舞い落ちる刹那の中で
- 1 名前:石川県民 投稿日:2005/03/02(水) 16:19
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黄板ではお初お目にかかります、石川県民と申します(ぺこり)。
これから一気にupするものは、ノリが青春小説な田亀です。
しばしお付き合いくださいませ。
- 2 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:20
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舞い落ちる刹那の中で
- 3 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:20
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序.
- 4 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:20
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手渡された用紙を開いて目をやった。弱々しく書かれていた、たった一言を読んで。
ぶ厚いガラス窓の向こうを睨み――。
「っざけんじゃなかと絵里ッ!!」
あたしは吼えた。
ガラス窓を叩くと鈍く振動した、再度吼える。
「――んな最後の別れの言葉みたいなもんッ絶対許さん!!」
「ちょ、ちょっとれいなちゃん…!」
おばさんがあたしの腕を掴むが、振り外す。大声でやって来た看護師が怒鳴った。
「騒ぐなら出て行ってください!」
看護師が後ろからあたしを掴み、自動ドアへと乱暴に引き連れていく。
あたしは窓ガラスの向こう――医師や、くるくると動き入れ替わる看護師の間から見える、酸素マスクをつけたまま目を覚まさない絵里を、ただずっと見据えていた―――。
- 5 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:20
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ICUの外から出され、近くのソファに座らされた。意味もなく光の溢れる窓を見ていると、おばさんがコーラの入った紙コップを手渡してくれた。軽く頭を下げて受け取る。
口をつける。――甘い。コーラの甘さでも絵里とのことを思い出す。
滲みそうになる目を乱暴に擦り、瞑る。そのままゆっくり、後ろの壁に背中を凭れかける。壁の冷たさが衣服を通り抜けて直に肌に伝わった気がして身震いした。
あたしは、絵里と初めて言葉を交わしたときのことを思い出し始めた―――。
- 6 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:21
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1.
- 7 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:21
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先に声をかけてきたのは向こうからだった。
「歌、上手だね」
芸術の教科で音楽を選択し、最初の授業は全員が一人ずつ前に出て校歌をワンフレーズ歌うものだった。歌い終えたので席に戻ろうとしたら、隣の前の席の子がそう声をかけてきた。
「…そう?」
「うん。上手だったよ、わたし聞き惚れちゃった」
「……あんがと」
歌がウマいと言われて悪い気はしなかったけれど、気恥ずかしさからぶっきらぼうに答えて自分の席に戻る。振り返ったままだったその子は、にっこりとあたしに微笑んでから、首を正面に戻した。
今、声をかけてくれた子の、形のよい小さな後頭部とさらさらの長い髪を、片肘ついてぼんやりと見つめる。
名前、なんて言うんだろ……。
ただ、そう思った。
- 8 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:21
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あたし、田中れいなは、この春中学を卒業して高校に入学した。唯一の同じ中学校出身であり友人である子は違うクラスのため、自分のクラスには親しい人も名前を知ってる人もいなかった。
一見の教科担当の教師が現われる度に行われる生徒の名前と出身中学を告げていく簡単な自己紹介。
今まで自分のとき以外は窓の外を見てやり過ごしていたけれど、音楽の授業の次の授業で行われた自己紹介を、じっと、立ち上がった彼女の後姿を見ながら聞いた。
「第二朝比奈中学校から来ました、亀井絵里です」
彼女はそう言って席に座った。
カメイ…エリ……。
たった今聞いた名前を舌の上で転がす。ひどく、甘美だった。
- 9 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:22
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放課後。宿題として出されたプリントや、親に見せないといけない『お知らせ』をカバンに突っ込んでいると、
「れーなーーっ」ドアから呼ばれた。
声だけで誰か分かる。
「さゆのクラス、HRはよ終わったんね」
「うん」とことこ、勝手にクラスに入ってきた。
唯一の同じ中学校出身であり友人であり、二つ隣のクラスの道重さゆみ、通称さゆ。
「今日わたし部活ないから一緒に帰ろ〜」
「…すまん。あたし今日部活あるから」
あたしは剣道部。さゆは確か…茶道部だっけ。
断ると、ぶーと言って唇を尖らせた。
「サボればいいじゃない〜」
可愛く拗ねるさゆの額を、指でつつく。
「あかんちゃ。一緒に帰るのはまた今度」
唇を尖らせたままのさゆは、あたしの後ろに視線を向けて、なにかに気づいた。
「あれ?亀井さんもここのクラスなの?」
- 10 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:22
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―――えっ!?
振り返ると、突然声をかけられ、目を丸くしてプリントを握ったままの亀井さんがいた。
「さゆ、知り合い?」
「同じ茶道部の人。ね、亀井さんよかったら一緒に帰ろう?」
動きを停止させたままの亀井さん。でも、すぐに笑顔を見せた。――ふにゃりとした、柔らかい笑み。
「うん。よかったら一緒に」
プリントを終い、カバンを手にする。
「――じゃあね。れいな、ばいば〜い」
「バイバイ。田中さん」
手を振る二人に、力なく振り返した。教室を出て行く二人。今聞いた言葉を反芻する。――バイバイ。タナカサン。
…名前、知っててくれたんだ。飛び上がって叫びたかった。そして同時に。亀井さんと一緒に帰るさゆを。追いかけて力いっぱいにチョークスリーパーをかけたくなった。
- 11 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:22
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軽快で鋭い竹刀の音が、踏み込んで床を蹴る音が道場に響く。
「はい、次は切り返し〜!」
顧問の言葉で二人一組になって対峙する。
最初は相手側から。
正面を打たれたと感じる間もなく、構えた竹刀を左右に動かし、相手の衝撃を受ける。
相手はそれを、繰り返し、繰り返し、繰り返す。――あたしは竹刀を構えたまま。
「はい交代〜!」
今度はあたしの番。絞るように竹刀を握り――、
「面ッ!」打ち込む。
それを、繰り返し、繰り返す。――相手は竹刀を構えたまま。
最後の一回。
“じゃあね。れいな、ばいば〜い”
不意に、さゆの顔が浮かぶ。――口を真一文字にして――
「ヤッ!!」思いっきり、打ち込んだ。
切り返しが終わったところで、
「田中、最後の打ち込みは気合が入っててとても良かった」
顧問が褒めてくれた。
あたしは――面の下、なんとも言い難い表情で笑って、軽く頭を下げた。
- 12 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:22
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- 13 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:23
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翌朝。教室に入るとすでに亀井さんは来ていた。
「おはよう」あの、ふにゃりとした柔らかい笑み。
「お、おはよ…」足は、亀井さんの前で止まる。
「田中さん、み…さゆと友達だったんだね」
「あー、同じ中学だから」
「そうなんだってね」
しこりを、感じる。すると。
「やほ〜」
張本人が、来た。自分の教室に行った後にこっちに来たのだろう、カバンを持っていない。
「おはよう」
「おはよう絵里。ついでにれいな」
「はよ…」
あたしはついでかよ、そう思ったけれど、それ以上に心に引っかかることが。
亀井さんが微笑む。
「さゆ、朝から元気ね」
――昨日の放課後までは名字にさんづけだったのに、いつの間に名前を呼び捨てにするようになった――?
- 14 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:23
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「今日もわたしは朝から可愛いから♪」
トンチンカンな返事をしているさゆが、あたしの視線に気づく。
「れいな、ジト目になってる」
ジト目って…。指で目尻を上げると、亀井さんが吹き出した。気恥ずかしくなって、さゆのほうを向く。
「いつの間に二人、呼び捨てになった?」
「昨日、一緒に帰ってから〜」
「さゆが持ちかけてくれたの」
微笑み合う二人。…ちょっと疎外感。
「部活だと二人しかいない一年生だからね。
れいなのところは一年生は何人?」
「確か…十六人」
「田中さんは何部なの?」
「…剣道部」
亀井さんは目を丸くした。
「ここって剣道の強豪校でしょ!?田中さんて剣道すごいの!?」
「れいなは剣道二段の腕前だよ。それに中学の県大会でも記録作ったんだよ」
あたしが口を開く前にさゆが言ってくれた。素直に頷く。
「元々、剣道部目当てでここに来たから」
ここ、茗学館女子高等学校は、あたしやさゆの中学からは校区外の学校だ。
亀井さんは感心したように頷いた。
「てっきり田中さんもさゆと同じ理由でここに来たのかと思ってた」
……さゆと同じ理由?…………あたしも中学三年のとき、さゆが進路先を茗学館にすると知ったときに理由を聞いたっけ。確かそのときに聞いた答えは―――。
“制服が一番可愛いから♪”
- 15 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:24
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…………そんな理由で電車で片道一時間半揺られないといけない進路を選ぶのは…。
「そぎゃんのさゆだけばい…」
「――え?」
あ。
口を手で覆う。――しまった。高校に入ったらさゆの前以外では標準語を使うと決めてたのに。一週間で破ってどうする自分。
そろーり目線を上げると。――亀井さんは、ふにゃりと頬を緩ませた。
「なんか、いいね」
「…へ?……笑わんと?」
「なんで?」心底、分からないといった顔。
「あ…別に……」
口を手で覆ったまま横を向く。――今度はにやけそうになる口元を隠すため。そして、赤くなりかけた顔を見せないためにも。
心の奥底から湧き上がる感情。
どうしよう、嬉しい。
こっちに来てから、故郷の言葉を使うと、絶対に笑われたから。その度に内心ヘコんでいたから。
ただ、さゆはちょっと特殊で、初めてあたしの訛りを聞いたとき、少しだけ笑ったかと思ったら、ゆっくり口を開いてこう言った。
“みっともないことないそー、れいな九州の人ちゃる?”
…聞けば親の実家が山口だそうで。……ま、そのおかげでさゆと親しくなったけど。
- 16 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:24
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「田中さんは何処の出身の人なの?」
「小学校まで福岡にいたば……いたの」
「無理に標準語使わなくてもいいよ。むしろ、福岡の言葉のままで話してほしいなぁ」
「……そうかとよ?」
「うん。そのほうが断然いいよ」
そう言ってまた、ふにゃりとした笑みを浮かべる亀井さん。胸が、高鳴った。
話している内にクラスの子はどんどん登校してきた。知り合いらしい子に朝の挨拶をされる度に「おはよう」と返す亀井さん。――なんか、いいな。
予鈴が鳴り、「ばいば〜い」と元気に自分の教室に戻っていくさゆ。あたしも自分の席に戻ろうとすると。
「あ、ねえ!」亀井さんに呼び止められた。
「なん?」
「わたし、絵里。亀井、絵里っていうの」
それは知ってる。
「『亀井さん』て呼ぶの堅苦しくない?これからは絵里って呼んでよ。
わたしも――れいな、って呼ぶから」
「…よかよ…。よろしく……絵里」
赤くなった顔は隠せなかった。差し出された手を、弱々しく握った。――その柔らかさとあたたかさに、また胸が高鳴った。
- 17 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:24
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- 18 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:25
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そうして、あたしと絵里は友達になった。また、絵里経由で親しくなったクラスの子も沢山いた。
あたしがクラスの中で浮いた存在にならなかったのは確実に絵里のおかげだった。――そのことは喉が裂けるくらいお礼を言っても足りることはない。
今でも、その気持ちは変わらない。
あたしが恋を自覚したのは――あのときの放課後だった…。
- 19 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:25
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2.
- 20 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:25
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「れいな…わたしもうダメ……」
「ほらほら頑張るっちゃ。あと三つ英文完成させたら終わるばい」
絵里は泣きそうな顔でプリントと教科書に視線を戻した。
暦は五月。暑苦しいのか絵里は長い髪を頻繁に掻き揚げる。視線を窓の外に向けると、木々が青々とした若葉を茂らせていた。
ゴン、という鈍い音がし、視線を机に戻すと突っ伏す絵里の姿が。
「もう逃げたい…」本当に逃げ出しかねない声。
「逃げたら保田センセー、明日すごい顔で怒ると思うばい」
「うー…」のろのろと顔を上げた。
事の由は今日の六時間目、あたし達の担任、保田先生の英語の時間のこと。
きょう提出予定の宿題のプリントを、してこなかった子が十人ほどいた。その内の一人が絵里だった。
その十人に、保田先生は元々の猫目を更に吊り上げ、
「放課後残ってやりなさい!今日中に提出すること!!もし提出しないで帰ったら…どうなるか分かってるでしょうねえ?」
……あまりの迫力に、声を出せる子は一人もいなかった。
あたしもビビった。
- 21 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:26
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丁度、あたしの部活は休みだったので、絵里の勉強を見ていたが……英語が苦手な絵里が悪戦苦闘しているうちに、教室に居残っていた子が一人減り二人減り…とうとう教室にはあたしと絵里だけになってしまっていた。
たった今絵里が完成させた文を確認してみる。……。
「絵里…」指し示す。
「なんでここ、未来形のwillと過去形のsuccessfulが一緒になっとると?」
慌てて消しゴムを使い書き直す絵里。
「れいなぁ〜…替わりにやってよぉ〜……」
「あかんちゃ。あと二つ。がんばるたい」
「はぅ……」
集中力が途切れ、絵里は机にアゴをのせる。――やれやれ。あたしは丸めていた背を伸ばし、椅子に凭れさせた。
- 22 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:26
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「れいな、ごめんね?」
「なにがばい」
「…これ、付き合わせちゃって」プリントの端を指ではじく。
「別によかとーよ、部活がない放課後なんて、なにしとればいーか分からんかったし」
「そっか…。
春大会、出れなくて残念だったね」
「一年がメンバーに選ばれるほど甘くないばい。来年、個人戦メンバーに選ばれるからよか」
「もう決定してるの?」
「あたしの中では、ね」
「そうなんだ」
ふにゃり、と笑って耳元の髪を掻き揚げる絵里。
すぐに零れ落ちた髪を一房、あたしは何気なく掬う。そのまま、自分の顔に寄せる。――絵里はされるがままで動こうとしなかった。ただ、静かに口を開く。
「…暇だったらさゆと一緒に帰ればよかったんじゃないの?」
「あの子は今日家庭教師が来るばい。…なん、迷惑だったと…?」
「まさか……。嬉しいよ…」
弄んでいた髪の先に、軽く息を吹きかけた。絵里の体が揺れる。
離れたグラウンドのほうから、テニス部の玉打ちの音が微かに聞こえた。
机に手を置き、掬った髪の向こうの絵里に、顔を近づける。
「れぃ……な……」
掠れた絵里の声。
- 23 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:27
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――我に、返る。
「す、すまん…!」
慌てて体を離す。――あたし今、なにをしようとしたっ?
熱くなった顔を俯いて隠す。そのまま席を立つ。
「…やっぱ、先に帰るばい。――最後の問題は先週の授業でやった、as〜as…の構文になるから、教科書を見るとよかとよ……」
「…ぁ、ありがとぅ……」
「――また明日。バイバイ」
カバンを掴んで教室を出る。後ろ手でドアを閉めた。
深く、息を吐き出して――。たまらなくなり、廊下を駆け出した。
だれもいない廊下に、あたしの足音は大きく響いた。
駆けながら、自覚した。
絵里が、好きだと。――どうしようもなく、好きだ。
滲み出た涙は、すぐに目尻から吹き飛んだ。
- 24 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:27
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- 25 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:27
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スカートにシワがよることを無視して、制服を着替えることもせずに、自室のベッドで、ぼんやりと天井を見つめていた。
考えることはただ一つ。絵里のこと。
手を虚空に伸ばし―――くしゃり、空を掴む。
“れいな”
絵里の声を想う。――あの声を、あの笑顔を、独占したかった。
だけど――怖い。
数時間前に自覚した恋を、成就させる自信が――勇気がなかった。
告白して――フラれたら。きっと今の友達関係すら、あたしには続けることができなくなるから。
そう考えると、臆病者のあたしは、今のままで充分だと思った。絵里の“一番”じゃないけれど――傍にいれる今の状態を。
伸ばしていた手を引き寄せる――その、なにも掴んでいない手を―――。
- 26 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:27
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- 27 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:28
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次の日。昼休み。四時間目が終わった途端に購買へと走り出す子、周りの机を寄せて合わせる子たち、日直の持ってきたヤカンのお茶をコップに注ごうとする子、お弁当箱を持って教室を出る子。――みんなそれぞれの形で昼食を摂ろうとしていた。
あたしも、弁当箱を取り出し、片肘ついていつものように二人が来るのを待っていた。
「…?」おかしい、と思ったとき。
「あれ?さゆまだ来てないの?」
絵里がパンと紙パックジュースを持ちながら購買から戻ってきた。
「あたしも丁度そう思ってたばい。おかしいっさね、いつもなら四時間目が終わったらすぐ来るのに。…授業が長引いてるとか?」
「でもさっきさゆと同じクラスの子、購買で見かけたけど…。
れいな、さゆのとこに行ってみようよ」
「そうっさね」あたしは弁当箱を持って立ち上がった。
- 28 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:28
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あたし達12Hから二つ隣の14Hの教室。ドアから二列目、後ろから三番目の席に、さゆらしき子……っていうか、さゆが食事も摂らずに突っ伏していた。
「なに寝とるんちゃ。ご飯たい」
「…寝てないよ」
あ・起きてた。けれど、一言呟いたまま顔を上げようとはしなかった。近くの空いている椅子を借りて、机を囲むようにさゆの向かいに座る。絵里も同じようにして、右側に座った。
「さゆ…どうしたの?」
「なん落ち込んどるか知らんが…話して楽になることもあるっちゃ」
「ぅん…」
ひとこと、呟いたまま。――あたしと絵里は、黙って次の言葉を待つ。……正直お腹空いた。
「……藤本先生が………」
やっと、口を開いた。蚊の囁き程度の声で。
「うん」あたしは促す。
「松浦さんとキスしてた………」
言った途端、ますますどんよりとしたオーラを纏ったさゆ。…あかん、あたしには救えない。
袖を軽く引っ張られた。向くと絵里が『訳が分からない』という顔をしていた。あたしはさゆを見る。
「さゆ、絵里に説明してよかと?」
小さく首が動く。
「…お願い……」
あたしは絵里のほうへと向き直った。
「藤本先生ってのは、さゆの家庭教師ばい。確か…中二のころから見てもらっとる」
納得したように一つ頷く絵里。言葉を続ける。
「そんでもって、さゆの想い人」
絵里の顔が固まった。…状況が飲み込めたらしい。
「…松浦さん、は先生の恋人やけん……」
さゆのほうを向くと、小さく頭を振られた。
「幼なじみ兼恋人だよ…」
…あまりかわりがないと思う…。
- 29 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:29
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ぽつぽつ、突っ伏したまま、さゆは言葉を紡ぐ。
「昨日、勉強が終わって先生が帰ってすぐに、上着を忘れていってることに気づいたの…。走って追いかければ渡せるかな、と思って外に出たら……角の近くに先生と松浦さんがいて――」
「ストップ」あたしは手で制した。さゆには見えていないから意味がないと思ったけど、それでもさゆの言葉は止まってくれた。
「その先は、言わなくていーっちゃ」
「あ〜あっ!」わざとらしく、大きな声を上げたさゆ。伏したままなので、声はくぐもっていた。
「悔しいなぁ。藤本先生、松浦さんといるとすっごいデレデレした笑顔になるの。普段のキリッとした顔とは大違い。
あの笑顔がすごい好き。けど―――あれをするのは松浦さんの前だけなんだよね………」
顔を上げないさゆの後頭部を見つめる。――正直、どうすればいいのか、どう励ませばいいのか分からなかったから。
にゅっ、と手が伸びた。
「…へ?絵里??」
絵里が、さゆの頭を撫で始めた。
「…なに?」感触でなにをされているのか、さゆも分かったのだろう。
「格好いいなぁ、と思って」
疑問符を貼り付けた顔で絵里を見る。少し困ったように絵里は言葉を続ける。
「上手く説明できないけど……そんなさゆが、すごく格好いいって思えるの」
- 30 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:29
-
「……………格好いい、より可愛い、のほうがいいなぁ」
さゆはゆっくり顔を上げた。目の下には珍しくクマが作られてたけれど、あたしも絵里もなにも言わなかった。
痛々しそうに笑ってから、
「二人とも、ありがとう」と呟いた。
別によかよ、そう言おうとした瞬間――。
ぐう。
……腹の虫が返事した。
目を丸くする二人。そして――吹き出した。
笑う二人とは逆に、頬を掻くしかないあたし。絵里が場を繕うように、「お腹空いたね、ご飯にしようよ」と言って紙パックジュースのストローを破り、伸ばし始めた。
あたしも安心した気持ちになって、お弁当の布を解き始める。
さゆは―――。
「…さゆ、どげんしたと?」
重大なことを思い出したかのように、口を開けて硬直していた。
「今日…購買で買うつもりだったの……」
へなへなと再び机に突っ伏す。あたしは絵里と顔を見合わせる。
「購買は…」
「……もう閉まっとるさね…」
大抵、昼休みが始まって二十分もすればパンもおにぎりもなくなる。近くのコンビニ、という手もあるが、昼休み学校外に出るのは校則違反だ。
絵里が自分の二つのパンを掴む。
「さゆ、玉子サンドとチョココロネ、どっちがいい?」
「…いいの?」
「かまわないよ。それに今日、部活あるから足りなければそこでお菓子食べればいいし」
…茶道部ってそういうもの?――あたしがぐるぐる疑問の渦に巻き込まれている内に、さゆはチョココロネを手に取った。小さく、ありがとう、と言って。
「「「いただきます」」」三人、手を合わせて言った。
さゆがコロネを三分の一ほど齧ったところで、あたしを見た。…なんさね?
「れいなは?」
「へ?」
「分けてくれないのー?」
…あたしにまでたかるのかよ。しぶしぶ弁当箱を差し出し、
「好きなのとりんしゃい」と勧めた。
まったく。いつものさゆに戻ってる。―――まったく…よかった。
- 31 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:29
-
さゆは、鶏のから揚げを摘んで口に放り込む。咀嚼し、飲み込んだところで、再び見る。
「あっ!」
え!?――突然大声で絵里のほうを指したので、反射的にそっちを見る。絵里は絵里できょとんとした顔をしていたけど……、
「ぁっ」小さく声を上げた。
――?視線を弁当箱に戻す…………………そのままゆっくりさゆのほうへ。
むぎゅむぎゅと、動いているさゆの口。…端にフライの衣カスをつけて。
「さゆ…あたしのエビフライ盗ったさね……」
「ごちそーさま」
…よく見ると玉子焼きまでなくなってる。――弁当箱に残ってるおかずはプチトマトとブロッコリーだけ。
…………。
さゆの口に指をつっこんで取り戻したくなったけれど、大人気なさすぎるので止めておく。ただ、机の下で足を蹴ろうとしたら、ひょいとかわされた。
絵里が、声を殺して笑った。
- 32 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:30
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昼休み終了五分前の予鈴が鳴り響いた。
あたしと絵里は自分の教室に戻るために立ち上がる。と――。
「れいな、話があるの」
さゆが、引き止めた。――あたしは見つめ、再び座る。さゆは済まなそうな顔を絵里に向けた。
「絵里、ごめん。れいな置いて先に戻って?」
「ぇ…うん」
絵里は、教室に入ってくる子たちを避けながら出て行った。
絵里を除け者にした気分になって眉を顰める。
「そんな顔、しないでよ」そう言われた。
あたしは机を軽く叩く。
「それより、なんさね」
「うん。あのね――」
あたしを見据える。
「れいな、絵里のこと好きでしょ」
「…………」
無言で見つめ返す。さゆはそれを肯定と受け取った。
「告白しないの?」
「……できん…」
「怖いの――?」
心の動揺が体に出た。震えた肩を、さゆは見逃さなかった。
「自分の気持ちを伝えないと――なにも終わらないけど、なにも始まらないんだよ?」
それでもなにも言わない……なにも言えないあたしを見て、呆れたように息を吐く。
「…だれかに先を越されたって知らないからね」
本鈴が鳴った。さゆの言葉を聞こえなかったフリをして慌てて立ち上がった。
- 33 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:30
-
放課後の部活。きっと絵里とさゆはのんびり和菓子なんか食べてるんだろうな。
対するあたしは――今日は互角稽古。試合のように自由に技を出し合えるから、実力を試すには丁度良い。
あたしは、一年生の中で一番背の高い子と剣先を触れ合わせていた。身長差、約20cm。
剣先で竹刀を押さえたり払ったりして攻め合っていると、相手は素早く体を引いて間合いを遠ざけた。
面金の向こうで目を細めた笑み。――ムカつく、当たらないと思ってなめてる。
きっと、あたしが打ち込もうとした瞬間に打ち込む、出端技を狙ってる。―――それなら。
あたしは剣先を下げた。
「面っ!」
スキを逃がすはずもなく、面を打ち込んできた。――右足を踏み出し、相手の竹刀を竹刀で受け流す。手首を返し―――
「胴ッ!」
返し技――面返し胴を決めた。
- 34 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:31
-
「黙想始め!」
部活終了時の黙想――。正座し、目を軽く閉じて手を合わせる。
心のモヤが、静かに沈んでいく―――モヤの中身は、部活中の昂ぶりだと思い込む。
そうだ、昼休みの出来事なんて関係ない。
「黙想終わり!」
部長の声で、ゆっくり目を開けたときには―――。
『ありがとうございました』部員全員声を揃えて座礼する。
立ち上がる。――気分はすっかり晴れていた。
- 35 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:31
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***** *****
- 36 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:31
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あたしは器用じゃない。――むしろ不器用に分類されると思う。
だから、同時に二つ以上のことを一度ではできない。
たとえば…打ち込みたいことと、恋愛、とか。
確認するように自問する。――なんのためにこの学校に入った?答えは決まってる。……部活、剣道のため。
たとえさゆに発破を掛けられても、絵里に告白するなんて、無理。
あたしには、剣道も絵里も大切なもの――。
それだったら、剣道をとる。絵里とは、今の状態でいいから。
――…振り返って考えると、本当に愚かだと思う。
もっと絵里の傍に居ればよかった、もっと絵里に触れればよかった。
後悔先に立たずというけれど、今、強く思う。
――あたしの心が、本当に望んでいたものはなんなのか思い知らされたのは、あのときのこと…。
- 37 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:31
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3.
- 38 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:32
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「はい、今日はこれで解散。明日は部活休みだから。ご苦労様」
『ありがとうございました』
日曜日の昼下がり。あたしたち茗学館剣道部員は、学校の武道場の前で解散した。
ばらばらと、一人なり二人なりに去ってゆく先輩や同級生。
小型のスポーツバッグからハンカチタオルを取り出して顔の汗を拭う。――暑い。まだ五月だというのに、太陽は夏仕様になっていた。
――今日は、他校との練習試合があった。比較的、茗学から近い共学校に赴いて試合をしてきた。――あたしたち一年にとっては、見取り稽古の色が濃いものだったけど。
バッグから引きずり出した900mlペットボトルのスポーツ飲料は一口しか残っていなかった、飲み干して、ゴミ箱にシュートする。
フチにあたってから、ゴミ箱の中へ。ないすしゅー、そう呟くと頭の上に手を置かれた。
「ばいばーい、ちびれいな」
一年の中で一番…というか部の中で一番背の高い子があたしの頭の上に置いた手をひらひら振った。
がるるるる、噛み付くように唸るとその子は笑いながらすたこら逃げていった。
軽く憤慨しながら一人校門へと歩く。――くっそー、172cmあるからって、いつもあたしの頭を肘置きに使って。くっそー……………羨ましい。
意気消沈しつつ駅前のコンビニへ。
「いらっしゃいませー」覇気のない声に押されながら、奥のペットボトルの並んだ一角へ。
500mlの烏龍茶を掴んでレジへと向かう。
「147円です」店員がセンサーをバーコードにあてる前に値段を告げる。
財布を取り出し、何気なく視線をコンビニの外へと向けた。
絵里が、いた。
- 39 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:33
-
跳ね上がる心臓。熱くなる頬。ガラス扉の向こうにいる絵里は、あたしに気づく様子もなく、ゆっくりコンビニ前を通過しようとしていた。――当然のように絵里は私服。花柄のアジアンシャツがよく似合う。
一人、学校の夏服を着た男子が絵里に走り寄って来た。…あの制服、今日試合をしたところの学校のものだ。――男子は赤い顔で手紙らしきものを絵里に押し付けるように渡した。
あたしの体が大きく震えた。
絵里は、困った顔で微笑みながら、手紙を受け取った。――逃げるように男子は走り去ってゆく。絵里は……再びゆっくり歩き出した。
“だれかに先を越されたって知らないからね”
さゆの言葉が頭に響く。
「あのぅ、お客さん…」
店員の声に我に返る。いつの間にかあたしの後ろには列ができていた。
- 40 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:33
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***** *****
- 41 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:33
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翌放課後。
一人音楽室で机に腰掛け、浮いた足を軽く揺らしながら人を待っていた。
西側の壁いっぱいにある窓から夕日の光が入り込み、音楽室全体を哀愁あるオレンジ色に染めている。こういう空間でピアノを弾いたら様になるんだろうけれど、残念ながら弾けない、ピアノに向けた視線をずらす。
そろそろ彼女の部活は終わったころだろうか、ケータイで時刻を確認すると同時に廊下からぱたぱた、小走りの足音が聞こえた。――顔をドアへ。
少しサビついた音と共に開けられたドア。絵里が、音楽室に溢れる夕日の光に眩しそうに目を細めながら入ってきた。
「ごめんね、れいな。遅くなっちゃった」
「別によかとーよ」
「部活終わってからメールが着信してるのに気づいたから……。れいなは今日、部活ないんだね」
あたしは頷く。
絵里が部活中の時間帯に送ったメール。“音楽室で待ってるから来て”という簡素な内容。部活が終わってから来てくれればよかったのだから、謝られる筋はない。
音楽室での自分の席の机に腰掛けるあたしに倣って絵里も自分の席――あたしの隣の前の机に凭れた。
- 42 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:34
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絵里のいる位置のほうが西日の入る窓に近いから、絵里を見ると当たり前のように目を細めた。逆光で絵里の表情は読めなかった。
「それで………どうしたの?」
促す絵里にあたしは俯く。
「…昨日、コンビニ前で絵里、見かけたけん。…男子から手紙もらってたさね?……あれ、だれ?」
「……知らない人。けどあの人は通学中にわたしを何度も見かけてたんだって」
「あのときもらった手紙……あれ、ラブレター?」
「…うん」
- 43 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:34
- 動揺がそのまま大きく体に出て、全身が震えた。――どこかでそうじゃなければいいと願っていた自分がいたから。
「返事は、…したと?」
「まだ…」
「どうするばい?」
「………なんで、そんなに聞くの…?」
「だって――」言葉に詰まる。
詰まった言葉は涙となってスカートに落ちた。ぽつ、ぽつ。スカートに染みが出来ていく。
「あたしは、絵里のこと好いとぅから」
「ばり好いとぅ」
――知らない相手に先手を打たれたから慌てて後手を打つ、臆病で意気地のないあたし。
「だから――…」
乱暴に袖で目元を拭う。それでもすぐに視界は滲む。
- 44 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:35
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両の頬に、温かな感触が添えられた。いつの間にか側に絵里が来ていた、そのままゆっくり顔を上げさせられた。逆光のせいで暗くて表情は分からなかった。
「れいな…なんで泣いてるの…」
「―――っ」胸が、喉が震えて声が出ない。
なんでって。絵里が好きだから。大好きだから――それ以上の理由なんてない。
人を好きになると涙が出るなんて、初めて知った。
「好きだよ」
ぼろぼろ、情けなく涙を流すあたしの目尻を軽く拭うので目を閉じた。額になにかあてられる。頬と首に、絵里のさらさらした髪が触れた。
「わたしもれいなのこと、大好き」
- 45 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:35
-
おそるおそる目を開ける。そこには、額をくっ付け合って、やや俯き加減で目を閉じている絵里の顔があった。
「…本当?」
「うん」
絵里が愛しむように抱き締めてくれた。あたしも、おずおずと絵里の背中に手を回す。
「あたしの、恋人になってほしか…」
「はい……」
「お願いがあるけん………もう、ほかの人から手紙を受け取らないでほしいっちゃ…」
絵里は静かに頷いてくれた。
「今度からはすぐ断るよ。それと昨日の手紙も断らなくっちゃ…」
「それと…」背中に回していた手を解く。
指で、絵里の唇に触れる。ぴくん、揺れる絵里。
「…今、…………キス…したい」
目を閉じたままの絵里は、ゆっくり頷いた。
震える右手を絵里の後頭部に回す。
あたしも、目を閉じた。
- 46 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:35
-
――触れるだけ、重ねるだけの拙いキス。
あたしのファーストキスは数秒にも満たないものだった。
顔を離して目を開ける。夕日は少し傾き、音楽室を鮮やかなオレンジ色に染め上げていた。――あたしの顔が赤いのも、絵里の顔も赤いのも、きっと夕日のせい。
「ばり恥ずかしか…」
「…わたしだって」拗ねた目であたしを見る。
机から下りる。
「遅くなったけん。帰るばい」
「そろそろ用務員さん見回りに来るころじゃない?」
「やばいっちゃ」
手を取り、ばたばたと、慌てて音楽室から出る。
軽い駆け足で廊下を走る。
指を絡ませ、手を繋ぎあったまま―――。
- 47 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:35
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***** *****
- 48 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:36
-
こうして、ゆるやかに始まったあたし達――。
波乱万丈の末に結ばれる恋、なんてものからは程遠いけれど、充分だった。
永遠なんて言葉、信じてるわけじゃないけれど、願わくば、長く――永く、あたしの隣には絵里が、絵里の隣にはあたしがいて。
二人で手を繋いで歩いていくような、そんな関係が続けばいいと願っていた。
それだけなのに。
そんな穏やかな願いすら、運命は簡単に、残酷に、確実に引き裂いてくれる。
- 49 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:36
-
4.
- 50 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:36
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「れいな、絵里とエッチしたの?」
口からチョコチップが吹き飛んだ。
「さ、さゆッ、いきなりなんば言うと!?」
どもるあたしと対照的に、さゆはのんびりとダブルチョコを齧りながら「まだみたいだね」と言った。
――現在、暦は制服も衣替えを終えた六月。曜日は日曜。絵里に告白したあの日から一ヶ月ちょい経った。晴れてるけど、じわじわと湿気がまとわりついてくる。月の終わりになれば、水の中で過ごしてるのかッて言いたくなるほど湿気が酷くなるんだろうな。
今日は、さゆと二人で近くの街をぶらついていた。
ファンシーショップでブレスレットを買って、スタンド式アイスクリーム店で買ったアイスを食べ名から歩いていると―――さゆが脈絡もなく先述の科白を吐いたのだ…。
ヴァニラ部分を齧る。甘く、冷たい。だけど熱くなった顔の熱は取り去ってくれなかった。
- 51 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:36
- 「正直、絵里とはどこまでススんだの?」
まだ言うか。
「ど、どこもススんどらん…」
「嘘だ」
「嘘じゃ…なか……」
音楽室で告白して両想いになれたことは話したけれど、その後の『出来事』は教えていない。――否定したあたしを疑わしそうに見つめてから「ま、いーけどさ」と、再びアイスを齧り出す。
「絵里、待ってるかもよ?」
足が止まる。さゆは数歩進んでから立ち止まり、振り返る。そして、あたしを楽しそうに見る。
目を丸くしながら、顔どころか耳も首も真っ赤になったあたしの姿が面白かったからだと思う。
- 52 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:37
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***** *****
- 53 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:37
-
ゆっくり目を開ける。丁度前の人の試合が終了したところだった。立礼後、隣に座す人と反対にあたしは立ち上がった。面金の向こうで対戦者を見据える。
三歩進んで中段の構えを取る。相手も、同様に。
「はじめ!」
主審の声と共に、試合は始まった。
今日は土曜日。だけど、普通に午前中は授業。そして午後からは各運動部が他校との練習試合、他校の生徒を招いたり招かれたりして、グラウンドやテニスコート、体育館に武道場はそこそこ賑わっていた。――ちなみに文化部はこれといって特別なことはなし。吹奏楽部のように練習・活動する部もあれば、書道部のように何もせずに帰宅する部もある。
中段の構えで攻め合う。
――小手を打ち込んできた瞬間。
左足を素早く後ろに引きながら振りかぶる。――右足をひきつけると同時に。
「面ッ!」
踏み込み、打った。
- 54 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:37
-
ゆっくりと小手・面・胴垂れをはずしていく。開け放たれたままの道場の出入り口や窓からぬるい風が入ってくるけれど、全然足りない。
「顔、洗ってきます」先輩に断ってからスポーツタオルを取り出して水のみ場へと向かった。
第一体育館と武道場を繋げる渡り廊下にある水のみ場。勢いよく蛇口を捻って、ぬるい水を追い出してから手で掬った。
ざばざば顔を乱暴に洗う。髪と額の間際にまで水をかける。――気持ちいい。
水を止めて、顔を上げてぶるっと一振るい。目を瞑ったままタオルに手を伸ばすと―――
「はい」誰かに手渡された。
「ありがと」素直に受け取り、顔にあてる。
タオルに水分を吸収させてから気づいた。――このタオル、あたしのじゃない。水を吸って垂れた前髪の向こうに見えた人物。
「れいな格好良かったよ」
「――絵里、見とってくれたんさね」
- 55 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:38
-
あたしが顔を離したタオル受け取り、広げてあたしの頭にかけた。そのままわしゃわしゃ髪を拭ってくれる絵里。されるがままのあたし。
「すっごい汗…」
「この季節、面の中はばり蒸れるたい」
面の中で手拭いを巻いていても、あたしの髪は汗で濡れていた。正直、あたしの体は汗臭い。
「あんなに鋭く動くんだもんね…。ちょっと、驚いた」
えりあし部分も大人しく拭かれていると―――視線を感じた。それも、複数の。
視線を感じるほうへと首を向ける。「きゃっ」絵里が小さく悲鳴を上げた。
首を向けた先、体育館へと続く方向に女子が三人、興味津々な顔で立っていた。…一人はさゆ、もう一人はあたしや絵里と同じクラスの子、残りの一人は…確かさゆのクラスで見かけた顔。
背中に嫌な汗が流れた。
- 56 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:38
-
「「「きゃーー♪」」」
三人が一斉に黄色い声を上げる。顔をしかめたあたしを無視して口々に喋り出す。
「初々しくて、この二人可愛い〜♪」
そりゃどうも。
「田中さんてもっとクールな人かと思ってた〜♪」
そのイメージ、ずっと持っててほしかった…。
「全然そんなことないよ、絵里の前じゃすっごい子どもんだから。ね、れいな♪」
さゆ、余計なこと言うな。
鬱陶しいという仕草で三人を手で追い払う。頬が熱いのは、気のせいだ。
「じゃあね〜♪」
意味深な笑顔を浮かべるさゆを筆頭に、三人はばたばた足音を立てて去っていった…。――ふうっ。
ぽん、と頭に手を置かれた。…嫌な感触。手を置かれたまま見上げる。
剣道部員の中で一番背の高いあの子だった。――あたしをからかいたくってしょうがないという笑みを浮かべている。鳴呼……一難去ってまた一難…。
- 57 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:39
- 「ち・び・れ・い・な。人通りの多いところでイチャつくなよ♪」
「うるっさいさね。とっととどっか行きんしゃい」
頭を振って手を振り落とす。あの子は笑いながら武道場に戻っていった。
絵里を見ると、不思議そうな表情をしていた。
「“ちびれいな”…?」
絵里の疑問に、あたしは面白くなく答えた。
「…あの子も“れいな”って名前やけん…」
あたしが“ちびれいな”で、あの子が“でかれいな”。――不満がいっぱいのアダ名だ。
「いいじゃない、小さいほうが可愛いんだから」
…あまり嬉しくない。――本当は絵里より背が高くなりたいから。絵里を見上げるより見下ろしたい。――抱きしめられるより抱きしめたいから。
「待ってるから、今日一緒に帰ろう?」
「よかよ。あ…ばってん、終わるの三時くらいになるかもしれん」
「いいよ、試合観てるから」
- 58 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:39
-
二人、歩調を合わせてゆっくりと駅までの道のりを歩く。繋いだ手も、少し汗ばんでいる。
「…すまんね。遅くなって」現在の時刻は午後三時半。
「掃除は一年生の仕事なら仕方ないよ、別に気にしてないから」
「さよか」
「「…ねえ」」声がハモった。
「絵里、先に言いんしゃい」
「あ、れいなが先でいいよ」
譲り合ってしまう。――ラチがあかない。
「明日…よけりゃーその、一緒に出かけんと?」
「…うん…いい、よ…」
「で、絵里はなん言おうとしたと?」
絵里は答えない。
「絵里?」
――すると。
- 59 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:39
- 「へ?どうしたっちゃ?」
抱きしめられた。訳が分からない。
「絵里、あたし汗臭いばい?」さっきまで試合だったし。
「…いいよ。れいなの匂いだし」
くぐもったその科白に顔が熱くなった。
抱きしめ返すのも体を離すのも、違う気がするのであたしの手は絵里のシャツを掴むのみ。……それよりも。
「絵里…ここは目立つっちゃ…」
公道のど真ん中で抱き合う女子高生なんて奇怪でしかない。
「……ごめん…」ゆっくり体を離して俯く絵里。
「――絵里?別に怒ったわけじゃなかとーよ?」
なんか、様子がおかしい。
- 60 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:40
-
取り敢えず近くのベンチとブランコしかない小さな児童公園に入り、ベンチに二人座る。絵里が俯いたままなのは変わらない。
「絵里、どうしたっちゃ」あたし、気づかないうちになにかしたのかな。
ぐるぐるそんなことを考えていると、俯いたままの絵里は控えめに言葉を切り出した。
「ね、れいな。わたしたちって…その……」
「な、なんさね…」
深刻な声に戸惑う。――次に絵里の口から出た言葉に拍子抜けした。
「付き合って…るよね……?」
はあ?いきなりなにを言う?
「まぁ…一応、そうさね」
断言するのも恥ずかしいので『一応』なんて言葉を使う。あたしの返事を聞いてから黙ったままの絵里。
「絵里?」
顔を覗き込む。―――あたしはそのまま硬直した。絵里は――眉間にシワを寄せ、アヒル口をしていたから。それは、怒って顔をしかめているように見えたし、涙が出るのを必死に堪えているようにも見えた。
なにも言わずに立ち上がる絵里。
「え、絵里?」あたしは戸惑うしかない。
「じゃあね、れいな」そう言ってすたすた歩き出した。
- 61 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:40
-
はぁっ!?
「ちょっ、ま、待ちんしゃい!」慌てて手を掴むが、振り解かれる。
―――なに?なんなの?
「絵里!」
公園から出る寸前で手首を乱暴に掴んで振り向かせる。振り向かされた絵里は黙ってあたしを睨む。
「ねぇ絵里、あたしなんかしたと?」
「………」
「言ってくれんと分からんちゃ…」
お願い、そう目で訴える。
「……買い物とプリクラとカラオケ」
は?
「この一ヶ月、れいなとしたこと」
- 62 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:41
-
「―――こんなの友達同士でだって出来るじゃない…。だから…だから……」
――付き合っているのか聞いたんだ。
「…なのに『一応』って言うから……」
堪らず絵里を抱きしめた。…抱きついた、に近いけれど。絵里が突然のことに狼狽していることは分かったけれど、それでもあたしは腕の力を緩めなかった。
絵里の細い首筋に顔を埋めたまま言葉を紡ぐ。
「すまんばい…。その、あたし……正直どうしていいか分からんちゃ」
絵里の体が震えた。
「絵里に、えっと…キ、キスしたいとか思ったことは、ばりあったばい。ばってん……嫌がられたり断られたりしたらどうしようとか、ぐるぐるそんなことばかり考えてしまって……」
- 63 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:41
- 絵里があたしの背中に腕を回してきてくれた。深く息を吸って、肺いっぱいに絵里の甘い匂いを取り込む。
「――絵里のこと大切だと思えば思うほど壊したらどうしようと思って…壊したくないから…どうしていいか分からんくなるっちゃ」
吐き出すように一気に言うと強い力で抱きすくめられた。……む、胸があたってる…。
あたしの不埒な思惑に気付くはずもなく、表情が見えないまま、絵里は穏やかな声を出す。
「れいなのばか」
ばっ――!?
「わたしは…ガラス細工じゃないんだから、そう簡単に壊れないよ。そんなに…華奢じゃないから、もっと強くれいなの気持ち、ぶつけてよ」
「…すまん」
あたしも、絵里に回していた腕の力を強めた。
「ねぇ……キスしてよか?」
「……ぅん」
体を離し、赤い顔で目を閉じてくれた。……けど。
「絵里…頭下げて」
あたしの情けない頼みに、慌てて応じてくれた。
肩に手を置いて、そっと顔を寄せる―――軽く、爪先立ちをして。
- 64 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:41
-
二回目の絵里の唇は甘く感じた―――。
初めてのときは必死で気付かなかった、ふにゃんとした柔らかい感触に腰がくだけそうになりつつ顔を離す。絵里がゆっくり開けたその目は、潤んでいた。
再び堪らなくなって抱きつく。そのままくぐもった声を出す。
「明日、さ…」
「うん。どこ行く?カラオケ?」
「そうじゃなか。明日、その…――デート、しよう?」
口にした途端、顔が熱くなった。…出かけることに変わりはないのに、言い方を変えるだけでこんなに恥ずかしいなんて。
「うん、初デートどこ行こっか?」
絵里のトーンの上がった声が耳に届く。
体を離してぐるぐる頭の中で考える。
買い物・ゲーセンでプリクラ・カラオケ――却下。映画・ボーリング――さゆと一緒に三人で行ったことがあるから却下。
しがない高校生の身で行ける場所を必死で考える。ん〜〜〜〜〜〜…。
――――あ。
「絵里んち」
「え?」
「絵里んち、行ってみたいばい」
家でのまったりデート、っていうのも悪くないと思ったから。そう提案すると、笑顔で頷いてくれた。
- 65 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:42
-
***** *****
- 66 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:42
-
嘘つき。
絵里の、嘘つき。
華奢な絵里。ガラス細工より、ずっとずっと脆いよ。
強い気持ちをぶつけたら、簡単に壊れるよ。
あたしのために、嘘はつかないで。
絵里のやさしい嘘は、あたしを更に辛くさせるだけだから………。
- 67 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:42
-
5.
- 68 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:42
-
いつも降りる学校への最寄り駅、いつものように定期を改札口に通す。ただ、いつもと違って今日のあたしは私服だ。
「あつ…」
日除けの無い、駅の真ん前に立ってるだけで汗が吹き出てくる。Tシャツの胸元を掴んでバサバサ扇ぐように胸に風を送る。
額に浮いた汗を手の甲で拭いながら、キャップを被ってくればよかったと後悔した。――さてどうしよう、電車内で絵里に『もうすぐ着く』ってメール送ったら『駅まで迎えに行く』という返事が送られてきたけれど、絵里の姿は見えないし。構内で待っていようかな。
そう考えて踵を返したら。
「れいなー」
タイミングよく、呼び止められた。振り返るとキャミソールの上に七分丈のシャツを羽織った絵里が手を振りながら近づいてきた。――絵里の私服姿を見るのは二回目だけど、やっぱり可愛い、似合う。
「ごめんね、待った?」
あたしは首を横に振る、絵里は、そう、と言って咳を一つした。
「夏カゼ?」
「そんなんじゃないよ。じゃあ、行こっか」
――汗ばむ季節でも、当たり前のように指を絡めて手を繋ぎ合った。
- 69 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:43
-
絵里の家は大きな純日本家屋だった、玄関に入るとついキョロキョロ見回してしまう。あたしんちの中古一軒家とは大違い。
「先にわたしの部屋に行ってて。階段を上がって左の部屋だから」
「分かったばい」
スニーカーを脱いで、小さくおじゃまします、と言ったら、絵里が笑顔でどうぞー、と返して奥へと消えていった。
- 70 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:43
-
絵里の部屋は、絵里らしい――あたしの部屋よりも明るい色の多い、女の子らしい部屋だった。当たり前だけれど絵里の匂いがする。
壁にかかったコルクボードに、あたしと二人で撮った写真が貼ってあって、ちょっと嬉しくなる。
そうやって辺りを見回していたところで、絵里がグラス二つと1.5Lのペットボトルのコーラを持って現れた。
「きれいに片付いとるっちゃね」
「昨日大急ぎで片付けたの」苦笑いしながらそう言って、ミニテーブルにグラスとコーラを置く。
「…ふーん。ということは――」
押入れに手をかけると、「だめ!!」と大慌てであたしを制した。
- 71 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:44
- 注いでもらったコーラをちびちび口にする。
絵里はグラスを傾けながらも拗ねた目であたしを睨みながら警戒していた。笑いながら「もうしないっちゃ」と言うと、ようやく安心したように肩の力を抜いてくれた。
改めて部屋を見回す。目に止まった本棚から一冊、勝手に抜き取る。――中学の卒業アルバム。
「見てよか?」
「うん――て言わなくても、もう見る気じゃない」
あたしは笑っただけで返事はしない。ケースから取り出す。最初の校長先生の言葉や校歌のページを飛ばして、尋ねる。
「絵里、何組?」
一組、と返してくれたので三年一組の集合写真のページを開く。
「どこにいるか分かる?」
黙って前から二列目、左から五番目を指すと、嬉しそうに頷いてくれた。あたしは、
「…………」
次ページの遠足や運動会、授業風景の写真から絵里を見つけて、素直な感想を漏らす。
「全部前髪がパッツンばい」
綺麗に揃っていて、…なんていうかパッツンな感じ。
ツボに入ってしまい「パッツン絵里、パッツン絵里♪」と連呼すると、絵里の頬がぷくーっと膨らんで唇が尖った。もちろん、アルバムの絵里じゃなくて目の前の絵里が。
- 72 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:44
-
乱暴にアルバムを取り上げられる。…やばい、怒らせた。
「…絵里?」
ぷいっとそっぽを向かれる。その黒くて長い髪に手を梳かせると、ぱしっと払われた。
…えずーヤバイ。怒らせすぎた。
はいはいの形で近寄って、髪のスキ間から見える耳に唇を近づける。
「すまんばい。――中学生の絵里も可愛かったばい」
「…………………本当?」
少しだけ、こっちを向いてくれた。――頬の膨らみはなくなったけれど、唇はまだ尖っている。―――可愛い。
頷いてから、するり、絵里の肩を抱き寄せる。素直に腕の中に収まってくれた。至近距離で見詰め合う。
もう唇は尖ってない。
「キスして、よか?」
今度は、絵里が頷いてくれた。
絵里が目を閉じるのを確認してから唇を寄せる。
――微かに香るコーラの匂いはどちらから発せられてたのだろう…。
- 73 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:44
-
三度目のキスはコーラの味がした。
びりびりと全身が痺れる。腰に力が入らなくなる。――キスってこんなすごいものなんだ。
でも、相手が絵里だからこんなにもすごいんだろうな。他の人じゃきっと痺れはしない。
そっと目を開ける。固く目をつぶって耳を真っ赤にしている絵里の顔が間近にあった。
ゆっくり唇を離し、止めていた呼吸を再開する。抱き寄せられたままの絵里も、小さく口を開いて息を吐いた。
瞼を開けると、蕩けた眼をしている絵里。
――あぁ、足りない。
もっと。
言葉にしないで口の形だけでそう伝える。あたしの飢えた言葉を、絵里は赤い顔で応じてくれた。
- 74 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:45
-
再び触れ合わせる。絵里の、少しだけ開いていた唇に舌を侵入させると、怯えるように絵里の体は震えた。
大丈夫、そういう意味を込めて後頭部を撫でる。さらさらの髪が指に絡む感触が心地良かった。
絵里の中で歯列をなぞったり頬の内側に触れたりと、好き勝手に舌を動かす。
あ、これ…………気持ちいい……かも。
ちょんちょん、舌で絵里のそれをつつく。――絵里も、絡ませてきてくれた。
あ……“かも”じゃない…これ、気持ちいい。
ぬるぬるして、柔らかくて温かい、初めて味わう感触を貪る。――いつの間にか絵里が首に腕を回してくれていた。
何度も何度も角度を変えて、唇を触れさせ、舌を絡める。
部屋の中、聞こえる音は唇を触れ合わせる音と、舐めるような湿った音のみ。
“絵里、待ってるかもよ?”
さゆの言葉が脳裏でこだまする。
体中の血が熱くなった。
- 75 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:46
-
……そうなのかな。
………いいのかな。
肩を抱いていた腕をそっと移動させて、絵里の胸に添え―――、
グイッ!!
――え?突き放された、そう理解するより早く。
ゴホッゲホッ、…ゲホ。
絵里が咳き込んだ。
- 76 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:46
-
「ご…、ごめんッ…」けほけほ咳き込みながら謝る姿で我に返る。
「す、すまん…!」慌てて謝り、丸まっている背中をさする。
―――さする内に落ち着いてきた絵里の呼吸。絵里はゆっくり顔を上げて、あたしを見た。…背中をさする手が止まる。
至近距離で見つめ合い―――、
『ただいまー』
階下から聞こえた声に二人して飛び跳ねた。
「お母さん…帰ってきたみたい……」
「そ、そうかとよ…」
「…………」
「…………」
「……………………」
「……………………」
- 77 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:47
-
――気まずい、微妙な空気。
「れいな…」
「はっ、はい!?」何故丁寧語だあたし。
「その…えっと、ごめ――」
そこまで言って絵里は体をよろけさせた、慌ててその体を支える。
…さっきは気付かなかったけれど、支えている絵里の体は熱い。
「絵里…」前髪を掻き揚げて額に手をやる。――やっぱり、熱っぽい。
眉間にシワの寄ったあたしを見て、悪戯が見つかった子どものようにしゅんとなる絵里。
「…熱があるなら言えばよかやん…」
「……だって、初デート楽しみにしてたもの…」
「具合の悪い絵里と無理にデートなんてできんばい。治ってから、すればよか」
「…ごめんなさい」
あたしは絵里をベッドに押し込む。
「れいな、本当にごめんね」
済まなそうに言う絵里に、気にするな、そう意味を込めて首を振る。――あたしがいたら絵里は安静にできない、もっと一緒にいたいけれど、帰るしかなかった。
頬に手を添えて、帰るばい、と呟くと切なげな表情で頷いてくれた。
立ち上がってドアノブに手をかけた。
「あと…!」
必死な声がベッドから聞こえたので振り返る。絵里が真っ赤な顔で囁き程度の音量で言った。
- 78 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:47
- 「………続きは、また今度…ね」
ドアを閉めて階段を下りる。奥から出てきた絵里のお母さんに「お邪魔しました」と軽く頭を下げて玄関を出た。
門をくぐりぬけたところで一人呟く。
「今度って、いつ…?…期待するけんね?」
風邪を引いてないはずのあたしも、絵里に負けないほど顔が赤かった。
- 79 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:47
-
***** *****
- 80 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:47
-
それから当分見てた夢。
絵里を抱く夢。
その夢を見た翌日は、赤い顔で布団から跳ね起きた―――。
自分の助平ぶりに、自己嫌悪に陥ったっけ。
今はもう見ることの無い夢。
今はもう、ただやるせないその夢――。
- 81 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:48
-
6.
- 82 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:48
-
「花火大会?」
「そう。今度の土曜日、近くの河川敷であるの。一緒にどうかな、って…」
あたしは口にしていたスポーツドリンクの缶を机に置いて、ケータイのスケジュール帳でその日を確認する。
今は七月、セミが朝っぱらからミンミンジージーワシャワシャと校庭の木で鳴き喚く季節。
時刻は朝のHRが始まる五分前。部の朝練後、軽く道場の掃除を終えてから教室に滑り込んだところ。
――剣道部は秋の大会に向けて、本格的にあたし達部員をしごき始めたところ。その証拠に、あたしの体はデオドラントスプレーなんて気休めにしかならないくらいに汗をかいている。
絵里の言う“今度の土曜日”は第二土曜日で、学校は休みだけれど部活はあった。
「ばってん…部活終わるの七時頃になるばい。それでもよか?」
絵里は笑顔で「それでよか」と言った。
絵里があたしのだらしなく着たカッターシャツの襟を正してくれてる最中、チャイムが鳴った。
「花火デート、楽しみにしてる」
「あたしもばい…」
- 83 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:48
-
***** *****
- 84 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:49
-
受話器越しに聞こえた声は、弱々しい涙声だった。
『ごめ、れいなごめんなさ〜い…』
言葉の途中の端々で『ひっく』とか『ぐず』とかの、泣きすぎて出たシャックリや鼻水を啜り上げる音が聞こえた。
「あ〜っ、謝らんでよか!それより今、熱は何度たい?」
『…さっき測ったら38度……』
――高いよ、電話なんかしてる場合じゃないんじゃない?
前から歩いてきた人とぶつかった。軽く頭を下げて再びケータイの受話器越しの声に集中する。
『朝よりは下がったんだけど…』
そこまで言って、激しく咳き込む音。
あたしは今、花火大会現場の河川敷近くに来ていた。
部活を終えてすぐに学校を出、待ち合わせ場所の河川敷近くのコンビニに行ったが、当の絵里はおらず、河川敷に向かいながら絵里のケータイに電話したら………前述の通り。
時折、そして今も受話器越しに聞こえる咳の音は、絵里の喉が裂けるんじゃないかと思うくらいに激しい。
- 85 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:49
- 「あ…あたし、これから絵里んち行こっか?」
不安になってきた…。歩いていた足を止める。後ろから来たカップルが邪魔くさそうにあたしを避けて歩いていく。
ヒュー、ヒューと喉の音がした後に聞こえた、掠れた弱々しい声。
『…うぅん。うつしたら大変だし。――気持ちだけ、もらっておくね』
「…さよか」
終了ボタンを押してケータイを制服スカートのポケットにしまう。
周囲には浴衣姿の人たちの姿が見えてきた。細い道を横切れば、もう花火大会の現場だった。
…一人で見ても寂しいだけだから帰ろうかな、そう思った矢先。
轟音と共に夜空に鮮やかな火花が舞った。――周囲から歓声が上がる。
- 86 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:49
- …始まっちゃった。
足がすくんだようにそこで立ち、空を見上げる。あたし以外にも、歩道で花火観戦することにしたらしい親子連れや女の子のグループがちらほらといた。
夜空に咲く大輪の花。
一輪、また一輪と咲く度に上がる歓声。
刹那の花たち。
綺麗だけど、切ない。
――そっか。
刹那いから綺麗なんだ。
三発、五発と、連発し始めたところで花火に背を向けた。
絵里の浴衣姿、見たかったな。そんなことを思いながら駅に向かった―――。
- 87 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:50
-
***** *****
- 88 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:50
-
ねえ。
もしかしたら絵里の部屋の窓から、あの刹那の花たちは見えてたのかも。
…できれば絵里も見ていたと思いたい。
霞み揺らぐ視界の中でも刹那の花は鮮やかに映ったと思う。
あたしはどんな些細なことでも絵里と共通の思い出を、一つでも多く持ちたいから―――。
- 89 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:50
-
7.
- 90 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:50
-
絵里が入院したことを知ったのは、夏休みの始まる五日前のことだった。
- 91 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:51
-
保田先生が朝のHRでそう告げた瞬間、クラスがざわついた。
後ろの席の子が、あたしのシャツをツンツン引っ張る。振り返ると「れいな、知ってた?」と驚いた顔で聞かれた。首をぶんぶん振って否定する。
――いつの間に?と思うと同時に保田先生が「昨日、郊外の大学病院に入院したそうよ。…いつ退院できるか分からないって亀井のお母さんが言ってらしたわ」と伝えてくれた。
――通りで昨夜はお休みメールが来なかったんだ。
郊外の大学病院てあの丘の上にあるところだったような…あそこなら確か学校近くからもあたしの町からも、バス一本で行けたはず。
- 92 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:51
- 「田中」
「は、はい!?」行く手段を考えていたら保田先生に指名された。
慌てて顔を上げると…先生は怖い笑みを浮かべていた。つーかその笑顔を見てると朝ご飯のソーセージが出てきそうなんですけど。
「アンタ今失礼なこと考えたでしょ」
「滅相もなかとです」否定してみても、疑わしそうにあたしを見据える。
ですからその目が怖いんですって。
「――とにかく。アンタ亀井の見舞いに行くんでしょ」
エスパーですか保田先生?
「連絡事項のプリントや夏休みの宿題とか、亀井に渡すものを預けるからアンタ放課後職員室に来なさい」
…断定口調で言われ、あたしは「ハイ」と答えるしかなかった。
- 93 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:51
-
***** *****
- 94 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:52
-
絵里の入院する丘の上の大学病院は学校近くの停留所からバスで一時間ほどの距離だった。
あたしは部活を休ませてもらい、保田先生を筆頭とする先生方の預かり物をカバンに詰め込みながらバスに揺られていた。外の景色は、揺られる度に住宅や店などの建物が減り、田んぼが増えていった。…青々とした長閑な景色。
バスは丘…というより小山、といったほうが近いものを、うねうねと、ヴロォォォォッと気合の入った音をあげながら上っていく。あたしは手すりを握る力を強める。
- 95 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:52
-
終点の『港公園』二つ手前の停留所『大学病院前』で降りたのはあたし以外にはおばあさんしかいなかった。
バス停で建物を仰ぎ見る。…巨大な建物、絵里は何処にいるんだろう…。
ひょこひょこ歩くあばあさんの後に付いていく、――ここに来たのは中学一年生のとき、足を骨折した友人のお見舞い以来の二回目だっけ。
建物の中に入ると、病院特有の重い雰囲気と微かに鼻孔を突く消毒液の臭い。
保田先生に渡されたメモを開いてエレベーターの↑ボタンを押して突っ立つ。用紙には走り書きで『四階、小児病棟』と書いてある。
やってきたエレベーターに乗り込む。普通のエレベーターよりも広い空間、Cのボタンを押して壁に凭れた。
……高校生なのに小児病棟?
首を捻っている間にも、チーン♪と鳴ってドアが開いた。
- 96 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:53
-
ナースセンターで、亀井絵里の見舞いだと告げて見舞い客ノートに記帳する。幼い顔立ちの看護師さんが「406号室だべさ」と朗らかに言った。
406号室は四人部屋だった。でもベット二台は空いていて、シーツが綺麗に畳まれている。開いたままのドアを叩くと、窓際のベッドに上半身を起こし外を見ていた人物が振り返った。
「れいな!?」
「元気そうさね絵里」
すたすた、病室の中に入る。絵里が隅に積まれた丸椅子を指す。一つ、取り出し、ベッド脇に据えた。
「朝のHRで聞いて驚いたばい」
「ごめんね、れいな。昨日突然決まったことだから言えなくって…」
しゅん、と俯く絵里の頭を撫でる、はにかむように笑ってくれた。
頭に手を置いたまま尋ねる、
「高校生は普通一般病棟じゃなか?絵里が子どもっぽいから小児病棟に入れられたと?」
絵里の頬がぷくーっと膨れた。
「違うよぉ、一般病棟にベッドの空きが無かったの!」
拗ねた目であたしを見ながら、
「それなられいなだって充分に小児病棟じゃない」
――撫でていた手を頭から離し、ぴしッ、絵里の額を指で弾いた。
- 97 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:54
-
「そだ、渡すものがあるばい」
額を抑えながらぶーぶー文句を言う絵里を無視してカバンに手を入れる。
「これが保田先生から、これが矢口先生。これが斎藤先生…」
英語、現国、生物…と各先生に渡すように頼まれた夏休みの課題プリントを手渡していく。渡される度に辟易していく絵里の顔。
「れいな、あげる」
「あたしもいらない」
- 98 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:54
-
軽くなったカバンを下に置き、陰鬱な表情でプリントの束を配膳テーブルに置く絵里の横顔を眺める。
…顔色が少し青いくらいで、どこも変わったように見えないけど……。
あたしの視線に気付き、なに?と首を傾げた。
「絵里はどこが悪いと?」
むー、と困った顔で眉根を寄せる。
「昨日、貧血が酷くて受診したの。採血したら、詳しく調べる必要があるって言われて…今は検査入院という形なの」
「じゃあ、すぐに退院できるさね?」
「異常がなければ一週間で退院できるって先生は言ってたよ」
絵里の言葉に安堵する。――そっか一週間…ちょっと長いけれど、それくらいなら絵里に会うのを我慢できる。
- 99 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:55
-
「退院したら夏休みばい」
「うん。…れいなとどこか行きたいなぁ…」
「あたしもっちゃ。――ばってん…」
「部活?」
言葉を濁すあたしの意思を汲み取った絵里。あたしは素直に頷く。
「夏休みに入って、七月中は部活合宿ばい…」
十日間ほど学校に寝泊りする、そう言うと絵里は「いいなぁ」と羨ましがった。
「わたしもれいなと合宿したい」
「あかんちゃ、部員だけばい」
アヒル口になった絵里の口を摘む。絵里は再び拗ねた目を向ける。
- 100 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:55
-
………ん?
視線を感じ振り返ると。絵里の隣、ドア側のベッドから、布団をすっぽり丸く被りながら顔だけをこっちに出している女の子と目が合った。
目が合った瞬間、びくっと怯えた表情をして頭を布団の中に隠す女の子。――絵里から声がかかる。
「れいな、睨んじゃだめよ」
これが素だって。
絵里が布団の中に隠れた女の子に声をかけた。
「愛理ちゃん、大丈夫だよ。このお姉ちゃん元々目つきが悪いだけだから」
絵里、さりげなく酷いこと言うのね。
「絵里、この子なんちゃ?」
あたしは耳打ちしながら聞く。
「鈴木愛理ちゃん、喘息で入院してるの」淀みなく答えてくれた。
ふーん。もう一度振り返ると、再び顔だけ出してこっちを見ていた。――ぎこちなく笑顔を向けてみる。
――愛理ちゃんの顔が引きつった。
………家に帰ったら笑顔の練習しよっと。
- 101 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:55
-
ドアがノックされ振り返ると、受付をしてくれた看護師さんが「もう面会時間終了だべ」と告げた。時計に目をやると六時を過ぎていた。
のろのろと立ち上がり、丸椅子を元に戻す――そんなあたしを見ている絵里。
絵里もあたしと同じくらい名残惜しく思ってくれてるのかな…。
あ・そーだ。
「絵里、目つぶって」
あたしの言葉に不思議そうな顔をしながらも、目を閉じてくれた。
そっ――と絵里の頬に手を添える。
心持ち顔を上げさせて。
絵里の唇に自分のをあてた――。
――数秒のキスの後、耳元に囁く。
「退院したら――連絡してほしいっちゃ…」
絵里は、目を閉じたまま、口元を綻ばせて頷いてくれた。
ふと。
隣のベッドを見ると。
やっぱり布団から頭だけ出した愛理ちゃんが、こっちを見て茹でタコ並みに顔を真っ赤にさせていた―――。
- 102 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:56
-
***** *****
- 103 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:56
-
――結局、夏休みに入っても絵里から連絡は入ってこなかった。
- 104 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:56
-
***** *****
- 105 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:57
-
朝練、朝の学習時間も終え調理実習室での昼食も済んだ、食休み。
癖になりかけている、ケータイの着信の確認とメールの問い合わせ。今もしてみたけれど、さゆや中学時代の友人からばかりで、絵里からは一件も一着もなかった。
「なに?ラブメール?」
…でかれいなが頭の上から覗き込む。あまつさえ人の頭に肘をつく。
「亀井ちゃんから着信あった?」
「ない」
頭を振って手を落とす。落とされた手を腰に当てて呆れたように言う。
「待ってないで自分から電話すればいいじゃない」
「病院にいるっちゃからケータイの電源切っとるばい」
あ・そうか、と呟くでかれいな。
「じゃあ会いに行けば」
「合宿終わったらさね…」
合宿が終わるまであと三日――。短いようで長い。
それまでに連絡がなかったら病院に行くつもり。
でかれいなが胸ポケットに手を入れて、なにかを取り出しあたしに渡した。
「それあげる」
渡されたものは――港公園の隣にある娯楽プール場のタダ券。しかも…一、二、三…五枚もある。
- 106 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:57
- あたしはでかれいなの顔を見上げた。
「うちの兄貴がそこでバイトしてるからタダ券余ってるの。亀井ちゃんが退院したら一緒に行ってくればいいんじゃない?」
「――ありがと」
素直に受け取ってカバンにしまう。そんなあたしに耳打ちする、でかれいな。
「プールだから水着よ水着。興奮して鼻血出さないようにね♪」
拳を握って振り向きざまにストレートを放つがあっけなくかわされた。
「ちびれいな、顔赤いよ。さては図星?」
「うるさか!」
怒鳴ると、笑いながら実習室を去っていった。
くっそ〜〜〜少しでも感謝したあたしが馬鹿だった…。
- 107 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:57
-
***** *****
- 108 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:57
-
――この頃は、まだ気楽に考えていた自分。
絵里と行くつもりのプールに心弾ませていた自分。
本当に―――、
―――無知だった自分。
- 109 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:58
-
8.
- 110 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:58
-
「大きいね、迷いそう」
大学病院を仰ぎ見た、さゆの感想だった。
バスが排気ガスを巻き上げて去った後も、バス停に佇むあたしたち。
夏休みも八月に突入した。セミの合唱も流れる汗の量も、アイスやカキ氷の消費量も、ピークの月。
「絵里はどこにいるの?」
指し示そうと上げた指の動きが途中で止まる。
「…外からじゃ、よく分からん」
頼りないなぁ、と言われる。
「道案内、よろしく」
「はいはい」
あたしを先に、二人で歩き出した。
- 111 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:59
-
406号室のドアをノックしてから開けると、絵里は隣ベッドの愛理ちゃんとあっち向いてホイをしていた。あたしを目に止め、嬉しそうに、れいな、と言ってくれた。
「やっほ♪絵里」後ろからぴょっこり顔を出すさゆ。
「あ、さゆ〜♪」
二人できゃいきゃい手を繋ぎ合い、久し振り〜なんて言ってる。
……妬くな、自分。
- 112 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:59
-
さゆと愛理ちゃんの目が合った、さゆはにっこり笑って「こんにちは」と挨拶すると、恥ずかしそうに「…こんにちは」と返す愛理ちゃん。
さゆはベッドの柵にかかってある患者カードを見て、
「鈴木…あいり、ちゃん?」名前を確認する。
「うん」
「何年生?」
「四年生…」
――にこにこと交流していく二人。あたしは黙って絵里のベッド近くに丸椅子を持ってきて座る。
「れいな、眉間にシワ寄ってるよ?」
眉間を指で押し上げると、絵里がおかしそうに「さゆを取られて嫌なの?」なんて聞いてきた。
「そうじゃなか。ただ…」
「ただ?」
「さゆの誰とでも仲良くなれるところが…ちょっと羨ましいなぁ、って思ったけん」
- 113 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 16:59
-
絵里がそっと手を重ねてきてくれた。柔らかくて――少し冷たい。
「れいなは仲良くなったら、ちゃんと心開いてくれるでしょ?」
「れいなのそういうところ、わたし好きだよ」
目を見て言われた科白に顔が熱くなる。
「あ、ぁりがと…」照れくさくなって、俯く。
ふふ、と絵里の声。重ねられた手の感触が心地良かった。
顔を上げると、にやけるさゆの顔と目を丸くした愛理ちゃんの姿が映った。
「愛理ちゃん、あれがイチャイチャよ」
「いちゃいちゃ…」
「さゆ!余計なこと教えんでよか!!」
- 114 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:00
-
「あ・そうそう」ぽん、と手を打つと、みんなの視線があたしに集中した。
「港のプールのタダ券もらったばい、退院したら行かんと?」
券を見せながら言うと、さゆが最初に「行く〜」と食いついてきた。
愛理ちゃんのほうを見る――ここに来る前に練習してきた笑顔を見せながら。
「愛理ちゃんも、どう?」
「うん!」にっこり笑って元気に頷いてくれた。
――ほっ。
「ねぇ…れいな、ちゃん。みやびちゃんもいっしょにいい?」
控え目に聞かれたことに、首を傾げる。
「みやびちゃん?」
「――昨日来てた子?」
口を挟んだ絵里の言葉に、こっくり頷いた。
「みやびちゃんはいとこなの」
「小学六年生なんだけど、すっごく大人っぽい子だよ」
「別によかとーよ」
券は五枚あるのだし。
あたしの返事に、にこにこと「やった」と喜ぶ愛理ちゃんに、さゆが尋ねる。
「絵里が大人っぽいって言ってたけれど――みやびちゃんは、れいなより大人っぽいの?」
――さゆの失礼極まりない質問に。
「…………ぅーん…」
愛理ちゃんはしばらく考えてから。
「うん」
首を縦に降った。
- 115 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:01
-
「そろそろ、帰るばい」
ベッド上の棚に置かれてある時計が、あたしたちが来てから二時間は経過していることを教えてくれていた。
あたしとさゆ、立ち上がってかけていた丸椅子を元の場所へ積み上げる。
「愛理ちゃん、退院したら教えてほしいっちゃ」
「うん!」
笑って、指きりげんまんをした。
打ち解けれたことが、素直に嬉しかった。
「「ばいばーい」」
手を振る絵里と愛理ちゃんに、大きく手を振り返すあたしとさゆ。
- 116 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:01
-
病院の正面入口を出たところで運良くやって来たバスに乗り込む。
二人掛けのシートに、あたしが窓際に座った。さゆを見ると口元に手を添えてなにか考えていた。仕方がないので窓の外の長閑な風景に目をやった。
ゴトゴト揺られ、田んぼが減って住宅が増えてきたころ。
「ね、れいな…」
今まで(珍しく)黙っていたさゆが声をかけてきた。
- 117 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:01
- 「なんね?」
「絵里の顔、さ…結構……青くなかった?」
さゆの言葉で今日の絵里を思い浮かべてみる。――確かに青白かったけれど、あたしはそれを室内にいるせいだからだと、思い深く気に留めなかった。
「気にしすぎじゃなかと?」
「ならいいんだけど…」――それでも浮かない顔。
「れいな、絵里ってなにで入院しているの?」
夏休み前に聞いた言葉を思い出してみる。
「…貧血、ばい。検査入院という形で、異常が無ければ一週間で退院できるって――」
「――絵里が入院してから何日経ったの?」
あたしの言葉を遮って言われた科白に口が止まる。絵里が入院してから―――二週間以上が経過していた。
なにも言えないあたしに、さゆが呟いた。
「異常………あったんじゃない?」
- 118 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:02
-
***** *****
- 119 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:02
-
―――八月だというのに昼から雲行きの怪しくなった日だった。
今日の部活が終了し、噴き出たままの汗を拭い拭いバスに乗った。
走る度に建物が減り、田んぼが増える、見慣れつつある長閑な外の風景。
――さゆとのお見舞いから四日経っていた。
四日前、バス車内で言われた言葉がどうしても頭から離れられない。
――まさか、ね。――そんな訳ない。
ずっと心中をそんな言葉で否定してみても、渦巻く不安は消えるどころか増すばかり。
重い不安に押し潰されそうなあたしを乗せて、曇天の下バスは走る。
- 120 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:03
-
バスから降りて足早に病院の中へ。エレベーターの↑ボタンを押してもなかなかやって来ない、隣の階段を駆け上がる。
一段飛ばしで四階まで上がり、そのままの速度でナースセンターの横を通る。
406号室のドアの前に立って――引き戸に手をかけたまま考える。
――このドアの向こうに絵里がいなかったら?
頭を振って馬鹿な考えを追い払う。
「絵里!」
あたしは、ドアを開けた。
- 121 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:03
-
「れい、な…?」
絵里は、布団を膝までかけてベッドの上で体育座りをしながらこっちを見てた。
「え、なん…で?」
驚きを隠せないその表情を見て。
あたしはその場で崩れ落ちた。
「れいな!?大丈夫!?」
「あー大丈夫たい…」
体中の力が抜けてへたり込んでいるあたしに、絵里はベッドの上で慌てふためいていた。
「安倍さん呼ぼうか!?」
ナースコールに手をかける絵里に、手をぴらぴら振りつつ「別によか」と言った。
- 122 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:03
-
馬鹿だな、あたし。さゆの言葉を深く捉えすぎ。
絵里が死んでたらどうしよう、とか思うなんて。
――――そんなこと、あるわけないじゃん。
ふらふらと立ち上がるあたしを見ながら絵里は「本当に大丈夫?」とまだ心配していた。
「大丈夫っちゃ、急いで来たからちょっと疲れただけばい」
適当な嘘をついておく。
「…それなら良かった。――れいな、いきなり来るからびっくりしちゃった」
「なんか、絵里に会いたくなったけん」
あながち嘘じゃない科白を吐いて、絵里の横に丸椅子を置いて座る。
――改めて絵里の顔を見る。確かに青いけれど、そんなに深く気にするほどじゃない…と思う。
一応聞いてみる。
「まだ…貧血ひどいと?」
「…うん。予定より沢山の検査してる、この間なんか骨髄から血液採られたの」
――それ、テレビで見たことある。大の大人でも悲鳴を上げるほどの激痛があるって。――顔をしかめたあたしに、
「れいながそんな顔しないで」と頬に手を添えられた。
近づく顔と顔。――そして気付いた。
「絵里…泣いてたと?」
目の下が赤く腫れている、人差し指を掬うようにあてると、絵里はゆっくり目を閉じた。
- 123 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:04
-
あたしは振り返り、再び首を元に戻す。…部屋に入ったときから疑問に思っていたことを絵里にぶつける。
「愛理ちゃんは退院したと?」
四日前まで愛理ちゃんのいたベッドは、シーツは剥がされ荷物もなく、糊の効いた折り畳まれたシーツが置いてあるだけだった。
一緒にプール、という約束もあるから、絵里に連絡先教えてくれたのかな、とか考えていると、
「違うの…」
絵里が蚊の囁き程度に呟いた。――目を閉じたまま言葉を紡ぐ。
「愛理ちゃん、昨日の夜に容態が悪化して――………」
閉じられたままの絵里の目から、涙が零れ落ちた。
- 124 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:04
-
***** *****
- 125 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:04
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バスの窓から見える景色は濡れていた、――乗ってすぐにポツポツ雨が降り出し、本降りになって、今も適度な勢いを保ったまま降り続けていた。
歪む田園風景を意味もなく見つめながら、痺れた頭でずっと考えていた。
昨日まで存在していた人間がいなくなる。
これが“死”なんだ。
あたしは―――初めて味わうこの感覚に、ただ戸惑うしかなかった―――。
- 126 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:05
-
バスがあたしの住む町に到着しても雨は止まなかった。
屋根のない、ただ簡素なベンチが置いてあるだけの停留所に降りる。あたしを降ろすと、バスはすぐに黒煙を上げながら去っていった。
びしょ濡れのベンチに腰をおろす。――涙の出ないあたしの代わりのように雨は降り続いている。俯くあたしの目には濡れたアスファルトが意味もなく映っていた。
――どれだけ呆けていたのだろう。
「れいな!?」
呼ばれ、ゆっくり顔を上げた先には傘を差して驚いているさゆの姿があった。
「あ…」ぽたり、前髪を伝い雨雫が眼前に落ちる。
「なにしてるの!?八月でも風邪引くよ!」
強い力で引っ張られ、力無く立った。
「うちに来て。シャワー浴びて」
有無を言わせない、力強い口調で言い放たれた。
- 127 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:05
-
Tシャツと短パン姿で体中から湯気を出すあたし。頭をわしわし拭いながらリビングに入ってきたのを見て、
「よく温まった?」とテレビを見ていたさゆが聞いた。
頭にタオルを被せたまま、あたしは頷きソファに腰を降ろす。
「ちゃんと拭かないと」
近づき、あたしの頭の上にあるタオルをわしゃわしゃ動かす。
――さゆの手首を掴む。
- 128 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:06
- 「れいな…?」首を傾げるさゆ。
「ね、さゆ………………絵里、死なんちゃね?」
あたしの突拍子も無い言葉にさゆは目を丸くした、あたしは言葉を続ける。
「昨夜、愛理ちゃんが亡くなったらしいばい。…あた、あたし、愛理ちゃんは元気に退院できると思っとったけん、ばってん………っ!
……だから、もしかしたら絵里も――――」
- 129 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:06
-
言葉の続かなくなったあたしを、さゆが抱き締めた。
「――今日はもうなにも考えないほうがいいよ。
ごめんね、わたしがバスで変なこと言ったせいでしょ?――大丈夫だよ、きっと大丈夫だから……」
根拠の無い言葉。けれど少なからず安堵を覚えたのも事実。
「ねえ、れいながそんなんでどうするの。愛理ちゃんが亡くなって辛いのは絵里でしょ?れいながしっかりして、絵里の側に居てあげないといけないじゃない…!」
―――その通りだ。抱き締められたまま目をつぶる。
四人部屋の病室、ベッドの上で俯き一人体育座りをしている絵里を想像して――胸の奥に鈍い痛みを感じた。
「今日はもう休もうよ。なんなら泊まっていってもいいからさ。でも、さ…――」
「――明日、もっかい絵里に会いに行くばい」
そう答えると、さゆの抱き締める力が強くなった。
「それがいいよ…」と穏やかな声で言われた。
- 130 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:06
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***** *****
- 131 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:07
-
使われることのなかったプールの券――。
あたしの机の引き出しには未だにそれが入ってる。有効期限の切れた、ただの紙キレなのに、どうしても捨てることが出来ずにいる。
だって―――。
捨てたら、愛理ちゃんのこと、絵里のこと、そんな二人の思い出まで捨ててしまうように思えたから―――。
- 132 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:07
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9.
- 133 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:08
-
鍵を下ろし、窓を開けた。むわっと残暑を帯びた風が顔にかかる。あたしは振り返り、尋ねる。
「これでよかと?」
「うん、ありがと」
絵里が気持ち良さそうに目を閉じ、風を浴びた。
――夏休みも終わり、突入した二学期、九月。暦上は秋だけれど、まだまだ気候は夏と変わらず、道を歩けば暑気と湿気が身を包む。
「外の風に当たって大丈夫たい?」
「ちょっとくらい構わないわよ。一日中空調の効いた部屋で寝たきりのほうが、体にも心にも悪い気がするし」
怠け者になっちゃう、そう付け足された言葉にあたしは笑った。
- 134 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:08
-
――結局、絵里は夏休みが終わっても退院することは叶わなかった―――。
今、406号室のベッドは絵里以外のところは全部空いている。――数回、絵里の隣や向かいのベッドに入院してくる子たちがいたけれど、みんな二日や三日、長くても五日程度で退院していった。
退院していく子たちが大きく手を振って出ていく度に、力なく小さく振り返す絵里の横顔は、どこか悲しげだった。―――羨望、だったのかもしれない。
- 135 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:08
-
絵里は目を開け、あたしを見た。
「そろそろ、文化祭だよね」
「そうたい。今日のLHRは何をするか話し合ったばい」
「なにするか、決まった?」
首を振って否定する。
「絵里は何かしたいことあーと?」
逆に聞き返すと絵里は首を捻って考え始めた。――どうせなら明日も話し合いはあるから、そのときに絵里の意見を提案するつもりだった。暫くして絵里が口を開く。
「………喫茶店、かな」
「……それ、他の子も提案したけど、絶対に他クラスとカブるとよ」
喫茶店という案は、オリジナリティがあることがしたい、という意見が出て却下になっていた。
「ていうかね、れいなとお茶がしたい」
…………。
- 136 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:09
- 「絵里…『したいこと』の意味が違うばい」
呆れながら言うと、絵里はアヒル口になった。
「だってしたことないんだもん…」
ぷう、と息を吐く絵里。あたしは――窓を閉め、財布を掴んだ。
「…れいな?」
「飲み物買ってくるたい。今、ここでお茶すればよかとやろ?」
――きょとん、とした顔つきの絵里は、数秒の間を置いてから、嬉しそうに頷いてくれた。
「なにがよか?」
「緑茶ー」
予想通りの言葉に、つい苦笑する。
「…煎餅もいると?」
「うん!」
いってらっしゃ〜い、手を振る絵里に見送られ、地下の売店に向かった。
- 137 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:09
-
とととーっ、階段を四階から地下まで一気に降りる。
売店は数人のお客さんがいるだけで、そんなに混んではいなかった。飲み物コーナーで緑茶と烏龍茶を手に取ってお菓子売り場へ。
種類の豊富な煎餅たちを前に、どれがいいのか悩んでいると、脇を通ったオバサン二人の会話が耳に飛び込んできた。
「……まだ若いのに……可哀相……」
「……最初は……検査入院で……既に手遅れ……」
――草加煎餅を掴んでレジに向かう、お金を払って受け取った袋を手に、逃げるように売店を出た。タイミング良く降りてきたエレベーター。点滴台を押しながら出てきた人と入れ替わりに乗り込んだ。
ボタンを押し、壁に凭れながら目を閉じる。上がり始めたエレベーター。そして呪文のように呟いた。
「今のは絵里のことじゃなか…絵里のことじゃ……」
- 138 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:10
-
あたしに気付くと、絵里はベッドの上から微笑んでくれた。持っていた袋を配膳テーブルに置いて、絵里の頭を抱えるように抱き締めた。
「…どうしたの?れいな」
「―――絵里…」
その長い髪に、指を梳かすように入れる。さらさらと、指に絡む感触が心地良くて好きだった。――そのまま後頭部に手を添える。
「キスしてよか?」
絵里の返事が来る前に、頭を上げさせ、唇を押し当てた。
- 139 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:10
-
――唇に感じる柔らかいもの。ただそれだけのものが、あたしに絵里がここに存在していることを教えてくれた。
…唇を離して目を開けると、アップで絵里の拗ねた顔があった。
「いいって言ってないのにした…」
「嫌だったと?」
尋ねると、少し悔しそうな顔で首を横に振った。――手を伸ばし、あたしの頬に添える。
「もう一回」
――顔を寄せ、アンコールにお応えした。
- 140 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:10
-
―――長く、触れるだけのキスの後、絵里は目を開け囁いた。
「れいなが出ている間に考えたんだけど、文化祭の模擬店…」
「なん?」
「とんこつラーメン屋ってのはどう?」
- 141 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:10
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***** *****
- 142 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:11
-
「―――おいしい…」
まず一口、白濁のスープを啜ったさゆの一言がそれだった。思わず口から出たような言葉に、当然のように頷いた。
「これが本場の味たい」
試作品の段階で担任の保田先生・副担任の矢口先生を唸らせた、あたしが味の総指揮を執った自慢のとんこつスープだ。
「高校の文化祭で出すようなものじゃないよ、これ、ラーメン屋を開けるくらいよ」
手放しの褒め言葉に気を良くしていると、
「田中さーん、ちょっと来てー」とズンドウ鍋の前に立っていたクラスの子に呼ばれた。
「さゆ、ゆっくり食べとればよかよ」
ちゅるちゅる麺を啜るさゆにそう言い残し、鍋のところに向かった。
- 143 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:11
-
九月の後半に始まった文化祭、今日は初日。
あの日の絵里の案が通り、12Hはとんこつラーメン屋を開いた。結果、かなりのお客さんが入って上々だった。味をとんこつ一本に絞ったのも良かったみたい。
スープのアクを丹念に掬っていると、食べ終えたさゆが、
「明日はクラスの子も連れてくるね♪」と、手を振りテントから出て行った。
――その後やって来た部の先輩方を唸らせたところで、やっと自由時間が取れた。
バンダナとエプロンを外す、なるべく早く戻ってきてね〜、という声を背に、テントから出た。
- 144 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:12
-
同じ部の他クラスの子が焼いたフランクフルトを齧りながら校舎に入って14Hに向かう。賑わう教室の中にさゆが売り子として立っていた。向こうもあたしに気付くと、
「れいな、沢山買っていってね♪」なんて言った。
14Hの模擬店はビーズアクセ屋。…キラキラしてて可愛いけれど……、
「…あたしの趣味じゃなかとぅ」
フランクフルトの串を噛みながら言うと、さゆは、分かってるわよそれくらい、と言ってアクセを一つ摘む。
「絵里に、買っていってあげなよ」
……………。
「これ、わたしが作ったんだよ♪」
目線にまで上げたそれは、ペネチアンを中心としたネックレス。
「特別にこの指輪も付けてあげるよ♪」
――あたしは。
「…商売上手」
「ありがと〜♪」
スカートのポケットから財布を取り出した。
- 145 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:12
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***** *****
- 146 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:12
-
文化祭最終日、後夜祭にも出ずに絵里のいる大学病院に向かったあたし。
さゆから買ったビーズネックレスを付けてあげると、嬉しそうに微笑んでから、申し訳なさそうに、
「わたし、れいなから貰ってばかりだよね…」と言った絵里。
そんなこと、ない。
あたしは―――、
絵里から沢山の想いをもらったんだから――――。
- 147 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:13
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10.
- 148 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:13
-
――その日の絵里は、最初から様子がおかしかった。
「…絵里」
あたしが声をかけると慌てたようにこっちを見て、
「なに?」って微笑んでくれる。
けれど、暫くしたらまた窓の外を見ている。
――十月、窓の外の中庭に植えられた木々は例外なく黄土色やくすんだ朱色の葉をつけていた。九月まであった、夏の名残のような暑さは既に消え失せ、涼しい日々が続いている。
- 149 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:14
- 「ねえ、絵里っ――中庭に行かんちゃ?」
わざと明るい声を出して呼びかける。――絵里は、ぅん…、と言ったきり黙った。
「…行きたくなか?」
「そうじゃないの…」歯切れの悪い返事。
心に黒い渦が生じた。
「じゃあなんさね…?――今日の絵里、なんかおかしいばい」
堪えきれず言葉に出すと、俯かれ、ごめん、と呟かれた。
- 150 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:14
-
「…わたし、移動するときは、あれに乗らないといけないの」
“あれ”。絵里の視線の先には折り畳まれた車椅子が。
「…歩けないと?」
「歩いちゃいけないの。――――れいな、押してくれる?」
当然のように頷いて、車椅子を広げた。
ベッドから出た絵里の肩を支える。―――あれ…?
着ていたブルゾンを絵里に羽織らせ、車椅子を押し出す。――――やっぱり気のせいじゃない、軽い。
元々細身の絵里だけど、あたしより背が高いのに――こんなに軽いなんて。
あたしの戸惑いなんて気付かず、絵里は、外に出るのは久しぶり、なんて車椅子に乗りながら言っていた。
- 151 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:15
-
中庭に通じる扉を開けた途端、風があたしたちの頬を緩やかに撫ぜた。
秋の太陽の下、散歩道をゆっくり進む。
「外って気持ちいいね」振り向いて、あたしに言う。
「そうさね…」心あらずで相槌を打った。
笑顔の絵里はそのまま正面に首を戻した。
太陽の下で見た絵里の肌は―――以前にさゆが危惧した通り、かなり青かった。
それに、ブルゾンの裾から見える手首は驚くくらいに細い。肩も、こんなに薄かったっけ?
- 152 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:15
-
「れいな」
――あたしの心中を察したような小さな声で、前を向いたままの絵里が呼んだ。
「なんさね?」
車椅子を止める。
風があたしたちの髪を軽く乱れさせた。肌にも感じたそれは、秋の装いで、冷気を持っていた。
「そのままで、聞いてほしいの」
――そのままで、――顔が見えないままで。
「よかよ…」
絵里は小さくありがと、と言ってから話し出した。
- 153 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:15
- 「――この間ね、診断が出たの…。わたし、白血球の数が多いらしいの」
「……ぅん」
「もし――貧血なら、白血球の数は標準を下回るけれど、わたしは…わたしの場合、数が異常に多いの」
「……異常に…」
「わたし、ね…」
言葉を切り、一度深呼吸をする絵里。――次に聞こえた絵里の声は、震えていた。
「白血病…だってさ……」
- 154 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:15
-
***** *****
- 155 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:16
-
――夜、家で応接間兼物置部屋にある、家族共用の書棚から『家庭の医学』を引っ張り出す。
「えっと…血液の病気……」
めくり、ページを表示させる。
急性リンパ性白血病。
それが、絵里の病名だった。
治るとね?――中庭で聞いたとき、絵里はなにも答えなかった。
めくったページにはこう書かれてあった。
- 156 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:16
-
【白血病(はっけつびょう)
造血幹細胞からそれぞれの白血球がつくられる過程で、血液細胞が旺盛な繁殖能力を獲得し、無制限に増殖し、骨髄を占領し、正常の造血がおこなえなくなる病気】
- 157 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:16
-
「…そんなこと知りたいんじゃなか…」
あたしが知りたいのは――絵里は治るか否か、ただそれだけ。
大きく息を吐いて、本を閉じて書棚に戻す。
くらくらする頭に手をやって、部屋から出て自室に戻る。時計はまだ九時を指している。けれど、なにもする気が起きず、ベッドに潜りこんだ。
- 158 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:17
-
***** *****
- 159 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:17
-
その日、眠りに落ちる瞬間まで唱えてた言葉がある。
大丈夫、って。
そんな理由も根拠もない言葉で、暴れ狂いそうになる心を必死で抑えていた―――。
- 160 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:17
-
11.
- 161 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:18
-
――次に大学病院に行くと、安倍さん――絵里の担当の看護師さん――から、絵里が個室に移ったことを知らされた。
個室に移ってからは絵里に会うためには一手間かかるようになった。
割烹着のような白衣を着け、髪はなるべくキャップに入れるようにし、口にはマスクをつける。手指は丹念に洗ってから消毒液を塗りこむようにつける。個室の引き戸の前にある粘着式マットで靴の裏の汚れを取って、ようやく中に入れる。
- 162 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:19
-
ノックをして引き戸を開ける。ベッド頭柵に凭れながら座っていた絵里は完全装備のあたしを見て―――、
「ぷっ」
吹き出し笑った。
「やだれいな、ドモ○ルンリンクルの人みたい」
一滴一滴じっと見つめてる、ってか。
「うるさかね、なんて言い草たい」
眉間にシワを寄せながら中に入る。
「ごめんね、忙しいのに来てくれたんでしょ。ありがとう」
――絵里は宥めるように笑いながら言った。
ベッド脇の椅子に座ったあたしを悲しい瞳で見つめる。
「れいながこんな格好しなくちゃいけないのも、わたしが抵抗力をなくしたせいだもんね…」
絵里の頭をくしゃりと撫でた。
「んなこと、気にせんでよか。あたしが自分の意思で絵里に会いに来たんだから」
「…うん」
ふにゃり、笑ってくれた。
- 163 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:19
- その笑顔に、心がときめく。
「絵里…」手を、頭から離す。
「なに?」
不思議そうな表情をする絵里の唇に、ちょん、中指で触れる。――そのまま見つめると、絵里は赤い顔で察してくれた。こくん、小さく頷いてくれる。
「うがい…してきてね」
立ち上がって入り口近くの洗面台に備えられたうがい薬を手に取り、口に含む。
ガラガラブクブク――ぺっ。
「OK?」
振り向き尋ねると、控え目にOKサインを出してくれた。
腰を曲げて、座っている絵里と顔を近づけさせる。
マスクをずらし、至近距離で見つめ合う。――その内、絵里が目を閉じてくれた。
唇に唇を重ねる―――暫く押し当てた後、離す。離す間際に舌を出して軽く絵里の唇を舐めると、ぴくん、とその体が動いた。
- 164 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:19
-
ゆっくりと目を開けた絵里に耳元で囁く。
「…もっかい、うがいしてくるけん……」
だからもう一回。そこまで言わなくても、分かってくれた。
「いい、よ…」
再びうがい薬を口に含む。
ガラガラブクブク……
「検温の時間だべ〜」
……ぶはっ。――うがい薬を吹き出す。げほっごほっ!
唐突にやって来た安倍さんは――、
「…なにしてるべさ?」
「な、なんでもなかですたい……」
洗面台で咳き込むあたしと、ベッドで顔を赤くしている絵里を交互に不思議そうに見ていた。
- 165 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:20
-
――安倍さんが出て行った後。さすがに“もう一回”をする勇気は起きなくて、大人しく椅子に座る。
窓の外は406号室の景色と違い、病院の外の風景が広がっていた。小山に近い丘の上に建っている病院からの景色は良くて、港公園にある大観覧車と、隣接された娯楽プール場のウォータースライダー、その先に広がる青い海が、はっきり見えていた。
「景色いいっちゃね」
そう言うと、絵里は頷いてから唇を尖らせた。
「でもね、この部屋夕日が見えないし、西日も入らないの」
「絵里は西側の部屋が良かったと?」
尋ねると、絵里はにこやかに夕日が見える部屋のほうが良かった理由を言った。
「だって、れいなに告白されたときのこと、いつでも思い出せるじゃない」
……………。
なにも言えないあたしに、絵里は意地悪そうに言う。
「れいな、顔赤いよ?」
- 166 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:20
-
***** *****
- 167 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:20
-
あたしは相手を見据え、相手もあたしを見据えている―――。
竹刀のつばをすり合わせながらお互いに引き技を放つ瞬間を狙っている。
互角稽古中の放課後の部活。部活は益々ハードになり、終了するのが七時・八時というのがざらにある。
…絵里は今どうしてるのだろう、ふとそんなことを考えた刹那、相手はあたしの隙を見逃さなかった。
――しまった、そう思ったときには既に面を打たれていた。
「田中!なにしてるの!!」顧問の檄が飛ぶ。
「すみません!!」慌てて竹刀を構えなおす。
再度、相手と剣先を触れ合わせる。
目の前のことだけに集中する、無理やりに絵里のことは頭から追い出した。
- 168 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:21
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***** *****
- 169 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:21
-
部活の合間を縫って、五日ぶりの絵里との面会。
戸を開けると、絵里が大きなクッションに凭れながらこっちを見て、嬉しそうに「久し振り」と言ってくれた。
あたしは―――絵里に繋がれたものに目を見張る、あたしの視線に気付いて絵里は鎖骨部分を指した。
「ここから、直接薬を入れてるの」
テープが貼られて見えないけれど、点滴針が刺さっている。針と繋がっている管の先には、無骨な電動点滴台を通して、点滴パックがぶら下がっていた。
- 170 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:22
- 「痛そ…」
つい、呟くと絵里が苦笑いしながら今は痛くないんだと教えてくれた。
点滴台の隣に椅子を据える。台は正常に動作していることを示すために、断続的に小さくランプが点滅していた。
「…点滴以外にもすることあると?」
当たり前のように頷かれた。
「ご飯の後には薬を飲まないといけないし、それに放射線照射もしてる。全身にね、ぴかーっと浴びるの」
「ぴかーっと?」
「ぴかーっと」
ふにゃふにゃ微笑んで言うものだから、いまいち実感が沸かない。絵里は目を細めて呟く。
「ほかにもね、色々としなくちゃいけないの…」
「大変さね…」
絵里の手に触れると、きゅ、と握られた。
- 171 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:22
- 「治るためだもの、仕方ないよ。――――治ったらまた…れいなと手を繋いで歩きたいなぁ…」
「絵里…」
車椅子なんか使わないで、そう付け加える絵里。――病気を代わってあげたい、本気でそう思った。
- 172 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:22
-
「絶対…治るけん、そしたらいくらでも一緒に歩いちゃる……」
そう答えると、静かに頷いてくれた。
「ね…あたしにできること、なんかあると?」
少しでも絵里の助けになりたいと思って、出てきた言葉だった。――絵里は少し考えた後、なにかを思いついたような表情になった。
赤くなりながらも、にこやかな顔を向けてくれる。
「キス、して」
- 173 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:23
-
***** *****
- 174 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:23
-
――このとき、あたしは絵里のさらさらの髪に指を梳かせながらキスをした。唇を離した後に「れいなって髪触るの好きだよね」なんて言われた。
長く、艶やかで、指通りの良い、さらさらの髪。――絵里の髪。
あたしのものだ、って思ってた。
絵里の髪に指を入れるのが好きだった。
大好きだった。
- 175 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:23
-
――――。
ゆっくりと目を開け、じっと掌を見る。そして視線をICUの入り口に向ける。
相変わらず中では看護師たちが忙しく動いているのが見えた。
再び目を閉じ、頭を壁に凭れさせる。
ね、絵里。あたしの手が絵里の髪に触れたがってる―――。
- 176 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:24
-
12.
- 177 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:24
-
とある休日、学校も部活も休みのその日、朝から絵里のところに向かった。
完全装備をしてから絵里の病室をノックすると、はい、と絵里の声じゃない、大人の人の声が返ってきた。
戸を開けると、あたしと同じ完全装備の人がこっちを見て、あられいなちゃん、と言ってくれた。返事をくれたのはおばさん――絵里のお母さんだった。
「ほら、絵里。れいなちゃんが来てくれたわよ」
横になったままの絵里に声をかけてくれるけど――絵里は「うん…」と言っただけで、あたしのほうを見ようとはしなかった。
- 178 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:25
-
近づくと、さらさらの髪がシーツを流れ、後頭部が見えるだけ。
「…絵里」
「…ごめん……れいな…」
蚊の囁き程度の声。
「今…むくみがひどいから……顔、見せれない」
「さよ…か…」
…帰ったほうがいいのかな、とか考えていると、心を読んだように絵里が言った。
「側にいて…」
おばさんと入れ替わり、椅子に座る。おばさんはそのまま外へ。
意味もなく絵里と管で繋がっている点滴パックに目をやる。中身は半分ほどだった。窓の外に目を向けると、ゆっくりとした動作で港の大観覧車が回るのが見えた。
虚しくなって絵里に目を落とす。――相変わらず後頭部と髪の毛しか見えなかったけれど。……そっ、と後頭部を撫でる。
「ん…」絵里が小さく声を上げた。
- 179 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:26
- 構わず撫で続け、髪に指を挿し入れる。髪を絡ませ、毛先を指の腹で動かし弄ぶ。
「わたし…れいなに髪触られるの好きだな……」穏やかな、声が聞こえてきた。
「あたしも…好いとぉ」――あたしも、絵里に負けないくらい穏やかな声が出た。
――撫で続け、触れ続け、弄び続ける。
ずるり、触れていた髪が一房抜けた。
「え…?」
――なにが起こったのか分からなかった。呆然と手の中の髪の毛を見つめる。
訝しんだ絵里が少しだけこっちを見て―――顔を強張らせた。
- 180 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:26
- 「…ぃや!」
手の中の髪を、あたしの手を叩いて払い落とす。そして頭まで全てを布団の中に隠れ、丸くなった。
「…す、すまん……」
混乱しつつも謝る。けれど、絵里はなにも言わなかった。
「絵里…」
反応が無い。
――その日、あたしが帰るまで絵里が布団から顔を出すことはなかった―――。
- 181 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:26
-
***** *****
- 182 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:27
-
「嫌われたかも…」
「だれに?…絵里に?」
あたしの言葉を、さゆは聞き逃さなかった。ぱきっ、板チョコを割って大きな欠片を口に入れてもごもご喋る。
「そんなこと、あるわけないれひょ?」
- 183 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:27
-
昼休み、さゆのクラス、さゆの机に頭を抱えて突っ伏すあたし。――そんなあたしの向かいに座ってるさゆ。
欠片を飲み込み、さゆは言う。
「弱気なれいななんて、れいならしくないよ。ぶっちゃけ気持ち悪い」
「…そこまで言うか」
のっそり顔を上げると、にこやかな笑みを浮かべたさゆが、
「うん♪」
と朗らかに言った。そのまま言葉を続ける。
「れいなは、前だけ向いて突っ走るほうが似合ってるの」
- 184 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:28
- 「さゆ…」
瞠目して、さゆを見る。――にこやかな表情のままのさゆ。
「馬鹿みたいに突進してこそ、れいなでしょ♪」
「さゆ…?」ジト目を向ける。
「それ褒めとると?馬鹿にしてると?」
「んー……半分半分かな」
「…………えいっ」
さゆの手の中のチョコレートを奪い、口に放り込む。
「あー!!」
口をもごもごさせるあたしに、さゆが悲鳴に近い批難の声を上げた。
- 185 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:28
-
数日後。
軽く緊張しながらエレベーターが四階に到着するのを待つ。
ポーン、と音がして扉が開いた。
絵里の病室前に据えられているソファに、おばさんが座ってた。こんちは、と頭を下げてから足を止める。
「絵里の容態はどうですと?」
おばさんは、絵里と似た微笑を浮かべて、今日は落ち着いてるわ、と言った。――そして、言いにくそうに絵里から伝言があるの、と付け加えた。
- 186 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:29
-
「もう…れいなちゃんには会えない、って……」
病室に駆け寄り、戸に這い蹲る。
「絵里!なんでさね!?――あたしのこと嫌いになったと!?」
中からはなにも聞こえない。
戸に拳を打ち付ける。
「…それならせめて絵里の口から理由を言ってほしいばい…!」
やっぱり無反応な病室の中。
拳をぶつけたままの戸に、ごすん、額もぶつける。
「絵里………!」
- 187 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:29
-
『…髪が……抜けるの…』
――それは、耳をそばだてさせないと聞こえないほどの小さな声だった。
引き戸に耳をつけ、一言一句聞き漏らさないように集中する。
『薬の…副作用のせいで……髪が…ほとんど抜け落ちたの………』
『れいなが、触るのが好きだって言ってくれた髪……もう…ほとんど抜けたの――』
『怖いの』
『れいなに、見られたくないの。……今の姿、れいなが見たら――絶対にわたしのこと嫌いになるから…だから、もう…会えない、―――もう、ここには来ないで…っ』
- 188 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:30
-
引き戸から体を離し。大きく、深く、息を吸い込み――止める。
――そして。
「絵里のあほー!!」
思いっきり、叫んだ。
「あたしは、絵里を!亀井絵里を!!ずっと!一生!!好く自信あるけんね!!」
「あたしは絵里の全てを好いとぉ!だから、だから…ッ」
言葉が詰まった。
髪がなくなるくらいで。
「嫌いになるわけなんかなか……」
荒い息の間から、漏れ出たような呟きになってしまった――。
- 189 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:30
-
あたしは、あたしの大声に目を丸くしてやってきた安倍さんの横を通り抜ける。――そのままエレベーターへ。
「…くっ」扉が閉まり、下降し始めたところで目の前が滲み始め――そのまま雫が床に落ちた。
自分が悲しいのか怒ってるのかも分からない、なにに対して流れているのかも分からない涙は、病院を出ても、バスに乗っても。溢れ、流れ続けていた。
ただ一つ分かることは――――自分はまだ絵里を好きだということだけだった。
- 190 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:31
-
***** *****
- 191 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:31
-
泣きながら帰ってきたあたしに、親は驚いた。あたしは小さなころから、あまり泣かない、ふてぶてしい子だったから当然かもしれない。理由を聞かれたけれど、説明する気なんか起きない。なにも話さず、自分の部屋に籠もった。
それから当分ヌケガラのようになったあたし。――想うのは絵里のことだけ。改めて自分の中で絵里の存在がどれだけ大きかったかを思い知らされた。
絵里…。
- 192 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:31
-
「はい」
差し出されたものは、チョコレートの箱。フタは開き、数種のチョコレートが鎮座していた。
なにも言わずに差し出した相手、さゆを見ると、好きなの取っていいよ、と言われた。
「珍しいさね」
チョコレートは取らずに素直に感想を述べる。そんなあたしに、さゆは、ぷう、と息を吐いて自分の口に一粒、チョコレートを放り込んだ。
「れいな、自分の顔を見てみてよ」
- 193 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:32
- さゆがカバンから取り出した、持ち歩くには大きい鏡を覗き込む。
そこには――冴えない顔で虚ろな瞳の女の子が映っていた。
「…ね?今のれいな、魂が抜けたような顔をしてるの。
…明るく振舞えなんて言わないけどさ……少しは…元気、出してよ…」
――さゆが励ましてくれてることが分かるから。
「…一個もらうばい」
チョコレートを摘まみ、口に放り入れた。――口いっぱいに広がる濃厚なカカオの味――…。
…今のあたしには辛いくらいに甘かった。
- 194 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:32
-
学校からの帰り道、重い足取りで駅へと向かう。
『〜〜♪』
最初、どこから音楽が流れてきているのか分からなかった。数秒おいてから、自分のカバンからだと気付いた。
―――さらに数秒おいてから、これがたった一人にしか設定していない、ケータイの着メロだと気付いた。
慌ててカバンに手を突っ込んでケータイを引っ張り出す。ディスプレイに表示された名前は――――絵里。
震える手で通話ボタンを押した。
- 195 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:48
-
今まさに出発しようとしているバスに大きく手を振って停止させる。肩で息をしながら乗り込んだ。
空いていた二人掛けの椅子に腰を下ろす、バスはすぐに出発した。
指を組み合わせ、静かに前を見る―――さっきの電話の内容を反芻する。
電話の相手は――絵里本人じゃなく、おばさんからだった―――。
- 196 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:48
-
『あ…れいな、ちゃん?――分かるかしら、絵里のお母さんです』
『あのね…』
『絵里があなたに会いたがってるの』
『――…あのあと、私が部屋に入ったら、絵里…泣いてたの』
『泣きながら、何度もあなたの名前呼んでたわ』
『勝手だとは重々承知してるけど…――』
『もう少しだけ、あの子のわがままに付き合ってあげて―――』
…もう少しだけ、だなんて……あたしの呟きは車内の案内放送によってかき消された。
ドコドコ郊外へと走っていくバス。
あたしはもう――絵里のわがままに、とことん付き合う決心をしていた。
- 197 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:49
-
「あら、久し振りだべ」
頓狂な声を出した安倍さんに軽く頭を下げて、絵里のいる病室に向かう。
割烹着のような白衣、頭にキャップ、口にはマスクを装着。丹念に手指を洗ってから消毒液を塗り込む。
完全装備の後、今までにないくらい緊張しながら引き戸を開けた。
- 198 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:49
-
「ぁ……れいな」
こっちを見て、掠れた声を出した絵里。
「久し…振り、だね」
弱々しく微笑んだその表情は、やつれていた。
絵里は、白いニット帽を被っていた。――白い帽子から、黒い、流れるような髪は――なかった。
絵里はニット帽に手をやる。
「髪、大分…抜けちゃって。それでも少しは残ってたんだけど、……みっともないから切ったの…」
諦めた口調に、心が痛む。
「……れぃな…?」
部屋に入ってから一度も喋らないあたしに、首を傾げる。あたしは無言のまま、絵里がクッションに凭れながら座っているベッドに近づいた。
- 199 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:50
-
「れい―――」
絵里の頭を、肩を、自分に押し当てるように抱き締めた。
「会いたかったばい」
「ばり、会いたかったと…」
絞り出てきた声、絵里は白衣の裾を掴んでくれた。
「ごめん、ね…」くぐもった、小さな声。
「頼むばい、もう二度と――『来るな』って言わないでほしいけん……」
「うん…」
体を離す。絵里はあたしを見上げ、あたしは絵里を見下ろす。腰を曲げ、顔を近づけると、目を閉じてくれた。
マスクを隔てて唇を重ねる。―――そのまま、心の中で誓う。もう絶対に離さないって。
- 200 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:50
-
――マスク越しのキスの後、お互い顔を見合わせる。
「…なに泣いてるとね」
親指で絵里の目尻に溜まったものを拭う。絵里は大人しく拭われていた。
拭い終えると、絵里が抱きついてきた。
「れいな」
「なんね」
「好き」
抱きついたまま絵里が顔を上げて、マスク越しにあたしの唇に自分のを押し当てた。
――初めての絵里からのキス。
- 201 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:51
- 絵里が唇を放し、顔を隠すように首筋に埋めてきた。微かに首筋にかかる息に、軽く身を捩る。
あたしはニット帽越しに頭を撫でた。
「あたしも…好いとぉよ……」
- 202 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:51
-
***** *****
- 203 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:51
-
―――絵里、
このとき、初めて絵里からキスしてくれたよね。
あたし、嬉しかったよ?
ばり、嬉しかった。
もっと、絵里のこと好きになった。
だから――さぁ…、
側に居て、
離れないで、
あたしの手が届かない、遠くへなんか行くな―――ッ。
- 204 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:51
-
13.
- 205 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:52
-
会う度に、少しずつ、でも確実に痩せて細くなっていく絵里の姿―――。変わらないのは、あたしに向けてくれるあの、ふにゃりとした笑顔だけ。
正直、衰えていく絵里を見るのは辛かった。……けれど、会いたい気持ちのほうが強いから、時間が少しでもあれば、絵里のところへ向かった。
あたしは必死に考えていた。
あたしが絵里のために出来ることは何だろう、って―――。
- 206 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:53
-
***** *****
- 207 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:54
-
戸を開けると、絵里はベッドに横になっていた。大儀に首をこっちに向け、それでもあたしの姿を認識すると嬉しそうに、微笑んでくれた。
点滴台のフックに掛かっているのは、いつもの薬じゃなく、大きくはっきりABと書かれた血液パックだった。
「どうしたとね…」
大出血でもしたのかと思い尋ねる。
「あのね…抗白血病薬を使った治療には副作用として貧血が起きるんだって……だから…補助治療として輸血が必要なの………」
か細い声で答えてくれた。
絵里はゆっくり、布団から左手をだす。
「ね…手、繋いで……」
指を絡ませ繋ぎ合い、あたしは椅子に腰を下ろす。
穏やかな表情になった絵里を見て、胸が締め付けられた。
- 208 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:54
-
「おばさんは…今日、おらんさね」
絵里は小さく頷いた。
「これからもっと輸血が必要になるから、AB型の知り合いの人のところに輸血ドナーになってくれるよう、お願いにいったの」
――絵里の言葉が重くのしかかる。
絵里はAB型、あたしは―――O型。――同じ血液型なら、あたしがAB型なら、いくらでも血を分けるのに…。
生まれて初めて、自分の血液型を恨んだ。
中身が残り少ない血液パックを見やる、大きく書かれたABという文字が、ただ悔しかった。自分が絵里のためにできることはないんだと示されているようだった。
繋がっている手を、力を込められて握り返された。視線を絵里に戻すと、口の端を上げて笑みを作っていた。
「わたし、ね。れいなと違う血液型で良かったと思う」
――何故?目で訴えて続きを促す。
「だって…もし同じ血液型だったら、れいな、自分がミイラになってもわたしに血を分けようとするでしょ?」
自信たっぷりに言われた言葉に、首を降って肯定する。ふふ、と絵里が笑った。
「れいながミイラになったら嫌だもの。だから…わたし、れいなと違う血液型で良かったぁ…」
…こんな状態であたしの心配なんかしなくていいのに――。――アホ、あたしの心配なんかせんでよか――そう言ってやりたかった。けれど、言葉は喉に詰まり、出てこなかった。
- 209 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:54
-
そのうちに絵里は吸い込まれるように眠りに落ちていった。
あたしがいるのに寝るのかよ、そう思ったけれど…その静かな寝顔を見ていると文句は力無く萎んでいく。石膏の彫刻のように冷たい、繋いだままの手を、両手で包み込み、ただ寝顔を見つめる。
……おとぎ話のようにキスすれば目覚めるのかなー、とか思っていると控え目に引き戸がノックされ、開く音がした。不埒な思考を頭から追い出して振り返ると、点滴パックを持った安倍さんが入ってきた。
「…お邪魔だったかい?」
「と、とんでもなかですたい」
「ふーん?」
面白そうにあたしの顔を覗き込む安倍さんを、見据えて対抗する。
安倍さんはあたしから絵里へと視線を移動させ、あらお姫さんは寝ちゃってるべ、と呟いてパックを点滴フックに掛けた。
- 210 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:55
- 輸血パックと繋がっていた管を薬品のパックに差し替えながら安倍さんは言う。
「…できれば絵里ちゃんのことは起こさずに、そのまま寝かせといてほしいべさ」
「…はあ……」曖昧に頷く。
「消灯後にね、なっちたち看護師が容態を見回ったり点滴パックを取り替えるために病室に入ると、絵里ちゃん起きちゃうんだべ」
どんなに足音消してもだよ?そう付け加えてあたしを見る。
「眠りが浅いんだね……いつも笑顔を向けてくれるけど、やっぱり内心怖いんだべ…」
あたしは絵里を見た、安倍さんも絵里を見た。
「こーんな安らいだ寝顔、久し振りっさ。―――だから、寝かせといて?」
顔を伏せて頷くと、ありがと、と言ってあたしの頭を撫でた安倍さん。
「田中ちゃんはいい子だべ…」
- 211 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:55
-
――安倍さんが出て行った後も、あたしと手を繋いだまま起きない絵里。
そっと片手だけ放し、絵里の目の下にできた薄いクマをなぞる。――絵里は、ふにゅ、と口を動かし――――それだけだった。
その寝顔を見つめながら…あたしは。
考え、望み、欲した。
あたしが絵里のためにできることを―――。
- 212 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:55
-
***** *****
- 213 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:56
-
とっぷりと日が暮れてから、数時間は経過した時刻。あたしは暗い部屋の中、机の電気スタンドだけを点けて椅子に座っていた。
机の上に置いた一枚の用紙を、ただ睨みつける―――。
あたしが絵里のためにできること―――ぎゅうぎゅうに頭を絞った結果が、目の前の生徒指導室から貰ってきた藁半紙。
…それでもま未だに迷っている自分がいるから、所定欄に名前も書かずに睨んでいた。
――本当にこれしか方法がない?――自問しても出てくる答えは同じ。
「……これしかなか…」
深く、息を吸って――深く、息を吐く。
ボールペンを取り、名前・クラス等の必要事項箇所を記入した――。
- 214 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:56
-
―――翌日。
あたし以外にも、数人の生徒が散らばっている休み時間の職員室。あたしから用紙を受け取った剣道部顧問の飯田先生は、その端整な顔立ちの眉を顰めた。
「田中ぁ…本気?」
「はい。―――冗談でそげなもん出さんとです」
あたしが飯田先生に渡したものは、昨日書いた剣道部の退部届。
「……もう少し、考えてからでもいいんじゃない?」
慰めるように向けてくれた笑顔に、あたしは首を振って否定した。
「充分…考えました……」
顎に手を添え椅子の背もたれに凭れながら、飯田先生は机の引き出しを開けた。
「カオリ、田中は筋も良いし努力も怠らないから、絶対に強くなって茗学の中心になれるって期待してたのにな…」
紙を一枚取り出して、それ見て、とあたしに渡した。
それは秋大会のメンバー表で……団体戦の先鋒にでかれいなの名前が…そして次鋒にあたしの名前があった。
「すみません……」
――期待に、添えなくて。
…とりあえず、預かるわ。飯田先生は退部届とメンバー表を一緒に引き出しに入れた。
「…気が変わったら、いつでも戻ってきていいからね」
「…ありがとうございます」
頭を下げ、職員室を後にした。
廊下を歩く。
これでいいんだと自分に言い聞かせる。
あたしが絵里のためにできること――――それは少しでも絵里の側に居ること。
陳腐だけれど、それしか思いつかなかった。
――絵里を治すことも輸血ドナーにもなれないあたしには、それしかできないのも事実だったし。
だから……少しでも長く絵里といるために、少しでも時間を作るために決意したんだ。
…………。
なのに……、
足を止める。左胸を鷲掴みした。
なのに、なんでこんなに胸が苦しいのだろう―――。
- 215 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:57
-
***** *****
- 216 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:57
-
ねえ、絵里。
あたし、今でもこの選択は間違ってなんかいないって思ってる。
むしろ、もっと早くにこうすれば良かったとさえ思う。
…だって、
絵里との時間は予想以上に短かったのだから―――。
- 217 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:57
-
14.
- 218 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:58
-
連日面会に来るあたしを絵里が訝しんだのは三日目のことだった。
「れいな…部活はいいの?」
――きた。
あたしの内心の動揺を知らない絵里は首を傾げながら「大会…近いんじゃないの?」と付け加えた。
「あー……部活は、剣道は……辞めた、ばい…」
あさっての方向を見つつ、なんでもないことのように言う。
- 219 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:58
- ――あたしはこの瞬間の絵里の眼を忘れることはないだろう。
大きく開かれた眼には色んな感情が映っていた。驚き・怒り・哀しみ…それと……悦び?
「な…んで…」
「なんでって…」
それを言わせるの?――そう目で訴える、絵里は顔を歪ませた。
「れ……な、」
「…なんね」
絵里の口から続きの言葉は出てこなかった。ただ、あたしの白衣を掴み――、
「…あ、う…っ」
大粒の涙を零し始めた。
「絵里!?」
「ああああぁぁぁぁぁぁぁあンッッ!!」
大声を上げて、泣いた。
「絵里、なんで泣くと!?絵里ッ?」
尋ねても背中を擦っても、絵里は泣き止まない、逆に更に声を大きくして泣いた。
ねぇ、絵里。なんで泣くの?あたし分かんないよ
- 220 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:59
-
「どうしたべ!?」
絵里の泣き声が外にも聞こえてたらしく、安倍さんとおばさんが入ってきた。
二人であたしから絵里を引っぺがし、あばさんは絵里を布団に潜らせ、安倍さんはあたしに怒った顔を見せた。
「田中ちゃん、病気の人に刺激与えるのは駄目っさ」
「…ごめんなさい」
「一回田中ちゃんは、なっちと外に出るべさ。じゃないと絵里ちゃん落ち着かないべ」
手を引かれ、二人で病室から出る。出る際に振り向くと、おばさんが布団の上から絵里をさすっているのがちらりと見えた。
- 221 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:59
- 外に出て戸を閉めると、絵里の声は聞こえなくなった。
安倍さんはマスクを外し、作った怒り顔あたしに向ける。
「仲良くしなきゃ駄目っしょ」
めっ、って付け加えてから踵を返しナースセンターに戻っていった。
一人残されたあたし。…力無くマスク、キャップを外す。
……頭、冷やしてこよう。
胸の辺りが濡れた白衣も脱いで、自販機のあるフロアへと向かった。
- 222 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 17:59
-
靴を脱いで、ソファの上で体育座りをしながら、紙コップに入った薄いオレンジジュースを啜る。
ぼんやりとさっきの出来事を考える。
…声を上げて泣かれたことなんて初めて――。
……迷惑、だったのかな…。
…あたしの気持ち、重かった?ていうかウザかった??
…でも抱きついてきたし……。
…う〜〜〜〜〜。
益々ぐしゃぐしゃになった頭の中を流し去るように、一気にオレンジジュースを飲み干した。紙コップを握りつぶしてゴミ箱へシュート。――重みのない丸めた紙コップは届くことなく床に落ちた。
靴を履いて立ち上がって、紙コップを拾ってゴミ箱へ。
――今日はこのまま帰ろう…。
重い足取りで、病院の正面入口へと向かった…。
- 223 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:00
-
***** *****
- 224 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:00
-
――絵里の病状が重くなってきたのはこの頃だった。そして――絵里にとってあたしは邪魔な存在なのかもしれないと思い始めたのもこの頃だった……。
- 225 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:01
-
毎回のように、絵里のところへ行けば最初にすることはキスだった。
あたしは、一緒にいれなかった時間を埋めるようで好き。
割烹着のような白衣を着け、髪はなるべくキャップに入れるようにし、口にはマスクをつける。手指は丹念に洗ってから消毒液を塗りこむようにつける。個室の引き戸の前にある粘着式マットで靴の裏の汚れを取って、病室に入って洗面台でうがいする――これはすでに一連の動作になった。
- 226 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:01
-
今日の絵里は具合が良いらしく、ベッドの上で大きいクッションに凭れながら座っていて、うがいするあたしを見ていた。
うがい薬を吐き出し、ベッドに近づく。
「絵里…」呟くと、心持ち顔を上げて目を閉じてくれる。
「ん…っ」
押し当てると微かに漏れ出る絵里の声。…それがあたしを加速させること、気付いてないんだろうな。
今日は…深くしてもいいかな…ぁ?
――あの、絵里の家に行って以来。あたしすっかりハマってます。
絵里の具合が良いときにできる深いキス。…普通に触れ合わせるだけのも好きだけれど、深く…舌を絡ませ合うほうが断然に好き。……気持ちいいし、絵里の溶けた目も堪んないし。
唇を薄く開け、舌を出して絵里の唇を舐める。――それが、合図。
絵里がうっすらと開けてくれるのを、今か今かと待っていると。
「むが?」
手で遮られた。
- 227 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:02
-
見つめながら、口を覆う手の平をぺろっと舐める。絵里は恥ずかしそうに俯いた。
「ごめん、ね…口の中、口内炎が沢山できちゃってるの……だからちょっと…」
…そっか、あたし絵里の口内で舌を暴れさせるものね。口内炎ができてるなら痛いよね…。
理解はできても物足りないと思っている正直なあたし。――口を覆っているままの絵里の手を取る。
べっ、舌を出してその手の平をおもいっきり舐めた。
「きゃっ」
そのまま指を甘噛みすると、慌てたように手を引っ込められた。――絵里は顔も耳も真っ赤にさせて潤んだ瞳で睨んでいた。
- 228 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:02
-
***** *****
- 229 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:02
-
急性白血病の大きな症状は免疫力がなくなること。免疫力がなくなると粘膜が弱くなって、非常に出血しやすいこと、嘔吐しやすい――ということを安倍さんが教えてくれた。――だから田中ちゃん、そのときは慌てずにナースコールを押して、なっちたちに教えてほしいべさ――そう、頼まれた。
あたしは二つ返事で了承した。
些細なことでも、絵里のために何かをできることが嬉しかった。
- 230 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:03
-
絵里は、あたしがいる数時間の間にもしばしば出血するようになった。
話したりしていて、口や鼻孔から赤いものが流れる度、あたしはティッシュで覆ってナースコールを押す。そして看護師さんが来るまでの間に絵里に毎回言われる、顔を伏せながらの「ごめんね…」の言葉。
おばさんの話によれば、食べた物を吐き出すことも多くなってきているとか。必然的に食べる量も減り、絵里はさらに細くなっていった。
老人のように衰えた腕に時折差される点滴針。――その先にあるものは、成分がスポーツドリンクと同じだと言われる栄養剤のパック。
その手に手を重ねる、伝わるかさつき骨ばった感触。…あの柔らかだった手が、こうなるなんて。それが、悲しい。
- 231 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:03
-
――ある日のこと。
日常空間になった二人きりの病室。いつものように絵里がベッドに、あたしが椅子に座って手を繋いでいると。
突然、絵里が顔をしかめた。あたしが呆ける間もなく、絵里は繋いでいた手を離して口を覆った。
「絵――」
すぐに、指の隙間から、黄色の泡を含んだ液体が滴り落ちてきた。
――胃液だ。
- 232 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:03
-
気付いたときにはナースコールに手を伸ばしていた。ボタンを押すと遠くからヴーと音が聞こえ、それからマイクが繋がる音がした。
『はい、どしたぁ?』
この声は、安倍さん。
「絵里が、吐いた」スピーカーマイクに叫ぶ。
『はいよぉ!』威勢のいい声が返ってきて、すぐにマイクは切れた。
嘔吐物を入れる容器を掴み、絵里に渡す。――絵里は受け取った容器で口元を隠した。
その弱々しい背中を擦っていると、安倍さんがやって来た。座っていた場所を譲ると、持ってきた濡れタオルで絵里の口元を覆うように拭った。…すっきりしたかい?そう尋ねながら安倍さんは絵里の背中をあたしに代わって擦る。
安倍さんが、タオルは絵里に持たせて脈を測る。絵里は、口や手を拭ってから、あたしを見ないまま、
「お願い、れいな。…外に出てて」と言った。
「――え?」
「お願い…」
「……分かったばい」
大人しく、病室から出た――。
- 233 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:04
-
白衣を脱いでいる最中で、安倍さんも出てきた。汚れたタオルやシーツを抱えながら、慰めるように笑いかけてくれた。
「絵里ちゃんは恥ずかしいのさ。…好きな人の前で吐いちゃって。――気にすることないべ?」
「………はい」
――やりきれない、やるせない想いが体中に広がる。
無力な――むしろ邪魔な自分の存在に。
あたしは……絵里の側に居る資格があるのかな…。
- 234 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:04
-
***** *****
- 235 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:05
-
とうとう、恐れていたことを口にされた。
- 236 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:05
-
「別れよ」
率直に、切り出された。
- 237 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:05
-
―――十数分前のこと。
- 238 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:06
-
バスから降りた途端に冷たい風に身を包まれ、首をすくませる。
今日は一段と冷え込んでいる、あたしは首をすくめたままナイロンパーカーのポケットに手を突っ込んで、小走りで病院入口へと向かった。
今日は朝から絵里の元へと向かう。
小児病棟廊下を歩いていると、向こうからやって来た安倍さんが、
「あれ?田中ちゃん学っこ――あ・今日は祝日だべか」
途中まで言ってから自分の額をぺちっと叩いた。
そう、祝日なら学校は当然休み。
「曜日や祝日の感覚がすっかり無くなったべ」そう言って照れ笑いを浮かべた。
あたしも苦笑いを返す、安倍さんは大部屋病室へと消えて行った。
- 239 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:06
-
止めていた足を動かし、ふと考える。――きっと、絵里や他の入院してる人たちはもっと時間や月日の感覚が薄れているんだろうなって。
病院の中では季節なんてあまり感じないだろうし。――廊下の窓の外から遠くに見える葉の落ちた木が凍えるように震えていたけれど、どこか別世界のように…そう、まるでブラウン管に写る映像のように思えた。
割烹着のような白衣を着け、髪はなるべくキャップに入れるようにし、口にはマスクをつける。手指は丹念に洗ってから消毒液を塗りこむようにつける。個室の引き戸の前にある粘着式マットで靴の裏の汚れを取って、引き戸を開ける。
ベッドに座っていた絵里は、あたしを見てふにゃりとした笑みを――――浮かべなかった。
「…もう、来たの……」
- 240 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:07
-
え………。
聞いたことのない固く冷たい声で呟いて窓の外を見る絵里。――あたしがうがいをしていても、一度もこっちを向かなかった。
機嫌悪いのかな…。
いつもより心持ちベッドから間隔を開けて椅子を据え座る。それでもやっぱり絵里は窓の外を見ていた。
あたしも窓の外を見る。―――いつものようにゆっくり回る観覧車と、その向こうに見える利休色の海。…見慣れた風景。
「れいな」
ぼんやり観覧車を見ていると、絵里がこっちを向かないまま声をかけてくれた。
「なんね」なるべく、気楽な声を出す。
「別れよ」
――固く冷たい声で、率直に切り出された。
- 241 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:07
-
―――そして。
- 242 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:08
-
窓の外で回る観覧車。ゆっくり、ゆっくりと、緩慢なその動きが、唯一時が流れていることを教えてくれる。
「もう、疲れたの」
本当に疲れた声で言われた。
あたしは。その一言で、ようやく止まっていた脳ミソが働き出し、震える唇から言葉を吐いた。
「絵里にとってあたしは…邪魔?」
「邪魔とかそんなんじゃなくて…!」
やっと絵里は振り返ってくれた。と、目を大きく開く。
「やだ…泣かないでよ……」
「え…」
目の下に触れると濡れていた。――自分が泣いてたこと、全然気付かなかった。
- 243 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:08
-
流れ出る涙を拭いもせずに絵里を見つめる。そして叫ぶ。
「あたしは…絵里を好いとぅ、側に居たか――…!
絵里は…そうじゃなかとーと!?」
絵里は――視線を合わせようとはしてくれなかった。
「答えてほしか!」
「嫌なの」
――それは、心の奥から搾り出したような声。
「もう、嫌なの」
苦しい顔を、見せた。
- 244 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:09
-
鈍く頭が痺れ、ただ見つめることしかできない。当の絵里は澱を吐き出すように言葉を続けた。
「れいなが部活…剣道を辞めたのはわたしのせいでしょ!?
――嫌なの!わたしのせいでれいなが未来を潰すことが!!」
「…あたしが勝手に辞めたことばい、絵里のせいじゃなかとぅ」
痺れる頭を必死に動かし、言う。
「けれどれいな、来年の春大会には個人戦に選ばれるんだって意気込んでたじゃない……ッ」
「それは――」
「れいな、わたしなんかがいなければ絶対に叶えてたでしょ?
わたし――…れいなの荷物になりたくないの…!」
「絵里!」
絵里の肩が震えた。
- 245 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:09
-
「“わたしなんか”って言うんじゃなか…ッ」
たとえ本人でも、絵里の愚弄は許せない。
「それと―――」
言葉を切る。絵里は怯えた表情であたしを見た、あたしも絵里の目を見る。
「絵里は荷物じゃなか。あたし、田中れいなの恋人たい」
- 246 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:09
-
絵里の瞳が揺らぎ―――涙が落ちた。
「なんで――そんなこと言うの…」
止まらない涙を隠すように手で顔を覆う絵里。
「何度でも言ったるけん、亀井絵里は田中れいなの恋人たい」
そっと…細い肩に手を伸ばす、そのままゆっくりと引き寄せると、絵里は素直に腕の中に入ってくれた。
「絵里――」
「不安なの」
腕の中、弱々しく言い出した。
- 247 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:10
- 「れいながここに来る度に、無理をしてるんじゃないかって思うの。本当は嫌なのに、しぶしぶわたしに付き合ってるんじゃないかって。二人で部屋に籠もってて退屈じゃないかって…つまらないんじゃないかって考えちゃうの」
絵里は手で顔を覆うのを止めて、泣いたままの目であたしを見た。
「怖いの」
その痩せ細った指でマスクの上からあたしの唇に触れる。――絵里の顔は歪んでいた。
「もう…うがい薬の味しか思い出せないキスも。もう――れいなはわたしのこと嫌いじゃないかって疑念が……ざわざわざわざわと…心に波を立てて、次第に大波になってしまうの……!」
- 248 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:10
-
「だから…もう、別―――」
あたしは言葉を最後まで聞かずに乱暴にマスクを引き下げ、絵里の細い手首を掴む。
「れぃ――んっ」
力任せに唇を絵里のそれに押し当てる。――薄く開いていた口に無理矢理舌を捩じ込ませる。
「ンッ、ンー」
頬の内側をなぞると、あちこちに口内炎のでこぼこした感触を感じた、――あたしの舌が口内炎に触れる度に絵里の体がビクンと震え、反射的にあたしから距離と取ろうと体を引きかける。だけどあたしの手が、口が、心がそれを許さない。
あたしの舌が絵里の舌を捕らえようとする、けれど絵里の舌は逃げる、あたしは追う、更に逃げる、――ぐっと顔を押すくらいに顔全部に力を込めて舌を追う。
口内の上をなぞると絵里の肩が跳ね上がった。舌も一瞬、逃げが止まった。――その隙に舌が舌を絡め取る。
舌が絡まり、そして互いの頬に流れていた涙が混ざり合う。
- 249 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:11
-
「ふっ…ン」
絵里の漏れ出た声が欲望を増長させた、舌を絡めたまま、顔の角度を変えて、更に深く舌を捩じ込む。
絵里の体全体から力が抜けたのが分かった――手首を掴む手の力を緩めても、もう絵里は逃げなかった。
ぴちゃ・ちゅ・くちゃ、湿った音が病室に響く。
- 250 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:11
-
唇を、顔を離すと太い糸が一本繋がっていた。それは重みに耐え切れずにすぐに落ちて、切れた。
「あたしが…」自分の頬の涙を拭う、口の端のどちらのものかも分からない唾液も拭った。
「こういうことしたいって思うのは、絵里しかおらんばい」
絵里は。再び顔を歪めさせ、止まっていた涙を――けれど入った感情は違う涙を再開させた。
「それでも…まだ不安?怖いと?」
絵里はぶんぶんと頭を横に振る、遠心力で身尻の横に涙が流れる。
「もっかい聞くけん。あたしは絵里を好いとぅ、絵里の側に居たか…。―――絵里は?」
- 251 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:11
-
「…好き。…大好き。…んっ、ぅ…側に居たい――離れたくなんかない…ッ」
絵里は本格的に泣き出し始めた………それでも答えてくれた。
「ごめんね…れいな……ごめんなさい…っ」
絵里はあたしの白衣を掴んだ、あたしは絵里の背中に腕を回す。
「――あほ…」
「ごめ…んね……」
小さな子どものようにしゃくり上げながら謝り続ける絵里を。あたしはひたすら、背骨の浮き出たその背中をさすり続けた―――。
- 252 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:12
-
***** *****
- 253 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:13
-
絵里、
――このとき、約束したよね。
不満や不安はぶつけ合おうって。――お互い、ぶつけられた程度で嫌いになんかならない自信があるんだから、って。
色んな想いを共有し合ってこそ本当に付き合ってると言えるから、って。
それと、
お互い、隠し事はなしにしようってことも。
些細なことを沢山話し合おうって。
小指と小指を絡ませて、指切りしたよね。
- 254 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:13
-
絵里――ごめん。
あたし、一つだけ絵里に隠し事があった。――たった一つだけ、言えないことがあった。
あたし……あたし…っ、
そのことを―――どうしても言えなかったの…!!
- 255 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:13
-
15.
- 256 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:14
-
いつものように病室に入ると、絵里は清々しい表情をしていた。
「絵里、いつもよりさっぱりとしとるたいね」
いつものようにキスをして、唇を離したときに尋ねる。
「そう?うーん…さっき体拭いたからかなぁ?」
あたしが椅子に座ると、説明し始めた。
「お風呂やあシャワーは禁止だから、お湯で濡らしたタオルで体を拭いたの」
タオルを絞るジェスチャーをしながら、結構すっきりするの、と付け加えた。
「…一人で?」
「背中は安倍さんがしてくれたよ」
- 257 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:14
-
…ふーん……。
「れいな…なんか企んでない?」
「別に。なんもなかよ?」あっけらかんと答えてみせる。
企むだなんて人聞きの悪い。
「ならいいけど…」
絵里はいまいち腑に落ちない顔のまま。
その日、絵里の病室から出た後のこと。
ナースセンターのガラス窓を叩いて、中で書き物をしていた安倍さんを呼ぶ。
「田中ちゃん、なにかあったべさか?」
軽い音を立ててガラス窓を開けた安倍さんに、微笑んでみせた。
「あのー、ちょーっと頼み事あるとですたい」
- 258 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:14
-
それから三日後。
- 259 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:15
-
病室内で、あたしが持ってきたファッション誌を二人で覗き込んでいると引き戸がノックされた。入ってきたのは、お湯を張った洗面器とタオルを持った安倍さん。
あたしと安倍さんは顔を見合わせ、意味のある笑みを浮かべ合う。そしてあたしは、徐にベッドの周りのカーテンを引き始めた。
「え…なに…?」一人、理解できない絵里。
「点滴針のあたりは触らないようにしてほしいべ」
「分かりましたばい」
安倍さんはタオルをお湯の中に入れて、洗面器を手渡してくれた。
「なっちはカーテンの外にいるから、絵里ちゃんの具合が悪くなったら呼んで?」
あたしは一つ頷き、カーテンの内へと入る。
「…もしかして……」
薄々勘付いた絵里は、布団で体を隠すようにしながら、あたしから無意味にベッドの上で距離を取り出す。
そんな絵里に、笑ってみせた。
「あたしが体拭き、やるばい」
- 260 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:18
-
「――やだ!絶対いや!!」顔を真っ赤にさせながら激しく拒否する。
「なんでばい」
「なんでって…」きゅう、と額に八の字を寄せながら、潤んだ瞳であたしを見る。
そのまま、小さな声でぽそっと呟く。
「…恥ずかしいもの……」
……絵里、あたしの理性を壊すためにわざとやってない?
「…一人でするからいいわよ」
洗面器を取ろうとするので、あたしは腕を上げて阻止する。
「一人でやる、って背中も?」
「…うー」
「へんなことはしないから安心してほしか」
「…本当に?」
「本当たい」
「絶対に…?」
「絶対ばい」
「…しない?」
「…もしかして絵里、してほしいと?」
「ばかあっ」
- 261 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:19
-
――なにやかやと揉めつつも請け負えることになった体拭き。
タオルを固めに絞り、まずは腕から(絵里の「自分でするから」という言は当然却下した)。
絵里がしぶしぶ捲くったパジャマの袖から…トリガラのように細くなった腕が現れた。――力を入れると折れそうなそれを、優しく、痛くないように拭いていく。
「気持ちよか?」
「…ぅん」
絵里は頷き、そして俯いた。
- 262 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:19
- 「やっぱり恥ずかしい…こんな――骸骨みたいな体をれいなに見せなくちゃいけないから……」
「絵里…」
拭いていた手を止め――絵里の額を優しく突付く。
「絵里、可愛か。体ばり綺麗たい」
「…本当……?」
「当たり前たい。――あんまり卑下するんじゃなかとーと」
「うん…ごめんね」
「謝ることでもなか。―――ほい、次、反対の腕ばい」
タオルを浸しなおし、もう片方の腕も拭く。―――次は背中。
「れいな向こう向いてて…」
頬を赤くしながら言われた科白に素直に従う。……ぷち・ぷち、パジャマのボタンを外す音の後に、微かな衣擦れの音がした。
「…ぃぃ、ょ」
- 263 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:19
-
振り返るとパジャマで前をしっかり隠し、露わになった背中を丸める絵里の姿があった。
浮き上がっている背骨を、つぅっとなぞる。
「ひゃうっ」小さく声を上げられた。
「背中…ちゃんと伸ばすばい」
恐る恐る伸ばされた背中を、ゆっくり優しく拭いていく。…肩甲骨の下を少し力を込めて拭くと、ちょっとだけ絵里の背中が反った。
…やばい。あたし興奮してる。
- 264 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:20
-
あたしは――華奢な背中を拭き終えると、堪らず中心に唇を落とした。
「ぁ…れぃな…」――絵里もなにをされたかすぐに気付いたみたい。
後ろから肩を抱き締め、唇を上へと滑らせていく。
「――ぁ…」絵里の唇から声が漏れ出た。
ニット帽の縁から出ている耳を軽く齧ったあとに囁く。
「――はよ絵里、抱きたか」
齧った耳・少しだけ見える横顔・拭いたばかりの背中…絵里の全身が赤くなった。
「わた、し、髪…ないよ?」
「なくても絵里は絵里たい」
「ガリガリ……だよ?」
「それがどうしたばい。…だから―――早く良くなるっちゃ」
肩を抱いていた手に、手を重ねられた。…細く、かさついた感触。
「うん…。…今押し倒されたら一溜りもないものね」
「…そこまで獣やなかとぅ」
拗ねた口調で言ってみせても、笑ってかわされた。
- 265 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:21
-
抱いていた腕を外し、タオルを洗面器の中に入れ、絞る。
「さ、絵里」
「?」
「今度は前たい」
にこやかに言ったら、絵里は赤い顔でタオルをひったくった。
「あとは自分でするわよっ、れいなのスケベ」
「すけ…」
「エロ親父」
「………」
――ここまで言われ。涙目で睨まれ。
……あたしは仕方なくベッドを囲ったカーテンの外に出た。
――出ると、ニヤケ顔の安倍さんと目が合った。………あ…そういえばいたんだっけ…。
「あの…今までの会話……」
掠れ声で尋ねると、
「なっち恥ずかしいっさ。いや〜若いっていいべさぁ……」
安倍さんは赤い顔でモジモジしながら言った。
- 266 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:21
-
***** *****
- 267 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:21
-
あたしは思ってた、絵里は治るって。
あたしは願ってた、絵里が良くなるようにって。
あたしは望んでた、絵里との日々を。
- 268 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:22
-
***** *****
- 269 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:22
-
病室引き戸に掲げられたプレート。
「…『面会謝絶』……」弱々しく、プレートの文字を口にしてみる。
後ろから誰かの靴音が聞こえ、振り返る。
「――れいなちゃん、わざわざ来てくれたのに…ごめんなさいね」
おばさんが立っていた。
「絵里、今朝熱を出しちゃって……」
済まなそうな顔を見せたおばさんに、
「いえ、仕方なかとですから……」言いながら手をブンブン振ってみせた。
こっそり、おばさんの顔を見る。……どことなく絵里と似たその顔は、疲れてるようだった。化粧で隠してるけど、うっすらと目の下にクマが出来ていた。
……おばさん大変なんだろうな…。
きゅるり〜、デリカシーに欠けた音があたしのお腹から鳴った。
おばさんが、目を丸くしたあとに、絵里と似た笑みを浮かべたので、恥ずかしくなって俯く。そんなあたしに、おばさんは腰を曲げながら話し掛けてくれた。
「ねえ。よかったらおばさんと一緒にご飯に行きましょうか」
- 270 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:23
-
地下一階、売店の隣のレストラン。食堂の要素もあるらしく、白衣を着た人が新聞を読みながらコーヒーを啜ったり、看護師がグループになりながら遅い昼食を取っていた。
小さな花の絵が数枚飾られた壁にくっつけられたテーブル。あたしとおばさんは向かい合って座る。
好きなもの頼んでちょうだいね、というおばさんの言葉に、遠慮せずに焼肉定食を注文した。
すぐに運ばれてきたそれに、いそいそと割り箸を割って口をつけた。
おばさんのほうを見ると、運ばれてきたのはコーヒーだけ。…お腹空いてないのかな?――ま・いいか。
あたしは目の前の肉に集中した。
- 271 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:23
-
「ねえ。れいなちゃん」
あらかた食べたところで、おばさんに呼ばれた。
「なんですか?」
箸を置いてトレイをテーブルの端に寄せる。
おばさんはコーヒーカップを持ち上げ、カップの縁に口をつけ…飲まずにカップを皿に戻した。
「絵里の病気……急性白血病は、現代の医学では造血幹細胞移植――骨髄移植が最大の治療方法なの」
あたしは頷く。―――応接間兼物置部屋にある『家庭の医学』を、折り目がつくぐらいに見たから。白血病のページは暗誦できるくらいに読んだから。
「確か…大量の抗白血病治療薬と組み合わせた骨髄移植で、かなりの治癒が望めるようになるとですね?」
おばさんは、そうよ詳しいわね、と言ってくれた。
――もしかして。
- 272 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:24
-
「骨髄ドナーが見つかったとですか!?」
期待の籠もった、大きな声で言ってしまってから慌てて口を手で塞ぐ。ウェイトレスがやって来て……あたしのトレイを下げただけでまた戻っていった。
手で口を覆ったままおばさんを見る。おばさんは、哀しい笑顔を見せた。
「本当に…詳しいわね。それだけ……絵里のために勉強してくれたのね。れいなちゃん――本当にありがとう」
その笑顔に。その言葉に。心の中でざわり、波が立った。…ゆっくり、手を口から離す。
「あの子の…絵里の病状の進行はかなり速くて、もう骨髄移植でしか治る見込みはないの。けれど――――」
そこまで言って、おばさんは手指を組み、深く深く息を吐いた。
「移植のためにはHLA…ヒト白血球型抗原というものが一致しないといけないの。……あぁ、れいなちゃんは知ってるのね」
頷く。――自分の体が震えていることが分かった。
- 273 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:24
-
「すでに私達…あの子の血縁者に同じHLAの人間がいないことは分かってるの。そして…先日―――」
おばさんは再度、言葉を切った。――嗚咽を飲み込んだようだった。そして…静かに続けた。
「現在、骨髄バンクにドナー登録している人に、絵里と同じHLAの人がいないという報告が来たわ―――」
ぴしり――耳の奥でなにかが壊れる音がした。
「それ…どういうことですと…?」震える口から言葉を紡ぎ出す。
――分かってる、どういう意味か。
――理解できている、なにを示しているのかを。
でも、――納得できない。
- 274 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:25
-
心でもう一人の自分が、ヤメロ聞くんじゃないと喚いている。それでも、あたしの耳は、次の言葉をしっかり聞き取ってしまった。
「あの子は、絵里は…もう助からないの………」
- 275 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:25
-
世界が…足元から崩れていく。――――がらがら・がらがら、破滅の音を立てて。
視界にはなにも映らない、真っ暗だ――…!
あれ、どっちが天井?どっちが床?頭がくらくらする。
あたし、今、立ってるんだっけ?座ってるんだっけ?
絵里…―――?
- 276 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:25
-
***** *****
- 277 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:26
-
「ぁ…れいな、二日振りだね…」
絵里は横になったまま、――鎖骨と左手甲に点滴針をつけて、あたしを見て微笑んでくれた。
おばさんと一緒に食事してからの、初の面会――。
引き戸近くに立ったまま絵里を見る。
「れいな…?」絵里が不思議そうな表情で名前を呼ぶ。
- 278 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:26
-
絵里が、死ぬ―――?
もう、助からない………?
絵里はここにいるのに?
――なんて現実味のない言葉だろう。
そして、
青い肌、かさついた唇を見て思う。
――なんて現実味のある言葉だろう。
うがいもせずにベッド脇の椅子に座り、自分の顔を両手で覆う。
「れいな、どうしたの?」絵里のうろたえた声。
- 279 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:27
-
「あたし、絵里のこと好いとぅ」
絵里の反応なんてお構いなしに言葉を続ける。
「好いとって好いとってばり好いとって…頭の中がぐちゃぐちゃになるたい。――ときどき、好いとりすぎて、どうしたらいいか分からんくなるっちゃ…!」
鼻孔の奥がツンとした。――しばらくして手の平に濡れた感触を感じた。そして――――手の甲に絵里が…サージカルテープの巻かれた手を重ねるのを感じた――。
「どうも…しなくていいよ……ただ、側に居てくれれば…それでいいの」
絵里はゆっくりと、あたしの手を顔から外させる。そして、切なげな瞳で見つめた。
「れいな…なんで泣いてるの…」
「なんでって…」
――あの日、夕焼けの中の音楽室の記憶が引き起こされる。
- 280 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:27
-
滲んだ視界の中、絵里を見つめ返した。
「絵里のこと、好いとぉからばい」
――今度は、ちゃんと言えた。
- 281 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:27
-
***** *****
- 282 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:28
-
あたし、このとき初めてカミサマとやらに祈った。お願い、絵里を連れていかないで――あたしから絵里を奪わないで―――そう祈った。
ねえ、お願い。
神でも、
仏でも、
なんなら悪魔でもいいから。
――あたしから全てを奪ってもいいから、絵里だけは持っていかないで。
- 283 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:28
-
16.
- 284 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:28
-
――病院の地下一階のレストランで、おばさんは言っていた。
少しでも長く生きていれば、その間に絵里と同じHLAのドナー登録者が見つかるかもしれない、って。
薬で病気の進行を遅らせていれば、まだ間に合うかもしれない、って。
あたしたちは―――限りなくゼロに近いそれに、一縷の望みをかけた。
それと。
絵里から生きる希望を失わせないために、ここで話したことは黙っていることも約束した――…。
- 285 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:28
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***** *****
- 286 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:29
-
引き戸の前に立つと、中から声が漏れ聞こえる。…廊下に立ってるあたしにも聞こえるなんて、かなり大きな声で話してる。
『……絵里!』この声はおばさん。
『気…わる……の…っ』絵里の声も若干小さめながら聞こえた。
えーっと…二人、言い争ってる……?
足音が一つ、病室の中からこっちに近づいてきた。慌てて戸から体を離す。
「「あ…」」声がハモる。
勢いよく戸を開けた人物、おばさんと目が合った。
なんとなく気まずくて目を逸らす。――それはおばさんも同様だったらしく、ばつが悪そうな声で、
「あぁ…れいなちゃん」と言った。
- 287 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:29
-
「――れいな?」おばさんの言葉で、絵里があたしに気付いた。
おばさんと入れ替わり、部屋に入る。
うがい薬を口に含みながら横目で絵里を見る。
「れーな、れーな」
大きなクッションに沈み込むように深く凭れながら絵里は名前を連呼していた。
うがい薬を吐き出す。
「さっき、おばさんとなん話しとったと?」
「…別に」面白くなさそうな声。
ベッド脇の椅子に座るか座らないかのところ。
「―――っ」
絵里が白衣の裾を掴み引き寄せ、マスク越しに唇を押し当ててきた。
「絵――!?」
絵里が、マスクを引き下げ噛みつい…もとい、キスしてきた。
「〜〜〜〜ッ」
……がむしゃら、というか…やけくそ、というか…なんかそんな感じ。
もう息が限界。――そんなところでようやく開放される。
「――ぷはっ」息継ぎするあたしを絵里は見ている。
――息が整ったところで…憂う瞳で見つめる絵里に心奪われる。
「れいな……もう一回うがいしてきて…?」
あたしは―――本能的に頷いた。
- 288 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:30
-
本日二回目のうがい薬を味わっていると、絵里が立て続けに咳をした。
「よかとーと?」
うがい薬を吐き出し、本当にキスしていいのか尋ねる。絵里は口を抑えながら頷いた。
「――んッ」
唇を合わせると、絵里の舌が入ってきた。――拒むことなく絡ませる。
…なんか今日の絵里、積極的…嬉しいけど。
「「ふっ…ぁ……」」
しばらくあたしの口内で絡ませていた舌。押し返す形で舌二つを絵里の内へと移動させる。あたしは絡ませ合っていた舌を解いて、歯列をなぞり始める。絵里の肩が小さく震えた。
ゆっくり、上の歯列をなぞっていると。
ん?…鉄サビのような味……が、
――出血したことに気付いた瞬間、唇を、顔を離す。間抜けにも繋がった唇からの糸。それは朱の色を帯びていた。
糸はすぐに切れた。あたしはベッド柵に絡ませてあるナースコールに手を伸ば――
「…絵里」
――した手を絵里が遮った。
- 289 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:33
-
「呼んじゃ、やだ」
「――なに言っとるばい」早く安倍さんを呼ばないと。
「やだ」
「絵里」
「…ゃだ」――俯いてしまった。
ナースコールに伸ばした手をティッシュへと移動させる。
「…とりあえず口の中の血、吐きんしゃい」数枚のティッュを絵里の口に押し当てる。
絵里は素直に受け取り、吐き出す動作をする。
- 290 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:34
-
「…なんか、あったと?」
ティッシュを丸めてごみ箱に投げた絵里は、無言で首を振って否定した。
「じゃあ…どうしたんばい」
何も言わずにあたしの腰に腕を回し、鳩尾に耳をくっつけるように抱きついてきた。
絵里の背中を擦り、言葉を待つ。
「なんか、嫌なの」蚊の囁き程度の声。
「病院も、この部屋も、景色も、食事も、薬も、全てが嫌。…お母さんも、安倍さんだって……嫌。
れいな以外の全てが――嫌」
なにも―――言えなかった。
あたし、――絵里になんて言えばいい?
「退院…したいな」
あたしの動揺なんてお構いなしに絵里は呟く。
「治ったら、退院できるばい」
あたしがそう言うと、絵里は抱きついたまま見上げてきた。
「れいなは本当にそう思ってるの――?」
え………。
「本当に退院できる、って…本当に治る、って――思ってるの?」
「あ、当たり前ばい!絵里なに言っとーと!?」
「――そう」それだけ呟いた。
絵里は腕を解き、布団に潜り込む。
- 291 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:34
-
「安倍さん…呼ぶばい」
――返事はなかった。あたしはナースコールに手を伸ばし、ボタンを押した。
- 292 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:35
-
小児病棟トイレ入り口に設置された学校の水飲み場のような洗面台。
捻った蛇口から流れる水をただ見つめる。
さっきの会話を反芻する。―――気の利いたことが言えない自分が悔しかった。
…きっと、絵里は不安定なんだ。そんな絵里を励ますことができなかったことが恥ずかしい。
目の周りが熱くなった。
水を掬って乱暴に顔にかける。顔中に冷たい刺激を感じる、目から滲み出そうになったものも洗い流す。
水を止める。ゆっくり顔を上げて鏡の中の自分と対峙する。睨むと、鏡の中の自分も睨み返した。
――しっかりしろ、あたし。
- 293 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:35
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***** *****
- 294 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:36
-
翌面会。いつものように完全装備の後、引き戸を開ける。
絵里は眉間にシワを寄せて横になっていた、それでもあたしに気付くと微笑んでくれた。――大分痛々しい笑顔だったけれど。
うがいをしてからベッドに近づき、椅子に座らずにしゃがむ。――絵里と同じ高さの目線。
マスクを下ろして顔を寄せる――絵里はそっぽを向いた。
「ごめんね…さっき、吐いたの……」掠れた声。
「…大丈夫たい?」
「のど…痛い」
「水…飲めると?」
絵里は小さく顔を振った。
あたしは。布団に投げ出されたままの絵里の腕を取る。
「…?」不思議そうな顔の絵里。
その、骨ばった甲に、
唇を落とした。
「…今日はこれで我慢するばい」
「――れぃな…」
泣きそうな表情の絵里に、笑ってみせた―――。
- 295 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:36
-
ベッドに顎を乗せて絵里と手を繋ぐ、変な体勢のあたし。
――しばらくして。
「ね…れいな」絵里が呟いた。
表情だけで「なん?」と問い掛ける。
「今、わたしが“ここから連れ出して”って言ったら、してくれる…?」
「え…………」
そんなの無理に決まってる。連れ出そうものなら絵里はすぐに…死ん―――
「――ごめん、言ってみただけ」
心の動揺が顔に出たみたい。なにも言えなかったあたしに、絵里は困った笑顔を見せながらそう言ってくれた。
- 296 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:36
-
絵里は繋いでいた手を離し、体を起こそうとし始める。
「ちょ、大丈夫たい?」
「…ん」
あたしの補助を断り、ゆっくり起き上がった。――それだけで絵里は疲労していた。
「ね、れいな。…抱き締めて」
あたしはなにも言わずに立ち上がり、細い体に腕を回す。――絵里の長い髪が指を絡めることはもう…ない。
以前と違い、もう薬品と消毒液の匂いしかしないその体を、……弱く抱き締めた。
- 297 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:37
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- 298 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:37
-
絵里、
よく言ってたよね。
ちょっときつく感じるくらいに抱き締められるほうが好き、って。
でも、
――この頃になると、あたしは躊躇っていた。
強く抱き締めると、絵里は折れるんじゃないかって、
壊れるんじゃないかって。
……だから、弱くしか抱き締めることができなかった。
せいぜい、絵里があたしの腕の中から飛び立たないようにするのが精一杯だった…―――。
- 299 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:37
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17.
- 300 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:38
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「ほら絵里っ、起きて食べないと…」
引き戸を開けて、聞こえてきた第一声がこれだった。――声の主のおばさんが、困り果てた様子で布団の中で丸まっている物体に声をかけていた。
おばさんがあたしに気付いて困った顔のまま、こんにちは、と言ってくれた。事態が飲み込めないまま頭を下げる。
- 301 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:38
-
「…もぅ…」
おばさんは、とうとう諦めた様子で配膳テーブルに置かれてあった、手のつけられていない食事の乗ったトレイを持ち上げる。
病室から去り際に、
「れいなちゃんからも言ってくれないかしら。絵里にちゃんと食べるようにって…」
「はあ…」曖昧に返事するしかない。
「しっかり食べて体力つけないと薬が飲めないのに……食べたくないって言って布団の中に潜りっぱなし…」
独り言のように小さく言ってから、お願いね、と付け加えて出て行った。
- 302 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:39
-
………。
…残されたあたし、と絵里らしき物体。
「…絵里?」ぽふぽふ、丸まった布団を叩く。
しばらくして、白いニット帽を被った絵里が頭だけ出した。――ほっ、よかった、ちゃんと絵里だった。
「おばさん困ってたばい」
絵里は無言のまま、面白くないといった表情を見せる。
「ごはん食べて…薬飲まんといけないんじゃなかーと?」あたしの言葉に、
「う゛―…」とだけ言った。
「――絵里…」
マスクを下げて顔を近づける。――目を閉じてくれた。
「「ん…っ」」
……数秒、唇を触れ合わせる。
――離した後、耳元で囁いた。
「ごはん…不味いと?」
顔を見つめてると、その頬が膨らんだ。
「薬を飲むための食事なんて…美味しいわけないじゃない……」
- 303 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:39
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絵里は布団から体を出して、
「ね…抱き締めて」と呟く。
あたしは素直にその通りにした。
絵里が首筋に顔を埋める。
「分からないの。――薬を飲むための食事、検査を受けるための睡眠。わたし――なんのためにここに居るのかが…。
それに――…れいな……」
首筋に生温かい濡れた感触が。絵里――泣いてる!?
「マスクのせいでれいなの顔がほとんど見えないし…もうれいなの姿は白衣姿しか思い浮かべれない…うがい薬の味しかしないキスも…、ごめんね、わたしれいなに…いっぱい…いっぱい無理させてるね……」
「絵―――」
嗚咽が混ざりだした言葉、肩も小刻みに上下し出す。体を離して絵里の顔を見ようとした――――けれど、次の言葉に動きが止まる。
- 304 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:39
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「わたし…なんのために生きてるんだろう……」
- 305 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:40
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- 306 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:40
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大部屋から「注射ヤダー!」という泣き声が聞こえる。そんなものを気にせず、引き戸の前に立つ。
「これで三日連続ばい…」誰に言うともなしに呟く。
引き戸にかかったプレートには、昨日も一昨日も読んだ――面会謝絶の文字。
このたった四文字が、あたしと絵里の距離を遠ざける。
- 307 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:40
-
足音が聞こえ振り向く、
「ありゃ田中ちゃん〜、今日も駄目だべ」
金属製のトレイに乗った脱脂綿やピンセットをカチャカチャ鳴らしながら安倍さんがやって来た。
「仕方なかとーから帰りますばい」
軽くお辞儀をして踵を返す。
数歩、歩いて立ち止まる。――振り返って絵里がいる病室を見ても……なにも変化はなかった。
数回頭を振る、そして歩みを再開させた。……妙に靴音が廊下に響く感じがした。
- 308 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:41
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――結局この翌日も面会謝絶だった。
- 309 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:42
-
さらに翌日。
病室の前、気合を入れてキャップを被る。四日ぶりの面会に、少し興奮している自分がいた。
素早く完全装備に着替え、張り切って引き戸を開けた。
「もう嫌なの!飲みたくないっ」
「絵里、いい加減にしなさい!!」
「そうだべさッ」
――え?
目の前で広げられる言い争いに目が点になる。――なに?なんなの??ついていけないんだけど…。
- 310 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:42
-
ぷりぷりと、珍しくも怒ってる安倍さんが(やっと)あたしに気付く。
「あ・田中ちゃん、田中ちゃんも言ってほしいべ」
「…なにがあったとです?」
近づくと、体を起こした仏頂面の絵里が見えた。それと、テーブルに沢山の錠剤とカプセル薬も。
「薬を隠して飲んでなかったのよ……」おばさんが答えてくれた。
「絵里――…」
「飲みたくないの。大体――なんで飲まないといけなの!?」
「飲まんと治らんばい」
「飲んでも治らないわよ!」叫んだ。
- 311 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:43
-
堰を切ったように叫び始めた。
「そうよ!どうせ治らないの!!それならなんで気持ち悪い思いや痛い思いをしてまで…薬を飲んだりっ、治療したりっ、検査しなくちゃいけないの!?
どうせ助からないんでしょ!?どうせ――わたし死ぬんでしょ!?」
「絵里!!」
興奮して激しく上下している絵里の肩を掴む。
「そげんこと言ったらあかんちゃッ」
至近距離で見た絵里は――歯を食いしばり、あたしを睨みながら…泣いていた。
絵里は肩を掴む手を乱暴に払う。
「出てって…」
- 312 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:43
-
「れいなには分かんないよっ!!
出てって!!」
- 313 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:43
-
シ…ン、病室内が静まり返った。安倍さんも、おばさんも…睨んだままの絵里も、なにも言わない。
あたしは、
「…分かったばい」
それだけ言って、踵を返した。
- 314 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:44
-
病室を出――マスクとキャップを剥ぎ取る。……たった今見た絵里の涙を考える。
あの涙はなにに対して流れたのかな…悔し涙みたいな涙、……なにが悔しい…?
脱いだ白衣を畳んでいると、引き戸が開いた。出てきたのはおばさん。
「れいなちゃん、絵里がごめんなさい」
おばさんはマスクを取って詫びる―――って、ああっ、頭を下げないでください!
慌てるあたしを手で制し、頭を上げてあたしを見た。
「あの子は薄々気付いてるのかもしれないけれど………でも、今は不安定で自暴自棄になってるだけなの…っ、決して本心じゃないわ。だから…見捨てないでやって…」
「そんな…」
見捨てる、だなんて。むしろあたしが絵里に捨てられそうなのに。
ぺこぺこ頭を下げながら帰ろうとすると、
「また…来てあげて!!」
おばさんの言葉にあたしは…苦笑いを返した。
- 315 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:44
-
***** *****
- 316 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:44
-
家に帰り、自室でぼんやりカーペットに寝転ぶ。
…ぼんやりしていても今日の絵里の態度が忘れられない、どうしても絵里のことを考えてしまう。
……きっと、絵里は終わりの見えない闘病生活に苛立っているだけだと思う――。
けれど―――。
体を横に向かせる…頬にカーペットの毛を感じ、すぐにまた仰向けに戻る。
あたしは病気じゃないから。
あたしは絵里じゃないから。
“れいなには分かんないよっ!!”
初めて聞いた…絵里の怒鳴り声。
「―――――っ」下唇を噛み締める。
……………絵里と距離をおいたほうがいいのかもしれない。
――――――しばらく絵里に会わないほうがいいのかも。
- 317 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:45
-
***** *****
- 318 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:45
-
思い知らされた。――自分がどれだけ無力で小さな存在かを。
あたしは、
あたしは―――、
―――絵里のためにできる唯一のことを手放してしまった……。
- 319 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:45
-
18.
- 320 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:46
-
――それから。
- 321 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:46
-
掃除も終わった放課後、部活に行く子がいれば帰る子もいる賑やかな教室内で。あたしは机に覆い被さるように突っ伏していた。
――あの日から三日経った。…もう三日。…まだ三日。
剣道をしていたときには五日や一週間ぐらい会えない日々があったのに。…なんで今のあたしには一分一秒がこんなにも長く感じるのだろう……。
…会いに行けるのに会いに行かない、そんな初めての状況がひたすらきつい。
…胃が痛い、気持ち悪い。
正直、この三日間で何度も会いに行こうと思った。…けれど。
“れいなには分かんないよっ!!”
絵里の言葉が足を動かなくさせる。
帰るでもなく、どこかに遊びにいくでもなく、ただ無意味に机に突っ伏していると。
足音が一つ、机の前で止まるのが分かった。……顔は上げない。
「れいな、絵里のところに行かないの?」
- 322 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:47
-
――予想通りの声。
「行かんばい」
「なんでなの?」
「……………………………」
「ねえ」
「……………………………」
「れいな」
無言の抵抗をしてみせても気配は去らなかった。…しぶしぶ顔を上げる。
「…絵里とは距離おいとるけん」
真っ直ぐな瞳で見つめるさゆから、顔を微妙に逸らして呟く。
- 323 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:47
-
「ふーーーーん。じゃあさ、ちょっと付き合ってほしいの」
「…なん?」
「いいから。三十分くらいで終わると思うから」
…それならいいかな。
「よかよ」机の痕がついた頬を擦りながら席を立つ。
教室を出るときに、さゆが教室に残っていた子たちに手を振った。すると「道重さんお願いね」だとか「頑張ってね」なんて声援が返ってきた。……?首を捻っていると「気にしない気にしない♪」なんて言いながらさゆはすたすた歩いて行った。
- 324 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:47
-
「ほら、ここ」
さゆが指差したものを見る。…冷たい風に頬を撫ぜられながら、半ば呆れてそれを見上げた。
連れて行かれた先は…オレンジの看板の牛丼屋。さゆがドアを開けて入るように促す、素直に入った。
テーブル席に向かい合って座る、さゆがお茶を持ってきた店員に、
「この子に特盛一つ、お願いします」
と、あたしを指差しながら勝手に注文した。
- 325 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:48
-
店員が去ったところで。
「…なん、おごってくれると?」
「そ。この宇宙一可愛いさゆがご馳走してあげるの」
そりゃどーも。わざわざツッコむ気も起きず、お茶を啜る。ずぞ〜と音を立てて飲むあたしを、さゆはただ見ていた。
湯呑みをテーブルに置くと。
「れいな、ちゃんと食べてるの?」
あたしは、
- 326 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:48
-
言葉が出なかった。
生きてるし病気にもなってないから食べてたとは思うけれど…よく分からない。今日の昼はなにを食べたっけ?
そんなあたしを見て、さゆは呆れたようにため息をつく。
「あのね、れいなが絵里を心配してることくらい分かるの。わたしだって絵里のこと心配だよ。でも――それと同じくらいに、れいなのことも心配なの。……れいなのクラスの子たちもそうなんだよ…」
牛丼が運ばれ、前に置かれた。
「このままじゃれいなも駄目になっちゃうよ。だから…食べて」
あたしは。
「…今度からはネギ抜きで頼むばい」割り箸に手を伸ばした。
「好き嫌いしてると大きくなれないの」
「余計なお世話たい」
- 327 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:49
-
あたしが食べ始めると、さゆがケースからコールスローを取り出し、ぱさぱさしたそれを、ゆっくりと口に運び始めた。
――丼の中を半分ほど食べたところで。
「…さゆ。今から言うことはクラスの子には黙っとってほしいけん」
食べながら言うと、さゆは箸を置いて静かに頷いてくれた。あたしは肉に集中するフリをすながら、さゆを見ずに早口に呟いた。
「……………絵里は助からんばい…」
それだけ言って紅しょうがの箱に手を伸ばす。
「…そうなの……………」箸を置いたまま手を小刻みに震わせていた。
紅しょうがをのせて、食べながら絵里が助かるには骨髄移植しかないこと・だけど絵里と同じHLAのドナーが見つからないことなどを説明した。…さゆはその間、箸を置いたままだった。
「…それなら尚更、れいなは絵里のところに行かなくちゃ」
――説明し終えると、さゆが切実な声で言い出した。あたしは答えず牛丼をつつく。
「もう…絵里といれる時間は僅かなんでしょ?」
「………」
「れいなっ」
「…ばってん絵里が、」
「ばか。“絵里が”じゃなくて“れいなは”どうしたいの?」
――何も言わずに、意味もなく丼の中で牛肉とご飯と紅しょうがをぐっちゃぐちゃに混ぜ合わせる。
- 328 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:50
-
「ドキドキするの」
ぽそりと、さゆが言った。――意味が分からず、つい顔を上げる。
「…前にね、絵里のお見舞いに行ったの」
――…そうなんだ、知らなかった。
「そのときにね、絵里が言ってたの」
言葉を切ってさゆは目を瞑る。そのときのことを思い出すように、ゆっくり口を開いた。
「…“わたし、今でもれいなに会うとドキドキするの。そのドキドキで――自分が生きてることを実感するの”……」
「…“死にたくなんかないの、――もっと、生きて…もっと、れいなを感じていたいから……”」
箸が止まった。
ゆっくりと開けたさゆの目は、潤んでいた。
「ほんとはね、恥ずかしいから内緒にしててって言われたことなの。でも…れいなぁ、お願い……」
手を伸ばし、あたしに触れた。
「絵里に…生きてることを感じさせてよ………っ」
- 329 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:50
-
***** *****
- 330 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:50
-
バスの扉が開いた瞬間に弾き出る、そのまま大学病院の正面入口に、そして速度を緩めずに左手奥にある階段を四階まで駆け上がる。
――駆け上がり四階フロアにたどり着くと、さすがに息は荒く乱れた。ゼーゼー呼吸しながらナースセンター横を通り抜けて目的の部屋まで歩く。…あー背中に汗かいてる……。
息が整いかけたところで目的地…絵里の病室前に到着した。――引き戸の前にはお馴染みの四文字熟語の書かれたプレートがぶら下がっていた……。
「面会…謝絶……」呟いたところで一気に力が抜けた。
- 331 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:51
-
床に膝・手をついて脱力していると、
「あっ、田中ちゃん!」
聞き覚えのある声が。
顔を上げると突進してくる安倍さんの姿が。
「この三日間なにしてたべー!?」
…壁に貼られてる『いんないではしずかにね』の張り紙が見えないらしき大声。
「早く絵里ちゃんに会わないかい」
「え、ばってん…」プレートを指差すと、
「田中ちゃんはいいの!!」
早くするべさ、そう急かされながら白衣にキャップ、マスクを装着―――、
「今日はいつもより顔色いいべさね?」
――してる最中に顔を両手で上げられ、まじまじと覗き込まれた。
「友だちが牛丼奢ってくれたとですばい」
「そう、いい友だちだね」
安倍さんがニカッと笑う。
「はい…」あたしも、つられて笑った。
割烹着のような白衣の後ろ紐を結んでいる途中で、背中を押されて室内に放り込まれた。
たたらを踏みながら入ったあたし。そして、そのままベッドに横になっている絵里と目が合った。
- 332 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:51
-
三日。――そう、たった三日会わないだけで、絵里はひどく…頬は削ぎ落とされたように痩せ、鼻にカテーテルを入れ、首の血管が浮かび…ひどく、衰弱していた。
絵里はなにも言わない、あたしもなにも言わない。絵里が体を起こし始めた、――あたしはなにも言わず、手伝うこともせずに見つめる。
長い時間をかけてベッドの上に起きた絵里。そして疲労を隠せない瞳であたしを見つめ返した。
あたしたちの視線が絡む。
視線を絡ませたまま…ゆっくり絵里に近づいた。
見上げる姿勢の絵里の頬を、両手で包み込んだ。
- 333 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:52
-
ねぇ、絵里。教えてあげる。
「絵里がごはんを食べなかったり薬を飲まないと会えないけん。…今回は特別に入れてもらえたけど」
静かに言葉を紡ぐ、
「だから…あたしと会うために、ごはんも薬も摂ってほしいばい。それと……」
「絵里、なんのために自分が生きてるのか分からないって言ってたさね。――あのとき言えなかった答えを…今、やる」
視線を絡ませたまま、頬を近づける。――額同士が触れ合うか合わないかの距離まで。
- 334 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:52
-
「あたしのために、生きてほしか」
「絵里の人生、あたしに頂戴」
――分かってる。こんなの、あたしの傲慢で自己満足だ。…でも、絵里は頷いてくれた。
いつの間にか涙を流し始めた絵里。
静かに、静かに。けれど――とめどなく溢れている。
あたしはそれを見て、
「…好いとぉよ」
ただ綺麗だと思った。
- 335 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:52
-
***** *****
- 336 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:53
-
――後日、安倍さんが笑顔で教えてくれた。絵里が食事を無理しない程度に食べて、薬はきちんと飲むようになった、って。
その言葉は本当で、絵里は少しだけ…ほんの少しだけ体力を取り戻してくれた。顔色も血管の浮かび具合も、多少ましになった。鼻にカテーテルを通すようになることも無かった。
安倍さんは教えてくれた後、こう言葉を続けた。
「生きる目標ができたからべさ」
「絵里ちゃんにとって、田中ちゃんの存在はどんな薬よりも効くっしょ」
それならあたしは、
絵里のために、あたししかできないことを見つけたんだ―――!
- 337 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:53
-
19.
- 338 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:54
-
ある日の面会のこと。いつものようにやって来たあたしを、絵里は体を起こして笑顔で迎えてくれた。
「れいな」
絵里はあたしの腰に腕を回す。
「今日は具合が良さそうさね」
抱きついたまま見上げ、そして目を閉じた絵里に、笑って口付けた。
- 339 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:54
-
唇を離しても腕を回したままの絵里。とりあえず座らせんしゃい、そう言うと腕を解いてくれたけど、あたしが椅子に座るとまた抱きついてきた。そのまま…にじにじと体を登らせ、胸に耳をあてる形になった。
「甘えたとね、どうしたんばい?」そっ、と背中をさする。
「…だって、久し振りだもの」
「前から二日しか経っとらんと」
「二日も、だよ」
顔が見えなくても、絵里の頬が膨らんだことが分かった、
「それは悪かったばい。…ところで、なんでそんな体勢で抱きついとーと?」
「心臓の音、聞いてるから。――れいなの鼓動、ときん・ときんって鳴ってる」
「…生きとーから当たり前たい」
「違うよ」
はぁ?――絵里は耳を離して見上げる形で、理解してないあたしに微笑んだ。
「恋してるから…でしょ?」
- 340 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:54
-
「……よぉそんな恥ずかしいこと言えるとね…」
眉間にシワを寄せて、マスクの中で口をへの字にして言ってみせる。でも顔の赤さはどうしようもできない。
「本当のことでしょ?ほら――」
再びあたしの胸に耳をあてる。
「…さっきより速いよ、ドキドキって鳴ってる。図星、でしょ?」
「違うばい」あたしはそっぽを向く。けど、
「れいなは誰に恋してるの?」あたしの科白・態度はお構いなしの絵里。
「知らん」
「素直じゃないなあ」
絵里は胸に耳をあてたままくすくす笑う、笑う振動があたしの体にも伝わる。…くそぅ、全て見透かされてるようでなんか悔しい。
絵里を引っぺがす、
「絵里の音も聞かせんしゃい」
「だめー」
笑いながらあたしの頭を手で拒む。
「恥ずかしいから、やだ」
「あたしのは聞いたくせに」
「聞かなくても…分かるでしょぉ?」
「分からん」そっけなく言うと、絵里の唇が尖った。
「鈍ちん」
「はいはい、素直じゃなくても鈍ちんでもよかから、聞かせんしゃい」
絵里の腕を掴み、胸に耳をあてようとする―――、
「点滴パック換えるべ〜」
…………………なんでこうタイミング良く(悪く?)入ってくるのかな、この人は。
安倍さんはベッド隅でふざけ合うあたしたちを見て。
「田中ちゃんっ、病室でやらしいことしちゃいけないべさ!」
叫んだ。
- 341 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:55
-
***** *****
- 342 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:55
-
翌日。
あたしは引き戸の前でうな垂れていた。
「やっぱりはしゃぎ過ぎたとね…」誰に言うともなしに呟く。
引き戸の前には見慣れた四文字熟語のプレート、仕方なく来た廊下を引き返す、歩いてる途中、他の病室から出てきた安倍さんと出くわした。
「あ…こんにちは」
「はい田中ちゃん、こんちは。絵里ちゃんは今日お疲れさんだから止めたほうがいいべさ」
頷いて、今帰ります、そう口を開こうとしたとき。
「れいなちゃん…よければ会ってあげて」
振り返るとおばさんが立っていた。そんなおばさんの言葉に、安倍さんは目を丸くした。
「あの、でも、亀井さんっ、絵里ちゃんはかなり疲れ―――」
「―――分かってますわ。でも…あの子にとっては、れいなちゃんに会ったほうが元気になると思います……」
真摯な表情のおばさんを見て、安倍さんは困ったように頭を掻いて……あたしに振り向いた。
「…会ってくれるべか?」
――当然、頷いた。
- 343 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:56
-
絵里は酸素マスクをつけながら寝込んでいた。あたしがベッド脇に来ると、うっすら目を開け…驚いて全部開いた。
「れぃ――」
自分の口元に人差し指を立ててあてると、口を閉じてくれた。
「疲れとるんちゃろ…?喋らんでよかとーと」なるたけ優しい声を出して呟く。
点滴管のついた左腕、その甲にマスクをつけたまま唇を押し当てる。――絵里を見ると、赤い顔で目を潤ませ、酸素マスクの中を白く曇らせていた。
- 344 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:57
-
「絵・里っ」あたしが言うと、
な・に?
声を出さずに、酸素マスクの中で口の動きだけで尋ねてきてくれた。
「…なんもなか。呼んでみただけばい」
へ・ん・な・の。
きゅ、っと絵里の目が細くなった。――その表情にあたしの心臓は跳ね上がる。
あたしは、絵里の頭両脇に手をついて、絵里を真下に見下ろす体勢をとった。少しだけベッドが軋む。あたしを見上げる絵里の目は、丸い。
「あぁ〜!」
わざと、明るい、間抜けな声を出す。
「この状況ばりおいしか〜っ。ここがあたしんちとかだったら、すぐに襲っとるたい」
アホなことを言ったあたしに、絵里はしばらく目を丸くさせていたと思ったら――ふにゃりとした顔で口を綻ばせた。その綻ばせた口がゆっくり動く。
ご・め・ん・ね?
「謝らんでよかと。いるか絵里んちに行ったときの分も含めて、まとめちゃるから」
こ・わ・い・な。
「アホ。怖いことなんてなーんもないばい」
すると、絵里が考える表情になった。――しばらくして閃いたように口を動かしだした。
じゃ・あ…
――次に動いた、やや長めの言葉にあたしは真っ赤になった。
「ア、アホッ!」
口ごもるあたしを見て、絵里も顔を赤くさせながら笑った。
- 345 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:57
-
じゃ・あ…
た・の・し・み・に・し・て・る。
- 346 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:57
-
***** *****
- 347 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:58
-
絵里。
絵里、絵里、絵里っ、絵里っっ!
絵里のこと、好きで仕方ない、
愛しくて、仕方ない。
だから。あたしは、
怖くて仕方ない。
- 348 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:58
-
20.
- 349 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:58
-
『ごめんなさい、今日も無理だわ…』
「そうですか…分かりました」見えるわけないのに、電話の向こうの人物についつい頭を下げた。
『れいなちゃん、いつも有難うね…』
いえ…、そんな言葉で濁しながらケータイを切った。
「…はぁ」ついたため息はすぐに消えた。
閉じたケータイをポケットにしまって力無く歩く。
- 350 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:59
-
――現在、場所は茗学、人通りの少ない廊下。時刻は掃除も終わった放課後。
廊下を歩きながら指折り数えてみる。
「前に会えたのが土曜日だから…今日で六日目ばい」口にすると余計に気分が沈んできた…。
……絵里に会えなくなって六日目。――最近、長時間にバスに揺られてやって来るあたしを慮ってか、おばさんが今日は面会可能か否か、電話で知らせてくれるようになった。
窓の外を見ても、気分が晴れるようなものはなにもない、葉の無い銀杏の木に鉛色の雲。…そういうものを見て、益々鬱になってくる。
連日の面会謝絶、会えない日がどんどん長くなっていく。
――――。
ふと思ってしまうことがある………。このまま…会えない日々が続くうちに絵里は、――愛理ちゃんみたいにいつのまにか、その、…消えるんじゃないかって。
最悪な想像に体が震える、自分の体を強く抱き締めた。
- 351 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:59
-
遅くなった歩み…ずるずる歩きながら角を曲がり、職員室の前を横切ろうとした。
「あら田中、なにしてるの」丁度職員室から出てきた人が声をかけてきた。
「…飯田先生」
稽古着に袴という、剣道着姿の顧問だった。
「…ちょっと。なんか暗くない?」
「あ、大丈夫ですたい」
そう言って笑ってみせた。――けれど。
「…田中、ちょっとカオリとお話ししよっか」
飯田先生は真剣な目つきになって、あたしを職員室へと引っぱっていった。
- 352 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 18:59
-
職員室の隅、衝立で仕切られたスペースの先にある小さな机を隔てて向かい合う二人掛けのソファー。と、飯田先生とあたし。
「ぁの…?」訳が分からず、恐る恐る口を開く。
ふぅ、と呆れたようにため息をつかれた。
「田中ってそんな子だったの?」
はい?
「カオリの知ってる田中はそんなんじゃなかったわ」
また、ため息。………あのぉ、話が宇宙の先まで飛躍してるんですが…。お願いですからあたしに分かるように話してください。
頭に手を置かれた。
「さっきみたいな、辛い笑顔をしないで」
―――っ。
「我慢するだけじゃなくて、洗いざらいぶちまけたほうがいいことだってあるのよ?…確実に心は楽になるわよ。カオリが聞き役では、不満?」
目から出てきたものが頬を伝う感触、
「あっ、あれ!?え…なんで…?」無意識に出てきた涙を、慌てて制服の袖で拭う。
――飯田先生はただ柔らかく微笑んでくれた―――。
「〜〜先生…っ」止め処なくあふれる涙。
――思ってた以上に、溜まってたものがあったみたい……。
- 353 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:00
-
泣きながら、今まで言えなかったことを…心の中のものを吐き出し始めた。
「おばさんに、絵里が助からんて聞いたときから…心の中がぐちゃぐちゃで……」
「白血病なんです……薬のせいで髪も抜けちょる……」
話す順序は滅茶苦茶で、泣きながらだったから酷く聞き取りづらいはずなのに、飯田先生は静かに聞いてくれた…。
「どんどん…面会謝絶の日が長くなっているんです」
「…怖くて仕方なかとです……」
「絵里が死、死んだら……あたし、あた……っ」
―――これ以上言葉が出せなかった。口から出るものは嗚咽ばかり、こんなに泣いたのは絵里に「もう来ないで」と言われた以来かも。
飯田先生が箱ティッシュを差し出してくれた、会釈だけして数枚取り出す、涙を拭うついでに鼻もかんだ。
- 354 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:00
-
「……落ち着いた?」
飯田先生の言葉に、ティッシュで鼻を覆ったまま頷く。
「そう…じゃ、ついてきて」
――へ!?
腕を掴まれ立たされ、そのまま職員室を一緒に出る。
「あっ、あのっ、飯田先生!?」何故さっきからこんな展開ばかりなんですか。
「いいからいいから」
飯田先生はあたしの狼狽なんか気にせず、ずんずん進んでいった。
- 355 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:01
-
掴まれたまま連れていかれた先は…武道場。中から竹刀を打つ音が聞こえる。
飯田先生は扉を開けて、
「だれかー、田中と戦ってー!」大声を出した。
「…はいっ!?」
場内にいた部員全員の視線があたしに集中する。
目を白黒させて飯田先生を見てると、
「先生、アタシが」という声。
声のほうを向く。――でかれいなが右手を上げながら歩み寄ってきていた。
- 356 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:01
-
――なんでこうなるんだろう。
心の中で疑問がぐるぐる回りつつも、予備の剣道着に防具、竹刀を着けて、あたしはでかれいなと剣先を触れ合わせていた。
でかれいなはぐいぐいぐいぐい剣先を押さえ込む。耐えていると、押さえ込む力が抜け、あたしの剣先が上がった。
しまっ――、
「小手っ!」
すかさず踏み込んできたでかれいな、体を引いて決まらせない。それでも、更に踏み込んできた。
「面ッ!」
これも引いて決めさせない。――でかれいな、この数ヶ月でかなり強くなってる!…あたしが弱くなっただけかな、部活を辞めてから素振りもしなくなったし。
「っ!」
踏み込んだ勢いのまま体当たりをしてきた。
「―――っ」間近で見たでかれいなの眼は気合に満ちて鋭かった。
「――胴っ!!」
気合に押された瞬間、引き胴を打たれた―――。
- 357 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:01
-
立礼後、面を外す。
久々の剣道…こんなにも体が鈍ってたんだ、でかれいなは日々稽古に励んでいる、っていうのもあるけど。――負けて仕方ないって気持ちも―――、
「――負けて当たり前って思ってる?」でかれいなが寄ってきた。
「…思うわけなかと――ッ」奥歯を噛み締める。
負けて仕方ない、なんて気持ちは負けず嫌いのあたしにはあるはず無い。――悔しい、悔しくって仕方ない、こんなに悔しいことは久し振りだ。
「もっかい勝負しんしゃい」
「嫌よ。このまま勝ち逃げさせてもらう。――次に戦うのは…あんたが部に戻ってからよ」
飯田先生が手を一つ打ってから近づいてきた。
「田中、やっと以前と同じ顔つきになったわね」
- 358 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:02
- ―――あ。
「カオリ、思うの。…どうにもならないことを怯えて悩むより…今できることを考えたほうがいい、って…そのほうが後悔しないと思う…。
田中は、しっかり前を見据えて進んでいくほうが似合うわよ」
“れいなは、前だけ向いて突っ走るほうが似合ってるよ”
―――さゆと同じ言葉。…そっか、うじうじ悩むのはあたしらしくないか……。
「飯田先生、ありがとうございました」
「いいわよ。――あぁ、今日から素振りを一日三百回はしといてね、見てたら結構鈍ってたわよ」
「はい!!」
- 359 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:02
-
武道場を出る際にでかれいなに声をかける。
「次はこてんぱんにしてやるばい」そう言うと、
「返り討ちにしてあげるわ」鼻で笑い飛ばされた。
あたしは、先輩たちとの稽古に戻るでかれいなの背に、聞こえないように、ぁりがと、と呟いた。
あたししかいない更衣室、剣道着のまま室内の水道場で顔を洗った。濡れて垂れた前髪を掻き揚げ、顔を上げて鏡を見る。
鏡の中には、少しだけ誇らしげな顔のあたしがいた。
- 360 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:02
-
***** *****
- 361 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:03
-
――右手は軽く添え、左手で振り上げる気持ちで竹刀を振りかぶる。止めることなく両腕を伸ばし、左拳を下腹部の前まで引きつけて、充分に振り下ろす――。
寝ているときでも考えてしまう絵里のことを、素振りをしているときだけは忘れることができた。
雑念を追い払い、一心に振る竹刀。
振り終えると、心は確かに軽くなっていた。
- 362 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:03
-
21.
- 363 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:04
-
あたしは今日という日を忘れることはない――違う、忘れることはできないだろう……。
- 364 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:04
-
十二日振りに会えた絵里は、かなり衰弱していた。ベッドに体を横たえたまま、首を動かすことすら辛そう……。それでも、あたしと手を繋ぐと、穏やかに微笑んでくれた…。
手を繋ぎ合ったままキスをする――絵里の唇は少しひび割れていた。
唇を離すとそのまま目尻、額、頬へと唇を落とす、驚いた表情の絵里と鼻が触れ合うくらいの距離で見つめ合う。
「寂しかったばい」そう言うと、
「わたしも」笑ってくれた。
- 365 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:05
-
「わたし、ね…れいなのことが好き」
鼻が触れ合うくらいの距離のまま、絵里が小さく言った。
「あたしも絵里のこと好いとーばい。どうしたんさね、急に」
「なんか…言いたくなったから……」
「…さよか」
椅子に腰を下ろす。絵里は満足そうに、ゆっくりと窓を見た。
- 366 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:05
-
あたしと絵里しかいない空間、時の流れはひどく緩やかで穏やかに感じた。――繋いだ手から伝わる絵里のぬくもりは…微々たるものだった。老人のように痩せ細り、爪が割れ、凍えた手。
絵里のこと、一日中抱き締めていたいと思った。二人の間を、空気も入れないくらいにぴったりと、きつく、…抱き締めたい。
そして…キスしたい。うがいなんてしないで…何千回、何万回もキスしたい。
絵里のこと、ずっと見つめていたいと思った。あたしの目には絵里しか映らないようにしたかった、絵里の目にもあたししか映らないようにしたかった。
絵里の声を、ずっと聞いていたいと思った。絵里に「れいな」って囁かれるのが好き。絵里が呼んでくれるのなら、自分の名前だって特別なものになる。
絵里…。
こんなにも、体中が絵里を求めてる・欲してる。なのに……絵里をすごく遠くに感じる。
ねえ、絵里。そんな壊れそうな瞳で空を見ないで。何処か―――あたしの手の届かない…届きそうにないところへと飛び立っていきそうだから。
- 367 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:06
-
無意識に、手を握る力が強くなった。
不思議そうに振り向いた絵里。その顔を見て――唾を飲み込む。心臓がうるさいくらいに鳴り響く、カラカラに乾いた喉から、震える声を出した。
「ね…デート、すると?」
- 368 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:07
-
絵里は丸い目であたしを見ていた。――心の中でもう一人の自分が、今からでも遅くない、言葉を取り消せ、今の絵里にそんな体力はない、と喚いている。でも―――、
「…今から?」
「そうたい」
「…どこへ?」
ゆっくり窓の外を見る、絵里も外を見た。
「あの、観覧車…乗って、戻るだけばい……上手く抜け出せば、きっと…おばさんにも安倍さんにもバレんと思うたい」
――口から紡ぎ出る言葉を止めることはできなかった。
視線を絵里へと動かす。――絵里は今日一番の嬉しそうな顔を見せてくれた。
- 369 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:07
- 「普通の服は…持っとると?」
「うん。退院したときのためにって…お母さんが持ってきてくれたものがあるよ」
「じゃあ……二人で抜け出すと目立つから…病院の正門前で待っとるばい」
「うん、あと三十分くらいで安倍さんが検温に来るから、それが終わったら行くから…絶対行くから…待っててね」
「分かったばい…」
顔を寄せ、マスクを隔てて唇を合わせる。――すぐに離す、絵里が、
「すごいドキドキしてる…でもすごい楽しみ……」囁いた。
- 370 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:08
-
***** *****
- 371 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:08
-
大学病院のブロック塀に背中を預けて、N3Bのファーに顔を埋めていた。常に吹いている寒風が髪を乱れさせる、ケータイで時刻を確認すると、ここに立ってから四十分は経っていた。
―――心中は渦巻いていた、絵里に来てほしいと思ったし、来てほしくないとも思った。
病室での自分の発言を思い出すと、今でも心臓が乱れ打つ、…なんであんなこと言ったんだろう、という気持ちも正直…ある。
でも。
絵里とデートしたい、手を繋いで一緒に歩きたい、という気持ちもあって。こっちの気持ちのほうが強くって。
――だから、あたしは絵里が来るまで…ここに立ち続けるだろう。
- 372 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:09
-
五十分経過したところで誰かがやって来た。深く白いニット帽を被り、カーディガンを羽織った“誰か”。…待ち人来たる、パジャマ以外の姿は久し振りに見た。
「ごめ…ね…れい、な……」
短く速く、白い息を吐き出す絵里。
「遅くなっちゃった……」
上下している薄い肩を抱き寄せる。
「…来てくれてよかったばい……」
「ぅん……」
「絵里それ…」
体を離して細い首元を見ると、ペネチアンが中心についたビーズネックレス。絵里は「うん」と嬉しそうに言った。
「以前れいなからもらったやつ。…今を逃すとつける機会がなさそうだし」
時々取り出しては眺めてたけどね、そう言って笑う絵里が愛しかった。
- 373 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:09
- 頬を突き刺すくらい寒冷な風が吹いた。絵里のカットソーの上にカーディガン、それとスカート、というのは真冬には軽装だった。
「絵里、これ着んしゃい」自分が着ていたN3Bを絵里に羽織らせる。
「え…でも、れいなが寒いでしょ?」ロンTとアーミーパンツだけの姿になったあたしを不安げに見る。
笑いながら「大丈夫たい」と言うと、ようやく袖を通してくれた。
「さ…港公園行きのバスがあるから、それに乗るばい」
絵里の冷えた手を取り、あたしたちは歩き出した―――。
- 374 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:10
-
――バス停で時刻表を覗くと、あいにく港公園行きのバスはあと三十分もしないと来ないみたいだった。絵里をベンチに座らせる。
「すまん…時刻を確認するべきだったばい……」
「いいよ、わたし…れいなといれるならそれでいいから…」
絵里はN3Bの襟を掴み、顔を埋めて目を細める。
「れいなの匂いがする…」
恥ずかしい科白に顔が熱くなる、そんなあたしに、絵里は悪戯な笑顔を見せた。
「これ頂戴」
「よかよ」
絵里の目が丸くなった。…さてはあたしがOKすると思わなかったな。
「ちょっと早いけど…誕生日プレゼントばい」
――あと一週間もすれば、絵里の誕生日。そう言うと、
「覚えててくれたの…」驚いた様子の声。
「当たり前たい」眉間にシワを寄せてぶすっと言う。
絵里は慌てた様子で「ごめん、そうじゃなくって…」と言った。
「れいな…ありがとう、ね」
――改めて言われると、なんだか恥ずかしくなって、そっぽを向いた。
- 375 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:10
-
「あ、そうだけん。なんか飲むと?」
振り返りながら聞くと、絵里は必死に首元を押さえていた。
「…なんしとーと」
絵里の手を外して見ると、幅広のサージカルテープ一枚で固定されたガーゼが貼ってあり、それにじわじわと血が滲んでいた。
「点滴針を抜いて自分で止血したんだけど…」小さく、申し訳なさそうな声。
「ちょっ、ここで待っとりんしゃい!」慌てて立ち上がる。
「何処に行くの…!?」不安げな瞳であたしを見上げる。
「バンソーコと消毒液、買ってくるだけばい…」
50mほど先にあるコンビニを差し示す。それでも絵里は不安げな瞳のままだった。
「置いていかないで…」
あたしは屈む。安心して、そう意味を込めて背中をさする。
「五分…三分で戻るばい、心配せんでよかと、そうだけん、温かいお茶も買ってくるたい」
「……ぅん」
やっと、弱々しい微笑を浮かべてくれた。
ダッシュでコンビニに向かう、こんなに一生懸命に走ることなんてなかったかも。
やや乱暴にドアを開けて店内へ。消毒液と大きめのバンソーコ、それにホットの日本茶二本を掴んでレジに。――袋を受け取り、また走り出す。
――記録を測ってほしいくらいの速さでバス停に戻った。…自分のお茶はいらなかったな。
- 376 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:11
-
「…んっ」消毒液を染み込ませたハンカチをあてると、絵里が小さく声を出した。
バンソーコを一枚、さらに念のためにもう一枚、交差させて貼る。とりあえず血は滲んでこなかった。
ペットボトルのキャップを外して絵里に渡す。絵里は両手で受け取り、少しだけ口をつけた。
あたしの体に預けてきた頭を優しく撫でる。
「れいな…」
「なん?」
「……呼んだだけ」
「さよか」
- 377 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:11
- 「ぁのさ…」
「なんね」
「わたし今、幸せだよ?――れいなのぬくもり、れいなの匂い、れいなの声…れいなを沢山感じ取れるから……」
「…あほ。“幸せ”はこれからばい、こんなことで使うんじゃなか」
ふふ、と絵里の笑う声。
「…言うと思った……」
- 378 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:12
-
止むことを知らない寒風が吹き荒れる中、ベンチと日除けの屋根しかない停留所で、なかなかやって来ないバスを待ち続けることは、絵里の弱った体にはかなり酷なことだった。時折びょお、と音を立てて吹く強風が出る度、絵里の体に障らないか心配だった。
ケータイで時刻を見ると、あと十五分は待っていないとバスは来ない…さっきから絵里の息が熱く荒いことが気になる……。
「…辛いと?」
「……大丈、夫…」
全然大丈夫そうじゃない弱々しい声。少しだけニット帽を上げて絵里の額に触れる――かなり熱い。
「病院、…戻ると?」
絵里はイヤイヤ、と駄々をこねる子どものように首を振った。
「ね…名前、呼んで」
「絵里」
「もっと…」
「絵里、絵里、絵里、絵里、絵里…えーりー」
「うん……」
辛いことに変わりはないはずなのに、…穏やかに、満足してくれたように微かに頷いてくれた絵里。あたしは、その体を抱き締めて、耳元で囁いた。
「愛しとーと」
「え…」
「絵里…、」
目を丸くしながら見つめる絵里。――その表情がすごくたまらない、あたしの琴線に触れる。
改めて実感した、思い知る、こんなにも絵里はあたしの心を占めているんだって。
指と指を絡ませる。繋がるあたしの右手と絵里の左手。――今度は、目を見て囁いた。
「世界で一番…愛しとーと」
- 379 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:12
-
絵里の目が潤み――…涙が一筋、頬に流れる。あたしはそれを、唇を使って掬い取った。
絵里の体を抱いていた左手を、頬に寄せる。絵里は目を細め、気持ち良さそうに頬擦りしてくれた。
「うがいしてないけど……よか?」
微笑んで、目をつぶってくれた。
乾いた唇に、自分のを寄せる―――、あたしも目を閉じる、
微かに…お茶の香りがした。
唇を離し、目を開けると、絵里が切ない眼で見つめていた…、
「もう…離れたくない」
「もう…離さんばい」
再び、絵里の体を抱き締めた―――。
- 380 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:12
-
22.
- 381 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:13
-
あたしたちはバスが来るまで片手で抱き締め合い、そしてバス車内に乗り込んでも繋いだ手は離さなかった。
ここまで乗ってきたお客は、あたしたちと入れ替わりで降りてしまい、終点の港公園に行くのはあたしたちだけだった。
不規則に揺らぐバスの中で、二人掛けのシートに座って、凭れ合い・手を繋ぎ合い・指を絡め合う。
「れぃな…」か細い絵里の声。
「…なんね」自然、あたしの声のトーンも落ちる。
「次は…もっと遠いところ、行きたいな……」
「どこたい……?」
「――れいなの…ふるさと……」
「……面白いもんなんて、なかとぅよ?」
「ぃいの…」
「………」
「だめ…?」
「そんな訳なか。よかとーと、連れたったるばい。色々案内しちゃる…イチ押しのラーメン屋にも」
「やったぁ…っ。――れいな、絶対だよ…」
そこまで言うと、絵里は小指を出した。あたしはそれに自分のを絡めた。
「「ゆーびきーりげーんまんー…」」
小さく、声を合わせる。
「「…ゆーび切ったっ」」――小指を離したところで顔を見合わせ、小さく笑い合った。
- 382 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:13
-
いつも窓から見えていた大観覧車は、近くで見るとさらに巨大で迫力があった。
「おっきいばい…一周するのに二十分かかるらしいと」
「ぅん…」
――絵里は顔を上げずに…顔を上げることもできずに返事をした。
バスから降りたころには絵里は既に一人で立てなかった―――。
絵里の体を支え、一歩…また一歩と、慎重に歩いていく。
首にかかる絵里の息はひどく熱い。なのに、絵里は時折うわ言のように「寒い…」と呟いた。
長い時間をかけてあたしは…あたしたちは大観覧車の下へとたどり着く。五組のカップルが列を作っていた。その最後尾に並ぶ。
一組、また一組とゴンドラに乗っていくカップルたち。
「絵里…そろそろたい」
――返事はなかった。
- 383 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:14
-
さらにもう一組、カップルがゴンドラに乗り込んだ。前に詰めるため、足を踏み出す。
絡め合っていた指が、
すべり落ちるように抜けた。
「絵…里……?」
あたしの胸元に額をあてた絵里は――――そのまま体に沿って崩れ落ちた……。
- 384 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:14
-
「え……」
なにが、起きた?
分からず、自分の服の胸元を見る。
赤い斑点がついていた。
「へ……?」
どさり、なにかが倒れ落ちる音。足元を見ると、閉じられた瞼から赤い液体を流して倒れる絵里の姿が…あった。
「絵里…なんしとーと?起きんしゃい」
あたしはしゃがみ、絵里の肩を揺する。閉じられた瞼は開かず、返事もなかった。
「絵里?ふざけとるなら怒るたいッ」
- 385 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:14
-
前に並んでいた女の人が、あたしの声で振り返る。そして、
「きゃぁぁぁっっっ!!」
女の人の悲鳴で公園の係員が駆けつけた。
あたしは―――震える腕で絵里の頭を抱く。
「絵里…?絵里、絵里……」
――どこか遠くで救急車を呼べ、という怒鳴り声が聞こえた気がする。
- 386 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:15
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「絵里ぃ…目、開けんしゃい……」
左腕で頭を支える。そして親指の腹で閉じられた瞼からの…多分、眼底から出た血をこすり拭う。
拭っても、拭っても。血はじわじわ…じわじわ……際限なく滲み出てくる。
「絵里…絵里……」
あたしは拭い続ける。――くそっくそッ、止まってよ!
「目、開けんしゃい…絵里」
くそっくそっっくそっっっ。
- 387 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:15
-
どこからか聞こえてくるサイレン音。――それはどんどん大きくなってきて。視界の隅に赤いランプが激しく回るのが微かに映ったと思うと、サイレン音は止んだ。――赤いランプは回ったままだったけど。
複数の足音があたしと絵里の元にやって来た。――絵里の周囲をヘルメットを被って白衣を着た人たちが取り囲む。
「君、その子を我々に渡して…」一人があたしに話し掛けてきた。
「嫌やけん…」
「君?早く離れなさい」
「嫌ばい!」
絵里の頭を抱き締める。
- 388 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:15
-
嫌だ!ほんの…ついさっき、もう離れないって絵里に言ったのに…っ!
「君!!」
強い力で後ろに引っ張られた―――、絵里と引き離され、あたしは無様に尻餅をつく。
そのまま絵里の体は担架に寝かされ、担ぎこまれる。そして後部ドア開けて待機していた救急車に運ばれていった……。
「絵里…ッ!」
- 389 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:16
-
- 390 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:16
-
23.
- 391 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:16
-
――結局、大学病院へと戻された絵里。のろのろとあたしも大学病院へと追り戻る。
救急処置室に沢山の看護師が入っていく。
そして――そんな人通りの激しくなった通路の脇にあるソファに腰掛ていたおばさんと、知らない男の人…きっと絵里のお父さんだ。――あたしに気付き、立ち上がった二人を見た瞬間。
「ごめんなさい!!」
床に手をついた。
「あたしが、あたしがっ絵里を―――ツ!」
おばさんが静かに近づいてきて――肩に触れた。
「れいなちゃん、ありがとう」
え…、思わずおばさんの顔を見上げた。
「そんなことしないでちょうだい。私が絵里に怒られるわ。……本当に、ありがとう」
なんで―――、
- 392 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:17
-
「殴ればよかとですたい…」
「え?」
「殴って…罵ればよか……あたしが、あたしが絵里をそそのかしたとよ!?こっそり抜け出そう、って。あたしが絵里を危険な状況にさせたばい。……なんで、殴らんとですと?」
手を拳にして震わす、そんなあたしを、おばさんは覗き込む。
「れいなちゃん、立ってちょうだい」
――素直に立ち上がる。おばさんはしゃがんだままあたしの腕を軽く掴みながら見上げていた。
穏やかな笑みを見せた。
「絵里と一緒にでかけて、どうだった?――楽しかったかしら?」
- 393 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:17
-
――涙が出そうになるのを必死に堪えて答える。
「…楽しかったですたい。ばりドキドキしたですっちゃ…一緒に歩いて手を繋いで、嬉しかったですと……。バスの中で、次はあたしのふるさとに行こうって約束もしたばい―――」
おばさんはあたしの髪を優しく梳いてくれた。
「あの子も同じ気持ちだったと思うわ…、いいえきっとそうよ…。――絵里を楽しませてくれたあなたに、お礼は言っても、殴る理由はどこにもないわ……」
あたしは奥歯を噛み締め俯いた。出てきそうになる嗚咽を拳の震えに変換させる。――おばさんはそんなあたしの頭をゆっくり撫でてくれた…。
――殴ってくれたほうが良かった…お願いですから、あたしを罰して…――。
頭に感じるおばさんの手のぬくもりは、辛いくらい暖かだった…。
- 394 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:18
-
救急処置室の扉の上にある『処置中』のランプが消え、激しく扉が開かれた。
輸血パックを繋げられ、移動台に横たわったまま目を開けない絵里が、複数の看護師たちによって運ばれていく。
「絵――っ」
慌てて追おうとしたら手を掴まれた。振り返るとおばさんがあたしの掌を見て目を見開かせていた。…あ、まだ絵里の血を落としてなかった。
「――怪我してるの!?」
「あ、いえ、違うとです、あたしの血じゃなかとですたい」
空いている手を振って否定していると、開いたままの救急処置室から看護師が一人出てきた。
「患者さんのご家族ですか?」
おばさんが、はい、と頷く。すると処置のときに脱がせましたとか言って、丸めたN3Bとビーズネックレスを渡した。おばさんはビーズネックレスを見て「絵里がすごく大事にしているものだわ」と呟いた。
「これは…れいなちゃんの?」N3Bを広げてあたしに見せる。
首を横に振ると、おばさんは不思議そうな顔をした。
- 395 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:18
-
「それは絵里のものですたい。あげたんですと。……もうすぐ…絵里の誕生日だから…だから、」
言葉がすぼみ、出なくなった。俯くと頭に手を置かれた。
「そうなの…。じゃあ絵里に渡しておくわ。――ありがとうね。
私は一度部屋に戻って荷物を置いていくから、れいなちゃんは手を洗ってからおじさんと一緒に絵里のところに行ってあげて」
…俯いたまま首を縦に降った。
- 396 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:19
-
おじさん…絵里のお父さんの後ろをついていきながら歩く。違う病棟に入ったところでエレベーターに乗り込んだ。
沈黙のままのあたしたち、重い気分でエレベーター内の壁に寄りかかりながら到着するのを待っていると。
「…あの子は俺たちの誇りだ」
一瞬誰が話したのか分からなかった。おじさんを見ると、じっとあたしを見ていた。
「…あの子の人生を輝かせることができたのは――君だ、ありがとう、心から礼を言う」
「そんな……」
お礼を言うのはあたしだ。…絵里と会わせてくれてありがとう、って。
絵里の恋人でいれたことが、あたしの誇り。
- 397 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:19
-
ICU(集中治療室)と書かれた自動ドアをくぐる。その先の病室は壁一面大きなガラス窓があり、中を見ることができた。
入って二番目の病室に―――絵里はいた。
複数の看護師が忙しく作業しているその先で、太いチューブを咥えさせられ目を閉じたままの絵里が見えた。
看護師が一人、血のついたタオルを抱えて部屋から出てきた。
「――っ」胃の中のものがこみ上げてきそうになるのを堪える。
滲みそうになる目をこすって、奥歯を噛み締め、ガラス窓の向こうの絵里を凝視する。
……まだだ……!
まだ泣くな自分…っ。今、絵里は必死に闘ってる。あたしが泣いている場合じゃない………!!
- 398 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:20
-
ガラス窓の向こう、絵里は太いチューブを外され、今度は酸素マスクを取り付けられた。…まだ目は覚まさない。
ICU出入口の自動ドアが開き、おばさんがやって来た。
「れいなちゃん…」
名前を呼ばれ向くと、おばさんは一枚の用紙を差し出していた。
「絵里の個室に戻ったら、机においてあったものなの。多分、これは…あなたへのものだわ……」
…絵里があたしに?
痺れた頭で受け取る。手渡された用紙を開いて目をやった。
弱々しい文字で、たった一言、書かれていた。
- 399 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:20
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いままでありがとう。
- 400 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:21
-
――――――なによこれ。
―――なんで、こんな過去のことみたいに書いてあるの。
絵里にとってあたしは…過去の人間?
あたしは――――っ、
- 401 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:21
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ぶ厚いガラス窓の向こうを睨み――。
「っざけんじゃなかと絵里ッ!!」
あたしは吼えた。
ガラス窓を叩くと鈍く振動した、再度吼える。
「――んな最後の別れの言葉みたいなもんッ絶対許さん!!」
――そうだ、ふざけるな!“幸せ”はこれからでしょ!?あたしは絵里の“遺言”なんて受け取る気はない!!絵里の人生は…あたしのものでしょ―――?
「ちょ、ちょっとれいなちゃん…!」
おばさんがあたしの腕を掴むが、振り外す。大声でやって来た看護師が怒鳴った。
「騒ぐなら出て行ってください!」
看護師が後ろからあたしを掴み、自動ドアへと乱暴に引き連れていく。
あたしは窓ガラスの向こう――医師や、くるくると動き入れ替わる看護師の間から見える、酸素マスクをつけたまま目を覚まさない絵里を、ただずっと見据えていた―――。
- 402 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:21
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***** *****
- 403 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:22
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「………ちゃん、れいなちゃんっ」
一瞬で目が覚めた、乱暴に目を擦る。
「れいなちゃん…大丈夫?」
肩を揺すってくれたおばさんに慌てて頷く。――持っていた紙コップの中は氷はとっくに溶けて、薄い茶色の液体と化していた。それを一気に飲み込むと…ぬるかった。
「暖房がついてても…風邪引くわよ?」心配した声。
――あたし、いつの間にか寝てたんだ…。
- 404 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:22
-
ICUの入口を見ると、丁度看護師が一人、絵里のいる病室に入っていくのが見えた。
「絵里の意識は…戻ったとですか?」
おばさんは静かに首を横に振った。
「――れいなちゃん、今日はもう遅いわ、帰りましょう?」
おばさんは外の窓を見る、つられて見ると、確かに外は真っ暗だった。
「ばってん…」
名残惜しい声を出すと、手を取られた。
「私たちも帰るわ…。これからは…絵里一人の闘いだから、私たちには…れいなちゃんにも…できることはもうなにもないの……」
――それでも立ち上がらないあたしに、おばさんはお願い、と呟いた。
「あなたまで病気にさせたくないの…」
「……ごめんなさい」
おばさんに頭を下げて立ち上がる。……太ももが痺れていた。
紙コップをゴミ箱に捨ててから尋ねる。
「明日…来てよかとですか?」
「…学校が終わったころに電話するわ」
――朝から来ようとしてたあたしを見透かした返答だった。
頭を下げて、…それでお願いしますたい、と言った。
- 405 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:22
-
送っていく、というおじさんの申し出を丁寧に断って、病院の正面入口を出た。
絵里にN3Bをあげたせいで薄着のままのあたしに、夜の冷気は遠慮なく背骨の中にまで侵入してくる。
体をすくませるあたしに、ふわり、なにかが鼻に落ちてきた。
「ぁ………雪…」
思わず空を仰ぐと、漆黒の空から、はらはらと白いものが舞い落ちてきていた。
……絵里、見えると?初雪たい。
そう心で呟いて病院を振り返る。――やっぱり絵里が今どこにいるのか、あたしには分からなかった……。
- 406 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:23
-
バスの中、降り続ける雪を窓の外から見るともなしに見ていた。
――ふと、絵里と出会ってからどれだけ経ったか数えてみる。…九ヶ月。絵里と付き合い始めて…八ヶ月。なんか…長いようで短い。
……一年にも満たない絵里との出会い。絵里と一緒にいた時間なんて…人生の長さからしたら、窓の外で舞い落ちる雪一粒が、生まれ…そして地面に落ちて溶け消えるまでのような、刹那なものなんだ……。
でも…。
- 407 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:23
-
三人しかいない乗客で、あたしの住む町の簡素なベンチしか置いてない停留所に降りたのはあたしだけだった。バスはあたしを降ろすと黒煙を撒き散らしながらすぐに去っていった…。
あたしは…去らず、立ちながら雪を見ていた。指先に乗った雪が一粒、あると思ったらすぐに消えた。
八月に雨に打たれていたあたしは、十二月には雪に打たれている。
- 408 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:23
-
あたしは――…たった十六年しか生きていないけれど、絵里との日々はこれからも続く人生の中でも…最高のものだと断言できる。だって……絵里を想うだけでこんなにも心が熱くなるのだから……。
はらはらと舞い落ちる、この雪のようなあたしたちの時間、――あたしたちの恋。
頭はおろか睫毛にも乗りかかる雪。
“恋してるから…でしょ?”
以前、言われた言葉を思い出す。
あぁ…絵里、たしかにそうやけんね……。恋しとるから…絵里との時間は短いくせにこげんにも濃い…。だからあたしの心を強く打つたいね……。
そう、
舞い落ちる刹那の中で、あたしたちは恋をしてる。
- 409 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:24
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***** *****
- 410 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:24
-
家に戻り自分の部屋で。あたしは全てが億劫で、着替えることすらせずにベッドに倒れこんだ。
右手を顔の前まで持ってきて、掌をじっと見る。――あのとき、すべり落ちるように抜けた絵里の左手の感触を反芻してみた。それは……とても切ない行為だった。
睡魔が体に侵入してきて頭の動きを鈍くさせる。
いつものように絵里を想いながら目を閉じた―――。
- 411 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:24
-
24.
- 412 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:24
-
夢を、見た。
- 413 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:25
-
数ヶ月前…夏の制服を着ていた頃。夢となって現れたものは、絵里と喧嘩したときの出来事だった。
なにが原因で喧嘩したのかなんて覚えていない。ただ…あたしと絵里は12H教室で激しく言い争っていた。
“もう知らん!!”
あたしがそう叫び言い捨てると、―――絵里は顔を赤くさせて体を震わせ、歯を食いしばりながら……涙を流していた―――。
絵里の初めて見た涙、そしてあたしが泣かした事実に硬直していると。
“………ばか”
それだけ言い残して絵里は教室を出て行ったんだ…。
- 414 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:25
-
絵里の言葉通り馬鹿みたいに突っ立っていると、
“鈍感れいな、乙女心ってものをもうちょっと勉強するの”
あたしの席でのんびりポッキーを食べながら一部始終を見ていたさゆが、のんびりと諭した。
“見、見てないで仲裁くらいしてほしかったばい!”八つ当たりだと自覚しながらも叫ぶ、
“痴話喧嘩は犬だって食べないの。当然さゆだって食べないの”
ポッキーなら食べるけど〜♪、なんて言いながらもう一本、咥える。
“…早く絵里を追いかけたほうがいいと思うの”
今だ立ったままのあたしに呆れたように言う。
“わ、分かったばい…”出入口に向かう。
“追いかけて見つけたら絵里のこと抱き締めて「好きだ」くらい言ってみたらいいと思うの”
“わ、分かっ……って出来るかそんなことー!!”
激しくノリツッコむと、さゆがきゃぴきゃぴ笑った。
“あたしのやけん、ポッキー全部食べたらあかんとよ!”
さゆにそれだけ言っておいて、教室を出た。
- 415 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:26
-
教室を出たものの、どこを探せばいいものか。取りあえず一階まで降りて、小走りで廊下を進んでいると、職員室前、でかれいなが矢口先生にノートを見せながらなにか質問していた。
“絵里、亀井絵里見なかったと!?…見ませんでしたか!?”
やや息を息を切らせながら尋ねると、二人は顔を見合わせ…、
“あそこ”
“泣きながら歩いてたけど”
同時に廊下の先を指しながら教えてくれた。
――指された先には薄幸オーラを纏いながら歩く、髪の長い子の後姿が。あたしは二人に礼も言わずに走り出した。
- 416 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:26
-
“絵里!!”
叫んで腕を掴むと、絵里は振り返りあたしを見て…腕を解こうとした。
…とてもじゃないけど話しを聞いてもらえる状態じゃない。……どうすればいい?どうすれば聞いてもらえる?どう―――、
“絵里のこと抱き締めて「好きだ」くらい言ってみたらいいと思うの”
――ふいにさゆの言葉を思い出した。
首に抱きつく。あたしの突然の行動に絵里の動きが止まった。その瞬間、
- 417 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:27
-
“え、えっ、絵里のこと、ばり好いとー!!”
――それはそれは大きな声で大告白。正直、あたしだって自分の声の大きさに驚いた。
“だから、その…さっきはすまん……”小さく、付け足した。
なにが『だから』なのか分からないあたしの科白。
けれど、抱きついたまま見た絵里は、顔を茹でタコのように真っ赤にさせて、
“わたしも…大好き。れいな、…ごめんね”と言ってくれた。
- 418 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:27
-
二人で真っ赤になって見つめ合っていると。
“きゃはははっ、田中やるじゃん!かっこいー!!”
“矢口先生、いいところだったのに笑ったらだめですよ〜”
その声に振り向くと―――矢口先生とでかれいなが腹を抱えて大笑いしていた……。
- 419 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:27
-
………。
目を覚ますと目尻から涙が垂れていた。…夢を見て泣いたことなんて初めてだった。
体を起こして目をこすり拭う。…けれど、涙は止まるどころか、止め処なく溢れ続けている……。
「なんでばい…なんで泣くと……」自分に聞いてみても答えなんか出ない。
なんで……今のあたしは、昔の夢を見ただけで…こんなにも胸が締め付けられているんだろう………。
- 420 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:27
-
***** *****
- 421 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:28
-
『…敗血症も併発していて危険な状況なの……もしかしたら今日が――絵里に会える最後かもしれないわ…』
ここまで聞いた瞬間、『切』ボタンを押して14Hへと走る。
「さゆっ、一緒に来るたい!」
友だちと輪になって話していたさゆを引っ張り出す。
文句を言おうと口を尖らせたさゆに一言、「絵里がやばい」とだけ言った。――真面目な顔になってコート・マフラー・カバンを掴んで教室から出てきてくれた。
あたしたちは廊下を駆け出した。
- 422 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:28
-
行きのバスで一通り絵里の状況を告げる。さゆは半泣きでそれを聞いていた。
連れ出したことも包み隠さず話した。――その後、
「あたしが絵里を危険な状態にさせたばい…」そう呟くと、
「れいなは…後悔してるの?」
さゆが半泣きのまま聞いてきた。
「……分からんばい」素直に心内を言葉にする。
「わたし……絵里はれいなに“ありがとう”は言っても、責めることはないと思うの。れいな……自分が絵里を危険な状態にさせた、なんて考えちゃいけないの…」
あたしは――、
「…おばさんと同じこと言うさね……」
それだけ言って窓の外を見た――。
あたしが外を見ていても、泣き止まず「絵里…」と祈るように呟くさゆ。
背後でその嗚咽を聞きながら――…もう…心が麻痺して泣けなくなったあたしは、流れ続けるさゆの涙が羨ましかった―――。
- 423 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:29
-
ICU内で、あの白衣・キャップ・マスク、それに手袋を加えて完全装備になったあたしたち。粘着式マットで靴の裏の汚れを取ってから病室に入った。
…室内で、大きなビニール袋みたいなものの中で絵里は目を閉じていた。
「絵里…」さゆは呟き、再び涙を滲ませ始める。
――あたしは、
こめかみに貼られた脳波計の電極、
腕と鎖骨に打たれた点滴針、
胸に貼られた心電図のシール、
鼻に通された細いカテーテル、
口にあてられた酸素マスクに。
「……触れるんじゃなか」そう呟いた。
- 424 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:29
-
――絵里に触れるな。触れていいのはあたしだけだ。ビニール袋を破って、計測器・針・マスク…絵里に繋がれた全てのものを取り外したい――、熱くなった頭でそう考えていた。
「ねえ絵里…抱き締めたい、けん…キス、したか……触れたい、ばい…だから…目、開けんしゃい……。ねぇ…絵里……」
――絵里に話し掛けるように呟いた。けれど――…絵里に聞こえたかどうかは分からなかった。
- 425 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:29
-
ねぇ…絵里……。
- 426 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:29
-
25.
- 427 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:30
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- 428 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:30
-
- 429 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:30
-
二日後。
絵里は再び目を覚ますことなく…静かに、息を引き取った……。
- 430 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:30
-
- 431 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:31
-
売店やレストランのある階よりさらにもう一階、地下にある部屋。絵里は今、そこにいる。
霊安室、と扉の上に書かれたそこは陰湿なイメージがあって…。絵里には不釣合いな場所。
おばさんが目頭をハンカチで抑え、おじさんに肩を抱かれながら部屋から出てきた。
「いいわよ…れいなちゃん」
二人に一礼だけして、あたしは一人で入る。
扉を後ろ手で閉める。――部屋の中では線香が香っていた…。
「――やぁっと、二人きりばい…」
当然、返事はなかった。
横になった絵里に近づく。…固いベッドに寝ている絵里の体には、あのN3Bが掛けられていた…きっとおばさんが掛けてくれたんだろう。
- 432 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:31
-
顔にかかっている薄布を取る。…静かに目を閉じ、ニット帽を被ったままの絵里が、いた。
「絵里、おつかれさん」
自分でも驚くくらいに穏やかな声…、不思議と涙は出なかった…。…絵里の姿がただ眠っているだけに見えたからかも。
N3Bに触れる。
「…気に入とったけん、大事にしんしゃいよ……」
腰を屈め、ゆっくり絵里の顔に顔を近づける。――途中、絵里の首にビーズネックレスが掛けられていることに気付き、心の中でおばさんに礼を言った。
- 433 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:31
-
「絵里…愛しとーと……」
触れる間際、あたしも目を閉じた。
やっと触れることのできた唇は―――――、
とても―――冷たかった。
- 434 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:32
-
跋.
- 435 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:32
-
ぼんやりとベッドに寄りかかりながら窓の外を見ていた。
あの日見た雪は、それきり降ることがなくて。…絵里の葬儀のときも、そして今も、空は寒々しいながらもからりとした冬の晴天を見せていた。
視線をやや下げて机を見る。フィルムケース程度の小ビンと中の灰色の粉がちらりと見えた。
少量だけ譲ってもらった絵里の…灰。
――年末年始はじぃちゃんのいるふるさとに帰るから………あたしのふるさとに行きたがっていた絵里を…連れて行って、あの、天国にも届くほど蒼い空のある地に灰を…絵里を撒こうと思っていた―――。
はくしょん!部屋に響くほど大きなくしゃみが出た。…そういえば家に帰ってから何時間も学校の制服のままだっけ。
着替えよう…、鼻を啜りながら、のろのろと立ち上がった。
- 436 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:33
-
クローゼットから適当にパンツを取り出し、タンスからスゥェットを取り出す。――制服を脱いで、素早く着込む。
かさり、穿いたアーミーパンツのポケットに紙キレが入っていることに気付く、レシートかなんかだと思って取り出した。
レシートじゃない、くしゃくしゃになった用紙が一枚出てきた。
「……ぁ」
つい声を出す。あたしは用紙を開き始めた。
弱々しい文字でたった一言。
いままでありがとう。
「絵里…」
あぁ。
やっと分かった。
これは“絵里がいなくなってからのあたし”に宛てた一言だったんだ。
- 437 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:33
-
「れいなっ」
- 438 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:33
-
――絵里に呼ばれた気がした。…振り返った先には――――小ビンしかなかった……。
「…ぐ、ぅ…」
漏れ出る嗚咽。かちかち音を鳴らす奥歯。
「絵里…」
やっと、
はじめて。
「…ぅ…う……」
絵里がいなくなってから――涙を流すことができた…。
「……あ…ぅ…」
そして。
今、あたしが絵里のためにできることは…泣くことしかなかった―――。
「絵里、絵里、絵里、絵里、絵里、絵里、絵里、絵里、絵里、絵里、絵里…ッ」
叫んでも届かない、愛する人の名前を何度も呼んだ。
ちっぽけなあたしは…ただ絵里を想うことしかできない。
手で顔を覆っても、掌が濡れるだけだった。
- 439 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:34
-
絵里がいなくなっても…あたしは絵里を想い、心の中で描くだろう。この…舞い落ちる刹那の恋を、雪が淡く溶けるかのように、さっと溶かすことなんかできない…!
今は無理でも、いつかは絵里のことを『思い出』にできるかもしれない。
だけど、楽しいだけの思い出には…悲しいだけの思い出にもしないだろう。
喧嘩したときのこと、キスしたときのこと、別れを切り出されたときのこと、手を繋ぎ合い抱き締め合ったこと……全てを合わせて“絵里といた日々”だから。
泣いたり怒ったりしたから…笑ったり喜んだ時間が輝くのだから。
遠い未来に、違う人を好きになっても。あたしは絵里と刻んだ時間を、薄れることがあっても忘れることはないだろう―――。
ゆっくりと目を閉じる……鮮明に思い出す、あのふにゃりとした笑顔…。
- 440 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:34
-
- 441 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:35
-
“わたし、絵里。亀井、絵里っていうの。
これからは絵里って呼んでよ。わたしも――れいな、って呼ぶから”
“…よかよ…。よろしく……絵里”
- 442 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:35
-
- 443 名前:舞い落ちる刹那の中で 投稿日:2005/03/02(水) 19:35
-
舞い落ちる刹那の中で 了
- 444 名前:Special Thanks 投稿日:2005/03/02(水) 19:36
-
San Pachiko SAMA
My little brother SAMA
&You.
- 445 名前:石川県民 投稿日:2005/03/02(水) 19:37
-
終了です。お付き合いありがとうございました。(ぺこり)
感想・批評etc…ネタバレさえなければ大歓迎デース。
ただ『専門的な』ツッコミはご勘弁くださいませ。。。
それでは。
拝。
- 446 名前:ap 投稿日:2005/03/02(水) 21:45
- 今日見つけて読みましたが、すっごい感動しました!
マジ泣きしました!こんなに自然と涙が出たのは久しぶりです。
- 447 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/03(木) 00:30
- 一気に読みました。
泣きました。
凄く切なかったですが、この作品に出会えて良かったです。
作者さん、ありがとう。
- 448 名前:gung 投稿日:2005/03/03(木) 00:54
- すっごく素敵です。
思いっきり涙がでました。
- 449 名前:ひろ〜し〜 投稿日:2005/03/03(木) 01:17
- うわっ。本当に泣けました。
心の底から感動しました。
こんな真夜中にこんなに感動して、こんなにセツナクなって、こんなに泣いたの初めてです。
ありがとうございます。
- 450 名前:読み屋 投稿日:2005/03/03(木) 02:39
- 2時間かけてじっくり読みました。久しぶりに泣いた気がします。
こんなにも純粋な気持ちになれた自分に驚きを隠せません
ただ、当たり前の日常を大切に、この時を疎かにすると後悔の念は一生付き纏うだろう
昔、友人から聞いた言葉を思い出しました。
感動をありがとう・・・。
- 451 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/03(木) 05:52
- キタ━━━━(Д゚(○=(゚∀゚)=○)Д゚)━━━━━!!!
作者さま復活おめ!!!
神様ですか・・・。一晩で400レスって。プリントアウトしてじくーり読みますた。
- 452 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/03(木) 06:43
- この作品が出来上がるのを楽しみにしてました!
全部読むのに4時間かかった・・・そして本気で泣いた・・・
批判するつもりなしに読んでいて途中からある作品に似ているような気がしたんですが
そんなことがどうでもよくなるぐらいに感動させていただきました。
こんなに泣いたの何年ぶりだろう?本当に感動をありがとう。
石川県民さんの作品が大好きです。これからも頑張ってくださいね。
- 453 名前:wait 投稿日:2005/03/03(木) 10:19
- 待ちました...
2時間以上読みながら目が腫れるように泣きましたよ.
本当に感動的な作品だったし....
こんなに感動をくれて、本当にありがとう.
石川県民さん,お疲れさまでしだ!
- 454 名前:秋嵐 投稿日:2005/03/03(木) 14:34
- はじめまして
もうラストのれいなの気持ちの1行1行
読むたびに涙が溢れてきました。
ありがとうございました。
お疲れ様です。
- 455 名前:孤独な名無し 投稿日:2005/03/03(木) 23:11
- 新しいスレが立ってると思い、ふとページを開いてみるとまだ物語の半分にも満たない更新だったのを覚えています。
今日ここへ来て完結した作品を読めて本当によかったと思いました。涙が溢れて字がにじんで読むのに時間がかかったけど、れいなと絵里を最後まで見届ける事ができて幸せでした。本当にありがとうございました。
- 456 名前:名無し飼育さん 投稿日:2005/03/04(金) 05:37
- 新スレキタ━━━━(゚∀゚)━━━━ !!!!!と思って暢気に読み始めてみれば…。
何年か飼育に通っていますが、これほど切なく涙を流せた作品に出会ったことはありません。
本当に綺麗な物語でした。ハッピーエンドではなかったけれど、だからこそこんなにも心が動いた
のだと思います。絵里にとってはハッピーエンドだったりして。幸せそうだったもんね。
本当に素敵な作品でした、読めて幸せです。ありがとうございました。
- 457 名前:名無し 投稿日:2005/03/05(土) 02:42
- 今まで数え切れないほどの小説の中で
命、生きること、そして死。
それらを題材にしたものを読んできました。
僕には、その小説たちに順位をつけることは出来ませんが、
その人や、発する言葉の一つ一つ、映される景色やその情景、
その人の周りを構成するもの全てを、僕は忘れることは出来ません。
そして、この小説の亀井絵里のことも、僕は忘れることは無いでしょう。
石川県民さんの作品に出会えてよかったです。
ありがとうございました。
- 458 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/05(土) 05:57
- 一気に読みました
読み終わったばかりで、うまく感想が書けません
ただ胸が苦しくて涙が止まらないです
なんかよくわからないけど、ただありがとうと言いたいです
- 459 名前:通りすがりの者 投稿日:2005/03/05(土) 21:01
- 一気に読まさせて頂きました。 ・・・かなりよかったです・・思わず泣いてしまい、知り合いの友人の事を思い出しました。(今も生きておられます) こんな事思ってたなというのが言葉一言一言あって・・こんなハッピーエンドなら良いなとか・・石川県民さん、ありがとうございました、自分も何が出来るか分かった気がします。お疲れさまでした、また作者様の名前をお見かけしたら拝見させて頂きたいです。
- 460 名前:七誌 投稿日:2005/03/06(日) 04:43
- とにかく涙です
- 461 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/14(月) 12:00
- 作者さんの作品はワリとほのぼの系が多い感じだったので(ぇ)、
今回もそうかと思って読んだらまったく違い、
本気で泣かせてもらいました!!
実は僕も452さんと同じで某作品を思い出してしまったのですが、
途中からそんなこと忘れて感情移入していました。
田中さんにとって亀井さんと出逢って恋をしたことは、
かけがえの無い思い出となることでしょう。
この作品と出会えて本当に良かったです。
作者さんありがとうございました。
- 462 名前:ナッシー 投稿日:2005/03/29(火) 21:20
- 読み終えました。
実はUPされてすぐに読み出したんですが、
あまりのリアルさに途中、挫けてしまいまして。
読み切るのに今まで掛かってしまいました。
純粋過ぎる程に切ない、れいなの想い。
これを笑う人がいるなら、人として大事なモノが
欠けているとまで言い切りたい気持ちです。
石川県民さん、良作を本当にありがとう。
sageているのが勿体ないぐらいです。
- 463 名前:名無し読者 投稿日:2005/03/30(水) 11:29
- 感動しました。
ありえないぐれい涙が溢れました。こんなの初めてかも知れません。
作者さん、ありがとうございました。
- 464 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/05/10(火) 14:48
- 小説で初めて泣きました。
僕が今まで読んだ小説の中で最高の作品だと断言できます。
作者さん、本当にありがとうございました。
- 465 名前:こそっと登場、石川県民。 投稿日:2005/05/29(日) 21:33
- 皆々様お久しぶりでございます、しぶとく生きておりました石川県民です。
ここ数ヶ月なにしておりましたかと言いますと、全然文章が書けずに悶えていたり、パソコンの電源がいきなり切れて書いてた全小説の3分の1程度を消してしまったり、針灸院に通ったりしておりました。
スランプから完全脱出!はしておりませぬが、再びぽちょぽちょと書いていこうと思っておりますので、お付き合いできる方はよしなに……。
- 466 名前:石川県民 投稿日:2005/05/29(日) 21:34
-
それでは辺レスをば。……って、
( ゚Д゚) ポカーン。
な、なんですかこのレスの数はぁあぁぁぁぁぁ!!??
こんなに沢山の方が読んでくださったとは。。。アイヤー。 嬉しかったりビビってたり。。。
※今回の辺レスは色々ぶっちゃけ話も含めとりますので、そーゆー裏が知りたくない方は読まないようご注意くださいませ。。。
446>apサマ。
>すっごい感動しました! マジ泣きしました!こんなに自然と涙が出たのは久しぶりです。
ありがとうございます、純粋なお言葉が嬉しいです。
447>名無飼育さんサマ。
一気読み、お疲れさまでございました。
>作者さん、ありがとう。
こちらこそ、ありがとうございます。
448>gungサマ。
ありがとうございます、なんか刊行本の帯に付けられそうなご感想に、作者赤面中です。
449>ひろ〜し〜サマ。
ありがとうございます、昔とある娘。小説でマジ号泣した人間が『いつか自分も泣ける話を書いてやる』と決意したりしなかったりして書いた代物なので、本当に泣いていただけたのなら、それこそ冥利に尽きるものなのです。
450>読み屋サマ。
こちらこそ、ありがとうございます。
「日常」が意外と「宝物の日々」だったことに気づくのは、ほとんどそれを失ってからなんですよね…。
- 467 名前:石川県民 投稿日:2005/05/29(日) 21:34
- 451>名無飼育さんサマ。
ありがとうございます。
>作者さま復活おめ!!!
……ごめんなさい、再び土の中に潜っておりました。。。
>神様ですか・・・。一晩で400レスって。
いやいや、自スレを数ヶ月放っておいて、且つ田中さんや亀井さんの生誕スレにも参加せずに書いてただけです、それだけなんです。
452>名無飼育さんサマ。
ありがとうございます。
>途中からある作品に似ているような気がした
…私もそう思います。書いてる途中で話題になった、とある小説のあらすじを知って「しまった」とか思ってました。(心臓病ト脳腫瘍ハモウ書イタカラ、ジャア血液ノ病気ニシタダケナンデスヨネ)
>石川県民さんの作品が大好きです。
あぁ…奇特な方がいらっしゃる……(感涙)
453>waitサマ。
本当にありがとうございます。
>本当に感動的な作品だったし....
ごめんなさい、書いてる人間は、書いてる内にどこが感動シーンか分からなくなってました。。。それでも目が腫れるくらい泣いていただけたのなら感謝の極みっちゅうもんです。
454>秋嵐サマ。
はじめましてでございます、石川県民です。
>もうラストのれいなの気持ちの1行1行 読むたびに涙が溢れてきました。
ありがとうございます、この話は最初にラストが出来てから、作った話なんです。一番伝えたいシーンをしっかり受け取っていただけたみたいで嬉しい限りです。
455>孤独な名無しサマ。
ありがとうございます。更新に二時間近くかかってました(爆)
二人を見届けてくれて、本当にありがとうございました。
- 468 名前:石川県民 投稿日:2005/05/29(日) 21:35
- 456>名無し飼育さんサマ。
ありがとうございます。この話がハッピーエンドだったかどうかは、読んだ方の感性にお任せしようと思ってます。
>読めて幸せです。
読んでいただいて幸せでした。
457>名無しサマ。
ありがとうございます。
>この小説の亀井絵里のことも、僕は忘れることは無いでしょう。
無数の娘。小説の中で無数の亀井さんが書かれていますが、その中の一人として認識していただければそれで充分ですよ。
458>名無飼育さんサマ。
>ただありがとうと言いたいです
このお言葉、そっくりお返しいたします。本当に、ありがとうございます。
459>通りすがりの者サマ。
ありがとうございます。
>こんな事思ってたなというのが言葉一言一言あって
実は作者、中学時代に二年数ヶ月入院してまして。当時、自分や周囲の子が思ってたこと・感じたこと・やったことが元ネタになっております(脱走は作者の実話です、かなり反抗しまくってた患者でした/w)
またグダグダ書いていきますので、お付き合いいただけたら幸いです。
460>七誌サマ。
ありがとうございます。
>とにかく涙です
とにかく感謝です。
- 469 名前:石川県民 投稿日:2005/05/29(日) 21:35
- 461>名無飼育さんサマ。
ありがとうございます。
>作者さんの作品はワリとほのぼの系が多い感じだったので
…気づきませんでした(爆)。自分が読みたいものを書いてるだけなんですけどね、ぶっちゃけ。(w
>452さんと同じで某作品を思い出してしまった
書いてからブック○フに売ってたとある有名小説を読んで青ざめたバカがここにいます。(遺言シーンと散骨シーンをボツにして本当に良かったと思ってます)
462>ナッシーサマ。
ありがとうございます。
>あまりのリアルさに
……これでも痛々しすぎる描写は(書いてる本人が辛いので)結構削ったんですけれど(汗)
>sageているのが勿体ないぐらいです。
書いてすぐに多数の書き手の未熟部分に気づき……本当は早く倉庫に落としたいんです………。
463>名無し読者サマ。
ありがとうございます。
感動していただいたことがすごい嬉しいです。
464>名無飼育さんサマ。
ありがとうございます。
>僕が今まで読んだ小説の中で最高の作品だと断言できます。
めっ、滅相もございません!!(慌)
- 470 名前:石川県民 投稿日:2005/05/29(日) 21:35
-
さて、これからupするものは、本編で書かなかったとある方が主人公です。(この方主人公で話書くのは初めて…か?) 本編と同じ時間軸です。
……本当は一気に書き上げたかったのですが、ちょっと…無理なので。短い話ですが、四回くらいにわけて更新いたします。あまりに粗末な更新なのでochiでいきます。
蛇足にしかならないお話ですが、よろしければ、どぞ。
- 471 名前:キミの瞳に恋してる。 投稿日:2005/05/29(日) 21:36
-
この腕の中は、わたしの領域。
- 472 名前:キミの瞳に恋してる。 投稿日:2005/05/29(日) 21:36
-
ふ、と目が覚めた。そして最初に感じたものは背中に回された両腕の感触。…体の下になった右腕、痺れてないのかな。そう思って見上げた寝顔は――穏やかなものだった。
呼吸する度にすぴ・すぴ、と鳴る鼻の奥。やや開いた両眼。――いつも通りの、ちょっと怖い、愛しい寝顔。
しばらく寝顔を見上げたところで、腕を伸ばして目覚まし時計を掴む。――わたしが体を動かしたせいで、穏やかな寝顔の眉間にシワが寄った。
ごめんね、心の中で謝って時計を見ると―――眠気は一瞬で吹き飛んだ。
「たんっ!起きて、もう八時だよ!!」
布団から出ていた両肩をがくがく揺すった。
- 473 名前:キミの瞳に恋してる。 投稿日:2005/05/29(日) 21:37
-
――それから二人で六畳一間を駆け回った。
- 474 名前:キミの瞳に恋してる。 投稿日:2005/05/29(日) 21:37
-
「なんで目覚まし止まっちゃってるの〜っ?」
「知らないよ、亜弥が止めたんじゃないの!?あ〜美貴一限から必修なのに〜!」
「止めたの たんじゃないの!?あ〜遅刻だよ…」
――コンタクトどこにやったっけ?あーもう眼鏡でいいや。
――た〜ん、わたしのピン知らない?
――さっき洗面所で見たよ。
どた、ばた、どた。
先に仕度のできた たんが、小さな玄関でスニーカーのつま先をとんとんし始めた。
「亜弥ちゃーん、戸締りよろしく〜」
「はーい。――あ!待って!」
今まさに出て行こうとするところを呼び止める。たんはドアノブを掴んだまま「なに?」って表情を向けた。
「たん、忘れ物してるよ」
え?って感じの顔になった たんに、とことこ近づいて――。
ちゅっ。
軽い音をたてて、触れるだけのキスをした。
「じゃっ、いってらっしゃい」
ひらひら、手を振ると。たんはとびきりの笑顔をむけて手を振り返してくれた。
- 475 名前:キミの瞳に恋してる。 投稿日:2005/05/29(日) 21:37
-
ドアが閉まるのを幸せな気持ちで見ていた、なんだか新婚さんみたいだにゃあ、なんて考えてた――けれど、時計を見た瞬間、現実に引き戻された。
「……遅刻決定〜…」
時計は朝のSHRが始まる時間を指していた…。
とほほ…。
- 476 名前:キミの瞳に恋してる。 投稿日:2005/05/29(日) 21:37
-
***** *****
- 477 名前:キミの瞳に恋してる。 投稿日:2005/05/29(日) 21:38
-
規則正しく揺れる電車、と、電車と一緒に規則正しく揺れる、ミラーの中の前髪。
よし!今日もばっちり!
遅刻はまぁ…仕方ないとしても、身だしなみは完璧にしないとね。
念のために首筋や鎖骨といったところに赤い花が咲いてないかを確かめていると、電車はすぐに目的の駅に着いた。
電車を降りてコンコースを抜けて駅から出る。走ったって無意味なのだから、ぷらぷらのんびり、両脇に住宅の密集した通学路を歩く。途中『松浦』の表札の掛かった自分の家の前も通り過ぎた。
- 478 名前:キミの瞳に恋してる。 投稿日:2005/05/29(日) 21:38
-
一時間目終了のチャイムが鳴るのを見計らって学校に入って。休み時間中の校内、自分の教室に入ると、クラスメイトたちに声をかけられた。
「亜弥、おはよー」
おはよー、笑顔で返す。
「おはよう、担任怒ってたよ」
ちょっとだけ首を竦めて舌を出す。
「今朝もあの大学生のところから直で来たの?」
興味津々、といった感じに聞かれたので、意味ありげに微笑んでみせた。
- 479 名前:キミの瞳に恋してる。 投稿日:2005/05/29(日) 21:39
-
「え、マジ!?亜弥付き合ってる人いるの!?」
別の子が声を上げた。
「そー。この子、昔から付き合ってる人がいるの。――そうなんでしょ?」
『直で来たの?』と聞いてきた子が代わりに答えてくれて。さらに聞いてきたので、それに頷いた。
「――幼なじみ兼、恋人だから、ね」
――そう。昔から たんの近くに、一番近くにいるのはわたしなんだから。
「ね、ね、その幼なじみ兼恋人ってどんな人?かっこいい?」
「うーん…かっこ可愛い…かな?」
「今度紹介してよ」
「だめ〜」指で×を作る。
その子の頬が膨れた。
「なんでよー」
「だってぇ…」少しだけ顔を下にする。
好きになられたら、困るもの。
惚れっぽいことで有名なクラスメイトに手を合わせていると、二時間目開始のチャイムが鳴った、みんな慌てて席に着く。
まだ少し頬を膨らませたままで席に着くクラスメイトを見ながら――ぼんやり、高校生になったばかりの“ライバル”のことを考えてた―――。
- 480 名前:キミの瞳に恋してる。 投稿日:2005/05/29(日) 21:39
-
*****
たんがシゲちゃん――道重さゆみちゃんに告白されたのは、高校の合格発表の日だった。ちなみにわたしが、たんの口からそれを知ったのは、合格発表の次の日のこと。
たんは断った(らしい)けれど、シゲちゃんはこう言葉を続けた。
“フラれましたけど――まだ藤本先生を好きでいていいですか?”
このことを聞いたとき、わたしは“それでなんて答えたの?”って詰め寄った。
たんはあっけらかんと、
“想うことは自由なんだから、別にいいよ、って答えておいたよ”って言った。
………そんなものなのかなぁ。
恋する女の子のパワーって凄いんだよ?…時には暴走だってしちゃうんだよ?
なんか…たんってイマイチ乙女心を分かってない気がする…。
…うーん……。
――たんがシゲちゃんに、好きでいることもきっぱり断ってほしかったって思うわたしは、独占欲が強すぎるのかなぁ…。
*****
- 481 名前:キミの瞳に恋してる。 投稿日:2005/05/29(日) 21:40
-
「ね、ママ。これも持っていっていい?」
牛肉のアスパラ巻きを指しながら聞くと、
「そのつもりで多めに作っておいたわよ」という頼れる言葉が返ってきた。
タッパーに出来立てのおかずを詰めていると、ママが「でも…」と尋ねてきた。
「美貴ちゃんは今日、家庭教師の日じゃないの?夕飯は生徒さんちで済ましてるんじゃないの?」
ぴたり、持っていた菜箸の動きが止まる。
「…今日は一緒に晩御飯食べようってメールしたから。OKの返事も、もらったし」
「あら、そうなの」
ママはそれ以上気にした風もなく、鼻歌交じりにベーコンポテトサラダを盛り付けていた。
こっそり、安堵の息を吐く。――こんな幼稚な理由、ママにだって知られたくないから。
「それにしても、」
ママが手を止めて窓の外を見た、つられて見る。お向かいにある、周囲の家々より数段豪華なお家が見えた。
「美貴ちゃんのお父さんも頑固よねぇ、まだ勘当状態なんでしょ?」
「うん。…でもママとは時々電話で話すこともあるんだって…」
「そう。藤本さんのお宅も色々たいへんね…代議士って立場もあるんでしょうけれど。……はい、これも持っていってあげてね」
アサリご飯を詰めたタッパーを渡しながらママは言った。
- 482 名前:キミの瞳に恋してる。 投稿日:2005/05/29(日) 21:40
-
電車の窓から太陽が落ちたばかりの、黒と藍と紫の三色空を見るともなしに見ていた。
週に二回はこの時間帯の電車に乗って、二駅越えたところにある大学に近いアパートに行っていた。
以前、ママに“通い妻”なんて笑われたけれど、大半の学費と全ての生活費を自力で稼いでいるたんの少しでも手助けになれればいいと思って毎回夕飯を持って通っている。……当然、たんに会いたいから、ってのもあるけど。
- 483 名前:キミの瞳に恋してる。 投稿日:2005/05/29(日) 21:41
-
……そういえば。
たんがアパートに移ってから、わたしの家に来た回数を指折り数えてみる。………。片方の手の指でも余るくらいしか来てくれていない。毎日のように会っているけれど、殆どわたしがたんのアパートに行っている。それ以外は時々何処かで待ち合わせする程度で。
そりゃあ、自分の家に近寄りたくないんだ、ってことくらい分かるよ。…でも……。
はあ、思わず声を出してため息を出す。間隔を空けて座っていたサラリーマンのおじさんが訝しげにこっちを見た。ふ、目を逸らす。
わたしとたんの間には、わたしからたんに向かって青地に白の矢印が引かれてある気がする。一方通行のマーク。反対方向からは来れない…来ない。
ああ見えても、たんは、優しい。望めば与えてくれる。昔からその優しさに甘えて、沢山与えてもらった。そんな関係が当たり前だった。――でも、逆は?たんがわたしに望んでくれたことって…あった?
コツン、後頭部を窓にぶつける。アナウンスが次に止まる駅名を告げた。
たん、わたしのこと、ちゃんと…好き?
- 484 名前:石川県民 投稿日:2005/05/29(日) 21:42
- 今回はここまで。(短ッ)
それではまた。 拝。
- 485 名前:464 投稿日:2005/05/30(月) 12:53
- 復活おめでとうございます!新作も楽しみにしてます。
返レスを眺めていたら、「昔とある娘。小説で…」のくだりに仰天しました。
私自身が、「舞い落ちる刹那の中で」を読んで全く同じことを考えたので。
石川県民様を勝手に師と仰ぎますw
- 486 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/05/30(月) 20:46
- 復活おめでとうございます(^^)
- 487 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/05/30(月) 21:46
- 大好きです。
頑張ってください><
- 488 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/05/30(月) 21:47
- 一応、落とします。
- 489 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/05/31(火) 12:43
- キタ━━━━(Д゜(○=(゜∀゜)=○)Д゜)━━━━━!!!
待ってました。終わりまでじっくり読ませていただきます
- 490 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/03(金) 12:23
- 大好きデス★
- 491 名前:通りすがりの者 投稿日:2005/06/03(金) 20:04
- 新作更新ありがとうございます!! かなり今度の作品も期待が高まってます!! 頑張ってください!! p.s ・・・ちょっとシリアスが入るんですけど、幼なじみが明日か今日の深夜あたりに・・・。 (前のレスに出てきた友人の事です、たぶん病名は・・・) 今年で2年目ですが、もう限界かもしれないと・・・。 こんな報告、スレ汚しになるのは承知の上です。 でもかなりキツくて・・・一人だと狂いそうです。 でも作者様の作品はホントに勇気を持たせてくれました、前作品はホントウにありがとうございました!!! 今度の作品も最後まで読まさせて頂きます。
- 492 名前:konkon 投稿日:2005/06/03(金) 21:26
- 今日見つけて、一気に読みました。
感動の余りに久しぶりに泣かせていただきました。
生と死をよく考えさせてもらえますね。
最高の小説だと思ってます。
新作もがんばってください。
- 493 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/03(金) 23:54
- しかし上げるのはどうかと思うよ。
ということであやみき期待しながらオチ。
- 494 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/10(金) 21:06
- 461のものです。
いや、昔話シリーズがとても印象に残っていたのでそんなイメージがついていただけでした(w
新作更新ありがとうございます!
今度はあやみきですか。期待してます。
みきさゆも実は好きなんでそっちの絡みも期待してます(w
- 495 名前:石川県民 投稿日:2005/06/11(土) 11:04
- 先日の健康診断で心臓に異常アリと言われた石川県民です。……自覚症状、欠片も無いんですけど。皆様も健康にはお気をつけくださいませ。さて二回目の更新です。
485>464サマ。
ありがとうございます。
>石川県民様を勝手に師と仰ぎますw
…止めておいたほうがよろしいかとw
486>名無飼育さんサマ。
>復活おめでとうございます(^^)
ありがとうございますv ただ、たいへん恐縮なのですがE-mail欄にsage若しくはochiとご記入くださいませ。ageられるとごっつう恥ずかしいのです。。。
487>名無飼育さんサマ。
ありがとうございますv がんばります、頑張りますよー。
488>名無飼育さんサマ。
マジありがとうございます。
489>名無飼育さんサマ。
キチャイマシターーーーー!!
>終わりまでじっくり読ませていただきます
ありがとうございます、取り敢えず六月中に終わらせようと考えております。
490>名無飼育さんサマ。
ありがとうございます★ ただ、たいへん恐縮なのですがE-mail欄にsage若しくはochiとご記入くださいませ。作者は小心者なので。。。
- 496 名前:石川県民 投稿日:2005/06/11(土) 11:04
-
491>通りすがりの者サマ。
ありがとうございます。
psですが…ややネタばらしになって恐縮ですが、最終話に『彼女たち』がどうやって未来を歩んでいくかに触れてあります。それはある意味私の考えでもあります。自分ならこう進む、と…。
それと、ご友人のことは今は告げないで下さい。結果によっては、何か石川県民、スゴイ沈みこむこと予想できるので。まだ生きてるんだと思ってたほうが書く気力になるんです。自分勝手でごめんなさい。
492>konkonサマ。
ありがとうございます。病気や死って、ちょくちょく題材にしてしまうんですよねぇ(暗)
>最高の小説だと思ってます。
いえいえまだまだです。もっと泣けて、もっと切ないものが書ければなぁ…って感じですので。
493>名無飼育さんサマ。
わざわざ落としてくれてありがとうございます。
暴走あややと乙女心の分からない藤本さんをお楽しみくださいませ。
494>名無飼育さんサマ。
ありがとうございます。昔話シリーズ…すっかり書いた記憶は忘却の彼方にやってました……。(遠い目)
みきさゆ…じつは大好きなんです♪けれど書くのはみきあやです(笑)
これ↑、いつかメインで書きてー!と目論んでおります。
それでは、本編すたーとw
- 497 名前:キミの瞳に恋してる。 投稿日:2005/06/11(土) 11:05
-
「亜弥ちゃん?」
わたしを見て、目を見開いた表情に笑みを返す。
「お疲れ様」
どうしたの、そう言いながら駆け寄ってくれた。
「アパートで待っててくれればいいのに」
「なんか、少しでも早く会いたくなったから」
たんのバイトが終わる頃にシゲちゃんのお宅に向かったら、丁度角で鉢合わせできた。
点き始めた街灯の下、たんの少し冷たい指先に触れる。
「やば…シゲちゃんちに上着忘れてきた」
引き返そうとしたので、指先に触れていた手の力を強くした。たんが不思議そうにわたしを見た。
「別に次回でもいいんじゃない」
「そうだけど…亜弥ちゃん、なんかあった?」
「――――、…うぅん、別に」
たんがシゲちゃんに取られそうだから怖くって。――こんなこと、言えるわけないじゃない。ママにも、そしてたんにも。
「…ね」
声を掛けると「ん?」て顔になった。
「キス、しよう?」
- 498 名前:キミの瞳に恋してる。 投稿日:2005/06/11(土) 11:06
-
「どうしたの、急に」訝しげな声。
「別に…」
キスしてほしいことに、理由なんてないよ。そう言うと、困ったように笑われた。
「……だめ?」
上目遣いで尋ねると、するり、首に腕を絡められた。
「――別に、駄目じゃないよ」
ニヤけ笑いの顔が近づいてくるから、素直に目を閉じる。
「……ん…」
数秒、触れ合わせただけで、唇はすぐに離れる。
物足りない、そう目で訴えると、額を合わせられ、
「亜弥ちゃん、美貴お腹空いた」低い声で言われた。
そのまま抱き締められる。
「濃ーいのも、もっと過激でとても道端じゃできないことも、アパート帰ってご飯食べてからしたげるから」
そのときのわたしには。耳元すぐ近くで囁かれた科白なのに、全く聞こえなかった。
たんの体の向こうにシゲちゃんがいたから。
見覚えのあるネルシャツを抱いて、青ざめた顔をしていた。
シゲちゃんはわたしと一秒にも満たない間(わたしには何十秒にも感ぜられたけど。そして多分シゲちゃんも)、見つめ合ったかと思うと、素早く踵を返して走っていった…。
- 499 名前:キミの瞳に恋してる。 投稿日:2005/06/11(土) 11:06
-
「亜弥ちゃーん?」
背中に手を回して抱き締めて、吐き出したそれは―――安堵の息。
「なに?どうしたの亜弥ちゃん」
―――わたし、今、安心してる。
心の底から、良かった、って思ってる。
「ちょ、マジ大丈夫?」
変な勝利感に浸っていると、たんに体を剥がされた。
「大丈夫、――なんでもないから」
「ならいいけど…」今一つ、納得できない表情。
「わたしもお腹空いてきちゃった。――早く帰ろうよ」
手を取って指を絡めて先に歩き出す。手を引かれていたかと思うと、すぐ隣を歩いてくれた たんに、心に燻る汚いものを悟られないように笑顔を向けた。
- 500 名前:キミの瞳に恋してる。 投稿日:2005/06/11(土) 11:06
-
*****
恋愛感情、って人の心の中でもかなり激しい感情の部類に入ると思う。
だから―――時に性悪、時に卑怯。
必ずしも綺麗なものの訳ない。
たんが好き。
好きなの。
好きなだけ。
わたしだけを、見つめて。
触れて。
抱き締めて。
その腕の中はわたしのテリトリーなんだから。
――他の人なんか、受け入れないで。
*****
- 501 名前:キミの瞳に恋してる。 投稿日:2005/06/11(土) 11:07
-
「あ゛〜〜」
『強』にした扇風機の前で声を出していると、
「ちょっと、美貴に風が当たんないじゃん」
額から汗を流すたんに、頭をどかされた。
「あ゛〜〜」
今度はたんが声を出す。
「むっ、一人だけずるい」
扇風機の首を自分のほうへと回す。
「だから美貴が暑いってば」
今度はたんが扇風機の首を自分のほうへ。
「わたしだって暑いの」ぐいっ。
「美貴もだよっ」ぐいっ。
ぐいっぐいっっぐいっっっ。
……………。
結局二人、無駄な体力を使って、無駄に汗だくになって。
「「あ゛〜〜」」
二人同時に折れて、扇風機の首をお互いの真中で固定した。
- 502 名前:キミの瞳に恋してる。 投稿日:2005/06/11(土) 11:07
-
――今は八月。たんもわたしも夏休みで、一緒にいる時間が増えた割にはあまりくっつき合わない月。
- 503 名前:キミの瞳に恋してる。 投稿日:2005/06/11(土) 11:07
-
「たーん、クーラー買ってよぉ」
「そんな余裕、ありません」
無理だろうなぁ、と思いながらねだってみたら、案の定即断られた。
「おとつい、雨降ったじゃん。きっと今年の夏は冷夏なんだよ、クーラーいらないって」
「…雨が降ったの、その日だけじゃない……」
「あ、亜弥ちゃんが持ってきてくれたスイカ、冷えたかも。切ってくるね」
話題から回避するように(ていうか多分そう)、立ち上がり台所にむかって冷蔵庫を開けた。
網戸にした窓からミンミンジーワジーワと聞こえてくるセミの声に混ざって、…ザク、…ザク、台所で包丁を使う音が聞こえた。
「ね、たぁん、明日プールに行こうよ」
「プール?」スイカを立たせたお皿と渡しながら、聞いてきた。
「そ。港公園の隣にあるプール場、あそこ」
シャク、スイカの先端を齧る。――水気の多い甘さ。
「今年、まだ行ってないでしょ。だから明日行こうよ」
たんはスイカを齧ったまま、「う〜ん」と唸った。
「嫌、なの?」
「嫌っていうか、乗り気じゃない」
「同じじゃん」
「微妙にニュアンスが違うんだってば」
スイカをパクつく始めた たんの横顔を恨めし気に見る。
「たん、泳げるよね?」
「あんまり上手じゃないけどね」
「わたしの水着、見たくない?」
「見たいよ。裸と違ったエロさがあるし」
「じゃあなんで」
「亜弥ちゃん。去年あそこで何回ナンパされたか覚えてる?」
え?確か――…、
- 504 名前:キミの瞳に恋してる。 投稿日:2005/06/11(土) 11:08
- 「たんは18回だったよね」
「亜弥ちゃんは21回だったよね」
そうそう。たんより3回多かった。
「美貴がトイレ行ってる間と飲み物買いに行ってる間と荷物取りに行ってる間に、一人で声かけられてたじゃん」
そうなんだよね。それ以外のときは、二人一緒に声かけられてた。そして全部たんが睨んで追い払ったんだっけ。
「美貴は、それが嫌なの」
……………、えーっと…。
「それって、声をかけられること自体が嫌なの?それともわたしが声をかけられることが嫌なの?」
「両方」面白くなさそうな声で言われた。
それって…やきもちですか?
それって…やきもちですね?
嬉しい、という気持ちが心に染み渡るように広がって、スイカのタネを吐き出している たんに抱きついた。
「だから暑いってば」
口でそう言っても剥がそうとはしない。
「それに、」
たんの言葉は続く。
「明日はシゲちゃんの宿題プリント作らないと」
―――たんを抱き締める腕の力が強まった。
- 505 名前:キミの瞳に恋してる。 投稿日:2005/06/11(土) 11:08
-
「そういえば昨日はシゲちゃん、あんまり元気なかったけど夏バテかな?…ってなに?亜弥ちゃ――んッ」
甘い。たんの口を口で塞ぐと、ほんのりスイカの味がした。
そのまま舌を入れて、無理矢理絡ませる。
――ねぇお願い。
わたしといるときに、他の子の話をしないでよ。
言えない言葉を舌に乗せて、たんに流し込んだ。
「―――ふ…」
離される唇。……いつの間にか たんの左腕が腰に回されてた。自由な右手は窓を閉めてカーテンも閉めた。…?
セミの声が遠くなる。
右手が頬に添えられて?
「…たん?――きゃっ」
――押し倒された。
「え、たん?ぁっ!」首を舐められる。
「亜弥ちゃんが誘ったじゃん」
「誘ったわけじゃ…、んっ、ふ、ぁ…暑いんじゃ…なかったのぉ……」
「汗をかけばすっきりするよ。――それとも…」
近づく、意地悪な笑顔。
「嫌なら止めるけど。どうする?」
選択権の無い選択を突きつけられる。
「……わかってるくせに…」
首に、腕を回した。
- 506 名前:キミの瞳に恋してる。 投稿日:2005/06/11(土) 11:09
-
「…あ、」
暑い。
熱い。
空気中の熱と体から発せられる熱。――すごくアツイ。脳みそ溶けそう。
「亜弥ちゃん…」
囁かれる言葉が体に入り、たんの背中に回してる腕の力へと変換される。
二人とも汗だくで。それでもお互い離れようとしなくって。
「ひゃ、…たんっ」
どんなに荒く激しく呼吸しても肺は広がらない、満たされない。……溺れそう。
腕の中で窒息しそう。
飛びそうになる意識の中で、微かにセミの声が耳に届いた。
セミは恋の相手を求めるために、命の限り鳴き続ける。
それを知ったとき、すごい執念・すごい本能、…そう思った。
…たん。
たん。
たんっ。
――わたしは、セミに負けないくらいの執念で、アナタを求めてる。
すでに、これ本能。
「あっ!」
- 507 名前:キミの瞳に恋してる。 投稿日:2005/06/11(土) 11:09
-
狭いシングルベッドの中、額をくっつけ合う。
「…ね、たん。明日は図書館に行こう?」
クーラー効いてるし、宿題やっつけたいし。そう付け加える。たんはすぐに、いいよ、と返してくれた。
「美貴もプリント作らないと。…なんなら亜弥ちゃん。解いてみる?」
「ヤだよぉ…」
そっと、たんの唇に触れてみる。たんは、きょとんとした表情。
「…みーん……」
アナタを求めてます。そう小さく鳴いてみた。
- 508 名前:石川県民 投稿日:2005/06/11(土) 11:11
- 二回目終了。>>506、実はもっと長々とEROく書きたかった、というのは内緒ですw
それでは。 拝。
- 509 名前:464改め駆け出し作者 投稿日:2005/06/11(土) 11:35
- 更新お疲れ様です。
さりげなく前の話とつながっている部分があったんですか。今回はほのぼのとした感じがいいですね。
私も師し…ゴホゴホ、石川県民様の作品に感動して小説(の下書き)に挑戦中です。
- 510 名前:通りすがりの者 投稿日:2005/06/11(土) 14:15
- 更新お疲れ様です。
儚いですね、季節が季節というかともあり、かなり良いです。
次回も更新楽しみに待ってます。
s.p すみませんでした、作者様のやる気を失せてしまうような駄文を書いてし
まい、心から反省します。
・・・分かりました。友人については作者様のご希望通り、オフレコとさせて頂きます。
作者様のご健康を願います・・・。
- 511 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/11(土) 22:37
- 今、頭を抱えて心の整理に没頭しています。
田亀不足で数日前から小説を読み漁っていたところ、この作品に出会いました。
心が壊れそうな程に切なく、強い彼女達の想いに、涙が止まりませんでした。
自分でもまだこんなに涙が出るかと戸惑うくらいに泣いてました。
彼女達の一言一言が心に深く刻まれ、彼女達の一つ一つの想いが心にやきついてます。
今一度、彼女達に触れたいという思いと、こわくて踏み出せない気持ちが闘ってます。
久しぶりにこんな思いにかられる作品に出会えた事、嬉しく思います。
作者様、素晴らしい作品をありがとうございました。
現在の新作の更新も楽しみにしております。
そして、もし気が向きましたら、また田亀小説を書いて頂けたら嬉しいです。
- 512 名前:7419-名無飼育- 投稿日:2005/06/12(日) 17:38
- 494です。コテつけました。
更新お疲れです。
松浦さん独占欲強いですね〜(笑)重さんドンマイ!
結構好きなんですけどねぇ、昔話シリーズ。
その目論見、実現すること祈ってますよー!
- 513 名前:石川県民 投稿日:2005/06/25(土) 23:46
- まずは辺レスをば・・・
509>464改め駆け出し作者サマ。
ありがとうございます。今回の話は本編の田中さん視点では見えなかったところを少しだけ見せたくて書いたものなんです。なのでちょこちょこと繋がってる部分があるんです。
小説、出来上がりましたら、是非とも読ませてください☆
510>通りすがりの者サマ。
“通りすがり”という御名に反しての毎回のレス、どうもです。
>とても良いです。
“とても”という副詞が無くなるよう、精進させていただきますm(_ _)m
P.S.の件ですが、石川県民も人の子ですので、たとえディスプレイ越しの方であろうと、事故や病気に遭われれば心配しますし、亡くなれば痛む心と悼む心はもっております。狂ってしまわれれば悲しくなります。普通の方より弱い心の持ち主なんです。(凹)
お気遣い、ありがとうございます。
511>名無飼育さんサマ。
深い感情移入をしてくださり、誠にありがとうございます。
出会い、精一杯恋をして、精一杯生きた二人を最後まで見てくださって、本当に感謝の念が絶えません。
この長さの田亀小説は……年単位でお待ちしていただけたら、またご覧に入れれるかと思われます(すんげぇ遅筆なんです、ハイ)
あと・・・もしよければ読み漁った田亀小説の中から、オススメあれば教えていただきたく思います★(あは)
512>7419-名無飼育−サマ。
ありがとうございます、コテハンの数字のゴロに思わず「上手い!」とか思っちまいました(w
松浦さんの独占欲って、確かに強いですけれども、恋愛中の女の子って、少なからずこれ位のモノは持っているんじゃないかと思います。。。
飼育に載せきれなかった昔話シリーズ、実はまだ数話残ってます。いつかどこかで日の目を見せれたらなぁ、とか考えております。
- 514 名前:石川県民 投稿日:2005/06/25(土) 23:47
- さて、お久しぶりでございます。石川県民です。
どうしても今日upしたかったのでございます。6月25日に。だって誕生日なんですから♪
从‘ 。‘从>そうそう♪
石川県民)>誕生日おめでとうマイ弟―!(実話)
从‘ 。‘从>(がくっ)
石川県民)>もう21なんだから嬉々としながら男友達と二人きりでドライブに行ったりお泊り会するのはいい加減止めてね。お姉ちゃんちょっと君の将来が心配なんだから。
从‘ 。‘;从>ちょっと!ボケを長引かせないでよ!
石川県民)>だってこの話、シリアスっちゅーか暗い話ですから。ちょっとボケが欲しかったのですよ。
从‘ 。‘从>…確かに明るい話じゃないよね……。今回も、少なくともわたしの誕生日を祝ってるような話じゃないよね……。
石川県民)>そうっすよね。プチ修羅場っていうか。誰がこんな話にしたんでしょうね。
从‘ 。‘从>アナタでしょ!!
石川県民)>それでは本編へどぞ☆
从‘ 。‘从>こらー!!
- 515 名前:キミの瞳に恋してる。 投稿日:2005/06/25(土) 23:47
-
たんが深く考え込んだりするようになったのは、暦の上でも体感的にも秋真っ盛り、という頃からだった。
- 516 名前:キミの瞳に恋してる。 投稿日:2005/06/25(土) 23:48
-
「…ねぇたん」
「なに?」
「たん たん たん たーーんっ」
「だからなにってば!」
目が吊りぎみになった たんに、膨れた顔を見せる。
「たん、最近変だよぉ…」
「なにが?どこが?」
「ずーっと考え込んだり、あんまり構ってくれなかったりして……、――それに今も」
たんが持つ本を指差すと、たんの目線も下に動いた。
「『家庭の医学』なんて読んじゃって。その本どうしたの」
「大学の図書館から借りてきた」
「じゃなくてぇ、なんでそんなの読んでるの、ってこと」
どこか具合悪いの?そう尋ねると、笑いながら「美貴はどこも悪くないよ」と返ってきた。その後にまじまじと顔を覗き込まれた。
「…亜弥ちゃんには秘密、って言ったらどうする?」
「泣いて怒って喚いて拗ねてあげる」
正直に言うと引きつった笑みをむけられた。それから、やれやれ仕方ないなぁ、そんな感じの顔をしてから、
「言いふらすようなことじゃないからね」と前置きして話し出した。
- 517 名前:キミの瞳に恋してる。 投稿日:2005/06/25(土) 23:48
-
「シゲちゃんの友達に、田中れいな、って子がいるのは前に話したよね」
……田中れいな?――かなり以前に聞いたことのある名前を記憶の中から探してみる。確かあの―――、
「福岡生まれの剣道一筋の子だよね」
「そう。ちゃんと覚えてるじゃん。――その子がさ高校に入って暫くしたら二筋になったの」
二筋?…それってつまりぃ……他に大切なものができたってこと?その大切なものは――、
「恋しちゃったのですか?」
――好きな子ができたってことかな。
たんは満足そうに頷いてくれた。
「恋しちゃったのですよ」
あ・相手の名前は亀井絵里ちゃんて言って、田中ちゃんと同じクラスでシゲちゃんとも仲良しなんだってさ。そう付け加える。
それはよかったね、気軽に答えると、たんは「ところがさ」と話しを続けた。
「その亀ちゃん、七月からずーっと入院しちゃってね、今も退院できてないんだって」
「あらぁ」
「でしょ?本当に亀ちゃんと仲良しのシゲちゃんは、もう参ちゃってて。勉強中でもため息ついてばっかりでさあ」
言いながらため息をつく たんの姿に、軽い痛みが心に走った。
- 518 名前:キミの瞳に恋してる。 投稿日:2005/06/25(土) 23:48
-
「そんでね、田中ちゃんなんだけど、とうとう二筋から一筋に戻っちゃったの」
え…?
「亀ちゃんと別れたの!?」
声を大きくしてしまったわたしに、たんは苦笑いで手を横に振った。
「じゃなくて。剣道を捨てたんだよ。…亀ちゃんと一緒にいられる時間を作るために」
たんの言葉に、目を丸くしながら静かに息を吐いて、
「……なんか…すごいね……」
思ったことを口にした。
――うん、純粋にすごいと思う。大切なことを諦められるその決断は。そして…好きな人のためにそこまでできることが、そこまでやれる愛する人がいることが。
普通はね、なかなか。
「うん、すごいよね。それでね、時間が前後するんだけど亀ちゃんの病名が判ったんだって。……多分これも二筋から一筋に戻る決断の原因だったと思う」
たんは、『家庭の医学』から指を挟んでいたページを開いた。
……開かれたページに書いてあったのは『白血病』の文字。ざっと目を通すと『血液の癌といわれ、一般的に予後は不良』とあった。
たんの顔を仰ぎ見ると、難しい顔をしていた。
「…あんまり芳しい状態ではないってさ」
「……そうなんだ…」
ゆっくりとした動作で、たんの腰に抱きついた。
「亜弥ちゃん?」
不思議そうな声色。それでも、引き剥がすこともせずに、頭を撫でてくれるたん。
「たん」
「なに?」
「シゲちゃんのお友達、早く治るといいね」
「…そだね」
――そして、できれば、これ以上たんの心をわたし以外の人が、占めないでほしいとも思った。
そんなこと、言えるわけないから、腰に回した腕の力をただ強くした。
- 519 名前:キミの瞳に恋してる。 投稿日:2005/06/25(土) 23:49
-
***** *****
- 520 名前:キミの瞳に恋してる。 投稿日:2005/06/25(土) 23:49
-
ぴゅう、一陣の冷たい風に首を撫ぜられて、無意識に首を竦めた。
秋と冬の間のこの季節、制服にコートだけで たんのアパートへと急ぐ。…マフラーと手袋、そろそろ収納ケースから出しておこうかな、そう思いながら歩いていた。
放課後、強制参加で行われた漢字テストのせいでいつもより遅くなった帰宅時間。服を着替えることもしないでそのまま電車に乗った。
一日中太陽が出ずに曇天だった天気は、すでに夕闇が雲に代わって世界を支配していて、ぽつぽつと街灯が点き始めていた。
たん、待ってるかな…。
自然、寒さのせいだけじゃなくても足が速くなる。前から吹く、鬢を揺らす風。右手で側頭部を抑えた。
――その風に乗って聞こえてくるものがあった。
……泣き声?
おもいっきり泣いているような声が微かに聞こえる。足を止めて、周囲の住宅を見回しても、それらしき家はないから…この道の先の公園からなのかな。
公園をつきあたってT字路を右に曲がればアパートに着くけれど……う〜ん…でもなんか気まずいなぁ……けれど、他の道は無いし……。
……仕方ないっか。
自分を納得させて歩みを再開させる。なるべく足早に通り過ぎようっと。
- 521 名前:キミの瞳に恋してる。 投稿日:2005/06/25(土) 23:50
-
予想通り道を進むにつれ、大きくなる泣き声。…泣きじゃくる、のほうが正しいかも。それは女の子が一人で泣いているものだと分かった。
公園の前まで来ると、ベンチで泣く子と、その子を抱き締めている人がはっきり見えた。
足が止まる。
だって、そこにいたのは知ってる子だったから。そこで泣いていたのはシゲちゃんだったから。そして――泣きじゃくるシゲちゃんを抱き締めていたのは たんだったから。
- 522 名前:キミの瞳に恋してる。 投稿日:2005/06/25(土) 23:50
-
肩に回される腕、ゆっくり背中をさする手の平。シゲちゃんの耳元でなにか囁くように動く唇。ぴくん、シゲちゃんの肩が揺れて泣き声が更に大きくなった。たんはそのままゆっくり目を閉じた。
ねえ、なんで――――?
なんで、公園で――?
なんで、そんな苦しそうな顔をしてるの――?
なんで、そんな優しく背中をさすってるの――?
なんで、そんな強く肩を抱いてるの――?
どうして――わたしにするように抱き締めてるの……?
ねえ。そこはわたしのテリトリーなんだよ……?
静かに……二人に気付かれないようにT字路になった道を右に曲がった………。
- 523 名前:キミの瞳に恋してる。 投稿日:2005/06/25(土) 23:50
-
***** *****
- 524 名前:キミの瞳に恋してる。 投稿日:2005/06/25(土) 23:50
-
「ただいまー」
いつもと変わらない声が六畳一間に響く。
「…亜弥ちゃん?」
白熱灯だけ点けて座っているわたしを、たんは玄関で靴を脱がずの訝しげに見た。
「どうしたのさ、テレビも暖房も付けないで。寒くないの?あと『おかえり』も言ってくんないね」
「……………」
「…亜弥ちゃん?」
たんは何も言わないわたしに不安を感じたのか、靴を脱いでゆっくり近づいてきた。
「……来る途中でたんを見かけたの…」
「そうなんだ?声かけてくれればよかっ――」
「たん、公園に居たよね」たんの言葉を途中で遮る。
たんは無言で、ただ目を大きく開いた。
「シゲちゃんのこと、抱き締めてたよね」
「…………深い意味は、無いからね。ただ慰めて―――」
「聞きたくないよ」
――なにも、聞きたくないよ。
弁解も『ごめんね』の言葉もいらない。
ただ事実だけがいらないの。
一度俯いて、改めてたんを見つめる。――鼻の奥がツンとしたけど、奥歯を噛み締めて堪えた。
「亜弥ちゃ…」
頬に触れようと、差し出された右手を。
――パシン。
「触らないで」片手で、払いのけた。
――触らないで。
――シゲちゃんと同じように触れないで。
- 525 名前:キミの瞳に恋してる。 投稿日:2005/06/25(土) 23:51
-
立ち上がって、スカートの乱れを軽く直す。
「じゃあね」
突っ立ったままわたしを見ていた たんの横をぬけて、そのまま振り返ることもしないで部屋を出た。
- 526 名前:キミの瞳に恋してる。 投稿日:2005/06/25(土) 23:51
-
***** *****
- 527 名前:キミの瞳に恋してる。 投稿日:2005/06/25(土) 23:51
-
「…ただいま……」
帰ってきたわたしを見て、ママは驚いた表情を見せた。
「美貴ちゃんちに泊まらなかったの?」
「……ぅん。ねえ、お風呂入ってもいい?」
「もう沸いてるからいいけど…」
戸惑い気味のママの顔を見ずに、足早に脱衣所に入った。
- 528 名前:キミの瞳に恋してる。 投稿日:2005/06/25(土) 23:51
-
湯船に浸かって、バスタブのに背を預けて。
「……っ、」蒸気の満ちた空間が揺らぐ。
やっと、堪えていたものを流すことができた…。
ぽた・ぽた、人前では――たんの前でも流せなくなった涙が、お湯の量を増やしていく。
「…っ、…ッ」
泣いてるうちに横隔膜が痙攣し出して、しゃっくりが小さく口から飛び出してきた。
- 529 名前:キミの瞳に恋してる。 投稿日:2005/06/25(土) 23:52
-
“触らないで”
初めて拒んだ たんの腕。たんの、驚いて…そして傷ついた表情は今も鮮明に頭に浮かぶ。
わたしが、拒んだ。
わたしが、傷つけた。
もう、行けない。
もう、会いに行けない。
もう、あのアパートに行けない。
もう、無理。
「もう、信じれないよぉ…っ」
嗚咽は小さく、タイルに反響した。
- 530 名前:石川県民 投稿日:2005/06/25(土) 23:53
- 次回で最終話です。
それで、このスレッドもオサラバです。
それでは。(30日までに書きあがるか…?) 拝。
- 531 名前:駆け出し作者 投稿日:2005/06/26(日) 12:22
- 更新お疲れ様です。うまい言葉が見つかりませんが…切ないですね。
毎回思うことですが、石川県民様の文章力には脱帽です。
石川県民様には遠く及びませんが、私も必死になって良いものを書こうと奮闘しております。
7月の初め頃にはスレを立てる予定でいますので、もし見つけたらどんどんダメ出ししてやってください。
- 532 名前:7419-名無飼育- 投稿日:2005/06/27(月) 21:34
- 更新お疲れ様です。
松浦さん悲しいなぁ…。読んでいてとても切なくなりました。
でも素直に応援できないこの感じは何なんでしょう…(笑)相当自分の中でみきさゆキテます(w
それにしても毎回石川県民さんの表現の巧さには驚かされます。
僕なんか昔っから文章書くのが苦手で…。
ゴロうまかったですか?ありがとうございます(w
そんなものなんですかねぇ、女の子は難しいです…。
- 533 名前:511 投稿日:2005/07/02(土) 00:51
- 亜弥ちゃんせつない・・・というかみんなせつない・・・
>この長さの田亀小説は…
あ、いえ、別にこれ程まで長い作品を書いて欲しいと催促してる訳では無く・・・
いや、それはウソだな・・・でも、短いのでも小躍りしながら読ませて頂きます(読みにくいって)
短くても中くらいでも、書いて頂けるだけで喜んじゃいますので^^余り気にしないで下さい。
でも
>年単位でお待ちしていただけたら、またご覧に入れれるかと思われます
ちょっと期待してしまったり・・・気長に待っております^^
最近は、リアルでも田亀がポツポツとあって、その度に小躍りしておりますw
ラジオでの「今の絵里が好き」発言には悶絶いたしました(爆)
お、おおおお勧めですか??
田亀と言うだけでも馬鹿みたいに喜んでるような自分なので下手したら全部!と言いかねないのですが・・・
でも、それじゃお勧めになりませんね(汗
あ、因みに石川県民様の作品は短編、中篇、そしてこの作品どれも雰囲気が素敵で凄く好きです^^
「鈍いあの子と・・・」は、設定と二人の関係、雰囲気に悶えました(爆)
他の方のですと、有名どころばかりになってしまうので知ってるものばかりだと思いますが
円様の「君は僕の宝物」シリーズ。サチ様の「かけがえのないもの」や「純愛ラプソディ」。名無しのЛ様の「チーズ・ロワイアル」シリーズなどなど・・・。
他には、ナンパ師様の「田中 a way」の様な、切ない立場の亀井さんと言うのも好きです(胃が痛くなりますが・・・)
短編の方は、挙げてたらきりが無いので控えさせて頂きます・・・(苦笑)
自分も田亀普及に貢献したいのですが・・・文才が・・・(泣)
では、長々と失礼しましたm(__)m
- 534 名前:石川県民 投稿日:2005/07/04(月) 03:23
- 7月7日には織姫と彦星に文才を願うか速筆を願うか迷う石川県民です。こんばんは。いい加減この不要な前フリのネタが無くなってきました。
531>駆け出し作者サマ。
ありがとうございます。
>石川県民様の文章力には脱帽です。
めっ滅相もないです!(ガクブル) 小説自体は中学生のころから書いてたので…下手なりに書くときのコツをちょーっと掴んでるだけなのです。。。
スレ立てられましたならば、是非ご報告お願いいたします☆
532>7419-名無飼育-サマ。
ありがとうございます。
>毎回石川県民さんの表現の巧さには驚かされます。
アワワワワー。いえ…あの……下手なりにコツを掴んでいることと、ハウツー本を読んでるからだと思われるのですはい。。。
女の子は・・・難しいですよー。ヤキモチで済めば可愛いものなんですけど、大抵嫉妬に近いものになっちゃうから嫌なんですよねー…(遠い目)。
533>511サマ。
ありがとうございます。まだ書いてない短編・中篇・長編が、そこそこありますので機会がありましたら、お目にかかれたらと思っております。
石川県民は先々週のモーチャンで亀井さんがひたすら田中さんを撮ってたことに悶え、ついつい買ってしまいました。(笑)
「鈍いあの子と・・・」好きでいてくれてありがとうございます。ちなみにあれ、続編があったのですが、>>465で書いてたパソコンの反抗期のときに、全部キレイに吹っ飛びました★
サチ様の「かけがえのないもの」「純愛ラプソティ」、教えていただきありがとうございます。早速読んで、鼻血出そうになっております(上を向いて首チョップ中)。
それでは今回の更新で松浦さんの切ない話は最後です。
どぞ。
- 535 名前:キミの瞳に恋してる。 投稿日:2005/07/04(月) 03:23
-
腕を枕に、座りながら机に寝ていた。顔と目線の先は窓の外。けれどわたしの視界にはなにも映っていない。
「ねえ亜弥」
我に返って顔を上げると、クラスメイトが携帯電話片手にニヤけていた。
「さっき、マジで笑える写メ送ったんだけど、見た?」
「…ぇ、あー……ごめん、今日電話持ってくるのを忘れたの」
そう答えると、クラスメイトは目を丸くして口を大きく開けた。
「亜弥が?マジで!?電話持ってきてない!?」
……そこまで驚かなくたっていいじゃない。…確かに、普段から「携帯電話がないと生きていけない」って豪語しちゃってるけどさ。
クラスメイトはひとしきり驚くと、「じゃ、家に帰ってから見て〜」とだけ言って、数人のグループになってる子たちのところに戻っていった。
クラスメイトが他の子と話し出すのを見てから、もう一度机に伏せた。
- 536 名前:キミの瞳に恋してる。 投稿日:2005/07/04(月) 03:24
-
嘘を、ついた。
……携帯電話を持ってきてないのは本当だけれど、忘れたんじゃない。
持ってこれなかった。
今、携帯電話は電源を切った状態で部屋の机に転がしてある。
たんから連絡がきたら、わたし、自分がどうすればいいのか分からないし。
でも、それ以上に。
たんから連絡が…メールも着信もなに一つきていなかったら……?たんにあっさり見切りをつけられていたら……!?
――そんな考えがぐるぐる頭を回って、とてもじゃないけど携帯電話なんか持てなかった。
携帯できない携帯電話。
すごい、無意味。
―――今のわたしみたいに。
コーン……。
無粋で無神経なチャイムが三時間目開始を告げた。
- 537 名前:キミの瞳に恋してる。 投稿日:2005/07/04(月) 03:24
-
「えー、このtoo gooyd to be true は直訳すると『あまりにもできすぎていて真実でありえない』となるが、それだとあまりにも堅苦しくなるので………」
先生が何かを板書している。それをノートに取ることもせずに、ぼんやりと窓の外を見た。
――教科書を使わないこの授業。英語の小説や洋楽を使って、訳したり、リスニングを行なったりするので、面白いから結構好きだけれど、今は関心なんて持てない。
「外国の歌は、ストレートに感情を表現しているものが多かったりする。今日は30日だから…出席番号30番、You’re just〜から I wanna hold you so much まで訳して」
二つ前の席の子が力なく立ち上がる。なんとなく、その子の丸い背中に目線を移動させた。
しぶしぶ、といった感じに訳し出された。
「はい。…アナタみたいな人が存在するなんて信じられないの。えっと…目を離すことなんてできない。アナタに触れるだけで天国にいる気分。んー……アナタをずっと抱き締めていたい…」
――心臓に鋭い痛みが走った。
以前の自分がそこに表現されていたから。
「はい、座って。大体あってるね」
指名された子が座るのと同時に机に突っ伏す。
――本当、嫌な授業。
- 538 名前:キミの瞳に恋してる。 投稿日:2005/07/04(月) 03:24
-
自分の体から、たんの匂いが消えた。
…どれだけ、会ってないんだろう。
…どれだけ、声を聞いてないんだろう。
…どれだけ…触れてもらってないんだろう。
…あれからどけだけ経った?
三日?一週間?十日?一ヶ月?一年……は経ってないか。
時間なんて今のわたしには不要なもの。全ての物事に関心もやる気も出ない。
世界の全てが無意味に思える。
…あーあ。否が応でも思い知る。
自分の世界の全てが たんだったことに。
- 539 名前:キミの瞳に恋してる。 投稿日:2005/07/04(月) 03:24
-
***** *****
- 540 名前:キミの瞳に恋してる。 投稿日:2005/07/04(月) 03:25
-
憂鬱な授業が全て終了して、以前なら逸る気持ちを抑えきれずに教室を飛び出す放課後だったけれど。…あの日以来、退屈で、持て余す時間帯になってしまった。
…どうしよう。
…ずっと教室の机に張りついているわけにもいかないし。
……帰りますか。
よっこらしょ、鈍重な体を起こして教室を出た。
- 541 名前:キミの瞳に恋してる。 投稿日:2005/07/04(月) 03:25
-
肩に掛けた薄っぺらいカバンですらも重く感じて。俯いてのろのろ、校門までの道のりを歩く。
…ん?校門の近くで男子たちが小さく騒いでいる。
「おい、あの子良くねぇ?」
「彼氏待ちじゃねえの」
「チッ」
――そんなことを言いながら未練がましく見ながら帰っていく学ランたち。
騒がれている当の本人は、涼しい顔で門に寄りかかっていた。
違う学校の制服を着て、その子は佇んでいた。――細い紐リボンもチェックスカートも、確かに似合ってるね。
「あ・松浦さん」
わたしを見つけ、ぺこっと頭を下げてくれた。
…あのさ、でもね、セーラー服と学ラン姿がひしめく学校の校門にブレザー姿で立っていると、
「目立ってるよ」
「わたしが可愛いからですね♪」
シゲちゃんはごく当たり前のように笑顔で言いのけた。
- 542 名前:キミの瞳に恋してる。 投稿日:2005/07/04(月) 03:25
-
こうやってシゲちゃんと二人で会うことなんて初めてかも。今まで数回、シゲちゃんに会ったことあるけれど、必ずわたしたちの間には たんがいたから。
「…なにか用?」
まさか、ここで違う人に用があるんだ、なんてことはないだろうし。だから、尋ねた。
「わたしって可愛いと思いません?」
ずるっ。本当にヒザがかくんとなった。……まさかそんなこと聞きにくるために待ってた…とか?――まさかぁ。
「うぅん、わたしのほうが可愛いから」とりあえずこう返しておこうっと。
「松浦さんも可愛いですけど、一番はわたしですから♪」
「違うよ、一番可愛いのはわたしだって」
「いえいえ、わたしのほうが可愛いですよ」
…たんから聞いていたけれど、シゲちゃんてナルシストだ。――あ・わたしもか。ナルとナルの戦い。これって一体どうナルの。
「―――でもわたしがどんなに可愛くても、藤本先生の『一番』は松浦さんなんですよね」
聞き落としそうになった呟かれた声。
「ぇ―――」驚いて、シゲちゃんを見る。
たった今まで繰り広げていた可愛い対決をしていた人とは思えないくらい、シゲちゃんは真面目な顔をしていた。
「お願いです。藤本先生に会いに行ってください」
- 543 名前:キミの瞳に恋してる。 投稿日:2005/07/04(月) 03:25
-
何も言えないでいると、シゲちゃんはまだ喋る。
「藤本先生、今風邪を引いてるらしくて、今週の家庭教師はお休み中なんです。………わたしのせいでケンカしちゃったことも…連絡を取り合ってないことも聞いてますけど、だからこそ松浦さん…貴女が会いに行ってください」
何も言わないでいると、シゲちゃんはまだまだ喋り出す。
「ていうかあの時、松浦さんが激しい誤解を受けるほどロマンティックな状況じゃなかったんですよ。牛丼屋に入った直後だったから髪とかに匂いついてたと思うんですよね。あ〜っ、あの日藤本先生に会えるって分かってたら、れいなに特盛奢らなかったのにぃ…」
喋り続け、しょんぼりし出し、俯いた。
「…無理だよ」
力無く言葉を発し、わたしも俯く。
だって、わたしは手放してしまったもの。
いつも、わたしが追いかけてた。彼女から追いかけてきたことなんて、なかった。
だから、無理なの。
些細なプライドと多大な疲労が たんの元へと行けなくさせていた。
- 544 名前:キミの瞳に恋してる。 投稿日:2005/07/04(月) 03:26
-
「無理じゃなーい!」
突然シゲちゃんが叫んだ。わたしと、数人のセーラー服と学ランが驚いてシゲちゃんを見た。
シゲちゃんはほっぺを膨らませていた。
「松浦さん、藤本先生のことわかってません!」
「なっ…」あまりの科白に体が熱くなる。
ちょっと、ちょっと待って。わたし……一番たんと同じ時辰を歩んだ自信はあるし、一番たんのこと理解してる自負もあるんだけど。――それでも『わかってない』なんて言いますか。
「あのさぁシゲちゃん――」
「誰でもいいって訳じゃないんですよ。藤本先生にはわたしじゃダメなんです…」
人の言葉を聞かず、勝手に話すシゲちゃん。あ・人の話を聞かないところ、わたしに似てるかも。――――鏡を見てる気分。
つーっと、シゲちゃんの頬に涙が流れ落ちた。そして、シゲちゃんの口から言葉が流れ落ちた。
「藤本先生の世界の中心は、いつだって松浦さんなんです」
- 545 名前:キミの瞳に恋してる。 投稿日:2005/07/04(月) 03:26
-
シゲちゃんは再び力無く首を垂れて、弱々しくわたしの制服の袖口を掴んだ。その手は微かに震えていた。
「お願いします…藤本先生、はっきりと松浦さんに別れを言われるのが怖くて電話の電源も入れられないんです。そんな今の藤本先生、見てて辛いんです。
わたし……『松浦さんが隣に居る藤本先生』が好きなんです」
お願いします…、もう一度小さく言われた―――。
- 546 名前:キミの瞳に恋してる。 投稿日:2005/07/04(月) 03:27
-
「………頼まれちゃ、仕方ないか」
呟いた言葉に、シゲちゃんは頭を撥ね上げさせた。唇を尖らせてみる。
「――今からアパートに行ってみる…。あ・勘違いしないでよ!?わたしが会いたいから行くんじゃないからね?……シゲちゃんが頼むからだよ?」
――シゲちゃんがせっかくのチャンスを棒に振るからだよ?
シゲちゃんは目尻の涙を拭って、はにかんでくれた。
「はい、可愛いわたしのためにお願いします」
「だからわたしのほうが可愛いってば」
- 547 名前:キミの瞳に恋してる。 投稿日:2005/07/04(月) 03:27
-
***** *****
- 548 名前:キミの瞳に恋してる。 投稿日:2005/07/04(月) 03:28
-
あの日あの時この中で、つき返そうと思って忘れてた合い鍵。…もう一度使うなんて思わなかった。
そろり、鍵穴に差し込んで捻る。当たり前だけど、ドアは簡単に開いた。
「たん…?」
玄関で呟いてみる。返事は無かった。
ゆっくり室内に入る。電気は点いていなくて、カーテンは閉め切られている。空気が淀んでいる気がした。
ベッドには丸くなった布団と、縁からはみ出した髪の毛が見えた。屈んで、髪の毛に触れてみる。
「たん…?」
もう一度呟いてみると、布団がもぞもぞ蠢いた。
髪に触れていた手を掴まれる。わたしを掴んだ手は――ひどく熱かった。
熱さに驚き戸惑っている間に布団から頭がでてくる。かさついた肌に、うっすら開いた瞼からの焦点の定まらない視線。額に触れると、手と同様に熱かった。暗くてよく見えないけれど、顔も赤いみたい。
「あ…」掠れた声。こほ、乾いた咳。
「大丈夫…?」――な訳ないよね。
「…ぁやちゃん、」
掠れた声で何か言おうとしてたから、顔を近づけて耳をそばだてた。
「だいすき」それだけ言って、たんは再び意識を手放した。
- 549 名前:キミの瞳に恋してる。 投稿日:2005/07/04(月) 03:28
-
たんの乾いた声は、わたしの乾いた心に染み込んで――刹那に潤わせた。心に潤んだそれは―――ぽたり・ぽたり、涙となって?の外に出た。
それは、今までで一番優しい声だと感じたから。
それは、今までで一番切実な声だと思ったから。
それは、今までで一番内面の声だと判ったから。
止めど無く溢れる涙。
止めど無く溢れる想い。
止めど無く溢れる愛しさ。
「―――たん…」
耳元で囁いても、返ってくるのはすぴ・すぴというやや鼻がつまり気味の寝息だけだった。
- 550 名前:キミの瞳に恋してる。 投稿日:2005/07/04(月) 03:28
-
…ぐう。
狭い台所で蒸らし中のお鍋を見ていると、そんな音がベッドから聞こえた。振り返るとたんが目を覚ましていた。
億劫そうにこっちを見てる。額に貼った冷却シートのお陰か、その顔色はもう赤くなかった。
「なんで、亜弥ちゃんがいるのさ?」まだ掠れ気味の声。
――なんでってアナタ。
「シゲちゃんに言われたの。たんが風邪引いてるから看病に行けって」
もう少しでお粥も出来るよ、そう付け加えると、きゅるる…と たんのお腹が返事した。
出来あがったお粥を、お椀によそって炒り煮した鮭フレークをのせる。
「冷蔵庫の鮭フレーク、全部使ったけれどよかった?」
「亜弥ちゃんが持ってきてくれたやつでしょ。好きに使っていいよ」
額の冷却シートを剥がして、ゆっくり体を起こす たん。
「はい」
「ん」
受け取って、ヒザにお盆をのせて たんはかき混ぜはじめた。
「熱いから気をつけ―――」
「あぢっ」
「……てね、次からは」
ケンカしていたことが嘘みたいに、穏やかな時が流れる―――。
- 551 名前:キミの瞳に恋してる。 投稿日:2005/07/04(月) 03:29
-
「夢かと、思った」
まくまく、たんがお粥を口にしながら呟いた。
「なにが?」
「亜弥ちゃんがいることが」
「亜弥ちゃんが夢に出てくるの、あんまりありそうで無かったから」
その言葉に、唇を尖らせて不満顔を見せると、
「だって、」
「夢で会いにくる前に、現実の世界に本当の亜弥ちゃんがいたから」
…言われた科白に顔が熱くなる。……なんか、それって、……すっごい恥ずかしい。
だから・さ、言いながら たんはお粥の最後の一口を、口に入れた。
「夢で見るくらい、美貴は亜弥ちゃんに飢えてるんだと考えちゃって」
「せめて――夢の中だけでも、亜弥ちゃんを離すものかって思った。ちゃんと、自分の気持ちを伝えようと思ったの」
けど、そう言いながらこっちを見た。
「夢じゃなかったんだよね?」
一つ、頷く。
「ってことは、美貴の想いは現実の亜弥ちゃんに伝わったって考えていいの?」
…さっきより。遅く・ゆっくり、一つだけ頷いた。
- 552 名前:キミの瞳に恋してる。 投稿日:2005/07/04(月) 03:29
-
ことん、空のお椀をテーブルに置く。
「ね、亜弥ちゃん」
「触れていい?」
「―――うん」頷きながら、返事した。
繊細なガラス細工に触れるかのように、ゆっくり慎重に手を差し出した。――頬に感じる、普段より熱い たんの手の平。
「―――…それから、抱き締めてキスしていい?」
これにも一つ、頷いた。
わたしの、領域。わたしだけの、聖域。
そんな腕の中、瞳を見つめてから、目を閉じた……。
ほんのり鮭がゆの味がするキスは、どこか―――静謐で、神聖めいていた。
- 553 名前:キミの瞳に恋してる。 投稿日:2005/07/04(月) 03:29
-
――――。
「っぷぱ」テリトリーの中、声を出して息をすると。
間近にあるたんの顔は、眉根が顰められていた。
「だからぁ、息をするのはちゃんと唇離してからにして、って前にも言ったじゃん」
- 554 名前:キミの瞳に恋してる。 投稿日:2005/07/04(月) 03:30
-
***** *****
- 555 名前:キミの瞳に恋してる。 投稿日:2005/07/04(月) 03:30
-
♪ I love you,baby and if it’s quite all right ♪
マフラーに顎まで埋めて。小さく、自分以外には聞こえない声で唄う。周りに人はいないから、誰かの迷惑になるってことはないけれど、大声で歌うのはやっぱり憚られるから。
だってここは住宅街に囲まれた公園だから。リズムに合わせて、小さく乗っているブランコを揺らす。
♪ I need baby ……♪
「あ」
待っていた人が道を歩いてきた。彼女はわたしを見て、少しだけ目を見開いた。
「やほ〜」大きく手を振ると、公園の敷地内に入ってきた。
「松浦さん、お久しぶりです」
「お久しぶり。そういえば今年初めて会うよね、シゲちゃん・あけましておめでとう」
「おめでとうございます」
二人、深々と頭を下げ合った。
「冬休みも終わったのに、お正月の挨拶するなんてちょっと変な気持ち」
「ですね」
- 556 名前:キミの瞳に恋してる。 投稿日:2005/07/04(月) 03:31
-
ぴゅるり、冷たい風がわたしたちの頬を、髪を撫でた。二人して身をすくませる。
「松浦さん、こんなところでなにしてるんですか?」
寒くないんですか?と聞かれたので寒いよ、と答えた。
「シゲちゃんに、用があったの」
不思議そうな顔で自分を指差したから、首肯する。
シゲちゃんは、隣のブランコに腰を下ろした。
「ありがとう、と。ごめんね、を伝えたくて」
ありがとう、あの日わざわざ伝えにきてくれて。そしてごめんね、たんを譲れなくって。
そういうニュアンスのことを話すと、ぷるぷる首を振られた。
「謝られる筋合いなんて無いですよ。――だって…好きな人には笑顔でいてほしいものじゃないですか。だから…自己満足のためなんですから――」
そこまで言って、遠くを見た。
「わたしじゃあ“藤本先生を好きな子”になれても“藤本先生の好きな子”にはなれないから……」
目を細めて眉間に皺を寄せた苦しそうな顔。――シゲちゃん、たんのこと本気で好きだったんだね。
くるっとこっちを見たとき、もう苦しそうな顔はしていなかった。
「なので、ありがとう、の言葉だけ受け取っておきます」
「そっか…」
「そうです」
- 557 名前:キミの瞳に恋してる。 投稿日:2005/07/04(月) 03:31
-
「……あのさ、」
はい、と相槌を打ってくれても。え………っと………、まごついていると、シゲちゃんは察してくれた。
「……………絵里のことですか?」
「あ………うん…。――――――たんに、全部聞いたよ」
「それは構いませんよ」
ぴらぴら、手を振りながら言ってくれた。……その表情は、表面的には微笑していた。
「松浦さんにも聞いてほしくて、藤本先生に話しましたから」
「そっか…」
「そうです」
「それで…田中ちゃんは?」
「れいなは今日部活です。“やっぱりあたしは竹刀振り回しちょーほうが性に合うけん”て。三学期が始まってから剣道部に再入部しました」
「そっか…」
- 558 名前:キミの瞳に恋してる。 投稿日:2005/07/04(月) 03:32
-
――それから二人、無意味に少しだけ…ブランコを漕いだ。
きい…きい…、軋んだ音が微かに鳴り合う。寒風が、耳を撫ぜた。
「しばらく……」
「――えっ?」
シゲちゃんのほうを振り向くと、正面を見ながら、わたしが聞いていてもいなくても勝手に話す、といった感じに小さく話し出した。
「しばらくしてからでしょうか。れいなの家に行くと、あの子、泣いてたんです。――お葬式のとき、涙一粒見せなかったのに…すごい泣きじゃくってました」
…合いの手を入れるのもどうかと思ったので、頷くこともしないでただシゲちゃんの紡ぐ言葉に耳を傾ける。自然、ブランコを漕ぐ手も足も止まる。
「大切な人が死んでも、地球は回りますし世界は動きます。お腹も空くし眠くもなるんですよね。…残酷なくらいに何一つ、変わらないんですよね……その人がいないこと以外」
「だから――れいなはあの日、やっと…絵里がいなくなったことを受け入れたんだと思います」
シゲちゃんは、俯き、下唇を噛んで…それからもう一度正面を向いた。
「そのとき、お互いに誓い合ったんです。――これからどんなことがあっても、絶対に絵里のことを忘れずに生きていこうって。そしてなるべく長生きして、楽しい思い出をいっぱい…いっぱい作って、おばぁちゃんになってから絵里に会いに行こう、って…。
そして…いっぱい、思い出を絵里に話して聞かせてあげよう、って…」
「そのときに、」
一度言葉を切って、わたしを見るシゲちゃん。――ひどく穏やかな笑みを浮かべて。
「松浦さんのこと、絵里に話そうかと思います」
- 559 名前:キミの瞳に恋してる。 投稿日:2005/07/04(月) 03:32
-
「そっか…」
「はい」
「ね、」
シゲちゃんは小さく首を傾げて、わたしの次の言葉を待つ。その瞳を見ながら、想いを言葉にした。
「そのときは、わたしもまぜてよ」きっとその頃には、わたしだってそっちに行ってるだろうし。
シゲちゃんは――今日一番の笑顔を見せた。
「そうですね、はい」
「亀井ちゃんに話す楽しい思い出、一緒に作ってあげる」
「じゃあ――」
勢いよくブランコから下りて、目の前に立つ。
「これから一緒にプリクラ撮りに行きませんか♪」
笑って頷いて、わたしもブランコから下りた。
End.
- 560 名前:石川県民 投稿日:2005/07/04(月) 03:33
- 以上を持ちまして、“舞い落ちる刹那の中で”を終了させていただきます。
田中さんと松浦さんの視点でしか語られなかったため、色々な部分が不明瞭なまま(例えば本編で亀井さんが田中さんに惚れた部分だとか、番外編で藤本さんは道重さんになにを囁いたのか、だとか)ですが、そういったことを全部書くと、それは『小説』じゃなくて『説明文』になるので、そういった部分は読んでくださった皆様方のご想像にお任せいたします。石川県民の考えた話より、もっと面白いものを創造してください。
…思えばプロットを考え始めたころから、こうやって書き上げるまで、一年近く経過しちゃっております(遅ッ)
書いてる途中、何回もマイナス思考の渦に陥り、中断しようかと思いましたが、待っていてくださった方々、読んでくださった皆様のお陰でなんとか書き上げることができました。そのことに関しては、感謝の念が絶えることはありませぬ。
そしてまぁ…自分の中で恒例になりつつある予告というか予定というか。多分今年中は無理だと思いますが(ていうか絶対無理)、現在石川県民は、本スレと同じくらいの長さの話を2本、考えております。プロット建ててる真っ最中です。そしてこの2本とも、一度でうpしようと企んでおります。
次回は、アホの子小川さんメインの色気の無いベッドシーンがある小高です。
その次は、歪んだ思考を持った後藤さん視点で繰り広げられる後紺です。
どっちもやっぱりヘビーな話ですw
…こうやって宣言してしまうと、書かざるえないので、頑張って書こうと思います。
青板のほうでまだ未完成の話があるので、完全に土に潜るわけではありませんが、腰半分くらい土に潜らせていただきます。
いつかまた、見かけたときには読んでやってくださいませ。ませ。
それでは。 拝。
- 561 名前:石川県民 投稿日:2005/07/04(月) 04:33
- またやってしまいました・・・
>>549内にて
>涙となって?の外に出た。
は、
>涙となって体の外に出た。
です。
…再び常用外漢字を使ってしまって表示されませんでした(切腹)
- 562 名前:511 投稿日:2005/07/04(月) 21:31
- 更新、そして完結、お疲れ様でした。
この番外編で本編では裏の部分になっていた彼女達の物語を見ることができ
そして”彼女”の様子もわずかながら見れたこともなんだか嬉しかったです。
是非とも彼女、彼女達には、この先幸せになってもらいたいですね
なんと、あの作品の続編が・・・それは残念。某CMの教授じゃないですが、PCは便利ですが危うさもあるんですよね。
先々週のモーチャン・・・同じく(笑)あのコーナーは毎週楽しみにしております。田亀は無いか田亀は無いかと。
読んでない作品があったようで、私としても紹介できて嬉しいです^^あの作品は鼻血ブーですよね(古っ!
最後に
この作品は、自分にとってとても大きくかけがえのないモノを与えてくれました。
そんな作品に出会わせていただいたこと、この作品を生み出していただいたこと
石川県民様には感謝の念がたえません。ありがとうございました。
次回作も楽しみにしております。
- 563 名前:駆け出し作者 投稿日:2005/07/05(火) 14:38
- 完結おめでとうございます。
ダジャレで笑った後、一気に感動しました。「最高」という言葉しか浮かびません。そして、読んで何かを教えられたような気がします。
つい先ほど、「好きな色だから」という理由で(w、石川県民様の「未完成の話」と同じ板にスレを立てました。
全ての始まりは、CP分類板で偶然このスレを見つけたことです。
泣いて泣いて泣いた後に、「自分もこんなすごい文章を書けるようになりたい」という思いで書き始めました。
そんなきっかけを与えてくれた、そして何よりも感動を与えてくれたこのスレや石川県民様には、本当に感謝しております。
もう一つのスレのほうも楽しみにしていますね。
- 564 名前:名無し飼育さん 投稿日:2005/07/05(火) 17:17
- 完結おめでとうございます。そしてお疲れ様でした。
本編の切なさの裏にも切なさがあって、とても深い作品だなと思いました。
番外編なのに、本編の切なさや悲しみがはっきりと読み取れたせいか、
最後には涙が出てきました。
素敵な作品をありがとうございました。
この作品はずっと私の心に残るでしょう。
では、連載中の作品、次回作共に頑張ってください。
- 565 名前:闇への光 投稿日:2005/07/06(水) 22:05
- 初めまして、闇への光 といいます。
「舞い落ちる刹那の中で」から一気に読ませてもらいました。
悲劇の中に感動はある。「死」もまた然り。
なんだか上手く感想が出ません。
次回作も楽しみに待たせていただきます。
- 566 名前:7419-名無飼育- 投稿日:2005/07/07(木) 22:21
- 完結お疲れ様でした。
「感動しました」
もう、この一言に尽きます。
番外編の感動と本編と共通した感動で、もう涙、涙です。
それでも涙しつつもやっぱり微笑ましくて・・・。
道重さんが良い子過ぎます・・・(笑)
あと、ダジャレには笑わされました(w
次回作も期待しています。
- 567 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/07/12(火) 22:36
- 愛の偉大さをしりました
- 568 名前:通りすがりの者 投稿日:2005/07/16(土) 23:57
- 更新お疲れさまでした。 ありがとうございました(泣 泣きました、凄く胃が痛くなって、瞼が熱くなって、涙が溢れました(泣 さゆの気持ちは痛い程伝わりました。 もうぶっ倒れる程に自分と思考が似てて、また胃が痛くなって、泣きました。 自分は弱いです、弱弱すぎて笑ってやってください。でも、作者様のおかげで、この先をどうするか決意しました。 ありがとうございます。 実は自分も、作者になることにしました。 名前は“通りすがり”から変えるつもりです。 空の様に、色んな風を吹かせ、変える為に。 でも内容はかなりグロイですが(ェェ 今度は作品の中かスレで会えると嬉しいですね。 本当にお疲れさまでした、他の板の作品頑張って下さい。
- 569 名前:石川県民 投稿日:2005/07/20(水) 23:04
- 返レスをば。
562>511サマ。
ありがとうございます。彼女も彼女達も、決して平坦ではないけれど、時には後ろを振り返り、立ち止まって泣くこともあったけれど。それでも自分の道をしっかりと歩んでいったと思います。
モーチャンで田中さんの回のとき「実は絵里とはすっごくラブラブなんですよ」(注:うろ覚え)と書かれたフォトの号を買い逃したことを今でも悔やんでおりますw
こんな不健全な石川県民は、タナ仮面と亀仮面にやられたほうが世界は平和なのかもしれません(爆)
こちらこそ、本当にありがとうございました。
563>駆け出し作者サマ。
ダジャレで笑っていただき、してやったり♪な石川県民です、ありがとうございます。
ふ・とダジャレを思いつき、どうしても使いたくなったのでついつい校門前で可愛い対決をさせてしまいました。
まだまだ未熟な私の文章をある種の指針にしてくださり恐縮です。書いてる本人としては、未だに手探り感があることも否めないんですがね(ニガワラ)
もう一つのスレ…ごめーんなさーい。
564>名無し飼育さんサマ。
ありがとうございます。この番外編も合わせて一つの話なんです、というかこの番外編を書くために本編で藤本さんを出さなかったのです。
この話は田亀の態をしていますが、『六期四人がメイン』の話を書きたくて書いたというのもまた事実なのです。
- 570 名前:石川県民 投稿日:2005/07/20(水) 23:04
- 続き。
565>闇への光サマ。
初めまして、石川県民という田舎者でございます。
次回では「死」を出さずに、読んでくれている方を感動させようと奮闘中です。
楽しみに待ってて良かった、と思える話にしてみたいです!
566>7419-名無飼育-サマ。
ありがとうございます。
道重さんが良い子過ぎなのは石川県民も自覚しちゃっております(爆)これが贔屓目というやつなのですねw
ダジャレで笑っていただけたのなら石川県民ガッツポーズをしちゃいます♪よっしゃ!
次回も期待を裏切らないようにがんばりますです。
567>名無飼育さんサマ。
ありがとうございます。石川県民は「それ」を探しております・・・。
568>通りすがりの者サマ。
ありがとうございます。・・・さゆの気持ちが伝わったのならば、できれば泣かないでくださいマセ。
もし石川県民が「遺した側」の者の立場ならば「泣くんやねー!」と逆切れしかねないので。泣いた以上に笑ってください。
それではドロンします。 拝。
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