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- 1 名前:( ´ Д `) 投稿日:( ´ Д `)
- ( ´ Д `)
- 2 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/11(月) 20:08
- ochi
- 3 名前: 投稿日:2004/10/18(月) 15:56
- 文章練習用にこのスレ頂きます。
- 4 名前:どっぺるげんがぁ 投稿日:2004/10/18(月) 16:19
- その薬瓶を見つけたのは吉澤だった。
なんせ彼女は、超常的なものを一切信じない。
ロマンチックな匂いがすると、尚更そうだった。
それが結果的に流行を遅らせたのだが、それだけに一度効果が実証されると、その広がり方は爆発的なものになった。
ハロモニの収録時間が押し迫った楽屋だった。
ケジメというものが存在しない談笑は、腰を上げて、スタジオへと向かいながらも続いていく。
吉澤がその一団から抜け出して戻ってきたのは、衣装のベルトに付いていた飾りがはずれてしまっていることに気がついたからだった。
「……っかしいなぁ」
探し物をしながら独り言を呟く癖。
自覚はしていても、直そうとは考えていなかった。
こうやって失くした物を見つけてきたのだし、人の型にはめられるのを、強硬にではなくとも嫌っていたからだ。
そしてそういう癖というものを、彼女の言葉で表現すれば、“かっけー”と思っていたからだ。
- 5 名前:どっぺるげんがぁ 投稿日:2004/10/18(月) 16:32
- 座って後藤や石川と話していた辺りを漁ってみるが、一向に飾りは姿を現さない。
それなのに時間はますます迫ってきていて、あせりの感情が大きくなってきた。
吉澤は四つんばいになって隙間を覗き込んでいたが、決心して、頭を上げた。
なくてもそれほど困る物ではない。
スタイリストには気づかれて怒られるかも知れないが、事情を話せば納得してもらえるとも思えた。
立ち上がろうとして、前のめりになって、腕に力を込めた時だった。
それはあっさり見つかった。と言うより、目の前にあった。
楽屋の中央に置かれたテーブルの上に、堂々と星は横たわっていたのである。
「あったー!」
これは癖ではなく、自然と笑みと共にこぼれ出た。
吉澤はその星型の飾りを抱きしめたまま、テーブルの周りをグルグルと何周もする。
- 6 名前:どっぺるげんがぁ 投稿日:2004/10/18(月) 16:40
- 個人的な騒ぎが治まると、彼女は自分のバカさ加減にあきれた。
誰かが拾ってここに置いてくれることを、どうして考えなかったのだろう。
こんなに目に入るところにあったのに―――。
彼女はふと、テーブルに置かれているものが、他にもあることに気がついた。
お菓子や雑誌、マンガ、本、パンフレット。
それらに混じって、見慣れないものが威風堂々と立っていた。
それが薬瓶だったという訳だ。
- 7 名前:どっぺるげんがぁ 投稿日:2004/10/18(月) 16:41
-
- 8 名前:どっぺるげんがぁ 投稿日:2004/10/18(月) 16:52
- 「なんかこれ、絶対にあやしくない?」
そう口にしたのは矢口だった。
あきらかにうさん臭そうに中指と親指でそれをつまみ上げながら、言う。
「特にこの大きな文字で張られた商品名」
そこには『何でも願いが叶う薬』とあった。
説明を読めば、自分の年の数だけ薬を飲めば、次の日にその願いが叶うという。
信憑性が低いのは、誰の目にも明らかだった。
「ですよねぇ、あたしも最初にそれを目にした時、自分の目を疑いましたもん」
吉澤は何処かバカにしたような調子だった。
収録が終わって、各自が帰り支度を終えた時、薬瓶が誰の持ち物でもないことが発覚した。
自然と第一発見者である吉澤が中心となって、そのあやしげな商品の生態究明が行われている。
- 9 名前:どっぺるげんがぁ 投稿日:2004/10/18(月) 17:08
- 「あたしは、梨華ちゃんあたりがまた変なもんに手ぇ出したのかと思って、悪いから黙ってようと思ったんだけどさ」
「またってなによ、またって!」
石川の音の外れたような反論に、吉澤は意地悪く笑う。
「だって、この前は藁人形がカバンの中に入ってたりしてさ」
「してないよ!そんなの持ったことない!」
石川から距離をあけ始めた他のメンバーに無実を釈明するように、石川は声を荒げた。
「まぁ、どっちにしてもさ」
飯田は取り留めのない議論を終結させたいのか、諭す口調で言った。
「誰の物でもないっていうんだったらさ、そのまま置いて帰ればいいじゃん。捨ててこの楽屋を使った他のタレントさんの物だったりしたらマズイしさ」
反対意見はなかった。
会話の中心人物である吉澤がバカにし切って、笑っているのだ。
本当は興味があったとしても、言い出せるような空気ではなくなっていた。
結局、瓶は元通りテーブルの上に置かれ、一週間後まで思い出す者もいなかった。
- 10 名前:どっぺるげんがぁ 投稿日:2004/10/18(月) 17:09
-
- 11 名前:どっぺるげんがぁ 投稿日:2004/10/18(月) 17:21
- 一週間後、それを手に取ったのは石川だった。
彼女自身もずっと覚えていた訳ではない。
すっかりとその存在を忘れていて、楽屋へ来て、まだあったと騒いでいる六期メンバーを見て思い出したくらいだった。
この一週間というもの、吉澤の態度にはヤキモキさせられっぱなしだった。
自分に冷たいというのではなく、誰にでも優しいのだ。
それは前からそうであることも事実だった。
しかし、特定の人物、後藤真希とやたらに親しげなのだ。
遊ぼうと誘った日も、彼女との先約があると断られたし、一緒に帰るのも彼女。
さらには後藤の料理がどれほど美味しいかを語りだしたのである。
石川には理性も残っていた。
体内の直接摂取するものが、どれくらい危険か。
そういう事件は、ニュースを見れば毎日のように流れている。
しかし、理性を打ち破る衝撃というものもまた、ある。
コントの最中、二人はやたらにベタベタしていて、それを目の前で見せつけられ続けたのだ。
半ば衝動的に、半ば願望を込めて、彼女は年の数だけ錠剤を飲んだ。
- 12 名前:どっぺるげんがぁ 投稿日:2004/10/18(月) 17:36
- 噂は瞬く間に娘。内に伝わった。
石川が漏らした訳ではないが、あの薬の存在が話題の中心に再び浮上した。
誰もが違和感を覚えるような雰囲気を、二人は醸し出していた。
昨日まで後藤を中心に誰とでもイチャついていた吉澤が、脇目もふらずに石川と寄り添っているのである。
「ねぇ、よっすぃー」
「ああ、ゴメン、ごっちん。今ちょっと手を離せないんだ」
吉澤の手は石川の腰に回されている。
「ねぇ、ごっちんが何か言いたそうだから、話聞いてあげれば?」
「いいんだよ、梨華ちゃんはそんな心配しなくても。梨華ちゃんはあたしだけ見てればいいの」
「もう、よっすぃーたら」
完全に二人の世界、である。
- 13 名前:どっぺるげんがぁ 投稿日:2004/10/18(月) 17:39
- メンバーは副作用のようなものを恐れこそすれ、効用を疑う者はいなくなった。
こういう物を一切信じない、バカにすらしていた吉澤があんな状態になったのだ。
どんな言葉を用いて説明されるより、その姿は効果を如実に語っていた。
それ故、出した結論は、しばらくの間、泳がせるというものだった。
効果が絶大でも、危険があったら意味がない。
そして、その危険がどのくらいであるか、見極める必要もあった。
昨日まで段階を追って築かれていった関係。
それを一気になぎ払われ、奪い去られた者以外はそうだった。
彼女は危険を恐れてはいなかった。
- 14 名前:どっぺるげんがぁ 投稿日:2004/10/18(月) 17:39
-
- 15 名前:どっぺるげんがぁ 投稿日:2004/10/18(月) 17:53
- 「ねぇ、見間違いかなぁ……」
小川は楽屋のドアを開いて開口一番、心底驚いた口調でそう言った。
「ううん、わたしも驚いたけど、夢ってことはないみたい」
紺野が諭すと、高橋が続く。
「どう見てもおかしいやろぉ、あれ」
新垣は、端的におかしなところを指摘する。
「あれっ、吉澤さん、どうして二人いるんっスか!?」
年長のメンバーは頭を抱えていた。
吉澤が石川とイチャつき、後藤とイチャついている。
つまり、二人いる。
二組と呼んでいいのかどうかも憚れる集団は、お互いに仲が悪いらしく、部屋の角と角で、世界を構築していた。
「ねぇ、ごっちん」
「ん、なに?」
「キス……してもいい?」
「えー、いきなりそんなこと言われても……照れるじゃん」
「真っ赤になったごっちんもカワイイよ」
「もう、そんなことばっかり言ってさぁ、みんな見てるよぉ」
「いいよね?ダメだって言ってもするよ」
「もお、よし子ぉ、そんなら聞かないで……」
- 16 名前:どっぺるげんがぁ 投稿日:2004/10/18(月) 18:03
- 唐突に途切れた会話の理由を見ないようにしながら、矢口と飯田は会話する。
「ちょっと、これどういうこと?」
「そんなこと言われても圭織が知るわけないじゃん。頭がおかしくなりそう」
「きっと……薬、だよね?」
「そうだとは思うんだけど」
矢口は固まって凝視している六期メンバーに、見ないように注意を加えると、深刻な声を出した。
「ラベルに何て書いてあったっけ?」
「えっと確か、『何でも願いが叶う薬』だっけ」
「つまり」二人の声が揃った。「ごっちんも同じお願いをしたらああなった?」
同じ結論に至った二人は、再び頭を抱える。
抱えながら矢口は、指の隙間からカップルを覗いている六期メンバーを注意する。
それから、誰に言うでもなく、口にした。
「嫌な予感がするよ……」
- 17 名前:どっぺるげんがぁ 投稿日:2004/10/18(月) 18:18
- それからというもの、木曜日――ハロモニ収録の翌日――になると、新しいカップルが誕生したり、人が分裂したりが始まった。
それはそれぞれの真意を明らかにし、そして分からなくしていった。
初めは思いもよらないカップル成立で、そんなふうに考えていたのかと驚きをもって迎えられた。
しかし、一人じゃ満足出来ない娘。も現れる。
あの子も、あの子も自分のものにしたい。
そういう欲望が渦巻き始めると、誰がオリジナルなのかが分からなくなってしまったのだ。
とにかく毎週木曜日、ドッペルゲンガーが生まれ続けるのだ。
最近の子は危機感が薄い、と矢口は思う。
石川は少なくとも二週間無事だったことで、安心の判を付いてしまったのだ。
「ちょっとどいてもらえます?」
「あっ、すいません」
田中と亀井のカップルに場所を占領され、スゴスゴと少ない安全地帯を探して移動しながら、矢口は世の中が間違っていると主張したくてたまらなくなった。
- 18 名前:どっぺるげんがぁ 投稿日:2004/10/18(月) 18:27
- そんな悲し気な姿を見つめる目があった。
それは楽屋のドアのほんの少し開いた隙間にあった。
「噂には聞いとったけど、ほんまやったとはな……」
彼女、中澤裕子の驚愕の表情は見る間に緩み、目も当てられないデレェとしたものに変化していった。
「なら、矢口を早いとこウチのもんにせんとな」
彼女はささやき声で飽和した室内に、さらに用心を加えて、ドアが軋まないようにして進入した。
一人くらい増えても、誰も気がつかないくらいに人が密集している。
その間を縫って、彼女は薬の置いてあるテーブルを目指した。
- 19 名前:どっぺるげんがぁ 投稿日:2004/10/18(月) 18:38
- 手に取ると、錠剤は半分以下までに減っていた。
「あぶないところやったなぁ、もう少し情報が遅れたら、ウチだけおいしい目みられなかったで」
呟きながら、説明書きを読む。
「年の数だけ飲め?失礼なやっちゃなぁ、ウチが二十二やったから良かったようなものの」
欲望に溢れた願い事をしながら、二十二粒、飲み干した。
さらには彼女には年の功と呼ばれてバカにされるものも備わっていた。
「矢口はウチのもん以外にはなったらアカン。この瓶、見つからんところに隠さなな」
部屋の隅の鏡台と壁の間に隙間があった。
彼女はそこへ薬瓶を押し込むと、ほくそ笑んだ。
視線の先には耳を押さえて俯いている矢口の姿がある。
もう少しの辛抱やからな。
高笑いを堪えながら、彼女は楽屋を後にした。
- 20 名前:どっぺるげんがぁ 投稿日:2004/10/18(月) 18:39
-
- 21 名前:どっぺるげんがぁ 投稿日:2004/10/18(月) 18:53
- 翌日のモーニング娘。の楽屋に、物凄い勢いで走り迫る影があった。
もちろん中澤である。
彼女のスピードは、横を通り抜けた人が回転しそうなくらいのものだった。
その速さに、意気込みと期待が現れていた。
楽屋に入ると、中澤はそれまでが助走であったかのように叫んだ。
「どや、矢口!これでもう心配いらんやろ!」
視線が彼女を貫いた。
矢口を抜いた、娘。の人数分の視線だった。
「ちょっと中澤さん」誰かのドスの利いた声だった。「今の、どういうことですか?」
にじり寄ってくるメンバーは通常の人数に戻っていて、それでも充分に多い彼女たちに気圧されるように、中澤は壁際まで追い詰められた。
「錠剤隠したのも中澤さんですか?」
石川の声はいつものものではなかった。
表情にもはっきりと怒りの感情が見て取れる。
普段は穏やかな後藤の顔にも同じものが浮かんでいた。
中澤は自白するように頷いた。
「ああ、何て言うかな、あの……」
「出してください!」
大声を上げたのは何と、紺野だった。
後藤とのハッピーライフを掻き消されたのが、礼儀を何処かに追いやってしまったらしい。
- 22 名前:どっぺるげんがぁ 投稿日:2004/10/18(月) 19:13
- 逆切れのような感情だった。
逃げ場もない犯人が、問い詰められて怒り出すような心情。
みっともなさを取り繕う余裕もなく、中澤は屁理屈の混ざった嘘をぶち撒けた。
「アンタらなぁ、自分勝手なことばっかり言うな!」
唖然とした顔があった。中澤は調子に乗って続けた。
「そんな薬の力を借りて、人を自分の思い通りにしようとするなんて、違うとは思わんのか!?」
我に返る空気が流れた。
それは反省としてそれぞれの中に広がった。
自分たちのしようとしていたことの恐ろしさに、深い悔恨の念が突き刺さり始めたのである。
中澤の胸に、矢口が飛び込んできた。
その勢いで二人は倒れ込む。
「ありがとう、裕ちゃん!裕ちゃんがそこまでオイラやみんなのことを考えていてくれたなんて……」
戸惑う中澤をよそに、矢口は瞳から涙を流し始めた。
「みんな、裕ちゃんの願い、伝わった?他のどんな欲求より、裕ちゃんはみんなを取ったんだよ!お金とか恋人なんかじゃなくて、みんなが元に戻って欲しいって薬を飲んだんだよ!その気持ちがみんなには分かる!?」
涙声で、聞き取れないような語尾になってしまっていた。
その代わり、中澤の背中に腕を回し、泣き崩れた。
それでもそれがどれだけ尊い行為なのか、伝わるには充分だった。
- 23 名前:どっぺるげんがぁ 投稿日:2004/10/18(月) 19:20
- おかしな展開になったな、と中澤は視線を横に走らせた。
昨日自分が隠した薬の瓶が見える。
気が急いて続きを読んでいなかったが、説明の次の文章が目に入った。
“なお、年を間違えて飲んでしまうと、すべての効果は消えてしまいます”
結果オーライ。
そんな言葉が中澤の脳裏に浮かんだ。
今なお泣き続ける矢口の頭を優しく叩くと、尊敬の眼差しで謝罪の言葉を繰り返すメンバーたちに、もうええから、と口にした。
こうして中澤の願い事だけを見事に叶えた薬は、二度と使われることがなくなった。
- 24 名前:どっぺるげんがぁ 投稿日:2004/10/18(月) 19:23
-
おしまい
- 25 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/18(月) 19:27
- http://m-seek.net/cgi-bin/test/read.cgi/imp/1065798797/33n
好評だったら、このスレの短編のネタを書いていきたいと思います。
- 26 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/18(月) 20:41
- すげー。
面白かったです。作者さんの他の作品も読んでみたいです。
- 27 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/18(月) 21:15
- 途中でネタ元思い出した
誰か書いてくれないかと思ってた
面白かったよ また書いてくれ
- 28 名前:りんねてんしょー 投稿日:2004/10/30(土) 18:20
- 昔々、あるところにとても小さな村がありました。
そこには元気な女の子が三人いて、その日もまた、明るい声を村中に響かせていました。
「いててててっ……痛いって!バカ!」
本当に苦痛なのでしょう。
彼女の顔にはアブラ汗が浮かんでいました。
しかし、その彼女を左右から引っ張る二人の女の子は、それに気がついていません。
二人もそれぞれ、必死ではあったからです。
「レイナはエリのものなんだから!離しなさいよ!」
「違うもん!サユのだもん!」
レイナとエリとサユ。
三人の関係はいつもこうで、レイナをめぐってケンカばかりしていました。
そして何故か、傷つくのはいつもレイナでした。
精神的にではなく、物理的に。
石の投げ合いで戦場の真っ只中に立たされたこともありました。
落とし穴に二度落ちたこともありました。
そして今はこんな有様です。
- 29 名前:りんねてんしょー 投稿日:2004/10/30(土) 18:34
- 「レイナは、エリと狭いところに入り込んで遊ぶんだから!」
「サユと遊んで、世界で一番サユが美しいって言い続ける鏡の役やるの!」
どちらもまっぴらでした。
レイナは二人をなだめようとしますが、その言葉も痛みで途切れ途切れになってしまい、届くことはありません。
強引な人間の意見が通るものなのだと、レイナは社会の仕組みを知りました。
エリとサユは相変わらず言い合いを続けます。
「エリはエリザベスのエリなんだから、エリと遊ぶんだぁ!」
「サユの方がカワイイからサユと……あっ!」
言い争いに気を取られた隙に、レイナはイタズラされた猫のように、必死に足を突き動かして逃げました。
昔話だと、愛情の多い方が離してくれる手筈になっています。
しかし、二人には通用しないようでした。
大事な教訓話を覆すような人たちと、これ以上付き合ってはいられません。
レイナは前々から考えていた計画を、実行に移そうと思いました。
相談できる人が、一人浮かびます。
村長であり、唯一の医者でもあるヤスダの家へと急ぎました。
- 30 名前:りんねてんしょー 投稿日:2004/10/30(土) 18:48
- ヤスダはニコニコと笑いながら、話を聞いてくれました。
その笑顔は人を安心させる、オアシスのようでした。
村の誰からも信頼され、レイナも親に言えない悩み事を抱えた時には、ここへ相談に来ました。
「つまり、レイナは……」
ヤスダはちゃんと目線を合わせて、言います。
「わたしから二人に、嘘をついて欲しいってことね?」
レイナはうなずきました。
「そう。あたしが病気になったとか適当なことを言って、二人をしばらく遠ざけてくれないかなぁって。このままじゃあたし、いつか殺されちゃう」
それは案外おおげさな表現でもなかったのですが、ヤスダは子供をからかうような、大きく驚いた仕草をしました。
レイナにはそれが不満です。
「自分が真下にいる時に、蜂の巣が頭に落ちてきたことがありますか!?」
事実でした。
偶然を装った攻撃を、二人は互いに考えたのでした。
自分の手を汚さずに、その毒針によって相手を再起不能にする。
その作戦で再起不能になった人物は、言わずもがなでした。
- 31 名前:りんねてんしょー 投稿日:2004/10/30(土) 18:57
- 「分かった、分かった。だから落ち着いて、ね?」
あまりの語勢に、さすがのヤスダも気圧されたようでした。
慌ててレイナをなだめます。
「それくらい」レイナは言いました。「本当に困ってるんです」
ヤスダはしばらく悩んだ挙句、不承不承、といった感じで是認しました。
「分かった。とにかく二人が仲良くなればいいのね?」
「はい!」
「じゃあ、その芝居に付き合ってあげるけど……」
ヤスダは奥へ一旦席を外して、すぐに戻ってきました。
その手には湯のみが握られていました。
「まずはこれでも飲んで、気分を落ち着かせなさい」
相変わらずの温和な笑みです。
レイナは素直にコックリとうなずくと、お茶を一気に飲み干しました。
- 32 名前:りんねてんしょー 投稿日:2004/10/30(土) 19:20
-
- 33 名前:りんねてんしょー 投稿日:2004/10/30(土) 19:31
- 二人が知らせを聞いて駆けつけると、うずくまっているレイナがいました。
「大丈夫!?」
「何があったの!?」
口々にレイナに語りかけます。
「それがね」
ヤスダが口を開きました。
現場が彼女の家でしたから、ここにいることは不自然ではないのです。
「どうやらあの伝説の難病に……」
「それは違う!」
うめいてばかりいたレイナが、決死の覚悟がうかがえる声色で叫びました。
執念と言い換えてもいいかも知れません。
虫の息の被害者が、せめてもの仕返しとして書き記すダイイングメッセージ。
それと酷似した必死さがありました。
「その……その女があたしに毒を!」
そうです。
ヤスダは信用してはいけない人物だったのです。
- 34 名前:りんねてんしょー 投稿日:2004/10/30(土) 21:28
- 「毒じゃない、新薬だ!」
ヤスダは心外だといった調子でレイナを睨みつけました。
プライドの在り処が普通ではありません。
「どうしてそんなことを……」
エリが尋ねると、ヤスダは遠い目になりました。「……太陽がまぶし過ぎたから」
冷たい風が四人の間を通り抜けました。
ヤスダはあたかもスベッたのは他人だといった、素知らぬ顔で続けます。
「それはともかく、この子を救いたくない?」
「もちろん!」
「レイナを救えるのなら、どんなことでもします!」
悪の枢軸である本人のパワーに押されて、二人は思わず教えを請う形になりました。
どちらにしても彼女以外にこの状況を把握している人物はいないので、それはあながち間違った判断ではなかったのですが、どうも人質を取られた家族のような対応です。
- 35 名前:りんねてんしょー 投稿日:2004/10/30(土) 21:40
- 「このままで放っておくと、この子は三ヵ月後に死ぬ」
ヤスダはヤカンの使い方を説明でもするように、あっさりと話し始めました。
「この新薬は遅効性でね、その上に結構解毒剤を作るのがやっかいなんだ」
「や、やっぱり、ど、毒じゃ……」
「お前は黙って死んでろ」
ヤスダは息も絶え絶えのレイナにも容赦をしません。
「やっかいっていうのは、調合じゃない。材料になる物を手に入れるのに何人もの人が挑戦して、帰ってきたのが」
エリとサユは目を見張ります。
息が詰まるような沈黙の後、ヤスダは言いました。
「―――誰もいない」
二人はお互いに顔を見合わせ、すぐに逸らしました。
そっぽを向いたまま、不安な面持ちでヤスダの次の言葉を待ちます。
- 36 名前:りんねてんしょー 投稿日:2004/10/30(土) 21:52
- 「それをアンタたちが取りに行かないと、この子は助からないけど、どうする?」
「それは」サユは眉を寄せています。「あたしたちが取りに行け、という意味ですか?」
ヤスダは満足気にうなずきます。
「そう、なるかな?」
二人は決断しかねていました。
レイナがどうなってもいいということではありません。
あまりにも危険が大きく、恐怖感に囚われていたのです。
そんな二人を見て、ヤスダは突然声を荒げました。
「アンタたち、それでも友達!?苦しんでるこの子を見てて、それでも保身が大事なの?それ以上に……」
ヤスダは激昂しているのでした。
怒鳴り声にまで高まった語調で、言葉を吐き出します。
「それ以上に、わたしを殺人犯にするつもり!?」
めちゃくちゃです。
それだけに尋常ではない迫力があり、二人はそれに押し出されるようにして、村を後にしました。
- 37 名前:りんねてんしょー 投稿日:2004/10/30(土) 22:06
- 村を出てすぐの森で、二人はようやく立ち止まり、後ろを振り返りました。
もうあの殺人犯は追って来ないようです。
「ねぇ、ちょっと」
サユは肩で息をしながら、エリに話しかけました。
嫌悪感丸出しの、どうしてもやりたくない仕事を仕方なくやるような声でした。
「もらった地図広げてよ」
「どうしてあたしが?」
「エリが受け取ったんでしょ?さっさとしてよ」
言いなりになるようで癪に障りましたが、これから向かうべき場所も分からないので、エリは抵抗の意味を込めて無言で地図を広げました。
サユはさらに追い討ちをかけて一言二言付け加えようとしましたが、やはりエリと同じように押し黙りました。
地図はヤスダの手書きでした。
物凄く“テキトー”でした。
そのテキトーさといったら、辞書で“テキトー”という言葉を引いたらこの地図の絵が載っていそうな代物でした。
余白には犬らしきものが描かれていて、その身体は棒で構成されていました。
棒人間ならぬ、棒犬。
それが犬だと分かったのは、「がんばるんだワン」というふきだしがあったからです。
エリは無言で地図をたたみ、それについて、サユも何の文句も言いませんでした。
- 38 名前:りんねてんしょー 投稿日:2004/10/30(土) 22:07
-
- 39 名前:りんねてんしょー 投稿日:2004/10/30(土) 22:20
- 二人がその町に着いたのは、出発から一ヶ月経った頃でした。
地図から得た情報は、ほとんどが文字によりました。
必要な物は三つ。
それぞれの頭に“伝説の”という言葉つく、水・塩・空気です。
そしてそれらは、同じところに固まってあるらしいのです。
「すみません、この辺に伝説の水とか塩とか空気があるらしいんですけど、知りませんか?」
エリが尋ねた町人はその言葉を聞くと、心底嬉しそうに微笑みました。
「あそこに挑戦するのかい?」
うなずくと、男は自分の身体をずらしました。
そして二人の死角になっていた、後方。
大きくてキレイな三角形をした山を指差します。
「あそこ。あそこにいけばすぐ分かるよ」
お礼を言って立ち去ろうとすると、彼は何度も二人に向かって手を振ってきました。
なつかしいものを見送るような目の細め方でした。
- 40 名前:りんねてんしょー 投稿日:2004/10/30(土) 22:33
- 「……成功、だね」
無言を貫いていたサユがつぶやくように口を利きました。
「うん、近くまで行けば、伝説になってるようなもの、誰でも知ってるはずだからね」
二人の計画はこうでした。
ヤスダの大雑把な地図。
それでもさすがに“このへん”と矢印された場所に近づくことはできました。
そこに接近していくだけで、あとは口コミでなんとかなると考えたのでした。
「あの山かぁ、ゴールがやっと見えたね」
「気安く話しかけないで」
「あたしだって話かけたくてしてるんじゃない」
「……なんかさぁ、あの人の対応おかしくなかった?」
「…………」
「恐れられてる山なら、普通は止めようとすると思うんだけど」
「話しかけないでって言ったのはそっちでしょ?」
距離の全く縮まっていない会話をしながら、二人は三角形を目指して歩み続けました。
- 41 名前:りんねてんしょー 投稿日:2004/10/30(土) 22:53
- 伝説の三種のことを訊くと、町人は誰もが笑顔になりました。
道行く途中、その三つからとったと思われるおみやげ用の饅頭や煎餅まであって、想像していたストイックな雰囲気とはかけ離れています。
その緩んだ空気は、山に入ってからも続きました。
“←伝説の水のある湖”
その立て看板を見かけた時には、さすがの二人も仲が悪いのを忘れて数秒間、見つめ合いました。
罠かとも考えられましたが、こんな分かりやすいことはないだろうと、指示に従うことにしました。
舗装まではされていません。
しかし何人もがここを通ったのでしょう。
そこの部分だけ草木が道のようになっていて、二人を導くように伸びていました。
たどり着いた湖はさすがに大きく、水面は静かな風に揺られていました。
そんな中でも際立ってブルーの部分があります。
ちょうど真ん中の辺り。
そこだけがあきらかに神秘的な雰囲気を醸し出しているのです。
- 42 名前:りんねてんしょー 投稿日:2004/10/30(土) 23:07
- 「泳いでいくしかなさそうだね」
ボートのような物がないことを確認すると、サユはエリの方を振り返りました。
サユが目にしたのは、震えているエリです。
サユは思い出しました。
彼女は泳ぐのが得意ではない、と言うより、カナヅチだったのです。
サユは大きく息を吐くと、言いました。
「分かった、あたしがやる。その代わり―――」
めずらしく怯えたような目をしているエリを見据えて、サユは言い放ちます。
「次はエリが一人でやってよね」
エリがカクカクと顔を上下に揺するのを見届けると、サユは踵を返し、湖へと向かいました。
美しいという、彼女にとって最も喜ばしい賞賛の言葉を形にしたようなフォームで、サユは水中へと飛び込みました。
しぶきのほとんど上がらない、軽やかな背中。
エリは思わず、見とれます。
- 43 名前:りんねてんしょー 投稿日:2004/10/31(日) 13:29
- みるみる内にサユは澄んだ青へと近づいていき、水面から顔を上げると、懐にしまっていた水筒を取り出しました。
つややかな黒髪からは雫が滴り、白い頬を伝います。
彼女は伝説の水で容器を満たすと、ゆっくりと戻ってきました。
こんなことも出来ないエリをからかうように、わざと曲がりくねったりしながら、ユウユウと泳いでみせます。
その意図を知って、エリはカッとしましたが、すぐにその感情も消し飛ぶこととなりました。
ゆっくりと水面を滑るサユの背中。
先ほどまで穏やかだった伝説の水が、渦を巻いていました。
それは段々と周りの水を巻き込んで大きくなり、サユへと迫っています。
「サユ、後ろ!」
振り返った彼女はすぐに事情を察したようでした。
真剣な眼差しになり、岸へと直線的に向かってきました。
- 44 名前:りんねてんしょー 投稿日:2004/10/31(日) 13:40
- そうしている間にも、渦はどんどんと勢力を増し、サユの背中へと接近してきます。
サユは力の限りに腕を伸ばし、水を蹴ります。
しかし、スピードにのるどころか、目に見えて速度は落ちていきました。
それでもどうにか岸へと近づきます。
迫りくる渦や疲労を見ないようにして、回転を速めました。
しかし、なんとか手が届きそうになったところで、完全に動きが止まってしまいました。
渦の力と漕ぐ力が均等になったのです。
それは、ますます強くなる力に、これから引っ張られてしまうことを意味しました。
引っ張ったのは、別の力でした。
エリはサユを引き上げると、何か言おうとして、結局口にしませんでした。
今さら彼女にかける感謝の言葉など持ち合わせてはいなかったのです。
それはサユも同じで、二人は押し黙ったまま、ただ荒い呼吸をしていました。
- 45 名前:りんねてんしょー 投稿日:2004/10/31(日) 13:48
- やがて呼吸が落ち着いて、サユが茂みで着替えると、何事もなかったかのように、二人は出発しました。
ただ、憎まれ口は忘れません。
「サユがあんな思いまでしたんだから、次はエリだからね」
「言われなくても分かってる」
看板によると、次は伝説の塩を手に入れないといけないようです。
少し、距離がありそうでした。
ヤスダのものよりよっぽど親切な地図には、山の中腹辺りにそれが示されていました。
「途中でへばったら、置いてくからね」
「こっちのセリフ」
二人は緑を分け入って、急な上り道を踏みしめました。
足元では、折れた枝がパキッという乾いた音を立てるのです。
- 46 名前:りんねてんしょー 投稿日:2004/10/31(日) 14:01
- 中腹は、雪と見間違えるような塩に覆われていました。
そこら中に残っている足跡は、死者が最後に刻んだ痕跡かもしれません。
大して信心深くもない二人でしたが、踏み荒らさないように注意して、進みます。
不自然さは感じませんでした。
雪道を見慣れているせいか、よくよく考えればおかしな状況なのですが、視覚はそれを正常のものとしてしか映しません。
塩道。そんな言葉はなくても、まぎれもなく塩道を上へと向かいました。
足が止まったのはやはり、一目瞭然だったからです。
こんな白一色の世界にあって、段違いに、白。
透明な輝きを放っている一角がありました。
エリがサユの方を見上げると、サユは顎でそちらを指しました。
不機嫌に唇をとがらしたエリは、無言でそこを目指して、歩き始めました。
- 47 名前:りんねてんしょー 投稿日:2004/10/31(日) 14:20
- ザクザクと音を立てていた足元の塩は、やがて反応を返さなくなりました。
段々と柔らかく、深くなっているのでした。
ちょうどそれは、新雪の感触と似ていました。
進路に横たわる塩を払いのけながら、エリは伝説の塩へと向かいました。
問題なく、万事が済むかと思われました。
伝説の塩にたどり着いた時には、塩は腰の辺りの高さにまでなっていましたが、歩きにくいというだけで、特に脅威ではありません。
ひとかけらを丁寧に布に巻き終えると、エリは引き返しました。
小さなかけらが、斜面を転がってきました。
音もなく自分の横を通り過ぎていったそれを見つめていると、遠く方で重低音が鳴り響き始めました。
「……?」
エリが戸惑っていると、サユの声が聞こえてきます。
「エリ、急いで!きっと、雪崩が起こってる!」
雪崩。その言葉が適切でないのなら崩塩。
転がり落ちてくるかけらは大きさを増してきました。
握りこぶし大の塩のかたまりが、エリの左頬にぶつかって、はじけました。
気が遠くなるような感覚の中で覚醒したのは、サユの声があったからでした。
「こっちに洞窟みたいのがある!ここまで逃げて!」
音は巨大な動物の大移動のようです。
これにのまれてしまっては、遺体すら発見されないでしょう。
エリはサユの声に向かって足を進めますが、塩煙によって、視界は悪くなっています。
しかも塩だけに、目に沁みました。
ボロボロと涙を流しながら、レイナとやった遊びのように、サユを聴覚だけで捕まえようとします。
- 48 名前:りんねてんしょー 投稿日:2004/10/31(日) 14:30
- 捕まったのはエリの方でした。
急に身体を引き寄せられ、二人で倒れ込みました。
背中を大きな物音が通り抜けていきます。
しかし、予測した身体に覆い被さる塩は、ないようです。
「助、かったの?」
エリのつぶやきに、サユは応えます。
「助かったんじゃなくて、助けてあげたの!」
「ナダレ、すごかった?」
「すごいなんてもんじゃないよ。あーぁ、あんなの見逃すなんて、本当にエリはバカだねぇ」
「バカはサユだよ」
「エリだもん」
二人はもう、気づいていました。
これまでの旅を通して、あらゆる本音をぶつけ合ってきたのです。
そういった関係が、どれほど気楽なものか。
そして、そんな関係は一朝一夕に築けるものではないのだと。
だから二人は、お互いにお礼を言いません。
合言葉のように、くっつけました。
「レイナのためだからね」
「そう、レイナのため」
- 49 名前:りんねてんしょー 投稿日:2004/10/31(日) 14:42
- 頂上まで上った二人は、案の定会話を交わしませんでした。
目配せも必要ありません。
二人の身長のでは届かない高さに、エメラルド色の空気があっても、もう驚きはしないのです。
背の高いサユが背負った荷物をおろすと、エリがその背中にまたがります。
そして慣れた作業のようにサユが立ち上がり、エリは袋に伝説の空気を閉じ込めました。
「三つ、そろったね」
エリが袋の口を結びながら言うと、サユも息を吐き出しました。
「そうだね」
「これでレイナ、助かるね」
「うん、これで終わり」
今度は本当に罠はなさそうでした。
ふたりはしばらくそのまま座っていましたが、意を決して、立ち上がりました。
「これを届けてレイナを救わないと」
「うん、でもその、レイナが治ったらさぁ……」
「治ったら?」
「遊ぶのに、加えてあげてもいいよ」
「あはっ」
「なによ!?」
「……あたしもそう言おうと思ってた」
- 50 名前:りんねてんしょー 投稿日:2004/10/31(日) 14:43
-
- 51 名前:りんねてんしょー 投稿日:2004/10/31(日) 14:52
- レイナが毒に犯されて、三ヶ月が経とうとしていました。
「ナンマンダブ、ナンマンダブ。悪いのはあの二人です。もし化け猫になるとしたら、あの二人にとりついて下さい」
ヤスダはすっかりあきらめムードです。
お化けなどというものを信じてはいませんでしたが、危険は少ないほどいいのです。
「それから、元はと言えば、自分から言い出したということを、肝にめんじて亡くなってください」
「ア、ンタ、絶対、殺す」
レイナはあれから、ずっと苦しみっぱなしでした。
二人の消息が途絶えて、一ヶ月近くが過ぎていました。
噂では伝説の三種をそろえたとも、そうでないともありました。
とにかく戻る途中の町で、急に連絡が入らなくなったのです。
「ナンマンダブ、ナンマンダブ」
「絶対、殺す」
それでこんなやりとりがなされているのです。
- 52 名前:りんねてんしょー 投稿日:2004/10/31(日) 15:01
- 期限がギリギリのある日、朗報はようやく飛び込んできました。
彼女たちの姿がそうです。
村の端に二人がたどり着いて、ヤスダの家に着いた時には、ほとんどの村民に見守られるようにして入ってきました。
「ゴクロー」
ヤスダのパシリを扱うようなねぎらいの言葉に迎えられ、二人は旅を終えたのです。
「でも、時間かかったね」
ヤスダは薬を調合しながら経緯を尋ねます。
「二人が順番に風邪にかかっちゃって」
「ちゃんとお互いに看病してあげた?」
「それはまぁ……もちろん」
ヤスダは目を細めて笑いました。
二人は相変わらず、特に目を合わせたりはしません。
それでも確実に変わったのは、うなり声を上げているレイナの目にも明らかでした。
「さぁ、できたよ。これを飲んだら、一瞬で治るからね」
- 53 名前:りんねてんしょー 投稿日:2004/10/31(日) 15:08
- ヤスダの言葉にしては、めずらしく真実でした。
解毒剤を飲んだレイナの身体から、苦痛は嘘のように消えていきました。
これまでの三ヶ月がなんだったのかと、ちょっとむなしい気分も残しながら、それでもれいなは喜びました。
「ありがとぉ、二人とも!」
「ううん」
「レイナのためだもん」
三人はレイナを真ん中に、ヒシと抱き合います。
「本当によかったね。じゃあ、そろそろ、帰ってくれる?」
「お前は殺す」
- 54 名前:りんねてんしょー 投稿日:2004/10/31(日) 15:20
- それからの村には、三人で遊ぶ姿がありました。
そして影からそれを見守って満足そうに笑う村長。
人間の心を持ち合わせていないくせにキレイな話が好きな彼女は、とっても幸福そうです。
後から分かった話によれば、伝説の三種は、とっくに伝説ではなくなっていたのでした。
確かに昔、あの毒は三ヶ月後に必ず人を死に至らしめるものとして、とても恐れられていました。
しかし、あの三種が二人以上で行けば簡単に取れるものと分かってからは、状況は一変しました。
むしろそれは観光名所となり、新たな伝説生んだのです。
二人でそれらをそろえると、その友情は一生揺るがない。
ならばレイナに演技をさせて、毒など飲ませる必要はなかったのですが、ヤスダは緊迫感を求めていました。
つまり、暇潰しで三ヶ月間、レイナは苦しむこととなったのでした。
とは言え、毒を飲ませた事実は変わらないのですが、それは小さな村です。
警察官などいませんし、それ以上に村長と医師を同時に失う訳にはいきませんでした。
島国根性丸出しの理由で、ヤスダの罪はウヤムヤになってしまいました。
レイナはまた一つ、社会の仕組みを知りました。
- 55 名前:りんねてんしょー 投稿日:2004/10/31(日) 15:40
- 三人の声が響きます。
「もういいって!あたしはあたしで……」
「いいからいいから」
「三人で遊ぶんだもん」
二人が一致団結して、レイナの扱いの悪さは二倍になりました。
「レイナはここに入り込んで」
「で、そうそう、腕を円みたいにして……」
狭い隙間で鏡の役をしながら、レイナは思うのでした。
もし、生まれ変わりなんてものがあるとしたら。
神様、どうかこいつらに煩わされないような、そんな環境にお願いします。
その祈りが届いたのか、そうでなかったのか。
はたまた届きすぎてしまったのかは、誰も知りません。誰も。
- 56 名前:りんねてんしょー 投稿日:2004/10/31(日) 15:40
-
おしまい
- 57 名前: 投稿日:2004/10/31(日) 15:44
- http://m-seek.net/cgi-bin/test/read.cgi/imp/1065798797/109n
>>26 名無飼育さん
ありがとうございます。励みになります。
>>27 名無飼育さん
ありがとうございます。お言葉に甘えて、もう一個書かせて頂きました。
- 58 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/31(日) 17:38
- 楽しかった ほのぼのしつつ淡々とヒネたところが好き
三人が微笑ましいというかレイナが気の毒というか
まあダーヤスマンセーなわけだけど
- 59 名前:空色 投稿日:2004/11/07(日) 17:43
-
- 60 名前:空色 投稿日:2004/11/07(日) 17:44
- その写真を初めて目にした時、私は何を考えただろうか。
大袈裟な感情の揺れはなかった。
飛び上がったり、涙を流したりというような感情表現と呼ばれるものはきっと、ありはしなかっただろう。
ただそれはひたすら内に。全てのしがらみから解き放たれるように、内へと迫った。
他愛のない子供の感情。
世の中や理屈を度外視して、それでも確かに新しい衝動が芽生えた。
そして、誓った。
―――いつかこの目の覚めるような青を、手に入れてやる、と。
- 61 名前:空色 投稿日:2004/11/07(日) 17:44
- 見上げると、さびついた鉄筋の屋根が見えた。
生まれた時から、それを空と呼んでいる。
幾筋か垂れたロープの一つが私へと伸びていて、それは腰に繋がっている。
命綱。碌でもない名前のついた縄は、そんな役割すらこなさない時があった。
雇い主は手入れなどしない。
それが原因で亡くなったとしても、それはこの世界では自己責任で片付けられる。
文句を言う者は誰もいないのだ。思い及びもしないだろう。
不愉快なことに、彼の口癖である“代わりはいくらでもいる”というのも事実だからだ。
頬を伝い、顎まで到達した汗が、重力に負けて私の身体から剥がれ落ちた。
めずらしいことでは、全くない。
それでもなんとなく私は、その行く末を毎回追う。
途中で見失ってしまうのだが、着地の音も聞こえてきはしないのだが、必ずそうした。
満足感はない。ただ隣り合わせの死に魅入られているだけだ。
頭の何処かで理解できていても、止められずにいた。
- 62 名前:空色 投稿日:2004/11/07(日) 17:45
- 「ほら麻琴、またボーッとしてる」
声に気がついて視線を横に走らせた。
笑顔。しかし、誰かの機嫌を伺っているような笑顔で、高橋愛は手を動かしていた。
「ありがとう」
小さく応える。先月もこれが理由で減給されたばかりだった。
何処で見張っているのかは知らないが、雇い主はこういった事柄に関して鼻が利いた。
監視は常に、ではないだろう。誰もが暇ではない。
しかしながら手を抜くといったことが起こった場合、彼は大抵無言で減給するのだった。
原因を訊かれれば理詰めで対応する。もちろん、当事者は心当たる。
金銭トラブルが殺人事件に発展することはよくあることで、そういった面で彼は誠実ではあったし、それは才覚でもあるに違いなかった。
「今月減らされると、また来年もこんなことをしてなくちゃいけんくなるで」
彼女の言葉を聞き、私は少し微笑む。
上の世界では違うだろう。しかし、かつて方言と称された言葉の差異は、ほとんど死に絶えている。
対人関係がごちゃ混ぜになる時、やはり個性は邪魔になるだけだった。
よって、それは家庭内でだけ育まれる。
脈々と親の使う言語を受け継ぎ、次の世代へと手渡していったわけだ。
彼女の操る言葉は、人間が確かに生きている証拠である。
- 63 名前:空色 投稿日:2004/11/07(日) 17:45
- 私は目の前の錆に、皮膚をボロボロにするくらい強い薬剤を振りかけながら、言った。
「もうすぐ……なんだね」
「大丈夫、絶対に上手くいく」
「もうすぐ」私は言い聞かせるように繰り返す。「こんな最下層から抜け出すことができるんだね」
彼女はうなずいた。「そんくらいあってもええやろ。神様もきっと、ドン底で這いつくばっているものに鞭打つような真似せんて」
私は思う。信じてもいない神様のこと。
そして、同じく信仰がないくせにその名を口にする愛の心情を。
それくらいあってもいい。それくらいあってもいい。
私たちのほとんどは後生大事に拝む神を失っているが、それは心が卑しいからでは、決してない。
信じられる状況になかっただけだ。
日々を恨み、無風を恨み、高温を恨み、先祖を恨みながら生きてきた。
そうしなければ、やっていられなかった。
生まれた時から、ほぼ決まってしまっている底辺の暮らし。
それを感謝しろと言う方がお門違いに他ならないはずだ。
雑巾を持つ腕に力を込めながら、邪念を振り払うように口にする。
「それくらいあってもいい!いいだろ、神様!」
愛も続く。「絶対あってもええ!なきゃおかしい!」
- 64 名前:空色 投稿日:2004/11/07(日) 17:46
- 声を出し、身体を動かすと、少しずつ愉快な気持ちになってきた。
鉄を張り巡らされた土の中の生活と、これでおさらばできる。
賭けてもいい。命綱の管理がいかに杜撰でも、今の私のロープだけは切れることはない。
愛の心配する顔が見たくて、私は片手で綱を引っ張って揺する。
調子に乗りすぎ、とやっぱり愛は注意した。
その言葉と鉄の錆びた匂い、薬剤の刺激臭、誰かの叫び声を、私は一生忘れることはできないだろう。
愛の頭越し。だいぶ下の方で、自分の動作とは関係なく、一本の命綱が切れるのを見た。
確認するまでもなかった。
彼女をそこに配置したのは、私たちだったから。
転落していく彼女を見つめながら、私は思った。
神様を信仰することは、一生涯ない。
- 65 名前:空色 投稿日:2004/11/07(日) 17:48
-
- 66 名前:空色 投稿日:2004/11/08(月) 00:29
- その写真を持ってきたのは新垣里沙だった。
家の押入れを引っかき回していたら、紛れ込んでいたという。
「これが本当の空だって」
舌足らずな喋り方で、目を輝かせていた。
その気持ちは痛いほどよく分かった。
人の心を浮き立たせて離さないような色をしていたからだ。
青いとは聞いていたが、そして青いものならばいくらでも目にしたことがあったが、どれもその色を表すには頼りなく思えた。
愛もそれは同様らしく、食い入るように見つめている。
「これが、本当の空?」
私が呟くと、里沙は何度も首を縦に振った。
「そうらしいよ。パパもママも実際には見たことがないらしいけど、そう習ったって」
「じゃあ、あれは何?」
私たちは首を伸ばし切って、それまで空だと思い込んでいたものを見上げた。
そして、ため息を吐く。何かを思い描くには、人工の気配が強過ぎる。
「たぶん、空じゃないんだと思う」
「そんなことが……あるのかな?」
「分からない。だけど、何かがおかしいとは思ったことがあるでしょ?」
里沙の言葉に、私はうなずいた。
- 67 名前:空色 投稿日:2004/11/08(月) 00:30
- 確かに色々と言葉にならない違和感に溢れていた。
行ってはいけない場所、してはいけないことがあまりに多い。
慣れ親しんだ当たり前という感情の中に、それは鮮やかに浮かび上がることがある。
禁止。禁止。禁止。
理由は分からない。咎める人も親も押し黙るのだ。
訊いてはいけないことなのだなと想像がつく以上、追求はできない。
これも禁止なのだと自分に言い聞かせるしか仕方がなかった。
「……実際に見たい」
写真を見つめたまま、ずっと押し黙っていた愛が唐突に言った。
「えっ?」
「この空がホンマにあるんやとしたら、わたしはこの目で見てみたい」
「そんなこと言ったってぇ」
里沙は困ったように眉を寄せて私を見る。
いつも、彼女が暴走した時には冷静に収めるのが、里沙より年上である私の仕事だったからだ。いつもなら。
「私も見たい」
里沙はもちろん、愛さえもが私の発言に驚いているようだった。
気にならなかった。馬鹿だと思われてもいい。笑われても一向に構わない。
それくらいの魅力を、空は持っていた。
私はだから、力強くもう一度言った。
「ねぇ、空を見ようよ。三人で本当の空を」
- 68 名前:空色 投稿日:2004/11/08(月) 00:31
-
- 69 名前:空色 投稿日:2004/11/09(火) 22:45
- 里沙には運が備わっていなかった。
俗語で“蜘蛛”と呼ばれる私たちの仕事に、命に関わる危険はつき物である。
その中では比較的安全なパートを彼女に任せていた。
安全という言葉は違うかも知れない。落ちても死なない可能性がわずかにある程度なのだから。
それでも生き残るかも知れないならと、三人の中で勝手に配置を交換して、里沙を少しでも低い位置にした。
私たちは結局、彼女が可愛かったのだ。
それが裏目に出ようとも、年下の幼馴染みを愛していた。
しかし彼女が掴みかけていた天へと繋がる糸は、文字通り途切れてしまった。
やはり、里沙には運がなかったのだ。それは彼女を失った私たちもまた、そうだ。
里沙の遺体の埋葬が終わっても、私たちは蜘蛛であり続けた。
考えるのは私の仕事ではない。
あれからすっかり無口になってしまった愛は、相変わらず押し黙っている。
隣合わせになるのは、あの転落事故以来である。
彼女は判断に迷っているようだった。
私に言わせれば、もう何かを決める必要はないように思えたのだが、熟考を改めるつもりはないらしい。
- 70 名前:空色 投稿日:2004/11/09(火) 22:46
- 里沙が撒いた、希望の青い種。
どうそれを育てていくかを計画するのは、愛に一任された。
私はただ、実務を行う労働者だ。
それで良かった。疑問を持ったことは一度もないし、今も満足をしている。
それなのに愛は、責任を感じて背負い込んでしまっていた。
彼女の性格を損だとも思うし、里沙も浮かばれると感じるのは、生き残った者の傲慢だろうか。
「全部終わったんだよ。運がなかったんだ、私たち三人は」
声をかけても、愛は返事をしない。歯を食いしばるようにして錆と格闘しているのだ。
「元々が優勝できるとも限らなかったし、これが神様の意向だったんだ」
「神様なんて、いない」
その意見には同意だった。
しかし、言い負かされてはいけない局面であることも、私は理解出来ていた。
「だとしても、三人いなきゃどうにもならない。これ以上はどうしようもないよ、里沙のためにも……」
「里沙の名前を、詭弁に使わんで!」
私は、自分を恥じる。その通りだったから。
- 71 名前:空色 投稿日:2004/11/09(火) 22:46
- しかし、愛はどうしようというのだろうか。
もちろん蜘蛛をして稼いだお金なんかでは、地上の世界への通行料には程遠い。
人口過密は、命を張ることを特別ではなくしてしまった。
私たちは決して高給取りではない。それでも働けているだけマシといった程度の生活である。
ここで手にするのは、大会への参加費。
四年に一度しか開催されない『M−X』にエントリーするためだけに汗を流しては、落下させてきた。
その金額でさえ目玉飛び出るくらいで、先の見えない労働だった。
そんな遠い未来を見据えて、愛は計画を立てたのだ。
彼女を責められる人間はこの世にもあの世にもいない。無論、神様なんかは論外だ。
「ねぇ、麻琴」
愛が自分から口を開いたのは久しぶりだった。
顔は前方に向けたままで、感情をわざと殺しているような口調だ。
「わたしが残りの分は何とかするから、二人で出場すんで。ルール上問題ないやろ」
「そんなことが可能なら、蜘蛛なんかしてない。里沙の給料が入らない以上、間に合わないよ。来月に迫ってるんだから」
「だから、それを何とかする。せやから……」
その時、私は悟った。彼女は自暴自棄になり始めている。
里沙の死によって打ち砕かれたこれまでの人生を、跡形もなく壊してしまいたいのだろう。
「……分かった」
言葉に詰まった彼女の顔を、私も見ないようにして、答えた。
一緒に堕ちる相手がいなくては、可哀相だ。
それがここまで頑張ってきた愛であるなら、私も悪くない。
- 72 名前:空色 投稿日:2004/11/09(火) 22:47
-
- 73 名前:空色 投稿日:2004/11/11(木) 23:49
- 大会当日の朝、愛は本当に穴埋めに必要な額を揃えてきた。
それでなくともここ数日の雇い主の人使いの荒さは目に余った。
損をすることが何より嫌いな彼が、見事に痛い目をみたのだ。
その自分への代償を払う名案。それが私たちをそれまで以上にこき使うことだった。
そう、代えはいくらでもいる。
少しばかり理不尽な残業が増えても、権力の傘は彼の上に差されていた。
その煽りをくって、土砂降りの痛みを受け止めながら、それでも愛は何処からか余分にお金を集めてきた。
私は受付で料金を支払う愛に、何も言わなかった。
重さをまとった沈黙の中を、滑るような連続音だけが流れた。
係りの女性は淡々と札束を指で弾いていく。流麗な動作だ。
しかし彼女は知らない。
自分が事務的に数えているその金額を、どれほどの思いで私たちが集めてきたか。
どんな意味があるのかを、彼女は知らない。
慇懃な対応で受付を通されると、控え室に案内された。
大して広くもない部屋に、参加者がギュウギュウに押し込められていた。
誰もが私たちを一瞥して、目を逸らす。
無遠慮にあからさまな笑みを浮かべる者もいた。チャンス。その表情には例外なくそう書かれる。
- 74 名前:空色 投稿日:2004/11/11(木) 23:49
- 私は肩の荷を、注意深く降ろした。
大切な競技用具だ。傷ついてしまっては笑い話にもならない。
愛もそうした。顔を見合わせる。
意外にしっかりとした瞳だった。虚ろではない、いつもの物事を決意している視線に見えた。
こんな時にでも、彼女はこういう光を宿らせることが出来るらしい。
そしてようやく、落ち着いて室内を眺めた。
三人一組の前提を破っているのは自分たちだけである。
チャンス。そうなのだろう。
焦りの感情はなかった。
私たちの目的は、もはや優勝でも、付属する賞金でもなくなっている。
こっちにとってはこの場にピンチなど存在しない。それなら一ヶ月前にもう味わった。
背筋の凍りつくような、あの場面を思い出す。
光景、匂い、音。ありありと脳裏に浮かんだ。
やっぱりだ。もうここにはない。ゲームは終わってしまっているんだ。
苦笑する。形だけ残ってしまった宝物を壊す心理に似ているかも知れない。
自分たちの居場所は変わってしまったのに、物品は傷一つなくそこに有り続ける。
人はそのギャップに耐えられない。
私たちは破壊するんだ。これまでを、これからを。
- 75 名前:空色 投稿日:2004/11/11(木) 23:49
- 一回戦の相手は、てんで話にならなかった。私たちとは計画性が違う。
大金を払って、あわよくば何十倍にも出来るという計算しか出来ない連中だったのだろう。
楽器を掻き鳴らせばそれでダメージを与えられると考えていた。
素人が一番犯しやすいミスである。
たしかにM−Xで使用される特殊ヘルメットは、音をダメージに変える。
しかし、そんな時の運で勝敗が決まるものではない。
ただ垂れ流した大音量はどんなものか気構えることが可能だし、予測がつくかどうかは、この競技において大きい。
一番大切なのは、打楽器である。これが私の担当。
正確なリズムは着実に相手の神経を削るし、それがあって初めて意外性が出せる。
意識を飛ばすような大損傷を与えるにはグルーヴが必要だ。
和音や不協和音を包み込む大きなグルーヴ。
決めのユニゾンも、肝心なタイミングは私で取る。長年のコンビネーションがものを言うのである。
- 76 名前:空色 投稿日:2004/11/11(木) 23:50
- 金網に覆われたグラウンドに、対戦相手の三人が転がった。
その瞬間、固唾を飲んで見守っていた観客のシュプレッヒコールがテントを破りそうに鳴る。
普段はサーカスに使われている閑散とした場所だが、この日ばかりは違う。
少ない娯楽の中で、最大級のイベントである。それだけに考えられないような金額が動く。
私は思う。反動というものの凄まじさを知りたいなら、ここへ来ればいい。
何処かの頭の出来のいいオジサンよりも的確に、一分の混ざり気もなく教えてくれるだろう。
しかし、実際に目にするものは普段と何ら変わらない。
火の輪をくぐるライオンも自分たちも、そう大差ないのだから。
歓声を尻目に、私たちは手を振るでもなく楽器をケースにしまった。
お互いにノーダメージであることを確認する。
アナウンスが客席に今一度盛大な拍手を要求する中を、手を取って歩いた。
別世界のように暗い通路目指して。
- 77 名前:空色 投稿日:2004/11/11(木) 23:50
-
- 78 名前:空色 投稿日:2004/11/13(土) 15:23
- 彼女を紹介されたのは、その通路でのことだった。
壁にもたれかかっていた女の子が、愛の顔を見るなり、影のある笑顔で祝福の言葉を口にしたのだ。
「最近知り合った、紺野あさ美……ちゃん。あさ美ちゃんでええやろ?」
愛のその言葉に彼女は頷く。
本当に知り合ったばかりであるらしいことが、ぎこちなさから窺えた。
「麻琴ちゃんのことは愛ちゃんから聞いてます。幼馴染みだそうで」
「ええ、それは……」
突然のことに口ごもると、愛から助け舟が出た。
「もう、何て言えばええんやろ。腐れ縁みたいになってるで、なぁ?」
「そうかも知れないね」
「知れないどころか、確実にそうやって。一部やな、身体の一部。離れていても一緒、みたいな」
「……それはどうかな」
「そうやって!絶対にそう!」
あまりに愛が強く言うものだから、私は気圧されるように同意した。
そうしたことで、満足そうに笑う彼女の顔久し振りに目にすることになった。
意外だった。憑き物の落ちたような笑みだ。
いつの間に愛は、こんな知り合いを作ったのだろう。
にこやかに会話する二人を不思議な気持ちで見つめていた。
距離感を測りかねている様子もある。心が通い合っているようにも映った。
相反するものが同居しているのだ。
- 79 名前:空色 投稿日:2004/11/13(土) 15:23
- 「リズムキープ、見事でした」
紺野あさ美。おっとりとした気質が滲み出ている彼女は、私に話を振った。
「見ていたんですか?」
「もちろん。わたしが実際に目にしたここ数回の大会の中で、一番上手な叩き手です。あなたは」
彼女はお礼の言葉を口にした私にも、同様の視線を向ける。
そういうことなのだろうか。彼女は誰とでも心を割って話すタイプということなのだろうか。
「わたしのギターはどうやった?あさ美ちゃん」愛は言った。
「予想以上でした。すごいとは聞いてはいたんですが、これほどとは、正直、驚きました」
愛は彼女の肩の辺りを何度もベシベシと叩いた。
心の底から話しているのが分かる。分かるからこそ、素直に喜んでいるようだった。
おばさん臭いが、愛なりの照れ隠しなのだ。
あさ美は続けた。
「そして何より素晴らしいのが、二人の息の合い方でした。人数が一人少ないのに音圧が全然違いました。きっと優勝、間違いがなかったでしょうね」
彼女は意外と詳しい。それ故に分かっているのだろう。過去形にした。
ちゃんとした実力を持った相手ならば、どんなに技術を持っていても、二人だと苦しい。
いつか何処かで必ず敗北が訪れる。
私たちが待っているものはそれだ。
本気で、全力で戦って、みじめにも敗れて地面に這いつくばる。
里沙さえいれば。何度も思うだろう。
感傷だとしても、彼女の存在が無くなってしまったことを嘆き、滅茶苦茶に傷ついてしまいたかった。
- 80 名前:空色 投稿日:2004/11/13(土) 15:24
- ことは順調に進んだ。
私たちは何の演出に縛られることもない。全力を尽くせばいいのだから。
トーナメントを上がっていく内に、手負いは着実に増えていった。
競技の性質上、外傷は全くない。
症状はもっと内側の、痺れや器官が正常に働かないといった形で表れる。
全てを憎みながら生きてきた。
犯罪が溢れかえっていること。
いつも圧迫感があること。これは空と呼ばれているものがただの金属だからかも知れない。
貧しいこと。これも犯罪の多さに拍車をかけている。
法律を犯さなくては生活出来ない環境である人がいること。
そして、それを厳しく罰すること。
行き場のないマイナスの感情は、得てして実態のないものに向けられる。
あるいは政府。あるいは先祖へと。
身近なものほど都合がいいのか、大抵は後者に落ち着いた。
強制があった訳ではない。ただ少しばかり楽な暮らしをしたがったばかりに、政府の謳い文句に乗せられて土に潜った先人たち。
一度そうしたことで、二度と私たちに光が届くことはなくなってしまった。
しかし、そんな運命は知ったことではなかった。
三人であの日、決めた。地上の世界へ飛び出すことを。
それだけを支えに糸を垂らして空中にブラ下がった。楽器を練習し続けた。それだけを頼りに―――。
- 81 名前:空色 投稿日:2004/11/13(土) 15:25
- ひらめいたのは突然だった。
どう考えてもこちらのダメージの方が多く、突飛なアイデアがなくては押し切られてしまうような局面だった。
愛ももはや、そうされないが為にリフを繰り返すばかりで、疲労困ぱいしていた。
私はふと、叩くのを止めた。
緊張した空気が伝わる。そうしたことで、相手は一人倒したと油断した。
無理もない。肉を切らせて骨を断つなんてことを、こんな場面でした者など皆無なのだから。
心臓が鳴った。こうしている間にもダメージは蓄積してくる。
一歩間違えれば、簡単に無意識の世界に放り込まれる。
閉じていた目を見開いた。
愛の奏でるギターだけで二小節。空気を緩ませたところで、突然にドラムをそれにかぶせた。
立ち上がってくれば私たちに勝機はなかったが、三人は崩れ落ちて、そのまま反応を消した。
地面が割れるようだった。今日一番の歓声。
満身創痍の私たちは、相変わらずそちらに反応を返すことがない。
事実はたった一つである。決勝戦へと駒を進めた。
- 82 名前:空色 投稿日:2004/11/13(土) 15:25
- 朝にはあれだけ人がいた控え室も、すでに閑散としている。
部屋の隅のベンチにドサリと腰を下ろすと、私は疲労に目をつむった。
「もう腕、ダメなんじゃないの?」
口にしながら薄目を開くと、愛は左手をグーパーさせた。
「大丈夫……と言いたいところやけど、そうみたい。もう早弾きとか、メロは無理かも知れんで」
「コードはどう?」
「うん、それくらいならいけるやろぉと思う」
訊いてみたものの、それは無意味な質問だった。リズムを刻む楽器が二つだけあっても仕方ない。
何より大事なものに違いないが、切り込んでいく楽器も必要なのだ。
それがギター。私たちは武器を失った。
「麻琴も耳、やられてるやろ?」
「まあね。右耳は完全に聞こえなくなってる」
「それで最後の考えを実行に移したなんて、信じられんで」
「信じてくれてたじゃん」
「ん?」
「ギターに迷いがなかった。私が演奏をしなくなったのに、思った通りに弾き続けてくれた」
愛はケタケタと笑う。「昨日今日知り合った仲じゃないで。身体の一部。離れていても一緒、ってな」
あさ美の前で口にしたフレーズだ。余程気に入ったらしい。
- 83 名前:空色 投稿日:2004/11/13(土) 15:26
- 沈黙が流れた。沈黙の中で、私は決勝の相手のことを考えていた。
実力の程はお墨付き。何より観戦した私が素晴らしいと感じたのだから、間違いない。
シュミレーションしてみる。もし里沙が私たちに混ざってベースを弾いていたとしたら。
紙一重だろう。それでも勝てるように思えた。
私は思わず笑みをこぼす。これでいい。これで失意を胸に眠ることが出来る。
考えた時、愛の声が聞こえてきた。
「なぁ、提案なんやけど」
彼女は提案と言いながら、決断の口調だった。「決勝戦は、あさ美ちゃんを加えて戦わん?」
思わず顔を見つめた。驚愕の表情を浮かべていたことだろう。
「それ、どういう意味?」
「二人やったら無理なことは分かってる。だからさ、あの子を加えて……」
私は愛の真意を掴みかねていた。全力で敗れなくてはいけない。
それにしても、それは残された二人の力でなくてはならないのではないのだろうか。
「そんなの無理。第一登録をしてないでしょ?」
「そのことに関しては問題ない。朝の登録の時、三人目に彼女の名前を書いておいたで」
もう一度驚いた。初めから考えられていた行動だったのだ。
「あの子、本当にいい子やったやろ?三人の中におってもおかしくないっていうか、もっと違った出会い方してたらそうなってた気がする」
それは理解出来た。確かにあさ美が輪の中にいる姿は、容易に想像がついた。
しかし、それとこれとは話が違うんではなかろうか。
「お願いやから!」私の訝しげな顔を見て、彼女は遂に頼み込んだ。「絶対に麻琴に悪いようにはせんで!」
「どうせ無理だよ?合わせたこともないんだから」
「それでも!」
「どっちみち勝てないって分かってるのに、彼女を入れるの?」
愛は頭を垂れて何度もうなずく。
- 84 名前:空色 投稿日:2004/11/13(土) 15:27
- どうなっているというのだろう。
里沙以上のべーシストがほいほいといるはずがない。
いたとしても、試合に勝てるかといえば、その答えは違うと言わざるを得ない。
グルーヴは一朝一夕で作れるものとは違うのだ。
それを打破するような発想を持っていたとしても、ベースでは攻撃に向いていない。
現状で里沙がいたとしても、それでも私たちは負ける。
あくまで初めから里沙がいて、お互いに無傷で戦った場合において、勝てると予測したのだ。
ギタリストである可能性。それでも無理だ。ツインギターは攻撃に偏り過ぎている。
それを上手く使ったとしても、今の愛にハモリのメロは奏でられない。
その長所すら扱えないのである。
「本当にそれでいいの?」
私が訪ねると、愛はいつもの目で言う。
「絶対に後悔はせん。わたしが望んだことやから」
息を吐いた。こうなった時の彼女を止める術を、私は持っていなかった。
元来、暴走を抑える役割を果たせることの方が少なかったのだ。
「……そこまで言うなら」
彼女は本当に嬉しそうな顔をした。
痺れているはずの左手と、無傷の右手で私の両手を包み込み、何度も振ってみせた。
その握力の違いが、胸を締め付けた。
もういいから、と静止するのを聞かず、彼女は浮かれ続けた。
その笑顔を見ながら、私は思い当たる。
そもそも私は、彼女に引きずられてここにいるのだったと。
初めから愛には敵わないで当たり前だったのだと、今さらながら笑みを返した。
- 85 名前:空色 投稿日:2004/11/13(土) 15:27
-
- 86 名前:空色 投稿日:2004/11/26(金) 13:42
- 歓声が一瞬、止んだ。
相手チームも自分たちもチューニングを終えて、演奏開始の合図を待っている時だった。
本来なら入れ込んだ客が、待ち切れなさを示すように声を上げ始めるというのに。
そして事実、そうなっていたというのに。
そこにあさ美が姿を見せた途端、彼女の足音が聞こえてきそうなくらい、会場が静まりかえった。
場内の雰囲気ををよそに、彼女は迷いなく歩を進める。
二つの意味があったろうと思う。
まず、それまで二人組みで勝ち上がっていた異例のチームに三人目がいたこと。
ざわめきの推移が見て取れた。
初めは知り合いに耳打ちをする潮騒のようなノイズ。
波は段々と周りを巻き込んで、この予想し得なかった状況の判断を始める。
仮説に次ぐ仮説。きっと真相を突き止めることなど出来やしないだろうが、そうする。
―――そして騒ぎたいだけで来場したのでないならば、続いての驚愕にぶち当たっているに違いない。
- 87 名前:空色 投稿日:2004/11/26(金) 13:42
- 私もグランドにいながら、その中の一人に成り下がっていた。
一揃えに持っていたスティックが地面に落ち、それらがカチリと鳴る音で我に返った。
慌てて拾い上げる。
しかし、彼女から視線を離せなかった。
テント中がそうだ。とても小さな世界だが、間違いなく今、その中心にあさ美がいた。
彼女は楽器を手にしていなかった。
開始三十秒前のブザーが競技直前であることを思い出させた。
唐突な時報は戸惑いを増幅させるばかりである。相手チームにとっては、特にそうだろう。
間抜けな顔つきで口を開いていた三人が、慌ててストラップをずらしたり、心の準備をするのが見えた。
数秒遅れて、ヘルメットに電気が流れるのを感じる。耳に届く特有のうねるような低音がそれを教えた。
楽器の性質上、私は常に一番後ろに位置していた。それ故に競技者を見渡すことが出来た。
例外無くショックを知っている身であるから、誰もがこの瞬間だけは身体が強張る。
毎回思う。それはまるで、私たち自身も電気仕掛けであるようだ。
ひりつくような緊迫感。
踏みしめた赤土に深い足跡が残る。
獣を解き放つようにヘルメットの中、耳の横で四度、機械的なクリックが流れた。
- 88 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/29(月) 18:06
- 乙。やべぇおもしろい。
- 89 名前:空色 投稿日:2004/11/30(火) 20:37
- 激しい耳鳴り。
音の衝撃がスクラムを組んだように押し合いを始める。
完全に音圧が負けていた。ダメージがこちらに接近してきているのが分かる。
相手の調子は決してよくない。微妙にタイミングがずれてはいた。
だが、多勢に無勢という絶対の条件を覆すほどではなく、あさ美は相変わらず立ち尽くしたままでいた。
もぎ取られるように左足が動かなくなったのを感じた。
まだ冷静でいられるようだった。
頭の冷めた箇所から、的確な判断が降りてくる。
即座に左足が本当に動かないかどうかの確認を選択肢から捨てた。リズムキープの邪魔である。
それを前提として、思った。
不幸中の幸い。五体で使えないところを選べと言われたら、迷いなく左足を挙げるだろう。
どうやら、私はまだ戦えそうだ。
- 90 名前:空色 投稿日:2004/11/30(火) 20:37
- 気がつくと、ある考えの中にいた。それが何故なのかが分からなかった。
自分の記憶をなぞって引き返す形になった。
引っかかりを覚えたのは何処か。すぐに答えに行き当たった。
戦える。小さく口に出してつぶやく。
言葉尻から、いつの間にか私は、不運な事故で戦えなくなった親友を思い浮かべていた。
夢のきっかけを作ったのが彼女だったことは必然である。
ゼロから何かを作り出すのは、何事にも囚われない彼女の性質に相違ないのだから。
彼女には湿っぽさがなかった。土の中が似合わなかった。
ついでに言えば、蜘蛛さえもそうだ。彼女に労働は似つかわしくない。
もっと無邪気にそこら辺を遊び回っていて欲しかった。笑っていて欲しかった。
それが許されるのならば、ハキハキとした希望に満ちた物言いを、ずっと側で聞かせていて欲しかった。
きっと、と思う。きっと私たちは、三人でなければいけなかったのだ。半人前どころか、三分の一人前。
声を出さずに笑った。それでもいい。そうありたかった。
景色が滲む。それ以上のことは理性で抑えた。
交わした約束が守られることは、もうない。
挫折。諦め。惰性による暮らし。
私たちはこれから、あの頃には考えもしなかった事柄を経験していかなければならない。
下された現実はこうだ。自分たちもまた、土の中で一生を終える。
ここに生まれた人のほとんどがそうであるように、自分たちも。
- 91 名前:空色 投稿日:2004/11/30(火) 20:38
- 神様の影が忍び寄ってくるのを感じた。信仰心とは別次元で、足音を聞いた。
彼、もしくは彼女は、鈍く錆びついた、切れ味の悪い失望の近くに住んでいるのかも知れない。
だとしたら皮肉だ。錆取りである私たちが、それに足を取られるのだから。
絶対的な存在は私たちから親友を奪い、希望に溢れた未来を奪い、何もかもを奪い去っていった。
これこそがその意思だったのではないだろうか。
底辺の者が希望を持ってあがいてはいけない。
世界を上手く回す為に、死んだような目をして労働をこなしてくれなくては―――。
考えた時、不意に全ての音が消えた。
頭をよぎったのはダメージだ。すでに右耳は音を拾わなくなって久しい。
単純にもう片方まで持っていかれたのだろうか。そう考えた。
即座に無意識が否定する。
音は聞こえる。消えたというのは錯覚だ。
どうやらそれは、他の音に注意を払えなくなっただけであるようだった。
身体中に鳥肌が立っていた。私の細胞が叫んでいた。この感覚は、そうだ。
一つの音だけが際立って届いてきたのだ。
―――わたしは、存在しもしない神様の奴隷なんかじゃない。
―――わたしたちは、関心を示してくれない世界なんてものの奴隷じゃ、決してない。
それは歌だった。あさ美は声帯を震わし、空気を揺らしていた。
- 92 名前:空色 投稿日:2004/11/30(火) 20:38
- 愛が振り返った。微笑みがその顔にあった。
アイコンタクトとは違う。
単に友達自慢のような、人の感嘆を楽しんでいるような笑みである。
続いて、察知した。完全ではなくなってしまっている身体の感覚でも分かった。
すでに主役は私たちではない。
彼女の歌を最大限に活かすように、前へ出過ぎない演奏へと、息を合わせて変える。
デジャ・ヴのような感情が通り抜けた。
こんなに優しい和音を鳴らす愛のギターを聞いたのは久し振りだった。
元々はそうであったのだ。彼女のギターの練習はコードを押さえるところから始まった。
長い期間ではない。無駄に時間を割く余裕はなかった。次第に競技に合わせて攻撃的にせざるを得なくなる。
しかし、ごく初期。彼女が初めてギターを手にした日。
誰がどのパートを担当するか決まってなくて、最初に手元に届いた楽器がそれだった。
代わる代わる三人で触って、奪い合いをした。昨日のことのように脳裏に浮かべることが出来る。
私が人には向き不向きがあるというのを知ったのもその時だった。
白旗を上げざるを得ない。そう思えた。手先の器用さが段違いで、争奪戦は彼女が勝利する。
里沙と二人、渋々それを認めると、彼女は心底嬉しそうに自分の物になったギターを抱きしめたのだった。
商売道具というより、初めての宝物を見つけたように。
それからというもの、愛は脇目も振らずに押さえにくい和音を四苦八苦しながら鳴らした。
覚束ない指先を弦で切って。ピックを演奏中にポロポロと落としながら。
そして、何よりそう、彼女はあんなふうに笑いながらコードを奏でていた。
- 93 名前:空色 投稿日:2004/11/30(火) 20:39
- タイムマシーンについて語り合ったことがあった。あさ美の歌はそんなことを思い出させた。
誰もが経験することかも知れないが、私たちにもそんな時があった。
いつか完成するのか、しないのか。できたら未来と過去のどちらに行くか。
三人とも過去を選んだ。子供であっても、周りの環境から完全に自由ではない。
みんながみんな、そちらを選ぶだろう。
そして言うのだ。
祖先に地下に潜ってはいけないとアドバイスをする、と。
時代の逆行。
私たちが行っているのは、革命を起こしながら、同時に歴史を遡ることだった。
私は知らない。私だけではなく、この場にいる誰一人として直接知っている者はいない。
また、知っている。
目にしていなくても、知識としては頭の片隅にあるだろう。M−Xはかつて、歌をぶつけ合う競技だった。
犬は吠えるし、赤子は泣く。
極めて原始的な理由と言えるだろう。音で戦うと考えた時、咽喉を武器にしようと思い至ったのは単純で明確な心理だ。
それはそれで興味深い物だったに違いない。時代は様々な発想を生んだ。
ある者は独特の唱方を手に入れ、ある者たちはコーラスを発見し、更にそれらが組み合されていく。
口でリズムだけを刻む者もいた。
低音で、ドッシリと周りの声を地につけるのに専念する者も現れた。
毎回新しいものが生まれる。その工夫は競技人口は加速度的に肥大させていった。
- 94 名前:空色 投稿日:2004/11/30(火) 20:39
- 名前も残っていない一人の天才が現れたのは、そんな時だった。
その時にはもう、M−Xは決して負けられない競技へと変貌していた。
人が多く集まる場所には、必ず同じくらい大きな金額が動く。
良いことかどうかは知らない。善悪論に興味はない。しかし、声で戦うという点において、切磋琢磨は身を滅ぼす結果になったことだけは確かだ。
勝つために、負けないために必要なもの。それは安定である。思った通りの音程が取れなくては、作戦も立てられない。
そこで天才と呼ばれる彼女は、楽器を作り出した。
その衝撃を想像することは難しい。歴史の岐路。手にした三人組は他を圧倒して優勝をさらった。
当時の人々には魔法の道具のように映ったことだろう。魔法は人を魅了する。未知な強さほど、人を惹きつけるものはないのだ。
当然の結果として、その日から誰もが歌を捨てた。顧みられることもなかった。
過去の遺物にこだわっていられるほど、大会は悠長なものではなくなっていた。
少なくとも今、この時まではそうだった。
- 95 名前:空色 投稿日:2004/11/30(火) 20:40
- スティックを振るう。魔法使いにでもなった気分だった。
愛の優しいギターが、あさ美の歌が身体の周辺をゆっくりと回っている。
鮮やかな色彩。力強さが心に広がっていく。
それ以外には何もなかった。
取り巻くものはそれで充分だ。そう思えた。
これは音楽だ。競技だとか動く金額だとか、そんなことはどうでもいい。
私たちは、音楽の中にいる。
私たちが環境から自由でなかったように、天才と呼ばれる者また、そういう宿命を背負っているのだろう。
勝敗は呆気なくついた。彼らは初めて楽器を目にしたかつての惨敗者も同然である。
確かに楽器を世に送り出した者たちは非凡だが、予定調和はもはや反転しているのだ。
発想力の勝利。
あさ美の歌は、かつての歌い手の実力には遠く及ばなかったかも知れない。
それでも彼女が声を武器にした瞬間、勝負は決していた。
- 96 名前:空色 投稿日:2004/11/30(火) 20:40
- ヘルメットを外しながら、これからM−Xはどうなっていくだろう。
巡らせようとして、首を振って打ち消した。もういい。それを考えるのは、永遠に私の仕事ではない。
あさ美が愛の元へと近づいていく。重い足取りだった。
私もそれに倣おうとして、すぐに転倒した。動かなくなった左足のことを忘れていた。
衣服を土に汚しながら顔を上げると、愛はようやくヘルメット持ち上げ、顔を左右に振っているところだった。
髪が揺れる。艶やかな長い髪が、風のないグランドで、唯一の動きを見せた。
彼女はヘルメットを置き、続いてギターを肩から外す。
あの日から愛の宝物となったギター。
いつもならそのままケースに入れるはずなのに、彼女はは大事そうにグランドに並べた。
笑顔。笑顔。笑顔。
私の方を見て、彼女は何かを口にした。遠すぎて聞こえない。
- 97 名前:空色 投稿日:2004/11/30(火) 20:40
- 私は立ち上がろうとして、腕に力を込めた。
左耳には歓声がうるさい。それ以上に自分の胸の鼓動が乱拍子で熱かった。
混乱している。この事実をどう受け止めていいのか分からない。
思った。自分はこれから愛に、どんなことを話すだろう。里沙のことをどう収めればいいのだろう。
加えて思った。でも、いい。愛はきっと、混乱を混乱のままで受け止めてくれるし、時間はいくらでもある。
私たちはまだ、何かを考え、交換し合うことが出来るのだから。
自分が乱れた口調で何かを喋り、それ以上に狂ったアクセントの彼女が笑う。
その顔を見たくなった。
だから私は、上半身を起こした。愛はまだ私を見て笑っていた。
彼女はあさ美と顔を見合わせてうなずき合うと、もう一度、私の方へ何かを言う。
聞こえないよ。
口の中でつぶやいた。
聞こえない。
愛がグランドへ頭から倒れて落ちたのは、その直後だった。
- 98 名前:空色 投稿日:2004/11/30(火) 20:41
-
- 99 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/30(火) 22:54
- 更新乙です。すげー続きが気になる。
- 100 名前:空色 投稿日:2004/12/10(金) 20:22
- 私は階段を昇っていた。
先は見えない。それはありがたいことではあった。永遠に続いてくれればいいと思っていた。
あるのは足を踏み出すたびに響く、硬質な音だけだった。
調子はリズムカルから遥かに距離を置いている。
まず右足を一段上に乗せ、それから左足を引っ張り上げるという具合であるから、それは仕方ない。
しかし、もうどうでもいい話でもあった。
細やかにリズムに気を遣うことなど、もう私の人生に訪れることはない。
表彰式には参加しなかった。
元々無意味だと考えていたが、それに輪をかけて気持ちが冷めていた。
大会や見世物としての役割にだけではない。何事に対しても意思が萎え切っていた。
主催者は許さない、前例がないと繰り返した。
私には理解出来ない種類のプライド。それを傷つけたのか、激怒していた。
だがそれも、やはり遠いところにあった。
無視して、私は賞金だけを受け取り、上の世界との国境を目指した。
全てが白日夢のようだった。現実感をなくしていた。
国境の門で金を見せた時もそうだ。
そこでの柄のよくない係の者が吹いた口笛であっても、何の感情も喚起することはなかった。
ただ、早く数え終えてくれればいいとだけ、思った。
能動的なゆらめきがない。草船が水に運ばれるように、私はただ役割をこなしているだけだった。
その代わり、未練もない。一欠けらの迷いもない。
私にとどまっていたいという気持ちを呼び起こさせるものは、すでに全て壊れてしまっていた。
向こう側からこっちへ好き好んで来る者はいない。
だから向こうの出口はただの洞穴みたいになっている。
係の一人がそう説明するを、他人事のように聞いていた。
- 101 名前:空色 投稿日:2004/12/10(金) 20:22
- そして彼らが五人がかりで開いた門の先に、この何処までも続きそうな階段があった。
めったに人の通らない場所とあって、壁にまで埃が溜まっている。
振り返ることはしないが、右側の壁には点々と私の手形が残っていることだろう。
そして、足跡。
次に通る人が痕跡を見ることが出来たとしたら、首を捻るかも知れない。
右足だけは健在で、少し離れて引きずった跡があるだけなのだから。
どんな想像をするか知れないが、きっと、こんな形でここを昇る者の姿を思い浮かべはしまい。
汗が噴き出していた。疲労も大きい。
私は立ち止まり、腕で額の汗を拭い、それからドロドロになった右手を見つめた。
それがいけなかった。
そこには分厚い埃の下に、血が固まってあった。
その凝結してしまった血液に身体が震え、もう一度強く握り、左手を添えて胸の前に置いた。
息を吐き出す。その音の他には何もない。
改めて深く、一人を感じた。
- 102 名前:空色 投稿日:2004/12/10(金) 20:23
-
- 103 名前:空色 投稿日:2004/12/10(金) 20:23
- あさ美は愛へと伸ばしていた腕を、静かに下ろした。
銃が握られていた。先から紫の煙が一筋、何に左右されることもなく昇っている。
私は咄嗟に駆け出そうとして、再び転んだ。
身体を起こすのももどかしいく思え、引きずるようにして愛の元へ急いだ。
抱き上げた彼女は血塗れだった。すでに生気はない。私は愛の胸に顔を当て、鼓動を確かめる。沈黙していた。
「……愛!?」
顔を軽く叩いた。同時に何度も呼びかける。
しかし、どれだけ続けても瞳にいつもの光が戻ってこない。
- 104 名前:空色 投稿日:2004/12/10(金) 20:24
- 上着を脱いで銃創に押しつけた。とにかく、そうした。
布はすぐに紅く染まっていく。侵食を思わせる、冷たい速度だった。
身体が動いていた。手順さえキチンとは知らない。
方法も分からないままに、私は心臓マッサージを開始していた。
「止めてください」すぐにあさ美の声がした。「直ちに中止してください。万が一息を吹き返してしまったら、
もう一度撃たなくてはいけなくなります」
無視して、続けた。
蘇生させる技術というよりは、祈りや願いに近い行動だった。
「……非常に残念です。心からそう思います。だから、もうやめてください」
「どうして」
それだけが唯一言葉になった。かすれていたが、あさ美にも聞き取れたようだった。
聞き返すことなく、これだけは揺るがない事実であるというように、彼女は口にした。
「わたしは、警察の人間です」
彼女を見上げた。「警察?警察の人間がどうしてこんなことを」
彼女は沈痛な面持ちだった。裏腹に理念を真っ当したような、迷いのなさもあった。
「残念です」
「そんなこと聞いてない!」
「残念ながら彼女は」あさ美は一度区切り、はっきりと言った。「この大会に参加するため、
会社のお金に手をつけました」
心臓マッサージをする手が、思わず止まった。そして自分の血が引いていくのを感じた。
否定する心の動きと、存在した疑問が晴れていく音とを、同時に覚える。
- 105 名前:空色 投稿日:2004/12/10(金) 20:24
- 「あらゆる金銭トラブルは、往々として殺人事件へと発展します。犯人も必死だから」
「そんなこと……」
言いよどんだ私に、あさ美はうなずいた。
「誰もが貧しい。かつて窃盗は天文学的な数字でした。それを軽い罰で済ませていたら、
秩序は滅茶苦茶です。だから政府は徐々に罰を引き上げ、今ではその場で射殺がルールになりました。
だから、犯罪者も殺されるくらいなら相手を……」
「そんなこと誰でも知ってるし、愛だって知ってた!」
「知っていながら、愛ちゃんは罪を犯しました」
「どうして」私はそれ以外の言葉をなくしたように繰り返した。「どうして、そこまでしてこんなことを」
あさ美は数秒間黙り込み、視線を何処か遠くへと移した。
私の知らない、遠い世界を見据えているようだった。
「わたしは、冤罪を何よりも恐れます。特に生死に関わる犯罪の場合には」
唐突な切り口で、彼女は喋り始めた。
「愛ちゃんが犯人だということはすぐに分かりました。彼女は犯罪に向いてません。
証拠はいくらでもありました。それこそ指紋や頭髪など、掃いて捨てるくらいに。
そこでわたしは彼女に絞って、あらゆる資料を集め、背景を調べることができました」
- 106 名前:空色 投稿日:2004/12/10(金) 20:25
- 背景。三人で上の世界を目指して蜘蛛をしていたこと。
M−Xに出場するつもりであること。里沙の転落死。
足りなくなった金額。一致する金庫から消えた金額。
理路整然とあさ美は私たちの人生をなぞった。淀みのない口調だった。
そしてそれは、一点の隙もズレもなかった。
彼女が優秀で、言葉に嘘がないことだけは疑いようもないようだった。
しかし、一点。あえて触れない箇所があることに気づいた。
その疑問を、私は口にする。
「その話が全部本当なら、どうして愛はここで死んだの?ううん、違う。どうして今日まで生きられたの?」
初めて、彼女の表情が歪んだ。その顔のまま、あさ美は愛に目を向けた。
愛は私の胸の中にいた。私は彼女の体温が奪われるのを拒むように、しっかりと抱きしめていた。
「麻琴ちゃんの言う通りです。確かに数週間前、わたしは処刑するために愛ちゃんと接触しました。
だけど、それも本当ではなかったのかも知れません。調べれば調べるほど、分からなくなっていました」
「…………」
「事実関係は明白でした。それだけにわたしは、自分のしていることが何なのか分からなくなったんです。
あなたたちは一つのことに人生を賭け、事実、懸命に努力してきました。
それなのにあんな人災とも言える事故に全てを奪われ、わたしは奪う側の手伝いをしている。
そのことに疑問が生じていたんです」
不意に私は、彼女が武器にした言葉を思い出した。
わたしは、存在しもしない神様の奴隷なんかじゃない。
わたしたちは、関心を示してくれない世界なんてものの奴隷なんかじゃ、決してない。
ラララでもいいはずなのに、彼女はあえて強い意志を感じさせる言葉を選んだ。
それも事実だった。
- 107 名前:空色 投稿日:2004/12/10(金) 20:25
- 「確かに、他人のお金を盗んだ時点で、あなたたちの行いは評価されるべきものではなくなりました。
わたしの感情も警察官として、失格です。
しかし、どうしてもわたしには愛ちゃんをその場で射殺することができませんでした」
「なら、どうして今日?」私は口を開いた。「どうしてこの場所で死ななくちゃいけなかったの?もう少しで……」
彼女は首を振った。「腐ってもわたしは警察官です。見逃すという選択肢はありません。ただ、待ちました」
「待った?」
「ええ、彼女を殺せなかった理由の一つに、同情していた相手に泣きつかれたこともあったんです」
「愛が?」
彼女はうなずいてから、小さく息を吐いた。
胸の痛くなる過去を思い出しているような表情だ。もう一度、愛に視線が降りてきた。
「愛ちゃんは言いました。“自分が死ぬのは構わない。だけど、麻琴ちゃんを上の世界に連れて行きたい”と」
何かが壊れる音がした。遠く遠いところで。
見ていた景色が急に違う顔を見せるような、そんな崩壊が起こっている。
震えているのは地面だろうか。それも分からない。
とにかく辺り一面がグラグラと蠢いていて、認識できるのはあさ美の声だけだった。
「彼女はとにかく、麻琴ちゃんのことを考えていたようです。三人の夢をあなたに託し、それを叶えようと必死でした。
二人で三人組の集団に勝って優勝する。そんなわずかな可能性に賭けて、出場に踏み切ったのでしょう。
罪を犯すことを。つまり、死を代償としても彼女はそちらを選びました。その事実を知って、わたしは、
任務を遂行できなくなりました。黙認した形で毎日、彼女の様子を伺いに通うことになってしまいました。
そして気がついた時には、それは楽しみにすらなっていたんです。不甲斐ないことですが、彼女を訪ねて、色々な話をするのが」
「色々な……話?」
「ええ。主に三人の夢の話でした。そして、M−Xの話題。わたしが前々から考えていた競技の流行の穴についてとか」
「……それで愛があなたをメンバーに?」
あさ美は再び、息を吐いた。「断れないのが分かったんでしょうね。彼女にはそんな強さがあります」
- 108 名前:空色 投稿日:2004/12/10(金) 20:27
- 彼女はしばらく黙った。かすかな迷いを含んでいるようだった。
話すべきかどうか。感情と職務を天秤に掛けているような沈黙だった。
そのまま目をつむり、やがて、開いた。
「少し、派手にやりすぎました。わたしはきっと、職を失うでしょう。それでは済まないかも知れません。
だけど、それでもわたしはまだ警察官です。彼女を見逃すわけにはいきません。
大会が終わった瞬間に処刑を実行に移すことは彼女に宣告し、愛ちゃんも事前に知っていたことです。
もっとも愛ちゃん自身、二人で優勝したとしても、その後に自首するつもりであったようですが」
あさ美の目に後悔の色はなかった。愛との会話を反芻しているのだろうか。
なつかし気に愛の身体を見つめ、それから私に視軸を定めた。
「麻琴ちゃんは、あまり自分の欲求を口に出さないそうですね」
「えっ?」
「愛ちゃんがよく口にしていました。三人の中で縁の下の力持ち的な役割をしていて、そのせいか、
欲しいものを欲しいとあまり言わない。言ったのを聞いたのは一度しかないって」
嫌な予感がした。否定したいことが山ほど募った。
愛の性質を考えて、鼓動が打つごとに熱を帯びていくのを感じた。
愛の話した内容を知りたい。同時に耳を塞ぎたい衝動にも駆られていた。
「そう、空の写真を初めて見た時のことです。麻琴ちゃんが心から欲しそうな顔をして、それを言葉にした。
彼女は嬉しそうにそのことを何度も繰り返しました。その表情。あまりにも嬉しそうに話したことが、
わたしが彼女に請われるまま、処刑をこの瞬間にまで延ばした大きな理由の一つです」
私が口を挟みかけると、彼女はそれを遮った。
確かに、その言葉を口にする意味はなかった。愛本人にはもう届かないのだから。
「そしてもう一つ。わたしも、この世界で生まれ育ったの人間です。土の中から出ることはないでしょう。
わたしにとっても、あなた方は希望だったということです。できれば、一緒に夢を見ている立場でありたかった」
あさ美の口調には、冷静さの中に隠しきれない感情が漏れ出ていた。
押し黙っていると、彼女はテントの屋根に視線を移した。
「それでもわたしは警察官です。そのことだけは捨てるわけにはいかないんです。分かりますか?」
- 109 名前:空色 投稿日:2004/12/10(金) 20:27
- 彼女はいつまでも顔を下ろすことがなかった。
もしかしたら、テントの上にある空を見ているのかも知れなかった。
もちろんそれは、教えられてきた鉄筋のものなどではない。
未だ目にしたことのない色をした空。そして、一生目にすることのない空。
いつまでも彼女は、それを見上げていた。
- 110 名前:空色 投稿日:2004/12/10(金) 20:27
-
- 111 名前:空色 投稿日:2004/12/10(金) 20:28
- それぞれが、それぞれの思惑を持って行動した。
あるいは過去と未来の破壊に付き合うつもりで、あるいは命を賭して誰かの夢を叶えるため、あるいは信念を持って。
そして、私はこうしてのうのうと、一人で階段を昇っている。
三人の人生のほとんどを費やして得た賞品を背負って。そんな資格などありはしないのに。
誤解が全ての根底に流れていた。
私は愛の心情を分かってあげることが出来なかった。
彼女の心の中には、片時も諦めというものが存在しなかったのだ。
里沙が亡くなってしまった時、彼女は自分の命を捨てて、私を三人の夢として送るわずかな可能性を選んだ。
それなのに私はその真意を誤解して、それが正解のつもりでいた。
お気楽に、労働に従事しているだけだった。
- 112 名前:空色 投稿日:2004/12/10(金) 20:28
- しかし、と思った。愛も私を理解してはいなかった。当然だ。
自分でも気づいていなかった。それがあまりに当たり前として、前提条件にあったから。
だけど、はっきり自覚した。
あさ美が初めて写真を目にした日に触れた時、内なる疑問、限りなく否定に近い疑問が沸きあがった。
私は確かに空を渇望していた。
苦しい時にはその色を思い浮かべ、楽しい時にもそうすることでさらに心を浮き立たせた。
支えと言い換えてもいいかも知れない。疑いなくそうであるに違いない。
だが、それだけだっただろうか。
本当に私は、空のあの色にだけ惹かれていたのか。
いつもその想像の中には、誰かがいなかっただろうか。
思い描いて胸を震わせる時、一緒に喜びをかみ締め合う二人の姿がありはしなかっただろうか。
愛は、彼女自身や里沙がその夢に含まれていることを、知らなかった。
暗闇の先に小さな光が見えてきた。
夢の終着地点。きっと、子供の頃にあこがれて、手に入れてやると誓った青が広がっている。
私は目を閉じた。足元の階段を確かめながら上っていく。
引きずっている左足を持ち上げるのは煩わしかったが、苦労には思えなかった。
写真を思い出す。里沙が私たちに希望をもたらした、あの写真を夢想した。
自分の足音だけが硬い音を響かせた。
つむったままの目に、光が迫っているのを感じた。
それでも足を踏み出した。身体に触れたことのない熱が降り注いでくる。
動物の鳴き声らしきものも聞こえた。さえずりというやつかも知れない。
歩きにくい地面は、直接草花が生えているようだ。
しばらくそのまま歩を進め、やがて、足を止めた。草原。私はそう呼ばれる緑の中に立ち尽くしているのだろう。
- 113 名前:空色 投稿日:2004/12/10(金) 20:29
- 離れていてもいつも一緒だよ。つぶやいた。
あさ美に聞いた、愛が生涯最期の言葉に選び、私に呼びかけたという文句。
きっと彼女は、里沙の分も込めて口にした。
何度か直接耳にした言葉。その意味も、私は分かってあげられなかった。
愛が予測していたこの事態を、空虚な気持ちで迎えている。
そしてやはり、その声はむなしく響いた。
一人だった。どう考えても一人だ。
それでも私は、感情を込めずに何度もつぶやいた。
離れていてもいつも一緒。
離れていてもいつも一緒。
離れていてもいつも一緒。
離れていても……。
つぶやきながらゆっくりと顔を上げ、光に向かって静かに目を開いた。
- 114 名前:空色 投稿日:2004/12/10(金) 20:32
-
――― 空色 完 ―――
- 115 名前:空色 投稿日:2004/12/10(金) 20:39
- http://m-seek.net/cgi-bin/test/read.cgi/imp/1065798797/7n
>>58 名無飼育さん
ありがとうございます。さらにもう一つ書かせていただきました。
>>88
>>99 名無飼育さん
ありがとうございます。安心しました。
- 116 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/10(金) 23:22
- いいもん読ませてもらいました。ありがとう。
- 117 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/11(土) 01:12
- 作者グッジョブ
- 118 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/18(土) 21:31
- 当初、直書きで一気に書き上げることを目標にスレを頂きました。
それが出来たのは初めのやつだけで、二つ目は二日にわたり、
遂には直書きでは終わらせる自信がなくなり、グズグズな更新になってしまいました。
なので、ここを案内板のボツネタUPスレを書く人限定の作者フリースレにしたいと思います。
自分と同じように、何処に書いていいか分からなかった人は、ここにどうぞ。
他の人が書いたらどうなるのか、興味がありますし、絶対に読みます。
これ以上でしゃばるのも何なんで、レスするかどうかは約束できませんが、読みます。
性質上、一気に上げるべきですし、複数の作者さんが使うことになるので、
手元で完結してから一気に更新するのをルールにしたいと思います。
これからは自分もそうしますので。
では、真に勝手ですがお願いします。
案内板のボツネタUPスレを書く人限定の作者フリースレです。
- 119 名前:蝉時雨 投稿日:2004/12/23(木) 15:13
-
携帯PCは今日がこの夏の最高気温を記録したことを静かに告げている。
それは老女には少し暑過ぎるくらいだった。
- 120 名前:蝉時雨 投稿日:2004/12/23(木) 15:14
-
老女は日傘を差しながら静かな足取りで目的地へと向かっていた。
近年滅法強くなった紫外線は、街行く人々の肌を焦がし侵食していく。
近年、夏の日に外出する人間はごく稀なものとなっていた。
オーストラリアでマラソン選手が外で練習を続けていた事が原因で、
皮膚を癌細胞に犯されてしまった報道が流れたのはもういつの時だった事か。
それ以来夏の日に出掛ける人間がめっきりと減ってしまったというのだから人間が分かりやすく可笑しいものだ。
その代わりに蝉が異常繁殖し、鳴き声が騒音問題にまで発展している事を思うと、
人間がいかに浅はかな進化を続けてきたのかが窺える。
いつだって過ちは犯してからその重大さに気づくものだ、いつだって。
- 121 名前:蝉時雨 投稿日:2004/12/23(木) 15:15
-
“中澤”と書かれた表札の下のボタンに手を添えると、電子音が小さく響く。
間もなくしてスピーカーから枯れた声が絞り出された。
「おーよく来たなぁ。ま、上がっとき。」
声が途切れると次に門が静かに口を開く。
市井紗耶香はそれを合図にその錆び付いた足を踏み出した。
ドアの前に到達する前に、中から中澤裕子が顔を見せた。
ドアノブがその細く皺の多い手にしっかりと握られていた。
「待っとったで。」
「ここ暑過ぎ。東京はこんなに暑くなかった。」
「しゃーないやろ。福知山が東京より寒いはずないやん。」
「そだね。」
くだらない雑談で足止めを食らいたくなかった市井は、
自ら玄関へと身体を動かす。
中澤は避けるように身体をドアと密着させると、市井が通った事を確認してドアを閉じた。
- 122 名前:蝉時雨 投稿日:2004/12/23(木) 15:15
-
居間と食堂を兼任した部屋へと招かれた市井は早速テーブルに備え付けてあった椅子に座った。
部屋の中の空気は冷房によってよく冷やされていた。
外とは全く違う空間に急にワープしたような錯覚を覚え、同時に市井は軽く心臓を摩った。
市井を迎えるためか、中澤は埃の被ったたこ焼き機を押入れから引っ張り出してきた。
箱に大事そうにしまわれたそれを取り出す。
焜炉をテーブルに置き、その上にたこ焼き機を置いた。
「洗えよ。」
「紗耶香よく気づいたなぁ。」
火を点す前に中澤は枯葉のような手でたこ焼き機を洗い場まで運んでゆく。
しかし筋肉をほとんど失った腕は小刻みに振動している。
そんな危な気な中澤を見るに見かねてか、市井はその重い腰を上げて中澤からそれを奪い取った。
- 123 名前:蝉時雨 投稿日:2004/12/23(木) 15:16
-
「すまんのう。」
騒音以外の何物でもない蝉の鳴き声を掻き消すべく、中澤は掌と掌を強く弾き合わせた。
ぶつかり合う乾いた音が壁にかけられたテレビまで届くと、
真っ暗闇だった画面に多種多彩な色が浮かび上がらせる。
やがて音が流れ始めると、それに伴って蝉の奏でる音色も聞こえなくなった。
スクリーン上では20代半ばの女が原稿に時折視線を落としながら、
淡々と事実を読み上げていた。
「もう何年経ったっけ。」
「40年くらいかのう。」
「裕ちゃんもう70超えたもんね。」
「余計なお世話やっちゅうねん。」
世間話をしながら、市井が洗い終わるのを待つ。
『――次のニュースです』
声と、原稿をめくる音だけが室内を響く。
- 124 名前:蝉時雨 投稿日:2004/12/23(木) 15:17
-
漸くセットされ、完成したたこ焼きに、市井は満足そうに顔に皺を作った。
中澤は串に刺してそれを皿に盛ると、その上に筆でソースを塗りたくり、青海苔を塗した。
仕上げに鰹節を球体の上に乗せると、鰹節は二人にダンスを披露した。
「「いただきます」」
声が重なると、二人目を見合わせる。
すぐに口元から笑みがこぼれた。
テレビを流れるニュースの映像を傍観しながら、二人は昔話をしていた。
『昨日未明、東京湾から12人の老女が死体で発見されました』
悲痛なニュースが流れても、二人は表情一つ変えない。
ただ顔の中における皺の寄り具合の若干の変化を除いて。
『死体が見つかったのは東京湾の――』
「裕ちゃんいつこっち帰ってきたっけ?」
「一昨日やなぁ。」
「あ、そりゃそうか。ごめん変な質問して。」
ニュースを聞き流すような会話を繰り広げる二人。
しかしその耳元は確実にスクリーンへと向けられていた。
- 125 名前:蝉時雨 投稿日:2004/12/23(木) 15:18
-
熱く焦がされた球体を頬張る。
口内で踊りながら溶けていく固体を楽しみながら、尚もテレビから目を離すことはない。
『――殺人事件と見られ、捜索願が出されていた藤本美貴さんら元モーニング娘。の――』
「懐かしいよね。」
「せやな。」
動揺するそぶり一つ見せずに話し続ける市井と中澤。
その瞳は不思議と冷めていた。
「いつだっけ?裕ちゃんが借金に困ったえーっと、亀田?にお金持ち逃げされたの。」
「1年半前やったかなぁ。ていうか亀井やで。」
「ああそうか。」
市井は声に出して笑うとコップに注がれた麦茶を口に含む。
残り半分ほどまでそれを飲み干すと、静かにテーブルの上に落とした。
- 126 名前:蝉時雨 投稿日:2004/12/23(木) 15:18
-
『死亡解剖の結果が出次第記者会見が――』
中澤は椅子から立ち上がると、生地を焼型へと流し込む。
すぐに液体が焼ける音が聞こえてきた。
豪快にかけるのがコツやねん、自慢げの中澤に市井は微笑した。
『モーニング娘。とは20世紀の終わりから21世紀初頭にかけて活躍したアイドルグループで――』
淡々と読み上げていくアナウンサー。
彼女はその存在を原稿を読んで知ったのだということに、二人は気づいている。
「もうとっくに過去のものなんだもんなー。」
「せやな〜・・・。いつやったっけ、お前んとこの奴が石川と浮気しとったの。」
「35ね・・・いつだったっけなぁ・・・。」
『―――次のニュースです。東京都江東区の公園で変死体が発見されました』
次々と物騒なニュースが流れても姿勢を崩す人間は家にいなかった。
事実を無表情で伝えていくモニター越しの女と同じくらいに淡々と。
たこ焼きを食していく。
- 127 名前:蝉時雨 投稿日:2004/12/23(木) 15:19
-
『死体で発見されたのは後藤真希さん――』
口に運んでその味を楽しむ。
筆に大量のソースを浸すと、好き放題にたこ焼きに塗った。
暫くしてその代わり果てた色に満足すると、老女は口に含んだ。
歯と歯を繋ぎ合わせてしっかりと咀嚼する。
『東京湾での事件との関連を――』
「・・・・・・。」
黙々と残ったたこ焼きを全て胃の中へと納めると、やがて老女は静かに立ち上がった。
静かに部屋から玄関へと歩くと、そのまま家を出た。
家の中は空っぽだった。
テレビから流れる女の言霊を残して、何も。
ただ煙と強烈な香りだけが部屋中を舞っていた。
- 128 名前:蝉時雨 投稿日:2004/12/23(木) 15:19
-
『松浦さんの事件も一連との事件との関連を――』
遂さっき出て行った老女が家へと思い出したように戻ってきた。
居間まで落ち着いた足取りで到着すると、合掌。
部屋の壁と跳ね返って響いた音は、壁にかけられていたそれの機能を停止させた。
世界に音と存在がなくなった刹那、老女は歩き出した。
老女を見送るかのように、蝉時雨が降りしきる。
騒々しく、飽きもせずに。
やがてその部屋から誰もいなくなると、そこには蝉の鳴き声だけが騒がしく残った。
- 129 名前:蝉時雨 投稿日:2004/12/23(木) 15:20
- ――――終幕。
- 130 名前:蝉時雨 投稿日:2004/12/23(木) 15:20
- http://m-seek.net/cgi-bin/test/read.cgi/imp/1065798797/12
- 131 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/01/12(水) 03:02
- ひたすらにGJ
- 132 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/01/25(火) 17:41
- はじめまして。
「りんねてんしょー」に爆笑させてもらいました!
こんなに愉快なお話しはなかなか無いですね。
これからも頑張って下さい♪
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