フェンリル・ブラッド

1 名前:_ 投稿日:2004/11/21(日) 20:19
「いいかい、美貴」

昔、姉貴に言われたことがある。
あの小さい姉貴があたしを見下ろしていたのだから、きっと小さい頃だ。
きっと、あたしがサッカーを始めた、小さい頃。そして、姉貴がまだ生きていた頃。

「美貴の中にはね、あるすごい生き物が眠っているんだ。さて、なんだと思う?」

なんなの、お姉ちゃん。あたしの中に何がいるの?
きっとそんな感じであたしは姉貴を尋ねたのだろうね。
姉貴は、こう答えたんだ。

「美貴の腕の中にはね、狼さんが眠っているの。美しく、貴い狼が」
そして姉貴はあたしの手を握ったまま、頭を優しく撫でたままこう言った。

「いいかい、美貴が困ったときは左手を太陽に当ててごらん?
 そしたらね、美貴の中にいる居眠り狼さんが力を貸してくれるからね」

だから強く生きてね、美貴。
不思議そうに見つめるあたしに、姉貴は天使のように穏やかな顔をして微笑んだんだ。
2 名前:_ 投稿日:2004/11/21(日) 20:20



あたしは、今でも思い出す。
姉貴の右足が、フィールドに魔法をかけるその瞬間を。


3 名前:_ 投稿日:2004/11/21(日) 20:20



†フェンリル・ブラッド†


4 名前:_ 投稿日:2004/11/21(日) 20:21

1.目覚め   wolf awaking
5 名前:_ 投稿日:2004/11/21(日) 20:28

大きくサイドに開いたボールに、雨上がりの西光が照りかえる。
それは雫が散らばるスタジアムに虹を描き、美貴の左サイドに落下してくる。

空に浮かぶ、もう一つの太陽。そう感じるときがある。
それは自分達を照らすと同時に焼き焦がすものとも考えられるのだ。
故に、栄光と破滅の象徴。そして飛び交う、名誉と汚名の咆哮。

美貴はインサイドでボールを迎える。
インパクトの瞬間、衝撃を外へ逃がすと、それを吸い付けた。
開始3分のファーストタッチ。美貴はトラップをして、ゆっくり息を吐く。

転がる太陽を蹴りだす時は、常に覚悟がいる。
1度動き出してまったらもう止まることはできないからだ。
太陽の周りを公転する小さな惑星のように儚い存在なのかもしれないな。
美貴は、そう思いながらボールを見つめる。

6 名前:_ 投稿日:2004/11/21(日) 20:30

意思を吹き込むように、ゆっくりボールを転がした。
短く刈られた芝にボールが滑る感覚。
今まで体育館でプレイしていた美貴にとって芝は未知の領域だ。
敵が本格的に動き出すまでにはまだ時間がある。
それまでに、どこまでフィールドに慣れることができるだろうか。

敵の右サイドハーフ8番が進路の先で、大きな体躯を広げて立ちはだかった。
外へ逃げようが、中へ突入しようがしとめられるといった自信あるスタンス。
美貴は勝負したい気持ちを抑えて、中央のパスコースにいる、
10番後藤真希へとボールを送る。

目の前の女が、にやりと笑いを浮かべた気がした。
勘違いするなよ。決して、自信がなかったわけじゃない。
そういった視線を美貴は向ける。
7 名前:_ 投稿日:2004/11/21(日) 20:35

試合が決まったのは三日前だった。
そして、美貴が代表に招集されたのはさらにその一日後。
フォーメーションやコンビネーションの確認も満足にできず、
メンバーとの意思疎通も上手く取れているとは言えない状況だった。
8 名前:_ 投稿日:2004/11/21(日) 20:47

前線にいるFWが声も出さずにじっとボールを待ち続ける。
明らかにオフサイドゾーンにいる2人に、後藤は困ったようにため息をついたようだった。
受け手の見つからないボール。後藤は仕方なく、後ろへと下げる。
パスを受けた5番。すると途端に、相手がプレスをかけてくる。
味方5番へDFが集中砲火。囲まれた5番が苦し紛れのパスを出す。

おそらく、FWがたいしたプレイヤーでないことが敵に知れたのだろう。
ディフェンスラインがもはやハーフラインにまで至ろうとしている。
果たして、この異常なゾーンプレスにどれだけ日本が耐えられるだろうか。
美貴がぼんやり眺めているとほつれたパスが美貴の足元に流れてきた。

美貴がボールを受けた瞬間、敵の標的が美貴へと変わる。
迫るMFが見える、人数は2人。
おいおい、あたしとやる気かよ。美貴は思わず笑った。
今度は攻めるからね、覚悟はいい?
美貴は足首にボールを吸い付けると、彼女らを静かに威嚇した。

9 名前:_ 投稿日:2004/11/21(日) 20:48

敵5番が突撃してくる。強烈なチャージ。
腹部にハンマーのような、衝撃。しかし、美貴にはびくともしない。
残念だけど、あたしはもっと強いショルダーを受けたことがあるね。
うろたえる8番を右手で剥がして、美貴は前進する。
そしてフォローに回っていたもう1人のDF、6番の股にボールを通し置き去りにしていく。

これが、最強と謳われるアメリカの実力だと思うつもりはない。
ただ、これが今のU−19のアメリカと美貴の実力の差だということだ。
それに、彼女らは度重なる遠征で疲れている。だから美貴にとっては、当然のことである。

2人を抜き去った美貴はそのままエンドラインまで駆け上がる。
思ったより滑るボールが小気味良い。少しずつだが、馴染んできたようだ。
美貴はボールを足の裏で抑え、味方MFの上がりを待つ。ファーに9番、ニア前方に11番。
確認して、右足を振り上げた。誰もいないところにグラウンダーのクロスが入る。
10 名前:_ 投稿日:2004/11/21(日) 20:49

本来、美貴のポジションはサイドハーフではない。
左ピヴォ、それが北海道でフットサルをしていたときのポジション。
サッカーでは、左トップの場所、つまりは9番の位置でプレイをしている。
だから美貴は、ゴール前でフォワードがどんなボールを要求しているかがわかるのだ。
そして、どんなパスが敵GKの嫌がるものかも。
11 名前:_ 投稿日:2004/11/21(日) 20:51

ボールは11番を通り越して、ペナルティエリア中央へ渡った。
後藤が疾風のごとく、駆け上がる。敵は2人の役立たずに集中して、後藤にはついていない。
悠々と後藤はインサイドでボールをトラップした。

GKが後藤へ突撃してくる、1対1の対決。
後藤はGKの動きを慎重に見定め、右足を放った。
低弾道のループシュート、ゴールキーパーの手を3cm越えて放物線を描く。
しかし回転がかかり過ぎたボールはあえなくポストに跳ね返り、必死の形相のGKにしがみつかれた。

12 名前:_ 投稿日:2004/11/21(日) 20:52

ごめん、調子こいちゃった。
パスを出した美貴に手を合わせてウインクをする。
ああ、いいよ。ドンマイ。ナイスプレイ。
美貴は手を軽く振り、後藤のシュートを評価した。
2日しか練習できなかったが、彼女とのコミュニケーションだけは築かれていた。

絶好のチャンスでの失敗。
普段なら憤きどおりを感じるところだが、彼女の笑顔に思わず顔が緩む。
不覚にも面白い奴だなと思ってしまうのだ。
この青き十字架を背負うプレッシャーなんて気にも留めていない。
ここ大一番にループシュートをやってのける、この女を。


後藤真希、17歳。
若くしてレイナスのエースとして、フィールドに君臨するトップ下。
日本人とは思えない強いフィジカルと、最高峰のテクニック。
司令塔に必要なクールヘッドと、ファンタジスタが持つイマジネーションを併せ持つ天才児。
監督がU−19の中枢に置いたのも納得できる。

しかし、彼女の評価されるべきはフィールド上だけではないことを美貴は知っている。
ロッカールームでのムードメイク、ファンやチームメイトへのサービス精神。
サッカーに対する紳士的な考え方。サッカーへの隔てのない愛情。
彼女を知るサポーターとチームメイトは、栗色の髪をした彼女をこう呼ぶと言う。
ライオン・キング。フィールドに陣取る、愛しい百獣の王様と。
13 名前:_ 投稿日:2004/11/21(日) 20:54
笑いあっていた美貴と後藤だが、GKの強烈なパントキックを見て全速力で自陣へと走る。
自分と彼女以外は信用してはいけない。それが、美貴なりの仲間意識だ。

ガタガタのディフェンスラインは美貴の予想通りまたたく間に突破される。
センターサークルにたどり着く頃には、敵サイド7番のレイナがエンドラインまで達したのが
目に入った。
レイナはじっくりと味方の上がりを待っているようだ。
しかしDFはめまぐるしくスペースを探すFWへの対応に追われてレイナへのチェックに手を
回すことができない。

アメリカ人にフィジカルでは勝てない。
ボールを上げられては、高さを止められない。

「つぶせ! 7番をつぶすんだよ!」

危険なのはFWではない、正確なクロスを放つあの7番だ。
叫ぶ美貴。しかし、その声もむなしく高い弾道のセンタリングがペナルティエリアに入った。
敵味方が入り混じる。密集地帯から抜け出したのは金色の髪。
鋭い角度で落ちたボールを、鼻筋の通った顔が捉える。
ふわりと浮かんだヘディングシュートは、キーパーの指を越えバーの上をかすめていった。
14 名前:_ 投稿日:2004/11/21(日) 21:01

やられた。
ペナルティエリアに戻ってきた美貴は思わず息をついた。

カウンターからの速攻。
高さを生かしたサイドアタックからの空中攻撃。
失点にはつながらなかったものの、完全に敵の攻撃を完結させてしまったのだ。

後方で走っていた後藤がほっとした表情で戻ってきた。
悠々と、美貴と並走して言う。

「いやぁ、危なかったね」
危なかったどころの騒ぎではない。
後藤の言葉に、美貴は黙って眉をひそめた。
15 名前:_ 投稿日:2004/11/21(日) 21:02
「まぁまぁ、そんな顔しないの。
 これで奴らの手が少しずつ見えてきたってことなんだからさ」

あの子たち、あたしらのフォーメーションの欠点を上手く突いてきてる。
呑気に後藤が呟いた。その顔にまったく緊張の色がない。
だが、後藤の言うことには不思議と説得力がある。

連中は2トップにボールを持たせるような攻撃パターンは考えていないようだ。
サイドアタック中心の攻撃展開。そして、フィジカルを生かしてハイのクロスからの空中戦を
制するつもりだ。
16 名前:_ 投稿日:2004/11/21(日) 23:39

相手の思惑を淡々と語る後藤に美貴は舌を巻いた。
北海道でフットサルをやっていた美貴は、サッカー自体の経験を多く積んでいるわけではない。
だが独特の環境で育った美貴には、ボールの流れの見る力に絶対的な自信があったのだ。
その自分と彼女の見解がひどく似ていることに、美貴は驚いたのだった。

「まぁ、決め付けるのは早いけどね。でも、大丈夫」

ふにゃと顔を緩めて、後藤は美貴の肩を揉む。
あんま、硬くならないの。サイドハーフさん。

「信用してるんだからね」
後藤は、お終いと肩を叩くと元のポジションへ戻っていった。
17 名前:_ 投稿日:2004/11/21(日) 23:40
まったく、呑気すぎるよ。
美貴は肩を1つ回し小さく息を吐くと、左のラインに沿って走り出した。
だが、それは決してため息ではない。
見てろよ、アメリカ。先に点を入れるのは、あたしたちだ。
美貴が吐いたのは、小さな宣戦布告だ。
胸に小さな火が灯る。左手が、少しだけ疼いた。
18 名前:_ 投稿日:2004/11/21(日) 23:41
19 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/22(月) 01:54
初投稿お疲れ様です。
ストーリーだけでなく文章の構成にも何か惹かれました。
期待してます!
20 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/22(月) 09:10
龍時?
21 名前:_ 投稿日:2004/11/29(月) 00:54

いつの間にか陽は落ち、空は黒曜の輝きを放っている。
プレイの間についたスタンドの照明が、フィールドの緑を強く映す。
GKがパントキックで前線にボールを送る。
11番が高さで競り合う。

こぼれたボールを後藤が拾った。
そのまま、敵陣へ単身切り込んでいく。10歩先、敵ボランチの5番が進路を遮る。
対峙した5番を前に彼女は足の裏を乗せ、ボールを止めた。
5番がチェックに走りこむ、それを見た後藤は自分のほうにボールを引いた。
キングが、にやりと笑う。あれはいたずらを考えている時の子供の顔だ、
美貴はそう思った。

22 名前:_ 投稿日:2004/11/29(月) 00:57

5番が足を伸ばした瞬間、後藤は身体を左回りに半転させた。
後ろに逃げたボールが左足に吸い付き、小さな弧を描いた。
栗色のたてがみがふわりと揺れた、その瞬間ボールが前に動き出す。
生き物のように5番の足の横を通り抜けていき、5番を置き去りにした。
後藤がゆっくり前を向くと、ボールは王の足下へ再びおさまっていく。

マルセイユターン、この名前の由来が南フランスの港町だと教えてくれたのは
姉、なつみだった。
世界最高のプレイヤーと称されるフランス代表10番、ジヌディーヌ・ジダンが得意とするフェイント。
ボールキープに絶大なテクニックがなければできない、最高難易度の必殺技だと聞かされていた。


美貴はこの技を直に3度見たことになる。
1度目はなつみが試合中に。2度目は亜弥が練習中に。そして、3度目はこれだ。
23 名前:_ 投稿日:2004/11/29(月) 00:58


追ってくる6番をフィジカルでねじ伏せると、後藤はそのままペナルティエリアに侵入した。
敵壁は3枚、流石に正面からの突破は難しいだろう。
後藤が左サイドに目を配ったのが見えた。美貴はオフサイドラインぎりぎりまで駆け上がる。

案の定後藤の足から鋭いスルーパスを送られてきた。左足でしっかり吸い付ける。
ペナルティエリアから4番からチェックに迫ってくる。
美貴は5秒後のフィールドをイメージしながら自分の攻撃展開を考えた。
パスか、ドリブルか、それとも。美貴の瞳に赤い光が宿った。

24 名前:_ 投稿日:2004/11/29(月) 00:59


ファーへのクロスを上げるように、右足を踏み込む。
そのまま逆の甲でボールを叩く体勢を取った、4番が壁になろうと飛び上がる。
それを見た美貴は即座に体の向きを変え、左インサイドで右足の踵後ろからボールを前へと送り出した。
クライフ・ターン、飛び上がったままの4番の脇をするりと抜けて置き去りにする。

そのままペナルティエリアに突入、ニアポスト隅を見定め左足を突き刺した。
全身の血を足首に結集させる。オーバーヒートしそうなほどに熱くなった右足を解き放った。
高弾道のミドルシュート、キーパーが右手を伸ばす。右回転のかかったボールが直撃する。
わずかの差でポストに当たったボールは、ペナルティエリア中央に落下した。

25 名前:_ 投稿日:2004/11/29(月) 01:00


シュートがはずれたにも関わらず、美貴は表情をまったく変えなかった。
ただじっとボールの行方を見つめていた。自分の想像力と彼女の能力を信じているからだ。

26 名前:_ 投稿日:2004/11/29(月) 01:02


美貴の作り出した3秒後のフィールドを、ライオンが我が物のように駆けぬける
敵DF陣がキングの再登場に這い蹲った。ペナルティエリアには倒れたままのGKしかいない。
こぼれ玉を拾ったのはもちろん、栗色の髪が光に透ける彼女の右足。
4秒後には後藤から繰り出された右のインサイドキックが、今度は確実にゴールを捉えた。



静かにネットが揺れ、ホイッスルがスタジアムに響いた。
仲間たちの声にならない叫びが聞こえ、後藤が駆け寄ってくるのが目に映る。
イメージした5秒後のフィールドの上で、美貴は彼女がいるスタンドに向かって左腕を突き上げた。

前半32分、U−19日本女子代表が先制点をあげた。

27 名前:_ 投稿日:2004/11/29(月) 01:03



28 名前:_ 投稿日:2004/11/29(月) 01:05


感動冷めやらぬまま美貴は左サイドに落ち着いた。
思っていたより左サイドという位置は悪くはなかったようだ。
フットサルよりもフィールドが広い分、運動量は大きくスタミナの消耗が激しいのは事実。
だが広い分プレッシャーは急に厳しくはならないし、考えてから行動できるという良い面もある。
サッカーもやればできるもんだね。
美貴はそう思いながら、アナウンスの声を聞いた。

その声はキックオフ前に、スタジアムに選手の交代があることを伝えていた。
トップ下にいた13番が下がって、10番がフィールドの中に入ってくる。
入れ違い様にキャプテンマークを譲り受けると、10番はトップの2人を呼び出し指示を送った。

29 名前:_ 投稿日:2004/11/29(月) 01:08


敵10番には見覚えがあった。
ミカ・トッド。今年のワールドカップにもレギュラーとして出場した選手だ。
アメリカ人にしては小さい体躯を存分に生かしたドリブルは、アメリカ代表キャプテンジュリーが
”ラビット”と絶賛するほどの足捌きだと向こうのマスコミが報じていた。
キャプテンシーもあり、ゲームメイクにも優れたプレイヤーだとこちらの解説が絶賛していたのを美貴は思い出していた。

30 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/12(日) 23:11
サッカーはそこまで詳しくないけど
読んでて面白い。引き込まれる
冒頭の話とどう繋がるのか、楽しみ
31 名前:__ 投稿日:2004/12/22(水) 00:06

アメリカの11番から試合がリスタートする。
元の位置に戻って一息入れると、敵の目の色が変わっていることに気づいた。
ようやく本気になったか。なめた真似しやがって。
心の中で吼える。ミカが出したボールが美貴のエリアに入った。
受け取った8番の進路を遮る。近づけばその背丈の差は明瞭となった。
サイドハーフだが、決してスピードで攻めるタイプではない。
じっくり足元を据える。8番はそのままミカへリターンした。
32 名前:__ 投稿日:2004/12/22(水) 00:12

8番がミカの位置に入り、代わりにミカが美貴の正面に入り込む。
ガタガタのディフェンスラインは穴だらけだ。
前線へパスを通そうと思えば、いくらでも通せるはずだ。
なのに、ミカの足にボールを送る仕草は見えない。勝負する気なのか。
プレッシャーを掛ける。ミカは顔色を変えない。
33 名前:__ 投稿日:2004/12/22(水) 00:14

磁石のように離れないボール。たまらず美貴が右足を入れる。
瞬間、ミカが笑った。そして、美貴の後方へ思い切りボールを蹴りだす。
急いで反転して、ミカの服に手を伸ばす。だが、その手は空を切る。
瞬く間にミカとの距離が広がった。完全に置いてけぼりをくらってしまった。
34 名前:__ 投稿日:2004/12/22(水) 00:16

「くそっ」

悔しさを、声に出した。急いでミカの後を追う。
ボールを持っているにも関わらず、彼女のスピードは持っていないときのそれと
変わらないように感じる。だがここで、抜かせるわけには行かない。
ファール覚悟で右足を滑べり込ませる。
しかし、渾身のスライディングはミカの左足をかすめるだけだった。

グットバイ。

遠くなる背中からそう聞こえたのは、決して気のせいなんかじゃない。
35 名前:__ 投稿日:2004/12/22(水) 00:42

左エンドラインまでたどり着いたミカが右足から鋭いクロスを放つ。
二度目になるはずの空中戦、混戦状態の中を飛び出したのは味方DFだった。
だが、ボールは遥かに高い軌道でペナルティエリアを飛んでいく。

味方DFの頭を掠っていくこともないただのミスキックだと
上空を浮かぶボールを見て、日本代表のほぼ全員が感じていただろう。

だが、サイドライン際の美貴だけはその光景に違和感を覚えた。
36 名前:__ 投稿日:2004/12/22(水) 00:43

確かにミカのキックはFWに合うようなセンタリングではないだろう。
だが、10番を背負った人間は決していい加減なプレイはしない。
少なくとも自分が今まで見てきた10番は必ずチームの期待に応えてきた。
なつみや飯田、そして亜弥のように、仲間の信頼を一心に受けるプレイヤーだった。

1対1というリスクを背負ってまでサイドを突破した理由が必ずある。
そして、あのハイボールには別の狙いがあるはずだ。
目を閉じて、2秒先のボールの行方をイメージする。
ちょうどボールがペナルティエリアを飛び越え右サイドに落ちるところだった。
がら空きのスペースに走りこむ黒い髪が美貴の頭によぎる。

FWは囮だったのか、だとしたら。
ボールの真意に気づき、ミカがいたはずの場所へ視線を向けた。
しかし、その先に彼女はいない。
美貴はフィールドを見回すが、彼女の小さな体は簡単に見つけ出せない。
37 名前:__ 投稿日:2004/12/22(水) 00:45

ラインの真ん中で止まるボール、7番レイナがトラップした右足で蹴りだした。
そのままゴールライン際を独走する。味方5番が止めにかかる、しかし追いつけない。
味方GKが前に出、レイナを体で止めにかかる。

2人が衝突して、ボールが流れた。いや、直前にレイナが流したのか。
ペナルティアークにボールが走った、右足がそのボールを受ける。
そしてその小さな体が前を向いた。ミカ・トッドが左足を振り上げる。
38 名前:__ 投稿日:2004/12/22(水) 00:53

見つけたぞ、ウサギ女。
美貴がペナルティラインを縦に駆け上がる。
あと三歩だ。三歩で奴の体をねじ伏せられる。
シュート体勢のミカが見えた、とっさに右手を伸ばす。
3、2、1、届け。
その瞬間、ミカの足からボールが離れた。



ミカは空を切った美貴の右手を優しく握ると言った。
「ファールはノーですよ。フェアで行きましょうネ」
そう笑顔で戒めると、倒れこんだ美貴を起こす。



そして、緩やかな回転がかかったボールは無人のゴールへ吸い込まれた。
前半43分。アメリカが追いつき1−1。
わずかなサポーターが沈黙するスタジアムに、ただネットの揺れる音だけが聞こえた。

39 名前:__ 投稿日:2004/12/22(水) 00:54


40 名前:__ 投稿日:2004/12/22(水) 01:04
ありがとうございます。

>>19さん あんまし期待しないでくださいよ。でも、よかったら覗いて下さいね。

>>20さん 少なからず影響されているかもしれません。でも、結構違うもんですね。 

>>30さん 専門用語が多くてわかりずらいかもしれないですけど、覗いて下さいね。
41 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/23(木) 09:04
始まったばっかで言うのもアレだけど面白いです!!
42 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/14(月) 22:43

ハーフタイム。
ロッカールームは敗北にも似た倦怠感で充満していた。
前半終了間際の失点、それは想像以上の心理的ダメージをチームに与えていたようだ。

日本人は1つの失敗に関してネガティブにしか考えられない。
それは、日常生活にしてもスポーツにしても必ず現れる。
次も失敗しないように、もし失敗したらどうしよう。
誰しもあるだろう、不安。その気持ちがプレイの幅を狭める。

それなりの反省と解析を終了した美貴は、ベンチから立ち上がる。
薄暗い部屋の中、他のメンバーたちは汗を拭きながら
それぞれの失敗にうなだれていた。

今後の試合の組み立てを検討しようとロッカールームを見渡すが
キャプテンである後藤の姿がどこにも見えない。
不思議に思った美貴はロッカールームを出てピッチへの階段を登った。
43 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/14(月) 22:51

ライン際を走ると、ストレッチをしている後藤を見つけた。
後半のハードな展開を予期しているのだろうか、実に入念に足を伸ばしていた。
美貴は少し驚いた。
ふやけた顔は相変わらずだったが、
その太ももにぎっしり詰まった筋肉はもはや十代の女子のものではなかったからだ。

「ふぅん? 案外やらしいんだね、ミッキーは」

目の前の曲がる背中から声が聞こえた。
日本女子の若きキングは、ぼんやりした顔をしているくせに勘付くのは早い。

「別にやらしくなんかないよ。
 ただ、ロッカールームに来ないで何してるのかなって思ってただけ」

覗き見をたまらず否定した美貴に、んあ、そうと後藤は表情を変えずに言った。
間延びした低い声は、不思議とスタジアムに響き、夜の空へと飛んだ。
44 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/14(月) 23:15

「まぁ、後藤が何か言う必要はないよ。だって後藤が言わなくても、みんな考えてるじゃん。
 1つの失敗について、分析し反省することは必要だと思う。
 それは他人に言われることじゃなくて、自分で気づかなきゃ」

ふぅん。美貴はそう鼻を鳴らした。
意外だったのだ。後藤という人間が
茶目っ気がありそうで、かなりストイックなのか。
だが、後藤はそんな美貴の気持ちを透かしたかのように言葉を続ける。

「勘違いしないで欲しいんだけど、別に突き放してるつもりなんかないよ。
 常に1人1人が自分とファンのために最高のプレイをって考えて欲しいんだ。
 アタシは信じてるから、このチームを。
 このチームで、最高のサッカーが実現できると信じてるからね」
45 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/14(月) 23:18

後藤の言葉を美貴はどこか鼻で笑っていた。
お人よしもいいところだ。サッカーはそんなに簡単なスポーツじゃない。
お遊戯なら、よそでやってくれ。あたしには関係ない。
心の中で毒づいて、振り返った美貴の肩が不意に熱くなった。

「なんかさ、ミッキーってストイックだよね。
 もうちょっと肩の力抜いてさ、今この試合を楽しもうよ」

はい、お終いと美貴の肩を揉んだ手を振ると、後藤は美貴が入ってきた階段を下りた。
背負うは10の数字、フィールドの誰よりもその責任を肩に巻いているはずだ。
なのに、そう思っていた美貴にはどうしても後藤の存在ががわからなかった。

まるで感じないのだ。
身に着けた蒼いユニフォームの重さや試合に対するマイナスな感情が、彼女には。
そして、変わりに映るのだ。
自分以外の10人に対する厚い信頼や試合に対する真っ直ぐな気持ちが、彼女には。

「あたしには、わからない」
姉と似た背中を見せる後藤を見送ると、考えを解くように自身のストレッチを始めた。
46 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/14(月) 23:18

47 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/14(月) 23:23
後半戦開始直前、メンバーがピッチに姿を現した。
一足早く上がっていた美貴は、なんとなく空を見上げた。
鈍いスパンコールが、ライトの奥の闇の中、小さく遠くに輝いている。

午後7時、天井がすっぽり開いたスタジアムは思ったよりも少し肌寒かった。
雪の降っていない12月を見るのは、生まれてはじめてかもしれない。
とはいえ、試合が終わり北海道に戻れば早速雪かきを手伝わされるだろうが。

スタンドにいる亜弥は相変わらず笑顔を崩すことなく、
友人の高橋という子とお喋りに夢中だ。
試合に見に来てるのか、それとも友達と遊びに来てるのか。
少し呆れてフィールドに視線を戻すと、前半よりも強くなったスタンドの照明に少し目が眩んだ。

ナイトゲームというのは、日本女子にとっても珍しいことである。
男子のA代表となれば、夜の試合は昼のそれを上回るのは当然だが
その他の代表メンバーは昼中の試合が組まれるのがほとんどだ。
ゆえにスタジアムの照明がもたらす視野感などの
ナイトゲーム特有の感覚を体験する機会に恵まれない。
アメリカの遠征により、夕刻に開始時間がずれたこの試合は
そういった意味でも非常に貴重な経験を得るチャンスでもある。
48 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/15(火) 00:21

後半のホイッスルが鳴った。
トップ9番からのボールを後藤が受け取る。
すると前を向いた後藤に向かっていくつもの敵の波が押し寄せた。
前半よりも何倍も早く、隙のないプレス。
後藤は突破を図らずサイドへとボールを回す。
受けた右サイドの8番は一瞬前を向く素振りを見せたが、すぐにボールを後方へ戻した。

最終ラインでのパス交換が終わったのを見計らって美貴は腕を上げた。
後方から緩やかな回転がかかったボールが落ちてくる。
着地したボールを優しく足元に置き、前方へ目を向ける。
侵入経路にたちまち人数が増える。人の波が押し寄せる。

やってやろうじゃん。

美貴は口元をにやりとさせると、ボールを強く蹴りだした。
せまる6番を右手でねじ伏せ、左に走るボールを足に吸い付けた。
ボールのリズムが胸の鼓動と同じ調子を刻む。
そのまま駆け上がると、ペナルティエリア直前で美貴は足を一旦止めた。

右斜めに5番、その奥さらに右に4番がいるのを確認できる。
アーク内にいる後藤はダブルチームで身動きが取れないようだ。
トップ9番と11番はそれぞれマンマークを受けている。
49 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/15(火) 00:22

やってやろうじゃん。

もう1度笑うと、猛然とペナルティエリアに切り込んだ。
足を大きく広げて待ち構える敵5番を背に抱える。
美貴は即座に視線をペナルティアークへ向け、体を右に巻いた。
敵の視線が後藤に注がれ、重心が右に傾いた。
その瞬間、美貴は敵の又にボールを通し左に切り裂く。

敵4番のDFが美貴の前に走りこむ。
右手で相手の動きを牽制すると、左足でゆっくりとボールを跨ぐ。
右足、左足、右足、連続のシザースで敵の足を止めた後、右足でボールを蹴りだした。
緑色のグラスの上を少し浮いたボールが弾んでいく。

敵陣にはGK以外誰もいないはずだ。
そう認識した美貴はボールに追いついて、そのまま左足を踏み込んだ。
狙うはゴール左下隅、得意なシュートコース。
いつものように右足が芝から離れる、瞬間だった。
50 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/15(火) 00:23

「美貴!!」

遠くにいるはずの後藤の声が、はっきり聞こえた。
危険を知らせる悲鳴に似た声。それでも、右足を止めることはない。止められるわけがない。
後ろから刃物を磨いだような、鋭く擦った音がせまってきた。
これで美貴にはわかった。自分の身に何が起きようとしているか。
それでも、美貴は止めたくなかった。そして、それが災いした。

「美貴!!」

2度目の後藤の声で美貴は左足から宙に舞った。
まず、斜めに崩れていくゴールが見えた。次に敵3番の足が見え、そして目一杯に蒼が広がった。
最後に着地。ぐしゃりと何かが潰れたような、気味悪い振動が伝わる。
さっきまで見えていた青信号がいつの間にか赤に変わり、そして黒へと消えていく。
失われる意識の中で、美貴は自分を呼ぶ姉の声が聞こえた気がした。


51 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/07(木) 13:24
保全
52 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/24(金) 11:27
待ってます

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