モーニング娘。衰亡史
- 1 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/28(日) 21:17
- 【史】 し、ふひと、ふみ、さかん、はで、……
- 2 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/28(日) 21:18
- 決断
- 3 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/28(日) 21:19
- シルバーのセダンがコンビニの駐車場に止まっていた。それに、ビニール袋を提げた三人の女性が乗り込んでいった。三人とも帽子を目深にかぶって顔を隠していた。
その中でひときわ小さな女性が、あやしげな手つきでハンドルを回し始めた。他の二人──吉澤と藤本はは後部座席で固まっていた。二人とも助手席に座る勇気がなかったようだった。
「矢口さん。渋い車買ったんですね」
「いつ免許取ったんですか?」
「オフにこつこつと教習所通ったんだ。みんなには内緒だよ」
「マネージャーにも?」
「もちろん」
- 4 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/28(日) 21:19
- 三人は、名前を言えば「ああ、聞いたことがある」と言われる芸能人だった。個々の名前は知らないとしても、そのグループ名を耳にしたことのない人は少ないだろう。面倒なトラブルに巻き込まれないよう、顔をなるべく見られないようにし、車の運転も禁じられていた。
三人の表情は固いままだった。車内での会話も途切れがちとなった。矢口は運転で頭がいっぱいのようであり、後ろの二人は頬杖ついたり腕を組んだりしていた。
車は路地に入り、フェンスと砂利だけの簡単な駐車場に入っていった。少しななめに車が止まり、三人が出てきた。
「おいらのマンションはあれだよ」
「ちょっと距離がありますね」
「ここにいつも止めてるんですか?」
「マンションの駐車場はいっぱいで借りられなかったんだ」
- 5 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/28(日) 21:20
- 三人は歩道をゆっくり歩いていった。途中、工事をやっている敷地があり、コンクリートの破片が飛び散っていた。
「ここさ。銀行の独身寮だったんだけど売っぱらったみたい」
「不景気ですからね」
「若い男の人たちがみんな引越したんだけどさ。それがさ」
矢口はここで笑いをこらえるような声を漏らした。
「みんな要らないものを捨てていったんだけど、アダルトビデオが山のようにそこに積まれていたよ。管理人のおじさんが処分に困ってた」
矢口の後ろを歩いていた二人は、反応に困りながらも苦笑した。
「それ、矢口さんがもらったんでしょ」
「ば、ばか。人聞きの悪いこと言うなよ。よっすぃ〜」
- 6 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/28(日) 21:20
- 三人は、矢口が住んでいるマンションに入っていった。管理人室の前に郵便受けが並んでいた。その端に鍵穴があり、矢口がそこに鍵を差し込むと、エレベーターに通じる扉が開いた。管理人の姿はカーテンに閉ざされて見えなかった。
「昼間はいつも寝てるんだ。ちゃんと仕事してるのかな」
エレベーターは二基あった。しばらくすると、一つが開いてマンション名の入った台車を押しながら、中年の女性が出てきて三人をにらんでいった。三人は肩をすくめてエレベーターに乗り込んだ。
矢口の部屋に入ると、二人は勧められた椅子に座った。
「あっ。パソコン消すの忘れてた」
- 7 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/28(日) 21:20
- 矢口はマウスを動かして、パソコンの電源を落とした。ポケットの携帯電話をマウスの横に無造作に置くと、今度は冷蔵庫の中を探り始めた。
「あれ。ケーキがなくなってる」
「えー。せっかくこうして紅茶買ってきて楽しみにしてたのに」
矢口は冷蔵庫を閉めて、おおげさに頭をかいた。
「ごめんごめん。昨日食べちゃってたみたい。今から買ってくるから、ちょっと待ってて」
矢口が財布をつかんで部屋を飛び出していくのを、二人は見送ってから顔を見合わせた。
- 8 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/28(日) 21:20
- 矢口はタンブラーを三つ出した。藤本がペットボトルのふたを開けて、中味をそこに注いだ。ケーキはまっさきに吉澤によって小皿の上に並べられていた。
「まあ、なんだ(モグモグ)、とんでもないことになっちゃったけど、オイラたちにできることは(モグモグ)、『待つ』ことしかないんだ」
「そうなんでしょうけど(モグモグ)、ちっちゃい子らは混乱してましたよ(モグモグ)」
「そうそう(モグモグ)、この先どうなるんですか、モーニングなくなっちゃうんですか(ゴクン)」
「原因っていうか(モグモグ)、警察の調査次第だろうね(ゴクン)、スキャンダルがあるんだとしたらそれまでだ(モグ)」
- 9 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/28(日) 21:21
- 「警察って(モグモグ)、どこまで調べてるんです(ウッ)」
「よっちゃん(モグモグ)、そんなに慌てて食べるから(モグ)、はい、紅茶」
「ありがと(ゴクゴクン)」
「マネージャーから聞いたんだけど(ゴク)、あんな場所で墜落するわけがないって(モグモグ)」
「そりゃそうでしょうね(モグモグ)、小さいアトリエの部屋ん中ですから(モグ)」
「どう考えてもそんなところで落ちませんって(ゴクン)」
「だよなあ(モグ)、ってことはどっかで落ちてたのを運ばれたんだろうって(モグモグ)」
「そんな(モグモグ)、ところでしょうね(モグ)」
「どこで落ちたんですか(モグモグ)」
「そこまでは(モグ)、警察もまだつきとめてないみたい(モグ)」
- 10 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/28(日) 21:21
- 「もしかして誰かに突き落とされたんじゃないですか(モグモグ)」
「(ゴクン)そうかもしれない」
「誰が(モグモグ)、そんなひどいことを(モグモグ)」
「とりあえずさ(モグ)、マスコミはまだ嗅ぎつけてないみたいだし(モグ)、下手なしぐさを見せちゃだめだぞ(モグ)」
「今度のコンサートは(モグモグ)」
「病欠扱い(モグモグ)」
「それじゃあフォーメーションとか練り直しですか(モグ)」
「とりあえず(モグモグ)、二人にはしっかりとしてもらわないといけないから(ゴクン)、がんばってよ(フウ)」
- 11 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/28(日) 21:21
- 吉澤と藤本の二人はエレベーターを出た。
藤本がカーテンのしまっている管理人室の小窓を叩いた。しばらくして、白髪の老人が顔を見せた。
「なんだい」
「おとといの夜中なんですけど、背の高い──といっても、この人より少し大きいくらいの人なんですけど──見ませんでした?」
「そんなこと言われてもなあ」
「髪が長くて、ほっそりした人なんですけど」
ここで吉澤が声をはさんだ。
「ここのマンションに住んでる人で、すごく背の小さい女性いるでしょ。その人といっしょにいたと思うんですけど」
- 12 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/28(日) 21:21
- 老人は、合点がいったかのように大きくうなずいた。
「矢口さんのことかい。奥でテレビ見てたし、カーテンが邪魔でよく見えなかったが、確かにそれっぽい女が矢口さんとそこを通っていたなあ」
「その人がいつ出ていったか覚えてます?」
「いや、それは記憶にない。翌日の朝方に出ていったんじゃないか」
「小さい女性といっしょじゃなかったんですか」
「矢口さんは昼頃一人で走って出ていったよ」
二人は礼を言うと、マンションを出た。ゴミ置き場の横を通って、マンションの裏側の芝生に出た。しばらく空のほうを見上げ、それから地面をなめるように見つめながら少しずつ移動した。
- 13 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/28(日) 21:22
- 「どう。何か見つかった?」
「ん──これ」
藤本が芝生のある地点を指差した。その一帯は足で踏み固められたかのように、芝生が曲がって折れていた。
「ちょうど人一人くらいの大きさだよ」
「ここに? でも、血とかそんなのついてないよ」
「確か、内臓破裂だったっけ。口の端から少し血が出てたくらいだって言ってたから、血とか脳みそとかはばら撒かなかったのかも」
吉澤はマンションを見上げた。矢口の部屋はレースのカーテンが閉まっていた。
- 14 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/28(日) 21:22
- 夜が更け、二人は夕食をとろうとレストランに入った。
「ご注文は以上でよろしいでしょうか。お飲み物はいかがいたしましょうか」
「ウーロン茶を」
「わたしも」
次々に料理が並べられ、二人は小皿にとって食べ始めた。
「よっちゃん(ムシャムシャ)」
「ん?(ムシャムシャ)」
「あたしたち(ムシャ)、どうなっちゃうのかなあ(ムシャムシャ)」
「なるようになるんじゃない(ムシャ)」
- 15 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/28(日) 21:22
- 「よっちゃんさ(パク)、マネージャーから何か聞いてない?」
「ちょっとミキティ(ムシャムシャ)、わたしにもエビちょうだい(パクパク)──いくつか聞いてるけど(ムシャ)」
「どんな(ムシャムシャ)」
「飯田さんの(パクパク)、遺書が見つかったって(ムシャムシャ)」
「ほんと(ムシャ)、どこで(パク)」
「アトリエの机の引き出しにあったって(ゴクン)」
「それ(ムシャムシャ)、ほんとに飯田さんのかな(ムシャ)」
「見せてもらったけど(パクパク)、飯田さんの書きそうな文章だったよ(ムシャ)」
「飯田さんの字だった?(ゴクリ)」
「パソコンで印刷されてたから(ムシャムシャ)」
「遺書って(ムシャムシャ)、手で書くもんじゃないの(パクパク)」
「どうなんだろうね(パク)」
- 16 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/28(日) 21:23
- 「どんなこと書いてあったの(ムシャ)」
「事務所への(ムシャムシャ)、恨みつらみとか(パクパク)、そういうの(ゴクン)」
「そりゃ(パク)、マスコミに漏れたらやばそうだね(ムシャ)」
「これ(ムシャ)、矢口さんにも秘密ね(パク)」
「それってさ(ムシャムシャ)、マネージャーも矢口さんのこと(ムシャ)、疑ってんじゃない(パク)」
「どういうこと(ゴクン)」
「遺書が見つかったっていっても(パクパク)、自殺じゃないでしょ、どう見ても(パク)」
「死体が移動してるからね(ムシャムシャ)」
「でしょ(ムシャ)、で、飯田さんの死体が見つかる前日に(ムシャムシャ)、矢口さんのマンションにいたわけだし(ゴクリ)」
「矢口さんが(パクパク)、飯田さんを突き落としたってこと?(ムシャムシャ)」
「管理人のおじいさんも飯田さんが出ていくところ見てないし(パクパク)、芝生にそれらしい跡がついてたし(ゴクゴク)、間違いないよ(ムシャ)」
「遺書も矢口さんが(ムシャムシャ)、パソコンで書いたんだ(パク)」
- 17 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/28(日) 21:23
- 「さっきこっそり矢口さんの携帯見たら(ムシャ)、送信受信の記録全部消えてたの(ムシャムシャ)、飯田さんからの記録を消すためだよ(パク)」
「うん(ゴクリ)」
「よっちゃん、そこの肉食べていい?(パクパク)」
「はい(ムシャ)」
「突き落としてから、台車でセダンに乗っけて(ムシャムシャ)、アトリエまで運んだんだよ、きっと(ゴクン)」
「理由はなんだろ(パク)」
「偽物の遺書にあるようなことで(ムシャ)、揉めたんじゃないの(パク)」
「なるほどね(ゴクン)、ああ、お腹いっぱい」
「ほんと(ゴクゴク)、おいしかったあ」
- 18 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/28(日) 21:23
- 二人はタクシーを捕まえ、藤本のマンションまで行った。
「よっちゃん、少し練習しようよ」
「今から? ジャージ持ってきてないよ」
「あたしの貸してあげるよ」
二人はボールを持って近くの公園に向かった。吉澤が一人でリフティングを始めたのに藤本が腹を立てた。二人はボールをパスし合いながら話を交わした。
「さっきのさ(ポン)」
「なに、よっちゃん?(ポン)」
- 19 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/28(日) 21:23
- 「ちょっと変だなあってさ(ポン)」
「なに?(ポンポン)」
「死体の運び場所(ポン)、アトリエに運ぶのは変だよ(トン)」
「でも矢口さんのマンションの芝生に(ポン)、置いとくわけにはいかなかったんでしょ(ポン)」
「どこか別のマンションに(ポン)、遺書といっしょに置いとけばいいことじゃない(ポンポントントントン)」
「あ、トラップミスしたあ──そういえばそうかも(ポン)、おかげであたしたち(ポン)、矢口さんを疑うことになっちゃったもんね(ポントン)」
「ちゃんとダイレクトで返してよ(ポン)、逆だと思うんだよね(トン)」
「逆?(ポン)」
- 20 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/28(日) 21:23
- 「矢口さんさ、自分に疑いが(ポン)、向くようにしてるんじゃないかって(ポン)」
「どういうこと?(ポン)」
「矢口さんが死体をアトリエに(トン)、運んだのは間違いないと思う(トン)、でも、矢口さんのマンションで争って突き落としたって(トン)、わざわざ夜中にベランダでケンカしないでしょ(ポン)」
「あ、そっか(ポン)」
「飯田さんは自殺したんだよ(ポン)、死ぬ前に矢口さんにメールか電話したんじゃないかな(ポン)」
「飯田さんの住んでたマンションで?(トトン)」
「ほら、パスはもっと正確に(ポン)──それはわからないけど、矢口さんのマンションじゃなくて(トン)、矢口さんは慌てて現場に行ったけど間に合わなかった(ポンポン)」
「よっちゃんもダイレクトで返してよ(ポン)、芝生の跡とか遺書は偽装なんだ(ポン)」
「あまりにもわざとらしく細工してあったし(トン)」
- 21 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/28(日) 21:24
- 「あれ、でも管理人のおじいさんが(ポン)」
「あれは、矢口さんの偽装にひっかかったんだよ(ポン)、矢口さんの近くにある銀行の独身寮(トン)、アダルトビデオ以外にも変なのが捨ててあったの(ポン)」
「変なの?(ポン)」
「ダッチワイフ(トン)」
「なにそれ(ポン)」
「大きい人形みたいなやつ(ポン)、それにカツラかぶせてマンションに入って(ポンポン)、飯田さんに見せかけたんだ(ポン)、不熱心な管理人ならごまかせるよ(ポン)」
- 22 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/28(日) 21:24
- 「矢口さんはどうしてそんなことしたのかな(トン)」
「多分本物の手書きの遺書があったんだ(ポン)、矢口さんがパソコンで打ち直したままの内容のやつ(トン)」
「事務所への恨み?(トトン)」
「そう(ポン)、矢口さんには飯田さんの文章はまねれないと思う(ポン)、そんな遺書持ってる死体が(ポン)、マスコミに見つかったらやばいよ(ポン)」
「矢口さんはそれを隠そうとしたんだ(ポン)」
「そう(トン)、モーニングの存続のためにね(ポンポンポン)」
「あ、よっちゃん、リフティングは禁止ー」
- 23 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/28(日) 21:24
- 吉澤は藤本のマンションでシャワーを浴び、タクシーで帰ることにした。後部座席に深々と体を沈め、眠気に襲われそうになった。
吉澤は矢口の言葉を思い出した。
『とりあえず(モグモグ)、二人にはしっかりとしてもらわないといけないから(ゴクン)、がんばってよ(フウ)』
吉澤と藤本への激励の言葉だった。
「矢口さんはモーニング辞めるつもりだったのかな」
警察は自殺ではなく他殺と判断したならば、矢口に疑いを向けるだろう。偽装された証拠がどのくらい信憑性があるのかどうか、その具合によっては矢口は逮捕されるかもしれない。少なくとも事情聴取は受けるだろう。
- 24 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/28(日) 21:24
- メンバーが他のメンバーを殺害したという疑惑は、一つのスキャンダルだ。しかし、事務所の待遇に不満を持って自殺するというスキャンダルに比べるとどうだろうか。疑惑は疑惑に過ぎない。矢口がその責めを負うだけだ。しかし自殺の場合は、疑惑ではなく事実となる。その可能性に矢口は賭けたのだ。
「どうしようかな……」
二人が真相を公にすれば、矢口はモーニングを辞めずにすむ。逆に、黙っていればモーニングは助かる。彼女の結論は──。
- 25 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/28(日) 21:24
- 吉澤はまぶたを閉じた。タクシーが家につくまでには、まだまだ時間があった。
- 26 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/28(日) 21:25
- fin
- 27 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/28(日) 21:25
- *****
- 28 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/28(日) 21:25
- ***
- 29 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/28(日) 21:25
- *
- 30 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/01(水) 02:12
- やり直し
- 31 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/01(水) 21:26
- >>30
えー
- 32 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/01(水) 21:26
- 効き目抜群
- 33 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/01(水) 21:26
- 「オッケー、それじゃほんとにラストの曲、今の私の気持ち、『晴れた日のマリーン』!」
肩に腹、太ももを露わにした少女が歌声を乗せると、大ホールに歓声がこだました。
☆ ☆ ☆
白衣を着た白髪まじりの男性が、バインダーに挟んだA4用紙にボールペンを走らせる。
そこに、同じく白衣の若い男性が声をかけた。
「どんなものです?」
「まあまあだな。前のよりは効率がいい」
「都民の大事な税金使ってますからね。効果なし、なんてことになったらどれだけ叩かれるかわかったもんじゃありませんよ」
「ん、そろそろかな」
- 34 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/01(水) 21:27
- ☆ ☆ ☆
「セイ?」
「オイオイオイ!」
「こっちも?」
「オイオイオイ!」
「こっちもー」
「オイオイオイ!」
☆ ☆ ☆
「準備できたか」
「ノズル、八つともOKです。クレーンの整備も済ませてあります」
「濃度は?」
「いつもよりきつそうですから、五パーセントほど足しておきました」
- 35 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/01(水) 21:27
- ☆ ☆ ☆
「私が『サイコー!』って言ったら、みんなも『サイコー!』って言ってほしいの」
「オーッ!」
☆ ☆ ☆
「もう終わりが近いってのに、元気があるな。ここまで声が聞こえてくる」
「生命力が無駄に強いみたいですからね」
「さて、そろそろ行くぞ。外のほうはいいな?」
「ええ、目張りは完璧です。万に一つも漏れることはありません」
「液は無駄に使うな」
- 36 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/01(水) 21:27
- ☆ ☆ ☆
「また絶対会おうね!」
☆ ☆ ☆
少女が舞台から消え、ライトが一つ一つ光を失っていった。
ホール全体が暗闇となっても、観客のざわめきが消えなかった。
シューっという音が、天井から漏れてきた。
ざわめきはやがて、人々のもがき苦しむ声に変わっていった。
ホールの大きな扉をガンガン叩く音が止まなかったが、やがてそれも消えた。
- 37 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/01(水) 21:27
- ☆ ☆ ☆
「どうだ?」
「いつものように、全滅です。声一つ聞こえません」
「よし、じゃあ掃除するぞ。手際よくやれ」
「明日までにはきれいにしますよ」
若い男性は部屋を出て行った。
「やれやれ。ゴキブリホイホイと違って、ゴミ箱に放り捨てるわけにいかないのが欠点だな」
☆ ☆ ☆
【江戸川区総合文化センター館内消毒スケジュール】
9/4・5 後藤真希コンサートツアー2004秋 〜あゝ真希の調べ〜
東京 江戸川区総合文化センター大ホール
9/6 東京 江戸川区総合文化センター大ホール
館内消毒のため臨時休館
- 38 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/01(水) 21:28
- fin
- 39 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/01(水) 21:28
- *****
- 40 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/01(水) 21:28
- ***
- 41 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/01(水) 21:28
- *
- 42 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/03(金) 03:56
- 普通におもしろい
もっと書いてー
- 43 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/07(火) 01:19
- あかんわ
- 44 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/07(火) 21:06
- >>42 わーい
>>43 えー
- 45 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/07(火) 21:06
- ドアの向こう側
- 46 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/07(火) 21:07
- 肌を突き刺すような冷気が私たちを突き刺した。半袖半ズボンのユニフォームでは保温効果はほとんどない。念入りにウォームアップをくり返した。
キッズたちの紅白戦が終わり、私たちの出番が来た。それまで使っていた練習用のボールをベンチ側に蹴飛ばし、私たちは北澤監督を囲んで指示を受けた。
「相手は強敵だけど、気持ちで負けるな。最初からガンガン飛ばしていくんだ」
- 47 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/07(火) 21:07
- ☆ ☆ ☆
「この門を通ればいいのかな?」
「見たところ、他に通れそうな場所はないみたい。壁を乗り越えちゃいけないでしょ」
そう言うと、よっちゃんさんは白いドアをガンガン叩いた。中から誰かが出てくる気配もなかった。
「鍵かかってる?」
「そうなのかも」
よっちゃんさんはしばらくドアを押したり引いたりしていたが、すぐに諦めた。
☆ ☆ ☆
相手はイエローキャブが結成したチーム、カレッツァだった。これまで一勝一引き分けだが、勝った試合も一点差なので、力は拮抗している。一人、すごく上手い選手がいた。
私たちがピッチに立つと、歓声がスタジアムに響き渡った。いやでも気分が高揚してきた。
両チームの選手たちがお客さんに一礼すると、キャプテンが審判のところに寄っていった。
「今回はコイントスは無しで。ガッタスボールから始めます」
「あ、そうなんですか」
監督がボールを転がしてきた。審判はそれを拾ってよっちゃんさんに渡した。
- 48 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/07(火) 21:07
- ☆ ☆ ☆
「ま、急いでいるわけでもないし、ゆっくり考えようよ」
まいちんがのんびりとした声で言った。まったく彼女の言うとおりだったので、私たちはその場に座って体を休めることにした。
「ねえ、よっすぃ〜。蹴った瞬間どんな感じだったの?」
梨華ちゃんの問いに、よっちゃんさんは空を見上げながら答えた。
「そりゃあ、いきなりボン、ってさ。そこから先はよく覚えてないよ」
☆ ☆ ☆
審判が笛を口にくわえた。
「最初どうする? まいちんに渡す?」
「ミキティはちょこんって少し前に蹴り出して。一発狙ってみるから」
「ん、わかった」
- 49 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/07(火) 21:08
- ☆ ☆ ☆
「そういうボールでやる……ルールじゃなかったよね?」
「当たり前じゃん」
「誰かがしかけたんだね」
「誰が? そんないやがらせ?」
「いや、梨華ちゃん、いやがらせって」
「まさかカレッツァ? ヒゲの社長の仕業?」
よっちゃんさんは頭を振った。
「いくらライバルでも、そんなことしないよ」
「そうだよ、梨華ちゃん。第一、そんなことしたらカレッツァもフットサルできなくなっちゃうじゃない。かなり力入れてたみたいだから、そんなことしないよ」
「じゃあうちの事務所?」
「うちらだって協会の人とか呼んで宣伝に使ってもらってたじゃない」
「あ、そっか」
梨華ちゃんはテヘヘと笑った。
- 50 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/07(火) 21:08
- ☆ ☆ ☆
よっちゃんさんからボールを受け取ると、私はサークルの真ん中らへんにボールを置いた。カレッツァもキックオフシュートを警戒して、自陣ゴール前に三人、その少し前に一人が腰を落として構えていた。
「梨華ちゃん、まいちん」
よっちゃんさんが二人を呼んで、サークルの円周上に配置させた。これなら、誰がミドルシュートを打つのか、相手チームも迷うだろう。監督の指導の下、何回も練習をくり返してきたパターンの一つだった。
笛が大きく鳴った。
- 51 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/07(火) 21:08
- ☆ ☆ ☆
「それなら、こういうのはどう? フットサルのことを凄く憎んでいる人」
まいちんが元気よく右手をあげた。
「どういうこと?」
「フットサルに関係ある人だったら、そんなことしないわけでしょ。大きな仕事の一つになってるんだし。それだったら、フットサルに関係ない人の仕業ってことでしょ」
「そんな人いる……?」
四人それぞれが、思い思いの人の名前を頭に浮かべた。私が思い浮かべたのは亜弥ちゃんだった。彼女は結局フットサルを続けることができなくなってしまった。それを恨みに思って……ということは、どう考えてありえなかった。彼女はフットサルどころではないほど多忙なのだ。
するとマコトか大谷さんか……どうだろう……運動が苦手な人たちはどうだ……運動が大の苦手なのに、スポーツフェスティバルという形で自分の醜態をみんなに晒さなければならない……その憎悪は、運動が得意なガッタスメンバーに向けられ……。
- 52 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/07(火) 21:08
- ☆ ☆ ☆
梨華ちゃんとまいちんにパスするつもりは、これっぽっちもなかった。よっちゃんさんに思いっきり蹴ってほしかった。
「よし!」
私は大きく足を上げた。もちろんフェイクで、後ろに出すと見せかけて、よっちゃんさんのほうにちょこんと転がした。よっちゃんさんは左足で軽く受け止め、右側に少し流した。カレッツァの選手の体勢が少し崩れたように見えた。
よっちゃんさんは右足を振りぬいた。
- 53 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/07(火) 21:09
- ☆ ☆ ☆
「結局は仕事なんだよね」
いきなりよっちゃんさんの声がして、私の思考がさえぎられた。
「なになに、どうしたの?」
「だってさ、フットサルは楽しいし、やるの大好きなんだけど、周りはそうは見てくれないよね」
「そうね。テレビや新聞で取り上げてくれるし、宣伝になるし」
「仕事でやってる人は、あんなことしないと思うんだ。だってこれでお金儲けできるんだから」
そうだった。運動が得意な人、不得意な人、その姿を見せることが私たちの仕事だった。私たちはプロなんだから、余計なことは考えない。憎悪など持ちようがないのだ。
「ってことは、仕事として来てない人がやったんだ」
「そんな人いる? まさかお客さん?」
「ボールに仕掛けることができる人、ガッタスにキックオフさせることができる人」
「……審判?」
梨華ちゃんの返事にみんなぷっと吹き出した。キックオフのボールを転がしてきたのは、あの人しかいないじゃないか。サッカー協会のアンバサダーに「ガッタスボールで始めて」と言われたら、審判は断れないだろう。
「北澤さん、か……」
- 54 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/07(火) 21:09
- ☆ ☆ ☆
私は、よっちゃんさんの右足がボールをとらえるのを見た。爆音が耳に飛び込んできた。爆風に飛ばされた私は、それきり意識を失った。
☆ ☆ ☆
監督は、一応仕事だけれど、それ以上にサッカーやフットサルが生活そのものだったんだ。ガッタスの監督を引き受けたのも、普及のためだ。
どんなことがあったのかは、よくはわからない。だけど、監督には許せない、すべてを壊したくなるような何かがあったのだろう。私たちの世界では、よくあることなのかも知れないけれど。
「うん、すっきりした」
「恨む?」
「ん、もうちょっと長生きしたかったけど、死んじゃったものはもうしょうがないよ」
爆風に飛ばされて、気づいたらここに四人いた。センターサークル付近にいた私たちだけが死んでしまったようだった。
- 55 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/07(火) 21:09
- 「あれ?」
いつのまにか、まいちんが白いドアのところにいた。
「鍵、開いてるよ」
私たちは立ち上がった。
「この向こうはどんなんだろうね」
「天国かな、極楽かな」
「実は地獄だったりして」
「どっちでもいいよ。そこでフットサルの続きやるんだからね」
よっちゃんさんの言葉に、みんな大きくうなずいた。
ドアをゆっくり開いた。
- 56 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/07(火) 21:10
- fin
- 57 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/07(火) 21:10
- *****
- 58 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/07(火) 21:10
- ***
- 59 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/07(火) 21:10
- *
- 60 名前:名無し飼育さん 投稿日:2004/12/07(火) 21:52
- フジモンのアレ書いてた方?
面白いです d(>_・ )
- 61 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/08(水) 17:22
- 再提出
- 62 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/13(月) 21:20
- >>60 そうかも
>>61 そんなー
- 63 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/13(月) 21:20
- あなたの望むままに
- 64 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/13(月) 21:21
- はじめて出会ったときからそうだった。自分でもその理由がわからないのだが、そうなる運命だったのだろう。
おおよそ、理由もなく他人のために何かを自ら行うことなど、したためしがなかった。こんなんじゃいけないのかな、と思わないこともなかったが、それが私の性格であり、そういう人間であるのだから、と納得していた。
そんな私が社会に出てどのように生きていくのか、ばくぜんとした不安を持っていたのだが、いくつかの偶然が重なり芸能人として生きていくことになった。この世界は、心のうちはどうであれ、スポットライトを浴びることができる人間こそが何にも増して一番である。そのためにはある程度がまんをしなければならないこともあったが、大体のところにおいては私が主役でいることができた。
- 65 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/13(月) 21:21
- さて、ビジネスの場においては以上のような状態だったが、プライベートの場ではどうだったか。北海道から出てきて一人暮らしであり、仕事が忙しくてプライベートの時間などほとんどなかった。遊ぶ時間がなければ、気安く遊べる友達もいない。遊び方に気を払わなければならないことは、マネージャーに言われなくても重々承知していた。
それならば、友人、あるいは仲間を見つけるなら仕事場でしかない。一人の仕事がほとんどだったが、ときどき事務所の先輩方のライブに参加することになっていた。そこで名前を売り、ゆくゆくは独り立ち、という算段である。先輩とはいえ、私より年下の人たちもいた。この人たちの中から、プライベートの友人ができれば、と思っていたのだが、とんだ考え違いだった。
彼女たちは優しく私に接してくれるが、それだけである。彼女たちはいくつかのグループに分かれ、そのまま固まっている。私の入る余地がないのだ。一人でいることには慣れているので、それはそれで構わないのであり、いくらかでも期待していた自分が愚かだったのだと思った。
- 66 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/13(月) 21:21
- 見ると、私と同じように一人ぽつねんと立ちすくんでいる彼女を見つけた。彼女も私と同じくソロの歌手活動を行っていた。他にもお年を召したソロの人はいるのだが、その人はかのグループの出身者であり、私たちとは立場が違った。その人は大人数の輪の中にあり、しかも中心だった。
彼女は私に気づき、笑みを見せたが、それは苦笑いのようにも見えた。孤独な者どうしが一緒になるのは、それほど不思議なことではないだろう。妥協の産物かもしれない。
- 67 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/13(月) 21:21
- ほどなく、私は彼女の部屋へ遊びに行くようになった。私は、すでに述べたように人のためにあれこれ世話を焼く人間ではないのだが、彼女といるとどうにも調子が狂ってしまう。
「ミキたん、お米砥いで」
「ミキたん、お風呂洗って」
「ミキたん、……」
気づくと、私は彼女の命令どおりに動いてしまっていた。脳があれこれ考える前に、体が勝手に行動してしまう感じである。自分が自分の思うように動かないことに、私はそこはかとなく不安を感じていたのだが、彼女が喜んでいる様子を見ると、こういうのも悪くはないのかもしれないと思うようになった。
- 68 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/13(月) 21:22
- すると今度は、彼女が口にする前に、彼女の望む行動をとるようになった。これもどういう仕組みが働いているのか、皆目見当がつかないのだが、私が彼女の考えていること──ただし望んでいることだけを感知してしまっているようだ。そして条件反射のように、その行動をとってしまう。彼女が喜ぶので、この異常な出来事は事実であると私は確信した。
その日もそうだった。私は彼女の住む部屋に入ると、台所に向かい、甘い紅茶を入れて渡した。なぜなら、それを彼女が欲しがっていたからである。
「ありがと、ミキたん」
そして二人でテレビを見たり、他愛のないことを話したりしていたところ、再び彼女の思念が私を捕らえた。これがかなりの難問であることが私にはわかった。
- 69 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/13(月) 21:22
- これまでの彼女の望みは即物的だった。あれが欲しい、あれが食べたい、ならば私はそれに当てはまる物を持ってくるだけですんでいた。しかし、「名探偵になりたい」というのはどうだろう。私はこのとき固まった。どのような行動をとれば彼女が「名探偵」になれるのか、そんなもの見たことも触ったこともなかったので、全然わからなかったからだ。
いや、物の本でその存在を一応目にしていた。何事か不思議な事件が起こり、それを解決するのが探偵である。どうすれば彼女を探偵にできるのか。いや、ただの探偵ではなく、名探偵にしなければならないのだ。脳は混乱の度合いを増し、体はばらばらになりそうな感じがした。
そこに次の思念が流れてきた。今度は少し具体的だった。どういう理屈なのか、殺されたのは中澤さんであり、容疑者は飯田さんであり、真犯人は安倍さんなんだそうだ。もちろんその難事件を解決するのは名探偵である彼女だった。
- 70 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/13(月) 21:22
- ここで、初めて私の脳が体に介入することになった。脳と体は、一致団結して、彼女の望みをかなえるべく活動を開始した。私は、このときすでにソロ活動をやめ、かのグループに放り込まれていた。彼女を名探偵にすることは、果たしてソロ活動より容易なことなのだろうか。
それでも私は、彼女を名探偵に仕立て上げなければならない。中澤さん、飯田さん、安倍さん、それに加え彼女がいっしょにいる時間、場所を選ぶことになる。名探偵がいなければ話にならない。ちょうど、お正月に放映する予定の番組の収録があった。これには私も含めて全員参加するので、好都合だった。彼女は普段は出ていないのだが、ゲストとして出てくる。
収録前、小さな楽屋で中澤さんがひっそりと息絶えていた。死因は鈍器による撲殺で、頭頂部が陥没していた。凶器は床に落ちていたやたらシャフトが長いゴルフクラブであると、警察の鑑識は判断した。ヘッドには中澤さんの血がべっとりと付着していた。
- 71 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/13(月) 21:22
- やがて、若林豪似の刑事が、犯人は飯田さんであると断定した。この楽屋は中澤さん、飯田さん、そして安倍さんの三人のために用意されたもんだった。つまり、出入りすることができるのはこの三人である。この仕事に参加して日の浅いアシスタント・ディレクターも、この三人が楽屋の中を出入りしていたことを証言していた。となると、容疑者は飯田さんか安倍さんしかいない。
「この凶器が証拠だ。もし安倍さんがこんなに長いゴルフクラブを振り下ろしたとしたら、けっして頭頂部に致命傷を与えることはできない。わかるね?」
中澤さんは床に倒れていた。椅子に座っていた様子はなかった。背が低い安倍さんに、ゴルフクラブを器用にあやつることはできなかった。もともと安倍さんにそんな運動神経があるとは思えなかった。
- 72 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/13(月) 21:23
- 「ちょっと待ってください、刑事さん」
飯田さんの両手に手錠がかけられようとしたそのとき、若林豪似の刑事の前に立ちはだかったのが、彼女だった。なぜなら、彼女は名探偵だからである。
「なんだね、君は」
いかにもな感じで、刑事は横柄な態度を見せた。無能な刑事役は、名探偵の引き立て役としてかかせないものである。それならばこそ、名探偵は名推理を披露する甲斐があるというものだ。
「確かに、ゴルフクラブを安倍さんが使いこなすことができるとは考えられません。しかし、本当にそれが凶器なんでしょうか?」
彼女は自分の推理を開陳した。自分が疑われやすい状況で、ゴルフクラブを放置しておく道理はない。ということは、この凶器は警察の捜査を混乱させるフェイクである。すなわち、飯田さんが犯人ではなく、となれば、安倍さんが真犯人である、云々。
- 73 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/13(月) 21:23
- 刑事が改めて安倍さんの大きなバッグを調べたところ、血のついたバットが出てきた。これならば安倍さんでもなんとか扱えるだろう。背の高さの問題は、中澤さんがかがんだところを狙ったのだろうという線に落ち着いた。安倍さんはそれでも自分の無実を主張したが、そんなものが何になるのだろう。名探偵の推理は、誰にもくつがえすことはできない。
私が頬に綿を含み、安倍さんに変装してあれこれ細工をしたことなど、彼女の探偵振りには何も関係がなかった。
- 74 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/13(月) 21:23
- その後も彼女の活躍は続いた。ダブルユー刺殺事件が、実は無理心中であったことを見抜いたのも彼女であり、キッズ連続殺人事件の裏で暗躍していたリーダーを追い詰めたのも彼女であり、亀井密室殺人事件と石川盗聴事件の奇妙な符号を暴いたのも彼女であった。彼女の名声が上がるたびに、私の神経が擦り切れ、私たちの仲間がだんだん少なくなっていったのだが、それは仕方がないことだった。
私はというと、フットサルやら何やらで、よっちゃんさんとかなり仲良くなっていた。彼女は実は私によく似た人間で、私より順応性はあるが、それでも集団活動に違和感を覚えていることがわかって、それ以来親近感を抱くようになった。仕事もほとんど一緒なのだから、会う機会は彼女よりもずっと多かった。
- 75 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/13(月) 21:23
- 彼女の部屋へ行く機会もだんだん少なくなり、たまに会っても不機嫌なのがよくわかった。わかったとしても私にはどうすることもできず、とりあえず洗濯物をベランダで干したりしていたところ、彼女の思念が私を捕らえた。プロデューサーも社長も、仲間たちもほとんどいなくなっており、登場人物が限られているので、何をどうしようもないはずなのだが、それでも私は彼女の望みをかなえるべく動いた。
もうグループの体をなしておらず、近頃は新曲が出ると、私とよっちゃんさんに彼女もくっついて出ることがほとんどだった。生放送中のテレビスタジオという舞台は悪くない。せり上がりで三人がジャンプしながら登場、という部分で、彼女の四肢がありえない方向に曲がりながら舞台を飛んだ。やがてステージの床に叩きつけられ、悲鳴の中顔をのぞきこむと、彼女の口の端から赤い筋が流れていた。
- 76 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/13(月) 21:24
- 若林豪似の刑事がやってきて、ステージのあちらこちらを調べ上げた。せり上がりの中で、立ったままだと危ないので私たちはしゃがんでいたのだが、そのときにはもう彼女は死んでいた。真っ暗だから、よくわからなかったのは仕方がないだろう。
「吉澤さん、彼女はせり上がりに入るまでどのような様子で?」
「よく覚えてないけど、あまり元気がなかったです。ミキティが体を支えながら入りました」
「おそらく何か薬物を飲まされていたはずだ。せり上がりの暗闇の中、手足と頚椎を折られたようだな」
刑事は再びよっちゃんさんに尋ねた。骨が折れる音を聞きましたか、いいえ、歓声で何も気づきませんでした、なるほど、なるほど。このように刑事がよっちゃんさんにばかり話を聞くのは、私を疑っているからだった。そしてそれは彼女が望んでいたことだった。
- 77 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/13(月) 21:24
- 私たち三人しかいないのだから、役割は自動的に割り当てられた。容疑者は私、真犯人はよっちゃんさん、そして被害者は彼女だった。それが彼女の屈折した望みだったのだろう。私を真犯人にも、被害者にもしたくなく、彼女も真犯人の役割は嫌だったろうから、これは必然である。
彼女の望みを受け取った私は、私の体と脳は早速行動に移った。彼女に薬を飲ませ、全身麻酔も施した。あらかじめ手足の骨を折っておき、抱きかかえながらせり上がりに入った。暗闇の中、とどめに首の骨を折ったときは、なんだか心地よい感触がしたのを覚えている。
私が彼女といっしょにいたことはスタッフや事務所の人間が目撃している。これで私が容疑者となった。凡庸な刑事ならば、その仮像を疑うことなく受け入れるだろう。しかし、名探偵は違う。名探偵は見せかけの事象になど目もくれず、わずかに光を放つ真実への探求を怠らないのだ。
私が犯人ではなく、よっちゃんさんこそが犯人であるという証拠を、私はあちこちに仕掛けておいた。名探偵ならば、それらを見逃すはずがない。
- 78 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/13(月) 21:24
- 「じゃあ、藤本さん。ちょっと署まで、よろしいね?」
どういうことだ。名探偵はどこへ行ったのだ。闇に包まれた世界に光を投げ与えてくれる、彼女はどこへ行ったのだ。私は彼女の望みどおり、彼女を名探偵に仕立てあげたではないか。すべては彼女が望んだことで、私の脳と体が勝手にやったことだ。私に責任はなしとするのが筋だろう。ほら、早く、その鋭く的確な推理をみんなに披露して、わからせてあげて。それが名探偵なのだから。
- 79 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/13(月) 21:24
- fin
- 80 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/13(月) 21:24
- *****
- 81 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/13(月) 21:25
- ***
- 82 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/13(月) 21:25
- *
- 83 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/14(火) 03:22
- 練り直し
- 84 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/24(金) 00:46
- まあ面白かった
- 85 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/24(金) 23:36
- >>83 えーん
>>84 うーん
- 86 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/24(金) 23:36
- サラマンダー
- 87 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/24(金) 23:36
- 私がまだ小学生だった頃のことでした。こっちでは冬でも雪が降るなんて、めったにないことはご存知だと思いますが、その日は大雪で電車が泊まってたいへんだったことをテレビのニュースが伝えていたことを覚えています。私はまだ子供だったので、無邪気に雪が降るのを喜んでいました。
私の住んでいた家はとても古くて、西洋風に暖炉と煙突がついていました。もちろん、使ったことなどほとんどなくて、暖房はストーブやファンヒーターを使っていました。その日もフル稼働で動いていたので、家の中が寒いなんてことはまったくなかったのですが、クリスマスも近いことだし、雪が降るのも珍しいからと、父が暖炉に火を入れてくれたのです。
- 88 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/24(金) 23:37
- 納屋に積んであった薪の束をそばに置き、少しずつ暖炉にくべていきました。先に燃やしていた新聞紙が灰となってしまう頃には、薪にも火がついてパチパチと音を立て始めました。薄い煙が煙突を通って家の外に出て行くのを想像しました。
私と父は暖炉の前に椅子を持ってきて、並んで座りました。暖炉を使うのを始めて見たので、わたしはその炎をじっと見つめていました。
父は私に昔話をしてくれました。最初のうちは私にも理解できたのですが、話のレパートリーがだんだんと尽きていって、終わりのほうは私には難しくてよくわからないものになっていました。ただ、昔の人の残した言葉、「汝の焼きたるものをあがめ、汝のあがめたるものを焼け」というのだけ覚えています。意味はよくわからないのですが。
- 89 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/24(金) 23:37
- 話の尽きた父は、部屋の奥に行き、テレビをつけました。私の大好きだったモーニング娘。が歌っていました。暖炉への興味が薄まりつつあったので、私の目はテレビに釘づけとなりました。
そこへ、いきなり頬を強く叩かれました。びっくりして父のほうに顔を向けると、父は暖炉を指差しました。
「里沙、ほら、そこにサラマンダーがいる。めったに見られないものだから、今の痛みで一生忘れないようにしなさい」
- 90 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/24(金) 23:37
- 私は頬を押さえながら、暖炉の中の燃えさかる炎の中、トカゲのような生き物が動いているのを見ました。やがて薪が切れ、炎が静まったので暖炉の中をのぞいてみると、もうあのトカゲの姿はありませんでした。
テレビのほうを見ると、もうモーニング娘。の歌は終わっていました。見逃してしまったくやしさと、頬の痛みから私は涙を流しました。なかなか私が泣き止まなかったので、父はなだめるようにお菓子をくれました。
子供の頃のことはほとんど覚えていないのですが、その日の出来事はよく覚えています。今でも、頬をさすると、暖炉の中でうごめいているサラマンダーが……。
- 91 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/24(金) 23:37
- 「サラマンダーって何です?」
「炎の中でも焼かれることなく、生きることができるトカゲのことらしい」
「そんなの現実にいるんですか?」
「伝説上の生き物さ。幻でも見たか、ゆらめく炎がそのように見えただけだろう」
「炎に焼かれても死なない生き物ですか……で、どうします?」
「どうしますって、とりあえず担当検事を呼んでくれ。あと、簡易鑑定の準備も」
- 92 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/24(金) 23:38
- スタジオ火災、死者不明者多数
午後三時頃、港区内の十五階建てビルで火災が発生し、同日午後六時頃消し止められた。少なくとも十名が死亡し、行方不明者も多数に渡る模様。
東京消防庁の発表によると、同ビルの六〜十階部分の約千平方メートルが燃えた。当時ビル内には約百人ほどおり、八階にあるスタジオにいたアイドルグループ「モーニング娘。」の飯田圭織さん(二十三)らが死亡した。スタジオ内から出火したものと思われる。
警視庁は、放火の疑いが強いとして捜査を進めている。(共同通信)
- 93 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/24(金) 23:38
- fin
- 94 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/24(金) 23:38
- *****
- 95 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/24(金) 23:38
- ***
- 96 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/24(金) 23:39
- *
- 97 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/25(土) 03:15
- 一回休み
- 98 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/30(木) 02:57
- あ、これ好きかも
- 99 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/04(金) 23:09
- . ∋o、
ノハヽ
( ´ Д `)
. ノ^ yヽ、
ヽ,,ノ===l ノ
/ l |
"""~""""""~"""~"""~"
- 100 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/04(金) 23:10
- ごっちん侍 まかり通る
- 101 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/04(金) 23:10
- 文久三年(1863年)三月、京──。
月は雲間に隠れており、暗闇が町を覆っていた。闇夜に慣れた者でなければ、狭く迷路のような京の道をひたひたと歩む侍の姿をとらえることはできなかっただろう。
侍の背後を遠くから、むしろをわきに抱えながら見つめる乞食姿の男がいた。頭に薄汚れた手ぬぐいを巻きつけ、草鞋も履かず素足だったのだが、目ばかりは獣のように暗い光を放っていた。時折侍が立ち止まり、首を振って辺りを見回すと、乞食姿の男は物陰に隠れた。侍が歩き始めると、男は音もなくあとをつけていく。
狭い民家が立ち並ぶ通りを抜けると、白い土塀が長々と続いていた。男は息を呑んだ。
「土方さんの言うとおり、これは間違いない……」
- 102 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/04(金) 23:11
- 男が侍のあとを追って、そっと土塀の角を曲がると、白刃が男の喉元に突きつけれれらた。
「ひっ」
「何用か」
侍は編み笠をかぶっており、その表情までは読み取れない。
「ただの乞食にございます」
「乞食にしては、褌が真っ白だな」
ぬかったと男が思う前に、鮮血が目に飛び込んできた。袈裟に斬られ、男はそれ以上考えることができなくなった。侍は刀を振って血を飛ばし、鞘に収めた。
「感づかれた? ……気取られるような仕草はしていないはずだが、念には念を入れるとするか」
- 103 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/04(金) 23:11
- 壬生村にある八木邸の庭で、四人の若い侍たちが木刀を振っていた。縁側には、それをじっと見ているのか見ていないのか、焦点の合わないような目をしている侍がお茶をすすっていた。その侍は無造作に髪を後ろで縛っており、月代も剃っていない。
「真希之助、屯所には慣れたか」
「副長」
副長、すなわち後の新選組副長となる土方歳三である。このときはまだ浪士組を名乗っていた。
- 104 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/04(金) 23:11
- 浪士組は、将軍徳川家茂の上洛を警護することを目的に、江戸の浪士たちを集めて作られた組織である。これを献策したのが庄内藩士だった清河八郎であるが、彼の真の目的はこの浪士たちを攘夷の尖兵となすことにあった。
これに気づいた浪士取扱い役の鵜殿鳩翁と山岡鉄舟は、急ぎ浪士たちを江戸に呼び戻した。浪士の多くは江戸に帰還し、庄内藩に預けられて新徴隊を結成することになるのだが、この帰還命令に異を唱える者たちがいた。芹沢鴨や近藤勇たちである。
芹沢たちは京都守護職にあった松平容保に嘆願書を出し、会津藩預かりの浪士組として再出発する。このとき京に残ったのはわずか十数名であり、隊としての体をなすために、近藤たちは京で隊士を募集した。これに応じたのが後藤真希之助、元は江戸の浪人である。
- 105 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/04(金) 23:11
- 若い四人、すなわち高橋愛次郎、小川麻琴斎、新垣里沙兵衛、紺野あさ美進たちも同様だった。それぞれ越前、越後、相模、蝦夷の生まれであり、脱藩浪人だった。みな腕に覚えのある剣士たちである。
「ところでな、真希之助」
土方は声をひそめた。真希之助はわかっているのかわかっていないのか、首を傾げただけで、茶碗を離そうとしなかった。
「……が斬られた。検分に行くからついてきてくれ」
真希之助にとって聞いたことのない名前であるからか、はっきりと聞き取れなかった。
- 106 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/04(金) 23:12
- 真希之助はむしろを死体にかけた。傍らに落ちていた笹の葉を拾ってじろじろ眺めていた。
「一刀でやられちゃってますね」
「かなりの使い手のようだな」
土方の表情は暗かった。それを真希之助は不思議そうに見つめていた。
「こいつはな、俺の命令で探索をやっていたんだ」
「探索?」
「どうも隊士の中に間者がいるらしい」
清河の決起に敢然と反対した芹沢と近藤は、独自に浪士組を結成すべく動いた。京都守護職に嘆願書を出す一方、勢力を拡大するためにすぐに隊士を募集した。思惑どおりに進んでいったのだが、会津藩の公用方に呼ばれた近藤は意外なことを耳にした。
- 107 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/04(金) 23:12
- 「トシさん、まずいことに我らの情報が漏れている」
浪士組はまだ正式な隊として認知されていない。そのために近藤や土方が動き回っているのだが、浪士組を快く思っていない者たちに情報が漏れることだけは避けなければならなかった。
「すると、この者を斬ったのは、隊士の中にいるということなんですね」
土方は無言でうなずいた。
「ふん、そんなもの、あやつがやったに決まっておる!」
大声にびっくりして真希之助は振り向いた。でっぷりと太った二本差しが、顔を真っ赤にして鉄の扇を振り回していた。水戸天狗党の残党にして浪士組結成の立役者、芹沢鴨だった。
「局長。あやつとは誰のことです」
「あやつといえばあやつだ。殿内のことよ」
- 108 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/04(金) 23:12
- 当時、新選組はおおまかに三つの派にわかれていた。芹沢や新見錦たち水戸藩出身の者たち、近藤や土方たち試衛館出身の者たち、そして殿内義雄たちである。
芹沢と近藤が京都守護職に嘆願書を出す一方、浪士取扱い方の鵜殿は殿内に京都残留組の取りまとめを任せていた。
「つまり、芹沢さんは、殿内さんが情報を江戸に流していると、そう言いたいのですね」
「そうに決まっておるわ!」
芹沢はあいかわらず鉄扇を振り回しながら、大股で立ち去っていった。時を待たず、馬に乗った侍が数騎現れた。
「我らは京都所司代の者である。京の治安は我らの役目、よってこの沙汰の下手人は我らが捕縛する。よいな」
「……どうぞ」
土方が腹を立てていることが、真希之助にも見てとれた。
- 109 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/04(金) 23:12
- 壬生の屯所への帰り道、土方と真希之助は新入りの隊士たちのことを話し合っていた。
「若い四人はどうなんだ。使えそうか?」
「基礎はできていますけど、実戦経験を積ませないといけないでしょうね」
「市中見回りの際には四人をつれていけ。浪士の二、三人も斬ればものになるだろう」
真希之助は先ほど拾い上げた笹の葉を懐から取り出した。あんこがついていて、人差し指ですくって舐めてみるとたいそう甘かった。
「なんだそれは」
「つぶあんです。笹団子の葉っぱみたい」
- 110 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/04(金) 23:13
- もうすぐ屯所というところで、真希之助は肩をつかまれてさっと振り向いた。
「なんだ。矢口さんか」
「お揃いで、何を話してたんだい」
矢口真里三郎は相模生まれの浪人である。真希之助たちと違い、清河の募集に応じた浪士組最初期からの面子であり、本人もそのことを誇りに思っているようだった。真希之助の目では、芹沢、近藤、殿内のどの派閥にも属さず、趨勢を見極めてから動くように見えた。
真希之助は矢口と同じ部屋で寝食している。真希之助は四人の稽古の相手に、矢口は市中見回りにそれぞれ忙しく、あまりともに行動したことがなかった。「かわいい」とか「食事代」などと寝言を言うのを聞いて、見回りにかこつけて遊んでいるのではないかと考えていた。
- 111 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/04(金) 23:13
- 「そういえば、島田魁さん、体格に似合ってすごく食べるそうじゃないですか」
「そうだな」
矢口の問いかけに土方が応じた。
「なんでも、大福をいっぺんに何十個も平らげるとか」
「気分悪くならないのかな」
「そういやさ、この前入った麻琴斎も相当な食いしん坊という話じゃないか」
矢口の言うとおり、小川は酒は飲まないが人一倍食べた。最近も、いっしょに京にはじめてできたという鍋屋に行って、牛の肉を食べさせられた。真希之助はすぐに辟易して手をつけなかったのだが、小川は真希之助の分まですべて腹の中に納めてしまった。
- 112 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/04(金) 23:13
- あまり頭のほうはよろしくなさそうだが、動きは俊敏なので仕事には使えそうな人間だと真希之助は考えていた。
「確かあいつ、越後の生まれだろ。米どころだから、うまいもんがいっぱいありそうだ。甘いものも大好物らしいぞ」
真希之助は、矢口の言葉を深く噛みしめた。笹団子は、越後長岡の名物であることを思い出した。
- 113 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/04(金) 23:14
- 翌日、土方の護衛に会津藩の公用方へ赴いた帰り、近藤一派の沖田総司が屯所の門前に立っていた。
「土方さん。芹沢さんがすごい剣幕でお呼びですよ」
「やれやれ。なんとなく用件はわかった。真希之助、お前も同席しろ」
奥の座敷に入ると、芹沢は徳利をあおりながら近藤に息巻いていた。芹沢の横には新見が座っていて、いちいち追従しているのが真希之助には気に入らなかった。
「芹沢さん。お話とは」
「土方か。お前、このまま殿内の好きにさせておくつもりか」
「あまり芳しくはないと思います」
芹沢は大きくうなずいた。
- 114 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/04(金) 23:14
- 「あやつがこそこそ動き回ると、浪士組のためにならん。昨晩、隊士が斬られたのもあやつの仕業だ」
「そこでだ、近藤局長。殿内の始末をお願いしますよ」
新見の言葉に土方は眉をひそめた。近藤は黙って目を閉じて話を聞いていたが、突如目を見開くと、芹沢と新見の意見に同意した。芹沢は満足げな様子で立ち上がった。
「では任せたぞ」
「祇園ですか。お供しましょう」
- 115 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/04(金) 23:14
- 二人が出て行き、座敷には近藤、土方、真希之助の三人だけになった。土方は腕を組んで黙っている近藤に詰め寄った。
「近藤さん。証拠もなしに斬っちまうのか」
「仕方あるまい。殿内が浪士取扱い方とつながっていることは間違いあるまい。我らは会津藩お預かりなのだから、取扱い方とはもはや無関係だ」
近藤が覚悟を決めているのを見て、土方は引き下がった。殿内は近藤らと違い、八木邸の向かいの屋敷に住んでいる。こっそり抜け出して、どこかの誰かに秘密を漏らすことは容易だった。
「今回の件で、殿内は今夜にでもご注進に向かうだろう。そこを斬る」
「沖田や斎藤を呼ぶか?」
「目立つことはしたくない。この三人だけでやる」
ここにきて、真希之助は自分が同席させられた理由をようやく理解した。
- 116 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/04(金) 23:15
- 四条大橋──。
殿内はきょろきょろと辺りを見回しながら橋を渡ろうとしていた。
「人気は……ないな」
「行こう、トシさん」
近藤と土方は殿内を追って走り出した。その足音に殿内は振り返った。
「こ、近藤」
「殿内どの、どちらへおいでかな」
二人は刀を抜いた。殿内は持っていた提灯を投げつけると、橋を走り始めた。土方の一振りをかわし、もう少しで橋を渡りきろうかというところで、殿内の前に一人の侍が立ちはだかった。
- 117 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/04(金) 23:15
- 「ま、真希之助!」
「御免!」
その太刀筋は殿内には見えなかっただろう。逆袈裟に斬られ、殿内が倒れる前に真希之助は刀を納めていた。
「よくやった、後藤君」
「秘伝、護摩ッ刀流か……」
近藤は紙に「天誅」と書くと、殿内の生気のない消えた顔にはらりと落とした。長州や土佐の浪士の仕業に見せるためである。
「人に見られる前に帰るぞ」
「副長」
「どうした、真希之助」
- 118 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/04(金) 23:15
- 「これで隊士殺害の件は落着ですか」
土方はぎろりと真希之助をにらんだが、やがて頭を振った。
「殿内がやったというはっきりした証拠はない。しばらくは人をつけて調べさせるつもりだが……」
「案外、芹沢さんの言うとおり、殿内が下手人だったのかもしれんかもな」
「もし、下手人が見つかりましたら、どうします?」
「決まってるだろう。斬る」
わかりました、と真希之助は橋を渡り始めた。どこへ行く、と声をかけようとした土方を、近藤は黙って制止した。
- 119 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/04(金) 23:15
- 例の白い土塀が続く通りを、編み笠の侍がひたひたと歩いていた。角を曲がると、足が止まった。
「こんな夜更けに見回りですか、矢口さん」
「真希之助……か」
矢口は編み笠を取った。口は笑っているが、目には警戒心がありありと見られた。
「殿内を斬ったんだな。殿内は鵜殿とつながりがあるんだろ? ちょいと早まったんじゃないかな」
「なぜ、殿内が斬られたことを知ってるんです? まだほんの一握りの者しか知らないことなのに。それとも、私のあとをつけてたんですか」
「ば、ばかなこと言うなよ。血の匂いがしたんだよ」
- 120 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/04(金) 23:16
- 真希之助はふっと笑って、まあいいでしょう、と答えた。矢口は少しむっとしたが、口のほうは止まらなかった。
「それよりさ、土方さんの密偵殺しの件、誰がやったか見当ついたぞ」
「へー、そうなんですか」
「ほら、真希之助が死体のそばから笹の葉拾ってただろ。あんこがついてるってことは、笹団子だ。長岡名物の笹団子なんか、京でそうそうは見られない。ってことはさ、下手人は長岡藩に縁のあるものだ」
越後生まれの小川麻琴斎のことを指していた。真希之助は、小川は越後生まれとしか聞いていなかったが、おそらく長岡藩の脱藩浪人だろうと推測していた。そして、京都所司代は長岡藩主牧野忠恭が務めていた。
「つまり、小川が間者ってことだ。しっぽをつかもうとこの辺りを張っていたんだけど、今日はいないようだ。これから屯所に戻って締め上げよう」
- 121 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/04(金) 23:16
- 「待ってください」
真希之助は歩き出そうとした矢口の前をふさいだ。その迫力に矢口は数歩退いた。
「間者が所司代の手の者ということには賛成です。所司代は新参の浪士組の内部事情を知りたいだろうし。長岡藩なら笹団子などいくらでも京に持ち込めるでしょう。だけど、だからといって間者自体が長岡の者だとは限らない」
真希之助も、昨日までは小川を疑っていた。しかし腑に落ちないところがあった。間者は正反対の役回りを演じなければならないので、頭の回りがよくなければならない。それほど神経を使う役目に、小川がふさわしいとは考えづらかった。
もし、小川が実は頭の回る賢い人物だったとする。そうだとすれば、笹団子の笹の葉を落とすなどという失態を犯すだろうか。ならば、笹は小川に罪を着せようとする罠である可能性が高い。
- 122 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/04(金) 23:16
- 「そう、小川を陥れようとする人がいる。島田さんの話にかこつけて、小川が越後生まれで、甘いものが好物だと、聞きもしないのにべらべらとおしゃべりしていた人だ」
「お、おいらがそうだって言うのかよ」
「残念ですが、矢口さん、大きな寝言で『かわいい』とか『食事代』とか言ってるんですよ。長岡藩の重鎮『河井』継之助と京都『所司代』のことだと気づいたのは、ついさっきでした」
ここにきて矢口は観念したのか、白刃を抜いた。真希之助も左手で鯉口を切った。
「護摩ッ刀流だかなんだか知らないが、浪士組初期面子を舐めるなよ」
- 123 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/04(金) 23:17
- 矢口は八相の構えから、刀を斜めに振り下ろした。それは真希之助の居合よりも速く、左肩を襲った。真希之助は体を反り気味にひねりながら、抜刀した。
矢口の刀が跳んだ。真希之助は素早く体勢を整え、横なぎに振るった。
「なんて馬鹿力……」
「護摩ッ刀流、海老反り」
わき腹をおさえ口の端から血をこぼしながら、矢口は地に臥した。
真希之助はしばし思案した後、近藤にならって一筆したためた紙を置いて帰っていった。のちほど矢口の死体が発見された際、「天蛛」と書かれた紙について奉行所では議論が交わされ、頭の弱い浪士の仕業だろうという結論が下された。
- 124 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/04(金) 23:17
- fin
- 125 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/04(金) 23:17
- *****
- 126 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/04(金) 23:17
- ***
- 127 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/04(金) 23:17
- *
- 128 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/08(火) 13:45
- いやあおもしろい。好きだこれ
- 129 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/09(水) 01:54
- 残念
- 130 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/11(金) 13:26
- 爆笑しちった。。
- 131 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/23(水) 21:30
- >>128 うんうん
>>129 ぷんぷん
>>130 るんるん
- 132 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/23(水) 21:30
- 悪魔のような太鼓
( 0^〜^)
残念ながら、先に行われたフットサル大会ではガッタスは準優勝でした。二試合目、守備と攻撃のバランスが崩れてしまい、なんとか引き分けに持ち込むのに精一杯だったところが悔やまれるところです。五月の大会ではそのあたりをきっちり修正して、ぜひ優勝をつかみとろうと思います。
さて、今回の大会でわたしたちが見たものについて、いつまでも黙っているわけにはいきません。あのようなものが現れた責任の一端を、わたしたちが負っていることは間違いのないことだからです。
( 0^〜^)
その日、わたしたちは気合を入れて駒沢体育館に向かいました。前日までのコンサートの疲れが残っていなかったといえば嘘になりますが、それは単なる言い訳に過ぎません。特にカレッツァには豊田スタジアムで負けていたので、今回はその雪辱をと意気込んでいました。
特に、ノノは、彼女には大きすぎるグローブでパンパン頬を叩いていて、その気合がわたしにも伝わってきました。彼女は忙しくてなかなか練習に参加できず、大会直前の最後の練習にようやく顔を合わせたくらいだったので、そこはかとない不安を抱いていました。
- 133 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/23(水) 21:30
- ( 0^〜^)
わたしは確信しました。今日のノノなら大丈夫だと。ふだんは脱力するような行動の多い彼女でも、やるときはとことんやる(こともある)ということを、わたしは知っていたからです。
第一試合、先発メンバーはわたし、梨華ちゃん、ミキティ、まいちん、ノノでした。抜擢された梨華ちゃんは、少々浮かれてしまったのでしょうか、口にしてはならない言葉をふと漏らしてしまいました。
「ごっちん、来れなくて残……」
わたしは慌てて彼女の口を背後から押さえました。他のみんなは、聞こえていないふりをしていましたが、彼女のかん高い声が耳に届かなかったわけがありません。梨華ちゃんはばつの悪そうな顔をしながら、ボールを両手で持って立ち尽くしていました。
( 0^〜^)
残念ながら、ごっちんは公共放送のドラマ収録のため、この日はおろか練習にも出られませんでした。一月の練習lくらいなら、まだ参加する余裕もあっただろうと思っていましたが、ケガを恐れた事務所が自粛させたようです。大事なドラマですから仕方のないことなんでしょう。
気を取り直して、わたしたちは第一試合に臨みました。序盤からガッタスがボールを支配して押し気味に試合を進めましたが、なかなか先制点を奪うことができませんでした。それでも相手ゴール近くでキックインのチャンス。相手チームのマークがミキティにかたより過ぎたのをわたしは見逃しませんでした。
- 134 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/23(水) 21:31
- ( 0^〜^)
中央でフリーになっていた梨華ちゃんに素早くゴロのパスを送りました。二人の守備陣が体を寄せる前に彼女は足を振り切ったのですが、残念ながら彼女のキックは空を切りました。会場では歓声の中にため息が混じっていたように思います。
「惜しかったね」
「それがさあ」
梨華ちゃんは目線を観客席に移しました。わたしもその存在が気になっていました。二階のほうでドンドンと場違いな感じで太鼓を叩いている人がいたわけです。
「蹴ろうとしたら、変な音が聞こえちゃって……」
「ドンマイ、次、決めよう」
( 0^〜^)
その言葉どおり、先制点を決めたのは梨華ちゃんでした。待望の一点をあげることができて落ち着きを取り戻したわたしたちは、後半に入って次々と得点を決めることができました。その頃には、あの不快な太鼓の音は、わたしたちの耳に入ってこなくなりました。
ところが第二試合。先に話しましたとおり、攻撃の気持ちが強すぎたわたしたちは相手のカウンター攻撃を食らってしまい、後半途中で二点差をつけられてしまったのです。特にゴールを守っているコンコンは心なしか目がうつろで、「太鼓、太鼓」とつぶやいていたのを見たときは、目の前がまっくらになりました。
- 135 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/23(水) 21:31
- ( 0^〜^)
それでもなんとか引き分けに持ち込み、次の試合につなげることができました。同点となるゴールを決める契機となったキックインを蹴るとき、わたしの頭の中にはあの忌まわしい太鼓の音がドンドコと鳴り響き、わたしは声にならない雄たけびをあげていたのではないかと思っています。
おそらく他のメンバーもそうだったのでしょう、試合を終えて引きあげるとき、みんなの顔は蒼白く、ゼーゼーと息を荒げていました。
( 0^〜^)
勝たなければ優勝がなくなってしまう第三試合。コンコンが宙を見つめながら「太鼓太鼓」と、今にも盆踊りでもやりそうな雰囲気を見た監督は、迷った末、そのままコンコンに前半を任せることにしました。しかしながら前半が終わっても彼女の正気は戻らず、後半はノノを送り込むことになりました。
しかし、頼みの綱のノノもゴールを防ぐことができず、わたしたちは窮地に陥りました。相手の守備は堅く、なかなかゴールをこじあけることができません。あいかわらずドンドコと鳴る太鼓の音が、わたしたちを苦しめていました。
- 136 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/23(水) 21:32
- ( 0^〜^)
後半、自陣からのキックインでしたが、相手はひきこもりプレーに徹しており、前に出てきません。まいちんのキックインをプレッシャーなく受け取ったわたしは、敵陣に入ったところでゴールのほうを向きました。前線の二人の前に相手選手が二人もいたため、パスは通りそうにありません。
どうしようかと逡巡していると、ドンドンというあの憎たらしい太鼓の音に混じって、叫び声が聞こえました。
「よっすぃ〜、行け、打っちゃえ!」
その声にびっくりする前に、体が勝手に反応していました。ゴール左に飛んでいったボールを相手ゴレイロが弾いてしまい、詰めていたコレちゃんが冷静にゴールを決めることができました。
( 0^〜^)
この後、残念ながら勝ち越しゴールは生まれず、優勝を奪われてしまいました。みんなはすごく悔しがり、中には目を腫らすメンバーもいました。わたしももちろん悔しく思いましたが、そんなことよりあの太鼓です。
「ねえ、よっすぃ〜……」
「……梨華ちゃん、聞こえた?」
梨華ちゃんは小さくうなずき、そしてあの二階席を指差しました。そこには、変装の跡もむなしく、カツラを取り払い、髪の毛を振り乱し、「ガッタス最高!」と太鼓をドコドコ打ち鳴らしながら叫んでいる、ごっちんの姿がありました。
- 137 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/23(水) 21:32
- fin
- 138 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/23(水) 21:32
- *****
- 139 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/23(水) 21:32
- ***
- 140 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/23(水) 21:32
- *
- 141 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/24(木) 23:25
- ごっちん。・゚・(ノД`)・゚・。
- 142 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/25(金) 00:40
- 再提出
- 143 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/01(金) 19:21
- おもろい。一気読みした
- 144 名前:みさき 投稿日:2005/04/14(木) 23:58
- 矢口さんがモー娘。脱退 今後はソロで活動
人気アイドルグループ「モーニング娘。」のリーダー矢口真里さん(22)が14日、15日発売の写真週刊誌で俳優(22)との交際が報じられたことを理由にグループを脱退した。今後はソロで活動していくという。
所属事務所によると、矢口さんから「辞めさせてほしい」と申し出があり、未成年のファンが多いことや他のメンバーへの影響を考え、脱退を認めた。矢口さんは「リーダーとしてメンバーを引っ張っていく資格がなくなりました。申し訳ない気持ちでいっぱいです」とコメントしている。
矢口さんは1998年にグループに加入、ユニット「ミニモニ。」でも活躍した。
(共同通信) - 4月14日20時31分更新
- 145 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/15(金) 01:14
- ・・・
- 146 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/30(土) 22:59
- 旅に病んで
- 147 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/30(土) 23:00
- 平成十七年四月のことである。
十数畳の広間のまん中に、臥せられた体に比して大きすぎるくらいの布団が敷いてあった。その布団を数人の女性たちが囲んでいた。その輪の中からぜいぜいと息のもれる音がかすかにする。禿げた医師が脈を取っていたが、これはいかんとしかめ面で首を振り、ずるずると足を引きずりながら退室していった。
「吉澤さん……リーダー、水を」
亀井が水の入った茶碗と小さな筆を吉澤に手渡した。吉澤はまだけげんな顔をしていたが、あきらめたように水に筆を濡らし、白く生気のなくなった矢口の唇に軽くあてた。
- 148 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/30(土) 23:00
- このとき、吉澤は矢口からモーニング娘。のリーダー職を受け継いでいた。いくらかは異議を申し立てる声がなかったわけでもないが、同期の石川が近いうちにグループを離れることが決定していたから、最年長となる吉澤の就任は自明のものと大半は受け止めていた。
このいくらかの異議というのが、吉澤自身から出されたものだということを知るメンバーは少なかった。彼女は打診されたとき、自分の性格能力を冷静に分析し、己はリーダーに不向きであるとの結論を出していた。中澤、飯田、矢口という流れにおいて、自分は傍流にすぎないと自覚していた。ならば、隅っこで誰にも干渉されることなく好き勝手やっているほうが賢明ではないだろうか。彼女にはフットサルという楽しいおもちゃがすでにあった。
だから、リーダーという地位は彼女にとって迷惑この上ないものだった。一時は新垣に押し付けてやろうかと考えていたほどだった。末期を迎えた人間の唇を湿らせていたとき、彼女の脳裏には、別離の悲しみより面倒なものを引き受けさせられたという忸怩たる思いのほうが多くを占めていた。
- 149 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/30(土) 23:01
- 布団の傍らから吉澤は下がり、道具を隣の石川に渡した。石川はすでに涙で目を腫らしていた。これから逝こうとする矢口に対し、もっとも恩義恩恵を受けていたのが石川だった。吉澤が、己は傍流だと解した理由でもある。
筆を動かしながら、石川は人間ではなくなろうとする眼前のものをじっと眺めた。石川は自分を含めて人間を、イメージでとらえようとしていた。矢口なら、口うるさいところもあるが、全般的には元気にちょこちょこと動き回る人間であると考えていた。しかし、今彼女が見ているものはそのイメージとは余りにもかけ離れていた。そこにあるものは醜悪で汚らしく、正視に堪えなかった。ときどき矢口の喉が動き、痰を切る音がすると、石川はびくんと体を振るわせた。
- 150 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/30(土) 23:01
- 正視に堪えることができないと言えば、小川もまともに矢口を見ることができなかった。呼ばれて部屋に入ったときから、彼女は布団から伸びている顔をちらりとも見ることができなかった。矢口が危篤と聞いて慌てて駆けつけたのだが、彼女は部屋に入るまで危篤の意味することを知らないでいた。
小川は少し遅れて入り、布団を囲んでいる面々を見た。吉澤や石川、藤本が顔をしかめ、同期や後輩が目に涙をためている
その場面は、年に二、三度は目にする光景だった。彼女がグループに入ってから、後藤、保田、辻、加護、安倍、飯田と抜けているから、それだけ場数は踏んでいた。しかし、今回のはそれまでのとは違うという雰囲気をかぎとっていた。小川は恐れた。布団の中には、彼女がそれまで見たことがない何かがあるのだと。
- 151 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/30(土) 23:01
- 突如、慟哭が部屋に響き渡った。高橋が正座しながらうずくまっていた。それにつられるかのように、若いメンバーが鼻をすすり始めた。吉澤たちが難しい顔をしているので、いつ泣き出したらいいのかわからなかったのだが、高橋の行動が火つけとなって連鎖したのだった。
それを見て、小川はいくぶん安心した心持ちになった。いつもと違う雰囲気ととらえていたのは、自分の錯覚ではなかったのかと。泣き崩れる高橋の大げさに見える様子は、いつもの見慣れたものだった。ならば布団の中身もそうであろうと、小川は身を乗り出し、前の紺野の肩に手を置き覗き込んだ。
石川が高橋の横に座り、背中をさすった。ようやく顔を上げた高橋に茶碗を渡し、促す様子を藤本は冷ややかな目で見ていた。さすがにこのような場面だから、腕組みは控えていた。
- 152 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/30(土) 23:02
- 年齢的な順序から言えば、吉澤、石川とくれば次は藤本だっただろう。ところが、石川が高橋に回したのだから、若い田中などは少々蒼ざめた。それを少しでも期待していたことに気づき、藤本は今度は自分に対して内心苦笑した。順番や秩序に気を使う石川ならば、藤本ではなく高橋に茶碗を回すのは道理だった。しかし、それでもやはり石川に暖かい目をくれてやろうとは微塵も考えなかった。
藤本の嫌悪は、布団の中で動かないものにも向けられた。それは美醜の観点からではなく、時間の流れに対してだった。医師が観念して出て行ってからも、矢口の生命はまだかろうじて残っていた。ほとんど喉が動くこともなくなったが、空気を吸う音がかすかに繰り返されていた。藤本は一連の流れを儀式ととらえていた。あのような形でグループを抜けた彼女に対する祭礼であると。粛々と澱みなく進行されなければならないが、どうにもつっかえつっかえしているのは、若いメンバーだけではなく祭礼の対象そのものに原因があるのではと考えた。
石川に背を押されるように、高橋は茶碗を持って吉澤の前に出た。石川から筆を受け取り、震える手で水にひたしたとき、高橋がかすかな笑みをこぼしたのを藤本は見逃さなかった。高橋は、先ほどの慟哭で自分の気持ちが晴れたことを藤本に見抜かれたとは思っていなかった。
- 153 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/30(土) 23:02
- あ、と藤本が小さな声を漏らした。高橋の手がすべり、茶碗の水が半分ほどこぼれて矢口の顔半分を濡らしてしまった。高橋はハンカチで生気のない矢口の顔をごしごしとぬぐった。矢口のまぶたが裏返り、澱んだ瞳が覗いた。高橋はヒッと悲鳴をもらし後ずさった。後ろにいた吉澤にぶつかり、茶碗からまた水がこぼれた。
吉澤は濡れた髪も気にせず、涙目の高橋から茶碗と筆を受け取り、そのまま両膝立ちで布団の方を見ていた小川に渡した。小川はすでに再び考えを改め直していた。やはり今日はいつもとは違う日であること、そしてそれは自分にはまったく無関係であることを再確認した。受け取った茶碗には水はもうほとんどなかったが、小川は筆で矢口の唇を軽くなでると、さっさとそのまま後ろを向いて新垣に渡した。
- 154 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/30(土) 23:03
- 新垣がどっこいしょと立ち上がるのを、吉澤が制した。
「いや、ガキさん。もういい」
「え、でも。私もコンちゃんも、まだやってませんよ」
「絵里もさゆもまだです」
「いいんだ。もういいんだ」
石川の嗚咽がこぼれた。藤本は、用意していた白い布を顔にかけた。すすり泣きが始まったが、何が起こったのか気づかないものも何人かいた。
「田中。ふすま、縁側のふすま開けて」
田中が力の加減を間違え、ふすまがぴしゃりと大きな音を立てて開いた。光が部屋の彼女たちを照らした。
- 155 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/30(土) 23:03
- fin
- 156 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/30(土) 23:03
- *****
- 157 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/30(土) 23:03
- ***
- 158 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/30(土) 23:03
- *
- 159 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/30(土) 23:08
- ふぅ。なんか疲れたけどいい疲れだ。
- 160 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/05/01(日) 02:32
- 構成練り直し
- 161 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/05/03(火) 00:20
- 色々含んでますな。
- 162 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/05/26(木) 20:55
- 感動のペナルティ・キック
- 163 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/05/26(木) 20:56
- 「ハイ!」
観衆のざわめきがどよめきに変わった。その中心には、天井に向かってすっと伸びた右腕があった。
- 164 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/05/26(木) 20:56
- 五月二十三日、駒沢体育館で女子フットサル公式戦「第二回フジテレビ739カップ」が開かれていた。もはや宿命のライバルとも言うべき、ガッタス・ブリリャンチスH.P.とカレッツァは決勝戦で激突した。
スコアは2対2で決着がつかず、PK戦に突入した。そこでも六人ずつが蹴って4対4、お互い一歩も引かない状況にあり、会場は異様な興奮状態に包まれた。極度の緊張に耐え切れず、泣き出す選手も続出していた。
ガッタスは、六人目のあさみまでは蹴るメンバーを決めていたのだが、まさか七人目にまでもつれこむとは想定していなかった。キャプテンの吉澤は、監督の北澤の方を向いて指示をあおいだ。北澤の指示は、「自分たちで決めろ」だった。残ったメンバーは四人。
「誰が蹴る?」
寸時を待たず、手をあげたのはみうなだった。
- 165 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/05/26(木) 20:56
- 北澤は満足の面持ちでコートを見ていた。
PK戦は、守備側よりもボールを蹴るほうに過大なプレッシャーがかかる。決めて当たり前という感覚が、逆にキッカーを苦しめるのだ。しかも決勝戦、PK戦もサドンデスに入っている。絶対に外すことができない状況なのに、率先して手をあげたみうなの様子を見て、北澤は、今まで思い違いをしていたのかもしれない、と思った。
北澤の目から見て、みうなは扱いづらい選手だった。基本的な技術は、藤本よりもしっかりしているかもしれない。練習でもよくゴールをあげていた。しかし、本番となると、気持ちが舞い上がってしまうのか、落ち着きをなくすことが多々見られた。そこが北澤の気にかかり、起用がためらわれる原因の一つだった。
しかし、このPK戦、みうなはフットサルの選手として大きく成長したのだと、北澤は思った。もちろん、練習や他の選手の状態を見ながらだが、次の大会ではみうなを先発に入れることも視野に入れておくべきだと、そんな気持ちになっていた。
- 166 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/05/26(木) 20:56
- みうなは緊張すらしていなかった。こんな千載一遇のチャンスは二つと考えられなかった。
自分はガッタスの中で一番練習を積んできた。なのに今日の出番は、初戦のチーム・ドリーム戦の後半だけだった。このことは、繊細なみうなの心をいたく傷つけた。
練習だけ出ても、実力がなければ試合に出られないのは重々承知していた。しかし、今ではリフティングだって、吉澤や里田並みにできるようになった。紅白戦では何本もゴールを決めている。なのに、試合には、ほぼ勝ちが決まってしまっていて、どうでもいいような場面でしか投入されない。
どうして自分は、しびれるような場面で使われないのか。それは誰のせいなのか。試合に出るメンバーを決めるのは監督だ。みうなは北澤を深く憎悪した。
みうなはゆっくりボールを置いた。プレースキックの練習も密かに積んできた。コントロールのみならず、キック力にも自信はある。このボールを思い切り、あの憎たらしい監督の顔面にぶつけてやる、体育館の床を舐めさせてやる。
- 167 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/05/26(木) 20:56
- 吉澤は不思議そうな顔をしていた。どうも様子がおかしい。
中学時代、彼女はバレーボールでも似たようなプレッシャーを受ける場面を何度も体験していた。吉澤はプレッシャーを愉しみに変える術を体得していた。しかし、みうながそのような人間だとは、とても思えなかった。
プレッシャーに打ち勝つには、練習で培った技術の裏打ちが必要だ。みうなの練習時間はメンバー随一だったが、飛躍的に技術が向上したようには、吉澤には見えなかった。それならば、あのような自信はどこから出てくるのか。
みうながボールを置いたとき、ちらと吉澤のほうを見た。その目は、芸能界に入ってから何度も目にしてきたものだった。憎しみ、妬み、嫉み、怒り、それらが複雑に絡み合った情念のみが発することのできる光。自分はみうなに恨まれることをしただろうか、と吉澤は首をひねっていたが、隣で腕を組んでいる北澤を見て、おぼろげながら事態に気づいた。
周りのみんなは興奮してコートに釘づけになっているが、吉澤は極めて冷静だった。多少ながらも読唇術を心得ている吉澤は、みうなの唇の動きをとらえた。きたざわのやろうきたざわのやろうきたざわのやろうきたざわのやろう……。
- 168 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/05/26(木) 20:57
- 「監督!」
「なんだ、よっすぃ〜。こんなときに……」
「いいから!」
- 169 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/05/26(木) 20:57
- みうなは助走に入る前に、もう一度攻撃目標を確認した。先ほどまで吉澤の隣にいた北澤の姿が見えない。吉澤もその場からいなくなっていたことに、みうなは気づかなかった。
首を少し動かすと、憎んでも憎み足りないあの顔を捕捉すると、ただちにみうなは走り出した。みうなの右足からくり出されたボールは、うなりをあげて飛んでいった。
カレッツァのゴレイロ、河辺は手を出そうとしたが、生存本能がそれを許さなかった。下手に触れば大怪我をしたかもしれない。ボールはそのままゴールネットを突き破り、吉澤に手を引っ張られてゴール真裏に移動していた北澤の顎にヒットした。
駒沢体育館は、観衆の大歓声に包まれた。
- 170 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/05/26(木) 20:57
- fin
- 171 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/05/26(木) 20:57
- *****
- 172 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/05/26(木) 20:57
- ***
- 173 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/05/26(木) 20:57
- *
- 174 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/05/27(金) 00:27
- あの感動のシュートの裏にはこんな秘密が!
- 175 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/05/27(金) 11:12
- ワロタヨ
- 176 名前:無飼育さん 投稿日:2005/05/28(土) 02:36
- 再点検
- 177 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/05/30(月) 12:49
- >多少ながらも読唇術を心得ている吉澤
ワラタ。さすがキャプテン。
- 178 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/18(土) 20:59
- | |/ ◎◎ \|
| | ◎◎◎ |
ノハヽヽ  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
(O´〜`) ヒーチャンモマタマタ長編カキタイYO
(∩∩)────────────────
/
/
- 179 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/18(土) 21:01
- これから書かれることは全てでたらめです
これまでもでたらめでしたけど
- 180 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/18(土) 21:01
- 道化師マリーの遍歴
- 181 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/18(土) 21:02
-
──空の空、空の空、一切は空である。(旧約聖書)
- 182 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/18(土) 21:02
- 第1章 ボルドー
ボルドーはフランス南西部、ガロンヌ川河口に位置する港湾都市である。ワインの産地として名高く、紀元前3世紀頃から生産されていた。鮭などの海産物がよく採れ、商人たちはそれらをパリにではなく、イングランドへ輸出するのを生業にしていた。陸路より海路のほうがずっと便利な時代だった。
彼女の生涯の一部を、まずここから切り出そうと考えている。人間の生涯を一面から捉え物語風に構築することは望ましいものとは言えず、なるべく各種の資料を駆使しながら、人間の複雑なる所以を多面的に描こうというのが趣旨の一つである。
まず、彼女、すなわちマリーはこの地の生まれではない。イタリア北部の都市、ミラノ公国の小村モルニンに長年住んでいたことから、この近辺の生まれであると推測されている。生年は1540年頃だろう。彼女はモルニン、そしてフィレンツェにとどまることができなくなり、ほとんど一文無しの状態でこのボルドーにたどり着いた。
なぜ彼女はボルドーを目指したのか。おそらくは地理的要因、歴史的要因、宗教的要因が複雑に絡み合った結果であろう。ミラノ公国は現国王シャルル9世の祖父フランソワ1世によりフランスに占領されていた。この占領はイタリア・ルネサンスの息吹をフランスにもたらすことになった。「モナ・リザ」で有名なレオナルド・ダ・ビンチもミラノの芸術家であり、フランス占領後はフランス領内で余生を過している。
- 183 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/18(土) 21:03
- ルネサンス、つまり人文主義の空気は南仏アキテーヌ地方を急速に包んでいった。折りしもルターの反逆以来、全ヨーロッパはプロテスタント勢力の嵐に我を失っていた。アキテーヌに隣接するスイス・ジュネーブではカルヴァンの神聖独裁が始まっており、ルネサンスの古典ローマ復興の空気と合い重なり、アキテーヌはプロテスタント勢力が次第に広まりつつあった。ミラノも、カトリック総本山のローマとは一線を画しており、ルネサンスの自由な息吹を享受していた。ミラノ育ちのマリーがボルドーを目指したのは自然なことだろう。
ボルドー市の記録によると、マリーは時のボルドー市長であるピエール・エーケム・ド・モンテーニュの公邸に寄宿していたことがわかっている。『随想録』の著者であるミシェル・モンテーニュはピエールの息子である。
- 184 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/18(土) 21:03
- なぜ、一文無しのマリーがボルドー市長の知己を得ることが出来たのか、疑問に思うことはもっともである。当地近くにあったギュイエンヌ学院の教師の日記に綴られているのを見てみよう。
「連日のように市長公邸の前は多様な人間の人だかりができる。蟻が砂糖に群がるようなものだ。彼らは富を持つ人間のおこぼれに預かろうと、目を爛々と輝かせている。なかなかどうして、公邸の雇われ人たちは彼らの扱いには慣れたもので、手際よく追い払う術を心得ている。……様子を伺っていた生徒によると、一人の小さな女乞食が門を叩き始めた。使用人が出てきて対応したのだが、どういうわけか彼はその乞食を公邸の中に案内していったということだ」
ここでマリーが乞食と呼ばれているのも無理がなかった。ボルドーの郷土史家によると、彼女は遍歴芸人に混じって、ミラノからボルドーにやってきたのである。遍歴芸人は定宿を持たない賎民だった。
ボルドー市長のピエール・モンテーニュは、生粋の貴族ではない。富裕な商人だった彼の父が、モンテーニュの領地を買い取ってなったものである。モンテーニュ一家は社交的な一家だった。後年、城館に引きこもったミシェルでさえ、現地の盗賊まがいの集団を迎え入れたくらいである。市長が地元の名士を招いた際に、芸人だちに芸を披露させることもままあったことは容易に推測できる。
- 185 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/18(土) 21:04
- 市長がよほどこの小さな女乞食を気に入ったのか、それともマリーがよほどボルドーの空気を気に入ったのか、マリーのボルドー滞在は二年間に及んだ。
先の日記により、マリーがボルドーに到着したのは1560年であることがわかる。これはボルドーの高等法院に残されていた資料からも明らかである。ドイツでは長い長い宗教戦争に決着がついた後ではあったが、その火種はネーデルラントやフランスにくすぶっていた。そもそも、カトリックとプロテスタントの争いというより、国王と領主、国家と国家の争いに転化されていた。カトリックを奉じるフランス国王も、同じカトリックのハプスブルクに対抗するためドイツのプロテスタント諸侯と同盟を結んでいた。
そのような時代に、マリーはその小さな体を投げ出されていたのである。
(第1章 終わり)
- 186 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/18(土) 21:04
- *****
- 187 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/18(土) 21:04
- ***
- 188 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/18(土) 21:04
- *
- 189 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/24(金) 23:05
- 第2章 遍歴芸人
「都市の空気は自由にする」という言葉がある。都会は田舎の因習に囚われない自由な人間を生み出す、という意味ではない。封建領主の厳しい束縛から逃れるために都市に逃げ込んだ農奴は、1年と1日後に自由になれるという当時の大原則である。このことは、封建領主から自由になれることだけを意味するのであり、都市の内部にも支配と束縛は存在した。
都市内部の身分格差はどのように生まれたのか。これは封建領主が生み出したものではなかった。領主は自分の領土にいるのだから当然である。都市内部から自然発生したのだった。
都市は商人と職人で構成される。彼らは自分の権益を守るために(それは今のような市場の独占の意味ではなく、自然、疫病、教会、領主などあらゆる災いから身を守るためにである)、兄弟団と呼ばれる同業者組合を組織した。兄弟団は月に一回程度宴会が開かれる。娯楽が少ない世の中であるから、この宴会をやりたいがために様々な兄弟団が作られていた。町の祭りになると、各種の兄弟団が行列を作って町を練り歩く。すると行列の順番、序列が問題になる。兄弟団に入れないお金のない者は格下となる。このような具合だったらしい。
- 190 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/24(金) 23:06
- 兄弟団にいろいろな規則が生まれていった。肉屋の兄弟団では羊飼いの息子は入会できない、靴屋の兄弟団では亜麻布織工の息子は入会できない、などなど。羊飼いや亜麻布織工は賎民職として扱われていたのだった。なぜこれらの職業が忌み嫌われたのか、現代でも明らかにされていないが、キリスト教布教以前の原始呪術宗教の影響があるのかもしれない。
そこで、なぜマリーが賎民職の最たる遍歴芸人に混じっていたのかが問題となってくる。旅をする上では仲間が必要だったという実際的な結論だったかもしれない。しかしながら、追われた身とは言え、マリーはミラノ公国の富裕な商人の娘だったのであるから、積極的な理由とはならないのではないだろうか。旅の路上ではいろいろ便宜が図れたにしても、都市に入ってしまえば遍歴芸人という職は足枷にしかならない。当時は風の噂だけで当局に逮捕されてしまう世の中でもある。
- 191 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/24(金) 23:06
- 実際のところ、子細は単純だった。マリーはそのあまりの背の小ささに、不具者と見られてしまったのである。
遍歴芸人たちには乞食も混じっていた。カトリック全盛の時代、宗教的な意義から弱者救済が縷々行われていたとはいえ、施しを与える奇特な人間はそうそうはいない。ならば、乞食が取る手立ては二つしかない。芸がある者は芸を見せる。芸がない者はことさら哀れみを得る。
領主たちの無意味な戦争は白兵戦が主体だったので、運悪く戦場に居合わせた農民や旅行者にも手ひどい被害を与えた。すると片手片足を失う者が出てくる。彼らはもう畑を耕すことができず、物乞いをするしかなかった。障碍を持つ者に対して、人間は言いようのない罪悪感に見舞われてしまうことが多々ある。彼らが健康な乞食より稼ぎが良くなるのは道理であろう。
では健康な乞食はどうするか。自ら不健康になるのである。かなり倒錯した考えではあるが、生活のため背に腹は変えられない。彼らはなんともない腕や足を切り落とした。となると、価値判断は転倒され、遍歴する不具者はすなわち乞食と見られる。相手が乞食ならば、人々は喜捨しなければならない。マリーは町や村で多くの施しを受け、路銀を稼ぐことができた。もっと儲けようとして、片足を折り曲げ、ぶかぶかのズボンに隠して杖をついたこともあった。こうしていれば片足の不具者に見えるので、本当に足を切ってしまう必要もなくなる。
- 192 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/24(金) 23:06
- このような経緯で、遍歴芸人の身となったマリーであるが、それではボルドー市長公邸に潜り込むことができたのは、いったいどういう理由があったのだろうか。
主人(ホスト)が名士たちを歓待するために、芸人を招き入れることは通常行われていたことだった。ただしそれには芸を持つことが必然的に要求される。イングランドで、フランシスコ修道会の修道士が旅の途中雨に見舞われ、ベネディクト会の修道院に雨宿りを申し込んだことがあった。修道院の門番は、修道士の身なりが汚いのを見て遍歴芸人と勘違いし、その報告を聞いて喜んだ修道院長が中に呼んだ。ところが芸ができるわけもなく、修道士は拳骨の雨を食らい追い出されたという。芸のできない芸人は人間以下だった。
マリーには芸があったのだ。マリーはミラノ公国のモルニン村で、高等な教育を受けていた。これにはラテン語や神学も含まれる。マリーはその出自を隠して、高等な話芸を披露することができた。
- 193 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/24(金) 23:07
- たとえば、バケツの水をかぶって、「これで洗礼が終わりました」とぼそっとつぶやく。観客の中にはカトリックの高僧もいるのだが、これが腹を抱えて笑っている。二百年前なら、カトリックの幼児洗礼を笑いものにしていると告発されて、マリーの命はなかっただろう。生まれたばかりの幼児でも、洗礼を受けるだけで立派なキリスト教徒である。このような信仰の形骸化は現代でも問題になっており、教皇庁では「幼児洗礼は今も揺るぐことなく、不変の価値をもつことを明らかにしています」というパンフレットを配布している有様である(1980年)。
ところで、当時でも幼児洗礼はおかしい、と一部のプロテスタントが唱え始めていた。幼児には神の認識など不可能で、信仰の告白もできない、という至極もっともな主張であり、彼らを再洗礼派と呼ぶ。マリーの皮肉は彼ら再洗礼派に向かっているのだと、このカトリック僧は理解して笑ったのである。マリーも、問われたならばそう答えたであろう。その様子を見て周りの貴族や名士たちはさらに笑うのである。
遍歴芸人の多くは楽師だった。トランペットやホルンなどの管楽器、ヴァイオリンやフィーデルなどの弦楽器が発達したのはこの時代である。遍歴芸人の中には修道士が少なからずいた。修道院では賛美歌を歌う聖歌隊養成機関があり、歌を唱って生活することもできたのだ。叙任権闘争により教会が現実的に力を得ると、これらの放浪学生を取り締まるようになると、必然的に遍歴芸人たちにも圧迫が加えられ、賎民化した。ある地方領主が遍歴楽師に、ビール樽を全て飲み干したら子馬(equuleus)を与えると約束した。楽師がそのとおりにすると、領主は楽師を拷問台(equuleus)に乗せて拷問したという。
- 194 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/24(金) 23:07
- ところが、15世紀にもなると、楽師たちは領主や教会の保護を得るようになる。フランクフルトではサーカス団長が市長に推されたこともあった。彼らはやがて宮廷付きの楽師となり、取り込まれていく。賎民から脱するには、都市に定住するしかない。マリーも、もしかしたらボルドーにとどまることを考えていたのかもしれない。実際、市長の寵を得ることに成功しているのだ。
しかしながら、わずか二年でマリーはボルドーを去ることになる。漂泊は彼女の運命だったのだろう。遍歴芸人が遍歴を止め賎民の地位から抜け出したとしても、マリーは常に遍歴を続けるのだ。
- 195 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/24(金) 23:07
- *****
- 196 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/24(金) 23:07
- ***
- 197 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/24(金) 23:07
- *
- 198 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/29(水) 20:20
- 第3章 ルネサンス
ルネサンスは人文主義、文芸復興と翻訳されているが、これではその本質をつかむことは難しいだろう。
当時、ヨーロッパは神が支配していた。キリスト教はローマ帝国に公認されると、帝国の権力を背景に勢力を広めていった。ゲルマンに広めるに至って、すでにその地に根付いていた土俗宗教と多少融合してしまうことも許容範囲だった。イングランド出身の美しい奴隷を見て、グレゴリウスがその地の布教を決意したことが美談として語り継がれている。
- 199 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/29(水) 20:21
- 西ローマ帝国が民族大移動の余波で滅亡すると、ローマ教会は後ろ盾を失ってしまった。ダニエル書には、四つの世界帝国が交代し、第四の帝国が滅んだ後に終末が訪れ、神の国が実現すると書かれている。教会の俊英たちはダニエル書の解読、すなわちキリスト教による世界の歴史を紐解くことに躍起になった。研究の末、この四つの帝国とは、アッシリア、ペルシア、ギリシア(アレキサンダー大王の帝国を含む)、ローマであることがわかった(ダニエル書を忠実に読めば、四つの帝国とはカルデア、メディア、ペルシア、ギリシアであることは明らかなのだが、それではローマの時代になっても終末が訪れていないという現実と矛盾する。巧妙な理屈で読み替えを図ったのがアウグスティヌスである)。
ところが、最後の帝国であるローマが滅んでしまった。東ローマ帝国はまだ生き延びていたが、ローマ教会とは犬猿の仲で、相容れる余地はない。いくらかなりの天変地異が起こっていたが、終末の訪れる気配であるとは言えなかった。ならば、ローマ帝国に延命措置を施さなければならない。こうして蛮族の長カール大帝に冠が授けられた。神聖ローマ帝国の誕生である。
叙任権闘争でローマ教会の地位は不動のものとなり、ヨーロッパはキリスト教一色に染まった。調子に乗ってエルサレム奪回を図ったこともあるくらいである。農民は領主以外に教会にも十分の一税を支払うことが義務づけられた。教会が作成した暦どおりに生活しなければならない。安息日の他に「聖○○の日」が設けられ、仕事を休まねばならなかった。あまりにも数が多くて、数えた人によると週休二日制とあまり変わりがなかったようである。
- 200 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/29(水) 20:21
- キリスト教は神が全てのものの上位者である。このあたりが日本人には理解しがたいところなのだが、そうであるらしい。一方、ルネサンスはギリシア・ローマ文化の復興である。古典文化は汎神論的であり、教会がもっとも忌み嫌う教義である。
ルネサンスはイタリアから始まった。ルネサンスは都市化と無縁ではない。都市化と貨幣経済の発達は、自然と合理的な精神を育むものである。個性や現世的欲求を求める人々が増加した。もちろん、教会はこの傾向を警戒した。ローマではスペインの異端審問を参考にした聖庁が作られた。ローマ教会の教えに合わない主張を覆さない者は容赦なく火刑にされた。ルネンサンスは文芸や絵画の方面においておおいに息吹を揮った。無害だからだ。
しかし、押さえ切れるものではない。ルネサンスの精神は宗教界内部から食い破ってきた。ルターやカルヴァンの宗教改革である。宗教改革の地ならしをしたエラスムスからして、人文主義者(ユマニスト)と呼ばれている。改革者たちは、人文主義の思想を用いて、教会の堕落、世俗化を攻撃した。改革者たちも結局はキリスト教者であるから、宗教そのものへの懐疑はさらに二百年の時を経なければ表れなかったが。
- 201 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/29(水) 20:22
- ボルドーは国家こそフランスに所属していたが、精神的風土はイタリア北部諸都市の影響を受けていた。そもそも、アキテーヌ地方は北部フランスとは文化も文明も異なっていた。北部フランスの言語がオイル語であるのに対し、南部ではオック語が話されていた。異端として弾圧されたカタリ派の拠点も南仏だった。アキテーヌ地方は百年戦争が終わるまでイングランドの領地であり、フランスという国家の確立を目指したフランソワ1世がオイル語を国語としたのはやがて来る絶対王政国家、民族国家への一途である。
やがてプロテスタントの猛威がボルドーを覆う。何しろ、市長の妻や息子がプロテスタントなのだから。もちろんパリの権威には従わなくてはならない。ソルボンヌ神学部はパリ・カトリックの牙城である。ヴァロア家は代々カトリックを信奉し、フランソワ1世はカトリックの守護者を自認して神聖ローマ皇帝選挙に立候補したこともあった。しかしボルドーには自由の空気が流れていた。ギュイエンヌの教師にはどうやら無神論者までいたらしい。
マリーはその空気にひかれるように流れてきた。なぜなら、それが彼女の本質だからだろう。マリーはミラノ、そしてボルドーでルネサンスの息吹を全身に受けた。しかし、どうやらそれだけではなかったようである。先の洗礼を巡るマリーの嘲弄は、カトリック、プロテスタント両方に向けられたものであることは明らかだろう。件の高僧や貴族たちは、それを(無意識に)知りつつ、自分たちを欺いた。自己欺瞞は中世精神世界の大きな特徴の一つである。
- 202 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/29(水) 20:22
- 対立する二者を冷静に見つめ、これを相対化することは現代でも困難な作業に違いはない。すべてを相対化することはおそらく不可能であろうし、そのようなことができるのは「神」だけであるかもしれない。いずれ相対化できないものに衝突し、そのときその人は反動的に頑迷な保守思考を繰り広げることになるだろう。キリスト教世界の住民ならなおさらだろう。相対化するとき、人がよって立つところは己しかない。ルネサンスはギリシア・ローマに立ち返り、個性を高らかに謳い上げた。デカルトを開祖とする個人主義まであと一歩である。
マリーは早すぎた個人主義者である、と断言して差し支えないだろう。個人主義の萌芽は、何もマリーだけではない。多くの人文主義者や科学者たちも同じである。ブルーノは火刑に処せられ、ガリレイは自説を撤回させられた。マリーがこれらの数多の先駆者とどのあたりが異なっていたのだろうか。
- 203 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/29(水) 20:22
- ボルドーの市長と大司教が内輪の会合を開いた。微妙な政治的懸案が解決された後、夕食の場にマリーが呼ばれた。早速マリーは大司教に物乞いした。けげんな顔をしながらもボルドー大司教はいくばくかの貨幣をマリーに与えた。マリーはうやうやしく受け取り、腰の辺りをまさぐると、思い出したように声を出した。
「ああ、財布を持っていません」
大司教はややあって眉をひそめ、市長は笑いを噛みこらえた。ナザレのイエスを陥れようと、ファリサイ派とヘロデ派の両者がやってきた。ファリサイ派は偶像崇拝禁止の教義からローマ皇帝の肖像が彫られた銀貨で納税することに反対しており、ヘロデ派はローマへの納税を積極的に支持していた。彼らは問う。
「皇帝に納税することは律法に適っているか、いないのか」
「適う」と答えれば、律法違反であり、偶像崇拝を認めることになる。「適わない」と答えればローマへの反逆者として処罰される。イエスはうまく切り抜けた。
- 204 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/29(水) 20:23
- 「カエサルの物はカエサルに、神の物は神に返しなさい」
これは答えになっていない詭弁であるのだが、ここではそれに触れない。問題は、この箴言から「キリストは財布を持っていなかった」という主張が唱えられたことにある。マタイ伝にも「財布に金貨も銀貨も銅貨も入れてはいけない」という言葉がある。貨幣の入っていない財布はもはや財布ではない。特にフランシスコ修道会がこの逸話にこだわり、托鉢修道会として大きな勢力を誇ることになる。キリストは財布を持っていない。マリーも持っていない。ではこの銀貨をくれた大司教はどうなのだろう?
ボルドー大司教は、ここから何人もローマ法王になっていることからわかるように、ローマ・カトリックの重鎮である。一方、清貧を説くフランシスコ修道会はローマからはほとんど異端扱いされていた。ではマリーはカトリックを内部から変革しようとするフランシスコ派なのか? そうではないことを、すでにわたしたちは知っている。マリーは賎民であるがゆえに、財布を持たない。ナザレのイエスのような理屈は無用だった。
ルネサンスは文芸復興を謳いながら、その精神には屈折したものを孕んでいた。
- 205 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/29(水) 20:23
- *****
- 206 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/29(水) 20:23
- ***
- 207 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/29(水) 20:23
- *
- 208 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/07/01(金) 22:36
- 第4章 パン職人
南フランスは、もともとフランスではなかった。10世紀以前は国家としてのフランスは存在していなかったし、百年戦争終結以前はアンジュー伯アンリ、つまりヘンリー2世を始祖とするプランタジネット朝が支配していた。彼らはイングランド王というより、(地域的な意味での)フランスの貴族としての意識の方が強かった。百年戦争によりアキテーヌ地方はフランスに組み込まれたが、フランソワ1世の登場を待つまでほとんど独立状態だった。
十三世紀初頭、アルビジョア十字軍というものがあった。カタリ派というグノーシス主義の教派がトゥルーズを中心に広がり、ローマ教皇はフランス王に鎮圧を依頼した。南フランスを支配下におきたかったフランス王フィリップ2世は軍隊を派遣し、トゥルーズ伯は王に降伏した。王は南フランスを屈服させればそれで満足だったので、教皇の思惑どおりにはいかなかった。その後もカタリ派は、異端審問による弾圧を受けるまで活動を続けた。
- 209 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/07/01(金) 22:36
- 異教的な風土にマリーはそのまま身を委ねた。遍歴芸人に身を落としたとはいえ、当時の文化先進国だったミラノで培った素養を存分に発揮した。形ある作品というべきをものを後世に残さなかったとはいえ、マリーがルネサンスの精神をフランスに残したことは、ダンテやダ・ビンチに匹敵するのではないだろうか。
1562年の初夏、ボルドーは大火に見舞われた。ボルドーの夏は暑い。緯度はニューヨークとほぼ同じだが、メキシコ湾流が湿った熱い空気を運んでくる。豊穣な葡萄が熟するには好条件である。その日も茹だるような暑さで、夜になってもほとんど気温は下がらなかった。
パン屋があった。多くの職業の中でパン屋は社会的地位が高いものの一つである。先にも述べたが、中世の都市では職業ごとに組合が作られた。このギルドは競争の排除が目的である。原材料は共同購入であり、店舗数も制限された。また相互扶助が徹底しており、ゆりかごから墓場まで面倒を見合った。営業の自由が確立するのは19世紀まで待たねばならない。市民はなんらかのギルドに所属していたから、現代でいう消費者が存在しなかったからだ。
- 210 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/07/01(金) 22:36
- 品質や規格の管理も、当初は行政が行っていたのだが、自分たちの名声を守るためにとギルドが自主的に行うようになった。都市とギルドからそれぞれ代表者を出し、粉の品質からパンの価格が決められた。これを守らない職人には厳罰が待っている。鉄製の籠に入れられ高いところから吊るされる。空腹をがまんできずに飛び降りると、汚水入れに落ちる仕組みである。チューリッヒのパン屋はこの屈辱を受けた後、店に火をつけたため町のほとんどが燃え尽きてしまったという。
ボルドーの大火の理由はこれではない。このパン屋は双子のようにそっくりな姉妹が経営していた。男尊女卑の世界で、女性は店の経営をできないと思われた方もいるかもしれないが、中世では女性の相続が認められていた。都市の職人は一年限りで未亡人の経営が許された(その期間に後継者を育てる)。貴族では女領主が堂々と認められていた。夫が死亡すると妻に自動的に相続される。このシステムを利用して類を見ない世界帝国を築いたのがハプスブルク家だった。オーストリアの一貴族が、フランドル、スペインを婚姻政策によって(しかも偶然に頼りながら)獲得していった。
- 211 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/07/01(金) 22:37
- さて、先に述べたとおり、職人はギルドによって活動を厳しく規制されていた。夜半に仕事をすることも禁じられていたが、これは火災の恐れがあったからだ。ボルドーのパン屋が起こした大火はこれが原因だった。問題は、なぜ彼女たちが夜中に火を使う仕事をしたのか、である。この時代に勤勉という概念は、カトリックによっておさえつけられていた。マックス・ヴェーバーは、資本主義はプロテスタント(特にピューリタン)の勤勉の概念によって大きく発展したと主張しているが、この時代のプロテスタントはルター派やカルヴァン派であり、仕事による資本の蓄積が神の教えに適うという説は主流ではなかった。
ボルドーの高等法院の資料によると、姉妹はパンの改良を企てていたようである。当時のパンはあまりの固さにナイフを使わねばならないほどだった。現代で見られるような食パンは産業革命の最中、イングランドで発明された。四角いパンになったのは大量生産、大量輸送するためである。それまでのパンはベル型をしていた。すでに、味つけのために糖を含むようにはなっていたが、長期保存のためにやたらと固く仕上げられていたのである。ところが、ルネサンスの波はパン製造にも押し寄せる。都市生活者による大量消費、機械化は産業革命を待たねばならないが、北部フランスの富裕な貴族、商人たちがパンの改良を求めるようになったのである。
- 212 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/07/01(金) 22:37
- パンの固さは、醗酵しているかどうかによる。パンは紀元前七千年前からメソポタミアで作られており、自然醗酵したものから無醗酵のものまであった。ビール酵母による醗酵は古代エジプトで発見され、ギリシアに伝わった。オリーブ油や果物、ハチミツどを利用した菓子パンが作られるようになった。ポンペイの遺跡を見ると、ローマでは工業化の兆しもあったようである。ところが、パンの技術は教会に独占されることとなる。中世のパン職人たちは、酵母を使うことが許されず(あるいはそれを知らず)、無醗酵の固いパンだけが市民の食卓に並べられた。ルネサンスはこうした風潮に風穴を開けた。まずイタリアで規制が解除、フランスには1600年頃、メディチ家の王女がフランス王族に嫁ぐ際、大勢のパン職人を連れてきたのが萌芽である。
では、それより四十年も前の1562年、ボルドーの姉妹が図った改良とはどのようなものなのであろうか。ビール酵母による醗酵パンであることは間違いない。問題は、その知識をどうやって姉妹が得ることができたのかである。姉妹は非公開の裁判でこう証言している。
「マリーは私たちの師匠でした。私たちは全てを彼女から教えられました」
- 213 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/07/01(金) 22:37
- 高等法院の審議官たちは、これを一般論として受け取った。だが、彼女たちの証言にはパンの醗酵に関する技術を含まれていることが明らかであろう。マリーが、彼女たちにパンの改良を唆したのである。マリーはミラノのモルニンの秘密結社で高等な教育を受けていた。そこではギリシア・ローマの思想、技術がイスラム圏経由で伝えられていた。
では、逆の方面から疑問を投げかけてみよう。なぜ、マリーはパン屋の姉妹にパン製法を伝授しようとしたのだろうか。醗酵製法は教会から禁じられており、メディチ家、あるいはフランス王家という権力なしではフランスに伝えられることはできなかった。しかもギルドから禁じられていた夜間の仕事まで行っている。ここから、マリーの個人主義、近代人としての姿が浮かび上がってくる。
マリーが寄って立つところは自分自身であることはすでに述べた。彼女を制約するのは教会ではない。また、プロテスタント的な禁欲主義者だったのだろうか。姉妹に資本主義的な精神を埋め込もうとしたのは確かであろう。だが、あくまでその対象はパン屋の姉妹であり、マリー自身ではない。彼女の相対主義は、自分自身をのぞくあるゆるもの全てに及んでいた。だから彼女は自分でパンを作ろうとはしなかった。
- 214 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/07/01(金) 22:37
- 裁判では、姉妹の失火は明らかであったが、厳罰が下されたという文献は残っていない。高等法院の審議官たちが無罪の評決を下したのだろうが、ここにもマリーの影がちらついて見える。試作されたパンは、ボルドー市長公邸にも並べられていただろう。市長のピエール・モンテーニュの長男、ミシェルは高等法院の審議官をしていた。市長や審議官が問題となったパンを食していたという後ろめたさから、何らかの圧力がかけられたと想像するのは難しくない。ルネサンスの生んだマキャベリの思想は、マリーにも受け継がれていた。
ただし、マリーがボルドーに居辛くなったのは確かだろう。評決からしばらくして、マリーはボルドー市当局に逮捕された。容疑はフランス国王並びに摂政毒殺謀議だった。
- 215 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/07/01(金) 22:38
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- 216 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/07/01(金) 22:38
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- 217 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/07/01(金) 22:38
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- 218 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/07/09(土) 21:14
- 第5章 モルニン
モルニンはミラノ公国南部にある小村である。当時のイタリアはドイツと同じく統一国家はなかった。いくつもの都市国家と領邦国家に分裂しており、19世紀のエマヌエーレ家による統一を待たなければならない。
厳密に言えば、16世紀半ばには「ミラノ公国」は存在しない。1536年、ミラノ公だったスフォルツァ家が断絶し、フランス王フランソワ1世が相続権を主張、ミラノを占領したからである。この当たりの血縁関係は複雑でややこしいので詳しく記さない。イタリア北部の諸都市は、貨幣経済が発達し裕福であったが、小国の乱立ゆえに軍事力がなかった。強固な王権を持つフランスやハプスブルク家がおいしい餌を見逃すはずがなかった。1494年、フランス王シャルル8世がナポリ継承権を主張して遠征を開始したのが、百年以上続くイタリア戦争の始まりである。メディチ家がフィレンツェから追放され、ナポリがフランスに占領されると、ローマ教皇・ハプスブルク家のマクシミリアン1世・ヴェネツィア・ミラノなどが同盟し、フランスを半島から追い出し事なきを得る。
しかしフランスはしつこい。1499年、今度はルイ12世がミラノ承継を主張、1513年までミラノを占領する。負けじとスペイン(ハプスブルク家)がナポリを征服し、フランスとハプスブルク家の対立が決定的となった。1511年、教皇とハプスブルク家を中心とする神聖同盟が結成され、フランス軍はイタリアから撤退した。1515年、フランス王フランソワ1世がミラノを占領する。1519年、神聖ローマ皇帝の選挙でハプスブルク家のカルロス1世とフランソワ1世が立候補し、激しい選挙運動の末、カルロス1世が戴冠した。諦めきれないフランソワ1世に対しローマ教皇が反撃し、ミラノを奪回、1525年のパヴィアの戦いでとうとうフランソワ1世が捕虜となり、マドリードで幽閉されることとなった。フランス王はすぐに釈放されたが、代わりに息子(後のアンリ2世)がマドリードに送られた。狭いところに幽閉されたアンリは精神を相当やられたようで、周囲の人間が迷惑を蒙る一因となる。フランスを恐れた教皇はハプスブルク家に叛旗を翻し、怒ったカルロス1世によってローマは大奪略を受ける。カトリーヌ・ド・メディシスはこの様子をつぶさに観察していたという。
- 219 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/07/09(土) 21:14
- あまりつらつら重ねても詮無きことである。重要なことは、モルニンという村がミラノ公国に存在し、フランスに占領されていたという事実である。そしてフィレンツェのメディチ家が、ローマ教皇を二人も輩出した家柄であり、ハプスブルク家と深い関係にありながらフランス王家にも皇妃を何人も送り込んだことも見逃してはならない。これらはマリーの未来に深く暗い影を落としている。
モルニンには秘密結社があった。マリーはそこの出身である。秘密結社の名は現在には伝わっていない。ギリシア・ローマの古典を主に研究するのが目的だった。このことは瞬く間に教皇庁に知られ、禁止令が出された。ちょうどトリエント公会議が開催されており、聖書に関する余計な解釈が生じることを恐れたためだった。聖書解釈はプラトンとアリストテレスの哲学が大いに援用されていたのである。
そこで地下に潜り、秘密結社となった。かなり際どい研究が行われたのは、そこで薫陶を受けたマリーの言動から明らかだろう。そこではギリシアとローマの詩人・哲人たちの著作を紐解くところから始まった。複製技術が発達した現代と違い、当時にはオリジナルとコピーという概念はない。詩や物語をラテン語、あるいはイタリア語に置き換える際、自由な改変がなされた。マリーはあまり得意とはしなかったようだ。
- 220 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/07/09(土) 21:15
- さらに結社では修辞学に力が入れられていた。古典の模写、改変を行うのには、もちろん表現する術が必要だったからであるが、それだけではない。レトリックを駆使するのは、二つの必要に迫られる。一つは、物事を相手に正しく伝えるために。もう一つは、相手に正しく伝えないために。教会から禁じられていたために、その思想を安易に周囲に漏らしてしまうことは避けなければならなかった。モルニンの結社で学んだ彼女たちの言をそのまま信用することはできない。彼女たちは、時として自分でも信じていないことを雄弁に物語ることがあった。そしてその言葉を信じる人々も多くいた。当時のカトリックの僧侶たちも似たようなものではあったのだが。
修辞学を扱うには、論理学の習得も不可欠である。自分が何を言っているか、本人がわからなくなってしまっては、相手を雲に巻くことはできない。定言三段論法、仮言三段論法の研究がつぶさに行われたが、数学の間接的な援用が望めなかったため、不徹底に終わってしまったのは時代の制約である。
さて、マリーは七年ほどモルニンで学び、最後は学徒の筆頭にまでなった。ところが、筆頭になってすぐに彼女は結社を追い出されてしまった。理由は明らかにされていない。彼女はしばらくミラノの町をぶらぶらしていたが、結社が刺客を放ったという噂を聞いて、あわててイタリアから逃亡した。これはまったくでたらめだったのだが、当時はそういう物騒な組織も多かったのだから、勘違いは仕方がないことだろう。
こうして彼女はボルドーに向かうのであるが、そこも二年ほどで去ることになる。なぜ彼女はモルニン、ボルドーから追い出されてしまったのか。
- 221 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/07/09(土) 21:15
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- 222 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/07/09(土) 21:15
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- 223 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/07/09(土) 21:15
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- 224 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/07/15(金) 21:49
- 第6章 人狼
中世には人狼というものがいた。月夜を浴びると狼男に変身し、銀の銃弾でなければ退治することはできない、というのは、近代に入ってから通俗化して作られた虚構である。近代の狼男の物語は極めて個人主義的な産物で、中世にはそののようなものはいなかった。
当時の民衆本の挿絵には、頭が狼で体が人間の生き物が描かれてある。人狼は牛や馬、時には人を食うとして恐れられていた。何人かが寄り集まって旅をしていた。野宿をすることになり、一人がふと目を覚ますと、別の一人が人狼となり、荷物を運ばせていた馬をたいらげてしまった。男は恐ろしくなったがそのまま寝た振りを続けていた。翌日、何事もなかったかのように都市をめざして旅を続けていたが、人狼が「どうも食欲がない。腹がもたれる」などと体の不調を訴えていた。仲間たちははぐらかしていたが、都市の城門が見えるとがまんできなくなり、「馬一頭も食えば腹もいっぱいになるさ」とこぼしたところ、「おまえたちは運がいいな。町のそばじゃなければおまえたちを食ってやったのに」と、人狼に変身してどこかに走り去っていったという。
- 225 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/07/15(金) 21:49
- 狼は、犬と対の関係にある。誤って犬を殺したものは兄弟団から除名されたという事実は、犬を聖なるものと見たというより、その血肉を不浄のものとみるキリスト教の世界観の存在を指し示している。肉食業者や皮剥ぎ業者は賎民の職だった。逆に、狼は捕らえられると即座に殺された。犬はキリスト的世界に取り込まれた存在であるが、狼は忌避されるものだったのだ。
すると、人狼は、世間からつまはじきにされた人間であることになる。「彼女はバラの花だ」という形容句が、単に「彼女」が「バラのように美しい」ことを意味するのではなく、「彼女」はすなわち「バラ」であることを意味するような世界である中世ヨーロッパにおいて、「人狼」であると見なされた人間は、実際に馬を食うかどうかが問題にはならない。人狼は例外なく共同体から追放されなければならない。
では、当時の人々にかわって宣言しよう。マリーは人狼だった。彼女は馬を食べたという事実はない。だが、マリーは人狼であるのだから、彼女は馬を食べるような忌わしい存在なのだ。だから彼女は追放されなければならない。
- 226 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/07/15(金) 21:49
- 当時の人々にかわって、と述べたのは、逆説的ながら、少なくとも当初はマリーが人狼であると認識されていなかったからである。そうでなければ、モルニン、ボルドー、そして後に述べるようにパリにおいて、遍歴芸人としては破格の待遇を受けることはなかっただろう。そして各々の町で人狼らしく災厄を撒き散らした。人々がようやく気がついたときには、マリーはすでに次の町に移っていた。まるで、当時大流行し、ヨーロッパの人口の四分の一を失わせたペストのようだった。ボルドーの大火による死者は350人、パリでの騒乱(やがてフランス全土に広がる)での死者は数万人とも数十万人とも言われる。しかもマリーに直接の責任はないのだから、いっそうたちが悪かった。
- 227 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/07/15(金) 21:50
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- 228 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/07/15(金) 21:50
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- 229 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/07/15(金) 21:50
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- 230 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/07/18(月) 19:28
- 第7章 パリ
パリはフランスの王都である。当時の人口は、しっかりした統計調査が行われたわけではないので推計となるが、30万人程度だったらしい。17世紀の江戸は世界唯一の100万都市であったことは意外のようであるが、ヨーロッパでは間断なく疫病と戦争に見舞われていたので人口が伸びなかったのだ。穀物の大量生産がままならなかったことも一因である。
狭い路地を歩くことは危険極まりなかった。下水道が整備されていなかったので、いつ糞尿が窓から投げ捨てられるかわからなかった。当然、疾病の原因となる。黒死病と呼ばれたペストは、現代の調査により腺ペストであることが明らかにされているが、これはネズミにたかっているノミが人を刺すことで感染する。ネズミが感染源であることは当時の人々にも知られていたことは「ハーメルンの笛吹き男」からも窺うことができる。窓は通りに面した部屋にしかついていなかった。空気が澱み、料理をすると煙が部屋に充満した。これでは寝ていても体に良いところはない。
- 231 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/07/18(月) 19:29
- 王宮は、かつては各地にあった。セーヌ河畔や北フランスに離宮がいくつもあり、時には何年にも及ぶ地方行幸を行ったりした。これは各地に赴き政治的懸案を直接解決するためであった。これからマリーと深いかかわりを持つ摂政カトリーヌ・ド・メディシスも、宰相や側近を伴い南仏を訪れている。王宮がパリのルーブル宮に定められたのは、フランソワ1世が神聖ローマ皇帝カール5世(スペイン王カルロス1世)にイタリア戦争に敗れたのがきっかけである。王がマドリードで幽閉されると、パリの市民たちは身代金を集めてこれを取り戻した。市民に借りのできた王は、市民の要求に応えルーブル宮を補修してそこに定住することになった。
この時代、個室、あるいは鍵のかけられた部屋という概念がなかった。もちろん、王侯貴族の門や部屋には閂や掛け金が取り付けられていたし、門番や守衛もいた。しかし、それは「鍵をかけることができる」という程度の認識に過ぎなかった。王宮であっても、さすがに寝室は奥まったところにあったが、執務室は通りに面したところにあり、王や宰相は庶民の日常を眺めることができた。逆に、騎士たちの騎馬試合があると、庶民たちは空間の許す限り見物することができた。フランソワ1世の時代、軽率にも激情したプロテスタントが、王の寝室に檄文を貼りつけるという事件が起こったが、そのくらいオープンな時代だった。王や王太子がお忍びで町の女郎屋に通うこともしばしばあった。
- 232 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/07/18(月) 19:30
- さて、マリーが国王と摂政の毒殺未遂の容疑でボルドーの高等法院に捕縛された件である。高等法院の記録によると、マリーは当時珍しかったガラスのびんに「国王及び摂政陛下に盛るための毒薬」というラベルを貼って、首からぶら下げながらボルドーの町を練り歩いていたという。逮捕してくれと言わんばかりの行為であるが、マリーの腹づもりはまさにそうだった。
ボルドーの高等法院では、若い審議官の意見により、パリの高等法院に送致されることが決まった。国家といういう意識が希薄な時代とはいえ、国王暗殺は重罪である。ボルドーの高等法院の一存で処断することがためらわれた。こうしてマリーは、ちょうどパリに向かうという帯剣貴族によって護送された。手縄をかけられたという記録はなく、むしろこの遍歴芸人の芸が、退屈な道中には喜ばれたのではないだろうか。パリの高等法院では、すぐにマリーは釈放された。例のびんには毒薬など入っていなかったことが明らかにされたからだった。
パリの高等法院の記録も、どことなくぎこちなく歯切れの悪いところがある。真相はこうだろう。マリーはボルドーに居づらくなり、パリに向かうことを決めた。しかしマリーには旅費もないし、懇意のボルドー市長も、マリーを煙たく思っている市民や修道僧たちの手前、おおっぴらに援助することができない。そこで国王及び摂政暗殺未遂という、狂言を演じたのだった。犯罪人の護送なら、市の公金が使われるのが当然のこととなる。パリまでの道中は、町を追放されたプロテスタントが夜盗と化しており、かなり危険だった。マリー一人ではとても無理だったろうが、武装した貴族の一団ならば安全である。
- 233 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/07/18(月) 19:30
- 当時のボルドー市長、ピエール・モンテーニュの嫡男ミシェルはボルドーの高等法院の審議官であることから、市長の意が高等法院に及んでいるとみるのが自然であろう。さらに、ミシェルはパリに遊学したことがあり、モレルという貴族のサロンに出入りしていたことがあった。このサロンにはロンサールなどの詩人のほか、ギーズ公フランソワ、宰相ロピタル、ストロッツィ元帥、スペインのアルバ公爵など、政治的に重要な人物も姿を現していた。後年、ミシェルはシャルル9世やナヴァール公アンリ(後のアンリ4世)の顧問を務めたほどだから、パリの高等法院にも顔がきいたことは容易に想像がつく。
ボルドー市長にしても、マリーの扱いには困っていたことだろう。マリーの諧謔はボルドー大司教らの抗議を呼び始め、そこにパン屋の失火による大火である。しかし、いずれもマリーに直接責任を問うことはできなかった。それは彼女を呼び寄せた市長の責任にも結びつくからだ。
パリに到着したマリーには、これから何をするかという明快なヴィジョンがあった様子はない。だが、マリーはけして安寧の星の下に生まれていたのではなかった。高等法院を出ると、複数の女性に呼び止められた。彼女たちは幼少の国王の母にして摂政であるカトリーヌ・ド・メディシスに仕える女官だった。マリーはそのままルーブル宮に連行された。
- 234 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/07/18(月) 19:30
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- 235 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/07/18(月) 19:30
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- 236 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/07/18(月) 19:30
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- 237 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/16(火) 21:06
- 第8章 カトリーヌ・ド・メディシス
カトリーヌ・ド・メディシスは、その名のとおり、フィレンツェのメディチ家の生まれである。叔父にはクレメンス7世など二人の教皇がいる。カトリーヌは幼い時分にローマに引き取られた。政略結婚の道具としてである。ローマ教皇は政治家でなければならない。おりしもルターに始まる宗教改革の嵐に巻き込まれており、世俗の君主たちの力を利用しなければならなかった。
フランス王フランソワ1世と神聖ローマ皇帝カール5世によるイタリア戦争の惨禍はローマにも押し寄せた。両国ともカトリックであり、ローマ教皇はどちらに組みするか逡巡した。フランソワ1世がマドリード虜囚から放たれると、フランスと教皇は同盟を結んでカール5世に対抗した。奇怪なことにも、カトリックであるスペイン兵とプロテスタントであるドイツ傭兵を率いたカール5世はローマに進軍、給料未払いとカトリック憎しで気の立っていたドイツ傭兵はローマを徹底的に略奪した。スペイン兵も凶暴さでは負けて劣らず、これに加担した。この様子をカトリーヌはどのような思いで見ていたのだろうか。
- 238 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/16(火) 21:06
- カトリーヌはフィレンツェに戻ると、市民のメディチ家排斥の煽りを受けて、あやうく乱暴されそうにもなっている。そして成人するとフランソワ1世の嫡子アンリ2世に嫁いだ。アンリ2世は父親の代わりにマドリードで幽閉されていたのが影響したのか、カトリーヌを相手にせず、二十歳も年上の女性を愛人にして一日八時間も戯れていたという。カトリーヌは随分寂しい思いをしたということだが、それでもアンリ2世の子を九人も産んだのだから、やることはやっているのである。
アンリ2世が騎馬試合で負傷してあっけなく死ぬと、長男がフランソワ2世として即位する。まだ幼少であるので摂政がいる。近親の有力者であるナヴァール公フランソワ(ブルボン家)が後見役につくかと思われたが、イタリアで身につけたマキャベリストとしての才能がカトリーヌに花開いた。彼女は今まで見せたことのなかった手練手管を使い、大事な息子の摂政となることに成功した。長男の嫁にスコットランドのメアリ・スチュアート(後にイングランド女王エリザベス1世により絞首刑)を迎え、カトリックの一方の雄として磐石な体制を築いたに見えたのだが……。
長男のフランソワ2世は病弱で、あっという間に病死、次男がシャルル9世として即位する。皇后はハプスブルク家マキシミリアン2世の皇女を迎えた。これはお互いにかけた保険という名の賭けである(場合によっては相手の領地を相続できる)。ちなみに、三男のアンジュー公(後のアンリ3世)はギーズ家と縁の深いロレーヌ公の娘を迎えた。四男のアランソン公はなんとエリザベス1世との結婚話が持ち込まれていた(これは十三年間引き伸ばされる。気の毒な話ではある)。四人とも病弱で、四男アランソン公に至っては色黒でちぢれた髪だったので、長い間生きることは無理だろうと言われていた。
- 239 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/16(火) 21:06
- 夫とは不幸な結婚生活を送ることになったカトリーヌは、自分の地位を脅かされないためにマキャベリ流の手腕を発揮した。権謀渦巻くイタリアで育っただけに、政局の流れを読むことんかけては一流だった。イタリアからは側近を引き連れていたし、手足となる女官たちをそれまでの六十人から三百人に増やしていた。彼女たちの役目は情報収集である。情報こそが一級の宝であることをカトリーヌは知っていた。女官たちは摂政の期待に応え、貴重な情報のために股を開いたという。
マリーがカトリーヌに呼ばれたのは、もちろん毒殺の陰謀のことではない。カトリーヌはミシェル・モンテーニュからマリーの噂を耳にしていた。自分と同じイタリア育ちということも、彼女の関心を惹いたのかもしれない。カトリーヌのそばに仕えることをマリーは命じられた。摂政の言葉は国王の言葉である。一介の遍歴芸人に拒否する権利はなかった。光栄なことだと言えよう。
- 240 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/16(火) 21:07
- マリーの役目は、女官たちが集めてきた情報の整理である。女官たちはカトリック・プロテスタント、貴族・一般市民の区別なく、悪く言えば闇雲に情報を入手していた。一夜限りのこととはいえ、ベッドを共にした相手に情が移ることもあっただろう。真偽のほどがつかない雑多な情報がカトリーヌのもとに送られ、それらは互いに矛盾していることもあった。女官も三百人いれば派閥のようなものができあがる。女官長も彼女たちの情報を無下に扱うこともできないので、外部の人間で利害関係のないマリーに交通整理の役目が期待されたのだった。
これはカトリーヌの慧眼だった。ミシェルからどのような情報がもたらされたのかは詳らかにされてはいないが、マリーがカトリックやプロテスタントにこだわりがなく、貴族や僧侶に物怖じしない人間であることは、カトリーヌも承知していたようである。カトリーヌも、カトリック教徒ではある(叔父の二人はローマ教皇である)が、それよりもフランスの王権、言い換えれば自分の家族の安寧を最優先した。ラテン系の家族主義が表れたらしい。ヴァロア朝の存続のため、カトリーヌは死の床に就くまで奮闘することになる。
ただ、マリーは確かに適任ではあったが、その後のフランスに巻き起こった戦乱のことを考えると、カトリーヌの失敗であったかもしれない。
- 241 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/16(火) 21:07
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- 242 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/16(火) 21:07
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- 243 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/16(火) 21:07
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- 244 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/16(火) 23:32
- わりと楽しく読んでます。
- 245 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/17(水) 21:34
- >>244 おやまあ
- 246 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/17(水) 21:34
- 第9章 宗教戦争
マリーがのん気な策略でパリに辿りついたとき、事態は切迫していた。カトリックとプロテスタントの戦争、いわゆるユグノー戦争が勃発していたのである。
1517年、ルターによる「95か条の質問状」で全てが始まった。ある司教がマインツ大司教の座に立候補し、その資金のためにフッガー家から多額の借金をした。ローマ教皇庁は新しいマインツ大司教に贖宥状(免罪符)の発売を許可し、売り上げの半額を借財の返済に回すことを許可した。カトリックの腐敗極まれりといったところである。ルターは敢然とこれを非難したのだが、人文主義の成果は何もプロテスタント側だけにもたらされたわけではない。カトリック側でも研究は進んでおり、ルターはライプチヒにおけるエックとの論争で論破されてしまった。
そうなると、ルターには開き直る道しか残されていない。教皇勅書を燃やし、カール5世の仲介も無下に断った。ルターは破門され、帝国追放令が出された。しかし捨てる神があれば拾う神がある。神聖ローマ皇帝と折り合いの悪かったザクセン選帝侯がルターを匿い、ルター派の活動を支援した。
ルターの教義はわりと単純である。人文主義者たちによる聖書の翻訳(ヘブライ語からラテン語へ)精度が格段に向上した恩恵を受け、義認説を打ち立てた。罪ある人間(人間は全て原罪を背負っている。犯罪者という意味ではない)は信仰によってのみ救われるのであり、贖宥状によって救われることはないのである。
- 247 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/17(水) 21:35
- ルターの説は北ドイツを中心に広まっていった。農民や市民にも教義は浸透し、それまでの教会の支配に反抗して農民戦争が起こった。農民たちは修道院を襲って略奪を繰り返したが、さすがに諸侯もこれは見逃すことができず、あっけなく鎮圧される。それでもルターの福音主義はドイツ諸侯の支持を得ることができた。ハプスブルク家の支配に対抗するためとの見方もある。
フランス国内ではルターの影響を大いに受け、さらに洗練された理論を打ち立てた宗教家がいた。このカルヴァンは危険を察知した王権ににらまれ、スイスのジュネーブに亡命し、そこで独裁的な神聖政治を行うことになる。フランスのプロテスタントの多くはこのカルヴァン派である。スコットランドでは長老派とも呼ばれた。
人口にしてわずか五パーセントの人間がプロテスタントに改宗したに過ぎなかったが、それでもカトリックにとって脅威となったのは、ナヴァール公家がその中にいたからだった。ナヴァール公家はフランソワ1世の姉の血を引く王族である。もし、カトリーヌの息子たちが後継者を残すことなく死に絶えれば、ナヴァール公が王位を継承するという決まりがあった。王位継承争いとなると、ギーズ家も黙っていない。もともとロレーヌ公国の支配者で、そこはフランス領土ではなかったが、国王の外戚ということでそれなりにヴァロア家の血も引いていた。ギーズ家はカトリックである。
- 248 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/17(水) 21:35
- こうしてカトリックとプロテスタントの争いは、国王の座を巡る争いとオーバーラップされる。それぞれ相手を圧倒しようと、国王に取り入ったり、諸外国の援助を得ようとする。カトリックはスペインを、プロテスタントはイングランドやドイツ諸侯を頼る。外国の干渉を招くことなど国王側からすればたまったものではないが、フランソワ1世そのものがハプスブルク家に対抗するためにドイツのプロテスタント諸侯と同盟を結んでいたのだから、人のことは言えなかった。
では、カトリックとプロテスタントはどうしてそこまでいがみ合うことになったのか。もはやイデオロギー闘争と化しており、また当時の諸国は一国一宗教制度を良しとしていたので、妥協の道が見えなかった。わかりやすく言えば、5期オタと6期オタの諍いのようなものである。もはや関係修復が不可能なことが理解できるだろう。
しかし、カトリーヌはこの絶望的な状況を手をこまねいて見ているわけにはいかない。1562年、一月王令でプロテスタントに一部妥協する。都市の外部、ないしは貴族の私邸のみにおいて、プロテスタントの集会を認めるというものである。これは両派ともに評判が悪かった。プロテスタントにしてみればほんの僅かな権利であるし、カトリックにしてみれば妥協そのものが不満だった。
三月、ロレーヌ公国内のヴァシーという町で事件が起こった。ここは5期オタ(わかりやすいのでしばらくこう表記する)のギーズ公の領土であり、その軍隊が町を通りかかると、プロテスタントが集会を開いているのを見た。これは一月王令に対する明白な違反である。わかりやすく言うと、6期オタがファミリー席で飛び跳ねているようなものである。ギーズ公の軍は問答無用で襲いかかる。6期オタの死者は六十名を超えた。これをヴァシーの虐殺という。
- 249 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/17(水) 21:35
- これに激怒したナヴァール家の血を引くコンデ公が、南部の6期オタに武装蜂起を呼びかける。こうして半世紀に渡るユグノー戦争が始まった。両オタの残虐行為はとどまることを知らなかった。トゥルーズでは5期オタが二百人近い6期オタを殺害、ローヌ渓谷では6期オタが捕虜としていた5期オタを、命の保証を与えていたにもかかわらず、約束を違えて全員殺害した。南部では5期ヲタの教会が徹底的に破壊、略奪される。国王から派遣された鎮圧軍司令官(5期オタ)が6期オタを強姦した、という報告がミシェル・モンテーニュからパリの警視総監に送られている。むごい話である。さらにパリではペストが発生し、両オタわけへだてなく命を奪われている。
摂政カトリーヌと、人文主義者で穏健派の宰相ロピタルは、なんとしても国家の分裂を防がなければならなかった。特に南仏は、イングランドやスペイン(ハプスブルク家)が餌食にしようと舌なめずりして狙っている。二人の目的はヴァロア朝の存続である。誰が味方で、誰が敵か、慎重に見極める必要があった。同じ5期オタとは言っても、ギーズ公は王位を狙っているし、5期オタの雄モンモランシー家も王権の強化を願ってはいなかった。
そこにマリーが飛び込んできた。ボルドーのミシェルからの報告によれば、マリーは6期オタでなければ、頑迷な5期オタというわけではない。身分は低いが知恵は回る。女官たちのくだらない派閥争いにももちろん無関係である。マリーは有無を言わさずカトリーヌの秘書役として登用された。王権は不完全ではあるがある程度確立されていた時代である。マリーに拒否権はなかった。何よりマリー本人も面白そうだと思っていたふしがある。
- 250 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/17(水) 21:35
- マリーはルーブル宮のどの部屋も出入り自由を認められた。情報はどこにでも落ちている。宮殿には5期オタ、6期オタそれぞれの貴族、カトリーヌがイタリアから連れてきていた側近たち(あまりカトリーヌの役に立ってはいなかったようだ)、どちらに味方するか思案に暮れる貴族が多くいた。カトリーヌやロピタルでは耳にすることもできないような情報をマリーなら容易く入手できるだろう。チビの遍歴芸人がカトリーヌのスパイであるとは、誰も気づかなかった。
たとえば、アントワーヌ・ド・ブルボンの件がある。彼は、ナヴァール女王であったジャンヌと結婚していたことからナヴァール公となっていた。ルイ9世の子孫であり、ヴァロア家が滅べば王位は彼のものとなる。ジャンヌの母親はフランソワ1世の姉であり、熱心な6期オタだった(フランソワ1世に改宗を勧めたほどである)。ジャンヌの影響を受け、6期オタに改宗していたが、この頃にはまた5期オタに再改宗して国王軍を率いていた。カトリーヌはこの男の真意をはかりかねていた。公の弟は6期オタ軍の総指揮者でもあるのだ。
そこでマリーの出番となる。女官たちが体を張って得てきた情報を吟味する。マリーはパリ市中を自ら歩き回った。女官たちの情報は宮殿内部によるものに限られる。マリーはパリに出て、市民や地方からやってきた旅人の情報をそこに付け加えた。場合によっては6期オタの集会にも参加した。賎民扱いは初めだけで、マリーが気の利いた5期オタ批判を行うと、容易に信用してくれた。そこでは、ナヴァール公アントワーヌが6期オタの身を捨て切れないでいることがわかった。
- 251 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/17(水) 21:36
- ただし、それは6期オタの希望的な見方に過ぎないかもしれない。マリーは、大胆にもナヴァール公本人に近づく。ひとしきり芸を見せて公を満足させると、褒美の杯を受けながらある事件のことを伝えた。その事件とはフランス南西部の内乱で、一人の6期オタ指導者がボルドーで斬首されたことである。この情報はミシェル・モンテーニュからパリ警視総監、宰相ロピタルを通じてマリーにもたらされていた。この話を聞いたナヴァール公がわずかに眉をひそめたのを、マリーは見逃さなかった。
マリーはただちにカトリーヌの寝室に入り、子細を説明した。ナヴァール公の5期オタ改宗は偽りのものであり、いつ6期オタに寝返るかわからないと。カトリーヌは思案を重ねたが、結局はマリーの情報を信用した。証拠はないが、パリに置いておくのは危険と判断し、6期オタのこもるルーアン包囲戦にナヴァール公を派遣した。現地で反乱を起こされるかもしれなかったが、パリで起こされるよりははるかにましである。ナヴァール公は激戦地を任され、カトリーヌの思惑どおり負傷し、やがて没する。死の間際で公は6期オタに再々改宗したことがカトリーヌに伝わり、マリーへの信頼は強固なものになった。
- 252 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/17(水) 21:36
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- 253 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/17(水) 21:36
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- 254 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/17(水) 21:36
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- 255 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/18(木) 00:22
- とてもわかりやすい例えですね。
- 256 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/19(金) 21:11
- >>255
あらまあ
- 257 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/19(金) 21:12
- 第10章 密室の死
摂政カトリーヌの信頼を得たマリーは国政に深く関わるようになる。元来カトリーヌは迷信好きな人間である。宮廷にはかのノストラダムスも出入りしていたし、イタリアから連れてきた占い師の言葉もよく信じた。ならば、どことなく胡散臭いところがある遍歴芸人の言を良しとするところがあっても不思議ではない。マリーに深い考えがあったかどうかは定かではないが、彼女の言葉が摂政の行動に大きな影響を与えたのは事実である。
フランスはカトリック(5期オタ)の国であり、ローマ教会との仲は深い。単独で十字軍を派遣したこともある。しかし、カトリーヌは、強硬な手段をとってプロテスタント(6期オタ)を刺激したくはなかった。宰相ロピタルも思いは同じである。ヴァロア家によるフランスの統一を維持することが最優先課題だった。
- 258 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/19(金) 21:12
- しかし、そうは思わない勢力も多い。同じ5期オタでは、王位を狙っているという噂の強い外戚ギーズ公、王権のこれ以上の強化を望まないモンモランシー家などの大貴族。外国の5期オタでは、フランスとヨーロッパの盟主を争っているハプスブルク家。特に北のネーデルラント、南のイベリア半島でフランスと接しているスペイン・ハプスブルク家は、イタリア戦争終結後の和平の場で、フランス領内の6期オタ排斥を強く訴えていた。一方、6期オタ陣営では6期オタの盟主で王位継承権を持つナヴァール公、モンモランシー家の血筋でありながら権謀術中を操るコリニー提督が勢力を誇っている。コリニー提督の背後にはイングランドのエリザベス女王がいた。
外国の干渉を避けるためにも、内戦状態は避けなければならない。国務会議では5期オタの貴族が徹底した6期オタ排除を主張する。摂政や宰相はこれを宥めながらも、どのように対応するか苦慮していた。数では6期オタは全人口の5パーセント程度に過ぎない。圧倒的に5期オタのほうが多いのだから、徹底的に取締りを行うことも一つの方策である。多くの5期オタ貴族も徹底弾圧を望んでいる。しかし、そうなるとナヴァール公ら有力貴族を敵に回すことになる。これまでは6期オタにも配慮して宥和令を出してきたのだが……。
- 259 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/19(金) 21:12
- 国王は未だ幼少で、摂政カトリーヌの寝室が政務室となっていた。ここに宰相ロピタル、女官長、そしてマリーが集まって協議を繰り返した。もちろんマリーは情報の吟味と報告が役目である。5期オタらはヴァシー事件以来、これまでの宥和令を撤回することを主張してきた。内戦状態が続いており、カトリーヌは心が揺れ動いていた。マリーはそれを知ってか知らずか、パリ市内の両派の動きを報告する。北部の6期オタがドイツ諸侯の援助を得ながら、続々と市内に潜入しており、日増しにその数が増えているという。女官たちが宮殿内の貴族から得てきた情報とも一致していた。
通常、三つの提案がなされた場合、両端の意見は排され中間の案が取り上げられる可能性が高い。決定者は、どちらかによりすぎて過大な責任を負うことを心理的に避けるためである。これを逆手に取り、自分の意見が取り入れられるよう、わざと両極端な意見を用意して提示することがある。今、5期オタより一つの意見が出された。カトリーヌはもう一方の意見を求めている。彼女はその中間の策を取るだろう。その役割は、この場ではマリーしか負える人物がいなかった。他の人間は程度の差こそあれ5期オタだった。
- 260 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/19(金) 21:12
- マリーがここで6期オタへの大幅譲歩を訴えていれば、カトリーヌは中間の策、つまり一月王令に準じた宥和策を打ち出したことだろう。現在の戦況はやや5期オタが優勢であり、外国の干渉もはねつけられる。ナヴァール公が優柔不断な態度を見せていることがその一因でもある。適度な譲歩策を出せば6期オタ陣営は容易に和約に応じただろう。しかし、マリーの意見は普通の譲歩策だった。すると、カトリーヌはその中間の、中途半端な宥和策を取らざるをえなくなる。それは6期オタには大いに不満のあるものだった。マリーがカトリーヌの心情を汲み取って、初めから宥和策を提言したのかもしれないが、それは完全に失敗だった。
ルーアン落城を祝して、5期オタ軍の祝賀会がルーアン近郊で開かれた。ルーアン攻囲戦には幼少のシャルル9世、摂政カトリーヌも参加しており、マリーは適宜パリの情報を彼らにもたらした。この祝賀会で、マリーはブラジルから連れてこられた現地人と面会している。カニバル(人食い人種)と呼ばれていたが、そのような事実はなかったらしい。マリーは彼らの容貌を事細かに観察して記録に残している。『彼らは浅黒く、黒く短い髪は波を打つようにちぢれている。ただし、言われているように、彼らが野蛮で残酷な人種であるようには見えなかった。彼らは十年ほど前からパリに来ており、私たちの町から多くのことを吸収し、私と会見した頃には一種の文明論を唱えるようになっていた』(マリーの手記ではなく、後世の偽書であるとの研究報告もある)
6期オタ軍は、総指揮者を死んだナヴァール公アントワーヌの弟であるコンデ公に任せたが、劣勢は明らかだった。コンデ公は各地で敗戦を重ね逃げ回るだけだった。一方、パリの南方にあるオルレアンではコリニー提督が篭城していた。こちらは5期オタの実力者ギーズ公フランソワが包囲している。安心した摂政たちはルーブル宮に戻った。
- 261 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/19(金) 21:13
- 年が明け、宮廷は優雅とも言える日々を送っていた。マリーはカトリーヌに、国王シャルル9世を呼んでくるよう命じられた。国王とはいえ、まだ十歳を超したばかりの少年である。広い宮殿のどこかで遊んでいるのだろう。マリーはいくつもある部屋を覗き続けた。5期オタの貴族たちが何やら密談していたり、怪しげな商人がアメリカ大陸から持ち込んだ美術品を売りつけようとしていたり、イタリア人がローマ教皇からの親書を隠し読んでいたり……。見慣れた光景をマリーは次々と飛ばしていった。先の章で述べたとおり、当時には個室という概念はない。国王の寝室すら、鍵はかかっていなかった。ところが、マリーはその鍵のかかっている部屋を見つけた。
マリーの手記によると、その時は国王シャルル9世がいたずらをして部屋の中に隠れているのではないかと考えたという。その部屋のドアのすきまから、大量の血が流れ出してきたので、慌てたマリーは近くを通りかかった帯剣貴族に頼んでドアを蹴破ってもらった。鍵ではなく、小さな閂がかかっていた。そこにはシャルル9世の姿はなく、黒い法服をまとった人間がうずくまっていた。貴族が体を起こしたが、腹部に刺さった短剣を握りしめながらすでに息絶えていた。マリーは二つの理由で驚愕したと、述懐している。一つは、くだんの部屋が完全なる密室だったことである。
- 262 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/19(金) 21:13
- 当然ながら、当時に「密室」という概念はない。しかしながら、窓もなく、唯一の出入り口に閂がかかっている部屋で死体が見つかったことの不自然さにマリーは気づいていた。マリーの手記から引用する。
『完全に閉じられた空間において、一個の物体が出現することは不可解な出来事である。では人間であるならば、どのような仕掛けが考えうることか。生きた人間であるならば、その人間が閂をかけたのだろうと推測することが、もっとも自然である。さりながら、死んだ人間が閂を下ろしたということは、アイスランドの民話にも見られない。死者は一個の物体にすぎない……』
マリーの視線は冷徹で、思慮深い。合理的な思考を身につけていない当時の人間でも、密室の死体については誰でも訝しげに思う。ただし、以下のような思考を行うだろう。人間が死んだときには窓を開けねばならない。死者が天に召されるためにだ。つまり、死者となり霊となっても壁を通り抜けることはできない。マリーはこのようなキリスト教的世界観から解放されていた。そして死者を生きた人間と同等にみなす古代ゲルマンの習俗(当時もいくばくか残っていた)にも無縁だった。
- 263 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/19(金) 21:13
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- 264 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/19(金) 21:13
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- 265 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/19(金) 21:13
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- 266 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/20(土) 00:46
- 2箇所笑って1箇所唸りました
- 267 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/31(水) 20:33
- >>266 そうなんですか
- 268 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/31(水) 20:33
- 第11章 高等法院
マリーのもう一つの驚きとは、死者がモルニン村の結社仲間だったカゥリーであることだった。カゥリーは、マリーのように追放ではなく、円満に結社を離れていた。結社で学問を修めた人間は、ヨーロッパ各地でその教えを密かに広めることを目的に放浪することが決まりとなっていた。どういう経緯があったのか、カゥリーはパリ高等法院の審議官になっていた。
高等法院 Parliament は、警察と裁判所を兼ねた国家の組織である。パリやボルドーなど主要八都市(後に十二都市に拡大)に置かれ、各地方の司法を取り仕切った。非常時には軍を指揮することもあり、かなりの権力を握っていた。ボルドーなどは先に述べたとおり、宗教的にはリベラルな空気に包まれていたが、パリの高等法院はパリ大学神学部と並ぶほどのカトリック(5期オタ)強硬派だった。カトリーヌらの出した宥和令に頑強に抵抗した形跡もある。国王の命令と言えども、パリ高等法院に登録がされなければ効力を持つことができなかった。
- 269 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/31(水) 20:33
- マリーがカゥリーの死体を発見したとき、カゥリーが高等法院の審議官になっていたことをマリーは知らなかった。すでに高等法院からにらまれる存在となっていたため、自然と足が遠のいていた。カゥリーが審議官になっていたことについては、マリーはそれほど不思議には思わなかった。フランスという強大国を内部から変革するために、絶大な権力を持つ高等法院を通じて行うことは有力な手段だった。
カゥリーは、マリーと同じく偏執的な5期オタではない。フランスだけではなくヨーロッパ全土を覆っていた、5期オタと6期オタの尽きることのない争いにピリオドが打たれることを切に願っていた。モルニン村はイタリア北部にあり、マキャベリの哲学の影響を受けやすい位置にある。カゥリーの出した結論は、キリスト教の上に立つ強大な王権の樹立だった。王権の最大の障害は高等法院であり、それを内部から崩そうとしていた。
そのカゥリーが、ルーブル宮の一室で死体となって発見された。マリーが帯剣貴族とともにその場にいたことは幸運だった。さもなければ、これを僥倖として高等法院はマリーをカゥリー殺害の犯人として逮捕していたことだろう。高等法院は正体を隠していた同僚のために、なんとしても犯人を逮捕し、裁判にかけなければならない。ボルドー高等法院審議官のミシェルは「高等法院は、理解できない事件に対しては『理解不能である』との審判をくだすべきだ」などとうそぶいていたが、裁判所は秩序の回復をはからなければならない。そこで彼らは便利な道具を使う。罪のない6期オタをしょっ引いてきて、その者を「魔女」と認定し、火炙りの刑に処した。魔女ならばどんな不可能なこともないというわけである。このような異端審問機関は、スペインのみならずフランスやローマ教皇庁にも置かれていた。
- 270 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/31(水) 20:33
- 高等法院の秩序はこれで回復されたが、マリーにとってはそうではない。昔の仲間が殺されたという事実は消えず、もちろん処刑された6期オタが犯人であるとも思っていない。マリーは空いた時間を見つけては、独自に探索を始めた。マリーはパリ中に後代の名探偵ヴィドック顔負けの探索網を敷いていたが、有益な情報はほとんど入ってこなかった。カゥリーが真の目的のために慎重な行動をとっていたせいでもある。
そして密室の謎は、探索網に頼っても解き明かすことはできない。マリーは長い時間このことに頭を悩ませることになる。どのようにして密室が構成されたのか。パリ高等法院の記録を見てみよう。カゥリーは部屋の中央にうずくまるように倒れていた。腹部に大型の短剣が突き刺さっており、カゥリーはその柄を引き抜こうとするかのように両手でつかんでいた。扉は両開きで、閂は両手で握れるくらいの長さである。ドアと床には半インチほどの隙間があった。
- 271 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/31(水) 20:34
- カゥリーが部屋の閂を下ろし、自ら命を絶ったのであれば、一応の説明はつく。しかしながら、カゥリーが自殺する理由がマリーにはこのとき見当もつかなかった。カゥリーの隠密行動は高等法院の誰にも悟られていなかった。マリーは現場となった部屋で、外部から閂を下ろす方法をいろいろと試してみた。ドア上方の天井に滑車をつけ、閂に紐をつければうまく下ろすことができたが、もともとそんな滑車など存在しなかったので、全くの無駄骨に過ぎなかった。
そうこうしているうちに、つかの間の平和が終わった。5期オタと6期オタの抗争が再び勃発し、その対応に追われるままに、マリーの関心はカゥリー殺害事件から離れていった。
- 272 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/31(水) 20:34
- *****
- 273 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/31(水) 20:34
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- 274 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/31(水) 20:34
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- 275 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/05(月) 22:06
- 第12章 王権
17世紀に入り、枢機卿リシュリューらの尽力により、フランスという国家は強大な王権のもとに繁栄をもたらされる。王権は、神から与えられるものではない。それでは民衆の支持が得られない。民衆の支持を失った王権がどのような目にあうか、18世紀末の混乱を見ればわかるだろう。
王権はしかるべき手段によって安定することができる。王位についた新国王は、朝食もろくにとらずに、高等法院の親臨法廷のために長文の演説を暗記しなければならない。父親の死を悼む時間などない。喪服姿に着替え、王大后や親王たち、高等役人らを引き連れ、馬車で高等法院に入る。そこにずらりと並ぶ審議官たちの前で、即位を宣言をする。その後、大法官や主席審議官らの退屈な演説が続き、王大后の摂政宣言によりようやく閉会となる。
- 276 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/05(月) 22:06
- それからノートルダム大聖堂に赴き、パリ市民の熱狂的な「国王万歳」という歓声を浴びる。ルーブル宮に戻り、パリ市長らの表敬訪問を受ける。死んだ前国王の葬儀には出席しなくてよい。国王は穢れてはならないからだ。葬儀は二日にも及ぶ厳粛なものなので、そのほうが気楽な場合もあった。そして死んだ国王に代わり、今度は新国王自らが聖なる存在となる儀式を受けなければならない。これはランス大聖堂で行われる。宣誓、塗油、指輪と笏の授受、戴冠。数日後には「病を治す国王の儀式」がある。数百人もの病人の体に触れ、「病を治す」ことで国王の聖性が認められるという儀式である。この儀式は戴冠直後のみならず、定期的に行わなければならない。これを怠ったルイ16世の運命については記すまでもない。
この「病を治す国王の儀式」は、マリーがパリにやってきた頃は、まだ確立していなかった。パリ大学と高等法院の学者たちが、頭を悩ませた結果できがったものである。カゥリーの王権強化策が反映されていることは間違いない。モルニンの結社からパリ大学の教授に転身する者も多くあり、カゥリーの案を知ってその意を受けて行動していた者がいたことが、マリーのその後の調査によってわかった。
王権の確立は次の世紀に入ってからのこととはいえ、16世紀後半にもある程度の力はすでに有していた。これはキリスト教の力によるものだけではなく、古代ゲルマン法の一つであるサリカ法(相続についての慣習法)を、ヴァロア朝が頑なに守っていたことも大きく影響している。この時代にはまだまだ中世の空気が色濃く残っていた。
- 277 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/05(月) 22:06
- 後年、聖バルテルミーの虐殺という事件が起こった。この事件が起こったいきさつは複雑なものではあったが、王権の強さを物語るできごとも多く生じている。
コリニー提督らの懐柔により、6期オタよりになっていたシャルル9世は、5期オタの巣窟ともいえるスペイン領ネーデルラントへの軍隊派遣をも考えていたのだが、コリニーらが王家に対する陰謀を合議していたという情報が入ると、王の態度は一変する。かつて、王はコリニーら6期オタに誘拐されそうになったことがあった。混乱した王は、「どうすればいいのだ」と問い、「6期オタの機先を制することです」との進言を受け、逆上して叫ぶ。「6期オタどもを皆殺しにしろ!」と。
これにより、6期オタへの殺戮は、単なる殺人ではなく合理的なものとなった。王命だからである。カトリーヌは、コリニー提督ら十数人のみ排除するつもりであったが、この王命がパリ前市長(狂信的な5期オタである)に伝わると、歯止めがきかなくなった。パリ市民の大多数を占める5期オタに武装命令が下った。現市長もこれに加わり、「コリニー提督のみならず、6期オタすべての殲滅が王命である」との解釈が説明された。やがて、摂政カトリーヌは、市民の暴発が自分たちに向けられることを恐れ、命令の撤回を図ったが、もはや後の祭りだった。
- 278 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/05(月) 22:06
- 国王シャルル9世は、幽閉していたナヴァール公アンリに「5期オタへの改宗か、死か」を迫る。現実主義者だったナヴァール公はあっさり5期オタとなる。その弟の、熱心な6期オタであるコンデ公も悩んだ末に改宗した。一方、王命を受けたスイス傭兵らは宮殿内の6期オタ貴族を襲撃した。中庭に追いつめられた彼らは次々と刺殺され、堀に投げ込まれた。王宮の回廊は血に染まっていた。
翌早朝、パリの市民たちが6期オタの住居や店を襲った。6期オタは裕福だったため、大きな嫉妬を受けていた。そのため、6期オタではない商家も事のついでに荒らされた。常日頃恨みを買っていた人間も殺された。とある大学教授が、かつて論破して辱めた同僚に殺されたという。セーヌ河では、投げ込まれた死体が悠々と流れていった。略奪された金貨や宝石がルーブル宮に持ち込まれ、それは金貨換算で二百万枚に達した。
ここまでの大騒擾を予測していなかった国王家は、その責を5期オタの領袖であるギーズ公に追わせようとするが、失敗した。怒り狂ったギーズ公はフランス全土の6期オタの処罰を求めた。パリでの騒乱は一週間続いて終わったが、王命は数日間のタイムラグを持ちつつ各地方に届いていった。その結果、リヨンで千人、オルレアンで五百人、トゥルーズで二百人、ボルドーで三百人が殺されたとの報告があがっている。パリでは三千人から一万人までの試算が出されたが、確たる証拠はない。フランス全土で四万人とも言われている。
- 279 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/05(月) 22:07
- このような惨事は、王命なしには起こりえなかった。王権の強さを物語っている。ちなみに、この虐殺にマリーが関わっていたかどうかは諸説ある。すでにパリから逃亡していたのだから無関与だったという説、あるいはネーデルラントから舞い戻って混乱を扇動したという説が有力だが、マリーの手記や年代記には何も記されていない。たとえどのように関わっていたにせよ、マリーに直接の責めを負わせることは不合理なことになるのだ。決断を下すのは彼女ではなく、常に国王であり、摂政であり、宰相であり、市長なのだ。
王権の強化については、マリーもその必要性を大いに感じていたようである。幼少のシャルル9世の格好の遊び相手となったマリーは、カゥリーから幾度となく聞かされていたその説を彼に吹き込んでいた。王権に仇なすものについては、道化らしく大げさに脅すように話した。時はまだ十分ではないが、王権の花開く時がやがてくる。
- 280 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/05(月) 22:07
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- 281 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/05(月) 22:07
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- 282 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/05(月) 22:07
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- 283 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/09(金) 23:27
- 第13章 観念
ルーアンは落ちたものの、フランス第2の大都市オルレアンは、コリニー提督がしぶとく守っていた。2月、ギーズ公フランソワが狂信的6期オタに暗殺されるという事件が起こった。5期オタ陣営がこの事件に色めきたつどころか、いい落しどころとなった。5期オタのほうでも頑迷なギーズ公を持て余していたところだった。摂政カトリーヌらにとっても都合がよく、これを契機に両ヲタはアンボアーズで和議を結んだ。
ひと時の平和をパリの市民、貴族たちは謳歌した。マリーもその中の一人である。責任のない立場にあるとはいえ、殺気だった5期オタと6期オタの間を泳ぎきることは極度の疲労をマリーに与えた。
- 284 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/09(金) 23:27
- 「このとき内面世界の敗将は気持ちがくじけ心が疲れて、何かを得ることで満足しようとする。労働義務などは外面世界の遊軍であり、常に内面世界をうかがっているものや、もろもろの事象が彼に剣や槍をふるって襲ってくる。こんな彼を助けるもの、満足させてくるものは何であるか。恋愛である。……春情が起こると同時に恋愛が生じるというのは、昔から似非小説家が、人生を卑しんで自分の卑屈な理想の中に生じさせる弊害である。恋愛がそのような単純なものであろうか。内面世界と外面世界の争いにより、内面世界の敗将が立ち篭るところが恋愛である」
と、19世紀の詩人が残しているが、この詩人によれば内面世界は常に外面世界に敗れるものである。理想は現実に常に敗れ去る運命にある。このような「内面と外面の対立」は、近代的個人にしか生まれない。このような単純化された論理は安易にイデオロギーに変換される。内面は外面世界により作られるものであり、自明のように最初から存在するものではない。数々ある挫折や喪失により、そのような「敗れ去る」内面を作り上げる。ところがこの詩人は論理を転倒させ、内面世界が外面世界に「常に敗れ去る」ものであり、だからこそ人間に世界の喪失感が与えられると。
- 285 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/09(金) 23:27
- 外面に対立し、敗れ去った内面が向かう先は恋愛であるという。これでは、恋愛は失われた自己回復の手段にすぎない。このような倒錯した観念は、この時代に持ちえたのはわずかな人文主義者である。それでも、ミシェル・モンテーニュのように、結婚と恋愛を厳しく峻別し、愉悦を求めつつも冷静な視線で見つめることができた。これは、そこまで近代的自我が成長していなかったせいかもしれない。それほどキリスト教の呪縛は大きかった。そのような倒錯した観念が生まれるには、あと二百年を待たなければならない。
この時点で、このような内面と外面の対立を思考しようとする人間は、モルニンの結社の人物くらいだった。モルニンでは論理学と修辞学が徹底的に(当時の限界はあったにせよ)研究されていた。特に論理学(倫理学の色彩も色濃くある)に関連して、ピュロンの懐疑論がよく読まれていたようである。マリーはピュロンを愛読し、カゥリーはこれを軽視した。この違いが二人の運命を決定づけたのかもしれない。
- 286 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/09(金) 23:27
- カゥリーは、先に述べた「内面世界」と「外面世界」の争いに巻き込まれた。それは彼女がモルニンの結社にて首席争いに敗れたことに起因する。彼女はその挫折をうまく昇華させることができなかった。彼女の「内面」は敗れた。「内面」は常に「外面」に敗れるのだ。ならば、最後によって立つ「内面世界」を作り上げ、それをもって「外面世界」に対抗し、最終的な勝利を収めなければならない。その結果、カゥリーが導き出したものが王権だった。この場合、王権は彼女が作り出した極めて観念的な王権である。それだからこそ、強固で堅牢な彼女の主張が生まれたのだろう。
マリーは彼女の論に一定の理解を示したものの、その陥穽にはまることはなかった。常に懐疑的な態度を彼女がとっていたからである。あまりにも極端にその姿勢を続けたがゆえに、彼女は自分を安らげる場所をこれまで持ち得ず、恒久的な支持を受けることができなかったのは確かだが。では、彼女はその魂を安らげることができなかったのか。5期オタと6期オタの抗争の隙間を、あざ笑うかのように駆け巡った彼女ではあるが、道化とは言え神経は擦り切れる。ところが、ギーズ公フランソワの死から二ヵ月後、ようやく彼女はつかのまの安楽の場を得ることができた。
- 287 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/09(金) 23:28
- 彼は、彼女と同じく遍歴芸人だった。彼女はイタリアの生まれだったが、彼は北部ドイツの沿岸都市の生まれだった。彼はパリに着いたばかりであり、この町で何が起きているのか詳しい事情を知らなかった。ただ、彼は古ぼけたバイオリンを気ままに弾いて、わずかな金を得て暮らすだけだった。彼女が彼の、彼が彼女の、どのようなところに惹かれたかは、記録に残っていない。二人が恋に落ちたという事実は、宰相ロピタルの日記からもうかがえるので、間違いのないことだろう。これはカゥリーが陥った観念的な所作ではなかった。そのような事態に、マリーがひっかかるわけがないことは、もうおわかりであろう。
ただ、これを摂政カトリーヌが知ったことから、事態は急転する。
- 288 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/09(金) 23:28
- *****
- 289 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/09(金) 23:28
- ***
- 290 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/09(金) 23:28
- *
- 291 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/11(日) 22:57
- 第14章 追放
摂政カトリーヌは、イタリアから連れてきた側近たち以上に、マリーに全幅の信頼を置くようになっていた。マリーは彼女や宰相に対し、完全に満足のいく方策を示すことはなかった(だから、責任は摂政や宰相が負うことになる)が、おおむね現実的な道筋を示すことができた。一方、マリーが遍歴芸人でもあることを知っていた摂政は、彼女を引きとどめることを考えていた。すなわち、摂政の信頼が厚い帯剣貴族との縁談である。この貴族は、その時点でこそ身分は高くはないが、国王派であり、穏健5期オタであった。
- 292 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/11(日) 22:58
- ところが、マリーがドイツからふらりと現れた遍歴芸人という賎民、しかも6期オタの男と恋に落ちたという知らせは、カトリーヌを激怒させた。彼女は至急、マリーをルーブル宮に呼び寄せた。この日がマリーの最後のパリ滞在となる。この日、マリーとカトリーヌの間で行われた会談については、この物語の原テクストである La vie entière de Marie de clown (1819, Paris) からほぼそのまま引き写すことにする。
- 293 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/11(日) 22:58
- カトリーヌ
マリー、なぜあなたは私の言うことを聞かずに、あのような下賎な男とくっついているのですか。
マリー
悪いとは思っているけど、許してほしい。
カトリーヌ
許しません。今すぐその男と別れなさい。さもなくば……。
マリー
さもなくば?
カトリーヌ
あなたのことを思って言ってるのですよ。私たちの庇護がなければ、明日にでもあなたは高等法院や6期オタに捕まって惨い目にあうでしょう。彼らはあなたの暗躍について、薄々承知しているのですよ。
- 294 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/11(日) 22:58
- マリー
それはオイラも願い下げなんだけど……。二者択一の選択を迫るんじゃなくて、両立する道を探ろうよ。
カトリーヌ
それは不可能です。あなたはいつもそうです。5期オタと6期オタのいがみ合いで、この国が絶望的な荒廃に見舞われようとしたときも、あなたは私たちに良く言えば折衷案、悪く言えば問題を先送りにするだけの案しか示すことができなかった。
マリー
でもその案を決定したのは摂政様や宰相様でしょう。オイラの提案をいくらでも蹴とばすことができたはず。
カトリーヌ
……あなた、例の高等法院審議官殺しの件、犯人知っているでしょう。話しなさい。
- 295 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/11(日) 22:59
- マリー
カゥリーのこと?
カトリーヌ
そう。閂が下ろしてある部屋の中で、腹を刺された死んでいた哀れな審議官のことです。あの者は誰に殺されたのです? なぜ死なねばならなかったのです?
マリー
誰って、カゥリーが自分で自分の腹を刺して死んだんだよ。部屋の中にいたのはカゥリーだけだった。ということは、他の誰かが閂を下ろすことなんてできやしないってこと。
- 296 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/11(日) 22:59
- ここでマリーの推理を補足する。当時、密室という概念がなかったことはすでに述べた。ということは、誰かが殺人を起こすときに、何がしかのトリックを用いて密室を作り出すという考え方そのものがなかったということである。密室が不思議な空間になるのは、近代的な個室、近代的な自我に目覚めた個人の鍵のかかる部屋がなければならない。
ならば、密室という状況を作り上げることができるのは、この時点では、近代的な観念に陥っていたカゥリー以外にありえない。それを見抜くのは、観念に陥る一歩手前で踏みとどまっていたマリー以外にはありえない。マリーは、自分が恋をしたとき、カゥリーが嵌った観念の陥穽に気づき、事態の真相に至ることができたのだった。
- 297 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/11(日) 22:59
- カトリーヌ
自殺したというのですね。それはどういう理由があったのです?
マリー
それは、カゥリーが強く願っていた「王権」のためだよ。
カトリーヌ
「王権」? それは私たちも切に願っていますが、それがどうして自殺の原因になるのですか?
マリー
国王陛下だよ。陛下が遊んでいて──かくれんぼしてて、あの部屋に入ったんだ。部屋の中には法服に身を包んだカゥリーがいた。陛下も、その人物が高等法院の審議官であることはすぐにわかったと思う。
- 298 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/11(日) 22:59
- カトリーヌ
まさか、マリー。
マリー
陛下は、高等法院が王家に仇なす存在であることを教えられていた。王令一つ出すのにも、いろいろ難癖つけてくるし、頑迷な5期オタの巣窟にもなっていたし。だから陛下は審議官であるカゥリーを見て、言ったんだ。「死ね」って。だからカゥリーは死んだ。王権のために、王命によって。
- 299 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/11(日) 22:59
- カゥリーは「王権」という観念に取りつかれていたことはすでに述べた。あとはそれを実行するだけである。たとえ子供であっても、王の発言は絶対でなければならない。後年起こった聖バルテルミーの虐殺は、シャルル9世の「皆殺しにしろ!」という命令なしには存在しえなかった。この時点ではそこまで王権は強くない。ならば、カゥリーが強くさせなければならない。カゥリーは、理不尽であろうとも、理不尽だからこそ、王命によって死ななければならない。
王権に聖性を付加させるため、密室という不可思議な状況を作り上げた。他の人間には、なぜそのような状況にあるのか、理解しがたいことだろう。だが、国王は理解するはずだ。王権というものの神聖さ、強さを。それはフランスに安寧をもたらすだろう。
カゥリーの倒錯した思考を、マリーはなんとなくながら理解できた。だが、前近代人のカトリーヌにそれを求めるのは酷である。彼女は、ただかわいい息子が「死ね」と命令したことだけを理解した。それは、彼女のマキャベリズムに火をつけた。彼女はこれをマリーの脅迫と受け取ったのだ。
- 300 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/11(日) 23:00
- カトリーヌ
わかりました。あなたは危険な存在です。あなたを放っておくわけにはいきません。
マリー
それって、どういう意味?
カトリーヌ
どのような理由があろうとも、陛下が死を賜ったという事実は変わりません。それを知るのは、あなたと私だけならば……。
マリー
オイラを殺すってこと?
カトリーヌ
そうすることが王家のためのようですね。
- 301 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/11(日) 23:00
- マリー
そう……それから、アランソン公のことなんだけど。
カトリーヌ
どうかしましたか。
マリー
なんていうかさ、ブラジルから来た人にそっくりなんだよね。肌の色とか、ちぢれた髪とか。
- 302 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/11(日) 23:00
- 端的に述べると、マリーはカトリーヌを不義の罪で脅迫しているのである。カトリーヌの四男アランソン公は、ブラジルの現地人との間にできた子供であると。研究者によると、そのような事実はなかったとするもの、確証はないがそれらしき事態があったとするもの諸説があり、この原テクストでは後者によっていると思われるものの、かなりぼかして記述されている。カトリーヌの息女マルグリータ(ナヴァール公アンリの妻)などは二人の兄やらどこの誰とも知れぬ暗殺者やらと浮気を流していた時代のことであるから、そのようなことがあったとしても不思議ではない。
事実はどうあれ、そのような噂が流れることをカトリーヌは恐怖した。それこそ、王権の安定どころか、ヴァロア家追い落としを図るナヴァール公やギーズ公に格好の口実を与えることにもなりかねない。マリーにはパリ中に張り巡らされた情報網がある。その網は5期オタ、6期オタの区別をつけず拡大している。情報網は情報を収集するだけではなく、情報を広める役目も果たす。ここでマリーを始末したとしても、それを合図にカトリーヌの不義の噂が広まる手立てをマリーが施していることは容易に想像がついた。カトリーヌは我を忘れて取り乱してしまう。
- 303 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/11(日) 23:01
- カトリーヌ
災厄を撒き散らす悪魔! さっさとパリから消えなさい! 二度とフランスの地を踏まないで! アデュー!
マリー
悪魔って、いくらオイラでも傷つくなあ。それでは、オールヴォワール。
- 304 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/11(日) 23:01
- *****
- 305 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/11(日) 23:01
- ***
- 306 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/11(日) 23:01
- *
- 307 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/12(月) 09:18
- ヤバイ面白いです
- 308 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/16(金) 20:28
- 第15章 暗黒の世紀
この日以来、多くの書物からマリーの足跡は消える。わずかに、マリー自身の手記とこの物語の原テクスト、北部ヨーロッパの当代人の日記からうかがえる程度である。それによると、マリーはパリを発ったあと、フランドル地方に向かったようである。その後まもなくネーデルラントで6期オタによる独立戦争が勃発し、5期オタ派の市民やスペイン軍と激しい抗争を行っていることから、マリーがなんらかの火種を巻いたことは確かである。北部ネーデルラントはやがてオランダとして独立するが、国際的に承認されるためには1648年のウェストファリア条約を待たねばならない。
一方、マリーを失った摂政カトリーヌは数年後、それまでの6期オタ宥和政策を改める。マリーの関わった政策全てが気に入らなくなったようである。同じ宥和派の宰相ロピタルを罷免。シャルル9世が長じると、国王は摂政を疎んじ始め、モンモラシー家出身の6期オタ、コリニー提督が側近となって力をつけ始めた。国王は、5期オタのギーズ家が専横をふるうのが癪に障ったのであろう。コリニー提督の背後にはイングランドのエリザベス女王がいて、資金や助言をいちいち与えている。それに乗ったコリニーと、そのような黒幕の存在に気づかないシャルルは、スペイン領ネーデルラントへの侵攻を企てる。スペイン・ハプスブルク家は仇敵とはいえ、6期オタ側諸国を利するだけの戦争であるだけに、カトリーヌらは焦慮した。
- 309 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/16(金) 20:29
- ここで再び、マリーの影が彼らに落ちる。マリーはルーブル宮を退去する際、困難に陥った場合はこの封を開けと、女官長に一通の手紙を渡していた。今がそのときと、女官長はそれをカトリーヌに渡した。封筒の中には一枚の紙があり、簡潔に一行が記されていた。曰く、「コリニー提督を抹殺せよ」と。またもや、カトリーヌは選択を強いられる。「抹殺」とは、文字通り殺すことなのか、あくまで比喩であって追放処分にすることなのか、誰にも判別つかなかった。しかし、摂政に与えられた時間は少ない。
摂政は決断を強要された。早速コリニー提督暗殺の手はずが整えられたが、この暗殺者がまことに頼りなく、わずかに怪我を負わせただけで失敗する。コリニー一派はこれをギーズ公の陰謀として断固とした処断を要求した。恐慌に陥った摂政らは、国王に元に向かう。コリニーを重用していたとはいえ、国王はその要求を越権行為、すなわち王権の侵害と受け取った。コリニー提督が国王殺害の謀議を行っているとのスパイの情報も入っている。こうして聖バルテルミーの虐殺が起こった。コリニー抹殺も、国王の王権概念も、ともにマリーが吹き込んだものであるが、もちろんマリーに直接の責任は存在しない。
- 310 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/16(金) 20:29
- 難を逃れた6期オタはフランス南部に逃れて抵抗を開始する。王宮に軟禁されていたナヴァール公アンリも、趣味の狩猟のとき、隙を見て脱出し、6期オタ軍の指揮を執る。シャルル9世が没し、その弟アンリ3世が即位しても混乱は収まらない。ギーズ公アンリと合わせて、三アンリの抗争と呼ばれる。女傑カトリーヌも寄る年波には勝てず病気がちとなり、アンリ3世の弟アンジュー公(例のアランソン公のこと)も5期オタと6期オタの間で右往左往しながら陰謀を繰り返し、王家の足を引っ張り続ける。どうやら彼は国王になりたがっていたらしい。アンリ3世に世継ぎがいなかったため、王位継承者の一位はこのアンジュー公だったのだが、これも早死にしてしまい、王位継承者はナヴァール公アンリだけという事態に陥る。
これを恐れたギーズ公アンリは、スペインやローマ教皇庁の援助を受けて5期オタ同盟を結成し、国王に圧力をかける。これに屈した国王は6期オタの信仰禁止令を出すが、やがて国王と5期オタ同盟の仲も険悪になっていく。1588年、5期オタ同盟の扇動によりパリ市民らが国王を軟禁し、ギーズ公の縁者であるブルボン枢機卿を王位継承者とすることを強要する。王権はもはや地に堕ちた。屈辱に震えたアンリ3世は、ギーズ公アンリを暗殺する。この知らせを聞いたカトリーヌは絶句し、まもなくこの世を去った。5期オタ同盟も黙っておらず、アンリ3世を暗殺する。これで王位を継ぐものはナヴァール公アンリだけを残すことになった。
5期オタ同盟はブルボン枢機卿をシャルル10世として擁立するが、古代ゲルマンの相続法であるサリカ法に反することである。5期オタ同盟の中の穏健派はナヴァール公に近づく。結局、ナヴァール公は5期オタに改宗しアンリ4世として即位、かわりにナントの勅令で6期オタの信仰を大幅に容認することで決着がついた。アンリ4世は1610年に暗殺されるまで、フランスの舵取りを行うことになる。
- 311 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/16(金) 20:29
- さて、マリーの話に戻そう。マリーがオランダ独立戦争に巻き込まれ、あるいは引き起こし、フランドル地方は騒乱状態となった。6期オタを中心とする議会はオラニエ総督を中心にスペインと敵対するが、スペインの切り崩しが凄まじく、ドイツ諸侯やイングランドを頼みとすることができないでいた。ということで、なんとフランスのアンジュー公(例のアランソン公のこと)をスペイン国王に代わる新君主として迎え入れようとする。こんな奇策を、マリー以外の誰が考えることができるだろうか。結局アランソン公は不人気のまま、クーデター騒ぎを起こして帰国する。オランダがスペインと休戦し、共和国として事実上独立したのは1609年であるが、その頃にはマリーはオランダを離れていたようである。
この後、10年ほどマリーの名前が記録から消える。1617年、ボヘミアのトゥルン伯の日記にマリーが食客として伯の庇護に置かれていることがわかる。ボヘミアの地は、ハプスブルク家の領土であるが、6期オタの多いところである。神聖ローマ皇帝にしてハプスブルク家当主であるマティアスが老齢になると、ボヘミア王に同家のフェルディナントが選出された。彼はイエズス会の教育を受けた5期オタで、早速反抗的な6期オタを逮捕した。トゥルン伯は6期オタであり、逮捕者の釈放を求めたがフェルディナントは拒否した。6期オタの民衆が大挙してプラハ城に押し寄せ、5期オタの顧問官を二人、窓から放り投げた。この中にマリーがいたことをトゥルン伯が認めている。これが世に言うプラハ城投下事件であり、ドイツを荒地にした三十年戦争の発端である。
- 312 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/16(金) 20:31
- これ以降、マリーの名は歴史から消える。ヴェレンシュタインの指揮下に入り徴税役人になったという説、マンスフェルトによって処刑されたという説、グスタフ・アドルフを背後から銃撃した説など諸説あるが、どれも根拠に乏しい。この戦争により、宗教的権威の相対化が決定的となった。当初は宗教戦争の体をなしていたものの、後半には絶対主義国家間の争いに変貌を遂げたのだった。
やがて、幾人かの哲学者により確たる「私」が発見され、観念の猛威が世界を席捲するだろう。そのような世界は、たかだかここ二百年の出来事にすぎない。わたしたちが、ボルドー市長や、国王や、摂政のように、彼女から決断を迫られるときがいつか来るだろう。そんなとき、彼女は高らかに笑い転げるのだろう。彼女はそのようなところからは果てしなく自由なのだ。
- 313 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/16(金) 20:32
- ──歴史は繰り返す、ただし……
History revolvo ipsum. Alter vicis : ut a farce.
- 314 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/16(金) 20:32
- (了)
- 315 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/16(金) 20:33
- ※ 原テクストの "La vie entière de Marie de clown" について、著者の Bouche De Flèche は19世紀初頭フランスの劇作家、扇動政治家。王党派のパンフレットとして出版された。第二次大戦後ガリマール社より復刊されたが、現在は絶版。
- 316 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/16(金) 20:33
- *****
- 317 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/16(金) 20:33
- ***
- 318 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/16(金) 20:33
- *
- 319 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/26(月) 22:16
- 不定期連載
白百合つぼみの思い出
The Memories of TSUBOMI SHIRAYURI
- 320 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/26(月) 22:17
- 第1話 チャールズ号事件
Charles, Blaze
- 321 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/26(月) 22:17
- 「あさ美ちゃん、私は行かなきゃいけないと思うの」
ハロモニ幼稚園の探偵事務所で、いっしょにオレンジジュースを飲んでいるとき、白百合つぼみちゃんが言った。
「行くって、どこへ?」
「三丁目──ハロモニ公園よ」
私は別に驚きもしなかった。いまハロモニ市内でうわさの種になっているこのとんでもない事件に、つぼみちゃんが関係しないのを不思議に思っていたからだ。
- 322 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/26(月) 22:17
- この前日、つぼみちゃんは難しい顔をしながらハロモニ新聞に顔をうずめていた。「1−5……いや、8番の末脚もこわい……」などと、深刻な声で独り言をつぶやいていた。私は干し芋をかじりながら、つぼみちゃんを悩ませている新聞をのぞきこんだ。
「なに難しい顔してるの?」
「明日のレースの予想だよ」
これで私は全てを了解した。ハロモニ公園で、ハロモニ市名物のドッグレースが開催されるのだった。
ハロモニ市長から送られる優勝カップはたいして価値のあるものではないが、優勝犬の飼い主には優秀なブリーダーとしての栄誉が与えられる。また、ドッグレースには計り知れないほどの大金が賭けられるといううわさもあった。
そして、このドッグレースのメイン、ハロモニ・カップ(G3、別定戦)において単勝1.1倍と圧倒的な支持を集めているのがチャールズ号、つまりつぼみちゃんのお母さんである白百合伯爵夫人の飼い犬だった。伯爵夫人は大金を自分の犬の券に投じる一方で、ハロモニ市きってのドッグブリーダーである木村アサミ(カントリー厩舎)に預けてチャールズに猛特訓を施していることは、市内の誰もが知っていることだった。
- 323 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/26(月) 22:18
- ところが異変が起こった。伯爵夫人の狼狽を見かねたメイドが、つぼみちゃんに事件の解決を依頼してきたのだった。リムジンの中で私はつぼみちゃんの話を聞いた。
「この事件のあらましは知ってる?」
「ハロモニ新聞には目を通したけど」
「それだと、重要なところが隠されてるから」
つぼみちゃんは、メイドから聞いた話をしてくれた。伯爵夫人の愛犬チャールズ号は、今日のハロモニ・カップに向けて訓練するため、ブリーダーのあさみ師に預けられた。もともと、犬を飼いたがっていた伯爵夫人にチャールズを紹介したのが彼女だった。
昨晩、そのあさみ師が何者かに襲撃された。あさみ師がチャールズの様子を見に行ったのは夜半すぎ、犬小屋をのぞくとチャールズがいなかったという。何かただならぬことが起こったと思い、立ち上がったところをガツンとやられた。
- 324 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/26(月) 22:18
- 「誘拐されたの?」
「ブリーダーが襲われて、チャールズの姿が見えないということは、そういうことになるね」
「ハロモニ・カップに関係してるのかな」
「その可能性が高いけど、断言するのには情報が少なすぎるよ」
ハロモニ市東方に大きな牧場がある。その一角にカントリー厩舎があった。あさみ師はバンドエイドだらけの顔を私たちに見せた。子供の目から見てもわかるくらい顔面蒼白だったが、伯爵夫人の愛犬がレース前に誘拐されたのだから、仕方ないことだろう。
「これはこれは……つぼみお嬢様。大事なチャールズ号が……」
「あたしはチャールズのことはどうでもいいんだけど」
- 325 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/26(月) 22:18
- 最近、つぼみちゃんは野良ペンギンを拾って大切に育てている。そのペンギン、ペン子がチャールズと折り合いが悪いらしく、いきおいつぼみちゃんはチャールズを疎ましく思い始めているようだった。
あさみ師は、私たちを現場に案内した。つぼみちゃんはチャールズのすみかだった犬小屋の中をのぞきこんだ。すぐに「犬くさい」と言って顔をあげたので、たいした手がかりはなかったようだ。つぼみちゃんはあさみ師に質問を始めた。
「顔の傷は大丈夫?」
「ええ、なんとか……」
かなりのひっかき傷のようである。バンドエイドで覆えていない部分もところどころあった。
- 326 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/26(月) 22:18
- 「襲ってきた相手の顔とか見た?」
「ここには、照明設備はあれだけですから、夜になるとすっかり暗くなってしまい、とても顔など……」
百メートルほど離れたところに電柱が立っていた。あれではこの辺りまで光は届かないだろう。
「チャールズの鳴き声とか聞こえた?」
「いや何も。襲われる前にすでに犬小屋は空でしたし、それらしきものは何も」
「もともとおとなしい犬だったから、ふだんも吠えたりしてなかったっけ、そういえば」
「あれ? キャンキャン鳴いたりしてなかった?」
「あれはお母様が犬のまねして吠えてただけ」
- 327 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/26(月) 22:19
- その場を去ろうとすると、犬小屋の近くの柵につながれていた、毛のないチワワのような小さいブチ犬を見つけた。私たちに気づくと、キャンキャン騒ぎ出した。
「何これ。番犬?」
「そういうわけではなくて……捨て犬です」
「昨夜はこの犬も吠えなかった?」
「ええ。何も聞こえませんでしたよ」
ハロモニ牧場を出ると、リムジンはハロモニ市庁舎に向かった。ハロモニ・カップの担当者に会うためだという。つぼみちゃんの権勢は、市役所の中枢部にまで及んでいる。ほとんど平伏状態の担当者が、つぼみちゃんにあれこれ言われて資料をかき集めてきた。
「これがハロモニ・カップの実施要綱ね……」
- 328 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/26(月) 22:19
- コピーされた数枚の資料をなめるように読み始めた。私はハロモニ新聞の出犬表を眺めた。
「1番・チャールズ号。所有者・白百合伯爵夫人、調教師・木村あさみ師(カントリー厩舎)。血統・柴犬(純血)、六歳。主な戦績、駅前ステークス(特別)1着、幼稚園特別1着……。つぼみちゃん、他の犬はG3とか出たことあるみたいだけど、チャールズは初めて?」
「そうだよ。大きいレースは初めてだから、お母様は気合入っているのよ」
つぼみちゃんはすぐに視線を資料に落として、ぶつぶつと読み上げていた。罰則、ひとたび登録すると回避は認められません、回避したい場合は登録取消料を支払うことになります、競争犬にソリ・補助輪等を付加することを禁じます、登録に虚偽があった場合は失格となります……。
- 329 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/26(月) 22:19
- 私は少々不安な気分になってきた。ハロモニ・カップは午後三時半の出走で、もうすぐお昼になろうとしている。このままぐずぐずしていると、時間に間に合わなくなる。
「ねえ、つぼみちゃん。チャールズの居場所とかわかりそうなの?」
「ん……」
「ねえってば」
「……キャンキャンうるさいなあ」
- 330 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/26(月) 22:19
- つぼみちゃんの鋭い眼光を久々にまともに受けた。私はとつぜん声が出なくなり、手をのばしかけたかっこうのまま固まってしまった。内ポケットにアフガンから持ち帰った軍用拳銃を護身用に持っているのだが、つぼみちゃん相手だと効き目がないだろうとぼんやり思った。
「ん? 吠える、吠えない……鳴かなかった犬……」
「つぼみちゃん?」
つぼみちゃんは立ち上がると、私を置いて行ってしまった。
- 331 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/26(月) 22:20
- 歩いてハロモニ公園に向かうと、そろそろレースが始まるという時間になっていた。多くの人が公園を囲んでおり、レースを今か今かと待ち構えていた。屋台で焼きそばを買い、食べながら公園に入った。
「お譲ちゃんも、一口どうだい?」
威勢のいいおじさんから出犬表をもらった。ノミ屋らしいので犬券は買わなかった。1番のところを見ると、チャールズ号の名前がそのまま載っていた。さすが、つぼみちゃんはあの短い時間でチャールズ号を見つけ出すことができたのだ。
ところが、出走時刻になって各犬がゲートに入ったとき、私は落胆した。ゲートの中にいたのは、あの柵につながれていた小さいブチ犬だったのだ。きっと、チャールズを見つけることができなくて、苦し紛れにあの犬をチャールズだと言い張っているに違いない。
- 332 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/26(月) 22:20
- そうこうしているうちに楽隊のファンファーレが鳴り響き、第36回ハロモニ・カップ(G3、別定戦)が始まった。ゲートが開くと、ポーンと飛び出したのは4番のダックスフンドで、1番の偽チャールズ号は2番手だった。向こう正面ではぴったりとダックスフンドの後ろにつけ、第4コーナーで外側から抜きにかかった。
残り2ハロン棒のところでダックスフンドを追い越したが、ここで猛然と8番のゴールデン・レトリバーが追い込んできた。しかし、道中ペースが緩くなっていたことが幸いしたのか、偽チャールズ号が半犬身リードのままゴールした。第4コーナーでつまずいた犬がいたため審議となったが、降着・失格等はなく、1−8(犬番連勝450円)で確定となった。
表彰式となり、優勝犬チャールズ号、犬主つぼみちゃんが台の上に立った。伯爵夫人と調教師は来ていないようだった。つぼみちゃんは優勝賞金300万円と掲げられたボードを誇らしげに掲げていた。
- 333 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/26(月) 22:20
- すった人々がオケラ街道へとぼとぼと向かう中、私はつぼみちゃんのところに駆け寄った。
「あ、あさ美ちゃん。見た? チャールズ凄いよね」
「見てたけど、それチャールズじゃ……」
「これ、チャールズだよ。お母様のペット」
つぼみちゃんは、私が握り締めていた出犬表を指差した。1番のチャールズ号の血統欄が「雑種」に変わっていた。これがチャールズ号の本当の姿なんだよ、とつぼみちゃんは、キャンキャン吠える犬を抱きかかえた。
- 334 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/26(月) 22:20
- 「今頃、お母様はあさみ師をとっちめていると思う」
あさみ師は、伯爵夫人に雑種のぶち犬を「純血の柴犬」と偽って売りつけていたのだった。突然変異で毛がふさふさになっていたのをカットして柴犬に見せかけていた。伯爵夫人は犬に詳しくなく、つぼみちゃんやメイドたちは犬の種類に興味がなかった。
ところが、ハロモニ・カップに出走させるという話になり、あさみ師はあわてた。ハロモニ・カップでは、虚偽の報告は厳禁である。犬の専門家たちが集まるのであるから、柴犬でないことはすぐにばれてしまう。そこで、あさみ師はチャールズが誘拐されたことにして、レースへ出走できなくしてしまおうとしたのだった。
「あの顔の傷はチャールズの毛を刈り取ったときに爪でひっかかれたもの。人間に襲われたって、ひっかき傷ぐらいじゃ……ねえ」
- 335 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/26(月) 22:21
- さらに、つぼみちゃんによると、あさみ師はヘマなことをやったという。柵につないでいた犬(実はチャールズ)が鳴かなかったと証言したことだ。
「犬が鳴かない場合、犯人が顔見知りな場合が多いけど、その犬は『捨て犬』だっていうから、これは当てはまらない。おとなしい犬かというと、私たちを見てすぐに吠えたから、そういうわけでもない。ということは、そもそも『捨て犬』がその晩にはそこに存在しなかったことになるの」
これでつぼみちゃんは、あさみ師がウソをついていることに気づいた。あとは、なぜウソをついたかということだが、それは先に述べたとおりである。つぼみちゃんは市庁舎でここまで推理すると、すぐにカントリー厩舎に引き返した。つぼみちゃんの鋭い追及に、あさみ師はあっさり白状した。つぼみちゃんは丸刈りのチャールズを抱えると、市当局に登録情報の変更を申請し、晴れてレースに出走させることができたのだった。
- 336 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/26(月) 22:21
- 「あさみ師は犬ゾリレース用の器具を揃えるためにお金が必要だったらしいよ。さて、これからチャールズの優勝を祝して、焼肉パーティしようね」
つぼみちゃんはリムジンの運転手に行き先を告げた。
- 337 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/26(月) 22:21
- fin
- 338 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/26(月) 22:21
- *****
- 339 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/26(月) 22:21
- ***
- 340 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/26(月) 22:21
- *
- 341 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/10/04(火) 11:47
- 面白く読めました。ありがとう。
- 342 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/11/04(金) 22:09
- 不定期連載
白百合つぼみの思い出
The Memories of TSUBOMI SHIRAYURI
- 343 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/11/04(金) 22:09
-
第2話 ピンクの顔
The Pink Face
- 344 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/11/04(金) 22:10
- 白百合つぼみちゃんはハロモニ市、いや世界屈指の名探偵である。彼女の鋭い観察と明晰な頭脳は、どのような不可解な難事件であっても、常に光で照らすことができた。
とはいえ、彼女といえども万能ではない。ときにはその頭脳が空回りするのだなと、私に認識させた事件があった。
- 345 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/11/04(金) 22:10
- 春のうららかな午後のこと、一人の依頼人が、ハロモニ幼稚園内にあるつぼみちゃんの探偵事務所を訪ねてきた。白装束のその男は、幸うす夫(さち・うすお)であると名乗った。
「じつは、妻のうす代(うすよ)の様子がおかしいんです」
うす夫は、その妻との馴れ初め話を始めた。二人は四国八十八ヶ所巡りツアーの途中、延命寺の石段で知り合った。うす夫は仕事をリストラで失い、家屋を失火で失い、世をはかなんでお遍路さんとなった。うす代は流行り病で夫と子供を失い、世をはかなんでお遍路さんとなった。
二人は弱々しくも意気投合し、結婚した。やがて、うす子(うすこ)とうす江(うすえ)の二人の娘が二人の間に生まれた。一家は生気がないものの、幸せに暮らしていた。
- 346 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/11/04(金) 22:10
- ところが、二人の夫婦生活に亀裂が生じ始めた。ある日のこと、うす代はうす夫にお金を無心した。金額にして数十万円であり、うす夫の財産に比べればたいした金額ではない。毎年、毎月のように家族で八十八ヶ所巡りをするというのは、かなりの費用が必要であり、ということは幸一家は無職のくせにかなりの財産家ということなのである。
「そのくらいどうということはないが、なぜお金が必要になったんだい? また霊験あらたかな菅笠でも買うのかい」
「お願いだから、何も聞かないで」
- 347 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/11/04(金) 22:10
- うす代の有無を言わさぬ迫力に、うす夫は返す言葉もなかった。うす夫によると、うす代は一度お星様になったにもかかわらず黄泉帰ってきたことがあり、人外の雰囲気があるという。そういううす夫も、私などから見ればじゅうぶん人外だった。そのお金はうす代がすぐに返してきたそうだ。
しばらくして、幸一家の隣の空家に誰かが引っ越してきた様子があった。中の様子をうかがっていると、威丈高なメイドがでてきて野良犬のように追い払われた。失礼な対応に怒りながら家に帰る前に、その隣家の二階を見上げると。
「奇妙なものが、窓のカーテンのすきまから見えたんです」
「奇妙なもの?」
ピンク色の大きな顔がうす夫の様子をうかがっていたという。カーテンがすぐにしまったので、それは一瞬のことだったが、うす夫は恐ろしくなって家に転がるように逃げ帰った。
- 348 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/11/04(金) 22:11
- またしばらくして、うす代がその隣家から出てくるところをうす夫が発見した。うす代を問い詰めても、「何も聞かないで」とくり返すばかりだった。「二度と隣家に行くようなことはするな」と注意すると、そのときは「わかった」と返事をするのだが、その後も何度も隣家から出てくるところを見かけたという。
そして、昨日の夜、やはり隣家の二階の窓から、あのピンクの顔がにたーっと笑っているのを見た。
「家族の恥ずかしいところをお見せしてしまうことになりますが、つぼみさんに事の真相を調べてほしいのです」
「そういうことは、はっきりさせておいたほうがいいですからね」
つぼみちゃんはいくつか質問をうす夫にぶつけた。
- 349 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/11/04(金) 22:11
- 「うす代さんはどちらのお生まれですか」
「たしか、北海道のタンポポ町です」
「あなたは行かれたことがありますか?」
「いいえ。私はハロモニ市と四国以外は行ったことがありません」
「うす代さんの前の夫のことについて何か知っていますか」
「病気で死んだとしか……ただ、死亡証明書を見せてもらったことがあります」
ここでつぼみちゃんが、初めて興味津々な顔を見せた。
「それは、かなり慎重なたちなんですね」
「実は前夫が生きていて、重婚だったなんて話になったらたいへんですからね」
依頼を引き受け、うす夫をとりあえず帰した。彼は相当不安そうな様子で、もともと辛気臭い顔がますます縁起悪くなっていた。
- 350 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/11/04(金) 22:11
- 「さて、どう思う? あさ美ちゃん」
つぼみちゃんはソファに深々とすわって、オレンジジュースを飲んでいた。つぼみちゃんがすでに事件の真相にたどりついているというシグナルだった。
「よくわからないけど、うす代さんがそのピンクの顔の人と知り合いみたいだね」
「うす夫さんは簡単に信じたみたいだけど、死亡証明書は偽造だね。前夫はまだ生きてて、うす代さんはその人から逃げてきたんだ。でも居所がばれて脅迫されてる。こんなところだよ」
「ピンクの顔ってのは……」
「前の夫」
- 351 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/11/04(金) 22:11
- 翌日のお昼、つぼみちゃんの探偵事務所でフランス料理を二人で堪能しているところに、幸うす夫さんから電話が入った。今日もうす代さんが例の家に入っていくのを見たという。それで今から押し込むからいっしょにいてくれというのだ。
「声の様子から、彼岸を渡る寸前みたい」
「お気の毒に」
私たちがリムジンに乗って現場に到着すると、白装束のうす夫さんと、同じかっこうをした女性が玄関の前で押し問答していた。その女性がうす代さんだろう。
「あなた、これ以上はいけません。でないと、私たちは破滅です」
「何を言うんだ。これ以上、こんな生活を続けることこそが破滅だ」
「あなた」
とつぜん世界が暗転した。うす代さんの顔のあたりだけが青白く光っている。鬼火らしきものがふわふわと漂っていた。うす代さんの、生気はないのに妙に血走った眼がだんだん大きくなっていった。
- 352 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/11/04(金) 22:11
- 「つぼみちゃん」
「まかせて」
まっしろになったうす夫さんを押しのけて、つぼみちゃんがうす代さんの前に立った。つぼみちゃんの冷たい眼光がうす代さんの眼球に対峙した。バチバチと火花が散り、やがて狼狽したうす代さんはゆっくりと崩れ落ちた。
「さ、中に入ろ」
私は、ドアを開けて中に入ったつぼみちゃんを追った。うす夫さんもよろよろと入ってきた。うす代さんの弱々しい声が聞こえたが、何と言ったのかは判別できなかった。
つぼみちゃんは靴も脱がずに廊下を進んだ。階段を見つけてコツコツと駆け上がる。二階のいちばん手前のドアは、鍵がかかっていなかった。つぼみちゃんは勢いよくドアを開けた。ピンク色の物体が、つぼみちゃんに抱きついた。
「ペン子!」
「ペンペン!」
- 353 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/11/04(金) 22:12
- うす代さんはうす夫さんに真相を話した。それはごく断片的だったが、私の知っている事情と総合するとこういうことになる。
つぼみちゃんは野良ペンギンを拾ってきてペン子と名づけた。あまりのペン子への溺愛ぶりに、もともとのペットである飼い犬のチャールズが嫉妬したため、伯爵夫人はペン子を飼うことを許さなかった。
つぼみちゃんは幸一家の隣に家を借り、そこにペン子を匿うことにした。ペン子の世話をメイドの一人に頼んだが、四六時中そのメイドに任せる時間的余裕はなかった。そこでつぼみちゃんは、隣のうす代さんに世話を依頼、というか命令した。
- 354 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/11/04(金) 22:12
- そのとき、たまたま持ち合わせがなかったので、当面のエサ代はうす代さんが立て替えた。もちろんうす夫さんに頼んで出してもらったお金なので、つぼみちゃんから銀行振込がされるとうす代さんはすぐに返した。
「なぜそのことを言わなかったんだ」
「ペンギンを世話していることは秘密厳守だと言われました……あまりにも恐ろしい目つきをしているので……」
私がつぼみちゃんにたずねると、「忘れてた」という言葉が返ってきた。
- 355 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/11/04(金) 22:12
- なぜか私が幸夫婦に謝罪し、私たち二人とペンギン一匹はリムジンに乗り込んだ。車中、つぼみちゃんが私に耳打ちしてきた。
「これから、もし私がいい加減な推理ぶりを見せていたら、『ペンペン』ってささやいてちょうだい」
殊勝なことを言っているが、そんなことが不可能なことは、これまでの経験から私は重々承知していた。だいいち、問題なのは推理が間違っていたことではなくて、つぼみちゃんの基本的な記憶力のほうではないか、と思ったが黙っていた。
- 356 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/11/04(金) 22:12
- fin
- 357 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/11/04(金) 22:12
- *****
- 358 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/11/04(金) 22:13
- ***
- 359 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/11/04(金) 22:13
- *
- 360 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/04(日) 22:25
- 残酷な未来
- 361 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/04(日) 22:25
- 「明日から、いや、今からお前がリーダーだからな」
「へっ? なんですか、それは」
チーフ・マネージャーに呼び出されたひとみは、その経緯を聞いて眉をしかめた。
「嫌ですよ。リーダーなんて、わたしはこれでも忙しいんですから」
「なにバカなことを言ってるんだ。急なことだが、もうお前しか残っていないんだ」
よく聞くと、ずいぶん失礼な物言いではあったのだが、ひとみは気づかないふりをした。
- 362 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/04(日) 22:26
- 「リーダーという職務自体に問題にあるのではなくてですね、ほら、吉澤って女じゃないですか。みんな女ですけれど。女っていうか、男と女っていうか、あの、そういう変な話じゃなくてですね。すごく不安なんですよ。ぼんやりとした不安」
「不安な気持ちはわかる。だが、女とか男とかがどうしたんだ」
「あのですね。吉澤はこう見えても本とか読んだりするんですよ。漢字とかよくわかんないけど、そんなものはフィーリングでいいんですよ。食偏がついてたら『ああ、とりあえず食べることに関係あるんだな』って、そんなもんですよ。世の中には小うるさい人とかいますけどね」
「お前が読書してるのは知っている」
「ありがとうございます。体を動かすこともいいけど、精神の営みってやつも大事なことくらい、吉澤も知ってますから。それでですね、この間も本を読んだんですよ。そしたら、ほら、南米の、ほら、ゴールキーパーのくせに、自分でPK蹴っちゃう人がいた国、なんでしたっけ?」
マネージャーは、ひとみの想像に反して即答した。
「チラベルトのことか。パラグアイだろ」
- 363 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/04(日) 22:26
- 「そうそう、パラグアイ。そこなんですけど、ブラジルとアルゼンチンに挟まれた小国なんですけど、小さい国っていっても、まあそこは国ですから、人が住んでるわけなんですよ。世界で一番小さい国、えっとどこでしたっけ? (「バチカン市国かな」) そうそう、バチカン、バチカンです。あそこ人口が800人いないみたいですけど、800人でも人は人ですからね。人がいないと国にならない」
「バチカンはいいとして、パラグアイのほうはどうなったんだ」
「すいません、そっちのほうです。そっちのほうなんですけれど、パラグアイって人がいるわけですから、隣の人と仲が悪くなるんですよ。よくあるじゃないですか、そういうこと。お隣さん同士が仲悪くて、それでお向かいさんが絡んできて話がややこしくなったりするんですよね。元は言うと、ブラジルがウルグアイに攻め入ったのが原因なんですけど、パラグアイってブラジルと仲悪かったから、それで戦争になっちゃったんです」
「それが悲しむべき出来事だというのはわかる」
- 364 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/04(日) 22:26
- 「でしょう。そしたらですね、ブラジルはなんとウルグアイと同盟結んじゃうんですよ。昨日の友は今日の敵というか、昨日のプッチモニがタンポポになったもんです。よくわかんないですけど、そこはフィーリングで。で、パラグアイは包囲されて補給が断たれた時点でジ・エンドです。それでも兵力的には多かったんで、ウルグアイのほうはメタメタにやられちゃいます、まあどうでもいい、ちっぽけな存在でしたが」
マネージャーはウルグアイがどこに位置する国なのか、頭の中で地図帳をめくっていた。
「アルゼンチンはブラジルと仲良しでしたから、いっしょに攻め入ったんですが、パラグアイもなかなかしぶとく、多くの戦死者が出ると国内に引きこもります。でも、パラグアイのディアスっていう司令官が戦死して、もうこれはだめです。まいちんとコレティがケガして試合出れなくなったようなもんです。戦争は7年間も続いたんですが、パラグアイの大統領が戦死して終わりました。あ、そういえば娘はもう7年以上続いてますね。それくらい長い間続いたわけですから」
「もっと長く続くといいな」
- 365 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/04(日) 22:27
- 「え、パラグアイの戦争がですか? とにかく、戦争が終わってやれやれって感じなんですけど、たいへんなのはそれからでした。兵隊さんって、今もそうだと思うんですけど、男の人が多いじゃないですか。で、兵隊さんって死ぬのが仕事じゃないですか。いやな仕事ですけど。で、パラグアイは兵隊さんが死にすぎて、男の人の人口が全人口の1割にまで減っちゃったんです」
「1割か。極端に減ったものだな」
「さらに、負けたもんだからブラジルの奴隷みたいなもんです。働き手はコーヒー農場に取られていったそうです。そうなると、男が少ないから一夫四妻制になったそうです。あ、今うらやましいって思ったでしょ」
「ば、バカなこと言うな。そんな甲斐性ないよ」
- 366 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/04(日) 22:27
- 「そうですか。それは昔の話なんですけれど、今は女性の力が強くなってるじゃないですか。チーフの奥さんも相当な人って聞いてますよ。ごめんなさい。で、逆に男の人が弱々しくなっているのは、これは吉澤も実感してます。コンサート来てる人たち見ればわかります。となると、兵隊さんも女の人が増えると思うんですよ。どんどん女が強くなって、どんどん男が弱くなると、兵隊さんは女ばっかりになります。断言します。そうなります」
「そういう可能性は否定しないな」
「で、戦争です。ドンパチが始まります。兵隊さんがいっぱい死にます。ということは女の人がいっぱい死にます。現代の戦争はテクノロジー、って言うんですか、すごく進歩してるそうですから、容赦なく死んでしまいます」
「それは負けるということかい?」
「勝っても負けてもです。多分今度は1割どころじゃないですね。1%ぐらいになることを覚悟したほうがいいです。ここまで人口比がおかしくなったら、もうおしまいでしょう。女の人はやがていなくなります。そうなると、吉澤はどうなると思います?」
「どうなる?」
- 367 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/04(日) 22:27
- 「女の人がいなくなるってことは、もう新規メンバー募集とかできなくなっちゃうわけですよ。下のメンバーも若いですから、すでに兵隊にとられてお亡くなりになっています。ミキティは、普段の不摂生がたたって早世しています。ということは、もう吉澤しかいないってことですよね。吉澤一人しかメンバーいないのにモーニング娘。っての変な話ですけど、希少価値が出てきてますから、解散とか卒業とか世間が許さないことはもうわかりきっています。佐渡島のトキです」
「一概に否定することは難しいか」
「吉澤は、歳をとっておばあちゃんになって、寝たきりになっても、モーニング娘。のリーダーのままです。ガラス張りの部屋に隔離されて、見世物状態にされます。『ほら、あれがこの世で一匹しかいないモーニング娘。のリーダーだよ』って。見物客は粛々と通路を歩かないといけません。立ち止まると係りの人に背中を突き飛ばされてしまいますから。もちろんカメラ撮影は禁止の方向で」
「それはもちろん、事務所のほうで対応する」
- 368 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/04(日) 22:27
- 「死にそうになると、いろいろ延命措置がとられることは間違いないです。臓器はもう総とっかえで、手足は余計な血液とか養分とかが流れないよう切断されます。脳みそもほとんど動かなくなって、電気ショックでときおりオシロスコープに反応が見られるとか、そんなふうになります。もうだめです。吉澤は耐えられません。だから、吉澤をリーダーにするのはやめてください」
「悲しむべきことかもしれないが、答えはノーだ」
ひとみの懇願はあっさり却下された。
- 369 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/04(日) 22:27
- fin
- 370 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/04(日) 22:28
- *****
- 371 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/04(日) 22:28
- ***
- 372 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/04(日) 22:28
- *
- 373 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/05(月) 00:24
- あー面白かった
- 374 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/12(月) 05:20
- 突然失礼します。
いま、2005年の飼育を振り返っての投票イベント
「2005飼育小説大賞」が企画されています。よろしければ一度、
案内板の飼育大賞準備スレをご覧になっていただければと思います。
お邪魔してすみませんでした。ありがとうございます。
- 375 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/01/01(日) 22:36
- あけましておめでとー
- 376 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/01/01(日) 22:36
- 藪の中
- 377 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/01/01(日) 22:36
- 事務所に問われた石川の物語
はい、それを見たのは私なんですけど、あ、私じゃなくて私の妹の友達なんですけど、その子がいつものとおり山へわらび採りに行って、もちろん山の持ち主さんには内緒で、そしたら、血にまみれたシダ植物がうっそうと生えてて、やだ、ちゃんとその子は洗って食べましたよ、全部は落ちなかったけど、少しは残しておいたほうが鉄分あっていいかなって、そういうことで、血だらけの死体がそばの竹藪に転がってたんですけど、もう筍の季節は過ぎてたからそれは別に残念でもなかったんで、それでも、ほら、ジャマくさいから、竹の棒でつっついて転がしてみたら、矢口さんだったんですよ、もうびっくりしちゃって、気が動転してたんですね、体をあらためると胸に刺し傷みたいのが、血がどっぺりとついててよくは見なかったんですけど、あらやだ、金目のものがないかどうか探したわけじゃないですよ、傷口は五センチくらいだったかしら、だからけっこう大きな得物でやったんじゃないですかね、もちろん想像なんですけど背中まで突き抜けてたみたいですから、、辺りを見回したけど、凶器らしきものは見つかりませんでした、ねえ、さすがに証拠は残さないですよね、他に何かなかったかって、汚れたロープが落ちてましたけど、あとその山は車道とかないですから、車で登るのは無理ですね、あれ、違いますよ、私じゃなくて私の妹の友達の話ですよ。
- 378 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/01/01(日) 22:36
- 事務所に問われた保田の物語
確かに矢口を昨日見かけました。矢口一人だけでしたよ。なんでまた夜に山に登っていったかなんて私にはわかりませんね。紙袋か何かを抱えていました。もちろん中身は知りませんが、今までに見たことがないくらい真剣な表情をしていました。何か憑いていたのかもしれません。
- 379 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/01/01(日) 22:37
- 事務所に問われた久住の物語
吉澤さんにケータイで呼ばれたんでー、とにかく山を登ったんですー。だって、吉澤さんが呼んでるわけですからー。新潟にいたときから山登りは得意だったんでー、吉澤さんが大きな石に腰かけていてー、私を見たら手を振ってくれたんですー、そしたらー、「ちょっと困ったことになったんだけど、協力してくれる?」って言ったんでー、「はぁい」って返事したらー、「じゃあさ、そのケータイでヒャクトーバンしてくれる?」って言うんでー、そのとおりにしましたー、だって吉澤さんはリーダーですからー、言うこと聞かないといけないじゃないですかー、でヒャクトーバンしたらー、おまわりさんが来てー、吉澤さんをタイホしちゃったんですー。
- 380 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/01/01(日) 22:37
- 事務所に問われた中澤の物語
矢口と藤本がよくいっしょに遊んでいたということは聞いています。他に誰がいっしょにいたかまでは断じて知りません。その日もどうだったかなんて私にはわかりません。写真週刊誌の人はいっしょにいたって言ってますが、どうなんですかね。その人は信用に足る人なんでしょうか?
- 381 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/01/01(日) 22:38
- 吉澤の白状
矢口さんを殺したのはわたしです。どうしてって、むかついたからですよ。噂話に聞いているかもしれませんが、矢口さんには男がいまして、まあ別にいてもいいんですが、どうにも無防備すぎてました。その日も、男といたところを写真誌に撮られたらしくて、「どうしよう」なんていいながら、オロオロしていたんです。どうしようも何も、そんなことは自分で決着つけるべきことじゃないですか。で、カッときてグサリとやっちゃいました。凶器? 凶器はふだん持ち歩いていた仕込の長ドスです。やたら太いだけであまり切れ味はよくなかったんですが、とっくに海に捨てました。ミキティ? さあ、わたしは知りません。とにかく、矢口さんを殺したのはわたしです。早いとこ裁判にかけちゃってください。
- 382 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/01/01(日) 22:38
- 教会に来た女の懺悔話
その日、私は矢口さんといっしょにいました。はい、私たちのカレもいっしょでした。ダブルデートっていうやつ、よくやってたんです。その日、花火大会が川辺であったんですけど、それを四人で見ようという話になりました。でも、いくらなんでも人気の多い川辺まで行くと、さすがにばれるでしょう。一応私たちはみんな有名人でしたから。それで、花火がよく見えるところということになって、近くの山に登ることにしたんです。それぞれ二台の車に乗って山に向かったtんですが、矢口さんの乗った車は途中で見えなくなりました。多分、コンビニに寄ったんだと思います。山の中腹まで車で行って、そこで待ってたんですけど、矢口さんたちがなかなか来ませんでした。そのうち花火が始まってしまい、しばらくそれを眺めてから、それでも結局来なかったのでそのまま帰りました。翌日、テレビニュースで矢口さんのことを知って……きっと、コンビニを降りたところで写真誌の人に撮られてしまったんですね。どうして矢口さんがあの山で見つかったのか、よっちゃんがその山に来るよう指示したのでしょうか。矢口さんの死には私にも責任があります。だけど、責任の取り方がわかりません。私はどうしたらいいのでしょうか。教えてください。
- 383 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/01/01(日) 22:40
- 飯田の口を借りた死霊の物語
カメラのフラッシュを焚かれたとき、「ヤバッ」って思ってカレを置いて逃げ出しちゃいました。どうするか、事務所に相談するか、でもすごく怒られるだろうってことは容易に想像つきました。娘。クビになるかもしれない。それだけは絶対イヤでした。男見つかってクビなんて、みっともないというか、許されないっていうか、うまい言葉が見つからないけど、それだけは避けなくちゃいけないと思いました。じゃあどうしよう、私はそこにいなかったことにするしかないと考えました。どこか別の場所で、アリバイってやつを作れば、なんとか言い逃れできるんじゃないかと。そうなれば事務所だって、怪しむかもしれないけど写真誌よりも私の証拠のほうを選ぶだろうと思いました。事務所もわざわざ事を荒立てることしないでしょう。写真誌のほうは赤の他人だって言い張れますから。あとはその方法だけでした。山の向こうへ、山の反対側の町へ行けばいいと思いました。山の反対側へは普通の道路使うと相当時間がかかりますから、アリバイ作りには都合がいいと考えたのです。私は花火を見るはずだった山に登りました。急がないといけないので、途中まではタクシー使いました。その山には竹藪がありました。山頂に近いほうの竹藪に入り、手ごろな竹によじのぼって、ロープで竹の先を結んで充分にしならせました。竹のしなりが戻る勢いで、隣の山まで移動しようと思ったんです。そっちの山にも竹藪がありますから、身軽な私ならなんとかそっちのほうの竹にしがみつけると、そう思い込んでいたんです。今思うとバカな話でした。半ば成功したんですけどね。となりの山まで私は夜空を飛びました。ロープは竹の先から外れていっしょに飛んできました。思惑が外れたのは、竹をつかみ損ねて落ちたことです。落ちた先には竹の切り株があって、私の体を貫きました。虫の息となった私をなぜかよっすぃ〜が見つけまして、かろうじて事情を話すことができました。なぜそこによっすぃ〜がいたのかは不思議ですが、梨華ちゃんと会うつもりだったのかもしれません。あの二人のスキャンダルがばれるほうが重大事だと思いますが、幸せになってほしいですね。その後のことをよっすぃ〜に託して、最後に血反吐を一吹きしてから、私は世を去りました。よっすぃ〜のことだから、心配していません。後のことは万事、うまくやってくれていることと確信しています。……
- 384 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/01/01(日) 22:41
- fin
- 385 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/01/01(日) 22:41
- *****
- 386 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/01/01(日) 22:41
- ***
- 387 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/01/01(日) 22:41
- *
- 388 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/01/02(月) 00:17
- 良いです
- 389 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/01(水) 21:56
- 不定期連載
白百合つぼみの思い出
The Memories of TSUBOMI SHIRAYURI
- 390 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/01(水) 21:57
- 第3話 CD仲買店員
The CD broker's Clerk
- 391 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/01(水) 21:57
- ハロモニ幼稚園内でも、とりわけ日当たりのよい一室、そこが白百合つぼみ探偵事務所である。その中に入ると、希代の名探偵でありお金持ちのお嬢様であるつぼみちゃんがデスクの上のノートパソコンとにらめっこしていた。横から画面を除くと、数字やらグラフやらが所狭しと並んでいて、目がチカチカしてきた。
つぼみちゃんが私に気づいて体を向けてきたので、私は横のソファに腰を下ろした。なんとなく不機嫌そうだったのだが、意を決して尋ねてみた。
「いったい何をしてたの?」
「あ、これ? CD投資をちょっとね」
- 392 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/01(水) 21:58
- 私は長い間アフガンの山奥にいたので近年の日本の情勢には疎かったのだが、つぼみちゃんによるとCD投資というのが流行っているという。
ここ数年世界の資金が日本に流れ込んでいて、お金の余った投資家たちが日本企業の株を買いあさり、バブル期とまではいかないまでもかなりの株価高が続いていた。一般の小金持ちのみならず一般下流市民までもがそのおこぼれに預かろうと、一日の株価の動きに一喜一憂していた。
ところが、この株価高を背景に企業の買収を進めて羽振りのよかったホ○エ○ンが、証券取引法違反で逮捕されたことで情勢は一変した。ラ○ブ○ア関連株の価値が大きく目減りし、他の株まで巻き込んだのみならず、金融庁の証券取引法改正による締め付けが厳しくなり、株式市場が一気に冷え込んでしまったのである。
これで多くの小金持ちが没落したのであるが、海外の投資家はしぶとい。儲けがあれば投資先は株でなくてもかまわなかった。向かった先が新たに作られたCD市場だった。
- 393 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/01(水) 21:59
- 「CD市場って、何を扱ってるの?」
「コンパクト・ディスク。音楽の入っているやつ」
音楽市場はもっと前から冷え込んでいたが、投資家たちは音楽を聴くためにCDに投資するのではなかった。インターネットの中古市場を利用していたのである。インターネットの中古市場はオークションサイトと結合し、売り買いの両方をできる場ができていた。投資家は中古市場で買い注文し、オークション市場で売り抜ける。はじめは別々の場であったが、巨大サーバーを世界の証券取引所が提供し始めたことにより、売り買いが同時にできるようになった。
売る物はなんでもよいのだろう。16世紀のオランダではチューリップの株が投機の対象だった。それがCDに替わっただけである。
- 394 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/01(水) 21:59
- 「音楽CDは著作権法にいう『映画の著作物』じゃないから、ぎりぎりOKだったんだろうね」
「ふーん。それで、つぼみちゃんはどんなCD注文したの?」
つぼみちゃんが手で液晶画面を隠そうとする前に、私の目が一つの通知ウィンドウをとらえた。
『ご注文ありがとうございます。藤本美貴ファーストアルバム「MIKI@」30万枚買い注文承りました』
「このアーティスト知らない人だけど、売れ筋なの?」
つぼみちゃんは私の質問を無視した。
- 395 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/01(水) 21:59
- 「あれ、外にいるのは依頼人かな」
しばらく待つとノックの音がして、目が少々吊り気味のおばさんが入ってきた。私はソファから立ってその人に座るよう勧めた。
「どのような用件でしょう」
「今日の話なんやけど、不思議って言うか、腑に落ちない体験をしたんで聞いてほしいんです」
- 396 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/01(水) 21:59
- 依頼人は平家と名乗った。つい最近まで、都内の中堅証券会社に勤めていたのだが、ホ○エ○ンショックによる打撃と、新興のCD市場への乗り換えに失敗したことにより、その証券会社は倒産し、彼女は無職となってしまった。
しかし、捨てる神がいれば拾う神もいる。三重で逼塞していた彼女に、昔の知り合いから再就職の話が飛び込んできた。
「小さい会社やけども、CD市場のトレーダーを探しているとのことで、さっそく応募したら『ほぼ本決まりだけど、形だけの面接をするから来てくれ』って返事がきました。ところが、面接の前日に人が尋ねてきたんです」
- 397 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/01(水) 22:00
- その人物は、くだんの証券会社について悪い噂を並べ立てた。
「あまりおすすめできないところですよ。部長待遇で、いずれは取締役に就任させると言ってませんでしたか?」
「ええ、確かにそう言ってましたが」
「それは甘い罠ですよ。取締役にさせて銀行借入の連帯保証人にさせたら、一切合財持ってドロンするというのがその手の会社の常套手段です」
言われてみればそうかもしれないと思い始めた彼女に、その人物は逆に勧誘をかけてきた。
「実は、あなたをヘッドハンティングしに来たんです。あなたは一流のトレーダーなんですから、役職にはつけませんが、その分歩合給をはずみますよ」
- 398 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/01(水) 22:00
- 歩合給だけでなく、固定給もかなりの水準に設定されていたので、彼女はそちらになびく気持ちになった。なにより、その人物は彼女をよく調べていたことに好感を抱いたからだそうである。
「あなたの得意な分野はロック関係だそうですね」
「そうです。その分野で最優秀トレーダーに選ばれたこともあります」
「それでは、簡単な問題を出します。ベリーズ関連CDとキュート関連CDの今後の地合いは?」
平家さんの話すところによると、これらは直接ロック分野にはかかわりのないところではあるが、戦争関連株と平和関連株の関係と同じで、リスクヘッジの意味で取り扱うことがあるという。私には何がなんだかわけがわからない世界の話だった。いくつかの質問に答えると、相手は拍手して握手を求めてきた。
- 399 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/01(水) 22:00
- 「さすがです。これなら我が社の誰もが喜んであなたを迎え入れてくれることでしょう」
「いつから出社すれば?」
「できるなら明日からでもお願いしますよ」
そこで、平家さんはポケットにある封筒に気がまわった。最初に誘ってくれた会社からのである。
「これを忘れていました。今からでも断りの電話をいれます」
「ちょっと待ちなさい。先ほども言いましたが、その会社はたいへんやばいところです。下手なことをすると何か因縁でもつけられて取り返しのつかない事態になるかもしれない」
「じゃあどうすれば……」
「私に任せなさい。こういうトラブルには慣れていますから」
平家さんは安心して封筒を相手に渡した。
- 400 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/01(水) 22:01
- 翌日、彼女は教わった住所に向かった。小さな雑居ビルの一室がオフィスだった。デスクが二つ、端末が一つだけあるのを見て彼女はびっくりした。
「話していませんでしたか? 本社は名古屋にあるのですが、ここに支店を出すことが決まり、それであなたを雇ったんですよ」
「すると、支店はできたばかりなんですね」
「そうです。支店業務の準備を進めることが、あなたの最初の仕事です」
- 401 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/01(水) 22:01
- このあたりでは、まだ彼女は疑いを抱いてはいなかった。しかし、端末の設備が「ISDNはじめちゃん」だったり、OSがWindows95だったりするのを見ると、これで業務ができるのかどうか不安になってきた。CD市場は証券会社の店頭での取り扱いはほとんどなく、ネットトレードが主体である。それにしては設備が貧弱すぎた。
「すぐに本社から大型サーバーが届く手はずになっています。それまではCDの分析をぬかりなく」
一方、その人物、つまり支店長はふだん何をやっているのかというと、新聞を読んだりテレビを見たりするだけである。ときどき外出するが、一時間と離れたことはなかった。
「そういうわけで、会社として何も活動していないのです。かなり不気味に思ったので、すぐにご相談に参った次第で」
- 402 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/01(水) 22:01
- つぼみちゃんはしばらく目を閉じてじっと考え事をしていた。それからおもむろに質問を始めた。
「その会社はなんという屋号ですか?」
「『オトナジャン証券』です。ここに名刺があります」
「それから、最初に誘ってくれた会社は?」
「そっちは『プリピン証券』です」
「そのあやしげな支店長は顎が出てますか? 出てないほうですか?」
「出ていないほうです」
なるほどなるほど、と、つぼみちゃんは顎に手を当て首を上下に動かした。
「とりあえず、今日はこのままお帰りください。明日はふつうに会社に出勤して、何かありましたら連絡ください」
平家さんは帽子をかぶると、「大きなヌイグルミですね」と、ドアの横に立っていたペンギンの頭をたたいて出て行った。
- 403 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/01(水) 22:02
- 依頼人が帰ると、さっそく私はつぼみちゃんに具申した。
「ねえ、これってさ。誰かがあの人になりすまして『プリピン証券』に入社した、ってことだよね」
「120年前から使い古された手口ね」
つぼみちゃんはアームチェアーに深々と座ってオレンジジュースにストローを挿した。
「『プリピン証券』は中小会社とはいえ、老舗だから、おかしなことをしでかすとは思えない。あそこの役員は老害……お年寄りが多いけど、それほど悪どいことができる人間はいないよ。だからこそ大きくならないんだけど」
「じゃあつぼみちゃんのお父さんは……」
言わずもがなのことを言ってしまったせいで、頭にコブができた。
- 404 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/01(水) 22:02
- 「と、とりあえずどうするの? 支店のほうへ行って犯人一味の自殺を止めに行く?」
「犯人の命なんかどうでもいいけど、襲われる予定の警備員の命のほうが大事でしょ」
つぼみちゃんのリムジンに乗ろうと部屋を出ると、ペンギンのペン子がついてきた。
「ペン子もいっしょに来るの?」
「ペンペン」
「どうするの、つぼみちゃん。危なくない?」
「ペン子は天神真楊流の名手だよ」
- 405 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/01(水) 22:02
- もう夜もすっかり更けていた。三日月に照らされて『プリピン証券』に到着すると、従業員は全員帰ったらしく、どの窓からも灯りはこぼれていなかった。
「どうやって中に?」
「正面はやめといたほうがいいようね」
ビルの裏口からピッキングして中に入った。エレベーターは目立つので、非常階段を上ることにした。巡回の警備員がいるからだ。めざすのは五階の営業部だったので、ペン子はふうふう言いながらも健気についてきた。途中、その警備員とばったり出くわしたが、ペン子の絞め技であっさり落ちた。さすが天神真楊流である。
- 406 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/01(水) 22:02
- 「ねえ、つぼみちゃん」
「何」
「この会社も株式市場からCD市場へ乗り換えてるんだよね」
「そうだよ。だから平家さんをスカウトしようとしたんじゃない」
「CD市場って、実際にCDをやりとりしてるわけじゃないよね。それなら平家さんになりすまそうとしている犯人は、何が目的なの?」
「CDだけじゃなくて、株式だって不発行制度になってからは現物をやりとりしてる人なんていないよ。この会社には紙切れや円盤なんかより、ずっと価値があるものが眠ってるの」
「それは?」
「顧客情報。老舗の会社だからたっぷりあるはず」
- 407 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/01(水) 22:03
- 名簿屋に売るためではない。証券会社を利用した人の名前、住所だけではなく、これまでの利用実績がいろんなことに使えるのだという。その中に不正な取引をしている人がいたら、脅迫の材料にもなる。もしインサイダー取引だとしたら、連座する人間は数人どころではすまなくなるのだ。
「簡単にお金儲けしようとするなら、情報収集が一番なわけ。だからこんなふうに手の込んだことをやろうとしてまで、盗もうとする人間が出てくるの」
「誰がやってるのか、目星がついてるみたいだね」
「『オトナジャン証券』なんて名前つけるの、あのクソガキ二人しか思いつかないし」
おそらく有名な犯罪者たちなんだろうと解釈した。
- 408 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/01(水) 22:03
- 営業部への重い鉄の扉はカギがかかっていなかった。ということは、中に誰かがいることになる。果たして、こっそり覗いてみると、顎の出てる少女がノートパソコンのキーを叩いていた。エクセルファイルにでもなっている顧客名簿を検索しているのだろう。
つぼみちゃんに命令されて、私とペン子がそっと背後に忍び寄った。後ろから羽交い絞めにしようとしたのだが、あっさりばれてしまった。おそらくペン子が魚くさかったからだろう。私の空手、ペン子の柔術の技を、少女はかいくぐってドアのほうに向かった。そこにはつぼみちゃんが立ちふさがっていた。
「おとなしく捕まりなさい」
「フン!」
いつのまにか少女の右拳にはメリケンサックが仕込まれていて、強烈な右フックがつぼみちゃんを襲った。この急襲をスウェイバックで軽やかにかわすと、カウンター気味にくり出したジャブがチンにヒットして、少女は崩れ落ちた。急所である顎が大きかったことが災いしたのだろう。
「名探偵はボクシングの心得も必要なの」
- 409 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/01(水) 22:03
- やがて通報を受けた警察が、少女を窃盗未遂及び警備員への傷害罪の疑いで逮捕された。仲間の一人である「支店長」もお縄となったということである。
翌日、平家さんへ事情した後、つぼみちゃんはノートパソコンにかかりきりとなった。例の銘柄について、「始値180円・取引値140円」とあったが、どういう意味かはよくわからなかった。
- 410 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/01(水) 22:03
- fin
- 411 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/01(水) 22:03
- *****
- 412 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/01(水) 22:03
- ***
- 413 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/01(水) 22:04
- *
- 414 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/02(木) 01:14
- つぼみちゃんは大損ぶっこいたな
- 415 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/11(土) 20:21
- 不定期連載
白百合つぼみの思い出
The Memories of TSUBOMI SHIRAYURI
- 416 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/11(土) 20:22
- 第4話 グロリア・ワルツ
The Gloria Waltz
- 417 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/11(土) 20:22
- 「そうそう、こんな書類が出てきたんだけど、見る?」
白百合つぼみちゃんがそう言って机の引き出しから一枚の黄ばんだ紙を手渡してきた。
『夏が また 試してるんだ 迷ってる あの子を 夏が また 笑って るんだ 逃げ出す 人を
運命って運 命 なの? 変わっ たり しないの?世界中のどんな人 にも平等なの?だって生きてか
なく ちゃ そうよ みんな 必死 なんだから あきらめる くらい 簡単だから』
どうやら詩のようなのだが、これが何を意味するのかさっぱりわからなかった。
「つぼみがまだ幼稚園に入る前のできごとなんだけど、使えないかな?」
- 418 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/11(土) 20:22
- 私が「ハロモニこども新聞」に、つぼみちゃんの冒険譚を連載してお小遣い稼ぎをしていることは、つぼみちゃんには内緒だったのだが、やっぱりばれていたらしい。つぼみちゃんはそれを咎めることもなく、逆に題材を提供しようという申し出だった。私に異存があるわけがない。つぼみちゃんだって、その名声をさらに広めることになる。
「この紙がどうしたの?」
「それのせいで、天才ピアニストが頓死するはめになったの」
それからつぼみちゃんの思い出話が始まった。
- 419 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/11(土) 20:22
- 絵里ちゃんって、知ってるよね? 実は彼女はあたしが幼稚園に入る前から、友達、っていうか下僕みたいなものだったんだけど、毎日のように遊んでいたの。平民の子たちはあたしに釣り合うはずがないから、一緒に遊ぶなんてことはしなかったけど、絵里ちゃんだけは別だった。彼女は天才ピアニストの桜木葉音の娘でね。親が芸術家ならなんとか交際の範囲内になるのかなって。絵里ちゃん自身は平凡な子だけど。
桜木葉音という人は、名曲「グロリア」を唯一弾きこなせることで世界的な名声を勝ち得ていた。だから、演奏旅行となると世界中を旅することになるので、なかなか直接会うことはできなかった。ところが、二年に及ぶ演奏旅行が終わって、日本に帰ってきたの。早速あたしは絵里ちゃんに会わせてくれるよう命令、じゃなくて頼んだの。
- 420 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/11(土) 20:23
- 葉音さんも、あたしに会うことを嫌がったりはしなかった。だって、つぼみはお金持ちのお嬢様だから。もしかしたら気前のいいパトロンになってくれるかもしれない、って考えたのかもしれないね。お父様とお母様は芸術を理解できない人だから、淡い期待に過ぎないけど。
そんなわけで、ある年の蒸し暑い夏の日に、葉音さんと面会することになった。第一印象は、いつも笑顔なんだけど、どことなくぎこちない動きをする人だった。それでも歓待してくれたので、あたしもいい気分になって、いつものくせが出ちゃった。絵里ちゃんが悪いんだけどね。あたしをけしかけたの。
「お母様、つぼみちゃんはすごい特技を持っているのよ。初対面の人でも、その人がどんな人なのか一目で当てることができちゃうの」
「あら、それじゃあ、私を見てくださる?」
- 421 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/11(土) 20:23
- あたしは絵里ちゃんを数回肘打ちしてから、得意の推理を働かせることにした。
「小さい頃、擁護施設に入っていらっしゃいましたね」
「ええ、そうよ」
「マッサージ師の資格を持っていらっしゃる」
「当たり」
「子犬を飼っていますね。演奏旅行にも連れて行ってます」
「ラブラドールレトリバーよ」
「A・Nという人と昔知り合いだったようですが、その人のことを忘れようと努めていますね」
ここで葉音さんは、いきなり立ち上がり、あたしのほうに右腕を向けたが、やがてゆっくりと座りなおした。
- 422 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/11(土) 20:23
- 「どうしてわかったの?」
絵里の質問に、あたしは理由を答えた。
「机の上にある写真立てに、養護施設の前での集合写真が入っているでしょ。ちょっと字がかすれて読みにくいけど、そこの額縁にはマッサージ師の資格免状が見える。そしてそこのピアノの脚に生き物にかじられた跡がついてる。まさか室内で虎やライオンを飼う人はいないでしょ? そのピアノのはじっこに『A・N』って彫られてあるんだけど、それを削り取ろうとした痕跡が残ってる」
「あなた、ずいぶん賢いのね」
「つぼみはお金持ちのお嬢様で、名探偵なの」
- 423 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/11(土) 20:24
- その日の面会はそれだけだった。しばらくすると、葉音さんの凱旋コンサートが豪華客船グロリア・ワルツ号で開かれることになって、もちろん白百合公爵家もお呼ばれされた。他にも総理大臣とか警視庁長官とか、新興IT企業の社長とか、VIPと呼ばれる有名人がたくさん来てた。
その中に、どう見ても気品あふれるとは言いがたい人が混じってた。葉音さんのそばにぴったりついて、何かこそこそ話してたから、擁護学校時代の知り合いかなと、漠然と思ってたけど、当たらずとも遠からず、ってところだった。絵里ちゃんなんかは不気味がって、そばに近寄ろうともしなかったので、訳を聞いてみた。
「この前うちに押しかけてきた人なの。お母様のお知り合いみたいなんだけど」
「このコンサートの関係者?」
「ダンスの先生らしくて、関係者みたいだけど、婆やとかに威張り散らして、とっても怖いの」
- 424 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/11(土) 20:24
- コンサートとはいっても、ピアノの演奏だけじゃなくて、ゲストたちの社交ダンスの催しもあるのは、案内状で知っていた。でも、ダンスの先生まで呼ぶ必要はあったのかな? その先生は名前を夏さんって言ってた。
一通り、プログラムどおりに進行して、コンサートは大成功を収めたといってもよかった。あのグロリアも生で聴けてつぼみは大満足だったよ。葉音さんは夏さんといっしょにプライベートルームのほうへ向かっていった。ところが、絵里ちゃんはいっしょについて行かなかった。
「もう終わったんだし、行かなくていいの?」
「大事な打ち合わせがあるから、しばらく待ってなさいって、お母様が」
この時に、すぐに向かっていればあのような事態にならなかったかもしれないけど、それは結果論だね。グロリア・ワルツ号が周航を終えて港に近づきはじめても、葉音さんは姿を現さなかった。あたしたちはプロムナード・デッキに出てカモメを観察していた。
- 425 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/11(土) 20:24
- 「もう行ってもいいんじゃない?」
「でも……」
「夏さんも部屋を出たみたいだから、もう用事は終わったんじゃない?」
夏さんがデッキで煙草をふかしているのが見えた。絵里ちゃんはほっとした顔を見せて、あたしといっしょに葉音さんの部屋に向かった。葉音さんはベッドに腰掛けていたけど、顔色が優れなかった。
「お加減がよろしくないようですけど、大丈夫ですか?」
「ああ、絵里、つぼみちゃん。大丈夫よ」
- 426 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/11(土) 20:24
- トントン、とノックの音がして、船の従業員が入ってきた。
「桜木様。お手紙が届いております」
郵便ではなく、バイク便でも使ったみたい。手紙が届いたってことは、すでに港についているということだった。封を開け、一枚の紙を──さっきの紙のこと──ちらと見た葉音さんが固まっていくのがはっきりとわかった。一度立ち上がると、葉音さんは崩れ落ちた。
「お母様! お母様は心臓が悪いのよ」
「早く医者を呼んできて!」
- 427 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/11(土) 20:25
- ふつう、家族が残って部外者が医者を呼びに行くものだけど、それは一般庶民の常識なの。絵里を体よく追い出すと、あたしは葉音さんの具合を調べた。脈が弱く打っていて、ただならぬ症状を見せ始めていた。苦労してベッドに葉音さんを乗せると、葉音さんは意識を戻した。
「もうだめ……」
「この手紙を送ったのは誰なの? あの夏さんがすべてをばらしてしまうんでしょ、あなたたちの秘密を」
「何もかもお見通しなのね……」
葉音さんは昔話を始めた。
- 428 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/11(土) 20:25
- 葉音さんは本名をA・ナツミといって、養護学校を出てマッサージ師として働いていたが、東都音楽大学の理事長の座をめぐる争いに巻き込まれた。優れたピアニストを発掘した人が理事長になる、って話になり、ナツミさんは葉音さんの名前を騙ってスカウトされたわけ。
本物の葉音さんは、小学生の頃天才と呼ばれた人だったけど、海外旅行中にテロに合って行方不明になっていた。本物の葉音さんも同じ擁護学校を出てたし、経歴を誰も確かめようがないことだったんだけど、ナツミさんはそれだけの腕前を持っていたから、何も問題なかった。
それがきっかけで彼女は桜木葉音としてピアニストととしての道を歩み始めることができたんだけど、そこまでの道のりに人には言えないこともあった。大金が絡んでるしね。
- 429 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/11(土) 20:25
- その競争の中で、オリジナルのピアノ曲という課題があった。作曲能力も問われたわけ。作曲に自信のなかった葉音さんは、夏さんと、稲葉さんという人と共謀して、あちこちの曲からパクってきてつなぎ合わせた。曲のほとんどがポップ曲からだったんだけど、クラシックしか聞いたことがない大学の先生たちはまったく気づかなかった。
あとはお決まりのパターン。成功して大金持ちになった葉音さんを夏さんが旧悪をばらすと言って夏さんが脅迫してきた。夏さんは稲葉さんにも脅しにつきあうように誘ったんだけど、稲葉さんはそれを断ったみたい。葉音さんはお金を払う気持ちになってた。だけど……。
- 430 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/11(土) 20:26
- 「だけど?」
「そこでさっきの手紙が出てくるの」
「何かの詩みたいなやつ?」
「暗号文よ。不自然に切れ目がついているんだけど、最初から三つの単語ごとに読んでいくの」
『夏が』 また 試してるんだ
『迷ってる』 あの子を 夏が
『また』 笑って るんだ
『逃げ出す』 人を 運命って運
『命』 なの? 変わっ
『たり』 しないの?世界中のどんな人 にも平等なの?だって生きてか
『なく』 ちゃ そうよ
『みんな』 必死 なんだから
『あきらめる』 くらい 簡単だから
- 431 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/11(土) 20:26
- 「これは稲葉さんから葉音さんへの警告文。『夏が迷ってる』っていうのは、この古い悪事を東都大学関係者にばらして金をもらおうか、それとも葉音さんからむしり取ろうか迷っている、ということ。奪うだけ奪ったら逃げる準備をしていたみたいね。どうやら夏さんは両方から金を取ろうとしていたみたいで、東都の人間にばらされたら、葉音さんや稲葉さんの命が危うくなる。あの大学、その筋の人間と深い仲だって噂ね」
「で、あきらめる、ってのは、どうしようもない状態になったってことなんだ」
「すでに東都大学のほうにも情報が売られたみたい。それを知った葉音さんは心臓をさらに悪化させてしまったの」
「葉音さんは?」
「絵里ちゃんが医者を連れてくる前に亡くなったよ。どう? この話、使えそう?」
つぼみちゃんはそう言うと、黄ばんだ紙を机の引き出しにしまった。
- 432 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/11(土) 20:26
- 私はしばらく考え込んだ。桜木葉音さんは有名なピアニストで、世界中を演奏旅行したことを私は知っている。アフガニスタンへも、難民と化した子供たちへの慰問のため訪れており、その場に私はいたのだ。
そのとき、彼女は手を引かれて安物のピアノの前に座った。彼女は盲目だったのだ。目の見えない彼女に、あの手紙を読むことは不可能だ。暗号文自体も、あまりにも不自然すぎるし、そもそも暗号にする必要があったのだろうか。
すると、つぼみちゃんの話は何だったのだろう。手のこんだ作り話だろうか。だけど、日本の天才ピアニストが船の一室で病死したというニュースはアフガニスタンにも伝えられていた。その場につぼみちゃんがいなかったという証拠は何もない。あの葉音さんがナツミという人のなりすましだったかどうかもわからない。
まあ、いいか。目下の問題は、つぼみちゃんの名声と私のお小遣いだ。ハロモニこども新聞の読者が、葉音さんが盲目だったことなど知る由もないだろう。
「ありがとう。この話、使わせてもらうよ……」
- 433 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/11(土) 20:26
- fin
- 434 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/11(土) 20:26
- *****
- 435 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/11(土) 20:26
- ***
- 436 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/11(土) 20:27
- *
- 437 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/22(水) 22:37
- 詐欺師の肖像
- 438 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/22(水) 22:38
- 新垣里沙は、携帯の画面を見つめていた。
『重要な話があるので、夕方6時渋谷のG※※※※に来てほしい』
このメールの差出人が、彼女の属するグループのサブリーダー、矢口真里であるということが、ここ最近、彼女が耳にした噂の信憑性を大いに高めることになった。すなわち、近日中にハロプロユニットの再編が行われるという噂である。
里沙がこのグループに加入してから、およそ1年が経とうとしていた。彼女は、そろそろ自分たちも、モーニング娘。以外のユニットで活動することが許されてもいいのではないか、と考えるようになっていた。なぜなら、彼女の先達者である吉澤ひとみや石川梨華らが、加入してすぐにユニットにも参加して、歌をうたっていたからである。
- 439 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/22(水) 22:38
- そこへ、この真里からの呼び出しである。追伸で、「先ほどのメールはすぐに消すように」と言われていた。それだけ重要な話があるのだろう。つまり、里沙のユニット参加という噂、いや事実である。そう里沙は信じて込んでいた。里沙はゆっくりとていねいに削除ボタンを押した。
里沙は約束の時間の2時間前に、G※※※※という喫茶店にいた。すでにミルクティ2杯とモンブラン3皿を消費していた。そこに、ニットの帽子とサングラス、マスクを装備した真里がきょろきょろと辺りを見回しながら入ってきた。里沙がすぐさま立ち上がって「こっち、こっち」と手招きした時、座っていた椅子が大きな音を立てて倒れたので、店員と他の客の注視を浴びることになった。
- 440 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/22(水) 22:38
- 「矢口さん、重要な話って何ですか?」
「しーっ、大きな声出さないでよ。あっ、アイスティーを一つ」
真里はマスクの隙間から器用にストローを挿して、褐色の液体を吸い込んだ。
「それで、話をぜひ、早く」
「慌てるなよ。この話は絶対に秘密だぞ」
そして、「これはオイラがサブリーダーとして聞いた話だけど」と真里は前置きして話を始めた。それは、ほぼ里沙が期待していたとおりの内容だった。違っていたのは、里沙が改編ユニットメンバーの、まだ候補者の一人であるということだった。
「どうもまだ決まってないんだよね。候補者はあんたら4人だ」
「いつごろ決まるんですか?」
「今週中か、遅くとも来週中には内示があるはず」
- 441 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/22(水) 22:38
- 里沙は絶望的な気分になった。彼女の先輩たち、ひとみ、梨華、そして加護亜依はすぐにユニットに加わることができたが、ただ一人、辻希美だけはその選からもれてしまったという過去の実績がある。里沙が、他の3人と比べて、特段優れた技能を持っているわけではなかったので、彼女が希美の例にあてはまることはおおいにあり得ることだと思われたからだった。
そこに、真里が驚愕すべき提案を出してきた。まだまだ今なら挽回がきくというのだった。
「まだ間に合うよ。決定権を握っている人にツテがあるから、運動するべきだよ」
- 442 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/22(水) 22:38
- 真里はサブリーダーとして、事務所の上のほうの人とも接触する立場にある。運動とは、つまり賄賂のことだった。里沙の頭脳が高回転した。真里がそれとなく提示した金額は、ユニット参加による収入増を考えると1年で回収できる。まさか、CD1枚出してハイ終わり、なんてことはないだろう……。
「わかりました。すぐに準備しますので、ぜひともよろしくお願いします」
二人はがっちりと握手を交わした。
この日からちょうど2週間後、里沙のタンポポ入りが内示された。里沙はあらためて真里に手土産を持参して、感謝の意を表明した。
- 443 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/22(水) 22:39
- 真里は、この手の行動を、他の3人にも行っていた。どのような事情があったのだろうか。
矢口真里はパソコンの画面に映っているグラフを見てため息をついた。X軸は年数、Y軸は所得金額を表しており、折れ線はある年を頂点に右下がりの傾向を示していた。このままではまずい。真里は、自分の価値を表すものを模索し続け、あるときからそれは自分の所得金額に表れると考えるようになった。
真里の収入は年間で○千万円ある。これは何を意味するのか。かつて、紙幣が使われるようになるまでは、世界中のどの国でも金が物の価値を表していた。使用価値から交換価値への転換がなされたため、どこの国でも通用する物が求められた結果、金がその地位に選ばれたのである。
- 444 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/22(水) 22:39
- 金(原子番号79)は、1トンの金鉱石からわずか数グラムしか採取できない、希少性の高い物質である。科学的に安定しており、酸化しない(劣化しない)ことから、財産として保持するのに最適だった。増大する通貨量に対応するため紙幣の時代に変わってからも、それは必ず金に交換されることが条件である。
1970年、ニクソンショックによりアメリカで金本位制が停止されるに至っても、各国は中央銀行に準備資産として金の保有を義務づけた。紙幣は国家の信用が裏づけである。信用がなければ為替交換ができなくなる。逆に言えば、通貨として外国通貨と交換可能であれば、その貨幣は額面どおりの価値があることになる。
- 445 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/22(水) 22:39
- 真里は、自分が貨幣を受け取ることができるのは、その価値が自分にあるからだと考えた。この貨幣は金と同等の価値がある。金は金であるからこそ価値があるのであり、それはすなわち、真里は真里だからこそ価値があるという思考に変化した。そして、真里と金は同等なのだから、信用の裏づけはいらなくなる、とまで思うようになった。
その収入が減ることは、真里の価値が減じたことを意味する。これは、真里にとって、原理的にありえないことだった。金は真里と同価値であり、金(=真里)はどんなに年月を経ても価値は減らないはずである。ならば、真里はその矛盾を解消しなければならない。
- 446 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/22(水) 22:39
- どうするか。真里は租税システムを思い浮かべた。
物の価値は投入された労働量で決まる、という素朴なマルクス主義は、せいぜいマニュファクチャー時代まで通用する概念である。高度産業化社会では資本力および技術力が大きくなければ、利益をあげることができない。人間の労働力は機械のそれに変わることで、人件費(付加価値)が利益に転換されることは、自明の理となる。
競争力の差が収益力の差となり、さらに競争力の源である技術力、すなわち知的所有権が国家によってその独占を認められているため、一人勝ちの状態になる。勝ち組の会社と、その会社員はより大きな所得を得る。それによってさらに競争力に差が生まれる。
これは、自由経済主義を標榜する国家にとって望ましい状態ではない。所得の格差が機会均等を崩すと、国家規範が揺らぐことになる。どれほど意欲的に働いても、労働は価値を生み出さなくなるのだから。憲法27条1項に規定されている勤労の義務が形骸化される。そこで、国家は程度の違いこそあれ、所得再分配政策を採らざるをえない。累進課税制度、生活保障制度がそうである。
- 447 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/22(水) 22:40
- これらの源泉は税金という形で徴収される。では、税金とは何か。それは、国民から無償で財産を獲得する権利である。その昔、傭兵隊長ヴァレンシュタインは皇帝から賃金代わりに軍税徴税権を得ることに成功した。それは巨大な軍隊を保持するためであり、軍税は戦争が終わればなくなるものであったが、三十年戦争はほぼ毎日が戦争であったため、恒常的租税制度の礎となった。
さすがに根拠なく税を取り立てると社会不安が生じるため、多くの国が租税法律主義、すなわち税金をかける場合は法律を定めて行う決まりとしている。しかし、真里はどうか。真里は国家ではない。真里が「無償で財産を獲得する」のに、法律は必要ではないだろう。再分配政策も不要であるから、そっくりそのまま真里の手元に残る。
こうして、真里は自分の価値を維持するため、「税金」を徴収することに決めたわけである。その方法は、一般には「詐欺」と呼ばれることになるだろう。真里は国家ではないから、強制的に税金を取る権力も制度も手にしていない。真里は地位と頭脳でもって遂行していく。
- 448 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/22(水) 22:40
- さて、里沙たちにしかけた手口は古典的な手法に属する。サブリーダーであるという地位を利用して、ユニットの再編があるという情報を入手した。ユニットに参加するメリットは大だった。タンポポ、ミニモニと二つのユニットにいた真里は、その分だけ多くの収入を得ていた。
しかし、誰がどのユニットに入るかどうか、真里は知らなかったし、知る必要もなかった。真里は里沙たちに、「運動が失敗した場合は、運動資金の半金を真里の個人資産から返す」と約束していた。もちろん、真里は運動、つまり事務所の有力者に賄賂で働きかけることなど、毛頭する気もない。もし、里沙が幸運にもどこかのユニットに潜り込むことができたら、全額矢口の手元に残る。残念にも入ることができなかったら、受け取った資金から半分だけ返せばよい。どう転んでも真里は一毛も損することなく、大儲けすることができるのである。
- 449 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/22(水) 22:40
- この詐欺行為が、里沙たちにばれたらどうなるか。どうもならないだろう、という計算を真里はしていた。なぜなら、ばれたとしても被害者は、第三者から見れば贈賄行為の主犯の立場になってしまっているからだ。逆に真里は従犯の立場にランクダウンしている。犯罪行為の主犯が従犯を訴えることは、盗人猛々しい行為である。
実際、相手に詐欺行為がばれたのではないが、全額返金を求められたケースがある。すでにミニモニというユニットに加わっていた高橋愛に対しても、真里は大胆にも運動を勧誘した。二つのユニットに所属していた真里だからこそ、愛もこの話に乗ろうと決めたのだろう。実際は、愛がさらなるユニットに加わることはなかった。
- 450 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/22(水) 22:40
- 「矢口さん、お金全部返してくださいよ」
実らなかった場合は半額返す、という当初の約定を無視した要求に真里は腹を立てた。真里のやっていることはともかくとして、愛の主張は契約社会の規範に違反している。
「わかったよ。全額返せばいいんだろ。だけどもうオイラの手元にはないから、事務所のS※※※さんに話して、なんとか返してもらえるよう頼んでみるよ」
「え、いや、そこまでしなくても……いいです……」
事務所の上層部にことが露見していちばん困るのは、運動資金を出してその地位を得ようと企んだ彼女たちである。
- 451 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/22(水) 22:40
- このような手口は一度きりしか使えない。その後、各種のユニットが開店休業状態になってからはなおさらである。真里は次の獲物に入ったばかりの新人たちを選んだ。
その一人、亀井絵里は次のリーダーとなることが決まっている真里から封書を受け取った。中には一種の広告が入っていた。
『株式購入者募集中。株式は1株が1単元』
絵里は詳細をよく読んだ。1株当たりの単価はけして安くはない。が、絵里の目を引いたのは配当である。
『配当回数は年4回ほどの予定。配当内容はフレーズ』
フレーズ。絵里は、これを「曲のフレーズ」であると理解した。TV出演が少なくなっている現在、目立つためにはソロ部分を与えられることが必須である。
- 452 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/22(水) 22:41
- 真里は次のリーダーになることが決定している。事務所の覚えもめでたいことは絵里も噂程度には聞いていた。つまり、真里にはソロ部分を誰に任せるか、ある程度の発言権を持っている、と。もちろん、真里はそのようなことを匂わせていない。匂わせていないことで、逆に信憑性が増す。
そして、絵里は他の二人の同期のことを頭に浮かべた。彼女たちはどうするだろうか。二人ともこの株式を買うだろう。これは、相手を出し抜くというより、出し抜かれまいとする心理による。買わないで出し抜かれるのだったら、買って横並びをめざすのだ。
では、どれくらい買えばいいのか? それは株式の価値で決まるのではない。他の人間がどれくらい買うかという予測や意識によって決まる。すると、買えるだけ買うことになる。もちろん、フレーズの数にだって限界があるのだから、自然と1株当たりの価格が高騰する。
「矢口さん、あるだけください、いくらでもいいです……」
- 453 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/22(水) 22:41
- 彼女の頭の中には、配当がされるということしかない。配当とされる歌詞の内容、実質は問題ではないのだ。株式は、与えられる株式そのものに価値を有する。金、王権と同じだ。「それの存在自体に価値があるもの」に価値を生じせしめているのは、「遠方性」にある。今ここでは生じない、遠いところからの由来があるからこそ、希少性を生むのだ。
しかし、実際のところ、株式の生む価値は結局のところ配当である。将来の収益を期待して株式の値段がつけられるとすると、金や王権とは異なる由来となる。遠方からの収益という概念は矛盾があるのだ。
真里の狡猾なところは、1株当たりのフレーズ数を明記しなかったことと、ソロ部分であると断言しなかったことだ。コーラスの部分のフレーズには違いあるまい。そして、投資に見合ったフレーズ数かどうか、絵里たちには確かめようがなかった。またしても絵里たちは被害者から加害者への転換を強要されたのだから、問いただすこともできない。
真里の口座から、事務所の誰かに金が振り込まれたという記録はない。
- 454 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/22(水) 22:41
- こうして、真里は着実に「徴税」を重ねていったのだが、途中加入した藤本美貴に対してこのような行為を行った形跡はない。美貴はソロからの加入であり、ソロに価値を置いていたため、ユニットや歌詞で釣れる見込みがなかったためだろう。
- 455 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/22(水) 22:41
- いわゆる7期に対しても工作しようとしたふしがある。この7期とは久住小春のことではなく、合格者が0に終わった2005年1月頃のオーディションである。
このオーディションは「エース」の獲得を狙って開催されたものである。開催者はもちろん、受験者もそのことを大いに意識している。そこが真里のつけ目だった。
エースといえば、安倍なつみと後藤真希であるが、事務所は最大の売り上げを記録した「ラブマシーン」の再来を期待しているのだから、真希のことを指していると判断してよい。つまり、このオーディションの合格者は「後藤真希の再来」というフィクションで飾り立てれることになるだろう。そこには、「お忍びで旅する王子」という古典的な物語の匂いがする。
- 456 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/22(水) 22:42
- 貴種は、けっしてその中身が問題とされることはない。服装や立ち振るまい、外見が重要なファクターとなる。もう一人の真希を求めている人間たちにとって、新しく入ってくる人間は必ずエースでなければならないのだ。
事務所、メンバー、支持者のすべてが真希の亡霊を求めて彷徨っている。かつての輝き、なつかしき日々を求めて。ワイマール共和国のドイツが、かつての帝国の栄光を求めて、ヒトラーをエースに仕立て上げたように。
このときは、どういう事情があったのか、該当者なしとなったため、真里がどのような詐欺を仕掛けようとしたのかは明らかではない。そして、すぐに次のオーディション募集が始まり、次の牙を研ぎ始めた矢先のことである。
- 457 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/22(水) 22:42
- このようにして、真里は一流の詐欺師として成長を果たした。詐欺師とは、アイデンティティが欠如とした者である。先天的である場合もあるし、社会生活の都合でそうなる場合もある。
個性を磨け、個性が武器なる、と主張する勢力がある。しかし、詐欺師は無個性、アイデンティティの欠如を武器にする。無個性がゆえに、何者にでもなることができる。顧客が望む姿を見せることができる。芸能人はその最たる存在だろう。彼らは自己を商品化しなければならない。その自己は商品として陳列できるものになっていなければならない。電波少年、ASAYANという番組の存在はその落とし子であろう。
- 458 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/22(水) 22:42
- 詐欺師の心理構造はは軽さと短さから成る。それは内面の空虚さが必然的に産み落としたものである。そして、もう一人、内面が空虚であると真里がにらんでいる人間がいた。吉澤ひとみである。
ただし、真里は、ひとみはアイデンティティの不安定な人間であるととらえていた。彼女の奇行、奇声、激太り、一時期のやる気のなさなどの観察から得た結論である。アインデティティの欠如ではなく、不安定であるとはいえそれが存在するかぎり、真里のつけこむ隙はおおいにある。
「ガッタスなんか、使えそうだな」
- 459 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/22(水) 22:42
- 真里は勘違いしていた。ひとみの精神構造は、空虚などではなく、混沌にまみれていた。彼女は社会からはみ出した幽鬼である。ひとみも真里と同類で、誰でもない、誰にでもなれる人間だった。彼女は道化者であり、スポーツ少女であり、コント役者であり、歌手であり、一般の通行人なのだ。
真里はひとみの特質を見損なっていたが、ひとみは真里を見抜いていた。自分と同じ、眷属であることを。ならば、ひとみはどうするのか。アイデンティティの欠如した人間は、詐欺師になるよりほかにない。
「矢口さんもいい大人なんだから、恋人の一人や二人、どうですか? ……」
- 460 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/22(水) 22:42
- 真里は、そのような人間が陥りやすい落とし穴にはまりこんだ。詐欺師の転落はその意識を徹底できなくなったときに始まる。彼女の場合、秘密の恋人がそれだった。無個性的であることも精神を疲労させるものであり、恋愛に代償を求めたのだろう。
2005年4月16日発売のフライデーに決定的な証拠写真が掲載される前に、真里はグループを辞めざるをえなくなった。そのとき、「背後から撃たれた」と小声でつぶやいたそうである。
- 461 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/22(水) 22:43
- fin
- 462 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/22(水) 22:43
- *****
- 463 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/22(水) 22:43
- ***
- 464 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/22(水) 22:43
- *
- 465 名前:名無し飼育さん 投稿日:2006/02/24(金) 16:55
- うm。
- 466 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/04/10(月) 23:16
- 登場人物紹介
- 467 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/04/10(月) 23:17
- 久住小春
被害者。佐渡島沖にある孤島の別荘にて、鍵のかかった自室のベッドで縊死体となって発見される。
藤本美貴
小春の先輩。探偵役を買って出て捜査を進めるが、他の招待客からは、まっさきに容疑者と目される。しかしながら、彼女もまた心臓にナイフを突き立てられた死体となる。
高橋愛
小春の先輩。通信が途絶えた状態が続き、周囲の制止もきかずに夜半にボートでの脱出を試みる。岸辺をただようボートの中には眉間を撃ちぬかれた彼女の姿があった。
- 468 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/04/10(月) 23:17
- 亀井絵里
小春の先輩。就寝中、天井から落ちてきたシャンデリアによって頭を押し潰される。
小川麻琴
小春の先輩。食料確保のため、地下の貯蔵庫に潜り、そこで見つけた煎餅を食べて毒死する。
紺野あさ美
小春の先輩。大きな冷蔵庫の中で、芋を握り締めたまま凍死体で発見される。
- 469 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/04/10(月) 23:18
- 田中れいな
小春の先輩。ひとり別荘を探索中、隠し通路を発見し密室の謎を解明するが、頭部をハンマーで殴打され孤独に死ぬ。
新垣里沙
小春の先輩。眉を整えていると発火、焼死する。
道重さゆみ
小春の先輩でかつての教育係。密かに渡されたメモに従い、浴槽で溺死する。
- 470 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/04/10(月) 23:18
- 吉澤ひとみ
名探偵。
- 471 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/04/10(月) 23:18
- fin
- 472 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/04/10(月) 23:18
- *****
- 473 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/04/10(月) 23:18
- ***
- 474 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/04/10(月) 23:18
- *
- 475 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/04/30(日) 22:10
- テセウスの船
- 476 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/04/30(日) 22:11
- M計画
構成されている因子を一つずつ新しい因子と取り替えていくこと
取り外された因子を集め、再構成すること
- 477 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/04/30(日) 22:11
- from 梨華
5月6日と7日は、横浜アリーナに来てね
みんな待ってるからね
- 478 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/04/30(日) 22:11
- 社会ニュース
「モー娘。」の紺野さん、小川さん脱退
人気アイドルグループ「モーニング娘。」の紺野あさ美さん(18)と小川麻琴さん(18)が
同グループを脱退することが28日、分かった。 (時事通信) - 4月28日19時1分更新
- 479 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/04/30(日) 22:12
- つんく♂のドキュメント
─マイミュージック
│
└─モーニング娘。
│
├−旧・モーニング娘。
│ ├─ words
│ └─ melody
│
└−新・モーニング娘。
├─ words
└─ melody
- 480 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/04/30(日) 22:12
- モーニング娘。コンサートツアー2006春
公演日 会場 開場 開演 座席 料金
5月6日 17:00 18:00
(土) さいたま 全席指定 \6,800(税込)
5月7日 スーパーアリーナ 13:30 14:30
(日) 17:00 18:00
公演日 会場 開場 開演 座席 料金
5月6日 17:00 18:00
(土) 横浜 全席指定 \6,800(税込)
5月7日 アリーナ 13:30 14:30
(日) 17:00 18:00
- 481 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/04/30(日) 22:13
- 警視庁公安部傍受記録
もしもし。あ、まいちん?
話聞いた? 聞いてた。そうなの。
びっくりしちゃったよ。
娘。卒業したメンバーで新しい娘。作っちゃうなんてさあ。
どっちが新しくてどっちが古いのかわかんないけど。
そう。うん。うん。
でさあ、あたしさあ、どっちに行くかってのがさあ。
梨華ちゃんも誘ってるんだよね。うん。
マネージャーも「好きなほうに行け」ってさ。
え、どっちにする?
モーニング娘。であるほうに行こうと思ってるんだけど。
- 482 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/04/30(日) 22:13
- どっちがモーニング娘。なんだろうね。
難しいことはわかんないんだけどさ。
コンコンは「連続性」に問題があるとかなんとか言ってたけど。
うん。いやー、どうなんだろうね。
コンコンとマコトはその「連続性」を断ち切るために辞めるんだって。
そう。「卒業」じゃなくて。
どっちがモーニング娘。かどうかは、ファンが決めるんだろうけどね。
あたしはどっちに行くべきなのかな……。
- 483 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/04/30(日) 22:13
- fin
- 484 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/04/30(日) 22:13
- *****
- 485 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/04/30(日) 22:14
- ***
- 486 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/04/30(日) 22:14
- *
- 487 名前:でろりん 投稿日:2006/06/27(火) 16:17
- おわったアイドルおっかけて香ばしいですね^^
- 488 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/27(火) 18:47
- くだらねぇもんわざわざageんな。
- 489 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/27(火) 21:24
- >>488 失敬な
- 490 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/27(火) 21:25
-
アキレスと亀
- 491 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/27(火) 21:25
- のどかな田園地帯にぽつんと小さい山がそびえており、その中腹にその白く小さな建物がある。
そこへたどり着くには、ローカル線を乗り継いで、無人駅からタクシーを使うしかない。
そこは、かつて旅行客目当ての宿泊施設だったものを、修繕を加えて病院としたものらしい。
深緑の山肌の中に白い突起物が伸びているさまはミスマッチだった。
- 492 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/27(火) 21:26
- 病院に入ると、十人ほどの患者と、彼女たちをケアする医師や看護士がいる。
ここは、患者も医師もすべて女性だった。
それはこの病院の特殊的な事情のためであると説明されている。
鉄の門に、「※※※精神病院」というプレートが打ちつけてあった。
「ここは女性だけを受け入れる病院です。男性がいると何かとまずい患者もいますから」
医師の説明に、ひとみは大きく頷いた。
- 493 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/27(火) 21:26
-
「退屈じゃないですか?」
「いや、そんなことはないですよ。ここには興味深いものがたくさんありますから。
研究も順調に進んでいます」
昼食の時間はとうに過ぎていたが、何人かの少女たちは思い思いのことをしていた。
ひとみは窓際に座って、コーヒーカップを片手に書物へ目を落としていた。
脇のテーブルには分厚い本が何冊も重ねられていた。
「読書好きなんですね」
「昔は文学やニーチェを読んでましたが、今は手当たり次第ですね」
「これはどんな本?」
医師は白っぽい本を持ち上げてページをめくった。
「『パラドックス大全』……難しそうな本ね」
「わたしも全部理解できてはないですが、ここを観察するための助けになるんですよ」
- 494 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/27(火) 21:27
- たとえば、と、ひとみは指をさした。
一人の少女が、もう一人の少女のほうへ近寄ろうと歩みを進めている。
しかし、もう一人のほうもゆっくりと離れるので、追いつくことができない。
いつまでたっても二人は同じ場所に立つことはなかった。
彼女はあきらめて、ひとみのほうにやってきて袖をつかんだ。
「ねえ、どうして追いつけないの? どうして? どうして?」
「……こんなふうにですね。ここはパラドックスに支配された世界なんですよ」
- 495 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/27(火) 21:27
- ひとみはコーヒーカップを置いて、少女のほうを向いた。
「レイナは決してエリに追いつくことはできないんだよ」
「どうして? どうして?」
「レイナが歩いていると同じように、エリも歩いているからだよ」
「でも、あたしのほうが歩くスピードは速いのに」
「たとえば、レイナのスピードを1として、エリのスピードをその半分とするね。
レイナが、エリのいたところにたどり着いたら、エリは少しだけ先に進んでいる。
さらにレイナが、エリが先に進んだところに歩いていくと、エリはさらに先に進んでいる。
このくり返しだから、レイナはエリに追いつくことはできないんだよ」
- 496 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/27(火) 21:27
- レイナはその説明を理解できたのか、大きく頭を上下した。
じゃあどうすればいいの? との問いに、ひとみはエリの歩みを止めればいいと答えた。
「でも、あたしが声かけても聞こえないみたいなんだよ」
「それじゃあどうしようもないよ。あきらめるしかないね」
「なら、あたしの代わりにエリを呼び止めてよ。ねえ」
ひとみは笑って頭を振るばかりだった。
レイナは、自分ならそのくらいのことしてあげるのに、と怒って食堂を飛び出していった。
この様子を見てクスクスと笑っていた二人のことをひとみは見逃さなかった。
- 497 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/27(火) 21:28
- 「何がおかしい?」
「級数を知らないんですか?」
「1+1/2+1/4+1/8+1/16+……と無限に足しこんでいけば、2になるんですよ」
レイナが1進むとエリは1/2進む。さらにレイナが1/2進むと、エリは1/4進む。
さらにレイナが1/4進むとエリは1/8進む。さらにレイナが1/8進むとエリは1/16進む。
このように、レイナが歩くべき距離は半分ずつに減っていく。
これらを合算すると、合計は2になるというのが、級数という考え方である。
つまり、レイナは無限に進まなければいけないのではなく、2だけ進めばいいというのだ。
「マコトめ。どうせおまえが考えたんじゃないだろ。コンコンの腰ぎんちゃくめ」
- 498 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/27(火) 21:28
- ひとみはマコトにノートを投げつけ、2になるというなら実際に計算してみろと命令した。
マコトは泣きべそをかきながら、ノートに分数を書き連ねる作業を始めた。
さらに、ひとみは亀の形をしたおもちゃを取り出し、甲羅のところに柏餅をくくりつけた。
そのにおいに導かれるように、コンコンはふらふらと手を伸ばした。
床の亀はゆっくりとしたスピードだが、コンコンの手を逃れて前に進んだ。
「亀にはセンサーがついていて、コンコンの動きを感知すると腹の車輪が回るようになってる。
速度は、コンコンの動きのおよそ半分だ」
コンコンは何度も手を伸ばしたが、亀はするりと逃げてしまう。
ゆっくり近寄っても、亀はさらにゆっくりと走る。
- 499 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/27(火) 21:28
- 「二人とも無限に続けるつもり?」
「どうでしょう。マコトは腹の虫が鳴るまで、コンコンは柏餅が腐るまでじゃないですか」
「さっき逃げていった子にもそうだけど、ずいぶん冷たいことするのね」
「別に、わたしがエリを呼び止めても、級数を持ち出してもかまいません。
だけど、それはその世界と同じレベルのものじゃない。上位の概念なんです。
その世界のことは、その世界の取り決めで解決しなければ、意味がありませんから」
- 500 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/27(火) 21:29
- そこへ一人の少女が近づき、ひとみを指さして「人殺し!」と叫び始めた。
すぐに看護士が飛んできて、少女を連れ去った。
「いつもながらたいへんですね。気にしないように」
「大丈夫ですよ。ここはそういう人の集まるところなんですから」
くだんの少女は深夜にもひとみのベッドを襲撃し、一晩中「人殺し!」とわめきながら
ひとみを寝かさなかった。
- 501 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/27(火) 21:29
-
翌日の朝、トイレでコンコンの撲殺死体が発見されて、病院は大騒ぎとなった。
ひとみは睡眠不足のため目を赤く晴らしながら、食堂で医師から詳しい事情を聞かされた。
「トイレの床にうつぶせになって倒れていたんですね」
「右手を前に伸ばすような格好になっていました。後頭部から血を流しながら、ね」
「凶器は何だったんです?」
「そばに金属バットが転がっていたそうです。警察が持っていきましたから、多分それです」
「あのやたら太いバットですか。計画的な犯行というわけではなさそうですね」
- 502 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/27(火) 21:29
- そこへ、またまたくだんの彼女が乱入してきた。
「お前があの子を殺したんだ! 悪魔!」
「いいかげんにしなさい」
「わたしには殺すことは不可能だよ。昨夜はずっといっしょにいたじゃない、真希ちゃん」
正論に真希はぐっと黙った。
- 503 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/27(火) 21:29
- 「この病院内の人間が犯人なんだろうね」
「こんなところに忍び込んで彼女を襲うなんて、考えにくいですよね」
「だけど、金属バットを振って後頭部を狙うことのできる人間も限られてくる」
「患者さんは体が小さいし。腰より高くバットを振るのは難しいでしょう」
「ミキティか、看護士くらいかなあ」
「ねえ。ねえ」
おとなしくなっていた真希が、ひとみの袖をつかんで引っぱった。
真希は、コンコンの死体に変なところがあったと言う。
- 504 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/27(火) 21:30
- 「真希ちゃん。死体見たの?」
「うん。担架で救急車に運ばれるところ見たんだ」
「それで、変なところって何?」
「ほっぺたに餡子が付いてた」
ひとみは、この子は何を言い出すのだ、と怪訝な顔をしていたが、やがて意味することがわかった。
「あの柏餅のことか。ということは、コンコンは無限の運動に成功したのかな」
ひとみは軽く口笛を吹いた。
マコトのほうは? とひとみが尋ねると、ノートの余白がなくなったみたい、と真希が答えた。
- 505 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/27(火) 21:30
- ようやく病院内もふだんの空気が戻ってきた。
食堂では、レイナはあいかわらずエリを追いかけ、ある少女は腕を組んで仲間にあれこれ命令していた。
ひとみはいつもの窓際のテーブルで、紅茶を片手に書物に没頭していた。
そこへ、医師が穏やかな表情でひとみに話しかけた。
「誰が殺したんでしょうね」
「警察がちゃんと見つけるでしょう。それが彼らの仕事ですから。ただ……」
「ただ?」
「警察は、誰がやったかはわかっても、なぜやったかはわからないでしょうね」
- 506 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/27(火) 21:30
- レイナが大声をあげた。ようやくエリは立ち止まり、横にいた少女とともにレイナのところへ駆け寄った。
しばらく三人で何事かを話したあと、レイナがひとみのもとにやってきた。
にんまりとしているレイナを、ひとみはそっと抱きしめた。
- 507 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/27(火) 21:31
- レイナが離れると、ひとみは話を続けた。
「コンコンを殺した人間は、この病院の中の人間であることは間違いないでしょう。
お医者さんか看護士には、わたしの知っている限りでは動機がありません」
「どうかしら。何か特別な事情があるのかもしれない」
「そういう事情をご存知なんですか?」
医師は笑って頭を振った。
「そういう事情があるなら、警察もすぐに気がつくでしょう。それならそれでいい。
だけど、看護士ではなく、ここの患者たちがやったのだとしたら、警察はわからない。
ここの患者たちはわたしたちとは違う理屈を持っているからです」
医師は、少し間を置いてから、そうだね、と同意した。
- 508 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/27(火) 21:31
- 「彼女たちは、通常とは異なる思考をしているのは確かですね。ではあなたは?」
「わたしは、ここで一年間、彼女たちを観察してきました。彼女たちの心をトレースすることはできます」
「ぜひ聞きたいところです」
「その前に、金属バットの問題から始めましょう。
大柄の看護士なら、立っているコンコンの頭を狙って振ることはなんとかできるでしょう。
それでも、身長が160センチくらいありますから、困難な作業となります」
「野球のようにバットを振るにはコースが高すぎるわね。すると真上から振り落としたのかしら?」
- 509 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/27(火) 21:31
- 「それでも、1キロ近いバットです。それで狙いをつけることができたのでしょうか。
ふつうに振ることはできないので、上から振り下ろしたのは間違いないでしょう。
しかし立っているコンコンは狙いにくい。ならば、横に寝ていたとしたらどうでしょう」
「トイレで寝ていたの?」
「寝そべる事情があったのです。それが例の亀と柏餅です。
コンコンは、自分の動きに反応する亀のおもちゃを捕まえようとして、
ゆっくりと、床を這いながら手を伸ばしていたのです」
標的は床にある。しかも動きはほとんどない。これなら、扱いにくい金属バットでも狙いやすい。
- 510 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/27(火) 21:32
- 「そうなると、犯人はどうして殺したの?」
「手助けのつもりだったんです」
狙ったのはコンコンの頭ではない。亀のおもちゃだ、とひとみは言った。
「コンコンはどうしても亀のおもちゃ、というより柏餅を手に入れたかった。
だけど、彼女にはそれができない。だから、亀のセンサーに反応しない人間が助けようとしたんです」
「助ける、とは?」
「たとえばわたしなら、コンコンに動かないよう命じておいて、動かなくなった亀をつかむだけです。
でも、彼女はいわゆる『ふつう』ではありませんでした。
人間だったら、それに『止まれ』と呼びかければよい。でもおもちゃは人間ではない。
止まれと言ってもきかないような相手なら、バットで壊してでも止めるしかない、と」
「それって」
「レイナがコンコンを殺したんです」
- 511 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/27(火) 21:32
- レイナは、ひとみがエリにを呼び止めようと頼んで断られた。
そして、「自分ならしてあげるのに」と毒づいた。レイナは、コンコンに「してあげた」のだった。
「ところが、そのとき、コンコンは亀をつかもうと飛びついたのでしょう。
もう少しでとどくところだったのかもしれません。
でも、亀のおもちゃは非情にも動いた。亀のいたところにはコンコンの頭が来ました。
そこへ金属バットが振り下ろされたのです」
ひとみはパタンと本を閉じた。真希は小さく「人殺し」とつぶやいた。
- 512 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/27(火) 21:33
- 「顔に付いてた餡子はどういう意味でしょう?」
「コンコンは死んだので、動くことはできません。それは亀も動かないことを意味します。
ようやくレイナは亀のおもちゃを壊すことに成功しました。
なのに、コンコンは柏餅を取ろうとしない。これでは手助けは完了しません。
レイナは柏餅をコンコンの顔に押しつけることで、ようやく目的を達成することができました。
押しつぶされた柏餅と壊れた亀は、警察が押収したかどうか、あとで聞いてみてください」
- 513 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/27(火) 21:33
- 「……結局、彼女は無限の運動を行うことはできなかったわけね」
「わたしたちの世界だろうと、彼女たちの世界だろうと、実際に無限に運動するなんてできません。
ただ、できるかのように仮定しているだけです。
有限か無限かの問題は、その世界の中の取り決めでは決めることができないのです。
終わりは突然やってきます。それも世界の外部から告げられます」
そのことが、なんとなく許せないんです、とひとみは誰にとでもなくつぶやいた。
食堂の外の廊下では、レイナとエリの笑い声が響いていた。
- 514 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/27(火) 21:33
- fin
- 515 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/27(火) 21:33
- *****
- 516 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/27(火) 21:34
- ***
- 517 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/27(火) 21:34
- *
- 518 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/30(金) 23:08
-
神々のいたずら
- 519 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/30(金) 23:08
- 自陣ゴール前でボールを奪った里田は、前方の藤本にパスを出した。藤本はワンフェイントで相手をかわすと、右サイドを走っていてあさみにパス。スピードに乗ったあさみはゴールライン際で真ん中に折り返す。左サイドから中央へ走りこんできた吉澤の足元にぴったりとおさまり、吉澤は覚えたてのインサイドキックを放ったところ……。
ボールはゴールのはるか上方を通り、後ろのネットも乗り越え、フットサル場から姿を消した。
「うわ、失敗した」
「よっすぃ〜、もうちょっと落ち着いて」
- 520 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/30(金) 23:09
- 吉澤はボールを拾いに出た。ボールは、その持ち主を探しているかのように、空間をふわふわと漂っていた。
「うまくいかないんだよなあ」
吉澤はボレーシュートの要領で空中に浮かんでいるボールを蹴り飛ばした。ボールはうなりをあげて飛んでいき、ボールの四倍ほどある球形の岩石に衝突した。ボールはあらぬ方向へ跳ね返り、岩石のほうはひびが入ったかと思うと中から赤く光る液体を流して二つに割れた。
「やっべ」
- 521 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/30(金) 23:09
-
そこはヨーロッパの都市部だった。突如空一面がまっくらになり、太陽の光がさえぎられた。人々が、それが何であるか気がつく前に、一面を押しつぶした。空を突き抜けるように乱立していた鉄筋の高層ビル、轟音をあげて地面を這いずりうごめく高速鉄道列車、不満を隠さない自動車の列。すべてがなすすべもなく、天から落ちてきたそれに押しつぶされた。
空中では乱気流が起こり、旅客機や戦闘機を巻き込んだ。衝撃は地下にも及び、地下鉄は地面にうずもれた。同時に起こった地震は全世界の地面を揺らした。盛りがった海水は、覆いかぶさるように低地に流れ込んだ。
やがて世界のあちこちで地表が裂け、溶岩が噴き出し始めた。その頃には命のあるものは存在していなかった。
- 522 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/30(金) 23:09
-
「どうすんだっけ」
「とりあえず110番してみようよ」
石川の提案に吉澤は頷いた。
「こちら110番です。何がありましたか?」
「すいません。誤って惑星一個壊しちゃったんですけど」
「了解しました。そちらの住所を教えてください」
吉澤が住所を告げると、保留音がしばらくの間流れた。
- 523 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/30(金) 23:10
- 「今の時間帯ですと、フットサル場の裏手はアルファ・ケンタウリ星系ですね。そちらに修復マニュアルを送りますから、その指示に従ってください」
すぐさま宅配便で、説明書とCD-ROM、「天体修復キット(有人惑星版 ver 9.01)」が送られてきた。吉澤はマニュアルとにらめっこしながら、ノートPC附属のDVD-ROMに、送られてきたCD-ROMをつっこんだ。
インストール後、音声ガイドが始まった。
「該当する星系をクリックしてください」
「よっと……該当する有人惑星は一個だけみたい」
- 524 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/30(金) 23:10
- 「手順その一。破裂した惑星の破片を集めて、球体を作ってください」
吉澤は二つの大きな塊を接着剤でくっつけた。
「すきまとかあいてるのはどうするって?」
「ええとね。修復キットの中にパテがあるからそれを埋めて、だって」
マニュアルを読んでいた石川が答えた。吉澤がパテをちぎって隙間に埋め込み、藤本がヘラでなめらかにした。
- 525 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/30(金) 23:10
- 「手順その二。手作業でなるべく原形に近くなるように、地形を整えてください」
PCの画面にめざすべき地図があらわれた。
「細かい作業はコンピュータがやるから、だいたいの形でいいみたい」
「海になる部分はへこませて、陸になる部分にはパテを貼ってと」
「辻ちゃん。なんだっけ、その富士山ってやつは二ついらないから」
「柴ちゃんはマリアナ海溝掘りすぎだって」
数人かかりでなんとなくそれっぽい形に仕上げたてた。キットについていた装置に乗せて、ノートPCとUSB接続すると、装置から歯医者が握るような器具が伸びてきて、岩石を削り始めた。
- 526 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/30(金) 23:10
- 「手順その三。溶岩を天頂から注入し、穴をふさいでください」
吉澤は注射器を突き刺してどろどろの液体を流し込んだ。
「手順その四。食塩水を表面に流してください」
里田がそのとおりにした。
- 527 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/30(金) 23:11
- 「手順その五。動植物を配置します。各生物の設定が完了したら、『配置』ボタンを押してください」
吉澤たちは三班にわかれ、詳細設定の作業にとりかかった。植物班の係はすぐに作業が終わり、ボタンを押すと、装置の上に乗せてあった岩石が回転を始め、だんだん緑色の部分が増えていった。動物班では、すでにこの星では滅亡したとされる動物を復活させるかどうかで意見がわかれたが、それが軽犯罪法違反に問われることを紺野が指摘することで解決した。
吉澤たち人間班が一番手間取った。50億人もの人間の設定を、一つ一つ手動で行うことは非効率なので、ある程度グループ分けしておおまかな設定を行う。
「この白いのはどのへんに配置?」
「黒いのは運動能力が高いそうよ」
「黄色いのは、パラメータの変動幅が小さいね」
- 528 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/30(金) 23:11
- 吉澤たちはいろいろ設定いじくって遊んでいたが、「手前勝手で攻撃的」という項目は半透明になっていて、チェックマークを外すことができなかった。
「ま、こんなもんかな」
吉澤は配置ボタンを押した。「アップロード中〜基本情報」「アップロード中〜誕生年月日」「アップロード中〜死亡年月日」などのメッセージ画面が次々と流れていった。やがて装置の岩石が再び回転し、やがて止まった。小さすぎて吉澤にはよく見えなかったが、多分人間の配置が終わったのだろう。
- 529 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/30(金) 23:11
- ノートPCの画面を覗き込んでいた石川が、吉澤に声をかけた。
「ねえ、よっすぃ〜。この新規追加って何?」
「それ? 配置できる人間は送られてきたCD-ROMの情報に限るんだけど、数人だけ新規作成人間を配置できるみたいなんだ」
「どんなふうな人間?」
石川がボタンを押すと、アップロード済みリストの最後尾に、彼女たちの名前が並んでいた。
「よっすぃ〜ったら、あたしたちのそっくりさんを作って配置したんだ」
「そうだよ。みんなアイドルやってて、フットサルが大好きで、こんなふうに練習してるんだ。この小さな星の中で」
- 530 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/30(金) 23:12
- 「手順その六。元の軌道に乗せるために射出します。用意ができたら『完了』ボタンを押してください」
戻るボタンを押して設定を直すことも可能だったが、吉澤たちはもうそろそろ飽きがきていた。吉澤は無造作にクリックボタンを押した。ポンと音がして、水色と緑色の混じった岩石が宙を飛んだ。ゆっくりと自転しながら、円を描き始めた。
「やれやれ。やっと終わった」
「これからは気をつけてよね」
- 531 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/30(金) 23:12
- 藤本たちが笑いながら吉澤をたしなめていたら、辻が「あれっ」と大声を出して指をさした。
「よっすぃ〜。お月さまがどこにもないよ」
えっ、とみうなが目をむき、石川がマニュアルの索引を指でたどる。吉澤はたいして気にするふうでもなく、「これでいいだろ」と、右わきに抱えていたフットサルのボールを軽く蹴り飛ばした。ボールは地球に接近し、重力に引かれてその周りを回り始めた。
- 532 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/30(金) 23:12
- fin
- 533 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/30(金) 23:12
- *****
- 534 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/30(金) 23:12
- ***
- 535 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/30(金) 23:13
- *
- 536 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/07/03(月) 01:43
- 悔しいがおもしろかった
- 537 名前:EitorG 投稿日:2006/08/10(木) 14:33
-
過去ログから追っ掛けて辿り着いたんです
他にも別れ道が無かったか探しているんです
もう話はないですか?
- 538 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/11(金) 21:40
- 不定期連載
白百合つぼみの思い出
The Memories of TSUBOMI SHIRAYURI
- 539 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/11(金) 21:41
-
第5話 最後の事件
The Final Problem
- 540 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/11(金) 21:42
- ハロモニ幼稚園のお友達であり、その独創的な活躍で日本中に名を知らしめた天才の記録を書くのも、これが最後になると思うと、すごく物悲しい気分になる。私たちが「ブブカの醜聞」事件で偶然知り合うようになってから、「桃色の研究」事件に至るまで──たしか、その事件では隣国から来た留学生の謎の毒殺事件であったように思う──彼女とともに行動することで風変わりな体験を綴ってきた。
私は、そこで筆を折るつもりだったし、事実として長い間更新してこなかった。私の人生に、わずかな期間とはいえ、二度と埋めることのできない空白期間を生じさせたあの事件について、語る気持ちはさらさらなかった。だが、ある飲食店員が彼の姉の弁護のために手記を発表したことにより、私はありのままの事実を正確に述べる必要が出てきたのだった。事件の真相を知る者は私一人であり、それを皆さんに知らせる時がやってきたということだろう。
- 541 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/11(金) 21:42
- 私は常に彼女──白百合つぼみちゃんと行動をともにしてきた。その舞台はハロモニ幼稚園内にある探偵事務所だったが、夏休みに入ると、自然と事務所から足が遠のくことになる。プールに行ったり、花火をやったり、幼稚園児は忙しいのだ。
夏休みを謳歌して一週間ほどすると、つぼみちゃんからメールが来た。
「都合よければ事務所に来て。悪くても来て」
- 542 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/11(金) 21:44
- これは、つまりとっとと来いという命令である。いろいろなしがらみがある私には断ることなどできるわけがない。その日のディズニーランドの入場チケットを泣く泣く破り捨てると、メールの支持に従い、荷物とパスポートを持って幼稚園の一室に向かった。
つぼみちゃんは白っぽい涼しげな装いだったが、横に鎮座するつぼみちゃんの胴体くらいありそうなトランクを見ると、やはり海外に連れ去られてしまうのだなと観念した。
つぼみちゃんは私の腕を引っ張ると、いつもの真っ黒なリムジンに押し込んだ。成田空港での搭乗手続きも無事終わり、キャビン・アテンダントがシートベルトを外してもよいとアナウンスした頃を見計らって、ようやくつぼみちゃんに声をかけることができた。
- 543 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/11(金) 21:45
- 「これからどこに行くの?」
「スイスよ」
「でもこの飛行機、ロンドン行きじゃ……」
「順序ってものがあるの」
ファーストクラスの席とはいえ、何時間もじっとしているとお尻が痛くなってきた。あいかわらずつぼみちゃんはオレンジジュースで喉を潤しながら、何かの本を静かに読んでいるので、楽しいおしゃべりもできなかった。
いつのまにか眠っていたらしく、私は乱暴に起こされた。ヒースロー空港に降り立つと、ハイヤーでロンドン市街に向かった。そこでささやかな食事をとることになった。
- 544 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/11(金) 21:46
- 「何食べる? フィッシュ・アンド・チップス? スコーン?」
「どうしてつぼみがそんな庶民料理を食べなきゃいけないの?」
とはいえ、ここはあのイギリスである。ということはろくな料理が出てこない。ロブスターやらロースト・ビーフやら、野ウサギを何かしたような料理やら、そんなのばかりで、舌の肥えたつぼみちゃんを満足させることはできなかった。
「すぐに出ましょ」
「今度はどこへ?」
「そうね。グラスゴウまで行ってみない? 中村俊輔に会えるかもよ?」
つぼみちゃんはこれみよがしに大きな声を出して、レストラン内の注目を浴びた。
- 545 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/11(金) 21:47
- ユーストン駅のホームに立った。つぼみちゃんは特別列車を仕立てるため、駅長室で交渉していた。ホームのぎりぎり先に立っていたが、妙な気配を感じて本能的に後ずさりした。殺気とまではいかなくても、誰かに監視されているような気がした。
やがてつぼみちゃんがやってきた。つぼみちゃんも同じような気配を感じとったようだった。特別列車が慌しくホームについた。乗り込もうとすると、つぼみちゃんは袖を引っ張って制止した。
「これじゃないわ」
- 546 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/11(金) 21:48
- 特別列車は行ってしまった。次も、その次の特別列車にも、つぼみちゃんは乗ろうとしなかった。見ると、私たち専用(というか、つぼみちゃん専用)の列車のはずなのに、客車には見るからにあやしげな出で立ちの人間の姿が見えた。
つぼみちゃんに引っ張られて、私たちはホームを走った。つぼみちゃんに切符を渡され、ユーストン駅の地下鉄に飛び乗った。ガラス越しに黒服の男たちが地下鉄のホームに走ってくるのが見えた。
チャリング・クロス駅で降りると、地下から地上のホームに出た。そこには、正真正銘のつぼみちゃん専用列車が待っていた。
- 547 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/11(金) 21:49
- 「さあ。ドーヴァーに行くわよ」
「ドーヴァーに?」
「フランス行きの船が待ってるわ」
ドーヴァー駅まで一度も止まらずに着いた。そして、まさに港を離れんとする客船に走り乗った。
「ねえ、つぼみちゃん。そろそろ訳を話してくれてもいいんじゃない?」
そうね、とつぼみちゃんは恐るべき話を始めた。
- 548 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/11(金) 21:50
- 白百合つぼみちゃんは、夏休みに入ってもその精力的な活動を止めようとはしなかった。毎日のように幼稚園内の事務所に足を運び、ハロモニ市内で起こる難事件の解決に大きく貢献していた。
ある晩のこと。事務所のソファに深々と腰を下ろし、オレンジジュースを味わっていると、奇妙な風体の人物が入ってきた。タキシードに黒いマント、シルクハットに、あやしげなお店の女王様がしているメガネのようなものを付けていた。
明らかに変質者だったが、つぼみちゃんは普通の幼稚園児ではなかった。優雅な所作で誰何する。
「どちらさま?」
「初めまして。回文二十面相と申すものです」
- 549 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/11(金) 21:51
- 回文二十面相とは、近年ハロモニ市内で暗躍している怪人物だった。おもに幼稚園児や小学生を相手に、回文勝負をふっかける。この理不尽な勝負の結果、園児たちにとって命よりも大切なお菓子やおもちゃを奪うという、凶悪犯罪を繰り返していた。
地元警察だけではなく、つぼみちゃんも忙しい時間の合間を見ては調査を繰り返していたのだが、その正体は杳としてつかめなかった。回文二十面相は神出鬼没、しかし、大勢の手下を率いる犯罪集団であることをつぼみちゃんはつきとめた。
そして大掛かりな罠を張った。つぼみちゃん自ら、お菓子のつまったバスケットを持ってハロモニ公園に立った。案の定、姿を現した回文二十面相に回文勝負を挑まれた。並みの幼稚園児ではないつぼみちゃんに敵はいない。がっくりとうなだれる回文二十面相を、公園の茂みに隠れていた駅前交番の婦警さんたちが現行犯逮捕した。
- 550 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/11(金) 21:52
- ところが、逮捕されたのは回文二十面相の手下だった。ハロモニ公園だけではなく、ハロモニバス停、ハロモニ駅前、三丁目飯店、粗末な物置(頑固家のことらしい)などで罠を張っても、網にかかるのは小物ばかりだった。
それでも、回文二十面相にとっては大打撃だったらしい。手下が少なくなっていく上に、お家芸の回文勝負で一介の幼稚園児に敗北し続けているという事実が、プライドをいたく傷つけた。
「それはそれは、わざわざご苦労様。お一ついかが?」
つぼみちゃんは回文二十面相に冷えたオレンジジュースを振る舞った。無下に断るのも失礼な話であると、回文二十面相はご馳走になった。
- 551 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/11(金) 21:53
- 「何の御用かしら?」
「警告ですよ。まるで犬っころのように嗅ぎまわっているようですが、お痛はほどほどにしないと、折檻されることになりますよ」
「ご忠告、ご苦労様」
これで二人の対決の場は終わるのだが、両者ともこれだけでは済まさなかった。つぼみちゃんはオレンジジュースを馳走したときにグラスに付着した指紋を採取していた。これを家に持ち帰り、秘密警察に構築させていたデータベースから、ハロモニ女子学園高等部に通っている早乙女マキちゃん(スキップ部部長)こそが、回文二十面相であることをつかんだのだった。
- 552 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/11(金) 21:53
- 正体をつかんだのはいいが、明白な証拠もなく、指紋についてもあまりにも違法な手段を弄してのことなので、すぐに警察に届け出ることはできなかった。
回文二十面相も不気味な反撃に出た。白百合家に長年仕えるメイドの亀井某と道重某が、ハロモニ市のまんなからへんを流れるウォーターフォール川から、無惨な水死体となって発見された。警察は水遊び中の事故として処理したが、回文二十面相の陰湿な仕返しに相違ないとつぼみちゃんは言う。
こうして、身の危険を感じたつぼみちゃんは、回文二十面相の魔の手から逃れるため、海外へ避難することに決めたのだった。なぜ私まで巻き込まれなければならないのかは、説明がなかったので省略する。
- 553 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/11(金) 21:55
- 「さっきうろちょろしてた黒いネズミどもは、回文二十面相の手下よ」
「こんなところまで追いかけてきてるんじゃない。大丈夫?」
「平気よ。偽の特別列車を仕立てたりして、いろいろ考えているみたいだけど。スコットランドへ向かうと見せかけた陽動作戦にまんまとひっかかってくれたわ。あさ美ちゃん、持ってきてるよね?」
私も薄々は感づいていた。こんなこともあろうかと、私のアタッシュケースの中にはMK23 SOCOM Pistol が入っている。十人くらいなら簡単に片づけられる。
- 554 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/11(金) 21:55
- フランスに到着すると、美食に飢えていた私たちは本場のフランス料理を堪能した。牛頬肉の赤ワイン煮込み、ヒラメのフィレ・テュグレレ風、豚フィレ肉のマティニヨン風・トマトのジュ……。そして観光。パリのルーブル美術館で有数の抽象画を、オペラ座で「眠れる森の美女」を鑑賞し、パルク・デ・フランスでパリ・サンジェルマンとオリンピック・マルセイユのエキシビションマッチを観戦し、……。
何をしに来たのか曖昧になってきた頃、ようやく例の手下どもの影がちらちらするようになってきた。深夜のモンマルトルの裏路地でホールドアップされたこともあったが、MK23を突きつけるとおとなしく退散していった。
それでもフランスも安全とはいえなくなってきたので、私たちはスイスに向かうことにした。スイスと言えば酪農である。あまりスピードの出ない高山鉄道に揺られながら、ヨーグルトやチーズを頬張った。
- 555 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/11(金) 21:56
- マイリンゲンに到着した。駅前には「ホームズがモリアーティ教授を突き落とした滝はこちら」と身も蓋もない地図が掲げられている。マイリンゲンと言えばメレンゲ、ということでクルミとココナッツが入ったお菓子をぼりぼり食べながらホテルに向かうと、ホテルの前に見慣れた生き物が立って手を振っていた。
「ペン子!」
「ペンペン!」
どんな伝手をたよったのか、つぼみちゃんの愛ペンギンであるペン子がはるばるスイスまで迎えに来たようだった。二人はひしと抱きあって再会の感動に震えていた。
- 556 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/11(金) 21:57
- ホテルはマイリンゲンの市街地から外れた、閑静な山の麓にある。ライヘンバッハの滝まではすぐ近くだ。マイリンゲン近辺には、ユングフラウやグリンデルワルトなどの有名観光地が多いのだが、このライヘンバッハの辺りを訪れる観光客は少ない。
観光地とはいえ、夏にできることはほとんどない。ひんやりとした空気だけが唯一の楽しみだ。つぼみちゃんとペン子は一日じゅう将棋を指している。つぼみちゃんは、負けそうになると魚で買収しようとしていた。私は万一のために、MK23の手入れに余念がなかった。
- 557 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/11(金) 21:58
- その日は、ホテル周辺が深い霧に包まれていた。ホテルの外で数人ががやがやと騒いでいるので、何事かと様子をうかがっていると、思わぬ手伝いを頼まれた。市街地方面の道路で、車が横転してしまったという。何も幼稚園児に頼むことでもないだろうとは思ったのだが、園児の手でも借りたい状況だという。
ホテルに戻ってつぼみちゃんに報告すると、手伝って来いと言われた。三人のうち、一人はつぼみちゃんで、一人はペンギンなので、必然的に行くのは私ということになるのだ。
車をひっくりかえすのに一時間ほどかかった。戻っても部屋には誰もいなかった。私は蒼白な顔でホテルのフロントに、つぼみちゃんの所在を尋ねた。ペンギンと二人で、ライヘンバッハの滝を見に行くと言って出かけたという。
- 558 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/11(金) 21:59
- ペン子は天神真楊流という柔術の達人だ。数人の暴漢くらいなら大丈夫だろう、と、いくぶんほっとしつつ、私もライヘンバッハへ向かった。百年前は歩いていかなければならなかったが、今はケーブルカーで行くことができる。滝の前には、誰の姿もなかった。「モリアーティ教授と格闘するホームズの図」という看板が立っていた。二人の顔のところに丸い穴があいていて、そこから観光客が顔を出して記念写真を撮るらしい。
「つぼみちゃん! ペン子!」
大声で叫んでも、誰の返事もなかった。見回すと、何かが格闘したような跡が、地面や草むらについていた。そして、岩の根元に、四つに折りたたまれた便箋を見つけた。キティちゃんのマークは見覚えがある。おそるおそる開くと、そこにはつぼみちゃんの書いた文字が並んでいた。
- 559 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/11(金) 22:00
- 親愛なるあさ美ちゃんへ
なんて前置きしたらいいのかわからないので、起こった出来事を順番に書いていきます。あさ美ちゃんがホテルを出て行ったあと、ペン子が一冊の本を開いて指(翼? ヒレ?)で指し示しました。「シャーロック・ホームズの思い出」という本で、そのページにはホームズとモリアーティが争う絵が描いてありました。
「この滝に行きたいの?」と聞くと、「ペンペン」と答えるので、連れて行ってあげることにしました。ケーブルカーに乗って滝の上のほうへ向かいました。乗客はあたしたち二人だけでした。滝のしぶきを浴びたり、変な看板から顔を出して遊んだりしているときに、ようやく私は気づきました。
- 560 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/11(金) 22:01
- あさ美ちゃんが手伝いに行った車の事故は、あたしとあさ美ちゃんを引き離すための、いくぶん無理のある罠だったということ。そして、ペン子が看板から顔を出したとき、その丸い穴から見えたものは、ペンギンの顔ではなく、人間の顔だったということ。
ペン子は、ペンギンではなく、ペンギンの着ぐるみをかぶった人間だったのです。ふだんはどういうわけか気づきませんでしたが、看板によって着ぐるみの部分が隠れることで、人間の顔の部分がクローズアップされたので、そういうことなのだとわかった次第です。盲点でした。
「あなたは……回文二十面相ね」
「よくわかったわね」
- 561 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/11(金) 22:04
- ペン子が着ぐるみを脱ぎ捨てました(一人では背中のチャックを開けることができなかったので、手伝ってあげました)。中からでてきたのは紛れもなく、ハロモニ女子学園高等部スキップ部部長早乙女マキちゃんでした。
今思えば、ペン子については不自然なことだらけでした。飼い犬のチャールズが不興を買うようになったのも、ペン子の策略だったのでしょう。ここ最近の不可思議な事件には、いつもペン子の姿がありました(あたしやあさ美ちゃんもいたけど)。おそらく、ペン子がそれらの事件の裏で糸をひいていたに違いありません。ハロモニ市の秩序を乱すために、そしてあたしのそばにいて、あたしを監視するために。
「部下は誰もここには連れてきてないよ……サシで勝負!」
あたしに勝負を断ることは許されない状況でした。勝負とは、回文勝負ではないでしょう。すでにあたしはマキちゃんをコテンパンにのしているから。もう一つの彼女の特技、腕力勝負のことでしょう。
- 562 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/11(金) 22:05
- 彼女は一流の柔術家です。か弱いあたしには勝ち目はほとんどないでしょう。ペン子は──マキちゃんは、書き置きを残すことを認めてくれたので、ここに残しておきます。あたしが勝てば、書き置きは必要ないので、破り捨てるでしょう。マキちゃんが勝てば、たぶん書き置きを破り捨てるでしょう(証拠になるから)。相討ちだった場合だけ、あさ美ちゃんはこれを読むことができるでしょう。
もしこれを読むことができたら、あさ美ちゃんは日本に帰ってください。かおるお姉ちゃんにこれまでの出来事を話してくれたら、あとはかおるお姉ちゃんが良いようにしてくれると思います。幼稚園に置いてあるものは全部あさ美ちゃんにあげます。もちろん事務所とソファと冷蔵庫の中のオレンジジュースもです。
それでは、あさ美ちゃん、バイバイ。今まで楽しかったよ。
あなたの友 白百合つぼみ
- 563 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/11(金) 22:06
- 私は悄然としてこの書き置きを読んだ。つぼみちゃんの書き置きを私が読んだということは、二人は相討ち、揃って滝のほうへ落ちていったのだろう。格闘の跡は、地面の端にまでついている。私は滝の下をのぞきこんだ。ところどころゴツゴツとした岩棚が見えた。あれにぶつかれば全身骨折だし、滝つぼに落ちれば窒息死だ。
異変を察知したホテルの従業員が姿を現した。なにやら騒いでいるが、耳に入ってこなかった。あの、白百合家のお嬢様、お金持ちで、お嬢様で、気高くて、傲慢で、希代の名探偵で、そして私の友達だったつぼみちゃんは、滝に落ちて死んでしまったのだ。私は取り乱し、右手に握っていたMK23を乱射して、従業員を驚かせてしまった。
- 564 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/11(金) 22:08
- 私はすぐに日本に戻り、後処理に追われた。白百合伯爵夫妻に直接話をする勇気がなく、かおるさんに事情を話した。かおるさんは不思議そうな顔をしたが、すべてを了解してくれた。私は形見として、幼稚園内の事務所と、ときおりつぼみちゃんが被っていた鹿撃ち帽をもらった。ソファに座ってオレンジジュースを飲むと、つぼみちゃんのことを思い出さずにはいられない。
これが事件の真相であり、全てである。賢明なら読者ならもうおわかりだろう。回文二十面相こと、早乙女マキの弟の弁護文(彼の弁によると、早乙女マキは確かに回文二十面相であるが、犯した罪は菓子類の強奪に過ぎず、逆につぼみちゃんによって謀殺されたのだと!)が、何一つとして当たっていないということを。そして、白百合つぼみという名探偵が私たちに偉大な活躍を見せてくれたことを。
- 565 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/11(金) 22:08
- fin
- 566 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/11(金) 22:10
-
白百合つぼみの思い出
The Memories of TSUBOMI SHIRAYURI
The End
- 567 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/11(金) 22:10
- *****
- 568 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/11(金) 22:10
- ***
- 569 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/11(金) 22:10
- *
- 570 名前:EitorG 投稿日:2006/08/11(金) 23:42
-
・・・・・・!
- 571 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/14(月) 20:52
- 650 名前:名無飼育さん[sage] 投稿日:2006/08/14(月) 19:22
面白かった
続きが楽しみ
- 572 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/14(月) 23:43
- >>571 何そのコピペ
- 573 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/14(月) 23:49
- 以下、ミュージカル「リボンの騎士」の真相について触れています。
まだ観劇されていない方はご注意ください。
- 574 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/14(月) 23:50
-
白百合つぼみの冒険・番外編
The Adventures of TSUBOMI SHIRAYRI : an extra story
シルバーランドの醜聞
A Scandal in Silverland
- 575 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/14(月) 23:50
- 近頃、私はつぼみちゃんと疎遠になっていた。長年通っていたハロモニ幼稚園を辞し、大学入学の準備に専念していたためだった。勉学生活は順調で、私の熱意はそれに注がれていた。
つぼみちゃんの動向については、いくらか噂が耳に入ってきていた。楽屋裏焼きそばパン事件、フットサル・フィールドプレイヤー失踪事件、コント用鼻眼鏡事件などについては、ハロモニこども新聞にて大々的に報道さえていたことは記憶に新しい。
- 576 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/14(月) 23:51
- ある日の晩のこと、予備校からの帰り道、ふと目を上げるとハロモニ幼稚園の校舎がそこにはあった。この時間帯はすべての園児が家路についているはずだったが、一室だけ明かりがこうこうと灯っていた。その部屋の主(文字通りの主!)こそ、白百合つぼみちゃんにちがいなかった。
私は衝動的に、幼稚園の門を乗り越えていた。私の足音が聞こえたのだろう。つぼみちゃんは窓を開け、私に向かって手招きした。つぼみちゃんの様子は昔のままで、顔には出さなかったが私との再会を喜んでいるように見えた。
- 577 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/14(月) 23:51
- 「いろいろがんばってるみたいね。あまり根を詰めすぎると、体に悪いよ」
「心配してくれてありがとう」
「特に、英語については苦労してるみたいね。やる気がないわけじゃないんだろうけど、興味を持てないでいるのね」
「どうして知ってるの?」
「それくらいわかるわよ。推理したんだから。ノートにいっぱい単語や構文を書いて暗記しようとしたんだけど、途中で眠ってしまったということは、あさ美ちゃんのほっぺたに写ってる鉛筆の跡から一目瞭然だよ」
- 578 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/14(月) 23:51
- こんなふうにあっさりと論じたてられて、つぼみちゃんの推理の腕はちっとも鈍っていないのがわかった。私だって近い将来、賢明な大学生になろうと日夜勉学に励んでいるのに、つぼみちゃんのようにたやすく推理することはできなかった。
「見るのと観察するのは違うからね。この手紙、どう思う?」
『今宵八時にお伺いします。貴殿の御活躍は諸方面より耳にしております。是非とも貴殿のお力を拝借致したく、参上する次第です。また、当方が覆面をしていたとしても、何卒御気に障らぬよう、お願い致します』
- 579 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/14(月) 23:52
- 「名前すらも書いてないんだね」
「その人物、どう考える?」
私は何回か読み直した後、推理とはとても言えない率直な感想を示した。
「ずいぶん堅苦しい文面なのを見ると、それなりの地位にある人なのかな。覆面をしてくるってことは正体を明かしたくないんだろうけど、有名人かもしれない」
「それだけわかれば立派なものよ。これだけでは情報量が少なくて、当てずっぽうにしかならないからね。あと、地位については、かなりの人かもしれない」
つぼみちゃんに言われて、私は紙を明かりに透かしてみた。「SVL. Prs」とある。
「SLVとはシルバーランドのことだね。Prsとは監獄のこと。シルバーランドの監獄では囚人たちを働かせる製紙工場があるの。そこの紙を使える地位にあるのは、政府中枢の要人ってことね。さ、来たみたい」
- 580 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/14(月) 23:52
- 馬の蹄の音、小さないななきが聞こえてきた。窓からそっと覗くと、その人物は電柱に白馬をつないでいた。
「いい馬ね。ヘイルトゥリーズン系かしら」
「私は帰ったほうがいいみたいね」
「いいや。助手はいたほうがいいの。相手は大物かもしれないけど、どっしり構えていなさい」
言われるがままに椅子に座った。事務所のドアにノックする音がした。「どうぞ」というつぼみちゃんの声に続いて、一人の騎士風の男が入ってきた。上から順に眺めてみると、白い帽子には赤い飾り、顔の下半分は覆面、上半身は黒っぽく、下半身は白タイツだ。膝まで覆うブーツもしている。やたらに姿勢がよくて、高圧的だった。
- 581 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/14(月) 23:52
- 見るからに、どこかの国の王族である。覆面で表情はよくわからない。
「手紙見た?」
「ええ。どうぞお座りください」
ここからは二人のやりとりの概略を述べる。外国訛りが激しくて、会話を忠実に再現する自信がないからだ。男はリボンの騎士と名乗った。どの辺がリボンなのかというと、どうやら帽子の飾りのことらしいのだが、話の筋には関係がない。リボンの騎士は、二年間は口外無用と念を押してから事情を話し始めた。
- 582 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/14(月) 23:52
- シルバーランドでは年に一度の謝肉祭が行われた。隣国ゴールドランドからも王子が訪れていて、王と王妃の前で御前試合が行われることになった。相手はシルバーランドの王子、両者とも随一の剣の使い手である。互角の勝負が行われたが、ゴールドランドの王子の剣が飛ばされた。
剣の飛んだ先には玉座があった。王の追った傷はかすり傷かと思われたが、王はほとんど即死した。剣先に毒が塗られていたのだ。ゴールドランドの王子はすぐに身柄を拘束され、牢獄に入れられた。毒はシクトキシンであるということが判明した。
- 583 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/14(月) 23:53
- 「どうしてゴールドランドの王子を? これは事故ではないのですか?」
「あっしもそうおもうたんやけどー、大臣が『王を狙ったのではないかもしれませんが、剣先に毒を塗ったということは、王子を殺害する意思があったのは明白です』っていうもんで」
「なるほど。王に対しては過失致死、王子に対しては殺人未遂ということですね」
「ほやけどお、毒塗るなんて見え見えのことするのくてえ人なんかえんやんか。ほんで探偵さんに調べてもらおおもうてここへ来たんや」
「その依頼、受けましょう。明日にでもシルバーランドへ調査に行きたいのですが、入国手続きなどはお任せしてよろしいですか?」
「だんね」
リボンの騎士は白馬に乗って帰ろうとしたが、お巡りさんに捕まって叱られていた。
- 584 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/14(月) 23:53
- 「あさ美ちゃん。今の話聞いて、どう思う?」
「一部よく聞き取れないところがあったけど、今の人王子様?」
「間違いないね。シルバーランドの王子だよ」
著名人事典をさっそくひもとくと、シルバーランドの王子は名前をサファイアと言った。ちなみにゴールドランドの王子はフランツで、死んだ王は王で、王妃は王妃で、大臣は大臣だった。牢獄の番人にすら名前があるというのに、王や大臣には名前がないらしい。
「サファイヤ王子が、どういうわけでゴールドランドの王子を助けようとするんだろ」
「あれだよ、つぼみちゃん。サファイヤ王子とフランツ王子は禁断の恋に落ちているんだよ。わっ、きゃっ」
「何一人で興奮してんの」
- 585 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/14(月) 23:53
- 翌日、つぼみちゃんと私は舞台となるシルバーランドにひっそりと入国した。こっちのほうが面白そうだったので、予備校はさぼった。
シルバーランドは、淑女たちがひらひらのついたドレスを着て踊っているような国だった。私たちの格好はこの国の習俗にあまりにもそぐわないので、それらしく扮装した。経済新聞によると、ほぼ毎日がこのようなお祭り気分に支配され、舞踏会やら園遊会やらの費用がかさんで、慢性的な財政赤字に陥っていた。
大臣の手下や牢番の話によると、王と大臣はこの財政赤字をいかに解消するかで対立していたらしい。大臣は消費税の5%アップと年金と健康保険の削減を主張していたが、王はそれに反対していた。しかし王にはこれといった対案もなかったらしい。
- 586 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/14(月) 23:53
- 「大臣の奥さん、もう亡くなってるんだけど、王の妹だったんだって」
「王位継承者がいなくなれば、大臣の息子が王太子になれるんだね。でも、サファイヤ王子を殺しても、写真で見るかぎり、王様当分死にそうにない感じだよ」
「順番にヤるつもりだったんじゃない?」
「となると、大臣がもっとも怪しいってことか」
その後の調査で、例の剣は大臣の手下がフランツ王子に手渡したものらしい。ますます怪しい、というか、ほぼ大臣が犯人で決まりではないか。
- 587 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/14(月) 23:54
- ところが、つぼみちゃんは大臣犯人説について、明確に否定はしないものの、あいまいな態度を繰り返した。あまりにもそれはあからさますぎるというのだ。しかし、つぼみちゃんの主張にも強い根拠があるわけではない。
私たちは、とりあえず一番の容疑者である大臣を監視することにした。確かに大臣の行動はいかにも怪しげだった。そこで、つぼみちゃんはかまをかけることにした。
大臣は誰もいない城の塔で、あからさまに「息子を王位につけたい」と嘆いていた。そこに雷と効果音。魔女に扮したつぼみちゃんが歌う。
「その願い、かなえよう!」
- 588 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/14(月) 23:54
- 大臣はあっさりと話に乗ってきた。つぼみちゃんから自白剤を受け取り、何か隠し事をしているとみられる王妃に飲ませるようしむけた。隠し事とは、つまりサファイヤ王子のことである。ことのついでに依頼人であるサファイヤ王子にも監視の目を向けていたら、女装してフランツ王子の脱獄を手助けしていたのだ。明白な国家反逆罪である。
さて、王妃の自白により、サファイヤ王子が実は女の子であることが発覚した。「嘘つきは泥棒の始まり」ということで王妃と王子は逮捕、拘留され、大臣の息子が王位についた。依頼人が逮捕されては報酬が手に入らないと、つぼみちゃんは牢番を買収して逃亡を助けた。
- 589 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/14(月) 23:54
- ところが、せっかく逃したうえに路銀まで与えたというのに、節約するということを知らない王妃と王子は行き倒れになってしまう。しょうがないなとつぼみちゃんは再び魔女に扮して二人を助けた。なぜ変装したかといえば、顔を知られると何かとやばいからだそうである。
いっぽう、ゴールドランドに戻ったフランツ王子は、精鋭ばかり二万、命知らずを三万、合わせて十万の大軍でシルバーランドに宣戦布告した。シルバーランドはこれを迎え撃つ体力がなく、いつのまにかサファイア王子もこれに加わり、大臣と大臣の息子は捕縛された。そしてあれやこれやということで、サファイヤとフランツが結婚、両国は統一された。めでたしめでた……。
- 590 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/14(月) 23:55
- 「待ってよ!」
神を僭称する白髪の老人に肘鉄を食らわせると、つぼみちゃんは壇上の一番高いところにそびえ立った。まるで本物の魔女に見えた。
「おかしい。絶対おかしいよ。なに、このサル芝居」
「何がおかしいんやってか、魔女め」
リボンの騎士──サファイヤ王子は憤怒して詰め寄ろうとしたが、つぼみちゃんの冷たい嘲笑に圧倒されて尻込みした。
- 591 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/14(月) 23:55
- 「大臣が息子を王位につけるには、王と、王太子の二人を殺害しなければならない。これが短時間で行われたとしたら、どんなに間抜けな国民どもでも不審に思うし、そうなったらまともな統治なんかできるわけない」
「やけど、大臣は認めてるやんか」
「大臣はそうとは知らずに操られていただけ。裏にはいたのはあなたたち、そこの世間知らずの王子様たちよ。シクトキシンは黄色くてニンジンみたいな臭いがするのよ。そんなものが剣先に塗り付けられてたら、誰でも気づくでしょ。でも、あなた、フランツ王子は何事もなく剣を受け取った。そのことを承知していたからよ」
「バカな! そんなことをして、私に何の益があるんだ。私はそのせいで牢獄に放り込まれたんだぞ」
「すぐにそこの王女が逃がしてくれたでしょ。益ならいくらでもあるわ。これまでの騒ぎのおかげであなたはシルバーランドを労せず手に入れることができたのだから」
- 592 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/14(月) 23:56
- 王の手下、ナイロンはサファイヤが大臣の側に送り込んだスパイだった。ナイロンを通じてサファイヤは大臣の野望を知る。サファイヤは、女であることがばれる前に、とっとと王位につきたかった。いや、王位にこだわりはない。事実上この国を支配できればよい。フランツは、ゴールドランドの国王となるために、実績が欲しい。シルバーランドがいい手土産になるだろう。
二人の利害は一致した。フランツとサファイヤが結婚し、両君統治とすればよい。その障害は故国王だった。フランツ王子の統治を認めるのだったら、わざわざ娘を男として育てるわけがない。そこで、二人は御前試合の事故を装い、国王を殺害したのだった。すべてを大臣に責めを負わせて。
二人は(ことにサファイヤは)悲劇の主人公として、観衆の同情を惹かねばならない。そのためには、大臣が犯人であるという精緻で偽りに満ちた解決を示す人物が必要となる。そのために、つぼみちゃんが選ばれたのだ。
- 593 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/14(月) 23:56
- つぼみちゃんの激しい弾劾に、両王子はたじたじとなった。淑女や牢番たちは「だまされたー。だまされたー」とのん気に歌い呆けている。
「こんな国のいざこざなんて、つぼみにしたらどうでもいいことなんだけど、あたしをも利用しようとしたことは、絶対に許さないからね」
「何をどう許さん言うんや? 生きてけえれるとおもうたらアホやんか」
つぼみちゃんは、腹の底からひねり出すような笑い声をあげた。それが合図だったかのように、城のあちらこちらで火の手があがった。
- 594 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/14(月) 23:56
- 「トルテュとかヌーヴォーとか言う騎士ども、命令に従って城には火をつけなかったようだけど、城下の町や村では略奪暴行のし放題だったじゃない。折からの重税に喘いでいたのに加えて、こんなひどい目に合わされて、国民たちが『めでたしめでたし』って喜んでくれると思ってたの? だから世間知らずって言ったのよ。国民たちの暴動で、合わせて十万の軍勢は追い払われたのよ。扇動したのはあたしだけど」
淑女たちは甲高い声をあげなかがら逃げ惑う。フランツ配下の騎士たちは、迫り来る暴動民の対処に駆けずり回る。大臣とその息子は、つぼみちゃんにうながされてすでにこっそりと逃亡していた。私は、みんなに気づかれないようにつぼみちゃんの背後に歩み寄る。
「私は魔女、永遠の刻を生きる魔女ヘケート……」
- 595 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/14(月) 23:56
- 悪魔の哄笑に隠れるように、私たちは玉座の後ろの隠し通路にもぐりこんだ。城の地下水道を通って、国境を越えた。
シルバーランドの暴動は叛乱へ、そして革命となり、隣国のゴールドランドにも波及した。サファイヤ、フランツ両王子の行方は杳として知れない。大臣親子はハロモニ市に亡命し、声優などで生計を立てているという話である。
- 596 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/14(月) 23:57
- fin
- 597 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/14(月) 23:57
- *****
- 598 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/14(月) 23:57
- ***
- 599 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/14(月) 23:57
- *
- 600 名前:EG 投稿日:2006/08/15(火) 19:28
-
ミュージカルは距離があって観てないんですけども
どうせ観れないのなら良いと思って読みました
つぼみちゃんは良いですね
よっすぃーの話もまたして欲しいです
- 601 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/21(月) 20:41
- >>600
安西先生……よっすぃ〜の話が書きたいです
- 602 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/21(月) 20:42
- ある死刑囚
- 603 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/21(月) 20:42
- 朝起きると、シャツは汗でぐっしょり濡れている。べたべたとした不快感は拭いようもないが、この感覚すらもいとおしく思える。
いつもどおりの食事を終え、横になっていると、刑務官の靴音が廊下に響き渡る。他の獄房の様子を知ることはできないが、たぶんみな一心に祈っているはずだ。どうか、この靴音が自分の房のところで止まらないでくれ、と。
刑の執行は、直前に知らされるらしい。昔は前日には拘置所長が知らせて、最後の豪華な食事を準備してくれたが、執行前夜に自殺者が出て以来、そういうささやかな贅沢も行われなくなった。
- 604 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/21(月) 20:42
- 刑務官の靴音が止み、鍵を開ける音、房の扉のきしむ音がした。覚悟はしていたつもりだが、絶望感が私の全身に満ちる。刑務官は小声で刑の執行を知らせた。顔はよく見えないが、つんく♂さんのようにも見えた。この刑務官が実際に死刑を執行すると聞いていた。
複数の刑務官に囲まれて、廊下を歩く。廊下のあちらこちらに看守たちが立っていた。地下に降りると、何も書かれていないドアの前に立たされた。ここが死刑場のようだ。中に入れられると、祭壇が見えた。
- 605 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/21(月) 20:43
- 祭壇の前には、見たことのある人たち、見覚えのない人たちが立っていた。拘置所長と、私を裁判にかけた検事の顔は知っていた。説教ばかりしていた教誨師や医者もいた。あとの数人は誰かは知らない。弁護士はいなかった。
所長が文書を読み上げた。内容はよくわからなかった。
「君の宗派は?」
所長が祭壇をぐるぐると回し始めた。キリスト教、仏教、神道の祭壇が姿を現せては消えたりを繰り返した。最後の神頼みではないが、神棚を選んだ。祈れというので、何かの拍子で刑の執行が中止されることを祈った。教誨師が、いつものくだらない説教をぼそぼそと唱える。
- 606 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/21(月) 20:43
- 祭壇の供え物を食えという。最後の晩餐だが、朝からそんなに食べられない。リンゴを一口だけかじった。果肉が少し喉につかえた。紙とボールペンを渡され、遺書を書こうとした。時計を見ていた刑務官がすぐに書くよう促すので、「ごめんなさい」としか書けなかった。
所長と教誨師が二言ばかり声をかけてきた。言い残すことはないかと聞かれたが、そんなにすぐには思い浮かばない。
- 607 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/21(月) 20:43
- カーテンが開かれた。リビングぐらいの広さがあり、真ん中に刑壇があった。階段を上るのかと思っていたが、そんなものはなかった。壇の真ん中まで歩くと、刑務官たちに、黒い袋を頭から被せられ、両手両足を紐で縛られた。あっというまの出来事で声を上げる間もなかった。
首に、たぶん縄をかけられた。すごく太そうだ。滑車がかたかたと鳴る。それまで刑務官たちに体を押さえつけられていたが、その感触がなくなった。ガタンと音がし、地面が消えた。すぐに首が締めつけられ
- 608 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/21(月) 20:44
-
──独居房はどんな感じですか?
三畳ほどですから、そんなに広くはありません。
何をするってわけでもないので、不便ではないですが。
──服装などを見ると、自由そうな様子に見えます。
服は自由です。髪型は、あまり勝手なことはできませんね。
自分で切る人もいますが。吉澤さんとか。
- 609 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/21(月) 20:44
-
──規則正しい生活だと聞いていますが。
規則どおりにやれば、朝七時に起きて、夜九時までです。
中学生とかいますから、深夜まではできない建前になっています。
──食事はどうです?
拘置所の食事は思っていたほど悪くないです。差し入れもあります。
ただ、食べ過ぎて太らないようには気をつけています。
──お茶やお菓子は?
一日に二度、お茶の時間があります。夏はアイスも食べれます。
- 610 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/21(月) 20:44
-
──煙草は?
(眉をひそめ)未成年ですから、吸ってませんよ。
他の人のことは知りませんが。
──面会時間はどうです? どなたと会いますか?
家族と弁護士としか会ったことがありません。
──毎日は充実していますか?
多分、他の一般の人たちより充実してるんでしょう。
一日一日を大切にすごすよう心がけています。
- 611 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/21(月) 20:45
-
──どうしてここに入ることになったのか、話してください。
なぜなんでしょう。自分でもはっきり思い出せません。
ただ、自分の意思でここに入ったことは間違いありません。
──後悔していません?
恐怖はしていますが、後悔なんかしていません。
ただ、この恐怖心だけは望外でした。
──恐怖心とは、死刑についてですね。
それはちょっと違います。死刑になることは最初からわかっていました。
当たり前といえば当たり前ですが、すぐに執行されないんですよね。
- 612 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/21(月) 20:45
-
──すぐに死刑を執行されたいということですか?
そんなわけありませんよ(笑)。なるべく長く生きたい。ここで生きたい。
しかし死刑は執行される。それはいいのですが、いつかがわからないんです。
──いつ執行されるかが不明なんですね。
そうなんです。いつその日がやってくるのか、刑務官の言い渡しがあるのか、
それがまったく突然なんです。毎日、毎朝、その恐怖心に襲われます。
いずれ死刑になることは決まってるのですが、刑務官がそれを告げに来るまでは、
死は訪れません。それまで、私は生きているのでもなく、死んでいるのでもない。
心臓に悪いですよ、実際。
コンコンやマコっちゃんは執行を言い渡されて、ほっとしたような笑顔でした。
- 613 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/21(月) 20:45
-
いつのまにか、目が覚めた。眠りはいつも浅い。朝が来るのが怖くて、眠れないのではないと思うのだが、いつのまにか目を閉じている。目は閉じているが、心は開いている。
時計で時間を確認し、机のノートPCの電源を入れる。昔は事務所の人に直接言われていただろうし、今もそうなのだが、どこで話が漏れているかわからない。事務所から新聞やテレビへ送られるFAXなどから話が広がる可能性が高いらしい。
そうなると、インターネットを通してあっというまに世間に広まってしまう。場合によっては、本人に知らされる前に。
- 614 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/21(月) 20:46
- ニュースページや掲示板などで、私の卒業ニュースがないことを確認して、ようやくほっと息を吐く。刑務官の靴音は通り過ぎた。額の汗を手の甲で拭った。
「里沙、ご飯よ。早く顔を洗ってらっしゃい」
今日もいつもの一日が始まる。いつかは消える時が来るであろう、恐怖におののきながら。
- 615 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/21(月) 20:46
- fin
- 616 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/21(月) 20:46
- *****
- 617 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/21(月) 20:46
- ***
- 618 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/21(月) 20:46
- *
- 619 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/22(火) 00:11
- 痛烈ですね、皮肉が
- 620 名前:EG 投稿日:2006/08/22(火) 23:22
-
毎度これら物語は胸がきゅッとなるんです
望んでいたり嫌だったり
落ち着かねえですね
- 621 名前:ЁG 投稿日:2006/09/26(火) 18:43
- ごっちんが21になったみたいですね
- 622 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/10/02(月) 22:48
- >>621
みたいですね
- 623 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/10/02(月) 22:49
- >>490-514 のつづき
- 624 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/10/02(月) 22:49
- タイム・パラドックス
- 625 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/10/02(月) 22:50
- ひとみは、午後の光を浴びながら、食堂で紅茶を堪能していた。
そこへ、耳慣れない言葉が聞こえてきた。
「Have you got time ? I wonder if you'd like to go out with me.」
「Bloody hell, give me a chance. I shall go to Theatre Royal, Drury Lane tonight.」
「彼女たちは何をやってるんだろうね」
「マコトとタカハシですか。英語の勉強らしいですよ」
- 626 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/10/02(月) 22:50
- 医師は感心したような息をもらした。
「勉強熱心なのはいいことね。しかも英語だなんて」
「どうでしょう。せっかく勉強しても、それを発揮する機会があるんでしょうか?」
ひとみは小さく笑い、医師は露骨にしかめ面をした。
つまり、彼女たちはここを出ることはないだろう、とひとみは言外に述べていたのだった。
「ああしているとおとなしいですけど、スイッチが入ると手がつけられるなくなりますからね」
「それは私も重々承知しています。だから、就寝時には二人の部屋に鍵をかけてます」
「鍵、ですか。中からは開けられないんですか」
「そうじゃないと、意味がないでしょう」
- 627 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/10/02(月) 22:50
- そこへいつものように真希がひとみを罵りながら現れた。
ひとみは平気な顔で受け流す。
「どうしてまた英語の勉強を?」
「それを知ってどうするんですか?」
「治療に役立つ何かが見つかるかもしれませんから」
ひとみはうなずき、真希のために椅子を一つ曳いた。
タカハシはマコトの後ろから覗き込んで、あれこれと指図している。
- 628 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/10/02(月) 22:51
- 「なぜ英語なのか、まではわたしにもわかりません。
ただ、何かを教えることが必要ではないかと、タカハシは考えているようです」
「必要?」
「それしかできない、と言ったほうがいいのかもしれません。
未来から来た人間にはそれしかできることがないんでしょうね」
ひとみは小さく笑った。
医師はけげんな顔で質問をくり返すしかなかった。
「未来から? タカハシさんは未来からやってきたと?」
「本人は時間旅行してきたと言ってました。それを否定する証拠はわたしには出せません。
もちろん、積極的に肯定するものもありませんが」
「タイムトラベルなんて可能なのかしら」
「時間係数というものがあって、理論的には不可能じゃないそうですよ。
近い過去にいくには莫大なエネルギーが必要だそうですけど」
「未来ならそれが可能になってるかもしれないということですね」
「まあ、わたしは過去へタイムトラベルすることは矛盾を抱えていると思いますが」
- 629 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/10/02(月) 22:51
- たとえば、未来から過去へ時間旅行した人間が、まだ幼少である自分の親を殺害したとする。
するとその親は子供を生む前に死んだのだから、子供は存在しないことになる。
子供が存在しないなら、その親を殺すことはできない。パラドックスである。
「どうかしら? いろいろなSF作品があるみたいですけど?」
「ええ。一つはパラレルワールドを認める主張ですね。バック・トゥ・ザ・フューチャーです。
親が子供を生む世界と、生まない世界が並行して存在している。
その人間が過去に遡って行った世界は、元の世界とは別の世界ということになります。
ずいぶん無理のある話だとは思います」
「ほかには?」
「過去に戻ってできることは、未来を変えない程度であるという主張です。
能力的にはできるのでしょうが、論理的にはできないわけです」
「ほんとうにそうなのかしら」
「どうなんでしょうね。過去へ時間旅行できるという前提を認めなければすむ話ですけどね」
- 630 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/10/02(月) 22:51
- 医師は話をもとに戻した。
つまり、なぜ彼女はなぜ何かを教えようとしているのか、である。
「時間旅行の目的は二つあります。調査と啓蒙です。過去の改変はできないので除外します」
「調査というのはわかります。
過去に何があったのか、未来の世界ではわからなくなってしまったことを調べに来るのですね」
「そうです。ところが、タカハシは何の因果かこの病院に閉じ込められています。
これでは調査などできません」
「すると啓蒙、つまり教育するしかないというわけね」
ええ、それしかできないのです、とひとみは言って紅茶を飲み干した。
未来の知識を応用しようにも、過去の世界にはそれを可能とする手段がない。
複雑な装置を作ろうにも、材料にも工作機械にも事欠くだろう。
- 631 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/10/02(月) 22:52
- 「ですから、教えるしかありません。
先生だって、江戸時代に時間旅行しても、車やパソコンを作ることは無理でしょう?」
「それで、彼女は英語を?」
「彼女の持っている知識を広めるには、英語の習得が必要なのかもしれません」
やがて、ひとみは唇にこぶしを当て、くすくすと噛みしめるような笑いを漏らした。
ここは精神病院ですよ。パラドックスに満ちた狂人たちの世界ですよ、と。
- 632 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/10/02(月) 22:52
- 翌朝、ひとみが食堂に向かうと、ばたばたと慌てている医師たちの姿があった。
聞くと、タカハシの死体が発見されたという。
「やったのはマコトですか?」
「彼女がやったとしか考えられないんだけど、彼女の姿が見えないんですよ」
「逃げたんですね。早く警察に知らせないと」
とっくに警察は来ているという。
それならあとは警察に任せない、とひとみは助言すると、いつもの場所で詳しい話を求めた。
- 633 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/10/02(月) 22:52
- 「どんな様子だったんです?」
「就寝時には、二人の部屋に鍵をかけることは話しましたよね。昨夜も私はそうしました。
そして今朝、鍵を開けて中に入ると、彼女、タカハシさんが床に突っ伏していたんです」
「凶器はありましたか」
「ガラス製の花瓶が割れて散乱していたので、多分それです」
ちょっと待ってください、とひとみは医師の話を制した。
「確か窓には鉄格子がはまっていましたよね。それは切られていたんですか?」
「いえ、何も不審なところはありません」
「それじゃあ、マコトはどうやって部屋を出たんですか?」
医師はうつむいて首を振った。
医師によると、通風孔があるものの、直径三十センチ程度で人間が通ることはできない。
壁や天井にも抜け穴はない。完璧な密室殺人だった。
- 634 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/10/02(月) 22:53
- 廊下を警察関係者がばたばたと走っていた。
その中を、「人殺し!」と叫びながら歩き回る少女がいた。
「いた! 人殺し!」
「真希ちゃん。おはよう」
何事かと気色ばむ警察官に、医師が事情を説明すると、ここはなんてところだ、と彼は嘆息した。
真希は気にしたふうもなく、ひとみの横に座った。
「真希ちゃんは、何か見た?」
「ううん。何も見てないよ。誰も中に入れてくれないし」
「マコトがどこ行ったか知ってる?」
「わかんない」
だよねえ、と、ひとみはティーカップに紅茶を注いだ。
- 635 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/10/02(月) 22:53
- 「どうなっているんだろう。殺害理由もよくわからないしね」
「鍵かけるの忘れてたんじゃない?」
「真希ちゃん。そうなると、マコトは部屋を出てからどうにかしてまた鍵をかけたことになるよ。
そんなことしても無意味だと思うよ」
真希はぷうと顔を膨らませた。
こういう考えはどうかしら、と医師がいたずらっぽい目でひとみに言った。
「タカハシさんは本当にタイムトラベラーで、マコトさんのお母さんだったのよ」
「お母さんが死んだので、子供は存在しなくなるから消えてしまったというわけですね」
「どう?」
「だめですね。子供が消えてしまったら、母親を殺す存在もなくなってしまいます。
そうなると母親は殺されないので、子供は生まれてくる。矛盾です」
「そうね。パラレルワールドだとしたら、殺害者は消えることはないし」
それから、誰も言葉を発しなくなった。警察関係者も姿を見せなくなった。
- 636 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/10/02(月) 22:53
- 真希はテーブルに突っ伏して昼寝を始めていた。
ひとみは微笑みを絶やさず、ティーカップを手に窓の外を眺めている。
- 637 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/10/02(月) 22:54
- 「ドルリー・レーン劇場……ロイヤル・シアター……」
「何か?」
「ドルリー・レーン劇場はシカゴとロンドンにあり、ロイヤル・シアターというとロンドンのほうです」
ひとみは窓を開けて空気を入れた。真希の髪が風にあおられ、それで目を覚ました。
「Have you got」「Bloody hell」という言い回しは、通常の日本人が学校で習う英語ではない。
つまり、タカハシがマコトに教えていたのはクイーンズ・イングリッシュだとひとみは言う。
- 638 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/10/02(月) 22:54
- 「それは?」
「クイーンズ・イングリッシュを教えていた時期はせいぜい1960年代くらいまでです。
つまり、タカハシは未来から過去にではなく、過去から未来にやってきたのです」
「過去へタイムトラベルするのはパラドックスが生まれたけど、逆なら大丈夫になるわけ?」
「いいえ、やはりパラドックスが生じます。でも、その責任はタイムトラベラーにはなくなるのです」
未来から過去にさかのぼり、自分の親を殺すと自分も消える。
だから、自分の親を殺すことは能力的には可能でも論理的には不可能になるという。
- 639 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/10/02(月) 22:54
- 「では、逆に過去から未来へ時間旅行するとどうなるでしょうか。
殺される親はタイムトラベラーで、殺すほうはもともと未来に住んでいる人間です。
立場が逆転して、論理的に殺すことができなくなるのはその世界の住人なのです」
「その違いがどうなる?」
「もし、わたしたちの世界に過去からタイムトラベルしてきた人間がいるとしましょう。
『論理的に殺されることができない』人間です。そんな人間がいることになります。
それを生み出したのはタイムトラベラーの存在ですが、パラドックスに陥ったのはわたしたちです。
わたしたちの責任ではないのに、この世界が矛盾に満ちてしまう」
「ということは、タイムトラベルはできないということになるわね」
ひとみは頭を振った。
『論理的に殺す・殺されることができない』ということが否定されるのだという。
- 640 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/10/02(月) 22:55
- 「タイムトラベルは可能です。あの子……えーと、タカハシがそうです。
そして子が親を殺すことも可能です。それが……マコトです」
「あの二人が、親子だって言うの?」
「そうです。子が親を殺した。親は子を生む前に殺された。だから、子は消えるしかないのです」
「それはパラドックスじゃないの?」
「いいえ。パラドックスが生じないよう、この世界から存在が消えるだけです。
消えてしまえば何も問題はなくなります。世界の秩序は回復されます。残念なことですが」
- 641 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/10/02(月) 22:55
- ここでひとみは、こめかみに指を当て、それから真希を肘で突ついた。
「なあに。人殺し」
「ところでさ、誰の話をしていたんだっけ。名前が出てこないんだ」
「なんのこと? さっぱりわからないよ」
「そう。それならいいや」
ひとみは紅茶を飲み干すと立ち上がった。
- 642 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/10/02(月) 22:55
- fin
- 643 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/10/02(月) 22:55
- *****
- 644 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/10/02(月) 22:55
- ***
- 645 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/10/02(月) 22:56
- *
- 646 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/10/03(火) 00:26
- ニヤけた
- 647 名前:Ё 投稿日:2006/10/04(水) 00:26
- きれいさっぱり
- 648 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/10/12(木) 22:01
- >>646-647
そうなんですか?
- 649 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/10/12(木) 22:02
- >>624-645 のつづき
- 650 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/10/12(木) 22:02
-
プレディクティブ・コンペティション
- 651 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/10/12(木) 22:03
-
「それでは、そのように処置しますので、よろしいですね?」
「書類も万全ですし、仕方ありません」
- 652 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/10/12(木) 22:03
-
食堂の窓際のテーブルで、吉澤ひとみは紅茶を味わっている。
その隣のテーブルで、二人の医師が小声でおそるべき雑談をしていた。
「あれだけの数となると、前例が少ないですね」
「大阪の事件で八人、兵庫で七人か。二桁にのぼるものとなるとなかなか」
「東京の地下鉄の事件でも十二人ですから、四十人超という数字は異常ですよ」
「昔の岡山のあれは?」
「三十人です。世界記録は六十人くらいらしいですが」
- 653 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/10/12(木) 22:03
- 「だけど四十人だ。マシンガンでも使ったのか?」
「主に鈍器です。最初はゴルフクラブで、それが折れるといろんな物で」
「まあ、方法や人数はいい。私たちにとって興味があるのは動機だ」
「それが、鑑定書を見てもよくわからないんです」
「何回か鑑定したんじゃないのか?」
「裁判所でも、もてあましたらしいですよ。初回の簡易鑑定のみです」
- 654 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/10/12(木) 22:04
-
ひとみは窓の外を眺めていた。
何かを見つけたのか、表情が変わり、目を大きく開いた。
そこへ真希が「人殺し」と、声をかける。
「何を見つけたの?」
「あれ、あれ」
外の庭は芝生が一面に敷かれていて、
そこでは患者たちがボール遊びなどをするのが常だった。
そこで、二人の少女が向かい合って何かを言い合っていた。
- 655 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/10/12(木) 22:04
-
「何してるんだろう?」
「行ってみよう」
二人の言い争う声は明瞭ではなかったが、今にもつかみ合いとなりそうだった。
間にひとみが割って入った。
「何があったの? リサ、サユ?」
「あたしが、昨日の地震を予言してたんだよ」
「違うって。あたしのほうが震度も正確に言い当てたもん」
二人は何やら懸命に説明を繰り返した。
そばに立っている真希は不思議そうな顔で見つめている。
- 656 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/10/12(木) 22:04
-
「どうやら二人は、自分こそが万能の予知能力者だと主張しているみたい」
「……ふーん」
真希が心底興味のなさそうな様子を見せて立ち去ろうとするのを、ひとみはとどめた。
「いや、これはじゅうぶん興味深いことだよ。確かめる必要がある」
「確かめるって、何を?」
「どっちがほんとうの完全な予知能力を持っているか」
「どうやって?」
ひとみは顎に手をあててしばらく考え込んだ後、にやりと笑って提案した。
「じゃんけん、にしよう」
- 657 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/10/12(木) 22:05
-
リサとサユはにらみ合いながら向かい合った。
完璧な予知能力を有しているのなら、相手の出す手を読むことが出来る。
つまり、じゃんけんに勝った方が真の予知能力者なのだ。
「どっちが勝つのかな」
「どうだろうね」
「人殺しはどっちが本物と思う?」
「両方とも本物の予知能力者だと思うよ」
二人はにらみあったまま、微動だにしない。
じれた真希が声をかけようとするのを、ひとみが制した。
三十分ほどの時間がたった。
それでも二人はぴくりとも動かない。
目はらんらんと光を宿しているが、額に細かい脂汗が浮かんでいる。
- 658 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/10/12(木) 22:05
-
「あっ」
と、サユはバランスを崩して後ろにどうと倒れた。
ひとみが慌ててかけより、体を起こした。
「大丈夫? 頭打ってない?」
「いたた……」
「緊張しすぎたんだね、サユ」
「サユ? ……誰のこと?」
サユはひとみの腕を振り払い、じろっとにらんでから走り去っていった。
ひとみはぽかんと口をあけたまま放心していたが、やがて険しい顔つきになった。
「どうしたの、人殺し」
「戻ろう」
- 659 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/10/12(木) 22:05
-
食堂では、二人の医師がまだ話し合っていた。
「結局、治療には動機の解明が必要だね」
「動機ですか」
「一人二人ならともかく、数十人の大量殺人だ。尋常の理由じゃないはずだ」
「一般的にはどうなんですか。やはり何かのコンプレックスですか」
「普通なら、考えられるのは劣等感かそれに類するものだ」
「岡山の事件はその典型でしょうね」
「兵庫のもおそらくそうだろうし、東京のあれもつきつめれば劣等感が背後にあるだろう」
「では今回のも?」
- 660 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/10/12(木) 22:06
- 「ところが、鑑定書をどう読んでも、そのような事例とは思えないんだ」
「所見は?」
「何もない。患者を取り巻いていた環境と当日の様子が書いてあるだけだ」
「その環境ってのに、劣等感を感じさせる記述はなかったんですか」
「全くない。ないどころか、ずいぶん恵まれた環境に思える」
「そんな人間があんな事件を?」
「何か深刻な動機があったはずだ。それさえわかれば治療のしようがある」
- 661 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/10/12(木) 22:06
-
窓際のいつものテーブルに不機嫌な顔をしたひとみが座った。
となりでは眉をひそめた真希が紅茶を入れていた。
「さっきの、何だったの?」
「さっきのって、何?」
「起こったこと全部」
「ああ、あれね」
ひとみは真希の方に向き直った。いつになくまじめな顔つきをしていた。
真希は普段とは違うその様子に、ごくりと唾を飲んだ。
- 662 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/10/12(木) 22:07
-
「客観的にはともかくとして、主観的にはあの二人は全能の予知能力者だった」
「うん」
「その二人がじゃんけん勝負する。リサはサユの手を読んで、パーを出そうとする。
すると、サユはそれを読んでチョキを出そうとする。
リサはそれを読んでグーを出そうとする。
サユはそれを読んでパーを出そうとする。
リサはそれを読んでチョキを出そうとする。
サユはそれを読んでグーを……」
「もういいよ」
「そういうわけで、二人とも手を出せないまま三十分ほど固まるはめになったわけ」
- 663 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/10/12(木) 22:07
-
真希は小首を傾げた。
「それは、全能の予知能力者なんているわけがない、ってこと?」
「たぶん、そうじゃないと思うよ」
すぐさま意見を否定されて、真希は頬をふくらませた。
「予知能力者どうしがジャンケンをすることはできない、ってだけの話。
ジャンケンとか、答えの出ない問題には向いてないんだよ」
「向いてない?」
「全能って、なんでもできるっていう意味だけど、
理屈に合わないことまでできる、っていう意味じゃない。
論理的に可能ならば、それはなんでもできるってこと。
丸い四角を作れ、なんてことは神様にだってできやしない」
「じゃあじゃあ、そのあとのできごとは?」
- 664 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/10/12(木) 22:07
-
ひとみは少しためらいを見せてから、ゆっくり答えた。
「ここにいる患者はみな狂人だよね。狂人は『通常人』以上に論理を大切にする。
ただ、その論理が世の中に受け入れられないだけ。
『通常人』なら妥協してしてしまうことでも、自分の論理を押し通そうとする」
「うん」
「だから、二人ともあくまで論理的に、全能の予知能力者であろうとした。だけど」
「だけど?」
「サユは倒れて後頭部を地面に打ちつけたんだ」
「ん?」
「つまり、『正気』に戻った」
それだけ言い残すと、ひとみはぷいと食堂を出て行ってしまった。
真希はそこに座ったまま、頬杖をついた。
- 665 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/10/12(木) 22:08
-
「動機か……さっぱりわからん」
「不思議なのはそれだけじゃないですよ。被害者たちもそうです。
前例の事件は、被害者たちは襲われたことを察すると逃げようとした。
それで助かった人たちも多いです。
でも、この事件では誰も逃げようとしなかった」
「逃げる間もなかったのかもしれないが、
この鑑定書によると、被害者たちは何が起こったのか把握できなかったようだ」
「とにかく、後のことは任せるわけですから、我々にできることはもうありませんよ」
- 666 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/10/12(木) 22:08
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私はどうにも我慢ができなくなり、二人の医師の前に立った。
「おや、どうされました?」
「どうしたもこうしたもないでしょう。あなたがたは、患者を実験動物のようにしか考えてない。
あの子がどんなに苦しんでいるか、それに気づかないのですか?」
「苦しんでいる? 気ままに暮らしているように見えますが?
自分のしでかしたことなどすっかり忘れて」
「忘れてなんかいません。彼女は、忘れていないからこそ、
自分が壊してしまったものを再びここで作ろうとしたんです」
「どういうことですか、中澤さん?」
- 667 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/10/12(木) 22:08
-
彼女は、精神が弱い。体力は十分にあるので、その弱さはふだんは隠れていた。
だが、彼女の精神は確実に蝕まれていた。
決定的だったのは、私がハロープロジェクトそのものからの『卒業』を発表したことだった。
「モーニング娘。のリーダー、ガッタス・ブリリャンチスのキャプテン。
傍目には充実した生活を送っているように見えたでしょう」
「それなら、劣等感や疎外感なんて、彼女には無縁でしょう」
「いいえ、それが彼女には過度の負担になっていたんです。
通常人とは真逆で、期待されることが彼女に疎外感を与えていたのでしょう。
ふだんはニコニコ微笑んでいて、そんな素振りなんて見せていませんでしたが、
彼女がさらにハロプロのリーダーになったことで、彼女の限界を超えてしまったのです」
- 668 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/10/12(木) 22:08
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彼女は、吉澤ひとみは暴発した。
後藤真希を除いてハロプロメンバー全員が参加したコンサートで、彼女は全員に襲いかかった。
みんな、目の前で何が行われているのかわからず、ただ為されるがままだった。
誰も彼女の苦悩を理解していなかったのだ。
こうして彼女は全てを壊した。
その後も、誰も彼女を理解できないまま、この病院に送られた。
彼女は後悔し、自分が壊してしまったものを再構築しようとした。
元の名前は何というかは知らないが、ここの患者たちに娘。の名前を与えた。
患者たちはどうでもいいと思っていただろうし、医師たちは治療の一環として黙認した。
この病院は、彼女の作り上げた新しいモーニング娘。となった。
- 669 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/10/12(木) 22:09
-
それを可能としたのが、狂人たちの持つ徹底的な論理性だった。
どんなパラドックスを起こそうとも、彼女たちは論理の帰結を全て受け入れる。
実際には、「コンコン」や「タカハシ」「マコト」に何事があったのかはわからない。
彼女たちは彼女たちの論理に従い、不可解に思える結論を出し、それを是としている。
ここでは、吉澤ひとみがリーダーで、患者たちは娘。のメンバーだった。
しかし、それはやはり倒錯にすぎない。根本的な解決にはならない。
あいかわらず彼女の精神は蝕まれていくのだ。
先程の騒動だって……。
「とにかく、手続きは終わったのですから、あとはこちらにお任せください」
「え、まあ、お力になれず残念に思っています」
私は憤慨したまま食堂を飛び出した。
真希はいつのまにか姿を消していた。
- 670 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/10/12(木) 22:09
-
先程の騒動は……彼女の世界に一穴が開いたことを指し示していた。
サユが「正気」に戻った。つまり、彼女は「サユ」ではなくなってしまった。
与えられた名前を否定して立ち去っていったのだ。
サユはモーニング娘。ではなくなった。そう彼女はとらえるだろう。
私は自分の出した結論に驚いて、二階に駆け上がった。
サユの部屋に飛び込むと、ベッドの上で馬乗りになっているひとみを見つけた。
「よっさん!」
- 671 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/10/12(木) 22:09
-
私は強引に彼女を突き飛ばした。
サユの口に手を当ててみると、まだ息があったので安堵した。
ひとみはサユの首を絞めていたようだった。
ここは娘。という箱なのだから、娘。でなくなった者は排除される。
それが、彼女の出した結論、倒錯した贖罪なのだ。
真希が部屋に入ってきて、タクシーが待っていることを告げた。
真希が、ことあるごとに「人殺し」と呼びかけていたのは、
なんとかしてひとみを「正気」に戻そうとしてのことだったのだろう。
「もう狂人の振りはせんでええよ、後藤」
「……なんのこと?」
- 672 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/10/12(木) 22:10
-
ひとみを引きずってなんとかタクシーに乗せると、私たち三人は病院を発った。
ぐるぐるとうねる山道を通って、ふもとに出た。
ふと、病院のほうを見上げると、黒煙の中、あの白い洋館は炎に包まれていた。
呆然として眺めていたが、あることに気づいた。
ひとみをパラドックスに満ちた檻から救うために私はここに来た。
面倒な手続きを経て、転院の許可を取った。
だがここにもう一人、彼女の檻を壊そうと決意した人間がいたのだ。
助手席から後ろに振り向くと、二人は遠い目をして車窓の外を見ていた。
- 673 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/10/12(木) 22:10
- fin
- 674 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/10/12(木) 22:10
- *****
- 675 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/10/12(木) 22:10
- ***
- 676 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/10/12(木) 22:10
- *
- 677 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/10/12(木) 23:08
- ふむふむ
- 678 名前:Ё 投稿日:2006/10/12(木) 23:14
- よっちぃーにごっちんかあ
- 679 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/10/13(金) 00:10
- うわ、これはやられた
- 680 名前:今日の講義はどんなんだろ 投稿日:2006/10/13(金) 01:57
- がーん
ひっくりカエル
- 681 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/11/05(日) 00:43
- これまで書いた話が200編になりました
しおどきということで
(0^〜^)ノミ <ばいばーい
- 682 名前:Ё 投稿日:2006/11/22(水) 20:10
- えー
もっと読みたかったー
- 683 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/12/28(木) 03:22
- ドイツのお話ってどれ?
- 684 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/01/02(火) 22:10
- (0^〜^)ノシ 卒業決まったYO
>>683
地図だけ作って挫折したYO!
ttp://www5e.biglobe.ne.jp/~gide/euro.gif
- 685 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/01/04(木) 12:19
- 地図だけ・・・残念です
しかもよっすぃ〜卒業・・・もしかしてこれが原因だったんですか?
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