Rain
- 1 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/11/07(月) 11:01
- 暗い暗い場所の中で、重たい音と金属の音が響いた。
下ろしていた髪を結い、四肢を伸ばして頬を軽く数回叩き、
最期に右の胸の少し上を拳で数回叩いた。
暗い扉の先に、久々の世界が広がった。
- 2 名前:Rain 投稿日:2005/11/07(月) 11:02
-
+++ Rain +++
- 3 名前:Rain 投稿日:2005/11/07(月) 11:02
- あたしが知っている太陽。
それは小さい頃に見た絵本に載っていた、真っ赤な丸いカタチをした大きなものだ。
太陽の下で緑は育ち、太陽に近付き過ぎた人々はその熱で溶けてしまう。
大きくて熱い、真っ赤な丸。
恵みも与えるが、近付こうものなら命を奪う。
だが、太陽の下に暮らしている人々の表情は皆柔らかで、幸せそうだった。
この神様のような太陽は、世界の何処かで見ることが出来るらしい。
ここから遠く、遠く離れた場所にあるらしい。
それが何処かなんて、この街の誰に訊いても分からないだろう。
生まれた時からこの街に住み、この街で死んでいくのがここの生き方だ。
皆それを宿命だと思ってる。
あたしは…まぁ、どうだろう。
ひょっとしたら、他の人よりも選択肢を求めているかもしれない。
毎日降り続く雨。鳴り続ける雷。
それが普通で当たり前。
でもこの普通で当たり前じゃない世界がある。
そう、絵本に描かれていた、太陽がいる世界。
- 4 名前:Rain 投稿日:2005/11/07(月) 11:03
- 人というのは本来、太陽がないと生きてはいけないらしい。
捲ればホコリが舞い散る古い書物に、そんなことが書いてあった。
だけどそんなのは太陽がある場所に住んでいる人の言葉だ。
ずっとここで暮らし続けているあたし達は、そんなものがなくたってちゃんと生きている。
御先祖様達が築き上げてきた歴史の上に、あたし達は立ち、そして暮らしている。
どうしてその本にはこんな事が書いてあるのか、昔はさっぱり分からなかった。
- 5 名前:Rain 投稿日:2005/11/07(月) 11:04
- 大分伸びた髪を結い直し、眼鏡を外してランプを吹き消す。
何度も読み替えした本を、いつものようにしまうと、部屋着のTシャツを脱ぎ捨て、靴の紐を結び直し、
足を置くと軋む階段を早足で降りて、玄関の傘を掴み外に飛び出した。
- 6 名前:Rain 投稿日:2005/11/07(月) 11:04
- 「で、どうなんだい?仕事の方は」
「別に。何も変化なんてないし、いつもと同じ事するだけだよ」
背中の方で聞き慣れた喧嘩の声が響き、右耳の方で安っぽい音楽に合わせて踏むステップの音が聞こえる。
いつも微妙に混んでいるこの店は、何処を見ても見飽きた顔ばかりだ。
この街は他人を寄せつけない街なのではない。
他人が生きていけない街なのだ。
太陽がある世界で生きていた人達がここに来れば、体をやられて死んでしまう。
実際多くの旅人がここに留まろうとしたが、結果は皆同じだった。
あたし達とは何かが違うらしい。
だからあたし達はここで死を迎えなくてはならない。
御先祖様達がして下さったように、子孫に街を残す為にも、逃げれない。
皆がよく言う宿命っていうのは、そんな決意とか、伝統とかを守るという事全てを含んでいる言葉なのだ。
- 7 名前:Rain 投稿日:2005/11/07(月) 11:05
- だけど、あたしはそれを宿命だとはどうしても思えなかった。
別にここに縛りつける為に、そんな掟みたいのがあるワケでもない。
現に街を出て行った人だっている。
もちろん、街を出るということは、二度とは戻ってこれないってことだ。
それは街の人が認めないのではなく、一度太陽を知ると、ここでは生きていけなくなるから。
そういう理由だ。
ただ、あたしのように小さい頃に偶然絵本を見つけ、外の世界に興味を持つようになる事は少ない。
むしろ親はそう言う事を隠したがる。
幼い頃から、この街で生きて行くように教え、昔の話しを子供に聞かせる。
そう教えられた子は、大きくなってから外からやってくる人達を見ても外にあまり興味をもたない。
仮に持ったとしても、外の世界から来た人達が死んでいくのを何度も見ているせいか
自分達が同じように外に出た時、同じような運命を辿る心配をするのか、
この街から去ろうとする人があまりいないのが現状だ。
もちろん、これが全ての原因だとは思わない。
この街を心から愛している人達がいるのを知っているし、伝統を守ろうとしている人達も知っている。
皆が宿命だとか言ってる言葉は間違ってはいないかもしれないけど、小さい頃から外の世界に
興味を持っていたあたしは、それを宿命として受け入れられなかった。
- 8 名前:Rain 投稿日:2005/11/07(月) 11:06
- 「ほれ、おまっとさん」
汚れたお札と交換に、泡立つ液体の入ったビンが手に握らされる。
「いい加減にしとけよ。明日もはえーんだろ?」
「…大丈夫だよ、別に。そんな酔ってもねーし」
雨に濡れてよれよれになった煙草を耳に挟み、汚れた木製カウンターの上で手を上下に振れば、
水が数滴飛び跳ねて染みを増やす。
一定のリズムでタンッタンッと音を出し、散らばる液体がしみ込んでいくのを眺める。
そんな事が面白くて何度も何度も遊んでいたら、マスターに頭から水をブッかけられた。
「酒はそうやって遊ぶもんじゃねー」
「…水はそうやってブッかけるもんじゃねー」
「ったく、本当お前は酒が入ると口が悪くなるから困るぜ」
「知ってて呑ませてくれてんだろ?」
片眉をあげると、マスターは、さぁなと言って頭を撫でようと手を伸ばしてきた。
「ふざけッ、触んじゃねーよ」
間違いなく、マスターはあたしが酔った時の方が好きだ。
- 9 名前:Rain 投稿日:2005/11/07(月) 11:07
- しばらくニタニタ笑うマスターの腕を払っていると、店の中が一瞬静寂に包まれた。
何だ?と思って入り口に目を向けると、そこには店の正面にある灯が入り込んでいる。
そして入り口には細みのシルエットが浮かんでいた。
カツカツと木製の床を歩く音がする度に、その後ろからはどよめきや口笛、ニヤニヤと笑う顔が続く。
無数に伸びた手を軽くかわしながら、その細みのシルエットの女はあたしの隣にやってきた。
「ここ、いいかしら?」
「…ど、どうぞ」
見なれない顔だ。
ストレートの濡れた髪を指で流し、ポッケから取り出した濡れたお札をカウンターの
上に突き出すこの女は、この街の女達とは何か雰囲気が違っていた。
「ビール」
「はいよ、ちょい待ちな」
未だにどよめく店内を、全て無視するかのように、女はポケットを探る。
何となく煙草を探している気がして、自分の持っている煙草に火をつけて、それを差し出した。
「…ありがとう」
お礼を言う女に手で挨拶をすると、皆が口々にあたしを囃し立てた。
「んだよ、またお前かよ」
「今日は女のお持ち帰り?もぅ、たまにはアタシの事もかまってよー」
「誤解を招くような発言やめろ。人を遊び人みたいに言うな」
遠くからかけられる声と、近くからかけられる声。
その両方を払いながら、耳に挟んでいた濡れた煙草を握り潰して、ビールを流し込んだ。
- 10 名前:Rain 投稿日:2005/11/07(月) 11:07
- 「わりーな、不愉快な思いさせちゃって」
「別にいいわよ」
女はそう言うと、運ばれてきたビールを一気に喉に流し込んだ。
「ハハっ、あんたやるね。いいね、その飲みっぷり」
いいよ、すげー。久々に見たよ。
この街の連中は皆チビちびのんでここで時間を潰すばっかだ。
「マスター、彼女にやって」
外見に似合わないワイルドっぽさ。
何処か冷めているその雰囲気。
久々に出会う『違う』存在に、あたしは少し興奮していた。
「何が目的?」
「目的?んなもんねーよ。あたしはあんたの飲みっぷりが気に入っただけ。
素直に受け取んなって。別に体目当てとかじゃねーからさ」
気分が良くなって、あたしも新しい煙草に火をつけた。
ケラケラ笑っていると、新しいビールを運んできたマスターがまたあたしの頭に水をブッかけてきた。
- 11 名前:Rain 投稿日:2005/11/07(月) 11:08
-
- 12 名前:Rain 投稿日:2005/11/07(月) 11:08
- 「へぇ、じゃぁこんな雨ばっかの所は初めてなんだ」
「そうだね。まぁ曇りばっかの場所ってのはあったけどね」
あれから数時間。
すっかり打ち解けてくれたあの女は、様々な世界を教えてくれた。
太陽のこと、曇りのこと、ここよりも激しい雨や落雷がある所。
女はあたしの知らない様々な世界を知っていた。
「さ、そろそろ行くかな」
「宿は?何処とってんの?」
「向かいにある宿だよ」
「おやっさんの所か。じゃぁ安心だ」
またの再会を願い、軽く拳を突き合わせた。
別れた後、あたしはまだ見ぬ世界に興奮を覚えながら、残った煙草とお酒を楽しんだ。
- 13 名前:Rain 投稿日:2005/11/07(月) 11:08
-
- 14 名前:Rain 投稿日:2005/11/07(月) 11:09
- 「おい!ちょ、お前!早く来いって!!!」
翌朝、未だに酒の残る頭に響いてきたのは目覚ましでも何処かで鳴く犬でもなく
隣に住む幼馴染みの声だった。
普段は大人しいアイツが、ここまで声を荒げる事は珍しく、ただ事ではないと感じたあたしは
ベッドのすぐ横にある靴に足を突っ込み、急いで外に飛び出した。
- 15 名前:Rain 投稿日:2005/11/07(月) 11:09
- 顔を覆う人、ただ立ち尽くす人。
人込みをかき分け、円の中心に行くと、そこには昨日の夜、酒場で語り合ったあの女の人が倒れていた。
首は、皮一枚で繋がっている状態だった。
- 16 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/11/07(月) 11:11
- 基本週一更新。
10話くらいになると思います。
- 17 名前:Rain 投稿日:2005/11/13(日) 21:01
- その夜、いつもの酒場に行くと、様々な人に肩を叩かれた。
この街はそんな治安の良い場所というワケでもない。
だけど知り合いがあんな風にされたのは、初めてだった。
いつもの席に座り煙草に火をつけると、マスターが少しキツメの酒を持ってきてくれた。
作った笑顔で礼を言い、しらけた雰囲気が立ち篭める店内にある機械にコインを突っ込んで、
普段のあたしなら聴かないような音楽をかけた。
ほら、しらけてないでいつもみたく踊ってろって。
いつも凄い技を自慢気に披露するヤツに、ズボンの中に手を突っ込んで掴んだ
コインを投げ渡すとヤツはそれを受け取って片眉を上げて笑った。
- 18 名前:Rain 投稿日:2005/11/13(日) 21:02
- 店内にはいつも以上に活気溢れる空気が流れている。
どういうワケか、普段あまりここに来ない人まで集まり、ただバカみたいに騒いでいる。
「どうした、酔えねぇか?」
「…まぁ、ね」
というか、酒が進まない。
飲んでも喉の奥に通っていかないのだ。
あの女の人の事が気になるんじゃない。
朝見たあの画が、忘れられない。
煙草の量だけが増えていき、いつの間にか煙草の残りも後一本になっていた。
これを吸ったら今日はもう帰ろう。
ベッドに頭を突っ込んで、何も考えずに眠りにつこう。
無理だとしても、頑張って眠ってみよう。
そんな覚悟を決めた時だ、隣の椅子が音をたてた。
「ここ、いいかしら?」
- 19 名前:Rain 投稿日:2005/11/13(日) 21:02
- 昨日と全く同じ言い方に、思わず顔をあげる。
視線の先には、少し頼り無さ気な人が立っていた。
「…ど、どうぞ」
その人は濡れた髪を指で流し、ポッケから取り出した
濡れたお札をカウンターの上に突き出した。
「ビール」
「はいよ、ちょい待ちな」
服についた雫を払うような動作をした後、彼女はポケットを探る。
昨日とダブるその光景に、あたしは思わず自分の煙草に火をつけて彼女に差し出した。
「…ありがとう」
彼女はそう言うと、大きく息を吐き出した。
- 20 名前:Rain 投稿日:2005/11/13(日) 21:03
- 「へぇ、じゃぁこんな雨ばっかの所は初めてなんだ」
あれから数十分。
相変わらず言葉数の少ない彼女は、ちびちびと出された酒を口に運びながら、
自らにかかる声を次々に交わしていた。
昨日の女の人とは違う雰囲気だけど、この彼女もまた、この街では感じることの出来ない
雰囲気を醸し出し、そしてそれは妙は色気を持っていた。
酔っても冷めた感じが、そういう風に思わせるのかもしれない。
ただお酒を飲んでいるだけなのに、どうしてかその動作の一つ一つが絵になるのだ。
今朝の事を忘れようとしているのか、それとも彼女の存在に引き付けられているのか。
頭では何も考えずに、あたしは彼女に喋りかけていた。
- 21 名前:Rain 投稿日:2005/11/13(日) 21:03
- その後、しばらく適当な会話と微妙な沈黙が数十分程続いた後、
彼女はチラっと時計を見て、残っていたビールを全て喉の奥に流し込んだ。
「煙草、ごちそうさま」
「宿は?何処とってんの?」
この言葉は、彼女を引き止めたかったから出たワケじゃない。
ただ、気になったから出たのだ。
昨日と同じようにあたしの隣に現れ、昨日と同じように煙草を探す。
そんな仕種がダブッたから、そんなに話してもいないけど、声をかけたのだ。
そう、決して、何かが目当てだったワケじゃない。
「…売りとかやんないんだけど」
「違うよ、そんな事言ってんじゃない」
彼女はあたしをジッと見ると、ため息混じりに口を開いた。
「向かいにある宿」
- 22 名前:Rain 投稿日:2005/11/13(日) 21:04
- 言葉は朝の記憶とダブる。
そしてその言葉は昨日のあたしと、名前も知らない女の人と被る。
「だ、ダメだよ!あそこはダメだ!」
だから止めた。
前金を払っているという彼女に、今朝のことを説明して。
それでも自分は大丈夫という彼女を追い掛け、雨降る外で捕まえた。
「別に私がそこで殺されるかなんて分かんないじゃない」
「そんなの分からないだろ!どうすんだよ、殺されちゃったら!」
「…何であんたにそんな心配されなきゃいけないわけ?」
「そ、それは…」
昨日あの女の人に向かってあたしはおやっさんの所なら安心だと言った。
けど、それは間違いで、あの人は殺されてしまった。
あたしは少なからず、罪悪感というものを感じていた。
そして今回も何もせずにこのまま彼女を宿に向かわせたら、また今朝のような事が
起きてしまう気がして、そんなのがすごい嫌で、自分の罪悪感を消す為かもしれないけれど、
それでも彼女を引き止めようと思った。
思ってる事を口から出ないもどかしさに下唇を噛み締め、自分の罪悪感を消す為に彼女を
利用しようとしてる自分の嫌らしさで、余計に唇を噛み締める。
「…じゃぁ、明日になっても私が生きていたら宿を変えるわ」
彼女はそう言って去って行った。
- 23 名前:Rain 投稿日:2005/11/13(日) 21:04
- 浅い眠りから覚め、朝を迎えた。
いつもよりも強い雷雨に打たれながら、あたしは走った。いつもの酒場の向井側の宿へ。
誰もいない入り口で台帳を漁り、たった一件だけ入っていた予約のある部屋を見つけ、
広間にあるピアノに手を滑らせてその部屋へと走る。
泥で滑る靴を踏み止まらせ、扉を激しくノックした。
名前は知らない。だから叩くだけだ。
その扉が軽くなるまで。
「…なに」
そして、力の抜けた体が部屋に転がり込むまで。
- 24 名前:Rain 投稿日:2005/11/13(日) 21:05
- 「これじゃまるであたしが悪い人みたいだね」
「非常識にも程があるわ」
カチャカチャと音のするテーブルで、彼女はあたしを冷めた声で突き放した。
何となく気まずくて、あたしは少しおちゃらけた風に指でテーブルに何度かリズムを刻む。
「あー…ねぇ、音は好き?」
あたしの問に、彼女は片眉を上げる。
答えにならない答えを受け取り、あたしは最後に一度、拳でテーブルを叩いた。
その時衝撃で飛び散ったコップの水が彼女にかかり、少し睨まれたのは…気のせいってことにしておこう。
灰皿と火のつけた煙草だけを持って、さっきつけた指の跡の残るピアノに近付き
簡単にホコリを払ってからピアノの上に灰皿と煙草を乗せる。
濡れた袖を上に少しあげ、ペダルに足を起き、椅子の場所を少しずらして
座り直してからもう一度袖を少し上げた。
「リクエストは?」
訊ねても彼女は答えてくれないから、鍵盤に指を置いた状態でぐるりと頭を巡らせて、
朝に聴きたくなるような曲を選びだした。
「あ、先に言っておくけど、あたし音痴だからね」
彼女はこちらに顔を向けることなく、持っていたフォークを一度縦に振った。
- 25 名前:Rain 投稿日:2005/11/13(日) 21:05
- 歌はそんな得意だとは言えない。
もちろん、ピアノの腕だってそこまで良いワケじゃない。
うまくない同士を同時にやって、それでちょっとはマシになるなら
良いのだけれど、そんなワケでもない。
でも、ただ何も言わずに黙ってピアノを弾く方が、きっと今よりも気まずい気がした。
- 26 名前:Rain 投稿日:2005/11/13(日) 21:05
- 煙草の煙りは、きっと朝食には迷惑な話しだったかもしれない。
だけども彼女が嫌がっている風には見えなかったから、あたしは煙草が短くなるまで
ピアノを弾き、そして小さく唄い続けた。
- 27 名前:Rain 投稿日:2005/11/13(日) 21:06
- 「ねぇ、今日の予定は?」
「ナンパ?」
「違うよ。あたしそんなタラシじゃない。でもさ、
一緒に朝食まで取ってるんだよ?そりゃ今日の予定だって訊きたくなるさ」
ピアノの蓋の上に肘を置き、食後のコーヒーを飲む彼女を見つめる。
彼女の方は無表情。
あたしの視線が向けられているのもお構いなしに黙々とコーヒーを口に運んでいる。
「良い返事聞くまであたし動かないよ?」
そう言ったら彼女が立ち上がったので、慌ててその後を追い掛けた。
閉まりそうになる扉に手を入れて、その隙間から足を突っ込むと、
ため息が聞こえ、扉からスッと力が抜けた。
「どう答えて欲しいの?」
彼女はウザったそうに前髪をかき分けた。
そんな長くあたしの話しを聞いてくれそうもない雰囲気だったので、素早く頭の中で言葉をまとめる。
「まずはこの宿を変えると言って欲しい」
「で、何処に行けと?」
「んー、あたしの…」
「却下」
- 28 名前:Rain 投稿日:2005/11/13(日) 21:06
- …そりゃ、そうか。
いや、ダメだ、こんな所で凹んでたらダメだ。早く次に行かないと。
「ともかく宿は変えて」
「気が向いたらね」
「それから、できればまた会いたい」
「何で?」
「あんたみたいな雰囲気の人に、会ったことないから」
沈黙もそこまで気まずくない。
冷めた仕種や表情をしているのに、どうしてだか全然ムカつかない。
どうせまたいつか旅に出るなら、せめている間だけでも話しがしたい。
「…考えておく」
「じゃぁ、今日の夜、向かいの酒場で待ってるから」
一応念のためにと、自分の家の地図を書こうと足と手を抜くと、すぐに扉は閉められた。
「…嫌われては……ないのかな」
あたしの問に答えてくれる人は、誰もいなかった。
- 29 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/11/13(日) 21:07
- 更新終了。
次回更新は今週中の予定です。
- 30 名前:Rain 投稿日:2005/11/20(日) 14:33
- その夜、いくら酒場で待っていても、彼女は現れなかった。
閉店時間になり、自分が最後の客になっても現れなかった。
「やっぱ、嫌われてたのかな」
ため息と一緒に立ち上がり、両手をポッケにつっこむと、マスターにお礼を言って扉を開けた。
雨は朝からだんだんと強くなり、視界が悪くなる程の大雨に変わっている。
傘を持ってこなかった自分を恨みながら一歩屋根の下へと進むと、
視界の悪いその先に同じように雨に打たれてこちらへ向かってくる人がいた。
「もう閉店?」
全身ずぶ濡れの状態で、彼女は相変わらず冷めた表情でそう言った。
- 31 名前:Rain 投稿日:2005/11/20(日) 14:34
- 「足下、気をつけてね」
軋む階段を上がり、粗末な部屋の扉を開けてランプに火をつける。
引き出しからタオルを引っぱりだし、雨雫を垂らす彼女に投げた。
今晩の雨は、ここ数カ月で一番強いかもしれない。
何より、雷がハンパない。
「ここ、こんなデカイけど今はあたししか住んでないから。
好きに使っていいよ。トイレとか風呂は下ね」
あたしの家族は数年前に交通事故で他界している。
弟が高熱を出したその日、あたしは学校へ行っていて、母さんは熱を出していた弟と
会社に向かう父さんを連れて車を運転していた。
今日みたく雷雨の酷い視界の悪い日だった。
視界が悪い中を、凄い勢いで対向斜線のトラックが突っ込んできて、
何ともあっけなく、家族はいなくなってしまった。
あたし一人残して。
それ以来、隣近所のお世話になりながら、あたしはここで生活をしている。
家族の思い出が残るこの家を去ることが出来なくて、一人でここに住んでいるのだ。
- 32 名前:Rain 投稿日:2005/11/20(日) 14:34
- あたしがサラリとこの家に一人で住んでる理由を説明する間、
彼女は何も言わずに髪を拭きながら部屋を見渡していた。
- 33 名前:Rain 投稿日:2005/11/20(日) 14:35
- 彼女に合いそうな服などあたしが持ってるはずもなかったが、今のままでいるよりはマシだろうと
長袖のシャツをタンスから引っ張りだして彼女に差し出した。
少し間を空けて、机の上に視線を向けたまま彼女は服を掴んだ。
「あぁ、それ、あたしが小さい頃に見つけたんだ」
ランプの揺れる灯りに照らされた本を渡すと、細い指が本の表紙に静かに触れた。
そっと、壊れやすいモノに触れるように。
「いつか家族にも見せてあげたくてね。もう骨っていうか、粉になっちゃったけど」
- 34 名前:Rain 投稿日:2005/11/20(日) 14:35
- 机の角に腰を落とし、外に目を向けると、少ない街灯が雨を照らしているのが見える。
毎日毎日、何も変わることのないこの景色をあたしも家族も見続けてきた。
ひょっとしたら弟は、この世界以外の事を知らなかったかもしれない。
だからあたしは見せてあげたいと思った。
「姉ちゃんらいし事なんて、全然してやれなかったから、
もう遅いかもしんないけど、何かしてやりたくてね」
彼女から本を受け取り、ずっと使い続けている皮の袋に、本とビンに入った
家族の粉骨を入れ、大分痛んできた紐でぐるぐると縛る。
いつでも持ち出せるように、毎晩必ず一つにするのが数年前からのあたしの日課だ。
その袋の隣には、随分前に、一晩の付き合いとの交換で貰った地図があり、
その他諸々、自分で必要だと思う物、旅人から聞いた必要な物を入れた鞄がその下にある。
- 35 名前:Rain 投稿日:2005/11/20(日) 14:36
- 心はもう、随分と前からここにいなくなっている。
何かのキッカケがあれば、あたしはきっとすぐにでもここを飛び出す。
あたしがここに縛り付けられる理由なんてないから。
むしろ繋ぎ止める何かなんてモノ、もう、ないから。
呟くように言葉を出すあたしの少し前で、彼女は黙ったままあたしを見ていた。
感情の読み取れない表情で、ただ、あたしを見ていた。
「って、何かしんみりさせちゃったかな?
ごめんごめん。とりあえずあたし風呂湧かしてくるわ」
その視線から逃げるようにというのが正しいかと言われればそれは分からない。
だが、ただジッと彼女に見られていることが少し気まずくて、照れくさくて、
色々な事をごまかすように、あたしは階段を駆け降りた。
- 36 名前:Rain 投稿日:2005/11/20(日) 14:36
-
部屋は、もう雨の音しか聞こえなくなっていた。
暗い部屋の中では彼女が寝たのかどうかなんて、確かめることは出来ない。
それにこの雨だ。小さな寝言や寝息なんかは雨音にかき消されて聞こえやしない。
いつもと同じような夜のはずなのに、確かに近くに誰かがいる気配がする。
近すぎない距離に、その存在が感じられる。
久しく感じることのなかった感覚のせいか、睡魔を上手く捕まえる事が出来なかった。
だが、それも嫌だとは感じていなかった。
いつしか落ちた眠りの中で、すぐ来る明日の事を夢に見た。
そんな夢は、もう随分と見ていなかった。
- 37 名前:Rain 投稿日:2005/11/20(日) 14:37
- 「この街、出るから」
早朝、トーストとコーヒーで簡単な朝食をとっていた時に彼女は何気なく言った。
彼女からそういう言葉が出るのは昨日の時点で想像していたが、
それでも言葉に出されれば少なからず動揺する。
向かい合って朝食をとっていたあたしは、彼女の言葉につい手を止めてしまった。
- 38 名前:Rain 投稿日:2005/11/20(日) 14:37
- 思い返してみれば、数えきれないくらい、ここから出て行く人を見送ってきた。
その度について行きたい衝動に駆られ、けれども最後の一歩が踏み出せずにここに留まってきた。
この住み慣れた街の居心地の良さや、まだ見ぬ地への不安に負けて。
旅立つ前の夜に、同じベッドの中で差し伸べられた手を掴むことが出来ず、
柱に寄り掛かって、短い間一緒に過ごした人の後ろ姿を見送った。
友達がここを去る前に差し出した手も掴むことが出来なかった。
何度も何度も自らキッカケを潰し、その度に激しい後悔があたしを襲ってきた。
どうして一緒に行かなかったのかと。どうしてその先の土地での夢を見なかったのかと。
だから一人で旅立つ程に勇気もないくせに、目指す場所があった弱いあたしは
この前、と言っても随分前になるが決めたはずだ。
「出発は?」
場所が違えど、誰かが旅立つ時には、あたしも一緒にここを出ようと。
村から出た後が一人でもいいから、村を出ようと。
「この雨が弱くなったら」
顔を上げずに言う彼女の言葉に、ドクンと心臓が大きく鳴った。
- 39 名前:Rain 投稿日:2005/11/20(日) 14:38
- きっとこの雨は夜には弱くなるだろう。
だから今晩には彼女はこの村を出ていく。
あまりにも短い滞在時間。いくら心を固めてたとはいえ、残された時間の少なさに
思わずその固めていた心を砕かれそうになる。
でも、こうやって流されたら何も変わらない。
そしたらあたしは一生ここにいる事になる。
弟に違う世界も見せないまま、ずっと、今日の事を後悔しながら。
彼女はそれ以上何も言わずにただ黙々と食事を続けた。
表情も変えず、決まった動きで、ただ、機械のように。
あたしは向い側で再び手を動かしはじめた。
心の中の動きをこれ以上読まれないように。
悩み続ける自分自身を、これ以上外に出さないように。
- 40 名前:Rain 投稿日:2005/11/20(日) 14:39
- その日の夜、雨はその強さを次第に弱めてゆき
空はいつもと同じような雨へと変わっていった。
あたしは、隣の幼馴染みに家の鍵だけを渡した。
- 41 名前:Rain 投稿日:2005/11/20(日) 14:39
- 「よっス」
「…まだ私に用があるの?」
「んや、まぁ…ハイっちゃハイかな」
降り続ける雨で濡れたメットからは絶えず雫が落ちてくる。
街の出入口にいれば必ず彼女に出会えるであろうと
思ったあたしは数時間程この場所にいた。
- 42 名前:Rain 投稿日:2005/11/20(日) 14:39
- 仕事に行ってる間に家から消えていた彼女。
あたしが家に帰ってきたのが19時くらい。
その頃はまだ雨はそこまで弱くはなっていなかったから、
消えた彼女はきっとまだこの街にいると思い、
家に帰って手早く色々な事を済ませてここに来たのだ。
「…で?」
「ん…あのさ、行き先とかって決まってんの?」
あたしがこう言うと、彼女は片眉だけを上に上げた。
そしてしばらくあたしの目をジッと見た後、静かに傘を畳んだ。
- 43 名前:Rain 投稿日:2005/11/20(日) 14:40
- 雨は降り続く。あたしがこの街を去った後も、変わる事なく降り続ける。
屋根を叩く音、傘を叩く音。
色々な音が響くこの街。
さよならも告げずに出て行くあたしの背中を、無数の傘の音がおくってくれた。
- 44 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/11/20(日) 14:41
- 更新終了。
3話後ぐらいからちらほらと人陰が見える予定です。
- 45 名前:Rain 投稿日:2005/11/27(日) 21:36
- 弱まった雨は、しばらくするとまた強くなってきた。
あの事故以来、車に乗れないあたしが運転するのは古ぼけたバイク。
後ろに乗っている彼女は何も言わないが、こんな雨に打たれていて平気なはずがない。
何処か雨のしのげる場所があったら入ろうと思いながら
しばらく走ると、遠くに微かな灯りが見えてきた。
それは、いつか映画で観たような、ネオンが所々消えたモーテルだった。
- 46 名前:Rain 投稿日:2005/11/27(日) 21:37
- 「今晩はここに泊まろう」
すっかり冷えてしまったのだろうか。
彼女の顔色は街を出た時よりも青白くなっていた。
相変わらず無表情だが、それでも体調が優れないことぐらい分かる。
無言のまま歩く彼女の背中を軽く押し、新聞から目も上げずに差し出された鍵を
奪い取るように掴んで部屋の扉を開けた。
彼女の手もだが、あたしの手も凍えている。
さっき記帳をした時も、代金を支払う時も、手の震えは止まらず
酷い字を書いてしまった程だ。
止むことのなかった雨の空の下を随分走った。
住んでいた街とこの辺りを比べると、気温は10度近く違うみたいだ。
- 47 名前:Rain 投稿日:2005/11/27(日) 21:38
- あたしが想像していた以上に雨は強く降り続いている。
ついこの間街に来た彼女が、またすぐに旅に出て、体調を崩さないはずはない。
完璧にあたしの判断ミスだった。
浴槽に彼女を連れて行き、蛇口を捻る。
カッパを脱がせてから体を拭くタオルを渡すと、彼女はあたしの手から
ゆっくりと離れて服の上から湯を被った。
「…大丈夫だから」
それは、もう平気だから放っておいて。
そんな意味を含んだ言葉だった。
自分の体からもカッパを引き剥がし、彼女のと一緒に窓枠にぶら下げる。
薄汚れたカッパの下に着ていたシャツは随分と濡れていた。
買い替え時だと思っていながら、ずっとそのままにしていたせいだ。
あたしはシャツとズボンを体から引き剥がすと、カッパと並べるように窓枠にぶら下げた。
- 48 名前:Rain 投稿日:2005/11/27(日) 21:38
- 乾いたシャツに袖を通すだけで、体が少し暖まる。
部屋も大分暖まってきたし、これなら彼女が出てきても寒い事はないだろう。
そんな事を考えて気付いた。
シャワーを浴びている彼女の服を出さなければと。
だけど勝手に漁って良いものか。
今までの様子だと、彼女はそういう事を嫌いそうだ。
彼女の持っていた鞄に視線をずらす。
あたしのに比べると小さい鞄は、随分とくたびれているようだ。
そんな事に今さら気付き、実は自分に余裕なんてなかった事に気がついた。
- 49 名前:Rain 投稿日:2005/11/27(日) 21:39
- 着替えは、結局あたしのを渡した。
やはり勝手に鞄を漁るのは気が引けたし、余分にあるんだから
あたしのを貸せばいいだけの話だ。
カーテンの後ろに服を起き、彼女が出てくるまでの間に
持ってきておいたパンと缶詰で簡単な食事の用意を済ませる。
これであたしがシャワーを浴びてる間に、彼女も落ち着く事が出来るだろう。
窓の隙間から外を見ると、雨は段々と弱くなってきているみたいだった。
このくらいの雨だったら、明日また出かける事が出来るだろう。
- 50 名前:Rain 投稿日:2005/11/27(日) 21:39
- 「…服、どうも」
しばらくして、彼女が出てきた。
顔色はまだ悪いけれど、さっきに比べたら良くなっている気がする。
「食事用意しといたから、先食べて」
食べれるなら少しでも胃に何か入れておいた方がいい。
昨日も思ったけど、彼女はただでさえ食が細いみたいだし。
「寒かったらあたしの鞄漁って服出していいからね」
それだけ言って、あたしもシャワーに向かった。
- 51 名前:Rain 投稿日:2005/11/27(日) 21:40
- いつもと同じような雨音に耳を澄ませながら、これからの事を自然と考えた。
どちらに進めば良いのかは分かっているから、明日もまた走り続ける。
そしていつか目的地には辿り着けるだろう。
じゃぁ目的地に辿り着けた後はどうなるんだろう。
ずっと、考えていた事だ。
だけどもずっと分からなかったことだ。
そして最後にはいつも『行けば何かが分かるかもしれない』という考えでまとめていた。
今回もやはり、そんな考えで落ち着いてしまった。
- 52 名前:Rain 投稿日:2005/11/27(日) 21:41
- あたしはそれでいい。
じゃぁ彼女は?
眠る前、彼女に行き先をもう一度訊ねた時、彼女は『何処までも』とだけ言った。
その何処までもの過程の一つに偶然あたしが飛び込んだ。
だから今彼女はあたしの隣のベッドで寝ている。
それだけだ。
彼女の日常の一部にあたしが入り込んだところで、
きっと彼女の中では何も変わりはしなかったのだろう。
だから彼女はあたしが隣にいる事を許し、こうしているのだろう。
…そうか。
彼女の事は彼女にしか分からない。
ただ彼女の歩む過程の中に今あたしがいるだけで、
いつかその過程からあたしが抜けたら、彼女はきっと何処までも行くのだろう。
あたしが何か考える事じゃないんだ。
彼女には彼女の道がある。
今は偶然、その道が重なってるだけなんだ。
- 53 名前:Rain 投稿日:2005/11/27(日) 21:41
- 見つめてた天井から視線を横にずらしただけでは足りなくて
肘をついて頭を支え、彼女の背中を見つめた。
ただ、今重なっている道。
それだけという事実が、少し寂しかった。
理由は分からないが、少しだけ、寂しかった。
- 54 名前:Rain 投稿日:2005/11/27(日) 21:41
- 穏やかな寝息が聞こえてきた。
他に聞こえるのは、時たま通り過ぎる車の音や、弱い雨の音だけ。
静かだなと思いながら、やはり居心地の良さを感じている。
目を閉じることに苦痛を感じていたのが嘘のような時間。
それがここには流れている。
彼女は不思議な人だ。否、不可解な人だ。
だが、それも居心地の良さの一つなのかもしれない。
…色々な事を考え過ぎた。
眠ろう。この時を逃がすように、ともかく眠ろう。
いつかはまた消えるのだから。
この時間に、慣れてはいけないのだから。
- 55 名前:Rain 投稿日:2005/11/27(日) 21:42
- 翌朝、弱まった雨の中をあたし達は走り出した。
目的地までは随分距離がある。
背中の温もりはいつまであり続けるか分からないが
あり続ける限り、一緒に走り続けよう。
朝一でこんな事を言ったら、彼女はなんとも微妙は顔をした。
だけどその顔は、都合の良い捕らえ方かもしれないけど、
何だか笑っている風に見えて、あたしは嬉しくなった。
真直ぐ伸びている道をひた走る。
次の街までは随分距離があるみたいだから、またモーテルを見つけたら入るとしよう。
変わらない景色に変わらない空。
夜中にモーテルで泊まり、朝また走る。
途中で給油をしながら進む道。
単調な毎日のはずなのに、背中に感じる温もりと、ときたま聞こえる
彼女の声は、それだけであたしに力をくれる。
- 56 名前:Rain 投稿日:2005/11/27(日) 21:42
- 地図によると、もうすぐ雨は消えるらしい。
それがどんな世界なのか分からないが、あたしはそれが楽しみで仕方ない。
出発当初からあたしの中にあり続けた不安は、いつの間にか消えていた。
きっと独りだったら途中で立ち止まってたかもしれない。
ただ独りで走り続けるだけというのは結構苦痛だ。
誰かがいる。
それだけで、十分だった。
彼女もそんな風に感じてくれていれば良いなと、そんな風に思う。
- 57 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/11/27(日) 21:43
- 更新終了。
- 58 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/11/28(月) 16:57
- 面白そうな作品ですね。
次回も楽しみにしています。
- 59 名前:Rain 投稿日:2005/12/04(日) 19:56
- 何個目かのモーテルで目が覚めた時のことだ。
その朝は何だか不思議な感じがした。
違和感がある。
目を開け、天井を睨み、その違和感の正体を突き止めようと
耳をすましてやっと違和感の正体に気付いた。
やけに外が静かなのだ。
聞き慣れた音がないのだ。
「雨、上がったみたいだね」
- 60 名前:Rain 投稿日:2005/12/04(日) 19:57
- 彼女が呟き、あたしはつまずきながら彼女のベッドのよじ登り、窓にかけよった。
が、外は薄暗い。
弱い雨が降っている時の街と同じような感じだ。
確かに雨はない。おかしな感じだ。
空から雨が降ってこなくて、雨音が聞こえない。
それが気持ち悪いくらいに静かだった。
「…こんな静かなものなの?」
「場所による。ここは、何もないから」
静かすぎて、普段は聞こえない音が耳に届く。
時計の針の音、隣の部屋の喋り声、食器の音、シーツに触れる音。
ついでに耳鳴りまでしてる感じだ。
薄暗い外に、様々な音。
いつも行っていたあの店の、雨の音すら消すような音楽が欲しかった。
「気になるのなんて、今だけだよ」
- 61 名前:Rain 投稿日:2005/12/04(日) 19:57
- その言葉が最初は信じられなかったが、その日の夕方頃になると
彼女の言葉通り、あたしはすっかりその世界に馴染んでいった。
もっと違った感動みたいなモノがあると思っていた雨上がり。
歩いていても、運転をしていても、変な感じはする。
靴が濡れることもないし、服が濡れることもない。
なのに空を見上げればいつもと同じような空が広がっている。
彼女は雲が厚いから光りが届かないんだと教えてくれた。
あたしが住んでいた街に、光りが届かなかったのと同じように。
あたしの街では雨しか降らない。ここでは厚い雲が消える事はない。
それだけって事みたいだ。
雨が止む=太陽っていう方程式を勝手にたてていたあたしは、
勝手に思い込んで、勝手に軽く凹んだ。
だけど、心の何処かで少し安心もしていた。
- 62 名前:Rain 投稿日:2005/12/04(日) 19:58
- 進めど進めど、薄暗い道から中々抜ける事のない日々。
それは彼女と一緒にいれる日々でもある。
別にあたしが目的地に着いたら彼女と離ればなれになるなんて
決まっているワケじゃないけれど、そういう不安は拭えないワケじゃない。
道中交わした言葉は少ないけれど、あたしは彼女といる事が楽しかったし
彼女も前よりはあたしの事を受け入れてくれてるみたいだ。
だからこそ余計に離ればなれになるっていう事は考えたくなかった。
- 63 名前:Rain 投稿日:2005/12/04(日) 19:58
- もう一ヶ月以上彼女と一緒にいるが、その間彼女が
怒ったり笑ったり泣いたりという大きな感情を表情に出す事はなかった。
最初は気になっていた事だが、いつしかそれを自然と受け入れていた自分がいた。
だけども思う。
彼女が笑ったら、きっと、すごい綺麗なんだろうと。
「…なに」
「いや、綺麗な顔してんなーって」
「…。」
「別に深い意味ないよ?」
彼女がジッとこっちを見てくるもんだから、
あたしは何となく両手を上にあげた。
降参っていうか、手ぶらっていうか…まぁ、なんとなくだ。
そのままの状態で時計が進む。
そして何も言わずに彼女は立ち上がってさっさと歩いて行ってしまった。
「…消化不良って感じ」
けれどもそんな彼女の後ろ姿でさえ、あたしは可愛いなぁなんて思って眺めていた。
- 64 名前:Rain 投稿日:2005/12/04(日) 19:59
- そして順調にいっていた旅は、出発して二ヶ月弱で足留めを食う事となる。
雨が上がった街から随分と進み、徐々に薄くなりはじめている雲の下で
いつものように出発しようとした朝の事だ。
「あ、あれ?」
メットを被りかけていた彼女が動作を止めてメットを脇に抱える。
あたしはバイクから降りて、イヤな予感に頭に抱える。
色々な箇所を見て、あの手この手を駆使してエンジンをかけようと頑張ってみる。
結果、完全にお手上げ状態だった。
- 65 名前:Rain 投稿日:2005/12/04(日) 19:59
- 途端、今までの疲労やら突然気が抜けたせいかで体の力が抜けた。
そのまま地面に寝転がって、冷えた土の上で彼女の足とかを視界に入れながら天を仰ぐ。
「踏み付けろってこと?」
「違う。だから動かないで」
力が全て抜けた状態で見るこの景色は、どんな絵画にも負けないくらい絶景。
初めて見上げた彼女。空とセットにした彼女は、こんな角度でも綺麗だと思う。
「綺麗だねぇ」
言葉に出してみても、彼女は何も言わない。
そして彼女は動かない。
ただ黙ったまま同じように空を見上げ、白い息を風にのせている。
「風邪ひくよ」
自分で動かないでと頼んだ癖に、何言ってんだろと一人でツッコミを入れる。
彼女の息と同じように、自分の息だって白いのに、体だって冷えてきているのに
その言葉は決して自分に向く事はない。
何となく、あたしは大丈夫だって気になっている。
彼女はもうしばらく空を見つめた後、あたしを見下ろしてきた。
うん、これもまた絶景だ。
- 66 名前:Rain 投稿日:2005/12/04(日) 20:00
- 「風邪、ひくよ」
もう一度言うと、彼女はその場から去った。
絶景だと思っていた画は一瞬で消え、何もない空と、冷たい風だけがあたしの周りに残る。
それを綺麗だとは思えないし、ジッと見ていようとも思えない。
けれども体は動く事を拒否していて、このままでいろよと言っている。
どうやら想像していた以上にあたしは疲れているらしい。
地面と接している体から、残るエネルギーが流れ出ていっている感覚だ。
それが何だか気持ち良くて、目と閉じて感覚を感じていると、
さっきあたしが言った言葉がそのまま降ってきた。
目を開けると、再び彼女がこっちを見つめていた。
手を差し伸べる変わりに、無言で湯気だつ紙コップをあたしに差し出してくれている。
「力入んないの」
「そう」
「片手貸してくんない?」
手伝ってくれたら、起きあがれる気がする。
自分の腕を地面から上げるのもしんどいから、出来ればその手を伸ばして欲しい。
そして、掴んで欲しい。あたしの手を。
彼女は何か思うように少し間を空け、あたしの手を取り、力を貸してくれた。
- 67 名前:Rain 投稿日:2005/12/04(日) 20:00
- コーヒーは温かかった。
彼女の手は冷たかった。
けれども、コーヒーを持った手より、あたしの左手は温かかった。
その温かさは広がってゆき、抜けたはずの力が戻ってくるようだった。
- 68 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/04(日) 20:01
- 短いですが本日の更新終了。
>>58 名無飼育さん 様
ありがとうございます。
ロードムービーのような感じで進んで行く予定です。
まったりですが、よろしくお願い致します。
- 69 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/12(月) 04:56
- 突然失礼します。
いま、2005年の飼育を振り返っての投票イベント
「2005飼育小説大賞」が企画されています。よろしければ一度、
案内板の飼育大賞準備スレをご覧になっていただければと思います。
お邪魔してすみませんでした。ありがとうございます。
- 70 名前:Rain 投稿日:2005/12/18(日) 19:43
- 「あんた、いつも何しに来んだい」
「売り上げ貢献」
バイクはパーツを取り寄せるとか何とかで、修理には時間がかかると言うことだった。
しばらくは冷たい風が吹くこの街が生活の拠点となる。
あたしが良く顔を出すこの店は、三人の子達が経営してる店らしい。
最初に来た時に会っただけだけど、えらい若かったのを覚えている。
そしてこのデカイ人はよく分かんないけど、あたしが来る時間に
いつもカウンターで雑誌を捲っている。
最近見ないあの三人は、何処で何をしてるんだろう。
「ねぇ」
「あぁ?」
「いつも何読んでんの?」
「俺も売り上げ貢献だよ」
ブっとい腕を少し上げ、指差す方向には、小奇麗な姉さんが
売り子をしている移動式の売店があった。
「…あたし、別に誰か狙ってるわけじゃないよ?」
素で返したら、バカがっていう言葉と共に、薄汚れた雑誌が投げられた。
「半額だせよ」
- 71 名前:Rain 投稿日:2005/12/18(日) 19:44
- いや、これあんたが読んだやつじゃん。
何でそれをあたしが買い取って、あんたにお金払わなきゃいけないのさ。
ワケ分かんないんですけど。
ってか、あたしはここに食事しに来てるだけなんですけど。
「冗談」
聞こえるように呟くと、デカイ兄ちゃんは雑誌から顔を上げてこっちを睨んできた。
正直、恐くないって言ったら嘘になるけれど、ここで引き下がったら
完璧に負ける気がして、明日からここにこれなくなる気がして、
それはイヤで、悔しくて、あたしも思いきり睨んでやった。
そしてお互いに軽く睨みあった後に、デカイ兄ちゃんは片眉を上げてニカッと笑った。
「お前も明日は売り上げに貢献しろよ」
- 72 名前:Rain 投稿日:2005/12/18(日) 19:44
- ここの店の人は、どうもおかしな人ばかりだ。
何を考えてるのか分からない感じで鏡ばかり見ている子に、頼りなさそうに
右往左往しながらも、突然変な動きをしてケタケタ笑う子に、そんな二人の後で真剣に
伝票と睨めっこしながら聞き慣れない言葉で髪をガシガシしている子。
そして、この自分勝手な無駄にデカイ兄ちゃん。
いや、あの三人に比べたらこの人は普通な感じか。
まぁ人は色々だが、ここの店の雰囲気はとても良い。
今まで通ってきた街の中でも一番居心地が良い。
多分それは、ここの店員も良いということだろう。
だからあたしもニカッと笑った。
「人の恋路に首突っ込む程バカじゃないの」
軽くぶつけあった拳のグ−を開いてパーにし、一瞬だけの握手を交わして
カウンターに肘をついて窓の外を眺めた。
- 73 名前:Rain 投稿日:2005/12/18(日) 19:45
- しばらくはこの街が生活の拠点となる。
そしてこの店も、しばらく生活の拠点となるだろう。
好意か何かで差し出されたパンにかじりつきながら、ぼんやりとそんな事を思った。
「…不味いなぁ」
乾燥しきったパンと、しなびたきゅうりで作られたサンドイッチは、何とも言いがたい味だった。
だけど、明日からは彼女も一緒に連れてこようと思った。
- 74 名前:Rain 投稿日:2005/12/18(日) 19:46
- この日の夜から、少しだけ夜の生活スタイルが変わった。
今まではさくさくと宿に戻って寝るだけの生活だったのに、煙草の煙りが立ち篭め、
爆音で音楽が流れる店の中で、煙草を片手にする彼女と、ビールを片手に簡単な
カードゲームを嗜むようになった。
酔いがまわった状態の時は、彼女の腰に手を回し、
相変わらず無表情な彼女が指差すカードをきっていく。
あたしがカードをきると負けるくせに、一日にワンゲームだけ
彼女が参加をする時、その時だけはあたしが必ず勝てるのだ。
ここ数日で、彼女についた徒名は女神様。
あたしについた徒名は負け犬様だった。
- 75 名前:Rain 投稿日:2005/12/18(日) 19:47
-
- 76 名前:Rain 投稿日:2005/12/18(日) 19:47
- 「じゃぁな」
「送り狼になるんじゃねーぞー」
彼女に体を半分支えてもらいながら、デカイ兄ちゃんと
小奇麗な姉さんに軽く手を振る。
久々に飲み過ぎたあたしを、彼女は黙って支えてくれた。
「ねぇ」
「なに?」
「煙草切れちゃった」
空気の澄んだ夜だった。
彼女の手によって口につっこまれた煙草を上下に振りながら、
そのまま横の彼女の鼻に数回当てる。
火がついていない事を伝えるジェスチャー。
彼女に気付いて欲しくて、何だか絡みたくて、そのまま煙草を頬や耳の方に移動させていく。
自然と体は正面を向き、自然と頬は近くなる。
そのまま背中に腕を回し、自分の頬を彼女の頬に寄せた。
久しぶりに間近に感じる体温。
細身の彼女を抱き締めると、文字通り彼女の体はあたしの腕におさまった。
- 77 名前:Rain 投稿日:2005/12/18(日) 19:47
- 「…なに?」
「んー…少しだけ」
言葉を発した時に落ちた煙草が音もなく地面に吸い込まれた。
自分の言葉じゃないような言葉が自然と零れる。
背中にしか感じていなかった体温を違う方で感じたかったのだろうか。
それとも酔っぱらってるだけだろうか。
いや、どちらか一つではないだろう。
ひょっとしたら両方かもしれない。
すぐ近くに彼女がいる。
それだけの事があたしをこうさせたんだろう。
「何がしたいの」
「別に」
本能が彼女を抱きしめたいと言っていたから、そうしただけだ。
酔っている時のあたしは、本能にとても忠実なのだから。
自分で思わず笑みが零れたのが分かった。
いつの間にか彼女がすぐ近くにいる事が当たり前になっていて
その事にあたしはとっても安らぎを覚えている。
- 78 名前:Rain 投稿日:2005/12/18(日) 19:48
- 「酒くさい」
「知ってる」
「煙草くさい」
「同じじゃん」
珍しく沢山聞こえる彼女の声。
言葉は単語で、何だかあまり良い事は言われてないみたいだけど
それでも彼女は逃げたりしなかった。
だからまだ降ってくる単語を塞ぐように先に言葉を発した。
「キライ?」
大きな声で言わなくたって、強い口調で言わなくなって
彼女の言葉が止まる事は、何となく分かっていた。
「あたしは結構好き」
だって、あたしの事嫌いじゃないって、そんな風に感じてるもん。
「ってか、かなり好き」
彼女は何も言わない。逃げもしない。
ほら、だから何となく分かってたって言ったでしょ?
あまり喋らないけれど、あたしの事キライじゃないって。
恋とはそんなの抜きにして好きな人。
友達という感じでもないし、他人で知り合いって感じでもない。
今までにない関係だから表し難いけど、あたし、かなり好きだよ。
- 79 名前:Rain 投稿日:2005/12/18(日) 19:48
- 相変わらず風の音しか聞こえてこないけれど、
あたしは自分が相当お気楽な笑顔を浮かべている事に気付いていた。
わざわざ言葉にする必要なんてなかったけれど、
言ってみたら嬉し楽しくなったんだ。
言葉に出さなくても彼女はあたしと同じように気付いてたと思う。
感じてたと思う。そしてそれは間違いじゃないと思う。
憶測だらけなのに自信満々なあたしに、またあたしはおかしくなって笑った。
声に出さずに、笑った。
- 80 名前:Rain 投稿日:2005/12/18(日) 19:49
- 翌朝のあたしの友達は、激しい二日酔いからくる頭痛と吐き気だった。
目線のすぐ横に靴が見える。
見上げると、彼女が相変わらずの無表情で水と錠剤をあたしの額の上に乗せてくれた。
あの時から今までの記憶がすっぽり抜け落ちている。
錠剤を水で喉の奥に流し込みながら、あの後の事を彼女に聞き、
あたしは思わず手に持っていた水を落としてしまった。
「…ご、ごめん」
「いいよ、別に」
あの後、あたしは彼女を抱きしめたまま寝オチしてしまったそうだ。
そのまま路上に捨てておいてもらってもおかしくなかった状態なのに
彼女は御丁寧にあたしをここまで引きずってきてくれたらしい。
言われて気付いたが、おケツがかなりヒリヒリしている。
「重かったでしょ」
「うん」
- 81 名前:Rain 投稿日:2005/12/18(日) 19:49
- …そんな事ないよっていう返事を期待してたのに。即答かよ。
いや、まぁいいけどさ。
「朝御飯は食べた?」
「まだ」
「そっか。じゃぁちょっと付き合わない?」
朝食ついでに、ちょっと話を聞いてもらいたい人がいるんだ。
っていうか、頼みごとっていうのかな。
上着を投げて渡し、自分の上着に袖を通しながらカッコ良くウィンクなんてしてみたら、
何のリアクションもせずに、彼女がスタスタとあたしの横を通り過ぎて行った。
すれ違いざまに一言『バカじゃない』と言って。
そんな一言だったのに、初めて彼女があたしにちょっとだけ心を開いてくれた気がして、
ちょっと驚いたけど凄い嬉しくて、思わず走って抱き着こうと腕を伸ばしたら
背中を見せたままくり出された見事な裏拳に顔を叩かれた。
「まだ酔っぱらってるワケじゃないでしょ?」
なかなか爽快な朝だなと、心の中で一人で頷いた自分がちょっとだけ可愛かった。
- 82 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/18(日) 19:51
- 更新しました。
- 83 名前:Rain 投稿日:2006/01/07(土) 13:03
- 向かった先は、最近ずっとお世話になっている三人娘が経営しているあのお店。
美味しいからって言う理由もあるけれど、今日はプラスで頼みごと。
実は溜め込んでいた資金も、修理費という予想外の出費のおかでげ一気に底が見えてきていた。
彼女も修理費を半分負担してくれたけれど、この先の事を考えたらちょっと心細い。
だからこの街に留まっている間に何かバイトでもしようかと思い
朝から気持ち悪い程にニマニマしてるデカイ兄ちゃんに声をかけてみたのだ。
「なぁ、そこの送り狼」
「んだ?」
あ、否定しなかった。
こいつ本当にあの後食べちゃったんだ。
「あー、まずは…おめでとう」
「ありがとよ。で、お前どうしたんだ?鼻真っ赤じゃねぇか」
「ドアにぶっけたの。それよかさ、ちょっと頼みたい事あるんだけど」
カウンターに肘をのっけて顔色を伺ってみると、
超御機嫌なデカ兄ちゃんは、嫌がりもせずに話してみろよと片眉を上げてくれた。
- 84 名前:Rain 投稿日:2006/01/07(土) 13:03
-
珍しく店には三人娘の一人が出てきていた。
まぁ出てきたと言っても、接客をする時以外は鏡をジーッと見てるんだけどね。
そんな女の子は、あたしがデカ兄ちゃんに色々話している間中ずっと
鏡越しにあたしの隣を見ているようだった。
- 85 名前:Rain 投稿日:2006/01/07(土) 13:04
- 「おまえ、何か出来るのか?」
「あー…人様に聴かせる事の出来ないくらいのピアノとかなら」
一通りに説明を終え、冷めたコーヒーを口に運びながらこう言うと凄い顔をされた。
そんな似合わない事はないと自分では思ってるんだけど、違うんだろうか。
少しいじけてカウンターを鍵盤の代わりにして指を動かす。
その様子を見たデカ兄ちゃんは彼女の方に視線を向ける。
ついでにあたしも視線を向ける。
「聴けない事はないよ」
彼女のこの一言に反応したのは鏡を持った女の子の方だった。
鏡をカウンターの上に置くと、メモ帳とペンを持ってスタスタとこっちに歩いて
デカ兄ちゃんを体で押し出し、ちょうどあたし達の真ん中に来て立ち止まった。
「さゆみがいいとこ知ってるの。
紹介して上げるから、お願いをきいてほしいの」
女の子はそう言うと、あたしよりも彼女の方をジッと見つめた。
見つめられた彼女は視線を彼女と合わせると、少し間をおいて承諾をする。
「ありがとう。じゃぁ、これ、あげるの」
自分の事をさゆみと言った女の子は、メモ用紙に可愛らしい字を走らせて
あたしの方をチラッとみて渡してくれた。
- 86 名前:Rain 投稿日:2006/01/07(土) 13:04
- 教えてもらった電話番号に電話をかけ、電話越しに教えてもらった住所の所に向かうと
ポケットに手をつっこんで寒そうに立っていた小柄な女の人があたしを迎えてくれた。
冷えた手同士で握手を交わし、そのまま店内に流れ込む。
準備中の店内には、今さっきあたしを迎えてくれた美貴さんっていう人の他に
女の人が三人いた。どうやら皆があたしを待っていたみたいだ。
簡単に握手と挨拶を交わし、指を温めながらピアノの前に移動をすると、
全員が思い思いの体勢であたしの方に目を向けた。
得に何を弾けというのは言われなかったので、
あたしは自分が一番得意というか、弾き慣れている曲を弾く。
雰囲気の良い店だ。
冷たい風の吹くこの街には、このオレンジ色の柔らかい照明が良く似合う。
久々に触れる鍵盤の感覚に、最初はとまどいもしたけれど、
途中からは久々に鍵盤に触れる喜びの方が勝ってきていた。
弾く事を楽しいと感じ、嬉しいと思っている自分がそこにいた。
- 87 名前:Rain 投稿日:2006/01/07(土) 13:05
- そして曲も終わりに差し掛かったところで、
開いた扉から冷たい空気が流れ込んできた。
顔だけをそちらに向け、最後まで曲を弾ききると、
マフラーで顔半分を隠していた髪の長い女の人が、
なんども間延びした声で高々と何かを掲げてみせた。
「ただいま〜。皆みてみて、おじさんにじゃがいもおまけしてもらっちゃったぁ」
ニパッと笑った顔と、手に持ったじゃがいも。
持っている方の中指が包帯で巻かれている為にそのポーズは軽い挑発。
あたしはそのアンバランスさに思わず吹き出してしまった。
「たっく、買い物にどんだけ時間かかってんだよ」
「だってお店のおじちゃんがココアくれたんだもん」
この店のオーナーだという紗耶香さんがブ−たれる子の頭を小突きながら
紙袋を受け取ってカウンターの奥へと消えていく。
頭を小突かれた子の方は、ぐるぐると巻いていたマフラーを外しながら
店内をきょろきょろして、やっとこさあたしの存在に気付いてくれたみたいだった。
「んぁ?」
- 88 名前:Rain 投稿日:2006/01/07(土) 13:05
- ワケがわからんという顔をして、こっちを見て、頭をコテンと倒している。
ちょっと、っていうか、相当可愛い。
「ピアノマンのくせに怪我しちゃったこのバカは真希。
療養中の今は紗耶香さんのパシリ。
怪我もそんな酷いワケじゃないから短い間だと思うけどよろしくね」
説明をしながら改めて差し出された美貴さんの手を握り、
その後ろで手を振っている亜弥さんの笑顔に釣られるように
空いてる方の手を振る。
「あ、あのぉ…オーナーは何も言ってなかったんですけど
あたし、平気なんですかねぇ」
「いいのよ。紗耶香は気に入ったヤツには得に何も言わないだけだから」
圭さんは煙草に火をつけながら笑った。
真希さんは、あたしに向かってよろしくねーと言いながら手を振り、
トイレーと言いながらカウンターの奥へと消えてしまった。
「じゃぁ、早速練習しますか」
あっという間に、こんな感じになったけれど、
ともかく、あたしのバイトはこうして決まった。
- 89 名前:Rain 投稿日:2006/01/07(土) 13:06
-
- 90 名前:Rain 投稿日:2006/01/07(土) 13:06
- 「お願い事って何だったの?」
練習を終え、冷たい風に吹かれながら宿に戻ると、
彼女が温かいコーヒーを入れてくれた。
手を温めるようにカップを持ち、ベッドに腰掛けた彼女と
向かい合うように椅子を向ける。
「一緒にいてくれって」
「は?」
「貴方がバイトをしている間、一緒にいてくれって」
「それだけ?」
あたしの言葉に彼女はすぐには答えず、風で揺れる窓の
方を見つめて、それから小さく頷いた。
- 91 名前:Rain 投稿日:2006/01/07(土) 13:07
- 見なれているはずの横顔なのに、その横顔は何だか前よりも力なく見える。
天井の照明のせいかもしれないが、頬が少し痩けたようにあたしには映った。
最近夜中に時折聞こえてくる咳のせいかな。
疲れがとれていないように感じる。
「大丈夫?」
「へいき」
出会った頃から線の細い子だった。
最近はそれが余計に目立ってきている気がして、少し気になっていた。
けれども彼女は感情は疎か、辛い事を口に出すこともない。
いつも変わらぬ顔をして、言葉少なめに何かをする。
たった数カ月の付き合いだけれど、それでも段々と分かってくるものだ。
今の彼女の体調が、そこまで良いというワケではないくらい。
「そっ、か」
けれども無理に何かを強要する事も出来ないし、彼女もそれを望んでいない。
受け入れることしか出来ないあたしは、それがとてももどかしかった。
- 92 名前:Rain 投稿日:2006/01/07(土) 13:07
- 彼女は窓の外を見つめ続けている。
ただ黙って、閉じそうな瞳で見つめ続けている。
彼女の瞳は、いつも何を映しているのか分からない。
けれども、そこに意識がないワケではない。
他の誰にも当てはまらない、不思議は瞳をしている。
あたしにはない色。
綺麗な、黒水晶のような瞳。
どうかその瞳が、これ以上悲しみや苦しみで染まらないように。
彼女の過去を知らないあたしが、彼女を見て、切にそう願っている。
自分でも理由は分からないけれど、彼女を見ていると、そう思ってしまう。
- 93 名前:Rain 投稿日:2006/01/07(土) 13:08
- いつか何処かの街の小さなお店で、二人して黙々とコーヒーを啜っていた時に
蓄音機から流れていた名前も知らない人が唄っていた歌。
あたしはその時初めてその曲を聴いて、そして好きになって、
その時の記憶を辿って譜面に起こした。
ピアノがとても綺麗に響いてた曲だった。
彼女は覚えてないと言っていたけれど、あたしはその時から忘れられないでいる。
その理由なんて考えたことはなかった。
けれども、今ならその時から忘れられないのが少し分かった気がする。
歌が良かっただとか、ピアノが綺麗だったとか、そういうのもあるけれど
あの曲と、彼女はすごく似ていたのだということに。
何処か切ない曲だった。
あたしの知らない言葉だったから、歌詞の内容は分からなかったけれど、
聴いていると、もう一生手の届かない誰かを思っているような歌に聴こえた。
今の彼女の頼り無い横顔は、あの曲と酷く似ている。
あの時よりも、曲に近い感じがする。
それは喜ばしい事ではない。
だからあたしはどうにかしたいと思った。
- 94 名前:Rain 投稿日:2006/01/07(土) 13:08
- 「あのさ、今度、聴きにおいでよ」
何処か悲しさを含む歌声に飲み込まれてしまう前に
差し出したあたしの手を掴んで欲しい。
あたしが彼女にとってどんな存在かなんて分からないけれど
今、あたしは彼女の側にいるんだから頼って欲しい。
あたしは口下手だから、言葉で助けてあげることなんて出来ないからさ、
だから、あの、こんな事でどうにかなるとかそんなの分からないけど、おいでよ。
それにさ、知り合ってから、ずっと一緒にいたせいか、彼女が隣にいないと、
物足りないというか、何かが欠けて足りない気がするんだ。
彼女の為とか言いながら、理由の一つには自分の為っていうのも含まれている。
だから差し出したあたしの手を掴んで欲しいんだ。
彼女は小さく何度か咳をして、先に布団の中へと潜り込んだ。
聞けなかった返事だけれど、きっと来てくれるんだろうなって、そんな風に思った。
- 95 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/01/07(土) 13:08
- 更新しました。
- 96 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/01/11(水) 20:17
- 文章から映像が浮かんでくるみたいでとても良いです。
- 97 名前:Rain 投稿日:2006/01/25(水) 16:21
- 臨時のピアニストとして、あたしが紗耶香さんの経営する
バーで働きはじめて、随分と時間が経とうとしていた。
最初は戸惑いもしたけれど、あたしもお客さん達に
何だか愛されているらしく、順調にやってるっちゃ、やっていた。
怪我をしてしまった真希も、お店の手伝いながら
時たまギターを弾く紗耶香さんの隣で鼻歌を唄ったりしているし
皆がそれぞれに楽しそうにやっていた。
心地良い時間が流れる中で、たまにこのまま流されてもいいんじゃないかと
思ってしまう事もあるけれど、それは思うだけで、実際はこの地に留まる考えはなかった。
もちろん、皆良くしてくれるし、いいヤツ等だし
彼女もさゆみという子達と仲良くやってるみたいだけれど
あたしと同じで、彼女もここにずっと留まる事を考えているワケではないようだった。
- 98 名前:Rain 投稿日:2006/01/25(水) 16:21
- そして、これだけいれば、何となく気付く事がある。
それはとても嬉しいことで、ちょっと痒くなるような感じ。
こんな風に旅をし続けるあたし達にとって、こういう拠り所みたいなのを
作ってくれようとしてくれた皆の気持ちが
凄い暖かくて、ついついあたし達もここに長居してしまった。
それでもあたし達は、もうすぐここにお別れをする。
このままじゃいけないと思っているから。
目的をちゃんと達成しなきゃいけないと思っているから。
もう二度と会えないワケじゃないと、誰かが言った。
確かにその通りかもしれないけれど、先の事なんて分からないから
いつもよりも強めのハグをして背中を叩いた。
- 99 名前:Rain 投稿日:2006/01/25(水) 16:22
-
「最後くらい、聴きにおいでよ。
今日はビシっとキメるんだから見物だよ?」
昨日貰ったシャツに袖を通し、ボサボサの頭を手櫛でとかし
ながら鏡越しに彼女を見るが、彼女は首を縦には振ってくれなかった。
そう、結局彼女は、今まで一度も聴きにきてはくれなかったのだ。
何度誘っても逃げられ、あたしが帰って来る頃には
シャンプーをした髪も乾かした状態でベッドに座っている。
いつしかそれが当たり前のような風景になっていた。
あたし自身、誘っておきながらも、それってちょっといいかも、なんて思ったりもしてた。
帰ってきたら彼女がいて、温かいコーヒーを煎れてくれる。
シャワーを浴びて出てくると、ほとんど彼女はもう布団の中にくるまって
背中を向けていたけれど、帰ってきて誰かがいてくれるっていうのは
嬉しいものだし、幸せな事だと感じていたから。
- 100 名前:Rain 投稿日:2006/01/25(水) 16:22
- 大分汚れてしまった地図によると、旅の目的地はもうすぐのようだ。
それは彼女との旅も終わりを告げようとしてるという意味を持っている。
いや、実際にそうとは限らないが、あたし達の今の目的地はそこで、
あたしが彼女を誘った理由もそこにあるから、なんていうか、
終わりというよりも、目的を達成するって事で、彼女との旅の終わりを
あたしは何となく予感していたのだ。
今でも彼女の考えてることはあたしいは分からない。
あたしが促さないと、自分の考えも教えてくれないし
促したとしても、流されてしまうことだって多々ある。
だからというワケでもないし、答えを聞くのが恐いから
というワケでもないけれど、旅の終わりの話は、
どうしてもしようと思えなかった。
それに、そんな話が必要だとは思えなかった。
「じゃぁ、そろそろ行ってくるね」
- 101 名前:Rain 投稿日:2006/01/25(水) 16:23
- だから近いけれど、明日よりも遠い未来の事は考えないようにしていた。
今日を終え、明日をまた平和に迎えられればいいと、
そんな風に思うようになっていたから。
いつかの子供の時のように、遠い未来はなく
近くの未来だけがあたしの目の前にあった。
目の前の扉を開ければ、すぐに一歩踏み出して迎えられる明日があり
その先の事すら見えてこない。
そんな日々を過ごしていくうちに、いつしか未来は明日となり
明日よりも先の未来は決まった時間の中で流れる単調な事だけになっていた。
「…いってらっしゃい」
そんな日々が、少しだけ変わったのかもしれない。
彼女に出会って。
あの日、雨の中で出会ってから。
- 102 名前:Rain 投稿日:2006/01/25(水) 16:24
-
冷たい風の中、擦り切れたマフラーを頬にあてながら
いつものように、皆よりも早く練習をしようと店への道を早足で歩いていると
通い慣れた店から、聴き慣れた声の歌声が聞こえてきた。
その声に思わず木製の扉の奥を見つめようと俯いていた顔を上げる。
そして歌声に誘われるように、ポッケにつっこんでおいた右手を
扉に当てて少しだけ力を入れ、扉に指を這わせるようにして右手をポッケに戻した。
そのまま扉の横に背をつけて座り込み
吹き荒れる風の中、マフラーを顔半分被える程持ち上げ
両膝を自分の方にくっつけ、その歌声に耳を傾けた。
- 103 名前:Rain 投稿日:2006/01/25(水) 16:24
- 「へー、珍しいじゃん」
「…亜弥さん」
「美貴達もいるんですけど」
座り込んでちょっと経った頃、亜弥さん達が寒そうに
肩を上げながらやってきた。
皆同じようにマフラーを目元近くまで上げ、コートの襟を立てている。
「ってかあんたこんな所で何してんの?」
「いや、何か入っていくのもアレかなと思って」
「あぁそっか、あんたは真希がちゃんと唄ってるの
聴いたことないんだもんね」
おいでと言われ、店の横側の方へと歩いて行く。
そして圭さんの言われるままに、覗き見るようにそっと窓枠に手をかけ
その窓に白い息を窓に吹き当てながら、あたしは目の前の光景に見愡れた。
- 104 名前:Rain 投稿日:2006/01/25(水) 16:25
- 「真希はね、昔は唄ってたんだよ」
スツールに軽く腰掛けながらギターを弾く紗耶香さんと
マイクを手に取り、見た事のないような表情で唄っている真希。
時たま紗耶香さんを見て微笑む真希に、紗耶香さんは目を伏せたまま
口元だけに笑みを覗かせ、ギターを引き続ける。
「アタシと真希と紗耶香の三人で、前はグループを組んでてさ」
曲の間奏になり、真希はマイクを持ったまま紗耶香さんの方に行き
向かい合うように立つと、誰もいないテーブルの上にそっと腰掛けた。
「紗耶香のおじさんが倒れて、紗耶香がグループを離れるって
言い出すまで、この店で真希はずっと唄い続けてたんだ」
あたしは目の前の光景から目を話す事が出来ず、
二人を見つめながら圭さんの話しに耳を傾けた。
- 105 名前:Rain 投稿日:2006/01/25(水) 16:25
- 「アイツは、紗耶香が舞台から降りた時から自分もマイクを置いた」
「んで、亜弥ちゃんが唄う事になった時に、ドラム叩いてた美貴にも
声がかかって、ベースの圭ちゃんとピアノで真希が入ったってワケ」
「もちろん、紗耶香さんからの申し出だけじゃなくて
二人の腕を買ってのことだよ?じゃなきゃ美貴たんが認めてもアタシが認めないもん」
少し強めの風が吹き、窓が揺れたせいか
真希はこっちを見ると、笑顔になって手招きをした。
どうやら最初から、二人にはバレていたらしい。
- 106 名前:Rain 投稿日:2006/01/25(水) 16:26
- 冷えた体を抱えるようにして店に入り
空いてる席に座って、マフラーを取ることすらせずに
真希の歌と、紗耶香さんの演奏に聞き入った。
時間でいえばほんの数分。
けれどもその時間は長く、短かった。
ギターの音が完全に消えるまで、真希はその音をジッと聴き、
音が完全に途切れ、その余韻を体中で感じた後にペコリと照れたように頭を下げた。
「あたし達からのプレゼント」
「短い間だったけど、どーもありがとうございました」
そう言って真希はもう一度頭を下げた。
そして顔を上げると、まだ冷えている服の上から
あたしに飛びつくように抱き着いてきた。
「もー、何で最初ッから中入ってこないのさー」
「バカだからじゃない?」
「そんな事言って、圭ちゃんだって入ってこようとしなかったくせに」
真希はあたしの背中に腕を回したまま圭さんにブーブーいい続け
亜弥さんや美貴さんもいつもと変わらない声でケタケタ笑う。
紗耶香さんは煙草に火をつけ、ギターを圭さんに手渡して奥へと消えていった。
そしてこれを合図に、またいつもと同じような時間が流れはじめた。
- 107 名前:Rain 投稿日:2006/01/25(水) 16:26
-
この日は、あの店の三人娘やデカイ兄ちゃんとその彼女も店に来てくれた。
彼女も開店してしばらく経った頃に来てくれて、
あたしの方はあまり見ようともせずに
真希が持ってきたカクテルを少しずつ口に運び、
店が閉店する近くまでいてくれた。
別に会話がなくても、あたしは彼女が来てくれたという事だけで十分だった。
同じ場所に彼女がいる。
それだけで、十分だった。
- 108 名前:Rain 投稿日:2006/01/25(水) 16:27
-
「気をつけて行くのよ」
「んぁ、またいつでも戻っておいでね」
いつもよりも少し長めに営業を続けた店の灯りが減り
あたしは一足先に、ここで皆とのお別れをした。
見送ると言ってくれた皆の言葉だけをここで受け取り
あたし達は早朝、この街を出発する。
いつもと変わらない別れがしたくて、皆とはいつものようにあの店でさよならをした。
この短期間で一気に打ち解けあった真希は
大きな目に涙を浮かべながら、いつもの笑顔で手を振ってくれた。
美貴さんも、亜弥さんも、紗耶香さんも、圭さんも、真希も
いつもと同じようにしてくれたのが、本当に嬉しかった。
- 109 名前:Rain 投稿日:2006/01/25(水) 16:28
- 宿に戻り、一足先に戻っていた彼女と一緒に
熱いコーヒーを飲みながら、言葉少なめに
この街での最後の夜を過ごし、二つのベッドで
背中を向けながら眠りについた。
相変わらず窓の外では風は吹き続け、窓ガラスを小さく揺らし続けている。
この音を聞くのも今日で最後だと思うと、少しだけ涙が溢れそうに
なったのは、あたしとこの枕だけの秘密だ。
- 110 名前:Rain 投稿日:2006/01/25(水) 16:28
-
翌朝、メットを被ってバイクに股がってから
何となく口に出して、真希の怪我がもう治っていた事を彼女に告げた。
彼女は静かに知っていいたよと答え、少し遠慮しがちにあたしの腰に細い両腕を回した。
久々に感じた背中への体温。
それを感じながら、バイクはまた走り出した。
- 111 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/01/25(水) 16:29
- 更新しました。
>>96 名無飼育さん 様
ありがとうございます。そういってもらえて嬉しいです。
読んで下さる方が映像を描けるようなモノを書いていきたいので
これからも精進していきたいと思います。
- 112 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/01/28(土) 09:13
- 町の皆さんが優しい。
そしていよいよ旅も終盤ですね、次回も楽しみに待っています。
- 113 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/01/31(火) 18:35
- 更新お疲れ様です。
次はどんな所だろう。
- 114 名前:Rain 投稿日:2006/02/06(月) 19:37
- しばらく道を走ると、灰色だった空が徐々に暗くなっていった。
空が暗くなればなる程寒さは厳しさを増し、
やがて空からは白いモノが降り始めた。
その白いモノを、あたしは『雪』と、呼ぶ事を知っていた。
- 115 名前:Rain 投稿日:2006/02/06(月) 19:38
- 雪と風を受けた顔は時間が経つごとに冷えてゆき、クラッチを握る手も、
ギアを変える足も、段々と感覚が無くなっていく。
後ろに座る彼女も言葉にこそ出さないものの、間違いなく体は冷えているだろう。
タイヤも取られはじめているし、このままではもう幾分も
進めないのは分かりきっていること。
次の街までもつかも分からないが、とりあえず行ける所までと
白くなっていく道をバイクを押しながら歩き続けると、白い視界の先に
オレンジ色に光る車のハザードが見えてきた。
久しぶりに見る自分達以外の車両。
きっとこれを逃すとこの先しばらく誰にも会えないような気がして
あたしは右の親指でクラクションを鳴らした。
何度も、何度も。その車に聞こえるように。
その行為を何度もしているうちに、自分では気付かない程に
神経を使っていて、実は焦りというのを感じていたことに気付いた。
- 116 名前:Rain 投稿日:2006/02/06(月) 19:38
-
「まったく、ここをノーマルタイヤのバイクで走るなんて無謀すぎですよ」
「すみません。でも、本当に助かりました」
「あなた方の運がよかっただけです。私もこちらには滅多に来ませんから」
両手でハンドルを握る少女は『あさ美』という名の女の子だった。
ポツンぽつんと家が建つこの地域に来ることはもう数週間ぶりだという。
あたしには家の灯りすらちゃんと見えなかったが
どうやら通り過ぎた所ら辺にも何件か家はあったらしい。
- 117 名前:Rain 投稿日:2006/02/06(月) 19:39
- この子の言うように、あたし達は本当に運が良かった。
見つけた車がたまたま配達車両で、ピックアップだったという事こともあり、
置いて行こうかとも悩んだバイクを乗せてもらえたから。
正直、未だに車は苦手で、自ら進んで乗ろうとは思えないがそんな事は言ってられない。
見ず知らずのあたし達を車に乗せてくれて、そのうえ温かい飲み物までくれたこの子には
どんな感謝の言葉を並べても足りないくらいだ。
「あ、それから私のこと、こんこんって呼んで下さい。
あさ美さんとか言われちゃうと、何だかくすぐったいですから」
こう言って、あさ美───こんこんは笑った。
あたしは外に降る雪と彼女の白い頬を見て、こんこんの呼び名の由来をぼんやりと組み合わせた。
- 118 名前:Rain 投稿日:2006/02/06(月) 19:39
- こんこんが運転する車に一時間程揺られると、前方に明るい光が見えてきた。
降り続く雪を照らす街灯が、この辺り一体を輝かせているらしく
夜だというのに、そこは夜だとは思えないような輝きをしている。
「もう大分遅いですし、先に宿でお休みになられますか?」
「あ、はい。そうですね」
この言葉を聞くと、こんこんはゆっくりと左折をし、
それから少し走ってから右折をして車を停めた。
車から降りる彼女に手をかしながら空を見上げてみると
さっきまであんなに激しく吹いていた雪が、今は穏やかに降り注いでいる。
「あそこら辺が、一番吹雪くんですよ」
あたしの視線に気付いてか、少し離れた所からこんこんの少し高めの声が聞こえた。
それと同時に木製扉の開くような音がし、視線を空から音のした方に移すと
『pumpkin hotel』と書かれた木製の看板の下に立ったこんこんは笑顔で扉を開けていた。
「ようこそおいで下さいました。今晩は私の特性かぼちゃスープを食べて
体の芯から暖まってからお休み下さいね」
その高い声は、白く輝く世界に溶ける事なく、あたし達の耳に届いてきた。
- 119 名前:Rain 投稿日:2006/02/06(月) 19:39
-
- 120 名前:Rain 投稿日:2006/02/06(月) 19:40
- カーテンが微かに揺れる窓際で、あたし達は持ってきて貰った
かぼちゃスープを静かに口に運んでいた。
スープという割に、中にはたっぷりとかぼちゃが入っていて、飲むというよりも
食べるという方が正確な表現な気がする。
けれどもその味は何処か懐かしくて、冷えた身体を文字通り芯から暖めてくれるみたいだった。
「寒い?」
「大丈夫」
さっきあたしが一センチ程開けた窓からは冷えた空気が入り込んでいる。
暖かな部屋もいいのだけれど、少し冷たい風を入れたくて開けたものだ。
小さなテーブルの上に置かれた小さな花が、そこから流れる空気に揺られて
あたしと彼女の間で静かにそっと花びらを震わせていた。
- 121 名前:Rain 投稿日:2006/02/06(月) 19:40
- こんな穏やかな空間で時間を過ごしながら、あたしはそっと目を閉じた。
さっきから鼻先をくすぐるような香りは、自然とそういう行為をさせたくさせるのだ。
手に持ったスープから漂ってくる匂いだけじゃないのは、もう大分前から知っている。
疲れた時にこの香りを嗅ぐと、全身の力が抜け、目を閉じたくなる程の安堵感に包まれ
いつしかそのまま浅い眠りへと引き込まれていくのは、もう何度も体験していた。
「もう眠る?」
「ん、わかんない…」
言葉ではこう言ったものの、疲れた体は欲望に正直で
既に堕ちかけていた意識の中で、このまま眠りに着くんだろうと思った。
そして起きているのか、寝ているのかも分からないような曖昧な状態で
両手からスープを入れたカップが取り除かれ
柔らかく暖かな毛布が肩にかかるのを感じていた。
- 122 名前:Rain 投稿日:2006/02/06(月) 19:41
-
張られたばかりのお湯は、指先で触れると熱いくらいの思えた。
未だに温まりきらない体を軽く手で摩り、そっとシャワーのコックを捻り
熱い湯を浴びて起き上がった胸の先端をぼんやりと眺めながら
いつかの日の、自分の肉体を貫いた行為を思い出す。
今更そこに意味を見い出そうとは思わない。
ただ、あの時感じれなかった温かさというものを
しっかりと今感じている感覚がある。
それを不思議とも思わないし、理由も知っている。
そしてそういうモノを全て承知した状態だからこそ
今の自分という存在をどうして良いのか分からなくなっている。
思わず零れそうになった言葉を喉の奥で押しとどめ
そのまま濡れたタイルに額をくっつけた。
伸びた髪や、鼻先や、胸を伝うお湯が排水溝に吸い込まれ
流れ続けるシャワーの湯が瞼に溜まり、やがてそれが目に入りそうになって瞼を閉じた。
暗くなる視界の先にハッキリと見える光が、口から自然とため息を零させる。
無意識のうちに、左の拳が右の胸の少し上を数回叩いていた。
口からはため息の代わりに、小さな咳が数回零れた。
- 123 名前:Rain 投稿日:2006/02/06(月) 19:42
- 「まだ起きてたんだ」
あたしが浅い眠りから覚め、風呂に入らずに朝を迎えた時のような
体全体を被う嫌な感じを拭おうと風呂に向かったのは、もう四十分近くも前のことだった。
そしてその時間よりも前に就寝準備を終えた彼女は、部屋にあった本を手に取って
下半身だけを布団に潜り込ませて、ベッドに寄り掛かっていたはずだ。
疲れているだろうから、あたしは勝手にもう彼女は眠っているだろうと予想をしていた。
タオルで髪をガシガシ拭きながら、彼女が左手で支える本のタイトルを
しゃがみこんで下から見上げてみる。
「それ、楽しいの?」
「別に。そんなでもないよ」
彼女が手に取って読んでいたのは、よくホテルの部屋の中に置いてあるような聖書だった。
もう随分前から置いてあるのだろう。表紙はボロボロになっていて、
背表紙の部分は、縦に3分の1程破れていた。
- 124 名前:Rain 投稿日:2006/02/06(月) 19:42
- 今夜は、月明かりの綺麗な夜だった。
雪に反射した光は辺り一面を照らしていて、電気を消していても
光が部屋の中まで届いてきそうだ。
さっき開けた窓はまだ開いたままで、
その窓からは、風と共に粉雪が入り込んできていた。
あたしはその窓を閉めると、彼女が今いるベッドの隣のベッドに
大の字になって倒れこんだ。
疲れが全身に広がって、頭の先から足の先まで一気に駆け抜けて
あたしの体の動きを止めさせようとする。
乾ききってない髪をどうしようとか、下敷きになった布団にもぐらなきゃだとか
そういう事を考えたり実行するのも面倒で、まぁ別にこのまま寝てもいいやって気になり
あたしは自分の欲望に誘われるままに瞼を閉じた。
驚く程早く、次の日の朝はやってきた。
- 125 名前:Rain 投稿日:2006/02/06(月) 19:43
- 薪が弾ける音と、カップにぶつかる軽い金属のような音であたしの瞼は開いた。
昨夜下敷きになっていた布団はまだあたしの下にあって
それと同じ布団があたしの上に乗っかっている。
まだ覚醒しきっていない状態で見た隣に布団はなく、今あたしの上にある布団が
彼女のものだという事に気付くのには、それ程時間はかからなかった。
「おはよう」
「お、おはよう」
既に部屋は暖かくなっていて、彼女は服を着替えていた。
時計をパッと見て、自分が昼近くまで寝ていた事に気付く。
慌てて起き上がろうとして、別にそんな事をしても意味がないという事を彼女に言われ
バツが悪くなって、寝癖のままの頭をちょっとかいた。
「珈琲でよかった?」
「あ、あぁ、うん。ありがとう」
差し出されたカップの中に入った珈琲はミルクが多めに入っていて、
寝起きのあたしに調度良いくらいの熱さになっていた。
- 126 名前:Rain 投稿日:2006/02/06(月) 19:43
- 彼女の貰った珈琲を口に運びながら、いつから彼女がこんな風に朝あたしの目が覚めると
珈琲を持ってきてくれるようになったのかという事を、ぼんやりと考えてみた。
最初の頃からだっただろうか、それとも───
と、少し考えただけであたしは小さく首を振った。
別にそんな事はどうでもいいことで、意味のないことだから。
ベッドからカップを持ったまま抜け出して、今の時間と外の天気を見ながら
何気なく彼女を外へと誘ってみると、彼女は少し間を置いてから頷いてくれた。
実は彼女と一緒にのんびりと街を歩くという事を今までしたことがなかった。
その理由というのは特になかったのだけど、時間が経つにつれ
簡単に訊ける事は訊けなくなり、簡単に言えそうな言葉は言えなくなっていた。
それは不思議な感じだった。
確実に彼女との距離が近付いているのは感じていたのに、
言葉の距離だけはそんなに近付くことはない。
普段交わす言葉を選んでいるワケでもないが、
いつでも見えない壁はすぐそこにあった。
- 127 名前:Rain 投稿日:2006/02/06(月) 19:44
- だからあたしは単純に嬉しかった。
彼女と一緒に出かけられるということが。
彼女と一緒に、知らない街を歩く事ができるということが。
誰かが聞いたら笑ってしまうようなそんな出来事ですら
あたしにとったら凄く意味のあることで、
それはつまり、あたしは自分が思っている以上に
彼女を必要としているという事でもあった。
旅の終わりが近い事は知っている。
そこは望んでいた場所のはずだったけれども
その日から、あたしは地図を見る事を止めた。
もう道は頭に入っているからという言い訳をしながら。
- 128 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/06(月) 19:45
- 更新しました。
>>112 名無飼育さん様
街の皆さんは本当に良い人達です。
でもきっと、身近にもこういう人達はいるんじゃないのかなぁと思いながら書いてます。
最初から見えてたはずの旅の終わりが、自分自身でも見えはじめて
何だか複雑な感じですね(苦笑)
>>>113 名無飼育さん様
次はこんな所でした。もうちょっとだけここが続く予定です。
そしてやっぱりこういう所にはこんな彼女がいました(w
場所と人の関係は、いつも不思議な感じを私に教えてくれます。
- 129 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/07(火) 05:02
- 一気に最初から読みましたが、何だか胸がとても温かくなりました。
キノの旅シリーズを彷彿しますね。作品からちゃんと命を感じる。素晴らしいです。
- 130 名前:Rain 投稿日:2006/03/12(日) 16:00
- 次の日の昼頃に、あたし達は一緒に街へと出かけた。
ほぼ一日歩き回ったとしても、きっと全部を楽しむ事など
出来ないと思える程の街の大きさだったので
目についた店に入っては、適当に冷やかし
それぞれが気にいった物を買ったりして時間を楽しんだ。
彼女とこんな風にして一緒の時間を過ごすのは
楽しいというのもあるが、心地よさみたいなものもあった。
あまり喋らないし、笑う事もないけれど
それでもやはり彼女の隣は居心地が良かった。
- 131 名前:Rain 投稿日:2006/03/12(日) 16:00
- 何時間もの間街中を歩き回り、疲れの溜まった足を休ませようと
あたし達はホテルに戻り、入り口で頭についていた雪や
ブーツの裏にくっついてきた雪を落としていた。
すると背中側にあった扉が突然勢いよく開き、金髪頭に人懐っこそうな
笑顔を浮かべた子が、片方の手をブンブンと振りながら入ってきた。
「あさ美ちゃーん!手紙持ってきたよー!」
「ありがとう。今日はちょっとゆっくりだったんだね」
「いやー配達途中でちょっと色々あってねー」
突然の事に驚いたのはあたし達くらいらしく、こんこんのかぼちゃスープを
目当てにやってきていた皆は特に驚く事もなく、金髪の子とこんこんの事を
ニコニコとしながら眺めていた。
「どう?麻琴も皆に変わりはない?」
「ないないない。皆元気だよー。あさ美ちゃんに会いたがってた」
仲良さそうに話し合う二人。それを眺める人々。
きっとこれは日常的に起こっていることなんだろう。
あたし達以外の人達を見ていると、そういう事が伝わってきた。
そして地元特有の空間というのだろうか、なんとなくその場にいずらさを
感じたあたし達は足早にその場を去り、借りた部屋へと向かって行った。
- 132 名前:Rain 投稿日:2006/03/12(日) 16:01
- あぁいった風景を見ると、少しだけもう戻れない故郷の事を思い出す。
幼馴染みの事とか、マスターの事とか、職場の皆だとか、まぁ色々と。
どれも懐かしいものばかりだけれど、戻りたいとは思わなかった。
あそこにいなければ彼女とも会えなかったし、今はこうして彼女と旅をしている。
それが今のあたしの全てで、彼女があたしの今の故郷だからだ。
最近じゃ強く思う。
いつまでも、こうしてずっと隣にいたいって。
それは願いで、思いで…けれどもきっと叶わない幻想なんだろうって。
永遠なんて言葉はなくて『いつまでも』という言葉はあたし達の
間にはあってはいけないものだから。
隣にいると、そういう事を凄く、そう、凄く強く感じるのだ。
前以上に、ずっと、強く。
- 133 名前:Rain 投稿日:2006/03/12(日) 16:01
- だからこの街にできることならずっと留まっていたいと思ってしまうのだろう。
もう見えてる終着点を見えないものにしたいから。
真っ白なこの街で、ずっと彼女と一緒にいたいから。
けど、それが出来ない事を、そんな事をしていてはいけない事を
この日の夜に、あたしは知る事となった。
- 134 名前:Rain 投稿日:2006/03/12(日) 16:02
- その日の夜も、いつもと同じように静かな夜だった。
街の灯りがいくつか消え、辺りは少し薄暗くなる。
夜遅くまで営業しない店はcloseという札がドアの前にかかり
雪に色を落としていたネオンは何度かの瞬きをして消えていく。
時折聞こえる雪を踏み締める音が響く以外の音が消えて行き、やがて辺りは静寂に包まれる。
夜の迎え方はその街々で違うけれど、夜の静寂はどの街も似ていた。
あたし達は交互にシャワーを浴び、のんびりと時間を過ごした後
昨日と同じ夜と、今日と同じ朝を迎えようと
それぞれのベッドに滑り込み、少し冷えた体を暖める為に布団を肩まで上げた。
いつもあたしが眠るまで本を読み続けているらしい彼女も
今日はこのまま眠るらしく、布団を肩まで上げたまま動きを止めたので
あたしは彼女に断りなしにベッドランプを消そうと腕を伸ばしたら
背中を向けたままで彼女が小さな声であたしの手を止めた。
「…消さないで」
小さく、消えそうな声で、あたしにそう言った。
- 135 名前:Rain 投稿日:2006/03/12(日) 16:02
- 背中を向けてる彼女の表情は見えないし、一言呟いただけの声では
一体彼女がどうしてしまったのかは分からなかったけれど
それでも彼女の背中が微かに震えているのは、少し離れたベッドにいるあたしにも分かった。
『どうしたのだろう』と言う疑問が、まず浮かんだ。
あたしが記憶する限り、彼女は旅の間にそんな事を一度も言ったことがないし
こんな消えそうな小さな声で、あたしに何かを言ったこともない。
寒さ以外で震える背中を見たのも初めてで、華奢な彼女が
いつも以上に小さく見えたのも初めてだった。
あたしは体を起こし、ベッドから降りて未だに震える彼女に近付いた。
彼女が横になるベッドに腰掛け、左腕を伸ばして
顔を隠す髪を横に流し、その手で彼女の腕を、布団の上からそっと握る。
突然の出来事に、どういった言葉をかけたら良いのかは分からなかったから
ただ黙って彼女にあたしがいる事を伝えようとその腕を握り続けた。
彼女の震えが寒さじゃないことくらい鈍感だと言われるあたしにも分かった。
そして、その震えを止めようと、彼女がぐっと奥歯を噛み締めている事も。
正直に言えば、あたしは少し動揺していた。
彼女のこういった弱い面を初めて見たからという理由もあるが
それ以上に、彼女の震え方は何かに怯えているようだったから。
- 136 名前:Rain 投稿日:2006/03/12(日) 16:03
-
違うのだけれど、今の目の前の彼女は家族全員を失った
あの日のあたしにほんの少しだけ似ていた。
だから動揺をしていたあたしも、彼女の側にこうして来れたのかもしれない。
…違うかもしれないけど、そうなのかもしれないと思った。
あの日、震えるあたしを、力強く抱き締めてくれる腕を覚えていて
それが凄くあたしを安心させてくれたのを覚えていたから。
自分がこの世に独りぼっちじゃないって事を、教えてくれたのを覚えていたから。
- 137 名前:Rain 投稿日:2006/03/12(日) 16:03
- しばらくの間、お互いに言葉を発せずにそうしていると、彼女の体の震えは止まったが
それに変わるように激しい咳が部屋に響き渡った。
彼女の眉間に皺が寄り、苦しそうに瞳が閉じられる。
慌てて背中を摩ってみたものの、彼女の咳きは中々止まらず
あたしの中に、さっきと違った動揺が走りはじめた。
それ程に激しい咳だったのだ。
あたしの動揺は不安へと変わり、彼女に医者に診てもらおうと言って
フロントへ行こうとしたら、背中を摩ってなかった方の腕を
力のない彼女にギュッと掴まれた。
掴まれた腕から伝わる彼女のメッセージ。
それを感じながらも、あたしは不安で、自分じゃどうしようもない事を感じていて
どうにかしなきゃと思っているのに、どうにも出来ないような状態で…
結局、ベッドに座り直して彼女の手を握りながら、背中を摩り続けることにした。
彼女の咳きは、その後もしばらく続いた。
喉がイヤな風に鳴り、彼女は少し小さい咳をしてから
大きく息を吐き、あたしの腕を握ったまま、そのまま気を失うように眠りに落ちていった。
- 138 名前:Rain 投稿日:2006/03/12(日) 16:04
- この日の夜が来て、あたしは初めて彼女の寝顔を真直ぐと見つめた。
何度か寝返りをうつ度にかかる髪をそっとどけながら
土気色の顔を、見つめ続けた。
外は相変わらず雪が静かに降り続いていて、
その静かさの中にあたし達は溶けてしまっているみたいだ。
静かで、ただ静かで、彼女の寝息だけが響く。
さっきの咳が信じられない程、穏やかな寝息と寝顔に
あたしは一瞬の夢を見ていたんじゃないかという気にすらなった。
けれども、それは夢でもないことをあたしのこの腕は知っていて
すぐ側で眠り続ける彼女も知っている。
瞑られた瞳の中で、彼女がどんな夢を見ているのかは分からないが
そめてそれが良い夢であるようにと、静かに願った。
あたしは、この旅が始まって以来初めて一睡もせずに夜を明かした。
- 139 名前:Rain 投稿日:2006/03/12(日) 16:04
- 新聞屋が朝を告げ、雪を踏み締める音が増えてゆき
街灯の灯りの数が増え、この街に朝がやってきた。
彼女は眠りに落ちた時同様、何の前触れもなく目を覚まし
あたしの存在を確かめると、いつもと変わらないように短くおはようと言った。
そして何事もなかったかのように起き上がると、
今さっきまで彼女が寝ていたベッドにあたしを寝転がし
振り返る事もせずに冷蔵庫を開けた。
あまりの突然のことに、挨拶をするチャンスも、話し掛けるチャンスも
失ってしまったあたしは、とりあえずベッドから体を起こし
言葉のキカッケを探すように右手を中途半端に上げ、そのまま頭をガシガシと掻いた。
「昨夜、眠った?」
「あ、いや…」
「じゃぁ寝て」
「…え?」
- 140 名前:Rain 投稿日:2006/03/12(日) 16:05
- さっきと同様、突然言葉は振り掛けながら
彼女は冷蔵庫から取り出した水をコップに注ぐ。
「しっかり寝てくれないと、運転、危ないでしょ?」
まるで昨夜の事などなかったかのように、彼女は平然と言い
伸びた髪を静かにかきあげた。
「でも、良くなるまで…」
「私の事はいいから」
静かな口調のはずなのに、その言葉は強く
あたしの他の言葉を全て奪い去っていく。
自分の鞄をごそごそと漁り、何かを取り出すと
彼女はコップに注いだ水と、小さな白い錠剤二錠をあたしの手渡してきた。
見上げた彼女の瞳から、言葉よりも饒舌なメッセージが伝わってくる。
それはさっきの言葉よりも強くて、あたしはやっぱり言葉が出なくて
ただ、彼女の瞳をジッと見つめた。
そして今更気付いた。
この旅の理由は、あたしだけにあるんじゃなくて
彼女自身にもあったということに。
- 141 名前:Rain 投稿日:2006/03/12(日) 16:05
-
気付いた瞬間、コップを持つ手が震えはじめ
もう片方の手に持った錠剤が布団の上に、音もたてずに落ちていった。
心臓が早鐘のように鳴り響き、顔と頭が熱くなる。
熱い頭の中はイヤな事ばかりが頭をよぎってゆき
目の前にいる彼女を掴みたくて、掴めない両手は
ただ無様にあたしの膝の上で震え続ける。
あまりにも突然すぎる出来事を受け入れられず
あたしは彼女から視線を反らし、嘘だ、嘘だと小さく呟き続け
高速で回る世界の中に、一人取り残されたような感覚がして
何も言わない彼女を否定した。
そんなあたしを見ていた彼女は、昨夜とは逆に
あたしの隣に座ると、震える手からコップを取り、華奢な腕であたしの肩を抱いた。
けれどもあたしの心はそんな事じゃ落ち着きを取りもどす事なんて出来なくて
あたしの頭はパンクしそうで、どうしようもなくて
ずっと、ずっと、彼女から視線を反らし続けた。
- 142 名前:Rain 投稿日:2006/03/12(日) 16:06
- 彼女は何も言わない。
あたしも何も訊けない。
最悪の歯車状態がきっと今なのだろう。
けれども言葉なんて紡ぐ余裕はあたしにはなくて
ずっと、頭の中で否定を続けた。
彼女がそんなあたしを見てどう思ったのかは分からないが
しばらくの間はずっと肩を抱いていて、その後、落ちた錠剤を拾って
自分の口に含み、水を流し込むと乱暴にあたしの唇に自分の唇を合わせ
不器用にあたしの口に錠剤を流し込んだ。
「今は、眠って」
口から溢れた水を拭う事もせず、彼女はあたしをベッドに横たえ
震え続けるあたしを抱き締めた。
その間も、細みの体から言葉にならない言葉があたしに流れ続け、
あたしは彼女の背中に腕を回して、ともかく強くしがみついた。
薬の力で、睡眠へと引っ張られるまで。
ずっと彼女と一緒にいたくて、痕が残るくらい強くしがみつき続けた。
眠る寸前、彼女が何かを言ったみたいだったが
あたしにはその言葉は届いてこなかった。
きっと、あたしには届いてきてなかった。
- 143 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/12(日) 16:07
- 更新しました。
>>129 名無飼育さん 様
キノの旅というのを読んだ事がないのですが
こんな感じなんでしょうか(笑
最初から考えていた路線に持っていくかどうかで悩んで
こんな感じになってきてしまいました。
- 144 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/19(日) 23:44
- 静かに流れていく物語がとても好きです。
次回更新も楽しみにお待ちしています。
- 145 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/04/04(火) 17:13
- 梨華ちゃんの行動が気になりますね。
続きが非常に気になります。
楽しみに待ってます。
- 146 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/04/19(水) 02:01
- 待ってます!
- 147 名前:Rain 投稿日:2006/04/22(土) 08:51
- 雪にさよならをする日、願っていた奇跡なんかは起きず
ただいつもと変わらないフリをする夜がやってきた。
安く譲ってもらったチェーンと、まだ温かさを残すカボチャを持って
あたし達はいつものように出発をする。
増えてく荷物も、増えていく記憶も、全部を乗せて。
あたしの腰に回された彼女の腕に、時折自分の左手を添え
彼女の存在を確かめるようにあたし達は走り続けた。
短い昼、長い夜、眠れない夜を何度も越えながら。
- 148 名前:Rain 投稿日:2006/04/22(土) 08:52
- その道のりは、今までで一番短く感じられ
ずっとゆっくり流れていた時間が急に早く進み、その時間があたし達の
背中から襲ってくるような感覚がずっと続いていた。
そして焦りを感じているあたしを見すかしているかのように
彼女は落ち着きをなくしたあたしの手を何も言わずに握り
ずっと、側に座っていてくれた。
あたしは何度も否定をくり返し、祈り、願い、裏切られ
彼女の背中を見つめるように眠った。
時折大きく揺れる体を摩り、にじみ出てくる汗を拭き
彼女の肩を抱いて呼吸を合わせ、やがて眠りにおちるまで。
- 149 名前:Rain 投稿日:2006/04/22(土) 08:52
- 彼女と一緒に過ごす日々の意味がいつの間にか変わっていて
あたしは彼女の事を考える時間ばかりが増えていっていた。
考えないようにしようとしても、その理由に彼女がいるかぎり
彼女の事を考えないなんてことは、なかったから。
雨は止み、雪も止み、真っ暗な空の下を走り続ける日々。
痛んできたバイクの手入れをしながらこの先の道を見据え
ただひたすらに走り続けた。
それはあたしの逃避で、彼女にとっては望みともいえる道だったのだろう。
重なりあわないはずの二人の目的は、何処かでいつしか重なっていた。
「…もう、すぐだね」
いくつもの山を越え、広大な大地をあたし達は走り続けた。
この道の先に何があるかなんて想像は、もうし飽きた。
だから進むだけだなのだ。
進んだ先の道には、きっと何かがあるはずだから。
- 150 名前:Rain 投稿日:2006/04/22(土) 08:52
-
そしてもう日付けも分らなくなっていたある日の夜、
それは突然にやってきた。
ずっと先にも後ろにも、自分達以外誰もいない道で
山を削って出来た長いトンネルを出た所で
あたし達は突然の光りに包まれた。
- 151 名前:Rain 投稿日:2006/04/22(土) 08:53
- あまりの眩しさに目を思わず瞑り、耳鳴りのするような音を聴いて走った数秒の間。
思わずバイクを止め、まだ強烈な光りに慣れていない目を
ゆっくりと開け、ぼやける視界ので辺りを見渡す。
嗅覚は何も変化を捕らえず、耳鳴りのやんだ聴覚も何も変化を捕らえなかったが
霞みがかったような靄が消えた視界だけは、光りに包まれる前の変化をしっかりと捕らえた。
空は、見た事もないような光りに溢れていた。
- 152 名前:Rain 投稿日:2006/04/22(土) 08:53
- 思わず空を見上げたままバイクを降り、口を開けて空を見続けた。
吹く風は少し肌寒いくらいだが、何処か暖かく
空気は今まで吸った空気よりも冷たくなく
吸い込んだ空気は生暖かくあたしの肺へと流れていった。
顔を上げ続けるあたしに、彼女は小さい声で教えてくれた。
今光り輝いているものが星だということを。
空が光っているのではく、星が光っているんだということを。
そして、星の欠片達が燃え流れ、道をつくっているんだということを。
- 153 名前:Rain 投稿日:2006/04/22(土) 08:54
- 見上げた空は、とてつもなく大きかった。
大きな雲で覆われた空しか知らないあたしにとって
空は高く、空は広く、あまりにも大きすぎ、飲み込まれそうな存在だった。
それでも顔を反らすことは出来ず、あたしは手探りで彼女を探し
手袋越しに彼女を捕まえ、その手をしっかりと握った。
「来たんだよ」
あたしの手を握り返しながら彼女は言った。
- 154 名前:Rain 投稿日:2006/04/22(土) 08:54
-
- 155 名前:Rain 投稿日:2006/04/22(土) 08:54
- その日の夜のうちに、今まで来た中で一番小さな村に到着をした。
唯一灯りの零れている建物があったので、そこの木製の扉をノックすると
中からは黒縁眼鏡をかけた小柄な人が、少し眠たそうに
それでも笑顔であたし達を迎えてくれた。
彼女の名前はなつみさんと言うらしい。
この小さな村の宿屋のオーナーで、この村での最年長者ということだ。
その幼いような顔つきのせいか、年齢はいまいち分らなかったが
それでもそんなに年はとっていないだろうという感じはした。
考えるような事は色々あった。
それなのにあたしは目的地に辿り着いたという実感もないまま
なつみさんに進められるままに部屋へと移動し、勧められるままに
熱いシャワーを浴び、テーブルに置いてあった水を飲み干し
まるで意識を失うかのようにベッドに倒れ込んだ。
眠る前に感じた枕の感触は、いつもと少し違うような気がした。
- 156 名前:Rain 投稿日:2006/04/22(土) 08:54
-
雨が降らない世界で、穏やかに流れる時間。
それはここの時間。
けれども時間はここだけに流れているワケじゃない。
迷子になって、苦しんで、悩んで、叫びだしたいくらいの
気持ちを胸に抱えたまま進み続け、きっとここに巡り合えたのだろう。
終わりを探していたはずなのに、最初からそこは存在していた。
それに気付いたのはきっと、そう、ここのおかげ。
多分、そうなんだろう。
繋いだ手からだけじゃ伝わりきらない気持ちを抱えているくせに
それでも何故だか伝わっていて、繋がっている気がしてならない。
居心地が良くて、穏やかで、心がいつしか根を張っていた。
長さではなかった。
それだけじゃなかった。
体の中心部から何かが吸い上げられて天に昇っていくような感覚。
そして昇っていった後、体と心が別物のように輝きはじめる。
穏やかで、とても静か。
抱えた思いも、言葉も、気持ちも、全てを抱えた自分自身が
今ここにいる気がする。
- 157 名前:Rain 投稿日:2006/04/22(土) 08:55
- 右の胸の少し上を拳で数回叩き、自分を確かめる。
この手の中に、まだ温もりが残っている事を確認する。
もう癖になっていたこの動作が、初めて意味を持ち
もう笑い方さえ忘れた顔に、表情を与えた。
ただいまも、おかえりも、全てはあそこに。
還るべき所は、そう、あそこだ。
ここから旅立たなければさよならは出来ない。
けれども、きっと彼女は子供が我が侭を言うようにそれを許さず
何がなんでも一緒に来るのだろう。
だからといって、このまま姿を眩ませても、彼女はきっと探し続けるのだろう。
厄介だと思える事なのに、それを喜んでいる自分がいる。
それを望んでいる自分がいる。
居心地が良すぎたこの場所に、どうやら長くい過ぎたらしい。
戻れないなんてこと、もうずっと前から知っていたくせに
今更本当は望んでいない悪あがきをしている。
- 158 名前:Rain 投稿日:2006/04/22(土) 08:55
-
どうしようか。
ねぇ、どうすればいいかな。
彼女は答えない。
ならば気持ちも言葉も今までのように閉じ込めてしまおうか。
気疲れないように、そっと、蓋を閉じておこうか。
ダメだ、彼女はそれに気付いてしまう。
気付かなきゃよかった。
けれども気付いて心がやっと居場所を見つけ、落ち着いた。
ここでやっと、真直ぐ前を向けた。
あぁ、そうか。
我が侭だったのは、彼女じゃなかったんだ。
他でもない自分だったんだ。
彼女の側にいた自分は、いつでも中心だったんだ。
側に付き添ってるだけという感覚だったけれど
彼女と同じ物を見て、感じて、触れて
自分はそこに立って歩いてきたんだ。
そんな事に今更気付くなんて。
- 159 名前:Rain 投稿日:2006/04/22(土) 08:56
- どうしよう、バカみたいに色々な事が頭をよぎっていく。
悲しくないのに、小さくなって膝に額をくっつけて
いつかのように震えている。
恐いんじゃない。
嬉しいんだ。
そう、嬉しいんだ、私。
夜が明ける色を眺めながら、私は少しだけ眠った。
気付かれないように、そっと、彼女と同じベッドの中で。
初めて間近で聴く彼女の寝息は
その姿からは想像しにくい程に幼かった。
- 160 名前:Rain 投稿日:2006/04/22(土) 08:56
- 眠る前に感じていた感触をほんの数秒前に感じたかのように、あっという間に夜は終わった。
眠気も疲れも未だに残っているあたし体は、朝の時間を潰してでも
起き上がる事を拒否しようとする。
が、そんな体の拒否を真っ向から否定するように
至近距離でライトを当てられているかのような眩しさの強い光があたしを照らす。
そのあまりにも強すぎる光に、思わずもう一度目を瞑り、枕を顔に押し当てて
その光りを防ごうとしばらくした後、突然今自分が何処にいるのかを思い出し
枕を投げ捨て、慣れない強い光に目を細めながら
柔らかい風が吹く窓際に顔を向けた。
目が光りに慣れていなかったせいで、よく分らないものに
何度かぶつかり、躓きもしたが、それでもあたしは風の匂いと
徐々に色付きはじめた視界を頼りに駆け寄った。
- 161 名前:Rain 投稿日:2006/04/22(土) 08:56
- 真っ白なレースのカーテンの隣には彼女がいて
その彼女が見つめる先には、あたしが知らなかった空の色があった。
空は青く、雲は白く、木々も草も様々な緑色で、花はあたしが知っている
花のいろよりも鮮やかで、彼女の瞳は綺麗なくらいに黒が強い茶色だ。
風は今まで感じたどのものよりも暖かくて柔らかい。
鳥の鳴く声が辺りに響いていて、時折何処かから牛が鳴くような声が聞こえた。
そうだ、ここはあの場所なんだ。
あたしが、あたし達が目指した場所なんだった。
やっと着いたはずなのに、それなのに
どうしてあたしは未だに達成感を感じていないのだろうか。
想像していた以上に明るくて、想像以上に穏やかで静かな所だったから?
それともここに居る事がまだ現実として認めれてないから?
それとも───
- 162 名前:Rain 投稿日:2006/04/22(土) 08:57
- あたしは外から彼女に視線を移した。
彼女はいつもと同じように何も言わず
あたしと目もあわせずにただ外を眺めていた。
そんな彼女を見つめて気付く。
目指した場所は、もう終わりじゃなくなってたんだと。
目指した場所と、これから先進んで行く場所は違っていたんだと。
あたしの道は、彼女と一緒にあるんだということを。
こんなあたしの言葉を聞いたら、皆はなんて言うだろうか。
愚か者?バカ?変わり者?
なんて言うんだろう。想像出来るのは誰もが呆れるという事くらいだ。
それでもあたしはそれをどうとも思っていない。
あたしはここにあるんだという揺るぎない心がある。
達成感なんてまだ訪れるはずがなかったんだ。
まだ途中。この先にまだ続くモノがあるからここは目的地であって
それでいて只の通過点なんだ。
- 163 名前:Rain 投稿日:2006/04/22(土) 08:57
- 一瞬、彼女にどうやってこの先の話をしようかと考えた。
けれどもそれは、本当に一瞬の事だった。
彼女にあたしの気持ちは伝わるのだから。
だからこの先の話しなんて必要ないんだと、そう分かったから。
どうしようじゃない。何処へ行こうかだ。
あたしはもう彼女の隣じゃないと地図が見えないから
行き先は彼女の行きたい所。
それはきっと、彼女が本当に最後に目指す所。
どんな所だって行くよ。
何処までも、一緒に行く。
だからいつものように少しだけここに留まったら先に進もう。
この場所で目的を果たし、あたしだけの物、彼女だけだったモノ達を満たしてから。
- 164 名前:Rain 投稿日:2006/04/22(土) 08:57
- 何だか今手を繋ぐのも違う気がして
あたしは外に背を向けて窓枠にもたれかかった。
もう焦りは、消えていた。
- 165 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/04/22(土) 08:58
- 更新しました。
本当は今回を最終回にしようと思ったのですが
なんかそれができませんでした(苦笑)
きっと次回が最終回です。タブン…
久々なのに少量更新ですみませんです。
>>144 名無飼育さん様
おまたせしました。
静かに流れ過ぎて中々すすまな(ry
好きだと言ってもらえるうちに
頑張って行こうと思います(w
>>145 名無飼育さん様
登場人物は一応内緒というか、なんというか(・∀・)
というわけで、登場人物は御自由に想像してみて下さいです。
ちょっとずつですが、内面の変化を出していきたかったんですが
気付けばグデグデに(苦笑)
とってもおまたせしました。
>>146 名無飼育さん様
一ヶ月以上も間を空けてしまってすみませんでした。
待ってていただける幸せを噛み締めちゃいました。
ありがとうございます。
- 166 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/07(日) 20:41
- なんだか段々と二人の間に不思議な雰囲気というか、
関り方に微妙な変化が出て来ましたね。
最終回でどうなっていくのか楽しみに待っています。
- 167 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/30(火) 17:21
- 続き気になっています。最後まで頑張って!
- 168 名前:Rain 投稿日:2006/05/31(水) 08:08
- 穏やか過ぎるこの村の、高い丘の上で
ずっと持ち続けていたビンの蓋を開けた。
砂のように細かくなった白い粉は風に乗り
あっという間に見えなくなってしまった。
あたしはビンの蓋を閉め、最後にもう一度だけ
この土地の空を見上げた。
ここの空は、あたしには眩しすぎた。
- 169 名前:Rain 投稿日:2006/05/31(水) 08:09
-
+ + + R ain + + +
- 170 名前:Rain 投稿日:2006/05/31(水) 08:09
- いくつもの夜を過ごしてきた。
それは独りぼっちだったり、誰かと一緒にいたりと様々で
知らなかった事や、知りたくなかった事や
知っておかなきゃいけなかった事とか
ともかく沢山の事を知った夜でもあった。
今夜もまた、あたしは夜を過ごす。
独りではなく、ずっと一緒にいた彼女と一緒に。
- 171 名前:Rain 投稿日:2006/05/31(水) 08:10
- ボロボロになった鞄の上に、ボロボロになった上着を縛り付け
全ての準備を終えた後、あたしは彼女が眠るベッドに潜り込んだ。
別に何をするワケでもない。
それが伝わっていたのかどうなのか。
彼女は少しだけ体を動かしてあたしの為にスペースを作ってくれた。
まだ彼女の温もりが伝わりきっていないベッドの中で
手を握りあうワケでもなく、抱き合うワケでもなく
背中を向けあい、しばらく時計の音をぼんやりと聴く。
- 172 名前:Rain 投稿日:2006/05/31(水) 08:10
- 今日という一日の、太陽が沈み、星が輝きだすまでの間
彼女はずっとあたしの数歩後ろを歩いていた。
あたしが立ち止まれば、彼女はあたしに追い付く事なくそこで立ち止まり
あたしが座れば、やはりその数歩分後ろの位置で彼女は座った。
その理由を訊こうとも思わなかったし、それに違和感も感じなかったが
それでもあたしはこの日の夜に彼女の温もりを求めた。
あたしは彼女を感じていたくて、彼女をもっと知りたかった。
だから、という言い方もおかしいかもしれないけれど
この日、この時にあたしが彼女に自然と訊けた理由はそこにあった気がする。
彼女を知りたい。
そう、この気持ちがあたしの口を動かしたのかもしれない。
そんな風に思う。
- 173 名前:Rain 投稿日:2006/05/31(水) 08:11
- 数センチ空いていた空間を縮めるように彼女の背中に自分の背中をくっつけ
ゴツゴツとした背骨を感じながら少し丸まったような姿勢をつくり
少しだけその姿勢でジッとしてからあたしは訊ねた。
ずっと、訊きたくて、訊けなかった今の彼女の状態を。
あたしの言葉の後も、相変わらず部屋の中には時計の音が響いている。
自分が言った言葉に対し、彼女はどんな表情をしているのかは分らない。
それでも、思い込みかもしれないけど、背中越しに伝わってくる
彼女の空気というか、雰囲気が少しだけ変わったようなったような気がした。
変な言葉だが、彼女が喜んでいるような気がした。
- 174 名前:Rain 投稿日:2006/05/31(水) 08:11
- 彼女は教えてくれた。
今の状態を。残りのことを。
泣きそうになるワケでもなく、震えるワケでもなく
あたしが理解できるようにゆっくりと、教えてくれた。
そして彼女は言った。
もう怖くはないと。
昔は眠ってしまうと、もうこのまま目が
覚めないんじゃないかという事に怯えもしたが
今は違うんだと。
その理由は言葉にしなくても、あたしに伝わってきた。
そしてその理由が分かった証明だというように
彼女の背中を抱きしめた。
彼女はあたしの腕に手をかけ
小さな声で『おやすみ』と言った。
あたしはおやすみの意味を込めて、彼女の髪に唇を落とした。
- 175 名前:Rain 投稿日:2006/05/31(水) 08:12
-
この日の夜、あたしは夢の中で泣いた。
その涙で出来た水たまりの中に自分が溺れていく。
そんな夢をみた。
夢の中で見た自分の表情は、とても幸せそうだったのを
あたしは眩しい朝日に目を細めながら、思い出していた。
- 176 名前:Rain 投稿日:2006/05/31(水) 08:13
- 出発の朝は、相変わらず青い空と白い雲が輝いているような朝だった。
寝癖も直さずにテーブルにつき、彼女に行きたい所を訊ねると
向側に座った彼女は、開きかけた口を一度閉ざし
視線を外に向けながら、もう一度口を開いた。
あたしは彼女に差し出された珈琲の湯気越しに彼女を見つめ
頭の中で彼女の言葉を整理した。
ここよりもっと北に行くと、地図上から消された街がある。
十数年前までは地図上にも残されていた街は
ある日、突然降り出した雨によって、その姿を消してしまった。
その雨は普通の雨と違い、浴びると体が壊れてしまう。
一人、また一人と倒れていく人々を見て
街の人達は故郷を捨て、助かる方法を探しに出た。
しかし現在でも助かる方法は分かっていない。
だから生き残った街の人達は、もうすぐ訪れてくるであろう
自分の死期を見つめながら、今も何処かで暮らしている。
人が消えたその街は、今は廃虚と化してしまっているらしい。
確かめた事はないが、いつか何処かの街で出会った人が
自分の中で起こっている腐敗に気付かずに
まるで冒険談のように語ってくれた。
- 177 名前:Rain 投稿日:2006/05/31(水) 08:14
- 彼女の言葉を簡単に整理すると、こういう事らしい。
つまり───
「行けば、貴方も壊れる」
そう言って彼女は俯いてしまった。
彼女の言った事が、嘘だなんて考えは全然浮かんでこなかった。
きっと彼女は全部分かってて言ってくれたんだと思う。
あたしの事も考えて、そう言ってくれたんだと思う。
彼女が本当に行きたい所じゃなきゃ行く意味なんてない。
だから彼女は嘘をつかずに言ってくれた。
だからそれがどんな場所だって、あたしの答えは変わりはしない。
「連れてってあげる」
「…バカ言わないでよ」
「あたしが行きたいんだよ」
彼女の優しい本音は、彼女にとっては辛い本音。
残酷なあたしはそれを訊きだし、彼女に重荷を背負わせる。
言葉に隠された感情の中に流れる彼女の気持は正直で
あたしはそれで嬉しくなる。
- 178 名前:Rain 投稿日:2006/05/31(水) 08:14
- いつまでも、どこまでも。
あたしはずっと隣にいるよ。
そばにいる。
「だからさ、あたしを連れてって」
どちらにとっても訪れる幸せは、歪んだカタチで訪れるらしい。
見い出した幸せを守るように、あたし達は不器用な選択をくり返す。
悩んで、喚いて、後悔をくり返しながら一歩ずつ進み
途中で支えられている事に気付かないまま先を目指す。
出来ていっていた道を振り返り、そこにあった当たり前のような幸せに気付き
そしてまた不器用な選択をしながら進み続ける。
あたしの道は、酷く歪んでいることだろう。
けれどもそれが嫌いになれないあたしも
きっと何処か歪んでいるのだろう。
自然に零れる笑みに、彼女はもう一度バカと呟いた。
- 179 名前:Rain 投稿日:2006/05/31(水) 08:14
-
過ぎ去っていく風景は、走れば走る程その色を変えてゆき
いつしか空は見なれたグレーの空へと変わっていった。
彼女の記憶だけが頼りだったその道は
人の手が着かなくなって随分と経っていたのだろう。
今まで走り続けてきた道とは違い、道なき道といった感じだった。
- 180 名前:Rain 投稿日:2006/05/31(水) 08:15
- 次第に濃くなっていくグレーの空からは
いつしか懐かしい音が降り出していた。
その音を全身で浴びながら砂利道を進んでいくと
足元に転がっていた砂利の中に大きな石が混ざってくるようになってきた。
さらに悪くなっていく道を、雨に打たれながら進み続けると
やがて道の先に、崩れた壁や、崩れた屋根が現れてきた。
廃虚。
確かにそう言われればその通りだ。
けれどもこの街に廃虚という言葉は似合わないような気がした。
緑のない、壊れたコンクリートや石だらけの街。
静かで、雨の音しかしない街。
あたし達はバイクを降り、その街の中を歩いた。
- 181 名前:Rain 投稿日:2006/05/31(水) 08:15
- 壁が崩れ、中が丸見えになっていた家の中には
その人達が使っていたであろう家具や食器が置いてあり
小さな学校らしき場所のグラウンドには
空気の抜けたボールや、錆びてボロボロになって一輪車等があった。
突然主を失ってしまった家々。
その中の一つの前で彼女は立ち止まり
そっと錆びたドアノブに手を伸ばした。
歪んで壊れた木製の扉を開け、崩れた屋根から降り注ぐ雨の中を
彼女の後ろ姿を追うように歩く。
何も言わない彼女だが、その目にはきっと何かが映っているのだろう。
壊れた食器や、壊れた家具の中に間違いなく彼女の思い出が詰まっている。
あたしの知らない、ずっと前の彼女の思い出が。
長い時間噛み締めるように家の中を歩いていた彼女は
最後に汚れて泥だらけになったウサギのぬいぐるみに手を伸ばし
それを抱きかかえて奥に置いてあった子供用のベッドにそっと横になった。
雨に打たれ、びしょ濡れになった髪がベッドに広がる。
泣いているのかも分らない背中に張り付いた服に
降り続く雨の中で、彼女は小さく一度咳きをし
もう一度ぬいぐるみを強く抱きしめた。
あたしは、降り注ぐ雨に打たれながら
小さく丸まってベッドに横になっている彼女を見て
ここが彼女の本当の終着点なんだと、そんな風に思った。
- 182 名前:Rain 投稿日:2006/05/31(水) 08:16
-
- 183 名前:Rain 投稿日:2006/05/31(水) 08:16
- 「もう、さよなら…かな」
思っていた以上に小さく出たあたしの言葉に
彼女は首を振って答えた。
彼女はあたしに向けていた背中を壁に向け、
口元に赤い色をつけたまま腕をあたしに向かって伸ばす。
あたしはその手を掴み、何かの儀式のようにその甲に唇を落とした。
「知ってる?」
「…なにが?」
「唇には、魂がこもってるんだよ」
「……じゃぁ」
彼女はあたしと繋がった手ごとあたしを自分の方に引き寄せ
あたしの首に腕を回し、唇が触れあう寸前でそっと囁いた。
『私の魂を、あなたに。』
重なりあった両方の唇の端についた赤い色。
それを拭うかのようにもう一度あわせた唇に
魂も、想いも、全部を込めた。
- 184 名前:Rain 投稿日:2006/05/31(水) 08:17
-
- 185 名前:Rain 投稿日:2006/05/31(水) 08:18
- ボロボロになった鍵盤を、彼女は虚ろな目で見つめていた。
彼女の頭の重みを肩に感じながら、あたしは同じように鍵盤を見つめ
雨の音と、彼女の声に耳を傾ける。
あまりにも淡々と流れる時間の中で
あたしの感覚は変に麻痺をしているようだった。
こんな時なのに、焦りもなにもなく、酷く穏やかだ。
雨の降る音も、彼女が全身を使ってする息の振動も
全部をあたしは体中で感じているのに。
終わりはもうそこまで来ていることにあたし達は気付いていたが
それに対して必死で抗おうとも思っていなかった。
ただ、こうして今の時間を、いつもと同じように彼女と過ごしていたかった。
あぁ、そうか。
麻痺をしているんじゃない。
いつもと同じ時間を過ごしているだけなんだ。
今が特別なんじゃなくて、ただ、いつもと同じように過ごしているだけなんだ。
ぼんやりとする頭で、そんな事を思った。
- 186 名前:Rain 投稿日:2006/05/31(水) 08:18
- 雨は降り止まない。
お互いにあまり喋らないのはいつものこと。
あえて言葉のキッカケを探さないあたし達にはよくあることだ。
そんな中でも、言葉を最初に発するのは大体あたしの方だった。
いつもは、そうだった。
けれども今は、彼女が沈黙の中に溶けるように静かに言葉を発した。
「ねぇ」
「ん?」
「ずっと言いたかったんだけどさ」
「…ん?」
「貴方って、バカだよね」
そう言って彼女は笑った。
そして笑顔のまま、息を吐き出すように呟いた。
「でも、貴方がいてれくて、よかった」
- 187 名前:Rain 投稿日:2006/05/31(水) 08:19
- 初めて見た彼女の笑顔は、泣きたくなるくらい綺麗で、幸せそうだった。
あたしは涙を堪えることが出来なくて、雨に混じってしまう事を良い事に
嗚咽を堪え、黙ったまま涙を流してしまった。
今の一言は卑怯だよ。
泣かないって、そう決めてたのに。
そう思ってたのに、あたしの涙腺は彼女の言葉で簡単に壊れてしまう。
言葉にされた彼女の思いに、あたしの胸は熱くなる。
涙を流しながらあたしは気付いた。
本当に伝えたい事を、あたしはまだ言葉にしていないと。
伝わっているからという理由で言葉を飲み込み、彼女に伝えていないということに。
その言葉は今直ぐにでも伝えたいのに、伝えなきゃいけないのに
あたしの喉からは噛み締めたような空気がもれるばかりだ。
そんなあたしに気付いてか、急ぎ伝えるように彼女は続ける。
- 188 名前:Rain 投稿日:2006/05/31(水) 08:20
- 「……ね」
「ん?」
「本当はね…少しだけ、恐かった」
肩で息をしながら、彼女は微笑む。
「でも、いまはね…」
「ん…」
言葉に出来ず、空気となって漏れてしまった最後の方の言葉を受け止めながら
あたしは彼女の頭に自分の頭を乗せ、華奢な肩を左腕で抱きしめた。
- 189 名前:Rain 投稿日:2006/05/31(水) 08:20
- やがて、あたしの腕の中で数回咳きをした後、力無くあたしに寄り掛かっていた
彼女の右手が震えるように動き、あたしの右手を掴んで鍵盤の方へ連れていこうとした。
もう言葉さえ出す事が苦しそうな彼女の無言の言葉を受け取り
あたしはその手の親指を掴み、濡れた鍵盤に指を置く。
「なにが、いい?」
彼女は唇を少し動かし、小さく言葉を紡ぐ。
何度も聞いた、彼女のお得意のフレーズ。
あたしに任せてくれる、その言葉を。
彼女からは段々と力が抜けていく。
お別れをしなきゃいけないのに、そんな言葉は出てこなくて
あたしはお別れの言葉の代わりに、ずっと喉の奥で消えてしまっていた言葉を口にした。
「好きだよ」
「…知ってた」
彼女はそう言って最後にもう一度笑った。
彼女はそう言って、さよならをした。
あたしの左腕を解放するように、彼女はあたしの膝の上に倒れてゆき
雨に打たれながら、幸せそうな表情で目を閉じた。
- 190 名前:Rain 投稿日:2006/05/31(水) 08:21
-
あたしは弾いた。
きちんと音の出ない鍵盤で。
それでも彼女に届くように、ずっと、弾き続けた。
- 191 名前:Rain 投稿日:2006/05/31(水) 08:21
-
+ + +
雨は相変わらず降り続いている。
あたし達が出会った日のように。
あの日からどれくらいの時が経ったかは分らないが
一緒に過ごし、一緒に歩んできた歴史はあたしの中に存在している。
だから彼女が消えることはない。
だから彼女とあたしは、これからもずっと一緒にい続ける。
声を上げて泣いた日。
彼女を抱き上げた拍子に胸元から落ちた写真には
家族が楽しそうに笑っている風景が写っていた。
その写真の裏には、丁寧な字で名前が書かれていた。
- 192 名前:Rain 投稿日:2006/05/31(水) 08:22
- 結局最後まで彼女の名前を訊く事が出来なかった。
あまりにも知らないまま同じ時を過ごしてしまい
訊く機会を失ってしまったというのもあるが
途中からは別に知らなくてもいいという気にもなっていたからだ。
だから訊かなかった。
けれども彼女は教えてくれた。
最後に、文字で教えてくれた。
だからあたしは自分の名前も彼女に知ってもらいたくて
雨に打たれている石を拾いあげ、小さなナイフを欠けさせながら
自分の名前を彫り、彼女が眠るすぐ側にその石を置いてきた。
- 193 名前:Rain 投稿日:2006/05/31(水) 08:22
- 長い夜が明け、また朝が来る。
降り続く雨に、いつかは終わりが来るのだろうか。
もし来るのなら、どうか彼女に陽を与えて下さい。
もし雨に終わりがないのなら、ずっと潤し続けて下さい。
何かに祈り、願い、そしてあたしは旅を続けた。
彼女をもっと知る為に。
あたしが知らなかった彼女を知る為に。
歴史を辿り、もっと近付けるように。
そしてずぶ濡れになったあたしは、何処かの街でこう言うんだ。
「ここ、いいかな?」
- 194 名前:Rain 投稿日:2006/05/31(水) 08:22
- THE END
- 195 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/31(水) 08:23
- 最終更新終了しました。
【あとがき】
当初の考えからは大分変わっていったRainなんですが
メモ書きではグロR指定にでもしようとか思ってたんです。
ところがどんどんそれが変わっていって
気付けば普通っぽくないけど普通なロードムービーに。
それも当初の予定じゃ登場人物の名前は一人も出す予定がなかったんです。
だから先入観とかあったらなーと思ってHNも隠して名無しで書いてたんですが
書いているうちに『それじゃ娘。小説の意味ないじゃん』
という風に考えるようになり、それも変更。
自由に登場人物を想像してもらおうと思ってたくせに結果的には
それを絞るカタチになってしまいました(苦笑)
けれども最終回だけは変わりませんでした。
終着点を目指していたのは私も同じだったみたいです。
最終回だからと特別にしたくなくて、余計な言葉を省いていくうちに
まるで書き急ぐかのようになってしまった最終回ですが
なんとか着陸をしたという感じです。
さて、これ以上書き出すと本編以上にあとがきが長くなってしまいそうなので強制終了。
沢山削った本編同様、これも削っておきます。
えと、最後までグデグデ更新申し訳ございませんでした。
そして、読んで下さった皆さん、管理人さん
本当にどうもありがとうございました。
またいつか何処かでお目にかかる事があれば、その時はよろしくお願い致します。
それでは。
- 196 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/31(水) 08:23
- >>166 名無飼育さん 様
劇的な変化よりも、その中で起こる
自然な変化を出したかったというのはありましたね。
最終回はこんな風になりました。
随分とおまたせしてしまって申し訳ございませんでした。
そして最後までおつき合い頂きまして
本当にありがとうございました。
>>167 名無飼育さん 様
大変お待たせしました。
途中は書き終える寂しさからか
なかなか書くという事を出来なくなっていのたですが
書きはじめたらスラスラと(笑
最後まで頑張ってみました。
読んでくださって、ありがとうございました。
- 197 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/31(水) 23:47
- 『Rain』完結おめでとうございます。&お疲れ様でした。
僕はある王道CPと言われる二人を思い浮かべながら読ませて頂きました。
段々と物語と時間が進むにつれて主人公の二人から体温を感じるようになり、最後の最後で望んでいた一言が聞けた事で気持ちが高ぶって、少しだけ涙が零れました。
とても切なく、どこか暖かみのある物語りをありがとうございました。
また梅雨の時期に読み返したいな。
- 198 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/02(金) 21:18
- 完結おめでとうございます。
連載開始に出遅れたし、HNも隠されてたようなので
コソーリ読んでました。
どこかへたどり着くためには、どこかから離れなければならない。
曇りの町・雪の町・太陽の町、それぞれに気持ちの良い人たちがいました。
でも彼女たちと暮らすという選択肢をあえて選ばず、バイクで旅する二人。
(勝手に思い込んでるけど)やっぱりこの人、男前だよー。
もちろん、留まる人たちにもそれぞれ事情があるだろうし、
自分のたどり着く場所を既に見つけていたのかも知れないですね。
ところで>>83のシーン、かっけーです。
今度真似して、誰かに言ってみたいです(笑)
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