掌編小品
- 1 名前: 投稿日:2005/08/29(月) 00:50
- スレッドの題は『しょうへんしょうひん』と読みます。
- 2 名前: 投稿日:2005/08/29(月) 00:51
-
グット・タイミング
- 3 名前: 投稿日:2005/08/29(月) 00:51
- 「ミキちょっとヤバい」
そう言うと、親友は意外そうでもなんでもない顔でうなずいた。
「ヤバいね」
簡単な返答に、美貴は不満を覚える。
「なんでか、わかってる?」
「もちろん」
亜弥はテーブルに置いたビールの缶を取りあげた。軽く揺すると、水滴がテーブルに
落ちる。まだ入ってる、とつぶやくと、亜弥は美貴に缶を差しだした。
「飲んで」
「いらない」
「片づけたいの」
美貴は缶を受けとると、ややぬるくなったビールを一気飲みした。
よっ、と亜弥が手をたたく。
美貴はぶはあ、とビールのCMさながらの大息をついた。
- 4 名前: 投稿日:2005/08/29(月) 00:52
- 二人だけの酒盛り、といっても飲んでいるのは美貴だけだから、酔っているのも美貴
だけだ。
何を思ったのか、事務所にあったお中元のビールを、山ほど持って帰ってきた亜弥が
(もちろん『ウチのママビール好きでぇ』という煙幕を十分にはって)、なかば強制
的に、泊まりにきた美貴に、つぎつぎと缶を空けさせている。
酒は嫌いではないけれど、ビールはそこまで好きじゃない。
だって、苦いし――とあまり気の進まなかった美貴だが、亜弥にすすめられるままに、
次々と進物の珍しいビールを飲んでいるうちに、すっかりできあがってしまっていた。
もう味もよくわからない。お腹もたぷたぷだけど、亜弥もおもしろがるし、酔ってる
自分というのがなんだか新鮮で――つまりアルコールの作用にしっかりやられてしま
って、いい気分で飲みつづけてしまっている。
- 5 名前: 投稿日:2005/08/29(月) 00:52
- 「次、これいってみようよ」
亜弥は冷凍庫から、新たな一本を取ってきた。より冷えた方がおいしかろうと、かな
りの本数を亜弥は冷凍庫に突っこんでいた。
このペースでは、それもあとわずかになっていることだろう。
「ほら、ギフト限定ビールだって。『豊熟プレミアム』うまそーじゃん」
「ミキ味わかんない」
「まあ飲めー」
頭をぐらぐらさせながら、戻ってくる亜弥をアルコールで赤くなった目で見ると、
彼女は満足げに笑った。
小気味のいい音をたてて、プルタブを引く。
「ていうか、あやちゃんも飲みなよー」
「未成年だっつの」
「なんで人に飲ませんの」
「飲みたい気分なんだよね」
ふと、亜弥がまじめな顔になる。
- 6 名前: 投稿日:2005/08/29(月) 00:53
- 「私まだ飲めないし。一心同体のあんたが飲んでたら、私が飲むようなもんでしょ」
「ええ。だってミキ、あやちゃんの代わりにトイレ行けないよ」
亜弥はにゃははと笑った。
口もとに冷えきった缶が押しつけられる。冷たさが気持ちいい。
思わずそのまま口をつけると、亜弥は調子に乗って缶をこちらにどんどんかたむけて
くる。苦しくなってきた美貴が亜弥の脇腹をくすぐると、爆笑しながらも、こぼさな
いよう体をねじる。さらにくすぐろうとすると、また缶が突きだされて、美貴はあわ
ててよける。
二人ともが飲んでいるわけじゃないけど、飲んでるみたいな空気。
亜弥のいう『飲みたい気分』とは、こういうテンションを求めての発言なのだろうか。
- 7 名前: 投稿日:2005/08/29(月) 00:53
- 「飲みたい気分ってさ、なに?」
問いかけには答えないで、亜弥は再び美貴に押しつけた缶を爪の先で鳴らした。
「飲みなって」
「自分のペースで飲ましてよ」
す、と缶が引かれたから、あきらめたのかと思いきや、四角いテーブルの隣り合った
一辺に座っていた亜弥は、美貴の隣に移動してきた。肩をぴったりくっつけて、何も
言わない。テーブルのしけったポテトチップスをかじる。
何かある、というのはわかっている。
だけど、タイミングが大事なのだ。こうやって楽しく普段とちがうことをしたいとい
うだけなのか、それとも重大な悩みごとか。
タイミングを計りかねたまま、美貴は慣れない酒のせいで、とうに判断力を失ってし
まっている。
単に飲ませてみたかった、ってだけならいいんだけど。
ぼんやりそんな風に思いつつも、確実に頭の芯が鈍っている。
その証拠に、もっとどうでもいいことを言いたくなる。
- 8 名前: 投稿日:2005/08/29(月) 00:54
- 「あ!」
「なに?」
「さっきの話。ミキ、ヤバいんだって」
「もういいよ」
「聞いてよ」
「知ってるもん」
亜弥はつまらなさそうにい言った。
「トイレ行きたいんでしょ。行ってきな?」
「ちっがーう」
「酔っぱらってて? 吐くか?」
「ちっがーう」
亜弥の肩を押すと、腕をつかまれた。おっとと、と床に片手をついて体勢を整える。
酔いのせいでふつふつと笑いがこみあげた。
至近距離で目があう。藤本はにやぁ、と笑った。
「あやちゃんのこと、好きすぎてヤバイ」
「うわ、キモ」
- 9 名前: 投稿日:2005/08/29(月) 00:54
- 素で返す亜弥だけれど、酔いのせいか傷つくこともなく、美貴は両手で抱きついた。
「あやちゃんーん。好きー」
「わ、みきたんほっぺすごい熱い」
亜弥は自分の胸のあたりに顔をうずめている美貴の頬を、両手で挟んだ。
冷たい手のひらが気持ちいい。
亜弥の芝居がかった声が、頭の上に降ってくる。
「たんくん、残念ながら私には彼氏が――」
「知ってます」
美貴は、がばっと顔を上げた。
- 10 名前: 投稿日:2005/08/29(月) 00:55
- 「あーあ。ミキにも彼氏とかいたら良かったのに。今つくれないし。ミキはあやちゃ
んあやちゃんなのに、あやちゃん最近そーでもないみたいじゃん。メンバーにも藤
本さん、片想いなんですよう、友情にも片想いってあるんですぅ、あーかわいそう。
え、エリたちですかぁ、残念ながらバリバリの両思い、テヘッとかなんとか――
ったく、キメーんだよ、あいつはよ」
「亀井ちゃんだね」
「とにかく! ミキはさみしんだって。あやちゃんさ、前はもっとみきたんみきたん
言ってたじゃん。なんか最近ミキばっかあやちゃんあやちゃんゆってない?
……うわ、やめよ。自分で自分がキモい。こゆこと言うの、いってぇなあ。
あ、ひょっとしてこゆこというからウザがられてるんスかね? たんキモーいって。
タンキモってなんか焼肉でありそうだよね。タンキモ、アンキモ、タンキニ。でも
ま、あれだね、ミキあやちゃんに嫌われたくないからさ、こうゆうことあんまいわ
ないどこ。うん、そうだよミキティ。それがいいよミキティ、残念、ミキティ……」
ひとりで話してひとりで納得。
酔っぱらいの見本のような態度でくだを巻く美貴の髪を、亜弥はよしよしとなでた。
- 11 名前: 投稿日:2005/08/29(月) 00:55
-
◇
- 12 名前: 投稿日:2005/08/29(月) 00:56
- ひととおり愚痴をこぼすと、美貴は抱きついたまま眠ってしまった。
美貴を捨て置いて流れっぱなしだったお笑いのDVDを見ていた亜弥だったが、ヨダ
レの気配に、あわててちいさな頭を床に転がす。
ごろんとあっけなく離れた美貴は、口を開けて寝入っている。
その姿を一瞥すると、亜弥はテーブルの上を片づけはじめた。
ゴミを捨てテーブルを拭くと、亜弥は冷凍庫のビールを取りだした。
美貴が飲みきれなかった最後の一本。
冷蔵庫に入れなおそうとして、思い直した。
キッチンの椅子に腰かけて、床に転がっている親友の寝姿を眺める。
幸せそうな顔。ノンキな寝顔。顔に型がつくだろう。
この間、型がついてなかなか取れなかった、ミキも年かな、なんて気にしてたから、
どれくらいで取れるかチェックして、思くそからかってやろう。
そんなことを考えてひとりでほくそ笑んだあと、ずっと電源を切っていたテーブルの
携帯電話を取りあげて、彼氏のメールに返信をした。
怒ってるフリも、加減を見てきりあげないと、シャレにならないことになる。
- 13 名前: 投稿日:2005/08/29(月) 00:56
- テーブルのビールのプルタブをあげて、空に向かって乾杯した。
何に? なんだろう。
ビールは喉で飲むもの、という中澤の教えにしたがって、口のなかに味を残さないよ
うに、一気に。亜弥は勢いつけて缶を傾けた。
思いきりのせいか、キンキンに冷えているせいか、思いのほかおいしく感じて「うま」
とひとりごちた。
ごくり。もうひとくち。うん、いける。
ビールを三分の二ほど飲んだ頃、彼氏から電話がかかってきた。
怒られるから、飲んでいるなんてこと言わない。
アルコールの手助けもあってか、スムーズに仲直りができた。
電話を切ると、亜弥は立ち上がった。
ビール片手に 軽いイビキすらかいている美貴を見おろした。
寝顔をサカナに、ビールを飲んでみる。
お酒つきあったげれば良かったな、と思う。
ひとりで酔っぱらっちゃって、バカみたいだよねこのひと。
- 14 名前: 投稿日:2005/08/29(月) 00:56
- 『あやちゃん好きー』
なんつって酔っぱらっちゃってさ。
たいしてお酒好きじゃないのに、私が飲め飲めっていうから飲んで、まんまと酔っぱ
らっちゃって。
なんて、なんてかわいらしいんだろう。
「好き、か」
アルミの飲みくちに唇をあてたままこぼした言葉は、どこにも落ちてゆかずに。
ビールのざわざわした匂いが粘膜をつついた。
前はもっと、みきたんみきたんいってたじゃん、そんな風にグチった彼女は、その頃
の自分のことを覚えているだろうか。
まとわりつく私を、警戒したように、嬉しそうに、ウザそうに、困ったように、訴え
るように、見ていたことを。
今の私たち、まるであの頃と入れ替わったみたい。
だとしたら、あの頃、本気でみきたんに対してビミョーで、そういうのヤバいなって
のもあって、ちょっと焦って彼氏つくった私とおんなじように――。
- 15 名前: 投稿日:2005/08/29(月) 00:57
- たんもビミョーなんだろうか。
- 16 名前: 投稿日:2005/08/29(月) 00:57
- 亜弥はぐい、と残りのビールを飲み干した。
お酒のせいだ、妙なことを考えちゃうのは。
缶から降った滴がかかって、一瞬顔をしかめたあと。
「わっ」と美貴が飛び起きた。飛び起きたあと、部屋を見渡す。とたんに動きがスロ
ーになり、美貴は亜弥を見あげた。
「あやちゃん」
「おす」
軽く缶をあげると、美貴は目を細めた。
「なに飲んでんの」
「ビール」
「えー。なにそれ。ミキと飲まなかったのに、ひとりで飲んでんのかよ」
「飲みたくなっちゃったんだよ。ビール意外とおいしーね。うっふっふ。また大人の
階段を一歩上がってしまった」
「いっしょに飲もうよー」
「あんたまだ飲めんの?」
「う。もういらない」
- 17 名前: 投稿日:2005/08/29(月) 00:58
- 亜弥は空になった缶を美貴の額の上に置いた。そっと手で支えたまま、頭をかたむけ
て、美貴の顔をのぞきこむ。頬には案の定、フローリングの継ぎ目の線がきれいに入
っている。
額に散らばった前髪の下から、美貴は亜弥を見あげた。
アルコールでやわらいだ、水分のおおい瞳。
忠犬みたい――友だちに感じるにしたらどうかという種類のいとおしさを覚えて、亜
弥は口もとをゆるめた。
「タイミングだよ」
「タイミング?」
「そ。私が飲みたくなったときにはたんは寝てたし、たんが飲んでたときには、私は
お酒なんて飲みたくなかったんだ。そゆこと」
そういうことだ。
亜弥が笑うと、額の缶をにらんでいた美貴は唇をとがらせる。
「そーゆーことかあ」
「そーゆーことよう?」
- 18 名前: 投稿日:2005/08/29(月) 00:58
- よし、と美貴はあぐらをかいたままガッツポーズ。
「じゃあ、次はタイミングあわせよう」
「世の中そうもいかないんだよなあ」
「なんでだよ。いっしょに飲みはじめればいいだけじゃん」
「とうぶん、飲みたい気分にはならなさそうなんだよね」
「なにそれ。わかった。彼氏とケンカでもしてたんだ」
「ご明察」
「そうだと思ったー! てか、それでミキ酔いつぶすってわけわかんないんですけど。
心配して損した」
「ぎょめん」
「許すからさあ。今度はいっしょに飲もうよ」
「残念ながら、まつーらはまだ未成年なのです」
「飲んでたじゃんよー」
ドスを利かせる美貴の額から、亜弥はゆっくり缶を持ちあげた。
「いつか飲みたくなったらね」
- 19 名前: 投稿日:2005/08/29(月) 00:59
- 終わり
- 20 名前: 投稿日:2005/08/29(月) 00:59
-
- 21 名前: 投稿日:2005/08/29(月) 00:59
- タイトルの「グット」は、わざとに濁点をはずしています。駄洒落万歳ビール万歳。
短いのをちょこちょことのせられる場所になったらすてきだな、と思っています。
- 22 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/29(月) 23:23
- ヌッハー!ものっそい好みな文章です。
わりとリアルな感じでドキドキしました(w
- 23 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/30(火) 01:15
- いいですね
次のお話も楽しみにしております
自分のペースで頑張ってください
- 24 名前:読み屋 投稿日:2005/08/30(火) 03:55
- 無駄な文がなく非常に綺麗ですね
個人的に何だかちょっとだけ切なくなりました
次も楽しみにしてます
- 25 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/31(水) 18:06
-
深い
率直な感想です
含んだ表現が面白くて見入ってしまいました
ビールは美味しいですねー好きですw
と含みつつ次の更新楽しみにしています
- 26 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/04(日) 12:53
- 最近のあやみきってこんな感じかもと思わせる
リアルさでした。
すごい!
- 27 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/16(金) 23:45
- すごく好きな文章です。上手い。
これからも頑張ってください!
- 28 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/12(月) 05:01
- 突然失礼します。
いま、2005年の飼育を振り返っての投票イベント
「2005飼育小説大賞」が企画されています。よろしければ一度、
案内板の飼育大賞準備スレをご覧になっていただければと思います。
お邪魔してすみませんでした。ありがとうございます。
- 29 名前: 投稿日:2006/01/13(金) 02:02
- Hong Kong-kon
- 30 名前: 投稿日:2006/01/13(金) 02:02
- 広場から見える夜景は、宝石箱をひっくり返したようだった。
こんな表現、ベタすぎる。そうわかっていても使ってしまうのは、いちばんしっくり
くるからだろう。
なんて、きれいな景色なんだろう。
吉澤は、不覚にも涙ぐみそうになっていた。
「電気じゃんねえ」
横から、声とともに遠慮のない腕が伸びてきて、吉澤の肩にまわされた。
「キレイはキレーだけどさー。ほんとキレーなんだけどさー。でも電気だよ?
ただの電灯なんだよね? あーでもでも、マジきれいだね……」
声が、かすかに潤んでいる。
素直に褒めることが悔しくて、だけど褒めずにはいられないらしい口調に、吉澤は笑
みを漏らした。
美貴の気持ちはよくわかる。感動をストレートにあらわすのが恥ずかしくて、ついつ
いナナメな態度をとってしまうのは、自分と同じ。二人のパターンだ。
しかしながら、吉澤流は、美貴とはまたちがうひねくれ方だ。くさすかわりに、おど
けてみせる。
- 31 名前: 投稿日:2006/01/13(金) 02:03
- 「100万ドルだぜー」
ぐっ、と美貴の体を引きよせて、吉澤は、でっかい光の塔と化しているビルを、ぐる
ぐる指差した。
「ミキティミキティ。あれで5万ドルぐらい?」
くくっ、と美貴の笑いの息が、吉澤のシャツの腕にかかる。
「香港ドル?」
「やっぱ香港ドルでしょー。ミリオンダラー夜景!」
「最後日本語じゃん!」
- 32 名前: 投稿日:2006/01/13(金) 02:04
- あたりの暗さをものともせず、カメラと携帯電話のシャッター音は、ひっきりなしだ
った。観光客の隙間をぬって、すぐにそれと知れるメンバーたちの黄色い声が、明る
い夜に響きまくっている。
――きれーきれー超きれー超かんどーヤバい超ヤバい。
壊れきって同じ言葉を繰りかえす娘さんたちに、他にいうことないんかい、とヘタな
関西弁でつっこみたくなる吉澤だが、気持ちはわかる。
この場に立って、他にいうことはないだろう。
『モーニング娘。ファンクラブツアー』。香港の、最後の夜だった。
- 33 名前: 投稿日:2006/01/13(金) 02:04
- ◇
- 34 名前: 投稿日:2006/01/13(金) 02:05
- 「ううう、疲れた……」
まったく。みんな、なんでああ、くっついてくんだ?
テンション上がり気味のメンバーは、いつも以上にまとわりついてきた。
右から左から、引っぱり、呼び寄せ――ツーショット写真をねだるメンバーたちをち
ぎっては投げちぎっては投げ――もとい、リクエストにお答えして、愛想よくご機嫌
で、次々とファインダーに収まった吉澤ではあったのだが。
すこしばかり、グロッキー気味だった。
と。
喧噪から離れたところに、ぽつんと夜景に向かう、三角座りの背中がひとつ。
視線をとめた吉澤は、そうっとそちらに歩みよる。
「ヘイ彼女ー。ひっとりー?」
チンピラめかした吉澤のセリフに、振り向いた顔は。
吉澤は吹きだした。
紺野は赤くなった。
頬いっぱいにふくんでいた何かを、あわててむぐむぐと咀嚼しだす。
- 35 名前: 投稿日:2006/01/13(金) 02:05
- 「まーた食べてんだ。こんこんは」
口のなかのカケラを完全に飲みこんでから、紺野は「はい」とほほえんだ。
「食べますか?」
右手の箸の先、ふるふると汁を垂らしているのは、なんと小龍包だった。
よく見ると、紺野は左手でスチロールの器をしっかり持っていて、中には、闇夜にも
白い肉饅頭が、いくつも浮かんでいる。黒酢もちゃんとかかっているようだ。
そういえば、と吉澤は思いあたった。
夕食を食べた食堂を出たときから、紺野がなにやらビニール袋をさげていたのを、思
いだしたのだ。
メンバーみんな食べ終わっても、さんざん急かされるまで粘って、デザートを全種類
制覇していたくせに。ぬかりなく飲茶までテイクアウトしているとは。
ここまでくると、逆に立派、吉澤は感心してしまった。
食に関しては、こんこんは、ほんとに人が変わる。
- 36 名前: 投稿日:2006/01/13(金) 02:06
- 手を振って貴重な小龍包を断ると、吉澤はよっこらせと隣に座る。
「しかしきみ。こんなキレイな夜景見ないで、食べてちゃダメだぜー。
もったいないべ」
ちっちっち、と紺野は箸を振った。
「ちがいますよ、吉澤さん。わたし夜景ちゃんと見てます。見ながら食べてるんです。
きれいな夜景を見ながらおいしいもの食べたら、幸せと幸せの二乗で、足し算じゃ
なくって、かけ算なくらい幸せかなあって」
ほわわわ、という感じで紺野は、ほほえんだ。
こちらも思わず笑みくずれてしまう、全面に『喜』という字が浮かび上がるような顔。
「で?」
「さいこうです」
うふふと笑いながら、紺野は小龍包を口に運んだ。ひとくちでぱくり。
んー、とご満悦の声を上げたと思うと、景色を見て、さらに目を細める。
なるほど。二倍二倍、という感じだ。
「こんこん溶けちゃいそうだ」
「幸せ、が過ぎるから〜ですね」
- 37 名前: 投稿日:2006/01/13(金) 02:07
- ずしり。
悠長な会話をしていた吉澤の背中に、なにやら重たいものがのしかかってきた。
「と、とっとっ」
吉澤は前にのめる。
「よしざわさーん。小春と遊んでくださーい」
振りかえると、えびすさんでもこうは行くまい、というほどのおめでたい笑顔。久住
小春の度アップ。
小春は、吉澤のうしろ頭のあたりに、すりすりと頭をこすりつけてくる。完全に子ど
もの仕草に、うっとうしさを通り越して、吉澤は笑ってしまう。
この、ずいぶん年下の新メンバーが、吉澤はかわいくて仕方がないのだ。
- 38 名前: 投稿日:2006/01/13(金) 02:08
- 「遊ぶって。なにして遊ぶのさ」
「うーん。あっち向いてホイ!」
「何が悲しくてワザワザ香港でさー」
「よしざーさーん」
「っと、またか」
紺野とは逆側から、吉澤の腰のあたりに、ひしっと抱きつく金髪ひとつ。
異国の熱帯夜。背中から、横からと、抱きつかれまくりの吉澤は、暑苦しいと顔をし
かめる。
「写真とりましょーよ。この。記念すべき。香港ナイトを。吉澤さんとのツーシ
ョット写真で。熱い私たちのツーショットで!」
「熱くない。冷え冷えだから。区切ってしゃべんな、うさんくさい」
かわいさにもいろんな種類がある。こんな態度をとっていても、小川ももちろん、か
わいいのだった。
小春がウザかわいいとしたら、麻琴は最近流行りのキモかわいい。って、ヒドいかな。
それでいくと――。
- 39 名前: 投稿日:2006/01/13(金) 02:09
- 「ちょっと」
この低い声の持ち主は、ナニかわいいだろうか。
「よっちゃん嫌がってんじゃん。どきな」
両手を組んで、仁王立ちで。
嫌がってないよ――なんて、とても口を挟めないような素の顔で、美貴が小春を、
にらみつけている。
「はいい」
にこにこ。
「そんなんされたら重いから。相手されてないでしょ。あっち行ってな」
「はいい」
にこにこ。
相手にされていないのは美貴の方なんじゃ、と思いたくなる屈託のなさ。小春はまっ
たく動じない。だけれど、面倒くさいと思ったのか、
「よしざわさん、あとで遊んでくださーい」
といい捨てると、さっきから写真を撮りあいまくっているさゆみや絵里のいる方へと、
ツーステップで駆けていってしまう。
- 40 名前: 投稿日:2006/01/13(金) 02:09
- 「イジメイジメー」
麻琴に囃したてられて、美貴はギン、とそちらをにらむ。
「うっさい」
「しょーがないなー、ミキちゃんさんは。大人げないねー」
「おまえがみきちゃんさんゆーな。ね、よっちゃん。あっち行ってみよーよ。望遠鏡
あるんだって。ミキ、よっちゃんさんといきたーい」
……甘ったるい。
おーいいねー、と余裕の笑みを浮かべつつも、完全に人を選んで発せられる美貴の媚
態に、吉澤はやや引き気味だ。なまじっかオトナなものだから、どこまで本気やら計
りがたくて、ちょっと怖い。
そんな吉澤を察したのか、麻琴。
「あそーだ。あたしミキちゃんさんと写真撮ってない。撮らなきゃ」
「いーよ別に」
「ノンノン。みきちゃんとの写真ほしーほしー。あ、今れいながいるあたり、あの辺
すっごいきれいに撮れたんだよ。ちょっとキテミテ。キテミテミキテー」
「ぶ、ぶはははは。もーひっぱんなって。しょーがないなあ」
「ひ・と・み、さーん。あとでねー」
ばっちん、と音がしそうなウィンクを残して、麻琴は美貴の手を引いて、行ってしま
った。
へらへら笑いつづけていた吉澤は、手を振って二人を見送ったあと、はあ、とため息。
- 41 名前: 投稿日:2006/01/13(金) 02:10
- 「シレツですねえ」
「うわっ」
いたんだ、と一瞬失礼なことを思ってしまった。
四人がぎゃんぎゃん騒いでいる横で、われ関せずと、食べつづけ、景色を眺めていた
紺野。
「……まだ食べてる」
吉澤が口を開けるのも、無理はない。
いつのまにか完食の小龍包の器は、口をくくったビニール袋に納められていて、かわ
りにその右手には、何口めかのエッグタルトが、しっかり握られている。
「はあい」
紺野はにっこりと笑う。
「吉澤さん、モテモテですねえ」
「ああいうの、モテてるっていわないよう」
「いえいえ」
紺野はエッグタルトを大切そうに口に入れた。粉のついた指をちろりとなめると、
満足げに目を細めつつ「わたしの研究によるとぉ」と、謎な発言をしてくる。
「研究? なんじゃそりゃ」
「けっこう発見なんですよ」
紺野は、景色をもっとよく見ようというように、片手を額にかざした。
- 42 名前: 投稿日:2006/01/13(金) 02:11
- 「わたし、こういう綺麗すぎる景色って、キケンと隣り合わせだと思うんです」
「落ちるってこと?」
思わず下に目をやる吉澤を見て、紺野はふるふると首を振った。
「じゃなくって。こうやって、わたしたちって、すごくきれいな景色を見られる機会、
多いじゃないですか。今なんかまさに、こんな夢みたいにきれいな夜景を、こうや
って見てるわけです。実はわたし、夜景とかイルミネーションとか、すっごく好き
で。今までは、札幌の夜景が一番って思ってたけど、香港はさすがです」
おいしいものと好きな景色のせいか、今日の紺野はよくしゃべる。暗がりでもわかる
ほどに目をきらきらさせて、手ぶり混じりに話す紺野に、そんなもんかねえ、と目を
細めつつ、
「で?」
「はい?」
「だから、景色とキケンとモテモテに、なんの関係が? てか、三題噺かよ」
「あ、ですね。えと、つまり……」
- 43 名前: 投稿日:2006/01/13(金) 02:11
- 吉澤は両手を後ろについた。景色にじっくりと目をやってみる。さっきは泣きそうな
ほど感動した夜景だけど、話なんかしながら見てると、慣れちゃってありがたみない
なー、とぼんやりと思う。
紺野はまだ口を開かない。厚みのあるその耳たぶは、なにやら赤く染まって見えた。
紺野はすう、と息を吸いこんだ。たっぷり一拍置いたあと、
「カップル組みたくなっちゃうんです」
ささやいた。
吉澤も一拍置いたあと。なーるほどぉ、と膝をたたいた。
納得。大いに納得した。
吉澤の同意に力を得たように、紺野は、すごい勢いで話しはじめた。
「忙しいし、みんな普段は、そうゆうこと考えるヒマないんです。でも、こんなムー
ディーなとこきて、こんな景色見てると、絶対思うんですよ。カップルになりたい
ーって。その、わたしもそうなんですけど……わたしの場合は、彼氏がどんなもの
かとか、ほんとのとこよくわかってないから、よけい夢ふくらんじゃうのかも……。
それはさておき、それで、吉澤さんはいつも以上にモテモテなんだと思うんです。
みんながああやって吉澤さんにたかるのわかります。興奮するんです。吉澤さん、
男の人よりカッコいいから、彼氏役ぴったりだし」
- 44 名前: 投稿日:2006/01/13(金) 02:12
- 食べ物の話じゃないのに、紺野がこんなにしゃべるとは。確かに『興奮』しているら
しい……吉澤は内心、舌を巻いた。
まったく、おとなしいこほど、まわりを見てるってのはホントだ。
「興奮て。過激だなーこんこん」
「ほんとなんですから」
冗談めかした口調に、紺野はまっすぐに吉澤を見すえた。
思わず吉澤は背筋を伸ばす。黒い大きな瞳が、きっちりとこちらの目にあてられていた。
責めるみたいに。
「こんなとこで吉澤さんといると、くっつきたくなっちゃいますよ?」
「……べつに、くっついてくれてもいいんだけど」
みんなみたいに。
甘えられるのは嫌いじゃない。そう。嫌いじゃ、ないのだ。
カモンナ、と両腕を広げる吉澤に、紺野は首を振った。
「……わたしは、いいんです」
「なんでさ」
「なんでっていうか……そのう……」
紺野は気づかうように、吉澤を見あげた。
- 45 名前: 投稿日:2006/01/13(金) 02:13
- 「重いんじゃあ、ないかなあ、と」
紺野の言葉こそ、重かった。ずしりと胸に響いて、吉澤は思わず真顔になった。
「吉澤さん見てると思うんです。甘えられてばっかりだなあって。自分だったら――
たまには甘えたい気分に、絶対なる、と思う。かといって、吉澤さんリーダーだし
キャプテンだし、わたしに甘えたりはしてくれないだろうから、せめて……こっち
から甘えるのは控えようかなあ、なんて。思ったりするわけです」
吉澤は、くしゃくしゃと髪をかきまわした。無性に恥ずかしかった。
紺野はふふっと笑った。
「でも、大丈夫ですよ吉澤さん。甘いものを食べてたら、カップルじゃなくても、
甘えてなくても、十分満足なんです。景色とお菓子で。彼氏のかわりに、おいしい
ものが、幸せの二乗してくれるんです。完璧ですね」
その声の本気さ加減に、吉澤は思わず笑いだしてしまった。
「カップルになりたい」なんて不穏なことをいいだすから、どうしようかと思ったけど。
エッグタルトとしのぎを削れる『彼氏』だなんて、それこそ絵に描いた餅。
シゲさんじゃないけど、白馬に乗った王子様だ。生身の男女交際とは、ほど遠い。
- 46 名前: 投稿日:2006/01/13(金) 02:13
- 「だいたい、くっつきたくても、吉澤さんいっつも混んでますしね」
「満員電車か、あたしゃ」
軽口をききながら、吉澤は不思議と心が安らぐのを覚えていた。
もちろん自覚があった。甘えられるより、どちらかといえば甘えたい、自分のこと。
だけど、バレていないと思っていた。リーダーとして、キャプテンとして、彼氏役と
して、みんなはあたしにがっつり寄りかかっていると思っていた。
吉澤はふつふつとわいてくる照れ笑いが止まらなくて、手で口をおおう。
あたしの隙を、このこは知っている。そして、わかっているのだ。
何もしなくてもいわなくても、「わかってくれてる」人がいる、そのことを知るだけ
で、気持ちがうんと、楽になることを。
「わたし、平和主義者なん――」
- 47 名前: 投稿日:2006/01/13(金) 02:14
- 紺野がいい終わる前に。
吉澤は、紺野のほっぺにキスをした。
わりとぶちゅっと。
- 48 名前: 投稿日:2006/01/13(金) 02:14
- 「うあっ」
紺野がおもしろい声をだす。
吉澤はひゃひゃ、と笑ったあと、ん? と唇をなめた。ジューシーな風味。
「こんこん、ほっぺに汁飛んでる。そんな子どもみたいに顔にお汁つけてぇ。
彼氏どころじゃないってば」
夜目にもわかるくらい、紺野は真っ赤になる。
「もう。ダメですって。そんなことして!」
「まあまあ。旅の恥はかきすてってことで」
紺野と同じくらい赤くなっているであろう頬を見られないように、吉澤は立ち上がっ
た。バレバレだとはわかってても、照れるものは照れる。
吉澤は頬をぴしゃぴしゃとたたくと、大きく伸びをした。
さっきのが、吉澤なりの『甘え』だと、勘のいい紺野は気がついただろうか。
ううむ、たまにはアリかもしんないなあ。
吉澤は目を細めた。眼下に広がる百万ドルの夜景は、さっきよりロマンチックに見え
る気がした。
- 49 名前: 投稿日:2006/01/13(金) 02:14
- 終わり
- 50 名前: 投稿日:2006/01/13(金) 02:15
-
- 51 名前: 投稿日:2006/01/13(金) 02:16
- 我ながら、ばらばらした話ですな……。長いし。半年も開いてしまいました。いやはや。
レス、とっても嬉しいです。ありがとうございます。
- 52 名前:名無し飼育 投稿日:2006/01/13(金) 12:23
- そのばらばら感が逆に楽しい
そう思えるお話でした
面白かったです次回作も待ってますよ!
- 53 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/01/16(月) 01:58
- ああ、リーダーがすごくリーダーらしくて感動。
とりまくメンバーも、こんこんもすごく「らしい」です。
- 54 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/01/20(金) 00:25
- うわ、すげーいい。
>>53さんの言うというり、「らしさ」が出てて…。
次回も期待してます。
- 55 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/01/22(日) 10:56
- いやーいいですね。
紺ちゃんが好きになりそうです。
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