Silent Science
- 1 名前:ただの名無しですから 投稿日:2004/12/14(火) 00:11
- 後藤、紺野、夏焼中心(のつもり)
オールキャスト(になるはず)
こんごま(の予定)
近未来型ハードSF(自称)
レス大歓迎というかしてくださいお願いします。
- 2 名前:ただの名無しですから 投稿日:2004/12/14(火) 00:12
-
平成っていう年号が日本から消えたのは半世紀前。
代わりに私たちは手に銃をもつことが許可された。
小学生も大学を卒業できるようになった。
そんな東京。
21世紀が終わりにかかったその時、私は彼女に出会った。
- 3 名前:ただの名無しですから 投稿日:2004/12/14(火) 00:13
-
――― Silent Science ―――
- 4 名前:1.Maki side 投稿日:2004/12/14(火) 00:13
- 1.Maki side
「核内で合成されたRNAは…」
スクリーンに投影された図をレーザーポインターで指し、教授はわかりきった事実を繰り返す。
もう、何度目になるだろうか。
大学の授業というものはそういうものだ。
教授同士の連絡が無いから、授業内容がかぶることはざらにある。
次々に切り替わる図は、一向に有益な情報を私にもたらす気配を見せなかった。
大半の生徒が机に伏せ、アルバイトや前日の飲み会の疲れを癒している。
私もそうしようかと思ったけど、あいにく昨日は家にいるだけの休日を過ごしたから、それは無理。
「ごっちん」
隣にいた美貴が小声で私に囁く。
- 5 名前:1.Maki side 投稿日:2004/12/14(火) 00:14
- 「何?」
顔を近づけて私は言う。
「出席回ってきたからさ、これ書いたらお昼ごはん食べに行かない?」
「いいね…そうしよっか」
長針はまだ11をさしていたけど、私と美貴は自分の名前をプリントに書くと、こそこそと席を立つ。
「核外に出たmRNAは…」
教授の話は続いていたが、私たちは教室から出た。
- 6 名前:1.Maki side 投稿日:2004/12/14(火) 00:14
- 「ったく、あの教授何回同じこというんだろうねぇ」
「そうだねー」
私たちはトレイをテーブルに置き、窓際の席に向かい合って座った。
まだ授業時間であるというのに、学食はそこそこ席が埋まっていた。
大きな窓から差し込む光は、冬が近いというのに暖かかった。
道の向こうに広がる芝生に、一人の女の子が寝ている。
少し傾斜しているため、顔を少し見ることができた。
かわいい子。
率直な感想だった。
愛玩動物を彷彿とさせるような。
日に当たって茶色く見える髪が肩まで伸びている。
私はその子に目を奪われていた。
美貴が「ごっちん、何見てるの?」って私に聞くほど。
私はその子に見入っていた。
- 7 名前:1.Maki side 投稿日:2004/12/14(火) 00:15
- 「え、いや、いいお天気だなぁって」
「まぁ、いい天気だけどさ」
美貴は特に詮索することなく、焼肉を頬張った。
焼肉定食。
ここで食事するとき、おそらく美貴がこれ以外を食べている姿を見るほうが珍しいだろう。
そのよく見慣れた姿を見て、私は自分のから揚げを口に入れる。
高校生…いや、中学生くらいかな?
さっき見た子のことを考える。
飛び級制度が導入されてから、小中学生はまだしも、高校生が大学にいることは、それほど珍しいことではなかった。
それでも、今まで見たことが無い子だった。
「そういやさ、午後の授業どうする?」
また、私の思考をとめるのは美貴の声。
焼肉定食を食べ終わり、満足そうな顔で言った。
- 8 名前:1.Maki side 投稿日:2004/12/14(火) 00:15
- 「午後って誰だっけ?」
「えっと…あれ、あいつあいつ、進化のやつ」
そう言って、美貴はお茶を一口飲む。
「あーわかったわかった。私は、でるよ」
授業内容は覚えている。
わりと面白かった印象。
「そっか、じゃー代返お願いしていい?」
「喉渇いたなぁ」
私がそういうと、美貴は私のコップと自分のコップを両手に持ち、お茶を汲みにいった。
その間、私はさっきの子の方を見る。
さっきと全く変わらない姿。
生きているのかも心配になるほどだった。
- 9 名前:1.Maki side 投稿日:2004/12/14(火) 00:15
- 「おまたせー」
美貴が戻ってきた。
「さんきゅー」
コップを受け取る。
なみなみと注がれたお茶を一気に飲む。
「そいやさ、紺ちゃん元気?」
「うん?元気だけど?」
紺ちゃんこと紺野あさ美。
私の同居人にして、私の祖父の兄弟の子の子、つまり孫。
遠い親戚といった方がわかりやすい。
小さい頃からアメリカ暮らしで、博士号は8歳の時に所得しているらしい。
私が彼女と会ったのは、まだ小さい頃、たった一度だけ。
たぶん、向こうは覚えてないんだろうな…
それだけの繋がりなのに、どうして私が同居しているかというと、彼女は客員研究員として、私の大学に招かれていたからだった。
もちろん、住居等は全て大学側が用意している。
同居といったが、私が彼女の家に転がり込んでいるだけだった。
- 10 名前:1.Maki side 投稿日:2004/12/14(火) 00:16
- 「急にどうしたの?」
「べっつにーなんとなく思っただけ」
美貴はそれだけ言って、お茶をすする。
それから、他愛もない話をしつつ、そのまま昼休みを過ごす。
授業が終わり、続々と人が集まってきたが、私たちは窓際の日当たりのよいその席を譲ることはしなかった。
「ねぇ、今晩さ、行っていい?」
「どしたの?急に」
「真希のおいしいご飯が食べたい」
頬杖をついたまま、美貴はニッコリ笑って言う。
たいていの男ならこれで「うん」としか言えなくなるんだろうけど。
あいにく私は女だったから。
「やだ」
「ええーマジで?マジで言ってんの?」
「だって、美貴の分まで材料買ってないもん」
「どーして?」
美貴は即答してくる。
まるで私が買うのが当たり前みたいに。
- 11 名前:1.Maki side 投稿日:2004/12/14(火) 00:16
- 「真希のハンバーグ食べたいー」
両手両足をバタバタさせる美貴。
さすがに周りの視線が集まってくる。
「わかったから…恥ずかしいから止めて」
「本当?」
「うん、でも来るときに自分の分買ってきてね」
私はメモ帳を一枚破り、ボールペンを取り出す。
冷蔵庫の中身は、今日の朝食を作ったときに見ている。
ミンチは他のにも使えるから、多めに買ってある。
卵とかパン粉、たまねぎも同じ。
あれ……ひょっとして材料足りてる?
- 12 名前:1.Maki side 投稿日:2004/12/14(火) 00:16
- 「どしたの?」
「あ、いや…材料足りてるみたい」
「何それ」
途端に私を見る目がきつくなる。
いや、美貴が怒っているわけじゃないってわかってる。
彼女はちょっと真顔に戻る瞬間があると、そう見えるだけ。
これで人生の2割くらい損してるんじゃないのって、私は常々思う。
「ごめんって」
私が謝ると、美貴はにんまり笑って言った。
「美貴のハンバーグ、特大サイズね」
- 13 名前:ただの名無しですから 投稿日:2004/12/14(火) 00:18
- 更新終了です。
こんな感じでいくかと思います。
えっと、用語説明でも入れていきます。
- 14 名前:Silent Science 悪魔の辞典1 投稿日:2004/12/14(火) 00:27
- ・Silent Science
日本語に訳すると「静かなる科学」
レイチェル・カーソンの沈黙の春(Silent Spring)のタイトルを思い出して素敵だn(ry
・RNA
Ribonucleic acid (リボ核酸)
DNAの親戚みたいなものです。
・mRNA
messenger RNA (メッセンジャーRNA)
RNAの親戚みたいな(ry
・焼肉定食
580円です。売っている食堂をあまり見たこと無いです。
- 15 名前:名も無き読者 投稿日:2004/12/14(火) 23:42
- 歓迎だそうなので喜んでレスさせていただきます。
設定やCP、専門的知識にそそられます。
ハードなSFはあまり読んだコトがないので楽しみですね。
それでは憑い・・・いやついて行くので頑張ってくださいw
- 16 名前:名無し読者 投稿日:2004/12/15(水) 10:20
- 面白そうですね。
こんごま好きなので楽しみです。
- 17 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/15(水) 15:04
- 新作だー。
ここからどう話が進んでいくのか、楽しみにしてます。
- 18 名前:1.Maki side 投稿日:2004/12/18(土) 01:13
- ◇
「天敵の発生は進化の必然や」
茶髪にサングラスと、いかにも怪しげな風貌の人物は、教壇上でそう言った。
関西弁が余計に怪しいと思ったけど、それは関西人の方にはきっと迷惑だろう
だけど、自分の一番身近な関西人がこれだから、どうしてもそれが関西人代表に見えてしまうのは仕方ない。
「そやけど、天敵のおらんところに、人が突然動物を持ち込んだらそんなんめちゃめちゃになるねん。まぁその逆も然りやけどな」
教室の電気が消える。
代わって私たちを照らすのはスクリーンに当たるプロジェクターの光。
怪しい関西人教授は、地理に疎い私でも、地球儀ですぐに指差せる国の話を始めた。
- 19 名前:1.Maki side 投稿日:2004/12/18(土) 01:13
- オーストラリア。
知ってる都市はシドニー。
そこは小さい頃一度だけ言った事がある。
ただ、その頃はすでに紫外線照射量が多く、昼間に野外に出ることは禁止されていた。
代わりに屋根のついた広大な広場と商店街。
後は地面の下に広がる広大な地下街。
それが、あの国での全てだった。
植物の大部分が枯れ果て、砂漠は広がり。
それでも人は尚もそこを離れない。
その感覚が私には決してわからないだろう。
私は小さな頃から一つの場所にいることが稀だったから。
それが私のイメージの全て。
そういえば、カンガルーとかコアラが絶滅危惧種になったって言うのは、最近のニュースで見たことがある。
で、怪しい壷売ってそうな関西人の話は、丁度そのカンガルーのことだった。
「外来種の異常繁殖」
その文字が浮き上がる中、誰が書いたか知らないけど、愛くるしいと言うよりは逆に凶暴そうなウサギの絵が出てきた。
オーストラリアには、元々ウサギはいなかったらしい。
そこで、やってきた白人たちがウサギを持ち込んだ。
- 20 名前:1.Maki side 投稿日:2004/12/18(土) 01:13
-
「そしたら、どないなるか」
画面が切り替わる。
グラフが何本も出てきた。
ウサギの数を示したグラフだと、彼は言う。
右肩上がりになったそれ。
「天敵がおらんから、ウサギは異常繁殖しよった」
それからも、スライドと関西弁といかにも日本語発音な英語の混じった講義は続く。
人間は、ウサギが増えたため、殺そうとして、ウサギの天敵であるキツネを持ち込んだらしい。
ところが、キツネはウサギだけでなく、先にいたカンガルーの天敵にもなった。
天敵をいきなり持ち込まれたカンガルーは次々と減少していき、逆にウサギの数はさほど減らなかった。
そして、人間は更に愚かなことをする。
彼らが次に導入したのは、ウサギに対する病原体だった。
- 21 名前:1.Maki side 投稿日:2004/12/18(土) 01:13
- 「人間はアホや。神様の代わりに生態系を支配できると思ってんねん」
そこまで話し終えたときに、ため息混じりに彼は言った。
サングラスでよくわからないが、彼はどこか寂しそうだった。
結果、ウサギは減るが次には病原体に抵抗性の変異したウサギの増殖が始まったという。
もちろん、カンガルーは増えることはなく。
ばらばらに崩された生態系は、紫外線が降り注ぐ死の大地と化すまで、一度も戻ることはなかった。
そこまで聞いたとき、隣から紙が回ってきた。
自分の名前と、その隣に書く藤本美貴という名前。
はねやはらいをわざとらしく強調し、自分の字と違うように見せる。
特に藤と言う字は二人同じだから。
同じ字が並んでいたら不自然すぎるから。
- 22 名前:1.Maki side 投稿日:2004/12/18(土) 01:14
- 私の前に座っている男の子は、机に顔を伏せ、夢の中だった。
まだ授業が始まって半分くらいだろうか。
時計はしない主義だから、正確な時間はわからない。
時計代わりの携帯はカバンの中だし、教室の時計は電気が消されているので、よく見えない。
私が座っているのは教室の右端。
左から回ってきているようだし、わざわざ急いで出席用紙を回すことも無い。
私は手を伸ばして、寝ている子の横に用紙を置いた。
金髪の男は眠ったまま。
それに気づいたのは隣に座る女の子。
用紙を取って、それが出席用紙だと気づくと、金髪の男の子の肩をさする。
二人の関係が友達なのか恋人なのかわからない。
たぶんそんなことは、どうでもいい。
明日のニューヨークの天気くらいどうでもいいことだ。
- 23 名前:1.Maki side 投稿日:2004/12/18(土) 01:14
- ゆっくりと起きだした金髪は、目の前に出された紙をしばらく凝視。
視神経を通して、彼の脳に情報が伝わっていくのを感じられるほどの、長い時間。
そして、次に彼の大脳からの指令が運動神経を伝って、彼の手を動かす。
利き腕でないかのようにゆっくりと書かれていく文字。
彼の名前になんて全く興味は無い。
それこそ、さっきの二人の関係以上に興味は無い。
だけど、その一画一画の動きが余りに遅いので、後ろから動きを見ていて、何となく彼が書いている字がわかった。
横、縦。
次に縦、横から縦、そして横。
動きにあわせて自分のペンを走らせる。
できたのは「古」という文字。
ばっかみたい。
ペンでその文字をグチャグチャにする。
そんなくだらないことにかまけていて、完全に授業を聞いていなかった。
- 24 名前:1.Maki side 投稿日:2004/12/18(土) 01:14
- プロジェクターに映されているのは英単語。
「Sleeping Beauty」
太字で画面の中央にどんと構えるそれ。
眠れる美女。
日本語ではそういう意味だ。
だけど、ここでそれが出てくる意味がわからない。
切り替わって出てくる図と、次々に押し寄せる専門用語。
私は諦めてそこで教室を出た。
出席は書いているんだから。
それに、最初の話はそれなりに楽しかったから、それで何か満足した。
- 25 名前:1.Maki side 投稿日:2004/12/18(土) 01:15
- 廊下はまぶしいほどに明るく。
授業中だというのに、たくさんの生徒が行き交っている。
私はその中を早足で出て行った。
今日の授業はもうこれで終わりだから、このまま家に帰ることはできる。
家までは歩いて20分くらい。
同じ敷地内にあるのに、こんなに時間がかかるのは、この馬鹿みたいに広いキャンパスのせい。
ドーム球場何十個分とかそういうのがウリで。
おかげで東京とは名ばかりのど田舎にこの大学はある。
23区までは直通のリニアが走っているから、それこそ20分もあればゆうに着くんだけど。
私はなんかあの乗り物が好きじゃない。
リニアモーターカー、通称リニア。
要は磁石で動く電車。
新幹線なんかよりも速く、おまけに静かで揺れが少ない。
いい面ばかりなんだけど、私の好みじゃなかった。
というより、私は公共機関があまり好きじゃない。
見知らぬ人ばかりの空間で閉じ込められる。
それが止まって、扉が開けられるまではでていくことはできない。
そこが嫌だった。
だから、私が紺野のところにいる理由に、電車通学とかしたくないからっていうのもあった。
- 26 名前:1.Maki side 投稿日:2004/12/18(土) 01:15
- 10月のお昼過ぎということもあり、外は暖かく、歩いていると汗が滲んでくる。
年々ひどくなる温暖化の影響で、私が5年前に日本にいた頃よりかなり暑いと感じる。
四季というものは言葉だけ残り。
私が中学生の頃に経験した衣替えという言葉は、既に死語と化していた。
私が通っている校舎の隣にあるのは図書館。
6階建ての大きなそこの前を通り過ぎようとした時、私はふと足を止め振り返った。
図書館の脇の芝生に、全く昼休みに食堂から見たのと同じ格好で寝ている子がいる。
食堂は図書館と正反対の方向だから。
この子は、わざわざこっちに移動して、全く同じように寝ていることになる。
間近で見てみると、とても高校生には見えない。
大人びた顔と相反するような小柄な体。
- 27 名前:1.Maki side 投稿日:2004/12/18(土) 01:15
- 中学生…いや、もしかすると小学生かもしれない。
茶色い髪が風にゆれ、女の子の顔にかかる。
女の子は髪を手で払って、起き上がった。
ボーっとした様子で、両足を伸ばしたまま、上半身だけ起こした彼女。
口をぽかんと開けて、宙を見据えていたが、私が見ていることに気づいたようで、視線を私に向けた。
まっすぐな目。
まるで自分の心が全て見透かされそうなほどの、澄んだ目。
私は彼女の周りだけが世界から切り取られたかのように思えた。
異端というわけではない。
神々しいというわけでもない。
しかし、彼女の存在は、私の視界の中で明らかに浮いて見えた。
パズルのピースが一つだけはまっていないかのように、そこだけ浮いていた。
- 28 名前:1.Maki side 投稿日:2004/12/18(土) 01:16
- 「名前は?」
私は思わず口に出した。
他人なんかどうでもいいっていうのが主義の私が。
なぜかわからない。
私は彼女のことが知りたいと思った。
女の子は、周りをきょろきょろ見回してから、自分に言ったのだと理解したのか、私の顔に視線を戻した。
「……ビ」
「え?」
「雅です。みんなはそう呼んでました」
冷たい声だった。
それが、私と彼女の最初の出会いだった。
- 29 名前:ただの名無しですから 投稿日:2004/12/18(土) 01:21
- ・外来種の繁殖による在来種の減少
この話が作者の作り話なら、世界にレッドデータブックというものはなかったでしょう。
・オーストラリア
首都がシドニーなのは、日本人の常識です
・リニアモーターカー
時速500kmくらいでるらしいです。
- 30 名前:ただの名無しですから 投稿日:2004/12/18(土) 01:24
- >>15 レス感謝です。えっと、私は名無しですからお気になさらずに…
>>16 紺野さんの出番は次になるかと。絡み始めるのはもう少しお待ちください。
>>17 まだ全然始めですが、でっかくなる予定なので…適度に期待していただけると…
- 31 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/18(土) 12:27
- 面白そうな良スレハケーン(・∀・)!!
こんごまも夏焼さんも大好きなので
夏焼さんがどう絡むのか期待してます
- 32 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/18(土) 21:00
- やばい、ドツボだ。
適度に期待します。
- 33 名前:娘。よっすぃー好き 投稿日:2004/12/18(土) 21:55
- マジレスするとオーストラリアの首都はキャンベラだと思うが・・・
凄くハマりました。面白いです。続き期待してます。
- 34 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/19(日) 02:34
- キッズが主要で出てくる小説を読むのは初めてかも
続きが読みたい、そう思わせてくれる小説だね
- 35 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/19(日) 13:12
- >>33
日本人がよくシドニーって答えることを皮肉ってるのかと
- 36 名前:2. Asami Side 投稿日:2004/12/22(水) 19:04
- 2. Asami Side
「えっと、マジックマジック、どこに置いたっけ」
机のペンたてにあるのは、ハサミとシャーペンとボールペン。
白衣の胸ポケットにもボールペンだけ。
お昼ご飯を食べるまで、確かに使っていたのに、どこに消えたんだろう…
机の右半分に詰まれたプリントとファイルの山を探す気にはなれない。
奥にあるノートパソコンのキーボードを覆うほどに侵食したその山。
重心をいちいち計算して置いていったわけではないけど、絶妙なバランスで積み上がっている。
多分、この作業のために開けた左半分の空間で、私が寝ているときに地震が起こったなら。
50%以上の確率で病院に運ばれそうな気がするのは、決して気のせいじゃないと思う。
どこをどうしたらこんなにプリントが貯まるのか、ちょっと自分に聞いてみたい。
と、そんなことはさておいて。
私が今の目的はマジック。
細いのと太いのが両方一緒になったツインマーカー。
この間買ったばっかりなのに…どこいっちゃったんだろう…
- 37 名前:2. Asami Side 投稿日:2004/12/22(水) 19:04
- 「ここにシャーレを置いてる人ー捨てていいんですか?」
自分の目線の高さほどまで積み上がったそれを前にして、探すか、誰かに借りるかという葛藤に陥っていたとき、その声が聞こえた。
「え、それ使ってます。捨てちゃダメです!」
それに字を書くためにマジックを探してるのに、その間にそれを捨てようとするなんて…
そう言って急いで私はシャーレのところへ向かう。
だけど、その拍子に私は机の足に軽く足をぶつけてしまった。
カンという金属音と、つま先に感じる痛み。
そんなことより先にシャーレ。
あれを捨てられたら私のこの一週間が無駄になっちゃう。
背後から崩れ落ちるファイルのパサ、ドサという大小の音。
「ごめんなさいー後で整理しますー」
そう叫びながら、私はシャーレへと走った。
- 38 名前:2.Asami Side 投稿日:2004/12/22(水) 19:05
- 「あ、これ紺野さんのだったんだ」
私のシャーレを右手に持ち、飯田さんはそう言った。
飯田圭織さん。今年から新しく入った、ここの研究室の学生さん。
23歳にこの間なったって聞いたことがあるから、私よりも6つも年上。
だけど、私が研究員ということもあって、敬語で話してくれる。
だからと言って私も普通に話すこともできず、敬語を使っている。
そのせいもあってか、あんまり話す機会は多いとは言えない。
よくにベランダに出てボーっとしてることが多くて。
実験中は後ろでくくっている髪を、帰る時にパサリと解く。
その瞬間に広がる臭いがすごくいい臭いってことくらいしか印象に無い人。
その彼女の手の中で、シャーレの動きにあわせてゆらゆら揺れる赤い培養液。
液が中に入ってるんだから、使うの当たり前ですって言おうと思ったけど止めた。
それよりも、飯田さんの胸ポケットにあるマジックに目がいったから。
- 39 名前:2.Asami Side 投稿日:2004/12/22(水) 19:05
- 「あの、飯田さん、そのマジック貸してもらえませんか?」
「ん?これ?いいよ、紺野さんから借りたままだったし」
「へ?」
ついと差し出されたマジック。
黒のツインマーカー。
真ん中に白いラベルがあって、そこに書いてあるのは「コンノ」っていう私の字。
この人、わざとやってるんじゃないのって思ってしまう。
でも、そんなこと言えるわけも無い。
受け取ったそれで、自分の名前と今日の日付を書き、シャーレをインキュベーターに入れる。
今の机の惨状を想像するとこのまま席には戻りたくない。
だけど、あのまま放置しておいても、どうしようもないから。
自分の白衣にマジックを入れ、私は自分の机へと戻った。
- 40 名前:2.Asami Side 投稿日:2004/12/22(水) 19:06
- 予想以上の惨状。
机の全面、椅子の上、床。
全てに均等に広がったファイルとプリント。
それを目の前にため息をつく。
周りを通る人は、チラッとそれを見るだけで通り過ぎてしまう。
確かに、自分があんまりよく思われていないっていうのはとっくの昔に自覚してる。
自分たちよりも明らかに年下の私が、こんなところにいるんだから。
飛び級制度を前世紀から導入していたアメリカでも、特に私が日本人と言うこともあって、こういうことは結構あった。
まだ半世紀も歴史のない日本で、それが無いわけがない。
実際、私は日本に呼ばれたときは、迷った。
だけど、私はそれを断れるほどの立場があるわけじゃない。
私は「Yes」と答えることしかできなかった。
そうして私は日本に戻ってきた。
21世紀半ばから本格的に、国際化という名のアメリカナイズをされていったこの国。
地方自治制度もアメリカのそれになり。
飛び級、銃とアメリカと聞いて日本人が思い浮かぶものは導入されてきた。
近いうちに内閣総理大臣が大統領と名前を変える日も来るのかもしれない。
それでも、ここは明らかに日本。
どんなにアメリカの真似をしても、根本を走るのは日本であるという事実。
居住者の大半が単一の民族である国なのだから。
でる杭は打たれるという言葉があるように、特殊なものを特に嫌う民族性。
その地に多数の民族が詰め込まれた国の制度が、上手くかみ合うわけは無かった。
- 41 名前:2.Asami Side 投稿日:2004/12/22(水) 19:06
- でも、あからさまなイジメが無いだけマシなのかもと思う。
逆に軽くシカトされてるくらいの方が、楽なことも事実なので。
日本に来てもう3年目。
いい加減そんなことをいちいち気にしなくなった自分は、大人になったんだなと実感する。
床に落ちたものを椅子の上へ。
椅子の上のものを机へと。
とりあえず拾うだけ拾って、机の上には前回よりもバランスの悪い塔が立った。
それを整理する気力はもう私には無い。
だけど、このままにしておくと、近いうちに確実に同じことが起こるのは、誰にでもわかることだった。
また私が葛藤に陥り始めたとき、ポケットの携帯が震えた。
取り出したディスプレイに映ったのは、後藤真希という名前。
- 42 名前:2.Asami Side 投稿日:2004/12/22(水) 19:06
- 後藤さんだ!
後藤真希さん。
私が日本に来た1年後に、この大学に入学。
それから私と一つ屋根の下で暮らしている。
私のおじいちゃんのお兄さんの孫らしいけど、私は初めて会った。
そもそも、私はずっとアメリカにいたのだから、ずっと日本にいた後藤さんと会っているはずも無い。
人前ではあんまり話さなくて。
初対面の頃は、ずっと怒ってるのかなって思ってた。
冷たい感じで、初日に交わした言葉は私の記憶が正しければ「後藤真希です。初めましてでいいよね?」という言葉だけ。
私が「はい。初めまして紺野あさ美です」と答えたきり、無言で一日を過ごしていたはず。
もちろん、その雰囲気は今も変わってないんだろうと思う。
私は、後藤さんの怒った顔や笑った顔もそれからずっと見てきたから、今はそんなことは思わないけど。
初対面の人なら、誰もがそう思うはず。
事実として、後藤さんが家に呼ぶのは専ら美貴ちゃんだけ。
きっとお友達いないんだろうなぁなんて、心配なんだけど、私はどこか安心しているのかもしれない。
- 43 名前:2.Asami Side 投稿日:2004/12/22(水) 19:07
- メールボックスを開き、メールを読む。
『今晩さ、ハンバーグなんだけど、二人くらい増えるかも』
絵文字の一つも無い、用件だけのメール。
それでも、「増えるかも」って言い方がどこか後藤さんらしく、私は自然に笑顔になった。
でも、次に引っかかるのは二人という人数。
一人は確実に美貴ちゃんなのは間違いない。
後藤さんはすごく料理が上手。
何でも作れて何でもおいしい。
で、美貴ちゃんはたぶん週1回ペースで我が家に上がりこんで、ご飯を食べている気がする。
別に困ることはないので、いいんですが。
ただ、今日みたいにハンバーグだと、人数増えた分、一人当たりの大きさが小さくなるかもというのが、私の唯一の心配事だった。
- 44 名前:2.Asami Side 投稿日:2004/12/22(水) 19:07
- それで、あと一人っていうのは誰なんだろう…
後藤さんの大学生活はあまり把握していない。
美貴ちゃんとご飯の時の会話でいくらか情報は手に入るけど、その中で定期的に出てくる名前は無い。
だとしたら、美貴ちゃんの友達という線が濃厚だけど、美貴ちゃんも結構変わり者だから…
なんてことを考えているうちに、お腹がグーっと鳴った。
私はもう考えるのを止め、目の前のファイルの整理を始めた。
仮に後藤さんのお友達でも、それはいいことだって思う。
だけど、少し寂しい。
私は、後藤さんと美貴ちゃん以外に友達と呼べた人はいなかったから。
- 45 名前:ただの名無しですから 投稿日:2004/12/22(水) 19:15
- たくさんのレスありがとうございます。
>>31 次回に夏焼もそろそろ。こんごまはまったりとお待ちください。
>>32 ありがとうございます。ご期待に沿えるようにがんばっていきます
>>33 わかりにくいこと書いてごめんなさい>>35さんのおっしゃるとおりです。
用語解説はどれがネタでどれが本当のことかわかるようにした方がいいかもですね…考えてみます。
>>34 ありがとうございます。今後もそう思っていただけるようがんばります。
>>35 フォローありがとうございます。私の書き方が悪かったせいでお手数掛けて申し訳ないです。
次回更新は年末で忙しく、なんとか年内にもう一度できればという状況です。
- 46 名前:名無し読者 投稿日:2004/12/28(火) 12:52
- 紺ちゃんさみしいなぁ。
がんばれ!
- 47 名前:Silent Science 悪魔の辞典3 投稿日:2005/01/01(土) 19:37
- ・シャーレ
細胞等の培養に使用する丸い容器。プラスチック製やガラス製のものがあります。
・インキュベーター
培養器。一定の温度と二酸化炭素濃度を維持する装置です。
冷蔵庫の暖かいversionみたいな感じです。
・アメリカナイズ
Americanize アメリカ風にすること。
日本人の永遠の憧れはアメリカのようです。
- 48 名前:2. Asami Side 投稿日:2005/01/01(土) 19:38
- ◇
「はーい、おまたせー」
後藤さんの声が響く。
両手に持たれたお盆に載ったお皿からはデミグラスソースとチーズのいい臭い。
昨日の夜から後藤さんが作っていた、特製デミグラスソースに浸ったハンバーグ。
その上にはハンバーグの熱に溶かされて、チーズが広がっている。
目の前に置かれたそれに、思わず美貴ちゃんと二人で「わぁ」と声を出す。
それはいつもの光景。
私の横に美貴ちゃんが座って。
美貴ちゃんの向かいに、エプロンを外して後藤さんが座る。
いつしか、いつもの自然な光景になっていたそれ。
だけど、今日は違う。
私の前にいる女の子。
どう考えても、私より年下の女の子。
彼女が後藤さんがメールで言った、二人のうちの一人だということはわかる。
まるで人形のように無表情な子。
茶色かがった髪は肩まで延びている。
後藤さんと同じ、日本人というより外国人系の、端整な顔。
私よりも一回りは細いであろう腕。
指の一本一本は長く、触ればすぐに折れそうでさえあった。
さすがに今まで彼女のことを何一つ教えてもらっていないから。
そろそろ聞いてもいい頃かもと、私は思った。
- 49 名前:2. Asami Side 投稿日:2005/01/01(土) 19:39
- 「あの、後藤さん」
「ごっちんさ」
美貴ちゃんと声がかぶった。
次いで、美貴ちゃんと目が合う。
私が目線で合図する前に、美貴ちゃんは口を開いた。
「ねぇ、美貴の全然特大じゃないんだけど」
目の前に置かれたお皿を指差した美貴ちゃんは言った。
いえ、それは突っ込むところではないと思いますけど…
「ごめんって。この子の分も作ったからそれが限度だったんだってば」
「何それ?真希が勝手に連れてきたんでしょ?だいたいさ、その子誰?」
結果として私が聞きたいことを美貴ちゃんが聞いてくれたから。
私は黙ってうんうんと頷く。
「私が見たところ、1番、真希の隠し子。2番、真希の妹。3番、この子がかわいくてつい誘拐してきた。ってとこで、1番かなって思ってるんだけど?」
人差し指をまっすぐに立てて、後藤さんに向ける美貴ちゃん。
- 50 名前:2. Asami Side 投稿日:2005/01/01(土) 19:39
- 「別に何でもいいでしょ?」
差し出された指を手で払い、後藤さんはお箸を手にする。
「何でもよくない。1番だったら相手の人知っとかないといけないし、2番目ならこんな可愛い妹がいることをうらやまなきゃだし、3番目なら自首を勧めなきゃいけない」
「美貴には関係ないでしょ?」
「関係ある。もしこの子がこの先ずっとここにいるんだったら、美貴のハンバーグがいっつも特大にならないんだもん」
突っ込んでいるところが間違ったままの気もしますが、美貴ちゃんなりの気遣いが見えていた。
だけど、後藤さんはなお更不機嫌そうな顔になった。
過去の統計と照らし合わせてみると、こういう時は決して何も教えてくれない。
「雅っていうの。この子。大学で会った。以上。もういいでしょ?」
吐き捨てるようにそう言い、机をバンと叩く。
隣の雅と呼ばれた子は、それにも驚くようなそぶりさえ見せずに。
口論する私たちをよそに、一人黙々と白いご飯を口に運んでいた。
「よくないってば。別に、私はいいのよ。ハンバーグを多めに真希が作ってくれさえすればいいだけだから。でも紺ちゃんはどうするの?この家、紺ちゃんの家でしょ?」
「紺野には、また説明する。けど、今は言えない」
その言葉で、部屋がシンと静まり返った。
カチャカチャとお箸がお茶碗にあたる音だけが響き。
妙なまでの静寂。
ただ、後藤さんは次の言葉を待っているというより、何かの音を聞いているように思えた。
- 51 名前:2. Asami Side 投稿日:2005/01/01(土) 19:40
- 「あのさ」
「静かに!」
話しかける美貴ちゃんに制止の声。
小さな声だけど、低くて通る声。
闇夜に照らされた光のように、後藤さんのその声ははっきりと聞こえた。
「紺野、美貴、私の後ろにいて。雅ちゃんを。それから…」
音も無く引かれた椅子と、立ち上がる後藤さん。
扉の横の壁に張り付き、そう言った。
「後藤、さん…」
「お願い、早く。キッチンの下にでも隠れてて。絶対顔をあげちゃダメだよ!」
そう、この声…初めて後藤さんに会ったときの声。
乾いてて、無機質で、でも力強くて。
そんな声だった。
「紺ちゃん」
体は壁に預けたまま手を伸ばしノブをゆっくりと回す後藤さん。
その様子にじっと魅入っていた私の手を、美貴ちゃんはそう言って掴んだ。
そのまま、私たちは言われたとおりにキッチンに蹲る。
扉が開く音と後藤さんが出て行ったことが、気配でわかった。
それから、いくつか小さなタンという音がしたかと思うと、カシャンと硝子の割れる音。
次いでドスンという音が断続的に聞こえ、それに混じるようにいくつかの男の人の声が私の耳に届いた。
- 52 名前:2. Asami Side 投稿日:2005/01/01(土) 19:40
- 訳がわからなかった。
いえ、落ち着いて整理すれば簡単にわかることです。
最初の音、あれは弾が壁に当たった音。
弾とはもちろん銃弾のこと。
こんなマンションの中でサイレンサー無しのものを使うはずありませんから。
発砲時の音がしないのも当たり前です。
ガラスが割れたのも弾が当たったせいでしょう。
その後の音から察すると、数人の男の人がいることになります。
冷静に分析する自分が妙に恐ろしくなって、私はギュッと美貴ちゃんの手を握りました。
美貴ちゃんの体も震えているのがわかりました。
けれども、一番の問題は、後藤さんはそれに気づいていたこと。
そして、銃を持った相手に向かっていったという事です。
私にとって最も恐ろしいのはその事実の方でした。
だからといって、私がその場を動くことが出来たかといえば、できるわけはありません。
音が止まり、次いでダンダンと荒い足音が聞こえて来たときは、思わず耳を塞ぎました。
- 53 名前:2. Asami Side 投稿日:2005/01/01(土) 19:41
- 「紺野、美貴!」
だけど、塞いだ手の上から聞こえてきたのは後藤さんの声。
それが恐怖に縛られていた私の体に自由を宿した。
「後藤さん!」
思わず立ち上がって、後藤さんの姿を見つける。
その瞬間。
まさしく後藤さんと私の目が合った瞬間に、私たちの視線の間に一本の線が通った。
ジュっと焦げる音。
その音が余りにもリアルだった。
想定していたことが現実のことですよって教えられた。
さっきまでは、どこか嘘だと思っていたから。
後藤さんが呼びかけてくれて、これは嘘だからって言ってもらえると期待していた部分があったから。
「一歩でも動くと撃ちますよ」
女性の声と、向けられた銃。
そこから放たれる赤い光は、私の胸の辺りをユラユラ揺れていた。
- 54 名前:Silent Science 悪魔の辞典4 投稿日:2005/01/01(土) 19:42
- ・デミグラスソース
もちろん後藤さん手作りです。
・かわいくてつい誘拐してきた
刑法第224条、未成年者略取及び誘拐に相当。
3月以上5年以下の懲役に処されます。
・サイレンサー
現在使用されているサイレンサーは、サウンドサプレッサー(減音装置)と呼ばれるほどの効果です。
しかし、この作品の設定における時代では完全なる消音を実践しています。
- 55 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/01/01(土) 19:56
- 年末体調不良で少量更新で申し訳ないです。
今年もよろしくお願いします。
>>46 ええ…紺野さんなんか不幸です…たぶん、いつか報われる日が来る…はずです。
- 56 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/01/03(月) 19:00
- いきなりの展開にドキドキです。お体には気をつけてください。
- 57 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/01/04(火) 19:04
- どうなることやら…みんな無事でありますように
- 58 名前:3.Maki side 投稿日:2005/01/07(金) 00:59
- 3.Maki side
「よくないってば。別に、私はいいのよ。ハンバーグを多めに真希が作ってくれさえすればいいだけだから。でも紺ちゃんはどうするの?この家、紺ちゃんの家でしょ?」
美貴はこういう言い方をよくする。
だから、私は美貴と一緒にいることは嫌いじゃない。
私の中の一線に踏み込もうとはしてくれない。
馬鹿っぽい調子で、おどけて言う美貴だけど、その辺はすごく敏感。
きっと、美貴も私とそういう部分で似ているのかもしれない。
だけど、私と美貴は正反対に違いない。
「紺野には、また説明する。けど、今は言えない」
私は言葉を切った。
説明しようが無い。
美貴にも、紺野にも。
雅というこの子のことは、きっと二人と同じくらいにしか私も知らない。
なのに、どうして私はここに連れて来たんだろう。
その問いかけが私の頭に思い浮かぶのとほぼ同時期。
私は感じた。
それは、昔、私が感知するのに全力を有していたであろう感覚。
そして、今となっては決して感知するはずがないと思っていた感覚。
- 59 名前:3.Maki side 投稿日:2005/01/07(金) 00:59
- ドアの向こうから聞こえる足音。
ゆっくりと、だけど大きな歩幅で確実に近づいてくる。
つま先が触れ、足首を上手くクッション代わりに使って全体重を音も立てずにスライドさせる。
それは明らかに訓練されたもののそれであり、それに混じるように奏でられる微小な金属音が私の神経を更に研ぎ澄ました。
「あのさ」
「静かに!」
この家の前で止まるかどうかを判断するその時に、発された美貴の言葉。
すぐに遮ったが、それが私から集中力を余計に削いだ。
再度集中を高めようとするのは時間がかかる。
昔ならいざ知らず、今の私がそんなにすぐにできるとは思えなかった。
それに、嫌な予感というものは相応に往々にして当たるもの。
この家に向かってくると考えていて、損は無いだろう。
「紺野、美貴、私の後ろにいて。雅ちゃんを。それから…」
言葉が上手く出ない。頭よりも、体が反応しようとしている。
自分の動きに考えがついていってなかった。
波にさらわれていくように、意識とは別に動いていく。
立ち上がる。私がそれを認識したときには、もう私は扉に向かって歩き始めていた。
- 60 名前:3.Maki side 投稿日:2005/01/07(金) 01:00
- 神経の伝達速度は一般に100m/秒といわれる。
つまり、動かすと指令を出してから、実際に体が動くまでには0.00秒という単位でのズレが生じてしまうということだ。
そのほんの0.00秒という単位を縮めることに意味があるのだろうか?
私は問う。
0.01秒早く動かせたからといって、何が変わるのだろうか。
オリンピックの短距離走にでるわけでもないのだから。
ほんとに馬鹿みたいなこと…
ぴったりと壁に体をよせ、手だけ伸ばしてノブを握る。
そんな馬鹿みたいなことを、なぜ今自分が考えているかわからない。
そんな馬鹿みたいなことに苦心していたことは事実であるし、それが生死を分けてきたのも事実なのに。
なぜか、再びそれが役に立つ事態に陥ると、それはすごくちっぽけなことに思えた。
「お願い、早く。キッチンの下にでも隠れてて。絶対顔をあげちゃダメだよ!」
自分の体の動きに、意識が追いついている。
伝達時間を考慮して、ズレて認識を行っていた脳が、そのズレを修正したのだ。
扉を開ける。
感覚が鋭敏に冴え渡る。
肌にあたる空気の粒子の一つ一つを感じていると錯覚するほど。
扉の向こうにいるのは3人。
まるで透視しているかのように、私はそれを感じ取れた。
空気の動き、かすかな呼吸音と金属音。
それが私の頭の中で彼らの行動を描き出す。
視覚以外の五感が合わさって、私の中で視覚を補っていた。
- 61 名前:3.Maki side 投稿日:2005/01/07(金) 01:00
- 紺野たちが動いているのもわかる。
これで流れ弾が扉を貫通しても大丈夫。
流れ弾…
まさかね…こんなところに銃なんて。
そうは考えるが、実際私のイメージには腰に下げる銃が見えていた。
鍵の開く音が聞こえる。
カードキーに加えて虹彩認識によってしかこの扉は開かない。
それなのに1分足らずの間でいとも簡単に彼らは鍵を開けた。
強盗とかそんなレベルじゃない。
わかっていたけど、やっぱりプロの仕業に間違いない。
玄関とリビングを結ぶ廊下は5メートル。
その間にある寝室に、私は潜む。
風が吹き込む。
まるで色のついた空気が廊下を流れ込んだかのように、私はそれを感じることが出来た。
相手は3人。
3人目の背後から奇襲。
銃を奪って前の二人を打つ。
狙うのは頭。
腹部は瞬間の殺傷には適さない上、防弾チョッキを着ている可能性がある。
そして、最後に打つのは銃を奪った一人だ。
頭のなかでシュミレーションする。
少しでも遅れれば打たれる。
この狭い廊下では避けようが無いから、相手に引き金を引かれた時点で私の負けだ。
幸い、彼らは銃を腰に下げたまま。
スライドも引いている様子も無い。
そういった意味で、彼らは二流なのだろう。
- 62 名前:3.Maki side 投稿日:2005/01/07(金) 01:01
- 男たちが入ってくる。
一人目。
二人目…
ダメだ…
三人目は前の二人と少し距離を開けている。
このままじゃ三人目が通り過ぎる頃には一人目がリビングに入ってしまう。
作戦を組みなおす暇なんて無い。一人目はまさに私の目の前を通って行ったのだ。
二人目。
そこで飛び出す。
真横から体をぶつけ、相手が体勢を崩す隙に、左腰の銃を奪う。
その音に気づいて振り返る一人目。
三人目はもう手にした銃を構えようとしていた。
スライドを引くのと同時に狙いを定める。
半身の体勢だが、この距離で狙いを外すほど素人でもない。
手に伝わるかすかな衝撃と、パスンという空気の抜けるような小さな音。
一人目は終わり。
命中を確認するより早く、私は一人目の方を見る。
構えた銃が私を捕らえていた。
- 63 名前:3.Maki side 投稿日:2005/01/07(金) 01:01
- 彼の脳から引き金を引く指令が下るのと、私が体を再び寝室へと滑り込ませるのは同時。
認知、思考、行動。
人の行動にはこの3つの課程が必要である。
しかし、私にとってスライドを引き、狙いを定めて打つということは反射と化している。
そう、思考の段階が私には抜けているのだ。
彼が自分は既にスライドを引いていたかどうか考え、相手を観察し、どこを狙うか考え、引き金を引く指令を出す。
彼にとっては意識している実感すら無いほどことだが、それを消失させた私と彼との間には、確かな時間差が生じている
加えて、私と彼の神経伝達速度の差。
そのたったの0.00秒単位の差。
だけどその積み重ねが、私と彼らにとっての0.0秒単位の差となって有意に現れている。
0.1秒あれば、銃弾は約50m先まで飛んでいっているんだから。
扉に銃弾が当たる音がした。
彼が私を狙ったものだろう。
遅れて二人目が立ち上がろうとするのに向けて、私は引き金を引く。
これで最初の一人だけ。
それから、あらためて私は彼らの様子を断片化された数秒の記憶からたどっていく。
一見スーツに見える服を着ている。
使っている銃は、おそらく今私が持っているものと同じもの。
どのメーカーかはわからない。
サイレンサーのついたセミオート。
打ったときの反動は、思ったよりも大きかった。
それが、私が久々に銃を打つせいなのか、銃の性質上のものなのかは判断できない。
- 64 名前:3.Maki side 投稿日:2005/01/07(金) 01:02
- はぁ…
一つ息を吐く。
それだけでジンと頭に広がっていく快感に近いもの。
脳を炭酸飲料の中に浸けたようにさっぱりとした、どこかジンとしみる感覚だった。
それから、人を殺すということに何も感じていない自分に、やっと気づいた。
私は引き金を二回引いている。
一度目は命中を確認してもいないし、もちろん死亡確認なんてしているわけもない。
それでも、私は確実に彼を殺したと断言できる。
二度目は目の前の、私に足を向けて倒れている男だ。
平泳ぎでもしているかのように、足をカクカクと動かして、いや、意識なんてものはもうないのだから、動いていると言った方がいい。
自衛手段。生存手段。そして、自分の戦闘欲求。
やっぱり私の中にはそれがあるのかもしれない。
否定はしない。
否定はしないから、私は向かってくる敵を殺すことを決して止めない。
だから…
私は体を起こし、廊下へと向かった。
一歩、二歩。
それから体を90度左に向ける。
銃口が私に向けられている。
- 65 名前:3.Maki side 投稿日:2005/01/07(金) 01:02
- 遅すぎ。
―――カシャン
弾は彼を貫通し、リビングへの扉のガラスを割った。
気づけば周りに立ち込めるのは硝煙と血の臭いだった。
加えて、3つのたんぱく質の塊と私の緊張と快感で熱くほてった体。
それがこの空間にある全てだった。
銃を下げる。
このことをどう紺野に説明しようかと今更悩み始める。
彼女にも美貴にも私の過去のことは話していない。
でも、もう話さなくちゃいけないかもしれない。
話したなら、紺野はどう思うんだろう?
そんなことを考えている時、熱を持った頬をひんやりとした風が薙いだ。
風?
緩んでいた緊張が再び締まる。
- 66 名前:3.Maki side 投稿日:2005/01/07(金) 01:02
- 誰かいる…?
しかも、リビングに…
感覚はしない。
紺野たちがいるのはわかる。
3人。
そう、たった3人だけのはず。
3人だけのはずだ。
それ以外の気配なんてしない。
だけど、さっき吹いた風は、明らかに窓が一時的に開いたときに吹き込んだもので。
3人が開けたのかもしれない。
それならそれでいい。
だけど、だけど、私の頭の中に確実に何か引っかかっている。
「紺野、美貴!」
「後藤さん!」
キッチンで一人立っている紺野の姿。
その姿を確認したまさしくその時、私と紺野の間を光が走った。
ジュっと壁が焦げる音。
光の放たれた方向を見る。
黒髪をポニーテールで結んだ女の子。
右手で持つ少し大きめの銃は、先端が赤く光っている。
熱線を先ほど発したせいだ。
- 67 名前:3.Maki side 投稿日:2005/01/07(金) 01:03
- ヒートガン。
好んで使う人は余りいないから、実物を見た機会は片手で足りるほどだ。
殺傷能力は銃にはるかに劣る。小型化もさほど進んでいない。
弾こそ要らないが、代わりに莫大な電力を必要とする、所謂キワモノの範疇に属するような武器だ。
けれど、私がそれよりも驚いたのは、彼女の気配を一切感じ取れなかったことだ。
「一歩でも動くと撃ちますよ」
銃を構えようとした私をその声が止める。
レーザーサイトをわざとらしく紺野の胸にちらつかせ、女の子は笑みを浮かべていた。
- 68 名前:Silent Science 悪魔の辞典5 投稿日:2005/01/07(金) 01:19
- ・神経の伝達速度
髄鞘の有無、太さによって変わりますが、だいたいこれくらいと言われることが多いです。
・オリンピックの短距離走
100m走の世界記録は9秒78だそうです。
・虹彩認識
虹彩のパターンによって本人かどうかを識別する装置です。
・セミオート
セミ・オートマティック。
引き金を引くと、一発だけ弾丸が発射される自動拳銃。
引いている間中、次々と弾丸が発射されるものはフル・オートマティック
・ヒートガン
熱線銃。ビルを溶かすなんて不可能です。
- 69 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/01/07(金) 01:31
- 更新終了。
やたら読みにくいことになってしまったような気が…
加えてよく考えると話は進んでない罠。
>>56 たぶん向かう方向性はこういう話になる予定です。
伏せている部分は後々ゆっくりと。
>>57 今のところは無事です。これから先も無事であるかは、たぶん後藤さん次第…
- 70 名前:konkon 投稿日:2005/01/08(土) 02:14
- 初めまして〜、白と緑で書いてるkonkonです。
近未来的って何か憧れる世界ですよね〜。
ごっちん達に一体何が起こったんでしょうか・・・?
続きが楽しみです。
- 71 名前:名も無き読者 投稿日:2005/01/10(月) 23:30
- 更新お疲れサマです。
・・・まるでカノ(蹴
某作品を思わせるこの緊張感、背筋が波打つのを感じます。
続きも楽しみにしてます。
- 72 名前:3.Maki side 投稿日:2005/01/12(水) 01:43
- わずかに開いた窓が見える。
彼女はそこから入ったのだろう。
あの3人は囮で、裏からこの子が入ってくる。
ありきたりな、初歩の作戦。
陳腐すぎて逆に今更誰も使わないような作戦。
それにまんまと引っかかるなんて…
戦場を離れてもうすぐ3年。
平和ボケが過ぎたのかもしれない…
しかし、それだけで終ってしまうのなら、私はまだ過ちを犯すに違いない。
平和ボケだけで片付けられない、大きな要因があるのだから。
過剰すぎるプライドは冷静な判断を鈍らせる。
だから、素直に認めるべきだと思う。
どんなに私が完璧な状態だったとしても、彼女の気配を感じることはできなかったということを。
私がミスしていたわけではない。
気配を完全に絶った彼女が上だったのだと。
- 73 名前:3.Maki side 投稿日:2005/01/12(水) 01:43
- 「そこにも二人いますよね、出てきてもらえますか」
銃をキッチンに向ける。
紺野からサイトがずれたことを確認し、私は銃を構えようとする。
しかし、女の子の銃はそれよりも早く紺野をとらえる。
速い…
それだけの動作でわかる。
彼女も私と同じなのだろう。
伝達を限りなく0に近づけている。
さっきの男たちなら、私は容易に銃を持つ手を打ちぬけたに違いない。
しかし、彼女は違う。
私が彼女の動きに反応して銃を構えるのと、彼女が私の動きに気づいて銃を元に戻すのこと。
それらの命令が四肢に伝わるまでの時間は全くのズレが無かった。
ならば、動きの少ない彼女の方が先に行動が完成するのは当然だった。
私は半分まで持ち上がった銃を再度下げざるを得なかった。
- 74 名前:3.Maki side 投稿日:2005/01/12(水) 01:44
- 雅を隠すように立ち上がる美貴。
そのままゆっくりと女の子の首の動きに促されるように、紺野の後ろを通り、私の方へとやってきた。
「ごっちん…」
私の手にした銃に気づいた美貴が言う。
そのトーンはいつもの明るく、どこかおちゃらけた美貴のものとはほど遠く。
名前の後に続く言葉が無かったことが、余計に彼女の精神状態を私に知らしめた。
「目的は、何?」
「目的ですか、そこにいるHPK07の回収が任務ですが?」
「HPK07?」
耳にしたことの無いような単語。
だが、私の視線は自然と雅の方を向く。
彼女は、ギュッと美貴の腕に抱きつき、背中に顔をうずめていた。
「あやや的には人を殺すのとかイヤなんで。できればおとなしくその子を渡してくれると助かるかなーなんて思ったりもしてます」
あやや。
おそらく彼女の名前だろう。
容姿に加え、日本語の発音から、どう見たって彼女は日本人である。
ということは、あややというのは彼女の名前というより愛称と考えて間違いない。
あや、あやか、あやの、いくつか思い浮かぶ名前が出るが、どれがそうなのかわからない。
見た感じは私よりも年上にも見えるが、世間一般に可愛いと言われるレベルは十分に満たしており、声色や話し方を加えると、さながらアイドルのようにすら思えた。
どちらにしろ、この緊迫した場面で自分のことを「あやや」と愛称で呼ぶような人間とは仲良く出来そうな気はしない。
- 75 名前:3.Maki side 投稿日:2005/01/12(水) 01:44
- そして、どうやら彼女の目的は雅であることは間違いない。
殺すのはイヤとはいいながら、すでに3人の男を囮として死に至らしめている。
拒否をすれば、彼女は紺野を打つ決定を容易に下すと考えていいのかもしれない。
つまり、紺野は人質。相手の要求は雅。
簡単すぎるほどにはじき出される今の状況。
しかし、冷静に考え直してみると、これにはいくつもの難点が生じている。
あやや(名前がわからないので不本意ながらそう呼ぶしかない…)としては、あの3人は囮としては考えていなかっただろう。
二流とはいえ、彼らはプロだった。
私の存在が無ければ、紺野と美貴を殺す、殺さないに関わらず、造作なく雅を連れて行っただろう。
さしづめあややの役目は監視、もしくは万が一雅が窓へと逃げ出したときのための一応の保険。
その程度だっただろう。
だけど、私の存在で状況は変わった。
あやや自身が動かなければいけなかった。
いや、彼女はもしかしたら、私の存在に気づいていたのかもしれない。
でなければ上の推論のような役割のためだけに、彼女がわざわざ来るとも思えない。
しかし、それの本心はわからない。何にせよ、彼女は自分ひとりで雅を確保しなければいけなくなった。
彼女は私が3人の男を始末している様子から、自分と同じ、伝達速度の短縮と戦闘反射を持っていると気づいただろう。
となれば、私とあややが戦うということは、一般人同士の銃の打ち合いとなんら変わらないわけであり。
それは私にとっても彼女にとっても、不確定要素が大きすぎて、勝ちを確実に計算することはできない。
加えて、彼女の持っているヒートガンは殺傷能力は低いのだ。
どう考えても私が彼女を殺す確率の方が高いだろう。
- 76 名前:3.Maki side 投稿日:2005/01/12(水) 01:45
- だから、彼女は紺野を人質に使っている。
紺野と私は同居人。
いや、彼女がそこまで知っているとは考えにくい。
おそらく美貴が立っていれば美貴を人質にとったに違いない。
どちらにせよ、私と親しい間柄、少なくとも知り合いであることは間違いないのだから。
けれども、これは決して正しい選択ではない。
他に方法が無いから、よりベターな選択をしただけであり。
ベストな選択は、彼女が何もせずに引くということだっただろう。
なぜならば、彼女が持っているヒートガンの殺傷能力の低さのせい。
全てそれに尽きるのだ。
仮に紺野が打たれたとしても、助かる可能性は十分ある。
熱線が十分に照射しなければ殺傷能力を持たない。
発射された弾が当たれば終る拳銃とは違いすぎる。
だが、調節が出来る分、様々な使い方が可能であることは事実であるが、それは戦場においてあまり意味のないことで。
キワモノと呼ばれる所以はそこにあるといってよい。
つまり、彼女が確実に紺野を死に至らしめる前に、私は彼女を打ちぬくことが出来る。
これは、彼女が紺野を打つことができないという結論に結びつく。
- 77 名前:3.Maki side 投稿日:2005/01/12(水) 01:45
- だから、彼女の脅しに意味はない。
有利なのは明らかに私の方なのだ。
紺野が死ぬかもしれない確率を犠牲にして、彼女を殺せばいい。
息を一つつく。
銃を握る右手の筋肉の緊張を一時的に解きほぐす。
「早く渡してくれませんか?本当に打ちますよ?」
あややの声も心なしか焦っているように思える。
彼女自身、打てないことはわかっているはずだ。
紺野、ごめん…ちょっと我慢して…
私は右手の筋肉に指令を与えた。
- 78 名前:3.Maki side 投稿日:2005/01/12(水) 01:45
- ……
右手を上げて、銃を構えて、引き金を引く。
再度命令を与える。
……
動かなかった。
神経繊維がプチンと切れているかのように。
私の右手は動かなかった。
動け、動け…
念じるように、必死に手を動かそうとするが、痙攣を起こしたように不規則に震えるだけ。
混乱し始める頭を、もう一度落ち着かせる余裕は、私にはなかった。
唯一助かったことは、私の異変に誰も気づいていないことだった。
左手で右手を掴む。
ゆっくりと持ち上げようとするが、私の右腕は石膏で固められたかのように動くことは無かった。
- 79 名前:3.Maki side 投稿日:2005/01/12(水) 01:46
- 「どうしたんですか?早く、その子を渡してくれませんか?」
気づかれた…
先ほどまでと目が違う。
私の異変に気づいたに違いない。
「行きます…お世話になりました」
横から聞こえたか細い声。
素人が台本を読んでいるような、平坦な言葉。
それは、私の緊張の糸をあっさりと切った。
手から滑り落ちそうになる拳銃をかろうじて指に引っ掛け。
自分の横へと歩いてくる雅の横顔を、見ていることしかできなかった。
人形のように、無表情に。
まるでそうあるのが正しいかのように、彼女は歩いていく。
だが、それでも彼女の表情は明らかに曇っていた。
表情を動かさず、それでも目一杯の寂しさを表現しているかのように。
涙を流さなくても、口元を動かさなくても、目線だけでこれだけの寂しさが表現できるのかと、思うほどに。
そして、それを見たとき、私の心の中は決まったといっても過言ではなかった。
- 80 名前:3.Maki side 投稿日:2005/01/12(水) 02:05
- あややの元に彼女は行く。
同時に、レーザーサイトから外れた紺野が私の元へ駆け寄る。
ヒートガンを雅の頭に押し付け、尚且つ盾にするように自分の体の前に寄せる。
あややが打てないのはわかっている。
彼女の目的は雅なのだから。
それがわかっていても、私は打つことはできない。決して、それはできない。
後ろにゆっくりと下がっていくあややを、私は見送るしかなかった。
窓からベランダへと出た二人。
その姿が消えたと同時に、私の体が再び動きを取り戻した。
三階から見下ろした地面に、二人の影が見える。
そして、あややと共に車に押し込められる雅。
「美貴、バイク!」
部屋に戻り私は叫ぶ。
美貴は一瞬間を置いてからポケットを探り、鍵を取り出し、手を出した私に投げつけた。
「サンキュー」
受け取った鍵を握ったまま、ベランダに戻った時、、車がマンションから出て行ったのが見えた。
私はベランダの柵に片手をつき、迷わず飛び降りる。
ニ階の柵、一階の柵と順に手を軽く引っ掛け、落下速度を落としていく。
コンクリートに降り立った時、ジンと両足が痺れたが、無理に動かして美貴のバイクを探す。
私が美貴のバイクを動かしてマンションを出たのは、雅を乗せた車が出て行った1分後のことだった。
- 81 名前:Silent Science 悪魔の辞典6 投稿日:2005/01/12(水) 02:11
- ・HPK07
エイチピーケー・ゼロセブンと読みます。バレバレであろう略号の意味はまた後に。
・あやや
後藤さんよりも年下です。
・あや、あやか、あやの
あやの付く名前って意外と少ないです。
・バイク
藤本さんの主要な移動手段。ガソリンでなく電気で走ります。
- 82 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/01/12(水) 02:20
- >>70 konkonさん初めましてです。設定上は50年ちょい後という近すぎる未来ですが楽しんでいただけるとうれしいです。
>>71 さすがいい線をついていらっしゃる…できればこのまま重い雰囲気のまま進んでいければいいのですが…
もう少し後藤さん編続く予定です。
- 83 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/01/16(日) 00:42
- 色々気になる箇所が見られますね。
どう明かされていくのか楽しみです。
- 84 名前:3.Maki side 投稿日:2005/01/16(日) 04:06
- 風を切ってどんどん加速するバイク。
スピードメーターはすでに100に迫っていた。
ギアを一番上まで上げ、アクセルをさらに握る。
ヘルメットからはみ出た髪がバサバサと揺れる。
大学構内を走る一本の大きな道。
4つある門のうち、この時間に開いているのは二つ。
この道の両端にある二つの門だけだ。
右に曲がる車の後を追う。
都心部とは反対側の出口へと彼らは向かっていた。
しかし、大きな一本道に曲がった途端、車との距離は開いていった。
加速力ではバイクのほうが圧倒的だが、信号のない直線においては追いつくことは不可能だった。
なぜなら、このバイクには安全装置がつけられているのに、あの車は外しているに違いないから。
そうでなければ、こんなに差が開いていくわけは無い。
車間距離が狭くなると減速する追突防止機能、速度の上がりすぎを抑える過速度防止機能、
加えて車線を外れそうになるとハンドルを自動修正する車線維持機能など、交通事故というものの可能性を減らす努力をするために、搭載を義務付けられた安全装置。
実際、導入後の交通事故死者数は導入前から更に減少している。
しかし、機械で制御された運転は、時に事故につながる場合もある。
車線維持機能を過信して、ハンドルを持たずに運転していた女性。
追突防止機能があるからと、速度を落とさずに追突事故を起こす男性。
いくら高性能の機械であっても、あくまで補助でしかない。
そこを履き違えた人が多く、そういった事故が後を絶たないのも事実であり、一時は問題視された安全維持装置の義務化だが、事故死者数を減らす効果を示しているのだから、反対意見は自然と消えていった。
けれども、死者数の減少には医療の水準向上という影響もあるため、一概に安全装置のためだけとは言いきれないのだけど……
- 85 名前:3.Maki side 投稿日:2005/01/16(日) 04:07
- 徐々に小さくなっていくテールランプ。
けれども、この先はしばらく一本道が続く。
山を切り開いて作られたこの大学。
門を出れば続くカーブの連続は、逆に私に有利な状況となる。
メーターは100を超えたところで一定になっている。
吹き付ける風の抵抗を少しでも減らすために私は身をかがめた。
速度がそれ以上に上がらないようについているのだから、そんなことをしてもそれ以上に速くなるわけも無い。
ただの、自分の何とかしようとする焦りがそういった形ででているだけだった。
テールランプが視界から消える。
門を出て山道へと入ったのだろう。
まだ焦ることは無い。
数十秒の遅れの後、私もそこを通過する。
門を照らすライトが不意に目に入った。
そして、それが再生ボタンとなったかのように、昔の記憶が頭に浮かんだ。
- 86 名前:3.Maki side 投稿日:2005/01/16(日) 04:07
-
「後藤、またターゲットでない子ども殺したんやってな」
「あぁ、でないとターゲットに逃げられそうだったからね。かわいそうだけど巻き込んじゃった」
「後藤、ええか、感情に流されて失敗するのは二流のやることや。
一流の人間は感情に流されずにきっちり任務をこなすもんや」
「それくらいわかってる。私は大丈夫」
懐かしい声。自分が日本に戻ってくる少し前にお世話になった人の声。
そして、少しうれしげな自分の声。
このやりとりは、最後の任務が渡される前の会話だったかな…
「大丈夫やない。後藤は一流やないんや。超一流なんやから」
「なんやから?」
「超一流っていうのはな、感情に流されても、成功させる人のことを言うねん。
だからな、後藤はもっと他人に対する優しさとか、思いやりとか、そーゆーのを持って行動せなあかん」
「んーよくわかんないけど、裕ちゃんが言うんだからそうなのかもね」
そこで声が終る。
まるで短い映画でも見ているかのようににわかに蘇った記憶。
- 87 名前:3.Maki side 投稿日:2005/01/16(日) 04:07
- その言葉の後、自分が変わったかと聞かれれば、わからないとしか答えられない。
最後の任務を終えた私は日本に戻って大学に通うこととなったのだから。
自分が一流か二流か、それとも超一流か。
それを決めるのは今なのかもしれない。
だけど、今の私はそのどれでもないのだろう。
紺野を打とうとして打てなかった。
なぜかわからないけど、それは起こった。
そして、結果として雅はさらわれた。
三流だ。
体が言うことを聞かないなんて、馬鹿げてる。
本当に馬鹿だ。
カーブに差し掛かる。
大きく左に曲がる下り坂。
減速することなく、体を大きく倒して曲がりきる。
タイヤがキュッキュとこすれるのがわかる。
美貴に心の中でゴメンを言いながらも続くカーブも同様に曲がった。
車はまだ見えない。
22時という時間だけど、この道には対向車も含め、車はほとんど通ってない。
大学と高速道路を結ぶためだけにあるこの道路。
都心へ向かう反対側の道路とは違い、基本的に混んでいることはなかった。
半分くらい進んだだろうか。
目の前に映るナビで確認すると、もう高速道路との中間点は過ぎてるほどだった。
高速に入られたら追いつけるわけも無い。
- 88 名前:3.Maki side 投稿日:2005/01/16(日) 04:08
- ポケットから携帯を取り出し、メモリから紺野の名前を探す。
カーブが迫る。
左手の甲をハンドルに沿え、同じように曲がる。
曲がりきった頃に、紺野の顔が画面に映る。
「紺野、お願いがあるの。この先の高速の渋滞状況調べて。後、一番近い降り口と、そこに行く下道も」
紺野が何か言っているのがわかる。
だけど、風の音とヘルメットのせいで、私の耳には届かない。
読唇術はそれなりにはできるが、今の状況ではそこまで集中できなかった。
「ごめん、今は聞こえない。言ったことお願い。それと、美貴に…」
美貴の顔が蘇る。
自分を見た、あの瞳。
怒っているんだろうか、それとも恐れてるんだろうか。
どっちにしろ、もう美貴とは顔を合わせられないことは決まったようなものだった。
「ごめん、今までありがとうって」
通話を切る。
紺野の唇が私の名前を呼んだようにも見えたけど、かまわずボタンを押した。
携帯をポケットにしまうと、すぐに震える携帯。
だけど、私は無視した。
- 89 名前:3.Maki side 投稿日:2005/01/16(日) 04:08
- 前に見えるテールランプ。
カーブが続くため、すぐに見えなくなるが、それほど距離はないことは明白だった。
ナビを見る。
残りのカーブは4回。
追いつけたとしても、次に問題になるのは追突防止機能だった。
だから、後ろから近づくことはできない。
ならば、対抗車線から近づくことが一番だった。
バイクには車線維持機能は搭載されていない。
ハンドルを動かし、光を放つ中央線を横切ると、メーターが赤く点灯した。
それとともに、速度が少しずつ落ちていく。
こんな機能までついてるんだ…
私自身、安全装置のついているものを運転する機会はほとんどなく、日本に着てからは車すら所持していなかったから。
おそらく中央線横切ったせいだろう。
車線維持装置の代わりにこんな機能までついているとは、完全に盲点だった。
前を走る車の姿は再び見えなくなる。
高速に入るまでに追いつくのはもう不可能だった。
まただ…
また私はミスした…
唇をギュッと噛む。
携帯はいつしか振動を止めていた。
- 90 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/01/16(日) 04:12
- 少しだけなので悪魔の辞典は次回まとめて。
>>83 伏線ばっかで全然説明がないですが、後ほどバーっと回収していきます。
もうしばらくお待ちください。
- 91 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/01/17(月) 02:10
- なんか映像が浮かんできました。すげぇ
- 92 名前:4. Asami Side 投稿日:2005/01/20(木) 21:37
- 4. Asami Side
「サンキュー」
後藤さんは言った。
でも、軽い言葉とは裏腹な、真剣な声。
もう、これで二度と会えないかもしれない。
なぜか後藤さんの表情を見て、強く感じた。
だけど、私は動けなかった。
恐怖はもう無かった。
あるとすれば、それは銃にではなく、後藤さんともう会えないかもしれないことに対してだった。
鍵を手にしまい込み、ベランダから消えていく後藤さん。
その姿が消えてから、私はやっと「後藤さん!」と叫ぶことが出来た。
風が吹き込む。
昼間に比べるとかなり冷たい風。
カーテンをばさばさと揺らし、びっしりと汗をかいていた私の額に吹き付けた。
ポチャンと流しに張った水に蛇口から水滴が落ちた。
食べかけのハンバーグからはまだ湯気が立ち上っていて。
デミグラスソースの香りが充満するこの部屋は、壁の焦げ跡を除いて全く変わっていなかった。
違うのは、後藤さんと雅ちゃんがいないだけ。
いないだけ。
その事実だけで、この部屋は全く違う空間となった。
ハンバーグがあって、白いご飯があって。
テーブルがあって、パソコンがあって、冷蔵庫があって。
なのに、後藤さんはここにはいない。
- 93 名前:4. Asami Side 投稿日:2005/01/20(木) 21:38
- この二年間、後藤さんが外泊することもあった。
私が家に帰れない事もあった。
だけど、だけど…
唇をギュッと結ぶ。
泣いちゃいけないって自分に言い聞かせる。
もう帰ってこないんですか?
「おかえり」も「ただいま」も「おはよう」も言ってくれないんですか?
私が嫌いなナスをわざと使って「私が作ったの残すんだ?」って意地悪そうに笑ってくれないんですか?
誕生日にプレゼントを渡すと、ばつが悪そうに「ありがと」と言ってくれないんですか?
浮かんで消える後藤さんの顔。
自分の肩が震えているのがわかる。
しゃくりあげるのをこらえようとしたら、逆に「ひゃ」っと変な声がでてしまった。
「紺ちゃん」
美貴ちゃんが後ろからギュッと両手を回してくれた。
汗で濡れた手のひらが、私の腕をつかむ。
私の肩に置かれた顔。
美貴ちゃんの息が頬に当たるのを感じる。
「もう大丈夫だから…怖かったんだよね」
美貴ちゃんは勘違いしている。
だけど、それを訂正する言葉を、私は口から出せなかった。
美貴ちゃんの腕がかすかに震えてるのがわかったから。
- 94 名前:4. Asami Side 投稿日:2005/01/20(木) 21:38
- どれくらい、私たちはそうしてたんだろう。
私のしゃくりあげる声と、鼻をすする音だけが響く部屋。
こらえた涙だけは、あふれることはなかった。
突然音楽が鳴り響いた。
弦楽器の穏やかで綺麗な音色。
しかし、それを奏でているのは、携帯電話という弦からは程遠いデジタルなもの。
G線上のアリア。
バッハの死後、原曲をバイオリンのG線だけで演奏可能に編曲されることで生まれたこの曲。
私の好きな曲であり、後藤さんからの着信を知らせるメロディでもあった。
もちろん、美貴ちゃんもそれを知っている。
私を抱く腕から力が抜けるのを感じる。
私は美貴ちゃんから離れ、携帯を手にした。
「もしもし」
画面に映ったのはもちろん後藤さん。
シールドを上げたフルフェイスからは、目だけしか見えないが、後藤さんということはすぐにわかった。
風の音に混じって後藤さんの声が届く。
- 95 名前:4. Asami Side 投稿日:2005/01/20(木) 21:39
- 「紺野、お願いがあるの。この先の高速の渋滞状況調べて。後、一番近い降り口と、そこに行く下道も」
この先というのがどこなのか、私にはわからない。
後藤さんの後ろにはいくつか街灯が連なって光っているのが見えるだけだった。
「後藤さん、今どこにいるんですか?」
「ごめん、今は聞こえない。言ったことお願い。それと、美貴に…」
私の言葉に重ねて後藤さんは言う。
携帯を差し出す私に、美貴ちゃんは手を振って、いらないということを示した。
「ごめん、今までありがとうって」
そういった後藤さんの顔は、サンキューと言った後藤さんと同じ顔で。
私は今度こそ叫ぶことができた。
「後藤さん」と。
でも、後藤さんはもう携帯から目を離していて、すぐに電話は切られた。
- 96 名前:4. Asami Side 投稿日:2005/01/20(木) 21:39
- 「美貴ちゃん……」
「聞こえてた」
後藤さんの言葉を伝えようとするけど、美貴ちゃんは私と目をあわさずに言った。
「そう……」
着信履歴から後藤さんに電話をかける。
コール音が響いた後に、つながったのは留守電。
私は電話を切った。
そして、私はもう一度電話をかけることはせずに、私は部屋の片隅のパソコンの前に座った。
ディスプレイの電源を入れる。
家電を操作するパネルを最小化し、私は道路地図のアプリケーションを開いた。
起動までの処理の時間に、私は左手で携帯を操作する。
後藤さんの携帯の位置をGPSで検索するためだった。
後藤さんの携帯の番号と、パスワードを打ち込む。
現れたのは、大学周辺の地図。
都心とは逆へ向かう道の中間あたりに、後藤さんはいた。
- 97 名前:4. Asami Side 投稿日:2005/01/20(木) 21:39
- それを確認し、携帯を閉じる。
次はキーボード。
大学名を打ち込み、周辺の地図を読み出す。
後藤さんの言っている高速道路は、その先の第二新東京自動車道。
乗り口はこの大学のためだけにあるといってもいい。
私はマウスでそこをクリックした。
渋滞状況を示す赤いラインは都心方面にだけ引かれており、こちらはガラガラだった。
都心方面といっても、都心に隣接してこの大学があるわけでなく、間に西東京市などのベッドタウンをいくつも挟んでいるのだから。
この時間に都心方面の方が混むのは当然のことだった。
一番近い降り口は、ほとんど埼玉と山梨の県境といってもいいところだった。
そこをマウスでクリックし、エンターキーを押す。
条件設定画面が呼び出される。
高速道路を使わない設定のものと、高速を使用した場合の二つのパターンを検索させた。
処理が始まる。
後藤さんは安全装置の限界で走っているに違いない。
ざっと地図から概算して、高速の乗り口までの距離は10km程度。
残された時間は6分しかない。
工程を示すバーが進んでいくのがすごく遅く感じられた。
早く、早く、早く…
ピロンという完了の音と共に、結果が表示される。
表示されたルートは6種類。
所要時間を頭の中で時速100km換算に直す。
そのうち高速とほぼかわらないのは2つだった。
- 98 名前:4. Asami Side 投稿日:2005/01/20(木) 21:39
- ……でも、これじゃダメに決まっています。
高速道路を使う側は120kmで計算されています。
なぜなら高速道路に入ると安全装置のリミットが120kmに切り替わるからです。
でも、それではダメなんです。
雅ちゃんが車で連れ去られていくのを、後藤さんがすぐに追ったとすれば、バイクなら絶対に追いつけるはずです。
もし追いついていればこんなことを私に頼まないはずです。
つまり、後藤さんは車に追いつけなかったと考えるのが自然です。
後藤さんの運転しているのを見たのは、美貴ちゃんのバイクで私と二人乗りをした時の数回しかありません。
でも、あの時の運転は明らかに操作に慣れているものであり、後藤さんの運転技術が足りないためとは考えにくいです。
そうなると、安全装置を解除した車に乗っていたと考えるのが、極めて自然です。
あややという人は、ヒートガンなんてものまで持っていました。
安全装置を搭載した車に乗っているなんて可能性は、どう考えても低いはずです。
一般的な車の性能を考えると、安全装置なしでの最高速度は180km付近には十分達します。
180kmとして考えると、どのルートを使っても間に合いません。
もう一度ルートを見直します。
直線の長さと道の広さを考えていくと、いくつか時間を短縮できる部分がありますが、それでもまだ不十分です。
時計はすでに3分を経過しています。
このままでは間に合いません。
- 99 名前:4. Asami Side 投稿日:2005/01/20(木) 21:40
- 何かいい方法は無いんでしょうか…
もう一度地図を見直しても、これ以上短縮できる部分なんてありません。
何か別の方法が、それこそビルを飛び越えるくらいの…
画面をスクロールさせていた私は慌てて手を止めました。
マウスのポイントが合わさっている部分で交差する道路。
できるわけないという思いと、後藤さんならという思いがよぎります。
ダメと思いつつも、計算すれば大幅な短縮が起こって間に合います。
後藤さん、どうか怪我しないでください…
はじき出した答えを、私は後藤さんの携帯に送信した。
- 100 名前:Silent Science 悪魔の辞典7 投稿日:2005/01/20(木) 21:41
- 前回分を…
・交通事故死者数の減少には医療の水準向上
日本では事故発生から24時間以内に死亡した人のみを「交通事故死者数」としてカウントします。
・高性能の機械であっても〜
一部の人間の誤った使い方のせいで、せっかくの科学が無駄になった例は過去に数多くあります。
・車線維持機能
レーンキーピングアシストのこと。車線のズレを感知し勝手にハンドルを修正します。
バイクにこんなものついていたら転倒しかねません。
- 101 名前:Silent Science 悪魔の辞典8 投稿日:2005/01/20(木) 21:41
- ・ナス
紺野あさ美の嫌いなもの。舌がダコダコになるから嫌いというわけでは無いようです。
・G線上のアリア
バッハの死から100年程経ってから、彼の作曲したアリアをバイオリンのG線だけで弾けるように編曲し、世に広まったもの。
・GPS
Global Positioning System
衛星からの電波によって、現在位置を特定することができるシステム。
カーナビやGPS携帯などで使用されています。
・ベッドタウン
大都市周辺の住宅地が集まった場所。衛星都市とも言われる。
大都市の昼間人口の多くが夜にはここに戻ってきます。
- 102 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/01/20(木) 21:43
- >>91 ありがとうございます。ずっとそう言っていただけるようにがんばっていきたいです。
次回は、3人目の主人公である彼女視点になる予定です。
- 103 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/01/21(金) 01:27
- 徐々にドキドキ感が増してく…。楽しみにしてます。
- 104 名前:konkon 投稿日:2005/01/21(金) 10:10
- 紺ちゃんの頭脳フル回転ですね♪
ミキティ・・・(泣)
ごっちん、がんば!
- 105 名前:5. Miyabi Side 投稿日:2005/01/24(月) 21:50
- 5. Miyabi Side
腕を思いっきり引っ張られて、私は車に押し込まれました。
シートのやわらか感触を感じます。
あややと名乗る人は、私の手を掴んだまま、そのまま横に座りました。
「早く、急いで!」
「あの3人はどうしたの?」
「死んだ」
「はぁ?亜弥ちゃんマジで言ってんの?」
運転席から身を乗り出して、私たちの方を向きました。
この人を見たことがあります。
茶色い髪が目立つ綺麗な人。
アヤカって誰かが読んでるのを聞いたことがあります。
「マジマジ。だから早く行って。追っかけてくるかもしれない」
「誰が?」
「ん?誰なんだろ?ごとーさんって言ってたけど」
「ふーん」という言葉が聞こえると、車が動き始めました。
真っ暗な車内で、いくつものメーターが光っています。
カーステレオからは、ラジオか何かでしょうか、陽気な男の人が話している声が聞こえます。
時計は緑の光で22:13と表示していました。
- 106 名前:5. Miyabi Side 投稿日:2005/01/24(月) 21:51
- 「あ、後ろ来てるね」
「ほんと?」
「うん、バイクが追っかけてる」
二人の会話が聞こえます。
後藤さんでしょうか?
後藤真希さん。
すごく不思議な人でした。
私に声を掛けてくれた人。
手を繋いでくれた人。
おいしいご飯を作ってくれた人。
そして、私を守ろうとしてくれた人。
「アヤカ、大丈夫?」
「亜弥ちゃん、私を舐めてない?」
急に加速した車に、私は運転席のシートに頭をぶつけました。
「ごめんごめん、大丈夫?」
バックミラー越しにアヤカさんと目が合います。
私は「大丈夫です」とも言えず頷くだけでした。
- 107 名前:5. Miyabi Side 投稿日:2005/01/24(月) 21:51
- 「あ、亜弥ちゃん、電話しといてくれる?雅ちゃんは確保したって」
アヤカさんは私を雅ちゃんって言います。
友理奈ちゃんもそう。
だけど、あややさんは私をHPK07と言います。
梨沙子はみやって言います。
どれが私なの?
どれも私なの?
真っ暗な車内を外の光が照らしては影を作り、また照らします。
後藤さんの顔を思い浮かべると、迷惑をかけてしまったことが、すごく申し訳なく感じられました。
後藤さんが部屋に戻ってきたとき、銃を構えている姿を見たとき、私は、もしかしたらまだここに居れるかもしれないなんて、無責任なことを思ってしまいました。
お母さんのような後藤さんに。会ったばかりの後藤さんに。
私は、何を期待していたのでしょうか?何を求めていたのでしょうか?
後藤さんと離れるのはなぜかすごく嫌でした。
でも、私がいるから松浦さんが後藤さんのところにやってきて。
もし、あの時後藤さんが守ってくれたとしても、また別の人がやってくるだけでしょう。
私がいても後藤さんに迷惑をかけるだけです。それはよくわかってます。
それはよくわかっていましたが、私はやっぱり後藤さんと少しでも一緒に居たかったです。
- 108 名前:5. Miyabi Side 投稿日:2005/01/24(月) 21:52
- このまま私はまたあそこに戻るんでしょうか?
梨沙子がいて、友理奈ちゃんがいて、他にもいろんな子がいて。
テイキケンシンって言うのがあって、白衣を着たお姉さんとお話して、たまに注射を打たれて、大きな音がする真っ暗な機械の中でじっとして。
不意に車がすごいスピードで曲がります。
あややさんの体にぶつかると、あややさんは私に腕を回してぎゅっとしてくれました。
頭にあたるやわらかい感触と、甘くてツンとしたいい香り。
それがさっきまでのあややさんのイメージとは全く違って、後藤さんと手を繋いでいた時のように、お母さんっていうのはこういう感じなのかなって思いました。
私にはお母さんはいません。お父さんもいません。
あの場所にいる子はみんなそう。
誰もお母さんとお父さんがどんなのか知りません。
TVを見て、お父さんお母さんがでてくると、お父さんお母さんはどこ?って小さい子は泣き出すことがあります。
私も小さかったときは泣いていたと思います。自分では覚えてないけど。
「もしもし、松浦亜弥でーす。HPK07は確保したよ。今そっちに向かい中」
私に回した手でVサインを作って、変わらないテンションであややさんは話します。
松浦亜弥っていうのがあややさんの名前らしいです。
松浦さんの指がちょうど私と携帯の間を遮り、顔はよく見えませんでした。
- 109 名前:5. Miyabi Side 投稿日:2005/01/24(月) 21:52
- 「はーい。わっかりましたー」
携帯から女の人の声がします。
耳にツーンとくるような甲高い声。
「あのね、あのね、松浦さん、この服かわいいでしょ?ね、絵里可愛す…」
会話の途中で唐突に電話は切れました。
松浦さんが切ったようです。
「怒るよ、亀井ちゃん」
「いいの。あぁなるとうるさいから、相手してられない」
そう言った途端に、手に持っていた松浦さんの携帯が震えます。
でも、松浦さんは何でもないかのように、上着のポケットに携帯をしまいました。
服越しに、私にもまだ携帯が震えているのがわかります。
その間にも、車は次々とカーブを曲がっていきます。
対向車が全く来ないことに、私はようやく気づきました。
街灯が私たちを照らすだけで、対向車の光も、後続車の光も見えません。
勢いよく曲がる車は道の真ん中まではみ出て、タイヤがこすれる音が聞こえます。
でも、怖くはありませんでした。
これからあそこに戻ったら、怒られるかもしれないとも思いましたが、怖くはありませんでした。
なぜだかわかりません。
だけど、なぜか頭に後藤さんの顔が思い浮かんだのは確かでした。
- 110 名前:5. Miyabi Side 投稿日:2005/01/24(月) 22:17
- カーブの連続はいつの間にか終わり、車は更に速度を上げて、ゲートを通りました。
辺りがオレンジ色を帯びた光で照らされます。
真っ暗な山の中に伸びていく高速道路の様子は、まるで光の架け橋のようでした。
『今週のリクエストチャート第一位は、先週に引き続きなんと4週連続、美勇伝で「恋のヌケガラ」』
ラジオから男の人の声と共に、音楽が流れ始めます。
私たちがあそこで毎日のように聞いていた曲です。
これを聞くと、なぜかドキドキして、そして体が熱くなってきます。
私たちみんなが大好きな曲でした。
「アヤカ!」
「あ、はいはい」
イントロが終わり、一緒に口ずさもうと構えていた私でしたが、その前にアヤカさんはラジオを止めました。
車は変わらずに走り続けます。
美勇伝さんの曲がかかるまで、特に意識していなかったラジオですが、いざ止めてしまうとわずかな沈黙が余計に重くなってきます。
私は精一杯ミラー越しで、アヤカさんに曲が聞きたいことを目で訴えますが、気づいてくれません。
私と目すら合わすことなく運転していました。
松浦さんも同じです。
すぐ横に高い壁があって、景色なんて見えないのに、窓の方をじっと見ていました。
- 111 名前:5. Miyabi Side 投稿日:2005/01/24(月) 22:17
- すごく居心地が悪かったです。
私は松浦さんの腕から離れました。
携帯は再び震えていました。
車内はずっと静かなまま。携帯が震える音だけが、続いていました。
どれくらいそれが続いたのかわかりません。
私が追い抜いた車の数を数えるのにも飽きていた頃でした。
車内に音楽が流れました。
聞いたことのある曲でした。
男の人のグループか何かの曲だった気がしますが、誰の何と言う曲かまではわかりません。
「もう、亜弥ちゃんが電話でないからこっちに掛かってきたじゃん」
アヤカさんが携帯を松浦さんに投げます。
「切っていい?」
「ダメ、切るとまた掛けてくるから相手してあげて」
松浦さんはしぶしぶと携帯を開きます。
「もしもし。あ、松浦さんだ。酷いですよ〜突然電話切るなんて。その後かけても出てくれないし」
画面に映ったのは白いフリフリのドレスをきた女の人。
さっきの人と同じであることは、アヤカさんと松浦さんの会話からも、この声からもわかります。
- 112 名前:5. Miyabi Side 投稿日:2005/01/24(月) 22:18
- 「あぁ、ごめん、気づかなかった」
「あのね、この服ね、れいなに買って貰ったの。可愛いでしょ?可愛いよね?」
「あのさ、亀井ちゃん…」
「絵里ね、本当は白よりもピンクのほうが可愛いと思ったの。
でもね、れいながこっちの方が可愛いって言ってくれてね、それでね、絵里ね…」
亀井さんの言葉は続きます。
車内一杯に広がる声は、さっきまでの沈黙と重苦しい雰囲気を一掃しました。
延々と続く言葉に、松浦さんも次第に注意することをやめ、「可愛い、可愛いから」と投げやりに言っていました。
その間に、車はゲートを通過して、高速道路を降りていきました。
「でしょ、でしょ?でもねでもね、これ絵里のだから、あげませーん」
「わかった、わかったから。もう切っていい?」
「ええ!松浦さん欲しくないんですか?欲しいでしょ?これ可愛いもん。欲しいでしょ?」
「はいはい、欲しいから。欲しい欲しい」
松浦さんの答えに満足したかのように頷く亀井さんは、両手で画面一杯にバツ印を作って「あげませーん。これ絵里のだもん」と言って、電話を切りました。
- 113 名前:5. Miyabi Side 投稿日:2005/01/24(月) 22:18
- 「ったく、あの子何なの?」
「亜弥ちゃん、落ち着いてって」
「マジムカつく。あいつがこの計画の責任者じゃなかったら、出会って3秒で撃ち殺してるよ」
松浦さんは右手で鉄砲の形を作って打つしぐさをしました。
アヤカさんはそれに対して何も言いませんでした。
車は信号に止まります。
その時でした。
大きな金属音がなんどか鳴ったあとに、ドンという音が聞こえました。
ひんやりとした空気が私の体に当たります。
それと同時に、私の体は思い切り引っ張られました。
「暴れないで。後藤だよ」
突然のことに、反射的に目を閉じた私には、顔は見えませんでした。
でも、耳元で聞こえる声は、私の恐怖を一瞬で取り除きました。
- 114 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/01/24(月) 22:28
- 今回は辞典なし。
>>103 伏線ばっかですが、そのうち全部きっちり回収します。
それまでドキドキしていてもらえるようにしたいです…
>>104 後藤さんと紺野さんの活躍は次回。
藤本さんもまたまた後ほど。
- 115 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/01/25(火) 03:04
- あやかめ!
- 116 名前:名無し読者 投稿日:2005/01/25(火) 12:07
- さりげなくでてきたれなえりに期待
- 117 名前:6. Maki Side 投稿日:2005/01/30(日) 04:31
- 6. Maki Side
携帯が震えた。
バイブレーターの振動パターンから、メールであることがわかる。
紺野が送ってくれたに違いない。
丁度、私は最後のカーブを曲がったところだった。
車は高速のゲートを通過しようとしているところ。
時間にして1分くらいの遅れだろうか。
直線に入ったので、左手を離して携帯を取り出す。
差出人は、思ったとおり紺野だった。
添付されたファイルのダウンロードを開始する。
ゲージが勢いよく伸びてきて、完了の画面となる。
今度は、それをバイクのナビに転送した。
読み込みが始まる。
その間に携帯をポケットにしまい、ヘルメットの方のスイッチを入れた。
エラー音が鳴ったが、かまわず決定ボタンを押して設定する。
経路が赤色で表示されていく。
高速道路の一本横の細い道を、私は速度を落とさずに進んだ。
- 118 名前:6. Maki Side 投稿日:2005/01/30(日) 04:31
- 『300メートル先、右折です』
ヘルメット内に声がする。
指示されたとおりに私はバイクを動かす。
右、左、もう一度左。
信号のない道を進んでいく。
メーターは100kmから90kmの間を行ったり来たりしていた。
一番近い出口。
私は紺野にそう告げた。
確信は無かったが、私はそう踏んでいた。
私の想定する経路としてはこうだ。
大学から都心へ向かえば、すぐに渋滞に巻き込まれる。
だから彼女たちは都心とは逆の出口から出て行った。
そのまま下道を通って都心へと向かっていてもいいんだけど、私の存在があったからだろうか。
それとも、元からそういう計画だったのか。それはわからない。
少なくとも、高速道路に入れば私が追いつくことは不可能に違いなかったから。
かといって、ここから都心へ向かう方面への高速は渋滞しているはずだ。
事実として、彼女たちは都心と反対方面への高速に乗った。
そして、ここから都心と反対に行くと、二つ目の出口はもう山梨県の真っ只中になる。
私を振り切ってから、悠々と目的地に戻るとすれば、一つ目の出口で降りれば十分だ。
わざわざ山梨の山奥まで行ってから戻ってくる必要は無い。
- 119 名前:6. Maki Side 投稿日:2005/01/30(日) 04:32
- ただし、これはあややの目的地が都心であるということが絶対条件だった。
そのことに対しては、確信なんて何もない。
東京ナンバーの車だったとか、ああいった組織っぽいものは、大都市に本部があるのが相場とか。
そんな根拠のないものを信じていくしかなかった。
なにより一番の理由は、一つ目の出口で降りてくれないと、追いつくことはもう不可能だろうからだ。
存在する可能性に賭けてみるなんて、ちょっと自分らしくないことだけど。
『500メートル先、右折です』
「はぁ?」
私はそのナビに思わず叫んでしまった。
今は高架の坂を上っている最中。どこにも曲がる道なんてない。
ナビに視線を落として地図を見てみるが、高架の中ほどから右に赤く経路が表示されている。
その時、画面に文字が表示された。
「川o・-・)<後藤さん、怪我しないでください」
紺野からのメッセージ。
変な顔文字だけど、それが紺野に見えてくるから不思議だった。
- 120 名前:6. Maki Side 投稿日:2005/01/30(日) 04:33
- 「マジで言ってんの!」
私はもう一度叫んだ。
紺野からのメッセージとこのナビの経路が示すことは一つだった。
紺野って、結構大胆なことするね。
紺野のタイプって、言われたことを一番正しい答えでやるタイプだと思ってた。
いや、確かにこれが一番正しいかどうかと言われれば、正しいんだろうけどね。
なんだろうな、こういう考えで私の条件をこなすような子とは思わなかった。
坂を上りきる。
少し速度を落としながら、道の左端へと私は徐々に寄った。
ただの優等生ってわけじゃないんだね。
こういうこと思いつくから秀才じゃなくて、天才なのかな。
どっちにしろ、こういうこと思いつく紺野、すごく面白いよ!
対向車は無し。
下を見る。丁度トラックが一台、高架の下をくぐろうとしていた。
私はハンドルを右にきる。
中央線を越えると、やはりメーターが赤く光る。
でも、そんなことにかまっている暇は無かった。
車線を横切り、前輪を思い切り持ち上げる。
70cmほどの壁に前輪を下ろし、その反動で持ち上がった後輪ごと、体を捻る。
前輪を中心に円を描くように回ったバイクの下に地面はない。
- 121 名前:6. Maki Side 投稿日:2005/01/30(日) 04:33
- 美貴、まじでゴメン。
落下していく風を感じながら、私はもう会えない彼女の顔を思い浮かべた。
先ほどのトラックは目論見どおり私の下へとやってきた。
踏ん張った両手両足の力を変え、上手くクッションにしたつもりだったが、左肩に激痛が走った。
衝撃を感知し、エンジンが止まる。
荷台には陥没の跡が二つついた。
トラックの方も徐々に減速が起こり、止まる。
それを利用して、私はエンジンを掛けなおし、荷台からバイクごと飛び降りた。
左手は上手く上がらない。脱臼したのかもしれない。
右手で持ち上げてハンドルを手にする。
クラッチを握る握力すら上手く出せなかった。
っていうか、紺野、やっぱり無茶言い過ぎでしょ…
バイクが変わりなく動くのは奇跡的かもしれないと、今更ながら思う。
電話をかけて紺野に文句の一つでも言いたくなったけど、そんな無駄な時間使っている暇はない。
それをすれば、今やったことが無駄になってしまうことくらい、誰にだってわかること。
思い切り力を込めてクラッチを握る。
次々とギアチェンジを繰り返し、トップギアまで入れた。
そうすれば、止まるときまではクラッチを握らなくてすむ。
幸い、ここから降り口までの距離はそう遠くなく、またカーブも少なかった。
- 122 名前:6. Maki Side 投稿日:2005/01/30(日) 04:33
- 降り口に到着し、ナビはここで役目を終える。
減速を始める私の前を、車が一台現れた。
黒い車。ナンバーは同じ。
それだけのことを一瞬で確認する。
左手の痛みなんて、気にならなかった。
気づかれないように速度調節をして追跡する。
私が追っているわけはないと思っているのか、それほどスピードを上げる様子もない。
どちらかといえば、さも普通の車であるかのように走っていた。
赤信号にも止まる。
青信号を横切る車もなかったのに、律儀に止まってるその車が、すごく滑稽に思えた。
でも、私にとって好都合だったからありがたかったのだけど。
バイクを横に止め、銃を取る。
窓ガラス越しに雅の姿を確認した。
止め具の部分に3発。それから鍵を壊すために1発。
中に居る雅に万が一当たることのないように、弾の角度だけを考えながら。
ドアがそのまま外れ、地面に落ちる。
すぐに雅の両肩を掴み、引き寄せる。
雅の全身にグッと力が入るのがわかった。
- 123 名前:6. Maki Side 投稿日:2005/01/30(日) 04:34
- 「暴れないで。後藤だよ」
私の言葉がどれだけ効果があるのかわからなかった
そもそも、私は彼女が悲しい顔をしていたから、追ってきただけで。
もしかすると、彼女は自分で望んであややと一緒に行ったのかもしれない。
だとしたら、私がやってることって何?
いざ、彼女を取り戻すと、自信がなくなってくる。
彼女を連れて帰ることが、ただの自分のエゴに思えて仕方なかった。
あややと目が合う。
彼女が車から降りようとドアを開ける。
考えている暇はない。
後ろに雅を乗せ、私はバイクにまたがった。
「しっかり捕まってて」
私の言葉に、ギュッと私の腰に手を回す雅。
たったそれだけのことで、ちょっとだけ私に自信が芽生える。
私はバイクを走らせた。
- 124 名前:Silent Science 悪魔の辞典9 投稿日:2005/01/30(日) 04:36
- ・美勇伝
超がつくほど人気グループという設定は、悲しいかなアンリアルです。
・白いフリフリのドレス
イメージはエリザベス亀井のまんまです。
・ああいった組織っぽいものは、大都市に本部がある
最近は山奥よりも、オフィス街の中のビルというのが流行らしいです。
・川o・-・)
このAAってかなり似てると思います。
・秀才じゃなくて天才
秀才は学才のあること。天才は生まれつき備わった優秀な能力をもつこと。
天才のが才能の幅が広いようです。
- 125 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/01/30(日) 04:41
- 一週間ほど開いた割に少しだけ…
>>115 「アヤカめ!」と一瞬読んだのは内緒です。そこに目をつけていただけるとは…今後の参考にさせていただきます。
>>116 れなえりは普通にアリですねぇ。今後どうなるかはお楽しみということでどうか一つ。
- 126 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/01/30(日) 23:05
- 銃声も、壊れた金属音の表現も一切ないのがすごくカッコいいです
- 127 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/01/31(月) 00:13
- いつも読んでてハラハラドキドキするんだよなぁ
すげぇ面白いっす
こんな言葉でしか感想を言えない自分が悲しい
- 128 名前:6. Maki Side 投稿日:2005/02/03(木) 01:50
- ◇
バイクが車よりも優れている点。
それはコーナリングと加速。
つまり、逃げる側になればバイクの方が圧倒的に有利になる。
はずだった。
はずだったのに…
カーブの少ない真っ直ぐな道。
田舎と言ってしまえばそれまでだけど。
ミラーに映るヘッドライトが、どんどん大きくなっていく。
ナビに視線を落とすが、側道らしい道もない。
風に混じって右肘に変な感触が届いた。
それがあややのヒートガンだということはすぐにわかった。
- 129 名前:6. Maki Side 投稿日:2005/02/03(木) 01:51
- この状況で私を打ってくるなんて、どうかしてる。
雅の確保が彼女の絶対条件じゃなかったの?
ヘッドライトが点滅する。
まるで何かの合図のように。
打ってくる。
そう思ってハンドルを切ろうとするときには、私の左肩に熱線が届いていた。
刺すような痛みに襲われる。
ハンドルを握る手がすり落ちた。
バランスが崩れる。
二人乗り且つ最高速で入っているときに、一度崩れたバランスを立て直すのは不可能だった。
ハンドルを取ろうとした左手は上がらないのだから。
倒れる。
雅は、守らないと…
右足が地面にすれる。
腰に回された手を、私は握った。
バイクから体が離れる。
腰から雅の手は離れたが、私は右手だけで彼女を引きとめた。
どちら側が地面かは私は見失っていなかった。
- 130 名前:6. Maki Side 投稿日:2005/02/03(木) 01:51
- 雅を右手だけで抱き、私は落ちる。
体を丸めて、雅だけは怪我をしないように。
左半身からすべるように私はアスファルトを滑っていった。
目に入るヘッドライトの光がまぶしく。
天国への光にも見えた。
天国か…
自分の考えがおかしくなる。
あれだけの人を殺しておいて、今更天国になんかいけるわけ無い。
同時に、妙に冷静な自分に気づく。
このまま何にもぶつからずに止まることが出来たなら、怪我は少なくて済むかもしれない。
最後に見たナビの画面を思い出す。
やや右に曲がりながらも、真っ直ぐな道だったはずだから、上手くいけば十分ありえることだ。。
どちらにしろ、この服はもう着れないな。
痛みはもう感じていなかった。
左手は肩から先があるかもわからなかった。
自分の右半身だけが浮いているような。
変な感覚につつまれていた。
- 131 名前:6. Maki Side 投稿日:2005/02/03(木) 01:52
- 速度が落ちてきて、体が回転する。
背中から右半身へと、地面に触れる感覚が移行していく。
地面を離れた左半身から一気に痛みが湧き上がってくる。
当たる空気が針のように、私の傷口を襲った。
そうして、私の体が止まる。
止まっていても、まだ体が滑っているようだった。
指先一つ動かすことすら苦痛だった。
ズボンも上着もぼろぼろに破れ、服の代わりに赤い血が体を覆っていた。
雅に呼びかけようとするが、激しく咳き込んだ。
全身がバラバラになりそうなほどに痛かった。
口内には血が溜まっていて、漏れ出た血がシールドを真っ赤に染めた。
- 132 名前:6. Maki Side 投稿日:2005/02/03(木) 01:52
- 「後藤さん…」
ヘルメット越しに雅の声が聞こえた。
それが私の体の痛みを少し和らげた。
体を起こし、ヘルメットを脱ぐ。
すぐ目に入ったのは左手。
肩から露出した骨の白さが、赤の中に見えた。
けれども、そこに痛みは無かった。
痛覚が死んでいるのか、それとも全身の痛みがそれを消しているのか。
どちらにしろ、動かないことだけは確かだった。
雅も血まみれだったが、彼女自身に傷は少なそうだった。
服についた血の様子から、明らかに私の血だということがわかる。
バタンという音が聞こえる。
私はようやく今の状況を思い出した。
私はなぜこんなに怪我をして、雅を守っていたか。
なぜ、街灯の少ない田舎の道で、自分の怪我がはっきりと見えているのか。
- 133 名前:6. Maki Side 投稿日:2005/02/03(木) 01:52
- 「さすがです。信じてましたよ」
向けられたヘッドライトの前に立つのはあやや。
「どういうこと?」
「ごとーさんがHPK07を守ってくれるのを信じて、わざと事故起こさせたってことですよ」
あややが近づいてくる。
私は雅を引き寄せた。
「ごとーさんが、なんで私と同じなのかはわかりませんけど。うまくいってよかったです。
もしHPK07が死んでたら、私が亀井ちゃんに三日三晩喚かれて、死にそうになるとこでしたよ」
私の額に突きつけられたヒートガン。
それを払いのけることはできなかった。
- 134 名前:6. Maki Side 投稿日:2005/02/03(木) 01:53
- 「楽しかったです。追いかけっこなんて小学生以来かもしれません」
死ぬのかな。
そう思うと、何かすっきりした。
過去にこうして銃口を突きつけられた経験は何度かある。
その時は、死ぬなんて思わなかった。
でも、今は違う。
どこをどうひっくり返しても、この状況で死なないわけはない。
目をつぶる。
紺野の変な顔文字と、怪我しないでくださいの文字がふと浮かんだ。
「では、さようなら」
「待ってください!」
集中していった熱が止まる。
雅の声だとは、すぐにはわからなかった。
- 135 名前:6. Maki Side 投稿日:2005/02/03(木) 01:53
-
「後藤さんを、助けてください」
「は?」
「お願いします」
亜弥の手を握り、雅は言う。
雅の手についた血が、あややの服につく。
あーあ、血ってなかなか落ちないんだよねぇ。
自分の命に関係する会話なのに、私の頭にはそんなことしか思い浮かばなかった。
「えー、どうする?アヤカ?」
「え、何って?」
車からもう一人降りてきた。
アヤカとあやや。
名前が似ているなと思った。
さっきからどうでもいいことしか、私は考えていないような気がする。
生きていくことを放棄すると、途端に何でもないことが気になるんだろうか。
- 136 名前:6. Maki Side 投稿日:2005/02/03(木) 01:54
- 小声で話すあややとアヤカ。
それを聞きとろうとする力も、意思も私は持っていなかった。
「後藤さん、巻き込んじゃってごめんなさい」
その間に雅が私に言う。
返す言葉がすぐに思い浮かばなかったから、「いいよ」とだけ言った。
何がいいのか自分でもわからなかったけど。
あややとアヤカの相談は終わったようだ。
車から小さなトランクを取り出すアヤカ。
その中から小さなスプレーを取り出した。
「あんたはこっちね」
雅の手をあややが引いていく。
抵抗しようとする雅だが、それも空しく引きずられるように車に入れられる。
「後藤さんは、後藤さんは」
私の名前を連呼するのが聞こえた。
- 137 名前:6. Maki Side 投稿日:2005/02/03(木) 01:54
- 「じっとしてて下さいね。抵抗しても無駄ってわかってるでしょ」
アヤカはマスクをつけ、スプレーの蓋をあけた。
そして、私に向けてシュッと一吹き。
あぁ、麻酔薬か。
途端に感じる平衡感覚の喪失。
吸入用だが、瞬時に体内へと吸収されて効果を発揮するもの。
加えて私の体には傷口からも入っていくだろう。
後藤さん、怪我しないで下さい。
真っ暗になった世界で、紺野の声が聞こえた気がした。
- 138 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/02/03(木) 02:01
- 辞典が一回置きになるのは仕様ということにしておいてください
>>126 ただ擬音語が苦手なだけです(w でもその方がいいようなのでちょっと安心しました
>>127 そう言って頂けることがすごくありがたいです。
- 139 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/03(木) 15:55
- おもしろいです!
この紺ちゃん好き。ごっちんもかっけぇ。
目指せ!こんごま!!
- 140 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/05(土) 01:07
- 雅いいですねー
続き楽しみに待ってます
- 141 名前:7. Asami Side 投稿日:2005/02/08(火) 01:15
- 7. Asami Side
エラーのポップアップが画面に映し出される。
マウスをクリックする人差し指を、私は意識的にとめた。
人差し指だけじゃない。
私の鼓動も、その瞬間だけ止まったように思えた。
ごくりと唾が私の食道を通過した。
それから深呼吸。
ディスプレイから一度目を離し、天井を見上げた。
視線を戻す。
左クリック。
再び音をたてて画面に出るのは、エラーのポップアップだけ。
……そんなわけはないです。
さっきまで、ほんのさっきまで後藤さんの位置は確認できていました。
なのに、急に途絶えました。
- 142 名前:7. Asami Side 投稿日:2005/02/08(火) 01:15
- 携帯を手にします。
リダイヤル。
発信音は鳴りません。
もう一度後藤さんのルートを確認していきます。
私の送ったとおりに後藤さんは進みました。
さすがに高架から飛び降りるときは、私自身もドキッとしましたが、無事なようでした。
そして、ここです。
高速の降り口から二つ目の信号。
ここで後藤さんは急に引き返します。
つまり、ここで雅ちゃんを取り返したと考えて間違いないです。
それから、高速の脇の山道へと入って行きます。
その途中です。
いきなりエラーが表示されたのです。
- 143 名前:7. Asami Side 投稿日:2005/02/08(火) 01:16
- 考えられる理由は一つだけです。
携帯電話が電波の届かない状態になりました。
たったそれだけのことです。
問題は、なぜそうなったかということです。
そこが電波の届かない地域だった。電池が切れた。後藤さんが電源を切った。
簡単に思いつく最悪の可能性をわざと考えないようにして、私はそうであって欲しい可能性を考えます。
でも、どれも可能性は低いことくらいわかります。
携帯電話が壊れたという可能性がどう考えても一番大きいです。
だとすれば、後藤さんの身に何かあったに違いないのです。
少なくとも、ポケットに入れているであろう携帯が壊れるほどの何かが、後藤さんを襲ったのです。
「行かなきゃ」
「紺ちゃん」
美貴ちゃんが立ち上がる私の袖をつかみました。
「ごっちんに……何かあったの?」
「わからない。でも、でも……」
行かなきゃと思ったはいいですが、ここからあそこまでどうやっていけばいいか、それが問題でした。
私には車を運転することが出来ませんし、車自体も持っていません。
美貴ちゃんのバイクは後藤さんが乗っていきました。
- 144 名前:7. Asami Side 投稿日:2005/02/08(火) 01:16
- 「タクシー呼ぶ」
「え?」
「ごっちんとこに行くんでしょ?行きたいんでしょ?」
「美貴ちゃん……」
「今までありがとうってさ…ふざけんなって。ちゃんとバイクを返してもらわないといけないんだよね。まだローン残ってんだから」
美貴ちゃんはそう言うと、携帯を取り出して電話を始めた。
うれしかった。すごく。
私はパソコンの前にもう一度座り、地図データを自分の携帯に転送した。
それが終わる頃には、美貴ちゃんも電話を終えていた。
「ガラス、気をつけてね」
散らばった大小のガラスが、扉の前で光を反射してキラキラと光っていた。
私より先に美貴ちゃんは部屋を出る。
だけど、そこで美貴ちゃんの背中が止まった。
- 145 名前:7. Asami Side 投稿日:2005/02/08(火) 01:17
- 「美貴ちゃん?」
「紺ちゃん、目閉じて、私の横に来て」
「え?」
「いいから!」
声が廊下に響いた。
美貴ちゃんに近づき、目を閉じる。
肩に手が置かれ、もう一度「絶対目を開けないでね」と念を押された。
風がふわっと私の鼻を掠める。
その中に混じった臭いは、私は実験をしていてよく嗅いだことがあるものだった。
血だ。
独特なその臭いは、すぐにわかった。
美貴ちゃんに促されるままに、足を運ぶ。
つま先が柔らかいものに当たった。
それが何であるかは、状況からおぼろげながらにわかった。
でも、確信していなかったから、私はパニックに陥らなかったんだろう。
差し出されるままに靴を履き、私たちは家を出た。
エレベーターに乗る。
美貴ちゃんは、私の手をギュッと握ったまま離さなかった。
沈黙が流れる。
私は必死にさっきのことを忘れようとしていた。
もしかすると、美貴ちゃんも同じだったのかもしれない。
一段と真剣みを帯びた表情は、普段の美貴ちゃんを知っている人なら、別人と思うかもしれないほどだった。
- 146 名前:7. Asami Side 投稿日:2005/02/08(火) 01:18
- タクシーに乗り込む。
私はすぐにデータを転送し、行き先を知らせる。
所要時間は約1時間半。
ナビにはそう表示される。
私たちが後藤さんと離れてから、それだけの時間が経っていることを、それで実感する。
まるで、嵐のように過ぎ去った時間だったから。
体感ではほんの10分程度の出来事のように感じていた。
「こんな時間にお出かけですか」
運転手さんが話しかけてくる。
ミラー越しに見える少し強面の顔からは、想像できないくらいに人のよさそうな声でした。
やっと日常に触れることができたような、そんな安心感を覚えました。
しかし、緩み始めた車内の空気を、一変させたのは美貴ちゃんの一言でした。
- 147 名前:7. Asami Side 投稿日:2005/02/08(火) 01:19
- 「しゃべってる暇があれば運転して」
緊張を切るのを許さないかのように、その声は空気を凍りつけました。
小さな頃、先生に怒られたときのように、私は身をすくめました。
運転手さんは言い返しません。
ミラー越しに美貴ちゃんの方に目線を動かしたのがわかるだけでした。
景色は流れていきます。
後藤さんが通ったのと同じ道です。
高速を使ってもよかったのですが、何か手がかりがあるのかも知れないと思い、同じ道にしています。
さすがに、タクシーに高架を飛び降りらせる訳にはいきませんから。
そこはちゃんと回り道をしていますが。
私はずっと窓の外を見ていました。
後藤さんへの何かを見つけるためというより、なんとなく美貴ちゃんの方には向けませんでした。
- 148 名前:7. Asami Side 投稿日:2005/02/08(火) 01:19
- 車は高速の脇の道へと入ります。
1時間半前に後藤さんが通った道です。
程なくしてタクシーが止まります。
「お客さん、こんなところでいいんですか?」
「え…はぁ」
お財布からカードを取り出します。
その間に美貴ちゃんは車から降りていきました。
「紺ちゃん、ちょっと……」
タクシーのライトに照らされた美貴ちゃんの影が伸びています。
その先にあったのはバイク。
美貴ちゃんのバイクであることは、すぐにわかりました。
- 149 名前:7. Asami Side 投稿日:2005/02/08(火) 01:20
- 「後藤さんは……」
見回しても人影のようなものはありません。
バイクの破損具合から、かなりのスピードであることがわかります。
携帯電話が壊れたのも事故のせいでしょう。
だけど、後藤さんはいません。
救急車で運ばれたという可能性は薄いです。
なぜなら、まだ警察も来ていないからです。
車通りの少ないこの道では、私たちが最初の発見者となったようです。
なのに、後藤さんの姿はありません。
「紺ちゃん、これ…」
十数メートル先で美貴ちゃんが私を呼びます。
向かった先にあるものは、決してペンキとかどういった生易しいものの類ではありませんでした。
乾ききった血。
よく見てみると、バイクとの間にも、いくつかそれらしきものが見えます。
そこまででした。
私が冷静でいれたのは。
- 150 名前:7. Asami Side 投稿日:2005/02/08(火) 01:20
- その血が後藤さんのものじゃないかもしれないとか。
そういったことを思いつく余裕は、私には無かった。
美貴ちゃんが「ごっちんのと決まったわけじゃない」って言ってくれたから。
だから、頭によぎっただけで。
でも、そんなことが気休め以外の何者でもないことは、誰にでもわかることだから。
体中から力が抜け、私はそこに座り込みました。
アスファルトが冷たかったです。
考えることはできませんでした。
浮かぶのは後藤さんの顔ばかりで。
笑った顔、拗ねた顔、怒った顔。
そういえば、私は後藤さんが泣いている顔を見たことありませんでした。
でも、もう見れないんですね。
後藤さん…
後藤さん、後藤さん……
「戻ろう…紺ちゃん……」
美貴ちゃんが言いました。
返事はすぐにはできませんでした。
- 151 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/02/08(火) 01:25
- あ…また辞書要らないや…
このままフェードアウトもありかななんちゃって…
>>139 ありがとうございます。たぶんずっと二人はこんな調子でいくかと。
こんごまは…きっとあるはずです。
>>140 キッズに関しては手探りな部分もあるだけに、そう言って頂けると安心します。
- 152 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/02/08(火) 01:26
- 流し
- 153 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/02/08(火) 01:26
- 流し2
- 154 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/10(木) 20:33
- うあーあきらめちゃうのかあ…
- 155 名前:154 投稿日:2005/02/10(木) 20:36
- ってしまった!微妙にネタバレてるやん!
作者さんほんとにすいません
- 156 名前:154 投稿日:2005/02/10(木) 20:38
- スレ汚しですいません
- 157 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/10(木) 20:39
- 流し
- 158 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/11(金) 01:33
- 美貴ちゃんがかっこいいミキティになってきましたね。
藤本推しとしては彼女の行動も楽しみです。ゾクゾク!
- 159 名前:7. Asami Side 投稿日:2005/02/11(金) 03:56
- ◇
耳に入るアラームの音は、いつもと何か違った。
伸ばした手の先には、時計は無くて、私は空気をつかむだけだった。
尚も鳴り続けるアラームがうるさくて、私は起き上がった。
目に入ったのは、真っ白な壁と、ハンガーに吊るされた服。
小窓にはクリーム色のカーテンがかかっていた。
アラームはまだピピピピと鳴っている。
私はようやくここが自分の部屋でないことに気づいた。
殺風景な部屋だなって、素直に思った。
単純にものがなかった。
テーブルとキッチン。後はパソコンとソファとタンスだけ。
自分の部屋もぬいぐるみが並んでいたり、お花が飾っていたりするわけじゃないけれど。
モノトーンで揃えられたこの部屋は、余計にそう思えた。
- 160 名前:7. Asami Side 投稿日:2005/02/11(金) 03:56
- 「あ、起きたんだ」
ドアが開き、部屋に入ってきた美貴ちゃんがアラームをとめた。
「あ、アラーム切り忘れてた。起きるのも当然だよね」
「……ここ、美貴ちゃんの部屋?」
「あぁ、そだよ。紺ちゃん、シャワー浴びてきな。昨日はそのまま寝ちゃったからさ。髪の毛気持ち悪いでしょ?」
置かれたタオルを手にとり、私は言われるままに立ち上がった。
私は、昨日と同じ格好だった。
袖についた赤い染みが、昨日のことが夢でなかったと告げていた。
あれからのことは覚えてない。
でも、美貴ちゃんが私をここに連れてきて、寝かせてくれたんだろう。
「着替えは後で持ってく。二つ目のドアだから」
「はい」
「玉子は何がいい?っていっても、美貴は玉子焼き作ろうとしたら煎り玉子になっちゃうけど」
「目玉焼き、半熟にしてね」と私は告げ、部屋を出て行った。
シャワーの温度は42度だった。
何か不吉な予感がして、1度下げた。
- 161 名前:7. Asami Side 投稿日:2005/02/11(金) 03:56
- 「後藤さんは死んでないです」
シャワー相手にそう呟く自分が、滑稽に思えた。
「後藤さんは、きっと帰ってきてくれます」
浴槽に言葉だけが響いた。
勢いよく出るシャワーの音が、すぐに私の耳をふさぐ。
右手が少し沁みた。
見ると、小さな擦り傷がいくつかついていた。
何時ついたのか全然思い出せなかった。
昨夜はそんなことすら、頭が回る暇が無かったから。
シャワーを終え、体を拭いていくが、さっぱりすることはなかった。
鏡に映る自分の顔を何度見返しても、ちっとも嬉しそうでなかった。
当然だ。
もし嬉しそうな顔をしてる自分がいたなら、私は殴りつけていただろう。
- 162 名前:7. Asami Side 投稿日:2005/02/11(金) 03:57
- 着替えはいつの間にか置いてあった。
手にとって、少し考えた。
美貴ちゃんのだったら、入らないかもしれないって心配があった。
だけど、どうやらそれは取り越し苦労だったようで。
半そでなのに肘と膝をそれぞれ隠すほどだった。
ただ、それでもやっぱりブラはきつくって。
私は自分がつけていたものをもう一度身につけた。
私が部屋に戻ると、決してよろしくない臭いが立ち込めていた。
「あ、服大きすぎだよね?私の従兄弟のやつなんだ。でもさ、私のじゃ入らないかもしれないからさ」
私は両肩のあまった布を引っ張り、大きすぎるということをアピールする。
だけど、美貴ちゃんのでは入らないであろう事は予想がつくし、着てみてきつかったら改めてショックを受けるから。
「大きいけど、これでいいよ」とだけ言った。
そして、椅子に座る。
臭いの張本人は、お皿の上で私を待っていた。
- 163 名前:7. Asami Side 投稿日:2005/02/11(金) 03:57
- 「あのね、美貴ね、思うんだけどさ。やっぱり卵とかってさ、火を通して殺菌しとかないとさ、ダメじゃん?」
白身の半分が黒くなった目玉焼き。
食中毒起こすよりも、ガンになりそうな気がします。
実際問題、焦げでガンになるというのは一昔前の迷信なのですが。
それでも、0ではない発ガン性は確実に認められているだけに、なんとなく嫌なものです。
美貴ちゃんは美貴ちゃんで、自分の分はちゃっかりゆで卵を作っていました。
確かに、それは焦がしようがありませんから。
いい具合に固まった黄身が見えています。
さすがに交換してくださいとも言えず、口に運びます。
ジャリっという音は、焦げでは無く卵の殻でした。
私は逃げるように、美貴ちゃんの手によって調理された形跡のないパンを手にしました。
中にクリームが入っただけの普通のパンですが、こんなにおいしく感じたのは初めてでした。
- 164 名前:7. Asami Side 投稿日:2005/02/11(金) 03:57
- 考えてみると、昨日の夕飯は半分も食べていませんでした。
今の時間は、10時を少し過ぎたところ。
そのことに気づくと、食事中ですが、途端にお腹がなりました。
「美貴さ、お腹あんまり減ってないから、一個食べてくれない?」
美貴ちゃんは言います。
パンは二つしかないから、そのうち一つを私にくれるなら、美貴ちゃんは残り一つだけです。
美貴ちゃんが、それほど少食というわけではないことは、何度も食卓を共にしている私にはわかっています。
「え……でも……」
「いいの。美貴ね、なんかお腹いっぱいだから。捨てるのもったいないし、食べて」
美貴ちゃんは、よくこういう言い方をします。
でも、そういう言い方をされると、余計に気を使ってしまうのが私です。
だからといって、断る訳にもいかず(もし断ると、美貴ちゃんのことだから、本当に捨てかねませんから)私はそれを頂きます。
お腹が減っているということも、ゆるぎない事実なんですから。
- 165 名前:7. Asami Side 投稿日:2005/02/11(金) 03:58
- ピンポーンと間の抜けた音が聞こえたのは、私が丁度パンと発ガン物質増量目玉焼きを食べ終えた頃だった。
「はい、どなたですか?」
パソコンに向かって美貴ちゃんは話します。
「警察のものですが、藤本美貴さんのお宅でよろしいでしょうか?」
「はい、そうですけど」
「少しお伺いしたいことがありますが、お時間よろしいでしょうか?」
ドキッとした。
悪いことをしてる覚えはありませんが、やはり警察と聞くと、緊張します。
ただ、それと同時に後藤さんの手がかりが見つかるのかもしれないという期待は、胸の中に確かにありました。
美貴ちゃんが部屋を出て行き、二言三言話し声が聞こえたかと思うと、部屋に戻ってきました。
- 166 名前:7. Asami Side 投稿日:2005/02/11(金) 03:59
- 美貴ちゃんに続いて部屋に入ってきたのは、どう考えても私と同い年くらいの女の子でした。
少し茶色がかった髪を、赤いリボンでポニーテールに結んでいるのが、余計に幼く見せるのかもしれません。
けれども、入ってきたのが一人であることから、彼女が警察官であることは間違いないです。
私の視線に気づいたのか、警察手帳を私に向けます。
実物を見たことが無いので、それが本物かどうかわかりませんが、偽物っぽい感じはしませんでした。
ということは、彼女は美貴ちゃんと同い年くらいでしょうか。
警察官を始め、お医者さんや裁判官などには、資格試験の受験資格に、年齢という基準が設けられています。
飛び級という制度のせいで、ほとんどの資格試験の年齢制限は撤廃されていますが、これらを始めとするいくつかの資格にはそれは行われていません。
だから、私も医学博士ですが、医師免許を取ることはまだ不可能です。
そして、警察官は、18歳から試験を受けることができます。
加えて、試験後に警察学校での研修が一年近く行われます。
そういうわけで、どう転んでも彼女は私より確実に年上で、美貴ちゃんと同じくらいになります。
- 167 名前:7. Asami Side 投稿日:2005/02/11(金) 03:59
-
「もしかして、紺野あさ美さんですか?」
突然名前を言われて驚いた。
警察手帳と私を交互に見比べて、「やっぱりそうですよね」と言った。
「紺ちゃんに何の用があるんですか?」
返事のできなかった私に代わって、美貴ちゃんが言う。
だけど、彼女はそれを特に気にする様子も無く、手帳から名詞を2枚取り出し、私と美貴ちゃんに渡した。
『 Angel Hearts 特別捜査員
高橋愛 』
その下には彼女の連絡先が並んでいた。
「正確には警察官じゃないんですよ。一応まだ18歳になったばかりなんで」
顔をくしゃくしゃにして笑う。
それは、18歳という年相応の笑顔だった。
- 168 名前:7. Asami Side 投稿日:2005/02/11(金) 04:00
- 「じゃあ、さっきの手帳は偽装ってこと?」
美貴ちゃんの声色が一段ときつくなる。
だけど、高橋さんは全くそれを気にしないかのように、友達に話しかけるような口調で続けた。
「そんなことしませんよ。ちゃんとしたのですよこれ。ほら、ディスプレイだってついてるし、ここ押したらちゃんと警察に電話が通じるんですから」
手帳を広げて私たちに見せる。
携帯の倍ほどあるディスプレイと、タッチパネルが見えた。
おそらく、数年前のデスクトップパソコン以上のものが、ほんの10cmくらいの長さの手帳に詰め込まれているのだろう。
「ふーん」
「あ、信じてませんね?逮捕権は持ってますから、藤本さんを逮捕しようと思えばできるんですよ」
「罪も無い一般市民を捕まえていいと思ってるの?」
その言葉に、高橋さんは手帳を操作し、一枚の写真を呼び出した。
「道路に破損したバイクを放置していた人が何を言うんですか?」
周りが明るくてずいぶん印象が違うが、それは確かに昨日見た美貴ちゃんのバイクの成れの果てだった。
- 169 名前:7. Asami Side 投稿日:2005/02/11(金) 04:00
- 「それ、私がやったんじゃないし」
「でも、所有者は藤本さんですよ」
手帳をパタンをしめる。
それから、わざとらしく咳払いをして、高橋さんは言った。
「大丈夫です。そんなことで私は逮捕しません。私の目的はあくまで別のところにありますから」
「別のところ?」
私はようやく会話に参加できた。
特別捜査班なのに、警察官じゃない。
でも警察手帳は持ってて、逮捕権もある。つまり、警察官の権利は持ってる人。
わけがわからなかった。
- 170 名前:7. Asami Side 投稿日:2005/02/11(金) 04:01
- 「Angel Heartsの人間は、警察官じゃないんです。ある組織のために作られた、一つの班なんですから」
先ほどまでとは別人のような声だった。
「実はですね、紺野さんも探してたんですよ。だから、丁度よかった。
色々お話を聞きたいんです。例えば――
HPKという言葉を聴いたことはありませんか?とか――
私の吐く息が、その言葉で突然止まった。
- 171 名前:Silent Science 悪魔の辞典10 投稿日:2005/02/11(金) 04:02
- ・吸入麻酔薬
静脈麻酔薬の方が効果は迅速に現れます。
ドラマであるようなハンカチで押さえてすぐに…みたいなことは現実では起こりようがありません。
・煎り玉子
玉子を煎ったもの。要するに玉子焼きの細かくちぎれたバージョン
・42度
心地よく感じるシャワーの温度は40度らしいです。
・美貴ちゃんのだったら、入らないかもしれない
二人とも身長は156cmらしいです。ということは(ry
・ブラはきつくって
上に同じ。ファンの方ごめんなさい。
- 172 名前:Silent Science 悪魔の辞典10 投稿日:2005/02/11(金) 04:02
- ・卵
卵の中身は無菌状態です。
殻に傷が無い限り、菌が進入の大部分は抑えられるので放置していてもなかなか腐りません。
・焦げ
発ガン作用は確かに存在しています。
毎日1gの焦げを食べ続けても、発症に必要な量の50万分の1の量にしか相当しませんが。
・逮捕権
現行犯に限っては、一般人にも逮捕権が認められています。
- 173 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/02/11(金) 04:08
- そろそろ200が近づいてきました…今月中に300レスくらいまで書きたいなぁと予定は未定。
>>154 細かなお気遣いありがとうございます。
>>158 完全に保護者と化してますが、彼女にはまだまだがんばってもらわないといけないので、今後も動き回ると思います。
- 174 名前:名無し読者 投稿日:2005/02/15(火) 13:39
- 悪魔の辞典はひそかに楽しみにしてます
- 175 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/16(水) 20:06
- 更新早くてうれしいです
- 176 名前:8. Maki Side 投稿日:2005/02/18(金) 02:49
- 8. Maki Side
耳を掠めた銃弾が後ろの窓を粉々にした。
暗闇の中で、確かに感じる相手の動き。
少しの空気の動きが、息遣いが、足音が。
皮膚や耳を通して、私の視覚を十分に代替していた。
左手に収まった銃にこめられた弾は残り4発。
利き腕をあけるために、左手で持つようになった銃。
だけど、今では左手すら利き腕と大差ないほどに、使いこなすことはできる。
私の放った弾は、相手の右手を貫く。
銃の落ちる音が聞こえる。
私はすぐに近寄って、銃を遠くへ蹴り飛ばした。
「あんたのボスは?」
私の肩までしかない頭に、銃を突きつけた。
雲に隠れていた月が顔を出す。
肩までの黒髪、黒い瞳。
そして、何よりも子どもだった。
私もまだ17歳だから、銃の打ち合いをするよりも、友達とわいわい騒いでる方が似合う年頃。
でも、彼女はそれ以上に、それが似合うだろう。
- 177 名前:8. Maki Side 投稿日:2005/02/18(金) 02:49
- 「3つ数える間に言わなかったら、打つよ?」
「3」
「2」
「1」
パスンと音がした。糸の切れた操り人形のように、地面にゆっくりと倒れていく。
「どうして、私を打つんですか?」
倒れた彼女が起き上がった。
いつの間にか、少女は紺野に代わっていた。
「違う!私が打ったのは紺野じゃない!」
「ねぇ、どうして私を打ったんですか」
こめかみから流れる血が、紺野の頬を赤く染めていた。
- 178 名前:8.Maki Side 投稿日:2005/02/18(金) 02:50
- 「違う!」
灰色の壁が私の視界に入った。
……
「夢か」
浮かんだ情景と共に、指先に残る感覚が、やけにリアルだった。
それを消すように、左手で髪をかき上げる。
鈍い痛みを肩に感じた。
それが刺激となって、自分のおかれている状況を少しずつ思い出し始める。
バイク、銃、血、あやや、事故、男たち、川o・-・)、そして雅。
不鮮明な記憶がばらばらに蘇ってくる。
どれもはっきりしない、断片的なものだったから、間を自分で想像していかなければいけないんだけど。
ここは、どこ?
壁を叩く。
コンコンという音は、全く響くことは無い。
相当丈夫な壁に違いなかった。
- 179 名前:8.Maki Side 投稿日:2005/02/18(金) 02:50
- 部屋には私が寝ているベッドがひとつあるだけ。
壁を見回してもスイッチらしいものはなく。
照明は、外部から操作されているようだ。
扉らしきものには、手を掛ける隙間すらない。
つまり、ここは明らかに監禁目的で作られた部屋に違いなかった。
だとすれば、どこかに監視装置があるはずと部屋を注意深く見渡すと、数箇所に小さな穴を見つけた。
空調ということもありえるが、確実にそこに監視カメラか何かがあると考えていいだろう。
私はそれに気づいていない振りをして、それと無い素振りで立ち上がった。
ここは確実にあややたちのいるところに違いない。
体の痛みはさほどでもなかった。
処置をしてくれているようだった。
今が朝か昼か、それとも夜なのかもわからない。
何日経っているかさえ、私にはわからなかった。
しかし、ここの医療設備の質の高さをうかがい知ることが出来る。
おそらく、私の通う大学に匹敵するほどだろう。
つまり、日本有数の設備ということだ。
そんなものを何の目的で搭載しているのだろうか。
- 180 名前:8. Maki Side 投稿日:2005/02/18(金) 02:50
- わからない。
HPK07という単語から、雅は何かしらの実験に使用されているとも考えられる。
ロボットの名前ということもありえるが、現在の科学力では、あれだけのヒューマノイドなんて夢の話だ。
ヒトと見まがうほどの精巧なヒューマノイドを作るより、ヒトが月に移り住むほうが先だろう。
「おはようございます」
いきなり、部屋に女性の声が響きわたった。
壁の穴から光が出て、そこから反対側の壁へと映像が投影される。
既視感というものは、こういうことをいうんだろうか。
白衣の女性の顔を、私はどこかで見たことがあった。
顔だけじゃない。
長身で長い髪をなびかせながら歩いている姿まで、思い浮かべることができた。
どこでかはわからない。
でも、私は確かに彼女を見たことがあると言い切れる。
「あんた、誰?」
微塵もそのことを表情に出さないようにして答える。
状況をつかみたい。
こちらが何も知らない振りをしていれば、相手の警戒も緩む。
そうすれば、少しでも情報が引き出せる。
- 181 名前:8. Maki Side 投稿日:2005/02/18(金) 02:51
- 「私は飯田圭織と言います。ここの研究所のアシスタントみたいなことをやっています」
飯田圭織。
脳内のデータベースを探ろうとするが、なぜか上手く動かない。
さっきから、何かおかしい。
寝起きのせいなのかなと、深く考えることをしないが、妙な違和感は確かにあった。
そうして、私はその名前を思い出すのに、たっぷり数秒を有した。
飯田圭織。
そうだ、紺野の研究室のボードにあった名前。
そう考えると、彼女とは大学のどこかで、何度もすれ違った可能性はある。
「といってももう会うこともないから覚えてもらわなくていいよ。
もっとも、覚えることなんてできないでしょうけど」
口の端がゆっくりと上がり、飯田圭織はニタリと笑った。
人形のような笑顔。
それは可愛いと言う意味ではなくて、不気味な笑顔だった。
「どういうことなの?」
私は言った。
彼女の言っていることの意味がわからない。
だけど、もし彼女の言うとおりならば、聞けばなんでも答えてくれるようにも思えた。
なぜなら、私が覚えていられないらしいのだから。
- 182 名前:8. Maki Side 投稿日:2005/02/18(金) 02:51
- 「あなたにはある薬を脳に投与しました。長期記憶を形成させない薬です」
そんなことが、できるわけはない。
記憶を操るなんてこと、人にできるわけがない。
確実に進歩している医学の分野においても、まだ完全に解明されていないのは脳だ。
人体の最後のブラックボックスといわれていたころからは、格段にわかってきてはいるが、実験の困難さが大きな障害となっていて、その進歩は他の分野に比べると遅い。
それこそ、ヒューマノイドと同じくらいだろう。
「記憶には短期記憶と長期記憶があるのは知ってますか?」
考える私をよそに、飯田圭織は得意げに説明を始めた。
わけのわからないことだから、聞いているに越したことはないと思い、私はベッドに腰を下ろし彼女の話を聞くことにした。
「短期記憶は時間が経つとすぐに忘れちゃうものなのね。そのまんま、字の通りなんだけど。
例えば、誰かのメールアドレスとか、聞いてメールするときは覚えてるけど、すぐに忘れちゃうでしょ?
でも、自分のメールアドレスはずっと覚えてる。それは長期記憶だからなのね。
さっき私の名前をいったけど、まだあなたにとってそれは短期記憶でしかないの。
だからもう二度と会わなかったら、あなたは私の名前を忘れちゃう。
でも、私が毎日あなたと顔をあわせてると、あなたは私の名前を覚えてくれるでしょ」
大学の授業を受けているような気分だった。
しかも、この人は説明が上手くない。そういうところまで大学の授業っぽかった。
でも、わかるから何も言わないのだけれど。
- 183 名前:8. Maki Side 投稿日:2005/02/18(金) 02:52
- 「短期記憶が長期記憶になるには、反復したり、強いイメージが必要になるの。
好きな歌を何度も聴いて覚えるとか、初めて銃を打ったときとか、イメージが強烈だからすぐに長期記憶になっちゃうの」
銃を初めて打ったのは何時だろうか。
小さな頃だ。反動で思わず銃を落としてしまったのを覚えている。
初めて人を殺したのはそのもっと後だった。
相手は、小さな会社の役員だった。
たったの一発、額を打ち抜くと簡単に殺すことができた。
「短期記憶と長期記憶を区別するのは、昔からわかっていたんだけど、神経細胞のネットワークの違いなのね。神経細胞同士のつなぎ目をシナプスっていうんだけどさ。
ある出来事が刺激として脳に入ったときに、そのシナプスでSMUMっていう物質が作られるとそれは長期記憶になるんだけど、作られないと短期記憶になるのね。
そこで、私たちはSCUMをなくしちゃう物質をあなたに投与してるのよ」
この人……えっと……え……
名前が出てこない。
大学で見たことある人なんだけど…
えっと、名前は……
「まだ全然実験段階だからどうなるかわからないんだけどね。報告によると、ついでにまだ新しいシナプスを殺すことにもつながるらしいから、ここ数日の記憶は徐々になくなっていくと思うけど」
忘れる…私は忘れたんだ。
さっき聞いたばかりなのに。
- 184 名前:8. Maki Side 投稿日:2005/02/18(金) 02:53
- 「二日くらいたったら薬の効果切れるし、そうなればあなたもお家に帰れるから。だから、暴れないでおとなしくしててねって言っても忘れちゃうか」
映像はそこでプチンと切れた
よくわからないが、私は雅に会ってからのことを忘れてしまうと言うことだ。
だから、すぐにでもここから脱出しなくちゃいけない。
雅を探さなきゃいけない。
私の記憶がなくなっていく前に。
そう、私はこのままでは、記憶がなくなるということも忘れてしまうと言うことだ。
ものすごく変な気持ちだった。
紙とペンがあれば、書き留めておいて、後で見ることもできる。
でも、ここにはそれがない。
あるのはベッドだけ。
シーツに血で文字は書けなくもないが、書く量に限界がある上に、そもそも何を書いていればいいかわからない。
記憶には何か2種類あって、私は薬のせいで少しの間しか記憶できないし、最近の記憶もなくなっていく。
それだけのこと。あとはわからない。いっぱい色々言っていたような気もするけど思い出せなかった。
- 185 名前:Silent Science 悪魔の辞典11 投稿日:2005/02/18(金) 02:53
- ・ヒューマノイド
人型ロボットのこと。ドラ○もんはヒューマノイドではないようです。
・記憶
2000年度のノーベル生理学・医学賞はこれの研究でした。
・ブラックボックス
キーボード叩いて文字が打てれば、中の仕組みなんてどっちでもええやんって人にとってはパソコンがブラックボックスです。
- 186 名前:Silent Science 悪魔の辞典11 投稿日:2005/02/18(金) 02:55
- ・メールアドレス
電話番号よりは覚えやすいです。
・シナプス
神経細胞をリレー走者、バトンを刺激と考えると、リレーのテイクオーバーゾーン(バトン受け渡すところ)みたいなイメージです。
・SMUM
Synapse mediate unkown molecule(シナプス仲介未知物質)の略。
現実にはたぶんこれだろうという物質しかわかっていない状態ですので、便宜的に作りました。
- 187 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/02/18(金) 02:59
- >>174 完全に作者の一人遊びだと開き直っていただけにうれしいです。と言うことで今回は増量してみました。
>>175 このレスをもらった後が一番更新期間が空いたなんて言えません。少量を何度も更新ですが、できれば今までどおり二週で3回更新のペースを続けれるようにがんばります。
- 188 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/19(土) 14:11
- 長期記憶を失くす薬って発想は凄いなあ。新しい展開にも期待しております。
- 189 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/21(月) 21:06
- 話に引き込まれます。
後藤さん頑張れ!
- 190 名前:8. Maki Side 投稿日:2005/02/22(火) 01:50
- なんにしろ、このままここにいることはよくない。
自分を解放してくれるというが、それは雅のことを確実に忘れるからと考えていい。
でなければ、殺しているはずだ。
忘れる前に、助けないといけない。
抜け道はどう考えても扉しかない。
でも、どこかに監視カメラがあることを考えると、あからさまに扉を調べにくい。
ベッドにごろんと寝転がる。
扉を開けさせる方法。
それを考えるしかなかったんだけど、やっぱり王道である方法しか思いつかない。
王道が王道たるには、やはりそれなりの理由がある。
だから、バレバレかも知れないが、ここではやはりそれが一番有効に違いない。
- 191 名前:8. Maki Side 投稿日:2005/02/22(火) 01:51
- 「ねぇ、どっかから見てるんでしょ?あのさ、お腹すいたんだよね。
ずっと何も食べてないからさ。ご飯くれない?」
返事はない。
やっぱりダメか。
そのとき、外に気配を感じた。
ベッドから起き上がる。
扉が開く。
トレーを持った男が入ってきた。
その後ろにもう一人続いて入ってくる。
慎重だね、たった一人の女の子に食事を持ってくるだけで。
まるでライオンの檻に入ってくるみたいだった。
後ろの一人がレーザーサイトを私の胸にちらつかせる。
あれはただの銃じゃないね。
かなり珍しいものがでてきた。
- 192 名前:8. Maki Side 投稿日:2005/02/22(火) 01:51
- エレクトニック・ガン。
たぶん、私がみるのは初めてだろう。
あれは、使い勝手が悪すぎる。
かすりでもすれば、敵を気絶させることができるが、射程範囲が狭い。
この部屋がぎりぎりなほど。
加えて、周りにある物の影響を受けやすい。
特に金属類の影響は大きい。あいにくこの部屋にはそういったものがないんだけど。
また、雨の日は使えないし、個人的には射程の劣るスタンガンの方がミスが少なく確実に使いやすい。
でも、この部屋で使う分には、それは十分有効なものだった。
男たちはトレイを置いたが、部屋を出て行く様子は見せなかった。
その表情は、だいたい何を考えているか理解できる。
いや、この状況ではそっちの方が願ったりなのかも知れない。
このまま、彼らが出て行ったのならば、私はもう外には出ることはできないだろう。
- 193 名前:8. Maki Side 投稿日:2005/02/22(火) 01:52
- 「おい、映像を切れ」
壁に向かって男が叫ぶ。
「でも…」
「でもじゃない。切れ」
「は、はい」
壁に取り付けられているであろうスピーカーからの声は、おびえたようにそう言った。
こいつはやっぱりただの暴力馬鹿だ。
脳みそまで筋肉。
おかげで手間が省けそうだよ。
「お前、持ってろ」
男は銃を渡した。
一瞬、私から狙いが外れるが、まだ動かなかった。
今はまだダメだ。
二人相手にして、あの銃がもしも打たれたなら避けることは困難だ。
普通の銃と違って、急所を避ければなんでもない代物ではないからだ。
- 194 名前:8. Maki Side 投稿日:2005/02/22(火) 01:52
- 「さぁ、お前のお腹を一杯にする前に、こっちも一杯にしてもらおうか」
男が私の手を取り、無理やりベッドに押し付けた。
乱暴に胸に押し当てられた手。
男の荒い息が頬に届く。
嫌悪感が一気に増大し、私は右手で男の頬を叩いた。
乾いた音がして、男の動きが一瞬止まる。
「てめぇ」
男の目に光がともる。
でも、それは殺気といった類の光ではなかった。
高揚感。それだった。
「こいつで気絶させましょうか」
もう一人の男が銃を再び私に向ける。
- 195 名前:8. Maki Side 投稿日:2005/02/22(火) 01:52
- 「馬鹿やろう!気絶した女を犯って何が楽しいんだよ。抵抗して、泣き叫ぶからこそ、いいんじゃねーか」
馬鹿だ。
でも、おかげでずいぶん助かる。
私は、自由な右手でわざとらしく抵抗してみせる。
しかし、簡単に男の片腕が、私の両手を押さえられてしまう。
当然だ。単純に力の勝負では筋肉馬鹿には勝てるわけはない。
その筋力差、体格差を補うだけの訓練はやってはいるが、今はまだそれをやるときではない。
片手で無理に引っ張られ、ボタンが飛ぶ。
それから、男の顔が私の胸へと押し当てられる。
私は声がでそうになるのをこらえた。
男の舌が、私は刺激する。
だが、そんなものは私にとって何の快感にもなりはしない。
まだ、もう一人が動くまでは…
もう少しだ。
目の前で激しく動く男の頭を目にしながら、私は銃を持った男の動きを横目で常に見ていた。
「おい、お前、腕持ってろ」
顔を上げた男が言う。
ようやく私の待っていたチャンスが来たらしい。
- 196 名前:8. Maki Side 投稿日:2005/02/22(火) 01:53
- 「え、でも…」
「お前は馬鹿か。こんな小娘なんか銃を構えてるまでもねーだろ」
「でも、松浦様が…」
「お前、あんな女と俺のどっちを信用するって言うんだよ」
松浦。誰のことだ…
しぶしぶと銃を床に置き、私に近寄ってくる。
私は思いっきり右足を蹴り上げた。
硬くなった男のそれを狙って。
汚い声と、唾を目一杯噴出し、男の力が弱まる。
手を振り解き、顎に掌底をお見舞いする。
上半身だけでは威力は大幅に落ちるが、男をベッドから下ろすには十分だった。
それに続くように、ベッドから回転するように降り、もう一人の男に向かう。
置いた銃に手をかけようとするところに、側頭部に向かって蹴りを放つ。
つま先で引っ掛けるようにして、床に押し倒す。
それから、すぐさま倒れた男ののど下に、踵を落とした。
骨の感触を感じる。わずかな空気が男の口から漏れた。
これで、もう終わり。
素手で人を殺すことは、急所を知っているものからすれば、意外とたやすいことだ。
- 197 名前:8. Maki Side 投稿日:2005/02/22(火) 01:53
- さて、もう一人、うめいている男の顔面に、打ち下ろすように再び掌底を加える。
鼻の骨が折れる感触を感じる。
掌底というものは、鍛えなくても使える有効な武器だ。
下手に拳で殴るより、訓練もなく大きな威力を得ることができる。
特に、握力の小さな私たち女性にとっては。
それから、ベッドの支柱に向かって頭を思い切り打ち付ける。
1回、2回、3回。
ずいぶんとやわらかくなった男の頭。
もう十分だろう。
大きな息を一つ吐く。
終わった……
後は、どうやってここから出るかだけど……
持っているに違いない。何か鍵になるものを。
私は服を整え、男のポケットを探る。
煙草、ナイフ、携帯。
どうでもいいようなものばかり。
特に、煙草なんてめったにお目にかかれない代物を目にしてしまった。
たった一箱で6000円もするような、こんなニコチンの塊のどこがいいのか理解に苦しむ。
- 198 名前:8. Maki Side 投稿日:2005/02/22(火) 01:54
- それでも、私も吸った事がないと言えば嘘になる。
アメリカにいたころは、任務が終わる度に、もらい煙草をしていた。
彼女の名前は…と考え始めたところで、私は思考を切り替える。
今はそんなことを思い出してる時じゃない。
思い出にはいつでも浸れる。
でも、私の今の記憶は、今しかないのだから。
上の服がぼろぼろなので、男の着ているジャケットを奪う。
ポケットに煙草をねじ込み、私はもう一人の男に向かった。
さすがにまだ完全に死んではいないようだった。
どのみち、気管を潰されているのだから、このまま死ぬよりほかはない。
それでも、私は一応、置いてある銃で頭を思い切り殴った。
それからポケットを探ると、あった。
リモコンのようなもの。
数字の振ってあるボタンが、いくつかついてある。
A-01、A-02…、A-10。次の段にB-01…と続いている。
これが部屋番号に他ならないだろう。
- 199 名前:8. Maki Side 投稿日:2005/02/22(火) 01:54
- 銃を肩に下げ、私は手当たり次第にボタンを押した。
扉が開く。
B-03。私のいる部屋はそれだった。
出て行こうとして気づく。私は裸足だった。
男の靴を奪い、上着の袖を破り、足の周りにつめて紐をきつく縛った。
少し走りにくいが、違和感を感じる程度ですむ。
裸足よりは断然動きやすい。
私は部屋を出た。
広い廊下だった。
まるで病院を思い起こすような、幅の広くて天井の高い廊下。
けれども、壁は部屋の中と同じ灰色。
照明の明るさに比べ、それが妙に暗い雰囲気を醸し出していた。
どっちに行けばいいかなんてわからない。
何階建てかすらわからない。
ただ、部屋が3番だったから、突き当りが遠い右側へと、部屋番号が上がっていくんだろう。
誰かを捕まえて吐かせたほうが楽そうだ。
しまったな、さっきのやつらを生かしておけばよかった。
- 200 名前:8. Maki Side 投稿日:2005/02/22(火) 01:55
- B-02。ここには人の気配はない。
その向こうも同じ。
この部屋の数はなんなんだろうか。
扉の間隔からして、私がいた部屋と同じ大きさの部屋が並んでるに違いない。
何のために?
それを考えるのは後でいい。
ただ、ここが監禁目的で作られた建物だとすると、中にいる人にここのことがわかるかと言われれば、ノーに違いない。
やっぱり監視してるとこかなにか探さないと無理か。
04、05と進んでいくと、05と06の間に左に伸びる廊下があった。
壁側にはエレベーター。
階の表示を見ると、ここは6階となっている。
H型になってるのか。
手元のリモコンはAとBしかない。
こちらがB列、向こう側がA列と考えると辻褄が合う。
建物自体は10階建て。
このフロアには窓らしい窓はなく、周りの景色は見えないが、きっと他のフロアにはあるに違いない。
上がっていくか、下りていくか。
私は下を選択した。
- 201 名前:8. Maki Side 投稿日:2005/02/22(火) 01:55
- 下を押す。
エレベーターが8階から降りてくる。
私は壁に背中をつけた。
音がする。
扉が開く。
人の気配がした。
私に何も気づかずに降りてくる2人
近い一人をエレクトニック・ガンで撃つ。
バチッという音と、しゃっくりのような短い悲鳴をあげ、男から力が抜ける。
それから、私はもう一人の首に腕をかけ、背中に銃を押し当てた。
「お前、どうして」
「静かにして。死にたいの?」
私より背の高いそいつの体を腕で無理に引っ張り、耳元でささやく。
「あの子は、どこにいるの?」
私は尋ねる。
顔しか知らない女の子のことを。
でも、それでわかるはずだ。
- 202 名前:8. Maki Side 投稿日:2005/02/22(火) 01:56
- 「知らない。俺たちにはあの計画はほとんど知らされてないんだ」
男は叫び、足をバタバタさせた。
「あの計画?」
「そうだ、やつらがハロープロジェクトとか呼んでる計画だ。俺は何も知らない。
ただ、この隣の建物。あそこにガキどもが入っていくのを見たことがある」
「そこにはどうやって行くの?」
「2階だ。2階の廊下。そこを歩いていくのを見たんだ」
「あっそ、ありがと」
私は腕を放し、引き金を引いた。
男が倒れきるのを見る前に、エレベーターのドアを閉める。
目的は2階。
エレベーターから外の景色が見える。
高い堤防が遠くに見える。
海が近いんだろうか?
温暖化によって上昇した海面水位。
それに対して、海に囲まれたこの国が取った手段は、至極簡単なもの。
堤防を作ればいい。
たったそれだけのもの。
幼稚園児でも思いつきそうなことだった。
- 203 名前:8. Maki Side 投稿日:2005/02/22(火) 01:56
- 首都圏を中心に、次々と起こる堤防開発は、今世紀中に終わるのかどうかすらわからない。
すでに四国を初め、いくつかの所謂過疎の地域は、開発が断念され、土地が放棄されている。
増え続ける人口と、減少する土地。
それでも、人が減らないからこの国はおもしろい。
飢餓とは永遠に無縁な国。
堤防で囲いながらも、外国からの輸入に頼りきりな国。
はるか昔に鎖国というものを取っていたこの国。
その時に作ることのできなかった大きな堤防を構え、鎖国と正反対のことをしているのは、すごく滑稽だった。
エレベーターが2階に着く。
銃を構え、扉が開くのを待つ。
エレベーターは十字路の角で扉を開いた。
男が数人。
私に気づく。
6階でH字型をしていた。
となると、渡り廊下はこっち側のはず。
走り出す。
近づいてくる男に引き金を引くが、カチッと音がするだけで、何もでなかった。
- 204 名前:8. Maki Side 投稿日:2005/02/22(火) 01:56
- 充電がもう切れたのか…
ったく、使えない。
男の伸ばす手を、私はスピードを落とすことなく、体を斜めにさばいて避ける。
そして、すれ違いざまにわき腹に銃で殴りつけた。
二人目。
殴りかかろうとした銃を、その前につかまれる。
即座に手を離し、両手のふさがった相手の頬を思い切り殴る。
後ろから聞こえてくるのは怒声。
彼らは銃を持っていないようだ。
確かに、こんなところで常に携帯しているわけもない。
頭上で大きなサイレンが鳴る。
それが、本格的な戦闘の合図だった。
- 205 名前:Silent Science 悪魔の辞典12 投稿日:2005/02/22(火) 01:57
- ・王道
英語ではking roadではなく、royal roadというようです。
・エレクトニック・ガン
電気銃。雷発生装置みたいなものです。長い距離を空気中で放電させるなら、人は死にそうな威力になる気もしますが、
そこは未来の科学力が補ってくれることでしょう。
・掌底
何よりの利点は、殴る方の危険が少ないです。
・喉仏
普通に素人でも人を殺せますのでやめてください。
- 206 名前:Silent Science 悪魔の辞典12 投稿日:2005/02/22(火) 01:58
- ・煙草
このうち、税金は5000円近いでしょう。
・もらい煙草
他人が吸うのを見ると吸いたくなります。お金もかからず一石二鳥。
・堤防
海面水位が1m上昇するなら、堤防を約3m高くしないと安全ではないらしいです。
・サイレン
たまに作者自身がこの小説をサイレント・サイレンスって言ってしまうのは内緒です。
- 207 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/02/22(火) 02:02
- >>188 設定が全てのお話なので、そう言って頂けるとうれしいです。無駄にわかりにくいことを、よりわかりにくく説明してます。説明下手なんでごめんなさい。
>>189 後藤さんにはもっとがんばってもらいたいですが、そろそろ放置しっぱなしの他の二人の主役も書かないといけないかもしれませんね…
以前宣言した、今月中に300レス到達は無理そう……
- 208 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/22(火) 18:22
- おー!すっごい読んでて楽しいです。
作者さんの説明って好きですよ自分は。悪魔の辞典も大好きw
- 209 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/24(木) 02:30
- これだけ長い更新を書いていただければ、300レスと言わずとも嬉しい限りです。
にしても、海面1メートル上昇だと後藤さんの実家が…
- 210 名前:通りすがりの者 投稿日:2005/02/24(木) 21:32
- いよいよ戦闘開始ですね。はたしてごっちんはあの子のとこに行けるのでしょうか? そして紺野さんや謎の警察官(もどき)の高橋さん達はどうするんでしょうか?更新待ってます。
- 211 名前:9.Asami Side 投稿日:2005/02/28(月) 01:48
- 道はいつものように渋滞していた。
都心へ車ででることはそうないのだけれども。
いつものように、渋滞していた。
ナビによって渋滞の無い道を探すことは可能だけれども、どこも渋滞しているから意味を成さない。
高橋さんは、いらだつ様にダッシュボードを指先で小刻みに叩く。
ラジオの音に混じり、それは車内に響いていた。
助手席に座った美貴ちゃんは、さっきから黙ったまま窓の外を見ている。
私の位置からは表情は見えないが、不機嫌そうな顔をしていることは雰囲気でわかった。
それは、きっと私のせいでもあるに違いない。
先ほどのやり取り。それが原因に違いなかった。
- 212 名前:9.Asami Side 投稿日:2005/02/28(月) 01:48
- 「ねぇ、いつになったら着くの?」
パンと一度手を叩いて、美貴ちゃんは言った。
「後30分ほどです」
「さっきも30分って言ったよね?」
髪をわしゃわしゃとかき上げ、美貴ちゃんは言う。
渋滞ってことはわかっているはずなのに、こんなに怒っている。
ここまで不機嫌な美貴ちゃんを見るのは、私は初めてだった。
後藤さんと一緒で、美貴ちゃんはいつもどこか余裕を持っている人だった。
実験が延びて、私が遅れて帰ってきても「遅い」って怒ることは無く。
「お疲れ」って笑顔で一声がかけることのできる。
そんな人だった。
なのに……
- 213 名前:9.Asami Side 投稿日:2005/02/28(月) 01:49
-
Key master。
その言葉が、全ての原因だってことはわかってる。
私の、誰にもいえない秘密。
たった一人、それを知っていた友達は、もうこの世にはいない。
それ以来、二度とこの言葉を自分が言うことは無いって思っていたんだけど。
私はさっきのやり取りをもう一度思い返した―――
- 214 名前:9.Asami Side 投稿日:2005/02/28(月) 01:49
- 「答えを聞くまでもありませんでしたね」
高橋さんの言葉に、私は思わず口に手を当てた。
「紺野さんが知っている限りのことを教えてもらえませんか?」
手帳を再び開く高橋さん。
けれど、視線は私を向いたまま。
私が知っていることなんて、何もない。
雅ちゃんのことを、私は何も知らない。
寧ろ、私が知りたいほどだ。
「雅。それがHPK07の名前。それだけしか知らない」
美貴ちゃんの答えに、高橋さんは手帳を開いたままで、ペンを動かそうとしない。
よく見ると、ペンすら持っていなかった。
だとすれば、ボイスレコーダーでもついているのでしょうか。
- 215 名前:9.Asami Side 投稿日:2005/02/28(月) 01:49
- 「本当ですか?」
「嘘言ってどうするの?こっちが知りたいくらいなのよ。友達も行方不明になってるし」
「友達?後藤真希さんですか?」
「そうよ」
美貴ちゃんは乱暴に言い放ち、椅子に腰掛けた。
私としても、HPKが何というよりは、後藤さんの行方の方が重要だった。
「あそこに落ちていた血は、鑑定の結果、確かに彼女のものでした。見つかれば無事保護しますし、あなたたちにも連絡します」
事務的に読み上げられた言葉だった。
飲食店の店員が言う「いらっしゃいませ」と大差ないような。
待ってることしかできないんだ。
提示された現実は、すごく嫌なものだった。
結局、私はそれしかできない。
今、この瞬間も後藤さんは苦しんでいるのかもしれない。
なのに、なのに……
- 216 名前:9.Asami Side 投稿日:2005/02/28(月) 01:50
- 「どういう経緯でそのHPK07を知ったのですか?」
続く質問に、美貴ちゃんが答えていく。
後藤さんが連れてきたこと。
ご飯を食べている時に、後藤さんがリビングから出て行ったこと。
そして、銃をもつ女の子が雅ちゃんを連れて行ったこと。
美貴ちゃんの言葉に続くように、その映像がもう一度、私の脳内で再生されていった。
後藤さんを、助けたい。
待っているのは嫌だ。
私ができること。
何がある?
「あの、一つだけ教えて欲しいんだけど、HPKって何なの?」
美貴ちゃんの言葉が、私の思考を一度停止させた。
私もそれはぜひ聞きたいことだったから。
「言えません。これは、私たちにとっての機密事項ですから」
「は?何それ?」
机をバンと叩き、美貴ちゃんは立ち上がった。
- 217 名前:9.Asami Side 投稿日:2005/02/28(月) 01:50
- 「私たちにも協力させてよ、ごっちん、探したいのよ。行方不明なのよ!
少しくらい教えてくれたっていいじゃない!」
「ダメです。あなたたちがどうにかできるようなことでしたら、とっくに私たちがやってます。
お気持ちはわかりますが、私たちに任せてください」
「……あなたたちができないことができれば、教えてくれますか?私たちも一緒に後藤さんを探せますか?」
思わず私の口から出た。
空気が止まる。
美貴ちゃんと高橋さんの視線が私を向いた。
「ちょっと頭がいいからって、あなたに何ができるって言うの?」
「Key master、とでも言えばいいですか?」
ドクンと心臓の音が聞こえた。
それとともに、周りの音がうわついて耳に届く。
トンネルに入ったときのように、耳がツーンとしています。
高橋さんの表情が真剣みを帯びます。
- 218 名前:9.Asami Side 投稿日:2005/02/28(月) 01:51
- 「まさか、冗談言わないでよ。第一、Key masterは3年前からいないはず……」
「私が日本に来たのは3年前です」
「そ、そんなのただの偶然でしょ?」
高橋さんは、手を大きく広げます。
たぶん、100人いれば100人とも同じ動作をするでしょう。
私だってそう思います。
自分がKey masterだなんて、今ではもう嘘みたいです。
「証拠を見せます」
私は美貴ちゃんのパソコンに向かった。
「Key masterって、なんなのよ」
私の後ろに立っている、美貴ちゃんと高橋さんの会話が聞こえます。
- 219 名前:9.Asami Side 投稿日:2005/02/28(月) 01:51
- 「聞いたこと無くて当然です。Key masterって、その筋ではかなり有名なんですが……
コンピューターの侵入と暗号解読に秀で、ネットワークに存在する情報で、拾い上げることの無い情報は無いと詠われた『鍵師』。それが『Key master・コンコン』です。
アメリカ政府のコンピューターのセキュリティの相談役として、また企業の犯罪捜査にも大きく貢献した人物です。
だけど、3年前、突然いなくなった。元々、正体のわからない人物で、ネットワーク上だけに存在していた架空の人物だなんて噂もありましたが…」
背後で語られることの大部分は正解だった。
「どうすればいいですか?あなたの会社に侵入して、あなたの誕生日とか持って来ればいいですか?」
「いいですよ。私の存在は無いことになっていますから」
キ−ボードを叩く。
画面に次々と流れてくる煩雑な文字の羅列の中から、いくつかの文字を選んでいきます。
セキュリティを破ることはたやすいことです。
暗号化されたデータを、頭の中で構築して穴を見つけます。
言ってみれば、設計図を見ながら粗を探していくようなものです。
- 220 名前:9.Asami Side 投稿日:2005/02/28(月) 01:52
- そして、暗号の解読は、もっと簡単なこと。
大きく分けて換字、転置、挿入のどれか、もしくは組み合わせのパターンしか存在しません。
そのうち、挿入というのは、文字と文字の間に余分な文字を入れていくものですが、これをすることはほとんどありません。
なぜなら、通信文やデータといったものは、できるだけ短くしたいからです。
間に余計なものをたくさん入れると、それだけデータ量が大きくなり、動かすのに面倒になります。
また、送信する時間が長くなり、発信源を突き止めやすくなるからです。
よって、暗号はほぼ換字と転置によってなされています。
換字の場合は、キーコードと呼ばれる対応表が必要になってきますが、それも読み出すパソコンの中に入っていることがほとんどです。
転置もたまにある挿入も同様にできますが、探さなくても、これらは自分の頭の中で組み立てることはたやすいことです。
高橋愛。
そのデータを突き止めます。
画面に表示される顔写真。
- 221 名前:9.Asami Side 投稿日:2005/02/28(月) 01:53
- それと共に懐かしい達成感が自分の中に生まれました。
一生懸命作った模型が完成したときのような。
論文が一つ書けたときのような。
今までやってきたものに比べると、はるかに容易に行えたものでしたが、久しぶりのことだったせいか、大きな達成感を得ることができました。
「嘘…」
後ろから声が聞こえます。
「これで、私も手伝わせていただけますか?」
振り返り、私は尋ねました。 ――――
- 222 名前:9.Asami Side 投稿日:2005/02/28(月) 01:53
- それからです。
私たちが車に乗せられて高橋さんの「会社」に連れて行かれるまで、美貴ちゃんは目に見えて不機嫌でした。
隠していたことは、確かに申し訳ないことです。
でも、言うことはできません。
そのせいで、私は友人を一人失ったのですから。
「わかりました。あと15分待ってください」
そういうと、高橋さんはボタンを押します。
数秒後に、サイレンが響きます。
「……マジ?」
苦笑いする美貴ちゃんの横顔が見えます。
私も思わず苦笑いをしてしまいました。
この車の上には、きっと赤いランプがついていることでしょう。
響くサイレンは周りの車を道の端へと追いやり、進んでいきます。
「私としても、もう渋滞はうんざりなんですよ」
そう言った高橋さんは、どこかうれしそうでもあった。
- 223 名前:Silent Science 悪魔の辞典13 投稿日:2005/02/28(月) 01:54
- ・耳がツーンと
トンネルや飛行機、高い山に登ると、耳がツーンとします。
これは気圧の差によって耳管が閉じるために起こり、航空性中耳炎と呼ばれます。
暗号について。
(一般論ですので、確実に全てが当てはまるとは言いきれません)
・換字
他の文字列、数字、記号で置き換えることです。
ex 『1=K 2=N 3=O』 としておくと、 13223 という暗号はKONNOとなる。
『』で囲まれたものがキーコードです。
・転置
文章の順番を変えることです。
ex 「みさあのんこ」を逆から読んでいくと「紺野あさ美」
・挿入
文字の間に余分な文字を入れていく
ex 「MHLSADBFKSYDIHYU」を3文字空けて読んでいくと「MAKI」
- 224 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/02/28(月) 02:04
- >>211から9.Asami Side。ただの入れ忘れです。
>>208 そういって頂けたから、更にわかりにくい説明の羅列が……嘘です、ただの作者の力不足です。
>>209 300はもう諦めました(爆 更新予告はやめます……代わりにこのペース守っていきます。実家は、処置がなされていないとたぶん沈んでますね(w
>>210 もどきってちょっと面白い(w 言われてみればそうかもしれないです。いえ、確実にそうですね。視点飛びまくりで、どこも中途半端にならないようにだけはしたいです。
というわけで、次回も紺野視点……のはずですが、ちょっと順番を迷い中です。
- 225 名前:通りすがりの者 投稿日:2005/03/01(火) 17:25
- 更新お疲れさまです。 まさか紺野さんはそんな有名人だったなんて・・ 汗だから飛び級もできたんですね、でもその過去に何か黒い何かがありますね。 次回更新待ってます。
- 226 名前:名無し読者 投稿日:2005/03/02(水) 17:29
- 紺ちゃんすごいね
- 227 名前:konkon 投稿日:2005/03/03(木) 08:58
- 紺ちゃんかっけぇ!
彼女ほど天才の名が似合う子もいませんね♪
- 228 名前:9.Asami Side 投稿日:2005/03/05(土) 04:36
- 「ここに来なくても、紺ちゃんがそんなことできるなら、ごっちんの行方も調べれたんじゃないの?」
通された部屋の中。
ソファに腰掛けて、差し出されたコーヒーにミルクをいれながら、美貴ちゃんは言った。
私はすぐに答えはせずに、砂糖のみを入れたコーヒーを口に運ぶ。
ほどよい温度のそれが、喉を通って胃に至ると、ずっと張り詰めていた何かが少し緩んだ。
オフィスという表現がぴたりと当たる。
太陽電池を張り巡らしたビルの中の1フロア。
6階という微妙な位置と、エレベーターを降りた時に目につく人の少なさ。
人が少ないというより、私たち以外にいたのは、一人だけ。
黙々とディスプレイに向かい合って、パソコンを操っている女の人が一人いるだけだった。
「みんな、出て行っちゃってるの。ここに出入りする人は本当に少ないから」
そんなんで捜査なんかできるの?という美貴ちゃんの問いかけに、高橋さんは警察の人が協力してくれるから、と答えた。
- 229 名前:9.Asami Side 投稿日:2005/03/05(土) 04:36
- 通された部屋は小さなテーブルを挟んで、ソファが向かい合っているだけの殺風景な部屋。
壁に備え付けられたスクリーンと、窓の無い作り。
来客用というよりは寧ろ、会議用に使われているであろうことは、容易に想像できた。
「ちょっと待ってて下さいね」
高橋さんは湯気の立つコーヒーを二つ運んできてから、部屋を出て行った
そうして、私たちは二人でソファに並んで座っている。
カップを口から離して、テーブルへと戻した。
カチンという小刻みよい音が鳴った。
「それは無理なの」
温かい空気と共に、私はその言葉を出した。
自分の息にまとうコーヒーの独特な臭いが、私の鼻をくすぐった。
- 230 名前:9.Asami Side 投稿日:2005/03/05(土) 04:37
- 「どうして?」
美貴ちゃんは乱暴にミルクをかき混ぜる。
「私ができるのは、情報の場所がわかっているものを見つけるだけなのね」
私の力はそれだけ。決定的な力だけど、極めて二次的な力。
ある企業の帳簿を調べる、ということは簡単にできる。
でも、不正な帳簿のある企業を見つけ出すということにおいては、私は何も出来ない。
それは、砂漠の中からダイヤを見つけ出すような作業でしかないから。
だから、今回もHPKという言葉から、それの発信源を探すことなんてできない。
それこそ、この世界に存在するコンピューターの一つ一つを調べていくような作業だから。
でも、ここにはその情報がある。
私の無力な力を決定打に変える情報がある。
HPKというものを扱っている団体。
これがわかれば、そこからHPKに関する情報を引き出すことができるからだ。
「そっか、ごめんね……なんか、苛立ってた」
事情を説明すると、美貴ちゃんはそう言って、コーヒーを飲み始めた。
- 231 名前:9.Asami Side 投稿日:2005/03/05(土) 04:37
- 私の力は、他人に利用されてこそ絶大な威力を発揮する。
だから私は、この力を表に出すことは無かった。
ネットワーク上だけで存在するKey masterという人物。
そういうもので居たかったし、そういうものになっていた。
だけど、その名前は、その事実を知る唯一の友人の命を、私の前から奪った。
私よりも年下で、でも私よりもしっかりしていて、私よりもずっと頭がよくて。
落ち着いてて、だけどやっぱり子どもっぽいところもあって。
そう、どことなく後藤さんに似ていたのかもしれない。
「紺ちゃん」
そう言って笑う彼女の顔は、今でもはっきり覚えている。
- 232 名前:9.Asami Side 投稿日:2005/03/05(土) 04:37
- ドアの開く音がした。
「お待たせしました」
高橋さんは私たちに向かい合うようにソファに腰掛けた。
そうして、掻い摘んだ説明がなされる。
ただ、話していくだけ。
図も表もイラストも何も無く。
ただただ高橋さんの口から与えられる情報を、私たちは整理し、組み立てていき、事の全体像を理解していった。
時間にして2時間くらいでしょうか。
途中に一度休憩をいれて、コーヒーを入れ直すこともあった。
「以上です」
話し終えた高橋さんは、大きく息をついた。
与えられた全体像は、まだまだ不透明なものでしたが、私たちにとって必要な情報は、確かに存在していました。
- 233 名前:9.Asami Side 投稿日:2005/03/05(土) 04:38
- 一つ一つ整理していきましょう。
鍵となるのは、アップフロントという団体と、そこが行うHello Projectという計画の二つです。
それが輪郭となっているのですが、まだまだその輪郭は不透明なものです。
なぜなら、それを調べていくのが、高橋さん達、Angel Heartsの役目だからです。
HPKというのは、Hello Project Kidsの略称らしいです。
Hello Projectの子供たち。
それだけの事実しか今はわかっていませんが、アップフロントにとっての最重要事項の一つであることに間違いはありません。
アップフロントという団体は、大きな企業グループです。
一世紀前に存在したと言われる財閥ほどの影響力はありませんが、政治、経済、科学、娯楽とあらゆる分野において、少なからず関係している団体です。
実際のところ、経済等に詳しくない私は、その傘下の企業であるピッコロタウンというものの名前しか知りませんでした。
ピッコロタウンとは、ここ数年で大きく業績を伸ばした製薬企業の一つです。
そこが開発したアルツハイマー病に対する薬は、従来のものに比べて副作用が極めて少なく、一気に普及しています。
高齢化が進んだこの国において、国家的病とも言われる認知症。
その原因の50%以上を占めるアルツハイマー病。
それの治療が更に容易になった今日、平均寿命は更に延びることが確実とまで言われている。
今回、私の標的となるのは、そのピッコロタウンです。
- 234 名前:9.Asami Side 投稿日:2005/03/05(土) 04:38
- 10年ほど前に横浜に大きな研究所を建設し、それとほぼ同時に行方をくらました数人の研究者たち。
彼らは等しく遺伝子という分野においての著名人でした。
そのうちの一人が、半年前に知人に当てた電話が今回の手がかりとなります。
研究所にはHello Project Kidsという子供たちがいるということ。
その子たちは、ヒトの手によって作られたものであるということ。
あとは、ひたすら後悔の念を述べていたことしか、電話相手である知人は覚えていないといいます。
ただ、明らかにおかしいと思った彼が、警察に相談することで、Angel Heartsにその情報が流れてきたそうです。
Hello Projectという単語と、アップフロントに関係する企業内での出来事であるということ。
そうして、調べていくうちに、研究者の同時期の失踪に至ります。
しかし、それ以上は何も調べることはできませんでした。
相手はただの一企業です。
捜査を行うにも、研究室内は企業秘密という名のバリアによって立ち入ることはできません。
何度か監視を行った時に、研究所からでてくる子どもの姿を何度か見ているだけに、何も無いとは言えないのです。
何かが行われているであろうけど、手が出せない。
表向きは普通の企業であり、不正やスキャンダルの類を探そうとしましたが、そういったものも浮かんできません。
- 235 名前:9.Asami Side 投稿日:2005/03/05(土) 04:38
- ヒトを作るということは、倫理的な問題はあるにしろ、現実として行われていることです。
人工授精に加え、人工子宮というものが生まれた今日、ヒトの体内から細胞を取り出すだけで、命を作ることは可能です。
実際、日本においても、年間5万人近くの命がそれによって生まれてきています。
だから、ヒトを作ったということに突っ込んでいっても、捜査はできないのです。
しかし、高橋さんは言います。
ヒトを作るということが、それを決して意味しているわけではないと。
私もそう思います。
それだけのことなら、遺伝子のスペシャリストを集める必要がありません。
そうなると、考えられるのは、遺伝子操作です。
ヒトゲノムというものがわかってから、その機能解析の大部分が完了した今、ヒトの遺伝子を操作することはたやすいことです。
- 236 名前:9.Asami Side 投稿日:2005/03/05(土) 04:39
- 後悔するほどのこと、それがどれくらいのことか私には検討もつきませんし、知りたくも無いのですが、私はそれを調べる必要があります。
HPK07と呼ばれた雅ちゃん。
それを追った後藤さんは行方不明です。
高橋さんの話では、私の部屋の玄関には3人の男の死体があり、彼らの持ち物から、彼らがアップフロントのものであるということはわかっています。
あの時、部屋を出るときに感じた感触は、やはり死体だったのでした。
それら3つの条件のうち、一つだけなら偶然といえるかもしれません。
しかし、3つが揃えば、後藤さんがこの研究所にいる可能性は極めて高くなります。
部屋を出た私に、一つのパソコンが割り当てられます。
私はその前に座り、早速調べ始めました。
- 237 名前:9.Asami Side 投稿日:2005/03/05(土) 04:39
- ピッコロタウンという会社について。
扱う商品、社員
研究所内の地図、研究者のID、購入した試薬の一覧
開発中の薬のデータ……
私はそこで妙なことに気づきました。
奥にあるデータは今朝からのアクセスが一切ありません。
それどころか、昨夜の時点でいっせいに削除されているデータがあります。
削除データは完全に消されており、復旧させることは不可能です。
まるで、私が覗くことを前もってわかっていたかのように。
Hello Project Kidsに関係するところだけが消されていっているのがわかるように、わざとそうしているようにすら見えました。
けれども、私は絶対に見つかってはいないはずです。それだけは断言できました。
どこかに何か無いか探していくと、一つだけありました。
一番奥、一段階多くセキュリティのかけられたところにありました。
- 238 名前:9.Asami Side 投稿日:2005/03/05(土) 04:40
- 早速それを開きます。
Hello Project Kidsという文字がでかでかと浮かびます。
それから、文字が消えると、次に数字が浮かび上がりました。
手書きで書かれた3桁の数字。
キーボードを叩く指が震えました。
「0、1、7」
読み上げる高橋さんの声が、ひどく耳に残りました。
これは私の友達のサインです。
そうです、死んでいるはずの、私の友達のサインでした。
- 239 名前:Silent Science 悪魔の辞典14 投稿日:2005/03/05(土) 04:40
- ・認知症
05年4月より導入される痴呆症の新しい言い方。
認知できないのに「認知症」なんて、拒食症を「食事症」といってるようなものです。
・その原因の50%以上を占めるアルツハイマー病。
アルツハイマーは今現在において、認知症の原因の50%程度といわれています。
・企業秘密
便利な言葉です。
・不正やスキャンダル
ステキだなと思ったり、ダンボールで品物を持ち出したりすることではないようです。
- 240 名前:Silent Science 悪魔の辞典14 投稿日:2005/03/05(土) 04:40
- ・人工授精
現在、日本で年間100万人ちょっとが生まれますが、そのうちの1.5%を占めるのが人工授精です。
ちなみに人工的な受精は「授精」と表記します。
・人工子宮
ヒトを作るのではなく、産むといえるのは、母親、もしくは代理母といえどもヒトの体内で受精卵を成長させるからです。
現在研究中の人工子宮がもしできたのならば、ヒトは完全に体外で作ることができちゃいます。怖い世の中です。
- 241 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/03/05(土) 04:47
- >>225 過去についてはまたいずれ…って過去が謎ばっかでりで、さっさと過去編始めないといけないですね…
>>226 紺野さんは何をやっても 川o・-・)<完璧です
>>227 天才といえば紺野さん。紺野さんといえば天才です。完璧です。
3月に入り、ちょっと忙しいので更新遅くなって申し訳ないです。
遅くても週一は守り続けて行くつもりなのでよろしくです。
- 242 名前:通りすがりの者 投稿日:2005/03/06(日) 20:20
- なんだかよく分からないところがいくつもあって、理解をするにも一苦労です 汗 でもあの子供たちはなんのために作られたんでしょうか? しかもあの数字はまさか・・ 次回更新待ってます。
- 243 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/09(水) 00:34
- HPKがHello Project Kidsの頭文字とは。
ヒューレットパッカードとヘッケラー&コックの合弁会社だと思ってました。
- 244 名前:10 Maki side 投稿日:2005/03/12(土) 20:49
- <10 Maki side>
降りてくるシャッターの下を、私は滑り込んで隣の建物に入った。
シャッター一枚を隔てると、向こうの音は全くこちらへは聞こえてこなかった。
向こうの喧騒がなかったように静まり返った建物。
しかし、異常事態であることは十分認識されているようで。
いくつもの視線を感じる。
監視カメラに違いない。
張り詰めた空気と、鼻につく消毒液の臭い。
天井の高さや廊下の幅は同じだろうが、それら全てが真っ白であるため、広く感じられた。
照明があたり、足元にいくつもの私の影を作った。
呼吸を整え、目をつぶる。
足音がいくつか聞こえてくる。
まだずいぶん先だ。
この先の左から。
- 245 名前:10 Maki side 投稿日:2005/03/12(土) 20:49
- それを避けようとして右に行っても仕方ない。
監視カメラがどこにあるかわからないが、いくつも設置されているに違いない。
逃げようがない。
なら、最初に監視カメラとかを制御するコンピューターを狙うのが、常套手段だった。
本来ならハッキング等によって行うか、ある程度位置に目星をつけておいて突入するものなんだけど。
あいにく私一人しかいないから。
向かってくるのは4人。
使える武器は何一つない。
相手の足音に合わせ、私はいきなり飛び出した。
一人目に体を当てる。
倒れるそいつを無視し、二人目に目をやる。
右手に持たれた銃口が私を捉えようとする。
だけど、実銃ではなかった。
それが幸いした。
3人が同時に放った弾。
一人は避けることができたが、残りの二人の弾がわき腹と肩を掠める。
だけど、動けないことはない。
一人の腕を手刀で下から叩き上げる共に、振り上げた足が別の一人の側頭部に当たる。
手から離れ、回転しながら宙に舞う銃に手をかけ、残りの一人を打った。
右目を貫いた弾は頭を貫通し、壁に埋まった。
- 246 名前:10 Maki side 投稿日:2005/03/12(土) 20:49
- そこで、私は一息つく。
興奮し始める自分を諌めるように、時間にして1秒にも満たない程度のことだったが、私は短く息を吐いた。
瞬間、緊張していた筋肉が緩む。
そうすれば、次の動きへとより素早く動くことができる。
腕を押さえる者、壁に頭を打ち付けて意識を失った者、起き上がろうとする者、そして、死に向かっていく者。
その4人が私の周りにいる。
起き上がろうとする者の延髄を銃で殴りつける。
意識を失ったものは、確実に死を与えるために、頭を持ち上げ、こめかみに押し当てた銃の引き金を引く。
鈍い音の後、銃口を離す。
「さぁ、案内する気はないの?」
最後の一人に銃を向ける。
男の懐から取り出されたナイフが答えだった。
銃でそれをうけとめ、体重を乗せた一撃を鳩尾にあてる。
体をくの字折り曲げた男の後頭部に向かって、私は引き金を引き、更に先に進む。
- 247 名前:10 Maki side 投稿日:2005/03/12(土) 20:49
- そもそも、この施設はなんなんだろうか。
雰囲気は病院のそれに近いものだったが、病院であるわけはなかった。
荒い足音が聞こえてくる。
銃創を一度引き出し、弾を数える。
残り12発だった。
敵の位置がわかるほどにやりこんだガンシューティングゲームをプレイするように、私は次々と視界に入った者を打っていった。
動かなくなった者から更に銃を奪い、それまで持っていた銃は代わりに捨てていく。
両手に銃を持つことはしたくない。
利き腕はずっと空けておきたかったから。
部屋はどこも鍵がかかっていて、私は階段を登っていくことしかできなかった。
階の表示が6を指したとき、私は目の前に広がった異様な光景に、足を止めた。
- 248 名前:10 Maki side 投稿日:2005/03/12(土) 20:50
- 「何、これ…」
目の前に広がる一枚の大きなガラス。
その中に数人の女の子がいるのが見える。
まるで、水族館。
そう、水槽だ。
水は入っていないから、飼育箱とでも言うんだろうか。
そういったものを買い与えてもらったり、そういう魚や昆虫を飼って遊んでいたことがないから、正式名称は思い浮かばない。
だが、まさしくそれだった。
女の子は、小学生くらいだろうか?
いや、中学生かもしれないか。
どのみち、それくらいの女の子がこんなところで飼われている状況は、明らかに異常だった。
- 249 名前:10 Maki side 投稿日:2005/03/12(土) 20:50
- 中にいるのは4人の女の子。
彼女たちからこちらは見えていないようだ。
けれども、彼女たちの会話はマイクか何かによって、こっちまで聞こえてくる。
「梨沙子、ちゃんと片付けないとダメでしょ」
「だって、みやがせっかく帰ってきたんだもん。一緒に遊びたいもん」
「バカ、雅ちゃんがいなくっても、片付けサボってたでしょ」
「まぁまぁ、友理奈落ち着いて。梨沙子もせっかく雅ちゃんが帰ってきたんだから。今まで寂しかったんだって」
「もう、千奈美はいっつもそうやって梨沙子を甘やかすんだから。ダメ、雅ちゃんに会いに行く前に、片付けなさい」
「ヤダ」
まるで姉妹のようなやりとりをしている3人。
彼女たちのその自然さが、この異常な状況を一瞬私の頭から消し去った。
- 250 名前:10 Maki side 投稿日:2005/03/12(土) 20:51
- 「ヤダじゃない。ぶつよ」
「友理奈ちゃん、言い過ぎだって」
「千奈美は黙ってて。もう、絶対今日という今日は許さないんだから」
怒られている女の子は、頬をぷぅっと膨らませている。
可愛い子だった。
いや、それは彼女たち3人共に当てはまるだろう。
顔立ちが明らかに違うから、姉妹というのは考えにくかったが、美少女という言葉が全員に当てはまる。
「あ、みやだ。みやー」
怒られていた女の子が、奥を指差して走り出す。
私も彼女の動きにあわせて視線を動かす。
- 251 名前:10 Maki side 投稿日:2005/03/12(土) 20:53
- 視線の先にいた女の子。
私は彼女を凝視した。
肩までおりた茶を帯びた髪。
整った顔立ちだが、その中にもはっきりと愛らしさが浮かぶ。
ゆうに数秒彼女に魅入っていたことに気づく。
何だろう、この感情は。
私が今まで感じた事もないような、不思議な感情が胸にこみ上げてくる。
愛らしさや愛しさとかそういった次元の感情ではない。
何か、まったく別の、何かだった。
「全く、あなたは困った方ですね」
告げられた言葉は、私の筋肉を一瞬にして強張らせるには十分だった。
- 252 名前:10 Maki side 投稿日:2005/03/12(土) 20:54
- 「誰?」
銃を向けて振り返る。
「あぁ、覚えてないんですね」
私よりも年上であろうその女性は、ゆっくりと口を開いた。
彼女もつ武器を私はほとんど目にしたことはなかった。
本の中での武器。
笑い話の中での武器。
ヒートガン。
彼女の持っているものはそれだった。
- 253 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/03/12(土) 20:58
- 予告どおり更新遅くなった上に少量でごめんなさい。辞典もなしでごめんなさい。
次にまとめて何とかしたいです。
>>242 自分で読み返してわかりにくいなぁと思ってしまった…
次からは一度読み直してからにしようかなと思います(それが当たり前
>>243 ヘッケラー&コックがわからなくて検索してしまった…
私が前に使っていたパソコンがhpになる前のコンパックだったことは、どうでもいいことです。
- 254 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/13(日) 13:20
- 月並みな表現で申し訳ないんですが、とにかく続きがすごく気になります
- 255 名前:通りすがりの者 投稿日:2005/03/15(火) 07:32
- 更新お疲れさまです。 おぉっ!ついに子供たちに遭遇?気になります。 次回更新待ってます。
- 256 名前:10 Maki side 投稿日:2005/03/16(水) 01:24
- 銃を構えたのは同時。
私はすぐに引き金を引く。
だが、咄嗟に身をすくめた彼女の頬を掠めるだけ。
私と同類?
その疑問が頭に浮かぶが、私もすぐに彼女の放つ熱線を避ける。
ジュッと音がして、私の髪の毛が焦げた。
同類か。
銃を撃った彼女の反応速度が、それを確信させた。
お互い銃を下ろしたまま向き合う。
それがわかっていれば、今度こそ確実に捉えることが出来る。
- 257 名前:10 Maki side 投稿日:2005/03/16(水) 01:24
- 残りの弾は何発か覚えていない。
そもそも、私はこの銃をいつから持っているんだろうか?
いや、なにより私はどこに向かっているの?
ふとしたことから、次々に疑問が降りかかってくる。
ただ、言える事は、目の前の女性が私を殺そうとしているということで。
だから、私は彼女を殺すのだ。
引き金を引く。
右の胸を正確に捉えた代償は、同じく右胸から立ち込める肉の焼ける臭いだった。
一つの違いは、私は利き腕に銃を持っていないのだから。
痛みに負けて銃を下ろさなかったということ。
それが、目の前で銃を斜めに向けた彼女との違いだった。
2発目は肘関節を貫く。
ヒートガンが床に転がる。
- 258 名前:10 Maki side 投稿日:2005/03/16(水) 01:24
- 「あなたの負けよ。知ってること教えてくれない?そうすれば殺さないかもしれない」
どっちにしろ殺すつもりだと、自分で思う。
銃を向けたまま一歩一歩近づいていく。
じっとこちらを睨む彼女の視線は、この世の悪の原因が全て私であるかのようだった。
「取引してあげる」
「は?」
明らかに立場が上なのは私の方。
なのに、してあげるというのはどういうことなんだろうか。
「ごとーさんは、あの子がいるんでしょ?」
指差した先にはみやと呼ばれた女の子。
いるんでしょと聞かれても、いりますと言ってもらっていくわけにもいかない。
確かに、彼女に何か惹かれていたのは事実であるが、なぜこの女性はそれを知っているのだろうか。
- 259 名前:10 Maki side 投稿日:2005/03/16(水) 01:25
- 「記憶をなくしてるって不幸ですよね。あの子を助けるために来たのに何も覚えていないなんて」
「何言ってるの?私が記憶をなくしてるって?」
馬鹿げてる。
自分の名前、後藤真希。
出身地は東京。血液型はO型。
パーソナルデータを次々と思い出していく。
何もわからないことなんてない。
「今日は14日ですよ。あなたは昨日何していたか覚えてますか?」
「13日?平日でしょ?大学行ってたんじゃない?」
「じゃない?どういうことですか?行ってたわけじゃないんですか?受けた授業は?食べたお昼ご飯は?」
「何が言いたいの?」
勤めて動揺を隠した。
彼女の口車に乗ってはいけない。
全てでたらめ。
だけど、私はわからない。
昨日の授業を。毎日食堂で食べているはずの日替わりランチの内容を。
- 260 名前:10 Maki side 投稿日:2005/03/16(水) 01:25
- 「あの子、ごとーさんのこと知ってますよ。でも、ごとーさんは知らないですよね」
「でたらめ言わないで!それ以上喋ると殺すよ」
「殺せますか?気になってるんじゃないですか?自分がどうしてここにいるかとか、あの子は何者とか。
そうですね、どうして私がこんなにあなたのことを知ってるか、とか」
反射的に引き金を引こうとする指を、懸命に抑えた。
彼女の言っていることは何一つ間違っていなかった。
かといって、彼女の言っていることが真実かはどうかは、別の問題だった。
どれが真実か、それは情報を集めて私が考えることだ。
だから、彼女から引き出せるだけの情報を得る必要はある。
「迷ってませんか?」
「うるさい。あの子に会わせて。あんたが言ってることが本当かはそれから判断する」
「慎重ね、そんなとこが余計にムカつく。絶対殺してやるから」
立ち上がる彼女の左手を取って、背中に押し付ける。
銃は背中に突きつけたまま、彼女を歩かせる。
私たちの争いがなかったかのように、中では会話が交わされ、梨沙子と呼ばれた子が、友里奈と呼ばれた女の子に叩かれて泣き始めた。
- 261 名前:10 Maki side 投稿日:2005/03/16(水) 01:26
- ぐるっと大きく後ろ側に回りこむようにして、私たちは進んでいく。
途中、制御室のようなコンピューターと大きなスクリーンがたくさん並んでいる部屋があった
その中にいた男たちには、目の前の彼女、松浦が(男たちがそう彼女の名を叫んだからわかった)構うなと一言言っただけで、動くことはしなかった。
警戒をしていた自分がバカみたいに、部屋を通り抜けるまで、銃を構えることはもとより、ピクリとも体を動かさなかった。
そこから二つの部屋を抜け、松浦は手を離してと私に言った。
IDカードと暗証番号に加え、虹彩認識、静脈認証。
ここまで重大なセキュリティによって開くドアの向こうにいる、さっきの女の子たちは、何者なんだろうか。
扉が開き、私は再び松浦の腕をつかむ。
彼女たちの姿はまだ見えないが、泣き声と、それをなだめる声は聞こえてくる。
一つ、ドアを開くと、そこはさっき外から見ていた光景だった。
もちろん、私たちがいたであろう廊下は、全く見えない。
白い壁が一面に広がっているだけだった。
「HPK07、この人を覚えてるでしょ」
入るなり松浦が叫ぶ。
さっきの女の子は私の方を向き、口元を押さえた。
あれは明らかに私を知っている者の反応だった。
- 262 名前:10 Maki side 投稿日:2005/03/16(水) 01:26
- 「ねぇ、雅ちゃん、あの人誰?」
問いかけに雅と呼ばれた彼女は答えない。
「みや?」
袖をつかむ子の手をゆっくりと離し、雅は私の方へとやってきた。
「後藤さん……よかった、無事だったですね」
ドクンと胸がなった。
安心感やうれしさよりも、気持ち悪さが勝った。
自分が記憶をなくしているという現実を、私はようやく自覚することができた。
「HOK07、あなたをここから出してあげます」
松浦が告げた言葉は、雅にはすぐに伝わっていなかった。
食べ物を口の中に入れて、噛み砕いてから飲み込むように。
雅はその言葉を丁寧に丁寧に理解しようとした。
それほどまでに、彼女たちがここをでるということは非日常的なことであることがわかる。
それと共に、さっきから松浦が口走るHPK07という単語が、雅を指しているということを、私は確信した。
- 263 名前:10 Maki side 投稿日:2005/03/16(水) 01:26
- 「どういうことですか?」
声は震えていた。
しかし、彼女ははっきりとそう松浦に問いかけた。
「言葉の通り。あなたは何も考えずに、これと逃げればいいのよ」
首でくいっと私を指す。
雅の表情からは何を考えているのかわからなかったが、少なくとも迷いははっきりと顔に表れていた。
それが、私とだからなのか、外に出ることがなのか、どちらかわからない。
その判断の根拠となるべき、彼女と私のつながりを示す記憶が、私から抜け落ちているのだから。
部屋が静まり返る。
私は自分がどうするべきかわからなかった。
この場の主導権は、明らかに松浦と雅が握っていた。
私は、彼女たちが動き始めなければ何もできない。
一番有利な立場に立ちながらも、記憶の欠落は、私をただの駒にさせた。
そう、私は誰かが指示してくれなければ動くことはできない立場にあるのだ。
- 264 名前:10 Maki side 投稿日:2005/03/16(水) 01:27
- 「みや、また行っちゃうの?」
「梨沙子、私……」
「雅ちゃん、どうして?私たちのこと嫌いになったの?」
「……」
「早くしないと、いい加減誰かがこの部屋に来るよ?そうなったら私もごとーさんも殺されちゃうかもね」
松浦の言葉はもっともだった。
けれども、私は会話を聞いていることしかできなかった。
「みや」
「雅ちゃん」
「雅ちゃん、今までどおりさ、みんなでさ、ね」
「私……」
「雅!」
思わず声が出た。
私の方をちらりと見た彼女の視線を感じると、叫ばずにはいられなかった。
一緒に来て欲しい。
助かりたいとかそんなの思いからではなくて、単純にそれだけだった。
- 265 名前:10 Maki side 投稿日:2005/03/16(水) 01:27
- 「ごめん、梨沙子、千奈美、友理奈ちゃん……私、行く」
「みや!」
両手でギュッと抱きつく梨沙子を、雅は振りほどかなかった。
ただ、ごめんねと繰り返しているだけ。
後ろから千奈美と呼ばれていた子が、雅を縛る手をゆっくりと外した。
「もういいですか?そろそろ捕まってる手が痛いんで、早く行きたいんだけど」
「はい、お願いします」
私の後ろに続いて、雅は部屋を出る。
扉を隔てても梨沙子の泣き声は十分に聞こえた。
- 266 名前:10 Maki side 投稿日:2005/03/16(水) 01:27
- 「この先から出ることができます。表には車もあります。鍵は、私の左のポケット」
「そう、ありがと。じゃあ、あなたとはここでサヨナラだね」
私はポケットから鍵を取り出し、少し離れながら、松浦に銃を向けた。
「取引って言ったでしょ?私は、あなたがこうすることを予測していました。
だから、HPK07を連れてきた。わかるわね、HPK07?」
「……はい」
雅は私の手をつかんだ。
「松浦さんは、後藤さんを助けてくれました。だから、助けてあげてください」
「何言ってるの?」
「お願いです。今回だけは、お願いします」
- 267 名前:10 Maki side 投稿日:2005/03/16(水) 01:28
- 私は松浦に助けられた。
それもまた、私の記憶の欠落部分の話なんだろう。
すごく感じが悪い。
もしかしたら、雅と松浦が組んでるのかもしれないという、卑しい仮定まで私の頭の中に浮かんだ、
けれども、雅を目を見ると、この子は嘘を言っていないことはわかる。
私は銃を下ろした。
「ありがとうございます。最後に、一つだけ言わせてください。
私がごとーさんを逃がすのは、不覚にも私が負けてしまったからです。
これで1勝1敗です。次は負けませんから」
一歩一歩下がりながら松浦は言う。
「ごとーさんは覚えてないでしょうから、HPK07、覚えていてね。あなたがいれば、私はごとーさんを追う理由ができる。
そして、ごとーさんを殺すのは私だから、それ以外の誰かには絶対殺されないように」
それだけ言うと、松浦は扉の向こうに消えていった。
私ともう一度戦うために、私を逃がしてやった?
私は天井に向かって引き金を引いた。
やり場の無い怒りを、それに込めて。
- 268 名前:10 Maki side 投稿日:2005/03/16(水) 01:28
-
「よし、行こう、雅」
私は雅の手を取り、指示された扉を開けた。
そこは地下の駐車場。
キーのボタンを押すと、片隅に置かれた一台のライトが点灯する。
雅を助手席に乗せ、私はアクセルを思い切り踏んだ。
- 269 名前:Silent Science 悪魔の辞典15 投稿日:2005/03/16(水) 01:36
- ・敵の位置がわかるほどにやりこんだガンシューティングゲーム
ゲームはやりこむと作業になってしまいます。(そこまでやりこんだことはありません)
・日替わりランチ
またの名をAランチ
・静脈認証
手の甲の血管のパターンによって、本人であるかを識別する方法です。
偽造が困難で、手の汚れにも関係なく使えるため有用です。
- 270 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/03/16(水) 01:40
- 書けたので早めに更新です。
>>254 ありがとうございます。そう言って頂けるのはとてもうれしいです。
>>255 子どもたちをやっと書くことができました。これからも密かに色々と出てくる予定です。
- 271 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/16(水) 03:30
- 更新お疲れ様です。
記憶が消された気持ち悪さを追体験させていただきました。
腹の底から嫌な感じがするのが心地良い?です。
- 272 名前:通りすがりの者 投稿日:2005/03/18(金) 03:00
- 更新お疲れさまです。 いつのまに記憶を( ̄□ ̄;)ごっちんはこの先どう行動するんでしょう? 次回更新待ってます。
- 273 名前:11. Miyabi side 投稿日:2005/03/26(土) 18:48
- 11. Miyabi side
急発進した車が駐車場を抜けると、まぶしい光が私の目を覆いました。
少しだけ開いた窓から吹き込む風は、塩の臭いが混じっています。
お散歩すれば、すごく気持ちがいいに違いありません。
ふっと、梨沙子の顔がよぎります。
私にしがみついた小さな手。
それを外してくれた千奈美ちゃん。
最後に、友理奈ちゃん。
他の子には挨拶できませんでした。
今日はテイキケンシンの日だったから。
愛理ちゃんに舞波は、私がいなくなったことを知れば、どう思うんだろう。
ここに帰ってきた日の夜からさっきまで、私はずっと検査を受けてました。
いつものテイキケンシンよりも、もっと色んなことをやりました。
注射を打たれたり、飯田さんといっぱい話したり、紙に数字を書いていったり。
ヘッドホンをつけて音楽も聴きました。
知らない曲と、歌詞もわからないような言葉の歌。
でも、それに混じって、美勇伝が流れてきたからうれしかった。
- 274 名前:11. Miyabi side 投稿日:2005/03/26(土) 18:49
- 「後ろ、来てるね」
後藤さんが言います。
ミラーで後ろを見ようとしますが、窓の外のミラーも、後藤さんと私の間にあるミラーも、車内が見えるだけで、私は後ろの景色を見ることは出来ませんでした。
仕方なく、体をひねって後ろを見ます。
車でした。
黒い車が後ろの方を走っていました。
「シートベルト、外しといて。でも、しっかり踏ん張っててね」
窓から右手を出し、後藤さんは銃を構えます。
器用に手首を返して、ミラーを見ながら後ろに向かって銃を打つ様子は、とても人間業とは思えませんでした。
車は坂を上り、堤防の上を走り始めます。
目の前に広がる海というものを、こんなに近くで見たのは初めてでした。
けれども、私が今まで本やTVで見てきたような青い海ではありませんでした。
まるで、曇り空が広がっているかのように、鉛色をしていました。
太陽の光が反射して、キラキラと光っているのは綺麗でしたが、そのイメージとのギャップの方が勝っていました。
- 275 名前:11. Miyabi side 投稿日:2005/03/26(土) 18:49
- 「埒があかないね。このままじゃ」
後藤さんが舌打ちをします。
何か、様子が変でした。
松浦さんと一緒に居たときから、何か変でした。
後藤さんと過ごしたのはほんの数時間です。
まだ会ったのも3回目です。
けれども、何か違いました。
いえ、初めて会ったと時に感じたそれと似ているのかもしれません。
私を見つめる視線にどこかしらの迷いが感じられました。
あの時、後藤さんが私を助けてくれたときのように、まっすぐと私を見ていてくれるというものではありませんでした。
それが、不安でした。
このまま付いていっても守ってくれないのかも知れないと。
- 276 名前:11. Miyabi side 投稿日:2005/03/26(土) 18:50
- だけど、「雅」と呼んでくれた瞬間の後藤さんは、まぎれもなく私の知っている後藤さんでした。
だから、だから私は後藤さんについていく事に決めました。
「雅、私の前に来て」
その「雅」という呼びかけは、その時のそれとは大きく違いました。
ただの名前でした。
雅でも梨沙子でも友理奈でも、何でもよかったのです。
後藤さんは、名前を呼んだのです。
私の周りには一人もいませんでしたが、日本に何人の雅がいるか知りません。
その人を呼んだのです。
- 277 名前:11. Miyabi side 投稿日:2005/03/26(土) 18:50
- あの時の後藤さんが発した「雅!」なら、雅が10人いても、私しか返事しないでしょう。
でも、今のは違います。
10人が全員「はい」と言います。
それが、すごく嫌でした。
それと同時に、後藤さんはやっぱり私の知っている後藤さんと違うことを、痛感しました。
けれども、私には今は後藤さんしかいません。
この感じ、似ています。
松浦さんとアヤカさんの車に乗せられていた時と同じような感覚でした。
後藤さんは、運転席のシートを大きく後ろに下げ。左足を曲げます
私は言われたとおり、シートに足をかけて、体を移動させました。
- 278 名前:11. Miyabi side 投稿日:2005/03/26(土) 18:51
- 「右足伸ばして。そこにアクセルあるから。思いっきり踏んでて。左にあるのはブレーキだから、踏んじゃダメだよ」
ピシッと音がして、サイドミラーが割れました。
後ろから銃を打たれていることを考えると、とても怖くなり、私は身をかがめて言われたとおりに足を伸ばし、アクセルを踏みました。
後藤さんは私と対照的に、窓に右手を掛けて上半身を車外に出し、後ろを向きます。
前を見ることなく、右膝で器用にハンドルを操作していました。
その直後でした。
車が大きく右に揺れたかと思うと、私の背中に当たっていた後藤さんの感触が無くなしました。
顔を上げると、後藤さんの体は完全に窓の外に出てしまいました。
私はアクセルから足を離し、窓に掛けた後藤さんの手を掴みます。
だけど、車は更に大きく右に曲がります。
私の体がハンドルに当たったということを、すぐに理解することはできませんでした。
アクセルから足を離しているのに、車は少しも速度を落としません。
大きな衝撃が私を襲い、ハンドルから飛び出した何かが、勢いよく私をシートに叩きつけました。
- 279 名前:11. Miyabi side 投稿日:2005/03/26(土) 18:51
- 「後藤さん」
手を握っていることはわかりますが、シートに体を押し付けられてた私は、目の前に広がる白いものにさえぎられ何も見えませんでした。
車がどうなっているのか、全然わかりません。
ただ、先ほどまでの揺れは不自然なほどに収まっていました。
二度目の揺れは、それまでのものよりもはるかに大きく。
宙に浮いた私の体は、車の天井に強く打ち付けられました。
その後、冷たいものが流れ込むのを感じました。
それが、私の覚えていられる最後の出来事でした。
- 280 名前:訂正 投稿日:2005/03/26(土) 18:53
- >>278
車が大きく右に揺れたかと思うと、私の背中に当たっていた後藤さんの感触が無くなしました。
× なくなしました
○ なくなりました
- 281 名前:12. Asami side 投稿日:2005/03/26(土) 18:53
- 12. Asami side
「紺ちゃん、この間の、どうなっとーと?」
「えっと、ちょっと待ってください」
肩まで伸びた黒髪と、てっぺん付近で一つ縛った髪型。
私よりも幼い彼女は、毎朝器用にそれをセットしていた。
あてがわれた2LDKの部屋を、一緒にシェアしていた彼女。
アメリカにいながらも、私に対しては英語を決して使わず、断固として博多弁で話しかけてきた。
同じ日本語なのに、私の使うそれと全く違う彼女のそれは、まだ英語で話しかけてくれる方がわかりやすかった。
「ん、これ。れいなのデータも一緒に入れといたから」
私は親指ほどの大きさのHDを軽く投げる。
- 282 名前:12. Asami side 投稿日:2005/03/26(土) 18:54
- 「わっわ、危なか。れぃなの大切なデータに何すると」
慌てながらも両手でそれを受け取る様子は、毛糸玉で遊ぶ子猫みたいで。
そもそも、この子は猫っぽい。
3階から飛び降りても、両足でちゃんと着地しそうなくらいに猫っぽい。
本人もそれを意識してか、ニャーとか言ってみたりするものだから。
研究室にいる周りの大人たちは、彼女のことを「れいにゃ」なんて呼ぶこともあった。
アメリカ人も中国人もフランス人も、みんな揃って「れいにゃ」と呼ぶ姿は、なかなか滑稽だったと私は思う。
彼女は性格も猫だった。
一人が好きで、マイペースで。
夜に帰ってこないこともざらだったし、かと思えば一緒に寝てと甘えてくるときもあった。
彼女と一緒にいたのは2年間だけだったけど。
私は彼女のことを少しもつかめていなかったように思う。
決して本心は見せないというか。
私の知っている彼女は、彼女にとってのほんの入り口でしかなくて。
その奥の、霧のかかった部分は全く見えていなかった。
- 283 名前:12. Asami side 投稿日:2005/03/26(土) 18:54
- だけど、多くの日本人がもつ、他人のプライベートを逐一聞きだしていく趣味を、私は持ち合わせていなかったから。
福岡出身で、私よりも2つ年下。誕生日は1並びの11月11日。
血液型はO型。
占いや呪術という非科学的なものくらいにしか使い道がないようなパーソナルデータ。
それが、彼女がこの世を去ったときに私の手元に残ったものだった。
だけど……
017。
ディスプレイに残った文字は、間違いなく彼女のもの。
「アルファベットで書くのは好かん」と、彼女は頬をぷぅっと膨らませてよく言った。
Reinaのiの文字。
その上の点が一人ぼっちに見えてかわいそうと、理由を尋ねた私に彼女は答えた。
大文字で書けばと私は言ったけど、彼女は自分の名前を数字で書いた。
「それに、数字のが楽やけん」
- 284 名前:12. Asami side 投稿日:2005/03/26(土) 18:54
-
その数字だ。
私の目の前に、それはある。
完全にフリーズした私の脳を、再起動させるのに要した時間はたっぷり5分間。
動かない私を心配する美貴ちゃんの声が、他人事のように私の耳を流れていって。
肩を揺すられたことによる視界の揺れが、TV放送の遠くで起きた地震の瞬間を見ているようで。
ようやく私の頭が復旧を完了した時、美貴ちゃんは本当に泣きそうな顔をしていた。
「ごめんなさい」
自分が悪いわけではないのに、謝ってしまった。
美貴ちゃんは、短く「バカ」と言った。
「ごめんなさい。もう大丈夫だから」
もう一度私は謝った。
あのころ、私のことをこんなに心配してくれるのは、れいなだけだった気がする。
今は、そんなことない。
美貴ちゃんに、そしてきっと後藤さんも……
- 285 名前:12. Asami side 投稿日:2005/03/26(土) 18:55
- 「その文字、どんな意味があるんですか?」
後藤さんのことを考え、涙が出そうになったとき、高橋さんが言った。
私は鼻を一度すすり上げて、自分の頭を整理しながら、考えを話し始めた。
生きていた。
それが一番現実的な考え方に違いありません。
れいながいなくなったとき。
私は彼女が死んだと思いました。
車ごと海に飛び込んだ彼女。
警察の捜索もむなしく、彼女の遺体は発見できませんでした。
- 286 名前:12. Asami side 投稿日:2005/03/26(土) 18:55
- その時、私はずっとある思いにすがっていました。
遺体が無いのなら、生きているに違いないという思いに。
それは、自分の精神を安定させるための現実逃避でした。
そうだったはずです。
岸に近いとはいえ、潮の流れが急な海域でした。
湾へと流れ込んだ波が、今度は沖へと流れ出す場所。
泳ぐことも禁止されているような、そんな場所でした。
どれだけ頭がよくても、彼女は小さな女の子です。
助かるわけがありません。
遺体すら海流にさらわれて海の藻屑となっていると思っていました。
- 287 名前:12. Asami side 投稿日:2005/03/26(土) 18:55
- でも、生きているのです。
それを否定して、今起こっていることを説明する方が難しいのです。
それはうれしいことのはずでした。
でも、私は素直に喜べませんでした。
辛いながらも、徐々にいないことを自分に言い聞かせ、割り切ったつもりでした。
ふとしたときに思い出すこともあります。
懐かしむこともあります。
そうです。懐かしむのです。
悲しむのではなく、懐かしむ。
私の中で、彼女はもう想い出になってしまっているのです。
それを今更、生きていたと……しかも、こんな最悪な形で間接的に再会するなんて……
分散し始める思考を、再び束ねます。
今は私情を挟むときではありません。
現状から得られることを、考えられることを少しでも集めないといけません。
- 288 名前:12. Asami side 投稿日:2005/03/26(土) 18:56
- もしも、私が彼女ならどうするか?
私の家を調べた時点で、私であることはれいなにはわかるでしょう。
そうしたら、必然的にHPKという言葉から私が調べるということを想定するかもしれません。
だけど、その間にはかなりの飛躍があります。
れいなも、私の能力が二次的なものだとわかっているはずです。
高橋さんがいなければ、私はピッコロタウンへと辿り着くことは出来ません。
高橋さんが、あの時美貴ちゃんの家に来たのは、バイクの事故のせいです。
いえ、違います。
私の家で死体が発見された時点で、高橋さんは私を訪ねることになったはずです。
ということは、私がピッコロタウンにたどり着くであろう可能性は、少なからずあるはずです。
- 289 名前:12. Asami side 投稿日:2005/03/26(土) 18:56
- そのことを考えると、れいなならどうするか。
重要なデータを全部ネットワークから隔離する。
それは当然の措置です。
ログも全て削除しておく。
そして、尚且つ何かありそうな場所に、この「017」と描かれたファイルを置く。
もしかしたら、わざと削除した痕跡を残していたのかもしれません。
自分が生きていることを、私に示すために。
馬鹿げています。
馬鹿げています。
すごく、馬鹿げています。
まだ、幽霊といったほうがしっくり来ます。
それほど、私の考えは馬鹿げていました。
- 290 名前:12. Asami side 投稿日:2005/03/26(土) 18:57
- でも、それを否定は出来ませんでした。
全てを上手く説明する方法としては、これが最も適当でした。
何のために。
それが少しもわかりません。
彼女の考えはやっぱり霧に包まれているままで。
私には少しもわかりませんでした。
「行ってみよう」
「え?」
「行ってみようよ。もう明らかに怪しいじゃん。ごっちんもいるかもしれないし、それに……
紺ちゃんも、そのれいなって子が生きてるか確かめたいでしょ?」
説明を終えた私に、美貴ちゃんはそう言った。
高橋さんも賛成した。
その時だった。
- 291 名前:12. Asami side 投稿日:2005/03/26(土) 18:58
- 「お姉ちゃん」
声がした。
ずっと私たちに背を向けていたもう一人の女の子。
この部屋にずっと存在していた彼女は、高橋さんにそう呼びかけた。
「さゆ、どうしたの?」
「そのピッコロタウンの工場の近くで事故」
「え?」
3人の声が揃う。
さゆと呼ばれた女の子がキーボードを操作すると、私たちの画面にその状況が映し出された。
道路に深く刻まれたタイヤの跡が数本。
ガードレールは大きく捻じ曲がり。
漏れ出した燃料電池の中身が、地面をギラギラと光らせていた。
堤防を塞ぐように止まった数台の車と、担架で運ばれる男の人。
- 292 名前:12. Asami side 投稿日:2005/03/26(土) 18:58
- 画面の右上の字幕は、謎の事故的な言い回しの文章が書かれていました。
画面をタッチして、一部を拡大して見ます。
ヒビの入ったフロントガラスの中心には、小さな穴がありました。
それが銃弾であることくらい、数本のアクション映画を見たことがあれば、素人の私にでもわかります。
なのに、アナウンサーは何度も事故と言いました。
私たちを暗示に掛けるかのように、何度も事故と繰り返していました。
死者は4人、重症が6人。
そして、ガードレールを突き破って海に飛び込んだ車が一台。
アナウンサーが読み上げました。
嫌な予感が頭に広がります。
「定点カメラの映像、送られてきました」
「さゆ、映して」
「はい」
画面が切り替わります。
音の無い世界で、堤防の上を走る一台の車。
その後ろには3台の車が並んでいました。
助手席から体を乗り出した男が構えるのは、銃でした。
だけど、男は打つ前に、全身の力を抜いたようにぐったりとします。
前の車の窓から伸びた細い手。
それが持つ銃によってということは、画像を拡大して知ることが出来ました。
- 293 名前:12. Asami side 投稿日:2005/03/26(土) 18:59
- その次の瞬間でした。
私は、目を疑いました。
前の車から体を乗り出した人物。
風に髪を揺らしながら銃を打ったその人。
「ごっちん」
美貴ちゃんの言葉に私は頷きました。
それは、後藤さんでした。
その後、フロントガラスを打ち抜かれた真ん中の一台が、急に左右に動き始めます。
そして、巻き込むように両端の2台と事故を起こしました。
「ちょっと……」
「え?」
美貴ちゃんの言葉に、後藤さんの車の方を見ると、もう車はありませんでした。
カメラの届かない位置に走り去ってしまったと私は思いました。
抉り取られて大きく開いたガードレールに気づくまでは。
- 294 名前:12. Asami side 投稿日:2005/03/26(土) 18:59
- 「さゆ、戻して」
返事の代わりに画面が切り替わりました。
震えが止まりませんでした。
身を乗り出した後藤さんが、急にバランスを崩し、車外に大きく体がでてしまいます。
窓に手を掛ける後藤さんですが、動きのおかしくなった車は、スピードをそのままに大きく右に曲がります。
そして、捕まった後藤さんと共にガードレールを突っ切ります。
車から投げ出される後藤さん。
高さ10mくらいでしょうか。
1分くらいかけて、落ちていったように錯覚します。
さゆという子がスロー再生でもしているかのように思えてくるほどに。
日の光が妙に明るくて、波も穏やかで。
だけど、海はとても灰色で。
そんな灰色の海の中へと、後藤さんと車は落ちていきました。
反応はできませんでした。
悲鳴を上げることも、叫ぶ事もできませんでした。
悲しいとも思いませんでした。
- 295 名前:12. Asami side 投稿日:2005/03/26(土) 18:59
- 明日、晴れると良いな。
空の見えないこの部屋で、私はなぜかそう思いました。
それ以上のことは考えられませんでした。
明日も晴れて、明後日も晴れて。
ずっと晴れていたら良いな。
沈んでいく車と、もう海に消えた後藤さん。
日差しは変わらず明るくて。
波も変わらず穏やかで。
海もやっぱり灰色で。
それは車が沈み終わるまで変わらなくて。
ずっと、ずっと変わらなくて。
- 296 名前:12. Asami side 投稿日:2005/03/26(土) 19:00
- 映像が終わり、再びTV中継に戻った画面。
アナウンサーの唇は動いているはずなのに何も聞こえなくて。
視界が再び揺れ始めて。
でも、私にとってはやっぱり地震中継みたいに他人事で。
キーボードに置いていた手が、いつの間にかギュッと握られていたけど、それも無意識で。
それでも、晴れたら良いななんて思っている自分が、ひどく滑稽で。
私の頬を流れる涙が口に入った。
少ししょっぱかった。
海水みたいで。
海の、水みたいで。
- 297 名前:13. Extra side 投稿日:2005/03/26(土) 19:10
- 13. Extra side
「れいな、言われたとおりにやったけど、何の意味があったの?」
「絵里には関係無かことばい」
「ふーん、いいけど。約束どおり、明日は絵里とショッピングだよ」
「わかっとるとね。やけん、明日はさゆと約束があるけん、20日でよか?」
「えー、絵里よりさゆのが大切なんだ」
「そぎゃんことは言ってなか。れぃなは絵里のが好いとぅ」
「えへへへへ、好きって言われちゃった。20日でいいよ。20日、約束ね」
- 298 名前:13. Extra side 投稿日:2005/03/26(土) 19:11
- 「れいなー」
「何ね?」
「絵里もれいなのこと、ばり好いとぅ」
- 299 名前:_ 投稿日:2005/03/26(土) 19:12
-
< 第一部 Hello Project Kids 完 >
- 300 名前:Silent Science 悪魔の辞典16 投稿日:2005/03/26(土) 19:13
- ・ハンドルから飛び出した何か
エアバッグの展開速度は時速100kmを軽く超え、0.02秒前後で展開します。
・猫
パンダもありですが、やはり猫です。
・湾へと流れ込んだ波が、今度は沖へと流れ出す
離岸流。水脈とか言われることもあります。
秒速2m以上の速さで沖へと向かっていきます。
イアンソープのもつ自由形200mの世界記録は1分44秒(104秒)ですので、逆らって泳ぐことは不可能です。
- 301 名前:Silent Science 悪魔の辞典16 投稿日:2005/03/26(土) 19:13
- ・どれだけ頭がよくても、彼女は小さな女の子です
それは紺野さんも同じです。
・お姉ちゃん
コバルトの人気小説に倣って「お姉様」と呼ばせたかったけど没にしました。
・涙
主な成分としてNa(ナトリウム)、K(カリウム)、Ca(カルシウム)、Cl(塩素)などの電解質や、ビタミンAやC、糖も含まれています。
- 302 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/03/26(土) 19:27
- >>273-301
期間空いていた分一気に。ついでに第一部終了。第二部は美勇伝。
撒き散らした謎や伏線は、以後に全部回収しますので、お子様たちは今後も登場予定。
次からちょっと書き方を変えようかと考えています。
一人称ではすごいわかりにくいので、三人称に変えたほうがいいのかなと。
(こういうのはすごくよくないことなんですが)
とりあえず次を書いてみてから、考えてみようと思います。
>>271 全く経験のできないことなだけに、そう言って頂けると、すごくほっとします。ありがとうございます。
>>272 後藤さんについて何を言ってもネタばれになりそうなので…レスをありがとうございます。という言葉だけで。
- 303 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/27(日) 11:32
- れなえりキタ─ ̄─_─ ̄─(゚∀゚)─ ̄─_─ ̄─ !!!!w
- 304 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/28(月) 17:14
- 更新乙です。ってか美勇伝まで出てきますか!
そろそろ相関図作らないと付いていけなくなりそう…。
頭ん中整理しながら待ってます。
- 305 名前:通りすがりの者 投稿日:2005/03/29(火) 18:16
- 更新お疲れさまです。 ではごっちんの行動は今後の話まで待たせて頂きます。紺ちゃん絶句( ̄□ ̄;)!田亀もあるんですか!? 次回更新待ってます。
- 306 名前:_ 投稿日:2005/04/04(月) 02:02
-
後藤さんがいなくなって、もう一ヶ月が経ちました。
その間に、私はたくさんの人と出会いました。
その人たちと、泣いたり笑ったり、怖い思いをしたり。
後藤さんと離れ離れになってからの、寂しいと思う暇もないほどの一ヶ月。
その間に起こったことを、今日は忘れずに記録しておこうと思います。
後藤さんともう一度会えるときに、忘れずに全部話せるように。
―――ねぇ、後藤さん。
絶対に会えますよね?―――
- 307 名前:_ 投稿日:2005/04/04(月) 02:03
-
―――― Silent Science 第二部 ――――
- 308 名前:_ 投稿日:2005/04/04(月) 02:03
- 警察の捜査もむなしく、後藤さんは発見できませんでした。
どう考えても事件であるあの一件は、事故と処理されて、ピッコロタウンが捜査の対象になることはありません。
後藤さんの情報をこれ以上得ることはできないと、私も美貴ちゃんも家に戻りました。
その際に高橋さんは、後藤さんの手がかりが少しでもあれば、連絡すると言ってくれました。
高橋さんの目的は、車の助手席に乗っていた雅ちゃんでした。
何度も見直して、助手席に乗っている女の子が雅ちゃんであると、私が告げたからです。
あくまで後藤さんはそのついでです。
けれども、私達はそれに頼るしかありませんでした。
死んだとは思いたくはありませんでした。
れいなのこともあります。
だから、死んでいるなんて微塵も考えませんでした。
- 309 名前:_ 投稿日:2005/04/04(月) 02:03
- 私の家は、あんなことがあったので戻ることは出来ません。
後藤さんがもしも帰ってきたときに困るだろうと思いましたが、美貴ちゃんが自分の家に戻ると言ったので、私は自分の家には戻りません。
それに、高橋さんに協力して欲しいと頼まれましたので、私はそのまま都心に残りました。
幸いにして、私には普通に何年も暮らしていくだけのお金は既に持っていますから。
いくつかの荷物と、パソコン内のデータを移すだけで、引越しは簡単に出来ました。
大学には、休職という形にしてもらっています。
実験だけでなく、培養しっぱなしの細胞を放置したままで、申し訳ないとは思いましたが、仕方のないことです。
新しい部屋で、一人暮らしを始めるというのは、それなりに緊張するものでした。
都心に訪れることは少なからずありましたが、買い物や遊ぶことが目的と、住むことが目的とでは、全然雰囲気が違います。
私が彼女に会ったのは、都心に来てから6日目のことでした。
- 310 名前:_ 投稿日:2005/04/04(月) 02:04
- その日は、どんよりとした雲が頭上を覆っていました。
天気予報ではにわか雨が降るという予報でしたが、私は傘を持っていませんでした。
引越ししてから、色んな物を買い込みましたが、傘は完全に忘れていました。
日ごろ使わないものだけに、必要な状況にならないと、無い事に気づかないのです。
そういうわけで、繁華街から一本横に逸れた、人通りの少ない道を私は早足で歩いていました。
この道は、最近発見した裏道で、人の多い道を通るのが苦手な私には、とてもありがたい道でした。
両腕に下げた袋の中には、さっき買った冬用の服が入っていますので、激しい雨が降ってきたのなら最悪です。
しかし、私の願いもむなしく、空から雨粒が降ってきます。
始めはポツポツと。
でも、五分もしないうちに、地面一面が濡れるほど激しくなりました。
道行く数人の人は、雨宿り代わりに近くにある店に入っていきます。
私もどこか入ろうかと思いましたが、入りたいと思うようなお店が見当たりませんでした。
考えてみれば、この道は何度か通っていますが、どんなお店があるのか見ていった事は無いように思います。
- 311 名前:_ 投稿日:2005/04/04(月) 02:04
- 左右をキョロキョロしていた私は、突然横から飛び出してきた人とぶつかりました。
両手に袋を提げていた私は、満足に受身を取ることも出来ずに倒れました。
幸いにして水溜りに突っ込んだのは買い物袋で、私はその上に乗っかるように倒れたので、怪我もありませんし酷く濡れもしませんでした。
「ごめんなさい、ごめんなさい。大丈夫ですか?」
甲高い声が鼓膜を震わせます。
それだけ特徴のある声でしたが、この時の私はそれが誰の声かはすぐにわかりませんでした。
差し出された手を取って、起き上がる私でしたが、水溜りに浸かった袋からはボトボトと水が滴り落ちました。
「こっちに、来てください」
袋から水が滴り落ちるままに、わけもわからず手を引かれて、私は入ったことも無いような店の中に連れて行かれます。
新しい客引きの方法だったらどうしようなんて、その時は思いましたが、もっと他に考えることはあったはずです。
連れて行かれたのは、喫茶店。
まず目に付いたのは、木目の目立つ内装。
コーヒーの香りが鼻をくすぐり、ついで「いらっしゃいませ」というウエイトレスの声が耳に届きました。
- 312 名前:_ 投稿日:2005/04/04(月) 02:04
-
「あの…」
「ごめんなさい、タオルいただけますか?」
言いかけた私をさえぎる様にして、再び高い声が店内に響いた。
雨に濡れた黒髪は、首にぴったりと張り付いていた。
顔にはサングラス。
白い上着は水に濡れて透けて、ピンク色のタンクトップが覗いていた。
ウエイトレスが持ってきた2つのタオルの一方を私に渡し、女の人はサングラスを外して頭を拭く。
その時だった。
「あの、石川梨華さんですよね?」
石川梨華と言われて、私には何のことかすぐにはわかりませんでした。
いわゆる普通の十代を過ごしていない私には、トップアイドルの名前なんて、アメリカの副大統領の名前と同じくらいなじみの無いものでした。
否定も肯定もしない石川さんは、すでに肯定していると同じようなもので。
ウエイトレスの少女は飛び上がって喜んでいました。
- 313 名前:_ 投稿日:2005/04/04(月) 02:04
- ウエイトレスといっても、まだすごく小さな子でした。
雅ちゃんと同じ、いえ、もっと小さな子でした。
けれども、それは珍しいことではありません。
私も小学生の頃、アルバイトをしてお金を稼いでいました。
最も私がやっていたのは、接客業ではなく、翻訳の仕事など事務的な仕事でしたが。
「さっきはごめんなさい」
「いえ、私もよそ見していましたから」
向かい合って座り、私達は話し始めました。
- 314 名前:_ 投稿日:2005/04/04(月) 02:05
- 「驚かないんですね」
「どういうことですか?」
「自分で言うのもなんだけど、私ってトップアイドルでしょ。
さっきのウエイトレスの子みたいに、みんなそういう反応するから」
ウエイトレスの子は、カウンターの前に立ちながらもチラチラとこっちを見ています。
石川さん目当てであることは明白でした。
「別に、私、そういうの興味ないですから」
「本当?」
「え?」
私が驚くほどに、嬉しそうに石川さんは言いました。
それから、一瞬で真顔になった石川さんは、ポケットから小さなチップを取り出しました。
- 315 名前:Silent Science 悪魔の辞典17 投稿日:2005/04/04(月) 02:17
- ・天気予報
翌日の天気の的中率は8割くらい。週間で6割位らしいです。
春や秋は的中率が高い季節だといわれています。
・水に濡れて透けて
透けない水着というのは一時期話題になりました。
ナイロン繊維に光の透過率を下げる加工をすれば透けないらしいです。
・アメリカの副大統領
現職のアメリカ副大統領はディック・チェイニーです。
- 316 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/04/04(月) 02:24
- 更新終了。結局悩んだ結果、一人称のままとか……
>>303 れなさゆといいれなえりといい、6期CPは萌えるものが多い気がします。
>>304 オールキャストを銘打っていますので、名前のわかっているエッグも含めて、全員出します!(言っちゃった)
そうですねぇ…二部が終わればキャラ紹介と整理かねてなんかやってみます。忘れたらごめんなさいですが…
>>305 しばらくは紺野さんで。CPは好みで色々出して行きたいです。
- 317 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/04(月) 23:22
- いよいよ第二部開始ですね。
序々に序々に視界が開けていく(あるいは作者さんの罠に引っかかっていく)
感じがなんともたまらないです。
- 318 名前:通りすがりの者 投稿日:2005/04/06(水) 05:08
- 更新お疲れさまです。 やっぱり科学者というのは外の世界とは無縁なんでしょうね。 ごっちん、生きているでしょうか? 次回更新待ってます。
- 319 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/04/11(月) 00:56
- それが、全ての始まりでした。
この時、私はこんなちっぽけなチップに意味があるとは思っていませんでした。
「私達の曲、聞いたこと無いのならお願い。あなたのような人にしか渡せない」
「え、どういうことですか?」
私の手を取り、石川さんはそれを握らせます。
冷たい手でした。
少し湿っていましたが、細くて握ったら折れてしまいそうな指でした。
手に乗せられた物の重みを知るのは、もう少し後でした。
そうしていると、コーヒーが運ばれてきました。
その間、私達は黙っていました。
誰かに聞かれるべきじゃないと、なぜかわかっていたのかもしれません。
外は、雨が一層激しく降っています。
静かな店内に、雨の音が響いています。
ウエイトレスの女の子はコーヒーを並べ終えると、どこから持ってきたかわからない色紙を取り出しました。
「サインください」と告げる彼女に、石川さんは快くサインをしました。
- 320 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/04/11(月) 00:56
- 「茉麻へって書いてくださいね」
「まーさ?」
石川さんは聞き返す。
もちろん、私の頭に浮かんだのは『Martha』という綴り。
どこをどう見たってアジア系の顔ですが、すらっとした手足はどこか西洋人のそれを思い起こさせます。
「カタカナ?」
「いえ、漢字です。草冠に末っ子って言う字と、『あさ』は植物の麻です」
言われたとおりに石川さんは書いていきます。
やっぱり日本人なのかなと、出来ていく漢字を見て思いました。
末じゃなくて未になっていたのを指摘するのはやめておきました。
茉麻ちゃんはすごく嬉しそうに、石川さんがペンを走らせるのを見ていましたから。
- 321 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/04/11(月) 00:57
- 「7日のドームでやるコンサート、友達と行きますから。がんばってください!」
「え……うん、ありがとう」
その瞬間に石川さんの目が少し泳いだのは、私でもわかりました。
握手をした後に、ペコリと頭を下げて、彼女は向こうに行きました。
店内にも響く雨の音が、目を伏せて言った石川さんの言葉を消しました。
唇の動きだけで、言っていることがわかる能力なんて、私にはありませんが、「ごめんなさい」と言っているようにも見えました。
私がその言葉を聞こうとする前に、石川さんは口を開きました。
「そのチップには、私達の新曲が入っています」
「新曲?」
「はい。レコーディングした私達3人の声が別々に入ってます。こんな事言って、頭おかしいと思われるかも知れないけど……」
声のトーンが一段と下がりました。
雨音が響く店内は、私達の会話を消していきます。
おそらく、茉麻ちゃんに聞こえたのは、私の驚いた声だけだったでしょう。
聞こえなくてよかったと思える内容でした。
そして、これを聞いたのが私でよかったと、その偶然に感謝しました。
チップを握る手に自然と力が入りました。
壊してしまうのではないかと思うほどに、力が入っていました。
- 322 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/04/11(月) 00:57
- 喫茶店にショートカットの女性が入ってきたのは、話が終盤に差し掛かった頃でした。
その人は、まっすぐに私達の方を見ると、石川さんの名前を呼びました。
「梨華ちゃん」
「三好ちゃん……」
強い声と弱い声が交錯します。
ジーンズに水色のパーカー。
雨に濡れたそれは、肩から胸にかけて濃くなっていました。
一人目をキラキラさせて、「わぁ」と声を上げたのは、茉麻ちゃん。
「どうしたの?マネージャーさん、怒ってるよ。発信機付いてるからすぐに場所わかったんだけどさ」
発信機ですか。
近頃のアイドルさんは、そんなものをつけられているんですね。
少し感心しましたが、よく考えてみれば、携帯で位置情報を知ることができる現代において、そんなことは至って普通のことかもしれません。
- 323 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/04/11(月) 00:57
- 「その子、誰?」
「なんでもない。私がぶつかっちゃったから、お詫びしただけ」
私の方に向けられた視線は、何も言わないでというものだった。
「ふぅん、良いけど。マネージャーさん呼んでるから早くいくよ」
「う、うん……」
なんでしょうか、この関係は。
先生と生徒、母親と子ども。それくらいの立場の違いです。
怯えているように見える石川さんは、この時『ような』ではなく本当に怯えていました。
「ごめんなさい。お金は払っておきますので、あと、お願いします」
お願いしますだけは、私にようやく聞こえるほどの小声。
それがさっきの話のことを指しているのはすぐに理解できた。
- 324 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/04/11(月) 00:59
- 引っ張られるようにして出ていった石川さん。
残されたのは、まだ湯気の出ているコーヒーが二つ。
隠すようにしっかりと握っていた手を開きます。
ふわっとコーヒーの香りに混じり、柑橘系のさっぱりとした香りが鼻に届きました。
「高いコーヒー代になっちゃいそうですね」
上着のポケットは雨で濡れているので、ハンカチに包んでズボンのポケットに入れておきます。
鉛玉でも入れたような気分でした。
砂糖すら入れずにコーヒーを一気に飲みました。
苦いはずのものでしたが、味を感じることは無かったです。
喉を通る生暖かい液体の感触だけのものでした。
「ありがとうございましたー」
茉麻ちゃんの声を背に、私はお店を出ます。
雨は止んでいました。
まるで、私と石川さんを出会わせるためだけに降ったと思うほどに、太陽がまぶしく輝いていました。
- 325 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/04/11(月) 00:59
- 家に戻った私が真っ先にやったのは、チップを調べることでした。
濡れた冬服の袋は玄関においたまま。
まだ少し湿った髪を拭くことも、着替えることもせずに、私はパソコンの前に座りました。
それほどまでに、石川さんの話は馬鹿げていました。
だけど、嘘だと否定できない何かが、あの人にはありました。
入っているファイルは4つです。
全て音楽ファイルですが、あいにく私が今もっているソフトでは聞くことは出来ません。
特殊な形式のものになっているようです。
ソフトを探すことはたやすいことですし、手に入れることもたやすいです。
けれども、私はそこで考えました。
石川さんの話が本当なのだとすれば、これを聞いても、私は何も得ることはできません。
そう、これ自体にはまだ大した意味は無いのです。
それよりも、先に調べなければいけないことが山ほどあります。
石川さんの話を思い返しながら、私はその一つ一つを調べていきました。
- 326 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/04/11(月) 00:59
- まずは美勇伝というアイドルグループについてです。
石川梨華、三好絵梨香、岡田唯。
改めて写真で見てみると、石川さんは本当に綺麗でしたし、さっきのキツイ目で私を睨んでいた女性は美勇伝の人なんだなとわかります。
デビュー自体はまだ一年も経っていない3人組のグループでした。
音楽市場にはさして興味を持ったことは無いので、数字の上でしか判断できませんが、発売して半年以上経った今でも、デビュー曲がすごい勢いで売れ続けています。
寧ろ、1ヶ月前が一番売れているほどです。
このデータだけでも、石川さんが言っていることが真実である可能性がずいぶん高くなります。
歌詞を見ると、私は数度聴いたことがあるはずです。
けれども、それを確認しようとは、私は微塵にも思いません。
この曲は、麻薬なのですから。
- 327 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/04/11(月) 01:00
- 次は、彼女達の所属事務所です。
ハーモニープロモーション。
アップフロント傘下の企業です。
だとすれば、高橋さんが何かを知っているかもしれません。
調べ終わった後に伝えておく必要があります。
きっと、私だけの手には負えないことでしょうから。
この事務所で調べることは簡単です。
3人の声紋データを初めとする音に関係するデータ。
それは簡単に見つけることが出来ました。
れいなも、私がここを調べるとは思っていなかったのでしょう。
石川さんの言動を裏付けるようなデータがいくつもでてきます。
マウスを操作する右手が汗でべっとりします。
嘘だとは思っていませんでしたが、いざ直面すると怖くなってきます。
- 328 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/04/11(月) 01:00
- 音の麻薬。
キーワードはこれでした。
そのための膨大なデータが、この事務所には集められています。
1/fのゆらぎや、超音波といった種々の条件がリストアップされ、麻薬となる音の特性を持つ曲と声が決まっていきます。
次は歌い手の組み合わせを探すための大規模なオーディション。
それが、全て現実として起こっているのです。
そうして出来たのが美勇伝というグループと「恋のヌケガラ」という曲。
何度も何度も耳にするだけで、この曲を自然と渇望します。
麻薬のように激しくではなく、極めて緩徐に。
そうしてじわじわとこの曲を聴きたいと思う人を増やしていきます。
その結果が奇妙な売り上げにつながります。
- 329 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/04/11(月) 01:00
- なぜ癌という病気が、医学の発達した現代においても、いまだに死亡原因の上位に位置するのでしょうか?
それは、知らないうちに少しずつ少しずつ進行していく病気というものは、気づけば手遅れになってしまうからです。
激しい症状の出るものなら、早期発見が可能であり、対策も打ちやすいのです。
それと同じです。
もう、この爆弾は誰も気づかないうちに日本中に浸透しています。
あとは、火をつけるだけです。
その火が、あのチップです。
「美勇伝の音」を欲する人たちに贈る、新しい音。
それも、もちろん計算された音です。
売り上げを伸ばして、私欲を肥やすだけならまだましです。
けれども、アップフロントというものは、それには興味が無いようです。
- 330 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/04/11(月) 01:01
-
カッチョイイゼ!JAPAN
皮肉にも、日本を狂わせる曲のタイトルにその国名が入っているのです。
- 331 名前:Silent Science 悪魔の辞典18 投稿日:2005/04/11(月) 01:22
- ・ドーム
設定では東京ドームです
・恋のヌケガラ
今年に入って、一時期すごくこの曲にはまりました(どうでもいい
設定上では1月19日発売です。
・ハーモニープロモーション
美勇伝はここ所属ではありませんが、アップフロントエージェンシーだと色々混同しそうなので。
- 332 名前:Silent Science 悪魔の辞典18 投稿日:2005/04/11(月) 01:23
- ・声紋データ
つんくは娘。の声帯は全員見ているとかどこかで言ってた気がします。
しかもコメントまでしてた気がします…
・1/fのゆらぎ
人に心地よさを与えてくれる音と言われています。ヒット曲にはこれが存在するとかしないとか。
・超音波
石川さんの声(ry
・癌
この頃には完全治癒できるものであって欲しいです。
- 333 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/04/11(月) 01:28
- 更新終了。
最低週一更新を守れるかきわどくなってきた…
>>317 張りすぎた罠に自分がかからないようにがんばります。
>>318 科学者の卵がこの小説を書いているので、実はそれほど無縁でもないのかもしれないです(ぉぃ
- 334 名前:通りすがりの者 投稿日:2005/04/11(月) 20:22
- 更新お疲れさまです。 科学者様でいらっしゃいますか。 音楽は人の心の隙間に響くものですから言われてみればそうですね。 自分もこの曲好きなんです。 次回更新待ってます。
- 335 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/12(火) 02:45
- この小説にも麻薬成分が含まれている気がします
マイペースな更新で全然構いませんから、どうか急な供給停止だけは…
- 336 名前:konkon 投稿日:2005/04/12(火) 12:26
- ものすごい偶然ですよね。
これが紺ちゃんでなければ解けるものも解けませんからね〜。
石川さんの声が麻薬となるか・・・自分には無理です(爆)。
自分にとっては、こちらの小説が麻薬となっております・・・
更新お待ちしてます。
- 337 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/04/17(日) 18:47
- ◇
私の家に一人の女の子が尋ねてきたのは、翌日の夕方でした。
昨日、私の得たデータを高橋さん宛てに送りました。
高橋さんは、今はピッコロタウンを追っていますから、手を離すことは出来ません。
代わりにやってきた女の子は新垣里沙と名乗りました。
「愛ちゃんから話は聞いてます。里沙ちゃんって呼んでくださいね」
そう言って差し出された名刺には、高橋さんと同じくAngel Hearts 特別捜査員と書かれていました。
道重さんもそうですが、Angel Heartsには女性、しかも私と同じくらいの女の子しかいないのでしょうか。
少なくとも、大人があそこにいるのを私は見たことがありません。
何度か、ディスプレイ越しに倍以上に年の離れているであろう男の人と、高橋さんが対等に話しているのを見たことがあるくらいです。
警察ではないけど、警察のようなもの。
そんな言い方でしか説明してもらっていません。
探ってしまえばわかることですが、そんなことのために私は自分の力を使いたくはありません。
ただ、一度高橋さんを調べるときに侵入したときに感じたことですが、あのセキュリティの方法は警察のそれに近く、それよりも更に高度なものでした。
警察組織と同等かそれ以上と考えても良いでしょう。
- 338 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/04/17(日) 18:47
- それだけに、なぜ女の子だけかということが気にかかります。
確かに、彼女達はすごく優秀です。
語学力を含めた学力、格闘技、射撃、機械操作、どれをとっても一般人をはるかに超えています。
だけど、そういったプロフェッショナルな部分だけでなくて、対照的な年相応な部分も持ち合わせていて。
ただ、それは表と裏のように完全に分かれています。
里沙ちゃんと呼んでくださいという彼女は、笑顔の似合う可愛い子。
なのに、美勇伝の事に話が触れると、瞬間に表情が硬くなります。
そのギャップが、少し寂しく感じることもあります。
彼女達がどういう経緯でAngel Heartsにきて、こんなことをしているのか。
それがわからないだけに、想像を良い方に働かせることは、私の性格上無理でした。
- 339 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/04/17(日) 18:48
- 「それで、新曲のことなんですけど」
私は話し始めます。
カッチョイイゼ!JAPANの発売日は、12月23日。
クリスマスの前日です。
初お披露目は11月7日のドームコンサートです。
それが、最初のテストです。
カッチョイイゼ!JAPANを聞いた観衆が、その後どういう行動を取るか。
コンピューター上では、全て計算されています。
後はそれを実践するだけ。
けれども、これほどコンピューターの発達した現代においては、計算上の結果とのズレをそれほど多くは期待できません。
現実に起こってしまうのです。
この歌が日本に蔓延するのです。
自殺衝動を著しく高めるこの曲が、日本中に。
- 340 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/04/17(日) 18:48
- 自殺と脳との関係はよく知られていることです。
自殺をする人の多くに、セロトニン作動性ニューロンの障害が生じていることは広く知られていることです。
そして、ある種の音が、それを誘発するのなら。
渇望する音が、その音を含むのなら。
と、ここまでは私が推測できることです。
問題はその先でしょう。
何の目的でこんなことをするのか。
そればっかりはデータにもなっていませんし、考えてすぐにわかるというものではありません。
ただ、これもHello Projectと呼ばれる計画の一端であることは確かなことでした。
Hello Projectというものが何を目的としているのか。
それを探るのが最終目的であり、且つそれは極めて高い確率で、実現が望まれるようなものではありませんから。
探るとともに、それを邪魔することも必要です。
それが、Angel Heartsの目的なのですから。
- 341 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/04/17(日) 18:48
- ただ、私はAngel Heartsではありません。
しかし、後藤さんを探してもらうのには、協力するというのが条件でした。
高橋さんは「あんなことになったし、無理にとは言わないけど」と言ってくれていましたが、私は断っています。
それに、こんなことに関わってしまって、今更途中で辞めるなんて、私にはできませんから。
示されたデータを里沙ちゃんはじっと見つめる。
何を考えているのか、私には全然わかりません。
ときおりコーヒーを口に運び、ズズズという音が聞こえます。
決して行儀がよいものではありませんでしたが、初対面の、しかも女の子にそれを言うことはできませんでした。
美貴ちゃんなら、言ったのかもしれません。
美貴ちゃんは今どうしてるんでしょうか?
少なくとも、このことを美貴ちゃんに話すつもりはありませんでした。
だけど、美貴ちゃんがもしも美勇伝の曲を聴いていたなら、早いうちに知らせなければいけません。
知らせるといっても、このことを説明せずに、ただただ聞かないでと言っても、それは無意味です。
美貴ちゃんがそんなことで納得するわけはありません。
- 342 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/04/17(日) 18:48
- 一番良いのは、誰も知らないうちに解決してしまうことです。
例えば、あの喫茶店の茉麻ちゃん。
彼女のことも心配です。
特に、ドームコンサートに行くなら、彼女は最初の実験台とされるのです。
今日は22日ですから、もう猶予はありません。
あと19日。
その間にこの問題を何とかしなければいけません。
「警察に頼むと言うのは無理ですか?」
「この証拠があるならいけるかもしれないけど……」
「けど?」
「できることなら、私達がこの情報を持っているということを余り知られたくないですね」
里沙ちゃんは、コーヒーをくいっと飲み干して立ち上がりました。
- 343 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/04/17(日) 18:49
- 「どういうことですか?」
「手間の問題です。すごく単純に。どんなにデジタルな時代でも、結局は手間の問題になるっていうのは面白いですね。
あさ美ちゃんは…って、あさ美ちゃんって呼んで良いですか?」
「はい。どうぞ」
「ついでにもう敬語やめていい?何か肩こっちゃうんだよねぇ」
肩に手を当てて、顔を少し歪めて言いました。
声色もさっきまでとは全然変わっています。
私は、小さな頃から年上の人に囲まれて育ったので、自然とですます調で話す癖があるかもしれません。
こうやって、思い返しているときもそうです。
色々考えて整理していくには、ですます調の方が自然で、私は好きでした。
「えとね、手間って言うのは単純なものなのね。あさ美ちゃんは頭良いからすぐに計算できると思うけど」
「敬語でなくてかまいませんよ」という私の言葉で、里沙ちゃんは話し始めた。
- 344 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/04/17(日) 18:49
- 「もしさ、このデータを出しちゃったら、あさ美ちゃんがこの事に気づいてるて相手にわかっちゃうじゃん。
向こうにいるかもなんでしょ?あさ美ちゃんがKey masterだって知ってる人が」
「はい」
「そしたらさ、この情報はあさ美ちゃんからっていうのが相手にわかっちゃう。そうするとあさ美ちゃんならどうする?」
「私……ならですか?」
選択肢は二つになります。
私が考え終わったのに気づいたのか、里沙ちゃんは代わりに話し始めます。
「まずは、あさ美ちゃんを殺すことだよね。情報を盗まれるなら、泥棒を殺せばいい。単純な話だよね」
それが、最も単純で確実な方法に違いありません。
けれど、それは高橋さんや里沙ちゃんの手を借りれば、逃れることも出来なくは無いと私は思っています。
寧ろ、そうした場合、相手としては私がどれだけの情報を掴んでいるかわかりません。
すぐに殺せない場合、結局は二つ目の方法を取る必要があります。
- 345 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/04/17(日) 18:49
- 「二つ目は、どう思う?」
「二つ目は、データを全部ネットワークから切り離すことです。
アップフロント傘下の企業なんて山ほどあります。私が仮に一つ一つ探していったとしても、 それに行き着くには膨大な時間がかかります。
でも、相手にとってもそれは手間になります。この時代にネットワークからデータを切り離すことが、どれだけ不便なことかわかっているはずです。
だから、このデータは切り離されていなかった。相手にとっては、その膨大な数から、私がこれに行き着くとは思っていないのですから、万分の一の可能性を無視して、切り離さないのは正しい選択です」
「そう。今回は偶然にあさ美ちゃんがそれを知ったから、たどり着くことが出来たけど、今後はこんなピンポイントに引き当てる情報なんてまず出てこない。
私達はそれを探すために調査はしてるけど、それほどすぐに情報にたどり着けないからね」
後から聞いた話ですが、私の存在によって、飛躍的に捜査進度が上がったことは聞きました。
それは、従来までの証拠を目的とした捜査を突き詰めるよりも、そうした情報を得るための捜査を重視して、後は私の力で証拠となるものを見つけ出すという方法に変わっていったからです。
「だから、これを証拠には出来ないの。少なくともHello Projectが何かわかるまではね」
「じゃあ、どうするんですか?この事実を見てみない振りするんですか?」
「それも違う。でも……」
「でも?」
「このままいくと、最低でもドームコンサートで被害者が出ないと、証拠をあげることが出来ないんだよね」
- 346 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/04/17(日) 18:50
- 「そんなの!」
「わかってる。そんなの絶対ヤダ。いざとなったらドームの爆破予告でもして止めてやるもん……」
会話が途切れました。
どう考えても、コンサートで被害が出たことを理由に、証拠をつかんだ事にする方が楽なのです。
だけど、それは犠牲の上に成り立ってます。
もしかしたら、それが茉麻ちゃんになるのかもしれません。
それは、絶対に嫌です。里沙ちゃんもそれを肯定してくれて、正直ホッとしています。
けれども、私達のその選択は、谷にかかっている橋を自ら壊したのと同じです。
別の方法を、それもあと19日のうちに考えないといけないのです。
- 347 名前:Silent Science 悪魔の辞典19 投稿日:2005/04/17(日) 19:14
- ・12月23日
平成天皇の誕生日ではなくて、もちろん彼女の誕生日。
・これほどコンピューターの発達した現代
コンピューター上で、行っていない実験の予測をたてることは一般に行われていることで。
そういった実験をin silicoと言ったりします。
・11月7日
日曜日の設定です。
とすると、この物語の設定は2055、60、66、77、83、88、94年のどれかということになります。
- 348 名前:Silent Science 悪魔の辞典19 投稿日:2005/04/17(日) 19:15
- ・自殺と脳との関係
精神っていうのも結局は化学反応なんだよフフンって言うのはすごく味気ないですが、事実としてそういう結果なのは寂しいことです。
・セロトニン
トリプトファンから生合成される物質。大部分は末梢に存在し、小腸や(以下略
また、神経伝達物質であり、視床下部や大脳、延髄にも(以下略
要するに、神経伝達に関与するもので、鬱病とかの原因とかになる物質です。
・ズズズという音
スープは音をたてずに、器を持ち上げずに。
お味噌汁は器を持って、音をたててというのがマナーです。
・ドームの爆破予告
刑法第234条の威力業務妨害に相当します。
三年以下の懲役又は50万円以下の罰金を処されます。
- 349 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/04/17(日) 19:23
- >>334
意外と聞いているうちに良くなってきますよねぇ。ってそういう発想から生まれた案でした。
>>335
ま、麻薬ですか…はい、禁断症状がでないように週一以上の定期更新だけは死守していきたいです。
>>336
石川さん可愛そうに…(石川をたってわけじゃないんですがね)
いつまでも麻薬であり続けるようにがんばります(違
- 350 名前:通りすがりの者 投稿日:2005/04/18(月) 10:34
- 更新お疲れさまです。 タイムリミットがあるとかなり緊張感を催しますね。あの人達は一体何者なんでしょうか? 次回更新待ってます。
- 351 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/18(月) 23:30
- セロトニンというよりドーパミンが出っ放しだと思ってました
にしても、あの彼女がそこに絡んでくるか…
- 352 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/04/24(日) 14:16
- 時間が過ぎるのはとても早くて、でもとても遅いものでした。
考えが全く浮かびません。
そう悩んでいるうちは、ひどく時間が遅く感じられます。
けれども、そのゆっくりとした時間は、何の考えも浮かばないままに次々と経過していきます。
どうするべきなのか。
橋を落としてしまったことを、ちょっとした瞬間に後悔してしまいます。
後悔する自分の無力さが嫌でした。
人の犠牲によって得るなんて、そんなことは間違っています。
- 353 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/04/24(日) 14:16
- でも……
力の無い正義は無力と言われます。
このまま、何も思い浮かばないままに当日を迎えたのなら。
本当に、里沙ちゃんが言うように、爆破予告をしてまで止めるという選択を取れるでしょうか?
きっと、できません。
今ならそう思います。
爆破予告をして、それを止めたところで新しい策が思いつくとも考えられません。
期限を先送りにするだけで、状況は何も変わらないのですから。
もしも、相手が実験をすること無しに、発売を行ったのなら、大量の死者が出る事になります。
そうなる前に、少ない犠牲で抑えることができるのなら……
首を振ります。
自分が考えている事に、怖くなってきました。
- 354 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/04/24(日) 14:17
- けれども、何とかしなければと焦れば焦るほど、良案は浮かんできません。
すでに一週間が経とうとしています。
いくら考えても足踏みをしているだけです。
唯一の進歩といえば、曲の解析にようやく着手できたことです。
私にとって専門外のことですから、多くのことはわかりません。
ほとんどが実験のデータをなぞっているだけのことです。
それをすることで、被害を抑える方法を探すには、私自身の知識も時間も全然足りません。
わかっています。何の意味も無いということを。
ただの確認作業です。
それでわかったことといえば、無駄なく設計されているということでしょうか。
理路整然と書かれた証明式のように、無駄がなく、かといって危うさもありません。
少しかじっただけの私が見てもわかるほどに、綺麗なものでした。
- 355 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/04/24(日) 14:17
- れいなではないと、私は思いました。
根拠なんてありません。
ただ、彼女の実験データの解析を私がやることが多かったですから、なんとなくわかります。
彼女は、こうした綺麗なものを作ることはしません。
フェイクや無駄に満ちた、よく言えば遊び心のある方法を取ります。
それが科学的に良いか悪いかは別にして、私の知っている彼女はそうでした。
子どもといってしまえば、小学生の年齢だった彼女ですから、それまでですが。
どちらにせよ、これはれいなが関わっているものではなさそうです。
その結論で何が変わるかと問われれば、私は答えることが出来ません。
事実として私が得たのは、やはり計算通りに物事が起こる可能性が極めて高いということの再認識です。
でも、何かしていなければ、狂ってしまいそうでした。
配られたカードをジッとみていても、ノーペアがロイヤルストレートフラッシュになるわけもありません。
そんなことが出来るのはマジシャンだけです。
カードを捨てて、新しいカードを引かないと、ロイヤルストレートフラッシュになることも、ワンペアになることさえもありえません。
たとえ、全くバラバラのカードであっても。
勝負を投げてしまえばそこで終わってしまいます。
- 356 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/04/24(日) 14:17
- そうなんです。
止まって色々考えていても仕方ありません。
私が今、できることから考えないといけません。
どんな小さなことでもいいです。
一発で解決するような方法を考えなくても、場を動かせることが出来れば、状況は変わってきます。
一発でロイヤルストレートフラッシュを狙わなくても、カードを変えていけば狙えるようになるのです。
今、私ができること。
一つだけありました。
画面に映った画像の人に連絡を取ることです。
- 357 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/04/24(日) 14:17
-
ごめんなさいと心の中で唱えつつ、私は石川さんの携帯のアドレスを調べました。
電話だと、盗聴される恐れがあります。
発信機なんてものまでつけられている彼女です。
でも、メールならば、ただのいたずらメールとして見過ごされる可能性は十分にあります。
私はそれらしいメールを考えました。
私とわかる情報、それには茉麻ちゃんの名前を借りることにしました。
- 358 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/04/24(日) 14:18
-
『初めまして、茉麻と申します。先日は雨の中お世話になりました。
突然のメールで申し訳御座いません。
あなたが悩んでいることに対して、私たちが何かお手伝いできないかと思い、メールさせていただきました。
実は私はお相手を求める女性のサークルを運営しております。
当サークルは経営者等で経済的に余裕がありながらも機会に恵まれず、
男性への援助を通してのお付き合いを求める女性の集まりです。
きっと、あなたの悩みを改善するお手伝いが出来ると思います。
もちろん私的なサークルですので入会というものではなく単にご紹介という形になりますので費用等は必要ありません。
お気を悪くされたら申し訳御座いませんが、もしご興味が御座いましたら、下記のアドレスにアクセスしていただければと思います。』
- 359 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/04/24(日) 14:18
- 我ながら、こんなメールを真剣に書いているのがすごくバカらしくなってきました。
けれども、これならただの出会い系のメールにしか見えないでしょう。
逆に、このメールがすぐに削除される可能性も否定できません。
その時は、また別の方法を考えようと思いましたが、それはどうやら取り越し苦労だったようです。
石川さんからのアクセスが確認できました。
これで接触する機会は作れそうです。
里沙ちゃんにこのことの報告は行うべきか、正直迷いました。
危険だと言われ、反対されるかもしれないからです。
でも、私は今はこれしか方法がないと思います。
それでも、危険なことには変わりありませんから、万が一のために保険だけはかけておくことにします。
保険がかかる事態にならなければいいのですが…
- 360 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/04/24(日) 14:19
-
石川さんの携帯の暗証番号が変わります。
1030、続いて1800
私が指示した方法です。
暗証番号くらい簡単にわかりますので、それを利用した伝達手段です。
明日、10月30日の18時。
スケジュールを確認すると、トーク番組の収録の前でした。
- 361 名前:Silent Science 悪魔の辞典20 投稿日:2005/04/24(日) 14:19
-
・証明式
これほど個性の出る式は無いように思います。
・小学生
ちなみにその時、紺野は年齢的には中学生です。
・ロイヤルストレートフラッシュ
イカサマの代名詞
- 362 名前:Silent Science 悪魔の辞典20 投稿日:2005/04/24(日) 14:21
- ・盗聴
すでにかなり昔の話ですね…
・出会い系のメール
ボー○フォンが唯一得だなと思えること。
本文を参考にして書こうとしているときに限って、メールが来ませんでした。
- 363 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/04/24(日) 14:29
- 微妙な量ですが区切りがいいので…
いつも思いますが、えらく地に足のついた未来設定なのはご愛嬌_| ̄|○
>>350 謎のままキャラだけを増やしていく癖を直したいなと思いました…
>>351 ドパミンも鬱を含む精神疾患に関与しているので、影響はないと断言できません。
ただ、事実としてセロトニン神経変化が、鬱病の自殺患者に高い頻度で共通して起こっているということのようです。
- 364 名前:konkon 投稿日:2005/04/24(日) 22:23
- ぬ〜考えれば考えるほど吸い込まれていきますね。
紺ちゃん視点が多くて嬉しいです♪
次の更新待ってます。
- 365 名前:通りすがりの者 投稿日:2005/04/25(月) 07:09
- 更新お疲れさまです。 かなり難しい単語が多く、理解するのに何かと時間が要しますが、次回更新待たせさせて頂きます。
- 366 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/26(火) 01:13
- 賢い石川さんキャラってそういえば滅多に(ry。
楽しみにしてます。
- 367 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/04/29(金) 02:05
- ◇
TV局というところは、意外とずさんな警備で驚きました。
データを読み出して、偽装のカードキーは作り出していましたが、それ一つで入って行けるような、その程度のものでした。
確かに、多くの人が出入りする施設ですから、カードという共通の鍵を使うことが一番合理的なのかもしれません。
17時40分。
約束の時間より少し早く着きそうです。
私は自動販売機で缶コーヒーを買いました。
普段はミルクなしですが、今日はミルクたっぷりのものにしました。
甘いものが欲しくなったからです。
脳で消費するカロリーは、全体の25%を越えると言われています。
考えることで、脳のカロリー消費が増大するわけではありませんが、エネルギーの不足による脳機能の低下は事実として起こります。
だから、私はミルクたっぷり砂糖たっぷりのものを選びました。
- 368 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/04/29(金) 02:06
- そのコーヒーというよりもコーヒー牛乳のような甘い液体を、私は自動販売機の横にある椅子に座って飲みました。
私の視線の先は、ガラス張りになっていて、東京という街が見えます。
それは、決して一望できるというものではありません。
12階という高さにいますが、いくつものビルがそびえ立ち、視界を塞ぎます。
キラキラと光るソーラーパネルはドレスのようで、差し詰め屋上に広がる緑は帽子といったところでしょうか。
無機質な都会の中に、無理やりねじ込まれた有機物。
それは、決して緑を愛でる為でもなんでもなく、環境保護のアピールのためでしかありません。
二酸化炭素から酸素を作る技術は、確実に進歩しています。
光合成すら機械で代用してしまえるのです。
光合成のために保護された自然は次々に破壊されていき。
緩んだ土壌は保水作用をもつ人工素材、グラファルトによって覆われていきます。
現状としては、世界の植物の50%は既に農作物で占められています。
それも、遺伝子組み換えによって作られた人工的な植物です。
結果、温暖化はスピードは衰えましたが、いまだに確実に進んでいっています。
- 369 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/04/29(金) 02:06
- 今更、止めるものは誰もいません。
人類はこう考えるようになっています。
なくなる前に作る技術を開発すれば問題ない、と。
いつか、人類は地球すら作ってしまうのではないかと、私は恐怖します。
環境保護を訴える人は、確かに存在します。
彼らが常識のある人間だと、私は思います。
けれども、彼らもそうした進歩の恩恵を受けなければ、一日を過ごすことはできません。
動物愛護を訴えておいて、豚肉を食べるのと同じことです。
どっぷりとそれに浸かっている中で、批判をしても無駄なのです。
- 370 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/04/29(金) 02:06
- 17時55分になりました。
少し残ったコーヒー入りの牛乳を飲み干し、私は立ち上がりました。
12階の端。
非常階段への扉の近くにあるトイレに入りました。
クリーム色のタイルを照らすオレンジを帯びた光。
ほのかに香るラベンダーの香り。
さすがに駅や大学のトイレとは違います。
言いようも無い緊張感は、これから石川さんと会うということが原因だけではありませんでした。
緊張をほぐすように、私は手を洗います。
洗うというより、手を冷やしていると言うのが正解です。
蛇口から流れる水が、手の甲に当たって飛び散るのを、私はじっと見ていました。
- 371 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/04/29(金) 02:07
- その時、鏡に人が映ります。
私の後ろを通り過ぎようとした人は、鏡から半分切れ掛かった頃に私に気づきました。
鏡に映る彼女と合った私の目。
「こんばんは」
鏡越しに石川さんはそう言いました。
「こんばんは……」
蛇口を閉め、振り返りながら私は言います。
左肩に掛けた小さなバッグからハンカチを取り出し、手を拭きます。
衣装に着替えているのでしょうか。
青色を基調としたノースリーブに、ピンク色のスカートは膝の上まで。
アップにされた髪は、ラメか何かによってキラキラと光っています。
こうして改めてみると、やはりアイドルだということを実感しました。
石川さんは奥を指差し、首を傾げます。
私は頷き、5つ並んだ一番奥の個室に入りました。
入り口付近では、会話を聞かれる心配がありましたから。
- 372 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/04/29(金) 02:07
- 個室に二人ではいるのは、当然ながら初めての体験でした。
しかし、TV局のそれは比較的広く、二人で入っていても十分に向かい合うことが出来ました。
チョロチョロと、水の流れる音が聞こえます。
普段なら、気にすることも無いのですが、今日はなぜが耳につきました。
「あの……」
いざ、彼女を目の前にすると、どこから何を話していけばいいのかわかりませんでした。
だから、私はまずは自分が調べて事を掻い摘んで話しました。
その半分以上が石川さんから聞いたことですが、事態を改めて整理する意味も込めて話しました。
「それで……このことは他のお二人は知ってらっしゃるんですか?」
「知らないと思います。言えないです、こんなこと……」
「お二人に話して協力してもらうとかできないですかね?」
「言うんですか……」
石川さんは視線を落とします。
- 373 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/04/29(金) 02:08
- そのことで私は気づかされます。
彼女達は、歌手になりたいがために、オーディションに応募し合格して、こうして歌手になっているんです。
それが、ただ単にたまたま条件に合う声だったから選ばれ、自分達が歌うことで人が死んでしまう、なんて事実を突きつけることが、どれだけ彼女達にとって酷なことか。
彼女達も犠牲者なのです。
悪いのはハーモニープロモーションであり、アップフロントです。
それに、もうレコーディングが終わっているのですから……
今更彼女達に歌うのを止めてもらったところで、発売されてしまえば何も変わりません。
コンコン
不意に扉がノックされました。
ビクッとして、私たちは顔を見合わせます。
「梨華ちゃん、いるんでしょ?もうすぐ時間だから、急がないと」
声に聞き覚えがありました。
あの時、喫茶店で聞いたときの声と同じです。
そう、三好さんの声です。
- 374 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/04/29(金) 02:08
- 水を流し、その音にまぎれて私は扉の陰になる位置に移動します。
ドアを開ける石川さん。
そこから私に与えられるのは、聴覚による情報のみでした。
扉の裏で身をすくめ、見つからないように祈るだけでした。
けれども、私の耳に入ってきたのは、ドンという音に続く石川さんの悲鳴。
更には隣のドアが閉まる音でした。
「三好ちゃん……行かないと……」
「いいでしょ?その前にちょっとくらい」
壁を叩く音が数回響きます。
それから、しばらくは水の流れるが邪魔して、よく聞こえません。
時折響く壁に何か当たる音だけで、二人が何をしているか、私にはすぐには想像できませんでした。
- 375 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/04/29(金) 02:08
- 「ひ……ぃあ……やぁ……」
断続的に聞こえ始めるその声が、石川さんのものであるとすぐにはわかりませんでした。
普段からの高い声が、更に高く、悲鳴に近いような声でした。
「や……んっ……ふぁ……三……好ちゃ……やめ……あぅ……」
私は耳を塞ぎました。
ようやく何が起こっているか、理解することが出来ました。
「ねぇ、隣にいる子、誰?」
塞いだ指をすり抜けるように届いた言葉。
冷たいナイフのような声でした。
- 376 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/04/29(金) 02:09
-
「足、下から見えてたんだよね。まだいるんでしょ?隠れてないで出てきたら?」
その声に混じって、石川さんの喘ぐ声が聞こえてきます。
私は、扉の影から出て、隣の個室をノックしました。
鍵は掛かっていませんでした。
扉はそのままスーッと開きました。
まず視界に入ったのは三好さんの横顔。
そして、その次は壁にもたれかかるようにして立っている石川さん。
たくし上げられて露わになった胸と、両手につまんで自ら持ち上げたスカート。
その中へ伸びる三好さんの腕が動くたびに、石川さんの口から、さっきよりもはっきりとした声がもれ出ていました。
- 377 名前:Silent Science 悪魔の辞典21 投稿日:2005/04/29(金) 02:25
- ・脳で消費するカロリー
単位重量当たりの消費カロリーは、筋肉よりもはるかに高いです。
・そのコーヒーというよりもコーヒー牛乳のような甘い液体
イメージとしてはU○Cの缶コーヒー
・グラファルト
grass+アスファルトの造語
- 378 名前:Silent Science 悪魔の辞典21 投稿日:2005/04/29(金) 02:26
- ・動物愛護
動物はitです。
・水の流れる音
音姫。東京の某百貨店のトイレにはついていたのに、大阪にはついてませんでした。
- 379 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/04/29(金) 02:31
- >>364 紺野さんは当分続きそうです…2部は彼女のためのものなので…
>>365 単語(特に専門用語)に関しましては、本筋にかかわる重要語句以外は説明を流しておりますので、適当に流していてください。
>>366 ふと考えてみると、この作品は石川さんだけに留まらず、全体的にキャラが賢い気がしてきました。その点はもうちょっと考えてみます…
- 380 名前:konkon 投稿日:2005/04/30(土) 00:37
- 面白い展開ですね♪
ここから先は紺ちゃんはどうするのか・・・
いろんな意味でめちゃくちゃ楽しみですw
- 381 名前:通りすがりの者 投稿日:2005/04/30(土) 22:56
- ( ̄□ ̄;)・・・。 紺ちゃんは色んな意味で大変な役ですね。 次回更新待ってます。
- 382 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/05/01(日) 01:21
- >>379
個人的にはお姉さんたちが賢いほうがHPKとの対比が分かりやすくて有難い
気もします(kidsの名前が覚束ないだけかも)…
しかし三好さん怖くてかっこいいなー
- 383 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/05/06(金) 23:28
-
「ふぁ……やっ……あぁ……」
耳に入ってくる石川さんの声は、どこか現実とは思えませんでした。
目の前で行われている光景が、目で見る事によってより現実味を失いました。
「何、してるんですか?」
「見てわからないの?」
冷たい目でした。
突き刺さるような目。
どこか人間離れした印象を受けました。
- 384 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/05/06(金) 23:28
-
「どうしてそんなことするんですか?」
「どうして?おもしろいこと聞くのね。梨華ちゃんは嫌がってないでしょ?
それとも……あなたもやって欲しいの?」
「ち、違います」
「そう」と言って、三好さんは石川さんから手を離します。
一歩私に近寄ってくる彼女に、思わず私は一歩下がりました。
「なら、どうしてこんなところで梨華ちゃんと二人でいるの?
梨華ちゃんとするのが目的だったんじゃないの?」
「そ、そんなわけ……」
「ふーん。なら、何してたの?」
言葉に詰まります。
私たちの会話がどこまで聞かれているのか、そもそもおかしいのです。
私たちは十分に外への注意を向けていました。
それにもかかわらず、彼女がドアを叩くまで気づきませんでした。
彼女は知っていたのです。
私たちがここにいることを。
- 385 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/05/06(金) 23:29
-
「答えてくれないなら、梨華ちゃんに聞くけど。ね、梨華ちゃん」
三好さんの視線とともに石川さんを見ます。
先ほどは気づいていませんでしたが、石川さんの表情はとても正常な人間のそれとは思えないものでした。
半開きになった瞳。
長い睫の間から見える黒目に灯った、濁ったような光。
だらりと開けられた口からは、短い息がもれ出ていました。
「膣っていうのはね、薬を吸収しやすい場所なのよ」
「ま、まさか……」
「チップはどこ?」
自白剤なんてものは、正式には存在しません。
ただし、麻酔薬を自白剤として使用することは可能です。
ただ、麻酔薬は素人が上手く使えるものではありません。
自白剤として使用するのは、死の危険が生じる量より十分に少ないです。
けれども、錠剤を膣内投与という方法で行っているのなら、細かな量の調節をすることは不可能です。
- 386 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/05/06(金) 23:30
- 「石川さんを、殺すつもりですか?」
「殺す?梨華ちゃんには死んでもらったら困るから、それは大丈夫。この薬の50%致死量は60mg。この錠剤一個の含有量が10mgで、吸収効率と代謝スピードをどんなに低く見積もっても二錠じゃ死ぬことは無いの」
白い錠剤を掲げながら、半笑いで言ってしまえるような言葉ではありません。
確かに、彼女の言うことが本当ならば、石川さんは死ぬことはありません。
でも、そんなことを問題にしているのではありません。
「あなた、人の命をなんだと思ってるんですか?」
「人の命?だから、死なないって言ってるでしょ?それに、そんなものを気にしてたら歌えない。私たちは、人を殺すために歌ってるんだから」
「知ってるのに……あなたは知ってるのに、どうしてこんなことをするんですか?
あなたのせいで、たくさんの人が死ぬ……そんなことして、あなたは……何も思わないんですか?」
三好さんはすぐには答えませんでした。
その代わりに懐から取り出したのは、銀色に光るナイフでした。
それをゆっくりと、石川さんの方に向けます。
石川さんは声を上げません。
うつろな目でナイフを見ているのかどうかすらわかりませんでした。
私は、その場を動けませんでした。
叫び声一つ出すことが出来ずに、ただナイフの動きを見ていることしかできませんでした。
振りかぶられたナイフ。
私は顔を背け、目を瞑ります。
- 387 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/05/06(金) 23:31
- 「ふふ、あなたにはわかる?こんな人間の気持ちが?」
三好さんの声が聞こえます。
私はゆっくりと目を開きます。
三好さんの足元に垂れる血。
ゆっくりと、少しずつ上へと視線を移していきます。
血は、三好さんの腕からのものでした。
曲げた肘から、ぽたぽたと落ちるそれ。
手首の少し上が真っ赤に染まっていました。
私はそこでようやく悲鳴をあげることが出来ました。
それは決して血を見たからというわけではありません。
血は見慣れています。
だけど、ナイフを持って、自分の腕を傷つける人なんて、見たことがありませんでした。
- 388 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/05/06(金) 23:31
- 「イカレてるって思ってるでしょ?そうだよね、自分で自分を傷つけてるんだからね」
三好さんは何事も無かったかのように、止血を始めます。
気を失わなかったのが奇跡だったと、私は思います。
だから、そんな頭で、目の前で起こっている状況を把握するなんて芸当が、出来るわけもありませんでした。
「蟻の手足をちぎったことあるよね?おもしろいよね?でも、子猫を叩くのって面白くないよね?可愛そうだよね?」
一歩一歩近づいてくる三好さんから逃げようと思いますが、足が動きません。
がくがくと震えているのはわかりますが、自分のものではない様に言うことを聞きません。
「蟻は、鳴かないからね。猫は鳴くけどさ。例えばさ、泣かない人がいたらどうする?
おもちゃだよね?大きなおもちゃ。勝手に動くヌイグルミ。まさしくそうだよね」
「い……いや……来ないで……」
「でも、そのうち化け物扱いされるのよ。まさしく今のあなたみたいにね。散々自分達で酷い扱いしておいて……今度は化け物扱い」
三好さんはそこまで言うと、血のついたナイフをペロリと舐めました。
私は立っていられなくなり、その場に尻餅をつきました。
痛みに続き、ひんやりとした感触がお尻に伝わります。
偶然にも、そのことでほんの少しだけ落ち着けたようにも感じました。
- 389 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/05/06(金) 23:31
- 「あなたにはわかる?私の気持ちが。痛みを感じないだけで、人間扱いされることなく育ってきた私の気持ちが」
突き出されたナイフは、私の目の高さにありました。
痛みを感じない……だから、自分を傷つけることが出来る、そこから導き出される答えは、私の知識では一つだけでした。
「Analgesia……」
「よく知ってるね。そうよ。そのせいで私は人間扱いされたことが無いのよ」
Analgesia……日本語で言うのなら無痛症とでもいうのでしょうか。
生まれもって痛覚が存在しない病気です。
痛覚が存在しないということは、怪我という体の異常を知ることが出来ないのです。
結果、骨折などを頻繁に起こし、そのほとんどが20歳前後で死んでしまうといわれています。
常染色体劣性遺伝の遺伝病であることが知られていますが、極めて珍しい病気です。
有効な治療違法は全くありません。
遺伝病の多くは、生まれてから治療することは困難で、妊娠中に検査が行われてしかるべき措置をとることになります。
つまり、彼女は病院で正式な検査を受けていない子どもになります。
それが意味することは、おおよそ見当がつくことで……
そんな境遇の彼女が受けた扱いについても、その後に彼女が話し始めたことと、私の想像はそれほど大きな違いはありませんでした。
- 390 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/05/06(金) 23:32
- 子どものうちは玩具として。
大人になってからは疎まれる存在として、仲間に入れてもらうことも出来ずに。
もちろん、彼女を擁護する人なんていないのです。
そういった遺伝的な病気を持っている人間が「存在しない」とされる世界において、彼女たちを保護するものはありません。
「存在しない」世界だから、「存在する」彼女は、それだけで私と同じ想像を誰もが容易に働かせることになります。
そして……それを可哀想と思い、助けようとする人間なんて、ゼロに近いのです。
「こんな私を人間扱いしてくれたつんくさんには感謝してる。彼は、私が必要だといってくれた。
しかも、それで私に酷い目を合わせた人間を殺すことが出来るのだから、まさしく一石二鳥だと思わない?」
彼女の言葉に、私は反論することが出来ませんでした。
間違ってることはわかります。
けれど、それは私が間違っていると思っているだけで…
それは彼女の言い分と同じだけのことかもしれません。
わかりません。
自分のやっていることに、自信がなくなってきました。
私の前に差し出される手を、私は見ているしか出来ませんでした。
冷たいと思っていた彼女の目は、近くで見るとどこか寂しそうな目でした。
それがなぜか後藤さんとだぶってしまって。
- 391 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/05/06(金) 23:33
- 口に押し込まれる錠剤を、なされるがままに私は飲み込みました。
一錠、二錠、そして三錠。
「どうして、抵抗しないの?」
「わかりません」
本当にわかりません。
自分がどうしたいのか、わからなくなってきました。
彼女の言い分は、間違ってないのかもしれません。
それが否定できなかったから……
でも……
どうすればいいんですか?
後藤さんならどうしますか?
美貴ちゃんなら……高橋さんなら……
視界がぼやけてきました。
薬が効くにはまだ少し早いはずです。
だとしたら、これは精神的なものでしょうか。
- 392 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/05/06(金) 23:34
-
まるで、ベッドサイドモニタのようです。
血圧や心拍数の変化を逐一刻んでいくそれと……
だとすれば、もうすぐアラームが鳴るでしょう。
指先に力が入らなくなってきました。
そろそろ、お休みの時かもしれません。
私はゆっくり目を閉じました。
- 393 名前:Silent Science 悪魔の辞典22 投稿日:2005/05/07(土) 00:08
- ・麻酔薬を自白剤として使用する
睡眠薬も同様に使用可能です。一番簡単に自白作用を求めるのならお酒です。
・膣内投与
座薬と同じくらい効率がいいです。
反対に、錠剤を口から飲むという行為は、大変吸収効率が悪い方法です。
・50%致死量
投与すれば半数が死ぬ容量です。普通は体重1kg当たりのもので示されますが、ここでは換算済みになっています。
ちなみにテトロドトキシンは約0.01mg/kg。食塩で人を殺すなら、3000mg/kg必要です。
・無痛症
先天性無痛覚症。
痛覚が極端に鈍く、同時に汗もほとんどでない病気。
国内に2〜300人程度の患者がいます。
- 394 名前:Silent Science 悪魔の辞典22 投稿日:2005/05/07(土) 00:09
- ・常染色体劣性遺伝
子どもが金髪になるかならないかというのも同じことです。
・妊娠中に検査
優性保護とも言われかねませんが、現在でもいくつかのケースでは行われています。
・ベッドサイドモニタ
手術シーンでおなじみの、心拍数と血圧を表示している機械です。
数百万円という値段で売られています。
- 395 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/05/07(土) 00:14
- いつも以上に用語が…_| ̄|○
必要なものだけ説明ちゃんと入ってますので、説明無いのは流しといてください…
>>380 他の主役二人がいないので、紺野さん一人に全て掛かっていますので。もっとがんばってもらいます。
>>381 紺野さんにはまだまだ色んなことをしてもらわないといけませんので…
もっともっと大変なことをさせてみたいです
>>382 そうですね、今後の参考にさせていただきます。三好さんは、動いているのをほとんど見たことないので、外見のイメージで決めてみました。
- 396 名前:通りすがりの者 投稿日:2005/05/07(土) 10:44
- 更新お疲れさまです。 こ、紺ちゃんの行方は如何に!? 三好さん、非常に恐いです。 次回更新待ってます。
- 397 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/05/12(木) 00:21
-
intermission(10月16日)
- 398 名前:intermission 投稿日:2005/05/12(木) 00:21
- 「れいな遅ーい」
頬をぷぅっと膨らませながらも、笑みを浮かべるさゆみ。
れいなが近づくと、勢いよく抱きついた。
「ちょっ、さゆ」
さゆみに覆いかぶされるようになったれいなは、必死に抵抗する。
しかし、二人の身長差はれいなの抵抗を無意味なものにしていた。
お昼時の駅前。
待ち合わせする人々は多種多様だったが、そのほとんどが異性を待つ人である。
携帯を操作する男性も、辺りを見回しながら歩き回る女の子も。
壁にもたれて座り込んだ男の子も、本を黙々と読む女性も。
みんな、そうだった。
そんな中、れいなとさゆみは待ち合わせをしていたわけであった。
だが、少なくともさゆみにとっては、恋人を待っているのと等しい時間であった。
- 399 名前:intermission 投稿日:2005/05/12(木) 00:21
- ようやくさゆみから逃れたれいなは、乱れた髪を手ぐしで整える。
その様子が毛づくろいしている猫のようで、さゆみは可愛く思って微笑む。
さゆみは可愛いものが好きだ。
もちろん、自分はとても可愛いから大好きだ。
彼女の行動原理の大部分はそれで説明されるに違いない。
だから、さゆみはれいなが大好きなのだ。
「さゆ、お腹減っとーと?」
「れいなが減ってるなら減ってる」
「何それ?」
うふふとさゆみは笑う。
さゆみがれいなの前以外で笑うことはあまり無い。
だから、れいなの前ではよく笑う。
溜め込んでいた笑いを解放するかのように。
- 400 名前:intermission 投稿日:2005/05/12(木) 00:21
- れいなはお昼ご飯を食べる場所を探して歩き始める。
そんなれいなの左腕に、抱きつくように引っ付こうとするさゆみだが、腕を回した途端にれいなは左手を上に上げた。
「れいなの、意地悪」
「そうやなか……れぃなは、左側に人がいるの好かん」
「どうして?」
さゆみに覗き込まれたれいなは、顔を真っ赤にして横を向いた。
「ねぇ、どうして?どうして左は嫌なの?」
首を色んな方向に向けて、必死に抵抗するれいなだったが、さゆみのほうが身長が高いという事実がある。
例え上を向いたとしても、さゆみから逃れることはできない。
上、下、右、左。
どこを向いてもさゆみの瞳がれいなを逃がさなかった。
- 401 名前:intermission 投稿日:2005/05/12(木) 00:22
- 「ねぇ、なんで嫌いなの?ねぇ、ねぇなんでさゆには教えてくれないの?」
「……左肩、ちょっと痛いけん、右のがよか」
れいなは言った。
もちろん嘘だった。
本当のことなんて、言えなかった。
それは、絵里との約束だったから。
さゆみは「ごめんなさい」と「大丈夫?」を繰り返す。
れいなは、頷いてさゆみの左手を握った。
右側通行だから。
それが本当の理由。
だから、れいなは自分の右側に相手を置く。
自分が車道側になるように。
絵里にそれを話したとき、彼女は言った。
「れいな、それ絶対に絵里だけね」と。
独占欲の強い彼女だから。
嫉妬心の強い彼女だから。
きっと、今二人を見たら絶対に怒るだろうとれいなは思う。
だから、言い訳ではないが、れいなはそういうことにする。
左肩痛いから、さゆみが右側にいるということに。
- 402 名前:intermission 投稿日:2005/05/12(木) 00:22
- 近くのファーストフード店に入る二人。
お昼時ということで、店内は賑わいを見せていた。
さゆみはれいなに自分が欲しいものを告げ、階段を上がっていく。
さゆみの注文を口の中で呟きながら、自分の注文を考える。
れいなは肉が大好きだ。
小さなころからのアメリカ暮らしは、彼女の嗜好を完全に洋風化していた。
特に、いまだに成長期の真っ只中だと自負している彼女にとって、肉は重要な栄養素だ。
しかし、肉だけでない。種々の栄養をサプリメントという形でバランスよく摂取しているのに……
さゆみや絵里に比べると身長を含め、あらゆる所の発育が進んでないように思う。
「れぃなはまだまだ成長期やけん」というのが彼女の密かな口癖だと気づいている人はいない。
一人のときにしか言っていないのだから。
- 403 名前:intermission 投稿日:2005/05/12(木) 00:22
- トレイを持って上へと上がる。
窓際の席に、手を振るさゆみの姿を発見する。
「おまたせ」
「ありがとう」
テーブルの上に置いたトレイから、自分の分とさゆみの分を手早く分ける。
さゆみはれいなの頼んだ品を見て、「それおいしそう」と言う。
それはもちろん、一口頂戴という意味を含んだ言葉であるから。
「食べてよかよ」とれいなは答え、ハンバーガーを差し出す。
ハンバーグの上にチーズと目玉焼きの挟まったもの。
期間限定メニューという言葉につられてしまい、つい買ってしまった物だ。
噛り付くさゆみの姿を、れいなは頬杖をついて見ている。
すごく、自然だった。
休日の昼間に、友達と二人でハンバーガーを食べるなんて。
すごく、自然なことのはずだった。
- 404 名前:intermission 投稿日:2005/05/12(木) 00:23
- けれど、れいなはそれが、よく似合ってるなと思ってしまう。
それは、彼女たちがそういったことを日常的に行えないからである。
「そう言えば、紺野さんさ」
さゆみの言葉が一気に二人を現実に引き戻す。
こうしてこんなところで、ハンバーガーを食べて和んでいる姿は、自分たちには似つかわしくないものだと、認識させられる。
さゆみはAngel Heartsとして。
れいなはアップフロントとして。
ひとたびここを離れれば、それぞれ全く違うものに所属している。
ただ、違うのは所属だけで、さゆみもアップフロント側の人間ということだ。
彼女の行動原理が、他の人間と違う点があるとするのなら。
それは、アップフロントのためではなく、れいなが好きだから一緒にいるという点だった。
- 405 名前:intermission 投稿日:2005/05/12(木) 00:23
- 「お姉ちゃんがこれからも協力してもらうって言ってたよ」
「そ、ありがと」
「それだけ?ねぇ?紺野さん、すごいよ。何かわからないけど、色んなことできるみたいなの」
「わかっちょる。やけん、紺ちゃん一人やと何もできん。データはそんままにしとくけん」
「ふーん、そうなんだ」
さゆみが少し不満そうに言う。
それは、紺野のことをれいなが理解していることに対する、嫉妬だった。
れいなはそれには気づかない。
彼女の頭では計算が行われていたのだから。
紺野がHello Projectの残りの計画を突き詰める可能性なんて、万分の一の確率でしかなかった。
人を作り、人を変え、人を殺す。
この3つの柱で成り立つこの計画の一端を知ったからといって、全体像を知ることなんて出来ない。
全体像は、彼女と、もう一人頭の中にしかないのだから。
スーパーコンピューターがどんなに発達した現代においても、自分たちの脳が一番信頼できるコンピューターであると、れいなともう一人の人物は知っている。
しかし、れいなは紺野には興味が十分にあった。
Key masterとしての彼女にも、そして紺野あさ美としての彼女にも。
- 406 名前:intermission 投稿日:2005/05/12(木) 00:24
- ハンバーガーを返すさゆみの口元に、ソースがついていることを、れいなは自分の口元に指を当てることで知らせる。
それから、二人は食べ終えるまで、再び他愛もない話をし、それからぶらぶらとショッピングを楽しむ。
そうして、二人が15歳の子どもに戻る時間は過ぎていった。
シンデレラは12時の鐘で魔法が解けてしまう。
彼女達にかかった魔法は、日が暮れるとともに解けてしまうのだ。
半そででは少し肌寒くなった夜の風に当たりながら、二人は駅に向かって無言で歩いた。
昼間の喧騒とは、打って変わった落ち着きをみせる駅前。
まばらに駅から歩いてくる人々に対し、駅へ向かって歩いているのは二人だけだった。
「次、いつ会える?」
改札までたどり着くと、さゆみがようやく口を開いた。
「また、連絡するけん」
「そんなの、やだ。次、教えて」
「そげんこと言っても、れぃなも予定が色々変わるっちゃ。当日になって無理って言ったら、さゆに悪いけん」
「ふーん……絵里にはいつ会うの?」
「さゆに言うことじゃなか」
つないでいたさゆみの手が、れいなから離れた。
- 407 名前:intermission 投稿日:2005/05/12(木) 00:24
- 「さゆ?」
「れぃなは、絵里のこと好きなんだね」
「……好いとぅよ」
「さゆは、れいなのこと好きだよ」
「わかっちょる」
「れいなは、絵里とさゆのどっちが好き?」
「そんなこと……わからん。二人とも、大事な友達やけん」
そこで、会話は止まった。
「帰るね」とも言わずに、改札をくぐるさゆみ。
「バイバイ」も「またね」も言えずにそれを見ているだけのれいな。
さゆみの姿が消えてから、れいなはようやく携帯を取り出し、メールを打ち始める。
『さゆ、今日はありがとう。また今度ね』と。
- 408 名前:intermission 投稿日:2005/05/12(木) 00:24
-
intermission(10月16日) 完
- 409 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/05/12(木) 00:28
- 少し本編とはなれる感じで、軽く息抜き程度に。
久々にCPを書くとなんか楽しいです。
次から本編に戻ります。
辞典は時間がないので後日に。
>>396 紺野さんはお休み中ですので、番外編を。三好さん、ものすごく危ない人になってしまってます。でも、彼女を書くのは楽しいです(爆
- 410 名前:通りすがりの者 投稿日:2005/05/13(金) 21:55
- 更新お疲れさまです。 田中ちゃん全部知ってて・・・。 さゆ切ないです、やっぱり(ry 次回が凄く気になります、更新待ってます。
- 411 名前:konkon 投稿日:2005/05/17(火) 12:58
- まったりさゆれなもいいですね〜。
紺ちゃんとれいながどうなるのかが楽しみです。
- 412 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/05/20(金) 01:44
- ◇
背後で数度の銃声が鳴りました。
私は、無我夢中で薄暗い廊下を走っています。
少しかび臭さを感じるここは、いったいどこなのでしょうか。
私の知っているどの建物とも似ていて、でもそれのいずれでもありません。
目の前に現れた扉。
重い鉄の扉がギィィと音を立てて開きます。
私はその中へ入ると、全体重をかけて扉を閉めます。
鉄の響く音がし、扉が閉まりました。
そうして、私が一息ついたとき、突然頭に何かが突きつけられました。
冷たい棒のようなもの。
それが銃だとなぜか私はわかりました。
- 413 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/05/20(金) 01:45
- 「あんたのボスは?」
問われた内容よりも、その声に私は反応しました。
その声を聞き間違えるわけがありません。
ゆっくりと視線を上に移動させると、はっきりと後藤さんの顔が見えました。
「後藤さん、私です、紺野です」
笑顔でそう答えた私に向けて、後藤さんは言葉を返しませんでした。
代わりに引き金にかかる指がゆっくりと動きます。
見えてはいませんが、私にはそれがわかりました。
パン
- 414 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/05/20(金) 01:45
-
「後藤さん!」
起き上がった私は、すぐにそれが夢だとわかりました。
それでも、頭に残る鈍い感覚が、どこかそれをただの夢だとは思わせず、自分を落ち着かせるようにゆっくりと息を吸いました。
吸気とともにゆっくりと脳に酸素がいきわたり、それと入れ替わるようによどんだ空気を呼気として吐き出します。
背中に回された両の手首が動きません。
手だけでなく、足もでした。
薄暗い部屋の中、無造作に転がされたという表現がぴったりのカバンが3個。
壁に掛けられた上着と、その隣に映る私の顔。
自分の頬にべっとりと付いている黒い染みのようなものが見えます。
血が乾いたものでしょう。
間違いなく、三好さんの。
部屋に時計が見当たりませんので、今が何時なのかわかりません。
携帯がポケットにあることは、感触でわかっていますが、取り出すことが出来ません。
- 415 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/05/20(金) 01:45
- それよりも、ここはどこなんでしょうか。
私はTV局のトイレにいたはずです。
3つのカバンがあることと、掛かった上着が女物であることからも、楽屋という可能性が一番高いかもしれません。
だとするなら、今は収録中ということになります。
その時でした。
乱暴にノブを回す音が数度聞こえ、一度収まったかと思うと、大きな金属音が一度した後に、ドアがゆっくりと開きました。
とっさに身を隠す場所を探しましたが、この部屋にそんなものはありませんし、あったとしても私はすぐに隠れることはできません。
三好さんが誰かに連絡をして、私を処理しに来たのかもしれません。
やけにゆっくりと開くドアが、言いようもない不気味さを醸し出していました。
ゆっくりと顔の半分だけが見えます。
手に持っているのは銃です。
構えながら半身で覗き込むその人が誰か、私は瞬時にはわかりませんでした。
- 416 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/05/20(金) 01:45
- 「あさ美ちゃん、一人?」
掛けられた声で、私は止めていた息を吐き出しました。
それとともに全身の力が抜け、持ち上げていた頭を床に打ち付けました。
「……里沙ちゃんかぁ」
「里沙ちゃんじゃない!」
ゆっくりと今度はドアに向けて銃を構えながら、里沙ちゃんの背中がこっちに向かってきます。
「もう、二度とこんな勝手なことしないでよ」
「ごめんなさい」
銃を右手で持ったまま、懐から取り出した短いナイフで私を縛る紐を切っていきます。
「メール見て、びっくりして飛んできたんだから」
「ごめん。でもね…」
「でもじゃない。とにかくこっから出よう。もう収録は終わりそうだから」
両足についで、両手の自由を取り戻します。
手首にしっかりと付いた紐の形を見る私の頬に、ひんやりとした感触がつたいます。
- 417 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/05/20(金) 01:46
- 「血、だね。怪我はしてないよね?」
湿らせたハンカチで、私の顔についた血をふき取ってくれる里沙ちゃん。
私は頷くだけでした。
それと共に、記憶の中から三好さんの姿を思い出し、身震いをしました。
里沙ちゃんに手を取られ、立ち上がります。
一歩踏み出そうとしたとき、目の前の景色が回ります。
里沙ちゃんにもたれかかるように、私はなんとか倒れないように踏ん張ります。
「だ、大丈夫?」
立ちくらみというより眩暈に近いものでした。
私をつつむ気だるさは、全身に鉛でもついているかのようでした。
目を一度閉じ、頬を軽く自分で叩いてから、私は「大丈夫」と答えました。
まだどこかはっきりとしない頭でしたが、里沙ちゃんにこれ以上迷惑を掛けるわけにもいきませんから。
- 418 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/05/20(金) 01:46
- 心配そうに私の顔を覗き込む里沙ちゃんの手を、逆に私が引っ張るようにして部屋を出ようと、ノブに手を掛けようとしたとき、自動的にドアが開きます。
開かれたドアに私は手を打ちつけ、小さく悲鳴を上げました。
その横で、里沙ちゃんの行動は早いものでした。
私の手を引くと、入れ違うように銃を構えた手をドアのところに立つ人影に向けます。
銃を向けられた彼女は悲鳴一つ上げません。
全く恐れる様子もなく、私と里沙ちゃんを交互に見ました。
「お仲間ですか」
やれやれといった風に両手を天井に向けて広げる三好さん。
一歩踏み出すかのじょのに、里沙ちゃんは逆に一歩下がりました。
「残念ですが、ここから出ていただくわけにはいきません」
「嫌だといったら?丸腰で銃を持ってる私たちを止められると思って?」
「銃を持って強がっても無駄ですよ。私は銃なんてこれっぽちも怖くないですから」
そこには嘘も強がりも微塵もなく、里沙ちゃんもそれを感じ取ったのか、更にもう一歩下がります。
一向に銃に視線すら向けることもありません。
いくら痛みを感じないからといっても、当たれば死ぬ可能性は十分すぎるほどあります。
痛みを感じなくても、死んでしまうのです。
けれども、彼女には、その恐怖すらないようでした。
異常ともいえる彼女の雰囲気に、私の手を握る里沙ちゃんに力が入ります。
- 419 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/05/20(金) 01:47
- 無痛症とかそういったレベルではありません。
生きることを放棄したような彼女の存在。
だからこそ、人を殺すことに何のためらいも無いのかもしないと、私は思いました。
「梨華ちゃん、唯ちゃん、入りなよ。お客さんが一人増えてるけど」
呼び声に答えるようにドアから姿を見せる二人。
唯ちゃんと呼ばれたのは、岡田唯さんです。
私はまだ出会ったことの無い人ですが、消去法で簡単にドアから首だけ出している人がそれだとわかります。
三好さんとは対照的に、里沙ちゃんの手の中にある銃に気づき、悲鳴を上げました。
石川さんも同じです。
ドアにしがみつくように身を隠し、二人とも部屋の中には入ってこようとしませんでした。
「入りなって」
無理やり腕をつかみ、三好さんは岡田さんを自分の前にもってきます。
そして、里沙ちゃんに向かって岡田さんを思い切り押します。
反射的に私から手を離し、それを受け止めようとする里沙ちゃん。
その無防備になった時に、三好さんは素早く里沙ちゃんの右手を蹴り上げました。
宙に舞う銃。
しかし、里沙ちゃんもただの女の子ではありません。
受け止めた岡田さんをすぐに横に流し、反転して銃を取ろうとする三好さんの腕をつかみます。
そのまま、彼女の懐に潜り、担ぎ上げます。
左手と右手で相手の腕を取り、肩越しに投げる。
柔道というものをほとんど見たことが無い素人の私でも、それが何かわかります。
一本背負いと呼ばれる技です。
- 420 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/05/20(金) 01:47
- ドンという音とともに、仰向けに倒れる三好さん。
そのまま三好さんの手首を放さずに引っ張って体を起こさせ、彼女の背中に回して押し付けます。
腕が完全に決まっていました。
「あさ美ちゃん、銃拾って」
鮮やか過ぎる技に見とれていた私は、その言葉でようやく我に返り、銃を探します。
岡田さんと石川さんの間にありました。
手を伸ばす私より先に、それに手が触れました。
そして銃口が私に向けられます。
銃を持つのは岡田さん。
まるで振り子のように大きく震える彼女の腕により、私の右手と左手の間を銃口は往復していました。
- 421 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/05/20(金) 02:10
- 辞典はもう少し貯まってから一括で…
>>410 たまにはCPもいいものかと。れいなが優柔不断すぎるのも問題ですが…
>>411 本編がつまり気味なので、息抜きのまったりをまた入れるかもしれません。というわけで本編に戻って紺野さん……なんか大変です
- 422 名前:通りすがりの者 投稿日:2005/05/20(金) 21:45
- 更新お疲れさまです。 ガキさんかっこよく決まりましたねぇ。 でも紺ちゃんの危険は強まるばかりで、かなりヤバめな模様。 ごっちん・・・。 次回更新待ってます。
- 423 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/05/27(金) 01:53
- 「絵里香ちゃんを放してください」
震える声はとても弱々しいものでした。
母親に怒られている子どもが最後に言う「ごめんなさい」のような。
命令とはとても思えないものでした。
銃は私の1mほど前をいまだにゆっくりと動いています。
今では手の震えが縦方向にも至り、何かの拍子で引き金を引いてしまうのではないかと思うほどでした。
里沙ちゃんは三好さんを離そうともしません。
痛みを感じていない彼女は、苦悶の声を出すことはしませんが、関節をとられているので、動くことも出来ません。
「唯ちゃん、危ないよ……止めようよ」
「絵里香ちゃんを、離してください」
石川さんの制止の声も聞かずに、今度は叫ぶように言いました。
目には涙が溜まっています。
私も、泣きそうでした。
怖かったのです。
岡田さんが打てるはずもないと思っていました。
でも、それでも恐怖ですら出せませんでした。
- 424 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/05/27(金) 01:53
- 以前に銃を向けられて時。
そう、松浦さんの時はそれほどの恐怖を感じなかったのに…
その違いはわかっています。
後藤さんがいるか、いないかということです。
里沙ちゃんには申し訳ないのですが、この時は彼女なら絶対に何とかしてくれるという気持ちにはなりませんでした。
いえ、たぶん高橋さんでもダメなんです。
後藤さんでないと、後藤さんでないと、私は安心できなかったに違いないです。
部屋に変な音が響いたのはそんな時でした。
鈍い、つまったような、なんとも形容しがたい音です。
ただ、後になってわかるのは、それが骨の折れた音であるということでした。
里沙ちゃんの驚く声が聞こえます。
自由を得るために犠牲になった左腕。
左腕を折ることで自由を得るなんて、馬鹿げています。
- 425 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/05/27(金) 01:53
- 里沙ちゃんから解放された三好さんは、腹部に向けて思い切り膝を蹴り上げました。
いくら初心者と有段者といっても、不意打ちでは避ける術はありません。
ましてや、通常ならありえない方法で行われたそれならば、特にです。
「唯ちゃん」
延ばした右手が銃をつかもうとしたところで、なんとか体勢を立て直した里沙ちゃんの足が、それを蹴り上げます。
回転しながら宙に舞うそれの軌道を、私は見ていることしか出来ません。
足が少しも動かないのです。
岡田さんを越え、石川さんの後ろに落ちるそれ。
恐る恐るといった風にそれを手に取る石川さんに、飛び掛るように三好さんと里沙ちゃんがもつれ合って向かいます。
この場で唯一の、そして最大の道具は銃です。
だから、それを手にしようとする二人は間違っていませんでした。
しかし、二人とも大事なことを忘れています。
銃は、たとえ子どもや女の子でも、訓練を受けた大人を簡単に殺せる道具であるということを。
- 426 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/05/27(金) 01:54
- 悲鳴とともに、連続した銃声が聞こえました。
私は頭を抱えてその場に伏せます。
銃声が収まるまでの数秒間がとても長く感じました。
ギュッと目を閉じ、ただただ体を小さくさせることだけ。
何も感じられませんでした
銃声が止んだとき、ゆっくりと自分の四肢を伸ばしていきます。
右手、右足、左足、左手。
痛みの無いことを確認しながら立ち上がります。
それからゆっくりと自分の胴体を観察し、打たれていないことを確認しました。
確認が終わると、緊張が解けて一気に汗が噴出しました。
それから、ようやく銃声の方向に視線を移します。
泣き声が聞こえます。
座り込む石川さんが、泣いているとわかりました。
銃は両手で持ったまま、足の間にあります。
里沙ちゃんの持っていた銃は、フル・オートマティックでした。
つまり、引き金を引いたままだと、連続的に銃弾が発射されてしまうのです。
鬼気迫る勢いで向かってくる二人に対し、恐怖心から咄嗟に引き金を引いてしまった石川さん。
打った反動でぶれる銃を押さえようと力を込めれば、引き金を引いたままになってしまいます。
そうして、全ての弾を撃ちつくしました。
- 427 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/05/27(金) 01:54
- 8発の銃弾のほとんどは、正面にいた三好さんの体へと。
里沙ちゃんは少しかすった程度でした。
岡田さんは、倒れてはいますが位置的に銃弾を受けているようには思えません。
気絶をしているのでしょうか。
里沙ちゃんは立ち上がり、ジッと石川さんを見ています。
「里沙……ちゃん」
「……あぁ」
背中を向けたまま、それだけ聞こえました。
そのとき、私はどうしたらいいかわかりませんでした。
里沙ちゃんも同じです。
少し考えれば、銃声を聞きつけて人がやってくるであろうこと、三好さんのために救急車を呼ばなければいけないことといった風に、いくつものことは浮かんだはずです。
しかし、完全に私たちは動きを止めていました。
- 428 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/05/27(金) 01:54
- 部屋に立ち込める硝煙の匂いに、ようやく気づきました。
少しずつ五感を感じ取る余裕がでてきたのかもしれません。
規則正しく動く里沙ちゃんの肩。
彼女がどんな表情をしているのか、私にはわかりません。
すすり泣く声だけ、変わらずに聞こえます。
人が死んでいるという感覚は、もてませんでした。
まだ、どこか夢じゃないかと思っている部分があるのかもしれません。
いずれにせよ、私たちが動くことが出来たのは、ゆっくりとドアが開かれ、目の前に現れた茶髪の眼鏡をかけた女性の姿を見てからでした。
- 429 名前:Silent Science 悪魔の辞典23 投稿日:2005/05/27(金) 01:56
- ・ハンバーグの上にチーズと目玉焼きの挟まったもの
チーズ月見○ーガー
・右側に相手を置く
利き腕をフリーにする方が、二人の関係で主導権を握っているとか、あるあ○でやってました。
この場合、右側に相手を置く=利き腕をあけないので、道重が主導権を握っているということですね。
・スーパーコンピューターがどんなに発達した現代
女の子のニュアンスは割り出せません
- 430 名前:Silent Science 悪魔の辞典23 投稿日:2005/05/27(金) 02:02
- ・消去法
ヤマカンとのコンビネーションは、選択問題でのみ絶大な威力を発揮する解法となります。
・フル・オートマティック
フルオート。引き金を引いている間中、次々と弾丸が発射される自動拳銃。
- 431 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/05/27(金) 02:04
- 少しだけですが……
>>422 たまにはガキさんにも見せ場が欲しいなと思いました。いろんなキャラの見せ場がある話にできれば、一番理想なんですがねぇ
- 432 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/05/27(金) 03:13
- 3週間ぶりにネット環境に復帰したので、その間の分一気に読ませていただきました。
いやあ面白い。特に三好さんは楽しみだなあって………、あれ?
- 433 名前:通りすがりの者 投稿日:2005/05/27(金) 09:45
- 更新お疲れさまです。 かなり危機迫るものを感じます。 三好サンの行く末も気になりますがあの人は・・・? 次回更新待ってます。
- 434 名前:konkon 投稿日:2005/05/28(土) 17:08
- ぬぅ、またもやすごい展開に・・・。
紺ちゃんがごっちんをどれだけ信頼しているか、
よくわかりますね〜。
次の更新楽しみにしてます。
- 435 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/05/29(日) 03:50
- 別段に驚いた様子もなく、入ってきた女性は私たちを見ました。
まるで、こうなっていることがわかっていたかのように。
彼女は石川さんに近づき、両手から銃をほどき解くように取り上げます。
「ベレッタのこんな型を見たのは初めてだわ。特注品?」
「……」
「質問に答えて?この銃がAngel Heartsの支給品だってことくらい、私は知ってるんだから」
「あなたは誰?」
「私は、村田めぐみ。アップフロントとハーモニープロダクションの間を行ったりきたりしてる人間」
アップフロントという言葉に、私の中で再び緊張感が生まれます。
もちろん、里沙ちゃんも同じです。
グッと拳が握られるのが見えました。
「別に、争いに来たわけじゃないのよ。ちょっとした取引をしようと思っただけ」
そう言って銃を下手で投げます。
- 436 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/05/29(日) 03:50
- 「取引?」
銃を上手くキャッチした里沙ちゃん。
その言い方は、絶対に取引なんてしたくないという意思が如実に現れていました。
もちろん、村田さんもそれに気づいているようで、「聞くだけでも聞いてみて」と言って話し始めました。
取引の条件は単純明快でした。
石川さんと岡田さんの身柄をアップフロントに渡す。
その代わり、美勇伝の新曲の発売を行わない。
たったそれだけのこと。どう考えても、こちらに有利すぎる取引でした。
三好さんは?という私の問いかけに、彼女はなんでもないように答えました。
もう助からない、と。
無痛症の人間は、銃で撃たれても痛みを感じることはありません。
なのに、彼女は起き上がろうともしません。
つまり、もう起き上がることができないのです。
そんな状態の人間はもう手遅れだと。
- 437 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/05/29(日) 03:51
- 三好さんが死んでいるのなら、美勇伝として今後活動していくことは不可能です。
そう考えれば、新曲の発売は行わないのではなくて、行えないのではないでしょうか?
だとすれば、アップフロントは石川さんと岡田さんを残したままで、また別の人材を探してくるのかもしれません。
結局、遅かれ早かれ、同じ事態に戻ってしまう可能性があります。
けれども、ここで遺作という形で発売が行われてしまえば……
彼らにしては、コンサートというサンプリングの段階が一度飛んでしまうだけで、結局は目的を達成できてしまいます。
それに、音源はコピーが可能です。
実際に私は音源を持っているのですから……
「どうして、その二人にこだわるの?」
里沙ちゃんが問いかけました。
- 438 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/05/29(日) 03:51
- 「私としては、どっちでもいいんです。でも、上が気に入ってるんですよ。彼女を。ぜひぜひ手元に置いておきたいってね」
「発売しないというのはどうやって証明するの?」
「それは信じてもらうしか……」
「ふざけないで!そんな口約束、信じられると思うの?」
「ですよねぇ?でも、上がね、そう言ってるから私としてはそれしか言えないんですよね」
違和感がありました。
彼女の言っていることが嘘だとは思いませんが、どこかズレた印象を抱きました。
すごく、子どもじみた、バカみたいな言い分です。
でも、全く真意が読めません。
それが計算によるものなのか、それともただの子どもなだけか。
そういったやり取りをした経験は、過去に数回あります。
美貴ちゃんと、後藤さんと。
そして、れいなともありました。
そう、『上』です。
彼女の言う『上』がれいななら。
彼女ならこんなことを言うかもしれません。
- 439 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/05/29(日) 03:51
- 計算されているようで、実は単純にそうやりたかっただけという感情論で片付けられてしまうこと。
そういったときの彼女は、ひどく非論理的で。
逆にそれを彼女が言うから、周りが深読みして勝手に納得してしまうような。
そう、今の交渉のような印象です。
だとしたら、れいなは単純に石川さんや岡田さんが好きなだけで、それを手に入れたいからもう新曲の発売はいいやと思っているかもしれません。
「里沙ちゃん、受けましょう」
「え?何言ってるの?」
「石川さんたちがいなくても、結局新曲が発売されてしまえば同じ。それに、石川さんたちはたぶんアップフロントのことを何も知りません。
彼女が知っていることの大部分は私に話してくれたことでしょうし……
後、約束はたぶん守ってもらえますよ。れいなは、そういうところ意外と固いんです」
「でも……」
「その子の言ってる事は間違ってないと思うよ。少なくとも、私たちにとって石川と岡田がいても、大して得にならないし、そっちが持ってても損はない。
でも、上が固執してるんだったら、結局は脅迫になると思うよ。新曲の放送を止めることと、二人の身柄の引きかえを。
そうなって大事になるの面倒でしょ?少なくとも私は面倒だから嫌なの。そうなったら働かされるのは下っ端の私たちだもん」
- 440 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/05/29(日) 03:51
- どの言葉が決め手になったかはわかりません。
けれども、最終的に里沙ちゃんはイエスという答えを出しました。
三好さんを含め、美勇伝の3人は後から入ってきた男の人たちに運ばれていきました。
岡田さんは目を覚ましましたが、状況をよく把握できないままに。
石川さんは変わらずに焦点の合わない目で、担がれて運ばれていきました。
だらりと力なく伸びた手は、まるで死人のようでした。
仰向けにされた三好さんの体には、数箇所赤く染まっていました。
一発は目のすぐ横に当たっており、それがおそらく致命傷となったのでしょう。
痛みを感じていないせいか苦しんでいるような表情ではありませんでした。
彼らが出て行くのに続くように、私たちもTV局をでました。
銃声のことは、さして大事にはなっていませんでした。
その辺りがアップフロントの力なのでしょうか。
私が上がってきた所とはまた別のフロアに入り、そこからエレベーターで駐車場に戻りました。
人が全く通らないことから、VIP用か何かだったのでしょう。
駐車場で車に乗り込もうとする村田さんは、扉を開けたところで手を止め、私たちに向かって手を振りました。
つられて手を振る私とは反対に、里沙ちゃんは無視して、すぐに背中を向けて車を探し始めました。
- 441 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/05/29(日) 03:52
- それから、何事もなく時間は過ぎていました。
美誘伝のコンサートが突然の中止になったこと。
突然の活動休止が発表されたこと。
それらの出来事は、インターネットを通じて知ることは出来ました。
反響の大きさという面では、トップアイドルのそれに等しいものだったのでしょう。
私はトップアイドルがこういう事態になったときのことを知らないのでわかりませんが、音のトリックがあったとはいえ、彼女たちはまぎれもなくトップアイドルでしたから、当然のことかもしれません。
ぶらっと7日にあの喫茶店に立ち寄ってみました。
あの時、咄嗟に入ったところでしたので、裏道を最初から両端を確認しながら歩いていくことで発見しました。
ドアを開けると、以前と同じコーヒーの香りが鼻をくすぐります。
「いらっしゃいませ」という声は、茉麻ちゃんではなく、店長の男性の声でした。
「ホットコーヒー1つください」
私は注文を告げて、カウンターの一番奥に座りました。
私以外にお客さんはいませんでした。茉麻ちゃんもいないため、私と店長らしき人と二人きりでした。
カップ同士が打ち合う音に続き、お湯を注ぐ音。
次いで、苦味すら覚えるほどに一段と濃いコーヒーの香りがしました。
- 442 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/05/29(日) 03:52
- 「お待たせしました」
音もなく差し出されたコーヒー。
私は軽く頭を下げました。
少量の砂糖とミルクを入れ、スプーンでかき混ぜます。
陶器と金属の打ち合う小刻み良い音は、私は好きでした。
店内が明るく見えたのは、時間帯のせいではなく、外が晴れているせいでしょう。
ゆっくりとコーヒーを口に運びます。
店長さんは、私を視界の端に収めながら、窓の外の通りを見ていました。
「あの……」
「はい?」
「茉麻ちゃん、今日はいないんですか?」
一瞬、驚いた顔をしましたが、私の言っている意味がわかったのか、「あぁ」と店長さんは言いました。
「茉麻は、今日は友達と遊びに出てるんですよ。本当はコンサートに行く予定だったんですけどねぇ。
知ってますか?美勇伝って。この間解散したとかで、今日のコンサートが中止になったんですよね」
解散ではなく活動休止でしたが、そこに大した違いはないと思い、私は相槌を打ちながら、話を聞いていました。
- 443 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/05/29(日) 03:52
- 「それで、あの子、ひどく泣いてねぇ。この間、この店にその美勇伝の人が来たらしいんですよね。
石川さんとかいったかな。その時にもらったサインを、あの子がすごく喜んでいたから覚えているんですが……」
はい。それは知ってます。私もその時にいたのですから。
でも、そのことは言いませんでした。
それを知らせる事に意味は無いことですから。
「それで、今日は代わりにあの子が行きたがっていたディズニーランドに行っているんですよ。
丁度、コンサートを一緒に行こうと言っていた友達と4人で行ってます」
ディズニーランドに私は行った事がありません。
アルバイトのお兄さんが中に入っているような着ぐるみと写真を撮って喜ぶことは、私にはちょっとできません。
一度、後藤さんとTVを見ていたときにそんな会話をしたようにも思います。
- 444 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/05/29(日) 03:53
- 「紺野って、夢が無いね」
私の言葉に、後藤さんはそうコメントしました。
「後藤さんは、行きたいですか?」
「ううん。別に」
「どうしてですか?」
「人が多いから」
「後藤さんは、年寄りっぽいですよ」
「ん、そうかもねぇ」
何ともいえない笑顔で、後藤さんがそう言いました。
怒られるかなと思っていた私は、少し拍子抜けしたのを覚えています。
「えっと、あなたは茉麻の友達ですか?」
「え、いや……あ……え、そう、そうです」
「そうですか。すいませんね」
「いえ、いいです」
私は残ったコーヒーを一気に飲み干し、お店を出ました。
そういえば、あの日も私はコーヒーを急いで飲んでた気がします。
今度来るときは、ゆっくり飲みたいですね。
そうですね、次の時は、後藤さんと一緒に。
- 445 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/05/29(日) 04:01
- 前回少しだけだったので、早いうちに。
二部、そろそろおしまいです。
外伝みたいなものを一個はさんで、6月中には三部に行きたいですね。
>>432 三好さん……またでてくるかも…知れません…かもですが……
>>433 いい加減紺野さんの一人舞台が長いので……あの人の出番をほんの少しだけつけてみました
>>434 完全に忘れ去られていますが、こんごまですので。それを主張していきたいですねぇ
- 446 名前:通りすがりの者 投稿日:2005/05/29(日) 19:48
- 更新お疲れさまです。 うぁーなんとか一段落って感じですね。 三好サン・・・どうなんでしょう? ごっちんの行方はいつ? 次回更新待ってます。
- 447 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/05(日) 00:50
- あぁこんなに早くし更新していただいてるとはつゆ知らず。
外伝と第三部も期待してます。
村さんはきっと三好さんを上回る悪役になる…かな?
- 448 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/06/07(火) 02:16
- ◇
「ふぅ」
私は大きく息を吐く。
数日掛けて記録したこの内容は、最後の一文のせいで、後藤さんには見せれそうにないですね。
後藤さんに見せるときは最後の部分だけ消す事にしましょう。
席を立ち、コーヒーをセットします。
これは、アメリカから帰ってくるときにもらったものです。
サイフォン式のコーヒーメーカーなんて、手間が掛かるだけでレトロなものですが、密かに愛用しています。
手間を考えれば、インスタントコーヒーや缶コーヒーの方が簡単で、味も大差ないのですが、これでいれると一段とおいしく感じるので、私はこれを使っています。
カップに水といれ、フィルターをセットします。
このフィルターが普通の店では売っていないので、いつもコーヒーの専門店まで足を運ばなければいけません。
フィルターの上にスプーン一杯のコーヒーを置き、スイッチオン。
待ち時間の間に私はパソコンの前に戻ってきます。
一通のメールが届いていました。
差出人のアドレスに覚えはありません。
普段ならそれで開くことなく消去するのですが、件名が気になり、私は開きました。
- 449 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/06/07(火) 02:16
- 石川梨華の近況報告
そう題されたメールでした。
本文はありません。
添付されているファイルが二つ。
1つは動画、もう1つはデータファイルでした。
データファイルの方から先に開きます。
画面いっぱいに広がる計算式とグラフとデータテーブル。
それを上から全部読んでいく気は起こりませんでしたが、ざっと下までスクロールしても、結論らしい結論は書いていません。
これを解けということなんでしょうか。
- 450 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/06/07(火) 02:16
- 式自体は、それほど困難なものではありませんでした。
どこかで見たことのある式の羅列。
そうです、これは美勇伝の新曲に対するものです。
以前に私が解いていったものとほぼ同じです。
ただ違うのは、あの時よりもそれが遊びに富んでいるという事です。
まるで物語を読んでいるように、さまざまな修飾のなされた計算式。
解く過程を楽しめるように、工夫がなされています。
私はこれを書いたのはれいなであると確信しました。
サイフォンからのコポコポという音で、部屋に立ち込めるコーヒーの香りに気づきます。
しかし、私は席を立たずに更に読み進めていきます。
どんどん解き進めていくと、ある事に気づきました。
どうして、美勇伝の新曲をあんなに簡単に諦めたのか。
その答えが、式の後のデータに隠されていました。
計算上では完璧ですが、計算の通りには行かないのです。
それを証明するデータを読み解くには、私にはそれに対する知識が足りません。
しかし、結果からは明からに、想定していたものよりも、軽度な結果しかでていません。
これがサルを使った動物実験であり、そのまま人に当てはめることは出来ません。
しかし、マウスの実験では素晴らしい結果をはじき出していたものが、サルでは芳しい結果とは言えません。
それの違いが意味することの一つが社会構造です。
- 451 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/06/07(火) 02:17
- 単独飼育のサルではマウスと同じくらいの効果がでています。
他者とのふれあい、コミュニケーション。
そういったものが、脳に与える影響。
私が以前に調べたデータには、それらの影響を想定した結果を導いていました。
しかし、実際にはそれの影響が大きくなっているのです。
通常では小さな影響ですが、それが崩されようとすると、より大きな力となって働きます。
恒常性を維持するために備わっている機能です。
そこまでのことをれいなが見落とすとは思えませんでしたが、実際に見落としているのです。
やってみて初めてわかった発見や想定することのできない現象とか、そう言ったものではないです。
単純にミスと呼べる範疇で括られるようなことです。
妙な違和感を感じました。
こんなミスをれいながするとは思えないからです。
けれども、彼女がこれに関わっていないと考えてみれば、それほど気にすることではないのかもしれません。
だとすれば、あの時村田さんが言った『上』とはれいなではないのでしょうか?
- 452 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/06/07(火) 02:17
- いえ、違います。
『上』はれいなに間違いないのです。
でなければ、こうして石川さんの近況報告と題したメールを、私に送ってくることはしないはずです。
何かしっくりきません。
完成したはずのパズルなのに、元の絵柄と異なっているような。
もやもやしたものが頭の中を回っています。
これ以上考えてもわかることではありません。
事実は事実として、全ての事実に対して一番整合性のある結論を導き出していくこと。
それが、客観性というものであり、私の生命線でもあるのですから。
そこを否定してしまうことはできません。
すっかり濃縮されて半分くらいになってしまったコーヒーをカップに注ぎます。
苦そうな香りに、私は仕方なく砂糖を溶かした後に氷を4つ入れました。
アイスコーヒーになってしまいますが仕方ありません。
氷が弾けるカチンという音が聞きながら、私は再びパソコンの前に座りました。
- 453 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/06/07(火) 02:17
- 先ほどのファイルはもういいです。
後で私の考えと共に里沙ちゃんに送っておくこととしましょう。
次の動画ファイルを見てみます。
メールの題名から察すれば、これは石川さんの様子を撮影したものであると考えます。
事実、そうでした。
真っ白な壁に囲まれた小さな部屋。
ベッドのシーツも、カーテンも、真ん中においているテーブルも椅子も全て真っ白。
照明が反射して眩しいと感じるほど真っ白でした。
そんな真っ白な空間に、一本の線が入り、扉が開かれます。
現れたのは同じく白いワンピースを纏った石川さん。
髪を茶色に染めたせいか、表情が明るく見えますが、それが髪のせいだけでないのは、笑顔を見ればわかります。
何かすっきりしたような、解放されたような笑顔でした。
続いて入ってくるのは岡田さん。
音声は聞こえないので何を話しているかわかりませんが、二人はまるで姉妹のように二人並んでベッドに腰掛けました。
とても幸せそうな光景です。
れいなが、この二人を気に入っているというのも、まんざら嘘ではないのかもしれません。
- 454 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/06/07(火) 02:17
- 「二人とも、美勇伝であった時の記憶を失っています」
声が聞こえました。
この声は、村田さんの声でした。
「石川梨華の精神状態はショックで非常に危ういものになっていましたから、私たちとしてはこういう手段しかとることが出来ませんでした」
記憶を無くす。
そんなことが簡単に出来てしまうのでしょうか。
石川さんの表情をみれば、できていると考えるべきでしょう……
音楽の件といい、脳に関する相手の研究は、世界の最先端を走っているのかもしれません。
ただ、二人じゃれあっている姿を見ると、その科学力がいい方向にも働いていることがわかり、少しホッとします。
本当に平和という言葉が当てはまる空間です。
そんな中、扉がもう一度開きました。
現れた人の姿を見たとき、私は思わず叫んでしまいました。
車椅子に座る彼女が入ってきたこと気づき、石川さんは立ち上がります。
それを手で制し、自分の力で車椅子を進めていく女性。
肩までの黒髪は変わらないものでしたが、視線がすごく穏やかになっています。
- 455 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/06/07(火) 02:18
- 「彼女の命は助かりました。今はリハビリ中ですが、痛みを感じない彼女ではリハビリの効果も薄いのです。
両腕は動くようになりましたが、下半身はもう動かないでしょう」
彼女は全ての記憶を失っています。と更に付け加えた。
それが本当にいいことなのかと考えましたが、少なくともTV局で見た彼女の目を見る限り、その方が彼女にとって幸せなのかもしれません。
もう少し彼女達の様子を映し、映像は終わりました。
氷がほぼ溶けたアイスコーヒーを飲みます。
それから、里沙ちゃんに向けてメールを書きました。
この二つのファイルと、私の考え。
それらを書き終えてからベッドに入ります。
色々なことを思い出して、頭が疲れました。
もう、一ヶ月なんですね。
大変なことがありすぎました。
後藤さんも色んなことがあったんですか?
忘れずに全部教えてくださいね。
私も、全部話しますから。
そんなことを考えながら、私はうとうとし始めます。
その時でした。私の携帯が鳴ったのは。
- 456 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/06/07(火) 02:19
- ディスプレイで美貴ちゃんというのを確認し、着信ボタンを押します。
「もしもし」
「もしもし、紺ちゃん、あのね、見つかった」
見つかったといえば、1つしかないはずです。
眠気が一気に吹き飛び、心臓が激しく動いて、美貴ちゃんの次の言葉を待ちます。
「ごっちんよ。ごっちんがいた」
それから、美貴ちゃんが何を言ったか覚えていません。
自分が何をしたかもよく覚えていません。
- 457 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/06/07(火) 02:20
- <Extra side>
「ねぇ、れいなどうしてやめちゃったの?」
背後から聞こえる声に、れいなはパソコンを操る指を止めた。
「美勇伝のやつ。あれ、絵里結構好きだったのに」
「あぁ…もっとよか方法の目処が立ったけん」
「そうなの?」
「うん。やっぱウイルス使ったほうが楽か」
人だけを殺すという観点に立った場合、やはり一番有効なのはそれに違いなかった。
天然痘がどうして猛威を振るったか。
容易に感染すること。
致死率が高いこと。
この二つの条件が合わさったためである。
更に、ヒトのみに感染するという点も大きい。
しかし、そんな天然痘ですら1世紀前に撲滅してしまったのだ。
そこで、れいなが目をつけたのはHIVの性質だった。
HIVに対しては、いまだに完全な治療はできない。
発症を遅らせるとかそういった程度のものでしかない。
もっとも、発症を遅らせるのが半世紀とかいう期間で可能になっているので、治療とほぼ変わらない状況にはなっているのだが。
では、なぜHIVの治療が不可能なのか。
それはウイルスの持つ変異性が極めて高いからである。
そのために次々と薬剤に対する耐性を獲得してしまうのである。
- 458 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/06/07(火) 02:20
- 人のみに感染。
高い致死率。
感染が容易。
耐性を獲得しやすい。
これだけの条件に加え、れいなは更に2つの特徴をそれにつけようとしていた。
潜伏期間が長いこと。
発症後すぐに死に至ること。
これだけの特徴を持ったウイルスは兵器となりうるほどのものであったし、実際に兵器として使用を考えている。
潜伏期間が長い方が、保菌者が移動することでより多くの人に広まりやすい。
空気感染するようなウイルスならなおさらだ。
また、いつ感染したのかを特定しにくくする意図もある。
次いで、発症後、劇的な症状を起こして死に至る。
これは発症後の対症療法を不可能にするためで、致死率にもつながることである。
こんなものを作り上げて何をするかなんて、答えは限られている。
人類の滅亡。
それがHello Projectの1つの柱である「人を殺す」ということだ。
- 459 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/06/07(火) 02:20
- もちろん、これだけのウイルスを発明することは一歩間違えれば自分達に危険が及ぶが、そのための防衛策は既に考えている。
後は、それだけの条件を持つウイルスを作り出すことである。
それが全く進むことがなかったため、音を利用する方法を別に動かしていたのだが、こちらの目処が立った今は、音の方はなくてもよい。
だから、れいなはわざとおかしなデータを作り上げた。
自分達のやっていたことがミスで、美誘伝の作戦が失敗したのだと、Angel Heartsに思い込ませるために。
実際のところ、あれにはミスはなかったのだ。
あのままでも、間違いなく上手くいったであろうとれいなは確信していた。
「ふーん…そういえばさ、あの3人、あのままにしとくの?」
「んーまぁ…」
「ふーん。お気に入りなんだね」
「なして、そげん言い方すると?」
「べっつにー」
その言い方で、絵里が不機嫌な理由がれいなにはようやくわかった。
- 460 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/06/07(火) 02:21
-
「好きとかそういうのやないけん」
「わかってる。れいなが好きなのは絵里だけだもんね」
先ほどまでの不機嫌はどこへやら。
満足そうにそう言うと、絵里は部屋を出て行った。
「なんね、訳わからんと」
そんな絵里を見て、れいなは呟いた。
- 461 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/06/07(火) 02:24
- 更新終了
時間が無いので、辞典だけでも明日には更新します。
次は外伝です。
>>446 ようやく彼女の出番です。でも、その前に外伝でも…じらしまくってすいません
>>447 村田さんは…きっと…でも、三好さんが強烈すぎたのでw
- 462 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/06/07(火) 02:24
- なんとなく流し
- 463 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/06/07(火) 02:24
- なんとなく流し
- 464 名前:Silent Science 悪魔の辞典24 投稿日:2005/06/07(火) 12:38
- ・ベレッタ
総弾数が多く、軍隊、警察で広く使用されている拳銃。
・口約束
往々にして守られないもの。
・ディズニーランド
1983年に開園した日本を代表するテーマパークの一つ。
100年近く経った世界でも、人気のテーマパークです。
- 465 名前:Silent Science 悪魔の辞典24 投稿日:2005/06/07(火) 12:39
- ・サイフォン式のコーヒーメーカー
理科の実験装置を髣髴させるようなコーヒーを抽出する機械。
ビーカーに入れて飲めば、より理科室っぽくなります。
・天然痘
天然痘ウイルスを病原体とする感染症。飛沫感染(咳、唾液等)、接触感染で広まっていく。
致死率は20〜50%と高率(SARSの致死率は15%前後)
1980年にWHO(世界保健機構)より根絶宣言が出され、研究用として保管している例外を除き、地球上に存在しないことになっている。
・HIV
ヒト免疫不全ウイルス(Human Immunodeficiency Virus)
エイズの原因となるウイルス。
- 466 名前:konkon 投稿日:2005/06/07(火) 22:42
- ごっちんを思う紺ちゃんが可愛いです♪
その紺ちゃんに対するれいな、改めて読んでみると、
ある意味すごいですね。
これからもがんばってください。
- 467 名前:通りすがりの者 投稿日:2005/06/08(水) 06:56
- 更新お疲れさまです。 田中チャンまた何かやるきですね。 三好サン無事でよかったです(;_;) 次回更新待ってます。
- 468 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/09(木) 23:57
- 次はサイボーグ三好か!とか書くと方向性違ってきそうなのでこの辺で…。
それにしても、ウイルスの潜伏期間延長を図るなんて。れいなは悪い子だなあ。
- 469 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/06/15(水) 02:32
- お知らせ。
第2部外伝を更新しますが、完全にキッズオンリーの内容となっております。
第3部を含めた本編との関係は少しありますが、さほど大きな影響ではありません。
ので、キッズのみだと名前も顔もわからないし、無理という方がいらっしゃれば、今回の更新をスルーして次回の更新(>>490-)から読んでください。
- 470 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/06/15(水) 02:32
- 第二部外伝
チャイムの音が鳴り、私はノートを閉じた。
今日の授業はこれでおしまい。
中学生になってから、午前中だけの授業が続いたせいで、まだ午後の授業には慣れてない。
私は午後はもっぱら睡眠時間として活用していた。
運良く、席は窓際の後ろの方だから、先生にも見つからないし。
外の景色も見えるこの席に当たってラッキーだと思う。
ラッキーといえば、この間は本当にラッキーだった。
- 471 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/06/15(水) 02:33
- 一生分の運を使っちゃったのかもしれないって思うほど。
だって、この東京に何人の人がいると思う?
1500万人だよ。
今日の二時間目の社会の授業で、先生が言ってたから間違いない。
だとしたら、私と石川さんが会う確率なんて、1500万分の1でしょ?
宝くじってどれくらいなんだろう?
1億円当たる確率とどっちが高いんだろう?
そんなことを考えながら、私は石川さんのサインが無事にカバンの中に入っていることを確認する。
朝から何回見てるんだろう。
目を放した隙にどこかにいっちゃわないか心配で、私は暇があれば存在を確認していた。
- 472 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/06/15(水) 02:33
- 「まーさ、帰ろう」
ホームルームが終わり、先生が出て行くのと入れ違うように、廊下側から私を呼ぶ声が聞こえた
「えー私今日、掃除当番だからさ、舞波先に行っててよ」
廊下の窓に手を掛けて、教室内へと乗り出す舞波に、私は告げた。
今日は音楽室の掃除だから、時間がかかる。
音楽の菅井先生は、ものすごく綺麗好きな人で、少しでも埃が残ってると「やる気あるの?」って怒られる。
それで終ればいいんだけど、違う班の子は「音楽を甘く見ないでください!」って涙を流してお説教されたとかされてないとか。
ともかく、変な先生なので真面目に掃除をしないといけなかった。
「やだ、待ってる」
「あぁ、そう。なら荷物見ててよ。できるだけ早く終らせるから」
そう言って、私はカバンを舞波に渡し、音楽室へと走っていった。
同じ班の子と昨日見たドラマの話や、今日の国語の宿題が多いだの、色々と文句を言いながらも、楽しく掃除を終えた。
菅井先生は今日は出張でいないらしかったけど、サボると絶対に明日怒られそうだから、それなりに真面目にやった。
- 473 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/06/15(水) 02:33
- 「ごめん」
教室に戻ってきた私は、一人でぽつんと私の席に座っている舞波を見つけた。
教室の掃除はもう終わっていて、数人がおしゃべりしていたけど、舞波はその輪から外れて、一人でいたのだった。
「いいよ。早く帰ろう。早貴ちゃんたち待ちくたびれてるよ」
何でもないように笑う舞波だったが、そういうのを見た後だと、私は上手く笑えなかった。
舞波には、友達がいるんだろうかと、たまに心配になる。
小学校の6年間はずっと同じクラスだったし、同じ学校に早貴ちゃんたちがいたわけだから。
そんなに気にはならなかったんだけど…
何度か、舞波のクラスにいったことがある。
私の方が先にホームルームが終わったときだ。
親しく誰かと話す様子も無く、一人で黙々と帰り支度をしていた。
私が廊下にいることを気づくと、パァっとしたいつもの笑みを浮かべて、カバンを持ってでてくる。
それについて何も言えないし、何も出来ないけど。
私は友達だから、舞波が相談してくるまでは、いつもどおり振舞うって決めてるんだ。
帰り道に、舞波はメールを打った。
早貴ちゃん宛てに、もうすぐ行くからといった内容だった。
向こうはもう待ちくたびれている様子で、すぐに返ってきたメールの内容を舞波が読み上げるけど、そんな内容のものだった。
- 474 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/06/15(水) 02:33
- どちらが先というわけでもなく、私たちは走り始めた。
10月の終わりだけど、まだまだ蒸し暑い。
長袖の制服の袖をまくり上げ、バタバタとスカートをはためかせながら私は走った。
でも、少ししたらすぐに舞波のペースが落ちる。
この子は、運動神経もイマイチよくない。
仕方なく、私はそれに合わせるようにペースを落とした。
そうして10分くらい走った。
いつもの帰り道と反対側の方向だから、どれくらい時間が掛かったか、時計を見ていなかった私にはわからないんだけど。
「わ、来た来た。ねぇ、まーさちゃんがきたよー」
2階の窓から顔を乗り出した早貴ちゃんの声が聞こえる。
インターホンを鳴らす前に開かれたドアからは、舞ちゃんがが出てきた。
- 475 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/06/15(水) 02:34
- どちらが先というわけでもなく、私たちは走り始めた。
10月の終わりだけど、まだまだ蒸し暑い。
長袖の制服の袖をまくり上げ、バタバタとスカートをはためかせながら私は走った。
でも、少ししたらすぐに舞波のペースが落ちる。
この子は、運動神経もイマイチよくない。
仕方なく、私はそれに合わせるようにペースを落とした。
そうして10分くらい走った。
いつもの帰り道と反対側の方向だから、どれくらい時間が掛かったか、時計を見ていなかった私にはわからないんだけど。
「わ、来た来た。ねぇ、まーさちゃんがきたよー」
2階の窓から顔を乗り出した早貴ちゃんの声が聞こえる。
インターホンを鳴らす前に開かれたドアからは、舞ちゃんがが出てきた。
- 476 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/06/15(水) 02:34
- >>475は重複なので飛ばしてください
「ごめんね、今日掃除当番だったの」
部屋に入った私はそう言い訳するものの、みんなの注意は私のカバンに注がれていた。
ここは、早貴ちゃんの家。
早貴ちゃん、千聖ちゃん、舞ちゃんの3人は、私がメールで石川さんに会ってサインをもらった事を告げると、見たいと言ってきた。
3人とも、私と舞波の小学校のときからの友達。
年は一個ずつ違うんだけど、知らないうちに私たちは仲良くなっていた。
もう一人、私たちの1つ上にいた舞美ちゃんは、引っ越して別の中学校へといってしまったので、余り会えない。
去年は数回会っただけだった。
でも、舞美ちゃんはすごくサッカーが上手くて、最近ではプロリーグの最年少選手として、TVに映っているところを目にするくらいだった。
「まーさちゃん、早く早く!」
舞ちゃんの急かされる声に促されるままに、私はカバンの中からサインを取り出す。
取り出したと同時に私の手から離れたそれは、4人の真ん中に置かれ、みんな口々に「すごーい、本物だー」と言った。
美誘伝の中では、三好さんが一番好きな舞ちゃんであっても、ものすごく興奮していた。
- 477 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/06/15(水) 02:35
- 「私、今度のコンサート行きますからがんばってくださいって声かけちゃった」
「いいなーいいなー」
「ねぇねぇ、また来るかな?」
「まーさちゃんのおじさんに、今度来たらサインもらってくれるように頼んでよー」
次々に飛び交うみんなの言葉。
もちろん、美誘伝のコンサートには私たちは行く。
すごく楽しみだった。
この時は、すごく……
- 478 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/06/15(水) 02:35
- ◇
私がその報告を聞いたのは、それから一週間ほどあった後。
学校から帰ってきた時でした。
TVの上に表示される字幕。
私は表示されている間中、何度も読み返しました。何度も、何度も。
そして、それが間違いで無いとわかると、今度は漢字が間違っているのかもしれないと、辞書を引いてみたほど。
でも、活動休止という漢字は間違っておらず、その意味もまた、間違ってなかったのでした。
- 479 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/06/15(水) 02:35
- 涙が出た。
石川さんの色紙の上に、ポツンポツンと落ちた。
インクがにじみましたが、私はかまわずに泣いた。
携帯が恋のヌケガラを奏でるけど、私は出ることも無く電源を切った。
それから制服のままベッドにもぐりこんで、声を出して泣いた。
どうして?
がんばってって言ったのに。
どうして?
コンサート楽しみにしてたのに。
どうして?
新曲、聴けるって思ってたのに。
その日は、晩御飯は食べてない。
お父さんもお母さんも私が普段どれだけ美誘伝が好きか、よくわかっていたらしく、そっとしておいてくれた。
次の日は、学校には行かなかった。
学校でみんながその話題を話していると思うと、行く気がしなかった。
その次の日も学校には行かなかったけど、あまりにお母さんが心配するから、ご飯だけは食べる事にした。
でも、何も味がしなかった。
砂を食べてるみたい。
お父さんが煎れてくれるコーヒーをブラックで飲んでも、水と変わらなかった。
- 480 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/06/15(水) 02:35
- 「来週から学校に行きなさいよ」
お母さんはそう言った。
丁度、明日は土曜日だったから、私としては4連休となったわけなんだけど、全然うれしくもない。
土曜日も日曜日も私は一人、家にいた。
舞波ちゃんが家にきてくれたけど、お母さんに言って帰ってもらった。
月曜日になって、私はようやく学校にいった。
舞波ちゃんは、そのことに触れないように、全然違う話をしてくれた。
でも、やっぱり暇な授業中には、美誘伝のことを考えてしまって、私は午後からは気分が悪いと言い、保健室で放課後まで寝ていた。
「あのさ、お母さんがディズニーランドに行こうって言ってるんだけどさ、行かない?」
放課後、私のカバンを持って保健室に来た舞波ちゃんは、そう言った。
日にちは、美誘伝のコンサートがある日。
早貴ちゃんたちも誘って、みんなで行こうということだった。
ディズニーランドは、確かに行ってみたかった所だった。
でも……美勇伝のコンサートの方が断然行きたかった。
- 481 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/06/15(水) 02:36
-
「うーん……考えとく……」
カバンを受け取って、私たちは家に帰った。
その間、何一つ会話を交わさなかった。
気まずい空気を少し感じていたけど、私は別れ間際に「バイバイ」と言っただけだった。
家に帰ると、お母さんも舞波ちゃんのお母さんからその話を聞いたらしく「一緒に連れて行ってもらいなさい」と私に言った。
私は断るわけにも行かず、あいまいに笑って自分の部屋に入った。
みんな、どうして平気な顔でいれるんだろう?
美勇伝がなくなっちゃうのに。
私は、美誘伝がいれば他に何もいらないのに。
どうして?みんなはどうして、無かったように扱うの?
その日の夜も、ご飯はおいしくなかった。
私の大好きなお寿司だったけど、全然味がしなかった。
- 482 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/06/15(水) 02:36
- 「まーさちゃん、聞いてるの?」
いきなり視界に割り込んできた舞波ちゃん。
それは、ディズニーランドへいくのを明後日に控えたときの帰り道ことだった。
曖昧に返事をしていたことで、私は行く事になっていたらしい。
「ん?何?」
「もう、いい加減にしてよ!どうしてそうなの?
いつまでもいつまでもウジウジウジウジして。そんなにウジウジしてると、カビ生えちゃうよ」
珍しく舞波ちゃんは大きな声を上げた。
いつも怒ることをしない彼女なだけに、少し驚いたと同時に、私の中でもカチンときた。
「何?美勇伝のことを忘れろって言うの?舞波ちゃんはいいよね、思い入れなかったもんね。
どうせ、私たちが好きだから、好きって言ってただけでしょ?
いつもいつもそう。私がやるからとかそんな理由で真似ばっかりして……」
私は、バカだった。
ものすごくバカだった。
だから、次に続く言葉が止まらなかった。
- 483 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/06/15(水) 02:36
- 「そんなだから、一人になると友達も出来ないのよ!」
ビクっと舞波ちゃんの体が動いた。
それから、ボロボロと涙を流した。
だけど、鳴き声は一切口から出さずに、私に背中を向けて、走っていった。
しまったと思ったときは、もう遅かった。
舞波ちゃんは、私を心配してくれてたのに……
家に帰った私は、電話をかけたが、出てくれなかった。
メールを送っても、返信はこなかった。
喧嘩したことを知られたくなかったから、お母さんに「ただいま」だけ言うと、部屋に入って泣いた。
自分がすごくバカだったと、ようやくわかった。
舞波ちゃんは許してくれるの?
そればっかり頭に回った。
その夜は、美勇伝のことは考えなかった。
ずっと、私は舞波ちゃんのことばかり考えていた。
- 484 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/06/15(水) 02:36
- 翌日、お母さんが明日お世話になるから、舞波ちゃんの家にあいさつに行きましょうと、私に言った。
どうしたらいいかわからなかったが、行かないわけにもいかず、私は連れられて舞波ちゃんの家へと行った。
舞波ちゃんは、私を見ると、いつも教室で見せているような顔を見せた。
お話してるから、遊んでらっしゃいとお母さんはいい、私たちは舞波ちゃんの部屋に二人きりになった。
「あの……」
「あの……」
声をかけるタイミングがかぶった。
バツの悪そうにはにかむ舞波ちゃんにつられ、私もはにかんだ。
「ごめん…心配してくれてたのに、ひどいこと言っちゃって」
「ううん、本当のことだから。私、クラスでも浮いてるから」
笑顔を作って私にそう言うが、それは決して笑えることじゃなかった。
だけど、舞波ちゃんが私に気を遣って言ってくれてることだか。
私も笑顔をつくってみせた。
「明日、一緒に行こうよ、ディズニーランド」
舞波ちゃんの言葉に、私は大きく頷いた。
- 485 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/06/15(水) 02:37
- ◇
翌日、私たち4人は、舞波ちゃんのお母さんに連れられ、ディズニーランドへといった。
残念な事に、千聖ちゃんは風邪で一緒に来ることが出来なかった。
その分、一杯お土産を買って帰ろうと、私たちは行きの電車の中で、パンフレットを見ながら、話し合っていた。
「これいいんじゃない?」
「こっちの帽子も可愛いよ」
「でも、このストラップ、私欲しいな。ねぇ、みんなでお揃いのにしない?」
そんなことを話しているうちに、電車は美誘伝のコンサートが行われるドームの前を通過した。
誰も何も言わなかった。
美誘伝は大好きだけど、舞波ちゃんや早貴ちゃんたちも大好きだから。
「あ、そういえば昨日、舞美ちゃんからチケットが届いたんだ」
舞波ちゃんが言った。
「チケット?」
「うん。今度のフットサルの試合のチケット。ちゃんと私たち5人分送ってくれたの」
「舞美ちゃん、出るのかな?」
「出るんじゃないのかな?決勝リーグ最終戦って書いてた。もしかしたら優勝しちゃったりして」
- 486 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/06/15(水) 02:37
- 「優勝かぁ」
私は呟いた。
つい2年前まで、一緒に学校に通っていた人が、そんな試合にでるなんて信じられなかった。
「来週だから、千聖ちゃんの風邪も治ってるだろうし、今度はみんなでいけるといいね」
「そうだね」
笑ってそういう舞波ちゃんに、私も笑って答えた。
舞ちゃんも、早貴ちゃんも、「楽しみ」と声を揃えた。
- 487 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/06/15(水) 02:37
- 第二部 美誘伝編 完
第三部 GATAS編へ続く
- 488 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/06/15(水) 02:38
-
- 489 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/06/15(水) 02:38
-
- 490 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/06/15(水) 02:45
- >>469でお知らせしたように、今回更新分は本編にさほど影響はありませんので、飛ばしていただいても結構です。
第三部は、登場人物多すぎな予感です。引き続きお楽しみいただけるとうれしいです。
>>466 ありがとうございます。目標はこんごまなので、たとえ一方通行でも、紺野さんは後藤さんを思うのでした……
>>467 三好さんはこのまま退場させるのは惜しかったです。今後また出番を見つけては出したいですね。
>>468 三好さんが次回登場する時には、全ての能力が10倍になって帰って(ry。どんな悪いことでも、れいながやると許せると思ってしまう作者でした(バカ
- 491 名前:通りすがりの者 投稿日:2005/06/15(水) 23:15
- 更新お疲れさまです。 番外編だったものの、ちょっと気になってたのでよかったです。 本編も楽しみに待ってます。 次回更新待ってます。
- 492 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/19(日) 00:45
- キッズの名前と顔も桃版で勉強(嘘)して大体分かってきたので、楽しく
読ませていただきました。菅井先生の音楽の授業、やっぱりニャ(ryとか
恐ろしいことをやってるんだろうか…
- 493 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/06/27(月) 01:47
- 踏みしめる芝の感触は心地よく、私はそれを噛み締めるかのように、地面にスパイクを二度打ち付けた。
数メートルの距離から聞こえる歓声が、アナウンスされた自分の名前によってどよめく。
それは決して期待によるものではなくて、驚きや訝しみによるものだけど。
「緊張してる?」
10番を背負った彼女は、ずれたキャプテンマークを直しながら、私に問いかけた。
「緊張っておいしい?」
私は笑って、差し出された彼女の手を叩いた。
- 494 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/06/27(月) 01:47
-
―――― Silent Science 第三部 ――――
- 495 名前:1. Maki side 投稿日:2005/06/27(月) 01:48
- <1. Maki side>
後藤さん……後藤さん……
暗闇の中から声が聞こえる。
誰?
私の問いかけにも、ただひたすらに私の名前を呼ぶことしかしてこない。
ねぇ?あなたは誰?
何度問いかけても同じ。
3回目の問いかけの前に、私は夢だと悟った。
あの日から毎日のように見る夢だ。
そして、夢と気づいたらすぐに目覚めてしまう夢。
- 496 名前:1. Maki side 投稿日:2005/06/27(月) 01:48
- 目の前が明るくなった。
窓から差し込む朝日が、隣で寝ている雅の顔を照らしていた。
寝転んだまま、私は腕を伸ばして時計を手に取る。
短針はまだ6を指していた。
二度寝するには中途半端すぎる。
私は雅を起こさないように、ゆっくりと布団から出た。
「あれ、早いね」
部屋を出た私によっすぃは声をかけた。
青のジャージにTシャツ。
そういえば、トレーニングに行く前の彼女を見るのは初めてかもしれない。
吉澤ひとみ、通称よっすぃ。
「よっしー」ではなく「よっすぃ」だと、最初に強く言われたから。
最後の「い」を意識的に発音しなければいけない。
私がよっすぃと出会ったのは10日ほど前だ。
砂浜に二人で倒れていたって、よっすぃは教えてくれた。
早朝のトレーニングで、よっすぃは近くの砂浜を走っている。
現に、今も走りにいく前なんだけど。
その途中に、私たちを発見したそうだ。
- 497 名前:1. Maki side 投稿日:2005/06/27(月) 01:49
- 私たちというのは、私と雅の二人のこと。
雅は、私の従兄弟……らしい。
らしい、というのは、私はここに来る前の記憶が無いからだ。
だから、私は自分の名前にも「らしい」をつけなければいけない。
私の名前は後藤らしい。というのが正しいのだ。
ただ、夢の中でそう呼ばれていたし、後藤という言葉が思った以上に言い馴れた言葉に感じるので、私は後藤さんで間違いないと思う。
よっすぃが発見してくれてから、私が意識を取り戻すまでには2日間かかったらしい。
彼女曰く、死んでいるみたいだったという。
私を診てくれた人も、医療設備が揃っている病院へと運ぼうと考えたほどだったらしい。
だけど、明らかに私たちが理由ありそうだったので、できるだけそれを避けてくれた。
結局、意識が戻った私は、記憶を無くしているので、理由ありかどうかはわからないのだけど。
ただ、雅はすごくおびえた様子でいたから。
やっぱり、私たちは誰かに殺されそうになっていたのかもしれない。
実際に、右胸には酷い火傷の跡が残っていて、今でもたまにチクチク痛む。
ちゃんとした病院で手術すれば、傷跡を取り除くくらい簡単だけど、私はそれをしなかった。
理由は、手がかりになりそうなものは少しでも残しておきたかったからだ。
- 498 名前:1. Maki side 投稿日:2005/06/27(月) 01:49
- 「冷蔵庫に卵入ってるし、パンもそこにあるから」
タオルを首にかけてよっすぃは言う。
「私も、一緒に行っていい?」
なんとなく、一緒に行ってみたかった。
意外と、私は体を動かすのは嫌いでは無い気がした。
よっすぃは、しばらく宙を見据えて考えこんでから、オッケーといった。
「でも、遅かったら容赦無くおいていくよ」とも付け加えられた。
それが冗談でしかないことはわかってる。
道も知らない私を置いて行く事はするわけ無い。
そんなことをする人なら、きっと私たちを助けていないのだから。
タンスから出されたジャージを借りる。
よっすぃのは少し大きいけど、不自由なほどブカブカではないことは、今日まで服を借りっぱなしだから知っている。
雅に置手紙だけして、私たちは家を出た。
- 499 名前:1. Maki side 投稿日:2005/06/27(月) 01:49
- 真っ赤な太陽が東の空にあった。
潮の匂いが混じったつんと張った空気は、まるで私たちが最初にそれを掻き分けて行っているようで。
コンクリートの地面を蹴る私たちの足音が、鳥の声しかしない住宅街に響いていた。
コンビニの角を曲がり、赤い屋根の家を過ぎると視界が広がる。
波の音が聞こえてきた。
堤防を越え、砂浜に降り立つ。
私たちが倒れていた場所らしいけど、全然見覚えは無かった。
そのまま私たちは波打ち際まで走っていく。
砂に足を取られて走りにくかったのは最初だけで、慣れればコンクリートと違って足に響かないので、走りやすかった。
どれくらいの時間を走っているのかわからない。
さえぎるもののない太陽の光は、容赦なく私たちを照りつけ。
一定のリズムを刻む波の音にあわせるように、足を進めていた。
額の汗が目に入り、Tシャツが張り付いてくる頃、よっすぃがようやく堤防の方へ方向転換した。
途端に感触が変わって、コンクリートの地面は、足に羽が生えたかと錯覚するほどに軽く。
踏みしめるたびに、靴に入った砂を撒き散らしながら、私たちは帰路についた。
- 500 名前:1. Maki side 投稿日:2005/06/27(月) 01:50
- 「ごっちん、何かやってたのかもしれないね」
シャワーを浴びて、髪を乾かしていると、よっすぃが言った。
私に気を使ってゆっくり走っていると思っていたが、どうやらいつもどおり走っていたらしい。
よっすぃはフットサルのプロ選手なのだから。
彼女と遜色なく走れるというのは、私は意外と有名なプロ選手なのかもしれない。
「おはようございます」
そんなことを考えていると、雅が起きてきた。
私たちの様子がいつもと違うことに少し驚いた様子だったが、すぐにいつもどおりの無表情になった。
彼女のことは、私は何も知らない。
彼女自身も、自分のことを必要最低限しか話さない。
言葉を発することが大変な労力かのように。
一番少ない文字数になるように言葉を選んでるんじゃないかと思うほどだった。
- 501 名前:1. Maki side 投稿日:2005/06/27(月) 01:50
- だからこそ、きっと私と雅は何かあったんだと思う。
二人で逃げなきゃいけないほどの何かが。
そのことを、よっすぃも感じているようで、深くは雅に聞こうとしない。
話したくなったら言ってくれたらいい。
そんな雰囲気をいつも雅に向けて放っていた。
「あのさ、今日の昼からの練習、見に来る?」
焼きあがったトーストにバターを塗りながら、よっすぃは提案した。
断る理由も無かったし、見てみたいというのもあったから。
雅を見ると、私の考えに気づいたのか、頷いてくれたから。
私は即答した。
- 502 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/06/27(月) 01:56
- 第三部開始。
ようやく主役が主役らしく。・゚・(ノ∀`)・゚・。
これから少し更新ペースが上がっていけばいいなと思いますが、変わらないかもしれません。
>>490 ありがとうございます。ようやくあの人が登場ということで、引き続き本編をお楽しみいただけるとうれしいです。
>>491 書いてる人も勉強しながらなので、一緒に勉強していただけるとうれしいです。授業内容は……ご想像にお任せしますフフフ
- 503 名前:konkon 投稿日:2005/06/28(火) 12:50
- ごっちん、キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!
とうとうこの人が出てきましたね。
紺ちゃんとどうなるのか、今後も楽しみです。
- 504 名前:通りすがりの者 投稿日:2005/06/28(火) 21:24
- 更新お疲れさまです。 ついに登場ですね!! でもなんだか・・・? この先がどんどん気になっていきます。 しかもあの方も参加なのは誠に喜ばしいことです! 次回更新待ってます。
- 505 名前:1. Maki side 投稿日:2005/07/02(土) 18:16
- ◇
「ガッタス ブリリャンチス エイチピー?」
雑誌に書かれたチーム名を口に出して読む。
意味はわからないが、響きとしては英語っぽくなかった。
ポルトガル語と、よっすぃは言う。
体育館に着き、椅子に座った私に渡された一冊の雑誌は、よっすぃの所属するチームの特集が行われていた。
表紙にはよっすぃの写真が大きく載っていて、中身も全て彼女たちのこと。
決勝リーグ前に、各チームを特集する企画らしくって、よっすぃたちはその第三回の企画らしい。
決勝リーグって言うのは、今シーズンのリーグ戦の成績上位4チームが総当りで行う優勝決定戦で、来週から開幕される。
雑誌が言うには、よっすぃたちは優勝候補の2番手らしい。
リーグ戦では優勝しているのに、2番手というのは変な話に思えたし、そういうことはよっすぃには聞けないことだから、私は深く考えなかった。
- 506 名前:1. Maki side 投稿日:2005/07/02(土) 18:16
- 「よっすぃおはよ。あれ、その人たちは?」
私たちの次にコートに来た女の子が、私たちを指差して言った。
ポニーテールに人懐っこそうな笑顔。
笑った時に覗く八重歯が余計にそう思わせた。
「あ、前に話したかもしれないけど、ごっちんと雅ちゃん」
「ああ」
その「ああ」が何を示しているのかわからなかった。
ただ、喜んだ風に言っているわけではないのは確かだったし、私たちの状況が、喜んでもらえるようなものではないことは十分にわかっていた。
次々にコートに入ってくる人たちは、よっすぃに私たちのことを聞き、それから「ああ」という同じ答えを返す。
その度ごとに私たちに投げかけられる視線は、決して気持ちのいいものではなかったけれど。
覚悟していた面もあったので、私は気に留めようとしなかった。
ただ、雅には「ごめんね」と小声で告げた。
- 507 名前:1. Maki side 投稿日:2005/07/02(土) 18:16
- よっすぃたちが始める練習を見ながら、手元の雑誌のページもパラパラとめくる。
丁度、メンバー毎にも特集をやっていたから、私はそれと見比べて彼女たちの名前を覚えていくことにした。
まずは、さっきのポニーテールの子。
みんながオレンジ色のユニフォームを着ている中、一人だけ黄色のユニフォームを着ていた。
ポジションはゴレイロ。サッカーで言うゴールキーパーだ。
試合のデータを見ても、どれくらいすごいのかわからない。
ただ、年齢はまだ17歳と若かった。
しかし、それは彼女だけではなかった。
よっすぃを含めて、みんな20歳以下の人ばかりだった。
そういえば、私は何歳なんだろう?
ふと疑問に思った。
よっすぃと同い年か、少し上くらいだろうか。
でも、私を診てくれた医者は、23歳と言っていたが、明らかに私よりも年下に見えるほどの人だった。
そう考えると、彼女が童顔なだけか、それともよっすぃが老け顔なのかどっちを想定するかで、私の年齢は全然違うものになってくる。
どちらにしろ、その二人を基準に考えるのは得策ではなさそうだ。
- 508 名前:1. Maki side 投稿日:2005/07/02(土) 18:17
- 「ね、私って何歳くらいに見える?」
雅はきょとんとした顔で私を見た。
それから、しばらく黙り込んで、18歳と答えた。
その答えは、彼女なりに気を使っているのがわかり、やっぱり二十歳くらいなんだなと、私は納得した。
「ありがと。雅はいくつ?」
「13です」
13歳か……
本当なら中学生になったばかりだ。
でも、彼女の雰囲気は明らかに大人びており、それが彼女の置かれていた境遇のせいだとしたら、少し可愛そうにも思えた。
そう言えば……
私はページをめくった。
さっき、ざっと年齢だけ見ていったときに、雅と同い年の子がいたのを覚えている。
- 509 名前:1. Maki side 投稿日:2005/07/02(土) 18:17
- この子だ。
矢島舞美、13歳。
最年少プロ。
チーム内の得点王。
新人王はすでに発表を待つ段階。
天才フットサル少女。
彼女の写真を飾り立てる言葉はそんな風だった。
目の前でダッシュをしている彼女は、写真で見るよりもずっと華奢な体だったが、そのスピードは周りよりも2歩は早かった。
その隣と、よっすぃの向かいにいる子が是永さんと川島さん。
写真と一人ずつ見比べていく。
ユニフォ−ムだと、背番号があるからわかりやすいのに、写真だけでは少しわかりづらかった。
コートには彼女達以外に、全部で15人近い人がいた。
だけど、そのうち見開きで特集されているのは5人だけで。
この5人がレギュラーなんだということは、すぐに見当がついた。
能力があれば、扱いは大きい。
それは当然のこと。
私も昔、そうだった。
能力が認められるまでは、雑用まがいの仕事しかさせてもらえなかった。
運転手や電話番といった仕事から……
- 510 名前:1. Maki side 投稿日:2005/07/02(土) 18:17
- って何?
これは何?
私は自分の頭の中に浮かんだ映像を、懸命にとどめようとした。
夜。
階段。
バーらしき看板。
店の名前は霞んで見えない。
扉が開いた。
誰か出てくる。
茶髪の、女の人。
私に手を振る。
何か言ってる。
唇が動いてる。
こ、こ、や、ご、と、う
モニターの電源を切ったように、そこでプチンと映像は消えた。
「ここや、後藤」
私は読み取った言葉を口に出した。
何の手がかりにもならないようなことだ。
今更、自分の名前が後藤だと確認できたところで、大きな意味は無い。
額に浮き出た汗を拭く。
雅が私をじっと見ているのに気づいた。
「大丈夫」
何が大丈夫なのかわからない。
でも、そう言うしかなかった。
- 511 名前:1. Maki side 投稿日:2005/07/02(土) 18:18
- ◇
「ごっちん、雅ちゃん、一緒にやらない?」
雅との間の気まずい雰囲気を吹き飛ばすように、よっすぃの声が聞こえた。
正直、ホッとした。
これ以上、雅の視線に耐えられそうに無かったから。
「行こう」
「いえ、私は見てます。後藤さん行ってきて下さい」
「そう……」
無理に誘うことは出来ない。
雅はそれを拒否している。
自分の周りに壁を作って、自分の領域を守ろうとしている。
それは、ウサギがダンボールの隅でうずくまっているほどに弱々しく、無力な壁。
だから、察してあげなければならない。
無理に踏み込めば、いともたやすく崩れてしまう壁なのだから。
壁の存在を感じて、引かなければいけないのだ。
- 512 名前:1. Maki side 投稿日:2005/07/02(土) 18:18
- 「雅ちゃんは?」
「ん……やめとくって」
「そっか」
着替えを含め、全てよっすぃは持っていた。
よっすぃは初めからそのつもりだったみたい。
ぴったりサイズのシャツとパンツ。更にはシューズまで。
最後に髪を1つに縛り、私はコートに戻ってきた。
「似合ってるじゃん。選んだ人の趣味がよかったのかな」
「こんなの、誰が来ても一緒でしょ?」
赤いシャツと、紺色のハーフパンツなんて、無難すぎる。
かといって、ピンク色とかはやめて欲しいから、こういった当たり障りの無い組み合わせが一番ありがたかった。
コートに立って見ると、隅で見ているより全然空気が違った。
空調がきいているはずなのに、立ち込める熱気。
頭上から射す照明の光は、太陽を髣髴させるほどに降り注ぎ、360度に広がるコートはすごく大きなものだった。
- 513 名前:1. Maki side 投稿日:2005/07/02(土) 18:20
- よっすぃがボールを私に向けて蹴ってくる。
周りがそうしているように、私もボールを足の裏で止めてから、足の内側でボールを蹴りだす。
思っていたよりボールは重く、上手く転がらなかった。
「いい感じじゃん」
さっきよりも強いボールが帰ってくる。
前に出した足を、ボールとともに後ろに引いて止めてみた。
要するにタイミングの問題。
いかに勢いを殺して、自分が蹴りやすい位置に持ってくるか。
蹴る方法は、足の内側、外側、そしてつま先。
内側はコントロールしやすいし、つま先は強いボールが蹴れる。
後は組み合わせと力加減を覚えれば……
私の蹴ったボールはよ左右へとバラバラに飛んでいき、よっすぃは動いてそれを受ける。
最初は「ごめん」と謝っていた私だが、途中から言うことを止めた。
- 514 名前:1. Maki side 投稿日:2005/07/02(土) 18:20
- ボールを蹴ることは初めてということは、記憶がなくなっていてもわかる。
でも、全くといっていいほど不安はなかった。
自分の体を動かしてやっているものだから。
慣れるのなんて、すぐだったから。
足のどの位置で、どれくらいの強さで蹴れば、どこに飛んでいくか。
その感覚さえつかめれば、どうってことは無い。
走りながら。反転しながら。
さまざまなパターンでそれをこなしているうちに、何人かがビブスをつけ始めた。
よっすぃが私にも赤いビブスを渡す。
問いかけはなかった。
センターラインをはさんで、向こうに青ビブスをつけた5人。
こちらにも私を含めて5人。
説明は無かったけど、いくらなんでもわかる。
「ルールなんて知らないよ」
「手以外を使ってゴールに入れたらいいんだよ」
「よっすぃって、アバウトだよね」
「よく言われる」
ホイッスルが響いた。
- 515 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/07/02(土) 18:28
- >>514 X センターライン ○ ハーフウェーライン
- 516 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/07/02(土) 18:36
- ルールなんかは本文中で適宜説明していきます。
>>503 後藤さんがでてきたら、次は紺野の出番が……二人はいつになれば同時に出てくるのでしょうか…_| ̄|○
>>504 ひっぱりすぎた主人公の復帰ですwついでにガッタスメンも大量追加。人の出入りが激しいお話になりそうで怖いです。
- 517 名前:konkon 投稿日:2005/07/03(日) 00:56
- 更新お疲れさまです。
もちろん、ずっと待ちますよ!
ごっちんと紺ちゃんが再び出会えるその日まで、
自分は作者様を応援してますYO。
- 518 名前:通りすがりの者 投稿日:2005/07/06(水) 23:28
- 更新お疲れさまです。 いくらでも待ちますよ、もちろん、作者様の更新ペースもまったりと(笑 今はごっちんからなのでかなりこの先が掴めません。 次回更新待ってます。
- 519 名前:2.Hitomi side 投稿日:2005/07/09(土) 15:59
- <2.Hitomi side>
何者なんだろう。
最初に彼女を拾ったときから、その疑問は常について回る。
知れば知るほど、一緒にいる時間が長くなればなるほど、それは大きくなっていく。
最初に会ったのは、いつもの早朝トレーニングの途中だった。
ここでトレーニングを初めて3年近くになるけど、私以外の人がいたのは初めてだった。
寄り添うように浜辺で倒れている二人。
人魚姫なんて、乙女チックなものは私には似合わないけど、本当にそんな感じ。
濡れた髪についた砂や、汚れた服、蒼白の顔。
それらが全て、二人を美しく飾りたてているように思えた。
- 520 名前:2.Hitomi side 投稿日:2005/07/09(土) 15:59
- しばし見とれていた私は、かすかに口元が動くのを見た。
まだ生きている。
その事実は、疲れた私の体を元気にするには十分で。
無我夢中で私は家に帰って、携帯を手にした。
「もしもし」
「ん、よっちゃん?どうしたのー」
十回近くコール音の後に、受話器越しに聞こえてきたのは、明らかに寝起きとわかる声だった。
こんな早朝に電話しているのだから、当然のことだが、その時の私はそんなことを考えている余裕はなかった。
準備して今すぐ家に来て欲しいことを伝えると、私は車に乗って再び浜辺へと向かった。
- 521 名前:2.Hitomi side 投稿日:2005/07/09(土) 15:59
-
「入院させないほうがいいんでしょ?」
処置を終え、二人をベッドに運んだ後、安倍さんは言った。
昨年、私が靭帯を痛めたときにお世話になったお医者さん。
それ以来、何かにつけてこの人に私は診てもらっていた。
こういうのは専門じゃないんだけどと彼女は言うが、私は安倍さんを信じていた。
23歳とまだまだ若いけれど、最初に掛かったお医者さんが、真っ先にこの人を紹介されたほど。
「はい、お願いします」
「言いたくなかったら別にいいんだけど、あの子達、どうしたの?」
言いたくなかったらなんて前置きは、言って欲しいと言っている様なものだった。
でも、私は安倍さんになら話しておかないといけないとも思っていた。
「わかりません」
「はぁ?」
「わからないんです。全然」
二人を発見したときの様子を説明するだけで、私はそれ以上に何も言えない。
名前も年も出身地も何も。わかるのは性別くらいだった。
夏焼雅と後藤さんという名前は、二人が目覚めた後に、正確に言うと雅ちゃんが目覚めてから知った。
- 522 名前:2.Hitomi side 投稿日:2005/07/09(土) 16:00
- 何者かもわからない。
雅ちゃんは何も話そうとしないし、ごっちんは記憶が無い。
いつか、記憶が戻ったら全てわかるんじゃないかと。
ただそれのみを期待して、私は二人と一緒に生活を始めた。
そうして今に至っている。
私の目の前でプレーする彼女は、一見すると初心者ではあった。
おぼつかない様子でドルブルしたり、ディフェンスも相手になっていなかった。
とはいえ、ごっちんを相手しているのは、私でも大変な舞美なのだから。
それは仕方ないことなのかもしれない。
「ねぇよっすぃ、あの子、まだ続けさせるの?」
前半が終わると、是ちゃんが私に小声で言った。
ごっちんは、ベンチに座って、じっとコートを見ていた。
「ごめん、もう少しだけ。この試合終わるまで、お願い」
「うん……よっすぃがそう言うのならいいけど」
ごっちんのフォローに一番走っているのが是ちゃんだと、私はよくわかっている。
ディフェンスの要にもかかわらず、ゴールとアシストを量産する彼女の運動量は、味方がボールを失う回数に比例して上がっていく。
ごめんねとは口に出さずに、私はごっちんの方へと向かった。
- 523 名前:2.Hitomi side 投稿日:2005/07/09(土) 16:00
- 「どう?」
「んー、大体つかめて来たかな」
口調とは反対に、鋭い目線は変わらずコートを向いていた。
うっすらと茶色かかった髪が、汗で濡れて光る。
長い睫に鼻筋の通った横顔はゾッとするほど綺麗だった。
あの日、浜辺で彼女に初めて会ったときのように。
しばらく自分が見とれている事に気づかなかった。
ごっちんが、私が見ている事に気づいて、視線を重ねるまで。
バツが悪くなり、視線を逸らそうとしたが、そんな私に向かって、彼女は笑ってみせた。
いつもの、砕けるような笑顔ではなく、凛とした笑顔。
表情だけで笑っているとか、口元を動かすとかそういったものではない。
どこか冷たくて、尖っていて、だけど、うれしそうで……
そのまま後半が始まるまで、視線を動かすことは出来なかった。
- 524 名前:2.Hitomi side 投稿日:2005/07/09(土) 16:01
- 後半が始まる。
変わらずに私がごっちんに舞美を任せた。
私は、まだ彼女を信じていたのかもしれない。
今朝のランニングの時に感じたことを、期待していたのかもしれない。
今朝、私の後ろについて走ってくるごっちんは、至って普通だった。
私のペースはいつもより速いくらいにも関わらず。
確かに、彼女の体は痩せているように見えて、かなりの筋肉がついている。
でもそれは、今までに見てきたアスリートのどれにも該当しない。
持久力、瞬発力、ともにバランスよく、全身に無駄なくついている筋肉といった印象。
だから、こうして私についてくることは驚くべきことじゃないのかもしれない。
第二の驚きは、砂浜を走るときのことだ。
硬い地面から一変して足元の悪い場所に入っても、彼女はすぐに走り方を覚えた。
寧ろ、砂浜の上の方が早いくらいに。
- 525 名前:2.Hitomi side 投稿日:2005/07/09(土) 16:01
- ごっちんからのパスがくる。
マークを外した私の動きが遅いと言わんばかりに、伸ばした右足でぎりぎり届く距離に。
「こっち」
手を上げたごっちんは、舞美よりも一歩早かった。
たった半時間ほど一緒にボールを蹴っただけで、アイコンタクトが成立するとは思えない。
だけど、私にはごっちんの欲しいボールが目を見ることでわかった。
私は少し浮かせたパスを返す。
ごっちんは、そのまま右足を振りぬいた。
前に出ていたののの頭上をふんわりとボールが越える。
しかし、ののもすぐにそれに気づき、懸命に下がりながら手を伸ばし、弾き出した。
シンとコートが静まり返る。
私を含め、誰もがごっちんに視線を集め、誰もが彼女に声を掛ける事が出来なかった。
- 526 名前:2.Hitomi side 投稿日:2005/07/09(土) 16:01
- ののが、ボールを投げて試合が再開する。
今度はディフェンス。
幸ちゃんからのパスが舞美へ渡る。
対面するのはごっちん。
すっと是ちゃんがフォローに入ろうとするが、それに気づいたごっちんは掌を向けて制した。
足の裏を使ってボールを扱う舞美。
上体を左右に動かし、ボールをまたいだ後に抜こうとする。
ごっちんはそれに動じずに、舞美が蹴りだしたボールを右足でそっと横へと押し出した。
通り過ぎた舞美の体の後ろに残ったボール。
ごっちんはそれを蹴りだしてドリブルを始める。
見とれていた私も、それに気づきすぐに前に走り出す。
先に走った是ちゃんとクロスするごっちん。
是ちゃんのマーカーである幸ちゃんは、ごっちんへとついていったが、足元にボールは無い。
フリーになった是ちゃんが放つシュートはネットを揺らした。
- 527 名前:2.Hitomi side 投稿日:2005/07/09(土) 16:02
- 「ナイスシュート!」
手を差し出すごっちんに、是ちゃんが複雑な表情でハイタッチを交わす。
「大体つかめて来たかな」というさっきの言葉が頭をよぎった。
完璧だよと、言ってあげたい。
まるで舞美を見ているような気持ちだった。
是ちゃんもきっとそう思ったに違いない。
逆に、舞美は表情が優れない。
今まで抜きたいように抜いてきた相手に、完璧に止められたのだから。
- 528 名前:2.Hitomi side 投稿日:2005/07/09(土) 16:03
- そのことを引きずってか、それともごっちんが上手いのか、どちらかはわからない。
ただ、ごっちんは舞美をスピードで上回っているのは確かだった。
だから、舞美はごっちんを振り切ることが出来ずに、無理な体勢でしかパスを受けることになり、簡単にボールを失う。
そして、ディフェンスの場面では、完全にごっちんが舞美を振り回していた。
ドリブルはそれほどまだ上手くは無いが、ワンタッチでボールを回すことで、ボールが奪う機会がほとんど無い。
結局それが原因で、味方がボールを奪った瞬間も、舞美はごっちんに引っ張られて、自身のゴール前にいることが多くなってしまう。
そのことも相まって余計に、彼女の運動量が増えて、スピードが落ちていく。
それが余計に、ごっちんを自由にさせ、彼女にボールを集めることにつながり……
という悪循環。
是ちゃんが本日5点目を叩き出した後に、試合は終了した。
- 529 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/07/09(土) 16:07
- 後々でてきますが、一応メンバーのポジション
()内はサッカーで言うところのポジションです。
ゴレイロ(キーパー):辻
フィクソ(ディフェンダー):是永
アラ(ミッドフィルダー):吉澤、川島
ピヴォ(フォワード):矢島
- 530 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/07/09(土) 16:12
- 意外と更新速度が上がっていない罠。
週一以下にはならないようにがんばります
>>517
できるだけ早く紺野さんがでてくるように…更新早めでがんばりたいです
>>518
後藤さんの存在自体が謎過ぎるので…そのへんのこともいい加減書かないといけませんねぇ…
書かないといけないことが多すぎる気が_| ̄|○
- 531 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/07/10(日) 00:30
- 第三部ここまで一気に読ませていただきました。こんごまの活躍ぶりも勿論で
すが、脇役好き?にとっては人の出入りの激しさがまた格別に楽しいです。
それにしても、今までとはまたガラッと変わった雰囲気になってるのはさすが
ですねえ…。
- 532 名前:通りすがりの者 投稿日:2005/07/10(日) 16:45
- 更新お疲れさまです。 よっすぃーはサルをかなり把握してますね。 ごっちんもかなり強者になりますよ。 次回更新待ってます。
- 533 名前:2.Hitomi side 投稿日:2005/07/13(水) 22:49
- ◇
「あの子、何者?」
着替えを終えた私に、是ちゃんが問いかけた。
すでにののを初め5,6人には聞かれている。
「わからない」
「は?」
ここまでのやり取りも、何回もやった。
でも、わからないものはわからない。
はっきり言って、私の期待以上だったのだから。
「サッカー選手の名鑑とか探してみる?」
ひどく滑稽な調子で自分の口から出た言葉。
載っているわけはないとわかっている。
- 534 名前:2.Hitomi side 投稿日:2005/07/13(水) 22:50
- 「そんな冗談聞きたくない」
「ごめん……」
サッカーやフットサルの動きじゃない。
それは、是ちゃんも気づいているんだ。
初めの一瞬は、舞美にも見えた。
でも、それはプレー時間が長くなると、全く違うものに見えてくる。
舞美とプレーしているときと、同じ感覚を受けるんだけど、全然違うんだ。
たぶん、どんな球技をやらせても、ごっちんは同じくらい活躍する。
センスとか、飲み込みが早いとか、そういった言葉で片付けられるような……
根本的に私たちとは違う。
短距離走の選手よりも、遅いかもしれない。
高飛びの選手よりも、飛べないかもしれない。
砲丸投げの選手よりも、力はないかもしれない。
でも、その3つの力を総合すれば、彼女は負けないに違いない。
そして、なにより反応速度。
これが段違いに鋭い。
舞美の反応速度を計測したときに、測定限界の数値が表示されて驚いた覚えがある。
だぶん、ごっちんもきっと同じ結果になるに違いない。
舞美と同じ感覚を受けるのは、きっとそういう点だったんだろう。
- 535 名前:2.Hitomi side 投稿日:2005/07/13(水) 22:50
- 最後に、彼女の視野の広さというのも、要因になってくる。
コート上の全員の動きを把握しているようにも思えた。
振り返りもしない背後のことまでもだ。。
背後でマークを外した瞬間に、私の足元へときたパス。
ゴールに背を向けたまま、是ちゃんのパスに合わせたごっちんのヒールでのシュートは、体重を移動させたののの反対側へ。
一度ならまぐれともいえるが、二度、三度と続けばまぐれという言葉では説明できない。
ごっちんには、上空からコートの様子が見ているかのようだった。
「まさか、試合に出すつもりはないよね?」
是ちゃんの語気が強まった。
決勝リーグのメンバー登録はまだされていない。
今からすべての事務手続きを済ませれば、ごっちんは出場できるかもしれない。
「まさか」
そんなつもりはない。
今シーズンを戦ってきたのは、まぎれもなく自分たちだ。
いくら巧いからといって、ごっちんをいきなり使うわけにもいかない。
キャプテンとして、それはできない選択だった。
- 536 名前:2.Hitomi side 投稿日:2005/07/13(水) 22:51
- でも……
勝たないといけない。
勝たないと、私はあの子を救えないんだから……
優勝候補の2番手だなんて、スポーツ紙は書いている。
それは正しい。
一番手は間違いなく、HPオールスターズだ。
シーズンを通しては私たちが優勝したが、それは向こうの主力が前半に相次いで怪我をしたから。
主力がそろった後半戦の追い上げはすさまじく、前半戦の貯金がなければ私たちは優勝していなかっただろう。
事実、後半戦で対戦したときは、1−3で完敗しているのだから。
だから……
だから……
私は、帰る間際にこっそりメールをした。
私たちの監督である稲葉さんに。
用件は、ただ二つ。
登録して欲しいメンバーがいるということと、誰にも言わないで欲しいということだった。
- 537 名前:2.Hitomi side 投稿日:2005/07/13(水) 22:51
- 車での帰り道、私の携帯へと届いたメールは、その返事ではなくて、安倍さんからのものだった。
普段は絵文字を連発する人なんだけど、今日のメールはシンプルなものだった。
ごっちんと一緒に、家に来て欲しいというだけのもの。
記憶を戻す方法がわかったのかもしれないと思い、私は家に帰ることなく安倍さんの病院へと向かった。
道が違うことに気づいたのか、ごっちんの表情が途中で変わった。
真剣に道を覚えているような表情が、ルームミラー越しに見えた。
鏡越しに合う視線は鋭く、私はミラーを調節する振りをして、ごっちんの視線を視界から外す。
会話をすることすらできずに、私は安倍さんの病院の駐車場へと車を止めた。
「安倍さん……覚えてるかな?この前診てもらったお医者さん」
「あぁ、あの人……」
そっけない言い方だった。
「あの人」の後に続く言葉があるようにも感じられたけど、そそくさと車から出て行ってしまったから、その続きを尋ねることもできなかった。
- 538 名前:2.Hitomi side 投稿日:2005/07/13(水) 22:52
- 今日は土曜日だから、午後ということもあり、表の入り口にはカーテンが引かれ、休診の札が掛かっていた。
だから、そこをぐるっと右に回っていく。
ごっちんは変わらず、周りを観察している。
罠でもどこかに張っているのかと、逆に私が不安になるほどに。
雅ちゃんは、ごっちんと手を繋ぎ、その様子をただただ見ている。
裏に回って、安倍という表札の横のインタ−ホンを押した。
返事も何もなく、いきなり開かれるドア。
ドアの隙間から私をのぞき、次にごっちんへ視線を移し、最後に雅ちゃんのところで安倍さんは視線を止めた。
「安倍さん?」
「ごめんね、急に呼び出しちゃって。入って」
真剣な表情から、いつもの優しい安倍さんの笑顔に戻る。
それでも、空気は緩むことは無い。
私の後ろでごっちんはどんな表情をしているんだろうか。
振り返るのが少し怖かった。
- 539 名前:2.Hitomi side 投稿日:2005/07/13(水) 22:52
- どうして、これほど警戒するのか、私にはわからない。
確かに、意識を取り戻したときのごっちんの警戒心は激しかった。
まだ眠っている雅ちゃんの横で、野良猫を思わせるようなギラギラとした視線を私に向けていた。
意識が戻ったからと、安倍さんを呼んだときも、診てもらうまでにかなりの時間を要した。
でも、最終的には安倍さんとそれなりに打ち解けているようにも見えたんだけど……
考えが読めない二人に前後を挟まれたまま、私たちは案内されるがままにリビングに通された。
「コーヒーでいい?」
「はい。お願いします」
ごっちんたちは返事する様子もなかったから、しばらく間をおいて私が答えた。
毎朝のように、コーヒーを飲んでいる二人だから、問題ないはずだ。
安倍さんの席を空け、ごっちんたちとは違う角に座る。
安倍さんの話は、ごちんに対してである可能性が高いから、お互い向かい合うように。
ほどなくして、コーヒーの独特な香りがミルクの香りに混じってやってきた。
- 540 名前:2.Hitomi side 投稿日:2005/07/13(水) 22:52
- 差し出されたそれにお礼を言ったのは私だけ。
ごっちんはテーブルに置かれたそれを、自分のほうへ引き寄せようともしなかった。
安倍さんは、それについては何も言わずに、カップにミルクを入れていた。
使う?と視線で尋ねられ、私はミルクを受け取る。
普段ならブラックでも構わないけど、この気まずい雰囲気の中では、少しでも胃に優しいものを飲みたかった。
カランカランと、部屋にスプーンでかき混ぜる音が響く。
かき混ぜる手が止まった時、安倍さんはようやく話し始めた。
「後藤さんは、両親のことを覚えて無いですよね?」
「記憶喪失って言ってるでしょ?」
「雅ちゃんはどう?」
とげとげしいごっちんの言葉は軽く受け流され、質問は続く。
雅ちゃんは、しばらく考えた後、首を振った。
- 541 名前:2.Hitomi side 投稿日:2005/07/13(水) 22:53
- 「そう……あのね、すごく申し訳ないんだけど、最初に二人を診察したときにDNAをこっそり回収させてもらったの」
「何勝手なことしてるの?」
「ごっちん」
たまらずに私は制した。
それでも、安倍さんはかまわずに話を続けた。
「二人のDNAを鑑定した結果、血縁関係にある可能性が非常に高かったの。しかも……」
「雅ちゃんが、後藤さんの母親であると考えられるの」
- 542 名前:2.Hitomi side 投稿日:2005/07/13(水) 22:54
- ◇
「DNA鑑定のあくまで結果だけど。二人のそれは極めて似過ぎている。
他人で偶然同じということはありえるの。1000人に5人くらいの割合でね。
DNA鑑定って言っても、全部のDNAを調べているわけじゃなくて、いくつかの配列の繰り返しパターンを調べているだけなんだから。
血液型の分類が多いバージョンみたいなものって考えてもらったらいいんだけど…」
言葉が頭を通過する。
理解することを拒否した頭が、右から左に通過させようとするを、懸命に頭に閉じ込める。
もっと勉強してればよかったなと思う。
高校もスポーツ推薦だし、出てすぐにプロになったから。
まともな勉強は義務教育レベルでしかない。
せめて、従兄弟のあの子がいてくれれば…
厳しい突込みをしながらも、わかるまで解説してくれるに違いないのに…
泣き言を言っても仕方ない。
安倍さんの説明は次々と続いていく。
- 543 名前:2.Hitomi side 投稿日:2005/07/13(水) 22:55
- 「遺伝子っていうのが人間を作る情報なのね。
その遺伝子の集合体がゲノムになって、ヒトではそのゲノムが2対あるんだけど…
ドラマがヒトだとするとね、
データディスクがDNA。
記録されてるデータは遺伝子に相当して、ディスクとディスクケースを含めたものが染色体。
全話分のディスクを集めたセットがゲノムになるのね。
ヒトにはそのゲノムが2個存在してて、片一方はお父さんから、もう片一方はお母さんからのゲノムをもらってできるの。
つまり、違うゲノムが一個ずつ存在しているってことなんだけど……
雅ちゃんには、同じゲノムが二つ存在してる。
そして、そのうちの一個が後藤さんと、一致した。
どういうことかわかるよね?
簡単な遺伝の問題だ。
O型のお母さんとA型のお父さんの子は、A型かO型しか生まれない。
お母さんはO型(=OO型)だから、絶対に子供にはOが遺伝するからね。
お父さんはAO型ならAかOが伝わるから、子供はAO型かOO型になる。それと同じ。
ゲノムの片方が同じということは、非常に高い確率で親子と考えるべきだよね。
ましてや、雅ちゃんは同じゲノムを二つ持ってるんだからさ……
彼女の子供には絶対にそのゲノムがあるはずだよね」
- 544 名前:2.Hitomi side 投稿日:2005/07/13(水) 22:55
- 「逆はないんですか……ごっちんが雅ちゃんの母親だってことは?」
「可能性はあるよ。
ごっちんが自分と同じゲノムの片方を持つ人との間に生んだ子だったら、そうなるかもしれない。
でもね、たぶん有り得ない」
「どうしてですか?」
「そんな血縁がどうこうといった状況証拠だけの推測よりも、もっと確実なことがいくつもわかったから」
- 545 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/07/13(水) 23:08
- 用語の解説は時間があるときにでも。
会話文ばかりですが…こういうときに紺野さんが欲しいと思ってしまいます。
>>531 一気読みありがとうございます。脇役もただの脇役にはならないように、みんなに何か1つくらい見せ場を作りたいですねぇ
>>532 フットサルシーン書くのは難しいですけど、なかなか楽しいです。後でもっともっと書いていく予定です。
- 546 名前:名無し読者 投稿日:2005/07/14(木) 11:10
- なんと衝撃な事実が・・・
確実なことってなんだろう
- 547 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/07/14(木) 23:15
- まさに衝撃の新展開ですねえ…
- 548 名前:通りすがりの者 投稿日:2005/07/15(金) 11:51
- 更新お疲れさまです。 ビビリますね、背筋がゾッとしましたよ。 あまり右脳は働かさない方なんで、理解するには時間が掛かりますが、かなりヤバいですよ。 次回更新待ってます。
- 549 名前:2.Hitomi side 投稿日:2005/07/20(水) 01:21
- 渇いて、べとべとした口を潤すためだけに、コーヒーを口に含む。
味も温度も感じなかったが、じんわりと脳が元気になっていくように思える。
カフェインとか糖分とか。
脳を元気にするらしいというのは聞いたことがあるけど、それのせいかもしれないとふと思った。
ごっちんと雅ちゃんは何を考えているのか全然わからない。
把握できていないのか、それともショックで言葉が出ないのか。
いずれにせよ、安倍さんに視線を向けたまま、じっと座っていた。
私がカップを置くのを待っていたかのように、安倍さんが話を続ける。
「人工授精と人工子宮、こうして作られた人間が本当に正常な人間であるかどうか、それは誰にもわからないことなの。
他の哺乳類では安全と言われているけど、それをヒトに応用したときに、本当に安全かどうかはやってみないとわからない。
だとしたら、そうやって生まれたヒトが、無事に成長するかどうか、追っていくしか無いの」
- 550 名前:2.Hitomi side 投稿日:2005/07/20(水) 01:21
- 「それは、ヒトで実験するってことですか?」
「ええ。それは仕方の無いことなの。一応の安全性は十分に確証した上で、更に何か起こるかもしれない。
それを実際に使いながら、追跡して調べていくことは、昔から行われていることだから。
だけど、年間に何万人って生まれる子を一人一人逐一調べていくことは出来ない。
だから、そうやって生まれた子のDNAにはラベルを施しておくの。
オーダーメイドドラッグ全盛の現代において、病気の治療の際にDNAを回収しないことは無いから。
そうやって生まれた子が、どんな病気にかかりやすいか、かかりにくいか。
疫学調査がすごく簡単に行えるというわけ。
人工授精を行うのだから、その際にDNAに修飾しておくくらい、何でもないことなんだから」
「私に……それがついてたってこと?」
ごっちんが口を開いた。
ドキリとするような低い声だった。
- 551 名前:2.Hitomi side 投稿日:2005/07/20(水) 01:22
- 「そう。雅ちゃんにはなかったけど、後藤さんにはあった。
でも、問題はそこじゃない。雅ちゃんのゲノムに修飾を施したものが、後藤さんのゲノムの片方。
だけど、一番大きな問題は、雅ちゃんと後藤さんの年齢。
どんなに科学が発達した今日でも、年をとらせることなんてできないし、ましてやタイムスリップは科学的に不可能なことだとわかってる」
そうだ、根本的にそれがおかしい。
ごっちんはどうみても雅ちゃんより下には見えない。
「考えられるのは、クローン人間。ごっちんに卵子を提供した人が、雅ちゃんのオリジナルってこと。
これだと、全ての辻褄が合うの。私もそれでいいと思ってた」
「思ってた?」
さっきから次々と色んな言い方がひっかかる。
結論を言わずに遠まわしに話していくのは、安倍さんの悪い癖だ。
私が最初に診断結果を聞くときなんて、「手術無しでリハビリ3ヶ月で治る」という言葉を聞くために、手術の方法から私の骨の形、練習の方法にまで及ぶ前置きが30分くらいあった。
「ここから先は、私の勝手な想像、いや、妄想って言ってもいい位かもしれない。要するに何の確証も無いことなの」
- 552 名前:2.Hitomi side 投稿日:2005/07/20(水) 01:22
- ◇
街灯の光が次々と車内に差し込む。
ごっちんが、ましてや雅ちゃんがどれだけ理解できているかわからない。
私自身も全然わからない。
だから、自然とそのことを話すことが出来なくなっている。
かといって、他の事を話せるような雰囲気でもない。
運転に集中している振りをして、無言を貫いているのも、いい加減しんどくなってきた。
音楽でも聴こうと思って伸ばす左手。
それにごっちんの視線が向いているのに気づいた。
「あのさ、ひとつだけ聞いていい?」
「何?」
安倍さんに対するときのように、少しダルそうな声。
私にこういった態度をするのは初めてだった。
- 553 名前:2.Hitomi side 投稿日:2005/07/20(水) 01:22
- 「ごっちんは、さっきの話を信じる?」
安倍さんが嘘をつくような人ではないことはわかっている。
だけど、嘘と信じたいようなことでもあった。
「信じるも何も、そうなんでしょ?嘘ついてないことくらい、目を見てればわかる」
「そうだけどさ……雅ちゃんは……」
そっと視線を後ろに向ける。
聞かせるべきではないことかもしれないと、私は思った。
まだ、こんな小さな子に、自分が作られた人間であるっていう事実を。
「彼女のDNAは合成されたものかもしれない。そんなことができるかどうか、わからない。
いえ、理論上では可能なの。30億と言われる塩基を合成していけば……」
安倍さんの言葉が蘇る。
その後に続くのは意味のわからない単語の羅列。
劣勢、優勢、切り出し、核外、余分な配列、結び目をほどくように……
比喩を混ぜて説明されても、何もわからない。
わかるのは、雅ちゃんが誰の子でも無いこと。
もちろん、安倍さんの推測でしかない。
推測といっても、確かめる方法なんて無い。
理論上は可能だけど、誰もやらないこと、やったことのないこと。
それを行ったかどうかなんて、やった本人以外わからない。
- 554 名前:2.Hitomi side 投稿日:2005/07/20(水) 01:23
- 雅ちゃんは、表情を変えなかった。
心があるのか疑問に思うほどに。
張り付いた能面のような。
「あのさ、全然関係ないんだけど」
後ろに意識を向けていた私に、ごっちんは急に切り出した。
「ん?」
「記憶さ、ちょっと戻ったかもしんないんだよね」
「は?」
「前見て。信号、青に変わったよ」
どうして、この子はこうなんだろう……
確かに、信号は青に変わっていたから、アクセルを踏まなきゃいけないんだけど。
サラッととんでもないことを言って、なんでもなかったように流すって……
従兄弟に似てるかもしれない。
妙にサバサバしたところと、マイペースなところ、そのくせ頭の回転が速いこととか。
意外と、会わせてみると気が合うかもしれないな。
っと、今はそんなこと考えてる時じゃない。
- 555 名前:2.Hitomi side 投稿日:2005/07/20(水) 01:23
- 「戻ったって、全部思い出したってこと?」
「いや、まだ全然。でも、なんとなくわかった。私って人に言えないような仕事してた」
「はぁ?」
「水商売じゃないからね」
「じゃあ何?」
「やっぱりそっち想像したんだ」
「してないから」
「言えないっていうのは、人を殺したり……あ、さっきのところ曲がんないといけなかったんじゃないの?」
「こっちでも同じだから」
私は勢いでそう叫んだ。
もちろん嘘だ。
思い切り曲がるところを見逃てる。
でも、何かそれを言うのが癪に障る。
そもそも、ごっちんが変なこと言い出すから悪い。
冗談でももっと上手い冗談を言ってほしい。
いくら、ごっちんが運動神経いいからって、人殺しとか……
まさか……ねぇ?
- 556 名前:2.Hitomi side 投稿日:2005/07/20(水) 01:23
- 「練習終わったくらいからかな。よっすぃたちからドリンク貰った時、変な味がしたんだ。
昔、私はどっかでその味を経験したことがあるの。何かわかんないんだけどね。
ただ、何かその時頭に舞い降りてきたんだ」
「あれ、うちら用の特別なドリンクで、めっちゃおいしんだけどなぁ。
雅ちゃんも飲んだでしょ?おいしくなかった?」
「いえ……」
その二文字だけじゃ、どっちかわからない。
たぶん、どっちでもないんだろう。
普通ってやつ。きっとそれに違いない。
「話、続けていい?」
「あ、うん…」
「フットサルやってたときから自分でもわかりはじめてきた。
よっすぃも気づいてるっぽかったけど、あの舞美ちゃんっていう子と私が同じってことね」
「あぁ……」
- 557 名前:2.Hitomi side 投稿日:2005/07/20(水) 01:24
- 淡々と話すごっちん。
どうしてそれだけ淡々と話せるのか、その神経が私には理解できなかった。
例え少しだけでも記憶が戻ったのなら、喜んだりするもんだと、私は思ってた。
それとも、戻らない方がよかった記憶なの?
ごっちんの話に集中しながら、私は間違えた道を修正しようと信号を左に曲がる。
1つ行き過ぎてるのだから、次の角を左に曲がれば同じ道に出るはずだ。
「でも、思い出したのはそれだけ。だけど、それから察すると雅は私の雇い主かもしれない」
次の角は一方通行で曲がれなかった。仕方なく私はスピードを再び上げて、もう1つ先の角に向かう。
- 558 名前:2.Hitomi side 投稿日:2005/07/20(水) 01:24
- 「こんの」
私とごっちんの間を声が通り抜けた。
声がフロントガラスに跳ね返って、私たちの耳に届くような感覚。
「後藤さんはこんのさんと一緒にいました。あと、みきさんです。みきさんとも一緒にいました」
ここまで長い文章を雅ちゃんが話したのは、初めてかもしれない。
それには少し驚いたけど、そんなことよりどうしてそれをもっと早く言ってくれないんだろうって疑問が勝った。
彼女なりに何か考えているのかもしれないけど……
確かに、名前だけで人が探せるほど、世の中狭くない。
夏焼だと、珍しいからいいんだけど、後藤とかだとどうしようもない。
こんのさんと、みきさん。
どちらも一般的な名前だ。
特にミキと言えば、すぐに思いつくのは私の従兄弟だ。
他にも、是ちゃんが美紀だし、もしかしたら三木さんなのかもしれない。
- 559 名前:2.Hitomi side 投稿日:2005/07/20(水) 01:25
- こんのさん、こっちはどうだろう?
今野、近野、紺野……
どちらにしろどこのコンノさんかはわからない。
「コンノ、こんの、コンノ、こんの……」
ごっちんはアクセントを色々変えて繰り返す。そして、次第に1つのアクセントのみを繰り返すようになった。
「こんの、だね……何か言いなれてる気がする。すごく言いやすい」
「で、思い出したの?」
「全然」
- 560 名前:2.Hitomi side 投稿日:2005/07/20(水) 01:25
- 悲壮感は微塵も無い。
書き間違えたメモを破って捨てるように、何でもない風にごっちんは言う。
思わず曲がるのを忘れそうになり、ウインカーすら出さずに私は急に左に曲がった。
「まぁ、何とかなるんじゃないの」
10分ほど余計に掛かって家に着いたとき、ごっちんが言ったのはその言葉だった。
私は、もう疲れていたからそのまま気にも留めずに流してた。
言葉とは正反対の、真剣な彼女の表情を、頭の片隅にとどめて置くことはなかった。
- 561 名前:Silent Science悪魔の辞典25 投稿日:2005/07/20(水) 01:44
- ・DNA
デオキシリボ核酸(Deoxyribonucleic acid)
専門分野以外では遺伝子と同義で使われることが多い
・遺伝子
遺伝情報を担う構造単位。
ヒトには3〜4万個の遺伝子が存在し、そのうちの99%以上がサルと同じもの。
ちなみにハエとも60%は同じです。
・ゲノム
一組の遺伝子全部の総称。
ヒトゲノムプロジェクトのおかげで、研究課題にゲノムという単語を入れれば、お金がもらえた日本の制度は間違っていると思います。
- 562 名前:Silent Science悪魔の辞典25 投稿日:2005/07/20(水) 01:44
- ・血液型
トリックから相続争いまで、推理ものに欠かせない道具。
血液型占いなんてものが存在しているのは日本だけです。
・疫学調査
アスベストでの中皮腫やじん肺とか
・タイムスリップ
理論的には「速く動けば時間はゆっくり流れる」っていうことらしいです。
・こんの
全国の苗字ランキングでは紺野は954位、今野は282位、近野は2278位、後藤は33位、藤本は78位でした。(夏焼はランク外)
(ttp://www.climbcom.com/m/ データ元)
- 563 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/07/20(水) 01:50
- 会話多すぎな展開に……
今回の詳しい解説は次回の安倍さん視点で全部。
>>546 謎解きは少しずつ少しずつ…
>>547 仕込んだ仕掛けはまだありますので、また後々にも色々と出して行きます
>>548 説明下手なので…次回にじっくり解答編にします。
- 564 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/07/20(水) 01:50
-
- 565 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/07/20(水) 01:50
-
- 566 名前:通りすがりの者 投稿日:2005/07/20(水) 20:27
- 更新お疲れさまです。 おぉっ( ̄□ ̄;) かなりな語句辞典の更新ありがとうございます。 何分理解不能なトコがありまして。 ごっちんのあの冷静さはどこからくるんでしょうか?少し寒気モノでしたね(汗 次回更新待ってます。
- 567 名前:一読者 投稿日:2005/07/21(木) 01:18
- >・タイムスリップ
>理論的には「速く動けば時間はゆっくり流れる」っていうことらしいです。
特殊相対論ですね。まあ未来には行けます。過去に戻ることはできませんが。
- 568 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/07/22(金) 01:36
- DNA辺りは特に不分明なのですが、適切な解説で大変助かります。
素人に分かり易く説明するというのは物凄く骨の折れる作業だと思いますが、
何卒頑張ってください。次回、安倍先生の謎解きも楽しみにしてますです。
- 569 名前:3.Natsumi side 投稿日:2005/07/25(月) 00:42
- <3.Natsumi side>
新しいことを調べるとき。
自分の予想と全く違うことが起こったなら、ただの間違いだと思ってやり直すか、それともどこで間違いったかを考えるか……
それとも、それを事実として認めるか。
私は1つ目を選択した。
でも、結果は同じ。
何度もやればやるほどに、ありえない可能性をより強固なものにしていくだけ。
事実は100回やり直しても変わるわけが無い。
なら、そこで考え方を改めないと、先には進めない。
なぜ、こんなことが起こりうるのか。
答えは単純。
何よりも馬鹿らしい答えだから。
認めさえすれば、すぐに解ける問題だ。
- 570 名前:3.Natsumi side 投稿日:2005/07/25(月) 00:42
- ヒトによって全てを設計されたヒト。
それが私の認めたくない解答だった。
ヒトがヒトを作るということは、数は少ないが当たり前のように行われている。
卵子と精子、いや、髪の毛一本でもあれば、試験管でヒトは作られる。
人工子宮というものの存在はそれだけ大きかった。
妊娠することなしに子どもが得られる。
安全性の評価は確定はしていない。
けれども、懐の潤った自由を求める人間が、妊娠という束縛から逃れることを拒むわけもなかった。
それならいい。
それだけならいい。
ヒトの細胞から、ヒトを作る。
生命の誕生が神の手によるものだなんて、時代遅れの宗教家かキチガイしか信じないようなものだが、やっぱり生命に対する倫理観は、誰しもが持っている。
たとえ、「授精」であったとしても、精子と卵子が一つになってヒトを生み出すから、人工子宮は反対意見も多いながらも世間に受け入れられているのだ。
- 571 名前:3.Natsumi side 投稿日:2005/07/25(月) 00:42
- もしも、その最後の神秘性である精子と卵子が必要ないのなら?
日本を含め、世界各国でクローンが原則として禁止されているのはそのせいだ。
そして、雅ちゃんの場合はクローンよりも認められない、いや誰もやろうとはしていなかったことだ。
化学反応でヒトを作り出す。
言ってしまえば、水と空気からヒトを作っているようなものだ。
細胞膜、ミトコンドリア、リボソーム、それらは人工的に作ったものなのか、それともヒトの細胞からもってきたものかはわからない。
少なくとも、わかっているのはDNAを合成しているということだ。
わかっている?
その言葉は少し変なのかもしれない。
通常、自然界で存在しているDNAとは思えないもの、ということだ。
だから、私は作ったものだと思った。
それだけのこと。
それだけのことだけど、それしか彼女の存在を説明できない。
- 572 名前:3.Natsumi side 投稿日:2005/07/25(月) 00:43
- 彼女は、誰の子供でもない。
いや、生物学的分類でホモサピエンスであるだけで、ヒトと言えるのだろうか?
ヒトが作ったヒトの形をした物。
そう言った方が正しいのではないだろうか?
自分の考えがエスカレートしていくことにゾッとする。
だけど、それを否定することがもうできなくなっている。
否定するデータよりも、肯定するデータしか出てこないのだから。
雅ちゃんのDNAは普通のヒトの1.2倍くらいの長さを持つ。
それに気づいたのは、大学の研究室で解析をしてくれている私の妹、麻美だった。
彼女が示したそのデータは、また別の意味で恐ろしいものだった。
それを、私はよっすぃたちには言っていない。言えない。
何のためにこんなことをしているのか……
- 573 名前:3.Natsumi side 投稿日:2005/07/25(月) 00:43
- ただ、それはどうして雅ちゃんは同じゲノムをもつヒトとして作られたのか。
という疑問には答えることが出来る。
劣勢表現の発現と、ゲノムインプリンティングの消失。
そして、最後に彼女のDNAに組み込まれた仕掛けを発動させるためだ。
だけど、私には彼女に組み込まれた仕掛けが何のための仕掛けかは、わからない。
データベースで探していくには余りに膨大すぎる。
そもそも、DNAの解析すら1/10も終わっていないのだから。
「Sleeping beauty」
麻美がつぶやく。
一瞬、私は意味がわからなかったが、ディスプレイにはDNA配列が映っていることがわかると、すぐにその意味を理解した。
眠り姫だなんて、昔の科学者はなかなか洒落たネーミングセンスを持っている。
しかし、それはパンドラの箱と言った方がいいものかもしれない。
- 574 名前:3.Natsumi side 投稿日:2005/07/25(月) 00:43
- 遺伝情報を正しく伝えていくというのは、種の保存という点においては第一に考えるべきことである。
遺伝子に変異が起こった細胞は異物として処理され、処理されずに残った細胞のいくつかは癌として害を与える。
正常な遺伝子を持った細胞を保持していくため、生物はいくつもの機構を持っているのだ。
しかし、その一方で高等生物はゲノムを2個持つ。
つまり、二人の親から一人の子を作るようになった。
そうすることで、その子はどちらの親にも似ているが、完全に一致しない。
遺伝情報をわざと変化させる仕組みだ。
これはどういうことか?
同一のゲノムのみを持っていたのなら、言ってみれば体質が同じであるということだ。
とすれば、ある病気が流行ったなら、全員がそれに罹ってしまう。
それを防ぐために、ゲノムを二つもち、遺伝情報に変化を与えているのだ。
これもまた、環境の変化に対応して種を保存していくために、生物が進化の過程で獲得したことだ。
そうした遺伝情報の保持と変化において、最も原始的で根本的なもの。
それがSleeping beautyだ。
- 575 名前:3.Natsumi side 投稿日:2005/07/25(月) 00:44
- ドアがある。
昔は鍵があれば、他人でもすぐに開けることができた。
しかし、時が経つにつれて、虹彩認識、静脈認証、音声認識、指紋照合といった種々のセキュリティによって、許可した者以外は開けることのできないものになっている。
それでも、昔も今も何も変わらないことがある。
それは、ドアを壊してしまえば終わりということだ。
どんなに高度なセキュリティを施しても、原始的な対処を行われると全て無意味になる。
言ってみればそういうこと。
高等動物はそのために眠り姫を、「決して目覚めることの無い」眠り姫として封印したのだ。
なぜなら、彼らにとってそれが遺伝情報の保持と変化といった高度なセキュリティを根本的に破壊してしまうものになるのだから。
それが、雅ちゃんに仕掛けられた仕組みの一つなの……
- 576 名前:3.Natsumi side 投稿日:2005/07/25(月) 00:44
- 「お姉ちゃん……これってさ……」
「うん……」
麻美にはちゃんと説明はしていない。
単に解析を頼んだだけ。
だけど、麻美は遺伝工学のスペシャリストであり、私は彼女が導いた情報から考えているに過ぎない部分も多々ある
要するに、私が考えていることのほとんどは彼女はわかっているに違いない。
それでもあえて何も言わずに協力してくれる。
そのことには感謝している。すごく。
でも、それと同時にこれ以上足を踏み入れていいものなのか、私は迷う。
記憶を失った後藤さん。
彼女の右胸の火傷の跡といい、命を狙われているか、それに等しいことであるには間違いない。
それも、雅ちゃんのこれが原因であることは想像できる。
莫大な資産と時間をつぎ込んで作られたであろう彼女の存在。
それほどの力を持った組織が彼女達を追っているのなら……
見つかるのも時間の問題かもしれない。
そして……
見つかってしまえば、私たちが調べたことをそのままにしておくわけがない。
雅ちゃんの存在自体、開けてはいけないパンドラの箱だったの?
- 577 名前:3.Natsumi side 投稿日:2005/07/25(月) 00:45
- 「麻美……」
「何?」
「データ、全部消して……」
「え?お姉ちゃん?」
「わかったでしょ?こんなことに、関わっていいと思う?」
事の重大さはわかっているはずだ。
目の下のくまをコンシーラーで隠してはいるけど、とろんと目尻の下がった目は、徹夜続きであることを物語っている。
協力して欲しいといったのは私。
できるだけ早くといったのも私。
だけど……
「お姉ちゃんが、そう言うのなら……」
小さな頃からそうだった。
麻美は昔からこの台詞をよく言った。
それは、私が少し人よりも成長が早くて。
人よりもほんの少しだけいろんなことが出来たから。
遺伝子に関しては確実に麻美の方が上。
だけど、まだ彼女は私の言葉を信頼してくれる。
私の判断が間違ってるとは決して言わない。
- 578 名前:3.Natsumi side 投稿日:2005/07/25(月) 00:45
- それがいいことなのか、私にはわからない。
だけど、友達の頼みとはいえ、赤の他人のことで麻美まで危険に巻き込むことはできなかった。
「本当に消すよ」と再度念を押す麻美に、私は心の中で「ごめん」といい、首を縦に振った。
全てのファイルとサンプルを処分するのを確認すると、私は送ってくよと言って、彼女を車に乗せた。
最近は病院は忙しいの?という感じの他愛も無い話を麻美は振ってくる。
彼女なりの気遣いなんだろう。悪いのは私なのにね。
何か食べにいく?という私の提案は、今日はやめとくと却下された。
あくびをかみ殺す彼女の様子は、食欲よりも睡眠欲の方が上だった。
寝ていいよとは言えなかった。
そう言えば彼女は気を使うだろう。
いつもそう。
二人きりの姉妹なのに、麻美は私に気を使う。
子どもの頃はそれが心地よかった。だけど、大人になるとそうでもない。
だけど、今までそれが余りに当たり前すぎて、直すことができなくなっていた。
- 579 名前:3.Natsumi side 投稿日:2005/07/25(月) 00:45
- 頭が左右に揺れてきたのを見て、私はラジオを止めた。
それに気づいてか、パッと顔を上げる麻美。
「寝てた?」
「ううん。ちょっと寄り道してくけどいい?」
麻美は返事をしたが、しばらくするとまた頭を左右に揺らし始めた。
寄り道なんてするわけない。
起こさないように、丁寧に運転しながら、私は自分の家へと向かった。
家に着く頃には麻美はもうぐっすりと眠っていた。
助手席から抱きかかえても、起きる気配は無い。
- 580 名前:3.Natsumi side 投稿日:2005/07/25(月) 00:46
- その姿に、私は逆に後悔しはじめていた。
ここまで麻美が一生懸命手伝ってくれたのに、放棄していいの?
雅ちゃんに関わることが、危険なことかもしれないけど……
誰も知っていないこんな事実を、私が黙殺したら……これからこんな子が次々と増えてしまったら……
命ってどうなるの?
背中に麻美を背負いながら、ドアを開けて部屋に入る。
自動に点灯する明かりが、今日ほど便利だと思う日はなかった。
でも、それと同時に起きてしまわないか心配でもあったが、麻美は眠ったままだった。
ベッドに運んで彼女を寝かせる。
麻美の顔に掛かった髪を掃い、そのまま頭を軽くぽんぽんと叩いた。
- 581 名前:3.Natsumi side 投稿日:2005/07/25(月) 00:46
- 翌朝、麻美を家に送った後、車を降りた麻美が運転席の窓を叩いた。
「どうしたの?」
「これ」
差し出されたのは3枚のチップだった。
「一応昨日までのバックアップだから。他にはもう持って無いよ。ちゃんと全部消したから」
「麻美……」
「捨てちゃっていいよ。でも、お姉ちゃんはそれでいいの?
私はお姉ちゃんの判断をいつも信じてる。もう一度私が力になれるならいつでも言ってね」
私が何か答える前に、それだけ言うと家へと走っていく麻美。
家に入っていく麻美の姿が消えると、私は手に残されたチップに視線を落とす。
パンドラの箱、か……
これを解析してしまえば、最後に希望はでてくるの?
- 582 名前:Silent Science悪魔の辞典26 投稿日:2005/07/25(月) 01:05
- ・ホモサピエンス
Homo sapiens
現代人の学名。dd。
・劣性表現の発現
2本のゲノムがともに同じ遺伝子をもっていないと発現しないものが劣性。
例えはあまりよくないですが、血液型でAOだとA型になるのは、Aが優性で、Oが劣性だから。OOでないとO型にはならない。
・ゲノムインプリンティング
父親由来のゲノムと母親由来のゲノムがたとえ同じゲノムであっても、どちら由来かということで機能が変わってくる現象。
・コンシーラー
主にくまやくすみ、しみ、そばかすを消すことに使用される化粧品
- 583 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/07/25(月) 01:10
- どんどんわかりにくくなってるというか、ただ単に説明下手なだけですね……
用語の大半は無視していただいても結構です。
>>566 理解不能なのはこちらの不手際です。何度も出てくる言葉以外は物語とはそれほど関係ないので、適度にスルーしてください。
>>567 特殊相対性理論ではそのようですね。フォローありがとうございます。
>>568 更にわかりにくくしているようでごめんなさい。結論以外の思考は適当に流しておいていただけると……
- 584 名前:通りすがりの者 投稿日:2005/07/25(月) 18:11
- かなり複雑ですが・・・かなり右脳がさえます{笑 作者様は自分の尊敬する方の一人なんで、応援してます。 この先が気になりますね。 次回更新待ってます。
- 585 名前:4.Miyabi side 投稿日:2005/07/28(木) 00:46
- <4.Miyabi side>
窓から差し込むお月様は、満月を数日前に過ぎたものでした。
雲がかかっているので、輪郭がぼんやりとしたお月様。
私は、吉澤さんのところに着てから、毎日毎日お月様を眺めています。
それまで、私はそれを見たのは数えるほどでした。
というより、空を見ること自体、あまり無いことでした。
だけど、私はそれを疑問には思いませんでした。
友理奈ちゃんや、梨沙子も同じはずです。
私たちは、ずっとあの施設にいることが当たり前のことだったのですから。
- 586 名前:4.Miyabi side 投稿日:2005/07/28(木) 00:47
- 安倍さんの話を聞いて、私は半分も理解できませんでした。
「でぃーえぬえー」というものが何かすらわかりません。
でも、そんな私でもわかることは、自分にはお父さんもお母さんもいないということでした。
ショックは余りありませんでした。
元々、お父さんもお母さんも話で聞いたり、TVで見たりするだけの存在でしたから。
小さい頃は、泣いていたと思います。
私のお父さん、お母さんはどこ?と。
だけど、今更、無い事が当たり前になっていて、何も感じません。
いないものをいないと言われても、やっぱりいないんですね、以外に思うことはありません。
「風邪引くよ」
背後の窓がガラガラと開けられて、後藤さんが言いました。
シャワーを浴びた後、パジャマのままでベランダで座っているのだから、当然です。
10月も終わりに差し掛かった今では、夜になるとそれなりに寒くなっています。
後藤さんはベランダに出てきて、私の横に座ると上着をかけてくれました。
- 587 名前:4.Miyabi side 投稿日:2005/07/28(木) 00:47
- 「ありがとうございます」
「どーいたしまして」
会話が途切れます。
考えてみれば、毎日同じベッドで後藤さんと寝ているのに、ここに来てからは二人きりで話すことは余りなかったように思います。
それは、後藤さんが記憶をなくしていたというのも、一つの要因ではあるのですが、私自身、余り多くを話さないことにしています。
巻き込みたくないんです。
後藤さんは、被害者です。
あの時、後藤さんが優しく手をつないでくれたから。
私は誘惑に負けて、後藤さんと一緒にいることにしました。
そう、私のせいです。
最初は外の世界を見てみたかっただけでした。
見て回ったら戻ってもいいと思っていました。
だけど……
- 588 名前:4.Miyabi side 投稿日:2005/07/28(木) 00:47
- 後藤さんは、私を守ると言ってくれました。
それは、すごくうれしかったです。それと同時に、この人なら、私を守ってくれるんじゃないかと思いました。
でも、結果は今のとおりです。
命があるだけましという状態です。
後藤さんは紺野さんのことを忘れています。
私にかかわったおかげで、後藤さんの日常はもうめちゃめちゃになっています。
実際に、人も死にました。
たくさんの人が死にました。
私はやっぱりあそこに戻るべきだと思いました。
ここに来てから何度もそう思いました。
だけど、駄目なんです。
後藤さんが一緒に居てくれる。それが私の中で消えないのです。
「雅の考えてることさ、なんとなくわかるんだ」
「え?」
後藤さんは視線を前に向けたまま言いました。
月明かりに照らされた横顔は、あの時、私をアヤカさんの車から助けてくれた時とだぶって見えました。
- 589 名前:4.Miyabi side 投稿日:2005/07/28(木) 00:48
- 「私は雅を守りたいって思う。それは記憶をなくした今でも思うんだ。目が覚めて、雅を見た瞬間、そう思った。
きっと、もう一度記憶をなくしてもそう思うって確信してる。恋とかじゃないよ。なんだろうな、雅と私は、同じなんだ」
「同じ……ですか?」
胸がキュッと痛みました。それは、守ってくれるという言葉が聴けたうれしさからではありません。
後藤さんの言葉のどこかが、私の寂しさの琴線に触れているのでした。
「うん……匂いっていうか……まぁ安倍さんに言わせれば私と雅は半分同じだから当然なんだけど……」
半分、同じ。
後藤さんの半分は、私と同じ。
私の全ては、後藤さんの半分と同じ。
天秤は、傾いちゃいますね。
私は後藤さんが全てなのに、後藤さんは私が半分なんですから……
訳のわからないことを考え始める頭を止めようと左右に振ると、後藤さんは手を回して私の頭を抱き寄せてくれました。
- 590 名前:4.Miyabi side 投稿日:2005/07/28(木) 00:48
-
「だから、気にしないで。きっと、前の私も守りたいから雅を守ったんだよ。今の私が保証する。
だからさ、壁を作らなくていいんだよ。私がさ、雅を守ってあげるからさ」
私はすぐに答えることができませんでした。
それはとても甘い誘惑でした。
この人と一緒にいれたら大丈夫という思いと、この人と一緒にいたいという気持ち。
その二つが大きくなり、この人を巻き込みたくないという気持ちは隅に追いやられてしまいました。
だけど、それは今度こそ後藤さんの命に関わるかもしれません。
ふっと松浦さんの顔が浮かびました。
後藤さんと決着をつけるといったあの人の顔。
真剣でした。
何としてでも私たちを探して、後藤さんに銃口を向けるに違いありません。
今、この瞬間も私たちを探しているのかもしれません。
- 591 名前:4.Miyabi side 投稿日:2005/07/28(木) 00:48
- 「雅」
すぅっとその言葉は胸のもやもやを取り去りました。
あの時と同じ。
他の誰でもない、私を呼んでくれる後藤さん。
私を、必要としてくれる後藤さん。
その言葉に、少しもぶれるところはありません。
真っ直ぐに、私だけに語りかけてくるその言葉。
私は答える代わりに後藤さんに抱きつきました。
絶対に、離れないように。
何がおきても、もう二度と離れないように。
「それでさ、私に1つ考えがあるんだ」
後藤さんはひどく落ち着いた声で言いました。
- 592 名前:4.Miyabi side 投稿日:2005/07/28(木) 00:49
- ◇
「おはよ」
「おはようございます」
今日は後藤さんは早朝ランニングについていっていないようでした。
私が起こされたときには、既にパンに焦げ目がついていて、オムレツと牛乳がテーブルに用意されていました。
「おはよー」
遅れて吉澤さんが濡れた髪をふきながら入ってきます。
「おはようございます……あの、何か?」
じっと私の顔を吉澤さんは覗き込みます。
- 593 名前:4.Miyabi side 投稿日:2005/07/28(木) 00:49
- 「ん……べっつに……いい顔してるなって。ごっちん、ひょっとして変なことしてないでしょうね?」
「してないってば。よっすぃじゃ無いんだから」
「失礼な……」
「昨日、夜遅くに女の子に電話してたくせに」
「あ、あれは従兄弟だってば」
二人のやり取りに、私は思わず笑みがこぼれます。
すると、二人は同時に私を見て、それから二人で何か目で合図をし合っていました。
もちろん、それが何を意味しているかわかりません。
「ご飯、食べよ。今日はゆで卵やめてオムレツにしたよ」
「えええ……」
「だって、よっすぃに任せると毎日ゆで卵なんだもん。雅もいい加減飽きたよね?」
「あ、まぁ……」
チラッと吉澤さんを見ると、予想外に余り怒っているようには見えませんでした。
どちらかというと、ニヤニヤしているといった風です。
- 594 名前:4.Miyabi side 投稿日:2005/07/28(木) 00:49
- 「よっすぃ、雅に手を出したら……殺るよ?」
「ごっちんが言うと冗談に聞こえないから」
「冗談のつもりはございませんが?」
「……ちぇ」
「やっぱり狙ってたの?」
二人のペースはいつもと変わりません。
後藤さんの過去、私のこと、いろんな情報が昨日一日で明らかになりました。
それでも、こうして変わらずに接してくれる吉澤さんは、本当にいい人です。
- 595 名前:4.Miyabi side 投稿日:2005/07/28(木) 00:49
-
「あのさ……」
「今日、ちょっとついてきて欲しいところがあるんだけどいいかな?」
朝食を終えた後に、吉澤さんは言いました。
丁度、後藤さんが昨日私に話した考えを言おうとした時にかぶさるように。
逆かもしれません。
どこか、吉澤さんは後藤さんの雰囲気に気づき、タイミングを見計らっていたようにも、思えました。
後藤さんもそれに気づいたのか、素直に了解しました。
私も反対する理由はありません。
「二人に、会って欲しい子がいるの。それでね……後でごっちんにちょっとしたお願いがあるんだ」
「準備してくるね」と言って席を立った吉澤さんからは、先ほどまでのおちゃらけた雰囲気は一切感じられませんでした。
- 596 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/07/28(木) 00:53
- 一転して落ち着いた感じで。
先日の大会でガッタスが優勝ということで、もうそろそろ作品の方でもフットサルをやらせたいところです。
>>584 嬉しいお言葉をありがとうございます。ご期待を裏切らないようにがんばっていきたいです。
- 597 名前:通りすがりの者 投稿日:2005/07/28(木) 14:06
- 更新お疲れさまです。 おぉっ( ̄□ ̄;) 優勝ですか、おめでとうございます!! よっすぃーの提案とごっちんの提案、かなり気になりますね。 次回更新待ってます。
- 598 名前:konkon 投稿日:2005/07/29(金) 23:52
- やばっ、シリアスよしごま最高です!
何が起こるかわかりませぬが、今後も楽しみに待ってます。
- 599 名前:4.Miyabi side 投稿日:2005/07/30(土) 19:13
- ◇
吉澤さんの車で連れて行かれたところは、小さな建物でした。
周りに建つ家よりも明らかに古くて低い2階建ての建物。
黒い柵が周りを囲み、だけどその中には色鮮やかな滑り台やブランコといった遊具がありました。
中に入ると一人の女性が中から出てきました。
「こんにちは」
「あ、よっすぃ、久しぶりやね」
女の人は私と後藤さんを交互に見て「お友達?」と尋ねました。
吉澤さんはうなずいた後、「後藤さんと雅ちゃん」と私たちを紹介しました。
- 600 名前:4.Miyabi side 投稿日:2005/07/30(土) 19:13
- 「あぁ、これがあの……」
瞬間、後藤さんの気配が変わります。
表情には出していませんが、発する空気が全く別のものでした。
「そんな、身構えんといてぇな。よっすぃからちょっと聞いてただけや。女の子二人拾ったってな」
稲葉貴子、とその女性は名乗りました。
だけど、後藤さんは逆に警戒心を隠すことを止めました。
「ごっちん」
「会わせたい人ってこの人?」
後藤さんは稲葉さんを指で刺します。
困ったように稲葉さんは笑いました。
- 601 名前:4.Miyabi side 投稿日:2005/07/30(土) 19:14
- 「ん、まぁ会わせたい人ではあったけど、別。稲葉さん、加護ちゃんいます?」
「あぁ……加護ちゃん、な……そうやな……病院は明日やから、寝てなかったら会えるよ」
さっきまでとはトーンの違う声でした。
二人に連れられて建物の中に入ります。
茶色のドアを開けて中に入った瞬間、私の中に込み上げてくるものがありました。
広間、吹き抜け、テーブル。
少しくすんだ白い壁、何か印象の違う光、そして、ほのかに消毒液の匂いの混じる空気。
それらが私の中の何かに語りかけます。
悲しいような、それでいて懐かしいような。
何ともいえない感覚が、胸の中に広がっていきます。
- 602 名前:4.Miyabi side 投稿日:2005/07/30(土) 19:14
- 奥のドアが開き、子供たちが声を上げて雪崩れ込んできました。
私と同じくらいか、それよりも下か……
だけど、誰もがどこか変でした。
変という言葉を使うのは、よくないかもしれません。
けれど、彼女たちの様子は、違和感を十分に覚えてしまうようなものでした。
赤い目をした子、体のバランスがおかしい子、関節の向きが違う子、髪の毛の無い子……
みんなそれぞれ何かしら正常ではありませんでした。
「こら、お客さん来てるんやから、ちゃんと挨拶しなさい」
「こんにちはー」
口々に言われる言葉は不ぞろいで、不鮮明で……
私たちはその子達の前を通り過ぎて、一番近い部屋に入りました。
- 603 名前:4.Miyabi side 投稿日:2005/07/30(土) 19:14
- 「驚いたやろ?」
ドアを閉めながら稲葉さんは言います。
私も後藤さんも答えられませんでした。
「ええねんで。誰でもそう思う。近所の子たちはお化け屋敷やなんていう子もおんねん」
吉澤さんは私たちの会話から遠ざかるように、部屋の奥に進んでいきました。
「ここはな、特殊な孤児院なんや。あの子らには親御さんはおらん。といっても、捨てられた子が大半何やけどな」
奥の方で吉澤さんが、誰かと話し始めているのがわかりました。
白いカーテンがあるので、姿は見えませんが、様子から察すると、先ほど名前の挙がった加護さんということはなんとなくわかりました。
- 604 名前:4.Miyabi side 投稿日:2005/07/30(土) 19:15
- 「後藤さん、やんな?」
「はい」
「遺伝子診断って知ってるやろ?」
「まぁ人並みには」
「今の時代、それをせずに生まれた子ってどれくらいおると思う?」
「知らない。考えたことも無い」
「5万人くらいやって。それも曖昧なもんや。遺伝子診断無しっちゅーことは、正規に病院に罹ってない子なんやから」
「つまり、そういう子の集まりがここってこと?」
「頭ええね。そりゃフットサルもすぐ上達するはずや。でもちょっとちゃうよ。
そうした子でもな、正常な子やったら親も捨てることはないねん。ここに来るのは異常な子や。
遺伝子疾患や奇形の子。そんな子を受け入れてる施設やねん」
トクンと胸が鳴りました。
自分が持っていた感覚が、ようやく何かわかりかけてきました。
- 605 名前:4.Miyabi side 投稿日:2005/07/30(土) 19:15
- 共通点は少ないです。
だけど、確かに同じものがあります。
私が居たところと、同じ感覚。
それが確かにここにはありました。
そう、あの子達は、私なんです。
ここは、私のいた所と同じなんです。
すっと私の手がとられます。
後藤さんだということに気づいたのは少し後でした。
- 606 名前:4.Miyabi side 投稿日:2005/07/30(土) 19:15
- 「あそこにおる加護ちゃんはな、太陽の光にあたれん子や。紫外線って知ってるやろ。あれに当たると皮膚がんになってしまうんや」
「……」
「この施設のガラスは全部紫外線をカットできるようにしてる。でないと、あの子は生きてかれへんねや。
この施設でしか生きていかれへん。外に出る時って言うたら、夜中か、それか防護服を着んとあかん……
それでも、長い間は外に出とられん。あの子はなんも悪いことしてない。何もな。悪いのはあの子の親や。
検査さえ受けてたら、あの子は外で元気に遊べる子になったはずやねん……」
言葉が頭の中を通り過ぎます。
奥から聞こえる女の子の笑い声が、余計に私の胸を締め付けます。
「よっすぃにお願いがあるって言われたんやろ?」
後藤さんは頷きます。
いつの間にか、後藤さんから警戒心が解けていることに気づきました。
「行ってき。そんで、できたらあの子の願い聞いたってくれんか」
後藤さんの背中をポンと押します。
手は離さないまま、私たちはゆっくりとカーテンの向こう側へと行きます。
- 607 名前:4.Miyabi side 投稿日:2005/07/30(土) 19:16
- 声を出せなかったことは、私にとって救いでした。
必死に表情を戻します。
手を含め、顔の数箇所に大きく、はっきりとした赤い爛れが広がっていました。
骨だけともいえる手は、血管が浮き出ていて……
「加護ちゃん、こっちはごっちん、隣は雅ちゃんね」
吉澤さんに紹介されて、私は笑顔を作ります。
私は自分を恥じていました。
咄嗟に、彼女のことを悪く思ってしまった自分が嫌でした。
彼女がそうなのは仕方の無いことなんです。
私と何が違うんでしょう?
作り物の私は、人間かどうかすら怪しいのに……
- 608 名前:4.Miyabi side 投稿日:2005/07/30(土) 19:16
- そんな心を見透かしたかのように、加護さんは少し違う笑みを私に向けました。
ただそれだけです。
加護さんはそれ以上何も言いませんでした。
だけど、それだけということが余計に、私の心に重くのしかかりました。
罵倒してくれた方がいい、最低と言われたほうがいいのです。
目の前で行われている会話を、私は全く覚えていません。
加護さんの目を見ることが出来ませんでした。
もちろん、吉澤さんの目も。
「帰るよ?」と後藤さんが手を引いてくれるまで、何一つ。
去り際に、加護さんに手を振る後藤さんに倣って、手を振りましたが、それも形だけ。
開いた手を揺らしているだけ以上の意味はありませんでした。
- 609 名前:4.Miyabi side 投稿日:2005/07/30(土) 19:16
- ◇
「もう先は長くないの」
車のエンジンをかけながら、吉澤さんがぽつりと言いました。
主語がなかったのですが、それが加護さんをさしているのは明白でした。
「今は薬でなんとかごまかしてるけど、長くて2,3年くらいって」
「ふぅん……」
治す方法は?とは聞けません。
治せるならとっくに治しているはずです。
「だけどね、ようやく治る可能性のある方法が見つかったんだ……だけどね……」
「だけど?」
「お金が掛かりすぎる。稲葉さんがあの施設やってるのも完全にボランティアだからさ……」
後藤さんは窓の外を見ていました。
ポツポツと降り始める雨が、フロントガラスに細かな水滴を敷き詰めていきます。
- 610 名前:4.Miyabi side 投稿日:2005/07/30(土) 19:17
- 「今度の決勝リーグで優勝すれば、いいんだ。そうすれば、治療費は足りる。
ごっちんが覚えてるかわかんないけど、練習のとき見てた雑誌、あそこには私たちは2番手って書かれてるんだよね」
「あぁ……」
「あれは、本当なんだよね。というより、HPオールスターズが強い……」
「でも、優勝したんでしょ?」
「まぁ…でもあれは怪我人のせいだよ……実際、メンバーが揃ったときには何も出来ずに負けてる」
「ふぅん……」
その言い方で、私もわかりました。
吉澤さんの言いたいこと。
後藤さんの考えていること。
吉澤さんのお願い。
後藤さんの提案。
知らないのは吉澤さんだけ。
- 611 名前:4.Miyabi side 投稿日:2005/07/30(土) 19:17
-
「私、よっすぃにお願いして試合に出ようと思うんだ」
昨日、後藤さんは私にそう言いました。
「試合に出て、全国にTV放送されて、ニュースが流れて……そしたら、私を知ってる人、前に雅が言ったコンノやミキさんの目につくかもしれない」
「でも……それは……」
松浦さんにも見つかってしまいます。と思わず名前を出しそうになり、私は言葉を止めました。
「雅の心配もわかる。私たちが誰かに追われているなら、その人たちにも見つかっちゃう。
だけどね、このままじゃダメだと思う。このまま、私の記憶が戻るまでこうしてよっすぃと暮らしててもさ、何の解決にもなら無い」
「それは……そうですけど……」
「私を信じて欲しい。雅を、絶対に守るから」
小指を私に向けました。
細くて長い指。
伸びた爪に月明かりで透けていました。
それに指を引っ掛けます。
「ゆびきりげんまん……」
口に出す後藤さんの後に続き、私も言います。
ぎゅっと固く結んだ小指。
絶対にこの指が離れないようにという願いを込めて。
- 612 名前:4.Miyabi side 投稿日:2005/07/30(土) 19:18
- 「だから……ごっちんには試合に出て欲しい。紅白戦の出来を見ていたら、ごっちんは十分戦力として通用するからさ……
もちろん、全試合ってわけじゃない。HPオールスターズ戦だけでもいい……お願い、できるかな」
「……」
二人の考えが一致した言葉。
後藤さんは窓の外を見たまま。
表情が見えないので、何を考えているのかわかりませんでした。
雨は尚も激しくフロントガラスに落ちてきます。
雨音が支配する車内。
吉澤さんは、ただただ後藤さんの言葉を待っていました。
「……教えてね」
「え?」
「ルール。だって、よっすぃこの前全然教えてくれなかったじゃん」
「あ……あぁ、もちろん」
振り返った後藤さんの顔は笑顔でした。
吉澤さんも笑顔。
私も、そんな二人を見て自分が笑っている事に気づきました。
だけど、私たちは誰も考えていませんでした。
この雨が、私たちの前途を予告していたということを。
- 613 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/07/30(土) 19:23
- 別に夏休みがあるわけでは無いのですが、夏の間はペースアップでいきたいです。
>>597 最近ちょっとした謎でひっぱり過ぎな気がしてきました。でも、気にせずに引っ張っていきます。
>>598 意外とこの二人いいコンビかもしれないです。書いてて楽しいのでこれからも増やしたいです。
- 614 名前:通りすがりの者 投稿日:2005/07/31(日) 08:49
- 更新お疲れさまです。 ハァー( ̄◇ ̄。) ついに動き始めましたね。 この判断で吉と出るか凶と出るか。 次回更新待ってます。
- 615 名前:5.Maki side 投稿日:2005/08/03(水) 01:32
- <5.Maki side>
「是ちゃん!」
「オッケー」
コートの端から端までボールが横切り、オレンジの7番の足元に収まった。
すかさず近づいてくる相手をあざ笑うかのように、ヒールで後ろに流す。
その先には、さっきパスを出した10番が走りこんでいた。
振りぬいた右足。
キーパーは一歩も動けずに、ボールはネットに突き刺さった。
ホイッスルが鳴る。
残り時間2分という時点で、決定的な3点目。
対する相手のスコアは0。
いくら私が素人だと言っても、追いつけるわけが無いことはすぐに理解できる。
試合はそのまま終了を迎えた。
- 616 名前:5.Maki side 投稿日:2005/08/03(水) 01:32
- 私と雅はベンチに入って試合を見ていた。
周りを囲む観客は、半分以上がオレンジ。
それは、夕日に照らされたからではなかった
鳴り止まない拍手と歓声。
夕日に背中を照らされるよっすぃたちは、素直に格好よかった。
- 617 名前:5.Maki side 投稿日:2005/08/03(水) 01:33
- 「やるじゃん」
「ん、勝って当たり前の相手だからね」
帰りの車の中で、車を運転するよっすぃは、そっけなく言った。
試合後にシャワーを浴び終えた彼女の髪はまだ濡れていた。
運転席の窓だけ半分くらい開けているので、吹き込む風に乗せて、シャンプーの香りが車内に広がっていた。
ラジオを通して、さっきの試合の結果が速報で流れている。
一点目は川島さんがカウンターからキーパーの股を抜いた。
二点目は是永さん。
よっすぃのキックインを頭であわせたもの。
そして、三点目はよっすぃ。
辻ちゃんが決定的なシュートを2本止めたというものあるが、完勝だった。
そんな中、一人動きがおかしかったのは舞美ちゃんだった。
動きがちぐはぐで、フリーでパスをもらうシーンがほとんどなく。
パスを受けても、すぐに周りに渡していた。
シュートすら打っていないように思える。
それに気づいていたようで、稲葉さんは前半終了後に彼女をベンチに下げた。
- 618 名前:5.Maki side 投稿日:2005/08/03(水) 01:33
- そう、私はすごく驚いたんだけど、稲葉さんはこのチームの監督だった。
会うなり、「今日は絶対使わんからね」と小声でささやかれたが、最初は何の意味かわからなかった。
是永さんたちが監督と呼ぶのを聞いて、ようやく理解したと同時に、なぜか少し嵌められたような気もした。
あそこで見たときとは違い、試合中の稲葉さんにはオーラがあった。
よっすぃが言うには、すごく有名な選手だったんだけど、怪我のせいで26歳という若さで引退して指導者になったらしい。
名選手=名監督という公式は必ずしも成立しないことは、過去の歴史が証明しているのだけど。
この人は迷監督では無いらしいことは、なんとなくわかった。
それよりも心配なのは、舞美ちゃんの方だ。
練習の時、一度見ただけだから、彼女の本調子がどれかわからないけど……
後半開始からタオルで頭を覆っていた彼女は、試合を見ていたかどうかさえ怪しいほどで……
それに対して誰も声を掛けてあげられないことが、彼女が不調であることを物語っていた。
- 619 名前:5.Maki side 投稿日:2005/08/03(水) 01:33
- ラジオの速報はもう一試合の結果を告げる。
3−1でHPオールスターズの勝ち。
どうやら優勝候補というのは間違いないらしい。
あさみという選手が全得点をたたき出していた。
「あさみちゃん、絶好調だねぇ……」
よっすぃは苦笑い。
「彼女、得点王なんだよね」とも付け加える。
「ふーん」
得点を取っていく競技なんだから、一番得点を取る=一番上手いということには決してならないけど、それに近いものがあることは確かだろう。
反対に、こっちのチーム内得点王は絶不調。
- 620 名前:5.Maki side 投稿日:2005/08/03(水) 01:34
- 「舞美ちゃんさ、おかしかったよね?」
「ごっちんもわかったんだ?」
「さすがにね。この前とは全然違ったもん」
「だよね……稲葉さんも、ずっと舞美を使ってきたんだ。この子は絶対将来の日本のエースだっていつも言っててさ。
シーズン始まった頃は全然ダメだったのね。それでも、使い続けて、ずっとずっと使い続けてさ……
結局終わってみればうちで一番点を取ってたんだよね」
「……」
「だから、稲葉さんが今日、交代させたときは驚いた。きっとショックだったんじゃないかな。舞美も」
「だろうね……」
期待されている事に答えられないという経験は、私にもある。
仕事を始めて、ようやくそれなりの任務を与えられたとき、1度あった。
信頼と報酬はもちろん0となり…周りの仲間が死んだ。
失敗は許されないと、身をもって知らされた。
それからは、失敗することは無い。
あの時、失敗していたから……その覚悟が出来たんだ。
- 621 名前:5.Maki side 投稿日:2005/08/03(水) 01:34
- 「次はいつ?」
「明後日の木曜日」
「3試合目は?」
「土曜日」
「そっか……」
「勝てるの?」なんて聞けなかった。
勝たなきゃいけないのだから。
私が試合に出ることを承諾したのは、別に加護ちゃんのことがあるからというわけではないことを、雅はわかっている。
わかってないのはよっすぃだけ。
もちろん、そんなことを教えるつもりは無い。
私が第一に考えないといけないことは、雅のこと、そして自分のこと。
それくらいの優先順位は誰にだってわかることだ。
それでも、よっすぃにはお世話になったんだから。
恩返しをかねて、加護ちゃんのためということにしていればいい。
その方が、お互いスムーズにいけるし、きっと私がチームに入ることで生まれるであろう歪みを少なく出来る。
よっすぃと稲葉さんは、少なくとも私が出れるように全力でサポートしてくれるのだから。
- 622 名前:5.Maki side 投稿日:2005/08/03(水) 01:34
- それと同時に、今週でもうよっすぃとはお別れなのかなと思う。
コンノやミキさんがわかったのなら。
私が追われているのが誰かわかったら。
こうして、よっすぃの車の助手席に座ることは無いのかもしれない。
「もうすぐ、ごっちんともお別れだね」
「ん……あぁ」
どうやら同じことを考えていたらしい。
なんだかんだ言って、よっすぃとは考えの一致することが多かった気がする。
これが、合ってるってやつなのかな。
会話が止まる。
たぶん同じ。
よっすぃも同じこと考えるんだと思う。
- 623 名前:5.Maki side 投稿日:2005/08/03(水) 01:35
- 「もっと、違う形で会えたらよかったかもね」
私は言う。それは本心ではなくて。
こんな形で会ったからこそ。私とよっすぃはこうしていれるってわかってる。
だから、よっすぃも頷かない。
「いや、ごっちん、まだ終わりじゃないから」
「そうだけどさ……たぶんさ……」
「たぶん?」
こんなこと言う機会、もうないかもしれないからさ。
下を向き、息を吐かずに唇だけ動かす。
耳に掛かった髪の毛がはらりと落ちて、よっすぃには見えないはずだった。
仮に見えたとしても、唇の動きだけで何て言ったかなんてわかるはずがない。
それでも、よっすぃはそれ以上尋ねることなく、会話を止めた。
わかっているのか、わかっていないのか。
よっすぃの横顔は、それを判断させないほど微妙なものだった。
- 624 名前:5.Maki side 投稿日:2005/08/03(水) 01:35
- 会話が止まる。
よっすぃが何を考えているのか、今度はわからなかった。
角を曲がっても、信号で止まっても。
よっすぃは無言で。
私も無言で。
後部座席にいる雅も、まるで気配がしないほどに、無言のまま……
無言のまま……
後ろをちらりと見る。
ルームミラーは私の角度からは見えない。
いや、運転席の真後ろで、窓にもたれるようにしている雅は、ルームミラーからも死角だった。
寝ているのかなと最初は思った。
けれど、ちゃんと後ろを見直したとき、異変に気づいた。
目を瞑ったまま。
力なくだらりと垂れた両手。
窓にもたれているのではなく、体が支えられていないことに気づく。
- 625 名前:5.Maki side 投稿日:2005/08/03(水) 01:35
- 「よっすぃ、止めて!」
急ブレーキが掛かる。
雅が、運転席に頭をぶつけそうになるのを、私は右手を伸ばし、掌で彼女の頭だけを受け止めた。
もちろん、それは一時しのぎにしかならず。
ぐにゃりと折れた彼女の体は座席から滑り落ちた。
よっすぃがすぐに車を降りて、雅の傍のドアを開ける。
体を後ろから支えてくれるのを確認し、私は手を離して、後部座席へと移動した。
「すごい、熱……」
よっすぃが言う。
私は自分の掌がべっとりと濡れている事に気づく。
首筋に張り付く髪。
小さな手は汗でびっしょびしょで。
それでも呼吸は荒くなく、寧ろ弱々しいほどだった。
- 626 名前:5.Maki side 投稿日:2005/08/03(水) 01:36
- 「安倍さんのところ……20分くらいでいける」
「お願い」
私は後部座席に残り、雅の体を抱き寄せる。
上着のボタンをいくつか外し、ハンカチで首筋の汗を拭いてやる。
「私のカバン、ジュースが入ってる。ちょっとぬるいかもしれないけど」
サイドブレーキを上げながらよっすぃは言う。
私は足元に落ちたカバンに片手を突っ込み、乱暴にジュースの形をしたものを探す。
すぐに手に感じる冷たい感触を、つかみあげた。
キャップを片手で回し、雅の口元に持っていく。
「雅、飲み物、口に入れるよ」
肩をポンポンと叩いて呼びかける。
車の振動とは別に、まつ毛がかすかに動くのがわかった。
ハンカチを当てながら、少しずつ流し込む。
飲んでいるのはわかったが、すぐにむせ返る。
口に含んだジュースがハンカチを通して私の手にしみていく。
- 627 名前:5.Maki side 投稿日:2005/08/03(水) 01:36
- どうして?
疑問が頭を駆け巡る。
ついさっきまで、一緒に試合を見ていたのに……
私が気づいていなかった?
ずっと、雅が苦しかったのに?
私が、気づいてあげていれば?
私のせい?
私が……私が……私が……
怖いと思った。
恐怖なんて、何年ぶりなんだろう。
銃を突きつけられても、怖いと思うことはなかった。
なのに……
久しぶりの感覚は、とても新鮮であるがゆえに、対処の方法がわからなかった。
頭の中に広がっていくそれが、恐怖だとわかっていても、何も出来ない。
雅がむせ返るたびに。
雅の頬を汗が伝うたびに。
私は頭が狂いそうになった。
- 628 名前:5.Maki side 投稿日:2005/08/03(水) 01:36
- 守るって、言ったのに。
私が守るって約束したのに。
雅の声が頭の中で延々にリピートされる。
繋いだ小さな小指。
絶対に離さないって思ったのに。
視界の四隅が白くなり、それがどんどんどんどん広がって……
私の目には雅の閉じた目しか見えていなかった。
- 629 名前:5.Maki side 投稿日:2005/08/03(水) 01:37
-
「着いたよ。先行って安倍さんに伝えてくる」
よっすぃがドアを閉める音で、私の周りに音が戻る。
雅に負けず劣らず、自分も汗をびっしょりかいている事に気づく。
「ったく……何やってんだ、私は」
助手席を殴りつける。
バンと大きな音がとともに、拳からじんわりと痛みが伝わってくる。
「行かなきゃ…」
雅を抱える。
小さな体は、ひどく軽く感じた。
もう、魂が抜けてしまったんじゃないかと思えるほどに、軽い、軽い体だった。
- 630 名前:Silent Science悪魔の辞典27 投稿日:2005/08/03(水) 01:55
- ・ゆで卵
吉澤ひとみの大好物という設定は現実では既に過去形?
・太陽の光にあたれん子
色素性乾皮症。紫外線によって受けるDNAのダメージを修復することが出来ない病気。
そのために高確率で皮膚がんになる。また聴力障害、低身長、知能障害、運動障害といった症状も付随し、多くは10代で死に至る。
常染色体劣性遺伝の遺伝病で、原因がほぼ解明しているが、現在の医学では治癒不可能。
・よっすぃのキックインを頭であわせたもの
3月14日フジTV739CUPのCHOOP戦で実際に是永が決めた同点ゴール
・名選手=名監督という公式は必ずしも成立しない
神様でも名監督になれない現実をここ数年見て来ましたね。
- 631 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/08/03(水) 01:58
- しばらく更新とまるかもしれませんが、次回更新時には大量更新できたらいいなと思います。
思うだけで終わってしまったらごめんなさい。
>>614 いつもありがとうございます。二人の選択がどうでるか、3部の最後に答えを出したいと思います。
- 632 名前:通りすがりの者 投稿日:2005/08/03(水) 08:12
- 更新お疲れさまです。 突然の異変が起こりましたね。 この事態がどうなっていくのかかなり気になります。 作者様のペースで頑張ってください。 次回更新待ってます。
- 633 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/06(土) 06:55
- こまめに更新して頂いてるのになかなか書き込みせずにすみません(内容が濃厚なだけに、なるべくじっくり時間の取れる時に読みたいもので…)。
ともあれこの緊迫した空気、凄く好きです。次回更新までどっぷり浸って待ってます。
- 634 名前:5.Maki side 投稿日:2005/08/11(木) 01:41
- ◇
「大丈夫だから」
よっすぃの言葉は何度も耳元で繰り返された。
ドア一枚を挟んで、向こうで何が起こっているかわからない。
医学の知識は少しくらいある。
手伝うことくらいならできるかもしれない。
そんな私の思いは「出てって」と言った安倍さんの言葉で遮られる。
「そんな精神状態で手伝ってもらっても仕方ない」
次いで放たれた言葉に、私は返す言葉も無い。
そこで逆上しない程度には、冷静さは残っていた。
感情の変化は、能力に大きく支障をきたす。
特に焦り、動揺、緊張は、マイナスにしか働かない。
それをよく理解してたから。
だから、それを抑える術を身に着けていたはず……だったのに。
- 635 名前:5.Maki side 投稿日:2005/08/11(木) 01:42
- そんなことを頭のどこかで考えながら、雅のいる部屋のドアを見つめる。
中で何が行われているかわからない。
あそこから、雅が無事に出てきてくれさえすればいい。
それだけ。
それだけを願いながら。
瞬きを惜しむほどに、凝視し続けたドアが動いたのは、どれくらい後なのかわからない。
時間の感覚なんてこれっぽっちもなかった。
すごく長い時間だったように感じられ、でも一瞬のようにも思える、そんな時間。
出てきたのは安倍さん一人だった。
- 636 名前:5.Maki side 投稿日:2005/08/11(木) 01:42
- 「どう……ですか?」
私よりもさきによっすぃが口を開いた。
「大丈夫だけど……いい状態じゃないね。もう一度こういうことがあれば、ここじゃ無理かもしれない」
それは大げさでも気休めでもなんでもない、単純な事実。
問いかけに対する単純な答えだった。
立ち上がった私に「寝てるよ」と告げる。
返事もせずに雅のところへ向かう。
真っ白なベッドの中に、雅の青ざめた顔だけが見えた。
ゆっくりした息遣いに、少し安心する。
- 637 名前:5.Maki side 投稿日:2005/08/11(木) 01:42
- 寝ているのか、意識が戻っていないのか。
絶対に後者であることは間違いなかった。
横には点滴のバッグが3つ吊り下げられている。
1つは黄色、1つは赤色、最後の1つは無色透明。
手を握りたかったが、下手に動かして針が抜けたらと思うと、できなかった。
もちろん、それくらいで抜けるわけは無いんだけど。
今は、自分に自信が無かった。
名前を呼ぶことすら、自分にその資格があるのか尋ねたくなるほど。
案外、意識が戻っていないことにホッとしているのかもしれない、とまで思い始めた。
長い睫毛と小さな唇。
通った鼻筋に、耳に掛かる細い髪。
眠り姫という言葉が浮かんだ。
- 638 名前:5.Maki side 投稿日:2005/08/11(木) 01:42
- 口付けたなら……目を覚ますの?
不意にそんな衝動に駆られるが、自分への自信のなさが、がっちりと歯止めをかける。
王子様は私なんかじゃない。
私はせいぜい、雅を守る棘にしかなれない。
眠っている雅を守るだけの……
雅を救ってくれる誰かを待っているだけの棘でしか。
結局、雅に触れることも、声を掛けることもなく部屋を出た。
私の表情がよっぽど情けなかったのか、目が合ったよっすぃの視線が泳ぐ。
私もすぐ視線を外して椅子に腰掛けた。
「ショック症状みたいなものなの。アナフィラキシーショックって言ったらわかるかな」
掛けられた言葉に、私は頷き、問い返した
- 639 名前:5.Maki side 投稿日:2005/08/11(木) 01:43
- 「原因は?」
「原因はわかってる。細菌の毒素の一種なの。だけど……」
「だけど?」
「何のせいでそれが増えたのか、わからない」
安倍さんが言ったのは、いくつもの矛盾を含んだその答え。
言いたいことが言えないで、表現に苦労しているような言い方だった。
「あのさ、一応これでも医学の知識は少しだけあるんだ。隠さないで全て話してもらえる?
こんな数時間で、原因物質を確実に同定なんてできないでしょ?
それに、何のせいっていうのもおかしい。どんな菌かわからないけどさ、その菌がいるから毒素が増える。
だから、何のせいって菌のせいに決まってるんじゃないの?」
「……」
「雅を調べたのならわかるはずでしょ?私たちにまだ言ってないこと、あるんじゃないの?」
「聞きたいの?後悔しない?私がどうして言わなかったか……それがわかるの?」
ドキッとするような低い声だった。
よっすぃもビクッとしていた。
彼女のいつもの笑顔から想像できない様な、暗い顔。
だからこそ、聞かなくちゃいけないって思う。
- 640 名前:5.Maki side 投稿日:2005/08/11(木) 01:43
- 「雅ちゃんのDNAが作られたものだってことはこの前に言った。
それには一番の確証があってね。彼女のDNAは至るところにいろんな遺伝子が組み込まれているんだ。
だけど、それはいつも働いてるわけじゃない。全部の遺伝子が常に働いているなんてバカみたいなことは起こらない」
それは当然だ。
細胞にはすべて同じDNAが存在している。
目の細胞にも、骨の細胞にも等しく。
なぜ、目になったり骨になったりするかといえば、それは発現している遺伝子の差だ。
目になる細胞は、目を作るのに必要な遺伝子だけが発現して、他の遺伝子は発現しない。
骨になる細胞も、神経細胞も、筋肉になる細胞も全部そうだ。
そうやって、発現する遺伝子を調節するものには、ホルモンとかたくさんありすぎて、私はよく知らない。
「雅ちゃんに組み込まれた遺伝子には、発現を調節する機能がついているの。ある薬を飲むと、ある遺伝子を発現するとかね。
分かるかな?雅ちゃんには髪の毛を赤くする遺伝子が組み込まれているとするでしょ。
もし、その遺伝子が、雅ちゃんの体内にカフェインがある時だけ発現するように調整されていたのなら。
コーヒーを飲んでいると赤い髪が伸びていくのね。コーヒーを飲んで無い時は、普通の黒い髪が伸びるのに」
いい加減、遺伝子とかDNAにそれほど詳しくは無い私でも理解は出来る。
つまり、何かが雅の体の中に入ったから、細菌の毒素が雅の体の中で作られたということだ。
「何のせいでそれが増えたのかわからない」という言葉は嘘じゃない。
正しい答えだ。
だけど、同時にそれは絶望的な答えでもある。
- 641 名前:5.Maki side 投稿日:2005/08/11(木) 01:43
- 「私は、それを知ってたから、雅ちゃんのDNAに、細菌の毒素を作る遺伝子の存在を調べた。
簡単に出たわ。ちゃんと存在してた。
それから、逆に雅ちゃんの血液中にその毒素があるかどうか調べた。もちろん、あった。
原因はわかったのよ。でも、それじゃ何にもならないのよ」
絶望的というのは、そういうことだ。
何が原因で発現しているのか。
それがわからないのだから。
DNAから見つけだす方法ができるなら、とっくにやっているだろう。
わからないということは、それができないということだ。
「構造から決定するのはどれくらい時間が掛かるかわからない。少なくとも、一般的にそういう実験に使われている物質ではないのは確かなの。
もしそうならデータベース上に存在しているから……
でも、1つ言えるのは、簡単に曝露されるものじゃないってことだけ。
ありふれたものだったら、調節する意味は無い。発現をコントロールしたいなら、普通は自然界に存在しないものを使うはずなの」
「抗生剤とかよく使われるんだけど」と安倍さんは言う。
確かに、カフェインだと口に入る機会が多すぎて、発現させたくなくても、発現する危険性がある。
かといって、その物質自体に毒性があれば、使えない。
- 642 名前:5.Maki side 投稿日:2005/08/11(木) 01:44
- それだけでも、候補を絞ることが出来る。
今日、雅が触れたものの中で、それに当てはまるもの……
朝食のパンや卵は問題外。
お昼のパスタも同じ……
今日はミートソースじゃなくて、カルボナーラだったから?
試合を見にいったときに何か?
雅は私の隣にいた。
ガッタスのベンチで座っていただけ。
口にしたのは、ドリンクだけ。
空気中に含まれていたとか?
コールドスプレーとか、よっすぃが使ったときに雅もそれを吸っているだろうから?
車に乗ったときのよっすぃのシャンプーの香りとか?
候補が漠然としすぎている。
アナフィラキシーショックと同じような状態に、雅が陥っていたのなら、次は無い。
寧ろ、今回が大丈夫だったというのでもありがたい。
- 643 名前:5.Maki side 投稿日:2005/08/11(木) 01:44
- 2回目……か……
ふと頭に浮かぶ考え。
通常、アナフィラキシーショックは2回目に起こる反応だ。
一回目、その毒素が体内に生じたときに抗体が作られ、時間を置いて、2回目にその毒素が体内に侵入したときに、急速に起こる反応。
予防接種と同じような反応で起こっている。
だから、「2回」ということをキーワードに考えてみるのもいいかもしれない。
とはいっても、よっすぃと暮らす前にそれを受けていたことも考えられるんだから。
結局は、どうしようもなかった。
「大丈夫だと思う。普通に食べ物を口にする分には。だけど、それ以外に心当たりがあれば、避けてあげて欲しい。
でないと、今度は本当に無理かもしれないから」
「それくらいわかってる」なんて、今の私には易々と言えないけど。
どこにいても危険があるのなら、一緒にいたいと思うし。
なにより、ここにいてもしも再び雅がその何かを取り込んでしまえば……
- 644 名前:5.Maki side 投稿日:2005/08/11(木) 01:44
- 私はきっと、安倍さんを殺してしまうだろう。
ためらいも何もなく、一瞬で。
そうして、雅を再び車に乗せて家に帰る。
雅が目を覚ましたのは翌日のお昼前。よっすぃが練習に出かける前だった。
目覚めた第一声が「ごめんなさい」である彼女に、完全に私から謝るタイミングを逃してしまった。
その分、一日中雅の傍にいて。
翌日を迎えると、もうガッタスの試合の日となっていた。
- 645 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/08/11(木) 01:49
- 期間開いた割に普通の更新量ですが…
加えてわけのわからない説明文大量とか……
適当に流してやってください。
>>632 ありがとうございます。動いたり止まったり、物語の流れが急激になってますが、これからは落ち着いていきたいです。
>>633 いえいえ、お時間のあるときにレスをいただけるだけでもありがたいです。今後も雰囲気を壊さない程度にはっちゃけながら、書いていきたいと思います。
- 646 名前:通りすがりの者 投稿日:2005/08/12(金) 14:06
- 更新お疲れさまです。 あの病名はなんとなく理解はしてますよ。 (高坊なのに・・・ 汗 この後ついにですね。 次回更新待ってます。
- 647 名前:5.Maki side 投稿日:2005/08/14(日) 00:03
- ◇
雲に隠れた太陽が、コートを照らしていた。
降水確率は0%。
風もさほど強くなくて。湿気も少ない。
ある意味、ベストコンディションだった。
雅を連れて来るかどうかは、最後まで迷った。
もう一度、ここで何かを取り込んでしまえば……
雅の命は尽きてしまうかもしれないから。
- 648 名前:5.Maki side 投稿日:2005/08/14(日) 00:04
- だから、雅は家で留守番をさせている。
本人は少し嫌がったが、まだ疲れがあるのか、すぐに納得した。
朝食は毎日食べているものをそのままだから、心配は無い。
万が一のことを考えて、今まで何度も雅が口にしたもの以外は、口に入れないようにだけ、言い聞かせた。
頭のどこかで、常に雅のことがもやもやとしていて。
30分に一度は、よっすぃの携帯からメールを入れているかもしれない。
そして、返事がすぐに来なければ、電話をかける。
バカだなと自分で思う。
そんなに心配なら来なけりゃいいのに、と。
だけど、今日は来ておくべきだと思った。
虫の知らせとか、嫌な予感とか。
そんな非科学的なものだけど、私はそれを外したことが無いので。
降水確率0%の天気予報よりも十分信じることが出来る。
そして、もちろん、それは当たってしまうんだけど……
- 649 名前:5.Maki side 投稿日:2005/08/14(日) 00:04
- 試合が始まる。
オレンジのユニホームのレイロは辻ちゃん。
後は是永さんを一番後ろに置いて、アラがよっすぃと川島さんで、トップに舞美ちゃんのダイヤモンド型。
舞美ちゃんの調子が戻っているかわからないが、稲葉さんは先発で使った。
冴えない表情で返事をする彼女の姿は、明らかに前回よりも調子が悪そうだった。
対する相手チームはフィクソが二人、アラとピボが一人ずつといったフォーメーションだった。
黒のシャツに白の文字でillsionと書かれている。
チーム名は7th illusion。
トップの人が西洋人のように手足が長く、よっすぃよりも一回り大きかった。
- 650 名前:5.Maki side 投稿日:2005/08/14(日) 00:05
- 町田エリカ。背番号7。
外見からもハーフに見えなくも無い。
名前をコールされたときに、一番歓声が上がったのだから、やはり彼女は相手チームのエースなんだろう。
その後ろにいるのは対照的に小柄な人。
小部家未央。背番号8。
次いでフィクソは線の細そうな二人。国分亜美と洞口美紗。
ゴレイロは白井未央。左腕には青のキャプテンマークが巻かれていた。
名前だけで私はどんなプレーヤーかわからない。
ベンチにいる他の人とは、それほど親しいわけではなく、寧ろ私の存在は浮いているほどだから……
稲葉さんは忙しそうだったし、私は彼女達については名前とポジション以外の情報を得ることは出来なかった。
- 651 名前:5.Maki side 投稿日:2005/08/14(日) 00:05
- キックオフしたボールを川島さんは横に流す。
サイドに張ったよっすぃが、センターライン上から直接蹴るが、ボールは枠を捕らえなかった。
「ドンマイ」
掛けられた声に、よっすぃは手を上げるだけ。
早くもキーパーの手を離れたボールはよっすぃの目前にまで迫っていた。
胸で落としたそれをキープする小部家さん。
よっすぃの伸ばした右足を掠めるように、出されたパスは国分さんに渡る。
彼女がダイレクトで蹴ったボールは、山なりに町田さんへ。
是永さんもジャンプするが、明らかに打点の違う彼女のヘッドがゴールを襲う。
単純明快な攻撃だった。
だけど、単純明快なだけに、防ぐことは困難であって。
特に、フットサルはサッカーと違って、空中戦をすることの少ない競技に違いないから。
辻ちゃんの正面に飛んだからいいものの、何度もやられれば、たやすく点が入ることは明らかだった。
- 652 名前:5.Maki side 投稿日:2005/08/14(日) 00:05
- ボールをすぐに投げる辻ちゃん。
対するガッタスの攻撃も、シンプルな形。
よっすぃに渡ったボールは、川島さんを経由して舞美ちゃんへ。
パスをしたよっすぃが走りこんだ先に、舞美ちゃんがボールを流す、という展開に見えた。
でも、そんなに上手くいくことは無い。
舞美ちゃんの一歩が遅いため、彼女の踏み込んだ先をボールが横切ってしまった。
「ごめん」
川島さんは手を上げる。
舞美ちゃんにはそれは見えていなかった。
うつむいたまま、自分の足元を見ているだけで。
- 653 名前:5.Maki side 投稿日:2005/08/14(日) 00:06
- 稲葉さんが大きく息を吐くのがわかった。
前の試合よりも酷いのかもしれない。
たった一つのプレーだけど、私はそう感じた。
私ですら思うのだから……
コートに立っているよっすぃたちは、もっと実感しているだろう。
それでも代えることはしない。
舞美ちゃんを経由せずに、よっすぃと川島さんが崩そうとするが、小部家さんまでゴール前まで引いて守り、それを許さない。
苦し紛れに下げたボールを、是永さんがミドルシュートを放つが、ネットを揺らすことは無い。
町田さんのヘディングの方が、よっぽどゴールしそうな雰囲気があった。
舞美ちゃんはパスを受けてもドリブルもシュートもせずに、パスをするだけ。
ディフェンス側にとってこれほど楽な相手はいない。
にもかかわらず、常に一人がマークについている。
それは、今までの舞美ちゃんの実績がそうさせているに違いないけど……
張り子の虎がいつまで続くかわからない。
- 654 名前:5.Maki side 投稿日:2005/08/14(日) 00:06
- 何より、是永さんと辻ちゃんが我慢し続けるというのは、難しかった。
舞美ちゃんがトラップミスをしたボールを、小部家さんが蹴りだした。
蹴り出したと言っても、正確に狙われたそれは、町田さんの頭上へと至る。
本日5回目のヘディングが辻ちゃんの脇をすり抜けた。
だけど、その後に響くのはゴンという鈍い音。
バーにボールが当たった音。
安堵の表情を浮かべ、崩した体勢を整えながら、ボールの行方を確認する辻ちゃん。
だけど、ボールは着地した町田さんの足元へと引き寄せられる。
振りかぶられる右足。
是永さんがブロックしようと足を伸ばす。
それをあざ笑うかのように、少しだけ浮かせたボールは、彼女の目の前を横切った。
もちろん、辻ちゃんもそのフェイントに引っかかっていて。
無理な体勢のまま飛びついたため、地面に完全に倒れこむこととなった。
ちょこんと左足で押し出されたボールが、ネットを揺らすのを妨げる人は、もういなかった。
前半の半ばを過ぎた頃、最初の予想通りに決められた先取点。
- 655 名前:5.Maki side 投稿日:2005/08/14(日) 00:06
- 辻ちゃんは一度地面に叩きつけた後、思い切りボールを投げる。
是永さんも、拳で自分の手を叩いた。
だけど、4人とも責めることはしなかった。
「ごめんなさい」と頭を下げる舞美ちゃんに、よっすぃは肩に手を回す。
背中を向けているので何て言っているかわからないけど。
よっすぃがバンバンと背中を叩いて二人は離れる。
仕切り直しのキックオフ。
今度はよっすぃがシュートを狙うことはしなかった。
それよりも、フォーメーションに変化が出ている事に気づく。
町田さんを前後に挟むように、是永さんとよっすぃが配置している。
代わりに川島さんが前目に出て、舞美ちゃんと並ぶような形だ。
- 656 名前:5.Maki side 投稿日:2005/08/14(日) 00:07
- 舞美ちゃんへのパスをカットした洞口さんが、浮かせたボールは町田さんへ至る前に、よっすぃが胸で落とす。
前後を挟まれた彼女は上手く動くことが出来ず。
小部家さんがボールを狙って足を出すのを、軽くかわしてよっすぃはドリブルを始めた。
右に川島さん、左に舞美ちゃん。
二人に張り付く国分さんと洞口さん。
しかし、舞美ちゃんにつく国分さんは、距離をとって中央に絞っているため、シュートコースが限定されていた。
当然のように、よっすぃは空いている舞美ちゃんにパスを出すんだけど。
足元に入る丁寧なパスは、次の動作を確実に遅らせる。
舞美ちゃんが一歩踏み出したときには、国分さんが目の前に立ちはだかった。
よっすぃへのワンツーパス。
たぶんそれがガッタスのパターンの1つなんだろう。
中央へ走りこむよっすぃは完全にフリーだった。
だけど、舞美ちゃんはパスを出さない。
時が止まったかのように、足を止めてしまっている。
- 657 名前:5.Maki side 投稿日:2005/08/14(日) 00:07
- 「舞美!」
よっすぃがスピードを落として手を上げる頃には、小部家さんがマークについていた。
それにも関わらず蹴りだしたボールが、よっすぃに回るわけもなく。
小部家さんが蹴るボールに足をあて、タッチラインの外へと出すのが精一杯だった。
何が彼女をそこまで追い詰めているんだろう?
わからない。
怪我をしてるわけじゃないから、ただの精神的な問題だ。
何があった?
この数日の間に……
彼女が自信を無くすようなことって……
記憶をたどれば、簡単だった事なのかもしれない。
私は、自分のプレーしか考えてなかったから、今まで気づかなかった
この前の練習のときに、万全だった彼女が、それ以降に調子を落とした理由なんて……
私以外に考えられない。
- 658 名前:5.Maki side 投稿日:2005/08/14(日) 00:08
- あの時だ。
私が彼女を完璧に止めてみせて、逆に完璧に抜いてみせて。
あの子にとって初めてなのかもしれない。
自分と同じ人がいなかったから。
反応速度を速めている人がいなかったから。
それが、彼女のペースを崩した?
いや、まさか……という思いと、そうかもしれないという思い。
どっちが強いかなんて、すぐにわかる。後者だ。
私のせいなのか……
わっと歓声が起こる。
カウンターだ。
よっすぃの股を抜いた小部家さんのパスが町田さんにつながった。
是永さんはセンターライン上。
さっきの攻撃で上がったまま戻りきれていなかった。
辻ちゃんが体を投げ出して飛び出すが、町田さんの蹴ったボールは肩口をすり抜けてゴールに刺さった。
2−0。
それが、前半の20分を終了してのスコアだった。
- 659 名前:訂正 投稿日:2005/08/14(日) 00:14
- >>649
試合が始まる。
オレンジのユニホームのレイロは辻ちゃん。
×レイロ → ○ゴレイロ
- 660 名前:フォーメーション 投稿日:2005/08/14(日) 00:21
- ずれてたらごめんなさい
PIVO 矢島
ALA 吉澤 川島
FIXO 是永
GK 辻
―――――――――――――――
PIVO 町田
ALA 小部家
FIXO 国分 洞口
GK 白井
- 661 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/08/14(日) 00:24
- 更新終了。
別の意味で説明文ばっかり気がします。
>>646 ようやく前振りが終わりました……これからどんどん展開早くしていきたいです。
- 662 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/14(日) 02:16
- むーん。現実のガッタスも色々アレな様ですが、こっちも手に汗握る展開ですねえ。
ハラハラドキドキ(死語?)しながら見守らせていただきますです。
- 663 名前:通りすがりの者 投稿日:2005/08/14(日) 08:19
- 更新お疲れさまです。 ま、まさかあの人達が出てくるとは・・・(汗 全くの予想外です。 かなりピンチですが、どう切り抜いて行くんでしょうか?? 次回更新待ってます。
- 664 名前:5.Maki side 投稿日:2005/08/16(火) 22:31
- ◇
「後半も、このままでいくで」
誰もが待ち望んでいたはずの、稲葉さんの言葉はそんなものだった。
明らかに悪循環に陥っているのはわかる。
町田さんのマークに追われ、是永さんが相手ゴール近くにいけない。
前線でためが作れていないから、攻めあがる時間が無いのだ。
無理に攻めれば、先ほどのようなカウンターが繰り返されるだけ。
ただ、それは相手のディフェンスがそれだけいいということでもあった。
スピードを完全に殺された攻めは、例え人数をかけていても有効ではない。
舞美ちゃんを交代させること。
それが最も最善の策であって、逆に言えば、それくらいしか手の打ち様が無いのが事実だった。
- 665 名前:5.Maki side 投稿日:2005/08/16(火) 22:31
- 「稲葉さん……」
そう言ったよっすぃが、私の方を見る。
私が舞美ちゃんと交代。
それが一番なのかもしれない。
練習をしてわかったんだけど、このチームは控えとレギュラーの能力差がかなり大きい。
舞美ちゃんを他に代えたところで、あのディフェンスに通用するかと言われれば、たぶん無理だと思う。
だからと言って、私なら崩せるという自信があるわけじゃない。
でも、この中で一番可能性があるのは自分だと思ってる。
稲葉さんも私を見る。
私は頷いた。いつ出してもらっても構わないという意味を込めて。
だけど、稲葉さんはすぐに視線を外して言った。
「舞美、何を縮こまってるんや?止められるのが怖いんか?」
「……」
「新人王とかもてはやされて、天狗になっとんのん?
あんた、誰のおかげであれだけ点が取れたと思ってんの?
自分の実力か?違うやろ?あんたのためにフィクソに下がってもらった是永や、みんなのおかげやろ?」
舞美ちゃんは尚も答えなかった。
是永さんとよっすぃが複雑な表情を浮かべたが、その真意は私にはわからなかった。
- 666 名前:5.Maki side 投稿日:2005/08/16(火) 22:32
- 「あんたは止められて当たり前やねん。みんなもそう思ってる。
だから、ミスしてもええから思いっきりやり。あんたがこのチームで一番なのはそこだけやで」
ホイッスルが鳴った。
「ほら、行ってき。ええか、この試合だけはあんたは絶対に交代させへんからな」
コートに散る5人。
今度は相手のキックオフからだった。
- 667 名前:5.Maki side 投稿日:2005/08/16(火) 22:32
- 「使ってもらってもよかったのに」
小声で私は言った。
「あかん。舞美が元に戻らんと、あんたの意味がないねん」
「どういうこと?」
「あんたもあれやろ、舞美と一緒で反応早い人何やろ?」
「知ってたんだ」
「いや、でもな、初めて対戦して舞美を止められる奴なんて、一人しかおらんかった。
あの子のドリブルは独特で、間が人と違いすぎるねん。
それをすぐに止めれるっちゅうんは、あの子と同じ何やろなって思っただけや」
その一人が誰か気にはなったが、聞くようなことでもないと思った。
どっちにしろ、この会話でこの人の能力の高さを窺い知ることができた。
そしてそれは、稲葉さんの言うとおり、このままいけばガッタスが勝つんじゃないかという思いにつながった。
- 668 名前:5.Maki side 投稿日:2005/08/16(火) 22:32
- 「それにな、あそこの奴らにあんたをまだ見せたくないねん」
顎でさされたスタンドには、真っ白なウエアを着た集団があった。
全員女性であることと、だいたいの人数を考えると、彼女たちが最終戦の相手。
HPオールスターズなんだろう。
髪を二つにしばった女性と目が合った。
何か話しているようにも見えるが、この距離では唇の動きから読み取るのも不可能だった。
コート上は、ガッタスが押し気味に進めていたというより、相手が引いているだけにも映った。
よっすぃが、川島さんが、是永さんが、次々にシュートを放つ。
だけど、舞美ちゃんと言えば、少し動きがましになった程度で。
前半とさして変わらずにパスを繰り返していた。
- 669 名前:5.Maki side 投稿日:2005/08/16(火) 22:33
- 「亜美ちゃん、もう9番はほっといていい」
後半5分を過ぎた頃、そんな声が聞こえた。
9番というのは舞美ちゃんの番号だ。
しかし、それは英断だった。
舞美ちゃんについていたマークが外れることで、相手は一人余る。
そうすれば、是永さんの攻め上がりまでも、きちんとマークできることになる。
よっすぃがボールを捕られてのカウンター。
懸命にジャンプする是永さんの頭の上を、無情にもボールは過ぎていった。
着地と同時に体を反転させるが、町田さんはその頃にはもうシュートに入ろうとしていた。
ペナルティエリアぎりぎりのライン。
放たれたシュートを、飛び出した辻ちゃんのは左足で弾いた。
弾いたというのは少しおかしいのかもしれない。
偶然当たっただけの話だ。
それでも、1点を防げたことには代わり無い。
1点取れば1点差になる2−0と違い、3−0となれば絶望的だから。
- 670 名前:5.Maki side 投稿日:2005/08/16(火) 22:33
- 相手のコーナーキックは、町田さんに渡る前によっすぃが大きく蹴りだす。
ハーフライン上でそれを受け取る舞美ちゃん。
背中に国分さんを背負ってキープをする。
国分さんは舞美ちゃんがドリブルしないとわかっているから。
彼女からどちらにパスがでるか、それに意識を向けていた。
もちろん、舞美ちゃんがそれに気づくわけもなく。
川島さんへの横パスは、国分さんに蹴りだされてタッチラインを割った。
「舞美、いいから。パスは、もういいから」
よっすぃの声はこっちまで届いた。
それからすぐにキックインで再開される。
よっすぃからのボールを受け取った川島さんは、国分さんの目前で舞美ちゃんにパスを出す。
- 671 名前:5.Maki side 投稿日:2005/08/16(火) 22:33
- すぐにチェックにくる洞口さん。
ボールを持った舞美ちゃんは、右足で一つフェイントをいれた。
この試合初めてかもしれない。
でも、相手はそれにかからなかった。
対応の仕方が今までのパスカット狙いから、抜かれないことへと変わっている。
それがさっきのよっすぃの声が聞こえたせいか、それとも舞美ちゃんの雰囲気のせいなのかわからないけど。
足の裏でボールを引き寄せてから、舞美ちゃんは左に抜こうとした。
誰もがそう思った。私を含め、コート上の誰もが。
しかし、舞美ちゃんは踏み出した左足でボールをまたぐと、右足でパスを出した。
ボールは川島さんへと転がる。
パスが来ると思っていないから、反応が遅れるが、白井さんと国分さんの間に転がる絶妙なパスに追いついた。
キーパーと一対一。
この試合の最初の決定的なチャンスとなる。
右足を振りかぶる。けれども、ボールへのインパクトの瞬間に、鈍い音がコートに響いた。
- 672 名前:5.Maki side 投稿日:2005/08/16(火) 22:34
- 次いで響くのは鋭いホイッスル。
後方から、完全に軸足を蹴り払った国分さんのファウルを取った形。
審判が掲げたカードは黄色。
決定的な得点機会の阻止した代償だ。
だけど……こっちもそれと等しい代償を払っていて。
- 673 名前:5.Maki side 投稿日:2005/08/16(火) 22:34
- 「美幸ちゃん!」
是永さんが、膝を押さえて倒れむ彼女に声をかける。
体重のかかった軸足に、横方向から与えられた力。
しかも膝となれば、最悪骨折という事態も考えられる。
担架で運ばれる川島さんは、どう考えても続行不可能だった。
「後藤さん、やったかな」
「何?」
「すまんね。この試合は出さんとか言っといて」
「いいよ」
それだけで私は稲葉さんの意図が理解できた。
念のために服の下にユニフォームを着ていてよかった。
私のいやな予感っていうのは、こういうときほどよく当たるんだから。
- 674 名前:5.Maki side 投稿日:2005/08/16(火) 22:35
- 私の名前がコールされる。
スタンドから起こるざわめき。
コート上の人間が送る訝しみの視線。
そんな中、私を迎えてくれるのはよっすぃだけで。
「緊張してる?」
ずれたキャプテンマークを直しながら、問いかけた言葉。
「緊張っておいしい?」
私は笑って、差し出された彼女の手を叩いた。
「よっすぃ……」
私がコートに入るなり、是永さんが言った。
「ごめん…でも、この試合だけは、お願い」
この試合だけじゃないんだけどな、と思う。
川島さんが本当に重傷だった場合。
私は次の試合も確実にでるのだから。
- 675 名前:5.Maki side 投稿日:2005/08/16(火) 22:35
- 是永さんは答えずに、プレーを始めるためにボールを置いた。
辻ちゃんも複雑な表情でゴールに戻る。
一人、明らかに顔色が悪い舞美ちゃん。
自分のせいで川島さんが怪我したんだと思ってるに違いない。
私は彼女の肩に手をまわした。
「いい。舞美ちゃんのせいなのよ。あそこで勝負してたら、あんなことにはならなかったの。
わかるよね?勝負しなきゃいけないよ。でないと、次の試合から私が舞美ちゃんの代わりに出るからね」
返事は無い。私は背中をポンと押して離れた。
フリーキックはペナルティエリアの少しだけ外。
相手は一人退場しているから。
壁を作ることも、私たちのマークもどっちもままならない。
- 676 名前:5.Maki side 投稿日:2005/08/16(火) 22:36
- 町田さんの一枚の壁。小部家さんがよっすぃについて、洞口さんは舞美。
私はどフリーだった。
私と目が合ったにもかかわらず、是永さんは私にパスすることは無く。
代わりに蹴ったボールは、町田さんの持ち上げた膝の上を通り抜けてゴールに突き刺さった。
後半10分。2−1。
残りまだ10分もある。
手を出した私とのハイタッチを華麗にスルーした是永さん。
ここまでやられると逆に気持ちいいくらいだった。
相手のキックオフ。
川島さんの代わりに入った私のポジションは、ボックスの右上。
矢島 後藤
吉澤 是永
辻
といった形だ。
- 677 名前:5.Maki side 投稿日:2005/08/16(火) 22:36
- 相手は、一人退場しているから……
え?一人増えてる?
「退場者が出た場合、点を入れられると、退場者の補充ができるの」
よっすぃが後ろから声をかけてくれる。
なるほど。
確かに5人しか居ないのに、一人減ったら試合にならないはずだ。
- 678 名前:5.Maki side 投稿日:2005/08/16(火) 22:37
- キックオフ。
町田さんのボールが新しく入った人に渡る。
相対する私に、彼女は股抜きを狙ってきた。
ボールを足で弾く。
転がったボールは小部家さんの方に転がってしまい。
よっすぃがすぐにチェックにつく。
ボールの行方を追う私は、自分の前に居た人の動きを追うのを忘れていて……
パスが出たときには、彼女の背中しか見えなかった。
TSUJIMOTO
6という番号の上に書かれた彼女の名前。
どんな字を書くかわからないが、そんなことを考えている場合ではなかった。
「よっすぃ、スイッチ」
叫んで私は小部家さんへと走る。
それと連動するように、是永さんはボールを持つ彼女へ向かい。
よっすぃは町田さんの前に立った。
- 679 名前:5.Maki side 投稿日:2005/08/16(火) 22:37
- 是永さんが足を出してボールを奪う。
すぐに反転して攻めに転じる。
前には舞美ちゃんのみ。
わたったボールに再び戸惑うしぐさを見せたから。
指差して「行け!」って私は叫んだ。
切り返しを二つ。
右、左。
ぴったりと付いてくる洞口さんだったが、左右に振られた後では、彼女の両足は広く開いていた。
そこで股を抜く舞美。
洞口さんが行かせまいと腕を使って止めたところで、ホイッスルが鳴った。
- 680 名前:5.Maki side 投稿日:2005/08/16(火) 22:37
- 「それでいいんだって」
よっすぃが頭を小突く。
再び私たちのフリーキック。
今度はセンターライン付近だから直接は狙えない。
たった一つのプレーで舞美ちゃんへの注意が先ほどとは段違いだ。
そんななか、相変わらず放置されている私。
それを見ている是永さん。
どーせパスはくれないんでしょ。
だから、私は次を考える。
是永さんがよっすぃにパスを出した後、パスを受けやすいように。
よっすぃに向けてボールが蹴られる。
それにあわせて私もよっすぃの近くへ走る。
小部家さんがボールを蹴ろうとする前に、ちょんとつま先でよっすぃが触ったボールは私の足元へ。
- 681 名前:5.Maki side 投稿日:2005/08/16(火) 22:38
- 慌てて私の進路をふさごうとする洞口さん。
それは舞美ちゃんがフリーになるということで。
一歩、二歩……三歩目を踏み出そうとするところでパスを出す。
これで同点、そう思ったけど、ボールは舞美ちゃんのはるか前で止まった。
丁度、洞口さんのすぐ横で。
原因は、芝だ。
フロアと違って、ボールが余り進まないんだ。
すぐさま分析を終える。
さっきの力であれだけしか進まないんだから…
頭の中で補正を始めると共に、洞口さんが蹴りだすボールを左足で受ける。
勢いを殺すように体を回転させながら、私はトラップをした。
- 682 名前:5.Maki side 投稿日:2005/08/16(火) 22:38
- 一際大きい歓声が耳に入った。
それが誰に対してなのかわからない。
今度は洞口さんの頭を越すように、舞美ちゃんへ山なりのパスを送る。
洞口さんの肩口から、舞美ちゃんが丁寧にトラップするのがわかる。
残すはキーパーのみだった。
「打て!」
後ろからよっすぃの声。
舞美ちゃんのシュートはキーパーの右手を弾きながらもゴールネットに突き刺さった。
後半13分。2−2の同点弾。
決めた舞美ちゃんをはじめ、よっすぃ、辻ちゃんとハイタッチ。
是永さんはまたもスルーされたけど、もうどうでもよかった。
残り時間を考えればこの時点で同点になったことは大きかった。
- 683 名前:5.Maki side 投稿日:2005/08/16(火) 22:39
- 「あの14番、何者?」
声が聞こえる。背番号14は私だ。。
だけど、知っている人は誰も居ないだろう。
居るはずも無い。
もし、知っている人が居るとすれば……
それは、私の待ち望んでいる、本当の私を知る人なんだから。
それから、一気に試合の主導権は変わった。
相変わらず是永さんは私にパスを出さないけど。
相手チームはそれに気づく余裕すら無かった。
調子を取り戻し始めた舞美ちゃんと私のコンビ。
お互いにテンポが近いので、全力でプレーすることができる。
それは、常人に対しては体一つ分の差となって現れていくのだから。
町田さんまで戻って、ボールを外に蹴りだすので精一杯という感じだった。
- 684 名前:5.Maki side 投稿日:2005/08/16(火) 22:39
- だけど、それでも試合が決まらないのが球技というものであって。
私の最後のシュートは、キーパーに当たってクロスバーを叩いた。
試合終了のホイッスル。
5点くらい入ってもおかしくない試合だったのに、結局は2−2の同点となった。
- 685 名前:訂正 投稿日:2005/08/16(火) 22:46
- ありえないくらい間違い_| ̄|○
>>672 審判が掲げたカードは黄色。
× 黄色 ○ 赤色
イエローじゃ退場になりません……
暑さで脳みそ腐ってます。逝って来ます。
- 686 名前:Silent Science 悪魔の辞典28 投稿日:2005/08/16(火) 22:50
- ・7th illusion
illusionary 7th のが正しいですが…響き的にこっち。幻の七期とでも訳しといてください。
・空中戦をすることの少ない競技
Sals3に書いていました。
・退場者の補充
退場してから2分経過後。
相手が一点入れた場合。
の二つの場合にフットサルでは退場者の補充ができます。
- 687 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/08/16(火) 22:50
-
- 688 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/08/16(火) 22:50
-
- 689 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/08/16(火) 22:57
- この間から、誤字脱字ばかりですいません。
注意してるのに全然出来ていませんでした。
>>662 あちがとうございます。ハラハラドキドキし続けていただけるように、がんばっていきたいです。
>>663 落ちた瞬間から使うことを決めてましたw暖めていただけあって、書いているのが楽しい部分でもあります。
- 690 名前:通りすがりの者 投稿日:2005/08/18(木) 12:37
- 更新お疲れさまです。 惜しかったですねぇ(汗 でもいい試合でしたので結果オーライです。 現実のサルを一度も見た事が無いため、なんとなく理解出来たような気がします。 次回更新待ってます。
- 691 名前:6.Hitomi side 投稿日:2005/08/19(金) 03:24
- <6.Hitomi side>
「お疲れ」
着替え終わったごっちんにボトルを投げる。
散々変な味と文句を言われてるそれだけど。
私たちにとっては、本当に水代わりのようなものだから。
ごっちんは一口飲むと表情を変えて、私に投げ返す。
「絶対これおかしいって」
「おかしくなんか無いよ。おかしいのはごっちんの舌だってば」
受け取ったそれを、私は口に含む。
ほのかな甘みに続く爽快な後味。
腸に到達するのを待たずに、喉で体内に吸収されていくような。
そんな変な錯覚すら覚えるほどだった。
- 692 名前:6.Hitomi side 投稿日:2005/08/19(金) 03:24
- ごっちんは、喉が渇いたといい、自動販売機でジュースを買う。
私が生まれるはるか昔からある炭酸飲料。
赤い缶に白い文字。
ずっとトレードシークレットとして守られてきた製法を、最近になってようやく公開したことで話題になったものだ。
だけどそれは、売れ行きが芳しくなくなったその飲み物に見切りをつけたためとかつけないとか、TVで専門家が言っていた。
本当かどうかわからないけど、社名にすらなっているそれが、あまり姿を見かけなくなったのも事実だった。
「骨溶けるよ?」
「溶けるわけ無いじゃん」
にひひと笑ってごっちんはそれを飲み始める。
- 693 名前:6.Hitomi side 投稿日:2005/08/19(金) 03:25
- 「幸ちゃん、無理そうだってさ」
「そう……」
「出て、くれるよね?」
なぜか不安になった。ごっちんがどこか遠くへ行ってしまいそうな。
そんな予感がふと頭をよぎった。
「もっちろん。それが約束だったでしょ?」
もう一度笑ってごっちんは言う。
だけど、それが私の不安を振り払うような力は無かった。
寧ろ、彼女の笑みを見るたびに、消えてしまいそうな錯覚にさえ落ちた。
そんな時だった。
「よっちゃんじゃない、久しぶり」
声が聞こえた。
たぶん、私がもっとも会いたくない人の声だった。
- 694 名前:6.Hitomi side 投稿日:2005/08/19(金) 03:25
- 「あぁ……そだね」
私は振り返る。
白いジャージに身を包んだ一団。
HPオールスターズだ。
「何、つれないなぁ……あんなに仲良かったのに」
「今は敵同士だから」
仲がよかった。
確かにそうかも知れない。
寧ろ、尊敬すらしていた。
里田まい。
昨年までうちでキャプテンマークを巻いていた人だ。
チームカラーのオレンジから「オレンジの巨塔」と呼ばれていた、鉄壁のフィクソ。
そして、今年からHPオールスターズのキャプテンとなった人だ。
- 695 名前:6.Hitomi side 投稿日:2005/08/19(金) 03:25
- 彼女が移籍したから。
それまでピボだった是ちゃんを、フィクソにコンバートした。
丁度、舞美の加入もあって、なんとか回ったんだけど……
自分達の後ろでそびえ立つ巨塔を、敵として目前にしたとき、その大きさに圧倒されたのは紛れも無い事実だった。
怪我で彼女が前半戦を出遅れなければ……HPオールスターズは確実に首位を独走していたに違いない。
「固いねぇ、相変わらず」
横から口を出す小さな女の子。
HPオールスターズのエースにして得点王、あさみ。
舞美以上のスピードと強烈な右足のシュートを持つ彼女には、リーグ戦でもこっぴどくやられている。
「今から試合ですか?」
「うん。最終戦、楽しみにしてるよ。一応勝った方が優勝ってことになるらしいし」
皮肉たっぷりな言い回しとともに差し出された、まいちゃんの手。
気にも留めない振りして握手をした。
- 696 名前:6.Hitomi side 投稿日:2005/08/19(金) 03:26
- ◇
本当に、最終戦、勝てるんだろうか……
車を運転しながらも、その疑問は未だに頭の中を回っている。
確かに、ごっちんが入ってからの時間は、圧倒的に私たちのペースだった。
十分、勝っていた試合。だからこそ、勝っておきたかった試合でもあった。
ただ、これでも最終戦に望みを繋いでいる。
引き分けじゃだめ。勝てば優勝という、極めて単純な展開になる。
そっちの方が、変に計算しなくていいから楽だ。
ごっちんは、さっきから私の携帯電話とにらめっこをしている。
雅ちゃんに送ったメールの返信がまだ来ていないからだった。
- 697 名前:6.Hitomi side 投稿日:2005/08/19(金) 03:26
- ごっちんは、何者なんだろうか?
それはある意味、私の一番の興味であるかもしれない。
人を殺していたなんて話は、どこまで本当かわからないけど。
常人では考えられないような能力を持つ彼女だから。
もしかしたら本当なのかもしれない。
だからといって、ごっちんを嫌いになるほど、私は聖人でも無い。
一緒にいて楽しい。
結局のところはそういうことに落ち着くんだ。
メールに待ちきれなくなったのか、ごっちんは携帯を耳に当てた。
雅ちゃんに電話をしているんだろう。
時間が経つごとに、少しずつ、ごっちんの表情が真剣になっていくのが分かる。
なかなか電話には出ないようで……私の視線に気づいたごっちんと目が合う。
何か起こったのかも知れない。
自然と車のスピードを私は速める。
- 698 名前:6.Hitomi side 投稿日:2005/08/19(金) 03:26
- もう、雅ちゃんがあんなことになるのを見たくないという思い。
それはごっちんに対しても当てはまることで。
雅ちゃんが死んだなら、ごっちんも死んでしまうんじゃないかと思うくらい……
ごっちんの雅ちゃんに対する執着は、周りから見ていて心配になるほどだった。
愛とか、そういうのじゃないのはわかる。
母親が子どもを守るような。
二人の間には、どちらかといえばそんな雰囲気の空気が流れている。
耳に当てた携帯電話を離し、再度ダイヤルをするごっちん。
その仕草からいつもの余裕は完全になくなっていた。
「もしもし!」
声が車内に響く。
どうやら雅ちゃんが出たらしい。
少しホッとする。
信号が赤に変わるのに気づき、私はブレーキを踏んだ。
- 699 名前:6.Hitomi side 投稿日:2005/08/19(金) 03:27
- 「うん……うん……大丈夫?」
二人の会話がどうなっているかわからない。
だけど、反応があるということは、大丈夫な証拠であって。
先ほどと打って変わったごっちんの表情からも、それを読み取ることが出来た。
勝てなかったとか、少しだけ出たとか。
会話はいつしか今日の試合のことになっているらしく。
信号が青に変わる頃にはごっちんは携帯を切った。
「大丈夫だった?」
わかっているけど、聴いてみる。
「うん。寝てたんだって。それでメールも、一回目の電話も出れなかったって」
「そっか。まだ、疲れてるのかもね」
「そうかもね。昨日の夜もなんかうなされてたし、あんまり寝れてないのかもしれない」
それを知ってるごっちんこそ、あんまり寝てないんじゃないの?とは、言えなかった。
- 700 名前:6.Hitomi side 投稿日:2005/08/19(金) 03:27
- 「ところでさ、さっきの白いジャージの人たちさ」
「あぁ、まいちゃんたちのこと?」
「そうそう。あれが最後の相手?」
「そうだよ」
「何か訳ありっぽかったけど?」
「まぁね。元チームメイトでさ……」
「ふぅん」
私たちのチーム、Gatas Brilhantes H.Pと、HPオールスターズ。
ともに共通しているものがある。
HPという文字だ。
これが何を示しているのか、私たちには知らされていないし、深く考えたことも無い。
ただ、HPオールスターズは昨年から出来た新しいチームであり。
その親会社は、私たちのチームと同じ、いわゆるアップフロント系列だった。
そのため、やはりアップフロントグループと関係したものだとは思う。
ただ、ここで問題となるのは系列が同じということであって。
同じグループだからこそ、会社の規模的に大きな向こうが、こちらに対して圧倒的に優位なのは間違いなくて。
まいちゃんの移籍は、いわゆる引き抜きだ。
あまりたくさんの人数を動かすと、同グループだということが問題になるから……
言ってみれば私たちのための人柱だったと思っていた。
- 701 名前:6.Hitomi side 投稿日:2005/08/19(金) 03:27
- そう、思っていたんだ。
ところが、事実は違っていて。
単純な金銭欲しさのために、自分から売り込んだという話を、後から聴くこととなる。
確かに、天下のアップフロントグループとはいえ、私たちの親会社は小さなもので。
年棒というものは、決して高いものではなかったから。
プロである以上、自分の力に応じた評価を受けるのは当然だ。
だから、責めるべきことじゃない。
まいちゃんにしてみれば、自分よりも劣る選手が、他所のチームでは自分以上の評価を受けているのが嫌だったとも言える。
だけど……だけど……
いつかガッタスを優勝させようって、ずっと言い続けてきた人だったから。
去年は私の怪我もあって、優勝できなかったから。
今年こそはと思っていたのに……
- 702 名前:Silent Science 悪魔の辞典29 投稿日:2005/08/19(金) 03:34
- ・トレードシークレット
企業秘密。コ○コーラの作り方というのが一番有名な例。
・骨が溶ける
骨を炭酸水に浸しておけば一応溶けますが、炭酸飲料を飲んで骨が溶ける事はありえません。
ただし、リン酸が多く含まれているため、カルシウムの吸収を妨げることがあります。
・オレンジの巨塔
by Sals3 このネーミングセンスだけは如何なものかと思います
- 703 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/08/19(金) 03:35
- 更新終了。
ちょっとばかし寄り道。
>>690 ありがとうございます。試合シーンはごちゃごちゃとして読みにくいので…次は少し考えたいと思います。
- 704 名前:通りすがりの者 投稿日:2005/08/20(土) 23:40
- 更新お疲れさまです。 そんな因縁があったんですか・・・。 この先どうなるか楽しみです(薄笑 次回更新待ってます。
- 705 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/21(日) 18:28
- 暑い中更新ご苦労さまです。コ○コーラの製法公開とかの小ネタも個人的にはツボですが、
試合シーンもまた格別です。「オレンジの巨塔」や「犬ぞりの女王」?との対決はどーな
るんでしょうか?
- 706 名前:6.Hitomi side 投稿日:2005/08/23(火) 00:23
- HPオールスターズの試合結果は、夜に稲葉さんから電話があった。
ニュースを見ればわかることだけど、私は見なかった。
勝つことはわかっているし、どうせ決めたのはあさみちゃんだろうし。
もっとも、稲葉さんは私のその行動を予測して、電話で結果を知らせてくれたんだろうけど。
5−0。
あさみちゃんの2試合連続のハットトリックに加え、まいちゃん、それに柴ちゃんが1点ずつ。
これで、最終戦に勝たなければ優勝がないことは確定した。
わかっていたことだけど。
ベッドに横になる。
闇に慣れた目が、窓から差し込む月明かりと相まって部屋の中がよく見える。
疲れているはずなのに、眠れなかった。
頭の中で、試合をシミュレートするほどに、勝てる自信がなくなっていく。
まいちゃんに止められる姿。
あさみちゃんに抜かれる姿。
それが次々と脳内に湧き出て。
- 707 名前:6.Hitomi side 投稿日:2005/08/23(火) 00:24
- それを頭から吹き飛ばすように、勢いよく体を起こすと、私はリビングに出た。
電気をつける。
明るさに慣れない視界の隅で何かが見え、ドキッとした。
「寝れないの?」
「ご、ごっちん?」
椅子の上に膝を抱えて座る彼女。
右手でもったカップを口に運ぶ。
「電気、つけてなかったよね……?」
「あぁ、別につけてなくてもだいたい見えるから」
「いや、そーいうんじゃなくてさ……」
「何?」
カップをテーブルに置いて私を見る。
何?と聞かれれば答えに困る。
泥棒か何かと思ってびっくりした。
それくらいしか責める部分がないからだ。
- 708 名前:6.Hitomi side 投稿日:2005/08/23(火) 00:24
- 「コーヒー、飲んでるの?」
答えに困る私は話題を変えた。
部屋に香る匂いがコーヒーのそれだったから。
「あぁ。飲む?」
カップを差し出す彼女に、私は手の平を向けていらないことを示す。
代わりに冷蔵庫を開けてお茶を取り出した。
「寝れないの?」
「ごっちんこそ、どうなの?」
なんか図星なのが恥ずかしくて。
逆に尋ねる私だけど「いつもこんな感じだよ」とそっけなく言われた。
時計をみると、もう3時を過ぎている。
いつも早くからトレーニングしているから、夜はすぐ寝る方で。
だから気づかなかったんだろうけど……
ごっちんはどれくらい寝てるんだろう……
- 709 名前:6.Hitomi side 投稿日:2005/08/23(火) 00:24
- 「明日だよね?」
「え?」
「試合」
「あぁ……」
日付がもう変わっていることに気づく。
こんなことをしてていいんだろうか。
こうしている間にも、体を休めた方がいいんじゃないの?
少しでもコンディションを整えないといけないんじゃないの?
苛立つようにお茶を一気に飲む。
口から喉を通し、お腹へいたる冷たい感触が心地よかった。
「勝てるよ」
突然の言葉。答えられない私に、再度「勝てるよ」と繰り返す。
知らないからそんなこと言えるんだなんて思ってしまう私は、すごく嫌な奴だ。
向けられたごっちんの目を見ることもせずに。
- 710 名前:6.Hitomi side 投稿日:2005/08/23(火) 00:25
- 「勝ちたいね」
言えたのはそれだけ。
このまま寝れないんじゃないのって思いながらも「おやすみ」と言い残してリビングを出る。
その時、私は腕をつかまれた。
いつの間に椅子から下りて私の隣に来たんだろうか。
全く気配を感じずになされたそれは、少しゾッとするほどのことだった。
「勝てるんだよ。私がいるから」
ギュッと握られた腕が痛い。
睨みつけるように私の眼球に入り込む視線。
それを、どこかしら綺麗とすら思ってしまう。
- 711 名前:6.Hitomi side 投稿日:2005/08/23(火) 00:25
- 「だってさ……」
「ごっちんは何も知らないから」と言おうとした私の口は、やわらかい感触で塞がれる。
ぼやけて見える閉じたごっちんの瞳と、顔に触れる髪の毛。
ほんの一瞬。1秒も無いほどの時間だった。
ごっちんの顔が遠ざかり、ようやく焦点があった。
「よく眠れるおまじないだよ」
ごっちんはそう言って私の背中を向けた。
「ぎゃ……逆じゃないの?」
真っ赤になった頬を隠すように、下を向いて言えたのはそれだけ。
ろれつが回っていなくて、自分でも何を言っているかわからないほど。
- 712 名前:6.Hitomi side 投稿日:2005/08/23(火) 00:26
- 「勝てるから。私がいるんだもん」
今度は耳にすっと入ってきた。
思わず顔を上げてしまうほどに。
目に映るのは、コップを手に微笑むごっちん。
勝てるかもって変な自信が生まれたのも事実だった。
ごっちんとなら、できるかもって。
「おやすみ」
洗い終えたコップを片付け、彼女はリビングから出て行く。
「おやすみ」
おやすみのキスじゃなくって。やっぱり目覚めのキスだった。
目覚めたのはお姫様なんかじゃなくて、私の勇気なのかもしれない。
まだ、先ほどの感触の残る唇に触れる。
思い出されるごっちんの笑顔とともに、ドキッとした。
今晩はもう眠れそうに無かった……
- 713 名前:6.Hitomi side 投稿日:2005/08/23(火) 00:26
- ◇
結局、翌日は思い切り寝過ごした。
部屋が明るくなる頃までの記憶はあったんだけど。
次に目覚めたときには、もう太陽が南に昇っていた。
今日の練習は午後から軽めのメニューだから。
急いでシャワーを浴びて、ごっちんとともに向かう。
雅ちゃんは、今日もお留守番。
文句は言わないけど、視線で訴える。
連れて来てあげたくなるんだけど、そこはごっちんが言い聞かせていた。
まるで、本当の姉妹みたいな。
本当はどちらかが崩れた瞬間に壊れる危うい関係なんだけど、こういった光景だけは、平和そのものだった。
- 714 名前:6.Hitomi side 投稿日:2005/08/23(火) 00:26
- 体育館に入る。
幸ちゃんがダメだというのは、もう昨日の時点からわかっていたことだったから。
ごっちんがスタメン組のビブスをつけるのは、ある意味当然だったんだけど。
是ちゃんが反対するのもまた当然だった。
「納得いきません」
「納得とかいう問題や無い。試合は明日やねん」
「こんな、どこの馬の骨かわからない人と、一緒にプレーしたくありません」
「駄々こねるのもいい加減にしいよ」
稲葉さんとの間で繰り広げられる喧嘩に、当事者のごっちんは何も気にする様子もなく、舞美とボールを蹴りあっていた。
- 715 名前:6.Hitomi side 投稿日:2005/08/23(火) 00:27
- 「確かにな、是永の言うこともわかるよ。やけどね、川島がでれんし、残りの選手考えたら後藤しか穴埋める人おらんやろ?」
「どうしてですか?田中ちゃんも武藤ちゃんも、代わりに出たことあったじゃないですか?」
「ほんまにそれで通用すると思てるの?確かに、あの二人は貴重なうちの戦力や。やけど、明日の試合は何が何でも勝たなあかんねん」
「だからって……もし、それで負けたらどうするんですか?」
「そのときは、ここの監督辞めさせてもらうよ」
ひどくあっさりと言われた言葉だった。
思わず是ちゃんが言葉に詰まるほどにあっさりと。
「そやから、最後に力貸してくれへん?次だけでええねん。次の試合だけで」
「前の試合もそう言いましたよね」
「あれは、川島が大丈夫やと思ってたからや」
「信用できません」
「信用できへんって、証明しようにもできへんことやん?」
「いいです。もう……」
プイッと振り返る是ちゃん。
ボールを1つ手に取ると、ごっちんの名前を呼んだ。
- 716 名前:6.Hitomi side 投稿日:2005/08/23(火) 00:27
- 「何?」
何でもないように答え、舞美にボールを蹴ってごっちんも振り返る。
「辻ちゃん、手伝ってね。手加減しちゃだめだよ」
下手投げでボールを投げる。
二度バウンドしたボールは、転がってごっちんの前で止まった。
名前を呼ばれたののは、是ちゃんの後ろのゴール前に立った。
「勝負してもらえませんか?私を抜いて、ののちゃんからゴールを奪えたらあなたの勝ちです」
ボール、私、稲葉さん、そして是ちゃん。
それがごっちんの視線の動きだった。
それから、目を一度ゆっくりと閉じて、勢いよく開く。
ボールを軽く蹴りだすのが合図だった。
- 717 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/08/23(火) 00:30
- まだまだ寄り道し放題(ぉぃ
用語は1つなので説明を簡単に。
・田中と武藤
ハロプロエッグ、フットサル研修生の二人の名前です。
- 718 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/08/23(火) 00:33
- >>704 そろそろ試合ということで、相手チームにもスポットを当てて行きたいですね。
>>705 シリアス路線ばかりだと書いていて息が詰まりますので、小ネタは欠かせませんね。これからも適度にいれていきたいです。
- 719 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/08/23(火) 00:33
-
- 720 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/08/23(火) 00:33
-
- 721 名前:通りすがりの者 投稿日:2005/08/24(水) 15:41
- 更新お疲れさまです。 どうやらやすやすと事は進みそうにないですね(汗
次回更新待ってます。
- 722 名前:6.Hitomi side 投稿日:2005/08/26(金) 00:20
- 真正面から突っ込んでいくごっちん。
腰を落として構える是ちゃん。
右足で一度ボールをまたぎ、それから左へ蹴りだす。
それを読んで足を出した是ちゃん。
彼女の右足がボールに当たる。
その瞬間だった。
ごっちんの残った左足が、是ちゃんの蹴りだそうとするボールに当たる。
偶然かどうか、わからない。
ただ、左足に当たったボールは上手くごっちんの前に転がる。
- 723 名前:6.Hitomi side 投稿日:2005/08/26(金) 00:20
- 是ちゃんはすぐに反転して後方から足を伸ばす。
ボールに向かっていないそれは完全なファウルだった。
だが、ボールと共に軽くジャンプしたごっちんはそれすら避けた。
そのままジャンピングボレーの形でシュートを放つ。
腕を伸ばすののは、かろうじて指先をそれに当てた。
バン
少しだけ軌道が上にそれたボールが、バーに当たって跳ね返る。
「あ……外しちゃった」
ごっちんは苦笑い。
それ以上に悔しがる様子も無く、ののにナイスキーパーという声をかけていた。
- 724 名前:6.Hitomi side 投稿日:2005/08/26(金) 00:20
- だけど、勝負はごっちんの負けだった。
「私の勝ちですよね」
「是ちゃん……」
私の呼びかけに無視して、ごっちんの前に立つ。
どんな表情をしているかは、背中をむいているのでわからない。
ごっちんはごっちんで、さっきと変わらない表情をしていた。
「試合では決めてくださいね」
誰もが息を呑んだ彼女の言葉はそれだった。
「ん……あぁ……そうすることにする」
ごっちんは、いつもの調子でそういうだけで。
- 725 名前:6.Hitomi side 投稿日:2005/08/26(金) 00:21
- 「だけど、次の試合だけですよ。来年は関係ないですからね」
「ん、いいよ」
明日が終わるともういないんだから。
不意に、自分の頭にそんな言葉がよぎった。
そして、それがただの予感じゃないことを、その夜にかかってきた電話で知ることとなる。
私の従兄弟の、いつもと違う様子は、電話越しでも十分にわかった。
「あのさ……14番の人、名前なんていうの?」
私は、彼女のその問いかけの時点で気づくはずだった。
- 726 名前:6.Hitomi side 投稿日:2005/08/26(金) 00:21
- 「後藤、真希だけど?最近入った人でさ」
「ごっちん、本当にごっちんなのね?」
声が一段と大きくなる。
なんでごっちんのことを……と尋ねようとした瞬間に、私は気づいた。
自分にとって一番身近な「美貴」が、雅ちゃんのいう「ミキ」であるということを。
「ニュースで映ってるの見たんだ」
ミキティは続ける。
私は、一気に頭に駆け巡る思考を整理することすらできなかった。
ごっちんが、美貴の知り合いだっていうことは、ある意味よかったのかもしれない。
これからも会うことができるんだから。
だけど、ごっちんが何かに巻き込まれてるのなら、ミキティもそれに巻き込まれてるってことで。
だとしたら、だとしたら……
- 727 名前:6.Hitomi side 投稿日:2005/08/26(金) 00:21
- 「すぐに会わせてもらえないかな?ごっちんを待ってる人がいるの。ごっちんの大切な、すごく大切な人がいるの」
ドクンと胸が鳴った。
次いで吐き気がした。
大切な人。
雅ちゃんじゃない大切な人。
私なんかじゃない、大切な人。
「よっちゃん?よっちゃん?もしもし、もしもし?」
「あ……うん、聞こえてる」
コンノと言ったっけ。
もう一人の名前。
それがごっちんの大切な人なのかな……
- 728 名前:6.Hitomi side 投稿日:2005/08/26(金) 00:22
- 「ごめんだけど、明日試合なんだ。もちろんごっちんもでる。
だから、それが終わるまで待ってくれないかな?明日の試合、すごく大事な試合なんだ」
「でも……」
「お願い。チケットはこの前送ってるでしょ」
「……わかった。試合終わるまで待ってる。だから、絶対勝ってよね」
「あぁ。もちろんだよ。おやすみ」
「おやすみ」
ミキティの言葉の途中で、逃げるように電話を切った。
「よっすぃ」
ビクッとした。
心臓が飛び出そうになるほどに。
携帯を隠すように、振り返る。
戸口にもたれかかるように、ごっちんが立っていた。
- 729 名前:6.Hitomi side 投稿日:2005/08/26(金) 00:22
- 「ど、どうしたの?」
「よっすぃこそどうしたの?」
「別に、何でもないよ」
「嘘だ」
「本当だよ!」
ムキになって否定すればするほど、疑われるのに。
完全にパニックに陥ってた私は、それすらわからなかった。
「ふぅん、いいけどね」
「待って」
部屋を出て行こうとするごっちん。
私は思わず近づいてその手をつかんだ。
「何?」
「あ、いや……その……」
手を離す。
自分がどうしてこんなことをしているかわからなくなってきた。
- 730 名前:6.Hitomi side 投稿日:2005/08/26(金) 00:23
- 「ご、ごっちん、何か……用があってきたんじゃ……ないの?」
混乱する中で、それだけの最もな言葉が出せた自分を、少し褒めてあげたいほどだった。
「いや、別に。おやすみを言いに来ただけだよ」
「そ、そう……」
心臓の音が大きくなっていくのがわかる。
それは、さっきまでの混乱のせいなんかじゃなくて。
ここで、おやすみと言ってしまえば、もう二度とおやすみなんて言えない。
ごっちんは、明日になればこの家には帰ってこない。
たとえ、ごっちんが美貴の知り合いだからといって、また会える保障なんてどこにも無いって思い始めていた。
私よりも、大切な誰か。コンノさんのところに行ってしまうって思いがあって。
だけど、自分がどれだけごっちんと一緒にいたいか、ようやくわかり始めてきて……
- 731 名前:6.Hitomi side 投稿日:2005/08/26(金) 00:23
- 「おやすみ」
それでも告げられるごっちんからの言葉。
「ごっちん!」
「何?」
あ、同じだ。
是ちゃんの時と。
反応が、同じだ。
グッとこみ上げそうになる涙をこらえる。
次に出た言葉は、自分でもあっさりすぎるほどに簡単に言えた。
「キス、してくれない?」
「……いいよ」
たとえ数秒だけでも。
たとえあなたの心が他人のものでも。
繋がっていたい。
あなたと。
- 732 名前:6.Hitomi side 投稿日:2005/08/26(金) 00:23
- 同情でもなんでもいい。
あなたと繋がっていられるなら。
触れ合うだけのキスが愛しくて。
離れたくないから腕をぎゅっとつかんだけど。
1秒にも満たない幸福の時間はすぐに過ぎ去って。
いつもどおり、あなたは笑顔で私を見るんだ。
「もっと、違う形で会えたらよかったかもね」
私は言った。
前にごっちんが言った言葉。そのときからわかってる。
こんな形だからこそ、あなたとこうしていられるって。
だけど、それが今の私の本心だった。
- 733 名前:6.Hitomi side 投稿日:2005/08/26(金) 00:24
- 「無理だよ」
私が返したように「まだ終わりじゃないから」って言って欲しかった。
だけど、あなたの口からでるのは容赦の無い言葉。
だからこそ、私はあなたに惹かれたのかもしれない。
「そうだね……」
無理に笑顔を作ってみせたけど。
すぐに顔を伏せて「おやすみ」と言った。
涙は見せたくなかった。
あなたにだけは。
絶対に、見せたくなかった。
- 734 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/08/26(金) 00:26
- 更新終了
えっと……こんごまはいつ?(爆
たぶんもうすぐのはずです……
>>721 寄り道はこれでおしまいです。次からはようやく試合ということで。そちらの方も易々と進みそうにないですかと……
- 735 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/08/26(金) 00:26
-
- 736 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/08/26(金) 00:26
-
- 737 名前:名無し読者 投稿日:2005/08/26(金) 10:33
- よしごまも好きなのでうれしいですけどせつない・・・
こんごまもうすぐですか〜楽しみにしてます。
ごっちん試合がんばれ!
- 738 名前:通りすがりの者 投稿日:2005/08/26(金) 11:22
- 更新お疲れさまです。
よっすぃー切ないですねぇ
次回はついにですか。
楽しみです。
次回更新待ってます。
拝見してくださったんですか??
- 739 名前:7.Miki side 投稿日:2005/08/29(月) 23:53
- <7.Miki side>
こんなに緊張しているのは、初めてかもしれなかった。
あの時、ニュースで見たごっちん。
嘘かと思った。
ついに掴んだ唯一の手がかりが、自分の従兄弟のところにいるだったから。
運がよかったのか悪かったのか、どっちだろう?
従兄弟だったらもっと早く見つけれてたかもしれないし、従兄弟だからこそ、見つけたらこうしてすぐに会えるのかもしれない。
不運か幸運か考えるよりは、見つかったからよかったねと考える方が私らしい。
- 740 名前:7.Miki side 投稿日:2005/08/29(月) 23:53
- 第一試合は4点差のつく一方的な試合だった。
ゴールのたびに盛り上がる観客だったけど、私としてはその次の試合が気になっていたから。
ただの前座みたいなもので。
フットサルに詳しくない紺ちゃんに、簡単にルールを説明するだけの教科書でしかなかった。
ただ、紺ちゃんの方が教科書をきちんと見ていたかということは保障できない。
無理も無いよね。
この一ヶ月間に起こったことを、それとなくは聞いた。
私は、真ん中の人がなんか嫌いで見ていなかった美勇伝だったけど。
実はそんなことがあったんだって、ちょっとショックだった。
自分の身近なことに対して、アップフロントが関わってくるとなると、他人事にも思えない。
いや、すでにごっちんが巻き込まれてる時点で他人事じゃないんだけど。
だからといっても、アップフロントグループを嫌いになることはできても、その恩恵を受けずには生活できないような状態なのも事実。
お父さんの働いてる会社も、グループの小さな会社の一つだし。
私の携帯もアップフロントグループの会社ものだし。
まぁ、だからこそ、余計に腹が立つんだけど。
そう言えば、よっちゃんの所属するチームの親会社もアップフロントグループだった気もする。
- 741 名前:7.Miki side 投稿日:2005/08/29(月) 23:54
- そんなことを考えてると、歓声が一段と大きくなった。
選手の姿が見えたからだ。
よっちゃんの送ってきたチケットは、関係者席とも言えるほどの席で。
肉眼で一人一人の顔がわかる。
寧ろ、声をかければすぐに聞こえてしまいそうな。
柵を一つ飛び越えれば済むような距離だった。
「あっ」
紺ちゃんが口に手を当てる。
私よりも先に見つけたようだ。
視線の先には14番。
ごっちんだ。
全然、変わっていなかった。
ちょっと、表情が柔らかくなったかなって思う程度の変化。
もうすぐ、会える。
あと一時間もすれば、ごっちんは私たちの前にいるんだ。
- 742 名前:7.Miki side 投稿日:2005/08/29(月) 23:54
- ゆっくりとボールを蹴る彼女の姿を、網膜に焼き付けるようにじっくりと見る。
笑ってる表情も、昔のまま。
昔といっても、一ヶ月くらいなんだけど、すごく昔に思えた。
きっと、紺ちゃんも同じ、いや、彼女はもっとだろう。
紺ちゃんがごっちんのことが好きだなんて、傍から見ていたら嫌でもわかる。
寧ろ、わからないほうがおかしいほど。
本人は隠してるつもりだし、ごっちんも気づいてないであろうところが笑えるんだけど。
「ごっちんだね」
「はい……あれ、私、どうしたんだろう……」
そう言った紺ちゃんの目からは涙がこぼれていた。
仕方ないよね。
紺ちゃんがどれだけごっちんが好きかなんて、この一ヶ月すごくわかったから。
黙って差し出したハンカチで目元を押さえてから、紺ちゃんは消え入りそうな声で「ありがとう」と言った。
ごっちんは練習を終えてベンチに戻る。
- 743 名前:7.Miki side 投稿日:2005/08/29(月) 23:54
- 丁度ベンチはコートをはさんだ反対側だから。
よっちゃんとごっちんが談笑しているのが分かる。
そして、そのごっちんの横。
会ったのは一度だけど、忘れてはいない。
雅ちゃんだ。
よっちゃんがこっちを向いたような気がして、手を振ってみる。
明らかに視線があったけど、すぐに目を逸らされた。
いつもなら手を振り返してくれるのに……
絶対気づいてるはずなのに。
後で絶対問い詰めようと心に誓う。
紺ちゃんは、相変わらずハンカチで目元を押さえながらも、ごっちんを見ていた。
瞬きする間も惜しむように、じっと見ていた。
だけど、ごっちんはそれには気づいていないようだった。
名前呼んでみようかなと思ったとき、選手紹介のアナウンスが流れ始めた。
- 744 名前:7.Miki side 投稿日:2005/08/29(月) 23:55
- 「チーム、HPオールスターズ」
右側から歓声があがる。
チームカラーが白であるHPオールスターズの旗が揺らめく。
「3番、柴田あゆみ」
髪を二つに縛った女の子。
よっちゃんと同じ年にデビューをしてたのを覚えている。
足が速いとか、シュートが強力とかじゃないけど、パスの正確性をよっちゃんが絶賛してたことを覚えてる。
「13番、斉藤瞳」
密着マークに定評のあるフィクソ。
エースキラーだなんていわれてるけど、その分ラフなプレーも多くて、カードをよくもらっている。
- 745 名前:7.Miki side 投稿日:2005/08/29(月) 23:55
- 「8番、木村あさみ」
歓声が一気に大きくなった。
エースにして得点王。
この決勝リーグでも2戦連続のハットトリックで、得点王をほぼ確定させている。
両足からの強烈なシュートと、ずば抜けたスピード。
矢島さんと同じタイプのピボだけど、現時点での力の差は圧倒的だった。
そして、大きくなった歓声が更にもう一段階上がる。
代わりに左側から聞こえ始めるブーイング。
すらっとした長身から伸びる手足。
オレンジ色から白色へ。
番号はそのままでユニホームを変えた人。
- 746 名前:7.Miki side 投稿日:2005/08/29(月) 23:56
- 「11番、里田まい」
私も何度か話したことがある。
すごく話しやすく、人懐っこい人で。
移籍に際して、メディアに書かれているようなことは、全く信じられないほどに。
右足をシーズン初めに怪我したけど、復調してからの活躍は、ガッタスにいた時以上に見えた。
サポーターの盛り上がりにまぎれて、キーパーのアナウンスは聞こえなかったけど、いつもの人だった。
ベテランともいえる年齢だけど、まだまだ衰えを知らないキーパー。
辻ちゃんのような危うさも意外性もない、堅実な人だった。
次いで、ガッタスのメンバーの紹介が始まる。
よく話したことがある人も中にはいるから、なんだが格好よく紹介されているのを見ると、こっちが恥ずかしく思う。
9番、矢島さん。7番の是永さん。
そして、10番をつけるよっちゃん。1番、キーパーは辻ちゃん。
- 747 名前:7.Miki side 投稿日:2005/08/29(月) 23:56
- そして、最後。
「14番、後藤真希」
ガッタス側からの拍手もまばら。私と紺ちゃんの拍手が周りに大きく聞こえるほどに。
それは仕方ない。
前の試合にいきなり出てきたのだから。
アシストを記録したけど、得点は取っていない。
ニュースに映ったのもほんの一瞬でしかないから、多くがごっちんのプレーを知らない。
川島さんの代役が務まるかどうかなんて、誰も思っていなかった。
ましてや、優勝のかかったこの大一番。
歓声で迎え入れないのも当然だった。
「ごっちん」
名前を呼ぶ私に気づいたのか、こっちを向いた。
視線が合う。
でも、ごっちんは私だということに気づいていないみたいで。
他人にそうするように、軽く手を振るだけだった。
- 748 名前:7.Miki side 投稿日:2005/08/29(月) 23:57
- この距離で見えてないの?
疑問に思ったが、回りに観客がたくさんいるわけだし。
私を見つけられてないだけなのかなと考える。
でも、確かに目はあったのに……
ホイッスルが鳴る。
ガッタスのキックオフ。
よっちゃんが軽く転がしたボールを、矢島さんはヒールで後ろに流す。
それと同時に駆け上がる二人。
ごっちんはどちらかと言えば、後ろにいる。
ボールは是永さんの足元に収まり、それから再度よっちゃんへと渡り、歓声が起こる。
前に立つのは里田さん。
時が止まったかのように、ボールを持ったまま動けないよっちゃん。
周りの選手も誰も近寄ることはしなかった。
キャプテン同士の勝負を誰もが待っていた。
- 749 名前:7.Miki side 投稿日:2005/08/29(月) 23:57
- だけど、よっちゃんはボールを横に少しだけ転がす。
そこにごっちんが走りこみ、ボールを受けて走りだす瞬間、横から足が伸びてきた。
ボールを止められ、躓くようにバランスを崩すごっちん。
里田さんの足は、しっかりとボールを持っていた。
すぐにボールを奪おうとするよっちゃんは、足を伸ばすけど、それはいとも簡単に避けられる。
前線に残っているのはごっちん、矢島さん、そしてよっちゃん。
ボールを奪われれば、カウンターが炸裂する。
里田さんのボールは柴田さんへ。
一人で前の二人をマークしなければいけない是永さんは、あさみさんと柴田さんの間で距離を保つことしかできない。
そして、ゴール前までくればもう距離を保っていられなくなる。
ボールを持っている柴田さんに近づくのは当然。
また、その瞬間にあさみさんへのパスを出すのも当然。
- 750 名前:7.Miki side 投稿日:2005/08/29(月) 23:57
- キーパーと一対一。
誰もがそう思ったけど、私の目にはその間に走りこむオレンジの姿が見えた。
ダイレクトで放たれたシュートを足でブロックする。
ボールは形が変わるほどに回転したまま、ゆっくりと辻ちゃんへと向かう。
それを両手と体で抱え込むように受け止める。
「よっすぃ!」
ごっちんの声。
すぐさま辻ちゃんがボールを投げる。
里田さんもすぐにもどって、よっちゃんにつく。
今度は大きく蹴りだしたよっちゃんのパスは、斉藤さんのマークを振り切った矢島さんの足元へ。
放ったシュートはキーパーに弾かれて、コーナーキックとなった。
- 751 名前:7.Miki side 投稿日:2005/08/29(月) 23:57
- 「私と勝負しないんだ」
センターラインから聞こえる里田さんの声。
「一対一だけが勝負じゃないって、教えてくれたの誰だっけ?」
よっちゃんは答えて、是永さんの蹴ったコーナーキックに走りこんだ。
ペナルティエリアの後方から、直接狙う。
しかし、それもまた里田さんの足が防ぐ。
跳ね返ったボールは前に一人残ったあさみさん。
マークにつくのはごっちん。
併走する二人のスピードはほぼ同じ。
時折足を出すごっちんが、半身遅れているほどだった。
ホイッスルが鳴った。
ごっちんの出した足が、ボールではなくあさみさんの足へといってしまったからだ。
タッチライン付近からのフリーキック。
里田さんを蹴ったボールを、是永さんが頭で跳ね返した。
- 752 名前:7.Miki side 投稿日:2005/08/29(月) 23:58
- 「後藤さん」
一進一退の攻防の中で、ふと自分の横にいる彼女の言葉が聞こえた。。
両手を合わせて握り、まるでお祈りしているかのように、試合を見つめている。
「無事に、勝ってください」
続けて紺ちゃんはそう言った。
すごく変な日本語だった。
彼女にしてみれば、試合なんてどうでもいいんだと思ってた。
例え負けても、ごっちんが怪我無く帰ってきてくれれば、それでいいんだと。
だけど、実際は違って。
紺ちゃんは試合にも勝って欲しいと願ってる。
それは、きっとごっちんが勝とうとがんばっていることがわかっているから。
だから、この状況で勝って欲しいって素直に願えるんだ。
- 753 名前:7.Miki side 投稿日:2005/08/29(月) 23:58
- 少し妬けた。
別に、よっちゃんに従兄弟以上の特別な感情はもっているわけではないけれど、彼女に対してそこまで思えるかと聞かれれば、ノーだと思う。
勝って欲しいとは思ってる。
怪我して欲しくないとも思ってる。
だけど、それは同時に願うことは無いと思う。
きっと怪我するような危ないプレーがあったなら、勝たなくてもいいから、怪我しないでって思うだろうし。
負けていたら、最後まで無理してでもいいから走れって思うだろうし。
紺ちゃんは信じてるんだよね、結局ごっちんのことを。
何だかんだ言って、誰よりも信じてる。
それこそ、神様みたいなもんだ。
ごっちんがフットサルなんてやってるのを見たことは無い。
そもそも、今までチケットを貰ったからと誘っても、いつも断られてたし。
見たことも無い、ルールすらもしらない恐れがある。
もちろん、紺ちゃんは私よりもそんなことを十分にわかってるはず。
- 754 名前:7.Miki side 投稿日:2005/08/29(月) 23:59
- なのに……ね……
あさみさんを止めるごっちん。
得点王である彼女のスピードについていった上に、それを何度も止めてみせるなんて。
それができる選手なんて、私には里田さん一人しか思いつかなかった。
「すごいね」
思わず漏らした言葉は、紺ちゃんに聞こえているのかな。
変わらずにごっちんを見ているだけで。
この歓声も、スタジアムの雰囲気も、紺ちゃんには何も関係なくて。
ごっちんだけが世界の全てみたいに。
私すら前みたいにその世界には入っていけないような、そんな明確な境界線を感じる。
- 755 名前:7.Miki side 投稿日:2005/08/29(月) 23:59
- 妬ける。
ごっちんに妬けた。
これだけ紺ちゃんに思ってもらっているのにさ。
何で玉蹴りなんかして遊んでるのさ?
さっさと試合終わらせて、紺ちゃんを抱きしめてあげなよ。
よっちゃんには悪いけど……
ごっちんの両手は優勝トロフィーを掴むより、紺ちゃんを掴むほうがよっぽど似合ってる。
だから……
さっさと勝っちゃえよ。
- 756 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/08/30(火) 00:02
- ようやく……こんごまの欠片くらい???
>>737 こういうよしごまが個人的に大好きなんですよね。よっすぃ可愛そうですけど……
>>738 そちらの方=試合の方ってニュアンスで言ったのですが、空のスレのほうも少しずつ追わせて頂いております。
- 757 名前:通りすがりの者 投稿日:2005/08/30(火) 17:59
- 更新お疲れさまです。
ウーン(・・;)なんでしょう??
この複雑な気分は
次回更新待ってます。
あ、ありがとうございます!!
頑張ります!
- 758 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/01(木) 01:52
- 読んでるこっちが妬けちゃうよってな感じですが、それはそれとして、
またいろいろ動き出し始めましたねえ。各々がどう接していくのか、楽しみにしてます。
- 759 名前:7.Miki side 投稿日:2005/09/02(金) 00:40
- 瞬間、ごっちんが笑ったように見えた。
たぶん、私の思い過ごしなんだろけど。
あさみさんから奪ったボール。
ごっちんはそのままドリブルを始める。
左右に開くよっちゃんと矢島さん。
後ろから伸びるあさみさんの足を飛び越え、センターラインを超えた。
里田さんが迷わずごっちんに向かう。
よっちゃんへのパスコースはない。
里田さんを超えるゆっくりとしたループパスなら、斉藤さんがカットするだろうし。
グラウンダーのパスはキーパーが飛び出せる位置にしか出せないように、コースをつぶしている。
- 760 名前:7.Miki side 投稿日:2005/09/02(金) 00:40
- 勝負。
その言葉が頭をよぎった。
ボールをまたぐフェイントには全く釣られない。
そのまま右へとボールを蹴りだすが、里田さんはぴったりと進路をふさぐ。
次の瞬間、ごっちんは右足でボールを左へと少しだけ転がす。
右足を一歩踏み出した里田さん。
ごっちんは、その隙に左足のインサイドでボールを押し出す。
転がったボールは里田さんの股を抜いた。
同時に、里田さんの右手がごっちんのユニフォームをつかむ。
もちろんファウルだから、フリーキックが宣告される。
「やるじゃん」
ごっちんは言う。
それは挑発するには十分な言葉だけど、そんなことでカッカするほどの選手じゃないから。
里田さんは黙ってボールを地面に叩きつけた。
- 761 名前:7.Miki side 投稿日:2005/09/02(金) 00:40
- ボールに前に立つのは是永さん。
ごっちんはゴール前。
マークにつくのは里田さんではなく、斉藤さん。
矢島さんにあさみさんがつく格好だ。
「おっそいんだよね。だから、舞美ちゃんには体を寄せてスピードを抑えるんでしょ」
ごっちんは私に近いサイドにいるから、声がよく聞こえる。
「残念だけど、筋肉バカとはやりなれてるから」
何が起こったかわからなかった。
私から見れば、斉藤さんが勝手にごっちんから離れたようにしか見えなかった。
蹴り出されたボール。
バックヘッドの形でごっちんが触れたそれは、キーパーのわきを抜けてネットを揺らした。
シンと静まり返ったスタジアム。
- 762 名前:7.Miki side 投稿日:2005/09/02(金) 00:41
- 電光掲示板の数字が0から1に変わってから、全員が起こったことを確信する。
悲鳴と歓声が入り混じる空間。
歓喜の輪の中心はごっちんで。
ハイタッチを重ねるその表情は、少しだけ笑顔を浮かべていた。
私の隣では、紺ちゃんが両手をパチパチと鳴らし、声を出さずに笑顔で頷いていた。
互角の展開から、里田さんを抜いての得点。
リズムがガッタスにくるのは当然だった。
矢島さん、よっちゃん、更には是永さんまで。
ボールが回る回数が断然増え始め。
その中心には常にごっちんがいた。
前半終了1分前。
そこまでは出来過ぎたくらいの試合運びだったんだと思う。
だから、それから起こったことは、ある意味仕方ないことだと思う。
里田さんに止められたごっちん。
里田さんは、よっちゃんではなく、ごっちんをマークしていた。
ボールは柴田さんを経由してあさみさん。
是永さんが付くが、スピードに乗ったあさみさんには追いつけない。
放ったシュートを弾いた辻ちゃんだったけど、すぐに柴田さんが左足で流し込んだ。
- 763 名前:7.Miki side 投稿日:2005/09/02(金) 00:42
- パン
手のひらを拳で打つ音。
何度も何度もごっちんはそれを繰り返す。
自分だけの責任だなんて、思ってるの?
里田さんに挑んで、2回に1回は抜ける選手なんて、そうそういないのに。
止められたことは、誰も攻めないのに。
よっちゃんがごっちんの頭を軽く叩く。
周りの歓声が大きすぎて、何て言ってるかなんてわかんないけど。
ごっちんはそれで叩くのをやめた。
キックオフされたボールを思いっきり蹴って。
里田さんが体に当てて跳ね返ったとき、前半が終了した。
「ふぅ……」
私は息を吐いた。
スコアは1−1。
この先どうなるかなんて、全然わからない。
わかっていることは、後20分でごっちんは私たちの元に帰って来るってこと。
- 764 名前:7.Miki side 投稿日:2005/09/02(金) 00:42
- 「紺ちゃん、喉渇いてない?」
「あ、大丈夫だよ」
「私と一緒でお茶でいいよね」
会話が成立していないって自分で思うけど。
紺ちゃんの性格からして、絶対に大丈夫って言うに決まってるから。
これくらい強引に進めないと、何も口にできない。
私はお財布を手に、席を離れた。
ハーフタイム中ということで、売店には人の列が並んでいた。
ポテトの特有の油の匂いや、ホットドックにかかるケチャップの匂い。
いい匂いと言うわけではないけど、どこか食欲をそそられるものだった。
ウーロン茶を二つ買う。
席に戻ろうと振り返った瞬間、自分の前を横切った人に視線がいった。
すぐ先の角を曲がり消えていく。
- 765 名前:7.Miki side 投稿日:2005/09/02(金) 00:43
- 会ったのは何分というだけの時間でしかない。
そもそもあの状況は、会ったという言葉が正しいのかはわからないけど……
間違えるわけが無い。
彼女の姿を。
記憶力がいい方ではないけど。
それでも、別人だとか、記憶違いだとかいう可能性は0だと確信していた。
ウーロン茶を一口飲み、近くのゴミ箱に投げ捨てる。
食べ物を粗末にするのは気が引けたけど。
今はそんなことを考えてる場合じゃない。
私は彼女の後を追った。
- 766 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/09/02(金) 00:47
- 少しだけですが、キリがいいのでこの辺までで。
もう少ししたら、更新速度が元の週1に戻るかもしれません。
>>757 密かに後藤さんモテモテなの、は作者がごまヲタだからなのでした……モテごまとか最高。
>>758 そろそろ物語が1つにまとまっていく頃です。ようやく…ようやく1レス目に書いたこんごまですという言葉が達成されそう…
- 767 名前:通りすがりの者 投稿日:2005/09/02(金) 16:52
- 更新お疲れさまです。
ついにあともう少しですね。
ミキティは一体??
次回更新待ってます。
- 768 名前:ななし 投稿日:2005/09/03(土) 08:51
- 一押しのカップリングではないのですが
話がすごく面白くていつも楽しみにしてます。
それぞれの主登場人物の描き方に愛情があって引き込まれます。
- 769 名前:8.Maki side 投稿日:2005/09/04(日) 14:19
- <8.Maki side>
「取られたら、取り返すだけだよ」
同点にされたとき、よっすぃはそう言った。
正論だね。
前半に私をマークしていた11番は私の前にいない。
代わりにいるのは斉藤だけど、斉藤違い。
斉藤みうなって、アナウンスされてた。
後半から斉藤瞳に代わって入ってきた人。
ダイヤモンド型だとよっすぃが言っていた形だ。
前にあさみさん、その後ろに柴田さんと里田さん。一番後ろに斉藤みうなだ。
- 770 名前:8.Maki side 投稿日:2005/09/04(日) 14:19
- 私のところにボールが来る。
マンツーマンというよりはゾーンに近い形。
柴田さんを抜いた私に、すぐに里田さんは寄ってくる。
寸前で出した舞美ちゃんへのパスは、みうなさんにカットされる。
ボールはすぐに里田さんへ。
彼女が一列前に来ているということは、それだけこっちのゴール近くでプレイを始められるということにつながる。
よっすぃがスピードを殺そうとするのもお構い無しに、柴田さんと交差する際に、ボールをスイッチ。
柴田さんの左足が、コートを横切るようにパスを出す。
是永さんの前に体をいれたあさみさんがボールを蹴りこむのを、私は見ていることしかできなかった。
2失点目。
後半はまだ始まったばかりだけど。
- 771 名前:8.Maki side 投稿日:2005/09/04(日) 14:20
- 「取られたら取り返すだけだよ」
自分に言い聞かせるように言う。
守っていても点が入らない競技だ。
野球なら、守ってる側と攻める側の明確な役割分担があるけど。
フットサルにはそれがない。
一人一人が守りながら攻めないといけない。
だけど、1点リードしたことで、柴田さんを下げて再び斉藤さんを入れてきた相手。
完全なる守備重視。
あくまで私の主観だけど。
フットサルは守るより攻めるほうが楽なゲームなんだ。
バスケットボールに近いものがあるかもしれない。
- 772 名前:8.Maki side 投稿日:2005/09/04(日) 14:20
- だからこそ、守備を固めるなんて自信の現われなのかもしれない。
斉藤さんがボールを持っている相手につき、里田さんがコースを消し、みうなさんが動きまわってパスをカット。
ドリブルもパスもシュートも。
キーパーにすら届かない。
かといって、相手の攻撃もあさみさん頼りだから、是永さんと辻ちゃんが何とか抑えている。
時間と体力だけがどんどん無くなっていく間、私はようやく気づいたことがあった。
自分の体力があがっているということに。
特にスタミナにおいては、自分の限界値というものがわかっている。
だから、うまくペース配分してきたんだけど、自分の考えよりもはるかに体力が残っている。
自分でうまく調節できてないだけの可能性もある。
だけど、自分の体内の微妙な変化に、私は気づき始めていた。
筋力が上がっている。
時間が経つにつれて、どんどんどんどん。
まるで、エネルギーを常に送り込まれているような感覚だ。
- 773 名前:8.Maki side 投稿日:2005/09/04(日) 14:21
- 「よっすぃ」
ボールを要求する。
向かってくるみうなさんの前に体を入れて、ボールを受ける。
そのまま後ろの舞美ちゃんへ。
里田さんが届かない位置への速いパス。
舞美ちゃんは足を伸ばしたが、届かなかった。
「追いついて!」
私は言った。
これくらいのスピードでないと、フリーでパスはつながらない。
舞美ちゃんには酷かもしれないけど、勝つためにはこれを成功させるしかないんだ。
あさみさんへのボールは是永さんがカット。
私へのパスをスルーして、舞美ちゃんの元へボールが転がる。
- 774 名前:8.Maki side 投稿日:2005/09/04(日) 14:21
- 目が合った。
ほんの一瞬。
でも、その一瞬で十分だった。
舞美ちゃんがトラップした様子とかは全く見ていない。
私はただある一点だけに向かって足を進めていた。
視界の隅に影が見える。
走りながら伸ばした足に、ボールが当たった。
里田さんやみうなさんから完全に開放された状況。
すぐに体勢を立て直し、シュートを打つ。
キーパーの股。
角度的にそこしか空いていなかった。
ただ、そこしか空いていなかったっていうことは、空けていたということと表裏一体。
経験値の差ってやつだった。
稲葉さんと同じくらいの年齢であろうキーパーに、私はまんまとはめられた。
弾かれるボール。
せっかくのチャンスを、私はふいにした。
- 775 名前:8.Maki side 投稿日:2005/09/04(日) 14:22
- 「もう一度、いきます!」
舌打ちをする私に声をかけたのは、よっすぃではなく舞美ちゃん。
伸ばした人差し指が天を指してから、私に向けられた。
ん、そうだよね。
ちょっと恥ずかしかった。
自分より年下の彼女に励まされていることが。
でも、どこか懐かしい感じ。
ふっと頭によぎる、うれしい思い。
なんか……ね……
舞美ちゃんが斉藤さんからボールを奪う。
再び出されたパスは、里田さんのつま先に当たってタッチラインを割った。
- 776 名前:8.Maki side 投稿日:2005/09/04(日) 14:22
- 「もっと速くていい」
「はい」
それこそ、シュートくらいの勢いでいいんだ。
ゴール前で触れさえすれば1点入る。
それくらいの方がわかりやすくていい。
よっすぃのキックイン。
目の前で受けた私はすぐにボールを返して走った。
足はまだ全然動く。
瞬発力も全く鈍っていなかった。
だからこそ、今からの時間は私のスピードに追いつけないって、確信していた。
走る私の更に向こうによっすぃからのパス。
ボールに追いつく前に、斉藤さんが私の服をつかみ、ホイッスルが鳴った。
- 777 名前:8.Maki side 投稿日:2005/09/04(日) 14:23
- 「いい位置じゃない?」
ボールをセットする是永さんに問いかける。
無言で頷く彼女の目線はゴールしか見ていなかった。
パスは来ない。一瞬でそれはわかった。
私が嫌いとかそういうのじゃなくて、ゴールを狙うからって理由で。
そして、それを決めてしまえるのが是永さんのすごいところなんだと思った。
残り時間5分での同点弾は、ゴール右下に突き刺さった。
- 778 名前:8.Maki side 投稿日:2005/09/04(日) 14:23
- 「まだ、同点!」
是永さんはハイタッチを求めるみんなに叫んだ。
里田さんが拾い上げたボールを奪い取るようにして、ボールをすぐにセットした。
フットサルは、サッカーと違って時計が止められるから、そんなことをする必要はないんだけれど。
早く始めたいというのがみんなの気持ちだった。
キックオフ前に、斉藤さんが柴田さんと交代する。
相手も同点で終わるつもりは無いようだった。
これで、こっちにもチャンスが増える。
そう思った矢先、私の耳を風が吹きぬけた。
キックオフと共に放たれた里田さんのシュート。
辻ちゃんはキャッチすることができずに、コーナーキックに逃れるのが精一杯だった。
- 779 名前:8.Maki side 投稿日:2005/09/04(日) 14:24
- 五分……
違うね。守っていてくれたほうがよかったかもしれない。
柴田さんが蹴ったボールをよっすぃの前の里田さんへ。
「よっちゃん」
「何?」
「左右に振られたとき、腰が高くなる癖、治って無いよね」
左右の切り返しから、あっさりと抜かれるよっすぃ。
すぐにフォローに入った是永さんがボールを奪う。
そして、私の足元へ。
柴田さんを抜き、駆け上がるが、すぐにあさみさんが追いついてくる。
前にはみうなさん、右にはあさみさん。
私はヒールでよっすぃに流す。
受けたよっすぃが舞美ちゃんへ出そうとしたパスは、里田さんの足に当たった。
- 780 名前:8.Maki side 投稿日:2005/09/04(日) 14:24
- 是永さんのキックイン。
舞美ちゃんが持ったボールはみうなさんに奪われる。
ここからが長い長い時間だった。
里田さんが、あさみさんが、次々とシュートを打ってくる。
跳ね返しても、まるで神様がいたずらをしてるみたいに、全部相手の正面に返ってしまうんだ。
残り時間が早くすぎないかなという考えが、ふっと頭によぎるほどに。
点を取られないのが自分たちでも不思議なほどに。
ただ、その中でも、体力の低下は全く感じなかった。
前半から数えると30分以上動いているのに。
まるでついさっき試合が始まったかのようだった。
たまらずに稲葉さんが取ったタイムアウト。
残り時間は2分だった。
でも、稲葉さんは戦術を私たちに与えることはしない。
これは、私たちを落ち着かせるためのもの。
本日何口飲んでいるかわからない、おいしくないジュースを口にする。
もう味はわからなかった。
- 781 名前:8.Maki side 投稿日:2005/09/04(日) 14:25
- 「勝つからね」
私は雅に言った。
「勝ってください」
雅が言った。たったそれだけの会話だけど。
たぶん、私にとってはどんな飲み物よりも、体力を回復させてくれるものなんだと思う。
「勝つよ」
円陣の中でよっすぃが言った。
タイムアウト終了の合図が鳴り響く。
センターライン横からのキックイン。
是永さんがボールをセットする。
その時だった。
- 782 名前:8.Maki side 投稿日:2005/09/04(日) 14:26
- 「後藤さん」
私を呼ぶ声が聞こえた。
歓声の中から、それだけ切り取ったみたいに、やけにクリアに。
そして、私はその声に聞き覚えがある。
夢の中で、私を呼んでいた声。
ずっと、私を呼んでいた声だった。
是永さんがキックインを行う。
だけど、私はボールを見ずに声の方向を向いた。
いた。
わかった。すぐに。
まだ全然思い出せない。
だけど、彼女だってわかった。
彼女が、紺野。
私が探していた子。
そして、私のことを知っている子。
- 783 名前:8.Maki side 投稿日:2005/09/04(日) 14:26
- 「ごっちん!」
よっすぃの声。
私は自分へのパスが目の前に来ていることを知った。
私の目標は、これで達成された。
だから、後はよっすぃの目標を達成させないといけない。
ボールを止め、私は紺野を指差した。
紺野はそれに気づきにっこりと笑って頷いた。
息を一つ吐いた。
自分が何でもできそうな気がした。
あさみさんの股を抜く。柴田さんを切り返しで置き去る。
みうなさんをターンで避ける。
残りは里田さん。
左右の切り替えし、またぎフェイント、全て通じない。
- 784 名前:8.Maki side 投稿日:2005/09/04(日) 14:27
- さっきまでの私なら、抜こうと思ったのかもしれない。
だけどね……
もう、さっさとこの試合は終わらせたいんだ。
視界の端に捕らえた影。
もう一度フェイントを入れて私はパスを出した。
ゴール前、フリーのよっすぃへ。
「決めちゃえ」
私は呟いた。
よっすぃはそれに答えた。
振り切った右足からのシュートは、真っ直ぐにゴール左隅に突き刺さった。
- 785 名前:8.Maki side 投稿日:2005/09/04(日) 14:27
- 沸き起こる歓声。
笑顔のみんな。
歓喜の輪を外からしばらく眺めた後、私は紺野のほうを向いた。
涙が光っているのが見える。
それは、私も同じだった。
なんだろう……
なぜか涙が出てきた。
勝った事による嬉し涙でもない。
紺野が見つかった安心感からでもない。
なぜだか、涙が溢れてきた。
試合終了が正式に告げられるまで。
私と紺野は視線を外さないまま。
そして、ベンチに戻ることなく、私は紺野の元へと行く。
- 786 名前:8.Maki side 投稿日:2005/09/04(日) 14:28
- 観客は、私を歓声で迎えてくれるが、そんなことは悪いけどどうでもよかった。
紺野が私に手を伸ばしてくれる。
私の名前を呼んでくれる。
それだけで、すごく満足だった。
「ごっちん、伏せて!」
そんな時だった。声が聞こえたのは。
反射的に反応できたのは、今までの経験を体が覚えていたからだろう。
パンという音が響き、スタジアムに静寂がにわかに起こった。
次いで悲鳴がこだまする。
私の髪を掠めたのが何かわかった。
髪の焦げた臭いはどこか懐かしく。
掠めたものが至った先に見える朱色を混乱が、私の中の何かを呼び起こそうとしていた。
- 787 名前:8.Maki side 投稿日:2005/09/04(日) 14:29
- 「紺野、伏せて!」
叫んで私はその場を飛びのく。
ワンテンポ遅れて銃声が響いた。
銃撃の方向に視線がやる。
ポニーテールの女の子。
「邪魔しないでください!」
叫ぶポニーテールが、今まさに腕をつかんでいるのはショートヘアの女の子。
「美貴!」
よっすぃが言った。
ミキ、ミキ……
どこか懐かしい響き。
さっき、私の名前を呼んだのも彼女。
試合が始まる前もそうだ。
あの子が私の名前を呼んだ。
つまり、あの子がミキってわけだ。
- 788 名前:8.Maki side 投稿日:2005/09/04(日) 14:29
- 「後藤さん、ずっと探してましたよ」
銃口が私を向く。
周りの混乱をお構い無しに、ポニーテールの子は引き金を引いた。
衝撃の後の痺れ。
次いで焼け付くような痛みがわき腹に走る。
オレンジのユニフォームに広がる赤い斑点。
幸いにして急所はさけてるっぽかった。
「後藤さん!」
「来るな!」
斜め後ろにいるであろう紺野を制する。
ごめんだけど、誰かを守りながらなんて無理。
「逃げてて。絶対にミキを連れて迎えに行くから」
「嫌です!」
ガタンという音がした。
視線は銃から外せなかったから、最初は何の音かわからなかったけど。
背中から回された両腕と、背中に感じる体温で、紺野が客席から中へと入ってきたのがわかる。
- 789 名前:8.Maki side 投稿日:2005/09/04(日) 14:30
- 「紺野……」
「もう、離れたくないんです。せっかく、会えたのに……もう、私を置いていかないでください」
銃にかけられた指が動く。
ミキが体を動かしたせいで、狙いが大きくはずれる。
離れて起こる悲鳴が混じった喧騒。
それを気に病む余裕も、視線をやる余裕も無かった。
銃で殴られるミキの悲鳴だけが、やけに大きく聞こえた。
「そんな事いったって……紺野、死んじゃうかもしれないんだよ」
「いいんです。死ぬのは怖くないです。それよりも、後藤さんに会えなくなる事の方が、怖いんです」
死んだら会えないよ。
なんて、言えなかった。
震える紺野の指と涙交じりの声。
絶対に離さないって、絶対に守るって、強く思えた。
- 790 名前:8.Maki side 投稿日:2005/09/04(日) 14:31
- だから……
「よっすぃ、雅を。ミキは私に任せて!」
「でも……」
「いいから!」
私を見る雅の目。
ったく、みんなおんなじ目をしてるじゃん……
よっすぃも、雅も。
ミキも、そして、紺野も。
みんな、そんな目で見ないでよ。
私がもう死ねなくなっちゃったじゃん!
- 791 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/09/04(日) 14:31
-
- 792 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/09/04(日) 14:31
-
- 793 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/09/04(日) 14:35
- 更新終了。3部あと少しで終わります。
4部は残りの容量的に、中途半端な位置で途切れそうなので、4部から新スレという事にします。
このスレはたぶん少し余りますので、登場人物紹介などなどで埋め立てていこうと思います。
>>767 ようやく到達でしょうか……w残り少しサクッといきたいです。
>>768 ありがとうございます。CPは結構乱立していますので、いつかはお好みのCPにあたれば……と思います。
- 794 名前:通りすがりの者 投稿日:2005/09/04(日) 15:15
- 更新お疲れさまです。
かなり土壇場じゃないですか(汗
かなり気になりますね。
どこまでも付いて行きますよ。
次回更新待ってます。
- 795 名前:8.Maki side 投稿日:2005/09/10(土) 00:28
- 「よっすぃ、行って!」
回された紺野の片手をつかみ、私は横に走る。
頬を掠めて髪をつっきる銃弾。
雅の手を取るよっすぃを確認できた。
せめて、銃があれば……
丸腰というのが致命的だった。
隠れる場所の少ないここで、銃を持つ方の有利さは明らか過ぎた。
ミキは気絶してるんだろうか。
頬に赤い血がたれているのが見え、全く動かない。
彼女は私が逃げないための人質なの?
どちらにしろ、生かしておいてくれるのはすごくありがたい。
- 796 名前:8.Maki side 投稿日:2005/09/10(土) 00:29
- 銃弾が右のふくらはぎを貫いた。
バランスを崩したけど、倒れるわけにはいかなかった。
このままじゃ、紺野に当たる。
自分のことよりも、そっちの恐怖が勝った。
ポニーテールの狙いは私なんだから。
だけど、一度つないでしまったこの手を離すことはためらわれた。
紺野がそばにいるだけで、すごく勇気付けられる。
それは、ある意味で甘い誘惑だった。
だから、それに負けるわけにはいかない。
ここをしのげば、紺野とずっと手をつないでいられるんだから。
- 797 名前:8.Maki side 投稿日:2005/09/10(土) 00:29
- 「紺野、離れて」
「嫌です」
「紺野まで守れない……傷つけたくないんだ」
「後藤さん……」
「お願い。あそこの柱の裏でもいい。とにかく、私から離れて」
手を離して私は走った。
スタンドから飛び降りたポニーテールは、私と同じ高さにいる。
走る速度に緩急をつけて、狙いを定めにくくするが、弾を避けることはできなかった。
バン
やけに耳に鋭く届いた音と同時に、私の右肩を弾が貫いた。
続く右足への銃弾は、私の動きを完全に止めた。
- 798 名前:8.Maki side 投稿日:2005/09/10(土) 00:29
- 「これで、おあいこです」
満足げに笑うポニーテール。
何がおあいこか、わかるわけも無かった。
「HPK07から何も聞いてないんですか?」
「何を言ってるの?」
銃口は私を一瞬たりとも外すことはなかった。
痛みを徐々に感じなくなってきた。
意識を保つことに集中しながら、私は答えた。
「何も聞いてないんですね。HPK07っていうのは、あなたが夏焼雅って呼んでる子のことですよ」
「雅……」
HPK07。
そんな呼び方で呼ばれること自体、安倍さんの言っていたことが本当のことに違いないと確信させる。
雅は、作られたヒト。
改めて突きつけられた事実に、私は以前同様、さしてショックを受けることは無かった。
- 799 名前:8.Maki side 投稿日:2005/09/10(土) 00:30
- 銃を左手に持ち替えて、上着のボタンを外しだす彼女。
チャンスだったのかもしれないと、後から思う。
だけど、彼女の意図がわからなかったことと、自分のまだ戻っていない記憶に対する興味が、私の体を止めていた。
露になった肩。
そこには赤く爛れた跡が見えた。
「後藤さんに打たれた跡ですよ。手術でとることもできたんですが、敢えて残しました。なぜだかわかりますか?」
「さぁね」
「あなたのことを忘れたくないからですよ。こんな普通の銃を使うのは私の美学に反します。だけど、そうでもしてでもあなたを殺したかった」
美学……か。
それを貫くことで命を落とした者をたくさん見てきた。
だから、彼女の美学が何かはわからないが、それすら捨ててしまえる判断力に、少し感心した。
- 800 名前:8.Maki side 投稿日:2005/09/10(土) 00:30
- 「何をにやにやしてるんですか」
「気のせいでしょ」
「あなたは死ぬんですよ」
「かもね」
バン
私の返事に答えるように、銃弾は私の髪を掠めた。
「死ぬのが怖くないんですか?」
「考えたことも無いよ」
それは、確かな事実だ。
死の恐怖なんて感じていたら生きていけない世界でしか、私は暮らしていなかったんだから。
- 801 名前:8.Maki side 投稿日:2005/09/10(土) 00:30
- 「簡単すぎるんですよ」
「何が?」
「私は、ヒートガンを捨ててまで、あなたを殺そうとした。だけど……なんですか今のあなたは。
ヒートガンでも十分殺せてしまう。何のために、私はこんな銃を使ってるんですか?」
「そっちの都合を押し付けないで欲しいな」
「もう少し楽しませてくださいよ。私を失望させないでください。それは、あなたの義務ですよ」
わけわからない。
失望とか、義務とか。
私を買いかぶりすぎてるんじゃないの?
だけど、言い終わった後で銃を少し下げたのを私は見逃さなかった。
距離にして数メートル。
一発避ければ十分に届く。
意識を集中させる。
痛みが全身に戻ってきた。
もう数センチでいい。
もう少しだけ銃口が下を向いてくれたら……
- 802 名前:8.Maki side 投稿日:2005/09/10(土) 00:31
- 2cm
「何とかいったらどうですか?」
1cm
「……」
0。
奥歯をぐっと噛む。
蹴り出した右足に激痛が走る。
銃が上を向く。
素人なら、焦って銃を戻しながら引き金を引くだろう。
だけど、それは命中率の著しい低下を引き起こす。
プロなら、絶対にそれはやるはずは無い。
命中率を高めるために、銃を戻しきって照準を固定したと同時に発砲する。
そして、この子なら、戻したと同時に照準を合わせることができるはず。
相手の力量に頼る羽目になるなんて。
だけど、ここは信じるしかない。
- 803 名前:8.Maki side 投稿日:2005/09/10(土) 00:31
- 銃が戻った。
タイミングを取って、同時に私は身をかがめる。
銃声が耳に届く。
変わらない痛みが体を包んでいるだけ。
賭けには勝ったみたい。
銃を蹴り上げる。
それから右の肘を鳩尾に打ち込んだ。
息が一気に吐かれるのを顔に感じる。
左手を掴み、くの字に曲がる彼女の下に体をいれ、思い切り背負う。
柔道は習ったことは無いけれど。
自分のイメージにある背負い投げのような形で、叩き付けた。
気を失っているのかどうかわからない。
焦点の合っていない目と、荒々しい呼吸。
話すことすらままならない状況だった。
- 804 名前:8.Maki side 投稿日:2005/09/10(土) 00:32
- 「後藤さん」
柱からでてきた紺野。
私は少し離れた地面に落ちている銃を拾うように言った。
「殺すんですか?」
銃を拾いながら聞かれた。
「いや……まだ少し聞きたいことがあるから」
半分本音で半分嘘。
なんとなく、紺野の前では殺せないと、頭のどこかがささやいていた。
きっと、この子は死を知らないんだと思う。
だから、この子には死を見せたくない。
なにより、人を殺している私を見られたくない。
- 805 名前:8.Maki side 投稿日:2005/09/10(土) 00:33
- 「甘……いです……よ」
その声に反応したときは、もう遅かった。
なんで、油断してたんだろう?
違う。
紺野と話していたからだ。
紺野のことを考えていたからだ。
そう……だから……
乾いた音だった。
サイレンサー付きか……
すぐにそういった解釈のできる自分が嫌になった。
どうして、銃を一個しかもっていないなんて思ってたんだろう?
どうして、この子がもう動けないって思ったんだろう?
どうして?
どうして?
- 806 名前:8.Maki side 投稿日:2005/09/10(土) 00:33
- 紺野の体に咲いた赤い花。
高速再生されたビデオを見ているように、つぼみが花開いていったんだ。
綺麗だと思ってしまった。
「紺野!」
自分の声が、どこか他人のものに聞こえた。
倒れた紺野。
痛みなんて……いや、全身の感覚全て、何も感じなかった。
気づけば私は紺野を抱いていて。
次の瞬間には、私は一人で冷たい椅子に座っていたんだ。
- 807 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/09/10(土) 00:34
-
- 808 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/09/10(土) 00:34
-
- 809 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/09/10(土) 00:38
- 更新終了。
えっとえっとえっと……プロットとはいえ、いざ書くと凹むorz
>>794 主役はおいしいところで現れるものなんです(意味不明
はい……ちょっとの間展開が落ち着かないかもしれません……
- 810 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/10(土) 22:08
- ど、どうなってんですかこりゃあああああ……
- 811 名前:名無し読者 投稿日:2005/09/12(月) 10:44
- うわー紺野ー!!
- 812 名前:通りすがりの者 投稿日:2005/09/14(水) 20:51
- 更新お疲れ様です。
ええっ!?
紺ちゃんが!!!
次回更新待ってます。
- 813 名前:9.Ai side 投稿日:2005/09/18(日) 02:05
- <9.Ai side>
「何が起こってるの」
スタジアムから出てくる人の波を見て、私は思わずスライドを引いた。
何が起こってるのか、いくつかの予想はしている。
私がここにきたのは、後藤真希さんを発見したからだ。
麻琴が見ていたTVに映った彼女の姿。
なんとなく目に入ったその姿は、私たちが探していた人だった。
本当に偶然の出来事。
麻琴があの番組を見ていたのは、彼女が吉澤ひとみのファンだから。
仕事の合間の空き時間に試合中継を見ることは、当然のこと。
だから、偶然なのは、私が発見したことよりも、後藤さんが吉澤ひとみと同じチームにいるということの方だ。
急いでさゆみととも3人で向かったけれど。
試合時間を考えると、後半はもう終わっている。
もちろん、私たちが発見できるのだから、後藤さんを追うアップフロントの人間が気づかないなんて言えない。
だから……
- 814 名前:9.Ai side 投稿日:2005/09/18(日) 02:05
- 喧騒の中を逆走するように私たちは進む。
比較的人の少ないのが、関係者席へと進む通路だった。
当然のことだ。
そこにいる人が少ないんだから。
まるで爆音のように背後で響く人の声は、進むに連れて小さくなり。
ユニフォーム姿の人たちの一団が目に入った。
「何が起こってるんですか」
私たちに気づき、怯えた様子をみせる彼女達に、警察手帳を差し出す。
切羽詰ったこの状況は、私たちが警官にしてはあまりに若すぎるという思考を彼女達に与えなかったようで。
彼女達の顔から、恐怖が少し消えたように見えた。
- 815 名前:9.Ai side 投稿日:2005/09/18(日) 02:05
- 「里田選手、何が起きたんですか?」
白いユニフォームを着た背の高い人に麻琴は声を掛ける。
麻琴がデスクに置いている吉澤ひとみの写真しか見たことの無い私は、他の選手の名前すら聞いたことが無い。
それに対して麻琴は名前を知ってる。
それがとっても役に立った。
自分を名前を知っているということは、警戒心や緊張がほぐれる。
少しでも話しやすいように。
麻琴なりの気遣いだったんだろう。
「銃……女の子がいきなり銃を……」
奥を指差し、里田さんは答える。
「よっちゃんがまだ奥にいるんです」
一人違うユニフォームに手袋をつけた女の子が大声で言った。
- 816 名前:9.Ai side 投稿日:2005/09/18(日) 02:06
- 「任せて。あなた達は避難して」
それだけ言って、私たちは走り出す。
見たところ誰も怪我はしてなさそうだったから。
これ以上、ここで時間を使うこともできなかった。
銃を構えたまま、二つ角をまがる。
3つ目の角で人の気配がした。
「動くな」
飛び出して、銃を向ける。
目の前で驚いている顔に、私は見覚えがあったから、すぐに銃を下ろした。
- 817 名前:9.Ai side 投稿日:2005/09/18(日) 02:06
- 「吉澤、ひとみさんですよね?」
「はい」
私の問いかけに、ゆっくりと答えた。
銃を腰に挿し、警察手帳を取り出す。
私に向かって放たれる警戒心が緩むのがわかった。
「奥に、後藤真希さんはいるんですね?」
「ごっちん、知ってるんですか?」
「ええ、少しだけ」
「お願いします。助けてください……ごっちんも、美貴も……」
美貴。
その名前に聞き覚えがある。
藤本美貴。
紺野あさ美さんの友人。
ということは……紺野さんもここにいる可能性が高い……
視線を落として考える私の視界に、一人の少女が映った。
- 818 名前:9.Ai side 投稿日:2005/09/18(日) 02:06
- 「その子は?」
「知り合いの子です……」
「もしかして、後藤さんの?」
不意に、頭をよぎった可能性。
紺野さんのところに存在したHPK。
後藤さんが追っていったHPK。
海に落ちた車。
生きていた後藤さん……
私の仮説を肯定するかのように、吉澤さんは頷いた。
バン
銃声が響いたのはそんな時。
この先に後藤さんがいる。
藤本さんも……紺野さんもいるかもしれない。
- 819 名前:9.Ai side 投稿日:2005/09/18(日) 02:07
- 「さゆ、吉澤さんとその子をお願い」
「お姉ちゃんは……」
「私と麻琴で行く」
麻琴に目で合図する。
彼女はためらいもなく頷いた。
吉澤さんのファンだから……彼女に二人を任せてもいいと思った。
だけど、ファンであるという私情を、麻琴はさっきから全く挟んでいないのだから。
そんな気遣いをする方が悪い。
それに……私情を挟んでいるのは私。
さゆを危険な目にあわせたくない。
だから、さゆに任せたんだ……
私の方が、最低だ―――
- 820 名前:9.Ai side 投稿日:2005/09/18(日) 02:07
- 断続的に響く銃声。
銃声が聞こえるということは、まだ生きてる可能性が高い。
お願い……間に合って……
出口はまだ見えない。
最後の銃声から少し時間が経った。
嫌な予感が頭をよぎったその時、目の前に光が射しこんだ。
最後の階段を駆け上がる。
目に入ったのは、倒れる人影。
そして……「紺野」と呼ぶ悲鳴に近い声。
駆け寄ってくる後藤さん。
状況をすぐに掴むのは無理だった。
目の前に広がった光景が意味することを、瞬時に理解するなんて、神様でないと無理。
でも、それでもわかったことがある。
- 821 名前:9.Ai side 投稿日:2005/09/18(日) 02:08
- 銃を持って、ゆっくりと立ち上がる女の子。
ふらつきながらも、後藤さんたちに狙いを定めようとしていた。
彼女が騒動の張本人で、後藤さんたちの命を狙っている。
それくらいのこと、何の説明も無くても簡単にわかった。
「銃を捨ててください」
私と麻琴は銃を構えた。
女の子の視線が私たちへと動く。
綺麗な顔なんだと思う。
それこそアイドル顔負けの。
だけど、今の彼女の形相は、それを否定したくなるようなものだった。
睨みつける瞳は、猛獣のそれに等しくて。
不恰好につりあがった唇を通過する空気の音が聞こえるほど。
恐怖とまではいかないが、ゾッとした。
次に出す言葉が躊躇われた。
止まってしまった思考を、もう一度活性化させるには少し時間がかかる。
銃を構えたまま、お互いに動くことができなかった。
その状況の中、後藤さんの「紺野」という言葉だけが耳に届いていた。
痛かった。
脳に直接届いて、私の中の悲しみを刺激するような。
むき出しの心に爪をたてられているような気分だった。
- 822 名前:9.Ai side 投稿日:2005/09/18(日) 02:08
- バン
そのとき、自分の横から銃声が鳴った。
「愛ちゃん!」
自分の名前を叫ぶ声で、麻琴が発砲したとわかった。
麻琴の弾が、女の子の腕に当たったことを認識する。
同時に、麻琴が走り出したことも。
理解が遅れたが、それでも十分狙いを定める時間はあった。
銃を持ち替えて構えようとする彼女。
その腕を、私は打った。
地面に転がる銃。
それを思い切り蹴り飛ばして、麻琴は手にした銃を頭に当てた。
- 823 名前:9.Ai side 投稿日:2005/09/18(日) 02:08
- 「動かないで」
言葉が理解できないかもしれないと不安に思うほどに、鋭い形相で睨みつける女の子。
「愛ちゃん、救急車!早く!」
一番冷静なのは、結局のところ麻琴だったわけだ。
吉澤さんに会ったときの反応から、それに気づくべきだった。
それと同時に、自分の不甲斐なさに腹が立った。
同期とはいえ、自分の方が年上なのに。
麻琴の言いなりになってる自分が悔しかった。
片手でポケットから携帯を取り出して連絡を取る。
すでに外には救急隊は到着していることを知らされる。
私は、すぐにここに人を回すように伝えて電話を切り、尚も叫び続ける後藤さんに近づいた。
- 824 名前:9.Ai side 投稿日:2005/09/18(日) 02:09
- 「後藤さん……ですよね?」
私の言葉に対する返事は無い。
肩を叩いても、何をしても。
紺野さんを抱きしめたまま名前を叫ぶだけ。
それは、あまりに機械的に繰り返される言葉だったけど、あまりに感情が込められていて、人間でありすぎる声だった。
紺野さんも後藤さんも、なんらかの応急処置が必要なのは明らかだったが、それを行うことはできなかった。
いくら名前を呼んでも反応しない。
肩を叩いても、つかんでも同じ。
力ずくで離そうとしても、まるで二人が溶け合っているかのように、離れることは無かった。
「後藤さん、離れてください」
反応は無い。
- 825 名前:9.Ai side 投稿日:2005/09/18(日) 02:09
- 「このままじゃ、あなたも危ない……紺野さんも、危ないんですよ」
反応は、やっぱりない。
顔を上げると麻琴と目が合ったが、何かいい案を提供してくれることはなかった。
息を1つ吐いた。
どうすればいいか、わからなかった。
私なら、どうする?
さゆが打たれたなら……私もこうなっちゃうの?
血まみれのさゆが頭によぎり、私は首を振った。
そんなことを考えている間に、二人の命がどんどん危険に晒されていく……
「紺野さんを、殺すんですか?」
ポロッと口から出た言葉だった。
考えて言ったわけじゃなくて。
思わず口からこぼれてしまったといった方がいいだろう。
だけど、後藤さんは反応した。
- 826 名前:9.Ai side 投稿日:2005/09/18(日) 02:09
- ガラス玉のような目が、私に向いた。
瞳に映った私の姿が映っているのがわかるほどに、大きく見開かれた目。
「このままじゃ、紺野さんは死にますよ?ちゃんとお医者さんに診せないと……」
私は言葉を続けた。
突き詰めるところは同じ。
私も後藤さんも、紺野さんを助けたいということ。
だから……
背後で足音が反響するのが聞こえた。
救急隊がやってきたことは、声でわかった。
「後藤さん、行きましょう……紺野さんを、助けないと……」
- 827 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/09/18(日) 02:15
- 更新終了。次くらいでこのスレはおしまいになるかと。
>>810 こういうのが一人称のいいところというか悪いところというか……ですねw
>>811 紺野さん……色々と前途多難なようです……
>>812 紺野さんも後藤さんも……みんなみんな大変です……
- 828 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/19(月) 03:50
- マコが、マコがカッコイイ!素晴らしいぃぃ!!!ってなことはともかく、
あの人やアノ人は、そして紺野はどーなったんだあー?はやる心を抑えて待ってます…。
- 829 名前:通りすがりの者 投稿日:2005/09/19(月) 14:31
- 更新お疲れ様です。
ハラハラドキドキです(汗
もう言葉も無いです。
次回更新待ってます。
- 830 名前:ひろ〜し〜 投稿日:2005/09/19(月) 20:02
- うわぁ。。。
うわぁ。
うわぁ。(しつこい
なんか凄ぃ。。。
うわぁ。としか言えません。
- 831 名前:10.Exra side 投稿日:2005/09/20(火) 01:32
- <10.Exra side>
物理的に暗いわけではなかった。
壁の染みすら見えるほどに光は照らされており。
そこに並んで座る人間の着ている服からまつ毛の長さまで、識別するには十分の光だった。
だが、れいなが暗いと感じたのはその場の空気だった。
袖を通した白衣の両肩に、石でも乗っているかのようで。
空調が利いているはずなのに、じんわりと背中に汗を感じた。
並んで座る4人を、れいなは見た。
一人は頭部に、もう一人は両腕を含め全身に包帯を巻いていた。
その二人は完全に虚ろな目をしており、両脇に座った二人がかける声すら、届いてないようだった。
魂の完全に抜けているという表現が、これほどまでに正しいと思ったことは無いと、れいなは思った。
- 832 名前:10.Exra side 投稿日:2005/09/20(火) 01:32
- 4人がここにいるのは、今から自分が入ろうとしているこの部屋の中の人間のためであるとわかっている。
面会謝絶と、デジタルなこの時代に敢えて紙でかかれたそれは、余計に荘重に思えた。
魂の抜けていない二人の視線が、ドアに手をかけた自分の背中に集まるのを感じる。
しかし、彼女達は何も言わない。
それは、自分が着ている白衣のせいであり。
明らかに、医療行為を行う年齢では無い自分に対する疑問は、もたれていなかった。
そこまで頭が回らなかったのだ。
そういう意味では、その二人も意識を持っているだけで、冷静さは皆無だった。
自分が入るだけの幅だけドアを開ける。
その音に反応して包帯を巻いた二人が、顔を上げるが、すぐに自分達の求めているものではないと悟り、再び顔を沈めた。
- 833 名前:10.Exra side 投稿日:2005/09/20(火) 01:33
- 部屋に入り、れいなは息を吐いた。
バレるかもしれないと緊張していたとか、そういったものではない。
あの場の暗い空気を吸うことが苦痛だったのだ。
それにくらべれば……ここは天国なのかもしれない。
れいなはそう思った。
少なくとも、自分が会いたかった人は、ここにいる。
この白い布を一枚隔てた向こう側に。
「やっと、会えた」
出した声は、部屋に小さく響いた。
吊り下がった布を手で払い、ベッドの横に立った。
眠っているのか、意識を失っているのか、れいなには判断できなかった。
免許さえあれば、医療行為を行えるほどの医学の知識は備えていたが、一目で見てそれを区別することは不可能だった。
目の前に示されたモニターから得た情報は、あまり状態が芳しくないことを示している。
二人っきりにして欲しいがために、この部屋から人を排除したが、ここで急な容態の変化があればその時点でタイムアップとなってしまう。
長居は出来ないと自分に言い聞かせるが、彼女の顔を見るとその思いは脆くも崩れ去ってしまう。
- 834 名前:10.Exra side 投稿日:2005/09/20(火) 01:33
- 「紺ちゃん」
そっと、手を握った。
冷たくて、自分よりも少しだけ大きな手。
最後に手を握ったのは数年前。
成長期を終えているはずのあさ美の手が、変化したとは思えない。
変わったのは自分だ。
そのことを、れいなは常に自覚していた。
こんな形でしか、あさ美と会うことの出来ない自分。
もう、同じ部屋で楽しく過ごしていた二人には決して戻れないことに。
しかし、れいなはどこか期待していた。
もう一度、あさ美と二人で楽しく過ごせるときが来るかもしれないと。
そして、れいなはそれを望んでいた。
- 835 名前:10.Exra side 投稿日:2005/09/20(火) 01:33
- 「私に、協力してくれんと?」
自分が握る手が、握り返してきた。
れいなは心臓が飛び出しそうになった。
自分に気づいて、自分の問いかけに答えて、だと思った。
だけど、それはわずか数秒間の夢物語。
「ご……とう……さん」
呻くようにあさ美の口から紡がれた言葉は、れいなに手を離させるには十分だった。
視界がグラリと一回転した。
平衡感覚の喪失とともに、体に布が巻きつくのを感じる。
真っ白になった視界。
伸ばす手は余計に布を体に絡めるだけで。
白の中にれいなは完全に埋まった。
- 836 名前:10.Exra side 投稿日:2005/09/20(火) 01:34
- ゆっくりと息を吸って吐きだす。
意識的にれいなは呼吸をした。
いや、意識しなければできなかった。
日常のふとした瞬間に、自分はどうやって呼吸しているんだろう?って考えてしまったときのように。
自分の意思で呼吸をしなければ、呼吸が出来なくなっていた。
体に絡まった布を丁寧に外していく。
吊り下げていたフックが二つくらい外れていたが、れいなの背で届くわけもなく、諦めてそのままにして部屋をでる。
入ったときとは正反対。
地獄を見たかのような表情のれいな。
それに追い討ちをかける様に、部屋からでてくるれいなに質問が浴びせかけられる。
「紺野さんは、どうなんですか?」
「……」
れいなはすぐには答えられなかった。
そのことが、彼女の表情と相まって、相手には最悪のケースとして受け止められる。
質問をした女性―高橋愛―は振り返る。
視線の先には両腕に包帯を巻いた女性。
- 837 名前:10.Exra side 投稿日:2005/09/20(火) 01:34
- 「紺野は……どうなんですか!」
目に光が灯ったかと思うと、包帯を巻いた女性は叫ぶように言い、足を引きずるようにれいなに詰め寄った。
「後藤さん!」
愛が体を間に割り込ませる。
そうしなければ、真希は殴っていたかもしれない。
れいなを殴ったところで、あさ美の傷が癒えるわけでも、ましてや生き返るわけでもない。
だが、今の真希にはそういった判断すら求めるのが不可能だった。
しかし、れいなにとっては殴られることよりも、目の前にいる人物こそが「後藤さん」だという事実の方が痛かった。
殺してやりたい。
そんな風にも思った。
けれども、それをしたところであさ美が自分のところに来るわけでは無いとも、確信していた。
- 838 名前:10.Exra side 投稿日:2005/09/20(火) 01:34
- 「……紺ちゃ……紺野さんは大丈夫やけん」
それだけ言い残して逃げるようにれいなは歩き出した。
一刻も早く、真希の視界から逃れようと、一番最初の角を曲がる。
曲がった途端、涙がこみ上げてきた。
「れぃな」
声を掛けたのは絵里だった。
れいなは涙を指で拭いて、顔を上げた。
「絵里……」
「もう、いいの?」
「うん」
「そ……で、れいなは紺野あさ美のせいで泣いてるの?」
「そげんことなか」
「ふーん……いいけど。もしそうだったら、絵里が殺しちゃうからね」
絵里はにこりと笑顔で言う。
れいなはぎこちない笑みで返す。
- 839 名前:10.Exra side 投稿日:2005/09/20(火) 01:35
- 「帰ろう、れいな。さゆがあの子連れ戻してるし、もうあの人たちと関わることないでしょ」
差し出される手を、れいなは握った。
温かくて、自分より少し大きな手。
「れいな、ばり好いとぅよ」
絵里は言う。
れいなは何も言わずに頷くだけだった。
- 840 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/09/20(火) 01:36
- 第三部 GATAS編 完
第四部 後藤真希編へと続く
- 841 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/09/20(火) 01:43
- Silent Science
>>2-299 第一部 Hello Project Kids編
>>306-487第二部 美勇伝編
>>493-840第三部 GATAS編
- 842 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/09/20(火) 01:50
- 更新終了です。
このスレはこれでおしまいです。四部を始めると中途半端な位置で次スレになってしまうので、次スレは四部開始からということで。
よろしければ次スレもお付き合いください。
このスレはまだ少し残っているので、次スレを立てる頃くらいに、登場人物紹介と辞典を付け足して、少しでも埋め立てようかなと思っています。
最後のここまでの感想なんぞをいただけると嬉しいです。
- 843 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/09/20(火) 01:54
- レスありがとうございます。
>>828 5期で一人だけ出番遅かったので、その分サービスを……
>>829 いつもありがとうございます。悶々としたまま次スレ突入になっちゃいそうで申し訳ないです……
>>830 これからもそう思っていただけるように、もっともっと飛ばして行きたいと思います
- 844 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/21(水) 08:01
- れなえり(+さゆ)の関係性も気になりますね…
- 845 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/23(金) 02:13
- いつも楽しくよまさせてもらってます。
れなこんってあまり多くないですよね。
想像してみると結構お似合いのような気もしますねw
第4部も楽しみにしています
- 846 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/25(日) 00:56
- とりあえず、週1ペース以上の更新速度も含めて、ここまでお疲れ様でした。
冒頭の怪しげな教授のカンガルーとウサギの話あたりから、「近未来型ハードSF」
に惹かれて読んでましたが、謎がどんどん深まっていくのが何とも快感で…
悪魔の辞典と併せて、四部以降も楽しみにさせていただきますです。
- 847 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/10/04(火) 01:37
- レス返し。
>>844 ある意味こんごまよりもCPしてそうな3人です……最終的に誰がくっつくか、楽しみにしていただけると。
>>845 いつの間にか、後藤さんと田中さんはモテモテになってます。たぶん作者がその二人が大好きだから自然とそうなっちゃってるんでしょう……
>>846 ありがとうございます。今後も怪しげな設定と謎満載で行きたいと思います。
- 848 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/10/04(火) 01:39
- 新スレを同じ海板に立てました。
「Silent Science 2」
ttp://m-seek.net/cgi-bin/test/read.cgi/sea/1128356885/ です。
第四部開始からとなっております。引き続きよろしくお願いします。
このスレの残りは、第三部までの設定資料でちびちびと埋めていきますので、たまに見てもらえると更新してるかもです。
- 849 名前:ただの名無しですから 投稿日:2005/10/04(火) 01:42
- ついでに、この作品は名無しで書いてますが、短編コンペのカムアウトなどで固定HNを晒してますので、この際サイトとか晒しておきます。
ttp://www.geocities.jp/takatomofroms/top.html
です。お暇つぶしにでもどうぞ。
- 850 名前:Silent Science 悪魔の辞典(人名編) 投稿日:2005/11/15(火) 01:34
- <第一部>
・後藤真希
本編の主人公。20歳。
反応速度を短縮させることにより、人並み外れた身体能力を持つ。
過去のことは第四部で。
・紺野あさ美
主人公その2。17歳。
天才的な頭脳を持ち、飛び級で博士号を受ける。
ハッキングの能力は「侵入できないものはない」とされ「Key master」とも呼ばれていた。
現在は日本に帰ってきて大学で研究を行っている。
・藤本美貴
真希の友人にして、ひとみの従兄弟。
バイクを真希に壊された後、新しいものを買ってもらったかは不明。
真希の1年上だが、浪人しているために学年は同じ。
- 851 名前:Silent Science 悪魔の辞典(人名編) 投稿日:2005/11/15(火) 01:35
- ・夏焼雅
真希が大学構内で出会った少女。
HPK(Hello Project Kids)07と呼ばれる、人工的に作られたヒト。
・松浦亜弥
ヒートガンを愛用するアップフロントの人間。
真希に執着し、雅を連れ去り、紺野を打った張本人。
現在はAngel Heartsにて拘束中。
・アヤカ
松浦のパートナー。
・高橋愛
特殊な組織「Angel Hearts」のリーダー格。
さゆみとは血はつながっていないが姉妹のように育ってきた。
・飯田圭織
紺野の同僚にして、HPKのカウンセラー。
- 852 名前:Silent Science 悪魔の辞典(人名編) 投稿日:2005/11/15(火) 01:35
- ・中澤裕子
後藤の上司。
・亀井絵里
アップフロントに所属。
れいな大好き人間。
・菅谷梨沙子
・徳永千奈美
・熊井友理奈
・鈴木愛理
HPKと呼ばれる子どもたち
・道重さゆみ
Angel Heartsの一員だが、れいなに好意を寄せている。
・田中れいな
元紺野のルームメイト。猫。
アップフロントに所属し、ハロープロジェクトに絡んでいる。
- 853 名前:Silent Science 悪魔の辞典(人名編) 投稿日:2005/11/15(火) 01:36
- <第二部>
・新垣理沙
「Angel Hearts」の人間。
・石川梨華
・岡田唯
トップアイドルグループ美勇伝のメンバー
現在は都内某所にて療養中。
・三好絵理香
トップアイドルグループ美勇伝のメンバー
先天性無痛症であり、痛みを感じることは無い。
・岡井千聖
・中島早貴
・萩原舞
・須藤茉麻
・石村舞波
矢島舞美を含めて仲良しグループの5人。
・村田めぐみ
アップフロントの人間。
いわゆる中間管理職。
- 854 名前:Silent Science 悪魔の辞典(人名編) 投稿日:2005/11/15(火) 01:36
- <第三部>
・吉澤ひとみ
Gatasのキャプテン。背番号10
ポジションはアラ。
・安倍なつみ
ひとみの知り合いの医師。
飛び級で20歳の時に医師免許を所得した。
・加護亜依
色素性乾皮症に侵された少女。
・稲葉貴子
フットサルの一流選手だったが、若くして怪我により引退。
現在はGatasの監督をやりながら、孤児院を運営している。
- 855 名前:Silent Science 悪魔の辞典(人名編) 投稿日:2005/11/15(火) 01:37
- ・是永美記
Gatasのメンバー。背番号7。
ポジションはフィクソだが、豊富な運動量でゴールも量産する。
・辻希美
Gatasのメンバー。背番号1。
ポジションはゴレイロ。
・川島幸
Gatasのメンバー。背番号15。
ポジションはアラ。
・矢島舞美
Gatasのメンバー。背番号9。
ポジションはピボ。
チーム内得点王にして新人王。
- 856 名前:Silent Science 悪魔の辞典(人名編) 投稿日:2005/11/15(火) 01:37
- ・国分亜美
・洞口美紗
・白井未央
・小部家未央
・辻本はるか
・町田エリカ
7th illusionのメンバー
・里田まい
元Gatasのキャプテンであり、「オレンジの巨塔」と呼ばれたフィクソ。
現在はHPオールスターズのキャプテン。
・柴田あゆみ
HPオールスターズのアラ。
チームのパスの配給源。
・木村あさみ
HPオールスターズのエースにして得点王。
抜群のスピードと両足から放たれる正確なシュートは相手ディフェンスの脅威。
- 857 名前:Silent Science 悪魔の辞典(人名編) 投稿日:2005/11/15(火) 01:38
- ・斉藤瞳
HPオールスターズのメンバー。
マンマークに定評のあるフィクソ。
・斉藤みうな
HPオールスターズのメンバー。
豊富な運動量で相手の攻撃の目をカットするフィクソ。
・小川麻琴
「Angel Hearts」の一員。愛とは同期。
吉澤ひとみのファン。
- 858 名前:Silent Science 悪魔の辞典(人名編) 投稿日:2005/11/15(火) 01:38
- 以上。
モーニング娘。 9人
カントリー娘。 3人
ココナッツ娘。 1人
メロン記念日 3人
ソロ 5人
美勇伝 3人
Berryz工房 6人
℃-ute 5人
W 2人
その他 8人
計45人
- 859 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/12(月) 04:25
- 突然失礼します。
いま、2005年の飼育を振り返っての投票イベント
「2005飼育小説大賞」が企画されています。よろしければ一度、
案内板の飼育大賞準備スレをご覧になっていただければと思います。
お邪魔してすみませんでした。ありがとうございます。
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