Like a fairy tale
- 1 名前:zo-san 投稿日:2005/02/12(土) 21:28
- 初期プッチのアンリアル短編を一つ書きたいと思います。
- 2 名前:zo-san 投稿日:2005/02/12(土) 21:28
- 通り雨で薄汚れた暗い路地をただひたすら走る。
何度躓いてアスファルトに顔を、身体を押し付けたか知れない。
逃げ惑っていた一日が・・・あと一時間で終わる。
終わるまでにあいつから逃げ延びたら・・・復讐・・・できる。いや・・・復讐・・・する訳にはいかない。
あの殺人鬼を私は逮捕して、法で裁いてもらう様に働かねばならない。不意に忘れてしまいそうな理性を賭して。
それが・・・刑事である自分の仕事で・・・あの殺人鬼に殺された相棒の・・・いや恋人の願いに違いない。
罪を憎んで人を憎まず。そんなキレイゴトとしか思えない言葉が、同じ警官である彼女の口癖だったのだから。
・・・もしも、あの殺人鬼に殺されたのが彼女ではなく自分だったとしても。
彼女はその信念を曲げなかったのだろうか。
それはそれで彼女らしいと思いはすれど、少しだけ切ないと思うのはあたしのワガママなのだろうか。
- 3 名前:zo-san 投稿日:2005/02/12(土) 21:29
- そんな感傷に浸るばかり。もう動けない・・・死にそうだ。
・・・・本当にこの『賭け』に勝って。あたしは彼女の望むとおりに奴を罰する事が出来るのか。
あんまり膝が笑うから。あんまり腕の傷が痛むから。負けたら・・・死ぬだけ。それも悪くないと思えてくる。
「こんなんじゃ・・・怒られるよなぁ」
気を紛らわすのに吐いた恋人に向けた言葉も、気を奮い立たせたいが為の苦笑もあまり役に立たない。
足の進みは見る見る緩くなり、最後には止まった。
何故って、ここは袋小路。デットエンド。もう逃げ場は無い。
もう・・・30分ってとこだってのにな。
「残念。・・・ゲームオーバーだね。刑事さん」
そう背中から掛けられる声は、朗らかにさえ聞えた。
振り向けば、このばかげた『賭け』を持ちかけた奴が鈍い光を放つグロックをこちらに向けて対していた。
- 4 名前:zo-san 投稿日:2005/02/12(土) 21:29
- この一月の間。
悪い噂の耐えないあたしら警官の頂点に近い奴らが、面白いくらいに殺された。
その理由はわかっていた。某繁華街における違法な薬の売買に関する組織の一斉検挙。
上の奴らは自分の息の掛かる奴はするりと逃がし、代わりに全く関わりの無いアジア系マフィアの一団をスケープゴートにした。
踊らされた彼らは、腕利きのヒットマンを雇い警察に対し報復を始めた訳だ。
そして。殺し殺された彼らは、あたしらの知らない所で、勝手に和解する。
警察の上層部は彼らに新しい市場を提供し、マフィアは雇い入れたヒットマンの素性を警察に晒した。
そしてあたしら下っ端は仲間殺しのヒットマンを捕まえる為に何人もの命を失う。
ヒットマンは身を守る為にあたしの仲間を殺す。ただの殺人鬼と化して、彼女は仲間を殺し続ける。
噂の腕利き殺人鬼は、額に一発。もしくは心臓に一発と、即死に近い状態で仲間を殺していった。まるで機械の様に。
その腕に悪寒を覚えずには居られないが、仲間が苦しまないで死ねたのだろうと思えば救われる気がしないでもない。
ただ一人。
急所を外した3発の銃弾で死んだあたしの恋人だけは・・・死ぬほど苦しんだだろうけど。
彼女の遺体に逢ったのは、つい昨日の事だ。
彼女の穏やかな死に顔と反して、傷の状態からどれだけ辛い最後だったのか・・・痛い程に伝わってくる。
もし、奴を捕まえられたのなら。訊いて見たい。
・・・・どうしてお前は・・・彼女だけを・・・と・・・どうせなら苦しませないで欲しかったと。
- 5 名前:zo-san 投稿日:2005/02/12(土) 21:30
- −−−−−−今から、30時間ほど前だ。
あたしらが追い求めていた逃亡中の殺人鬼が、不意にあたしの前に姿をあらわしたのは。
「逆鬼ごっこしよ?刑事さんがあたしから逃げ切れたら、大人しく捕まってあげる。殺されてあげても良い。
その代わり・・・刑事さんが逃げられなかったら、あたしがあなたを殺す。どうかな?」
そしてこんな馬鹿げた『賭け』を持ちかけてきやがった。
数十人の同僚がそこかしこに居たはずだった。
周囲ではどんな小さな音も聞えなかった。何の無線も入らなかった。何も起きてはいないはずだった。
こいつを人気の無い寂びれた倉庫に誘い込んだのは、こっちの意図だったはずなのに、嵌められたのはあたしらの方。
後から聞いた話じゃ、周到に張り巡らされたトラップにやられたのが数人。
サイレンサー付きのこいつの銃で負傷し動けないものが数人。辛うじて死者は居なかったらしいが甚大な被害。
無事だった同僚達は、こいつがあたしと接触した事すら気がついていなかった。
それくらい彼女は突然に現れた。
「刑事さん達って、あたしから逢いに来てあげないと、中々見つけてくれないんだもん。
まして・・・・逮捕やら射殺しようなんて。ちょっと無理があるんじゃない?」
小馬鹿にした様子の口調に表情で、彼女は笑えない殺気を含んだ鋭い視線と黒光りするグロックをあたしに突きつけてそう言った。
「だから賭けしない? 刑事さんは逃げる。あたしが追っかける。都内24時間鬼ごっこなんてどうかなぁ?」
本能が生命の危険を察知して、身体中の皮膚を粟立たせる。
筋肉は緊張で強張って指先をほんの少し動かす事すらままならない。
- 6 名前:zo-san 投稿日:2005/02/12(土) 21:30
- けれど、あたしはたった1週間の間に、こいつに殺された同僚の死体をいくつも目にした。
そして恋人の、腕と足と腹部の銃創から大量に滴った血がこびりついた冷たい身体を目の当たりにした。
その時の衝撃と怒りが、ふつふつと身体を奮い起こさせて。
「・・・今まさに逮捕できる絶好の機会与えてくれちゃってんの、わかってねえだろ?」
そうしてやっと出た言葉がそれだった。
強がりでしかない事は百も承知。奴にもそれがあからさまに伝わっているのだろう。
その言葉に、くすりと笑みを湛えた。
奴は、銃さえ手にしていなければ・・・鼻筋の通った中世的な少女でしかないはずなのに。
圧倒的な力の差が対しただけで肌で感じる事が出来る独特の重さを持つ空気を纏っていた。
こいつは、あたしらなんかに捕まえる事は叶わない。そう誰かがあたしに伝えてきた。
- 7 名前:zo-san 投稿日:2005/02/12(土) 21:31
- 「ねぇ、二人っきりで遊ぼうよ。捕まえられなくても、たった一日あたしから逃げるくらいできるかもよ?」
「・・・ふざけんな。そんなのむざむざお前に逃がす時間与える様なもんだろ」
「その心配は無いよ。賭けの間は、居なくならないって約束する。ちゃんとあなたを追いかける。その点は信じてよ」
「お前の言葉なんか・・・信じられるかよ」
「・・・信じなくたって良いけどさ。刑事さん達今みたいな方法であたし捕まえようって考えてるなら。無理だよ。
あたしは捕まえられない。これからずっと刑事さん達の死体大量生産しちゃうよ?」
そう言って微笑んだ殺人鬼は、想像もつかない程に生身の人間だった。身震いするほどに。
事務的に仕事をこなす様に、ただ人の額に鉛の玉で穴をあけるだけの、
感情もくそもあったもんじゃない殺人マシーンか、野獣の様な奴を期待していたのに。
人であると認識した事が一層恐怖を煽った。
- 8 名前:zo-san 投稿日:2005/02/12(土) 21:31
- 「でも、あなた一人が頑張れば。これから増えるかも知れない仲間の死体。見なくて済む様になるかもよ?」
言い様の無い圧力に押し黙ってあたしの耳に、ふと周囲に配置していた同僚が、近づいてくる足音が流れ込んだ。
同じ様に足音を耳にした殺人鬼は、銃口をあたしから逸らして、黒のハーフトレンチコートを翻した。
「じゃ午前零時ゲームスタートって事で良いよね。スタートまで2時間。その間に逃げてよ」
肩越しにちらりとあたしを見やって、奴はそう言うと無防備な後姿を晒し歩き出した。
「あたしは、やるなんて言ってないだろっ!」
奴の視線が外れたおかげで強張りの解けたあたしの筋肉達が、一斉に動き出した。
胸に収めていたニューナンブを素早く取り出し、奴の背に向けた。
「『紗耶香』さん。恋人の最後知りたく無い? あたしに勝ったら教えてあげてもいいよ」
奴は振り返りもしないでそう言った。
あたしは当然の様に、その言葉に再び運動神経を奪われた。
背に引き金を引く事無く、そのまま奴を見送る事は、ゲームに乗ると・・・そう返事をしたも同じだった。
- 9 名前:zo-san 投稿日:2005/02/12(土) 21:32
- ゲームがスタートして1時間もしないうちに、奴がやはり一筋縄ではいかない殺人鬼なのだと身にしみて感じた。
どんな所に逃げようとも必ずあたしを見つけ出して、銃口を躊躇い無く向けた。そしてあたしは必死で奴を撒く。
見つけられては逃げて・・・その繰り返しで、ようやくついさっき23時間が過ぎた。
その間に身体を掠めて言った銃弾は2発。奴の腕なら明かに2回死んでるだろう。
奴はわざと外した。まるでこっちの恐怖を更に煽る様に、嘲る様に。
そして今が・・・・3回目。
前方1メートル。至近距離からの一発。
パシュとサイレンサー特有の発射音と同時にあたしの頬に鋭い痛みと鮮血の筋が走った。
「・・・マジ。終わり・・・みたいだな」
落書きだらけの袋小路を作るコンクリート壁に背を預けて、あたしはそのままずるずるとへたり込んだ。
絶望的な状態だった。追われるストレスに、負わされた傷に、身体も神経も言う事は聞かない。神頼みする事すら諦めるほど。
が、奴は披疲労困憊なあたしに向けたままだった銃を、引き金も引かずに降ろした。
すぐには殺さないって意思表示だと知り無意識に落胆した。
反撃する、生き残る機会が残ったと素直に喜べないのは、殺してくれと懇願したいほど軋む身体のせい。
・・・殺されたなら、今頃天国に居るだろう彼女に逢えるかもなんて情けない感情が膨れ上がっていたせいだ。
- 10 名前:zo-san 投稿日:2005/02/12(土) 21:32
- 絶望的な意思を乗せたあたしの長いため息の後、奴は無表情のままにあたしを見つめて。
「・・・死んだ・・・刑事さんの恋人の名前・・・なんて言うの?」
不意をついてこんな問いを投げてきた。
死期の迫る中、恋人を想わずには居られない自分の心を覗かれたのかと肩が震えた。
「・・・なんでお前に教える必要があるんだよ?」
表現の仕様がない程膨れ上がった怒りの感情で吐き気がした。
殺したお前に・・・教えなければならない彼女の名前なんて無い。
そう言い放つ事すら出来ない、爆発できない青白い怒り。
「・・・お願い・・・教えてよ。あの人に謝りたいんだ」
ふと、信じられない言葉と光景が目の前に突然展開される。
あたしの身体の爪の先まで満ちていた奴への怒りは・・・水溜りに投げ込まれた煙草の火の様に瞬殺された。
無表情の奴の頬には、一筋の水の流れが出来ていた。
頬をすーっと流れ落ちて、瞳から溢れた数滴の雫はアスファルトの地面に黒い染みを作る。
「あたしが死んだら・・・きっと地獄に落ちるだろうけどさ。
・・・ちょっと天国に寄ってあの人に謝るくらい、神様は許してくれるんじゃないかな」
そう噛み締める様に口にした奴を、雲の切れ間から不意に覗いた月の光が青白く照らし出した。
- 11 名前:zo-san 投稿日:2005/02/12(土) 21:33
- まるで月夜の魔法か?
あたしは、奴に見惚れたかも知れない。
一瞬前には、殺人鬼としか認識できなかった奴を。
冷たさを帯びた月の光は、何処かの教会で涙を流し続けている聖母マリア像さながらに、
神聖さを纏う聖なる者として・・・あたしの目に焼き付けてきた。
「あの人・・・殺気も無いままにあたしに銃口を向けてきた。悪い様にはしないから、自首しろって・・・さ」
口を開いた奴は、ガラガラと無表情の仮面を崩していった。
深い湖の様な・・・底の見えないほどの悲哀の表情を湛える奴を・・・美しいとさえ思った。
言葉を失ったままのあたしは、奴の言葉にただ耳を傾ける事にした。せざる得なかった。
◇
◇
◇
- 12 名前:zo-san 投稿日:2005/02/12(土) 21:33
- 廃墟となったビルの一室で、奴とあたしの恋人は対峙した。
馬鹿がつくくらい世の中のキレイゴトを信じて、正義を貫く性分のあたしの恋人は、
既に射殺命令が出ていた奴に、自首するよう説得を始めたらしい。
「悪い様にはしないから、自首しなさい」
撃つ気など全く無いままに、あからさまに威嚇の為だけに銃口を奴に向けて。
「自首?・・・あたしを射殺しないといけないんでしょ? そんな事されたら色々困るくせに」
同じ様に、けれど奴の方は当然引き金を引くつもりで恋人に標準を合わせて。
「あたしは・・・射殺なんてしたくない。紛れもなくあんたは殺人犯で、これまでの罪を償うのは当然だと思う。
けどそれは射殺でなくて良いはずよ。それに弁明の余地なしに殺すのは性分じゃない」
「だから大人しく捕まれって? そんな甘い事言って手錠をかけたら、あたしの頭を吹っ飛ばすんでしょ?
・・・刑事さんにはその気が無くても。きっとあなたの同僚はそうするに決まってる」
◇
◇
◇
- 13 名前:zo-san 投稿日:2005/02/12(土) 21:33
-
・・・全く奴の言う通りだ。
奴への射殺命令は、殺さなければこちらがやられる凶悪犯だからと言うよりは、
この犯罪自体をもみ消したいって意図からくるものだった。
たとえ恋人が奴に手錠をかけたとして、おそらくその数分後には無抵抗の奴は誰かの銃弾で殺されていただろう。
それが判らない恋人ではないはずだ。なのになぜ、そんな事をしたのだろう。
ただの正義感からだけではないはずだ。
問いたい事は山ほどあった。けれどあたしにその間を与えない。奴の話は終わらない。
◇
◇
◇
- 14 名前:zo-san 投稿日:2005/02/12(土) 21:34
- 奴の言葉に、恋人は銃口を奴から外した。拳銃を床に放り投げたのだと言う。
「あんたを・・・殺したくないの。自首するなら、あたしがあんたを全力で守るから」
「悪い話じゃない気もするけど・・・刑事さんがあたしを守れるほど強そうには見えないな」
「そうかもね・・・ならこう言うのはどう?」
恋人は両手を上げて、攻撃の意図はないとそんな仕草。それから、奴に自分の上着の内ポケットを見ろと言った。
奴には、それが何か企んでいる様子には見えず・・・彼女の言う通りに上着の内ポケットをまさぐった。
いつもそうしていた様に・・・無視して彼女を殺して逃げてしまえば良い所を奴は、その言葉通りに。
恋人の上着から出てきたのは、偽造パスポートと国外線の航空チケット。
「それ・・・あげるから」
「・・・何? これ・・・」
「逃げて・・・見逃すから。その代わり、もう人殺しなんてしないって約束して」
「刑事さん?・・・何言ってんの? 気でも狂った?」
「・・・お願いだから言う通りにして」
◇
◇
◇
- 15 名前:zo-san 投稿日:2005/02/12(土) 21:34
- 本当に。恋人は・・・そんな事を言ったのか?
なぜ。そんなにこいつの肩を持つ様な言葉を行動を・・・? この凶悪犯に? 殺人鬼に?
「・・・あの人が・・・そう言ってすぐだったよ。他の刑事がそこへ乗り込んできて。
あの人の背中から・・・銃を使ってきた。飛んできた弾丸は・・・あたしに届かないで、あの人の足と腕に当たった」
・・・呼吸をするのも忘れた。
それほどに奴の話は・・・衝撃的で・・・嘘では無い様に感じられた。
「・・・なん・・だって?」
「咄嗟に・・・あたしは、倒れそうになったあの人を受け止めた。そしたらその後もう一発。
入ってきた警官は、あの人の背中を撃ってきた。なんか・・・やたらとムカついて・・・あたしはそいつを殺した」
確かに、恋人の死体は背中から撃たれていた形跡があった。だから余計奴を憎く思ったりもした。
弾は貫通していたし、仲間の証言から奴が撃ったのだと確認できていたから・・・彼女は検死される必要もなかったのだ。
・・・殺し方が違う・・・そんなのはわかっていた。けれど、目の前にいる奴が殺したのだと信じて疑わなかったのに。
こいつの言葉を信じるなら。
あたしの恋人は、こいつなんかじゃなく・・・同僚に・・・仲間に殺されたのか?
「『殺すなって言ったでしょ』って、あの人は言った。自分が撃たれちゃってんのに何言ってんのって・・・そう思った。
その上さ・・・あの人笑ってたんだ。どうしてって聞いたら、あたしが・・・自分を抱きとめてくれて心配そうな顔してるからって、言うんだ」
- 16 名前:zo-san 投稿日:2005/02/12(土) 21:35
- その時の事を、奴は思い出しているのだろうか。
止め処ない涙が奴の瞳から溢れすぎるほど溢れて・・・悲痛な表情を浮かべていた。
こんな顔をする人間がビジネスで簡単に人を殺すのかと、戸惑いを覚えるほどに。
「『真希は変わってないね。優しい子だったもんね』って・・・言った。
『真希』なんて名前・・・・もうずっと使ってないのに。なんで知ってるのか・・・わかんないけど・・・けど」
すごく・・・懐かしい気がして・・・すごく嬉しかったんだ。
そう言うと奴は・・・真希は、手からグロックを落とし、崩れる様にして地面に膝をついた。
「ごめんなさい。・・・もっと。話したかったんだ・・・もっと・・・あの人の傍に居てみたかったんだ。
そしたら・・・あたしは、人を殺すのをなんとも思わない獣から・・・人間に戻れる気がしたんだ。
魔法で姿を変えられた童話の主人公みたいに・・・魔法が解けて・・・人に戻れるんじゃないかって・・・」
真希の掠れた声は、悲痛すぎてこっちの胸まで切りつけられる様に痛む。
「だからあたしは・・・・あの人の声を最後まで聞いていたくて。苦しんでるあの人に止めを刺してあげる事も、
病院に連れて行くことも出来なかった。あたしのせいで・・・・あの人はすごく苦しんで死んでいったんだ。謝らな・・・きゃ」
言い終わるや否や、真希は唸る様な声をあげて庇う仕草で腹部に手を置くと、地べたに転がった。
「おいっ!! お前なんだってんだっ?」
真希を抱き起こすとコートが肌蹴た。包帯で無造作にぐるぐる巻きにされた腹部は真っ赤に染まっていた。
・・・いつからこいつはこんな負傷してたんだ?この大怪我のままあたしを追っていたのか?
- 17 名前:zo-san 投稿日:2005/02/12(土) 21:35
- 暗くて気がつかなかったが、傍で見れば奴の黒革のパンツは血で広範囲に濡れていた。
酷い出血量。この身体で丸一日あたしを追いかけていたなんて信じられない事だった。
「お前・・・どこでこんな怪我・・・」
「あの人の・・・身体を貫通した最後の一発・・・それが・・・あたしのここに留まってるから」
恋人を通り抜けた弾丸は・・・こいつにも致命傷を与えていたのか。
こんなに酷い傷を治療もしないまま、自殺行為にも似たこんなゲームを?
「馬鹿っ・・・あたしとゲームしたかったなら、治療くらいしてきやがれっ! 闇でどこでもあんだろうがっ!」
衝動的に怒鳴り声をあげた。
こんな傷、自業自得だ。死ぬのは当然くらいにしか思ってなかった殺人鬼。
それでも・・・命を粗末にする様なこの行為に、無性に腹が立った。
「立て。近くに知ってる闇医者が居る・・・連れてってやるから・・・」
・・・それも、どう言う理由かしれないが、恋人が救おうとした命だ。
いずれ死んでしまうのにしたって・・・放っては置けなかった。
「・・・行かない」
真希は、あたしの言葉を身体全体で拒んだ。
こいつを助けようなんて思った自分も大概馬鹿だ。
けれど、この傷を放っておこうとするこいつも・・・かなりいかれてる。死にたいのか?こいつは。
「・・・どうしてだよ」
「だって、あたしには、これしかあの人とのつながり・・・ないじゃん。
同じ弾で死ねるなら・・・それだけで嬉しい。だからこのままで良い」
そう言って、真希は嬉しそうに、笑った。
- 18 名前:zo-san 投稿日:2005/02/12(土) 21:36
- マジで・・・壊れてる。こいつ。そんな言葉しか思い浮かばなかった。
どうしてこいつは・・・ここに来てあたしの恋人に執着するのか。
どうして・・・恋人は・・・こいつを知っていたのか・・・助けようと・・・したのか。
「お前は・・・知り合いだったのか? 圭ちゃんと」
あたしが、ふと口にしてしまった恋人の名前に気がついたからか。
真希は、まるで天使の様に無垢な微笑を湛えて、あたしを見つめた。
「・・・圭ちゃんって言うんだ」
「ん?・・・あぁ・・まぁな」
「名前聞いたら・・・判るかと思ったけど・・思い出せない・・・ね。
どこかで逢ってるのかも知れないけど・・・小さい頃の記憶って全然ないから。あたし」
この仕事について、そう言う犯人と何人か出逢った事がある。
いずれも人を殺す事を生業とする人間だった。
そいつらは皆、どっかで拉致られて・・・並外れた運動能力を見出された者は組織に売られ・・・。
洗脳紛いに頭をいじられているのか・・・幼い頃の記憶がない。
こいつもその一人か。闇で商品として育てられた典型的な殺戮のスペシャリスト。
- 19 名前:zo-san 投稿日:2005/02/12(土) 21:36
- 身体をばらばらにされて売られるよりは、はるかにマシかもしれないけれど・・・。
『普通』を知らずに、何も感じずに人を殺す事だけの為に生きていた。それしか生きる術を知らない子供。
そう思うと・・・こいつに同情・・・したくなってくる。こいつに殺された人間には、申し訳ないかもしれないが。
多分・・圭ちゃんに逢ったのは・・・まだ、真希がそうなる前だったのだろう。
・・・幼馴染・・・とかそう言う類の知り合いだったのだろうか。
「あ・・・そうだ。届け物・・・一番重要な事、忘れる所だったよ」
押し黙っていたあたしに、真希は苦笑交じりにそう言うと地面に手をついて覚束無い様子で身体を起こした。
不意に顔を寄せてきて・・・真希は、事もあろうに・・・あたしの唇に触れてきた。
あまりの驚きに目を開いて・・・真希を見つめた。
「・・・『愛してる』ってさ。・・・圭ちゃんが『紗耶香』に伝えてって」
身体を支えていた真希の腕ががくんと折れた。
あたしの腕から滑り落ちそうになるその身体を抱き寄せて、あたしは問う。
「お前、まさか・・・これの為に・・・こんな賭けなんて・・・言い出したんじゃ・・・」
「そうだよ・・・二人っきりにならないとこんな荷物届けられないからね。
・・・この傷じゃ長く持たないし・・・刑事さんと話をする前に射殺されちゃうかも知れなかったしさ」
口の端を小さく上げた真希の息が、次第に細く浅くなっていく。
・・・多分、もうすぐ・・・これは止まる。それが判った。
- 20 名前:zo-san 投稿日:2005/02/12(土) 21:37
- 「ふざけんな。これが目的なら・・・あたしが一日必死で逃げるなんてイベント必要なかったじゃねーかよ」
「けどさ・・・圭ちゃんの恋人の事・・・少しでも知りたかったんだよね。なんか。
・・・それに羨ましかったからさ・・・・少しくらい苛めてもいいかなって思ったんだ」
子供が悪戯を見つかった時の様な、にやけた笑みを浮かべる真希は・・・その辺にいる子供と変わらない。
「紗耶香・・・さん・・・ごめんね。大切な人の最後の時間・・・あたしなんかが貰っちゃって・・・さ」
それが、わざわざあたしに逢いにやってきた殺人鬼の・・・真希の最後の言葉だった。
真希の腕にはめられた腕時計から、午前零時を知らせるアラームが鳴り響く中。
あたしは、急速に冷たくなっていく真希の身体を抱いていた。
「・・・くそ。人殺しが良い顔して死んでんじゃねぇよ」
言葉とは裏腹に、心は透明で・・・憎悪のかけらも真希には向けられなかった。
恋人を殺したのが彼女でなくとも。仲の良かった仲間の何人かはこいつに殺された。
- 21 名前:zo-san 投稿日:2005/02/12(土) 21:37
- けれど・・・真希の微笑を浮かべ眠る様な顔を見ていると、胸が締め付けられた。
ただ哀しかった。それだけの感情しか湧かない。
・・・真希が言った通りかもしれない。
悪い魔法使いに獣にされていた真希は・・・圭ちゃんと出逢って・・・魔法が解けたのだ。
そして、眠る様に穏やかに・・・人として・・・息を引き取ったのだ。
気がつけば。あたしは誰の為にかも判らない涙をはらはらと流していた。
圭ちゃんは、あたしにも魔法をかけていったのかもしれない。
今のあたしは・・・罪を憎んで人を憎まず。なんてキレイゴトをすんなりと受け入れられる。
真希を見ていて・・・恋人に魔法を解かれた真希をみて。そう思ったのだ。
◇
◇
◇
- 22 名前:zo-san 投稿日:2005/02/12(土) 21:37
- あたしは、首が曲がるくらい酷く上司を殴って警察を辞めた。
恋人を殺した仲間の銃弾は、故意に彼女に放たれた事が判った。
理由は命令違反。犯人を射殺しないばかりか、逃亡を唆したからだと言う。
そして、それを真希のせいにしたのは、彼女の名誉の為だと、上は言い放った。
殉職して2階級特進。その方が世間に見目も良いだろうってな。
・・・なんて最低な世の中なんだろう。
彼女は・・・命を賭して・・・野獣を殺人鬼を、人間に戻す事に成功したってのに。
・・・あたしのいる社会じゃこんな扱いでしか無い訳か。
仕事を失くし、時間の有り余ったあたしは、二人がいつどこで接触していたのか気になって・・・調べた。
圭ちゃんの事を・・・真希の事を・・・偲びたかったのかもしれない。
その答えを見つけるには時間がかかるだろうと踏んでいたが、案外簡単に調べる事が出来た。
圭ちゃんは、小さな養護施設の出身だった。
今もその養護施設は存在していて、圭ちゃんが居た頃の園長も高齢ではあるけれど今だ存命。
子供が沢山集まる場所だ。ここで話を聞いたならもしかして・・・そう思った。
- 23 名前:zo-san 投稿日:2005/02/12(土) 21:37
- その読みは、正解だった。
圭ちゃんがここに居た当時、『真希』と言う子供は居なかったか?そう園長に尋ねると、
真っ白い髪をした彼女は、辛そうな表情を作って昔行方不明になった子がそう言う名前だったと答えた。
外で何人かの子供が遊んでいる中、彼女だけが忽然と姿を消したのだそうだ。
園の人間や近所の人も手伝って探したが見つからず、警察にも届けたのだが、結局彼女は見つからなかったのだと言う。
月日が経ち、皆が真希の発見を諦めている中、最後まで諦めず、ずっと探し続けて、
それも・・・消えた真希を見つけたいが為に警官にまでなった少女が居た。
・・・それが圭ちゃんだった。
二人は、まるで姉妹の様にとても仲が良かったのだと言う。
元々圭ちゃんは小さい子の面倒を良くみる子で、将来は保母さんになりたいというくらい、子供好きの子だった。
真希が、この園に新しく入ってきた時も、誰にも懐かない真希を率先して面倒見ていたのは圭ちゃんで、
そのせいか真希は圭ちゃんにだけは良く懐いていて、いつも彼女の後ろを追う様になっていたし、
圭ちゃんもどこへ行くにも真希を連れ立って・・・とにかく二人はいつも一緒に居た様だ。
真希は、圭ちゃんに絵本を読んでもらうのが好きだった。
それも何でも言いという訳では無い様で「白鳥の湖」や「美女と野獣」「かえるの王子」と。
人間が悪い魔法使いに動物にされるも、深く愛する物の手によって魔法が解ける。そんな物語を好んでいた。
子供心に、姿に惑わされる事ない真実の愛なんて物に、真希は憧れていたのかも知れない。
- 24 名前:zo-san 投稿日:2005/02/12(土) 21:38
-
「けーちゃん。もしもあたしが悪い魔法使いに動物にされたら助けてくれるー?」
「うんっ。絶対助けてあげる。約束する」
そんな会話を良く二人はしていたと、園長は頬を緩めて懐かしそうに口にした。
真希があの時、あんな喩えを口にしたのは・・・この記憶のせいだったんだと・・・切なさで胸が痛んだ。
そして、幼い時のつたない約束をしっかり守っていなくなった圭ちゃんが、らしすぎて・・・涙が溢れた。
急に涙目になったあたしに、園長は「どうしました?」と心配そうな顔を向ける。
なんでもないです。そう呟き返してから、あたしは頭を下げ、彼女に帰る事を伝えた。
「あの・・・圭・・・さんは、ちゃんと・・・真希さんの事見つけましたから」
帰り際。園長にはその事実だけは伝えたいと思った。
二人の話をする園長の表情は、親が子供の話をする時の様に幸せそうで暖かくて。
どれだけこの人が、二人を愛していたのか・・・それが伝わってきたから。
「・・・理由があって・・・ここには来れないと思うけど。二人一緒に仲良くやってます」
さすがにその二人はもうこの世には居ません。なんて園長には言えなかった。
嬉しそうに顔を綻ばせた園長の顔に、やるせない気持ちにならなかったかと言えば嘘になる。
それでも・・・伝えて良かったのだと。そう思う事にした。
- 25 名前:zo-san 投稿日:2005/02/12(土) 21:38
- 建物を出ると、早春の柔らかい日差し。
自然に目を細めて、貫ける様な蒼い空を仰ぎ見た。
もしも。
真希が居なくなったりせずに、圭ちゃんとずっと一緒に居たのなら。
圭ちゃんは・・・彼女は、あたしを好きになってくれただろうか。
いや・・・それ以前の問題か。
もし真希が居なくなったりしなければ、圭ちゃんは警官になろうとはしなかったのだろうから。
多分、あたしは圭ちゃんに出逢うことすら無かったんだ。
もしもなんて・・・圭ちゃんが居ない今更に考えるのは・・・馬鹿げている。
あたしは、彼女を愛していたし彼女だって・・・そうだった。疑う余地なんて無いくらいに。
けれど、やはり引っかかる。
二人の痛々しい程純粋な絆を見せ付けられて。
自分が知る事はない、二人が再会した死の間際の濃密な時を思い浮かべて。
「ぁあーーーーあっ!!ちくしょーっ!なんか・・・妬けんじゃんかよぉっ!!」
飛行機雲すらない晴天の空に向かって不自然なくらい大きな声で叫ぶと。
・・・なぜだか天国で二人が仲良く一緒に居る・・・そんなビジョンが鮮明に頭に浮かんだ。
「仲良くたって良いけど・・・天国であいつと浮気ってたら怒るからなぁ。圭ちゃん」
あたしは、小さいため息と苦笑と共に、そうひとりごちた。
空に居るだろう二人が幸せである様に祈りながら。
あたしは・・・これからも生きていく。
- 26 名前:zo-san 投稿日:2005/02/12(土) 21:39
-
−−−−−Like a fairy tale−−−−
END
- 27 名前:zo-san 投稿日:2005/02/12(土) 21:41
-
実は・・・オムニバス投稿用に書き始めたのですが。
テーマから逸れて、その上長くなってしまったので普通に短編としてUPです。
スレの容量が余ったので、埋まるまで幾つか短編を書いていこうかと思ってます。
・・・が不定期です。_(_^_)_
- 28 名前:zo-san 投稿日:2005/02/12(土) 21:50
-
・・・スレ流しっす。
- 29 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/13(日) 02:05
- 悲しいけどなんか暖かく感じます。
二人が天国で幸せになってることを願わずにはいられないのれす・・・(T▽T)
- 30 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/13(日) 04:44
- 確かに悲しかったけれど、三人のやさしさが伝わってきて心地よかったです。
- 31 名前:zo-san 投稿日:2005/03/16(水) 12:00
- やすごまアンリアルっす。
3回くらいの連載で終了する短編の予定です。
- 32 名前:Phantom 投稿日:2005/03/16(水) 12:01
- 『ジャズ、フュージョン、ブルース、ラテン、アコースティック系等の
バンドを広く募集中です。お気軽にお問合せください』
そんな張り紙や、少し名の売れたバンドやJazzピアニストのライブのチラシが壁一面に張ってある様な、小規模のJazz&liveを売りにしたBAR「Phantom」
つい2時間ほど前までは、ジャズやブルースを中心のライブ演奏が行われていた為に、店の席の大半を埋めるくらいの客で賑わっていたが、今は閉店時間を過ぎ、客はカウンターの2人だけ。
カウンターの客、一人はつい先ほどライブをしていたバンドのヴォーカルの女性。
彼女は、今時とも言うべき真空管を使用したオーディオで静々と奏でる心地良いノイズを含めた「Waltz in November Woods」をBGMに、アーリーのロックを口に運んでいた。
そろそろ、店を閉めたい・・・と、そう言う顔をしたマスターをカウンター越しに見て取った彼女は、
グラスに残った琥珀色の液体の残りを煽る。
「マスター、ご馳走様」
財布から千円札を一枚、空のグラスの下に挟めて。
当然彼女は店を出るつもりで、腰をあげたのだが・・・その動きをマスターに止められる。
「おーい。圭・・・その連れ置いてくのか?」
さも迷惑そうなマスターの声に、圭と呼ばれた彼女は、肩を竦めた。
「そう言われても・・・この人、あたしの連れじゃないし」
圭の隣には二十歳半ばだろう女性が・・・アルコールのせいか単純に深夜である為なのか・・・カウンターテーブルに顔を突っ伏してすやすやと眠っていた。
- 33 名前:Phantom 投稿日:2005/03/16(水) 12:04
- 眠る彼女は、圭達のバンドの演奏中にふらっと店に入ってきた客。
一晩三回行うステージのラストが終わり、裏で仲間の機材の片づけを手伝い終わった圭に、突然に声をかけてきた。
「おねーさんって、綺麗な声だね。高音の延びる所とか・・・好きだなぁ」
にっと口の端を大きく左右に引いて彼女は圭にそう言った。
明らかに年上だろう彼女に『おねーさん』等と呼ばれた二十歳そこそこの圭は苦笑しながら『ありがとうございます』そう答えた。
答えながら圭は、はて?と眉を顰めた。
自分の知り合いに、声をかけてきた彼女が非常に良く似ていたからだ。
「あの・・・もしかして『真希』って子、ご存知ありませんか?」
圭は顎の辺りに手を置き考える様な仕草をすると、ふいに彼女にこう問いかけた。
『真希』と言うのは、その名前と15歳と言う年齢以外、全く身元不明の、圭の家に居候している少女の事だった。
別に記憶喪失とか言うドラマチックな理由で判らないのでは無く、本人が頑としてそれ以上の事を教えないだけ。単なる家出少女らしかった。
今時家出少女などそんなに珍しいモノでもないし、本人はどうしても帰りたくは無いらしい。真希が帰りたくないのなら、数日預かるくらい構わない・・・と、圭も初めは軽く考えていた。
が、1週間2週間経っても、真希は一向に家へ帰ろうとはしなかったから、圭は焦った。
まだ大人とは言いがたい年齢の娘が2週間も居なくなれば当然両親は心配しているだろうと考えるのが当然で、圭は、警察に届けるかどうかして親元へ送り返すのが正解なのではないか?と思い始めた。
しかし、圭がそう思い始めた矢先、真希は圭の家から不意に居なくなった。
飽きて帰ったのかと思っていたら、数日して真希は申し訳なさ気な顔を持って、またふらりと圭の元へ帰ってきた。
家に帰っていたのかと訊けば、違うと首を振る。
なんで戻ってきた?と問えば、行く所が無い。と悲しげな顔をする。
じゃあ、どうして居なくなったのか?と訊ねれば、迷惑みたいだったから。と目尻に涙を溜めた。
結局・・・圭は、そんな様子の少女を放る事はできなかった。
そんな理由で、この家出少女を警察に届けるべきでは?と言う圭の常識的考えは案外簡単になりを潜めた。
気がつけば、真希が圭の家に居就いて半年以上経っていて、真希が居る生活こそが圭の日常になっていた。
- 34 名前:Phantom 投稿日:2005/03/16(水) 12:05
- それでも・・・やはり何処かで真希を親元へ返す方が彼女の為だと思ってもいて。
圭は、何かにつけて知人にも広く真希を紹介し、いつでも情報を求める事は忘れなかった。
とにかく、圭に声をかけてきた彼女の面差しはとても良く似ていた。
・・・他人とは思えないほど、知り合いに・・・『真希』に似ていたのだ。
『真希』は肩につかない位の髪をこれでもかと金髪にした、まだ幼さの残るあどけない少女で、声をかけてきた彼女は背中に届くほどの長めの髪に僅かに茶系の色をつけた、すっかり大人の顔をした背の高い美人。
そんな違いはあるのだけれど、何と言うのか丁度10年もしたら真希はこうなるだろうと、そう言う種の未来予想図が目の前にある。
そう思えるほどに良く似ていた・・・他人と考える事が不自然であるほどに。
「真希・・・って?」
彼女は顔色も変えずに、圭にそう問い返してきた。
やっぱり・・・知らないのか・・・身内ではないのか。圭は落胆のため息をついた。
「知り合いの真希・・・って15歳くらいの女の子なんですけど。
あなたがその子に良く似ていらしたから、もしかしてお姉さんなのかなって・・・思って」
・・・知らなかったら良いんです。
圭が言葉を濁してその場を去ろうとすると、彼女はそっと圭の腕を掴んで。
「聞かせて欲しいな。真希ちゃんの事。あたしに似てるんでしょ? どんな子?」
「いや?・・・知らない子の話を聞いてもつまらないと思いますけど・・・」
困惑した様子で圭がそう言うと、彼女はくすりと笑みを零した。
- 35 名前:Phantom 投稿日:2005/03/16(水) 12:07
- 「圭ちゃん鈍いなぁ・・・ナンパしてるんだよ?」
「・・・は?」
「だから、ナンパしてます。時間があるなら一緒に飲みませんか?」
一杯くらい奢りますよ。良い歌を聴かせて貰ったお礼に。
そう言った彼女の口を引き結ぶ様な笑みの作り方すら、真希にそっくりだった。
本当に身内でもなんでも無いのか不思議でならない。と圭は心の中、密に首を捻る。
初対面の人間、それもナンパと称する誘い方をする人間(ついでに同性)の言葉に乗る事など普段はありえない圭なのだが、彼女の面差しが真希に似すぎている、それが圭の好奇心を刺激したのか、数秒後には彼女に肯定の返事を返していた。
二人とも同じくアーリーのダブルをロックで頼んでちびちびとそれを口に含みつつ、それなりの会話を楽しんだ。
思った以上に彼女との会話は弾み、圭は早々に警戒心を解き・・・いや元々持ち合わせていなかったのかもしれないが・・・思った以上に打ち解けた。
「圭ちゃんは・・・ほんとに歌うの好きなんだね」
今日歌った曲を話題にしていた時だった。
ふと彼女は圭に、呆れた風の、それでいて少しだけ棘のある言い方をした。
「好きですよ。歌えなくなったら死ぬかもしれない」
「えぇー、言いすぎじゃないの?」
苦笑交じりに、やはり呆れた様子で彼女は答える。
「将来的には・・・そう振り返る事もあるかもしれませんけどね。今はそうでもない」
なんてオーバーな、ばかげた事を。
そう。今の気持ちを、若気の・・・と、いつかは思うかもしれない、と圭も思う。
けれど今は、間違いようも無く、本音でしかない言葉だった。
自分に歌が無ければ生きている意味が無いとさえ思う。
- 36 名前:Phantom 投稿日:2005/03/16(水) 12:09
- 歌だけで生きていきたくて、高校を中退し家を飛び出した。
あてがあった訳でもないけれど、ファーストフードでバイトをしながらボイストレーニングを受けて、小さなJazzBarで週に数回歌を歌う、まがりなりにも自分の声で稼げるバイトを手に入れるまで1年。
しばらくそうして暮らしていると、不特定多数のJazzバンドから、歌物をやるからボーカルが必要なんだと、助っ人として呼ばれては、数曲歌う。そんな仕事が加わった。
それは、特定のバンドに席を置くと言うのではなく、つまりはピンチヒッターと言う色が強い助っ人だったけれど、歌えるのなら何でも良いと、ギャラが無くとも呼ばれれば参加した。
そうして経験をつんで、ついには、今日一緒にライブをしたバンドの専属のヴォーカリストと言う地位を得る事が出来た。
一応はプロで(自分がそう思っているだけかも知れないが)、自分でチケットを売って得る収入以外に、演奏する場所によっては出演料も発生する、そう言う立場まで登りつめた。
と言いながらも・・・JassBarのバイトを今だ掛け持たなければ生活できないのは、以前と変らずで、けれど前よりずっと生活費の出所の比重が自分の声に寄ってきていると言う実感が得られるのは、圭にとってこれ以上に無いほどの幸せだった。
何にしても全ては始まったばかりで、それを失う事など思いもしていない。
好きな事で食べていく、生きてくと決めた自分の本音はそれでしかない。と圭は思う。
「・・・じゃ、将来はそう思ってないかもって事?」
「さぁ。考えた事無いですからね」
「ふーん。それじゃ、例えばさ。こんなのどう?
歌を続けていたら、すっごく愛してる人と居られなくなるとしたら? その時は圭ちゃんはどっちを取る?」
- 37 名前:Phantom 投稿日:2005/03/16(水) 12:11
- ・・・なんだろう?
歌が一番じゃない。と、自分に言わせたいのか彼女は・・・と圭は渋顔を作る。
「・・・歌を取りますよ。あたしからそれとったら、それ以外なんにも残らないから」
「・・・・ん。やっぱ・・・・・・そうなんだね。わかった」
諦めた様なため息をついたかと思うと、彼女はグラスに残ったアーリーを一気に煽った。
途端、グラスを端に寄せてカウンターテーブルにふて寝する様に突っ伏した。
「・・・ちょ・・・と・・・?」
面食らって言葉がそれくらいしか出てこなかった。
圭が、はたと彼女の身体を揺さぶってみるも、たぬき寝入り・・・とは思えないほど彼女の反応は無い。
「・・・なんだ。それ?」
そう・・・ため息をついたのは圭だけではなく。
もうとっくに閉店の時間を過ぎているのに客が寝入ってしまったのでは・・・と、カウンターの奥に居るマスターも一緒に深いため息をつかざる得なかった。
- 38 名前:Phantom 投稿日:2005/03/16(水) 12:12
- 「なぁ、今さっき話してた相手だろう? 頼むから連れて帰ってくれよ。男なら放っておいても良いが、綺麗なお嬢さんじゃ、俺も対応に困る」
自分のグラスを開けて帰ろうとする圭に、初老のマスターは懇願を示す。
「・・・って言ったって、あたしだって困るよ。この人初対面だよ?名前も知らないしさ。それに酔っ払い連れて帰るタクシー代なんか無いよ」
自転車で30分の所、遠くは無いが、眠った酔っ払いなんか持って歩く距離じゃない。
と言ってタクシーを使うには・・・今日の圭の財布は軽すぎた。
「お前は、前にも名前も知らないガキ拾ってったろ? それを、初対面だから? ってそりゃ今更だ。タクシー代は俺が出してやるから、それ持って帰ってくれ」
そう言いながら、カウンターから出てきたマスターは、圭がカウンターに置いた千円に枚数をプラスして手渡した。
「ちゃんとタクシーも呼んでやるし、お前の自転車は大事に保管しておくから。な?頼むよ。 店のお客さんの保護を頼むのは、お前の人柄を信用してだ」
普段さり気なく世話になっているマスターにそこまで言われたら断れない。
そんなお人好しな人柄を見抜かれている圭は、結局タクシーで『それ』を文字通り持って帰る事になった。
3階建ての古いアパートの2階、ユニットバスつきの1K。それが圭の住処だった。
角部屋なので他の部屋よりは幾分広いらしいこの部屋は、一人で暮らすには十分で。
けれど・・・真希が来てからはやはり手狭、プラス今日はこの引きずる様な大荷物。
「・・・あたし今日どこで寝るんだろ」
圭は、彼女に出逢ってから何度ついたか知れないため息と共に独り言を吐く。
部屋のドアを開けて、玄関のつもりのスペースに上がり込むと、ようやく大荷物が自分の意思で足を地に付けた。
- 39 名前:Phantom 投稿日:2005/03/16(水) 12:13
- 「あれ・・・ここって・・・」
ぬぼーっと立ち尽くしたまま、頭をわしわしとかいた彼女は不思議そうに圭に視線を送る。
「ここ、あたしの家。お姉さんが、いきなり爆睡したんでマスターに持ってけって言われたの」
「・・・ふーん。そっか。圭ちゃんに持ち帰られちゃったんだね」
覚醒するなり楽しげにそう言った彼女は、靴を脱いで部屋の奥へと歩いていく。
・・・・持ち帰りたくて持ち帰ったんじゃない。当然圭は、むっとして。
「あの・・・起きたんなら、帰ってもらえます? この狭さで同居人も居るんで・・・」
圭がそう言いながら、ふと辺りを見回すと・・・居るべき人影が無い事に気がついた。
「あれ。おーい、真希?・・・居ないのー?」
狭い家だ。いなければ普通直ぐにはわかるのだけれども・・・。
居ないと思っていたら、突然乾いた洗濯物の塊の下から、もさっと出てきた。とか。
クローゼットの中を整理していてそのまま眠っていたり、トイレで寝ていたり・・・。
とかく、真希はそう言う前例が多々あるので、圭はとりあえず周囲を探しながら真希を呼んでみる。
時々ふらっと居なくなるので、真希が居ないのは珍しい事じゃない。
ただ今日は部屋の電気はついていたから、てっきり居るものとばかり思っていたのに。
と・・・圭は何となく残念な気持ちになる。
「さっき言ってた真希ちゃんって、圭ちゃんと一緒に暮らしてるの?」
圭が部屋を見渡している間に、圭が持ち帰った彼女は、ちゃっかりとパイプベッドの端に席を作っていた。
「・・・まぁ・・・成り行きで仕方無しに」
帰る気が全く無いらしい彼女に、圭は諦め顔で答える。
- 40 名前:Phantom 投稿日:2005/03/16(水) 12:15
- 「どんな成り行きー?」
「真希は・・・さっきの店の前で、ただ何時間もしゃがんでたんですよ。捨て犬か猫かなんかみたいにしてね。あなたをここに連れて来た経緯同様、真希もあそこのマスターに言われて一晩保護するだけのつもりだったんです」
興味津々で問うてくる彼女に、首を傾げつつも圭は真希がここへ来た成り行きを説明した。
「で? 結局その真希ちゃんはここに居座ってるって事?」
「そうですね。居座ってると言うか、居ついちゃったって言うか・・・通いの野良猫みたいなもんですよ。時々ふらっと居なくなるし・・・食べ物が無ければ勝手に餌取って来てるみたいだし・・・」
自宅だと言うのに、自分だけ立っているのもなんだか頂けないと、彼女の隣に圭は腰を下ろして話を続ける。
「たまに・・・食事も作ってくれるし洗濯機も回してくれる・・・変な猫ですけどね」
じーっと圭の顔を見て話を聞いていた彼女は、思いついた様に口を開く。
「あれ? 彼女じゃないの?」
「・・・違いますけど」
「じゃ、手は出してないんだ」
面白がっている風な彼女の問い掛けに、圭はウンザリと言う表情を作り上げ髪をかきあげる。
「あの・・・真希は15歳ですよ? 和姦でも捕まっちゃいますよ」
「へー。15じゃなかったら手出す気満々?」
「・・・・・・・・・手出そうなんて考えた事も無いです」
そう問われると、確かにそう取られる様な言い回しをしたかもしれないと、圭は言い直した。
- 41 名前:Phantom 投稿日:2005/03/16(水) 12:16
- 「そう言う気が無いのに一緒に住んでるの?」
「そう言う気が無きゃ、駄目なんですか?」
「やぁ? 駄目じゃないけどさ。色々面倒だよねぇ」
「・・・何がですか?」
んー。と彼女は小首を傾げて言葉を探すそぶりを見せて。
「その子が恋人じゃないなら、どうやって処理すんの?」
「・・・・・・・・・・・はい?」
しょ・・処理って??と頭を疑問符で一杯にしている圭に。
「だって、その子居たら恋人連れ込めないよねぇ? どーしてるの?」
彼女の意図する所が見えて、圭はがっくりと肩を落とす。
「あ・・の・・・連れ込む恋人なんか居ませんし、それに、無理に処理したいほど、そう言う欲求溜まってませんから余計な心配しないで下さい」
「・・・え? 圭ちゃん、恋人いないの?」
圭の言葉に意外だと言わんばかりに目を見開き驚く彼女に・・・。
「・・・いませんよ。悪いですか?」
圭はふてくされた様子で言い切る。
そんな圭の何か可笑しかったのか、真希似の彼女はくすくすと笑う。
「圭ちゃん、恋人いないのに欲求不満じゃないんだ? 若いのに不健康だよねぇ?」
「不満なんかありませんよ。・・・不健康って言いますけど、人それぞれでしょう?」
むすっとして口を尖らせる圭の頬に、突然彼女の手のひらが触れた。
- 42 名前:Phantom 投稿日:2005/03/16(水) 12:17
- 「・・・全然そう言う気分になる事ないの?」
「全然。そう言う事考えてる暇、今のあたしにはありませんから」
頬に触れる彼女の手を掴んで、圭は乱暴に空へ放る。
「暇が無いって言うけど・・・さ?」
渋面の圭に、彼女はふと顔を近づけマジマジと圭の顔を見つめて呟く。
「圭ちゃんって歌を歌う人でしょ?」
「そう・・・ですけど・・・」
すぐ傍で話す彼女の呼吸が、圭の顔に触れてくる。
それがなにやら落ち着かない様で、圭は話し辛そうに言葉を途切れさせた。
「圭ちゃんの歌うジャンルの曲って・・・恋の歌やら、愛の歌って・・・結構多いんでしょ?」
「まぁ・・・割と多いです・・・ね・・・あのっ・・顔近づけて話すの止めてもらえます?」
ふと。
彼女の片腕が圭の腰に巻きついて引き寄せると同時に、もう一方の片手は圭の肩を掴んで押し離した。
すると、当然の様に圭の身体はベッドに沈み、彼女を見上げる様な体勢になった。
彼女のそれは本当に自然な動きで、圭に抗うタイミングすらあたえずに。
「圭ちゃん・・・恋愛経験もなしに、何歌うの?」
せせら笑う、そんな表情を浮かべた彼女が、圭を見下げて問うてくる。
「今は恋人居ないけど・・・全く恋愛経験が無い訳じゃないし、歌は恋愛モノばかりじゃないんです。一体なんなんですか? あなたは・・・」
- 43 名前:Phantom 投稿日:2005/03/16(水) 12:20
- すーっと、圭の視界に影が降りる。
ぱらぱらと頬に『彼女』の長い髪が落ちてきて・・・唇に柔らかい物を押し付けられた圭は、言葉を失う。
「圭ちゃんって真面目で堅実で・・・火遊びとかしなさそうだよねぇ」
押し付けた唇を一瞬で離して、圭を押し倒した彼女は、いかにも小ばかにした口調。
「・・・バカに・・・してます?」
「してないよ。真面目、堅実。良い事じゃなーい?」
そう言いながら唇を薄く開けて微笑んだ彼女は、圭の顎から鎖骨のあたりや耳元を指でなぞり遊んだ。
黙って睨んでくる圭の反応を待っているかの様に、何度もそれを繰り返して。
「バカに・・・してないなら・・・あたしをおちょくって遊んでるって所ですかね?」
彼女の弄ぶ様な指の動きに、僅かに圭は身体の芯が火照りをもたらす。
それに応じたくない、そして知られたくないと、圭は精一杯の虚勢を張る。
「・・・遊んでないよ? 真剣に、誘ってるんだけどなぁ。伝わらない?」
面白がる風の軽い口調に、やはり小ばかにする様な笑み。
けれど、彼女の瞳は透明に澄んでいて・・・切れそうなほど真剣に真摯に圭に向かってくる。
言葉は余計な壁を作る。彼女の不躾な物言いに隠れて気がつかなかった。
瞳が物を言う・・・まるで野生動物みたいに純粋な心を伝えてくる眼差し。
それこそが、通い野良猫の様な真希のそれとそっくりそのままで。
・・・それに気がついた途端。
圭は、心の奥底から溢れてくる熱に身体を支配し・・・それは圭を混乱させた。
「・・・伝わんないかなぁ? 大真面目に圭ちゃん抱いちゃいたいんだけどな」
腰と背中に手を回して。
彼女は、圭の身体を抱きしめて首筋に顔を埋めた。
- 44 名前:Phantom 投稿日:2005/03/16(水) 12:21
- 「なん・・か・・・変な人・・・拾って来ちゃったなぁ」
そんな圭の諦めモードの口調に。
「圭ちゃん観念た?」
変な人と称された彼女は、くすりと笑い声を立てる。
「あの・・・・・・言っていきますけど。あたし普段は真面目で堅実なんですからね?こんな事いつもなら、ありえなくて・・・その・・・あなたがしつこいし・・・それに・・・」
「・・・それに?」
「真希・・・・」
に・・・似てるから。
圭は、そう言おうとした自分の口を噤んで。
「・・・が居ないから。居たら・・・絶対こんな事しませんから・・・ね?」
言葉を変えて口から吐き出した。
圭の言葉に、彼女はしばらく間を取ってから、圭の耳元で呟いた。
「Hの最中・・・さ」
「・・・なんですか?」
「呼びたかったら、あたしの事、真希って呼んで良いよ?」
「なんでそんな呼びか・・・た・・・」
言葉途中に、耳元に熱い吐息と滑らかな舌先が滑り入り込んで圭は身体を震わせた。
「んー・・・言ってみただけ。気にしないでね」
切ない色を含んだ声。
それは、今まで聞いた事が無いほど、胸を締め付ける切なさを含んでいた。
- 45 名前:zo-san 投稿日:2005/03/16(水) 12:24
-
1話・・・・・終。
です。
見切り発車をしてしまったので。
長くならない様に気をつけつつ書いてく予定です。
次回更新はなるべく一ヶ月以内を目指していくつもりです。
- 46 名前:zo-san 投稿日:2005/03/16(水) 12:36
- Like a fairy taleの感想ありがとうございました_(_^_)_
遅すぎるレス返し申し訳ないです。
>>29 名無飼育さん
悲しいやりきれない話を書きたかったのです。
それでもやっぱりここではない何処かで幸せになって欲しかったのです。
二人は幸せに過ごして市井さんを待ってるものと・・・思いたいっす。
>>30 名無飼育さん
3人が互いにみせるやさしさとか・・・ですね。
書き出せてたか不安だったので、そう思っていただけると嬉しいです。
レスほんとにありがとうございました〜♪
- 47 名前:Phantom 投稿日:2005/04/01(金) 14:37
- 圭が目覚めると、もう既に陽は高かった。
つけっぱなしだったはずの部屋の照明は消され、今はカーテン越しの太陽の光で部屋全体が明るく照らされている。
ベッドの上、気だるそうに横たわる圭の隣には、昨晩持ち帰らざる得なかった彼女の姿は無く。
その代わりに金色の髪を陽に照らされ、すやすやと寝る真希の姿があった。
「・・・いつ帰ってきたんだ? こいつ」
まさか・・・あれが縮んでこれじゃ・・・ないよなぁ。
・・・SFじゃあるまいし。
寝息を立てている真希の髪をそっと撫でて、圭はひとりごちる。
真希の横顔を見て・・・やはり昨日のあの人は似すぎてると、そう思う。
「昨日のが夢・・・って事もないよなぁ」
・・・欲求不満が見せた幻だったりする?
そう思いそうになるも、それはちょっと自分を嫌いになりそうな結論なのでなかった事にする。
実際、昨夜の彼女は幻でもなさそうだ。
素っ裸の自分の身体に視線を落とせば、胸元に幾つかの朱色の印が残っていたし、
瞼を閉じれば昨夜の濃密な戯れを、意識よりも身体がしっかりと覚えている。
幻じゃないなら・・・一言くらい置いてけってーの。
圭は半ば無意識に心の中で呟いた。
- 48 名前:Phantom 投稿日:2005/04/01(金) 14:38
- 昨夜のあれが単なる気まぐれ、戯れでも良い。
こっちだって、心のない遊戯だったのだから。
ただこんな風に何もなかったかの様に自分ひとり現実に放り投げられると、多少メランコリックな気分にならないでもない。
普段通りに、腕の中に幾分自分より小柄な真希が居る。
それが現実で・・・これはこれで悪くはないのだけれど。
「・・・・・・・・・・あれ・・・・悪くないのか?あたし」
・・・・不意に湧いた暖かい感情に、圭は首を傾げる。
これと眠ってる状態を悪くないと感じるのは・・・なんだか間違いがある気がする。
真希の寝相は悪い訳ではないけれど、シングルベッドに二人と言うのは居心地が悪い。
とにかく狭いの一言に尽きる。たまには一人で寝たいと思うのが当然と言うくらい。
一日二日ならどうって事は無いけれど、毎日ともなると結構な痛手のはずなのだ。
悪くない理由がないはずで・・・けれど、思えば今だかつて圭はこの状況に不満を持ったことが無かった。
むしろ不意に真希が帰ってこないと、ベッドが広すぎて居心地が悪いとさえ思うことも・・・・・・ある。なんて答えに行き着く前に。
「あーいや。・・・まぁ・・・慣れなんだろうな」
うん・・・慣れ。それだ。と圭は一人納得してみる。
なんにしろ、昨夜の様な非日常に浮かれた頭は、どんなにベターから遠い日常も悪くないと思えるのかもしれないと。
「・・・起きるか」
真希の体温を近くに感じて居ると、なんだか胸の奥がむず痒い。
- 49 名前:Phantom 投稿日:2005/04/01(金) 14:38
- それに悪い気はしないけれど、何となく慣れない緊張が膨らみ居心地が悪かった。
真希を起こさない様にと気を使いつつ身体を起こそうと圭は、肘をベッドに立てる。
と・・・不意に、圭の腹の虫が見事なまで情けない調子で鳴り響く。
「なんか・・・食べ物あったっけ?」
そっと自分の腹に手を置いて、昨日までの冷蔵庫の中身を頭に思い浮かべてみるも。
調味料類や、飲みかけの豆乳パックくらいしか、圭の記憶には無い。
つまりは空腹を十分に満たす物は何も無いと言う事なのだが、着替えて近くのコンビニに何か買いに行く気力は無かった。
・・・・・・・体力も等しく。見知らぬ誰かに削がれたせいで。
起きるより眠って空腹を紛らわしつつ、その気力と体力を貯める方が利口か?と、圭は仕方なしにベッドに舞い戻る。
すると、不意に柔らかい金色の髪が鼻先を掠め、ふわりと自分と同じシャンプーの匂いが鼻腔を抜ける。
なんか・・・悪くない・・・な。やっぱり。
圭は、真希の髪に鼻先を埋めて深呼吸した。
シャンプーの香りの奥には、個体を示す真希の香る。
無意識に感じた心地の良さが、真希を抱きすくめる様にと、圭の腕を動かした。
- 50 名前:Phantom 投稿日:2005/04/01(金) 14:39
- 平熱が少し高そうな体温が空気を介して、腕を介して伝わってくる感じも、胸元に規則正しく吹いてくる真希の暖かい呼吸も。
どれもこれも・・・悪くなかった。また胸の奥が疼き始める。鼓動も・・・速まった。
・・・まるで、昨日の夜さながらに。
そんな風に今まで考えた事も無かったのに。と圭はため息をつく。
昨夜の誰かさんの言葉のせいだろうか。
真希に対して、普段通りの思考を取り戻せない。
なんとなく傍に置いてるだけ。
それが日常になっているし、寂しさも紛らわされてる。
時折見せる表情や仕草に可愛らしさを感じないわけでもないけれど。
・・・いかん。なんか思考がおかしいわ。今日。
一人考えをめぐらせ苦笑して。昨日の悪い夢から目を覚ませと、心の中、圭は大いに首を振る。
少し頭が冷えて、圭が再び惰眠をむさぼろうかと体勢を整え始めた時、真希が不意に顔を動かした。
「あ、ごめん・・・起こした?」
圭の声に顔の角度をすいっと動かして。
真希は、圭の顔に眠そうな視線を向けると「大丈夫」と言いたげにふるるっと顔を振った。
- 51 名前:Phantom 投稿日:2005/04/01(金) 14:39
- 「そう言えば、真希いつ帰ってきてたの?」
真希は、そう問うた圭の言葉を無視して、ベッドから身体を起こした。
圭と合わせていた視線を、すいっと圭の胸元に移し、再び圭の目を見つめた。
真希の瞳は「これ何?」と問うている様で・・・。
「・・・これ?」
圭が自分の胸元にある赤い痕を指差すと、真希はこくんと頷く。
何?と問われても・・・どう説明したら良いのだろう?と圭は眉を顰めて。
「・・・なん・・・だろう。虫刺され・・・かなぁ・・・」
・・・別に隠す必要も無いない話なのだが。
だからと言って「昨晩つれてきた見知らぬ誰かにつけられた」とはさすがに説明できない。
圭は、もっともスタンダードな嘘を持って誤魔化す事にした。
圭の答えに真希は僅かに首を傾げると、つまらなそうな顔をして再びベッドへ身体を戻す。
納得した・・・と言う事でもなさそうで、だからと言って何か言いたそうな顔をしている訳でもなく。
また寝始めるのかと思えば、瞼を開いたままただじーっと圭の顔を見つめて。
「・・・どした?」
圭が問えば、ふるふるっと首を左右に振り、なんでもないと言う仕草。
けれど視線は逸らされず・・・何となく気になって寝る気にはなれない。
と言って、目を開けていると空腹が襲ってくる。
- 52 名前:Phantom 投稿日:2005/04/01(金) 14:40
-
・・・どうしたら良いのか・・・ね。
圭は眉を顰め、複雑な表情をかもし出しつつ、真希を見やる。
と、真希もなにやら困り顔を作って、圭の髪に手を伸ばした。
何をするのか身構えていれば、たすたすと真希は圭の頭を何か慰める様に撫で叩いて。
どうやら、真希には圭が何かで落ち込んでいる様に見えたらしい。
「・・・ありがと」
・・・良くわかんないけど。
圭が微苦笑でそう呟くと、真希は薄く微笑んで再びベッドに身体を預け静かに眠り始めた。
- 53 名前:zo-san 投稿日:2005/04/01(金) 14:42
- 更新です。
・・・なんだか長くなりそうで嫌だ。
- 54 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/22(金) 07:10
- なんか不思議な話っぽい
表現に色気があって好き
待ってます
- 55 名前:Phantom 投稿日:2005/05/09(月) 17:31
- 真夜中の情事・・・と言うか、つまり。
圭が『運悪く拾ってしまった彼女と身体を重ねた』のは、もう三ヶ月以上も前の事になる。
人の噂もなんとやら・・・ではないけれど、そろそろ『あの彼女』の事は忘れても良い頃だ。と圭は思う。
なのに・・・困り果てるくらい『あの彼女』は圭の脳裏に焼きついて離れなくなっていて、圭は気が付けば彼女を想っていた。
それは日を追う毎に酷くなり、毎日、毎時間、酷ければ分単位で、圭は彼女に想いを馳せため息をつく。
- 56 名前:Phantom 投稿日:2005/05/09(月) 17:32
-
これだけ言うと、まるで一目ぼれでもして彼女の事以外考えられない、そんな勘違いをされそうだけれど、
圭のこれは・・・俗に言う恋煩いと言うのとは違っていた。
『結局あの彼女って、誰だったんだ?』が、圭の頭の大半を締める疑問であり、それ以上でもそれ以下でもない。
その疑問を浮かべると、胸がやけに苦しく、もやもやと頭が曇り始める。
せめてもう一度逢う事ができれば、多少の疑問は解消するのだが、彼女は名前すら知らない人間で、圭には連絡の取り様が無かった。
唯一の接点である「Phantom」に毎日足を運んでいるが、あれきり一度も彼女と顔を合せない。
時折マスターに訊いて見ても、あの時以降、彼女の影すら見ていないと言うし、バンドの仲間や「Phantom」の常連客に彼女らしき人物について訊いてまわっても、誰もそう言う女性客を知らないと言う。
結局なんの解決策も見つからないままに、圭はその疑問を抱いたまま日々を過ごす事になった。
- 57 名前:Phantom 投稿日:2005/05/09(月) 17:33
-
ここ数日、圭のいるバンドは「Phantom」以外のライブハウスでの演奏が入っていた。
今日はその最終日。ラストの演奏も全てが上手くいった。
それが自己満足では無い事は、それを聴いていたお客の反応から良く判った。
気分は上々、いつもの圭ならば仲間と打ち上げ、朝までコースを辿るのが常。
けれど、今日は体調不良を理由にして、圭は打ち上げ途中に一人「Phantom」へと足を運んだ。
深夜をまわり人気の無くなった店で、圭はやはりため息混じりにグラスを傾け、周囲の事など上の空で考え事に精を出す。
不意にマスターがグラスを洗う手を止めて、そんな圭の顔をマジマジと見つめてきた。
「・・・何? マスター」
「あれだな・・・この間お前が拾った美人のせいだろ?」
「何が?」
「最近ずーっと・・・お前がそんな調子な理由さ」
この初老のマスターには、隠し事をしても仕方が無い。
なんでもかんでも直ぐに見透かされる事を良く知っている圭は、それに頷いてみせる。
- 58 名前:Phantom 投稿日:2005/05/09(月) 17:34
-
「・・・恋煩いってやつか?」
ニヒルな笑みを浮かべた彼が放った、からかい気味のセリフに、圭は中身がこぼれるほど乱暴にグラスをテーブルに押し付ける。
「そう言う類のもんじゃないって。ただ・・・あの人がどんな人なのか気になってるだけ。だって、マスターも思ったでしょ?あたしんとこに居る『真希』ってのにそっくりだったじゃん・・・あの人」
だから気になってるんであって、別にあの人に好意を持って気にしてる訳じゃない。
圭がそう言葉を続けようとした時、ふとマスターの表情が曇る。
「圭、『真希』ってのは、お前ん所の金髪のガキだよな?」
「もちろん。あたし、他には誰も飼ってないと思うけど」
「なら・・・この間の彼女は、あのガキンチョには全然似てなかった・・・としか答えられんな。俺には」
二人の間にそう重苦しくも無い沈黙が流れる。
互いに首を捻りつつ・・・暫し考え込むようなそぶりをしてみせてから。
「いや?・・・真希そっくりだったでしょ? なんて言うかあれがおっきくなったらあの人になりそうな・・・」
「いんや。美人は美人だったけど・・・お前の所のガキには似てなかったと思うけどなぁ」
そんな押し問答を幾度か続けていくうちに、マスターは何かに思い当たった風に口を噤んだ。
ほら、やっぱ似てたんでしょ?勝ち誇った様にそう呟いた圭に、彼はほんの一瞬真剣な面持ちを見せ、それを隠す為にかすぐに口許を緩めた。
「・・・かもな。人に寄って感じ方も違うんだろうし。お前がそう言うなら、似てたんだろ」
「ちょっと、そんな投げやりな・・・」
「投げてねぇって。それより・・・最近んな事でぼーっとしてる割には良い感じだな。お前の歌」
不自然な話の方向転換に数秒圭は戸惑いを見せるも。
それでも歌を褒められればそれに反応しない訳にはいかない。
- 59 名前:Phantom 投稿日:2005/05/09(月) 17:34
-
「ほんと?」
「良い線きてるんじゃないか? 技術に気持ちが追いついてきてる」
圭は、どうしても頬が緩む事を止められなかった。誰に言われるよりも嬉しい言葉。
マスターは、この店で何十年も沢山の歌い手を、弾き手を見てきた。耳の肥え方は尋常じゃない。
そんな彼の口から褒め言葉が出る事は皆無に近い事を圭は良く知っていた。
「昨日の『あなたのすべてを』って曲。悪くなかった」
圭は気がついていなかったが、マスターは昨日ライブハウスに来てくれていた様だ。
「『初めて会ったあの日から、私の心を離れない』ってあれ?」
軽く昨日の曲を口ずさんだ。
練習以外では昨日初めてライブ本番で歌った曲。
圭自身は気に入っていたのだけれど、これまで練習で何度歌っても本番演奏のOKが出なかった曲。
けれど、昨日に限ってベーシストであるリーダーが歌えと言った。圭は喜んで歌った。
思っていた以上に客の心を掴み、今日もリストにはその曲があった。
- 60 名前:Phantom 投稿日:2005/05/09(月) 17:35
-
「・・・ぁあ。だから思ったのさ」
「何を?」
「お前が・・・恋煩ってんだろうなってな」
にやにやした笑いを圭に向けて、彼は洗い立てのグラスに自分用のバーボンをそそぐ。
「だから・・・何も煩ってないって・・・」
圭は軽く頬を膨らませ髪をかきあげてそれを否定する。
「けど昨日の歌には・・・そう言う説得力があったぞ? 案外、あの女じゃなくても身近にいるんじゃ無いのか? 煩いそうな相手が」
「あのさぁ・・・マスターあたしと殆ど毎日顔合わせてんだから、わかるでしょ? あたしの周りにそう言う色気のある話なんて、何にも無いってさぁ・・・」
眉を顰めたまま、圭はぐっと1cm程グラスに残っていた液体を一気に煽ると、空のグラスを指差してマスターである彼にお代りを要求してみせる。
「そうか? 俺には、お前のすぐ傍にそんな話が転がってる様な気がするんだがなぁ」
圭の要求に呆れた様に肩を竦め、それでも圭のグラスに琥珀の液体を注ぎ入れながら彼は言う。
「すぐ傍って・・・マスターとか言わないでよ?」
「俺もそれは勘弁だ」
「ちょっと・・・失礼だよね。それ」
互いに苦笑い、顔を見合わせた所で、ふと店の外と中を繋ぐ扉の開く音が響いた。
- 61 名前:Phantom 投稿日:2005/05/09(月) 17:36
-
渋面を作ったマスターが「今日はもう店じまいだ」と、その扉を開いた誰かに声をかけようとするそぶりをぴたりと止めた。
「おう。久しぶりだな、こいつを迎えにでも来たか?」
彼は頬を緩ませ、立てた親指で圭を指してそう言った。
その様子に圭が扉に目を向けるとそこには、ふるるっと首を振る真希の姿があった。
「真希、どうした?」
圭が驚いた風にして声をかけると、真希は困り果てた顔で手を急がしく動かしジェスチャーで何か訴え始めて。
「あんた・・・家の鍵失くした?」
真希のジェスチャーからそう意味を取った圭の言葉に真希は、コクンと頷く。
真希の疲れた表情を見ると、相当色々長々とそれを捜し歩いたんだろうと圭は思う。
ジーンズも少し土かなにかで汚れていた。一体いつからどこを探してたんだろう?
・・・・けなげと言うか。なんと言うか。
「別に必死で探さなくても、すぐここに来たらよかったのに」
真希に呆れた口調でそう言うと、圭は口の端をあげて見せた。
それに真希は曖昧な表情を浮かべ、次からはそうする・・・圭にはそう受け取れる様な視線を送った。
- 62 名前:Phantom 投稿日:2005/05/09(月) 17:36
- 「・・・んじゃ、一緒帰るか。横座って待ってな、これ飲んじゃうから」
圭がグラスを急いで煽り始めると、マスターはカウンターの奥から紙パックの豆乳を持ってきて、圭の横にちょこんと座った真希に差し出す。
時々、真希がここへ現れると必ず用意されたそれがどこからとも無く出てくる。
そして真希も慣れた感じでそれを受け取るとパックの横に付いているストローを引っ張り出して箱に差し込む。
飲み始めた真希に、マスターは楽しげな笑みを向けていて。
・・・なんだか良く判らないが、マスターもこの真希を気に入っている様子だ。
「こいつ、未だにしゃべんないのか?」
今思い出した、そんな言い振りでマスターは圭に問う。
「んー・・・しゃべんないって言うか、しゃべれないのかね? 長い事一緒に居るけど、まだ真希の声って聴いた事ないなぁ」
圭は、自分の話題に顔をあげた真希を見やってそう答える。
と、真希は僅かに申し訳なさそうな顔を圭に向け、ただじっと視線を送るから、圭は「別にそんなの問題ない」そう言い聞かせる様に真希の頭を乱暴に撫でた。
「言葉が無くとも、コミュニケーションは取れてるみたいだな」
「まぁ、無愛想な見た目と違って結構表情豊かだし・・・家居る時は小さいホワイトボードとかで筆談するし。今の所、こいつが話せなくてもあんまり困んないかな」
勢いで半分空けたグラスを、今度は真希の飲む速度に合わせてちびちびと口に運びつつ、圭はマスターと他愛の無い言葉を交わした。
真希がストローでズズッと音を奏でるのと同時、圭はグラスを開けて「じゃ、帰るか」と圭が言い、真希がそれに頷く。
- 63 名前:Phantom 投稿日:2005/05/09(月) 17:37
-
「あのな、圭」
いつも通りに勘定をテーブルに置き席を立とうとする圭を、空のグラスを手にしたマスターが呼び止めた。
「んー?」
返事をしながら席を立った圭に、彼は神妙な声色を向けた。
「本当に、急に良くなったな。歌」
「そんな・・・あらたまられると照れるよ」
「ここで歌ってる奴にはな。時々居るんだよ。お前みたいに、突然化けるのがな」
「・・・化ける?」
突然何を言い出すのやら。軽く酔いのまわった頭で圭はそう思いつつ。
普段とは少し違う印象の彼の言葉に耳を傾けた。
「音楽やら芸術やら、表現する世界の奴らってのは、素晴らしい技術があって努力を怠らない奴は山の様にいる。そこから人より抜きん出るには、何かを伝えるには何かが必要だ・・・けど正直お前にはその何かは無いと思ってた。俺はな」
悔しいけれど良く判る。
『上手い』だけでは人の心を動かせない。歌っている本人が一番良くその壁を知っている。
「けど、個人的にお前の人柄も努力する姿も嫌いじゃない。応援くらいはしてやりたいと思ってた。期待している様で、してなかった。酷な言い方だけどそれが事実だ」
だから、昨日のあれには、正直驚いたんだな・・・。彼はしみじみとそれを口にする。
普段の歌と昨日のそれと・・・何が違っていたのだろう?圭には評される自分の変化に気がつけない。
- 64 名前:Phantom 投稿日:2005/05/09(月) 17:38
-
「あたしの歌・・・そんなに変わった?」
圭の問いに、彼はただ微笑して。
「ここで歌ってる奴には・・・時々居るんだ。気まぐれに気に入られるのがな」
一人呟く様に言葉を紡ぐ。
「・・・・・・気に入られるって・・・何に?」
彼の言葉を無理に拾った圭がそう訊くと。
「音楽の神様。『ミューズ』ってのが居るだろう? 聞いたこと無いか?」
彼は腰に手を置いて得意げに答えた。
「そりゃ・・・(漫画か小説で)聞いた事あるけど・・・」
「いるんだよ。この店にはその『ミューズ』って奴がな」
大真面目な彼の言葉に。
「・・・・・・・マスター大丈夫?」
圭はそう答える事しかできなかった。
「まぁ、信じなくても良いさ」
けどお前は間違いなく凄くなった。これから周囲が急変するかも知れないくらいにな。
そんな大層な言葉を頂いた圭は、照れ臭さと、狐につままれた様な複雑な気持ちを抱いて。
大人しく大人二人のやり取りを見ていた真希を連れて帰路に着いた。
- 65 名前:Phantom 投稿日:2005/05/09(月) 17:40
- 久々更新です。
決して忘れていたわけではないのですが・・・申し訳ないです。
次回からは少しペースをあげられると良いなと。
思っているだけにならない様にしたいっす。
- 66 名前:zo-san 投稿日:2005/05/09(月) 17:47
- >>54 名無し飼育さん
レスありがとうございます_(_^_)_
色気がありますでしょうか♪嬉しいっす。
不思議なままいけると良いなと思ってます。
- 67 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/05/09(月) 21:08
- やっす〜の歌を変えたのはどっちだろう・・・。
個人的には豆乳飲んでるめんこい娘がすきなんですが、
やっぱあの娘かなぁ・・・?
ま、まさかマジでマスター!?
・・・んなわきゃないか^^;
続きも楽しみにしています。がんばってくださいね。
- 68 名前:Phantom 投稿日:2005/06/21(火) 17:51
-
店から戻ると、二人は部屋の奥にあるベッドの端に背を凭れさせて床にぺたんと座り込んだ。
圭は、傍にあるリモコンでTVの電源を居れ、真希は自分用の30cm四方ほどのホワイトボードに手をかけた。
TVをぼーっと見ていた圭の服の裾が、真希にくいっと引っ張られ。
圭は、ホワイトボードを持った真希に顔を向けた。
『だれかに気に入られたの?』
ボードにはそう書いてある。
真希が訊きたいのはさっき店でマスターが話していた事らしい。
「…いや。マスターが言うにはそうらしいけど。あたし何の事だかさっぱりだし」
訊かれたって話す事、無いぞ?と、圭は気持ち眉を寄せ真希を見つめた。
真希は、圭の表情を受けて、ボードにペンを走らせる。
『けーちゃんもその人好き?』
真希が言うその人って…マスターの言ってた…ミュー…なんとかって…それだよねぇ…。
真希の質問の意図を考えつつ…圭は首を傾げて。
「好きも何も…その人誰か知らないし…つか、マスターの戯言で多分そんなの居ないからさ」
いーかい?さっきの話はまともに聞いちゃ駄目。鵜呑みにするんじゃないぞ?
なんて風な事を、圭は真希に諭す様に言い聞かせてみる。
が、圭の言葉に真希は納得したそぶりは見せず、がしがしとボードの文字を消し再びペンを走らせた。
『その人ってけーちゃんがここんとこ探してる人のことじゃないの?』
圭は、そのボードを手に文字を最後まで読むと…困った様子で頭をかいた。
- 69 名前:Phantom 投稿日:2005/06/21(火) 17:52
-
何とはなしに、真希にはあの日の誰かを探しているなんて事は、教えていなかったはずなのに。と。
けれど、考えれば周囲に何の口止めもなしに情報収集していたのだから、真希の耳に入るのも当たり前か。なんて、圭は納得しつつ。
「…それは…無いでしょ。あたしが探してるのは実在の人物で…マスターが言うのは
…なんつーか…幽霊と言うか…なんか良くわかんないもんなんだろうし…」
真希も訳のわからない事言い始めるなぁ…。そう心で思いながら圭はそう答えた。
その言葉に、真希はふるふるっと首を左右に振り、絶対にそうなのだと、何故だか強い視線で圭に訴えてくる。
「…そーかぁー?」
圭の疑問符つきの返事に、真希はこくこくと頷く。
「あんた…なんでそう思っちゃう訳?」
そう圭が問うと、真希は気落ちした様子を見せ…首を傾げる。
…わかんないけど、そう思うよ?そんな表情。けれど…それにはどこか寂しげな影を見せて。
「あっ、いや、あたしは別に…そう言う事にしたって良いんだぞ?
けど…なんで真希がそう思うのかなぁ…て疑問に感じて訊いただけで…」
自分の否定的な反応に、真希が凹んだのかと思った…だから圭はそう言葉を添えたのだ。
…けれど…どうも様子が変わらない所を見ると…見当違いらしい。
そして変わらないばかりか、真希は見る見ると眉間に皺を寄せて悲痛な表情を浮かべて…最後にはそっと俯いた。
「…真希?」
そんな真希の様子を不思議に思い、圭が彼女の顔を下から覗き込むと、微かにその瞳が潤んでいるのに気が付く。
- 70 名前:Phantom 投稿日:2005/06/21(火) 17:53
- 「なーんだよ…どうしたの? 真希?」
そう圭が問いかけるも、真希からは、当然言葉としての返事は無いし、仕草や雰囲気から来る応答も無い。
…機嫌悪いのか?それともあたしなんか言ったかね?等と、圭が心で首を傾げつつ、
機嫌を伺う様な仕草で真希の頭を撫でてやると、それがスイッチだったのかと思われるほど即…真希はぽろぽろと涙を零し始めた。
「へ? う…っ…おー…いっ?! あ、あんたどうし…」
いきなりの真希の変貌。
焦りを露にした圭の首に、真希が突然はじかれる様に両手を絡ませてきゅっと抱きついてきて。
「……たんだよぉ…急にぃ」
止められた言葉を再び流し呟いて、真希の身体を受け腕を回した。
圭は、なだめる様に真希の背を撫でて…何が起こったんだ?と思考をめぐらせて見る。
何かを伝えたいんだと…そんな気配が抱きついてきた真希の身体中から溢れていたけれど……圭にはその何かがつかめない。
圭の耳元には、真希の嗚咽混じりの呼吸が届く…それは止まる事を忘れた様にずっと長く。
腕の中の真希のただならない様子に、ジクジクと胸の奥が痛むけれど、本当にどうする事もできなくて。
初めは時々思い出した様に、名前を呼んだり、どうした?なんて言葉をかけていた圭も今は静かに真希を抱きしめている事しかできない。
- 71 名前:Phantom 投稿日:2005/06/21(火) 17:54
-
しばらくは気づかないフリも出来ていた。
けれど…腕の中で…どんな理由か知れないが涙を流す真希を長く長く感じて居るうちに、圭はあの日に似た胸の高鳴りを自身で認識せざる得なくなって。
ありえない…と思いはすれど…意識が否定しようとすれば、身体は反比例して活性化して忙しく真希に反応しようとする。
ついにはヤバイなぁ…なんて心で呟き、目の傍にある真希の首筋に鼻先を埋めて圭は自分の反応に自嘲しため息をつく。
と、ふいに真希が圭の身体から離れるそぶりを見せて顔をあげて、そのの口許が、おそらく『ごめんなさい』と言う言葉を紡ごうと動いた。
もちろん…声は出ていないのだけれど、圭にもそれくらいはわかった。
申し訳なさそうな表情を湛えて、今だぽろぽろと頬を伝う真希の涙を、圭は苦笑しながら手のひらで拭ってやって。
「あたしのため息…勘違いしてる?」
圭の言葉に、真希は「迷惑なんでしょ?」と示した瞳を向け首を傾げる。
圭は、それを否定する為にゆっくりと首を左右に振っって。
「別に全然…迷惑じゃないから。もう少し泣いてても良いよ」
自分のため息の理由の所在はあかざすに、ゆるりと笑みを浮かべて、圭はそれだけ伝える。
困惑した真希を、圭は自ら抱きしめ引き寄せて…真希に見られない様、自嘲の笑みを浮かべた。
- 72 名前:zo-san 投稿日:2005/06/21(火) 17:57
-
…と言う事で短いけれど更新です_(_^_)_
…間空きすぎですね。ほんとね。それもまた長くなる予感がするし。
もう少しペースをあげたいと思います。
前回からは、思うだけになってしまいましたが。
- 73 名前:zo-san 投稿日:2005/06/21(火) 18:03
- >>67
レスありがとうございます_(_^_)_
マスター…は、もちろん無しの方向で(笑
豆乳好きなあの子が、もちろんキーです♪
これからも頑張りますので覗きにきてください〜。
- 74 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/21(火) 21:43
- 待ってました
なんか切なくなりそうで……楽しみ
- 75 名前:Phantom 投稿日:2005/07/20(水) 10:56
- 真希が何故突然に泣いたのか。圭にはわからなかった。
ただこの日を境に真希は圭の傍を片時も離れる事は無くなった。
真希は以前から、圭のライブの日に店に顔を出したりする事はあったし、思いついた様に練習についてきたりもしていた。
けれどあれ以後は、毎回欠かさず…ライブも練習もついて来る様になり…ぷらっと圭の家から姿を消す事も無くなった。
今日も真希は、圭と一緒に「Phantom」にやってきていた。
ライブ中、圭の傍に居られない間は、カウンターの隅に大人しく座っており、ライブが終われば裏へちょろちょろと入ってきて圭の傍で片づけを手伝う。
圭が仲間内で飲み始めると、気を使ってか一人カウンターに座り得意の豆乳パック片手に圭の様子を伺っている。これが最近の基本的な真希の行動。
「最近見張られてんなぁ。一体何やったんだよ?」なんて、マスターやら仲間が圭をからかう事も無くなるほど、真希の存在が周囲も当たり前ととる様になって久しく。
圭は、当初気にしていた「真希がどうして突然に自分にべったりになってしまったのか?」等と言う疑問もすっかりと考える事をやめていた。
圭はふと、自分と仲間が談笑しているテーブルに、ライブを聴きに来ていたらしい客の一人が近づいてきたのに気が付いた。
近づいてきた彼女は、何故だか圭にちらりと視線を向けた後、一緒に話していたバンドリーダーに小声で話しかけ、席を立つ様促した。
「…ちょっとすまん」
リーダーはそう言うと立ち上がり、その近づいてきた彼女と離れたテーブルに腰を落ち着け、真剣な面持ちで何かを話始めた。
取り残されたメンバーは「彼女はリーダーの恋人か何かで、あの真剣な顔はもしかしたら別れ話かもよ」なんて適当な話を作りあげ笑った。
誰もがそう言う類の関係だろうと、アルコールのせいだろうが、勝手にそう思い込んでいた。
- 76 名前:Phantom 投稿日:2005/07/20(水) 10:57
- だからリーダーがふと皆の方に視線を投げ、圭一人を呼んだ時には、圭を含め皆ぽかんとした表情を見せた。
呼ばれた圭は、借りてきた猫並の大人しさで彼の隣に座り、これから一体何の話に巻き込まれるのか?と身を縮めた。
「そんなに硬くならんで下さい。私はGO(ジーオー)プロダクションズの平家って言います」
見知らぬ女性は苦笑いを浮かべてそう言うと、圭の目の前に名刺を差し出した。
テーブルの上に置かれた名刺に圭が視線を落とすと、彼女の…平家と言う名前と、彼女の言う音楽事務所の名前が見て取れた。
圭は、その名刺とそれを差し出した平家とを交互に見やって…怪訝な表情で首をかしげるしかない。
「この人の事務所から…CDを出してみないか。平たく言えば、そう言う事だ」
リーダーがそう口を開くも、圭はそれを理解する所までは行かずに頭で反芻しつつ、押し黙る。
そんなフリーズしたままの圭に微笑を投げて、平家は事の次第を丁寧に説明し始めた。
彼女の事務所では、今期新しくJazzをメインにしたレーベルを立ち上げると言う。
一応そのレーベルの目玉として名の通ったアーティストとも契約をしているが、今後もアーティスト層を深める為にと人材発掘をしている最中。
楽器からヴォーカルまで、とにかく気に止まった人材に声をかけており、圭もその内の一人なのだと、彼女は言う。
プレス配布用でスタンダードのオムニバス盤を作る予定があり、集められた新人はまずそのCDのレコーディングに加われるか否かのオーディションを受けてもらう。
またその後、配布先の反応を考慮して、正式に事務所と契約するか否か決めていく方針。
特に女性ボーカリストに関しては、曲から何からデビューの用意が既に整っており、声のイメージ、実力ともクリアできたならば直ぐにでも事務所の総力を挙げて売り出す準備があると言う。
「こちらから、誘っておいて…多々の入社試験がある様で心苦しいんですけど…如何でしょうか?」
如何でしょう?と言われたって…これは圭にとって願っても無いチャンス。
もう、これに乗らないなんて考えもつかない。こっちからお願いしたいくらいの、ラッキーな話だ。
- 77 名前:Phantom 投稿日:2005/07/20(水) 10:57
- 圭は気を高揚させ、はやる気持ちを留めようと拳を握る。
当然の様に、是非にと、即答したいと思った。
けれど…ふと…今一緒にやっているバンド仲間の事を考え、出しかけた答えを飲み込む。
自分だけが声をかけられた…そんな尊大な罪悪感では無くて。
もしもこのチャンスに乗れたなら、これまで良い関係を築いてきたこのバンドに居られなくなる。
そんな事実が、案外深い切なさを運んできて、圭の言葉を止めるブレーキになる。
「俺たちは、ボーカルが抜けてもこれまでと同様にライブが出来る。はっきり言って急にお前が抜けても全然困らん」
答えを迷う圭に語られる、リーダーの突き放す様な言葉には、一つの棘も無い。
彼は「お前、このチャンス断れるくらいの大物じゃないだろ?」そう付け加えると、がははっと大声で笑いながら圭の背中を思い切り良く叩く。
彼のその一押しのお陰で、快く返事が出来るだろう。
圭は、彼の言葉に感謝し一呼吸置くと表情を引き締め、自分の答えを待つ平家に正面切った。
「是非、お願いしま…」
そう言葉を紡いでいる途中。
圭は、誰かに肩を捕まれてその言葉を止めた。
圭が不思議そうに振り返ると、そこにはついさっきまでカウンターの隅に居た真希が佇んでいた。
酷く穏やかではない…鬼気迫る形相で…圭をじっと見つめて。
「…真希?」
ただならない様子の真希に、圭はそう呼びかけ、肩にある彼女の手を引いた。
手を引かれると、真希は椅子に座る圭に雪崩れる様に身体を寄らせて…抱きついて。
それから何を思ったのか…圭にチャンスを持ってきた平家に…冷ややかな鋭い視線を投げた。
「ちょっと真…希?」
真希の突然の行動に、戸惑いを露にした圭と同様に、隣の彼が驚いた様子を見せるまでは良い。
が…真希に射る様な視線を投げられた平家が、真希にやんわりと微笑を返して。
- 78 名前:Phantom 投稿日:2005/07/20(水) 10:58
- 「…ごっちん、久々やなぁ。元気してたん?」
真希をとても良く知っている。そんなそぶりで真希を「ごっちん」と親しげに呼び、話しかけた。
戸惑いに拍車をかけた圭に、平家はため息交じりの苦笑を浮かべる。
「ごっちん…いや後藤真希さんな? うちの秘蔵っ子だったんですよ」
声が出なくなるまでは…と言う但し書き付きですけどね。
そう彼女が説明すると、真希は彼女から目を逸らし…圭の肩に顔を押し付け動かなくなった。
平家の話では、真希は彼女の事務所からCDデビューも決まっていたボーカリストだったらしい。
けれど1年程前、そこそこに名の知れたジャズシンガーであった父親の死後、ぱったりと声を発しなくなったのだそうだ。
父親の死に理由があるのか、他に彼女の声を奪った原因があるのか知れないが…とにかく声が出なくなってしばらくして…真希は姿をくらませた。
去る物追わず…と棄てられない程、真希は稀有な才能を持っていて、だからこそずっと事務所は平家は、真希を探していたらしい。
そして最近…この店に真希が出入りしている事を知った彼女は、何度かここへ足を運んだ。
真希をここで探しているうちに彼女の耳に圭の声が止まった。そう言う経緯で平家は今ここに居て…圭を誘っていると言う。
「ずいぶんと…ごっちんに気に入られてるようですね」
笑顔を見せたまま、けれど平家の声は少しだけ陰った。
それだけでは彼女の心理を理解する事はできない。けれど…この状況から導かれる一つの仮説。
「もしかして、将を射るよか馬を射ろってやつ?」
平家は、真希を手元に戻す為に真希が懐いているらしい圭に何かを感じて近づいたのでは?と。そう思うのは突飛な発想ではない。
「圭さんに声をかけた事に他意はないですよ。純粋に『良い』と思ったんです。私だって、最終的に自分の作った歌を歌うはずの人材探すのに妥協したりはしませんて」
平家はそう言い放った後、自分に顔もあわせない真希に視線を向けて。
「本当ならごっちんに歌ってもらうはずだったんやけど。彼女が未だにこんな調子なんやから仕方の無い事ですわ。それくらいの妥協はせんと…ね。私も自分の歌を人に聴いてもらいたいですし」
そう寂しげに囁き声にも似た小さな声で、そう零した。
- 79 名前:Phantom 投稿日:2005/07/20(水) 10:58
- 何の思惑も無いから、この話を受けてくれないか。返事は1週間以内に携帯に…と。
平家は名刺の裏に携帯番号を走り書きすると、他には何も語らず店を去った。
平家の帰った後、仲間に彼女が圭に持ってきた話を伝えると、店はにわかに活気だった。
バンドメンバーは、圭のそれを自分の事の様に喜び、いつもより大目のアルコールを身体に取り込んだ。
そんな中、圭本人が返事に困ってる…等とは言えるはずも無く…皆の前では「受ける」とそう言う事にしてしまった。
泥酔状態になった仲間が次々と脱落しては、帰路に着き。
最後まで残った圭は、テーブル席の隅で眠ってしまった真希をそのままに…カウンターでいつもの様にアルコールを煽る。
「俺の言う通りになっただろ?」
マスターが、グラスを拭きながら得意げに呟く。
「まぁ…確かに…急変はしたかな」
気が乗らない。そんな様子で返答する圭に、彼は肩を竦めて。
「おいおい、もっと喜んだらどうなんだ? お前の道が、ばーっと勢い良く拓けそうなんだぞ?」
「…そりゃ…そうなんだけどさ」
OKの返事を返した所で、圭が振るいに落とされず残れると決まった訳ではない。
でも…もし契約を勝ち取った所で平家からしたら、圭は真希の代わり。そう平家は遠まわしに伝えてきた。
女性ボーカリストに限定してデビューの基盤が出来上がっている。それはつまり真希の為にあったものなのだ。
きっかけなど何でも良い。これを足がかりに…次は実力で…とも思いはする。
それにこの誘いは、あくまで圭自身の力によるもので…他意はないのだと平家は断言した。
何も問題はないはずだ…けれど。何かが圭の心の端に引っかかってしまう。
その正体に…圭は思う様に辿り着けず…表情は曇りがち。
- 80 名前:Phantom 投稿日:2005/07/20(水) 10:59
- 「なーんか…返事…迷っちゃったな」
深く息をついて、圭は呟く。
「この話が…真希の代役探しオーディションみたいなもんだからか?」
圭の呟きに、かちゃかちゃと動かしていた手を止めて。
彼はカウンターに両手をつくと頬杖を付く圭を見下ろした。
「あれ…マスターも聞いたんだ? 真希の事」
圭は故意にではなく…彼の問いへ返事を口にするのを忘れたが、彼もそこは何事も無かったかの様に振舞って。
「暫く前に平家ってのが俺にお前と…真希の事訊いてきたからな」
そう言うと彼はわしわしと無造作に頭をかいてため息をつく。
ふと表情を険しくし…圭の顔を穴が開くと思われる程にマジマジと凝視して。
「なぁ」
「…何よ?」
「前に話しただろ。この店には時々お前みたいに、ふとミューズのお気に入りになる奴がいるって」
「ん?……言ってたけど…急に何?」
不意の話題変換に、圭は戸惑いを見せたが…。
「14,5年前。ここでライブしてた奴で居たんだ。お前みたいに突然歌い方が代わったのがな」
彼はそれをそ知らぬふりで言葉を続けた。
彼の口調は微妙に重く遊びのない、聞かない訳には行かない、そう圭に思わせる何かがあった。
「その時も俺は、こいつはブレイクすると思ったし…案の定すぐに声が掛かって、かなりの知名度のあるシンガーになった。それだけ聞くと奴の運命を最高だって思うだろう? 自分の好きな道で成功したんだからな」
「そりゃ…誰だってそう思うでしょ」
「でも奴は、俺に言わせりゃ不幸だったのさ。好きな道で有名にはなったがその代償に恋人の死に目に会えなかったんだからな」
彼は言葉を一旦止め、洗い立てのグラスを一つ手にした。
飲まなければ話せない事なのか…一番傍にあったアーリーのボトルの中身をグラスに並々とついで、その半分ほどを一気に喉に流しいれる。
- 81 名前:Phantom 投稿日:2005/07/20(水) 11:01
- 「ま…代償って訳でも無い。運が悪かっただけだ」
「何が…あったの?」
「声をかけてきた事務所が、突然でかい箱での単独ライブを設定した。その成功を引っさげてデビューなんてシナリオだ。当然の様に、奴はそれを受けて…見事に成功させた。無名の人間が箱一杯にしたって結構な話題を作ってな…けど」
「けど?」
「良くあるドラマじゃないが…そのライブの日、恋人が事故で亡くなった。恋人の誕生日…約束をキャンセルして奴はライブを取った。自分がちゃんと約束を守っていたなら…彼女は死ななかったんじゃないか?って自分を責めて…丁度お前の座ってるそこで、何日も飲んだくれてたんだ」
重い話の途中、急に彼に指差されそんな事を言われた圭は、一瞬身を硬くした。
見ず知らずの誰かが泣き泣き飲んだくれていた席にいると思うと居心地が一気に悪くなる。
彼曰く、同じミューズに見込まれた物同士…そんな人間の不幸話は…まるで自分の身に同じ事が降りかかって来るようで縁起が悪い。
それがたとえ、自分がうらやむ様な成功を収めた人間であっても…だ。
「っんのさぁ…なんであたしにそんな話すんのよ?」
苛立たしげに話を中断させようとする圭のぼやきに、彼は間を置いて。
「…お前に関係あるからだ」
意味深な言葉を吐いた。
そうされれば、圭も続きを聞かない訳には行かない。
「も…う…どんな関係よ?」
「そいつは4,5年前突然、音楽事務所を立ち上げた。それが、GOプロダクションズっつって…お前に声かけてきた所だ」
「…え?」
「奴の名前は後藤。1年前に死んだ真希の父親。どうだ関係なくは無いだろう? もしかしたら世話になるかもしれない会社の情報だ」
「いや、そう言われたら…関係…なくはないけど…さ」
それを聞かされて、どうしろって言うんだ?
圭は、次々と頭に取り入れられる情報に、思考を混乱させつつ…言葉を噤む。
「事故で奴の恋人は亡くなったが、その時帝王切開で取り上げたガキは助かった。思い返せば…奴が昔時々連れてきてたそのガキ。真希に良く似てる」
まぁ本人なんだから、似てるのは当たり前だな。髪の色のせいでか全然気づかなかったよ。
黙りこくった圭に聞かせる為…と言う訳でもなく、彼はついと言う風にそう一人ごちた。
「なんでこんな店にあんなガキが来たのかと思ってたが、死んだ父親の影を求めにって…所なんだろうな」
そう続けて彼は、圭の向こう、苦悶の表情を浮かべ眠りにつく真希に視線を向けた。
「…マスター」
「なんだ?」
「色々教えてもらったんだけどさ…それであたしに何を言いたいの?」
「話を受けるかどうか…迷ってただろう? だから、少しでも俺の話が判断材料になれば、と思っただけだ」
「見ず知らずの人の不幸話聞いて、判断しろって?」
最後の一口…と、彼は圭の言葉を聞きながら、グラスに残った液体を喉に流し込んで一息つく。
「この店に住み着くミューズは偏屈なのか…もっとも一つを極めるってのはそう言うもんなのか。必ず音楽とそいつが一番大切な物、その二つの選択をどこかで迫るらしい。今回の話がその天秤と言う訳でもないかも知れんし、お前がいつかどっちを選んだから幸せになるって話でもない。俺は身近な事例を一つ挙げてみただけさ。それでどうするかはお前が決める事」
…でもって、真希の話は言葉の勢いだ。
彼は早口でそう言切ると、自分の飲んだグラスをカウンター傍のシンクに置いた。
ひとしきり長話をした彼は、突然話を終わらせられて呆ける圭を知らんフリ、打って変わって無言で片づけを始めた。
- 82 名前:Phantom 投稿日:2005/07/20(水) 11:01
- 「ったく…煽ったり、踏みとどまりたくなる様な話したり…なんなのよ?マスター…」
圭がそう声をかけるも、彼は話は終わったと、無言で圭に背を向ける。
無視を決めこむ彼にイライラとした気分を、圭は「あーもぉー…」と唸りをあげながら、自分の髪をぐしゃぐしゃに混ぜ合わせる事で解消しようとした。
ひとしきり髪を混ぜて…圭は、ふと動きを止めた。
「けどあたしにマスターの言う選択肢なんか無いじゃん。歌以外に大事なものなんか無いんだもの」
小さな声の独り言…けれど根っこの固まった意志の強さを感じる圭の呟きに。
「お前がそう思ってるなら迷うこと無いだろう? たとえ真希の代役だろうとなんの問題も無い」
彼は、背を向けたままぶっきらぼうに答えた。
「は?…別にあたしはそんな事で迷ってる訳じゃ、」
「あるだろ。声も出せない…歌への情熱のかけらも見えない真希に自分を凌ぐ才能がある事実にお前は嫉妬してる。それもそれと自分が比べられ…ある意味優劣をつけられるわけだ。優と言われれば良いが、劣と印を押されたら…更に嫉妬する。それが嫌なんだ。だから迷ってる」
彼の言葉が図星…ではないと圭は思う。
けれど、自分の迷い…不安の種を掠める言葉があった様に…思った。
「そりゃ…あんな話聞かされたら少しは嫉妬するよ。でもそんなの自分で消化できる。あたしは自分に力が無いんだって…努力するだけ。あたしの迷いに真希の事は全然関係ない」
「他の誰かにする嫉妬ならお前は悩まないさ。お前の性格なら、まさにその負の感情を正しく消化できるだろう。でも真希に…自分の好んだ相手に嫉妬するのは…嫌なんだ」
「…どう…してよ?」
「簡単だ。もし真希に『嫉妬』なんて醜い気持ちを見透かされて…今までの関係を保てなくなったらどうしようって不安があるからさ」
無意識の急速な意識への浮上。とでも言うのか、彼の言葉に圭は心臓をつかまれた錯覚を覚えた。
こんな気分になるのはどうしてか…彼の言霊が的を寸分違わず射抜いたからだ…そう気づくまで圭には数十秒もの間が必要だった。
- 83 名前:Phantom 投稿日:2005/07/20(水) 11:02
- 「あたしが…なんでそんな事不安に思うのよ?」
自分の本心の真ん中にある…それを見事に晒されて。
それでもそれを信じられない圭は、彼に問う。
「それだけあいつの存在がお前にとって大きいだからだろ。あいつとの今の関係が大切だからだ。だからそんな些細な事で…不安が押し寄せる」
くるりと振り向いた彼の視線は、圭にでもなく、離れて眠る真希でもなく。どこか遠くを見ていた。
遠く…何か昔を思い起こしている様なそんなそぶりで。
「まさか…マスターの言う選択肢、あたしのは歌と…真希だって言いたいの?」
「お前がそう思わないならそれで良いさ。俺にはそう見えた…それだけの事だ」
そう言うと彼はまた圭に背を向けて、もう何も言わんぞと言う意思表示。
圭はと言うと、もう何も答えないだろう彼に声をかける面倒はせず、微動だにせず眠る真希をちらりと目の端に入れてから頭を振ると、再びアルコールを身体に流し入れる事に専念した。
その夜。
圭は夢を見た。
出逢った事も無い小さな真希が、「Phantom」のカウンターで鼻歌を歌ってる。
声は…何故だかいつぞやに連れ帰った真希に似たあの彼女の物に近くて。
その幼稚で、けれどどこか人をひきつけるその声にふらふらと吸い寄せられ、圭は彼女に声をかける。
とても幸せそうに…彼女は微笑んで圭の言葉を待つ。
「もし…歌と好きな人。どちらか選べって言われたらどっちを取る?」
真希に似た彼女と同じ事を。
圭は、真希に問いかけた。
その返事を聞かないままに。
圭は、その夢から覚めて朝を迎える。
- 84 名前:zo-san 投稿日:2005/07/20(水) 11:06
- 更新です。_(_^_)_
どうしよう…ギリギリだ。マジでギリギリだ<スレ容量
なんでこんな話書いちゃったんだろう…(泣
後2回で絶対終わらせますから…。
>>74 名無飼育さん
これからは切なくなる様なならない様な…です(笑
レス有難うございました♪
- 85 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/07/25(月) 22:53
- 意外な人が出てきて意外な過去がわかってと畳み掛けてきましたね
圭ちゃんは(それがなんだろうと)正しい道を選ぶと信じて待ちます
- 86 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/30(火) 23:38
- 今日とある方の推し作品だと知り読ませて頂きました
最初のお話に号泣しました、サイコーです
それから今の続いてるお話は引き込まれましたw
もうがっつりついて行きます
次回更新期待して待ってます
- 87 名前:Phantom 投稿日:2005/09/08(木) 13:58
- 平家からのオーディションの誘い、圭はその返事に1週間の猶予を貰っていた。
けれど某マスターの与太話のせいか、いくら考えても思考は混乱するばかり、イエスノーが全く定まらない。
話を貰い、一晩考え込んで煮詰まったまま眠った圭は、翌朝起き抜けに行き成り平家に連絡を入れた。
平家と対した瞬間の自身の直感に従おうと…圭は寝起きの無意識の欲求にかけてみる事にした。
電話口の平家に「昨日の話、お受けします」と、圭の口は滑らかにその言葉を吐いた。
勢いの付いた圭は「数日の準備期間を」と言う平家側の提案を退け、今すぐにでもと申し出た。
平家は苦笑ともとれる口調でそれを了承し、圭も電話を切るとすぐに指定された場所へ向かう準備をし始めた。
準備を始めた圭を、ベッドの端に腰掛け、なんとも言えない複雑な表情で見守る真希に。
「あんたも来る?あんたの代わりを選ぶオーディションなんだから、興味あるでしょ?」
準備を終えた圭は、そう声をかける。
真希は、ゆっくりとそれに首を左右に振ると立ち上がり歩み寄り、圭の上着の端を引いた。
「行くなって?」
圭の言葉に、真希は頷く。
「あたしが平家さんと話た時も、あまり良い顔してなかったね。もしかして今日あたしを行かせたくないのは、あんたが歌いたいからって事?」
圭の言葉を、真希は間髪居れずに首を振る事で否定した。
けれど「歌いたい」そう口にしたそうな表情を僅かに浮かべた真希を圭は見逃さなかった。
- 88 名前:Phantom 投稿日:2005/09/08(木) 13:59
- 「あんた、本当は歌いたいんでしょ?」
真希は更に首を振って「違う」と言う意思を圭に示すが、圭はそれを無視した形で話を続ける。
「もしあんたが歌いたいって言うなら、あたしはこの話は断るよ。あんたの声が出なくとも、歌う意思があるならそれが筋でしょ。でもそうじゃないなら行く。折角のチャンス逃したくないしさ」
自分の服を掴む真希の手を、圭はぎゅっと掴むと強い口調でそう言った。
真希は、それに答えるでもなくただ口を硬く結んで、どことなく悲しげに圭を見つめる。
「あんた、本当に歌いたくないの?」
真希はそれに小さく頷く。
「ならあたしは行く。受かるかどうかわかんないけど、何もしないでチャンスを放り投げるのは嫌」
服を掴んだ真希の手を圭はやんわりと解き、玄関へ足を向けた。
が、圭が数歩足を動かした所で、走り寄ってきたらしい真希が、勢いをつけて圭の腰に抱きつく。
「なんなのよっ?」
圭は、にわかに声を高くしてそう言うと、背にひっついた真希を振り動かして剥がそうとした。
けれど真希は、がっちりと圭の身体を抱きしめて、離れる気配は無い。
「あのね。さすがのあたしも怒るぞ?」
真希を剥がすのを止めると、圭はその両手を腰に当ててため息をついた。
「あんたの代わりになれるかってテストだから、多少ムカつく事もあるんだろうさ。けどあんたは歌えない、歌いたくない。なら何の問題も無い。あんたにあたしを止める権利なんか無い。違う?」
勢いに任せた様に圭がそう言ってすぐ、真希は不自然に身体を揺らす。
「だから…放せ」
圭が言いすぎたかな…そんなため息と共にそう口にすると、真希はふるふると勢い良く頭を振り、圭を掴んでいた腕に更に力を込める。
何を言っても堂々巡りと言う事か。落胆露に圭は、真希の頭を撫でて落ち着く様に促す。
「じゃ、あんたが反対する理由を教えてくれないかな。でないと、あたし行くとしか言えないぞ?」
暫くの沈黙が流れ、真希の腕がゆるりと力を失いパタンと圭から剥がれ落ちた。
- 89 名前:Phantom 投稿日:2005/09/08(木) 13:59
- ヒュッと、真希が大きく息を吸った音が、圭の耳に聞こえて、直ぐ。
「言ってもけーちゃん、信じて…くれないもん」
そう真希が言葉を紡いだ。初めて。耳に聞き覚えのある様な無い様な…不思議な響きの声で。
あまりに突然の出来事に圭の思考は停止しそうになるも、寸での所でそれを無理に阻止して。
「話聞いてから信じるかどうか考えるから。どうしてあんたがあたしを止めるのか…きちんと話しなさい」
落ち着いた圭の言葉に、真希は真剣な面持ちで圭を見やった。
「平家さんの前でけーちゃんが歌ったらこの話決まると思う。けーちゃんって、平家さんの好きそうな声だし、ごとーもけーちゃんの歌すごいって思うし好きだから、ほんとはけーちゃんに歌って欲しい。行って欲しい。でも、けーちゃんが歌を取ったら、けーちゃんの大切な人が居なくなっちゃうから」
真希の真摯な眼差しに声色に、圭も自然と姿勢を正して真希の言葉を真剣に噛み砕こうとするも…真希の言葉は理解するには足りない。
「…意味わかんないんだけど」
「けーちゃん『Phantom』に逢ったんでしょ?」
「『Phantom』?」
「けーちゃんが気に入られた人。マスターが『ミューズ』って言ってたの。逢ったんだよね。探してたもん」
その話に繋がるの?これが?圭は、ぽかんと口を開きたいのを我慢しつつ眉を顰めた。
「ちょっと、あんたまで何言ってるの?んなの居る訳ないでしょ?」
「居るの。『Phantom』には『Phantom』が。好きな人の姿で現れて、歌を取るか好きな人を取るか…訊くの。父さんは歌を取ったから、母さんを失ったんだって。死ぬ時ごとーに教えてくれた」
「…あのさ、あんた頭平気?」
圭の呆れ入った様子に構わずに、真希は真剣な表情を崩さないまま話を続ける。
「父さんは音楽で人に羨ましがられるくらい成功したけど…全然幸せそうじゃなかった。母さんが死んじゃったから。けーちゃん『Phantom』に逢ったって事は、父さんと同じ事訊かれてるんでしょ?ごとーは、けーちゃんが好きな人失って、父さんみたいに笑わなくなるの嫌だから、歌を取って欲しくない」
圭は、これを笑い飛ばそうとした。が、ふとマスターが昨日語った言葉を思い出し、その上見慣れない程きりっと締まった顔の真希の声には、今にも泣きそうな弱々しい震えが含まれていたから、結局圭は真希の戯言を鼻で笑って一蹴する気にはなれなくて。
「だから、行くなって話しに繋がる訳ね。それでもあたしは歌を取るって言ったら?」
「仕方が無いよね。ごとーにはそれとめる権利…ないもん」
がっくりと肩を落とした真希に、圭は先ほどからそっと棚上げしていた疑問をぶつけようと試みる。
「止める権利ならあるでしょ?あんたは今声が出る。歌えるじゃない。あんたが歌いたいって言ったら、止めるも何もこのあたしの話は無かった事になる。あたしを止めたかったら、あんたが歌えば丸く収まるじゃない。どうして声出ないなんて嘘までついて歌わないのかわかんないけど、歌いたいんでしょ?あんた、さっきそう言う顔してた」
圭の言葉に真希は、大人びた苦笑を浮かべて小さく首を振る。
- 90 名前:Phantom 投稿日:2005/09/08(木) 14:00
- 「ごとーもう歌う気無いもん。好きな人…失いたくない。父さんみたいに」
「…まさか、あんたもその『Phantom』とやらに逢ったとか言い出さないわよね?」
思いがけない真希の返しに圭は、反射的に問い返す。すると真希は一拍の間を置いて静かに口を開いた。
「小さい頃『Phantom』に逢ったって…父さんの話聞いて思い出したの。だからごとーは歌をやめようって思った」
「それが、あんたは声が出ないなんて嘘付いて逃げた訳?好きな人を失いたくないから?」
真希は力強い頷きを見せ、圭はそれにあきれ返った風なため息をついた。
「素直って言うか…どうして、んなファンタジー染みた父親の話信じるのさ?嘘に決まってるでしょ?」
「『Phantom』の話聞いた後、父さんも死んじゃって。デビューの準備しながら…思ったの。ごとー別に好きな人って居なかったし、歌と比べる人も居ない。父さんの言うみたいにどっちかなんて選べないんじゃないのかなって。信じてた訳じゃなかったけど…何となくそう思ったら『Phantom』に行って見たくなったの」
「…それで?」
「でね。『Phantom』行ったら、昔逢った『Phantom』と同じ姿した人に逢った」
疑問を投げかける様な真希の呟きに、圭は頭をかきながら首を捻る。
「つまりそれって…結局あんたはまた『Phantom』に逢えたって事?」
「ううん。『Phantom』じゃなくてね、『Phantom』が教えてくれてた…多分あたしが好きになるかもしれない人に…逢った」
「あのさ…判るように言ってくれないかな?」
「と…ね?『Phantom』は好きな人の姿を借りて…現れるって父さんが言ってた。でも昔逢った時は全然知らない人でしかなくて…好きでもなくて、だから父さんの話もあまり信じられなかったんだけど。『Phantom』に言ったら昔逢った『Phantom』そっくりそのままの姿した人が居て…」
「…他人の空似じゃないですかね。それって」
幾度目かのため息を撒き散らし、圭は肩を竦める。
「一目で好きになったもん。びっくりするくらい突然にね、好きだって思っちゃったんだ。だから父さんの言う通り『Phantom』は好きな人の姿してるんだって思った」
「…だーからさ?たまたま似てる人って事だってあるでしょ?世の中には自分に似てる奴が3人居るんだぞ?」
そもそもあたしが逢った『Phantom』とやらもあんたにそっくりだったよ。歳食ってたけど。
そう圭は心の中で毒づいて…ふと真希の話との符号に気持ちが触れ…圭の胸にぽつぽつと疑問符が浮かんでくる。
- 91 名前:Phantom 投稿日:2005/09/08(木) 14:01
- 「けーちゃんは信じないかもしれないけど…ごとーはそれで『Phantom』を信じたの。だから、もう歌わないって決めたし…だからけーちゃんにも歌って欲しくないって思った」
「あんた…ほんっとに歌やめたいってくらい好きなの?その…『Phantom』に似てるやつ?気の迷いとかじゃなく?」
圭の問いに、真希はにわかに頬を染めた。そして僅かに潤ませた瞳を伏せると「うん」と頷いて押し黙る。
圭は、そんな真希のしぐさに疑問符一杯の胸を締め付けられ…そんな自分に向け再び疑問符を飛ばす。
「それ…誰?」
とても無意識に圭はそれを問うた。
「…教えない」
ぷいっと真希はそっぽを向く。
「…なんで教えないのよ?」
「なんで教えなくちゃいけないの?けーちゃん関係ないじゃん」
「だって、それは……気になるでしょ?あんたが歌わない原因って言うんだから…」
「ごとーが歌わなくても圭ちゃんに迷惑かかんないよ?」
「かかるっ!」
「か…かかるの?」
「…気がするのはどうしてだろう?」
「…知らないよぉ」
ふと、圭は何を思いたったのかポンと平手を一つ打って、真希の手を引いた。
「『Phantom』行くか」
「え? ど、どして?」
「行けばあんたの好きな人とやらに逢えるんでしょ?」
「だから…なんでけーちゃんがごとーの好きな人に逢いたがるのっ!」
「うっさいっ!ムカつくからに決まってんでしょーっ!」
「なんでけーちゃんがムカつくのぉ?!」
いやいやと抵抗しながらの真希の質問に、圭はぱたりと動きを止める。
- 92 名前:Phantom 投稿日:2005/09/08(木) 14:01
- 急に動きを止めた圭に不思議そうな表情を見せる真希をじっと見つめ返した圭は、引いていた手を放し、両手で髪をかきあげた。
「だからなんって言うか、あんたは否定するだろうけど…あたしは歌をやめるって言ってるあんたが、さっきすごく苦しそうに辛そうに見えたの。苦しそうなあんたは見て居たくないって思うからムカつく…のかな?」
真希に聞かせると言うよりは、自分自身に問いかける様に圭はそう言葉を紡いだ。
それから圭はしばらくの間、思考にふける様にまぶたを閉じて口を噤み、再び目を開いた時には非常に難しい顔で。
「もしあんたの言う事が正しければなんだけど、信じたらって話なんだけどさ?あたしが将来好きになる人って、なんか…未来のあんたじゃないかって気がする。だからあんたの好きな奴って話は…ムカついたのかな…。うん。そう言う事だ」
「な…何それ?」
そう呟いてぽかんとした真希の頭を、圭は何か迷いを乗せた手のひらでそっと撫でながら。
「あたしの逢った『Phantom』あんたに似てたのよ。こんなお子様じゃなくて、もっと大人で美人ではあったけど。他人の空似じゃないなら、あんたの話信じたら、あれって未来のあんたなんじゃないかって思う。それくらい似てた」
「…へえ……えぇっ?!」
素っ頓狂な裏声を発した真希に、自分自身の言葉に納得した、そんな表情の圭は気を取り直す様に深く息を吸って勢い良く吐き出した。
「だからあんたに好きな人が居るって、そこにもムカついてんだあたし。でも別に今のあんたが好きだなんて思ってないから、嫉妬ってのとも違うんだろうけど。わかるかな?あたしの言ってる事」
真希はさっぱり訳の判らない圭の話に、混乱した感情を露にしてただおどおどとして圭を見つめた。
「良く…わかんない…けど、あのね?けー…」
何か言いたそうにする真希の言葉を遮って、圭は矢継ぎ早に言葉を並べていく。
「あたしも良くわかんないんだけど…将来的に失恋させてくれるだろう誰かに興味があるし、それにそいつのせいであんた歌わないって言うんでしょ?才能あるあんたの歌聴けないのは、音楽好きのあたしにはそれも結構な痛手な訳。あたしの精神的被害の元凶なんだから顔くらい拝ませてもらっても罰当たんないでしょ?って事」
「だから『Phantom』に行くぞっ!」と、圭は吹っ切れた様に叫んで、真希の手を引いた。
「…あのだからね?けーちゃん」
「大丈夫よ。逢ったからって何かするつもりない。ただ個人的に納得したいだけなんだから」
「だから、けーちゃんっ!!」
真希の言葉に一向に耳を傾けない圭の手を、真希はこれでもかーっと、ぶんぶんと振り回して。
- 93 名前:Phantom 投稿日:2005/09/08(木) 14:01
- 「何よ?こんなに色々言っても駄目?」
「あのね?『Phantom』に行っても逢えないよ」
「なんで?」
「…居ないもん。『Phantom』には」
「じゃ、どこに居るの?」
「…ここに…居るの」
真希はそう呟いて、圭の顔を指差した。
「はい?」
「だって……けーちゃんだよ?ごとー好きな人って」
圭は真希の腕から手を放し、真希の両肩にそっと手を置いて顔を覗き見た。
「と…もう一回言ってくれるかな?」
「けーちゃんなの。ごとーが好きな人。だから『Phantom』行ってもけーちゃん居ないでしょー?だから逢えないの」
ふーん。あたしか。は?あたし?
そう呟いたか否か、圭は、突然真希の頭を平手で叩いた。
「バカか!あんた!」
「な…なにそれぇ?」
「なんでもっと早く言わないのよっ!!」
「言えるわけ無いよぉっ! けーちゃん恋人いるみたいだったし」
「恋人なんて居ないよっ!あんた近くに居てそんな事もわかんないの?!」
「居たから知ってるんだもんっ!けーちゃんキスマーク一杯つけてたーっ!!虫刺されなんかじゃないって知ってるもん!」
「ばっ!!あれは、あんただろっ!!ってか…あんたっつーか…あんたの格好した『Phantom』が勝手に…つか…わかんないけど」
真希の思いも寄らない方向からの反撃に、ごにょごにょと口ごもった圭は、はたと首を振って気を取り直す。
「ってそんな事はどうでも良いんだ…と、とにかくあんたの好きな奴ってのはあたしって事で良いのかっ?」
告白もつらっとしてはいたけれど、なんてぶっきらぼうな返答だ…とはお互い思っていても混乱した二人はスルーする術しかない。
- 94 名前:Phantom 投稿日:2005/09/08(木) 14:02
- 「う…うん」
「そっか。なら話は早い。あたしの為に歌やめるなんてうざい事やめてくれるかな?」
「へ?」
「なんつーかさ、やっぱそう言うのってうざいと思うんだよね。ストーカーくさい思い込みの激しさと言うか…」
「なっ!ストーカーとか言わないでよっ!ごとーすっごい悩んで決めたんだよっ?!」
「それにあの話信じたら、あたしだってあんたの為に歌やめなきゃなんないって事でしょ?それもなんかどうかと…」
「あ、そうだよねぇ。ごとーの為って事になっちゃうんだ」
奇妙な二人の言葉の応酬は、ふいに小さく呟かれた真希の一言で小休止。
「な…何よ?急に」
「そっか。けーちゃんの好きな人がごとーなら、けーちゃん行っても良いかなって思って」
「なんで?」
「だってけーちゃんまだごとーの事好きじゃないんでしょ?ならごとーが死んじゃっても大丈夫だよね?」
「は?」
「ごとーね、けーちゃんの歌好きだから止めて欲しくない。でもけーちゃん好きな人死んじゃったら泣くと思ったから、とめたの。でも死んじゃうのが今のごとーならけーちゃん平気だよね?」
真希の言葉に圭の頭の中、ぷっちーんと何かが切れる音が聞こえた。圭は怒りも露に、真希の両頬をぐにっと摘んで引っ張って。
「あんた……ほんっとにバカでしょ?」
「けーひゃん、ひたーいっ!!」
「あんたが死んであたしが良い訳あるかっ!あんた自分を過小評価するのいい加減やめなさいよっ!」
「なんれけーひゃんおこるのぉ?」
きゅーんと怒られたワンコ宜しく眉尻を下げて涙目になった真希から両手を離し、圭はそっと真希の身体に両腕を回した。
「あたしはね?恋人にしたいとか、そう言う意味で今はまだあんたを好きじゃないけど。あんたはあたしにとって必要な人間である事は確かなの。んなあんたが死んであたしが平気で居られる訳無いでしょ?」
「そ…う…なの?」
圭の腕の中で真希の身体の温度上昇を感じながら、圭は更に抱きしめる腕に力を込める。
- 95 名前:Phantom 投稿日:2005/09/08(木) 14:02
- 「『Phantom』の話信じたとして。あんたが好きな人の為に歌やめるってやつ?ムカつくけどわからなくも無い。けど、それがあたしの為ってなら話は別。あんたが歌やめるってのは嫌。断るからね」
「でもそうしたら…けーちゃんが…死んじゃうかも知れないんだよ?」
「信じたらね。けど自分が当事者になったからこそ改めて言うけど、あたしは信じないぞ?ただ歌っただけで人が死んでたまるか」
「けどっ!」
圭は、真希の言葉を止めようと、軽くその背を叩いた。
「つーかさ。あんたが信じても信じなくても良いけど…あたしが将来好きになる奴まで奪わないでくんない?」
「…え?何?」
「直感だけど…歌やめたあんたをあたしは絶対に好きにならない」
「なん…で?」
「歌やめたあんたは、あんたじゃない。あたし自身、歌やめたらあたしじゃなくなるって思ってるから。そう感じる」
「けど…さ?」
「あんたが歌ったくらいで、あたしは死なない。絶対にあんたを好きになるまで…死なないからさ。あんたもあたしが好きになるくらいのあんたになってよ。待ってるから」
腕の中で小さく蹲り、口を噤んでしまった真希の髪を撫でながら。
「もしあたしがあんたを好きになるまで生きてたらさ?今度はあたしが歌をやめるって言い出すかもよ?あんたの為にあたしが歌やめるって言ったら…どう?」
「ごとーは…けーちゃんが哀しまないなら…ほんとは歌ってて欲しい。歌ってるけーちゃん好きだもん」
涙声、そんな愁傷な物言いの真希に圭は、一瞬言葉を失う。
「あんたは、けなげだなぁ…ったく」
照れたのか頬を僅かに赤く染め苦笑する圭は、上気した気持ちを隠す様に真希の頭をわしわしと撫でる。
「…ほんとにけーちゃん死んじゃったりしない?」
「しないってーの。あんたあたしの事好きなんでしょ?好きな奴の言葉、信じなさいよね」
圭はそう言うと、真希の額に、コツンと自分の額を当てて。
「…返事は?」
「ごとー…けーちゃん、信じる」
「ヨシ…良い子だぞ」
そう言うと、圭は微笑んで真希の額に軽く唇を落とした。
明らかに子供に親愛の情を示す為のそれでも、真希が感極まって泣き出すには十分すぎる物だった。
- 96 名前:Phantom 投稿日:2005/09/08(木) 14:03
- −−−−−−−−−−−−−−−−−−−
数日後。
「ふっふざけんなぁーっ!!」
と叫んだのは、圭。それを聞かぬ様にと両耳を塞ぐのは『Phantom』のマスターである。
「『Phantom』の話が全部嘘ってどう言う事よっ!!」
「お前は信じてなかったんだからいいじゃねぇか」
「よくないっ!あんだけ真剣に真希の父親話語ってあたしを脅してたのはどこの誰よっ!な、何気に不安だったんだぞ!」
「だってなぁ…お前しか出来ないと思ったんだ。父親の妄執に取り付かれて歌を止めようとした真希にもう一回歌わせるなんて芸当はな」
ぽりぽりと指で頬をかいて、彼は申し訳なさそうにそう言った。
彼の話によると『Phantom』に『Phantom』は居るのだそうだ。と言うか彼自身昔に『Phantom』に出逢った者の一人だと言う。
けれど決してそれは歌の女神ではなく、気に入った人間に近づいては、将来自分が好むだろう相手を悪戯に教えると同時に、必ず無理難題を突きつけては消える、どちらかと言うと…女神と言うよりは小悪魔然とした妖精の類らしい。未だに良く判らん代物だが…と、彼もそっと付け加えたが。
真希の父親に関しては、全くの偶発的な事故が重なっただけだったのだ。彼が『Phantom』と不幸な事故を結び付けてしまったが為の妄想を抱き、それを語られた真希もまたそれを信じて歌をすてようとした。
マスターは初めからここに現われた真希の素性を知っていて、且つ彼は真希の動向を時々真希を心配する平家に流していた。
そして圭が『Phantom』らしきものと遭遇した事を知った彼は、それを上手い具合に利用し、平家と組んでこの一連の騒ぎ…いや緻密な計画を練ったのだと言う。
「…利用されまくりよね。あたし」
「いーじゃねーか。そもそもお前の歌が良くなったのだってそいつのお陰だろ?」
圭は自分の横で何も知らずに眠りこける真希に視線を向ける。
「そりゃまぁそう…かもしれないけどさ」
「ほう、自覚したか?」
「…なんとなくね」
「だったらそいつの為に、これくらいの骨折ってやっても罰あたらないさ。結果的に良い相棒できたし万々歳だろ?」
真希は、平家の元へは戻らなかった。
歌を続けるなら圭の傍でなければと頑として譲らず、平家はならば圭も一緒にと話を持ちかけるも、圭はそう言う気分じゃないと丁寧?にそれを断った。
今後どうするのかは知れないが、とりあえず今は圭のいるバンドメンバーと共に『Phantom』や小さなライブハウスで歌う事になるだろう。
「…まぁ。仕組んでもらって良かった。事にするよ」
ふと柔らかな笑みを零し、圭は眠る真希の髪をそっと撫でた。
−−−−−−−−−−−
- 97 名前:Phantom 投稿日:2005/09/08(木) 14:04
- 3階建ての古いアパートの2階、ユニットバスつきの1K。
圭と真希は、もう何年もこの手狭な部屋に住んでいる。
「ん…けー…ちゃん?」
ベッドの縁に背を凭れてノートにつらつらとペンを走らせていた圭は、自分の膝の上でようやく起きたらしい真希の鼻を摘む。
「あーおはよう。おはよう。あたしが曲作ってるってのに、ほんと気持ち良さそうに寝てましたね。あんたは」
不満タラタラ。そんな気持ちを全面に押し出した圭の口調に、真希は全く気づく様子無く…首をかしげた。
「圭ちゃんさ…今昼だよねぇ?おはよーは、ちょっと違うんじゃないの?」
「あぁ違いますよ。あんた昼食った後、あたしの膝で寝やがりましたよね?」
「うん」
「だから今は夕方なんだよっ!!痛いんだよっ!足っ!早くどきなさいよねっ!」
バカっ!と付け加えつつ足を動かした圭に、真希はごろごろと床に転がされて…なのに床に転がり圭を見上げる真希は、にへらっと笑みを浮かべている。
「…あんたキモイ」
「あたしさぁ、今、すごい夢見たよ?」
「真希…人の話聞いて無いでしょ?」
「あのね、若い圭ちゃん襲ってきちゃった」
「をーいっ!!ちょっとは、人の話聞きなさいよっ!なに寝ぼけてんだあんたっ!」
「あのキスマークあたしのだったんだねぇ。安心した」
圭は、そんな真希の言葉に、ふと真希の姿を凝視した。
長い髪を床に広げて、へらへらしている真希は、遠い昔に圭が出逢った『Phantom』そのものだ。残念な事に今はへらっとしすぎていて、美人…とは言いがたいが。
- 98 名前:Phantom 投稿日:2005/09/08(木) 14:04
- 「キスマークって…昔のあれ?」
「そ。でも、あたしが圭ちゃんの『Phantom』だったんだよ?すごくないっ?!あれつけたの他の誰でもないあたしだったんだ」
「あっそ。良かったね」
興奮気味の真希に、おざなりな返事をした圭は、再びノートにペンを走らせる。
と、その反応に納得のいかない真希は床をごろごろと転がって圭の膝に上半身を乗っけて。
「圭ちゃん驚かないの?『Phantom』じゃなくて、あれあたしだったんだよ?」
「いや、あたし何となく気づいてたし…」
「圭ちゃん知ってたの?」
がばっと床に両手をついて真希が上体をあげた。
突然傍に寄った真希の額に、圭は少し離れろと、軽い頭突きをしつつ頷く。
「うん。だって、あたしも小さい時のあんたに夢の中で逢った事あるし…良くわかんないけどそう言うもんかなって」
「…じゃ、あたしが逢った『Phantom』って圭ちゃん?」
「と、思うんだよね。あんた『Phantom』のカウンターで鼻歌歌ってて…それがちっちゃい子の割に上手くてつい聴き入っちゃってさ。訊いたと思うんだよね。歌と好きな人とどっち取る?って」
真希は素直に圭の話を飲み込んだ様で「ふーん」と軽い相槌をうって首を捻る。
「でも…なんで、そんな事訊いたの?」
「さぁ。丁度平家さんに話貰った日で、マスターにあんたの父さんの話されたからじゃないの?」
「なんか…てきとー過ぎない?」
「あんただって、ついさっき夢の中であたしに同じ事訊いて来たんでしょ?それはどうしてさ?」
「んー…歌に嫉妬しちゃった感じ?」
「…何それ?」
真希は、不意に唇を尖らせて拗ねた表情を見せて。
「…やっぱり圭ちゃんの一番はいつまで経っても歌なのかなぁって」
「そう言う事か」
よしよしと、圭は子供をなだめる様にして真希の頭を撫でて苦笑する。
- 99 名前:Phantom 投稿日:2005/09/08(木) 14:07
- 「ねぇ、圭ちゃん。いつまで子供扱い?」
「なんだよ?頭撫でられるのはもう嫌って?」
「これは好きだから良いんだけど、そうじゃなくてね?」
「そうじゃなくて?」
ニッと自信有り気な笑みを見せた圭から、真希はふいっと視線を逸らして薄っすらと顔を赤らめた。
「とね?圭ちゃんが好きになるって予告してた『Phantom』は、今のあたしって事でしょ?」
「あぁ…そう言う事になるか」
「なるでしょ?」
「なるね。で、どうしたの?」
判っていてはぐらかす様な圭の返事に、真希は再び圭の方を向いて。
「あたしまだ…圭ちゃんの好きになる予定の『大人で美人』になってない?」
ついさっきまでのへらへらを何処かに仕舞って、真希は真剣な面持ちでそう圭に問うた。
「こんな風に真剣な顔するとなってるって思う」
圭は、くすっと笑みを零しながら真希の頬に手のひらを置いた。
「でも、にへらーっとしてる真希も中々に可愛くて好きかな」
そう言うや否や、圭は真希の唇にそっと自分のそれを軽く押し付けた。
当然、今までこんな事を圭にされた事もしたことも無かった真希は、瞬間的に顔を真っ赤にして。
「なっ!け、けーちゃん??」
「なんでそんな驚くかなぁ?今もっと激しいのしてきたでしょ?」
「して…で、でもそれホントだけど夢だしっ!実感ないってか…」
「あん時あんたがあたしに言った『恋人いないのに欲求不満じゃないんだ?若いのに不健康だよねぇ』ってあんたの愚痴でしょ?」
「ちがっ…」
「じゃなきゃ、昔のあたしにあんだけキスマークはつけないんじゃないの?」
「…くないです」
きゅーっと肩を竦めて小さくなった真希の首に、圭は腕を回してそっと抱きついて。
- 100 名前:Phantom 投稿日:2005/09/08(木) 14:08
- 「ここ二年くらいかなぁ。あたし寝てるあんたに時々キスしたりしてたんだけど。気づかなかった?」
「…へ?」
「あたし思ったより早くあんたにはまっちゃったんだけど、中々言い出せなくてさ。あんたべたべたくっついてくる割にそう言う匂いさせないでしょ?告白するタイミング逃しちゃってて…でも我慢出来ない時もあってね。ついつい、寝込みを軽く襲っちゃってたんだよね」
やー参った参った。そう呟いてワザとらしいため息をついた圭に、真希はむすっとして。
「ひどーいっ!!じゃあ、あたしニ年も余計に我慢してたのー?!」
「そう言う事になるね」
「ずるいよ。圭ちゃんばっ…んっ」
拗ねる真希の唇に、圭はニヤニヤして自分のそれを押し付け…慣れてない真希はやはり耳まで真っ赤にして。
「じゃ、あんたもすれば?」
「…言われなくても、するもん」
真希は圭の身体を抱き寄せると、鼻先が触れるくらいに顔を寄せる。
「圭ちゃん」
「何?」
「お互い『Phantom』に気に入られて良かったね」
「…そうかなぁ」
「そうじゃないの?圭ちゃんは」
「だって『Phantom』に好かれなくてもあたしら普通に逢ってたかもよ?」
「でもあたしが昔『Phantom圭ちゃん』見てなかったら『Phantom』になんか行かなかったと思うよ?」
「だね。あんたも歌手デビューなんてのしちゃって…有名になってるかも。そしたら益々逢って無さそうだ」
「じゃあ、『Phantom』に感謝だね」
「今夜『Phantom』行って、御礼でも言っとくか?」
「うん。でも、ちゃんとこれが終わってからね?」
「…もちろん。いくらあたしが不健康でもここでおあづけは勘弁よ」
くすとお互い軽い笑いを口許に浮かべ。
どちらからとも無く、そっと唇を深く長く重ねあわせた。
end
- 101 名前:Phantom 投稿日:2005/09/08(木) 14:09
- 更新&終了です_(_^_)_
終わらせました。遅くなりました。それも中途半端でごめんなさい。
思った以上に長くなり、伏線エピソードを2つ省き無理やり話の筋を曲げると言う暴挙を行っての終了でした。
今後は初めに容量を考慮して脱線させない様話の支柱を曲げない様無事書き上げられる様、精進したいと思います。
これまでお付き合いありがとうございました。
- 102 名前:zo-san 投稿日:2005/09/08(木) 14:15
- >>85 名無飼育さん
畳み掛けすぎなラストで申し訳ありませんでした_(_^_)_
結局圭ちゃんは…正しい道、と言うかgoing my way ってな感じで突き進んで頂きました。
レス感謝です。
>>86 名無飼育さん
推されてましたか…ありがとうございます_(_^_)_
最初のお話は自分でも大好きです♪久々に達成感を持った事を覚えてます。
次話は、引き込まれて下さった様で感謝ですっ!なのに拙いラストですみません。
感想ありがとうございました。
- 103 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/10(土) 16:47
- とってもいい話でした
伏線もいい具合でしたし
やっぱプッチはいいですねぇ・・・・・
次くらいから吉澤でるんですかね?
- 104 名前:はち 投稿日:2005/09/19(月) 18:45
- 完結乙でした
自分も最初の話は号泣です
2つ目もぐっとくるものがありました
- 105 名前:zo-san 投稿日:2005/09/30(金) 21:27
- >>103 名無し飼育さん
感想ありがとうございます_(_^_)_
伏線も良かったでしょうか♪
張っといて回収できなかった伏線も居たりしたので、ちょっとほっとします。
…と、お知らせとしては。
このスレは上記2作で終了です。吉澤さんには申し訳ですが、このスレは彼女に触れずにフェードアウトしていきますです。
>>104 はちさん
ねぎらいレスありがとうございます_(_^_)_無事完結しました♪
ご、号泣っすかっ!嬉しいです!…泣ける話を書きたかったので。
2つめも悪くない感触を持って頂けて良かった。
レスの返事をしに現われてみました、作者でした_(_^_)_
またいつかどこかでー<ふぇーどあうとー
- 106 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/12(月) 05:05
- 突然失礼します。
いま、2005年の飼育を振り返っての投票イベント
「2005飼育小説大賞」が企画されています。よろしければ一度、
案内板の飼育大賞準備スレをご覧になっていただければと思います。
お邪魔してすみませんでした。ありがとうございます。
- 107 名前:名無し花子 投稿日:2006/01/16(月) 14:27
- 2作品とも読まして頂きました。
作者さんの書くやすごまが1番大好きであります。
次回作楽しみにしております。
- 108 名前:zo-san 投稿日:2006/02/10(金) 22:40
- お返事遅れてすみませんっ!
あましこのスレ見てなかったので…。
読んで頂いてありがとうございます。
元々がやすいしメインで書いてた人間なので、
やすごまを褒めて頂けるのはとても嬉しいです。
またいつか新作書きますのでその時はよろしくお願いします。
Converted by dat2html.pl v0.2