松浦亜弥をキライになる千の方法

1 名前:ささるさる 投稿日:2004/12/21(火) 00:48
以前森板に書かせていただいた、ささるさると申します。
思いつきで一気に書いた話を載せていきます。
松浦と藤本の物語です。
2 名前:第一話 投稿日:2004/12/21(火) 00:48
開けた窓から吹いてくる風はそよそよと優しかったが、もはやひんやりとした空気のそれだった。亜弥を夢の世界から戻すにはおあつらえ向きだ。白いカバーをかけた上掛けと白いシーツに包まれたままで亜弥はようやく目を覚ます。ごそごそと体を起こしてみたものの、まだぼうっとした頭では表情もなんだか不機嫌になってしまう。しばらくそんな顔付きでいると、ノックとともにドアが開きエプロン姿の美貴が顔をのぞかせた。
「亜弥ちゃん、やっと起きたの? 時計見て。もう10時だよ」
「んん…ごめん…」
ねぼけ頭の亜弥はくぐもった声で返事をする。
「でも亜弥ちゃんが起きてちょうどよかった。朝ごはんを遅めにつくったの」
「ヤッター、私ひょっとしてごはんができる時間にジャストタイムで起きちゃった? ラッキー!」
「…ごはんって聞いたとたんエンジンかかるってスゴイよね。亜弥ちゃんってさ、人類が滅んでもしぶとく生き残るタイプだよね。きっと」
「んんー聞こえない聞こえない。さーてごはんだごはんだ」
ベッドから元気に飛び降りた。
3 名前:第一話 投稿日:2004/12/21(火) 00:49
手でちぎったレタスにプチトマト。そこに目玉焼き。お味噌汁は豆腐にわかめ。そして白い炊きたてのごはん。
美貴がテーブルの上の醤油を目玉焼きにかけようとすると、気付いた亜弥が制止する。
「ちょっとお! 美貴ちゃん! どうして目玉焼きに醤油かけるかなあ? 目玉焼きにはソースって決まってるじゃん!」
「何で? 醤油だよ。あたしんちは先祖代々目玉焼きには醤油なの!」
「先祖代々? 江戸時代に目玉焼きがありましたか。平安時代に目玉焼きがありましたか」
「いいの! どうせ田舎モンですよ、あたしゃ」
「あ、グレちゃった。でもそうだよねえ、おたくはトンカツやエビフライにも醤油かけるもんねえ。私のとこはカレーにもソースかけて食べるもんで、もうハイカラでハイカラで、おっほっほ!」
「…亜弥ちゃん。冷めないうち食べて」
「ほほーい」
4 名前:第一話 投稿日:2004/12/21(火) 00:50
にぎやかな食卓が終わると、美貴がごはんを作ったかわり、後かたづけは亜弥の仕事になる。手早く食器を洗っていると、自分の部屋からリュックを背負った美貴がパタパタ小走りしてきた。
「もう、遅刻しちゃうよお。亜弥ちゃんが早く起きてくれないからだよ!」
亜弥が食器洗いの手を止めて振り返る。
「あれ、今日休みだからガッコないよね?」
「そうだよ。その分今日バイト入れてるんじゃない。今月ちょっと苦しいから多めにバイト入れるってこの前いったじゃん。とにかく、行ってくるんで、留守番ヨロシク!」
「ほーい。毎日ガッコやバイトでタイヘンですな、藤本隊長」
亜弥がふざけて敬礼する。
「いえいえ、こちらこそ部屋の中のこと全部お世話になっております、松浦隊員」
「おわーお。それにい、亜弥ちゃんはあ、疲れて帰ってきた美貴ちゃんにい、感謝の気持ちをいっぱいいっぱい形にしてるじゃないですかあ」
今度は体をモジモジさせてふざける。
「ハイハイ、じゃ、行ってくるね!」
そういって美貴は軽くあしらうとキッチンに続いている玄関からあわただしく出て行った。
5 名前:第一話 投稿日:2004/12/21(火) 00:50
食器洗いが終わってしまうと何もすることがない。
テレビも毎日似たような内容ばっかだし。ゲームも最近マンネリで面白くないし。お昼ごはんは…さっき食べたばっかだし。
二人が住む高台のミングルマンションのベランダに出ると、久しぶりに晴れ渡った空があまりにも気持ちよかった。フェンスの上に両肘を乗せ、その両手の上にあごを乗せる。真下から広がっていく住宅街がさらに遠くへすうっと伸びていくような、そんな気がする。そしてその広がりのはるか向こうには超高層のビルがかたまって建っている。
その風景を頬杖したままでぼんやりと眺めていた。時折風がさっと吹いて亜弥の髪を軽く乱す。
…あれっていつだったっけ…
いつの間にか美貴のことを考えていた。
6 名前:第一話 投稿日:2004/12/21(火) 00:52
小さい頃から絵を描くのが好きだった亜弥は、高校卒業と同時に上京し美大受験の予備校に入学した。そこの同じクラスに美貴がいたのである。最初はお互い大勢の同級生の中の一人に過ぎず、特に意識するようなことはなかった。
ある放課後、亜弥が忘れ物を取りに教室に戻ると、たまたまそこに静物画のデッサンをしている美貴の姿があった。美貴は窓から差し込む溢れんばかりの陽光の中、一心不乱に鉛筆を走らせている。対象をしっかりと見据える鋭い眼差し。凛とした雰囲気。絵を描くという行為に、我を忘れて没頭している美貴が漂わせるその硬質な美しさに、亜弥は思わず息を呑んだ。
「何の用?」
亜弥の視線に気付いた美貴が振り向いた。その多少不躾な口ぶりに亜弥は自分がなんとなく邪魔をしてしまったような気がして
「いえ、何にも」
と小さく一言答えるとその場から出て行った。ところが次の日から教室で美貴が友人と楽しそうに話しているのを見るとどういうわけかとてもくやしく、また心が苦しく感じてしまう自分に気付いた。デッサンしている姿を見た瞬間から、美貴の存在が心の中で払い除けられないほど大きくなっていたのである。そのもやもやした気持ちはバイトや勉強に打ち込むことで忘れられるようなものではないと悟った亜弥は、一秒でも多く美貴のそばにいられるように、お茶や食事に誘っては、いろんな話をするようにした。やがて二人は打ち解けるようになり、そろって美大に合格したのをきっかけに共同生活を始めたのだった。
7 名前:第一話 投稿日:2004/12/21(火) 00:53
一緒に暮らしてみると二人は何もかもが対称的だった。美貴はA型、亜弥はB型。美貴は末っ子で、亜弥は長女。美貴は何事もキッチリカッチリ、亜弥はポイントを押さえてあとはスルー。掃除、家計簿、ゴミの分別は美貴が得意だが、料理、裁縫、部屋の模様替えなら亜弥の方がうまい。絵を描くにしても美貴は基本に忠実だが、亜弥はセンスが先行する。
そんな現実派の美貴はまず生活できなきゃいけないからと、美大にいる以外の時間をもっぱらバイトにあてるようになり、美貴がバイトしている時は亜弥が部屋の中を取り仕切るようになった。
…ただでさえがんばっちゃうタイプの美貴ちゃんだもん、一緒に住む私が楽にしてあげなきゃいけないのに…
それでも今朝の寝坊の時の朝ごはんのように、逆に助けてもらうことの方が多く、また美貴のバイト代で住まわせてもらっているような、一種の後ろめたさがつねについてまわっていた。
…はあ、なんか頼ってばっかだな、私…
亜弥は少し物憂げな気分で相変わらず街を眺めていた。耳の辺りで空気が渦を巻いてヒュルヒュルと音をたてる。
「…さぶ」
足元が少し冷えてきて、亜弥は部屋の中へ入っていった。
8 名前:第一話 投稿日:2004/12/21(火) 00:54
二人が住む街の駅は私鉄沿線のごく小さい駅である。線路の両外側にホームがあり、改札のあるホームからもう一つのホームへ行くには踏切を渡っていく。各駅停車しか停まらない駅で、朝夕を除くと日中でも乗降客はそれほど多くはない。駅前もロータリーがあるわけでもなく、昔ながらの小さな商店街の中にいきなり駅があるという感じだ。
昼近くのホームには案の定、美貴だけで他に誰もいない。亜弥の寝坊のせいで電車を一本遅らせることになってしまったため携帯でバイト先に事情を説明してベンチに腰を掛けた。次の電車までは少し間がある。背中からリュックを降ろして前にかかえ、中から本を出して読み始める。数行読んだところで顔を上げた。昔からの悩みがあった。
9 名前:第一話 投稿日:2004/12/21(火) 00:54
上に兄弟の多かった美貴は小さい頃から家事などをいろいろ手伝うような子だった。ご近所からも頑張る子だねといわれてイヤな気はしなかったものの、好きこのんでそうなったのではないという反発心もあった。小さい時に両親や兄弟に囲まれ楽しく過ごしてきたが、ある程度周りのことが見えるようになるとみんなそれぞれに美貴の立ち入れられない世界や領分があった。かまってもらいたい気持ちはまだ強かったが、迷惑になると感じて我慢するようになった。母親を手伝ったり、兄弟の勉強を邪魔しないようにとなるべく周囲に自分を合わせるようになったのである。そのことで確かにみんなからはほめられたが、反面「いい子だからこれもできるよね」と、本来やる気もないことをどんどん期待されるようになった。自分のイメージが固まってしまったら、そこから逃げられなくなる。そう感じた美貴は軽々しく期待してもらいたくなくてわざと不機嫌な表情を作るのが癖になった。一度癖になると家の外でも知らず知らずにその表情になってしまう。高校に入るとその不機嫌な表情をクールな雰囲気と受け取った男子生徒が数多くいい寄って来た。それは他人を容易に寄せ付けないための表情に過ぎないのにもかかわらず。
10 名前:第一話 投稿日:2004/12/21(火) 00:55
本当の私はこの表情の奥にいるのに。
そんな心に抱える悩みすら読み切れない男子には一切興味が無く、すべて振り切った。
本来の自分を我慢して周りに合わせた結果いい子に見られるのはいいが要らぬ期待までされてしまう。それから逃げようと不機嫌顔を決め込めば、あろうことか同い年の男子はそんな部分に惚れ込んでくる。周囲に合わせ、あるいは周囲を寄せ付けないうちにできあがってしまった心の仮面。
あたしって元々どんなだったろう? あたし何がしたいの?
高校生活も半ばを過ぎると自分を見失い空回りばかりしてしまうフラストレーションがどうしようもなく高まり、やがて学外のバイトで精を出すことでその不満を忘れることを覚えた。以来、仮面の自分しか見てくれない家や学校がどうにも好きになれない美貴にとって、バイトだけが渇いた心を潤す唯一の時間になった。
11 名前:第一話 投稿日:2004/12/21(火) 00:56
…なんか周り見ながらで生きてるうちに、自分を思い出せなくなっちゃったよ。はあ…ハタチそこそこの女の子がもうこんなくたびれてるし…
読みかけたその本を再びリュックに戻す。
…でも亜弥ちゃんみたいな友達もできたし…亜弥ちゃん…
リュックのひもを締めながらそうつぶやくと、胸の奥が少しキュンとなる。亜弥は上京してできた、自分を預けられる初めての友人だった。心の中にさりげなく入ってきて好きなことをいい合える気を遣う必要のない特別な存在なのである。
遥か向こうからカタンカタンと音をさせながらようやく各停の電車がやってきた。ゆっくりと停まりドアが左右に開くと降りる人もないのでそのまま乗り込める。
席に座ると向かいの親子連れが目に入った。首の座った頃の赤ちゃんをお母さんが抱っこしている。赤ちゃんは泣きもせず、くりくりした目で周囲の全てを興味深げに眺め回している。その様子を見て美貴は思わず顔がほころんでしまう。気付いた赤ちゃんがまばたきもせずに美貴のことをじっと見つめる。小さく手を振ってみたが、何の反応もせずにそのうちプイっと他の方を向いてしまった。お母さんが美貴にすまなそうな表情をする。何でもありませんと、美貴はもう一度にっこり微笑んだ。
…赤ちゃんは自由自在だからね。そういえばあたしの同居人は…自由なのかなあ…
12 名前:第一話 投稿日:2004/12/21(火) 00:56
電車がターミナル駅に着いて扉が開くと乗客が一斉に掃き出された。美貴もその中に混じってホームに降りる。バイト先までの道を歩きながら、その同居人、亜弥のことを考えていた。

美貴はもともと勉強よりは美術や体育が得意で、高校を出ても大学まで行って勉強したいとは思わなかった。ただ家を離れて東京暮しをしてみたいという気持ちだけは強く、何かいい方法はないかと考えていたのである。勉強ではなく実技系、でもスポーツは好きとはいっても体育系ではキツイだろうし、だったら美術系と単純に決めたのだった。
美大進学の予備校には入ったが、そこで自分の甘さに気付かされた。周りは美大進学を目指している人たちばかりなので当然レベルは高いのである。実習で絵を描いてみると、自分の絵は恥ずかしいくらい見劣りしてしまう。その落差に自主退学まで考えたが、なにより負けん気が許さなかった。自分にエンジンをかけて、とにかく紙に絵をすばやく、或いは丁寧に、描いて描いて描きまくることにした。
13 名前:第一話 投稿日:2004/12/21(火) 00:57
そんなある日の放課後、教室に誰もいなくなったのを見計らい神経を集中してデッサンの練習をしていると、いつの間にか見かけたことのあるクラスメートが自分の姿を見ているのに気が付いた。下手さがばれる恥ずかしさと気配もなく教室に入ってきたことへの腹立たしさで、つい突き放したように
「何の用?」
と思わず言い放つと、その子は
「いえ、何にも」
とぽつりといってそのまま教室から出て行ってしまった。ちょっとキツすぎたかなとは思ったが、画板に戻り再び鉛筆を走らせ始めた。
数日後、その子から
「あのお、一緒にお茶しませんか」
と声を掛けられた。今まであまり気にもしていなかったその子が、松浦亜弥という名前であることをこの時初めて知った。別に大した話題があるわけでもなく、他愛のない茶飲み話をしゃべっているだけであったが、美貴と会っている間じゅう亜弥が何だかとてもうれしそうにするので、つられて美貴の方からもいろいろと話すようになった。すっかり打ち解けるのにそれほど時間はかからなかった。
14 名前:第一話 投稿日:2004/12/21(火) 00:57
やがて二人とも美大に合格すると、どちらからとなく共同生活しようという話が出た。一緒に暮らすと自分との違いが否応なしにわかってくる。亜弥は物事の捉え方が大づかみなのだが、けしてアバウトというのではなく、本当に重要な箇所を一瞬で把握する才能のようなものを持っていた。それは絵だけでなく普段の暮らしにも発揮されていた。冷蔵庫を開けると中にあるものだけでおいしい料理を手際よく作ってしまう。刺繍やパッチワークなども特に目を引くというほどでもないのに、よく見ると実に亜弥らしい味が出ている。習ったことをそのまま応用して慣れた頃から徐々に自分なりに崩していくというスタイルの美貴にすれば、それは羨ましくもあり、時に妬ましくもあった。美貴にない物を持つ亜弥は、当然ながら共同生活のパートナーとして欠かせない存在となった。
美貴は結局高校以来の生活スタイルを続け、美大での勉強以外はバイトばかりするようになったが、ある時ふと亜弥が当然のように洗濯したり晩ごはんを作ってくれているのに気付き、自分を気遣って亜弥が自身の生活を削ってしまっている、自分が亜弥に不自由な思いをさせていると悪い気がしてしまったのである。そんなに自分に気を遣い続けたら、今に亜弥は疲れてしまって自分から離れていってしまうのではないか。そうなったらこの都会でも自分を理解してくれる人はいなくなってしまう。
…はあ、何か頼ってばっかだな、あたし…
少し澱んだ気持ちで溜息を吐いた。顔を上げると、バイト先のカフェに着いていた。
15 名前:第一話 投稿日:2004/12/21(火) 00:59
第一話は以上になります。すっかり縦読みだよ、トホホ…
16 名前:ささるさる 投稿日:2004/12/22(水) 01:12
第二話になります。
17 名前:第二話 投稿日:2004/12/22(水) 01:13
美貴のバイト先の店長、寺田はバイトの配置をいろいろと考えるのが好きであった。美貴を採用した時も
「藤本がホールにいたら単なる美人だ。でもあの素でキリリとした美しさは殺伐とした調理場の方が生きるのではないか。藤本という花はむしろ調理場という荒野に咲いた方がより映える」
という考えでホール希望の美貴を調理担当にしてしまった。美貴が小学生の時に見ていたテレビドラマで、傾いたフレンチレストランを伝説のギャルソンが立て直していくというのがあり、毎週見ているうちに客と厨房を結ぶホールという職種に漠然とした憧れを持つようになっていた。バイト雑誌の記事にギャルソニエ姿の女の子が店内で働いている写真を見つけた時、昔を思い出し「バイトするなら、ここしかない!」と勢い込んで面接を受けに行ったのである。それが調理担当になったのだからすっかりしょげ返ってしまった。白いブラウスに蝶ネクタイ、黒のパンツに黒のロングエプロンというあの颯爽とした格好でテーブルの間を行き来したかったのに。カウンターの向こうの調理場でちんまりとスナックを作るなんて。
事務室のロッカーの前で真っ白な制服に着替えるたびにそんなことを考えてしまうのだ。それでも調理場に行くと「藤本入りまーす」と元気に挨拶した。
18 名前:第二話 投稿日:2004/12/22(水) 01:13
「フライドポテトとフィッシュフリッター、それとダッチアイスコーヒーワンでーす」
「はーい、フライドポテトとフィッシュフリッター、ダッチアイスワーン」
ギャルソニエの言葉に応えて復唱すると、その子はまたホールへと戻っていく。今日は何回彼女たちのオーダーを復唱しただろうか。
…くーっ! あたしもあの格好したかったなあ。あたしは調理場の方が映えるって寺田店長なんでそんなイジワルするのかなあ!…
ホールを行きかう、同じくバイトの子たちの姿をチラッと横目に見た。
…チェッ、調理場なんて籠の鳥じゃん…
冷蔵庫を開けてあらかじめ準備してある野菜を皿に盛り付け、ポテトとフリッターは衣まで付いた冷凍製品を実際に油で揚げる。金属製のかごにポテト、別のかごにフリッターを入れて、それらを高温の油へと浸す。最初に泡が湧き上がるように出て、やがて落ち着いてくる。
ふとホールに目をやるとオープンテラスの向こうはすでにとっぷりと暮れている。時計を見るともう夜の6時になるところだ。このオーダーを作ったら今日のバイトはちょうど終わる。
…あーあ、ムカつくばっかでストレスたまっちゃうよ。そろそろまた”お楽しみ”したいんだけどなあ…
カラリと揚がるあたりでタイミングよく上げ、油をザッと切った。
19 名前:第二話 投稿日:2004/12/22(水) 01:14
「えーと、粉を溶く水は冷やしたしい、油の温度は180度くらいの設定でえ、海老は殻を剥いて背わた取ったしい、春菊切ってお芋切ってえ…あと、玉ねぎも揚げちゃえ! ん? 油の180度ってどうやって計んの?」
マンションの台所では亜弥が天ぷらを作るのに必死になっていた。料理テキストと首っ引きである。
氷を浮かせた水に天ぷら粉を入れ、かき回すのではなく前後左右に箸を動かしておおまかに溶く。別の箸を油の入った天ぷら鍋の底につけ小さな泡がプツプツと立つのを見計らって具に衣を付ける。油に放すと勢いよく泡が立った。入れたどうしがくっつかないように、あまりたくさん入れず適当な数で散らして揚げる。カラリと揚がったものから油取り紙を敷いた金属パッドに順に取り上げていく。その最中に玄関のドアが開いて美貴が帰ってきた。
「ただいまあ」
「おかえりい!」
亜弥は美貴に抱きつき、ぎゅうっと抱きしめた。そしてからだを離すと両手で美貴のほおを軽く支え
「お疲れ様。今夜は美貴ちゃんの大好きな”お楽しみ”だよ」
と、美貴の目をじっと見つめてそっとささやく。美貴は一瞬真顔になってコクリと頷いた。
20 名前:第二話 投稿日:2004/12/22(水) 01:15
「まず晩ごはん食べよ。今日ね、天ぷらだよ」
「お、おっしゃー、天ぷらだー」
美貴は自分の部屋に入るとリュックを置き部屋着に着替えて食卓に着いた。
亜弥お手製の天ぷらを存分に食べた後は、美貴が食器を洗う。
「あれ、美貴ちゃん、バイトで料理作って、今度は家で食器洗うの?」
「いいの! 何かね、こうしないと気が済まないの。いつも悪いなあって」
「あ、そ。じゃ私、先にシャワー浴びてるね」
「う、うん」
二人とも夜はあまり夜更かしをしない。お互い気の合う者どうしで暮らすと、それだけで心理的に充足できるものらしく、夜遊びせずとも早々と床に就いてぐっすり寝られるのだった。ただ二人は時として一つのベッドの中で”お楽しみ”をして夜更かしすることがあった。
21 名前:第二話 投稿日:2004/12/22(水) 01:15
一日が終わって街も静かになった頃、美貴は自分の部屋のドアを開けキッチンのあるフロアに出ると、隣の亜弥の部屋の前に立ちドアをノックした。
「どーぞー」
部屋の中から亜弥の声が聞こえ、部屋の中へと入る。美貴は亜弥が横になっているベッドのそばに来てもじもじしながら立っている。厚手のパイル地の白いバスローブのまま、美貴は両手を胸元に置いて、恥ずかしそうな表情で目を横にそらす。
「ね、美貴ちゃん。亜弥の目を見て」
美貴はすでにトロンした面持ちで、もはや普段のはつらつとした美貴ではない。切なげな、それでいて何かを求めるような表情で亜弥の目を見る。亜弥は片手を立てて枕にしたまま美貴の顔をベッドの中から見開いた目で見上げている。そのせいか自然と美貴を射るような眼差しになった。
「美貴ちゃんもホントに…こういうの好きだよね…」
その眼差しで美貴を見据えたまま上掛けをはだけた。亜弥も美貴と同じバスローブだ。
「…来て」
低く落ち着いたその口調に導かれるように美貴は亜弥のそばに身をよこたえた。はだけた上掛けを元に戻すと亜弥は美貴を抱きすくめる。同時に美貴も亜弥に抱きついてくる。自然と互いの肩にあごを乗せたようになる。しばらくの間、夜具の中で互いの息遣いを確認するようにほおとほおをぴったりと合わせたままでいた。
22 名前:第二話 投稿日:2004/12/22(水) 01:16
「美貴ちゃん…」
亜弥は頭を肩から浮かせその唇に自らの唇を重ねた。まず上唇をねっとりと吸って。次いで下唇を。そして舌を美貴の口の中に差し入れる。美貴も応えるように舌を伸ばして亜弥の舌に絡める。ひとしきり絡め合うと、そこから垂れる唾がシーツにしみをつくる。
「私ね、美貴ちゃんの舌のザラザラが好きなんだ」
亜弥はそうささやきながら美貴のバスローブのベルトをほどき、ローブを一気に剥いた。その首筋のあたりから、口で吸いながら舌を這わせながら徐々に下へと降りていく。舌が胸の先端に至ると、早くもしこったその部分を亜弥は歯でやわやわと甘噛みする。美貴は眉根を寄せて一瞬身を固くした。その背中や尻、もものあたりを立て気味にした両手の爪でひっかきながらゆっくりと這わせていく。目を閉じたまま自分の身に施されていくことを、美貴は残らず感じ取ろうとする。弱いところをわざとはずしたり、その周辺はじっくりいじったりと、亜弥は好き放題、美貴に意地悪をする。
「…やだ、もっ、ちゃんと、来てってばあ」
美貴は乱れ始めると子供に戻ったような口調になって何事かを口走り始める。息遣いが激しくなり、からだはほてりを帯びてほんのりと桜色に上気する。亜弥の脳裏に一瞬、教室でデッサンをしていた美貴の姿が蘇る。あの凛としたクールな美貴が、自分の手によって形もなく乱れている。この征服感が、亜弥は好きだった。
23 名前:第二話 投稿日:2004/12/22(水) 01:17
「…ね、お願いだから、もう…」
美貴がたまりかねて思わずねだる。
「お願いだから、なーに?」
亜弥がニコニコしながらとぼけて聞くと、美貴は首を左右に振りながらダメになりそうな表情で見つめ返す。どうやら上り詰めたいようなのだ。美貴に向こうを向けさせるとその背後から両手を腹にまわした。そして片手を胸の方へ、片手を下腹部の方へ這わせていく。上へ上った手は胸を遊びながら、下へ下がった手は脚の付け根のさらに奥へと進んでいく。その手が奥の敏感な部分に触れると、美貴は思わず、ア、と短く鋭い声をあげた。亜弥の手がやさしく、だが美貴のからだを理解した動きをすると、その感覚に美貴は全身の力が抜けたようになる。最後の瞬間への坂道を駆け上がり小刻みに声をあげるのを聞きながら、亜弥は片手を胸から離しその人差し指を美貴にくわえさせた。
「フフ…いい子だから静かにしましょうねえ」
子供をあやす母親の口まねをして美貴の耳元でささやいた。その暗示にでもかかったのか、美貴はその指を待っていたかのように夢中でしゃぶり始める。適当にしゃぶらせた後でその手を胸元に戻し、下の手共々さっき同様ソフトにじっくり敏感な部分をほぐしてやると、一旦落ち着いた美貴の興奮がさっき以上に蘇った。そろそろ頃合いのようだ。亜弥がさらに美貴のからだを責めさいなむ。そのからだが快感に硬直し始めるのを確かめて、親指と人差し指の爪でしこった胸の先端を挟んでキツくつねりあげてやる。その刺激で美貴は大きくのけぞり、長くかすれた悲鳴にも似た声をあげてついに気をやった。
24 名前:第二話 投稿日:2004/12/22(水) 01:18
美貴は全身に汗をにじませ肩で息をしている。亜弥のベッドには美貴の匂いが染みついていた。
亜弥はしばらくの間、向こうを向いてかすかに泣きじゃくっている美貴を眺めていたが、やがて冷ややかに声をかけた。

「美貴ちゃん、もう十分? じゃ、今度は亜弥のことも気持ちよくしてくれる?」
「…ハイ…わかりました」

美貴は涙を拭きながら亜弥の方に向き直った。

”お楽しみ”も最初はお互いイーブンな立場で行っていた。しかし本質を一瞬にして把握する亜弥の才能は、すぐさま美貴の、本人すら意識していない嗜好をも見抜いていた。もう一人の自分を見抜かれ開発されてしまった美貴は、もはや亜弥というパートナーなしの生活を考えられなかった。
25 名前:第二話 投稿日:2004/12/22(水) 01:18
ベッドの中で好きなように弄ばれて。最後は痛い思いをして果てて。でもそうされると今まで積もっていたストレスのようなものがすっかり取れて。次の日からまた気分が軽くなって。
…最初はあたしも亜弥ちゃんにいろいろしてたけど、今は完全におもちゃになってるな…
でもそうされると今までにないくらい気持ちがよくて。でも亜弥ちゃんにもう一人の知らない自分を導き出されたのがなんとなくくやしいし、そのくせ素の自分を出せたようで楽になれるし。
…あたしの中にああいうのが好きな部分があったのかな…
もう一度シャワーを浴びてから自分のベッドに入った美貴は暗い室内の天井を見ながらぼんやりと考える。そのうち適度な疲れに全身が包まれ、そのまま寝入ってしまった。
26 名前:第二話 投稿日:2004/12/22(水) 01:19
けたたましい目覚ましの音で美貴は目を醒ました。
「んんん…7時半…」
伸ばした手で一旦スイッチを押してベルを切る。手を目覚ましにかけたまま、また眠りそうになる。
…今日日曜じゃん。なんで7時半にセットしたっけ…んん? そうだ今日亜弥ちゃんとピクニックじゃんか!…
その瞬間、脳みそが一気に目覚めた。
「うっそ! いろいろ用意とかしないと、間に合わないよ!」
ジャージに着替えて部屋を出るとキッチンでは亜弥がすでにお弁当を作っていた。
「おやー、美貴介、オハヨー」
亜弥がそういいながら、ふざけてきつい目つきをすると、美貴は思わず照れ隠しで顔をニッコリさせながら
「おはよーございまっす!」
と妙に機嫌良く返事をした。
「亜弥ちゃん、何時に起きたの?」
「ついさっき」
「それなのにお弁当もうできてるの?」
「手のかかるおかずは昨日のうちに作ってあるもん」
「なーるほど…でもさ、夕べうちらあんなドロドロになっても寝不足にならないワケ?」
「夕べ? ああ、だって好きなことやってんだもん、疲れるワケないよ」
「あたしなんて、なんかあちこち痛いよ。特にココとか…」
美貴はそういって胸の先のあたりに軽く触ると、責めるような目付きで亜弥を見る。
「だってそういうキツめの刺激がスキみたいじゃない? 満足してくれてると思ったんだけどなあ」
亜弥がこともなげにいうと美貴がほおをふくらませた。
「別に元からスキじゃないけど。亜弥ちゃんのせいでこうなったんじゃん。もういいよ。あたしも準備手伝うから」
「いや、お弁当はもう完成だから。美貴ちゃんはシートや遊び道具持ってきて」
「ハーイ」
「7時半に起きても意外と時間足りなかったな。早く行かないと御苑の開園時間に間に合わないよ。どうせなら一番のりで行こうと思ってるのに」
27 名前:第二話 投稿日:2004/12/22(水) 01:20
一式そろえて二人で抱えると、駅まで走っていく。着いた頃には二人とも息切れである。日曜でも朝のうちはホームに多少利用客がいる。若い女の子が休日の朝から二人して息をゼエゼエさせているので、みんなが思わずチラチラと見る。
「もう! 美貴ちゃん早く起きないし、髪型整えるのに時間かかりすぎ!」
「何でよ! いわれた時間にちゃんと起きてるっつーの! 時間足りなかったのあたしのせいにするなっつーの!」
小声で口げんかである。周囲がますます怪しげに見る。
電車がやってきた。乗り込むと運良く二人分の座席が空いている。荷物を膝の上に抱え車窓の外を見ると、初めて空がどんよりと曇っているのに気付いた。
「ね、亜弥ちゃん。傘持ってきたっけ?」
「ううん。なくていいんじゃない。今日の予報、一日中曇りだよ」
「御苑とかさ、広場の真ん中にいたら隠れるトコないよね。降ってきたらどうする」
「大丈夫だって。シートかぶれば」
「そだね」
新宿駅から歩いていくと御苑の門はすでに開いていたが、人はあまりいなかった。
「うーん。御苑ひとり占めー。誰もいないって気分いいー」
亜弥が一つ伸びをして独り言をいう。
「ふたり占めじゃん。ひとりじゃなくて」
「うわ、いっちゃったよ。夢のない相方!」
適当な所にシートを敷く。二人はその上に寝転がってしばらく空を見ていた。
「晴れてたらもっと気分よかったのになあ」
「あの雲の上は晴れてんだよね。雲の下にいるから曇ってるんだよ」
「お、美貴ちゃん、なかなかスルドイこといいますなー」
「当たり前じゃん」
「何かして遊ぼか。えーとね。お、フリスビーだ。これやろう」
28 名前:第二話 投稿日:2004/12/22(水) 01:20
最初のうちはお互いがキャッチできるようにほうっていたが、そのうち亜弥がふざけてとんでもない方向へと飛ばし始める。必死になって追いかけるのは美貴だ。
「ちょっと亜弥ちゃん! あたしばっか体力使ってゼッンゼン楽しくない! ちゃんとキャッチできるの投げて!」
美貴が投げ返したのを、またとんでもない方向へ飛ばす。
「亜弥ちゃん! もう!!」
頭にきて投げ返すと、亜弥のはるか頭上を飛んでいった。
「…じゃあ、フリスビーはやめにしてバドミントンやろう」
「亜弥ちゃん! 取って来て!!」
「後で後で」
ニコニコしながら美貴を無視するとトートバッグの中からラケットとシャトルを取り出す。美貴が大きく振り上げサーブすると、上に上がったシャトルがしばらくして亜弥のところに落下してくる。二人は何回かリレーしていたが、やがて亜弥がいきなりスマッシュを決めてきた。美貴が反射的に受けようとしたが見事に受け損なう。ラケットを振り切ったままの妙な体勢で美貴が固まっている。
「亜弥ちゃん、そういう血の気の多いバドミントンじゃなくって、もっとリレーしようよ」
「いやいや面白いじゃん。普段見られない美貴ちゃんってカワイイじゃん。そういうのもっと見たいし」
「もう。すんごい意地悪。いいよ、ちょっと早いけどお昼食べよ」
シートに戻りバスケットからサンドイッチを出した。
29 名前:第二話 投稿日:2004/12/22(水) 01:21
「美貴ちゃん、好みでこの辛子つけて食べてね」
美貴は練り辛子を取ると自分のサンドイッチの中にたっぷりと含ませ
「ねえねえ、亜弥ちゃん、あーん」
と差し出した。何も知らない亜弥がぱくりと食べると、一瞬ののち
「うあ〜〜〜、う、う、うえ〜〜」
と涙を流しながら悲鳴を上げた。慌ててステンレスポットからお茶を注いでごくごくと飲み干す。その様子を美貴がニコニコしながら見ている。
「んもう! 美貴介! なんてことすんのよ!」
「へへえん、さっきのお返しだもーん」
「もう! こうしてやる!」
亜弥がふざけて隣の美貴に覆いかぶさる。美貴が逃げようとして二人はしばらくじゃれあっていたが、やがて亜弥が下になった美貴の両腕を押さえつけて大の字に組み敷いた。亜弥が美貴をじっと見つめる。
「あ、亜弥ちゃん?…」
美貴が一瞬素になると、亜弥が美貴の唇に唇を重ねる。二人はしばらく重ねたままでいたが、亜弥が唇を離した。
「どお? 美貴ちゃん。亜弥の唇、おいしかった?」
美貴が自分の唇を舌で軽く舐める。
「…うん、おいしいよ……ん? んんん? あ、辛ーい! 亜弥ちゃんに辛子移されたー! 水、みずー!」
「ほーほっほっほっほ! 秘技、辛子返し! 私はその何百倍も辛かったんだからね! 軽ーくリベンジ、成功です!」
「に、逃がしてー! ちょっと! 本気で! 水、水、みずー!」
美貴は亜弥に押さえつけられたままでバタバタともがくだけだった。
30 名前:ささるさる 投稿日:2004/12/22(水) 01:22
第二話は以上です。
31 名前:ささるさる 投稿日:2004/12/23(木) 00:09
第三話です。
32 名前:第三話 投稿日:2004/12/23(木) 00:10
「ねえねえねえ美貴ちゃん。イブの日にさ、うちらのクラスでクリパやるんだって」
「なに、クリパって?」
「クリスマスパーティーだよ。なんかどっかのスタジオみたいの借りてやるんだって。そんでね、かくし芸飛び入り大歓迎! うちらもなんかやろうよ!」
夕方遅くになって大学から戻ってきた亜弥が、息を弾ませて美貴に話しかける。その美貴はエプロンをかけて、夕ごはんの炒め物を作っているまっ最中だ。
「なんかやるってなにやるの? どうせあれでしょ、みんなテレビのお笑い芸人の真似みたいことすんじゃないの? 『悲しいときー』とか『残念!』とか『こんな何々はイヤだ!』とか。そういうのの方が絶対ウケるんだって。あたしできないもん。ああいうセンスないし」
「ううん、違くて違くて。うちらのオリジナルで」
「オリジナルゥー?!」
美貴が振り向いて亜弥をギロリと睨む。フライパンの中の炒め物が一瞬大きく燃えた。
「そんなのメンドい!」
向き直りながら美貴がスッパリと斬り捨てる。
「いやいやいや、私が考えるからさあ、ねえ美貴ちゃんやろうよお」
「んじゃあ考えればあ」
やる気のない美貴は、ふてくされながらそういうとレンジの火を止めた。
33 名前:第三話 投稿日:2004/12/23(木) 00:10
食事が終わって美貴が食器を洗っている。テーブルでは亜弥がレポート用紙に向かって真剣に何かを書き付けている。片づけの終わった美貴がエプロンをはずしポットから紅茶を2杯注いでテーブルに持ってきた。
「亜弥ちゃん、ずいぶん一生懸命だね」
「そうだよ、かくし芸、狙ってるもん」
「狙ってるって、何?」
「もちろん、集まったみんなの、スタンディングオベーションです!」
ニヤリとしながら美貴に向かって親指をグッと突き立てた。
「かくし芸にスタンディングオベーションはありません!」
「でもねでもね、アイディアはあるの。まずね、うちらの芸名は『ジャパニーズ娘』っていうことで」
「なんじゃそら」
「そんでね、ベタな内容の漫才を数珠つなぎで」
「フーン」
美貴が冷めた表情で引きながら亜弥を見る。
「あ、美貴ちゃん。信用してないでしょ。大丈夫、ゼッタイ受けるって。お笑い天国、関西出身の私がいうんだから『間違いない』」
「…それ関東の芸人じゃん」
「それは置いといてえ、でね最初はさ、二人が舞台の両脇からさ、背中丸めて小走りで拍手しながら出てくるの。『ハイハイハイハイー』なんていいながら」
「フーン」
「そんでえ、ジャパニーズ娘だからあ、二人の名前を読み込んだ和歌で自己紹介」
「はあ?」
34 名前:第三話 投稿日:2004/12/23(木) 00:11
「私がね『淡路島渡る小舟を待つ浦は彩か錦か夕暮れの浪〜、わてが松浦亜弥だす!』で、美貴ちゃんが『大船に乗りて着いたる富士のもと神酒飲み合いて酔える七福〜 わてが藤本美貴だす!』って自己紹介してえ、そんで『二人合わせてジャパニーズ娘、どえええええす!』って」
「イヤです! そんなのゼッタイイヤです! だってさあ、クリスマスだよ。それだとお正月のかくし芸じゃん」
「シー! それいっちゃダメだよ」
「みんな思うってそんなの。でもね、あたしやんないよ。マジで」
「ええー、いいアイディアだと思うんだけどなあ」
「だってクリスマスで、しかもこの日イブじゃん。見慣れたどうしで集まって飲んだって面白くないって」
「じゃあどうすんの」
「イブだからあ、きっとさ、あっちこっちでイルミネーションとか一番輝いてる日だよ。そういうの見て歩いてるのだっていいんじゃない?」
「ナニ? 二人で? そっちこそおもしくねえー いつも一緒にいるんだから、こういう時ぐらいみんなと騒ごうよ」
「…何よ、特別な日だから亜弥ちゃんと一緒にいたいんじゃん。そんな簡単に『おもしくねえー』とか、なんでいえるのよ!」
「美貴ちゃん?」
「亜弥ちゃんなんかキライ!」
美貴はそういって立ち上がると自分の部屋のドアをパタンと閉めて中に閉じこもってしまった。
「み、美貴ちゃん? ど、どしたの?」
35 名前:第三話 投稿日:2004/12/23(木) 00:12
「美貴ちゃーん、ごはんできたよー、早くしないとガッコ遅刻だぞー」
翌日になって亜弥が美貴を起こそうとして部屋のドアをノックしてみたが、返事もなにも返ってこない。
「ねえ、美貴ちゃーん、起きてるー? ちょっと入るよー」
亜弥がドアを少しだけ開けようとした瞬間、中の美貴が
「入らないで!」
と鋭い口調で亜弥を制した。
「美貴ちゃん、ひょっとして昨夜のことまだ根に持ってるの? あれは話しの流れでいっただけで…」
「亜弥ちゃんはあたしらの仲を、単なる流れでどうにでもなるくらいしか思ってないんだ」
「いや、そうじゃなくて、なんでそんなひねくれた解釈しちゃうかな」
「そうだよ、あたしどうせひねくれてるもん」
「うわ…あ、あのさ、一応ごはん用意したから、私、先に行ってるから、ね? ね?」
亜弥は足音を忍ばせて玄関から出て行った。
授業を受けても実習でイーゼルに向かっても、どうにも美貴のことが心配で頭から離れてくれない。放課後どこへも寄らずすぐに電車に乗って帰ってきた。駅からマンションへ向かう途中、心配で早く帰りたいのに足取りがなんとなく重い。
…美貴ちゃん、どうしちゃったの一体…雰囲気でいっただけなのに、わかってくれると思ったんだけどなあ。なんか気に障ったのかなあ…
玄関のドアに着いてもすぐに開けられない。少しためらってから思い切って開けた。
「美貴ちゃん、ただいまあ。ねえ、いる?」
相変わらず返事はない。部屋のドアをノックしようとして、やっぱりやめた。携帯を取り出して美貴の番号にかけてみる。美貴の部屋から着信音は聞こえてこない。
…いない…
36 名前:第三話 投稿日:2004/12/23(木) 00:13
切ろうとしたその時、電話がつながった。美貴だ。
「み、美貴ちゃん?」
『…』
「ね、今どこ? なんかいってよ!」
『…亜弥ちゃん、あたししばらく帰らないから』
「ね、美貴ちゃん、どうしちゃったの? 私がいったことが気に障ったんだったら今謝るよ。ゴメン。ホントにゴメン。でもさ傷ついちゃったみたいだけど、なんでそんなに傷ついちゃったのか、私全然わからないの。ね、どうしちゃったの?」
『…あたしさ、今まで亜弥ちゃんに嫌われたくなくて必死になって付いていったんだ。あたしを理解してくれるたった一人の友達だと思ってたから』
「???」
『でもさ、疲れちゃったよ。お楽しみも、一緒に遊ぶのもさ、確かに大好きだよ。でもね、違うの。あたしの仮面をはずしてくれてないよ。ホントの自分を出したいのに、そこに気付いてないよ。なんとかなりそうなのにいつもかすっちゃってるの』
「??? み、美貴ちゃん? いってることよくわかんない、どういうことそれ」
『わかんないんだったらいいよ。とにかくあたし、しばらく帰らないから』
そういうと美貴は一方的に電話を切ってしまった。亜弥は切れた携帯をしばらくぼうっと見つめていた。
『必死になって付いていったんだ』『理解してくれるたった一人の友達』『あたしの仮面をはずしてくれてないよ』
さっきの言葉が頭の中を駆け巡る。亜弥は初めて聞く美貴の心の奥の悩みにただただうろたえていた。
37 名前:第三話 投稿日:2004/12/23(木) 00:14
「藤本君、どういうことかな。この店で寝泊りしたいなんて」
亜弥が用意した朝ごはんを食べた後、美貴はマンションを出て、その足でバイト先のカフェに向かっていた。とにかくバイト先に行こう。わけもわからずそう考えた。事務室のドアを開けると店長の寺田がいた。寺田の座っている机の後ろの窓からは、曇りガラス越しに午後の光が差し込んでいる。その光をからだの表に浴びて、美貴はその机の前に立っていた。泊めてもらいたいんです、と出任せ半分のセリフが思わず口をついて出てしまった。寺田はその美貴のいきなりの申し出にあっけにとられていたのだ。
「…いえ、特に理由っていうか…あの、とにかく少しの間でいいんで、なんとかここに泊めてもらえませんか」
「ここは仕事場で住むところじゃないぞ。君を泊めたところで火事が起きたり物が盗まれたりしたら、真っ先に疑われるのは君だよ」
「で、でも、他に行く所がないんです! ちょっとの間でいいですから、なんとか泊めて下さい! 火元の管理とか全部やりますし、物を盗んだりとか絶対にしませんから! お願いです!」
美貴は頭を下げたまま上げようとしない。黙り込んでゴリ押ししようというのである。寺田は無言のまま目を閉じて口の端をゆがませている。
「割りに強情だね、君は…何があったかは知らんが、問題が解決したらちゃんと家に戻ってくれよ。ま、君の働きぶりからして間違いをやらかす子とは思わないけどな。俺のその気持ちを裏切らんでくれ」
寺田は困ったような顔付きでしぶしぶ許可を出した。
38 名前:第三話 投稿日:2004/12/23(木) 00:14
とりあえずの居場所は確保したが、その事務室の中でボサッとしていてもなんだか落ち着かない。曜日が違うとバイトの顔ぶれがまったく違うため、顔を合わせても挨拶のしようもない。向こうも美貴のことを気にしながらで制服に着替えている。
…しまった。意外と居づらいな…
早くもマンションが恋しくなったが、気持ちの整理がつかない。宙ぶらりんの心をもてあましている時、携帯に学校から早々と帰ってきた亜弥から電話がかかってきたのだ。仲直りするチャンスだったのに素直になれず、思わず今まで心に抱えてきた自分の悩みをぶつけてしまったのだった。
…あたしがこんなこといったって、亜弥ちゃん困るだけなのに…
本当の自分を何とか探し出したいという悩みも、亜弥という気兼ねない友人と出会えたとはいえ、まだ解決はしていない。二人でいると気は楽だが、コツコツ型の自分はいつも亜弥に手玉に取られてしまうようで、それがなんとなく息苦しい感覚もある。そう感じてそれを乗り越えられない自分のことも、いつの間にかイヤになっていたのかもしれない。亜弥のささいな一言からこれらの悩みすべてに火が着いて、反射的にそのそばを離れたくなってしまったのだ。今となっては自分を心配してくれる亜弥に申し訳なかったが、心の奥の悩みが爆発した以上、簡単にマンションに戻ることはできなかった。
『わかんないんだったらいいよ。とにかくあたし、しばらく帰らないから』
捨てゼリフをいって電話を一方的に切ると、事務所のソファーに腰を掛けた。仲直りできるチャンスだったのに自分でそれをつぶしてしまった。乱れた心をどうにもできなくて頭を抱え込む。その向こうのロッカーでは、携帯での一部始終を聞いていた見知らぬバイトの子が、恐いものでも見るような目で美貴のことをチラチラと見ていた。
39 名前:ささるさる 投稿日:2004/12/23(木) 00:15
以上、第三話でした。
40 名前:ささるさる 投稿日:2004/12/23(木) 16:22
さて、第四話です。
41 名前:第四話 投稿日:2004/12/23(木) 16:23
美貴が家を出てから三日経つ。亜弥はキッチンのテーブルに一人で座って紅茶を飲んでいた。美貴はどうしているんだろう。この部屋を出て行ったら身を寄せるところなどないはずだ。まさか道端でダンボールの家に住んでいるとか… そうなっていたらどうすればいいのか。そんな想像がずうっと亜弥の頭の中に取り憑いていた。じかに電話をかけるのは気が引けて、一日に一、二回メールを送っているが返事は返ってこなかった。
「美貴ちゃんどうしてんの? どうすればいいの?」
テーブルに両肘をつき、組んだ手を口元に当てたままそうつぶやくと、さすがに涙があふれてきた。美貴と一緒にいたくて自分から近づいていったのに美貴の方から離れていってしまった。ATMでお金をおろしても、このお金は美貴がバイトで稼いだお金だと思うと、頼ってばかりで申し訳ない気持ちがつらくなるくらい強くなった。心の中にとてつもなく大きな虚しさと不安を抱え込んでしまい、亜弥は今日も学校を休んでマンションに閉じこもったままになっていた。しかし部屋の中で静かにして気持ちを落ち着けようとしても美貴への心配がどんどん大きくなるばかりで、もはや精神的にも限界だ。いつまでも頭を離れない美貴を忘れるために街へ出ることにした。
こんな状態で街へ出ても気晴らしにも何にもならないだろう。外着に着替えながら亜弥はそう思っている。とてつもなく気が重い中、室内から外へ出るのは、自由に呼吸できる陸上から息を止め水圧に耐えねばならぬ海中へと入っていくに等しい。大げさにいえば、まるで地球を囲む大気という海の底にトーキョーというコンクリートの漁礁があって、そこを泳ぐたくさんの魚の群の中へ、自分も今まさに身をよじらせて割り込もうとしているという、そんな気分なのだ。そんな気分で街を散策しても苦痛でしかない。しかし美貴に自分の頭の中を占拠される苦痛に比べれば、街へ繰り出す方がまだましなのだった。
42 名前:第四話 投稿日:2004/12/23(木) 16:23
タータンチェックのミニに濃い目の色のロングソックスを起毛したブラウン革のショートブーツへ通す。プリントTシャツの上には厚手のデニムジャケットを羽織り、そこへピンクのカシミヤマフラーを軽く一回巻き。「潜水服」をまとった亜弥はゆっくりと外へのドアを開けた。
電車を乗り継ぎ原宿駅で降りた。駅前から表参道を下り、ピザ屋のところを曲がって裏道に入る。入ったところの足場が板張りになっており、向こうに折り重なる建物のさらにその奥に、ランドマークのようにして角張ったビルが建っている。くねるような道に沿って歩くと、その両側に小さいながらもスタイリッシュなショップが立ち並んでいる。亜弥が時折訪れる散策場所の一つであった。
連れ立って歩く若者ばかりのその道を、亜弥はジャケットのポケットに両手を突っ込んだままうつむき加減でノロノロと歩く。季節が真冬へと向かっていくこの時期、すでに低く傾いた太陽はまるでこの街を地表近くから照らし出すようにして鈍く光る。時折立ち止まって顔を上げると、低みから照らす太陽光線が亜弥の顔をオレンジ色に染めた。息を吐くと白い水蒸気となり、風に形をくずされ流されていった。
…美貴ちゃんのことを忘れるための散策なのに。それなのに…
いくら歩いても亜弥の頭の中から美貴が去っていくような気配はなかった。
宮下公園までたどりついた。普通の悩みならこのくらい歩けば頭のモヤモヤを忘れられるのに、今日はどうにもダメだ。歩き足りない気がして、なおも渋谷駅方面へと歩いていく。
43 名前:第四話 投稿日:2004/12/23(木) 16:24
「あ、チョット彼女、今いい?」
軽い感じの兄ちゃんがふいに亜弥の前に現れた。よけて通ろうにも、相手はちょうど行く手に立ちふさがる格好だ。
「友達からすんげえカワイイとかいわれない?」
兄ちゃんはそういうと両手の親指と人差し指を互いに合わせて四角形を作り、それをファインダーに見立てて亜弥の顔を見た。
「遠くから見てもさ、なんつーの、アイドルのオーラ? みたいのバンバン出まくってるじゃん。自分で鏡見てそう思わない? 気付かないなんてもったいないよ。あ、俺、こういうモンだけど」
兄ちゃんが渡した名刺を見ると、芸能プロダクションの関係者らしい。聞いたことがない社名だった。
亜弥がだまって名刺を見ている間も、その兄ちゃんはずうっとしゃべっている。
心に何もひっかからない亜弥はそのまま歩いていこうとする。
「ちょ、ちょっと、ちょっと、マジな話でさ、キミだったらゼッタイてっぺん取れるって! ウチさ、社長が芸能界に人脈あるからさ、入ってその日から仕事回してくれるからさ。入っても仕事ないなんて、ないからさ…」
無視して兄ちゃんの横を通り過ぎる。亜弥を目で追う兄ちゃんの、その口調が変わった。
「なあ、人の話は聞くもんじゃねえ? 顔がよくたって、そんなんじゃ心がブスじゃんか。オマエに声かけてくんのいっぱいいるんだろうがよ、そうやって心がブスだとみんなの方から離れてくんじゃねえ!?」
44 名前:第四話 投稿日:2004/12/23(木) 16:25
 パン!
やけによく響く乾いた音がした。
亜弥が振り向きざまに兄ちゃんのほおを勢いよく一張り張ったのだ。目には怒りの色を宿している。
「ッツウ…やってろよ、このアマ!」
亜弥のことを見下げるようにして兄ちゃんは向こうへと去っていった。
…心がブスだとか…みんなから離れてくとか…何よ…
再びポケットに両手を突っ込んだが、歩みはさっきよりさらに遅くなった。駅前の交差点で信号を待っていると、ビルの電光掲示板では今日もまたどこかで悲惨な事件が起きたらしい。うつむき加減でノロノロ歩けば、亜弥の気持ちも知らない人達が次々と後ろから追い抜いていく。ポケットに両手を突っ込んだまま、肩を落として横断歩道を渡る。
渋谷駅前のあまりの人ごみに具合が悪くなりそうになった亜弥は、そこから人気をさけるようにしてさらに歩いていった。
…この先に神社があったはず…
うろ覚えの道をたどりながら、日がすっかり暮れたあたりにその神社に着いた。
賽銭を入れ鈴緒を引く。かしわ手を二回打ち手を合わせ目をつぶる。
…美貴ちゃん、私、寂しいよ。美貴ちゃんのその悩み、私じゃ救えないのかな? 神様、美貴ちゃん大丈夫ですよね? 無事ですよね?…
拝んだからといって解決するわけでもない。しかし心の中の声を神様に聞いてもらっただけでも、少しは気分が軽くなったような、そんな気がした。
45 名前:第四話 投稿日:2004/12/23(木) 16:25
美貴がバイト先の事務室に泊り込むようになって三日がたった。近くのコンビ二でお茶とおにぎりとおでんを買い、ソファーに掛けて食べ始める。部屋の隅にある古い型のテレビを付けた。クリスマスが近くなるとどこの番組もいつもとなんとなく雰囲気が違う。
「あーあ、世間じゃクリスマスなんだよねえ」
わざと大きい声で独り言をいってみる。当然誰も答えてくれるわけではない。
「もー、あんた、あたしを楽しませるようなことなんかいいなさいよ」
またも大きな声でテレビに突っ込みを入れた。当然応えてくれるわけではない。思わずポケットから携帯を取り出し、メモリの中から亜弥のナンバーを探し出す。通話ボタンに指を置いたが、その指を離した。
…はあ、亜弥ちゃんから離れたのはいいけど、何の解決にもならないんだよね…
自分の悩みと自分を心配してくれる亜弥が再び頭の中いっぱいになり、テレビを消してソファーに横になった。
「そうだ、銭湯に行こうっと」
自分のロッカーからタオルや石鹸などが入ったコンビニ袋を出して、裏口から外に出た。
泊まり出してから困ったのが、からだを洗う場所がないということだった。最初は誰もいなくなった調理場で蛇口のお湯でタオルを濡らし、それでからだを拭いていたが、じきにそれでは我慢できなくなった。そんな時、カフェの近くを散歩していたら、たまたまその土地で昔から営業しているような古びた雑貨屋を見つけた。ひょっとしてここの人なら知ってるかもしれないと思い聞いてみると、少し距離はあるが確かに銭湯のあることがわかった。ついでにスナック菓子とジュースを買うとお店の人が天井から吊り下げたざるの中からお釣りを出そうとする。教えてもらったお礼だからとお釣りはそのままお店にあげたのだった。
46 名前:第四話 投稿日:2004/12/23(木) 16:26
ポカポカになって銭湯から帰ってくると、すぐに眠気が襲ってくる。バイト先の事務室の、しかもソファーの上という場所だと、朝起きた時にからだのあちこちが痛むため、寝れば寝るほどにからだがくたびれているようだった。それでもどこからか探し出した毛布をかぶって横になると、あっという間に眠り込んだ。
事務室の電気も消さずに寝込んでいたら、突然携帯が鳴った。着信音がいつまでも鳴り続けるため、美貴もようやく目を覚まして携帯を取り出す。亜弥からだ。まだ半分寝ぼけまなこの美貴は、神様に導かれたかのように通話ボタンを押した。
『もしもし、美貴ちゃん、だよね? 私、亜弥だけど…』
「あ、亜弥…ちゃん…」
『美貴ちゃん、大丈夫?! どうかしたの?!』
「ん? ううん、今、寝てたとこ…」
『そ、そうか…ハハ…あ、あのさ、突然だけどさ、この前の電話で、いろいろ悩みいってくれたじゃん? それってもうちょっと詳しく…教えてくんないかな?』
「ん?…聞いたってどうせわかんないよ」
『でも聞いてみなきゃわかんないじゃん。ひょっとしたら少しは解決できるかもよ?』
「…あたしね、ちっちゃい頃からずっと周囲に合わせてきて、そのうちホントのあたしってわかんなくなっちゃって…なんかね、今の自分ってちっちゃい頃の自分とものすごーくずれちゃってるような? 仮面をかぶってるうちにそれが取れなくなっちゃったような? そんな気がしてるの」
『うん』
「東京に出てきて、亜弥ちゃんと出会ってね、すんごくうれしかったの。初めてできたホントの友達で。亜弥ちゃんの前ならちっちゃい時のホントの自分が取り戻せるかもって思ったの」
『うん』
「でさ、一緒に暮らしてるじゃん、ものすごく楽しいんだけど、亜弥ちゃんってあたしよりさ、いろんなことチョーできるじゃん」
47 名前:第四話 投稿日:2004/12/23(木) 16:27
『チョーできる?』
「だってさ、料理とかさ裁縫とかさ、できるじゃん。そんで一緒に遊んでも、あたしの方がいつの間にか遊ばれてるじゃん。お楽しみでもさ、あたしおもちゃじゃん。でもおもちゃ、結構スキだけど」
『ア…そ、そう』
「一緒にいて楽しいのね。でもさいつも亜弥ちゃんに上を行かれてさ、なんかそれが…ね? わかる?」
『つらいってコト?』
「うーん、まあね」
『そっか…私もね、ちょっと聞いて欲しいことがあるの。私もやっぱつらいとこあるんだ』
「…」
『私も最初バイトしようって思ったけど、美貴ちゃんが学校とバイトでぎっしりでしょ? 初め心配だったけど、たぶんこういうのが自然な生活パターンなんだなあって。だから二人で家を空けながらバイトするより、私が家の中担当で美貴ちゃんのサポートにまわった方がいいと思ったの』
「…」
『そうなると美貴ちゃんのバイト代に頼る格好になるんだよね。すんごい申し訳なくてさ。だからせめて私が美貴ちゃんを元気付けないとって、それで美貴ちゃんに楽しんで欲しくていろんなこといったりやったりプロデュースしてたつもりだったんだけど、ひょっとしたらそれが上を行かれてたって気持ちにさせてたのかも』
「…」
『でも悪気もなにもないから。それはわかって』
「…あたしのことキライとか思ったことある? 亜弥ちゃんの方があたしのバイトとかのために、やりたいこととか全部できなくしてるんじゃないかって…それにこんなひねくれたことばっか考えて…あたしのこと、イヤ?…」
48 名前:第四話 投稿日:2004/12/23(木) 16:27
そういうと美貴は急に黙り込んでしまった。そのうち亜弥の携帯にはスンスンと鼻を吸うような音が聞こえてきた。
『美貴ちゃん…泣いてる? ひょっとして。あのね、心配しないで。最初の頃を思い出して。私から美貴ちゃんに声かけたんだよ? なぜかっていったらスキになったからだよ。一緒にいたいって思ったからだよ。この気持ちは簡単に消えっこないからさ、安心して』
「亜弥ちゃん…」
『それにさ、仮面の話。考えてみて。私が知ってる美貴ちゃんが仮面の美貴ちゃんだとするよね。でも私にとってはそれが藤本美貴って子のすべてなんだよ。私にとっては仮面でもなんでもないの。しかも今まで一緒に身近にいて、ものすごく普通で楽しい子だよ。仮面の美貴ちゃんとホントの美貴ちゃんの違いなんてちっともわかんなかったよ』
「…」
『ホントの自分っていってもさ、それをチラッとでも表に出せた覚えってある? たぶんないんじゃない? 私と出会う前でもそうだと思う。出せた記憶ってないんじゃない?』
「…」
『美貴ちゃんは今の自分を仮面だと思ってるかもしれないけど、実はそれがホントの美貴ちゃんだよ。ずうっと探してるホントの自分の方が仮面というか、幻の自分だよ。だって一度も表に出たことがないんだから。それってこの先見つけようとしてもゼッタイ見つかんないと思う。だって幻だから。だから仮面じゃないよ。普通で楽しい子。外から見たまんまの子。それが美貴ちゃんなんだよ』
「…」
49 名前:第四話 投稿日:2004/12/23(木) 16:28
『だから今のままでいいんだよ。仮面とか考える必要なんにもないよ。もし急にホントの自分とかに変わっちゃったら、私の方が付いていけなくて本当に離れていくと思う。今までと同じで全然問題ないんだよ。私たちまた暮らせていけるって。だからさ、そろそろ戻って一緒に…ね?』
「…ゴメン。ちょっとまだ戻れないよ。あたしこれから寝るから」
『え、どうして美貴ちゃん?! なんか他にまだ』
美貴はまた一方的に電話を切った。今まで抱えてきた悩みを話し、亜弥の悩みも聞くことができた。そしてどうやらそれは乗り越えていけそうだ。だが仮面の話はなんか違うような気がする。むしろ亜弥の発想に自分の出発点を一気に破壊されたようでどうにも認められない。だとしたら悩まなくてもいい悩みだったのか。自分にとっては大きい悩みだが、他人から見ればどうでもいいことなのか。自分は真剣に悩み続けてきたではなかったか。
亜弥と話したその携帯を握ったまま、その手の甲を美貴は額にずうっと当ててソファーに横になっていた。まだ寝ぼけた頭の中でいろいろな思いが交錯して収拾がつかない。仮面についての亜弥の話はあまりにも美貴にとってインパクトが強すぎて、またもや反射的に携帯を切ってしまった。亜弥の悩みと自分の悩み。亜弥の自分を思う心の強さと自分への思いやり。仮面の悩みを見事に整理した亜弥と、最後にそれを受け入れられなかった自分。あまりにも多くの情報や感情が頭の中を駆け巡り、美貴は思考が麻痺して再び眠り込んでしまった。
50 名前:ささるさる 投稿日:2004/12/23(木) 16:29
第四話は以上です。
51 名前:ささるさる 投稿日:2004/12/24(金) 16:50
今日で最終話です。
52 名前:最終話 投稿日:2004/12/24(金) 16:51
コン、コン、コン。
「美貴ちゃーん、入っていーい?…っていないんだよね」
美貴のいないマンションで亜弥は寂しさをもてあましていた。いないとわかっているのにわざと美貴の部屋をノックしてみる。いるわけないのに。でもひょっとしたら…
「そうだ。考えてみたら美貴ちゃんの部屋にしばらく入ってなかったんだよね。ちょっと入ろうかな。うん、ちょっとだけ…」
誘惑にかられて部屋の中に入っていった。部屋の中はきれいに片付いたままだ。美貴の性格なのか最小限のものしか置いていない。ちっちゃい本棚。椅子と机。テレビ。ステレオ。ベッド。ベッドの上掛けには赤い大きなギンガムチェック柄のカバーが掛けてある。
「さっぱりしてるのは美貴ちゃんぽいかな」
亜弥は思わずニコリとした。机の上を見ると写真立てが伏せてある。そっと手を伸ばして立ててみると、中には亜弥と並んで笑顔で写っている美貴がいる。
…美貴ちゃん…私と写ってる写真…伏せて出て行ったんだ…
心の中にまた悲しみが溢れてきた。この前、半分寝ている美貴と電話で話してお互い悩みを告白し合えたのに。だけど美貴は最後の最後で「やっぱり帰れない」と、また電話を切ってしまった。美貴がまた遠くへ離れてしまった。もう一度美貴の携帯に掛けようとしたが、勇気が出なかった。
…やっぱりここに入んなきゃよかったのかな…
寂しさと悲しさでいっぱいになってしまい、亜弥は美貴の部屋を出た。
53 名前:最終話 投稿日:2004/12/24(金) 16:52
「藤本君、君のいってた問題っていうのは、まだ解決しないのか?」
店長の寺田は出勤してくるたびに、事務室に住み着いている美貴に聞いた。
「あ、はい…すいません…もう少し、時間かかるかも…」
この事務室にいるのももはや限界に近い。自分が当番の日は今まで通り働くにしても、それ以外の日はずっと肩身の狭い思いをしなくてはならない。店長を拝み倒してあこがれのギャルソニエでもやってみようかとも思ったが、あまりにもカフェの中ででしゃばりすぎると思い、さすがにそのアイディアは引っ込めた。亜弥との電話を突然切ってしまったことが、ものすごい後悔とともに思い出される。
…あの時、亜弥ちゃんの言葉を聞いてれば、また二人で仲良く暮らせてたかも…なんで切っちゃったんだろ、あたし…
それを考えると気分がグチャグチャに乱れてくる。
…ダメだ。外へ行こう…
近場の散歩も飽きたので遠出することにした。一日いっぱい電車にでも乗ってみようか。カフェからいつも利用していたターミナル駅に行き、乗ったことのない電車に乗る。吊り革につかまって自分の前の席を見るとコートを着たOLやサラリーマン、学生らしい子たちが窓からの光を浴びて昼寝をしている。 
…結構のんびりしてるんだね、みんな…
54 名前:最終話 投稿日:2004/12/24(金) 16:52
適当な駅で降りると、接続する別の線に乗り換えた。二人が住んでいる所からどんどん違う方向へと遠ざかっていく。がらがらだったので座席に座った。向かいのシートの端っこには若いカップルがお互い寄りかかるようにして、だらんとした格好で眠っている。揺られながら目を閉じていると、亜弥の言葉が蘇ってきた。
『スキになったからだよ。一緒にいたいって思ったからだよ。この気持ちは簡単に消えっこないからさ』
…あたしのことがスキ…簡単には消えないキモチ…
『美貴ちゃんは今の自分を仮面だと思ってるかもしれないけど、実はそれがホントの美貴ちゃんだよ。ずうっと探してるホントの自分の方が幻の自分だよ』
…幻…いつもあたしのそばにいてくれて見てくれた…ホントのあたしを…
何度も何度も頭の中でその言葉が繰り返され、美貴の心にストレートに入り込んでくる。
自分のことを一番見てくれているのは確かに亜弥だ。田舎の家族や友人なんて比べものにならないくらい、亜弥は自分のことを見てくれているではないか。そうでなければこんなに自分を考えてくれる言葉は出てこないはずだ。
そうだ。亜弥はいつもそばにいてくれて、自分の良さも悪さもすべて受け止めてくれる、一番の理解者ではないか。
55 名前:最終話 投稿日:2004/12/24(金) 16:53
電車が鉄橋にさしかかる。車窓のすぐ外を斜めに組まれた鉄骨が次々と走り抜ける。そのむこうには河川敷が見えた。野球をしている少年たち。ゴルフスイングの練習をする中年男性。伸び伸びと走り回る子供たち。犬を連れて散歩する女性。そしてその横をゆったりと流れる川。西に傾いた太陽の光はそれら全てをほんわりと包み込んで、ただゆっくりとたそがれていく。光は電車の中にも入り込んで美貴を照らすが、それは柔らかく暖かい光だった。
『だから今のままでいいんだよ』
ふいにまた、亜弥の言葉が思い出された。
「…今のままでいい…今のままで…あたし…いいんだ…今のままで」
閉じた目から涙がこぼれてきた。周りに気付かれないように、うつむいて泣いた。
「…亜弥ちゃん…ありがとう…信じていいんだよね…」
ホントの自分などといいながら、スキになってくれた亜弥を遠ざけていた。結局自分が一番亜弥を信じていなかった。亜弥はこれほどまでに思ってくれているのに、その亜弥を信じるということを、あまりにもしてこなかった。自分にはどうしても亜弥が必要だ。そしておそらく亜弥にとっては自分が。
56 名前:最終話 投稿日:2004/12/24(金) 16:54
名前も知らない駅で美貴はホームに降りた。携帯を取り出し亜弥に電話をかける。いともすんなりと通話ボタンを押した。
「あ、亜弥ちゃん?」
『美貴ちゃん?』
「あ、あの…ゴメンね! あたし、なんだかすごく遠回りなこと考えてた」
『???』
「わかったんだ。やっぱりあたしには亜弥ちゃんが必要だって。あたしね、亜弥ちゃんを信じる!」
『???』
「だからね、会いたいんだ。会って仲直りしたいんだ」
『悩みは…解決したの?』
「うん! 亜弥ちゃんのおかげだよ!」
『…そっか! じゃあどこで会う?』
そのホームから見える駅前の広場に、クリスマスツリーの飾りつけのされた樹があった。
…今日イブなんだ…
美貴は何かを思いついたようにしていった。
「ね、東京駅に来て。夕方の5時くらいに」
『東京駅? わかった』
「うん、じゃあね」
57 名前:最終話 投稿日:2004/12/24(金) 16:54
午後5時をだいぶまわった頃。亜弥は東京駅のコンコースの中に立っていた。
…東京駅っていったって広いんだよね。どこにいるんだろ…
そう思っているところに携帯が鳴った。美貴からだ。
「美貴ちゃん? え、誘導する? 駅の外なの?」
携帯を耳に当てたまま、いわれた通りの道をたどる。
ビルの角を曲がると妙に人が集まっている。その中に入っていくと見慣れた姿があった。
「美貴ちゃん!」
美貴が亜弥にニッコリ笑いかけると、その瞬間美貴の背後に見事なまでに鮮やかなイルミネーションが浮かび上がった。
「亜弥ちゃん。『何の用』?」
そういうと美貴は思わせぶりに笑顔のままでプイッと横を向く。亜弥は一瞬わからなかったが、思い出した。そうか。あれか。
「『いえ、何にも』」
亜弥がそういうと二人は駆け寄ってお互い強く抱き合う。
「『何の用』なんて、一瞬わかんなかったよお、もう!」
「えへへ、うちらのね、二度目の出会いってこと!」
「あれ?」
「どうしたの?」
「雪じゃない?」
周りの人たちもみな気付いてあちこちから歓声があがった。
今もせわしなく街を行き交うすべての人に幸多からんことを。
この夜ようやく仲直りできた二人に幸多からんことを。
神様が清く白い贈り物を、空から降らせてくれた。

Merry X'mas
58 名前:ささるさる 投稿日:2004/12/24(金) 16:55
以上でおわりです。お付き合い下さいましてありがとうございました。
59 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/24(金) 17:41
前作もよかったですが、今回も期待を裏切らずおもしろかったです。
お疲れさまでした。
60 名前:ささるさる 投稿日:2004/12/26(日) 18:25
>>59:名無飼育さん
ありがとうございます。そういっていただくと励みになります。
この先またなにか書くことがあるかと思いますが、
その時気が向いたら読んで見て下さい。

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