桜さくら

1 名前:  投稿日:2005/03/15(火) 22:56


2 名前:  投稿日:2005/03/15(火) 23:00

目覚ましが鳴りあたしは目を覚ます。
頭がすっきりしているのが分かって、そりゃ好きなだけとは言えないけれど、
必要な分は眠れているのだろう、それも深く。

えいやと起き上がると肌の上を柔らかなパジャマが滑り心地よく、
すたすた歩いて窓のカーテンを開けると太陽はまだ昇り始めたばかりで、
でも温かい光をあたしに射しかけて体をじんわりと温めてくれ、
そのせいでもう少しだけ寝ようかなんて思いもするけど、
ほうもいかんでと軽く頭を振ったら、
思ったよりあっさりと最後の眠気も消えてしまった。
3 名前:  投稿日:2005/03/15(火) 23:05

いよいよパッチリした目で窓の外を眺めれば視界はどこまでもクリアーで、
遠く西の地平線、と言うかビルの谷間に消え行こうとしている夜がむしろ鮮やかに輝いている。
と、すぐ間近でちちゅんと鳴くスズメの声が聞こえ、
あの子らもこの晴れた朝を喜んでいるのだろう、さえずり合う二羽が電線の上で跳ね回っている。

体の大きな方が時々少し飛び上がり、するとすぐに小さな可愛らしいのが後に続いて、
大きな方は、そう、多分オスなんやろね、
オスはようやく温かくなり始めた空気が気持ちよくってちょっと飛び上がりたかっただけなのだけど、
でももう一匹の、ほんならこっちはメスやざ、可愛らしいのがちゅんちゅんとくっついて来てしまうので、
どうやら電線に戻りそびれる。

仕方がないのと折角だからで、オススズメはもう少し空を楽しもうと、
もちろんメススズメを連れ寄り添って、ぱたたぱたたと飛び回りだし、
と思うと急に意地悪して一人で高く昇ったり、可愛そうに彼女は一生懸命追いかけていく。

でも彼はそんな動きをちゃんと分かっていて高度をこっそり下げて迎えてあげ、
なのに彼女の方はお構いなしで、全力のまま舞い上がるものだから、
ちっと怒ってたんやろか、まっしぐら勢いよく体ごと相手にぶつかっていき、
そのくせ彼がふらふらとなってしまうと慌ててふためき周りを忙しなく飛び回って、
気遣っているのか謝っているのか、
とにかく甲高く鳴き続けた、ちちきゅうんと。
4 名前:  投稿日:2005/03/15(火) 23:16

一体痛がっているのはどちらなのだろう、
すでに体勢を取り戻した彼はさえずり返し、いつまでもぐるぐる回る彼女に二三度体を当てるのだけど、
不思議とお返ししようという風には思えなくて、
大丈夫だよって、きっと大丈夫だよって、
ああ、多分もう自分でも電線に戻ることなんか忘れてしまっているのだろう、
光の中でのくっついたり離れたりのダンスがとても楽しそうだ。

あたしは目が回るような軽妙なそれを微笑ましく眺めていて、
なんていつまでも眺めていたら二度寝するのと変わらないけど、
透明な壁を休みなく跳ねるビニールボールみたいな飛び方は予測もつかず飽きなくて、
ダンダンいう音のない現実味を失った二個のボール、
先が大きなこげ茶のボールで後から、少し色が薄いだろうか、茶色のが懸命についていく。
5 名前:  投稿日:2005/03/15(火) 23:27

微笑ましいがそれ以上に忙しないこの眺めも、おそらくガラスの向こうだという安心があって、
なので突然あたしの方に向かってきた時には、もちろん二個連続だったのだからなおさら驚いてしまったのだが、
さすがに彼はガラスの寸前で綺麗な弧を描き流れていったので感心させられ、

だけど後のあの子は結局相手のことしか見てないのだろう、危うくガラスに激突しそうになり甲高くまた喚くので、
思わずあたしは首を振り、アカンほんなんやアカンでと嘆くのだが、
あたしこそこんなことしとったらアカンのよ。

すっかり明け切った窓辺から離れ、夜、夜どこ行てもたの?
急いでシャワーを浴びに行ったら、さっきから何度も声をかけているのに何をぐずぐずしているのかと怒られた。
ほんでも起きてたんよお母さん。
6 名前:  投稿日:2005/03/15(火) 23:27

7 名前:名無しさん 投稿日:2005/03/15(火) 23:28

前スレ

緑板・桜
http://mseek.xrea.jp/green/1074500546.html
8 名前:名無しさん 投稿日:2005/03/15(火) 23:29

9 名前:名無しさん 投稿日:2005/03/15(火) 23:34

シャワーの後もまだうるさく言われるので、折角のいい気分が台無しになりかけるが、
テーブルにずらずらっと、変わり映えはしないのだけど、並んだ朝食を見ると、
毎日ご飯を作ってくれ、またあたしが本当に起きない日には起こしてもくれる、
ちゃんと感謝してたまにはありがとうの一言くらい言わなくちゃな、などと思いかけるのだけど、

ぐうぅ、いいタイミングでお腹が鳴ってくれたので、何だか助かったという気がして、
でも一瞬そんなことを考えたためにちょっと気恥ずかしくもあり、
顔を隠しながら小声でいただきますとだけ言ってお味噌汁を飲んだのだけど、
おわ、ひっで美味いやげ。

焼き魚もおしんこも嫌ってほど食べてるはずなのに、袋入りの味海苔まで何食べても美味しくて、
そういう状態にある自分も嬉しくてさらに食欲が沸き、ついご飯のお代わりをしてしまうのだが、
そんないつにない娘の快調ぶりは母にはどこか疑わしく映るようで、

三杯目を頼んだらいくらなんでも朝から食べすぎだと注意され、
誰とは名を挙げなかったけど、あの、ホンマ言うてへんから、太ると言われたのでちょっと想像してみたら、
ぶるぶるっといきなり震えが走り、微かに引きつった顔でごちそうさまを言うのだった。
10 名前:名無しさん 投稿日:2005/03/15(火) 23:44

それでも目覚めすっきり食欲も旺盛ということには変わりなく、支度も鼻歌交じりで手際よくて、
迎えの来るまで少し余裕ができたからテレビを見るが、どうも各局ニュースの時間で、
二週間のイギリス滞在中に狂牛病にあたったとか、先日の大雨の日から行方不明だった子が残念な形で発見されたとか、
楽しくないものばかりなので消して家を出ると、

さっき見た青空が、
ううん、もうそこらじゅうぴかぴか光っているから金色の朝が広がっていて、
自然と深呼吸したくなる清清しい気分に戻ったところに、ちょうどよしざーさんからメールが届くのだからまた夢のよう。
ちゅんちゅん、なんてさえずりながら、でもこれ以上ないほどの指さばきで開いてみると、
まあそりゃ、やっぱりそりゃいたく質素なものだった。

でもでも、こうしてあたしへの返信でもなく朝から送ってくれたのだから、
もうあたしの今日は絶対いい日間違いなしで、
実はその時エレベータのボタンをすでに押し、エレベータも上に上がって来始めていたのだけど、
お花畑をスキップするあたしはそ知らぬ顔でその場を離れ、よしざーさんに電話をかけた。
11 名前:名無しさん 投稿日:2005/03/15(火) 23:51

するとすぐさまつながって、かけて来るような気がしたんだよねと言う可笑しげな声が聞こえ、
それに対してあたしも思いましたなんて意味の分からないことを応えたので、よしざーさんはまた笑うのだけど、
あたしにはすごく心地よく、でへへとするばかりで肝心の話を聞いてなかった。

そのためよしざーさんはフリで怒って、でもあたしは分かってるのにどうしてか本気で謝り、
何とかもう一度話してもらおうとするのだけど、
いや別にそんな繰り返して言うほどのない話じゃないからと返事され、
ほうですかとしょげた声を漏らしたら、昨日のオフ弟と釣りに行ったんだけどねとやっぱりまた始めてくれ、
あたしは昨日大阪だった、

で、そろそろ帰ろうかという時に強烈な引きが来たそうで、
よしざーさん曰く、テレビでよくあるけど、まさにその時であるダダンって、もうぜってー魚違うと思ったとのこと。
サメか何か川のヌシって奴に違いないと、それでいったら大亀だってありうる、
まだ水の引ききらない川縁を二人でびしょ濡れになりながら右に左に走り回り、大騒ぎの末たぐり寄せてみたら、
実際は、そう、30‥‥20cmほどだったそうで。
12 名前:名無しさん 投稿日:2005/03/15(火) 23:58

でもあたしにはそれが大きいのか小さいのかよく分からず、
またいつの間にかトーンダウンしてしまっているよしざーさんが可愛らしく胸がきゅっとして、
ほんなことないですよ、ひっで大きいやないですか、うんでっけえと元気付けるのだけど、
今のこの緩んだ顔を見たらよしざーさんは本当に怒り拗ねちゃいそうな気もして、
電話でよかった、

なんて思うことはさらさらなく、逆にどうにもよしざーさんに会いたくて、
からからっと笑ったり子供みたいにいじけたりする人の所へ飛んで行きたくて、
このピカピカの空なら余裕で飛んで行けそうで、
て言うかなんでテレビ電話できる携帯にしてくれないんですか、気付くと会話関係なしに怒っていた。

するとあちらはあっさりと、
形いい感じのないんだよね、テレビ電話がまったくの意識外だったものだから、
あたしはピーと頭を沸騰させ、ほんなん削ればええとか何とかますますズレたことをまくし立て困らせていたら、
どこか違うところからもピーとかブーとか音がしてきて、
ああ、もううっさいっ、振り返ったらエレベータが口を開いていた。
ブー、ブー。
13 名前:名無しさん 投稿日:2005/03/16(水) 00:06

あ、エレベータ来とるわ、思わず呟き、
するとよしざーさんは今まで、この電話は外での立ち話ではなくとっくに乗った車の中からで、
あたしは余裕綽々と集合場所に向かっているものだとばかり思っていたらしく、
それで見当違いな文句にものんびり付き合っていたのだが、

それだとあたしは人様の前で、うっとりしたりニヤけたりまた怒ってたことになるわけで、
マネージャさんどんな電話と思うんやろと面白がったら、
よしざーさんは何やらちょっと考えてからぽつりと、テレビ電話なんてぜってー持たない。
ええーっ。

て言うか今の、ううっての何? 怖って何ですか?
よしざーさんはそれには答えず、さあ急がないと遅刻するよとかわしてしまい、
たしかに時計を見ると‥‥見るとかなりヤバい時間になっていて、
ふとよしざーさんは今どこにいるのかと尋ねたら、すでに着いてるとのこと。

メールも暇だったから送ったそうで、
考えてみればこの人には忙しい時に用もなく送ってあたしを喜ばせるほどの、優しさはともかくマメさはなくて、
よっぽど暇やったんやね、とついしょんぼりしてしまうのだが、

でもそれを補って余りある感の良さですぐさま、あ、でも高橋にメールしたかったんだよマジで、
とご機嫌を取ってくれるからきちんとつながっていることを感じ、
あたしたちにはテレビ電話なんて不埒な文明の機器は必要ないんだと思った、
ウソ、そこまではない。
14 名前:名無しさん 投稿日:2005/03/16(水) 00:10

だけどよしざーさんのくれる嬉しい言葉にすっかり夢見心地で、
それでいてしっかりと本能は、返事を短い拗ねた調子のものにしてこれを長引かせようと工作するのだけど、
あたしの下手なお芝居などまず初めからバレてしまうのであって、
いい加減出ないと遅刻するぞと突然の打ち切り、現在の時刻を時報のように読み上げられた。

うっわ、間に合うやろかとあたしは内心思いながらも、
口ではぶーぶーと不平を言ってもっともっととせがむのだが、自分でも見込みなしだと分かっていて、
実際もうご機嫌を取ってもらえず、ああ、ぶーぶー。
ブーブー、それでも何とか、
ブー‥‥さっきからうるさいエレベータっ。

あれ? エレベータはまだそこにいて、いや誰も呼んでないのならいてもおかしくないのだけど、
ドアが開いたままそれも中途半端に開いたままで、
するとこのブーブーはそのせいなんだろうか。

不意によしざーさんとの夢から覚めてみると本当に遅刻しそうな時間だし、
何よりマンションのエントランスを出てすぐのところ、
あたしを拾うべく来ているはずのマネージャを一体どれ程待たせているのか、考えた途端焦り始め、
そのお陰で名残惜しい電話を切ることが出来たのだが、
待って待ってと延々待っていたし今も閉まる気配のないドアへと走った。
15 名前:名無しさん 投稿日:2005/03/16(水) 00:15

ドアは八割ほど開いているので中に入るのにまったく支障なく、
とは言え入ってみて気付いたが、このぎぃぎぃ鳴っているのはあまり正常な状態とは思えず、
少なくとも昨日の夜はいたってスムーズだったのだから、故障と診て階段を使うべきなのかもしれないけれど、
一度こうして乗り込んでしまうと、いくらよしざーさんのところまで飛んで行けるほどに元気なあたしでも億劫で、
ドキドキしながらボタンを押した、ぽちっとな。

1の枠が赤く灯り下向きの矢印が現れると、今まで揺れていたドアは止まり、
あたしにはそれが壊れたように思えたのでここに閉じ込められることを連想し、
でもそれなら遅刻してもあたしのせいじゃないのだと気楽になって、

それとよしざーさんにもう一度電話で泣きついても、今度は正真正銘現実にアクシデントなのだから、
芝居でも夢でもないのだからあたしはえんえんと泣いて、
するとよしざーさんも必死になって、大丈夫だよ高橋あたしがついてるから電話でだけどちゃんと側にいるからって、
ほやけど電波来とんけ?

はっとして携帯を取り出してみると、見事アンテナは一本きり。
思わず閉まり始めたドアの隙間に差し出してしまうのけど意味ないことで、もう電波の入りも確かめず、
ちぇっと呟いてから仕舞おうとした時不意にドアが止まりかけ、
だが大きく一度揺れてから最後まで閉まった。
16 名前:名無しさん 投稿日:2005/03/16(水) 00:35

まるで無駄にした時間を取り戻すかのようにエレベータはぐんぐんと下降していき、
‥‥7階、6階、5階、4、3、2、あたしは携帯もそのまま宙に捧げ固まっていて、
と言って頭の方で故障した時のことを考えているわけでもなければ、
故障せずに済んでも遅刻しないために相当急がねばならないと心配しているのでも、
マネージャへの言い訳を探しているのでもなく、

さらに加えて、電話でぐずぐず言ってよしざーさんに構ってもらいたいと思っているのでも、
ううん、あたしは飛んで行きたい、
よしざーさんの所へ飛んで行きたいと思っている、こんなエレベータから今すぐ離れてあの人の所へ。

ぐぎゅんという音を聞いた。
何かを砕いたようなそれはドアの向こうから微かに届き、
だけど耳の底に居座って去らず、なぜか鼻や口が塞がれているみたいに息苦しくて、
またアニメで見る黒い薄靄が周りを漂うような感覚に一刻も早く出たくなるが、

一方でドアには近づきたくなく我知らずじりじりと、でも上体はそのまま、後ずさりしていて、
壁に背中をぶつけ悲鳴を上げたのは、エレベータが1階に着くのと同時だった。
17 名前:名無しさん 投稿日:2005/03/16(水) 00:42

ドアは何の問題も引っかかりもなく最後まで開き、そこから外の雲のない晴れ渡った空が見え、
駐車した車と運転席のじりじりとしたマネージャ、彼は口の端にタバコをくわえ神経質に指でハンドルを叩いていたが、
すぐにあたしに気付いて、してもいない腕時計を指し、多分急げと言っているのだろう、
今日のあたしの視界は気持ち悪いくらいにクリアーだ。

自動ドアになっているエントランスの明るいガラスを通して、外の世界が一つ一つ細部まで見え、
例えば運転席に吊るした人形が昨日と違うのが分かるし、
例えばこの間あさ美がつけてしまった引っかき傷も、
気にする彼女にこんくれえ平気やってと勇気付けてあげた傷もはっきり見えるし、
例えば汚れた後輪タイヤの側に咲いている花の、花びらの数まで数え上げられるし、
例えば、そう、狂ったように空を飛び回るのが、さっき部屋で見たスズメの大きい方だとはっきり分かる。
ちゅん、ちきゅい。

ドアが閉まりだす。反射的に左壁のボタンを押した。
八割ほどの空間を残して止まり、ぐぎん、また開いた。

あたしはいまだに携帯を構えたまま立っていて、でもアンテナが三本になっているのが分かった。
茶色の羽が一枚、ひらひらと舞い込んで来るのが見えた。
18 名前:名無しさん 投稿日:2005/03/16(水) 00:42

19 名前:名無しさん 投稿日:2005/03/16(水) 00:43

http://mseek.xrea.jp/event/big07/1108392336.html
20 名前:名無しさん 投稿日:2005/03/16(水) 00:44

21 名前:名無しさん 投稿日:2005/03/16(水) 00:44

夢うつつ
22 名前:名無しさん 投稿日:2005/03/16(水) 00:45
更新終わります。

前スレがああいう形で終わったこと、この2スレ目を立てるのが遅くなったこと、
申し訳ありませんでした。
23 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/16(水) 02:48
待ってました。
24 名前:名無し読者 投稿日:2005/03/16(水) 23:26
待って待って待ってたよ〜
前回は容量いっぱいで感想も書けなかったのが残念だったなあ
25 名前:夢うつつ 投稿日:2005/03/20(日) 13:44

26 名前:  投稿日:2005/03/20(日) 13:49

音を聞いている。
多分他の人のとあまり変わらないはずだけどとても穏やかな音だ。
とくん、とくんと向こう側から響いてきて、
それはよしざーさんが生きている証拠で、あたしが生きている証拠だ。
あたしたちが一緒にいて、よしざーさんの裸の胸に自分の耳を当てている証拠だ。

テレビがついているはずだけどまったく聞こえなくて、
それは頭にかぶった薄い毛布のためなのか、
あたしのものを聞く力を片一方が独占してしまっているためなのか分からないけど、
そもそもテレビがついているかなんて知らないから、
こうしてよしざーさんの胸の鼓動を聞いて完全に満たされているのならそれでいい。

この瞬間に世界が滅んでいてもきっとあたしは悲しまなくて、
でもよしざーさんは悲しみそうだからそれならあたしも悲しいけど、
でもこの瞬間は悲しまなくて、ただとくんとくんを耳にして、
これがもし永遠ならば悲しんでも構わない。
悲しい音しか聞こえなくても、
世界が滅んでよしざーさんが悲しんでそれでもう悲しい音しか聞こえなくても、
あたしは喜んで聞き続けるだろう。
27 名前:  投稿日:2005/03/20(日) 13:55

だって嬉しいにしろ悲しいにしろ、よしざーさんの音はすごく優しくて、
一体どのくらいの感覚で打っているのか分からないけどあたしは時間もいらないし、
とにかく少しも休まず乱れることなく打ち続け、

そう、よしざーさんの心臓が叩いているのは、あたしの耳で心で命で、
だからよしざーさんの心臓が赤い血を勢いよく送り出すと、
それは一方で彼女の手を巡り腹を巡り足を巡り頭を巡って彼女を生かし、
もう一方であたしの中に流れ込んであたしを生かすのだけど、
でもあたしの手足頭だってこのかけがえのない贈り物を受ける価値などなくて、
だってどんなに望んでもとくんとくんは同じペースでしか打たないのだからもったいない。

よしざーさんの血はあたしの右耳に命を与えるとまっすぐ心臓へと降りていき、
と言って心臓を生かすのではなくて、すべて心に流れ込む。
だからあたしは自分の胸がとくんとくんと打ち返すのじゃなくて、
ふるふると抑えきれず震えてしまうのを感じるわけで、
それは命を与えられたあたしの心がもっともっととよしざーさんを求めているのか、
それとも十全に満たされて、ほおとため息をついているのか、

でもきっと流れ込んだよしざーさんの量にあたしの心がパンクしそうになって、
痛い痛いと訴えているのだと思うけど、
でもだからと言って手や足や頭にこれを分けてあげる気などまるでない心で、
もっともっと求めていて、自分の持てる容量などまるでお構いなしにもっとたくさん求めていて、
だからとくんとくんのたびに痛い痛いと訴え続け、これ以上ない幸せに満たされている。
28 名前:  投稿日:2005/03/20(日) 14:02

「高橋?」

なものだからよしざーさんが声をかけてもしばらく気付かず、
ううん、不意に左の耳が生き返って確かにそれを聞いたのだけど、
音はあたしの耳に乗った途端またまっしぐらに心に流れ込み、もうそれで完全に溢れてしまい、
あたしは麻痺して何も感じられず、ただふるふる、ふるふる震えていて何となく怖く、
今までも回していた腕に無意識のうちに力を込め、
ぴったりとよしざーさんに抱きつくことで自分の体を保とうとするものの、

赤い血のとくんとくんはこれまで以上に流れ込み、
あたしは嬉しさと切なさそしてそれ以上の苦しみで、心と体をどうすることも出来なくなって、
鼓膜に響くよしざーさんの心臓の音が大きくなればなるほど、自分の意識が遠のくのを感じる。

「高橋寝てるの?」

それでもよしざーさんは容赦してくれなくて、あたしもバカだからもっと強くしがみつき、
「て、起きてるねさすがに」

だからあたしのことに気付いてくれるのだけど、
一言囁かれるたびにあたしが気を失いそうになっていることには気付いてくれず、
穏やかにそっと一言また一言と言葉を送り、あたしの命を奪おうとする。
29 名前:  投稿日:2005/03/20(日) 14:13

あたしはもう怖くて怖くて、でもホントはこれが怖いという感情なのかすら分からなくて、
ただ震える体が勝手に二本の腕を動かしていて、
そのせいでよしざーさんの溢れ出た血が痙攣という形であたしの体を回っていく、劇薬に全身が侵されていく。
夢中で抱きつき、できればそのままのめり込むことで、
よしざーさんにより直接命を分け与えてほしい、この苦しさから救い上げてほしいと願いながら、
その実あたしは死に近づく。

「どうかしたの高橋?」

なのによしざーさんは優しくて、あたしのことを苦しめあたしを生かしあたしを殺し、
それでも満足せず次第に戸惑いと心配の色を声音に滲ませ、
だから新たな血が止めどなく流れ込み、
もう一杯なのに、もう感覚が麻痺していて喜びも苦しみも何も存在しなくなっているのに、
決してよしざーさんは許さない、あたしのことを離してくれない。

「よしざーさん」
「ん?」

よしざーさんが誰かと話している。
ここにはあたしたち二人しかいないと思っていたけど、どうもそうではないのか、
あまり嬉しいことじゃない、と言うかかなり嫌なことだけど、
あたしがこうして音を聞くだけなのだから仕方ないのかもしれなくて、
だから相手の声も一緒に聞いてやろうと思うのだが、

「よしざーさん」
それはひどくぼやけていて、耳を伝って入ってくるようには感じられず、

「なあに高橋?」
対するよしざーさんの声は穏やかで相手を包み込むよう。
30 名前:  投稿日:2005/03/20(日) 14:21

「どした? ん?」
「あたし‥‥」
「うん」

二人の会話はとてもゆっくりとしていて、
どこかよしざーさんの鼓動と似通ったリズムで、
だからほんの少しの言葉なのにあたしの中に一時に入ってくる強さは半端じゃなく、
もう本当に気を失いそうなのだけど、
不思議と相手の子が何か呟くと、あたしの中に溢れていたもののかさが幾らか減り、
でも彼女は震えるような声で話している。

彼女が話す分だけ、あたしの中によしざーさんを受け入れられるスペースが、
もっと好きになれるスペースができるのが感じられ、
だから右耳で聞くのでも左耳からでもなく、
頭の骨がふるふると振動することで聞こえるこの声を、もっと聞きたいと思うのだけど、

彼女は何かを言いかけてもすぐ止めてしまい、
もしかして彼女もぐうっと何かに耐えとるんやろか? ほんで言葉出えへんのやろか?
だって震えたままの声は切なそうだし、
よしざーさんも彼女を励まそうと、どうしたの、あたしちゃんと聞いてるから言ってみなって、

何でだろう、いつもはよしざーさんが誰かに優しくしてるのなんて許せないのに、
今彼女に心から優しく接しているのを聞いて、
あたしはむしろ嬉しくて、嬉しくて体が震えてしまって、

「高橋、何か悩みでもあるの?」

体の中にまた何かが溢れてしまい、悩む余裕なんかないほどで、
嬉しくて悲しくて切なくて、
よしざーさんのことが大好きで、好きで好きでしょうがなくて、
苦しくて苦しくもうどうしていいのか分からなくて、
痛くて痛くて痛くて、よしざーさんの声を聞くと体がちぎれてしまいそうで、

だからよしざーさんにしがみつくけど治まらなくて、よしざーさんは助けれくれなくて、
逆にあたしをもっと苦しめ息を奪い、
お陰で頭の中は真っ白になり、この愛しい人への抵抗ももうまったく出来なくなって、
31 名前:  投稿日:2005/03/20(日) 14:33

それでも何とか踏み止まろうと必死にあがき、口を開いて呼吸をするけど、
ひぃ、とまるで悲鳴みたいな音がするだけで何も入らず、
だって中はもう溢れかえっているのだから、
呼吸しようとするならむしろ先に吐き出さなければならない。

際限なく全身へ広がっていく震えを幾らかでも外に出さなければいけないのであって、
よしざーさんのことをもっと受け入れて、もっともっと好きでいられるため、
喉が詰まっているのならナイフで切って、間の抜けた笛みたいにでも構わないから、
嘔吐するみたいにみっともなくてもいいから振り絞って押し出して、

とにかく出せるものはすべて出して、
この苦しさ痛さがどうにかなるなら何でもいいから口から出して、
誰のでもいいから口を開いて、
ほうや、彼女なして喋ってくれんの?

「ほら、高橋」
ほれ話してんでの、お願いやから。

「あんの‥‥」

するとようやく喉の扉が開いたのか、それともついに体中を巡るものに耐え切れなくなったのか、
ゆっくりで小さいけれどしっかりと、もう震えない声で、

「よしざーさん、あたし、よしざーさんのこと‥‥」

「ん?」
聞き返す愛しい声に向かい、

「嫌いです」
彼女は言った。
32 名前:名無しさん 投稿日:2005/03/20(日) 14:36
更新終わります。

レスありがとうございます。個別にはお返ししませんがお気軽にどうぞ(sageにて)。
33 名前:名無し読書中。。。 投稿日:2005/03/21(月) 22:00
うはぅ!相変わらず面白いです
どーなっちゃうんだこの続き
どんどん心の深淵に入り込んでいく…
一緒にこちらも潜ってって戻ってこれなくなりそうです
早くも次回更新が待ち遠しいです…
34 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/23(水) 17:05
待ってました
次回も楽しみです
35 名前:名無し 投稿日:2005/04/28(木) 01:40
待ってます
36 名前:夢うつつ 投稿日:2005/06/04(土) 00:44

37 名前:  投稿日:2005/06/04(土) 00:50

その音はとても大きくて思わず耳を離した。
まるであたしの中で溢れようとしているものがよしざーさんにもあって、
それが今突然弾けたみたいに、大砲のような強さと音でよしざーさんの心臓は打ったのだ。
どん、て。

「え、高橋?」
代わりに口から出る言葉は力を失っていて自信なさ気に聞いている。
「嫌いです」
彼女の口調は変わりなかった。

あたしは自由になった二つの耳でそれをぼんやり聞いていたが、
手のひらが微かに震えるのに気付き意識を少し傾けると温かくて柔らかいものがあって、
でも奥からとても乱暴に休みなく叩いてくる何かがあり、
その存在を知った瞬間適度に温かかったものは熱く焼けていて、触れた手までじりじりと焦がされるようで、

急いで得体の知れないものから離れようとするのだけど、
それよりも火が手について全身に回りあたしを灰にしてしまう方が早い気がして、
またそれを望んでいるような気がして、
そこでようやくよしざーさんの胸に手のひらを押し当てているのだと気付いた。
38 名前:  投稿日:2005/06/04(土) 00:54

多分あたしの手は耳がそこを離れた瞬間に一瞬の隙もなく後釜に座って、
音を聞く代わりによしざーさんの熱と振動を感じ始めたのだろう、もらっていたものを一滴もこぼさないために。
穴が開いていて溢れ出していたのはあたしの耳の方だったけど。

なだらかな胸の谷間で産毛と皮と脂肪と肉は柔らかくて温かく、
いつものよしざーさんのように優しい感触で手のひらをくすぐる。
でもその奥から、どんどん、どんどんとあたしの知らないよしざーさんがドアをノックしていて、
でも誰に対して? そのドアは誰の部屋なんだろうか、
あまりに強く叩きすぎるものだから拳が破れ、血が勢いよく全身に飛び散っていく。

「あたし何か高橋の嫌がることしたかな?」

それでもよしざーさんは叩くのを止めないで、
ううん、もっと強くもっと早くもっと大きな音でドアをノックして誰かのドアを叩き続けて、
だからきっとこの柔らかい壁の向こうは血で真っ赤に染まっているはずで、そんなよしざーさんをあたしは知らない。
この手に触れているのはいつもの、汗でしっとりしてるけどまぎれもないよしざーさんなだけに、
二人をうまく重ねられなくて怖く、

「‥‥別に何もしてないですよ」
彼女もどこか動揺していて、
「でも嫌いなの?」
それを察知したよしざーさんは勢い込むように、それでいて諭すようにゆっくりと聞くが、彼女は即答しなかった。
39 名前:  投稿日:2005/06/04(土) 01:01

五秒十秒二人の間に言葉はなく沈黙が場を支配し、あたしの耳は自由になったものの活動せず、
無音なのだから正常かどうか分からない、頭に開いたただの二つの穴にすぎず溢れもせず、
代わりに働くのはよしざーさんの胸に置いた手のひらで、
伝わってくる振動を聞きそれは質問の言葉が宙に消えてから一秒ごとに大きくなっていたが、

「ええ、嫌いです」

一際大きな衝撃を感じあたしは反射的に手を引き離そうとしたのだけど、
ノックはついにドアを打ち抜いて血まみれの手があたしの手首を掴んでいた。

「‥‥そうなんだ」

心臓を破り肉の壁を貫いて咲いた赤と肌色のその花は、
五本の長い指を絡めてあたしを離さずきつく締め上げ胸に押し当て、まるであたしの手を押し潰そうとしているかのようで、
でもよしざーさんの心臓は今もどんどん、どんどんと動き続けているのだからそんなわけなく、
物を掴む手を持っているのはこちらなのだから実際のところ掴んで離さないのはあたしで、
手のひらでよしざーさんの心臓を握り締めているのであり、次第にその伸縮が弱弱しくなっていくのを感じている。

さっきまであたしの命を自由にしていたよしざーさんの命が今は手の中にあって、
あたしはこのとくん、とくんを愛おしく思うのだけど、
それを表すべく行動しようとしたとき、はたしてよしざーさんの心臓を優しく包んで外敵から守ろうとするのか、
それとも震える肉の感触をしっかり感じながらぎゅっと握りつぶしてしまいたいのか、
自分でも分からない。
40 名前:  投稿日:2005/06/04(土) 01:14

もしかしたら守ろうと必死だったつもりが気付いたらあたしの指先が震える薄い壁に穴を開け弾けさせ、
四つの指の股で亀裂の深まる抵抗をうっとり感じながらきつく手を握り締めているかも、

それとも何の迷いもなく手を閉じてこの心臓を消し去ってしまい、代わりにあたしの拳をよしざーさんの胸に収め、
指を動かせばよしざーさんが応えてくれあたしの死はよしざーさんの死を意味する、そんなことを夢想し、
もう息絶え絶えにしか手のひらをノックできない塊を潰そうと力を込めた途端、

とくんという僅かな鼓動が起き、他の鼓動と変わりないただの一打ちなのに、
あっさりこの力比べにあたしは負けて、ならばと再び離れようと試みるもそれも叶わずぼんやりと、
怖れているのか喜んでいるのか不安なのか安らんでいるのか、
離れられないのか離れたくないのか掴んでいるのは手を心臓を掴んでいるのはどちらなのか、
分からず考えず、ぼんやりとしてただ二人の会話を聞いている。
41 名前:  投稿日:2005/06/04(土) 01:21

「ほや、あたし夢見たんです」
思い出したように彼女は言う。

「え何? いきなり」
「夢見たんですよこん間。えーと水曜日。あんれ? 日が変わって木曜? ああほれえっとなんつうか水曜ん夜です」
「ああ、うん」

「電車に乗ってて」
「高橋が?」
「はい」
「へえ」
よしざーさんは応じてから少しトーンを落とし、でもあのさと言いかけるが彼女は見た夢の話を続ける。
仕方なく相づちを入れるもののよしざーさんのそれは次第に気の抜けた機械的なものへとなっていった。
へえ、そうなんだ。

「ほうなんですよ」

彼女の方は気にせず、あたしは高校生で毎朝学校行く普通の高校生でこう可愛いセーラー服着とっ
て電車通学なんやけど、満員電車やで油断しとると体まで浮いてもて福井やとあんなんありえん、止
まらない。なんて向こうでは自転車やったで電車んことは知らんのですけどね。そう、なんだ。はい。
毎日キコキコ片道3キロを車なんてまったく通らんで道ん真ん中キコキコて、歩道もない周り全部田
んぼなんですよ。へえ。
42 名前:  投稿日:2005/06/04(土) 01:33

あ、ほやけど娘。のオーデション受けよう思うた頃ちょうど、何や分からんけどほん田んぼん道に5
0メートルだけ歩道が出来よって、んでも別に通学路とかやないんですよ。いきなりどーん出来て、
あたしらはあたしと一緒に学校通ってた子ですけど、あ女の子ですよもちろん、あでもよしざーさん
みたいなんやのうて普通の普通の。あのいや、よしざーさんが普通やない言うんやのうて、ほりゃ普
通やないんやけど八方美人やし。そんなことは。ううん、よしざーさんは八方やざ。

ほんでの同級生ん子と通っとっていきなし歩道できたもんやで、自転車停めてほうほうて面白がっ
て何度も往復したんやけど、二三日もしたらほれまですいすい進んで来とったんが歩道に入るとき
にガンて段差がこんなありよるで嫌んなてもて、あたしらあたしと同級生ん子はもう車道ん方をズン
ズン走って、車来んもん。ほやけどちびっとだけ自転車漕ぐん早うなっとったかもしれん。さっさと走
り抜けたんやけどどうしてるんやろかさゆりちゃん。あその子の名前です伊藤さゆりちゃん。

剣道部で初段、黒帯ってやつですか。ほやさけ一緒に行ったんも朝だけで帰りしまは別やったんや
けど、うちん学校てあんれえっと‥‥朝練ほや朝練やっとる部活ほとんどなくて、ほやさけ県大会出
てもあっさり負けちまうんやけど、ほや半年だけ赴任して来た教頭先生が教頭先生言うても年取った
お爺さんやのうてまだ若くて張り切っとったで誰かハリー教頭呼んどって、教頭先生大学でバスケや
っとったらしうて部活どこも朝練させるべきやげなんて言い出しよって、ほしたらもう学校中から反発
ぶーぶーはんたーい眠いーイェーイ言われてもて校長先生も、校長先生これがひっで優しい人なん
ですよ。
43 名前:  投稿日:2005/06/04(土) 01:49

田中さんがれいなやないですよ一年ときんクラス一緒やった子なんですけど、田中さんが軽い肺炎で
三日くらい入院したことがあって、あたしら友達数人でお見舞い行ったんやけど、ほしたら校長先生が
こんにちは言うて病室に入ってきて綺麗なお花くれよって、田中さんほんま大したことなかったでバカ
みてえに騒いどるところに来られてもうて、田中さんなんか学校サボれてラッキーやざ言うたところや
ったでみんなやばーいう感じになって、ほやけど校長先生元気そうで良かったですて、あ校長先生は
福井やのうて東京ん人なんですよ。入学式で初めてお話聞いた時おおっテレビと同じ喋り方やって思
うたんやけど、あっもしかしたらあたしらん話が分からんかっただけやろか? どうかな。ほやけど優し
い先生やったで朝練もまあまあいいじゃないですか生徒たちの自主性に任せればって、まあ聞いた人
おらんのですけどきっと言うてくれて優しい校長先生で、ほやで東京ん人は優しいんやなてみんなで
話したんです。あでも福井ん人が優しくないとかやないよ、むしろええ人ばっかです。そうだろうね。ほ
うなんですへへ。でも東京ん人も優しい気がして、あたしは満員電車に制服着て乗っとったんやけどセ
ーラー服ほんま可愛くて。あたしが実際持っとるんはブレザーやけど。そうだったね。

似たような作りやで似たようなもんのはずなんやけど、実家ん方のはなんやダボっとしとって、ほや
けど東京はスカートは短すぎます衣装みてえや。そうかな。ほうですよあたし後ろ立つとわわわ見え
ちまうでていつも心配になってもてほやけど確かに可愛い、うん、しこらしいわ。あたしはどっちか言う
たらブレザーん方が好きなんやけど夢ん中出て来たんはセーラー服で、ほやけどこれもひってもん
にしこらしいし実はセーラー服もえへへ着たかったんです。そっか。はい夢やから見せれんのですけ
どこん辺にこうマーク入とってほやあれやナントカ女学院っ、ほやあそこん制服ですきっと。へえ。しこ
らしわ、あんれ。
44 名前:  投稿日:2005/06/04(土) 01:58

で、あたしはウキウキで家を出るんやけど朝ま電車ちゃがちゃがで、足は蹴られるしカバンはいがむ
しで人ん背中に囲まれて息も出来ないんです。駅来てちびっとだけ人動いたで何とかスペース確保し
て、はあえらかったわあて一息つくんやけど代わりに痴漢、痴漢がわいて来たもんやからあたしもう
ビックリしてもて自転車通学やとありえんかったで、うきゃあ助けてお母さん校長先生ーて思うんや
けど、お母さんはさっき行ってきます言うて別れたばっかやし、校長先生は今も福井で校長先生しと
るで助けてくれん。て言うかウソです、校長先生んことはさっきまで忘れてましたゴメンなさいゴメ
ンなさい。ああうんいいよ。すんません。ほんでほんで、あたし痴漢に遭うて気持ち悪くて泣いちま
いそうなんやけど東京ん人は誰も助けてくれなくて、痴漢の人あたしんけつべった触り続けてよしざ
ーさんに触られるんと全然違うてひっで嫌な感じで、あたし声ちっかっぺ振り絞って止めて下さい
他の人にしてください言うんやけど、痴漢の人何だそれお前どこの田舎もんだて笑いよってからに、
止めてください他の人にしてください合ってますよね変やないですよね。うんうん分かるよ通じる。
ほれえやっぱし。でもほんでショック受けてもて、したら電車がガッタン揺れてあたし気分おぞくて
力入ってなかったもんやで吊革からどーん手ぇ外れてもて前ん人にぶつかって、んでもでもでも、
ほれがよしざーさんでよしざーさんだったやげ。あたし? ほやっ。
45 名前:  投稿日:2005/06/04(土) 01:59

よしざーさん大学生みたいで、でもやっぱしスカートやのうてジーパン履いとったで女子大生いう感
じやのうて、満員電車ん中で涼しい顔して何か教科書広げてブツブツ呟いとって、あたしとは知り合
いやのうて、ほやさけあたしがいきなり服にしがみ付いたらうおうって驚くんやけど、あたしもう夢
中でよしざーさんに助けてください助けてくださいよしざーさんて、もうわやくそなイントネーショ
ンで言うとって、よしざーさんが後ろの痴漢に気付いて何してんだテメーて助けてくれてる間もずう
っと掴んだまま離さないでいて、もう大丈夫だからてどこかのホームで言われている間もずうっと離
さないでいて、ほやさけあたしがようやく泣きやんで落ち着いたときにはびろーんすっかり掴んでた
ところ伸びてもうてて、人差し指かかってたとこなんて少し、でも少しですよ破れてしもうてて、あた
し謝ろうとするんだけどほん時になって突然言葉笑われたらどうしようって気になってもて何も言え
なくて黙ってじいっと俯くだけで、ほしたらよしざーさんは携帯を見てやば試験って慌て出したと思う
たらもう電車に乗ってて。
46 名前:  投稿日:2005/06/04(土) 02:13

そっか。よしざーさんの相づちはやはりあっさりしたものだけど、沈んだ感じは消えどこか面白そうに、
でもそれは話の内容ではなく話し方、一人で勝手にふらふらと行ったかと思うと突然よしざーさんに言い募る、
まるで子供の調子はずれの歌みたいな言葉のせいで、
だから短い相づちも話を途切れさせないためなのかもしれないけど、

あたしの手の中にあったはずのよしざーさんの心臓はもうゆったりとして早くもなく弱くもなく、
とてもあたしが握っているとは言えず、
心臓は心臓で鼓動は鼓動その上にある骨も肉も脂肪も皮も産毛もあたしと関係なく存在していて、
温もりは昨今の低体温性とは無関係の36度2分汗も引いてて、

そりゃあたしはこの温かさが大好きだけど、でも今の体温にあたしは関わっておらず、
彼女の夢の話か田舎の話か分からないもののおかげで、て言うかもしかしたら、
ううんもしかしなくても、よしざーさんが懸命にノックしていた相手はやっぱり彼女だ。

ならあたしはただこうしてくっついているだけに過ぎず、
死にそうになってたのに、
あたしはよしざーさんの胸ん音を聞いて良いも悪いもまぜこぜんもんに内側から壊されそうになっとったのに、
でもよしざーさんはあたしと関係なくよしざーさんで関係ないよしざーさんで、
そりゃあたしは何も言わず、
だって一生懸命に体押さえとらんとよしざーさんにひっついとらんとバラバラになってまうもん。

だからあたしが手のひらによしざーさんの命を握っているだなんてあるはずなくて、
痴漢に遭って服をバカみたいに掴むのがせいぜいで、でもそれで言うと彼女も似たようなものなのだけど、
彼女はよしざーさんの心を揺さぶっているのだ。
羨ましく思う、揺さぶっていることノックの相手、両方。
47 名前:  投稿日:2005/06/04(土) 02:16

不思議と腹は立たない。でもよしざーさんは別、ずるいと思う。
あたしはもう全部よしざーさんなのによしざーさんは違うなんて、
あたしはまっすぐ見てるのに向こうはまったくそっぽを向いているなんて、
こうしてくっついているのにあたしのものじゃないなんて、ほんなんこっすい許せへん。

彼女のお喋りでちょっとだけ余裕の出来ていたあたしの頭にまた血が上ってくるのを感じる。
今度のは愛しさとか壊されてしまいたいと思う血じゃなくて、
よしざーさんに対する怒り、壊してしまいたいそうして自分のものにするんだという独占の血で、

「‥‥なんや頭ぐるぐる来とる」
彼女が小さく呟くのを耳にしながら、
「え?」

よしざーさんの声のする方へ突っ伏して、次の瞬間あたしは思い切り咬み付いている。
歯に唇によしざーさんの肩鎖骨の上辺りの柔らかさと硬さを感じる。

「痛あっ、わた高橋? ちょつっ」

よしざーさんがあたしに言葉をかける。
あたしの方を向いてあたしのことを見てあたしのことを感じている。
48 名前:  投稿日:2005/06/04(土) 02:24

あたしがさらに強く咬みしめれば、

「ぐあっ、ちょマジで、痛いから痛いからいったっ」

さらによしざーさんが応えてくれるから嬉しくて仕方がない。
呻きながらあたしの肩を乱暴に掴んで、さっきまではあたしが掴んでいたのに、
でも何も掴んでなかった、

今はよしざーさんからこんなにも強くきつく捕えられて、もう彼女のことを相手する余裕などなくて、
彼女もよしざーさんがあたしだけを見ているのがつまらないのかお喋りせず、
ここにはあたしとよしざーさんの二人だけで、誰もあたしたちのことを邪魔できないんだ、

て、やっぱりあたしは彼女のことを邪魔だと思っていたのであり、
誰ともよしざーさんを分けたくないんだと、この人は全部あたしのものだと、
ぎちっと顎に力を込めたら、よしざーさんがうぎゃと叫ぶ。口に鉄の味が広がった。

あたしは自分の唾液に混じって僅かに流れてくるそれを狭い口内で舌を波打たせて味わい、
よしざーさんの血だとようやく気付くと懸命にすすり出す。
ちゅじゅ、ずっ。くちゅる。

よしざーさんは短い悲鳴を上げていたが、
それでもキスする時みたいなあたしのむしゃぶりつきと蠢く舌に、歯が喰い込んで入るのは初めてだけど、
気付いて痛みを堪えながら、

「え、何?」
尋ねるともう彼女はいないから答えるのは当然あたし。
ひょひざあさの、ぷふぁ口に少し余裕を与え、
「血です」
49 名前:  投稿日:2005/06/04(土) 02:31

「ウソっ出てんの? でもすっげ痛、いからっ」

ちょ高橋止め、よしざーさんは本気で痛がっていて、
あたしも頭のどこかで酷いことをしている可愛そうだ止めなきゃと考えるのだけど、
音だけで実際には一滴も入ってきていなかったよしざーさんの血が今は本当にあたしに流れ込んでいて、
その分だけ確実によしざーさんはあたしのあたしだけの存在で、

麻痺した頭かフル稼働した頭か知らないけどあたしの意識の残りの部分が、
もっと飲むんだすするんだ血だけじゃなく肉も肌も髪も心臓も全部食べてしまって、
誰にも取られないように全部自分の中に入れてしまうんだと言っていて、
そう、心臓はさっきまで彼女のために打ち鳴らされていたんだから絶対に奪わなければならないと響いていて、
どくんどくんとあたしの中で響き渡っていて、
だからよしざーさんに引き剥がされたのに気付かなかった。あんれ?

「よしざーさんいなくなってもた」

口内に冷たい空気が流れ込んでくる。
あたしは自由に喋れる肩も掴まれていない自由に動ける、
自分の意思でよしざーさんから離れることができるよしざーさんから離れてしまう、離れている。

「高橋?」

すごく近くから聞こえるのに遠くから聞こえている。
近くにいたってよしざーさんの血はあたしに流れ込みはしない。

「あたしんもんやのうなってもた」
50 名前:  投稿日:2005/06/04(土) 02:36

「なにが?」
「よしざーさんが」
「あたしは高橋のもんだよ」
じゃなきゃこんなん。

よしざーさんの声はいつも優しい。
だからあたしはいつも勘違いしてしまうのだ、この声があたしに向けられたものだと思ってしまうのだ、
あたしのもので他の誰のものでもないのだと、よしざーさんに求められているのはあたしなんだと思ってしまう、
そんなわけないのに。

あたしはこんなに訳分からない女で、彼女なんていない、
そんなの本当は分かってるけどよしざーさんと向かい合うのが怖くて、
ううん、向かい合おうとして目を背かれるのが怖いから面倒なことを彼女ってやつに押し付けて、
そのくせ自分で嫉妬して一人でテンパってよしざーさんに咬み付いて、
喰っちまおうなんて意味分からんから、まともやない。
どうしてよしざーさんを自分のものに出来ると言うのか、今こうして消えてしまっているのに。

「よしざーさんがおらん」
でもあたしは未練がましく口にする。

「いるじゃん」
よしざーさんの声はそう言うけど、
「おらんもん」
いないものはいないのだから。
51 名前:  投稿日:2005/06/04(土) 02:46

「肩に穴開けといておらんて、きみ」
はあ、よしざーさんがため息をつく。

それは絶望させる音だけど、
同時に風が前髪を揺するので思わず顔を上げると、俯いていたことも気付いてなかったが、
あたしのほほに何かが触れる。
さっきまで思い切り咬み付いていたもののように柔らかく硬く、あたしの手が感じていたように温かくて、
しゅっしゅ、小さく動いた。

「じゃあさ」

先に左のほほ続いて右でそれは動くが右ほほで感じた時には濡れていて、
だからそれぞれ違うものが触れているのかとも思ったけどどちらも何だか‥‥

「目を開けてあたしがここにいるの見てみなよ」

声がした。
うりうりとあたしをリラックスさせる時の声がして、だから向けていたはずの顔をさらにぐうっとそちらへやり、

「でも何も見えません」

そう、真っ暗で眩しくて滲んでいるから何も見えない。頭を振る。

「だって高橋目つぶってるもん」
「ほえ?」
「ほら、目ぇ開けて。涙拭いてあげるから」
52 名前:  投稿日:2005/06/04(土) 02:55

あたしのほほでまた何かが今度は手早く左右で動き、するとあたしの中の滲みが薄れまぶたが痙攣して、
間から色と形が立ち現れるとそれはよく知ってるよしざーさんの手で目の前にある。
遠くで誰かが微笑んでいるのだけどそこまでは見えず、よしざーさんに違いないのによしざーさんが見えなくて、

「目ぇ開けたのによしざーさん見えん」
愚痴ったらすぐに視界がぼんやりとしてくるのでいよいよ見えなくなって、
ふええ、声が漏れてしまうのだけど、

「ああ、分かった分かったから」
慌てる声が聞こえ、手がかかるなあ、よしざーさんの手がほほを左、右の順で忙しく動いて、
お陰でまた滲みが消えよしざーさんが現れる。

「あっ」

するとほほをふにふにとつねられ、自然といつものように笑って止めてくださいよと手を振り払うのだが、
もうクリアーになった両の目でしっかり見るとよしざーさんも笑っていて、やれやれ、少しぎこちない気もするけど、
指を口元にやっている。

そこに透明な滴のついているのがはっきりと見え、そしてよしざーさんの口に含まれるのも見、
途端にあたしの体は震えて心臓が壊れそうなほどに鼓動を速める。
53 名前:  投稿日:2005/06/04(土) 03:04

ばくばく言う音を自分の体伝いに聞きながら、目はしっかりとよしざーさんの口に焦点を合わせていて、
それを見て向こうは不思議そうな顔をするのだけど再びぺろりと滴を舐めた。

体から力が抜けていくのがはっきりと分かる。
あたしはよしざーさんの舌に愛撫される自分を想像し、
また飲み込まれる涙があたし自身、まるで食べられているかのように感じ、

ほやで、こんなんは当たり前んことやった。
よしざーさんがあたしを食べる、あたしは食べる側でなく食べられる側で、あたしはそれを望んでる。
だってこんな感じとるんやから、よしざーさんに抱かれたいと思うとるんやから。

もうあたしにはよしざーさんを食べる力もつもりもなく、
ただ身を任せるために前に向かって倒れるだけで、でも前に向かって倒れるのって簡単じゃない、
残っている僅かな力を全部捨て目を閉じて体の求める方にただ体を倒す、
怖いけど多少ずれていたってよしざーさんのあの、
涙を拭いほっぺたをいじり、あたしを感じさせるあの手がきっと支えてくれるはず。

よしざーさん、一言呟いてから実行したら、
おっと。あたしの体は倒れず止まり、目を開けるとそこには優しい顔があってずっと見つめていたいけど、
それより今はくっつきたくてよしざーさんのことを体全部で感じたくて、受け止めてくれた手をすり抜け首筋に突っ伏す。
54 名前:  投稿日:2005/06/04(土) 03:11

すると少し下にレモン型の跡があり、白い肌に赤い点々、穴、とろっとした液体の中に滲む血、
さっき咬み付いたところだと気付いて、

「あ」

声を挙げるとその瞬間反対側に収められた。
そんな気のないあたしにはよしざーさんの慌てぶりがちょっと可笑しく、もうしませんてと言ってあげようかと思うのだけど、
同時にあんなことしたのにまだ受け入れてくれるのだと嬉しくてまた涙が滲んでしまい、
でも今よしざーさんの手はあたしのことを抱きしめているから他に拭いてくれる手などなく、
他なんていらん、ここはあたしとよしざーさんしかいないんだ。

だから視界はまったく利かなくなってしまうのだけど、こんなにぴったりくっついているのだから目など必要じゃなく、
鼓動を聞くには位置が高いけど命を握るのはよしざーさんであたしじゃないから意味がない。
全身によしざーさんの温もりを感じ、口はほうと息を漏らすだけのものに成り下がっている。
それでもまだ役に立つとしたらせいぜい一言二言呟くくらいで、

「よしざーさん」
「なに?」
頭をさわさわと撫でられうっとりしながら、

「大好きです」

言うと返事がなく髪を流れる指も止まるから不安になる。
55 名前:  投稿日:2005/06/04(土) 03:26

痛いくらいに抱き寄せられた。
髪が指に絡まったままだから少し抜けたかもしれない。
よしざーさんの首の付け根に押さえつけられすごく息苦しいのだけど、そこからあたしは喰われてるみたいで、
荒々しさとは反対に心安らいでいく。

「あたしもだから。高橋にだったら喰われちゃってもいいくらい、あたし高橋のこと好きだから」

ばくり。完全にあたしは食べられた、肉も皮も脂肪も髪も産毛込みで、ほっぺも涙も血も心臓も耳も手も目も口も。
だから意識は遠ざかっていく、いや死ぬんだ、あたし一人で生きる機能などないのだから。
でも一つまだよしざーさんに食べられていないところがあって、

「高橋のこと大好きだから」

つんと鼻が痛くなる。
吸い込んだ空気はよしざーさんの香りがした。
56 名前:名無しさん 投稿日:2005/06/04(土) 03:31
更新終わります。

見捨てず待ってくれている方、ペースが遅くてすいません。
57 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/04(土) 21:14
いいね。ペースなんて気にしないで好きに書いてくれ。
途中の夢の話、哀さんから直接聞いてる気分になった。
58 名前:名無し 投稿日:2005/09/12(月) 21:51
待ってます…よ…
59 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/12(月) 03:55
突然失礼します。
いま、2005年の飼育を振り返っての投票イベント
「2005飼育小説大賞」が企画されています。よろしければ一度、
案内板の飼育大賞準備スレをご覧になっていただければと思います。
お邪魔してすみませんでした。ありがとうございます。

60 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/01/08(日) 04:23
キモい言い方ですがいつまでも待ってます。
大好きなんです。
61 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/14(火) 20:43
続きが読みたいです
お願いします
62 名前:夢うつつ 投稿日:2006/02/15(水) 21:14

63 名前:  投稿日:2006/02/15(水) 21:16

里沙ちゃんが来るまで後どのくらい?
確か明け方のようなことを言ってたから、まだ真っ暗だし何時間もあるんだろう。
たっぷり寝るだけの時間がある。

て、何であたしが里沙ちゃんが来るのを待ってなきゃいけないの?
来たいなら勝手に来て、何の用か知らないけど、あたしを起こせばいい話だ。
明け方に起こされるなんて嫌だけど、しょうがないから我慢してあげる。
でも後でちゃんと埋め合わせてもらうけれど。
さ、いつ来るか分からないから早く寝てしまおう。
テレビを消して、はいお休みなさい。

音がしているけど何だろう、ういいんて。エレベータかな?
誰かが廊下を誰か歩いてる。里沙ちゃんじゃあ、ない。
真っ暗の中で目を開くと変な感じ。
目を開いても何も見えないから閉じてるみたいで、耳がいつもより良くなってて、
自分の中の音が聞こえる気がする。とくんとくんて。
がろんがら。一瞬それも心臓の音かと思った。ワゴンか何かが部屋の前を通りすぎていった。
がろろ、遠ざかる。かる‥‥
64 名前:  投稿日:2006/02/15(水) 22:00

はっ、こぼれかけた涎を拭う。
今何時、寝過ごした?
手で枕の周りを探すけど、携帯が見つからない。
ダメだ灯りつけなきゃ。
弱い光を出しているボタンに軽く触れた。
するとピ、電子音に続いて枕元で灯りがついて、
寝るときこのままつけとこうかなって思ったくらい柔らかな光だったんだけど、
う、まともに見ちゃった‥‥
真っ暗闇からいきなりなんで目が眩んだ。

寝起きと灯りのせいで目はまたほとんど閉じちゃって、
昔の漫才師にこんなのなかったっけ?
あたしは手をわやわやして探す。メガネメガネ。
するとぺっとり、中指がレンズに触れ見つかったけど、多分指紋くっきり。

携帯は思いきり枕の真ん中に乗っかっていた。
「もうそこにあるならあるって、もおー」
少しイラつきつつ引っつかんだら、あれ二時半? え、でもあたし寝たの何時?
もう結構ぐっすりいった気がするんだけど。
そうかあ、まだまだなんだ。
別に何も待ってないけどさ。
眠い眠い。眠いんですよあたし。
65 名前:  投稿日:2006/02/15(水) 23:02

ごろごろ、ごろごろ。掛け布団をわっさわさ。枕にぼふぼふ。
右にぐるぐる、頭がベットからはみ出たら、今度は左へごろり。
‥‥やばい、貴重な睡眠時間を三十分くらい無駄にした予感。
今度は枕の下に隠れているのを探し出して時間を確認した。

えっと、これ壊れてない? 動いてる?
耳をくっつけてみるけど何の音も聞こえない。チクタク言いなさいよアンタ。
そんでもって、すいやせん旦那、時間が遅れておりました、うへへってお詫びしなさい。
なんで三十七分なんですか、間違ってませんかー。

て、間違いの訳ないか。うー、暇だなあ。みんなもう寝てるよねやっぱり。
里沙ちゃんも幸せそうな顔して寝てるんだろうなあ。むにゃむにゃって言いながら。
でもあたしが耳にふって息かけると、ううーんて唸るだけど、あれどうしてよ。
お自慢の眉がこう、真ん中に寄っちゃってさ、ううって。
あれ指でくりくりするの好き。

そうすると里沙ちゃん、目覚ましてちょやめって避けようとするんでけど、
あたしがもうちょっとだけって続けるてると、観念して大人しくなってさ、
んでも、もおとか何とか文句言ってて、
でもでも不機嫌そうな顔しといて口のこの辺笑ってるんだよ。
それ言うと、はって感じでもういいでしょって言い出すのに決まってるから、黙ってるんだけどさ。
そっか、寝てるよね‥‥
66 名前:  投稿日:2006/02/15(水) 23:07

あーーーー暇暇暇。
暇だかられいなにメールでも送ったげようかなチェーンメール。怖い動画のやつ。
でもいいやめんどくさい、泣いちゃうしね。寝よおっと。
えいっえい、乱れた布団を蹴り広げる。
身体を反らしてできるだけ遠くまでと思うんだけど足がやっと隠れるくらいにしかならなかった。
いいや。
逆に顎の下まで引っ張りあげてから、手で軽くならして目を閉じた。

「‥‥あ、あーーー」
部屋の中を声が伝わってく。どこか自分のじゃない、知らない人の声みたい。
ああー。確かにあたしののどは震えてるんだけど、音を出してる気が今ひとつしない。
あーああー。
どこかに隙間が開いてて、そこから他の世界の音が漏れてるんじゃないかな?
あー、あライトつけたまんまだ。いいや。
ああーー。
そこに、ぱこんかっぱく、ぱこんかっぱくというのが混じり出す。
ぱこん、あたしは知らない間に携帯をいじっていた。

「里沙ちゃん遅い。何やってんの?」
二時四十三分を目にしつつメールを確認する。
寝る前と同じ、新しいのはないみたい。
だから里沙ちゃんからのメールも来てない。
一番新しいのはさゆの。その前もさゆの。
その前もさゆで、そのさらに前が里沙ちゃんだ。
67 名前:  投稿日:2006/02/15(水) 23:16

もう読んだやつだけど開いてみる。
絵里ちゃん寝る前にちゃんと部屋片付けといたほうがいいよだって。
なーに? 絵里のお母さんなわけ里沙ちゃんて。
子供じゃないんだからそんなの人に言われなくたってちゃんとできるっての。
そりゃ今日はちょっと脱いだ服そのまんまになってるけどさ、
違うの今日は忙しかったんだって寝る時。
明日も仕事だし、そう里沙ちゃんあたしの部屋来たいって言うから、
あたし早くベットに入らなきゃならなくなったんだからね、はあまったく。

受信履歴に戻るのだけど、当然のことながら変化ない。
さゆさゆさゆ終わり。
部屋片付けといた方がいいよだってさ、同じメールを開いている。
「分かってますよーだ」
いーと液晶に向かって歯をむいた。
さゆさゆさゆ里沙ちゃんさゆマネージャさんさゆれいな‥‥

「はーあ、寝よマジで」
ため息をついて携帯を畳もうとする。しながらもう一度さっきのメールを開いてる。
―おやすみなさい―
あれ? 二行空いただけなのに読んでなかった気がする。
何でだろ、おねむだから?

「て別にただの挨拶なんですけど」
ぱこん、枕の横へ携帯を置く。分かりやすい位置に。
ピ、灯りを消して布団をまたたくし上げた。
「はい、お休みお休み」
仕上げに頭を大きい枕の真ん中で揺すって納まりを良くし、
もう目は閉じてたけど、寝るんだと思ったらまた一段閉じられたような感じがして、
一緒にちょっと身体が縮こまった。
内側から温かいのが上がってきて、気持ちよさにほっぺたが緩むのが分かった。
へへお休み、里沙ちゃん。緩んで何か言ったかも。
68 名前:  投稿日:2006/02/15(水) 23:33

ていうか。
ていうかあ、何しに来るの?
昼間じゃいけないの?
結構あたしら一緒にいたじゃん。
誰にも聞かれたくない内緒の話でもあるの?
それとも誰にも言えないことをするの?
って、わあウソウソ、そんなんダメだよダメですよ。
あたしと里沙ちゃんは友達なんだから女の子同士なんだから未成年だから
モーニング娘。なんだから同い年なんだから好きなだからそんなこと‥‥

「ゥキャーーッ」
布団を跳ね上げる。でもすぐに掴んで引き寄せた。しぃー。
はあ第一、第一ね待って聞いて。
里沙ちゃんがそんなこと出来るはずなくって、だってキスしたときなんか、
キスはいいのキスは。
2、3回、うん3回だ、キスしたけど里沙ちゃんいっつも緊張しまくりで、
真っ赤になっちゃって、へへ。

でもやっぱ一番最初にしたときが一番すごかったなあ。
あたしがキスしよっかって切り出したら、冗談でね、
はあってでっかい声出して、それかふいいってわざとらしくため息をついちゃってさ、
やれやれといった風に首を振ってみせる。
「まったく絵里ちゃんはいっつも馬鹿なことばっかり言っちゃって、はあ、まったく」
と新垣は側にあった台本を拾い上げた。収録も済んで用済みのそれを適当に開くとページを捲り始めた。
「やれやれ、はあまったく」

「むう、馬鹿だとー」
ほほを膨らませ亀井はそっぽを向く相手に詰め寄った。
と、台本に顔を隠しているが、新垣の首筋が真っ赤になっているのが一目で分かった。
あっれー、こちらは見て確かめるまでもない声を出す。
69 名前:  投稿日:2006/02/16(木) 21:28

「あれれー?」
顔がさらに近づき、新垣と台本の間に割り込んでくる。
「ちょ、絵里ちゃん、見えないからその」
新垣は抗議するが、その目は台本からも亀井からも遠く逸らしていた。
ただ手が止まらずにページを繰り続ける。
亀井は下から身体を差し込んでいるにもかかわらず、上の新垣の方が押しつぶされそうに見える。
彼女の左手が一本でぷるぷると震えながら、迫り来る亀井の攻勢に健気に耐えているためだ。

「里沙ちゃん、どうかした?」
上目遣いでまた少し近づくと、新垣の顎に亀井の髪が一瞬触れた。
ひゃ、新垣は反射的に伸び上がった。台本が膝に落ちる。
それでも、右手はなおもページを探し続けていて、
対する左手はがくがく震え、手首で切れそうなほどに腱が浮かんでいた。

新垣は二秒ほど目を閉じ僅かだが心を落ち着かせた。
「いやいや、どうもしませんよー」
平静を装い、
「それより絵里ちゃんこそ何? ちょっと押して来てるみたいだけど」
「ええー、そうかなあ?」
と亀井はまた一段新垣に圧し被さった。
ぐぅ、新垣は唸った。

「そう感じるんですけどっ」
すると笑いを含んだ声が、
「へえ里沙ちゃん、あたしのこと感じてるんだ?」
こんな感じ? 亀井が新垣の彷徨っている腕を取ろうとする。
その瞬間右手はこの場にいる三つ目の生き物のように暴走し、落ちた台本を捜し求めた。

「きゃっ」
拾い上げた台本が亀井のスカートの裾を引っ掛けた。
え、新垣が尋ねようとした時には、右手はもう亀井に柔らかく捕まっていて、
その時もやはり左手は二人分の体重に耐えていたわけだが、
右手は一人さっさと降参し、逃れようという気配すらなかった。
亀井がそっと息を漏らす。
えっち。
囁かれた言葉を耳が感じた時にはすでに、新垣の口はもう一つの唇で塞がれていた。

枕をぎゅうと抱きしめる。
肌触りの良い生地がまだ知らない里沙ちゃんの感触を思い出させてくれる気がした。
もう一度強く、それからそっと抱きしめていたら、
あたしはまた眠れていた。
70 名前:  投稿日:2006/02/16(木) 22:43

71 名前:  投稿日:2006/02/16(木) 22:45

いつもよっちゃんにべったりだねと藤本さんにからかわれるものの、
と言ってからかっているのか本当の不快感から来ているのか分からないけど、
実際のところあたしがよしざーさんの隣にいられる時間なんてほんの少ししかなくて、
それこそ藤本さんのほうがいっつもよしざーさんと一緒におるような気がして、
よしざーさんに愚痴を言うんやけど、
やっぱしよしざーさんはそんなことないでしょと笑って取り合うてくれん。

ほんなことありますっ、あたしはムキになって繰り返して、
でもそんなことあって欲しくないし、そんなことがないようにあたしは可能な限り、
多少の不可能なら構わずによしざーさんの隣におるようにいつも努めて、
だから藤本さんにからかわれている訳だけど、
実際のところあたしがよしざーさんの隣におれる時間なんてほんのちびっとやげ。

あたしには一日が二十四時間あって、それは千四百四十分で八万六千四百秒あるのに、
そのうちあたしがよしざーさんと過ごし時間なんていくらもない、
いやそれどころか0秒の日もしょっちゅうで、
あたしはよしざーさんといることだけを望んで、その時だけ自分が生きていることを感じるのに、
でもよしざーさんと本当に一緒にいる、一緒にいてキスされて強くきつく抱きしめられている時は、
もう自分が生きとるとは感じられん。
何か感じているのだけどこれがなんなのか、
よしざーさんのことを感じとるはずやけど頭ん中はぼおっとしとって、
ほんでも温かい何かは確かに感じている、世界がそれで満たされている。
72 名前:  投稿日:2006/02/16(木) 22:49

あたしは自分でもよく分からないし、分かろうという気も起こらないものを欲していて、
そしてそれはあたしの時間の外にある。
だって生きるとか死ぬとかほんなもんぽーん飛び越してもうてるで、
時間が一秒とか一分とか一時間とか数えられるもんやのうて、
だからあたしがよしざーさんと一緒にいられて、キスされたり抱きしめられたり、
よしざーさんの指や舌や囁く声に感じている時、

あたしはよしざーさんとその日一時間とか二時間とか三時間一緒におるんやのうて、
結局数えられる時間は一秒だって存在せず、
ただあたしの一日が二十四時間の千四百四十分の八万えっと六千四百秒から、
二十三時間だったり千分だったり七万四千五百秒に知らんうちになっとるだけで、
あたしはその七万四千五百秒の一日をまるまる一人で過ごすんや、
よしざーさんのえん一人ぼっちの一日をまた生きなあかんのやざ。

たぶん失われた一万千九百秒は、
空っぽのあたしの一日と温かいばかりでもう何も分からない瞬間とどちらが失われた時間と呼ぶに相応しいのか、
失って惜しくないのは間違いなく前者だけど、
一万千九百秒のことはまあええの、ひっでええんよ。
でも本当に時計がカチカチ秒針を進めて区切る一日、
砂時計を延々ひっくり返す気の遠くなるくらい長い一日、
一粒の砂が落ちるだけの時間もよしざーさんと一緒にいられない日がある。

よしざーさんが悪いんじゃないあたしが悪いんじゃない、
ほとんどは仕事のため、それにときどきあたしやよしざーさんの家のことが入ってくるからで、
だから誰かを責めるわけにもいかなくて
でも八万六千四百秒が欠けることなく目の前にあるとあたしは泣きたくなるし愚痴を言いたくなる、
よしざーさんのことを責めたくなってしまうのだ。
ほんでよしざーさんにゴメンねって言うて欲しい。頭を撫でてあたしのご機嫌を取って欲しい。
一日はあまりに長すぎるよ、よしざーさん。
73 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/17(金) 01:36
更新お疲れ様です。
待っていてよかった。
74 名前:  投稿日:2006/02/19(日) 15:50

かたた。
ネットであたしたちに関係のありそうなところを適当に覗いて、気が向いたら書き込んでみたけど、
時間はまだ持て余すほど残っている。
たしかに一時間とか二時間潰れはしてもこんなことで一日は終わらないし、
こんな偽物を見て時間を過ごしても何の意味もない。

あたしにとって時間はそっくり跡形もなくなくならなければならないのであって、
過ぎたり潰れたりなんてのは死んでるも同然で死ぬよりも死んだ時間で、
ほやさけ時々あたしは死んでもたほうがよっぽど生きとることになるんやないのって思ったりする。
もちろんよしざーさんと一緒にいられるとき、死んでしまいたいとは絶対に思わないけど、

でも死んでもええという気分にはなって、
多分それは明日をどう過ごしたらいいかとかよしざーさんに次会えるのは何日後だとか、
ダラダラと延々続く生きるってことから完全に開放されて、
ただこのよしざーさんの体温を感じているだけなので、
今心臓が止まってもう時間が流れんようなっても構わんと、
頭で思う前に身体で全身で、心臓自体が決めてしまっているのだと思う。

だってよしざーさんの腕はすごく優しくあたしのことを抱きしめているのに、
あたしは胸が痛くて痛くて耐えられなくて、油断すると泣き出してしまいそうなのだから。
そんな顔を見せたらよしざーさんは決まって心配してくれるので、
その優しい慌てた表情、あたしはとても好きでじっと見ていたいけど、
困らせたくはないから泣き顔は見せないで、
甘えるふりしてよしざーさんの胸に顔を埋めた。
75 名前:  投稿日:2006/02/19(日) 18:06

ほしたらどこが違うんやろ、
あたしとしては完璧に隠したつもりなのに、
よしざーさんはぽんぽんと何も言わずに頭を叩いて、
でもよしざーさんのこれだって本当に甘えた時にもしてくれるもので、
ほなら変わんわとも思うのだけど、
でもやっぱり甘えた時のぽんぽんとは分からないけど違っていて、
あたしはこらえきれず涙を流してしまうのだ。

そのまま眠ってしまうときもあるし、どうにも胸が苦しくてよしざーさんの唇を求めたりする。
震える手でよしざーさんの首へ手を伸ばすと、あたしを抱きしめていたはずの腕がしっかりと捕まえ、
よっと小さな声と共に縮こまっているあたしを起こし顔を持ち上げる。
だからやっぱりあたしはよしざーさんの優しいちょっと困ったような顔を見ることになって、
よしざーさんはあたしが馬鹿みたいに泣いてるのを見ることになって、
すごく恥ずかしくて申し訳ない気持ちで一杯になるのだけど、
でもあたしの唇はよしざーさんの唇とくっつきたくて、
でもまだ離れているのでますます涙が溢れてきて近づこうとする腕の震えは止まらない。

その距離は10センチは信じられないほど遠くて、
あたしの頭はこのまま永遠に辿り着けないのじゃないかと思い始め、
身体の想いとは真逆のことを考え出し、もう少しというところで顔を背けてしまう。
そして初めからそのつもりだったみたいな振りしてよしざーさんの首の後ろに腕を回し再びぎゅうと抱きつこうと、
そんなのじゃ満足しないのに心臓の痛みは取れないのに腕の震えは収まらず何よりあたしの唇が、
でもあたしの頭はよしざーさんに裏切られた。
首筋に空しく口づけするはずだった唇はよしざーさんに奪われていて、
76 名前:  投稿日:2006/02/19(日) 18:25

自分の意思に反したことがこんなにこんなに‥‥ああもう頭わやくそなってもた、
あたしは栓が壊れたように泣いてしまい、
たぶんよしざーさんは驚いてどうしていいのかもっと途方にくれた、
それと同じくらい優しい表情になっているはずだけど、
もうあたしの目はボロボロと汚い涙を流すだけで開かず、
溺れた人が酸素を求めるみたいによしざーさんの唇を吸っていた。
自分では辿り着けんかったくせに、自分以外のもんは誰も近づけんよう独占して。

この時のあたしの時間はどれくらいだったのか、何時間よしざーさんの胸で眠りキスしていたのか。
二時間なのかもしれないし三分かもしれないけど、
それは0センチとか1リットルとか言ったほうがあたしには実感がある。
よしざーさんといる時あたしの頭はもうあたしの身体からまったく信用されていない、
求めてることの反対のことをして、
でもそれがよしざーさんに覆されることを望んでいる。

あたしの頭は完全に馬鹿になっているに違いなく、
そんな状態で時間の観念なんて持ちえるはずがなく、
ほやでほんまは0センチも1リットルも訳分からんのやけど、
この上なく幸せな虚脱状態で思い返すあのひと時は本当にあったことなのか確信が持てず、
むしろ嘘でもまったく構わないから、もっともっと奪って欲しいと思う。

あたしの持つ全部をよしざーさんに、
唇を奪い舌を吸われ、心臓を潰されて身体を跡形もなく食い尽くされてしまいたい、
それがあたしにとって生きているってことで、
この願いが叶うなら死んでも構わないし、叶わないなら死んでいるも同じだ。
だから今のあたしは死んでいる。一日ずっと死んでいる。
77 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/26(日) 00:33

『は? クスリ?』

だから電話というものがあってくれて良かった。
よしざーさんと遠く離れてその姿をちらとも見れずにただ愛しい名を呟く、
そんな空しい残酷な時間をいくらかでも減らすことが出来る。

「はい」
『はいって‥‥何それ聞いてないよ』
「あんれ? 言ってませんでしたっけ?」

よしざーさんの番号の呼び出しが始まるとあたしの胸は不安で暴れだす。
電源は入っているのか電波の届くところにいるのか、
今電話して大丈夫かこんなにしょっちゅうかけて本当は迷惑なんじゃないだろうか、
誰か他の人と一緒なのじゃないか、
コール音が一つ増えるたびによしざーさんはこの電話に出てくれんのやないか、
それもわざと出てくれんのやないかという気がしてきて、
もうきっとこの先ずっと出てくれんと半ば信じ始め、

『聞いてない』
「ほうでしたっけ?」
『うん』
「最近通っとるお医者さんが出してくれるんです、あ買うんは薬局やけど」
『ああ、医者』
「はい」

だから、高橋どしたと突然声が聞こえると驚いて思わず電話を切りそうになる、
いや実際切ったことがあった。
もちろんすぐさまかけ直しすいません高橋ですと謝るのだけど、
聞こえてくる声は笑って分かってるよ高橋だなって確認して出てるもん、
へへ、あたしも照れ笑いして何か話を、決まってどうでもいい話だけど始めて、
でもどこかで携帯に表示される高橋という文字を見たときやはりよしざーさんはたまには、
ひょっとしたらいっつも舌打ちでもしたい気分になっとるかもと、
78 名前:_ 投稿日:2006/02/26(日) 00:40

『どう?』
「はい?」
『だから医者。前一度行ってそれっきりかと思ったけど、何か怖いって』
「ほうなんやけど‥‥マネージャさんからええお医者さんやって紹介してもらったんです最近」
『へえ』
「はい」
『ふうん。いい感じなの?』
「どうなんやろ、まだ通い出してほんな経ってへんでよう分からんです。
 あ、ほやけどお薬きっついの出してくれとるんやろか? 飲んだらすぐ眠れるで」
『ええっ、強いクスリなの?』
「ちびっと、ちびっとですよ。ううん、きっとよう効くって思い込んどるで。や、あんま分からんですけども、きっと」
『気をつけなよ』

ほんでもよしざーさんは優しいさけ、
一呼吸してよしっと気分を切り替え明るい声を作ってからこの電話に出ているのであって、
出来ればあたしなんかのつまらない話には付き合わないで、
早くさっきまでの藤本さんとか里田さんとのおしゃべりに戻りたいと思っていて、
だからよしざーさんは遠く離れたところになんかでなく、
本当は来ようと思ったらものの十分ほどで来れるすぐ近くにいて仕事でもなく、
あたしには嘘をついて解放された時間を満喫しているに違いない。
79 名前:  投稿日:2006/02/26(日) 00:46

『でも、マジでさ』
「はい?」
『大丈夫なの?』
「何がですか?」
『や、クスリって言うとなんかさ』
「はい?」
『あれクラブとかで女の子がトイレに立ってる間に飲み物に混ぜられて、
 ささっとかき回したらもうすっかりとけちゃってもう見た目全然普通でさ、
 それで戻ってきた女の子に男が、さ乾杯しようかいえーなんてそっこー飲ませちゃうんだよ。
 女の子はなんで今乾杯? て思うんだけどいえーいて合わせちゃってグラスかちんとしたらさ、
 やっぱ少しは口つけずに置けないじゃん? それで少しだけ飲むんだけど、そしたらもうダメですよ。
 あれ酔っちゃった? 大丈夫なんて介抱する振りしてラブホに連れ込まれちゃって』
「よしざーさんサイテー」
『あたしじゃないって』
「ほん割りにひっでノリノリやった」
『ノリ‥‥テレビとかであるじゃん。ねえほら、よくっ』
「みんなによしざーさんと一緒ん時は飲み物に注意するよう言っとこう」
『ゴメンなさい調子乗りました。勘弁して』
「あはは」

アハハ、漏れ聞こえるのがよしざーさんと一緒にいる人の笑い声か、
それともただ側を通り過ぎた人のものか、今話しているよしざーさんのでないことは確かだけど、
電話の向こうにいる人たちがみんなであたしのことを笑っているのかも、
よしざーさんだってこの電話を切ったら話した内容を教えてひと盛り上がりするのかも、
嫌な考えがあたしの中でどんどん大きくなってくる。
でもほんなことない絶対ない、ないはずやげ。

『で』
「はい?」
『大丈夫なんだよね?』
「よしざーさんに気をつければ」
『じゃなくて』
「はい大丈夫ですよ」
『そっかあ、なら良かった』
「良かった良かった」
『でもそういう話もっと早く話して欲しかったかなって』
「あ、あのゴメンなさいっ。いらん心配かけたくなかったし、つまらん話やで‥‥ゴメンなさい」
『ああ、いいよいいよ別に怒ったんじゃないから』
「すんません」
『うん』
80 名前:  投稿日:2006/02/26(日) 00:55

よしざーさんは人のことを笑う人じゃないし、みんなに等しく優しいので、
ほやさけあたしのことをほんまはどう思ってたとしても悪う言うはずないと、
当たり前のことを当たり前に信じたいのだけど、
一人の部屋で話してるあたしと多分周りにたくさん人のいるよしざーさんとの状況を思うと、
どうしても不安でそれはあたしの言葉にも現れ試すようなことが多くなって、
よしざーさんはあたしのことを好きやと信じたくて、

「よしざーさん」
『ん?』
「あたしのこと好きですか?」
『えっ、何よいきなり』
「好き、ですか? 嫌い?」
『嫌いなわけないじゃん、高橋だって知ってるでしょ?』
「知りません」
『そんなっ、何度も言ってるだろ。高橋のこと‥‥だって』
「分かりません」

そう、よしざーさんは聞かれる度にちゃんと答えてくれて、
だから今更な質問だというのは百も承知なのだけど、
会えない寂しさを紛らすため楽しくおしゃべりしようと電話しているのだから、
もっと素直で可愛らしい女の子でいるべきなのだけど、
そうすれば聞くまでもなくもっともっとよしざーさんはあたしのことを好きになってくれるかもしれなくて、

『あの‥‥近くに人いるんだよね今』
「あたしのこと好き?」
『‥‥スキダヨ』
「全然聞こえません」
『高橋ぃー』
「聞こえません」
『‥‥イジワルッコ』
「違います」
『ほら聞こえてるっ』
「聞こえません」
81 名前:  投稿日:2006/02/26(日) 01:11

ほやけどあたしはうまく自分をコントロールできん。
そしてどこかでよしざーさんを困らせて快感を覚えていた。
今だってよしざーさんに怒られて、怒ってないと言ってくれたけど本当は少し腹を立てていたのは分かっている、
だからあたしも心の底からゴメンなさいすんませんて謝ったのだけど、
でもこのよしざーさんに怒られしゅんとなって謝っている時、
できたらこの場をもっと続けたいという気持ちがしていて、
きっとその心の痛みの分だけ自分がよしざーさんと結びついとると思えるからやないやろか?

よしざーさんに触れたくて触れられなくてどうしようもない今、
よしざーさんに触れてもらえないこの時、
あたしは目指すべき方向とは真逆の意地悪でうっとうしい女で自分で自分が嫌になるのだけど、
その自己嫌悪も込みでズキズキする胸の痛みの心地よさがあたしを動かし、
そしてきっとこんなあたしでも好き言うてくれるんやないかとうぬぼれているのだ。

するとよしざーさんはちょっと待ってと駆け出したようで、おっ何だここじゃ言えない話ですかーと茶化す声、
電話の向こうのバタバタいう音に呼応して心臓の鼓動はさらに激しくなった。
期待で一気に膨らんで不安でぺちゃんこになっているかのよう、
定まることなくあたしの感情はひっくり返り続けている。
次第に息が切れ頭の中がぼおっとしてきて、
自分がなぜ今携帯をぴったり耳に押さえつけているのかその理由すら忘れ、
だから空いた方の手が何をしているのかなどということは分かるはずもなくて、
ただパリパリいう耳障りな音が聞こえ、続いて何か小さな塊が口の中に入るのを感じた。
あたしはそれを紅茶で飲み下し呼吸を整えて、

『高橋のこと好きだよ、大好き』

もう走っていないよしざーさんの言葉を聞いた。
82 名前:  投稿日:2006/02/26(日) 01:18

「あたしも好きです、よしざーさんのこと大好きです」

恥ずかしそうなでもしっかりした声でいつもと同じことを言ってくれたことにあたしは感謝し即座に返答していて、
するとよしざーさんはありがとうと息をほおっと吐き、良かった聞こえてると呟いた。
はいしっかり、あたしは笑いを含んだ声で伝え、
するとさっきよりよしざーさんの表情が目に見えるような気がして、少し照れているけど嬉しそう、
一緒にいる時のあたしたちに近くなり、よしざーさんの手が優しく髪に触れるような感じがして、
心臓が止まっているのじゃないかというくらい落ち着いている。

「のおのお、よしざーさん」
『ん?』

もちろんそれはとても気持ちよく全身安らいでいて、
投げあう言葉が皆宙に浮かんでいるかのような、

「好きです、だーい好き」

ふわふわした感覚からいつの間にか眠りへと落ちていった。
83 名前:名無しさん 投稿日:2006/02/26(日) 01:28
更新終わります(本当の区切りはまだ先なんですが、ちょっと一気には書けないのでひとまずここで)。

ええと‥‥
すいません。色々すいません。
>>73の方 せっかくレスいただいたのに失礼なことしてすいません。
その他もろもろすいませんでした。

自らを追い込むために次回予告。二週間以内に10レス以上更新します。
84 名前:夢うつつ 投稿日:2006/03/20(月) 16:42

85 名前:  投稿日:2006/03/20(月) 16:47

おお、何て不思議な月だろう。あの色あの輝き、まるで死んだ女の肌のよう。
死んだ女の瞳のよう。

照明の落ちた部屋でテレビが青い光を放っている。
ひどく粒子の粗いため、どこまで光が届いているのか判然としない。
それでもすぐ前でリモコンを持ったままテーブルに臥せっている高橋はそれを浴び、
髪の毛が鈍く反射している。
「う、ん‥‥」
微かに身じろぎした拍子に光が目を射したのか、遮ろうと手を動かす。
こつん、リモコンが頭に当たり彼女は起きる。
頭に触れたものを見てそれからテレビを見、目をしばたかせる。
画面から青白い光が溢れている。

「うう、何?」
徐々に開くようになった目の端でテレビを見る。
ギリシャとかローマとかそういった古い西洋の城らしきものが映っている。
白い柱頭、大きなバルコニー。
しかし本物ではなく、奥行きのない書割のようで、
画面下の黒い濃淡はきっと観客なのだろう。
舞台端に帯剣した兵士が数人、
バルコニーには豪華な装いの男女が立っているが、冠から国王と王女か。
そして中央には白いひらひらとした衣装の女が一人。彼女は青い光に包まれている。
それは画面上段右隅に輝く異様に大きな満月で、彼女から現実的な質感を奪っている。
86 名前:  投稿日:2006/03/20(月) 16:59

「本当に欲しいのものは何でもと?」
それゆえ発せられる言葉も奇妙に揺らいでいて、彼女の口でなくこの青い光から出ているかのようだ。
「あかん、テレビ付けっぱなしやった」
高橋はリモコンを画面に向ける。すると舞台中央の娘が踊り始める。
身体を揺するとまとった布が大きく波打ち彼女に光を不規則に反射させる。
踊りは次第に激しくなり、比例して月光が青から赤く変化する。
ために彼女は血を振り乱しているかのようで、徐々に柱頭も染まっていく。
高橋はリモコンを置く。
ぼんやりと、だが大きく開いた瞳にテレビ画面が映っている。

「‥‥をくださいまし」
舞台を覆う光はまた青く戻る。
いや、月は娘が踊る前より妖しく輝いていて、その分さらに抑揚のない囁き声が響き渡る。
対して王たちの言い争い舞台端の兵士の慄きは緞帳越しのように篭っている。
高橋は瞬きをしない。
手がガラステーブルのものに触れ回る。リモコンやカップがカチカチと鳴る。
一人の兵士がぎこちない歩きで彼女へ近づいていく。
腰をかがめ両手で銀の盆を掲げている。黒い丸いものが載っている。
女はひと束の長い糸をつかみ上げる。黒いそれは宙に浮かぶ。
ひい、兵士はくずおれ銀の盆が落ちる。
回転しながら倒れる盆に月光が差し込み乱反射する。
高橋の指が今触れたものも光っている。力を込めるとぱきき、塩化ビニールが軋む。

手を動かすと黒いそれはぶらぶら揺れる。水が足元に滴り落ちる。
そこには踊っていた時の赤い照明が当てられている。水が溜まるほどに強くなる。
黒いものを両手に抱え持ち、ゆっくりと自らの顔に近づける。
死人のように青ざめた顔の荒れた唇が生首のそれを奪う。
舞台が不意に暗くなる。
87 名前:  投稿日:2006/03/20(月) 17:06

シルエットから彼女の口が生首から離れるのが分かる。
呼吸で胸が上下している。
「ああ、あたしはとうとう」
距離感のない声が響く。
「お前の口に口付けしたよヨナカーン。お前に口に口付けしたよ」
月が再び輝きだす。
国王が振り払うように身もだえし叫ぶ。舞台中央で一人陶然と月光を浴びる娘に兵士らが殺到する。
幾本もの剣が彼女の頭上に光を散らす。
獣のような叫びと共に照明が落ちる。
高橋は暗転した舞台を眺めながら手の甲で自分の唇に触れる。のどが動く。

「お前の‥‥」
呟くとまた手の中のものが鳴る。
銀色のビニールがほぼ真っ暗な部屋の中でぼんやり輝いている。
手を動かすと音がし光が揺れる。
「お前の口に‥‥口付けしたよ。口付けしたよよしざーさん」
取り出されたうち何粒かが口に含まれる。
残りはポロポロと下へこぼれた。
88 名前:  投稿日:2006/03/20(月) 17:18

初めどこにいるのか分からなかった。
ほとんど見えていないけど、上にあるのが自分の部屋の照明じゃないのは分かる。
ああ、そっか。ホテルだ、思い出した。
あたしは頭を振りながらベットサイドの灯りをつける。

「うう、なんだろ今の夢」
と独り言が口をついたのだけど、
その夢の方はもうどんなだったか思い出せなくなっていた。
あたしじゃなくて誰か、えっとそうだ、多分高橋さんの夢で‥‥ダメだ忘れちゃった。
でも何かあまりいい夢じゃなかった気がする、嫌な感じで。

「はあ」
そして時間を確かめるとまだ5時半だったりするわけですよ。
でも目はすっかり覚めてしまっている。
多分寝ようとしてももう寝れないだろうなあ。
「あーあ、暇だなあ」
ぼすんと腕を布団の上に落とし天井を眺める。

夢はもう完全に消えてなくなって、
代わりに他のことがどんどん頭を占領していくのを感じるんだけど、
あたしは照明の丸い輪郭を目でなぞって意識しないようにしていた。
「はあ、ふあむ」
油断すると勝手なことを言い出しそうなので出もしないあくびをかみ殺して口を閉じる。
さっきは色んな物音があったのに、今はしんとしていた。
キーンという音が聞こえる気がするけどただの耳鳴りかも。
89 名前:  投稿日:2006/03/20(月) 17:26

「あれ?」
変な感じがしたので顔に触れてみる。指に滴がついてきた。
「何泣いてんのあたし?」
何も考えずにただぼおっと天井見ているだけでどうして涙が出てるんだろう。
いい若いもんがこんな時間に暇持て余してるのが悲しいとか、そんな訳ないな。
まあ、馬鹿みたいに目見開いてたから自然と出てきたんでしょうよ。
反射ってやつ? 違うかも。

でも意味もなく涙を流してるのも悪くないんじゃないかって気がする。
何かヒロインみたいじゃないあたし?
外から見たんじゃ分からない秘密が心の中にあって、多分出生の秘密だね。
あたしはお金持ちの家のメイドで、その家の優しい一人息子と好き同士なんだけど、
実は血の繋がった兄妹だったみたいな。

「何だそりゃ?」
泣きながら昼メロのこと考えてる方がよっぽど馬鹿みたいじゃん。
それにもう涙止まってるから。
ほっぺたを伝っていく感覚がもうない。
でも目の上にもうひと滴あって、折角だからこれも流れてしまって欲しいんだけど、
どうも目の淵の堤防を越えるだけの量がないみたい。
残ったままだから目の玉が動くとき視界がちょっとぼやける気がする。
照明の円が歪むような。

だからすっとまぶたを閉じた。きゅうっと力を込めるんじゃなくて軽くすっと。
すると最後の涙粒がぽろっとこぼれた。
勢い良くあたしのほっぺたを滑っていった。
こそばゆくて、気持ちよかった。
満足したからパジャマの袖で顔を拭う。
薄暗いなか顔に触れた辺りの布地を確かめると湿り気を感じたので、意味ないけどまた嬉しい。
90 名前:  投稿日:2006/03/20(月) 17:33

首のところで何か震えている。
枕の下に手を差し入れると、いつの間にか携帯が潜り込んでいた。
メールかあ、と時間とかすっかり忘れて普通に確認したら、
がばってベットの上に起き上がってしまった。
て言っても別に変なメールじゃなくて、
里沙ちゃんからのってだけでこれから行くからねってだけで、ただそれだけなんだけど、
だから大したメールじゃないんだけど、里沙ちゃんがこれからここに来るってだけなんだけど‥‥
どうしよう。

どうしよう? 何が? 里沙ちゃんが遊びに来るんでしょ?
いつものことじゃん。何がどうするのなわけ?
はいどうぞ、いつでも来たらいいじゃない。
「でもそれまで寝させてもらいますからね」
あたしはまた横になって布団をかけ、ぎゅうと目をつむった。ぎゅうぎゅう。
もう涙は出なかったけど、そんなこともう少しも考えないで、
代わりに頭の中で眠る眠ると繰り返した。

ごおお、遠くで物音が聞こえ、思わず布団の端を握り締めた。
それは近づいてこないで結局何の音か分からないまま消えたけど、
もう静けさは帰ってこなかった。
朝が近くなっていきなり活動が始まったのかも知れないし、
もしかしたらここは一晩中うるさいホテルだったのかも。
分からないけど何かしら耳障りな音が続いて止んでくれなくなった。
91 名前:  投稿日:2006/03/20(月) 17:38

あたしはそれを打ち消そうとして、羊の大群を連れてくる。
柵を次々に飛び越えさせた。
隙間があると外の音が入り込むので、羊はどんどんスピードアップした。
その内一頭が柵を突き破ってしまって、それからはもう右から左に駆け抜けていくだけだった。
でも音は止まなくて、むしろすごく近くから聞こえるので、どういうことって思ったら、
「42、43、44、454647‥‥」
ぶつぶつ言うあたしの声だった。

はあ、何か疲れてため息をついた。布団を頭の上まですっぽりと被る。
くしゃくしゃだったので足が外に出てひんやりした。
もう羊さんにはお帰りいただいて頭の中は勝手に思い浮かぶことに任せてしまおう。
途端に彼女のことが浮かんで来たので、ははっと笑ってしまった。
何だろあたし、こんなにあれだったけ? てあれって何よ?

「分かんなーい」
明るい声を作って浮かんだ想いを吹き払うように掛け布団を腕で突き上げる。
でも冷たい空気が入って来るし、馬鹿みたいだし、て言うか疲れていたから腕を下ろした。
そしたら勢い良く顔に落ちてきた。
「ぶっ」
声が漏れた。それからすんと鼻をすすった。
92 名前:  投稿日:2006/03/20(月) 18:01

十秒くらいそのままいたら、ごごんと廊下の突き当たりから音がした。
あたしは跳ね起き、そちらの方へ耳をすませる。
人の歩く音、それもこちらへ近づいてくる音が聞こえた。
壁を透視できるわけでもないのにメガネをかける。
「来たっ」
でも里沙ちゃんに間違いないと思った。理由なんかないけど絶対そうだ。

どうしよう、どうやって迎えたらいいんだろう。
ようこそーってあたしの方から笑顔でドアを開けてあげるべきなのかな?
でもそれじゃあたしが里沙ちゃん早く来ないかなって心待ちにしてたみたいじゃない。
そうよ、それで一晩中寝ないで起きてたなんて思われたんじゃ困る。
絵里ちゃん期待してたの? なんて思われたりしたら‥‥
違うもん、期待なんかしてないもん。だって怖いし。
里沙ちゃんがくるっと向き変えて帰ってくれたらって思うけど、
でもそんなことされたらあたし本気で泣くかも。

なんて里沙ちゃんが約束破ったりなんてするはずなくって、
ほらもうはっきりと足音が聞こえてる。
「ぷ」
忍び足で歩ってるみたいだけど、しっかり聞こえてますよっての。
ぱたぱたぱたぱた何本足があるんだか。まるで一人じゃないみたい、あれ?
あ、でももう来ちゃった。どうしよう、どうしたらいいのあたし?

「やっぱり寝た振りだね。うん、そうしよう」
と布団の下に戻った。すると布団でメガネがずれた。
外せばいいのにどうしてかあたしは一々当たる布団の下でずれを直す。
突然、カギ開けなきゃ里沙ちゃん中入れないんだから、寝た振りって無意味かもと閃いた。
じゃあ起きよう、決心し電気もつけた。
すると明るい光の下で見る部屋がとても汚いのに我ながら驚いてしまった。
93 名前:  投稿日:2006/03/20(月) 18:12

やっぱり服脱ぎっぱってダメだよ、大事な日になるってのに。
ちゃんと畳んだりハンガーに掛けとかなくっちゃ。
と寝る前に触った覚えが微かにあるハンガーをベットの上から探すのだけど見つからない。
「うそ、どこやったのあたし?」
無ければ見えないところに放り込んでおくのでも十分だったのだろうけど、
あたしは変にパニくっていて、捜し歩くでもなく島から動かず、ただ頭を猛烈に回していた。

がちゃちゃ、ドアのところから金属質の物音が聞こえた。
足音はもうない。
来ちゃった、驚いたあたしの目にもう一つ驚きが。
「何でハンガーそこにあるの?」
探し物がドアノブにかかっている。

慌てて取りに行こうとすると、またドアから音。どうも鍵穴をいじっているみたい。
え、里沙ちゃん何? ピンポン押してくれたらあたし開けるよ。
もしかして無理矢理? あたし無理矢理襲われちゃうの?
里沙ちゃんがそんな積極的になれるなんてビックリって言うか、ちょっとカッコイイかも、
てあたしにも心の準備ってものが必要で、ううん、準備はしてたけど、ううん、嫌じゃなくって、
もしあたしからって言われても出来ないからそっちの方がいいかもしれないけど‥‥

がちゃり。ドアが開いた。
「あれ? 何このハンガー」
藤本さんが言った。
「あ、亀起きてる」
里沙ちゃんが言った、下手な芝居で。
カメラマンさんは不満げな顔をしていた。
94 名前:  投稿日:2006/03/29(水) 20:56

95 名前:  投稿日:2006/03/29(水) 21:04

「お疲れー」
「お疲れ様でしたっ」
「またねー」
帰り支度の済んだメンバーが次々と部屋を出て行く。
言葉通りもう帰る者、次の仕事へ向かう者。

「絵里、今日終りでしょ? どっか寄ってかない?」
道重が話しかける。
「うーん、これちょっと時間かかりそうだから無理。ゴメンね」
と亀井は書きかけの紙を振ってみせた。
「雑誌のアンケート? それくらいなら待っててあげるよ」
「うん、でも一つじゃなくて三、四つ‥‥待っててくれる?」
「帰る」
「早っ」
「ごめーん」
「ウソ、いいよいいよ。また明日ね」
亀井は笑って手を振った。
じゃあね、言いながら道重はもう駆け出していて、先に出た誰かを捕まえに行った。

「さて」
紺野がようやく荷物をまとめて立ち上がった。
「あれ? 帰らないの?」
聞かれたのは新垣で、紺野がいることに気付いていなかったのかひどく驚いた。
「えっ、あたし? いやその、うん帰る帰るよ」
「そ? じゃあ、同じ車で送ってもらおっか」
「あーそのー、えっと‥‥」
新垣はあたふたと前頭部を手のひらで叩いて、
「ああっ、あたしちょっと残ってやることあって」
96 名前:  投稿日:2006/03/29(水) 23:55

「何?」
「え? えーとあれ、そう、あれ」
「ん?」
紺野は首をかしげ、それからちらと後ろの椅子を確認した。

「あれよ、うん」
紺野の手がパイプ椅子にかかる。
腰の屈み始めるのを見た新垣は、しかし具体的な理由は出てこなくて、
「そう、あれがあったんだよねえ。ちょっと時間かかりそうでさ、あさ美ちゃんまた明日っ」
立ち上がって力の入った挨拶をした。じゃっ。
「ああ、うん。また明日」
紺野は椅子から手を離した。

さてじゃあ帰ろっかなと彼女は呟いて、念のため忘れ物がないか確認する。
もうみんな出ていて、一人二人残っていそうなマネージャも今はどこかへ外していた。
テーブルの上のお菓子のゴミがさっきまで人に溢れていたことを示しているが、
幸い紺野のも他のメンバーのも忘れ物は無いようだった。

そんな本来の広さを取り戻した部屋の真ん中で、一人亀井が色鉛筆を走らせている。
しーかっか、しるる。
かっかしーとA4ほどの紙の四隅に何か書き込んでいた。
あ、紺野が亀井に声をかけようとする。と向こうでもちらっと視線を上げた。
でもそれは自分から外れている。
紺野は小さく頭を弾ませ点線をなぞった。

「ふーん」
再び新垣に向き直った彼女は意味ありげに微笑む。
「な、何?」
「いえいえ、帰ります今すぐ帰ります」
下ろしていたカバンを肩へかけた。

「そう? あ、でもやっぱあたしも帰ろうかなあ」
「いいからいいから」
新垣の両肩を押して座らせる。
それから耳元へ口を寄せ、頑張ってねと囁いた。
「何っ、を‥‥」
新垣が聞こうとした時には彼女は普段にない早さで姿を消していた。
97 名前:  投稿日:2006/04/04(火) 00:46

室内にはただ鉛筆の音だけがしている。
新垣はあれをしているのか、自分の持ち物をそっと広げたと思うとまたそっと仕舞っていた。
ぱさ、紙のひるがえる音がして、見ると鉛筆はテーブルの上にある。
ころころと転がってから止まった。
新垣は慌てて立ち上がった。

しかし亀井はその下にあった紙を具合の良い位置にすえると鉛筆を取り直す。
どうやら新たなものに取り掛かったようだ。
と同時に椅子の引きずられた音をそれとなく上目で確かめた。
するとまともに視線がぶつかった。
亀井はすぐに顔を伏せ手を動かす。

あ、ああー、新垣は声を出そうとしたが変にかすれた。
「ううん。あっ、絵里ちゃんまだ帰ってなかったんだね」
ハキハキした声を作った。
沈黙。
新垣には動かない亀井の頭と止まらない鉛筆が見える。今使っているのは緑色だ。

仕舞い残していた荷物をすべてまとめ亀井の方へ近づく。
そしてすぐ横へ回ると、
「あれっ? 絵里ちゃんまだいたんだ」
より大きな声で聞いた。
びくっ、耳元の声に驚いてしまった亀井はゆっくりと頭を上げた。
代わりに手はぱきん、色鉛筆を置いて止まった。
98 名前:  投稿日:2006/04/04(火) 00:57

「まだいますけど悪い?」
亀井は言って、だが三秒ほど待って返答が無いので、また紙を塗りつぶす。
ごりごり、ずじーと力強い渦巻きが引かれた。

「わ、悪くない悪くないっ」
新垣は頭をブンブン振った。
しかし相手はもう真下へ顔を伏せているので、そーっと腰をかがめながら動かした。
後ろ手で椅子を探し、静かに腰を下す。
亀井はがたた、音を立てて自分の椅子の向きを変えた。
半ば背を向けられた新垣はそれに気付かないような振りをして、
「そうだ、終わったら一緒に帰ろうか? あ、でもまだ早いからどこか寄ってく?
 そうだそうだ、この間紹介してたスイーツ行ってみようか、ねえそうしよう?」
「やめとく」
「えっ? あれ、だって‥‥絵里ちゃんすごいおいしそうって言ってたじゃん」
「今お腹すいてないから」
「ええー、別腹でしょ別腹ー。いつも絵里ちゃん甘いものだったらいくらでも入るって、ケーキとか鯛焼きとか、
 アハッ、何時だったかでっかいお好み焼きも、これはスイーツだってペロリといっちゃったじゃん、どうしたのー?」
「絵里がデブだって言いたいわけ?」
「いやいやいや、違う違う。絵里ちゃん全然太ってないし。でもあの店今度絶対行こうねって言ってたから‥‥」
「じゃあ、今度さゆと行って来る」
ごりごー、じゃじゃっ。それで書き終え、次の紙を引き出した。
所々鉛筆の跡がついていた。

「あの‥‥絵里ちゃん?」
恐る恐る表情を覗こうとしながら新垣は尋ねる。
「何?」
するとしわの寄った眉間が見えた。
「何ってその‥‥何か怒ってる?」
くわっ、一瞬それが深くなる。
しかし亀井はなだらかに戻してから、分からないなという顔で、
「絵里が? 何で?」
「なら、いいんだけどさ‥‥」
新垣は頭をかいて黙った。
再び鉛筆の音だけの室内。
99 名前:  投稿日:2006/04/04(火) 01:08

「じゃあさ」
静けさを破らないように小さな声。
「何?」
手が休めずに。
「怒ってないんだよ、ね?」
「怒ってないよ」
「そう、良かった‥‥」
がりり、ぎぎ。

「里沙ちゃん」
「は、はいっ」
亀井の呟くような声に全身で反応する。
「里沙ちゃんは別に、絵里怒らせるようなこと、してないんだよね?」
そっと居住まいを正して新垣は、
「そう、思うけど‥‥」
「そう」
すると亀井は伏せていた頭を上げ、初めてまっすぐ相手を見た。
思わず新垣の方が視線をずらしかけ、だが意識して向かい合う。

「そっか」
言って亀井はふんわりと笑った。
「ならいいんじゃない? あたし怒ってないよ里沙ちゃんのこと」
新垣は黙って少し口をすぼめる。
「どうかした?」
聞かれてううん、首を振った。そしてぎこちなく笑って、
「そっかあ、良かった。そうだよね、大丈夫だよね」
「さてと、やっと終わったあ」
亀井は鉛筆を仕舞う。紙をテーブルに当てて揃えた。
カバンに筆記用具や化粧品を放り込んでいく。

食べ残したお菓子を蓋する前にポッキーを一本取り、ぱきっとくわえた。
「食べる?」
見ている新垣にも勧めると、
「ああうん、ありがと」
彼女は素直に取って食べる。
受け取る時に視線を外したまま俯き加減で、味わう風もなく飲み込んだ。
「もっといいよ、余ってるから」
「うん、でもいいや」
「そう」
「うん」
100 名前:  投稿日:2006/04/04(火) 01:21

「じゃあたし帰るね」
「うん、バイバイ」
「バイバイ」
亀井は荷物を持って立ち上がった。
がっがっ、椅子が床を滑らず、跳ねるようにして後ろへ下がった。

「里沙ちゃんは帰らないの?」
「ううん、帰るよ」
新垣も立ち上がる。テーブルから離れているのでそっと立った。
「じゃあね」
亀井は笑顔で手を振ると今書いたものをマネージャに手渡しに行く。
「またね」
返事をした時にはもういなかった。

新垣は一人になった部屋を見渡し荷物を持つ。
傾けた頭に手を突っ込んで髪を乱した。
「怒ってんじゃん」
はあ、とため息をついて部屋を出る。亀井がいた。
前に立つマネージャの手に奇妙な絵の描かれた紙がある。
新垣に気付いて、
「あれ、新垣もまだいたの?」
「あ、はい。もう帰りますけど」

亀井が振り返った。
「じゃあ、里沙ちゃんうち来ない? 何か約束ある?」
喜びのあまり新垣は少し咬みながら、
「にゃい、ううん、ない何もないよ。じゃじゃあ絵里ちゃんち行こっか? うん、遊ぼ」
彼女の元へ駆け寄った。
101 名前:名無しさん 投稿日:2006/04/04(火) 20:53
更新終わります。

次回予告はまったく守れてませんね。
102 名前:名無しさん 投稿日:2006/08/13(日) 16:00

作者です。もう少し頑張ってみようかなと思うので、よろしくお願いします。
103 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/14(月) 00:28
ああ、よかった
期待してるんでがんばってください
104 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/11/13(月) 23:43
待ってます
105 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/04/09(月) 14:43
更新待ってます

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