優しい嘘
- 1 名前:放浪者 投稿日:2004/11/26(金) 00:26
- 優しい嘘
- 2 名前:_ 投稿日:2004/11/26(金) 00:27
- 望まれて生まれてきたわけじゃない。
お母さんが勝手に男と交わって、勝手にあたしを作ったんだ。
だから、望んだわけじゃない。
まだわたしが小学生くらいの頃。
お母さんと喧嘩した時、頬っぺたを張られた時、捲くし立てた汚い言葉。汚い嘘。
もう4年位前のことになるけど、鮮明に頭に残ってる。
顔の右半分を押さえて喘ぎ声を上げるわたしを見て、うろたえて泣き叫ぶお母さん。
わたし達の普通じゃない声を聞いて、お父さんがやって来たときには、もう全てが収まってた。
その時から、わたしの頬っぺたは人間の肌の質感を失った。
ゴツゴツしてて、触ると指の先を少しだけ擦りむいた。
ありえなかった。だから、現実だと分かると嘘みたいに絶望した。
ごめんなさい、ごめんなさい。
お母さんが顔を覆いながら、弱々しく繰り返すのを、
わたしは亡羊と見つめていたのを覚えている。
- 3 名前:_ 投稿日:2004/11/26(金) 00:27
-
- 4 名前:_ 投稿日:2004/11/26(金) 00:28
- わたしはその日から、家を出なくなった。
学校にも行かず、友達とも会わない。
嘘みたいな話だけど、やっぱりホント。
腕の肉を抓んでみても、部屋の壁を殴ってみても、
感じるのは憎らしいほどリアルな痛みだけ。
「・・・痛く、ない・・・っ!」
う、あ・・・
何ものとも比べられないほどの痛みと苦しみ。
脇腹の辺りからじわじわと広がってくるそれに、喉の奥から呻き声が漏れる。
ただ変化してくれるだけなら、良かったのに。
硬質化した脇腹を、服の上からさすってそんなことを思う。
年月がわたしを変えたのかな?
・・・だったら、どんなに良いことか。
実際呑気なことを思いながら、わたしは日々を怯えて暮らしている。
自分でも分かるくらい。計り知れない痛みに襲われるたび、自然と涙が零れてくる。
「やだ・・・やだ、よう・・・」
箍が外れてしまった涙を拭いながら、グスグスと鼻を啜る。
わたしの嗚咽だけが響く、暗い、月明かりだけが射し込む自室。
不意に、影が差した。
- 5 名前:_ 投稿日:2004/11/26(金) 00:28
- 「どうしたと?」
聞きなれない声に顔を上げる。
すると、そこには見覚えの無い顔立ちの女の子が、キョトンと私を見つめていた。
黒装束に、三角の帽子。
まるでおとぎ話の魔女のような格好だけど、サイズが合ってない。
腕も隠れてるし、肩も一割くらいましで露出している。
何この子?
ドアも、窓も鍵のかかるところは全部閉めたはずなのに。
両親でさえも入れないようにしていたのに。
不審者?
その単語が頭に浮かんだとき、咄嗟に黒装束の女の子は答えていた。
「あー、れなは不審者じゃなかと。一応、ちゃんとした魔女たい。まだ見習いやけど」
「・・・魔女?」
魔女のようなじゃなくて、本物の魔女?
箒に乗って空を飛んで、杖を振って呪文を唱えると火とかを出せちゃう、あの?
「うん、その魔女。ほら」
- 6 名前:_ 投稿日:2004/11/26(金) 00:29
- パチン。
小さな魔女さんが指を弾くと、何もない中空に突如現れた青い色の火の玉。
右手の人差し指でクルリと円を描くと、火の玉も回る。
「今日ぶらっと来てみたら、なんか物凄い呪の力感じたと。
やけん、下りてきてみたんやけど・・・どげんしたとね?」
魔女さんが火の玉に優しく息を吹きかけると、青色は背景に溶けるように消えていった。
屈んで、同じところに来た彼女の両目を、隙間越しに見つめる。
宝石みたいに、きらきらと輝く瞳。
思ってしまった。期待してしまった。
彼女なら、わたしのこの身体が治せるんじゃないかと。どうしてか、そんなことを。
外してしまった。話してしまった。
膨らんだ期待は縮まることはなく、
わたしの顔を覆っていた仮面を取り外させ、親にも言ったことの無い弱音を紡がせた。
「おね、がい・・・助けてぇ・・・」
瞳の無い無機質な片目に見つめられて、小さな魔女さんは息を呑んでいた。
- 7 名前:_ 投稿日:2004/11/26(金) 00:29
- ――
―――
- 8 名前:_ 投稿日:2004/11/26(金) 00:31
- 『嘘をつくごとに、身体が石へと変化する』
お母さんが泣きながらわたしに告げた言葉。
原因は、分からない。
その後放心してしまったわたしは、すぐに部屋に篭って全部を遮断してしまったからだ。
今までついた嘘は、どうやら四回らしい。
お母さんと喧嘩した時に言った嘘ぐらいしか覚えてないけど、
そんなの、身体を見ればすぐにわかる。
顔の右半分、左の肩甲骨のあたり、右の腿、そしてついさっき出来た脇腹。
規模はそれぞれ違うけど、質は変わらない。
灰色で、生を感じさせない冷たさを放つ、これは石。
改めて見ると、恐くて、震えが出てしまう。
「これ・・・」
小さな魔女さん――れいなって名乗った――は、
月明かりを頼りにわたしの硬質化してしまった肌に触れては、かすかに唸ってる。
患部を見せるために裸になったわたしとしては、正直早くして欲しい。
「これ、恐ろしく強い呪がかけられとる。しかも、えらい禍々しい魔力や」
- 9 名前:_ 投稿日:2004/11/26(金) 00:31
- 眉をしかめて言うれいなの額には、うっすらと汗が光っていた。
どうしたのかな?暑いのかな、それとも寒いのかな?
「・・・おぞましくて、冷や汗がてでまうとね」
服を手渡してくれると同時、れいなは苦々しく微笑んだ。
そんなに凄いのかな。そんなにひどいのかな。
次第に不安にかられていくわたし。
そんなわたしの心を見透かしたみたいに、れいなは優しく頬を撫でてくれた。
まだ触感の残る顔の左半分。
細くて、温かい5本の指が小さく滑る。
久しぶりに感じたヒトの体温。
自分にもあるはずなのに、忘れてた。
こんなにも温かかったんだってうことを。
「れなに任せると!」
明るく笑ったれいなに、わたしは出来る限りの笑顔を返した。
- 10 名前:_ 投稿日:2004/11/26(金) 00:31
-
- 11 名前:_ 投稿日:2004/11/26(金) 00:32
-
- 12 名前:_ 投稿日:2004/11/26(金) 00:33
- その日から、
正確にはその日眠って、次の日から。
れいなは、わたしの為に奮闘してくれた。
「えりー!できたとよ、薬ができたとよー!」
息を切らせて、でも眩しいほどに明るい笑顔を浮かべて。
幾何学模様の描かれた小瓶を片手に、はしゃぐ様に戻ってきてくれたこともあった。
「えりー!これ試してみ!清らかな力のこもったクリームやけん!」
太陽の描かれたチューブを片手に、
やっぱり嬉しそうな笑顔で戻ってきてくれたこともあった。
でも
「えりー!解呪の陣、試してみん?」
汗の光る、笑顔。わたしはそれを見て、とても嬉しかった。
でも日に日に細くなっていく君を見て、とても心が苦しかった。
- 13 名前:_ 投稿日:2004/11/26(金) 00:33
- 「くそー!」
れいながわたしに施してくれた術。
治るかもしれないという、僅かな希望を君は大きなものに変えて。
ほとんど確信して、わたしに施してくれた。
「どうして、どうして治らんと!」
術を施した後の、第一声は決まって同じ。
膨らんだ大きな希望は、どうしようもない程の重い絶望となってれいなの身体を蝕んでいった。
心が痛い。
「くそ・・・っ」
怒声と一緒に君がチラリと見せる目尻の涙。
心が苦しい。
「じゃあ、行ってくるたい。今日こそは期待してもよかよ!」
次の日になると、決まって笑顔で次の方法を探しに行く君。
石となり、体温も生気も失ったはずの右の目に、熱が点った。
気のせいなんかじゃなく、確かであり、とても悲しい熱だった。
- 14 名前:_ 投稿日:2004/11/26(金) 00:33
-
- 15 名前:_ 投稿日:2004/11/26(金) 00:34
-
- 16 名前:_ 投稿日:2004/11/26(金) 00:34
- そして、れいなと出会ってからはや一ヶ月が経過した。
今日も変わらず、茫洋と青空が広がっている。
わたしは仮面の目の部分に開いた隙間と、窓をこして嫌味なほどの青を見つめていた。
不意に、青に黒が覆いかぶさった。
「えりー!見つけた、今度こそ成功すると!」
肩で息をする、ガリガリに痩せ細ってしまった小さな魔女さん。
お肉がついているとは思えないほどの右腕には、丸太のように太い巻物が抱えられている。
良く腕が折れないねと聞いたところ、魔法でどうにでもなるとれいなは得意げに言った。
変わらない眩い笑顔に、わたしは曖昧な笑みを作る。
仮面の下だから、彼女に届くことは無いけれど。
「それは?」
「この前のよか、遥かに強力な解呪の呪文。絶対治すけん、服脱いでそこに寝て!」
自信満々に話すれいなに、わたしは何も言わずに従う。
上着を脱いで、スカートを脱いで。
ブラを取って、パンツを脱いで。
畳んで、ドアの方へと置いて、れいなの前で仰向けに寝転んだ。
- 17 名前:_ 投稿日:2004/11/26(金) 00:34
- れいなはちょっと頬っぺたを赤くしながら、
巻物を開いて、わたしの身体に蛇のような文字を描いていく。
全身を這う筆の先が、コソコソとくすぐったい。
「よし!今度は背中」
言われるがまま、ごろりと身体を反転させた。
その際に見たれいなの驚くほど真摯な表情。
ズキリ。胸の痛みに、君に気付かれないように顔を歪めた。
通りかかっただけ。ただそれだけの、他人。
なのに彼女は、こんなにも必死に、真剣にわたしの身体を治そうとしてくれる。
それは嬉しい。とても嬉しい。
でも、わたしのせいで彼女を苦しめているのは、それ以上に悲しい。
「できた!いくとよ!とりゃぁ!!」
- 18 名前:_ 投稿日:2004/11/26(金) 00:35
- 背中に小さな掌が当たる感触。
それと同時にれいなが叫び、白い光がわたしを包む。
全身に描かれた文字が光の減少と一緒に消えていき、そして
それだけだった。
「な、んで・・・」
背中に当たる両手が震え、れいなの声も震えている。
顔の左側に触れてみる。ゴツゴツした、冷たい感触。
やっぱりか。
やっぱり今日も、絶望がループした。
「なんで、なんで治らなかの!最高位の解呪魔法やなかの?!」
こんなものっ!
叫んで、巻き物を床に投げつけるれいなを尻目に、服を着なおす。
ドンという大きな衝突音の後に、室内に木霊を始めた寂寥の嗚咽。
じくじくとした胸の痛みが、わたしを放してくれない。
「え、え、り・・・ごめん、ごめんと・・・れな、何もできんで、ごめん、と・・・」
れいなは泣いた。
今までどんなに失敗しても泣かなかったのに、今日はボタボタと涙を落としながら泣いている。
いつも以上に小さな彼女の姿を見て、わたしは思いを固めた。
- 19 名前:_ 投稿日:2004/11/26(金) 00:35
- 「まったくだよ、全然役に立たないよね」
「・・・え?」
もう、君の怒る姿なんか見たくない。
もう、君の泣く姿なんか見たくない。
もう、君がわたしの為に苦しむ姿なんか見たくない。
「魔女なんでしょ?情けないよね。呪の一つも解けないんだから」
「え、えり・・・?」
「もう帰っていいよ。これからあんたが何をしようと同じだろうし。正直、部屋に置いとくのも邪魔だし」
「・・・っ!?」
努めて冷徹に言い放つ。
今、わたしはどんな顔をしてるんだろう?
「え、り・・・」
「帰ってよ、役立たず」
- 20 名前:_ 投稿日:2004/11/26(金) 00:36
- 身体中のあちこちで、激痛が走る。
脚が腕がお腹が胸が、鋭い痛みに悲鳴をあげる。
やがて、それは仮面の下の顔にも侵略を始めた。
よかった。服を着てて。
よかった。仮面をつけてて。
れいなに、石になっていく姿を見せなくてすむ。
れいなに、醜い姿を見せなくてすむ。
「突っ立って、ないで、さっさと出てってよ。あんたなんか、きら――!」
何で?何でなの?
何で、ここまで貶されて、嫌なこと言われて、それでも優しく抱きしめてくれるの?
ねぇ、れいな。どうして?
「えり、やめて・・・嘘つかないで。れな、頑張るけん。
もっともっと頑張るけん。だから、嘘つかないで・・・」
仮面が優しく剥ぎ取られる。
瞬間、わたしを見つめるれいなの頬っぺに、雫が零れた。
もう顔の8割くらいが石になっていて、分からなかった。
わたしは、泣いていた。熱いはずの涙を流して。未練がましく、泣いていた。
- 21 名前:_ 投稿日:2004/11/26(金) 00:36
- 「な、んで、嘘って・・・」
「えりの事なんか、全部、お見通しやけん・・・ね、えり、れな頑張るけん、嘘やめて」
敵わないなぁ。やっぱり小さくたって、魔女は魔女かぁ。
手足を動かそうとしても、もう石化が進んでしまって動かない。
だから、かろうじて動く首を傾げ、れいなの肩に顔を埋めた。
あ、首・・・とっくり着とけばよかったかな・・・。
「れ、ぃな・・・」
「うん?どうしたと?」
- 22 名前:_ 投稿日:2004/11/26(金) 00:37
- 顔を上げて、ちょっと下のほうにあるれいなの瞳を覗き込んで。
切実な色のこもる瞳を見て、石の胸の奥が、一際強く痛みを訴えた。
でも、わたしは考えを変えない。
わたしが生きていれば、れいなは無理をする。
それこそ、解決法が見つかるまで、れいなは平気で無理をする。
これは予測じゃなくて、確信。
たった一ヶ月の付き合いだけど、わたしのれいなに対する見解は間違っていないと思う。
だから、わたしはこちらを選ぶ。
暫くは辛いだろうけど、時がたてばれいなの記憶に巣食うわたしなんか霧のように消えてなくなってしまう。
それもそれで悲しいけど、死んでしまうわたしには、関係の無いこと。
「れ、ぃな・・・ありがと・・・ごめんね・・・」
「・・・?っ!!え――」
「れいななんか、だいっきらい」
わたしの、生涯最後となる嘘。
言葉が終わるとすぐに、わたしの視界と意識は闇へと溶け込んでいった。
- 23 名前:_ 投稿日:2004/11/26(金) 00:37
-
- 24 名前:_ 投稿日:2004/11/26(金) 00:38
- 遠くに空が見える。
やっぱり、憎たらしいほど青い、空が。
あの世ってのも、案外人間の世界と変わらないんだ。
ぼんやりとそんなことを思いながら、身体を起こしてみて、ふと気付く。
壁際の二つの洋服ダンス。挟まれるように少しの隙間が開いている。
勉強机。その後ろにもやっぱり隙間が開いている。
あの世って、何かわたしの部屋に似てる。
間が抜けた思考はしかし、すぐに消え去ることになる。
ここはわたしの部屋。そう確信せざる出来事が、わたしの胸に飛び込んできたから。
「えりー!」
「・・・れいな?」
涙で中空に光の軌跡を残しながら、小さな魔女さんはわたしをがっちりと抱きこんだ。
背中に回される小さな腕にこもる、強い力。
茫然と泣きじゃくるれいなのつむじを見つめていると、
突然彼女の顔がわたしに向き、潤んだ鋭い両目に睨みつけられた。
「えりの馬鹿!どうして、どうして自分から死のうとしたとね?!れな、すごく悲しかったんばい!」
「れいな・・・わたし、生きてるの?どうして・・・」
- 25 名前:_ 投稿日:2004/11/26(金) 00:39
- 困惑して、声が震えてる。
わたしは石に・・・石になって死んだんじゃないの?
そう聞くと、れいなは涙を拭ってわたしから離れあの巻き物を広げて見せた。
長い長い巻き物が、だんだんと解かれていく。
漸く終わりがきて、れいなは端を掴んだ。
そして、そこに書かれた文字を私に見せて、嬉しそうに声を張り上げた。
この解呪の魔法の仕上げは、当事者が綺麗で優しい嘘をつくこと
「・・・あ」
「えり・・・最後に言うてくれたとね。れなが大嫌いって」
巻き物を放り投げて、れいながわたしに向けてきた笑顔は今まで以上に眩しくて、優しかった。
涙がきらきらと光って、本当に眩しくて。
戻ってきた素肌に、落ちていく熱い雫。
笑おうとしてみるけど、果たして本当に笑えてるかどうか。
「えり、顔へん」
「・・・ばーか」
- 26 名前:_ 投稿日:2004/11/26(金) 00:39
- 再度の抱擁を求めた。
れいなもそれには拒まずに、わたしの腕の中に倒れるように飛び込んできた。
ギュッと、線の細い肩を抱きしめる。
「れいな・・・」
「なに?」
もう、嘘は言わない。
だって、ホントの気持ちを君に伝えたいから。
だから言うよ。
君の耳元で、囁くように。
わたしのホントウを。
だいすき
- 27 名前:_ 投稿日:2004/11/26(金) 00:40
-
- 28 名前:_ 投稿日:2004/11/26(金) 00:40
-
- 29 名前:_ 投稿日:2004/11/26(金) 00:40
-
- 30 名前:_ 投稿日:2004/11/26(金) 00:41
- 優しい嘘・完
- 31 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/26(金) 01:46
- 一気に読ませて頂きました。
大好きなCPだった事もありますが、何よりも
ストーリーに引き込まれました。
心理描写や場面が丁寧に描かれていて、ちゃんと世界観を
確立されていらっしゃるのがとても素晴らしいです。
また作者様の作品が見れれば良いなと思っております。
- 32 名前:_ 投稿日:2004/12/03(金) 00:28
-
- 33 名前:_ 投稿日:2004/12/03(金) 00:29
- 空を散歩
- 34 名前:_ 投稿日:2004/12/03(金) 00:30
- 飛行機よりも高い空。
数日前からまったく変わる気配の無い青空の中を、美貴はほうきに跨ってのんびりと進んでいく。
目的地は、特に無い。
ただ好きなだけ。
どこまでも続いていそうな一面の空が。
天地の境界線をずっと先に見ながら、雲のように飛ぶのが。
そういう行動が、ただ好きなだけ。
あふ。
欠伸をかみ殺して、鈍足走行の箒の竿の上に横になる。
バランスが良いねとか同級生に言われた事があるけど、
子供の頃からできていた美貴にはどうにも実感が湧かない。
それどころか、何でみんなこんなことが出来ないんだか、とか思ったことさえある。
「相変わらず暇そうだねぇ、ミキティ」
箒の速度と同じ、のんびりとした口調が美貴に降ってかかる。
真直ぐ上。大きな綿菓子に行っていた視線を、やや上のほうにずらしてみた。
「やっほー」
- 35 名前:_ 投稿日:2004/12/03(金) 00:31
- パーカーにジーパン。腰の辺りまでありそうな栗色の長く綺麗な髪の毛。
背中で真っ白な羽をゆっくりと上下させ、
この世の神様は全然神様らしくない格好で美貴の前に現われた。
でも、そんなこともう旧友と言えるほどの仲となった美貴からしてみれば、頓着するに値しない。
だから、いたって普通に美貴は挨拶を返す。
「こんにちは。カミサマ」
「やめてよ気持ち悪い」
「じゃあ、ごっちん」
よし。満足げに頷いて、神様ことごっちんは美貴の横につき、中空に寝そべった。
その速度は美貴の箒とほとんど変わらない。
やっぱり彼女も目的なんかは無くて。
ただただ、本当にのんびりが好きなだけ。
何を話すわけでもなく、
まるで空気に溶け込んだように流れてたとき、視界の隅っこに程よい大きさの雲が見えた。
ごっちんを誘おうとして、首を捻ったときそこには既にごっちんはいなくて。
- 36 名前:_ 投稿日:2004/12/03(金) 00:32
- 「ミーキティー。この雲良さげだよー」
心地よさげに緩んだ声が聞こえてきたのは、美貴が振り向いたところとは反対側。
声に導かれるみたいに首を捻る。
迎えてくれたのは、さっき美貴が見つけた雲に身を沈めているごっちんの笑顔。
蕩けそうな程の笑顔を浮かべて、雲を千切っては頬にすり当てている。
美貴は早速箒からその雲に飛び移って、ごっちんのその行為を止めさせた。
「やめてよごっちん。雲小さくなっちゃうじゃん」
「えー大丈夫だよー」
もこもこ、ふわふわと柔らかい雲。
気に入った大きさに千切れたのか。
漸く雲千切りを止めたごっちんを尻目に、美貴は空を見上ながら寝転んだ。
ぼんやりと見上げる空は、やっぱり青い。
汚れも、乱れも感じられな、澄み切った青。
もう彼是、一ヶ月ぐらいずっと快晴が続いている。
だから、美貴は言った。隣で、千切った雲を枕に寝転ぶ神様に向かって。
- 37 名前:_ 投稿日:2004/12/03(金) 00:32
- 「ごっちん。最近天気操作サボってるでしょ?」
「んー・・・まぁね」
何気ない、いつものような会話。
いつものように唐突に始まった会話は、
やっぱりいつものように一度の言葉の行き来だけで途切れた。
ゴー・・・
下のほうで、空気が震えた。
この唸り声は、飛行機か。
飛べない人間が開発した、人間を飛ばす為の鉄の鳥。
あの構造を発明した人は凄いと思うけど、
如何せんあの地鳴りのような唸り声は好きになれない。
- 38 名前:_ 投稿日:2004/12/03(金) 00:33
- 「うるさいねぇ、あれ」
「そうだね」
それは神様も同意見だったらしく、
でもたいして顔を顰めることなく、ポツリと呟いた。
美貴はそれにポツリと呟き返す。
静けさが戻ってくる。
美貴たちがこうして浮いてる間にも、色んな人は動いてる。
会社に行ったり、子供をあやしたり、学校へ行ったりサボったり。
それなのに、美貴たちはこんなことしてていいの?
とかなんか、思ったこと無いな、そういえば。
- 39 名前:_ 投稿日:2004/12/03(金) 00:33
- 「そういえばさぁ、ミキティ」
「んー?」
「妹さん、出てったらしいじゃなーい」
はん。呆れたように笑って
「流石、カミサマ。情報が早いね」
皮肉るみたいにそう言った。
でもごっちんは気にする風でもなく、
根も葉もない、でも信じざるを得ない事実を述べた。
「カミサマだから」
言葉の終わりから一拍おいて、ククッとごっちんの喉が鳴った。
美貴もそれに乾いた笑いを返して。
のんびり流れる雲の上。
やがて笑い声は途絶えて、美貴は言葉を紡ぐ。
「なーんかね、人間に好きな子が出来て、その子んとこに行くとか言ってた」
「ほー。青春してるねぇ」
- 40 名前:_ 投稿日:2004/12/03(金) 00:34
- おばさんくさーい。
同じ単語を、同じ笑顔、同じタイミングで放って。
またひとしきり笑った後、うっすらと浮かんだ涙を拭いながら、話を再開させた。
「一ヶ月ずっと留守にしてて、帰ってきたと思ったら、いきなり人間界で暮らすだもん。
あん時はビックリしたなぁ」
「たった一人の肉親でしょ?よくオッケー出したね」
「ま、あの子もそんな年頃になったって事さ」
美貴が言い終わってから、ごっちんはジッと美貴の横顔を見つめて。
それに気付いて「何」と聞き返すと、ニパッと広がる笑顔の華。
なんか、カッコいいね
- 41 名前:_ 投稿日:2004/12/03(金) 00:35
- 言われた時はキョトンとしてた美貴。
でも、すぐに唇を吊り上げてこう答える。
当然じゃん
そして、また静けさと共に雲は流れる。
時折聞こえてくる唸り声を、ちょっと手を加えて聞こえなくしてしまえば、
この空間の音の発生源は美貴と、ごっちんのただ二人。
何も語らず、流れに身を任せる。
だから、自ずと聞こえてくるお互いの呼吸の音、脈動の音。
- 42 名前:_ 投稿日:2004/12/03(金) 00:35
-
でも、決してそれは気分を害するものではなく。
どちらかといえば、不思議と心地がよかった。
「―――この雲、どこまで行くのかねぇ」
「―――さぁてね」
流されるまま、流れゆくまま。
神様と魔女の空の散歩は、まだもうちょっと続きそう。
- 43 名前:_ 投稿日:2004/12/03(金) 00:35
-
- 44 名前:_ 投稿日:2004/12/03(金) 00:36
-
- 45 名前:_ 投稿日:2004/12/03(金) 00:37
- 空を散歩・オワリ
- 46 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/08(水) 23:53
- 短かい中にしっかりと世界が描かれていますね。
ちょっと不思議な感じが好きです。
- 47 名前:放浪者 投稿日:2004/12/23(木) 00:37
- >>31、>>46
拙い文章を読んでいただき、ありがとうございます。
- 48 名前:放浪者 投稿日:2004/12/23(木) 00:38
- 有限から無限へ
- 49 名前:放浪者 投稿日:2004/12/23(木) 00:38
- 右、左、そして前。
わたしを見つめる視線は、いつもみたいに疎ら。
誰も交差する足を止めてくれない。わたしをしっかりと見てくれない。
もうずいぶん前から分かりきったこと。
だけど
その分かりきった反応でも、悲しいものは悲しい。
誰かわたしを見てよ。
足を止めて、しっかりと見つめてよ。
わたしはここ。ここにちゃんといるのに。
わたしという存在は、形を持ってここに止まっているのに。
叫びは、わたしの内のみで木霊する。
それも、分かりきっていたこと。
『絵』の中にいるわたし。
『絵』であるわたし。
一年中同じ格好で外界を見つめるわたし。
とある美術館。
わたしは浮かべたくも無い笑顔を浮かべて、
常と変わることなく、今日も同じ場所に展示されていた。
- 50 名前:放浪者 投稿日:2004/12/23(木) 00:39
-
- 51 名前:放浪者 投稿日:2004/12/23(木) 00:40
- いつからとか
そんなこと、分からない。
分かるわけがない。
描かれたときから、わたしは絵の中にいた。
瞬きも呼吸も無い、
平面二次元の世界で、でも明確な意思を持って。
行き交う人たちは皆、
偉い絵描きさんをそのまま具現化させたみたいな人たちで。
だから。
だから、誰もわたしをしっかりと見つめてくれない。
- 52 名前:放浪者 投稿日:2004/12/23(木) 00:40
- この美術館は世界でもトップクラスの美術品が収められているらしくて。
わたしはその中の平凡な一枚の絵に過ぎない。
向かい側。
色とりどりの綺麗なお花が、柔らかいタッチで描かれている。
人が一人、二人と。立ち止まっては色んな角度から眺めている。
わたしの前。
分厚い眼鏡の奥でちらりとこちらを見た小柄な男性。
でも、行動はそれのみで。スピードを緩めないまま、どこかへといってしまった。
平面の中の心が、じくりと痛んだ。
痛みを涙として流したくても、しょせんわたしは『絵』でしかなく。
描かれた状態のまま。
くちびるはほんのりと湾曲したまま。
誰の注意も引けないまま、
わたしは今日も『絵』としての一日を過ごした。
- 53 名前:放浪者 投稿日:2004/12/23(木) 00:41
-
その夜のこと。
凶報は突然わたしに降りかかってきた。
閉館後に現れた二人の男性。
最初は腕を組んで唸っていたけど、暫くして
「これなんか良いんじゃないスか?
あんまり人気無いみたいだし。取り替えるには持ってこいっしょ」
軽い調子で告げる金髪の男性。
「だな。うし、手配しとくわ」
それにもう一人、白髪の男性は一言返して、踵を返した。
続いて金髪の男性が歩行を開始。
ようやく人を惹きつけることが出来たと思ったら、こんな結果。
終始軽い調子だった男性二人組みの会話は、わたしにとって死刑宣告も同然。
- 54 名前:放浪者 投稿日:2004/12/23(木) 00:41
- 人気が無いから、わたしに魅力が無いから。
今度ここに来る新しい絵と、取り替えられる。
取り替えた後、たいていはオークションとかで売買されるんだけど。
そんな可能性、わたしにとって万に一つも無いだろう。
必要とされていないから。
廃棄処分は目に見えて明らか。
弱肉強食。
この言葉は、絵の世界にも当てはまるのかな?
- 55 名前:放浪者 投稿日:2004/12/23(木) 00:42
-
- 56 名前:放浪者 投稿日:2004/12/23(木) 00:42
- 悲しみ半分、諦め半分でわたしは次の日を迎えた。
話によるとわたしの処分は3日後に決定したらしい。
額の縁にも、廃棄処分と赤い字で書かれた紙が張られた。
それでも、絵描きさんたちは特別変わることもなく
いつものようにわたしの前を通り過ぎる。
死に花を咲かせる、だったっけ?
わたしみたいな『絵』には、それすらも出来ないみたいだった。
一気に膨れ上がる、諦めの心。
向かい側のお花は、やっぱり観客をたくさん集めている。
もうどうでもよかった。
「悲観的だね」
- 57 名前:放浪者 投稿日:2004/12/23(木) 00:43
- ………………え?
唐突に、目の前から上がった声。
今さっき閉ざした意識を呼び戻して見てみると、
わたしをじっと見つめている女の人が一人。
自分の聴覚を疑った。
幻聴かな。でも、違うとしたら今のって
「うん、そう。キミに話しかけてるんだよ。美貴、魔女だし」
おかしな格好をした人だった。
小柄な身体に、墨をこぼしたみたいに真っ黒なローブを羽織って、
片手にほうき、片手に三角帽子。
おかしな出で立ちのその女の人は魔女と名乗って、わたしの言葉を理解してくれた。
「信じられない?美貴が魔女なんて」
- 58 名前:放浪者 投稿日:2004/12/23(木) 00:43
- ……いえ。
根拠も無い、彼女の勝手な申し出。
なのに、どうしてだろう。
声に出すことなく、信じる気持ちを乗せてそう答える。
でも、正直なところ半信半疑で。
それを感じてか
魔女さんは鋭い目をやんわりと細めて、困ったような微笑みを浮かべた。
でも、その笑みはごく僅かな時間内での出来事。
シンシな光を瞳に浮かべた魔女さんは、
口元を引き結んでわたしを見遣る。じっくりと、しっかりと。
初めて受ける、真剣な眼差し。
嬉しかった。初めて認められた。
最後のお客さんがこの魔女さんで、心のそこからよかったと思った。
だから言った。ありがとうと。
そしたら
「これが最後みたいな言い方はよくないよ。運が逃げちゃうからね」
苦笑いと共に帰ってくる、どこか含んだ所のある言葉。
- 59 名前:放浪者 投稿日:2004/12/23(木) 00:43
- ……どういうことですか。
聞いても魔女さんは笑ったままで。
指先で帽子をくるりと回転させて投げると、
落ちてくるのも待たずに身体を反転させた。
わたしに背中を向けた直後、落ちてきた帽子が静かに小さな頭をおおう。
ほうきを逆さにして、大理石の床をトンと叩くと
魔女さんはほんの少しだけこちらを振り向いて、ニコリと微笑んだ。
「今夜を楽しみにね」
小さな声。
でも、それはしっかりとわたしに届く。
疑念を声にして返すよりも早く
魔女さんは背景に溶け込むようにして姿を消した。
- 60 名前:放浪者 投稿日:2004/12/23(木) 00:44
-
闇のおちた展示室に、響く音は二つの太い声。
「何か今日、あの絵見てった人がいたらしいっすよ」
まん丸の光が壁や天井へと。
警備員の人に持たれた海中電灯が動くたび、その光も室内を動き回る。
「珍しいな。あの絵見てくなんて」
「それがどうも、おかしな人で。
全身黒づくめで、箒もってたらしいんすよ」
「ソイツは・・・この上なくおかしくて、怪しいな」
光がわたしを捕らえた。
びしりと制服を着こなした、若い男性二人組。
会話のネタになっているのは、多分あの魔女さん。
失礼なこと極まりないけど、否定は出来ない。
「しっかし、平凡な絵ですよね。コレ」
「まぁな。なんつーか、華がないよな。
題材の女の子も格別に綺麗ってワケでもなし」
- 61 名前:放浪者 投稿日:2004/12/23(木) 00:44
- ……。
痛かった。
分かりきってたことだけど、自覚していたことだけど。
客観的にそれを認められること。それがこんなにも辛いものだなんて。
悲しい。悲しいのに、わたしは笑い続ける。
華の無い笑みを周囲に向け続ける。
やっぱり、わたしなんか、処分されたほうがいいのかも。
ここを訪れる人のためにも、そして自分の為にも。
「だーから、悲観的過ぎるって」
ほんのり苛立ちを含んだ声調。
崩れ落ちる、男性二人。
そして、柔らかい灯りがわたし達の周りを取り囲んだ。
- 62 名前:放浪者 投稿日:2004/12/23(木) 00:45
- 三角帽子に、丈の長いフード。
全身を染める色は、夜の闇色。
ほうきを肩に担いで口をムニュッと曲げ、
昼間と全く同じ格好で、魔女さんは不機嫌そうな顔をしてわたしの前に立っていた。
「まったく。人生はもっと楽しまなきゃいけないよ」
…………わたしの人生は、生涯不変。
…………それが苦しみだけなら、わたしは処分されたほうがいい。
はぁ。肩をすくめて、大きく溜息。
魔女さんは困ったように頭をガシガシと掻き毟ると、
おもむろにわたしの飾られている額の縁へと手を伸ばした。
………なん――
- 63 名前:放浪者 投稿日:2004/12/23(木) 00:45
- 「ちょっと黙ってて」
思いのほか、わたしは簡単に外れた。
同じ位置になる、わたしと魔女さんの目線。
鋭い光が、ひたと、わたしを射抜く。
でもそれも一瞬の出来事。
わたしから切った視線を、かざしたほうきの先へと持っていく。
ぼんやりとした光がほうきの先端へと集まって
ふと魔女さんは一言、何かをつぶやいた。
- 64 名前:放浪者 投稿日:2004/12/23(木) 00:46
- ―**
風を浴びるのが初めてなら、街を見下ろすことも初めて。
それ以前に、外にでることさえ初めてのこと。
魔女さんが一言何かを呟いた直後、景色はゆがんで
気がつけばわたしは月明かりと、町の明かりが一望できるとても高いところにいた。
魔女さん曰く、とあるビルの屋上で、この街では一番高いらしい。
……どうして、わたしを?
驚きと感動が入り混じる中、
わたしは、額を抱えて直立する魔女さんに問う。
言葉の足りない疑問だったけど、魔女さんは分かってくれたみたいで。
ほんの少しの間を置いて、答えてくれた。
「キミが――」
不意に投げ上げられたわたし。少しだけお月さまに近づけた。
「生きてるからだよ」
- 65 名前:放浪者 投稿日:2004/12/23(木) 00:46
- パチン。小気味いい、指を弾く音。
聞こえた瞬間景色が流れて、わたしは尻餅をついていた。
お尻に鈍い痛み。うぅと唸って、ソッとさすり、気付いた。
「……あれ?」
たった今お尻に向かわせた両手を戻して、視線を落とす。
開いたり閉じたり、裏表を返したりしながら、わたしは立ち上がった。
目の前には優しい笑顔の魔女さん。やっぱり結構小さかった。
「な、ん・・・ぇ?何が・・・?」
「美貴の魔法。キミはあの絵から抜け出したんだよ」
上がった細い指先を追ってみると、
金網にと寄りかかる一枚の絵。
薄緑色の背景に椅子が一つ。
そこに座っていたはずの人間は、輪郭だけを残して
今こうして現実を二本の足で踏みしめている。
- 66 名前:放浪者 投稿日:2004/12/23(木) 00:46
- 現実・・・。
頬っぺたを抓ってみる。痛かった。
絵画を取り巻く額へと触れてみる。冷たかった。
魔女さんに向き直って、そこで目に熱がこもったのが分かった。
痛い、冷たい、温かい。すべてがリアルな感覚。
これは現実。信じがたいけど、現実。
涙が溢れてきた。
「あー、ダメダメ」
両目を覆った掌を、優しく退かされて。
魔女さんは、悲しそうな笑顔を向けて、指を弾いた。
潤んだ視界に映る、目を赤くはらしたわたし。
鏡に映る、三次元のわたし。
魔女さんの笑顔が、突然消え、眉根がよった。
「あの美術館の奴らはおかしい。目が腐ってる」
- 67 名前:放浪者 投稿日:2004/12/23(木) 00:47
- 細くて長い指か、わたしの髪の毛を梳いてくれて。
指を降ろして、流れる涙をすくい取り、
魔女さんは囁くように優しく、そして柔らかく言葉をつむいだ。
「キミはこんなに可愛いのにね」
仕草と同様に、咲いた笑顔は何よりも輝いて見えて。
魔女さんの言葉は、透明な響きを宿してわたしの中にしみこんでくる。
じわり。
溢れた涙を抑える理由。
そんなもの、わたしにはなかった。
- 68 名前:放浪者 投稿日:2004/12/23(木) 00:47
- ――**
- 69 名前:放浪者 投稿日:2004/12/23(木) 00:48
-
キミは生きていたんだ。実際に、現実で。
そうでなかったら、美貴が感じ取れるほどに、強い意志を持つことは無かった。
魔女の美貴さんは静かにそうつげて、言葉を切った。
うれうように揺れていた瞳に、直後激しい憤りが宿る。
ギリッと歯をくいならして、美貴さんは無理やりといったみたいに
低く声調を抑えて言葉を続けた。
「…どっかのバカな魔女が、キミに呪をかけて、絵の中に閉じ込めたらしい。
あの絵から、ちょっとだけど魔力の残滓が感じ取れた」
許せないよね。
呟きの一瞬、美貴さんの身体が揺らいだように見えたのは気のせいじゃないと思う。
呪で絵の中に。
嘘みたいだけど、偽りの無い真実。現実に美貴さんとわたしがいる。
閉じ込められたわたしと、解き放ってくれた美貴さんが。
「ま、何はともあれ間に合ってよかった。
でも、感心しないな。
わざわざ、存在意義を消すようなこと考えるなんて」
- 70 名前:放浪者 投稿日:2004/12/23(木) 00:48
-
星の海にぽかりと浮かぶ、お月さまを見ながら。
諭すようにわたしに語りかけてくれて。
ふと、わたしは目線を沈めた。
星の天然の光と相対する、人工の光が広がる中。
どこともつかない虚空を見つめて、押し黙る。
絵として、
気付いたときから今まで一度も変わらなかった。
誰もわたしを見てくれない。
一分も、一秒さえも。
たまに止まってくれた人がいても、すぐに首をかしげて歩み去ってしまう。
それが日常になってきたある日のこと。
鈍いわたしは、ようやくひとつのことに気がついた。
―――わたしに、魅力がないんだ、ということを。
「だめだよ」
膝にうずめていた顔を、ゆるゆると上げた。
悲しげな声のするほうへ、
美貴さんのほうへと顔を向けると、再びであった泣き顔のわたし。
- 71 名前:放浪者 投稿日:2004/12/23(木) 00:49
-
月明かりを受けて、控えめにきらめく鏡は、
さっきわたしを映したものより大分小さかった。
「思い込みは自分を弱くする。しっかりと持たないと。
だからって度が過ぎるのも考えもんだけどね」
空中に張り付く鏡の向こう側から、ひょっこりと顔を出して。
ほんのりピンクに染まった頬っぺをポリポリとかいて、美貴さんは言う。
「この美術館に入った時、呪云々をぬかしても
最初に目がいったのは多分、いや。絶対、キミだったよ」
だって、可愛いもん、ね。
わたしを救ってくれた魔女さん。
そしてもう一度救おうとしてくれる魔女さん。
鼻の奥がツンとして、止まっていた暑い雫がまたこみ上げてきた。
「いけないいけない」
おどけたように鏡をしまい、
美貴さんは人差し指で宙にクルリと円を描いた。
途端、零れ落ちる涙が、空中の一点に集まっていって
- 72 名前:放浪者 投稿日:2004/12/23(木) 00:49
- 「やっぱり笑顔が一番」
美貴さんのその言葉と共に、弾けた。
一粒一粒が星のようにきらきらと輝いて。
外気に触れたはずなのに、その光りはとても温かかった。
わぁ。気がつけば、わたしは笑っていた。
自分でも驚くほど柔らかく、自然に。
「さ、行こうか」
「…え?」
何の前触れも無く、
突然引かれた手に、戸惑いが声としてもれた。
視線にも同じ色を乗せたまま美貴さんを見つめていると、
ふわりふわり、と。
わたし達の身体が、だんだんと浮き上がっていく。
- 73 名前:放浪者 投稿日:2004/12/23(木) 00:50
- いよいよ本格的におろおろとうろたえていた時、
感じた更なる浮遊感。
反射的に呼吸を止めて、その直後お尻を包む、
柔らかなでもどこか違和感を覚える感触。
「美貴特製、ぶぎーとれいん改良型。
弱い風の結界を張ってあるから、どう?座り心地最高でしょ?」
前に座った美貴さんが、振り返らずに親指を立てる。
今こうしている間にも、
美貴さん言うところの『ぶぎーとれいん改良型』というほうきは
ふよふよと夜の空を進んでいく。
「あのさ」
人の歩行よりも遅いほうきのスピード。
それに合わせるようにのんびりと、美貴さんは呟いた。
「美貴、今ちょっと妹に頼まれて調べものしてるんだ。
けど、一人じゃ何かと不便でしょ?やっぱり仲間がいた方がいい、美貴はそう思うわけ」
「はぁ…」溜息のような、気の抜けた返事が一つ。
でも、美貴さんはそれで「よし」と頷いて、
やっぱりほうきが進む方向を向いたまま、のんびりと告げた。
- 74 名前:放浪者 投稿日:2004/12/23(木) 00:50
- 「じゃあ、キミ。美貴のお手伝いさんね」
「…え?」
「美貴はただじゃあ、助けないよ。それなりに見返りが無きゃねぇ」
ふとわたしを振り返った横顔は、
いたずらっ子のように無邪気な笑顔で。
半ば強迫にちかい物言いなのに、不快感が無いのは、美貴さんだからこそ。
「…喜んで」
「よし。素直でよろしい」
だからわたしも、笑顔で返して。
一緒に行こう。
もうキミは一人じゃない。
ただの自負でしかないかもしれないけど。
やんわりと命令した美貴さんの言葉の中
全てを包み込んでくれる、大きな優しさが含まれていたような
そんな気がした。
「ところで、キミの名前、何?」
「え、あ…何でしょう?」
ほうきがだんだんと加速していく。
でも頬っぺをなでていく風は、滑らかで柔らかいもの。
- 75 名前:放浪者 投稿日:2004/12/23(木) 00:51
-
「ずっとキミって言うのも何だから…“白湯美”なんてどう?」
「白湯美、ですか?」
「そ。白く穢れなく、湯のように温かで美しい。いい名前じゃない?」
得意げに振り返った魔女さんの横顔を見つめつつ、
「ダメです」わたしはいじわるな笑みを浮かべて、拒絶した。
すると一瞬の内に、得意げな笑顔はいじけた顔に変わる。
とがめる言葉が飛んでくるより速く、
わたしは自分でも最高だと思える笑顔でこう返した。
「漢字じゃヤです。
“さゆみ”こっちのほうがだんぜん可愛いでしょ?
驚いたように目を丸くして。
でも、すぐにそれはクシャリと歪んで。
お腹の奥から出てそうな大きな笑い声と共に、ほうきは一気に速度を増した。
決して通り過ぎる風は強くならないけれど。
- 76 名前:放浪者 投稿日:2004/12/23(木) 00:51
- わたしはまだ楽しそうに含み笑いをもらす魔女さんのローブを
キュッと掴んで
滑らかな傾斜の背中に、ゆっくりと頬を乗せた。
美貴さんが、高らかに叫ぶ。
「飛ばすよ、さゆみちゃん!」
だからわたしも、お腹から声を出して。
「はい!」
瞑った目尻が少し熱かったけど
多分笑えていたと思う。
- 77 名前:放浪者 投稿日:2004/12/23(木) 00:52
- 素早く流れる景色。
頬に当たる緩やかな風。
全部が現実。紛れも無いリアル。
有限から
飛び立つための翼を魔女さんから与えられて。
わたしは今日それを広げ
無限へと
飛び立った。
- 78 名前:放浪者 投稿日:2004/12/23(木) 00:52
-
- 79 名前:放浪者 投稿日:2004/12/23(木) 00:52
-
- 80 名前:放浪者 投稿日:2004/12/23(木) 00:54
- 有限から無限へ・了
- 81 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/23(木) 16:02
- 途中まで石川さんかと思ってました。
すごい作品に惹かれました。これからも頑張ってください。
- 82 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/24(金) 18:08
- 自分は松浦さんかと。。
いいなぁ。もっさんかっこいい。
- 83 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/01/02(日) 00:41
- なんか、いいなぁ。
絵本にしてほしいや
- 84 名前:名無し飼育さん 投稿日:2005/01/15(土) 17:50
- ここの話、すごく好きです。
これからも頑張ってください。
- 85 名前:放浪者 投稿日:2005/01/28(金) 00:03
- レスありがとうございます。
>>81さん
惹かれるとは、嬉しいお言葉ありがとうございます
>>82さん
藤本さんに代わり、ありがとうございます。
>>83さん
絵本…感激です。
>>84さん
ありがとうございます。頑張ります。
- 86 名前:_ 投稿日:2005/01/28(金) 00:04
- 冬の晴れたある日の午後
- 87 名前:_ 投稿日:2005/01/28(金) 00:05
-
- 88 名前:_ 投稿日:2005/01/28(金) 00:05
-
- 89 名前:_ 投稿日:2005/01/28(金) 00:06
- よく晴れた日の午後、わたしはぶらりと散歩に出かけた。
意味も無くフラフラするだけだけど、それはそれで良いと思った。
お日様の光は気持ちいいし、お外の空気はやっぱり格別。
でも一点。
ちょっと寒いのがいただけないかな。
「ぅ…寒い」
ぴゅうと鳴いて、
わたしのそばを通り抜けていった冷たい風。
反射的に巻いていたマフラーに顔を埋めて、
コートの前をおさえ、ちょっとだけ前傾姿勢になった。
- 90 名前:_ 投稿日:2005/01/28(金) 00:06
- ふぅっと。吐くと白く煙る自分の息。
冬限定のちょっとした遊びを楽しみながら歩いていると、
ふと視界に映った黒い毛玉。
それのそばによって屈んで観察していると、
毛玉が大きく伸びをして、くあっと小さな口を開け広げた。
「野良、かな…?」
わたしに気付いて、身を硬くしながらこちらを睨む黒い猫ちゃん。
針みたいに尖った瞳が、少しだけ怯えているように取れた。
- 91 名前:_ 投稿日:2005/01/28(金) 00:06
- 「大丈夫だよ」
だから。
わたしは一番可愛い笑顔を浮かべて、猫ちゃんへ手を差し伸べた。
ピンク色の手袋が被さる右手の中指が、そっと猫ちゃんの毛並みに触れる。
引っ掻かれるかなとも思ったけど、意外にも猫ちゃんは何もしなくて。
わたしを推し量るように深く見つめていた。
警戒心が強いことはいい事だけど…。
「うーん…ちょっと、ショックかな」
苦笑を浮かべつつ。
手袋を外して、黒の毛並みをゆっくりと撫でた。
サラサラと、手のひらに残る柔らかくて、心地の良い感触。
- 92 名前:_ 投稿日:2005/01/28(金) 00:07
- 野良じゃない、みたいだね。
あまりの毛並みの良さに、わたしはそう確信して猫ちゃんを撫で続けた。
サラサラ、サラサラ、気持ち良い。
いつの間にか猫ちゃんも、気持ちよさそうに目を細めていた。
「…っさむ…あ、そうだ」
北風さんが駆け抜けて。わたしも猫ちゃんも縮こまる。
そこで浮かんだ、一つの提案。
- 93 名前:_ 投稿日:2005/01/28(金) 00:07
- 家に行かない?
ここにいるよりは暖かいし、
もしこの猫ちゃんが飼い猫でも時間になれば戻るでしょ。
ならそれも良い、それが良い。
ゆったりのんびり。
休日の午後。
猫ちゃんと一緒にコタツで過ごすのも悪くはない。
「よし!いこ――」
「あー!ここにいたのぉ?」
- 94 名前:_ 投稿日:2005/01/28(金) 00:08
- 考えを実行した時の事を頭に思い浮かべ、
一応猫ちゃんに声を掛けながら、抱き上げようとしたところ。
突然右手側から上がった、幼い声。
伸ばした両手を途中で止めて、声のしたほうへと顔を向ける。
白い息を短い間隔で吐き出しながら、猫みたいな目をした女の子がわたしを見ていた。
あ、違う。正確には、わたしのそばにいる黒い猫ちゃんに。
すると、素早く流れる黒い影。
小さな身体からでる、思いもよらないほどのジャンプ力で、
黒い猫ちゃんはその女の子の胸に飛び込んだ。
ごろごろとのどを鳴らして、
女の子の胸にすりよる様子を見て、自然とほっぺが緩んだ。
- 95 名前:_ 投稿日:2005/01/28(金) 00:08
- 「飼い主さん、ですか?」
「え…ぁ、はい、まぁ、そうですね…あの、あなたは?」
立ち上がって、
身体をしっかりと女の子に向け、言った質問に。
女の子はなぜか、戸惑いがちにそう答えた。
そして、わたしに向けられる一つの質問と、黒く綺麗な瞳。
可愛いなと思って。
でもやっぱり、わたしの次にだけどと思った。
「その子に遊んでもらったものです」
「あ、そうなんですか。れいながお世話になりました」
深々とおじぎをしてくる女の子に、こちらこそと言いおじぎを返す。
顔が上がって、ピタッと視線が交差し。
女の子がニコリと、優しい微笑みを浮かべた。
- 96 名前:_ 投稿日:2005/01/28(金) 00:09
- 「あ、じゃあ、わたし、これから用があるので」
だからわたしも可愛い笑顔を返して。
「そうですか」とだけ言い、
ペコリと軽く頭を下げて足早に立ち去る女の子を見送った。
あ、そうだ。
「れいなちゃん。ばいばい」
女の子の背中で、完全に隠れてしまう前に。
わたしは右手を広げて、黒猫のれいなちゃんに別れを告げた。
- 97 名前:_ 投稿日:2005/01/28(金) 00:10
- たったったっと。
テンポ良く脚を運んで、遠ざかっていく背中を見つめていると。
ナーと。柔らかい一声が、わたしに届いた。
角を曲がって、女の子の姿が見えなくなると
わたしはクルリと振り返った。
何だか不思議と嬉しい気分になって。
残りの散歩道を行く足取りは、
ちょっとだけ…ううん。
とても弾んでいた。
- 98 名前:_ 投稿日:2005/01/28(金) 00:10
-
- 99 名前:_ 投稿日:2005/01/28(金) 00:11
- 冬の晴れたある日の午後
- 100 名前:_ 投稿日:2005/01/28(金) 00:11
- おしまい
- 101 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/04(金) 01:00
-
- 102 名前:幼い吸血鬼の裏事情 投稿日:2005/05/15(日) 11:56
-
【優しい嘘――番外編――】
幼い吸血鬼の裏事情
- 103 名前:幼い吸血鬼の裏事情 投稿日:2005/05/15(日) 11:56
-
- 104 名前:幼い吸血鬼の裏事情 投稿日:2005/05/15(日) 11:56
-
- 105 名前:幼い吸血鬼の裏事情 投稿日:2005/05/15(日) 11:57
-
- 106 名前:幼い吸血鬼の裏事情 投稿日:2005/05/15(日) 11:57
- 桜が散って、日々夏に近づいている。
そんな気がする、けどまだそれなりに朝は涼しい。
そんな季節の休日、午前7時30分。
ジュージュー小気味のいい音を響かせるフライパン。
先ほど投下した2つの玉子が、プルプルと震えながら変身していた。
火を止めてわたしはそれぞれをお皿に盛り付つけ、振り返る。
すでに食卓へとついていた愛ちゃんが、ニコニコ顔でわたしを見つめていた。
ずっと見られていたのかな?そうだったら、何かやだな。
ダイニングキッチンと名付けられたこの部屋。
ほんの少しだけ、遮るものを付けてもらおうかと思った。
- 107 名前:幼い吸血鬼の裏事情 投稿日:2005/05/15(日) 11:58
- 「里沙ちゃんの料理〜。うまそぉー」
「目玉焼きくらい、愛ちゃんも作れるでしょ?
て、いうか愛ちゃん、たまにはご飯くらい作ってよ」
「えー。あたし、吸血鬼やから何も作れんもーん」
愛ちゃんの前に目玉焼きを差し出して、無駄だと分かっていても愚痴を言ってみる。
すると、いつもと同じ言葉が帰ってきた。
不機嫌そうに頬っぺたを膨らませる愛ちゃんを見て、わたしは小さくため息をつく。
パンを焼いていたトースターが完了の合図を響かせたのは、それと同時だった。
- 108 名前:幼い吸血鬼の裏事情 投稿日:2005/05/15(日) 12:09
- ◇
高校に上がってから、わたしは一人暮らしを始めた。
物価の高いこの辺りじゃ珍しいほど安いマンションの一室に居を置いて、はや2年。親の仕送りを元に、現在の生活は続いている。
「ぁふあ…おやすみー」
「牛になるよ」
朝食を食べ終えて、即行で寝室へと向かう愛ちゃん。相変わらず食器も片さない。
紅茶をすすりながら指摘してみるけど、愛ちゃんの意識はすでにどこか遠く。
後ろから引き戸の閉まる音が聞いて、わたしは目玉焼きを口の中へ放り込んだ。
「……習性だけは一人前なんだから」
だらけた人間のような彼女は、けど人間じゃない。
自称吸血鬼。闇の下を歩き、人の血を吸って永劫を生きる、恐ろしい不死者。
―――と、あるオカルト本には書いてあった。
だからこそ、わたしはまだ彼女の正体については半信半疑でいる。
- 109 名前:幼い吸血鬼の裏事情 投稿日:2005/05/15(日) 12:10
- まず1に、現れたのが思いっきり太陽輝く真っ昼間。
白日の下、彼女は日傘も指さず、肌も無駄に露出してわたしの家の玄関を叩いた。
2に、彼女はニンニクが平気だ。
流石に丸かじりとかは嫌らしいけど(わたしもやだけど)、ニンニク入りの餃子とか結構食べる。
極めつけは、愛ちゃんは血を吸わない。
普通にわたしと同じものを食べて生きている。
出会ってから半年ほど経つけど、それらしい素振りも見せない。
でも、背中から蝙蝠みたいな羽が生えたり、その細腕のどこにそんな…というほどの怪力を持ってたりするから、現在半信半疑で停滞している。
…今こうして冷静だけど、普通に背中に乗せられて空飛ばれたときは、失神しちゃうほどビックリしたっけ。
「ま、いっか」
紅茶を飲み干して、わたしは愛ちゃんの分の食器も片付けにかかる。
流しで食器を洗い始めながら、わたしは緩む頬っぺたの感触を感じる。
正直なところ、今の―――愛ちゃんのいる生活は結構充実している。
- 110 名前:幼い吸血鬼の裏事情 投稿日:2005/05/15(日) 12:10
- ここで暮らし始めたときは、自分で望んでおきながら、
わたしは一人で暮らすことに言いしれない寂しさを感じていた。
帰ってきても誰も迎えてくれない、当然話し相手もいない。
そうなると何もヤル気が起きなくて、
高1生活の前半はほとんどがインスタント、または友達の家に泊まったりしていた。
そんな時現れたのが愛ちゃんで、
自分の事を正直に名乗るとわたしの元にずかずかと上がりこんできた。
流石に最初は反発した。
でも愛ちゃんは何を言っても暖簾に腕押し、糠に釘状態で。
どんなに乱暴に言い聞かせてもニコニコ笑顔で対応してくる愛ちゃんに、
わたしはついに折れた。
そして、食費は自分で稼ぐという条件の下、
わたしと愛ちゃんの奇妙な同居は幕を開けたというわけ。
- 111 名前:幼い吸血鬼の裏事情 投稿日:2005/05/15(日) 12:11
- ―――思えば、わたし、かなり寂しかったんだなと痛感する。
知りもしない、吸血鬼とか口走る女の子を家に置いちゃうなんて、ね。
まぁ、でも、それからは結構毎日が楽しかったりするからいいけど。
自炊を覚えたのも愛ちゃんのおかげだから、
口には絶対出さないけど、案外感謝してる。
水切りかごに洗い終わった食器を入れ、右手側にある壁を見上げる。
かかる時計は8時を回っていた。
「今日はたしか、玉子が安売りだったっけ?…」
- 112 名前:幼い吸血鬼の裏事情 投稿日:2005/05/15(日) 12:11
- ダイニングルームの一つ向こう、
やっぱり何にも遮られていないリビング。
窓際に一つとテレビと向かいあうよう一つ。
敷かれたカーペットの上にどんと位置を取る、一対のソファ。
テレビの向かいに座り、思わず口を割って出た言葉に
この年ですでに主婦になりつつある―――
真剣に自己嫌悪した。
- 113 名前:幼い吸血鬼の裏事情 投稿日:2005/05/15(日) 12:12
- ◇◇◇◇
眠りの余韻も後に残らず、パッチリと目が開いた。
枕元、スタンドの傍らにある目覚ましを、薄暗闇の中憚りなく確認して
現在午前12時05分。
ベッドに入って、本格的に眠ったのが10時だったから、
大して眠れていないことに気付いた。
ふかふかのベッドにため息を沈めて、直後、胸の辺りに熱を感じた。
そして後に続くように、言いがたい苦しみがあたしの全身を支配する。
- 114 名前:幼い吸血鬼の裏事情 投稿日:2005/05/15(日) 12:13
- クルシイ、くるしい、苦しい…っ!
私服の上から胸を鷲掴みにして、
あたしは震える左手で目覚まし時計の隣に置いていた小瓶を取り寄せた。
あらかじめ緩めておいたふたを取り外し、中の液体を一口飲みこんだ。
苦味と酸味が口の中一杯に広がり、喉の奥へと流れていくごとに苦熱が消えていく。
荒い息をつきながら瓶にふたをして、ポケットの中へ。
上体を起こしてベッドの外へと足を投げ出すと、歯列を指でなぞってみた。
―――全部の歯が、尖る途中で止まっていた。
「……里沙ちゃん、出かけたんやろか?」
その現実から目を逸らしたくて、あたしはベッドから立ち上がった。
- 115 名前:幼い吸血鬼の裏事情 投稿日:2005/05/15(日) 12:13
- ◇◇◇
「ックシュン…!ふぁ?」
何かのお約束事みたいに、自分のクシャミで目が覚めた。
どうやらソファに寝転んでそのまま眠ってしまったみたいで、
体のあちこちが痛い。
というか、さんさんと射しこんでくる陽射し浴びてて、どうしてクシャミがでるの?
答えは、いとも容易く。
2秒後に彼女とパッチリと目が合ったことで、知ることになる。
「にひひ。里沙ちゃんカワイ」
「愛ちゃんか…」
- 116 名前:幼い吸血鬼の裏事情 投稿日:2005/05/15(日) 12:13
- 歯を見せ笑う愛ちゃんの指の先には尖らせたティッシュ。
そしてわたしの鼻を押そうグズグズ感。
人が寝てるってのに、何子供みたいなことしてんの、この吸血鬼は。
「やめてよね、そういう悪戯。たち悪いよ」
「やって、里沙ちゃん起きんから暇やったんやもん」
「だからって、そん、な…ックシュン!あーもう」
ティッシュを2枚引っ張り出して、ズビッと鼻をかむ。
するといじけた様にわたしを見ていた愛ちゃんは、
表情を一転させてケラケラと笑い出した。
わたしは使用済みのティッシュを、愛ちゃん目掛けて放り投げた。
- 117 名前:幼い吸血鬼の裏事情 投稿日:2005/05/15(日) 12:14
- 「……っ!きたなっ」
「すとらーいく」
神速で回避した愛ちゃんの背中側、
ポツンと置いてあったゴミ箱の中に丸まったティッシュはすっぽり収まった。
抗議の視線を向けてくる愛ちゃんを無視し、わたしはわざとらしく声を上げ立ち上がる。
「あ、今日は玉子が安いんだった」
テーブルの上に放置してあった財布を手に取り、玄関まで歩いていく。
靴を履いていざ、と意気込んだとき、わたしを引き戻す一つの力。
半身でだけ振り返ると、服の裾を掴んだ愛ちゃんがわたしを睨みつけていた。
「…愛ちゃん、人ごみ嫌いでしょ?」
- 118 名前:幼い吸血鬼の裏事情 投稿日:2005/05/15(日) 12:14
- そこに含んだニュアンスを敏感に感じ取って、ふるふると首を横に振ってみせる。
「どうしようかな」なんて言って、わたしはさっきの意地悪の仕返し。
すると愛ちゃんは本当に泣きそうな顔になって―――愛ちゃんって、結構精神年齢低いよね。
しょうがないなぁと、わたしは呆れてみせた。
実際、彼女も連れて行く気だったけど。
「自転車、愛ちゃんこいでね」
折角爽やかな笑顔で許可してあげたのに
「えー」
なんて不満気に言うの、このヒト。
ちょっと頭にキタわたしは、ボディーブローを一発決めてあげた。
それでも彼女はめんどいと言うので、結局歩いていくことになった。
- 119 名前:幼い吸血鬼の裏事情 投稿日:2005/05/15(日) 12:15
- ―――***
- 120 名前:幼い吸血鬼の裏事情 投稿日:2005/05/15(日) 12:15
-
家を出たのがたしか午後1時。目的は玉子と夕食のおかずを買いに。
なのに、どうしてもう空がオレンジ色に染まってるんだろう。
「愛ちゃんがあれ食べたい、あれ欲しい言うからだよ」
「あたしのせいスか?」
「わたしのせいだって言うの?」
「……や。あたしんせいです」
人波が行き来する商店街で、わたしたち二人は帰路につく。
わたしの右手にはスーパーの袋が一つぶら下がっている。中身は玉子、それだけ。
「学生の身なのにそんなに沢山買えるわけないでしょ?」
「にしたって、玉子一つだけってんは」
「愛ちゃんが色んなとこ行きたいって言うからこれしか買えなかった」
「……すんません」
- 121 名前:幼い吸血鬼の裏事情 投稿日:2005/05/15(日) 12:16
- 感情を押し殺して、厳しく言い放ってみた。
すると予想通り上がった声は落ち込んでいて、
チラリと目線を横に配ってみると、愛ちゃんは眉を八の字にしてうな垂れていた。
ホゥとため息一つ。
吐き出して腕時計を確認。
してから、立ち並ぶ店の中、一軒の定食屋を指差して愛ちゃんに言う。
「ちょっと早いけど、ご飯食べてこ」
「…う?」
「ひっかきまわされて疲れたし、たまにはこういうのもいいんじゃないかな」
「うん!」
嬉しそうに笑顔を輝かせて、愛ちゃんは大きく頷いた。
- 122 名前:幼い吸血鬼の裏事情 投稿日:2005/05/15(日) 12:16
- わたしを追いこして、
スキップ調で進んでいくその姿は実年齢よりも遥かに幼く感じられる。
現金だな、呆れながらもわたしは笑みをこぼしていた。
―――と。
「…ぁ、ぅ?」
「愛ちゃん?」
店先まで進んでいた愛ちゃんの体が、ぐらりとよろけた。
かと思うと、次の瞬間にはコンクリートで固められた地面へと横転していた。
わたしは最初、また何かの冗談か、もしくはつまづいただけだと思っていた、けど。
- 123 名前:幼い吸血鬼の裏事情 投稿日:2005/05/15(日) 12:17
- 「愛ちゃん?!」
起き上がろうと腕をつき、でも震えながら崩れていく愛ちゃんを見て、
これは違う…っ。わたしは慌てながら駆け寄った。
「どうしたの?大丈夫?」
「こっち来んでっ!」
ビクリと全身が震えた。
いつもと全くイメージの違う、愛ちゃんの真剣に厳しい口調。
駆け寄ろうと出かけた右足が地面に張り付いて、上げた左腕が宙に止まった。
愛ちゃんはわたしに背中を向けて、手で顔を押さえているようだった。
- 124 名前:幼い吸血鬼の裏事情 投稿日:2005/05/15(日) 12:17
- 「…ごめん、大丈夫やから。ただ、ちょっとめまいがしただけ、やから」
3分の1くらいこっちを向いた愛ちゃんの横顔は、見てそれと分かるくらい青白くて。
ただのめまいなんかじゃない事くらい、明らかだった。
「ウソつかないでよっ。そんな顔色…っ、ただのめまいのわけ―――」
「ええからっ!」
怒鳴って近づこう、そう思って再び動かそうとした体がすくんだ。
わたしに向かってきた怒声。
絶対に近づくなというニュアンスが込められていたように、わたしは感じて。
わたしは愛ちゃんの容態を心配しながらも、その突き放すような言い方に腹を立てて
- 125 名前:幼い吸血鬼の裏事情 投稿日:2005/05/15(日) 12:19
- 「っ分かったよ!なら、先に帰ってるから。一人で帰ってくれば」
心にも無い、冷たい言葉を言い放っていた。
正直なところ、何か反論してくれることを期待していた。
だけど、帰って来たのは言葉の無い、一度の了解の頷きと
「…はよ、帰って……」
掠れてたけど、やっぱり突き放すような言葉だけ。
わたしは顔が熱くなるのを感じて、ギュッと両方の拳を握った。
唇を引き結ぶと、まだ顔を押さえてうずくまる愛ちゃんの背中を睨みつけて、わたしはその場から立ち退いた。
勿論、今日の外食計画は、実行できるわけなかった。
- 126 名前:幼い吸血鬼の裏事情 投稿日:2005/05/15(日) 12:19
- つづきます
- 127 名前:_ 投稿日:2005/05/15(日) 13:10
- …訂正です。恥ずかしい。。。
>>113
現在午前12時05分->現在午後12時05分
- 128 名前:通りすがりの者 投稿日:2005/05/16(月) 21:38
- 更新お疲れさまです。 一気に読まさせて頂きました。 なんかファンタジーな感じの様なリアルな様な。 ゴジャ混ぜなお話は良いです。 次回更新待ってます。
- 129 名前:名無し読者 投稿日:2005/06/12(日) 17:00
- 楽しみに待ってます…。
- 130 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/23(木) 09:29
- うわっ、すげーお話おもしろいです!!続き待ってます!
- 131 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/07/10(日) 18:53
- 続きが気になります 待ってます
- 132 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/18(木) 15:44
- まだまだ待ってますよ〜・・・
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