fall down #2
- 1 名前:堰。 投稿日:2004/12/11(土) 21:17
- 同じ板で書かせていただいてました、
未来系アンリアルの2冊目(苦笑)になります。
他の板への引越しも考えましたが、骨を埋める覚悟で。
コンゴトモヨロシク。
前スレfall down
http://m-seek.net/cgi-bin/test/read.cgi/mirage/1058547874/
- 2 名前:AS TIME GOES BY オマケ 投稿日:2004/12/11(土) 21:23
-
- 3 名前:AS TIME GOES BY オマケ 投稿日:2004/12/11(土) 21:24
- カチャン。と、マッシュポテトを運んだスプーンが表面を空にして戻ってくる。
墓地の帰りがけ、道すがらと説いたほうが解りやすいか。
真里の父親が経営しているバーに、全員で寄ることにしたのだ。
なつみにははじめての経験だったし、それはそれは物珍しいものばかり。
矢口の父親は娘の自慢話から、なつみが天使であることを心得ているようだ。
天使という異質を認めるそれ以上に、娘にとってのよい友人だと、思っている様子が見て取れた。
重ねて安堵をおぼえつつ、裕子は胸をなでおろす。
味方と言うのは気分が悪いものだが、安心できる場所が多いのはよいことだ。
殊更、連れているのが天使となれば、流言は命取りなのだから。
- 4 名前:AS TIME GOES BY オマケ 投稿日:2004/12/11(土) 21:25
- 「それにしたって驚いたよ。
出かけるぞ!って言って、連れて行かれたのが共同墓地なんだもん」
――場所が解ってたら、お母さんのためにご飯作って行ったのにさー。
矢口はキャラキャラと笑いながらバター風味の高いオムレツを拵え、天使の目の前に差し出す。
彼女はこれから入りで、夜中までで仕事を終える早番だったのだ。
その前につき合わせてしまって悪かったな。
という裕子の言葉に対しての返事が、的をワザと逸らせた上記の台詞だったわけだが。
「ま。悪いと思うんだったら、少しは売り上げに貢献して頂戴?お姐さん?」
ニヤ。
営業用と接客用の紙一重の笑みを見せながら、彼女は一行が陣取ったテーブルから離れていった。
まだ店の中には一行以外の客は居ない。
おかげで離れていても会話ができるくらい、今はよく声が通る。
これなら、早めに食事を摂ることで沢山のトラブルを回避できるだろう。
恩恵は積もるばかりで、少しでも返さなければいけないと、いつもいつも思うばかりだ。
- 5 名前:AS TIME GOES BY オマケ 投稿日:2004/12/11(土) 21:25
- 「まーな。その…なんだ、形が欲しかったんだろうなって、そう思ってるけど」
「なんだよ、その自分のコトなのに解ってない雰囲気の喋り方は」
ウヒャヒャと面白そうなものを見る目で笑うので、裕子は矢口に鋭い視線を向けた。
「まーまー。矢口も、見れば解るでしょうに」
――こんなに素直じゃないくせに、性質悪くも、照れ屋な部分まであるんだから。
気分よくビールを空ける武器屋にまで言い刺されて、裕子は肩から崩れ落ちる。
ヒドイヨ、ヒドイヨミンナ……。
当然、誰も優しい言葉なんかかけてくれない。
- 6 名前:AS TIME GOES BY オマケ 投稿日:2004/12/11(土) 21:26
- 「でもさ。裕子がどう思ってたか知んないけど……」
カウンターの内側に併設されたのは小さなキッチン。
一通りの軽食が作れるこのキッチンは、何年も、酔客のワガママな胃袋を満たしてきた。
よいしょ。っと寸胴鍋からスープを掬い上げ、小さな小鍋へと移し変える。
ちょっと冷え込む日には良く出る、ポトフ風スープだ。
具材はキャベツなどの葉物に、人参、ジャガイモと腸詰。
手に入るのなら赤蕪の酢漬けなどがあってもいいが、普段ならそれも必要ない。
トントントントン。
材料を鍋に見合う大きさに切り分けながら、矢口は微笑む。
「あの背中を見た程度じゃ、ウチらの誰も、裕子のことを見損なったとか言わないよ」
火の通りの遅いものから鍋に入れ、火にかける。
ゆっくりと、ゆっくりと温まっていくスープのように。
胃の腑に落ちて安堵を覚えさせるあの温かさのように。
言葉が落ちてくる。
- 7 名前:AS TIME GOES BY オマケ 投稿日:2004/12/11(土) 21:27
- 「それどころかさ。
なんか……、一匹狼の裕ちゃんに、そういう姿を見せてもらえるんだなぁって…いうか。
ああいう場所に一緒に連れて行って貰った事を、誇るべきだと思ったわけだ」
――誰が眠ってたかなんか、聴かなくても解るほど、君の背中は神妙だったのだから。
得意げに微笑を見せながら、矢口は次々と材料を放り込んだ。
後は並行して、炒めのピラフでも拵えればテーブルは華やかに埋まる。
矢口の手は忙しなく動き続ける。
視線のない優しさに、フツ…と、裕子の心が沸き立つ。
理解されるという事実。
他の誰にも得られない安堵感。
「きっとさ、目の前の二人もさ、そう思ってると思うよ」
塩、胡椒で味を調え、少々の味見で確認をすると納得として鍋を火から下ろした。
- 8 名前:AS TIME GOES BY オマケ 投稿日:2004/12/11(土) 21:27
- 一番、引きずっている部分。
言い方を変えれば、弱点にも等しいものを、仲間に晒すのは確かに勇気が必要だった。
けど。
彼女にも、見せたかった。
自分が、少しでもマシに暮らし始めたことを。
みんなにも、感じてほしかった。
周囲に感謝したいと、思っているカケラだけでも。
ただ、それだけで。
そうか。今更ながら、そっぽを向かれる可能性もあったのか、と得心する。
でも、最初からそう思わなかったのは。
同行してくれた「三人」が、「その程度のこと」では笑わないと確信していたからだろう。
現に矢口は、肯定と苦笑を放ってきた。
思わず酒気のせいだけでもなく、頬が赤くなる。
――きっとさ、目の前の二人もさ、そう思ってると思うよ。
そうか?そんな風に思ってくれてるのかなぁ!?
感動のあまり目じりに涙を溜めながら、裕子はぐっとテーブルに視線を戻した。
- 9 名前:AS TIME GOES BY オマケ 投稿日:2004/12/11(土) 21:28
- が。
予想通りというか、なんというか、目の前の反応は冷たい風のごとくに。
正三角形の角に座しているはずの二人の、一人の肩はあらぬ方向を向いており。
一人は何食わぬ顔でオムレツを食している。
…………待てやヲイ。
じっと見つめてしまうのも無理はない。
くぴーっとジョッキを煽る肩先が、笑いを堪えるために震えていて。
オムレツを食している頬も、どこか強張っているじゃないか。
「解っていて」やってる空気がプンプンする。
小ズルイ相手だよな、毎度な。
たまには素直に感動させてくれよってんだ。
ポトフを運んでくる矢口の手は、珍しくトレイを両手で支えているじゃないか。
プロのくせに!と見やれば、顔がニヤニヤと笑んでいる。
道理。両手じゃないと、笑ってしまって溢してしまうようだった。
「あーもー!お前らバカにすんなよなぁ!」
思わず店の中心で逆切れ気味に叫ぶ、中澤裕子だった。
- 10 名前:AS TIME GOES BY オマケ 投稿日:2004/12/11(土) 21:28
- そのくせ裕ちゃんだって笑ってたじゃーん。
というのは矢口の談で。
いつもの解りきった遣り取りがこんなに優しいのだと、四人は改めて実感したのである。
- 11 名前:AS TIME GOES BY オマケ 投稿日:2004/12/11(土) 21:29
-
- 12 名前:堰。 投稿日:2004/12/11(土) 21:34
- オマケから始まるスレッドってのもおかしなもんですが、
前スレ最終話のオマケからスタートです。
今回は泥くささとか血なまぐささが増えていくと思います。
ある程度の状況まで進んだら落としますので、
それまでは漂うままに任せてみようかと。
相変わらずの天使と捕縛師、武器屋にバーテンですが、
皆様の娯楽の供になれましたら幸いです。
よろしくお願いいたします。
- 13 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/12(日) 01:49
- 読者としては応援します。
同じスレの作者としては、いつか意識してもらえる作品になれるよう
励みにします。
いずれにしろ、歓迎します。
- 14 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/13(月) 01:53
-
新スレおめでとうございます!!
二冊目記念という事で2日位かけて最初から全部読みました。
なんせ暇なもんで(自爆
捕縛師のカッコよさにドキドキしてみたり
バーテンの初恋(?にときめいたり
天使が羽根を出すシーンで鳥肌起ててみたり
総裁の恐ろしさに((((;゚д゚)))ガクガクブルブルしたり
とにかくfall downの世界にハマってます。
まだ名前の出てない人が気になって仕方ないです。
あの子とかこの子とかその子とか…
とにもかくにも二冊目も楽しみにしてます。
長々とお邪魔しました。
- 15 名前:受難? 投稿日:2004/12/18(土) 18:15
-
- 16 名前:受難? 投稿日:2004/12/18(土) 18:16
-
異動の辞令が下されて以来、その日に向かって周囲はあわただしく動いていた。
自分はその枠組みから外れているので、周辺がバタバタと準備に追われているのを眺めてる。
そんな現状。
「一緒に異動しないから」
と、軽く部下に言い放ってからは、すっかり蚊帳の外だ。
「悪い上司ではなかった」
そう言ってはもらったが、少々「物事を片付ける」能力に欠けているのは事実。
護衛補佐官やら専属事務官達がテキパキとデスクワークをこなしているのに、邪魔をしてはイケナイ。
現場に居る内は「昼行灯」とは言われなかったのだけどなぁ。
事務系実務は同僚であるもう一人に丸投げだし。
仕事をしつつ、自分の能力が保てる程度に、身体を動かす。
そんな毎日が続いていた。
今日も今日とて、ジムのマシンで汗を流しているわけだが。
景色も変わらない中では、面白みも半減するってもんだ。
不意に雑念が湧き上がって、思考が紡がれる。
体を動かしていれば無心。
とは、巧くは行かないようだった。
- 17 名前:受難? 投稿日:2004/12/18(土) 18:17
- ――会社を委譲して準備するって、本当に居るって確信があるからだよなぁ?
目星がつかなきゃ、会社を分けたりなんて、こんなことまでしないだろう?
んー。と、知らずに喉が唸る。
会社の分割…というよりも、総裁の隠居と言ったほうがよかろう。
ある程度の資産(とは言え、小国の予算に匹敵するだけの莫大なものだが)と、今のビルを持って引退すると言う。
そのまま「ボディーガード的役割」という名目で手元に残されることになった、コマが四つ。
ナイト二人に、ルークである自分、そして…ビショップが一人。
いずれも、周囲に後腐れがなくて、退廃的な思考を持っている者だけ。
いよいよ王様は、自分の役割のためだけに時間を割き始めるのだ。
魂のレベルで刻まれた、たった一つの「命題」のために。
周囲の畏怖、畏敬を引き出す、あの正体で…。
彼女が探しているモノは、たった一つ。
「世界の重みを量る天秤」
悪い方向へ傾けば天使が再び降りてきて、百年前の審判よ再来となる。
傾きが善き方向になるならば、何も起こらないと言う。
実物が見つかれば、操ることくらい造作ないと言うが――。
そんなモノが本当にあるのだろうか?
- 18 名前:受難? 投稿日:2004/12/18(土) 18:18
- エアロバイクのペダルをガンガンにこぎながら、首を傾げる。
さしずめ、一人ツールドフランス。
一人自転車競技…。
耳を挟んだペースメーカーは、順調にリズムを刻むんでおり淀みない。
ごっつぁんの考えてることって、イマイチわかんねぇ。
社内最高位の上司を友人の枠に収めて、吉澤ひとみは目を細めた。
彼女は後藤真希の入社同期で、訓練期間中も近しかった。
身分を隠して訓練に参加していた彼女などと一緒に、教官から徹底的にしごかれたのも昔の話。
すっかり同期としての絆が出来上がった後。
後継者として上位の椅子に座っているのを見て、心底驚いたものだ。
同期が総裁だったと知った後も、態度を硬化させなかったために、今もまだ「友人」で居る。
- 19 名前:受難? 投稿日:2004/12/18(土) 18:19
-
ある日の夜、酒の席で呟かれた言葉に、目の前が眩んだ。
「よしこからはさ、同じにおいがするんだ。
本当に欲しいものが手に入らなくて、苛立って。
このままそれが手に入らないままの、世界が続くのを疎んじている。
それだからって、自分で手を下すことができないで、迷ってる。
だからきっと、あたしの言うことも解ってくれると思うんだよねぇ。
あんがい難しくないんだ、全部壊しちゃえばいい話だからさ」
セカイ、コワシチャオウ――ナニモカモナクシチャオウ?
えっと、そんな……「美味しいお店見つけたから連れて行ってくださいよ」…みたいな。
そんな雑談風に言っていい話なのか?
と思ってみたが、すっかりその場で返すことを忘れてしまった。
それくらいに、非、現実的なお話だったのだ。
初めて、あの話を切り出された瞬間は。
- 20 名前:受難? 投稿日:2004/12/18(土) 18:19
- あの、少しうすっぽい唇から紡がれた言葉。
きっと他の誰かが言ったなら、バカにして相手にもしなかっただろうに。
裏を返して言うのなら、「彼女の声でなかったら、受け入れなかった」だろうに。
その言葉を飲み込んでしまった。
後々から考えれば、彼女の声には従う他なかったのだ。
当然。
動物は強いものに従うことしかできない。
人間も、その例に漏れなかったというだけ。
まぁ、気付いたのは、全て後からだったけども。
方法の具体案も、彼女の声でなら、納得行くものだった。
彼女の声でしか、納得できないコトでもある。
彼女にしかできない、「防ぎようのない」方法。
そのためのコレクション。
- 21 名前:受難? 投稿日:2004/12/18(土) 18:20
- 総裁の自室に通されて酒を飲むときは、いつも身震いしたくなるほどの気配がある。
たぶん、自分のほかに「部屋の中」を覗いた人間は居ないだろう。
いつもなら仕切られた壁の奥。
七十機近くあるポッドに、静かに眠る天使の群れ。
その最前列に置かれた、最上位の天使の、なんと美しいこと……。
彼女はそれを水槽の魚でも見るようにしながら、酒をすすめる。
時折半覚醒する個体の視線を受けながら、恐れることもなく、悠然と、だ。
その姿に気おされたわけじゃないと、思ってはいるけれど。
「いいよ。
別に大事なものとか無いし。
手には入れられないし…」
その時、普通に返事をした自分の声を、今でも覚えている。
- 22 名前:受難? 投稿日:2004/12/18(土) 18:21
-
大事なもの、手に入らない。
そう紡いで思い出すモノといえば、ただ一つ。
目をかけて、両腕でしっかりと守ってきた少女。
奪うことはできるだろうと、何時だって思って過ごしてきたのだが。
自分の欲望のあまりの黒さに目をそむけ、一度彼女から離れたのだ。
おいそれと迎えに行って、「もう関係ないから」などと言われては後が無い。
結果、ひどい臆病風に体を包まれたまま、十年近くが過ぎてしまった。
たった一度だけ、額に触れた唇…。
無垢な瞳。
幼い肌。
思い出すだけで、胸の中に暗い炎が巻き上がる。
あのまま、無垢なわけがない。
他の何者かの手が、放っておかないわけが無い。
もう、あれから思う以上の時間が経っているのだ。
- 23 名前:受難? 投稿日:2004/12/18(土) 18:22
- ギチ。
知らぬ間に奥歯をかみ締めて、ペダルを止めている。
鳴くのかなぁ。そりゃぁなぁ。
やっばいなぁ。こんな…。
暴発しそうだ。というのは比喩になる。
アリキタリにオブラートにも包まずに言うと、「ムラムラ」する。
成長してんだろうなぁ。
体とか…ツッコミとか。
まだ、太陽みたいに笑うのかな。
店とか手伝ったりするようになったのかな。
その前に生きてんのかな。
データベースの死亡届けを穴が開くほど呼び出しても、名前は載ってないからな。
生きてるんだろうけど。
誰かの手で染まっているなら、それはスゲェ…………ムカツク話だ。
広い肩に指先を滑らせててみろ、そんな艶を纏っててみろ。
相手のこと蜂の巣にしたって足りない。
いつの間にか、体中から漆黒のオーラを漂わせ始めたひとみの周囲からは、誰も居なくなっていた。
思い出し妄想不機嫌という最悪なオプションを抱えて、彼女はバイクからおりる。
トレーニング用のナイロンパンツ。Tシャツ。
首にかけていた細身のタオルで汗を拭うと、苛立ちを解消するためのマシンを物色し始めた。
- 24 名前:受難? 投稿日:2004/12/18(土) 18:22
- しかしだ。
こういう衝動はかなり難しい。
利害関係が一致している警備官長は仕事で出払っていて、明後日にならないと帰還しない。
射撃は集中力が大事だし、格闘技のように感覚が残るわけではないから、ストレスの解消には向かない。
ただただ、集中したい時には有効だが。
「まいったなぁ…」
そう弱弱しく呟いた瞬間、ジムのドアが開いた。
少々疲れた視線と、下級仕官を寄せ付けないその棘棘しさ!
それでもタイミングはタイミングだ。
神が遣わした天使のように見えた。
が、本人は当然いい顔はしないだろう。
なので、思い切り両手を広げて、ハグのお出迎えを実行することにする。
要は、有無を言わさなければいいのだ。
「うっわ、汗だくッ。って、なにやってんですか。よっちゃん…さ」
よっちゃんさん。というのは、まぁ、彼女がひとみを呼ぶときの丁寧語だ。
職場以外だと「よっちゃん」だから、さんが付いてれば丁寧語なんだろう。
現場では一応「吉澤さん」と言ってはくれる。
が、ときおり「よしざーさん」になることもしばし。
これで酒が入ると甘えた声で「よっちゃーん」になる。
キャリアは十年以上違うのだが、ひとみも「この子」のことを怒る気にはならなかった。
- 25 名前:受難? 投稿日:2004/12/18(土) 18:23
- 見た目だけにならドライアンドクールで、棘さえ纏っているような子なのだが。
いやはやどうして。
人懐っこい。
そのかわり、懐いている相手でなければ容赦ない。
や。懐いていても、ツッコミに手加減は無いのだが。
傲岸不遜な暴言を吐こうとも、それは彼女の愛らしさに変換されてしまうのだ。
……、あややも総裁も、末恐ろしいのを連れてきたものだ。
と、周囲は苦笑したのだけれど。
渡りに船とはよく言った。
困った時の「通りがかり人」頼みだ。
「いっやぁ、いいトコに戻ってきてくれたよぉ!
っちゅーわけで、一発ケンカしよう、ケンカ」
――ちょっとムラムラしてんだよねぇ。
にこやかに、かつ、爽やかに。
とっても物騒なことを吐き出しながら、吉澤護衛官長は藤本美貴の首根っこをひっつかむ。
「ハァ!?ケンカってなんですか?スパーリングでしょ?」
――後そのムラムラってなに?ちょ!よっちゃ……ッ。
最後の一行だけ見たら、ちょっと「山もオチも無い」少年愛小説のよう。
王直属の騎士は、城壁の名を冠する先輩に、施錠の利く密室に連れ込まれた。
- 26 名前:受難? 投稿日:2004/12/18(土) 18:27
-
ま。密室ったって格闘修練もできる「スタジオ」なんだけど。
- 27 名前:受難? 投稿日:2004/12/18(土) 18:28
- なぁんでこんなカッコしてんだろ…。
ピーピングの仕事が終わって、あとは報告と、甘い休息だけだったハズなのに。
体の筋を伸ばしながら、首を傾げる。
吉澤護衛官長が上司権限でギャラリーを排したのち、着替えに行かせられて今や臨戦態勢。
まぁ、ねぇ。ギャラリーが居なくなったのはありがたい。
普段隠密稼業で居るせいもあるが、本来なら存在も気取られてはいけないのだ。
そして、騎士は最凶にして最強でなければいけない。
のだが。
何せ藤本美貴は上層部の中で一番の新人であり、修練も未熟ならば経験も浅い。
動物的勘…言うなれば死に関しての嗅覚に優れており、一撃で屠るコトに長けている。
そのおかげで騎士の片割れ、松浦亜弥の目に留まったのだが、全般の能力としては「上の上より少し下」なのだ。
「上の最上」を求められるこの場所において、少々劣るのは、立場的に苦しい。
騎士が格闘技の技術で未熟だとか言われるのは嫌だしね。
そりゃ、他の筆頭よりは強いんだけどさぁ。
わしわし。
不機嫌そうに髪をかきあげつつ、先輩の配慮に感謝することにする。
それにしたって、ボコられるのは本当なら遠慮したいのだが、そうもいかなさそうだ。
応えるほかない。
腹を括って、先輩の餌食になることに決めた。
- 28 名前:受難? 投稿日:2004/12/18(土) 18:29
- 「どうよ。あややに習ってんの?ちゃんと」
スパン!と手にしたグローブをたたき合わせて、ひとみは問いかけた。
「習ってますよ。おかげで毎日痣だらけ」
――ポーンの筆頭クラスになら負けないと思うけど。
ホラこのとおり。
仕方が無いからシャツを捲り上げて、先日蹴られた場所を示してみる。
二つ考えていた彼女の手の内、二択を外して食らってしまった中段左からのコンビネーション。
横っ腹に薄い痣の痕。
本当はこの痣のほかに、肩先にも拳の痕が着いたのだが。
医局で人為的に修繕されて、ようやく二箇所とも暗めのアイシャドー程度の色まで回復した。
- 29 名前:受難? 投稿日:2004/12/18(土) 18:30
- これでよく肋骨折れなかったなぁと思う。
ガードしてコレなのだ。
蹴りを受け止めた瞬間は、肘が逝ってしまったかと思ったほど「衝撃的」だった。
「あー。てっきりキスマークだらけかと思ってた」
ニヤ。出たよ、親父笑い。
時々だらしのない笑みを浮かべるあたりに、「心底敬えない」感覚が引っかかっていた。
おかげで早く近づくこともできたのだけれど。
確かに年齢にしたら年上だ。
愛すべき人ではあるがセクハラ上司だと、護衛官の女子たちが溢していたのを耳にしたこともある。
そんなオヤジがものすごく楽しそうに言うものだから、口を尖らせてしまう。
仕方が無い、不可抗力。
- 30 名前:受難? 投稿日:2004/12/18(土) 18:31
- なんかむかつくな。
どうせ格闘技では敵わないし、奇襲するくらいは許されるだろう。
確かにお互い構えては居たが、攻撃的な雰囲気でもないし。
不意をつくように、体の軸を捻った。
ボッ。と空気を唸らせて、足刀が吉澤ひとみの視界を突く。
しかし、眼前に靴底が迫っても、彼女は微動だにしなかった。
寸止めであること、悟っていたわけだ。
美しい姿勢を保ったまま、世界が止まる。
その左脚を、ひとみはぽんと押し返した。
お?
っと
っと
っと。
技術と体が比重よければブレないだろう?
とは師範級などの談だろうが、ひとみの打撃力は美貴より数段高い。
筋力の使い方もポイントだろうが、簡単に騎士の体を押し戻してしまった。
思わず三歩ほど後ろに下がって、ようやく美貴は床に足をつける。
あしらわれたようで癪に障るが、怒って敵う相手でもない。
- 31 名前:受難? 投稿日:2004/12/18(土) 18:32
- 「んー。当てる気の無いのって解っちゃうんだよねぇ」
――だから受け止めてあげない。
ニヤリ。と、同列の上司は微笑む。
立場は理解しているつもりだ。
熟練の上官と、幹部とは言え、まだまだ新人の自分。
しかし、大上段で笑われて平静を保っていられるほど、美貴の精神力は出来上がっていない。
ギッチリと奥歯をかみ締めて、左の口角をニィっと持ち上げる。
そうだよね。どうせなら、本気で叩かせてもらったほうがストレスも溜まらないよね。
「んじゃぁ、本気で遊んでもらうから」
すいと腰を落とすのに、鷹揚な肩先が挑発する。
「あぁ。言っておくけどハードだからね」
――泣いても知らないよぉ?
容赦しないから。
言外に放って、人指し指で「来たら?」と揺らす。
「ぜったいに泣かないし」
軽く眉を顰めた騎士の、薄手の黒色グローブが、ふっと持ち上がった。
- 32 名前:受難? 投稿日:2004/12/18(土) 18:33
-
- 33 名前:受難? 投稿日:2004/12/18(土) 18:33
- スパン、パン。
軽く流したジャブが、当然のようにかわされる。
左からの連撃は、右腕一本の掌底受けで左右へあしらわれてお終い。
まぁ、この程度じゃ当たらないよね。
確認がてらに頷いて、ローキックと踏み込みからのストレート。
ローキックは貰ってもらったが、ストレートは上から潰されてしまう。
体重を乗せているために、顔面に向かってくるフックを避けきれない。
顎先を掠めるせいで俯きギミになる視界に、追い討ちの左下方からのフックがもう一撃。
右腕をどうにか支え、肘で衝撃を潰し、押し返した隙を狙って下から放つ。
小さい回転のアッパーではあるが、それはキレイに入った。
さすがに痛んだのか、吉澤護衛官の体が一歩後ろに引く。
それを機に、騎士は数歩を後ずさった。
間合いは大事だ。
格闘の距離には適さない間合いになり、今度はそれを詰める。
ジリ。
ジリジリ。
どう打てばいいか、どう放てばいいか。
沢山のカードをめくって、答えを探し出す。
足のつま先が再び間合いに入り込んだのに、騎士は構えをすいと変えた。
- 34 名前:受難? 投稿日:2004/12/18(土) 18:36
- 右腕をそのまま肘から下げ、右脚の踏み込み脚で牽制の中段蹴りを放ってみる。
お?という気配が「引き」を見せるのに、右の拳を裏にして肩口へ。
大きく体が開くことになるが、そこは引き寄せるために弓弦を引き絞っているのと同じだ。
パン。と掌底が裏拳を掴んで止めた。
狙っていたのはこの硬直。
そこからが一回目の勝負。
――ェア!
気合の一声。
ぐいっと、体の中心に右脚をひきつけるように体を捻る。
右脚に向かって前方へ力が生まれていくのだが、流れに乗せるように、残っていた左脚を解き放った。
- 35 名前:受難? 投稿日:2004/12/18(土) 18:36
- しなる鞭のような蹴り。
一般人なら一発でノセルだけの力が、じゅうぶんに備わっている。
だが、そこは相手の予想通りだったようだ。
思うよりもしっかり基礎があるのか、吉澤護衛官の足元は揺らぎもしない。
そのかわり、ミートの瞬間「とても面白そう」な笑みが見えた。
「甘いよ、ベビーフェイス」
な!?そんな甘い声と甘ったるい顔で言うなんて、空気読めっ!
吐き出された言葉に戸惑ううちに、靴に手をかけられる。
足刀をくいっと手前に引き倒されて、抵抗する間もなく床にひれ伏す。
ビタンとまるで着地を失敗した猫のようになるが、そこは騎士、無様な姿をすぐさま切り上げ、立ち上がった。
頬が少しばかり赤いのは、まんまと打ち付けてしまったせいだ。
「おぉミキティってば、カッケー」
すぐさま立ち上がった美貴に対して、殊勝なコトだと護衛官は微笑んだ。
- 36 名前:受難? 投稿日:2004/12/18(土) 18:38
- 「な!なんなの、ベビーフェイスって」
あまりの恥ずかしさに、顔に血が上る。
いきなり床に転がされたせいで、ちょっとばかり興奮してしまっているのも一因。
美貴は自身でよくわかっていた。
最初にこう、屈辱的な状況にされてしまったら、後の戦局は立て直しにくい。
そこを崩さないで持ちこたえるのが、最初の試練なのだ。
今度は後屈に構えて、拳は正段に保つ。
蹴りからの拳突に向く体勢でもある。
「んー?あぁ、ウチら…っていうか、あたしなんかの教育をしてくれた人が、よく言ってたんだよねぇ」
――格闘に不向きだよお前!って言うのと同時に、挑発で。
ねー。カワイコちゃん?
という付けたしに、美貴の頭から蒸気が吹き出た。
や。もちろん比喩表現だが。
若いなぁ。という年老いた感想を持ちながら、思い出してみる。
- 37 名前:受難? 投稿日:2004/12/18(土) 18:38
-
ふっと、過ぎた日が頭をよぎる。
もうずいぶん前のことだ。
今を思えば、教育と言うよりも、調教に近いほどの徹底ぶりで色んなコトを叩き込まれた。
同期には現総裁の後藤、騎士松浦。
現職の警備官長柴田、同じく石川とそろってはいたが、同じグレードは後藤のみ。
入社時の能力で最上級の人間のクラスに属していた吉澤と後藤、ほかを待っていたのは、小柄な鬼教官だった。
――あんたみたいなのに、何を教われって言うんだ?
舐めて掛かった軍隊上がりの青年を鮮やかに再起不能にした後、爽やかにかつ視線を研ぎ澄ませながら周囲を一瞥し。
教官は通る声でビシっと言い放った。
「訓練次第で、今の程度なら簡単にできるようになる。
とくに女子。スカっとするぞ?」
ニィっと口角を上げ、ランニングに生徒たちを借り出したその後姿に、思わず「カッケー」と呟いてしまったのは内緒だ。
- 38 名前:受難? 投稿日:2004/12/18(土) 18:40
-
しかしその後は大変だった。
俗に言う、地獄の日々というヤツである。
相当しごかれたのと、特性を見抜いた的確な教育方針に、結果尊敬を持ってしまったわけだけど。
対等に喋ったりとかはできなかったんだよねぇ。
今のミキティじゃないけども、粗雑な丁寧語って言うのか?
とうてい敬語には聞こえない、アレですよ。
ごっつぁんはまぁほら、総裁だし、小さな頃からアノ人を知ってたせいで「圭ちゃん」なんて呼んでたけども。
尊敬っていうか、恐怖のサブリミナル?
じゃなかったら、梨華ちゃんみたいに教官と恋仲になろうなんて思わないだろう。
最初に教わってないから、普通の顔で近づけたんだよね――。
とは、後々からの総裁との話の種という、酒の肴の一節。
後から解ったことだったけども、教官は上級者の持ち回りだったようで。
ここ数年は自分も、同僚も、新入社員たちの教育に携わってきた。
いまじゃ自分達の手で育てた方が、多いくらいなんだけども…。
質で問われたら、やっぱりきっと、あの人には敵わないだろう。
悔しいけど、認めざるを得ない。
今はすっかり、会わなくなったけどねぇ。
- 39 名前:受難? 投稿日:2004/12/18(土) 18:41
-
グローブの固定に出たたわみを直しながら、護衛官長はふふんと微笑んだ。
昔、しごかれた教官みたいに、大上段で。
別に昔の鬱憤を、美貴にぶつけて晴らそうってワケじゃない。
さすがにこれくらいは耐えてもらわないと、騎士役職は怒られるよなぁ…と思いながら算段を組上げた。
教官が今出て行ってくれてて良かったねぇ。とも思う。
騎士だったら、直接指導だもんなぁ。
生きてない。
ていうか、何回死んでも足りないと思う……うん。
「アノ教官よりは、随分優しいよ。あたしもだけど、あややも…さッ!」
踏み込みは小さく、細かに、時に大胆に。
正統派というには恐れ多い、間合の外し方が絶妙なトリックスター。
吉澤ひとみの、格闘スタイルである。
- 40 名前:受難? 投稿日:2004/12/18(土) 18:42
-
きゅ。
一歩を踏み出すタイミングが、構えが泰然としていたせいで取れなかった。
だって、ヘラヘラ笑ってて、構えを崩す瞬間も捉えきれなかったのだ。
反応できるワケがないじゃん!慌てても後の祭。
左の拳で二発。
牽制だとわかっているのに、リーチが計れない。
腕の長さからか、見た目よりも早く拳が届く。
十字受けでどうにか凌いでみるものの、一撃が重い重い。
こんなフニャフニャ笑ってるくせに――ッ!
能ある鷹はなんとやら。と、前に笑っていたけど。
っぐ。
喉の唸りと奥歯のかみ締めで、堪える。
- 41 名前:受難? 投稿日:2004/12/18(土) 18:42
- 上から叩きつけると思えば、横からすいと貫くような一撃。
隙もあるはずなのに、突ききれないのはなんでだろう。
応戦に出してみた肘も、護衛官の体が引いた瞬間の掌底に阻まれる。
仕方ないなぁ。
ケンカって言われたけど、腹立つじゃん?何もできないのって。
コンビネーション三発目のテイクバックをどうにか見極め、すいと空気を捕まえるように腕に手を添える。
うあ。と、唇だけが動くのを見ながら、美貴は「ふん」と鼻を鳴らした。
「やられっぱなしじゃ、何なんで」
大上段で言い放ちながら、ぐっと腕を捻る。
護衛官の体の勢いを殺さず、腕の捻りに逆らえないように下段に引き倒した。
- 42 名前:受難? 投稿日:2004/12/18(土) 18:43
- くるりん、ズバン。
無理に力をかけると肩が外れるという、合気の基本制動にはまったらしい。
へぇ。護身はちゃんと覚えてるんじゃん。
ひっくり返された吉澤ひとみは、視界の直線上にある顔を見上げた。
「仰向けも気持ちいいでしょ」
――たまには天井が遠いのも面白いと思うよ。よっちゃん背ぇ高いし。
作戦が巧く通ったせいか、美貴は得意げに腰に手をあてる。
護衛官は急速に天地が位置を変えた世界の中で、面白そうに天井を見上げるのみだった。
「たまにはいいかもね…って、んなわけないだろッ」
大の字に転がっていたひとみの腕が、美貴の足首に絡みついた。
素早く腰もとのゴムまで手を伸ばし、どうにか組み付こうと強引に引き寄せる。
カチ上げてくる膝を肩から飛び込んで勢いを殺し、脚をひとまとめに抱え倒してみせた。
んもう、吉澤さんったら強引である。
- 43 名前:受難? 投稿日:2004/12/18(土) 18:44
- 「さぁ。関節はどう決められたい?」
「関節技はちょっとカンベン!…して、ほしい…です」
足首をがっちり抱えられて、肩先を殴るので精一杯の美貴の返事は戦々恐々。
「えー、さっき関節はずそうと思ったらできたじゃぁん。
ずるいよー」
まったく切迫してない言い口で、ひとみは、よっこいせと騎士の体をうつぶせに返す。
抵抗していないわけでもないのに、この弄ばれようはどうしたものか。
「って、マジ関節はカンベンっす…よって……?」
腰に重みがかかり、馬乗りになられている。
は?何すんの?と思った瞬間。
ギッチリとした衝撃が、腰から膝にかけて覆いかぶさってきた。
あぁ、蠍固め。
腰と背筋が伸びるわーと思ったのもつかの間。
「ぎゃー!待った!ちょっと待った!よっさッ」
バンバン!と、悲痛な声をあげつつ、騎士の手が床を叩いた。
固めたついでに、丁寧にも足首をキュっと曲げてくれたのだ。
脚の筋がツレちゃう。痛い痛い。
- 44 名前:受難? 投稿日:2004/12/18(土) 18:45
- 「ギブする?」
「する!します!って、誘ったのそっちでしょ!」
もっともな抗議に笑いながら、護衛官は固めを解いた。
騎士は痛みに悶絶しながら、ぐだぐだと床で転げ、眉を顰めてようやく起き上がる。
上体を起こしたあと、腰やら脚をさすって情けないことこの上ない。
けっこう痛かったかも。
戦闘時にはもちろん、これよりも痛みは激しいはずだが。
なんだって、訓練中だと普通に「痛い」のかしらね。
目には薄っすら涙の幕。
「じゃぁ、降参したついでにミット持って」
うへぇ。まだ放してくれないわけ?
表情にありありと言葉を並べて、騎士は脚をさする。
いつのまに取りに行ったのか、パンチ用のミットを一つ持って護衛官が戻ってきた。
問答無用にぽんと放られては、後輩は受け取るほかないのだ。
今までの騎士のように、「怖がられている」わけじゃないのだから。
「これ終わったら帰りますからね!」
逆らえないのも承知の上。
グローブを外して、ミットを装着する。
「あぁ、うん。あんまり引き止めるのも、あややに悪いし」
曖昧に笑いながら、すいと腰を沈めて構える。
- 45 名前:受難? 投稿日:2004/12/18(土) 18:47
- またこのおっさんは。
と内心毒づきつつ、騎士はミットを着けていない手で、防具を支えた。
その、刹那。
ドゴ。と、一瞬にして強烈な衝撃波が、ミットから掌を打ち抜いた。
体の末端だというのに、痛みに星が飛ぶ。
な……、なぁ?!なんだってんだ!この衝撃は!
「ちょ!さっきこんなに痛くなかった……」
さ、最低だ。手加減しまくりだったってコトか。
なんて人だ!と抗議の視線を送るのに。
「だから言ってるじゃん、ベビーフェイス」
と、訳知り顔の微笑みが戻ってきただけ。
「知らない居ない人の話なんかされても、関係ないしッ」
ギーギー文句をつける騎士の手へ、重たい拳が幾度となく打ちつけられた。
結局、夕食時まで打ち込みに励んでしまい。
美貴は相棒にヘソを曲げられて、関係修復が大変だったらしい。
どっちにしろ、護衛官のお偉いさんにはストレス解消の事実しか残らなかったようだが。
しばらく「みきたんレンタル禁止」の念をおされたのは、想像に難くない。
- 46 名前:受難? 投稿日:2004/12/18(土) 18:47
-
- 47 名前:受難? 投稿日:2004/12/18(土) 18:50
-
- 48 名前:堰。 投稿日:2004/12/18(土) 19:01
- 受難? を更新しました。
ようやく、ここまで、かな。
>>13
迎え入れていただいて光栄です。
読破の速度は果てなく遅いのですが、板の中も読んでは居るのですが。
シャイなあんちくしょう(何)なので、
読者としてレスをつけたりするのは苦手なのです(苦笑)。
矛盾してると笑われそうですが。
書き手の意識の研磨が、良い化学反応になることを祈りつつ。
私も精進してまいります。
今後ともよしなに。
>>14
二日ですか。お疲れ様でした。
目、チラチラしませんでしたか?
ちゃんと目薬挿したりしてケアしてくださいね(笑)?
これからも「単純に楽しんで」いただけたら幸いです。
私も楽しみながら書いていけたらと思います。
今月の頭に、SSAに行ってきました。
現場には魔物が居る。
痛感しました(苦笑)
ではまた、次号。
- 49 名前:名無し読者。 投稿日:2004/12/19(日) 01:36
- 一言、おもしろい!! 次回も楽しみです。
- 50 名前:名も無き読者 投稿日:2004/12/19(日) 19:20
- やっと読めた。(泣
って前にもんなコト言ってた気がしますが。
何はともあれ新スレおめでとうございますデス。
バトルシーンに磨きがかかってやしませんか?w
皆さんカッケーし素敵です。
でわ続きも楽しみにしとります。
- 51 名前:are you ready? 投稿日:2005/01/02(日) 21:09
-
- 52 名前:are you ready? 投稿日:2005/01/02(日) 21:11
-
ガン。ガガン。
むせ返るほどの火薬の匂いと、金属の砕けたような金臭さが混じる。
常人であれば顔を顰めるだろうソレも、銃口を向ける彼女には気にならないようだ。
薬莢の落ちる音の甲高さ。
キキン。と足元に転がるのには頓着せず、入れ替わるターゲットを無心に打ち払う。
――次、デザートイーグルね。
背後のブースから、指令が下る。
鼓膜保護のためのカフをつけているのだが、そこにワイヤレスホンが内蔵されているのだ。
聞こえた声へ、返事などしない。
ガシュン。と蜂の巣になったターゲットが引っ込むのと同時に、腹の高さにある台から銃を取り上げる。
リボルバーの重たい銃をワンハンドで扱ったところから、汎用兵器として重用されたブローバックへ。
カートリッジは目の前に三つ。
それを全て消費する、速射力のテスト。の、ようなもの。
銃の性能は決まっているので大差は出ないが、あとは判断一つの違いになる。
見る間に、鉛の弾が浸透水のように、的へと吸い込まれていく。
まるで、求められているもののように。
- 53 名前:are you ready? 投稿日:2005/01/02(日) 21:11
- 調子いいなぁ。と、思わず口元が持ち上がる。
このまま行けば、久々に良い線行くんじゃないか?
ふっと余裕が頭を上げる。
途端、単純に感心する音声が耳を掠めた。
――うあぁ、すっごいねぇ。
アイツら、マイクのスイッチ切ってねぇな。
そうは思うが、「無」の境地は揺らがない。
その程度の雑音でブレてしまうようなら、今まで何度でも死ねただろう。
そーいや、今まで矢口には見せたことが無かったな。
と、得心した瞬間。
最後の一発だったのだが。
打ち込んだ弾丸が大きくそれて、壁でチュインと火花を散らしたのだった。
――あぁぁあ、外したよ。
ため息まじりの高い声。
誰のせいだ!と思った裕子に、罪は無いだろう。
- 54 名前:are you ready? 投稿日:2005/01/02(日) 21:12
-
+ + + + + + + + + + +
- 55 名前:are you ready? 投稿日:2005/01/02(日) 21:12
- 今日は「量ってみよう!」がテーマよ!
珍しく武器屋が捕縛師を呼び出したのは、午前のことだった。
思う存分タダで銃弾撃てるから。
その誘い文句に最初から首を傾げるべきだった。
まぁ矢口の指導も買って出てくれたので、逆にありがたいくらいだったし。
その誘惑は、最初に投げられた言葉を、見事に覆い隠してしまった。
戸惑う矢口を引っ張り出して、出かけてきたのはよかった。
かろうじて生活圏に入っている最東端、旧六本木周辺。
指定された場所に心当たりはあったが、ほんの冗談だと、最初は思っていたのだ。
あくまで、「その施設の近所」だと思っていた。
しかし武器屋は至極真面目な顔で言い張るのだ、「中に入るから」と。
目を丸くする裕子を見て、不思議そうな顔をするが…。
不思議なのはお前だ。
と、矢口も裕子も眉毛を段違いにして武器屋に詰め寄った。
- 56 名前:are you ready? 投稿日:2005/01/02(日) 21:13
- だって、目の前には近代技術の粋を集めた、立方体の巨大な建造物。
上層の有名企業の研究棟では無理もない。
武器開発など上層で行うな!
という「体裁」を求める人民の声に応えて、とある会社が作った研究施設の一室。
そこに通されたのである。
巨額の資金を投じて作られた、武器性能向上のための最新鋭施設であり、格好の訓練施設なのだ。
射撃ブースになっている場所。
ここには無数の不可視の線が張られており、筋肉の収縮や瞳孔の動きをつぶさに観測している。
動き一つに対して、数種の線が反応して、速度などを計算し、データとして打ち出してくれるわけだ。
初めて見る施設内の設備に、感嘆の息をもらしながら、裕子は興味を抑えるのに必死だった。
部屋の通信及び音響設備に金銭をつぎ込んだのは事実。
こうも最新鋭ばかりを見せられると、自室が悲しくなってくる。
仕方が無いさ、一人の資がない狩人と、社員千人近くを抱える大企業ななか比べられない。
んまぁ、金持ちってものすごーい。という、生ぬるい感想しか出てこない。
- 57 名前:are you ready? 投稿日:2005/01/02(日) 21:13
- 圭が知る「ツテそのもの」は通常の業務のせいで不在なのだそうだが、普通ならその人も雲上人。
裕子が会っていい相手じゃない。
「公開できる資産」だけで数百億という、武器豪商。
商売相手は全ての大陸に渡るという、東京都市屈指の大企業である。
企業の御曹司に嫁ぐ前は、どこぞの部隊でブイブイ言わせていた女傑だそうだ。
が、夫が早くに亡くなってからは後を継いで会社を守っていると言う。
や。前衛的に拡大している、と言ったほうが正解か。
アグレッシブに攻めて攻めて!だそうだ。
日本に住まっている人間の、地域的血筋だろうか。
時々圭はここを訪れて、その「社長さん」と腕を競ったりしているらしい。
武器屋あんた、こんな会社と直接取引きしてるんかい……。
その前に、そんな人とも知り合いなんかい…。
思ってみても声なんか出やしない。
口が開くのも無理はなかろう。
- 58 名前:are you ready? 投稿日:2005/01/02(日) 21:14
-
- 59 名前:are you ready? 投稿日:2005/01/02(日) 21:15
- 「で、次の時間はこれですか?」
射撃から半時。
ジャケットを脱がされた上半身は、軽い素材でできたハイネックのノースリーブのみ。
ちなみ、防刃繊維でできていて、多少の斬り付けならば寄せ付けない。
獣の爪にも植物の棘にも配慮した基本装備である。
普段は長袖なのだが、市街地なので袖無し着用。
下肢には黒色の細身パンツと毎度のブーツ。
手には、普段持っているナイフと同じ刃渡りの模擬剣。
すっと逆手に持ち変えると、腰を沈める。
すぅ、はぁ。
呼気を静かに吐き出して、頬を引き締めるのも気持ちの表れだろう。
「まぁまぁ。模擬戦仕様だから、軽く掛かってきてくれたらいいから」
さも楽しそうな声を放つ、こちらは武器屋。
ジャケットを脱いで、かなりリラックスした面持ちで笑んで居る。
射撃用ブースは床の中に全て格納されてしまい、今やたんなる箱となっていた。
不可視の光線は今も部屋中を駆け巡っており、笑っている武器屋の腹膜の動きさえも観察しているのだ。
普段内緒にしたいスリーサイズなんか、隠し様がない。
- 60 名前:are you ready? 投稿日:2005/01/02(日) 21:16
- 裕ちゃんがその長さだったら、自分も合わせるよ。
と、武器屋は余裕の笑みで、捕縛師と同じ模擬ナイフを手にしていた。
直立不動立ちんぼうの姿に、鷹揚な雰囲気のままナイフを正段にし、切っ先を揺らしている。
軽く掛かってこい。という言葉とは裏腹な、挑発を前面に押し出した舐めたかっこう。
可愛くないなぁ。
そう年上であるはずの友人に、裕子は苦笑する。
そういや、初めてなのだ。
模擬戦ででも、組んでもらうのは。
圭が仕事に着いてきたこともある。
飲み屋で語り明かしたことも、自宅で飲み明かしたこともある。
手入れの方法で物議をかもし、あーでもないこーでもないと笑っていた。
お互いに、机上の論議だけだった。
「明らかに経験豊富な相手ですからねぇ、軽くなんかできないなぁ」
チャキン。と、腰の後ろにすえたホルダーに、模擬剣を戻す。
「データとか動きとか、ものすごく細かく撮ってくれるから、なるべく沢山の手を試したほうがいいよ。
指摘できるところは、やりながらでも言っていくし」
最初は素手ってことね。
得心する武器屋も、同じようにナイフを戻して。
きゅ。っと自らの掌で、片方の拳を包み込む。
- 61 名前:are you ready? 投稿日:2005/01/02(日) 21:16
- ニっと微笑んで、お互いに視線を交わす。
お手柔らかに…と。
広い箱の中に、二人だけ。
遮るものなど何も無い。
これは……。
ワクワクするなぁ。
にへら。と、表情を緩め、そこから二人は一瞬の変貌をとげる。
それはそれは、愉快そうな表情。
初動の髪のなびき、それだけがゴング。
高らかに鳴り響く無音の祝福。
容認され用意された「遊び」の中で、最上級の記憶になることは間違いない。
全身の細胞が喜脈打つ。
人間の本能も、捨てたもんじゃない。
歓びの種類は少なくなく、沢山のものごとを「快」に変換することができるのだから。
- 62 名前:are you ready? 投稿日:2005/01/02(日) 21:17
-
仕掛けるのは、こっちの仕事か。
相手の能力からしても、自分は「預ける身」。
礼儀正しく行うために、先手を打つべきだろう。
捕縛師はタンタタンとリズムを刻みながら、水流を泳ぐように踏み込んだ。
拳を突き、流し、受け、蹴り。
一が足されればすぐさま一引かれ、引かれれば足されるような蹴打の応酬。
仕方がなしに強く突き出した左拳は、スウェイでかわされてお終い。
その反らし方がまた驚嘆もので、髪一筋の隙間を躱す器用さ。
流れはココから生まれた。
すぐさま腕を捕らえに来る。
思うよりも早い展開に、肘を折り曲げて捕捉を振り切り、右の手刀で喉に向かって抜き手を放った。
左の腕を取ろうと泳いでいた武器屋の右腕が、半円の孤を描いてそれを打ち払う。
武器屋の左手は完全に自由。
右腕の受けから体の線はねじれており、エネルギー的には申し分無い。
斜めに振り切り上げるように、拳が打ち上げられた。
ゴグ。鈍い音とともに、捕縛師の顎が持ち上がる。
直線的な一撃は過たずに顎部を打ち抜き、視界に多数の星をちらつかせた。
- 63 名前:are you ready? 投稿日:2005/01/02(日) 21:17
-
捕縛師の上体が仰け反っている。
一度カチ上げれば連打の餌食だ。
確かに、武器屋の中にはそういう思考があった。
しかし、まだまだ序盤だということも解っていた。
これで一撃で落ちてしまう相手でないことくらい、承知しているつもりだった。
それでも、顎から浮き上がった体が、どう反応するかまでは「予測」がついて居なかったようだ。
キュイ。と靴底が鳴り、捕縛師が耐えたことを視覚よりも先に察知する。
ここで踏み込んだ方が後が楽か?
やっぱり連打で打ち倒すべきか?
そう思い、状況を確認すべく視線を持ち上げるまでは刹那。
汗の吹き出る間も無いほどの、一瞬。
しかし、すでに。
目の前で耐えているはずの体は、この上なく美しいモーションで翻っていた。
- 64 名前:are you ready? 投稿日:2005/01/02(日) 21:19
- 黒い巨大な影が視界の端にある。
それは彼女の下肢として、体に連なっている。
黒光りするその末端には、頑丈な靴底。
あぁ、そういうことか。
危機的場面を理解する思考は、とても長くて早くて、沢山考えられる。
キュイ…っと鳴った靴底は、踏みとどまっただけじゃなくて。
同時にもう踏み込んでたわけね。
妙な納得にも、体が追いつかない。
ガゴン。
鈍い音とともに、捕縛師の左足が武器屋の右側頭部に吸い込まれた。
「舐めんなッ」
フラリと数歩をあとずさりつつ、捕縛師は拳を握って吼える。
ぐわんとした、思考、そして視覚の旋回。
あまりに綺麗に入ったために、武器屋はたまらず膝から落ちる。
片足に両手を突っぱねて、どうにか倒れこまずに支えているが、視界は奇妙に振動していた。
- 65 名前:are you ready? 投稿日:2005/01/02(日) 21:20
- お?おぉ?
ふるりと頭を振り、ぐっと拳に力を込める。
参ったな。最近こういう楽しさは忘れていたのだが――。
カフゥと息を深々と吐き出して、武器屋はいよいよ両腕を膝から突き放した。
倣うかのように重力をはねのけ、上体は持ち上がり、脚は力を取り戻す。
ゆうらりと、首を回して肩をほぐして、肩幅でしっかりと立ち上がると、武器屋は捕縛師を一直線に見据える。
ニィ。
のぼってくる笑みを抑えることができない。
ぱんぱんと自らの頬をはたきつつ、圭はまず賞賛の声を放った。
「やー。参ったね。
普通あの場所だと一度踏みとどまらないと難しいのに」
そのまま上体倒してたわけね。
感心感心。
- 66 名前:are you ready? 投稿日:2005/01/02(日) 21:20
- あんまり素直に褒められて、捕縛師の頬に朱がのぼる。
裕子だって、顎を叩き上げられて、三半規管がまだウアンウアンと旋回している。
こちらも首をコキリと鳴らしながら、自らの頭部の据付を確認していた。
打たれた瞬間に筋を捻ってしまっては、使い物にならない。
「重たい拳なぁ。口の中切れてしもうた」
ピ。っと朱色を吐き出して、口の中からさび付いた味を追い出す。
親指で唇を拭いながら、出血の度合いを確認しているようだ。
「でもさぁ、楽しいよねぇ」
友人の言葉を受け取って、武器屋は思う様返す。
その内情など、捕縛師は思いもつかないだろう。
ある程度手加減しなくても、耐えてくれそうだなぁって確信しちゃったよ――。
と、ウキウキしていることなど。
可哀想に捕縛師。
「あぁ。楽しいねぇ」
内情が知れていたら、こんな楽しそうに返さないだろうに。
「じゃ、第二ラウンドかな?」
そう声に紡ぎつつ、いよいよ武器屋が、すぃ…と滑らかな動きで足を進めた。
- 67 名前:are you ready? 投稿日:2005/01/02(日) 21:21
-
- 68 名前:are you ready? 投稿日:2005/01/02(日) 21:22
-
主導権は武器屋向きにある。
ピリピリとした神経の悲鳴。
腕を貫く衝撃で感覚が麻痺していく。
指先の力が入らなくなっていくのに、驚嘆と畏怖が頭を持ち上げる。
隙が無いわけじゃない。
確かに、打ち込みの瞬間などに、一瞬の癖があるけれども。
その部分に気付いたりするには、余程の眼力が必要だろう。
腕が麻痺してしまえば、大きくダメージを与えられるのは足技だけ。
攻撃の手数が減ってしまえば、彼女に敵うこともない。
長時間の対戦になれば、足の踏ん張りも利かんようになるしな。
実戦経験てのは、こういうトコに出るのかね。
く。っと眉を寄せて、仕方ナシに苦笑する。
それでもなぁ、一応修羅場はくぐってきたつもりだし。
対応できないワケじゃないんだよなぁ。
んじゃま、仕方が無いか。
ここまで素手でやってきたけれども、元々得物のある対戦だったわけだし。
キュンと、左脚の筋肉でできたサスペンションが沈み込む。
律するのが危うかったはずの脚は、一瞬の爆発に目を覚ます。
「ウルァ!」
気合一閃。
圭の右肩が下がるのにあわせて、逆に肩から突っ込んだ。
- 69 名前:are you ready? 投稿日:2005/01/02(日) 21:22
- 突ききらない拳のダメージなど、たかが知れている!
左の拳を体全体で潰しながら、相手の腰から押し倒す。
「なッ!?」
タックルに押し込まれて、前に出していた左脚をとられたために圭の体が倒れていく。
しかし、その狙いがドコにあるのか、彼女にはわからなかった。
倒してマウントを取るためだというなら、返す手立ては沢山持っている。
どうも気配が違う――?
と、思っていた圭の腰から、金属の摩擦音が聞こえる。
しまった。
見開かれた視線の中で、仕掛けた本人が快心の笑みを纏う。
シャン。という鞘走りの音に、奥歯をかみ締める。
裕子の突進の狙いは、圭の武器を奪う奇襲だったのだ。
- 70 名前:are you ready? 投稿日:2005/01/02(日) 21:23
-
落ちるように叩きつけられる背中の衝撃。
腰にある重みは捕縛師のものだろう。
馬乗りで、勝機に腕を伸ばしている。
転倒から跳ね上がる頭部を首が強くするのに、逆手にされた二本の刃が煌いて見えた。
今、まさに、牙を突き立てるように刃が振り下ろされている。
確かに、訓練用に潰した刃だ。
床に突き立てるつもりだろう。
一瞬、自分が敗北を喫する映像が客観的に浮かび上がる。
なにせ、腹筋で跳ね上げることができない。
ショープロレスじゃないから、フォールでカウント2.5なんか有り得ない。
捕縛師の体は体重を乗せて、骨盤の位置をしっかり抑えている。
訓練だけで頭に叩き込んだだけの人間なら、できない「狩」の常道。
勝ためだけじゃない、生き残るための術。
殺すことをしっかり心得ている、獣のようだと武器屋は感嘆した。
ただ、屠るだけでいい、機械ではなくて。
生きるために殺す獣だ。
その体には血が通っていて、確かに接点は熱を帯びている。
- 71 名前:are you ready? 投稿日:2005/01/02(日) 21:23
- いいねぇ。それでこそ、「お友達」だわ――。
口元に笑みがのぼる。
「元同僚」でも「部下」でもない、唯一無二の「友人」。
血の通わない機械のごとき自分に、温度ある獣の血を注ぐ者。
いいだろう。そう、思う。
応えてあげるよ。と、体が動く。
胸部のマウントだったら、負けてたと思うけどね――!
刃の間を縫って腕が伸びる。
あまり実用的ではないが、この際どうと言ってはいられない。
大事なのはリーチだ。
ピっと、頬に痛みが奔るが気に留めない。
刃の間を抜けた瞬間。
甲高い金属音が二つ、箱の中に響き渡る。
追いかけるように、衣ずれの摩擦音。
落ちてくるのは静寂。
ただ立ち尽くす武器屋の肩は、おおきな呼吸を繰り返すのみだった。
- 72 名前:are you ready? 投稿日:2005/01/02(日) 21:24
-
- 73 名前:are you ready? 投稿日:2005/01/02(日) 21:24
-
モニターの中。
捕縛師の体は床をすべり、腹部を抑え喉を押さえて悶えている。
「さっきのとこまで巻き戻して」
と、裕子の声。
スゥルリと画面の中の二人は、時間の流れを逆行する。
腹筋一つで起き上がった武器屋が取った手段は、以下の二つだった。
スローモーションに切り替え、一部始終が引き出されていく。
まるで大熊が爪と巨大な手で首をもぎ取るような体勢で、武器屋に馬乗りになった裕子の腕が振りかぶられる。
両手に一つずつ、模擬剣の冷たいひらめき。
ニィと口元を上げて、武器屋の上体が腹筋一つで起き上がった。
瞬時に顔をブロックして、刃の完全なる直撃を防いでいるのも見える。
同じような流れのまま、驚愕する裕子の視線もしっかり映されている。
そこから武器屋の右腕が動き出し、打撃点へと牙を剥く。
ナイフの潰した刃が圭の頬を軽く撫で切り、一筋の赤が生まれているのも解る。
それだけ、お互いの速度が速いと思ったほうがいいだろう。
- 74 名前:are you ready? 投稿日:2005/01/02(日) 21:25
- 喉にぶち込まれたのは、平拳の一撃。
指の第二関節で殴りつける、文字通りの平たい形状をした拳のことを指す。
一撃の衝撃で呼吸をなくした体は、酸素を求めて屑折れた。
手からすべり落ちたナイフが、床で乾いた金属音を立てる。
スロー再生のために重さ三倍増しくらいのテノールだが、全員食い入るように画面を見てるから気にならない。
力を無くした肩を掌底で押しのけ、立ち上がりざまに腹部に強烈な蹴りの一撃。
めり込んでる。
完全に鳩尾にめり込んでますから。
あとはそのままカーリングの石のように、捕縛師の体が床を滑っていく。
がっふ。と少量の血と呼気を吐き出し、巧く呼吸の続かないのに肩が大きく振れた。
- 75 名前:are you ready? 投稿日:2005/01/02(日) 21:25
- ピタ。
っと、そこで画面が止まるのに、大きなため息を吐いたのは、ほかでもない裕子だ。
研究所員に痛み止めを施してもらい、再生促進剤をいただき。
どうにか通常程度に回復したのは事後二時間のこと。
そこから検証を始めたから、きっともう外の陽は暮れているだろう。
「ものっすごい的確に、急所突き…やもん」
――やぁ、やっぱり慣れなんだろうけど。
ゴニョゴニョ。
イマイチ喋りにくそうに、裕子は口ごもる。
さっきから、「勝てると思ったのに」とか「もうちょっとやったのに」とか。
まぁ、よくもここまで「悔しい」という想いが口に出せたものだと思う。
そこは武器屋も捕縛師も心得ていて、お互いに冗談の域を出ない会話ができるのだが。
負けん気の強さを指して、同行者だった矢口は「大人気ないねぇ」と苦笑している。
- 76 名前:are you ready? 投稿日:2005/01/02(日) 21:26
- 「やぁ。急所突きしなかったら、抜け出せないんだし。
普通だったら私の負けでしょ」
素直に両手を上げる武器屋に「なん…、ご謙遜」と裕子がせっつく。
「でもまぁ、やってみた限り、癖とかあんまり言うことないよ。
実戦で生き抜くことを知ってるから、なんせ機転がいい」
――突拍子もないコトを平気でしてくるし、できることなら回数欲しいね。
圭の中で、裕子は「全く違うタイプの同等格」と位置づけられたようだった。
至極楽しそうにいうものだから、冗談を言おうにも言えなくなる。
こういう時折の素直さが、武器屋の愛らしさなのだが、きっと彼女は無自覚だろう。
ハフ。と情けない息を吐き出し、裕子は髪をかきあげた。
- 77 名前:are you ready? 投稿日:2005/01/02(日) 21:28
- 失礼します。
と、若い白衣を着た研究員が、四人の居る机に歩み寄ってきた。
圭とは気軽に話せるようで、どこかにこやかだ。
「今日のデータの一式、この中に入ってます。
一般的な再生形式に合わせて落としてるので、再生にも分析にも支障ないと思います」
不具合あったら言ってください。
そう言いながら、若い研究員が「記憶媒体のコピー」を裕子と圭の二人に手渡す。
この中に、裕子だけではなく、圭のデータも全て入っているそうだ。
射撃の癖なども重ねて表示したりで、比較できると言う。
掌で包み込めるほどの、小さな記憶媒体。
この中に、さっきまでの汗と血と、痛みの結晶が入っている。
確かにものすごいワクワクした。
血が湧いて、肉は踊った。
それこそ細胞一つもらすことなく、歓喜で震えたわけだが。
「なー。なんか貴重な経験させてもらったけど、冗談ヌキで疲れたわ」
本音を呟いたら、ブース内の研究員と同行者全員の、苦笑が零れ落ちる。
これから帰宅しなければ行けないというのが、目下の疲労の原因だなど、裕子のほかが知るよしもない。
ため息一つ。
今日はアルコールも入れずに眠れそうだ――。
と、裕子も圭も同じように思い。
視線の奥に同じことを感じ取り、お互いに「判りやすく」苦笑したのだった。
- 78 名前:are you ready? 投稿日:2005/01/02(日) 21:29
-
- 79 名前:堰。 投稿日:2005/01/02(日) 21:41
- 準備はいいかい?
別名、お正月特別企画、fall down女祭(嘘)
ドリームマッチ(だから冗談だって)を更新しました。
って、簡単なスペルすら危うい放浪社会人…。
il||li _| ̄|○ il||li
間違ってたら大笑いだ(涙微苦笑)。
>49
ありがとうございます。
少しでも長く楽しんでいただけたら書き手としても幸いです。
>50
毎度(笑)。ようやく新スレになりました。
いつも言ってますが、読む分には文章は逃げませんから。
なので、どうぞ余裕のあるときに楽しんでください。
最近すっかり格闘小説ですね。
あんまり語彙もないのだから、使いきるのは時間の問題なのに(笑)。
まぁ、今回のはドリームマッチです。
笑覧いただけたらと思います。
でわ。また次の更新で。
ごきげんよう。
- 80 名前:名も無き読者 投稿日:2005/01/09(日) 04:36
- 毎度、更新お疲れ様です。(ぉ
ドリームマッチ、なぜか余裕の無いときに楽しんでる自分。。。
コレで語彙が無いなんてそんな。orz
あっちの短編もちゃっかり頂きました。(遅
次回も楽しみにしてます。
- 81 名前:Confusion 投稿日:2005/01/19(水) 00:05
-
- 82 名前:Confusion 投稿日:2005/01/19(水) 00:06
-
ジャリ。
踏みつけたアスファルトは土埃を多く被っていて、妙な感触が靴底に当たる。
すぅ。と吸い込んでみる空気は、どこか臭く淀んでいて、生気を奪う。
人の欲望の香り、と称して違和感なかろう、町を覆う気配。
乗り合いの車に乗って、30分もかからない。
医術師であり生物学者である平家みちよは、尋ね人を求めて新宿へやってきた。
黒いビジネス鞄の中には、相手に渡すために知り合いから購入したブツがあり、解放を待っている。
きゅっと口元を引き締めるのも、無理は無い。
旧新宿駅東口。
殊更歌舞伎町周辺は、今や荒れ放題で「常人」は寄り付かない。
薬。性欲。暴力。武器。殺傷。怨嗟。沢山のモノで溢れているのだから。
「…そんなトコロに住んでるって、いったいどういう神経してんでしょ」
ワシワシ。
諦めるように髪をかき、一歩を踏み出す。
さぁ、歩いてたどり着けるかどうか。
一言連絡入れてくればよかったな。とは思うが、仲介になってくれるだろう人物に知られたくない。
照れだけでは終われない、「内緒の話」が用意してある。
診療所の留守を、横浜スラムの総合病院から来た応援に任せ、彼女は道を歩く。
すでに値踏みするような視線を感じて、眉をきつく顰めながら、医術師は靖国通りの成れの果てをまたいだ。
- 83 名前:Confusion 投稿日:2005/01/19(水) 00:06
-
- 84 名前:Confusion 投稿日:2005/01/19(水) 00:06
-
――消毒液のにおいがするねぇ。
看護婦さんかなぁ。
可愛いなぁ。
いや、たぶんお医者さんだよ。
なんか黒い鞄似合ってるねぇ。
そっかぁ、お医者さんかぁ。
ニヤニヤ。
「聞こえよがしに」小声で囁く声が縦横からまとわり付く。
――オレのビョーキも治してくれっかなぁ。
――バーカ。お前のはアレが腫れちゃって、ちっちゃくならないんだろ?
ふひゃひゃ。
転がるような下卑た笑い声に、思わず耳を塞ぎたくなるが、そんなリアクションを取ったら最後だ。
相手を認識していることになって、「話が早く」なってしまう。
- 85 名前:Confusion 投稿日:2005/01/19(水) 00:07
- たらりと落ちてきそうな嫌な汗を、極力無視して歩く。
向かっている方向で住所は合っているはすだ。
それだって、何百と離れていない距離でなんだってこんな……。
靖国通りを渡ってから、すぐソコ。と認識していたのに、この入り組み具合と空気の悪さ。
…洒落になりませんよ、こんなんッ。
思わず親指で眉間を押さえたくなるのも仕方が無かろう。
それどころか…、声が少しずつ近くなってるのが、一番洒落にならない。
参ったなぁ。と、頭を抱えたくなる。
暴力反対主義者ではあるが、一応護身用の小型ナイフなら所持している。
必要かつ最小限の正当防衛のためだけの、小さなレーザーナイフだ。
出力いかんで、刃渡りも幅も変えられる優れもの。
いざと言う時の応急処置の道具。というのが「所持に対しての正当な理由」である。
彼女は記憶の都合上、銃火器を持とうとは思えない。
どんなに、その威力と視覚効果が声高にされても。
しかし、彼女の細腕だ。
相手に掴まれたら最後、抵抗はできまい。
自分で解っているあたり、もうどうしようもない。
西武新宿線の高架だった瓦礫を横目に、くるくると思考は回る。
- 86 名前:Confusion 投稿日:2005/01/19(水) 00:08
- あぁ、連絡とってから来るべきだったか。
直接会ってから謝辞を述べようと、奥ゆかしさを出した自分が愚かだったか?
く、っと奥歯を噛んだ瞬間、二人の男と少女に囲まれた。
前後を男に。
前方右横から、少女に。
どこか癖のある風の少女が口元をニィと上げている。
すん。と吸い込んだ空気に、医術師は頬をかたくした。
こびりつくほどの甘いバニラ臭の中に、合成薬物の燃焼臭がこびりついている。
きっと、普通の人間なら、バニラの匂いに誤魔化されてしまうだろう、微かな違和感。
医術師の清浄は、確かにその「腐った匂い」を暴き出す。
「おねーさん、迷ったんでしょ?」
――この角曲がるの、二回目だよ。
しまった。
指摘されて気付くようでは、自分は無意識下で混乱していたのだろう。
表向きを装ってみても、こんなに動転していては、バレるのも仕方がない…か。
どうする?切り抜けられるか?
- 87 名前:Confusion 投稿日:2005/01/19(水) 00:08
- すぅ。
呼吸を静かに整えながら、すいと体ごと少女に向かい合う。
背後で指先の動く気配がするが、それは少女が視線一つで制している。
どうやら、彼女が「頭」のようだ。
交渉ができるか、微妙なところだが。
「あぁ…迷ってしまったみたいですねぇ」
に。っと、医術師は微笑の仮面をつける。
上層の人間とも喋る機会があればこそ、上っ面なら自由自在。
スマートな印象を持たせるのに、捕縛師は「中身はヘタレなのになぁ」と苦笑したか。
や、「姐さんほどじゃないですよ」と微笑み返して、二人で頬っぺた引っ張りあいなのだが。
脳内でのお茶らけた記憶を追いやって、スマートなまま医術師は少女に先手をうった。
「お嬢さん、お聞きしますが、この辺に武器屋さん…住んでらっしゃいません?」
うん?と、少女の眉が持ち上がる。
肩先が硬くなったのは、相手の記憶に引っかかる部分があるからか?
幾分怪訝そうな表情は、素直に脳内で検索をかけているらしい。
コシコシと親指で頬をかいてから、口元がゆるりと持ち上げる。
- 88 名前:Confusion 投稿日:2005/01/19(水) 00:09
- 「武器屋か知らないけど、年中火薬臭いヤツなら居るよ」
キーワードをそらしながら、少女は後ろを振り返った。
路地の向こう、沢山の看板と、獲物を待つハイエナの群れ。
この先に、城があるのか?勘ぐってはみるが、答えはわからない。
ふぅむ。すぐには教えてくれないか。
諦めが心をよぎるのを、胸の中で踏みしだく。
「なんなら、ソイツんとこ連れて行っテやろうか?」
尻尾を掴んだかのように、少女が手を差し出した。
ニ。自分の仮面とは違う、幾分病じみた笑み。
目つきが少しすわり、欲が煮えるのを押さえ込んでいる光がある。
「やぁ。探し人じゃないなら、無意味なんでねぇ…」
――さて、どうしたものか。
わざとらしく顎に指を当て、思案する。
時間を稼ぐのは難しいか。
どうする?どうしたらいい?
- 89 名前:Confusion 投稿日:2005/01/19(水) 00:10
- 瞬間。
ジリ。と、少女の靴底が砂を噛んだ。
焦れている。
まずいな。そうは思うが、打開策が無い。
「マぁ、行ってみて違ったラサぁ、また探せばいィと思わナい?」
ふふふ。
発音が曖昧になり、濃縮された欲望が、視線となってねめつけてくる。
気色悪いことこの上ない。
言葉の合間にカチリと歯がなるのは、「時間切れ」なのだろう。
薬物は切れ間が一番怖い。
もう数百年単位で言われている、常套句だ。
心底遠慮願いたい展開だなぁ。
くぅと喉を唸らせて、背後二つの気配との距離をはかる。
最小の回転範囲で、振りぬけるナイフの軌道。
頭の中で計算を始めて、嫌悪感との葛藤が生む吐き気にさいなまれる。
- 90 名前:Confusion 投稿日:2005/01/19(水) 00:11
- 袖口に隠した、細いナイフ。
最初に痛みを与えられれば、隙もできるはず…………。
必要な、コトだ。
かすかに隙を作るためだけに。
言い聞かせても、吐き気はおさまらない。
「ネェ、おねーサん、一緒にアソんデよぉ」
――オネーさんみたイなキャシャできレいなヒト、大好キなんダァ。ちょー、このミーィ。
なんて、粘質な音声。
背筋を撫で回されるようで、気持ちが悪い。
チ。思わず出た舌打ちに、くぃ。と、少女の顎がしゃくられた。
背後と横から腕が迫ってくる。
前方からはのびる腕は、爪をギィと開ききって襲い掛かってくる。
コートのボタンを裂き取ろうというのか。
危機的瞬間が目の前に迫ってくる。
思い描くのは、回転半径の生み出す間合い――。
袖口からナイフの柄を滑らせ、スイッチを親指で押し切ろうとした瞬間。
ガン、ガガン、ドグォン。
ィギャァァ――。
悲鳴と銃声が折り重なるように響き渡った。
- 91 名前:Confusion 投稿日:2005/01/19(水) 00:12
-
獣じみた痛みを訴える声が、路地の上でこれでもかと響く。
うずくまる女の腰を蹴るブーツ。
その容赦の無いこと。
「これで、ピアスの穴なんか、開けなくてすむだろ?」
――よかったな、無い金が浮いて。
聞きなれた声が、無常にも穏やかに響き、微笑む。
角度的に考えれば、難しすぎて厳しい位置だろう。
少女の耳たぶが、大きく破損している。
下手な狙撃手であれば、耳だけでなく頭が破損していることは間違いない。
みちよの背後に居た男の手には穴があき、もう一人の手にも銃弾二発の貫通の痕跡。
折り重なって聞こえたものの、その銃弾は神業的な命中率だったことになる。
しかも、足音が聞こえるころには、みちよの傍らに「彼女」が居た。
起きた出来事に思考が追いつき、思わず「処置」に手を動かしそうになる。
が、そうはいかなかった。
- 92 名前:Confusion 投稿日:2005/01/19(水) 00:13
- 「それと、私の客なんだ。
初見で知らなかっただろうしね、今日は許してやるよ」
すい。と、手から鞄が奪われた。
まるで、慈悲をかけることを圧しとどめるように。
思考がそこで途切れる。
客?え?あれ?
呆然とするしかない医術師に、平坦な視線が留まって。
急激に思考が冷える。
「エスコートするのが道理でしょ?」
――こっちへ。
いつもより硬質な声が耳に入るのと同時に、腕をついと引かれた。
幾度と無く通り過ぎた路地へ、足早に連れ込まれる。
- 93 名前:Confusion 投稿日:2005/01/19(水) 00:14
-
うわごとのように聞こえる「ゴメンナサイ」は、まるで餓鬼の鬼に散らされるよう。
まるで仏教の神に遣える、十二神将のようだ。
人が変じた小鬼の程度では、彼女には成す術も無いのだろう。
普段なら事件ごとには食らいつくだろう、野次馬さえも道を譲る。
すごいな、旧典の海が割れるよう。
一人で神仏体現しちゃってるよ、この武器屋。
「あのっ!今のッ」
上ずる声を押し込むように、一喝される。
「放っておきな。
薬で痛覚も麻痺してるヤツが多いんだ。」
――特に、今撃った内の一人は、痛覚と快感が紙一重。きっと頭ごとイってるよ。
背後から立ち上る獣の唸り声に、医術師は口をつぐみ押し黙った。
- 94 名前:Confusion 投稿日:2005/01/19(水) 00:15
- 確かに、痛覚麻痺の薬物を常用した副作用で、おかしくなることはあるけども…。
間近で症例を見ることは、横浜のスラムまで行かないと無いからなぁ。
実際自分の近くに居て診療所を訪れるのは、ある意味「健全な住民」ばかりだし。
時々外科手術の大掛かりなこともあるが…。
「それに、この辺はもぐりの医者も多いから、心配は要らない」
仕方無さそうな笑みを浮かべ、ようやくいつもの表情を見せたのに、その顔を見つめる。
きっと、目の前の彼女ならこう言うのだろう。
慈悲をかける場所を間違えないほうがいい――と。
そう解るようになったなら、自分は「近づいた」のかもしれない。
手を引かれるままに、路地の奥へと歩んでいく。
「さ、どうぞ」
たどり着く迷宮の果て。
木製の扉のある様は、本当に安ポリゴンでできたダンジョンに、重厚な扉が据付てあるようで不釣合い。
急に現実が降ってきたような、奇妙な感覚に見舞われる。
看板も表札も無いその店の扉には微かに、「ラグナロク」と読める傷が乱暴に刻まれていた。
- 95 名前:Confusion 投稿日:2005/01/19(水) 00:15
-
- 96 名前:Confusion 投稿日:2005/01/19(水) 00:16
-
「沢山の珍しさが先に立って、何から言ったらいいか解らないくらいだね」
クツクツと喉を鳴らされ、医術師は眉をぐぅっと顰める。
うんッと咳払いを一つ。
差し出されたコーヒーに口をつけて、ようやく肩の力を抜いた。
形ばかりのカウンターと、実用性重視のショウケース。
よくよく所望される物品にいたっては、持ち出しやすいようにカウンターに常駐のようだ。
縦横に仕切られた壁には、事細かに記された引き出しがすえつけられてある。
日陰の部屋特有の湿った気配が、場所の物々しさをつきつけている。
それでも空気によどみが無いのは、上質の清浄機でも取り付けているのだろう。
普段煙草の本数を見るわりに、部屋にヤニくささは感じない。
まぁ、随分とシンプルかつ、男前な部屋ですこと。
カップの縁から見る景色は、無機質で冷たくて、やっぱり火薬の気配がする。
ここにある対外のもので「命が壊せる」と思うと、気が滅入りそうだった。
しかし、用事は用事。
沢山の懸案があるだけに、ここで逃げ出すわけにはいかない。
- 97 名前:Confusion 投稿日:2005/01/19(水) 00:17
- 「こっちもまぁ、なんて切り出せばいいのか解らないくらいショックですよ」
――まずいのに狙われるし、目の前で神業だし。
カチリとソーサーで鳴るカップを、ゆっくりとテーブルに戻す。
「一言くらい連絡くれたらよかったのに」
内情も背景も想像がつくのだろう。
ニヤリと人の悪い笑みを浮かべて、武器屋は自らのカップを口にする。
「そう簡単に連絡が付く相手でもないでしょう」
解ってるくせに。
募る恨めしさを視線で伝えても、あらまぁドコ吹く風。
はて何のことやら。と肩をすくめ、視線を穏やかに戻す。
相変わらず難しい相手だと、みちよは内心思い惑う。
しかし、自分に医術を教授した先生に比べたら、まだマシかもしれない。
大人の顔をしているし、なにより言葉には裏が無い。
「じゃぁ…まずは、沢山ある用件の一個なんですけどね」
どうしても最初に伝えなきゃいけないコト…てことで。
ソファーの傍らに置いていた鞄を膝に、持ち上げてから、がさごそと漁る。
携帯記憶媒体とファイルを取り出し、最後に取り出したのは一つの包みだった。
- 98 名前:Confusion 投稿日:2005/01/19(水) 00:18
- 「横浜の総合病院の先生から分けていただいたんですけどね。
自分じゃ全部飲めないなぁって思って、持ってきたんです」
900ミリの未開封瓶。
未開封の上に、多少の贈答用飾りつき。
なるほど。と、圭は軽く腕を組む。
分けてもらったのは事実かもしれないが、自分で飲むためにというのは、幾ばくかの嘘を含んでいるようだ。
「へぇ。こんな場所に日本酒?
絶滅危惧種って言われて久しいのにねぇ」
す、と、瓶がテーブルの真ん中に差し出される。
しかし、武器屋は素直に受け取らない。
ズルイなぁ。そう、奥歯を噛むのにも、目の前の彼女は穏やかさを崩さないで居る。
どうして、突然の訪問なのか、心得ているように。
すぅ。と深呼吸。
意を決するのは難しいことじゃない。
前に感じた情けなさに比べたら、どうってことないじゃない。
「この前は…」「もういいよ」
く。っと、腰を折ろうとして、膝に置いた手が固まった。
って、謝罪が一つの理由としてやってきたと言うのに、今ここで止められたら、どうしたらいい。
- 99 名前:Confusion 投稿日:2005/01/19(水) 00:19
- 縋るように顔を上げても、武器屋の穏やかさは変わらない。
それどころか、やわらかく口元をほどき、じっと視線を向けている。
「時間は経ってる。
こうして訪ねて来てくれたことが、答えなんだと思うし。
後から思ったけどね、私も大人気なかった……」
ゴメン――。
あなたが先に、その言葉を使いますか。
はふ。情け無い息を吐いて、医師は頬にかかる前髪をかきあげ、胸元で手を軽く握る。
手の中には、自分の胸の痛み。
いつまでもなくならない、喪失の痛みと、それに負ける自分の弱さ。
「ゴメンなさい。
あの時は、沢山許してくれて、…ありがとうございました」
零れ落ちてくる言葉に、自分で泣きたくなる。
- 100 名前:Confusion 投稿日:2005/01/19(水) 00:19
- 天使の居る部屋で起きた、暴力的な言葉の嵐。
あの日、確かに自分は目の前の武器屋に対して、沢山の暴言を吐いた。
なのに。
彼女は批難すれば済むことを、懐に入れて持ち帰ってしまったのだ。
蔑みもせず。
吐きつけることもしないで。
それどころか、彼女は自分の「仕事」に関しての賞賛を置いて消えた。
「さぁ、なんのコトやら。
あの時は自分も、受け止めきれずに逃げたんだし、それはおあいこじゃないのかな。
だから、これ以上は無し」
――その代わりに、コレはありがたく戴くことにするよ?
カサリと酒瓶が持ち上げられて、簡易キッチンへ運ばれていく。
軽々しく言葉の先を行かれてしまい、みちよは敗北感で頭を抱えた。
どうやら敵わないことが決定したらしい。
そうなると裕子にも弱ければ、武器屋にも弱い。
最弱決定ですか。
どーしよーもねーな自分。
どんよりとした空気を肩に背負っている中、圭が応接セットへ舞い戻ってくる。
思うより医術師の感情変化が豊かなのに、苦笑しながら。
- 101 名前:Confusion 投稿日:2005/01/19(水) 00:20
-
- 102 名前:Confusion 投稿日:2005/01/19(水) 00:20
-
- 103 名前:堰。 投稿日:2005/01/19(水) 00:33
- Confusion の前段をお届けしました。
本当なら一気にUPもできるんですが、まぁそれはそれ。
さぁ、一体彼女は何を持ってきたのでしょう。
波は知れないところで、確実に生まれ、寄せてくるのです。
などと、言ってみたりどうしたり。
>前スレ854様
遅レス、申し訳ありません。つい先ほど気付きました(汗
彼女にも、穏やかな時間があったのです。
今、バラバラに過ごしている彼女達の胸の中にあるもの。
書いていけたらいいな…と、思います。
がんばって。
>80 毎度アリ。
ようやく余裕のできた頃のようですね(苦笑)。
平拳やら熊手やら書きますけど、
平安の形もあまりやらずにドロップア(ry
いつか剥がれます。頑張って脱げないように着込みますけど(笑)。
新春のハロコン白(涙)にも行ってきました。
イイ。やっぱり現場、イイ…(笑)。
- 104 名前:Confusion 投稿日:2005/01/20(木) 22:34
-
- 105 名前:Confusion 投稿日:2005/01/20(木) 22:35
-
着座し、残りのコーヒーに口をつける。
静かな時間。
さっきまでの強烈な遣り取りが嘘のように、静かだ。
この場所だけ、世界から切り取られているように。
医術師の袖口に小型レーザーナイフがすべり落ちてきたことも、視覚には衝撃的だったけれども。
さすがに今日はツッコミを入れるところでは無いだろうし。
ここまで来て謝罪というのも、友人の友人らしいが。
きっと謝辞だけが本題では無いはずだ。
キッカケにはなると解っていても、遣り取りならばメールや回線で十分なのだから。
商売道具を持ってまで、こんな危険を冒してまで自分に会いには来ないだろうし。
心の片隅に思いながら、ポツリポツリと紡がれる雑談にお互いが応じている。
じっと。
かすかな仕草さえも逃さない、どこか息の詰る対面。
許されてすぐさま解かれるほど、子供でないことに苦笑を禁じえない。
「こういう雑談も構わないけどさ、本題は別にあるんじゃないの?
じゃなかったら、そんな商売道具は持ってこないでしょ――?」
うん?
痺れを切らしたわけでもないが、武器屋がすいと肩を乗り出した。
力のある視線に晒されて、医術師はかすかに息を詰らせる。
そよがせる視線もすぐに捕まることはわかりきっている。
観念して、みちよは記憶媒体を静かに指差した。
- 106 名前:Confusion 投稿日:2005/01/20(木) 22:35
- 「この前姐さんから、蒼龍銃火器総社の総合研究施設、行ったって聞きましてね。
そちらがよかったら、データを全部見せていただこうかと思ったんです」
――連れ出したのは、武器屋さん、貴女でしょう?
すいと、医師の視線に落ち着きが宿る。
専門知識になれば、砦はすぐさま彼女のモノへと成り代わるだろう。
ふむ。と、口元に指をあて、圭はしばし逡巡する。
捕縛師はあの時、自分と全く同じデータを受け取ったはずだ。
そして、再生形式も一般のモノにあわせてあるので、再生にも問題は無いはず。
なら…どうして、目の前の彼女は「自分のところをワザワザ訪ねてくる」のだ?
「待った。
どうして、同じデータを所持してる、本人に頼まなかったわけ?」
裕ちゃんに見せてもらえば、それで終わることでしょ?
もっともな話を問い返され、観念したように椅子に深く座りなおし。
医術師は圭の目をじっとみつめて、それから机にあったファイルを開いた。
「ちょっとね。
嫌な感じの爆弾、お持ちしました」
あんまり真剣な視線を向けられ、圭はすぃと呼吸を深める。
嫌な比喩だなぁ。
カサと音を立てる印刷物の束。
意外な媒体で作られた書類。
数瞬の後、圭は、「比喩が間違いじゃない」ことをよくよく思い知らされた――。
- 107 名前:Confusion 投稿日:2005/01/20(木) 22:37
-
- 108 名前:Confusion 投稿日:2005/01/20(木) 22:37
-
「見せてもらったからこそ、もう一度見せて欲しいんですよ。
本人に頼んだら、勘ぐられるに決まってますからね…」
広げられたのは十枚ほどの紙。
モノクロで打ち出されたその紙面は、どこか重たい空気で溢れている。
「紙なんだ」
珍しい媒体を目に、紡がれる声。
浮かない顔で返す医師の声は、さすがに重たい。
「わざわざ打ち出したんですけどね…」
個体氏名に刻まれた Yuko Nakazawa の文字。
パラリと言う紙媒体の音に、視線を細める。
血中数値の変遷。
それと、裕子宅で記憶媒体に落とした分から割り出した、各筋肉の伸縮速度のグラフ。
しかもその打ち出された部位の細かさには頭が下がる。
研究者の血、なのだろうか。
武器屋の視線は釘付けになり、くっと頬はこわばった。
「普通、鍛えようの無い部分に、異変が出始めてます」
――突出して指差せる部分は二つ程、ココと…コレですけど。
指さされた数値について、武器屋は軽く息を飲む。
- 109 名前:Confusion 投稿日:2005/01/20(木) 22:38
- 一年前の定期健康診断。
このときの数値はすべて正常値に保たれている。
半年前。
これも変わりない。
丁度天使を捕獲した頃だが、その頃は通常よりも調子がよかったようだ。
忙しさにアルコール摂取も忘れていたようだが、まぁコレはツッコミはやめておこう。
さておき、特例である、二ヶ月前の血液検査。
天使の怪我の処理で、裕子の気が動転したあたりである。
この辺から、妙な気配がしてくる。
圭は指先で数値をたどりつつ、口元を静かに噤む。
迂闊に声に出すには、ちょっと怖い。
神妙な気配を見せはじめた武器屋に、医術師は助けを求めるように続きを紡いだ。
- 110 名前:Confusion 投稿日:2005/01/20(木) 22:38
- 「情報処理施設などに入れておくと、外から読み取られる危険があったので、全て打ち出しました。
後は私の携帯端末にしか入ってません」
――原因が一つだと解っているからこそ、どうしてこうなるのか…解らない。
紡がれる説明の中で、圭の指先は書類の上をたどり続けている。
今、その指先は、先日の研究施設で得た数値までたどり着いていた。
壁面液晶に映した射撃風景の、視線の動きばかりをリピートしている。
うん。と、咳払いを一つ。
キッカケをつくりながら、今度は組み手の映像に移行させた。
小さなワイプ画面を反射速度のデータにしながら、しばし視線を移す。
二人の形がワイヤーフレームでできあがっており、そこに事細かな数字が浮かび上がる。
さすが、旧日本の最高銃火器メーカー。
抜けてるところがありゃしない。
- 111 名前:Confusion 投稿日:2005/01/20(木) 22:39
- 「この筋肉の反射速度の数値は、あんたが割り出ししたの?」
すい。視線を戻し、問いかける。
「はい。一昨年に視力の検査をするのと同時に、動体視力も測ったことがあったので。
それを持ってきて、計算したんです」
「あぁ。そういうこと」
出所がしっかりしているのに、つま先で書類を弾く。
あんまり「精確」な数字であることを知りたくなかったな。
と、圭は思う。
グラフの中に居る捕縛師は、自分が言うのもなんだが「畏怖」を連れて来る。
単純に野生の勘と言ってしまうには、裕子の中にある感覚は「育ちすぎている」。
しかも、急激に急速に。
と、なると。
いつぞやの、矢口と天使の帰宅に、実際より早く気がついたのも。
この前、左を打ち出す瞬間に「微か」に右肩が下がるという「癖」を見抜かれたのも。
…ようやく、合点がいく。
- 112 名前:Confusion 投稿日:2005/01/20(木) 22:40
- 捕縛師を過小評価するわけじゃない。
元から、彼女の能力は高く評価しているつもりだ。
射撃においても、武器を振り回す制動においても、属していた会社の筆頭クラスよりは明らかに上だ。
何らかの組織に属したことが無い人間で、ここまで出来上がっている個人を初めて見た。
それが裕子の仕事を目にした、保田圭の素直な感想。
ただ動きを組むとなれば、話は別。
スタイルは違うし、リーチも得手不得手も違う。
「殺すことに大きく長けている」自分と、「人外相手とは言え生き抜くことに長けている」裕子と。
様子を見るためには「試合」でなければならず、「破壊」してしまっては無意味。
「急所を確実にしとめる」暗殺者のスキルを、武器屋は意識して外さなければいけなかったわけだ。
手加減が必須。と、いうこと。
記すならこの前の一戦には、「意識」と言う名前のハンデが存在したことになる。
それだって、経験も手管の数も考えて、個体能力を相殺としても、分はこちらにあると思っていた。
気付けばムキになって打ち込んだ拳を、彼女は蓄積されるダメージに耐えながら受け止めた。
無意識に急所に向かって吸い込まれるものも、殆ど、全て。だ。
思い出して、息を吐く。
幾分重たい。
脚を取られて引き倒された事実は変わらない。
簡単にもぐりこまれる距離ではなかった。のに。だ。
- 113 名前:Confusion 投稿日:2005/01/20(木) 22:41
- 天性然りの野生の勘に、天使の血?と、いうことになるのだろう。
彼女は自身の知らぬ間に、この二ヶ月で「変化」しているのだ。
思春期の青少年が、体を持て余す力を得るように、その違和感に気付けないで居る。
リバースであり、天使の血液の体外摂取も受けた自分を、良い意味で騙し撃つ力。
傷を舐めただけ。
という話の割りに、この目に見える部分の変化は…確かに……ねぇ。
武器屋が言葉を言いよどむのに、医師は諦めるように髪をかきあげる。
コーヒーの消費量は減っている。
何かを口にできる状態でも無さそうだ。
「その点、当の天使さんには血中数値の異変は全く見られないんです。
ヘモグロビンとか、赤白の血球。
人間の体で必要な部分にも、おかしなところはなし。
霊質の度合いだって、密度が変化しているようなコトも無い。
彼女の血が引き金だと言うなら、何かしらのシンパシーがあってもおかしくないんですけど。
それも起きている様子はない」
――まるで、無理に眠っているような…、何かを待ってるような。そんな静けささえ、感じるんですよ。
予感という名前の思い過ごしであればいいけれど。
顔にくっきりと書き添えながら、みちよは頼りなげに肩を落とす。
研究者としての欲求より、友人を思う人間の顔のほうが美しいようだ。
それは、共通の友人を思う人間としては、安心するけれど。
- 114 名前:Confusion 投稿日:2005/01/20(木) 22:42
- ふぅむ。
言葉を受け取って、髪をかきあげる。
人間の瞳孔など、反射速度には限界がある。それは当然。
それこそ、超越した視覚やESPの所有でも無ければ、次に来る手を読むことは不可能だ。
だからこそ、人は襲われて死ぬし、裏をかいて出し抜くこともできる。
しかし、並べられた測定値の割り出しを見れば、仮定は以下の通り。
体が迎撃体勢を取るよりも早く、視線が確保されていることになる。
なのに、だ。
「この、体の反射が、目に見える能力として向上していない…っていうのが、引っかかるね」
「さすがですね。私もそこが気にかかってるんですが…」
次のページに目をうつして、圭は怪訝に目を細める。
射撃の速射力。
戦闘における反射力。
――動きを目にしてからの体が動くまでの速度。
その部分に大きな差異が見られない。
射撃中、最後の一発を外したせいで、命中精度が落ちているのも解っているが…。
「ご存知かと思いますが、単純に天使の血液を摂取して、こういう反応が出る事例は珍しいんです。
身体でも疾走時のタイムなどの目に見える向上であったり、身体でもわかりやすい変化が多い。
それなのに、現れたのときたら視覚、聴覚の鋭敏化」
――それから霊質の…、密度の上昇。
- 115 名前:Confusion 投稿日:2005/01/20(木) 22:44
- すい。と指をさされたのは、最初に突出していると言われた内の一項目である、霊質のグラフ。
人間で抱えることができると言われる、15程度の密度をギリギリで保っている。
通常10前後とされる数値を考えれば、明らかに平均を上回っていることが解るだろう。
「姐さんはね、二ヶ月前まで、10を上回るかどうかの密度しか持たなかった人間ですよ?
それがこの短すぎる期間で、ここまで膨れ上がるってのは……」
最後まで言って、認めるのが嫌なのだろう。
すいと視線を下げて、重たい息を吐き出す。
「自分もよくまぁ、実験に晒されたけども。
こういう数値の上がり方を見るのは、検体だった自分でも初めてかなぁ」
極力、気楽な声をあげることを心がけつつ、圭は苦笑した。
すぐさま何があるわけでも無い。
そう、思っていたほうが、気が楽だ。
パラリ。
机に書類を戻し、じっと医術師の表情をみつめる。
「それより、生贄に突き出すの?」
彼女のことを、見世物として学会のジジイたちに渡すつもり――?
視線一つで問いかけるのに、すぃと空気が冷えた。
激怒するのも珍しいが、ここまで斬れる気配を漲らせるのも珍しい。
「解っていて告げるジョークは、失言じゃなくて、失礼ですよ?」
おぉ、さすがに怒ったか。
声を受け取りながら、圭は両手をヒラヒラとさせて言葉を打ち消した。
- 116 名前:Confusion 投稿日:2005/01/20(木) 22:45
- 冗談です。失礼しました。
「まぁ、蒼龍社からデータがもれることは無いだろうから、それは安心していいよ。
あの人はそういうトコ律儀だし。
なにより、霊質量15の一般人なんて、正直バケモノだからね。
外部に知れたら最後、学会も諸手を挙げて欲しがるだろう」
そんなコトになったら、何人殺しても足りないくらいだし。
その点では見解は一致するんでしょ――?
軽く笑われて、みちよは髪をかきあげる。
「どうやら、そのようでしてね。
だからこそ、貴女にデータの照合をお願いしに来たんです」
――謝る機会も得て、一石二鳥ということで。
そう下手に可愛げを押し出しながら、医師はてへへと笑った。
現金な話だ。
思わず釣られて微笑んでしまう。
「だって「共犯」くらいは欲しい「でしょ?」」
おぉ、綺麗にハモったもんだ。
それくらい欲のあるほうが、付き合っていくにはバランスがいい。
こっちも決して純然たるお人よしでは無いし、相手を騙すこともあるだろう。
が、医師は「食ったような」微笑を浮かべて、肩を竦めた。
思うよりもお人よしらしい、最大の理解者とお見受けしましたので――。
うん。やっぱり、これくらい食えない程度が丁度いい。
ようやく小さな光を胸に浮かべて、二人はすっかり冷めたコーヒーを口に含んだ。
- 117 名前:Confusion 投稿日:2005/01/20(木) 22:45
-
- 118 名前:Confusion 投稿日:2005/01/20(木) 22:46
- 「なつみさんの、コトですか?」
んー。
綺麗な水を人造で作る世代だ。
地下の岩盤から汲み上げた水で無事なのは富士山麓に連なる一部地域のみ。
南アルプスの方は自然の驚異が大きすぎて、人間が立ち入ることすら出来ないで居る。
そこから考えれば、純粋な水源としては記した場所が最北端だ。
それをさらに濾過し、徹底管理された屋内農場で作られた米を使い、人工的に環境を整えて作った日本酒。
昔の味が解る人間は誰一人として生きては居ないが。
蔵元の女性が過去の文献から再度作り出した「ソレ」は、上でも下でも幻とされている。
口に含めば甘さと芳醇な香りが舌と鼻腔を満たし、一気に幸せ指数を上げてくれると言う。
今日。今この場所も、例外ではない。
二人は持参された瓶の中身をチビチビとやりながら、養殖魚介の肴を挟んで雑談を交わしていた。
そのうちに、不意に真剣な視線を向けて、武器屋が切り出したのである。
――あの天使に特別なところは無いか?と。
きょん?とした視線を向けてから、みちよは幾分染まった頬を膨らませた。
沢山の思考を引っ掻き回して、思うところだけを導き出したようだ。
- 119 名前:Confusion 投稿日:2005/01/20(木) 22:48
- 「あんまり早く下界に馴染んでしまったのでねぇ。
正直なとこ、あんたホンマに天使ですか?とか思いましたけどね。
まぁ、姐さんの件はちょっと不気味やなぁ…と。
最初に見れた変化も見ないし。
別段…ほかに気になるところは、無いですかねぇ」
彼女に変化が無くて、姐さんに変化が出てるあたりが、ちょっと怖いだけでねぇ――。
小さなコップを両手にするあたり、みっちゃん可愛いなぁなのだが。
考えるように紡がれては、納得するほかは無いだろう。
まるで古いアドベンチャーゲームで、話しかけた村人のような答えだと思ってはいけない。
医術師、平家みちよ。
彼女は幾分酔っている。
「そっか。なら…いいんだけど」
軽く指先で感謝を示して、酒気を口にする。
何か特別な気配があるのだろうか。そう、思っただけなのだ。
裕子の変化も、外にばれなければどうにか平穏なままで居られるだろう。
自分が、忘れ去られていくように。
- 120 名前:Confusion 投稿日:2005/01/20(木) 22:48
- 人の生活を体験し、報告する義務を持つ天使。
しかし……その義務を負うのなら、なぜ「人の罪を暴く」……。
教義的に解釈すれば、きっと「改心」を促すための力なのだろう。
気付きの力。
罪をつきつけ、告悔を促し、悔い改めさせる暴威。
――果たして、自分達はその力に感化されているのだろうか?
すでに酔い始めたみちよを横目に、武器屋は口元を正した。
裕子のやわらかな変化。
そして、医術師と自らの関係の懐柔。
確かに、今までで変わらなかった部分が、やわらかく解けていく。
だけど…、そこに必然性は無かった。
あの天使が現れてから、全て動き出したことだ。
- 121 名前:Confusion 投稿日:2005/01/20(木) 22:50
- 裕子や天使に対してのスタンスならば、これからも変わらないだろう。
自分だって、元を正せば一介のリバースに過ぎなかった。
今現在、学会で出回っている資料の幾つかは、自分たちの体を弄った結果に過ぎない。
嫌な記憶があったもんだが、彼女に還元されるなら少しは気が軽くなる。
せっかくの日本酒の豊かさをかき消すことになるが、傍らにおいていた煙草に手を伸ばした。
空調の効き目を理解しているのか、医術師は嫌煙の意思表示をしないで居てくれる。
カチンというオイルライターの蓋が閉まるのと、最初の紫煙が吐き出されるのは同時。
見れば医師はソファーに体を預けて、随分と機嫌が良さそうだ。
「今日はベッド貸すから、眠ってから帰りなよ。
明日きっちり、診療所まで送って行ってやるからさ」
ぬぁぁ。おねがいしますぅ。
いよいよ、くてーっと体の芯をなくしはじめた医師を、咥え煙草で立ち上がらせる。
そこで初めて鼻に皺を寄せて抗議しようとするので、「遅いよ」と圭は苦笑した。
確かに。
影響なら、少なからず受けているのだろう。
そう、理解する。
自分も。
小さなバーテンダーも。
目の前の医術師も。
孤高の捕縛師さえも。
――天使のわりに…、いや、だからこそ?罪な生き物だ。
気付かれぬ程度の微苦笑に、かすかに煙草の火が揺れた。
- 122 名前:Confusion 投稿日:2005/01/20(木) 22:50
-
- 123 名前:Confusion 投稿日:2005/01/20(木) 22:50
-
- 124 名前:堰。 投稿日:2005/01/20(木) 22:56
-
Confusionの後段をお届けしました。
一気に更新すりゃいいじゃねぇの、ってんですけどね。
自分でもちょっと思いました(笑)。
今後の検討課題ということで。
風邪が周囲で大流行です。みなさまもご自愛ください。
でわ、また次号。
- 125 名前:名も無き読者 投稿日:2005/01/26(水) 13:46
- 更新お疲れサマです。
あぅわー、何とも言えぬ静けさにゾクゾクしますね。
静けさの中にあんな情報が含まれてるせいでしょうか。
先の展開が一層楽しみですw
次回も期待しております。
- 126 名前:日常。 投稿日:2005/02/19(土) 21:18
-
- 127 名前:日常。 投稿日:2005/02/19(土) 21:20
-
ぼんやりと、空を見上げている。
分厚い雲のむこうには、薄くなりその機能を失いつつあるオゾンが重なっていて。
枯渇し、機能を無くそうという危急に喘いでいる。
ぼんやりと、空を見上げている。
この上に天の国がある。そう考えた人間たちが見た空は、どんなに美しかったのだろう。
水底の神秘を見止めるような、数多の星の輝き。
彼らはそれを知らない。
彼らは、空を知らない。
分厚く作られた雲の幕しか、見上げたことが無いらしい。
数瞬、太陽や月が照らしても、それは実害ある弾薬が大地を打ち抜くのと同じ。
希望など見出せるものでもない。
見えない扉。
見えない力。
見えない、命。
見えないソレが潰えるコトに怯えながら、生きている。
きっと、これからも、怯えながら生きていく。の、だろう。
- 128 名前:日常。 投稿日:2005/02/19(土) 21:21
- 背中には微かな開放感。
今日の狩場が市街地では無いために、捕縛師が自身の耐えうる数値ギリギリまで霊質を解放してくれた。
おかげか、最近感じることのなかった沢山の思惟や感覚が、空気のように通り抜けていく。
すぅ。はぁ。呼気の一つにも、枷は無い。
久々に翼が顕現しているのかもしれない。
幻としてかもしれないが、風が撫でていくような気配があるから。
傍らには艶ある黒色の野獣――とも、闇夜の眷属とも称される大型二輪ディアブロ。
キャノピー?だっけ?屋根のあるタイプもあるのだそうだが、捕縛師の愛機はそのまま「バイク」然としている。
生き物だったら本当に、黒豹とかそういう感じだろうねぇ、お前――。
トン…と後部シートを一つたたいて、視界のかぎりを見渡す。
この子のご主人様は砂の上で、捕獲対象と格闘中だ。
どう格闘しているのかは、まぁ、後でわかると思うが。
- 129 名前:日常。 投稿日:2005/02/19(土) 21:22
- ――ん…やっぱ、たまに思考を働かせないと、鈍くなっちゃうな…。
ゆるりと吹く風に髪をかきあげ、天使は吐息を風に放つ。
流されていくものの、色は無し。
静かに目を閉じ、俯く。
旧称「東京湾台場」の乾いた大地に降り立ってから、片手以上の月日が流れようとしている。
傷つけられ、悔やまれ、ほどき、紡がれ。
短い期間で沢山のことを覚えた。
挨拶。
ゴハンの食べ方。
林檎などの剥き方、及び食器の片付け。
お風呂の――洗われる子供じゃなくて、自発的に入る大人としての入り方。
笑顔。
コミュニケーションツールとして言葉。
など、など。
思い返すにもたくさんの事柄が体の中に降り積もっているが。
事実として、極少数の人間にしか出会っていないことは、理解しているつもりだ。
おかげで、安全な場所に居られていることも、降り立った当初よりは解っていると、思う。
- 130 名前:日常。 投稿日:2005/02/19(土) 21:23
- 瞼の中で繰り返す、今この瞬間まで過ごしてきた時間は、とても優しくて穏やかで、愛しい。
痛みを抱えている個体が、その視線を上げる瞬間の、強さが愛しい。
誰にでも出来ることではないと、そう、誰もが思っている。
ひたむきに生きる姿勢を、己すら知らぬ間に、絶望的にでも選び続けている彼女たちを、愛しく思う。
いつ、帰還のサインがあるか解らないけれども、時間のあるかぎりに、見つめて居られたらいい。
肩を竦め、優しさに姿勢を解く。
ぐっと伸ばす腕。
力の循環するつま先。
ふと、微妙な脳内の差異に、脚がとまる。
――最近は考えるのにも、人間の語句として変換されてる。
ふむ。頭を軽くふるふると振って、スッキリしないものか?と試しても。
無駄…みたいだなぁ。
思わず苦笑する。
頭脳の中に蓄積されていく「対人」の知識によって、整理整頓は阻まれてしまう。
降り立った直後は、難しくとらえられていた世界も、今は「知っている言語の範疇」で思考が決まる。
ほだされていると言えば、それだけなのだけども…。
- 131 名前:日常。 投稿日:2005/02/19(土) 21:24
- 見渡すかぎりの、砂の世界。
彼女と出会った、砂の海。
彼女が降りてきたはずのこの高台から、自分が竦んでいた彼方を見下ろす。
今日の仕事は、巨大な砂ネズミの捕獲なんだそうだ。
小型犬くらいあるんやけどな?これが、すばしっこくてよぅ好かん――。
来る道のバイクで溢していたな…。
大変だなぁ、捕縛師さんて…。
体張ってるよねぇ。
矢口がものすごく優しい笑顔を見せるのを思い出して、頬が緩む。
そう思いめぐらせた視界の中。
罠が作動したのか、ガション!と金網の軽い音が響いた。
ギー!っと威嚇する声を掻き消すのは、思うよりも男前な雄たけび。
やぁ、男らしいったらありゃしない。
- 132 名前:日常。 投稿日:2005/02/19(土) 21:25
-
っしゃあああああああ!捕まえたゾ、オルァ!
チョコマカ×2しやがってッ!
AH―HAHAHAHAHAHAHA!どーだ!もう逃げられないからなッ!
非常にテンションの高い声がこだまする。
見れば捕縛師の黒装束は、砂にまみれて「まだら」にけぶって居るではないか。
テンション上げすぎて、一人で唸って居る姿は、正直、なかなかに滑稽だ。
きっと、いつもの「生死」に直接響く仕事ではなかったからだろう。
ネズミのすばっしこさに怒髪天…だったのかもしれないが。
ここで、後者か?と思わせる捕縛師がイケナイ。
んもう。どうしようも無いなぁ――。
容易に想像がついてしまい、零れる笑みが、頬に張り付く。
これこそ、親愛と、信頼の証なのだが。
ふと気付いて口元に指をあてる。
これが、「肩入れ」と言うものなのだろうか?
そう思っても、問い返す個体は見当たらない。
死地に送り込まれる天使の数は、とても少ないし、何より帰還数も少ない。
自分がこの先、生きて戻れるかどうかも解らない。
本当に、いつまでも、このままで居られるのかは解らない。
でも、魂だけになって戻っても、きっと言える。
まだ。
まだまだ、捨てたもんじゃない。と。
彼女たちが居るのなら、人間の世界も、まだ続いていけるだろう。
そう、思う――。
- 133 名前:日常。 投稿日:2005/02/19(土) 21:25
-
- 134 名前:日常。 投稿日:2005/02/19(土) 21:26
-
「待たせたな。退屈だったか?」
微笑む裕子の背負った籠に、キーキーと高い声を上げる砂ネズミ。
サンドベージュの絹の毛皮と、よく見れば鋭い爪、げっ歯類特有の歯。
本当に体長30センチ近くあるその体は、下手したら子ダヌキ並みだ。
尻尾も細くて愛らしいけど、ちょっと噛まれたりは勘弁したいサイズ。
天使の視線の高さで、ジッタバッタと籠を揺らしている。
いつもより分厚いグローブで不自由なのよコレが。
と、苦笑していた捕縛師は、得意げに罠を併設してる籠を持ち上げた。
すごい。どこも傷ついてない――。
自然なままの姿を損なうことなく捕獲された砂ネズミは、逃げる機会をうかがって暴れている。
全く傷みのない個体であることを、理解していただけるだろう。
これが、中澤裕子という捕縛師の「信用」である。
「裕ちゃん見てたら退屈しなかったよ」
そのままの感想と言うには、あまりにあまりなのだが、天使は隠さずに笑う。
「それはよかったな…って、オレは見世物かっ!」
ナイスノリツッコミ。
じょーだんじょーだん。
と、両手で謝るなつみに、捕縛師も冗談で両肩を怒らせた。
- 135 名前:日常。 投稿日:2005/02/19(土) 21:27
- 「ま、確かにな。
今回はハタからみたら、情けない仕事っぷりだっただろうけどなぁ」
――さぁて、さっさと売り飛ばして、たまには早く帰るか。
笑いながら愛機ディアブロに近寄り、キャリーに据えたコンテナへ、籠ごとネズミを入れる。
上からちょちょいとオヤツを与えてやって、そのまま蓋をぱたり。
後はいつもの交換場所へ持って行って、依頼主に譲渡し、今日の仕事はお終いになる。
捕縛師は、夕暮れまでに仕事を終えるつもりのようだ。
天使が大人しく両腕をさしだすのに、用事を思い出したのか肩を竦めた。
ピ。と乾いた音をたてて、腕環の設定が、再度正される。
霊質量30の固定値。
設定の仕方が解っている分、中てられる時間も少ない。
さっきまで、破格の待遇である50前後までの自由を与えて居たのだ。
そりゃぁ、ノビノビもできただろうよ。
よかったな。
大人しくされるままの天使の頭をかいぐりして、捕縛師は腕を解放した。
- 136 名前:日常。 投稿日:2005/02/19(土) 21:28
- ぷらんぷらんと腕の調子を見ている天使に、裕子が声を放り投げた。
「さっき…、一人でお前、空、見てたな」
思い出すように呟きながら、裕子がコックピットのスターターに指をあて、指紋・脈を照合する。
ヒュイィィ…ンと軽い音を立ててシステム起動をはじめる、黒色巨躯の猛獣。
身体能力値などが一定に達していないと、購買申請を出すことすら敵わない特殊二輪。
まぁ、乗りなれてしまえばこの上なく快適なのだそうだが。
購入直後に振り回されて即死する人物も多いとか。
そんなバイクにすでに7年近く乗っているそうだが…。
なつみは与えられたゴーグルを引き上げ、深い後部シートにちょんと跳び乗った。
「見てたの?」
――仕事中だって言うのに。
思わず首を傾げる様子を見やり、裕子は肩を竦める。
「見ようと思って見たわけじゃないけどな。
なんか、遠い視線で空を見てるから…」
――懐かしんでるのか、帰ろうってのか、どうしたんかなぁ…と思ったわけだ。
柄にもなく。
てれを覆い隠すように微笑いながら、裕子もゴーグルを引き上げた。
- 137 名前:日常。 投稿日:2005/02/19(土) 21:31
-
思い出すのは、さっき見た、普段頼りないはずの個体が、凛と天上を見上げる姿。
砂ネズミを追いかけて這い蹲る砂漠の上。
ふっと視線を上げれば、日ごろフワフワしてるはずのなつみが、口元を閉ざして静かに視線を持ち上げている。
翼の幻は彼女の肩を守るようにそよぎ、ただそこに静寂をかぶせていた。
そこに存在したものは、不純物の無い、清しさ静けさ、そして聖さ。
必死になって、砂まみれになって、ネズミ一匹を追いかけているのがバカバカしくなる程の美しさ。
おかげで妙にテンションが高くなって、捕獲直後のバカ騒ぎだったのだが…。
コイツには真相を明かさんでおこう。
情けない笑みをくちびるから剥がして、裕子は自らの眷属に跨る。
鉄騎と言ってもおかしくない、自慢のバイクに。
- 138 名前:日常。 投稿日:2005/02/19(土) 21:32
- 「どーせ。お前にも、帰る時期とか、わからんだろ?」
背中ごしに、何気なく放られる声。
天使は単純に考えて、「まぁ…自分じゃぁ、多分」と呟いてみせた。
が、そのまま。
まるで悪戯に思い当たったように、ニィっと瞳を笑ませる。
サイドミラーに視線を移した裕子の肩が、ビク!っと揺れるくらいにはエロ目。
天使のくせに!と毒づかれることもしばしば。だが、顔の作りのせいだのだから仕方が無い。
それだけ楽しそうな笑みを見せて、喜色満面、上体を乗り出した。
「あれぇ?もしかして、裕ちゃん…淋しくなったりする?」
――なっちが居なくなったら、淋しくなる?
無邪気にも子供のように言い寄る天使に、振り向くそぶりで肘を一つ当てる。
ゴン。と、軽く痛い音がするのも、捕縛師は気にもとめない。
- 139 名前:日常。 投稿日:2005/02/19(土) 21:32
- しかし、当てられたほうは、たまったもんじゃない。
「ったぁい!暴力反対ー!」
ポカスカと肩をたたかれても、痛くも痒くも無い。
笑みをかみ殺しつつ、裕子は抗議に毒を加えて返す。
「暴力を振るわれるような、ハシャギ方をするからですッ」
――自業自得って言うんですよ!覚えとけっ。漢字ごとッ!
勝ち誇る裕子の声に、なおも楯突こうと頑張る天使の言葉は、エンジンの轟音にかき消される。
軽量級の主と更に軽量の天使、そして獲物を載せて。
超重量級特殊バイクの後輪が、砂煙をたちあげた。
「っしゃ、待ち合わせを早めても余裕だな」
小さな抵抗をわざと無視しつつ、捕縛師はアクセルを一つふかした。
- 140 名前:日常。 投稿日:2005/02/19(土) 21:33
-
淋しくなるとしても、口になんかしやしねぇっての――。
そう、苦笑する捕縛師と。
まぁ、淋しくなるとしても、この人は自分からなんて言ってなんかくれないか――。
と、納得している天使と。
どちらが生活に融けているのかなんて、もう、今更の話。
黒色の機影は東に向かう。
一筋の足跡に、砂煙の帯を刷きながら。
その先に待っているのは、連綿と続く時間と、明日だ。
きっとずっと続いていく、時間と言う名の無形の鎖――。
- 141 名前:日常。 投稿日:2005/02/19(土) 21:33
-
- 142 名前:日常。 投稿日:2005/02/19(土) 21:33
-
- 143 名前:堰。 投稿日:2005/02/19(土) 21:44
- 日常。でした。
あぁ、ほのぼの。
久しく、こういうおばかさんを書いていなかったので、
どう書いたらいいのか頭を捻ってしまいました(苦笑)。
ディアブロはこう…マシンディティールが描ければいいのですが、
そんな能力も無いのでいずれ精緻に…書けたらいいなぁ。
逃げたりし…(殴
>125 毎度アリ
30日の夜公演の後、バレンタインを青年館で過ごしてきました。
本家ピロリンの破壊力は違いますね…。
エネルギーも充填。
少しずつでも、前へ。這ってでも前へ(笑)。
でわまた、次の機会にお会いしましょう。
- 144 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/21(月) 20:56
- 更新お疲れ様です。
天使いいですね。
ほんぼのしてしまいました。
- 145 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/28(月) 21:44
- この二人の会話は、ほんとほのぼのですね。
対人の言葉を得れば得るほどに、混乱(と言うのかな)していく天使さんの思考。
それが、後にどう作用していくのか。
今後の二人の動向から目が離せません。
- 146 名前:名も無き読者 投稿日:2005/03/04(金) 00:03
- 毎度〜♪っと、更新お疲れサマです。
ほのぼの、ぼのぼの。(違
いいですねぇ〜。
では這ってでも頑張っていただいてw
続きも楽しみにしております。
- 147 名前:片鱗 投稿日:2005/03/08(火) 20:49
-
- 148 名前:片鱗 投稿日:2005/03/08(火) 20:50
-
女はよく出入りをするが、特別大きな動きは無い。
職業欄捕縛師というのも、その成果も誤りはないようで、ひっきりなしに仕事をしている模様。
データベースを漁ってみたら、なかなか面白い文面を見つけましたのでご報告。
下層旧目黒の集落で起きた、土竜による破壊記事です。
7年ほど前ですが、文面に捕縛師の女の名前が出ています。
そんなにも前から土竜とカチ合えるというあたり、かなりの手練と見られます。
自分はまだそこまで出来ないかもしれない。
警備記録上の土竜の仕留めは、かつての黒(騎士・永久欠色)の仕事のみ。
前任の赤であったりが手伝っていたようだけども、黒も赤も存じ上げないのでわからない。
というと、現職赤に怒られる。
知らないからだ。と。
知らないものは知らない。
後から聞いた話によると赤は護衛官の木村さんだったそうで。
そんなに強いかなぁ?とか思ってしまうのは仕方が無いと思います。
- 149 名前:片鱗 投稿日:2005/03/08(火) 20:51
-
医術師が一人、往診に来ている模様。
不定期にやってくるようで、前回から一週間目の今日再び現れる。
データベースに公開されていないコトを見ると、やはり天使をかくまっている様子。
通常生活を送らせているようだが、あまり外に出していないのか窺い知れない。
よくジープが来る。
所属などは不明。
乗っているのはちょっと怖い雰囲気の女性、どうやら専門職。
SD社製麻酔弾の包みを持っている。
女の武器の供給先のよう。
それより頻度高く、金髪の小さいのが来る。
小さいのは食料持参が多く、帰りに減っていることを見ると食事を作っているようだ。
一度出所を確かめる必要あり。
壁を通して霊質などの監視ができるか試してみるが、部屋のセキュリティが上級らしく無理。
下層のくせに。
要再挑戦。
- 150 名前:片鱗 投稿日:2005/03/08(火) 20:51
-
買い物に出た天使、八百屋さんで林檎を貰う。
かたわらには小さな金髪が一緒に居て、さながら子供のお遣いの様相を呈している。
布の袋を持参した金髪は、どうやら買い物慣れしているよう。
目標とされる固体はそれは楽しそうに、行きも帰りも手を繋いでいた。
林檎をあろうことか衣服のポケットに入れている。
無邪気すぎてありえない。
あんまり無邪気なので、見張ってるのがアホらしくなることしばし。
危険だ。と、勝手に思って悩むこと少し。
どうにかしてください。
霊質量には数値的変化無し。
腕に霊質量抑制装置の環を確認のこと。
制御正常値は30前後の様子。
人間が差し障り無く触れられる限界値設定でしょう。
そういえば、さいきん手を繋いでません。
時間ください。
- 151 名前:片鱗 投稿日:2005/03/08(火) 20:52
-
捕縛師の一行、共同墓地へ。
誰かの墓参りの様子。
ある程度の時間が過ぎてから、帰路につこうかという時に、不意に天使立ち止まる。
墓石上に霊質150オーバーの個体出現。
捕縛師が墓石に向かっている間にも、同じ形の違う質量の個体あり。
どうやら同じモノが質量をちがえて登場してみせた模様。
初めてそんな数値を目にするので、正直に驚きました。
その個体としばらく見詰め合っていた目標の霊質が、制御環を確認しながらも上昇する。
制御されての通常値30から、急速に80近くまで上昇。
翼の外形は無いものの、薄っすらとゴーグル越しに反応あり。
映像は焼きなおして保存していますので、ファイルの中で探してください。
霊質どうあれ幽霊は苦手なので、ちょっと嫌なものを見た気分。
墓石の上のは「くっきりとした人型」。
洒落にならない。
あ。総裁、たまには肉食べたいです、肉。
昼の支給品がフィッシュバーガーなんて、私へのイジメとしか思えません。
美貴から肉を取ったら、一体なにが残ると言うのでしょう。
- 152 名前:片鱗 投稿日:2005/03/08(火) 20:53
-
- 153 名前:片鱗 投稿日:2005/03/08(火) 20:54
-
トントン。
紙媒体として打ち出された書類を整え、呆れた視線を投げかける。
「局地的に主観入りすぎ。日記が読みたいわけじゃないって。
これで直接の報告義務がなかったら、書類絶対に通らないよ?」
もう少し、実務的な報告書が書けるようになると良いでしょう――。
苦笑とともに、「もう少し頑張りましょう」という判子の押された報告書が返却される。
洒落のわかる判子なのだが、言われるほうはさすがにへこむ。
黙り込む新米騎士藤本美貴に対し、王――後藤真希は肩を軽く竦めた。
責めても仕方が無いことくらい、解っている。
「今日はまっつーが出てるんだっけ?」
「あ…、はい。
なんかさっき入った連絡で、わざわざ川崎方面まで追尾してるそうです。
捕縛師が捕獲用の罠を持ってると言うので、ちょっとばかり長くなるかも…って」
ふぅん…。
あまり興味無さそうに、後藤真希は巨大なガラス面へ視線を向ける。
周囲には肩を並べるようなビルもなく、そこは彼女のために据えられた楼閣のようだ。
- 154 名前:片鱗 投稿日:2005/03/08(火) 20:54
-
巨大な窓の向こうは水槽みたいに、死んだ世界の風化を切り取っている。
彼方に見えるビル郡の成れの果て。
乾いた骨のような、橋の残骸。
御使いに壊され損ねた、時間の遺物たち。
「ほんとはねぇ、材料なら出揃ってるんだよ。
そしてもう、その条件で確定済みなんだ…」
独り言のように呟きつつ、しかりと聞こえる程度に発声する。
やわらかな音声が紡ぐ毒を嗅ぎ取り、騎士は身を硬くした。
「無視できないほどの質量で構成されている固体が、故意に能力を抑えることは例があるんだけども。
微弱な霊質量の個体で、霊質が定まらないなんてのは、数居る御使いにも一人しか居ない」
専門知識の範囲なのか、それを超えるものなのかも解らない、淡々とした物言い。
普段の仕事――それは彼女の護衛なのだが、時折垣間見る「絶対零度の残酷」に触れている気になる。
憎悪とも無情とも称しがたい、負の空気。
解けているときは、ほがらかな美少女という括りにできるほどなのに…。
- 155 名前:片鱗 投稿日:2005/03/08(火) 20:56
- カツカツ。
指先で執務用の机をたたきつつ、王は視線だけを冷やす。
「今日のまっつーの報告次第では、そろそろ動かすからね」
――やりたいことがあるのなら、今のうちにしておくといいよ。
うごかす。
という言葉に、貴腐の匂いがする。
ずっとずっと長い時間をかけ、寝かされてきた思い。
発酵をおこして、狂へと変じる「念」。
「あの…総裁?」
近しい場所に居る呼び名よりも、数段下ってから視線を渡す。
うん?と伺う視線を向けられて、発言の許可を感じ取ると藤本美貴は胸元をかるく手で握った。
「ほんとうに…その、破壊は起こるんでしょうか…」
基本的な質問だ。
初歩の、初歩。
あんまり初歩の質問に、足元を掬われた気分になるよりも早く、虚をつかれた可笑しさが湧いてくる。
フンっと軽く噴出し笑いをしてしまい、王である存在は片手をあげた。
「や。笑ってゴメン。
そっか、まだ見せてなかったっけねぇ」
よしことかはこの前で飲んでるから、君にも見せたと思ってた――。
ちょっと待って。
そう微笑するままに、机のコンパネから壁面を動かした。
- 156 名前:片鱗 投稿日:2005/03/08(火) 20:57
-
ゴウン。
という錠の外れる音。
次いで、重厚につくられた扉が動く重々しい音。
どくん。トクン―トク――。
心臓の音が耳に逸る。
それは悪い予感や焦りに感じる鼓動だ。
騎士の肌という肌、体中に悪い汗が噴出す。
これが…噂に聞いていた、総裁の悪い趣味。
天使の、コレクション。
こくり息を飲み下すのに、喉が鳴った。
正視するのにも背筋が寒くなる。
いや。背筋を這う神経の一本一本が、何かに抜き取られるような、怖気ある違和感。
圧倒的なものを目の前にして、竦むのは本能だろうか。
まるで迫り来る車から身を守るために、その場から動けなくなる猫のようだ。
潰されるのも知らずに、フロントを見ていることしかできない…無力な……。
大きく摂られた装置と、同じ装置の小型仕様が幾つも並んでいる。
円筒型の…それは医療機関で使われる生命維持装置であったり、負傷者用の培養槽に似ている。
気付けば、美貴の横に総裁が佇んでいた。
おいで?と軽く手を引かれる。
ツ。つま先が戸惑うのに、肩先は引かれてしまい、たまらず前に一歩を踏んだ。
まるで、巨大な絵画を見るために大人が連れているようだ。
子供には、その絵画の意味や背景を理解することができない。
直感での感想しか、抱けない。
- 157 名前:片鱗 投稿日:2005/03/08(火) 20:58
- ぽん。と肩を叩かれ、一瞬、王の横顔に視線を奪われる。
自慢の収蔵物。
確かに、そうなのだろう。
でも、自慢しているというよりは、その実用性も心得ているという「自信」が溢れている。
誇らしげだ。
しかし、こんなモノの実用性など、理解できるほうが「オカシイ」だろうに。
「必要なものは用意してる。
あとは、天秤とも呼ばれる起爆剤があれば、準備はすべて整う」
――天秤の号令一つで数多の天使が地上に降りてくる。それも見つかってるし、時間の問題だよ。
自信たっぷりに「不可避」を唱える王は微笑する。
騎士はただ、その透明な円筒を見つめることしか出来ない。
人型の、天使なのだろう。
細い体に不釣合いな大きな翼が三対、背中から包み込むように体を覆っている。
保存槽の中でさえ顕現する翼。
すぅっと通った鼻梁に、風に吹かれれば流れるだろう、亜麻色の長い髪。
その美しさは「造形美」。
まるで作られたもののように美しく。
その美しさは同時に、創造することが不可能な「自然美」であることを示している。
神の御業と唱えられれば、信じるほかないだろう。
まぶたは長い睫毛とともにおろされており、静かに、ただ静かに、眠っているように、見える。
- 158 名前:片鱗 投稿日:2005/03/08(火) 20:59
- 説明は予想外に滑らかで、調子がいい。
誰かに話したくて仕方が無かった、子供のように無邪気。
根底にあるものは、ありえないほどの陰なのに。
「中は霊質中和と不活性の活動停滞の気化ガスで密閉されてる。
仮死状態にしてある…と言えば近いかな。
体が顕現していたり、目に見えるほど濃い霊質であれば、個体としてとらえることもできるし。
なにより、人間に対処するようにできるからね」
――捕獲できれば維持は楽なもんだよ。
くすくすくすくす。
まるで、人形でも眺めているかのような、気軽さで声が紡がれる。
ありえない。
こんなことはありえない。
オカシイ。
コワイ――。
こんなに美しい個体が、世の中にあるだなんて…。
息も飲みにくいほど、体は戦慄くものなのか。
思い知る。
指先も、髪のさきまでも支配される恐怖。
死すらも思わせぬ慄きに、体は動けないでいる。
- 159 名前:片鱗 投稿日:2005/03/08(火) 21:00
- 「今、君が見惚れている彼女はね、最高位の破壊の使徒。
綺麗でしょう?その分、位も高いんだけど。
名を……うの怒……と言ったかな。
者…の呼びかけに応えて、世界の掃除を始めることに…………」
この彼女が世界に放たれていることこそ、天秤が下界に下ろされている証拠になるんだ…。
彼女と「天秤」は、ある意味で表裏一体なのだから――。
そう、陶然と、歌うように唱えるから。
普段やわらかな騎士の唇はかみ締められる。
凛と世界を見渡せるはずの瞳は、歪んでしまう。
本当に、となりに居る人間は、鍵を握っているのだ。
時間という流れを、止める術を持っているのだ。
なんという力。
ぐっと、目を閉じる。
本能的に思考を閉じようとしているのか。
声も遠くへ追いやりたい気持ちがそうさせるのか、途切れ途切れで情報が寸断される。
- 160 名前:片鱗 投稿日:2005/03/08(火) 21:01
- 「ど…し……」
どうして。
どうして、こんなことを…しようとしてるんですか?
言葉がすべて綴られなくても、畏怖に濡れた視線の意図は繋がる。
端整な王の横顔。
長い睫毛の先が静かに下り、再び持ち上げられ。
視線がゆるやかに騎士へと向けられる。
静かな、とても静かな瞳の奥に見えるものは、凪ぎの水面。
凪ぎが、虚空にも慈悲にも映る、不可思議な色を湛えて揺れる。
正常を引き込み、塗り替える魔性の色。
透明で清らな、深い泉の底に揺れる…光彩。
「言葉よりも饒舌な答えが必要なら、その目に見せてあげるよ」
私の配下に居ることを、感謝し、畏れるといい。
途端、まるで膨張する熱に感覚のすべてを奪われ、思わず視界を遮った。
熱い飴をのばすように高熱と閃光が拡張し、騎士の目の前で膨らんでいく。
――ィ……ぁぁ………。
喉が、鳴る。
鳴るだけだ。
言葉になどならない。
- 161 名前:片鱗 投稿日:2005/03/08(火) 21:02
- 容赦のない現実。
それは、まるで……。
そう思いかけて、思考が止まる。
ただ、ただただ、視界の中にある光景を、脳は受け止めることに躍起になっている。
処理できない。
目の前にある状況は、特殊すぎる。
王の言う、言葉よりも饒舌な、答え。
確かに。
これは、揺るがしようの無い、藤本美貴の視界で起きている出来事であり、紛れも無い現実。
ふわり。
肩に、足元に、光が落ちる。
そこにあるものは、安堵や安寧じゃない。
ふわ…――フワリ、ふわわ…フワ――。
迫り、心臓を蔦のように這い上がり、神経の総てを畏怖でねじ伏せる映像。
光の粒のような、白く軽いそのカケラ。
普通は一対なんだよね――?
基礎知識が詰め込まれた、頭の中で思う。
でも、それ以上続かない。
光の加減で揺れ、見え隠れする、純白の幻に包まれて立ち眩む。
視界に指先を向けられるまま、視線を動かすことすらままならい。
すぃ。と瞼を下ろさせる仕草に、体は抗う術を知らずに。
藤本美貴はたやすく眠りに落ち、前のめりに倒れこんだ。
そうっと抱き込む腕が、ゆっくりと騎士を横抱きにすると、自室のソファーへと横たえる。
軽々と。まるで、パントマイムの道化が軽い重石でも持つように、非現実的なバランスで。
- 162 名前:片鱗 投稿日:2005/03/08(火) 21:04
-
長い睫毛の先にちらつく光に、やわらかに吐息をつく。
視線の内、意識を閉ざしながらも苦悶の表情を浮かべるのは、本能的な恐れだろう。
王は、所有物として慈しむために、そろりと髪に指を通す。
騎士の持つ綺麗な額の線に指先をあて、まるで愛撫するように頬に滑らせた。
早熟で未発達な、手駒。
愛情の熱に浮かされて、行く末の破壊を望んだ少女。
目覚めた後、この騎士がどんな答えを持とうとも、結果は変わらない。
多少の抵抗など、自分には無意味なのだから。
「久々だなぁ…この開放感。
やっぱ押し込めてると窮屈なもんなんだな」
ニィ。
薄い唇を冷たく持ち上げる。
光の加減で透ける幻。
自らを彩る力に、王である彼女は体の線を軽く反らせた。
まるで、窮屈な檻を抜け出た獣のように。
- 163 名前:片鱗 投稿日:2005/03/08(火) 21:05
- 「成長期に体ごと癒着しちゃってるから、霊質も確認できないんだよね。こうなってると」
――おかげで、沢山のことを、随分楽に進めてこれたけども。
ふふん。と、もう一度鼻で笑い、かすかに顰む眉を偉そうに持ち上げた。
瞬間、外部からの通信回線が連絡の有を告げる。
外に出していた、密偵からの着信。
来たね、いよいよ――。
「お疲れ様、まっつー。どうかした?」
幻をかき消し、振り返る刹那。
華のような笑顔で呼びかけるその足元で、純白の羽毛が一枚、融けるように消えた。
世界を深く覆いつくす豪雪の、ほんの小さな、最初のひとひらのように。
- 164 名前:片鱗 投稿日:2005/03/08(火) 21:05
-
- 165 名前:片鱗 投稿日:2005/03/08(火) 21:05
-
- 166 名前:堰。 投稿日:2005/03/08(火) 21:16
- 久々のチェス盤。
片鱗 でした。
いろいろと楽しかったです。
>144
ほのぼのパートは自分で書いてて脱力します。
殊更「ほだされた天使」を書く時には。
すでにもう中学生以上の言語で滑らかに話しますが、
抜けてる部分は埋まりません(微笑)。
だって天使ですから>これ以上の説明は無いなぁ(笑)
>145
ほのぼの、なんですよね(笑)。
何がどう作用するのか、自分も検めないといけないのですが(ヲイ)、
懸命に綴っていけたらと思います。
>146
そう、ぼのぼの…?ってヲイ!と思わずツッコミ(微笑)。
しまっちゃうおじさんに仕舞われてしまいますよ?
黒い人を書くのは楽しいです。とても。
でわ、また次回の更新で。
- 167 名前:名も無き読者 投稿日:2005/03/26(土) 18:33
- 更新お疲れサマです。
ってまたレス遅れましたが。(ぉ
彼女は……何者?(汗
「片鱗」とゆーことはまだまだ。。。
続きも楽しみにしてます。
- 168 名前:日常。 投稿日:2005/04/04(月) 21:21
-
- 169 名前:日常。 投稿日:2005/04/04(月) 21:22
-
「ハイ、これ」
紙の箱、深い紫色のビロードのリボン。
あん?思わず眉をひそめてしまうのも無理はない。
俗に言うプレゼントと言われるものならば、貰う理由が存在しない。
不信感を顕に肘を上げた瞬間、「なっちにね」と声がうちつけた。
うわぁ、矢口さんたら今即答!
目を剥いて思わずテーブルに額を打ち付けたくなる。
箱に指先を添える暇もなく、音声はピシャリと行き先を遮った。
思わず伸ばした指先をまよわせて、そのまま空のコーヒーカップに添えてしまうのも無理はないだろう。
「おーい。矢口がこれ、あんたにってよぉ」
突っ伏しギミに唸る姿は情けなくてどうしようもない。
それこそ、昔はそんな顔見せなかったのに。
矢口の口元は言葉を隠すのに必死だ。
- 170 名前:日常。 投稿日:2005/04/04(月) 21:23
- 「えー?なに?」
ひょい。とキッチンから顔を覗かせる姿は、まるで中学生か年頃のお嬢さんのよう。
手のかかるおにーちゃんの世話というか。
ぐーたらなおねーちゃんのお手伝いというか。
そういう感じがする。
すっかり打ち解けたなぁ。
エプロンなんかしちゃってるその様子に、今度こそ矢口はくすりとした微笑を隠さない。
天使が着用しているそれは、矢口が店で使うために買っていた赤いエプロンだったのだけども。
自分で使う前になつみの姿を思い浮かべて持ってきたのだそうだ。
調理にあたる間に、「これ置いて帰るね」とか前に言っていたが、天使は本当にそれを装着している。
素直なのか疑わないだけなのか…。
なんか…ね、いつのまにこんなに溶け込んじゃったのかね。
「やぁね、この部屋ってなっちのモノ何も無いじゃん。
食器とか生活用品は元からあったものに足した程度だし」
――なっちが所有するものって、無いわけですよ。
博士面で指先を振る表情は、とても穏やかでたくらみに満ちている。
人間の思考ってのはなんでこんなに顔に出るのかしらね。
- 171 名前:日常。 投稿日:2005/04/04(月) 21:24
- 切り分けたパウンドケーキ。
――至極シンプルバニラ風味を切り分けたなつみが、テコテコとトレイ一式とともに歩み寄ってくる。
「あたしに…って?」
カタン。
最初の頃の危なっかしさはどこへやら。
天使は流麗な動作でもって、トレイをテーブルに、フォークを整え、小皿を差し出し、中央にケーキを添える。
まぁまぁ、良かったら後は引き継ぐから座りなさいよ――。
とまるで実家に帰ってきた娘のような扱いをして、矢口が席を立つ。
じゃぁ裕子はおとーさんですか?という切り返しは誰もしない。
もし切り返したら…?間違いなくリビングテーブルがひっくり返るだろう。
解りきってることはしないのが賢明だ。
裕子と向かいの席に座り、声だけで問いかけるのに矢口の肩は軽く揺れた。
一から説明するけども…と前フリを置いて、彼女は楽しそうに紡ぎはじめる。
- 172 名前:日常。 投稿日:2005/04/04(月) 21:25
- 「いやあね、なっちが生活する分には裕子の持ってるモノで足りるじゃん。
そうすると、この場所にはなっちのモノが何も無いわけだ。
だから、なっちに何かあげよっかね…って結論に達しまして」
――あたしだけの出資じゃないからね。そこ間違えないように。
裕子が気に入らなくても無下にするなよ?
という五寸釘をしっかりと打ち込んで、矢口は肩を竦ませた。
なんか最近わたしの立場無くないですか?と裕子は目じりを拭う。
紡いでいる間に促されて、リボンは丁寧に解かれていた。
「はいよ」
コーヒーのカップが運ばれてくるのと、箱の封が解かれるのは同時。
「あぁ……えっと、写真たて」
呟く天使に。
「お、ちゃんとわかった」
微笑う矢口。
「ちゃんとってなんだい!」
ベチ。っと腰を平手で叩いて、「うあ、なっち暴力反対!」などとじゃれている。
まるで永年の夫婦漫才のようだ。
いずれ国宝級にでもなるだろうか。
東京都市で漫才やってる芸人なんか居ないぞ?狙ってみるか?とか言ったら刺されそうだが。
- 173 名前:日常。 投稿日:2005/04/04(月) 21:27
- フォトフレーム……ですか?
この部屋に?
会話を聞きながら、裕子は思わず頭を抱えた。
そう。
捕縛師、これでも、部屋の管理はしっかりしているつもりだ。
一応は統制の取れたものを置くようにしているし、家具だってしっかりそろえている。
食器だって白磁のものが多いし、それは食卓にしっかり合うように…というか、無意識下でなっていたし。
ようするに、自分の趣味丸出しなのだ。
「あれか、わざわざ写真をプリントアウトしてまで持ってきたのか?」
思い出も何もかもデジタルの中に――という世界で、今更フォトフレームですか?
もう幾重にも重ねたい疑問を、ムリヤリに凝縮して問いかける。
「そうですよッ!
しかも奇跡的な一枚、覚えてない?」
――このまえうちの店で撮ったヤツ。あれですよ。
逆キレ気味の返答で第一声。
しかもすぐさまやわらかく丸めるように声さえも丸めて、矢口は「ストン」となつみの隣の席へ腰を下ろした。
「あぁ?ってことは、なに?これ全員写ってるの?」
すっかり矢口に視線を向けていたのに、裕子は驚いて視線を下げた。
じっと、何か感じ入るように箱の中を見ている天使。
く。っと口元を持ち上げ、こらえぎみに瞼を伏せる様は、感情の起伏に耐えているようにも見える。
- 174 名前:日常。 投稿日:2005/04/04(月) 21:28
- 紙箱の中。
幾重にも重ねられた防衝材。
桜色の爪先が触れている、美しい銀製のフォトフレーム。
直線的な構成でつくられている、見た目にあっさりとした印象のモノ。
一つの枠にはすでに写真が収まっていて、サイズ違いの二つの枠が右隣に二段並んでいる。
裕子も、その写真には覚えがあった。
なつみが真ん中で、どうしたらいいのかわからない顔をして。
矢口はその右隣で肩を組んでおり、笑えばいいんだと促していたのを覚えている。
矢口の後ろには、酒気のおかげか天使のせいか、柔らかな圭が佇んでいて。
天使の後ろに、どこか渋々という自分自身。
そして、裕子の左隣にはみちよが居る。
同じフレームに収まった五人。
少し前なら、考えもつかないだろう、五人。
…天使ってちゃんと写真に写るんだな。
考えすぎて、的外れに思ってしまっても仕方が無い。
- 175 名前:日常。 投稿日:2005/04/04(月) 21:29
-
「つーか、この写真撮るためだけに飲み会だったのよ。
裕ちゃん騙すのに二人とも協力してくれたし、二人とも出資してくれたし」
――資がない酒場のバーテンにはありがたかったけどねぇ。
い、いつのまに……。
武器屋も医術師もグルってわけですか!
思わず天を仰いでも、そこにあるのは見慣れた天井だけ。
裕子はいよいよ「置くほかなくなった写真たて」に目をくれた。
「まぁ…ねぇ。なっちが要らないって言えば、そりゃ持って帰る他無いんだけどさ」
うわぁ。矢口さん性質悪い〜。
外堀の橋の分を埋め立てて渡っておいて、いきなり内堀埋めた感じぃ〜。
じ。っと、視線は天使に移る。
触れているつま先をじっと見つめ、おそるおそるとその視線を裕子へ預けてくる。
- 176 名前:日常。 投稿日:2005/04/04(月) 21:31
- 言葉にしなくたって、流石にわかる。
コレ、モラッテモイイ?
じぃっと。例えば「従順な飼い犬が、何にしろ飼い主の視線を求めるような」、そんな健気さ。
なんだ、子供が居たならこんな気分なんかねぇ。
こう、なんだ?素直に折れてやるわけじゃないのに、こう…その目に弱いって言うか。
それもこれも、中身をちゃんと知っている癖に「天使」なのがいけねぇよ。
もう考えることがめちゃくちゃだ。
ひとしきり自分を誤魔化して、すっかり麻痺してから。
裕子は眉をぐっと顰めて、渋々と言うように吐き出した。
「えぇっと、シルバーだからちゃんと磨けよ?腐食も早いからなッ」
パタン!とテーブルを掌で打って、間近にあった薄っぺらいケーキを取り上げた。
まふっと一口頬張ってみれば、とたん芳醇なバニラの香りが鼻へぬけていく。
照れ隠しは口の中一杯になってしまい、妙な空気に変わっていく。
つーか、飲み込まないとどうしようもねぇな。コレ。
- 177 名前:日常。 投稿日:2005/04/04(月) 21:35
- しかし、その妙な空気、及びテレを逃すような仲ではない。
日ごろツッコミだったりド突かれたりしているせいか、揚足を取る動作の早いこと。
「ねぇ、裕ちゃぁん?みんなのこと言えないねぇ、最近」
ニヤリ。
矢口が人の悪い笑みを浮かべながら、コーヒーを飲もうとカップに口をつけた。
が、瞬間的に、ブ!っと一口を吹き出した。
「あー。やぐちさん、もったいない」
しれ。っとした裕子の声を耳に、親指で血糊をぬぐうように、少しばかりの水滴を取り去る。
カップのふちを境に、青い視線と茶色い双眸が絡んだ。
理由が目の前にあると、理解しているからこその視線。
テーブルの下には、脛を蹴り込んだ、ひじょうに大人げないつま先がある。
矢口は無言のまま、足の裏で必死にそのつま先を探しはじめた。
時折それが出会っては、水面下で蹴り合いを繰り広げているわけだ。
パタン!パタパタパタパタ!
いつの間にか矢口はテーブルまで視界を下げて、椅子から下肢を目一杯伸ばしている。
あ〜あぁ、これじゃぁムキになった子供のケンカにしか見えない。
不毛なことに速度は増すばかり。
- 178 名前:日常。 投稿日:2005/04/04(月) 21:36
- なつみはしばらくその様子をオタオタと見つめていたが、やがてなんだか空しくなってきて眉を曲げた。
それでも子供の応酬は終わらないので、仕方が無く、すぅ〜っと息を吸い込むと、
「もう!二人とも子供っぽいことしないッ!」と一喝してみせた。
ビタ!っと、空気が止まる。
そろぉり。
ようやく視線をお互いから外した二人が見たのは、意外にも本気で怒っている天使で。
情け無さそうな。
困ったような。
苦しそうな。
多重の感情をにじませる表情に、ようやく二人は現実を直視した。
――や、遊んでただけなんだけども。
――ね、思ったよりエキサイトしちゃったのは確かなんだけども…。
慌ててフォローしようとしても、ちょっと間が悪い。
「矢口!これ片付けて行ってねッ。
裕ちゃんも出かける時には戸締りちゃんとしてってね!今日先生の所行くんでしょ!?」
なっちは行かないから――。
スパンと乾いた音をたてて投げつけられるエプロン。
足音高くスリッパがパーテーションの奥へ歩んで行き、ガラガラガラガラ!とこれまた音高く閉じられる。
折角のプレゼント。
せっかく貰ったプレゼント。
その単純で純粋な喜びに水を差してしまったのは、紛れもない二人で。
眉を曲げて、ありえないほどの大失態に二人は同時に頭を抱えた。
- 179 名前:日常。 投稿日:2005/04/04(月) 21:37
-
- 180 名前:日常。 投稿日:2005/04/04(月) 21:38
-
出かけてくるからな。ほんとに行かないんだな?ほんとだな?
……じゃ、いってくる――。
パーテーションと布団越しに聞こえた、ちょっといつもより弱くて情けない声。
聞こえたのはさっきのようにも感じるし、すごく前のようにも感じる。
もそもそと起き出した時には、部屋の中に誰も居なかった。
のこされていたものは幾つもなくて。
テーブルの上には箱から出されたフォトスタンド。
そして、バーテン自慢の小さなオムレツ。
便箋に綴られたメモ書き。
近寄って、手にするだけで思惟が伝わる。
天使の特質だろうか。
視界がぼやけてしまう。
- 181 名前:日常。 投稿日:2005/04/04(月) 21:39
-
ごめんなさい。
せっかくの贈り物だったのに、変な気持ちにさせちゃったの、謝ります。
今度直に謝るからね。
それまでって言ったらおかしいけど、お詫びのオムレツ。
ちょっとあっためて食べてください。
またね。
from やぐち
言われたとおりだけど、用事があるので出かけてきます。
矢口を送って、みっちゃんちだけども、なんか長くなるらしいので。
明け方には戻れると思うけども、用心して、一人で外に出るなんてことは考えないように。
悪かったって思ってるから。
怒って当然なんだから、気に病むことは何もないからな。
帰ったら、ちゃんと謝る。
だから、ここには何も書かずに行って来ます。
おやすみなさい。
裕子より 21:13
- 182 名前:日常。 投稿日:2005/04/04(月) 21:40
-
几帳面に時間が記されている、裕子の綴り。
すっと壁面液晶のデジタルに視線を移せば、23時になりかわる瞬間。
夜に一人で出かけちゃいけない。これは心に刻んでいること。
だから、一人で居るからって追いかけたりしちゃいけない。
怒ったのは自分自身だから、こういう風に思ってはいけないはずなのだけど。
自分から背を向けたのだから、こんな風に感じてはいけないはずなのだけど…。
初めて怒った気がする。
二人が綴るように、確かに贈り物を貰ってとても嬉しかった。
聞くに「自分のために」選んでもらったもので、それは「なっちのために」部屋にあればいいという。
着るものとかはあるけれど、そういう贈り物は初めてだったから。
とてもとても嬉しかった。
でもそこに子供の遣り取りという水がさされて、思わず怒鳴ってしまったのだ。
悲しくなって。
切なくて。
困ってしまって。
苦しくなって。
怒るって、たくさんの感情が綯われてできあがる思いなのだと、初めて知った。
怒りに任せて、背中を向けて、ベッドの中で悲しくなって涙を流して。
気付けば眠りに落ちていて。
- 183 名前:日常。 投稿日:2005/04/04(月) 21:42
-
今。この胸に満ちているのは…、
つぅ。
堪えきれずに、手の甲で眦をぬぐう。
こんなふうに、おもっては、いけないのに……。
一人取り残された寂しさだけ――。
- 184 名前:日常。 投稿日:2005/04/04(月) 21:43
-
手紙の文字も、触れていただろう空気の優しさも感じるのに。
謝ることができない。
ちゃんと、伝えることが出来ないなんて。
なんてもどかしいんだろう。
返事を書いておいたら、裕ちゃんは読んでくれるのかな。
でも、喋ることを覚えたけれども、綴るのはやっぱり難しい。
気持ちが届けばいいのに。
人間じみたことを思いながら、なつみは苦笑する。
ご飯食べたら、返事を書こう。
で、自分も、朝起きたらおはようじゃなくて、ゴメンナサイで伝えよう。
気に病む必要は無いと言われても、胸にあるのがマイナスならば、それは清算するべきだ。
- 185 名前:日常。 投稿日:2005/04/04(月) 21:44
- すん。鼻をすすって。
洗面所へ。
顔を洗って、フェイスタオルでごしごしやって。
ちょっとだけ前向きな天使のできあがり。
「仕方が無いなぁ」
――やぐちのごめんなさい、もらってあげるよ。
納得したように呟いて。
両手で大事にお皿を支えて、レンジへ運び込んだ。
あっためてしまっても、時間は経っているから、いつものやわらかさはもう無い。
それでも、香ばしさと味は変わりない。
温めが終わるまでの間に、他の準備をして…と、まぁ、以前ならば考えられないほどの手際の良さでコトを進める。
少し遅い夕食。
一人では広すぎる食卓に、なつみは腰を据えた。
オムレツ、クロワッサン、そしてオレンジジュース。
朝食みたいだけど、それで十分。
すい…と印を切り祈りを捧げると、それにありついた。
- 186 名前:日常。 投稿日:2005/04/04(月) 21:45
- 目の前には写真たて。
気付けば空いていた縦二段のフレームに、バイクの写真が納まっている。
なっちの写真たてなのに。
まったく、油断も隙も無い。
黒色巨躯の獣の精悍な写真と、陽気な五人組。
なんか不釣合いだけど、それも愛しいと思う。
天使も写真に写るんだ…。
知らず、誰かさんと同じことを思いながら。
自分の絵を静かにつま先でなぞり、切なく目を細める。
実体が与えられているからなのだろう。それは解っているけれど。
いつか、ここから居なくなるはずの自分を、こうして留めていてくれる。
もしかしたら、記憶ごとなくなっちゃうかもしれないのに。
そういう感謝も、伝えておくべきなのかな。
ぱくり。
考えながらの食事は、ちょっとだけ味を薄くした。
それだって、やぐちのオムレツの味はかわらずに、にくらしいほど美味しいのだけども。
- 187 名前:日常。 投稿日:2005/04/04(月) 21:46
-
- 188 名前:日常。 投稿日:2005/04/04(月) 21:47
-
書き記した手紙は、しっかりとテーブルの上に置いた。
貰った手紙と同じく、フォトフレームの下へ挟み込むように。
パジャマに着替えた天使は、ベッドの上で無防備にこてんと横になった。
すっかり涙跡をつけた枕に、ぎゅーっと頬を押し付ける。
明日になったら、ちゃんとゴメンナサイを紡ごう。
書いた手紙に甘えないように。
一番大事な、言葉のコミュニケーション。
早く明日が来ればいい。
そう思い、目を閉じる。
そして手紙を読んだ彼女が、ちょっとでも照れたり、感じ入ったりするのなら。
自分はちょっと満足するだろう。
天使らしからぬ考えをくゆらせながら、彼女はゆっくりと眠りに引き込まれていった。
- 189 名前:日常。 投稿日:2005/04/04(月) 21:47
-
- 190 名前:日常。 投稿日:2005/04/04(月) 21:48
-
- 191 名前:堰。 投稿日:2005/04/04(月) 22:11
- 日常。でした。
珍しいことになりました。
まぁ、こんな日もあるのでしょう。
でも、今まで一人にしたことあったかなぁ…。
書いてないだけではあるのですが(微笑)。
明かされない手紙を見たとき、大人げ無いひとが何を思うやら(苦笑)。
>167
ねぇ。まぁ、それは秘密、ひみつひみつ♪(殴
これから…です。ニヤリ。
少しずつ糸が引けるようになってきました。
頑張ってセット組みしたいと思います。
舞台装置とか大変ですけども(笑)。
でわ、また次回の更新でお会いしましょう。
- 192 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/06(水) 12:08
- 更新お疲れ様です。
だいぶ人間味が出てきた天使の書いた手紙、内容が気になりますねw
次回更新も楽しみにまっています。
- 193 名前:御使いの笛 投稿日:2005/04/08(金) 00:50
-
01:混乱
- 194 名前:御使いの笛 投稿日:2005/04/08(金) 00:51
-
最近どういうわけか、二人の仲が良い。
勘繰ったりするわけでもないが、今までの距離を考えると、まぁ訝しんでしまうのも無理ない話しで。
言い争ったあの日。
確かに距離が短くなればいいなぁ、と希望的な思いを抱いたことはあったけれども。
ここまで短くなられると、共通の友人としてはどうしたものかと思う。
自分を中心点に。
線の両端にあたる二人が、ぴたりと持ち合わされてしまったと言えば解りやすいだろうか。
そこにあるものは疎外感とは言いがたい、だけどもちょっとした寂しさ。
妙な話だ。
昔はそんなもの、これぽっちも持ち合わせて居なかったのに。
医術師の診療所、そこに隣接する住宅。
そこに集まっていたのは、裕子と圭、そして家主であるみちよの三人。
天使が一人で眠りについた頃…。
日付も変わった時間になり、裕子は非難ゴーゴー!の矢面に立たされて、気分的に血だらけだった。
- 195 名前:御使いの笛 投稿日:2005/04/08(金) 00:51
- 「んじゃぁ何?なっちを泣かせたわけ?」
「うっわぁ。せっかく人が好意で差し上げたのに、気分に水を差した?」
――天使さんも可哀想に。ねぇ。
アルコールが入っているとは言え、容赦無いったらありゃしねぇ。
テーブルには幾多の小瓶が並べられている。
お礼のアルコール小瓶なのだそうだ。
銘柄ならば多種多彩。
軽いものから素敵ウイスキーまで、目に喜ばしいほど。
なるほどね、バーテンの企みに加担した、優しさと結束の証なのだろう。
いじけるようにカンパリの小瓶をもてあそびながら、裕子は机に突っ伏したままだ。
集合してから時間だけなら経っている。
酒気も程よく進んで、みな上機嫌なのには変わりない。
「帰ったらちゃんと謝りますよっ。
そこまで人でなしじゃないんです!これでもっ!」
パタパタとテーブルを掌で打ちながら、彼女は訴えた。
ぷんすかと頬を膨らませても、多少の酔いが迫力を奪ってしまう。
まぁまぁ。と、武器屋が宥めるのに、上体をようやく起こした。
手酌でカンパリソーダなんかをつくって、表向きの不機嫌を装ったまま裕子は眉間に眉を寄せている。
- 196 名前:御使いの笛 投稿日:2005/04/08(金) 00:52
- 大人げ無いのは周知の事実になりつつある。
肩を軽く竦める友人達の視線は、見透かすように優しいばかり。
いつの間にか、悪い気がしなくなっている自分にも、裕子は気付いていた。
そして解けた空気はまた、周りへと伝わる。
円満さに関しては、今が一番良い時だろう。
各自似たような感想を抱いては居た。
「なんて言うんでしょうね。
人でなしじゃ無いっていうか…、やっぱ天使さんが来てから、姐さん変わりましたからねぇ」
――前はそれこそ…、言っちゃぁ悪いんですが、ある程度無血みたいなトコ、あったじゃないですか。
うわぁ。あんまり素直にいうと、後が怖いとか思わないのかね。
思わず血の気を引かせながら、圭は手元のジン・バックを一口舐めた。
- 197 名前:御使いの笛 投稿日:2005/04/08(金) 00:53
- やっぱり、毎度、医術師は酔っているようだ。
難しい話をするというコトで集まったはずなのに。
武器屋のグラスは不意に量を減らしていく。
確かに、難しい話をしなければいけないというのは、「怖い」ことだ。
関係に水を差すかもしれない。
下手をしたら壊すかもしれない。
信頼の上に立てばこそ、の、発言だとは思ってみても、厳しい時は厳しいものだ。
それでも、杞憂だったかな?
ちらりと持ち上げる視線の中で、裕子はふわりと舞うような微苦笑いを浮かべた。
- 198 名前:御使いの笛 投稿日:2005/04/08(金) 00:54
- 「自分でも、解らないわけじゃないけどなぁ…」
人間味のある笑みを浮かべて、彼女は独特の苦味を味わうように炭酸を口にする。
あれ?そこ反論じゃないの?
と、思わず同席者が視線を交わしてしまうのも、無理はないだろう。
「仕事するのにも、思わぬ張り合いとか出てきて、自分でも驚いてるから」
どこか「惚気」にも通じる気配を漂わせながら、孤高の捕縛師は微笑んでいる。
…、どうやらコイツも酔ってるようだ。
思わず武器屋は額に手をあてた。
ようやってられんわぁ。と、いうヤツである。
「人間の暮らしを見ないといけない。
で、出会ってしまったわけだ。捕まえちまったわけだけどもな?」
カラン。グラスの氷は幾分丸くなっている。
- 199 名前:御使いの笛 投稿日:2005/04/08(金) 00:54
- 「最初は確かに気味悪いと思ってたし、今はほだされてると思ってる。
それでも、すぐそばで自分の仕事に目を見張って、成果を手放しに喜ばれると」
――やっぱ可愛いと思うだろうよ?
クイ〜。っとアルコールをあおり、ニィっと口元を上げる。
あー。はいはい。言い分わよくわかった、おっさん。
「こう、親戚のお子さんをずっと預かったら愛着わいちゃって大変…。
て、感じなんですかね」
言い得て妙なコトを呟きながら、クレームドカシスの液体を炭酸で割る。
あまりの恥ずかしい話も、酒気のせいか流しぎみだ。
微かに眉を寄せるものの、捕縛師は言葉の鏃を向けない。
「つかみっちゃん、そろそろ飲むの止めとき?」
上機嫌すぎる。
そう制したまま、もう一杯と今度はジンに手を伸ばす。
「あんたもね、捕縛師さん」
えー?と渋る医者の声を待たず、武器屋の優しい声が裕子の手を押し止めた。
- 200 名前:御使いの笛 投稿日:2005/04/08(金) 00:54
-
- 201 名前:御使いの笛 投稿日:2005/04/08(金) 00:55
-
ちらり。と見やるデジタルは25時を半分回ろうとしている。
すでに酔い覚ましの水分を取りながら。
大人が三人集まっていれば当然、雑談は後から後からネタが尽きない。
「今頃もう眠ってる頃でしょうね」
「まぁ、夜はあんまり起きてないからな。ちゃんと寝てるみたいだし」
――自分も寝てるから、あんまり気にかけないんだけども。
思い返しながら述べるのに、医術師の視線は興味に揺れる。
生物学の対象としての天使になると、やはり好奇心は高ぶるようだった。
んむ。イイコだ。良いことだ。
その横でうんうんと納得する武器屋も、そうとう天使に絆されている気がする。
人のこと棚にあげやがって。
とは思うが、そこも仲間意識の一端なのかもしれない。
- 202 名前:御使いの笛 投稿日:2005/04/08(金) 00:56
- うん?仲間意識?
降って湧いたような言葉に内心首を傾げる。
違うな。仲間ってわけじゃない。
カテゴリを同じくする、共生者。
お?こっちの方が、もっと深いか。
同じ敷地に立ち入ることができる、それだけの……相手だったはずなんだけどもなぁ。
「そうだ…姐さん。
ちょっと聞きたいことがあるんですけど、幾つか答えて貰っていいですか?」
――天使さんの様子と、あと…ちょっと姐さん自身についても、なんですが。
恥ずかしい脳内の問答に顔を押さえそうになったあたりで、医術師はふわりと声を投げた。
- 203 名前:御使いの笛 投稿日:2005/04/08(金) 00:57
- 「同調?」
そう問われて、裕子は首を傾げる。
この数ヶ月あまり、気付けば普通に過ごしすぎて、なにがオカシイ?かと問われても解らなくなっていた。
同調――霊質に中てられて、個体間で感応が起きることなのだそうだ。
感応が起きるとどうなるか。
ヤバイ筋では発狂者などの例もあるのだそうだが、通常は、思わぬところで相手の様子が解ったりする程度らしい。
例題を挙げられて、逡巡する。
が、「アレ」や「ソレ」が同調という事例に値するのかがわからない。
「まぁ、それが起きるからってヤバイわけじゃないんです。
単純に結びつきが強いって事かもしれないし…」
個体間の相性っていうのもあるみたいなんで。
すっかり自らのペースを取り戻し、医術師は端末に視線を落としている。
天使の血中成分に異変が見られないことを説明した上で、捕縛師に問いかけているのだが。
ありすぎて困るほどの事じゃない。
一つ…と思い導き出したのは、武器屋に紡がれてしまった。
「あの…ほら、一回あたしと喋ってる時にあったじゃん。
矢口となっちが二人で帰ってきて、玄関に近づいたあたりで気付いた…って。
あれは立派にその事例なんじゃないかと、そう…うん、勝手だとは思うけど、そう思ったんだよね」
あぁ、やっぱり「アレ」はそうなのか。
捕縛師はいよいよ自分の中のアタリを見つけ、ぽつりと溢しはじめた。
- 204 名前:御使いの笛 投稿日:2005/04/08(金) 00:58
- 「一度なんか…あれだ、天使の風邪が伝染ったんかなぁ…って思ったことがあったなぁ」
そう真剣に紡いで、眉根を寄せる。
天使が少々の熱っぽさを持っていて、翌日も調子が悪かったら、医者に診せるからと告げた夜のことだ。
その頃は丁度…あんたらのイザコザもあったし、知恵熱だー!って笑い飛ばしたんだけどもな――?
うあ。微妙に突付かれた気がするぞ?
医術師と武器屋は思わず押し黙る。
先刻までの弄られ具合に比べたら、今の一刺しなど軽いものだ。
裕子はかまわず紡ぐ。
「で、その知恵熱が一晩で嘘だったみたいに引いてたことがあったのな?
その後だ。自分も疲れてただけだと思ったんだけど、一瞬だけ体が鉛みたいに重かったんだ。うん。
もしかしたら、それもそうかも…知れない」
幾分神妙な面持ちで告げるのに、機会を得た医者は自らの立場へ舞い戻った。
「あぁ…。内緒にしてたんですね?あの後何度も往診してるのに」
「注射が嫌だから、裕ちゃん黙っててね!という言い分だったぞ?」
その心外な言い分に思わずみちよは拳を握る。
「まぁ、注射はどうあれ、それも同調の一種なの?」
圭の宥めすかすような声に、医術師は静かに頷いた。
「えぇ。そうだと思います。
そうなった時期は、天使の血を口にしてから…というコトになりますか?」
言葉尻をむけられ、裕子は揺るがしようのない事実に、ゆっくりと首を縦に頷かせた。
- 205 名前:御使いの笛 投稿日:2005/04/08(金) 00:59
- で、ここで姐さんに話さなきゃイケナイことがあるんですよ。
これが本当は本題だったんですけどね?
と、勿体つけるように…と言えば軽くなるが、重たい話の気配を見せながらみちよが口を開いた。
「霊質、人間の平均値ってご存知ですね?」
脈は連なっているのだろう。
問いかけられて、知識を引きずり出す。
「通常は8から特化してても10超えるかどうか…やんな」
――ESP能力者とかは15前後ってこともあるらしいけども。
的を得た回答に、医師は相槌を打ってみせる。
ちょっと、言い難い。けども、そこから急に立場が危ぶまれるわけでもない。
意を決して、みちよは後を続けた。
「天使の血の摂取後、姐さん自身の勘だとか、気付かないとこで異変が出てます。
血中の霊質の濃度は、今自分自身で口にした数値の最上級です。
あと…、鍛えようの無い部分の能力上昇ですね…。
動体視力と、聴力であったり…」
すぅ。と、程よく残っていた酔いが覚めていく。冷めていく。
日常生活の中で?
自分に変化があった?
気付かないうちに?
ぐ。っと拳を握りこむ。
- 206 名前:御使いの笛 投稿日:2005/04/08(金) 01:00
- ――悪い部分が無いから、なにを責めようって言うわけじゃないです。
ただ、事実なんで、伝えるべきだとは思いまして…。
どこか神妙な声に、ぐるぐる、ぐるり。思考は回る。
悪いコトでは無い…のか?
「姐さんが迷惑だと思わなければ、普通の生活ができますし。
何より、反射や代謝のよさは仕事上都合もいいと思います。
ただ、その…厄介なのが……」
思わず言いよどむのに、なに!?一体なにが悪いの!?と視線をさ迷わせてしまう。
目の前で起こっていることならば度胸も据わるが、自分の手の届かないコトならば揺るがしようもない。
裕子だって怯えはする。
そこに助け舟を出したのは、少しばかり情けなさを表にした武器屋だった。
「実験台にしたがる医者も沢山居るってコトなんだよね」
実験台…。口の中で呟いて、少し背を寒くする。
通常に捕まえられる天使と、同じように扱われる…。と、いうことなのだろう。
想像して、奥歯がかみ合わなくなってしまった。
この時代、今日、医者と言えば生物学者も兼任というコトが多い。
目の前に居るみちよも例外ではないし、ある程度の情報は共有するのが通例になっている。
じ。っと、視線を向ける。
疑いたくは無い。でも、こればかりは仕方が無い。
不安のほうが、上回っているのだから。
- 207 名前:御使いの笛 投稿日:2005/04/08(金) 01:03
- ふ。と、みちよの空気が緩む。
どこかいつもより気丈で、いつもより強く思える微笑を浮かべ、彼女は端末の電源を落とした。
真っ黒くなった液晶画面。
まるで裕子の心情のようだが、それを覆すように医術師は紡いでみせる。
「大丈夫です。姐さんのデータは総て隠匿してあります。
自分が唯一信頼してる先生にも隠してありますから、そこは間違いないです。
大丈夫」
――姐さんのコトは、守り通してみせますよ。
トン。と、自らの拳で軽く胸を叩く。
日ごろ見られない「強さ」に、裕子は今度こそ机に伏した。
不安が一度に解けてしまって、体の芯が保てなくなる。
はあぁ…。と盛大な吐息をついても、誰も情け無いとは言わないだろう。
「ただ、一個だけ約束して欲しいことがあるんです。
霊質が特化したことで、体が健全に保てなくなることがあるかもしれません。
そういう最悪の事態を避けたいんで、定期的に診せてください」
これだけは、お願いします。私から。
心底思いやりのある声を捧げられ、それでも顔を上げられない裕子は「解った…言われたとおりにする」と天板に響かせた。
情けなさも彼女の内。
好ましさのカテゴリだと微笑みながら、圭は時計を見やる。
デジタルは、丁度26時を刻んだ。その、瞬間だった――。
- 208 名前:御使いの笛 投稿日:2005/04/08(金) 01:04
-
ガバッ!
いきなりの動作に、圭もみちよも視界を疑った。
伏していた裕子が、恐ろしい勢いで上体を起こし、静かに胸に手をあてる。
どこか考え込むように、胸に手をあてたままワナワナと口元を結び、呼吸を繰り返す。
胸?え?痛むの!?
と、慌ててしまうのも無理はないだろう。
脈拍などを診ようと立ち上がったみちよに向かって、「違うッ」と絞るような声をほとばしらせた。
胸騒ぎだ。
どうしようもない、悪い気分が体を掴んで握りつぶそうとしてくる。
恐怖に似た感情が体の底から這い上がって、ねじ伏せようとする。
解らない。
なぜ急激な恐怖なのか…?
回答は、思わぬところからもたらされた。
- 209 名前:御使いの笛 投稿日:2005/04/08(金) 01:05
- 数瞬の遅れの後、平家邸の通信システムに危急を知らせる警報音が鳴った。
部屋の中に居る三人は、その音に警戒を顕にする。
気配を正し、酒気すらも世界から追いやり、神経を研ぎ澄ます。
しかし、自宅の設定音では無い。
なにせ自宅でこうして集まっているのだ、異変になら気付くだろう。
患者の設定とも違う。
診療所の薬品棚でもない。
一斉に液晶に視線を注ぎ、目を見張る彼女達の喉は息を詰らせる。
「な……ッ!?」
――緊急事態発生 中澤裕子宅システムダウン 通信回線断絶 電機設備損傷 予備電源によるリカバリー推定時間まで3分
画面に差し挟まれた情報。
スクロールしていくそれに、一同は目を疑った。
- 210 名前:御使いの笛 投稿日:2005/04/08(金) 01:06
-
- 211 名前:御使いの笛 投稿日:2005/04/08(金) 01:07
-
02:雨、後…
- 212 名前:御使いの笛 投稿日:2005/04/08(金) 01:08
-
夜半から雷を伴う豪雨――。
酸雨の警報は出ない見通しですが、雨脚は強くなります。
居住区外へお越しの方は、くれぐれもご注意ください。
こんな天気予報が出ているのに仕事。
そのほうが都合がいいから、仕方が無い。
で、なかったら、わざわざ出てきたりなんかしない。
少しばかり離れた場所で車を降り、暗がりを選んで移動して今に至る。
風はぬるく吹き、その風にも負けない分厚い雲が雨の降り出しを堪えている。
月の無い夜はとても楽だ。
総てを隠さなくても、仕事ができる。
思わず口笛を吹きたくなって、自重した。
- 213 名前:御使いの笛 投稿日:2005/04/08(金) 01:09
- 情報は吟味した。
電機施設とホームシステムから推測できる「カスタマイズ」の想定。
旧式とまでは行かないが、最新式のものでもない。
オンラインで侵入するには手間がかかる相手。
だが、標的になる家庭での役割は、オーディオシステムと連絡手段の充実にのみ視点を置かれていたようだ。
アップデートと増設用データの購入実績で、そこまで割り出したのだから拍手もの。
推測される、システムダウンからリカバリーまでの予定時間は3分。
復旧の中に含まれる予定事項は、電気、通信と、それに準じる警告音。
外へ出ている場合、その音とシステムからの連絡を得たところで、すぐさま帰着できるものではないだろう。
建物内部の構造は至って簡単。
旧構造の鉄筋コンクリート三階建て。
内装に害質除去などを施してある、改築型の旧世代の家屋。
すぃと、グローブの指先が動く。
- 214 名前:御使いの笛 投稿日:2005/04/08(金) 01:09
- 記憶を元にした家具の配置。
そして、ありとあらゆるデータを漁って掘り出した、改築を請け負った業者の持つ見取り図。
一階の事務所スペース、及び二階の捕獲対象の留置スペースには目をくれずに済む。
今回の標的は三階の居住スペースに居るはずだ。
しかも、一人で。
標的に関しても、ありとあらゆる想定をなす。
それはプロとして当然の行動。
解き放たれる力に中てられてもいけない。
万一に取り逃がすことになったら、それこそ自分達が即刻処分されてしまうだろう。
失敗をはなから描くわけではないが、緊張感はいつも持っていなければいけない。
霊質の中和、及び拘束具についての解除キーも、探せるものなら探して来いと言う。
ワガママな主に着くと大変だ。
- 215 名前:御使いの笛 投稿日:2005/04/08(金) 01:10
- ま、帰りは内側からドアを破ることぐらい造作も無い。
通常、外側からの攻撃には強く作ってあるものだが、内側からドアを破るという想定はなされていないものだ。
もし、三分の間に帰宅があったとしても、必要なものが殺戮ならば、取り落とすこともなかろう。
ク。と、マスクを鼻筋までせり上げて、ゴーグルで視界を覆う。
髪だけはそのまま。
別段隠す必要もないだろう。
マスクの表面には、ガス類の除去フィルターが仕込んである。
催涙および麻酔などのガスを使用しても、自らが堕ちるような心配はない。
大丈夫。抜かりはないよぉ?
一同の空気が引き締まる。
――さて、いきますか。
見取り図の記憶された液晶をポケットに仕舞いこみ、視線一つで問いかける。
サムアップのまま、すいと行動をうながす。
夜の闇に隠れた三つの黒衣が、スルリとかすかな音を刷いた。
それぞれ、配置へと散っていく。
袖口に細い濃紺のラインが入っている一人は、静かにビルの裏手へ。
袖口に臙脂に近い暗い赤、及び青のラインが入っているそれぞれは、玄関前から対面の道路で待機。
突入するのは二人だけのようだ。
- 216 名前:御使いの笛 投稿日:2005/04/08(金) 01:11
-
こちらは一人の別働隊。
ビル裏手の小さな窓から、すいと中をうかがう。
半地下になっている場所には、電気系統の設備が見取り図の通りに集まっていた。
改築時の間取りのままだ。
そこから手を加えていないあたり、ちょっと無用心かもねぇ。
チチ。瞳孔の動きのままに視界を操るゴーグルの中には、闇夜に染まった世界。
くっきりと装置の集められた場所が映し出されており、破壊は楽に行えそうだった。
指先一つで小さなカプセルを取り上げると、中身を取り出す。
ベチャリ。
粘着質のゲルをあててなすりつけると、落下防止のために固定する。
キィ…と糸を引くように、専用カッターで窓ガラスを切り取って一丁あがりっと。
さすがに配電室にまで警戒を寄せていなかったのか、警備用のレーザーも無ければ、サイレンも鳴らない。
侵入者が玄関から来るわけ無いじゃんねぇ――。
それとも、自らのところでなら負けない自信でもあんのかな。上等だな…。
自分は見たことも無いけど。
- 217 名前:御使いの笛 投稿日:2005/04/08(金) 01:12
- くちびるを軽く舌なめずりしてから、そろりと切り取ったガラスを取り外す。
キ。とかすかな音を立てるが、闇の内に響くようなものでもない。
面積のわりに大き目のゲルを下にして落とせば、音もたたず、ガラスも割れずという算段。
昔取り調べた殺人犯(すでに処刑済み)から聞いた手口そのままなのは内緒。
すい。と、腰元から一丁の銃が取り出される。
極小型の、掌に収まるような拳銃だ。
強烈な音がしないのが特徴で、弾数も少ない。
護身用に用いられることが多いモノだが、こういう、特命時にも多用される。
殊更暗殺用ツールだけどねぇ。
銃弾を装填し、グローブで抑えながら、ハンマーを持ち上げ。
――赤と青へ。2600、サイン出します。レディ?
独り言のように呟き、照準に神経を重ねる。
ゴーグルの中でデジタルの時刻表示が嵩を増していく。
待機する全員の目に、寸分違わず同じ表示が見えている。
コンマの秒数が積み重なり。
ピー、という耳に直接響く高音が、それぞれに与えられた。
- 218 名前:御使いの笛 投稿日:2005/04/08(金) 01:13
- 「ゴォッ!」
パシュン。と放たれた運命の一弾が、電基盤の収まったボックスを直撃する。
瞬間、バチリという音がし、青白い光を放ったかと思うと、その箱の半分を削り取った。
球状に、えぐったように。
いくら防備の固い金属の箱も、次元弾の暴威のまえには役立たない。
国際条項で使用が禁じられていようと、知ったこっちゃない。
人間に使わなければいいのだろう?と、大上段で言い放った犯罪者も居るくらいなのだから。
ヤツラが恐れる我々が使わない手もないだろう。
それでも、年の内10件くらいは対人使用の凄惨な現場を目にするわけで。
今は関係ない話か。
これで上に行った二人は巧くやるだろう。
自分は運転手に連絡をとり、タイミングを合わせなければいけない。
物音を立てぬように静かに足をすすめ、「始まったよ」と運転手に呟く。
道路に面したビルの死角に身を潜め、ルークは静かに息を吐いた。
- 219 名前:御使いの笛 投稿日:2005/04/08(金) 01:13
-
- 220 名前:御使いの笛 投稿日:2005/04/08(金) 01:14
- 「ゴッ!」という狙撃手の号令のもと、バシュンという気の抜けるような音とともに総てが止まった。
ビルの中には機械的な気配すら無い。
電気設備のシステムがダウンし、予備電源もすぐさま点かない。
セキュリティもどうやら間に合わないようで、警戒音もしない。
これは楽に終われそうだ――。
ロックの壊れた玄関ドアは、力を加えずとも横にスライドしていく。
侵入者として指名された二人は、視線だけを交わすと中に踊りこんだ。
右横にある事務所には目もくれずに、続く階段を駆け上がる。
長靴の靴底が音を高く立てるのも気にせず、一気に目的地へたどり着くと、仕切り程度の三階ドアを蹴破った。
ドアに組み込まれたガラスが衝撃で飛び散り、甲高い乾いた音を立てて割れる。
ジャ。踏み込むままに抜き放った銃。
青の銃身の先、身を固くして声も出ない標的が居た。
- 221 名前:御使いの笛 投稿日:2005/04/08(金) 01:14
- 部屋の中はリビングと寝室の大きな二括りに別れている。
パーテーションが置いてある場所がベッドからずれている。
ここ数日医術師などの専門職の来客は視認されていなかった。
おかげで今日は「当人」が出かけて行ったのだろうが。
可哀想にねぇ。
おかげで天使はこんな思いをしなくちゃいけない。
ほら、フルフル震えてるよ、可哀想に。
「赤」は銃口を標的に向けたまま、静かに部屋の中を見回した。
ダイニングテーブルの上。
銀製だろうか。フォトフレームの中に、三枚ほどの写真が納まっている。
数人が親しげに収まっている絵。バイクが目に付く。
眉を上げ、一瞥し、それを強引に記憶の隅に押し込める。
今、この時点で気に掛けている余裕はない。
他の位置を見る。
ダイニングテーブルに、ソファー。
システムダウンしているために役立たない、オーディオを含む家庭管理システム。
霊質の上下を感知するセンサーに切り替えて、気付いていた存在に脚をむけた。
- 222 名前:御使いの笛 投稿日:2005/04/08(金) 01:15
-
気配には敏感な生き物なのだろう。
驚き――確かな慄きであったり、恐怖などに類する感情を表面に打ち出して、「それ」はベッドの上で震えている。
反応することすらできないのか、漆黒の侵入者の存在を認めることができないのか、それは解らない。
確かに、侵入者たちは、彼女の生活範囲からは考えられない固体だろう。
この存在が「恐怖」に繋がることだけは理解できるようだが、それ以上は無さそうだ。
腕を取られる一瞬、生き物としての本能なのか、標的の体がようやく翻った。
二度、三度と振り切られる腕。
それも、抵抗と言うにはほど遠いくらいに非力。
必死につかんだのだろう枕が頬を殴打するが、その程度で世界を見失うような「赤」ではない。
片手で枕を振り払い、白くか細い喉を一手の動作で鷲掴みにしてみせる。
と、見合わぬ豪腕でそのまま壁を背に押さえつけた。
枕の薄手の生地は破れ、ベッドの上に無残なほどの羽が散らばる。
カチャリと高い音をたて、むき出しの銃口が眉間につきつけられた。
銃がどんなモノか、この標的はちゃんと知っている。
やってくる武器の専門職も居たと言うし、なにより捕縛師も常備している。
殺生の道具であることを、理解しているようだ。
ゴーグルのレンズ越し、黒く濡れた瞳が、沢山の感情を綯いでぶつけてくるじゃないか。
なるほど。
この瞳の前に、人間は無力ということか。
妙な納得を抱きながら、静かに要点のみを告げる。
- 223 名前:御使いの笛 投稿日:2005/04/08(金) 01:16
-
――我らの主が貴女を必要とされている。否応は無い。来ていただく。
マスクを通した後のくぐもった音声は、本来はか弱かろう、少女のような声。
こんな乱暴を働くようには思えない。
必要?誰が?なんで?どうして?
自分に凶器が押し付けられるだけでも、理解しがたい事実。
見る見る表情が歪むのを、天使はとどめることができない。
「――っや…」
追いつかなくなる呼吸にも負けずに、声を出すべく喉が動いた。
- 224 名前:御使いの笛 投稿日:2005/04/08(金) 01:18
- 喉元を掴む、手袋の指先がヒリっと痛む。
まるで、針の山に指先から押し付けるように、不意に沁みてくる。
な…?
物質的にはありえないその刺激に、思考と瞳孔は対象を凝視した。
不意に切り替わるゴーグル内の映像に、急激な異変が見える。
これが……?
覗きこむ瞳の色だけじゃない。
不可思議に揺れる、気配そのものが染み出してくる。
不意に感じ取れた危機感に、レンズの中の視線は歪んだ。
致し方なし。
口元に銃を移動させ、有無を言わさずに脅しこむ。
ヒ。と短な悲鳴を立て、瞬間の硬直が訪れる。
この機会を逃す手は無い。
――薬を、早くッ。
赤は強い声で相棒を呼び寄せた。
- 225 名前:御使いの笛 投稿日:2005/04/08(金) 01:18
- 二人がかりで抑え込んでしまえば、難しいことはない。
家捜しをしていたはずの「青」が近寄り、小さなアンプルを装填した投薬器を取り出す。
腕を取り、人間らしい生活をしてる証だろう、パジャマの袖を捲り上げる。
掌大もないペン型の投薬器を腕に突き立て、一本分を総て打ち込むと素早く器具を取り上げた。
仕舞いこんでいたホルダーへ戻し、忘れずに蓋を閉じる。
遺留品があってはいけない。
この場所にあっていいのは、何もかもが終わった後の事実だけだ。
霊質中和の液薬。
気化させてカプセル内に充満させているものと同じ液体。
直接注入すれば、薬効は見る間に現れる。
ぐたりと体の統制を失ったのを確認すると、まるで布袋を担ぐように赤が天使を持ち上げた。
普段のウェイトトレーニングに比べたら、これくらい造作もない。
――対象捕捉。出る。
青の鋭い声に「了解」と二つの声が重なる。
一つは城壁。そして、司教。
低めの音声と特徴的に高い声の、不可思議な和音は騎士の耳に直接抜けていった。
- 226 名前:御使いの笛 投稿日:2005/04/08(金) 01:19
-
城壁の誘導でするりと車が横付けされる。
上級のハイブリッド車。排気を押さえているために、エンジン音は殆どしない。
行動にも無駄は無い。
無駄があったら大変だ。
これでも幹部なんだから。
周囲に人気の無いことを確認し、中への退出許可を出すと、濃紺のラインを持つ城壁が一足先に助手席に滑り込んだ。
数秒を待たずに、毛布一枚で包まれた巨大な荷物を抱えて、侵入組が帰還してくる。
先に青、「荷物」、そして赤の順で後部座席が埋まり、ドアがバタンと閉じられた。
「離脱する」
状況を確認したルークの呟きに、相槌一つでギアが変えられ、アクセルが踏み込まれる。
どうして残っていた彼女が運転手なのか。
それは少々直情的な運転が特徴的で、青と並ぶほどの豪胆な運転をするところからのご指名。
一瞬同乗者たちは奥歯をかみ締めたが、これも慣れだ。
内二人はどうやら「慣れ」を持っているようだったが、一名はうれしはずかし初体験。
――2602ターゲット補完。これより帰還します。
任務中よりも命を危険を感じてしまうのだろう。
可哀想に、「青」の声はかすかに震えていた。
「城壁」も「赤」も苦笑するほかなく、運転手である「司教」はかすかな憤慨を胸に、さらにアクセルを踏み込んだ。
- 227 名前:御使いの笛 投稿日:2005/04/08(金) 01:20
-
- 228 名前:御使いの笛 投稿日:2005/04/08(金) 01:21
- ひたすら北へ向かうのは、路程は悪路ではあるが、あまり使われない入り口があるからだ。
目撃証言が少ないほど良い場合に限って、この入り口を使用することが多い。
用賀方面が表玄関とすると、こちらは裏口というところだろう。
旧東京北区。
殆ど密林と化している方向へ走りながら、ようやく車内は平穏な空気を取り戻した。
ゴーグルが外され、各々の表情があらわになる。
深い呼吸を繰り返すのは、車内がまだ安全に思えるから。
荷物である標的からも毛布が剥ぎ取られた。
二人の騎士の間で、パジャマ姿の天使がぐたりと項垂れている。
急速に体内から霊質を抑えられてしまっては、体の機能を極力抑えるほか持ちこたえる術は無い。
体が心得ているのだろう。
堕ちたまま、静かに「眠って」いる。
- 229 名前:御使いの笛 投稿日:2005/04/08(金) 01:21
- ポツ。
フロントガラスに、大粒の雫が一つ。
ふたつ、みっつ。
数える間もなく、大地が雨にけぶり始める。
西の方角には、微かにも夜を切り裂く閃光。
少しずつ近づいてきて、いずれ落雷も起きるようになるだろう。
あと2キロほどで目的のインターという地点。
良かった。
予報どおりの雨ならば、タイヤの痕跡も消えてくれるはずだ。
この時間を走る車は他に無い。
かなりの速度で疾走するために、雨粒はガラスを避けるように表面を滑っていく。
視界は良好だ。
帰った後、泥はねの事実に泣きながら洗車することになるだろうが、今は大した問題じゃない。
- 230 名前:御使いの笛 投稿日:2005/04/08(金) 01:22
-
「しっかし、それが……本当に、そんなあぶなっかしいモノなのかね」
――肌も白くてなんかちっちゃくてさぁ、見た目人畜無害っぽくね?
バックミラー越しに視線を投げて、吉澤ひとみは何の気無しに投げかけた。
うぅむ。
逡巡するのも無理はない。
きっとこの天使は、誰の目でみても「外見は無害」だろう。
本質に触れない人間にはわからない。
決して…。
「実際に実物見てたのは亜弥ちゃんだけだし、あたしも見るのは初めてなんだけどね。
なんか拍子抜けしちゃうよね。
ホラ、あの…破壊の天使があんなに綺麗だからさ…」
思い出して、告げて、背筋を支配されるのに苦笑しながら、藤本美貴は背筋を正す。
こんな愛らしいものだとは思わなかった。と、言うのだ。
それは、運転手である石川梨華も同感だった。
今まで運ばれてきたコレクションの中でも、見た目に麗しいものが多かった。
愛らしいものが無かったわけでもないが、その内に秘める空気は「畏怖」をもたらすことが多くて。
そう、例えば…自らの主のような、ねじ伏せるような気配を持っていたのだけども。
- 231 名前:御使いの笛 投稿日:2005/04/08(金) 01:22
- 「ん…なんか、人間っぽくなった感じがするかな。
初めてみた時に比べてみたら」
座席のホルダーに置いていたボトルを取り上げ、浸透圧の高いドリンクを二口ほど飲み込む。
天使の肩越しにボトルを渡しながら、松浦亜弥は静かに口を開いた。
静かに、思慮ぶかい空気を漂わせるのに、誰も相槌をうたない。
発言を待つために。
「最初の時はもう、ちょっと薄汚れてたのもあるけど…人間離れした透明感があって。
でも、さっき視線を合わせられた時に、変わってないなぁとも思ったのね。
ちょっとね、怖かった」
――自分の弱いとことか、全部洗いざらいにされそうで。
とくん。
騎士の放った静かな声に、車内の空気が揺れる。
「そうすると。その気配の特化した部分が、天秤の所以なんでしょ?」
ギアを一段落とし、急勾配のインターに侵入する。
運転席の呟きに、「そういうコトか…」と納得する助手席。
車窓の景色が人工的になっていく中、ひとみは肩を静かに下げた。
- 232 名前:御使いの笛 投稿日:2005/04/08(金) 01:23
- 「なんか……、急に現実味が出てきたなぁ」
冗談とか、夢見がちな話程度の認識だったのに。
嘘とか偽りあるホラと思っていたわけではないけども…。
言葉尻を濁らせた城壁の声。
言いたいことなら理解できる同乗者は、唇を動かせても言葉を紡ぐことができない。
変な話。
こんなに「同じコトを思う」なんて初めてだろう。
「昔の上層部はもっと一体感があって、楽しいところだったよ」と、村田総務が言っていたのを思い出す。
それだけ、バラバラな今。
それぞれの接点はあっても、同じ場所を目指せない今。
は…。
くぐもった笑いが零れそうになって、口元を覆い隠す。
「なに、よっちゃんさん酔ったの?」
「酔い覚ましありますよ?」
後部座席から立て続けに言われて、「や。ちがうちがうちがう!」と運転席に向かって両手を振る。
気付けば隣から射るような殺人的冷酷熱視線…少々矛盾あり。
こわーい!運転手さんこわーい!視線怖すぎるから!
必死にビショップを宥めすかして、後部座席からドリンクだけを取り上げる。
舌に甘いドリンクを飲みくだし、外を見やる。
雨。
雷。
人の手の届かない現象。
最後に目にするものは何だろうな――。
くちびるに指先をあて、物憂げに視線を細めた。
- 233 名前:御使いの笛 投稿日:2005/04/08(金) 01:25
-
道路はいつの間にか居住区のドームに入っており、雨はその威力をなくしていた。
静かに、車は南下していく。
旧世界、東京都市部の模造品。
建造物の形は違えど、居住の区割りは殆ど変わらない。
高速道などが地下に埋められているくらいだろうか。
それが巨大な何本もの支柱に支えられて、空中に作られている。
地下高速を芝公園に向けて走る黒い車。
その泥臭さは異質だった。
しかし、周囲は何も言わない。
それも、車がどこのモノか解っていればこそ。
ある程度ならナンバーも割れている。
権利総ての委譲を行っても、未だその名は畏怖の対象なのだ。
慌てて左に寄るバイクを横目に、さらに加速する。
途中分社化された会社のパトカーとすれ違ったが、もう袂を分かったのだからと、誰も何も言わずに居た。
- 234 名前:御使いの笛 投稿日:2005/04/08(金) 01:25
- 長い睫毛を伏せる、整った横顔。
横目にしながら、運転手は気取られぬように吐息を吐き出す。
お互いの愚かさをこれでもかと知っているから。
何もしないまま、終わりを迎えてしまうなんて、なんて自分達らしいのだろう。
かみ殺した笑みも。
逃がした吐息も。
解るよ、さすがにね。
怒ったように見せかけてるのも、そっちが理解してくれるように…。
タイプは違うのに、どこか後ろ暗くて臆病なのは一緒だなんて、笑っちゃうほど笑えないけど。
最後に目にするもの、何なんだろうね――。
悲惨な死に方じゃないといいな。
せめて、貴女だけでも。
でもきっと、叶わない願いだろう。
自分達は汚れすぎた。
多くの純粋を、摩り替えて逃げてきたのだから。
潔く、付き従う約束をした、あの人の描く妄想の餌食になろう。
さぁ到着するよ。
もう、どこにも逃げることはできない。
誰も。
世界に生きてる何もかも、例外なく…。
- 235 名前:御使いの笛 投稿日:2005/04/08(金) 01:26
-
- 236 名前:御使いの笛 投稿日:2005/04/08(金) 01:27
-
地下から上がり、隣接するビルの駐車場にもう一度もぐる。
なめらかなスロープを下れば、盾形のエンブレムが刻まれた、分厚いドアが開く。
登録車両に対してスムーズに扉を開けるのは、管理システムの賜物。
TSSPの旧社屋。
いよいよのご帰還である。
旧社屋の地下に直結する出入り口で、驚くべきことに彼女が立っていた。
総裁直々のお出まし…か。
車内は一瞬首根をつかまれた仔猫のように、畏怖の念で自由を奪われる。
真実を心得る者の目は微かに怯え。
知らぬ者でさえも屈せずに居ることができない。
王の威厳。だけでは済まされない、心を握る魔性。
ふ。と口元を上げ、静かに腕を組む様は、名に相応しい風格がある。
場を自分のモノにしてしまう。
確かに、これだけの幹部を手元に置いたままならば、その長である彼女は「魔王」だろう。
- 237 名前:御使いの笛 投稿日:2005/04/08(金) 01:27
- 車を停め、ルークが先に降りて腰を折る。
一言二言かわす様子には、必要以上の威圧感は無い。
「なんか…、すごく普通だね」
言外に漂う怯えをくるみこんで、言葉はすべり出る。
ここ数日の間で、美貴が王を見るときの視線が変わったと、相棒である亜弥は気付いている。
そしてそれは、「何を見たのか」の表れでもある。
従順なコマをそろえる必要も無いくせに…。
今更、手ごまの相棒から気持ちを削ぐようなコトをしなくても…と、毒づいたのは内緒だ。
「出迎えに出てくること自体、ちょっと異常なんだけどね」
意外そうに呟く美貴の声をすぐさま潰しながら、亜弥は意を決したようにドアを開けた。
降り立ち、軽く礼を取ると、後藤真希は口元を持ち上げた。
「お疲れ様。
今日ばかりは、なによりも先に、みんなに感謝するよ」
舞台役者のような大仰な言い回し。
それをせずに居られないほど、彼女は今興奮しているようだった。
- 238 名前:御使いの笛 投稿日:2005/04/08(金) 01:28
- ホシイモノガテニハイッタカラ…なんでしょうね。
憶測にもならない「事実」に、亜弥は半歩を引く。
左肩を下げ、差し出すべきモノを静かに示す。
王は、プレゼントの箱を開けるときのように、嬉しさを押し出した表情で近づいてくる。
未だ目を覚まさない天使。
座席にふかく沈み込んで、ぴくりとも動かない。
人型の。
能力値の低い、器も怖くない…一見平凡な……。
その対象を見つめる主の、いつもよりも愛しげなコト。
単純な偏愛であれば、まだ理解できたかもしれないけれども。
それを運命と呼べるほど、他愛なさを綯いだ上に立つ強固な関係であれば…。
多少は理解としてこの身を差し出せたけれども。
- 239 名前:御使いの笛 投稿日:2005/04/08(金) 01:28
- 値踏みすることもなく、ドアに手を添えて覗き込んでいた体がさらに奥へと上体をのばす。
ず。体の芯を失っている「天使」を、疑いたくなるくらいに軽々と抱きかかえた。
横抱きに。
先日、騎士をソファーに横たえた時のように。
大事な、大事な壊れ物を、布にくるんで運ぶように。
「さて、下がっていい。ゆっくり休むといいよ」
――下手なネズミでも居ない限り、あとはもう、その日を待つだけだからね。
案外寝てる間に終わってるかもしれないよ?
んはは。
軽い言葉ばかりを投げて――ガラになく高揚しているだろうことは饒舌さで解る、総裁は上階へ向かってしまった。
天使を横抱きにとても「愉しそう」だ。
遠ざかる足音に、騎士二人と城壁、そして司教は肩を竦めた。
見やる背中に見えるものは、少々違っていたようだが…。
- 240 名前:御使いの笛 投稿日:2005/04/08(金) 01:29
-
これで、用無し、と、いうコトになるのだろうか。
誰ともなしに、小さな吐息が零れる。
「案外、あっけない結末…ってことになるのかな」
何の感慨もなく事実を受け止めるだけの美貴に、「まぁ、こんなもんなんだろぉねぇ」と間延びした声が返された。
松浦さえも、この呆気なさに呆然としているのだ。
この先のコトまでは、自分達ではどうしようもない。
意趣返しを起こし、反旗を翻したとしても…「物理的」にも「精神的」にも、王に敵う可能性は万の一にも満たない。
だから、最初から諦めた人間が揃ったのだろう。
自分の行く末に、頓着しない人間ばかり…。
王に敵おうと、しない者ばかりが――。
「梨華ちゃんさぁ、どうするの?」
美貴に話を振られ、きょんとした瞳を返す。
「まずは車でも洗ってみるよ」
――その後は知らない。
単純に目の前のことだけを切り取って、ムリヤリに微笑んでみせる。
亜弥はふぅと吐息をつく。
黒…無色の騎士に愛された、頼りない姫君だと思っていたのだけども、やはり違うようだ。
袖口に色の無い「黒騎士」が去ってから、彼女は幹部役職に抜擢された。
黒騎士の口ぞえがあったのだ。とは、前任だった赤の苦笑だったけれど。
- 241 名前:御使いの笛 投稿日:2005/04/08(金) 01:29
- 彼女は真摯で、健気だ。
懸命に、与えられたものを越えてしまう。
そして越えてしまう彼女の芯は、他の誰よりも強い。
だからこそ…。
く。っと息を飲み込み、視線が無いことを確認してから、亜弥は直線状に石川を見つめた。
このまま朽ち果てるのを待つだけなのは、悲しすぎないか――?
視線の険しさに気付いたのか、梨華はシフトにおいていた手を止めてしまう。
「貴女だけでも、下へ降りればいいのに。
もう、束縛するものは無いでしょう?」
…………。
放り投げられた言葉を受け止められずに、司教は深くシートに沈みこんだ。
下手な弾丸で撃たれるより、心に響く。
一度だけ顔を手で覆い、そしてゆっくりと上体を起こす。
変なことを言うなぁ。
言葉にして記せば、そう綴られるだろう、呆れたような困ったような笑顔。
しかし、常温では無い。
まるで氷で撫でたように、色が顰められる。
- 242 名前:御使いの笛 投稿日:2005/04/08(金) 01:30
- あなたは知ってたんでしょう?当時の状況――。
そう、ふわりとした「色味だけが抜け落ちた」綺麗な微笑を浮かべ、石川梨華は松浦と視線をかち合わせる。
亜弥は当時の状況をよく心得ていた。
彼女を騎士の後任として選じたのは、梨華の師匠…だったのだから。
「去っていった人が居て、幹部は全員、追う事を許してもらえなかった。
まだ筆頭だった自分は、彼女が去っていったことすら教えてもらえなかった。
もぬけの殻の部屋を見て、ただ、捨てられたとしか思えなかったんだよ。
彼女が自分に何かを伝えることがあるなら、それは聞いてみるかもしれないけど、誰もそれは伝えてこない。
どこで誰が繋がってるかなんて、予想くらい着いてたけど……問わなかったし」
紡がれる声にも色が無いことに気付いたのは、美貴の方が先だった。
日ごろコロコロと鈴のように笑っている司教のこと、仕事などの冷徹さから生まれる差異は際立っている。
だからこそ、幹部としてしっかりとした仕事をこなしていたし。
部下達はやっきになって、彼女を支えたがったのだけども。
その根底に「怨みや憤り」があると思うと、同僚でもちょっとゾっとはするのだ。
ことさら、蚊が刺すほども気にしない!と思っていた、藤本のような場合は…。
「ゾ」は倍増するらしい。
- 243 名前:御使いの笛 投稿日:2005/04/08(金) 01:31
- 「あの人の意思でない限り、私は自分から会うことができないの。
ずっと、置いてけぼり。
ずーっと、縛られっぱなし」
ぽん。まるでジャケットを脱ぎ捨てる気軽さで、感情を放る。
サイドブレーキに手をかけ、下げ、シフトを操る。
それに気付いて慌ててドアを閉じる二人にむかい、窓が開いて続きが紡がれた。
「でも、自分だけがあの人から愛された自覚があって、自分だけがあの人を恨んでいられるっていうのは…。
歪んでるけど、案外キモチイイんだよ?」
冗談にならない視線と声で陶然と紡ぎ、彼女はアクセルをガンとふかす。
ギュララララ。
タイヤの空すべりする音に、焼け付くゴムが臭う。
二速発進なんて器用なことをしでかしながら、車は地下の深くへと走り去った。
「あぁ!ちょっと、待った梨華ちゃんッ」
と、体力勝負の城壁が後を追う。
メンテナンスのドックが地下五階だから、きっとそこまで走るか階段を使うつもりだろう。
タフだな、城壁。
さすがだ。
- 244 名前:御使いの笛 投稿日:2005/04/08(金) 01:31
- 思わぬ発言と呆れるタフさに呆然とする騎士は、一呼吸置いてからようやく視線を交わしてみせる。
「なんか「…解ったかも」」
――石川梨華が、今ここに残っている理由。
肩をがっくりと落としながら、思い描き、それから美貴は天井を仰いだ。
梨華ちゃん、一番マトモだと思ってたんだけどなぁ…。
ふぅ。
体の空気を吐き出してみても、残るものは何も無い。
仕方なくジャケットを脱いで、ようやく仕事モードから脱する。
「ここに居ても仕方ないし、もどろ?」
呼びかけるのに、亜弥はなにか考えているのか応じない。
「亜弥ちゃん?」
首をかしげ、覗き込まれて、ようやく顔をあげる。
「あぁ、ゴメン…帰ろうか」
思案気なのを咎めるだろうか。
そう思ってはみたが、気配は至極やわらかい。
亜弥はほんの一瞬、心底安らいだ気持ちになって口元を上げた。
ぎゅ。っと、手を繋ぐ。
- 245 名前:御使いの笛 投稿日:2005/04/08(金) 01:32
- あまりに基本的すぎて、数週間行っていなかった動作。
地下に走り去っていった車の方向を見やって、亜弥は静かに視線を伏せる。
しかし、もう、結末は変わらないだろう。
余程の間違いが起きない限りには。
だからせめて、この手くらいは、離さないでいよう。
自室へ戻るためにドアをくぐり、人気の無いエレベータホールを歩くまま。
指先をしっかりとあわせて、騎士はすぐそばの熱を感じ取りながら、そう、思った。
歩みを任せて、目を閉じる。
指先にはまだ、からめ取るような違和感があり、記憶の内には純銀のフォトフレームが残っている。
自らの視線が間違わなければ。
記憶に霞がかかっていなければ…。
……あるいは……。
もしかしたら、すべてが思い通りに…とは、ならないかもよ――?
重たいドアが音も無く開くのに、赤の騎士である彼女は口元をひきしめた。
- 246 名前:御使いの笛 投稿日:2005/04/08(金) 01:32
-
- 247 名前:御使いの笛 投稿日:2005/04/08(金) 01:35
-
- 248 名前:堰。 投稿日:2005/04/08(金) 01:43
- 御使いの笛
-193より01:混乱 -211より02:雨、後…
の二話をお届けいたしました。
ちょっと頑張っちゃいましたかね。
でもココで一話区切るより、歯切れはいいかと思いましたので。ゴニョリ。
>192
手紙の内容。今は作者と天使しか知りません(微笑)。
どうなるのかは、みなさんと一緒に、私も、みて行きたいと思います。
や。解ってないわけではありません。
ただ、突発的に出てくるアドリブが楽しみな作者です(苦笑)。
さて。以後、ほのぼのと言うわけにはいかなくなりそうです。
ochi更新にしようかとも思いました。
が、位置も下の方なので、このまま行きます。
ではまた、次回の更新でお会いしましょう。
おやすみなさい(笑)。
- 249 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/10(日) 00:51
- 怒濤の更新・・・お疲れ様です。
いよいよ、、、ですね。私もただただ見守りたいと思います。
- 250 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/13(金) 10:02
-
- 251 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/13(金) 10:03
-
03:巻き戻し。
- 252 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/13(金) 10:03
-
目が覚めたら、裕ちゃんもやぐちも居なくて。
あぁ、本当に、誰も居ないんだなぁって思って、さみしくなりました。
オカシな話だと思う。
自分が怒ったのに、自分でさみしくなってるなんて。
どうしようもない話です。
裕ちゃんが、「怒ったことは当然で、気に病むことは無い」って書いてくれたけど。
怒ったことが初めてだったから、なんだか自分でも、よく理解できていなかったみたいです。
怒る。って、とても大変なんだね。
悲しい気持ち。さみしい気持ち。
たくさんの気持ちを詰め込んだ、複雑な気持ちだということを、初めて知りました。
怒ったあとはとても疲れるし、とても気まずいね。
みんなこういうコトを経験してるんだと思うと、人間ってすごいなぁって思っちゃう。
でもね?思わず怒ってしまうほど、それだけ嬉しかったの。
とても、とても嬉しかった。
やぐちがプレゼントと言って持ってきてくれたのも。
買い物のために、みっちゃん先生や圭ちゃんが協力してくれたコトも。
裕ちゃんが、置いても良いって言ってくれたことも。
ちゃんと磨くよ。ピッカピカにする。目が痛くなるかもね。
だって、写真だよ?
五人一緒に居るんだよ?
自分も、一緒に写ってる写真だなんて。
ちょっと、嬉しすぎて、全部を伝えることなんか出来ないけど。
解ってくれると、思ってます。
だって、裕ちゃんはとてもやさしい人だから。
明け方だなんて、きっと起きて居られないだろうから、私も書き置きしておきます。
私からも、ごめんなさい。
やぐちにも、ちゃんと謝ろうと思います。
じゃ。また、目が覚めたら会いましょう。
おやすみなさい。
なつみ
- 253 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/13(金) 10:04
-
- 254 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/13(金) 10:05
-
「なぁ、普通居なくなるヤツは、こういう手紙書かないよな」
ピラ。と、空気を撫できるように、武器屋に向かって手紙を差し出す。
鼻面につきつけられた圭は片手でそれを受け取ると、無言で視線を左右に振った。
一段、また一段と読み尽くしていき。
愛らしい字で綴られた署名を見つめると、あからさま不機嫌に眉を寄せる。
「書かないね。
特に、目が覚めたら会いましょう。なんて、可愛すぎてメロメロだね」
「だよな?」
丁寧に差し挟まれたジョークさえ、真正面から受け止めて奥歯をかみ締める始末。
冗談をするりと差し込んだ武器屋でさえ、自らの髪をワシワシとかきあげて押し黙った。
どういう行動を起こしてか。
ナニモノかが家屋のロックを壊し、迷うことなく三階へと侵入し、天使と毛布を強奪したらしい。
推測で考えてしまうのは、ついでに奪い去っただけかもしれないという、行動の「断定」ができないからだ。
- 255 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/13(金) 10:05
- ただし階下にまったく被害が無い。
三階ばかりに惨状があれば、「迷うことなく三階へ上がった」ことはわかる。
階段には一歩目の足跡がくっきりと残っていたが、他に痕跡と呼べるようなモノは無かった。
参ったな。と、二人は言葉もなしに思っている。
表情に表れているのが裕子で、億尾にも出さないのが圭。
武器屋にしてみれば、脳内が忙しなく動いているので、表情まで動かせないというのが本音。
「問題は、どうやってロックを解除したか…なんだが」
ちくしょう。と毒づきながら、裕子は部屋を見渡した。
丁寧にスピーカーが全て破壊されている。
壁面液晶の上部に仕込まれた音声認識専用の集音装置も壊されている。
しかも銃撃一つのピンポイント。
なんつぅ鮮やかさだ。
音声認識が使えないということは、情報を引き出すのに時間が必要になる。
時間が長引くということは、相手はその間自由に逃げ回ることができるわけだ。
ちくしょう。
再び真っ黒な毒を吐き出しながら、裕子は足音高く床を踏み、生活用のデスクに近寄った。
- 256 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/13(金) 10:06
- 隠し引き出し一つに組みこんでいた、キーボードと液晶画面を久々に取り出す。
ハードは家庭内のシステムと同じ組み込みにしているので、使うのには支障ない。
設定画面を導き出して、現在の家屋周辺の状況を洗い出しはじめた。
「やっぱり、計画的ってことになるんだろうなぁ?えぇ?おい」
「七割強はそう思っていいだろうね。
気に障るだろう言い方をすると、丁寧に仕事してると思うよ」
――訓練された相手じゃないかな。無駄がない。何か隠すのに適した場所ばかり荒らしてるからね。
武器屋がそう感心するのも、解らないわけじゃない。
ムカツクほど、破壊も部屋を漁るのも「ピンポイント」で行われているのだ。
無駄な破壊に思えるのは、三階と踊り場を隔てるドアくらいのもの。
画面の明かりを受けてさらに白く感じられる頬が、ぐっとこわばる。
「ちくしょうめ…」
ハッキリと聞こえるように唸って、裕子は天井を見上げた。
まるで諦めるような、目の前の問題が解けない時のような嘆きを含んでいる。
あまりの落胆気味に、すいと背後にまわり画面を覗き込んだ圭の瞳が丸くなった。
- 257 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/13(金) 10:07
-
26時00分02秒
主電源基盤損傷
第二電源起動から全権移行へ三分を要しました
スピーカー 集音マイク全損
移行までの三分間の記録はありません
防犯用デコーダ:新しい記録はありません
記録の無い三分。
それが、全て――。
なんということだろう。
なんという役立たず!
手がかりなんか、まるで無い!
- 258 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/13(金) 10:08
-
思わず顔を両手で覆い、テーブルに肘をつく。
衝撃が重なりすぎて背負いきれない。
薄くなった息をかろうじて紡いで、呼吸を繋ぎとめる。
侵入者の存在。
家のシステムが破壊されたこと。
破壊による空白の盲点。
いつか居なくなると解っていたアイツが、こんな形で居なくなった事実――。
それにしたって、自主的に居なくなるならまだしも。
これじゃ…まるで…。
「主電源基盤てどこにある?」
落ち込むだけに思われた気持ちに串を刺すように、武器屋は問いかける。
肩に手を置き、画面を食い入るように見つめている、その視線のままに。
衝撃の大きさに飲まれて、気配として満ちるソレを忘れそうになっていた。
そうだ。
ショックの皮を一枚切り破れば、その中にあるものは「静かすぎるほどの怒り」。
現実を見失う一歩手前で踏みとどまって、裕子はぐっと眉をしかめた。
- 259 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/13(金) 10:09
- 「家の裏手の半地下」
――勝手口の続きを倉庫にしてて、そこにある。
ぶっきらぼうに答えを放つのに、吐き出す息にはあからさまな怒気が含まれている。
ポン。と肩をたたき、圭がモニターから離れた。
すいと見上げる視線の中で、武器屋は口元を結んで不敵に促すではないか。
意図がはかりきれずに見やるままの裕子に、どこか怒りめいたものをくゆらせる圭が誘う。
「なら、そこから確認するほかないでしょうに。行くよ?孤高の捕縛師さん」
土竜――もぐらじゃないよ、ドリュウだよ――を屠ることも造作ない人間が、この衝撃に耐えられなくてどうするよ。
もっともな意見に促されて、捕縛師はグンと世界を引き寄せる。
表情の中に強さが戻り、瞳には苛立ちと怒りの色を半々にした熱がこもる。
「背景が全部わかったら、冷静じゃいられないかもしれないけどね」
苦笑する圭に。
「いやぁ?今だって冷静じゃないな」
――相手が解ったら、急に感じた恐怖と焦りの分、万倍返しで熨斗つけてやる。
と返して。
追い抜くように階段へ足を進める姿は、一瞬の衝撃を追い越して居た。
- 260 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/13(金) 10:10
-
- 261 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/13(金) 10:11
-
基盤の箱は鍵かかってて、厚さは15ミリとってある。
箱の左右天地、厚みは変わらない。
次元弾でも使わないかぎり、損傷とかあり得ないんだけどな――?
暗がりを歩くのに、二人ともゴーグルを着用している。
これがあれば灯りなんか要らない。
暗視モードにした視界のなか、圭の視界には裕子の背中がある。
思い出すように呟く背中。
なるほど、次元弾ね。そう選択肢リストの中に単語を組み込みながら、歩みを踏む。
風で運ばれたのだろう屑葉が、靴底でカサリと音を立ててくずれた。
狭い家屋と家屋の境だ。
二人いっぺんに横並びとは行かない。
「この奥」
捕縛師に指し示された圭は、静かに角からその場所を覗き込んだ。
まさに家の裏手というその場は、半地下の入り口になる扉と、その横にいくつかの窓が並んでいた。
小窓は彼女たちの膝あたりの高さになる。
「つーか、ちょっとばかり無用心だったんじゃないの?」
そう言ってしまうのも無理はないが、ここを用心するのも無理があるだろう。
「今になったら、何も言えないだろうよッ」
歯噛みする気配を見せながら、裕子が後に続いてきた。
そりゃそうだけど。相槌を打ちながら、武器屋は逡巡する。
- 262 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/13(金) 10:11
- 中澤裕子。
普通の賊ならまず「狙わない女」だ。
それだけ下層では名が通っているし、それを知っているとして厭わないのなら、かなり豪胆な輩だろう。
組織的だとして、どうして彼女の邸宅を狙ったのか。
そのいわれが解らない。
次に、天使が強奪されている事実。
天使が狙いだとしても、その「あらわすところ」が解らない。
裕子狙いだったなら、書置きやら怨みつらみが残されていて当然。
後から接触があってもいい。
しかしそれもない状況で、ここまでの綺麗でサッパリした仕事具合となると。
天使…なのか?
じゃぁなんで、どんな人間が…?
昔とった杵柄。
多すぎるパターンを組みながら、圭は視線をめぐらせる。
すぅ…。周囲を見やっていた圭は、目覚めるように目を見張り、息を飲んだ。
- 263 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/13(金) 10:13
- 「やー。これさぁ、ちょっと洒落にならないかもよ?」
うん?
指、指し示すその先を見て、捕縛師は愕然とする。
粘着ゲルと、切り取られて落とされただろう無傷のガラス。
侵入の手口として、似たような事例がたくさんある。
自身がそういう手口の餌食になるとは思いもしなかったが、それは胡坐をかきすぎたのかもしれない。
後悔なんか、しても仕方が無いのだけど。
「唯一の物証だけども、ちょっと覚悟したほうがいいかもね。
単純な物取りは、ここまで出来ないよ」
――これけっこう高いんだ。防弾素材にも加工できるやつだし、見た目より軽いからねぇ。
どんどん「相手がプロ寄り」になっていくのに、こくりと息を飲み下す。
手袋の上から布地を取り出し、丁寧に取り上げる。
「じゃま。これは物証ということで」と圭はそれを布地とともに保存した。
じゃぁ、切り取られた場所があるってことだよな?
二人そろって小窓を検めるに、同じ切り口を失っているガラス窓が一枚見つかった。
専門の工具でもつかったのだろう。
鮮やかすぎる切り口に、悔しいやらムカツクやら沸騰しそうになる。
- 264 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/13(金) 10:14
- 「中入れる?」
武器屋に軽く問われ、裕子は単身半地下へと降り立った。
久々に入る半地下は、もうちょっとしっかり管理しよう!と心に誓えるほど湿っぽい。
実は弾薬などを仕舞っている隠し地下が「事務所側」にあるのだが、この半地下はその裏手にあたる。
もし事務所側が荒らされていたら、今頃火災で大変なことになっていただろう。
胸をなでおろしつつ。
切り取られた窓からレーザーポインタで直線を引いてもらい、ゆっくりとその線をたどり。
赤い光線がたどり着いた先。
裕子は一瞬目を点にしてから、かぶりをふるりと振った。
そこから薄っすらと目を開け、もう一度だけしっかりと確かめる。
確かめて、確かめた。
指先でそうっと「基盤を収めていた箱」をたどり、あからさまな落胆を見せる。
「なぁ…。あんまり認めたくないんだけど…、認めなきゃダメかなぁ」
思わず呟いてしまい、「ハァ?」と怪訝な声で返されてしまった。
「だって、コレよ?コレ」
チョイ。指先で示し、どうしよう!と内心思いながら助けを求める。
だって、こんな弾痕、滅多にないし。
実際使ったことあるけど、それこそ対獣相手とかだし。
こういう痕跡になりますよという損傷の見本のような、綺麗な切り取り口。
「ゲ!」とあまりに遅い反応にも、ツッコミをいれられない。
そう。それだけショックなのだ。
侵入者が「次元弾」を使用するだなんて。
- 265 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/13(金) 10:16
- 「ちょっと、眩暈しそうなんですけど」
思わず笑いが出そうになるのは、仕方が無い。
裕子は壊れた薄い笑みを口元に貼り付けて、肩を落としてしまう。
「や。ゴメン。私もちょっとクラクラするわ」
稀代の武器屋がそう言うのだから、捕縛師が眩暈したって文句は言われないだろう。
レーザーポインタを消して、圭はワシワシと頭をかきながらそれを抱える。
裕子は落胆から立ち上がると、一度基盤の入っていたボックスを殴り、そこから抑え切れなくなった叫びを迸らせた。
金髪の獅子かそれとも変種の狼か、果ては獣の化身か。
「どこのどいつか知らんけど、かなり腹立ってるぞ。こっちはよぉッ!」
唸ってもう一撃箱を殴る。
しかし、二人は当然のように思考を重ねて、同じ答えにたどり着いていた。
――侵入者、玄人決定。
- 266 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/13(金) 10:17
-
まだ一時間も経たない。
戻ってきた部屋の中を検めている圭と、物証を検めている裕子と二人きりだ。
顔を見合わせずとも、声はしっかりと通る。
途中武器屋の携帯端末に、心配した医術師から連絡が入った以外に、接触は無い。
営利目的の誘拐だった場合は、そろそろ第一接触があってもいい頃なのだろうが…。
「相手が玄人だとしてもよ。
自分が狙われたり天使が奪われたりとか心当たりないよ?悪いけど」
捕縛師は思考を必死に巻き戻し、自分に対して「非好意的」な顔を思い出した。
そりゃ土竜を仕向けた狩人やら、運び屋だったころから自身を疎んでいた人間が居ないわけじゃない。
が。ヤツラなら自力でどうにか鼻をあかそうとするはずだ。
あぁ見えて、性根は腐っているが、根性はあったのだから。
「プロが仕事をしてくるとは思えない。と。そういうわけだね?」
「そういうわけだな」
幾分断定的に言い放って、再び唸る。
「ヤツラだって、さすがに怨みを晴らすってなら、自力で来るだろうよ」
非常に男前な発言をしながら、裕子は切り取られたガラスをためつすがめつ持ち上げた。
「だってよ?システムダウンとかさぁ…。
家の構造も相当調べてないと、こんなヤリ方できないわけだ。
全く解らないところで探られて、こうなってるわけだろぅ?」
玄人どころか「専門職」っぽいじゃないの…。
再確認するために言葉にしているが、ドンドン不機嫌が蓄積されていく。
- 267 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/13(金) 10:18
- ガラスに向かい、当てるライトの光度を高くし。
常套手段のように、ルーペやアルミ粉末を使ってみても、当然のように、指紋は無い。
手袋のすれた後はあるが、さすがにそれだけでは証拠やキッカケを導き出すことはできない。
「あぁ。もしかしたらそれ、ゲルに先方の手袋の繊維とか残ってるかもしれないから」
言われてから気付いて、裕子は慌ててゲルを確かめにかかる。
もう埃だらけやんなぁ。眉を顰めながらも、ピンセットと灯りとで格闘する。
その様子を背中でうかがいながら、独り言のようなトーンで、圭は語りかけた。
「相手は、玄人。
部屋や家屋の構造にまで調べ、計画を練った上で突入してきている。
そう解るくらいには鮮やかな仕事ぶり……。
家のシステムを落とし、鍵をあけ侵入。
真っ先に三階へ到達し、部屋を荒し…天使を奪って逃げている」
事実だけを紡いで、圭は一度言葉を切った。
ここまでは整理がついている。
問題はすぐ後の続きだ。
「侵入が目当てか、天使が目当てか…」
選択肢を浮かべて、目星もつかずにつかみあぐねる。
「物騒な話だけど…」と前置きした上で、圭は思っている可能性を提示してみることにした。
- 268 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/13(金) 10:19
- 相手の目的が侵入目当てであった場合、部屋の状況はもっとひどいものだろう。
金品が無事だと言うことを思うと、侵入だけが目的だとは思えない。
それに、普通侵入だけが目的ならば、天使は目撃者として扱われ、羽枕のダウンとともに蜂の巣だった可能性がある。
裕子本人が出かけていることが解っていて、無防備な第三者しか居ないと理解してたとしても。
残されていた者に用が無い場合、見るに耐えない絵図が待っていたに違いない。
では、最初から「なつみ目当て」だったとして考えてみた場合はどうだ。
羽枕の中身が飛び散っているのは、たぶんささやかな抵抗のせいだろう。
侵入者に対して、なつみが少なくとも「拒絶」を示した証拠に見える。
裕子が感じた焦燥感や恐怖心は、きっとその時点での同調と推測できる。
- 269 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/13(金) 10:20
- さて。
一緒になくなっているモノは毛布だけ。
どこかに詰め込むならまだしも、綺麗さっぱり無くなっているとなると、一緒に持ち去られたというのが妥当な見方。
体だけを運べばいいはずの強奪で、なぜ毛布も持ち去られているのか。
流石に子供でもないから、「寒かったから!」とかいうジョークは飛ばさない。
「なつみを包んで運んだ」「運んでいるのを目視されたくない」というところだろう。
そうすると相手の目的は天使の強奪にあったことになるが。
彼女だけが「天使という役割の上で」目的になっているとすると、懸案は他の場所に湧いてくる。
裕子に対しての脅迫が必要ないのだ。
共同生活を送っている人間を「誘拐」したというのなら、どこかで脅しや連絡が入るかもしれない。
しかしだ。
もし、万が一、なつみが天使であることを割り出した人間が相手だとしたら?
裕子は一度競売に出してから、その項目を売買リストから取り下げていると言う。
その間にアタリを着けた人間が居て、見張っていたとしたらどうだろう。
天使である個体が必要なら、金銭のやりとりも、裕子に対しての迫害も必要ない。
彼女を奪い去った今、もうこの捕縛師には用事が無いのだから。
……。あ、捕縛師さん、手、止まってますよ。
- 270 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/13(金) 10:20
- 言葉が切れないとは言え、相槌もないのを不審に思った圭が体を起こすと、裕子が泣きそうな顔でこちらを見ていた。
泣きそう、と言うのは語弊があるか。
そうだな。迷子になった子供が自分の置かれた立場に呆然とし、不安を増しているような表情…。
優秀極まりない捕縛師が情けないったら無い。
「何か?これで用無しってんだったら、尻尾も掴まないまま終了って…」
縋るように紡いで見るも、
「容赦なく言うなら、そうなるけど」
半端な優しさも抜きに肯定する、武器屋の声音の優しいこと。
思わず不機嫌ににらんでしまって、裕子は忌々しげに歯の間から息を抜き出すと、机を一つ叩いた。
宥めてもくれない武器屋は、しかりと向き直って捕縛師に問いかけた。
「こうなると、たくさんの条件を結んで紐解いていくしか無いんだけど。
なにか気がかりっていうか、心当たりは無いの?」
心あたり。
そう問われ、「無いわけではないこと」を思い出す。
しかしだ。
その点は線で結びにくい。
それは自分で「外見に騙されていそう」だという予感がするからだ。
もしかして?疑わしい?だけど、無関係かもしれない。
心理的に斜幕がかかるのは、可能性が半々に思えるから。
でも、たった一つしか無いものなら、棚から出してくるべきだろう。
- 271 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/13(金) 10:21
- 「なぁ。この場合、疑わしいものは差し出すべきだよな?」
「そりゃ、何も手がかり無いからね…。
気がかりがあるに越したことはない」
思わず同意をとりつけたくなるのも無理はない。
不躾なのは仕方が無かったとしても、彼女は……、あまりにかけ離れている。
「あんたに、話したことあったかなぁ。
売りに出してた短い期間に、一人だけ接触者が居たんだけど…」
おそるおそると切り出して、上目で武器屋を伺う。
「や。聞いてないね」
椅子を引き出し、荒れた部屋も関係ないと言うように、武器屋は腰を下ろした。
どうやら興味や匂いを感じ取っているらしく、口元の余裕とは裏腹に視線は真剣だ。
聴取の準備は万端。
斜めに構えて、肘をテーブルにあずけている。
「そうか。話したのはみっちゃんだけだったか…。
聞かせてたら、なんか違ったんかな…」
裕子はニィと自らを蔑むように口元を上げ、記憶をグっと手繰り寄せる。
- 272 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/13(金) 10:22
- おぼろげな形が近づき、その形が不意に色づく。
口元をゆるりと持ち上げ、軽く顎を持ち上げてみせる。
そのままに現実の形が戻ってきて、記憶に収まった。
あぁ、なんでこんなに遠かったのだろう。
鮮明に思い出すこともできるのに。
なんで今まで記憶から退いて居たのだろう。
鷹揚にも見える普段の気配に、不意に見せる聡明な視線。
不躾で、外面よくて。
そのくせ周囲を魅了する華を、表情にも、その体の中にも持っていた上層の少女。
―― 後藤 真希 ――
「印象を寝かせたから、少々悪く言う可能性もあるのであしからず」
そう前置きした上で、捕縛師は疑わしい点について隠すことなく引き出すことに決めた。
- 273 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/13(金) 10:22
-
- 274 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/13(金) 10:23
-
- 275 名前:堰。 投稿日:2005/05/13(金) 10:31
- 御使いの笛03:巻き戻し。 でした。
三テイク目まで書き直したせいで、気付けば一ヶ月強経ってしまいました。
申し訳ないです。あわあわわ。
ここで切るのか貴様!と言われても、申し開きもできません。
>249
怒涛の後のブースターが長持ちしません(涙)。
もうちょっと更新ペースが上げられたらと思います。
バランス良く…というのは、何事も難しいですね。
では、また次の更新でお会いしましょう。
- 276 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/05/13(金) 20:11
- うわっ!いいトコロで切りはるし!
イジワル…くすん(泣
次が早く来るのを待ってます…
- 277 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/23(月) 23:03
-
- 278 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/23(月) 23:04
-
04:追想曲
- 279 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/23(月) 23:04
-
「新都市警護保障」
汎用な名前を冠して始まった新会社は、旧TSSPの仕事全てを引き継ぎ、まずは順調な船出をしていた。
各セクションの取り締まり役もかねてもらいます――。という衝撃の通達から、一ヶ月強。
主席警備事務官と主席護衛事務官に据えられた「旧総務課」の大谷雅恵と斉藤瞳は絶えず頭を抱えている。
仕事多すぎますよ!そのうち過労死しますよ!と。
泣きながらデスクに張り付き、今や、薄ら笑いも浮かばない状態に陥っていた。
同じビルの中なのに、四日も個室に帰ってないっす。
ベッドつかって寝たいっす。
オフィス横の応接室で仮眠したくらいっす。
最近食べたまともな食事?
あぁ、あれ、クラッカーのピザ味!美味かったなぁ…サクっとしててね…うん。
思い出して、フルフルと首を横に振る。
おかーさん、東京はひどいとこです。
鬼が居ますよ鬼が。
ジョークにしてみても、この勤務状態は崩れそうにない。
「で、その鬼さんが私なわけですが。
今週でひと段落着くんだから、もちっとばかし、頑張ってくれたまえ」
――私だって休みたいのだよ。私だってあったかいベッドで寝たいのだよ。
眼鏡の奥から疲れた視線をむけつつ、「社長」が前髪をかきあげた。
- 280 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/23(月) 23:05
- 神経の糸がかろうじて繋がっている二人は、思ったことがツルツルと口を出ていたらしい。
現実を受け止めて、ようやく顔から色が失せた。
可哀想に。
そんな部下のヤリトリにモニターを苦笑気味に見つめながら。
村田めぐみはするりと片手で髪をまとめ、手首にしていた髪留めで軽くおさえた。
「なんか美人っぽく見えますね、社長」
「あぁ、見えるかも」
横目で呟く雅恵に、うんうんと瞳が頷く。
「美人っぽい!ね。ありがとう!
って、二人は、珍しい減俸希望者なのかな?」
――せっかく我が社は右肩上がりだと言うのに。
経費節減にはありがたい申し出だなぁ。あっはっはっはっは。
乾いた笑いを紡ぐ上司に、部下二人は大慌てでそれを打ち消した。
イヤーやめてくださーい!とか、社長のヒトデナシー!とか。
ほぉうら査定書類ならまだデスク内だから、いくらでも改ざん利くのだよ〜?とか、とか。
そりゃもう「大の大人がおふざけでないよ」という会話が、大きくとられた幹部用オフィスに響き渡っていた。
と、その時だ。
- 281 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/23(月) 23:06
-
「相変わらず、何をしてるんですか」
カツカツ。と声を追い越すノックがして、一斉に視線が入り口へ向かった。
外勤組である柴田あゆみが戻ってきたのだ。
ハイネックのアンダーシャツと、特殊な防衝ゲルのつまった薄手の防弾ベストを着込んでいる。
ジャケットを片手にする手の甲にテーピングが見えるが、表情に疲れらしいものは見当たらない。
頼もしいことこの上ない。
彼女としてはポーン筆頭扱いには任せきれぬらしく、精力的に現場を飛び回っている。
同じように護衛官である木村絢香も後進の育成に力を注いでおり、めったにオフィスに顔を出さないで居た。
「おぉ。お疲れ様」
――ちょっと。傷が増えてる気がするけども、大丈夫かい?
上司が首を傾げるのに、あゆみは手の甲をさすった。
「これくらいなら、まだ」
肩を竦めるのに、表には出てこない、芯にある疲れが見え隠れする。
- 282 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/23(月) 23:07
- 正直、ローテーションの回りが速すぎて、社員たちに十分な休みを与えてやれない。
各部署の総指揮官が一人ずつというのも、事態の難しさを倍に増しているわけで。
それだって、旧体制からの引継ぎによって「名前を落とす」わけには行かないし。
新しい名前の実績も作らなければいけない。
思わず吐息を吐きたくなるが、懸命に飲み込んでみせる。
頂点に立つ人間が、それじゃイカンのだ。
指先でテーブルを叩きながら誤魔化すのに。
「大丈夫ですよ。今が正念場なの、解ってますから」
行き場をなくした手に、テーピングの巻きついた手が添えられる。
すいと視線を持ち上げれば、疲れたながらも清しい微笑み。
「もうちょっとしたら落ち着くのも解ってますし。辛抱ですよね」
――でも下の子たちのが心配なんですよ。リバースで能力の顕現してない子とか、疲れきってるし。
あらまぁ、なんと優しく、なんて逞しい。
下っ端を気遣いながら、あゆみは白い歯を見せて笑う。
引き抜いてきて良かったなぁ。心底感動しながら、めぐみも軽く口元を持ち上げた。
滅多に気配の解けない上役が微笑むのに、オフィスの空気が少しだけ軽くなった。
- 283 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/23(月) 23:08
-
切迫した空気をどうにか押しのけ、久々にお茶を楽しみながら。
各自が続きになる作業を続けている。
あゆみは先ほどまで出ていた仕事の報告について、書類のまとめに入っていた。。
新興マフィア同士の小さなイザコザだったのだが、格闘戦に割って入って止めるのは大変だった。
総勢20人ほどの大混乱。
通常の刃物や銃撃だけなら装備的に問題は無かったが、一人レーザーナイフの使用者が居たのだ。
右手グローブの繊維は対金属の刃にのみ特化しており、電銃の応用であるソレには対応していなかった。
なんだ、殺しちゃっていいなら、簡単に仕事ができるけれども。
「殺さずを銘じていきましょう」と、起業最初の全体朝礼で言われては守らないワケにいかない。
避けながらコチラのスタンナックルを叩き込むのは至難の業。
一瞬の剣突を外にそらし、どうにか拳をブチこんで電撃を与え、返す踵で気絶に追い込んだからどうにかなったけど。
- 284 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/23(月) 23:09
- コッチ自分以外は新人ばっかりで、計四人の実働隊だったしね。
自分が倒した相手が過半数だったし、溜まった疲れも出たんだろうなぁ。
ナイフを外に逸らす動作のまま、手の甲に深めの切り傷を負って、同行した救護班の世話になってしまった。
この点は、新しい職場になってからの「改善点」。
あらかじめの負傷が予測される仕事に、救護班の人間が一人つくことになったのだ。
医局の医者とは違って、それこそナース。えぇっと、看護士。
迅速さと的確な作業に、思わず胸を打たれてしまった。
前に居座っていた医局のおやじたちは、趣味半分のセクハラばかりだったし。
そう言えば、「趣味ですか?」と創設を聞かされた雅恵に真顔で問われ、コメカミを笑顔でグリグリしていた社長だが。
その動作を見て、「そうか、趣味か…」と、全員が思ったのは内緒だ。
まぁ、ありがたさを痛感したのに変わりはないので、その旨も書き記すのがよかろう。
サラリ。署名を記し、用紙一枚を手にする。
- 285 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/23(月) 23:09
- 「社長。あがりました」
細かな部分は、端末からデータに直接書き添えをしているので、今更綴ることもない。
形式上の報告書ではあるが、部下との大事なコミュニケーションなのだと社長は言い張る。
眼鏡の奥で涼やかな視線が左右上下と移動する。
ペンで軽く書面を叩き、納得したように一つ頷いた。
「うん。ご苦労様でした」
書類が受理され、ようやく仕事にひと段落が着いたことになる。
残しておいたブラウニーと、あったかいコーヒーで一息つこう。
と、何か言うことあったよね。
帰着てから今までの時間をさかのぼり、思い当たるところに出会うと、内容を引きずり出した。
そういえば…。と軽く手を打って、警備官は記憶を巻き戻した。
「さっき、下のコンテナに木村護衛官がいらっしゃいましたよ」
戻ってくるみたいですね、珍しく――。
へー。
ぬるい相槌を打っているのに、視線はとても涼しい。
あぁ。長い付き合いのお互いだから、そういう顔なんだろうな。
あゆみは納得しながら、席に戻り、新しく煎れてもらったコーヒーで、ケーキにありつくことにした。
- 286 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/23(月) 23:10
- ホロリ。
くぅ〜。疲れた時の甘いものってのは違うね!
幾分濃いカカオの味にほくほくしつつ、ノンシュガーノーミルクのコーヒーに口をつける。
対面するデスクでは、事務手続きなどを行ってくれるマサオくんが必死の形相で書類をかたしてる。
ちょっとくらいならやるよ?とは常々伝えているのだが、「事務官の意地だから」と笑って捌いてしまう。
本社が狙われたりしなければ、まず死なない場所に居るんだし――。
事務サイドで仕事をしている子たちの本音は、100%必ずコレだけど。
彼女と護衛の事務官である瞳ちゃんからは、そこを追い越すだけの思いやりを感じるから。
できる領分をしかりとこなすことで返すことにしているのだ。
お互いに、少しずつ甘えている。
前がギスギスしてたワケじゃないけど、考えられないほど、穏やかでいいオフィスだと思う。
至福だなぁ。手の甲もあんまり痛まないし。
思わず力が抜けてデスクとお友達になりそうな上体に、急に重さがかかった。
重さがかかる。
- 287 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/23(月) 23:11
- うん、かかっている。
「づーがおもいでづよ…」
ダンダンダン。と抗議するままに机を叩くと、「やや、眠そうだから起こしてあげたのよ」と陽気な声がした。
背中から重石がはなれ、上体が自由になる。
あぁ。折角居眠りできそうだったのに。体が起きてしまった。
不満があるわけでは無いが、ちょっともったいない。
苦笑しつつ見上げれば。
ソコに居るのは、久しく出会っていなかった、旧会社の上級幹部組であり、今の同僚。
「お帰り。久しいね」
社長とは旧知同士。
軽く手をあげて、挨拶を済ませてしまう。
と。手練の護衛官長は気配を落ち着かせると、上級者のたたずまいで上司に向かい合った。
気配であれば全員にわかる。
すいと視線の集まる中、彼女は諦めるような笑顔で言葉を向けた。
「嫌でも目の覚める話、一個持ってきたんだけど。社長、要る?」
話の内容は伏せているが、良くない話であることは理解できる。
「うぇ?あぁ、…あまり欲しくないなぁ」
久々にオフィスに顔をだした木村絢香の声に、村田めぐみは心底嫌そうな顔をしてコーヒーの最後を飲み干した。
- 288 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/23(月) 23:11
-
- 289 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/23(月) 23:12
-
珍しく人払いをし、二人だけで広いオフィスに居残った。
きっと三人は仮眠室にでも行って、事後、呼んでも起きない芸当を見せてくれるだろう。
まぁ、それは穏やかでかまわない。
話を聞いたあとでは、なにが覆せるわけでもないが。
にわかに信じたくなくて、愛用の万年筆をイジイジと指先で回してしまう最高責任者である。
「なんかいきなり黒猫に出くわして不吉がる、古代人の気持ちですな」
ふぅぬ。気難しい息を吐いて、社長は当時の状況を脳内でシュミレートしている。
高速片側2車線のすれ違い。
右側の走行車線を追い越しのために加速していた黒のRV車と、対向車線ですれ違った木村護衛官の車両。
運転手は別のポーンだったために、彼女には余裕があったようだ。
それだって、高速道。
しかも夜間。
オレンジのぼやけた視界に、対向車線だなんて、動体視力をフルに使ってどうにか顔が認識できる程度だろう。
しかし、そんな微かな希望もすぐに潰えてしまう。
見間違え、無いよな。
この人じゃなぁ。と。
- 290 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/23(月) 23:13
- 仮にも騎士の座にも居た人間なのだから、並みの能力ではないのだ。
遊びであれば黒騎士に負けっぱなしだったが、コンビとなれば無比無双。
死亡事故で欠色になった人の呼吸には敵わないにしても、黒のサポートとして恐ろしい成果を挙げていた。
そういう能力の持ち主を、侮って見てはいけない。
ムリヤリ飲み込もうとしているのが解るのか、絢香は軽く追い討ちをかけた。
「後部座席はたぶん三つ頭があったんだけど、両サイドは赤と青だと思うの。
あの子たちも雰囲気独特だったからね、見てすぐ解るじゃない?」
――そうなると、真ん中だけ解らないんだな…これが。
……。
真ん中ね。
誰だろうねぇ。
わざわざ総裁の手駒として残った四人が、一同に会して動くだなんて。
前なら考えようも無かったのに。
- 291 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/23(月) 23:13
- 「まさか、ねぇ…」
めぐみはハタと思いつき、それでも受け入れたくなくて誤魔化した。
そう。それを認めてしまうと、事態は急を要するようになる。
ヘタをしたら、懇意にしている銃火器メーカーにまで声をかけなければいけなくなるだろう。
うおぉう!なんだってこんな忙しいときに、追い討ちかけてくれんだよ!
一度に降りかかった矢を跳ね除けられず、そのまま撃たれてしまうようだ。
なす術が無い。
その様子をもらさず瞳にとらえながら、絢香は満面の笑みで見守っている。
隙もなにもありゃしねぇ。
恨みがましく視線を向ければ、助けましょうか?というように人差し指を向けてきた。
「蒼龍社にも声掛けておいたほうがいいかもしれません。
増産指示とか示唆しないと、ちょっと大変なコトになるかもしれないし」
あぁ。やっぱり。
前線を駆け巡るだけの豪胆さがなければ、そんな潔い視線はできないだろう。
透明な絢香の視線にさらされて、社長は普段の落ち着きを少しだけ解いた。
虚勢を張っても無駄だと解るからこそ、情けない。
- 292 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/23(月) 23:14
- こちらにしても、認めなければいけないようだ。
「天秤かもしれないって、思ってるわけだね?」
辞書のなかから的確な語句を抜き出し、言葉として滑らせる。
「あの四人でワザワザのお出迎えとなると、そうとしか思えないでしょう?」
私だって認めたくないけど…。
言葉を濁らせながら、絢香は髪をかきあげた。
「どこかの収集家に保存されてたとしても、天使をかくまうとか普通の趣味じゃないし。
被害届けも出ないだろうしねぇ。出所に出会うのも難しい」
――あの対象の突出した能力がわかれば、天秤か、紐解けるかもしれないけれども。
優しくない返答に、一度眼鏡を外す。
総裁の探しモノ。
飾りだけのコレクションを、無秩序な破壊者たちに変えてしまう鍵…。
万が一にも実物ならば…。
昔どこかの国際議会場にあった「終末時計」が、23時59分59秒あたりに針を進めることになる。
解りやすいか解りにくいか、微妙な脳内の例えに咳き込みつつ、必死に平静を取り繕う社長。
くもってもいない眼鏡をかけなおし、万年筆の頭を絢香に向けた。
どうせ落ち着いてなど居られないのだ。
開き直った彼女は、ついでにペンをゆらゆらと揺らした。
「あのさぁ。
もし、連絡が着くようなら言っておいて。
枠ならたくさん余ってる――って」
うわ。
絢香は一瞬表情を崩しそうになったが、どうにか持ちこたえた。
- 293 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/23(月) 23:16
- 不意打ちの召集願い。
しかも相手は限定されている。
言葉にしなくても、今のセリフが誰宛かくらいわかる。
ここまで自由に過ごさせてあげてて、今更巻き込む必要もないじゃない。
視線の中で毒づいてみても、相手の瞳も揺るがない。
「まぁ、希望に添えるか解りませんけど…」
なるべく素っ気無く答えて、肩を大仰に竦ませた。
機嫌を損ねたことは解ったらしい社長が、幾分驚いたように護衛官を見つめている。
「でも社長?
せっかく優しさ大サービスだったのに、台無しよ。これじゃ。
それにね、もうちょっと部下を頼る必要があるんじゃない?」
――いきなり戦力足りないって言われたら、さすがに他の子は怒ると思うよ。事情の解る子ばかりじゃ無いんだから。
そこまで言い放ってから、口元を大きく持ち上げて、肩の力を抜く。
今更怒っても仕方が無いのだ。
問題は、必要とされていると感じている若手たちに、今のセリフを聞かせられないコト。
オフレコにしておきます。
表情だけで投げかけながら、絢香はデスクからジャケットを取り上げた。
「蒼龍には私から連絡します。
社長は少し休んでていいですよ」
どうせこれから嫌でも忙しくなるだろうし…ね?
相変わらずの食えない笑みを前面におしだし、護衛官の手錬はドアの向こうへと消えていった。
- 294 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/23(月) 23:16
-
細い後姿のシルエットを瞼から追い出し、最高責任者は髪をかきあげる。
「言いたいことも解るんだけどねぇ……」
どうしようもないじゃないですか。と毒づきながら、力なく天井を見上げる。
真新しいビル。
塵もない天井。
だけど外の空同様、心は曇って晴れ間は見えない。
「黒い人さぁ。戻ってこなくてもいいから、協力してくれるだけでもいいんだけどなぁ……」
思わず縋りたい気持ちになって、両肘を机に落とす。
戦力が足りないわけじゃない。
事務官に据えている二人だって、社内の検定では上位から数えたほうが早い能力者だ。
ただまぁ、現場の幹部には少々劣るけれども。
しかし。何をしても満たされはしない。
正直、これから起こるだろう事項は、全てが「想定外」になる可能性がある、特殊な状況。
いくら入念に用心したって、足りないのだ。
物理的にどうなるコトでもないのだし。
「さすがにさぁ、私だって怖いものくらいあるんだよ。
…や、うん。マジで…」
――思ってるより、ドライじゃないしねぇ。自分。
まだ部下の戻ってこないオフィス、一人息をついて頭を抱える。
「戦わないと生き残れなくても、キミ達を失って笑っていられるほど…」
指揮官としては冷徹じゃないからね…。
前総裁とのビジネス面で明らかに違う点を自嘲気味に笑いながら。
彼女は、フロアのどこかで居眠りしてるだろう部下を思いやるのだった。
- 295 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/23(月) 23:17
-
- 296 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/23(月) 23:18
-
カツコツカツコツ。
長靴の底が廊下を叩く。
リズムは一定だったが、ガラス張りの廊下に突きあたり、それは緩んだ。
カツン。歩みが止まる。
人間の知恵を絞り作り上げた、巨大な居住用ドーム。
透明なその天蓋から遠く、見れば旧八王子方面から雷光が迫っている。
人造的な天幕に濾過された雨水が、箱庭の屋根から降り注いでいる。
けっこうな大粒の雨だ。
窓に手を添え、下層で暮らす友人を思う。
あの日もこんな大雨だったっけね――。
絢香はふぅと吐息をつき、滅多に引き出さない記憶を取り出した。
総裁が15になった後だった。
あの日。クロスする記憶のなかにある、濡れた街。
下級兵士たちの預かり知らぬところで、社内の方針を逆転させるほどの事変が起きた日。
総裁…後藤真希が、実の父親を亡き者にしたあの日のことを…。
保田圭という黒色の騎士が、当時の社屋から居なくなった日を。
- 297 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/23(月) 23:19
-
「忙しいとこゴメン。悪いけどもう、リタイアだ」
殺れなかった……。
当時は今と同じようなオフィス形態をとっており、丁度自分と総務が残っていた。
今日のデスクと同じような感じでね。
そう。事務処理したり、してたわけだけども。
急に背後からした声に振り返るより早く、総務が椅子を蹴倒して立ち上がっていた。
黒い詰襟の幹部制服を赤く塗りこめたような、黒スグリの液体でもかぶったような色に染め。
頬にはベタリと、乾きこびりついた血痕を残し。
部屋の入り口にもたれかかるように、圭が息を荒げていた。
糸が切れたら屑折れる。そんな紙一重の立ち姿で。
「医局へ」と慌てる総務を片手で制して、首を横に振りつける。
「アイツが本性出す方が早かったよ。
そいでもって、こっちには覚悟が足りなかった…」
諦めたような口調で水だけを口にすると、喉にしみたのかゲホゲホとむせた。
苦しげに体を折るのにも、あまり凄惨すぎて近寄りがたい。
だって、彼女がこんな血だらけで、傷ついてるなんて、初めて見たのだ。
そして二つの言葉から、それが「総裁のご息女」の話であることが推測できた。
ずっと、ただならぬ気配を持ってはいたが、それがいよいよ芽を吹いたのだと。
- 298 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/23(月) 23:20
- 「マスターが殺られてる。
駆けつけたときには、肩から上が無くなってた。
私も、重症だけど、どうにか逃げてきたよ」
――部屋から出れたら、逃がしてくれるとは言ってたからね。約束は守ってくれるらしい。
ハァ。
体の奥底から悪いものを吐き出すように、深く深く息を吐く。
「中身は総務の見立てに間違いない。
あれは性質悪いよ。霊質の使い方が常人より巧すぎる」
総務の見立て――という語句に世界が凍る。
洒落にならない予測を立てて、「最悪そういう展開だけどねぇ〜」と笑いとばしていたのだ。
その最悪の展開のままの、予測だと言う。
騎士がもどかしく血でぬれた上着を脱ぎ、アンダーシャツを少しめくりあげる。
そこには、紫色の殴打あとがくっきりと刻まれていた。
かなり酷い。
これだけのダメージ蓄積で、よく王の自室から移動できたものだ。
「英才教育が裏目に出ましたってね」
――こっちのモーションに全部かぶせてきやがんの。
痛みを紛らわせるためか、いつもより饒舌だ。
悪い子供のように口をゆがめ、彼女はオフィスに常備していた薬剤箱へまっしぐら。
抗生物質と痛み止めを取り出した。
- 299 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/23(月) 23:21
- 投薬器も取り出し、一番ひどい部分に皮下投薬する。
医局へ出向いてベタベタ触られるより、自分でやったほうがイイとは、幹部たちの共通論。
器用なことに、応急処置程度であればこなすようになっていた。
局地的に痛みが和らぐと、今度は他の軽傷部分にとりかかる。
塗り薬と包帯を巻きつけながら、圭は肩を竦めた。
「本当はアイツ、どっかでは、死にたいと思ってるのかもしれない。
人間的に過ごした部分ではね」
――でもきっと、私たちには殺せない。感傷に流されては、騎士も役立たずってトコだわな。
痛みに、溢す皮肉さえひきつる。
「上位天使の対処法、理論上は解ってるんだから。
時期がきたら、また何かするかもひぇなひへほ……」
エェイ。と思うように動かない体に喝を入れながら、騎士は鋏で包帯を切った。
口に咥えた包帯がぴろんと落ちてくる。
- 300 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/23(月) 23:21
- 「絢香…。悪いけど、私が出たら、部屋の荷物全部処分して。
時間はかかるけど、後から絶対連絡する」
金具で包帯をとめながら、吐くように懸案を並べる。
立て続けな上にとりとめがない。
彼女の焦りが表面化していた。
逃がしてやる…ていうことは、この会社から出て行けということ。
「あの子は?」
思わず眉を顰めながら、絢香は圭の腕に触れた。
あの子。そう、自身にはちょっと気に食わない話だが、年下の可愛い彼女のこと。
一瞬。ほんの一瞬だけ苦渋を浮かべたが、それを切り捨てると大人の苦笑を見せた。
「巻き込めないよ。置いていく。
幸い、明後日まで警備で出張中なんでね。会わずに済む」
――自分ひとりだったら、何があっても生き延びてけるし。
一緒に連れてまで守る余裕はありません、と。
確かに。目をかけて育てているとは言え、まだ、まだ上級者の域に踏み入ったばかりの人間。
それに、「あの子」は少々直情的で、芯が強いだけ「無理をする」ことがあると言う。
一度巻き込んだら、最後まで首突っ込みそうだからねぇ…。
言外に意図を巻き込むものだから、思わず納得してしまった。
- 301 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/23(月) 23:22
- ここまで弱気な発言になるのは、かなり派手に叩かれた現実を見れば、理解できること。
不意に湧いた苦笑を解きながら、騎士は視線だけを真剣にした。
「ま。パイプはあるから。どうにか生きてみるよ」
――あと、後藤に騎士が必要なら…松浦あたりを使うといい。冷静だし、染まりきるコトもないだろうし。
「じゃぁ。そのように伝える」
残される者はいつも、受け取ることしかできない。
急に起きた事件。
少ない時間。
伝えなければいけないコトと、残された時間の矛盾に頭が痛い。
アレも、コレも、聞かなければイケナイことは沢山あるのに。
体の負傷に対して応急治療を施すと、薬剤箱の中身を半分も握りこんで立ち上がった。
思わず総務の顔を見てしまうのに、村田めぐみは真剣な面持ちで口元だけを持ち上げた。
「持って行きなさい。私が許す」
――落ち着いたら一度くらい連絡しなさい。融資しましょ。
その優しい言葉に片手だけ上げて。
疲労か傷か、脚をひきずるようにしながら、黒色の騎士が歩きはじめる。
あぁ、何もかもが足りない。
言葉も。
感謝や、賞賛や……。
「生きて会おう。いずれ」
「「必ず」」
こくり。
背中で投げかけられた言葉を受け止め、拳を握る。
それが、社内で見た最後の姿だった。
…………。
- 302 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/23(月) 23:23
- 彼女の姿が地下の非常通路から無くなったのを確認し、それから部屋の中の物を全て処分した。
あの子の帰ってくる日付まで言及していたのだから、その期日までにすればいいのだろうと思って、そのようにした。
慌しい部屋の中には恋愛の跡は何も無く。
その上で何もかもを捨てろとは…。
ひどい女だな。と思いながら、それもまた好ましかったことも覚えてる。
や。これは単純な感傷だな。個人の。
部屋から無くなっていたのは、愛用だったコルトやベレッタのなどのピストルや拳銃類、刃物等の武器。
そして個人的に使用していたはずの端末、そして煙草と多少の衣服だけ。
金銭もある程度引き出されていたから、たぶんどこかで生きていくつもりなのだろう。
あの時はそう思っていた。
すぐに死ぬ珠でもないのは解っていたけど、急な別離はさすがにこたえたよ。
え?やぁ、陽気に見えるけれど中身は繊細だからね。
女の子だし。
…って、聞いてない?失礼。
- 303 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/23(月) 23:24
- まぁその後のゴタゴタとかは、ちょっと思い出したくないので割愛。
10年という時間の間でTSSP総裁の名は、「畏敬」からかたちを変え、「恐怖」と同意になり。
騎士はパイプを駆使して、名うての武器屋になっていた。
二年近くの不通を断ち切った言葉は「昔探してたベレッタのモデル手に入ったけど、まだ要る?」。
端末を握る逆の手が、わなわな震えたのを今でもおぼえている。
会ったその日に数発殴っても文句は言われなかった。
言わせてたまるものか。
そして、後藤真希は、本性を体の内に成長させた。
――自分で死にたいと思ってるのかもしれない――
――人間的に過ごした部分ではね――
あの日から、圭の告げた「そぶり」も「心の基」も捨てたような、生き方をしながら。
もう、平行線の関係じゃ居られない。
同じ場所を進むというよりは、一筋に綯われてしまうのかもしれない。
無視してきた、後回しにしてきた物事全てを、一時で清算するハメになりそうだ。
予感だ。
予感ではあるけれど、厳しい現実が待っている。そんな気がする。
- 304 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/23(月) 23:24
- 「天秤、なのかねぇ…」
記憶から戻り、もう一度思う。
本当に、鍵なのだろうか。
天使の能力は幾多にもわたり、個体に対しての確証を得るのは難しい。
不確かな情報に振り回されるより、確かさを追いかけた方が良かろう。
確実性を選ぶ堅実さが、いままでの勝因なのだから。
「ひとまず、連絡してみますか…」
真夜中だけど。
遠くを見やり、稲妻の一束を目に焼き付ける。
ほんとうに、あの日の夜みたいだ。
何かが覆されるような、妙な胸騒ぎ。
荒れるかな。
夜通しの嵐になろう天気に目を伏せ、彼女は数日ぶりに自室へ脚をむけた。
嵐の予想外の被害を、木村絢香も、村田めぐみもまだ知らない――。
- 305 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/23(月) 23:25
-
- 306 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/23(月) 23:25
-
- 307 名前:堰。 投稿日:2005/05/23(月) 23:34
- 御使いの笛 04:追想曲
更新しました。
激しい雨とともに、各自の上に降り注ぐ焦燥感。
ぬぐうことは、できぬ。と、言う感じでしょうか。
>276
オフラインの知り合いの方の「喋り口調」に似ていて、
思わず照会をとってしまいました(苦笑)。
別の方でしたね。えぇ。失礼しました
>照会取らせていただいた方
えぇっと。こんなトコロで切っちゃうのです(爆)。
しかも計算ずくの時と、天然の時があります(更に爆)。
えぇっと、焦らしプレイということで(殴)。
(ここまで長くて何が焦らしか!というツッコミは危険球退場)
一体何があって、あんななんでしょう。
答えは次回、武器屋スペシャル(笑)にて。
でわまた。
次の更新でお会いしましょう。
- 308 名前:276 投稿日:2005/05/24(火) 12:04
- いやぁ〜。ワクワクさせてくれはりますねぇ〜。
でもやっぱり作者さんはイジワル…
次回武器屋さんスペシャルを楽しみに待っております。
P.S私と喋り口調が似てると言う方と是非ともお話を…(爆
- 309 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/05/24(火) 21:45
- 呼〜ばれて飛〜び出てジャジャジャ<とぅ! と飛び蹴りを喰らう。
すいません。はしゃぎすぎました。初レスなのに…。
てゆーか!すごいドキドキしてきました。
武器屋に向けたであろう王の不敵な笑みが脳裏に浮かびます。
焦らしプレイは私の得意技のハズなのに!(殴)
ジリジリしながら次回更新お待ちしてます。
>>276さん
私はただのアフォですよ?w
- 310 名前:309 投稿日:2005/05/24(火) 21:46
- あわあわあわ…
す、すんません、初歩的なミスでageちゃいました…
- 311 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/30(月) 15:52
-
- 312 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/30(月) 15:53
-
05:昔話。
- 313 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/30(月) 15:53
-
後藤真希…て、ほ、本当に…そう、名乗ったの――?
話の全てを耳にした後、武器屋が上目遣いに確認するのに、裕子はしかりと頷いた。
聞き間違いはない。
表情の特徴も、覚えているものは全て綴ったつもりだ。
揺るがない事実と知ってから。
思わず目の前がゆがんでいくのをとめられずに、圭は机に突っ伏した。
呼吸は肺の中でなっているように聞こえるし、鼓動は耳に煩く、気持ち悪い。
まるで思考と体が分離するようだ。
など、いったいどれだけの衝撃だろう。
久々だ。
久々すぎて、ほんとうにダメージが大きい。
うろたえる姿を見せるのは、初めてかもしれない。
それほどまでに、今までこんなショックを受けたことがなかった。
「…ぁッの、大バカ――!!」
思わず大声で怒鳴ってしまって、先に感じるのは後悔。
落ち着きが後から追いついてくる。
ビリビリとガラスさえも震えそうなほど、張り上げた声は一瞬で塵と消えた。
ドン。
伏したままの上体と、打ち付けられる拳。
搾り出すような声で唸られて、その言葉を解釈してしまう捕縛師は自らの洞察力を疎んだ。
- 314 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/30(月) 15:54
- あの。という単語は相手を特定できる証拠だ。
大バカ。という言葉も、ある程度親しくなければ使うことはできない。
と、なると。
じぃっと見つめてしまうのも無理はない。
あの少女と目の前の武器屋は顔見知りということになる。
ただ、今までの展開で見て「グル」とは考えられない。
何が繋がっているのか。
それだけを確かめたくて、言葉を待ち続けてしまう。
数十秒が流れて、圭は体を起こした。
視線を感じていたのだろう。
どこか気まずそうに、だけども諦めたように、髪をかきあげてから顔を対面させて告げた。
「関係性だけで言うとね。
ここに来るまで所属していた、会社の社長の娘なんだ」
――暇な時には構ったりとかしてたし、実際に警護したこともある。
無駄な知識を全て省いた場合の関係を紡ぎ、一度言葉を区切る。
解っている。
それだけの説明で許される場ではない。
圭は思わず途方に暮れる。
ドコからナニまで話していいのか、皆目見当もつかないのだ。
- 315 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/30(月) 15:54
- バカげた話だとは思う。
仮にも…手錬と讃えられた…、自分が…。
視線が曖昧に振れるのを、とどめることができない。
迷っている。
そう、迷っているのだ。
まるで心の底に重石をつけ、海中に沈められたように。
自分の見当を取り出すことすらできない。
恐怖のすり込みだろうか。
おかしいな。
「逆らうこと」は越えたはずなのに。
逆らえたからこそ…今、ここに……ッ。
「何から取り出したらいいか…って、顔してるな」
パチン。
迷いの膜が破け、迷っていた視線が声に吸い寄せられる。
絡む視線の奥に、満ちるのは静かな気配。
ゆるがしようのない、自己と、その殻に包まれた「怒り」。
グ。と、弱くテーブルに投げ出していた手が取られ、痛いくらいの力を加えて握られる。
ギリ…。
骨が軋む音さえ聞こえそうな静けさをかぶせ、裕子の目が険しさから鋭く尖った。
- 316 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/30(月) 15:55
- 呼気が、拍動が、気迫が、怒りが。
肌を伝い、視線に絡まり、圭の世界を遮断する。
必死の形相と、困惑を並行して浮かべながら、捕縛師は抑え目にくちびるを動かした。
「こんな顔して、情けないこと言うけどなぁ」
奥歯を噛むように、苦々しく言葉がこごる。
「…今は、あんたしか居ないんだよ」
プツリと、何かが途切れる音がする。
すり込みの斜幕にカギ裂きができ、そこから新しい空気が吹き込んでくる。
あぁ、そりゃそうだよな。
武器屋は妙な納得に眼を覚まされた。
指先の痛みが引き戻す視界を、ようやく視認する。
ただ険しいとだけ思われた瞳が、ゆらゆらと揺れていた。
漠然とした不安だけに囚われていて、裕子はまだ何も捉えられていない。
彼女の掌に落とされた鍵は、すべて自分の所有物なのだ。
必死さは懇願になり、困惑は問いに挿げ替えられる。
生まれるのは、小さな光。
ほぅと点る、強さの証。
自身が保てなくて、どうする――ッ!
「ゴメン。ちょっとばかり、昔に囚われすぎたらしい…」
――知っている限りは話すよ。
自分が知っているかぎりの、昔話と、その続きを……。
- 317 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/30(月) 15:56
-
- 318 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/30(月) 15:56
-
昔、上層部に、とても穏やかなお城がありました。
そこには王様や、王様を守る騎士、弱さを守るための城壁。
狂乱を諭すための司教、慈悲のもとに戦士を癒す女王が居りました。
多くの兵士たちが、王様の下、来るべき時へ向けて個々の鍛錬を続ける毎日。
それはかつて世界を脅かした天使に対しての訓練でした。
しかし、時すでに、その脅威は遠くなっており、天使に脅かされる事件も少なくなっていました。
仕方が無しに彼らは、「悪どい人間から人間を守るための業務」を、生業として過ごすことにしました。
少々値のはる依頼金を必要としながらも、彼らの仕事は盛況をきわめて行きます。
各役職は最初の目的を忘れませんでしたが、下級の兵士たちには時折金目に惑う者も居たり。
少しずつ統制が取れなくなってきた…と思われた、その頃でした。
王様に、待望の世継ぎが生まれます。
女の赤ちゃんです。
奥方様は彼女の命と引き換えに、世界から散りさってしまいました。
が、王様はしかりと新しい命を受け止めます。
王様は、彼女に相応しい名前をと、母親の姓と共に、希望あふるる名を授けます。
真の希望――と。
はるか昔のように、男でなければ家督を継げない世界ではありません。
彼女はお城の未来を担うべく、数々の英才教育を施されたのでした。
- 319 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/30(月) 15:57
- 王様の諭す帝王学。
騎士の受け持つ戦闘術の授業。
女王や、周辺の博士達が受け持つ一般教養。
女の子は野にあって燦然と咲く花のように、その贅沢なまでの栄養を、独り占めにして育ちました。
しかし、あるとき、女王たちが気付きます。
子供の中に「陰」があることに……。
見た目の愛らしさに隠れてか、その陰はナリを潜めたまま。
時折に視線の内に見え隠れして、他の者には気付かせぬ間に消えてしまう。
陰の正体について見極めがつかぬまま、時だけが多く、ただ多く過ぎて行きました。
不審に思う周囲の目をよそに、疾風の如くに学術を吸収してしまった彼女は、王様の仕事を手伝うようになりました。
仕事の処理の早さ、確かさ。
全てにおいて舌を巻くほどの動きをしてみせると、見る間に半分ほどの権限を手中にしてしまいます。
惑わされぬようにと眼をこする騎士にも、魅惑の笑みを見せてゆるがせる。
ただ少女と称するのに収まらない気配を持った彼女に、お城が飲み込まれていくような。
古くからの人間には、そんな気持ちがしたものでした。
そしてある――少女が15歳になってからのある夜、ただならぬ事件がお城の中で起こったのです。
- 320 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/30(月) 15:58
-
個人召集の緊急コードを受信した騎士は、一人、王の自室へと脚をむけた。
エアジャッキの音とともに、扉が開く。が、そこは灯りも無い闇の淵。
「あぁ、なんだ…遅かったねぇ」
遠方で光る雷が、その姿を逆光によって切り出した。
シルエットは、二つ。
椅子に座っているはずの人型は、机に伏して居るのだろうか。
背もたれ部分がしかりと見える状態で、寄りかかってはいないらしい。
その背もたれに手を置き、声を発した少女が佇んでいる。
閃光。
一瞬の光を受けて、視界が明滅する。
青白い世界の中、微かに見えた、一瞬の光景。
机に伏しているはず人間の、肩から上が「無い」。
「…何を、……した?」
問いかけを放ち、自ら戸惑う。
視界にうつったモノは、今まで幾度と無く目にしてきた光景と近しい。
「見ればわかるでしょ?」
少女…彼女の頬にシミがついている。
黒い、真っ黒く見える、涙のように頬を伝うそれ。
「ねぇ。この部屋から逃げられたら、見逃してあげるよ。
追手も出さないで、自由にさせてあげる」
生々しい匂いがふかりと鼻について、全身が硬直する。
「受け入れる」よりも早く、嗅覚が追いつく。
生ぬるい臭いと、温かみのない部屋の気配。
そのギャップに、現実が感づいた。
「あ……」
喉を通る息が、ただ、音をかきならす。
認めたくない視界を追い越すモノ…。
死臭だ。
- 321 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/30(月) 15:59
- 信じたくなかった。
や。本当は、どこかで覚悟していたはずだ。
少女の父親であり、騎士の上司であった男は、この事件の必然を説いていた。
肩から上…彼だった顔をなくしてしまった「王」の屍骸。
認めたくないのは、そこに希望を抱いていたからだ。
せめて、大人の思っている通りの彼女で居てくれると、そう、思って居たから。
大人であった、我々のエゴ――。
しかし、その希望も、エゴも、今となってはすべて気泡のように弾けてしまう。
少女はピラリと一枚の書類を持ち上げ、血の色のない場所へ避けた。
「ほら見てよ圭ちゃん。
パパ、誓約書にしっかりとサインしてくれたよ。
それから、本当に私を殺すんだな…って、微苦笑ってた」
――オマエのことを殺せなかった私を、恨んでくれ……って。
全権委譲の誓約書には、見慣れた書体の文字が並んでいる。
間違いない。
王はその場で、彼女へのたった一枚の書類を書き上げてから、殺されたのだ。
殺されることに腹をくくりながら、一文字ずつを書き記した。
「後藤!なんで、あんた…ッ」
思わず言葉が搾り出される。
「演じるのをやめるだけ」
騎士の言葉を断ち切り、少女は体ごと騎士に向き直った。
「みんなが勘付いてる通りの、私になるだけだよ」
ふっと、口元だけが持ち上がる。
「今更慌てて、バカみたい。
パパも、村田さんも…圭ちゃんだって。
今までいくらだってぁたしのコトを殺せたはずなのに、情で縛られ…手遅れになるなんて」
――人間らしくて、笑っちゃうねぇ。
整った表情の静かな微笑み。
それがここまでの寒さを呼び起こすとは。
背筋の神経を刈り取られたように、体が反応してくれない。
違う…コレは、彼女の本質?
- 322 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/30(月) 15:59
- 「ほら、早く部屋から出ないと、逃がしてあげないよ?」
――コッチには、限りないプラス要素があるんだから。
耳元で、微笑が鳴る。
それだけの長い時間、衝撃に身を晒していたのか――?!
冷たい雫にあてられるように、現実へ視界が還ってきた。
焦点の定まりとともに、目の前に掌が迫っているのが見えて汗が吹き出る。
暗闇に近い世界で、それは影そのもののようにのびていた。
彼女の足元から、体を這いあがり、腕となって闇がのびている錯覚。
ェア!瞬間的に体を限界まで追い込み、打ち出された腕に同等の一撃をあわせる。
バシュン。という打撃音。
フルスイング同士、骨に異常が無いのは、そのグローブの有能さだろうか。
独特の気迫が防護しているのか、一瞬では計れない。
衝撃を利用して一歩の距離をあけるが、退出口には程遠い。
思わず舌打ちを鳴らして、もう一歩を開くべく打撃を組み立てて挑むことにする。
しかし、手管の全てに対して、同じ位置で相殺するという恐ろしさ。
お互いの技量は互角に近い状態。
よくもまぁ、これだけの技術を吸収してくれたものだ。
教えた当人ながら、思わず関心してしまう。
寸分の隙を貫いて一打、また一打と、二人に傷がついていく。
部屋から出るための算段を組んでみても、どれも潰されてしまう。
- 323 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/30(月) 16:02
- 一撃を逸らした瞬間、不意に、ニヤリ。と、少女の微笑みが歪んだ。
「でも、こうなると話は違うでしょ?」
視線が自分を捕らえる。
瞬間、今まで打たれた場所が切り傷のように裂けはじめた。
腕。脚。腹。頬。
ビ。皮膚がさけて。
パタパタタタ。血が落ちる。
切り裂かれた傷は、まるで生き物のように自らを開き、おびただしい量の血が噴出していく。
全身にその傷がわたり、痛みに気が遠くなる。
皮膚がの表皮が裂け、肉が、守られる筋肉が晒された。
衣服下の異変に、黒い制服が朱に染まる。
暗闇の中。同化する、ぬめる黒色に……。
ありえない!
怯える視界に口答えをするように、精神が研ぎ澄まされる。
嘘だ――ッ!
受けた傷は全て、拳による拳突によるものだ。
嘘だ。切れるはずがない。少女の拳圧はそこまで速くない。
これは嘘だ!高濃度の霊質が見せる、幻だ!
「ォオゥッ」
迸る声に体が目を覚ます。
斬ッ。
振り切った腕と、その先の金属の閃き。
腰に据えた小ぶりの鞘は、リミッターが解除されていた。
パタリと、生ぬるい雫が頬を打つ。
浅いか?そうは思うが、一撃は一撃。
少女の肩には袈裟懸けに裂けた傷が出来上がり、血が噴出していた。
- 324 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/30(月) 16:03
- ハァ…ハァ。
呼気のリズムが荒げる。
吸って、吐くまでの速さは平常から程遠い。
部屋から出るという目的が微かに遠くなり、騎士は目の前にしている少女を、ただ見つめていた。
項垂れ、傷口を確かめている指先は、自らを愛しているようにも見える。
傷ついてなお、その容姿は艶かしくも、神々しくも見え。
なんていう…、ことだろう。
今までの出来事さえどうでも良くなる、その気配。
屈してしまいたくなる。
これが、彼女の本質…と、いうことか……ッ。
ヌルリ。指先で掬い上げる血液を、そうっと、視認するために顔の前へと移動させる。
指をすべり、甲を伝い、床にピチャリと落ちる滴。
「さすが、けーちゃん。騎士の称号は伊達じゃないね」
――普通の人なら、幻覚一つで、すっかり廃人だと思うんだけど。
肩を竦め、楽しそうに微笑みながら、傷口にかるく手を滑らせ。
なでつけた。
手品か?や、手品とかいう可愛い問題じゃねぇな。
再生力も通常のリバース達の比較にならない。
「フェアじゃ無いね…まったく」
口の中に溜まった血の味を吐き出しながら、騎士は唸る。
少女にできた切り傷は、消しゴムで消したかのように、あっと言う間にその形跡をなくした。
- 325 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/30(月) 16:04
-
「どうしよう。ムリヤリ服従させていい?」
それはもう屈託の無い笑顔で、少女が恐ろしいことを口にする。
服従させてどうすんだ?と視線で問うてみても、どこか楽しそうに「内緒」と指先を口元にあてるだけ。
今さら無垢な可愛い子の顔してんじゃねぇよ。
思わず零れるのは苦笑。
ダメージの蓄積で重たくなった脚を奮わせながら、親指を床に向けた。
「残念だけど、二度も同じ手は食わないよ」
――打撃のそれぞれに霊質を載せて当てるなんて…。
一点の接地面は小さいのに、濃度が濃いから深度も深いってわけだ。
おかげで思うように飲み込まれるトコだった。
「ありゃ。手口までばれた」
子供の顔で笑いながら、少女は至近距離の一歩を踏む。
「つーか、逃げるか洗脳かって二択は極端が過ぎるな」
チャリ。
ナイフの切っ先を向けながら、騎士は牽制する。
「そんなこと無いでしょ?デッドオアアライブなんて、いつものことじゃん」
が、少女は恐れない。
この王女様は英才教育のおかげか、時折とても豪胆に振舞うのだ。
ピタリ。と、服地に切っ先がひっかかった。
突けば、心臓に到達するだろう位置取りに、二人が止まる。
「そっちの方が、簡単なんだよ」
呼吸は落ち着いた。
が、会話の軽さと裏腹に、表情はこわばっていく。
――余程簡単。
そう。余程、簡単だ。
「そっかぁ…。そっちのが簡単なのか」
感傷に流されるように、一瞬彼女が視線を伏せた。
- 326 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/30(月) 16:05
- 少女の隙を突こうと思った脚は、逆に足止めされた。
グ。と、ナイフの柄を取る手を、握り締められ戸惑う。
どこにこんな力があるのか、腕はピクリとも動かない。
切っ先の位置を変えぬまま、彼女は脚を進めようとするじゃないか。
歩めば、そのまま、刃物は突き刺さる。
勢いのない分、痛みは何よりも鈍いだろう。
「なッ」
何を。と、思ったのは敗因だろうか。
グズリと腕に伝わる感触。
口元を微笑ませながら、俯く少女。
鍔元まで飲み込まれたナイフは、違うことなく心臓へ到達しているはずだ。
抜いても、遅い。
「後藤!あんたッ、ほんとに…なにを考えてッ」
うろたえ、言葉を発しながら、倒れてくる体を受け止めた。
ドウドウと溢れる血液に、今度こそ幹部制服が染まっていく。
ニセモノじゃない、温度。
両手の中に細い体がある。
殺したのか。彼女が自ら、死んだのか?
指先が震える。
今まで何人殺したと思ってるんだ。身内だからって、そんなショック受けるなよ。
「だって、…こんな…」
自らの冷静さが訴えるのにも、圭は思わず首を振る。
と。
不意に、首筋に落ちてきた少女の額が、スルリと頬を撫でた。
まるで、意思ある行動として、甘えるかのように…。
- 327 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/30(月) 16:06
- 背筋が凍る。
ありえない状況に奥歯が合わない。鳴る。
待て、待ってくれ。
今、刃物は、過たずにその胸に吸い込まれた。
この眼はその場を正視した。
普通、即死するだろう?
驚愕に見開かれた視線の中で、もたれかかる少女の手が、自らの胸に突き刺さるナイフにのびた。
柄をにぎり、差し込まれたのと逆の方向へ、抜き取ろうと力を込める。
「あは…、はははぁ」
ザンネンでしたぁ――、生死で終わらないこともあるってね。
ボタボタと零れ落ちる血と反比例に、声の愉快さは増していく。
カラン。情けない金属音をたて、血溜まりの中へナイフが飛び込んだ。
跳ね返る血飛沫が、長靴の紐を染めている。
「体が『入れ物』である以上、ごとーは簡単には死なないんだ」
――と、言うわけで、今のチャンスに逃げなかった…圭ちゃんの負け。
ズルリと、彼女の体から光の糸が這い出す。
それは飴細工を伸ばすように、放射状に広がっていく。
髪がゆるりと長さを変え、胸元まで流れ落ちる。
引き結ばれたくちびるは、どこか艶然とした微笑を保っているようにも見える。
唇にこぼれた紅は、あまりに生々しい。
どういう手品だ?や、手品じゃないことくらい、頭は理解しているが安易に認めたくない。
性質の悪い夢だこと。
愕然とする視界のなか、それは明らかに顕現した。
ふわり。ふわり。光の粒が床に融けていく。
心臓を握りつぶされるような圧迫感。
呼吸が荒ぐ。
- 328 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/30(月) 16:07
- これが、純血といわれる霊質の濃度…。
少女を突き放そうと手に力を込めたが、全くかなわない。
気付けば踊る様のように、腰にしかりと腕が巻きついていた。
中てられる。
情けなさにも程がある。
恐怖で喉の奥が鳴った。
しかし恐怖に耐え切れなくても、誰も騎士を責められまい。
肉体だけの痛みならまだ耐え切れる。
精神だけでも、また然り。
だが、その恐怖を条件づけするには、肉体も精神もカテゴリは不適格だ。
霊質の及ぼす影響は、未だ完全には解明されておらず、畏怖の対象になっている。
多少の耐性があるとしても、この濃密な霊質量に漬け込まれて、溺れない人間は居ないだろう。
世界の正常が、体のなかでグィと捻れていくのがわかる。
「人間は高次元の展開に慣れてないからね。
ちょっと別の扉を開いただけで、狂っちゃう人が多いわけ」
すり。愛しいモノのように頬をよせながら、彼女は騎士の額に手を置いた。
まるで、熱でも測るように。
なんと。その掌からたくさんの異界が染み出して、騎士の思考を侵食していく。
これは、恐い――。
違う何かを体の中に叩き込まれるような。
知識とか存在の違う世界に連れ去られるような。
未知、未到達の脅威であり、凶暴さに満ちた、恐怖だ。
延々と在る肉だけの塊が血を引きずって蠢く様や、暗黒の深遠にただただぽつりと光る目。
存在のちがう場所に、放り込まれた気持ちになる。
これをマトモに正視したなら、確かに。
あ…がゥア…ァアアァアアァア。
零れるのはうめき声だけ。
フン。と、少女は満足そうに鼻を鳴らした。
- 329 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/30(月) 16:07
-
「次元弾は天使の力の応用であり、高位次元展開を起こす両刃の剣。
対天使用の最強兵器に位置づけられているのは、何故か。
それは元に居た次元に送り返すことができる、特殊な弾丸だからだよ。
下級のモノは新たに同一の質量を基にしないと復元できないから、ものすごい時間がかかる。
その間に拘束したり他の部分を破壊できれば、修復不可能ってことになるわけ。
上位はまぁソンナコト無いんだけどね。
じゃぁ、多重使用が認められてないのは何故か。
こうして別の扉が開いたときに、人間が耐えられないからなんだコレが」
――上位階級を滅ぼすには、それこそ高位次元に飛ばしちゃうのが一番なのにねぇ。
勉強になるでしょ?
ニヤリ。
首筋に口付けるほど寄り添って、誘い込む。
「楽にしてあげるよ?どう?」
艶のある声しやがって…。あぁ、頷きたくなる…。
この誘惑は抗いがたい。
脅威から逃げられるのならと、納得してしまう。
しかし。
そこに屈するわけにはイカナイのだ。
「なかなか、いい…勉強になった。さすが」
――おぼえておくよ。
ゼェゼェと荒い呼吸を繰り返していた口元が、クイとつりあがる。
- 330 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/30(月) 16:09
- 喋りかけられることで現実を取り戻した圭が、すいと少女を押し戻した。
意識を回復させたことに驚く視線が、とても心地いい。
や。本当は喋りかけられなかったら、どこかに逝ってしまったかもしれない。
それくらい、精神は不安定だった。
あんな世界を見てしまったら、自分の体だけで錬金術でも使えそうだ。
やぁ、漫画でもあるまいし。そんな絵空事があるわけでもないが。
自慢げに喋るその声が、まんま命綱だったなんて。
感謝するくらいだけど、教えてやるもんか。
まだまだ甘いよ、お嬢様。
出し抜くのが楽しいというのは、こういう時くらいだ。
ホルダー以外に隠しナイフくらい常備してるに決まってるだろう!
ベルトにくくりつけたポーチの隠しスリットに指を滑らせる。
つきあたる金属の冷たさ。
細いダガーを肘、喉に打ち込んで、コンパクトにたたんだ脚から踵を腹部にブチこむ。
インパクトに成功したその脚を、通常の横蹴りのように、芯をねじり、打ち抜いてみせた。
やわらかさと、能力の高さが為せる技。
くの字に折れ、数歩を後ずさるのを見のがさない。
喉に打ち込んだナイフが、チャリンと音をたてて落ちる。
自力で抜いてやがる…。
恐ろしい光景を目にしながらも、するり。と、にじるように移動する。
開きっぱなしの扉を背にし、自分の活路を断ち切られないようにジリジリと。
さすがに、もう、限界だ。
これ以上の長居は悪い状況しか生まないだろう。
ダンと一歩を踏み出すが。
「ヤダ。やっぱ手放したくない」
横っ腹に貫くような蹴突を食らって、床にまで折れてしまった。
目の前から散弾でも打ち込まれたみたいだ。
- 331 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/30(月) 16:09
- 腹が焼け付くように痛む。
骨か内臓か…、判別しがたいくらいに痛い。
まぁもう。ふつうなら、これだけ弟子が強いのは歓迎するべきなんだろうけど。
さすがにちょっと、洒落にならない。
「もうパパは居ないんだからさ。私のモノになって、尽くしてよ」
ねぇってば――。
相変わらずの「邪気の無さそうな笑顔」でマウントを取ろうとする。
普通、無邪気な少女はマウントポジションなんか知らないのだがね。
あッガ。このガキ…。
のしかかられる肘に刺さったままのナイフを、グイと横に滑らせる。
腕の腱が切れているはずなのに、どうして普通の顔で動くのか。
切ったそばから再生してるってコトだよなぁ?
それでも痛覚は多少あるらしく、一瞬腕が引けた。
眼前にある顔を横から数発殴打し、引けた腕の側からどうにか抜ける。
抜き取ったナイフで切りつけることも忘れない。
しかし、その深度は浅く、騎士は体が思うように動いていないことを思い知らされた。
- 332 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/30(月) 16:10
- 精神と肉体のダメージが蓄積されている。
思うより厳しいらしく、力を込めても膝が笑って応えない。
ヤバイな。すぐに立てない…。
膝をついたまま、ジリリと体を出口にむかって開く。
「じゃぁ、後藤さん?
試しに残留したとして、叶うのをお手伝いすることになる、貴女の夢を聞かせてもらおうかしら?」
精神的優位までなくしてしまったら、本当に生きて出られなくなりそうだ。
大上段で問いかけるのに、少女はニヤリとしながら逡巡した。
導き出した答えが、コレ。
「え?彼氏ができたときにぃ、なんて夢がドームの五倍分?」
うわぁ。そりゃでっかい夢だねぇ。…ってヲイ!
そんなベッタベタにボケた答えが聞ける雰囲気じゃなくって!
「却下!」
――世襲で仕えるほど、のん気じゃないんでね。
誰が半疑問形で、斜め上を放る答えを返せと言ったのだ。
反射的に不可と言い放って、詰襟の幹部服の下に隠したグロックを抜き放つ。
本当ならこんな軽量級は使わないのだが、制服の内側に入れておくには一番楽だ。
このさい、美学などを振りかざしている場合じゃない。
- 333 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/30(月) 16:11
-
数撃てば、牽制にもなるはず。
いや――、なってくれ!
祈らずには居られない。
タンッ。タンタンッ。
軽い音が、連続で部屋の中に響き渡る。
牽制しながら立ち上がり、一歩、一歩を後ろにむかって滑る。
体を出口へ開いておきながら、そちらに走れない。
脚の疲労のせいか、進みが重くなっている。
軽い反動のはずなのに、銃撃の衝撃がこんなにも腹に響く。
それに、走るために背中を見せれば、絶対に殺られるだろう。
いけない。届かない。むりだ。
15…、16……!
最後の、一弾。
特殊銃弾を仕込んでたはずだけど。
あぁ、ダメだ。扉までまだ距離がある。
なんだって、目の前のヤツは平気で突っ込んでくるんだッ。
――もぅ、圭ちゃん頭カタイよ。
と唸っているが、そんなコト知るか!お前が非常識すぎるだけだバカ!
驚きと諦めに見張られる瞳に、余裕ある相手の表情が映る。
不意に雷に光源が動き、その歪みが目に入った。
幾つかは体に傷を穿っていたが、殆ど効き目が無い。
納得する。
納得するほか無くなる。
飴のように引き伸ばされた光は消えたわけじゃない。
見えない防護幕となって、その体を包んでいるのだ。
純血種って言うよりも、まるで「そのもの」じゃんか。
- 334 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/30(月) 16:12
- 仕方ないなぁ。内心舌打ちだらけで、軌道を見極める。
前がダメなら、後を攻めろってね――ッ!
突進にあわせて、自分の体を倒す。
それこそ、後ろ向きにダイブするかのように。
踵の一打で不安定な跳躍をとりながら、後転の要領で肩から転がり。
並行に並ぼうかという勢いの少女の腹部に、強烈な足跡を刻み込んだ。
片腕だけのバランスとは思えぬ器用さで、転がり起きるままにサイトをあわせ、一撃を放つ。
背中をかばうために手薄になった防護幕へ、銃弾が飛び込んでいく。
「天上に落下」した胸に、ようやく穿たれる弾痕。
玩具の銃弾にあてられた小鳥が落ちるように、打ち上げられた少女は背中から落下した。
ドウ。という落下音と、ビシャリという血液の跳ねる音。
なんて凄惨…。
ほんの少しの優位を取り戻して、騎士は眉を下げた。
「麻酔弾。
この前のパッチテスト、プラスだったでしょ?
これで効かなかったら、本当に詐欺だよあんた」
マガジンを変える余裕が無かったために焦ったが、こうなれば別。
換えのカートリッジを腰から取り上げ、ガッチと装填する。
どうせ中には普通の銃弾しか入ってない。
牽制専用。
転がってる彼女に打ち込んでも、それは無駄だ。
- 335 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/30(月) 16:12
- 「あ…ぁ、効くな……ムカツ…ぅ」
――神経系だけ…陽性だった…からな…ぁ。
どうやら本当に効いているらしく、ギリ…と爪が床を掻いている。
生きて部屋から出られそうだ。
その事実だけが安堵として、気持ちの余裕を生む。
「悪いけど、逃げるよ。
主君にこうされてまで、ここに居る理由は無い」
「…って…るよ。
最初に……いったじゃ…ん。
出れた……ら、にが…して…あげ……るって」
あぁ、そう。
解ってるのか。
逃がしてくれる…て言うわけか。
こんな場面になってまで…、こんな場面になったから?零れ落ちる微苦笑。
「…あんたの本当の夢、なんかわかった気がするよ」
――答えてやれるか解らないけどね、努力はしてみる。
その声に、ふ。と、少女の顔に笑みがのぼった。
口元だけなのに、優しくて、悲しい微笑み。
「さぁ…どうだろう…ね。
い つか、かならず…天秤が、下りて…くるよ。
それ…まで、同じ夢を……みてるかは…謎だけど」
「そんなものは落ちてこないよ、後藤。
そして、次は絶対に外さない。
あんたを無駄に生きながらえさせたりしないよ」
約束する。
ぷは。と、どこか気の抜けた笑顔を浮かべてから、幸せそうに少女は押し黙った。
回復を待つのだと理解して、圭は動きにくい脚を引きずりながら外へ向かう。
だまし討ちは無い。
つま先が廊下に踏み出した瞬間、「バイバイ…けーちゃん」とか細く聞こえたそれに、無性に泣きたくなった。
これが、保田圭の持った、後藤真希との最後の接触である。
- 336 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/30(月) 16:13
-
- 337 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/30(月) 16:13
-
子供は何かを強請ることもなかった。
お願いと言って思い出すのは、一回だけ、クリスマスに食事をしようと誘われたくらい。
買い物は誘えば着いてくる程度だったし。
話しかければ笑うくらいの愛想。
少しばかりの年齢を重ね、気付けば、上層でビジネスの波を乗り切るだけの度量を持ち合わせていた。
当然だろうか。
突然変異の純血種と囁かれていた彼女は、まるで天使のように「全知」に連なっているようで。
殆どの仕事を知識のままにこなすようになってしまった。
まさか対天使の警備会社の掌中に、純血種の天使が居るとは公言できない。
養子に出す手立てもなく、結果内密に育て、そして華が咲いてしまった。
不安を抱えていた矢先に起きた事件。
危惧していた幹部にとっては、絶望的な出来事だった。
騎士が重傷を負ったせいで、「武力」で圧するコトが不能になってしまったわけだ。
後はもう、耐えることしか無いようだと、幹部たちは押し黙った。
あの事件以後、TSSPは大きく変わり、幹部役職の構成も変更。
新しい騎士による暗殺が増え、安全を守るべきだった幹部の仕事は殺しを容認するようになり。
いつの間にか名前は、畏怖の対象になっていた。
全て、新しく成り代わった王のせいで。
その辺のことは捕縛師だって知っているだろう。
- 338 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/30(月) 16:14
- そして、頑丈にできた世界の破壊者は、誰かに破壊されることを夢見ている――。
天使を集め、ほくそ笑みながら。
今までの実績で、天使の購買数が70に近くなっている。
通常の肉体で思えばそれはもろいものだが。
天使の霊質から割り出せば、それは国家の軍隊ひとつ以上に相当する破壊集団。
下級天使であっても、破壊専門の個体はかなりの威力を持っているらしい。
百年前の文献が殆ど無いので、実際のところは判明していないが。
内、上級と思われる天使は15体にも及ぶ。
霊質が計測値を余裕で越え、人語を解し、一体居れば一つの街が滅ぶという。
通常の人間が趣味の観賞用としてコレクトしてるのに対し、彼女は「実用」として収集しているのだ。
天使という、生き物を。
機が熟したとして近頃になり分社化を行い、総裁は多額の資産を抱えて引退。
今は幹部の半数を手元に残し、道楽的な生活を送っているという。
まぁ!なんて羨ましい話でしょう!
……、て、あんまりいい趣味じゃねぇよな。
天使の軍隊候補を抱えてるなんてな。
- 339 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/30(月) 16:14
-
は……、はぁ………。
裕子は思わず嘆息する。
話が大きすぎるのと、自分が無防備すぎた事実に、ぽっかーんと口があいてしまった。
「じゃぁ…なにか?えっと……」
一番大事な点を拾いましょう。
整理しましょう。
保田圭は大元、上層の騎士だったと。
で。後藤真希というのは、父親である王様を殺して自分が成り上がった、とんでもないリバースでぇ。
天使を見にウチに来たのは、子供のフリをしたTSSPの総裁と、その騎士だったってことですね?
ヘタしたらあの時点で、中澤裕子は蜂の巣状態で死亡済みだったわけですね?
圭に「そうなるねぇ」と頷かれて、裕子はとうとう机に伏した。
うぁあぁ。と、情けなさと呆然が混ぜられた、複雑な声音で鳴っている。
な、なんという詐欺くさい…。
あんなガキの面さげて、自分よりちょっとしか離れてなくて?天文学的な金を動かす大ボスだったなんて。
いけませんて、そんなん。目の前くらくらします。
そりゃぁ尊大にもなるよな。
いきなり金振り込んでもくるよな……。
しかもしたり顔で嘘もつけるよなぁ。
可愛い顔してるくせになぁ。
どーりで、どっか空寒い空気も漂わせていると思ったよ。
それにしたって無礼だよな。
上に居る人間て、全部そうなんかな。
でも目の前のは違うよな。違うと思えるよな。
合点がいって、ようやく全ての点が繋がっていく。
「なんかな。あんたが騎士だったって言うのは、納得するだけだからいいよ。別に。
嘘なんかついたって意味ないし」
――隠してたとかそういうの無しで、知り合ってからのが大事だし。
まぁ、それはいいや。
一度思考を区切り、口元に指を当て逡巡する。
- 340 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/30(月) 16:16
- 「ウチに来た御偉いさんが、あの天使に目をつけていたとしてだ。
何かの役に立つのか?って話だよ」
「そこなんだよね」
目的は解らない。
しかし。
……。
下級天使:汝が罪を呼ばわる者
通称:なつみ。なっち。
人間へ気付きの心を促す力が特化した霊質そのもの。
無作為か人の心に干渉し、懺悔や告悔を横暴に湧き上がらせる。
霊質が一定である個体が定義的になるほど多いのに対して、彼女は針が振れるように定まることがなかった。
そこに、何の意味があるのか、裕子にも武器屋にも、そして医術師でさえも解らない。
さて。
今までの昔話と、訪れた人間がその後藤真希だとして。
憶測が正しければ。
「やっぱり、なっち目的の略奪としか思えない」
断定的になるのは解る。
「いや。待った。
だいたい、実用的に使うには難しい個体なんじゃないの?
統制が利かない能力を持ってるわけだし。
わざわざ奪っていく必要性が無いだろう」
……。
憶測がぶつかりあって、言葉が行方を無くす。
無駄に強い口調になって、曖昧にお互いが口元を引き結ぶ。
その静寂を破ったのは、携帯端末の着信だった。
- 341 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/30(月) 16:16
-
「あぁ…ゴメン。私」
――どうした?
端末を通信用にスライドさせ、耳元にあてる。
メモ書きは手繰り寄せられ、ペン先がスルスルと紙の上を滑る。
「え?復職?好条件たくさん?冗談言いなさいよ」
苦笑めいた声を紡いではいるが、視線はどこか真剣だ。
うん。うん?うん……、あぁそうなんだ。
へぇ。そう。
……、ねぇ、今の話、もうちょっと深く聞かせてくれない?
何かひっかかる話があったのだろうか。
妙な間だし、気まずさもあるし、他の作業でもするか。
思い立った裕子に向かい、圭の指先が彼女を招いた。
メモメモ。と、指差しつつ、再び会話に戻る。
なに?とメモを覗き込む耳に、あまり楽しくない話が滑り込んできた。
「うん。黒の…後藤のトコの移動車両ね。
26時30分ごろ。
ふん。旧組織の幹部四人と何らかの荷物を載せた車が走ってた。
丁度どの辺よ。池袋周辺?また微妙だなぁ…」
話ながらこちらについて意見を紡ごうというのか、彼女はペンをはしらせる。
- 342 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/30(月) 16:17
- ――嫌な話になりそう。
運転手次第だけどね。
略奪時間から最高速度で走っていけば、行けない時間じゃない。
使うとしたら警備や監視が手薄な、赤羽根のランプを使ったほうがいいし。
そこから帰着するつもりなら、時間計算はバッチリ合う。
眉をしかめ、まるでどうでもないことのように、電話では会話を続けている。
「うん。そっか。
村田さんは何か言ってた?そう。
ちょっと…そうだな、こっちの方でも、すっごく聞いてほしい話があるんだけども。
絢香でいいよ。聞いてもらっていい?」
音声だけならものすごく甘えた声に聞こえる。
まるで彼氏できたての女の子が、友人にそれとはなしに自慢話でもするわよ!というような。
心底楽しそうな声。
――嫌なことはシェアしたほうが周囲も巻き込んで楽しくなるじゃん。
ニヤ。ペンをはしらせて、武器屋は笑う。
こっの性悪。
眉を寄せて近づくのに、武器屋はくんと表情の温度を零度まで下げた。
- 343 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/30(月) 16:18
- 「実はさぁ、友人の家に物取りが入ってね。
一緒に生活してた下級天使さんが連れ去られちゃったんだよ。
時間にしたら26時からの二分ぐらい、手際よくてねぇ。
出先から戻っても間に合わなかった」
エー!と、端末のむこうから大声がもれてくる。
思わず耳から端末をはなし、圭は顔を渋くしてみせた。
「ね。なんか今日は奇遇だねぇ、絢香」
楽しくないけど、楽しい顔。
大人の汚いトコですねぇ。
再び笑いながら、裕子の手をペンの頭でたたき、幾分神妙な面持ちで書き添える。
――さて、これ以上踏み込んだら、後戻りできないよ?
字面は少々挑発的だが、視線は「友人を巻き込むのはゴメン」と紡いでいた。
ふん。
不機嫌に髪をかきあげて、裕子がペンを奪う。
――正直、巻き込まれるのはゴメンだと思うよ。
きっと、今までだったら、そのままお別れだった気もする。
アンタとも…、アイツとも。
でも。
そう。でも、だけど。
アイツに伝えてない言葉がたくさんある。このまま、別れるコトなんてできない。
それに。
組織の頂点はどうあれ、自分を出し抜いた人間への怒りがフツフツとたぎっている。
ここはもう、人外だろうと人間だろうと、構いはしない捕縛師の性だろう。
バケモノだと解ったほうが、やりやすい気持ちにもなってくる。
怖くない、わけじゃない。
でも、愚かしいけれども、本当の話だ。
相手が人間離れしているなら、自分は怖くない…と、思う。
- 344 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/30(月) 16:19
- ――ホントならな、別にあんたらの親玉だったのに用はないけど。
あれは流石に、あまりの無礼を、教えてやらんといかんでしょ。
横っ面殴らないと、こっちも収まらないし。
対処法は、あんたが知ってるみたいだし。
それになぁ、天使が自分で出て行ったわけじゃない。ってのが、一番腹立つからな。
さっきも言ったけど、感じた恐怖を万倍返しにしてやらんと。
言外に天使の身柄を案じているのに、圭は内心苦笑する。
ホントはどこか、恐いと思ってるはずなんだけど。
単純に怒りで麻痺してるのもあるだろうが、どうやら「実情が見えてない」わけじゃないらしい。
何もかもが見えてない目とは、彼女の高揚感は異なる。
どうやら、利害一致で交渉成立。らしい。
諦めた。
武器屋は肩を下げた。
――その覚悟、飲みましょう?
書き連ね。
ニィ。と、口元を持ち上げる。
「ねぇ、絢香。良かったら、こっちまで来てくれない?
この友人がまた中々面白いヤツでね。あんたも気に入ると思うし。
ついでに…、そうだな、二人分の偽装社員証とか装備の手配、取り付けてくれるとすっごく嬉しいんだけど」
ちゃんと発信あるはずだから、あと一時間以内ね〜。
再び端末のスピーカーから「オニー!アクマー!ここをどこだと思っ」とかいう声が聞こえてくる。
が、今度は知らぬ顔で端末を引き剥がすと、ピ!っと通話を切ってしまった。
「……だ、誰だったの?」
普段の立ち位置とはかなり違う「大上段」で喋っているように思える。
怪訝に問いかけてみれば、「えぇっと、頼れる、元同僚?」という気楽な答えが返されただけだった。
- 345 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/30(月) 16:19
-
- 346 名前:御使いの笛 投稿日:2005/05/30(月) 16:19
-
- 347 名前:堰。 投稿日:2005/05/30(月) 16:35
- 御使いの笛 05:昔話。を更新しました。
別称武器屋スペシャル。04後段の補完でもあります。
お気に入りの絵がたくさんできた気がします。
ふと気付きましたが、すでに要領半分使ってる…?
だ、大丈夫なのか私。と、自らに問いかける雨の午後…。
>308
やぁ。イジワルなんて、そんなにテクニシャンじゃないですよ(殴)。
武器屋スペシャルいかがでしたでしょうか。
前回のあのシーンに繋がるのは、こんな展開だったのです。
要領足りないくらい引っ張るかもしれませんが、まだまだ!
よろしくお願いします。
>309 照会の人キタ――(゚∀゚)――!!
とび蹴りより、モジオモジゾーに吹っ飛ばされる、満里奈の図で(謎)。
年齢ばれますね。でもこれくらいならOKかと思われます。
視聴者層厚い番組だし(笑)。
しかし、実際の喋り口調なので、こう、ネット上は全く違うという。
私もそうですしねぇ。ここまで丁寧には喋れない(苦笑)。
でー。正直を言うと、age sage ochiにこだわる気は薄いです。
強いて言えば下げ更新だったので、この位置で定着するのかなぁという位。
309さん。お気になさらず(^_^)
今後ともよろしくお願いします。
でわ。次の更新でお会いしましょう。要領…(悩)。
- 348 名前:276 投稿日:2005/05/31(火) 22:16
- 武器屋さんかっこええわぁ〜(感涙
ちょこっと((((;゚д゚)))ガクガクブルブルしましたよ
>>309さん
いやぁ〜。なんか親近感沸いてしまって…
ウチもアホなんでw
- 349 名前:名も無き読者 投稿日:2005/06/04(土) 12:48
- 更新お疲れ様です。
いやーお久しぶりです。
何か楽しそうなコトがおっぱじめられてますねw
立体的な描写、映像が脳裏に焼きつきます。
そしてやっぱり武器屋さん素敵。(爆
続きも楽しみにしてます。
- 350 名前:名無し読者。 投稿日:2005/06/28(火) 16:53
- 早く続きが読みたいです。
- 351 名前:御使いの笛 投稿日:2005/07/14(木) 22:21
-
- 352 名前:御使いの笛 投稿日:2005/07/14(木) 22:22
-
06:静蝕
- 353 名前:御使いの笛 投稿日:2005/07/14(木) 22:25
-
ソファーに横たえた個体を、じっと見つめている。
白磁の肌。
幾分赤みをおびた髪。
初めて見たときよりも、さらりとのびている。
ふぅん。感心と無感動を重ねて寄せて、彼女は息をつく。
パジャマなんか着ちゃって、扱いが随分変わったものだ。
それこそ、はじめは檻の中、見世物並みだったというのに。
天使はまるで死んでるみたいに大人しく、体を「止めて」居る。
霊質の解放や活動を極限まで下げて、かろうじて世界に繋ぎとめている仮死状態。
捕捉時の話を聞いたところによると、小型のアンプル一本打ち込んだって言うし。
そりゃ、元から抑制リングつけてるところに投薬したら、停滞するほか維持できないよ。
個体が無事でよかった。
心底思いながら、肩を竦めた。
- 354 名前:御使いの笛 投稿日:2005/07/14(木) 22:25
- じ。っと、みつめる。
コレが、鍵だ。
落ちてくるのを待ち望んでいた、そのものだ。
世界の重さを測る天秤。
彼女本人が知る由もない、力の作用。
「下級天使はコレだから…」
一つのことしかできないくせに、無防備で、無邪気…。
腹立たしいことこの上ない、無垢の素体。
結果的。
彼…彼女たちはいつも、分け隔てすることなく、残酷な結末をもたらす。
何も知らずに、自分の目の前で起きていることすら、受け入れられないまま。
世界を巻き込んでしまう、唯一体。
苦笑混じりに息を吐き出して、カラカラとデスクの椅子を引っ張り出してくる。
個体の見える位置に座って、リビングテーブルにある端末とグラスを引き寄せた。
- 355 名前:御使いの笛 投稿日:2005/07/14(木) 22:27
- 彼女が目覚めたら、どうしよう。
最初に着替えさせないといけないかな。
パジャマだもんな。
先に主義主張を押さえ込んだほうが楽かな。
操作したり、掃除しなきゃな。
報告を読んでると、随分「染まってる」みたいだし。
まったく、余計なことを付加してくれたものだ。
人間としての会話も、食事の美味しさも要らないのに。
素体であることが第一条件の「売買人」が、よくまぁ手元に置いて、これだけの生活をさせていたものだ。
今までの購入ケースを引き合いに出しながら、いやらしく鼻で笑う。
屋内の様子までは把握していないが、外に出かけた時のヤリトリは解ってる。
どうやって染めようか。
髪をひとつかきあげる。
考え事をよそに、どこか、余裕だ。
どうせ抵抗されたところで、自分に彼女の力は作用しない。
罪科もなにもかも、意識あるままに行ってきたのなら、贖罪はむこうから避けていく。
自分は、自分の人間としての罪を全て承知して歩んでいるのだ。
そう。罪としての認識は、まったく、無いけれども…。
- 356 名前:御使いの笛 投稿日:2005/07/14(木) 22:27
- 早く、目ぇ覚めないかな。
うふん。と嬉しそうに口元を持ち上げて、後藤真希は天使をみつめる。
まるで強請っていたペットを手に入れて、じぃっと見つめる子供みたい。
熱と穏やかさを持ち合わせた視線の彩は、まるで千年の恋路を実らせようとする旅人のようにも見える。
どれだけ待ったかな。
もう長く待ちすぎて、忘れちゃってるなぁ。
実際。
最初の思いから、千年なんか、軽く越えてるけど。
ほぅ。と吐息をつき、真希はゆっくりとグラスを持ち上げた。
どんな酒気でも、この熱を覆えないことくらい理解している。
彼女はグラスに満ちた琥珀を、すぃ…とあおり、干す。
微かな光度を持って、光の糸が彼女から這い出す。
細く細く刷かれた糸は、ゆっくりと天使の体を染めていく。
降りしきる光の中で、世界は白く消えて解けた。
- 357 名前:御使いの笛 投稿日:2005/07/14(木) 22:28
-
- 358 名前:御使いの笛 投稿日:2005/07/14(木) 22:29
-
バシャン。
と、高音の破砕音が耳を裂く。
ただならぬ気配が駆け上がってくるのを察知して、飛び起きたものの器が追いつかない。
ふわりとする寝込みのせいで、反応はいつもよりも遅かった。
土足で踏み込む――今はもう靴での生活が主流なのに――という語句を思い知る。
なんてデリカシーの無い、なんて横暴な、なんて…冷淡な気配を纏っているのだろう。
特殊能力があるわけではないが、眠りに落ちていた目は、夜の闇に慣れるのも早い。
おぼろげな視界が焦点を取り戻すのに、さして時間は掛からなかった。
しかし。
取り戻された視界の中に、ありえぬ「艶」がひらめいている。
喉に張り付く呼気を操ることもできずに、ごくりとそれを飲み込んだ。
――これ?サイレンサー。
消音装置って言えばいいのかな。文字通り、音を小さくすんの。
銃を撃つ時の音って、けっこう大きいじゃない。
それを抑えることで、周囲に気取られずに仕事できるわけね。
こんな時に限って、穏やかな声の講釈を思い出す。
音を小さくして、戸外に気付かれないようにするのも作用らしい。
この場合……。
この、条件下…。
狙われているのは、自分、か。
- 359 名前:御使いの笛 投稿日:2005/07/14(木) 22:31
- 数瞬の思考の間、二人の黒い影は不躾に動いている。
部屋を荒らす者。
その閃きを、こちらに向けている者。
鈍い色のサイレンサーに、微かな光度が解けて消える。
銃が、どんな道具か理解しているせいで、一歩も動けない。
見ただけであれば。使い方も効力も、しかりと理解しているつもりだ。
そして、高尚な志でもなければ、それはたんなる他者を破壊するだけの道具であることも。
今。自らに向けられているものは、凶器としての銃。
チ。と、赤い光がパジャマのボタンに直接あたる。
――レーザーサイト?あぁ、いきなり名前言ってもわからんか。
銃の照準を合わせるための道具。スコープの補助道具の進化系だな。
はー、なんだ、弾丸は直線で移動するだろ?
レーザーは直線で進む光線だから、銃口の線上にあってぇ。
まぁ、的にレーザーの線が当たるわけだな。
そこで銃弾を放つと、レーザーの直線を添うように進んで、当たる。
標的に対して照準がしっかりと合うわけだ。
って、案外口で説明しようとすると面倒だな。
- 360 名前:御使いの笛 投稿日:2005/07/14(木) 22:31
- 簡単に説明するけど、これでわかる――?と。
首を傾げられたのも思い出す。
銃口の放つ直線の恐怖に、壁まで貫かれている気になる。
まるで、採集されたサンプルのように、ピンで留められた生き物のように。
恐い。
なんで、こんなコトになっているのだろう。
考えても理由は浮かばない。
そうだ。
裕ちゃんは先生のところに行ってて居ない。
圭ちゃんも、一緒に先生のところに行っちゃってるし。
矢口は遅番だから、明け方まで来ない。
まぁ矢口じゃさすがに共倒れかもしれないけど。
助けてくれる、人は、居ない――のだ。
- 361 名前:御使いの笛 投稿日:2005/07/14(木) 22:32
- パシュン。ガシャン。パリン。
部屋の隅や壁に向かって、断定的な判断で銃弾が打ち込まれる。
何を探して、なにをしているのか。
怯えに肩を震わせた瞬間、コツ…と黒装束の片方が靴音を立てた。
銃弾は放たれない。
固定された銃口、サイレンサーの鈍い色。
赤々としたレーザーポインタ。
体はそんなに大きくない。
腕のリーチも、思うより長くない。
でも。
だからといって、か弱い天使ごときに抵抗できる力など無いわけで。
黒尽くめのその手が、ずいと腕に向かって伸ばされた。
イヤだ!
声も出せずに、必死に腕を振り切る。
一度。掴まれかけてどうにか振りほどき、手に当たった枕を横凪ぎに返した。
ボフっという生ぬるい音をたてるにも、そこに効力というものは無い。
当たった枕を片手で押しのけられ、いよいよと怯えが背筋を這い上がって襲い掛かる。
銃を手に、空いている、もう片ほうの手。
動作を見切ったのだろう相手が、直線的に手を突き出した。
- 362 名前:御使いの笛 投稿日:2005/07/14(木) 22:33
- ギチりと、喉に指が絡みつく。
そのまま壁に頭を押し付けられ、なつみの息は苦しげに詰った。
押しのけられた枕はその薄さから生地が破け、中身の羽は飛散して見るも無残。
天使か小鳥が翼を打ち抜かれたような、残酷な景色。
無形の翼の、付け根がしびれる。
チャ。
目の前に霞む、グリップを握る手。
トリガーにそえられた指が、今、天使の命を掴んでギリギリと締め付けている。
眉間にあたる樹脂の冷たさ。
銃を突きつけられたのだと悟って、一瞬気が遠のく。
体の末端全てから、血の気が引く感覚。
ずいと見えない表情を近づけて、侵入者が囁いた。
「我らの主が貴女を必要とされている。否応は無い。来ていただく」
マスクを通した後のくぐもった音声は、本来はか弱かろう、少女のような声。
こんな乱暴を働くようには思えない。
なつみは混乱する。
目の前の恐怖と、囁かれた語句の意味。
必要?誰が?なんで?どうして?
自分に凶器が押し付けられるだけでも、理解しがたい事実。
見る見る表情が歪むのを、天使はとどめることができない。
「――っや…」
追いつかなくなる呼吸にも負けずに、声を出すべく喉が動いた。
- 363 名前:御使いの笛 投稿日:2005/07/14(木) 22:34
- あの時の恐怖とは違う。
罠にかかったあの時には、近いものかもしれないけれど。
無礼なまでの「作用」に、耐え切れなくなった怒りの衝動。
それをぶつけられた時とも。
あの人とは違う。
あの人の、憤りとは違う。
恐い。
コレが、彼女と出会わなかったら、すぐさまの末路として用意されていた事態だろうか。
何も知らないまま、こんな目に遭遇していたのだろうか。
…ちゃん――。
今更になって思い知る。
あの大人げない、シニカルな笑みを浮かべる彼女の、双翼のような腕で守られていたコト。
矢口の優しさと根気強さと、気配りに解かれていたことを。
圭ちゃんにも…平家先生にも。
このまま、何も伝えられないなんてイヤだ。
ケンカしたまま、別れちゃうなんてヤだ――――ッ!
チリ。と、体の奥が焼け付くような感じがする。
その熱は体内に石柱のように固まった芯を溶かし、氷山が崩れていくように融解していく。
高熱の炎に投げ入れられる、氷のように。
ゴーグルの奥に潜んでいるだろう、瞳をとらえる。
漆黒に遮断され、見えないはずの瞳をガチリと補足する。
視界の中にある世界の色が、微かに月光を帯びるように青白くにじみはじめた。
それは、微かな異変。
なつみの視界の内だけで歪む、正常が崩れる糸口。
ほつれた糸が生地を簡単に裂くように、感覚が綻びはじめる。
- 364 名前:御使いの笛 投稿日:2005/07/14(木) 22:35
-
黒色グローブの指先に微かな動揺がはしった。
幾千の針の先を押し付けられるような、ミシリとした痛みが迸る。
指先から広がる、断罪の気配。
重ねた罪科の、つきつけられる幻想。
あからさまな焦りを見せて、眉間の銃口が引き下げられる。
口元に。
唇にそれを突きつけ、グイと押し当てる。
不意に消滅の危機を近づけられ、天使の細い喉から悲鳴に近い音が鳴った。
自分の喉で鳴ったものとは思えないほど、細くて、情けなくて。
それは言語を持たなかった、たったの数ヶ月前に「戻った」ような錯覚に陥る。
訪れる硬直。
小さな一瞬であっても、非力な者にとっては致命的だ。
高い空から獲物を狙うモノの餌食のよう、爪はすぐさま振りかぶられる。
「薬を、早くッ!」
危うかった均衡を繋ぎとめた「平常」から、自らを引きずり出した侵入者が叫ぶ。
それは鋭い声で。
呼吸が合うのだろうか、もう一人の黒尽くめは、翻る翼のようにそばに参じた。
- 365 名前:御使いの笛 投稿日:2005/07/14(木) 22:35
- バン!と、空をうつろに掴んでいた腕を激しく壁に叩きつけ、すぐさまパジャマの袖口をまくりあげた。
二人がかりの拘束に、天使ごときが逆らえるわけがない。
薬?くすり――って?
いつも医術師兼生物学者が持ち出す「薬物」だろうか。
しかし、それは、悪い症状を改善するための代物だ。
ツプ。と、肉に直接針がつきたてられた。
肩が上がり、背がのけぞる。
異なるモノがしみこんでくるのがわかる。
それは「体のなか」にめぐる力を、ぐるぐると一緒にはしり、巻き込んで、繭のように中心に固めてしまう。
まるで。
生きたまま壁に塗り込められるように。
体が。
自由を。
なくして、いく。
天使が最後に見たものは、光を刷いたかのような、細い細い、微弱な光の線だった。
- 366 名前:御使いの笛 投稿日:2005/07/14(木) 22:35
-
- 367 名前:御使いの笛 投稿日:2005/07/14(木) 22:36
-
毛布に包まって、部屋の隅に固まっている。
冷たい床。
硬度の高い透明な壁に阻まれて、出ることはできない。
微かな自然光は、厚い雲に阻まれた、くぐもったもの。
暗闇になれた視界が、ようやく作用してモノが見えるくらいだ。
どこだろう?と思い、首を傾げる。
じっと目を凝らす。
無機質な物質で構成された世界。
まるで、檻だ。
カツコツカツコツ。靴音が静かな世界に響いて、誰かが近づいているのがわかった。
毛布を胸元までひきあげ、軽く奥歯を噛む。
誰だろう。
承認を取る電子音のリズムの後、バシュゥとドアが横に滑った。
スラリとした立ち姿。
金髪の……黒衣に身を包んだ女だ。
ぁ。と、名前を呼ぼうとして、指先とともにそれは凝った。
- 368 名前:御使いの笛 投稿日:2005/07/14(木) 22:37
- 名前…、なんだっけ?
あんな――何を指して「あんな」なのかも解らないが、近かったはずなのに名前もわからない。
なんでだろう。
自分が思うほど、近しくないのだろうか。
思い違いだろうか…?
入ってきた人物は、壁に添えられたコンソールボックスに指先をのばし、透明な壁を取り払う。
「どうぞ?」
促されて入ってくるのは、少女一人。
亜麻色の髪、幼げでありながら、その人懐っこさで隠し切れない、聡明な視線をしている。
ぴくり。肩が震える。
不意に体中を、針金でも通すように気配が侵蝕していく。
緊張感というのとは、また違う。
圧倒的なものに対しての、本能的な悟り。
知っている。
自分は、彼女を知っている。
体を得る前から。
その畏怖を、自分は知っている――。
圧倒的な、存在感を。
その思うところを。
だから、こんなに、怖くて、震えて……ッ!
- 369 名前:御使いの笛 投稿日:2005/07/14(木) 22:38
-
「おい。なつみ、買い手が決まったぞ?
ウチに居るより、随分待遇良さそうだ」
――命拾いしたな。
ニィ。と、キャッシュの詰ったカードを指先でひらめかせ、黒尽くめの女は笑う。
どこか満足したように。
え?と、思わず動揺してしまう。
買い手?自分の?
言葉の中身を考えて、慌てて顔をあげる。
表情にかかる髪のせいで、しかりと視線がとらえられない。
なんで?どうして?
だって、あれ?
女の名前を思い出せない。
大きな違和感があるのに、まるでねじ伏せられるようだ。
やっぱり、近しくないのかな。
売人。…あぁ、そういう職種も、世の中には居るんだっけ…?
女の肩先からひょいと現れた少女が、天使の顔を覗き込む。
畏れ。
畏怖という。
その感覚を引き起こす、特殊な気色。
- 370 名前:御使いの笛 投稿日:2005/07/14(木) 22:38
- 「こんにちわ」
ふわり。と微笑まれる。
表情を覗き込まれて、視界が少しずつクリアになっていく。
そうだ。
覚えてる。
その表情。
気配もすべて。
「迎えに来たよ?」
白い肌。
人懐っこい表情。
違う。
もっと、もっともっと、違う場所で出会っている。
こんな。小さなコンクリートの空間じゃなくて。
「あ…あなたは…」
こんな場所で出会って良い存在では無いでしょう――?
最後まで紡げずに、じっと顔の造形を見つめる。
柔和な視線。
陶磁器のようになめらかな肌。
快活な少年のようにも見える鼻梁の整いと、しかりと少女を思わせる造形。
「なんだ。そこまで覚えているなら、無駄話をする必要もないか」
ニ。と、穏やかな微笑のラインが浮かび上がる。
演技者の余裕。
偽者の、誇張。
「迎えに来たのは本当だよ。ずっと……」
――ずっと会いたかった。
鮮やかな笑顔が否応ナシに近づけられた瞬間、照明が落ちるように世界が暗転した。
- 371 名前:御使いの笛 投稿日:2005/07/14(木) 22:40
-
世界の底辺に沈められていた意識が、鋭い速さで急上昇していく。
直線的に、天空へ打ち上げられるような浮遊感。
ゴボリ。と、ありえない深さの海中に沈められているように、息がくるしい。
ほそく、か細くとりこめられる呼気が、ただ一つの命綱のように思える。
まるでワイヤーで雁字搦めにされた、沈没船のようだ。
朽ちている体を強引に引き上げられて、精神は置き去りにされていく。
沈没船の朽ちた船体がバラリと分解するように。
体が、心が、霊質が分け隔てられていく感覚に襲われる。
肝心な部分だけが引き上げられれば良いという態度が、ありありと解るその作業。
何か、自身の体の芯にあったものが…意識の底へと置き去りにされている。
人を騙すためのトリック、例えばそれこそ単純でチープな、二重構造の箱に分別されているように。
心が取り外される。
思考は、沈められる。
真綿。
深海。
地中。
ありとあらゆる埋没をもって、切り離しを完成させるような、重厚な重圧感。
例えば、自己という全てのものを、一枚の羊膜で包まれて、体の内側でまとめられてしまう。
そんな、分離の気配。
「迎えに来たのは本当だよ。
ずっと、会いたかった……」
陶然とした声が耳から流れ込む。
聴覚を侵し、静かに髄までからめ取る艶やかな声。
額に指先を感じて、睫毛がぴくりと動く。
長い眠りからの、覚醒のための糸口。
「おはよう?起きれる?」
背中に腕をまわされて、ぼんやりとした世界が視界の角度を変えた。
- 372 名前:御使いの笛 投稿日:2005/07/14(木) 22:42
-
天井が静かに視界からはずれ、見えるのは透明な窓。
そして、作り物の天蓋を纏った…摩天楼。
強烈な日差しを透過し、人の手にあまらぬモノへ変えた街。
まだ重たいまぶたを持ち上げるために、口元をゆるく結ぶ。
かみ殺すあくびも無い。
把握する現実は、今までの平常とは程遠く思える。
――私は……?
自分はどうして、今、ここに居るのだろう。
思考が喉を通ろうとして、「音声」になれず「鳴る」。
まるで高音の弦を横に滑らせたように、耳に良い音になる。
当然だ。
天使は、言語を必要としない…。
力の樹から切り離された、天使という存在の果実。
地上に落とされて…、初めて出会った人物になるのだろうか?
思う。
何かが欠落している。
証拠、体の中に何かが足りない。
だけど、何が足りないのか、説明するコトができない。
思うよりも多くの語彙がわかるのは、自分が「天使」だからだろうか?
わからない。
解らない――ッ。
曖昧に全てが揺らぐ。
しかし、聡さにおいて上回る「総裁」はその隙を見逃さない。
思考に迷う子羊を、狡猾な言葉が柵の隅へと追い立てる。
- 373 名前:御使いの笛 投稿日:2005/07/14(木) 22:43
- 「ようこそ。この腕の中へ」
するり。髪を撫でる指は、愛を説くように穏やかで、優しく、ぬるい独占欲に満ちている。
所有を叫ぶ人間の、優しくて愚かしい、鋭利な感情の針が感じられる。
抱きとめる腕は人の強さを持っていて、下級天使ごときの物理的な力では抗いきれない。
上級階位の個体であれば、力での抵抗もかなうだろうが。
息苦しいくらいに抱きとめられて、ソファーの上で天使は軽く喘いだ。
――どうして、貴女が……?だって、貴女は…ッ。
ぐっと腕に力をこめ、どうにかして視線をその表情へ向ける。
言葉になれない天使の疑問符を、抱き起こす少女は余裕をもって受け止めた。
「さっきから、ちゃんと言ってるじゃん」
キミを、迎えに来たんだって――。
そうして、首筋に頬をよせながら、数ヶ月ぶりの逢瀬に浸るように、薄く言葉を連ねる。
「ずっと会いたかった。
出会ってすぐに、キミだと解った。
百年の月日、ずっと、待ち望んでたんだよ?」
汝が罪を呼ばわる者…、キミが、再びこの世界に降りてくるのを――。
ふふふ。と、微笑を浮かべ、後藤真希はゆっくりと額を天使のそれに寄せた。
睫毛が触れるほど近づいて、なお視線は閉ざされない。
畏怖と、敬愛と、天使にとって絶対だった存在は、音声を零度まで凍らせて微笑む。
――選択権は無い。
もう、キミは、どこにも行けない。
耳元から侵蝕していく、絞り込まれた、冷淡な響き。
ゴクリと、怯える音声を飲み込む天使に、満足げに表情を温めた。
- 374 名前:御使いの笛 投稿日:2005/07/14(木) 22:44
-
彼女はゆるりと腕を解放し、天使をソファーに置き去りにして、自らの部屋のカウンターに歩み寄る。
片手には自身が呷るための琥珀を。
そうして「この程度なら飲めるかなぁ…」と、ひとりごちながら、果汁の瓶を開ける。
飲み切りサイズの、合成甘味の果汁もどき。
カツコツと靴をならし、再び舞い戻る手が、小さな瓶をそれごと差し出した。
「抵抗したところで、逃げ場はないんだし。
まぁ、その日まで、仲良くしようよ。
我が愛しの兄弟…」
ただ、見惚れるだけの魅力的な笑顔。
仕方がなしに瓶を両手で受け取り、「口にする」ために唇に近づけて思う。
この形状のモノが「飲み物」だということは、知識として大樹の内に心得ている。
しかし…。
すん。と嗅いだ、空気にまざる香りは、どこかそらぞらしいくらいに果実めいていた。
- 375 名前:御使いの笛 投稿日:2005/07/14(木) 22:45
- おそるおそるに、舌にのせる程度を口にして、悩む。
心の底から、美味しいと思えない。
人間はこういうものを摂取しているのかと納得する反面、なんだか…。
感じる違和感。
ザップ。
混ざる、砂嵐のような脳内の霞み。
本当の味を、知っているような…気が、するのだけれど。
なぜだろう。
「不味くはないでしょ?」
ソファーの隣に腰をおちつけながら、顔立ちと不釣合いに思える、琥珀の酒気を呷る彼女が居る。
――えぇ。不味いという基準は理解しがたいけれども、飲めないものではありません。
思考を断ち切られ、戸惑う。
まるでどこか催眠術のように、そこで世界は停止する。
停止した世界はまた数瞬前から動き出し、怪訝や違和感はぬぐわれてしまう。
まるで。目の前の彼女が、世界の全てであるかのように。
彼女のさし指が、正しい道筋であるかのように。
本当の味を思い悩んだことなど「揉み消され」て、天使の手が静かに持ち上がった。
くぴり。
一口、もう一口と飲料水を口にしながら、天使は戸惑う。
天使は事実には鈍感だけれども、自らの感覚には聡い。
彼女は、自分の疑問符を操っている気がしてしまう。
じ。っと気配をうかがってしまうのに、その不躾さからか、少女が苦笑する。
- 376 名前:御使いの笛 投稿日:2005/07/14(木) 22:47
- 「まぁ、支配者と非支配者であることに変わりはないし。
こっちのコトも少しは解っていてもらわないと困るか」
――お互いに覚えていることだけが全てじゃないんだし。
ふふふん。
弾むような声をたてながら、リビングテーブルにおいていた端末を手にする。
日常の小難しい仕事も打ち込まれたそれから、部屋の承認を取り出し、システムに入り込んだ。
照合、承認、解除。
一連の手続きを経て、部屋の静寂は破られる。
「キミを待っていたのは、本当。
そして、キミを待ち望んでいた私が、集めたのが…コレなんだけど」
ゴゥンゴゥンと重たい音をたてて、リビングの壁面がずれていく。
ここに部下である人間が一人でも居たら、表情をわずかばかりに動かして居ただろう。
生憎というか、幸いというか、彼女の部下は誰一人としてこの場に居ない。
保存状態を良くするために遮断された空気が、常温と重なって微かに室内を冷やす。
ぼぅとあふれ出した冷気は、微かに世界を白く変えてしまった。
瓶を取り落としそうになって、天使は自らの目を疑った。
だって。
彼らが力の大樹を離れたのは随分昔のことで。
その内本当に消失が確認されたのは数体。
他の者は行方がわからずに諦められていたと言うのに。
天使には外見見た目は関係ない。
その「存在」があれば、すぐに解る。
- 377 名前:御使いの笛 投稿日:2005/07/14(木) 22:49
- ――まさか。全て貴女が…?
天使は愕然と思考をしぼりだす。
「そうだよ」
真希は疑問符をすぐさま掬い上げて、お互いの間から放り投げた。
無駄なものは要らない。
その不審の色さえも、許さない。
「良かったら、見てくれば?」
思わず立ち上がった脚が、薬のせいでおぼつかない。
くすりと人の悪い笑みを背中に受けて、その勢いでフラリと駆け出す。
近づくにつれ、どこか歓喜のようなモノが彼女に押し寄せた。
それは、解放を望む声。
そして、再会にお互いを尊ぶ歌。
天使の集団が呼ばわる声は、聖歌として聞こえることもあるという。
「汝が罪を呼ばわる者よ。
キミも、そうなる運命だったかもしれないのだから。
感謝してもらいたいなぁ」
突き刺さる音声に胸を痛めながら、一番大きく取られた手前の保存槽に触れた。
解る。どんなに離れていても、時間が経っていても、彼女のことなら解る。
見覚えある「力」に出会い、表情は曇る。
――道理で…帰還してこない………。
こんな場所に閉じ込められて居ただなんて。
- 378 名前:御使いの笛 投稿日:2005/07/14(木) 22:49
- 指先で、表情の位置をたどり、額を寄せた。
コツリとつけた額は冷たさに冷やされ、苦しげに伏せられたまぶたと、唇が震える。
なんでだろう。
これが、憤りだろうか。
眠っている「力」の長い睫毛と美しい造形をみつめ、くちびるを引き結んだ。
かすかに、保存槽で眠っている個体と、波長が触れ合う。
天使同士にしかわからない、無言の接触。
微かに懐かしい匂いが鼻先をかすめ、胸の中が熱くなる。
同じ領域に生まれる、きわめて近い存在。
睫毛の先が微かに揺れ、目覚めを得ようという兆しが見えた、その瞬間。
「彼らは私の腕にあって、ずっと停滞している。
キミの持つ針があるべき方向を指し示した時に、彼らも報われる。きっと」
と。腰から抱き寄せられて、保存槽との隙間が開いた。
引き合う力を断ち切られるまま、どこか悲しげな音が鳴る。
ポッドの中から漏れ聞こえる、呼び声。
どこまでも、なにもかもが、ずるい。
- 379 名前:御使いの笛 投稿日:2005/07/14(木) 22:50
-
――こんなコトをして、許されるとお思いですか?
二つ名の方……。
普段なら、名を呼ぶこともままならぬ階位の差。
しかし、今ここで進言できるのは、自分だけだ。
天使は囲われるという事実を受け入れながらも、語気を強めた。
しかし、彼女はまったくひるまない。
それどころか、思いのほか強い視線を向けられて、真希は興がのったように微笑んだ。
まるで、悪役とそしられて、さらに悪さを上乗せしたがる子供のよう。
それは純粋な笑みを、正面から天使に向ける。
「許されるも何も…、責任者は私だから」
だから。
天使をどう扱おうが、かまいはしないだろう?
言外に含まれた主張に、一瞬世界が遠くなる。
「この行いを裁ける者は、この地上には居ない。
ただ一方がお許しにならないのなら、それはお父様が決めることだよ」
くすくす。
しのび笑うその笑顔は、どこか仮面をかぶったようで。
天使は絶句し、取り付く島もない相手に拳を握りこんだ。
そうと放された体は、あまりの衝撃に動くことを忘れてしまっている。
立ち尽くす天使の耳に届くのは、どこか知り合ったばかりの友人にするような提案。
- 380 名前:御使いの笛 投稿日:2005/07/14(木) 22:52
- 「でー。あと、名前。
長すぎるから…なつみって呼ぶよ?」
――こっちは別に「二つ名」でもいいけど…、今は後藤真希って名前があるから。
放り投げるように言って、彼女は告げる。
「別に、総裁…でもいいけどね」
着替え持ってくるよ…。
三つの提案のどれもがすぐさま受け付けられるものではなく。
下級天使。
「汝が罪を呼ばわる者」は、ただただ、呆然としたまま、スライドするドアに消える背中を見つめていた。
理解できたコトは一つ。
彼女の意思に、巻き取られてはいけない…。
巻き取られないという自信は、髪の先ほども無かったけれども。
呆然と、自らの手をみやる。
何が、足りないのだろう。
自分はどうやってここに来たのだろう。
名前と呼ばれて、胸がざわめく。
違和感。
ポカリと空洞になった胸に、静かに手をあてる。
天使という個体に故意につくられた二層。
蓋はきちりとつくってあって、自分の指先では開けない。
トリックとも言いがたい操作に、うすうすと疑問を抱きながらも。
なつみは、なにも抵抗の術を持てずに居た。
- 381 名前:御使いの笛 投稿日:2005/07/14(木) 22:52
-
- 382 名前:御使いの笛 投稿日:2005/07/14(木) 22:53
-
- 383 名前:堰。 投稿日:2005/07/14(木) 23:04
- 御使いの笛 06:静蝕を更新しました。
思ったよりもかなり時間が空いてしまいました。
どうやら武器屋スペシャルで一度テンションを使い果たしたようで…。
たいへん申し訳ありませんでした。
>348
レスにも更新にも時間があきました。すいません。
武器屋さんは「いかにカッコよくするか」に賭けております。
これからどうなるかは今はお聞かせできませんが、頑張ります。
見ててください。
>349
お久しぶりでーす。
た、楽しい?です?か(笑)?や、書いてるほうも楽しいですけどね!
ちょこちょこと脳内で組み立ててますが、これからが大変です。
総裁おたわむれを(謎)!みたいな…。ウフフフ。
>350
す。すいません。長いことあきました。
更新しましたよー?
il||li _| ̄|○ il||li
盆と正月にあからさまに弱い堰。でした(謎)。
また近いうちに…。
更新できたらいいなぁ(殴)。
- 384 名前:名も無き読者 投稿日:2005/08/03(水) 14:51
- 更新お疲れサマです。
囚われの天使、ささやかな侵蝕。。。
どうなってしまうのでしょう。
毎度思うことですがハラハラと気になります。
続きも楽しみにしております!
- 385 名前:堰。 投稿日:2005/08/17(水) 23:20
- 久々にレスと生存報告をかねてご挨拶。
あからさまに盆と正月に弱い堰。です、こんばんわ。
「盆の祭」に全力投球していたら、こんな日付になってしまいました。
この続きを拵えるのがこれからなので、またしばし時間をいただきます(殴)。
画面を通してみていただいてる方にも、がっつり恩返しができたらなぁと思います。
今後ともよろしくお願いします。
>384
毎度。絵がね、綺麗なんですよ。
脳内の映像がそのまま出力できたら、もっと綺麗なんですが。
総裁も天使も、もっと…あぁ!ダメだ、自分の至らなさしか迫らない。
。・゚・(ノД`)・゚・。
続き、頑張っていきますのでどうぞお付き合いください。
でわ。鋭意制作中の看板を掲げてこもります。
しばらくお待ちを。
- 386 名前:御使いの笛 投稿日:2005/09/08(木) 22:19
-
- 387 名前:御使いの笛 投稿日:2005/09/08(木) 22:20
-
「はじめまして」
と、至極爽やかに、かつ、うさんくさいほど自然な笑顔で彼女は笑った。
それを業務用とか、営業用とかいう上っ面として受け取るには、また一癖も二癖も違うように見える。
正直に言う。中澤裕子にしてみれば、あまり得意ではないタイプだった。
えぇと、どちらさま――?
や、一応話の流れで知り合いだろうことくらい解るけれども。
あと、そうだな。警備会社の人…ってコトくらいは。
問いかけようとして、問いかけたくなくなって、結果口を噤んでみたりどうしたり。
なんか…かかわり持つのヤだ。この人。
嫌悪感というよりも、なんか、振り回されそうな予感がオーラとなって漂っている。
――えぇっと、頼れる、元同僚?
電話の終わりに苦笑するように紡がれた言葉を思えば、関係性の答えくらいわかる。
女は視線だけで荒らされた室内を確認すると、「どうせ圭ちゃん居たらやること無いんだよね」と苦笑する。
記録もとってるでしょ?検証もしたはずだし、きっと遺留品の洗い出しもしてるはずで。
ほら、やることない。
ゆるぎない笑顔というのは珍しいものだが、本当にゆるがない。
陽という皮をかぶっている来訪者は、さいさんの確認の後、元同僚の手際のよさを褒め称えた。
- 388 名前:御使いの笛 投稿日:2005/09/08(木) 22:20
- あぁ。そうですか。私は二の次なのですね…。
言わずとも解る気配。
大き目のアタッシュケースを抱えて、言葉どおり「59分後」に参じた彼女は、ひとまず荷物を置くと裕子に向き直る。
アーモンド形の大きくて人懐っこい瞳、眼差し。
急いだ風もまるでなく、どこか涼やかな気配さえ漂う。
……、いったいどれほどの速度でここまで走ってきたのだろう。
神業ドラテクの持ち主だろうか。
いちばん近い出口は蒼龍社のある六本木だろうに。
しかし、あの場所はセキュリティがひどく高くて、緊急の指令でもなければ降りれないらしい。
いくら幹部とは言え、お忍びで使うには厳しかろう。
渋谷池尻のランプは潰れているし。
用賀まで出ないと無防備には出てこれないはずなのに。
頭の中で逆算しても時間が合わない。
恐い。
なにせ、車の停車音が「真夜中に相応しくない」タイヤの切りつける音だったことを付け加えておこう。
- 389 名前:御使いの笛 投稿日:2005/09/08(木) 22:21
- 裕子のパイ生地なみの折り返し思考も知らずに、鮮やかに微笑しながら、彼女はさっと一枚の紙を差し出した。
「えぇと、あらためましてご挨拶。
夜分遅くにこんばんわ。私、こういう者です」
掌に収まるその一枚の紙。
アナログ代名詞のひとつ、名刺、だ。
社長が昔の方式にこだわる方でねぇ。と笑うのを、幾分遠く耳にする。
差し出された紙、長方形の左に、枠ぬきで彼女の制服姿の写真がプリントされている。
右に会社名、部署名…。
新都市警護保障。護衛官長。総合警護指揮官、人員能力統括部長。
要約すると、偉い人。
もっともらしいその肩書きの下に、少々フォントを太くした文字で、名前が記されていた。
木村 絢香
写真と、顔は一致する。
が。名前がちょっと読みにくい。
「きむら……」
口に出してみたところで、圭の声が追い越していく。
「きむらあやか。
まぁ、ふざけたところもあるけれど、根はいいから」
ものすごく簡略化された説明に、それでいいのか?と目を丸くする。
「木村さんでも、絢香!でも、統括部長でもいいですよ?」
「最後のは余計だっての」
人懐っこいというイメージのまま、平気でジョークを付け加えようとする彼女を圭が牽制した。
- 390 名前:御使いの笛 投稿日:2005/09/08(木) 22:22
- 名前の読みに関して助け舟を入れた武器屋は、平然と、アタッシュケースの中から幾つかのモノを取り出していた。
四角い掌大のカード。
ブランク状態の、新都市警護保障社員証。
「一応社員の仮契約まで入れておくよ?
で、そこから逃亡しましたってコトにでも、してもらおう…。っと」
本社から持ち出した端末に繋いだスキャナに幾度かカードを通し、通してはデータを打ち込んでいく。
なんか。本職みたいに見えるよ、圭坊。
武器屋のくせに…とは、今はもう口がすべらない。
彼女は、今行っているコトを選んでいた頃もあったのだから。
他に言えることがなくて、思わずぼうっと見つめてしまう。
「そういう手続きをソラでできるんだから、戻ってくればいいのに」
「事務職のおばちゃんでいいならね。現場はもうヤダよ」
軽々しい口で応酬する二人は、本当に旧知なのだろうな。
「えー。じゃぁ私の役職まるっとあげる。ジンインノーリョクトウカツっブ…」
舌噛んだ…。
なんだろう。警備会社の上役っていうのは、常にフラットで居るために、こんな危ういのだろうか。
表と裏。彼女の場合はとても整合性があるのに、薄皮一枚分つくりものだ。
武器屋とはまた違う、怖さがある。
- 391 名前:御使いの笛 投稿日:2005/09/08(木) 22:23
- 「それよりも、遺留品。ケースに入ってるゲル、ちょっと検めて」
端末に向かいデータをひたすら弄っている圭が、絢香の顔も見ずに言う。
うん?と首を傾げるのに、「そこに…」と裕子は掌で指し示した。
青いゲル状の物質。
すでに埃まみれで無様な見た目になっているが、透明度は高い。
「えぇっと、あらってあるの?」
「うん。繊維とかは取り出し済み」
圭の相槌に「あっそ」などと得心しながら、彼女はケースの蓋をあけた。
捕縛師の涙なくては語れぬ努力の甲斐あって、最初に拾い上げたときほどは汚れていない。
すい。と指先にあてて、指ざわりを確かめる。
ぬめるというようなこともなく、へばりつくというような感覚もない。
ただ、強く押せば粒子が変形するのか、吸い付くような感触が生まれるくらいだ。
穏やかなはずの柳眉が微かにあがり、安穏とした色に鋭さが宿る。
「あら。こんなの使ったら足もつくって言うのにねぇ」
口元は笑っているが、目元はその音声にそぐわぬ静を保ったまま。
ようやく聴衆の視線が集まるのに、彼女はそっと容器を持ち上げた。
裕子は胸の奥深くに思う。
やっぱり怖いじゃん。
- 392 名前:御使いの笛 投稿日:2005/09/08(木) 22:23
- 「欧州から絶賛売り出し中の新作よ。コレ。
変容性に富んでいて衝撃吸収力も高く、しかも、持ち上げてわかるとおり軽いの」
ここまでは売り出し会社のセールストークそのままだが、次が問題だった。
「今のところ、公の文章では、蒼龍と分社前のウチにしか入ってないはずなのよねぇ」
じ。と、自らに視線が集中するのに、彼女は舞台役者のように大仰に振舞った。
肩を竦め、指先を差し出し…数を示す。
「ウチで買い取った素体…コレね?数が五つ。
わけた分が2対3。3が、今の、ウチね」
――ケースごと残ってれば、ロットナンバー割り出して完璧だったんだけどなぁ。
指折りながら確実に事実を提示するのは、彼女のいつものやり方なんだそうだ。
示しやすい。と、いうところなんだろう。
「流石にケースは無いけどさ。
ゲルの中に繊維とか残ってて…それ、グローブのじゃないかと思うんだけど」
圭の促しに対して、彼女は逆らわない。
ちょーと失礼しますよー。と歌うようにつぶやきながら、物証を入れた小さな袋を取り上げた。
ヒップバックの中からレンズを取り出して、その袋を見透かす。
一瞥ごとに音がするのは、日ごろ使用しているゴーグルの応用なのだろう。
きっと彼女の網膜には、繊維の超拡大図であったり霊質の残滓が見えているのかもしれない。
- 393 名前:御使いの笛 投稿日:2005/09/08(木) 22:24
- しばらく袋の中身を見遣っていた彼女が、呆れるように肩をすくめた。
レンズの蓋を親指ひとつでかけながら、ヒラヒラと袋をふりつける。
「ちゃんと支給されてるんだから、繊維の出ない合成皮革とか使えばいいのにねぇ。
あぁ、でも、強襲のミッションは殆どやらせてなかったから、仕方が無いのかなぁ」
うわ。恐いことを平気で言うよ。
驚きの表情を隠せずに見遣る。
捕縛師の顔をちらりと横目に、彼女はかるく息を吐いた。
そして、言う。
さして覚悟が要らないように見えたのは、彼女の器か、それか揺るがしがたい事実だったからもしれない。
「たぶんね…黒だと思う。
確かにコレはウチの配給だったヤツだし、何よりこのゲルの素体なんか他の警備会社じゃ買えないわよ。
それだけで…幾らって言ったっけな。
私も二ヶ月くらい食べていけると思ったけど。納品書まで見てないからわからないや」
首を傾げるところを見れば、いかに高価なものかと言いたいのだろう。
なんとなくでもわかる。
「断定?」
「まぁ、私の中ではね。
まだ完全な裏が取れないからわからないけど…」
繊維数本が入った小さなビニールを置き、彼女はすいと視線をうつした。
- 394 名前:御使いの笛 投稿日:2005/09/08(木) 22:25
- 視線の先にある、銀色の一枚板。
真新しいフォトフレーム。
プリントアウトされた写真と、その内容。
「手にしていい?」
一応断ってくるのだな。
そのスマートさに感心しながら、どうぞ?と裕子はそれを許す。
「あら、なんか圭ちゃんまで一緒に写ってるんだけど」
あからさまに浮かぶ嘲笑に、「うっさいよ」と武器屋が指先を振付けた。
まるで野良犬でも追い払うように。
気にせず続けるのは仲良しの証なのか。
それとも、あしらい方を心得ているからだろうか。
絢香は口元をクイと持ち上げ、裕子に耳打ちした。
音量は当然のように、「通常よりもちょっと大きめ」である。
「やぁね?昔はぜったいに仲間内とかで写真に「あ゛――――!」」
不意の大声で言葉を遮りながら、頭をかきあげる。
「あらやだ。照れ隠し」
うふふふ。などと口元を隠す様は、本当に洒落でお互いを渡れる関係そのもの。
こういう仲間が居たのだな。
そう思い、苦笑する。
「だーって、こんなにやわらかくなかったのよ?
気配さえも漆黒の闇色。
なんたって下級仕官なんかは寄り付かないし、無敵の鬼教官!で通ってたんだもの」
と続けて、不意に投げつけられた空の灰皿を、彼女は平気で受け止めた。
うわぁ。洒落のわかる能力者同士って、ちょっと笑えない。
ウフフフフアハハハハ。
乾いた笑いの応酬をしてから、圭は盛大に机に伏した。
- 395 名前:御使いの笛 投稿日:2005/09/08(木) 22:26
- 「ね。中澤さん、コレだれ?」と灰皿を戻す絢香に問われて、仕方が無く解説する。
銀色のフォトフレーム。
愛機であるディアブロは…関係ないか。
バーテンダー。
医術師。
自らの職種。
そして、天使。
目の前で不服そうに作業を続ける武器屋。
ふむふむ。と聞き上手らしい彼女に話すのは、とても気楽で苦の無い作業だった。
多少の馴れ初めと、関係性。
告げる内に連れ去られた天使との生活も浮き彫りにされた気もするし。
なんだろう。なんなのだろう。
この人の陽に、気付けば絡め摂られているような気が……。
幹部であるコトの厳しさや険しさを飛び越したところに、彼女は居るのだろうか。
「圭ちゃんからね、あなたの話をよく聞いてた。
友達って言える相手は誰も居ない人だから、とても微笑ましかったの」
――ありがとね。
一瞬、口元を押さえたくなるような事実。
照れもてらいもなく、するりと口にできるような話だろうか。
血を血で洗うはずの仕事をしているようには思えない実直さ。
思わず頬に赤がのぼろうというときに、苦笑混じりの声が耳に届く。
- 396 名前:御使いの笛 投稿日:2005/09/08(木) 22:31
- 話題の当人である。
「勝手に礼を告げるなコラ」
と。作業用のメガネを取り外しながら、圭が椅子から立ち上がった。
手にはブランクだったカード。
作業工程を終えて、今その四角い板は偽装カードとして完成されている。
「作業完了。中に裕ちゃんのデータ一式詰ってます。
検問は絢香も居るし、余裕で越えられるでしょ」
ニィ。やり手の笑みを浮かべつつ、圭は体の線をしなやかにのばした。
パキっという腰骨の音に、安楽のため息を吐き出している。
それを絢香に手渡すのは、きっと先に車を転がすという意味合いも含んでいるのだろう。
「えぇっと、じゃぁ、準備が出来次第、出る方向でいい?」
絢香に問われ、世界を取り戻す。
「あぁ、と。よろしくお願いします」
ペコリと頭を下げる裕子に、「ハイ。よろしく」と警備会社の見た目可愛いおエライさんは微笑んだ。
- 397 名前:御使いの笛 投稿日:2005/09/08(木) 22:32
-
- 398 名前:御使いの笛 投稿日:2005/09/08(木) 22:32
-
「なぁ。アノ人、いったい何者なん?」
一階、半地下の武器庫から愛用の武具防具をとりだしつつ、ホルダーや輸送ケースに詰め込んでいく。
絢香は上の階で上司と連絡をとっているという。
用意すべきデータなども早めに取り出しておくから。とは、まぁ心強い言葉である。
問われた圭は一瞬動作をとめ、思考をめぐらせた。
「えっと。頼れる同僚…じゃ納得しないか、流石に」
はじめと同じ答えを出そうとして、湿気た視線ににらまれているのに気付く。
武器屋はタハハと苦笑しながら、肩を軽く竦めた。
銃弾の包み紙を持ち上げて、これは…と応接セットのテーブルに置く。
みれば予備マガジンと特殊銃弾で一山が築かれているが、どうやらフル装備にはまだ足りないらしい。
「あー。あれでもね、絢香は元は騎士なんだ。私とバディになってたコトもある。
酸いも甘いも飲み干しちゃって、自己統一性が完璧と」
――多少のハリボテなら綺麗に作り上げちゃう。
人がその場に居ないのを良いことに、武器屋が浮かべるのはまさに苦笑。
圭の言葉に、裕子はフリーズ。
なるほど。自己整合性の高さのさらに薄皮一枚というのは、駆け引きの道具として纏えるヴェールか。
あぁ、あんな騎士っていうか、TSSPって会社はもう!親玉から幹部まで――!
出るのは途方もない話に呆れる、善良とは言えないが一般的市民のため息ばかり。
思わず頭を抱えたくなるが、今はそんな暇もない。
- 399 名前:御使いの笛 投稿日:2005/09/08(木) 22:33
- できたら夜が明けるまえに、この場所を出て行かなければいけない。
周囲の家に気付かれるのは、ちょっと勘弁したいのだ。
なによりも、ヤツにだけは知られたくない。
もぬけの殻にしておいて、愕然とされるほうがまだいい。
「はー。自分含めて化け物だらけやんな」
――いちばんランク低いの自分ですけど。
くっく。思わず喉が鳴る。
明らかな嘲笑。自嘲。
「類友とは言いたくないでしょ?」
やさしく眉を上げて、圭は一つのバックパックの包みを強く結ぶ。
「やぁ。類友でないと、あんたとは出会わなかったんだろ?
そうしたら、それは仕方が無いんだよ」
諦めるように微笑んで、裕子はショットガンなどの長モノを仕舞っている棚を開錠した。
きょんと目を丸くした圭が、得心したように口元を上げる。
「それに。どっか、お互いの人生に…必要だったんだろ?」
特に、なにのために。などとは言わない。
何気なく出会った自分たちは、どこかでお互いを補完していたのだろう。
これから…何日続くかも解らない命の中でも、補完していくんだろう。
そうだね。確かにそうなのかもしれない。
銃を輸送用のケースに仕舞いこむ背中を見やって、武器屋は軽く肩を竦めた。
- 400 名前:御使いの笛 投稿日:2005/09/08(木) 22:33
-
と。その時だ。
外部からの接触を示すインターホンがけたたましく鳴り響いた。
時間にして四時過ぎ。
裕子は一瞬だけ首をかしげ、まさか…と舌打ちする。
この時間の来訪者。
可能性が無いわけではなかったが、こんなタイミングで来なくてもいいだろうに。
回線を繋ぎ、気配をはかる。
外からは止まぬ雨の音。
ホームシステムのリカバリが済めば、音声認識も平気でできる。
が。家人以外の承認は、再び設定しなければいけないことになっていた。
そう。
矢口の承認分は、今、取り消されてしまっているのだ。
勝手知ったるなんとやら…だったはずの家に、入れないで戸惑っているのだろう。
こんな時にかぎって、早く来るなんて。
イラっと眉を段違いにしつつ。髪をかきあげて、裕子は回線の向こうを伺う。
「ちょっと!裕ちゃんなんかあったの?承認されていませんとか、初めてなんだけど」
インターホン越しの矢口の声は、とても怪訝そうだ。
どう誤魔化そう。
頭をフル回転させるが、巧いやり口は無さそうだった。
- 401 名前:御使いの笛 投稿日:2005/09/08(木) 22:34
- 仕方が無し。
応戦しようと裕子は返答した。
「やぁ、ちょっと電源おかしくなってな。あたし以外は開けられへん」
――それに、ちょっと出かけないといけないからな。悪いけど、今日は相手できひん。
こっちにはまだまだやらなければいけないコトがある。
矢口に構っている余裕が無い。
「えー?じゃぁなっちの相手どうすんのよ。
それに謝らなきゃいけないんだし、ちゃんとそのつもりでケーキの材料も持ってきたのにさぁ」
そっか!コイツは昨日の今日か。ってあたしもかっ。
昨日のやりとりを謝りたい。そう記した手紙。そのつたない文字。
思い返して、返答が揺れた。
「んなっ…、あ、あいつは一人でも…」
あぁぁぁあぁ。なんでこんな時に口ごもりますかっ!
一瞬の言いよどみに頭を抱える裕子に、武器屋は気の毒とでも言うように手を合わせた。合掌。
普段なら頼れるほどに聡明な彼女。
今日ほど憎らしい日もない。
「おかしいよ裕ちゃん。普段ならなっちのコトあいつとか言わないし。
ねぇ。何かあったの?」
語句を上手くつなげなかっただけで、すぐに多くの可能性を繋いでくる。
矢口の話術と回転の良さに、裕子は改めてたじろいだ。
「裕子!黙ってないで部屋の中に入れてよ!何があったの?」
ど。どうしよう。
思わず。と、助言を求めるために視界がさ迷う。
諦めるほか無いでしょうよ。そう無言で肩を竦める圭の表情は、神妙極まりない。
- 402 名前:御使いの笛 投稿日:2005/09/08(木) 22:34
- バシュ。という開錠と扉の開く音。
足音高く屋内に入ってきた矢口は、気配を感じたのか、ひょいと事務所兼応接室を覗き込んだ。
そこにはどこか諦めた顔をした捕縛師と、神妙な面持ちの武器屋が居て。
何事だろう。と首を傾げるよりも、何かあったのだな。と確信する気持ちの方が早く動いたようだった。
「どうしたの?」
机の上には沢山の荷物が纏められていて、本当にタダゴトではない空気が漂っている。
「まぁ、上に上がってみれば解るよ」
そう促したのが武器屋であることも、不可思議な不安を煽ってしまう。
矢口は胸元で拳をかるく握り、荷物一杯のバックの紐を背負いなおす。
トトトトト。と足早にかけあがる階段の先。
「ども、お邪魔してます」と軽すぎる音声が矢口に渡されるのと同じに、「なに…コレ」とその喉が声を絞り出した。
無理もないだろう。
帰宅時の裕子と同じだけの衝撃を、矢口はその体一杯に打ち込まれているのだ。
はぁ。と、短い呼気がこぼれる。
無視も仕方が無いわね。と、絢香は肩を竦めているけれど、誰も気には留めない。
カツ。遅れて上階にたどり着く靴音。
矢口はどううろたえればいいのかも解らないように、一度だけ身体を大きく震わせた。
きつく握りこまれた拳が、白くなる。
「どういうコトなの?コレは!」
ドン!と振り返りざま、捕縛師の肩に拳を打ちつける。
まるで子供の駄々と並ぶように、理解できないコトに対して憤りを顕にする。
「矢口やめなよ。裕ちゃんだってまだショック受けてるんだから」
武器屋の見切りによって、混乱の魔法が一瞬だけ解けた。
だって!と堰きる疑問符を、圭は静かに宥めすかした。
- 403 名前:御使いの笛 投稿日:2005/09/08(木) 22:36
-
- 404 名前:御使いの笛 投稿日:2005/09/08(木) 22:36
-
「連れ去られた…って、そんな…」
散らかり放題の部屋の中。
落胆した矢口の椅子に落ちる音と、狼狽した声だけが残る。
手にはなつみ直筆の手紙。
愛らしい、また、明日ね――?
「かなり遠方から見張ってたんだろうね。
まったく気配は無かったし、それでなくても相手はプロらしいし」
――でも目星はついてるんだ。だから……。
矢口は何も知らない子供じゃないし。
大人同士の話であれば、それこそ、子供の頃からイヤになるほど耳にしていた。
「まさか、上に行くの?」
ギク。
「だから、追うんでしょ?その目星とか言うのを」
ギクリ。
「あぁ!なんだってオマエはそう、そういうトコロには勘が働くんだよ!」
さっさか出て行きたかった一番の理由そのものである矢口に詰め寄られて、裕子はいい加減とプチ切れた。
ガシン!と拳で階段の壁を叩きつける。
あからさまな怒気を目の前に、真里の体がびくりと揺れた。
「だからってお前を連れて行けるわけないだろう?
遠足じゃねぇんだよ!ましてコッチの仕事でもねぇよ!
いいか?ヘタしたら戻ってこないからな。今までよりその確率高いんだから、妙なこと考えるなよ?」
な。っと、唇がかたちどるけれど、言葉にならない。
戻ってこない確率。
いままでだって危うい仕事なら沢山こなしてきた。
だけど、今回ばかりは比じゃない。それどころか、本当に危ういだろう。
- 405 名前:御使いの笛 投稿日:2005/09/08(木) 22:37
- 仕事じゃない。ましてや私怨。
相手は獣じゃない。しかも高度な技術を持って畏れられる人間たちだ。
それでも。
ヤツが自分から出て行ったワケじゃないことくらい、この状況を見ればわかる。
ただ、その筋の無さに憤っているだけだ。
だから、許せないだけだ。
「相手が確定してるわけじゃないけれど、確かに誰が当たっても厳しいと思うの。
だからね?お嬢さん、戦うことの出来ない子を連れて行ってあげることはできない。
無理なコトなの」
絢香のもっともな発言を受けて、裕子は静かに呟く。
「だから、もう、帰り?」
初対面の女性にまで言われて、矢口はいよいよと眉を曲げた。
裕子まで抑揚の無い声だしてさ。
……んだよっ。
滅多に見せることのなかった、子供じみた怒り。
ギッチリと奥歯をかみ締めて、流れ落ちそうな涙を睫毛でせき止めて。
抱えてきた荷物をドシャっと床に振り落とした。
これだけ荒らされた部屋だ。今更床にモノが落ちようとどうってことないだろう。
挑むような視線を向けて、矢口は肩で息をくりかえす。
「そうかよ!解ったよ!好きにすればいいじゃんっ。
誤魔化すこともできなくて、そらせるほど余裕もなくって?
それだけ慌ててる裕子が巧く動けるわけないだろ!素人だってわかるよバカ!」
ドン。と、裕子の身体を体全体で押しのけ、矢口は階下へ走る。
バシュ。彼女が来たときよりも慌しい扉の開く音がして、彼女の足音が聞こえなくなった。
……。
残されたのは遣る瀬無い沈黙。
「これでいいと思うよ」
静かに切り開いたのは、武器屋さん。
その場に居た大人三人は、子供の怒りにそわねばならなかったお互いを、視線だけで静かにねぎらった。
- 406 名前:御使いの笛 投稿日:2005/09/08(木) 22:38
-
――っだよぉ。ただで終わると思うなよっ!
裕子の家から飛び出して、すぐに気付いた。雨が止み、雲が切れている。
夜の間はまだ太陽の害も少ない。風はあるけれど、いつのまにか穏やかにその勢いを潜めていた。
雨上がりの湿っぽさが鼻につくが、不快なにおいではない。
ちくしょう。
すでにポロポロとこぼれた涙は巻き戻せないが、これから溢すぶんは失わないで済むだろう。
ぐ。っと腕で涙をぬぐって、深呼吸を施した。
泣いている暇はない。起死回生の一撃が、どこかにあるはずなのだ。
矢口はふっと視線をめぐらせる。
裕子の家の前に止まっているのは、大き目のレクリエーションビークル。
シルバーグレーの車体に、警備会社のエンブレムがついている。
さっきのお姉さんが着てた服と、同じ社章。
新都市警護保障。
あぁ、上層の会社でトップだった東京ソーシャルセキュリティポリスの、分括とは名ばかりの新会社だ。
もしかして。巧くやれば、巧くやれるかも。
まるで頭の上で電球がはじけ、ヒラメイター!とでも言うように。
矢口は自分のジャケットのなかに入っている財布と、カードを手早く確かめた。
特技を使えばどうにかなるかも!
ぎ。っと視線を険しくし、矢口は走り出した。まるで獲物を見定めた小型肉食獣のような一直線さで。
どうか間に合え!間に合うんだ!
朝一番で飲料水を配りまわる配達の青年が、その姿に目を丸くしたのは言うまでもない。
- 407 名前:御使いの笛 投稿日:2005/09/08(木) 22:39
-
- 408 名前:御使いの笛 投稿日:2005/09/08(木) 22:40
-
じゃぁ。私は下の荷物、車に積んじゃうから。後で来てね――。
玄関すぐの事務所内に積まれた荷物の運搬を、警備会社の幹部が買って出た。
さっきの小さな子が投げて逃げた荷物のなかで、牛乳瓶が割れていた。
あのやろう!と毒づくのに付き合ったって、自分に得も損もない。
それなら。と、まぁ階下へと下りてきたのだった。
絢香はひとまず玄関そばに荷物をまとめ、そこから少しずつ運び出すことにする。
ドアは内側からなら簡単に開く。
数分間の固定を設定してもらい、とりあえずと荷物を車のそばへ運ぶことにした。
が。知らずに口から言葉がこぼれる。
「うわぁ。アヤシイなぁ〜、あからさまに」
思わず背筋がそれる位にアヤシイ。
無理も無いだろう。見れば車の助手席がわ、ドアの下。
絢香の膝上まであろうかというドデカいトランクが、ズドンと置かれているではないか。
ふむ。爆発物……じゃないよな。
ミエミエの中身、予想はすぐにつく。
可愛いことをするけれど、責任が私に降ってくるじゃないの。
肩をすくめ、ついでにジャケットにつっこんでいたインテリジェントキーで車の鍵を開錠する。
スターター自体は生体承認なので、ドアがあいたくらいで乗っ取られることもない。
ひとまず、いちばん目立つ荷物を仕舞わなければいけないだろう。
- 409 名前:御使いの笛 投稿日:2005/09/08(木) 22:41
- 絢香はおもむろにトランクへ近づくと、タイヤの点検でもするように身体をかがめた。
それからわざとらしさを咳払いで払拭し、ニヤリと口元を上げる。
とうぜん、トランクさんからは見えないだろう。
見えるはずがない。トランクさんは無機物だ。
「あれ?私こんなところにトランク置きっぱなしだったかしら」
思い当たるふしがないので、自らに問う。
ギク――。と、なぜだか人の気配がトランクからにじみ出てきた。
それは焦りだとか不安だとか、とてもマイナスの色をしていて愛らしい。
気配というモノに聡い戦闘者のコト、絢香は苦笑を隠しきれない。
「あー。そっか、さっき出したまんまだったのかもしれないね」
そうだ。コレは私の忘れ物だったのだ。
と、とってつけたように脳内設定をただした。
カツカツ。指先でトランクを二回たたき、揺れるよ――?と小声で諭す。
あ。ハイ。となぜだか中から素の音声で返事があって、それでまた苦笑ってしまった。
- 410 名前:御使いの笛 投稿日:2005/09/08(木) 22:42
- 「それにしたって。一緒に積むのはいいけど、こんな大荷、物怒られるだろうなぁ」
――圭ちゃん怒ったら恐いし、あの中澤さんも恐いだろうなぁ〜。
よいしょ。と。独り言のように文句をこぼしつつ、トランクを両手でさげた。
紛いナリにも絢香はしかりと幹部だ。トレーニングはしっかり積んでいるし、常人離れだってしている。
リアのハッチを開けて、気合一閃トランクを積みこむ。
「そういえば圭ちゃんが、さっきの子の作るオムライス…美味しいって言ってたし。
今度作ってもらうことにしよう」
これは名案だわ。と、軽く手を合わせて自らの思案を肯定する。
「その代わり。このトランクさんは…、ウチの本社で預かるからね?」
明らかにトランクに向けた声。
問いかけに、気配がシンと静まる。
神妙さ。真剣さ。感謝。沢山の色がにじみでて、綺麗だ。
絢香は納得し、大きく体の筋をのばした。
さて、残りの荷物も積んでしまわなければ――。
残り時間や猶予というものは、誰の目にも見えないのだ。
一応再度の連絡も入れておかなければいけない。
やることは山積みだった。
- 411 名前:御使いの笛 投稿日:2005/09/08(木) 22:42
-
- 412 名前:御使いの笛 投稿日:2005/09/08(木) 22:42
-
「あ、そう?一度寄るの?キャンプ?あぁ。なるほどね、ベースキャンプね。
そうだね。じゃぁ、データ出しておくよ。
あーと、GPSで車両移動の形跡が割れたからそれも見せる。
妨害電波で黒になってる物体が、君の停車してる近所で待機してた形跡ありだから」
――うん。気をつけて戻っておいで。六本木の使用許可も出しておく。
縁の薄い金色のフレーム。
いままでよりもさらに理知深く見えるアイテムを指でおしあげ、通信回線を切断する。
プライベートのアナログ回線。
いまは逆に、こういう通信のほうが傍受されにくい。
ふむ。と息を吐き出し、村田めぐみは肩を竦めた。
「木村さんですか?」
オフィス内をうろちょろしていたあゆみが問う。
「うん。あと、君には懐かしい人が戻ってくるよ」
――しごかれた思い出しか無いだろうけど。
クツ。と喉で笑いながら、警備会社の社長は部下の顔をみつめた。
「まさか…」
意味ありげな視線を向けられ、警備官の柴田あゆみは目を見開いた。
思い当たる節があったらしい。
- 413 名前:御使いの笛 投稿日:2005/09/08(木) 22:43
- 「うん。そのまさか。私も10年ぐらい会ってないけど…衰えてはいないってさ。
柴田君はあれでしょ?叩き込み受けたタイプでしょ?」
そう同一の人物を思い浮かべながら、めぐみが立ち上がる。
叩き込み。という言葉に記憶を引きずり出したのか、一瞬考える瞳をくるりと動かしたあと、彼女は苦く笑う。
時間があったらスパーでも申し込んでみます。
付け加えるのは成長の跡だろうか。
そうしなさい。と、社長は微笑した。
「さてと。久々に隣のスペースをつかって、幹部みんなで朝食といこう。
木村君が言うには、専属コックさんまで拾ってきたらしい」
久々に椅子から立ち上がったせいで、軽くひねった首から、パキリというクッション不足の音がした。
本当は解ってる。食事の時間も惜しいことくらい。
いつのまにか雨はあがり、闇夜の帳に薄い紅の色がひかれはじめた――。
- 414 名前:御使いの笛 投稿日:2005/09/08(木) 22:44
-
07:予期せぬ荷物
- 415 名前:御使いの笛 投稿日:2005/09/08(木) 22:44
-
- 416 名前:堰。 投稿日:2005/09/08(木) 22:50
-
御使いの笛 07:予期せぬ荷物 更新いたしました。
………、タイトル最後に持ってきてたまにオシャレ?なんじゃありません。
単純にタイトル入れ忘れたのです。
うあぁ、へこむぅ〜@かしましのんちゃん調
ちょっと板の移転も視野にいれはじめました。
ふむ。二枚目で終わらなさそうと言うか、満足に書けなくなりそう。
もう少し考えて見ますが、たぶん、無理…。
でわ、また次の更新で。
- 417 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/09(金) 18:50
- 更新お疲れ様です。
ついに本格的に始動しましたか。
目が離せませんね。
次回も楽しみに待っています。
- 418 名前:名無し読者。 投稿日:2005/09/14(水) 10:21
- 武器屋さんの職場復帰が楽しみです。
- 419 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/20(火) 23:13
- バーテンさんはさすがですね
この先が楽しみですよ
- 420 名前:名無しさん 投稿日:2005/11/06(日) 00:01
- 続きが読みたいです。
- 421 名前:御使いの笛 投稿日:2005/12/05(月) 22:32
-
- 422 名前:御使いの笛 投稿日:2005/12/05(月) 22:33
-
08:嵐の前に
- 423 名前:御使いの笛 投稿日:2005/12/05(月) 22:34
-
仏頂面というものを、こういう場で露骨に顔面に貼り付けているというのは、いかがなものかと思う。
しかし、今現在、中澤裕子の心中はとっても複雑に沢山の糸が絡まっており、自らでも解きがたい状況に陥っていた。
それもこれもなにもかも、たったニ時間前のコトに遡る。
上層へ上がるということも初めてではない。
それこそ、捕獲物の研究発表だとかでレセプションに招かれたこともあるし。
上得意の食事会に招かれたこともある。
まぁ、下層の蛮人として睥睨され、その場をぶち壊しそうになったこともしばしば。
だいたいは言い寄ってくる男の数のほうが多かったが、時に嫉妬を受けることもあった。
下層民のくせに…と。
おぉう!そうかい。
てめーらこそ人の裏かいてはらわた引きずり出すようなマネばっかして金むしって、よぉ言うわ!と。
タンカは…きったかな?いや、切ってないと思う。思いたい。
今はもう遠い出来事だからこの際いいや。
- 424 名前:御使いの笛 投稿日:2005/12/05(月) 22:35
- そう。
記憶から思い返してみるに、この場に居る方々はまったく嫌味なく。
どこか欠点があるとすれば、「上級者すぎて冗談にならない」会話が頭越しに飛び交っているくらい。
武器屋が相手をしているのは、この会社の幹部なのだそうだ。
旧会社の、警備官長。
名前を、柴田あゆみ。
彼女が入社して上級に上がる頃、丁度指導していたのが圭だったらしい。
あぁ。やっぱり、違うなぁ。
動きのタイプが違う人間を見ることは、自分の勉強にもなる。
拳突の精確さが目を見張るほど増していると評価した後、武器屋は満足そうにその相手をしていて。
若さにも似たその直状の武器を、熟練の腕で逸らしつつ、その場でアドバイスを加えている。
しかし…。
ヒョウと空気を裂く早さを目にしながら、やる方無い息を吐く。
いったい、何が問題なのか。
目の前で繰り広げられてる組み手が問題なのではない。
裕子は「上の階に残してきた人間」を思い返して、不機嫌に髪をかきあげた。
- 425 名前:御使いの笛 投稿日:2005/12/05(月) 22:36
-
時間は少々遡る――。
ディアブロの大きなシート。
速度からの抵抗にあわせ、前傾の姿勢をとりながら、カウルに姿を隠している。
高位機体にのみ施された制動で、ギアが上がるごとに重心が下がる機構が働いていた。
普段ならアメリカンタイプのように背をしっかり凭れて動かすのだが、速度が上がった分フロントサスが沈み込んでいる。
蛇足ながら、タンデム時には最高ギアには上がらないように制御されてしまう。
困ったものだが、仕方が無い。
しかし、今は一人なのだから、関係もないか。
エンジン音は今は高音。
体には突風とも例えられよう衝撃が打ち付けて、後方へ去っていく。
ゴーグルから見える前方には、黒いRV車。
新都市警護保障の申し訳程度の小さいロゴが、リアハッチ右端にさり気なく輝いている。
ふぅ。追尾するだけで良いと言われているから気楽なものだ。
気楽すぎて、あまり思い出したくないものばかり思い出す。
泣き顔の、彼女の姿。
- 426 名前:御使いの笛 投稿日:2005/12/05(月) 22:39
- ――そうかよ!解ったよ!好きにすればいいじゃんっ。
あんな声出して怒るの、初めて聴いたな。
冗談めかしてお互いを怒ってみたり、軽いケンカをしてみたり、無かったわけじゃないのにな。
それでも普段の矢口は無理して笑うことしかしなかったし、そういう部分をワザワザと突付いてまわる趣味もなかった。
中身を無理に知ろうとは思わなかったから。
ずっと、ずっとお互いに気楽に過ごしていた。
彼女はいつもこちらを気に掛けていたし。
自分自身も、あの小さいのを気に掛けてきたけれど。
――誤魔化すこともできなくて、そらせるほど余裕もなくって?
――それだけ慌ててる裕子が巧く動けるわけないだろ!素人だってわかるよバカ!
あぁも言い当てられてしまうと、立つ瀬が無いというか、図星、射抜かれると言うか。
情けない話、怒り一つで標的に向かおうとしていた自分の目が覚めた。
ちくしょうめ。
ちくしょう――。
無事に戻れるワケがないけれど。
伝える機会があったなら、伝えなければいけないな。
と、苦笑混じりに思った。
- 427 名前:御使いの笛 投稿日:2005/12/05(月) 22:41
- 六本木の緊急時用ランプにある詰め所を、偽造IDと、詰め所を管理する最高責任者と供にすり抜ける。
今までに無い経験で頬がこわばりそうだったが、銃火器類を全て前の車に預けていたため、難易度は低かった。
それに。
助手席に向かい平身低頭と腰を折っていた男が居たので、きっと彼女の息が掛かっているのだろう。
まだ新人らしき青年の頭を上から押さえつけて、最敬礼させていたっけ。
可哀相に。
思い出し笑いに目を細めた瞬間――。
すぅ。と、一瞬ブレーキランプが光り、前を行く車が減速する。
なんだ?と思い、前に倣うと、不意に前の車体が左右にブレた。
減速に伴い制動機構が働き、車高にともない視界が少し持ち上がる。
おわ!コワイ。
正直コワイ。
何が起きたのだろう?
そう視線を凝らすと、どうやら運転手はそのままだが、助手席が動いているようだった。
武器屋がシートを倒し、後ろの荷物を弄くっているのがわかる。
大きなトランクと、幾分幅をあけて自分の荷物が載っていた。
あんな大きな荷物、一体どうして持ってきて、どうしてもって帰るのか?とか、………思ってたんだが。
あ?トランク開けてる?
しかもどうやら、圭が何かしら喚き散らしている雰囲気がある。
けったいな動きするなぁ。思いながら、追尾していく自分自身、顎が外れる瞬間を迎えるとは思わなかった。
あぁ。思いもしなかった。
思うわけがないだろうがッ――。
- 428 名前:御使いの笛 投稿日:2005/12/05(月) 22:42
- トランクが半開きになり、それをムリヤリこじ開ける圭の前に、人間の頭がにょ!っと突き出る。
怒っている雰囲気はわかるが、さすがに無線を繋いでないので中の声までは図れない。
が。
は!?
それはもう、目が、点になる出来事で、裕子は呆然とする。
見た頭だった。
見た顔だった。
つーか、さっき一緒に居ただろう!
そりゃぁ前の車の助手席も慌てるっつーか、怒るわな。
って。
オレも怒るよ!
頭を一発はたかれるその光景に、眉をぐっと吊り上げる。
「やぁぐちぃぃぃ―――――!!」
思わずメットの中で叫んでしまって、中にくぐもった音声は空しく解けるだけだった。
- 429 名前:御使いの笛 投稿日:2005/12/05(月) 22:42
-
そして、今。
トランクの中に居たバーテンダーは、上の階。
オフィスと隣り合った幹部用の部屋で、朝食を拵えている。
笑顔で三人を迎えた「社長」の計らいであった。
お嬢さん一人くらいは余裕ありますし。なんせ、専属コックさんも居ないので、丁度いいでしょう。だと。
あぁ、きっと根回しがされていたのだろうな。
怒鳴りたかった裕子の声は、飄々とした社長――村田めぐみの声に消されてしまった。
粋、と言うよりも、ズルい。
間があくことで、怒号を放つのには勢いが無くなってしまう。
簡単に言うと、怒れなくなるわけだ。
目の前で繰り広げられる上級者同士の打ち合いも、どこかガラスの向こうのように遠い。
上に居る矢口。
置いてきたはずの矢口。
どう、顔を併せればいい?
ため息ばかりで、保てない。
- 430 名前:御使いの笛 投稿日:2005/12/05(月) 22:43
- 「まぁ、コワイ顔したいのもわかるけど、綺麗な顔がだいなしよ?」
何時の間に隣に居たのだろう。
まぁ、こちらも考え事ばかりだったのだから、気取れないのにムリもないけど。
どこか諦めぎみの苦笑をまとって、絢香は笑う。
しかめっ面の原因は謎のトランクを拾った彼女にあるのだが…。
きっと彼女はトランクの中身をお見通しだったのだろう。
恨めしい視線を送ってみても、諦め気味の彼女の苦笑は、本題を放り投げてしまう。
「まぁ、そんなにカリカリしないで。
ちゃんと、彼女のことは預かるから」
全てを飛び越えて与えられる言葉に、裕子は一度盛大にため息をついた。
そのため息に非難の色が混じっていないのを、彼女はちゃんとかぎ別けてしまう。
コドモの顔色を伺うような視線の中で、裕子は眉を軽く曲げた。
「コレだから、上層の人間の言葉遣いは苦手なんですよ。
まるで、知った風に人の手や目を読んで、するりと紡いでくる」
ジっと視線を合わせても、まるで効いてない。
「そこに毒のある人間と、無い人間とで…言葉の効果って違うものよ?」
歌うように穏やかに紡ぎながら、目の前の幹部職員は視線をめぐらせた。
その先には、今の同僚と、過去、バディと呼ばれていた人が居る。
- 431 名前:御使いの笛 投稿日:2005/12/05(月) 22:44
- 「実感、こもってますね」
苦笑するのに。
「その実感は、貴女の中にもあるはずだけどなぁ」
食えない返事が戻ってきて、裕子は軽く動揺した。
視線の先。
当然のように打ち込みを受け止める、武器屋の姿が、そこにある。
「ま。全てに素直に当たる…というよりは、隠し立てできないだけなんだけどね」
軽く肩を竦め、追い討ちをかける。
武器屋にしたら追い討ちだろう。
でも。
…解らなくもない、あたりが、ねぇ。
感情のパズルをありえない場所から崩されて、怒りを止めずにいられない。
こんなにも、まだ触れやすい人々ばかりだったなら、上層に対してのイメージも違ったかもしれないけれど。
さすがに、ちょっと、遅かった。
今、こうしている時間だって、天使は囚われているのだから。
もしかしたら、何もかもを追い越して、害されているかもしれないじゃないか。
タス。靴底が床を食んで、情けない声をあげた。
- 432 名前:御使いの笛 投稿日:2005/12/05(月) 22:45
- 視線の内には、殴打の応酬。
見る側からすれば、幹部のほうが押して居るようにも見える。
が。すごいな。そう、相変わらず、すごい。
思わず口元が持ち上がる。
一撃へ対応するのに、一歩も二歩も先を行く。
幹部である彼女の、教師であったと言うのなら、納得するか。
シュ。打ち込みの呼気をかいくぐるように、直線状の突撃を下からかちあげた。
球体が矢を弾くごとくに。
孤を描くようにして弾かれた直状の「武器」に、幹部である柴田あゆみは目を丸くする。
元々表情豊かな瞳をしては居るが、一際、驚きを隠せないことが解るほどの瞠目。
キュイ。靴底が鳴り、圭の背中が沈み込む。
低い位置からの掌底が、一直線に鳩尾へと吸い込まれていく。
「「ヤメッ!」」
と、何故かハモリが聞こえて、裕子は自身の耳を疑った。
一つは雑談をしていたはずの目の前から。
そして、少し遠目に組み手を見ていた、「社長さん」の方から。
見れば衣服に手は当たっているが、インパクトはしていないようだった。
どうして解るか?だって、あの勢いで一撃食らってれば、いくら幹部だって痛い顔するだろうよ。
柴田さんは強大なダメージを覚悟していたのだろう。
顔から血の気は引いているけれど、痛みは感じさせないから。
- 433 名前:御使いの笛 投稿日:2005/12/05(月) 22:46
- ふしゅぅ。と体に溜まった緊張を吐き出して、呆然とする幹部をよそに、武器屋はスイと姿勢を正した。
「ホラ。礼くらいはしっかり取りなよ」
「ハ!あ、は、ハイ。失礼しました!」
呆然としているところを諭されて、柴田さんはガチン!と背筋を正す。
礼に始まり礼に終わる。古武術に礼節は大事だ。
きっと心臓はバクバク言ってるだろうに。
苦笑しそうになって、自らの立場を思い、裕子はムリヤリに苦笑を飲み込んだ。
そうして思う。
組み手を止める声はハモって聞こえた。
ということは、やはりポヤポヤしていても上級者なのだ。
ここの社長さんも、疑うわけではなかったが、目の前の木村さんも。
コワイなぁ。
上層ってコワイなぁ〜。
今更、思い知らずには居られない環境であった。
「じゃ。一汗かいたし、そろそろ朝食を摂りに戻りますかねぇ」
社長に就任してから遠ざかっていた、カジュアルなセルフレームを指先で持ち上げ、社長が全員に促した。
徹夜明けの朝食は、矢口の得意なオムライスだそうだ。
気付けば二食連続――飲酒も挟んで居る――じゃないか。
食べなれては居るが、ちょっとばかり、胸が焼けるかもしれない…。
- 434 名前:御使いの笛 投稿日:2005/12/05(月) 22:47
-
- 435 名前:御使いの笛 投稿日:2005/12/05(月) 22:47
-
「それでは諸君。久々に人間らしい食事をしようじゃないか」
と、失笑苦笑の入り混じる挨拶の後、全員が「イタダキマス」と頭を下げた。
さすがに裕子はそれに倣えず、微かに礼を取る程度に留まったのだが、周囲は食器の小さな音で慌しくなるばかり。
しかも幹部職員は誰も喋らない。
どうしたことだろう?と周囲をうかがうと、どうやら「喋る余裕も無い」という気配を漲らせている。
そう。それは例えて、飢えた獣のようであった。
おかしいな。女性しか居ないはずなのにな。
所作振る舞いの正しさはあるのに、黙々とした飢えた空気が清廉を程遠くしていた。
「いやぁ。ありがたいですね。本当に」
「うあぁ。久々にお米食べたよおかーさーん」
「食事があったかいのがいいよねぇ。生き返るよねぇ」
口々に矢口に賛辞が与えられる。
- 436 名前:御使いの笛 投稿日:2005/12/05(月) 22:48
- 材料だけなら一通り揃っている社員食堂。
そこから、食材だけを戴いて調理させてもらったそうだ。
不足があったら、矢口としても面白くなかっただろう。
小ぶりのオムライスに、野菜多めのハムとのマリネ、そしてコンソメスープ。
ちくしょう。相変わらず美味い。
まくまくと口を動かしながら、視線をかるく武器屋に送る。
武器屋も然り。
気付いてか軽く視線を持ち上げると、眉の段を違えた。
やり場の無くなった怒りと、彼女を思う優しさと、綯われてしまった感情。
怒ったのも優しさなのだと解るから、お互いに微妙な顔しかできずにいる。
ひとしきり車の中で叫んでたからいいでしょ?
と、絢香に諭されようと、気配は収まりはしない。
- 437 名前:御使いの笛 投稿日:2005/12/05(月) 22:49
- 矢口も矢口で、強情なものだ。
こちらを見ようとはしない。
すいませんが…と恐縮しながらおかわりを頼んでいる事務官二人がいる。
それに笑って応えているが、馴染みの二人の視線を感じた瞬間、ホラ仏頂面。
フイ!っと顔を大仰にそむけて、足音も高くアイランドキッチンへ一直線だ。
まったくあのやろう。
こっちがどんな気持ちで突き放したのかなんて、コイツは一生解らんのちゃうん?
眉を寄せたまま、裕子は残りのコンソメスープを飲み干した。
ベーコンとキャベツが汁気の後から追ってきて、喉で詰りそうになったのは内緒だ。
不穏な空気を纏っている三人に対し、上層の人間は困惑よりも苦笑を選択して表情へ貼り付けている。
そこに違和感を感じたのだろうか。
それとも、単純に引っかきまわすのが好きなだけなのだろうか。
おかわりをせがまれて、自慢げに微笑む矢口から視界をめぐらせると、村田社長はふわりと微笑んだ。
「しっかし、羨ましい限りだね。こんな美味しいご飯を、いっつも?」
首をかしげているわりに、その言葉の内に「懐柔」や「和解」を望んでいるのが解る。
なるほど。食えない人の上司は、やっぱり、食えない。
- 438 名前:御使いの笛 投稿日:2005/12/05(月) 22:50
- 「飯作る分には上手なんですがね。考え無しなんで頭が痛みますよ」
即座に返す裕子に、ギリィ!っと突き抜ける視線が打ち込まれる。
キィ!なによあんた!というように視線を返しても、周囲には乾いた笑いがこぼれるだけ。
「まぁまぁ。でも腕の良さは確かですね。羨ましい限りだ。
真里ちゃんご馳走様。
それから、えっと、中澤さんでしたっけ?
隣の部屋に資料とか全部置いてますから、良かったら見てみませんか?」
――そしてあわよくばウチの会社の所属に!
気分よいのだろう。スラスラと喋る社長からの文言に、一瞬全員が噴出した。
「社長!最後の一文まるっきり口に出てます!」
突っ込まれるまで気付かないんじゃ、相当のものだ。
え?あら?と頭を自分でたたきながら、「じゃ、隣で待ってますから」と笑う。
幾分腰を低くして、いやぁ、なんか……本当に上層って…と眩暈がしそう。
きっと全部計算ずくなんだぜ?
でも、不思議に悪い気はしない。
- 439 名前:御使いの笛 投稿日:2005/12/05(月) 22:51
- 「じゃ。矢口さんは、私と残って洗い物ね」
――柴ちゃん、後で行くからって社長にお願い。
了解です。という返事を放って、同僚の女性が隣室へ移動してく。
横から肩をぽんと叩かれて、裕子は声の主を見た。
聡いのかどうなのか、絢香の横顔はとても優しい。
彼女のことは、ちゃんと預かるから――。
ね?とこちらに首を傾げられて、声が過ぎた時間から戻ってくる。
一瞬戸惑うような表情を見せたものの、矢口はそれに追従するようだ。
「じゃぁ、中澤さんどうぞ。こちらへ」
斉藤さんという事務官の方が移動を促してくれるのに、従わない方法もない。
裕子はすれ違いざま、矢口にむかって軽く手を振り上げた。
- 440 名前:御使いの笛 投稿日:2005/12/05(月) 22:51
- 竦む肩。
だけど、誰もそれを止めない。
動きが攻撃的でないことを、悟られているのだろう。
ぽす。勢いを殺し、そうっとその頭上に手を添えた。
久々に触れる矢口の髪に、息だけを吐く。
もしかしたら、この先、もう、触れられないかもしれない。
そう思って、突き放したのに。
コイツだって、解らなかったわけでもないだろうに…。
削がれてしまった怒りが、置き去りにした優しさに道を譲る。
本当は、もう、会えなくなると思ってた。
だから。
ちゃんと、伝えておかなければ。
- 441 名前:御使いの笛 投稿日:2005/12/05(月) 22:52
- 髪の毛にからまる温もりに、視線ひとつ動かせずに居る少女。
精一杯いつも大人の顔をしていたけれど。
彼女の振る舞いに救われていた自分を、ただの一度も見せたことはなかったよな。
知ってたか?矢口、知ってたか?
でも、お互いにそんなことを言葉にしない日々を過ごしてたな。
そして、本当は、お互いに知っていた。
「さっきの、けっこう効いたわ。
慌ててる私が普通に動けるわけないよな。
おかげ様で、目も覚めた」
――ありがと。
さっきの。と言われ、矢口の顔が弾かれるように持ち上がる。
が。すでに、裕子はその体を翻していた。
- 442 名前:御使いの笛 投稿日:2005/12/05(月) 22:53
- いつもの仕事前に見せる、凛とした気配。背中の線。
口を真一文字に、見送ることしかできない矢口の横を、圭は無言で行き過ぎる。
ただ、一瞬だけ。
この上なく優しい気配をにじませて。
圭の背後で、矢口の靴が椅子を一脚蹴倒す。
「裕子バーカ!圭ちゃんもバーカ!」
怒声が聞こえたけれど、その後を追いかける嗚咽はない。
これも、愛情なんだな。
そのどれもが不器用なだけで、伝わり方が歪むだけで。
こんなストレートな愛情、最近見かけなかったな。
捕縛師に追いついた武器屋の手が、一度だけその腰をポンと叩いた。
- 443 名前:御使いの笛 投稿日:2005/12/05(月) 22:54
-
――08:後段へ続く。
- 444 名前:CM 投稿日:2005/12/07(水) 10:45
-
♪チャラッチャー チャッチャラッチャッチャチャ
舐めるように動くカメラ。
荒れる風を体に受けて、ぷかり桟橋の残骸が画面の隅で揺れている。
ここは横浜、巨大なスラム。
渋谷と並ぶコミュニティ――。
そんな中、仁王立ちで一升瓶を抱え上げている少女が居る。
って、これはドコから撮ったんだ?ランドマークの残骸からか?
「よー!オイラァ新潟生まれの横浜育ちよぉう!
大吟醸 越乃歌姫 新酒ができあがったぜこのやろぅッ」
「って、なにをそんなに大上段で言ってんの」
て、それこそ外野がそんな発言していいのか?CMじゃないの?ねぇ。
「すっとこどっこいてやんでぇッ!
今年は醸造が巧くいきすぎて余ってる!なんて口が裂けても言えないぜぇ」
「って丸っきり言っちゃってるじゃん!ちょっと。その前にてやんでぇって何よ?」
おい待ちたまえ、そのツッコミどころが違わないか?
「うお!って、そうだよねぇ。待ってちょっと!今のカット!
幻の酒がそんなんじゃマズイよねぇ?
やーでもまぁ、プラント二つとも成功して、本当に多くできちゃったからなぁ。
売れなきゃどうしょもないんだよねぇ…」
……。まぁどちらかが巧く行けばといって仕込んで、両方とも出来上がってしまったなら仕方が無かろう。
「あぁぁあぁぁ。もう。変な独白しないでって、さっきから言ってるじゃんッ!
編集しなきゃいけない、こっちの身にもなってくれよぉ」
「だから旧世代テレビ風味のCMなんか作るもんじゃないって言ったのに…」
「だってそれは――ちゃんがさぁッ」
ドン!一升瓶が大写し!
「大吟醸 銀嶺 今年は出血大サービスー!」
「だから出血とか大サービスは余計だっつーのッ」
ドドン!と画面が切り替わり、一升瓶の陰にあった小さな瓶が映し出される。
淡雪のような白さの瓶に、青いリボンの封が美しい。
越乃雪姫
ご贈答にもぜひどうぞ。
ご用命は――――――――ZAPッ
- 445 名前:御使いの笛 投稿日:2005/12/07(水) 10:45
-
- 446 名前:御使いの笛 投稿日:2005/12/07(水) 10:48
-
「さて、どこからお話をしましょうか…」
王様の下に残っている幹部の書類一式。
そして、沢山の写真が机の上に散らばっている。
見る分には、若い。
が、書き添えられた実年齢は、裕子と肩を並べているくらいだ。
見た目に足して、八つか十ずつくらいだろうか。
特技であったり、主要スタイルなどが書き記されている。
「なに。吉澤こんなの習得してたんだ?」
と、昔の教え子たちの用紙を手にしながら、武器屋はニヤニヤ笑っている。
それは、どう見ても師匠から弟子を見るそれである。
子供がまぁ不相応な武器だけ身につけちゃって――と、言うところだろう。
「まぁ、保田君には懐かしい顔を見ててもらうとして。
中澤さん。最初にこのGPSのトレース映像見てもらいましょうか」
壁面液晶の一部に、パっと四角い切り取りが浮かぶ。
「この黒い点。ほら、コレ。わかります?
これがー、はい拡大〜」
言われるままに事務官が画面を操作する。
パパっと拡大された位置は、本当に裕子の自宅付近である。
「ここに時計合わせて?」
デジタルの数字が26時付近で止まる。
裕子の自宅前で止まった車。
そこで数秒の停車時間があり、すぐさま動き出す。
が、遠くに行くわけではなく、近所の路地で停車した。
デジタルが少しずつ進んでいく。
- 447 名前:御使いの笛 投稿日:2005/12/07(水) 10:48
-
「じゃぁ、ここから更にスローにしましょう」
26時02分01秒――。
車と思しき黒点が路地から動き、再び自宅の前に横付けされる。
その間は数秒。
直後、爆発的なスピードで動きはじめたのに目を疑った。
裕子の自宅付近はまだ車が入るけれども、路地の選び方によっては袋小路だ。
それを綺麗に走るためには、池尻のほうへ一度出るか、無理を承知で小さな路地を縫うかしなければならない。
旧国道の舗装を左に折れ、そこから北へ更に速度を上げる。
「じゃ。今度は、この黒点がどこに向かうのか、見ていただきましょう」
ありえない速度で突き進む黒点が、ぐんぐんと更地を進んでいく。
「このまま北に行くとー、最北扱いの十条のランプが生きてます。
この辺から残念ながら降雨の影響で電波が不安定なんですけどね。
かろうじて…、十条ランプのところで、ほら、再確認できるでしょ?」
それが上がってきて〜、地下に入ったところからはウチの監視ネットで見れますのでコッチの画面。
カツ。ポインターが画面を指す。
登録車両は出入りと移動を監視される。
前会社内で登録され、そのまま削除されていないデータ。
きっと、ワザと、であろう。
社長はどこか呆れるようにナンバー表示をたたき、肩を竦めた。
「ここでまた地上にのぼって、最後は地下駐車場に滑り込んでいきましたーっと。
貴女の家の前から、この黒点は旧社屋にたどり着きました。
九割九分、保田君の読みで合っていると思います」
――貴女の家に居た天使さんは、総裁の下に居るでしょうね。
あぁ、これで、確定かぁ。
静かに呼吸をしたつもりが、どこか腹に溜まっていたのかもしれない。
それは盛大なため息として零れ落ちた。
- 448 名前:御使いの笛 投稿日:2005/12/07(水) 10:49
- 「本当に乗り込む気があるのなら、我々は協力を惜しみません。
ただ、こちらとしても仕事の手までは抜けませんから、武器と持ちうる限りの情報程度のコトしかできませんがね」
カタン。ポインターを机上に戻し、社長さんが机に手をつく。
細身の体の中に、静かな面持ちの中に、目に見えぬ計算が詰っているだろう。
「なにか、質問があれば応じますが?」
シンとした空気が重石として降って来る。
聴かなければいけないコトなら沢山。
でも、その中で本当に必要なモノは、ナニ――?
「たとえば…?」
そう。私に足りないものは、なんだと思います?
情報ですか?戦力ですか?
必要なものは、無知でしょうか?
「あぁ、そう切り返すのか」
ふむ。軽く肩をすくませると、社長はかたわらのコーヒーカップを手にした。
一口、舐めて、戻す。
「例えば…そうですね、なんで、中澤さんちの天使だったのか…とか。
総裁はなんで天使マニアなのか、とか」
ふむ。幾つかの例を取り上げられ、しばし沈黙する。
なんで、確かに、どうしてアイツだったのか…それは解らない。
でも、幾つかの事柄については、すでに知っている部分もある。
例えば、相手がナニモノなのか――とか。
- 449 名前:御使いの笛 投稿日:2005/12/07(水) 10:50
- 「やぁ、連れ戻せるなら連れ戻したいだけだし。
間に入る相手の特徴が解れば、どうにかなるだろ」
――大ボスが人外に強いって言うなら、こっちのほうが有利だし。
最後の台詞に対しては、全員が一瞬表情をかためた。
例えば聞き取りにくかったと言う人間と、聞きとがめる表情とで二分はされていたけれども。
その空気を体中で読み取り、ニヤリと口元を持ち上げる。
「人でないなら、コッチの領分だから」
うわ。っと、武器屋は思わず口を押さえる。
言い切ったよ。
知らず大笑いしそうになって、噴出すのを堪えるのに必死になった。
だって、ここで笑ってしまったら、下の子に示しがつかないでしょうよ。
付け加えられた言葉から、意味を悟った事務官とあゆみがバっと顔を上げる。
「あッ!あの人は、その…きっと…」
思い出す威圧感。
人でないなら…と紡がれて、否定できないと思えてしまう、あの、気配。
同じ思いで居るのだろう、主席事務官は眉を顰めた。
- 450 名前:御使いの笛 投稿日:2005/12/07(水) 10:50
- その視線にも臆することなく、捕縛師は不遜にも顎をあげる。
「かなわんほどに強いっていうのは、人ならざる何かがあるからだと思う。
そこの武器屋に聞いて納得もしたし。
なんで、そこにたどり着くまでの人間のデータが欲しい」
――ウチのを連れ去った誘拐犯に目にモノ見せてくれる。
一介の捕縛師はわざと軽い口調で言い放ち、机の上に置かれた書類に手を添える。
茶化すように会話を揺らしたのに、村田めぐみは指先ひとつで眼鏡の位置を整えた。
天使がナニモノなのかなんて、彼女は構わないのだ。
言外に言い放ったも同じ。
天使の持つ力がどんな作用をするのか、理由なんかどうでも良いと。
要約すると、そっちの都合なんかどーでもいい。と。
なかなか、うん、気持ちがよいほど無礼で不遜で、惜しい人材かもしれない。
- 451 名前:御使いの笛 投稿日:2005/12/07(水) 10:51
-
「じゃぁ。難しいことを抜きにして、ご要望のデータをご覧いただきましょう。
これからの映像は、訓練中のモノですので、少々速度なども抑えているはずです。
参考になるか、アナタ次第になるでしょうが」
――斉藤くん、機密の65番まわしてください。
え?本当にまわすんですか?と目を丸くするのに、「いいから早く」とキッパリ促す。
再び小さなポインターを手に、画面へと体を向ける。
その振る舞いが有無を言わせないのに、事務官は従うだけだった。
一枚の指先に乗る程度の記憶媒体を取り出し、リーダーにセットする。
壁面液晶の中に大きな切り取りができ、そこに浮かぶのは各人の組み手の絵。
上位仕官や幹部同士のものも含まれているようで、なるほど、確かに的確な隙の突きかたをしている。
赤い光線が、一人の少女を指しとめた。
- 452 名前:御使いの笛 投稿日:2005/12/07(水) 10:52
- 「この左手に居るのが、藤本美貴と言って王の下に残っている騎士の一人です。
彼女は一番歳若いのですが、なんせ銃火器での殺傷率がえらく高く評価されてます。
接近戦には不得手も多いはずなので、いかにして距離を縮めるかにかかってくるでしょう」
不得手。とは言うが、蹴撃の鋭さは光って見える。
ふぅん。顎をなでる武器屋の声が聞こえて、視線をかるく向ける。
「私が居なくなってからの子だよね?」
「そう。彼女はここ半年くらいで今の位置に来た子だから」
騎士ねぇ。と呟いたのを耳が拾ってしまったのに、捕縛師は激しく後悔した。
なぜなら、そこに宿っていた音が、今までに無いほど硬く冷たかったから。
ふと視線をめぐらせれば、武器屋の前に座していた柴田あゆみの顔がこわばっている。
あぁ、可哀相に。
気配を背中に受けて、体がガチガチにかたまっていた。
- 453 名前:御使いの笛 投稿日:2005/12/07(水) 10:52
- じゃ、画面を切り替えて――。
次に切り替わった画面には、色の白い美形さんが居て。
彼女も女性の中ではスラッっとした高さを持っている方だが、相手もまた上背ある男性だった。
すい。打ち出された拳に腕を添え、引き寄せ、右へ相手の体を捌く。
よろけた相手はしかりと足を立たせるが、間合いは大きく開いた。
んふ。と、頬が持ち上がる。
重心の保たれた動きの中、妙な軽さを感じて眉を顰めた。
「彼女は吉澤ひとみ。木村絢香と一緒に護衛官の長を務めてました。
身体能力が高く、トリッキーな動きも一撃の重さも併せ持つ難しいキャリアです。
彼女は総裁と特別に近しい友人なので、説得とかそういう生ぬるいコトはできないでしょう」
――癖があるとすれば、時折大きく振付けるくらい…かと思います。
- 454 名前:御使いの笛 投稿日:2005/12/07(水) 10:53
- くん。と脚が折れ、前に半歩。
ヘッドギアの顎に向かい、右の拳が入る。
が。ドパンという鈍い音は、普通の筋力じゃ出せないだろう。
そして、もう一歩。踏み込む。
畳み込む蹴撃と思い食い入るように見つめる画面。
その中で、彼女の脚は銃砲のように相手の腹部に突き刺さった。
ハンマーでも当てられたように体が折れ、人形が放られるように組み手の相手が屑折れる。
あまいなぁ。と、笑う音声が聞こえて、そこで画面は黒く消えた。
首をかしげてまで微笑む姿は、可愛い女の子と変わらないのに。
怖いなぁ。ほんっとうに怖いな、この会社。
- 455 名前:御使いの笛 投稿日:2005/12/07(水) 10:54
- そして三度画面は切り替わり、今度は幾分健康的な肌色をした細身の美人が映し出された。
多人数との対戦を想定した、実戦形式デモンストレーションのようだ。
パタ。っと、暇そうにしていた武器屋の手が止まる。
長い髪のトップだけをまとめ、まるで訓練らしくない容姿で的確に人数を捌いて行く。
「そして、こちらが石川梨華。
警備官の長として、そこに居る柴田あゆみと同じセクションで働いてくれました。
彼女は、ある騎士の癖をコピーしているようでしてね、格闘は騎士には及ばないが柔術系でカバーしてきます」
――よく使う手は大振りの鉈と銃器の併用…で、あってるかな?
はい。問われたあゆみが頷くのに、どこか神妙な顔をしている武器屋が居る。
画面の奥。
おぅ?と視線をこらす。
全部…急所の寸止めなのか――?
あまりに的確すぎて確かめるのも怖い。
「幾分直情的なので、冷静さを欠くとエライことになりますね。
誰かさんが去った後の職場は、それは凄惨だったとか…ね。聴いてます?」
「聴いてないね」
面倒くさそうに話の筋を投げやって、武器屋も画面を見つめている。
- 456 名前:御使いの笛 投稿日:2005/12/07(水) 10:55
- 騎士のコピーって、……うん?
なんか引っかかるけど、あんまり考えたくないな。
首。腹。時には心臓の位置まで。
直線で突き払われるその武器に、大勢が動きを止めていく。
戦争ゴッコの死体のように、両手をあげて、ハイ、降参。
カツ、カカ。と、その動きにあわせて、武器屋の爪が机を叩く。
不可思議な同調。まるで、その指先のリズムに合わせて、画像が踊っているようだ。
「綺麗になったでしょ?」
「確かに、無駄は無くなったね。でも、綺麗さと仕事は別問題だよ」
社長さんに問われて、武器屋は画面を遠くながめながら呟いた。
「彼女を騎士ポジションにしても良かったとか抜かしてましたけどね。
それをしても遠く及ばないのは解ってたんでしょう、助言どおりに松浦に任せてましたけど…」
で、彼女のディスクだけ違うんだっけね。
社長さんは記録媒体の交換を指示した。
- 457 名前:御使いの笛 投稿日:2005/12/07(水) 10:55
- 仕草をうけて、事務官の大谷さんがコクリと頷く。
ぱた。パタパタ。
しばらく保管箱やらを探し回っていた手が、ハタっと止まる。
「あの、作成は分社化前でしたよね……」
「あぁ。そうだ…けども、まさか……」
眉毛をぐっと寄せた社長さんに、事務官さんが乾いた笑いを返した。
「編集したんでんしょ?みたいから見せて〜って軽く言われて持って行かれたまんま…かなぁ〜、って」
ジリ。ジリジリ。と、キャスターつきの椅子が壁に向けて下がっていく。
ガシャ。
壁に自ら追い込まれながら、事務官さんは平身低頭頭を下にさげた。
「このオオバカものがぁああああああああああああ!」
ダレが!どこの誰が社外秘のモノを社外に行く人間に渡したままにしておくか――ッ!
襟首つかまれ揺さぶられるものだから、「申し訳ございません〜」もエフェクト付きの始終ビブラート。
揺さぶり症候群で倒れるんじゃないか?と眉毛を寄せたあたりで、社長さんの手がピタっと止まった。
「ま、そういうコトもあるだろうと思って、個人的に編集してたのを持ってきました」
スチャ。
む、胸ポケットから記録媒体が一枚。
あれだけ部下をゆすっておいて、そんなオチはお約束すぎるよ社長。
胸焼けがぁ。と机に突っ伏す事務官をさしおいて、自らコンパネを操る。
開かれた一枚の四角い枠。
佇んで居たのは、一人の少女だった。
- 458 名前:御使いの笛 投稿日:2005/12/07(水) 10:56
- 形だ――。
パン。と世界が弾けるように、腰が落ちる。
それは場を制することのできる人間だけに許された、制御であり完成形であった。
移動の無駄のなさ。
脚のつま先やその拳の先に宿る、刃のような凛とした気配。
体一つを操る張り詰めた神経は、鍛えられた刀のように繊細に見える。
「騎士。そこに居る保田圭の推挙で、総裁が直々に迎え上げた逸材です。
私たちが同じ形をやってみても、彼女の制動は追えません。
それは結局彼女の動作のトレースになってしまうし、彼女以上にはなれないんですよ」
ビッ。とまるで武官がするように、や、そこいらの武官以上の速度で拳を突き出し、社長は眉を曲げる。
「例えばこの動作一つだって、我々よりも彼女の方が的確で、相手を飲み込むほどの気配が煉られている。
体中の熱で煉ったような、しびれるような一撃じゃぁないですか」
そう惚れ惚れした口調で呟く声に重ねた瞬間、社長の取った動作を追い越すように拳が突き出された。
なるほど。
画面の中だと言うのに、気配に中てられそうだ。
- 459 名前:御使いの笛 投稿日:2005/12/07(水) 10:56
- 「敵にするの嫌だったんですけどねぇ。さすがに、口説き落とせませんでした」
苦笑。
どこか諦めたように眼鏡をはずし、肩をすくめる。
すかしたジョークを流すトークショーの進行者のようだ。
そこに、アイランドキッチンのセットでもあるような、面白くても笑えないブラックジョーク。
「でも、彼女は自分の芯を曲げないところがあるんです。
総裁の意見や命令でも、否定や拒否をする強さと権限がある。
手ごわく見えるけれど、まだ、口説く余地があるかと思います」
――唯一の常識人なんでね。
へぇ。常識人、ねぇ。
一応、ですけどね。と継いでから、村田めぐみがポインターのスイッチを切った。
赤い光線が消え、世界にちょっとした沈黙が戻ってくる。
- 460 名前:御使いの笛 投稿日:2005/12/07(水) 10:57
- 「幹部全員にいえることなんですけどね、射撃よりも格闘のが強いですよ。
銃器よりも得手、という程度の違いですけどね」
「で、それは結局、どっちも常人離れしてるんだろ?」
――幾つか癖も読めたし、どうにか…つぅよりも、なるようにしかならんやろ。
コクリ。と、数人が息を飲んだ。
癖を、読んだ?
一介の捕縛師さんが?
まぁ、木村さんの言うことが確かなら、元騎士の友人なのだし、その実力は認められていると言うし。
訝しいというわけでもない。
しかし、正面から信じられるコトでもなく。
お互いの顔色を伺うように、幹部は視線をめぐらせる。
そんな不躾な状況を見遣りながら、社長は自分の部下がどういう行動を取るのか観ているようだった。
「じゃぁ、さっきの柴田くんの格闘を見ながら、何か思ったことがありますか?」
ちょっとした、イジワルも計算の内で。
- 461 名前:御使いの笛 投稿日:2005/12/07(水) 10:58
- 趣味の悪い女だなぁ。
裕子は苦笑を上らせながら、気付いたコトについてするりと述べた。
「体に疲れがたまりすぎ。
腕にノビもないし、なんせ左の手を庇いすぎ。って、見たまんまならそれだけだけども。
左足の踏み込みがおかしいのは、たぶん膝かなんか一回故障してるんちゃうん?」
ふむ。口元に手をあてて、社長さんは興ありげに柴田警備官を見やった。
ピシ、っと薄氷を踏んだ時のような衝撃で、表情の色が薄くなっている。
古傷を庇っているのを、ちょっとした組み手で読み取られてしまったコトの羞恥だった。
「どうして?」
「明らかに体のバランスがずれてるから、なんでだろうなぁと思っただけだけど。
たぶん、一般人だったら同じように見えてると思う。
踏み込んだ時の何ミリくらいの違いしか無いからなぁ」
ぱたん。机の上に掌が落ちる。
視線の中で表情の変わっていくあゆみの顔を見ながら、ふむ、とひとつ息をついた。
「ま、庇ってるから全体にムリが出てくる。
今は大丈夫だろうけど、人員増えたらちゃんと休ませなきゃダメだよ?」
追い討ちのように言を継いで、武器屋は話の紐を引き結んだ。
話をきられたことで救い出された警備官は、顔を真っ赤にして俯いている。
可哀相に。
- 462 名前:御使いの笛 投稿日:2005/12/07(水) 10:58
- しかし、元騎士は知らぬ顔。
思い出したように社屋の図面をとりあげて、軽く指し示した。
十階までのビルと、そこから数十階のタワー。
エレベータは当然ながら使用不可。
ワイヤーを切られてしまえば、何もかもお終いだ。
「後は、侵入経路だけど。たぶん玄関から行っても問題ないと思うんだよね。
どうせムコウは拒まないだろうし。
やれるもんならやってみなよ…って、そういう程度の話だろうし」
「え?そういうもんなん?」
そうそう。そういうもん。
社長と圭に頷かれてしまっては、納得するほかなくなってしまう。
「たぶんあれ。ゲームの大ボスらしく、ご挨拶とか館内放送するタイプだね。あれは」
武器屋がもっともらしく笑うと、村田社長も苦笑まじりに頷いた。
「まぁ、中に入ってからが勝負だろうし。
だいたい二つのルートしか取れないし、どっちも行き着く場所は一緒だし。
その辺はアバウトで、あとは生きて上に上がれるか程度じゃないのかなぁ」
圭が継いだ。
そ、そういうモノなのか。そうか。
納得するしか、ないらしい。
- 463 名前:御使いの笛 投稿日:2005/12/07(水) 10:59
- 「じゃぁ、後はさっきお願いしたとおりの弾薬と、備品をそろえていただけたら幸いです」
――防弾ベスト、最新鋭のって言ってたけど、保証ありなんだろうねぇ。
「当然。って、ホシにも使われたゲルを使用した、軽くて丈夫な最新型ですよ。
ま、失敗して二人が死んでも、私怨で突入した愚か者程度の情報操作はしますから」
にこやかに片手を上げられても、あんまりありがたい気がしなかったのは、裕子だけじゃなかっただろう。
「あの!社長…」
そろそろお話も終わるかと思う頃、先ほどの指摘を受けた警備官が立ち上がった。
「着いていくとか言ってもダメですよ。
こっちだって、戦力が削げない予定があるんだし。
君に居てもらわないと、社内検定上位だって言ったってコイツら事務官だもん」
警備官も見ずに言い放ち、コイツらと事務官を指差す。
「あー!それはパワハラですよ!パワーハラスメント!」
「言葉の暴力ですよ!ひどいーッ」
「あーもーウルサイッ!
キミタチそんなに喋ってるヒマがあったら、手を別けて銃弾の帳簿を弄るとか、階下に二人を案内するとかしなさいッ!」
珍しくキツイ視線と言葉を向けられて、事務官は椅子を蹴倒して立ち上がった。
ジャンケン一撃、手配を決めた二人はお互いに受け持つべき場所へ走っていく。
呆れたように肩をすくめ、「やぁ、いい子たちなんだけどねぇ」と社長は苦笑したのだった。
- 464 名前:御使いの笛 投稿日:2005/12/07(水) 11:01
-
- 465 名前:御使いの笛 投稿日:2005/12/07(水) 11:02
-
客人全員が階下に去り、つかの間の休息を得るかと言う頃。
休む暇もなく、幹部は全員オフィスに呼び戻された。
矢口の相手をしていた絢香も、バーテンが眠るというので上階へ戻ってきていた。
「さて。彼女たちが無事に総裁のもとにたどり着いてしまった場合、最悪の事態も起きるだろうと思ってね。
先に方々へと根を回しているわけだよ」
――その手順と心得についてだけ、みなに話しておこうと思うんだ。
……、最悪の事態…?
初めての単語に、事務官は首を傾げる。
「天秤ていうのが、天使の中に居てねぇ。
天罰よりも早く降り立って、世界の重さを量るのさ。
人間の中にはびこる罪・咎なにもかもを暴き、炙り出して世界の存続の価値を問う…」
コクリ。
あんまり、この先、聞きたくないなぁ。
飲み込む息だけが、こごる呼吸だけがその場に落ちてくる。
「我々は今回強奪された天使が、ソレじゃないかと踏んでいてね。
ちょっとした隙に保田君にも確認したんだけど、なんとなく確信ができているんだ。
でね、天秤の役目が果たされた後が、問題なのだなぁ……」
- 466 名前:御使いの笛 投稿日:2005/12/07(水) 11:03
- イヤー!ほんっとに聴きたくないわぁ、この先。
と、事務官は思っているだろう。
でも、社長のたたずまいが、いつもと違って真剣なのと、正面から気配がぶつかってくるので逸らせない。
容赦のない言葉は、全員の耳にしかりと届くことになる。
「天秤が世界をあらざるモノと量れば――」
――――空から断罪の天使が降ってくる――――
リィンと凍る一室の空気。
しかし、社長の弁舌はそれでも凍えない。
「総裁はその天秤を負の方向へ傾けたい人だし、うちの会社はそうじゃない。
もしかしたら、天秤は傾かないかもしれない。
でも、万が一傾いたら…その時、一般の人間はあまりに無力だ」
わかってもらえるだろう?と、彼女は周囲を見渡した。
「それから先は、我々の仕事の本懐というわけさ。
しっかり、守るべきものを、守ってやろうじゃぁないか」
――今までの金ばっかりの愚か者は差し置いて、守らなきゃいけないものをね。
そう顎をしゃくる社長の眼鏡が、不敵な角度に光を反射した。
- 467 名前:御使いの笛 投稿日:2005/12/07(水) 11:03
-
- 468 名前:堰。 投稿日:2005/12/07(水) 11:11
- 御使いの笛08:嵐の前に 前段・後段をお届けしました。
あー。糸を解いて紡いでほつれに凹んで、気付いたらヨレヨレです。
でも頑張って編み上げてみます。ハイ。
前回の更新から三ヶ月という期間が過ぎてしまい、
読者の皆様には平伏してお詫びするしだいです。
これじゃぁもう季刊じゃないのよ。ばかばかばかばか、もいっこバカ。
ちょっと年内頑張って進められたら…。
>417
内容は本格的に…なんですが、筆が本格的ではなかったのです(涙
忙しさに押されて逆に筆が動けばいいなぁと…希望的観測。
>418
久々の職場@保田さんでしたが、あんまり絡みが無かったですね。
事務官には馴染みが薄いし、まぁ仕方が無いのかもしれません。
>419
バーテンさんはさすがです。彼女じゃなきゃできませんからね(笑)。
このシリアスな中のギャグ風味も、そろそろお届けできなくなりそうなので、
今のうちにご賞味いただけたらと思います。
そろそろスパイシーなだけになりそうです。
>420
大変お待たせいたしました。続きでございます。
調理には気をつかっておりますが、味がくどく感じることもあるかもしれません。
お客様のお好みでお召し上がりください。m(__)m
え?なに?うおぉ?なにを――
- 469 名前:CM 投稿日:2005/12/07(水) 11:15
-
♪チャラッチャー チャッチャラッチャッチャチャ
「自社ブランドの酒の名前間違えてんじゃねぇよー!」
「うわー!最悪だよ。ちょっとまって!改訂前であわあわわッ!
待って。うん、気を取り直して、やるからッ」
どどんと一升瓶を持った少女が仁王立ち!
「大吟醸 越乃歌姫ー!こっちが本当 越乃歌姫〜!
やっぱり出血大サービスーッ!」
「だから出血とか大サービスは余計だアホー!」
ドドン!と画面が切り替わり、一升瓶の陰にあった小さな瓶が映し出される。
淡雪のような白さの瓶に、青いリボンの封が美しい。
越乃雪姫
ご贈答にもぜひどうぞ。
ご用命は――――――――ZAPッ
- 470 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/12(月) 04:11
- 突然失礼します。
いま、2005年の飼育を振り返っての投票イベント
「2005飼育小説大賞」が企画されています。よろしければ一度、
案内板の飼育大賞準備スレをご覧になっていただければと思います。
お邪魔してすみませんでした。ありがとうございます。
- 471 名前:御使いの笛 投稿日:2005/12/14(水) 12:47
-
- 472 名前:御使いの笛 投稿日:2005/12/14(水) 12:48
-
09:拍動はただ静かに
- 473 名前:御使いの笛 投稿日:2005/12/14(水) 12:49
-
バックグラウンドミュージック。
そう言うには、異質の「うた」が溢れている。
言語、なく。音、なく。
うねるようなその奔流は、ただただ、「静か」にビル一つを満たしていた。
夜中に目覚めて、夜明けに、なおも止まぬ音。
座っている少女を恋し、解放を乞う哀切の響き。
彼女ならその扉を開け放つことができると、知っているからこその、「うた」だった。
その賛同を耳にしながら、王は穏やかに微笑んでいる。
良い兆候だ。と。
解放を願ううた。
痛切で、懸命な、懇願に満ちている。
彼らが解き放たれる時、その願いは一つ束にまとめられ、一閃される刃のように世界を絶つだろう。
最期の瞬間に世界を覆ううたは、どんなものだろう。
前回聴けなかったせいで、好奇心はとどまることを知らない。
指揮者は自分。
さしずめ、目の前の彼女が第一バイオリンというところだろうか。
ただ、その音を束ねるだけの役目だけれど。
- 474 名前:御使いの笛 投稿日:2005/12/14(水) 12:50
- だらしなく散乱する衣装。
飽きるほどのストックを持ち出して、あぁでもない!こうでもない!と着せ替えたファッションショー。
まるで色彩豊かな春先の庭を思わせる中で、静かに佇む姿を見遣る。
黒い、Aラインのワンピース。
布地とバイアスのあしらいで幾分大人びて見えるそれに、翼の幻がからみついている。
きっと、多数の個体に乞われて、呼ばれているせいかもしれない。
霊質は昂っているようで、天使の気配は見た目よりも人間離れしていた。
外的刺激に反応しているのだろう。
「綺麗なものを見ながら過ごすのも、一興かぁ」
妙に全てを悟ったような口調で、後藤真希は微笑んだ。
目の前に居る天使は、つやのある黒い瞳をしずかにめぐらせて、それを追うように身体をひるがえす。
まるで、楽園にあって足枷なく漂う力のように。
「ただ一つの力の内にあるように、自由で綺麗に見えるよ」
昔はもっと可愛かったはずなのにね…。
ぽい。と放られた言葉を受け取りながら、天使は自らの翼を指先で撫でてみせた。
――貴女のような上位の方に、回数会えたとは思いません。
どこか抗議めいた音声。
言語を理解できるように並べ立てた下級天使に対して、上位の少女は軽く目を見開いた。
それは怒りや憤りなどではなく。
ただ単純に、「驚き」として、会話の中に組み込まれるものだった。
- 475 名前:御使いの笛 投稿日:2005/12/14(水) 12:52
- 「やぁ?回数だったら会ってるよぉ」
そう言ってみて、無駄なコトかと苦笑する。
――確かに、懐かしさや近しさは持ちますが…。
天使という力は一つコトを為すために生まれ、一つコトを為して散る。
そして再び事象を司るために力の樹に実り、生まれるために育つのだ。
権限を行使する、その都度リセットされ、新しい存在として生まれる同じ力。
記憶がないことも仕方が無いのかもしれない。
神の指先として。
宿命や天命という生命が作った言葉を仮の姿とし、その命をもてあそぶために。
私たちは今まで、何度となく同じ場所に降りてきた。
隕石の落ちる大地、極寒の地表。
父の名を冠に、大陸の広きを蹂躙した軍団の上。
あの夏、長きにわたる辛抱で疲弊した国の、広島という街。
光弾飛び交う春先の砂漠だって。
キミとは何度も会っている。
綱渡りをつづけるこの惑星の、生活の場に、幾度となく。
- 476 名前:御使いの笛 投稿日:2005/12/14(水) 12:53
- 一歩踏み出したなら、まっ逆さまに落ちて割れる世界。
そのバランスの危うさを、キミと、何度も供にしたと言うのに。
忘れられているとしたら、こっちのほうが可哀相だよ…。
心底とも思えない言葉を聞こえない程度に紡いで、立ち上がる。
「まぁ、なつみが覚えていないのは仕方が無いけれど」
首を傾げるのに、ふわりと笑む。
「私は、ずっとおぼえてる」
おいで?と、細く美しい指先をさしだして、視線で紡ぐ。
そう。繰り返される消滅と誕生。
道具として製造され、用途の完遂とともに消えうせる個体たち。
その、一つ。
自分もそうだった。
繰り返す製造過程のなか、リセットの度に洗いきれないシミが残り、いつしかこの魂を侵蝕していた。
今じゃ…、みてご覧よ、こんなに真っ黒だ。
ふ。と、穏やかでない笑みが表情を歪曲する。
それももう、今度ので、ようやく終わる――。
音声なく思う。
しかし、それも、筒抜け。
故意に聞かせていると言ってもいいだろう。
怪訝そうに首を傾げる天使の髪を撫で、肩先に顎を乗せた。
ゆうるりと流れる時間。
以後、どこまで続くのか解らない時間。
断ち切るための大鉈は、いまこの腕の中にある。
- 477 名前:御使いの笛 投稿日:2005/12/14(水) 12:53
-
- 478 名前:御使いの笛 投稿日:2005/12/14(水) 12:54
-
「今日はなんか、一段と歌が大きく聞こえる…」
天井を見上げて、ぽーっと呟く。
「流石に、中てられるよねぇ、この濃度っていうか…これだけ大声で歌われるとさぁ」
人間の耳にも聞こえるほどの大きな思惟。
それは直接脳内に流れ込む、歓喜や嘆きなのだが、ダレ一人その意を解すことができない。
感情として心に作用するだけで、意味が解るわけではないのだ。
どこか空気を含んだような、滑らかにすべる中音域の「声」。
そこに添えられるのはファルセット。
まぁるく、まぁるく添うように、声に寄り添うように続く。
芯のある中音は少し激しく、他のものよりも凛とした気配がしていて。
天使の声というのも、一色では足りないのだなぁと妙な感心を覚えた。
- 479 名前:御使いの笛 投稿日:2005/12/14(水) 12:55
- 「やっぱり、なんだ、仲間とか呼んでるのかな」
「んー。そうかもねぇ」
それぞれが生ぬるい相槌をうちながら、天使の声に毒されていくのを感じている。
さぁ。役目を果たそう。
主の望む道を進もう。
敷かれているのは、背徳者のレール。
自分が選んだ道、本当に、あってる――?
「別にねぇ、何があるってわけでもないからねぇ」
「そうねぇ。なるようにしか、ならないからねぇ」
かつては幹部用のオフィスだった場所を共用スペースにして、ゴロゴロと転がって。
実際、どうなるのかなんて、予測はつかないのだ。
ダレも。
誰も…。
- 480 名前:御使いの笛 投稿日:2005/12/14(水) 12:56
- 「もう少しだけ、穏やかかなぁ…」
――世界の終わりがボタン一個みたいに、スパっと来ればいいんだけどなぁ。
押し出すように吐き出されたのは、ため息とちょっとしたお願い。
その言葉のフチに、希望や望みの飾りがついているのを、見て、見ないことにする。
「寝てる間に終わってるとかが一番楽だけどね。
だけどさ。ホントに奪い返しに来たら、面白いかもしんないけどねぇ」
あはは。と口に出して笑って、吉澤ひとみは腹を抱える。
でも、そんなバカは流石に居ないよねぇ。と。
どうしよう。
松浦亜弥は雑誌の隙間から世界を見渡し、逡巡を重ねて思う。
言っておく、べきなんだろうか。
主よりも、周囲の……まだ仲間と呼べる彼女たちだけでも。
しかし。よっちゃんはまだいい。なんだ、あの人リスペクトだったの知ってるし。
たんに関しては、あの人のこと知らないし。
でもなぁ…。一人どうしても面倒くさいよなぁ。
「でも、そんなコトができるのって、…あの人くらいじゃないの?」
シャクシャク。
久々に買出しに行った手が、自分で買ったスナック菓子を口に運んでいる。
白い頬が咀嚼のたびに動くのが、なんとなく恨めしいのは何故だろう。
- 481 名前:御使いの笛 投稿日:2005/12/14(水) 12:56
- 「「あの人…」って?」
苦いものを噛み潰すような褐色の美人。
そして、首を傾げる若人。
「前に言ったことなかったっけ?ウチらの教官」
言われて、今度は若人が眉を顰めた。
時折、周囲の話に出てくる騎士の話か……。
「だから、知らない人の話をされたって、知らないモンは知らないし」
――どうせみんなの教官だったって言うなら、そうとう年増じゃん。
…、無知ってすげぇ。
や、待て。そんなコト言ったら、自分たちいい大人なんだけども藤本さんや。
鉈を振り下ろすように言い切った美貴に、「いやぁ、まぁ歳は歳なんだろうけどさぁ」とひとみが苦笑する。
自身のことはひとまず棚上げで。
- 482 名前:御使いの笛 投稿日:2005/12/14(水) 12:57
- 「結局のところ、インプリンティングされた恐怖に、私たちは勝てないんだよ」
紡いでから、ひとみが身震いした。
思い出すだけでゾっとする、あの凶悪なまでの強さ。
実戦を多数こなしてきた他国の軍隊上がりの新人を、普通に捻って捨ててしまった初めの日に始まり。
じゃぁこれから検定試験でもしようか――。
と笑って、上位クラス全員に一斉にかかってこさせた狂気といい。
あれは、ねぇ、その場に居ないとわからないわけよ。イヤマジで――。
思い出すだけでぐんにゃりしてしまう。
スナック菓子ひと粒を口の中でしめらせて、ふにゃふにゃとしたカレー味を飲み下した。
「あぁ。でも、それは私も見てた。
丁度上位クラスの入れ替えが決まって、見学しに行った時のコトだったから」
知らぬ顔で雑誌を読んでいた――少なくとも同室に居た三人はそう思っていただろう、亜弥が上体を起こした。
- 483 名前:御使いの笛 投稿日:2005/12/14(水) 12:58
- 記憶が正しければ、模擬戦用の刃を潰したナイフであったり、格闘用の武器が主だったはず。
検定試験。というのは、会社内でのランク付けに必要な技術検定。
上に行けば行くほど、そのランクも上がり、抜擢される仕事も変わってくる。
その騎士は、群を抜く精鋭たちとされていた二十人ほどを見る間にノシて。
殆どの人間に「不可」の烙印を押したという。
ちなみに打ち込みの角度などを評されて「可」とされたのは、後藤と吉澤の二名だけだったらしい。
もう古い話だ。
そんな昔の武勇伝、聞くのはいいけど、理解はしがたいよ。
だって。その人、もう、ココに居ないじゃん。
不貞腐れる美貴の意見も、もっともだった。
「そんなに強い人が、なんで居なくなったりとかしたのよ。
殺された記録なんかも無いわけでしょ?
ただ、単純に居なくなるとか、おかしくない?それ」
大きく首を傾げるのも当然だ。
- 484 名前:御使いの笛 投稿日:2005/12/14(水) 12:59
- ぴく。
思い当たるのかどうなのか。
石川梨華の肩は大きく揺れた。
この隙を、逃してはいけない。
言うべきか――否か?
「俗物的な話じゃないらしいよ」
悩んだ挙句。
ぽん。と、口をついたのは、そんな形容だった。
俗物的。
恋愛を、世俗のモノと割り切るのなら、それは俗のものだろう。
憎しみがあって、喜びがあって。
それが人の時間を綯いで、どこかへ感情を連れ去るのなら。
梨華の肩が大きく揺れた理由を、俗として斬るのは失礼極まりなかった。
が、突っ込んで噛み付かれるよりはマシだった。
「聴いた噂と、考察を一緒に吐き出すとだけどね…」
――きっと、なにか約束をしてるんじゃないかと…思うんだ。
約束?
俗物と切り捨てられたことを両腕でむりやりに抱え込み、梨華も首を傾げる。
「騎士はその日血まみれで出て行ったらしいんだけど、その後で前総裁の死亡が発表されてる。
もしかしたらだけど…、故意に逃がされたんじゃないかと…踏んでるんだよ。うん」
「総裁殺し?」
短絡的に結んでみて、でも「違うか」とひとみは口を噤む。
- 485 名前:御使いの笛 投稿日:2005/12/14(水) 13:01
- や。遠からず…かな。
と掬い上げて、亜弥は一指し指を振った。
「総裁の、父親殺し…って言ったほうが解りいいかもしれないけど。
死亡推定時刻と、緊急連絡の発信が同時刻で重なるらしいし。
世代交代の真相を、たぶん知ってるんだと思うんだよね」
――ヘタしたら、なんかあるかもしれないなぁ…って思ってるんだけど。
「本気で突っ込んで来たりするかもしれない。って、コト?」
うっそでしょ?勘弁してよ。
勘弁してほしいワリには笑顔のひとみを差し置いて、梨華が上体をかがめる。
「じゃぁ。約束を果たしに来るかもしれないって、言うの?」
「んー。約束が何なのかもわかんないし。
確かなコトは何一つないから、わかんないけど」
ぬー。と唸りながら、視線を外さない美人というのはやっぱり怖い。
亜弥は思わず言葉を濁して誤魔化してしまった。
この目で見た写真の話をしたら、どうなるかわからない――。
梨華は一度拳を握りこんで、それから一本ずつの指を解くように手を開いた。
「まぁ、そうなった時は、その時でしょ。
どうせ今回の計画には反する思想なんだろうし、そうしたら、潰すだけだし」
あっさりと物騒な言葉を口にして、これ以上の話は聴かないと席を立つ。
ドカドカと足音高く床を踏み、フロアから出て行ってしまった。
きっとムシャクシャした気分を晴らしに、ターゲットでも撃ち込みをする気だろう。
- 486 名前:御使いの笛 投稿日:2005/12/14(水) 13:03
- 寸断された世界に、残された三人は、呆れながら視線を交わす。
昔を知らない藤本さんにだって、なんとなく解ってしまった。
石川さんから感じる、負のオーラ。
なるほど。彼女が総裁に加担したくなるわけだ。
執着。嫉妬。憎悪。憧れと、愛情。
真相なんか聞きたくない。
今更、そんなもの。
石川さんの気持ちも解るけどね。そういうのも。
今更耳にしたって、どうしようもない。
それは全員一緒じゃないの。
だから一人で逃げるのやめましょうよ。
「座っててもしょうがないかぁ」
――つきあう?
一応同僚に首をかしげながら、ひとみも立ち上がる。
- 487 名前:御使いの笛 投稿日:2005/12/14(水) 13:05
- 「たまにはいいかもね。私はつきあう」
珍しく孤高の騎士が腰をあげる。
ここでレクチャーができれば、美貴にとって最後のたたき台になるだろう。
本当に、最凶の黒騎士がここへやってくるのなら…だけれど。
「え?なに。てっきり休養日扱いだと思ってたのに」
苦笑混じりに立ち上がって、美貴も二人の後を追う。
フロアに誰も居なくなる。
結局、あの人の写真のことは言えずじまいか。
ゆるく肩をまわしながら、亜弥は廊下から見える街並みに目をおろした。
総裁の思惑通りにコトが進めば、この空が天使で穢される。
人間の生きてきた時間なんか、お構いなしに…。
時々の誠実さも、何もかもを無視しながら。
私は――――。
グっと硬く拳を握り締め、ガラスの廊下を歩きぬける。
オォン――。
声にならぬ声が響く。
ビル一杯に反響して、通常の思考を疲弊させていく。
天使のうたは、やまない。
目覚めのしるしに鳴る笛を待ちながら、彼らはただただ、うたい続ける。
- 488 名前:御使いの笛 投稿日:2005/12/14(水) 13:05
-
- 489 名前:御使いの笛 投稿日:2005/12/14(水) 22:42
-
- 490 名前:御使いの笛 投稿日:2005/12/14(水) 22:42
-
10:いってらっしゃい。
- 491 名前:御使いの笛 投稿日:2005/12/14(水) 22:44
-
「あぁ、そろそろ行くのかい?」
各種ホルダーを体に巻きつけて、ジャケットで覆ったあたりで、圭の元に顔を覗かせた人間が居た。
村田めぐみ。
新都市警護保障の社長である。
朝食の後に睡眠をとり、今まさに出撃準備中というところ。
「ん。今回は世話になったね」
「まぁ、できることしかしてないけどね」
俯きながら笑う圭の呟きが「過去形」なのを聞きとがめ、一瞬眉根がくぃと寄る。
それでも軽い口調を崩さずに、彼女は肩を竦めた。
「それよりも、一個用事を頼まれてくれないかな」
「これから?」
いったい何の用事なのだろう。
これから、もう、帰らぬ場所まで行くだろう自分に、何を…。
軽く首を傾げる目の前に、コインが一枚光りを放った。
人差し指と親指で円形を見せてから、くるり、掌につつみこみ。
「キミの吸ってる銘柄でいい。帰りに一箱買ってきてくれたまえ」
――つり銭は後で返してくれたらいいから。
ぽん。と、圭の右掌へと静かに渡される。
ハァ?と間抜けな声が喉から鳴って、瞳を丸くした。
- 492 名前:御使いの笛 投稿日:2005/12/14(水) 22:45
- コイツ、何を考えてんだ!?
「ちょっと、なんでアンタに煙草って――、アンタ吸わないでしょ!?」
思わず素で大声をあげた圭にも取り合わず、社長は体をくるりと反じてしまった。
「たまに吸いたいときってのもあるでしょう?
今まさに、そういう気分なだけ、ですよ」
ヒラヒラ。
後ろ手に手を振る背中が遠ざかる。
手の中に、ワンコイン。
これで煙草は一箱。つり銭に銅貨が二枚。
……。
じっとみて、途方にくれる。
「煙草の自販機ぐらいあるだろうに…ったく…」
帰りに、一箱。
どうやらお遣いをしなければならなくなった。
そうするためには、生きて戻ってこなければいけない。
要約すると――死ぬなって、コトだよな。
そう思って、唇をむすぶ。
- 493 名前:御使いの笛 投稿日:2005/12/14(水) 22:46
- ――保田くーん、良かったら帰りにマスドのハンバーガーを今日の幹部オフィス分…。
――この前ね、面白い店を見かけてね。……君と二人で話してたんだけども…。
あぁ。そうか。
気付きは不意に訪れる。
そういうコト――。
不意打ちする思いが、胸の奥から苦笑を連れてくる。
仕事の帰りに「お安い御用」と請け負っていた買い物が、保険だったと今更気付く。
何度も言い渡されていた、子供向きのお遣い。
買って帰ってらっしゃい。
かならず、帰ってきなさい。
そっか。そういう、コトだったのか。
「買って帰ってこれるかなぁ」
小さく自分自身に首をかしげ、口元を持ち上げる。
努力はすると思うけど。
でも、約束が果たされた後のコトなんか、考えたこともなくって。
その前に、きっと怨まれてる相手にも出会うだろうし。
どうなるんだろうな。
きゅっと、コインを握りこむ。
薄っぺらい体をした元上司の体温が、自分の掌の熱に解けていく。
ムリだったら、ゴメンなさい――。
言葉にせずに思って、コインを胸ポケットにつっこんだ。
- 494 名前:御使いの笛 投稿日:2005/12/14(水) 22:46
-
- 495 名前:御使いの笛 投稿日:2005/12/14(水) 22:47
-
「よぅ、連絡せんで申し訳ない」
片手を上げてみせると、相手の剣幕はさらに険しくなった。
じぃ。っと、日ごろ見せない視線を見せてから、あからさまに怒気を吐き出す。
社内にあるゲスト用回線、その向こう側。
「よく言いますよ。
あの状況で帰宅して?そのくせ一言もなくて?さらには今上に居ます?」
――よく私は通信切らないで、姐さんの顔見れてますよねぇ。あぁエライわ私。
きっと一睡もしていなかったのだろう。
疲れきった顔でねめつけるのは、医術師である平家みちよであった。
「まぁ、そう言わんで。
あの…矢口が何か知らんけど密航してるのな。
だから、後で送ってもらえるはずだから、あいつんことはヨロシク頼みます」
思いがけず丁寧語になって、苦笑する。
- 496 名前:御使いの笛 投稿日:2005/12/14(水) 22:47
- 緊張してないわけないし。
怖くないわけでもないし。
これから行く場所。
仕事じゃない、行動。
どうなるのかなんて、解らない。
二時間後の自分さえも、まったく見えなくて。
「って、何か随分物騒な物言いするじゃないですか。
丁寧語で。そんな…」
不安を読み取られるような顔をしてるのだろうか。
画面の向こうに苦笑を返して、軽く前髪をかきあげた。
「そうそう。一応何があったかだけ、話しておくわ」
そう。何も知らせないまま居なくなることもできるけど、彼女に世話になったことを忘れちゃいけない。
- 497 名前:御使いの笛 投稿日:2005/12/14(水) 22:48
-
掻い摘まれてはいたが、全ての話を聞き終えて、医術師は一度瞼を伏せた。
くぃと唇を引き結び、そして睫毛を持ち上げる。
「それで、上にあがって、本当に忍び込むつもりなんですか?」
「まぁ、幹部しか居ないって言うし、一対一ならどうにかなるだろ。
総裁っていうのが人間離れしてるのはわかりきってるし、相手がそうなら自分は楽だ。
天使か獣が相手だと思えば、対処方法もあるだろうしな」
自分を言い含めるようにしながら、言葉を紡ぐ。
「そんなにしてまで、連れ戻したい相手ですか?」
ぽん。とぶつけられた言葉に、目を丸くする。
- 498 名前:御使いの笛 投稿日:2005/12/14(水) 22:48
- 連れ戻したい相手。
そんなにしてまで――?
なんで、そんなコトを言うのか。
や、なんで、自分は、そんなコトまで考えたのかのほうが正当?
「あの子は、姐さんにとって何なんですか?」
挑むような視線と、言葉。そして、声。
な…。
そんなこと…。
考えたことなんか――。
「どうせ考えたことなんか無いんでしょうけどね」
くるり。思考を断ち切るように、医術師の指先でペンが回転する。
「解ってますよ。私だって、彼女が居なくなったって解ったら心配してるし。
気付いたら、ありえない浸透度で私たちの生活に溶け込んでいた。
そんな彼女が害されていると思えば、気分も悪くなりますよね。姐さんだし」
- 499 名前:御使いの笛 投稿日:2005/12/14(水) 22:49
- イシシ。
解りきったふうに意地悪い笑みをみせて、それから彼女は眼鏡を取り外した。
肩をすくめ、力を抜いて、珍しく上段に居られる立場を楽しむように顎をあげる。
「実は…私事なんですけど、なつみさんに侵蝕された後から気分が随分軽くなりまして。
義父さんに負けない医者に!と思って仕事をしてたはずが、もっと患者さんとしっかり話せるようになりました。
余裕が出てきたんですかね、気持ちに――」
イジワルさはなりを潜め、穏やかさを取り戻す。
あの日。天使の感情すらも直撃した出来事で、医師は変わったという。
武器屋と大喧嘩して、怒鳴りちらした時から、まるで解かれたようだと笑う。
「そのお礼、言ってないなぁ〜って、思い出したんで。
ちゃんと…、連れて帰ってきてくれないと――困りますからね?」
医術師の手の中でペンが止まる。
視線がかちあう。
- 500 名前:御使いの笛 投稿日:2005/12/14(水) 22:49
- 回線の向こう側で、祈るような瞳を見せる人が居る。
参ったな。
もしかしたら、帰れないかも――とか、言えないじゃないか。
狙ってソレなら、ずるいで。
ずるすぎるって、みっちゃん。
「そろそろお出かけなんでしょう?気をつけて行ってらっしゃい」
ニッコリと、できるだけの平静を装った、精一杯の笑顔が胸に響く。
「あ…あぁ。なんだ、怪我したら、また頼むわ」
「じゃぁ日ごろよりも高く請求させてもらうことにしましょう」
――心身疲労の賠償含めて。
努めて明るく振舞う医師に、片手をあげて回線を切る。
壁面液晶は気まぐれに選んでいたMTVに戻った。
がなるようなヴォーカルと、引き攣れたギターが寄り添ってスピーカーから零れ落ちる。
- 501 名前:御使いの笛 投稿日:2005/12/14(水) 22:50
-
テーブルに置かれた装備品一式。
身につけていく度に、少しずつ気持ちが固まっていくだろう。
アンダーは防刃素材、上には憎き新素材で作られた防弾ベスト。
静かに身をかためていく。
そう。どんな存在なのかなんて、考えたコトなんかなかったよ。
そんなことを考えるよりも早く、アイツは世界に沁み込んで馴染んでしまった。
哀しい顔をすれば申し訳なかった。
ニヤけた顔を見れば小憎らしかった。
ケタケタと笑う姿に、脱力したり。
ゆぅちゃん。
ゆーちゃん。
裕ちゃん?
たどたどしい言葉が、確かに自分の名前を紡いだとき。
微かに覚えた嬉しさ。戸惑い。
忘れたりなんか、できない…。
- 502 名前:御使いの笛 投稿日:2005/12/14(水) 22:51
-
「どーせお前にも、帰る時期とか、わからんのだろ?」
背中ごしに、何気なく放った声。
「まぁ…自分じゃぁ、多分」と呟いてみせた天使と。
「あれぇ?もしかして、裕ちゃん…淋しくなったりする?」
――なっちが居なくなったら、淋しくなる?
あんのやろう、楽しそうに、エロ目でッ、勝ち誇ったようにふんぞり返りやがって。
そう、そう大上段になってまでも笑って言ったアイツが。
居なくなったのが自分の意思でないのなら――――ッ。
それはやっぱり、許せないだろ。
それくらいには、想ってる。
あぁ。目も覚めるな。
気分は上々だ――。
幾分重めの基本装備に体を動かして、ギっと視線を持ち上げる。
立ち姿の確認用に埋め込まれた鏡。
映し出される姿はそのまま、人知を越える闇夜の王が、静かに立ち上がる様だった。
- 503 名前:御使いの笛 投稿日:2005/12/14(水) 22:51
-
- 504 名前:堰。 投稿日:2005/12/14(水) 22:57
- 御使いの笛
09:拍動はただ静かに
10:いってらっしゃい。
二話続けて更新いたしました。
さぁて、そろそろ、です。
穏やかなパートで好いてくださった方には申し訳ないのですが、
これからはちょっと荒れてきますよ。
組み手の範疇じゃございませんのでね。ウフフフフ。
それでも皆様の口に合えばいいのですが。
最後のお願いとして、今後ともよろしくお願いいたします。
でわ、また次回の更新でお会いしましょう。
- 505 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/14(水) 23:30
- 更新お疲れ様です。
いよいよ、ですね。
目が離せません。
次回も楽しみにしています。
- 506 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/15(木) 15:00
- 大量更新お疲れ様です。
ついに決戦に向けての、準備が整ってしまいましたね。
読者としては嬉しいような、寂しいような…複雑な気分です(笑)
組手なんて目じゃない「荒れた」今後の展開、楽しみにしてます♪
- 507 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/01/12(木) 09:19
- 静かにわくわくしながら、闇夜の王のこれからの反撃を楽しみに待ってます
- 508 名前:関田。 投稿日:2006/02/14(火) 19:30
- こんばんわ。
堰。あらため、関田。でございます。
そろそろスレッド整理も近いらしいので、御挨拶にまいりました。
というか、お前書けよ!って言われるの覚悟です。ゲフ。
書く意欲は満ちてますので、待っていてくださると幸いです。
申し訳ありません。
捕縛師さんはそろそろ、ある幹部とエンカウント予定。
とだけ、お伝えしておきます。
では。また近い内に!
- 509 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/15(水) 00:06
- 捕縛師さんの登場、心待ちにしてます!!いつごろ逢えるかな?
- 510 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/16(木) 09:26
- 闇夜の王、始動。
楽しみです。
- 511 名前:御使いの笛 投稿日:2006/02/21(火) 10:44
-
- 512 名前:御使いの笛 投稿日:2006/02/21(火) 10:46
-
11:エンカウント-01
- 513 名前:御使いの笛 投稿日:2006/02/21(火) 10:47
-
カツカツとリズムは一定を刻む。
蹴打に特化した格闘専用の靴では、万が一の負傷を越えられない。
愛用の長靴は靴音を消すのには向かず、ただひたすら床にリズムを打ち続けている。
十二階。
そろそろフロア越えが面倒になってきた。
エレベーター使用不可というのは、潜入などの常道だけれども。
――なんだって、こんな古臭い銃撃ゲームみたいな展開なんやろうなぁ。
軽く舌打ち。
無理もない面倒さをマスクの下にしながら、捕縛師は嘆息する。
- 514 名前:御使いの笛 投稿日:2006/02/21(火) 10:48
- ビルの中に忍び込んでから、撃ち滅ぼした獣の数、かるく両手オーバー。
正直、こんな数をそろえるなら、人員を残しておいた方が良かったんじゃないか?と素人だって思う。
しかし、七階まで共通フロアで行動を共にしていた武器屋が言うのに。
「あいつは悪者気取りしたいんだよ」という、子供を思うような親類の発言。
腰だめに銃を構えながら、階段前の角にさしかかった。
すっと身を潜めるのに、どこかから獣っぽい匂いがしてくる。
悪者気取り…かぁ?と思わず首を傾げてしまう。
ここのビルの持ち主は、そりゃぁドエライ金の持ち主だし。
多少のイレギュラーなお買い物も、ポンポンできるでしょうよ。
それだって。なぁ…?
- 515 名前:御使いの笛 投稿日:2006/02/21(火) 10:48
- ゴゥルルル――。
こんな、大型犬サイズの獰猛な声を聞いて「子供の悪戯」と言える寛容な人間が居たら見てみたい。
あぁ。一刻も早くお会いして、そのふざけた頭を引っぱたいてやりたいねッ!
憤懣やるかたなし。捕縛師は眉を段違いにすえた。
ジャコ。カートリッジを特殊弾薬(破裂弾)にすげかえ、胸にためる。
匂いと、熱。
こういうときは、サーモグラフ搭載で本当に助かる。
角の奥、人間よりも幾分高い温度の、四本脚。
そのわりに、尻尾は青く、温度に差があることがわかる。
上層お得意の合成物。
キメラだ。
- 516 名前:御使いの笛 投稿日:2006/02/21(火) 10:49
- いやな感傷に眉をひそめた。
この第二世界、ある程度金があれば買えるモノのほうが多い。
合成生物すらも、思うまま。
殊更、天文学的な資産を持っていた、この会社のボスならば、痛くも無い出資だろう。
人為的に改造されてきたキメラたちと、天然の異常環境に適応してしまった生物。
一部の人間はさらに、それを組み合わせてもてあそんでいる。
かつて与えられた、天罰の痛みすら忘れて。
- 517 名前:御使いの笛 投稿日:2006/02/21(火) 10:50
- 変異生物を捕獲し、研究機関に差し出してきた自分が言うのも難がある。
が、あえて言わせてもらえば、研究者たちは精神接続がずれているコトが多い。
人為的に合成した生物と、さらに変異生物を解き明かし、継ぎ足し、さらなる生命を生み出そうとする。
あるとき、旧武蔵野市街地にあった、生物学研究所に残されていた生物を退治したのだが。
ソイツは世界に存在すらなかった、「竜」を模そうとしていた。
クレイドラゴンと呼ばれる巨大トカゲ。
それをベースに、獅子の体躯、鰐のウロコ…などなどをつぎはぎしていた。
霊質に特化したその合成生物は、一定の厚みを持っていた霊質を「一枚盾」のように集める能力すら備え。
さらには灼熱の火炎を吹くという荒業もやってのけた。
- 518 名前:御使いの笛 投稿日:2006/02/21(火) 10:51
- 自らの手で異形を作る。
自らが作り出したという「全知を思わせる」所業のエクスタシーに麻痺するんだろう。
異形を、「ウッカリ」野放しにしてしまう。
金で取引してもらえるのなら、売ってしまう。
開発倫理なんかありゃぁしねぇ。
退治の後に顔をあわせた開発者と企業担当は、お金払うからデータと屍骸と秘密を売って?と言ってきた。
要は、下層の人間が十名以上犠牲になった事件を、全部金で買い取ったわけだ。
あの時はたいそう腸が煮えくり返る思いだったが、依頼人の周辺のことをおもって受諾した。
そういう、事件を踏みにじって、さらに研究を重ねた異形たち。
…購入する側にも、問題ありだよな。こういうのは。
- 519 名前:御使いの笛 投稿日:2006/02/21(火) 10:51
- それだって、ここに多く放たれている種類は、まだまだ可愛いものだ。
四足の狼や大型犬から派生した、獰猛な番犬さんたち。
ただし。ワニ革だったり、胴体がなんでか熊っぽかったりと。
まぁ不恰好なものも含めて、他種多用である。
ゴゥル。唸り声は耳に障り。
チャリと、床を爪が叩く。
相手は獣だ。温度だけじゃなく、匂いも、気配でも距離を測る。
こちらが動くよりも先に、飛び掛ってくることも多い。
なら。
迎撃準備を完了して――。
ヴガァアゥッ。と鼻筋を醜く曲げて、犬型の獣が飛び出してきた。
- 520 名前:御使いの笛 投稿日:2006/02/21(火) 10:52
- あらあら、ワンちゃんったら大きな口をあけちゃって。
そりゃぁ、可哀相とは思うけどよぉ、どうしようもねぇよなぁ。
引き金。グイと指先に力をこめ、銃弾が頤に吸い込まれた。
乾いた火薬の匂いと、噴出す血のさび付いた臭い。
腕を飛び掛る勢いのまま止まらない犬型の牙の中に押し込み、もう一発を打ち込んだ。
つや消しの拳銃のスライドが動く。
鈍い音と、頭蓋の砕ける感覚。脳漿の飛沫が、無機的な廊下の壁にビシャリとうちうけられる。
断末魔をあげるまもなく、犬型がくずれおちる。
「飼われた相手が悪かったな…」
頭蓋以外は無事な体の毛皮に触れてやって、目指す階段へ脚を向けた。
あと、二十階分は、ゆうにある。
途方に暮れそうだ。
それでも、行かないわけには、いかない。
- 521 名前:御使いの笛 投稿日:2006/02/21(火) 10:53
-
- 522 名前:御使いの笛 投稿日:2006/02/21(火) 10:53
-
ブチコン。
ガコン。キィィ――――ン……。
――あー。あぁッ。んあ。なんか、久々に使うの面倒くさいな。コレ。
- 523 名前:御使いの笛 投稿日:2006/02/21(火) 10:54
- …?思わず階段を行く足が止まる。
フロアの入場を制限するつもりなのだろう。
階段に入ってから、十階分近くシャッターが開いていない。
ただひたすら、階段をしばらく上がって来いと、そういうことらしい。
さっきから、踊り場から階段、階段から踊り場と、いったい何周回った計算になるのか。
面倒というか、三半規管がいくら強くても、ちょっと酔っ払いそうだった。
そこに。不意のマイクハウリング。
館内全部のスピーカーだとしたら、中に居る幹部さんも耳が痛かろう。
と。ピンポンパンポンと、お約束のようにチャイムが鳴った。
「えぇと。遅くなりましたが、ようこそ捕縛師さん。
このビルの持ち主ですが、面識、ありますよね?」
――あの時はお世話になりました。勉強になりましたよ。
あぁ。そうだ。この声。
忘れるわけもない。微妙な嫌味も含んでいる発言に、裕子はマスクの下で大きく口をゆがめた。
「あぁ。あの時はドーモッ。後藤真希さんよぉッ」
不機嫌丸出しに怒鳴りつけるのに、「あ。覚えてる」と、まるで少女のような物言いで喜んでみせている。
マイクを通しても、まぁよく気配のわかる物言いだ。
- 524 名前:御使いの笛 投稿日:2006/02/21(火) 10:55
- 「本当に遊びに来てくれるとは思いませんでしたよ。
綺麗でカッコイイ捕縛師さん」
呼びかけがピンポイントで、眉を顰める。
「あぁ。こんなビルどころか、上層になんか、しばらく用事が無いと思ってたんだがね」
吐いて捨てるのに、どこからか音を拾っているのだろう。
そしてきっと、監視システムつかって遊んでるんだろう…。
あからさまな嘲笑をふきだして、マイクの向こう側が面白そうに笑った。
「別にお招きした覚えもないんですけどねぇ。
まぁ、これで階段ごと切り離し――」
え!そんなコトされたら即死やん!と脳内で慌てるのに、
「できたら面白いんだけど、さすがにそんなカラクリは用意してないし。
安心して上ってくるといいですよ」
そう子供の悪戯のように微笑んだ。
うわぁ。コイツむかつくわー。本気で。
声だけ聞いていると、悪戯好きの子供にしか聞こえない。
でも。そんな可愛いモノじゃないことくらい、解っている。
- 525 名前:御使いの笛 投稿日:2006/02/21(火) 10:56
- 「天使、無事なんだろうな?
遊びに連れていかれたわりに、持ち主に許可無く部屋があらされてたぞ?」
問いかけて、まだまだ遠く暗く見える上の階を見上げた。
「無事…というのが何を指すのかは微妙ですがね。
危害というものは加えてませんよ。――彼女は大事なゲストですから」
お部屋の件は謝りますよ。後でお迎え係りに伝えておきましょう。
ゲスト…。お客様…ねぇ。
そう思いながら、裕子は再び脚を進めることにする。
ここで留まって話していても、無意味だろう。
「捕縛師さんには一名しか宛がってません。
もう一人に突破されたほうが面倒なの解ってますし。
だから、それでむかつくと思ったら、撃破して上がってくればいい」
うわぁ。本当に、コイツ、殺してやろうかな――。
奥歯を噛み砕きそうな勢いで怒りを殺しながら、裕子は階段を駆け上がる。
- 526 名前:御使いの笛 投稿日:2006/02/21(火) 10:57
- 「会えたら会いましょう?
あなたからは聞かなきゃいけないことが沢山ある」
大上段の物言い。
愉悦に満ちた、その言葉。
明らかに上位に立つことになれた、圧倒的な――。
耳が音声の出どころを捕まえた。
や。丁度近づいていたと言えばいいのだろう。
「それはコッチの台詞だッ」
――会ったら耳から血ぃ出るくらい説教してやるわッ!
銃弾一発を撃ちこんで、破裂弾が貫かれた標的の中でさらに弾けるのを横目に見遣った。
- 527 名前:御使いの笛 投稿日:2006/02/21(火) 10:58
- 「あー。一応ウチのスピーカー高いんだけどなぁ」
違う場所から呆れた声が聞こえる。
「知るかアホッ」
さすがにそろそろ、脚が厳しい。
これ以上階段続きだと、さすがに息があがりそうだ。
「じゃぁ、捕縛師さんは二十五階に御到着。
どうぞ?先は示してありますから――お入りください?」
そういわれ、階段の踊り場を見る。
開かれた防火シャッターと、階段の終点。
行くしかないんだろう。
ゆっくりと、廊下に脚を踏みこんだ。
- 528 名前:御使いの笛 投稿日:2006/02/21(火) 10:58
-
- 529 名前:御使いの笛 投稿日:2006/02/21(火) 10:59
-
幾分広い部屋が、四つほど続いている。
電気がついていて、なんだかとても物悲しい雰囲気が漂っている。
きっと、オフィスなどだったのだろう、ゆったりとしたカーペット敷きの部屋。
遮蔽物無し。銃撃であれば、お互い様になる分、白兵戦なんだろうな。
漠然と、思う。
しかし…、温度にしろ、気配にしろ、ひっかからない。
どういうコトだ?
後ろか?気配を感じようと神経を研ぎ澄ませてみても、ひっかからない。
まーさか。これでガスとかやられた日には、もう人非人決定なんだけども。
と。なぜか空気の流れが変った気がする。
こんな室内で空気の流れがかわるとなると、空調かどこかのドアが開くくらいなんだけどな。
ふ?と上を見上げた瞬間、ガコンという音とともに保守作業につかう天井のハッチがぶら下がった。
見えるのは――漆黒の戦闘服、その腕を飾る紺色のライン。
「あれ?」
軽い声を放ちながら、その長い腕とナイフが迫ってくる。
ふ、普通は天井からなんてダイブしねぇだろう――!?
一瞬の慄きをまったく介せずに、その敵はハッチから降ってきたのだった。
- 530 名前:御使いの笛 投稿日:2006/02/21(火) 11:01
- まずは受け止めがてらに、ナイフをどうにかしないといけない。
体の直撃はどうあれ、刃を見切って腕でそらし、どうにか捌く。
相手の体が腕一つで衝撃を殺し、受身から立ち上がった。
距離は、無い。
体を進めるままにブンと振り切られる腕を、数度、避ける。
肘をささえなければ、弾くことすら難しいほどの衝撃を持って突いてくるとは。
なんというパワーヒッターだろう。
腕の線に沿って捕まえ、どうにかナイフを手放すようにしむけるが、逆に首を取られそうになって肘で逃げた。
相手の蹴りと、捕縛師自身の逃げざまの蹴りとが、ビシりとカチ合う。
思うよりも重たいのに目を見開きながら、お互いに体を引いた。
二人の間の距離は、体にして四つほど。
踏み込めば、すぐに埋まってしまうだろう。
- 531 名前:御使いの笛 投稿日:2006/02/21(火) 11:01
- 「っれ?おかしいな。自分、そんなに遅くないはずんだけど」
序盤。数度のやりとりで、相手は首をかしげた。
丁寧にナイフをしまいながら、幾分鷹揚な態度をとってこちらをみやる。
「それとも、そっちの腕がいいのかな」
声に面白さへの興味が加わる。
「なん?一撃で終わるとか思ってたん?」
すい。と裕子が構えを変えるのに、相手は親指と人差し指の間に隙間をつくってから「ちょっとね」と肩を竦めた。
失礼なやつだ。
くす。と、先方の唇から笑みがこぼれる。
「捕縛師さん、名前教えてよ」
こんな相手に名前聞くか?普通。
とは思ったが、ちゃんと答えるのも礼儀だろう。
- 532 名前:御使いの笛 投稿日:2006/02/21(火) 11:02
- 「中澤裕子。あんたは?」
軽く促した顎の先で、相手は人懐っこい笑みを浮かべて、自らを親指でさした。
「吉澤ひとみ。役職はルーク。
得意なのは、打撃全般――って、ことで!」
自己紹介もそこそこに、拳が迫ってくる。
裕子の頭の中で、沢山の資料がめくられる。
記録媒体のイメージ。
柔軟で、そのくせ重たい拳をしていると言う。
なるほど。確かに、さっきの蹴りも、とっても重かった。
階段続きで疲れた脚に、心地よいほど痺れが残っている。
正直、何発も食らいたくない。
- 533 名前:御使いの笛 投稿日:2006/02/21(火) 11:04
- 拳突を掌底でそらし、そのままカチ上げる。
顎に一撃を当てることができても、次の瞬間に蹴りが入る有様。
このままノラクラやっていても仕方がないし、時間はかかるし、なんせ体力もそぎ落とされてしまう。
後が続かないだろう。
「だから人間同士は嫌いなんだよ」
そう。人間はお互いの手管を探りあう。
心理を読み、裏をかき、そして外れれば潰えてしまう。
本能のままに動いてくれる獣のほうが、よほど度しやすい。
靴底で蹴りをいれつつ、引く脚で数歩を開ける。
「そう?人間同士の方が楽だと思うけどなぁ」
ニ。っと笑いながら、ルークが拳を軽く下げた。
ノーガード。小馬鹿にしている。
微笑が柔和なのも、見た目が愛らしいのも、きっと相手にとっては有利なのだろう。
その見た目に騙されて、何人死んだのかわからない。
「そういうトコが嫌いなんだよ」
――心理戦大嫌い。
け。そう笑いながら、さてどうしたものか?と考える。
- 534 名前:御使いの笛 投稿日:2006/02/21(火) 11:05
- 早めにケリつけないと、ちょっと面倒そうだからなぁ?
ぐ。と、足元を沈める。
だけど、相手はノーガードを崩さない。
「残念だけど、こっちも本気になったからね。
もうその拳は届かないよ?」
ニヤリ。不敵な笑みをうかべて、ルークが手招く。
届かない。とは、よく言う。
「これで届いたら、お笑いもんだけどなぁッ」
ぐんと体の筋肉を使い、一直線に突き抜ける。
が、しかし。
まるで水を打つような空虚に腕を突っ込んだ気がした、その刹那。
シュパン。という乾いた音とともに、世界が揺らいだ。
次の瞬間、顎をブロックで殴られたかのような痛みが弾ける。
顎の神経に強い衝撃を受けて、一瞬目の前が暗くなった。
- 535 名前:御使いの笛 投稿日:2006/02/21(火) 11:06
- 「あんたが笑えるわけ無いじゃん。ダメだね。寝かせてやんない」
お?オォ?!
踏み込む足が見えなくなる。
まるで霞むか、本当に消えるように…だ。
その速度のまま、腹部に一撃をくらい。
いきなりの出来事に明滅しそうな視界の中、今度は相手の腕が消えた。
横っ面を殴られ、体が捩れる。
インパクトの瞬間は、わかるし、見える。
のに。過程が、わからない。
速さが圧倒的ならば、もっと、そう、もっと打撃の瞬間が早くてもいいはずだ。
ど、どういう――
「手品だ…?」
思わず呻くのに、口を切ったのか血が混じる。
- 536 名前:御使いの笛 投稿日:2006/02/21(火) 11:07
- 吐き出してみれば鮮血。
青い絨毯が黒くにじむ。
これなら大丈夫。口の中の裂傷くらいだろう。
「手品…ね。まぁ、そう言ってもいいけど。
タネが解った人間は今まで居ないんだよね」
――手品ってのが解る前に、始末してきたからさ。
パキ。指の関節をならして、ゆるりと首を回す。
「手品ってコトに気づいてくれただけで、なかなか面白いし。
まぁ、せいぜい、耐えて楽しませてよ。裕子さん?」
腰に、手をのばす。
パチリというアジャスターの解除音。
再度スルリと抜き放たれた、コンバットナイフ。
おいおい待ってくれよ。
その手品がわからない相手に、得物取り出しますか――?
背筋に伝ういやな汗をどうにもできぬまま、裕子はその銀色のひらめきに瞠目した。
- 537 名前:御使いの笛 投稿日:2006/02/21(火) 11:07
-
- 538 名前:関田。 投稿日:2006/02/21(火) 11:16
- 御使いの笛11:エンカウント-01更新しました。
た、大変お待たせしました。
何も書いていなかったワケでもなく、ご存知の方はご存知でしょうが、
他のモノをガシガシと書き下ろしたりしてました。
し、しばらくは墜落一本でイケると思いますので。
今後ともよろしくお付き合いを…って、私何回言うんだろう(汗
>505 お、お待たせしました。ようやく次回です(汗
>506 荒れてきましたが、荒れてますか?
これでもけっこうセーブしちゃってますけども。
>507 反撃…、なんですが(汗 このままじゃ無いと作者も思ってます
>509 捕縛師さんですよ!アクションだらけで大変ですよ
>510 始動したんですが(汗 待て次号ということで
次の更新はきっと板の統合後でしょう。
裏を返すと、統合前に一度更新したかった。というところです。
ありがとう銀の板。と、お礼を込めて。
ではまた、次回更新で。
- 539 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/22(水) 02:19
- うわぁ〜、更新されてる!捕縛師さんにやっと逢えました。うれしい!
まだかなまだかなと毎日毎日お待ちしてました!!
- 540 名前:御使いの笛 投稿日:2006/03/04(土) 22:59
-
- 541 名前:御使いの笛 投稿日:2006/03/04(土) 23:00
-
12:エンカウント-02
- 542 名前:御使いの笛 投稿日:2006/03/04(土) 23:01
-
ったく、こんな面倒な仕切りを増やしやがって。
カンカンと廊下を靴底が叩く。
「合成生物とか放し飼いにしてんじゃねぇよ!」
思わず激しい言葉を吐くのにも、ムリはないだろう。
可哀相ではあるけれど、こちらの侵入を阻むものならば仕方が無い。
獣たちを片付けながら、走りに走ってタワー含んで二十階。
昔、自室のあった付近だ。
武器屋――保田圭は少しばかりの感傷に、胸で拳をにぎった。
今までの道筋、だいたい先方の決めたとおりだろう。
侵入者が二人も居たことくらいが想定外…というくらいで。
後藤にしてみれば、なんの怖れもないはず。
- 543 名前:御使いの笛 投稿日:2006/03/04(土) 23:02
- どちらにせよ、幹部はどこかに配置されているはず。
思わず、ため息をつかずに居られない。
――後藤のことだからなぁ。絶対に、居るよな。
予想される幹部の配置について、思い悩まずには居られないのだ。
事情は人間それぞれだが、彼女の場合は少々深刻。
それでも。
行かなきゃいけないんだよな。私は。
ふん!と大きく息をはきだして、圭はさらに奥へと脚をむけた。
- 544 名前:御使いの笛 投稿日:2006/03/04(土) 23:02
-
- 545 名前:御使いの笛 投稿日:2006/03/04(土) 23:03
-
照明は無い。
真っ暗な中で、暗視とサーモを入れ替わりで使っている。
さらに四階ほど上へと上がったフロアで、なんとなくではあるが、人の居る気配がした。
待機中…なのか?それとも、巡回なのか。
それによって、対処の方法もかわるというのに。
どうやら、気配は廊下のむこうがわ、オフィスフロアだったところからしてくる。
ためしに霊質に切り替えると、ぼんやりとではあるが、何かが居る反応があった。
なるほどね。入り口は一つ。出口も、オフィスを抜けなければいけない、一つだけ。
ここで待ち伏せましたか。
ニ。口元が持ち上がった。
誰が居るか、一人はもう目星がついている。
コクリと息を飲みながら、オフィスのドアをゆっくり開けた。
- 546 名前:御使いの笛 投稿日:2006/03/04(土) 23:04
- 中は沢山の机が整然と並んでいた。
このフロアの机は引越しに使わなかったらしい。
ふむ。と思っている間に、チキ…と小さな音が耳に障る。
バカだなぁ。アナログ使うのはいいけど、構えるのに気をつけなさいってあんなに口を酸っぱくして言ったのに。
二対一となると、弾数如何だよなぁ。
弾数が切れるかどうか。の、持久戦だ。
実は対侵入者の対策として、机がすべて防弾素材でつくられている。
多少の銃撃であれば、防ぐことができるので、社員は訓練としてこの部屋の設定をよく利用していた。
地震よりも、侵入者対策。
このごろの、上層企業のたしなみであった。
その持久戦必至のところを、どう近づくか…。
- 547 名前:御使いの笛 投稿日:2006/03/04(土) 23:04
- 息を殺している。
サーモグラフに画像を変換すると、影は二つ。
二人がかりとは、歓迎してくれるじゃないの。
と、思いながら胸元に銃を保つ。
「誰か居るんだろ?」
シィ…ン。答えが無い。
立っているままだと、さすがに餌食になるかしら?
思いついた途端、一人の動きで不意に世界が揺らぐ。
すぐ近くの机の隙間に逃げ込むと、火薬の音とともにチュインという兆弾の音が響いた。
そういえば、銃撃に特化したのが居るって言ってたか。
このまま待っているのは得策じゃない。
きっと、一人は銃撃で、一人は格闘向きのはず。
そのほうが、まま、効率は良い。
自分が指揮官なら、銃撃の精度を鑑みてからでも、そうするはずだ。
- 548 名前:御使いの笛 投稿日:2006/03/04(土) 23:05
- ならば。
この机一個に御厄介になるのはよろしくない。
動かないといけない――。
と、思っていたところに、ジャコンというカートリッジの音が響いた。
うん?交換?それとも……、まさか。
首をかしげた瞬間、パダラララララッと乾いた音を撒き散らしてオートの機関銃が掃射された。
マージかーッ!?と慄く武器屋のことなど、当然そっちのけである。
さすがに一つの面で銃弾を受け止めている机の強度は落ちていく。
ベコンと、数箇所に凹みができ、このまま行くと数発でも貫通する恐れが出てきた。
えぇいッ。物騒なマネしやがって――ッ。
カートリッジ一本分を使い果たしたのだろう、ほんの数瞬を糧に、圭は違う机の下に転がった。
最後の足元を掠めるように、銃弾一発。
要は、あぶり出したいらしい。
- 549 名前:御使いの笛 投稿日:2006/03/04(土) 23:05
- きったねー話だなぁもう。
牽制に数発の銃弾をかなたへ打ち込みながら、算段を組み立てる。
眉を顰めて、サイドバックの小さなポケットに指を突っ込んだ。
こう暗い中であれば、使い勝手は良かろう。
殊更、スコープを覗いていれば…だが。
最近はこういう小道具の携帯は少なくなったらしいけど。
ピンを抜いて、五秒以内〜にころがーしてぇ〜っと。
タタタタっと軽い音がしたのは、危険な代物だと思って迎撃しようとしたんだろうねぇ。
- 550 名前:御使いの笛 投稿日:2006/03/04(土) 23:06
- でも残念でした。
そんなに危なくないかわりに、しばらく視界がなくなりますよー。
アナログの中心戦略だよねぇ、視界を奪うってのは。
つーか、随分ぬるい手に引っかかるじゃないの、今の幹部。
瞬間。
真っ白な閃光がオフィス一杯に広がった。
ガシャァン。
きっと隠れていた部分ででも、椅子を蹴倒したんだろう。
ほんとうに、ぬるいよ。後藤の駒だったら、もっと勉強しておかないと、評価下がるぞ?
それとも、最後の駒だからこそ、あまり勉強させなかったのか?
だとしたら、それも問題だ。
- 551 名前:御使いの笛 投稿日:2006/03/04(土) 23:07
- 説教だ説教――。
立ち上がる視界の向こう。
ゴーグルを外して悶えてるのが一人と、それをフォローしようと立ち上がっているのが一人。
なるほどね。一人は偶然にも閃光弾を回避したか、「この手」が来ると予想してたわけだな?
この機会にどっちかを潰しちゃったほうが、あとが楽そうだ。
そう思うのは正しかろう。
高い音を立てるキャスター。
椅子をグンと持ち上げて、気合一閃、投球よろしく奥へと放り投げた。
一瞬立っている人間の肩が、ビクリと揺れる。
そりゃ、驚いてもらわないと困るよね。
人間離れしてる自分の楽しさなんか、そのくらいしか無いんだし。
投げつけられた椅子を避けるよりも、破壊したほうが早いとでも判断したんだろう。
残っていたらしい弾数で、キャスターつきの椅子を撃ち滅ぼした。
が。
その間に距離は詰められる。
まともに閃光を直視したらしい相手は、まだ転がったまま。
なら。余裕――。
- 552 名前:御使いの笛 投稿日:2006/03/04(土) 23:07
- マガジンを交換する余裕もないせいで、相手が銃器での殴打を試みてきた。
後ろへのテイクバックの余剰も無いため、勢いを削ぎやすい。
こちらの肩から相手の腕へ突っ込み、打撃を殺す。
右の拳を左肘の下から打ち込むのに、相手は銃器を投げはなってその場の間をあけた。
しかし、立て直す余裕を与えてやるほど、圭は優しくない。
当然。この先に行かなければいけない場所があるのだ。
テイクバック無し。すいと泳ぐように近寄って、相手へ牽制をする。
左の拳で、軽くからかい。
受け流すその動作に合わせるように、右の足をひきつける。
関節ひとつを狙い打つ。
しなる鞭が、相手の膝にミシリという悲鳴をあげさせた。
チ。という相手の舌打ち。
脚を引き、打たれた方をを軸にし、どうにか一撃を返してくるが、あまり痛くも無い。
踏み込みが甘ければ、打撃なんぞそれまでだ。
- 553 名前:御使いの笛 投稿日:2006/03/04(土) 23:08
- しかし。相手はそんなに簡単に倒れてくれそうになかった。
無言のまま、腰の後ろに手をやる。
パチリという安全装置の外れる音とともに、逆手にされた鉈が抜き放たれた。
切り捨てることに大きな威力を持つ、刃の美しさと、幅の広さが目に痛い。
うあぁ。つーか、これ対応の武器とかって今日もってきてないんですけどッ。
捕縛師を笑ってないで、なんか刃物持ってればよかったなぁ。ちょっとタフなの。
仕方がなしに、こちらもナイフを抜いてみるが、得物の貧相さで泣きたくなるのは久々だった。
鉈ね――。そう思うのもムリはない。
非力なのを嘆くのに、ならば巧く使えればよい武器にもなるよと諭したのは…。
紛れも無い自分自身、なのだから。
何も言わない相手。
武器屋自身、何も、言えない。
ジリと構えを動かしながら、お互いが出方をみつめている。
- 554 名前:御使いの笛 投稿日:2006/03/04(土) 23:08
- セァ!幾分高い、気迫の一声。
逆手のままに打ち込む、その形は我流だが、軽く弧を描いて踊った。
しなやかな踊り子の腕は、たたずまいも妖艶。
深く誘われたら、腹部から内臓がはみでるかするくらいには。
打ち込む角度も速度も、申し分なく、速いッ。
あぁ。成長している。
自分の、知らない間に。
気づけば順手になり、気づけば逆手に撫でられる。
変幻自在のそのフォームは、知っているしなやかさに更なる華を添えていた。
ナイフの刃でどうにか切り付けを逸らしながら、武器屋は相手を牽制しつづける。
どうしよう。どうしたら、いいだろう?と。
難しい。
何も言わずに出て行ったのには理由がちゃんとあるのだけれど、今の彼女がそれを聞いてくれるとも思えず。
そして間に、一人居たせいだと言うことも、ほんとはちゃんと解っていて。
あぁもう。面倒だな。
ちゃんと言ってしまえばいいのに。
うだうだうだうだやってても、仕方が無いのに。
- 555 名前:御使いの笛 投稿日:2006/03/04(土) 23:09
- ギン。と、どうにか刃を受け止め、鍔元に刃をとめて、体を近づける。
「石川」
呼びかけてみるが、反応なし。
その代わりに拒絶反応のように、小さな蹴りを頂戴する。
ブンと大きく振り切られる刃をかいくぐり、その腕をギチリと捕まえた。
相手の体の外へ自分を逃がし、グイと後ろ向きに腕をキメる。
「いしかわッ」
「怒鳴らなくても聞こえます――ッ」
う。うあ。す、すっげー不機嫌そうな声。
や。当然なんだけど。
あまりのドス声なのに、元来の高さが邪魔してスゴミきれない愛らしさ。
しかし一緒に時間を過ごす間に、こんな音声を聞いたためしがなくて。
- 556 名前:御使いの笛 投稿日:2006/03/04(土) 23:10
- ほんの少しの戸惑いが隙を連れてくる。
くるりと腕を返されて、ヤッベと思う間には天地がひっくり返っていた。
瞬間。
頚動脈スレスレに、鉈が突き刺さる。
フロアを埋めるカーペットをつきぬけ、リノリウムの白さを貫き。だ。
背筋も凍るし、目は丸くなる。
猫だったりしたら、背中の毛が全部逆立って間抜けな感じがするほどに。
うーおー!うおぉ。怖ぇええぇぇぇええぇぇッ!
すぐさま体を返して起き上がるが、今の一瞬でホントなら死ねたはず。
そう思うと、ちょっとさすがに……。
- 557 名前:御使いの笛 投稿日:2006/03/04(土) 23:11
- 「確かに石川です。
でも、アナタの知ってる私じゃありませんから」
――十年。時間があれば、人間はいくらでも変りますよ。
チャ。鉈をカーペットから力を込めて抜き、その切っ先をもう一度武器屋に向ける。
あぁ。そうか。十年って、そういう時間なのか。
そうだよな。そうだよな。
思わず肩の力を抜く。
「じゃぁ、ずっと…。
あんたと、もう一度会えたら…って思ってたのは、私だけだったってコトだな」
「いまさらそんなコトッ。かどわかそうとしても無駄ですからね!」
すっかり蚊帳の外になってしまった狙撃手が、のろのろと体を起こした。
ふるふる。と、頭を振り、どうにか視界が戻ったことを確認する。
「あら。お目覚めしちゃった?」
ものっすごい気軽に声をかけられて、さすがにフツりと怒りが頭を持ち上げる。
ギ!っと顔を上げた瞬間、狙撃手と司教の視線が通いあう。
ツッコミ入れたりどうしたりの仲ではあるが、まぁ、話はしてきた方だった。
相手が一人なら、ツーカーもできるだろう。
- 558 名前:御使いの笛 投稿日:2006/03/04(土) 23:11
- オォォッ。怒りから、気合もろとも一気に脚を振り切った。
同じく、意図解した司教の脚が相手の頭部をめがける。
段差のある、同時の攻撃。
どちらを避けても、片方は避けきれないだろう、波状の一撃。
しかし。見間違えか?と思うほど、相手は泰然としていて。
一瞬、ニィと口元を持ち上げたのは確認できた。
中段と、綺麗なハイキックだったはずだ。
しかし。
その、両方が普通に止められている。
腕の、一本ずつで。
まるで重さも感じていないように、二人分の蹴りを受け止めている。
うそだ。確かに、攻撃の重さは城壁には敵わないけれど、自分だって鍛えて…っておい。
こいつ、なんかぜんぜん、私――騎士のこと見ないんですけども?
「石川さ〜、これで私が二人ともノシたら、ちゃんと話聞きなよ?」
うあ。この期に及んで蚊帳の外!と、額に血管が浮き出そうだ。
- 559 名前:御使いの笛 投稿日:2006/03/04(土) 23:12
- 「そんな言葉を吐いたこと、…すぐに後悔させてあげますよ」
うーおー!本当に蚊帳の外じゃん。
騎士の視界は怒りに明滅する。
でも。自分が頭数に入ってるからこそ、今の台詞なんだよな?
解っているから、脚に力を込めるのだけれど。
「つーか、お前の役職、ホントに騎士なの?」
話を総合してようやく解る。
コイツは先日話題に上っていた、城壁曰く恐怖の大王のようだ。
元騎士らしい女から話を振られているのがわかって、視線を険しくしたら。
呆れたふうなため息とともに、怒声が降って来た。
「おまえは、体幹悪すぎんだよッ」
っと脚を大きく押しのけられて、思わず転がり落ちる。
正直――。
痴話喧嘩に巻き込まれた自分の立場を、藤本美貴は心底哀れと思い、嘆いていた。
- 560 名前:御使いの笛 投稿日:2006/03/04(土) 23:12
-
- 561 名前:関田。 投稿日:2006/03/04(土) 23:19
- 御使いの笛12:エンカウント-02お届けしました。
えっと、趣味です。以上(殴)。
自分が打撃が好みなので、どうしても接近戦が多くなるのですが、
そこはちょっと目を瞑っていただいて。
少しずつではありますが、進んでいきます。はい。
>539
はい。前回は捕縛師さんでした。
ご本人に対しての「萌え」ポイントも、実はしっかり含ませてます。
私なり、ではありますが。
そういう自分内の映像がしっかり紡げればいいのに…と、力量不足に泣いてます。
目と脳と想像でお楽しみください(笑)。
でわ、また次号にて。
- 562 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/05(日) 02:59
- 更新ありがとうございます!今回は捕縛師さんにあえなくて残念!!
次号を今からワクドキしながら楽しみに待たせていただきます!!!
- 563 名前:名無しさん。 投稿日:2006/03/05(日) 07:10
- 十年越しの痴話喧嘩に巻き込まれた揚句、元騎士に駄目だしされる現職騎士さんがおもしろすぎです。
武器屋さんが、どのように立ち回るのか楽しみにしています。
- 564 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/08(水) 22:40
- 武器屋さんかっけ〜!
痴話喧嘩の結末やいかに!?って感じですね。
続き楽しみにしています。
- 565 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/11(土) 02:02
- 手元にゆうちゃんの「金髪、カラコン、黒ジャケット着用」写真(多分、卒業直前辺り)があるんですが、
このお話を読み始めた時、捕縛師・裕子さんってこんな感じなのかなぁと勝手に重ねてました。この頃から
ずいぶんと時間がたちましたが、作者さまが思い描いていらっしゃる捕縛師さんはどんな(どの頃の)感じの彼女なんでしょうか?
ずーっと気になっていたので、今回勇気を出してお聞きしてみました!作者さまの思い描かれている世界に私も少しでも近づきながら
読ませて頂きたくて・・・。
- 566 名前:関田。 投稿日:2006/03/12(日) 00:45
- >565さん
更新までまだありそうなので、先に一言お答えしておきましょう。
捕縛師さんは卒業前。
たとえば、「恋レボ」あたりのイメージで読んでいただけたら幸いです。
うたばんで「オレだって一生懸命やってんだよ!」と、
怒鳴りつけたりどうしたりしていた話なども織り交ぜております。
現実のネタから全て離れているわけでもなく、
かと言って現実とはほど遠い世界を好んで書く人間です。
では、今後ともごひいきに。
捕縛師さんだけでもなく、他の子も「好んで」やってくださいねー(笑)。
- 567 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/17(金) 16:37
- お返事ありがとうございます〜!(なのにPC不調でお礼を申しあげるのが
すっかり遅くなってしまいました。申し訳ありません。)
恋レボのワイルド系のゆうちゃん大好きでした。(巷では不評といわれたあの
”触角マユゲ”も!)先頭を突っ走ってる感の彼女、とてもカッコ良かったですね。
もちろん、作者さまの描く他のメンバーも心惹かれます。私にとっては彼女が後にも先にも
一番なんですが。(同性なのに惹かれる私です)
- 568 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/30(木) 17:56
- 更新を待ちつつ、またまた1冊目から読み返しています。ここの世界観やストーリーや登場人物の方々に惹かれ、
今まで何回も何回も読み返したり読み直したりしてますが、その度に新たな発見があり、作者様の描かれるこの世界の
深さを思い知らされてしまいます。う〜ん、難しい〜。更新楽しみにお待ちしてます!!
- 569 名前:御使いの笛 投稿日:2006/04/07(金) 22:02
-
- 570 名前:御使いの笛 投稿日:2006/04/07(金) 22:02
-
13:エンカウント-03
- 571 名前:御使いの笛 投稿日:2006/04/07(金) 22:03
-
見切れない。
刃の速さも、その出所さえも。
防刃装備にしてきたからいいものの、すでに数度切りつけられた場所は、外套が切れかけている。
これでも内側に防弾があるから、防刃重ねてるんだけどとも思うが。
相手の手には容赦の「よ」もなく、侵入者に対しての迫害が加えられていた。
対人での殺し合いというのに慣れがない裕子にとって、厳しい状況なのは間違いない。
厳しい。まずい。ヤバイ――。
頭の中で赤いランプが、サイレン付きでワンワンと唸りをあげる。
このまま受け止め続けていたら、正直、上にあがるとか言ってられなくなるだろう。
そう解っては居るはずなのに。
危険度は増すばかりの現状に、対処方法が見えてこない。
今までに食らったのは拳と、蹴りと、紙一重に奔るナイフの刃。
軌道を追うと見えなくなり、インパクトの瞬間に現れる。
だけど、その消失には法則性がない。
- 572 名前:御使いの笛 投稿日:2006/04/07(金) 22:04
- 柔軟な筋肉のなせる技か、キック一個にフェイント自由自在でやんの。
苦手なタイプだ。
正直、やりにくい…。
見えなくなる位置やタイミング。
それは完全にバラバラで、つかみ所がなくて。
時折、見えるままの拳も受けるが、おかげで間合いもわからなくなってくる。
単純なストレートをくらって、脚がふらついた。
「思ったより弱い?あれ?
もっとさぁ、乗り込んでくるくらいなんだからさぁ。
見切ってくれるとかしてくれないと、面白くないでしょうよ?」
ニ。嘲る目で、城壁は手数を繰り出してくる。
えらく楽しそうに言うものだから、ドンドンドンドン腹が立ってくる。
三連打を食らった後の人間が思うコトじゃないかもしれない。
が、野郎ッブッコロスとか唸ってしまう。
- 573 名前:御使いの笛 投稿日:2006/04/07(金) 22:05
- と。不意に、拳の速度を感じた。
視界の中で、消えない拳が一つ。
これならどうにか見切れる。
腕を添えて、ひとまず投げ放った。
さすがに、ちょっと距離をあけないと、厳しい――。
相手の背が打ち付けられるのを目に、間合いを開き、逃げる。
「っだよ。チクショウ…。さんざっぱら殴りやがってよぉ!」
床を蹴りつけて後ろへ。
情けなさや自分の醜態も、さすがに精神的に響く。
捕縛師は大きく吼えた。
息がきれる苦しさよりも、痛みが体にしみる。
そのほうが、こたえる。マジで。
- 574 名前:御使いの笛 投稿日:2006/04/07(金) 22:05
- のそり。静かに立ち上がって、城壁は大きく呼吸を整えた。
余裕すら感じる。
手馴れて、いるのだろう。
「追い討ちかけられないくらいに消耗してんだ?」
――あんた、足腰弱ってんじゃねぇ?
「その言葉…、階段二十五階分をダッシュで上ってから吐きやがれ…」
ギィ!と獣のごとく怒りをあらわに、裕子はさらに思考をめぐらせた。
見える拳の速度は、今、見切ったんだけども。
じゃぁ、見えない拳の速度は…どうだ?
見えた世界を脳内で再生することにした。
拳や脚が見えなくなる場所は、それぞれで違う。
喪失点の位置が違うだけで、タイミングがずれる。
それは、自分の頭のなかに、見えなくなることが速度に帰結するという「概念」があるからだ。
- 575 名前:御使いの笛 投稿日:2006/04/07(金) 22:06
- じゃぁ。じゃぁ…だぞ?
ためしに、打ち込みの速度を頭の中におき、受け止めてみればいいんだよな?
フシュ!と気合ごと吐き出し、裕子は正段に構えを取る。
この際種明かしはどうでもいい。
対処できれば、それで開ける――。
と、思いたい。
「まだ、諦めないだけ、えらいというか、愚かっていうか」
呆れた口調を隠さずに、城壁は拳を握りなおした。
これでハズレだったら、負けだなぁ。
思わず、捕縛師の口元が自嘲気味に歪んだ。
神に祈る口も手も持たないが、天使のコトならわかってる。
顔を思い浮かべるくらいは、罪にもなるまいよ。
- 576 名前:御使いの笛 投稿日:2006/04/07(金) 22:07
- すぃ。と、重たい拳のわりに、軽くて芯のない構えをする。
モーションが穏やかなのは、城壁の得意とするところ。
惑わされてはいけない。レンジに誘われてもいけない。
飛び込みすぎたら、待ち構えているのは、鉄球の衝撃だ。
ツツイ。と、先方から二発。誘惑するジャブのリズム。
綺麗な顔してヒドイ相手だ。
だまされてやる趣味も、余裕もない。
捕縛師は腹をくくった。
じゃぁ、いっちょ、やってみるか――。
裕子は左の足から、水流を下る魚のように、するりとくぐりこんだ。
迎撃するために、城壁の軸足がしっかり決まっているのを、視界がみとめていて。
レンジとして踏みとどまるのは、ここがギリギリだった。
あと数センチで、一番勢いが乗った蹴りの餌食になる。
泳がされた蹴りを止められない。自身の体重移動に、城壁の舌打ちが響く。
踏みとどまった脚から引き絞り、捕縛師は後脚を一気にひきつける!
サイドから突き刺さる、鎌のような横凪ぎの蹴り。
ドゴ。という鈍い打撃音が、城壁の体を二つ折りにした。
握っていたナイフが、命綱を手放すように滑り落ちていく。
- 577 名前:御使いの笛 投稿日:2006/04/07(金) 22:07
- 「溺れたな」
さっきまであんたが使ってた手やん。気をつけなぁ。
瞬間。相手の脚がブワリと滲んだ気がした。
崩れて膝をつく、その膝元が、水彩絵の具に水を含んだように溶け出すように感じたのだ。
な…、ん、なんだ?
現象の見極めもできずに、思わず裕子は目を疑った。
「ってぇ。油断した…」
さっきも思ったけど、細いわりにけっこう重いのな――。
と、グチりとしながら膝に手をつき、吉澤ひとみが立ち上がる。
ナイフは諦めたらしく、拾いにいく気配がない。
「あんたの拳のがよほど重いけどな。そんな、飄々とした構えしてるくせに」
「みんなよく騙されるけどね」
頭を二度ほどふるりと振って、城壁の表情が険しく変った。
「でも、あんたは騙されない。それだけで、表彰もんだよ」
ぐんと、踏み込んでくる。
- 578 名前:御使いの笛 投稿日:2006/04/07(金) 22:08
- どっちだ?
と、思う間もなく腕が浮いて、肘元から一直線に拳がのびてきた。
フ。と、先ほどの膝のように世界が滲み、拳が消える。
まるで、水の中に溶け込むように。
消失点から、通常の速度で突き出されたと仮定し、イチかバチかで掌底をつきあげる――。
タイミングとしては、完璧。
予想としては、九割の不安があった。
しかし。
「……なッ」
「ようし。ビンゴ」
突き上げた掌底が、しかりと腕を逸らして。
凍結の魔法でもかかったかのように愕然とする城壁の横っ面を、捕縛師は思い切り殴りつけた。
上体がよじれ、まるでゴムをよじったように、体が巻き戻る。
その戻りすら、見逃さない。
- 579 名前:御使いの笛 投稿日:2006/04/07(金) 22:09
- カラクリはどうあれ、視覚効果は薄くなった。
幻は砕けやすくなり、タイミング一つで、軌道が読みとれる。
一瞬でカードがひっくり返されたように、状況は激変した。
少しずつの慣れが生まれ、捕縛師の腕を強くする。
まるで、深読みする人間をあざ笑う、野生の獣のように。
勇猛果敢に喉元を狙い、噛み付く、肉食の生き物のように。
驚く城壁の、その表情。
見開かれる目の中、繰り出される腕は止まらない。
右に左にとタイミングをあわせながら、
「ショック一個で歯ごたえがなくなる相手のが、よほどつまらないよなぁ?」
ニィ。と抵抗の腕をかいくぐり、一直線に靴底を腹部にめり込ませる。
捕縛師はその勢いをぶつけて、城壁を吹っ飛ばした。
ズシャァとすべる音をたて、仰向けに転がる。
「さぁ立ってもらおうか?」
――あんたが殴った分、まだ半分も返してないからな。
しず。とした静寂を、構えひとつをかたちどり、衣擦れの音が乱す。
- 580 名前:御使いの笛 投稿日:2006/04/07(金) 22:10
- のろりとした動作が、連打でのダメージを物語る。
どうにか上体を起こした城壁は、小さな呻きをこぼして眉をしかめていた。
「タイミングだけわかったって雰囲気なのが、スゲェむかつく。
なんだソレ…」
口元を、腹部を一度撫で、息を吐き出す。
根本的な対策ができたわけではないと、どうやら先方もわかっているらしい。
「まぁ、フィニッシュブローの使いすぎ」
――必殺技は最後に使うもんちゃうん?
再び構えをとりながら、捕縛師は小さく肩をすくめる。
さて。これからが、問題だ。
腕が見えなくなる、その仕組みがわからなければ、根本の解決にはならない。
相手はもう、偶然に近い反撃を理解してしまっている。
数度もチャンスはないだろう。
歯噛みをし、その現実を受け止めた上で、捕縛師は構えを正した。
- 581 名前:御使いの笛 投稿日:2006/04/07(金) 22:11
- 「コッチの手がそれだけだと、思うなよ」
ゴゥと吹き付けるような風圧。
そんな!どっかの波紋疾走みたいに何倍サイズの拳が見えるって、ありえねぇだろう!待てこらッ。
つーか、どっちにしろ手品じゃねえか!こんなの!
思わず転げて避けた、その打撃点に振りかざされていたのは、普通サイズの拳で。
ピン。と、何かが捕縛師の思考の中で弾けた。
まさに、思考がつながるような瞬間――。
今まで培ってきた、瞬間の容赦ない「対本能」へのひらめきが生まれる一瞬。
揺らぎも、拡大も、やろうと思えばひとつの技術でできるだろう。
そうか!難解なるパズルが、完成されて霧散する。
訓練されたリバースたちが「使いこなせるハズ」のもの。
武器屋がどういう訓練を受けてきたかは聞いていない、が、リバースたちに確実に備わっているもの。
通常の人間の知覚が追いつけないモノ…!
それだ……。
天使の血を引くリバースたちは、「霊質」を扱うことに慣れている。
戦闘や身体に特化する警備会社なら、「人間だけの常識外」…変異的に扱う人間も出てくるはずだ。
- 582 名前:御使いの笛 投稿日:2006/04/07(金) 22:12
- 答えにもっとも近いだろうと思われる予想をたて、考える。
自分も少しばかり増しているという話だったが、訓練しないと自由に使えないもんなんかな。
相手がどうしているのかはわからない。
ためしにでも使ったことがない裕子に、それができるとは思いがたいが。
アチラさんは、手に集中したらできたりすんのかな。
まーさかねー。
首から提げていたゴーグルの、カフに触れるだけ触れて画面を切り替える。
血液の流れや体の緊張を感じることができれば、案外、案外よ?巧くやれるかもしれないし。
手を、見る。
相手の手を、見やる。
視界の隅にかすかに見える、相手をかたちどった影。
「余裕で突っ立ってんじゃねぇ!」
獰猛な獣の咆哮。
しかし、その拳が見えなくなる瞬間。
確かに、ゴーグルの中で画面が激変した。
相手の腕に、強烈な力が作用している。
鮮やかな彩りを放つ霊質――。
- 583 名前:御使いの笛 投稿日:2006/04/07(金) 22:12
-
なるほど。ほんとうに、扱い慣れてるんですねぇ。感心しちゃいますー。
口には出さずに、捌いて受け流す。
一撃。受けて、その集中の仕方を霊質量の画面を視界の端で確認する。
インパクトの瞬間、拡散するように、解けて消えた。
ふたたび、人間が通常体に保っている霊質量に画像が戻った。
集め方がわかれば、私でもできそうやけどなぁ。
ふむ。
天使と知らずの同調ができたなら、半分人間との感応だってできるだろうよ――!
正直に言おう。
半ば、ヤケ。
だ。
- 584 名前:御使いの笛 投稿日:2006/04/07(金) 22:12
- 物理的速度を完全に読みきる。
腕を通り抜ける、その力の感覚。
相手の腕に集中する力が、自分の腕に伝播する。
まるで水の中をゆらぐ月のように、相手の姿が霞む。
もや?鏡?水面?
原理があるとするのなら、この揺らぎ、霞のなかにしか無いだろう。
霊質で霞むための原因を述べよ。
ゆがむ。空気で人間の視界が錯覚する。
あるとすれば、無形の作用でしかない。
人間に作用する、霊質の、無形の姿。
天使の介入――よりも、もっと身近なものは、なんだ?
人間の目の錯覚。
錯覚として忘れ去られる魂の残滓、その程度しか、無いよなぁ。
「よし…。解った」
腕に意識を集中する。
できるかどうかなんて、わからない。
- 585 名前:御使いの笛 投稿日:2006/04/07(金) 22:15
- でも、やれなきゃお陀仏だもんなぁッ!
ぐん。と脚が強くなる。
振り切るタイミングと、器用に扱えるかどうかも解らない、霊質の顕現と――。
しかし、確かに。
その拳は揺らぎをまとい、城壁の視覚による距離感を麻痺させた。
防御に出された腕が、完全に組まれるまえに打ち込まれたのが、良い証拠だろう。
下顎から突き上げるように直撃した拳が、その体をカチ上げる。
愕然とするその瞳の中。
今までよりも数段不敵な笑みを浮かべ、捕縛師は残っていた体をひきつけた。
ガラ隙になるその体に、追い討ちの左が突き刺さった。
腕にまとわれた揺らぎの中から、捕縛師の黒いグローブが染み出すように戻ってくる。
インパクトの瞬間も、その強さも拳に残っている。
相手の視覚にだけ訴える、霊質の作用。
なるほど。こういうものを持っていると、暗殺なんかもしやすいんだろうねぇ。
単なる、下層民相手だったらさ…。
ぐ。拳を握りこんだ。
- 586 名前:御使いの笛 投稿日:2006/04/07(金) 22:16
- なにはともあれ、コピー完了。と。
まぐれだけど。
はったり通して、あたって砕けなかったんだけど。
そこまで顔に見せてやるもんでもないしな。
自分で自分に感心してしまうほど、偶然はよくその場を制した。
「高濃度の霊質で顕現させた、陽炎、レンズ。それが視覚麻痺の原因…と。
手品のタネ、どうにか解いたぞ?」
ドシャりと膝から落ちる城壁が、言葉も出せずに崩れる。
「要は、人間の目に、濃い霊質が揺らいで見えるって話だよな?
霊質の濃いものを幽霊として捉えるのと一緒だろ」
――人間のソレを一点にあつめて、幽霊どっこい濃密な霊質をまとわせ、ゆらぐ見た目を利用して距離をなくしたわけだな?
へ。っと意地悪い笑みを浮かべて、フロアを一度蹴りつけた。
今度こそダメージ大で転がった城壁の体を一瞥し、オフィスの奥へ視線を向ける。
この奥の廊下を行けば、そのまま上へ出れるんだろう。
- 587 名前:御使いの笛 投稿日:2006/04/07(金) 22:17
- 「…ッ」
指先は動いても、他が動かなかろう。
視線だけが、ただ、靴底と脚を追って動く。
「テンカウントなんか取りゃしないから。
もう、そこで転がってたらえぇんちゃうん?」
それにこちとら、人間を殺すってのは慣れてないんでね――。
苦笑をこぼして、捕縛師は脚を進めはじめる。
正直。これで後ろから抜かれても、すぐに迎撃するくらいはできる。
殺すのに、慣れがないだけで、殺せないわけじゃなくて。
だからこそ。
だから、だから――。
トドメ、ささないんだけどなぁ。
「ずいぶん甘いなぁ――、捕縛師さん」
絞る喉。
うめき声。
呆れたような物言いを追いかけるように、「タンッ」と火薬の爆ぜる音がフロアの中に満ちて消えた。
- 588 名前:御使いの笛 投稿日:2006/04/07(金) 22:17
-
- 589 名前:御使いの笛 投稿日:2006/04/07(金) 22:17
-
- 590 名前:関田。 投稿日:2006/04/07(金) 22:29
- 御使いの笛13:エンカウント-03更新しました。
いやはや。この先決まっている部分をジリジリ進めてますが、
なーがーいーよー。て、自業自得なんですけどね(苦笑)。
少しばかり時間があいたので、レス一まとめですがご容赦ください。
現職騎士さんと黒騎士さんは、自分でも書いていて楽しい限りです。
歌の好みが強さに比例するらしい私の脳内。
さて、どこまで面白くなるかは、脳内の神のみぞ知るのですが。
ワキャワキャ騒いでますよ。大勢。
そう。そう言えば。
自分で描き起こしたイメージでは、捕縛師さん触覚眉毛でした(笑)。
勝手に動くキャストに予想外のこともされますが、頑張ってコンテ切って演じてもらいます。
でわ、また次の更新で。
- 591 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/04/08(土) 01:00
- 更新ありがとうございます〜!毎日毎日楽しみにお待ちしてました。
読んでる最中もドキドキしてましたが、読み終えた今もまだ止まらず・・・です。
あ‘〜、次の展開が心配で楽しみです。
- 592 名前:御使いの笛 投稿日:2006/04/29(土) 08:38
-
- 593 名前:御使いの笛 投稿日:2006/04/29(土) 08:39
-
14:エンカウント-04
- 594 名前:御使いの笛 投稿日:2006/04/29(土) 08:39
-
化け物だ。
と、初対面の人間に対して感じるのは、イツ以来のことだろう。
盲信できるだけの力を持っている人は、世界に数人も居ないと思っていた。
自分のバディ、松浦亜弥。
そして、主である後藤真希。総裁――。
藤本美貴の頭の中。
驚愕を主席バイオリンに据えた、オーケストラ風味のレッドアラートが鳴り響く。
拳を、その脚を、刃を、距離をとろうとする足を。
すべて覆され、肩で息をするほか無くなる。
怖いのはただ相手が強いからじゃなくて。
こちらがどんな手を繰り出し、尽くそうとも、それが受け付けられないからだ。
相手は悠然とこちらの手を淡々と処理し、向こうからは決定的な手は出さない。
城壁が身を震わせるようにつぶやいた「絶対的な強さ」が、今ならわかる。
押し寄せてくる壁につぶされる恐怖。
思い浮かべた仮想が自分の身に降り注ぐ災難ならば、同じだけの恐怖だろう。
貫けぬ厚み、砕けぬ堅固さ、超えることさえできぬ高さが、確かに目の前にある。
- 595 名前:御使いの笛 投稿日:2006/04/29(土) 08:40
-
最初の一歩は、誘いこまれたとは感じなかった。
けれどそれは錯覚で、相手の能力が高い上で、攻撃レンジに取り込まれたのだと、今ならばわかる。
長距離からの銃器による牽制も通じなかった。
誘い出しは椅子の投擲――そう、投擲だった!という、ありえない展開で破られて。
ちょっとした挑発がまた憎らしくて、心にくべられた火があっという間に燃え上がった。
欠点として特筆されるべき「燃えやすさ」が、騎士を窮地に追い込んでいたのだった。
拳があたらないのは、古武術の体捌きでの錯覚だとすぐにわかったが、対処のしようがない。
こちらが打ち込む瞬間に、相手の体がかすかに前に傾ぎ、距離を錯覚した体が拳を止めてしまうというヤツだ。
錯覚は頭でわかったところで、体が止めてしまう。
無理やり振り切っても、拳の当たり方は半端で、失速している。
しかし。それにしたって…。
強すぎるだろ。
口の中を切ったのか、血の味がして、美貴はその一滴を吐き出した。
- 596 名前:御使いの笛 投稿日:2006/04/29(土) 08:40
- 急造の割り当てで組まされたコンビは、さすがに巧くはいかなくて。
訓練もしているし、悪くもないはずなんだけど、それは一般人相手の話。
この人には通用しないらしい。
同時に向けた拳を避けられて、司祭に自分が殴られたコトもあった。
自分の蹴りが向こうに入ったこともある。
二人いっぺんに相手するなんて、やっぱり、化け物だ。この人。
自分たちが至らないわけではない。と、解っていているのに。
や、解っているからこそ、相手が上に居るのだと思い知らされる。
上段への蹴撃をかいくぐって、石川梨華を腹部からふっとばし。
返し刀のような拳が自らを受けながした後、その蹴りを食らって撃沈している。
両膝。両手。
がっくりと床にうなだれる、情けない姿態。
若き騎士の、動かせない現実。
- 597 名前:御使いの笛 投稿日:2006/04/29(土) 08:41
- ハッ。と自分の中にある恐怖ごと吐き出して、膝に力を込める。
立ち上がる。
「お?まだやれんの?」
あんたが至近距離で仕事するから、石川が困ってたじゃん。
提供された資料では、あんたは狙撃向きなんでしょ?石川が接近戦じゃなくてどうすんのよ――。
黒の騎士だった人物は、あり得ぬほど穏やかに顎を軽く持ち上げた。
まるで子供がごっこあそびをしているのに、致し方なし、付き合っている大人のよう。
そういう遊びに興じているとき、大人の対応は二極にわかれる。
最後、子供を思って倒れてくれるか、寄せ付けぬ強さで子供を泣かせるか。
目のまえの人間が前者であるはずがない。
奥歯をギチリとかみ締める。
どうにかして噛み痕くらいつけないと、さすがに自分に腹が立つ。
フェイント一つで通用するような相手じゃないと、わかっているから厳しいけれど。
- 598 名前:御使いの笛 投稿日:2006/04/29(土) 08:42
- 腰にあったナイフは、早々にオフィスの奥へ蹴り飛ばされてしまった。
それでも、数本は隠した武器を持っているのが幹部のお約束で。
ザンと大きく踏み込み、衣服の裏に隠していた細身のナイフを抜き出す。
右に抜けるその刃を、確かに、確かに!そう、ナイフは切りつけたはずだった。
銀のひらめきが相手の体を通り抜けた、瞬間。
相手の体は、霞んで、消えた。
「ッ!?」
まるで陽炎たつアスファルト。
ゆらりと姿形がにぶったかと思うと、その場から――体の形が消えた。
「まだ…。まだそんな技術…が…ッ」
思わず、呆れて言葉が途切れる。
湧きあがるのは純粋な怖さ。
一歩、後ずさる、その背中が、止められた。
背中にあるのは、人の背。
誰のものかなんて、考えたくない。
- 599 名前:御使いの笛 投稿日:2006/04/29(土) 08:42
- 愕然とする指先から、刃がすべりおち、その刃が、背中に居る人間の手に、渡る。
「はかれない距離、錯誤する視界。抵抗を許さぬ手。
これが、私が騎士で居た証」
艶のある、幾分低めの声。
チャキ。銀色のひらめきが、その鋭利な冷たさで首筋にキスをする。
「袖口に色が無いのは、TSSP幹部での騎士位の原初だからじゃなくてさ。
深い闇にまぎれたら、黒は見えないでしょ?
要は、色が必要ないんだよ」
深い、心地よさすら覚える音声。
頚動脈を両断するように添えられた刃。
手入れを怠らない分、横に滑らせれば皮膚の傷だけで済まないことは、美貴自身がよくよく心得ている。
そして、相手は言い含めるように、吹き込んだ。
「無色。
色つけることなく、闇にまぎれる黒色。
黒の騎士って、呼ばれた所以だよ」
――吉澤が部分だけでも消すの、習得したんだってね。驚いたけど。
- 600 名前:御使いの笛 投稿日:2006/04/29(土) 08:44
- 霊質の濃いのが幽霊として受け止められるのと一緒でね。
レンズみたいにしたり、フィルターかけるように鈍らせたりね。
まぁ。要は目の錯覚なんだけどさ。
気づかれる前に殺っちゃうから、バレたためしがなかっただけで…。
簡単なコトのように種明かしをしながら、黒い騎士は「ふ」と笑った。
心臓をつかまれている。
命をつかまれている。
蹂躙してきた相手が持ってきた恐怖を、いま首筋につきつけられている。
石川梨華がここで援護に射撃をしたところで、この女はさっきと同じように、掻き消えてしまうだろう。
そうすれば、銃弾を受けるのはこの体だけ。
今日の装備は、ジャケットが薄手の防弾仕様というだけで、ゲルが詰まってるわけでもない。
待っている現実は、蜂の巣になる自分だけ。
恐怖が心のふちを満たし、表面張力だけであふれるのを堪えているのがわかった。
しかし、最後の恐怖が一滴、雫をはねる。
- 601 名前:御使いの笛 投稿日:2006/04/29(土) 08:44
- 「ッああああああああああああああああああああああああああッッッ!」
ザンと体を右に展開し、刃から体を離した。
武器屋の体はすでに騎士を向いており、ナイフを上段にかざしている。
腰ッ!そう、武器。
恐怖はせめてもの抵抗ばかりを求め、手をさまよわせる。
抜き放つ、最後の手段。
タタン!という二重の発射音。
チュイン。武器屋の手先を掠めて、刃を吹き飛ばす銃弾。
見ている世界のなかで、すぃと相手の体が傾いだ。
まるで、銃撃もなにもかも、望みどおりかのように、相手は刃を手放していた。
弾かれているナイフは、囮。
はなから刺すつもりなんか無かったんだ――。
狙われていたのは打撃。
騎士の腕が不確かな射撃に銃口をさまよわせたのを、武器屋は見逃しはしなかった。
弧をえがき、腕をそらし。
突き放たれた拳が、潰すように胸骨の上を突く。
ミシリとした鈍い音がして、藤本美貴の世界が一時停止した。
- 602 名前:御使いの笛 投稿日:2006/04/29(土) 08:45
- 「あんたが防弾着てないのは、石川が射撃を躊躇するのでわかったしね。
昔の幹部同士だったら、平気で撃ち放ってたはずなんだけど、甘くなったもんだよねぇ。
で。拳をさえぎる防衝材が無いなら、これが一番有利だったわけ」
――手も足も出なかったね、ベビーフェイス。騎士の名折れだな。
そ…、そんなとこまで……殴り合い一つで分析で…。
眼下の自分。
見下ろすままにニヤリと勝ち誇る表情が見えて、後から衝撃が追い越していく。
切られる裂傷とはちがう、まるで熱を埋め込まれたような痛み。
それが。ジリ、ジリと全身にまわり、痛みが中核として体を侵した瞬間、爆発する。
呼吸が、呼吸が――ッ。ハ。
膝を折り崩れ落ちる体を、雁字搦めの痛みが支配していた。
「人中打たれたら、まずは普通の呼吸なんかできやしないって。
動いてたせいで呼吸も激しいのだって計算の内なんだからさ。
落ち着いて。少しずつでも呼気を調整しな?」
――松浦にでも伝えておくから。どうせ、上に居るんでしょ?
- 603 名前:御使いの笛 投稿日:2006/04/29(土) 08:47
- 黒騎士はくず折れる体にはさすがに追い討ちをかけずに、配慮の言葉を投げた。
胸をおさえ、痛みと呼気の薄さに喘ぐ、一応の、後輩。
屈辱と表現するよりも、これじゃ一方的な陵辱だよな。
心中察するけれども、同情なんかはしてやらんぞ?
「ぜ…ってぇ、ゆるさ……ぃッ」
それでも文句を忘れない根性に、思わず苦笑する。
「おーおーそれでもその口とは、いやはや感心だねー。
めでたく世界が続いた後は、いくらでも受けて立つから楽しみにしてなよ」
まるでネットワークゲームの画面の向こうのように、気楽な声を投げてから武器屋が視界をめぐらせた。
おしゃべりは続かない。
うめきにまぎれるように、立ち上がった人間の気配がする。
銃のカートリッジを交換している。
足元はダメージの蓄積でかすかに揺らいでいるが、視線は強い。
スパルタすぎはしなかったけれど、確かに、叩き込んだから。
プロ根性とか、意地とかは…あるほうだろうねぇ。
- 604 名前:御使いの笛 投稿日:2006/04/29(土) 08:49
- 「世界は続きませんよ。
総裁の手には、天秤があるんだから」
くすり。と、司祭は肩をすくめる。
騎士が倒れたわりに、ずいぶんと余裕な顔だこと。
じ。っと視線を合わせて、圭は不機嫌さを前面に押し出した。
「みたいだね」
事実を肯定した上で、苦々しく言葉をつむぎだす。
「でも、天秤らしい天使さぁ、友達のウチの子なんだよねぇ」
――無断で連れ去られれば、人間、良い気持ちにはならないからさぁ。
ワシワシと髪をかきあげ、提案をかかげるけれども、相手は取り付く島さえなさそうだ。
「説教しないと気が済まないからさ。後藤のとこ、連れてってくんない?」
「ヤです。ここで死んでもらいます」
――どうせ終わる世界だったら、これ以上は無駄でしょ?
ふわりと微笑む冷たさ。
あぁ。綺麗になったなぁ。と、場違いに思う。
- 605 名前:御使いの笛 投稿日:2006/04/29(土) 08:49
- でも、他に言わなきゃいかんことの方が多く、彼女はソレに納得しないだろう。
「そう?まだ説得が足りない…か」
めんどくさいなぁ。
でも、口説かなきゃなぁ。
「石川。話があるから聞きなさい」
盛大にバキリと自らの拳を鳴らし、構えを正す。
謝る部分はちゃんと謝るから、今くらい話を聞いてくれないかなぁ。
「聞く耳なんか持ちません。
天秤が動くまで…貴女を食い止めるくらい、私にもできます」
そっか。無駄か。
じゃぁ……、ちょっとムリヤリになっちゃうなぁ。
不遜にも軽く顎をあげた司祭に、腹をくくった黒騎士が微笑み返した。
仕方がないなぁ。
肩をすくめ、くちびるの端をくっと引き締めてから顎を引く。
「残念だけどね。話は聞かせるし、足止めも食わない。
イザとなったら、抱えてでもつれて行く」
――その手を取れなかったことの謝罪も含めてね。
最後の言葉を紡ぐのに、表情を収め、武器屋はガンと全身のリミッターを解除した。
- 606 名前:御使いの笛 投稿日:2006/04/29(土) 08:50
-
- 607 名前:関田。 投稿日:2006/04/29(土) 08:53
- 御使いの笛14:エンカウント-04更新しました。
>591
愛読していただいてありがとうございます。
ドキドキを保ってもらえるように、ちゃんと綴っていきたいと思います。
書きたいシーンがまだまだあるので、そこを一つずつ。
今後ともよろしくお付き合いください。
でわ、また次回。
- 608 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/04/30(日) 00:41
- 更新ありがとうございます&お疲れ様です。
武器屋さんってば相変わらず余裕たっぷりのようで。
自分としては捕縛師さんが無事なのか、気になって気になって・・・。
眠れない日が続きます。
- 609 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/18(木) 02:26
- 早くなっちを救い出してあげて!と思いながら読ませて頂いてます
捕縛師さんとやっと再会できた時の彼女の安心した顔が浮かびますが、
傷を負って自分の所に辿り着いた裕ちゃんの姿に、優しい彼女は胸を痛める事でしょうね。
なっちの心情を思うと自分も胸が痛いです。
- 610 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/15(木) 00:48
- 毎週末に更新されてるかなぁと、こちらをのぞかせて戴いてます。
近いうちに続きが読めるのを楽しみにしてます!
- 611 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/07/02(日) 20:23
- 武器屋さんも捕縛師さんもカッケー
- 612 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/07/22(土) 00:21
- あー、禁断症状がぁっっ!早く続きが読みたーい!!
- 613 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/09(水) 02:37
- 作者さんの生存報告だけでもお願いします
ちょっと心配です
- 614 名前:関田。 投稿日:2006/08/09(水) 23:39
- うおあ。今案内板見て慌てて跳んできました。
ログ整理も近いので、ひとまずの生存報告。
作者、しっかりと生きてます。
ジリジリとも書いてますが、ちょっとカタチになりにくい状態です。
育ちすぎた卵は産みにくいんですねぇ。と嘆きぎみ。
完結までは筋がありますので、時間はかかりますがじっくり書いていきます。
お待ちいただいて居る読者さんがたには、早いうちに本編でお会いしたいと思います。
コンゴトモヨロシクお願いいたします。
※更新時にレスします(平伏)
- 615 名前:御使いの笛 投稿日:2006/09/02(土) 11:35
-
- 616 名前:御使いの笛 投稿日:2006/09/02(土) 11:36
-
15:エンカウント-05
- 617 名前:御使いの笛 投稿日:2006/09/02(土) 11:37
-
火薬の粉っぽい匂いと、微かな煙が残った。
耳に届いた金属音。
跳弾の火花。
なに一つとして傷みの無い体を翻し、反射的に抜き放ち向けていた銃口を、違う角度へ向ける。
銃弾を放ったのは、裕子の銃でも、城壁の銃でもなかった。
確かに、吉澤ひとみの銃爪には力がかかっていたし、一瞬でも遅れていれば銃弾が発射されていただろう。
そういうタイミングではあった。
しかし。先手を打ったのは、捕縛師ではないのだ。
刹那の気配に、背筋をこごらせる。
弾き飛ばされた銃。それを手にしていた右手。
手への衝撃に手首を握る城壁には、もう捕縛師への反撃の余力はない。
なら…?この、近づいた気配は何だと言うのだ。
シタリという靴底の重い音。
まるでケンカ中の野良猫が、何かの気配に怯えるようだ。
水でもかけられたかのように、シズリと世界が重力を増した。
- 618 名前:御使いの笛 投稿日:2006/09/02(土) 11:38
- 「はい、殴り合いはそこまでね。
ちょっと用事ができたから、ココまで来ちゃったけど…」
間に合って良かったかな。
聞いた声が微笑美味にくぐもって届くのに、自らの耳を疑う。
体ごと動くことができなくて、視線から世界をめぐらせた。
こちらを向く銃口は、三つ。
両手にされた拳銃――片や樹脂製のオモチャじみたモノと、片や重厚なる金属のセミオート。
そうして…もう一つ。
短身の艶、グローブに見え隠れする象牙の白。
「な!なんでお前がコ――ッ」
チャ。全てを言い切ることができずに終わったのは、見知った女の銃口がしっかり自分にむいたせいだ。
そのまま銃弾を放たれたなら、きっと眉間に大きな穴があく。
「ま。よっちゃんを止めるコトができそうだから」
城壁に視線をむけ、親しみを込めて呼ぶ。
力のない瞳で声を見上げる城壁の瞳孔が、確かにその姿をとらえた。
「アヤカ……」
応えるように面覆いを下げて、表情をあらわにした声の持ち主が、鮮やかに微笑む。
「お久しぶり〜っても、そんなに経ってないよね」
現れたのは旧会社の幹部であり、新都市でも上位幹部に居る木村絢香その人だった。
TSSPにおいて同セクションの幹部だったという二人は、やはり特別に親しげだ。
- 619 名前:御使いの笛 投稿日:2006/09/02(土) 11:38
- い、いったい何をしに?
行方を傍観ていることしかできない裕子の前を通り、絢香は二人の間に割ってはいる。
「さて。中澤さんはその得物をおろしてね?
ちょっとこの子とお話しないといけないコトがあるの」
言われたとおり、銃をおろしていいものだろうか。
行動にうつすのがはばかられるのに、絢香の語気が少しばかり強くなった。
「お ろ し てもらって い い で す か?」
「ハ、ハイ」
おろさずにいられないのは、くるりともてあそばれた銃のせい。
いくら安全装置がついてるとは言え、そんな、見せ付けるように遊ばなくてもいいじゃないですか。
自らの行動の効果の絶大さに穏やかな笑みを浮かべ、絢香が前方をふりかえる。
「ねぇ、よっちゃん?昔私に言ったよね?
たった一つが手に入らないから、自分はここに逃げてきた…って」
「いまさら…。
総裁が天秤を手に入れたいま、そんな話題は意味がないよ」
あ。頭越しの会話に、口をはさめない。
じっと見つめている中、シズと靴底が音を立てる。
先ほど矛先を向けようとした「もうひとつの銃口」の主が歩み寄ってきた。
- 620 名前:御使いの笛 投稿日:2006/09/02(土) 11:39
- 「まぁ、アレが作動したところで、今までの私たちなら、そんな苦はないんだろうけど。
これからの展開次第では、よっちゃんも阻止したくなるんじゃない?」
銃を抜いたまま。
足音の持ち主が、捕縛師の袖口に触れる。
おろしたてのグローブと、捕縛師の傷だらけの外套。
衣服。
言葉の紡がれるのとはまったく別の次元で、裕子のそばに近づく――。
どうして。と言葉にできたなら、簡単だろう。
でも。「彼女」はそれをさえぎるように、微笑った。
そう。マスクの奥の表情さえも、読み取れるほどの情けない口調で。
「ゴメンね」
――どうしても、私がこなきゃいけなかったんだ。
小声にくぐもるその言葉が、なにかを覚悟しているよう。
コワイ。と、そのときに初めて感じた。
「や」
ぐち。と続くはずだった言葉は、鈍い光を放つ銃口を向けられることで止まる。
ゴーグルの下から貫く視線は、何も知らない子供のものではなくて。
思うより近くに居たはずなのに、思うよりも遠くに居たのだと思い知る。
彼女の覚悟を、自分は何も知らない。
捕縛師はかたく拳を握った。
- 621 名前:御使いの笛 投稿日:2006/09/02(土) 11:40
-
「いっや〜。ほんと、驚いちゃったよ。
テーブルに置かれてた資料に、よっすぃーの名前があるなんてね」
呆れたように肩をすくめ、目の前の彼女がゆっくりと…前方の城壁へ振り返った。
固有名詞らしき言葉を耳にした瞬間、全てを投げ出す様相を見せていた幹部の顔がはねあがる。
不意に強烈なパンチを食らったみたいに、愕然とした表情。
さっきの戦闘中の不敵さなど、微塵もみあたらない。
「まだおぼえてるかな?私のこと」
そう、捕縛師からは背中しか見えない、小さな彼女が装備品をほどく。
やわらかな色の髪が肩口までおりて、かるくなびいた。
「マリ…ぃ。なんで?
……なんできみがココに居るんだッ!」
吼える。という表現が一番似合うだろう。
まるで四足の獣が遠く吼えるかのように、慟哭にも似た声が耳を貫く。
上体に重心がかしぎ、立ち上がる動作をとるためにつま先が床にたつ。
その瞬間、タンッと乾いた音がして、絢香の銃口から煙があがった。
髪のひとすじをかすめるように放たれた銃弾が、フロアに高い音をたてて消えた。
牽制というには、あまりに危険な弾道。
その紙一重をやってのけるのだ。
幹部の腕というのは、相当なのだろう。
しかし、論点は違う場所に生まれた。
- 622 名前:御使いの笛 投稿日:2006/09/02(土) 11:41
- 「やぐち。あんた、コイツと、知り合いなん?」
いきなりの話にくちびるが乾いて、言葉を紡ぐのが難しい。
んー。と言葉を選びながら、彼女は小さくうつむく。
「裕ちゃんがウチの店に通い始める前にね、…よく遊んでくれたの」
よく、遊んでくれた。の。
矢口の肩先からのぞける城壁の表情が、軽く歪んだ気がする。
まさか…。
え?なに?それって言うのは…。
「で、ある日突然何も言わずに居なくなっちゃった」
――もうさ、一種のトラウマだよねぇ。
まだ十歳くらいのこどもがよ?
すごーいダイスキだった人に、急に居なくなられちゃうんだよ?
そこまで告がれて、得心する。
なるほど。そういうこと…。
- 623 名前:御使いの笛 投稿日:2006/09/02(土) 11:41
- 「すごい懐いてたんだもん。あたし」
小さな背丈の彼女の声は、どこか可笑しいという雰囲気を含んでいて。
それを耳にする城壁の表情は、時間が経てば経つほどに歪んで曇っていく。
矢口の言う懐いているを思えば、城壁のそれは妄執に近くなるだろう。
吉澤ひとみという人の逃亡は正しかったが、断罪の時は思うよりも早く来た――ということか。
「悲しい思いをさせるんだから、何も言わないままでも…」
「言えない理由があるから、言わなかっただけなんじゃないの?」
言い訳がましくつぶやかれた声を、上から潰すようにおおらかな音声が押さえ込んで。
小さな反論すら許されないのに、呼気は喘ぐ。
図星に図星を重ねると、人間は墓穴を掘って埋まっていくのだろうか。
見た目の凛々しい城壁が、どんどんしおれていく。
哀れな…。
- 624 名前:御使いの笛 投稿日:2006/09/02(土) 11:42
-
「まー。中澤さんもだけど。
よっちゃんが思ってるほど、彼女は子供じゃありませんでした〜ってコトで」
訳知り顔の木村さんが、うふふんと笑いながら矢口の肩を押し出す。
トト。小さな体が少しばかり近づくのを、怯えるようにみつめる目。
「やり直し、効かない?ていうか、スタートもしてないんだけど」
――少女の一途な片思いくらい、受け止める度量はないのかね?
言葉のニュアンス一つに、城壁は今度こそ体の芯をなくす。
吼えこむための体勢だった城壁の上体が、力なく重心を後ろにかえる。
こどものようにペタリと座り込んだ膝を、観念するかのようにあぐらに組みかえ。
自らの頭を抱え込む。
スタートもしていない。やり直し、効かない?
その言葉の含んでいるたくさんの想いが、矢口のことを知らない人に見せるから。
捕縛師は、薄く口元を引き結んだ。
自分が思うよりも、彼女はちゃんと、もう大人なんだろう。
- 625 名前:御使いの笛 投稿日:2006/09/02(土) 11:44
-
「じゃ、後は若いものに任せて」
我々は先に進みましょうか――。
と、絢香がまるで問題無いように言うものだから、捕縛師は眉をひそめた。
「って。コイツが矢口になにもしないって確約はないやろ?
万一傷負わせたり、無責任に放ったりしたら…」
「自分でもそうできたらと思うんだけどね…。彼女に限ってそういうコトはできないよ」
耳を疑うほどの柔らかな声色で、投げやりな動作で腕を振付けた。
まるで酔っ払いが介抱を拒むように見えて、その心中が複雑なことを思い知る。
さっきまで大上段で拳を振るっていたとは思えない姿に、ケっと捕縛師は悪態をついた。
「思うよりヘタレ〜ってヤツだな」
「っだとッ」
再度上体を起こそうと躍起になった城壁に、今度はリボルバーの銃口ががっちり向けられる。
「そういう元気があるんだったら、これからの時間、矢口のことちゃんと守ってね?」
「あ。ハイ」
うわ。至高の獣から、思い切り大型犬に格下げかい。
尻尾と耳があったなら、城壁の体に添うようにしおりと垂れているだろう。
それに裕ちゃんも人のこと言えないじゃん――。
無理に少女性を滲ませているように見えて、矢口の表情が痛々しい。
- 626 名前:御使いの笛 投稿日:2006/09/02(土) 11:45
- 「そうそう。次元弾のパック矢口さんが持ってるから、万が一の時はつかって?
で…。
何もかもが終わったら、ウチにおいでって…これはウチの社長からの伝言」
間を縫うように絢香が告げるのを、城壁は苦い笑いを浮かべて受け止めた。
「また。そちらの社長は懐が広いね」
――だから総裁みたいなのが育っちゃうんじゃん。
嘲るように笑ってから、オフィスの壁に背中を預ける。
幾度か自らの腹部に手をあてて、ダメージの浸食を確認しはじめた。
きっと。これからのコトを考えているのだろう。
絢香の目は穏やかに細まった。
お調子者の顔もするし、ウジウジもするし。
「実は悩んでる」とか言って真っ暗になって、せっつかれて、顔をあげるような。
今までよく見てきた、吉澤ひとみの姿だったから。
- 627 名前:御使いの笛 投稿日:2006/09/02(土) 11:47
- 「一緒に呑んでるとさ、ごっつぁん時々わからなくなるんだよ。
ホントに壊そうとしてる顔と、なにか寂しそうな顔と…重ねて見せてくるからさ」
腰にすえたポーチから、疲労を誤魔化すためのタブレットを取り出し口に放り入れる。
ガリ。と奥歯で噛み砕いて、その苦さに視線を歪めながら、言葉をさがして。
「黒騎士きてるんでしょ?」
「あー。圭坊なら一緒に入ってきた」
不意に愛称で呼ぶものだから、城壁の目は点になる。
この世の中にあの騎士を愛称で呼ぶ人間が居ようとは…というところか。
それなら…。
安心なのか、去来するものまでは推し量れない。
だけれど、確かに彼女は苦笑って言った。
「なんかしら、待ってるんじゃないかな。
期待通りにコトが進もうと、コトが潰れようと――」
友人として後藤真希という人を思う、視線。
どこか寂しくて優しい視線なのは、ほんとうに友人だからだろう。
- 628 名前:御使いの笛 投稿日:2006/09/02(土) 11:49
- 進め。ということだろう。
なら、進むしかない。
抵抗とか反抗だとか言う色を見せない城壁を、どうやら飲み込むほかなさそうだ。
矢口を残していくのも難しいが、連れて行くのはもっと無理。
捕縛師は小さく拳を握ってから、小さな体に近寄った。
ゆるりと見上げる表情は、さすがに固い。
覚悟はあるらしい。
不意に振りぬかれる手が、パシンと乾いた音を立てた。
「言いたいことくらい、わかってくれるよな?」
行動とともなわない優しい声色に、矢口は静かに頷く。
平手。という選択肢が取れるほど、捕縛師が彼女に近い人間なのだと、城壁は再認識したようだ。
- 629 名前:御使いの笛 投稿日:2006/09/02(土) 11:50
- 「そこのヘタレが、お前にとってえらい大事なのはわかった。
でも、意味合いはどうあれ、あんたのコトはあたしも大事に思ってる」
――それも、ちゃんとわかってくれるよな?
こくり。
「お説教なんかせんでも、頭のいいお前のことだから、ちゃんと感じてくれるだろう」
自責の念で、ちゃんと後悔しろよ。と。言外に言い含めて、やわらかな髪に手を置いた。
「全部が終わったら、前に三人で食べたケーキ。
…あれ、みんなで食べよ」
――圭坊に、みっちゃんに…。そこのヘタレは仕方が無いから薄っぺらいのやってな。
ヘタ…!と顔を赤くするが、今の城壁に反論の余地はない。
「村田社長さんとか、そこの木村さんなんかにもお礼をせないかんし。
矢口一人で何ホールも焼くから面倒やろうけど、連れて帰ったらアイツにも手伝えるだろ?」
捕縛師がやわらかく首を傾げるのを、矢口は両方の瞳を潤ませて聞いた。
- 630 名前:御使いの笛 投稿日:2006/09/02(土) 11:52
- 「んだよ。変なこと言うなよなぁ。
甘いもん嫌い〜とか、散々言っておいてさぁ」
グシ。というしゃくりあげる仕草に、裕子は申し訳なさそうに笑う。
「おう。あれは食べられた。
初めて食べたときよりも、ずいぶん甘さが抑えてあったしな」
ふふふ。笑いあって、離れる。
それから豹変するかのように視線をむけ、捕縛師は城壁を軽く脅した。
「なんかあったらケーキ抜きやからな!おぼえてろヘタレッ」
「ヘタレって言うな!」
まるで中学生の男子のかけあいみたいだ。
その気軽さが裕子の信頼に足る証拠なのだと、城壁は気づくだろうか。
少なくとも、矢口は気づいたようで笑っている。
「じゃぁ、いってくる」
「うん。また後でね」
――そしたら、ゆっくり時間とって、全部はなすよ。
あとでね。
祈りすらこめられて聞こえるその言葉。
しずりと捕縛師の胸におちて、強さを増す。
「おう」
ブーツの踵がフロアを踏み込む。
傷だらけの外套が空気をはらんで大きく揺れた。
次になにが待っているのか、予測はつかないが、取り戻そうという気持ちは更に強まった。
靴音は二つ、上階への道を走り出す。
- 631 名前:御使いの笛 投稿日:2006/09/02(土) 11:52
-
- 632 名前:関田。 投稿日:2006/09/02(土) 12:03
- 御使いの笛15:エンカウント-05 更新しました。
どう出会わせるか。
が、しっくりいかず、こんな日付になりました。
待っていてくださった方々には、多大な感謝を。
ありがとうございます。
仕事がかわったり、有明用に文章をまとめたり(ヲイ)、高級果実さんを追っかけたり(コラ)。
なんか毎日過ごしていたら、あっと言う間にこんな日付が経ってしまいました。
それでも書きたい「画像」が頭にあるかぎり、このお話は止めません。
思い描いていた通りに進んでいるか?と言われると、まぁそれも難しいんですが。
ちょこちょこでいいのでお付き合いいただけたらと思います。
言い訳がましい言葉に見えるかもしれませんが、レスに代えさせていただきます。
こんごともよろしくお願いします。
では、次回更新でお会いしましょう。
- 633 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/09/02(土) 18:04
- 待ってました〜!更新お疲れさまです。
こうなりましたか・・・。
ますます「先」が気になります。
次回更新も楽しみに待っています。
- 634 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/09/03(日) 00:56
- 更新スレで目にして、ドキドキしながらクリックしました!
待ってました、待ってましたよぉ。今夜は嬉しくて眠れそうにないです。
だんだんと核心に近づいていくであろう今後がますます楽しみです。
- 635 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/09/03(日) 09:05
- 待ってました!
銃声が気になってたんです。そうですかそー言う事なんですか。
あっちもそっちも気になるし、ん〜面白いです。
- 636 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/09/04(月) 11:21
- >どう出会わせるか。
色んな展開を想定して首を長くしていたんですが。
彼女の覚悟をナメてました。
次回も楽しみにお待ちしております。
- 637 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/09/05(火) 01:27
- 仕事が休みの今日、家事もそこそこに朝から#1を読み返してました。
一語一語、丁寧に読み込んでたら今までかかってしまいました。
でも、やっぱり簡単に感想を言葉で表せません。さて、明日は#2を。
何十回読み返しても、スゴイの一言に尽きます、いろんな意味で。
裕子さんいってらっしゃい!
- 638 名前:637です 投稿日:2006/09/06(水) 02:21
- すみません!ごめんなさい!
ラスト1行の下からえらい間が出来てしまってたようです。
ご迷惑おかけしました。
- 639 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/10/06(金) 22:18
- ワクドキしながら更新お待ちしてます
- 640 名前:御使いの笛 投稿日:2006/10/25(水) 22:21
-
- 641 名前:御使いの笛 投稿日:2006/10/25(水) 22:22
-
16:エンカウント-06
- 642 名前:御使いの笛 投稿日:2006/10/25(水) 22:23
-
シュア!
気合のままに、長靴を補強する特殊合板がシャンと耳障りな音を立てる。
必要な間合いに入り込めないのは、彼女のしなやかな腕が操る刃物のせいだ。
関節一つでも固められれば押さえ込めるはずが、長々時間をとられている現状。
大振りの鉈を扱うようにと言った自分の進言だったが、目の前の彼女は思うよりモノにしていた。
縦切るその速度。
横、凪ぐ的確さよ。
それでも一瞬の制動が次の手を読ませるために、危機的な状況には追い込まれない。
一点ずつに対応しながら、手管を一つずつ潰していく。
突き出された腕を掌底でそらし、襟首を吊りとろうと試みる。
が、背中でひるがえる刃の気配に、間合いを開けずにはいられない。
刃が届かなかろう方向へ体をさばき、横から突き上げるように拳を出すも、肘で潰される。
まぁ、よく手を合わせられるほどにまで、成長したものだ。
- 643 名前:御使いの笛 投稿日:2006/10/25(水) 22:24
-
「いしかわさぁ。そろそろ諦めなよ」
――や、言い方かえるわ。諦めてよ。
ついで突き出される刃の光をそらしながら、呆れるような口調で武器屋は紡いだ。
二度、三度と突き出される刃を紙一重にかわす。
普通なら焦れて集中を途切れさせるだろうに、彼女はやはり、武器屋の癖やバランスを心得ているのだろう。
どこか挑発するような圭のそぶりにも、まったく釣られない。
「諦めるって、何をですか?」
折りたたまれた肘に故意にぶつけるように、拳を突き上げる。
弧を描く肘の鉄槌と、割り貫こうと言う拳の反発。
ゴ。と鈍い音をたてて一瞬の硬直が生まれた。
好奇心で割れ物を叩き壊すように、衝撃がはしり、離れる。
まるで霧散だ。
痛みはほんの少しおくれて訪れる。
力の反発のまま体を倒し、再び、蹴撃が不自然なほど自然なバランスで重なった。
- 644 名前:御使いの笛 投稿日:2006/10/25(水) 22:24
- 「先に行かせてくれないかな。もう時間無いんだよ」
これ以上長引くのなら、必要に迫られてでも、ピリオドを打たなければならない。
それくらい。
武器屋にだって、わかってる。
「じゃぁ、私を始末すればいいじゃないですか」
簡単そうな選択肢のように、ポンと言葉を放り投げて、彼女は艶然と微笑んだ。
まるで魅力的な選択肢のように思える。
不思議なことに。
でも、惑わされてはいけない。
ほんとうに力を揮わなければならない場所は、今、この場所ではないのだ。
「なんで手を下さないんですか?
昔の黒騎士なら、役立たずなポーンごと獲物を一掃したり、平気だったんじゃないんですか」
同じように潰すくらい、ためらいも持たないはずの貴女が、どうして手を下さないのです?
顎を引きねめつけるその視線は、拳にも増して饒舌。
確かに。
どこで聞き及んだのかは知らないが、昔は、そうだったねぇ。
暗い微笑を浮かべて、圭は軽く肩をすくめた。
- 645 名前:御使いの笛 投稿日:2006/10/25(水) 22:25
- 「下さないんじゃなくて、下せないんだよ。
石川さぁ、笑うかもしれないけど、けっこうイロイロ…思うトコがあってさぁ」
――歳くったって言うか、円くなったのさ、これでも。
円く?という嘲笑に、判断の鈍りを見つけると、武器屋が静かに腰を沈めた。
視覚の隙をつくように揺らぎをまとった拳が、幻のように歪んで一度腹部を打ちつけた。
ヅ。と衝撃を一手に受け付けた体が、くの字に折れ曲がる。
その腕を極限までひきつけ、とらえると、腹部に容赦なく靴底をたたきつけた。
まるで至近距離での射撃にも似た弾丸。
縫いとめられるように壁に叩きつけられ、とうとう細い体がくずれ落ちる。
無造作に打ち捨てられた人形のように、くたびれてうちひしがれる体。
キレイな顔をしているものだから、どこか官能的で、どこか乱れていて美しい。
ひとつ余裕で呼気をととのえ、真正面から見据える。
- 646 名前:御使いの笛 投稿日:2006/10/25(水) 22:26
- 「なんだ。天使を取り戻そうとしてる捕縛師、アレと出会って変わったって言うのかな」
――で、その捕縛師が天使と一緒に居るのを見て、さらに解けたって言えば伝わる?
ずるりと座り込んだ司教の前に立ち、ゆっくりと膝からかがみこんで視線をあわせた。
かなりの衝撃だったのだろう。
当然。司教の視線は苦々しく歪んで、騎士をにらみつけている。
あぁ。キレイさが微妙に台無しだ。
「ねぇ石川。あんたは別としてさ。
私も人とかかわるの、あんまり好きじゃなかったけど。
今はそうでもなくなってきたよ」
ちょっとしたコトでも思い出せる。
はたから見ていれば、単なる悪ふざけに過ぎないような画だったけれど。
- 647 名前:御使いの笛 投稿日:2006/10/25(水) 22:27
- ただただ、好きなモノのことで語り明かしてしまう夜。
ふざけて頭をたたきながらでも、苦手なものを口にする挑戦。
ジョークを重ねて笑い合えること。
一瞬でも、誰かのために真摯に祈ること。
誰かのために、祈ったりできること。
今の自分が、そんなに、嫌いじゃないこと。
この自分を、誰かに知っていてほしいこと――。
そんな甘い考えを抱いていることにも、苦笑がのぼるくらいだけれど。
「今までの自分を否定するわけじゃないけど、今の自分も嫌いじゃないんだ」
安穏としてて。
のらくらかわせて。
本心を見せないなんて、無駄な武装をしないで済んで。
ぬるま湯だよ。と、キミは笑うかもしれないけれど。
- 648 名前:御使いの笛 投稿日:2006/10/25(水) 22:27
- 「でも。それは、今までの自分が培ってきたものが、体の中にあるからなんだよね」
――石川と一緒に居た時間も、ちゃんと抱えてるよ。今だって。
ぬるま湯でも火にかければ、沸騰して灼熱にかわる。
じ。と相変わらず力ある視線をむけ、そのなかに斬るだけでない強さを込められることを、覚らせられる。
司教と呼ばれる立場の女は、苦々しくくちびるをゆがめたあと、深く大きな吐息をついた。
腹部に受けた穴が穿たれるかと思うほどの衝撃を、指先だけそえて奥歯を噛む。
「…れた」
うまくコトバを紡げぬ口元に、怪訝そうな表情を武器屋が寄せる。と。
「呆れたって言ったんですッッ!!」
耳をつんざくほどの大声(高音)で、圭の耳の穴を貫通させるかのごとく叫んだ。
司教はそのままケフりと体を折り、大声を出した自らの衝撃で受けたダメージにむせぶ。
- 649 名前:御使いの笛 投稿日:2006/10/25(水) 22:28
- 「ってあんたねぇ!」
「言いたいこと言わせておけば、コッチのコトなんかこれっぽっちもわかってないじゃないですか!」
大音響の反射で詰め寄ろうとした圭を留めたのは、司教の抗議だけはなくて。
「ただ恨めるなら、それほど楽なことなんか無い…のに」
ただ憎めるのなら。
ただ、恨めるのなら。
ただただ、憎悪するだけなら。
もっと、もっと簡単に割り切れたのに。
「どんな気分で居たと、思ってるんですか?」
言葉にしてこぼれた心が、ぽろぽろと零れ落ちる。
「どんな風に思って、私が…どうやって憎んでッ、流れ着いたと思って――ッ」
ドス。肩先を強く拳がたたく。
「なんで私が…、恨まなきゃ……」
力を失った手が、ジャケットの肩先をつかんで握り締める。
- 650 名前:御使いの笛 投稿日:2006/10/25(水) 22:29
- あぁ。バカだなぁ。
圭は眉をまげて、自らの髪の毛をかきあげる。
こんなときまで、表情を、キレイだと思ってる――。
「たしかに。確かにあの時は、一緒に行っても足手まといだったと思います。
事情も…あとになって、ようやく飲み込めたくらいだし」
それでも。何も知らせられずに居なくなられるあの絶望感は、心を闇の底へ落とすのに十分な仕打ちだった。
「ずっと。ずっと、自分の不足ばかり考えてました。
でも。何も素直には伝えてくれない貴女を、覚ることなんかできなくて…」
――求められてることだって、私にはわからなかった。
思い出せばおもいだすほど、自分が何だったのか、わからなくて迷路は深まるばかり。
迷宮の真ん中で叫んだ自分の声で、盲目からは目が覚めた。
そのかわりに得たものは、責任転嫁。
愛情と背反の、仄暗い怨嗟…。
涙がとうとうとあふれて、両手で顔を覆った。
- 651 名前:御使いの笛 投稿日:2006/10/25(水) 22:29
- 「石川…。あのさ。
今なら、圧倒的にコトバの数が足りなかった自分のこと、ちゃんとわかるからさ…」
きっと。お互いに、あの頃は理解が足りなかった。
ただついてくるだけで精一杯だった目の前の彼女と。
帰り着いた自分への癒しだと、思っていただけの自分と。
「理解したいって、ただ、そればかり思ってた」
――いつか理解できるって。いつか隣に並べるって。
聞く耳も、話すくちびるも、足りなかった。
ささやく声も、キスするくちびるも、それは饒舌だったのに。
それだけだったね。
それだけ、だったのか。
伝えなきゃ伝わらないことに、いまさら気づかされて力が抜ける。
でも、気づいたからには、間違えないようにしないと。
捕縛師たちとの日常で覚えた、それは、真摯さ。
「ん…。それはさ。それは、一緒だった」
――でも、石川はもう、私の隣に居たんだよ。私が、ちゃんと伝え切れなかったから、信じてくれなかったけれど。
- 652 名前:御使いの笛 投稿日:2006/10/25(水) 22:30
- 力の無い笑みをうかべ、圭はゆっくりと立ち上がった。
姿を追う瞳に、もう殺意は無い。
諦めを得たその黒い視線は、涙にゆれて不可思議な色を放つ。
「もうさ。気持ちなんか何百…何千周もして、遠くなっちゃったかもしれないけど。
どこかで一回、こうして伝え合わなきゃわからなかったんだよ。
こんなタイミングでしか、伝えきれなかったのが、私なんからしいんだけど」
こんな時まで遠まわしにしか言えない。
圭の姿に苦笑を得て、司教は口元を抑えた。
笑うなよなぁ。情けなさは極み、眉を段違いにまげて、それでも武器屋は継いだ。
「世界が続くとか、続かないとかどうでもいいから。
終焉ならそのときを。続くならその先を。一緒に見ようよ」
一緒に、見に行こう――。
「他の誰でもない。石川に一緒に来てほしいんだ」
足りない言葉なら、ゆっくりでも足していく。
望めるような優しさはあげられないかもしれないし、毎度鈍感だから怒らせるかもしれないけど。
キミのために努力させてほしい。
世界がつづいた、その暁には。
この命が、続いていたらだけれど。
- 653 名前:御使いの笛 投稿日:2006/10/25(水) 22:31
- 「……んと、信じられない」
呆れるような口調を崩さずに、もう一度顔を覆う。
そこにあるのは呆れと怒りを通り越した、穏やかでどうにもならない諦め。
いや。諦めきれなかった思いが、カタチを変えて呼び覚まされた諦観なのかもしれない。
どちらにせよ。それは一度諦めて、飲み込み、どうにか飲み干した気持ちでしかないけれど。
「昔ほど従順でもなければ、昔ほど可愛くもないんですからね」
いちおう素直に従うのも癪なので、司教は黒騎士に楯突いてみる。
それでも皮肉もどこ吹く風か。
それともほんとうに鈍いのか。
「昔よりズバっとモノもいうし、昔よりキレイになってるじゃん」
――前よりもうちょっと、巧く行くんじゃないのかな。
うわ。なに、この口説き文句。
端で聞いてるほうは耳を疑うほどの天然っぷりである。
「万が一、万が一でも時間が続いたら…言いたかったこと、ぜーんぶ聞いてもらいますからね!」
もうホントに諦めた。
投げやりに言い放って、武器屋をねめつけるが返答は暖簾にむかってグーパンチ。
「そうだね。万が一、生きて居られたらね」
苦々しい息を吐き出しながら、司教は自らの膝に力をかけてグゥと立ち上がった。
- 654 名前:御使いの笛 投稿日:2006/10/25(水) 22:33
- 自らの手を腹部の傷にそえ、再度内傷の度合いを確認する。
口元に滲む血も口内の裂傷からだろう。
赤く、黒さはない。
「動けそう?」と問われ「着いていきます」と答える。
こういうときに薬を常用していない自分に安堵する。
効きがよければ、しばらく無理もできるだろう。
苦々しいタブレットを噛み砕いて、ムリヤリに飲み込んだ。
仕事でパートナーとして立ったことはなかったのだけれど、と思い返しながら、司教は表情をかたくした。
「じゃぁ。そこの騎士さんさぁ、松浦に話振ってくるから」
あ…あぁ。一応忘れられてなかったんだ、私。
倒れっぱなしの藤本美貴は「なにこのピンクの空気…」と苦々しい表情を隠さずに眉を曲げる。
かったーいブーツの靴底がカツカツと近づいて、再度武器屋に見下ろされた。
良い気分じゃねぇよ。たしかに。
良い気分で居られる人間が居るのなら、お目にかかってみたいもんだ。
噛み付かんばかりの形相を見せるものの、手も足も出ないので唸っているしかない。
- 655 名前:御使いの笛 投稿日:2006/10/25(水) 22:33
- それでも、武器屋は穏やかに笑って言ったのだ。
さも、難しくもないコトのように…。
「世界の先、連れて行ってやるから。
だから。お前も生きろよ」
――さっき言ったこと、ちゃんと覚えてるからさ。
自らの頭というHDDを指差して。メモリに刻んだよ。と笑いながら。
「っし。行くよ石川」
「はい」
足音が並んで遠ざかる中、ようやく体をうつぶせにした騎士が、深く大きな息を吐き出した。
わざわざ痛覚緩和のアンプルまで置いていくとは…。
化け物。か。
ふは。と気の抜けた笑いを浮かべて、指先でそれを取り上げる。
「この期におよんで…、世界の先を望むようになるなんて。
やっぱ人間なんて、勝手な生き物なんだよねぇ。所詮」
鈍い光を放つ樹脂素材を指で弾いて、大の字に静かに表情を床に伏せた。
足音は遠く消えていく。
- 656 名前:御使いの笛 投稿日:2006/10/25(水) 22:33
-
- 657 名前:関田。 投稿日:2006/10/25(水) 22:42
- 御使いの笛16:エンカウント-06 更新しました。
毎度間があいてしまうのが申し訳ないんですが、
ジリジリと匍匐前進で進んでまいります。
珍しく予告をしますが、次回は二択。
あっちもそっちも、の二択なんですが(笑)、覚悟のカタチか、久々に警護保障さん。
どちらになるかはお楽しみ。
レスを下さる方々に多大な感謝を。
読んでいただいてるなぁ。とヒシヒシ思います。
思うより自由に書き連ねられるのは、レスの後押しもあるのです。
ではまた。次回更新でお会いしましょう。
- 658 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/10/26(木) 00:15
- 更新お疲れ様&ありがとうございます。
油断してました!週末に更新されるもんだと思ってたので。
毎日欠かさずチェックはしてますが、まさか平日の今日、続きが読めるとは。
作者さまを急かすつもりはないですが次回をワクドキで待ってます。
(と言いつつ今すぐにでも続きを読みたい私…)
- 659 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/10/29(日) 21:53
- きっとその光景は殺伐としてるんだろうけどピンクでしたw
連れてって欲しいですね
今回も面白かったです
- 660 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/11/05(日) 18:46
- この二人最高です。
- 661 名前:御使いの笛 投稿日:2006/11/11(土) 22:19
-
- 662 名前:御使いの笛 投稿日:2006/11/11(土) 22:20
-
17:ハイタッチ
- 663 名前:御使いの笛 投稿日:2006/11/11(土) 22:20
-
「本日はー、忙しい中、我々の呼びかけに応えていただきまして、ありがとうございます。
私、新都市警護保障にて社内を束ねております、村田めぐみと申します」
ザワりと建物の中がざわめく。
エアテントの機構を応用し、巨大にした建物。
名前を東京ドームと言われていたその建物は、まったく同じ建材をもって新築されていた。
今や上層における、旧世界の遺跡のようになっている。
それでも遊戯施設は併設されないあたり、殺風景なものだ。
集められたのは、約二万人の上層市民たち。
『呼びかけに応えて』というのは、新都市警護保障の出した「レッドアラート」による避難指示に対しての話だった。
「このたび、第一種警戒を発令したのは、他でもありません。
皆様のこれからの生命維持と、万一有事が起きた場合への迅速な対応を図るためです。
安全が確保されるまで、数時間のご不便をおかけしますが、命が惜しかったら大人しくしててくださいね?」
剣呑な声と瞳をむけ、最後は一言の脅迫を含んでアナウンスブースの席を立つ。
後ろには幹部である柴田あゆみと、いまや「お付き」の感もある斉藤瞳と大谷雅恵も同行している。
- 664 名前:御使いの笛 投稿日:2006/11/11(土) 22:21
- 「それにしたって、全ての説明が無いまま、従ってくれるもんですかね」
コンクリートの階段。
ゆっくりと降りながら、階下を見やる。
すり鉢状の巨大な建物、そのプレイグラウンドだった場所に、呼びかけに応えた市民が詰め込まれていた。
疑問符を口にしてしまうのは、仕方がないことだろう。
眉根を寄せる部下に対して、一般市民にしてみたら「前総裁と同じ位置に居る怖そうな人」は微笑む。
ずいぶんやわらかくなったとは言え、元々のTSSPへの畏怖がまだまだ消えていないのが現状。
その畏怖があればこそ、この場所で済ませられるのだと、めぐみは知っている。
前人の残した、唯一の功罪と言っていい。
「従ってよかったと思わせるのが、私たちの仕事でしょう。
何も無かったならばヨシ」
――何か起きたならば、それをねじ伏せれば良い。
まるで造作もない話のように眉を上げるものだから、雅恵は口ごもった。
「木村さん、矢口さん連れて飛び出しちゃったじゃないですか。
あの人あれでも実働のトップなんですよ!?一番強くてッ。
どうやって事態を――って、急に立ち止まらないでくださッ」
ト。足を止める背中に雅恵が激突して、一行は立ち止まる。
- 665 名前:御使いの笛 投稿日:2006/11/11(土) 22:21
- 気づいたあゆみは振り返り、瞳は少しばかり目を丸くする。
まぁ、木村さんの気まぐれが今に始まったことではないので、彼女は自分の仕事をするだけだと構えているが。
胆の据わっている柴田だって、内心は雅恵の言うとおり、呆れている。
想像を絶するといわれている事態に、なんで彼女を送り出してしまったのか。
そこにもたらされた台詞は、それこそ予想外の言葉。
「応援くらいは頼んでますよ。
さすがに、うちの人数だけで対処しきれるとは思えない」
――それだって、他の警備会社でこの事態に立ち向かえるとも思って無い。
新しい事実と、今までの彼女たちへの信頼。
紡ぎだす内容の矛盾で思考を混乱させながら、村田めぐみは霍乱を誘う。
味方でさえも煙に巻き、一つの出口に向かわせてしまうその話術は、まるで群れを預かる羊飼いのようだ。
旧い知り合いがいるんですよ。
と。どこか生ぬるい表情で言い放つと、更に添えた。
「警備会社じゃないけれど、戦闘には向いた社員ばかりを集めてる会社なんでね。
そこは安心して構いません」
他業種でこんな能力を持っている会社があるはずがない。
三人は首をかしげるが、社長は気にもとめない。
それどころか、三人にむけて静かに手を差し出した。
- 666 名前:御使いの笛 投稿日:2006/11/11(土) 22:23
- 「まぁ、大谷君?キミだって、社内検定では指折りの上位でしょ?
斉藤君だって、実務の頃の実績は買ってます。
柴田君は言わずもがな。
前に言ってたほど、キミたちを信じていないわけじゃなくてね」
――信頼に足りない人間をソバに置くほど、私ももうろくしてないんですよ。
などと。なんのためらいもなく言い放つ、薄らとした微笑の綺麗なこと。
な。と、思わず口元を押さえる。
何気に今、ほめた。って言うか、恥ずかしいことをサラリと言った気がするけれど?
信頼に足りない人間じゃない。ってことなんだが。
その言葉をもらえるほど、自分は確かに働けないと思う。
だって。
「し、柴田さんはどうあれ。わ、っわたしたちですよ!
ど。どれだけ実戦離れてると思ってるんですかッ」
拳を握って訴えるのに、社長はするりと腕を組んで口元を持ち上げた。
口角のあがりかたひとつで、この人の笑みは「不敵」にも「綺麗」にもなるのだが。
今は前者。
どことなく含んだ微笑みに、怖気ぬ部下はメンチきりっぱなしである。
「だいじょうぶ。就業後の余暇、休日と、日勤の休み時間。しっかり補ってるの知ってますから。
ペーパーテストも上位だし。戦術の記述発想も面白かったし」
――無記名だって字を見ればわかるし。帳簿と査定、直々に行ってる社長を舐めちゃいけませんよ?
か。陰での努力を知られてる。だと?
雅恵はそれこそ膝に手をついて、大きく項垂れた。
- 667 名前:御使いの笛 投稿日:2006/11/11(土) 22:24
- 羞恥だ。努力するのは自分の領分だから、それは当然として。
知ってるって。
あんた、それって何よ。
確かに、銃弾の使用申請は個人のカード一つで全て管理されているから、データ一つで丸わかりだろうけども…。
思わず頬が赤くなって、立ち尽くしてしまう。
人の悪い笑みを浮かべ冗談めかして、先に進んでしまう社長に、雅恵はワシワシと頭を掻いた。
どうして。どうして、人を見る目があんなに細かくて、しかも繊細なのか。
他の部分で大雑把なくせして、時折執拗なほどに用意周到。
その周到さは周囲を圧倒し、飲み込んでしまう。
人の悪い冗談ばっかり浮かべる上司だと思っていたら、すっかり取り込まれている。
自分も。
きっと……ここに居る、社長に近しい同僚たちはそう思っているはずだ。
ことさら。近頃は社内でも「側近」だとか「近衛」だとか言われているのだから。
距離が短くなればなるほど、ほんとうに近くなる。
理想だろう。
前の会社では考えられなかった、関係性の綯われ方だ。
- 668 名前:御使いの笛 投稿日:2006/11/11(土) 22:25
- 「いやぁ、やっぱ敵わないねぇ。うちの社長には」
掬い上げるように苦笑する瞳に、すがるように視線をむけて。
「て、そう思ってたんでしょ?」
――着眼点ていうか、人に対して細かいんだよねぇ。
思わず苦笑して、差し出された手に雅恵は自分を添えた。
「んー。なんつぅかさ?
ひとみんはほら、じぃっと見てる部分もあるけど、感じるタイプじゃん。
あの人は観察眼なんだなぁ…ってね」
どうしようもねぇな。
照れ笑いなんだろう。
苦笑のままかたまった表情が、力なくほどけていく。
「ヘタしたらこれから大事だっていうのに、口説きまくりだからね」
瞳の視線の先で、筆頭に直接声をかける姿がある。
「それでも、滅多に口説かない人だから。
こっちは勝手に解かれちゃうんだろうけど」
わかってるさ。わかってるのさ。
もうとっくに、村田めぐみという人の部下なんだ。
そして、そんな自分が嫌いにはなれない。
しかし。
その信頼に応えられるのだろうか。
- 669 名前:御使いの笛 投稿日:2006/11/11(土) 22:25
- 口はへの字をえがいてかたまる。
「大谷さん、斉藤さん。下でミーティングだって」
少し離れた場所から、あゆみが手招きしている。
行かなきゃはじまらないってか。
しぶしぶ進もうとも、イマイチ足が動かない。
「そりゃさ。ポーンの筆頭だったんだし、指揮系統くらい扱えるけどさぁ」
不安にかられて呟いて、くちごもる。
心の動きを掬い上げてか、瞳の視線はとても穏やかな熱を放った。
安堵感を持たせる、強い目をする。
こわがりだけど、いざと言うときの根性は人一倍据わっている彼女の強さ。
「今回はさぁ、任せてもらえるって思おうよ。
で、全てが巧く行ったら、そのあとで笑って社長を殴ってやろ?」
――それくらいのコトは許してくれるよ。
それで居て物騒な発言をするものだから、雅恵は苦笑してしまう。
そうか。納得するぞ。
全部終わったら一発くらい殴ってやろう。
そうしようそうしよう。
部下二人のそんな納得も知らずに、新都市警護保障の社長はグラウンドで三人を出迎えた。
- 670 名前:御使いの笛 投稿日:2006/11/11(土) 22:25
-
- 671 名前:御使いの笛 投稿日:2006/11/11(土) 22:26
-
「天秤の作動後、傾きが故意に操られた場合、天の扉がひらいて天使が落ちてくる。
ヤツらは秤の重さ一つに操られた、破壊しか知らない下級の暴徒だ。
我々は使徒による人類の喪失を防がねばならないし、その義務を負う」
――我が社の本懐であるところを、勇猛に果たさねばならない。
普段。理知に満ちた顔を見せるのに、今ばかりはとても熱っぽい。
視線の強さだとか、どこか含んだ笑みは変わらないのだけれど。
その含み具合というか、幾分強気に見える仕草が平素よりも数段魅力的に映った。
熱はポーン筆頭にも程よく伝わるらしく、後藤総裁とはまた違った人心の取り込みに見える。
直接指示を受けることが少なかった士官たちは、みな真剣極まりない。
社長の中身を知らない、知らせないというのは、バランス一つで巧く行くものなのだな。
感心してしまう。
いつもすぐ近くでその言葉を耳にする三人にも、見たことも無かった社長の熱気が入り込んでくる気がした。
- 672 名前:御使いの笛 投稿日:2006/11/11(土) 22:27
- 「今日の午前中に全員に配布されているとおり、下級天使に対しての対策は万全に練っている。
バディの存在を遠くしないように、下の子たちにも徹底させなさい。
心と体の隙をついて、内側から人間の質量を食って顕現するものも多いからね」
――食われて裏返った人間を元に戻す術は無い。それだけは、覚悟して。いいね?
押し寄せる波のような返事が、一瞬で駆け抜ける。
グ。っと握りこまれた拳に、あゆみは小さく眉を持ち上げた。
社長もやっぱり、どこか緊張しているらしい。
メガネのレンズ。小さく写りこむあゆみの気配に、めぐみは気づかぬフリで拳をガンと掲げる。
「では、総員配置へつけ。
これで全てが巧く行ったら、全員で宴会しようじゃぁないかッ!」
うおおぉん!と押し寄せる怒涛の声。
一気にヒートアップさせて、士気を持ち上げる。
「定時連絡と別個に、追って沙汰する。万全に整え待機せよ。散会!」
筆頭達を散会させて、すぐそばの幹部に振り返った。
- 673 名前:御使いの笛 投稿日:2006/11/11(土) 22:28
- 「で。私たちはどうすればいいんです?」
演説を興ありげにみつめていた幹部三人が、軽く首を傾げた。
仕方がないから腹括りましたよ。
好きなように使ってください。
今回ばかりは着いていきます。と。
「私と一緒に忙しく動いてもらいます」
――今夜は寝かしませんよー?
わざとらしくメガネを指先で持ち上げて、不敵に微笑む。
悪い冗談にもならないのに、一瞬眉をしかめる。
しかしその表情もかまうことなく、冗談の気配を一瞬で遠くに追いやると、彼女は強い口調言い放った。
「あと、キミたちの誰一人として損なう気はありません。
各々肝に銘じるように」
――コレが終わったあとのほうが、人間イロイロ大変なんですから。
ちゃんと助けてくださいよ?
- 674 名前:御使いの笛 投稿日:2006/11/11(土) 22:28
- 言い切る強さ。
普段の飄々とした気配を隠してしまう真剣さ。
なんてズルイ。
万が一の損失すらも許さないと、先に念を押されてしまっては、無茶らしい無茶もできない。
自分を犠牲にしても…なんて考えは取れないことになる。
余韻を残すように前を進む社長を、思わず見送る。
「欲張りだなぁ」
「欲張りすぎだよね」
呆れるように眉をしかめる事務官に、あゆみは軽くふきだした。
視線を貰ってしまい、他意がないことを大慌てで主張して、柴田あゆみは軽く社長を指差した。
「でも、そういうところが…社長の優しさなんですよね」
みんな解ってるでしょう?
三人は顔を見合わせて、それから致し方なし頷きあう。
納得?溜飲?えっと、なに?ま、そうね。
もう解ってるんだけどね。
ニィと口元を持ち上げて、柴田あゆみは手を肘から上をかるくもちあげた。
- 675 名前:御使いの笛 投稿日:2006/11/11(土) 22:29
- 意図を汲み取った瞳が、ハイタッチに応じる。
雅恵と瞳も、当然あゆみとも。
それぞれが意図を解し、繋がった各自をお互いに刻み込む。
パシ。パシッと小気味良い気合の入る音がするのに、社長が振り返った。
瞬間。
すでに近くまできていたあゆみが手を振り上げていた。
気合入れかね。と笑顔で受け止めようと、社長の出した手に対して。
バチンという、えらく強い音が鈍くわたる。
「いつもの悪戯と信頼いただいている分、たまにはお返ししますね」
木村さんまで送り出しちゃって、さすがに頭にきてんですよ――。だって。
後ろから見ていた瞳と雅恵は、さすがに目を円くしてから、今度は体を折った。
緊張に満ちていたドームで幹部たちが笑っているのに、筆頭たちも苦笑気味。
まぁ、ほどける。のは、良いことなのだろう。
すげぇ。最近社長に容赦ねぇなぁ。
同僚ふたりが微笑いながらみつめているのに、あゆみも気づいてニヤリと口元を持ち上げる。
悪戯に微笑みながら筆頭の指揮へ移っていく幹部の背を、痛みに悶絶するめぐみは苦笑しながら見送った。
このパワーバランスの妙が、彼女たちの底力になっていることを思い知るのは、もう少し後のことなのだけれども――。
- 676 名前:御使いの笛 投稿日:2006/11/11(土) 22:29
-
- 677 名前:関田。 投稿日:2006/11/11(土) 22:39
- 御使いの笛17:ハイタッチ お届けしました。
お久しぶりの社長さんと仲間たちでした。
あれですよ。
彼女たちの儀式である、ライブ前のアレです。
こういものを綯うようになると、私もいよいよ「堕落」しているな…と。
だらく。だらくはあざなえるなわのごとし…。
>658
週末ごとならまだリズムが良いのですが、
やはりライブも絡む現場アリのジャンルなので致し方なしです(笑)。
今回は週末ですから。夜長のお供にしてやってくださいね。
>659
えぇと。なんでしょうね、このピンクな空気は(笑)。
これじゃ現役の子が可哀想すぎます。
なにか埋めてあげられるでしょうか…<不安らしい
>660
ココの師弟はもう、ね。なんとも言い難い。
ウチの石川さんがハッチャケる日は来るのでしょうか?
……<やっぱり不安らしい
えぇっと。次回更新でお会いしましょう。
風邪など召されませぬように。
- 678 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/11/12(日) 02:01
- 更新お疲れ様さまです&ありがとうございます。
いい週末になりそうです。次回、捕縛師さんに会えること期待!です。
- 679 名前:名無し読者 投稿日:2006/12/04(月) 07:14
- 昨日一気に読みましたが面白いです!
総裁いいですねぇ。
楽しみに待ってます
- 680 名前:名無し読者 投稿日:2006/12/05(火) 02:36
- 間違えた!新総裁でした(爆)
- 681 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/12/06(水) 20:08
- あ〜、きっ、禁断症状がぁ〜!
続きを楽しみに待ってます1
- 682 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/12/17(日) 18:21
- 謎の多い社長に惚れそうです<大真面目
私も禁断症状に襲われ中・・・(ニガワラ
- 683 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/12/18(月) 19:53
- クリプレ(更新という名の)下さい!
- 684 名前:関田。 投稿日:2006/12/22(金) 22:59
- 業務連絡〜。
年内はちょっと無理なんですが(明日・明後日やら年末のお祭やら)、
年明けに余裕があるので、そこで進めたいと思います。
そしてきっと三枚目に…。
- 685 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/12/23(土) 00:24
- 楽しみに待ってます。
- 686 名前:御使いの笛 投稿日:2007/01/01(月) 19:09
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- 687 名前:御使いの笛 投稿日:2007/01/01(月) 19:10
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18:彼女のことば
- 688 名前:御使いの笛 投稿日:2007/01/01(月) 19:10
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時間はさかのぼる――。
裕子たちが出て行った。という話を受けて、矢口は眠い目をこすりながら起きてきた。
オフィスはどこかパタパタ雑然とした空気につつまれていて、先ほど会った幹部たちとは別に大勢が入り込んでいる。
まるで、なにか災害でも起きた後、対策本部でもつくるかのようなザワついた動き。
帰るにしたって挨拶しないとダメだよね。
と思った、彼女の礼節は正しい。
忙しいかな?と首を傾げるのに、いやそれくらいは大丈夫でしょ。と木村さんも笑ってくれる。
失礼しまぁす――。
入室する部屋。
机の上に雑然と置かれた資料。
後ろからついてきてくれる木村さんも、見てみたところで判らない内容だと理解しているようだ。
何枚か重なっている用紙の内側に、一瞬にして視線が止まる。
やわらかな白磁の肌の色。
そして、見覚えのある、まなじりの穏やかさ。
バサ!と紙の束をとりあげて、その紙に踊る文字を食い入るように見つめた。
「ちょっと!矢口さんッ」
よもや「その辺においてある機密書類」に、彼女が食いつくとは思いもしなかったのだろう。
管理がずさんとは仕方の無い声だろうが、普段は幹部しか立ち入れない場所なのだ。
慌てた絢香の声に、部屋の奥に居た幹部や事務官たちが振り返った。
当然。社長も含んでいる。
- 689 名前:御使いの笛 投稿日:2007/01/01(月) 19:11
- 「だ、だって!ココに居るなんて一言も聞いてない」
さすがにそれは返してくれないと困るんだけど。と、困惑する絢香に向かい、矢口は勢いこんだ。
「ねぇ!木村さん、この人どこに居るの?」
眉を段違いにして、絢香がその用紙を覗き込むのと。
背中に近寄っていた村田社長が嘆息をついたのは、ほぼ同時のことだった。
「よりによって、吉澤くん…」
残念そうに呟かれた言葉に、目を瞠るのは仕方の無いこと。
「よっちゃんですか?」
驚きをかくせない絢香が、静かに用紙を取り上げた。
かすかな視線の糸を絡ませたあと、最上級の幹部たちは矢口に向き直った。
「矢口さん、彼女のこと知ってるの?」
どこか諭されるように視線をあわせられ、取り乱していた肩が整っていく。
指差された顔写真は、確かにバーテンの記憶に刷り込まれた表情と同じもの。
リバースだと言うのなら、印象が変わらないことも少なくない。
「写真は顔が一緒だし。同姓同名の、人違いとかじゃないなら…」
喉を押しつぶすように苦しげな息を吐いて、書面にある写真に指先をのばす。
思い出として記憶のなかで特化している…いや、ある種捏造に近いだろう感触がよみがえる。
忘れてなんていない。
記憶の錯誤じゃない。
矢口真里という個体は、吉澤ひとみという人間を覚えている。
「矢口さん。少しお話をしましょうか」
――柴田くん、ちょっと預けます。すぐに戻るけれど。
視線の先で幹部が頷くのを確認して、警備会社の社長は別室に少女をうながした。
- 690 名前:御使いの笛 投稿日:2007/01/01(月) 19:12
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- 691 名前:fall down ◆Mjk4PcAe16 投稿日:2007/01/01(月) 19:39
- 三冊目へ続く――。
fall down #3 幻板内新スレ
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