱いていた、人間に対する反吐がでそうなほどの嫌悪感と憎悪感。
それはもしかしたらこういうことなのかもしれない。
そして、美貴よりも遥かに深い、不快な経験をしているさゆみはとても大きく
同時にとても寂しく見えた。
- 353 名前:幸福 投稿日:2005/01/26(水) 00:51
-
「例えばね、神様がたった一つだったら世界はもっとシンプルなの。
でも神様はたくさんいるし、世界はとても複雑ね」
「で、でもだからってそいうことが許されるなんてっ…」
「許すも許さないも、世界はそれでも回っているの。それを忘れては駄目ね」
「けどっ、美貴はそんなの…」
「さゆも、そう思う。人間同士すら売買されるんだからとか、そんな割り切り
はしたくないって。でもねさゆはそれを見ているしかできないのね」
「そんな!」
「他に何ができるか、考えてもどうしようもないこともあるわ。例えばさゆが
声高に叫んでも何かが変わる?混乱を招いて終わるわ。
そしてエイリアンは消え去るのね。それならさゆは傍観者の立場を取る」
「そんなのずるいよ…。そんなのって…ずるい」
「さゆのことをずるいって言うのは自由ね。けれどさゆにはこれしかないの」
- 354 名前:幸福 投稿日:2005/01/26(水) 00:52
-
美貴は俯きがちに発言してからさゆみの強い口調に顔を上げた。
さゆみは見たこともないほど強い眼差しで美貴を見ていた。
「美貴ちゃん、あなたの亜弥ちゃんはエイリアンプロジェクトを手にしている」
「あ、亜弥ちゃん…」
「そう。亜弥ちゃん。美貴ちゃんの神様」
「亜弥ちゃんはこのこと…」
「きっと…知っていたのね」
「知っていた…」
「さゆは、そう思うの。何となく、ね」
「美貴はその時…亜弥ちゃんが望むなら…」
- 355 名前:幸福 投稿日:2005/01/26(水) 00:53
-
美貴は亜弥が望むことならば何をしても構わないと思う。
それは、自分の出生の秘密など関係のない揺るがない思想。
ただ、一つ気になるのは美貴のオリジナルの存在が誰なのかということ。
何故、亜弥は自分を育てたのか。
過程の重要性を知りかけた美貴にとってそれは些細なことではなくなっていた。
そこには大切な何かが潜んでいるような気がしていた。
美貴はそれを手に入れたいと思う。
「知っているなら教えて。美貴の元となった人間を…」
「美貴ちゃんが望むなら…さゆは拒まないの」
さゆみはそう言うとふんわりと微笑んだ。
その微笑は先ほどまでのさゆみとは違っているように見える。
そのさゆみは美貴が知っている美貴にとってのいつものさゆみだった。
そして、そのことに少し美貴は安堵した。
それが何故だかは分からなかったけれど、美貴はそのさゆみを見て嬉しいと感
じていた。
- 356 名前:幸福 投稿日:2005/01/26(水) 00:54
-
*
- 357 名前:幸福 投稿日:2005/01/26(水) 00:54
-
*
- 358 名前:壊れたもの、壊したもの 投稿日:2005/01/26(水) 00:58
-
亜弥は美貴が殺された、という事実を知ってから誰にも気付かれることなくほ
んの少しづつ、しかし確実に狂っていった。
世の中の道徳や正義や慈愛という軌道から確実に反れていった。
亜弥は自分自身が俗世間の意に沿わない方向へ流れていくのを感じていた。
しかし、それを嫌だと思うこともなかった。
そんな自分を好きだとも思わなかった。
亜弥の世界は亜弥の中では止まってしまっていて、亜弥を捕らえるのはどうや
ってこの世界に終焉をもたらすか、ということ。
そのために亜弥がやらなくてはいけない、やりたいこと、それは報復。
それは自分自身の壊された世界への、そして何より、藤本美貴という存在を消
しさった世界への報復だった。
それが亜弥の世界を終わらせることに直接はならなくとも、亜弥はそうしなく
てはならないと強く思った。
- 359 名前:壊れたもの、壊したもの 投稿日:2005/01/26(水) 00:59
-
亜弥が狂ってしまうその一番の理由。
それは亜弥が美貴の死に折り合いをつけられないということ。
亜弥は美貴の死を、もうその肉体も精神も亜弥の目の前に存在しないのだとい
う事実を頭では理解していても、自分の感情と身体における実感として受け止
めることができていなかった。
そこには、常に亜弥の傍にいるもう一人の美貴の存在がその感覚に拍車をかけ
ることになる。
頭で感じているリアリティ、身体で感じる実感というリアリティの二つの間を
亜弥は揺れ動いていた。
その揺れの狭間で亜弥はやはり枯渇してやまない。
光の中にいることを可能にしてくれた藤本美貴を。
- 360 名前:壊れたもの、壊したもの 投稿日:2005/01/26(水) 01:01
-
*
- 361 名前:壊れたもの、壊したもの 投稿日:2005/01/26(水) 01:01
-
亜弥は綺麗にことを進めていた。
業務は滞りなくこなし、反和田派と緊密に連絡を取り合いそれを不審に思わせ
ないように裏の裏の裏にまで手を回した。
亜弥の身のこなしはとても優雅で、裏取引がどんなに汚くとも、それを穢れて
いると思わせない風格を持っていた。
亜弥はそういうスマートさをとても愛していたはずなのに、今となっては何の
意味も持たなかった。
亜弥を取り巻く環境は亜弥にとって世界を回す原動力にならなかった。
どんなに強大な権力も、仕事も事件も何一つ亜弥の心を動かさなかった。
亜弥の価値観は根底から崩れ去り、それは修復されない。
だから亜弥にとって何もかもは無駄だった。
それはすなわち自身の存在の否定だった。
- 362 名前:壊れたもの、壊したもの 投稿日:2005/01/26(水) 01:02
-
亜弥は反和田派が周りを固めることに成功した日、和田を会食に呼び出した。
和田はそれに嬉々として乗ってきた。
和田は和田なりに心から亜弥を大切にしていたのだ。
それだけに、和田は上機嫌で食も酒も進む。
人払いをした座敷で和田は亜弥の酌を受けながらうっとりを亜弥を見つめる。
「俺はな、最初松浦のことは気にいらなかったんだ。金と権力を最初から持っ
ているなんて不平等だろ。何の苦労もなく最初から頂点へ続く道を見出せる環
境をもつ奴らを憎んでいたからな。だけどな、お前はそういうものを吹き飛ば
すほどの真実才能を持った奴だったんだ。
俺はしびれたね。全てを持つ松浦は神々しいとすら思ったよ。
嫉妬も羨望も吹き飛ぶほどね。だから俺は嬉しいね。
例え、お前が俺の側についてくれないとしてもお前を見ていることは幸せだよ。
松浦亜弥のサポートが少しでもできることは幸せだ」
- 363 名前:壊れたもの、壊したもの 投稿日:2005/01/26(水) 01:03
-
亜弥はそんな和田の視線を貼り付けた笑顔で聞いていた。
亜弥の心には和田の言葉が届かない。最早亜弥の心はせりあがった闇に侵蝕さ
れつくし、真っ黒に染まりきっていた。
そして、亜弥はそれでいいのだと思う。
美貴のいない世界に光はない。美貴を殺した男を前に光など一筋も有り得ない。
和田は亜弥の顔に浮かぶ笑顔を見て満足そうに酒を煽ると愉快そうにくつくつ
と笑いを漏らした。
そして、赤くなった顔で小さく頷きながらぼつぼつと言葉を吐いた。
「あれは早いうちに処分できて本当に良かった。松浦も仕事の能率が格段に上
がったしな。まぁ、若気の至りというのは誰にでもあるもんだが、身を堕とす
のは松浦にふさわしくないからな」
言い終わる頃には和田の顔は満面の笑みになり、しまいには豪快に笑いながら
膝を打った。それは亜弥をいらつかせた。
そして、そこで放たれた言葉は亜弥の中の引き金を的確にひくキーワードだっ
た。
- 364 名前:壊れたもの、壊したもの 投稿日:2005/01/26(水) 01:03
-
腹の中が煮えくり返るような怒りという感情はどんな理屈を並べてみたところ
で解決できるようなものではなかった。
亜弥の中の憎悪が縛り付けられた鎖を食いちぎるように暴れている。
亜弥は拳を握り締め、俯きながら小さく息を吐いた。
「あれとは…それは」
「あぁ、あれだよ。何だったかな、名前…どこぞの不良みたいな屑みたいなや
つだったな。そう、あれだ。ふじもとゆきとか言ったな」
「藤本美貴です。ふじもとみきですよ。どうしてあなたにそんな権利が」
亜弥の心は震えていた。
憎悪という名の暴力的な衝動は枷を失い、閉じ込めていた心の暗闇とともに一
気に溢れ出した。
和田の口から放たれるふじもとみきという一人の少女の名前によって。
- 365 名前:壊れたもの、壊したもの 投稿日:2005/01/26(水) 01:04
-
「どうした?そんな怖い顔をして」
「あなたは私の美貴たんを…あんなふうに…」
亜弥は暴れだす暴力の衝動を持て余し、握りしめた拳で木目の高級そうな机を
だんっと叩いた。
震える空気に和田は驚いた表情を顕わにする。
座敷の襖にもたれて待機していた美貴は、その音を聞きつけると、襖を開けて
部屋の中へと飛び込んだ。
突然の侵入者に和田は更に目を見開いて驚きを示した。
- 366 名前:壊れたもの、壊したもの 投稿日:2005/01/26(水) 01:05
-
「これは…一体どういう…。あれは確かに消したはずなのに」
「消えたりしないんですよ、そんなに簡単に。どこにだって、私が行く先々で
美貴たんの気配を感じる。それに、美貴たんはこうして実体として私の傍にい
るんです」
「その言い方…、まさか…そうか、あのプロジェクトは松浦の手に渡ったんだ
ったな。それなら合点がいく。あれは作り物だ。賢いお前がそれぐらいのこと
を分からないわけがないだろう?そんな偽物を残してどうしようというんだ。
お前の癌は俺が潰したんだ。ふじもとみきなんていう人間はもういないんだ」
「だって、違いますよ。あの時の美貴たんの死は私の死じゃなかったもの。ま
だ私は終わっていない。私はあんな死に方を認めたりできない。本当に美貴た
んが死んだなら私だって、もうとっくに死んでいるんだから」
「松浦、お前は何を言ってるんだ。俺には理解できないよ、一体何が言いたい
んだ」
- 367 名前:壊れたもの、壊したもの 投稿日:2005/01/26(水) 01:06
-
和田は引きつる顔に少しの恐怖を浮かべて亜弥と美貴と交互に見た。
和田は明らかに怯えていた。
亜弥の真意が理解できないこと。
それから、自分が消したはずの藤本美貴が自分の目の前に、それがクローンで
あるとしても寸分違わず存在していることが
まるで幽霊を見ているような感覚に陥れた。
和田はがくがくと身体を震わせながら上擦った声で外で待っているはずの秘書
の名を呼んだ。
しかし、返答はない。秘書までもが既に亜弥の手中にあった。
店の者もやってこない。
亜弥はもてる力の全てを費やして和田の逃げ道を封鎖していた。
- 368 名前:壊れたもの、壊したもの 投稿日:2005/01/26(水) 01:07
-
「ど、どういうことだ。松浦、お前クローンを使って何をしようというんだ。」
「どうしようもこうしようも。私、あなたが憎いんです。いいえ、あなただけ
でなく、世界の全てがどうしようもなく憎い。こんな憎い世界に存在している
私が憎い。だから私の光を奪ったあなたに復讐するんですよ」
「復讐…正気か?この先に待ち受けている輝かしい未来のことを考えてみろ。
お前の言っていることは間違っているだろう?」
「輝かしい未来?私に未来はありませんよ。あるのは過去と今。それだけです」
「何を血迷っているんだ、復讐だなんて馬鹿げている。お前はインテリなんだ
ろうが?例えお前がどんなに俺を憎んでいようが、俺をどうにかして何になる
っていうんだ?」
「私はあなたが…世間が思うほど、そして自分が思うほど高尚な人間ではない
っていうことですよ。和田さん、私はあなたを殺してやりたい。ただそれだけ
なんですよ。恨み辛みなんていうのは…味わった人間にしか分からない。理屈
を並べて否定するのは簡単です。けれど、憎いと思う感情は理屈で解決できる
ようなものではないのですね。私は学びました。そんなこと一生知りたくはあ
りませんでしたけどね」
「そんな理由で!お前は俺を殺すというのか?」
「私は幼いんです。まだ子供なんですよ」
「そんな時だけ子供ぶるのか?松浦お前…」
「だから和田さん、私そんな高尚な人間じゃないって言ってるでしょう」
- 369 名前:壊れたもの、壊したもの 投稿日:2005/01/26(水) 01:07
-
和田は震える体を落ち着かせるように、大きく息を吸った。
和田は頭のいい男だったし、気概もそれなりあったが、偉い人間ではなかった。
多くの人間と同じように、小ずるく自己保身に満ちた平凡な人間だった。
自分を殺すと言い放つ人間とそれを可能にする存在を目の前にして落ち着いて
いれるほどの肝は据わっていなかった。
そして、和田は自分という人間の器を自覚し始める。
美貴は亜弥の横に並ぶとじっと和田を見つめた。
その美貴の目はただ和田を映しているだけで、だからこそ和田に人を殺したと
いう事実を突きつけた。
和田は知らず知らずのうちに息を上がらせていた。
- 370 名前:壊れたもの、壊したもの 投稿日:2005/01/26(水) 01:09
-
「あなたは怖いんですね。すでにいないはずの美貴たんがここに、この世界に
存在しているということが。
あなたが殺したはずの藤本美貴の歴史と記憶が確かに存在して、それをあなた
に認識させることが」
「そんなことは…、あれはただのクローンだよ。俺は俺の殺した藤本美貴とど
う向き合うかなんてことはすでに解決済みなんだ!
あれは敵だった。松浦、お前は国益なんだよ。存在そのものが特別な。だから
お前を潰す要素を持った敵を潰すことは当然なんだよ」
「あなたは何も分からないくせに…。そんなことで美貴たんを殺したりしちゃ
いけないのに。美貴たんを敵というなら、あなたは私も敵だと認識するべきだ
ったんですよ。私にとっての藤本美貴をあなたは軽く見積もりすぎだから」
「違うだろう?松浦。お前はそんなちっぽけなたった一人の人間に左右されち
ゃいけない存在だろう?お前はもっと大きくて偉大なんだよ。お前はもっとも
っと特別で洗練されて、まるで女神のような…」
「あなたの世界は私の世界じゃない。ほら、この美貴たんを通してあなたは藤
本美貴を現前させているんだ」
「違う、俺は怖くない。俺は松浦のために、国のために何時だってそうやって、
俺は頑張っているんだ。正しいことをしたんだ」
- 371 名前:壊れたもの、壊したもの 投稿日:2005/01/26(水) 01:10
-
和田は亜弥の言葉が理解できず、美貴の存在にも混乱していた。
殺したはずの美貴と同じ姿形をしたものが和田の目の前にあるということがよ
り、リアルに和田に和田のしたことを認識させた。
それは本来ならば善良である和田の心に罪悪感をかすめさせた。
そして本来の矮小である和田の心を大きく掻き乱した。
「亜弥ちゃん、どうしたらいい?」
「この人は敵。私の敵だって、自分で言ったから。だからみきたん、消してし
まって」
美貴は眉根を寄せて和田の後ろに回りこんだ。
美貴のオリジナルを殺した男。
それは美貴を生み出すきっかけを作った男。
けれど、亜弥をもっとも苦しめる原因をも作った男。
美貴は自分の存在よりも亜弥を優先させたいと思っていた。
そう思おうと努めていた。
思い込みは真実となりえる。それを美貴は理解していた。
それを知ることは哀しいことではあったのだが、美貴は理解しながらそれを行
う。
- 372 名前:壊れたもの、壊したもの 投稿日:2005/01/26(水) 01:10
-
「痛くないようにしてあげるよ。美貴、あんたのこと…敵だなんて悲しいけど。
でもあんたは敵だ」
「俺は…俺は間違っていない」
和田は震える体を抱き締めるように両手をクロスして、歯をがちがちと鳴らし
ながら泣いていた。
最早和田は、普段の豪快で策略家で図太い大胆な政治屋ではなかった。
自分の犯した罪に震え贖罪を求めて心を乱した小さな男と成り下がっていた。
そして、それが本来の和田の姿だった。
それは小さく弱い存在だった。
「あんたは悪くない。誰も悪くない。けど皆悪いんだよ。美貴は知ってる」
それは美貴の絶望的な呟きだった。
そして、和田は崩れ去る。
美貴はサイレンサー付きの小型自動小銃の引き金を引いて和田のこめかみを貫
いた。
美貴の哀しそうな顔はこれまで亜弥が見た表情の中で、最も苦しそうだった。
- 373 名前:壊れたもの、壊したもの 投稿日:2005/01/26(水) 01:11
-
今のたんを見て昔のたんを現前させる…それは私自身のことじゃない。
亜弥は痛みをこらえるような表情をしながら美貴のことを見つめた。
ずっと憎いと思っていた和田を殺したところで亜弥には何も残らない。
亜弥は何も満たされない。
ただ、亜弥は美貴に会いたいと思っていただけだったのにどうしてこんなふう
になってしまったのか。
どうしようもなく亜弥は苦しかった。
「亜弥ちゃんの欲しいもの、美貴あげたいんだ。でもそしたら亜弥ちゃんは美
貴の前から消えちゃいそうで、
哀しくて悔しく…。ごめんね。美貴は亜弥ちゃんが一番なのに、美貴を一番に
しちゃいけなかったのに。だから、亜弥ちゃんの欲しいもの、美貴があげる」
美貴は唇を噛み締める亜弥の傍に寄り添うと申し訳なさそうに頭を垂れて、ぽ
つりぽつりと言葉を語った。
亜弥はその真意を掴みかねて美貴の顔を見る。
何時の間にこんなに大きくなったのか…ふと亜弥はそんなことを思う。
そして、美貴は亜弥の手を握ると、その手を引きながら座敷を後にした。
美貴は初めて亜弥の前を歩く。それは美貴にとって寂しいことだった。
- 374 名前:壊れたもの、壊したもの 投稿日:2005/01/26(水) 01:13
-
*
- 375 名前:壊れたもの、壊したもの 投稿日:2005/01/26(水) 01:13
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- 376 名前:さがしもの 投稿日:2005/01/26(水) 01:13
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- 377 名前:さがしもの 投稿日:2005/01/26(水) 01:13
-
美貴が知っている亜弥のこと。
朝が弱いこと。
和食が好きなこと。
お風呂が好きなこと。
少し気が強いこと。
頭がいいこと。
偉い地位にいること。
美貴の頭を撫でる手が優しいこと。
美貴を見る目が優しいこと。
美貴を見る目が哀しいこと。
いつも何かを探していること。
いつもどこかを見ていること。
美貴の向こう側に美貴を探して、見ていること。
美貴が知っている亜弥のこと。
- 378 名前:さがしもの 投稿日:2005/01/26(水) 01:14
-
*
- 379 名前:さがしもの 投稿日:2005/01/26(水) 01:15
-
藤本美貴が松浦亜弥と共に過ごした時間は8ヶ月。
クローンの藤本美貴が松浦亜弥と共に過ごした時間は2年と少し。
美貴は知った。
亜弥がいつも探していた何かが藤本美貴だということを。
そして全てに合点がいった。
亜弥が優しく自分を見つめる理由も、哀しく自分を見つめる理由も。
慈しまれる理由も、悲哀される理由も。
抱き締められる理由も、頬擦りされる理由も。
名前を呼びながら泣かれる理由も、名前を呼びながら微笑まれる理由も。
亜弥が欲しかったものは藤本美貴で、クローンの美貴はオリジナルには決して
なれない。
美貴は美貴を知らなくて、美貴は亜弥しか知らなかった。
同じなのは姿形、身体の中にあるDNA。
形成された人格は違うもので、亜弥の求める藤本美貴はやはりもういない。
ただ、同じ形をした違う者がいるだけ。
- 380 名前:さがしもの 投稿日:2005/01/26(水) 01:16
-
美貴は哀しかった。
亜弥が美貴自身を見ていないかもしれないこと、
亜弥が美貴自身を欲していないかもしれないこと、
それが哀しかったのではない。
美貴は亜弥が望む美貴になれないことが哀しかった。
どうせなら、クローンなら、全く何もかもがクローンであれば良かったのだと
思う。
亜弥が喜ぶなら今の自分などどうなっても良かった。
それは、美貴が見つけ出した美貴だけの思いだった。
たった一つ、何が何でも守り通したい美貴の信念だった。
亜弥が小さな箱から小さな美貴を抱き締めてくれたその日から、永遠に変わる
ことはないだろうという美貴の真実だった。
それはあまりに盲目的だったけれど美貴にはそれ以外は有り得なかったのだ。
- 381 名前:さがしもの 投稿日:2005/01/26(水) 01:17
-
美貴は亜弥の手を握り、懐石料理屋の暖簾をくぐるとふわりと亜弥を担ぎあげ
た。
驚く亜弥が抗議の声を上げる前に美貴はまるで小石をまたぐような気軽さでひ
ょいと飛び上がる。
最初に料理屋の屋根に、次にマンションの屋上へ。次々と屋根から屋根を渡り
歩く。
美貴は本当に何でもないことかのように、ぴょんぴょんと飛び移っていくから
次第に亜弥の感覚も慣れていく。
しがみついて首に回した手を緩めながら亜弥は美貴の顔をそっと見た。
それはいつも見ている美貴の顔だった。
亜弥の大好きな美貴の顔。
- 382 名前:さがしもの 投稿日:2005/01/26(水) 01:18
-
「たん…」
亜弥が小さく呟くと、美貴ははにかんだように笑い亜弥を見た。
それは亜弥の育てた美貴の顔だった。
亜弥の分身のような美貴の顔だった。
亜弥は分からなくなってしまう。
どうしたいのか。
どうしたかったのか。
どうしたらよかったのか。
どうしたらいいのか。
- 383 名前:さがしもの 投稿日:2005/01/26(水) 01:19
-
ただ、亜弥は会いたかった。
それが余りにも壮大で迷惑で醜い我侭だとしても、亜弥は会いたかった。
そしてそれは叶わないと分かっている。
それは激しい憎悪をもたらした。美貴を奪った全てが憎くて、自分自身すら憎
くて、それでも自分を消すことができなくて、あがいてあがいて、どこにも行
き場を失くしてしまう。
そして考えていた。
最後に手元の仕事を片付けたら終わらせてしまおうと。そしてそれは和田のこ
と指している。
美貴のいない世界は亜弥にとって意味がない。
それはあまりにも感情的で、個人的で、周囲のことを顧みない自己中心的な考
えだった。
けれども、亜弥が求めていたスマートさを表現する世界はもうない。
幼くして見つけたたった一つのものは、あまりに早く無くなりすぎて、それ故
にそれだけが全く全てだった。
形になる前に消えてしまった宝物は同時に亜弥の中の色々なものを奪い去り、
亜弥を暗闇の淵に追いやった。
亜弥はまさに暗闇の淵に立ちつくし、じっと暗闇を見つめていた。
亜弥はもう光を求めてはいない。救いの手が差し伸ばされるのを待ってはいな
い。
ただじっと、亜弥のたった一つの美貴がどこかに居やしないか、それだけを思
っていた。
- 384 名前:さがしもの 投稿日:2005/01/26(水) 01:21
-
*
- 385 名前:さがしもの 投稿日:2005/01/26(水) 01:21
-
*
- 386 名前:温かい体、記号の身体 投稿日:2005/01/26(水) 01:26
-
美貴が足を止めて、亜弥を下ろしたのは国有地として立ち入り禁止になってい
る区画だった。
随分と人気がなく、静まり返った土地だった。
その一画にまるで地下鉄へ降りる階段のような作りをしたコンクリートの屋根
と壁に固められた地下へと続く階段が見える。
そして入り口にはさゆみが穏やかな顔をして美貴と亜弥を待っていた。
「ようこそ、松浦亜弥ちゃん。さゆは一度会ってみたいと思っていたの」
ふわりふわりと笑顔を浮かべるさゆみを見て亜弥はほんの一瞬言葉に詰まり、
それからすぐに口を開いた。
「あなた…ゼロナンバー…」
「さゆはその言い方すごく嫌い。大嫌い」
「どうしてあなたが私に会いたいなんて…」
「どうしてって…。さゆは美貴ちゃんのオトモダチだもの」
- 387 名前:温かい体、記号の身体 投稿日:2005/01/26(水) 01:29
-
さゆみは美貴の方を見ると、またふわりと笑う。
美貴はさゆみの言葉を受けてぽかんとした顔をした。
それからあぁ、と思う。
あぁ、さゆみは友達なのか、と。それは美貴にとって初めての経験だった。
美貴にとって初めての友達だった。美貴はそれをとても嬉しいと思う。
「ともだち…。さゆは美貴の友達?」
「そう、友達よ。さゆの大切な近しいものよ」
「そっか、友達か…」
美貴はとても嬉しそうに笑う。
亜弥をそれを見て心を痛める。
亜弥はこの美貴に一体何を与えてきたのだろうか、と。
友達の一人もいなかった美貴。
亜弥のことしか知らなかった美貴。
そうさせたのは亜弥で、そう望んだのが亜弥だった。
亜弥は美貴をクローンなのだと、どこかで突き放しながら、どうしても手放す
ことはできなかった。
亜弥の元に縛り付けておきたかった。
- 388 名前:温かい体、記号の身体 投稿日:2005/01/26(水) 01:29
-
「ごめんね、たん…」
ぽつりと亜弥は言葉を零した。
それは亜弥の中の葛藤と迷いだった。
自分が滅茶苦茶なことを考えて、行ってきたことはわかっている。
誰にも理解されなくていいと思っていた。
理解を求める価値を周囲に見出そうとは思わなかった。
ただ、美貴だけが亜弥を求めてくれればそれで良かった。
亜弥はいつしかそれが恋をした美貴なのか、クローンの美貴なのか分からなく
なり、それはどちらへも抱いた感情だったはずなのに、その真実を捻じ伏せク
ローンの美貴を愛しいと思う心に蓋をしようとした。
同じ形をしただけの、形の身代わりなのだと。
美貴はふと亜弥を見ると亜弥はとても青い顔をしている。
亜弥の心の揺れを美貴は敏感に感じ取る。
ずっとそうだった。亜弥が哀しいと美貴は哀しい。
亜弥の心は美貴に伝染する。
- 389 名前:温かい体、記号の身体 投稿日:2005/01/26(水) 01:30
-
「いいんだってば、亜弥ちゃんならなんだって。美貴は」
亜弥ははじかれたように美貴を見た。
そこで微笑む美貴は亜弥にとって一番必要な美貴に見えた。
亜弥の心はぐらりと揺れる。
けれど、やはりそこにいるのは亜弥が求め続ける美貴ではなかった。
「さぁ、降りるの。さゆは亜弥ちゃんに見せたいと思ってた。ずっと」
さゆは涼しげな声でそう言うと、二人を手招きする。
美貴は亜弥の手を引くようにさゆみの元へと歩み寄った。
さゆみがぱちんと手を叩くと、地下へと続く階段はぼんやりと灯りを灯し三人
を招き入れているようだった。
- 390 名前:温かい体、記号の身体 投稿日:2005/01/26(水) 01:30
-
*
- 391 名前:温かい体、記号の身体 投稿日:2005/01/26(水) 01:31
-
「亜弥ちゃんの美貴ちゃんは、哀しいことに選ばれてしまったの」
さゆみは地下へと続く階段を降りる途中、先頭を歩きながら話し始める。
「それは偶然でも抽選でも無作為でもなく、作為的に悪意的に必然で選ばれた
の。松浦亜弥に近すぎるから。松浦亜弥を守るために。
どうせ消してしまうなら、有効利用したいって欲望に利用されたのね。
藤本美貴はクローンの実験体という進路を決められて処分されたのね。
一石二鳥。そして、偶然にも松浦亜弥の手に渡ったクローン計画。
松浦亜弥が視察の為に潜入したオークション会場で全くの偶然に美貴ちゃんは
亜弥ちゃんに出会うの」
「知ってたよ…。そんなの調べたよ。まさかって…、美貴たんがどうしてあん
なところにって。何かの間違いかもしれない。全くの別人かもしれない。それ
でも気付いたときに私は契約書にサインしてた。
すごく小さかったから他人の空似かもしれないって思った。それならその方が
良かったのかもしれない。
私、必死で調べた。美貴たんとクローン計画の関係を。んーん、最初はまだエ
イリアン計画だった。そして知ったんだ、エイリアンなんて作り話だったって
ことを」
- 392 名前:温かい体、記号の身体 投稿日:2005/01/26(水) 01:31
-
改めて聞かされる美貴とクローン計画の関わりに、亜弥は頭が割れそうな嫌悪
感に包まれた。
憎いと思う。全てが憎いと思う。
もしも、クローン計画がなかったら美貴は死ななかったかもしれない。
もしも、亜弥が政治に関わらなければ美貴は死ななかったかもしれない。
もしも、亜弥と美貴が出会わなければ美貴は死ななかったかもしれない。
もしも、亜弥が生まれてこなければ美貴は死ななかったかもしれない。
もしも、たら、れば、有り得ない違う未来が頭を掠めるたびに亜弥は吐いてし
まいそうに苦しかった。
亜弥はとても強かったはずなのに、まるで芯を失ってしまったように揺らいで
いた。
- 393 名前:温かい体、記号の身体 投稿日:2005/01/26(水) 01:32
-
「とても哀しくて不幸なことなんだとさゆは思うの。でもさゆは嬉しいとも思
う。亜弥ちゃんの美貴ちゃんがいたから、出会って切ない消え方をしたから、
だからさゆの友達の美貴ちゃんがいるんだもの」
さゆみは少し困ったように微笑む。いつもの調子で、悪気があるわけでなく、
淡々と。
けれど、その言葉は亜弥の逆鱗に触れるものだった。
亜弥は頭の中がかっと熱くなるのを感じる。
私の美貴たんをそんなふうに!私の美貴たんがいないことが嬉しいって!
亜弥はさゆみの肩を掴んで振り向かせると、右手を大きく振り上げた。
- 394 名前:温かい体、記号の身体 投稿日:2005/01/26(水) 01:32
-
パチン。
乾いた音がコンクリートで固められた空間に響き渡る。
さゆみは亜弥が振り上げた右手の方向に顔を垂らしゆっくりと頬に手を添えた。
亜弥の右手は所在を失くして、だらりと下げられた。
さゆみの頬を叩いたのは亜弥ではなく、美貴だった。
美貴はさゆみを叩いた手を下ろしながらさゆみを見つめる。
さゆみはゆっくりと顔を上げると何も見ていないような目でじっと美貴を見つ
め返した。
「いけない。誰も亜弥ちゃんを傷つけることを言ったらいけない。美貴はそれ
を許さない。誰だって許さない」
「そうね、さゆが軽率だったのね。本当のことは時々胸にしまっておかなくて
はダメね」
さゆみはゆっくりと手を下ろすとふわりと微笑んだ。
美貴に叩かれたことなど何でもないように、むしろ嬉しそうに目を細めて美貴
を見つめていた。
- 395 名前:温かい体、記号の身体 投稿日:2005/01/26(水) 01:35
-
「亜弥ちゃんは美貴ちゃんの神様だものね」
くるりと背中を向けて再び階段を降りながらさゆみは小さく呟いた。
その声は美貴にも亜弥にも届いていた。
亜弥はその声を聞いてちらりと美貴を伺った。
美貴は困ったような顔をしてさゆみの背中を見つめていた。
- 396 名前:温かい体、記号の身体 投稿日:2005/01/26(水) 01:35
-
*
- 397 名前:温かい体、記号の身体 投稿日:2005/01/26(水) 01:52
-
三重にロックされた扉をさゆみが一つずつ開けていき、三人は一番奥の扉の中
にある部屋へと足を踏み入れた。
寒々としたコンクリートの造りで、ただの四角い箱のような無機質な空間だっ
た。
その中央にガラスでできたような縦長のショーケースのような箱がいくつも並
べられていた。
さゆみは一番奥に置かれたガラスケースの元へ歩み寄ると、ちょこんとその脇
に座り込み、その背をケースに凭れ掛けさせた。
「ここにあるのはね、オリジナルって呼ばれてるの。ワンナンバーのオリジナ
ル、ツーナンバーのオリジナル…。
生きていた頃は名前があったのにね。プロジェクトの中では番号で割り振られ
たただの記号でしかなくなったのね。
それはとても寂しいことだから、さゆはパパにお願いしてこの部屋を造ったの。
オリジナルの皆を大切に保存するのね。さゆはただ見ていることしかできない
から、こうやって…。
でもこれも自己満足ね。さゆは満足すらしていないから、どういうの?」
さゆみはとても寂しそうにふふっと小さく笑った。
それは自嘲的にも聞こえた。
- 398 名前:温かい体、記号の身体 投稿日:2005/01/26(水) 01:54
-
「これはさゆのオリジナル。ミチシゲサユミ。とても可愛いの。さゆと同じで
ね。向こう側には美貴ちゃんもいるのね。
藤本美貴だったものが横たわっているわ」
固まったように立ち尽くしている亜弥を横目で見ながら美貴はオリジナルの美
貴の元へと向かった。
そこには自分と同じ顔をした藤本美貴が目を閉じて横たわっていた。
青白い顔を除けば何もかもが同じように見える。
すっと自分の隣に膝を落とす影があり、そちらを見ると亜弥がガラスケースに
手をついて跪いていた。
亜弥は目に涙をいっぱいためてケースの中の美貴を見おろしていた。
ぽたりぽたりと涙が零れ、ケースの上に水滴を落とす。
そしてふはっと息を漏らすとそれを合図にしたかのように亜弥の口からは言葉
が零れだした。
- 399 名前:温かい体、記号の身体 投稿日:2005/01/26(水) 01:54
-
「美貴たん、美貴たん、美貴たん、美貴たん…」
その声は美貴がこれまでに聞いた自分を呼ぶ亜弥の声ではなかった。
亜弥が眠りながら涙を零して呼ぶあの声だった。
美貴はその亜弥の声をただ立ち尽くして聞き入っていた。
「美貴たん、会いたかったの。ずっとずっと会いたかったの。
私、もうおかしくて、自分で分かってて、だから余計にわけが分からなくて、
ただ美貴たんに会いたいってそれだけだったのに。
あぁ、もう美貴たんはいないんだね。死んじゃったんだね。
冷たい身体してずっと前に私の前からいなくなっちゃったんだね。
私、ずっと分からなかったんだ。みきたんがいないってこと。
温かい体が、私の育てたみきたんが傍にいたからずっと曖昧なままにしすぎて
たんだ。
あんまりにも近くにみきたんの温もりがありすぎて、それなのに恐ろしく遠い
ところに美貴たんの存在を感じて、それを手放そうとしなかったんだね。
私が語り掛けたかった美貴たんはもういなくて、そう、冷たくなってここにい
たんだね。」
- 400 名前:温かい体、記号の身体 投稿日:2005/01/26(水) 01:55
-
亜弥は膝を折ってガラスケースにしがみつくように抱きついた。
そこには温もりはなかったが、亜弥の求めていた美貴の確実な死があった。
「ずっとね、渡したかったものがあるの。あの日ね、たんの誕生日に渡すはず
だったんだよ?永遠の愛を誓うはずだったんだよ」
亜弥は自分の薬指にはめた二つの指輪を取り外すとコトリとガラスケースの上
に置いた。
それは鈍く、美しく輝いていた。
亜弥が美貴とつけるために買ったペアリングだった。
「これ、ちゃんとオソロなんだから。はずしたり失くしたりしたら怒るはずだ
ったんだから。裏にね、二人の名前のイニシャル入ってるんだよ?結構奮発し
たんだからね?」
- 401 名前:温かい体、記号の身体 投稿日:2005/01/26(水) 01:56
-
亜弥は泣きながら笑い、自分の下に見える美貴に語り終わると、ふらりと立ち
上がり隣に立ち尽くす美貴の前に立った。
そして、自分の首の後ろに手を回すと、カチリと金具を外す音を立て、首に下
げたネックレスを取り外した。
そのネックレスを亜弥は美貴の首にかけてやる。
「ごめんね、私、みきたんを見てあげなくて。分かっていたはずなのに、みき
たんに美貴たんを重ねてて」
「美貴は、亜弥ちゃんが幸せならなんだっていいんだよ」
「そっか。いつもみきたんはそう言ってくれたんだよね。小さい時からね」
「そうだよ、みきは亜弥ちゃんが全部なんだよ。亜弥ちゃんが思うことをした
いことをやりたいって思うんだ」
美貴は自分でそう言ってから、そうだった、と思う。
自分があんなにも亜弥以外の人間を憎いと思う理由、それは亜弥が全てを憎い
と思っていたから。
ただ、一つだけ違うのは亜弥は亜弥すらも憎んでいたのに、美貴は決して亜弥
を憎いと思わなかったこと。
それは美貴の愛情だった。ひたむきに健気に忠実に捧げ続ける愛情だった。
それを美貴は愛情だと知らない。
- 402 名前:温かい体、記号の身体 投稿日:2005/01/26(水) 01:59
-
「私、最後までみきたんにめちゃくちゃわがままでいいかなぁ」
「美貴は、亜弥ちゃんのために何ができるの?美貴はなんだってするよ」
亜弥は美貴を見つめ、目を細めると美貴の頭を柔らかく柔らかく撫でた。
「私ね、ずっと壊したいと思ってたんだ。でももう、それもどうでもよくなっ
てたみたい。一つね、やりたいことがあるの。私ね、もう終わらせたい。
もうずっと前に終わってたのを、止まったって振りして続けてたんだ。
だから、もう本当に終わりにする。ね、たん、手伝ってくれる?」
美貴は亜弥の言おうとしていることを簡単に理解した。
それは美貴の心をざわつかせた。
けれども美貴はそれを断ることができない。
- 403 名前:温かい体、記号の身体 投稿日:2005/01/26(水) 02:00
-
「いけない、美貴ちゃん。それはよくないわ」
じっと二人の言葉を聴いていたさゆみは、ばっと立ち上がると哀しそうな顔を
して二人を見つめた。
それはさゆみの予想していた言葉の一つだったのだが、さゆみはそれを認めた
くはなかった。
美貴はふっとさゆみの方を見るとさゆみの表情を見て、哀しそうな顔をした。
それは、亜弥の言葉が哀しかったのではなく、さゆみの哀しい気持ちを感じた
からだった。
けれども美貴は亜弥の言葉を選ぶ。
- 404 名前:温かい体、記号の身体 投稿日:2005/01/26(水) 02:01
-
「亜弥ちゃんの望みは叶えてあげたい。亜弥ちゃんはそれで幸せになる?」
「うん、私はそうしたいの」
「亜弥ちゃんはそれが一番やりたいことなの?」
「そう、ね。私ね、一番大好きな人のところへ行きたいんだ」
「本当に行ける?」
「行けると思う。私はそう思うよ」
「そっか。亜弥ちゃんがそう言うなら、行けるんだろうね…」
「手伝ってくれる?」
「うん」
「ありがと」
美貴はそういうと少し嬉しそうに笑った。
それは亜弥が美貴の頭を優しく撫でていたからだった。
美貴はずっと前に亜弥から渡されていた黒い小さな塊をその手に取った。
- 405 名前:温かい体、記号の身体 投稿日:2005/01/26(水) 02:02
-
「美貴は、亜弥ちゃんの言葉を信じてる」
「そうして。私、すごく嬉しいと思ってる」
「美貴、亜弥ちゃんが望むなら何だって…」
美貴は言葉を切ると、亜弥に向かって黒い塊を向けた。
一番苦しくない、一番楽で、一番静かなやり方。
亜弥が育てた美貴の集大成。
亜弥が崩れ去ると美貴はそっと亜弥を抱きとめ、ぎゅうっとその身体を抱き締
めた。
それから、オリジナルの美貴がいるケースに凭れかかるように亜弥を横たわら
せると、ガラスケースの上の指輪を取り上げてそっと亜弥の指にはめた。
それから、ケースを両手でこじ開けると、オリジナルの美貴の手を取り、その
指にもう一つの指輪をはめた。
亜弥の身体はまだ少し温かく、亜弥の匂いがした。
- 406 名前:温かい体、記号の身体 投稿日:2005/01/26(水) 02:02
-
美貴は何故か突然、とても哀しくて涙が溢れた。
亜弥の言葉は美貴の絶対だった。
亜弥の望みは美貴の望みだった。
それを叶えたというのは美貴にとって何よりの喜びだったはずなのに、美貴は
哀しかった。
「亜弥ちゃんが幸せなら…幸せなら…それで…美貴は自分を一番にしちゃいけ
ないからっ…」
言い聞かせるように呟く美貴をさゆみは静かに見つめている。
さゆみはぼんやりと思う。
自分が結果として美貴に示した考え方というのは正しかったのか、と。
そして、思う。
この世界に絶対に正しいはないのだと。
そして、自分は正しいを作らない存在であろうと、思い込まなくてはいけない
のだ、と。
- 407 名前:温かい体、記号の身体 投稿日:2005/01/26(水) 02:03
-
美貴は亜弥の身体をぎゅうっと抱き締めると、さゆみの方を見た。
美貴はたった一つの絶対を失ってしまった。
そして、美貴は欲しいと思った。
それが違うものだと分かっていても。
「ねぇ、さゆ。美貴、一つお願いがある…」
「うん。いいわ、美貴ちゃんはさゆの大切なオトモダチだから」
「ありがと、さゆ。美貴は…美貴は…亜弥ちゃんの、クローンが欲しい」
「…それが美貴ちゃんの希望なら…それでいいのね」
さゆみはふわりと笑った。
美貴は泣きそうな目をした。
亜弥は微笑みを顔に残し、冷たい美貴は表情がない。
美貴の胸にはうさぎと羊の形をしたものが鈍く光っていた。
それは弱々しく、哀しく、切実で、誠実だった。
それが美貴が手に入れた何かだった。
- 408 名前:温かい体、記号の身体 投稿日:2005/01/26(水) 02:04
-
*
- 409 名前:たまゆら 投稿日:2005/01/26(水) 02:06
-
たま-ゆら
−ほんのしばらくの間。
- 410 名前:たまゆら 投稿日:2005/01/26(水) 02:07
-
【了】
- 411 名前:名無し飼育 投稿日:2005/01/26(水) 02:10
- これにて一旦終了です。
かなりめたんこな展開ですが…
サイドストーリーみたいなものをこの後
載せていこうかなーとか思ってます。
けど、取り合えずおしまい。
正直、_| ̄|●<スマンカッタ
何が書きたかったって、只単に
みきあやはガチ!
って話しが書きたかっただけなんです。
正直、_| ̄|●<スマンカッタ
- 412 名前:名無し飼育 投稿日:2005/01/26(水) 02:13
- >>325さん
(゚Д゚ )ハァ?って思われたことと思います
引き込ませておいてすみません
>>326さん
どういたしまして、なんて言えるようなものではございませんでした
>>327さん
ありがとうございます
さゆみんが書けてヨカタです
最後まで読んでくれた人がいたら、ホントに感謝です
ありがとうございました
- 413 名前:名無し飼育 投稿日:2005/01/26(水) 02:28
-
. ★
☆.
. ☆ .
. +
. + ∋8ノハヾ ノハヽo∈
・ . 川VvV)(‘ 。 ‘从
O(,,,,.,O)゜゜(O,,,,.,)O-
,...- ' ゙゙ ゙゙'
, '´,。ヽ ヽ _/
/ j `'ー、_ j
/ /`´ . !ノ
/ '!.j
,!' `'
|
- 414 名前:名無し読者 投稿日:2005/01/26(水) 04:07
- 悲しいです…
AAは最高にキャワです
- 415 名前:名無し読者 投稿日:2005/01/26(水) 06:54
- んぁ〜・゚・(ノД`)・゚・
すっごい、としか言えなかったです。あと、AAキャワワ!
- 416 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/01/26(水) 14:21
- この人まさか放置なんてしないよな…。
なんて心配しつつ今まで読ませてもらってました。
みきあやはガチです。お疲れさまです。
- 417 名前:名無し読者 投稿日:2005/01/26(水) 19:22
- あかん、何回読んでも涙が出てくる…
亜弥ちゃんは美貴たんに会えたのかな。
天国でもいちゃいちゃしてるんでしょうね。
閻魔様と喧嘩する美貴たんを亜弥ちゃんが宥めてるとかw…
もー、この気持ち何とかしてくれ〜
- 418 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/01/26(水) 19:45
- めっちゃ切ない・・・
凄い強い愛を感じた。
お疲れ様でした。
- 419 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/01/26(水) 21:37
- 飼育小説で初めて泣きました
お互いを想う結果…最後にはこんな方法もアリなんですね
哀しくても愛が溢れたお話をありがとうございました
- 420 名前:wool 投稿日:2005/01/27(木) 21:09
- お疲れ様でした。
なんというか心の深いところまで切なくなるような作品だなぁと思います。
番外編のほうものんびり待たせて頂きますね。
- 421 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/12(土) 05:39
- 一気に読んでしまいました。惹き込まれてしまいました。
内臓は収縮して涙腺は弛緩して、何と言っていいのやら。
ありがとうございました。お疲れ様です。
- 422 名前:名無し鬼畜 投稿日:2005/02/22(火) 17:52
- 作者より生存報告です
レス返しは後ほど…
顎さん乙です
- 423 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/23(水) 04:20
- 一気に読みました。>^_^<
最後すごく切なくて、胸がえぐられるぐらい痛くなりました(T_T)今まで泣いた事ないのにこの小説でかなり泣いてかなり感動しました!もうほんとにいい小説です!!
- 424 名前:ろむ 投稿日:2005/02/26(土) 20:47
- 感動して、どっか飛んでいきそうになりました。
松浦さんの『ずっと好きでいいですか』を聞きながら読むと、もっと遠くにいきそうになりました。
お疲れ様でした。いいもの読ませていただきました。。
- 425 名前:名無し飼育 投稿日:2005/03/06(日) 21:30
- サイドストーリーはできていないのですが、レス返しを先に
させて頂きます
予想外にたくさんのレスを頂き心底驚きました
同時にとても嬉しく思いました
期待していなかったとは言え、何も感じてもらえずスルーは
寂しかったと思うので、本当にありがとうございます
>414さん
AAに実は凝っていたのでキャワ感想嬉しかったです
悲しい、という感想を持って頂けたことが嬉しいです
>415さん
。・゚・(ノД`)ヽ(゚ω゚=)モニュニュ
AAキャワワ感想嬉しかったです
穴だらけだった話しですが、楽しんでもらえたなら幸いです
>416さん
うpする前に書き上げてはいたのですが、
うpしている間は放置したくなる時もありました
読んでくれてありがとうございます
>417さん
何回も読むと構成の滅茶苦茶さが鼻につかなかったか心配です
亜弥ちゃんは美貴たんに会えました(>413 AA)
ということで脳内補完お願いします
閻魔様と喧嘩する〜というネタは美味しいですね
参考になりました
読んでくれてありがとうございます
>418さん
切なさを感じて頂けてとても嬉しく思います
テーマが「ガチ=ラブ」だったのでそこが伝わったようでこの上なく嬉しいです
読んでくれてありがとうございます
- 426 名前:名無し飼育 投稿日:2005/03/06(日) 21:30
-
>419さん
もったいない言葉です
飼育には泣ける名作が多々あるので、そちらをお薦めしたい
ラストについて、ああいう方法がありかなしかと言えば「あり」なんだと思っています
ただ、最高に無責任だなぁとは思います
読んでくれてありがとうございます
>420さん
何かを感じて頂けた、ということは素人ながらすごく嬉しいです
読んでくれてありがとうございます
番外編の方も…マターリマターリお待ち頂けると幸いです
>421さん
一気読みありがとうございます
おもしろく読んでもらえたならとても嬉しいです
内臓と涙腺に負担がかかったならお詫びいたします
読んでくれてありがとうございます
>423さん
一気読みありがとうございます
小説と言っていいのか、自分では判断がつきかねますが、
いいと言ってくれる言葉が素直に嬉しかったです
切なさを感じて頂けたなら書いてよかったな、と思えました
読んでくれてありがとうございます
>424さん
クローン美貴たんの方にぴったりですね<「ずっと好きでいいですか」
オリジナル美貴たんがいなくなった後のあややさんには
「サヨナラのLOVE SONG」がいいかもしれませんね
感動して頂けたとのことでもったいない言葉です
読んでくれてありがとうございます
- 427 名前:名無し飼育 投稿日:2005/03/06(日) 22:02
-
''''''─- .....,,,_ __人_人,_从人_.人_从._,人_人_
 ̄"゙'"''''''─‐- ゙"ニ ─__ )
r──--- ...___ ) まだだっ!!
= ∋8ノハヾニ | ニ ≡ ) まだ終わらんよっ!!
.ニ 从‘ 。 ‘) ニ |!カ_ ろ
| / つ つ Lニ-‐′´ )/⌒Y⌒Y⌒l/⌒Y⌒Y⌒Y⌒
'''''゙゙゙゙゙ ̄ _,, -‐'''ノハヽo∈ ゚
--─="゙ ̄ ⊂(oV;从 ゜
ニ─ _,.. ゝ、 つ
_,.. -‐'" しへ ヽ
__,, -‐''" , ゙ー'
みきあやはやっぱしガチです
愛情の形はイパーイイロイロ
( T▽T )<ポジティブにならなくちゃね
- 428 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/16(水) 21:56
- 何度も読み返して胸がえぐれそうになりました
滅ぼされる愛なんて無いんですね、うん(何
番外編も楽しみに待たせて頂きます
- 429 名前:名無し飼育 投稿日:2005/04/07(木) 22:33
-
◇ ◇ ◇ ◇
- 430 名前:名無し飼育 投稿日:2005/04/07(木) 22:34
-
「神様が一つだけだとしたら、世界はとてもシンプルだよね」
- 431 名前:名無し飼育 投稿日:2005/04/07(木) 22:34
-
◇ ◇ ◇ ◇
- 432 名前:名無し飼育 投稿日:2005/04/07(木) 22:36
-
彼女は生れ落ちた時、とても幸福だった。
彼女は父親に愛され愛され愛され、とても愛されていたから。
何かを自分から欲しいと思ったことはなかったけれど、きっと
欲しかったであろうものを彼女の父親は全て用意した。
彼女の周りは常に「何か」で溢れていたけれど、彼女にとって
それは「何か」でしかなかった。
彼女はまだ知らない。たった一つのものを知ることがない。
- 433 名前:名無し飼育 投稿日:2005/04/07(木) 22:36
- *
「ほら、さゆみ。可愛いくまのぬいぐるみだよ」
父親は目じりを下げて実に嬉しそうにさゆみにそれを渡した。
毛がもこもことして、柔らかく、抱き心地の良いぬいぐるみだった。
さゆみはそれが好きなわけではなかったけれど、父親がとても嬉しそう
にそれを渡すものだから、そのぬいぐるみをとても好きになった。
さゆみは父親が大好きだった。
だから彼のくれるものは何でも大切なものだと思えた。
どれも彼女の一等輝いているものになった。
それらは必ずさゆみの大好きな温もりを運んできてくれたから。
それらは必ず父親の手から渡されたから、その時の温もりを与えてくれ
る物たちはどれも大切なさゆみの宝物だった。
- 434 名前:名無し飼育 投稿日:2005/04/07(木) 22:37
-
「ぱぱ、さゆね、とてもうれしいの」
さゆみはぬいぐるみを抱きかかえて笑う。
嬉しそうにふんわりと無邪気に笑う。
さゆみは言葉をあまり知らないから多くのことを伝えられない。
けれど、さゆみはそれを伝えられないことすら知らない。
さゆみは孤独に慣れてしまっていて、それが当然のことだったから
そこに不満を抱くこともなく、寂しさの意味を知ることもなかった。
それはさゆみにとって当たり前のことで、さゆみの世界はそうやって
頭を撫でられる幸福と抱き締められる幸福とそれを得る時に与えられる
「何か」で作られていた。
- 435 名前:名無し飼育 投稿日:2005/04/07(木) 22:37
-
そうやって小さな幸福な世界の中で1年が過ぎようとした頃、さゆみの
前に新しい「何か」が現れた。
それは今までの「何か」とは全く、何もかもが違っていて、さゆみの胸を
ときめかせた。
そんな経験はさゆみにとってはじめてだったから、それはさゆみにとって
最初からとても大切なものとなった。
それは、とても温かかったのだ。
さゆみは知る。たった一つのものを知る。
それはさゆみの世界に孤独を教え、新しい温もりを与え、心躍る幸福を齎した。
- 436 名前:名無し飼育 投稿日:2005/04/07(木) 22:38
-
*
- 437 名前:名無し飼育 投稿日:2005/04/07(木) 22:38
-
小さな足で小さな身体を支えながらおどおどと辺りを見渡す。
そんな奇妙な物体。
それが、さゆみの亀井絵里に対する最初の印象だった。
「今日からさゆはお姉ちゃんだ。仲良くしてあげなさい」
父親はそう言いながら小さな子供をさゆみの前に用意してみせた。
小さな少女は今にも泣きそうな顔をして、着ている上着の裾をぎゅっと握り
しめて震えている。
その小さく弱々しい姿はさゆみの中の何かを打った。
「お、ねえ、ちゃん?さゆが?」
「そうだよ。この子は亀井絵里ちゃん。さゆのいい遊び相手になるだろう」
「かめい…えり…。さゆのあそびあいて」
「さゆも一人じゃあつまらないだろう?パパはさゆが好きそうな可愛いお友達
を探してきたんだ」
「おともだち…」
「そうだよ、気にいらないかい?」
- 438 名前:名無し飼育 投稿日:2005/04/07(木) 22:39
-
父親は心配そうにさゆみの顔を覗き見た。
さゆみはそんな父親の視線を少し困りながら受け止めていた。
どう答えていいのか分かりあぐねていたのだ。
少し、考えて首を傾げて考えてみても答えは分からない。
その間も絵里は小さな身体を大きく震わせているばかりだった。
さゆみはその姿を見てとても不思議に思う。
「どおしてぶるぶるしてるの?」
さゆみは首を傾げたまま絵里に問い掛ける。
絵里は無言のままさゆみを見上げた。
その瞳には今にも零れ落ちんばかりに涙が溜まっている。
- 439 名前:名無し飼育 投稿日:2005/04/07(木) 22:39
-
「どおして泣きそうなの?いたい?」
絵里はやはり無言だった。
さゆみはとても不思議だった。
言葉を発せず、ただ震えているだけの泣きそうな小さい姿が奇妙だった。
さゆみは父親がしてくれたように、絵里に近づくとそっとその頭を撫でる。
「いいこ。いたいのいたいのとんでけ…」
絵里は一瞬びくっと身体を震わせるが、何度もさゆみが頭を撫でていると、
そっとその手を伸ばし、自分の頭に置かれたさゆみの手に触れる。
「え、えり」
絵里は小さい消えそうな声で言う。
さゆみは撫でているその手を止めて絵里の目線までしゃがみこみ、視線を合わせた。
絵里はさゆみの手をゆっくりと弱々しく掴むと泣きそうな目でさゆみを見つめた。
- 440 名前:名無し飼育 投稿日:2005/04/07(木) 22:40
-
「えり、えり…えり」
「えり?それはあなたの名前なの。さゆはさゆみ」
「さ、ぁ…」
「さゆみよ。さ、ゆ、み」
「さぁ…み」
「んふふ。あなた不思議。さゆはさゆみ。言える?」
「さぁうみ…」
「そうよ。さゆみ」
「さ、ゆぅみ」
「あ、言えた。そうさゆみ」
さゆみが絵里の顔を見ながら穏やかに微笑むと、絵里もそれにつられるように
やんわりと微笑んだ。
それはとても柔らかい笑顔で、さゆみはそれを見てとても心地良いと思った。
- 441 名前:名無し飼育 投稿日:2005/04/07(木) 22:40
-
「パパ、さゆはこの子好き」
「そうか、良かった。仲良くするんだよ」
父親はそういうと満足気に微笑み、さゆみの頭を優しく撫でた。
さゆみはそれがとても嬉しかったので、絵里の頭を優しく撫でた。
絵里はそれがとても嬉しくて、さぁみ、さぁみと口にしながらぎゅっとさゆみの
手を握った。
それはさゆみが知った始めての温もりだった。
その意味はよく分からなかったけれど、さゆみはそれがとても嬉しいものだと思っていた。
- 442 名前:名無し飼育 投稿日:2005/04/07(木) 22:40
-
*
- 443 名前:名無し飼育 投稿日:2005/04/07(木) 22:40
-
*
- 444 名前:名無し飼育 投稿日:2005/04/07(木) 23:10
- 更新終了です
前作「たまゆら」のサイドストーリーになります
>428さん
何度も読んで頂けて嬉しく思いました
番外編の方もご期待に添える自信は全くないので
軽く読んで頂けると幸いです
タイトル入れ忘れました_/ ̄|○ il||li
前回は「たまゆら〜みきあや編」
今回は「たまゆら〜さゆえり編」
ってことでお願いします
∋oノノハヽ ∋oノハヽヽ
从*・ 。・) 从 *^ヮ^)
= ⊂ ) = ⊂ )
= ミ三三彡 タッタッタ・・ = ミ三三彡 タッタッタ・・
- 445 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/08(金) 17:58
- 更新来てて嬉しいです。
ほぅ、今回はこんなお話なんですね。
次回も期待させて頂きます。
- 446 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/25(月) 17:08
- 番外編が読めるのがすごくうれしいです。
2人に何があったのか、これからも期待しています。
- 447 名前:名無し読者。 投稿日:2005/08/07(日) 00:57
- 更新まってます
- 448 名前:ある日の名無しさん 投稿日:2005/08/20(土) 17:41
- 良いオトナだけど一気読みして泣きましたよ・・。
この話、なんだか暖かいですね。。。
見ててやんわりと幸せな気分に…。
ごめんなさい、もう逝っちゃってます・・
- 449 名前:白いぼんぼん 投稿日:2005/08/25(木) 00:12
-
*
- 450 名前:白いぼんぼん 投稿日:2005/08/25(木) 00:12
-
絵里は本の好きな子供だった。
さゆみと絵里には父親から一台のコンピューターが与えられ、そこにはありとあらゆる
情報がが詰め込まれていた。
書物も音楽も映像も、二人が好きなときに好きなだけ取り出すことが可能だった。
さゆみは時折それをいじって好みの音楽を探したが、それはさゆみにとって長続きする
楽しみではなかった。
ゲームにも興味はなかったし、本にも大した興味はなかった。
華やかの洋服やアクセサリー、おもちゃが乗っているページを見るのは楽しかったが、
さゆみは見るよりもそれを着てみる方が楽しかったし、それ以上に絵里と遊ぶことを
楽しんでいた。
一方、絵里の方はさゆみが邪魔をしなければ一日中コンピューターの前で読書をしたり
アニメを見て過ごしていた。
読書をする時の絵里は恐ろしいほどのスピードでページをめくる。
普通の人間が1日かけても読むことが叶わないであろう量を絵里は数時間で読み終えて
しまう。そして、また新しいページをめくるのだ。
まるで何かにとりつかれたように本を読み進める幼い絵里の姿はさゆみには理解し難い
ものだった。
その時の絵里の目はいつもさゆみを見上げる瞳の色とは全く異なり、とても鋭かった。
まるで、画面に映し出される活字を抉り取っているようだ、とさゆみは思う。
そんな絵里が何となく遠いところに行ってしまうような気がして、さゆみはよく絵里の邪魔を
した。
- 451 名前:白いぼんぼん 投稿日:2005/08/25(木) 00:13
-
「ね、絵里。可愛い髪止め買ったの。一緒に見よう」
「ん…かみどめ…?」
絵里はさゆみに背を向けたまま気のない返事をする。
さゆみはそれがとても不満で絵里の小さな背中に抱きつくようにして覆いかぶさる。
「ほら、これ。白いふわふわの」
言いながらさゆみは絵里の目の前に指でつまんだボンボンのついたゴムを見せた。
絵里は少し驚いてから首を回してさゆみを見た。
それから、目の前のぼんぼんに視線を移すと、ゆっくりと手を伸ばした。
触れようとする絵里の手の動きを目で追っていたさゆみは、パッとボンボンを
引っ込めると、意地悪そうに微笑んだ。
絵里はまた驚いてさゆみの顔を見る。
- 452 名前:白いぼんぼん 投稿日:2005/08/25(木) 00:13
-
「ぼんぼん見たい?」
「見たい。ぼんぼん見たい」
「どぉしよっかなぁ、すごい可愛いぼんぼん見せてあげてもいいけど」
「うぅ…ぼんぼん…」
絵里はさゆみの真意が掴めず、どうしようもなく不安が襲ってくる。
その目には涙がたまっていた。
唇をぎゅっと噛み締めて、眉根を寄せて絵里はさゆみを見上げる。
さゆみはそんな絵里を見て、少しぎょっとした。
さゆみは知らなかったのだ。
自分がやっていることが意地悪なのだということも、絵里が自分以外に夢中に
なっていることに嫉妬していることも。
それから、絵里が涙をこらえているその理由も。
さゆみは何も分からなかった。
けれど、その絵里の泣きそうな顔を見たときさゆみは思った。
胸が痛い、と。
- 453 名前:白いぼんぼん 投稿日:2005/08/25(木) 00:14
-
絵里が泣くことは嫌い、さゆみはそう思った。
その時感じた感覚を、さゆみは大切にしようと思った。
何故なら、さゆみはそんな気持ちに二度となりたくなかったから。
「絵里?泣かないで」
「なっなかない…」
「ぼんぼん見せてあげる。そしたら泣かないでしょ?」
「ぼんぼん…なかない」
「うん。ぼんぼん、絵里につけてあげる。ふわふわで可愛いの」
「えりに…ふあふあ…くれう?」
「あげるよ。さゆ、絵里が泣くの嫌い。ふわふわで可愛いのつけたら泣かないでしょ?
可愛いものをつければ嬉しいと思うもん」
「ん…ふあふあうれしい。さうはなくのきらい?」
「絵里が泣くとちくちくするもの」
さゆみはそう言いながら、自分の胸に手をあてた。
絵里は心配そうにさゆみを見上げながら、そっとさゆみに近づいた。
- 454 名前:白いぼんぼん 投稿日:2005/08/25(木) 00:14
-
「いたい?さうはいたい?」
「どうしてなんだろうね。絵里の泣きそうな顔みたらすごく嫌な気がした」
「……さういたいの…いや」
絵里は困ったような顔をしてじっとさゆみを見つめた。
さゆみはそんな絵里の髪を一房つまむと、そこに真っ白でふわふわなぼんぼんをつけてやった。
それはさゆみが想像した以上に可愛かった。
さゆみはとても嬉しくなってにこりと微笑む。
そんなさゆみの表情を見て絵里は不思議そうに首を傾げた。
「絵里とっても可愛いの。ほら、見て」
さゆみは傍に置いてあった手鏡を取ると絵里に向けてみせた。
絵里が鏡を覗き込むと、そこには白いふわふわのぼんぼんをつけた自分の姿が映っていた。
白いぼんぼんはとても可愛らしかった。それはとても嬉しいことだった。
絵里は思わず笑顔をこぼす。
「ふあふあついてる」
そぉっと髪に手をやってその感触を確かめると、絵里の顔には更に笑顔が咲いた。
それからさゆみの方を見ると、さゆみはそんな絵里を見て更に微笑んだ。
絵里はさゆみの笑顔を見ると安心した。幼い絵里の心が温かく満たされた。
そして、さゆみは絵里の笑顔の方が好きなのだ、それを知った。
- 455 名前:白いぼんぼん 投稿日:2005/08/25(木) 00:15
-
*
- 456 名前:王子様 投稿日:2005/08/25(木) 00:17
-
*
- 457 名前:王子様 投稿日:2005/08/25(木) 00:17
-
さゆみと絵里が共に暮らすようになって1年が過ぎる頃にはすっかり
絵里の体も成長して、さゆみと変わらぬ思春期の少女がもつ外観になっていた。
けれど、精神は外見には似つかわしくなく、まだまだ幼い二人だった。
二人の世界は甘く、幼く、木漏れ日の中でまどろんでいるような幸せな空間だった。
- 458 名前:王子様 投稿日:2005/08/25(木) 00:17
-
「私って可愛いよねぇ」
さゆみは鏡に映る自分を見て楽しそうにそんなことを口にした。
絵里は楽しそうにさゆみの背中に抱きつくと、鏡に映るさゆみを
覗き込んだ。
鏡の中にはさゆみと絵里が映っている。
「絵里の方が可愛いもーん」
「そんなことない、さゆだもん」
「絵里だもん」
「違いますぅ。さゆの方が可愛いもーん。プリティキュートだもん」
「むぅ……」
「ふふっ、さゆの勝ちぃ」
「むむぅ…」
絵里はそうやって笑うさゆみのことが嫌いではなかった。
むしろ大好きだった。
絵里との掛け合いをさゆみが楽しむように、絵里もまたさゆみの言葉と自分の言葉を
絡ませあうことに喜びを見出していた。
額をつき合わせてしばしのにらめっこに飽きると絵里は唇を尖らせながらさゆみを見る。
- 459 名前:王子様 投稿日:2005/08/25(木) 00:17
-
「ホントさゆは可愛いが好きだよね」
「うん、好きよ。可愛いものは心が弾むもの。もちろん絵里も可愛い」
「えへへ。絵里も可愛いんだぁ、えへへ」
絵里は先ほどまで尖らせていた口をでれでれと緩ませた。
「こーぉんなに可愛いから、いつか王子様がやってきてさゆと絵里を迎えにくるの」
「王子様?」
「そうだよ、王子様が白馬に乗ってやってくるの」
「…そうなの?」
さゆみは御伽噺に出てくるお姫様に自分を重ね合わせ、それは楽しそうに語る。
一方で絵里はそんなさゆみの話を聞いて、まるで胸が張り裂けそうに悲しかった。
絵里はさゆみにどこにも行って欲しくなかった。
ずっと自分の傍にいて、こうして笑っていて欲しいと思っていた。
絵里にとって王子様とはさゆみを攫っていってしまう酷く残酷で邪悪な悪魔の化身のように思えた。
- 460 名前:王子様 投稿日:2005/08/25(木) 00:18
-
「絵里は王子様なんかいらない」
「えぇ?どうして?王子様って凄く素敵だよ」
「やだ、絵里はいらないもん」
「変なの。絵里ってば。おっきなお城に、綺麗な服にキラキラした舞踏会、全部素敵じゃない」
「…そんなの全然素敵じゃないもん。そんなのいらない」
「むぅ、じゃあ絵里は何がいいの?」
さゆみは自分の理想とする世界に反抗されて少しむっとしていた。
絵里はさゆみと同じならばいつもいいと言っていたはずなのに、批判されるなどとは露ほども考えた
ことはなかったのだ。
「絵里は…さゆと一緒にずっといたいから…王子様なんていらない…」
「絵里…」
さゆみは絵里の言葉に驚いていた。
さゆみにとって絵里は一緒にいることが当たり前なのだ。
それは例え王子様がさゆみを迎えにきたとしても。
それはとても純粋な絵里の本心だった。
一点の曇りもなく疑いようもない絵里の気持ちだった。
- 461 名前:王子様 投稿日:2005/08/25(木) 00:18
-
そんな絵里の想いをさゆみは理解する。
好きだからこそ抱く嫉妬。
それはさゆみにとって心をくすぐるような新しい感覚だった。
そして、さゆみはその絵里の想いをすんなりと受け止めた。
「順番、ないよ?」
「え?」
さゆみがふわふわと笑いながら突然言い出す言葉を絵里はすぐに理解できなかった。
そんな絵理をさゆみはふわりと胸に抱き締めるとくすくす笑う。
「絵里は一番じゃないの」
「!!」
「絵里のこと可愛いって思うのも好きって思うのも一番じゃない」
「っく…さゆぅ?」
さゆみが笑いながら零す言葉は絵里にとって強烈な負のエネルギーを持つものだった。
絵里は怖かった。
絵里の世界にはさゆみしかいなくて、そのさゆみが絵里を捨ててしまうのではないかという
想像は絵里の世界に蓋がされ、おしまいを告げられるようなものだった。
絵里は体を強張らせ、さゆみの服の裾を強く掴む。
そんな絵里を不思議に思いながらさゆみは柔らかく絵里の背中を撫でた。
- 462 名前:王子様 投稿日:2005/08/25(木) 00:19
-
「絵里は絵里なの。さゆみの絵里はたった一人の絵里。誰とも何とも交換しない。
ずっとずっと絵里だけ。順番はないよ」
「じゃあ、じゃあ王子様より絵里のこと好き?」
「ん…。王子様と絵里じゃあ比べられない」
「よくわかんないよ」
「王子様がいなくてもさゆみはさゆみだけど、絵里がいないとさゆみはさゆみじゃないよ?」
「絵里がいないと…さゆはさゆじゃない?」
「うん、そう。だって絵里がいないとおかしいよ」
「絵里のこと好き?」
「好き。絵里はいるのが当たり前なの。絵里がいないと全部偽物になっちゃうよ?」
「じゃ、じゃあ…」
「どしたの、絵里?ずっと一緒だよ、さゆみと絵里は」
「一緒に、いてくれる?」
「ん?いるでしょ?絵里はずっとさゆの傍にいるでしょ?」
「うん、さゆのこと大事なの。私、凄く凄くさゆのこと大切なの」
「んふふ…絵里可愛い。さゆは、私は、ずっとここにいる。だからずっと一緒」
- 463 名前:王子様 投稿日:2005/08/25(木) 00:20
-
さゆみもまた、絵里と同様の無邪気さを持って微笑み、絵里を抱き締めた。
さゆみの抱く絵里への想いは絵里のそれよりも、もっと単純だった。
さゆみには何の迷いも不安もなかった。
ただ、絵里のことをひたすらに純粋に可愛いと思い、その思いは永遠で、今、この瞬間は
永遠に続くかのように信じきっていた。
さゆみと絵里が当たり前に隣にいて、そのことに何の疑問も抱かず、その幸福を幸福と感じる
痛みも持たず、さゆみは幸福の只中にいた。
絵里はそんなさゆみと同じように無垢なわけではなかった。
けれど、さゆみのその言葉や態度は素直に嬉しく、感動していた。
絵里は願っていた。
ずっとこんな瞬間が続けばいいのに、と。
願わなくてはならないことを知っていた絵里は、願うことすら知らないさゆみに憧れを抱く。
そして愛情を抱き、さゆみにはずっとそのままでいて欲しいと心から願った。
- 464 名前:名無し鬼畜 投稿日:2005/08/25(木) 00:40
- 更新終了です…
ぎりぎりセーフ?
気が付けば スレも 最終更新から4ヶ月…
あ゛゛゛ーーーーーーーーーー
正直、_| ̄|●<スマンカッタ
待っていてくれた方には本当に申し訳ないです
前作を上回る穴だらけの話になりそうです
なので、期待厳禁でマターリお待ち頂けると幸いです…
>>445さん
今回はさゆみんの小さい頃の話ってことで…
どうか、期待なさらずに
>>446さん
面白がって読んで頂けると嬉しいです
どうか、期待なさらずに
>>447さん
お待たせしました 申し訳ないです
次回からはもっと早く更新します
>>448さん
一気読みありがとうございます
色々な感じ方をしてくださる方がいて、書いてよかったなぁ
と、やんわりと幸せな気分に…
∋8ノノハヽ ノノハヽ8∈
从*・. 。・)( ^ヮ^*从
(つ 0 0 と)
し'⌒∪ し'⌒∪
またーりまたーり
- 465 名前:名無し飼育さん 投稿日:2005/08/25(木) 03:56
- 更新きて嬉しいです!さゆえり可愛いですね。
- 466 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/25(木) 13:45
- ochi
- 467 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/10(土) 00:24
- 永遠を感じました。
- 468 名前:ある日の名無しさん 投稿日:2005/09/11(日) 11:08
- 更新読みましたーw
同じく『永遠』という物を感じますね。。
さゆえり可愛すぎる・・。切ないけどw(ぇ
- 469 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/10/17(月) 03:38
- 切ないのに可愛くて読んでいると胸にぐっときます。
こんなに感情に訴えてくる話が書けるなんて本当にすごいです。
続きもお待ちしてます。
- 470 名前:ヒーローに 投稿日:2005/10/27(木) 23:34
-
それは些細なきっかけだった。
絵里はモニタ画面に映るアニメーションを見ていた。
筋肉質な主人公が悪の軍団と戦う非常に分かりやすい勧善懲悪の物語だ。
主人公が気合を入れながら両手を前に突き出すと、光り輝く火の玉が悪の怪獣に向かって
放たれた。そしてクラッシュ。
主人公は滅びた悪を確認すると、ふわりと空中に浮きどこかへ去って行く。
そして、アニメはエンディングを迎える。
- 471 名前:ヒーローに 投稿日:2005/10/27(木) 23:35
-
絵里はこの分かりやすい物語が好きだった。
悪はどこからどう見ても悪にしか思えず、それと戦う正義はどこから見ても正義に思えた。
絵里は世界にははっきりとした悪と正義があって、どこかに悪の軍団がいて人々を苦しめているのなら、
自分は正義になりたいと思った。
人々を苦しめる悪を打ち砕き、平和をもたらす正義の味方は絵里にとってとても輝かしくみえた。
そして、絵里は正義も悪もたった一つだと思っていた。
正義と悪ははっきりと別れ、それは決して合間見えないはずだった。
正しいことは正しいと、間違っていることは間違っていると、世界はそういう風に美しく回っている、
絵里はそう信じていた。
- 472 名前:ヒーローに 投稿日:2005/10/27(木) 23:36
-
だから、絵里は正義の味方になりたかった。
「あんな力があったら悪いやつらをやっつけられるのになぁ…。そしたら王子様なんて絶対いらない。
さゆのこと、絵里が守れるもん」
絵里はそう呟くと、テレビの中のヒーローがやったのと同じように気合を入れてから両手を空に翳した。
当然、何も起こらない。それが少し悔しくて、絵里は強く念じた。
そうすると何かが問いかけてくるような気がした。
それが絵里の内側から聞こえる声なのか、もっと別の何かなのか、それは絵里にも分からない。
けれどもその問いかけを煩わしいとは思わない。
- 473 名前:ヒーローに 投稿日:2005/10/27(木) 23:37
-
強くなりたい。
どうして?
力が欲しい?
どうして?
正義の味方になりたい?
どうして?
どうして?
そんなの世界の平和を守りたいからに決まってる。
どうして?
だってさゆみがいるから。さゆみを守りたいから、傍にいたいからに決まってる。
どうして?守るために力がいるのはどうして?
だって、負けてしまう。砕かれてしまう。力がなければ、弱ければ、悪の力に潰されてしまう。
強くなければ、力がなければ、さゆみは…さゆみはいつか…きっと王子様のところへ行ってしまう。
力を持った王子様に。さゆみを惹きつける力を持った王子様に。
だから、だから、強くなりたい。力が欲しい。
どうして?
さゆみが欲しい。
どうして?
そんなの!
どうして?
さゆみ以外何もないじゃない!
- 474 名前:ヒーローに 投稿日:2005/10/27(木) 23:38
-
さゆみが欲しい、その直情的な想いを絵里自身の中で確定した瞬間、絵里の中の何かが弾けたような気がした。
すると、絵里の掌から青白い光が浮かび上がってくる。
絵里は自分から発せられるその光に驚き目を丸くした。
「な、何これ?えぇ?」
あたふたと絵里が自身の掌を見つめていると、光はすぅっと煙のように消えていった。
絵里は驚きながらもう一度じっと掌を見るが、それはいつもの掌と変わりない。
恐る恐る先ほどと同じように力を入れて掌を空に翳してみる。
すると、やはり青白い光が掌から浮かび上がってくる。
「これって…一体…」
ゆっくりと翳した掌を胸の前に持ってくる。
やはり光は消えない。
息を吹きかけてみても、両手を振ってみても光は消えなかった。
絵里はそのまま窓辺へ行くと、空いた窓から庭に落ちているコンクリートブロックを見つけた。
もしかしたらこれは必殺技みたいなものかもしれない、そう絵里は考えた。
光の球をコンクリートブロックの方向へ放るように手を動かした。
けれど、光の球は依然として、絵里の掌に納まったままだった。
- 475 名前:ヒーローに 投稿日:2005/10/27(木) 23:38
-
「何だ…やっぱりダメかぁ」
絵里が意気消沈すると、それに呼応するように光は小さくなっていく。
もしかして、この光って気持ちに反応してる?
絵里はふと閃くと、再び気合を入れた。
すると光は大きさを取り戻してくる。
「やっぱりそうかも…」
絵里は呟くと、先ほど目をつけたコンクリートブロックを強く見つめた。
そして、強く念じる。
当たれ。当たれ。当たれ。当たれ。当たれ。
「当たれっ!」
思わず口に出した瞬間、光の球は絵里の手を離れふわふわと空中を浮かびながらブロックの真上
まで移動した。そして、光がブロックを翳すとその動きを止めた。
- 476 名前:ヒーローに 投稿日:2005/10/27(木) 23:39
-
「あ、当たった…のかな?」
絵里が様子を伺うようにその光景を見つめていると、少しずつではあるが、微妙な変化に気が付いた。
ブロックの光で翳されている部分が消失しているのだ。
絵里はゴクリと唾を飲み込むと、更にグッと気合を入れた。
光はそれに反応してさらに大きくなる。そして、コンクリートブロックを包むほどの大きさになった。
その瞬間、ブロックは音を立てずに光の球と共に光の霧を放ちながら消え去った。
全く、跡形もなく消え去った。
絵里は俄かにその光景が信じがたかった。
何度瞬きをしても、頬をつねっても、頭を振っても、その光景が変わることはなかった。
コンクリートブロックは光に包まれて消えたのだ。
しかも、絵里の掌から放たれた光の球によって。
「うそ、うそっ、うそぉ!!でもホント?…さゆっ!さゆっ!!!」
絵里は驚嘆の声を上げながら昼寝をするさゆみの元へ駆け寄った。
興奮しながら、さゆみに先ほどのことを告げるが、さゆみは眠そうに目をこすってあくびを一つすると、
「んぅ?絵里寝ぼけてるの?」
そう言って、絵里の頭を2度撫でてからまた布団に潜ってしまった。
「違うの、さゆ。ホントなんだよ」
絵里は何度もさゆみをゆさぶるがさゆみは小さく唸るだけで起きようとしなかった。
仕方がないので絵里はさゆみが起きるまで一人で先ほどのことを確認しようと思った。
- 477 名前:ヒーローに 投稿日:2005/10/27(木) 23:40
-
その間に、絵里はもう一つの発見をした。
それはとても心躍る、素敵な発見だった。
それは正義の味方には欠かせないことだったから。
これで、本当に正義の味方になれるかもしれない。
絵里の心は期待と希望で溢れていた。
2時間後、さゆみが目を覚まして最初に目にしたのは、宙に浮いてあぐらをかく絵里の姿だった。
- 478 名前:ヒーローに 投稿日:2005/10/27(木) 23:40
-
*
- 479 名前:ヒーローに 投稿日:2005/10/27(木) 23:40
-
*
- 480 名前:はじめてのともだち 投稿日:2005/10/27(木) 23:42
-
絵里は宙に浮く能力を3日も経つと自在に使いこなすことができるようになっていた。
浮かびたいと強く念じればその通りに浮かんだし、そのまま進みたいと念じればやはり進むことができた。
けれど、それは酷く集中力を必要とすることで、浮かんでいる間は浮かぶことにしか神経を集中できず、
他の作業をすることも考えることもできなかった。
絵里にとってそのことは大して問題ではなかった。
飛ぶときに他の事を考える必要もなかったし、何かしなくてはいけないこともなかった。
純粋に絵里は日がな一日、空を飛ぶということにだけ神経を集中させ、訓練を行った。
それはすぐに効果を示し、3日目の終わりには自在に宙を飛び回ることができるようになった。
最初こそさゆみは興味津々で絵里が浮かぶところを見ていたのだが、それが長く続くと
飽きやすいさゆみはすぐにつまらなそうにいじけだす。
そんなさゆみを絵里はなだめすかしながら、ある晩家を抜け出した。
夜の街を散歩してみたいと思ったのだ。
さゆみを置いて一人で行くことに少しの罪悪感はあった。
しかし、それ以上の好奇心が絵里の足を外へと向ける。
- 481 名前:はじめてのともだち 投稿日:2005/10/27(木) 23:43
-
ほとんど外に出たことのない絵里にとって、外の世界はとても眩しかった。
ビルの上に座り込んで見下ろすネオンライトはあまりにも煌びやかで、絵里は
光に飲み込まれそうな錯覚を覚え、そっと目を閉じた。
そこで聞こえる音はとてもざわざわとした不快な音だった。
さゆみといる世界とは全く違う、似ても似つかない雑音だった。
途端に絵里はさゆみに会いたいと思う。
さゆみの鼓動を、匂いを、温もりを強く感じたい、発作的にそう思った。
絵里はいてもたってもいられず、何か強い不安にせきたてられるように立ち上がると
ふわりと高度を上げ、元きた道を引き返そうと振り返る。
その時、不意に絵里の耳に小さな泣き声が響いた。
それは本当に小さな小さな声だったのだけれど、やけにちりちりと絵里の胸を焦がす
不安気な声だった。
- 482 名前:はじめてのともだち 投稿日:2005/10/27(木) 23:43
-
「誰…?」
絵里はぽつんと呟くと、その声を聞き取ろうと耳を澄ます。
小さな泣き声は誰を呼ぶでもなく、ただ、泣いていた。
絵里はその声をどこかで聞いたことがあるように感じる。
どこか遠くで、思い出せないほど遠くでその声を聞いたように思う。
絵里は引き寄せられるようにその声がする方へ足を進めた。
声はどんどんと大きくなっていった。絵里が辿り着いたのは高級マンションの最上階
の一室と繋がる小さな窓だった。
絵里は少し緊張しながら、窓に近づくと、そっと中を覗き見た。
窓には鉄格子が備え付けられ、隙間から見える部屋の中は真っ赤な絨毯が敷き詰められていた。
奥の方にはとても大きなベッドが見え、その上に絵里と同じような背格好をした少女が
ぼんやりと空を見つめて佇んでいた。
- 483 名前:はじめてのともだち 投稿日:2005/10/27(木) 23:43
-
「泣き声…あの子…?」
絵里は拳を作ると、窓ガラスとコンコンと叩いてみる。
しかし、少女は聞こえていないように相変わらずぼんやりと空を見ている。
もう一度絵里は先ほどより強めに窓ガラスを叩く。
すると、ピクリと反応した少女がゆっくりと窓の方を見た。
絵里は目が合った少女に微笑みかけると、大きなジェスチャーで手招きをした。
幻を見ているかのような目をしていた少女はしばらく絵里を見つめると、そろそろと
立ち上がり、ゆっくりと窓に近づいてきた。
そして窓越しに絵里の姿をしっかりと確認すると、驚いた表情をして窓の上側だけを
僅かに開いた。
- 484 名前:はじめてのともだち 投稿日:2005/10/27(木) 23:44
-
「こんにちは」
「こ、こんにちは」
「ね、泣いてたでしょ?」
「え?」
「聞こえたんだけど…違ったのかな?泣き声、聞こえた」
「あ、あなた…誰?どうしてこんな高いところに?」
「私、絵里って言うんだ。散歩してたらね、泣き声聞こえた。凄く悲しそうだったよ。
今まで聞いたことないような声だったからきちゃったんだ」
「散歩って…あなた、もしかして空を飛べるの?」
「えへへ。うん。こないだ飛べるようになった」
「す、凄い!!凄いね!!あ、あの、あのね」
「ね、この窓もっと開かないの?中に入れて欲しいな」
「あ…ごめんなさい。これ以上は無理なんだ…。この部屋にはこの窓しかないし、
私はこの部屋から出ることができないの。折角きてくれたのにちゃんと歓迎してあげ
られないね」
少女は酷く悲しそうにがっくりとうな垂れた。
絵里はそんな様子を見て、心に罪悪感がわきあがってくるのを感じた。
- 485 名前:はじめてのともだち 投稿日:2005/10/27(木) 23:53
-
「そっかぁ。別にいいんだ。ここでもお話できるし」
「ほ、ホント?こんなとこにいるけどお友達になってくれる?」
「友達…?」
「う、うん。友達」
「ともだち、ともだち、かぁ。うん、なる!絵里、友達って初めて!」
「わ、私もだよ!私も友達初めて」
少女は先ほどの悲しそうな雰囲気から一転して酷く嬉しそうな顔をして、鉄格子を握り
ながら身を乗り出した。
絵里はそんな少女の様子を見ているととても嬉しい気持ちがしていた。
さゆみとは全く違う、友達、という存在。
絵里にはその言葉の響きさえもとても輝いているような気がした。
- 486 名前:はじめてのともだち 投稿日:2005/10/27(木) 23:54
-
「名前、なんていうの?」
「なまえ…なまえは……」
「?どしたの?」
「ない。名前、ないんだ。いつも12とか…12番とか、そんなふうにしか呼ばれたことなくて」
「へぇ…そうなんだぁ…名前ないんだぁ。じゃあ、絵里がつけてもいい?」
「え!?名前…くれるの?」
「うん、いいかな?」
「もちろんだよっ」
「うーんと…ねぇ、誕生日っていつ?」
「誕生日…分かんない」
「え?誕生日知らないの?お祝いとかしない?」
「うん…皆は、お祝いをするの?」
「あ、ううん。絵里も皆っていうか他の人のこと分かんないから。よく知らないや。
でもね、お祝いとかすると楽しいんだよ!やったことないなら今度絵里がしてあげる!
そうだよ、一緒にお祝いしたら楽しいよ」
「お祝い…一緒に?」
「うん。だからさお誕生日、ないとね」
「あのね…覚えてるのはね、ピンクのお花がたくさん咲いてる日にね、ここにきたこと」
「じゃあ、きっと春だね。そしたら、小春っていうのはどう?」
「こ、は、る?」
「うん。ちっちゃいはるで小春。可愛いよ。そんで、誕生日は…」
「嬉しい…私、凄く凄く嬉しい。こはる、こはるかぁ」
「えへへ、気に入ってくれたんだ」
「うん、うん」
「じゃあ、誕生日は今日でいいかぁ。小春の誕生日は今日にしちゃおう!
あ、でもそれじゃいきなりだからお祝いできないなぁ」
「いいよ!今日でいいよ!お祝い、してもらったよ。だって名前、くれたもん」
- 487 名前:はじめてのともだち 投稿日:2005/10/27(木) 23:54
-
小春、という名を得た少女は小さく何度も何度も頷いた。
本当に心底嬉しそうに。
絵里は僅かに空いた窓の隙間から手を入れると小春の手をそっと触った。
小さいけれど暖かい手だった。
二人はしばらく微笑み合いながら見つめ合っていた。
しばらくそうしていると、どこか違うところから、大きなダミ声が聞こえてくる。
「あっ、もう、今日は帰って」
小春はどこか焦ったような調子で後ろを気にしながら絵里から手を離した。
「何かあるの?」
「う、うん…。急いで帰って。絵里、私、凄く嬉しかった」
「そっか、じゃあ仕方ないね。絵里も小春に会えて嬉しいよ」
「また…また会えるよね?」
「もちろん!すぐにでも会いに行くよぉ」
「うん、私、待ってる。絵里のこと、待ってる」
「えへへ。じゃあ今日は帰るね!またね!」
小春は一瞬、寂しそうな目をしたが、すぐに笑顔を作ってその手を小さく振った。
絵里は宙を駆けながら何度か、小春と会話をした窓の方を振り返った。
初めてできた友達。とても素敵な響きだった。
そして、今起こった出来事を早くさゆみにも教えてあげよう、そう思った。
絵里は急ぎ足で帰り道を駆けた。
- 488 名前:はじめてのともだち 投稿日:2005/10/27(木) 23:55
-
*
- 489 名前:はじめてのともだち 投稿日:2005/10/27(木) 23:55
-
家に戻るとさゆみはやたらに不機嫌で絵里を見ようともしない。
絵里はそんなさゆみのご機嫌をとるように甘えてみるが、さゆみは一層頬を膨らますと
ぷいっと明後日の方向を向いてしまう。
そんなことを何度か繰り返すうちに絵里も何だか腹が立ってきて、さゆみに背を向けた。
折角楽しく話そうと思っていたのに…、絵里は怒りがこみ上げるとともに寂しさを感じていた。
それでも自分から折れて謝るのは何となく癪で、絵里はさゆみの方をちらりと見ると、
まだ膨れているその横顔に意地悪を言ってやりたくなった。
- 490 名前:はじめてのともだち 投稿日:2005/10/27(木) 23:56
-
「じゃあいいもん。さゆがそんな態度とるなら私、また一人で行くからねー」
「こういう態度取らなくっても絵里は一人で行っちゃうくせに!」
「さゆの我侭!」
「絵里の自分勝手!」
やっぱり言い合いになってしまった二人はまた顔を背けあう。
そして、絵里はもやもやする不満な気持ちを持て余したまま、乱暴に窓を開けて
外に飛び出した。
後ろの方から
「絵里のばかっ!」
そんなさゆみの声が聞こえていたが、絵里は足を止めなかった。
- 491 名前:はじめてのともだち 投稿日:2005/10/27(木) 23:56
-
絵里は楽しいことや嬉しいこと、悲しいことも辛いこともさゆみと共有したいと思っていた。
そして、それはしなければならないことだし、当然のことだとも思っていた。
なのにさゆみは拒む。
絵里の言葉を聴こうともしない。
そのことは絵里の胸をもやもやと霧で覆うように霞ませた。
絵里は少し分からなくなってしまう。
さゆみが好きなのに。さゆみに分かって欲しいのに。さゆみは知らなければならないはずなのに。
なのに何故?
何が何故なのか少し分からなくなってしまう。
絵里は持て余した気持ちに蓋をするように頭を一つ振ると、真っ直ぐに小春の居るマンションへと向かった。
昨日の今日だから小春は迷惑するだろうか?
いや、あんなに会えたことを喜んでくれたのだから、きっとまた喜んでくれるに違いない。
絵里はそう考えると、昨日と同じように小さな窓から部屋の中を覗き見た。
小春は今日もベッドの上でぼんやりしているのだろうか…。
そんなふうに考えていた絵里の思考は一気に停止した。
絵里の目に飛び込んでくる光景は絵里に驚きを恐怖をもたらした。
- 492 名前:はじめてのともだち 投稿日:2005/10/27(木) 23:57
-
気がつくと、絵里は逃げ出していた。
呼吸が短く荒くなり、吐き気がした。
あれはなんだ、あれはなんだ、あれはなんだ?
あれは、小春だ?
- 493 名前:はじめてのともだち 投稿日:2005/10/27(木) 23:58
-
目の当たりにした事実が小春に起こっているという真実、それは絵里に恐ろしいほどの衝撃を与えた。
むき出しの肌を晒した小春の上に圧し掛かる巨躯。
綺麗ではない背中。綺麗なはずの小春の顔。
上下に移動する背中の奥に虚空を見つめる小春の瞳。
ゆっくりと焦点を合わせ小春の瞳が絵里の瞳を捉えた時、小春の心が叫びを上げた。
声にならない声が聞こえる。絵里の心にダイレクトに襲い掛かる小春の叫び。
絵里の周囲の空気が振動している気がした。
絵里の心臓が捻りあげられている気がした。
- 494 名前:はじめてのともだち 投稿日:2005/10/27(木) 23:58
-
助けて!
- 495 名前:はじめてのともだち 投稿日:2005/10/27(木) 23:58
-
ストレートな叫び。ただそれだけのシンプルな言葉が絵里に一斉に飛び掛る。
縋るような、救いを見出したような、それでいて諦めきったような小春の瞳が絵里を離さないで、
助けて、と訴える。
けれど絵里は小春を助けることなどできなかった。
ただ、絵里はその場から逃げ出すことしかできなかった。
そして、目を逸らすことしか考えられなかった。
絵里は恐ろしかった。小春という少女に襲い掛かっている事実。
自分が逃げ出してきたという事実。
弱虫の自分、ずるい自分、正義の味方になんてなれやしなかった自分。
ただ、逃げ出しただけの、そんな自分。
小春は助けて、と言ったのに。絵里の目を見つめて言ったのに。
- 496 名前:はじめてのともだち 投稿日:2005/10/27(木) 23:59
-
絵里は大慌てで家に逃げ帰ると、さゆみに飛びついた。
ぶるぶると震えながら、さゆみの胸に顔をこすりつけると、次第に嗚咽が漏れてきた。
震えながら泣きじゃくる絵里を胸にさゆみはしばらく困惑していたが、そっと
絵里の背中に手をおくとゆっくりと撫で始めた。
それを感じると、絵里は一層大きく泣いた。
さゆみは何も言わずにただ絵里の背中を撫でていた。
そんなさゆみの温もりを感じながら、絵里の脳裏には小春の叫びが焼け付いて離れない。
今、この瞬間、自分がさゆみに甘え泣きついている瞬間、小春は一体どんな気持ちでいる
のだろうか。
そんなことを考えると絵里は気がおかしくなりそうだった。
- 497 名前:はじめてのともだち 投稿日:2005/10/27(木) 23:59
-
「大丈夫よ、絵里。大丈夫」
さゆみのふわふわした声が混乱する絵里の耳に飛び込んできた。
その音は絵里の体の中をじんわりと暖めるように広がっていった。
小春の泣き声は遠くへ行ってしまうような気がした。
それは絵里にとって安堵をもたらした。
小春に申し訳ないと思いんがら、絵里はさゆみの優しい温もりに身を委ねていった。
遠くで小春の泣き声が聞こえる。
それは次第に自分の泣き声に重なっていく。
そして、とうとう絵里自身の声しか聞こえなくなった頃、絵里はやっと安心して眠りについた。
- 498 名前:はじめてのともだち 投稿日:2005/10/28(金) 00:00
-
*
- 499 名前:はじめてのともだち 投稿日:2005/10/28(金) 00:00
-
*
- 500 名前:わがまま 投稿日:2005/10/28(金) 00:14
-
「さゆのこと全然構ってくれない!」
「さゆぅ…そんなことないよ」
「あるよ。だって、絵里どっか外に行ってばっかりじゃない。さゆのことは
連れてってくれないじゃない」
「それは…そうだけど…でも、さゆはいいんだよ」
「むぅ…。何がいいの?」
「ん…と…さゆは知らなくていいの」
「全然分かんない。絵里ずるい」
- 501 名前:わがまま 投稿日:2005/10/28(金) 00:15
-
さゆみは怒っていた。
絵里は力をある程度使いこなせるようになると、さゆみを置いて一人で出かける
ことが多くなっていたのだ。
そして、さゆみはそれを不満に感じていた。
絵里が泣きじゃくりながら帰ってきてから数日は家でしょんぼりと大人しくしていたのに
しばらく経つとまた絵里はこっそりと抜け出すようになる。
最初こそ軽く拗ねたり、一緒に連れていけと甘えてみたものの、絵里は一向にさゆみを連れていこうとはしない。
それどころか、さゆみに見つからないようにこっそりと出て行こうとするのだ。
それがさゆみは酷く気に入らなかった。
まるで分身のように何でも共有してきたはずなのに、絵里は何の断りもなしに一人だけの秘密を作ろうとする。
さゆみの世界と絵里の世界は一つであったはずなのに、それが分断されようとしている。
さゆみはそう感じた。
さゆみはそれを認めるわけにはいかなかった。
そこに理屈はなく、またさゆみは理屈が必要だとも思わない。
ただ、さゆみの感情が絵里と分断されることを望んでいないのだ。
- 502 名前:わがまま 投稿日:2005/10/28(金) 00:15
-
「絵里は楽しいこと独り占めしたいんだ…だからさゆにはナイショにするんだ」
「違うよ、さゆ。それは違うよ。ただ…」
「ただ、なぁに?」
「さゆは綺麗で可愛いからそのままでいて欲しいの」
「…そりゃ可愛いけど…意味が分かんない」
さゆみはぶぅっと頬を膨らますとずいっと絵里に顔を寄せた。
「とにかく、次は一緒に連れていって。そうじゃないと…」
「そ、それはダメ。一緒に行くのはダメ。さゆは一緒に連れてかない」
「何で何で何で!?絵里生意気!」
「生意気でもいいもん。ダメだからダメ」
「うぅ〜、絵里のばかっ!絵里なんて嫌いだもん。さゆに隠し事する絵里なんて嫌い!」
「さゆ…」
- 503 名前:わがまま 投稿日:2005/10/28(金) 00:16
-
絵里はさゆみの嫌いという言葉に傷付いた顔をして、恐る恐るさゆみの肩に手を
かけようとした。
しかし、さゆみはその絵里の手をぱしっとはらってしまう。
「絵里のばか」
さゆみはそう言うと、腕を胸のところで組んでぷいっと顔を背ける。
絵里はすっかり困ってしまい、どうしたものかと眉根を寄せてさゆみの顔をじっと見た。
絵里はさゆみのことがとても好きだったから、さゆみに嫌いと言われることは胸が
張り裂けそうに悲しかった。
さゆみから拒絶されることは絵里の心を大きく乱す。
- 504 名前:わがまま 投稿日:2005/10/28(金) 00:16
-
「さゆに…嫌われるの…」
絵里は震えた声でポツリと喋りだした。
その声のトーンにさゆみは驚いた。
さゆみが絵里の方を見ると、絵里は目に涙を溜めて何かをこらえるような顔をしていた。
もうずっと絵里の泣いているところを見た記憶のなかったさゆみはとても衝撃をうけた。
絵里の涙はさゆの胸を揺さぶった。痛みを伴う揺さぶりだった。
それはとても懐かしい感覚だった。
まだ、とても幼かった自分たちのことを思い出す。
けれど、さゆみはあの頃のように素直に絵里の涙だけで絵里を許すわけにはいかなかった。
さゆみはあの頃よりも色々なことを知り、単純には解きほぐせない感情の畝りを身に
付けてしまっていたから。
- 505 名前:わがまま 投稿日:2005/10/28(金) 00:16
-
「な、泣いたって…だめなんだから…」
さゆみは絵里の顔を見ないように小さい声で言った。
とても強くは言えなかった。けれど許すこともできなかった。
「絵里のこと嫌いなの?」
「嫌い嫌い。秘密にする絵里なんて嫌いだもん」
「秘密…でも、さゆは知ったら…哀しいと思うもの。さゆは綺麗や可愛いが似合うもん」
「絵里の言ってること良く分かんないよ」
「分からない方がいいよ、さゆは…」
「どうしてそう言うふうに言うの?絵里変!前はそんなこと言わなかった」
「だって、でも…」
「もぉ、いいよ。そんな絵里はもうやだ。一人でどこへでも行けばいいんだよ、さゆのこと
なんて置いてけばいいんだ」
- 506 名前:わがまま 投稿日:2005/10/28(金) 00:17
-
さゆみは自分で言いながら、酷くわがままで醜いなと感じていた。
それでも言葉は止まらなかった。
ほんの少し本心でどこへでも行けばいいと思った。
残りの大半はただ、絵里の関心を惹きたいだけの癇癪だった。
それは自己嫌悪をさゆみに与え、だから尚更さゆみをイラつかせた。
絵里はそんなさゆみを見て、唇を噛み締めて下を向いてしまう。
絵里のそういう態度もさゆみをイライラさせる。
いつも一緒だったのに、どうして突然さゆみを突き放すようなことをするのか、
さゆみには絵里の行動が理解できなかった。
まるで、自分はいらないといわれているようでとても嫌な気持ちがした。
そして、とても哀しかった。
けれどさゆみは哀しみよりも怒りで気持ちを表現していた。
それはさゆみの独占欲だった。強い強い独占欲だった。
- 507 名前:わがまま 投稿日:2005/10/28(金) 00:18
-
絵里はしょんぼりと肩を落とし、俯きながら腕につけているゴムをいじっていた。
それは、幼い頃にさゆみが絵里にあげた白いぼんぼんのついたゴムだった。
さゆみが絵里の髪に飾り付けてあげた時から絵里が肌身離さず持っていたゴムだった。
さゆみは何故だか、その絵里の仕草を見るとかっと頭に血が昇ってしまった。
自分を一番にしてくれないくせに、そんなもの大切にして!
さゆみは絵里の手首をぐっと掴むと、そのゴムをぐいっと引っ張って取り上げた。
あんまり強く引っ張ったものだから古いゴムはぷちっと音を立てて切れてしまう。
「あっ」
絵里は小さく悲鳴を上げるがさゆみはそんなことには構わずにぐっとゴムを握り締めて
絵里を睨みつけた。
- 508 名前:わがまま 投稿日:2005/10/28(金) 00:19
-
「ばっかみたいだよ。こんな古いの大事にしちゃって。こんなの全然可愛くないっ。
ばっかみたいばっかみたい。こんなの、こんなのばっかみたい」
さゆみは自分でも気が付かないうちに涙を零していた。
涙はぽろぽろぽろぽろと止まらずに流れ落ちてくる。
その涙は、さゆみが流した初めての涙だった。
絵里はその光景を見て、ただ呆然と立ち尽くしていた。
言葉の一言も零れてはこなかった。
さゆみの涙は絵里にとって激しい衝撃だった。
「さゆのことなんてどうでもいいくせに、こんなの大事にして…絵里なんて…嫌い…」
さゆみは握っていたゴムをパシッと床に投げつけると、逃げるように絵里に背を向けて
ベッドにもぐりこんだ。
そして、その中で自分では理由の分からない涙を零した。
絵里は床に落ちたゴムをそっと拾い上げポケットにしまうと、震える足でさゆみに近づいた。
- 509 名前:わがまま 投稿日:2005/10/28(金) 00:19
-
「さゆ、さゆぅ…」
絵里の声は震えていた。
さゆみに嫌われたかもしれないこと、しかもさゆみが涙を零したこと。
それは絵里にとって何よりもショックなことだった。
絵里にとってさゆみは何者にも代え難い宝物だったのだ。
いつも傍にいたさゆみは絵里のスタートでありゴールだった。
絵里はさゆみから始まりさゆみで終わるのだ。
絵里の頭に知識だけは人並み以上に蓄積されていたが、さゆみに対する精神は
それと全くそぐわないほど幼かった。
絵里は何よりもさゆみがいなくなることが怖かった。
さゆみはただ一人絵里を必要としてくれる人だと思っていたから。
- 510 名前:わがまま 投稿日:2005/10/28(金) 00:23
-
絵里はそっとさゆみのいるベッドに近づくと、その淵に腰掛けた。
さゆみは布団に潜ったまま出てこようとしない。
それが絵里はとても寂しいと思い、同時にどうしようもなく困っていた。
絵里はこういう時になんとさゆみに声をかけていいのかさっぱり分からなかったのだ。
さゆみが絵里の顔を見て、笑ってくれればいいのに、そう思いながら頭の中に詰め込んだ
知識を回転させながらその言葉を探す。
けれど、どんな読み物の中に出てきた言葉も今のさゆみにかけるにはそぐわない気がする。
物語の文章をなぞっただけの言葉はどんなに美しくても、可愛らしくてもさゆみは喜ばないような
気がしていた。
さゆみは何時だって本を読むよりも映像を見るよりも、直接肌に触れて実感のあるものを好んでいたから。
ふと、絵里は澄んだ青空と同じ色をした美しい海のことを思い出した。
テレビや写真で見た海は青く、美しかった。
明るくて、楽しくて、暖かそうだった。
そこはさゆみが好みそうなロマンチックな場所になるかもしれない、絵里はそう思った。
- 511 名前:わがまま 投稿日:2005/10/28(金) 00:23
-
「海を…見に行こう」
絵里はぽつりと言葉を漏らす。
けれどさゆみは出てこない。
「綺麗な色の海を一緒に見に行こう?」
「海…?」
「海。さゆと絵里で」
「一緒に…海を見る…。どんな海?」
さゆみは布団から顔を少しだけ出した。
その目はまだ少し濡れていたけれど、絵理のことをしっかりと捉えている。
「きっとさゆは好きだよ。キラキラしてて宝石みたいだもん」
「キラキラした海…素敵な響きね」
「うん、二人で見たらすごく素敵だと思う」
「そうね。うん、そうね。絵里とさゆの二人で見るのはとても素敵ね。何倍も楽しくて嬉しいのね」
さゆみはもう泣いていなかった。
布団からすっかり顔を出してにっこりと笑う。
その頬には涙の筋がいくつもあったけれど、絵里にとってそれは問題でなかった。
さゆみが微笑んだことは絵里に大きな安堵をもたらした。
さゆみは絵里が自分に関心を向けたことが嬉しかった。
- 512 名前:わがまま 投稿日:2005/10/28(金) 00:24
-
「さゆは絵里のこと嫌い?」
絵里は勇気を振り絞って聞いてみる。
さゆみは少し首を傾げて不思議そうに絵里を見た。
それからふんわりと笑うと、絵里の頭を優しく撫でる。
「さゆは絵里のこと嫌いなわけないの。あ、でもさゆを泣かす絵里は嫌いよ」
「じゃあ泣かさない。約束するよ」
「絵里、可愛いね。だから絵里が好きなのね。さゆは絵里が好き。だってとってもいい気分になるの」
「えへへ。さゆは絵里のこと好き。えへ」
絵里は心底嬉しそうに笑うとさゆみの隣に潜り込んだ。
そこはとても温かく、さゆみの匂いがした。
絵里は何故だか少しだけ涙が零れそうになって慌てて鼻をすする真似をしてこらえた。
さゆみはそんな絵里の頭を優しく撫でていた。
- 513 名前:わがまま 投稿日:2005/10/28(金) 00:24
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*
- 514 名前:わがまま 投稿日:2005/10/28(金) 00:24
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*
- 515 名前:幸せの海 投稿日:2005/10/28(金) 00:26
-
きこきこと音を立てながらさゆみは自転車を漕いでいる。
後ろの荷台では跨ぐようにして絵里が座り、さゆみの肩に手をかけている。
「絵里ぃ」
「なぁにぃ?」
「もう疲れたよ。交代してよ」
「えー、もう?まだ30分もたってないよ」
「だってさゆ可愛いから」
「関係ないじゃんか。もうちょっと頑張ってよ」
「えー…、もうしんどいよ」
「そんなこと言わないでさ。ほら、頑張れ頑張れさーゆー」
「そんなエールいらないから代わってよー」
- 516 名前:幸せの海 投稿日:2005/10/28(金) 00:26
-
さゆみはペダルを漕ぐ足を止めると、さゆみの肩をぽんぽんと軽く叩く絵里の方へ振り返った。
絵里はにこにこと笑いながらさゆみを見ている。
そんな絵里を少し唇を尖らせてさゆみはじと目で睨んでみる。
自転車は恐らくさゆみの父親の物だった。
庭にぽつんと置かれたそれは特に手入れされているわけでもなかったが、特に汚れてもいなかった。
さゆみがはしゃぎながら自転車に乗りたいと提案したため、二人は一台の自転車を交代で漕ぐことを
条件に海までの道のりを自転車で行くことにしたのだ。
さゆみと絵里の家から海まではさほど遠くない。絵里が地図で調べたところによればおよそ5,6キロ
といった具合だった。
単調な広い一本道をまっすぐに進めばつく予定なのだ。
- 517 名前:幸せの海 投稿日:2005/10/28(金) 00:27
-
「大体さぁ絵里が言い出したんだよ、海行こうって」
「うん、そうだよぉ」
「じゃあじゃあ!絵里が漕ぐべきじゃない?」
「なんで?」
「なんで?って!言い出しっぺがやるもんだもん」
「そんなこと決まってないもーん」
「…じゃあ今からさゆが決める。絵里が言い出したから絵里が漕ぐの!」
「もうちょっと頑張ってよ〜。もうすぐだから」
「ぶぅ…」
さらに抗議の声をあげようとしたさゆみはふと言葉を詰まらせる。
さゆみの腰に手を回した絵里がその頭をそっとさゆみの背中に預けたからだった。
その感触はとても温かく柔らかかった。
それはとても嬉しい感覚で、さゆみはもう少し絵里の体温を感じていたいと思った。
だから、ほんの少しの間だけさゆみは黙って自転車を漕いだ。
- 518 名前:幸せの海 投稿日:2005/10/28(金) 00:27
-
きこきこと自転車のペダルが回転する音。
背中から伝わる絵里の体温。
腰に回された絵里の手の温もりと柔らかさ。
それらをさゆみはとても愛おしいと思う。
平坦な道が終わり緩やかな坂に差し掛かるとさゆみはさすがにしんどくなって足を止めた。
すると、絵里は荷台から降り、
「さゆ、交代しよ」
そう笑いかけた。
さゆみは無言で絵里にサドルを明け渡し、絵里がサドルに跨るのを確認してから荷台に腰を下ろした。
絵里はゆっくりとペダルを漕ぎ出す。
- 519 名前:幸せの海 投稿日:2005/10/28(金) 00:27
-
「疲れたの…」
「うん。ありがと。だから交代」
「なんかムカツク。あんなにさゆが交代してって言ったのに」
「だから交代したじゃん」
「今更、って感じするもん」
「さゆは我侭」
「絵里が我侭なの」
さゆみは先ほどまで絵里がしていたように、絵里の背中に自分の頭を預けながらくすくすと笑った。
それにつられるように絵里もくすくすと笑い声をあげる。
絵里の背中はやはり柔らかく温かかった。
それから絵里の匂いがした。
- 520 名前:幸せの海 投稿日:2005/10/28(金) 00:27
-
「あぁ…」
「見えてきたぁ」
出発してからたっぷり40分は自転車を漕ぎ、緩やかな坂がおしまいに近づくと、
さゆみと絵里の目には坂の下に拡がる海が広がった。
綺麗な青い海だった。地平線の上にひろがる青い空と白い雲。
大きく広がる青い海。まるで絵に描いたような海。
さゆみと絵里が初めて見る海。
「綺麗…」
二人の耳に同時に同じ音が響く。
どちらが言ったのか分からなかった。
どちらも言ったのかもしれない。もしかしたらどちらも言わなかったのかもしれない。
それは二人にとって大した問題ではなかった。
確かに海は二人の「綺麗」だった。
- 521 名前:幸せの海 投稿日:2005/10/28(金) 00:28
-
自転車を海岸の入り口に停めると、二人は砂浜に足を踏み入れる。
少し柔らかく、沈んでいくような感覚に足を捉われる。
それは初めての体験だった。
「足の裏が沈んでいくみたい…」
「不思議だね」
「うん。不思議だね」
二人はどちらともなく手を繋ぐとそろそろと海辺に近づいた。
波は二人の足を優しく濡らしては引いていく。
「うわっ、結構冷たいね」
「うん、変な感じ」
「でも、さっきいっぱい運動して暑かったから気持ちいいかも」
二人は小さくはしゃぎながら押しては返す波打ち際で顔を見合わせた。
絵里の目にはさゆみしか映っていない。
さゆみの目には絵里しか映っていない。
そのことは二人の心を十分に満たすことだった。
二人の世界はやはり同じであり、共有されたものなのだ、と実感していた。
だから絵里はすっかりさゆみに話してしまおうと思う。
- 522 名前:幸せの海 投稿日:2005/10/28(金) 00:29
-
「あのね、私、見たんだ。とても可哀想な子を」
「可哀想な子?」
「うん。泣いて帰ってきた日があったでしょ?あの時ね、とっても悲しい子を見たんだよ」
「悲しい子?」
「泣いてる声が聞こえたの。小さい声が。だからそこへ行ったみたんだ。そしたら小さな窓から
女の子が泣いてるのが見えた。絵里たちと同じくらいの背格好だったの。その子ね、友達になろう
って言ったんだ。だからね、友達になった」
「ふぅん…絵里は勝手に友達作ったんだ」
「違うよ!絵里の友達はさゆの友達だよ。だから小春は絵里とさゆの友達だよ。私たちの初めての
友達だよ」
「小春、って言うの?」
「うん。花がたくさん咲いてることしか覚えてないって言うから名前は小春にしたよ」
「いいね、とても可愛いのね」
「でしょう?さゆならきっと気に入ると思った」
「うん。すごく可愛い」
「それでね、その子にもう一度会いに行ったんだ。だって友達なんだからさまた会いに行っても
いいと思ったんだもの。でもね、ちゃんと会えなかった。お話もできなかった。小春泣いてた。
酷く悲しくて暗くて痛い声だった。窓の向こう側で大きな男に押しつぶされて小春は泣いてたんだ。
驚いて、怖くて、小春の声が、絵里に響いてくる声が、もう、怖くて。
助けてって何度も何度も響いたの。嫌だって、痛いって。たくさんたくさん。
でも、何もできなかった。友達が助けてって言ったのに。絵里に助けてって。
けど、絵里は何もできなか…何もしないで逃げたんだ。さゆみのところに逃げたんだ。
小春のことほったらかして、一人で幸せなとこへ逃げたんだ」
- 523 名前:幸せの海 投稿日:2005/10/28(金) 00:29
-
絵里はいつの間にかぽろぽろと涙をこぼしていた。
それは小春への贖罪と自身への憤りからくる涙だった。
絵里は悲しくて悔しくて情けなかった。
絵里がそうありたいと願った正義の味方、そういうふうに絵里はなれなかった。
そして、そんなことより、友達になった小春を置き去りにしてきたことが辛かった。
そんな絵里を見ながらさゆみは複雑な気持ちに駆られていた。
悲しいと涙を流す絵里は可哀想だった。
そして、小春という少女も少し可哀想だと思えた。
けれど、さゆみはそれよりも強い気持ちで悔しいと思う。
絵里の心を占めるさゆみ以外の何か。その存在を疎ましいと思う。
どうしてなのだろう。
さゆみは絵里だけでいいのに。絵里がいなければいけないというのに。
どうして絵里はそれ以外を必要とするのだろう。
さゆみに例え王子様が現れたとしたって、嬉しいだろうけれど、そんなふうに激情を抱くことなど
ありえないのに。
さゆみの心を揺さぶるのは絵里だけなのに。
絵里もそうだったはずなのに。
さゆみは絵里の手をぎゅっと握ったまま、空を見上げた。
綺麗な青い空。目線をおろせば綺麗な青い海。
一つ深呼吸をする。それからさゆみはぎゅっと絵里を抱きしめた。
そして優しく微笑んでみせる。
それはさゆみの最大の譲歩だった。
- 524 名前:幸せの海 投稿日:2005/10/28(金) 00:30
-
「大丈夫よ、絵里。泣かなくても大丈夫。絵里にはさゆがいるわ。さゆはどこにもいかない。
絵里のこと一人ぼっちになんかしない」
「さゆ…でも小春は…助けてって…」
「大丈夫。責めたりなんかしないの。さゆと一緒なら大丈夫よ。今までだってこれからだって。
ずっと二人だったじゃない。けれど大丈夫だったでしょう?だからさゆと二人でいれば大丈夫」
「正義の味方になりたいって…助けたいって…思った…のにっ」
「絵里。絵里はさゆの正義の味方でしょ?誰が悪いって言ってもさゆは絵里を正義の味方だって言うわ。
友達なんていなくても大丈夫。絵里にはさゆがいてさゆには絵里がいるもの」
- 525 名前:幸せの海 投稿日:2005/10/28(金) 00:30
-
さゆみの言葉は絵里に強い効果をもたらした。
絵里が欲しいと思っていた自分でも気がつかなかった言葉、それをさゆみは惜しげもなく与えた。
どこにもいかない、決してなくならない「何か」。
それは愛情とか友情とかそういった類のものだったことは確かだったけれど、絵里の感じるその気持ち
に名前を付けるのは難しかった。
姉でも妹でも母親でもない。恋人というのとも違う。親友も違うだろう。
それは少し信仰にも近い想いだったかもしれない。
さゆみは絵里の理想の中で神格化されるように形作られていくようだった。
どんなふうになったとしても自分を見つめてくれる「何か」。
さゆみは涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった絵里の顔を覗き込むと困ったように笑った。
それからくしゃりと髪の毛を撫で付けるとポケットからハンカチを取り出して絵里の顔を拭く。
- 526 名前:幸せの海 投稿日:2005/10/28(金) 00:31
-
「あんまりぐちゃぐちゃだと可愛くないの」
「うん」
「でもどんな絵里も可愛い」
「さゆも、どんなさゆも可愛いよ」
「当然よ」
さゆみのさも当たり前、と言った口調に絵里はくすくすと笑った。
それを見てさゆみもくすくすと笑う。
それから二人は手を繋いでゆっくり砂浜を歩いた。
小さな貝殻や流れついた藻は二人にとってとても珍しく目新しかった。
綺麗な貝殻を拾いあげては二人でそれを見せ合いどちらが美しいか言い合ってみたりした。
それはもうすっかりいつもの二人だった。
わだかまりなど一片も見られない自然なじゃれあいだった。
海は穏やかで空は明るく青く、とても平和的な風景だった。
それは絵里のイメージする平和そのものだった。
静かで綺麗で穏やかで、そしてさゆみがすぐ傍にいる。
- 527 名前:幸せの海 投稿日:2005/10/28(金) 00:31
-
「平和、なのね」
さゆみがポツリと呟く言葉に絵里ははっとしてさゆみを見つめた。
さゆみは絵里の視線を受け止めると優しく目を細めた。
「空も海も綺麗。砂浜も貝殻も綺麗。波の音も鳥の鳴く声も綺麗。とても綺麗だもの。
それから隣に絵里がいるから、凄く楽しいの」
あぁ、と絵里は思う。
さゆみの心が、絵里の心が平和だと感じる。
それは心が平和だということ。
二人の心が柔らかく穏やかだということ。
「一緒だとね、綺麗も楽しいも凄くたくさんになるの」
さゆみは笑う。それを見て絵里はとても綺麗だと思う。
絵里が思わず手を伸ばすとさゆみは迷わずにその手を握り締めた。
- 528 名前:幸せの海 投稿日:2005/10/28(金) 00:32
-
「ずっと一緒ね」
さゆみの笑顔はとても美しく可愛らしく、水面が陽の光を反射させてさらに輝かせる。
絵里はそんなさゆみに見とれたままゆっくりと小さく頷いた。
それから、あぁなんて幸せなんだろうと想い、すっかりさゆみに心を奪われ小春のことを忘れている
自分には全く気がつかなかった。
それはさゆみにとってどこまでも正しく、絵里にはまだ判断がつきかねた。
そのことを考えない、それが二人にとって平和なのだ、ということをまだ二人は知らない。
だから二人はとても平和だった。
- 529 名前:幸せの海 投稿日:2005/10/28(金) 00:32
-
*
- 530 名前:幸せの海 投稿日:2005/10/28(金) 00:33
-
*
- 531 名前:幸せの海 投稿日:2005/10/28(金) 01:04
- 更新終了です。
ダラダラしててごめんなさい。
>>465さん
読んでくれて嬉しいです。さゆえり可愛いです(実物が)
>>466さん
GJ!
>>467さん
全然意識してなかったので、そういうふうに感じてもらえるとは驚きです
と、共に嬉しいです
>>468さん
読んでくれてありがとうございますーw
「切ないけどw(ぇ」という感想を頂けて嬉しいです
実際のさゆえりはアホっぽくて実物にそぐいませんが…
>>469さん
読んで頂けて嬉しいです
胸にぐっときて騙されてくれているうちに終わらせたいものです…
期待せずにマターリ読んで頂けると更に嬉しいです
2ヶ月も空いてしまい誠に申し訳ありません
ぽこぽこぽこぽこ穴が空いているので上手く回避しながら読んで頂けると幸いです…
∋oノハヽヽ
○从*^ヮ^)○
\( )/
(ノ(ノ
彡
- 532 名前:名無し飼育さん 投稿日:2005/10/28(金) 05:14
- 大量更新お疲れ様です。
微妙なすれ違いのさゆえりになんだか胸が痛いです…。
- 533 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/10/29(土) 03:34
- 大量更新ですね。
続きがすごく気になります
- 534 名前:みちる 投稿日:2005/10/29(土) 13:29
- 更新お疲れ様です。
とても素敵な作品です!作者さまはすごい!
読んだとき、思わず涙が…
たくさんの感動をありがとうございます。
次の更新を待っています!
- 535 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/10/31(月) 02:23
- ochi
- 536 名前:初心者 投稿日:2005/11/14(月) 23:12
- 読ませていただきました
とても面白いです
さゆえり実物も小説も可愛いですね
さゆえり万歳 更新待ってます
- 537 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/12(月) 04:20
- 突然失礼します。
いま、2005年の飼育を振り返っての投票イベント
「2005飼育小説大賞」が企画されています。よろしければ一度、
案内板の飼育大賞準備スレをご覧になっていただければと思います。
お邪魔してすみませんでした。ありがとうございます。
- 538 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/15(水) 20:58
- 作者より生存報告です。
更新が滞っていて申し訳ありません…。
近々更新しますので保全御願い致します。
- 539 名前:初心者 投稿日:2006/02/17(金) 16:36
- いつまでも待ってますよ
- 540 名前:名無し読者 投稿日:2006/02/18(土) 19:22
- 1年ぶりにこの小説読み返しました
やっぱり泣いちゃいました
- 541 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/23(木) 20:34
- 更新楽しみにしてます
- 542 名前:名無し読者 投稿日:2006/03/21(火) 03:23
- まだですかねー
- 543 名前:名無飼育 投稿日:2006/03/29(水) 00:24
- みきあや、心が抉られそうになりながらまた読み返しました。
正直、ここまで切なさを感じた小説は今迄ありません。
さゆえりも、マターリワクテカで楽しみに待ってます
- 544 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/04/19(水) 17:28
- 頑張れ
- 545 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/09(水) 00:11
- そろそろ整理の話が出てるよ
- 546 名前:新しい誰か 投稿日:2006/08/16(水) 00:19
-
その日、絵里はとても嫌な感覚を感じていた。
さゆみの隣にもぐりこみ、さゆみに抱き締められるように抱えられてもその不快
な感覚は消えなかった。
何か妙な違和感を絵里は感じていた。
さゆみの腕はいつもと変わらず暖かく、とても幸福な場所のはずだった。
けれど、その幸せが掻き消えてしまうような胸のざわめきを感じる。
絵里は何度か深呼吸をしてみるが、相変わらずそれは消えなかった。
たまらず絵里は起き上がるとさゆみの隣を抜け出し、そっと窓を開ける。
空には朧月が浮かんでいた。
それは絵里の目にとても不穏に映る。
けれど、絵里はそこに吸い込まれるように飛び上がる。
飛び立つ瞬間、さゆみの方を振り向くと、さゆみは上体を起こして絵里を見つめていた。
それは酷く寂しそうな悲しそうな瞳だった。
絵里にとってそんな顔をさゆみにさせてしまうのは一番いけないことだった。
けれど、絵里は足を止めることができなかった。
「ごめん、さゆ…。何か私、変だ」
- 547 名前:新しい誰か 投稿日:2006/08/16(水) 00:20
-
絵里は小さく呟くと体が向かうままにふわりと宙を駆けた。
微かな月灯りを頼りにするまでもなく、絵里は障害物のない夜の空を闇雲に駆けた。
どこかに行こうとかいう意志は全くなかった。けれど足は進む。
それはまるで絵里ではない別の何かに動かされているような感覚だった。
絵里は段々と恐ろしくなってきた。
何故、自分はわけも分からぬままこんな見知らぬ宙を飛んでいるのだろう。
帰りたいのに。さゆみの温かい腕に帰りたいのに。
絵里が不安と焦りを高まらせていると、不意に足が止まった。
そして、絵里の目の前に頭上から何者かが降りてきた。
- 548 名前:新しい誰か 投稿日:2006/08/16(水) 00:21
-
「ホントにいたんね…」
聞きなれない声が聞こえ、絵里は身を固くした。
意識を掌に集中すると、絵里は光の弾を手の中で握る。
絵里の目の前に現れたのは絵里と同じくらいの背格好をした少女だった。
少し釣り気味の目が猫を連想させ、黒髪が白い肌に映えていた。
少女はまじまじと絵里を見つめてから少し口元に笑みを携えて口を開いた。
「そげんに警戒しなかでよ。れーなは、あんたと同じばい」
「同じ?貴方誰?なんで絵里はこんなとこにいるの?貴方のせいなの?」
「ふーん、絵里ってゆうんバイ。よかね。うん。よか名前」
「し、質問に答えてよ!貴方一体何者?」
「うん?何者…か。田中れいな。名前はね。でもホントやなか、偽物の名前」
「偽物…?」
「あんたはちごうとるん?れーなは…私は田中れいなのクローン。017ナンバーばい」
「クローン?017?一体何のこと言ってるのかさっぱり分かんない」
「あんた…なんも知らなかんね。ふーん、幸せなんだ」
れいなは少し自嘲的にそう呟くと、絵里の腕を取った。
そして、その掌に握られた光の弾を見る。
「空を飛ぶのと…そん光ん弾はなんができる?」
「え?」
「あんたん力。それ聞いてるん」
「…絵里の質問には答えてないくせに、絵里には答えさせるの?」
「ふん。じゃあ教えてあげるよ。って言いたいんは山々なんっちゃけど、れーなも良く知らなか」
「はぁ?何それ」
「聞こえたまんま。よく分からなか。分かってるんは、れーなが田中れいなのクローンだってこと。
それから同じようなクローンがこん世界にはなん人もいるってこと。そんで番号がつけられて管理
されてるらしいってこと。それから…れーなが会った皆はぜんぜん幸せやなかってこと…」
- 549 名前:新しい誰か 投稿日:2006/08/16(水) 00:22
-
れいなは少し釣りあがった目を哀しげに伏せると小さく溜息をつく。
絵里はそんなれいなの言葉に混乱していた。
れいなの発した言葉が理解できない。
一つ一つの単語は分かる。文章の意味も分かる。
けれど、それが自分にどう関係があるのかということが全く理解できなかった。
絵里は困惑する。目の前の少女は自分と同じように宙に浮いている。
それは普通の人間ができることではない。
そして、絵里は薄々気が付いていた。自分は普通の人間ではないということに。
れいなは絵里と同じだと言った。
それは、つまり、絵里がクローンだということ。
俄かに信じがたい事実だった。そんなことをはい、そうですかと納得できる思考を絵里は持ち合わせて
いない。
「い、意味が…そんなのよく分かんない。絵里がクローン?クローン?一体誰の?何のための?」
「意味…それは皆ちごうとるみたい。みんなそれぞれ理由があったとよ。あぁ、でもそれは後付。
クローンとして生まれてこなくちゃならなかった意味、それはれーなも分からなか。
ばってん、れーなはそれを知りたい。やけん、皆に呼びかけたんよ。皆に気が付いてって。
あんたはれーなの声を感じてくれた。そうやろ?やけんここにきたんでしょ?」
「ち、ちが…。分からないよ。胸がもやもやしたんだもん。どこかに行かなくちゃいけないような
でも行きたくないような。足が、体が勝手に動いたんだ」
「それでも、よかや。だってきてくれたんだから。誰もこなかかと思ってたからさ。一人でも、すごく
嬉しいなって思う」
- 550 名前:新しい誰か 投稿日:2006/08/16(水) 00:23
-
れいなはそう言うと、ふにゃりと顔を崩して嬉しそうに笑った。
その微笑は少し寂しげな陰があって、そんな表情を初めて見た絵里は思わず見とれてしまう。
それかられいなは右手を差し出して絵里をじっと見つめた。
絵里はその手をしばらくじぃっと見つめてかられいなの目を見た。
透き通った綺麗な瞳だった。けれど寂しい瞳だと絵里は思った。
その寂しさは絵里の知っているものとも、さゆみが見せるものとも違っていた。
絵里はゆっくりとれいなの右手を自分の右手で掴む。
「れーな…って呼んでいい?」
「ん?よかよ」
「れーな」
「な、なん?」
絵里は人懐こそうな笑顔でれいなの名前を呼んだ。
その声と表情の柔らかさにれいなは一瞬、虚を突かれた。
久しく感じることのなかった感覚。意識的に忘れようとしていた感覚。
優しい感触。優しい温もり。優しい感情。一瞬止まるれいなの時計。
絵里は固まったように動かないれいなの顔を覗き込むとじっとその目を見つめた。
絵里の中から恐怖心は消えかけ、代わりに好奇心がむくむくと頭をもたげてきた。
れいな、という目の前の少女。
その瞳の中には絵里の見たことのない世界が広がっているように思えた。
感じたことのない寂しさを知っているように思えた。
新しい絵里の何かになるような気がした。
絵里はれいなのことを知りたいと思った。
「教えてよ、貴方のこと。れいなのこと」
「れーなも聞きたい、絵里んこと」
れいなは絵里の言葉を受けて、時計の針を動かし始める。
そして、もう一度嬉しそうに笑った。
つられて絵里も更にくにゃりと笑った。
風もない暗闇の中月明かりに照らされた少女たちは柔らかく、けれど力強く握手をした。
それが絵里とれいなの最初の出会いだった。
- 551 名前:名無し鬼畜 投稿日:2006/08/16(水) 00:39
- 前回の生存報告で「近々」と書いておきながら半年も間が空いてしまい
もし、お待ちになって下さった方がいたならば本当に申し訳ありませんでした
今後はちょこちょこ更新していけると思うので、気が向いたら読んで頂けると幸いです
レス番号はJaneで見えているものを使っています ↓
>>532さん
ありがとうございます
哀しい予感を漂わせるさゆえりを楽しんで頂けると幸いです
>>533さん
ありがとうございます
飽きられないうちに…と思っているうちに10ヶ月余り…
もしまた目に留まったら宜しくです
>>534さん
ありがとうございます
思わず零れた涙がもったいないのでかき集めて返上したいところです…
期待せずにマターリお読みいただけると幸いです
>>535さん
ありがとうございます
>>536さん
ありがとうございます
面白がって頂けてとても嬉しいです
さゆえり万歳の言葉を頂けて嬉しい限りです
>>537さん
投票では幾人かの方が票を入れて下さったそうで
思いがけないことだったのでとても嬉しかったです。
企画の皆さんお疲れ様でした(今更ですが…
>>538
自分で自分にがっかりです
>>539さん
本当にありがとうございます
ただただ頭が下がります
>>540さん
読み返して頂けるとは…その行為に感動して涙が出そうです
どうもありがとうございます
>>541さん
ありがとうございます
お待たせしすぎてごめんなさい
>>543さん
本当にすいません
お待たせしすぎてごめんなさい
>>544さん
みきあやの方、読み返して頂き本当にありがとうございます
褒めて頂けて本当に嬉しいのですが、もったいない言葉です
さゆえり、お待たせしすぎてごめんなさい
>>545さん
ありがとうございます
何とか戻ってきました
>>546さん
ご忠告ありがとうございます
何とか整理前に更新することができました
- 552 名前:nanashiara 投稿日:2006/08/16(水) 04:17
- ちょっと更新量が少ないじゃないの。
でもまあいいわ。
面白かったわ。
続き頑張って頂戴。
- 553 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/16(水) 19:55
- 無邪気なれーなキター!
作者さま更新乙です。
- 554 名前:みちる 投稿日:2006/09/18(月) 13:49
- わ〜い、生きてる生きてる!
生きてて本当にうれしいです!
作者さん、これからも楽しみにしてます!
- 555 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/09/22(金) 00:22
- ま
- 556 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/01/04(木) 00:14
- 作者さん、まだ生きてますかー?
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