ピンクの朝焼け
- 1 名前:梓彩 投稿日:2004/12/10(金) 19:36
-
ピンクの朝焼け
- 2 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 20:06
- 冬の始まり。
仕事を終えて、同じ車に乗って、
何時もならとめどなく溢れる笑い声とおしゃべりが、その日だけは聞こえなかった。
楽屋でなにか小さいことで揉めて、意地を張って二人とも言葉を交わそうとしなかったから。
喧嘩の理由なんてもう忘れてしまった。
希美が楽屋に持ってきたお菓子を亜依が勝手に食べたとか、亜依のカバンを希美がうっかり踏んづけたとか、
そんなささいでくだらない事。
- 3 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 20:07
- それでも黙り込んだままの二人は、お互い窓から外を見ているだけで視線を合わそうとしなかった。
最近、一人暮らしを始めた希美のマンションに、車が着く。
「辻、着いたよ」
マネージャーの声に、希美は一言だけお礼を言って車を降りた。
ドアが閉まる前に、亜依が声をかけた。
「のん、また明日」
「・・・・・・」
一瞬間、返事しようかどうしようか考えたあとで、希美は黙ったままばたんとドアを閉めた。
車内で亜依がふぅっと息を吐く。
運転席のマネージャーが苦笑しながら、エンジンをかけた。
- 4 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 20:08
- 「辻も意地張ってんのか。大丈夫?」
「全然大丈夫。もう怒ってないもん、ウチものんも」
「そう?」
「ウチには分かる」
亜依は少し笑うと、振り返って窓から希美のマンションを見た。
希美があそこに住み始めたのは最近なのに、もう何回も遊びに行っている自分がいる。まるで第二の家みたいで居心地が良い。
自分に負けず寂しがりやの希美は、最初のころひとりで寝るのを怖がった。
だから毎晩のように泊まりに行った。一緒に寝て、一緒に仕事に行って・・・・・双子みたい?ホンマにそうかも。
以前はセット扱いに不満があったけれど、いざコンビ活動を始めると、強く思うようになったから。
相方がのんで良かった。
- 5 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 20:09
- 喧嘩中やのに、と声に出して呟いて、それがおかしくてまた笑う。
そんな亜依を見て、マネージャーは首をかしげながらも微笑んだ。
「大丈夫みたいだな。大人になったもんだ。二人とも」
「今日、電話しよっかなぁー」
♪〜
歌を口ずさみながら、亜依は部屋につくまでの短い時間、瞳を閉じて眠りについた。
- 6 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 20:10
-
- 7 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 20:11
- クゥーン・・・・・
「ただいまぁ・・・・マロンー」
勢いよく飛びついてくる愛犬を抱きしめて、希美は深くため息をついた。マロンは不思議そうに頬を舐める。
くすぐったそうに笑って犬から離れると、寝室のベッドにばたんと倒れこむ。
「あー、もう、コドモ。のんってコドモ」
振り返ってごめんねって言えばよかった。それが無理でも、また明日、って・・・・・
それができたら今日だって、泊まりにきてくれたかもしれないのに。
なんだか部屋が広く感じる。
- 8 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 20:12
- 「あいぼんはえらいな」
自分から声をかけてきてくれた亜依に少し驚いた。早く仲直りしたかったけれど、意地を張っていたから。
こんな時はさっさと謝ってさっさと仲直りする、そう裕子や佳織に何回も言われたけれど、なかなか実行できなくて。
「あいぼんごめん。好きよ」
クゥーン
- 9 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 20:13
- ここなら言えるのに、とまたため息を吐いた希美の頬に、暖かい息がかかった。
その息の主を抱きしめて、希美は少し笑顔を見せた。
でも、あいぼんはもう怒ってない。無視したのはのんが悪いから、早く仲直りしちゃおう。で、明日は泊まりに来て、って・・・・
そうすれば、また何時も通りだ。
携帯に手を伸ばしたその時、逆に着信音が鳴った。
亜依がかけてきてくれたのかと思ったけれど、液晶画面に表示されたのは、事務所のスタッフの名前。
見慣れない名前に首をかしげながら、通話ボタンを押す。上ずった声が早口で宣告したのは、思いがけない事だった。
- 10 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 20:14
-
- 11 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 20:15
- ・・・・・あいぼんが事故った?
いつ?どこで?あいぼんは大丈夫なの?
いくつもいくつも湧き上がる質問にひとつも答えてもらえないまま、希美はスタッフの車で病院に向かっていた。
運転しながらも、常に誰かと連絡を取っているスタッフを見て、言いようもなく不安になる。
・・・・・なんでそんなに慌ててるの?
あいぼんは怪我してるの?どんな怪我?どれくらいお仕事休むの?行ったらすぐに会える?
まさか、・・・・・・・・
- 12 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 20:16
-
まさか。
- 13 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 20:17
- 一瞬だけ、ほんの一瞬だけ、不吉な考えが頭に浮かんだ。
怖くなってすぐに考えるのをやめる。ありえない・・・・・・ありえないよ。
たぶん、あいぼんはのんが行ったら笑ってくれる。
さっきはごめんねって謝ればいい。泊まりにくるのは無理かもしれないけど、そしたらのんが病室に泊まろう。
大丈夫。さっきあいぼんに電話するとこだったんだもん。
少し遅れただけ。
- 14 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 20:17
- 「辻ちゃん、もう着くから・・・・・・私も今聞いて・・・・・・ごめん、先に病室行ってくれるかな?」
「・・・・・ハイ・・・・・」
運転していたスタッフが、病院の前に車だけ止めて希美を降ろした。
病室番号を聞いて、忘れないように、口の中で何回も繰り返す。エレベーターに乗るのももどかしくて、階段で4階まで上がる。
廊下は走っちゃいけないと言われたことなんか吹っ飛んでいた。出かけにとっさに被った帽子を走りながら取って、病室に急いだ。
そのフロアに入った瞬間、まわりの空気が変わった。
- 15 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 20:18
- 重い、覆いかぶさるような空気。思わず、走る足を止めた。
・・・・・・・何?
すすり泣く声が聞こえた。少し歩くと、見慣れた人達の姿が見えた。
皆が泣いていた。ひとりが希美を見つけて、戸惑っているその姿を抱き寄せた。
- 16 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 20:19
- 「のの・・・・・・」
「梨華ちゃん」
自分の心臓が、驚くほど速く鳴っていた。すごいな、と思った。心臓って、こんなに速くドキドキできるのか。
冷静にそんなことを考える希美がいた。梨華が、涙を拭いながら希美の顔を覗き込んだ。
「のの・・・・・?」
「辻、ほら・・・・・おいで」
裕子が希美の手を引いて、一緒に病室に入った。白いカーテンの向こうに、亜依がいた。
- 17 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 20:20
-
- 18 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 20:21
- キレイな顔だった。
長いまつげに、ほんのりピンクの頬。白い肌。
足りないものは、くるくる動く丸い瞳だけ。
「さっき、下からこっちに移して貰ったんや」
大人っぽいなぁ。そう思った。亜依は目を閉じるととたんに大人っぽくなる。
あいぼんはキレイだ。最近キレイになってきた。そしてカワイイ。何時も通りだ。
ぼんやりそんなことを考えた。
- 19 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 20:22
- 「即死、やったんやて」
裕子が静かに話し出した。その頬には、涙の筋が伝っていた。病室の中にも外にも、裕子の声以外に嗚咽と咳の音しか響かない。
希美はベッド脇に立って、ただ亜依を見下ろしていた。
「トラックが横から飛び出してきて・・・・・一瞬や。人間の身体なんて、脆いモンや。加護の乗ってた左座席から突っ込んできて・・・・・先生も出来る限りの事はしてくれはったけど、もう、病院着いた時には―――――」
しゃがんで、亜依の手に触れる。その手が冷たいのも構わず、握り締める。硬くなった手をほぐすように、暖めるように。
見ていた真希が、希美を後ろから抱きしめた。
- 20 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 20:23
- 「ごっちん」
「あいぼんさ、痛くなかったと思う、私は。痛かったとしても、一瞬だよ。もう今は、痛くないよ」
「あいぼん、キレイだ」
希美が呟いた。それを聞いて、真希はもっと強く強く希美を抱きしめた。
廊下で、梨華がこらえきれないように声を出して泣き出した。傍にいたひとみが、その頭を胸に優しく抱き寄せた。
その近くで、亜弥が美貴の胸で泣いていた。いつも勝気な美貴が悲痛な表情だった。
「あいぼん」
希美の声が、空気に吸い込まれて消える。
返事はない。
- 21 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 20:24
- 「あいぼん。あいぼん」
「辻」
裕子が見かねて遮った。怒っているような、哀れんでいるような、愛おしんでいるような、複雑な表情。
「アンタも分かるやろ。死んだっていうのがどういうことか・・・・・しっかりしいや、辻!」
「・・・・・・・」
口をつぐんだ希美に、裕子がゆっくり言った。
「加護はもうこの世におらんねん」
- 22 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 20:25
-
- 23 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 20:26
- ♪〜
ガチャ・・・・
『あ、帰ってきた』
ベッドでごろごろ転がって歌を唄っていた亜依が、カギの音を聞きつけて玄関に走った。
ドアをするりと通り抜けて、入ってくる希美を待ち構える。
『のん、お帰りー!』
「・・・・・・・」
- 24 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 20:26
- しぃん。
亜依の声は、すぐに消えていった。
希美の反応はない。無表情のまま、靴を脱いで部屋に入っていった。
そこにあるはずの亜依の身体を通り抜けて。
『・・・・・・?』
慌てて希美を追いかける。後ろから抱き着こうと飛びついて、そしてふわっと希美の身体を過ぎて床に倒れこんだ。
ちっとも痛くない。けれど、寝室に向かう希美に踏みつけられそうになって、あわてて亜依は横に飛びのいた。
- 25 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 20:28
- 『あっぶなぁ。・・・・・やっぱし、のんでも無理かぁ』
そう呟いてみる。その声も希美には届かない。
キキィー!と耳障りなブレーキ音に、そっちの方向を向いた瞬間だった。
どぉんと大きな衝撃がきて、ふわりと空に舞った。それから・・・・・気がついたら、希美の部屋にいた。
でも、部屋にあるモノになにか触ろうとしても、通り抜けてしまう。
なにかを触っているという感触がなかった。
- 26 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 20:29
- ああ。死んだんやなぁ、ウチ。
壁もドアもするりと通り抜けられる体験は、なんだか楽しかった。それでも、希美にも触れられないとなると少しへこむ。
ベッドにあおむけになった希美を追いかけて、隣に寝転がる。
亜依は楽しそうに笑った。
「せまいわぁ。のん、やっぱしもうちょっとでっかいベッド買ったほうがエエんちゃうのぉ?」
返事はない。
ぼんやり天井を眺めている希美を見て、少し頬を膨らませた。
- 27 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 20:30
- 『心配してくれてるんー?ウチ、死んでもうてんなぁ?』
「・・・・・・・」
『病院行ってたんやろ?どうやった?みんな泣いてた?やっぱり、・・・・・・』
口に出してから、はっと気づいた。もう自分はこの世の人間じゃないこと。
もう二度と皆に会えない。二度と皆と遊べない。
家族も、友達も、仲間も、ファンも、自分を大切に思ってくれている人がどれだけ悲しんでいるかということ。
ごめんね。
加護、ちょっと早くこっちに来すぎたみたいです。
いや、まだ、半分ぐらいこっちに残ってるみたいやけど・・・・・
少し落ち込んでから、ふと隣を見る。
ぼうっと開いていた希美の瞳から、涙がこぼれ落ちていた。
- 28 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 20:31
- 『のん・・・・・・』
「あいぼん、ごめんね・・・・・・」
涙にうろたえて、亜依がベッドの上に座りなおす。どうしようかと辺りを見渡してみるものの、もちろん誰もいない。
希美の愛犬のマロンだけが、くぅんと鼻を鳴らしながらベッドに近づいてきた。
「ごめんね、のんが、あの時謝っとけばよかった・・・・・・あの時、部屋に呼んでればよかった・・・・・・」
『のん、泣かんといて。そんなんちゃう』
「まだ謝ってないのに・・・・・ずっと、もう謝れないのに・・・・・・・ごめんね、あいぼん」
『泣かんといて、もう、聞いたから。全然怒ってへんし、ほら、ほら、ここに居るやん』
どんなに言葉を並べても、亜依の言葉は希美には届かない。
希美の頬に流れる涙がキレイで、思わず自分も泣きそうになってしまう。
雫を拭おうと指を伸ばしても、その頬に触れることはできない。命有る者とそうでない者との間の、見えない壁。
- 29 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 20:32
- 「ごめんね・・・・・10分とかでも、1分でもよかったのに・・・・・・のんが引き止めてればよかったのに・・・・・・」
『のん』
「だって、死んだとか・・・・・みんな泣いてたけど、嘘みたいで、ドラマみたいで、あいぼん、キレイで」
思わぬ褒め言葉に、亜依は思わず頬を染める。希美が素直に亜依を褒めることなんてめったになかったから。
盗み聞きみたいやな。ごめんね。バツの悪そうにちょこんと頭を下げた。
- 30 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 20:33
- 「のんのせいだよ・・・・・・何であいぼんなの、のんが代わりになればよかったのに、あいぼんはちゃんと声かけてくれたのに」
一息で吐き出すと、希美はマロンを両手で胸の中に抱きあげて泣いた。
亜依はそんな希美の姿を見て、歯がゆさに唇を噛み締めた。
『ちゃうで、のんのせいなわけないやんか?ウチは全然怒ってへんで。楽しかったもん、のんに会えて幸せやった』
そんなガラでもない言葉を言って、一人で照れる。それでも必死だった。
これから先、希美がずっと罪悪感を背負って生きていくのは耐えられない。希美が素直だから尚更・・・・・・
- 31 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 20:34
- 怒ってない。楽しかった。幸せだった。
希美のことがすき。
そう伝えなければいけない、だから自分はまだここにいるのかもしれない。
そうだとしたら、猶予をくれた神様、ありがと。
『泣かんといて』
希美を背中から抱きしめる。すり抜けてしまわないように、空気のような感覚を抱きしめて一緒に泣いた。
- 32 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 20:34
-
- 33 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 20:35
- その事故は、瞬く間にマスコミの波に乗って広まった。
既に国民的アイドルとして、誰もが知る存在になっていた亜依の突然の死を、多くの人が悲しんだ。
Wは、メンバーの一人がいなくなってしまった事で、事実上の活動休止となった。
葬式が終わった後、軽症で済んだマネージャーによって、希美のスケジュールがとりあえず白紙になったことを告げられた。
一緒の部屋にいるのに、会話もできない。夜も隣で寝ているのに、それに気づかない。
じゃれあって笑うことも、希美の独り言に突っ込みをいれることもできない。次第にストレスが溜まる。
あれから希美の独り言といえば、亜依への謝罪の言葉しかなかったけれど。
- 34 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 20:36
- もう2日経つというのに、希美は何も口にしていなかった。
マネージャーが1日1回は心配して訪ねてくるのだけれど、希美はその時だけ元気そうに振舞ってすぐ追い返してしまう。
その時持ってきてもらう差し入れも、テーブルの上に置いたまま。
ほかの時間は、ただベッドに寝たままの時間が続いた。
『のん。そろそろ何か食べぇや・・・・・』
亜依はお腹が空かない。幽霊は・・・と呼べるのかどうか分からないが、どうも「欲」がなくなるようだ。
食欲もないし、一応夜は寝るけれど、眠くもならない。疲れもしない。それより心配なのは希美の身体のこと。
只でさえ最近痩せていたのに、こんなに何も食べないのでは身体を壊すに決まっている。それに、夜も寝ていないようだ。
- 35 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 20:37
- ごめんな。のん。
ウチのせぇで、いらん心配かけて。
しょんぼりしながら、なんとか食料を手にしようとテーブルの上にあるスーパーの袋に手を伸ばす。
指が触れたように見えて、すかっと空振り。何回やっても同じ。
それではとベッドに行き、希美の隣にすべりこむ。ぴったりくっついてみるけれど、その体温を感じることはできない。
『のん、ウチ、ここに居るで』
- 36 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 20:38
- 気づいて。
泣いて欲しくない。
「あいぼん。ごめんね・・・・・ごめん・・・・・」
『もう聞いた』
「ごめんね。あいぼん」
何回も、何回も、繰り返される言葉。
何かに取り付かれたように、希美の喉からは、只ひとつの言葉しか出てこなかった。
なんであの時、振り向かなかったんだろう。
なんであの時、返事しなかったんだろう。
なんで?なんで馬鹿みたいな意地を張ったりしたんだろう。なんでこうなる事に気づいてあげられなかったんだろう。なんで・・・・・
- 37 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 20:39
- もう会えないのに・・・・・・
「あいぼん」
窓のほうに寝返りを打って、思わぬ眩しさに一瞬驚いた。
薄く薄く目を開く。埃が窓からの光でキラキラ光っている。
まるでそこに亜依がいるような気がして、思わず目を見開いた。何も見えない、透明の光。
『のん?見えるん?のん!』
「・・・・・居るわけないよ」
- 38 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 20:40
- 淡い期待は、深い失望に変わった。
それでも、希美はゆっくりと起き上がって、リビングに向かった。
「だめだ、なんか食べないと・・・・・」
『そうやで。そこにマネージャーが持ってきてくれたお弁当あるから、ホラ、食べて』
ようやく本能が働き始めたのか、希美は食べ物を口にした。その姿を見て、亜依はほっと息を吐いた。
希美には自分の姿は見えなかったようだけど、どうも、ぼんやりとは感じてくれたようだ。
- 39 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 20:41
- でも、・・・・・良かった。なんか食べる気になってくれて。
いっぱい食べたら、今日はゆっくり寝れるんちゃうかな。
理由はどうあれ、久しぶりの休みやねんから、ちゃんと休まな。
『のん、ウチ、先に寝てるから〜』
聞こえる筈もない言葉を残して、ベッドに入り込む。なんとなくだけれど、かすかに希美の体温が残っている気がした。
- 40 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 20:42
-
- 41 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 20:43
- 3日目。
もう大分陽が高くなってから、ゆっくり起き出してきた希美を見つけて、亜依は微笑んだ。
昨日、あれから手を繋いで寝た。
ともすればすり抜けてしまいそうな指を、しっかりその位置に固定して。
『のん、おはよ』
返事はない。
けれど、どこか清々しい表情を見て、嬉しくなる。
のんは、ウチが手ぇ繋いだったら寝れるんや?
まだまだコドモやな。
- 42 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 20:44
- 希美が窓際に立った。カーテンを開けると、眩しい陽の光が希美を包んだ。キラキラ輝く光の粒に、亜依は思わず目を細める。
床の上に座っている亜依からは、見上げる格好になる。
伸びた髪を垂らした希美の姿は、なんだか急に大きく見えた。
『のん、背ぇ伸びた?・・・・・なんか大きく見える』
- 43 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 20:45
- 何時も隣にいたからだろうか?そんな変化には気づかなかった。
だけど、当然、希美はどんどん成長している。背も伸びるし、顔つきもだいぶ大人になってきた。
これからも、確実に大人になる。
亜依を残して。
そう思うと、なんだか切なくなった。
自分はずっと、永遠に、16歳のままだから。
『いいもん。のんがオバちゃんになっても、ウチは若いまんまやで』
「あいぼん」
- 44 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 20:46
- 少し憎まれ口を叩いてみた亜依が、希美の声に気づいて改めて窓際を見上げた。
希美の目には、また涙。
「ごめんね」
もう聞き飽きた台詞を何回も繰り返されて、亜依は少し苛立った。
自分がここにいることなんて、分からないことは知っているけれど・・・・・そんなに何回も謝られても。
それより、のん、アンタがさっさと元気になってくれるほうが、よっぽど助かる。
『ほら、泣かへんの!のん』
指を伸ばして、涙を拭う仕草をする。顔を覗き込むと、ふやっと崩れた泣き顔がアップになった。
- 45 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 20:47
- 「あいぼん、会いたいよー」
『ここに居るやん・・・・・のんが鈍感なだけ』
「あいぼん」
こんなに名前を呼ばれたのは、久しぶりだった。
モーニング娘。にいるときは、比べられたりセット扱いだったりにいい加減飽き飽きしていたし、Wとしてデビューしてからは、いつも二人という環境で逆に離れて行動することが多かった。
仕事でも、プライベートでも、求めればすぐに会えると思っていたから。
それが当たり前のことだったから。
当たり前で、でも大切なこと。
失くすまで気づかないから、余計に切ない。
- 46 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 20:48
- 『のん、出かけよう』
このままやったら、駄目になってまう
必死に希美の腕を引っ張って促す。足元で、マロンが亜依のかすかな存在に気づいたのか、警戒して鳴いていた。
希美がマロンを抱き上げる。優しい表情。
『やっと笑った・・・・・』
涙で真っ赤に充血した瞳だったけれど、やっと希美が笑顔を見せた。でも、やっぱり自分に向けた笑顔ではなくて。
亜依は少し頬を膨らませて、マロンを恨めしげに見やった。
『犬に負けるとは思わんかったわぁ。アンタ、ライバルやな』
「マロン、お散歩行こっか」
『えっ』
- 47 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 20:49
- 思いがけない言葉。希美は犬に優しく笑いかけると、手際よく首にリードを付けはじめた。
その後ろから亜依が、口をぽかんと開けたまま1人と1匹を見守っている。
『なかなかやるやん・・・・・』
ま、何にせよ、2日間引きこもりっぱなしだった希美がようやく外に出ようとしてくれた。
そこのところは、マロンに感謝。
希美が帽子を取りに行ったスキに、頭を撫ぜてやろうと腕を伸ばす。けれど触れることはできなくて、やっぱり空振り。
マロンがまた激しく鳴いて、慌てて手を引っ込めた。戻ってきた希美が不思議そうに首をかしげた。
「マロン、どしたぁ?何か見える?」
希美の視線がこっちを向いて、思わずドキッとした。
祈るように希美の眼を見つめる。けれど、視線は交差しない。
希美が見ているのは、亜依の立っている「空間」で、決して亜依自身ではないことを改めて思い知らされる。
- 48 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 20:50
- 「・・・・・?いいや、行こう。おいで」
クゥーン
あわてて後についていく。外は快晴。プライベートなのに帽子なしで道を歩くなんて、なんだか新鮮な気分。
行きかう人が誰も気づかないのが楽しくて、隣に希美(と犬)がいることが嬉しくて、亜依の足取りは軽やかだった。
歩きながら聞こえないのをいいことに大声で歌ってみたり、くるくる回ってみたり、
人を通り抜けて希美の周りをスキップしてみたり。
それに疲れると、希美の隣に戻って手を繋ぐ。
離れないように、解けないように、掴めない指先に力を入れて。
希美はずっと表情を変えなかったけれど、それでもなんだか穏やかそうに見えた。
- 49 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 20:51
- ゆっくり近所の公園まで歩いて、ベンチに座る。
陽の光がやさしく包んで、亜依は希美の隣でやさしく笑う。
そう言えば、こんなにゆっくり過ごしたのも久しぶり。
目の前には、キャッチボールをして遊ぶ親子連れ。きゃーきゃー騒ぎながら犬と戯れる小さい女の子たち。
そっか、今日は日曜日だっけ。
- 50 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 20:51
- 『曜日なんて、忘れてたわぁ』
いつからか忙しくて、今日が何曜日かなんて気にする暇もなかった。
この世界に入るまでは、確か、日曜が来るのが待ち遠しくて仕方なかったのだけれど。
「・・・・・今日、休みかぁ・・・・人多いなぁ」
隣でポツリと呟いた言葉に、思わずくすりと笑う。
- 51 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 20:52
- 『のんも気づいてなかったん?やっぱり』
「マロン、帰ろっか・・・・・」
『ありゃ。帰るん?』
少し拍子抜け。もうちょっとここでゆっくりしても良かったのに・・・・・と亜依は呟く。
久しぶりに二人で公園とか来たんやから、この際いろいろと語り合ってみたりしようかと思ったのに。
・・・・・まぁ、無理やけど。
- 52 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 20:53
- 腰を上げて、歩き始めた希美の隣をぴったりキープして一緒に歩く。
希美の歩くスピードは遅い。気がつけば体一個分前に出てしまう。
亜依はどちらかというとさっさと歩くほうだから、今まではいつも希美が少し後ろに着いてくることが多かった。
希美はずっと、亜依の背中ばかり見ていたのかもしれない。
それもまた、今になって気づくこと。
『・・・・・・ごめんね』
隣の希美の顔を覗き込みながら、謝ってみる。
もちろん返事はないけれど、希美の唇からは小さく歌が漏れていて、助けられる気持ちになる。
- 53 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 20:54
- ・・・・・♪〜
そのメロディーを、重ねて口ずさむ。
心地よく重なるふたつの音。
- 54 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 20:55
- その歌が終わりかけた時には、もうマンションの前まで来ていた。
まだ10代半ばの少女とはいえ、十分に有名なアイドルが一人暮らしできるぐらい万全のセキュリティが施されているそのマンションは、
すでに亜依にとっても通いなれた場所だった。
いつもは駐車場に繋がっている裏のエレベーターから入るので、こんなふうに正面から入るのは珍しい。
なんとなく新鮮で、きょろきょろ辺りを見渡す亜依の視界に、座り込んでいる二人組みの男が飛び込んできた。
- 55 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 20:56
- 「来た!」
その短い叫びと共に、その男達は希美達のほうに向かってくる。
危ない――――――そう思った亜依がとっさに希美の前に立ちはだかる。希美は無表情のまま立ち尽くしている。
希美にかぶさるように立った亜依が目をつぶって、
―――――そして、男達は俯いている希美を囲うように立った。
足元でマロンが警戒して激しく鳴いている。
亜依がおそるおそる目を開ける。
- 56 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 20:57
- 「お前が死ねば良かったのに」
かたん。
男が一歩前に進む。
「あいぼんを返せ・・・・・」
『何言ってるん・・・・・』
呆然と亜依が呟く。
この人ら・・・・・ウチのファンか。そう気づいたとたん、背中に寒さが走った。
エントランスを掃除していた人間がマロンの異常な鳴き方と希美達に気づいて、慌てて人を呼びに走った。
- 57 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 20:58
- 「あいぼんの代わりにお前が死ねよ!」
『やめて・・・・・やめてや!!』
反応を示さない希美にイライラした男の一人が、希美の服に唾を吐いた。
それでも希美は黙ったままで。
亜依は必死で大声を出す。卑劣な言葉をかき消す様に。
管理人が慌てて飛んできた。気がついた男達は舌打ちをして逃げ出す。
亜依は目にいっぱい涙をためて希美を抱きしめていた。
- 58 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 20:58
- 「大丈夫ですか?・・・・・」
「あれぇ」
男達を追うのをやめた管理人が希美に聞く。希美はようやく視線を上げた。
視線の先は、亜依の姿とはズレている。
「あいぼん」
希美は、誰もいない道路のむこうを見て優しく笑った。
『のん・・・・・そっちちゃう、ウチはこっち・・・・・』
亜依の声は、希美には届かない。
- 59 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 20:59
- 「なぁんだぁ よかった あいぼん いるじゃん ちゃんと」
いつものように、ゆっくり舌ったらずな喋り方で亜依に話しかける。
希美は確かに亜依を見ていた。
「ね」
笑顔が、空に吸い込まれて消えた。
希美の身体がどさりと地に落ちる。
辛うじて繋ぎとめていた希美の脆い精神が、シャボン玉のようにパチンとはじけた。
- 60 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 21:00
-
- 61 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 21:01
- 「最低や」
裕子が吐き捨てるように言った。
病室のドアの前、真希が頷く。
「倒れて当然や・・・・・加護のファンかていい大人やろ、辻に当たったって意味ないって分かる筈やんか」
「うん・・・・・」
ファンの思い込みには慣れている。誰でも自分の好きなメンバーを失えば悲しいのも分かる。
けれど一番辛いはずの希美にあんな仕打ちはあんまりだろう。
直接その場にはいなかったけれど、代わりに死ね、だなんて・・・・・八つ当たりにも程がある。
「でも、只の貧血で良かったね」
どうやら栄養不足や睡眠不足、いろいろなものが重なった結果だったらしい。
裕子が真希の言葉にあらためて頷いて、ドアに手をかけた。
- 62 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 21:02
- 「辻〜・・・・・」
ベッドの上に寝かされていた希美が、ゆっくり裕子達のほうを向いた。
その白いシーツが妙に目に染みて、真希は思わず目を反らした。
もちろん病室は違うけれど・・・・・
「気ぃついたか。大丈夫ー?アンタまで倒れてどうすんの」
「なかざわさん。ごっちん」
希美は八重歯を覗かせて微笑んだ。裕子がほっと息を吐く。
手首から点滴の管が伸びていて、痩せた頬とあわさって痛々しく見える。
「急に痩せたんちゃうの・・・・・」
- 63 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 21:03
- まだ3日、けれど、もう3日。
今が一番辛い時なのかもしれない。あとは序々に慣れてくるだろう。
亜依のいない生活に。
辻はいっつも加護とおったから、一番不安定なんやろな。せやけど替わってはやられへんし。
厳しいやろうけど、アンタがしっかりするしかないねんで。
裕子は心の中で呟いた。
「あのさぁ、ツージィー」
真希が切り出す。
希美はなァに?と首をかしげる。
- 64 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 21:04
- 「言われた事さ、あんまり・・・・・っていうか、全然気にする事ないよ。まぁ当たり前だけど、ツージィーのせいじゃないってみんな分かってるし・・・・・や、ツージィーも分かってると思うんだけどさ、・・・・・」
なんだか言葉がまとまらなくて、真希が裕子に視線で助けを求める。
裕子は咳払いをひとつしてから希美に語りかけた。
「加護も天国で応援してくれてると思うで。辻が精一杯生きることが、加護の助けになるんやから」
「・・・・・」
- 65 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 21:05
- 希美は不思議そうな表情で裕子を見ていた。まるで、言っている意味がさっぱりわからない、といった風に。
「な、がんばりや?あんまり気負わんと」
「あのぉ」
かたん。
ベッドの上で上半身を起こして、希美が問いかけた。
「カゴって、誰ですか・・・・・?」
- 66 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 21:06
- 「え」
思わず真希が声に出す。希美の表情からは冗談を言っているようには見えなかった。
裕子が少し声を上ずらせて聞いた。
「加護・・・・・加護、誰って・・・・・忘れたって事?」
「え、のんの知り合いでしたっけ?うそぉ」
無邪気にそう言って笑う希美は明るくて、いつものお馬鹿な雰囲気に戻っているように見える。
けれど笑って流すことのできる話題ではなくて・・・・・
にこにこしている希美をよそに、二人は言葉を失った。
- 67 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 21:07
-
- 68 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 21:07
- 小走りで、梨華とひとみが廊下を急ぐ。
フロアごとの小さな休憩室に入って、ソファにひとりで座っていた真希に挨拶もなしに問いかけた。
「ののが・・・・・記憶なくしたって」
「ああ、うん・・・・・」
「記憶喪失って事?なんで・・・・・貧血だって聞いたんだけど」
「今、どこに居んの?寝てるの?」
二人からの矢つぎ早な質問に、真希が肩を竦める。
二人に座るように促してから、ゆっくり話し出した。
「記憶喪失っていうか、あいぼんの記憶だけ抜けちゃってるみたいなんだよね・・・・・ほかの事は全部覚えてるんだけど」
「あいぼんの記憶だけ・・・・・?」
「ん、お医者さんの言うには、精神的なショックでそうなることがあるみたい」
- 69 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 21:08
- 音がして、ドアが開いた。
裕子が入ってきてソファに腰を下ろす。
「解離性健忘言うて、忘れることで自分を守ってるんやて。辻が実際ショック受けたんは加護が・・・・・いなくなってからの事やろうけど、辻の頭ん中では加護と過ごした事とかぜんぶ、辛い思い出になってしまってるみたいやな」
しぃんと部屋が静まり返る。
梨華とひとみは必死に話を理解しようとしているようだった。
真希が、深い息を吐く。
- 70 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 21:09
- 「でもさぁ・・・・・どうなるの?ずっと忘れたまんまなんですか?」
ひとみが納得いかないように裕子に問いかける。裕子は、暫らく考えるように目を閉じてから口を開いた。
「私は・・・・・先生も言うてはる事やねんけど・・・・・無理に思い出させなくてもいいと思ってる」
「じゃあずっとののはあいぼんのこと、忘れたままって事ですか?」
梨華の高い声に、裕子は頷くとも首を振るともなく話を続ける。
「もちろん、その時が来たら辻も自分で思い出すやろうし・・・・・それは辻の問題やと思うんよ。うちらが入っていく事ちゃう」
「・・・・・・」
「でも、どっかで覚えてると思うねん、辻のことやから、表面では気づいてないかもしれんけどどっか・・・・頭のすみっこで」
- 71 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 21:10
- 「それに気づくまでゆっくり待ってあげればいいのかもね、うちらは」
真希が言う。
他の三人が、それぞれ頷いた。
「悪いな、この前あんな事があったばっかりやのに、また呼び出して」
裕子が申し訳なさそうに頭を下げる。
梨華とひとみが顔を見合わせて、首を振った。
- 72 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 21:11
- 「あいぼんの事は・・・・・もうひとしきり泣いて、でもなんか、いなくなった気がしない・・・・・」
「そう。なんか、また戻ってきそうな気がする。すぐに、今すぐにでも」
ぱたん。
既に閉じていたはずのドアが音を立てて閉まった。
真希が一瞬そっちに視線をやって、そして目を閉じた。
- 73 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 21:12
- 「そうだね。あたしもそうだ」
キラキラ、寒くなってきた外の温度で窓が光る。
キラキラ。
「実感わかないよ。いきなり死んだっていわれてもさ、あいぼん」
「加護は、最後まで何やるかわからんかったなー」
裕子がどこか微笑ましそうに呟く。
- 74 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 21:13
- 「また会えるよね」
真希の言葉が、キラキラに包まれてふわりと消えた。
- 75 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 21:13
-
- 76 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 21:14
- 4日目の昼さがり。
念のため1日だけ入院していた希美が、病院から戻ってきた。
待ちかねていたマロンがはしゃいで飛びつく。
「ただいまー、マロちゃーん」
まずはエアコンのスイッチを入れて、それから胸に抱きしめて頬ずりする。その表情は晴れやかで曇りがないように見える。
ベッドの上で足をぶらぶらさせていた亜依は静かにその姿を見守っている。
- 77 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 21:15
- 「よしよし、いいこいいこ」
楽しそうにマロンを抱き上げて、ソファに座らせる。
専用のお皿にドッグフードを入れてやると、自分はベッドにごろんと横になった。
亜依の隣、短い距離。
亜依はおなじようにごろんと身体を倒すと、ふわり目を閉じた。
『のん、ウチのこと忘れてもうたんやって?』
- 78 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 21:16
- ちょっと早すぎるんちゃう?まだ4日やのに。
そう頬をふくらませて文句を言ってみる。返事はない。
『まあエエけどさ』
♪〜
ようやく効いてきたエアコンから温風が流れてきて、部屋の中は居心地の良い温度になる。
希美の歌声が天井に昇っていく。
その声はなんだか楽しげで、なのに何故か寂しくなって、亜依は慌てて起き上がって耳を塞いだ。
なんや、急に明るくなったんちゃう?
相変わらず、切り替えが早いなぁ。
- 79 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 21:17
- 指の隙間からかすかに聞こえるメロディーは、昨日のそれと同じだった。
けれど今日のほうが希美の表情が明るいことに気づいて、薄いオブラートがもう一枚亜依を包む。
でも、良いよ。のんは笑ってるほうが似合う。
「なんか、久しぶりに部屋に戻った気がするなぁ」
希美が歌うのをやめて、部屋の中を見渡す。あの日以来の記憶がなくなっている希美がそう思うのも当然だった。
- 80 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 21:18
- 1メートルはありそうなクマのぬいぐるみを始め、あふれるほどのぬいぐるみの山。かわいいグロスや香水のディスプレイ。
壁にはコルクボードにたくさんの写真。
希美は写真に目を留め、首をかしげた。
「誰だコレ・・・・・?」
一番たくさん貼られているのは、希美と亜依のツーショット写真。
けれど今の希美にとっては、知らない人と仲よさそうに写っている、わけのわからない写真でしかない。
変なの、と呟くと、希美は亜依と写っている写真を全部剥がしてしまった。
- 81 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 21:19
- 『ちょっとひどいんちゃうのぉ?のんー』
「気持ちわりぃー」
気持ち悪いんかいっ!と声に出して突っ込もうとして、初めて自分の声が涙声なことに気づいた。
ぽろぽろ涙があふれてきて、止まらなくなる。
それ撮ったとき、のんの誕生日会みんなでやってんで。でっかいケーキ用意して、収録終わってから楽屋に持ってきてもらって。
みんなでクラッカー引いたら、のんがわーって泣いてびっくりしたっけ。
そっちのは二人で初めてディズニーランド行ったとき。本物のプーさんに会えて感動したわぁ。
はしゃいでたらちっちゃい子に気づかれて、手繋いで走って逃げたやん。
それは写真集の撮影でハワイ行ったとき・・・・・そっちはコンサートの前の楽屋で・・・・・
- 82 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 21:20
- ずうっと一緒にいたこと、覚えてない?
『しょうがないか』
自分に言い聞かせて、窓際に立つ。
窓の外はキラキラ、今日も快晴。
希美はもう自分のことを思い出すことなく、幸せに生きられるかもしれない。
なら、これでいい。これで十分だから早く、もう連れて行ってください。
神様―――――
- 83 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 21:21
- 指を組んで祈ってみても、亜依の姿はまだ消えずにそこにある。
やりきれなくなって、神様に思いつく限りの暴言を吐いて、亜依はふぅっと息をついた。
あの時、あのまま天国に行ってればよかったのに。
ここに居る意味がまたわからなくなる。
神様は意地悪だ。
- 84 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 21:21
-
- 85 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 21:22
- 5日目。
亜依は、その日初めて床の上で目を覚ました。生きているわけでもないのに、身体の節々が痛い。
けれど希美の隣で寝る気分にはなれなかったから。
希美はすでに起きていて、なにやら真剣な表情で手帳を開いている。
最初は気にも留めないふうを装っていた亜依だったけれど、そのうちにどうせ見えないのだからそんな抵抗は無意味だと気づき、近づいていって希美の手元を覗き込む。
と。
- 86 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 21:23
- そこにはカラフルなペンでびっしりと書かれた仕事のスケジュールと、その合間にちょこちょこと、ハートマークで囲まれた日付。
その日付のスペースには決まって、「あいぼんとデート」と書かれていて。
なんだか見てはいけないものを見てしまった気がした亜依は、照れて手で顔を隠した。
『なぁんやねん、ちゃっかりハートとかつけちゃってー』
昨日の沈んだ気分が一気に復活する。そんな現金な自分に少し苦笑。
その横で希美は考え込んでいる。
- 87 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 21:24
- 知らない人間との思い出が散りばめられている手帳は、持ち主を混乱させるものに違いない。
ふと昨日の光景が蘇って、心臓がドキッと鳴った。
今度は自分の名前がペンで塗りつぶされてしまうのではないかと、そんな悪い予感。
けれどもそんなネカティブな予想は当たらなくて、希美はただ、視線を落として呟いた。
「ごめんね」
思い出してあげられなくて・・・・・か。
『ええっちゅうの』
どーん、と音を立てて・・・・・もちろん実際には触れることすらできないのだけれど、亜依は希美の背中を豪快にぶっ叩いた。
そんな事はどうでも良いから、ほら、早く笑って笑って。
ウチはやっぱり、のんの笑顔がすきやもん。
亜依がそう言うと、希美が少し、頷いた気がした。
- 88 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 21:25
- 気がつけば、亜依の痕跡は希美の部屋のいたるところに残されていた。
亜依専用のパジャマはもちろん、歯ブラシ、携帯の充電器、可愛い髪ゴム・・・・・
まるで新婚さんみたいだと、二人で笑った日を思い出す。
これからもゆっくりと時間は進んで、亜依の匂いはだんだんと消えていく。
それは誰も止めることのできない時間の仕業。
現に、希美はもう5日分、亜依の前を歩いている。
- 89 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 21:25
- こんなに早く、自分の存在が消えてしまうとは思わなかったけれど、もしかしたらそれは幸せなのかもしれない。
こんなに早く、希美が笑顔を取り戻せたのだから。
『良かったやん、ね』
そう納得しなければいけないと、自分に何度も言い聞かせた。
- 90 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 21:26
-
- 91 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 21:27
- その日は朝から、希美の機嫌は良かった。
やっぱり、手ぇ繋いで寝ると違うな・・・・・と亜依は少し嬉しくなる。
いくら願ってみても、神様は亜依を天国へは連れて行こうとはしなかった。
なら、ここに居てもいいんだろう。
希美の笑顔をしっかり目に焼き付けてから、天国のお花畑でのんびりするのも悪くないか。
- 92 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 21:28
- この世界に入ってから、息をするヒマもないほど全力で駆け抜けてきた。
勉強とか、学校とか、犠牲にしたものもたくさんあった。
でも、掛け替えのない大切なものをたくさん手に入れた。
他の子にできない体験をして、知りたいことも知りたくないことも知って、いっぱい泣いて、いっぱい笑った。
夢を叶えて、笑顔を覚えた。
奈良からひとりで上京して、おばあちゃんと一緒に住んで、やっぱり寂しかった。
裏切りとか、大人の怖さとか、たくさん黒い夢も見た。
それでも楽しくやってこれたのは、のん、アンタがいたから。
リビングでマロンと遊んでいる希美の正面に座って、亜依はそんなことを思った。
- 93 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 21:29
- 普段ならプライベートでこんなこと絶対言わないけれど、どうせ聞こえないんだから言ってしまおう。
すぅっと息を吸い込む。
『辻希美、大好きじゃー!』
満足。
マロンだけが、大声にかすかに反応して亜依に吠え掛かる。
希美はそんな犬を抱きしめて笑った。
- 94 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 21:30
- 「マロン、うるさいよー。しずかにして」
亜依がべぇーっとマロンに舌を出す。アンタ、やっぱりライバルやな。
と、いきなりの電子音が空気を遮った。
チャイム音だ。
「・・・・・?」
- 95 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 21:30
- 希美が玄関に立つ。約束のない来客は、亜依もよく知っている人物だった。
「おー、びっくりしたぁ。田中ちゃん?」
「スイマセン・・・・・いきなり」
「良いよ、ヒマだったし。入って入って」
硬い表情をしたれいなは、希美に案内されてソファに腰掛けた。
思いがけない来客。
そもそもれいなが希美の家を知っていることすら、亜依は知らなかった。
なんだか微妙な疎外感を感じて、少し寂しくなる。
- 96 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 21:31
- 「でも、のんもいきなり来るとは思わなかったよー」
れいなにジュースを出してやって、希美がその前に座る。
れいなは厳しい表情のままでそれを一口飲んだ。
「あの、」
れいなが、話を切り出そうと、身を乗り出した。
希美はまるい瞳でそれを見つめる。
「加護さんのこと、忘れたって・・・・・」
「・・・・・」
- 97 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 21:32
- 希美が急に無表情になったのが、亜依には分かった。
あー、やめたって、田中ちゃん。その事やったら、ウチはもういいから。
そんな言葉も聞こえるはずはなく、れいなは希美を見て唇を噛んだ。
「ほんとなんですか。あんなに仲良かったのに忘れたとですか?」
れいなの言葉は、未だ少し福岡訛りだ。興奮すると方言が出てしまうらしい。
それに自分で気づいたのか、れいなは軽く咳払いをして続けた。
「しょうがないと、思いますけど・・・・・でもひどいと思います・・・・・だって辻さんと加護さん、すごく、仲良かったんで」
- 98 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 21:33
- 「ん・・・・・」
「思い出せないですか?なんか私にできることあればやります。一緒に写ってる写真とか、私持ってるんで・・・・・」
や、それはのんも持ってた。もう剥がしよったけど。
「お節介だと思うけど、やっぱり、加護さんが可哀想とです・・・・・」
ん、まあ、なんとか大丈夫やで。ありがと、田中ちゃん。
返事をしない希美に代わって、亜依は律儀にお礼を言った。
- 99 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 21:34
- 「帰ります」
れいなは、ぱっと立ち上がってお辞儀をした。
希美は無表情のままで、ぼんやり目の前を眺めている。
「ジュース、ご馳走様でした」
ばたんと玄関のドアが閉まる音と同時に、希美が一言だけ呟いた。
「ごめんね」
- 100 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/10(金) 21:35
-
- 101 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/11(土) 00:30
- それから、希美はまた笑わなくなった。
最初の頃のように泣きもしなかった。
亜依の言葉は、やっぱり届かないままだった。
希美は昨日から寝ていない。ずっと窓際でなにかを考えている。
亜依はそんな希美を気にしつつ、ベッドでごろごろしている。
『のん、田中ちゃんが言ったこと、そんなに気にせんでええよー』
クゥーン
亜依が言うと同時に、マロンが希美にすりよっていった。
けれど、希美はそれにも反応を示さない。
『ほーら、今度は負けてへんで』
なんて、犬に対抗意識を燃やしてみた後で、亜依は希美の顔を覗き込む。
- 102 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/11(土) 00:31
- ドキリとした。
目の色が、変わっていた。
きらきらしたいつもの瞳ではなくて、どこか冷たい瞳。
希美が意識を失ったときの夢見るような瞳でもない。
ぞくっと嫌な予感がした。
何だか怖くなって、亜依は希美に背中から抱きついた。
体温は伝わらない。
―――――その夜、希美は部屋を抜け出した。
- 103 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/11(土) 00:32
-
- 104 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/11(土) 00:33
- もう日付も変わった、7日目の夜。
数えると8日目に入った。
希美は、海に来ていた。
真夜中にタクシーでこんな所まで来た希美を追いかけて、亜依も砂浜を歩く。
確実に吹き付ける冷たい風が、身体の芯まで凍らせる。
- 105 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/11(土) 00:34
- 『のん・・・・・どうしたん、何しに来たん?』
希美の歩調は止まらない。
亜依はなんだか泣きそうになって、隣に並んで手を繋ぐ。
こうしていても、不安は止まらない。
『のん、寒いし、帰ろう』
隣の希美に、何回も繰り返す。
無表情さが人形のようで、余計に怖くなる。
- 106 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/11(土) 00:35
- ざぁ・・・・・っと風が吹く。
亜依は寒さは感じないけれど、薄着の希美は確実に風邪を引いてしまうだろう。
垂らした髪が視界を遮って、希美はそれを指で梳いた。
大人っぽいな。と、亜依はこの間と同じことを思った。
さく、さく、と砂を踏んで進む。
一人分の足跡。
『のん・・・・・』
「あいぼん」
- 107 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/11(土) 00:35
- いよいよ亜依が泣き出しそうになった時、希美が言葉を口にした。
忘れていたはずの、亜依の名前。
『・・・・・』
亜依は希美を見つめる。希美は真っ暗な空を見上げて、足を止めないまま話し出した。
「のん、あいぼんのこと覚えてたよ」
『・・・・・・?』
「忘れてたけど、ほんとは頭の奥で覚えてた。写真とか、捨てるときも、なんか気になってた」
- 108 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/11(土) 00:36
- 「手帳とか見て、もう、ほとんど思い出しかけてた。でも、思い出すの怖くって、無意識に忘れようとしてた」
波の音が、静かに相槌を打つ。
「でも、田中ちゃんに言われて、のん、ほんとは覚えてるんだって気づいたんだ。あと、今までのことぜんぶ」
「のんは最低だね。自分だけのためにあいぼんのこと忘れたりして」
声が出ない。
亜依はその場に立ち尽くしたまま、ゆっくり歩く希美の背中を見ていた。
「やっぱり、よく考えたらわかった。あの人たちの言ったことほんとだって」
「あいぼんの代わりにのんが死ねばいいのにって。やっぱり、のんもそう思ったけど、合ってたんだね」
- 109 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/11(土) 00:37
- 「でも、あいぼんはもういないから、せめて、のんが行ってあげないと」
『―――――のん!』
ようやく、亜依は走り出した。歩いていく希美の手を掴んで引っ張って、空振りしてはまた追いかける。
二人はどんどん海に近づく。
『のん、違う。そんなんちゃう、やめて・・・・・』
「今行くから。ちょっとぐらい寒いのなんか、平気」
- 110 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/11(土) 00:38
- 希美の足は止まらなくて、暗闇に向かって迷わずに進む。
けれど近づいてみるとその身体ははっきり解る程にガタガタ震えていて。
寒さのためなのか、怖さのためなのか、それとも両方か、それは亜依には解らなかったけれど。
『のん。もういいから、帰ろう』
波の音が、段々と大きくなる。
「ごめんね、のん、バカだから、もっと早く気づけばよかったのに」
『違う・・・・・』
「一週間も、あいぼん、ひとりだったもんね」
- 111 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/11(土) 00:39
- 違う。
ウチはずっと、のんと一緒にいた。
夜も隣で寝た。手も繋いで歩いた。
のんをひとりにさせてたのは、ウチの方やで。
ぽろぽろ零れ落ちる涙をそのままに、祈るような気持ちで希美の身体に縋る。
それでも実体のない亜依の身体は意味をなさない。
無力な自分に、これ程腹が立ったのは初めてだった。
ぴちゃ・・・・・
希美の靴を履いたままの足が、水に浸かる。
身体の芯まで凍えさせるような寒さが一気に希美を襲う。けれど、それでも前に進む。
- 112 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/11(土) 00:42
- 『のん、お願い・・・・・もうやめよ・・・・・ホンマにお願い』
後ろから抱きしめる。ふわりとその身体が抜ける。
言葉は届かない。
この一週間で、嫌と云うほど思い知らされた事実を改めて知る。
『なぁ、そしたらウチ、何のためにのんの部屋にいたんよ?のんを引き寄せるためなん?ちゃうやろ?』
悪ふざけが過ぎている。
神様、さっさとしょうもない遊び、やめて。
- 113 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/11(土) 00:43
- 『のんは死んだらアカン、ウチの分まで思いっきり生きて貰わな困る』
「・・・・・あいぼん」
寒さで、希美の歯がカチカチ鳴っている。
その口からこぼれたのはやっぱり亜依の名前で、
そのことが逆に亜依をどうしようもないほど苛立たせる。
『そんなんやったら・・・・・ずっと忘れたまんまのほうがマシやんか・・・・・!』
水はもう、二人の膝あたりまで来ていた。
真っ暗な中、ぐらぐら揺れながら暗闇に進む。
- 114 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/11(土) 00:44
- どんどん、どんどん、水位は上がる。
それに比例して体温は下がる。
言葉を失くした希美は、少しずつだけれど確実に歩く。
目の前では死がぱっくりと口を開けて待ち構えている。
「あいぼん、」
希美が、もう一度亜依の名前を呼ぶ。
それが意図したものなのか無意識なのかどうかは亜依には分からない。
『なに?のん』
強い波に逆らって希美を追いかけながら、亜依が答える。
「もうすぐ会えるかなぁ・・・・・」
ざぁっ・・・・・
波がその言葉をかき消していく。
既に水は胸の辺りまできた。
- 115 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/11(土) 00:45
- 水圧に負けて、希美の足がふわりと海底から浮く。
『危な・・・・・』
亜依が一瞬、言葉を止める。
希美の前から、巨大な波が、二人を飲み込もうと両手を振り上げて向かってきているのが見えた。
打ち寄せる波に倒れそうになりながら、希美を追いかける。波の力に逆らって進む。
動きを止めて目を閉じた希美の前に立つ。
亜依は、流されてしまわないように唇を噛んで、希美を守るように両手を広げた。
『死なさへん』
一瞬間後、真っ黒な闇が二人に覆い被さって見えなくなった。
- 116 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/11(土) 00:46
-
- 117 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/11(土) 00:47
- どぉん・・・・・
強い力で押し戻された。
気がつくと、希美は砂浜に座っていた。
濡れたはずの服も、髪も、肌もぜんぶ乾いていて、おまけにあたりはうっすらと明るくなり始めている。
「・・・・・あれ・・・・・」
死ねなかった。
そう気づくのに、長い時間はかからなかった。
でも、何で・・・・・
小さな波が、足元までやってきた。
その波が去った後。
- 118 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/11(土) 00:48
- 砂の上に浮かんだ、小さな文字。
の ん と い れ て
し あ わ せ で し た ヨ
特徴のある文字。最後に付けられたハートマーク。そんな文章を書く人はただ一人しかいなくて。
- 119 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/11(土) 00:48
- 「・・・・・」
涙が頬を伝わって膝に落ちた。その雫を、誰かが拭った。
ふわりといい香りがした。
隣に、亜依が座っていた。
「あいぼん・・・・・」
『やっと気づいた・・・・・』
キラキラの光の粒に包まれた亜依は、ふうわりとやさしく笑った。
「・・・・・そっか」
- 120 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/11(土) 00:49
- あいぼんはずっと、のんの隣に居たんだね
これからもずっと、のんの隣に居るんだね
どちらからともなく手を繋ぐ。その感触は確かで、確かに柔らかくて温かくて、
亜依は堪らなくなって希美の右肩に顔を埋めた。
「ごめんね、気づけなくって」
『エエよ』
砂浜に描かれた文字が、キラキラ光る。
「あいぼん」
顔を起こした亜依に、希美がちいさく囁く。
- 121 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/11(土) 00:50
- 「すきよ」
唇に一瞬、軽く触れるだけのキスをした。
亜依は照れて下を向いて、またふうわり笑う。
その姿が、だんだん、薄くなる。
- 122 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/11(土) 00:51
- 手を繋いで、並んで砂浜に座ったまま、希美が空を見上げて呟いた。
「キレイ―――――」
二人の正面には、ピンクの朝焼け。
カシスピンク、洗柿、苺色、シェルピンク、フレッシュピンク、一斤染、コーラルピンク、珊瑚色、躑躅色・・・・・
この世界にある、どの名前の色にも当てはまらないぐらいの、
鮮やかで元気で優しいピンク色。
「あいぼんの色だね」
希美の言葉に、亜依は照れくさそうに少し目を細めて、空を見上げた。
- 123 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/11(土) 00:52
- ゆうるりと。
繋いでいた手が、ゆっくり解けて、亜依の身体はキラキラ輝く。
希美は眩しそうに亜依を見た。
「あいぼん。ありがとう」
この一週間、謝ってばかりだった。
そうじゃなくて、こう言えば良かったんだ。
亜依が、ゆっくり頷く。
「それから、」
今にも消えそうな亜依に向かって、希美が祈るように、言葉を渡した。
- 124 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/11(土) 00:53
- 「また明日・・・・―――――」
あの時言えなかった言葉を、やっと今口にした。
亜依は少し驚いて、それから、キラキラ笑って頷いた。
ふわり、光に包まれて。
キラキラ。
あとに残ったのは、キラキラ光る朝の輝き。
気がつけば、砂浜の文字は消えていた。
そして、空の色もゆっくりと変化する。
まだうっすら残っていた星座が太陽に飲み込まれて、最後に別れを告げるように眩しく輝く。
空は、少しずつゆっくりといつもの青さを取り戻していく。
- 125 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/11(土) 00:54
-
- 126 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/11(土) 00:55
- あれから4ヶ月。
春がやってきた。
希美はWの名を残しつつ、さらに活動を広げていた。
そのやり方には賛否両論あったけれど、希美はもう迷わない。
久しぶりのオフ、行き先は決まっている。
壁には、また貼りなおされたたくさんの写真。
ベランダの鉢植えを覗き込んで、にっこり笑った。
早起きしてマンションの窓から朝焼けを見るのが、すっかり日課になっていた。
- 127 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/11(土) 00:56
- 誰もいない海岸に腰を下ろす。
あの日身体を締め付けた寒さは、もうここにはない。
そして、朝焼けが始まる。
「きれーい」
海も、空も、ピンク色に染まって。
希美の頬も。
花の季節が来たことを告げるように、花信風がやさしく吹く。
- 128 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/11(土) 00:57
- ゆうるりと、希美の上に光が降り注ぐ。
心地よく暖かくて、思わず目を閉じた。
希美のマンションのベランダで、今朝チューリップが咲いた。
それは亜依の、そして希美の好きな花。
ゆっくりと目を開けると、空はきれいなグラデーションを描いて姿を変えていた。
あざやかなピンクから、うすい桃色、静かな紫、深い青へ。
水色は、希美の好きな色。
そしてまた、一日が始まる。
- 129 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/11(土) 00:58
- キラキラと光が空に昇っていく。
右隣にまだ亜依が座っている気がして、その笑顔と体温を感じた気がして、
希美はふわりとはにかんで笑った。
- 130 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/11(土) 00:59
-
終
- 131 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/11(土) 01:01
-
- 132 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/11(土) 01:02
-
- 133 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/11(土) 12:01
- それは、綺麗な話だった。
まるで映画として映像化できそうな、そして観た人の何割かは感動で涙をこぼしそうな、そんな濁りも躊躇いもないまっすぐな話だった。
彼女は火曜日の午後にその話を私に語った。いつものように気まぐれに'溜まり場'にやってきて2.3時間程仮眠をとった後、彼女は慢性の睡眠不足が重なってほとんど頭の働いていなかった私にむかって一気にそれを吐き出した。それは思い出話で感動を呼ぼうとしたわけでもなく、前から考えていた作り話をついに披露したというわけでもなく、するすると言葉が口から勝手に出てきたというふうに。
私は耳からその話を吸収しながら頭の中で映像をふくらませた。二人の少女が砂浜に並んで朝日(正確には、朝焼けだということだった)を見上げている微笑ましい光景も容易に想像できた。そしてなんとなく幸せな気分になって、意識を失って眠りについた。
目が覚めた時には、彼女は姿を消していた。
- 134 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/11(土) 12:16
- 「世界が青く観えるの?」
彼女と初めて会った時、まっすぐな瞳でそう聞かれたのを覚えている。私は数年前からブルーのカラーコンタクトを使用していて、彼女はそれが気になったのだろうと思う。私が使っているのは度なしの輸入品で、大体のカラーコンタクトがそうであるようにレンズ中心部には色が付いておらず、したがって私の観ていた世界はサングラスをかけた時のようにブルーがかって見えることもなく、黒も白もそのままに映し出される世界なのだ。
私がそう告げると、彼女はがっかりする様子もなく「そう」と呟いた。そして私が注文したコーラをストローも使わずごくごく飲んだ。
彼女の髪は黒くて、まるでペンキで塗りつぶしたように黒かった。そしてその瞳も負けずと黒琥珀のようにキラキラと黒かった。
私はそれがとても印象的だったのだけれど、彼女がテレビや雑誌で笑顔を振りまいていた頃はその髪も薄い茶色だったりほんのり赤かったりしていたらしい。彼女はなんの感慨もなくそう言った。
結局のところ、それも作り物だということだ。
- 135 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/11(土) 12:17
- そうして彼女は約半年の間、うちに住み着くことになる。
- 136 名前:読み屋 投稿日:2004/12/12(日) 03:30
- えぇーっと・・・泣きました
話の展開がリアルすぎて昨日の夜ちょっとうなされましたw
でもほんとにいいお話でした、純粋に感動する作品です
次のお話も期待してます
- 137 名前:梓彩 投稿日:2004/12/12(日) 15:27
- ありがとう御座います
実は>>130までの部分はそれ以降に繋がります(終とか書いてますが)
あの…いえいえとんでもない
感想とか頂いたのは初めてなのでどうお返事していいものなのかちょっとアレですが
申し訳ないです本当にありがとうございます
宜しければ続きもご覧下さいね
- 138 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/12(日) 16:14
- 私の両親は私が高1の頃に離婚した。父は会社を経営していて、母は銀座の高級バー出身だった。最初のほうこそ仲むつまじくやっていたものの、二人とも気まぐれで自己中心的な性格で、おまけに父のほうがさっさと若い女と浮気を始めたせいで私が小学校に上がる頃にはすでに夫婦仲はひんやりと冷め切っていた。私が中学になると母親は私を連れて、父親が別居のためにわざわざ買ったマンションに越した。母と二人での暮らしはまったくうんざりするものだった。彼女は身体の芯から男好きだった。その美貌をちやほやともてはやされていた時のことが忘れられず、父の浮気を責めたくせに自分も若い男を部屋に連れ込んで朝まで酒を飲み倒した。そして一応の区切りということで正式に離婚が成立すると、「あんたの世話はもうこりごりだわ」と捨て台詞だけを置いて家を出て行った。
父からの生活費や家賃は口座に振り込まれ続けた。だだっぴろい部屋は私のものになった。生活面での苦労は何一つなかった。
私は希美をその家に連れて行った。
- 139 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/12(日) 16:14
- エレベーターで13階まで上がる。私の部屋は最上階にある。なんでも一番上がいいと考えるバカな父が買った部屋なのだから当然のような気もした。
チャイムを鳴らすと、中からはぁいと返事がして、ドアが開いた。亜弥がにっこり笑っていた。
「ただいま」と私は言った。
「おかえり、今美貴たん寝てるから静かに・・・」と亜弥が言って、私の後ろに隠れるように立っていた希美に気づいた。
「こんにちは」
亜弥が声をかけた。希美は黙って頭を1センチ程下げた。そして中に入った。
- 140 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/12(日) 16:15
- ふかふかのカーペットが敷き詰められているリビングでは確かに美貴がすやすやと身体をまるめて眠っていた。亜弥がその隣に座ると、美貴が目を閉じたまま身体を動かしてその膝に頭をのせた。そしてまた小さい寝息を立てはじめた。
「こっちが亜弥、寝てるのが美貴」と私は簡単に紹介した。希美はまた黙ったまま頷いた。
「真希ちゃん、お夕飯どうする?」と亜弥が聞いた。そういえばもう夕方の6時を回っていた。私は少し考えてから、希美に何が食べたいか聞いてみた。返事はなかった。
さっきファーストフード店で見知らぬ私の席の向かいにいきなり座ってきて、いきなり世界がどうだのと質問をしてきた大胆な少女にしてはどうも大人しい気がした。でもそれは彼女なりのリズムなのだろう。私は希美の頭をぽんぽんと叩いてやった。
- 141 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/12(日) 16:16
- 「じゃあ、パスタかなんか適当に作るよ」と私は言ってキッチンに立った。
「ごめんね、美貴たんが膝で寝てるから行けないかも」と亜弥が悪びれなく言った。行けないかも、ではなく確実に来ないだろうと思った。私の見る限り、亜弥はとりあえず美貴が何をするかで行動を決定しているようだった。
「いいよべつに、すぐできるから」と私は言った。そしてスパゲッティーを茹でるために鍋に水をたっぷり入れた。
- 142 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/12(日) 17:03
- 私は精神科の病院に通っていた。精神病院というと大抵の人は「あの人頭おかしいのよ」と言わんばかりに眉をひそめる。そのためなのかその病院は小奇麗なつくりをしていた。クリーム色の壁に緑の屋根で、「ハートのクリニック」というなんとも子供だましな名前までついていた。結局は同じことなのだけれど。
希美に会った日、私はいつものように趣味の悪い花柄の壁紙の部屋に通されて診察を受けていた。その日はまっしろな画用紙とクレヨンを渡された。私が黙っていると先生はにこにこしながら言った。
「じゃあ、真希ちゃんの今日あった'いいこと'を10個書いてみようか?」もう二十歳前なのに「真希ちゃん」呼ばわりかよと思ったが私は口には出さなかった。大体にしてこの先生は私のことを小学1年生のみつあみの女の子とでも勘違いしているような喋り方をした。
- 143 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/12(日) 17:03
- 私はとりあえずクレヨンを手に持ったけれど、手は動かなかった。だいたいまだ昼の2時なのに'いいこと'が10個もあるはずもなかった。このまま夜の12時まで待ったって3つあるかないかだと思う。そして今現在のところ私が思いつく'いいこと'はただの1つもなかった。私がただ黙ってそのまっしろな紙を眺めていると、先生は機嫌よく鼻歌なんかを歌いながら追い討ちをかけた。
「書けたら、絵を描いて色も塗ってみようか。何枚でも使っていいからね」
そして、私は絵を描くことが大の苦手だった。
しばらくの間私は画用紙のすみっこにうずまきなんかを書いてごまかしていた。良いこと?なにが良いことだと言うんだろう。空から万札が降ってきたって私は喜ばないはずだ。黙って空を見上げて、そして金欲しさに殴り合い奪い合うみっともない人間達を見て私は笑うんだ。ああ、そうなれば多少は面白いかもしれない。だけど良いことなのかはわからないし、だいたいそんなことが起こるはずもなかった。
「うーん、思いつかない?たとえば空が青いとか、花が綺麗だったとか、好きな人からメールがきたとか、そういうことでいいんだけどねぇ」と先生は言った。
空が青い。それのどこが良いことなのか私にはわからなかった。それはごく当たり前で普通のことだった。それを見てわざわざ喜べる程私は情緒豊かではないのだ。そして花。私は今日花を見た記憶がなかった。今日と言わずずっと前から花を見ていなかった。たぶん花屋の店先を通ったり道端に花が咲いていたりはしていたのだろうけど、私はまったく気にしていなかった。好きな人からメールがきた件に至っては、まったくとんでもない話だった。私には好きな人もいなかったし、大体メールをするための携帯電話もパソコンも持っていなかった。欲しいとも思わなかった。このままでは一生「好きな人からメールがきた」と私が喜ぶことはないだろうと思った。
- 144 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/12(日) 17:04
- そんなわけで、結局ほかに思いつかなかった私は先生の言った3つの事柄をそのまま書いた。絵や色塗りに関しては聞かなかったことにした。
「おやおや」と別の部屋に行っていた先生が戻ってきて、私の画用紙を覗き込んで言った。彼は困ったようなにこにこを浮かべてなぜか何回か頷いた。
「じゃあ、真希ちゃん、来週までの宿題にしようか。'いいこと'を10個見つけてこよう」と先生が言った。私は即座にそれを頭の中から消去した。面倒くさい事柄にぶつかったときいつもそうするように。
帰り際、先生は私に向かってこう言った。「真希ちゃん、幸せは自分でみつけるものなんだよ。それは気づかないだけでたくさん自分のまわりにあるんだ。慌てて急いで走っていると通り過ぎてしまうけれど、ゆっくり辺りを見渡して歩いていると見つけることができる。早くゴールするより、幸せに、ゆっくりとゴールすることのほうが実は幸せなんだ」
真希ちゃん、という響きだけが只頭の中に残った。
- 145 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/12(日) 17:10
- 人の人生は、長距離マラソンのように単純でわかりやすいとは思えない。
- 146 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/13(月) 00:27
- 希美がうちに来た次の日、私は朝ごはんの目玉焼きを作りながら、キッチンの窓から空を見上げた。
久しぶりにじっくり見た空はやはり青かった。ところどころに白い雲がのんびりと浮かんでいた。雲はどことなく幸せそうに見えた。
- 147 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/13(月) 00:27
- フライパンをよく熱してから、たっぷりのバターを溶かす。十分に溶けたら卵を割りいれる。もちろん片手で。これをやると(少し練習すれば誰にでもできることなのだけれど)ちょっと尊敬の眼差しで見られることもあるので覚えておいて損はない。それから塩を振って、しばらくしてから水を円を描くように入れ、蓋をして一瞬だけ強火にする。そして火を止めて1分程蒸し焼きにする。これで黄身も白身もプルプルやわらかい半熟目玉焼きの出来上がり。
母と暮らし始めてからというもの、外食とコンビニ弁当以外の食事はほとんど私が作っていた。それまではお手伝いの人がいて食事はまかせっきりだったから気づかなかったけれど、母は圧倒的に料理ができなかった。料理に限らず彼女はすべての家事が嫌いで苦手だった。そしてそれらは自動的に私の仕事となった。
私はべつに母を恨んだり憎んだりすることはなかった。それは母がまるでコンビニに行くように簡単にふらりと出て行ってからも同じだった。もちろんその言動にうんざりすることはあったけれど、私はもうずっと幼い頃からなにかを諦めていたのだと思う。それは親の温もりだったり暖かい家庭だったり、あるいは手作りの料理というのも含まれていたのかもしれない。でもレストランや居酒屋で食べる料理はとてもおいしかったし、レンジで暖めて食べるお弁当にも不満はなかった。私は母と別れるまでそういうことに対して一言も文句を言わなかった。
- 148 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/13(月) 00:29
- 彼女は生まれつきそういうふうに作られていたのだと思う。そこそこ裕福な家で生まれ、甘やかされて育ち、男達からはちやほやされ、そうして彼女の本質はますます甘ったるく出来上がっていった。そして一旦そうなってしまった人間はもう戻ることができない。世の中には反省や努力というものがまったくできない人間がいる。他人に頭を下げることが、自分のプライドを傷つけることが許せない人間がいる。私の母はそういう種類の人間だった。誰が何をどうしたってそれは治るものではないし、彼女は一生その人格を背負って生きていくしかないのだ。
私は出来あがった目玉焼きをレタスとハムと一緒にお皿に載せ、オーブントースターからトーストを取り出し、ジュースやはちみつやソース類と一緒にダイニングのテーブルに運んだ。彼女達の寝室となっている部屋からはあいかわらず何の物音もしなかった。4人分の食事をきちんと並べ終えてから、私はみんなを起こしに行った。
- 149 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/13(月) 00:43
- 「半熟じゃん」と美貴が言った。
亜弥が慌てて「美貴たん半熟嫌いだっけ?」と聞いた。美貴はおもしろくなさそうに「ううん、好き」と答えた。それを聞いて亜弥はほっとしたように微笑んだ。
私も少しほっとしていた。もし美貴が「うん、嫌い」とでも答えていようものなら、亜弥に作り直しを命じられていたに違いない。そもそも亜弥と美貴が私と同じで半熟が好きだと知っていたから目玉焼きを半熟にしたのだから。
ほっとしたところでグレープフルーツジュースを一気に飲みほし、ふと隣を見た。希美が少し困ったように私を見上げていた。
「どした?」と私は聞いた。
「・・・・・」希美は少し黙ってから、ぽつりと呟いた。「のん、半熟嫌い」
結局、私は目玉焼きを作り直すことになった。
- 150 名前:読み屋 投稿日:2004/12/14(火) 00:24
- そんなにお気になさらずに、私はただの読み屋ですから・・・
それより私、このお話の文体すっごい好きです
まだお話の筋が分かりませんが、なんか痛そうですね
でも、痛い、切ない大好きなのでぜんぜんOKです
ではがんばってください
- 151 名前:梓彩 投稿日:2004/12/14(火) 02:04
- >>150 読み屋さん
そんな風に言って頂けて凄く嬉しいです
いきなり改行もなく読みにくい文になってしまって申し訳ありません。。
お察しの通り痛い話になるかも知れません…
凄く励みになります ありがとう御座いました
- 152 名前:梓彩 投稿日:2004/12/14(火) 02:05
- 朝ごはんを食べ終わると、再びゆっくりと空気が流れる。
亜弥と美貴はいつものようにリビングでじゃれあっていた。じゃれあっていたというか、猫同士で遊んでいるようにも見えた。二人はどことなく猫っぽいところがあった。とくに美貴はそうだ。気ままで自由な猫。
でもじゃれあっているのが美少女同士という光景はどこか不思議だった。それは文句なしに綺麗な画なんだけれど、どこか不自然だった。世間とどこかずれているような、まるで作り物のアイドルのフィギィアのような、そんな不自然さ。
- 153 名前:梓彩 投稿日:2004/12/14(火) 02:07
- 浮かれて名前欄間違えました
ごめんなさい…
- 154 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/14(火) 02:08
- 美貴がごろごろ喉を(比喩ではなく本当に)鳴らしながら亜弥の膝に頭を乗せた。亜弥はその髪を撫ぜた。美貴が腕を伸ばして亜弥の腰をぎゅっと抱きしめた。
- 155 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/14(火) 02:09
- 私は自分の部屋で音楽を聴いていた。ベッドに転がりながらセックスピストルズやラモーンズを流す。音楽の中で彼らは何かに逆らって叫んでいた。
私は何かに逆らったことはなかった。たまに頭を伏せて飛んでくる小石を避けることはあったけれど、巨大な岩を玉ころがしのように押し戻そうだなんて思ったことはなかった。そんなことをしても無駄だとわかっていたから。というか、ただ面倒くさかっただけかもしれないけれど。
そんなことを考えながらしばらく天井を眺めていた。気がつくと、希美が部屋のドアの前に立ってこっちを見ていた
- 156 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/14(火) 02:09
- 「なに」と私は訊いた。希美は少しだけ首をかしげて私を見つめた。
「なんか聞きたいことでもあんの?」と私は言った。そしてちょっとそっけなかったかなぁと思って、なんとなく微笑んだ。
「行ってもいい?」と希美が聞いた。
私は頷いてベッドの上に空間を作った。
- 157 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/14(火) 02:10
- 「朝焼けって見たことある?」と希美が訊いた。
「朝焼け?」私はしばらく考えてから言った。「たぶんあると思うけど。忘れた」
「そっかぁ」と希美が言った。
私は一回大きく伸びをした。
「なんでそんなこと聞くの?」
「のん、朝焼けが見たいんだけどなぁ」と希美は言った。
「見たらいいじゃん。早起きして」と私は言った。
それを聞いた希美は少し困ったような表情で少し黙った。
「そうじゃなくって」と希美は言った。
「そうじゃなくってなにさ?」
「早起きしても見れないんだもん」
希美はまるで私が意地悪をしたようにこっちを睨んだ。
「見れるよここ。最上階だから邪魔するもんないし」と私は言った。
「そうじゃなくって」と希美はまた繰り返した。
「ピンクの朝焼けが見たいの」と希美は言った。
- 158 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/14(火) 22:26
- 「ピンク?ピンク色の朝焼け?珍しいの?」
小さくしていたBGMの音量をさらにしぼってから私は訊いた。
希美は曖昧に首を振った。
「そんなに珍しくもないけど・・・」
「じゃー毎日見てたらそのうち見れるんじゃない?」と私は言った。
希美はその黒い大きな瞳で私を見た。それはまるでガラス球のように綺麗な瞳だった。
「朝焼けぐらい簡単に見れると思うけどなー」と何気なく私は言った。
- 159 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/14(火) 22:27
- その瞬間、あっさりと希美は私に対してなにかを諦めた。
でも当然そんな事はその時の私にはわからなかった。
- 160 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/14(火) 22:28
- 「明日にでも見てみなよ。一緒に起きたげるから」と私は言った。
希美はふわりと笑って頷いた。
- 161 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/14(火) 22:29
- お昼になって、私は冷蔵庫を覗いた。冷凍室にはきのう買ったメンチカツがあった。パックに二つ。気がつくと猫達は外の光を浴びに行ったようだった。
チャーハンとメンチカツを二人で食べて、私はまた部屋に戻った。それから猫達がうちにやってきた時のことを考えてみた。
亜弥と美貴に出会ったのは、雨の日の夕方だった。
- 162 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/16(木) 19:40
- 黒いコートを着て、チェックのパンツを履いて、完全防水のエンジニアブーツにその裾を入れる。湿気で髪が広がらないように、コテで巻いた髪にきつめのスプレーをかけて二つに結ぶ。そして瞳の色とお揃いのブルーの傘を差す。
そんなふうに時間をかければ、雨の日はけっこう楽しい。むしろ街に人が溢れる晴れの日より気楽でいいかもしれない。
雨の日は香水はつけない。湿気で香りが変わってしまうからというわけじゃなくて、せっかくの雨の匂いを楽しんでいたいから。
- 163 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/16(木) 19:42
- 私はその日も昼過ぎから家を出て、雨の匂いを体中で味わいながら人通りもまばらな大通りを歩いていた。ゆっくり歩いて、途中のファーストフード店に入ってあたたかいクラムチャウダーを飲む。店の中には意外に人が多かった。そう言えば今日は休日で、家族連れや女子高生たちが窓から外の雨を眺めながら文句を言ったりどうやって帰るか相談したりしていた。雨の音は分厚いガラスに阻まれて聞こえなかった。
陶器のカップに入っているスープはなかなか冷めなかった。これが紙コップやプラスチックの容器だとこうはいかない。全部飲み終わってからもカップは温度を保っていて暖かかった。手に温もりを吸収させてから返却して店を出た。
- 164 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/16(木) 19:46
- 左手に少し大きな児童公園があった。昨夜から降ったり止んだりしている雨で地面はぐちゃぐちゃにぬかるんでいて、遊んでいる子供たちの姿はもちろん見当たらなかった。私はその中に入ってみた。けれどベンチもブランコもすべての遊具は完全に濡れていて、座れるような場所は見あたらなかった。
あきらめて公園を出ようとして、木の下の人影に気づいた。
- 165 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/16(木) 19:47
- 少し小さな、でも子供ではない大きさの人物だ。傘も差さず、雨の中、身体を小さくしてうずくまっている。
私はゆっくりと近づいてみた。近づく程にその姿ははっきりと認識できるようになってゆく。まず黒いパーカーと青いジーンズ、茶色の髪が肩まで伸びている。おそらくは私より少し若いぐらいの女の子だ。それから背中と肩がものすごく華奢だった。そして、耳にかけた髪のすきまから見える首が信じられないぐらいに白かった。
そこまで確認できる距離まで近づいたところで、彼女がいきなり振り向いた。
- 166 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/16(木) 19:51
- 「雨だよ」と私は言った。
「うん、知ってるよ」と彼女は言った。
- 167 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/16(木) 19:53
- 彼女は全身びしょ濡れで、いたるところから水の雫が垂れていた。こっちを向いてにっこり笑った顔は思わず見とれるぐらいに可愛らしい顔立ちだったけれど、それよりもシャワーを浴びているように濡れていることのほうが私は気になった。
「風邪ひくと思うんだけど」と私は言いながら傘を動かして彼女を雨から防いでやった。彼女はエヘヘと笑った。
私はここで問題に気づいた。この後どうするかまるで考えていなかった。傘はひとつ。人間はふたり。帰る場所もふたつ。
「送っていこうか?」と私は提案した。それからなんとなく「雨だし、傘、いっこしかないから。暇だし」と付け加えておいた。
- 168 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/16(木) 19:54
- 「送っていこうかってどこに?」と彼女は首を完璧な角度にかしげて訊いた。
風が吹き付けて、冷たさが目に染みた。少し頭が痛くなった。
「帰る家あんの?」と念のために私は訊いてみた。
「家はないよ」と彼女は完璧な笑顔で答えた。
帰る場所はなかった。当たり前のことだ。
雨は一層強くなってきていた。
- 169 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/16(木) 19:56
- 「じゃあ、うちに来る?私一人暮らしだし、けっこうそういうの多いから」と私は言った。
それは別に口からでまかせという訳でもなかった。ある人間をきっかけとして、私の部屋にはけっこう見ず知らずの人間が出入りすることが多かった。今は誰もいなくて部屋は完全に静かだったし、あの部屋は独りで住むには少し広すぎた。
「ありがとう」と彼女は言った。そしてまたエヘヘと笑ってはにかんだ。
「でも、今かくれんぼしてるから、ちょっとまってね」
- 170 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/16(木) 19:58
- かくれんぼ?
- 171 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/16(木) 20:00
- 誰と?と尋ねるより前に、彼女が大声をあげた。
「美貴たん、見―っけ!」
私は彼女のむいた方向を自動的に向いた。そこには、象のかたちの遊具の後ろからひょっこり顔を出しているもう一人の女の子がいた。
その子は髪を金色に染めてショートウルフにしていて、異様に顔が小さかった。私の前にいる女の子とおなじぐらい可愛い顔だちをしていた。そしておなじぐらいびしょ濡れだった。
彼女は心底嬉しそうに笑うと、まるで猫がかけっこをするような動きでこっちに走ってきた。
- 172 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/16(木) 20:01
- 4つんばいのままで水溜りの泥を豪快に跳ね飛ばしながら走ってくる姿を見て、私の頭はさらに痛くなった。何?動物?4足歩行?
まるでスローモーションのビデオを観るように、私はその異様な光景を眺めていた。
「あの子・・・・・」と私がやっと気を確かに持って聞く暇もなく、女の子は到着した。そして手を広げて待っていたエヘヘと笑う女の子に猫のように飛びかかって抱きしめてじゃれついた。
あっというまにふたりとも泥だらけになった。傍で見ていた私のお気に入りのコートにも結構な泥がかかった。4足歩行をする女の子は完璧な笑顔をあやつる女の子に思いっきりごろごろと甘えてから、ようやく私を見上げた。
「亜弥ちゃん、誰この人」と4足歩行をする女の子は言った。
- 173 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/16(木) 20:02
- 私の差していた傘はレディース用で小さかった。3人もの人間はとうてい入りきらなかった。そして私はあきらめて傘を畳んだ。傘はあきらめて畳まれた。
4足歩行をする女の子、美貴はどうやら普通に立って歩けるようだった。それに日本語も話せた。私はさっきパッと頭に浮かんだ「狼に育てられた女の子」の話を頭がこれ以上痛まないうちに忘れ去ることにした。
完璧な笑顔をあやつる女の子、亜弥は絶えずにこにこしながら私と美貴を見比べていた。けれど完全に美貴のほうを見る割合が高かった。
- 174 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/16(木) 20:04
- 「じゃあ、かくれんぼはもう終わりってことでいいのかな?見つけたし」と私はおそるおそる訊いた。どうも狼少女の話は忘れきれていないようで、なんとなく噛み付かれそうな気がした。
「いいよ」と美貴はそっけなく言った。
そして私達は歩き出した。せっかく固めた髪は雨に太刀打ちできずに崩れようとしていた。
- 175 名前:読み屋 投稿日:2004/12/16(木) 23:31
- 人物の人生がどんどん明かされていきますね
どれもわけありですね
いいです!非常にいいです!
不思議な感じですが、なんとも言えないこの空間
ゆっくりとした時間が過ぎていく・・・。
大好きです!
梓彩さんも、あせらず自分に合った速度で執筆してください
次も楽しみに待ってます
- 176 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/17(金) 00:26
- おもしれー
いや、やられたというべきか
こんな展開になるとは
続き期待してるっす
- 177 名前:マコ 投稿日:2004/12/19(日) 00:07
- 初めまして 月板で 光と闇を書いています マコです。
え? あれで終わりじゃなかったんですか?
こいつは驚きました 展開がものすごいですね。
面白すぎです。
がんばってください。
ストーリーのように まったりと。
- 178 名前:梓彩 投稿日:2004/12/19(日) 10:18
- >>175 読み屋さん
有難うございます。凄く嬉しいです
ご期待に沿える様に頑張ります
そうですね。自分のペースで書いていきたいです
不定期更新になるかと思いますが 良ければたまに覗いてやってください
>>176 名無し飼育さん
読んで下さって言身寸 言身寸>( ̄Д ̄人▲▲▲アリガ島▲▲▲御座います
なんか凄く嬉しいです
ご期待に添える様に頑張ります。
>>177 マコさん
はじめまして 梓彩と申します
月板にお邪魔します よろしくお願いします
こちらこそ小説読ませて頂いてます。面白いと言って貰えるなんて恐縮です。。
応援してます。有難うございました
- 179 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/19(日) 10:19
- 白いひげが似合う初老の管理人に不審そうな視線を向けられながら、私達はエレベーターに乗った。できることならば誰にも会いたくないと願っていたけれど、思いも空しく3階と5階と6階でドアが開いた。乗ろうとしていた住人は全身ずぶ濡れの私たちを見て、例外なくエレベーターを見送った。おかげで結局広い空間に3人きりでそこそこ快適に最上階まで上がることができた。
部屋に入ると私はまず玄関先で二人の上着やら作業服のようなズボンやらを脱がせ、バスタオルでくるみ、そのままバスルームに案内して順番にシャワーを浴びるように言った。それから寝室に行って自分も濡れた服を脱いで部屋着になり、彼女達の着替えを探し、バスルームのすぐ横にある洗面所に行って洗濯物を洗濯機に放り込み、乾いた洋服を新品の下着と一緒にバスルームの前に畳んで置いた。
- 180 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/19(日) 10:20
- 「着替え置いとくから、上がったら着てよ」と私は言った。
返事はなかった。代わりに温かい湯気がもうもうと立ち込めてきた。
そういえば確かに「順番に」シャワーを浴びるように言ったんだけれど、当然のように一緒に中に入っていた。まあそれはいい。私がどうこう言うことじゃないのはわかっていた。
私はキッチンに行って温かいココアを作り、エアコンの吹き出し口の真下に立って目を閉じた。なんだか暖かくて生き返るような気がしたけれど、どうも寒さの芯は抜けなかった。そりゃこんな寒さの厳しくなる季節に雨の中20分近くも歩いたんだから風邪だってひく。私だって人間だ。でも、彼女達が人間なのかどうかはよくわからなかった。
- 181 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/19(日) 10:20
- リビングのふかふかなカーペットに腰を下ろして、黒い大きな物体を見つめた。それは元テレビだったものだった。いつだったか母親が飲んで暴れたときになにかが中で壊れ、無機質な砂嵐と機械音以外発しなくなっていた。誰も元に戻そうとしなかった。私はもともとテレビは観ない性質だったし、母親がそんな面倒くさいことをするわけがなかった。そしてそれはノイズ製造機として今もそこにあった。
- 182 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/19(日) 10:21
- ココアを全部飲み終わっても、細かい震えが途切れ途切れにやってきて止まらなかった。そろそろ本格的に風邪をひいたらしいのでそろそろ切実に温かいシャワーを浴びたかったけれど、猫達はいつまでたってもバスルームから出てくる気配がなかった。中でじゃれあっているのかもしれないし喧嘩しているのかもしれない。もしかしからシャワーのホースに首が絡まって死んでいるかもしれない。けれどそんなことを私がいちいち心配しなければいけないわけがなかった。死んでるならそれはそれでいいからさっさと出てきてよと思った。だいたいこういう時は10分ぐらいでさっさと上がってくるのが常識じゃないんだろうか?私だって常識なんてよく知らないけど、それでもなんとなく察知できるのが常識ってもんじゃないんだろうか。こっちだってわざわざ二人に合わせて傘を閉じて歩いてきたんだから。そう、だいたい私は傘を持っていたのになんで――――・・・・・
- 183 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/19(日) 10:22
- 気がつくと、私はリビングで眠ってしまっていた。壁の時計を見ると、すでに2時間も経っていた。
私が呆然として時計を眺めていると、ようやく亜弥と美貴がバスルームから出てきた。二人ともほかほかに温まっていて新しい洋服に身を包んでいて、完全に心地よさそうだった。
「遅いよ。何してたの?」と私は言った。そして匂いに気づいた。
二人の全身からはきつすぎるバラの匂いがぷんぷんしていた。
「何この匂い・・・・」と私は訊いた。
「遊んでたの。ごめんね」と亜弥は言った。美貴は無関心だった。
- 184 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/19(日) 10:22
- 私は首をすくめてバスルームに行ってみた。何故かドアを開けた瞬間に猛烈なバラの匂いがした。勝手に浴槽にお湯が溜まっていて、おまけに表面にはバブルバスの後のように白い泡が浮かんでいて、さらには小さくなった香り玉がすみっこに何個も浮かんでいた。匂いの原因はこれだ。フレグランスオイルをビニールか何かに閉じ込めてあるもので、洋服と一緒にクローゼットに置いておくとほのかに香りが移るというやつだ。確か私は見た目にひかれて買って、洗面所に置いておいたんだと思う。それを彼女達は勝手に間違った用法で使っていた。
香り玉の何個かはつぶしてしまったようで、強い匂いのオイルが飛び出して思わず頭がくらくらする程だった。私は呆れ果てながらとりあえずシャワーを浴びた。
なるべく早くすませたつもりだったけれど、髪にしっかりとバラの匂いがついてしまった。多分3日間はこの香りがバスルーム中心にたちこめるに違いなかった。確実に風邪は悪化していた。
- 185 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/19(日) 10:23
- バスルームから出て、髪を乾かしてリビングに戻ると、二人はリビングでごろごろ転がっていた。もう声をかけるのも面倒くさかったので無視して晩ご飯作りに取り掛かった。どうにも身体がだるくて食欲なんてなかった(し、そろそろイライラしてきていた)んだけれど、猫をお腹の空かせたまま放っておくわけにはいかない気がした。なんだかそんな気持ちにさせる猫達だった。
ミートソースの缶詰を開けて、カレー粉とミックスベジタブルと一緒に耐熱容器に入れて牛乳を少し足してよく混ぜる。ラップをしてレンジで暖めて、レトルトのご飯と一緒に皿に盛り付けてキーマカレーの出来上がり。手抜きだけど便利なメニューだ。
二人分だけ作ってダイニングのテーブルに置いて、二人に声を掛けた。
- 186 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/19(日) 10:23
- 「私寝るから」と二人がテーブルに着いてから私は言った。
「真希ちゃんは食べないの?」と亜弥が言った。
「食べない。風邪ひいたから寝るよ」
「だいじょうぶ?」
「うん、別にいいからそれ食べてむこうの部屋で寝て」と私は言った。
「グリーンピース嫌い」と美貴が言った。
私はそれを無視して寝室に向かった。
ベッドに寝ても寒さは止まらなくて、それだけじゃなく吐き気もして喉も痛くなってきた。誰がどう見ても風邪だった。バラの匂いのバスルームのことを考えるとさらに頭が痛くなった。私は目を閉じた。
- 187 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/19(日) 10:25
- ふと目を開けると、亜弥が心配そうに覗き込んでいた。
「何・・・・・」と私は言った。頭が割れそうに痛くて、上半身を起こすと何かが落ちた。額に置かれていたらしいタオルだった。部屋は薄暗くて小さい電灯だけがついていた。
「寝てたほうがいいよ。タオル替えるね」と床に座り込んでいた亜弥が言った。その後ろで美貴が氷水の入った洗面器にタオルを浸してしぼっていた。亜弥が立ってキッチンのほうに行った。時計の針は深夜2時だった。
「何、もう2時じゃん・・・・・寝てていいよ、何してんの」と私は美貴に言った。
返事はなかった。
コンタクトを外さずに寝てしまって目がごろごろしたので、外すために洗面所に行った。相変わらずバラの匂いがぷんぷんして気分が悪くなった。コンタクトを外してから水でうがいをして寝室に戻った。
- 188 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/19(日) 10:25
- ベッドに入ると、亜弥がコップに入った水を差し出してくれた。
「ありがと」と私は言ってそれを飲んだ。なんだかレモンの匂いがした。どうもわざわざレモンを切って汁を垂らしたようだった。
「もういいよ、あっちの部屋に布団あるから、むこうで寝な」と私は言った。
「ううん、大丈夫」と亜弥が言った。
「ここにいたら風邪移るよ」
「ううん、大丈夫」ともう一度亜弥が言った。美貴は何も言わずに相変わらずタオルをしぼっていた。氷水にずっと手を浸していると冷たいだろうなぁと思った。
「美貴もやんなくていいよ。もう寝な」と私は言った。
返事はなかった。
私はあきらめて目を閉じた。
- 189 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/19(日) 10:26
- 結局、朝になって昼になって辺りが暗くなるまで私はずっと寝込んでいた。その間二人はずっとタオルを氷水に漬け、それをしぼって交換し、レモン水を用意し、ずれた毛布を直してくれていた。どうやらその間何も食べていないらしかった。
- 190 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/19(日) 10:27
- 私は起きだしてから、お礼代わりと言ってはなんだけど気合を入れて晩ご飯にハンバーグと目玉焼き入りのオムライスを作った。薄焼き卵をフライパンに広げてチキンライスを乗せ、半熟の目玉焼きを裏返して乗せ、ハンバーグを乗せてケチャップをかけて薄焼き卵で包む。上向きにして皿に盛り付ける。玉ねぎのみじん切りとケチャップとデミグラスソースを温めたソースをかければ出来上がり。
もちろんチキンライスにミックスベジタブルは入れなかった。
「美貴、半熟好き」と美貴が言った。
「私も」と亜弥が言った。
「良かった」と私は言った。
- 191 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/22(水) 16:25
- 目覚まし時計のベルで目を覚まし、窓の外がまだ暗いことを確認してから洗面所で顔を洗い、キッチンでココアを作った。ミルクパンにバターを溶かしてココアパウダーと砂糖を入れて、よく絡めてから牛乳をすこしだけ入れて泡だて器でしゃかしゃか混ぜる。ペースト状になったら中火にかけて牛乳を少しずつ足しながらよく混ぜる。沸騰直前に生クリームを入れて、仕上げに塩をひとつまみ。火からおろしてカップに注ぐ。
もちろん普段作るときはこんなに手間をかけなくてもいいんだけれど、こうするとココアは本当においしい。中学にあがって父親と別居するまではお手伝いさんがよく作ってくれていた。寒い夜にココアを飲むのが好きだったからよく覚えている。あのお手伝いさんは今どうしているんだろう。黒髪がきれいで背はそんなに高くなくて、掃除が大好きで、私にココアのつくりかたを丁寧に教えてくれた。今どこにいるんだろう。まだあの家で父親に料理を作っているんだろうか。私は何も知らない。
- 192 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/22(水) 16:26
- カップをふたつトレイに載せて、リビングのテーブルに置いてから希美を呼びに行った。居候達が寝ているのはもともと母親の寝室があった部屋で、そこにあったバカでかいベッドやら変な置物やらを捨てて今は布団を敷けばいつでも寝られるようにしている。けれど隅っこには今もブランド物のドレスやらバッグやらアクセサリーやらのぎっしりつまったクローゼットが何個も並んでいた。
薄暗い中で目を凝らすと、亜弥と美貴はいつものようにひとつの毛布に一緒にくるまって寝ていた。そういえばいつの間に戻ってきたんだろう。そのむこうに希美が座ってこっちを見ていた。
「朝焼け、もうすぐだよ」と私は言った。
- 193 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/22(水) 16:27
- 希美はうなずいて立ちあがってこっちに来た。昨日私が貸したトレーナーと自分のジーンズを履いている。亜弥と美貴はまったく気づかずにすやすや寝ていた。
「起きてたの?」とココアを渡してやりながら私は訊いた。
希美はふぅふぅ吹いてココアを覚ましながら曖昧に首を振った。「寝れなかった」
「ジーンズ寝にくいんじゃない?他の貸すよ」
「ありがとう」と希美は言って少し笑った。
「あの二人寝相悪くない?大丈夫?」
「うん」
リビングのベランダのドアを開ける。冷たい風が吹き付けてきて思わず身震いした。
奥行きの結構広いそのベランダには、レモングラスとローズマリーのプランターが置いてある。そろそろ室内に入れてやったほうがいいかもしれない。
「寒いから、上着取ってくるよ」と私は言って、部屋からジャンパーを2着取ってきて着せてやった。自分も着た。希美は少しぶかぶかの私の上着にくるまって、カップを持ったままベランダに出た。
- 194 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/22(水) 16:28
- 「寒くない?大丈夫?」
私もベランダに出てから訊ねた。なんだか自分が過保護な気もしたけれど、これも猫達の影響かもしれない。
「だいじょぉぶ」と希美は少し微笑んで答えた。
「あんた舌ったらずな喋り方すんね。幼いってゆーか」
「・・・・・」
「いや、可愛いっちゃ可愛いーんだけど。そいや見た目も幼いね、ちっちゃいし。高校生?」
希美は黙ったままで頷いた。黒い髪が揺れて表情を隠した。
「うん、でも、雰囲気はなんか大人っぽいよね。何だろ、変わってる・・・・ってゆーか」
私は自分の言っていることが自分でもよくわからなかった。でもそれは事実だった。希美の黒い髪や黒い瞳は幼く見えて、喋り方や行動も幼いんだけれど、どこか大人っぽいというか、擦れた雰囲気があった。高校生らしいところはなくて、子供時代がまだ居座っているのにもう大人になりかけていて、その中間のバランスが崩れているような不思議な印象。
- 195 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/22(水) 16:29
- 希美はココアをゆっくり飲んで、段々白んできた空を見上げながら口を開いた。空はようやく眠りから覚め、目をこすってあくびをしながら辺りを見渡しているようだった。下のほうからやってきた太陽が待ちきれないといったように身体をキラキラさせて朝露を光らせていた。
「大人になるの止めてたんだもん」と希美が言った。
- 196 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/22(水) 16:30
- 「だから途中が抜けちゃった」そう言って希美はふぅっと息を吐いた。
「止めてたって?」と私は訊いた。
「のんが仕事やってた時、社長さんも皆、子供のままでいいって。大人にならなくていいって言ったの。それが受けるから、ずっとそれでいなきゃ駄目だったから、ずっとそうしてた」
だんだんと、暗闇に浮かんでいた星が明るさに溶けて消えていった。
「のんの役割はそれだったの。大人になったらいらなくなっちゃうんだけど、わかってたんだけど、でものんはそうじゃないとどこにもいる場所なくなっちゃうから」
「仕事って・・・・」
「歌手。ってゆーか、アイドル」と希美はなんとなく自虐ぎみに笑ってみせた。「でも全然気づかないんだもん。辞めてから1年も経ってないからちょっと気づくかなって思ったけど、ぜーんぜん」
- 197 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/22(水) 16:31
- 私はあらためて隣の希美を見て、すこし頭を掻いた。
「ごめん・・・・・テレビ観ないからさ、そーゆーのわかんないんだよね・・・・・でも、そっか・・・・なんかこなれた感じすると思った」
「ううん、そんな有名でもなかったし。それに気づいてたらのん今頃ここにいないよ」と希美は私を見てふわりと笑った。
「でも、なんで辞めたの?仕事―――――」
「あ」
私の言葉を希美が遮った。希美は空の、その向こう側をぼんやり眺めているようだった。
つられて前を見た。空がピンクに染まって膨らんでいた。ゆっくりと明るさが増していき、だんだんと膨らんで、そのうちにオレンジと溶けて混ざって、そして太陽が姿を現した。
キラキラと空が輝く。辺りが完全に透き通った青色に変わるまで、私は目を離せないでいた。
- 198 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2004/12/22(水) 16:32
- 「すごい。綺麗だぁ・・・・・」
空がこんなに鮮やかに輝くなんて、今まで考えたこともなかった。それに見ようと言った次の日にいきなり綺麗に見れるなんて、たぶん運が良いんだろう。私は少し驚きながら深く息を吐いて、希美に声をかけた。
「これでしょ?見たいって言ってたの」
けれど、予想していたような反応ではなかった。嬉しそうでもなかったし、喜んでもいなかった。希美は下を向いて、もう一度空を見上げてから首を振った。まるでどんよりした曇り空を観た後のような表情だった。
「今のは駄目?凄いピンクだったけど・・・・」と私は訊いた。
「・・・・・」希美は返事をせずに、昨日私を見たのとおなじようなガラス球のような黒いまっすぐな瞳で私を見た。そして首を少しかしげて逆に私に訊いた。
「きれいだった?」
「うん」と私は言った。
「じゃあ、いいや」と希美は言って、まだカップの底に少し残っていたココアを飲み干した。
- 199 名前:梓彩 投稿日:2004/12/22(水) 16:38
- 誤字訂正…
>>193
覚ましながら→冷ましながら
それと>>178の>>176さんへのレスで意味不明な変換をしてました…
変な顔文字の部分 正しくはありがとう御座いました です
せっかくレス下さったのに失礼な事をしてしまって済みませんでした
- 200 名前:読み屋 投稿日:2004/12/22(水) 20:50
- 綺麗な景色だなぁ・・・。
朝焼けなんか久しく目にしてないが、たまには早く起きて見てみよっかなぁ・・・。
そんな気分になりました^^;
- 201 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/01/08(土) 11:36
- 翌日、私は皆が寝ているうちにひとり起きて窓から空を眺めてみた。うすい雲が空全体にベールのように広がっていて、太陽が昇ってきてもほんのりオレンジ色に色づくだけで、昨日観たような綺麗な朝焼けは見られなかった。太陽が姿を現して空がうすい青色に変わるまで私はベランダの前に立ってみて、そしてあきらめてもう一度ベッドに戻った。掛け布団はひやりとしていて冷たくて、思わずどきっとした。
もし、今朝も綺麗な朝焼けが観えたら、希美を起こしてみるつもりだった。
驚く表情が観てみたいと思ったから。・・・・でもまぁ、それは今度って事で。
多分きのうのピンク色は希美にしては不完全だったんだろうと私は考えた。満足しなかったんだろう。私にとっては十分びっくりするぐらい感動モノだった、と思ったんだけど・・・・見慣れていないせいかな。
そんなことを考えているうちに、だんだん眠さがやってきた。
- 202 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/01/08(土) 11:37
- その次の通院日。
先週と同じようにまっしろな画用紙とクレヨンを渡されても、私の手は石のように固まったりはしなかった。
宿題は10個だったけれどもちろん書けたのは一個だけ、イラストや色塗りはなしだったけれど、先生はそれを見て満足そうに頷いてにこにこ笑った。
「いいね、真希ちゃん。朝焼けか・・・・うん、綺麗なものに触れるのはいいことだよ。朝焼けを見つけられたのは大きい成長だ、うん、これは成長と考えていいと思うよ」
何だかくすぐったかった。私が見つけたんじゃなくて、教えてもらったんだから。
それでも、私は成長した。体験が成長をつくるのだ。
帰りぎわ、先生は私にビーズでできたブレスレットをくれた。受付の看護婦さんが作ったらしい。淡いピンクと濃いピンクのシードビーズで作られたそれは、太陽の光にかざすと透けてキラキラ輝いた。
きれいなもの。
長袖をまくって手首に通すとなんだか女の子っぽくなった気がして、なんだか私には不釣合いで少し笑ってしまった。可憐なアクセサリーのその下に見える傷跡もあまり気にならなかった。
いつものファーストフード店には寄らないことにした。亜弥と美貴はともかく、希美が部屋で待っているかもしれないんだから帰ってなにか作ってやったほうがいいと思った。それも成長なのかもしれない。それとも単に優しくなっただけかもしれない。いや、それも成長か。
- 203 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/01/08(土) 11:38
- 部屋に帰ると希美がひとり迎えに出てくれた。頭をぽんと撫でてやって中に入って、やっぱりまっすぐ帰ってきてよかったとこっそり思った。亜弥と美貴は予想通りまたどこかに出掛けたらしかった。
手を洗い、キッチンに行って、適当に残り物のチャーハンにチーズをかけてオーブンで焼いて希美と二人で食べた。彼女の黒い瞳は相変わらずキラキラしていたし、黒い髪は相変わらずつやつや輝いていた。確かにあかぬけてはいるけれど普通な、大人しそうな綺麗な少女に見える。とても複雑でややこしい芸能界にいたようには見えなかった。それでも本人が言うんだからそうなんだろう。それに芸能界って、実はややこしくなんかないのかもしれない。関係ない私には何もわからない。
「見て、これ、今日先生がくれたの。綺麗じゃない?」
左手を希美の前に出して、ブレスレットを蛍光灯に光らせた。やっぱり太陽の光のほうが綺麗に見える。
希美はそれをしばらくじっと見て、何度か頷いた。それは何故か無理やり頷いているように見えたけれど、どうしてなのかはわからなかった。
「うん、綺麗」
希美は言って、八重歯を覗かせて笑った。
「でしょ?でもあんたもピンク好きっぽいよね、良かったら・・・・」
「あ」と希美が私の言葉を遮って、私の手首を掴んだ。
「どうしたの?これ。痛くない?」
- 204 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/01/08(土) 11:39
- ちくり、小さな棘。
蛍光灯に照らされた無数の紅い跡は痛々しく浮かび上がって、私は思わず肩をすくめた。それでもブレスレットのおかげで惨めな気分にはならなくて済んだ。
「ん。大丈夫だよ。もうやってないしね、ずっと前だから」そう、昔の話。
希美は少し目を細めて私を見た。
「なんでそーゆうことしようと思ったの?」
「何でって、」私は一旦息をついて、希美の持っていた自分の手を引っ込めて、テーブルの下に隠した。「いろいろあって。でも別に今はどうでもいいんだよ。あんたが聞いてもしょうがない話だよ、くだらないし」
くだらないなんて言うな、ってそういえば怒られたことあったっけ。
あれももう数年前の話―――――・・・だ。
「あんたじゃないもん」と希美が言った。
「希美だもん」
「ああ・・・・」と私は言って、小さくコホンと咳をした。
「希美ね。ごめん。わかった、ちゃんと呼ぶから。希美ね」
彼女は今度は少し照れたように笑った。
- 205 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/01/08(土) 11:39
- 昼ごはんを食べ終わってしばらくすると、亜弥と美貴が帰ってきた。ドアは開けっぱなしにしておいたので勝手に入ってきて、当然のようにごろんとカーペットに寝転んでじゃれあい始めた。どこに行っていたのか私は訊いたことがない。それは亜弥にしても美貴にしても、今までうちに居た人間にしても、そして希美にしてもそうだった。私の部屋にいるあいだは関わりあっているけれど、一歩外に出ればそれは私には関係のないことだし知ってもしかたのない事だったからだ。2.3日家を出るときはいったいどこで寝ているのか、私の部屋に来るまではどこに住んでいたのか、そして出て行くときはどこへ行くのか、そういうことは何も知らなかった。
それだけじゃなく、本名や年齢すらも正確には知らなかった。もちろん血液型や星座や、そういう無意味なデータなんか集めようと思ったことなんてない。それを知ってどうするんだろう。占いでもするんだろうか?馬鹿みたい。
- 206 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/01/08(土) 11:40
- ふう、胸の中で一気にまくしたてて、息をついて声をかける。
「ごはん食べたの?昼ごはん」
亜弥が首を曲げて私に微笑んだ。
「うん」
「どこで?」と試しに私は訊いてみた。
亜弥の表情がすこし硬くなった。
「どこって、真希ちゃんの知らないところで」
瞬殺。そういう事。
私はそれ以上の実験をあきらめて自分の部屋に行った。カーテンを閉めて電気を消して、でも真っ暗にはならなかった。布団にもぐりこんで目を閉じた。目を閉じて小さい声で歌を唄って・・・・
ずっと前からこうするのが好きだった。理由は置いといて、落ち着くから。
しばらくそうしていると、いつの間にか眠りについていた。
小さい悲鳴で目を覚ました。起き上がってリビングに行くと、美貴の発作が始まっていた。
- 207 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/01/08(土) 11:41
- いや、発作という言い方はおかしいかもしれない。病気だとか持病・・・・でもないんだから。でもこれが一番しっくりくる。
美貴は時々、野性に還る。
これもおかしいと言えばおかしい。だって元々野性であったわけがない(と思う)のだから。だけど、そうとしか見えないのだ。
美貴が喉からぐるぐる音を出して呻き、口の隅から泡を吹きながら希美の腕に噛み付いていた。希美が痛さに悲鳴を上げたらしかった。亜弥は後ろから美貴を抱きしめて引き剥がそうと精一杯引っ張っていた。私は木のイスにまたがってテーブルの上のお茶をコップに注いで、それを飲みながら目の前の光景を眺めた。
ばたばた、希美が逃れようともがきながら泣き声まじりに叫んだ。
「離してー!意味わかんない、痛い!助けてー」
大袈裟なわめき声に聞こえた。けれど、初めてなら驚いても仕方ないかもしれない。
「希美、何かしたの?」私は訊いてみた。彼女は非難たっぷりの視線でこっちを睨んだ。
「のん、なんにもしてないってば!もーいみわかぁないんだけどっまじではなしてはなしてぇ」
なんだか焦った早口のその声はますます舌ったらずに聞こえた。ひらがな喋りってやつみたいに。それが面白くて私はしばらくそのままで傍観していた。
- 208 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/01/08(土) 11:42
- 「希美ちゃんが・・・・。美貴たんの足踏んだから、美貴たん、怒ったの」
亜弥が暴れる美貴を押さえようと苦労しながら言った。希美はそれを聞いて情けないようなふにゃっとした表情になってむくれた。
「やってなーいよぉ!それに謝ったのにぃ!」
「あー、でも。美貴はなかなか許してくんないからなぁ」と、私がそう言ったのは意地悪でもなんでもなくて、実際私も美貴の手を踏んづけたり使っていたクッションを横から取り上げてしまったりして発作の引き金を引いてしまったことがあるのだ。ことがあるというか、一週間に一回程は部屋の中や散歩中に美貴がこうなってしまうので慣れたといえば慣れたものだ。
怒った時というわけでもなくて、混乱した時や哀しい時にも発作は起こる。まったく普通の時にもはしゃいで暴れたりする。精神病か何かなのかはよくわからない。頭の中がどうなっているとかそんな仕組みは判らないけれど、美貴は時々、狼になったような行動をとる。そして人に噛み付いたり暴れまわって部屋をめちゃくちゃにしたり、私が最初に出会ったときみたいに四つんばいでそこらじゅうを駆け回ったりする。気持ちが落ち着くとあっという間に元に戻る。
とは言っても普段はいたって普通なわけで、普通のときはおとなしくて可愛い子に見えるわけで、何の問題もない。亜弥としか言葉は交わさないけれど、一応こっちの言った言葉は理解しているらしい。
慣れてしまえばなんでも日常の一部になってしまうものだ。
私はそんな日常の一部をぼんやり眺めながら、左手首にはまったままのブレスレットをくるくると回した。
- 209 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/01/08(土) 11:43
- 「・・・・・・」
ふと視線を移すと美貴はようやく希美から離れて、亜弥の胸に顔を埋めて抱きついていた。亜弥が少し申し訳なさそうにしながらその頭をぽんぽん叩いて落ち着かせてやっていて、希美は興奮覚めやらぬように座り込んで息を切らせていた。
「希美、大丈夫?」私が聞くと、希美は立ち上がって憮然とした表情のままでこっちのテーブルに来た。隣のイスに座ってふうっと息を吐いた。
「美貴、たまにああなっちゃうんだよね。発作みたいなの」
「発作・・・・」希美は私が注いでやったお茶を飲みながら、亜弥と美貴を見つめた。
「痛かった?噛まれたとこ」
「ううん・・・・もう痛くないし。服の上からだから、跡がちょこっとぐらい」そう言ってトレーナーを捲って腕を眺め、もとに戻した。「血は出てないし大丈夫」
「そっか」
「ごめんね、希美ちゃん。大丈夫?」
亜弥が声をかけてきて、希美は笑って頷いてみせた。もうすっかり怒りも動揺も収まったようだった。
「でも、びっくりした・・・・あの子、あんなのなんだね」
「あんなの?」
私が首を傾げる。希美は少しバツの悪そうに唇を噛んだ。
「あの・・・・病気?っていうか。普通っぽく見えたから・・・・」
「あー」私は何度か頷いた。
- 210 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/01/08(土) 11:43
- 「うん、普通だよ?変な癖はあるけどね。最初はびっくりしたと思うけど、さっきのは軽いよ」
「軽い?」
「ん、きつい時はカーテン引き千切ったりとか。暴れると怖いよ、美貴は・・・・私にもよくわかんない」
「なんでああいうふうになったの?」
希美がすっかり元に戻った美貴を見ながら訊いた。
「さあ?あの二人のことは二人にしかわかんないよ」
「そっか・・・・・」
「でも、美貴のこと特別扱いしなくていーよ」
「え?」と希美が不思議そうに私を見た。
「ふっつーに接したらほんと普通だから。怒らせないようにはしなきゃ駄目だけど、べつに怖がんないでも大丈夫」
「うん」と希美が微笑んで頷いた。それからもう一度私を不思議そうに見た。
「真希さんって、解ってんのか、解ってないのか、わかんない」
その言葉がどういう意味なのか、私にはわからなかった。
- 211 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/01/08(土) 11:45
-
- 212 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/01/08(土) 11:45
-
- 213 名前:梓彩 投稿日:2005/01/08(土) 11:51
- 遅くなりましたが 明けましておめでとう御座います
今年もよろしくお願いします。
>>200 読み屋さん
いつもありがとうございます
さーっと思い浮かべられるような風景を描きたいとは思っているのですが
難しいですね・・・
だからそんな言葉は尚更嬉しかったりします
冬は空気が透き通っているらしいです 綺麗な朝焼け 観てくださいね。
- 214 名前:読み屋 投稿日:2005/01/09(日) 10:55
- 更新乙です
4人のそれぞれに人生、それもつらい過去のようですね
なんというか、胸の奥のほうが苦しくなります
朝焼け、先ほど見てきました、ピンクじゃないでしたけど
前作の最後の風景を思い出し、ほろりと涙しました
では、がんばってください
- 215 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/01/19(水) 20:10
- 大きなデパートには大きな電気屋が入っていて、数え切れないほどのテレビがチカチカ光ってディスプレイされていた。
液晶、プラズマ、DVDプレイヤー一体型・・・・だとかなんとか、ありとあらゆる種類と値段のテレビがあって、そのほとんどが明るい画面に教育者と知識人ぶった輩の討論会を映し出していた。
「子供の教育には、テレビはあんまり良くないんですよねー」
「年々、幼児がテレビを観る時間が増えてきているということで」
「これはちょっと考えないといけないですねぇ」
そんな言葉達がテレビ局に造られたご立派なセットから生まれ、カメラに反映され、ブラウン管の中を通り、電気屋にところ狭しと並べられたテレビの画面から精一杯に訴えかけていた。それを観た母親がうんうんと頷きながら、次の瞬間にはねえあなたどれにしましょうとあまり気乗りのしなさそうな夫の服の袖をつかまえていた。
そんな面白くもないジョーク。
- 216 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/01/19(水) 20:12
- 日曜日には、朝から希美はいなかった。起きるとすでに亜弥が作った朝食がテーブルに並べられていて、ふたりはすでに食べ終わったようだった。
「あれ。早いね」
「うん」とひとりでテーブルについてジュースを飲んでいた亜弥が言った。美貴はカーペットの上で寝ていた。それにしてもよく寝る。なんだかいつ見ても寝ているような気がした。動物っぽいと云えば動物っぽいかもしれない。
「どっか行くの?」
「今日は美貴たんとお散歩に行こうかなーって。真希ちゃんも行く?」
「あー。私はいいや」
そう言って目玉焼きに手をつけた。いい感じの半熟だったけれど、少し冷めて固まってしまっていた。
「希美は?」
「希美ちゃん?」と亜弥は首をかしげた。
- 217 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/01/19(水) 20:13
- 「さあ、今日は来てないよ?なんで?」
「いや、ならいいや。なんか・・・・最近ずっといたから、慣れてて」と私は言った。
「気まぐれなんだよね。皆。居なくなったりひょこっと来たりさ」
「迷惑?」と亜弥が少し心配そうに私を見た。
いつ見てもキラキラした瞳だなぁと思った。そして私はなんとなく微笑んだ。
「いんや、別に。もう慣れたし。今じゃひとりの時のほーが寂しいよ」
そう言うと亜弥は安心したように笑った。
「あのさ。美貴のことだけど」と私は切り出してみた。
後ろを確認してみたけれど、美貴はやっぱりすやすや眠り込んでいた。
「大変・・・・じゃない?」
「何が?」
軽く切り返されて私はちょっと戸惑った。
「発作みたいになったとき。つーか・・・・私はまだいいけど、亜弥はいっつもなだめてる役だから疲れないのかなーとか」こないだ特別扱いしないでいい、と言ったのは自分なのに。矛盾しているかもしれない。
亜弥はしばらく考える振りをして、それからまた笑顔を浮かべた。
- 218 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/01/19(水) 20:13
- 「疲れるよ?」
「え?」と私は思わず聞き返した。訊いといてなんだけど、少し予想外だった。
「美貴たんが暴れるとひっかかれたりするし、何するかわかんないし」と亜弥は言った。
「あー・・・・・、うん」
やっぱりそうなのか、と私は思った。亜弥なら何があろうと包み込みそうな気がしていた。何となくだけれど。少しがっかりしたような気がしたけれど、その期待のようなものは次の瞬間にきれいに復活した。
「でも、疲れるけど。美貴たんだから許すの」
「ん・・・・・」
「美貴たんには私しかいないでしょ?ほかに話すひともいないし、なだめられる人もいないし、美貴たんにとって世界と繋がってるのは私だけなの」
その言葉は妙に自信満々だった。けれど、真実のように聞こえた。そして実際に真実だった。
「そう・・・・」と私は曖昧に頷いた。
「だから、守ってあげなくちゃ駄目だし、誰かに決められてるんじゃなくて、決まってることなの。それは」
「ふーん・・・・」
こんなに亜弥がぺらぺら喋るのはめったにないことだった。そのせいか、私はこの時のことを今でも覚えている。
「そっか。仲良いもんね。ふたり」と私は少し的外れな発言をした。
「うん」と亜弥は笑って頷いた。
- 219 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/01/19(水) 20:14
- 冬がようやくピークを過ぎたころ、私達は四人でピクニックに行った。
早起きして私と亜弥がお弁当を作り、美貴も海苔を星型に切り取ったりして手伝いをしてくれた。希美はなんだかよくわからない飲み物を調合していた。それを水筒に入れ、念のためにお茶も用意した。
全員が一週間前に雑貨屋で買ったふかふかな耳当てをつけて、お揃いの手袋をしていた。私は赤、亜弥はピンク、美貴はブルー、希美は白。
- 220 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/01/19(水) 20:15
- その広い児童公園は、二人に出会った場所でもあった。快晴といっても十分に寒い今日は、平日だから人は少ないもののぽつぽつと遊んでいる子供達がいた。私達は持ってきたシートを広げて座り、吹き付ける風に震えながらお弁当を食べた。お母さんと女の子が私達を少し珍しそうに見ていたりした。ここはあまりピクニックをするような公園ではないのだ。そして今はあまりピクニックに向いた季節ではない。
「おいしい?美貴たん」と亜弥が訊いた。
「うん」と美貴がタコ型ウインナーを食べながら答えた。
「てゆーか、寒くない・・・・?」と私が言った。
「寒いよー」と希美がカタカタ震えながら訴えた。
亜弥が自分のバッグの中から、なにやら取り出した。どでかい毛布だった。
「なにそれ・・・・・」
私が唖然として訊くと、亜弥は微笑みながら美貴にそれをかけてやった。妙にバッグがパンパンだと思ったら、そんなものを詰め込んでいたらしい。
「毛布。寒いでしょ?」
「いや、寒いけど」毛布かよ!と突っ込むべきなのかどうかわからなかった。というより、変な行動をするのはこの二人のデフォルトでもあった。
「私と美貴たんの分しか持ってきてないよ」と当然のように亜弥は言った。
- 221 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/01/19(水) 20:16
- 「うえー」と希美が情けない表情をした。私は慌ててなだめた。
「わかった、じゃあ、うちらは食べ終わったら運動しよう。運動。あったまるよ」
「運動ー?」と希美が自分の作った飲み物を飲みながら不服そうに言った。
「そう。キャッチボールとか」
「ボールあるのぉ?」
「そこらへんにあるじゃん」だいたい公園には誰かのボールが落ちているものなのだ。
見渡してみると案の定、黄色いゴムボールが転がっていた。私は立ってそれを拾ってきて、希美に見せた。
「ほら。あった」
「うん・・・・・」と希美は自分のコップを私に差し出した。
私はそれに口を付けて、それから激しく後悔した。
- 222 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/01/19(水) 20:17
- 「いくよー」
亜弥と美貴は後ろで毛布にくるまって寝ていた。私は希美にむかってボールを投げた。
ゴムのボールはふらふらと力なく飛んで、希美には届かなかった。
「あれ・・・・」
希美が自分の少し前に落ちたボールを拾って、私に投げた。それは少し軌道をずれて、私よりすこし右に落ちた。
もう一度。私は今度は強めに投げた。やっぱりボールは斜めに飛んで、希美の左側にずれた。希美は少し走って腕をのばしてボールをキャッチした。
「いきまーす」と希美が声をかけて、ボールを投げた。
それは今度は近くに飛んできたけれど、かすって落ちてしまった。
「ごめんごめん。取れなかった」と私は言って、拾ったボールを投げ返した。
私の投げたボールはやっぱり少し斜めにずれた。けれど希美は素早く移動してそれを取った。
「すごいね」と私は言った。「運動神経いい?」
「うん」と希美は笑った。
- 223 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/01/19(水) 20:18
- 「けっこう。筋肉自慢なの」
「へー。すごいじゃん」と私は言った。私もけっこう運動好きだけれど、最近はまったく動いていない。
希美が投げたボールを、私は今度はキャッチできた。手に確かな感触があった。ゆっくり投げ返した。どうしても左に寄っていってしまうボールを、希美はちゃんと受け取った。
ボールは何回も私達の間を飛んだ。だんだんと慣れてきて、落とさなくなった。そして距離がだんだんと開いた。
「寒いー?」と離れて聞き取りにくくなった距離を少し大声で私は訊いた。
「あったかくなってきたー」と希美がボールと共に答えた。
キャッチボールなんて久しぶりだったけれど、なんだか楽しかった。それに確かに身体が温まってきた。
ボールはきれいなカーブを描いて飛んだ。ボールが自分の正面に来るように、自分が動けばいいんだとコツを覚えた。少しぐらいのズレならなんとかなる。
- 224 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/01/19(水) 20:18
- 黄色いボールは何度も空を渡った。
キャッチボールは続く。もうだいぶ距離も開いて、投げる方も受け取る方も上手くなってきていた。そこで私は提案をした。
「これから、どれだけ続くかやってみようよ。回数」
「オッケー!」と元気のいい返事が返ってきた。
一回、二回、回数を数えながらボールを投げる。もう手にしっくりくるボールを受け取って、投げかえす。
十回をすぎてもまだ余裕だ。ふざけて高く高くあげてみた。それも希美はしっかりキャッチした。
まだまだ、キャッチボールは続いた。数え疲れて、投げ疲れて、いつしか何回だったかわからなくなってきていた。それでも止めるのはなんだか勿体なくて、ずっと続いていった。
「疲れたー!」と私は言った。そして、思いっきりボールに勢いをつけて飛ばせた。
- 225 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/01/19(水) 20:20
- 黄色いボールはぐんぐん伸びた。風を切って空を飛んで、希美の上を跳び越した。けれど希美は振り返ってボールを追いかけた。走って、腕を伸ばしながらボールをつかもうとした。そして、躓いて派手に転んだ。
「いたた・・・・・」
私は慌てて、座り込んでいる希美に駆け寄った。ズボンを捲ると、両膝がすりむけて土と血がついていた。
「びっくりした・・・・。ごめん、まさか取るとは思わなかった」
「ううん」と彼女は笑った」
「落としたくなかったの」
「うん・・・・・」と私は希美の頭を撫でてやった。「ごめん。取れないように投げたんだけど・・・・」
「うん、判ってたけど、」と希美は頷いた。「落としたくなかったの。取れないように投げたって判ったから」
「え・・・・・」と私は言葉を切った。
「取れないと思ってると思ったから。だから、取ってびっくりさせてやろーかなって。でも・・・・あたた。こけちった」
「バカ」
私はなんだかやりきれなくなって唇を噛んだ。希美はいたずらっ子のように笑った。
- 226 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/01/19(水) 20:21
-
- 227 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/01/19(水) 20:22
-
- 228 名前:梓彩 投稿日:2005/01/19(水) 20:31
- 更新。
なんだか更新間隔があいてしまってごめんなさい
そして相変わらず読みにくいな…。
>>214 読み屋さん
いつもありがとうございます
早起きおつかれさまでした。よかったですね。
もうすぐ…物語的に節目かなぁと思ってます。
- 229 名前:読み屋 投稿日:2005/01/20(木) 02:14
- 更新乙です
早速レスつけさせていただきます
いやぁ、良いですねぇ
世の中はめまぐるしい速さで時間が過ぎていくというのに
ここはまるで、時間が止まったようなまた違う世界観が味わえます
節目ですか、なんかちょっとドキドキしてます
梓彩さんのペースでがんばってくださいね
- 230 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/01/30(日) 10:13
- レモングラスが枯れた。
春に種を蒔いて、秋に収穫して葉を乾かしておいて、冬になったのでちゃんと室内に入れて寒さをしのいでやった・・・・筈なんだけれど。
レモングラスは寒さに弱いのだ。
苗を買って差し木で増やしたローズマリーのほうは小さな青い花を散らばらせるようにつけていた。秋から春前までのこの時期に花をつけるローズマリーは貴重だ。すでにぐんぐん育って一メートルぐらいの背丈にまで伸びている。レモングラスは日本の気候では開花は見られないらしい。この極東の島国はレモングラスには少し寒すぎるのだ。
枯れてしおれてしまったレモングラスを抜き取って、ローズマリーのと一緒にプランターを外に出した。
からっぽなプランターと、花をつけたプランターが横にならんだ。なんだか余計に寂しそうに見えた。
- 231 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/01/30(日) 10:14
- 乾燥させておいたローズマリーの葉にお湯を注いでローズマリーティーを作った。
部屋に誰かいれば勧めてみるところだったけれど、昨日から部屋には誰も居なかった。皆もとの世界に戻っているらしかった。もっとも、美貴や希美は苦いモノが苦手だから飲まないだろうけど。亜弥なら少しは飲んでくれるかもしれない。
ローズマリーティーをカップに注いでゆっくり飲んだ。目が覚めるような刺激的な香りが鼻をつんと刺す。香りに比べると、口に含んだときのくせは少なくてすっきりした味がした。これなら希美も飲めるかもしれない。いや、コーヒーもブラックじゃ飲めない彼女にはやっぱり無理か。ココアにだって私は毎回信じられないほど砂糖を入れて作っているけれど、とてもあれは自分では飲めない。
カップを持った手からすこし視線をずらすと、例のビースのブレスレットが手首にひっかかってチラチラ揺れているのが見えた。相変わらず可憐に光っていた。
あれから病院には行っていなかった。私の中ではあれはあれでもう良かった。先生も優しいし、べつに不満はなかったけれど、そして通うことで少しずつ良くはなってきていたのかもしれないけれど、これからも通い続けなくてはいけない必然的なものは感じられなかった。だから私は「ハートのクリニック」に通うのをぱったりとやめた。まるで読みかけの絵本を閉じるように。
- 232 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/01/30(日) 10:15
- それでも、3年間。
3年間通い続けて、手に入れたのはアクセサリーがひとつ。あの花柄の壁紙の部屋と「真希ちゃん」という呼び方。優しそうで常識的な先生の話し方。真っ白な画用紙と何色か欠けたクレヨン。通り過ぎていったたくさんの言葉。そんなものが何の役に立つ?速くゴールするよりゆっくりとゴール?
毎朝昇る太陽のほうがよっぽど・・・・・・
私は深く息を吐いた。
いつのまにかやめてしまった朝焼けを観る習慣。希美はあれっきりそのことについては何も言わなかった。まるでそのことをさっぱり忘れてしまったようだった。私にしたって早起きするのは疲れるし眠いのだ。いつのまにか、と言っても実際は3.4日間起きてみたっきりなんだけれど。
結局は忘れてしまう。あんなに感動したのに。
いくつも失くした決心のように、握り締めると儚く消えていってしまうもの。
そんなに大げさな事でもないけれど。
一気にカップの中の残りを飲み干すと、もう夕方に近くなっている窓にカーテンをひいた。
- 233 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/01/30(日) 10:16
- 久しぶりに寝室に入った。相変わらず部屋の一角は大きな何個ものクローゼットに占領されていた。天井まであるほどの背の高いクローゼット。そこに詰まった山ほどの装飾品の数々。なんで私はこれを捨てないんだろう?さっさと捨てればいいのに。
自分で言って苦笑した。捨てられないのはわかっていた。もし私が一生ここで暮らすことになって、もし一生あの人が戻ってこなくても、私がたぶんこれを捨てないだろうと思った。とくに捨てられない理由はないはずなのに。むしろ大きすぎるベッドや大きな飾りのついたルームランプや、そういうものは簡単に捨ててしまったのに。つくづく私ってよくわからない。
黒光りしていた重々しいその箱にはうっすらと埃が積もっていた。
しばらくクローゼットのドアを閉めたままでそれを眺めて、それから部屋を出た。
キッチンに行って晩御飯を作った。みんなが帰ってくるかどうかはわからないけれど、一応4人分作ることがすっかり染み付いていた。もう希美が来てから半年ほども経っていた。亜弥と美貴に至ってはもう・・・・・・1年?1年半?とにかく。
鍋の中に片栗粉を入れてから、くるくる混ぜてとろとろになってから卵を円をかくように流し入れた。あっという間に卵がやわらかく固まってふわふわのたまごになる。本日のメニューは中華風スープ。
いつのまにかしっかり四つずつ揃っているお椀のうちひとつだけを出して、スープを注いだ。ご飯をよそって一緒にテーブルに持っていって、食べるまえに時計を見た。6時10分・・・・・あと5分だけ待とう。
カチカチいう時計の音に耳を澄まして待った。案の定、5分後に部屋のインターホンが鳴った。
- 234 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/01/30(日) 10:17
- 翌日は朝から希美とふたりだった。朝ごはん・・・・・昨日の残り、帰ってこなかった二人のぶんのスープを飲んで、いつものようにごろごろ過ごした。やっぱり朝焼けの時間には起きなかった。
「希美ー」
「なーに?」
「食べる?」
こないだ買ったチョコチップクッキーを見せて訊いてみた。思わず希美の瞳が輝いた。
「食べる!」
「太るよー」
反応が見たくて、少し意地悪をしてみた。
「・・・・・・」希美は黙り込んでちょっと恨めしげに私を睨んだ。
「良いよ。べつに。もう太ってもいいんだし」
「ああ」と私は言った。
「やっぱあれ?アイドルはほっそくないと駄目とか」
「うん」と希美は頷いた。
- 235 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/01/30(日) 10:18
- 「楽屋とかにいっつもお菓子あるんだけど、それ食べ過ぎて怒られたりねぇ。のん、食べるの好きだからしょっちゅう怒られてた」
私は少し感心して希美を見た。
「やっぱそーゆーのあんだねー。すごいすごい」
彼女はそれを聞いて少し笑った。
「べつにすごくないよ。怒られてたって」
「いやー。よくがんばったよ」
「いやー」と希美は笑いながら首を振った。
「そーゆうの体調管理だもん。麻琴とかさーのんと一緒でよく食べるからぁ。よく焼肉とかも行ったし・・・・・・ほんとね、焼き肉好きだったもん。なちみともよく行ったし・・・・・・田中ちゃんとか」
聞きなれない名前の連続に私は思わず目を瞬かせた。
とは言っても、彼女の話にはよく出てくる名前なんだけれど。いわゆるアイドル仲間ってやつらしい。
「あ・・・・・」と希美は舌をぺろりと出した。
「そうだ。真希さん知らないんだ・・・・・おんなじモーニングのメンバーでさ・・・・・うん」
「いーよ。世間では有名なんでしょ?私が知らないだけで」
「まぁ・・・・・たぶん」
私は希美を改めてまじまじと見つめた。
- 236 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/01/30(日) 10:19
- 「そーだよね。あんた・・・・・希美も世間では有名なんだよね」
希美は曖昧に笑って見せた。
「どーだろ。のんは世間じゃー嫌われてると思う、けどー」
「え?」と私は訊き返した。
「なんで?嫌われてんの?」
「まあいろいろあって・・・・・・。ね」
「そういや何で辞めたんだっけ?・・・・・・てか言いたくない?」
希美はチョコチップクッキーの袋を破って一枚かじりながら何回か自分に頷いた。
「ううん。いつか言うよ。真希さんには」
「あー・・・・・。うん」
「おいしい」と希美は私にクッキーを一個くれた。
私はありがたくそれを受け取った。
- 237 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/01/30(日) 10:19
- 昼ごはんになっても亜弥と美貴は帰ってこなかった。夕方まで希美とふたりでトランプをして遊び、それから晩ご飯をつくるためにキッチンに立った。
今日のメニューは何にしようか。昨日が中華風スープ、そのまえがビーフシチュー、なら今日は和風か・・・・・久しぶりにおみそ汁でも良いかもしれない。さつまいものおみそ汁はたしか3人とも好きだったはず。
私はそう頷いて、さつまいもを茹でるために鍋に水を入れた。
そのとき、玄関のインターホンが忙しそうに鳴った。
キッチンを立って玄関のドアを開けた。亜弥だった。
- 238 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/01/30(日) 10:20
- 「おかえり。今ご飯作ってるよ」
亜弥は返事をせずに軽く頷いた。
亜弥と美貴が中に入るまでドアを開けてやって・・・・・けれどそれはうまくいかなかった。
美貴がそこにいなかった。
「ん?」
私はドアの外を覗き込んでみた。やっぱりそこには誰も居なかった。どうやら亜弥はひとりで帰ってきたらしかった。
「美貴は?」と私は訊いた。
「・・・・・・いないよ」と亜弥が言った。
何故か一瞬、喉が鳴った。
美貴が亜弥のちかくに居ないなんてありえない事だった。少なくとも私の部屋にふたりが住み着いてから、亜弥か美貴がどっちかひとりだけで帰ってきたことはただの一度もなかった。ただの一度も。
喧嘩でもしたんだろうか?わからない。でもそうだとすると、かなり深刻なことが起こっているのは間違いなかった。
「何で?」と私は訊いた。
「真希ちゃん。入らせて」
「あ・・・・・・」
亜弥は私の腕をくぐり抜けて部屋に入り、リビングのテーブルについた。
私は慌ててドアを閉めてロックして、リビングに入り向かいの席に座った。希美は異様な空気を察知してか黙り込んでいた。
「で、美貴は?」と私はもう一度訊いた。
「死んじゃった」と亜弥が言った。
- 239 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/01/30(日) 10:20
-
- 240 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/01/30(日) 10:20
-
- 241 名前:梓彩 投稿日:2005/01/30(日) 10:27
- 更新
>>229 読み屋さん
いつもありがとうございます
読み屋さんの言葉はいつもすごくありがたいです。
気に入って頂けるような 展開かどうかは判らないのですが
いつも最後の一行にすごく安心してしまいます
- 242 名前:梓彩 投稿日:2005/01/30(日) 10:32
- ひとつ訂正です
>>225
>ズボンを捲ると、両膝がすりむけて土と血が
土が付いてる筈がないです。すみません
- 243 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/01/30(日) 22:35
- 「死ん・・・・・・・」
きちんと繰り返す事ができなかった。
ただ目の前の亜弥の顔を見つめて、なにか言おうと口を開けて、また閉じた。なんだか酸素不足の金魚みたいだった。
一旦口の中に溜まっていた唾液をごくりと飲み込んだ。そして、軽く息を吐いた。
慌てすぎていた。
「・・・・・・・」
冷静に考えれば、ただ亜弥がひとりで帰ってきたというだけで何をこんなに混乱しているんだろう。
ただ喧嘩しただけかもしれないし、そもそも一緒に出かけたけれど別々に行動していて、単に別々に帰ってきただけかもしれないのに。というか、そっちのほうがよっぽど有り得る話だ。
「いや、っていうかさ・・・・・・」
美貴は?と再び聞き返しそうになって、また口を閉じた。
死んじゃった。
そう亜弥が言った。
亜弥がそんな冗談を言うことが今までに一度でもあっただろうか?
いや、考えるまでもない。
「何言ってんの?」
- 244 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/01/30(日) 22:36
- ようやく開いた口は、そう呟いた。目の前の彼女はただ黙って哀れそうな瞳で私を見ていた。壁の時計がただカチカチ鳴っていた。12と3と9のところに黄色いヒヨコのある時計だ。6のところにはケーキが描かれていた。ヒヨコがケーキを食べるのだろうか?3匹のヒヨコはくりくりした瞳をしたかわいらしい元気そうなヒヨコだった。彼らなら自分の身体より大きいケーキも食べられるかもしれない。じゃあ上に乗ったひとつだけのイチゴは誰が食べるのだろう?
「真希ちゃん」と亜弥が私の名前を呼んだ。
よく見ると彼女の格好は、最初に会ったとき以来着ていなかったあのパーカーとジーンズだった。あのとき黒く見えたそのパーカーは実は青色で、雨に濡れて色が濃くなっていただけだとあとで気づいたのだ。本当は黒じゃなくて青で、だけどそんなことは今の今まで思いだしもしなかった。汚くてぼろぼろのその洋服はクローゼットのなかに眠っているように仕舞ってあったから。
「美貴たんね」
「うん」と私は返事をした。
「海から落ちたの」
部屋の中の音は一瞬全て死に絶えた。
- 245 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/01/30(日) 22:38
- 一瞬後、カチカチはまた戻ってきた。ミニサイズのヒヨコのくっついた秒針は再び少しずつ少しずつ動き出した。
「海・・・・・から」
「ふたりで海に行ってたの。高い崖みたいなとこから海を見て、でも、美貴たんが落ちちゃった。だから美貴たんはもう居ないの」
「・・・・・・・」
時計の規則音が戻ってきたかわりに、私の頭の中ではキーンと耳の痛くなるような音が響いていた。
「落ちたって・・・・・・」言われても。
私は改めて亜弥を見た。彼女はいつも通りまっすぐに座ってキラキラした瞳でこっちを見ていた。
「警察呼んだ?レスキュー隊とか・・・・・・てゆーか、なんで普通に帰ってくんの?呑気に私に説明してる場合じゃ・・・・・溺れたらどうすんの?まだ寒いのに海とか・・・・・心臓マヒとか・・・・・・・どうすん・・・・・・・」
「言ったでしょ?」と彼女は言った。
「美貴たんはもう居ないんだもん。そんなの、呼ばない」
「居ないって?わかんないじゃん!今すぐ行ったら助けられるかもよ?てゆーか」
「わたしにはわかるの!」
亜弥が叫んだ。
- 246 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/01/30(日) 22:39
- 思わず私は言葉を止めた。彼女が大声を出すのを聞いたのはこれが初めてだった。そして後にも先にもこれっきりだった。
椅子に座りなおして、小さくあがっていた呼吸を整えた。もういちど時計を見上げた。
そうだ。あのイチゴはみんなで分けて食べればいい。
「解るの」と亜弥は言った。
「美貴たんはもう居ないよ。いなくなっちゃった」
「解るって・・・・・」と私は小さい声で抵抗した。
「泣かないでね」と亜弥は言った。「もう決まってた事なの。ずっとまえから。ただの予想じゃなくて」
「・・・・・・・」
「真希ちゃん、今までありがとう。もう逝かなきゃ駄目だね」
彼女はそう言って椅子を立った。
「は・・・・・・?」私も慌てて立ち上がって後を追った。その細い腕を掴んで振り向かせた。彼女の黒い瞳は涙に濡れることもなくただまっすぐに、強く私を見つめていた。その肩は、首は、やっぱり華奢で、目に染みるほど白かった
この少女は美しい。見とれるほどに可憐で、そしてその表情を崩すことは絶対にない。
最初に出会ったあの木の下と同じように。
「行くってどこに・・・・・・・」
私は答えの解った質問を呟いた。
- 247 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/01/30(日) 22:40
- 「海。美貴たんのところに」
彼女は予想通りの答えを口にした。
「そんなことしなくていいじゃん・・・・・・亜弥は」
私はきつく唇を噛んだ。なんだか亜弥の顔が見れずに視線を下にずらした。
「今・・・・・生きてるんだから・・・・・・」
亜弥の身体がすこしだけ傾いた。そして私の胸にぽすんと収まった。私より少し背の低い彼女の髪がさらさらなびいて私のあごと頬に触れた。かるいシャンプーの香りがした。
あの時茶色く染まっていた髪は伸びて切ってを繰り替えし、今ではすっかり黒髪になっていた。
「真希ちゃんのこと、ね」
「・・・・・・・」
「すごく好きだったの」
噛み締めた唇が痛くて、余計に歯を食い込ませた。わずかに血の、鉄の味がした。
「たぶん、私が今まで会ったなかで、一番優しい人だよ」
「でもね、美貴たんがいないと生きていけないの」
「私と美貴たんはふたりで一つなの」
「どっちか片方だけじゃ駄目になっちゃう」
「早く逝かないと、美貴たんが寂しがっちゃうから」
「だから、」
- 248 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/01/30(日) 22:42
- 亜弥は私の胸から顔を上げた。
そして笑った。いつものように首を少しだけ曲げて。
「今までありがとう」
「・・・・・・亜弥」と私はかすれた声で名前を呼んだ。
「ほんとにそれで良いの?後追い・・・・・みたいなことして喜ぶの?美貴」
彼女は顔から笑顔を消し、真剣な顔つきになった。
「喜ぶとかじゃなくて、もう決まってる事だから」
「決まってるってさ・・・・・」
「言ったでしょ?前に。美貴たんにとって世界と繋がってるのは私だけだって」と亜弥は軽く頷きながら言った。
「でもさ・・・・・・」
「私も、世界と繋がってるのは美貴たんだけ」
時計。
時計を・・・・・・
私は無理やりに首を曲げてリビングの時計を見た。
そこに救いはなかった。
「この世界じゃ生きていけないよ・・・・・・」
切り離された世界になっちゃった、から。
亜弥はそう呟いた。
「じゃあ、行くよ」
「待っ・・・・・・」
早足で玄関に向かう彼女を慌てて追った。靴を・・・・・数ヶ月前に私が買い与えたコンバースのオールスターじゃなくて、自分の持ち物だったボロボロのアディダスのスニーカーを履いている後ろで、私は浅い呼吸を繰り返した。
- 249 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/01/30(日) 22:43
- 「じゃあ・・・・・・」
「お金・・・・!」と私はとっさに言った。亜弥は不思議そうにこっちを見て首を傾げた。
「お金。海なんか近くにないじゃん、タクシーとかじゃないと・・・・・・タクシー代」
そんなことを言う自分に頭が痛くなった。何気を使ってるんだろう。
「あるよ」
亜弥はポケットに手を突っ込んで、折りたたんで入れてあった何枚かの紙幣を私に見せた。
「真希ちゃんがくれるおこずかい、ずっと貯めてたの。だから大丈夫」
「あ・・・・・。そう」
「ごめんね。ありがとう、お金も」と亜弥は言ってぺこりと頭をさげた。
そうじゃなくて・・・・・・。
何お礼なんか言わせてるんだろう。
「ほんとに色々ありがとう」
「あのさ・・・・・・」私は何かを言いたくて、でも何を言えばいいのかわからずに頭を振った。「何言えばいいかわかんない・・・・・」
亜弥はおかしそうに微笑んだ。
「ううん。それが普通」
「そう・・・・・」そうかもしれない。今から死に行く人間に声をかける機会なんてそうそうあるもんじゃない。
「じゃあ」
亜弥が何度目かにそれを口にした。
もう引き止める理由は見つからなかった。
「うん・・・・・・」けれど何を言えばいいのか結局は判らずに。
私は黙ったままで、亜弥は玄関のドアを出て行った。黒く、肩までの長さに無造作に切りそろえられた髪が規則正しく揺れていた。まるで胸を張るようにしゃきっと背筋を伸ばした後姿は一度も振り返らなかった。パタン、パタンと磨り減ったスニーカーの底とアルファルトがぶつかっては離れる音が続き、だんだんその後姿が小さくなった。角にきてそのかたちは消え、エレベーターホールへとかすかな足音だけが響いていた。そしてエレベーターが停止し、動き出す電動音とともにすべてが消えた。
- 250 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/01/30(日) 22:44
- たとえば。
今の亜弥の言葉を全て冗談と受け止め、会話の全てをごっこ遊びだったことにして、亜弥が出て行ったのは単なる散歩か何かだと思い込む事も私にはできた。
もしくは。
美貴が居なくなってしまったのは本当だとしても、亜弥はただ傷ついて今はこの部屋にいたくないだけだと、だから色々と理由をつけて出て行ってしまったのだと・・・・・きっと海なんかには行かずにどこかでひとりで居たいだけなんだとそういう事にして混乱を少しでも収まらせようとする事も私にはできた。
けれど私は知っていた。
美貴はもうこの世にはいない。そして亜弥ももうすぐいなくなる。
そしてこの部屋には永遠に戻っては来ないことを。
それは想像なんかじゃない。ただの予想でもない。それはただ事実としてここにあった。
誰にもどうにも動かせない事実としてここにあった。
- 251 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/01/30(日) 22:45
-
- 252 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/01/30(日) 22:46
-
- 253 名前:梓彩 投稿日:2005/01/30(日) 22:47
- ここまで
- 254 名前:読み屋 投稿日:2005/01/31(月) 01:35
- 忙しい中、更新お疲れ様です
あぁ・・・胸が苦しいです。息ができません
どうしてこんな事に?彼女達は幸せだったの?彼女達の過去は?
ほんとは何も知らないほうがいいのかもしれない・・・。
読んだあと、ふとこんな言葉が心の中に湧き上がりました
梓彩さんの小説は、こう、なんというか、「ネコ」見たいな感じです
何もしなくても、ただそこに居るだけで癒されるような・・・
たとえが可笑しいですね^^;長レスすみません
次も楽しみに待ってます、頑張ってください^^
- 255 名前:梓彩 投稿日:2005/02/15(火) 18:45
- 更新が遅くなってしまい申し訳ありません;
実はさっき PCがフリーズしてしまいリカバリしたので
バックアップをとっていなかったデータが消えてしまい…
設定とか 自分のための年表のようなものも消えてしまったので
少し時間がかかるかもしれませんが 必ず更新します。
>>254 読み屋さん
いつも丁寧な感想 ありがとうございます。
猫はこの話にもキーワードのひとつとしてたまに出てくるので
癒されるなんて言って頂けてほんとにすごく光栄です
早く更新できるように頑張ります。
- 256 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/17(木) 04:26
- >>255
そりゃ災難だったねお疲れさん
- 257 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/02/27(日) 00:26
- 温もりとか匂いだとか、1年半ほどで染み付いてしまったものがたくさん部屋の中にはあって、それが鬱陶しくてずっと自分の部屋に篭っていた。
食事のときだけキッチンに出て、希美の存在だけを確認してから料理を作った。彼女がいない日は外に出て済ませたりもした。1週間のうち、そんな日も多かった。冷蔵庫の食料はなかなか減らなかった。
自分のベッドで眺める天井はやけに白く見えた。ピストルズもラモーンズも聴く気になれなかった。
なにに逆らって叫べばよかった?一種の不可抗力みたいなもんなのに。
だけどやっぱり私が止めるべきだったのかもしれない。
どうやって?
止める理由なんてない。
理由なんてなくてもよかった?
考えはじめると頭が割れそうに痛んだ。布団にもぐって目を瞑った。案の定寝ることはできなかった。そして眠れないまま夜になって、朝になるのを待った。
- 258 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/02/27(日) 00:26
- 希美はしょっちゅうどこかに出かけていた。
食事の時もあまりしゃべらずに考え込んでいた。でも彼女なりに今度のことで考えることがあったんだろうと追求はしなかった。それに私自身眠くて頭がボーッとして喋る気になれなかったからありがたくもあった。
彼女が気まぐれに部屋に戻って来たときには大体私は自分の部屋にいた。玄関はずっと開けっ放しにしていたからいつ戻ってきたのかはよく分からなかった。たまに食事のあとで一緒にトランプをしたりした。やっぱり希美はあまり喋らなかった。
- 259 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/02/27(日) 00:27
- 1週間が過ぎたころ、また2日ほどどこかへ行っていた希美が帰ってきた。そして、珍しく私の部屋に来た。
「真希さん」
「ん?」
例によって布団に潜り込んでいた私はゆっくり顔を出した。希美がにへっと笑って立っていた。
「あ・・・お帰り」
「ただいま」と希美は言った。
「ちょっとね・・・・寝てもいい?」
「え?」
私が聞き返すと、彼女はまたニコッとした。
「そこで」
「ここで?」
「うん」言いながらベッドに近づいてきて、希美が毛布をめくった。
「何で?」
「ちょっとだけ。眠いの」
「まー良いけど。じゃー私どくよ」と私がそう言うと希美は私の服の裾を引っ張って引き止めた。
「いいの。ここにいてよ」
「え?狭くない?」
- 260 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/02/27(日) 00:27
- 「いいから」言われるままに私は希美と二人、ベッドに横になった。なんだか彼女の身体は外の風に吹かれて冷たくて、触れるとひやっとした。
やっぱり希美は小さかった。高校生にしては確実に身体の小さいほうだと思う。150センチあるかないかもわからないぐらいだ。
「真希さぁん」
舌ったらずな声が小さく呟いた。
「起きたら、聞いてくれる?」
「何を?」
「話・・・・・」
「いいよ」
私の胸ぐらいの位置にある希美の頭を抱きしめてやった。苦しかったと思うけれど、希美はじっとしていた。
「っていうかさぁ、」腕の力を緩めた。代わりに希美が手を伸ばしてきた。
「誰かと一緒に寝るとか・・・・久しぶりすぎ」
「そう?」
「うん・・・・・っていうか手繋ぎながら寝んの?寝にくくない?」
言いながら照れてきて、私は思わず繋いだ手を外しかけた。でも外れなかった。
「こうしてるとね」
もうほとんど眠りかけのような希美の声がゆっくり喋った。
「よく寝れる・・・・・」
「ふーん・・・・・」
しばらくすると、静かな寝息が聞こえてきた。
- 261 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/02/27(日) 00:28
- 2.3時間経ったあと、希美が目を覚ました。結局私は寝ることはできなかった。なんだか余計に眠くなっただけだった。
それでもキッチンに立ってココアを作ってやった。約束の話を聞くために。
ふわぁとあくびをしながらカップを両手に持ってリビングに行くと、希美はイスに座ってこっちを見て笑った。
「はい、できたよ」
「ありがとー」
ふうふう息で冷ましている希美を見て私は少し笑った。
「もうさ、それ、あんまり熱くしなかったから。普通に飲めるはず」
「え?」希美はおそるおそるカップを口につけてみて、それから嬉しそうに頷いた。
「ホントだ!こんぐらいなら飲めるよ」
「そりゃ良かった」
カチカチ・・・私の耳に時計の音が聞こえてきた。この1週間、聞かないようにしていたのに。なんだかまるで時限爆弾のリミットのように追い詰められている気分になってしまう。
私は立って時計を壁からはずし、中の電池を抜いてしまった。カチカチは消えて静かになった。
- 262 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/02/27(日) 00:28
- 「うるさいから・・・・・」と私は言った。希美は頷いた。
「眠い?」
「ん、いや、大丈夫」私は少し乱暴に目を擦った。
「クマできてるよ」と希美は自分の目の下を指してみせた。
「あー。あれからあんま寝てないから」
「大丈夫?」
「うん」
私は眠気を吹き飛ばすように頭を軽く振った。
「で、話?」
「うん・・・・」彼女はココアのカップを置いて、一息吐いた。
「ただの話だよ」
「うん?」
「のん的には、」希美は俯きながら言った。「ずっとね・・・・そっちにいたかったんだけど」
「・・・・・」
「まあ」
希美はテーブルの上の止まってしまった時計を見つめた。
「いいや。じゃ、聞いてね」
そうして話が始まった。
- 263 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/02/27(日) 00:29
- いつのまにか眠りに落ちていた。
その話は綺麗で純粋に見えた。最終的には主人公は幸せになっていた。
だけどそれが全てではないことは分かった。続きを聞こうにも、希美はもういなかった。テーブルの上には飲みかけのココアのカップと電池を抜かれた時計だけが残されていた。
こんなに寝たのはあの日以来はじめてだった。
もしかしたら話の途中で寝てしまっていたのかもしれなかった。それなら2人でベッドの時に寝られればよかったのに。つくづく私はどこかズレている気がした。
朝焼け。
彼女が観たかったのはこの話のせいなのだろう。でも一緒にベランダから観たあの朝には希美は満足しているようには見えなかった。
なんだかよく分からない。
考えはじめるとまた頭がボーッとしてきて、私は部屋に戻ってもう一回寝た。そのまま朝になるまで眠りは続いた。
- 264 名前:梓彩 投稿日:2005/02/27(日) 00:30
- 短いですがここまで
>>256 名無飼育さん
ありがとうございます
ちゃんと管理していなかった自分が情けないです
今もPCが不安定で少し怖いです…
- 265 名前:読み屋 投稿日:2005/02/28(月) 02:32
- 更新乙です。
そんなに急がなくてもいいですよ
なくなってしまったものはもう仕方ありません
それより、私ども読者が急かすと
折角の良い作品が台無しになってしまう恐れがあるので
梓彩さんのペースでゆっくりと煮詰めながら執筆してください
毎回長々とすみませんでは失礼します。
- 266 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/05/23(月) 23:17
- 目が覚めた時には、彼女は姿を消していた。
正確に言うと、もうずっとさっきからいなかったのだ。私が部屋に戻る前からいなかった。なんだか疲れてしまって時間の感覚がなかった。
私はぼうっとした、まま朝ごはんの用意をしようとした。キッチンに行って冷蔵庫を開け、牛乳のパックを取り出したところでふと時計に目をやった。そこに時計はなかった。
一瞬首をかしげ、それから思い出した。きのう話を聞く前に電池をはずしてしまったのだ。時計は3匹のヒヨコと一緒にテーブルの上でしいんと静まり返って動かなかった。もう何時かはわからない。時間を合わせるにも基準となるものがなかった。きっと探せばほかにも時計はあるだろうけど、むしろ自分の部屋に行けば目覚まし時計があったはずだけれど、めんどくさくて気がのらなかった。別に今が何時だってそんなことはどうでもいい。ただわかるのは、太陽がすでに高く昇ってしまっていることだった。
- 267 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/05/23(月) 23:17
- 私は牛乳パックを冷蔵庫に戻し、朝食の準備を中止して昼ごはんをつくりにかかった。一人分だけでいい気がした。あの二人はもういないし・・・希美も戻ってこないだろう。そんな気がした。
冷凍のグラタンのフィルムをはがしてレンジに入れた。きっかり4分、手抜きの昼ごはん。インスタントのコーンスープを一緒にテーブルにはこんだ。そして、置きっぱなしだったふたつのカップをキッチンに持っていって水につけた。
イスに座ってスプーンでグラタンを口に運んだ。パッケージに書いてあった時間じゃ足りなかったようで、表面は熱かったけれど中は少し冷たかった。でも温め直す気にもなれなかった。目の前に放ったらかしにしてある時計はやけに気分を沈ませた。止まってしまった時計。自分が電池を外したのだけれど。
時計から視線を外して半分ほど食べて、それから私は席を立った。そして自分の部屋に戻ってベッドにばたりと倒れこんだ。一気に身体が重くなって、そのまま眠りについた。
- 268 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/05/23(月) 23:18
- 気がついた時には、もう空は真っ暗になっていた。そんなに眠ってしまったことに驚いて、とりあえずテーブルの残り物を処分した。食欲はないままだった。けれどもう時計のことはそんなに気にならなかった。カーテンを閉めて電気をつけて、食卓を布巾できれいに拭いた。なんとなく床に掃除機までかけてしまった。リビングをすっかり綺麗にしてしまうと、気持ちが余計に落ち着いた。
希美はどこかに行ったままだった。なんとなく、もうこの部屋には二度と帰ってこないような気がした。
- 269 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/05/23(月) 23:19
- それでもいいと私は思った。もう会えないわけじゃない。ここを出て行っただけ、いつものことだ。もう二度と会えないのはあの二人だけど・・・・でもそれも仕方がないことだ。本当のところ、どうあがいたって決まっているものは決まっているのだ。今思えば、あの時私が引きとめようとしたのは自分でも珍しいことだった。他人のやることに干渉するなんて。しかも結局何も変わりはなかった。私がやることなんてどうせその程度なんだと思った。
もしあの時、雨の中で亜弥に声をかけていなければ、彼女達はどうなったんだろう。もしかすると別の部屋に住み着いていたのかもしれない。それとも野宿やら何やらで警察のお世話になっていたのかもしれない。それともお金を稼ぐためにいろいろなことをして何とか暮らしていたかもしれない。何にしても、彼女達はあの日まで生きて、あの日その時に命を落とす運命だったように思えた。何処にいても何をしていても。
私はどうだろう。この家にはまたべつの子達が住み着いていたかもしれなかった。誰かの紹介で、それともばったり会ったなりゆきで、あの寝室に誰かを泊まらせていたかもしれない。そして希美に会って、部屋につれてきて、きのう出て行くまで私と希美と誰かでなんとなく暮らしていたかもしれない。
- 270 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/05/23(月) 23:19
- あるいは誰もこの部屋にいなかったかも。
だけどそんなこと考えても仕方ない。
- 271 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/05/23(月) 23:20
- 私はとにかく考えるのを止めて、シャワーを浴びることにした。バスルームに入って服を脱いで、そういえばしばらく片付けていなかったなぁと辺りを見渡した。洗面所のついた広めのそこにはもちろんたたんだタオル、ドライヤーに化粧水や乳液のようなスキンケアのものから、ヘアアイロンやワックスやその他ゴムやピンなどごちゃごちゃしたものまでがたくさん置かれていた。
希美は髪をいじるのが好きで、よく私もみつあみにしたりコテで巻いたりして彼女の髪で遊んでいた。芸能人のときはもちろん専任のスタイリストやらヘアメイクがいるんだろうから、それに比べれば私がやることなんて本当にたいしたことじゃなかったけれど、希美はよく終わったあとに鏡をのぞいて嬉しそうに飛び回っていた。どうも髪型までも制限されていたらしかった。そのくだらない「イメージ」を守るために。
- 272 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/05/23(月) 23:20
- つくづく訳のわからない世界だと思いながら、私はシャワーで温水が出るあいだに雑貨を隅のほうにあつめて片付けた。そうしているとき、たたんだタオルの奥、すみっこから小さな袋がちょっと飛び出しているのが目に付いた。ピンク色で、袋には小さなリボンとすずが付いていた。そんなものを買った覚えはなくて、私は少し首をかしげた。なんだろうと封を開けてみて、思わず息を呑んだ。
- 273 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/05/23(月) 23:21
- それは最初の日、彼女達が勝手に使ったあのフレグランスボールと同じものだった。透明なビニールの中にローズピンクの液体が詰まっている。封を開けただけですでにきつい香りがぷんぷんしていた。これを買った犯人は声に出さなくてもはっきりしていて・・・でも私は思わず名前を言葉にした。亜弥と美貴は、私が毎月何か好きなものに使えばいいとわたしていた小額のお金、それでこれを買ったのだろう。そんなに高いものではないし、珍しいものではないと言えばそうなのだけれど、それは私の胸の奥をきつく締め付けた。こんなものを返さなくてもよかったのに。ほかにもたくさん彼女達が使ったり壊したりしたものはあったのに、なぜこれだけは覚えていたんだろう。それにいつから?いったいいつ彼女達がこれを買ってここに隠したのか私にはわからなかった。いままで全く気づかなかった。結局・・・・・結局、お礼も言えずじまいなのだ。
なんだか泣きそうだった。今になって見つけなくてもよかった。何も残さずに逝ってくれればよかったのに。唇を噛んで、それから身震いをした。服を脱いだままそこにじっとしていたので身体が冷え切っていた。バスルームのなかではもう暖かくなったお湯が勢いよく出て、タイルの床を打ちつけていた。香り玉をにぎりしめたまま中に入り、頭からシャワーを浴びた。手の中からバラの香りが立ち上ってきて、息も詰まるほどだった。そのうち本当に息が詰まり、のどが苦しくなって咳き込んだ。降り注ぐお湯が私の髪を、頬を、腕を、身体のうえをすみずみまですべりおちていった。そして私は、立ったままで泣き出した。
- 274 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/05/23(月) 23:22
- 泣いて、泣いて、暖かいお湯が洗い流してくれるままに涙を流した。ときたまあがる泣き声も、水音がかき消してくれた。しばらく泣いて、ふとわれに返ってシャワーを止めた。浴室の中に私の嗚咽だけがどこかあわてたように響いていた。気がつくと手のひらににぎりしめたフレグランスボールは破れてぺちゃんこになっていて、よりいっそうバラの香りはきつくなっていた。その匂いに酔いながら、私は深く息をついた。
- 275 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/05/23(月) 23:23
- 一週間経っても、希美は戻ってこなかった。でも、それもあまり気にならなかった。こうなるのが自然なのだと思えた。気分はやけにすっきりしていた。
あの贈り物・・・・身も蓋もない言い方をすると二人の弁償したものだけれど、それは私を助けた。なんだかちゃんと「さよなら」が言えた気がした。お湯に溶けてするする流れていったフレグランスオイルは私の身体にしっかり染み込んでいた。猛烈な匂いがしたけれど、気分は悪くならなかった。
泣いてしまうと、少し考えもネガティブから洗われた。ふたりが出て行くまでこれに気づかなかったのも、私はなんて馬鹿なんだと落ち込むことじゃない。そうじゃなくて最後に、私を驚かせるためにしてくれたことだと思えそうだった。最後までよくわからない猫達だった。気まぐれでわがままで優しくて、秘密のかたまりのような。わからないこともたくさんあったけど、それはそれでいい。短い人生に(もしかしてべつに死んだわけじゃないかもしれないけど、そうとは思えなかった)ほんのすこし一緒にいられてそれだけでよかった。私がなにか出来たのか、そうじゃないのかは別にして。
- 276 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/05/23(月) 23:24
- 毎日私は乾燥させたローズマリーの葉で紅茶を淹れた。まだ青い小さな花は一生懸命咲いている。そういえばローズマリーは気まぐれで、植えて数年間まったく花をつけないかと思うと、一度咲き始めるとびっくりするほど長い期間咲き続けていることもあると聞いたことがあった。あっちのローズとはまた全然ちがうスッとした強い香りだけれど、私は前よりこの味が好きになっていた。
部屋は前よりずっとガランとしていた。この部屋にひとりで住むのは久しぶりだった。いろいろな感じが残ったところだけれど、このままのんびり暮らすのも悪くないんじゃないかと思えた。そのうちにまた誰かと出会ってここへ連れてきたり、今までここへ来たうちの誰かが舞い戻ってくるかもしれない。それもまた新鮮でよさそうだった。なんにしても、しばらくはゆっくりと暮らせそうだと思った。
そして、その予想は見事に外れた。
- 277 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/05/23(月) 23:25
-
- 278 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/05/23(月) 23:25
-
- 279 名前:梓彩 投稿日:2005/05/23(月) 23:30
- 更新ここまで
長い間をあけてしまって申し訳ありませんでした。
>>265 読み屋さん
ありがとうございます
急かされてるとは思わないですよ。なんだか心配かけてしまってすみません。
それより私のほうがその言葉に甘えてしまって・・・
読んでくださるかたがいるんですから(多分)
私もあまりお待たせしないようにしますね。そして自分のペースで。
すごくうれしかったです。ありがとうございました
- 280 名前:読み屋 投稿日:2005/05/24(火) 01:50
- お帰りなさいませ、梓彩さん
この章を読み終えた後、
なんだか大きなため息が零れ落ちました
ほんとは何も分からないのに、
これで良いんだな、と勝手に納得したりしました
本当にお帰りなさいませ
ご無事で何よりです
待っている間、何度かまた
読み返したのですが、やはり非常に優れています
この空間は、恐らく梓彩さんだけにしか
作り出す事はできないでしょう
長文すみません。では、次も楽しみにしておりますので頑張って下さい
- 281 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/06/03(金) 19:44
- 玄関のチャイムが鳴った。
ぴんぽーん、とその間の抜けた電子音に反応して、昼下がりにごろごろ過ごしていた部屋から出ようとした。と、間髪入れずにもう一度。それから今度は二回、苛立ったように続けざまに鳴った。私はそれに思わず眉をひそめながら、小走りで玄関に向かった。
誰だろう。希美ではなさそうだった。あの子が鳴らすときはもっとのんびりしているから。いや、でももしかしたら何かがあって急いで帰ってきたのかも知れないな・・・・と、考えを巡らせる前にドアの前に到着し、私はロックを解除した。
そこに立っていたのは、母親だった。
- 282 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/06/03(金) 19:45
- 色のぬけた茶色の髪をくるくる肩のあたりにまとわりつかせ、黒い胸元のあいたニットを着ていた。同じく黒いトレンチコートには茶色のまざったファーが波打っていて、そしてチラチラ見え隠れする首やら手首には鋭い光を放つ宝石がいくつも貼り付いていた。
「あーやだ。汚い靴」と彼女は言った。「捨てて」
高いヒールの豹柄に踏みつけられたそれは、赤いコンバースのオールスターだった。私は反抗もできずに端に押しやられるスニーカーをただぼんやり眺めていた。顔を見ずに済むようにできるだけ下を向いていた。
「リューちゃん、入って。狭いけど。ずっとガキに預けてたから汚くって」
やんなっちゃうと呟きながら私の母親は部屋の中に足を踏み入れた。無駄にヒラヒラしたスカートから細い網タイツの足が覗いた。続いて、リューちゃんと呼ばれた金髪の男がのっそりと入ってきた。細身というよりはやせ細ったぺったんこの身体に黒いストライプのスーツ、白いシャツ。眼に染みる金色のアクセサリー。ぎらぎらと光る瞳だけが大きく、一瞬眼を上げると視線がぶつかり、吐き気がした。
「なんスか、娘さんッスか。美人ッスね」と私の横を通り過ぎてリビングに向かいながら男が言った。
「まさか。しばらく留守にする間に親戚の子に預けてたの」と母親が言った。
リビングにある黒いソファに二人が座り込むのが見えた。それ以上一歩でも近づきたくなくて、私は玄関でずっと立ち尽くしていた。
- 283 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/06/03(金) 19:46
- どうして母親だと気づいたのだろうか、と思った。
ドアを開けた瞬間に目が合った、それだけでわかった。あの冷たくて媚びるような目線。それは幼い記憶をすっと呼び起こして、あんなのを母親だとまだ考えていた自分に情けなくなった。そして竦みあがってしまった身体と反射的に反らせた視線に、まるで蛇に睨まれた蛙だと自嘲した。
そう。
母親が出て行った高校1年のころから何も変わってはいない。支配されつづけたあのころの私はまだそっくりそのままここにいて、ただ年を重ね、身長が少し伸び、瞳が人工的に青くなっただけで。
何と呼んでいたかすら覚えていなかった。ただ何とも呼びたくなかった。
大人になったつもりでいたけどどこへも行けていない。そんなことをたった数分で思い知らされた。
「ちょっと、何突っ立ってんの?」と母親の声がした。
- 284 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/06/03(金) 19:46
- いかにも親戚の子ですというような、少し他人のような素振りをしつつリビングに入った。私がその5秒ほどの間に解ったことは、そんな演技をしなくても親子とは言えない距離感が十分漂っていることで、それに気づいた私はさっきの馬鹿げたレッテル貼りを頭の中から忘れ去ることにした。
「今日からここに住むから」と彼女が宣言した。
黙って白いカーペットに視線を落としている私を見て、母親は苛立ったように舌打ちをした。煙草を取り出し、口に銜えたそれに男が素早く火を差し出した。
「聞こえてる?」
「はい」と私は小さく返事をした。
- 285 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/06/03(金) 19:47
- 「解ったら荷物纏めて。オヤんとこには帰れるんでしょ?」
「はい」と私はさっきと同じトーンで返事をした。たった二文字、言葉にするくらい簡単なことだ。
それ以上言う事はない、というように男の首に腕を回した母親に背を向けて、私は自分の部屋に向かった。
ステンレスのベッドにマットレス、白いシーツ、毛布、枕。CDコンポ。本棚。ピストルズとラモーンズのCD。タンスの中にあるだろう何枚ものTシャツとジーンズとトレーナー。色違いの耳あてと手袋。隣同士に置かれたグッチのラッシュ2とヴィヴィアンのプドワール。シルバーのピアス、キャラクターのプリントされたクッション、床に敷かれたまるいピンク色のラグ。
どこでいつ買ったのかもう忘れてしまったものが部屋の中には溢れていた。何もない部屋だと思っていたけれど、こんなにもモノが溢れていたんだと実感すらして。けれど持っていきたいものは見つからなかった。とりあえず大きめの帆布素材のバッグを選び、その中に財布と通帳と印鑑を入れた。それからニットの帽子とサングラスを入れ、考え直して帽子をもとにもどした。それからふとs病院でもらったビースのブレスレットのことが頭に浮かんだ。
- 286 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/06/03(金) 19:47
- どこにあっただろう?
いつだったか腕から外し、どこかに置いたきりで忘れていた。探してみようかと思ったけれど、すぐに諦めた。
あれを持っていたからって何の役にも立たないだろうことはわかっていた。
「うそぉ。あたしのベッドがないんだけど」と向こうの部屋から声が聞こえた。
「捨てちゃったんじゃないスか、彼女」と男が言った。
「信じらんない。やっぱり家空けると何されるか解んないわよねー」
「買いに行けますよ、俺。これからでも」
少しだけ寒気がした。同時に、この部屋が急に自分のものではないような気がした。
もしかしたら本当に私はあの人の親戚の子供で、しばらく家を空ける間だけここに住まわせてもらっていたのかもしれない。帰ってきたらすぐに出て行くと協定を結んでいたのかもしれない。そして私には私の両親がいて、その人たちはいつでも私の帰りを待っているのかもしれない、と。
- 287 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/06/03(金) 19:47
- 今度ははっきりわかるほどに身体が震えた。よくない兆候だった。現実から目を背けてもどこへも行けないことぐらい、きっと知っていたはずだった。吐き気の襲ってくる身体をふらつかせてリビングに戻ると、二人はまだむこうの寝室を物色していた。ソファに座る気にもなれず、テーブルに片手をついて呼吸を整えた。未だに置きっぱなしだった時計が目の端に移り、ひどく歪んだ。
何かが鳴っていた。
- 288 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/06/03(金) 19:48
- 気づくまでに数秒かかった。目覚まし時計の音かと思い、怒られるのを覚悟しかけて、そうじゃないと気づいた。目覚まし時計がこんな時間に鳴るはずはない。そう、何か別の、鳴っているのは、電話だった。
電話がそこに存在するということすら、今の今まで私は完全に忘れていた。この部屋に電話がある・・・・電話ぐらいあってもおかしくない、それはそうだけれど、この数年ベルの音すら聞いたこともなかった。もちろんかける相手もいなかったし、かけてくる人間もいなかった。思えば母親と住んでいたときにすら電話で誰かと話したという記憶がなかった。いつのまにそこにあったのかまったく思い出せなかった。
「早く取ってよ!」と母親が怒鳴った。
その声に慌てて電話機のところへ行き、受話器をとりあげて耳に当てた。一体何を言えばいいのかさっぱりわからなかった。
ただそれを耳に押し当てたまま黙っていると、向こうの方から声が響いてきた。
「あ、もしもし真希?」とその声は言った。
- 289 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/06/03(金) 19:48
- 「はい」と私は返事をした。とりあえずそうする以外にそうすればいいのかわからなかった。
「私、中澤です。いやー、あんたに電話したの初めてじゃない?出てくれてよかった」
ナカザワ、とその声の主は言った。そしてそれを聞いた瞬間、ふっと体中の力が抜けていく気がした。
「あのさ、すごい久しぶりな上いきなりで悪いんだけど、今出てこれる?ちょっと荷物抱えちゃってさぁ」
「うん・・・・」と私は言った。なんだか泣きそうだ、と思った。
「じゃ、公園のとこのハンバーガーの店で。わかる?」
「スープの入れ物が」
「そう」と彼女は笑った。ふふ、と短く。そして電話を切った。
- 290 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/06/03(金) 19:49
- 受話器を置くと、二人はリビングに戻ってきていた。私はバッグを片方の肩にかけて、それからキッチンで一杯の水を飲んだ。水道水はちゃんと水道水の味がした。
何と声を掛けていいのかわからなかったので、そのまま玄関に向かった。声を掛ける必要もなかった。これからどうするのかとか、その男は誰なんだとか、ましてや実の子供らしい扱いをしろだとか、そんな事が言えるはずもなかったし言いたくもなかった。ただ早く出て行きたかったし、あの店に行きたかった。
黒いエンジニアブーツを履いて、カギを玄関の背の低い靴箱の上に置いた。ドアを出て行く瞬間、「テレビも買わなきゃ」という母親の声がした。それが最後だった。
- 291 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/06/03(金) 19:49
- 喉に詰まったものが呼吸を妨げていた。ひどく苦しくてやりきれなかった。別に母親の仕打ちがどうとかそんなんじゃなくてただ、もう苦しかった。ブルーのレンズを入れたままの瞳が歩くたびに乾いて痛かった。そういえば洗浄液を持ってくるのを忘れたな、と思い、そして苦笑した。そんなものどこでだって買える。
それ以外にも持ってくるのを忘れたものはきっとたくさんあって、でも思い出したくなかった。思い出したとしてもあの場所に二度と戻りたくはなかったし、もうどうでもいいと思った。多分なにか間違えていたんだろう。確かにあそこで過ごした日々は自然じゃなかった。なにか大きくずれていて、もう戻せないところまで来ていたのかもしれない。だから、これは仕方がないことなんだ。これでいいんだ。と、気づけば口に出して繰り返していた。
大通り、ガラス張りのその店に近づくとじんじんと頭痛がした。
- 292 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/06/03(金) 19:50
- これでいい。だから、助けてほしい。そう思った。
「マキ!」
よく通る大きな声で名前を呼ばれ、話し声の飛び交う店内を見渡すと、見覚えのある金髪が目に入った。ふらふらと近づいて四人がけのその席の向かいに腰を下ろした。疲れきった視線を上げると、その人は頷いて笑った。
「お疲れさん」
と、裕ちゃんが言った。
腕を伸ばした。テーブルの上のその手に裕ちゃんの手のひらが重なって、ああ、と思った。
これでいい。少なくとも、さっきよりずっと、ずっと良い。
深く息を吐くと、急に疲れがこみ上げてきた。裕ちゃん話す声を聞く余裕も、もう一度視線を上げる余裕すらもなく、私はそのまま倒れるようにテーブルに突っ伏して目を閉じた。そのまま、視界がブラックアウトした。
- 293 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/06/03(金) 19:50
-
- 294 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/06/03(金) 19:51
-
- 295 名前:梓彩 投稿日:2005/06/03(金) 19:55
- ここまで
>>285
ふとs病院で→ふと病院で
>>280 読み屋さん
いえいえ、解りにくい話で独りよがりな部分は多々あって申し訳…
恐縮です。ありがとうございます
- 296 名前:読み屋 投稿日:2005/06/04(土) 00:35
- 何だか、重くなってきましたねぇ・・・。
何かつっかえてて苦しいです
それより、更新速度が速くてびっくりしました
解かりにくい話なんてとんでもない、自信を持ってくださいね^^
それでは失礼します
- 297 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/04(土) 17:22
- 更新乙です。
スレ汚しになりそうなんでレス控えようかと思いましたが、とても面白いです。
次回更新楽しみにしています!
- 298 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/07/01(金) 15:10
- ====================終了=====================
- 299 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/07/23(土) 09:53
- 私が裕ちゃんに起こされ、手を引かれてそのファーストフード店をあとにした頃にはすでに夕方も夜に近くなってきていた。懐かしい煙草の香りを感じながら銘柄は何だっけ、と考えながら大通りを歩き、電車に乗って二つ目か三つ目の駅で降りた。まだ少し頭がふらふらしていた。
「疲れてたんか?」と裕ちゃんが聞いた。
「ちょっと」と私は言った。
「あんた、来て速攻寝るからびっくりしたわ。変わってへんなぁ、そのマイペースなところも。とりあえず夜になってきたから起こしたけど、寝るんやったらうちで寝たらええから」
荷物を抱えちゃって、というわりに裕ちゃんは身軽な格好をしていた。ベージュのジャケットとジーンズ。足元はスニーカー。荷物なんてジーンズのポケットに突っ込まれた携帯と薄い財布ぐらいしか見あたらなかった。私がそのことを訊ねると裕ちゃんは笑って言った。
「荷物は私の部屋。引き取ってとは言わんから、まあ見てって」
「何それ」
裕ちゃんの右手と繋いだままの左手がやけにおかしくて私は下を向いて笑った。だってこんなのタイミングが良すぎる。追い出された瞬間に呼び出してくれるなんてまさに救世主だ。
「でもあんた、真希、よう電話出たなー」
「え?」
「あんたんとこに電話したことなんかなかったんちゃう?居るかどうかわからんし、居ても出えへんのちゃうかなー思っててんけど、出てくれてよかったわ。出なさそうやったのに」
多分あんな時じゃないと出なかっただろうけど。と言いそうになるのをこらえて私は笑った。
- 300 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/07/23(土) 09:55
- きっと本当はショックだったのかも知れない。いつもの様にふらりと、でももう二度と戻ってこないと(結局は戻ってきたんだけれど)言って出て行った母親をぼんやり見送って、私は自分もどこかへ行くことにした。玄関に無造作に置かれた鍵だけ握り締めながら街を歩いた。季節は春、普通レベルの公立高校を受験して合格し、入学して一週間もたたないうちの出来事だった。もとから両親の仲が悪い事は十分すぎるほどわかっていたし、母親はもういてもいなくても同じような生活ぶりだったけれど、やはり本当にいないのと、いないのと同じだということはだいぶ違うことなのだ。保険が掛けられるか掛けられないかの違いだけでも。
夜になっても街にはネオンが眩しくきらめき、人の数は減らなかった。ざわめいてぶつかり合うその中を歩いていると冷たい温もりに包まれている気がしてなぜか安心した。
理由は簡単だと思う。そこにはひとりぼっちの人間がたくさん溢れているような気がしたから。その中に溶け込めれば何もかも曖昧にできるような気がしたからかもしれない。中学を卒業したばかりの私がそこまで考えていたかどうかは覚えていないけれど、ただ逃げたかった事だけはちゃんと記憶してある。あのだだっぴろい部屋から逃げたかったことだけ。
- 301 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/07/23(土) 09:55
- 私はあの日、オープンして間もないファーストフード店の窓際の席に座って、ひとりでぱさぱさのハンバーガーを齧りコーラを飲みながら窓の外を眺めていた。ハンバーガーのバンズはこれ以上ないというほど乾燥していたし、トマトの切れっぱしはすっかりへろへろになって潰れていたし、おまけに訳のわからないヘンな匂いのソースが完全にすべてをぶちこわしにしていた。こんなものを食べて喜んでいるぐらいなら、やっぱり部屋に戻っていつものように自分で料理を作ったほうがよっぽどマシだと思いながら、半ば無理やりにきつい炭酸でそれを流し込んだ。
ちょうど夕飯時だったこともあって、店内は熱気に溢れていた。けれど誰一人としてハンバーガーの味に文句を言っている人はいないようだった。みんなわざわざ安さだけが売りのファーストフード店にやってきて味がまずいなんて言わない。ここのレベルに合った時間を過ごして満足して帰っていく。やっぱり私よりもよっぽど大人なのだ。と思うとなんだか笑えた。
私の座った小さいテーブルの左側には通りに面した大きな窓があり、テーブルの向かいには私の座っている椅子とセットの椅子があった。窓の外をぼんやり眺めてふと、視線を正面に向けると、誰かがそこに座っていた。
- 302 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/07/23(土) 09:55
- 「ここ、座っていい?空いてる席なくてさー」とその女の人は言った。
白いTシャツとジーンズ、肩までの金髪にくっきりした濃い化粧が映えるその人は、薄い青い瞳をしていた。とても外人特有の碧目には見えないそれは偽装した色に違いなかった。曖昧にうなずいたまま動作を止めてじっと私が見つめていると、女の人はトレイに載せた白いカップをテーブルに置き、椅子に座り込んで唇の端を持ち上げて微笑みながら言った。
「もう食事終わったん?」
「・・・・はい」
「そう。さっきからずっと外見てたから気になってたんよ。おいしかった、それ?」
くしゃくしゃになったハンバーガーの包み紙を指さすその関西弁を新鮮に思いながら、私は思いっきり首を横に振った。
「全然。粘土みたいな味」
「粘土?」と女の人はプッと吹き出して、そしていたずらっぽい笑みを浮かべながら自分のトレイにあった白い陶器のカップを腕を伸ばして私のトレイに置いた。
「でも分かるわ。まあ安いからしゃーないけど、確かにお世辞にもおいしいとは言えんわなー。結構味覚しっかりしてるやん。感心した、ちょっとこれ飲んでみ」
「スープ」
「そう。寒そうな顔してるからあげる」
- 303 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/07/23(土) 09:56
- 彼女の住んでいる駅にも同じチェーンの店があり、そして唯一のおすすめだというそのクラムチャウダーを飲みながら、私はぽつぽつと事情をその女の人に話し始めた。実は通りからぼんやりしていた私を見かけてわざわざここに入ってきたというそのおせっかいさに驚きと嬉しさが入り混じったような気持ちで。両親の不仲のこと、別居のこと、そして母親が出て行ったこと。見ず知らずの他人にそんな話をするのに不思議と抵抗はなかった。うなずきながら、時には大袈裟な相槌をうちながら聞いてくれる態度にすっかり安心して、長い話に一息ついたときにはすでに一時間近くが経っていた。
あんなに賑わっていた店内もだんだん人が減り始め、彼女は腕を軽く持ち上げて時計を眺めてこっちを見た。
「家、帰れるん?」
「ん」
「誰もおらんのやろ。心配やなー」と言って少し考え込み、それから腕を伸ばして笑いながら私の頭を撫でた。
「わかった。今日は泊まりに行く」
行く、という断定口調にも、私は驚かなかった。むしろそう言い出してくれるのを待っていたような気がした。私が軽く頷いて同意したのを確認すると、彼女は私の手を引いて外に出た。
それが私達の出会いだった。16歳の春、一回りほども年齢の違う「裕ちゃん」と暮らし始めた。
- 304 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/07/23(土) 09:57
- マンションの最上階、部屋に入ると裕ちゃんははぁ、とため息をついた。それから私をぎゅっと抱き寄せて軽く頭を叩いてから私の部屋に行き、私にシャワーを浴びさせている間にそこを軽く片付け、ベッドのマットレスとシーツをきれいに整えて、熱いお茶を沸かして待っていてくれた。言われるままにそれを飲みながら髪を乾かしてもらい、歯磨きをして、ジャージに着替えてあっという間に私はベッドの中にいた。
「今日は色々疲れてるから、早く寝えな」と布団の上に寝転び、腕まくらをしてくれている裕ちゃんは言った。
「うん・・・・ねえ?」
その腕は華奢だ。けれど不思議と力がある。腕まくらなんてされた事がなかった私は戸惑ったけれど、裕ちゃんはいいから寝てなと言ってくれた。
「何?」
「明日は帰るの?」
私がそう言うと、裕ちゃんは笑った。笑って、髪を撫ぜながら首を振った。
「いや。いいよ、明日もいても。なんならここに住み着いてもええし」
だから安心しておやすみ、と言われて、小さな声で歌う子守唄を聞いた。はじめて聞くそれはとても静かで優しかった。ゆっくり、浸るままに眠りに落ちていった。
- 305 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/07/23(土) 09:57
- 翌朝から裕ちゃんは、驚くべき行動力で荷物を運び込みにかかった。知り合いだというガタイのいい男の人にトラックを走らせてダンボールで何個かの洋服や化粧品や日用品を持ち込み、母親の部屋に入ってその大きいベッドを端によけ、自分はそこに布団を敷いて寝た。
裕ちゃんはなにかの仕事はしているらしかった。毎朝私か裕ちゃんのどっちかが朝ごはんを作り、ふたつお弁当を作り、裕ちゃんはそのうちひとつだけを持って出かけていった。私は起きだしてきて何をするでもなくごろごろしたり散歩に行ったり買い物に行ったりして過ごし、昼ごはんはお弁当を食べ、夕方になると部屋に戻った。それからしばらくすると裕ちゃんが帰宅して二人で晩ご飯を作って食べた。私達はたくさん喋り、聞き、話した。裕ちゃんはあまり自分のことは話さなかったけれど、世間のことをよく話してくれた。たとえばファーストフード店で見知らぬ少女が気になって向かいに座り、話しかけ、家に送り届け、そのまま住み着いてしまうということが「むちゃくちゃ変人やととられがち」な行動だということとか。
- 306 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/07/23(土) 09:57
- 「おせっかいやと思う?」と裕ちゃんは訊いた。
私はその時カーペットに転がりながらソファに座っている裕ちゃんを首を曲げて見上げ、少し笑った。
ぴっちり閉めたカーテンの外では雨が静かに降っていた。聞こえるか聞こえないか、かすかなBGMが心地よく耳をくすぐるのに両足を伸ばし、ふわぁとひとつ欠伸をした。
「でもー救われたよ。いっぱい」
「そう?」
裕ちゃんはいつもと同じ薄いブルーの瞳を眠たげにきらりと輝かせた。真似して買ったブルーのコンタクトレンズを誇らしげにしていた私は裕ちゃんの瞳が大好きだった。同じ青色のレンズでももとの瞳の色によって見え方が少し違う。私は灰色がかった薄い瞳のせいで青色が少しくすむ。裕ちゃんの青はきれいな透き通った青。初めて見たとき目を離せなかったその色だ。
「そう。ヘンな人だけど正義の味方だもん。裕ちゃんは」と私は言った。
「正義ねぇ」と裕ちゃんは呟いて、肩をすくめた。
- 307 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/07/23(土) 09:58
- この奇妙な同居生活の中で起こったことを全て生活するのは難しい。それまでの生活とは全く違った、でも、ずるずると延長線上にある日常。
まず高校には行かなくなった。行きたくなかったら行かなくてもいいという裕ちゃんのスタンスを忠実になぞっていただけだったけれど、学校側はべつに気にしていないようだった。欠席の連絡なんかわざわざ入れたりしなかったけれど向こうから連絡もなかった。入学して間も無く登校をやめたのでそこに友達がいるわけでもなかった。これはラッキーだったかもしれない。夏休みに入る前のところでようやく出席日数がどうとか単位がなんとかいう通知が来たので裕ちゃんが学校へ何回か行って手続きを済ませてくれた。
それからメンタルヘルス的なこと。
裕ちゃんが来てくれたのはいいけれど案の定、というかそれなりに不安定になった私を一応病院に連れていってくれた。お腹が痛くなったり身体に出ることはなかったので心療内科ではなく精神科のある小さなクリニックを選んだ。その時は2.3回の通院だけであまり問題はなかったのだけれど、結局あとで再び通うことになった。
- 308 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/07/23(土) 09:58
- 私と裕ちゃんの同居生活は順調すぎるとは言わなくても、けっこう上手くいっていた。時々口争いをし、極たまに激しいけんかをした。ほとんどの場合には寝て起きると普段のように話せるようになった。それができない時にはしばらく口をきかなくなり、そして大抵は数日後、私が我慢できなくなりかけたタイミングで裕ちゃんがさりげなく話しかけてくれて解決した。
そしてそんな日々がゆっくりと流れて、約1年が経ったある日のことだった。もういいだろうと判断した彼女はあっさりとそれを私に告げて部屋を出て行った。それは薄いレモン水のように本当にさらっとしたものだった。
- 309 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/07/23(土) 09:58
- 平日なのに珍しく仕事が休みだという裕ちゃんがダイニングのテーブルで紅茶を飲んでいた。リビングのカーペットで転がっていた私は裕ちゃんに買い物に行こうと朝からせがんで彼女を苦笑させていた。
壁にはこの前の休日に二人で選んだ時計が満足げに掛けてあった。黄色いヒヨコとケーキが描かれた丸いやつだ。初めて入った雑貨屋でひとめ見て気に入ったのを裕ちゃんが支持し、ふたりで決めた。その前はリビングに時計がなかったのだ。壊れたテレビだけではとても今の時刻はわからない。いちいち腕時計や携帯電話を見るのは面倒くさいから買おう、と裕ちゃんが言い出したのだ。
「明日から、代わりって言ったらおかしいけど一人来るから。いい子やから心配ないよ」
「?」
きょとんとした私に、裕ちゃんは紅茶のカップをテーブルに置き、堂々と笑顔を浮かべて言った。
その瞳に迷いなんて一切なかったことだけは言い切れる。そのくらいあっさりした口調だった。
「私、そろそろここ出ようと思ってんのよね。あんたもそろそろ大丈夫なんちゃうかなーっと・・・・でもいきなり一人になったら寂しいと思うから、友達、しっかりした子に来てもらうことにしたから。悪いけど置いてやってくれへんかな?」
- 310 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/07/23(土) 09:58
- そして反論する暇もなく、というか受け入れる余裕もないまま裕ちゃんの知り合いだという目つきの鋭い女の人が部屋に送り込まれてきて、そして本当に裕ちゃんは荷物をまとめて出て行ってしまい――仕方なく、というか他に方法もなかったので――しばらくその人と一緒に暮らすことになった。おかげで再び色々と不安定になった私はその人に相当当り散らした(そのうちに落ち着いたけれど、異様に我慢強い人で助かったんだと思う)あげく通院経験のある病院にまた通うことになった。結果としてそれは長く続いた。最後のほうはほぼ惰性だったけれど。
数ヶ月たってその人がいなくなると次は背の低い騒がしい、よく言えば明るい女の人がうちにやって来て二人で生活した。これはかなり疲れるものだったけれど楽しいといえば楽しかった。またその友達がやってきて住みついたり、出て行ったり、戻ってきたり、そしてようやくこの入れ替わりに慣れた時には私の部屋はすっかりたまり場と化していた。そして、私はその場所をより快適にごろ寝ができるようにと母親の大きいベッドとルームランプと訳の分からない壷だかなんだか、とにかく不必要な飾り物を粗大ゴミとして電話をかけて引き取ってもらった。
寝室がきれいに片付き、そして部屋から人がいなくなった冬より少し前の日に私は猫を二匹拾った。
- 311 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/07/23(土) 09:59
- 裕ちゃんのアパートに行くのはこれが初めてだった。キャラメルの箱を倒したような四角い建物だ。まわりはコンビニやレンタルビデオショップがちらほらと見える以外は普通の住宅地で、そのむこうに大通りがあった。アパートの薄いクリーム色の壁は少し黒ずんでいた。そこには駐車場もなく、無機質な階段がななめに二階建てを横切っていた。その階段を上り、途中で裕ちゃんが煙草を落としてスニーカーのかかとで踏み潰した。まっすぐ歩いた一番端に彼女の部屋はあった。
ジーンズのポケットから取り出した鍵でロックを解除し、裕ちゃんが言った。
「どうぞ。入り」
言われるままにスチールのドアを開けると、廊下もなく横に備え付けの小さなキッチンがあり、そのまま奥に居住スペースだと思われる小さな空間が見えた。まだ肌寒い外に比べると部屋の中は心地よい温度だった。後ろで裕ちゃんがカチャリと音を立てて鍵を掛けたのを聞きながら中に進んだ。小さな赤いソファと黒いギターケースがあり、床には無造作に雑誌や洋服が散らばっていて、そして隅っこに大きな毛布の塊があった。
- 312 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/07/23(土) 09:59
- 部屋の何分の一かのスペースを占めるその薄いピンクの毛布には誰かがくるまっていた。顔まで毛布に隠れているせいで髪の毛しか見えないけれど人間には違いなかった。それも小さな子供ではないほどの大きさはあった。
「・・・誰?これ」
「あ、寝てる?」
私が怪訝そうに裕ちゃんを見ると、彼女はニヤッと笑ってその近くにしゃがみこんで私に手招きし、毛布を少しだけめくって軽くノックをするようにこつんとおでこを叩いた。
黒い髪が額に落ち、白い肌が覗いた。それから眠たげな大きな瞳が少し呻き、探るようにきょろきょろ動くのが見えた。
「何で?」と私がつぶやくと裕ちゃんは笑いを含んだようにため息を吐いて立ち上がり、後ろでどすんと乱暴にソファに腰を下ろした。眠りからさめた希美の視点が私に定まり、そして少し眩しそうに笑顔を見せた。
- 313 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/07/23(土) 10:00
-
- 314 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/07/23(土) 10:00
-
- 315 名前:ピンクの朝焼け 投稿日:2005/07/23(土) 10:07
- >>296 読み屋さん
いつもありがとうございます。
毎回似たようなお返事しかできなくてすいません…。
これからもがんばります
>>287 名無し飼育さん
読んでくださってありがとうございます
こんな拙い文章に目を通していただいただけで嬉しいです。
前述のとおりお返事返すとき語彙が少ないので辛いところですが、すごく感謝しています
- 316 名前:読み屋 投稿日:2005/07/24(日) 01:30
- 後藤さんの過去に胸が締め付けられます
最近はそういう家庭が増えているらしいです、私の家庭もそうでした
この章、何か心に響くものがありました
あぁ、お帰りなさいませ、梓彩さん
そんなにお気遣いなさらなくてもいいんですよ
名の通り、ただの読み屋ですからw
- 317 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/06(火) 02:41
- 話にすごく惹きこまれました。丁寧な文章もすごく良いです。
次の更新楽しみにしています。
- 318 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/18(日) 07:58
- こんな作品に今まで気付かなかったなんてorz
気ままな暮らしに微笑んだり、朝焼けに目を細めたり涙したり
後藤さんの両親に憤りを覚えたり、料理を参考にしたいなと思ったり
とにかく偽りを感じさせない世界に衝撃を受けました
見守っています、マイペースに頑張って下さい
- 319 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/11/14(月) 15:04
- 保
- 320 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/05(月) 04:24
- 最初から読んだけど今年1番泣けました・・・
- 321 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/12(月) 05:29
- 突然失礼します。
いま、2005年の飼育を振り返っての投票イベント
「2005飼育小説大賞」が企画されています。よろしければ一度、
案内板の飼育大賞準備スレをご覧になっていただければと思います。
お邪魔してすみませんでした。ありがとうございます。
- 322 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/05(日) 03:59
- 待ってます。
- 323 名前:梓彩 投稿日:2006/02/14(火) 22:50
- 長い間をあけてしまっていて申し訳ありません。
よければまだ場所をお借りできるとうれしいです
生存報告です。
- 324 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/16(木) 02:02
- ここのゆうちゃんが大好きです。再登場お待ちしてます!
- 325 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/09(水) 21:35
- 生存報告待ってます。
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