bazaar〜バザー〜
- 1 名前:王苺丸 投稿日:2005/03/18(金) 03:22
- 昔書いて、放棄していたけども最近無理矢理完結させた、そんな物達を出してみようと思います。
自分の中ではバザー開催、と言ったところです。
こんなものでも着ます、という方はどうぞ。
- 2 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/18(金) 03:24
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『Death Word』
真っ白い教会で、真っ白なウェディングドレスに身を包み、家族や大勢の友人や親類の祝福を受け。
人生のパートナーを目の前にした時。
私は何を思うんだろう。
「―――――この者を愛し、健やかなる時も、病める時も、いかなる時もこの者とともに生き、
死がふたりを別かつ時まで、ともに人生を歩み続けることを誓いますか?」
「誓います……」
「では指輪の交換を」
「誓いの口付けを」
悦び?幸福?
或いは困惑、絶望、虚無。
その答えを、私は幼い頃からずっと求めていた。
- 3 名前:Death Word 投稿日:2005/03/18(金) 03:29
-
あたしには好きな人がいる。
もう好きになって10年以上経つ。
一口に10年と言うけど、あたしに取っちゃ人生の殆どだ。
「ごぉとー早くしないと遅刻するよ!」
「はぁーい」
「もー無理。置いてく」
「ヤダ待って!!」
「もう待たない。先行く。じゃね」
「ダメ!!!いちーちゃんが一緒じゃなきゃ学校行けない!!!」
ずっと好きで、そしてずっと片想い。
また今日も、小さな駆け引きから朝が始る。
小さな小さな、でもあたしにとっちゃ、凄い大きな、駆け引き。
“好き”
その短い二文字が、あたしにはとてつもなく遠く、重い。
これはあたしに取っちゃデスワード。
つまり、そう。
―――死んでも言えない
- 4 名前:Death Word 投稿日:2005/03/18(金) 03:38
-
*******
「へへへ……ごめんねーちょっと今日ごとーバッドヘアーデイでねぇ」
「何それ」
鏡を見て髪を弄りながら、いちーちゃんと肩並べて歩く。
たまにチラッて、鏡でいちーちゃんを見る。
「髪がなんかどうやっても上手くいかない日ってない?」
16歳の後藤は、保育園時代からずっと、毎日こうしていちーちゃんに迎えに来てもらって、毎日一緒に登校してる。
一個上のいちーちゃんが入った高校にまで頑張って勉強して追っかけてきたのは、一緒にこうして登校したかったからで。
「で、そーゆー時ってごとーすっごいイライラしちゃって、ドラーヤー投げ捨ててお風呂場行って、髪洗っちゃうんだけど、それで乾かしたらなんかまた髪まとまらなくてって、もーそうなったらバッドヘアーデイなの」
少しでも側にいたかった。
毎日いちーちゃんの顔が見たかった。
「ふーん。いちーは上手くいってるとかいってないとかそれ自体いまいち分かんないけどね。
どーなのこれって首傾げながらカバン持ってダッシュで家出る。寝癖ついてもけっこーそのまんまだよ。」
「あはは。だからごとーがやったげるっていつも言ってるのに」
「やったげるって……だったら朝早起きしていちーん家来てもらわないと無理じゃん」
成長期のいちーちゃんの変化に少しずつ気づくのも、後藤にとっては嬉しいこと。
「違うよいちーちゃんが家に迎えに来た時に、上がって一緒に髪セットすればいいじゃん。」
「そんな事してたら二人して遅刻すんじゃん」
「じゃ一緒に住んじゃえばいーじゃん」
「髪の為にそこまでする意味が分かんないし」
「あ、そっか。あはっ」
それに大嫌いな朝も、大好きな人が目の前にいたら大好きな朝に変わる。
- 5 名前:Death Word 投稿日:2005/03/18(金) 03:39
-
「つーかねー人は人の髪なんて気にしてないでしょ。みーんな自分ばっかだからね気にするのなんて」
「そーかな。ごとーは意外と人のも気にするけどね」
「ほー……すんごい意外」
「なんでぇ?ごとーいちーちゃんの髪ちゃんと毎日チェックしてるよ。
今日はねー後ろが右っかわに流れてる。お風呂上がって、髪乾ききってないうちに寝たでしょ。
それも左向きで寝てた。」
「おー正解。ごとーコナンみたいだね」
「えへへへ……。何気に頭いーんだよごとー」
「そゆとこだけね」
「むぅ違うもん」
いちーちゃんを前にすると、後藤は天才になる。
頭がフル回転して、完璧な計算を繰り出すんだ。
一つもミスのない、完璧な計算。
一日に何十回も、後藤はいちーちゃんに恋の駆け引きをする。
色んな駆け引きに対するいちーちゃんの反応をいっぱいいっぱいチェックして、データとして頭ん中に蓄積させる。
積み上げてきた過去のデータを引っ張り出して、ほんの少しも矛盾が無いか、照らし合わせる。
- 6 名前:Death Word 投稿日:2005/03/18(金) 03:40
- 初めての駆け引きは、保育園の時だった。
『いちーちゃんいちーちゃん』
『んー?』
『まきね、さくら組の安倍君の事好きになっちゃった』
初めての駆け引きでもあり、初めてのウソ。
保育園の砂場でいちーちゃんと一緒にお山作って遊んでる時だった。
後藤と、いちーちゃんと、そこにはもう一人、りかちゃんがいて。
りかちゃんとばっかり喋ってるいちーちゃんを見てるうちに、自然と、ほんと無意識にその言葉を発してた。
何でそんなウソをついたのか、その時は全然分からなかった。
さくら組の安倍君は凄いモテてて、でも後藤喋った事殆ど無かったし、好きになる理由もなかった。
なのに、口から自然と、そんな言葉が出てた。
いちーちゃんは、後藤の初めてのウソ・初めての罪に対して、こう言った。
「良かったねぇ」
それだけ。
それだけ言ってニコリと笑った。
その次の瞬間にはもう、いちーちゃんのハンモックの袖を引っ張るリカちゃんの方を向いてた。
- 7 名前:Death Word 投稿日:2005/03/18(金) 03:41
- 後藤は、三人で作ったお山をクシャリと潰して、「あー潰れちゃった……」と言って泣いた。
ヒックヒックと嗚咽を漏らしながら、わんわん泣いた。
いちーちゃんは、「また作ればいいから泣かないで」と言って、後藤の頭を撫でた。
泣いてる後藤をなだめようと、一生懸命お山を作ってくれた。
凄い勢いで作ったお山は、凄いイビツで。
「ほら!ほら出来た!」と、後藤の方を振り向いて言ったいちーちゃんの顔は、焦ったような困ったような顔してて。
いちーちゃんのその姿を見て、この気持ちはお姉ちゃんが言ってた“ハツコイ”ってやつなんだって分かった。
そしてその時後藤は誓ったんだ。
“いちーちゃんの口から『好き』って言ってもらえるまで、ごとーは絶対その言葉を口にしない”
と。
こうして後藤の恋の駆け引きが始った。
まだ、5歳だった。
- 8 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/18(金) 03:43
-
「―――て事だから、明日はちゃんと起きてね頼むから」
「ん?あ、ごめんきーて無かった」
「……明日一緒に遊園地行こうって駄々こねたのごとーじゃん!ちゃんと聞け!ったくもー」
ペシッと腕を叩かれるのも、後藤に取っては嬉しい事。
「ごめんごめんちょっと考え事してて」
そう言ってヘラっと笑う。いちーちゃんに怒られるのは嫌いじゃない。
「だからさ、丁度よしも同じ日に遊園地行こうとしてて、一緒にいこうって事になったんだってば」
「は!?きーてないよ!!」
「今言ったじゃん」
「ダメだよそんなの!!」
「ダメってなんで?」
「だって二人で行く約束じゃん!!」
「別に“絶対二人で行こう”なんて約束してないじゃん」
「でもごとーがいちーちゃんに行こうって言ったんだよ!なんでいちーちゃんがよしこに行こうって誘う必要があるのさ!」
「必要っていうか、話が合った。沢山いた方が楽しくない?」
- 9 名前:Death Word 投稿日:2005/03/18(金) 03:44
-
「ヤダ」
「なんで?」
明日はいちーちゃんとのデートなんだ。
デートに付き添いなんていらないもん。
「ヤダからヤダ」
いちーちゃんに、間接的な主張をしてみる。
「だからなんでって」
「二人がいい」
ギリギリの、告白。
「だからー理由言わないと行かないぞ!」
遊園地に行く事にここまで二人に拘れば、いくら鈍感な人だって、少しは何か思うだろう。
でも後藤のこれも、ちゃんと計算の上での事。
「もー鈍感だなぁーいちーちゃんは」
「何が……」
鈍感ないちーちゃんに、悪魔のプレゼント。
「だって一人ハブになるじゃん」
「は?」
「三人で遊園地行くのなんか一番タブーだよ」
「……そんなタブーいちー知らないし」
「二人乗りでしょ?アトラクションてさーたいてー」
「あ、なるほどね……」
後藤の駆け引きは、ホントにヤらしいもので。
誘惑も沢山するし、あなたの事が好きですみたいな主張もする。けど、ちゃんと逃げもする。
その上で、いちーちゃんの気持ちに探りを入れる。
後藤の事どう思ってるのか。アンテナぴんって立てて、言動の一部始終を細かにチェック入れるんだ。
ほんの少しも、見逃さないように。
- 10 名前:Death Word 投稿日:2005/03/18(金) 03:45
-
後藤はいちーちゃんの前に回りこんで、顔覗き込むようにして、ニッと笑った。
「三人で行ったら、いちーちゃんハブにしちゃうよ?」
鏡見て何度も何度も練習したごとーさんご自慢の笑顔で、また一つウソをつく。
三人で行ったら、何がなんでもよしこをハブにする。
いちーちゃんとのデート、邪魔なんか誰にもさせない。
例え仲のいい親友でも。
「あーその心配はないよ」
「へ?」
「三人じゃないから」
「え…あ、もしかして……」
「そう。よしがいるなら?」
「りかちゃんワンセット」
「ピンポーン♪」
―――――――
―――――
――
―
- 11 名前:Death Word 投稿日:2005/03/18(金) 03:45
-
―――――――――
「よしこぉ。明日の話いちーちゃんからきーたー?」
「あーうん。ごっちんちゃんと起きてよー」
「ダイジョブダイジョブ。ごとー待ち合わせに遅れた事はないから」
「“いちーさんとのオデカケの待ち合わせに”。でしょ?」
「……別によしことの時だって無いじゃん……」
「日記確かめます?」
「いえ、えんりょします……」
よしこは、後藤の気持ちに気付いてるんじゃないかと思う。なんとなくだけど。
鈍感なよしこが分かるくらいだから、きっと周りからみたらバレバレなんだろう。
けど、いちーちゃんは全然気付いてくれない。
『ごとーってさぁ3組の白井ってやつの事好きってホント?』
『は……?』
『なんか噂で聞いたんだけど』
『さー、ホントかもね』
『あ、照れるなよぉ〜別に隠す事ないじゃん幼馴染の仲なんだからさぁ〜』
『照れてないよぉ』
噂に振り回されるいちーちゃんがキライ。
側にいながらごとーの事なんも分かってないいちーちゃんがキライ。
でも、いちーちゃんにヤキモチ妬かせる事に必死な自分はもっとキライ。
- 12 名前:Death Word 投稿日:2005/03/18(金) 03:46
-
―――――
「ごめんなさ〜〜い!!髪がどうしても上手くまとまらなくて!!!」
珍しく梨華ちゃんが待ち合わせ時間に遅刻。
珍しく後藤は待ち合わせ時間の30分も前に到着。
「も〜〜りかちゃ〜〜〜ん」
よしこが呆れた声を出したけど、顔は全然怒ってないのがよしこらしい。
「いーよいーよ。遅れたのたった10分じゃん」
いちーちゃんなんて、どーいう訳かフォローなんかしちゃってさ。
ごとーの時なんて絶対怒るのに。
こーゆーとこ、昔からキライ。
りかちゃんには甘いいちーちゃん、凄い凄いキライ。
- 13 名前:Death Word 投稿日:2005/03/18(金) 03:47
-
―――――
駅で買ったおやついっぱい膝に乗せて、遠足気分で電車に揺られていた。
後藤とりかちゃんが隣同士で、向かいにいちーちゃんとよしこ。
後藤の前には勿論いちーちゃん。
けど外ばっかり見てるいちーちゃん。
後藤はガラスに映ってるいちーちゃんばかり見てる。
「いちいさんなんか今日カッケーですねぇ」
「ん?どこが?」
いきなりのよしこの言葉に、手を広げて自分の服をキョロキョロと見回すいちーちゃん。
後藤が思ってた事よしこに言われてちょっと悔しい。
「うん。いちーちゃんなんか今日カッコイイよ」
負けず嫌い後藤も、心臓バクバクさせながら、頑張って言ってみる。
元々いちーちゃんはラフでカジュアルな格好が多く、基本シンプルイズベストな人だ。
でも今日はいつもよりハードでちょっとゴス系の格好してる。
ゴツめのブーツにカーゴパンツにロゴ入りの七分袖ジップアップ。
いつも適当で寝癖なんかついてるショートヘアも今日はバッチリセットしてて、やたらきまってる。
もっと良くみたいけどきっと顔に出てバレちゃうだろうから、チラチラとしか見ていないけど、でも文句無しにカッコイイのは確かだった。
「あたしも思いました!」
挙手までしちゃってるりかちゃんに、「手ぇあげなくていいから」と突っ込むよしこ。
いいよねりかちゃんは。ちゃんといつもよしこにフォローされて。
「なんかちょっとパンクっぽくて、いいよ」
ドキドキしながら、勇気振り絞って言う。
こういう一言がどれだけエネルギー使うかとか、きっといちーちゃんはわかんないんだろう。
でもへーきな顔して、サラッと言うんだ。
言った後藤の顔を、いちーちゃんがじっと見てくる。
別にじっと見てる訳じゃなくて、ただ見てるんだろうけど、バチッと目があって、後藤は思わずガラスの外に視線を逃がした。
- 14 名前:Death Word 投稿日:2005/03/18(金) 03:48
-
「ごとーもなんか今日可愛いよ」
うっと心臓が詰まる。
すぐに、頭ん中にダイキライな数学の授業を放り込む。そして、いちーちゃんの言葉を上から数字で塗り替える。
そしたら頭ん中が冷たくなって、込み上げてくる感情も抑圧できる。数学は人生の役には立たないってみんな言うけど、恋の役に立つ事を後藤は知ってる。
沢山一緒にいれば、こういう言葉を運良くもらえる事も、何度かある。
でも確率的に言うと、こういう事が無い方がおかしいって事もわかってるから、素直に喜べない自分がいる。
時間配分で言うと、きっと確立的には低いんだろうと思う。
ホント、滅多にないから。いちーちゃんがごとーを褒めるのとか。
そう。後藤は実は凄い論理的で現実的なんだ。
きっと誰も知らないだろうけど。
いちーちゃんの側にいると、後藤は夢を見る事もロマンチストになる事も出来ない。
恋する可愛い乙女にもなれない。
- 15 名前:Death Word 投稿日:2005/03/18(金) 03:49
-
「二人して褒め合っちゃって、熱いっすねぇ〜」
からかうよしこに、いちーちゃんは「君等の方が十分熱いよ」と苦笑しながら言った。
丁度梨華ちゃんがよしこのゆで卵の殻を剥いてあげてるとこで……。後藤ってホント運が悪いなと思う。
もし殻を剥いてなかったらいちーちゃんは何て言ってたんだろうとか、色んなパターンを考えてしまう。
「はいあなた♪あーん♪」
「あーん♪」
ジョークだか本気だか良くわかんない二人のこういうやり取りは、日常茶飯事。
りかちゃんはよしこだけじゃなくいちーちゃんにも甘えるし、だからこの二人もいまいち分からない。
よしこは誰にキャーキャー言われてもチヤホヤされても、誰にでも笑顔だし。
みんなみんな、何考えてるのか全然分からない。
ていうか、きっとみんなそれが自然な事で、計算でもなんでもないんだろうと思う。
実際りかちゃんもよしこも凄く人当たりが良いし、みんなに好かれてる。
きっと、自分が沢山計算してて、だから人も計算してるって思い込んでて、だから人を探ってしまうんだろう。
なーんも考えないでそのまんまで受け止めれればどんなに気持ち良いのかなとか、たまに思うんだけど。
「いちーちゃんごとーの卵剥いてよ」
でもいちーちゃんの事が好きなうちは無理。
「え〜〜いちー下手糞なの知ってるじゃん」
「ごとーよりはぜったいうまいもん。いちーちゃんむいてよぉ」
いちーちゃんを前にすると上ずった甘えたような声や言葉遣いになっちゃうのとか、それだけは計算じゃないんだけど。
自然とこうなっちゃうから、やっぱ好きなんだなぁと思う。
「ていうか、よし!ゆで卵持ってくんのいい加減やめなさい」
笑いながら、結局後藤の卵を剥くいちーちゃん。
そーゆーとこ、好き。
みんなして笑って、ガタガタと走りつづける電車に揺られながら、後藤に取ってのダブルデートはスタートした。
- 16 名前:Death Word 投稿日:2005/03/18(金) 03:50
-
――――――――
アトラクション散々乗って、お決まりのお化け屋敷でのしがみ付きもしっかりやってきた。
チャンスとばかりに、いっぱい抱きついて、幸せいっぱいのごとー。
出てきた時にあまりに笑顔だったから、よしこに「お化け屋敷から満面の笑み浮かべて出てきた人初めてみた」と皮肉交じりに言われた。
皮肉っていうか、なんか言いたそうなヤらしい笑い方で突っつきながら言われた。
ヒヤヒヤしながらいちーちゃんをチラッと見ると、いちーちゃんは既に次の事考えてたみたいで「あれ乗りたい!!」と上から落ちてくるアトラクションを指さしてた。
ホッと肩を撫で下ろした。
ごとーの駆け引きの妨害になるような事はしないでほしーんですけど……。
一度で良いからよしこに言ってやりたいけど、いえないから仕方ない……。
そしてよしこが気ぃ使ったのか、観覧車を別々に乗ろうなんて言い出して。
りかちゃんが「よっすぃのエッチ♪」とまたよく分からないジョークをかました事で、意外と自然に二手に別れた。
もしりかちゃんがホントによしこの事好きなんだとしたら、この人は後藤より上手だといつも思う。
- 17 名前:Death Word 投稿日:2005/03/18(金) 03:51
-
「「…………」」
観覧車に乗ると、急に静かになるいちーちゃん。
黙られると、どうしていいか分からなくなる。
まぁ散々叫んだから、今は休息時間なんだろうけど。
後藤もかなり疲れたし。
「……夕焼けがきれーだね」
緊張して景色なんか上の空だった後藤は、いちーちゃんの言葉で初めてちゃんと外を見た。
「ホントだ……凄いきれー」
ホントに綺麗で、体乗り出して見入ってしまった。
高いとこ好きだし、いちーちゃん好きだし、夕焼け綺麗で、一緒に観覧車乗れて.....ちょっと、ていうか凄い感激。
「今日ごめんね」
ポツリと言ったいちーちゃんを見ると、瞳がオレンジ色になってて、思わず見入ってしまった。
「ん……?なにが?」
「二人で約束してたのに、勝手に誘っちゃって」
「あー……んーん楽しかったしいいよ」
二人で来てたら、流石に観覧車は誘えなかったと思うし。
それにホント楽しかったし。
「ホントはいちーもさ、あんま人数多いの好きじゃなくて、二人の方が良かったんだけど」
人数多いの好きじゃなくて、かぁ……。
- 18 名前:Death Word 投稿日:2005/03/18(金) 03:51
-
「………いちーちゃんはさぁ」
「ん?」
「いちーちゃんは、ごとーといて楽し?」
「何……きゅーに」
「きゅーにじゃないよ。ずっと思ってた事」
後藤はいちーちゃんと一緒にいる事は楽しいと言うより嬉しい。
楽しんでるのかというと、よく分からない。嬉しいのは確かだけど。
「楽しくなかったら一緒にいないよ。十年以上も」
「じゃあさ」
「うん」
だって、
「ごとーが彼氏いたりとかって、ヤだった?」
いつもいつも、こういう駆け引きばっかりで。
これが心から楽しんでると言えるかというと、疑問。
「別に、ごとーの幸せを奪う権利まではいちー無いでしょ」
そう言って笑ういちーちゃん。
「幸せを奪う権利……ねぇ……」
「なに」
奪ってよ。
無理矢理奪ってよいちーちゃん……。
ごとー今まで何人どーでもいい男と付き合ってきたと思ってるの……?
遊び人だとか男タラシだとかアバズレってレッテル貼られて、女子に嫌われて、男子には尻軽女だと思われて狙われて、そこまでして好きでもないオトコと付き合ってるのに、それでもいちーちゃんは、“ごとーの幸せ”だと思ってる。
幸せどころか、不幸なのに。
- 19 名前:Death Word 投稿日:2005/03/18(金) 03:52
-
「いちーちゃんはさ」
「ん?」
「ごとーの噂、信じてる?」
「ごとーの噂?……いっぱいありすぎて分かんないよ」
またいちーちゃんが楽しそうに笑う。
しかもこんな言葉まで付け加えて。
「いっつもごとーの周りには噂が溢れてるからね。有名だもんねごとー」
有名……?
その言葉に、チクリと胸が痛んだ。
「尻軽女ってね」
投げやりな口調で言い放ってやった。
だって好きで有名になってる訳じゃない。
「や、そういう有名じゃなくてさ……」
「そーじゃん。ごとーのいい噂なんて聞いた事ない」
「…………」
「ごとーが誰々の事好きだとか色目使ったとかさ、一回目のデートでエッチするとかさ」
根も葉もない噂を散々立てられて、どれだけ傷ついてきた事か。
「……でもさ、そういう噂立つのって、なんで?」
「知らないよそんなの」
仏頂面で窓の外を見た。
いちーちゃんは暫く黙り込むと、ゆっくりと口を開いた。
「………ごとーにも何か責任あるんじゃないの?」
へ……?
耳を疑った。
いちーちゃんだけは、後藤の事分かってくれてると思ってたし、信じてくれてると思ってた。
「責任って……?」
「だって……火の無い所に煙は立たないっていうじゃん……」
「……噂全部ホントだと思ってる……?」
「全部とは言わないけど……でもとっかえひっかえ男と付き合ってきたのは事実じゃん……」
それは……。
それはいちーちゃんを……
「やな噂立てられたくなかったらさ」
いちーちゃんを……
―――――そういう行動取ったら?
妬かせたく……て…………。
- 20 名前:Death Word 投稿日:2005/03/18(金) 03:53
- ――――――――
―――――
軽蔑されてるなんて、思いもしなかった。
でも考えてみれば、自分の仲いい友達がとっかえひっかえ男と付き合ってたら、良い気持ちはしない。
言葉に出さなくても、どっか軽蔑するだろうと思う。
後藤は全然計算なんて出来てなかったんだ。
計算どころか、盲目だった。
全てをいちーちゃん中心に考えてて、いちーちゃんの気を引く為にはなんだってやった。
それが客観的に見てどういう行動かとか、考えた事なかった。
「まきぃ、食欲無いの?珍しいわね。あんたの好きな栗ご飯なのに」
「ちょっと外で食べてきたからさ。ごちそうさま」
結局遊園地も観覧車も最悪な思い出となった。
―――そういう行動取ったら?
別にいちーちゃんは、嫌な顔して蔑むように言った訳じゃなくて。
でも、後藤の目を見ていってくれなかった。
ちょっと下向いて、何か言いたそうな言い方だった。
好かれるどころか、男タラシのどしようもない友達だと思われてるのかもしれないって、思った。
計算が裏目に出てるって事今頃気付くなんて……
ベッドにコテンと寝転がった後藤は、グイッと袖口で目元を拭った。
泣きたくは無い。
絶対諦めない。
10年以上頑張ってこれたんだ。
こんな事くらいで諦めたりしない。
まどろみの中で、後藤は昔の事を思い出していた。
- 21 名前:Death Word 投稿日:2005/03/18(金) 03:54
-
『でね、すっごい優しい人なんだよっ』
『へぇ、いい人で良かったねごとぉ』
初めて彼氏を作ったのは、小学校4年生のときだった。
恋人同士としてきちんと付き合ってたんだから、早熟といえば早熟だ。
もっとも、後藤はちっとも恋人だと思ってなかったけど。
彼氏が出来たって言ったらいちーちゃんどんな反応するかなっていう、一つの実験だった。
結果としては、保育園の時と全く同じだったんだけど……。
一応、好きになって貰えるよう色々してきたつもりだった。
けれど、何一つ変わってなかった事が凄くショックだったのを覚えてる。
小学校高学年あたりになると、恋愛に対しても、きちんとした願望が芽生えてくる。
この人とこういう風に付き合いたい。こういう事がしたい。
手ぇ繋いで歩きたいとか、デートしたいとか。キスだって興味湧くし。
その願望が向かった相手は、後藤はやっぱいちーちゃんだった。
どんどん膨れ上がる想いを、どう消化していけばいいのか分からなかった。
人によっては、ふざけてジャレあって、ドサクサに紛れて抱きついたりキスしたりするんだろうけど、
後藤は無理だった。
小学校高学年にして、もうふざけてそういう事を出来ないとこにまできていた。
ジョークなんて出来ない域にきていた。既に本気だったんだ。
後藤はそんな器用じゃないから、なんでもない振りなんて絶対出来ない。
会話の中で策略するので精一杯。
気持ちを押し殺すのにも限度というものがある。
後藤はいちーちゃんと手を繋ぐ事も出来ないんだ。
保育園の時からずっと。
せめて夢で。
そう願いながら、今日も枕の下に大スキないちーちゃんを置いて、夢の世界に逃げた。
こめかみに冷たいものが流れた気がした。
- 22 名前:Death Word 投稿日:2005/03/18(金) 03:55
-
―――――――
―――――
―――
―
「ごとー今日は用意早いね」
「うんきょーはねーグッドヘアーディなんだぁ」
「そりゃ良かった」
いつもと変わらないいちーちゃんの爽やかな笑顔。
良かった……。
ホッと胸を撫で下ろす。
実は今日朝顔合わせるまで凄いドキドキしてた。
あのあと、なんか二人とも気まずくなっちゃって、よしことりかちゃんには変な勘違いされた程だ。
「遊園地でのあれ、気にしないでね」
「へ…?」
丁度考えてた事を言われて、ドキリと心臓が跳ねる。
「別にいちーがとやかく言う事じゃないよね。ごめん。余計な口出ししてさ」
いちーちゃんが歩きながら、頭ポリポリと掻いて言った。
後藤は立ち止まって、一呼吸してから口を開いた。
「……何でも言ってよ」
- 23 名前:Death Word 投稿日:2005/03/18(金) 03:56
-
「ふぇ?」
いちーちゃんは振り返ると、パチクリと瞬きしながらごとーの顔を見た。
「保育園からの仲じゃん。そんな、気ぃ使ったりとかヤダよ」
「ん……まぁそーだけど……。親しき仲にも礼儀ありってさ……」
「礼儀なんていーよ。思った事は何でもいって?」
じゃないとごとー、どんどんどんどん不安になってっちゃうから……。
「んー……うん。分かった。じゃごとーもね」
「ん?」
後藤が顔をあげると、いちーちゃんは笑顔で、
「ごとーも思った事何でも言っていいから」
「……うん」
ごめんいちーちゃん……。
不公平だけど、ごとーは多分……
「じゃ言うけど」
「いいきなりですか。何?」
「いちーちゃん今日髪キマッてないよ」
言えそうにない。
「うっさいなぁ〜〜!いーのいちーは!つーか、ショートってロングより癖つきやすいんだってば!ごとーはこの苦労を分かってない!」
「ふははは」
本当に言いたい事は、何一つ。
- 24 名前:Death Word 投稿日:2005/03/18(金) 03:56
-
******
それから数ヶ月経ったある日の事だった。
「ごっちん。ごっちんってば」
「んぁー……?」
昼休み。お弁当を食べ終わって机でお昼寝をしていた後藤は、突然よしこに起こされた。
「また例の呼び出し」
「え〜……」
気持ち良いお昼寝を邪魔されて機嫌が悪い後藤は、露骨に迷惑そうな顔をした。
「えーじゃないってばもー。ほら早く行ったげなよ待たせたら悪いよ」
“例の呼び出し”とは、もう幾度と繰り返されてる告白タイムだった。
普通の人は嬉しい事なんだろうけど、正直後藤はちっとも嬉しくない。
最近の男は女よりネチネチしてるのが多いから、振ると嫌味を言われたり、廊下とかですれ違うとガンつけられたりする。
嫌な噂流してるのも全部過去に振った男達だって知ってるから、もう告白される事自体がイヤだった。
「ごとーちょっと今ネムイ……悪いけどよしこ適当に断っといてよ……」
「だーめだってば。こういうのはちゃんと本人が言わないと」
「イヤだぁ」
寝起きが悪い後藤は机に突っ伏しながら子供みたくイヤイヤと首を振った。
これ以上変な噂流されていちーちゃんに軽蔑されるのはもうイヤだ。
もう好きでもない男と付き合っていちーちゃんを妬かせようとするのは止めたんだ。
「ダメ!ほら立って」
「ぶぅ……」
まだ眠いのに無理矢理立たされ、そのまま引っ張っていかれた。
- 25 名前:Death Word 投稿日:2005/03/18(金) 03:57
-
「もーホントにイヤなんだってごとー」
「告られんのがイヤなんて言ったら世の女に引っ叩かれるよ」
「違うの振るのがイヤなの!」
「じゃあ振らなきゃいいじゃん」
「絶対振るもん……」
後藤はいちーちゃんだけだもん……。
ぶつぶつと文句を言いながらズルズルと引っ張られ、お決まりの告白場所、3階の廊下の突き当たりに到着した。
そこを曲がるとちょっとしたスペースがあり、人が来ないので告白場所として使われるのだ。
「じゃ、あたし教室戻ってるね」
「よしこぉ〜〜お願いだから代わりに断ってよぉ〜」
よしこのブレザーを引っ張り、すがるようにお願いしてみた。
「ダメ。今回はダメ」
「今回…?」
よしこは後藤をグイっと押してキッパリと突っぱねた。
「今回は、ごっちんがきちんと自分で判断しないとダメ」
「じゃ次からはいいの…?」
「うん。いいよ」
「マジ?」
「マジ」
「じゃ約束」
「おう」
なんで今回はダメなのかが分からなかったんだけど、とりあえず次からはもうこんな嫌な思いをしなくていいと思うと心が軽かった。
よしこは「じゃ頑張ってね」とやたらニヤニヤしながらポンと肩を叩いた。
「うん…」
首を傾げながら、後藤は突き当たりの角を曲がった。
そこには案の定、既に男が背を向けてスタンバっている。
緊張してるみたいで、ぶつぶつと自分に何か言いきかせながらソワソワしている。
細身で身長も小さくて、後藤よりちょっと大きいくらいだった。
「あのぉ……」
- 26 名前:Death Word 投稿日:2005/03/18(金) 03:59
-
後藤が声をかけると、ビクッと体を緊張させ、そしてその人は下を向きながらゆっくり振り向いた。
ズボンのポケットに手を入れ、下を向いたまま黙っている。
何も言わないもんだから、後藤は「話ってなんですか?」と、苛立ちをこめながら言った。
「ええと、その……」
尚、言葉を詰まらせたまま下を向いている。
こういう意気地が無くてじれったい男は大嫌いだ。
「あの、話無いなら戻っていいですか。あたし昼寝の途中なんで」
もういいやと思い、踵を返した。
「待って!!」
ガシッと腕を掴まれる。
ハァッと溜息を吐きながら振り返った。
「話あるならさっさと、……」
明らかに不機嫌な顔をしながら振り返った後藤は、男の顔を見た瞬間言葉がつまった。
「ゴメン。俺告白とか初めてで……」
……なんかこの人……
「あの……付き合って……くれないかな……俺と……」
なんとなくだけど……
似てる………
いちーちゃんに似てる……
「……ずっと好きだったんだ…………」
男はしっかりと後藤の目をみながら真剣な顔つきで言った。
「へ……」
ドクンと心臓が跳ねるのが分かった。
幾度となく繰り返されたシチュエーション。
目の前にいるのは全く初対面の男。
なのに、何故か。
「ホントに……?」
瞬間的に涙が溢れてきた。
「うん……ホントに……」
- 27 名前:Death Word 投稿日:2005/03/18(金) 04:00
-
―――――――
「ごぉっちぃ〜〜ん♪」
「……ん?」
「付き合う事にしたしょ?彼と」
教室に戻ると、やたらニヤニヤしたよしこが駆け寄ってきた。
「まぁ…ね……。そこそこカッコいいから、いっかなってね……」
何故か分からないけど、気がつくと告白をOKしてる自分がいた。
いや、理由はもう分かってる。
「ほら!!だから言ったじゃん!!!」
よしこはそう言ってやたらと嬉しそうに飛びついてくる。
「なんも言ってないじゃん!」
「ぜーったいごっちんのタイプだと思ったんだよねー」
「……ごとーよしこにタイプ話した事あったっけ」
「言わなくても分かるんだってば」
「…………」
やっぱバレバレなのかなぁ……。
「あれ?ごっちん目ぇ赤いよ」
「えっ!?あ、やー寝すぎでさぁー……あは……」
「もうこれからは寝てる暇も無くなるね」
「うんまぁ……ね……」
- 28 名前:Death Word 投稿日:2005/03/18(金) 04:01
-
――――――
もうこれで何人目の男だろう。
今まで沢山のタイプと付き合ってきた。
それは後藤が相手を選ばなかったからなんだけど。
告白されたら大抵OKしてきた。
沢山付き合ってたのは、焼き餅を妬かせたかったっていうのもあるけど、いちーちゃんの事を忘れたいっていうのもあった。
そのまま好きになれたら、それでいいやって。
むしろそれを強く望んでいた。
けど、どんなにカッコいい人でもどんなに優しい人でもダメで……。
前によしこと恋愛の話をしてたら、よしこがふとこんな事を言った事があった。
“手に入らないと思うと、欲しくなるもんだよね人間って”
よしこは後藤に何か言いたかったのだろうか。
後藤は、いちーちゃんが手に入らないから欲しがってるだけなんだろうか。
「でさ、初めて見た時俺もう心臓止まっちゃって。なんだこの子の可愛さはー!って」
いちーちゃんが男で、後藤を好きだと言ったら、もう好きじゃなくなるんだろうか。
「……後藤さん?」
「えっ?あ、うん聞いてる聞いてる。あはっ……」
付き合うようになった男と、学校帰りに喫茶店に寄った。
よくよく見ると、どことなく雰囲気がいちーちゃんに似てはいるけどやっぱ全然違う。凄くカッコイイのは確かなんだけど。
やっぱそう簡単に似てる人なんている訳ないよね……。
後藤と付き合う事になって浮かれてる彼は、喫茶店に入るなり一人で喋り倒していた。
緊張を隠す為かもしれないけど。
でも殆どの男は緊張すると何も喋らなくなるから、喋ってくれる方がまだ良い。
- 29 名前:Death Word 投稿日:2005/03/18(金) 04:01
-
「告白された事は結構あるし付き合った事もあるんだけど、いまいちピンときた事がなかったんだよね。俺って贅沢なのかな?」
「……でもそう簡単に恋愛って出来なくない?」
「そうそう!あーやっぱ気が合うなー。みんなすぐあの子可愛いあの子好きって言うけど、俺はあんまり惚れないんだよね。かなりの女好きに見られるんだけど」
「……あたしの事なんも知らないのに、なんで好きになれるの?」
「何も知らないけど、雰囲気で大体分かんない?この子こういう子だろうなとかさ」
「どういう子だと思う?」
「んー……明るくて、優しくて、穏やかで、純粋で、、」
やっぱ何も分かってないんだ。
まぁ当たり前だけど。
「……ふぅん……あんまりそうは見られないよ」
「どう見られるの?」
「クールで大人っぽくてセックス好きそうとか、そんな感じ」
「セッ…好きそうって………。確かに大人っぽいけど……それは見た目で判断してるからじゃないかな」
自分だって見た目で判断してるくせに。
明るくて優しくて穏やかで純粋な人が、好きでもない男と付き合っては捨ててなんてしないでしょ。
「ところで、何で泣いたの…?俺が告白した時……」
「あ……それは……」
なんでだか分かんないけど、瞬間的に、いちーちゃんが後藤に告白してる錯角に陥っちゃって……
「ホントに?って、言ったじゃん。俺の事知ってたの?」
「……ちょっとね……」
「そうなんだ。嬉しいな……」
男は照れ臭そうに下を向いて頭をかいた。
- 30 名前:Death Word 投稿日:2005/03/18(金) 04:02
-
「俺さ!」
勢いよく顔をあげると、男はテーブルに組んだ手をのせ、身を乗り出すようにして真剣な顔つきで後藤を覗き込んだ。
「……何……?」
「……こんなの初めてなんだ。ホントに、本気で好きなんだ」
「っ……」
また……だ。
後藤はアイメイクも気にしないでゴシゴシと目を擦った。
そしてパチパチと何度も瞬きをして、もう一度男を見た。
……やっぱり、知らない人。
でも今一瞬、また、またいちーちゃんに見えた。
また心臓が速くなった。
そうか。真剣な顔をした時が、いちーちゃんに似てるんだ。
もう、この言葉を言っていい時がきたような気がした。
初めて人に言う。
あの人以外には、絶対に言わないと思ってたのに。
「…………あたしも好きだよ……」
男は心から嬉しそうに笑い、組んだ手をおでこにつけ、天を仰いだ。
まるで神様に感謝しているかのように。
チクリと、良心てやつが痛んだ。
- 31 名前:Death Word 投稿日:2005/03/18(金) 04:03
-
――――――――――
―――――
後藤はめでたく、本当の意味で彼氏が出来た。
でも、心から喜べない自分がいる。
なんか、まだモヤモヤして……。
ずっといちーちゃん一筋だったんだから、すぐには切りかえれなくて当然かな……?
“別に深い意味はないんだけど、今度の連休俺と旅行行かない?”
帰り道、後藤を家まで送った彼は、勇気を振り絞ったようにそう言った。
こんなに積極的で行動的な男は初めてで。
思わず、勢いに押されてうんと言ってしまった。
深い意味は無いと言ったけど、高校生が二人っきりで旅行なんかに言って、何もないって事はないわけで……。
OKしてすぐに、後悔が走った。
流石にちょっと、まだそこまでは心の準備出来てないし、整理もついてない。
「ねぇごとー」
「んー?」
「新しい彼氏出来たんだって?」
「はっ何でもう知ってんの!?」
次の日の朝、学校に向かいいちーちゃんと一緒に歩いていると、突然それを言われた。
「だから後藤の情報はすぐ学校中回るんだってば」
いちーちゃんはそう言ってまた笑った。
今回は隠し通そうと思ったのに……
また軽い女だって思われちゃうかな……
いちーちゃんにいい加減呆れられちゃうかな……
- 32 名前:Death Word 投稿日:2005/03/18(金) 04:03
-
「どう今回は。続きそう?」
「え……。……うん……」
「なら良かった」
「……ち、違うんだ。ごとーずっと気になってた人で、ずっと付き合えたらいいなって思っててそれで告白されたから嬉しくてそれで」
「うんうん分かってるってば」
正確には、ずっと好きでずっと付き合いたいと思ってたのはいちーちゃんなんだけど……
何でもOKしてると思われたら嫌で、後藤が慌てて弁解をするといちーちゃんは笑いながら頷いた。
「ホ、ホントだもん!男タラシとかエッチの相性で次々に男変えてるとかあれ全部ウソだし!ごとーそんなんじゃないし....!!」
「後藤」
後藤が泣きそうになりながら捲くし立てると、いちーちゃんは後藤を呼んで腕を掴み、立ち止まった。
急に今までの悔しい感情が込み上げてきて、後藤は俯いて震える唇を噛み締めた。
「後藤?」
いちーちゃんは屈んで後藤の顔を覗き込んだ。
唇を噛み締めながら何とか顔をあげると、我慢してた涙がボロッと零れた。
いちーちゃんは無言で後藤の涙を軽く拭くと、
「ちゃんと分かってるから。いちーは、分かってるから」
後藤の目を見て、真っ直ぐに言ってくれた。
そして「行こ」と言って差し伸べたいちーちゃんの手を、一回鼻をすすってから笑顔で取った。
いちーちゃんが分かってくれてるなら、もう噂なんてどうでもいいと思った。
けど、一つ困った事が起きた。
―――新しい恋に切り替えようと思ってた気持ちが、揺らいでしまった
やっぱりいちーちゃんを好きな気持ちは確かで……。
- 33 名前:Death Word 投稿日:2005/03/18(金) 04:04
-
*****
雨が激しく降りしきる日だった。
空は今までの雨の日と違う、見たことも無いようなどんよりと重い不気味な色をしていた。
けどもその日がまさか、人生のこんなにも重大な岐路だったなんて、その時は思いもしなかった。
今日は彼との約束の日。
けれど後藤は未だ決心が鈍ったままだった。
旅行バックを持ったまま、ソファから腰が上がらない。
こんな天候じゃ、辞めようって彼が言い出すんじゃないか、そんな期待もどこかにあった。
ただ窓の外を眺め、彼からの連絡を待っていた。
けど、後藤の期待は大きく外れる事になった。
ピリリと言う着信音と共に届いたメールには、こう書かれていた。
『後藤さんが迷ってるのはなんとなく分かってる。
後藤さんが分からない。
何を考えてるか。
そして本当は誰を好きなのか。
俺を見てるようで、見ていない。その目の奥にあるものが、俺は怖い。
けど、それでも俺は後藤さんが好きだから、来てくれると信じてる。
約束の駅で、約束の時間に、約束通り待ってる。
来るまで、ずっと待ってる』
………。
後藤は、膝を抱えうなだれた。
こんな風に真剣にぶつかってくる男は初めてだった。
“けど、それでも俺は後藤さんが好きだから、来てくれると信じてる。
約束の駅で、約束の時間に、約束通り待ってる。
来るまで、ずっと待ってる”
こんな風に真剣に想いをぶつけて貰う事が、後藤の幼い頃からの夢だった。
けれど、その夢は、それを言って欲しいとずっと願ってたのは………
………。
髪をぐしゃぐしゃと掻き毟った。
膝に埋もれさせた頭を上げることが出来ない。
約束の時間まで、もうあと30分もない。
ここからは自転車でも15分は掛かる。
時間は刻々と過ぎていき、でも決心する事が出来ずにいた。
そんな後藤の迷いを動かしたのは、残酷な偶然だった。
- 34 名前:Death Word 投稿日:2005/03/18(金) 04:08
-
ピンポンと突然のチャイム音。
家に人はいなく、誰も出る人はいない。
後藤はそのまま放っておいた。
けれど、ガチャリと言うドアの開く音がし、そのまま足音がリビングへと向かってきた。
家族かと思い振り向くと、そこに立っていたのは、
「よっごとー」
今一番会いたくない人。
「いちーちゃん……どうしたの?」
「なんで家にいんのにチャイムに出ないんだよー」
「なんで勝手に入ってくんのさ……」
「いーじゃん。自分家みたいなもんだし」
そう言って笑い、「なんか飲みもんあるー?」とキッチンに向かい冷蔵庫をあけた。
幼馴染のいちーちゃんは、後藤の家に昔から遠慮はない。
冷蔵庫からジュースを取り出すと蓋を開けてごくごくと喉に流し込む。
「何しにきたのさ」
今いちーちゃんに会いたくなかった後藤は、不機嫌そうにそう聞いた。
こんなにもこんなにも悩んでるのは、全部全部いちーちゃんのせいなのに。
なのにいちーちゃんは後藤の悩みなんて知らずに、晴れ晴れした顔でのんきに後藤の下にやってくる。
後藤を平気に傷つけにくる。
それが悔しくて悲しくて仕方なかった。
「何しにって、見て分かる通り外は土砂降りの雨だし、何処も行くとこなくて暇だから近所の後藤ん家来たんじゃん」
「あっそ…」
「ムッ来てやったのに何その言い方。…あれ?後藤どっか行く予定なの?なのその、旅行バック……」
別にって、そう言えば良かったのに。
後藤の幼い頃から染み付いてるイヤらしい計算が、まさかこんなにも裏目に出るなんて。
「そうだよ。連休だから2泊の旅行行くの。彼と」
つっけんどんな言い方で、見もせずに答えた。
- 35 名前:Death Word 投稿日:2005/03/18(金) 04:08
-
「…あーそうなんだ」
一瞬、ほんの一瞬だけど返事に間があった。
だから、後藤はちょっぴり嬉しくなった。
もしかしていちーちゃん、行って欲しく…―――
「良かったね」
「………」
ニコリと、一点の曇りも無い笑顔でいちーちゃんは言った。
後藤の淡い期待は、一瞬にして打ち砕かれた。
また、またあの時と一緒だ。
幼稚園生だった頃の、辛い思い出が蘇る。
“良かったねぇ”
いちーちゃんはあの時と同じように、次の瞬間には「じゃあいちー邪魔しちゃ悪いから帰るわ」と普通にジュースを冷蔵庫にしまっていた。
胸が、奥からジクジクと痛んだ。
「てゆーか、そんでなんでそんなテンション低いわけ?大好きな彼とのラブラブデートでしょ?しかもお泊り」
親父臭い笑みでそう言うと、後藤の下に寄ってきて肘でグイグイと押してきた。
やめてよ、と半ば本気で振り払い、「だって天気が悪いから」と膨れながら言った。
「あーそっか。せっかくの楽しい旅行なはずなのにこんな天候だから落ち込んでるんだ」
「…………」
ぜんっぜん違う。
「まぁ、気持ちは分からなくもないけど」
何一つ分かってないくせに。
「で?何時に何処で待ち合わせしてんの?」
「…11時半に神奈川駅」
「11時半って……はっ!?もう10分もないじゃん!!」
「………」
「天気に膨れてる場合じゃないじゃんバカ!!ったくホント我侭なんだからお前は…ほらおいで!」
散々後藤の事を侮辱したいちーちゃんは、ガシッと腕を掴んで後藤を引っ張った。
- 36 名前:Death Word 投稿日:2005/03/18(金) 04:09
-
「っやめてよ…」
ブスッと膨れて、乱暴に振り払う。
「まさか濡れるのヤダから彼氏にタクシー呼んで貰おうとか思ってんじゃないでしょね」
いちーちゃんの口から彼氏って言葉は聞きたくない。
後藤は何も答えなかった。
「そんな我侭な事言ってたら愛想つかされて振られるぞ!ほらごとー行くぞってば!」
「やぁだってば!!!」
ダダをこねて頑として拒否する後藤に、いちーちゃんは諦めたのかようやく大人しくなった。
そして後藤の前に来ると、下を向いてる後藤の顔を両手で掴んでグッと上に向けた。
そこにあったいちーちゃんの顔は、真剣そのものだった。
「……好きなんじゃないの!?」
…ズルイよいちーちゃん……
後藤は、後藤はいちーちゃんのこの顔に弱いのに………。
「………好きだよ……」
後藤は、
「大好きだよ………」
いちーちゃんの事が…………。
- 37 名前:Death Word 投稿日:2005/03/18(金) 04:10
- いちーちゃんはもう一度後藤の腕を引っ張った。
後藤はもう、抵抗する事が出来なかった。
後藤は初めていちーちゃんに想いを告げた。
けども後藤の告白は、ほんの少しもいちーちゃんの下には届かない。
後藤の手を引っ張り先を行くいちーちゃんの背中を見つめながら、目をこすった。
土砂降りの雨の中外に出ると、いちーちゃんは後藤の自転車を引っ張り出してサドルを跨いだ。
「早く乗れってば!」
「いちーちゃん傘差さないと……」
「傘なんか差してたら激チャ出来ないじゃん!!ほら早く!!」
「………」
後藤は降りしきる雨の中いちーちゃんの後ろに乗った。
「落っこちんなよ!!」
後藤がギュッといちーちゃんの腰に捕まると、いちーちゃんはフルスピードでこぎ始めた。
いちーちゃんと自転車二人乗りは昔からの夢で。
雨の中二人とも濡れながら、それでも楽しそうに笑いながら二人乗りするのが夢だった。
今それが叶ってて。
なのに、ちっとも嬉しくなかった。
いちーちゃんは立ちこぎでこれでもかってくらい飛ばしてて、いちーちゃんのトレーナーはべチャべチャで、でもそれは全部後藤を後藤の彼氏の下に届ける為で。
必死になってるいちーちゃんの呼吸が、全然ほんの少しも嬉しくなかった。
悲しくて仕方が無くて、後藤の目からはとめどなく涙が流れてて。
雨に紛れてくれるのが、唯一の救いだった。
- 38 名前:Death Word 投稿日:2005/03/18(金) 04:11
-
駅に着くと、いちーちゃんは自転車をガシャンと転がし再び後藤の手を取って走り出した。
物凄い勢いで人の間を掻き分けて走るいちーちゃんと後藤の姿を周囲が不思議そうな目で見る。
後藤は、いちーちゃんに手を引っ張られて駈けてる間ずっと考えてた。
なんでいちーちゃんはこんなにも一生懸命なんだろう。
後藤なんかの為に、どうして…。
たかだか幼馴染の恋愛の為にここまで頑張ってくれる人がいるだろうか。
そんな疑問の答えは、彼の元に着いたその時に導き出された。
後藤の顔を見るなり、安堵の表情を浮かべ、そして笑顔になった彼。
けれど次の瞬間、その彼の表情は一転して硬直していた。
「ハァッハァッ……ほら、後藤……ハァッ…ちゃんと、遅れてごめんなさいって…」
目の前にいる彼の下に後藤の背中をポンと押し出したいちーちゃん。
そのいちーちゃんの顔を見て、彼は全てを悟ったようだった。
いちーちゃんの髪からはとめどなく雫が滴り落ち、服は体に張り付いてて、本当に酷い濡れようだった。
そして全身でハァハァと苦しそうに呼吸をし、そんな滑稽な姿でいちーちゃんは、三人の奇妙な関係に一言で結論を出したんだ。
「ハァ…ハァ……後藤を……
………宜しくお願いします」
人生の全てを決意させたのは、その時のいちーちゃんの、真剣そのもののその姿と言葉だった。
- 39 名前:Death Word 投稿日:2005/03/18(金) 04:12
-
******
真っ白い教会で、真っ白なウェディングドレスに身を包み、家族や大勢の友人や親類の祝福を受け。
人生のパートナーを目の前にした時。
私は何を思うんだろう。
「―――――この者を愛し、健やかなる時も、病める時も、いかなる時もこの者とともに生き、
死がふたりを別かつ時まで、ともに人生を歩み続けることを誓いますか?」
「誓います……」
「では指輪の交換を」
「誓いの口付けを」
悦び?幸福?
或いは困惑、絶望、虚無。
その答えを、私は幼い頃からずっと求めていた。
ああなんだ……
なんだそうか、こんなあっけないもんなんだ。
悦びでも幸福でもなく、困惑でも絶望でも、虚無でもなかった。
あるのは、ただ“結婚”という状態だけだった。
そこに感情はなく、笑っちゃうくらいあっけないものだった。
後藤は、あの時いちーちゃんに送り出された彼とそのまま交際を続け、そして20を超えた頃、その彼と結婚する事となった。
彼の事は好き。
でも、愛してるかと聞かれたら、愛してはいない。
あんな風に、まるで保護者みたいな態度で彼に後藤を預けたいちーちゃんを、それでも尚、いや尚更だろうか、とにかく、どうしようもなく好きだった。
愛していた。
- 40 名前:Death Word 投稿日:2005/03/18(金) 04:12
-
唯一幸運だったのは、その後いちーちゃんは高校卒業と共に地方の大学に行ってしまい、会う事が殆ど無くなった事だった。
お陰でいちーちゃんの聞きたくない情報を仕入れる事もないし、いちーちゃんの顔を切ない思いをしながら見る必要もなくなった。
彼をいちーちゃんに見立てた擬似恋愛をする事で、そこそこ楽しい毎日を送ることが出来た。
「結婚しよう」、そんな言葉を彼からかけられた時だって、いちーちゃんが言ってるんだって思ったらすんなり受け入れれた。
でも、やっぱり自分の感情は誤魔化せないみたいで、実際結婚式となってみると、幸福感まで味わう事は出来なかった。
挙式が終わった後藤は、少しの間一人にして欲しいと一人メイク室に戻った。
周囲は「幸せを一人で噛み締めたいんだね」なんて羨ましそうに言ってた。
周囲の中にいちーちゃんの姿は無い。
招待状を送らなかったからだ。
まぁ、きっと噂は耳に入るだろうけど。
- 41 名前:Death Word 投稿日:2005/03/18(金) 04:57
-
ウェディングドレスに身を包んだまま、鏡に映った自分を見た。
急に怖いくらい素に戻った自分がいて、一体ここで何をやってるんだろうと、夢から覚めたみたいに頭が冴え冴えした。
一体自分は何故愛してもいない人と結婚したんだろう。
一体自分は何故愛してもいない人と付き合っていたんだろう。
一体自分は何故。何の為に。
そんな疑問が頭の中を何度も駆け巡る。
急に、どうしようもなく苦しい感情がこみ上げてきてウッと嗚咽を漏らしてしまった。
白い手袋で顔を覆い、初めて声を出して泣いた。
「ヒック……ック………」
5歳のあの時後藤は、自分の口から好きとは告げないと決意した。
けどもその決意は単に、好きだなんて言えないという悟りからの逃げに過ぎなかったんだ。
もう既にあの時分かっていた。
いちーちゃんは好きになっちゃいけない人で、好きだなんて言えるわけが無い事。
自分はそんな度胸も、振られて立ち直る強さも無い事。
そして、自分に好意なんて持つわけがない事を。
10年以上一緒にいて、毎日毎日恋の駆け引きをしてきた。
けど、一度として、いちーちゃんが自分に好意があるかもという少しの期待を抱いた事はなかった。ほんの一度も。
お泊りの時思い切って何度か“一緒に寝よう”と誘ってみたこともあったけど、全部“布団狭くなるからイヤだ”とあっさり断られ続けてたのが決定的だった。
後藤はいちーちゃんと、“友達以上恋人未満”なんて関係にすらなれなかったんだ。
5歳のあの時、“良かったねぇ”と言ったいちーちゃんのその言葉と笑顔が全ての答えを表していて、でもその現実を見たくなかった。
見ることが出来なかった。
そんな見ることも出来ない現実を無理矢理突きつけてきたのが、いちーちゃんだった。
“ハァ…ハァ……後藤を……
………宜しくお願いします”
どうしてあんな事。
知りたくなくてずっと逃げてきたのに、どうして。
結婚すれば、全てに諦めがつくと思ってた。
全て忘れられると思ってた。
なのに。
……へへ…余計にいちーちゃんが頭に焼き付いて、離れないよ……
- 42 名前:Death Word 投稿日:2005/03/18(金) 04:58
-
手に入らないと思うから、こんなにも好きなんだろうか。
触れる事すら許されないと思うから、こんなにも欲しいんだろうか。
自分が男だったら、或いはいちーちゃんが男だったら、10年以上も一緒にいれば一度や二度間違いを犯すことくらいあるだろうし、付き合う事だってさほど難しくは無いはずだ。
だって、ダメなら相手に好かれる異性になるよう努力すればいい。
だけど、同性だったら?
どう努力すればいいのか、全然分かんないよ。
どうすればいちーちゃんの心を掴めるのか、全然、全然分かんないよ。
どうすれば以前に、きっと不可能な事なんだよね。
おかしいな。
あれだけ計算が出来た後藤だったのに、一番肝心な計算が出来てなかったみたいだ。
いつも計算バッチリで完璧だったのに、こればかりは計算ミスだったみたいだ。
後藤は躊躇い無く、計算ミスを清算してくれるものをバッグから取り出した。
小瓶の中身を口の中に流し込み、後は良い夢を見れるようお願いするだけだった。
いつも寝る前にしていたことを、いつものようにする事にした。
いちーちゃんと後藤が愛し合い、幸せになってる世界を思い描くんだ。
そうするとそれは夢の中でも続いて、夢の中でもずっと幸せでいられる。
後藤は昔から昼寝が何よりも大好きだった。
夢の世界ではいつだって幸せだから。
夢の世界ではいつもごとーといちーちゃんは愛し合ってるから。
- 43 名前:Death Word 投稿日:2005/03/18(金) 04:59
-
頭がボーっとしてきて、段々物が考えれなくなってくる。
もう殆ど意識がなくなってきた頃、何か遠くで物音がした気がした。
何か言葉も発してる気がする。
ごめんね、今ごとーは眠いんだ。
人生で一番長い幸せなお昼寝をしようとしてるんだから、邪魔しないでよね。
「――とお!!ごとお!!!誰か救急車!!!早く!!!」
グラグラと体が揺さぶられ、意識が再び大嫌いな現実へと移行する。
なにさ、誰さごとーの大事なお休みを邪魔するのは。
ごとーはこれからいちーちゃんと幸せな…
「お前何やってんだよ!!!!ごとお!!!」
しあわせ、な……
パチパチと思い切り顔を叩かれ、否応無しに目が開いた。
あれ……?
これは夢なのか現実なのか、一体どっちなんだろう。
- 44 名前:Death Word 投稿日:2005/03/18(金) 04:59
-
「……ぃちーちゃ……」
「ごとぉ……ごとぉ……」
「ぃちーちゃ…なんで泣いてるの……?」
「んで…なんでこんな事したんだよ……」
なんでって、それを説明するにはごとーは眠すぎるから、無理だよいちーちゃん。
「ごとぉ…死なないで……お願いだから…死なないで……」
いちーちゃんはグシャグシャに泣きながら、後藤を抱き抱えた。
「ごとぉが死んじゃったら、いちぃ………。ごとぉ…頼むから……ごとぉ……」
涙をポタポタと後藤の顔に落としながら、後藤の前髪を撫でるようにして、そして。
- 45 名前:Death Word 投稿日:2005/03/18(金) 05:00
-
……?
なんで唇に柔らかい感触がするのかな。
いちーちゃん、ごとーにキス…してる…?
ウソだ。そんなはずはない。
いちーちゃんは後藤に興味が無くて、後藤はいちーちゃんの事が一方的に大好きで……
そうかこれは夢か。
そういえばこんな夢は良くみる。
ふいに柔らかい髪の感触が後藤の頬をなで、フワリと優しい香りがした。
そしてまた、唇を覆う、唇の感触。
その唇は冷たくて、震えてて、涙の味がして、そして、凄く柔らかかった。
夢…じゃない……。
- 46 名前:Death Word 投稿日:2005/03/18(金) 05:04
-
「なん…で…?」
後藤は最後の力を振り絞って聞いた。
どうしても聞かなければならない事だった。
全身で後藤を力いっぱい抱きかかえるいちーちゃんの目からは涙がとめどなく流れてて、
「いちーは…いちーは……」
開いた口が、何か発しようと空を切っているその言葉は、後藤の問いに対する答えなんだろうか。
「いちーは………」
何、いちーちゃん…。いちーは何…?
- 47 名前:Death Word 投稿日:2005/03/18(金) 05:06
-
「いち…ぃは………」
お願い、お願いだから教えて。教えてよいちーちゃん!
「いちぃ…は……ごとお……が……」
いちーちゃんはガクガク震えながら、まるで言葉を上手く喋れない耳の聞こえない人みたいに、必死に言葉を発しようとしていた。
カクカクと口が動き、でも声になってくれない。
ごとーが、何……?
お願い、言っていちーちゃん!お願い聞きたいの!!いちーちゃんの口から!!!
いちーちゃん、いちーちゃん……。
ブンブンと首を振ると、いちーちゃんはただ嗚咽を漏らしながら、後藤のおでこに、頬に、首筋に、あちこちにキスを落とした。
冷たくなった体が、いちーちゃんにキスされるとそこだけ熱を持っていく。
ごとーの意識はそのままゆっくりと、高く高く昇っていった。
いちーちゃんと共に、高く高く、何処までも、何処までも、
―――永遠に。
- 48 名前:Death Word 投稿日:2005/03/18(金) 05:07
-
********
- 49 名前:Death Word 投稿日:2005/03/18(金) 05:08
-
――――――――
―――――
「お母さん何見てるの…?」
「真希と紗耶香ちゃんの小さい頃のビデオよ……
二人が…あんな事になっちゃった理由が…何か分かるかもと思って……」
「こんな小さい頃のビデオ見たって分かる訳ないじゃない……三歳の頃よこれ……」
“いちーちゃ〜んころんじゃったよぉ……ヒック……”
“ないちゃダメだよー。イタイのイタイのとんでけぇ〜イタイのイタイの.....”
“ほら、もうダイジョウブ”
“うんっありがとういちーちゃん”
“いちーちゃん、まきのことすき?”
“うん!すき!!”
“まきもすき!!”
- 50 名前:Death Word 投稿日:2005/03/18(金) 05:08
-
“せかいでいちばん、だいすきだよっ”
“まきも、せかいでいちばんいちーちゃんのことが、だーいすき!!!”
<Death Word ー END ー>
- 51 名前:王苺丸 投稿日:2005/03/18(金) 05:10
-
一作目、これにて終了です。
お目汚し、スミマセン。
古いものを引っ張り出したのでかなり稚拙ですが、読んでくれた方、ありがとうございます。
- 52 名前:王苺丸 投稿日:2005/03/18(金) 05:12
- いちごまキライという方がもし見てしまったら、申し訳ないです。
って、嫌いなら最後まで読んでないか。
一応落としてやったんで、許して下さい。
- 53 名前:王苺丸 投稿日:2005/03/18(金) 05:16
- もし反応がちょっとでも良ければ、第二段三段とバザー続けたいと思います。
- 54 名前:ゆうり 投稿日:2005/03/18(金) 16:27
- はじめまして。ちょくちょくサイトにも足を運ばせていただいてます、ゆうりです。
苺丸さんが再び執筆なさると聞いて一目散に飛んできました(笑
バザーどころじゃないっすよ、すっごくイイ!!さすがですね。
これからもお邪魔させてもらいます。マターリがんがってください!!
- 55 名前:帽子屋 投稿日:2005/03/19(土) 02:07
- やばい・・やばすぎるぐらいにいい話でした。感動以上のものでした。こんないい話を今まで出していなかったなんて、何てもったいない。
王苺丸さんの話大好きです♪
- 56 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/20(日) 16:37
- はじめまして。
私もサイトで、苺丸さんが作品を発表すると聞いて飛んできました!
みなさんも言ってる通り、ホントいい話です!
是非、第2弾3弾も読ませていただきたいです♪
できれば、甘甘ないちごまも期待したいなーなんて思ってマス♪
- 57 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/21(月) 01:45
- 苺丸さんキタ━━(゚∀゚)━━!!
サイトをみてぶっ飛んできましたいちROMラーです(平伏
やっぱり苺丸さんのいちごまが大好きです
此れからも陰ながら応援してます
- 58 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/28(月) 12:37
- わー、ヒサブリにいちごま読んだ。
なんつーか、やっぱいちごまは(・∀・)イイ
好きすぎて素直になれない後藤さんが可愛すぎる。
第二弾、三弾も是非!
- 59 名前:ミッチー 投稿日:2005/04/08(金) 20:46
- 初めまして。
サイトを見て、飛んできました!
苺丸さんの作品を見ることが出来て、かなり嬉しいです!!
第二段、第三段も楽しみにしてます。
- 60 名前:王苺丸 投稿日:2005/05/09(月) 03:14
- リアクション遅くなって申し訳ないです。
色々迷ってたもので・・・。
レスをしてくれた皆様、本当にありがとうございます!
Death Wordの男じゃないですけど、レスのいちいちに手を組んで天を仰ぎましたw マジです。
自分的に実験的な話だったので、もしかして全くノンリアクションかもと思い不安にガクガク震えてたもので・・ガクガク(((((゚Д゚)))))ブルブル
レス返しが下手糞なもので同じことしか言えなくなってしまうと思うので、
一括レスで失礼させて頂きますが、お一人お一人に感謝しております。
で、第二段は自分的にやる気になったのですが、ちょっと今仕事の方が忙しいもので、
すぐ、という訳にはいきませんが、マターリお待ち頂けたら幸いです。
一応お知らせの為一度ageますが、暫くしたらまた落としますので。
それでは第二段でまたお会いできたらと思います。
>顎タンへ
駄文を晒す場をお借り出来て感謝しております。
スレの方は、出来ればこのまま置いておいて頂ければと思いますが、一度倉庫逝きになったとしても構いませんので、管理人サマにお任せします。
- 61 名前:王苺丸 投稿日:2005/05/14(土) 23:43
- (´(´д(´д(´ Д `)д`)д`)`) <<オトスポオトスポ(ヤンヤヤンヤ
- 62 名前:空色ぷっち 投稿日:2005/06/07(火) 03:12
- おぉ!甘々もいいけどこういうのもいいっすねぇ。
次回も期待しまくりですw
応援してま〜す。
- 63 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/10(金) 03:02
- すごくよかったです!
次回作期待しております!!
- 64 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/10(金) 21:41
- やっぱりいちごまイイです!!!
セツナイですけど、それも似合うのがいちごま。
バカラブも似合うので、バカラブ話もよろしければ…w
- 65 名前:王苺丸 投稿日:2005/06/13(月) 12:56
- 更にレスを下さった方々、本当に多謝です。
本当に嬉しいし励みになります。
嬉しいノリで、第二段、アップしようと思います。
こちらも書き始めはかなり前なんですが、Death Wordよりは全然後です。
で市井一人称という初パターンです。
個人的にはこっちの方が書きやすくて断然好きなんですが、何故か今まで苦手な後藤一人称ばかりでして・・。
こっちは中編くらいなので、何回かに更新分けたいと思います。
僕の書くものはいつもバスケが絡んできますが、好きなんでお許し下さい・・。別に、スポーツ物ではないので・・・。
因みに、学園物でもないです。前半はそういうジャンルに属するかもしれないですが、話全体としては全く違うので。
それでは、バザー作品ではありますが、お付き合い頂けたらと思います。
- 66 名前:王苺丸 投稿日:2005/06/13(月) 12:58
-
********
- 67 名前:王苺丸 投稿日:2005/06/13(月) 12:59
-
「みきたーん」
「あやちゃんこっちこっちぃ!」
夏の暑い日ざしに目を細めながら、少女達を見た。
5歳くらいだろうか。
二人の可愛らしい少女達は、公園のあたしが座るベンチの前を元気に何度も走り回る。
みきたんという子が転ぶとあやちゃんという子が手を差し伸べ、
あやちゃんという子が転ぶと、みきたんという子が手を差し伸べる。
何度も転んで、それでも二人はとても楽しそうだった。
キャッキャとはしゃぎながら、二人は日が暮れるまでじゃれ合っていた。
あたしはそんな二人の様子を日が暮れるまで眺めていた。
強い日差しはいつしか消え、それでもあたしは二人の様子に目を細めていた。
きっと、にこやかな表情で眺めていたんだろう。
月日が経つのは本当に早いものだ。
もうあれから3年か……。
ついこないだの事のように思える。
- 68 名前:王苺丸 投稿日:2005/06/13(月) 13:00
-
□□□『Who are you?』□□□
- 69 名前:王苺丸 投稿日:2005/06/13(月) 13:00
-
些細な事で喧嘩をしたんだ。
本当に些細な事で。
「もういちいちゃんの顔なんか見たくない……」
「……あたしだって見たくないね」
「…………ばいばい……」
パタンと音を立てて閉まるドア。
その音に、大した重みを感じなかった。
だってこれは単なる売り言葉に買い言葉ってやつで…。
…すぐに、戻ってくると思ったんだ。
ホンノ数分で。
後藤の事だから、ごめんいちーちゃんって、いつもみたいにちょっとモジモジしながら、
自分が悪かったってそう言って折れてくると思ってた。
これは多分、そうやってあの頃の後藤の素直さに甘えてきた罰なんだろうね。
- 70 名前:王苺丸 投稿日:2005/06/13(月) 13:02
-
******
「紗耶香ぁ、真希ちゃんダブリほぼ決定だって噂聞いたんだけど。どうなってんの?」
「マジで!?あいつ……ちゃんと授業出てるって言ってたのに……いちーに隠れてサボってたな……」
「今日は来てないの?」
「……さぁ」
学校の昼休み。
賑わしいホールの椅子に座り、友達の圭織と二人でお弁当を食べていた。
後藤との関係は、周囲には特に言っていなかった。
世間的にタブーとされる二人の関係を、あえて公表する必要ないと思ったし、理解を得ようとも特に思わなかったからだ。
勘の鋭い圭織にこそバレてしまったが、あたしから後藤の話題を圭織に振った事は一度もない。
きっと、何処かに気恥ずかしさと後ろめたさがあったんだろう。
「さぁって…。もしかして今喧嘩中かなんか?」
「喧嘩なのかな。……別れたかもね」
「は!?」
「よく分かんない」
「よく分かんないって何!!もしかして冷めたの!?あんたあんなにあの子にメロメロだったじゃん!!」
「べーつにメロメロじゃないって。あっちがいちーに夢中だっただけでさ」
後藤とはあれから全く連絡なしの状態だけど、その時の市井は特に気に留めてはいなかった。
元々謎が多い子だったし、何処で何やってるかなんて簡単に予想がつくような子じゃない。
ただ、何処にいても一人でやっていける子だ。
だから特に心配もしていなかった。
「はぁ……ついに二人にも来たんだ……倦怠期が……
二人だけは永遠に来ないと思ってたのになぁ……」
「倦怠期っつーか…あいつ我がまますぎるしさぁ。
独占欲強すぎだし束縛しすぎるしやったら食うしやったら寝るし会話が会話になんないし,,,,」
「はいはいもういいよ紗耶香の口から真希ちゃんの悪口なんか聞きたくない」
「ま、とにかく少し距離置いた方がいいんだよ。お互いに」
「それやるとねぇ大抵そのまんま自然消滅しちゃうんだよ」
「そん時はそん時で」
「ダーメだってば!」
この時はまだ事の重大さに全く気付いてなかった。
それどころか、このままダメになっても別にいいなんて思ってたんだ。
このまま、後藤が自分から離れてもいいと。
- 71 名前:王苺丸 投稿日:2005/06/13(月) 13:05
-
*******
後藤との出会いは、高校の部活だった。
キャプテンをしていた市井は、不安と緊張の入り混じった真剣な面持ちで自分の説明に耳を傾ける新入生の中の一人に、周囲との大きな違和感を感じていた。
ポワンとした眠そうなダルそうな表情でなんとなく説明を聞いてるその子の頭には、確実に市井の言葉は入ってないだろう事は聞かなくとも分かった。
顔は飛びぬけて可愛い。けど頭は飛びぬけて悪そうだ。
メイクはばっちりしてて、こんな拘束の厳しい学校なのに髪もかなり明るい。
雰囲気からして所謂ギャルだ。
それが、後藤真希だった。
ギャルが部活に何の用?何故入部?
それがやたら気になって、後藤の自己紹介の時に軽く聞いてみたのが、後藤と交わした初めての会話だった。
「ねぇなんで入ろうと思ったの?」
「はい?」
「バスケ部。うちの学校強くは無いけど、一応一通り普通に練習するからそんな楽なもんじゃないよ?」
「あー楽じゃない方がいいんでぇ」
「?なんで?」
「やぁ……
ダイエットの為に」
アハッと締まり無い顔で笑いながら言ったそれには、ただただ苦笑するしかなかった。
後藤はダイエット目的で入部してきたのだ。
下手にエステだの行って金かけて理想のボディーを作ろうとするよりは、適度に運動して汗かいて体作った方が効果的なんじゃないかと判断したらしい。
この時、ダイエットボクシングとやらが一時期流行った時のボクサー達の怒りの気持ちがなんとなく分かったのを覚えてる。
- 72 名前:王苺丸 投稿日:2005/06/13(月) 13:07
-
そして案の定、後藤は部員の中で飛び抜けてやる気がなかった。
痩せれりゃいい、理想のボディーができりゃいいっていう考えなら当然だ。
過度の運動は返って体に悪いのだから。
そしてそんな後藤の態度に部員達はあからさまに嫌悪感を示した。
市井でさえ、どうでもいいと思いつつ流石に後藤の態度には怒りを隠せなかった。
「ごぉとーお前なぁ、ビップ待遇なんてこの部活には無いんだぞ……」
「ん……?」
「30周走れって言われたら30周走りなさい」
「………………」
走る距離は決まっているのに勝手に途中でへたり込む後藤。
その後藤にキャプテンとして注意をする。
しかし後藤は無言。
別に不服そうな顔をしている訳でも、イマドキらしくキレてるわけでもない。
悲しそうな顔もしてなければ、市井を小馬鹿にしてる顔でもなかった。
ただ無表情でじっと市井を見つめる。
理解出来ないと言った様子できょとんとしているわけでもない。
理解はしている、けれども市井の言葉に対して何か思ってる。
不服でもムカつきでもない、何かを。
けれど、言わない。
いつもそんな感じだった。
後藤は何か注意されたり叱られたりするといつも何も言わずに黙り込む。
これだけ頑固に自分の意志を通すんだから、自分の中に何か言い分があるんだろうけどそれを相手に主張したりしないのだ。
只単に考えを上手く言葉に出来ない子なのか、言い争いが嫌いなのか、それは分かんないけどとにかくこっちからしてみるとこんな扱いにくい奴いない。
態度で示すが言葉にしない。これじゃあ全く何を考えてるかが分からない。
殆どの2・3年の部員が後藤に怒りを露にぶつけていたが、取り合っていたのは最初だけでそのうちシカトするようになり、最近では陰険な虐めらしきものをしだしていた。
でもまぁされても仕方ないなと思ってたし、それで辞めてくれた方が部活も平和なんじゃないかと思ったから市井は見て見ぬ振りをしていた。
- 73 名前:王苺丸 投稿日:2005/06/13(月) 13:09
-
けれど後藤は、何故か毎日休まずに部活に出てきた。
後藤が体育館に入ると冷たい視線が一気に集まる。
自分だったらこんなの耐えられない。絶対にすぐに辞めるだろう。多分、誰でもそうだと思う。
でも後藤は辞めない。
そこまでして理想のプロポーションを作りたいのか!?っていうのが部員達の怒りに拍車をかける。
虐めはエスカレートしていくばかりだった。
ゲームをしても勿論ボールなんて後藤に回ってこないし、それどころかあからさまにどつかれたりボールぶつけられたり。
しかし後藤虐めを見てみぬ振りをしていたはずの市井なのに、この時ばかりは後藤をかばうかのようにそれの邪魔をした。
後藤をどつこうとしてる奴がいたら先にパスを出してそれを妨害し、後藤に当てられそうになったボールはぶつかる前に市井が取った。
……こんな風にいったらあれだけど、例え虐めをしたとしてもプレイ中にそれをやる事だけは許せなかったんだ。市井に取ってバスケは凄く神聖なものだった。
理想のボディーを作る手段にしたとしても虐めの手段にだけはして欲しくなかった。
でも部員にそれを言った所で多分無理だろう。
それ程までに部員等の怒りは頂点に達してたのだ。
かと言って市井だって毎回毎回そんな虐めに意識を置いてプレーなんてしたくない。
心から楽しめなければバスケじゃない。
それである日、後藤にいい加減この言葉を言う事を決意した。
「ねぇ後藤」
「あ…いちー先輩」
部活が終わり、体育館で片付けを全て押し付けられて一人残っていた後藤。
そんな状況でも後藤は鼻歌歌いながらノッタリとボールを拭いてる。
自分が虐められてるという事がまるで全く頭にないようだった。
或いはそんな事気にしない程タフな子なのか。
或いは、本物のバ……
…とにかく、本当に謎な子だ。
後藤の元に近づいた市井は、ボールをキュッキュと拭く後藤の横に座って話し掛けた。
- 74 名前:王苺丸 投稿日:2005/06/13(月) 13:10
-
「ボール拭き楽しい?」
「ん?」
「…だってなんか楽しそうじゃん。鼻歌歌っちゃって」
「あ〜〜,,,,無意識だった。あはっ…」
「…………」
無意識……。
やっぱ三番目か……。
「でも別に嫌じゃないよぉ」
ボールを自分の目より高くあげて下から覗いた後藤は、光に当てて汚れてる所は無いか手の中でクルクルと回した。
「ほぉ……。
…………手伝おうか?」
「…先輩が?」
市井の親切心に、後藤はニヤけるように悪った。
「なんで笑う訳…?」
「だっていちー先輩がボール拭きなんておかしいよぉ。先輩はボールでプレーしてなきゃ」
「いちーだってボール拭きくらいするよ。いつもお世話になってるからね、ありがとうってたまに拭いてやらないとさ」「…そっか」
納得したようにそう言いながらも、後藤は噴出すように笑った。
ちょっと臭かったかな…。
「別に面白いこと言って無いぞ」
恥ずかしくなって歯切れ悪く言うと、後藤は「違う違う」と言って手を顔の前で振った。
そしてハァッと一息つくと、
「そういう言い方、いちー先輩らしいなって思って」
また、後藤は笑った。
ふーんこんな風に屈託なく笑う子なんだ。
……ちょっと切り出しにくくなった。
でもこれは後藤の為でもある。
だから思い切って直球でそれを言った。
「……やめたら?」
- 75 名前:王苺丸 投稿日:2005/06/13(月) 13:12
-
「ん?」
「…部活」
「………………」
市井がそういうと後藤はボールに視線を落とし、その表情は髪で隠れてしまって読み取れなくなった。
「やめりゃあいいじゃん。いちーに言わせて貰えばもう既に十分いい体してると思うけど?」
「へ……?」
「ん??」
あれ……?
かなり意外だった。
驚いたように市井を見た後藤のその顔は、ほんのり頬が赤くて口がうっすら開いていて……
文字通り、照れていたのだ。
「や、その……」
何の気なしに言ったつもりだったのにそんな照れられると、こっちまで恥かしくなってしまう。市井まで照れて視線をそらしてしまった。
後藤ほど目立つプロポーションと顔をしていれば可愛いだとかスタイルいいだとかは聞きなれてるだろうし、そのいちいちに動揺する程うぶな子だとは思えない。
だからこの時の市井は、後藤のそのリアクションの意味が全く理解出来なかった。
いい体って表現が悪かったかな……
スタイルいいんだからって言えば良かった……
「と、とにかく辞めた方がいいよ」
「…………」
「っていうか、辞めてほしい」
それは照れ隠しだったのか、市井は強めな口調ではっきりとそう言ってしまった。
でも後藤は,,,,
「……ここの部活ってそんなちゃんとしなきゃいけないとこなの?」
「へ??」
「だって別に強い訳じゃないし、強くなりたい人が集まってきてる訳でもないし、それにごとー部員のプレーの邪魔はしてないよ?」
「……それは…………」
「ごとーが抜けたからって強くなるの?部員の団結力が強くなって、プレーもよくなるの?」
「………………」
言葉を失う。
反論が出来なかった。
確かにその通りだ。
後藤は確かにやる気が無かったけど、ゲームに支障をきたすような事は何もしていない。
誰かの練習の邪魔になるような事をしてる訳でもない。
- 76 名前:王苺丸 投稿日:2005/06/13(月) 13:13
-
「それどころか今の方が団結力強いんじゃない?一丸となってごとー虐めに一生懸命だし。あは……」
「……でもさ、ほら……なんつーのかな、中には上手くなりたいと思ってる人もいて、なのに後藤がやる気ない態度とかしてるの見たら腹立つんじゃないかな」
「…………」
「向上心つーの?やっぱ全く違う方を向いてる人がいたら、自分のやろうとしてる意志が乱れちゃうじゃん?」
「……それはその程度って事なんじゃない?」
「…その程度……って……」
「だっていちー先輩はごとーがやる気ないからって自分の練習乱された?プレーの腕が落ちたり、向上心なくなったりした?」
「………………」
後藤が初めて自分の意見を言う。
もっともな意見を…。
屁理屈とも取れる。単に自分を正当化してるだけとも言える。
それでも言い返せなかったのは、恐らく市井自身も自分の所属してるこの部活の部員達と自分との志のギャップに何処か冷めていたからだろう。
そうなんだ。確かに市井からしてみたら部員らも後藤も大して変わらなかった。
ここの部活自体、基本的に本当に怠けた部活で。
向上心なんて言葉を後藤に使ったが、後藤を追い出す為に使っただけで、実際そんなもの持ってる人間はこの部活にはいなかった。
後藤は飛びぬけてやる気がないが、他の部員だって特にやる気満々でやってる訳ではない。
ただ、与えられた事は抵抗せずにこなし、言われた事は守ってやっていた。それだけだった。
後藤虐めをやっていた理由の殆どは、自分と後藤とのモチベーションのズレから生じる怒りではなく、後藤への女としての嫉妬心だろう。
なんとなく気に食わない、面白くない、っていう事が大きいんだと思う。
でもそういうみっともない感情自体、人間としてとても小さい事は言わずもがなだ。
虐めなんてくだらない事に一生懸命になる奴も、理想体型目指してバスケに手を出す奴も、大して変わらないと心の底では思ってた。
それどころか虐められても部活に出てくる程の執念を持つ後藤は、部員等よりある意味こころざしは高いのかもしれない。
- 77 名前:王苺丸 投稿日:2005/06/13(月) 13:14
-
「ごとー、なんか間違ってる……?先輩……」
後藤がやる気ないからって自分の練習乱されたりプレーの腕が落ちたり向上心がなくなったりしたのか。
…答えはNOだ。
「……いや……」
間違ってない……。
- 78 名前:王苺丸 投稿日:2005/06/13(月) 13:16
-
―――もしかしたら二人は似ていたのかもしれない。
「ねぇねぇ先輩。パスもらった後どういう風にドリブルしたら先輩みたくスムーズにボール運べるの?」
「あー。パス受ける時ジャンプして空中でキャッチするしょ?
でもってフロアに着地する訳だけど、大事なのはそん時どっちの方向に足をついて着地するかなんだよね」
「……ほぉ」
「ディフェンスの自分への責め方に応じて足の向き決めると、かなり次のプレーがスムーズに出来るようになるよ。
色々パターンあるんだけど、例えばゴール側にスペースがあった場合のゴールミート。
ちょっとボール持って着地した時のフォーム取ってみ」
「…はい」
「こんとき、足をもっとこう,,,,こっちに向けて、で体の重心はこう。で,,,,」
結局市井が後藤に部活を辞めろと言ったのはその一度だけだった。
辞めろどころか、嫌がらせで居残り練習を命じられてる後藤と一緒になって市井は毎日残ってこうしてバスケをしていたのだ。
勿論後藤とバスケがしたくて残ってる訳じゃない。
後藤が来る前からよくやっていた自己練習。
でも居残りを命じられた後藤が一人で真面目に集中して練習する訳もなく、市井にあれやこれやとフォームだとか技だとか聞いてきて、結局マンツーマンで教える形となってしまう。
市井的には練習相手がいた方が何かと便利だから、まぁ言っちゃえば後藤を利用しようと思ってた。
だから多少教えたりとかくらいしてやってもいいかなぁなんて,,,,そんな感じだったんだけど。
いずれにせよ、二人は逸脱者に他ならなかった。
部活が終わった後のこの時間が、本当の意味で自分らしい時間だったのかもしれない。
後藤も部活の時とは違いなんかノビノビとやっていた。
一緒に練習しているうちに後藤の性格も分かってくる。
なんとなくだけど、押し付けられたり強制されるのが苦手な子なんだろう。
まぁ、市井も自分は自分で生きてきた人間だから分からなくも無い。
- 79 名前:王苺丸 投稿日:2005/06/13(月) 13:47
-
*******
後藤は本当に人一倍手のかかる後輩で、人一倍要領が悪かった。
だから、特別視するつもりは無かったけど、基本的に世話好きな市井はいつしか後藤の事が何となく放っておけない存在になっていた。
その存在が強固なものになったのは……
そう、あの日は台風が近づいていて、風の物凄く強い日だった。
暴風により、放課後校内に残ってる者は殆どいなく、部活も休みで、体育館には市井以外誰一人いなかった。
打ち付ける風の体育館への衝撃は物凄く、体育館の閉塞的な空間は周囲を遮断するゴーゴーと鳴り響くその音でより強調される。
広い体育館の中でたった一人というのが、ひどく強調される。
その日後藤は初めて部活を休んだ。
太陽は雲にすっぽり隠れ、外は真っ暗。今にも雨が降り出しそうな曇り空。
そんな中、たった一人で残って練習をする。
一人は慣れてる。
ずっとそうしてきたんだから。
なのに、その日市井は押し潰されそうなくらい孤独感を感じていた。
くそっ何で後藤来ないんだよ……。
何故か後藤が来ない事に苛立ちを感じる。
スローペースでドリブルし、ゴールにボールを向けるも、シュートを打つ気になれない。
- 80 名前:王苺丸 投稿日:2005/06/13(月) 13:48
-
「……帰るか……」
全くと言っていい程やる気が起きなくて、集中力もゼロ。幾らシュートしてもボールがネットを通ってくれない。
台風のせいだろうか。
それとも、二人でやる事に慣れてしまって、一人でやる事が逆に違和感を感じるようになってしまったのか。
それとも単に後藤がいない事が……
……いやまさか……。
疑問に答えも出ぬまま、とにかくこれじゃ意味がないと思い、荷物を持って帰る支度を始めた。
支度をして荷物を持ったと同時に、ガラガラと重い体育館の扉が開かれる音がして、クルリと振り返った。
そこには、ハァハァと肩で息をしながら虚ろな表情で立っている、後藤の姿。
何故か私服で、手には何一つ持っていない。
「……ごと……」
思わずダッシュで駆けよった。
- 81 名前:王苺丸 投稿日:2005/06/13(月) 13:49
-
「後藤……どうしたの…?」
「ハァハァ……良かったいて………ハァハァ……」
近づいてよくよく見ると、後藤の体は小刻みに震えていた。
外の季節外れな寒さによるものだけではどうやらなさそうで……その顔の表情から、なんて声をかけていいのか咄嗟に出てこなかった。
何か、あった。
鈍感な市井でもそれは分かった。けど、こんな目を真っ赤にして今にも泣き崩れてしまいそうなギリギリの後藤を見るのは初めてで。
凄く強い子だと思っていた市井は、明らかに弱っている後藤に、まず動揺していた。
「……ちょっと…取り合えずあったまろう後藤……」
こんなに寒いのに上着も羽織らずTシャツ一枚の後藤に、これじゃあ風邪ひいてしまうと思い自分の着ていたジャージを脱いで羽織らせた。
そしてそのまま手を引き、更衣室へつれていこうとした。
「後藤どうした…?ほら、体育館寒いからさ……」
でも後藤は俯いてその場を動こうとしない。
不思議に思い顔を覗きこもうとすると、後藤は突然全身の力が抜けたかのようにふっともたれかかって来た。
「後藤……?」
突然の事に驚いて、もう一度後藤の顔を覗き込む。
「……な……んかあった……?」
思わず言葉が詰まる。
後藤は確かに、顔をクシャクシャに歪ませて泣いていたんだ。
「……――ちー先輩……っ……ヒック……おかーさんがンッ…おかーさんが!…ンック……」
壊れたゼンマイのようにお母さんがと何度も繰り返し突然声を漏らして泣き出す後藤。
市井は何がなんだか分からなくて、ただ頭を撫でながら震えている後藤のその体をぎゅっと強く抱きしめた。
ガタガタ震えながら嗚咽を漏らすその姿があまりに痛々しく、…でも抱きしめてあげる事しか出来なかった。
- 82 名前:王苺丸 投稿日:2005/06/13(月) 13:50
-
―――――
―――
―
「落ち着いた……?」
「……うん……」
貸してあげた替えの市井のジャージとウェアを身にまとい、コーヒーカップを口に運ぶ後藤を見ながら、市井はふと思っていた。
―――後藤は何故市井の元にきたのだろう。
更衣室じゃ落ち着ける場所もないと判断した市井は、残っている少ない教員の一人に許可を取り保健室を借りた。
最初は酷く取り乱していて中々口を開かない後藤だったけど、それでも暫くしてなんとか少しづつ話せるようになっていって、ポツリポツリとあった事を話してくれた。
- 83 名前:王苺丸 投稿日:2005/06/13(月) 13:51
-
半年前くらいからどうも母親の行動がおかしくて、後藤はたまにこっそり尾行をしていたらしい。
それで知ってしまったのが、
母親の不倫だった。
大人びているとはいえ、まだ15やそこらでの親の不倫はやはり辛かっただろう。
それでも家庭ではそんな事全く無いかのように明るく優しく振舞う母を目の前にして、後藤はただ知らぬ振りをする事しか出来なかったようだ。
しかし今日、それは起きた。
朝起きて台風に気付いた後藤は、なんとなく学校が面倒くさく感じ、頭痛という偽りの元そのままベッドにもぐりこんでいた。
後藤は今日学校そのものをズル休みしたのだ。
きっとその罰なんだと言っていた。
夕方になって帰宅した父と母がリビングで何やら口論を始める。
その内容にすぐに察しがつき、後藤は部屋にこもって音楽のボリュームを上げ聞かないようにしていたらしい。
けれどもその口論はついに音楽では誤魔化せない程酷いものとなり、ついにはガシャンというグラスの割れる音まで聞こえ始め、驚いてリビングを覗きにいった瞬間、母が発した言葉が「出て行く」だった。
そして後藤はそのまま家を飛び出して市井の元に走ってきたのだ。
歩いて2時間近くかかるこの距離を、上着も羽織らず、電車にも乗らず…。
「……寒くない……?」
後藤のウェアのジッパーを首までちゃんと上げてあげながら聞くと、無言でコクリと頷いた。
うつろな目をしている後藤。
心身共に疲れきった様子の後藤の頭はコクリコクリと上下に揺れていて、今にも寝てしまいそうだった。
「…後藤、ベッドで寝たら?」
「ん……だって……」
「いいよいいよ。ここの学校管理適当だし、泊まっちゃったって大丈夫な勢いだから」
「……じゃあ寝る……」
「あ……後藤携帯……持ってるよね…?」
「ん……?うん……」
一応両親が後藤と連絡取れない状態だったらマズイだろうと思って聞いてみた。
「…なら大丈夫だな。うっしベッドいこ」
ポンポンと肩を叩くと後藤は重そうな腰をあげてフラフラと歩き出した。
その体を支えベッドに連れて行く。
- 84 名前:王苺丸 投稿日:2005/06/13(月) 13:52
-
真っ白なベッドに潜り込んだ後藤に、布団を肩まで掛けてあげようとした所で視線が自分の手元に落ちた。
…後藤……?
何気なく掴んでいた右手を後藤は離そうとしない。
これだと布団が肩まで掛けれない。
でも後藤が何か言いたそうな切ない目でその手をキュッと握るから、離す事が出来なくて,,,市井は無言で手を握ったまま椅子に座り、上から布団を被せた。
後藤はほんの少し嬉しそうな顔をして、市井の方に体を向けたまま布団に顔を埋めた。
……状況が状況な訳で、だから不謹慎なんだけど……
握った手がやけに熱くて……
……それ以上は、考えないようにした。
- 85 名前:王苺丸 投稿日:2005/06/13(月) 13:54
-
結局後藤の両親は、飛び出していってしまった後藤を見て責任を感じたらしく、二人で冷静に話し合った結果、小さな誤解が積み重なってお互いの心がすれ違っていた事に気付いたらしい。
保健室のベッドで眠る後藤に、暫くしてから電話が掛かってきて、その事を伝えられたようだ。
後藤は電話越しの母の言葉をじっくりと聞きながら、市井の顔を見て嬉しそうにはにかんだ。
市井はそんな後藤を見て、無意識に頭を撫でていた。
- 86 名前:王苺丸 投稿日:2005/06/13(月) 13:55
-
*****
帰り道は、台風の目に入ったのか風は大人しくなっていて、代わりに雨が降っていた。
市井の一本の傘で一緒に帰った。
言い方を変えると、まぁ、いわゆる相合い傘だ。
って男女じゃないから相合い傘とは言わないんだけど…なんか照れ臭かったのを良く覚えてる。
あまり喋った事ない上に、元々多弁ではない後藤と、何会話していいのかも良く分からなかったし。
だからただ、雨の音を聞いていた。
ザーっという、すごくしんみりさせる雨音だった。
雨で良かったとちょっと思った。
じゃなきゃ、静寂の中きっと市井は、何か喋らないとと無理矢理一人でベラベラ喋って、凄く不恰好だっただろうから。
- 87 名前:王苺丸 投稿日:2005/06/13(月) 13:56
-
後藤を家まで送ると、別れ際に何か言いたそうにモジモジしてて、市井が「何?」と聞いてからたっぷり10秒くらいしてから、ポツリと、
「ありがとう」
と言った。
下向いて、顔を見ずに。
そして言うやいなやダッシュで家に引っ込んでしまった。
どうやら後藤にとって「ありがとう」という言葉はかなり重いらしい。
多分、送ってあげた事じゃなく、今日一日の事を言ってるんだろうけど。
やっとで言ったみたいな感じがなんかちょっと可愛いなって、焦ったように閉められたドアを見ながら思わず少し笑ってしまった。
まるで挨拶が苦手な思春期の男の子みたいだ。
そして一人になった帰り道、冷静になってからふと思った。
―――市井は別に何もしてないんだけどな……。
何故か分からないけど、今度は雨音がピチャピチャと弾んでるように感じた。
後藤のありがとうって一言に、浮き立ってる自分がいた。
出会った時の感じの悪い第一印象から一変して、市井の事を何度も裏切ってくるこの後藤っていう子に、
確実に惹かれ初めている事に気付いた。
そんな、雨の日の出来事だった。
- 88 名前:Who are you? 投稿日:2005/06/13(月) 14:01
-
********
- 89 名前:王苺丸 投稿日:2005/06/13(月) 14:03
-
後藤は見た目のイマドキ感からは想像も付かないくらい、イマドキらしくない子だった。
もっと全てがてきとーで、自分の意思も何もなく、ただ毎日がダルいと思いながら時間を浪費している子かと思ってた。10代の内から既に人生に興味を失っていて、ただ目先の快楽の事しか頭になく、完全にスレきっている。そんな子かと思ってた。
けどそうじゃなかった。
痩せたいのは自分の夢の為だって事も、最近知った。
凄く恥ずかしそうに、「いちーちゃんにだけだよ。絶対内緒だよ」と言いながら教えてくれた。
どうやら後藤は女優になりたいらしい。
なら演劇部行くべきなんじゃないの…?と苦笑しながら言った市井に対し、後藤はこう言った。
―――演劇がやりたいんじゃなく、ドラマがやりたいんだ、と。
間違ってるような、合ってるような……。
まぁ、そんなチンプンカンなとこも、後藤の魅力の一つだ。
後藤に対しての恋愛感情かどうかとか、そんな事をきちんと考えた事はない。
けど、自問自答しなくても、後藤に確実に惹かれている事だけは自分で分かっていた。
後藤を見るだけで何か声をかけたくなる自分がいて、後藤を見るだけで心浮き立つ自分がいた。
話せば話す程、色んな面が見えてくる。
話すテンポがノッタリしてて、後藤の中で凄く時間がゆっくり流れてる事や、実は凄い子供で甘えたがりって事や。
舌ったらずだったり、はにかみ屋だったり、何故かイグアナが好きだったり。
毎日のように二人残って練習をしていた。
市井はもっとバスケしたいから。
後藤は居残り練習。
全く理由は違うけど、でも二人でする練習は部活よりずっとずっと楽しかった。
「んあー酷いよぉごとー取れないじゃん……」
「ははっ悔しかったらもっと上手くなれよー」
「……意地悪……」
バスケがますます好きになって,,,,
そして後藤をますます好きになっていった。
圭ちゃんの言った通り、市井は後藤にメロメロだったんだ。
この空間を失うなんて考えられなかった。
- 90 名前:王苺丸 投稿日:2005/06/13(月) 14:04
-
―――二人がそういう関係になったのは.....
忘れもしない。
いつものように残って二人で練習、――半分お遊びだけど――をしてる時の事だ。
「ねぇいちー先輩。勝負しようよ」
不慣れな手つきでドリブルをしながら後藤は突然そう言った。
「勝負?なんの?」
「えーなんのってバスケのだよ」
「はぁ?ごとーお前何言ってっか分かってんの?この天才プレーヤーに向かって」
「天才は自分の事天才とか言わないんだよぉーだ。
いいからやろうよぉ。ごとーこの三ヶ月ですんごい上手くなったじゃん」
「上手くなったって……それで……?」
「上手くなったの!いいからやろうよ!!」
「はいはい分かった分かった。んじゃいくぞ。先に20点取った方の勝ちね」
ふざけてそんな提案しだしたんだと思い込んだ市井は、お遊びに付き合ってあげようくらいの気持ちでドリブルを始めた。
「あ〜待って!」
「?なんだよ」
「あんね」
「うん」
けれども、そんないつもの軽いノリとは違う後藤がそこにはいた。
「あんね……」
「…うん。どした?」
「……いちー先輩が勝ったら、勝ったらね……」
「うん…」
後藤はたっぷりと間を空け、急にしんみりした口調で言った。
「……ごとー今日からこうやって二人で残って練習するのやめるね……」
- 91 名前:Who are you? 投稿日:2005/06/13(月) 14:07
-
「は……?……それはな、なんで……?」
無茶苦茶びっくりした。同時に、心の奥が苦しくなった。
けれど、それに続いた言葉はもっと重いものだった。
「……辛いから……」
「…………」
言葉を失った。
後藤のその言葉の意味が、全く理解できなかった。
こんなに楽しいのに、辛い…?
楽しんでたのは市井だけだったの…?
後藤だって、無茶苦茶楽しそうにしてたじゃんか……
でも、その数秒後、その意味を始めて理解する。
後藤の、その気持ちを、初めて理解する。
「そして、もしごとーが勝ったら……」
「………」
- 92 名前:Who are you? 投稿日:2005/06/13(月) 14:08
-
後藤は、ゴクリと唾を飲み、俯いていた顔をすっと上げた。
「……ごとーと…………
付き合って下さい……」
- 93 名前:Who are you? 投稿日:2005/06/13(月) 14:09
-
その時の後藤の、真っ赤な顔して無茶苦茶勇気を振り絞った様子で言ったあの姿は、今でもはっきりと目に焼き付いている。
いつものノッタリした後藤からは想像も付かないくらい、真剣そのものだった。
当然、言葉を失う。
何の心の準備も出来てなかったし、そんなシチュエーションを想像した事もなかった。
市井は二人の関係を進展させようなんて思った事無かったんだ。
元々後藤のように自由な発想や自由な自分を持ってる訳じゃない。
ガチガチの固定観念からか、後輩の、しかも同性の……つまり、女の子とどうこうなるとか、そんなのありえない事だと思っていた。
一番ありえないと思ってたのは、後藤が市井に好意を持ってるっていう事だったけど……。
そういう感情を抱いているのは自分だけだと思ってたし、それに、辛いなんて思った事はなくて、ただ単純に楽しんでいた。
後藤と一緒にいるだけで十分楽しかったんだ。
でも、後藤は苦しんでいた。
市井は曖昧な関係を楽しんでいた。
でも後藤は曖昧な関係を、苦しんでいたんだ…。
- 94 名前:Who are you? 投稿日:2005/06/13(月) 14:10
-
無言のままゲームは始まった。
市井はあまりに突然の後藤の告白の余韻から抜けれなくて、放心状態だった。
けれどドリブルを開始してすぐに、意識は放心から開放される。
一瞬だった。
何が起きたか理解した頃には、ボールはネットを潜り床に叩きつけられていた。
後藤はいとも簡単に市井のドリブルを取り、簡単に市井をすり抜け、流れるようなフォームでボールを運び、そして普段の市井のそれよりも高く速く飛んでレイアップを繰り出したのだ。
告白だけで放心状態だった市井は、その一瞬の出来事にもう頭の中が真っ白になった。
「……後藤……お前……」
「………ごとー本気だから、いちー先輩も本気でやってね……」
後藤は、本当に無茶苦茶上手くなっていた。
いや違う。
後藤は元々上手かったんだ。
センスがあった。
努力型の市井に対して、後藤のそれは本当に才能っていうやつだった。
高校に入ってから始めたというのはウソではないと思う。
恐らく、たった数ヶ月で飛躍的に上手くなっていたんだ。
なのに何故それに市井が気付かなかったのか。
それは、
―――後藤は市井の前で、わざと下手クソな振りをしていたから。
- 95 名前:Who are you? 投稿日:2005/06/13(月) 14:13
-
その理由は、自惚れかもしれないけどこれ以外考えられない。
多分…市井にいつまでも甘えていたかったからだろう。
いつまでもチャカされていたかったからだろう。
決して対等にはなりたくなかったんだ。
デキの悪い自分に、呆れながらも決して投げ出さずに丁寧に教える市井に恋をしたんだと、後に後藤は言っていた。
デキがよくなってしまえば市井は後藤に手取り足取り教える事はなくなってしまう。
そして上手くなってしまえばじゃれ合うようにやっていたあの練習と言えないお遊びは、お遊びではなく真剣勝負になってしまう。
プライドの高い市井の性格を知れば、それは容易に察しがつく。
それに、居残りをさせられる必要もなくなる。
後藤は既に新入部員の誰よりも上手くなっていたんだ。
いや新入部員どころか、3年のメンバーと互角で勝負できるかもしれない。
そんな後藤に、ボールを与える時間を作ってあげる程心の広いやつはいない。
上手い事を知られたら恐らくボール拾いばかりやらされ、居残りも禁止されるだろう。
でも元々後藤が計算高いタイプだとはどうしても思えない。
バスケが下手な振りをしていたのは演技だけど、性格まで演技してるというのはありえない。
じゃあなんでそこまで出来たのか。
後にそれを聞いた時、後藤はその理由をこう言った。
それはとてもシンプルだった。
“いちーちゃんが好きだから”
愛のパワーは凄いんだよぉってはにかみながら言っていた。
それを聞いて、更に後藤の虜になってしまったのを覚えてる。
- 96 名前:Who are you? 投稿日:2005/06/13(月) 14:15
-
そして、勝負の結果は....
そう、付き合いだしたって事は、
市井が負けたんだ。
「ハァハァハァ……負けちった……」
「ハァハァ………へへっごとー上手くなったしょ?ハァハァ……」
体育館の中央に、二人大の字でゴロンの寝転がった。
本当の試合みたいに、いやそれ以上に体力気力ともに使い果たしていた。
「…ハァハァ………うん……ハァ……ハァ……」
「ハァ……ンッ……で……ハァハァ……負けてくれたって事は……ハァ……
……OKって事だよね……?先輩……ハァハァハァ……」
「…ハァ……ハァ……」
上がった息を落ち着かせながらゆっくりと首を曲げて、後藤の方を向いた。
後藤は真っ青な顔をして肩で息をしていた。
ちっちゃい頃からバスケをやってきてる市井は体力には自信あるけど、スポーツを何もやってきたなくて、ただダラダラしてきた後藤は、運動センスはあっても体力は全くないんだ。
互角にやりあえば、窒息しそうになるくらい息があがるのは当然だ。
後藤は虚ろな目をして、たまに咳き込んだりしていた。
でも、市井の返事に緊張しているらしく、Tシャツの胸の辺りをギュッと握り締め、時よりゴクンと息を呑んでいる。
恐らく、市井の方がドキドキしていただろう。
もう堪えられそうになかった。
込み上げてくる、胸を強く締め付けるこの想いに…。
- 97 名前:Who are you? 投稿日:2005/06/13(月) 14:16
-
だから、そっと近づいた。
大の字に寝そべっている後藤を上から見下ろし、真っ青になっているその頬にそっと触れた。
「……大丈夫?」
「ハァ…ハァ…ハァ…ハァ……」
「過酸素状態…だね。
こうしたら…少し楽になるかも……」
ゆっくりと、乾ききって紫色になっている唇に近づき、半分開いているその口に、自分のそれを、
静かに重ねた。
「「………………」」
一瞬にして耳が痛くなる程シーンと静まり返る。
互いの呼吸は完全に止まっていて、ただドキドキだけが頭に響いてくる。
後藤は硬直してしまって、ピクリとも動かない。
ゆっくりと顔を離すと、たった今真っ青だった後藤の顔は、真っ赤になっていた。
乾いてカサカサになっていた唇も、市井が潤してあげたからほんのり濡れていて、それにまたドクンと心臓が跳ねる。
自然とキスできた自分に驚いた。
いつの間にか、固定観念とか何が正しいとか、モラルがどうとか、そんなもの全部吹っ飛んでたようだ。
「……余計心臓早くなっちゃったじゃん……ごとー倒れちゃったらどうすんのさ……」
「じゃしない方が良かった?」
「んーん……凄い凄い嬉しい……夢みたい……」
後藤は不思議な力を持ってるみたいで。
ただ純粋に、目の前にいる後藤が愛しくて、ただそれだけだった。
夢みたいだと思ったのは、むしろ市井の方だ。
現実なんだと認識するまで、ちょっと時間がかかった。
正気に戻った市井は、目の前に寝転んでる後藤をやけにリアルに感じてしまって、まともに顔が見れなくなってしまった程。
- 98 名前:Who are you? 投稿日:2005/06/13(月) 14:16
-
「えっとそれで……キスしといてなんだけど、付き合うってどうすればいいの……?」
「……っぷははは!!!」
思い切り照れながら言う市井のマヌケな質問に、後藤はお腹を抱えてゴロゴロと転がりながら笑った。
「あっちがっ別にいちーだってそういう経験くらいあるぞ!!そーじゃなくてつまりその……」
言葉を選んでる市井の元に、後藤がゴロゴロニ三回転がってまた戻ってくる。
そして、よいしょと体を起こすと、市井の顔を覗き込んで首を傾げた。
「?難しく考えなくても、ごとーの恋人になってくれればいんだよ」
そう言いながら、首に手を回された。
心臓が詰まるような感覚を覚えた。
「こういう事……今まではしたくても出来なかったから……」
「…………」
今まで見た事の無いような色っぽい目つきの後藤に、返事も返せない自分がいる。
そうか。
後藤が感情を必死に抑圧させてたから、今まで市井は後藤に何も求めずにいれたんだ。
こんな態度されたら、何も求めずにはいられないよ…。
今までこういう、あからさまな誘惑めいたものは一度も無かった事からみても、警戒心が強く、保守的で奥手なのは当たってたけど、
一つ、また意外な一面を発見した。
後藤からの初めてのキスは、ぎこちなかったけど意外にも凄く情熱的だった。
「んっ……ハァ……」
その勢いで押し倒された時は、そのまま犯されちゃうんじゃないかと思ったくらいで……。
- 99 名前:Who are you? 投稿日:2005/06/13(月) 14:18
-
あの後、1時間以上広い体育館で二人、ずっとキスしてた。
止まらなくて、止めれなくて、夢中だったの覚えてる。
自分がこんなにも気持ちを抑圧してたなんて知らなくて、自分自身に驚いた。
今思い出しても、あの時の後藤の告白は最高だったけど、でも後藤一つだけ間違ってたんだよね。
二人の運命を賭けたあのゲーム。あの勝負。
―――あの時市井は、本気だったんだ。
本気で勝負したんだよ。
本当に負けたんだ。
まぁ、もし後藤が上手くなってなかったとしても、いちーはきっとわざと負けたんだろうけど......
- 100 名前:Who are you? 投稿日:2005/06/13(月) 14:18
-
*******
- 101 名前:Who are you? 投稿日:2005/06/13(月) 14:23
-
「さやかぁ、真希ちゃんまだ学校来てないみたいだけど、ホントどうなってんの?」
後藤と喧嘩別れして、20日目。
後藤との思い出を無意識に回想する時間が圧倒的に多くなっていた。
「圭織までいちーに聞かないでよ……。今日それ後藤の担任にも聞かれたんだからさぁ…」
「中澤?」
「うん…」
そして既に、会いたくてたまらなくなっていた。
20日前の、このまま別れてもいいなんて思ってた自分が、今はほんの少しも理解出来ない。
「へぇー中澤までも知ってるんだ。二人の関係」
休み時間。いつもの場所でお弁当を二人で食べながら、市井はいつもより低いテンションで圭織の問いに答えていた。
「それどころか、あんたが原因だろといわんばかりの言い方されて、学校に来るように言って欲しいっていわれた……。でも携帯かけても繋がんないし、家電かけても繋がんないし、家行っても誰も出ないんだよね……」
「誰も??それ、家族全員で旅行でも行ってるんじゃない?それか実家帰ってるとか」
「……だといいけど……」
「だといいけど、夜逃げもしくは引越しだったら最悪だって?」
「いやぁ夜逃げはないと思うけど、後藤ん家って父親が転勤多くて、小さい頃から転々としてるらしいんだよね…」
「でも学校に報告もせずに引っ越さないでしょー流石に」
「んーでもダブリ決定だったならさ、もしかしたら……」
「ホントに決定なの?」
「いや、なかざーに聞いたら、補習すればなんとか大丈夫だって。でも後藤その事知らないだろうし……。
このままじゃホントにダブリになっちゃうらしいけど……。」
「……とにかくさ、真希ちゃんの親戚とか知り合い当たってみるしかないんじゃない…?どこか、知らないの?」
「後藤のお母さんの実家は知ってる。青森の方の田舎なんだけど、前に連れてってもらった事あるから…」
「じゃ行ってきなよー!黙ってこんなとこいたってしゃーないじゃん!」
「……でも、もういちーの顔見たくないって言ってたしさ……」
“もういちーちゃんの顔なんか見たくない……ばいばい……”
- 102 名前:Who are you? 投稿日:2005/06/13(月) 14:23
-
「さやかは?」
「へ…?」
「喧嘩別れしたって事は、さやかもその時はもう見たくないと思ってたんでしょ?」
“いちーだって見たくないね”
「うん……」
なんであんな言葉が出たのか、不思議でたまらない。
なんでそんな事が言えたのか。
「で、さやかは今どう思ってるわけ?」
「………めちゃくちゃ…会いたい……」
「……ほら、きっとごとーも同じように喧嘩した事後悔してるって」
圭織は、優しい笑顔で市井の肩をポンと叩いた。
- 103 名前:Who are you? 投稿日:2005/06/13(月) 14:24
-
―――――――――――
―――――――
――――
圭織の一言を信じて、市井は青森行きの電車に揺られていた。
電話番号分からないから、行くしかない。
後藤のお母さんの家族ならば、何も知らないという事はないだろう。
斜め向かいの座席に若いカップルが座ってて、やたらと幸せそうにイチャイチャしてるのを見てると、自然と自分達とオーバーラップしてしまう。
“ねぇいちーちゃん”
“ん?”
“…後藤の事ずっとずっと好きでいてね”
“当たり前じゃん”
“へへへ……”
後藤はよく市井にそう言った。
なんでそんなに何度も言うのかが、いまいち分からなかった。
一度聞いたら分かるはずなのに、なんで何度も確認するように聞くのか。
後藤の何処が好きなのかとか、どれくらい好きかとか、とにかくそういう質問は日常茶飯事だった。
最初のうちは事細かに説明してたけど、日を追う毎に市井に取ってそれは単調な繰り返しにしか思えなくなっていった。
今思うと、言って欲しかったというより、不安だったんだろう。
後藤を手離して、ようやくその不安が分かった。
まだ自分を想ってくれてるのか、不安で溜まらない。
もう二度と抱きしめる事が出来ないと思うと、苦しくて溜まらない。
もうぬくもりも忘れられそうにないし、笑顔も、泣き顔も、全部忘れられそうに無い。
こんな好きだったって、今頃気付くなんて……。
なんでもっと早く……。
後悔と自責の念にかられながら、再び後藤との思い出に耽り始めていた。
- 104 名前:Who are you? 投稿日:2005/06/13(月) 14:25
- ―――――――――
―――――
―――
「いちーちゃんの部屋きれーだねぇ……というより物が無い」
「なんかゴチャゴチャあると狭く感じるから、極力捨ててくようにしてるんだよね」
「ほぉ……」
「……まぁ、てきとーにそこら辺座ってよ。今お菓子持ってくんね」
付き合いだして2週間。
後藤が始めて市井の家に来た。
市井は、かつて無い程に緊張していた。
初デートの時も緊張したけど、女の子同士って事で結構ふつーに楽しめた。
同年代の同性となると、楽しみのツボはそう変わらない。
ただ友達と違ったのは、腕組んできたり、プリクラ撮る時キスされたりして…それはちょっと戸惑ったけど……。
もうお互い高校生な訳で、男女だったら多分通過するとこな訳で、だからやっぱ……家に来るって事はそういう事なのかなとか色々考えちゃって……。
別にただ遊びにきただけと言えばそうなんだけど……。
後藤とそういう事がしたいかと自分に問い掛けてみると、「したくてたまらない!!」っていう男子高生のようなガッツキは流石に無いし、第一思春期の男の子達のように日々エロトークでエッチを勉強してる訳じゃないから、正直何をどうしていいのかあまりよく分からない。
大体はそりゃ、分かるけど……。
それに、後藤がそういう事を望んでいるかどうかも分からないし、もし望んでなかったら、逆に幻滅されてしまうかもしれない。
けど市井は…イヤらしい意味じゃなくて、なんていうか……うん。したいかしたくないかと言われたら、市井はしたい。
もっと後藤に触れたい。
もっともっと後藤を知りたい。
知らない後藤がいるのなら、市井に見せて欲しい。
後藤は、同じように思ってくれてるだろうか?
- 105 名前:Who are you? 投稿日:2005/06/13(月) 14:31
-
ジュースとお菓子を運びながら、どうすべきなんだろうと頭を悩ませていた。
「ねーねーいちーちゃんこれアルバムだよね?」
「えっ!?あーうんそうだよ」
部屋に戻り後藤を見て、緊張感がまた増した。
「見ちゃダメ?」
「え〜〜やぁめといた方がいいよ」
「なんで?」
「いちーの子供時代可愛すぎるから」
「あははは!!何それ」
ジョーク言ってみても、緊張はほぐれる事なく。
後藤はなんでこんなリラックスしてられるんだろう……。
それってつまり、別にそういうつもりは無いって事かな……?
考えて見れば付き合って2週間はもしかして早いのかも……。
そっか、早いか。早いよね?うんうん早いよ絶対!
自分に言い聞かせて、今日はしなくていんだってそう思ったら、なんか緊張が軽くなった。
したいって気持ちより、どうやら “しなきゃならない” っていうプレッシャーの方が強かったらしい。
- 106 名前:Who are you? 投稿日:2005/06/13(月) 14:32
-
市井の困惑を知らずに、後藤はアルバムを無言で見入っていた。
マジマジと過去を見られるとなんだか恥ずかしくなる。
「あのさ、あんまジックリ見ないで……」
「んあ?なんで?」
「……恥かしい……」
「ふふ」
市井の言葉に後藤は何故か嬉しそうに笑った。
あーあやっぱ見せなきゃ良かった……。
「いやぁでもちょっと、いちーちゃんホントに可愛い……」
「…………」
ギャグで言ったのに、納得されちゃってちょっと困った。
「いちーちゃん三輪車乗ってるよぉ〜〜かぁわいー……」
顔をほころばせながら食い入るようにアルバムを見る後藤。
可愛い可愛いと連発するもんだから、市井は照れ臭くて、何か音楽かけようとCDを選んだ。
「ごとーちっちゃい頃あんま可愛くないんだよねー。いちーちゃんはちっちゃい頃から可愛いなぁ」
「なんかそれ、自分の事“今は可愛い”って言ってるみたいに聞こえるよ」
「う……じゃじゃあちっちゃい頃からあんま可愛くない、は?」
「うわぁそれ逆になんかメッチャ嫌味に聞こえる」
「なんで?」
「だってさーごとーメチャ可愛いのにそれは嫌味だよ」
「…………」
ん?あれ??
CDをコンポにセットしながら何気なく言った一言に、後藤は言葉を詰まらせた。
振り返ると、後藤は恥ずかしそうに顔赤くして、誤魔化すようにアルバムをペラペラめくってた。
なんか前にも同じような……。
ああそうだ。
“いちーに言わせて貰えばもう既に十分いい体してると思うけど?”
あの頃既に市井に好意持ってたとしたら、いい体は無いよなー確かに……
- 107 名前:Who are you? 投稿日:2005/06/13(月) 14:33
-
「…ねー後藤?」
「ん?」
「市井の事さ、いつからその…想っててくれたの…?」
CDを音ちっちゃめにかけて、後藤の隣に座った。
「んー?入学式初日だよ」
後藤はアルバムに視線を落としたままパラリと次のページを捲りながら答えた。
「はっ…?マジすか…」
「って言っても勘違いしないでね。女子高なんかで良くある、ボーイッシュな先輩にミーハーな気持ちで一目ぼれしたわけじゃないよごとーは」
チラリと市井の表情を見て、また視線を戻す。
「じゃ何…」
「ほら、入学式の部活紹介の時にいちーちゃんバスケ部代表でスピーチしてたじゃん?そん時の言葉と、キリッとスピーチするいちーちゃんの堂々とした姿になんかね、カッコイイなってね…」
「言葉って…?いちー、何言ったっけ……」
後藤はパタンとアルバムを閉じ、市井の顔を見た。
そして視線を外してちょっと照れくさそうに言った。
「こう言ったんだよ。
“一度しかない人生、一度しかない高校生活。一度きりの思い出を、汗流しながら一緒に残しましょう”って。
凄いゆっくり、みんなの目を一人一人見るようにして言った」
「あー…言ったかも」
「正直、くっさい事言う人だなぁって思ったんだけど」
「ほっとけ……」
「でもなんかね、アホな事言って笑い取ろうとしてる人とか、事務的にスピーチしてる人ばっかな中、いちーちゃんだけがね、なんか、違う世界の人みたいに見えたんだ」
ほんのり赤くなった顔を隠すためか、後藤は再びまたアルバムをペラペラと捲り始めた。
- 108 名前:Who are you? 投稿日:2005/06/13(月) 14:34
-
「……入部したのは、もしかしてダイエット目的じゃないの……?」
「それもあったけど…いちーちゃん目的だと思う」
「なんだそうだったのか……。
えっとじゃさ、部員が冷たくても休まず来てたのは…」
「うんいちーちゃんがいたからだよぉ。だってそんな事よりもいちーちゃんをもっと知りたいって思ったし、だから部活ヤダって思った事も一度も無いし」
「ほぉ……」
「毎日ね、ちっちゃい発見するんだ。こんなふーに怒るんだーとか、こういう性格なんだーとか。好きな飲み物なんかも分かっちゃったり。
そーゆーのって、すんごい楽しいんだよ?」
「なーんだもっと早く気付いてればなー」
「けっこー見てたんだよ。いちーちゃんは全然ごとーの事みてくんなかったけど……叱る時だけでさぁ……」
「ゴメン……」
「いっちばん嬉しかったのはあんとき!ごとーがハブでストレッチする相手いなくて、そんでいちーちゃんがしてくれた時。覚えてる?」
「んー……あったような……」
「あーやっぱ覚えてないしぃ……。
いちーちゃんごとーがハブなの気ぃ使ってか、すごいさりげなくごとーの相手してくれてね。ササッて来て、“やろっか”ってすっごい自然に言ってくれたのが、ごとーもう感動で。ドッキンってしちゃって。
ストレッチ中ずっとドキドキしっぱなしだったんだよ。いちーちゃん……ごとーの体あちこち触るし……」
「それは……無神経でどーも失礼しました……」
「考えちゃダメだダメだって思えば思うほど、なんか意識しちゃって……すっごい顔真っ赤で、だから顔上げれなかったの……」
「へぇ……」
「今考えると、その時からもう気付くべきだったんだよね……」
「?何が?」
そこまで言うと、突然後藤は表情を暗くさせ、神妙な顔つきになった。
- 109 名前:王苺丸 投稿日:2005/06/13(月) 14:36
-
――――――――――
すいません一旦区切ります。
続きの更新は数時間後に。
――――――――――
- 110 名前:王苺丸 投稿日:2005/06/13(月) 14:38
- あと、訂正です。
>>89
圭ちゃんの言った通り→圭織の言った通り
(`.∀´)を出した覚えはないのに・・・・。
- 111 名前:王苺丸 投稿日:2005/06/14(火) 02:58
-
「なんかねごとー、いちーちゃんの事好きになんなきゃ良かったって、今後悔してるんだ……」
「は…?…………なんで……?」
驚いて後藤を見た。
後藤は膝を抱えて、顔を埋めた。
そしてポツリと呟いた。
「……思った以上にはまっちゃったから……」
消えそうな小さい声で言ったその言葉の意味が、市井には理解出来なかった。
その意味をどう取っていいのかも分からなかった。
良い意味なのか、それとも……。
- 112 名前:Who are you? 投稿日:2005/06/14(火) 02:59
-
普通の人が言ったらそれは、相手への甘い口説き文句の一つなんだろうけど、後藤が言うと違う。
器用に相手が好む口説き文句を考えるような子じゃないって、よく分かってる。
多分ホントにそう思ってるんだろう。
――好きにならなきゃ良かった――と。
「どういう意味……?」
急に漠然とした不安が市井を襲った。
後藤のいわんとしてる事が分からない。
「だから、つまり……」
「……つまり……?」
後藤を家にあげてからずっとドキドキしてるけど、急に市井の心臓は心地悪い鼓動の仕方を始めた。
「えっと……いちーちゃんは女の子で………………」
ぷっつりと言葉が途絶え、沈黙が訪れる。
何を言おうとしてるのかが、何となく予想できてきた。
市井は耐え切れない沈黙を破った。
「……難しく考えないでごとーの恋人になってくれればいいって…そう言ったのごとーじゃん……」
もしかして、自分の気持ちを否定しはじめてるとか……?
「そうなのその時は難しく考えてなかったの!男だろうが女だろうが好きなものは好きだしって!でも……でも……」
後藤は珍しく感情的になってて、今にも泣きそうで…市井はゴクリと息を呑んだ。
「でもごとー……その……」
- 113 名前:Who are you? 投稿日:2005/06/14(火) 03:00
-
聞いた事がある。
思春期に同性に極端なまでの好意を持つと、自分は同性しか好きになれないのではないか―――つまり完全なる同性愛者なのではないか、という不安に襲われ、先の人生に恐怖心を抱き、気持ちを無理矢理押し殺す人がいる……って……。
「……なに……?」
聞きたくない。
聞きたくない。
けど、聞かなければ進まない。
この時の市井は、予期してなかった自体に全身がガクガクいってた。
―――振られる
って、そう思った。
これは別れの前振りなんだって、もう確信に近いものを持っていた。
「その……いちーちゃんともっと……」
もっと……?
「もっと……近づきたい……って思うようになっちゃって……」
近づきたい……???
「でもいちーちゃ……そんなの絶対やだともうし…………」
顔赤くさせて、指弄りながらモゴモゴと言う後藤のそれは、別れ話って雰囲気じゃないような……。
「え……と……ちょっと待ってごとー……。何の話してる……?」
頭が混乱して分からなくなった。
ちょっと整理しないと……。
「何って……分かんない……?」
「……分かんない」
- 114 名前:Who are you? 投稿日:2005/06/14(火) 03:03
-
別れ話を持ちだされてると思ってた市井は一気に力が抜け、カラカラになってる喉を潤そうとジュースを手に取ってゴクゴクと流し込んだ。
えっと、別れ話じゃなくて市井が女な為に好きにならなきゃ良かったと思うほど思い悩む事……って……?
鈍感な市井はこの時、後藤の気持ちに気付いていなかった。
今考えると、ホントに無神経もいいとこだ。
あれは後藤の必死の告白だったんだ。
ギュッと目を瞑り勇気振り絞って、恥ずかしさ堪えて。
一世一代の、大告白。
「だ……から……ごとー……ごとー……」
「何??言ってくんなきゃいちー分かんないよ」
「ごとーいちーちゃんにされたい…!!!」
アニメみたくブッと噴出すまではいかなかったけど、口に含もうとしたジュースを思い切り膝に零してしまった。
1万以上したお気に入りのジーンズ。なんていう事はもはやどうでもよくて。
「さっ…されたいってごとー……えっ、えーと、んーと、そういう意味だよね……?」
わたわたとティッシュでジーンズを拭きながら、後藤の言葉をもう一度確認する。
「別にごとーエッチな訳じゃないよ……?そーじゃなくて……。……うまく言えないんだけど……。
こんなの、いちーちゃんに嫌われちゃうって思ったら、なんかすっごい自分がヤんなって、そんで辛くなっちゃって、そんで……そんで……やっぱ好きになっちゃいけない人だったんだって……今頃分かって…………」
後藤が泣きそうなのをぐっと堪えてるのが分かって、市井は、
「ちょっちょっそんな事で後悔すんなってば!ヤじゃない!全然ヤじゃないから!でもちょっ...あーもービチョビチョだチクショ!ごめんその前にジーンズ取り替えてきていっ!?」
「えっその前って……」
「だから、今からする!!!するからちょっとそこでジッと待ってて!!!」
- 115 名前:Who are you? 投稿日:2005/06/14(火) 03:05
-
この時の市井はもうすぐにでも、一秒でも早くしてあげたかった。
女だからって事で後悔なんてほんの少しもさせたくなかったし、市井が嫌がるっていう誤解もすぐに解いてあげたかった。
目に涙溜めて、本気で思い悩んでるようだった後藤を、少しでも早く救ってあげたかった。
全然、おかしい事なんかじゃないって、教えてあげたかった。
もしかしたら、“したい”じゃなく、“されたい”って言う後藤の言葉に、完全に火をつけられただけかもしれないけど...。
「……いちちゃヤじゃないの……?」
「ヤなわけない!!いちーのがめっちゃ我慢してた!!!」
立ち上がってタンスを開け、ポイポイとパンツを取り出す。
我慢してたってのは、ウソ。
けど、してた訳じゃないけど、今してる。
こうしてる間に過ぎていく時間がもどかしくて溜まらない。
「あーもっ…殆ど洗濯してるや……こーゆー時に限って……」
興奮というより、完全に苛立っている市井。
神経質な市井は、ジーンズがビチャビチャな事がもう、二人の行為を邪魔されてるようで苛立って仕方なかった。
まぁ、後藤の一言でそれは簡単に解決するんだけど…。
- 116 名前:Who are you? 投稿日:2005/06/14(火) 03:05
-
「……これからするならどーせ脱ぐんだからいーじゃん……」
「あ…………そっか……」
告白の時に続きまたもやマヌケなとこを見せてしまい、なんか一気に空気がコメディみたいになってしまった。
「ふははは!!!」
後藤は爆笑してるし、市井はムチャクチャ恥ずかしい……。
「ハァ…ハァ……いちーちゃん面白い……」
「涙出してまで笑う事ないじゃん……」
「だっていちーちゃん、“今からする”とか、全然ムードないし」
そう言ってまた笑う。
「……じゃ後でにしよっか……」
弱気になった市井は、口を尖らせてポリポリと頭を掻きながら言った。
後で、ムードが盛り上がった時にでも、自然の流れで……。
なんて思ったんだけど。
「来ていちーちゃん。ごとーが脱がせたげる」
「えっえっ!?」
「あとでじゃヤダ」
いつも思うけど、後藤って切り替えが早い……。
で、奥手なのか積極的なのか良く分からない……。
「ちょっまっ……!!!」
- 117 名前:Who are you? 投稿日:2005/06/14(火) 03:07
- ――――――――――
―――――――
―――――
あの時の後藤と自分のやり取りに思い出し笑いをしそうになった市井は、帽子を目深に被って顔を隠した。
後藤言わく、あの時市井がマヌケな言動を取った事は、後藤的には最高のパフォーマンスだったらしい。
凄く嬉しかったと後に言っていた。
全く理由が分からなかったので、何故?と聞くと、「いちーちゃんは人の心を和ませる天才だよ」と言ってフニャリと笑った。
つまり、張り詰めてた緊張があれによってほぐれたって事だと思うけど…。
“モノは言いよう”というか、“モノは取りよう”だよね。はは……。
で、肝心の行為そのものの方はどうだったかと言うと。
いちーちゃんにされたい、なんて言ってたくせに、危うくごとーにされそうな勢いになった市井は、途中意地とプライドを見せて形勢逆転させ、何とか無事最後までしてあげた。
んーとあれは……“初めては失敗に終わる事の方が圧倒的に多い”なんていう週刊誌の情報を疑ってしまうような感じだった。
後藤とのそれは、今でも思い出すと体が熱くなる。
なんていうか、すっごく甘かった。
勿論味がとかじゃなくて……。
「っ……ちーちゃ……んっぁ……いちーちゃっ……」
うわ言のように何度も呼ぶ後藤の声で、後藤の反応で、体中が痺れて、芯まで震えて、心臓とかお腹とかが刺すように痛かった。
痛いんだけどそれがトロケそうな程心地良くて、甘い痛みってのを初めて知った。
後藤への想いは、何かの間違いでも思い込みでもなく、ホントにホントに好きなんだって、本能レベルで再確信した。
とにかく、市井的にはもう、なんていうか、うん……人生って自分の想像を越える世界があるんだなって、愛し合うってすっごい事なんだなって、なんだか心から感動したのを覚えてる。
後藤が涙流してたのも凄く分かるし…。流石に、二人して泣きながらしてたらちょっと酔いすぎだから市井は堪えてたけど。
っていうか、実は自分を完全に見失うのが怖かった。どっか捕まえてないと、とんでもない甘い言葉吐きそうで…。とんでもない事しそうで…。
- 118 名前:Who are you? 投稿日:2005/06/14(火) 03:09
-
性的な意味で理性を失いそうになってたんじゃなくて。
だって単にエロティックとかそういうんじゃなく、凄く神聖だったし。あれは、生命の神秘と言わずにいられない。
遺伝子がどうとか、生物学的に無意味だとか、世を滅ぼす行為だとか、そんな論理的分析の方が物凄く無意味だと思った程。
人が愛し合うってのに意味なんかないんだって、悟った。
それで世の中が滅ぶのならば、それもまた運命じゃないかとすら思った。
世を滅ぼす程の行為―――ある種、恍惚的な響きですらある。それこそ至高のエロティシズムだ。
自分さえよければいいっていう身勝手な行為って思う人もいるんだろうけど、それを言うのならば生産よりも今あるものの保護をもっと真剣に考えるべきだと思う。
…なんて偽善主張をしてしまう程、正当化したかった。せずにいられなかった。
後藤が市井とのそういう事を考えるのに罪悪感を覚えたのは多分、“同性愛は究極の清い恋愛だ” “精神的なものだけで求め合う、リビドーを一切排除した所にある、動物を超越した恋愛”という、女子学生が好む漫画なんかで良く主張するそれからくるものだと思う。
だから、欲求として求めてるのはあくまで“清い”という部分に固執したものであって、性的衝動はご法度だって思ってたんだろう。
同性にそれを求める自分は汚れてると。
そんな自分は嫌われると。
まぁ後藤の場合単なる性的欲求じゃなくて、単純に“もっと近づきたい”っていうのからくるものだから、結局精神的なものが多くを占めてるんだけど、自分ではそこまで区別出来なかったんじゃないかと思う。
- 119 名前:Who are you? 投稿日:2005/06/14(火) 03:10
-
実際にしてみてその罪悪感がどうなったのか気になり、後藤に聞いてみようと横を向くと、突然後藤は市井の手を取った。
そして、まるで赤ちゃんが母親のそれを興味深く観察するかのように、マジマジと見ている。
市井が「何?」と聞くと、指先なんかをプニプニと押したり自分のと比べたりしながら、
「いちーちゃんの手からはなんかとくべつな気が出てる」
と言った。
「…………あははは!!いちーマリックじゃないし」
あれこれ小難しく考えてた自分がバカらしく感じて、あまりの後藤の純粋さに、あまりの可愛さに、思わず笑った。
後藤はバカにされたと思ったらしく「ホントだもん…」って膨れてたけど。
特別な気が出てたのはむしろ後藤だったって事は、内緒。
- 120 名前:Who are you? 投稿日:2005/06/14(火) 03:11
-
それからの二人の関係は―――
勿論良好だった。
良好どころじゃない。二人は現実から完全に離れたとこにいた。
今まで感じた事のないような不思議な世界に入り込んでいた。
“いちーちゃんお風呂入ろーよっごとーが頭あらったげる♪”
“んじゃーいちーは体洗ったげる”
“スケベ”
“いてっ”
例えるならば、同棲したてのカップルのあの絶対的な世界観。
永遠だと信じて疑わない、あの幸福感。
二人の関係を誰かに喋った事もなかったし、その必要もなかった。
人の同意も、恋人がいるっていう優越感も必要なかったし、本当に何もいらなかった。後藤さえいれば。
同性だっていう後ろめたさとか不安も何もない。
というか、そんな事を気にする余裕はなかった。
市井は後藤に盲目だったんだ。
- 121 名前:Who are you? 投稿日:2005/06/14(火) 03:12
-
なのに、いつからだろう。
言い訳をするならば、二人は同じ時間を多く過ごしすぎた。
学校にいる間は授業以外全てだったし...いや授業抜け出して二人で学校の人気の無いとこで過ごすのなんてしょっちゅうだったし、家に帰っても一緒だった。
家は両親が夜遅くまで働いてるし、友達だと思ってるから遅くまでいても特に何かいわれる事はなかった。
最初あまりに情熱的に飛ばしすぎたせいか、少しづつ電池が切れていくのを感じた。
後藤の性格に何か問題があった訳じゃないし、後藤の魅力が薄れたわけでもない。
単に市井の持久力が続かなかったんだ。
後藤は一年経っても最初からずっと変わらず飛ばしつづけていた。
後藤があまりに最初と全く変わらない態度で毎日毎日接してくるから、ある時、呑まれてしまうんじゃないっていう不安を覚えた。
ある種のプレッシャーを感じたんだ。
プレッシャーが加速し始めたらもう、同じくらい好きでいなきゃという焦りばかりが大きくなって、まるで追い立てられるようになってしまった。
恐怖を感じながら良い恋愛なんて出来る訳がない。
そして市井は、後藤の過剰な愛情表現を疎まく感じるようになった。
どうやら市井は、幸福に対する感謝の気持ちが薄かったみたいで。
人間は、慣れると簡単に現状を当たり前のものだと錯覚してしまう。
本当は当たり前のものなんて世の中に何一つ存在しないのに。
特に市井と後藤の関係は、
いや後藤という存在は、奇跡に近かった。
“ごとーね、いちーちゃんのためなら死ねるって思うよ”
“またまた大袈裟な”
“ホントだよぉ”
“じゃあいちーの為に死なないでって言ったら?タイタニックのジャックみたいにさ”
“そしたら生きる”
“あはは!言いなりだね”
“言いなりだよ。いちーちゃんはごとーの恋人で、ごとーのご主人様だもん。お願い事は何でも聞くよ?”
“なんだよそれ”
じゃあ……戻ってきてって言ったら戻ってきてくれる……?ごとー……。
電車の窓に頬杖をつきながら、ハァッと大きく溜息を吐いた。
曇ったガラスに、思わず言葉を書きそうになった。
はっと我に返って、焦って袖で消した。
消した文字は「ご」
…重症だ。
- 122 名前:Who are you? 投稿日:2005/06/14(火) 03:13
-
“もういちーちゃんの顔なんか見たくない……”
“……いちーだって見たくないね”
“…………ばいばい……”
別れる前のあの時期の後藤は、市井が疎ましく感じてる事にイヤでも気付いていただろう。
市井にどう接していいのか明らかに困惑していた。
出来る限り気持ちを抑えようとしてたのも分かった。
けど、それでも市井は後藤を思いやってやれなかった。
そして些細な喧嘩がきっかけで、別れを告げて出て行ったしまった。
後藤が自分に取ってどういう存在かとか、改めて考えた事なんて無かったし、恋心に苦しんで思い悩んだ事もなかった。
付き合い始める前にそういう事があれば、少しは違ったかもしれないけど……。
今になって苦しむなんて、本当に遅すぎる……。
市井は特に女の子が好きという訳じゃないから、相手が女だから好きって訳じゃなかったし、後藤の代わりなんて絶対いなくて、後藤だから好きになったんだし、後藤じゃないとダメだし、後藤がいなきゃ……後藤じゃなきゃ……。
“いちーちゃん……好きだよぉ……”
後藤はたまに、市井の背中に抱きついて何故か泣いていた。
その時は、何か学校で嫌な事があったんだろうと思って、無言で頭を撫でてやってた。
けど、今はその気持ちが痛いほどよく分かる。
こんなにも好きすぎて、切なくて、泣きたくて仕方ないよ……。
- 123 名前:Who are you? 投稿日:2005/06/14(火) 03:16
- *******
電車から降りた時には、目が腫れぼったくなってた。
もう季節は夏の終わりで、北の方にきたら外はかなり寒く、ぶるりと震えながらブルゾンのジッパーを上まで上げた。
電車を降りた後バスに乗って1時間揺られ、更に民家の無いところへと行く。
以前後藤と来た時は、遠足気分で凄く楽しかった。
何時間電車に揺られてもバスに揺られても、全く気にならなかった。
今はこの距離が、後藤との距離のように感じてただただ歯がゆい。
バスを降りるともう日は落ちてきていて、景色が夕焼け色に染まっていた。
目の前に広がる畑の間の、舗装されてない道路を数十分歩き、ようやく目的の後藤の祖母の家に到着した。
あれ……?
妙な違和感を感じた。
一年近く前に来た時と違い、家の敷地内の畑が全く荒れ果てている。
何かを栽培してるようでもないし、おいてあった車もなければ玄関の前に置かれていた畑を耕す道具なんかもなくなってる。
以前来た時のような人が住んでいる感じが全く無くなっている。
もしかして、引越しでもしたんだろうか。
けれど、庭の大きな畑の間を通る玄関まで続く飛び石には、最近付いたであろう人の靴の跡をした泥が幾つも付いていた。
どうやら人の出入りはあるようだ。
それに、二階の窓の奥にうっすらと電気の光が見える。
違和感を覚えながらも、玄関の呼び鈴を鳴らした。
しかし数秒たっても数十秒経っても反応がない。
おかしいなぁ人はいるみたいなのに…。
何度も何度もしつこく呼び鈴を鳴らしてみる。
けれどやはりリアクションがないので、一応ドアノブを回してみた。
ガチャリ、とドアはすんなり開いた。
「ご免下さーい!!すいません以前遊びに来た市井ですがー!どなたかいらっしゃいませんかー!!」
仕方なく大声で家の人を呼んでみたが、暫く待ってみてもやはり反応がない。
何処か出かけているんだろうか。
けど、家の中を見てまた感じた違和感は、偉く埃やチリが溜まっていて全く掃除をしていないような様子だった。
そして目を疑ったのは...
- 124 名前:Who are you? 投稿日:2005/06/14(火) 03:17
-
なんだ、これ……
飛び石についていた靴の跡をした泥が、あろう事か家の廊下のフローリングにも続いているのだ。
靴の跡は一本ではなく、何度も何度も出入りしたみたいに無数の跡が残されていた。
泥棒でも入った……?
にしては、まるでアメリカ人の家みたくあちこちの方向に靴の跡の泥がついている。
入ったというより、普通に住み着いている感じだ。
なんだか、凄くいやな予感がした。
何か大きな事件がこの家で起きているんじゃないかっていう、そんな予感。
市井は今後藤を探してるだけなわけで、不用意に人の家の事件に首を突っ込んで巻き込まれでもしたら大変だ。
これは一旦帰って警察に任せた方が懸命じゃないかと思い、踵を返してドアノブに手をかけた。
けれど、何故だろう。
これは第六感ってやつなんだろうか。
自分でも分からないけど、何故か、気づくと市井はクルリと再び踵を返し、家の中へと足を進めていた。
吸い込まれるように、導かれるように、迷うことなく、二階の奥の、さっき明かりが見えた部屋へと向かっていた。
人の家に勝手に上がって、何をしようというのか。
しかも何やら事件の臭いまでがするのに、自分は何をどうしたいのか、全然分からない。
けれど、“行かなければならない”そんな感じがビンビンするんだ。
“ていうか、携帯かけても繋がんないし、家電かけても繋がんないし、家行っても誰も出ないんだよね……”
“誰も出ないの??それ、家族全員で旅行でも行ってるんじゃない?それか実家帰ってるとか”
“……だといいけど……”
圭織と学校でしていたやり取りが、頭の中を何度もリピートする。
- 125 名前:Who are you? 投稿日:2005/06/14(火) 03:17
-
なんていうか、これはなんだろう。
この嫌な予感はなんなんだろう。
これから自分の身に起こるそれは、知ってはならない、知るべきではない事実なような気がしてならなかった。
後藤の身に大変な事が起きてるとか、そんな、なんかそんなんじゃなく、
なんていうか……
階段をギシギシとゆっくり静かに上がる市井の足元は、今までに無いくらい恐怖に震えていた。
行かなければいけない。けど行ってはならない。そんな矛盾を感じる。
二階にようやく辿り着き一呼吸置いた市井は、目的の部屋へと一歩踏み出した。
ギシリ。
何……?
部屋の中から聞こえた物音。
そしてまた。
ギシリギシリ。
やはり誰か人がいる。
ドクン、ドクンと心臓が強く動き始める。
高ぶっていた感情のメーターが、下へ下へと落ちていくのが分かった。
行くべきか行かざるべきか。
葛藤の中、恐怖心の渦の中、それでも少しづつ足を進めていた。
そして葛藤の結論が出たのは、ガチャリ。ドアを開けたその瞬間だった。
―――足を進めるべきじゃない。
- 126 名前:Who are you? 投稿日:2005/06/14(火) 03:18
-
最終的に出された自分の中の予感は、ほんの数秒遅かった。
もう、全てを知ってしまった後だった。
「………ご………とう…………」
目の前には、確かに後藤がいた。
会いたくて会いたくて仕方が無かった、後藤が。
「んあ……ハァ……やっときた。いちーちゃん」
市井に気付いた後藤は全く驚く様子もなく、ニコリと、ではなくニヤリと笑ってダルそうな声でそう言った。
言葉なんてもんは、全く使い物にならないんだって知った。
この状況で、何を口にすればいいというのか。
鈍器で後頭部を殴られたのかと思った。
頭から足の先まで冷たくなっていくのを感じた。
“生命が生きるって事に比べたら人生の中で困った事なんて大した事じゃない。”
父が昔言っていた言葉を思い出し、咄嗟に高速で反芻させた。
大した事じゃない。大した事じゃない。大した事じゃない。
けれどそんな慰め文句はこの状況を前にして非力すぎた。
- 127 名前:Who are you? 投稿日:2005/06/14(火) 03:19
-
―――ドアを開け目に飛び込んできた光景は、こうだった。
後藤は……後藤は、ベッドの真っ白なシーツの上に横たわり……
ガタイのいい大柄な男に組み敷かれ、下品に足を大きく広げ。
市井が聞いた事のない、厭らしい声。厭らしい腰の動き。
市井に気付いた後藤は、――やっときた――その言葉通り、まるで市井にその光景を見せつける為にずっと何日もSEXを繰り返して待っていたかのような。
待ちくたびれたと言わんばかりのげっそりと疲れきった表情をしながら、ベチャベチャに濡れて顔に張り付いた髪を分け、市井の顔を確認し、鼻で少し笑って口角を上げた。
自分の知ってる後藤の中には、ほんの少しもいないそれだった。
それが後藤だと認識するまで、時間がかかった。
男が誰かとか、そんな事はもうどうでも良くて。
心臓が握りつぶされそうになり、クラリと眩暈を起こし,,,,そしてその場にペタリと崩れ落ちた。
目の前は真っ白になりもう何も見えなくなった。
と、同時だった。
「うっ!!……」
今度は確かに、物理的打撃を後頭部に受けた。
何が起きたのか、起きているのか、錯綜の中意識はシャットアウトした。
- 128 名前:Who are you? 投稿日:2005/06/14(火) 03:21
-
始まりを理解した時、全てが終わっていた事に気付く。
……人生なんていつもそうだ。
<Who are you?――前半終了――>
- 129 名前:王苺丸 投稿日:2005/06/14(火) 03:23
- これにて、前半戦終了です。
(`.∀´)<戦っていたのね
- 130 名前:王苺丸 投稿日:2005/06/14(火) 03:23
- なんだか、ちょこちょこ細かいミスがありますね・・すみません・・。
- 131 名前:王苺丸 投稿日:2005/06/14(火) 03:29
- ( ´ Д `)<んあ〜ウザくてごめんね〜
- 132 名前:王苺丸 投稿日:2005/06/14(火) 03:57
- あ、忘れてた。
何処からか分かり易い方が良いですよね。
『Who are you?−前半−』 >>65-
- 133 名前:とおりすがったり 投稿日:2005/06/14(火) 23:15
- …脱帽です!苺丸さんの文章には引き込まれます。
衝撃的すぎて怖かったっす。
サイトからぶっ飛んできましたが、続きを期待しつつマターリ待たせていただきます。
えと、がんがってください!
- 134 名前:ミッチー 投稿日:2005/06/15(水) 00:54
- 更新お疲れ様デス。。。
何か、前半の最後のほう怖いっすね・・・。
この中の世界にすごく引き込まれました。
続きがかなり気になります。マターリ待ってます。
- 135 名前:kk 投稿日:2005/06/15(水) 17:43
- すごい・すごすぎる
- 136 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/15(水) 23:15
- 一気に読みました!
おーさんのお話はやっぱり引き込まれます。
続き気になります。自分もマターリお待ちしております。
- 137 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/29(水) 01:06
- うお!?予想外な展開・・・痛い・・・・゚・(ノД`)・゚・。
- 138 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/06(土) 04:57
- 待ってますよ
- 139 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/26(月) 23:44
- 待ってますとも
- 140 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/04(日) 21:29
- まだかな・・?
いや焦るまい・・
待ってるよ・・
- 141 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/12(月) 05:16
- 突然失礼します。
いま、2005年の飼育を振り返っての投票イベント
「2005飼育小説大賞」が企画されています。よろしければ一度、
案内板の飼育大賞準備スレをご覧になっていただければと思います。
お邪魔してすみませんでした。ありがとうございます。
- 142 名前:王苺丸 投稿日:2005/12/26(月) 23:08
-
<who are you? ―――後半―――>
- 143 名前:王苺丸 投稿日:2005/12/26(月) 23:09
-
――――――――――
―――――
「起きろ」
低い男の声と共にベシャッと冷たい水を顔にぶつけられ、目が覚めた。
「んっ……」
すぐに、体の自由がきかなくなってる事に気付いた。
「……ちょっ何!?これ!!解いてよ!!!」
」
手足がガチガチにローブで縛られて動かない。
後ろ手に縛られてるそれを外そうとグリグリ動かすがビクともしない。
ジタバタとフローリングの冷たい床の上で体をよじらせながら、首を左右に振り、身に起きている状況を必死に探る。
以前来た時と変わらぬ12畳程の生活感溢れるリビングに、場違いな様子で市井は横たわり、何故か黒いスーツ姿の男数人に取り囲まれていた。
この状況は、完全に身の危険だ。それは分かってるんだけど、市井はそれどころじゃなかった。
「いちーちゃん」
ペタペタというスリッパが床に擦る音と共に、聞きなれた柔らかい声が耳に入った。
「後藤!?」
そう、後藤の事しか頭に無かったんだ。
気絶する前に見た光景―――“あんっ…!!もっと!!”
あれは夢か幻か。
何かの間違いだ。そう言い聞かせながらクルリと体を回転させ、顔を上げた。
そこには、髪をタオルで拭きながらバスローブに身を包んでいる、シャワーを今浴び終えたかのような後藤の姿があった。
「ごとー気絶って始めて見たよー。あ、SEXでの失神は経験あるけどね。いちーちゃんはヘタクソだから無かったけど」
あはっと笑った後藤を見て、再び意識を失いそうだった。
- 144 名前:王苺丸 投稿日:2005/12/26(月) 23:09
-
「……訳が分からないよ……」
震える声を押し殺して、何とか言葉を吐いた。
心臓がバクバクと破裂しそうなほど動いていて、体も小刻みに震えてるのが分かった。
この鼓動や体の震えは何だ。既に起きている事への恐怖なのか。
それともこれから起こる事への。
「んー分かる方が凄いよー」
クスクスと笑う後藤は、完全に状況を面白がっていた。
目の前にいるのは誰なのか、市井はもう分からなくなってきていた。
市井と後藤は心から愛し合ってて、でも些細な事で喧嘩しちゃって、市井はそのすれ違いを埋めにきた。
それだけのはずなのに。
後藤を見つけたらちゃんと「愛してる」って言って、強く抱きしめて、また前と変わらない日々を送るはずだったのに。
それは市井の妄想だったというのだろうか。
愛し合ってた事すら、妄想だったと……?狂言だったと……?
「ねぇ後藤……教えてよ……」
もう、限界だった。込み上げてくる涙を堪える事が出来ず、唇を震わせながら後藤をボヤけた視界で見つめた。
「あらら、泣いちゃった」
後藤は腕を組んで片足に重心を掛け、嘲笑しながら見下ろした。
- 145 名前:王苺丸 投稿日:2005/12/26(月) 23:10
-
「後藤さんそろそろ」
後藤の相手をしてた奴らしきガタイのいい男が、オールバックの髪を光らせながら後藤に耳打ちした。
「ああそうだね。いちーちゃん来るの遅いから予定狂っちゃってんだよこっちは」
苛ついた様子で足をパタパタさせたかと思うと、急にニコリと笑いながら市井の下に近づいた。
髪を掻き揚げながら市井の前にしゃがみ、脱げて転がっていた帽子を市井にそっと被せた。
そして弄ぶように市井の鼻先を突っつきながら言った。
「いちーちゃんがボーイッシュだったのが唯一の救いだなー。後藤レズっ気って全然無いからさ。
ホント、もし女の子女の子した子だったら多分相手を男だって思い込めなかったよ。落とせたかも疑問だしね」
男だと思い込む……?
その瞬間、ガラガラと全てが崩れ落ちていくのを感じた。
全て演技……?全てウソ……?
「でもSEXの時は流石に思い込むの難しかったなー。いちーちゃん華奢だし思った以上に肌やわっこいし。ついでにアレも無いしね。あは」
だって……だってあんなに……
あんなにいちーの事を好きだって……泣いて……
「あ、因みにごとー演技力半端じゃないから、顔赤くしたり泣いたりなんて朝飯前だよ。今泣いてあげよっか?」
市井の思ってる事は全て見透かされてるようだった。
自分がずっと手のひらで転がされていたのを実感した。
- 146 名前:王苺丸 投稿日:2005/12/26(月) 23:10
-
鈍感で、計算が出来なくて、不器用で、要領悪くて。
でも素直で、優しくて、繊細で、純粋で……。
その後藤は全て作ったもの…?
「何で……?」
子供みたいにヒックヒックとしゃくりあげ、顔をみっともなく歪ませ、鼻水をたらしながら掠れ声を漏らした。
「何で?それって何でバスケ部にわざわざ入っていちーちゃんに近づいたかって事?
それとも何でいちーちゃんの事好きな振りしたかって事?
あー違うか。何でごとーが可愛い子ぶってたかって?
何で好きでもないのにセックスしたかって?
それとも何で今いちーちゃんをこんな目に合わせてるかって事?
何でこの男とセックスしてたか?
あー全部か。んーと」
頭をポリポリと掻いて、テヘっと笑った。
「それ説明すんのけっこー難しんだわ。ほら、ごとー頭悪いからさ」
そしておどけた顔で言った。
体がガクガクと痙攣を起こし、ぶつかり合う歯がカチカチと音を鳴らしていた。
絶望なんて通り越していた。
まさかそんな……
“だっていちー先輩がボール拭きなんておかしいよぉ。先輩はボールでプレーしてなきゃ”
“……――ちー先輩……っ……ヒック……おかーさんがンッ…おかーさんが!…ンック……”
“もしごとーが勝ったら……ごとーと………付き合って下さい……”
“?難しく考えなくても、ごとーの恋人になってくれればいんだよ”
“ねぇいちーちゃん…後藤の事ずっとずっと好きでいてね”
「――そだ……ウソだ……」
“ごとーね、いちーちゃんのためなら死ねるって思うよ”
“いちーちゃんはごとーの恋人で、ごとーのご主人様だもん。お願い事は何でも聞くよ?”
- 147 名前:王苺丸 投稿日:2005/12/26(月) 23:11
-
「ウソだって言ってよ後藤……」
「ウソじゃないんだなーこれが。あ、ごとーのあれは全部ウソであってるけどね」
首を振りながら必死に否定しようとする市井の言葉に、後藤はふぅっと息を吐きながらやれやれといったジェスチャーをして言った。
「さてっと、いちーちゃんが感傷に浸り終わるの待ってたら朝になっちゃうから、そろそろお別れしよー」
後藤が周囲の男に顎で合図すると、男の一人が市井の体を抱き上げた。
「やめっ……触んな!!!」
必死にもがいて抵抗してみても、もう全く力が入らない。
男は市井の体と共にドアに向かって歩き出す。
「あ、ちょっと待った」
後藤の言葉に男は立ち止まり振り返った。
クイクイと指で男を呼ぶ。
市井の体が男と共に後藤に近づくと、市井は後藤に至近距離で覗き込まれる形となった。
市井の目にはもう、憎悪しかなかった。
何故後藤が市井にあんな大きな計画を立てて実行したのか分からないし、
何故市井が今こんな目に合わされているのかも全く分からない。
これから何をされるかも分からない。
けれどとにかく、騙されたという事実だけはもう、決定的な事実として認識していた。
ベッドで男に厭らしく求める後藤の姿。これもあれも演技だとしても、演技でそこまで出来るのなら既に腐ってる。
どっちにしろ、市井の知ってる後藤は幻想だったという事だ。
- 148 名前:王苺丸 投稿日:2005/12/26(月) 23:12
-
しゃっくりも涙もまだ止まらない状態のまま、激しい怒りを込めた視線で食らいつくように後藤を見た。
けど後藤は全く気にもせず、口角を上げて微笑んでいる。
唾を吐きかけてやろうか、それとも噛み付いてやろうか。
迷ってる市井に、後藤はニコリと笑って言った。
「ごめんね。いちーちゃんの過去に“女との体験”っていう汚点作っちゃって。
でもいちーちゃんは何も悪くないよ?悪いのは魅力ありすぎるごとーだから」
怒りに拍車をかけられ、ワナワナと全身が震えるのが分かった。
「あーあと、あれは気前のいいごとーの大大大サービスだよ。
後藤は市井の耳元に顔を近付け、囁いた。
「ごとーからいちーちゃんへの、セックス」
そして人差し指で心臓辺りから下腹部を通り下に向かってつつっと指を滑らせた。
「いちーちゃんって感じ易いよねぇ。イかせるの簡単だったもん」
カッと頭が熱くなった。
手が自由だったら反射的にぶん殴っていただろう。
血が煮え繰り返って、あまりの怒りに震え、動く事は愚か声を出す事も出来なかった。
後藤は市井の頬にチュッとキスをし、目を細めて手を振った。
「お別れのチュウ」
男が歩きだし後藤から数歩遠ざかった頃、ようやく自分の口が動いた。
「ふざけるな!!!!」
言ったと同時に通り過ぎたドアがバタンと閉まった。
爆発する感情を言葉にしたら、そんなありきたりのものだった。あまりに虚しい叫びだった。
- 149 名前:王苺丸 投稿日:2005/12/26(月) 23:12
-
男に運ばれる市井はもう、全身の力が無くなり抵抗する気力も失せていた。
家の外に連れ出されたと思うと、庭にある納屋の中に運ばれた。
4畳半程のコンクリートスペースの壁に幾つかの農具が立てかけてある。
その中心ら辺にゴロンと投げ捨てられた。
コンクリーに全身を打ち付けられた痛みに小さくうめくと、すぐに口にタオルで猿ぐつわをされ、少しの間もおかずガラガラとシャッターを降ろされた。
そして光は完全に遮断された。
もう、何が何だか分からなかった。
後藤の事に対するショックが全てで、自分の身に起きている事はもうどうでも良かった。
目を瞑った市井はただ、この悪夢が覚める事を願った。
- 150 名前:王苺丸 投稿日:2005/12/26(月) 23:14
-
きっと目を開いた時は、後藤がフニャリとしたいつもの笑顔でこう言うはずだ。
“いちーちゃんうなされてたよ?大丈夫?ごとーがちゃんと側にいるからね”
<who are you ? >
- 151 名前:王苺丸 投稿日:2005/12/26(月) 23:17
- 後半は一気に全部載せようと思ってたんですが、区切りがあったんでそこまでちょっとだけ載せてみました。
いつもながら、更新が遅くて本当に申し訳ないです・・。
いつも載せる時はすぐに最後まで出せるつもりで出すんですが、何かしらプライベートで起きて出せなくなるっていう・・
まぁ、言い訳になってしまいますが・・。
レス頂いた方、誠にありがとうございます。
心臓のちっちぇー僕には本当に励みになります。
期待を裏切らぬよう、最後まで頑張ります。
- 152 名前:王苺丸 投稿日:2005/12/26(月) 23:18
- あ、最後隠すの忘れてた・・。
2chプラウザ使ってるとどうしても忘れてしまう・・。
- 153 名前:王苺丸 投稿日:2005/12/26(月) 23:20
- 飼育大賞てのやるんですね。
何かあった方がそれに向けて頑張れるんで、年内に完成させれるよう頑張ってみます。
数日間睡眠不足でもまぁ、氏にはしないだろうきっと・・。
- 154 名前:王苺丸 投稿日:2005/12/26(月) 23:22
- そういえば昔頑張って完結させた時も、なんかの投票のやつで、しかも年末のこの時で、めっちゃ頑張って終わらせた記憶が・・。
- 155 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/27(火) 01:44
- 続きキタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━!!
待ってました!待ってましたよ!
ごっちんそうなのー!?
と、叫びつつまた更新お待ちしております
- 156 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/28(水) 14:42
- 待ってましたー!!
更新お疲れ様デス。。。
ウソだろ・・・と呟いてしまいました。
次の更新を楽しみに待ってます☆
- 157 名前:王苺丸 投稿日:2005/12/31(土) 02:44
- 敗北宣言・・。
仕事の都合で年内に完成は不可能となってしまいました・・
でも少しでも早く上げれるよう頑張ります・・。
ごめんなさい・・。
- 158 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/01/01(日) 22:04
- 放置でないなら、いつまでもお待ちしております!
お仕事がんがって下さい。
- 159 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/02(木) 03:15
- 待ってるよ
- 160 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/04/26(水) 18:33
- 一番最初から読みました!!
バザーなんてめっそうもない!!
まぢ最高です☆
続き待ってます
- 161 名前:王苺丸 投稿日:2006/05/14(日) 00:40
- ぁぅぁぅ・・
新居にお引越ししたのでちょいバタバタしてます・・
もう少々のお待ちを・・・・゚・(ノД`)・゚・。
- 162 名前:ミッチー 投稿日:2006/05/15(月) 00:18
- マターリ待ってますねぇ
- 163 名前:王苺丸 投稿日:2006/09/25(月) 07:19
- お待たせしてスミマセン。
完結しました。
- 164 名前:Who are you? 投稿日:2006/09/25(月) 07:20
- ――――――――――
―――――
――
何時間経っただろう。
気が付くと、市井は相変わらず冷たいコンクリーの上に横たわっていた。
「現実か……」
手足が縛られてるだけだから、体を動かせばシャッターまで転がれる。
両足を振ればガシャガシャとシャッターを蹴る事くらいできるだろう。
通りかかった人が気付けば助けてくれるかもしれない。
けれど市井は、そんな気力を完全に奪われてしまっていた。
このまま死んでも構わない。むしろ、全てが夢だと信じたまま、あの世に行きたい。そう思った。
夢が完全に悪夢に塗り変わってしまう、その前に。
“いちーちゃん”
後藤の、甘えたような、鼻に掛かったあの声がもう一度聞きたい。
「ちくしょぉ……ヒック……」
小さく声を漏らすと、泣きたくないのに涙が溢れてくる。
拭う事も出来ない涙がこめかみを伝って髪の間までダラダラと流れてきて、酷く気持ち悪かった。
- 165 名前:Who are you? 投稿日:2006/09/25(月) 07:23
-
「―――……から……てよ……――までにさ」
朦朧とする意識の中、遠くでかすかに人の声がした。
「ねぇ、ねぇってば」
これは…
後藤の声だ!
市井は慌ててシャッターの方に転がった。
そして地面との間の3センチ程の隙間に顔を押し付け、片目で外を覗いた。
もう外は真っ暗で、月明かりが辺りを照らしている。
その月明かりの下、市井から10m程離れたとこに確かに後藤がいた。
うちの学校指定のチェックのスカートと開襟シャツの制服に身を包み、さっき見かけなかった華奢な男の腕を掴んで、帰ろうとしてる所の足止めをしてるようだった。
そして何か揉めているようだ。
男は無理矢理振り切ろうとしてるが後藤はそれを力いっぱい捕まえている。
シャッターをもう少し開けないかと隙間から足で押し上げたがピクリともしない。
やはり開かないように何かされているようだ。
仕方なく、じっと聞き耳を立てた。
「ねぇ約束が違うじゃん。今回の件が終われば報酬くれるって言ったじゃん!!どうして!?ねぇどうしてよ!!」
約束……?報酬……?
「うるせぇなぁ俺の知った事か!直接ボスに文句言いにいきゃいいだろ!!」
「あんたが持ってるんでしょ!!ねぇお願いだから頂戴よ!!」
お金……ボス……。
やはり何かの組織に後藤は使われてるんだ。
「だから何回言わせるんだ!次の仕事さえすれば金はやるって言ってるだろ!!」
「いつも次次って言ってくれないじゃん!!!」
「次が最後だって言ってるだろ!!最後までやってからデカイ口利くんだな!!」
- 166 名前:Who are you? 投稿日:2006/09/25(月) 07:24
-
金を貰って請け負った仕事だったのか……?
もしかして、さっきのあれが演技…?
何か事情があって、ヤバイやつ等の上手い口車に乗せられたか何かして、あんな演技を無理矢理してたんじゃ…。
確かに二人が付き合ってた最後の方の市井の後藤に対しての接し方は、自分でも酷かったと思う。
恋心が憎悪に変わる事は良くある。
市井への仕返しで、あんなウソをついてあんな行動を取ったのかもしれない…。
だとすれば、市井と過ごしていた頃の後藤はやっぱりウソじゃない。
騙されてた訳でもない。
そこまで憎悪に変えた自分に責任がある。
「それ前にも言ってたじゃん!!」
「てめぇいい加減にしろよ!!!!」
市井があれこれと考えていると、後藤がドサッと男に突き飛ばされた。
「な……にすんだよ!!」
後藤は尻餅をついたがすぐに起き上がり、市井が聞いた事も無いドスのきかせた声で男に突進した。
男は「うわっ!!」と声をあげ後藤と共に倒れた。
後藤は男の馬乗りになり、そのままグッと首を絞めた。
男は苦しそうにもがきながら後藤の手を振り解こうとしている。
後藤……
- 167 名前:who are you? 投稿日:2006/09/25(月) 07:26
- その光景は、後藤が男を絞め殺そうとしているそれに違いない。
けれど市井の意識は、事の重大さと無関係なところにあった。
再びショックを受けたのは、その光景がやはり市井の知ってる後藤のそれではなかったと言う事だ。
これは演技ではないだろう。素の後藤のはずだ。
こんな面があった事を市井は知らない。
市井の知ってる後藤は、例えキレても絶対こんな風に自分を見失ったり人に対して暴力的になるなんて事無い。
キレる事自体が市井の知ってる後藤の中にはありえない。
見え掛けた希望の光はすぐに消えてしまった。
やはり、完全に騙されていたのだ。
落胆の中、ただ後藤が男の首を絞めるその光景をぼうっと眺めていた。
男はスーツの内ポケットから何かを必死に出そうとしてる。
そしてそれが姿を現した瞬間、市井は瞬間的に我に返り、血の気が引いた。
「ごとーあふない!!!!!!」
猿轡で声の自由を奪われてる市井は、それでも反射的に、力いっぱい叫んだ。
- 168 名前:who are you? 投稿日:2006/09/25(月) 07:28
-
パン!
映画で聞く音よりずっと乾いていた。
後藤が市井の声にビクッと体を起こし、ねじらせた事が幸いした。
黒光の銃が打ち抜くはずだった後藤の胸は大きく外側に向いており。けれど、後藤はうめき声を上げ、腕を抑えた。
「ごとー!!!」
ガシャンと体全部でシャッターに追突した。
縄を外そうと必死に手足を動かすが全く外れない。
ガシャガシャとシャッターを何度も蹴飛ばす。チラチラと外の状況を確認しながら無我夢中で必死に蹴り上げた。
絞められた首を開放された男はゲフゲフと苦しそうに咳をしながら、後藤に銃口を向けたまま立ち上がった。
後藤は尻餅をつき腕を抑えたまま微動だにせず男を見上げている。
表情は確認できないが、恐怖に震えているのは確認しないでも手に取るように分かった。
「あめろ!!!!!!!」
やめろと首を振りながら叫んだ瞬間、ぱらっとタオルが外れた。
「やめろ打つな!!!!」
篭もった声がようやくはっきり遠くまで通る。
「チクショウなんで開かないんだよ!!!」
力任せに思い切り一蹴りをした。
ガシャン!
何がどうなったのか、突然漏れてた光が遮断され真っ暗になった。
3センチの隙間が完全に落ちてしまったようだ。
「くそぉ!!!後藤!!!!」
口に入った砂をペッと吐き、ハァハァと息を切らせ、ペチャリと頬をコンクリーに付けた。
外の音は静まり返ったままで、全く動きが読めなくなってしまった。
銃声が聞こえないから、打たれてはいないだろう。
けれど、首を絞めて殺しかけた男に銃を突きつけられた後藤が何をされるのか、気が気じゃなかった。
銃を持ってたという事は、相手は恐らくまともな集団じゃないだろう。
思った以上に大きな何かだ。
小娘一人の命、簡単に奪うのではないかと、不安で胸が押し潰されそうだった。
後藤が本当はどういう子で、何を目的にどういう理由でそんな危ない連中の一員なのかは分からない。
けれど、後藤の身を心から心配していた。
もう、自分の身が危険であるという事は頭に無かった。
後藤の身が気になって仕方なかった。
神様どうか……!!
- 169 名前:who are you? 投稿日:2006/09/25(月) 07:28
-
◇◇◇◇
必死に請い、頭を下げつづける事数時間。
突然、ガシャガシャとシャッターが揺れ始めた。
はっと頭を上げると、光が差し込まれた。
かすむ視界には二つの影があり、その内の一つが中に放り込まれた。
ドサリとそれは市井の隣に倒れ、再びシャッターが下りる。
暗闇に目が大分慣れてる市井は、見間違えるはずもなかった。
- 170 名前:who are you? 投稿日:2006/09/25(月) 07:29
-
「後藤……」
同じように手足の自由を奪われ、タオルで猿ぐつわをされていた。
恐らくまだ目が慣れてない後藤は市井の位置が確認できないんだろう。キョロキョロと市井の位置を探っていた。
「ここだよ……後藤……」
体を起こし、お尻を引きずるようにして後藤に近づいた。
けれど。
「やっ!!」
来ないでと、篭もった声で言った。
市井は後藤を無視し、近づいた。
後藤は目を瞑り市井を避けるように床に首を向けた。
「後藤…………無事で良かった……」
この状況が無事とは言えないけど、命があった事に心からホッとした。
打たれた腕は軽いかすり傷で済んだようで、大事には至ってなかった。
さっきまであった後藤に対してのどうしようもない憎悪は、後藤を目の前にして簡単に薄れてしまっていた。
会いたくてたまらなかった愛しい後藤が今こうして自分の目の前にいる。それだけは事実だったからだ。
市井はズルズルと体を引きずりながら後藤の後ろに回り込み、後藤と同じように体を倒して寝転がった。
そして、自分の頭を後藤の頭に近付けた。
市井の気配を感じたのか、体を強張らせ警戒する後藤。
「大丈夫だよ後藤を傷つけたりしないから。あんな事されてもね」
口を大きく開け、白い“それ”に噛み付いた。
市井が何をしようとしてるのか察したらしく、後藤は強張らせた体を緩和させた。
後藤の猿ぐつわを取って、後藤の口からとにかく話が聞きたかった。
結び目が固くて中々歯だけでは取れない。
それでも何とか少しづつ緩めていって、そして数分後にはスルリと解けた。
- 171 名前:who are you? 投稿日:2006/09/25(月) 07:30
-
「あーあ、こんな暗いとこ押し込めるんだったらさっさと殺せば良かったのに」
口が自由になったかと思えば、悪びれた強がりの言葉。
また胸がギュッと痛んだ。
「いちーちゃん、口があるんだから今なら羊たちの沈黙のレクター博士みたいにごとーを噛み殺すくらい出来るよー」
ダレきった声で後藤は言った。
殺す殺すって、何でそんな事を簡単に口にするのか。
後藤と言う人間がますます遠くなった。
「さっき言ったじゃん。傷つけたりはしないって」
「はぁ〜ベタ惚れだね、後藤さんに」
“後藤さん”というそれはまるで他人を指しているようで。
「…………」
後藤ではない後藤。その虚像の人物にベタ惚れなのは確かだから、反論もできない。
「……話してくれないかな……」
少しの間の後、静かに切り出した。
後藤は体を起こすと、壁際ににじり寄り、浅く背をつけ寄りかかった。
「んー多分朝まで時間あるし、話してあげよっか。暇だしね」
1年もの歳月を掛けて行った事なのに、全く重み無く後藤はサラリと言った。
真実はきっと残酷だろう。それだけはもう何となく分かっていた。
それでも、こんな後藤を目の前にして、いや目の前にしたからだろう。知りたかった。後藤の全てが。本当の後藤が。
覚悟を決めて、真相に耳を傾けた。
- 172 名前:who are you? 投稿日:2006/09/25(月) 07:31
-
「まず知っといて欲しいのは、全てビジネスだったって事」
ビジネス。さっき男とのやり取りで後藤が言ってた。
“もうあたしの仕事は終わったの!!!”
「どっちがビジネス……?」
もう聞くまでも無い質問を、それでもかすかな希望にしがみ付いて尋ねる。
「どっちが??何と何?あ、いちーちゃんといた時と今とって事?」
コクリとゆっくり頷く。
「今」
「えっ?……」
「って言いたいとこだけど残念でした。いちーちゃんとの恋愛ごっこだよ」
語尾を軽やかに、楽しそうに言う。
ほんの少しも罪悪感を含んでいないようだった。
もう予想がついていた事だけど、希望が断たれた市井は肩を落とした。
「いちーちゃん女の子にモテるか知らないけど、ごとーそこまで飢えてな」
「もうそういうのいいから分かったから話続けてよ……」
後藤の言葉を無理矢理さえぎった。
“あんたなんか好きでも何でも無い”っていう主張はもう沢山だ。何度聞いても胸が引き裂かれそうになる。
「はいはい。んーとじゃあ、いちーちゃんを騙した目的は何か、からいきましょーイエー!」
「…………」
バカにハイテンションな後藤。ヘラヘラと笑ってばかりいる。
まるで薬中みたいだ。
いや、薬中なら可愛いもんだ。それよりももっと、そう、まるで快楽殺人鬼の取り調べをしてるみたいで、ブルリと背筋が震えた。
ここまでイっちゃってるのなら、何だって出来るかもしれない、と思った。
違う人間を演じて騙す事がきっと楽しくて仕方なかったのだろう。
簡単に自分に埋没していく市井を見ながら、ゾクゾクと快感に震えていたんだ。
市井は自分に対する悔しさからギリッと奥歯を噛み締めた。
- 173 名前:who are you? 投稿日:2006/09/25(月) 07:32
-
「んー?どしたのいちーちゃんノリ悪いよ。せっかく大好きなごとーと二人っきりなんだからもうちょい盛り上がってよ」
ほんの少しも疑った事なんてなかった。
まるでピエロだ。
勝手に一人で浮かれて、浸って、酔って……。
ホント、バカみたいだ……。
「んもーいちーちゃんってなんかそういう暗いとこあるよね。ずっと思ってたけどさ。それ直した方がいいよ。
まいいや、えーとね、言っちゃうよ?いい?ジャカジャカジャカジャカ、ジャーン!
ヒントはあなたの両親に関係があるのです!」
「……両親……?」
半ば朦朧と聞いていた市井は、反射的のその単語に反応した。
「そ。いちーちゃんのマァムエンダディ」
後藤はやけにいい英語の発音で強調した。
後藤が英語を発音良く喋る事に酷く違和感を感じた。
どんどん知らない後藤が見えてくる。
「がどう関係あるの?」
勿体つけるようにニヤニヤしながら言う後藤に苛立ち、怒気を含めた言い方で訊いた。
両親が関係がある。そう言われて乱心せずにはいられない。
急に嫌な予感が市井の中を駆け巡った。
「ごとーはほぼ毎日いちーちゃんの家に行きました。夜遅くまでいました。
いちーちゃんの両親は仕事でいつも遅いです。
いちーちゃんとごとーは必ずといっていい程エッチしてました。まぁごとーがしてってお願いしてたからだけどさ。
そこにまたヒントがあるのです」
「……分かんない。もったいぶんないで早く言ってくんないかな」
このやり取りは何だ。
後藤と対話してるうちに客観が生まれていた。
段々話してる相手が今日始めて会った人のように思えてきた。
だって後藤に対してこんな淡白な返し一度もした事がない。
「わっかんないかー。いちーちゃん頭悪いなぁ。
んーとエッチをした後必ずしてた事はなんでしょー。
いち、お食事。
に、シャワー。
さん、オナニー。」
「…………」
市井は何も答えずただ目を伏せた。
「んあ。あーオナニー発言禁止?そーだよねーあの後藤さんは禁止だよねー。オッケオッケ」
何とか自分を抑えるも、もう発狂寸前だった。
ちゃんと話したい、真相を聞きたいと思ってるのに、耳を塞いでしまいたい弱い自分がいる。
大好きな後藤が後藤自身によって汚されていく。それは市井にしてみればもう拷問のようだった。
市井の1年間は一体何だったんだ。
- 174 名前:who are you? 投稿日:2006/09/25(月) 07:33
-
「早く答えてよー」
「……シャワーでしょ」
「ピンポンピンポーン!」
後藤は弾けた調子で言いながら縛られてる足をバタバタさせた。
「シャワーがなんだっていうのさ……」
「ごとーさ、絶対いちーちゃんと一緒に入らなかったでしょ?それ不思議に思わなかった?」
「それはだって……後藤が“いちーちゃんも女の子なら女心を分かってよ”とか何とか言うから……」
「うんまぁそう言っときゃオッケーかなと思ってさ。でもいつもいつも避けてたらふつー何か思うと思うけどね。いちーちゃんてホント鈍感で素直だよねー」」
後藤はそう言ってあざけ笑うと、ピタリと空気を止めて急に真顔になり、ニヤリと微笑んだ。
そして急にふっと市井の方に上体を近付け、首を前に出して傾けて、何も言えずに口をつぐんでいる市井の心を覗き込むようにしながら、静かな声で続けた。
「いちーちゃんがシャワー浴びてる時ね」
また、ピタリと言葉を止め、この種明かしの瞬間をじっくりと味わうかのように勿体つけるながら、言った。
「ごとーは任務を遂行してたんだ」
ふふふ、と笑ったその後藤は、今まで市井が見たどの後藤よりも大人で、知的な表情だった。
「任務……?」
市井がシャワーを浴びてる間……いない間に……何を……。
思考を働かせるのが困難な状態の中、それでもフル回転させ、考えた。
でも、本当に何一つ予想がつかなかった。
「……もしかしてほんの少しも予想つかないワケ……?」
簡単に見透かした後藤は、市井に心底呆れてるようだ。
後藤の言う通り、市井は鈍感なんだろう。
あまりにのん気に生活していた自分が、なんだか情けなくなってきた。
「いちーちゃん、ホントーに何も知らないんだね。これだから金持ちのお嬢ってキライなんだごとー」
ハァッと苛立ったような溜息を吐きながら、後藤は再びコンクリーの壁にドカッと背中を打ち付け、ふてくされた。
まるで、万引ききが見つかって警察の前で悪態をついている女子高生ギャルのように。
- 175 名前:who are you? 投稿日:2006/09/25(月) 07:34
-
「ホントに分からないよ……市井のいない間何かしてたって事……?」
「いーい?いちーちゃん。事件に巻き込まれる人間ってのは決まってるの」
子供にお説教するかのように、後藤は言う。
「普段から危険な事してる人間。恨みを買うような事をする人間。世の中の汚さに鈍感な甘っちょろい人間。そして、金持ち」
ゆっくりと、はっきりした口調で続けた。
「いちーちゃんの場合、最後の二つに当てはまってんの。ドゥユーアンダスタァン?」
「……家のお金盗んでたの……?」
「ノノノ。そんな学生さんみたいなシケた事しないよ」
後藤はチッチッと口をならし首を左右に振った。
そしてニヤリと笑って黙り込む。
やたらと焦らす後藤。
後藤はこの期に及んで市井をまだ弄んでるようだ。
その事にカッとなった。
「じゃあ何……なんだよもういい加減言えよ!」
「シーッ。静かにしないと、喋ってんのバレたら殺されちゃうよ?」
怒りをぶつけた市井に後藤は全く動じる事もなく、あくまで冷静だった。
「分かった分かった。じゃあ答えね。あんたの父親の仕事の大事なデータを頂戴してたんだよ」
「……今なんて?」
打って変わってあまりにすんなり言ったその言葉を、市井は聞き返した。
- 176 名前:who are you? 投稿日:2006/09/25(月) 07:34
-
「だーかーら、父親の仕事のデータだっつってんじゃん。3回は言わないよ」
「父さんの……?えっちょっと待ってそれは……どういう事?父さんに影響するの!?」
「会社つぶれるんじゃない?」
後藤は本当にあっさりと言い放った。
「……ウソ……」
予想だにしてなかった答えに、市井は愕然とした。
「仕事だって言ったじゃん。ごとーお金貰ってやってんだよ?金が動いてて、しかもイケナイ事やってるって事はそれなりの収益が見込めるからに決まってるじゃん」
「なんでウチなんだよ……」
答えを知っても、その理由が皆目検討つかなかった。
何故、我が家なのか。何故父さんなのか。
後藤が何かヤバイ組織に使われてる事は分かったけど、そんなヤバイ組織に狙われる意図がわからない。
父さんは確かに会社持ってるけど、この不景気だから給料は公務員とさほど変わらないといつも言っていた。
実際市井は特に豪勢な生活をしてきてはいないし、小遣いだってバカみたいに貰った試しがない。むしろ友達より少なかったくらいで。欲しい物だって中々与えて貰えなかった。
ウチは至って普通の家庭水準だったはずだ。
だからさっきから後藤がしつこく“金持ちのお嬢”“金持ち”と繰り返すそれ自体が分からなかった。
失礼だけど、後藤が物凄く貧困生活をしてきていて、だからウチくらいでも、金持ちの部類に入っているのかと思った。けれど、後藤の言葉によって、自分がどれだけ無知で子供だったかを知らされる事になる。
「なんで?変な事聞くねぇ。いちーちゃん自分の親がどれだけ金持ちか知らないんでしょ」
「……ウチは至って普通だよ」
囁くように言った後藤の言葉に心臓が早まった。
- 177 名前:who are you? 投稿日:2006/09/25(月) 07:35
-
「まぁ、家もそんなーに立派って訳じゃないし、生活もいたって普通だったからいちーちゃん気付かなくても無理ないか。
教育熱心そうだもんねーいちーちゃんの両親。モロ金持ちの生活してたら子供に良くないって思ったんだろね。
それかそーとーケチか」
うちが金持ち……?まさかそんな……
明らかに動揺し始めた市井に、後藤は心底楽しそうな顔をしている。
そしてクスクスと笑いながら言った。
「言っとくけど、あんたのオヤジさん目玉飛び出るくらいの年収だよ」
「……ウソだ……」
「じゃいいよ。ウソだったとして、じゃあ何でごとーは1年間も必死こいていちーちゃんを騙してたの?何でいちーちゃんは今こんなとこに閉じ込められてこんなになってんの?何で銃なんて持ってるようなヤバイ集団のターゲットにされたの?
さぁ、答えてみてよ」
「……それは……」
ウチが凄い金持ちで、父さんが物凄い金を動かす仕事をしていたとしたら、
……全て、辻褄が合う……。
ビジネスに関してはあまり良く分からないけど、仕事そのものに圧力をかけるよりも、小娘を長期間送り込んでデータを盗ませた方が確実なのかもしれない。
父さんも、まさか娘の友達がデータを盗むなんて思いもしないだろう。
全く警戒心ゼロで不注意な状態になっていてもおかしくない。
それに、両親が市井の教育を考慮して至って庶民の振りをしていた可能性は十分にある。
うちの親なら、納得出来る。
自分が一番どんな親かよく知っている。
悔しいけど、後藤の言葉を否定できる言葉はもう何一つ無い。
- 178 名前:who are you? 投稿日:2006/09/25(月) 07:36
-
「?いちーちゃんまさか泣いてんの?」
ポタリポタリと落ちた滴がジーンズをぬらしていく。
市井を思っての両親の言動が、裏目に出てしまった。
それが悔しくて仕方なかった。
自分がもう少し敏感な子だったら、気付いていただろう。
ウチの事だって、後藤の事だってそうだ。
何一つ、何一つ分かってなかったんだ。
ホントにガキだ……。
全て自分のせいだ……。
「もう……どうにもなんないの……?」
鼻水をすすりながら、ボヤけた視界で後藤を見た。
「なんないねー。てゆーか、おやじさんの会社とっくにもうどうにもなんない状態になってると思うよ」
「そんな…………」
昨日だって、父さんは全然いつもと変わらず普通だった。
みんな、みんな演技ばかりじゃないか……。
どうして偽ったりするんだ!!
市井を思いやっての父さんのウソだって、市井を陥れる為の後藤のウソだって、結局同じ結果じゃないか!!
ウソが招くものなんて決まってるんだ!!
「あーあいちーちゃんそんなビービー泣いちゃって、男前なお顔が台無しだよ」
両手の自由を奪われ涙を拭う事も出来ない市井は、みっともなくダラダラと涙と鼻水を流しながら、キッと後藤を睨みつけた。
「ただで済むと思うなよ……絶対訴えてやるから……」
「フハハハ!おっかしーマジウケそれ!!フハハハ!!」
「後藤を警察に突き出してやる」
「警察に突き出す?両手縛られてて何言ってんの?後で開放されるとでも思ってんの?もしかして生きて帰れるのでも思ってんの?」
「意地でも逃げ出す」
震える声をグッと押さえながら、低いトーンでそう言った。
けれど、
「無理。死ぬよ」
- 179 名前:who are you? 投稿日:2006/09/25(月) 07:36
-
後藤は、真顔でサラリと言った。
そしてフッと自嘲気味に笑いながら、低い声で投げやりに付け加えた。
「あんたもあたしもね」
さっきまで夢のまま死にたいと思っていたはずなのに、現実を突きつけられた市井はもう、そんな気持ちも失せてしまっていて。
死という言葉に、カタカタと指先が震え始めたのが分かった。
自分の死をあっさりと受け入れる後藤が理解出来なかった。
「……なんで殺す必用があるんだよ!!父さんの会社はつぶれたんなら、もうそれで全部終わりじゃんか!!」
「フゥ〜ッ。また、“何で”か。」
あきれ返ったようにそっぽを向いて溜息を漏らす後藤。
「ごとーの最後の任務何か教えてあげよっか」
正面を向いた後藤の瞳が、シャッターの隙間から漏れる光を反射させ妖しく光った。
そして後藤はニヤリと左の口角をあげた。
「いちーちゃんを誘き寄せて、あたしに関する情報の口封じに、殺す事」
全身の血がさっと引いた。
市井を殺す……?後藤が……?
後藤が市井を……?
「予定狂ってごとーまで死ぬ事になっちゃったけどねー。まぁ、ごとーもはめられたって事だよね」
またフッと鼻で自嘲して、予感はしてたけど、と舌をならした。
「後藤は市井を殺せないよ」
市井は認めたくないのだろうか。うわ言のようにそう呟いた。
「は?」
顔をあげて、キリッと後藤の目を見た。
「後藤は市井を殺せない」
「アハハ、そう思いたいのも分かるけどね。良かったねー好きな人に殺されなくて済んで。
好きな人に殺されちゃあ死んでも死にきれないもんね。
あ、違うか。一緒に死ねるんだ。いちーちゃんそういうロマンチックなの好きそ〜〜〜!!ふははは!!」
何が楽しいのかゲラゲラと笑う後藤。
強がりなのか、本当に死を恐れてないとでもいうのか。
……本当に市井を殺せたとでも……?
- 180 名前:who are you? 投稿日:2006/09/25(月) 07:37
-
「そんなのロマンチックでも何でも無い……」
市井は怒気を抑えて呟きながら、お尻を引きずって後藤に近づいた。
「んあ?何?噛み付く気?別にいーけど」
後藤の横まで進み、体を後藤に向けた。
「殺せるもんなら殺してみろ」
壁に寄りかかるようにして体のバランスを取りながら、後藤をグッと足で押し倒し、うつ伏せにさせた。
「イヤンいちーちゃんてば強引」
後藤はそれでもふざけた調子で言って、全く動じる様子はない。
市井も気にせず、後藤の腰の横らへんで自分の体も横たわらせる。
そして後藤ににじり寄って上体を被せた。
「縛られてるごとーに欲情しちゃった?そーいえばこういうプレイしてなかったもんねー。ごとー的にはもっと色々したかったんだけど、いちーちゃん引いちゃうかなーって思ってさ、でもホントはしたいと思ってたわけだ。なーんだそっかそうならそうと」
「喋んな」
「いちーちゃん知ってる?首しめながらするプレイってあるんだよ。大抵は首を適度に釣りながらするんだけど。酸素不足でさ、頭がクラクラしてきて、んでどんどん気持ちよくなってくの。気持ちよくて気持ちよくて、天にも上る気持ち良さっていうか、ホントに天国いっちゃう事があるんだよね。自殺として処理されるけど、実は過激なセックスプレイで死んでましたーっていうオチな事が結構あるんだよ。」
また意図が分からない後藤の話しを聞き流しながら、ギリギリとロープをかみ続ける。
- 181 名前:who are you? 投稿日:2006/09/25(月) 07:38
-
「MとかSとかって簡単に言うけどさ、ホントにその世界を知ってる人は多分殆どいないよ。
イっちゃってるサディストはさ、相手が苦痛にもがく事で性的に興奮する。相手が苦しめば苦しむほど、痛がれば痛がる程興奮して感じるんだよ。
痛みで失神したら、目が冷めるまでまって、再度苦痛を与える。
服従・従順・屈服・不安・恐怖、それらはセックスサディストの一番の快楽であり、一番の悦びなんだよ。
殺してしまったら楽しめなくなるから、殺しはしない。
殺さず、生死ギリギリの所でなぶり続ける。
対象は自分の大事なオモチャだから、なるべく傷がつかない方法でいたぶる奴もいる。
一度月日を置いて完全に健康体に戻るまで待って、また同じように苦痛を与えたりね。
すんごい変態でしょ?でも世の中にはそんな奴もいる。いちーちゃんは知らない世界だろねぇ。
まぁそこまでイかずとも、ソフトSMくらい出来れば教えてあげたかったんだけど、いちーちゃんの好きなごとーさんのキャラじゃないから、どうしても出来なかったんだよねー。
いちーちゃんはM?S?Sってキャラじゃないか。Mっぽいよね。
首輪つけてお嬢様って言わせたかったなぁ〜。そんでもってよがるいちーちゃんの顔を足で踏みつけるんだ。それだったらごとーも楽しめたのにぃ」
残念残念、と後藤は目一杯おちょくるような喋り方で言った。
くそぉ……
自分が幸せだと思ってた甘い日々が、全て一方的なもので、後藤は腹の底で嘲笑してたのかと思うと、悔しくてたまらなくなった。
それでも市井は、必死に後藤のロープに噛み付いた。
- 182 名前:who are you? 投稿日:2006/09/25(月) 07:39
-
「SMの他にも色んな狂った性癖があるんだよ。
ネクロフィリアなんてのもある。やつ等は死体に性的興奮を覚えるんだ。
死体を何度も何度も犯し続ける。
セックスサディストとネクロフィリアの混合タイプもあるねー。
苦痛を与えて殺して、そんで死んだ後も犯しまくるっていう。
アメリカの凶悪犯罪で結構あるケースだよ。
セックスサディストとネクロフィリアの混合タイプによって殺された死体程むごいものは無いね。
その顔は恐怖に凍り付き、身体は見るも無残なボロボロの塊と化してるんだ。人である事がわからないくらいになってる事もよくある。
性器はグチャグチャに潰され、子宮が突き破られてたりもするね。
何で突き破ったかって?男の勃起したペニスだよ。勿論それだけじゃ無理だから、ペニスに鋭利な凶器を被せるんだ。
そういう道具ばっか専門に作ってるキチガイが世界にはいるんだよ。
ようは串刺し状態だよね。子宮を突き破って、内臓を突き破る。」
殆ど聞き流してたけど、それでも耳に要所要所入ってくる言葉が市井には過激すぎて気分悪くなってくる。
後藤はそれを楽しんでいるんだろう事は予想がつく。
嫌がったら後藤の思う壺だ。
だから、リアクションせずに黙ってロープを噛みつづけた。
「女はもがき狂い、苦しみながら死んでいく。
男はそれを見て興奮に狂いながら何度も何度も執拗に犯し続ける。
物以下の扱いをされて死んでいく女は、死の間際にきっと人生の意味を問うだろうね。
そして初めて、神なんてもんはいない事を知る。
でも知った時はもう遅すぎで、死後は無残な自分を警察に晒し、お次は監察医に散々弄られ、世間に事実の詳細を伏せられたまま埋葬される」
「……何が言いたいんだよ」
意図が全く見えてこない上に知ったような口ぶりで得意げに話す後藤に苛立ちを覚えた。
「この世は地獄だって事だよいちーちゃん。きっと今の今まで、知らなかっただろうけどね」
得意げに言いながら、後藤は鼻で笑った。
- 183 名前:who are you? 投稿日:2006/09/25(月) 07:40
-
「今の日本を見てみなよ。食べ物の飢えをしのいだら、今度は精神の飢えが充満してる。
結局何処までいっても何をしても人間は満足する事が出来ず、いつも地獄の世界を彷徨ってるんだよ。
例え満足した生活を送っていたとしても、こうして絶望的な現実に何処かで出会う事になる。
結局、人間が求めてるような世界は存在しない。
大きな理想を描く人間程、惨い現実に打ちのめされる事になる。ボロボロにね。
つまり最初から何も期待しない方が懸命って事だよ。」
「…確かにその通りかもしれないね。
でも、それでも市井は」
ハァハァと上がった息を整えながら、強い口調で言った。
「それでも希望はいつまでも持ち続ける」
「……くくっ…くはははは!!
あーおっかし。いちーちゃんてほんっとロマンチストだよね」
後藤はお腹を捩じらせるようにして笑った。
「ロマンチストじゃないよ。
ただ、例えこの世が地獄だったとしても、市井は自分の運命に負けたくないだけさ。
例え手持ちのカードが最悪になっても、最後の一手を打つまではゲームを途中で降りたりはしない。
次にどんなカードを引けるかは、誰にも分かりはしないんだから」
「それで今こうして、少し残ってる可能性に賭けてるわけ?
ごとーのロープを解いて、ごとーの手足を自由にして、んで自分のも外してもらおうとか思ってるんでしょ?
ふふっホント甘いね。
いちーちゃんの次のカードを握ってるのは、ごとーだよいちーちゃん。
で悪いけどご期待に沿えるカードは出しません。
ごとーはいちーちゃんのそれ外さないで殺して勝手に逃げるよ」
サラッと言い放った後藤の言葉を無視して必死にロープに噛み付いた。
ロープは堅く縛られていて、口で引っ張っても噛切ろうとしても全く変化が無い。
それでも必死に喰らいついた。
ロープに擦れた唇が切れて、血が溢れ出してくる。
けれど、それが幸いして血が染みたロープは強度を失い、少しずつちぎれてきた。
「ホントに懲りない人だね。少しは学習したら?」
呆れたように言う後藤を無視して、ありったけの力を振り絞ってギリギリと噛み続けた。
数十分後、割れた唇からジワリと血があふれ出すと同時に、ハラリとロープが床に落ちた。
- 184 名前:who are you? 投稿日:2006/09/25(月) 07:40
-
「よーしグッジョブ!!」
ロープが千切れるや否や、後藤はうん、と背伸びをしながらそう叫び、「いい子いい子」と市井の頭を撫でた。
辛い姿勢でずっと力んでいて体力を使い果たした市井は、暫しコンクリーの冷たい床に頬を押し付けたままハァハァと肩で息をしていた。
これは、自分の中の最後の、本当に微かに残ってる後藤への賭けだった。
この期に及んで期待する自分がおかしい事は分かってる。
けれど、あれだけ一緒にいたんだ。情が少しは沸いてもいいはずだ。
その幾分かの望みに期待を掛けた。
が、
「……やっぱりそうか…」
「そ、やっぱりそうです」
市井の力ない囁き声に、カラリとした声で後藤は続けると、
躊躇い無くガレージのシャッターに近づいた。
「それどころか」
スカートの中に手をやり、太もも辺りを探る。
姿を現したのは小型の銃。
「仕込んでたの気付かなくて残念いちーちゃん」
カチャリと引き金を引いて市井に向けると、ニヤリと笑った。
一瞬にしてものを考えれなくなった。
死の恐怖よりも、自分の愛した人に殺される絶望の方が、はるかに大きかった。
いや、後藤は市井を殺せない。
後藤は市井を殺せない。
後藤は市井を……
「…ふふ、この状況に感謝するんだぁね。
残念だけど撃てないわけよ。これけっこーうるさいからさぁ」
残念残念と言いながら銃を下ろすと、シャッターを静かに上げ始めた。
一瞬銃を向けられた市井は、ガタガタと全身が震えていた。
けれど、その絶望こそが自分の中のGOサインとなった。
- 185 名前:who are you? 投稿日:2006/09/25(月) 07:42
-
「…こうなる事を予想してなかったわけじゃないよ。
むしろ99パーセント市井を助けないだろうと思ってた」
「あそう」
外の様子を伺いながら、後藤は適当に返す。
「こうなったらどうするつもりだったか、教えてあげようか?」
「んあ?」
後藤が振り向いたと同時。
「わああああああああ!!!!!!!」
- 186 名前:who are you? 投稿日:2006/09/25(月) 07:42
-
「なっ!ざけんな!」
突如大声を出し始めた市井の口に後藤が飛び掛る。
「殺せ!!殺せるもんなら殺してみろ!!!それが出来ないならロープを解け!!!」
必死に口を抑えようとする後藤に抵抗して必死に叫んだ。
くっと奥歯を噛んだ後藤はカチャリと市井のこめかみに銃を当てる。
ひやりとした感触に、今後は絶望を感じる事は無かった。
後藤が本気で市井を殺せるのかを、今度は知りたくなったんだ。
最悪の結果を知った瞬間にあの世にいける。
ならば、そうじゃない結果を知って生きたい。
こんな所では死にたくない。けれど、
後藤の本当の、心の底にある真理を知らずに生き続けるのなんて死と同等の苦痛に値する。
後藤は鋭い眼光を向けグリっとえぐるように更にこめかみに深く銃を押し当てた。
「「……………」」
ドクンドクンと体中が脈打っていた。
- 187 名前:who are you? 投稿日:2006/09/25(月) 07:42
-
パン!
絶望と同時に終わった一瞬の人生。
それに覆いかぶさってきたのは、死後の自由な世界。
- 188 名前:who are you? 投稿日:2006/09/25(月) 07:43
-
―――ではなく、重たい物体だった。
「この小娘、ロープ解きやがって俺から逃げられるとでも思ったのか」
銃声が後藤のものでは無かったと気付くのに時間が掛かった。
自分に覆いかぶさってるものが後藤の体で、お腹の辺りに感じる生暖かい液体が、後藤のそれだと気付くのにも。
「……ご、後藤…。後藤ねぇ…返事しろよ……聞こえるんでしょ…後藤……後藤!!!後藤!!!!」
後藤はぐったりと体を市井の上に沈ませたまま、ほんの少しの反応もしない。
「うっせーぞこのアマ!!!てめーにもぶちこんでやる!!!!」
「待て」
逆上した男が市井に銃を向けた瞬間、背後から白髪の男が姿を現した。
「この子は私に任せなさい。
部屋まで連れてきてくれるか」
「……はっ…」
手下の男は後藤を物のようにドサリと横に転がすと、市井の腕を掴んだ。
「後藤!!!後藤……ウソだ…後藤……後藤が死ぬわけない……ウソだ…ウソだ……」
「ウソじゃねーよ!さぁ早く来い!!」
「ウソだぁ!!!!!!!!!」
- 189 名前:who are you? 投稿日:2006/09/25(月) 07:44
-
◇◇◇◇◇
- 190 名前:who are you? 投稿日:2006/09/25(月) 07:45
-
「何すんだよ離せ!!離せよ!!!」
二階の広い洋室に連れていかれた市井は、部屋の中に乱暴に投げ出された。
後藤を撃ったそいつに睨みを利かせると、そいつは鼻で笑い銃を向けた。
「もう行きなさい」
机の前のチェアがクルリとこちらに回転し、低く落ち着いた声が発せられる。
「はっ…」
「銃を置いていきなさい」
「はっ…」
手下の男は銃を部屋の真ん中にある大きな机の上に置くと、深く礼をし、ばつ悪そうに部屋を後にした。
「我がファミリーへようこそ」
中年太りの典型のようなだらしの無い体を大きなチェアに沈ませた、さっきの白髪の男が市井を見てニタリと笑う。
どうやらこいつが後藤の組織の“ボス”であろう事は聞かなくとも分かった。
- 191 名前:who are you? 投稿日:2006/09/25(月) 07:46
-
「後藤を…後藤を返せ!!!」
「返せ?返せとはどういう意味かな?あの世から返せという事かい?
それは流石の私でも無理だな」
男は愉快そうに笑う。
「なんなんだ…お前等はなんなんだ……後藤は……後藤はなんでお前等なんかと……ハァッハァ……」
倒れた後藤を目にしてから、息が上手く吸えない。
動悸と息切れに加え眩暈も酷く、先から立ってるのがやっとだった。
「まだ肩を持つのかい?あの娘は君を裏切ったんだよ。それどころか酷い侮辱を」
チェアから重そうに腰を上げた男は、ゆっくりと窓に向かって足を進め始めた。
「傷心を通り越して、絶望を感じた。違うかい?
押し潰されそうになる感情。握りつぶされそうになる精神。
心というやつが完全に真っ二つになる瞬間だよ。
誰もが経験する瞬間だ。
そして人は人なんてものを信じなくなる」
真っ赤なカーテンを開けると、男は月を見上げた。
- 192 名前:who are you? 投稿日:2006/09/25(月) 07:47
-
「後藤に変な考えを植え込んだのはお前か……」
「私はあの子にこの手の話をした事は一度もないよ。
私は人に自分の思想を押し付けるのは好きではない。
物事の真理は、押し付けずとも、自然と誰もが理解していく。
体感していくんだよ。
そう例えば、裏切りについてもそうだ。
誰もがそのうち経験する事になる。
男女の裏切り、肉親の裏切り、友の裏切り。
信頼していた人間が、己の欲の為に人を裏切るんだ。
人間というのは所詮欲望を貪る為に生きてるだけの下等な生き物だからね。
生きる為に他の種を殺す動物のように、それが手段なわけでもない。
あくまで己の快楽。
何よりも利己的で下等だよ。
それでいて何よりも崇高であると勘違いしてるのだから、始末が悪い。」
「だからなんだ」
「こう言った人がいる。人は元々無精な生き物だから、死の恐怖と性の喜びを享受したってね。
それなしに人は生きる意志を持つ事が出来ないんだよ。
低俗だよ。本当にね。」
「………アダルトチルドレンてやつだね」
男の話にたっぷり間を置き、それに対する返答をした。
男は首だけこちらに向けると、右の眉をピクリとあげた。
- 193 名前:who are you? 投稿日:2006/09/25(月) 07:48
-
「誰がだね」
「あんたがさ。
まるで引き篭もり中高生の戯言みたいだ。
後藤が口にしてても子供だからしょうがないと思えるけど、あんたみたいないい年したおっさんがペラペラとそんな閉塞的な思想をくっちゃべってると、反吐が出そうだよ。
そしてそういう事を口にする人間程、誰よりも低俗な生き方しか出来てない。
言い訳だよ。自分に対するね。
正当化してるのさ。
そしてその正当化こそが、自分のしてる行為への罪悪感を払拭する為のものだという証明に他ならない。
後ろめたい人間程饒舌だからね」
「はっはっはっ。君も中々饒舌だよ。そして雄弁だ。
そんな雄弁に語る君に一つ私の秘密を教えてあげよう。」
月明かりをバックに市井の方に振り返った男は、にんまりと微笑んだ。
「君は私がサブリミナルに罪悪感を抱えていると推理したね。
だが私はね、人が罪の意識に苛む姿を見るのが一番好きなんだよ。それも崩れ落ちるような、自分を支えきれない程大きな大きな罪の意識を背負った瞬間の人間を見るのがね。
意識下にそれがある人間が、それを嗜好とするかね?
私自身が罪を犯す事になんの抵抗も抱けないから、それはある種の憧れなんだと思ってるよ」
「勝手に思ってればいいよ。
それよりあたしをここに連れてきて何がしたいんだ。
あんたのマスターベーショントークを長々と聞くくらいならさっさと殺して欲しいんだけどね。」
「ほお。大分強くなったね。
人は痛めつけられればられるほど強くなる。
いいね。とてもいい感じだ。
私の下で働いて欲しいくらいだよ」
「死んだ方がましだね」
「はっはっ!ますますいい。
相当真希の事で傷ついたんだね。
そんな勇敢な態度を見てしまうとますます私の嗜好が疼く。
君をここに連れてきた理由は…
これから話そう」
男は更に口角を上げ、目を細めた。
- 194 名前:who are you? 投稿日:2006/09/25(月) 07:48
- まるで話の意図を図りかねていると、男は手を後ろで組み、部屋の中をゆっくりと歩き回りながら語り始めた。
「真希が男どもを勝手に雇って君をガレージに閉じ込めたようだが…、
それは私の指示ではない。
君を閉じ込めた連中も、私の部下ではないよ。
君を放っておいたところで今回のプロジェクトが崩れる事はないだろうからね。
殺す必用なんてもっとない。
むしろ不必要な殺生は足がついて我々の身が危なくなるだけだ。
真希を撃ったあの男は私の部下で、以前から真希に対して面白くなく思っていた。
幾らセックスをしても好意を持った態度を自分にくれないからだろうね。
バカにされているようでプライドが傷ついたんだろう。
まさか殺意まで抱いていたとは知らなかったが…まぁあいつは私がそのうち始末しよう。
そんな事よりも。
真希が君をおびき出し、わざわざタネ明しなんて事をしたのは何故だと思うかね?」
「…知るか」
穿き捨てるように言った。
そんな理由知りたくも無い。
「だろうね」
足を止め、艶がかった靴を見ながらクスリと笑うと、再び足を前に進めた。
- 195 名前:who are you? 投稿日:2006/09/25(月) 07:50
-
「数ヶ月前の事だ。私の大事にしてるファミリーの一人が、この部屋にやってきた。
私が特に可愛がってる子でね、
お金への執着が人一倍強い事を知っていたから、またおねだりに来たんだと思い、私は言われる前に札束のたんまり入ってる引き出しのキーに手を掛けたんだよ。
そしたら、“違うのパパ”と首を振るんだ。
…ああスマンスマン。彼女は幼き頃から私をパパと呼んでる。私は父親とさほど変わりない存在だからね。」
男の酔い切った話し振りに苛立ちが極限まで膨れ上がっていた。
一体何がしたいんだ。
市井をここまでめちゃめちゃにした張本人に、怒りを通り越して殺意に溢れていた。
「話を続けよう。
彼女の様子がいつもと違う事に気付いてね、私はキーをキーボックスにしまうと、彼女の下に近づき、肩に手をかけ、覗き込むようにしながら、どうしたんだ?と尋ねたんだ。
すると彼女はとても言い難そうにしながら、消え入りそうな震えた声で、こう言ったんだよ。」
男は目の前で止まると、とても静かに囁いた。
「……本当に好きになってしまった、とね」
半ば適当に聞いていた市井は、瞬間、目を見開いた。
- 196 名前:who are you? 投稿日:2006/09/25(月) 07:52
-
「誰の事を話しているかは、分かるね?
そう、真希だ。
まぁ、嘘だと思うならそれでも構わないがね。
私は真実にしか興味が無いんだよ。
何故なら真実が一番残酷で、面白いからさ。」
男はバカでかい声で笑った。
まさか…そんな…
「そんな…そんな………後藤……後藤……なんで…」
後藤からの裏切りを感じた時以上に、絶望に打ちひしがれそうだった。
「ならなんであんな態度……なんで……」
その場に崩れ落ちた市井は、見っとも無く涙を流した。
「真希は、プロジェクトから降りたいと言い出した。
私は優しく微笑んで彼女の頬に触れたよ。
いいかい真希、今回のプロジェクトはファミリー全体の命が掛かってるんだ。走り出した汽車は止める事は出来ない。止めたらば、全員命を落とす事になる。分かるね?私らファミリーみんなをブタ箱に入れて一生を送らせたいのかい?
そう言って、じっくり考えてみなさいと時間を与えた。結果は、君が良く知ってるね」
「どうして…どうしてこんな事を……どうして…どうして!!!」
- 197 名前:who are you? 投稿日:2006/09/25(月) 07:54
-
感情的な市井を無視するかのように、あざ笑うかのように男は続けた。
「真希は、
真希は君を撃たなかった。
我々が行かなくても、きっと真希は撃たなかったよ。
真希はタネ明しがしたかっただけだ。
その真意はなんだろうか?
何故好きになった君にわざわざあんな仕打ちを?
知らない方が幸せだったに決まってる。
好きだから虐めたかった?
いや違うね。そんな幼稚なものではない。
彼女はとても大人だよ。
ファミリーの中で一番かもしれない」
ゆっくりとしゃがみ、男は市井の耳元に顔を近づけた。
「いずれにせよ、君の上げた叫び声で我々は気付きガレージに向かった。
君が声をあげなければ真希は一人外に出て、あの殺意に狂った男から逃げ、君の前から姿を消し、全てはそれで終わりだったんだ。
君は彼女を巻き添えにしたんだよ。
己の欲の為にね。
復讐?それとも執着かな?」
「…そんな……そんな……」
「そう、その顔だ、とてもいい顔をしている。もっと良く見せておくれ。
崩れ落ちるような、自分を支えきれない程大きな大きな罪の意識を背負ったその顔を…」
「触るな!!」
チクショウ!!後藤!!!!
「…さて私の楽しみは終わったよ。
そろそろ開放してあげよう。
楽しませてくれたお礼に一つプレゼントだ」
- 198 名前:who are you? 投稿日:2006/09/25(月) 08:21
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- 199 名前:who are you? 投稿日:2006/09/25(月) 09:00
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―――――――
「ハァッハァッハァッ!!」
ギシギシと音を立てる階段を、市井は必死に駆け下りていた。
- 200 名前:who are you? 投稿日:2006/09/25(月) 09:00
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―――真希は死んではいないよ。
- 201 名前:who are you? 投稿日:2006/09/25(月) 09:02
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『あの箇所じゃあ致命傷には至らない。気絶してただけだ。
私の大事な娘だからね。救急車は呼んだが、いかんせんこの田舎だ。
間に合うかどうか』
「ハッハァハァ!!後藤!!」
『あ、そうそう、つけたしだが。
私は娘のように可愛がってる真希に手をつけた事は無いが、まぁ下衆な連中もファミリーには混じっててね』
“世の中には、殺す事を一番の罪だと捉えてる人間が沢山いる。
そんなの、死を超える苦痛を知らない人間の言う綺麗事だよ”
くそっ……
“イっちゃってるサディストに一度でも出会ったら、冗談でSとかMなんて簡単に言えなくなるだろね。
やつ等は相手が苦痛にもがく事で性的に興奮する。女が苦しめば苦しむほど、痛がれば痛がる程興奮して感じるんだよ”
『あんなに優しく抱かれたのは初めてだと、そう呟いていたよ。目にうっすら涙さえ浮かべながらね』
- 202 名前:who are you? 投稿日:2006/09/25(月) 09:02
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くそぉっ!!!!!!!!
「後藤!!!!」
『真希はあの時ととても似た表情をしていた。今日から私がパパだとそう真希に言った時だ。
困惑と喜びと恥ずかしさと不安が入り混じった、そんな顔をしていた』
「ハァッハァッ後藤!!!!」
- 203 名前:who are you? 投稿日:2006/09/25(月) 09:03
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- 204 名前:who are you? 投稿日:2006/09/25(月) 09:03
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ガレージに飛びこんだ市井は、混乱の中当たりを見渡した。
横たえてるはずの後藤の姿がない。
変わりに頭から血を流し下半身を露出させたまま息絶えているさっきの手下の男の姿があった。
「後藤!!!後藤何処行ったんだよ!!」
血の海と化したガレージから、ポツポツと車道へ続く血液。
その辿った数十メートル先に、よたよたとふら付きながら先を行く後藤の姿があった。
「後藤!!!!何やってんだお前!!!」
- 205 名前:who are you? 投稿日:2006/09/25(月) 09:04
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全力で走り後藤との距離を縮めると、あと数メートルという所で後藤が振り返った。
お腹からは止め処なく血液が流れ出している。
恐らく気力のみで立っているんだろう。
すぐさま駆け寄ろうとした。
けれど。
「来んな!!」
「後藤……」
「来るな…」
「後藤…何処に行こうとしてるんだよ…今救急車が来るから大人しく」「うるさい!!」
後藤は怒気を含んだ目で私を制すと、真っ赤に染まっているお腹を押さえ“うっ”と呻いた。
- 206 名前:who are you? 投稿日:2006/09/25(月) 09:20
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「分からないよ…後藤が何を考えているのか…何をしたいのか…
全然…全然分からないよ……
教えて欲しいんだ…ねぇ後藤……」
「さっき話したのが全部だよ」
そう言うと、足を引きずるようにして再び歩き出した。
「言ったよね!?この世は地獄だって!!
でも違う!!それは違うよ後藤!!
市井と過ごした毎日は、きっと…、いや絶対、天国だったはずだよ…。
後藤いつも、いつも市井の背中に抱きついて泣いてたよね…。それは自分の思ってた世界と違う世界を見つけてしまったからでしょ…?
もしかしたら後藤は、生まれた時から地獄しか見てなかったかもしれない…。けど、ずっと夢見てた世界があって、そしてその世界を、後藤は初めて体験する事が出来た……だから泣いてたんでしょ…?」
「ちがう……」
「違わない…。市井が初めて後藤を抱いた時流してたあの涙は、ウソじゃない…。」
「違う!!!」
「好きなんだ!!!」
- 207 名前:who are you? 投稿日:2006/09/25(月) 09:21
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ピタリ、と足が止まる。
「好きだよ…今でも…」
「…………」
後藤の背中が震えてるのが分かった。
- 208 名前:who are you? 投稿日:2006/09/25(月) 09:22
-
「約束するよ!!!
これからも、これからも、ずっとずっと!!地獄から抜け出した世界を、与えてあげるから!!
だから…!!!
後藤……?」
後藤がゆっくりと上げたその腕の先には、銃があり。
その銃口は、市井を捕らえていた。
「ねぇ…なんで…
なんでそんな事言うのさ……なんで……?」
後藤は涙ぐみ、震えた手を目いっぱい真っ直ぐ伸ばしていた。
「理由なんかない!!!好きだから!!!市井は後藤が好きだから!!!!」
「どうして……そんな事言われたら……」
後藤はうな垂れると、銃を下ろした。
「一緒にやり直そう……」
市井が後藤に手を差し伸べた次の瞬間、
- 209 名前:who are you? 投稿日:2006/09/25(月) 09:23
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「勇気がないんだ」
- 210 名前:who are you? 投稿日:2006/09/25(月) 09:24
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ポツリ、と微かに呟いた後藤のその腕の先は、己のこめかみにあった。
「やめろ後藤!!」
咄嗟に後藤に飛び掛った。
「わぁああああああ!!!!!!!」
「死ぬな!!!!!!」
“ごとーね、いちーちゃんのためなら死ねるって思うよ”
「後藤ーー!!!!!!!!!」
こんな状況で、場違いにも、ふと、頭に浮かんだんだ。
あの頃の、懐かしい思い出が。
鮮明に。
とても鮮明に。
- 211 名前:who are you? 投稿日:2006/09/25(月) 09:25
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- 212 名前:who are you? 投稿日:2006/09/25(月) 09:26
-
後藤、ねぇ後藤。
もしもう一度最初のように会う事が出来るのならば、
会う事が許されるのならば。
再び会う時はきっと、
全てを忘れた二人でいよう。
初めて会ったその時からずっと、ずっと惹かれあってたって、
そう信じる事がきっと出来るから。
後藤を好きになった気持ちには、何一つ偽りはないんだから。
後藤も。そうだよね。
会えない一秒すら切なくて、朝まで電話した事。
伝えきれない想いすらもどかしくて、朝まで抱きしめてた事。
朝目覚めてから、夜が明けるまで、後藤の事だけ考えていた。
後藤の事しか、考えれなかった。
いつまでもいつまでも、
忘れないよ。
後藤と過ごした日々。時間。
いつまでも、
いつまでも。
- 213 名前:who are you? 投稿日:2006/09/25(月) 09:29
-
そして次こそは教えて欲しいんだ。
「……待った?」
「ううん、全然待って無いよ」
――――本当の、君を。
『Who are you?』 ― end ―
- 214 名前:who are you? 投稿日:2006/09/25(月) 09:29
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- 215 名前:who are you? 投稿日:2006/09/25(月) 09:29
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- 216 名前:who are you? 投稿日:2006/09/25(月) 09:30
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- 217 名前:王苺丸 投稿日:2006/09/25(月) 09:42
- バザー作品ニ作目、『who are you?』 >>66-213 これにて完結です。
待ってた方がもしいらしたとしたら、お待たせしまくって本当に申し訳ございませんでした。
バザーなら肩に力入れる必要ないからすぐ書けると甘くみて見切り発車した僕がバカでした・・。
絶対に絶対に完結はさせようと思っていたので、必死に書いたんですが、それが出来て本当にほっとしてます。
ほんの少しでも楽しんで頂けたら幸いです。
次ここに書く時は、バザー作品ではないです。
ここのは大分古い作品を引っ張り出してるんで、次は今のものを出したいと思います。
今書きたいと思ってるものを。
読んで頂きありがとうございました。
- 218 名前:ミッチー 投稿日:2006/09/26(火) 01:30
- 更新お疲れ様デス。。。
とても感動しました。
完結させてくれてありがとうございました。
次も楽しみにしてます。
- 219 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/10/08(日) 00:43
- ハラハラドキドキ
そして切なすぎて泣きました・・・
苺丸さんは謙遜しておられますが、間違いなく最高傑作だと思います
素敵なひと時をありがとうございました
- 220 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/11/13(月) 13:20
- すげーすげー
なんかすっげー
ごま可哀想だけどこんなのもアリかな
- 221 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/11/13(月) 19:09
- なんで上げってんの?
もう完結されてるんで落としておきます。
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