卒業モラトリアム
- 1 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/25(木) 06:43
-
去年の夏の安倍卒業発表あたりの話です。
- 2 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/25(木) 06:46
-
#プロローグ──あるいは完結された絵の挿話。
- 3 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/25(木) 06:47
- 気が遠くなるくらいの久しぶりの完全無欠の休みの日、それは本当に久しぶり
で、前日までは、その休みは自分の中にこり固まった、いくつかの疲れをほぐ
せると信じていた。
カーテンを閉めきったまま、朝起きてから、まだ一度も外を見ていない。
部屋の中は厚手の生地に負けずに入ってくる光のお蔭で、まだ少し薄暗いだけ
にとどまっていた。ひんやりと冷房が効いている部屋で、テレビの明かりが色
とりどりに壁に反射している。
矢口の手には、コントローラーが握られていて、たまたま通りがかった店で勢
いに任せて買ったままに、持て余していたゲームソフト数本を次々に入れ替え
て少しだけ進めては、ハイ、セーブなんて遊んでいた。
なんだ、その反抗期。バッカじゃないの? なんて自分に毒づきながら。それ
でも、その行為はいくらかは疲れをほぐしてくれる気がした。
- 4 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/25(木) 06:47
- 目まぐるしく回る日々、充実感って言葉の意味さえよくわからなくなってくる。
そんなものを噛み締める暇もないくらい次々と新しく何かが始まっては、何か
が終わっていた。それこそ、ちょっとした充実感だとか、そんなものは1秒、
いや、もっと早く一瞬で頭から消え去っていく。
時刻を確かめると、まだ夕方の4時で、さっきまで外を想像するのも嫌になる
くらいに、じりじりとカーテンを焼き付けていた太陽は沈んだのか、差し込む
光は弱まり徐々に部屋を暗くしていて、テレビはゲームを消すと映る青色の画
面を映したまま、部屋全体をあやしげな青い光で照らしていた。
夕立。雨音に気づいたのは、一通り持ってるゲームのプロローグを見終わった
くらいだった。その音は気づきだすとボリュームを一気に上げたみたいに耳に
付き始めて、その度にぷつぷつと思考が途切れるようでイラつき小さく舌打ち
すると、コントローラーを手から離して暗い部屋の天上を見つめた。
- 5 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/25(木) 06:48
-
空白。
いつからこんな空白を感じるようになったのか。時間が自分を追い詰めて、急
き立てて、まるでベルト・コンベアーに乗ってるかのような感覚で毎日が進ん
でいく。
どっかの誰かが、そのスイッチを切っちゃうみたいに、矢口を乗せたベルト・
コンベアーは、たまに音もなく止まる。そんな時に矢口の時間に空白が生まれ
るってわけだ。
「キッズの中の何人かとのグループ、曲だすぞ」
「あ、はい。」
「エッセイを出すことになりました。」
「あ、はい。」
「今度のシャッフルユニットは…」
「娘。の新曲は…」
「セクシー女塾で…」
「さくら組の…」
はいはいはいはいはいはいはい。
「なっち、卒業決まった。」
「あ、そう。」
それでも、まだベルト・コンベアーは進む。
どこまで加速するんだ、というくらいに。
- 6 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/25(木) 06:48
- 神妙な顔をして、なっちを超えてその向こう側に何があるのかしんないけど、
カオリはなっちの後ろの方を見ていた。
なっちはなっちで不安そうな顔をしつつも、どこか嬉しそうな顔をしていた。
そして、あ、そう。なんて言った自分は多分、何も考えちゃいないし、何も抱
えちゃいない。けど、嫌に神妙な顔をしてみせた。
ザーザーザーっと、
部屋まで入ってきた耳をつく雨の音は、さっきほど気にならなくなっていた。
矢口と、カオリに卒業が決まったことを告げたなっちは、その後すぐ他のメン
バーにも報告した。それぞれの反応を流し見ても、もう見飽きた、くらいの感
想しか出てこなかった。
さっきと同じような顔したなっちに、さっきと同じような顔を作ったままの矢
口。カオリは、どこかに消えていた。泣いているのかもしれない。
その気持ち、圭ちゃんの卒業を見届けた矢口にはちょっとくらいはわかってあ
げられるかもしれない。と、考えて嫌になる。
誰かの悲しみをわかるなんて感じて一体何になるというのだろう。悲しみをぬ
ぐうことなんてできず、ただ同じように悲しくなるだけなのに。
- 7 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/25(木) 06:48
- テーブルの上に置いていた携帯が勢い良く振動音を鳴らし、さらに耐えがたい
ほどの高音を自ら鳴らしていた。その騒音にハッと我に返る。雨は止んだのか、
雨音はもう聞こえなくて、部屋の中はより濃く青が増していた。
「ハイハイ?」
ディスプレイにはカオリの名前が記されていた。
彼女が電話してくるなんて、すごくめずらしい。カオリの言葉を待っていると、
彼女は何か悪いことをしたみたいに気まずそうに話し出した。
用は今から家に来いってことだったのだけど、矢口は今何してるの?という言
葉から始まり、色々探りながら、ようやく矢口が「じゃあ、行くわ」っていえ
るのに時間は5分も費やした。
- 8 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/25(木) 06:49
- タクシーを呼んでカオリの家に着いた頃には、もう空は暗かった。
カオリの家の前にたって、チャイムを鳴らす。カメラで矢口の姿を確認したの
か、カオリは突然ドアを開けた。
突然ドアが開けられて、目を丸くして驚いている矢口を見てカオリは少し恥ず
かしそうにはにかむと、いらっしゃいと家の中に通した。
「ここにくるのいつぶりだっけ?」
部屋に通されて足にまとわりつく2匹の犬の相手をしながら聞くと、すっごい
昔じゃない?とカオリは笑う。
私生活でカオリはあんまりメンバーと関わろうとしない、よって矢口もここに
来るのは随分昔のような気がした。
久しぶりに足を踏み入れたカオリの部屋は、前と特別変わったという印象はな
かった。シンプルだけど、1つ1つ選ばれた家具やら、飾られた絵や、その全部。
置かれてるものが控えめに自己主張している。ここは自分の居場所だって感じ
に。だから、きっといつまでもいつでも迎えてくれる。そんな感じがするんだ
ろう。
それと、なにか独特な変なにおいがした。
- 9 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/25(木) 06:49
- 「そんで今日はどうしたの?カオリが家呼ぶってめずらしくない?」
カオリが飲み物を出してきて、しばらくあたりさわりの無い会話をしてから聞
いた。
「うん、ちょっとね、矢口に見て欲しいものがあって」
見て欲しいもの、なんとなく来た瞬間から気づいてた様な気がする。
そんでカオリも矢口が気づいてるのを知ってる気がする。家に入った時から、
油絵のにおいがすごくした。カオリからもする。そう言うと、正解ってカオリ
は笑った。
- 10 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/25(木) 06:49
- カオリの後ろについて部屋に入ると、そこには1枚の絵が立てかけてあった。
絵を見た瞬間、そこから動くことができなかった。
カオリはその絵の横に立って口を開く
「前からね、描いてたんだけど。昨日、仕事終わってからずっと描いてて、や
っと今日描きあがったら、すぐ誰かに見て欲しくなって、」
カオリのどこか言い訳がましく響く声を遮る
「…前からって、なっちから聞いた時から?」
急に話を切られて、言葉を宙に浮かせたカオリはきゅっと口を閉めて黙って頷
いた。
- 11 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/25(木) 06:50
- 絵はメンバー全員、過去、今。
全部あわせた21人が舞台の上で歌っている絵だった。衣装は、映像でしか見た
ことのない愛の種の時の衣装で。
「のんちゃんがさ、カオリに言うの。踊ってる時、なっちが時々消えちゃうん
だって、声とか聞こえるのに。のんちゃんがなっちを見失わないようにって、
ずっと見てても、歌ってるなっちが薄くなってちゃうんだってカオリに泣いて
言うの」
レッスン中、辻は何度か倒れた。貧血に見えるその症状は辻にそんな景色を見
せていたのかと思う。
「そうなんだ」
なんとか声を絞り出した矢口の目から次々と涙が溢れていっては、落ちた。
カオリの絵はあたたかくて、モーニング娘。は全員がそこにいて、楽しそうに
歌っていた。
「だから、のんちゃんや、みんなにって、この絵描いたんだ」
カオリは少し誇らしげに言う。
「みんな、よろこぶよ」
声にならない声で、笑顔にならない笑顔で、そう言うと、ありがとうってカオ
リは肩を震わして嗚咽を漏らす矢口をやわらかく包み込んだ。
「大丈夫」
矢口より大きいカオリの腕の中で、胸くらいの位置からカオリの声がゆれて聞
こえた。
「昨日まではさー」
自分の顔をカオリに押し付けて、
自分が泣いているのか泣いてないのかさえ良くわからなかった。
「昨日まではさ、大丈夫だったのに。」
カオリの身体をまた強く抱きしめて顔を埋めて泣く。
- 12 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/25(木) 06:50
-
まるで小さい頃、両親に連れられてお祭りにいってはぐれた時みたいに。
知らない大勢の人の中から心配そうにやってくる母親を見つけたときみたいに。
何かにつかまってないと不安だった。
誰かの支えがないと不安だった。
泣きじゃくる矢口をカオリは優しく頭をなでた。
2分、3分、正確な時間はわからないけれど、多分そのくらいで泣き止み落ち着
くと、カオリから離れた。
「なんかさ、間違ってるよね」そう言って笑う。
そもそも、カオリに呼ばれたのは矢口なのに、カオリに慰められるのは少し間
違ってる気がする。そう?とカオリは笑うと、今日はわざわざ来てくれてアリ
ガトウ。とわざとらしく言った。
- 13 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/25(木) 06:51
-
#1
- 14 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/25(木) 06:51
- カオリの絵を見てから、日に日に気分が悪くなっていた。
気が付けば、どこか見覚えのある小さな島にいた。
周りを見渡しても見えるのは大きな空と、広い草原と、海の表面をずっと続く
延長線。いつかどこかでこの景色をみたような懐かしい匂いがする場所。
でも、そこはもう二度といけない場所で、そこに立たされるたびに幾度とない
独特の悲しさに打ちのめされた。その度に、自分の思考に足をとられるみたい
に、ぶくぶくと混沌とした深い海底へと引きずり込まれそうだった。
*
うまくいえば、あの絵は気づくきっかけとして機能したし、
わるくいえば、寝た子を起こした。
*
- 15 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/25(木) 06:52
- あの絵、持ってこないの?そう聞くと、まだ完成してないから、とカオリは言
った。
ダンスレッスンの日。いつもの光景。
他のメンバーは思い思いに固まって誰かと話したり、休憩していたりしている。
矢口は壁にもたれて座っているカオリの横に座って話しかけた。
なんで?あの時、完成してたじゃん。そう言いかけてやめる。
どこかに納得いかないとこでもあったのだろう。
どっちみち、自分らの為に描かれた絵をカオリが見せないわけがないのだ。
だから、納得いくまでは絶対持ってこないだろう。
「楽しみだね」
「ん?」
「みんなに、見せるの」
そういうと、カオリはそうだねと微笑んだ。
タンポポの、うちらの最後の時の絵。
黄色のライトで埋め尽くされたタンポポの絵。
あの絵を見たとき、うちら3人は、それぞれに泣きそうになった。
どんな映像より、カオリの描いたあの絵が1番綺麗だった。
後から聞けば、彩っぺにもあれを見せに行ったらしい。
そんな時のカオリは本当に得意げに見えた。
- 16 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/25(木) 06:52
- ふと、カオリを見上げると目線は一点に集中していた。
その目線の先には辻が居て、どこか呆けたように遠くを見ていた。
「ちょっと行ってくるわ」
そういうとカオリは立ち上がった。
──無理だ。その喪失感を埋めることはできないよ。
カオリも知ってるはずなのに。
無意識にそう心の中で呟く自分を笑う。
酷く寂しい。
瞬時にまた、あの場所へと投げ出されそうになる。
周りとの距離が一気に遠ざかり、胃から異物がグッと押し上げてくる。血が一
気に上がってきて、指先がその熱さでチリチリとして感覚がなくなっていく。
そのうち、耳がキーンと甲高い音を鳴らしだして、頭は発熱したみたいに熱く
なって、意識が沈んでいく。
- 17 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/25(木) 06:53
-
ふいに泣きそうになってるのを耐える。
三角座りをしている膝に額をつけて、言い聞かせるように何度も何度も丹念に
繰り返す。
耐えろ、耐えろ。せめて、今は耐えろ。
「矢口?どした?」
いつの間にか、力を入れていて握り締めていたのか、手に持っていたペットボ
トルの形が変わっていて、汗のじとっとした感触を残していた。その手の上に
なっちの手が優しく包まれていて、顔を上げると心配そうになっちは矢口を覗
き込んでいた。
「ん。なんでもない」
そう答えるほか、どうしようもない。
なっちはホッとしたように良かったと微笑んだ。
「あのさ、まだ休憩時間あるじゃない?」
なっちは矢口の手を持ったまま、そういうと立ち上がって屋上行こうと誘った。
この間、みんなでたまたまその日やっていた打ち上げ花火を見れたことをきっ
かけに、なっちは時にはひとりで、時には矢口や他のメンバーを誘って屋上へ
たびたび上がっていた。
- 18 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/25(木) 06:53
- 屋上へのドアを開けると、むっとした熱気が入ってくる。
冷夏だった今年は、夏の終わりが近づくごとに少し暑くなっていってるみたい
だ。
ちょっと憎々しいくらいに晴れ上がっていて見事に青く高い夏空だった。
「うわー、今日はあっついねぇ」
なっちはそういうと、自分の定位置と決めたらしい場所に座り込んで空を見上
げる。
「夏ってさ、暑くてヤダけど、こうなんていうか開放感って感じがいいよね」
そういって、その隣に座る。
ああかもしんないってなっちはうなづく。
「なっちさ、こないだソロのイベントしたじゃん?あの時すっごい晴れてたん
だよ、今日みたいに。…気持ちよかったなあ」
少し懐かしそうに言うと、なっちは仰向けに寝転がって、座ってる矢口のTシ
ャツをくいくいと引っ張った。習って寝転ぶ。
ますます空との距離は遠くなった。
眩しいけれど、これはこれで気持ちいい。
「ね、矢口」
「なに?」
「なっちさ、たっまーにね、恐くなるよ。」
なっちとは何度も話した。今まで卒業していくメンバーが出るたびに、これか
らどうなるんだろうねー。なんて、お互いに口にしあって無理に安心しあった。
「ほんと、もういやだーってなるくらい恐くなる」
「うん」
「でもさ、負けてても仕方ないからさ」
「うん」
「矢口は、恐い?」
「うん」
恐いんだ。歯車がかける感じ。
なっちの卒業が発表された時から、空気が微妙に変わった。
メンバー全員が触れないように。見ないように。きっと、そこにある不透明に
存在してる不安に、触れてしまえばダメになるから、恐いんだ。
だから、カオリは辻がつまづくのを恐れるのかもしれない。
海に船ひとつで投げ出されたみたいに
延長線の上にいて、途方にくれる。
時間だけが頼りだった。
そして、その砂時計はまだ、ひっくり返されて間もない。
なっちは無言で矢口の隣に寝転がって空を見上げてて、
矢口もただ黙って寝転がって、その途方もなく高くて大きい空を見上げた。
- 19 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/25(木) 07:14
-
#2
- 20 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/25(木) 07:15
- 休憩時間が終わり、部屋へ戻ると人工的な冷風が少し汗ばんだ身体から賢明に
その熱を奪おうする。その冷たさが気持ちよかった。
冷夏だといっても、それなりに夏を感じるくらいには暑く文明の利器に感謝す
る。
去年の夏は、今年とは比べ物にならないくらい暑くて、今でも思い出すと眩暈
がするくらいしんどかった。あの時の所為で、ますます夏が嫌いになった。
気が遠くなるほどの暑さは、どんどん矢口の身体から体力を奪っていく。
夏はきっと、あの独特のパワーを保ち続けるために、人間の力を吸い取ってく
んだよ。なんてガラにもなく思う。
やっぱり夏は、好きじゃない。
午後になって、辻が倒れた。
レッスン中でまだ良かった。本番なら大変なことになっていただろう。
少なくとも、お客さんにその姿を見せなくてすんだ。
そして、周りのメンバーは駆けつけることができた。
- 21 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/25(木) 07:15
-
辻が倒れたのを1番に気づいたのは加護だった。その次、駆けつけようとした
なっちを、カオリは制してカオリが駆けつけた。
それをみたのは、矢口だけだったと思う。
視線を直すと、辻の周りをみんなが心配そうに囲っていた。スタッフにおぶら
れた辻は部屋の隅っこの長イスに寝かされた。みんななんとなく付いていく。
なっちはその場を動かず無表情に、その光景をみていた。
その間、矢口も動くことができなかった。
そのまま、なっちを見つめていると彼女は矢口の視線に気づいたらしく、少し
悲しそうに微笑んだ。こういう時、なっちはいつも顔で表現することを隠す。
そこには、ただ空ろな顔だけが映っていた。
- 22 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/25(木) 07:15
- 自分がここ何年かで学んだいくつものモノの中に
「来るものは拒まず、去るものは追わず」という言葉がある。
去ると決まってるものを追うと、物事が円滑に回らないからだろう。
いつかの矢口みたいに、今の辻みたいに。
そして、去るものは追ってくるものに手を伸ばしてはならないのだ。
なっちにはそれが良くわかっていたし、カオリもそれを良くわかっていたし、
矢口もそれを良くわかっていた。
そして、例外なくみんながそれぞれ、それを良くわかっていることを知ってい
た。
*
その晩、なっちと久しぶりに、ふたりでご飯を食べに行った。行く前にカオリ
を誘っても、ごめん。今日は行けないと断られた。
きっと今日もカオリは絵を描くのだろう。
辻のために、みんなのために。
- 23 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/25(木) 07:16
- 今までも何度か来た事のある小さなレストランへ行った。
決まったメンバーになると、いつも同じ店に行くことが多くなる。
だいたいメンバー同士で食事をしていると、たまに気付かれて食事するのにも
疲れ果ててしまうことがある為、ゆっくりしたいときや、疲れている時はあん
まりごった返していなく、それでいて個々にプライバシーが守られるような店
に行く。
地下にあるそのお店は照明も明るすぎず、BGMも耳に付かない程度に流れてい
る。礼儀正しい店員につれられて、少し奥ばったテーブルに通された。
- 24 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/25(木) 07:16
- 「ここにくるの久しぶりだね」
なっちはそういって、手渡されたメニューを眺めてる。
「いつだっけ」
メニューに目を通して、お腹が減ってないことに気付いた。
ここの所、食欲があまりない。ワインでも頼めば少し食欲がわいてくるかもし
れない、そう思うけど、つい最近お酒を覚えた自分としては、そんなに飲みた
いと思う代物じゃない。
「あー…そう、圭ちゃんと、カオリで来たんだよ、仲直りした時くらいに。あ
ー、最近、圭ちゃんともご飯食べてないや」
なっちは苦笑すると
「なっちもこうやって矢口と仕事帰りにご飯を食べに来ることも少なくなるん
だよね」と、しみじみとため息なんてついてる。
「そんな悲しいこというなよー」
いつもの軽いノリであったけれど、ズキッと胸が痛んだ。最近ずっと自分を悩
ませていることは、どこに居ても癒されることはない。
「淋しいねぇ」
「それって、こっちのセリフ」
そういって無理に笑った。
「卒業したみんなもさ、こんな気持ちだったのかね…ってゴメン」
少し乾いた感じになっちは笑うと、何食べる?と話をそらした。
- 25 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/25(木) 07:17
- 言い方はすごく軽いものだったけど、なっちの弱音を聞いている状況に少し戸
惑う。
なっちは、少なくとも矢口にそうそう弱音を吐くことはなかった。どちらかと
いえば、少し前まで自分の悩みを聞いてもらうような立場だった。
やっぱり、長く娘。でいた分、離れるのは辛いものなんだろうと思う。
モーニング娘。が出来て、あと半年もすれば6年か…
突然カオリの絵を思い出して、また沈みそうになる。
意識の下にあった思いが、ぶくぶくと上ってくる。
でも、それは反対で、矢口の方が、ぶくぶくと下がっているのかもしれない。
料理が運ばれてきて、なっちとの会話をしながらも、どんどん距離が離れてい
く。
- 26 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/25(木) 07:17
-
その絵は偽善的にも思えた。
かなしいことに、なっちはもう17歳でなく矢口はもう16歳ではなかった。
少なくとも今は、自分達がいて、そこにいろんな人がいて生活していることを
痛感していた。
そういえば、あるときカオリに何故、絵や詩を描くのかって聞いたことがある。
世の中や、自分に不満があるから描かなきゃいけないんだってカオリは答えた。
矢口にはその言葉の意味が良くわからなかった。
なっちにそういうと、カオリらしいね。と言った。
さすが道産子!と褒めるとなんだそりゃっとなっちは笑う。
「だってオイラにはわかんないよ」
「矢口にはわかんないよ」
「なんで?」
「矢口は溜め込んじゃう人だから」
「……ふーん。…じゃあさ、なっちはどこで出してるの?」
「んーっと、音楽かな」
そういったなっちは、とてもなっちらしくて、思わず笑う。
「なっちらしいね」
そういうと少し誇らしげだった。
歌が好きなのは、矢口も一緒だけれど、自分の気持ちを発散するという意味で
歌ってはいなかった。ただ、歌うのが好きなだけだった。
「なっちはさ、相手を想像すんのさ、聞いた人が何かを得てくれたらうれしい」
「あ、わかる気がする」
「でしょー?」
なっちの大きさはどこからでてくるんだろうと思う。カオリとは違う包容力。
これがきっと、モーニング娘。の顔と謳われた表情だと思う。謳われたことに
よって現れた顔かもしれないけれど。とにかく、今の彼女の笑顔はどこか人を
落ち着かせる。
「じゃあさ、オイラは多分、仕事してることで出してるよ」
結構、辛い時もあるけどさ。
誰かと一緒に笑って、泣いて、怒って、歌って、踊って、まだまだ沢山の経験
を日々の忙しさと共に過ごしてる。そうやって毎日を必死で生きていることに、
自分は最大限の満足を得ていると思う。
「そうだね、今の矢口を見てるとそう思うよ」
そう言われて、ちょっと自分の辛さを認めてもらえたようでうれしかった。
昔、圭ちゃんか誰かが言ってたと思う、
苦しいから、幸せは見えんだよって。
- 27 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/26(金) 00:14
- 夏を思い出しました。
続きに期待。
- 28 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/05(日) 04:12
- >>27
ありがとうございます。
- 29 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/05(日) 04:14
-
#3
週末のツアーがはじまっていた。今回のコンサートはいつもと少し変わってい
て、懐かしめのナンバーと、なっちとカオリふたりでワンコーラスだけど娘。
のファーストシングルのモーニングコーヒーを歌っていた。
舞台に出る前、かならずといって、彼女達ふたりは照れくさそうに笑いあって
る。
1回目の公演が終わって、2回目の夜に向けて軽くリハーサルが入る。舞台セッ
トの上で、なっちが辻を膝に乗せて楽しそうに話していた。スタッフとのチェ
ックが終わって、矢口もそっちへと近づき、なっちと辻の少し前に座る。
今日も天気が良かった。太陽は沈むにつれてオレンジ色のセロハンが包み込ん
でるみたいに透き通るような夕陽を見せていて、涼しい風が何度か肌を撫でた。
「いい感じだねぇ」
なっちが矢口に向かってそう話しかける。
頷きながら、そっちを見ると辻がやけに幸せそうに微笑んでいた。
夕暮が、その一瞬である哀しみを焼き付けるスポットライトのように、自分達
を照らしてる。あたりを見回すと、そこには朱色に顔を染めた他のメンバーの
顔が見えた。
そして、そこにいるはずのないメンバーも居た。
頭の奥がチリチリと焼けるように熱くなる。それは後頭部の方、奥のほうに潜
っている思考を焼きつけて目を覚まさせ、思考回路を混乱させてるようだった。
──絵は抽象的なものを具体化し、自分の頭の中にしこりのように残る具体
的な像を描いた。──
- 30 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/05(日) 04:15
- 映画のフイルムが次の場面へとパラリと映るように、瞬時に現実から遠く離さ
れる。
そこにいる歴代のメンバー、卒業して今はそれぞれ頑張っているメンバーの姿
はどこか薄くて、この夕焼けの背景と共に今にも溶けていきそうだった。
そう、ここにはカオリの絵があった、その絵は、どうしようもなく哀しい絵だ
った。
そこにあるのは、ただ沈みつつある夕陽だった。
「オイラさー」
何かに掴まらないと、現実へと帰ってこれそうになる気がして無理に声をだし
た。気を抜けばグラグラとしている視界が同化して、後ろに倒れそうだった。
「やっぱヤダよ。なっち卒業すんの」
辻の顔が一瞬にして曇る。
「今さぁ、ここにいるのすごい幸せでさぁ」
それでも、カオリの絵はあったかかったのだ。
気を抜くと今にも、矢口のどこか奥の方の部屋で抑えていたものが、もうこれ
以上は無理だと、ドアを突き破り押し寄せてきそうだった。それでも、それを
許さなかった。必死で耐える。少しも零れてしまわないように、必死でそのド
アを押し返した。
「うん」
しっかりしたなっちの頷きがぼんやりとした世界の中でスッと強く差し込まれ
るように頭の中に響いた。
「だから、ヤダよ」
「のんも、いやだ」と今まで聞いてるだけだった辻も口をだした。
なっちは辻が何を見てるのか知ってるんだろうか。
娘。でいるとき、なっちが薄くなっていくことを知ってるんだろうか。
「ありがと。」
なっちはそういうと、くしゃくしゃに顔をゆがめてる辻の頭をくしゃくしゃと
なでた。
「ののはいい娘だからねぇ。なっちは大好きだよ」
「のんもなちみ大好きだよ」
前にいたスタッフが立ち上がり、スタンバイをするようにと促した。舞台の上
にいた他のメンバーたちも立ち上がる。
カオリの絵はもうそこには無かった。
辻がなっちの膝から降りる時「でもね、大丈夫だよ」とはにかんだ。
なっちはそんな辻の頭のなでて、うん。と頷く。
次に「ね!」と、こっちを向いて辻は笑うと、そのまま自分の立ち位置へと小
走りに去っていった。
- 31 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/05(日) 04:16
-
さっきのやりとりの間で、辻に何が起こったのかはわからないし、わかった気
になるのも、変化を見出すことさえおこがましいけれど、少しだけ辻の曇った
顔が明るくなった気がした。
無論、思い込んで自分が少しでも楽になりたいだけと言われれば、そうかもし
れない、と答えるだろうと思う。
それでも、なっちも何かを感じたのか、すれ違った時に小声でありがとう、と
矢口に言った。
なっちはさ、なんで矢口が大丈夫だと思うのかな。
正直、辻を見ていると大丈夫だろうと思ってしまう自分がいた。
辻のその素直な気持ちと、純粋な笑顔と、真っ直ぐに突き抜けて行きそうな勢
いで、乗り越えられる。辻のその悲しさを抑えきれない感情と、それでも見送
らなきゃいけない現実の間でゆれてしまっているせいで現れる引きつった笑顔
は矢口の数年前を思い出させた。辻はきっと後数年後にやっとそれらがいつの
間にか手のひらから零れ落ちてしまっていることに気づくのだ。
やっぱり、この間から途方にくれることが随分と増えたと、小さくため息をつ
いた。
*
今回のコンサートでは、なっちのファーストシングルである「22歳の私」もや
ることになっている。卒業を控え、その曲でデビューした彼女はこの曲を歌う
度に、どんどん目に見えるようにオーラを増していた。
備え付けられた小さいテレビになっちが映っている。彼女が歌う、その曲は何
度と聞くうちに自然と口ずさめる程になっていた。
この曲や、この曲を歌うなっちを正直、あまり好きではなかった。いつもそこ
にいた、なっちへの距離が無茶苦茶に遠く感じる。背負ってるものが180度違
っていた。
それは、今、自分達が居るこの場所でさえ、過去のものにしようとする勢いで
聞いてると無性に歯がゆくなった。
- 32 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/05(日) 04:16
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#4
- 33 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/05(日) 04:16
- 仕事を終えて、家でうとうとしていた。今日はユニットの撮影やインタビュー
に追われて随分と忙しかったため、くたくたになって家まで帰ってきた。
曲をリリースすると、しばらくは毎日がこんな状態だった。でも、そのくらい
疲れるのが今の自分には心地よかった。少なくとも、忙しく動いてる間は自分
の中の空洞を覗かないですんだ。
本格的に眠りに落ちそうになったとき、携帯が鳴った。
「あのさ、いま矢口の家の前に居るんだけど」
なっちは突然そう言った。予想外の言葉にびっくりする
「はいぃ?」
「家に居る?」
「うん、居るけど…」
居るけども。なんで矢口の家の前に居るのか。
突拍子も無いなっちの行動に、少なくとも何も無いわけが無い気がして、嫌な
胸騒ぎがする。それくらい、突拍子も無い言葉だった。
「花火、花火しようかと思って」
「へ?花火?」
「買ってきた。ちょっとでてきてよ」
「う、うん、ちょっと待ってて」
最後に家にいなけりゃどうしてたんだろうと、思った。
数分で用意をすまして玄関をでると、なっちは片手に白いビニール袋を持って
いて、塀にもたれて俯いていた。足音に気づいて顔を上げたなっちは思い出し
たかのように、急にごめんね。と申し訳程度に微笑んだ。
家の近くにある大きめの公園で花火をすることにした。こんな住宅街で出来る
と本当に思ったんだろうか、彼女が買ってきたという袋から、打ち上げ花火が
何個か出てきた。無理だと言うとなっちは不満そうに「えー!」と、声をあげ
る。
「絶対、無理だって。やってもいいけど苦情くるよ」
その一言で諦めたのか
「いいよ。他にもいっぱいあるし」となっちは矢口が持ってる袋を指差した。
「できると思う方がおかしくない?こんなとこでさ、しかも急に来るし」
無視してからかい続ける矢口を、ウルサイの一言で一蹴りすると、なっちは矢
口が持っていた袋を奪い返し、切り替えが早いのか電灯の下で手持ち花火をひ
とつひとつ楽しそうに広げた。そして、最後にこれもしようって線香花火も取
り出した。
- 34 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/05(日) 04:17
- 突然呼び出されたものの、目の前に花火を並べられると否が応でも楽しくなっ
て信じられないくらいはしゃいだ。
花火を持って走ったり回したり。なっちもずっと笑っていた。
「あー、なくなっちゃったね」
結構な量があったと思った花火は、20分足らずで見事になくなって、残すは線
香花火だけだった。とりだして、ローソクの火で点火する。
パチパチと火花が小さくはじけだし、やがてそれは軸を中心に方々へと火の粉
を飛ばしていく。それはミニサイズの打ち上げ花火にも見えて
「これで我慢しなよ」
と笑うと、なっちは大げさに感動し自分もするといって火をつけた。
火花が散らすのをはじまりに、なっちの顔を薄っすらと照らし出す。
「そういえば、なっちの歌にあったね、せんこう花火」
ふと、思い出していった。
「なっちさー、今なっちじゃないのだよ」
「何言ってんの?」
思わず、なっちを見るとさっきまで満点の笑顔は消えさっていて、花火をじっ
と見つめている。
「自分じゃない。なっちでもなけりゃ、安倍なつみでもない」
「じゃあ誰なのさ?」
「誰だろーねぇ」
おどけた調子に言うその声はかすかに震えていたけれど、実際、声だけ聞いて
ると、いつもの彼女だった。
花火の明かりで見える、俯いているなっちの顔はとてもきれいで、ゾッとする
くらい何も感情のない無機質な表情を映していた。なっちの顔を淡く照らして
いた光が突然消えると「あーあ、落ちちゃった」と顔を上げ、なっちは儚げに
笑った。
その瞳は吸い込まれそうに暗く深い。
- 35 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/05(日) 04:17
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ぷつ、と突然目の前に小さな黒い水たまりができた。それはどんどん広がり、
やがて海のように大きく深くなっていく。目の前に出来た真っ黒な海は淡々と
静かに浸水していくように足元まで届き、足を取られる。飲み込まれるように
足を踏み外した。
ぶくぶくぶく。落ちていく。
「矢口さ、今、矢口の目、すごく曇ってる」
なっちは自分の目の辺りを人差し指で指差した。
「オイラ、今、海に沈んでんの」
ぶくぶくぶく。そこには、誰も居ない。
「なにそれ?」
キーンと耳鳴りがうるさくて、なっちの声が遠く聞こえた。
海の中はとても冷たくて暗い。息ができそうにもなくて途方にくれる。
「やぐち?泣いてるの?」
じゃあさ、なっちはさ、
「なっちは、いまどこにいるの?」
ぶくぶくと自分の口から息が漏れていく。とめることも出来なくて、切なげに
丸くシャボン玉みたいな形をした空気の玉は海上へと上がっていき、抜け殻に
なっていく矢口は、海底へとどんどん沈む。
目の前が真っ暗になって今にも苦しさで意識が飛びそうになる。暗かった。ど
んどん身体が冷えていく。──頬に
頬に人の温もりのある手が触れて酷く安心する、
そして、なっちの唇が矢口の唇へと触れた。
息が吹き込まれた。
「ここにいるよ」
矢口を見つめるなっちの目は、
捨てられた子犬みたいに真っ黒な怯えた目をしていた。
今まで忘れていた懐かしい夏の匂いが胸いっぱいに広がって、酷く不安な気持
ちにさせる。この匂いが消え去れば、この不安は消えるんだろうか。場違いに
そんなことを考えていた。
- 36 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/05(日) 04:18
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#5
- 37 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/05(日) 04:19
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「夢遊病?」そういって梨華ちゃんは無理に笑った。
「いつもさ、変な風景が見えるんだよ、なんかそこはすっごい寂しいの。」
氷をバリバリと頬張りながらいうと、「食べすぎ」と梨華ちゃんは眉をしかる。
「とまんないんだよね、意外にイケるよ?食べる?」
そういって、氷の入ったコップを突き出す。
カラカラと氷のぶつかる乾いた音がした。
しばらく考え込むように眉をしかめたまま固まっていた梨華ちゃんは、答え
が見つからなかったのか、少し悲しそうな顔をして小さいため息と一緒に
「たぶん忙しすぎるんだよ、あんまり無理しないでね」と言うと立ち上がった。
- 38 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/05(日) 04:20
- 梨華ちゃんはそういう話を聞くとたまに圭ちゃんに相談したりする。
よっすぃーにしてることもあるし、心配したよっすぃーが圭ちゃんに言ったり
もする。
「で、どう最近は?」
前日に梨華ちゃんと、そんな話をしていたため圭ちゃんから電話がかかってき
て、出るなり様子を尋ねられたときは、苦笑を隠しきれなかった。
「んーん、なんもない大丈夫だよー。なに、また梨華ちゃんが?」
「カオリが、」
「カオリ?」
めずらしい
「カオリが矢口となっちが変だって」
「あぁ…
- 39 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/05(日) 04:20
- そりゃカオリしか気づかないだろうと思う。
この間、ロケの合間に3人で買い物に行った。そこで楽しさに舞い上がったの
か何を思ったか、なっちがコレ部屋に置くといいよねって矢口に言いながら絵
を指差したり、ふたりがけのソファーにこれ置こうって座ったり、あげく風変
わりなバスタオルかけを指差したりしていた。矢口は曖昧に笑うしかなくて後
で注意した。
「最近さぁ」
「うん」
「なっちが家に住んでんの」
思わず笑う。
予想通り予想外の答えを聞いた圭ちゃんは大声を出して驚く
「はぁ!?なにそれ、住んでるってあんた親は」
「喜んでる」
変な親だよね、なっち今日晩御飯どうするって普通に聞いたりしてんの、もー
おもしろくて。なんて大笑いしてる矢口に圭ちゃんは飽きれていった。
「なんでそんなことになったワケ?」
「なんでだろう」
見当も付かなかった。
「まぁ、とにかくみんなには内緒ね、カオリにも、こんな時期だし」
年長チームである自分達が他のメンバーに弱みを見せたり、余計な心配をかけ
ることは出来なかった。
特別、なっちの卒業や、娘。の変化に対しては。その点、今はもう卒業してし
まった圭ちゃんには軽く言える。
「はぁ、ってなに、なにがどうなってるの?」
「あー…どうなってんだろうね?」
「矢口?あんた大丈夫?」
「だいじょうぶ、んふふ」
「なにそれ、暑さでやられた?」
ごもっとも。
「ううん、なんで一緒にいるとかよくわかんないけどさ、なっちが家に来てく
れて楽しいよ、結構幸せ。こないだなんかさ二人で昔のDVDとか見まくったりし
てさ、今度、圭ちゃんも一緒に見ようよ、昔のなっちってさ…」
「とにかく」と圭ちゃんは矢口の声をかき消すと飽きれたように苦笑しながら
「まぁ、あんた達早く大人になりなさいよ」と言って電話を切った。
- 40 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/05(日) 04:21
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確かに、この息苦しさから抜けるためになっちは家を飛び出して矢口のところ
に来て、矢口はそれを受け入れている。答えを先延ばしにするために、やって
くるだろう現実から逃げるように。
二人揃うと毎日のように冗談を飛ばして笑いあったり、懐かしい話に花を咲か
していたりしている。
二人とも表とは裏腹にその無意味さはわかっていたけれど、少なくとも、冗談
めかした二人でいる毎日は張りめている糸を緩ませる効果はいくらかはあった。
そういう意味では、なっちといることは、一人だったときより随分楽になった
けれど、そのきっかけを与えてる本人だということに、どんどん混乱した道へ
とわざと足を踏み入れている気分にもなった。
「ね、なっちが早く卒業してくれたら、まだ楽になるかもしんない」
「なっちだって早く卒業できたら、一気に楽になれる気がするよ」
要するに、自分達に必要だったのは物分りのいい諦めだった。
それも、自分の身体の1部を切り離されても、しかたないと言えるような上質
の。
- 41 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/08(水) 09:23
- 空気感とか好きです。ありがとうございます。
更新待ってます。
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