ファーストブレイク 2nd period
- 1 名前:みや 投稿日:2006/01/07(土) 00:16
- これの続き
ttp://m-seek.net/cgi-bin/test/read.cgi/water/1099835648/
高校生がバスケする話。
そのうちオールキャスト。
吉澤と石川と藤本が、それぞれの学校の中心っぽくいるけれど、周りのメンバーの方が目立っていることも大分あります。
第三部まで終わりましたが、先は長いし、ここから読んでも特に問題はなさそうです。
更新は、基本週一。
金曜日の夜から土曜日の朝のあたりが更新時期の目安になります。
- 2 名前:第四部 投稿日:2006/01/07(土) 00:17
- 内地では梅雨と呼ばれる季節。
北海道ではまだ肌寒さが残る日の出来事だった。
「嘘!」
藤本は、テーブルを叩いて立ち上がった。
「落ちついて。柳原さんも安倍さんも、二人とも病院に運ばれて、今出術中だって」
「嘘だ! 嘘だ嘘だ!」
藤本は、部屋を飛び出して行った。
- 3 名前:第四部 投稿日:2006/01/07(土) 00:18
- 玄関まで走り、靴をつっかける。
走りながらつま先を地面に叩き、靴に足を押し込む。
つまづいて、よろめきながら道まで出た。
先輩達は、七キロ先のコンビニへ行ったはず。
自転車で出かけて、自転車でちゃんと帰ってくるはず。
嘘だ、嘘だ。
藤本の頭の中を駆け巡る。
思わず外に飛び出していた。
先輩達を迎えるために走っている。
息も切れ切れになりながら走った。
信じられなかった。
信じたくなかった。
- 4 名前:第四部 投稿日:2006/01/07(土) 00:18
- 後先考えずに寮を跳び出してきた。
闇雲に走って来たので息が続かない。
確かめなくちゃ、それだけで走っている藤本の後ろからクラクションの音が聞こえた。
「美貴! 乗って! 早く!」
寮の管理人が運転するワゴンには、りんねやあさみ、里田達が乗っている。
藤本も、後ろの座席に乗り込む。
ドアが閉まる間も無く、車は動き出した。
六月の北海道でも、闇雲に走れば汗をかく。
となりに座るあさみが、黙ってハンカチを渡してやった。
「ありがと」
ハンカチを受けとって、藤本は汗を拭く。
まだ、呼吸が整わない。
重苦しい空気の車内に、藤本の呼吸音だけが聞こえる。
- 5 名前:第四部 投稿日:2006/01/07(土) 00:19
- 汗を拭き、呼吸も整い、ようやく落ちついて来る。
少し、冷静に考えられるようになった。
「先輩達、帰ってくるよね」
藤本の言葉に、誰も答えない。
みな、ただうつむいているだけ。
「ねえ、ホントなの? 嘘だよね。事故とかって嘘だよね。途中で飛び出して来ちゃった私の勘違いだよね」
懇願するように、藤本が言う。
帰ってきたのは冷たい言葉だった。
- 6 名前:第四部 投稿日:2006/01/07(土) 00:19
- 「美貴うるさい!」
あさみを挟んで藤本と反対側に座る里田が怒鳴った。
重苦しい空気に、さらにささくれだった雰囲気が混ざる。
苛立ち、不安、恐怖、相混ぜになった感情が、車の中で渦巻く。
前の席に座るりんねが、痛々しい空気の中で言った。
「ひろみとなつみ、二人は、帰りに車にはねられた。今は二人とも病院で手術中。どっちか一人は運ばれた時意識がなかった。分かってるのはそれだけだよ」
シートに深く身を沈め、フロントガラスの向こう側をりんねはぼんやりと見つめている。
もう、誰も口を開くこともなかった。
- 7 名前:第四部 投稿日:2006/01/07(土) 00:21
- 車は病院へ向かう。
夕日が、西の空へと消えていく。
夕闇の一本道を車はひた走った。
藤本は、ただ、窓の外を見つめていることしか出来なかった。
車はやがて、病院へとたどり着く。
停止するのも待たずに、りんね達は飛び出した。
病院内へ走る。
受付で場所を聞いて、手術室へと走った。
「二人は? 二人は?」
手術室前には梓が一人、座っていた。
りんねの問い掛けに、梓は何も答えない。
ただ、視線を点灯するランプへと向けるだけだった。
- 8 名前:第四部 投稿日:2006/01/07(土) 00:22
- 点灯する赤いランプ。
光っているのは手術中の文字。
駆け込んできた藤本達もそのまま、たちつくす。
蛍光灯の光だけが照らすその場所は、静寂に包まれる。
りんねは、梓が座る壁際のナイロン製の長椅子に座った。
あさみも隣に座る。
藤本は、落ち着き無くあたりを歩き回っている。
里田は、手術中の文字を見つめていた。
時間だけが過ぎて行く。
ランプは消えない。
りんねは、祈っていた。
膝にひじを置き、合わせた両手を額に当て、ただ祈っていた。
あさみも祈る。
落ち着き無く歩き回る藤本。
いつまでも、いつまでも歩き回る。
- 9 名前:第四部 投稿日:2006/01/07(土) 00:22
- どれくらいの時間が過ぎたのだろうか?
ほんのわずかのような、永遠の時のような。
立ち尽くしていた里田が言った。
「消えた」
みな、顔を上げる。
手術中の赤いランプが消えていた。
りんねもあさみも立ち上がる。
扉が、開いた。
最初に出てきたのは、白衣の上に青い手術用の服を着た中年の男性だった。
- 10 名前:第四部 投稿日:2006/01/07(土) 00:23
- 「先生、二人は? 二人は?」
皆で駆け寄る。
張り詰めた、冷たい空気が覆う中、医師は答えた。
「お一人、安倍さんの方は両足を複雑骨折していまして重態です。ただ、意識はしっかりしてましたので麻酔が切れれば目覚めると思います」
複雑骨折、重態、重い言葉が続く。
生きている安堵、大きな怪我の悲しみ、動揺と言う形で感情が出てくる。
それでも、皆、さらに続く医師の言葉を待った。
「もうひとかた、柳原さんの方は、残念ながら・・・」
「ひろみー!!」
りんねが、絶叫して泣き崩れた。
「こちらに運ばれた時点で意識がありませんでした。全力をつくしたのですが」
医師は、うつむいてそれっきり言葉をつながなかった。
- 11 名前:第四部 投稿日:2006/01/07(土) 00:23
- 手術室からストレッチャーが出てくる。
看護婦達が押しているストレッチャーに乗っていたのは、安倍だった。
「なつみさん!」
藤本が駆け寄った。
ストレッチャーに取りすがろうとするところを、看護婦に静止される。
それでも、なつみさん、なつみさん、と叫び続ける。
もう一つのストレッチャーが出て来た。
その上に寝かされている柳原尋美の顔には、白い布がかけられていた。
- 12 名前:第四部 投稿日:2006/01/07(土) 00:23
- 「なんで、なんで・・・」
あさみが、そう何度も言いながら、ふらふらとストレッチャーに歩み寄る。
泣き崩れていたりんねの肩を里田が抱く。
りんねは立ち上がり、ひろみのもとへ向かった。
「ひろみ・・・」
白い布を取れなかった。
どうしても取れなかった。
布を掛けられたひろみを、ただただ見つめている。
やがて、看護婦達がストレッチャーを押して去って行った。
- 13 名前:第四部 投稿日:2006/01/07(土) 00:24
- 長い、夜になった。
安倍は、麻酔で眠っている。
まだ、面会出来る状態にない。
そして、ひろみは、永遠の眠りについていた。
藤本が霊安室の扉を開けて中に入ると、そこにはりんねがいた。
作法もよく分からないまま、焼香らしきことをして、りんねの隣に歩み寄る。
りんねは、ひろみの顔を見つめていた。
「きれい、だよね」
りんねが見つめたまま言う。
隣の藤本は、黙ってうなづいた。
「ひろみって、こんなにきれいだったっけ? 別人だよ。絶対、ひろみじゃないんだよ」
そう言って、白い布をかけ、壁際のスチール椅子に座る。
藤本は、布越しにひろみの顔を見つめていた。
- 14 名前:第四部 投稿日:2006/01/07(土) 00:24
- 「寮に入ってさ、最初に話したのがひろみだった。すごい不安で、やっていけるのかな? ってカバン抱えて部屋に入って行った時に、前の日に入寮してたひろみが、一年生ですか? って、声掛けてくれて」
何でもない会話。
どこにでもある出会い。
だけど、忘れないでいること。
「夢見てるときってさあ、歩いても歩いても、なんか感覚無いよね。空飛んでる感じで。なのにおかしいよ。なんかちゃんと地面を踏みしめてる感じがする」
線香の匂いが薄く広がっている霊安室。
藤本がりんねの方を振り向く。
暗い部屋だった。
- 15 名前:第四部 投稿日:2006/01/07(土) 00:25
- 「一年生の頃からずっとひろみに頼ってた。一人じゃ何も出来ない私だったけど、ひろみがいれば、ひろみがいてくれれば大丈夫な気がしてた」
認めたくない現実。
少しづつ現実に馴染んで行く心。
行ったり来たりのゆりもどし。
感情が揺れている。
ひろみは、もう、いない。
「ひろみ、幸せだったかなあ」
りんねのつぶやき。
藤本には、何も答えられない。
- 16 名前:第四部 投稿日:2006/01/07(土) 00:25
- 「卒業したら、東京行って、彼氏作って、とかそんな話しもしてたんだけどね。ひろみは、もう、出来ないんだよね、全部。歩けない、バスケも出来ない、話しも出来ない、恋も出来ない」
りんねは立ち上がり、ひろみの枕元へ。
薄暗く、線香の匂いが香る部屋。
吸い込まれそうな静寂の中央で、ひろみは眠る。
ひろみの顔を覆っている白い布をりんねははずした。
この上なく美しく感じられるその顔を見つめる。
りんねは、ひろみの唇に自分の唇を合わせた。
- 17 名前:第四部 投稿日:2006/01/07(土) 00:25
- 「ごめんね、私なんかで。でも、誰とも出来ないよりいいよね。ひろみに、私の初めての口付け、ささげて上げる」
それだけ言ってりんねは、また、声を上げて泣きはじめた。
隣の藤本にすがりつく。
りんねを抱きとめる藤本も、声は上げずに涙を流していた。
- 18 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/01/07(土) 01:57
- 更新されてるー!、エライことになった。。。
それはそうと2nd periodですか、ってことは4th periodで締め、、、でいいんですかね
- 19 名前:モウリ 投稿日:2006/01/07(土) 09:33
- 更新ご苦労さまです
何か怒涛の展開ですね。
続き楽しみにしてます!
- 20 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/01/07(土) 13:09
- きゃー!(落ち着け
更新されてる〜。大変な事になりましたねぇ。。。
読んでてドキっとなりました。。うまく言えないですけどw
次回も楽しみにしてます。
- 21 名前:作者 投稿日:2006/01/13(金) 23:42
- >>18
一応その予定ですが、万が一足りなかったら、“Overtime”という奥の手が・・・
>>モウリさん
突然ですがこんなことになりました。
>>20
ドキッとしていただけてなによりです。
- 22 名前:第四部 投稿日:2006/01/13(金) 23:43
- 札幌の、ひろみの自宅近くの斎場で通夜と告別式はしめやかにとりおこなわれた。
バスケ部員は、授業を休み両日とも出席する。
ただ一人、安倍なつみを除いて。
安倍は、意識は取り戻していたが、外出出来る状態にはほど遠かった。
- 23 名前:第四部 投稿日:2006/01/13(金) 23:44
- 通夜の晩から告別式まで、線香を枯らしてはいけない。
そんな、しきたりがある。
その線香番も部員達が担当した。
「みなさんで、ひろみを送ってやって下さい」
娘を失った母親の気丈な言葉。
見送りに、こうやって集まってくれる友がいることで、娘は幸せだったのだと自分に言い聞かす。
その言葉に甘えて、同級生の梓とりんね、後輩のあさみと里田、四人で徹夜の線香番をした。
- 24 名前:第四部 投稿日:2006/01/13(金) 23:44
- 通夜の後に振舞われた、すし、てんぷらといった料理が残っている。
高校生の女の子が深夜に四人集まっているというのに、会話が弾むこともない。
ぼんやりと点いているテレビには、芸能人の自殺のニュースが流れていた。
「人って、簡単に死んじゃうんですね」
口を開いたのは里田だった。
畳に敷いた座布団の上に座り、テーブルにほっぺたをつけ顔だけテレビに向けている。
映っているのは、マンションの映像。
フェンスがクッションになり無事でした、とアナウンサーは言っている。
- 25 名前:第四部 投稿日:2006/01/13(金) 23:45
- 「いらないんだったら、かわりに分けて欲しいよね」
りんねは、そう言ってテレビから視線を外した。
生き残った自殺者の話しなんか、不愉快でしかたない。
麦茶のコップに手を伸ばした。
「なんでこんなやつが生き残って、ひろみさんが・・・」
あさみは、テーブルに両ひじをついて頭をかかえる。
真夜中の斎場の控え室。
隣の部屋に、ひろみのための祭壇がある。
皆、昨日から、まだ、ひろみが生きていた昨日から、ほとんど寝ていなかった。
今日も、これから徹夜。
眠くないわけじゃない。
だけど、眠れなかった。
- 26 名前:第四部 投稿日:2006/01/13(金) 23:45
- 「私のせいだ」
三人から離れ、一人、壁によりかかりひざを抱えていた梓が口を開いた。
梓の言葉に、三人は視線を集める。
「私がもっと早く救急車呼べてたら・・・」
そう言って、抱えたひざの上に額を乗せ、泣き出した。
誰も何も言えない。
テレビからの無味乾燥したニュースと、梓の泣き声が部屋を包む。
りんねが立ち上がり、梓の隣に座った。
- 27 名前:第四部 投稿日:2006/01/13(金) 23:46
- 「梓、梓が悪いんじゃないよ」
そう言って肩を抱く。
梓が、安倍やひろみと三人でコンビニにでかけたことはみんな知っていた。
そして、梓一人無傷で、病院で一人だけで待っていた。
「痛いよ、痛いよ、って、ひろみ、言ってた。なつみも動けなくなってた。轢いたトラックは逃げちゃうし、どうしていいかわかんなくて」
なんとか言葉をつないだけれど、それ以上つながらない。
ひざを抱えて肩を震わせる。
りんねは、さらに強く肩を抱いた。
- 28 名前:第四部 投稿日:2006/01/13(金) 23:47
- 「なつみが、救急車、救急車っていうから、走ったの。必死に走ったの。だけど、死んじゃう死んじゃうって怖くて、今にして思えば自転車のが速かったのに」
滝川の寮生は携帯なんか持っていない。
救急車を呼ぶために電話するには走るしかなかった。
「コンビニまで戻って電話したけど、場所とかちゃんと説明できなくて」
あさみも里田もうつむいて聞いている。
痛かった。
ただただ痛かった。
「もっと早く呼べれば、もしかしたら」
聞いているあさみの方が泣き出した。
梓の言葉が、あさみに先輩の死を改めて認識させる。
あさみの泣き声に混ざって部屋に聞こえているテレビの音。
テレビの向こうのイラクの空で、人が何人死のうと、全然関係なかった。
- 29 名前:第四部 投稿日:2006/01/13(金) 23:47
- 「私がかわりに轢かれれば良かったんだ」
「そういうこと言わないの!」
梓の言葉に、肩を抱いているりんねが声を荒げる。
梓が、温かかった、
りんねは、梓の肌のぬくもりを感じていた。
「ひろみじゃなくて、私なら、きっとこんなに悲しむ人もいなかったし」
「だからやめてよそういうこと言うの!」
目の前で、友が死んだ。
自分は何も出来なかった。
どうしようもなかった。
責める相手は、自分しか、いなかった。
- 30 名前:第四部 投稿日:2006/01/13(金) 23:48
- りんねは、梓を強く強く抱きしめる。
体の震えが伝わってきた。
梓は、りんねにもたれかかってくる。
りんねはすべて受け止めてやった。
髪をなでる。
梓の髪をりんねがやさしくなでる。
りんねの胸で、梓はただただ震えていた。
「おちついた?」
梓の震えが止まった頃、頭をなでながらりんねがいう。
それに答えるかわりに、梓は顔を上げた。
- 31 名前:第四部 投稿日:2006/01/13(金) 23:48
- 「ちょっと寝た方がいいよ」
りんねの言葉に梓は首を横に振る。
それでも、りんねは薄い笑みを見せながら言った。
「疲れてるとろくなこと考えないからさ。ちょっと眠ったほうがいいよ」
梓は何かを言いたそうにするけれど言葉が出てこない。
りんねは、向かい合う梓の頭をなでた。
「いい子だから。ね」
梓は弱弱しくうなづいた。
布団はない。
部屋の隅にあった座布団をいくつか持ってきて敷き布団がわりにする。
そこに梓を寝かせる。
りんねは隣に座り梓の左手を握ってやった。
両手で、梓の左手を包んでやった。
- 32 名前:第四部 投稿日:2006/01/13(金) 23:49
- 丸二日近く、ほとんど眠ることの出来なかった梓。
横になり、友に手を握られることで、少し安心感を得て眠りについた。
梓の、規則正しい寝息が、りんねには心地よかった。
「あさみも大丈夫?」
「泣き疲れて寝ちゃったみたいです」
りんねの問い掛けに、答えは里田から帰ってくる。
予想しない声に顔を上げると、あさみの隣には頬杖を付いた里田が座っていた。
- 33 名前:第四部 投稿日:2006/01/13(金) 23:49
- 何となくついていたテレビを、里田が消す。
部屋には梓の寝息が聞こえた。
「お線香、かえよっか」
梓の手を離し立ち上がる。
ふすまを開けて隣の部屋へ。
里田もりんねにつづいた。
祭壇には、制服を着て微笑むひろみの写真がある。
その写真をしばし見つめてから、りんねはろうそくに火をつけた。
- 34 名前:第四部 投稿日:2006/01/21(土) 00:38
- 真面目でわらわなく、実力があって、先輩にもずけずけ物を言う福田明日香。
明るくていつもにこにこ、実力はそれなりにあって、先輩はいつも立てる松浦亜弥。
こんな一年生の二人は割と仲が良い。
松浦が一方的になついているだけ、に端から見えるような関係ではあるが、福田も松浦を追い払ったりはしない。
自分の後ろをついてくれば、特に抵抗もせず素直に部屋に上げた。
「よく新聞なんか読めるよね」
机に向かって新聞を広げている福田に、ベッドに座る松浦が声をかける。
お友達様が遊びに来てあげているのに、なんでこの人はそれを無視してそんな態度が取れるかな?
そう、松浦の顔は訴えているけど、振り向かない福田には届かない。
- 35 名前:第四部 投稿日:2006/01/21(土) 00:39
- 「朝は、お父さんが読んでるから」
「そうじゃなくてさー」
「高校生になったんだから、松も世の中のこと、少しは知っておいたほうがいいと思うよ」
そんなことを言う福田を偉いとは思う。
福田が読み終えた朝刊が足元にあったので、松浦はそれを拾い上げて読んでみた。
松浦にとっては、新聞イコールテレビ欄。
アニメと音楽番組だけチェックして、それからなんとなく福田のまねをしてページをめくった。
- 36 名前:第四部 投稿日:2006/01/21(土) 00:39
- 「あ、すごい。バスケ部員交通事故だって」
「どこの?」
福田が振り返る。
あまり興味なさそうな、でも、バスケ部員という単語は気になるような。
「北海道」
顔を上げた松浦と視線が合う。
ちょっと考える。
福田は、机を離れて松浦の元に歩み寄り隣に座った。
「なんか、かわいそうだね。寮でまで暮らして頑張ってるのに、こんなの」
左側に座った福田に紙面が見えるように、新聞の右側だけもって福田のほうに送る。
左側は福田が持って、二人で仲良く一枚の紙面を見る。
- 37 名前:第四部 投稿日:2006/01/21(土) 00:39
- 「ウソ・・・」
該当する記事の部分に目が行って、福田がそうつぶやいた。
新聞を全部引き取って手元に抱え込んで読む。
「どうしたの? 急に。知り合いか何か?」
「ちょっと」
社会面、ではなくスポーツ欄の記事。
北の高校生の悲劇、と銘打たれた記事が小枠二段、およそ200字程度に描かれている。
中央には亡くなった生徒の写真。
買い物の帰り、寮に帰る途中に車にはねられた、ひき逃げ、とある。
社会面、政治面、経済面は目を通すけれど、スポーツ面だったので気づかなかった。
福田はその部分を読み終え松浦に新聞を押し付けると、そのまま仰向けにベッドに転がった。
- 38 名前:第四部 投稿日:2006/01/21(土) 00:40
- 「友達? 知ってる人?」
座っている松浦が仰向けになっている福田の顔を見下ろす。
福田は、少し考えてから答えた。
「滝川って知らない?」
「たきかわ?」
「インターハイとかいつも出てくるとこ」
「知らなーい」
ちょっと気の無い返事をして松浦は福田から視線を外して記事に目をやる。
福田は、仰向けに天井を眺めたまま続けた。
- 39 名前:第四部 投稿日:2006/01/21(土) 00:40
- 「大体ベスト8くらいで負けちゃうんだけど、毎年いいチーム作ってくる」
「そうなんだ」
松浦、あんまりよそのチームに興味は無い。
実際のところ、高校の強いチームなんて、まだよく知らない。
「かわいそうだねえ」
他人事感たっぷりの松浦の言葉。
福田は答えずに目を瞑る。
松浦は、新聞をとじて足元に置いた。
音楽もかけず静かな部屋。
二人が黙ると物音もなくなる。
福田は目を開かない。
手持ち無沙汰にされてつまらない松浦は、福田の唇に指を当てる。
- 40 名前:第四部 投稿日:2006/01/21(土) 00:41
- 「あ、起きた」
福田も目をあける。
松浦が手を離すと、また目を閉じる。
松浦、また、指を唇に当てる。
今度は福田はその手を右腕で払った。
懲りずに次は鼻をつまむ。
福田はその手を払いのけて目をあけた。
「うざい」
「もー・・・」
遊びに来たのにかまってもらえない。
松浦にはあまりなかった経験である。
本当に寝ているのなら寝かせてあげなくもないのだが、起きていて目を瞑っているだけだから、こっちをかまって欲しいと思う。
福田は、仰向けのまま大きく一つため息をついて体を起こした。
- 41 名前:第四部 投稿日:2006/01/21(土) 00:41
- 「起きた」
「ご飯は? 食べてくの?」
「いいの?」
「悪いなんて思って無いくせに」
「へへへ」
松浦が福田の家に来て晩ご飯を食べて行くのは初めてのことではない。
福田は、うざいとも言わず、手を払いのけたりもせず、松浦が食べたいといえば、晩ご飯も家で食べさせてやる。
「ちょっとお母さんに言ってくるから」
「よろしく〜」
福田は部屋を出て階段を降りて行った。
- 42 名前:第四部 投稿日:2006/01/21(土) 00:41
- 他人の部屋に一人ぼっち。
構ってくれないにしても、部屋の主はいないよりいたほうがまだいい。
誰もいないと、本当に手持ち無沙汰だ。
あまり意味もなく立ち上がって部屋をうろうろしてみる。
本棚には小説と参考書とバスケ雑誌。
こっそり一冊恋愛指南書が混ざっていたのはこれから先ネタにしてやろうと思う。
恋愛指南書は置くとして、他に松浦が手を伸ばせるとしたらバスケ雑誌くらいだけど、あまりそんな気にもならない。
机には横に片付けて教科書が置いてあった。
これも、どうあっても手が伸びる対象にはなりえない。
ただ、その隣にはノートが置いてあった。
- 43 名前:第四部 投稿日:2006/01/21(土) 00:42
- 「練習日誌?」
几帳面な黒ペンの楷書で表紙にそう書いてある。
手にとって少し考える。
青の三十五行百枚キャンパスノート。
「私も部員だし、いいよね」
誰にともなくつぶやく。
日誌、ならさすがに開かなかった。
練習日誌、だったから、バスケ部員の自分は開いてもいいかな、と思った。
「すごーい」
松浦が、そして福田が、高校のバスケ部に入って二ヶ月ほど。
日数にして六十日あまりにもかかわらず、百枚ノートがほとんど埋まりかけている。
一ページ目の、先生、二・三年生の印象に始まって、昨日の練習分まで。
今日の分は、松浦が帰ってから書くのだろうか?
- 44 名前:第四部 投稿日:2006/01/21(土) 00:42
- 「練習のための練習になっている部分がある。特に、決められた動きの確認のところでそれが目立つ。五人速攻で、アーリーオフェンスの選択になってから、四人目が走りこんでくるまでが遅い。実戦だったら確実にディフェンスが戻ってきているタイミングになる。その上で、ミドルで受けてのジャンプシュートの意識も低い。実際に、二人目三人目で決められるファーストブレイクの形が出せる場面は少ないのだから、意識の改革が必要かもしれない。特に、レギュラー組の吉澤さんや市井先輩にその傾向がある」
日付、練習メニュー、自分のプレイの調子、チーム全体の調子、練習で見つかった課題、こまごまと記されている。
見ていいのかな? という最初の少しのためらいなんかあっという間に消えて、松浦は食い入るように読んでいる。
- 45 名前:第四部 投稿日:2006/01/21(土) 00:43
- 「シューティング 90度スリーポイント 14/20 右45度 15/20 一本外すと二本三本続くのがくせになっている。実戦では、同じ場所から打ち続けて慣れていく、という事は出来ないし、私は何本も打つポジションじゃなくて、試合のポイントとになる場面で一本か二本打つ立場なのだから、それをしっかり決められるようにしないといけない。個人練習で解決するべき私の課題だと思う」
福田個人の課題についての記述。
チームのことだけでなくて、自分自身についても冷静な目で見つめていると読み取れる。
松浦も、自分のことはよく分かっているつもりだけど、明日香ちゃんと比べると自分に甘いかも、とも思ってしまう。
- 46 名前:第四部 投稿日:2006/01/21(土) 00:43
- 「松の成長が目立つ。最初はガードを希望してたみたいだけど、フォワードとして使って正解だと思う。私の控えにするのはもったいない」
メンバーについての記述。
「明日香ちゃん、自信たっぷりだ・・・」
松浦のつぶやき。
成長していると言いながらも、自分とポジションかぶった場合に負けるとは思っていない文面。
- 47 名前:第四部 投稿日:2006/01/21(土) 00:43
- 「性格的に自分で点を取る主役が向いているんだと思う。松のスリーポイントは大きな武器になりそう。だけど、スタメンには先生は使いづらいかもしれない。その辺は意見した方がいいのだろうか? 難しいところかもしれない」
練習日誌を見つめたまま考え込む。
自分のことだ。
そういう風に見てたのか、というのを実感。
福田から、そういう、うまくなったねみたいな褒められ方をしたことはなかったから、プレイヤーとしての自分をどう見てるのかは分からないでいた。
人としては、追い払われないんだから実は結構好かれてるんじゃないか、と思っているけれど。
- 48 名前:第四部 投稿日:2006/01/21(土) 00:44
- 「なに見てんの?」
立ったまま練習日誌を見つめる松浦に、戻ってきた福田が声をかけた。
「え? あ、これ」
悪びれず、ノートの表紙、練習日誌の文字を福田の前に両手で突き出してかざす。
自分についての記述を見ていたので、階段を上ってくる福田の足音には気づかなかった。
- 49 名前:第四部 投稿日:2006/01/21(土) 00:44
- 「よく平気でみるよね、そういうの」
「あ、うん。ごめん」
「別にいいけど」
人のものを見た、という点では松浦もちょっとは気にしたらしい。
福田は軽くなじっては見たけれど、それでもノートを取り上げたりはせずにベッドに座った。
「ご飯、三十分くらいかかるって」
いつもと変わらない顔でいつもと変わらない口調。
特に怒っているとかそういうことでは無いらしい、と松浦は解釈する。
福田の机のイスに松浦は座った。
- 50 名前:第四部 投稿日:2006/01/21(土) 00:44
- 「私、うまくなったって思われてるんだ」
ノートを抱えたまま松浦は福田の方を見て言う。
福田は、ちらっとその顔をうかがったけど、特に表情も変えずに答えた。
「自覚してるんじゃないの?」
「なんで?」
「五対五のとき、やけに市井先輩相手に勝ち誇ったプレイ振りなのは気のせい?」
「にゃはは」
笑ってごまかす。
身に覚えはあるらしい。
でも、その意識をあらわにするのは抵抗があるらしい。
- 51 名前:第四部 投稿日:2006/01/21(土) 00:45
- 「うまくなったっていうか、慣れただけかもしれないけど」
「えーー」
やっとまともに福田が答えだす。
松浦は、今度はちょっと不満そうだった。
「高校生のスピードとかパワーに慣れた感じかな。元々中学のときは一人で全部勝手気ままにやってたんでしょ?」
福田の言葉に松浦はあいまいに笑う。
昔のことまで全部お見通しらしい。
県内では福田のほうは有名人で、松浦はよく知っていたが、自分のことを福田が目で見て知っていたかどうかは分からない。
- 52 名前:第四部 投稿日:2006/01/21(土) 00:45
- 「だから、元々の力を出してるだけなのか、高校に入ってうまくなったのかは、ホントはよく分からないけど、でも、二ヶ月くらい控えでやってたのは、最初からスタメン組にいるよりよかったんじゃないの?」
「なんで?」
「スタメン組にいると相手が控えだけど、控えでやってるとスタメン組が相手のマッチアップだから。いろいろ慣れるのにちょうど良かったでしょ。なんか、自分のがうまいって自信も付いちゃったみたいだし」
「明日香ちゃん、なんか今日とげとげしいよー」
困ったような顔をする松浦に、福田もかすかに笑みを浮かべる。
今日に限らないんだけどな、という困惑も少し。
松浦は、真面目な顔をして続けた。
- 53 名前:第四部 投稿日:2006/01/21(土) 00:45
- 「入ったときよりはうまくなったかなって思うよ、自分でも。それが慣れただけなのかもしれないけど。でも、スタメン組に入れてもらえないー」
真面目な顔は一瞬。
今度は膨れ顔。
それが全部可愛く見えるってずるいよな、と思いながら福田は黙って松浦のことを見ている。
「どうしたらいいのー?」
イスに逆向きに座って、背もたれに顎を乗せる。
手には福田の練習日誌。
目をくりくりさせてベッドに座る福田のことを見ている。
- 54 名前:第四部 投稿日:2006/01/21(土) 00:46
- 「自分ではどう思うの? スタメン入る力あると思ってる?」
「明日香ちゃん確かにうまいしさー、保田さんはー、うーん、なんか、みんなに頼られてる感じがあるから、やっぱり、試合出てなきゃダメな人なのかな、って気がするよ。でもさー、ねー、ほらー」
ガードを最初に希望した松浦は、そのポジションにいる福田のことは認めている。
目だって身長が高いわけでもないから、吉澤やあやかを押しのけて試合に出ることは無い。
プレイ面はともかく、キャプテンとしての保田の存在は認めているらしい。
残っているのが誰なのかは明らかにわかるのだけど、その名前をはっきり出して自分のがうまいと言うほど、まだ素の感情は表に出さない。
- 55 名前:第四部 投稿日:2006/01/21(土) 00:46
- 「明日香ちゃんさあ、正直、私に何が足りないの? わかんないよ」
不満声の松浦に、福田はきっぱりと即答した。
「信用が無い」
「そんなこといわれてもさー」
答えではあるけれど、それだけだと何の解決案にもなっていない。
「準備整えて、さあ、一対一で勝負しましょうってやったら、松はたぶん、十回やったら七回くらい市井先輩に勝つと思う。だけど、先生は市井先輩をスタメンで使うと思う」
「信用が無いから?」
「うん」
そう言われて、松浦も言葉がつなげない。
小さくため息をついて、少し間が空いてから言った。
「市井さんってそんなに信頼されてるの?」
- 56 名前:第四部 投稿日:2006/01/21(土) 00:46
- 福田はひざに腕を置いて頬杖をつく。
最近のこと、昔のこと、いろいろ思い出しながら答えた。
「いざって言うとき、ここが勝負って言うときに、何とかしてくれそうな、そんな気がする。市井先輩って」
福田の言葉を聞いて、松浦はちょっと首をかしげる。
同意とか反対とかではなくて、福田の口から、気がする、という曖昧な言葉が出るのがめずらしかった。
「何とかしてくれたの? いままで」
松浦亜弥から見た市井紗耶香。
少し流した感じで練習している。
ディフェンスでスカッと抜かれても、シュートがはいらなくても、余裕がある顔をしている。
やたら保田キャプテンに頼られてる。
先生にも肩に手を回してみたり、対等な感じで接している。
練習中に、自分よりうまいと思ったことは、一度も、ない。
- 57 名前:第四部 投稿日:2006/01/21(土) 00:47
- 「なんとか、してくれてた・・・気がする」
また、気がする。
松浦は小首をひねって、その先の福田の解説を待つ。
「私、中一のときから今と一緒で、あれこれ生意気に口出して、偉そうにしてた。そのときのキャプテンは市井先輩で、保田先輩が副でいて。二人とも、バスケがうまいからって言うよりは、人柄で周りから押されてそうなって感じだった」
福田の語る昔話。
松浦は黙って聞いている。
- 58 名前:第四部 投稿日:2006/01/21(土) 00:47
- 「バスケの理論とか、作戦面とかは、私の方が絶対に知識があったし。だけど、私がどれだけ理屈を積み上げて説明するよりも、市井先輩の、根拠の無い、大丈夫だよ、っていう一言のほうがみんな安心するみたいで」
松浦は、福田の言葉を聞きながら視線は手に持つ練習日誌の表紙。
市井や保田の中学時代をイメージしてみる。
「実際私も、試合でどうにもならなくなったら最後にパスを送るのは市井先輩だった」
三年ほど前のこと。
ある意味ではつい最近のことで、ある意味では遠い昔のことで。
- 59 名前:第四部 投稿日:2006/01/21(土) 00:47
- 「それで、決めてくれたの?」
「それなりに」
「それなり?」
「覚えて無いんだよね、あんまり。ただ、なんとなく、市井先輩なら何とかしてくれるっていうイメージは覚えてるんだけど。実際、先輩達の代は、最後は保田先輩にパス入れたら決められなくて負けちゃったし」
「そうなんだ」
昔の話。
そんな、イメージの姿と比べられても困る。
福田の話は中三の市井紗耶香だけど、高一の市井紗耶香も同じで、中澤先生にもそう見えているのかもしれない。
それだと自分にはどうにも出来ないんじゃないかと松浦は思う。
- 60 名前:第四部 投稿日:2006/01/21(土) 00:47
- 「だけど・・・」
言葉を漏らしてからちょっと考える。
福田の迷いに松浦が問いかける。
「だけど?」
「だけど、今もそうかは、わからない」
「そっか・・・」
福田は、まだ、なんとなく、市井先輩なら何とかしてくれる、というイメージを持っている。
ただ、松から見た市井先輩は、ただの人に見えるんだろうな、とも思った。
だから、今は分からない、と続けた。
福田だって、時には少しくらい気を使う。
- 61 名前:第四部 投稿日:2006/01/21(土) 00:48
- 「でも、松だって出番はあると思うよ。下の回戦はいろんな人使うと思うし、上の方だと、得点力が欲しい場面なんかもあるだろうから」
「出番っていうかー。スタメンで最初から出たいよー」
「松は、信頼どうこうの前に、四十分走る体力があやしいし。その辺は私も人のこと言えないんだけど」
中学生と高校生の大きな違い。
それもまた、スターティングメンバーに入るための一つのネックではある。
「出たいー出たいー。試合出たいー」
イスに座ったまま手をバタバタ足をバタバタ。
福田は苦笑するしかなかった。
- 62 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/01/21(土) 02:21
- 更新乙です。
ここの福田と松浦の関係なんか好きです。
- 63 名前:ピース 投稿日:2006/01/21(土) 17:51
- 更新待ってました!
自分も練習ノートつけてたんでなんだか懐かしいですね。
松江が強くなるかどうかは福田にかかっていると思うので
今後どんな風に展開していくのか楽しみです。
あと、個人的に富が丘ファンなんで富が丘編も楽しみに待っています♪
- 64 名前:作者 投稿日:2006/01/28(土) 00:52
- >>62
この二人が、関係してるのもめずらしいですよね。
>ピースさん
練習ノートって、全国共通部活共通、どこでもあるものなんですかね?
- 65 名前:第四部 投稿日:2006/01/28(土) 00:52
- 富ヶ岡にとって、県予選を勝ち抜けることは特に問題になるものではない。
このチームにとっては、普段と違うメンバーを相手にした新鮮な実戦練習、という程度のもの。
各メンバーにとってはそれよりも、ベンチに入ること、あるいは試合に出ること、試合でどれだけ活躍出来るか、そういったことが問題になる。
登録は、割と早い時期に終えているのだが、和田コーチはそれをぎりぎりまで伝えない。
試合の前日にコーチ自らユニホームを渡すのがこのチームの儀式だ。
キャプテンの平家が四番をもらうのは常であるが、他は、その時々の調子で入れ替わる。
練習終了後、石川は七番、柴田が九番、高橋は十二番を受け取り、小川には十六番が渡された。
- 66 名前:第四部 投稿日:2006/01/28(土) 00:53
- 「高橋さんの方が期待されてるって感じだなあ」
「へへへ」
数字が若ければ良いというわけでもないが、若い方がなんとなくよさそうに見える。
そんなもの。
実際は、ユニホームサイズと身長等の体型との都合などなどいろいろあるのだが。
「私、十六番かあ。春より大きくなっちゃったよ」
「番号遠いから、間違わなくてすむね」
「ああ、あったねー。私のユニホーム高橋さんが持って帰っちゃったこと」
「違うよー。小川さんが私の持って帰ったんでしょ」
そんな会話が、少し離れたところにいる石川に聞こえてくる。
ある意味、耳が痛い。
- 67 名前:第四部 投稿日:2006/01/28(土) 00:53
- 「私がそんなどじするわけ無いでしょ。高橋さんのほうがそういうどじしそうじゃない?」
「そんなことせんって」
こんなことでもめられたら石川が困る。
近づいて行って割って入った。
「あなたたち、仲良くなったのにまださんづけなの?」
突然やってきた先輩。
どちらがユニホームを間違えたのかはもはやどうでもよくなる。
というか、やってきた先輩が犯人なのだが。
- 68 名前:第四部 投稿日:2006/01/28(土) 00:54
- 「いや、なんか、それで馴染んじゃったから」
「馴染んじゃったからじゃないでしょ。さんづけのままだと深い仲になれないよ」
「深い仲ってどういう仲ですか?」
高橋愛の素直な質問。
石川が割って入って行ったこのやり取りを、遠くで柴田が笑ってみている。
「私と柴ちゃんみたいな仲です」
「へー・・・」
普通に納得して、目の前に立つ石川と遠くの柴田の顔を順に見る小川。
柴田は、石川の言葉に反応して近づいてきた。
- 69 名前:第四部 投稿日:2006/01/28(土) 00:58
- 「ちょっとちょっと。何を言ってるの梨華ちゃんは」
「えー。違う?」
「違います」
「それはともかく。あなた達、いつまでもさん付けじゃなくて、別の呼び方しなさいよ」
またお姉さんモードに入ってるよこの人は、と柴田は隣で呆れ顔。
仲はいいが、勝手に深い仲にされても困るのでやってきたが、呼び方なんかどうでもいいだろと思っている。
「例えば?」
「普通に名前で呼んでみるとか。愛、麻琴って」
「うーん」
「いいから言ってみなさいよ。高橋から。はい」
一年生の頃は全然イメージしていなかった。
柴田から見て石川は、頼りなさげな妹キャラ。
それが、後輩が入って変わった。
変わったのか、見知らぬ一面だったのか分からないけれど、柴田としては、ちょっとした驚き。
- 70 名前:第四部 投稿日:2006/01/28(土) 00:58
- 「麻琴。いや、なんか恥ずかしい」
小川の目を見て麻琴と呼んだ高橋は、やけに照れて顔を覆う。
呼ばれた小川も、頭をポリポリ。
「次、麻琴。ほら」
「え、えー、あの。あー、愛」
言ったはいいけど、いまいちぴんと来ない。
頭をポリポリ。
二人は一瞬視線を合わせるけれど、恥ずかしそうに微笑んで、また視線を外した。
「何やってるのよ。見てる方が恥ずかしいわよ」
「だってー」
「高橋さんが照れるからー」
「また、高橋さんになってる!」
ほっといてあげればいいのに、と柴田は思う。
そんな石川を見ているのは嫌いではないのだが。
- 71 名前:第四部 投稿日:2006/01/28(土) 00:59
- 「急に無理ですよー」
ペタンと座ってストレッチをしている小川は、石川を見上げて言う。
石川は、右手にボールを持ち、左手は腰に当てて威厳高々に言った。
「そんなことじゃ、私と柴ちゃんのような深い仲にはなれないわよ」
「だから、深くないから、別に」
「ちょっと、冷たくなーい?」
「普通だから」
「もう!」
怒ってます、の顔をする石川に柴田は苦笑。
高橋と小川も、二人の姿を見上げて微笑んでいた。
- 72 名前:第四部 投稿日:2006/01/28(土) 00:59
- 「いいもん、別に。高橋」
「は、はい」
「ちょっと付き合いなさい」
「はい」
ボールを弾ませながら石川はコートに向かって歩いて行く。
高橋は慌てて立ち上がってその後を小走りに追いかけた。
「まーた、ワンオンワンか、あの二人は」
「いっつもやってますよねー」
足を伸ばして柔軟。
小川の体はそれなりに柔らかく、足を伸ばしてつま先をつかめば、胸が太ももにつく程度には曲げられる。
- 73 名前:第四部 投稿日:2006/01/28(土) 00:59
- 「仲間に入りたいんじゃないの?」
「一対一なら、高橋さんには負けないんですけどねえ。ちょっと、石川さんに相手してもらいたいなあ、って思ったりはしますよ」
「じゃあ、混ざってくればいいじゃない」
「いいですよ、私は。なんか、邪魔するのもイヤだし」
そう言って小川は、手元に置いてあったボールを拾って立ち上がる。
左手の人差し指にボールを乗せて回しながら歩き出した。
「シューティングしてきます」
柴田は小川の背中を見送った。
さて自分も、と、ボールを弾ませながら、空いていそうなゴールを探す。
迷っていたら後ろから声をかけられた。
- 74 名前:第四部 投稿日:2006/01/28(土) 01:00
- 「石川は、また高橋の相手か」
声をかけられたから振り向く。
だけど、顔を見なくても当然声だけで分かる。
平家だった。
「なんか、お気に入りになっちゃったみたいで」
「憧れてます、って言われて有頂天になるとか石川らしいな」
「ですよねー」
さすが先輩分かってくれる、と言いたげな柴田。
ただ、平家の方は、目が笑っていなかった。
- 75 名前:第四部 投稿日:2006/01/28(土) 01:00
- 「高橋の相手ばかりしてるのも、良し悪しなんだよな」
そう言って一つため息をつくとタオルを片手に引き上げて行く。
柴田は、良し悪しって何だろう? と思いつつその背中を見送った。
ひいきになるってことかな? なんて思いながら石川と高橋の方を見る。
石川が、ロールターンしてそのままジャンプシュートを決めていた。
「さて、私も」
一言つぶやいて、一番すいているゴールに向かう。
右六十度あたりの位置から、スリーポイントを打ち始めた。
- 76 名前:ピース 投稿日:2006/01/28(土) 20:26
- 更新お疲れ様です!楽しみにしていた「富が丘編」待ってました♪
梨華ちゃんの空回りなお姉さんっぷり、照れまくる愛と麻琴が可愛過ぎますね!w
それにしてもキャプテンの言葉が気になります。
>練習ノートって、全国共通部活共通、どこでもあるものなんですかね?
自分はサッカーなんですが小学生の頃からの習慣で自主的にずっと続けてました。
強豪校の中にはノートの提出を義務づけているところもあると聞いた事があります。
- 77 名前:作者 投稿日:2006/02/04(土) 01:29
- >ピースさん
小学校からって、なんかすごいですね。
読み返すと日記並みに恥ずかしかったりするんでしょうか。
- 78 名前:第四部 投稿日:2006/02/04(土) 01:30
- ひろみの死からわずか五日、告別式を終えてから三日。
インターハイの北海道予選がもう始まった。
突然の事故死。
キャプテンは負傷入院中。
気持ちを切り替えて弔い合戦として挑む、なんて、新聞雑誌が喜びそうなことなんかできやしない。
ぽっかりと穴が開いた状態で、誰も練習に集中できない状態で大会を迎える。
大会の選手登録は、すでに済ませてある。
登録メンバーは最大十五人。
ベンチ入りも十五人。
数日前までエントリー変更は可能だった。
それをコーチはしなかった。
そんなことが頭に浮かぶ余裕がなかったのだ。
試合には、十三人で臨むことになる。
- 79 名前:第四部 投稿日:2006/02/04(土) 01:30
- 「美貴、早くしてよ! 時間過ぎてる」
「いいよ、行きなよ」
「そんなことできるわけないでしょ」
試合会場までは寮から直接学校のバスで向かう。
その出発の時間になっても、藤本は荷物を詰めたバッグを枕に部屋で横になったまま動かない。
同室のあさみとしては、叩き起こしてでも連れて行くのが義務のような感じになってしまった。
「試合なんかする気分じゃないよ」
「それはみんなそうだけどさー」
あさみはすでにドアの前。
カバンは床に置き、腰に両手を当てて、困った顔で藤本を見ている。
当の藤本は、目を瞑って動かない。
- 80 名前:第四部 投稿日:2006/02/04(土) 01:31
- 「美貴」
あさみの言葉に帰ってくるのは静かなため息が一つだけ。
もっと深いため息をはきつつ、あさみは藤本の下へゆっくりと歩み寄る。
「なつみさんだって、ひろみさんだって、ちゃんと試合したいと思ってると思うよ」
あさみの言葉に呼応するように、藤本は寝返りを打つ。
あさみに背を向ける方に寝返りを打つ。
- 81 名前:第四部 投稿日:2006/02/04(土) 01:31
- 「そういう問題じゃないんだけどな」
「もう、美貴」
藤本、力なく体を起こすけれど、それでもあさみに背中を向けたまま。
そんな背中をあさみは見つめる。
「気持ちは分かるけどさあ。私だって試合とかそんな気分じゃないけどさあ。行かないわけにいかないでしょ」
常識人の普通の言葉。
心に響くわけじゃないけれど、聞き流すわけにも行かないまっとうな言葉。
藤本はゆっくりと立ち上がり、荷物を引きずるように歩き始めた。
- 82 名前:第四部 投稿日:2006/02/04(土) 01:31
- まだ早朝に近い時間。
夏至を過ぎたばかりの時期とはいえ、北海道の日の出は早くはない。
冷たさの残る風が吹く朝、砂利の敷かれた玄関前にバスは止まっている。
重い足取りで藤本たちがバスに乗り込んでも、まだ空席が目立っていた。
「集まって無いんですか?」
「うん」
あさみの問いに気の無いりんねの答え。
集合時間はとっくに過ぎている。
それでも、誰も文句を言わないし、呼びに行く姿も無い。
集団生活、団体行動、規律の取れた寮生たちにはめずらしい姿。
ぼんやりと外を見つめ座っている。
一人、二人とばらばらと、重そうに荷物を抱えバスに乗り込んでくる。
出発予定時刻を十五分過ぎて、ようやく全員集まった。
最後に乗り込んできたのは梓だった。
- 83 名前:第四部 投稿日:2006/02/04(土) 01:31
- 会場までのバスの道のり。
一番最初に通るのは、あの、事故現場。
多くの花束が置かれている。
速度を落とすこともなくバスはその場所を通り過ぎていく。
祈るもの、うつろに花束を見つめるもの、涙を浮かべるもの、目をそむけるもの。
感情が、それぞれに動かされていく。
ひき逃げ犯は、まだ捕まっていない。
バスはやがて高速に入る。
試合会場までは二時間の道のり。
車内は静かなものだった。
話し声も無く、タイヤが車道のつなぎ目を通るときの振動だけが、それぞれの体に響く。
まだ朝の早い時間だからかもしれない。
試合前ということで緊張感があるのかもしれない。
規律が守られているからかもしれない。
車内は静かなものだった。
- 84 名前:第四部 投稿日:2006/02/04(土) 01:32
- 今回の会場は旭川。
二年生以上のメンバーにとってはなじみの場所だ。
今の時間、試合の時間を確認して会場に入る。
試合と言うのは一つのイベントではあるけれど、今の彼女たちにとってはルーティンワークの一つに過ぎない。
淡々と着替え、淡々とアップをし、淡々と試合へ。
初日の一回戦、二回戦、力の差がありすぎる相手。
五対五ではなくて三対五くらいで試合をしても勝てるような相手。
苦もなく簡単に勝ちあがった。
夕方まで試合で、二時間かけて帰ってきて寮で夕食を取る。
道内の試合ではよくあること。
よくあることであるが疲労感がやたらとある。
たいした相手でもなかったのに。
- 85 名前:第四部 投稿日:2006/02/04(土) 01:32
- 「ベンチに十三人しかいないってさあ、なんか少ないんだよね」
夕食後、ベッドの上で壁にもたれていた藤本が唐突につぶやいた。
床に座りマンガを読んでいたあさみは、顔を上げて藤本の方を見る。
藤本は、一瞬あさみの方を見て視線を合わせて、またぼんやりと前を向く。
「アップのときとか、三角パスやってて、なんかパス出す相手が変わるんだよね。あれ? って感じでお互い顔見合わせて。それで気づくんだ。二人いないんだなって」
ベンチ入りは十五人。
三角パスをすれば、十五人なら三で割り切れるので、いくら回しても同じ相手にパスを出すことになってずれることは無い。
- 86 名前:第四部 投稿日:2006/02/04(土) 01:32
- 「タイムアウトで戻ってくると、なんか一瞬静かなの。それで、あっ、て気づいてりんねさんがいろいろ話始めるんだけどさ。いつもは、なつみさんが指示とか出してたから」
あさみは漫画を横に置いてひざを抱える。
ベンチに入ったことも無いけれど、藤本の言っていることは分かる。
スタンドから見ていても伝わってくるベンチの雰囲気。
何かがずれている。
「なんか、もう、そういうのが全部イヤなの! いない。いない。いない! って、一々感じるのが、もういや!」
抱えたひざに額を乗せて、あさみはうずくまる。
どうしてあげることも出来ない。
あさみだって、同じようにイヤだ。
- 87 名前:第四部 投稿日:2006/02/04(土) 01:33
- 「なんでバスケなんかやってるんだろ。なんで試合なんかやってるんだろ、私たち」
あさみは答えない。
物音一つしない部屋。
外から、廊下から、声が聞こえてくることも無い静かな部屋。
藤本は、自分の座っているベッドの枕を拾い上げて両手で自分の足に叩きつける。
ボスッとくぐもった音が乾いた空気を伝わった。
- 88 名前:第四部 投稿日:2006/02/04(土) 01:33
- 翌日。
同じように早朝からバスで会場に向かう。
勝利を求める雰囲気は、ここにはない。
三回戦、レベル差はまだ十分にある相手のはず。
だけど、点がなかなか伸びない。
シュートが入らなかった。
58-40
勝つには勝ったが、こんな下の回戦での点数じゃない。
夕方に準々決勝。
もう、限界だった。
肉体的な疲労の蓄積、すり減らして行く神経。
上がらない士気に、集中力の欠如。
今のこのチームには、勝って何かを得ようという意欲は無い。
得られる何かに価値を感じられない。
あるのはただ、喪失感だけ。
- 89 名前:第四部 投稿日:2006/02/04(土) 01:33
- 藤本がボールをさばけずにいた。
いつもの試合とは明らかに違う雰囲気。
いつものパスのタイミングに、足の動かないメンバーがついてこれない。
どうしよう。
無意識のうちに、安倍の姿を探すがフロアにいるはずがなかった。
第三ピリオドを終えて、37-45と八点のビハインド。
このレベルでこんな試合をしたことはこれまでにないことだった。
- 90 名前:第四部 投稿日:2006/02/04(土) 01:34
- 「みんな集中して。大丈夫。大丈夫だから。しっかり走ろう」
最後のピリオドに向けての二分間のインターバル。
ベンチで語るのはりんね。
チームの柱、精神的なマザーシップがここにはいない。
中心となる三年生達は、崩壊している。
りんねが一人、ぎりぎりのところで踏みとどまっていた。
そんなりんねに答える声はない。
しっかり走る? 何の為に?
仲間を失った悲しみを糧に、強敵に打ち勝つ?
そんな風に切り替えられるほど、一週間という時間は長くはなかった。
- 91 名前:第四部 投稿日:2006/02/04(土) 01:34
- 暗い空気のまま最終ピリオドへ。
どうにもならなかった。
ひろみのことは、大会に出ている誰もが知っている。
だからといって、誰も同情して勝たせてくれるわけもない。
相手だって、滝川に勝って決勝リーグへ行けるなんていう大金星をつかむ為に必死だ。
流れは、最後まで変わることはなかった。
試合は、50-57で敗れた。
メンバー達はベンチに帰ってくる。
ほとんどの選手は、悔しさも何もなかった。
終わった、それだけだった。
口を開くものはいない。
無言のまま、荷物を拾いそれぞれに控え室に消えていった。
- 92 名前:ピース 投稿日:2006/02/04(土) 18:09
- >読み返すと日記並みに恥ずかしかったりするんでしょうか。
ええ、それはもう…。w
それにしても滝川は完全にチームとしてのバランスを失ってしまってますね…。
チーム建て直しのカギとなるのはやはり…。
しかし大変だ、本当に大変だ。(;´Д`)
- 93 名前:作者 投稿日:2006/02/11(土) 01:08
- >ピースさん
あんなことがあると、さすがに厳しいみたいです。
- 94 名前:第四部 投稿日:2006/02/11(土) 01:09
- インターハイの地区予選は全国各地で行われている。
吉澤たちも同じだった。
ここは、金・土・日の三日間。
春の地区大会で勝ちあがれなかったので一回戦からのスタートになる。
初日に一回戦、二日目に二回戦と準々決勝、最終日に準決勝と決勝。
勝ち上がっていけば三日で五試合。
なかなか厳しい日程だ。
- 95 名前:第四部 投稿日:2006/02/11(土) 01:10
- 「部員が少ないっちゅうんは、こういう時つらいもんなんやなあ」
「いままではあまり感じなかったんですけどねえ」
三日で五試合の日程を厳しいと感じるのは、三日で五試合戦う予定のチームだけである。
これまでは、そんな予定を持てるチームではなかった。
「こういう時って、どういうスタメン組むもんなんや?」
「スタメンは普通でいいんじゃないですか? 交替を増やす感じで。私やあやかはなるべく最初の方は休みたいかな。吉澤は体力バカだから出ずっぱりでもいいですけど」
「福田はどうするんや?」
「ああ、明日香かあ。あの子、体力的にはどうなんだろ。本人に聞いてみます?」
「本人になあ・・・」
中澤はそうつぶやいて苦笑する。
練習前、保田と中澤、県大会にどう立ち向かうかを相談していた。
- 96 名前:第四部 投稿日:2006/02/11(土) 01:10
- 「どうしたんですか?」
「いや、私、相談してばっかりだなって思ってな。普通、誰を使うかとかそういうのって、コーチが自分で決めるやんか」
「しょうがないんじゃないですか? 先生だってまだ初心者なんだし」
「そうなんやけど。なんか、役に立ってへんってのが」
「じゃあ、テストの問題教えてくれるとか」
「それとこれとは違うやろ」
「はは。ばれたか」
今度は保田が苦笑い。
保田も三年生、次の大会、負ければそこで引退する身。
そろそろその先の、進路とか何とかも気になるし、進学を考えているので、テストの重みも自分の中で増している。
- 97 名前:第四部 投稿日:2006/02/11(土) 01:10
- 「でも、あんたらすごいって。ろくなコーチもおらんのに、県大会優勝すること考えてるんやから」
「いるじゃないですか、コーチは」
「明日香か?」
「ああ、あの子もそうだけど。でも、よくうちに来てくれましたよね」
「保田の人徳やろ」
「だったらいいんですけどね」
少し自嘲気味。
なんとなく、そうは思えなかった。
- 98 名前:第四部 投稿日:2006/02/11(土) 01:10
- 「ともかく、うちは言う事聞くから。保田のやりたいようにやってええよ」
「なんですかそれ。コーチ役は先生に任せるって、もう前に決めたじゃないですか」
「でも、負けたらこれで最後なんやし。思い残すことないように、好きにやったらええって」
「負けませんよ。負けない。明日香が来てくれたから、絶対決勝まではいけるし、決勝も、吉澤が、絶対あのむかつく飯田のこと止めてくれて、優勝してインターハイです」
「自分の名前が無いぞ」
「私は、もう、今のチームじゃおまけですよ。ただのおまけ」
少しさみしそうな、少し頼もしそうな。
虚勢も遠慮も謙遜もない、保田の本音。
- 99 名前:第四部 投稿日:2006/02/11(土) 01:11
- 「そんなことないやろ。あんたが作ってここまでしたんやし」
「作ったのは紗耶香ですよ。私は、それに乗っかっただけだし。でも、最初から全部見てるっていうのはありますよ。だから、私自身はもうおまけにすぎないけど、でも、それでも、このチームで勝ちたいなって」
「いいなあ、熱くて」
「熱いですよ。負けっぱなしで終われませんから。また、あの飯田に負けたら、私、冬までやりますよ」
「おお。言うたな」
普通の学校の高校三年生は、このインターハイ予選を最後に引退する。
一握りの強豪チームだけは、冬の選抜大会まで三年生が残る。
一握りの強豪チームの場合、バスケで進学出来るので、受験勉強の代わりのようなものでもある。
保田は、今は、普通に受験勉強しての進学を考えていた。
- 100 名前:第四部 投稿日:2006/02/11(土) 01:11
- 「いや、まあ、冬までやるかは、あの、別にして。勝ちますよ。絶対。だから、先生も、私のこととか気にしないでやってくださいよ」
「分かった分かった。でも、保田の意見も尊重しないと、うちとしては、自信もてへんからさあ」
「あんまりぐちゃぐちゃ考えてもしょうがないし、練習行きましょうよ」
「まったく、あんたは練習してれば考えんでいいかもしれんけど、こっちは練習の間中考えないとあかんのやで」
ぐちゃぐちゃ悩むよりまず動く、が保田の基本。
ぶつぶつ言いながらも中澤は、書類に埋もれた机から立ち上がる。
高く積まれた生徒の提出した宿題プリントをばちっと叩いた。
「まあ、いこか」
「はい」
二人で体育館に向かった。
インターハイ予選はもう翌日である。
- 101 名前:第四部 投稿日:2006/02/11(土) 01:12
- 練習自体は軽めにすませた。
疲れを残さないことが大切。
気分よく、練習を終わらせた。
帰り道、普段は一年生も巻き込んでわーわー言いながら帰るけれど、今日はなんとなく二人で帰ることにした。
あやかにとってはなんとなくだけど、実際は吉澤が、そうなる風に動いたのだが。
「試合かー」
「いやそうだね」
「いやじゃないけどさあ。まあ、いろいろあるじゃない」
「いろいろ?」
「いろいろ」
吉澤があいまいなままだからあやかはつっこまずに黙り込む。
スポーツバッグを背負い歩く二人。
中には、今日受け取ったユニホームも入っている。
- 102 名前:第四部 投稿日:2006/02/11(土) 01:12
- 「ボール持っていかなくていいのはいいね」
「ああ、あれ邪魔だよね。なんか目立つし」
二年生になって最初の四月の試合は、一年生はまだ仮入部期間という名目で、雑用は吉澤たちがやっていた。
そこから解放されて最初の試合、ではある。
「あたしらさあ、まだ、下っ端じゃなくなったばかりだよね」
「まだ、二ヶ月ちょっとだっけ」
「それで、インハイの予選なんだよね」
そろそろあやかも、吉澤が何を言おうとしているのか分かってくる。
それでも、あやかの方からは話を振ろうとはしなかった。
- 103 名前:第四部 投稿日:2006/02/11(土) 01:12
- 「予選だねえ」
「負けたら、保田さん引退するのかなあ」
「するって言ってたねえ」
前を向いて歩いていた二人。
吉澤はあやかの方を見た。
あやかは、一度吉澤を見返したけれど、すぐに視線を前に向ける。
横顔を見ていても答えは返してもらえない。
吉澤は言葉にしてみた。
「保田さん引退したら、キャプテンどうするんだろうね?」
まあ、そういう話がしたかったんだろう、と吉澤がもったいぶってるあいだにあやかは気づいていた。
気づいていてはいたけど、どう答えていいのかはちょっとすぐには分からない。
- 104 名前:第四部 投稿日:2006/02/11(土) 01:13
- 「やっぱり、あやかかなあ」
「いや、それは違うでしょ」
ここは即答。
それは絶対に無い、とあやかの方は思っている。
そんなことを振られるとは思っていなかった。
「なんで?」
「私がやるならよっすぃーでしょ。どう考えても?」
「なんで?」
「私なんか、よっすぃーを取り囲む輪のなかの一人だもん。輪の中の一人がやるよりは、輪の中心がキャプテンやる方が自然でしょ」
「そうかなあ?」
「そうだよ」
突き放すような声でのあやかの言葉。
吉澤は首をひねって考え込んでいた。
- 105 名前:第四部 投稿日:2006/02/11(土) 01:13
- 「市井さんは?」
考えながらポツリとつぶやく。
二年生は自分とあやか、それともう一人いて、それが市井。
ただ、留学して一年いなくて年が一つ違う、というのは、チームの中での位置づけとしてどこに置いていいのか、皆迷っているような部分もある。
「どうなんだろうね、市井さん。なんか、あんまり引っ張って行くとかそういうタイプには見えないけど」
「でも、チーム作ったのあの人でしょ」
「練習見てるとさあ、いつもなんか、飄々とした感じしない?」
「ひょうひょう?」
「とらえどころがないとか、こだわりがないとか、そういう意味」
「あやか、難しい言葉知ってるねえ」
簡単な言葉を知らないのに難しい言葉は知っていたりする。
言葉を勉強で覚えると、そんなことが起きたりする。
- 106 名前:第四部 投稿日:2006/02/11(土) 01:13
- 「どっちにしても、キャプテンって感じじゃなく無い?」
「でも、うまいじゃん」
「よっすぃー、最初にやられちゃったもんね」
「なんか、頭あがんない感じ」
「それはあれだったけど、でも、リーダーシップって意味ではよっすぃーのがいいと思うけどなあ」
「どこが? 私、そんなのないよ」
「あるある。あるから。あるからああやって人が集まるんだし」
「だったらなんで福田はあんなふうに言いたい放題言えるんだよ」
「それはまた別でしょ」
自分がむいてない理由を集めようとしている吉澤に、ちょっとあやかはいらだった口調になる。
あやかにとっては、次のキャプテンに吉澤がなるのはもはや自明なことなのだ。
- 107 名前:第四部 投稿日:2006/02/11(土) 01:13
- 「大体さあ、決め方も決まってないよね?」
「決め方?」
「先輩の指名なのか、先生の指名なのか、それとも、私たちで決めるのかとか」
「そういえばそうだよね」
一度、吉澤は保田に聞いてみたことがある。
保田は、後で考えよう、と言うだけだった。
保田からすれば、キャプテンを決めると言うのは、負けて引退ということになる。
県大会で負けたときのことは、考えたくなかった。
- 108 名前:第四部 投稿日:2006/02/11(土) 01:14
- 「保田さんが冬までやればいいんだよ」
「受験勉強させない気?」
「だってさあ。先輩いないと不安じゃない?」
「それはそうだけど」
「とりあえず、優勝すれば引退は先送りだよね」
「優勝はともかく、よっすぃーはもうちょっと自覚持ったほうがいいよ」
「なんでー。私がそうなら、あやかもそうじゃん」
「私とよっすぃーは違うの」
「なんでかなあ」
不満声の吉澤。
あやかから見れば往生際が悪すぎる。
でも、そうはいっても、吉澤としては、自分がリーダーになる、という覚悟を持てる段階じゃなかった。
- 109 名前:第四部 投稿日:2006/02/11(土) 01:14
- そうこうするうちに駅にたどり着く。
自動改札も無いので定期を駅員に見せてホームへ。
乗る線が違い、ホームが違うのでここでお別れ。
「まあ、頑張ろうよ、まず、試合」
「勝てば何の問題もなしか」
「そうそう」
勝ちさえすれば、優勝さえすれば、キャプテン問題はインターハイまで先送り。
自覚がないのが問題かどうかは、また別の話。
「じゃ、明日ね」
「バイバイ」
「バイバイ」
軽く手を振って、笑顔で分かれた。
決戦は、明日から始まる。
- 110 名前:ピース 投稿日:2006/02/13(月) 20:51
- 更新お疲れ様です♪
松江のインハイの県予選もいよいよですね!
色々と不安なのかヘタレよっちぃが顔を覗かせてますね。w
- 111 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/17(金) 03:49
- 更新キテター
よしこの気持ちも分からないでもないw
- 112 名前:作者 投稿日:2006/02/18(土) 01:00
- >ピースさん
なかなか不安みたいですね
>111
なんで私ばっかり・・・、みたいなのってありますよね
- 113 名前:第四部 投稿日:2006/02/18(土) 01:01
- 初日の一回戦は、部員全員出場し百点ゲームの圧勝だった。
二日目二回戦。
ここも前半の間にスタメンを下げる余裕を見せ、ダブルスコアで勝ち上がる。
そして準々決勝は、春の大会で敗れた第四シードの東松江が相手。
二ヶ月前に同じメンバー構成で負けた相手なので、緊張感をはらんだ出だしとなる。
ただ、その頃とはチームの完成度が違った。
相手は春と同じように2-3のゾーンを引いてくる。
そこに、単純に個人技で突破するのではなくて、パスで崩して行く。
なんだかんだと言いながらも、吉澤やあやかと、福田のコンビはそれなりに合うようになってきていた。
二人でインサイドから加点して行く。
そして、問題の相手エース大谷には保田をつける。
キャプテン対決で今度は保田が押さえて見せた。
一二年生が目立つチームになっているが、保田自身も成長を見せている。
相手エースが怖いので、それに張り付く保田は下げられないが、他のメンバーはここでも休ませる余裕を見せながら、それでも77-51と圧勝で勝ち上がった。
- 114 名前:第四部 投稿日:2006/02/18(土) 01:01
- 翌日に準決勝以降の試合を控えた帰り。
中澤は保田を車に誘った。
「スタメン、誰にしたらええか迷ってんねん」
中澤が心情を吐露する。
大事な大事な試合だった。
準決勝と決勝、勝てばインターハイへの出場権を得られる。
負ければ、その場限りでチームは解散することになる。
三年生は引退、二年生達、次の代へと引き継いで去っていくことになる。
まともにチームを率いる立場になって、試合で采配を振るうようになって、まだ間も無い中澤には、一人で決断するにはどうしても不安がある。
- 115 名前:第四部 投稿日:2006/02/18(土) 01:02
- 「それを選ばれる側の私に相談しますか?」
「他に、相談出来る人おらんもん」
懇願するような中澤に、保田は苦笑するしかない。
ハンドルを握り、前を見つめたまま中澤は続ける。
「普通に考えれば、明日香に、紗耶香保田、インサイドは吉澤とあやかのいつものメンバーで決まりなんやろうけどな、松浦のスリーポイントってやっぱり欲しいやん。特に、決勝残った場合。インサイド、多分あの飯田とか言うのに押さえられるやろうから、外から撃てるのが二枚あると得点力上がるし」
市井と松浦、同じポジションをこなせる二人の評価は、中澤の中では理屈でなく無条件に市井が上だった。
- 116 名前:第四部 投稿日:2006/02/18(土) 01:02
- 「そうですねー。飯田相手だと、吉澤もあやかも点を取って行くのは難しそうですね。ディフェンスに力使うだろうし、二人がかりでも、止められるかわかんないですしねー」
「まさか、明日香を外すわけにもいかんしなあ。松浦がポイントガードも出来るって言ってもな。もう、頭痛いは。六人使ったらあかんかな」
六人フロアにいても、レフリーが気づかなければプレイオンで、ルール上は気づかれるまでの得点も加点されるが、そんなことはまずありえない。
「簡単じゃないですか」
助手席に埋もれる保田は言う。
中澤の考えに、保田が意見を補足して試合展開とメンバー構成を語った。
- 117 名前:第四部 投稿日:2006/02/18(土) 01:03
- 「本気か? ホンマにええんかそれで?」
「先生、前、前見て、怖いから」
直線で周りに車の無い状況でも、助手席に座る保田にすれば、運転手にこちらをむかれるのは怖い。
中澤は、保田の顔色が変わったのを見て、少し笑みを浮かべて前を向いてから続ける。
「ホンマにええんか? それで」
「いいと思いますよ。たぶん、それが勝つための一番の近道じゃないかな。わかんないですけど。最後は先生決めて下さいね。お前の作戦のせいで負けたー、とか言われても困るんで。シュート外して負けた、とかなら責められてもいいですけど」
「誰も、責めたりせんよ、勝っても負けても。でも、負けたら最後なんやな」
しみじみそう言う中澤に、保田は言葉を返さなかった。
- 118 名前:第四部 投稿日:2006/02/18(土) 01:03
- 午前中に準決勝。
相手は、新人戦の三位決定戦で敗れた北松江である。
あの時はミカに好き放題やられたが今日は違う。
福田がいた。
ミカは、確かに優れたプレイヤーではあるが、それでも福田明日香の方が全面的に一枚上手である。
メンバーがフリーになった絶妙のタイミングでミカがパスを供給する、というのが北松江の得点パターン。
この、パスの出所を止めてしまえば一気に得点力はなくなる。
フリーの瞬間ではなく、正対した状態からの一対一なら、いまの吉澤たちなら簡単にはやられない。
前半から十五点のリードを奪った。
後半、決勝のことを考えると福田を休ませたいところだが、ミカに張り付いているため中澤としては代えづらい。
第三クォーターの相手のタイムアウト。
ベンチに戻ってきた福田に中澤が声をかける。
- 119 名前:第四部 投稿日:2006/02/18(土) 01:03
- 「疲れてへんか?」
「大丈夫ですけど」
「あと十五分やないで。あと十五分プラス四十分考えたとき、いま、疲れてへんか? って聞いてるんやけど」
あと十五分は、この試合の残り時間。
プラス四十分は、勝った後の決勝一試合分の時間。
このチームのこの大会の目的は、その決勝に勝つこと。
県の決勝という舞台は、簡単に立てるものでは無いけれど、そこに立つことが目標なわけじゃない。
「でも、あの九番は抑えないと危険ですよ」
先のことまで考えた場合、疲れてないと言い切れるほど、体力面では福田は自信を持っていない。
それが、こういう答えになっている。
そんな中に、思わぬ方向から声が飛んできた。
- 120 名前:第四部 投稿日:2006/02/18(土) 01:04
- 「先生。私が九番につきます」
すでに、市井と替わって入っていた松浦だった。
予想外の言葉に視線が集まる。
控えの一年生から出る言葉としては意外すぎて、一瞬誰も反応できない。
松浦が続けた。
「大丈夫です。松浦が頑張って、明日香ちゃんにゆっくり休んでもらいます」
それぞれが様子をうかがうように互いを見る。
賛成、の声も出てこないが、特に否定する言葉もない。
- 121 名前:第四部 投稿日:2006/02/18(土) 01:04
- 「明日香、どう思う?」
中澤が本人に聞いた。
まだ、自分一人で決断を出す自信は無い。
「別に、いいんじゃないですか」
冷たい顔。
表情は変わらない。
出来るでも出来ないでもない。
ただ、無理と思ったら無理だとはっきり言うのが福田流なはず。
「よし、じゃあやってみろ。明日香は下がって」
積極的に控えを使ってみよう、というよりは、ダメなら福田を戻せばいい、という発想。
リスクは少ないしいいか、といったところ。
- 122 名前:第四部 投稿日:2006/02/18(土) 01:04
- 「オフェンスは、まあ、自由にやればいいよ。明日香下がっちゃったから一対一で勝負しないといけないところも増えるけど、みんな十分勝てるから。ディフェンスはしっかりね」
「松浦、あんまり気負わなくていいからな。外で自由にやらせなければいいから」
スタメン組でまだフロアに残っている保田と吉澤、それぞれの言葉。
この試合、相手も十分強いのでこの二人は最後までフロアにいる予定にはなっている。
「頑張るんでフォローお願いします」
ミカを止める自信があるんだか無いんだか分からない元気な声で、松浦が言うとタイムアウトが開ける笛が鳴る。
メンバーはフロアに戻って行った。
- 123 名前:第四部 投稿日:2006/02/18(土) 01:06
- 「明日香! 明日香!」
ベンチの自分から遠い方へ去っていこうとした福田を中澤が呼びつける。
福田は、自分のタオルとドリンクを確保してから中澤の隣に座った。
「あいつ、自己主張したりするんやなあ」
ドリンクを一口飲んで福田は、不思議そうに中澤の方を見る。
答えがかえって来ないので中澤が補足した。
「松浦」
福田は中澤から視線を外しコートを見つめる。
北松江のシュートがはずれ、吉澤がリバウンドを拾ったところだった。
- 124 名前:第四部 投稿日:2006/02/18(土) 01:06
- 「自己主張くらいしますよ」
「いや、でも、なんかいい子風で、上の人の言う事をちゃんと聞きますみたいなタイプかと思うとったから。いや、自己主張するのが悪いっていうんやないで。イメージとしてな。イメージとして」
自己主張しないのをいい子と定義すると、福田は悪い子になってしまう。
慌ててそれを否定する中澤に、福田は特に気にする風もなく言った。
「ああいう子ですよ。みんなわかってないみたいですけど」
「そういや、あんたも、松浦とは結構仲いいみたいやな」
「別に、そうでもないですけど」
相変わらずクールな奴だ、と中澤は思う。
福田の表情は変わらない。
少し休んで、流れる汗も落ち着いてきた。
- 125 名前:第四部 投稿日:2006/02/18(土) 01:06
- 「九番止めるの、松浦で大丈夫か?」
「大丈夫じゃないですか?」
「ダメそうなら、また出てもらうことになると思うけど」
「止められるかどうかって意味なら、止められると思います。ただ、こっちも組み立てが出来なくなって点は伸びないと思いますけど」
「そうか」
それっきり、二人は話をするでもなく、フロアに目を移す。
ディフェンス戻れ、展開しろ、スクリーン気をつけろ、外あいた、二十四秒。
プレーへの指示をそれぞれ飛ばし、ゲームに集中する。
試合は、福田の予想通りに松浦はしっかりとミカを押さえ込み、福田の予想とは違い、一対一の強さから得点は伸び、75-53で勝利した。
- 126 名前:第四部 投稿日:2006/02/18(土) 01:07
- 「決勝か」
「決勝だね」
「後一つですね」
チームとして始めての決勝進出。
だけど、そこにたどり着くのが目標ではなくて、そこで勝つこと。
そう、それぞれの頭にある。
「何回戦でも関係ないよ。また、あれみたいだし」
最終日は、コート二面で同時進行で行われている。
もう一つのコートでは、準決勝のもう一試合が先に終わっていたようだ。
出雲のメンバーがコートサイドでこちらを見ている。
飯田が保田に手を振っていた。
- 127 名前:第四部 投稿日:2006/02/18(土) 01:07
- 「余裕みせやがって」
「顔覚えてくれただけよしとするか」
「はいはい。外野はええから。さっさと着替えて休んで飯を食う」
「先生、気楽でいいですね」
ボソッと保田が一言。
ここまで余裕を見せながらの決勝進出だけど、飯田の顔を見て現実を思い出した。
チーム結成以来、飯田のチームには四戦して四敗。
一番点差が小さかった試合でも、冬の新人戦での十五点差。
それに勝たないと先は無いのだ。
「なーに挑戦者が戦う前から暗い顔してんのや。そんな顔してもしゃーないやろ。まずはめしめし」
「まあ、そうですね。じゃあ、着替えて、軽く食事ね。ハーフのアップは、さっきのスタメンは自由参加でいいや。四クォーター入ったら体動かすから。とりあえず解散」
それぞれにベンチの荷物をまとめて引き上げて行った。
- 128 名前:ピース 投稿日:2006/02/19(日) 18:38
- 更新お疲れ様です。
そろそろレギュラーメンバーは疲労の蓄積が心配になってくる頃ですね。
いよいよ迫ってきた決戦では圭ちゃんの決断を含め、戦術的な部分でも
松江がどういう展開に持ち込むのか、楽しみです。
- 129 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/23(木) 15:59
- 因縁の対決か
ドキドキしてきた
- 130 名前:作者 投稿日:2006/02/25(土) 00:20
- >ピースさん
戦術的な部分、さて、素人コーチがどこまで出来るでしょうか。
>129
まだ試合は始まらなかったりして。
- 131 名前:第四部 投稿日:2006/02/25(土) 00:21
- 決勝までの間に、男子の準決勝が一試合入る。
およそ二時間のインターバル。
勝てばインターハイ、負ければ三年生引退、そんな試合までの二時間のインターバル。
お昼を挟んだ時間帯なので、メンバーはそれぞれに軽い昼食を取っていた。
何度も時計を気にしながら、おにぎりやサンドウィッチを流し込む。
時間が開いたことで、冷静に自分達の置かれている状態を認識することになる。
勝てばインターハイ、負ければ三年生が引退、新チームへ。
そんな試合までの二時間の時間。
- 132 名前:第四部 投稿日:2006/02/25(土) 00:22
- 一番、そわそわと落ち着かないのは保田だった。
チーム結成三年目。
その三年間、先頭に立ちこのチームをここまで引っ張ってきた保田。
初めてのチャンス。
そして、ダメなら最後のチャンスになる。
大げさでは無く、比喩でもなく、彼女に取ってはこれまでの人生最大の勝負だった。
保田に釣られるように、吉澤達二年生も空気が堅い。
前の試合からの集中を切らしたくないという思いもあり、黙々と食べ物を口に運んでいる。
高校生の女の子が数人集まって無言で食事をしている姿は、ちょっと異様でもあった。
- 133 名前:第四部 投稿日:2006/02/25(土) 00:22
- そんななか、一年生達はいつもと変わらない。
松浦を中心に取り囲むように、わいわいとにぎやかにお昼を食べている。
輪の中では唯一中心選手として試合に出ている松浦も、緊張感は見られない。
インターハイに出る、確かにすごいことだけど、まだ彼女達に取っては、自分ごとではなかった。
先輩達のおともといったところ。
試合に出ている松浦にしても、ここまで来た苦労、といったものがあまり無いため、それほど大きなプレッシャーを感じたりはしない。
- 134 名前:第四部 投稿日:2006/02/25(土) 00:22
- そして、福田明日香は、一年生の輪からも一人外れ、男子の準決勝を見ていた。
「なんや、彼氏でもおるんか? あん中に」
チームから遠く離れ、一人で時間を過ごしている福田に中澤が声をかける。
「別に、そんなんじゃないですけど」
「ちょっとはみんなと馴染むとかしたらどうなんよ。いきなり松浦みたいに愛想ふりまけとは言わんけどさあ」
「なんか、雰囲気おかしいんですよ。それで抜けて来ました」
普段なら共にいる、保田も市井も、緊張感でおかしな雰囲気になっている。
福田には居心地が悪くてしかたなかった。
- 135 名前:第四部 投稿日:2006/02/25(土) 00:22
- 「県大会の決勝やもん。そりゃあ雰囲気も変わるやろ。試合に出るわけでもないうちかてちょっとなんか緊張するしな。でも、あれやな。明日香はどんな時でもかわらんのな」
「別に、そうでもないですよ」
そう答える福田の声は、とても落ち着いている。
視線は、相変わらず試合を追っていた。
「なあ、ぶっちゃけ、決勝勝てると思うか?」
「いつもどおり普通にやれば」
「普通にか。えらい自信やな」
「うちのが攻め手が多いから。強気とか、そんなんじゃなくて、普通にやればうちのが強いって思ってますよ」
「じゃあ、普通に出来ると思うか?」
中澤の質問に、今度は少し答えに詰まった。
- 136 名前:第四部 投稿日:2006/02/25(土) 00:23
- 「立ち上がりは、うん、ちょっと、無理っぽいですね。どの程度で立て直せるかだと思います」
「無理か」
「あの雰囲気だと・・・」
二、三年生の、特に保田の空気の重さが気になった。
県の決勝、という舞台は福田以外のメンバーに取っては初めて上がる高み。
学年は下でも、福田の方が経験は豊かだった。
「そろそろ、体動かしたいんで、行っていいですか」
「ああ。ええよ。頼むで明日香。あんたが一番の頼りなんやから」
福田の去り際、中澤がそう声をかけると、福田は振り向いて言った。
「保田先輩とは、もう少し一緒にバスケがしたいですから」
それだけ言って去っていく。
その福田の背中を、中澤は、クールな奴だ、と半ば呆れつつも頼もしく見ていた。
- 137 名前:第四部 投稿日:2006/02/25(土) 00:23
- 男子の準決勝が終わる。
保田達チームのメンバーは、観客席からフロアーへと降りた。
試合開始まで十五分。
アップを始める。
すでに一試合こなしていて体の準備はほとんど出来ている。
ランニングシュートと三対二で軽く体を動かした後は、フリーシューティングで各自感触を確かめていた。
「ここまで来たんですね」
ベンチ入りメンバー達がそれぞれシューティングしている輪を、外から見渡す位置に立つ保田に、吉澤が声をかけた。
- 138 名前:第四部 投稿日:2006/02/25(土) 00:23
- 「ここからだよ。ここから」
自分に言い聞かせるように保田が言う。
問題は、上がってきたラウンドじゃない。
一回戦か、決勝か、そんなことはあまり関係無く、目の前にいる相手は、また飯田だった。
この相手に勝たなければ、今までと同じ。
「勝ちたい、ですよね」
「勝ちたいな」
吉澤にとって三回目、保田にとっては五回目の挑戦。
飯田は、島根県内だけでは無く、全国でも屈指のセンター。
その高い壁を破らない限り、インターハイはない。
負ければ、このチームはここで解散である。
二人が話しこんでいると、レフリーが三分前をコールした。
「よし、行こうか」
「行きますか」
二人を始め、チームのメンバー達はベンチに引き上げた。
- 139 名前:第四部 投稿日:2006/02/25(土) 00:23
- 「集合」
保田の指示で、ベンチ入りの十二人が中澤のもとへと集まる。
集まった所で、中澤はスタメンをコールした。
「上から、明日香、松浦、紗耶香、吉澤、あやか」
呼ばれた者はそれぞれに返事をする。
ちょっとした違和感に、それぞれが思考する一瞬の間が開いてから、吉澤が口を開いた。
「保田さんは?」
「作戦の都合上外した」
「えー、でも、保田さん抜きって、そんな」
「吉澤、ちょっと黙って聞け」
話題の中心の保田が、うろたえる吉澤をたしなめる。
不承不承の吉澤を黙らせ、中澤が指示を伝えた。
- 140 名前:第四部 投稿日:2006/02/25(土) 00:24
- 「序盤は、松浦、そして紗耶香。二人のスリーで攻める」
「外中心にってことですか?」
「そう。インサイドは相手の四番の圧力が強いだろうから、外で攻める。外が警戒されて、ディフェンスが広がってきたら中からも攻めていく。それまでは吉澤とあやかはディフェンスに力を割いてくれ」
「でも、それなら、保田さんより私を外した方がいいんじゃないですか?」
どうしても、保田を外す所が引っ掛かる吉澤。
それには保田が説明を加えた。
「私じゃ外は打てないし、リバウンドも取れない。吉澤とあやかは、向こうの高さを考えるとどうしても必要なんだよ。わかるだろ」
吉澤は答えない。
ただ、中澤と保田を交互にみつめるのみ。
保田は続けた。
- 141 名前:第四部 投稿日:2006/02/25(土) 00:24
- 「吉澤。吉澤がこのチームの中心になるんだ。この構成の時は吉澤が中心になるんだ。私は、これに勝っても、あと少しでいなくなる。そしたら、吉澤が引っ張って行くんだ。わかるな」
「はあ・・・」
頼りない・・・。
そう、保田の目には写る
だけど、それでもなんとか吉澤は返事をした。
「よし、みんな頼むよ。真打はクライマックスに登場するから」
「圭ちゃん、自分で真打とか言わないの」
「紗耶香、あんたのスリーに勝負かかってるんだからね」
「そうだよ松浦」
「隣にふるなって」
自分へ向けられて責任へ、隣の一年生を向ける市井。
保田がそれに突っ込むと、チームに笑いが起きた。
インターバル中の硬さが薄れ、やわらかさが戻ってきた。
- 142 名前:第四部 投稿日:2006/02/25(土) 00:24
- 「確かに、今日は大きなものが賭かってる。だけど、それは忘れて、強いチームに挑戦出来るんだって気持ちで戦って行こう」
保田が最後に締める。
レフリーが三十秒前をコールした。
「よし、行こう」
県大会の決勝。
観客は関係者ばかりだけど、島根のローカル局のカメラも入っている。
夢を賭けたそれなりの舞台、ということでそれなりの演出もされることになっている。
「両チームのスターティングメンバーをお知らせします」
アナウンスが流れる。
NBAばりにチアリーダー付き、とは行かないまでも、体育館にアナウンスが流れる。
いわゆるプロのDJではなくて、地元高校生によるアナウンスなので、多少寒い部分が無いでもないが、細かいことは気にしない
- 143 名前:第四部 投稿日:2006/02/25(土) 00:25
- 「黒、市立松江女子高校。九番 市井紗耶香」
スタメンに三年生がいないので、いきなり九番まで番号が飛ぶ。
市井は、ベンチメンバーと一人一人ハイタッチを交わしながら、コートに飛び出して行った。
ちょっと照れも入りながら、コートの真ん中まで出ると観客に手を上げて拍手に答えた。
「十番 木村あやか」
地味な存在ながら、チームを支えるセンター。
彼女がいるから、吉澤が生きてくる。
長い髪を後ろで結んで作ったポニーテールを揺らして、コート中央に駆け上がる。
- 144 名前:第四部 投稿日:2006/02/25(土) 00:25
- 「十一番 吉澤ひとみ」
チームを変えた彼女。
ある意味では、チームを作った保田や市井よりも苦労して来たのかもしれない。
今日のマッチアップは飯田につくことになっている。
吉澤が彼女を一人の力で上回れば、チームはぐっと勝利を引き寄せられる。
「十四番 福田明日香」
まだ一年生。
だけど、ただ一人上の舞台を知っている。
保田や市井に、中学時代にちゃんとしたバスケを吹き込んだのが彼女。
本当の意味でこのチームを生み出したのは福田なのかもしれない。
今日も、冷静にチームを動かす。
- 145 名前:第四部 投稿日:2006/02/25(土) 00:25
- 「十五番 松浦亜弥」
ここまで途中出場が続いた彼女が、ついにスタメンの座を得た。
いつも明るくチーム一の人気者。
同じ一年生の福田とは、性格もプレイぶりも対称的。
ボールを持ったら自分で勝負、というのが基本的な身上だ。
コートの真ん中まで出ると、多少照れが入っていた市井とは比べものにならないほど、両手を広げ観客達に手を振っていた。
「監督、中澤裕子」
軽く手を上げて、頭を深々と下げる。
ようやく、少しづつ監督業が板についてきた。
迷いながらも中澤自身の決断で、最終的に今日のスタメンは決めている。
生徒達の夢の賭かった一戦。
自分の采配が試合を左右するのか、と考えるとプレッシャーは大きい。
それでも、やるしかなかった。
- 146 名前:第四部 投稿日:2006/02/25(土) 00:25
- 保田は中澤の隣に立っている。
次々とアナウンスで仲間達の名前がコールされている。
センターサークルに集まる仲間達を見て、自分も、スタメンで出たかったな、そう、思う。
対戦相手の出雲南陵高校の選手達も、アナウンスに従ってセンターサークルへと出てくる。
両チームがそろった。
「松江、ゲームキャプテンは?」
レフリーが問いかける。
チームのキャプテンというのと別に、試合運営の上でコート上のメンバーの中でゲームキャプテンというものを決める必要がある。
普通は、実際のチームのキャプテンがなるのだが、今日は保田がベンチにいた。
実質的に権限を発揮することはほとんど無く、誰でもかまわないのだが、キャプテン、という単語がついているので、雰囲気でおのずと決まってくる。
フロアーに立つメンバーは、いっせいに吉澤の方を見た。
見られた吉澤はまたうろたえる。
ベンチに指示を求めた。
- 147 名前:第四部 投稿日:2006/02/25(土) 00:26
- 「吉澤。ゲームキャプテン吉澤。十一番です」
保田に横からささやかれた中澤が吉澤とレフリーにそう告げる。
自分を指差し首をひねる吉澤に、中澤は何度もうなづきながら、おまえだから、と指差していた。
決戦が始まる。
センターサークルの中に入りジャンプボールを飛ぶのは吉澤と飯田。
互いにゲームキャプテンとして握手を交わした。
二人は低く構えてボールを待つ。
レフリーがサークルに入りボールを投げ上げた。
- 148 名前:モウリ 投稿日:2006/02/25(土) 18:10
- 更新お疲れ様です
いよいよ始まりましたね・・・
1週間も待てないっ!!!(><)
- 149 名前:ピース 投稿日:2006/02/25(土) 18:34
- 更新お疲れ様です♪
決戦直前の緊張感が伝わってきますね!
しかしよっすぃーは大丈夫なんでしょうか?w
- 150 名前:作者 投稿日:2006/03/04(土) 00:16
- >モウリさん
週一更新なので、週刊誌感覚でお待ち下さい。
>ピースさん
大丈夫なんでしょうか?
- 151 名前:第四部 投稿日:2006/03/04(土) 00:16
- ジャンプボールは、およそ中指一本分、飯田が高い位置に手を伸ばした。
後ろに落としガードがボールをキープする。
相手ボールになり、吉澤たちはすぐに後ろへ引いた。
それぞれにマーク相手をピックアップする。
いつも通りのハーフコートマンツーマン。
飯田には吉澤がついた。
その飯田にハイポストでボールが入る。
飯田に背負われた形の吉澤は、その圧力に押され、押さえられない。
ゴールに背を向けたままドリブルをつき、じりじりとゴールに近づくとターンしてシュートをはなった。
飯田のオープニングシュートはボードに当たり、勢いよくリングに吸い込まれた。
- 152 名前:第四部 投稿日:2006/03/04(土) 00:17
- 吉澤は、圧力でバランスを崩し、腰砕けの状態で床にしりもちをつく。
ゴールを決めて戻って行く飯田を見上げてる形になった。
あやかが手を差し伸べ引き起こす。
「つえー・・・」
「一本返そう」
あれはどうしたらいいんだ・・・。
あやかの方もそんなことを思いつつも吉澤の背中を軽く叩く。
- 153 名前:第四部 投稿日:2006/03/04(土) 00:17
- 松江のオフェンス。
福田がボールを持って上がる。
吉澤とあやかはインサイドへ。
吉澤には飯田がついている。
比較すればあやかの方がマッチアップとしては楽だ。
ただ、どちらも動きは堅い。
パスが受けられないほど抑えられてはいないが、ボールを受けてすぐシュートが打てるほどフリーにもなれない。
とりあえず外で回してから、福田はローポストのあやかにパスを入れる。
ディフェンスは背負っているが、ゴールへ振り向くタイミングがつかめない。
外に開いている松浦のディフェンスもあやかを挟んでボールを取りに来た。
ダブルチームの形で圧力を受けるあやか、勝負は出来ずに、松浦にパスを送る。
あまりいいパスではなかったが、一瞬のフリーで松浦はためらわない。
スリーポイントラインの外、得意の四十五度の位置から、ディフェンスがチェックに入る間も無くシュートを放つ。
ベンチの、「スリー」と叫ぶ揃ったコールの中、ボールはきれいな弧を描き、リングを通過した。
- 154 名前:第四部 投稿日:2006/03/04(土) 00:18
- 三対二、、一ポイントリード。
序盤の序盤、点差に意味のある時間帯ではないけれど、いつもやられっぱなしの相手に、初めて一瞬ではあってもリードした。
「度胸あるなあ、あいつ」
「序盤は外からとは言うたけど、いきなり決めよった」
決勝の舞台。
初めてのスタメン。
いきなり攻撃の要をまかされて、最初のシュート、それも外からのスリーポイントを決める。
なかなか出来ることではない。
- 155 名前:第四部 投稿日:2006/03/04(土) 00:19
- 第一クォーターは、松浦と飯田が点を取りあう展開。
ただ、外一辺倒だと、確率がやや低くなる。
その分を三点入ることで補ってはいるが、徐々にリードを奪われる。
大体、二本三本と続けて打てば、スリーポイントは露骨に警戒されるものだ。
二枚三枚あればまた少し違うが、市井はあまり攻撃参加せず、スリーポイントも打っていない。
インサイドの二人、特に吉澤は決勝のプレッシャーか、飯田のプレッシャーか、動きが堅かった。
早くも二つのファウルを犯している。
流れ事態はそれほど悪く無いので、タイムアウトはとらなかったが、一クォーターは12-17と出雲南陵がリードした。
- 156 名前:第四部 投稿日:2006/03/04(土) 00:19
- 「吉澤、そろそろ目覚ましてくれるか?」
ベンチに戻ってきたメンバーに、保田がかけた言葉がこれだった。
「そう簡単に止まらないですよ、あれは」
「止めろとまでは言わないけどさ。でも、そろそろ、勝てない、つよい! みたいな感覚は捨てなって」
「いやあ、でも強いっすよ。あれに勝たなきゃインターハイが無いのかと思うと」
「ストップ。それは忘れろ」
横から、中澤が一喝する。
静まり返ったメンバーに続けた。
- 157 名前:第四部 投稿日:2006/03/04(土) 00:20
- 「勝ったらどうとか、ここが決勝だとか、そういうの全部忘れろ。今、目の前にいる相手だけ考えろ。あの強いチームに、あの四番に、勝ちたいんだ、勝つために戦ってるんだ、それだけ考えろ。あんたらはみんな挑戦者や。負けても無くすもんなんかなんもない。余計なこと考えるな」
そこまで言って、相手ベンチを見る。
ベンチにどっかと座る飯田の姿がそこにあった。
選手達も、中澤と同じ様に、飯田の方を見つめる。
「あいつに勝ちたいやろ。それだけ考えろ。次は、吉澤、あやか、あんたらもインサイドで勝負してみろ。あと、紗耶香。遠慮しないでもっと撃て」
ブザーが鳴る。
第二クォーターの始まり。
「前半のうちに追いついて来い」
「はい!」
メンバー達がコートに飛び出して行った。
- 158 名前:第四部 投稿日:2006/03/04(土) 00:21
- 最近ルールが変り、第二クォーターの始めにはジャンプボールを行なわない。
センターラインの延長線をまたいで、松江のスローインで試合が始まる。
「なあ、あんなんでええんかな?」
「なにがですか?」
「いや、インターバル中の指示」
試合展開から目を離さずに、声だけ不安そうに中澤がこぼす。
フロアでは、あやかがミドルレンジからジャンプシュートを決めていた。
- 159 名前:第四部 投稿日:2006/03/04(土) 00:21
- 「いいと思いますよ。うん、私もちょっと、頭ん中、インターハイちらついてましたもん。そうですよね。先のこと考える前に、あれぶちやぶりたいですよね」
保田の目に映るあれ、飯田圭織。
身長もあるが、それだけのせいでなく、存在感の強さからとても大きく見える。
その、あれが吉澤を強引に交わしてゴール下からシュートを決めた。
「保田、どこで入れたらええかわからん展開になってきたな」
「それは先生に任せますよ。私が言うことじゃないし」
「遠慮せんでええって。出たかったら出たいって言わんと」
「じゃあ、一個だけ。走れないのが出て来たら、そこで交代ですね」
保田の出番は、まだやってこない。
- 160 名前:第四部 投稿日:2006/03/04(土) 00:22
- 二クォーターに入り、松浦が捕まり出した。
ボールを持つと、どの位置でもシュートを警戒されフリーで撃たせてもらえない。
まだ、マークを抱えたままスリーを決めるだけの力はなかった。
それでも、松浦中心にオフェンスは組み立てられている。
スリーをフェイクにして、カットインで切り込んで行き、一人を抜き去る、あるいはその一人を引きずりながらの勝負になる。
自分で決めたり、吉澤やあやかにさばいたりと忙しい。
対称的に目立たないのが市井だった。
ボールを持ってもシュートが打てない。
ディフェンスの警戒心が松浦に向いているので、比較的フリーになり易い立場にある。
福田も、市井にパスを供給するのだが、受けたボールはつなぐだけ。
シュート気配が無い。
吉澤とあやかは、どうしても飯田を押さえられなかった。
パワーが違う、高さも負ける。
技術も経験も及ばない。
せめて、気迫だけでも負けてはいけないところだが、圧倒されてしまって、それどころではなかった。
- 161 名前:第四部 投稿日:2006/03/04(土) 00:22
- 福田がボールを運ぶ。
右サイドの松浦にはたく。
受けた松浦はシュートの構えに入るが、ディフェンスがチェックへ。
シュートをフェイクに中へ切り込んで行く。
インサイドのセンターがカバーに来たので、ハイポストで開いたあやかへ。
今度は外からヘルプが入ったので、左サイドで完全にフリーになった市井へパス。
「打てー、さやかー」
ベンチから声が飛ぶ。
ボールを受けた市井は、一瞬考えたあと、一つドリブルをついた。
マークが戻ってきてディフェンスに付く。
中のあやかへパスを送ろうとしたところをカットされた。
「アホ! なんで撃たんのや!」
中澤が市井を怒鳴りつけるのは、一年生のときに「25過ぎたら女は終わり」と言われて以来人生で二度目だ。
座っているだけのコーチだった中澤が、チームの大黒柱を叱り飛ばすなんてありえなかったこと。
それが思わず怒鳴っている。
- 162 名前:第四部 投稿日:2006/03/04(土) 00:23
- 出雲の逆速攻。
戻れたのは福田だけ。
三対一の構図になり、簡単にゴールを決められた。
中澤がタイムアウトを取った。
得点は、20-28と八点のビハインド。
負けてはいるが、これまでを考えると十分に健闘しているとも言える点差ではある。
「紗耶香、なんで打たんのや」
「ごめんなさい。なんか、余裕ありすぎて色気出しちゃった」
意味がありそうでいて、よく分からない弁明。
市井は、ただ単に、自信が持てないでいた。
- 163 名前:第四部 投稿日:2006/03/04(土) 00:24
- 「あいたら打っていいから。リバウンド、確かに不安かもしれないけど、吉澤とあやかを信じてやれって」
「はい」
「ちょっと、吉澤とあやか、不安とか言われて、黙ってないでよ」
保田が隣から口を挟む。
「いや、でも、確かに拾えてないし」
「そんな顔してるようだと、ポジション関係無く私が入るわよ」
保田にそう言われ、吉澤は何も言えずに唇をかむ。
自分から話題が移ったのを見て、市井は一年生からドリンクとタオルを受け取り、汗を拭いていた。
「ディフェンスは、あの四番にボール入ったら、吉澤とあやか、二人がかりでついて」
「カバーは?」
「外三人でなんとかして。もう一人のセンターに多少やられるのはいいから。とにかくあのデカイのを止めよう」
二人でうなづく。
保田が続けた。
「それでも止められなかったら私が入る」
二人は黙ってうなづいた。
- 164 名前:第四部 投稿日:2006/03/04(土) 00:25
- 「そんなに気後れするほど力の差はないと思いますよ」
「おまえ、またそうやって。自分がマーク付かないから、そんなこと言えるんだよ」
「吉澤さん、自分で思ってるよりうまいですよ。たぶん」
「褒めたって何も出ないぞ」
「とめてさえくれれば、別に」
いちいち引っ掛かる福田の言葉。
吉澤も、真顔だ。
軽口にしてみたり、弱気な言葉にしてみたり。
それでも、心のうちでは戦っている。
逃げちゃだめだ、何とかしなきゃ、自分が何とかしなきゃ。
まだそれを表に出して、自分が何とかします、と言えるほどは強くない。
「紗耶香。打ちなよ」
「わーったから。圭ちゃんまでもう。心配すんなって」
タイムアウトが終わる。
市井は、タオルを保田に押し付けてコートに戻って行く。
- 165 名前:第四部 投稿日:2006/03/04(土) 00:26
- エンドから市井がボールを入れ、福田が運ぶ。
一番後ろに位置する市井からは、フロア全体と自分以外の九人が見える。
市井は、ここにいることに、ここに帰って来たことに自信が持てなかった。
二年前、市井はチームのエースだった。
チームのすべてを背負うエースだった。
保田と二人で作ったチーム、その真ん中にいることが心地よかった。
自分が中心にいて、保田も自分に従って、他のメンバーも当然市井を尊重して。
自分で作ったチームだから、先輩なんかいなくて、一年生だけどキャプテン。
バスケを知らないクラスの友達からも、すごいね、カッコいいねと言われる。
負けることは多かったけれど、なんとなく、自分には何でも出来るんじゃないかって、そう思っていた。
いきがって、なんか留学とかしてみた。
- 166 名前:第四部 投稿日:2006/03/04(土) 00:26
- 今は違う。
自分のことを知る人のいない外国では、ただの日本人。
誰も、自分を崇めてなんかくれない。
帰ってきてみたら、保田はすっかりうまくなっていた。
自分がいない間に入った二年生の二人は、しっかりとチームを支えている。
一年生の福田は、かつて頭の上がらなかった相手。
松浦の個人としての能力は、あとは経験さえ積めばチームのエースとなって行きそうに見える。
自分の居場所が感じられなかった。
自分はもしかしていらないんじゃないかと、不安だった。
- 167 名前:ピース 投稿日:2006/03/07(火) 18:15
- 更新お疲れ様です!
1年生ながらあややの攻撃力が頼もしいですね♪
あとは自信持てない組の発奮に期待してます!
- 168 名前:ピース 投稿日:2006/03/07(火) 18:16
- 上げちゃった、ゴメンナサイ。(汗
- 169 名前:作者 投稿日:2006/03/11(土) 00:19
- >ピースさん
一年生に頼りきりって、チームとしては、結構あれですよね・・・
- 170 名前:第四部 投稿日:2006/03/11(土) 00:20
- ボールは、福田から松浦を経由して中の吉澤へ。
ゴール下に入れない吉澤は外へボールを戻す。
受けたのは市井。
すぐに福田まで返す。
「紗耶香! 勝負! 勝負!」
ベンチの保田の声が聞こえる。
市井は、表情を変えずに中のあやかのマークにスクリーンをかけに動く。
ボールは福田から周り、最後は松浦がミドルからシュートを放つが外れ、リバウンドを飯田が取った。
- 171 名前:第四部 投稿日:2006/03/11(土) 00:20
- この試合、もし負けたら三年生はそこでチームから引退する。
市井は、自分も引退しようかと考えていた。
今なら、かっこよくいなくなれる。
そんなことも考えている。
だけど、もう一度輝ける、輝いてると思える、そんな自分が欲しい。
そう思うのも確かだ。
- 172 名前:第四部 投稿日:2006/03/11(土) 00:20
- ディフェンス。
ボールは展開される。
それでも、かなりの高確率で最後に飯田に送られるのは目に見えている。
ゴール下、飯田の圧力を受けながら吉澤は耐えていた。
予想通り、飯田にボールが入る。
すかさず、あやかもヘルプに入った。
囲まれて慌てた飯田がボールをファンブルする。
こぼれたところに福田が飛び込んでさらった。
- 173 名前:第四部 投稿日:2006/03/11(土) 00:20
- スリーポイントは元々得意だった。
中学の頃、保田と遊びで競って、勝ち続けたのが気持ち良くて、よく打っていた。
保田に勝った自信でシュートを打つと、試合でもよく入った。
他にシューターがいないというのもあった。
今は、他にもシューターはいる。
松浦のスリーポイントはチームの大きな得点源になった。
もし、自分が打って入らないようなら、松浦と比べて劣る証明になってしまう。
そこまではっきり考えたわけではないけれど、怖くてシュートが打てなかった。
- 174 名前:第四部 投稿日:2006/03/11(土) 00:21
- 八点のビハインド。
ここは何としても詰めておきたい。
と、思うのはこちらの勝手であって、相手としてもリードを拡げ一気に勝負を決めたいところ。
なかなか攻め手が見つからない。
二十四秒計が数字を刻んでいく。
「5,4,3・・・」
出雲ベンチのカウントダウン。
ゼロまでにシュートが打てなければディフェンスの出雲ボール。
出し所が無いボールを福田が市井に送る。
「紗耶香、打って!」
マークはいる。
それでも、撃たなければ無条件に相手ボールになる。
市井は、シュートを打つ、というよりはイメージ的にはゴールの方向にボールを投げた。
- 175 名前:第四部 投稿日:2006/03/11(土) 00:21
- 入らなくても、市井が背負う責任は何も無い。
この場面は、打たない方が問題だ。
普段のシュートと違う軌道でボールは跳んでいく。
ボードに当たったボールはリングに吸い込まれた。
「さやかー!」
追いこまれた場面でのスリーポイントにベンチが沸き上がる。
市井も、条件反射でガッツポーズをしていた。
本人の実力とは無関係な得点であるけれど。
- 176 名前:第四部 投稿日:2006/03/11(土) 00:21
- 「吉澤! あやか! 後はあんた達が仕事しなちゃんと!」
保田の両手を叩きながらの檄が飛ぶ。
とにかく飯田をとめたい。
ラッキーゴールが、チームの士気を上げ吉澤の活力も増やす。
飯田の前に立ち、パスコースを遮断する。
当然、ゴールサイドの裏が開くが、そちらはあやかがカバー。
前に立つのは激しい動きが必要になるが、それでも吉澤は前に付いた。
- 177 名前:第四部 投稿日:2006/03/11(土) 00:22
- 外からの苦し紛れのシュートが放たれるが、リングに大きく弾かれる。
落ちてきた所を市井が拾った。
逆速攻、とはいかないけれど攻め上がる。
チームの空気がいい。
福田を起点にボールがよく回る。
中から出て来たリターンパスを市井がノーマークで受ける。
今度は迷わなかった。
「スリー!」
ベンチが立ち上がる。
今回は、美しい軌道でボールはリンクに吸い込まれた。
連続スリーポイントで一気に二点差。
チームは盛り上がる。
そして、スタンドも盛り上がる。
地味なゴール下よりも、スリーポイントの連発の方が観客は盛り上がる。
- 178 名前:第四部 投稿日:2006/03/11(土) 00:22
- どんなレベルのチームでも、雰囲気に飲まれるというのはよくあること。
この場面の出雲がそうだった。
簡単なパスをキャッチミスでこぼす。
それを吉澤が拾い上げ福田に送った。
「スタート!」
逆速攻。
福田、松浦、市井の三線速攻の形になる。
人数は三対二。
自分で突っ込むか、ゴール下に駆け込む松浦に送るか、外に開いた市井に預けるか、三択。
二枚のディフェンスは、自分の目の前とゴール下に戻っている。
福田は外に開く市井にパスを送った。
ノーマーク。
速攻からのスリーポイントをためらいなく放ち、それが決まった。
市井の三連続スリーポイントで一分足らずの間に一気に逆転。
ブザーが鳴り、出雲南陵がタイムアウトを取った。
「紗耶香! 紗耶香!」
ベンチから紗耶香コール。
私を見ろ! とばかりに右手を高々と突き上げてベンチに帰ってくる。
乗せたらどこまでも止まらない、それが市井紗耶香。
- 179 名前:第四部 投稿日:2006/03/11(土) 00:22
- タイムアウト後、さすがに市井にマークが貼りつき外からは簡単に打て無くなった。
今度はインサイドの出番。
飯田は確かにすごいが、一人で二人は止められない。
広がったインサイドで、少し距離を取って吉澤とあやかが連携を取る。
ゴール下は支配出来ないけれど、ミドルからなら、なんとかそれなりに加点出来ていた。
前半、34-32と二点のリードで終えた。
- 180 名前:第四部 投稿日:2006/03/11(土) 00:22
- ハーフタイム、控え室に上がった出雲とは対称的に、保田達はベンチに残る。
「なんか、私の出番なくなってきたなあ」
一年生から受けとったスコアブックを見ながら保田がこぼす。
松浦13点、市井11点、吉澤とあやかが4点づつで、福田も2点取っていた。
「どうしたんすか?」
「ん? ああ、いや」
勝つためには、自分がいないメンバーでスタートするのが良いと思ってはずれた。
だけど、実際にそれでチームが機能してしまうと、それはそれでさびしいものがある。
ただ、そんな胸のうちまで吉澤相手に語れるわけもない。
- 181 名前:第四部 投稿日:2006/03/11(土) 00:23
- 「なんだよ吉澤。あんたは途中までぼこぼこにされてたじゃんか。前半だけで18点やられてるよ、4番に」
飯田の18点は、一試合通算の得点でもおかしくないもの。
それでも、以前の一試合51点、と比べれば大分ましな方だ。
「だって、しょうがないじゃないっすかー」
「あんたねえ、やられちゃうのはある程度仕方ないにしても、弱気な姿勢見せたらただじゃおかないからね」
「まあ、いいんじゃないの。前半は予定通りいったんだし」
「あとは、インサイド勝負で勝てるかどうかではあるんですけどね」
市井と福田が口を挟む。
予定通りにいって、ようやく二点のリード、これをよしと見るか苦しいと見るか。
前半、期待以上の大活躍を見せた松浦は、ベンチに座りにこにことその光景を見つめていた。
- 182 名前:第四部 投稿日:2006/03/11(土) 00:23
- ハーフタイムは十分間ある。
戦術などの指示だけでこの時間が使いきられるわけではない。
あいている時間の使い方は人それぞれ。
集中しようとしている者、ボールに触っている者、雑談している者。
このハーフタイムをきっかけに流れが変って行くこと、というのはよくある。
「これ勝ったらさあ、ほんとにインターハイ出るんだよね」
保田の隣に座り、汗を拭きながら市井が言う。
座ったままボールを付いていた保田は、ドリブルを止め市井の方を見た。
「そうやって先のこと考え出すとろくなことないよ」
「いやあ、勝つかどうかはわかんないよ。でも、勝った方がインターハイって試合をやってるんだよね。あのチームと」
飯田一人に五十一点とられて負けたのは一年半前のこと。
あの時のメンバーで、前半試合に出てたのは市井だけ。
ハーフタイム、一息ついてなんとなく昔の感慨に浸ってみた。
- 183 名前:第四部 投稿日:2006/03/11(土) 00:25
- 「思えば遠くに来たもんだってか?」
「圭ちゃん、表現が一々おばさん臭いんだよね」
「うるさいわねー」
持っていたボールを市井の頭にぐりぐりと押しつける。
立ち上がって、少し離れた位置に座っている松浦の後ろから近づくと、両肩に手をおいた。
「めずらしいな、一人でボーっとしちゃって」
いつも、誰かにからみついている松浦。
それが今日は、一人でベンチに座りぼんやりとコートを見ている。
突然に肩をつかまれて、驚いて振り向いた。
- 184 名前:第四部 投稿日:2006/03/11(土) 00:25
- 「そういえば保田さん。今年のインターハイってどこでしたっけ?」
保田のかけた言葉と相関の無い話しをしだす。
振り向いた松浦の顔はいつものように笑顔。
保田は、松浦の肩をもみながら答えた。
「どこだっけ? 紗耶香知ってる?」
「四国のどっかじゃなかった?」
「えー、東京がいいですよー」
「そんなこと言ったってしょうがないだろ」
無邪気な一年生に保田の顔もほころぶ。
となりで市井も笑顔だった。
「後半、大丈夫か?」
「大丈夫です。松浦が先輩達をインターハイに連れて行って上げます」
「おっ、言うねえ」
松浦は、どこまでも優等生スタイルだった。
- 185 名前:第四部 投稿日:2006/03/11(土) 00:25
- 吉澤はタオルを首にかけてトイレに来ていた。
個室には入らずに洗面台へ。
水を流しっぱなしにして鏡と向かい合う。
顔を洗って、タオルで拭かずにそのまま鏡を見つめる。
水は流しっぱなし。
鏡を見つめて、思い出したように顔を洗って、また鏡を見つめて。
ため息を吐く。
「どうしたのよ」
声をかけてきたのはあやか。
吉澤は鏡越しにその姿を確認する。
「んー、なんとなく」
鏡を通して目を合わせて、また視線を切って今度はタオルで顔を拭いた。
「もうあんまり時間ないよ」
あやかも、吉澤の隣に立って洗面台で、顔と腕を洗う。
二十分動いて汗に濡れたカラダ。
簡単に洗える部分だけでも洗ってすっきりしたいという感覚はある。
- 186 名前:第四部 投稿日:2006/03/11(土) 00:25
- 「あやか」
「なに?」
「あたし、逃げたいは」
「何を言い出すのよ」
思わずあやかは、鏡越しじゃなく直接に吉澤の方を見る。
吉澤は、鏡に映る自分を見ていた。
「冬に試合したとき、結構やれた気がしてた。だからなんとかなるかな、なんて思ってたけど、全然甘いは。一人じゃどうにも出来ない」
冬の新人戦、それなりの試合ではあったけれど、常時十点以上の点差があり、相手に余裕のある状態だった。
そのときに吉澤が見たのは、本気の欠片に過ぎなかったのかもしれない。
今日は、福田、松浦、市井という、冬にいなかったメンバーがそろって、その分競った試合になっていて。
飯田圭織にだって、余裕は無い。
- 187 名前:第四部 投稿日:2006/03/11(土) 00:26
- 「逃げちゃいけないのは分かってるんだけどさ、でも、ホント、もう逃げ出したい。このまま着替えて帰りたい」
そう言って、流しっぱなしの水を掬い、顔をぬぐう。
そのまま、両肘を洗面台について、手で顔を覆う。
「あんなのに、ホントに勝てるのかなあ?」
隣に立つあやか。
鏡越しの吉澤、直接隣の吉澤、交互に見つめる。
何かを言うべきだろう。
だけど、なんと言うべきか。
そんなあやかの方を、吉澤は洗面台にひじを付いたまますがるように見上げた。
- 188 名前:第四部 投稿日:2006/03/11(土) 00:26
- 「あ、あのさあ。すげーはずかしいんだけど。うん。あやかにしかこんなこといえないんだけどさ」
「なに?」
「あの、手、握ってくれないかな?」
「へ?」
あまりの意外な言葉に、あやかの声も裏返る。
「変な、変な意味とかじゃなくて。だから、その、とにかく、いいからちょっと握ってくれって」
変なことを言っておいて、照れた風に取り繕う吉澤がおかしくて、あやかは微笑む。
「分かった。よっすぃー、変な意味できれいだから、握ってあげるよ」
「だから、そういうことじゃなくてー」
「ファンの子達に怒られそう」
「どんな子だよ」
「ハートの目をして見てる子達」
会話はわけの分からない方向に進み始めたが、ともかく、吉澤の右手をあやかはそっと両手で包んだ。
直接、ではなくて鏡越しに視線を合わせる。
変な意味は無いはずだけど、変な意味を感じて二人でやたらに照れて視線をそらす。
それでも、あやかは自分が言うべきだと思ったことを言った。
- 189 名前:第四部 投稿日:2006/03/11(土) 00:26
- 「大丈夫。たぶん、大丈夫だから」
「たぶんかよ」
「よっすぃーなら大丈夫。よっすぃーなら。それに、みんないる。私もいるから」
あやかは、包んだ吉澤の右手を見つめながら言う。
そんなあやかを、吉澤は鏡越しに見つめていた。
左手のこぶしを握り締めて、それから自分の顔を見つめた。
「あやか」
「ん?」
「足引っ張ったらごめんな」
「だから、大丈夫だって」
吉澤の見つめる先は、鏡の向こうの自分。
今ある自分の姿をじっと見つめる。
- 190 名前:第四部 投稿日:2006/03/11(土) 00:26
- 「そろそろ行きますか」
あやかは顔を上げ鏡に映る吉澤の方を見た。
「ファンの子が期待してるよっすぃーが戻ってきたね」
「どんなだよ」
「きりっとした感じの、自信たっぷりな王子様」
「三十秒で粉々かもしれないけどね」
水を止め、洗面所を出て行く。
吉澤は、歩きながらタオルで顔を拭いた。
二人は、コートに戻った。
- 191 名前:第四部 投稿日:2006/03/11(土) 00:26
- 後半が始まる。
メンバーは前半と変わらない。
保田はまだベンチに控えている。
出だしはこう着状態だった。
前半と同じパターン、松江は松浦中心に、出雲は飯田を中心に。
若干、出雲のマンツーマンディフェンスが、ボールの無い所でも松浦市井には厳しく当たるようになったのが変わった程度のもの。
しかし、三分を過ぎた頃、明らかに流れが傾き始める。
厳しいマークに松浦がボールを受けられなくなった。
普段なら、一歩の速さで、瞬間だけでもノーマークを作りボールを受けられるところ。
それが、その隙を作れない。
- 192 名前:第四部 投稿日:2006/03/11(土) 00:27
- 市井の動きも、よくなかった。
スリーポイント三連発による自己催眠作用はもう切れている。
勝てばインターハイ。
早すぎる皮算用が動きも硬くする。
それでも、福田は松浦に、市井にボールを供給しようとしていた。
その二人の部分は、明らかに一対一で見ればこちらが勝っているところ。
勝ち目が多い部分で出来るだけ勝負したい。
とはいえ、市井はともかく前半出だしから飛ばして来た松浦は、もうそろそろ限界だった。
中学の試合は七分の四クォーター、高校に入ってからは控えでの出場で長い試合の経験はない。
今日はその上、午前中に明日香ちゃんを休ませるとか言って、かなり厳しい相手を押さえ込んだのだ。
技術的には高くても、まだ四十分戦いきる力が彼女にはなかった。
- 193 名前:第四部 投稿日:2006/03/11(土) 00:27
- 第三クォーター残り四分、50-59と9点ビハインドの場面で、松江ベンチがタイムアウトを取った。
「松浦、お疲れ」
保田が、戻ってきた松浦の肩を叩く。
本人も、分かっていたのだろう、小さくうなづいた。
「松浦の代わりに私が入る。紗耶香、ポジションチェンジ。ボール運びフォローして」
「OK」
「吉澤とあやかは、もっとチャレンジしろ。オフェンスでもディフェンスでも。特に吉澤。あんたは私にくってかかった時位の勢いでなんでプレイ出来ない」
二人はぐうの音も出ない。
保田はさらに続ける。
- 194 名前:第四部 投稿日:2006/03/11(土) 00:27
- 「明日香ももっと自分で行っていいよ。切りこんで崩してさ、それからならパスのだしどころも多分増える」
「そうですね」
こんな試合でも、明日香だけは変わらない。
「先生、後のベンチワークは頼みますよ、っていうか、ここまで私ばかりでしゃばってごめんなさい」
「悪いな、負担掛けて。あとはなんとかする」
「よし、絶対逆転するよ。飯田をひざまずかせてやるんだ」
残り時間は通算で十四分。
ついに、真打(自称)の保田がコートに立った。
- 195 名前:ピース 投稿日:2006/03/11(土) 15:29
- 更新お疲れ様です!
明日香もゲームコントロールが大変だなぁ。(苦笑)
紗耶香は色んな意味でシンドイですね。
ここはやっぱ圭ちゃんにチームを締めてもらわないと!
- 196 名前:作者 投稿日:2006/03/18(土) 00:24
- >ピースさん
真打(自称)は、誰もが認める真打になってくれるでしょうか?
- 197 名前:第四部 投稿日:2006/03/18(土) 00:24
- 松江ボールでの攻めあがり。
福田から市井、吉澤を経由して保田に戻る。
ボールを受けた保田は、パスフェイクを入れてドリブルで切り込もうとした。
体はディフェンスを抜き去ったが、ボールがいない。
自分の足に当ててしまい、点々としたボールを拾われて、逆速攻を受け決められた。
「ごめん」
いきなりの凡ミス。
両手を合わせ、チームメイトに謝る。
一年生からスタメンだった保田は、控えメンバーとして試合の途中で入って行くという経験が無い。
集中に少し欠けていた。
- 198 名前:第四部 投稿日:2006/03/18(土) 00:24
- ボールは市井、あやかと経由され、福田に戻る。
今度は、ゴール下を通過して外へ出て来た保田はフリーだった。
そこにボールが送られる。
そのままドリブルで突っ込み、中からカバーが来た所、バウンドパスをあやかへ。
ゴール下、フリーであやかがシュートを決めた。
「ナイスパスです」
「ディフェンス、ディフェンス」
軽くハイタッチを交わしディフェンスへ戻って行く。
ベンチにいるより、ゲームに出ているほうがずっと楽しい。
- 199 名前:第四部 投稿日:2006/03/18(土) 00:24
- 相変わらずインサイドは負けている。
外も、市井は自分自身では攻め切れていない。
どうしても福田はボールを保田に集めざるを得ない。
それでも、疲弊していた松浦よりは、後半に入り体力満タンで入ってきた保田は強い。
さらに、市井−松浦、というラインは少し連携が取れていない部分があったが、市井−保田、というラインは万全だ。
市井は自分では攻めきれていないが、保田にいいタイミングでボールが送れているので、チームとしてはなんとか機能している。
保田の加入で生き帰った松江は、第三クォーターを六点差まで詰めて終えた。
- 200 名前:第四部 投稿日:2006/03/18(土) 00:25
- 「悪くない! 悪くない!」
フロアに上がって四分。
エンジンがかかり、テンションが上がってきた保田が、手を叩いてそう言いながらベンチに戻ってくる。
この十分の間に逆転されたのは事実。
今まで一度も勝ったことの無い相手に、三十分過ぎて六点差でいるのも事実。
全部踏まえて、悪くない、と保田は思っている。
「圭ちゃん一人で元気だから、全部圭ちゃんに預けちゃう?」
「まだ、一本調子で行くには早いですよ。市井先輩も自分で勝負したり、吉澤さんも中で頑張らないと」
「簡単に言うけど、ありゃつええよ」
「ディフェンス頑張ってるんだから、オフェンスも勝負してくださいよ。吉澤さんなら体力余裕あるはずなんですから」
「はいはい。どーせ私は体力しか能が無いですから」
吉澤はそう言うが、チームのスタメンクラスの人間にとって、体力という能はかなり大事なものである。
実際、あやかや福田は、三クォーターが終わって戻ってくるなり、ベンチに座り少しでも疲労を回復させようと必死だが、吉澤は立ったままタオルで汗を拭き、暑いは暑いが涼しい顔である。
- 201 名前:第四部 投稿日:2006/03/18(土) 00:25
- 「四番は、とにかくボール入れさせないようにしような。それでもダメでボール入っちゃったら、あやかもカバーで。二人がかりで」
「私がばてるかもとか、そういう前提はないんすか?」
「ない」
「あ、あ、そ、そうですか・・・」
センターに対するディフェンスで、相手の前に立ってパスが入らないようにするというのは、体力を非常に使う。
たまには気遣って欲しいなあ、と思ったりもしなくはない吉澤だったりする。
「先生も何とか言って下さいよ」
「ん? 楽しそうでええんやないか?」
「もー。しっかりしてくださいよー」
保田は、戦術的な何かを期待しているので不満がある。
ただ、中澤は違うことを考えていた。
逆転はされたけれど、このチームは、今、目の前の相手に勝つことだけを考えている。
自分は余計なことを言わないで見ていたほうがいいんじゃないかと思った。
- 202 名前:第四部 投稿日:2006/03/18(土) 00:26
- 最終クォーターに入る。
メンバーはいじらない。
この期におよんで、ようやくインサイドの吉澤とあやかがオフェンス面で多少機能しはじめた。
やられっぱなしではいたが、頑張って飯田についていた価値はある。
一人でチームを引っ張り、得点源となっていた飯田の疲労の蓄積が大きい。
- 203 名前:第四部 投稿日:2006/03/18(土) 00:26
- マンツーマンで飯田に付かれる吉澤。
疲労の色濃いとは言っても、ゴール下での勝負では劣る。
そこで、飯田を外にひきづり出しての勝負に持ち込む。
新人戦の時と同じパターン。
フォワードライクな一対一なら、十分に勝負が出来る。
足が動かなくなって来た飯田は、ファウルが目立ちはじめた。
ただ、それでも飯田の代わりなどいない。
飯田を外せば、そのまま出雲の負けにつながる。
島根県内では勝ち続けてきた飯田達。
ここまで来て負けられない。
- 204 名前:第四部 投稿日:2006/03/18(土) 00:27
- 残り六分を迎える頃、三点差にまで迫った。
ただ、吉澤もここまで。
疲労の色が濃くても飯田は飯田。
吉澤が勝負してくるのを見て取るや、ディフェンスでの集中力を高めた。
疲労の色が濃い場合、全てに100%は出来ない。
ここでは、オフェンス時に多少さぼって体力を回復させつつ、ディフェンスをきっちりやって、吉澤が好きに出来ないようにしている。
その分、出雲も得点力が落ちる形になった。
- 205 名前:第四部 投稿日:2006/03/18(土) 00:27
- 三点差からがつまらない。
どちらも、点が入らなかった。
五分を切る。
点が入るどころか、シュートまでたどり着かない。
三点差から点が動くと、一点差か五点差か。
ここの二点は重い。
取られたくない、その意識が互いにディフェンスに集中させる。
そして、ボールを奪うとほっとして、オフェンスは甘くなる。
点が入らない。
- 206 名前:第四部 投稿日:2006/03/18(土) 00:27
- 出雲は、当然飯田に集めたいのだが、吉澤のマークを振り切れずボールが受けられない。
他の攻攻め手はフリーになりきれず、一対一では勝ちきれず、点に結びつかない。
松江は松江で、似たような状態だった。
インサイドではボールを受けてからゴールの側に振り向くことも出来ない。
市井は全てのプレイにためらいがある。
保田は、途中で入り十分に元気だが、こいつがキーマンだとばかりに警戒されて思うようにプレイできない。
- 207 名前:第四部 投稿日:2006/03/18(土) 00:28
- 飯田へのパスの供給を押さえ込んで、二十四秒オーバーでボールを取れば、松江も松江でパスが回せず二十四秒でボールを取り返される。
パスをスティールしたと思ったら、今度はキャッチミスでこぼれたところをさらわれる。
スコアボード、得点がずっと動かない。
重い展開。
プレイしているメンバーにもストレスがかかる。
根比べ。
ただ、時間の消費は、追う側にとって次第に重荷になってくる。
それに耐えて、得点を動かせるかどうか。
- 208 名前:第四部 投稿日:2006/03/18(土) 00:28
- 「一本! 一本! じっくり!」
残りは一分少々。
三点差。
タイムアウトで意思の統一を図りたいところだが、ルール上時計が止まらないとタイムアウトが取れない。
スリーポイント一本で追いつくか、じっくり二点をとりにいくか。
一番、感覚が分かれるタイミング。
保田が叫び、四人の顔を見て、簡易的に意思の統一を図る。
- 209 名前:第四部 投稿日:2006/03/18(土) 00:28
- 福田が持ち上がり、市井に落とす。
インサイドはパスが入れられる状態に無い。
上の福田へ。
今度は逆サイド保田に落とそうとするが、ディフェンスが厳しく出せない。
パスの出しどころが無く、仕方無しにドリブルで切れ込む。
かわしきれずにマークを引きずりながら中へ。
カバーに飯田が来ては、福田の身長では勝負できない。
少し外に開いた吉澤へ送る。
ノーマークの吉澤だが、パスまで呼んでいた飯田がすぐにチェックに入りシュートは打てない。
スリーポイントラインの外にいる保田へ。
外からは打てないし、切れ込むにも中は込んでいるし、どうしようもなく上に上がった市井へ繋ぐ。
市井はすぐに逆サイドに下りた福田へパスを送った。
ローポストでディフェンスを背負うあやかへと福田がバウンドパスを入れたが、あやかは勝負できずにバウンドパスを福田に戻すのみ。
二十四秒計が刻む。
福田は上の保田へパスを戻した。
時間が無く、他に選択肢が無くて保田は無理やりにスリーポイントを投げた。
ボールはリングに当たり大きく跳ね上がって、落ちてきたところを飯田が取った。
- 210 名前:第四部 投稿日:2006/03/18(土) 00:29
- 「戻って! ディフェンス!」
残り時間五十秒。
ここで決められて五点差になると試合が終わってしまう。
希望を繋ぐには絶対に止めなくてはいけない。
出雲オフェンスがボールを持って上がってくる。
マークを捕まえて吉澤は感じていた。
四クォーターに入ってからさっきまでの飯田と、今度のオフェンスの飯田は違う。
肌で分かる。
最後まで持つように、さっきまではスタミナをコントロールしていた。
今度は違う。
ボールを持っていない段階でも分かる。
つないでさばくんじゃない。
自分で、決めに来る。
勝負を決めに来る。
- 211 名前:第四部 投稿日:2006/03/18(土) 00:29
- 左ローポスト、飯田は吉澤を背負ってゴールに背を向けた形でボールを待つ。
スリーポイントの外にいたフォワードから、保田の小脇を通してバウンドパスが飯田へ送られる。
ハイポスト、もう一人のセンターについていたあやかも飯田に押さえに入った。
ここまではこれまでの約束事の通り。
もう一人。
点を取らせたくない。
ここでは絶対点を取らせたくない。
そう思ったら、後先約束事考えずに体が動いた。
吉澤、あやか、保田、三人で飯田を取り囲む。
- 212 名前:第四部 投稿日:2006/03/18(土) 00:29
- 飯田はパスを受けて最初の選択肢はターンして即シュート。
そう動こうとしたが、吉澤は押さえきれていないし、あやかの寄せも早かった。
次の選択肢を考える。
論理的思考で追っているわけじゃない。
体が覚えていて体が考える。
ほんの一瞬の間。
ボールが下がるのが飯田のくせだった。
不用意に腕が下がり、ボールが下りてきたところを、外から寄せた保田がはたいた。
ボールは中を舞う。
ルーズボール。
混戦の中に落ちる。
保田が自分で飛び込んで倒れながら拾った。
- 213 名前:第四部 投稿日:2006/03/18(土) 00:30
- 「サイド!」
横に開いた福田の声が飛ぶ。
フロアに転がったまま保田はパスを送る。
福田の足元に届く、あまりいいパスではないが拾い上げる。
すぐに開いてガードが福田に取り付いた。
ドリブルで上がって行く。
右手からバックチェンジで左手に持ち返る。
その左側に相手ディフェンスの重心を寄せておいて、ロールターンで右へ。
一人かわす。
「はい!」
市井が前を走っていた。
市井のマークがボールを持つ福田に寄せてくる。
二対一。
ひきつけてひきつけて、フリーになった市井へパスを送る。
ノーマークのランニングシュート。
簡単に決めた。
残り三十五秒、一点差。
- 214 名前:第四部 投稿日:2006/03/18(土) 00:30
- 残り時間、単純にはオフェンスディフェンス一回づつ。
一本止めて、次のオフェンスで決めれば勝てる。
勝つために必要なことは見えた。
出雲はなかなか攻めて来ない。
まだ一点リードしている。
時間ぎりぎりまで使おうという作戦。
それが分かっているから、松江側も激しく当たってボールを取りに行くが、どうしても取れない。
そして、時計は時を刻んでいく。
二十四秒計が五秒を切る頃、ボールが飯田に入る。
分かりきっていた。
吉澤も、あやかも、飯田にボールが入るのは十分に分かっていた。
ここでも保田が飯田を押さえに来る
止めたい。
さっきは止まった。
今度も止めたい。
止めて、逆転して勝ちたい。
止めたい気持ちはある。
だけど、さっき三人で止めた分、三人ともが頭の片隅に一つのイメージがあった。
- 215 名前:第四部 投稿日:2006/03/18(土) 00:31
- パスをさばくかもしれない。
誰に決められても二点は二点。
パスをさばかれたら、そこへカバーに行かなくてはいけない。
それを頭に置きながらのディフェンス。
だけど、飯田の方はまったくパスは考えていなかった。
今度は吉澤にもあやかにも構わずにターンしてゴールの方を向いてくる。
二人も止めようとするが、飯田はその間に足を伸ばし入り込んだ。
そしてそのままジャンプ。
吉澤、あやかもブロックに飛ぶが、飯田の右手の方が高い。。
ゴール下、強引にねじ込む。
残り十三秒、再び点差が三点に開く。
松江ベンチがタイムアウトを取った。
- 216 名前:第四部 投稿日:2006/03/18(土) 00:31
- 大詰めではあるけれど、時計が止まって大きくため息が出るところ。
点が動いたことで、重い空気は払拭され、会場もざわつく。
三十九分、変わることなく試合に出続けたメンバーは、多少疲労の色を浮かべながらベンチに戻ってきた。
「すいません」
うなだれる吉澤の肩を保田が叩く。
「一々、気にするな」
直前の出来事であっても、ここまでの展開を振り返っている余裕は無い。
十三秒で三点取る。
その必要なことをする為にどうすればいいか?
保田の頭はそれしかない考えていない。
- 217 名前:第四部 投稿日:2006/03/18(土) 00:31
- 「それより先生、松浦を入れてくれませんか?」
十三秒で三点差を追いつく。
そのためのやり方は通常二つ。
二点づつ二回決めるか、スリーポイント一発で追いつくか。
普通は、スリーポイントに賭ける。
「誰と代わるんですか?」
「そりゃ、私だろ」
「だめですよ、ここで保田さんひっこめられるわけないじゃないですか。私が下がります」
現実論と感情論。
最後の場面で、保田を下げたくない。
そう、吉澤は言う。
二人は中澤の顔を見た。
頼りなくても指揮権は中澤にある。
「吉澤、下がれ」
「先生!」
「保田はまぐれでもスリーあるだろ。吉澤じゃまぐれすらない」
中澤の言う言葉が一番妥当だった。
「松浦がおとりで紗耶香勝負かな」
保田が言う。
それでいくしかないかな、という雰囲気が固まりつつある所に中澤はめずらしく戦術的に口を挟んだ。
- 218 名前:第四部 投稿日:2006/03/18(土) 00:32
- 出雲のベンチもあわただしかった。
県内でこれだけの競った試合をするのは久しぶりのこと。
三点リードしているとは言え、ずいぶん追いこまれた空気も流れてもいる。
「九番徹底マークね。あと、入って来たら十四番。多分入ってくると思うけど」
九番、市井紗耶香、十四番、松浦亜弥。
スリーポイントを今日決めてきた二人にはシュートを打たせたくない。
「二点は打たせていいよ。適度のプレッシャーかけるだけで。圭織も手は出さないから。ファウルだけ気を付けて」
仕切るのは飯田。
珍しく分かり安い指示。
遠まわしに話している余裕はない。
指示を出しながら、飯田は、何かを忘れているようなそんな気がしてしかたなかった。
オフィシャルのブザーがなった。
メンバー達がコートに戻って行く。
残り十三秒の攻防。
- 219 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/18(土) 20:15
- 息詰まる攻防、読み応えあります。
- 220 名前:ピース 投稿日:2006/03/20(月) 21:18
- 更新お疲れ様です。
やはりギリギリの勝負になりましたね!
中澤監督の采配?が松江に勝利を呼び込むのか!?
決着の時を楽しみ待ってます。
- 221 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/21(火) 15:48
- 最後まで縺れてるなぁドキドキしてきた
- 222 名前:作者 投稿日:2006/03/25(土) 00:25
- >>219
ありがとう。そう言ってもらえるとうれしいです。
>ピースさん
中澤先生、何言ったんでしょうね?
>>221
ええ、最後まで際どい勝負してくれてます。
- 223 名前:第四部 投稿日:2006/03/25(土) 00:26
- 市井がボールを入れて福田が運ぶ。
時計が動き始めた。
市井と松浦には厳しいマークが付いている。
十秒を切る。
福田はまずハイポストのあやかにボールを入れた。
ゴール側になる背後にはディフェンスが立っているが当たりは厳しくない。
福田は左に下りていき市井のディフェンスにスクリーンをかける。
市井は福田を壁に使いディフェンスを振り切り上に上がってくる。
あやかから市井へ。
ディフェンスはスイッチ、福田に付いていたマークが市井につく。
身長差のミスマッチで頭の上は空いているが、スリーポイントは打てない。
- 224 名前:第四部 投稿日:2006/03/25(土) 00:26
- 残り七秒。
松浦はゴール下を抜けて左サイドへ。
ディフェンスをゴール下の混戦に引っ掛けて外へ。
市井からパスが入る。
フリーで受けてターンしゴールを向く。
シュートモーションに入るが、ディフェンスが横から飛び込んでくる。
一瞬動きを止めてやり過ごす。
また前が開いたが、すぐに次のディフェンスがカバーに来た。
打てない。
- 225 名前:第四部 投稿日:2006/03/25(土) 00:27
- 残り四秒。
ハイポストの保田に入れる。
飯田が付いているが、ゴールの側に立っているだけで特に対応しない。
松浦が左サイドから上に上がってきた。
それとは逆に、保田はドリブルで左ローポストのあたりまで下りて行く。
松浦はトップの位置にいる福田のマークにスクリーンをかけた。
福田は肩越しに左サイドへ下りて行く。
福田のマークは、松浦が壁になりついていけない。
スイッチするべき松浦のマークは、序盤の松浦のスリーポイントのイメージがあるので、松浦を捨てて福田につくことが出来なかった。
左コーナー、福田、ノーマーク。
保田から丁寧なバウンドパスが送られる。
飯田が壁になっている保田にひっかかりながらも、シュートを防ぎに入ろうとする。
- 226 名前:第四部 投稿日:2006/03/25(土) 00:27
- スリーポイントラインの外側。
右足をわずかに前に出したスタンス。
両手で構え、福田はシュートを放った。
飯田が飛び込んでくるがわずかに及ばない。
そして、ゲーム終了ブザーが鳴る。
会場全体の視線を集めたボールは、美しい放物線を描いてリングを通過した。
ここで、レフリーの笛も鳴った。
- 227 名前:第四部 投稿日:2006/03/25(土) 00:28
- 「白四番、イリーガルユースオブハンズ カウント!」
シュートが打たれたのはタイムアップ前で有効。
飯田が飛び込んでいったプレイが、手を使って相手をはたいてしまうファウル。
そのファウルとシュートが同時として認定される。
スリーポイントが有効で同点に追いつき、さらに一本のフリースローが与えられた。
会場に沸きあがる歓声。
ベンチの興奮。
今日、初めて打ったスリーポイント、それをきっちりと決めた。
松浦が、保田が、福田に飛びついて行く。
自分よりも大きな二人に抱きつかれ、さらには頭までポカスカ叩かれ、それでも、珍しく福田も素直な笑顔だった。
その横で、飯田は座り込んでいる。
トップレベルのポイントガードなのは分かっていたのに、スリーポイントを打ってくる可能性が頭から抜けていた。
- 228 名前:第四部 投稿日:2006/03/25(土) 00:28
- 75-75
四十分戦い切って同点。
最後のタイムアップの時点でのファウルで福田に一本のフリースローが与えられている。
こういった場合、シューターの福田以外の両チームのメンバーは全てベンチに引き上げる。
フロアにたった一人残ってフリースローを放つ。
「大丈夫」
「気楽に」
「私まだ動き足りないんだよね」
あやか、市井、保田、それぞれに福田に言葉をかけてベンチに下がって行く。
福田は、フリースローラインに立ち、ゴールを眺めた。
「肩もんであげようか」
後ろから松浦。
福田は少し苦い顔して振り返る。
「邪魔だって」
「決めたらご褒美のチュウしてあげるよ」
「別に、いらないから」
福田はゴールの方を向く。
その背中をちょっと困ったように見つめてから、松浦もベンチに下がっていった。
- 229 名前:第四部 投稿日:2006/03/25(土) 00:29
- 決めてくれ。
外してくれ。
相反する二つの想いが、それぞれのベンチから福田に飛ぶ。
自陣から遠い側のゴール。
福田明日香は一人、ゴールと向き合う。
レフリーからボールを受け取った。
リングを見上げる。
右足を半歩前に出し、いつものように二度三度両手でボールを弾ませる。
ボールをつかみ顔を上げた。
構える。
少し間をおいて、もう一度ボールを弾ませる。
小さく息を吐いて、額にボールを当てた。
決める。
ボールをもう一度弾ませて構えた。
そして、両手でシュートを放つ。
運命のフリースローは、リングの根元に当たり、小さく跳ね上がってから落ちた。
ノーゴール。
会場をため息が覆う。
決着はつかず。
二分間のインターバルを挟んで延長戦に入る。
無表情に戻った福田がベンチに戻ってきた。
- 230 名前:第四部 投稿日:2006/03/25(土) 00:29
- 「先輩においしいところを残しておくなんて、可愛いところあるじゃんか」
「別に、そんなんじゃないですよ」
吉澤の言葉に視線を合わせずに福田は冷たく答える。
ボケにまじレス。
吉澤は、居心地悪く保田の方を見る。
フリースロー、入ればいいなと思ってはいたけれど、外れて帰ってきたときになんて声をかけようか、そうずっと考えていた。
苦笑いを浮かべつつ保田は、分かってるよとばかりに吉澤の背中を軽くぽんぽんと叩いた。
「オーケーオーケー。追いついた追いついた」
市井は、福田の頭をくしゃくしゃと撫でる。
福田は答えないし抵抗もしない。
スリーポイントを決めて追いついたのも事実。
フリースローを外して勝ちきれなかったのも事実。
重みがどちらにあるかは、それぞれ感覚が違う。
- 231 名前:第四部 投稿日:2006/03/25(土) 00:30
- 「それにしても先生の作戦当たりましたねー」
最後に福田のスリー、というのは中澤の意見だった。
スリーポイントが打てるのは、二人だけやないやろ、その一言で決まった。
もっとも、そのシュートがゼロ秒ぎりぎりまで打てないとまでは考えていなかったが。
「うちをおだてても何もでえへんよ」
「またまた。それで、延長はどんな作戦で」
保田が中澤をいじる。
今までは指揮権を持っていてもなんとなくお飾り的雰囲気があった。
指示を出すにしても、保田や福田の顔を見ながら恐る恐るといったところ。
それが、これでようやく中澤も戦力になった。
- 232 名前:第四部 投稿日:2006/03/25(土) 00:30
- 「じゃあ、そうやな。向こうの四番、最後のファウルで四つやろ。だから、ここはインサイド勝負で行ったらええんとちがう?」
「そうですね。吉澤とあやかに最後位ちゃんと働いてもらいましょうか」
中澤の言葉に保田も同調する。
吉澤とあやかもうなづく。
「外は紗耶香は、打てる時に打って行く。保田もどんどん勝負しよう」
市井と保田、二人の名前まで出たところで、松浦は気づかれないように輪の後ろへ下がっていく。
中澤が語っている間中、福田はドリンクを手に片隅で汗を拭いていた。
オフィシャルのブザーが鳴った。
改めて決戦の時。
五分間の攻防。
選手達がまたコートに上がっていく。
- 233 名前:第四部 投稿日:2006/03/25(土) 00:30
- 松江ボールでサイドからのスタート。
ボールは市井が入れて福田に預ける。
吉澤とあやかにボールを集め、次のファウルで退場となるため厳しいディフェンスの出来ない飯田の所を攻める。
この作戦が、肝心な人間の頭に入っていなかった。
福田は保田へパスを落とす。
作戦以前に、飯田のフォーファウルも頭に入っていない。
頭の中では、先ほどのフリースローの反省が続いている。
決める、と自分に言い聞かせようとした時点で平常心じゃなかった。
平常心じゃなかったことを反省している今の現状が、まさしく平常心では無い。
ボールさばきは相変わらずに見えるが、いつもの冷静さに欠けていた。
- 234 名前:第四部 投稿日:2006/03/25(土) 00:31
- ボールを受けた保田は、一対一を試みる。
保田は四十分出ずっぱりの他のメンバーとは違う。
まだ、出場時間は十五分程度。
体が温まってきて動き頃。
あっさりとディフェンスを交わすと、ミドルレンジからのジャンプショットを決めた。
- 235 名前:第四部 投稿日:2006/03/25(土) 00:31
- まだ足りない。
まだ足りない。
保田は更なる手ごたえを求める。
次のオフェンスでも決めて四点差。
そんな保田に続いたのが吉澤だった。
もし飯田からファウルをもらえれば退場させられる。
飯田が退場になれば、このゲームは実質そこで終了だ。
そんな意識が、ここへ来てようやく吉澤を積極的にさせる。
少し遠目の位置から飯田と勝負してゴールを決めた。
福田が生きたパスを出せなくなっているが、それでもそれぞれ個の力で勝負し、加点している。
優勝するのに十分なチーム力を備えていた。
- 236 名前:第四部 投稿日:2006/03/25(土) 00:31
- 出雲も反撃はするが単発に終わる。
ファウル四つ、さらには延長にまでもつれ込んだ為、スタミナ面で非常に厳しくなってしまった飯田が攻守に精彩を欠いてしまっている。
残り一分を切って松江の五点リード。
とどめを刺す為に保田が攻める。
中からのリターンパスを左サイドで受けた保田は、シュートフェイクを見せて右へドリブル。
疲労の色濃いディフェンスはついていけない。
インサイドから飯田がカバーにつく。
今度は、ペネトレイトで突っ込むと見せかけてロールターンする。
腰高になった飯田はファウルが怖くて手が出せない。
さらにもう一人カバーに来るが、ドリブルを止め、ステップでかわした。
一人で三人を抜き去り、ゴールに背を向けた状態でのバックシュート。
保田のとどめの一撃がリングに突き刺さった。
- 237 名前:第四部 投稿日:2006/03/25(土) 00:31
- 時計は刻まれて行く。
出雲も、飯田が意地で二本ゴールを決め三点差にまで迫るがそこまでだった。
ボールをまわして時間を稼ぐ。
最後は吉澤がジャンプシュートを決め、86-81で市立松江が勝利。
保田、市井がチームを作って三年目にして初のインターハイ出場を決めた。
- 238 名前:第四部 投稿日:2006/03/25(土) 00:31
- 試合の決着がつく時、コートには必ず二つの色が生じる。
賭けている物が大きい時ほど、その色の違いは鮮明になる。
ブザーが鳴り、疲労と徒労感で飯田はコートに座りこんだ。
うつろな目で見つめる先では、保田を取り囲む輪が出来ている。
控えのメンバー達もコートに飛び出して来て、胴上げが始まった。
保田が中を舞う。
続いて中澤が。
さらに、恥ずかしいと逃げ回った福田も捕まり空中に投げられた。
福田も、いやがりながらも笑顔はあった。
- 239 名前:第四部 投稿日:2006/03/25(土) 00:32
- 飯田の肩が叩かれる。
振り返ると、チームメイト達がいた。
何かを言いたそうに飯田を見つめているけれど、言葉が出てこない。
飯田は、自分で立ちあがった。
「まけちゃったね」
そう言って見つめる先では、今度は市井が抱え上げられている。
飯田達はベンチへ戻って行った。
監督が、控えのメンバー達が、戦い終えた選手を出迎える。
飯田は、ベンチに座ると頭からタオルをかぶった。
- 240 名前:第四部 投稿日:2006/03/25(土) 00:32
- コートに出来た、二つの色の鮮明な違い。
その、色の違いは次に試合がある時まで消えはしない。
短いような長いような、二年半の時。
何もなかったこのチームが、ついにインターハイの切符を手にした。
飯田が、タオルを被ったまま控え室へ消えていく間、保田達は、地方紙や専門誌の記者達に囲まれ、写真撮影をされていた。
- 241 名前:第四部 投稿日:2006/03/25(土) 00:33
- 翌日、島根中央新報スポーツ面
創部三年目の悲願かなう
インターハイ予選、女子バスケットボール決勝は、延長までもつれ込んでの決着となった。
四年連続十五回目の出場を目指す出雲南陵と、創部三年目で初出場を目指す市立松江女子の対戦。
前半は松江が一年生松浦と二年生の市井のスリーポイントでリード、しかし、後半に入り出雲の大エース飯田がインサイドで次々と加点し逆転する。ところが、最終クォーターに入り疲れの見えた飯田は、松江の吉澤、木村というセンター陣を崩せず、突き放しきれない。
三点差で終盤を迎え、残りゼロ秒、松江の一年生ガード福田のスリーポイントで追いつくと、延長では4ファウルで飯田の得点力が落ちた出雲を振り切り、創部三年目にして市立松江女子がインターハイ初出場を決めた。
- 242 名前:第四部 投稿日:2006/03/25(土) 00:33
- 中学から選手を集めたわけでもなく、コーチも素人。そんなところから始まったこのチーム。キャプテンの保田を中心に地道に練習を積み、わずか三年での悲願達成。これは、コーチまで含め、全員が成長してきたことが大きいだろう。
延長のタイムアップの笛とともに、選手たちは喜びに泣き崩れる。そんな中、一人一年生のゲームメーカー福田だけが冷静だった。試合後の彼女のコメントが印象的だ。「このチームはこんな程度じゃないです。どこが相手でも、負けないチームになれるはずです」 起死回生の同点スリーポイントを放った一年生。それでも試合後、自分のプレイとしては、その後のフリースローを外したことを「決めて当たり前のものを外して恥ずかしい」とまで言い、しきりに悔やんでいた。
インターハイ本戦までは一ヶ月。このフレッシュなチームが全国の舞台でどこまで出来るのか期待したい。
- 243 名前:第四部 投稿日:2006/03/25(土) 00:34
- ***
- 244 名前:第四部 投稿日:2006/03/25(土) 00:34
- ***
- 245 名前:第四部 投稿日:2006/03/25(土) 00:34
- ***
- 246 名前:ピース 投稿日:2006/03/30(木) 23:24
- 更新お疲れ様です!
最後の最後までもつれる試合展開に興奮しました☆
と、同時にこのままでは先が無い事も分かった。
今後、松江がどのように進化していくのか楽しみに
観ていきたいと思います。
次はあのチームかな?更新楽しみに待っています♪
- 247 名前:作者 投稿日:2006/04/01(土) 00:35
- >>ピースさん
先は長いんですよねー・・・。
今後もいろいろと変化して行くチームなんだと思います。
- 248 名前:第四部 投稿日:2006/04/01(土) 00:36
- 県大会というのは、ほとんどのチームにとっては目標となる本番の舞台。
ただ、一部のチームにとっては、通過点の調整ゲーム。
勝つことが目的ではなくて、スキルアップやレギュラー争いの実戦練習。
相手がいつもと違うのと、学校ではないところへ行くのが新鮮なのとで、少し気分が浮つくところが違うくらいだ。
富ヶ岡はそんなチームの代表のようなものである。
- 249 名前:第四部 投稿日:2006/04/01(土) 00:36
- 神奈川の県大会システムは独特だ。
強豪四チームはシード扱いでベスト8からの登場になる。
二百校以上の出場校があるのに、予選もなしでベスト8からという扱いをするのは全国でもここくらいのもの。
その準々決勝にあたる試合を勝ち抜くと、四チームでのリーグ戦となる。
準々決勝は、富ヶ岡と試合をすることを目標に頑張ってきたチーム相手に、百点ゲームで大勝する。
試合後、「記念に握手してください」「写メ撮らせてください」、という声にも二年生以上は慣れた感じで答える。
ブロック予選から通して七回勝って、ベスト8まで残って、全国ナンバーワンチームと試合をして三年間を終えるというのは、普通の学校の選手にとってはいい思い出だ。
石川達は、そういった普通の選手から憧れ目線で見られる立場である。
本人は、点は取れたけど、マークについた相手にも同じように取られて、その上、試合の決まった後半も、他のスターティングメンバーがベンチに下がるのに、一人ずっとフロアに残されて少々不機嫌ではあったが。
- 250 名前:第四部 投稿日:2006/04/01(土) 00:37
- 翌日は決勝リーグの一日目。
百点ゲームになるのは前日と同じであるが、この日は失点が目立って多かった。
113-75
普通の試合で、女子のゲームで、75点も失点したら苦戦の類に入るし、下手をすれば負けている。
圧倒的な攻撃力があったので問題なく勝ってはいるが、先のことを考えればこの失点は問題だ。
ただ、和田コーチにはその原因ははっきりと見えていた。
見えている上で、手を施さずに放っておいた。
- 251 名前:第四部 投稿日:2006/04/01(土) 00:37
- 準々決勝が土曜日、リーグ戦初日が日曜日。
残りの二試合は、一週空いて、次の土日になる。
大会期間中でも、特に変わらず普通に練習はあった。
「また高橋の相手か石川は」
練習終わり、コートの隅でストレッチをしている柴田に、キャプテン平家呆れ顔で声をかけた。
「梨華ちゃんがあんなにお姉さんキャラになると思いませんでしたよ」
「まったく、よわっちいガキのくせに、先輩面しやがって」
「高橋がまた妹キャラだからいけないんですよ」
「あいつ、顔大人ななのにしゃべると田舎の子供になっちゃうんだよな」
実際、ちょっと前まで田舎の子供だったのだから仕方ない。
ただ、その言い様に、柴田は笑った。
- 252 名前:第四部 投稿日:2006/04/01(土) 00:37
- 「田舎の子供って・・・」
「ちょっと言いすぎかな?」
「でも、事実だしいいんじゃないですか?」
そんな会話をしながらも、二人の視線は石川と高橋へ向いている。
石川がオフェンスの一対一。
左に振っておいて、右にドリブルで突っ込む。
ついてきたところをターンしてそのままジャンプ。
高橋は、横の動きにはついていけたが、飛ばれてしまえばそこまで。
石川のジャンプシュートが決まった。
「田舎の子供、うまくなったよな」
「なかなか抜かれなくなりましたもんね」
「あれだけやってれば慣れるわな、さすがに」
飛べば高さでフリー。
という形で石川がジャンプシュートを決めたが、普通のレベルならその前に抜き去られている。
- 253 名前:第四部 投稿日:2006/04/01(土) 00:38
- 「柴田、あれ出来る?」
「あれって?」
「突破しようとして、前押さえられたらそのままターンしてジャンプシュート」
「そりゃ出来ますよ。梨華ちゃんほどのスピードは無いですけど」
「ちょっとやってみてよ」
「いいですけど」
平家がポンとボールを柴田に送った。
真意がいまいち分からない。
柴田にボールを持たせ平家がディフェンスする。
「一対一やるんですか?」
「ちょっと気分転換にね」
「はぁ・・・」
柴田と平家ではポジションがあわない。
柴田はわりとどこでも出来るので、平家にあわせてセンター的なプレイで一対一をしてもいいのだが、リクエストは石川的プレイらしい。
やれば出来るけど、平家さんなにがしたいんだ? と柴田はいまいち腑に落ちず。
- 254 名前:第四部 投稿日:2006/04/01(土) 00:38
- リクエストなのでやってみた。
左にワンフェイク入れて右にドリブルで突っ込む。
平家はそれについてきたので柴田はターン。
そのままジャンプシュート。
このターンのタイミングに平家はついていけずに柴田がフリーでジャンプシュートを決めた。
「さすがに速いね」
「そうでもないですよ」
「ちょっとフリーで何本か相手してよ」
「平家さん、柴田のポジションでも取るつもりですか?」
「そんなんじゃないから。遊びよ遊び」
なんなんだろう、と思いながら柴田は平家の相手をした。
さすがにゴールから離れた位置からの一対一なら、ボールさばきで大体勝てる。
だけど、何度も繰り返すうちに平家も動きに対応出来るようになり、最後の方は何本かしっかりと止められたりもした。
何本か止めて、それなりに満足したのか平家が切り上げようと言い出す。
平家が先輩、柴田が後輩。
止められた後のタイミングでそんなこと言われても、ちょっと不満は不満なのだが、先輩の言う事に従わざるを得ない。
高橋と石川はまだ続けてるなあ、というのを見つつも、先に体育館から引き上げた。
- 255 名前:第四部 投稿日:2006/04/01(土) 00:38
- 「一人暮らしはどーですか?」
練習終了後、体育館前にぼんやり座る姿。
かばんを抱えて誰かを待っている風の小川に、柴田が声をかけた。
「あ、柴田さんお疲れ様です」
「お疲れ様」
柴田も制服姿で小川の隣に座る。
「で、どーなのよ?」
「あー、たのしくやってますよー」
ぼんやりした答え。
柴田が黙って小川の方を見ると、小川は続けた。
- 256 名前:第四部 投稿日:2006/04/01(土) 00:39
- 「最近、晩御飯ちゃんと作るようになったんですよー。高橋さんと一緒に」
「なんか、すごいものが出来そうだよね」
「失礼な。そんなことないですよー、たまにしか」
「たまにはあるんだ」
「あはは」
笑ってごまかす。
柴田もつられて微笑む。
「でも、楽しいですよ。うまくいってもいかなくても」
「どっちが料理は上手?」
「うーん、どっちだろう」
ぼんやりと、深刻にではなく考える。
- 257 名前:第四部 投稿日:2006/04/01(土) 00:39
- 「それで、高橋待ってるんだ?」
「あー、そうなんですよー。最近、いっつも石川先輩と残って練習してて、私待たされて」
「自分も練習すればいいじゃない」
「そうなんですけどー」
柴田の正論。
先輩にそんな風に言われると、さっさと練習切り上げたのがちょっとばつが悪くなる。
「一度、小川にちゃんと聞いてみたかったんだよね」
「何ですか、急に」
小川麻琴、警戒の姿勢。
柴田はじっと小川と視線を合わせて続けた。
- 258 名前:第四部 投稿日:2006/04/01(土) 00:39
- 「入ってきた最初のときさあ、覚えてる? 自己紹介」
「あー、覚えてるような覚えてないような・・・」
「柴田さんにあこがれてます、って言ったよね」
「そんなこと言ったような言わないような」
あいまいな笑みを浮かべて、小川が視線をそらす。
柴田のほうは視線をそらさずに、小川の方を見つめたまま続けた。
「あれ、本当なの?」
「いや、本当って言うか、あの」
「本当なの!」
「ごめんなさい。思いつきで言いました」
小川はそう答えて頭を両手で抱える。
隣で柴田はため息をついた。
- 259 名前:第四部 投稿日:2006/04/01(土) 00:40
- 「なんか、おかしいとは思ったんだよねー。誰かにあこがれられるとか慣れてないからさあ、どんなもんなのかわかんなかったけど、明らかに小川の私に対する態度って、高橋の梨華ちゃんに取る態度なんかと違うし」
小川はなにも答えない。
何も言えない。
「高橋が梨華ちゃんに憧れてます、って言ったから、それで、なんか、対抗するために無理やり私の名前出したでしょ?」
「あ、いや、その、あの。負けちゃいけないと思って・・・」
柴田がため息をつく。
予想はしていたけれど、ちょっと哀しい答え。
- 260 名前:第四部 投稿日:2006/04/01(土) 00:40
- 「そんなとこで張り合ってどうするのよ。でも、入ってきたとき、小川と高橋って、すごいライバル感ばちばちだったよね」
「先生に聞いてたんですよ。私のほかにもう一人地方からきた子が入るって。それで、あ、この子かと思ったら、なんかなんでも負けちゃいけないと思って」
「だからって、私の名前なんか出さなくてもいいのに」
「他に知ってる人いなかったから」
「消去法かよ!」
「いや、だって、あの。でも、知ってるってことは、すごいじゃないですか。柴田さんのことは、入る前からちゃんと知ってたってことじゃないですか」
「まあ、そうか」
ちょっと柴田も納得する。
顔を上げると、遠くの空には満月。
もう、すっかり外は暗くなっている。
二人はぼんやりと座っていた。
- 261 名前:第四部 投稿日:2006/04/01(土) 00:40
- 「麻琴! ごめん。着替えてくるから待ってて」
背中から声がかかる。
振り向くと、体育館から出てきた高橋だった。
後ろには石川もいる。
「練習あがり?」
「うん。柴ちゃんはやかったねえ、今日は上がるの」
「なんとなくね」
石川も、柴田のほうに軽く手を上げて部室に向かった。
「小川もすっかり高橋と仲良くなったね」
「いつの間にかでした」
「いつの間にか、か」
本人たちは知らない。
石川を中心に二年生がした高橋と小川へのいたずら。
そんなきっかけがあったことは、二人は知らない。
- 262 名前:第四部 投稿日:2006/04/01(土) 00:41
- 石川と高橋が去って、体育館からは物音が消えた。
夏の近づいた夜。
ぼんやりと体育館前の階段に座り込む。
たまに吹き抜ける風が心地いい。
部室から、靴を突っかけながら出てくる高橋の姿が見える。
小川も、立ち上がった。
「小川」
まだ座ったままの柴田が声をかける。
小川は、柴田の方を向いた。
「ぼやっとしてると、高橋においていかれるぞ」
「はい」
そう答えて、小川は高橋のほうへ駆けて行った。
- 263 名前:第四部 投稿日:2006/04/01(土) 00:41
- 「わかってるのかなあ、あの子」
一人になって、柴田はそうつぶやく。
視線の先には、部室から出てくる石川がいる。
「誰か、本気で憧れてくれないかなあ・・・」
「なにぶつぶつ言ってるの?」
柴田の独り言。
近づいてきた石川には、言葉までは聞き取れない。
- 264 名前:第四部 投稿日:2006/04/01(土) 00:41
- 「ぼやぼやしてると置いてくよ」
そう言われて、柴田は思わず石川の左腕をつかむ。
石川は、きょとんとした顔。
柴田は、そんな石川と目が合って、思わずとった自分の行動が恥ずかしくなり、うつむいて少し笑った。
「どうしたの? 急に」
「いいの。帰ろう」
柴田が先に立って歩く。
石川も慌てて後を追いかけた。
- 265 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/04/01(土) 23:01
- 和田の考えが気になるなぁドキドキ
- 266 名前:ピース 投稿日:2006/04/02(日) 12:53
- 更新お疲れ様です!待ってました、富ヶ岡編♪
梨華ちゃんが愛ちゃんを相手にばかりしている弊害の一端、
平家さんのやった事がヒントかな?と、うっすら見えたような
気がしますが果たして。
柴っちゃん、いるよ!きっと。w
- 267 名前:作者 投稿日:2006/04/08(土) 01:16
- >>265
まあ、たいしたことでもない、で終わってしまうかもしれませんが
>>ピースさん
まあ、たいしたことでもない、(以下同文
- 268 名前:第四部 投稿日:2006/04/08(土) 01:16
- 決勝リーグ二戦目、土曜日の試合も順当に勝った。
93-57
ここ二試合よりは得点力が落ちたが、それは控えメンバーに代わる時間が早かった為で仕方ない。
平家などは、前半の途中からベンチに座っていた。
最終日の三戦目。
リーグ戦二勝同士の対戦。
神奈川はインターハイの出場枠は二チームあるので、勝っても負けても出られるし、もはや消化試合なのではあるが、自分達以外では一番強い相手なので、一番緊張感を持って楽しめる相手ではある。
- 269 名前:第四部 投稿日:2006/04/08(土) 01:16
- 「ディフェンス意識してな。合わせで崩されたら仕方ないけど、単純な一対一でやられるなよ」
全体への指示。
だけど、顔は石川を向いている。
二年生になってスタメン定着し始めてからの課題、ディフェンス。
点だけ取っていれば許された一年生の頃とは違う。
「高橋、ゲームメイクは好きにしていいから。熱くなりすぎるなよ」
「はい」
ある意味一番の不安要素だったりする。
力量があっても、精神面でむらがあると、監督コーチとしては怖いものである。
- 270 名前:第四部 投稿日:2006/04/08(土) 01:16
- 試合は、意外と苦戦した。
出場枠が二つあるという事は、二番手のチームもインターハイクラスのチームであるということ。
そうなると、頼れるエースの一人や二人ちゃんといるのだ。
そのエースにつくマッチアップに、ディフェンスの苦手なタイプが当たってしまったりすると、そこから失点しててこずることになる。
体格で石川に勝る相手エースは、ハイポストあるいはローポストで石川を背負う形でボールを受けて、そのまま押し込んでゴール下でシュートを決める、というパターンで得点を伸ばして行く。
36-24と、まだ勝負にはなっているというような点差で前半を終える。
- 271 名前:第四部 投稿日:2006/04/08(土) 01:17
- ハーフタイムのミーティング。
うろたえたりはしないが、和田コーチは、このレベルの試合ではめずらしく試合に勝つことを意識しての指示を出した。
「三クォーター勝負ね。うっとうしいから試合決めてきて」
「はい」
「前から当たって、集中力切らさないように。キャッチアップ早くな。シュート決めたらすぐピックアップしろよ。それで石川と平家は戻る。ロングパス通ったらおまえらのせいだからな」
「はい」
まだ十二点差。
主力を下げるには少し怖いし、実習にはちょうどいい点差でもある。
後半も、スタートと同じメンバーで入った。
- 272 名前:第四部 投稿日:2006/04/08(土) 01:17
- マイボールで始まる。
外で回して、動きの中でフリーになった石川に送り、切れ込むとカバーが来たので、空いた平家に渡しゴール下のシュートを決めた。
「当たれ!」
全国ナンバーワンチームが、県大会レベルでプレスディフェンスを敷く。
ある意味大人気ない。
高橋、小川、柴田。
前三人のディフェンスは強力だ。
前半はノーマルのハーフコートディフェンスだったのに、突然こんなのに前から当たられたら、ガード陣はパニックに陥る。
ボールを入れられずに、どうしようもなくロングパスを入れようとすると、石川にさらわれた。
こういった形でボールを奪うと、ディフェンスがセットされていないので点も取りやすい。
三本続けて似た形でボールを奪い、十八点差まで離した所で相手タイムアウトが取られる。
- 273 名前:第四部 投稿日:2006/04/08(土) 01:17
- タイムアウトでプレス対策を落ち着いて取っては来るが、自分達より強い相手に一気に点差を開かれると、その精神的ダメージは対等な相手のときよりも大きい。
ボールが運べても、その先の攻撃力が落ちて点が入らなくなる。
三クォーターだけで一気に三十点近い差を広げる。
最終クォーターに入り、主力を下げたあたりで、また互角の展開に。
石川がゴール下で押し込まれてどうにも押さえきれない。
なんで私だけずっと出されるんだろう、という疑問も頭を悩ませフラストレーションがたまる。
それでも、ここまでの貯金が効いて、最終的には二十八点差をつけて勝利した。
決勝リーグ三戦全勝での優勝。
二十八年連続二十八回目のインターハイ出場、ということになる。
地方ローカル神奈川テレビのインタビューを監督とキャプテンと受け、なんとなく胴上げとかしてみるけれど、このチームにとっては年中行事の一こま、といったところ。
涙して喜んだりとか、そんなことはない。
家に帰ってからの食事が、ちょっといつもよりはおいしく感じられるとか、その程度のものだった。
- 274 名前:第四部 投稿日:2006/04/08(土) 01:18
- 翌日、余韻も何も無く、達成感なんてものも当然無く、いつもどおりの通常練習。
それがこのチームの当たり前。
試合直後で疲労がたまってとか、そんな配慮などありえない。
走る練習をこなし、組み立ての練習をこなし、五対五をやって、ゲーム練もやる。
普段の流れで全体練習が終わると、普段の流れのままに石川は高橋の相手をしはじめた。
- 275 名前:第四部 投稿日:2006/04/08(土) 01:18
- 「あいつ、自分が置かれた状況全然わかって無いのか?」
コートの隅で平家が柴田に問いかける。
柴田は、なんと答えていいのか分からない。
「昨日の反省があるなら、やるべきことは違うはずなんだけどな」
そういう意味か、と理解する。
理解はしたけど、やっぱり答えは返さなかった。
平家はフロアに座り込みストレッチをしている。
じっくりゆっくりストレッチ。
視線は石川と高橋に向けたまま。
柴田は、なんとなく離れて行ってはいけなさそうな雰囲気を感じて、隣りに座ってストレッチを始めた。
- 276 名前:第四部 投稿日:2006/04/08(土) 01:19
- 石川と高橋は、最初は二人で交互にスリーポイントを打っていたけれど、しばらくすると一対一をはじめた。
石川がボールを持つオフェンス。
どちらが楽しいかと言えば、オフェンス側が楽しいと感じる量が多いので、先輩がオフェンス役をやるパターンが多い。
しばらく一対一が続いて、二人の息が切れてきた頃を見計らって平家が立ち上がり二人に歩み寄っていった。
「高橋」
「はい」
「石川借りていい?」
「ええですけど・・・」
平家に答えながら高橋は視線を石川に向ける。
貸すとか借りるとか、自分が決めることじゃないようなという疑問の視線。
「なんですか?」
小首をひねって石川。
自分に声をかけてくるのは割と珍しいので、単純に驚きの感覚が強い。
- 277 名前:第四部 投稿日:2006/04/08(土) 01:19
- 「なんか勘違いしてるみたいだから体で分からせてあげようと思って」
「どういう意味ですか?」
「そのままの意味」
口には出さないが、顔には出して石川はちょっとむっとする。
勘違い、言われて不愉快にならないはずも無い。
「柴田!」
「あ、はい」
「その辺からパス入れて」
突然巻き込まれ柴田も立ち上がる。
その辺、と平家が手で示したあたりでボールを受け取った。
「なにするんですか?」
「お前が高橋としてたのと同じことだよ」
要するに一対一をやろうということらしい。
石川のほうも、なんだか知らないけどやってやろうじゃないの、くらいの気にはなった。
- 278 名前:第四部 投稿日:2006/04/08(土) 01:19
- まずは平家がオフェンスでの一対一。
ローポストで石川を背負った形で柴田からのボールを受ける。
あとは簡単。
背中に圧力をかけてじりじりと押し込んで、ターンしたらゴール下。
簡単にジャンプシュートを決めた。
「いてもいなくてもかわらないな、そのディフェンスじゃ」
冷たく平家が言い放つ。
石川は、きつい目で平家を見た。
攻守交替。
今度は石川がオフェンス。
ディフェンスは苦手だけど、オフェンスは得意。
ボールさえ持てば負けるとは思っていない。
- 279 名前:第四部 投稿日:2006/04/08(土) 01:20
- 右サイド石川は外に開く。
ボールを受ける前から当たってくるかな? と思ったけれど、平家は少し離れてついたので余裕を持ってボールを受けられた。
スリーポイントが打てるシチュエーションではあるけれど、石川としては絶対に抜き去ってやると思っているのでその選択肢は無い。
左にワンフェイク振って、右にドリブルで突っ込んで行く。
平家はきっちりついていきぬかせない。
ゴールに近い位置まで来て、石川は左にバックターンした。
トップスピードからの急激な方向転換だけど、平家はしっかりと反応する。
石川はそのままジャンプシュートを放った。
しかし、ほんの一瞬後から飛んだ平家のブロックショットにボールは弾き飛ばされた。
- 280 名前:第四部 投稿日:2006/04/08(土) 01:20
- 飛ばされたボールは転々とし、柴田の足元へ。
そっとしゃがんで拾い上げる。
石川は、弾き飛ばされてボールを見ていたが、ふと平家の方に目を向けて、視線が合うとすぐにそらした。
「飛べばフリーなんて甘い考えは、自分より小さい相手にしか通用しないんだよ」
不機嫌そうな平家の声。
そういわれて石川は、チラッと高橋の方を見てうつむいた。
離れたところにいる高橋は、心配そうに高橋と平家と、さらに柴田も交互に見つめていた。
「二年生になって後輩が出来て、「石川さんに憧れてます」とかなんとか言われていい気になってるから、こんなことになるんだよ。昨日、なんで前半苦戦したか分かってるのか?」
先輩風吹かせたがりの石川に、本物の先輩風を平家が吹かしている。
梨華ちゃん相当へこむだろうな、と柴田は冷静に思っていた。
- 281 名前:第四部 投稿日:2006/04/08(土) 01:21
- 「どっかのバカが、ディフェンスで役に立たなくてゴール下でやられまくったからだろ。仕方ないから三クォーターに前から当たって、そこまでボールまわらないようにして試合終わらせたけど。ったく、おまえは反省するとか、そういう感覚は無いのかよ」
何も答えを返さない石川に、平家は苛立ちを隠さない。
頭に来ても悔しくても、自分よりも強い立場の人に、内容が正しいと思えることを言われてしまうと、石川は何も言い返せなかった。
- 282 名前:第四部 投稿日:2006/04/08(土) 01:21
- 「自分より小さい相手のマークにつくことが試合であるか? 弱い相手ならあるだろうけど。高橋の相手してて、石川になにが身につくんだよ」
ディフェンスうまくなったもん。
早い動きの子にも抜かれないで止められるときがあるようになったもん。
そう、思っていても、口に出す勇気なんかない。
「高橋の相手するのが悪いとは言わない。だけど、自分もただのへたくそだっていうのを忘れんじゃないよ」
そこまで言って、平家は石川に一瞥くれて去っていく。
柴田の方に左手を伸ばし、パスを受け取った。
高橋が石川のところへ駆け寄って行く。
梨華ちゃんに向かってただのへたくそなんて言えるのは、平家さんだけだな、と柴田は思っていた。
- 283 名前:第四部 投稿日:2006/04/08(土) 01:21
- 「すいません、なんかあたしのせいで」
「高橋の問題じゃないよ」
「でも」
「梨華ちゃん、今日は帰ろ」
高橋の呼びかけにも柴田の対応にも、石川は言葉も無い。
柴田は、石川の背中を押して無理やり歩かせる。
高橋のことは追い払った。
後輩の前ではいい格好したい石川だから、へこんでいる姿は見せないですませてあげたい、と思って追い払った。
- 284 名前:第四部 投稿日:2006/04/08(土) 01:21
- 夜九時近い。
学校から帰る時間としては、普通の高校生よりはかなり遅いが、予備校通いの生徒と比べれば、まあ標準的。
そんな時間帯。そんな町の空気。
アップルジュースとオレンジジュースに、二人で一つのポテトS
二人で三百円で済むメニューを乗せたトレイを抱えて、二人で駅前で寄り道してみた。
「なによ! ただのへたくそって! もう!」
いまさらながらに怒り心頭な様子をたたえながら手はポテトに伸びる。
体育館を出て、シャワーを浴びて、着替えて、駅までの道を歩く。
徐々に凹みから凸みに変化してきて、しゃべりだしたら収まらなくなってきて、電車に乗る気になれなくて店に入った。
なんとなく、こうなるんだろうな、と柴田は思っていた。
- 285 名前:第四部 投稿日:2006/04/08(土) 01:22
- 「私だって考えてるわよちゃんと。ディフェンス下手な自覚があるから、高橋みたいなちゃんとドリブルの技術はあるけど、頑張れば手に負えそうな子の相手して、一緒に上手になろうと思ってるんじゃない」
「でも、実際、梨華ちゃん、高橋みたいな小さいののマークにはつかないよね」
「だから、順序があるんだって!」
「どんな?」
「もう、柴ちゃんのイジワル」
ある程度慰めようという方向で接するはずだったのだけど、意外に回復が早いのであしらいが冷たくなってしまった。
順序とか、石川の頭の中にあったわけ無いのだ。
「昨日のは悪かったと思ってるわよ」
「ちょっとやられすぎたよね」
「平家さん、さっきのオフェンス、昨日やられた形と同じだったのはわざとかなあ?」
そんなの聞くまでも無いだろ、と思ったけど、そうは答えずにポテトに手を伸ばす。
- 286 名前:第四部 投稿日:2006/04/08(土) 01:22
- 「分かってるんだけどさ、私だって。ディフェンスはちゃんとしなきゃいけないって。でもね、昨日はあんなだったけど、おとといとか、ちゃんと抑えたでしょ。それを分かって欲しいなって思うの」
昨日は、相手のエースがたまたま石川がマークにつく相手で、それがたまたま自分より背が高くて、たまたまインサイドでセンターっぽいプレイをする相手だったから止められなかった。
一昨日は、自分より小さな相手が外から勝負しようとするタイプで、高橋よりもレベルが落ちるので止められた。
そう言いたいらしい。
- 287 名前:第四部 投稿日:2006/04/08(土) 01:22
- 「だから、梨華ちゃんに必要なのはそこじゃないって平家さんは言いたかったんでしょ」
「そこって?」
「小さい相手を止めても意味無いって」
「意味無くは無いでしょ」
「無くは無いけど、あんまりないって」
「うーん・・・」
自分が、出来るようにならなきゃいけないと思っていることを、出来なくてもいいと主張して論破して行くことはなかなか難しい。
どうしたらいいんだろう、という答えは見つからなくて、思考を違う方向に向けて少し逃げてみた。
「でもね、私としては、平家さんに止められたことの方がショックなのよ」
「そうだよねー・・・」
「ポストから背負われて簡単にシュート決められたのはしょうがないけど、自分より大きい人をぬき去れなかったのはショックだよー・・・」
飛べばフリーという考えは甘い、と言っていたけれど、身長もあって、梨華ちゃんのスピードにもついていけるなんて普通いないよ、と柴田は聞きながら思っていた。
図に乗るから石川には言わないけれど。
- 288 名前:第四部 投稿日:2006/04/08(土) 01:22
- 「あー、もう、明日、高橋の顔見れない」
「なんで?」
「だって、あんな恥ずかしい。先輩に叱られるとこなんか見せて」
「気にしすぎだって。怒られることくらいあるでしょ」
「でもさー。なんか高橋には見せたくないの」
「梨華ちゃんは高橋の憧れの先輩だもんね。あ・こ・が・れ・の!」
「なんで柴ちゃんが怒ってるの?」
「知りません!」
柴田は、ポテトSの最後の三本をいっぺんに口に運んだ。
- 289 名前:第四部 投稿日:2006/04/08(土) 01:23
- 「あ、ずるい!」
「ずるくないの!」
「三本いっぺんに取るのずるい!」
「いいの。帰るよ!」
最後は、石川より柴田の方がなんだか怒っていた。
ちょっと、キーワードに自分で触れてしまったらしい。
なんだかんだで騒がしく二人は帰って行く。
まあ、梨華ちゃんあっさり元気になったからいいか、と一人になってからの電車の中で柴田は思っていた。
- 290 名前:ピース 投稿日:2006/04/10(月) 17:23
- 更新お疲れ様です。
あちゃー、やっぱり…。(苦笑)
そこはある意味、これまで甘えていた部分。
後背相手に逃げないで、自分に足りない部分に
取り組んで克服してもらいたいですね!
でも、梨華ちゃんにはオフェンスでも
このままで終わって欲しくないなぁ。
- 291 名前:作者 投稿日:2006/04/15(土) 01:20
- >>ピースさん
石川さんも、どうしてこう、後輩かまうのが好きなんでしょう
- 292 名前:第四部 投稿日:2006/04/15(土) 01:21
- インターハイが始まろうとしているちょうどその頃。
インターハイに出ないチームも時が止まっているわけではない。
ただ、動かせないときの中に立ち止まっているチームもある。
夏休みに入り、普段の年ならインターハイに向けてチームを固めて行く時期。
それが、今年はその必要も無い。
滝川のメンバーたちにとっては、目の前に目標が見えにくい形になっている。
キャプテンも欠けたチームは、副として梓が一応仕切っていた。
ただ、やっていることは、キャプテン、というよりも、号令係、というレベルのもの。
チームを引っ張る存在にはなっていない。
安倍は、事故の後、札幌の病院に転院していた。
- 293 名前:第四部 投稿日:2006/04/15(土) 01:21
- 寮と体育館の往復の日々。
目標も活気もない練習は、ただのルーティンワークになっている。
日課だから練習をする。
特に、目的は無い。
ただ、それぞれに思うところはあった。
こんなチームを見たら、きっと尋美は悲しむ。
そう、個人個人が思うことと、練習に活気が戻ってくることは一致はしない。
- 294 名前:第四部 投稿日:2006/04/15(土) 01:22
- そんなある日のことだった。
「今日限りで、監督を退任することになりました」
練習の最後に、唐突に監督が言いだした。
メンバーたちは、それほど驚きと言うのはなかった。
ただ、困惑の色は浮かべている。
「申し訳ない。こんな形になって申し訳ないけれど、君たちには頑張って欲しいと思う」
「なんで先生が辞めなきゃいけないんですか」
詰問調の藤本の声。
部員の寮生が自転車で二人乗りしていて、コンビニに向かっていてトラックに轢かれた。
監督不行き届きを責められているという話は、うわさでメンバーたちには届いていた。
- 295 名前:第四部 投稿日:2006/04/15(土) 01:22
- 「仕方ないんだ。申し訳ないと思っている」
「関係ないじゃないですか! 先生は」
「申し訳ない」
「逃げないでくださいよ! ゲーム中に逃げるな!ってよく言ってたじゃないですか!」
「仕方ないんだ。監督不行き届きなのも事実だから」
誰かに責められたから苦しいんじゃない。
生徒が死んだ理由が、もしかしたら確かに自分にもあったのかもしれないと考えることがつらい。
公式には辞任、だけど、中身として本人の意思なのか、周りからの弾劾のせいなのか、よく分からない形で監督はチームを去っていった。
後任は決まっていない。
- 296 名前:第四部 投稿日:2006/04/15(土) 01:22
- 三年生が集まって今後のことを検討する。
とりあえず、このまま続けていってもどうにもならないということで、二日間練習を休むことにした。
翌日、寮で穏やかに過ごすもの、駅近くの繁華街と呼ぶにはやや微妙な規模の町へ出てぶらぶら過ごすもの、人それぞれさまざま。
そんな中で、りんねは麻美を連れて、安倍の病室を訪れた。
「美貴・・・」
病室には、藤本がいた。
ベッドにこもったままの安倍を藤本は見下ろしている。
「なつみさん! そんなこと言わないでください! 帰ってきてくださいよ!」
りんねが入ってきたことにも気づかずに、藤本は叫んでいた。
なつみに向かって、感情をぶつけていた。
- 297 名前:第四部 投稿日:2006/04/15(土) 01:23
- 「ごめん、もう無理」
安倍は布団を頭からかぶる。
藤本は、納まらなかった。
「なんで! なんでそういうこと言うんですか! なつみさんは、なつみさんは! 生きてるんですよ!」
布団を剥ぎ取ろうとする。
安倍は、布団に包まったまま、じっと耐えていた。
入り口に立っていたりんねが、藤本に歩み寄り、その手を止めた。
「何やってるの! 怪我人に向かって」
「なつみさんのばか!」
「ちょっと、美貴!」
藤本は、りんねの咎める声も無視して、出て行った。
- 298 名前:第四部 投稿日:2006/04/15(土) 01:23
- 「何があったのよ」
りんねの問いかけに安倍から答えは帰ってこない。
布団に包まって、鼻をすする音が聞こえてくる。
安倍なつみは生きている。
この病院で、このベッドの上で。
だけど、重傷だった。
はねられた衝撃、それも、自転車ごとはねられた衝撃で、両足を複雑骨折している。
しばらくは車椅子生活。
リハビリをすれば歩けるようにはきっとなるだろう。
だけど、どこまで走れるようになるかは、それはわからない。
その事実は、本人も、仲間たちも聞かされて知っていた。
- 299 名前:第四部 投稿日:2006/04/15(土) 01:23
- 「なつみの好きなね、ロールキャベツ作ってきたんだよ。あんまり上手じゃないけどね」
おだやかなりんねの声。
顔を見せない安倍に語りかける。
かばんからトレイを取り出すと、テーブルに置いた。
「うん、まあまあいけるかな。なつみも食べようよ」
箸でつまんで一口食べる。
初めて作ったけれど、それなりには食べられる味。
おだやかに安倍に語りかけるけど、返ってくるのは冷たい言葉だった。
- 300 名前:第四部 投稿日:2006/04/15(土) 01:23
- 「帰って」
「なつみ」
「帰ってよ!」
布団に包まったままの安倍。
くぐもった声がりんねに響く。
「なつみ、顔見せてよ」
「なちねえ!」
「帰ってよ! お願い、帰って!」
枕が飛んできた。
りんねはそれを受け止める。
安倍は、一瞬だけ顔を見せたが、また布団に包まった。
鼻をすする音が聞こえてきた。
「ごめん。また来るね」
枕をベッドの隅に置き、りんねは部屋を出た。
- 301 名前:第四部 投稿日:2006/04/15(土) 01:24
- 藤本は病院の待合室に座って待っていた。
「どうでした?」
藤本の問いかけに、りんねは首を横に振って答える。
麻美は、りんねの後ろでうつむいていた。
三人で病院を出た。
札幌から、滝川の寮までは二時間近くかかる。
正午過ぎのこの時間、三人はお昼ご飯を札幌で食べていくことにした。
めったにない、町での食事。
普段の彼女たちなら、店を選ぶだけで一仕事、なところだけど、今日はそんな気分ではない。
目に付いたファミレスに入る。
適当に注文も済ませた。
- 302 名前:第四部 投稿日:2006/04/15(土) 01:24
- 「何、もめてたの? さっき」
りんねから切り出す。
視線を落とした藤本。
目の前のコップの辺りを見たまま語りだす。
「早く、早く、戻ってきてくださいよ、って言ったんです」
ぽつりぽつり。
いつも威勢のいい藤本が、力なく発する言葉。
りんねは黙って聞いている。
- 303 名前:第四部 投稿日:2006/04/15(土) 01:24
- 「そしたら、無理だって言われて。でも、リハビリ頑張ればすぐですよ、って私が気楽に言ったんです。そしたら、ばちが当たったから足は二度と動かないって言い出して、私は、そんなことない、よくなるって言って、そしたら、足は動いちゃいけないんだって。自転車運転してて、ひろみさんを殺しちゃったのは自分だからって」
りんねもうつむく。
事故の現場には三人いた。
逝ってしまったひろみ、体は無傷だった梓、そして、安倍。
生き残ったものは、みな自分を責めている。
- 304 名前:第四部 投稿日:2006/04/15(土) 01:25
- 「私は、元気になって、ひろみさんの分までバスケ頑張ってくださいよって言ったんです。そしたら、そんなこと出来ないって。バスケなんかしちゃいけないって。私は、ひろみさんはそんなこと望んで無いですよって言ったら、そしたら、なつみさん、なつみさん、自分が死ねばよかったって。運転してた自分が死ねばよかったんだって。それで、それで」
「もういいよ。わかったから」
藤本は顔を覆う。
言葉をつなぎながら顔を覆う。
りんねは、それ以上言葉をつなぐのを押しとどめた。
- 305 名前:第四部 投稿日:2006/04/15(土) 01:25
- 高校一年生、高校二年生、高校三年生。
三人の女の子がファミレスで座っている。
携帯をいじるでもなく、雑誌を広げるでもなく、テーブルには水の入ったコップが三つあるだけで、三人は黙って座っている。
向かい合ってうつむいて、会話が無い。
そんなところに、注文した料理が運ばれてくる。
三人は、無言で料理を口にした。
何もしゃべることなく、料理を口にした。
- 306 名前:第四部 投稿日:2006/04/15(土) 01:25
- 店員が皿を下げて、またテーブルには水の入ったコップだけが残る。
ぼんやりと座っている三人。
藤本がポツリとつぶやいた。
「私たち、どうなるんでしょう・・・」
先輩が死んだ。
キャプテンはベッドの上で壊れている。
インターハイ予選では簡単に負け。
監督はいなくなった。
バスケどころの状態じゃない。
どこに向かっていいのかわからない。
「かえろっか」
藤本のつぶやきには答えず、りんねは席を立った。
- 307 名前:第四部 投稿日:2006/04/15(土) 01:25
- 三人が寮まで戻ると、そこではまた騒ぎが起こっていた。
玄関には、かばんを抱えた梓と、それを引きとめようとするメンバーたち。
特に、梓になついていた二年生のあさみが必死に止めている。
「りんねさん! 梓さんを止めてください」
「どうしたの?」
「やめるって。バスケやめるって。学校もやめるから出てくって」
輪の中心で、梓がうなだれている。
メンバーたちはりんねを見ていた。
三年生が、何とか引き止めてくれることを期待していた。
- 308 名前:第四部 投稿日:2006/04/15(土) 01:26
- 「どうしたの? 急になんで?」
「ごめん。もう無理、ここにいるのは」
「なんで?」
「眠れないんだ。毎晩、ひろみの声がする。痛い、助けてって。何もして上げられない。ここにいると、ひろみのことが頭から離れない。もうだめなんだ。あの時、助けて上げられなかった私が確かに悪いと思う。だけど、だめなんだ。苦しいんだよ。ごめん。もう解放して。お願い」
何も言えなかった。
通夜の晩、自分の腕の中で震えていた姿をりんねは思い出す。
梓の前に、ただ、りんねはたちつくす。
「ごめん。さよなら」
小さなかばんを一つ抱え、ほとんど着の身着のまま、梓が出て行った。
走って去っていく梓を、誰も引き止められなかった。
その背中を見つめることしか出来ない。
その背中を遠くに見ながら、りんねは肩を震わせた。
肩を震わせ、声を上げて涙を流した。
誰も、声をかけられなかった。
- 309 名前:第四部 投稿日:2006/04/15(土) 01:26
- りんねは、そのまま部屋に閉じこもった。
夕食も口にせず、部屋にこもる。
二人部屋、そこに暮らすのはりんねともう一人、ひろみ。
ひろみの暮らしの跡は、あの頃と何もかわらずそのままに残されている。
電気もつけず、ベッドの上でひざを抱えぼんやりとしていた。
夜、暗い部屋、外から虫の声が聞こえる。
短い命の虫の声が聞こえる。
- 310 名前:第四部 投稿日:2006/04/15(土) 01:26
- ノックがあった。
りんねは答えない。
何も答えない。
ひざを抱え、じっと座っている。
ドアが開き、廊下の光が差し込んでくる。
入ってきたのは二年生のあさみだった。
部屋の電気をつける。
りんねは、何も反応しなかった。
あさみの方を見るでもない。
ベッドにぼんやりと座る。
あさみも、りんねに声をかけず、椅子に座った。
- 311 名前:第四部 投稿日:2006/04/15(土) 01:26
- 虫の声が聞こえる。
部屋に電気が点いても、外の様子は変わらない。
明かりは点いたけれど静かなままの部屋。
二人は口を開かない。
どれくらいの時が経ったのだろうか。
りんねが顔を上げた。
ぼんやりと座っているあさみの方を見る。
視線がぶつかった。
「どこにも行かないでください」
視線がぶつかって、口を開いたのはあさみだった。
- 312 名前:第四部 投稿日:2006/04/15(土) 01:27
- 「りんねさんは、りんねさんだけは、卒業するまでどこにも行かないでください」
視線をはずし、りんねはまたうつむく。
ひざを抱え、うずくまる。
亡くなったひろみと一番仲が良かったのはりんねだった。
寮生活は、ほとんど生徒たちだけでなんでもこなす。
一年生は、炊事も洗濯も、当番制で回ってくる。
同室のりんねとひろみは、いつも一緒だった。
一年後、後輩が入ってくる。
一人一人に、指導役の先輩がつく。
あさみの指導役はりんねだった。
そんな関係もあり、あさみはよくこの部屋で過ごしていた。
ひろみとりんねとあさみと。
藤本や里田という目立つ同学年に挟まれて、少しおとなしいあさみは一歩引いた位置にいる。
もっと前に出ろ、なんて、りんねにしかられ、もっと積極的にアピールしなさいってひろみにしかられ。
そんなひろみが、亡くなった。
逝ってしまった。
- 313 名前:第四部 投稿日:2006/04/15(土) 01:27
- 「あの、おやすみなさい」
それ以上、言葉を続けられなくて、あさみは出て行った。
明かりはつけたまま。
りんねは、あさみの背中を見送る。
扉が閉められると、りんねはベッドに仰向けになった。
「みんな・・・」
ひとことつぶやく。
その夜は、眠れなかった。
- 314 名前:ピース 投稿日:2006/04/15(土) 21:22
- 更新お疲れ様です。
劇的な状況の変化、環境の変化に対応出来ないのは
仕方の無い事ですよね…。
- 315 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/04/21(金) 02:06
- どの立場になっても分かるなぁ・・ツライ・・・
- 316 名前:作者 投稿日:2006/04/22(土) 01:40
- >ピースさん
望んだ変化ならともかく、こんな形ですしね。
>>315
ほんの欠片でも自分に責任があると、全体を背負い込んでしまうことってありますよね・・・。
- 317 名前:第四部 投稿日:2006/04/22(土) 01:40
- 翌朝。
いつも起きる時間に、きちんと部屋を出た。
朝食をとりに食堂へ。
「おはよう」
普通の朝の挨拶。
普通の朝の挨拶を交わす。
眠い目をこすっているあさみもいる。
「おはよう」
「おはおうございます」
いつもの朝だった。
- 318 名前:第四部 投稿日:2006/04/22(土) 01:40
- 今日までは練習は休みにしている。
一日全部自由時間。
りんねは、梓の部屋へと入っていった。
この部屋も、今はあるじがいない。
元々は安倍と梓の二人部屋。
安倍がキャプテン部屋に移ってからは梓が一人で暮らしていた。
りんねは、残されている荷物をまとめる。
出て行った梓。
呼び戻したいけれど、それが出来る自信は無い。
それに、余計に苦しませてしまうような気もする。
後で手紙を添えて、残っていた荷物を送ってやることにした。
- 319 名前:第四部 投稿日:2006/04/22(土) 01:41
- それから、キャプテン部屋へ。
入院している安倍。
事故からずいぶん日がたった。
必要なものは当然家族が用意している。
だけど、親には分からない、心の癒しになるようなものは、全部ここにある。
それらをまとめて、送ってやろうと思う。
安倍の入院は、前日の面会の様子だと、怪我とそれ以外との理由で、まだまだ長引きそうだった。
そして、その安倍の荷物から、一つ、りんねは自分のポケットに入れて部屋を出た。
- 320 名前:第四部 投稿日:2006/04/22(土) 01:41
- 寮の玄関、りんねが靴を履いているとあさみが顔をのぞかせた。
「どこ行くんですか?」
「ちょっと」
「どこいくんですか?」
答えるまで放しません、そんな顔。
荷物も持っていないりんね。
出て行くはずも無いけれど、不安にならないはずも無い。
「お昼までには戻るよ」
「どこ行くんですか? 私も行きます」
「ごめん。一人で行かせて」
目線をあわす。
そらさない。
やんわりとではなく、はっきりと断った。
「お昼も食べるから」
「はい、分かりました」
あさみも、納得して引き下がった。
- 321 名前:第四部 投稿日:2006/04/22(土) 01:41
- りんねは自転車に乗って出かける。
町へ。
町まで出かけて花を買う。
花束を買った。
自転車でまた戻る。
あるところで、自転車を止めた。
事故の現場だった。
- 322 名前:第四部 投稿日:2006/04/22(土) 01:41
- 別に喪服なんか着ていない。
ジーンズにパーカー。
ラフな格好。
それでも、夏の北海道の風が吹き抜ける道に、花束を抱えて立つりんねの姿は荘厳だった。
「ひろみ。」
花束を置く。
事故の痕跡に残るのは、そこに置かれた花束の類。
それが無ければ、ここはただの一本道。
「みんな、ばらばらになっちゃったよ」
置いた花束の前に座り込む。
位牌があるわけでも無い、墓があるわけでもない。
だけど、ここで語れば何かが届くような、そんな気がしてる。
そんな道の片隅で、りんねはポケットからリストバンドを取り出した。
- 323 名前:第四部 投稿日:2006/04/22(土) 01:42
- 「ひろみ」
左の腕に黒いリストバンドをつける。
安倍の机から取り出した。
試合のときにキャプテンがつける。
代々伝わってきたキャプテンの証。
「私なんかに、こんな役目出来るかわかんないけどさ。もう、他にいないんだ。だから、ひろみ、助けて」
答えは返ってこない。
だけど、決意は誓った。
草原の風が、二人の間を吹きぬける。
りんねは、髪をそよめかせながら立ち上がった。
左腕のリストバンド、道に置かれた花束、交互に見つめる。
ひろみの顔が見えた。
そんな気がした。
- 324 名前:第四部 投稿日:2006/04/22(土) 01:42
- 寮には、あさみとの約束どおりお昼ご飯前に戻る。
残っていたメンバーとお昼を済ませてから、りんねは三年生の部屋を一つ一つ回っていった。
午後、そして夕食後までかけて、全員と話をする。
自分一人で勝手に決められることでもない。
自分の思い、これからのこと、メンバーたちに気持ちを伝え、了承を得る。
みんな、りんねに任せると言ってくれた。
自分で思っているよりも、りんねは周りから信頼されていた。
- 325 名前:第四部 投稿日:2006/04/22(土) 01:42
- 翌日、寮生全員がそろっている朝食後、りんねが前に立って呼びかけた。
「みんな聞いて」
今まで、三年生の中では決して目立つとはいえない位置にいたりんね。
そんな彼女の呼びかけ。
全員の視線がりんねに集まる。
「なつみは、安倍キャプテンは、もうしばらく入院が必要です。復帰がいつになるかは、はっきり言って分かりません」
誰もがある程度知っていること。
知っているけれど、公のような場所では話題にしてこなかったこと。
「今、このチームは、誰かが引っ張っていかないといけないと思う。そうしないと、壊れてしまうんじゃないかと思う。だけど、引っ張るべき位置にあるキャプテンがいません。キャプテンはまだしばらく戻って来れない」
それぞれにうなづいている。
壊れそうな、少しづつ壊れ始めた、大事なものを失ったチーム。
このままじゃいけないんじゃないか、誰もが持っている思い。
- 326 名前:第四部 投稿日:2006/04/22(土) 01:43
- 「キャプテンが戻ってくるまでの間、私がこのチームを引っ張ります」
右手で、黒のリストバンドを皆に見せる。
それから、左手にそのリストバンドをつけ、こぶしを握り、高く掲げた。
「不満のある人がいれば、今なら聴きます。私がキャプテン代理になることに不満のある人、いる?」
答えは返ってこない。
それぞれが互いを見ているけれど、不満の声は上がってこない。
全員の視線が、りんねに戻った。
「承認ってことでいいね。じゃあ、今日の午後から練習を再開します。解散」
「はい」
返事がそろう。
三十人以上いるメンバーの、返事がそろう。
メンバーたちは、三々五々に散っていく。
一年生は後片付けを、二年生以上は自室に引き上げていった。
- 327 名前:第四部 投稿日:2006/04/22(土) 01:43
- 朝食後、しばらくして、りんねは寮の屋外コートにいた。
ボールを抱え、ゴールと向き合う。
フリースロー。
りんねの放ったシュートは、リングの奥に当たり、その反発とボールの回転とでそのまま手元に帰ってくる。
帰ってきたボールをまたシュートを放ち、それが再び手元へ。
一本一本繰り返し。
ゆっくりと繰り返し。
りんねにとって、これはもう、練習ではなかった。
練習ではない何かだった。
- 328 名前:第四部 投稿日:2006/04/22(土) 01:43
- 屋外コートは寮の一部の部屋の窓からも見える。
あさみは、フリースローを打っているりんねの姿を、自室の窓から見ていた。
りんねさんがいるから自分も出て行こう、なんていう雰囲気では無い。
近づきがたい何かが、二階の窓のこちら側までも伝わってくる。
「りんねさんどうするつもりなんだろう」
今日の午後から練習は再開される。
コーチはいないし、本来のキャプテンもいないけれど。
これからどうなるのだろうと、なんとなく二年生達は中心となる藤本の部屋に集まっていた。
窓の外を見つめるあさみに里田が声をかけている。
あさみの後ろに立っても、里田には窓の外のりんねが見えていた。
- 329 名前:第四部 投稿日:2006/04/22(土) 01:43
- 「練習メニューなんかも、りんねさんとか三年生が決めるのかな?」
「メニューがどうとかって状態じゃない気するけど」
里田の言葉に、藤本は自分のベッドに転がったまま投げやりに答える。
中身の問題ではないのだ。
「でもさー、なんにしても、このままじゃダメでしょ。ひろみさん絶対悲しむっていうか怒るでしょ」
「そんなの分かってるけど」
「とりあえず、りんねさんに従ってやってみようよ」
「別に、イヤだとか言うわけじゃないけどさ」
里田はベッドに横たわる藤本の方を向いて座る。
あさみは、窓の外をじっと見つめていた。
- 330 名前:第四部 投稿日:2006/04/22(土) 01:44
- 「なんかもう、力抜けちゃってさあ。先輩達いなくなるし、先生までいなくなるし。なつみさんも帰ってくる気なさそうだし。これからどうなるんだろとか、何でこうなっちゃったんだろとか、大体、バスケなんか何のためにやってるんだよとか、いろいろ考え出すと、もうぐちゃぐちゃなんだもん」
ベッドに沈み、仰向けになって天井をぼんやり見つめたままの藤本の言葉。
二年生の多くがこの部屋にいるけれど、答えは返って来ない。
ここにいる誰もが、似たようなことを考えてはいた。
「いちばんつらいのは、りんねさんなんじゃないかな」
窓の外、屋外コートを見つめたままのあさみ。
りんねのフリースローが、また一本決まった。
- 331 名前:第四部 投稿日:2006/04/22(土) 01:44
- 「ひろみさんとは同室でずっと一緒で、梓さんとか、なつみさんとかとも仲良くて。なのに、こんなことになって。絶対、すごくつらくて、苦しいはずなのに。キャプテン代理やるなんていいだして。私は、今度はりんねさんがつぶれちゃうんじゃないかって心配だよ」
四六時中友に過ごすという環境で、二年間暮らしてきた仲間。
同期の絆というのは、周りから見えるよりも濃いものがある。
りんねを見つめながらのあさみの言葉を、二年生達は黙って聞いている。
「だけど、りんねさんが頑張るって言うなら、りんねさんがチームを引っ張るって言うなら、私は、それについていきたい」
誰からも、言葉での答えは返って来ないけれど、黙ってうなづく姿があちこちに見られた。
窓の外では、りんねがボールを弾ませていた。
- 332 名前:第四部 投稿日:2006/04/22(土) 01:44
- 午後、体育館に集まる。
三日ぶりの練習。
だけど、一年生が準備を始めようとすると、りんねが言った。
「ボールはいらない」
一年生達は顔を見合わせる。
りんねは詳しい説明はせずに、ストレッチして体動かせるようにしときなさいとだけ言った。
何かが起きるんだな、という予感がメンバーたちの胸に宿る。
しばらくしてからりんねが中央に立ち、皆を見回した。
- 333 名前:第四部 投稿日:2006/04/22(土) 01:44
- 「今、一時半だね」
体育館の時計を見やる。
視線が自分に戻ってくるのを確認してから、りんねは言った。
「今日は、ひたすら走ります。ただ走ります。体力強化とか、そういう問題じゃなくて、ただ走ります。外のいつものコース。靴履き替えて、五時になるまで。頭真っ白になるまで走ります。はい、準備して」
手をぱちんと鳴らす。
それぞれが会話も無く散っていく。
バッシュを脱ぎ、靴を履き替え体育館の外へ。
いつも走っているジョギングコース。
滝川といっても、富良野や日高に程近いこの場所。
アップダウンが適度以上にあるコースをいつも走っている。
メンバーたちはいつものこのコースのスタート地点に集まった。
- 334 名前:第四部 投稿日:2006/04/22(土) 01:44
- 「ばらばらでいいから、自分のペースで。最後まで。とにかく走って。いいね」
「はい」
体育会特有のそろった返事。
二列に並んで、走り出した。
北海道と言えども、真夏が近づいてきた季節。
湿度は低いものの、空からは容赦なく陽が照りつける。
一周目、二周目、まだ、全員がついてくる。
三周目に入ると、一人一人遅れ始めた。
午後二時、午後三時、炎天下、程近い高原から吹き降りてくる風に汗をはじかせながら走る。
走り初めて二時間も過ぎると、もう完全にばらばらになった。
一周二キロのコース上にメンバーが散り散りになる。
誰もが、ただ、黙々と走った。
汗を落とし、息を荒げ、髪を振り乱し、走る。
次第に、足が動かなくなってくる。
次第に、目も開かなくなってくる。
- 335 名前:第四部 投稿日:2006/04/22(土) 01:45
- 走っている、というには程遠い状態になってきた。
里田も藤本も、ただ、ただ、棒のように硬くなった足を前に動かす。
足を止め、横になりたい欲求を追いやって、あさみが前に進んでいく。
ぼろぼろになりながら、前を向いてりんねが進む。
頭の中から意識が消えていく。
まともな意識が消えていく。
まともな思考が消えていく。
残るのは、ただ、休みたい、終わりたい、それだけ。
- 336 名前:第四部 投稿日:2006/04/22(土) 01:45
- 三時間半、ただ、無意味に走った。
意味も無く、走り続けた。
五時になる。
滝川地域一円に届く、五時のチャイムがなる。
ばらばらに散っていたメンバーたちが、次々と体育館前にもどってきた。
ふらふらになって戻ってきて、ばったりと倒れこむ。
起き上がれないでいるメンバーたちの真ん中に、戻ってきたりんねが立った。
「はい、みんなお疲れ様。明日からは通常練習に戻ります。ちゃんとストレッチして、体の疲れを取るように。解散」
答えは返ってこない。
解散と告げたりんねも、その場にへたりこんだ。
仰向けになり、西に傾いた太陽が照らす空をぼんやりと見つめる。
風で流れていく雲が見えた。
止まっていた時を、りんねが無理やり動かした。
無理やり、動かした。
まだ、どこへ向かっていくかは分からないけれど、とにかく、再び動き出した。
- 337 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/04/24(月) 01:32
- ちょっと泣きそうな自分がいる
りんね頑張れ
- 338 名前:ピース 投稿日:2006/04/24(月) 20:32
- 更新お疲れさまです。
みんな辛かっただろうけど余計な思考を削ぎ落とすには
いい方法だったんでしょうね。
色んなモノを自ら背負ったりんねが一番大変だろうし
苦しいだろうけど、頑張って欲しい。
滝川のこれからを見守りたいと思います。
- 339 名前:作者 投稿日:2006/04/29(土) 01:57
- >>337
りんねも、つらいですよね。
>>ピースさん
これから。これからがあるって、いいなって思います。
世の中は動いていますが、ここは通常連載で進みます。
- 340 名前:第四部 投稿日:2006/04/29(土) 01:57
- 県大会とインターハイ、時間的には一ヵ月半ほどある。
長いようで短い時間。
この間にやるべきこと、生じること、というのはいろいろとある。
初出場なので取材が来たり、組み合わせが決まり対戦相手が分かったり、雑誌に自分達の姿が載ったり。
宿の予約もしないといけないし、前日の練習場所も確保しないといけないし、移動手段の確保も必要だ。
慣れていればなんてこともないけれど、そこは初出場チームの未経験さ。
特に、各種手配をしないといけない中澤先生は大変だ。
ただ、人使いのうまさというのがある。
ノウハウは、取材で顔の広い稲葉を頼って同業者に聞いてみた。
中澤から見て年上の男性が多いコーチ業界、そういう人間を手のひらの上で動かすのは得意だった。
- 341 名前:第四部 投稿日:2006/04/29(土) 01:58
- そんな稲葉から雑誌が送られてきた。
インターハイ特集号。
職員室で、中澤と保田、二人で眺めてから体育館に向かった。
「はい、集合集合」
体育館に入ってきて、保田が手を叩きながらメンバーを集めた。
雑誌を抱えた中澤と連れ立っている。
「稲葉さんから月バスが届きました。組み合わせ表とか載ってまーす」
中澤が雑誌を広げるとメンバーがそれを取り囲む。
立って抱えたままだと見ずらいので、拡げて床に置いた。
一冊の雑誌を十数人で輪になって眺める構図だ。
- 342 名前:第四部 投稿日:2006/04/29(土) 01:58
- 「星二つっすか?」
星。
チーム力の評価を五段階で表す。
バスケ雑誌の大会前の定番だ。
星二つ、それは五段階で下から二番目を意味する。
トーナメント表には、この星と簡単なチーム紹介も併記されていた。
「今は、こんなもんじゃないですか?」
「明日香ちゃん冷めすぎ」
一冊の雑誌を輪になって覗き込む。
福田の隣には松浦。
二人の位置からは、文字は上下逆になるけれど、星の数くらいは簡単に読み取れる。
- 343 名前:第四部 投稿日:2006/04/29(土) 01:58
- 「つーか、こう書かれると、私、立場無いんだよね」
「決勝だけ見て書いたんだと思いますよ」
トーナメント表の簡単なチーム紹介。
そこには、「初出場、一二年生主体の若いチーム。#14福田を基点とした攻撃力で初戦突破を目指す」と記されていた。
「圭ちゃんまで含めて若いって扱いしてもらってるってことで」
「紗耶香、あんたはダブってるんだから若くないでしょ」
「うわっ。ひでー。留学をダブったいうのやめてくれる?」
「ダブったがいやなら、留年で」
「圭ちゃん、なんでそんなに絡むのよ」
保田は微妙に機嫌が悪い。
引退間近の最上級生というのは年を気にしてしまうものなのかもしれない。
- 344 名前:第四部 投稿日:2006/04/29(土) 01:58
- 「相手は三つ半なんですね」
「中の上ってとこやな」
「桜華学院?」
組み合わせはもう少し前に決まっていて、中澤のところまでは届いていたが、生徒達には見せなかった。
チーム名以上の情報が無かったからだ。
もっとも、福田あたりはネットで自分で情報を取っていたが。
「留学生のソンを中心とした安定感のあるチーム。三年ぶりの栄冠を目指す」
チーム名横の紹介文を松浦が声に出して読み上げる。
逆さの位置からなのに起用に読んだ。
「三年ぶりの栄冠って、三年前の優勝高かよ」
「知らないんですか? 富ヶ岡の前はここがずっと強かったんですよ」
福田にとっては常識、吉澤にとっては未知の世界。
他のメンバーも、知識的には吉澤と大差ない。
- 345 名前:第四部 投稿日:2006/04/29(土) 01:59
- 「つーかさあ、留学生ってずるくね?」
「仕方ないんじゃないですか。地方のうまい子が遠く離れた強いチームに留学みたいにするのは常識で、寮まで供えた学校があるんだし。それがちょっと距離が遠くなって韓国から来たってだけで。男子なんかみたいに、弱い学校がアフリカから子供つれてきて、その一人だけで突然強くなるとか、そういうのはどうかと思うけど。桜華の場合、元々強いんだし」
高橋や小川が地元を離れて神奈川の学校に進んだ。
藤本はともかく、里田や安倍のような少し離れたところの出身の生徒が集まって寮に住む。
そんな常識の延長だと福田は言う。
「じゃあさ、なんで福田うち来たの? もっと強いとことか行けたんじゃねーの? よく知らないけど」
吉澤の素朴な疑問。
視線が自分に集まったのに気づいて、福田はふと顔を上げて周りを見回す。
それから、視線を雑誌の上に落として答えた。
- 346 名前:第四部 投稿日:2006/04/29(土) 01:59
- 「別に、別に、近かったから」
「素直に、先輩がいたから、とか言えよ」
「市井先輩いなかったじゃないですか」
「明日香、可愛くないね」
市井は苦笑して福田の方を見る。
福田はその苦笑に答えもせず雑誌に視線を落としている。
それにしても、近かったからはこいつの性格では無いだろ、と吉澤は思っていた。
「二つ勝てば、富ヶ岡なんですね」
「勝てばな」
「そこまでは行きたいなー」
第一シード、星五つ、富ヶ岡高校。
一年生のガード陣にもろさが出なければ磐石か? 連覇を目指す。
そんな、紹介文。
- 347 名前:第四部 投稿日:2006/04/29(土) 01:59
- 「また、特集で載ってたりするんすか?」
「ん? ああ、あったあった。でも、うちらのページもあるよ」
「ホントに載ったんですか?」
インターハイ予選後、稲葉が一度取材に来ていた。
各学年一人づつ、という形で保田吉澤福田の三人でインタビューを受けている。
それから、チーム全体写真を撮っていた。
「ちっちゃ」
「でも、載ってんじゃん。雑誌に、うちらが」
男女、それぞれの優勝候補チーム。
それぞれの注目チーム、と紙面で続いた後に、初出場チームの一つとして一ページの六分の一のスペースに写真と簡単な紹介記事が載っている。
- 348 名前:第四部 投稿日:2006/04/29(土) 01:59
- 創部三年目。今年のチームが歴史の全て。県大会決勝、残りゼロ秒での同点劇は圧巻だった。
外三枚から乱れ飛ぶスリーポイントが大きな魅力。まだまだ発展途上のチームで伸び代も多い。「上級生下級生の区別無く、誰でも意見が言えて、互いに刺激しあいながら練習しています」とキャプテン(#4)保田さんのコメントがあったが、それを裏付けるように、練習中も一年生の福田さん(#14)が、二三年生に指示を飛ばす場面も見られた。
組み合わせとしてはかなり厳しい山に入ったが、本人達の言葉にもあるように、まだまだ未完成のチーム。大物食いに期待したくなる雰囲気がある。
「保田さん、こんなこと言いましたっけ?」
「言いたいことみんな言ってるとは言ったけど。ずいぶんきれいな表現にはしてくれたね」
「大物食い。出来たらいいっすねえ」
「富ヶ岡にまで勝っちゃいますか」
「それは・・・」
大きく出てみた市井だけど、周りは乗って来なかった。
冗談でも、全国ナンバーワンチームには勝てる気がしないらしい。
- 349 名前:第四部 投稿日:2006/04/29(土) 02:00
- 「あとな、こっちにも載ってるんやで」
中澤がページをめくる。
続いて出てきたのは注目選手のコーナー。
富ヶ岡の石川に高橋、桜華学院のソニン、などに混じって見知った顔。
「明日香ちゃん!」
福田が写っていた。
写真は、県大会決勝のもの。
バックチェンジでディフェンスをかわそうとするところを捉えた、見栄えのする写真である。
「なんかカッコいいな」
「ゲームを支配する一年生だって」
「あんまり、スリーポイント強調されたくないんですけどね」
- 350 名前:第四部 投稿日:2006/04/29(土) 02:00
- ゲームを支配する一年生
一年生ながら老獪にゲームコントロールし流れを作り出す。それだけでなく、必要なら自分で点を取る能力も兼ね備えており、県大会決勝では土壇場に彼女のスリーポイントで同点に追いつくなど勝負強さも持っている。先輩達を従えてゲームを支配する脅威の一年生だ。
「これいつの写真?」
「多分、決勝の残り一分切って速攻かけてるとこだと思う。市井先輩で一点差に追いついた時」
「明日香ちゃんって、バスケしてるときが一番カッコいいタイプだよね」
「それ、どういう意味?」
「輝いてるってことでしょ」
微妙に一言多かった松浦のフォローを保田がする。
福田は表情は変えないが、隣の松浦はちょっと失敗したかな、の苦笑いを浮かべている。
- 351 名前:第四部 投稿日:2006/04/29(土) 02:00
- 「私たち、確かに明日香に支配されてるよね」
「紗耶香は自由奔放って感じだけど」
「なんか私、とんでもない生き物見たいな書かれ方してませんか? これ。老獪とか支配とか」
「いいじゃんかよー。みんなで写ってちっちゃな一枚なのに、一人でページ半分収まってるんだから」
「はいはい! その辺にしーや。切りが無いから。練習練習。後で好きなだけ見てええから」
「じゃあ、始めよう。ランニング」
自分たちのことが掲載された雑誌。
中学の頃からトップ選手だった福田以外のメンバーにとってはこんな経験初めただ。
そんなものを目の前に置かれたら、練習なんかいつまでたっても始まりやしない。
とりあえず、見せるべきページはだいたい見せたので、中澤は練習開始を促す。
保田が仕切って、練習は始まった。
- 352 名前:第四部 投稿日:2006/04/29(土) 02:00
- 「なんか、いいよな、みんな盛り上がっちゃって」
帰り道。
ポツリと漏らしたのは吉澤だった。
「自分だって盛り上がってるじゃないの」
「そりゃあ、一応さ、みんなの前で盛り下がるわけにもいかないでしょ」
あやかと二人の帰り道。
最近はあやかと吉澤が二人だけで連れ立って帰ることが多くなった。
一年生が入った当初は、松浦を従えて、さらにはその松浦の周辺メンバーも含めてわいわい帰っていたが、松浦が福田になつくようになってからは、二年生二人だけの帰宅路になることが増えている。
一年生を相手にしなくてよくなると、吉澤も虚勢を張ることなく、本音が出てしまうらしい。
- 353 名前:第四部 投稿日:2006/04/29(土) 02:01
- 「なに、盛り下がる必要あるの?」
「だってさー。インターハイ言われても、なんていうか、私だけ、出ていいの? って感じだし」
「なんかいけないの?」
「みんなはさあ、勝ったけどさ。私、負けたじゃない。感じとして」
「負けたって?」
「いや、飯田さんにさあ」
試合に勝つことと、個人的に納得いくプレイが出来ること、というのは違う。
他のメンバーはともかく、自分のところは個の力では完全に負けていたと感じている。
- 354 名前:第四部 投稿日:2006/04/29(土) 02:01
- 「でも、しかたないんじゃないの? だって、飯田さん、すごいじゃない。ホントに」
「まあ、そうだけど。今度もまたすごいのだろ。なんだっけ? 留学生。あれ、私がつきそうな感じじゃん、ポジション見ると。なんでこう、毎回毎回、私のとこにすごいの来るかなあ?」
「エースだから」
「誰が?」
「よっすぃーが」
「ありえないって」
「もうー。自覚してよ。そろそろさあ」
頼れる先輩三年生がいて、スーパー一年生扱いの後輩がいて。
そんな上下に挟まれた二年生。
奔放にも振舞いにくいし、中心選手という自信も持ちにくい。
県予選の勝ち方が勝ち方だっただけに、吉澤としては苦しいところだった。
- 355 名前:第四部 投稿日:2006/04/29(土) 02:01
- 「練習さあ、今までと変わらないじゃん。いいのかな? インターハイ向けの練習とかしなくて」
あやかの言葉には答えずに話題を変える。
あまり突っ込んでもいじけるだけかな、と思い、あやかも新しい話題に乗った。
「変えるならどう変えるの?」
「一回戦の相手の対策とか?」
「どんなチームかわからないのに?」
「それをどうにかしてさあ」
- 356 名前:第四部 投稿日:2006/04/29(土) 02:01
- 実は、どうにかする方法というのはある。
強豪高ならば、前年の冬の選抜大会で、上の回戦まで残れば、試合の模様がビデオDVDで販売されている。
それ以外にも、各県の決勝レベルなら、割と多くの地域で地方局で放映されているので、つてを頼って手に入れることができなくはない。
しかしながら、どちらもこのチームの発想にはないもの。
結局、一回戦の相手は、メンバー表にある名前と身長と、雑誌のチーム紹介のレベルで終わってしまう。
「どうすりゃ、強くなれるのかな?」
「どうしたらいいんだろうね?」
誰もが抱える永遠の課題を胸に、二人は駅へたどり着く。
考え込んだまま、軽く手を振って別れた。
- 357 名前:第四部 投稿日:2006/04/29(土) 02:02
- 結局、五対五を多少増やすとか、試合前の調整レベルでの変化はあったものの、特定の相手を見据えての対策のようなものは何も打たずに、大会前日を迎える。
ある意味では準備不足であるし、ある意味では平常心で普段着のバスケットを心がける為の一方法である。
前日練習も、開催地にある初めて使う体育館、という以外では特に普段と大げさに違う内容のことはしなかった。
- 358 名前:第四部 投稿日:2006/04/29(土) 02:02
- 「この二つは、対等に並べていいんすか?」
前日練習を終えて、宿にたどり着いての吉澤の最初の一言。
歓迎・インターハイ女子バスケットボール出場、県立富ヶ岡高校様(神奈川)
歓迎・インターハイ女子バスケットボール出場、市立松江女子高校様(島根)
歓迎の縦看板が宿の玄関口に二枚並んでいる。
前年度三冠チームと、初出場チーム。
- 359 名前:第四部 投稿日:2006/04/29(土) 02:02
- 中澤が、各種手配のノウハウを聞くのに稲葉から紹介してもらったのは、富ヶ岡の和田コーチだった。
前日練習の場所はどう確保したらいいか?
大会期間中の宿はどこに取るか?
そんなことを教えてもらう、だけではなくて、便乗してやってもらってしまっていた。
和田コーチ、大人の女性だけどまだ十分若い、という存在に弱いらしい。
頼み込まれて仕方なく、というのでもなく、同じ宿で顔をあわせて親しく慣れたら・・・、という下心があるかもしれないが、生徒達には秘密だ。
そんなわけで、吉澤達は富ヶ岡と同じ宿に泊まることになる。
「試合するまではどのチームも対等なのよ」
事前に先生から聞いていた保田は、そう言って吉澤の背中を叩くと、荷物を抱え宿のフロントに入って行く。
他のメンバー達もそれに続いた。
- 360 名前:第四部 投稿日:2006/04/29(土) 02:03
- インターハイは翌日から始まる。
松江の初戦は、韓国人留学生のソニンを中心とした桜華学院。
二つ勝つと、三回戦で富ヶ岡と当たることになっている。
風呂上り、吉澤が団扇を片手に歩いていると、見覚えのある顔が売店近くの椅子に座っていた。
足を止め考える。
名前は出てこなかったけど、その顔と今いる場所から、何で見たのかは思い当たった。
さて、どうしようか。
当然面識は無い。
もし勝ちあがって行ったら試合をする相手。
ためらいはある。
それでも、吉澤の好奇心がためらいに勝利した。
- 361 名前:第四部 投稿日:2006/04/29(土) 02:03
- 「どうもー」
うちわを振って微笑みかける。
相手も微笑を返してくれた。
「あの、富ヶ岡の方ですよね? 雑誌で見たことあります」
「あ、ありがとうございます」
「名前、なんでしたっけ?」
「はい、石川って言います」
初対面。
唐突に声をかけられて硬めの石川。
何とか話を広げるきっかけを探したい吉澤。
「すごいですよね。一年生からレギュラーで、雑誌なんかに載って、それでこんな強いチームで」
「いえ、そんなことないです」
石川はちょっと伏目がち。
立ったままの吉澤と視線を合わせてくれない。
- 362 名前:第四部 投稿日:2006/04/29(土) 02:03
- 「明日は試合無いんでしったけ? シードついて二回戦から?」
「ええ」
「いいですねー。うちなんか、明日から強敵で。いや、石川さんから見ればたいしたことないのかもしれないですけど」
「選手の方なんですか?」
「拙者、市立松江の吉澤と言います」
おどけた物言いに、石川も笑い出す。
笑いが収まって、顔を上げたとき、やっと吉澤と目線を合わせてくれた。
「二つ勝てば三回戦で当たるんですよ。だから覚えといてくださいね」
「はい」
目線が会ってほっとした吉澤は、持っていた団扇でまた扇ぎだす。
そこに、石川と同じジャージを着た子が通りかかった。
- 363 名前:第四部 投稿日:2006/04/29(土) 02:03
- 「高橋、買出し行くの?」
「はい。洗剤とか買ってきます」
「慣れない町なんだから気をつけなさいよ」
「はい」
高橋が小走りに去っていった。
「そうだ、うちも一年生に買出し行かせないと」
「吉澤さんは三年生ですか?」
「二年です」
「そうですか。明日頑張ってくださいね」
「はい。拙者、頑張るしかとりえが無いですから。 切腹! じゃかじゃん!」
吉澤はギターがわりに団扇を奏でると、走って去っていった。
たいして突っ込んだ会話もない初遭遇だった。
なんか、面白い人、という印象だけが石川に残る。
そして、微妙にちょっと古いよねギター侍、と思った。
- 364 名前:ピース 投稿日:2006/04/29(土) 19:43
- 更新お疲れさまです。
おぉ、記念すべき初遭遇ですね。
いよいよ本番って事で、初挑戦の松江がどこまで通用するのか楽しみ。
梨華ちゃんも課題が解決した訳では無いのでそこも注目しています。
- 365 名前:作者 投稿日:2006/05/06(土) 00:19
- >ピースさん
連載開始して一年半かけて、ようやく対面してくれました。
ここまでは完全に独立して彼女たちは地方で暮らしてましたが、ようやく接点が出来て、作者もうれしいです。
- 366 名前:第四部 投稿日:2006/05/06(土) 00:20
- 県大会と全国大会では格がまったく違う。
雰囲気がまったく違う。
家から出かけて試合をし、その日に家に帰るのが県大会。
家から出かけて、宿泊し、試合をして、宿舎に帰って、負けても家に帰るのは翌日なのが全国大会。
関係者と友達が観客なのが県大会。
関係者と全国の高校スポーツマニアと、専門誌の記者が観客なのが全国大会。
よほど鈍感か、よほど図太いか、どちらかでないと、いきなりその空気の違いには慣れない。
それに、なにより、ここに来るために努力を重ねてきた場である。
硬くなるな、という方が普通は無理がある。
- 367 名前:第四部 投稿日:2006/05/06(土) 00:20
- 「インターハイは人がいっぱいいて、なんか気持ちいいですよねー」
試合直前のミーティング。
ベンチに戻ってきた松浦の言葉が視線を集める。
「おまえ緊張するとか、そういうの無いのかよ」
「え? 緊張感はありますけどー、なんか、注目浴びてる感じが気持ちいいじゃないですか」
それどころじゃない先輩たちの冷ややかな目。
そんな空気を察しつつも松浦はひるまない。
「これで注目浴びて、アイドルにスカウトとかされちゃったらどうしよー、なんて思うじゃないですか」
「アイドルになりたかったら東京行ったほうがいいんじゃないの?」
先輩たちがまともに絡めない中、珍しく福田が突っ込んだ。
「明日香ちゃん冷たいよー」
「先生、スタートはどうするんですか?」
「明日香ちゃーん!」
とりあえず、空気だけは和らいだ、ように見えなくもない。
- 368 名前:第四部 投稿日:2006/05/06(土) 00:21
- スタートは、福田、市井、保田、吉澤、あやか。
オーソドックスなメンバー。
安定した力を発揮してくれる、と中澤がイメージしている組み合わせ。
実際にどうなのかはわからない。
ジャンプボールはあやかが飛ぶ。
ソニンには吉澤がついた。
やけにガタイがいい。
吉澤の見た印象。
身長は吉澤のがやや高いが、がっちりとした肩幅がパワープレーをイメージさせる。
- 369 名前:第四部 投稿日:2006/05/06(土) 00:21
- 出だしは完全に桜華学院のペースになった。
コートサイドで落ち着いていても、フロアに上がればまた違う。
松江の五人で普段どおりのプレーが出来ていたのは福田だけ。
なにより、ワンプレーワンプレーの切り替えが遅かった。
ターンオーバーからの速攻を連発される。
四分でいきなり10-0
あまりのことにタイムアウトを取った
- 370 名前:第四部 投稿日:2006/05/06(土) 00:22
- 「あんたら、レベルが上がると緊張でがちがちになるパターンはそろそろ卒業してくれへんか?」
相手が強いとかどうとかというよりも、気がついたら10-0だった、そんな感じ。
動きがどうのこうの以前の問題である。
「切り替えよくしよう切り替え。うちら負けて元々なんだから、がちがちになんかなることないって」
「保田さんが一番緊張してましたよねー」
「うるさい! 松浦。自分が試合出てないからって」
半分笑みを浮かべながらではあるが、保田が怒るとちょっと怖い。
そんな光景を見て、中澤が口を挟んだ
「松浦、行ってみようか」
「私? 私ですか?」
ふとした思いつき。
プレッシャーとか皆無の人間を投入する。
タイムアウトを取った時点ではあまり考えていなかったこと。
今思って今決めた。
市井とメンバーチェンジ。
- 371 名前:第四部 投稿日:2006/05/06(土) 00:22
- これが当たる。
いまだに動きがこなれない先輩たちを尻目に、福田松浦の一年生コンビが外からのシュートを決め始めた。
さらに、この上二人がしっかり戻るので、相手の速攻が出せなくなる。
一クォーターはそこからこう着状態に入り、25-15の十点ビハインドで終わった。
二クォーター、一クォーターとは展開が変わる。
速攻が出せなくなり、セットでのオフェンスを余儀なくされた桜華学院は、エースのソニンにボールを集めてきた。
ソニンにつくのは吉澤。
なんで私ばっかりこういう相手なんだ・・・、と思いつつも懸命に対応する。
ソニンは、県の決勝でてこずった飯田とは違い、外に開いてボールを受けるフォワードタイプ。
吉澤の本来イメージするポジションに近い。
- 372 名前:第四部 投稿日:2006/05/06(土) 00:23
- エンドライン際、スリーポイントラインやや外でボールを受けたソニン。
吉澤は半身に構える。
シュートフェイク後、右に重心を移し、さらにもう一度シュートの構え。
吉澤はすべて対応する。
ソニンは、シュートの構えから、中央寄りの左側へドリブルをついて突っ込んだ。
フェイクにはかからず吉澤はついていく。
そのままソニンはハイポストの位置へ。
手前に立っていたのは桜華学院のオフェンス。
これが壁になり、吉澤はソニンに付ききれない。
ハイポスト、ちょうどフリースローラインの位置からソニンはジャンプシュートを決めた。
- 373 名前:第四部 投稿日:2006/05/06(土) 00:23
- 単純な一対一なら吉澤もそうそう簡単に抜き去られているわけではない。
飯田が相手のときよりはまともに対応している。
ただ、それでもソニンの経験が一枚上手だった。
周りをうまく使っている。
人生経験、山あり谷あり。
異郷に暮らし、チームの中心として戦うソニン。
先輩に守られてプレイしている吉澤は、ソニンから見ればまだ甘ちゃんに過ぎない。
「あれ、なんかうまいです」
ハーフタイム、ベンチに戻ってきた吉澤の一言。
飯田のときのように、ゴール下でやられているという印象は無いのだが、持ち込むと見せかけて外から、外からと見せかけてボールをさばく、さばくかと思えばゴール下に入ってくる。
ガタイからして、がちがちのパワープレイをイメージしていた吉澤としては少々肩透かしを食った気分になる。
- 374 名前:第四部 投稿日:2006/05/06(土) 00:24
- 前半は、52-34 かなり厳しいがまだ勝負にはなる点差。
二クォーターで開いた点差は、そのままソニンと吉澤の差でもある。
「無理そう?」
「いやいやいや。やりますよ。絶対ぶちのめしてやりますよ」
戦意はまだまだ高い。
「吉澤さんはおとりにして、保田先輩や松で勝負のがいいですよ」
「私は信用できない?」
「相手との力関係の問題ですよ。吉澤さんは十分力があるけど相手が悪いです」
最近、福田も少しは気を使うようになった。
吉澤相手には、事実認識を少し膨らませてしゃべる。
- 375 名前:第四部 投稿日:2006/05/06(土) 00:24
- 「保田さん勝負で行けば勝てるのか?」
「それはやってみないと」
「勝てないのか? どうすりゃ勝てるんだよ」
吉澤も福田を認めてはいる。
素直ではないが。
多少むかつく相手ではあるが、勝ちたい、という思いが今は強い。
「速攻を出させないこと。オフェンスは吉澤さんが勝負するときはインサイドで勝負すること。基本は外を広げて保田先輩が勝負。あと、あの十番に自由にボールを持たせない。単なる一対一なら吉澤さんで十分対応できます。ボールをもらうとき、もらってから、どっちの場面でも周りと合わせてかわされてるんです。だからそれに気をつけて、出来れば周りから保田先輩とかあやかさんとかもカバーに入る」
フロアにいながらも冷静に見ている。
フロアの外、まだ頼りなさの残る中澤監督も一言添えた。
- 376 名前:第四部 投稿日:2006/05/06(土) 00:25
- 「リバウンドをしっかり取るのも必要やな。ランニングリバウンドで外からさらわれるのが目立ったから」
まともなコメント。
頼りなくても当てには出来る。
「しっかしあついっすねー」
「夏だしな」
「保田さん、近寄りたくなくなるくらい汗かいてますよ」
「うるさいわねえ。そういうこと言うと肩組むわよ」
冷房の無い体育館は蒸している。
じゃれあっている保田と吉澤。
市井はベンチにぼんやりと座り二人を見ている。
福田は、松浦に引っ張られ手洗いに消えていく。
あやかは、壁に向かってフリースローのイメージでボールを放っていた。
- 377 名前:第四部 投稿日:2006/05/06(土) 00:25
- 後半、福田の提案と中澤の指示通りに動く。
大体は目論見どおりに行き追い上げ始める。
しかし、それが続いたのは出だし五分までだった。
作戦的には問題は無い。
問題は、スタミナ。
最初に動けなくなったのは保田とあやかだった。
序盤、吉澤も含め硬かった上級生。
緊張は体力を奪う。
しかもこの真夏の蒸した体育館での試合。
気力だけでは足が動かない。
元々スタミナに問題のある松浦も動けなくなってきた。
- 378 名前:第四部 投稿日:2006/05/06(土) 00:25
- 攻め手が無くなって、福田が自分で持ち込み始める。
さすがに突破力があり加点するが、桜華学院も福田の突破力は承知済み。
ファウルで止めにかかる。
フリースローを得るのだが、これが入らなかった。
福田に出来てしまった弱点。
あの、県の決勝、ゼロ秒でのフリースロー以来、ほとんど入らなくなっている。
動けなくなるとオフェンスもきびしいが、もっと悲惨なのがディフェンスだ。
ボールを奪われたらすぐにディフェンスに戻る。
基本的なことだけど、体力的にきつくなってくるとこれが出来ない。
戻れないと速攻を出され、点差が開いて行く。
どうにか止めてセットオフェンスにさせても、ボールを回されてそれに足がついていかなくて、手だけが出てファウルになる。
自分の持っている100%の能力から、どんどん遠く離れたものになっていく。
三クォーター、結局79-52と大きなビハインドを背負った。
- 379 名前:第四部 投稿日:2006/05/06(土) 00:26
- 最終クォーター。
疲れ果てた松浦に代えて市井を投入するが流れは変わらない。
得点源は自分で持ち込む福田と、ソニンと対峙する吉澤の二箇所。
しかし、かなめになる福田もまだ一年生。
技術的には全国トップでも、体力面は並の選手だった。
残り五分、中澤がタイムアウトを取った。
点差は三十五点。
もはやどうにかなる点差ではない。
メンバーがベンチに戻ってきたところで、こう告げた。
「おつかれ。保田以外交代」
レギュラーメンバーに代えて、負ければ引退の三年生を入れる。
吉澤たちは、黙ってそれを受け入れた。
- 380 名前:第四部 投稿日:2006/05/06(土) 00:26
- 体力的にフレッシュな三年生の投入。
最後の一勝負、やる気十分でフロアに上がって行く。
頑張る力というのは、ディフェンス面では技量を補って多少効いてくる。
真夏の暑い最中、三十五分走ってきたのだから、相手メンバーだってスタミナ面でダメージの蓄積が大きい。
それに、点差も開くとどうしても集中力は薄れてくる。
戻りを早く、ピックアップを早く、ボールにくらいつく、単純なことだけど、ここまで来るとそれだけで得点力を低下させられる。
そしてオフェンス。
セットオフェンスではどうしても攻撃力に欠けるけれど、切り替えを早くすることで速攻をそれなりに成立させた。
完全なフリーとは行かないけれど、三対二、四対三の場面を作り出してどうにか得点を加えて行く。
だからといって、大勢に影響を与えるほどのことは出来ず、結局、101-71でゲームを終えた。
全国デビューは、一回戦であっけなく終わった。
- 381 名前:第四部 投稿日:2006/05/06(土) 00:27
- 口数はどうしても少なかった。
楽な相手ではないのは分かっていた。
とはいえ、百点ゲームでの惨敗。
まったく手も足も出なかったわけではない。
福田は相手よりも技量は上だったし、吉澤はソニンが相手でも4-6程度まではやれていた。
あやかもリバウンドをそこそこ取れていたし、松浦だってスタミナ万全な前半は外で自由にプレイできていた。
保田のチーム掌握力は相手に引けを取るものではない。
それなりにやれることはやった。
なのに、大差がついていた。
- 382 名前:第四部 投稿日:2006/05/06(土) 00:28
- 重苦しいミーティング。
中澤と保田がそれぞれ何かを言っていたが、メンバーにはほとんど頭に入っていなかった。
疲れきって、会話もなくバスに乗りこんで宿舎へ。
ただただバスに揺られて、宿まで帰りついた。
「最後まであきらめたくなかったなぁ」
吉澤のつぶやき。
残り五分、大差がついてから代えられた。
返ってくる言葉は無い。
吉澤は、あやかたちと自室に入って行く。
福田と松浦は、その奥の一年生部屋のカギを開け部屋に入った。
他の試合に出ていない一年生は、荷物の整理などでまだ部屋には戻ってこない。
二人だけになる部屋に入って行くと、福田は抱えていた荷物を両手で床にたたきつけた。
「何があきらめたくなかっただ!」
突然のこと。
後ろにいた松浦は、驚いているしかできない。
- 383 名前:第四部 投稿日:2006/05/06(土) 00:28
- 「私たちは何をした! 先輩達が入ってラスト五分。逆に点差は詰まったじゃないか! 技術は私たちのが確かにあるけど、でも、実際先輩達が出てから点差は詰まったじゃないか! 最後まであきらめたくなかった? そんなこと言う資格、私たちにあるのか! なんだあのシュートは! なんだあのディフェンスは! なんで足が動かない! なんでフリースローが入らない! なんで! なんで!」
めずらしく福田が荒げた感情をストレートに表に出している。
松浦にとっては初めて見る光景。
驚きながらも後ろからそっと抱きとめた。
「もういいよ、分かったから」
「よくない」
「もういいよ。また頑張ろ。また頑張ればいいよ。また」
福田の言葉が止まった。
興奮したせいか、肩で息をしている。
もしかしたら、泣いているかもしれないな、と松浦は思ったけれど、顔は見ないであげた。
- 384 名前:第四部 投稿日:2006/05/06(土) 00:29
- 風呂から上がり、吉澤は売店に座っている。
なんとなく、ここにいれば待ち人が来るようなそんな気がしていた。
昨日、ほんの少し話しただけ。
別に、大して親しくなったわけでもない。
それでも、なんとなく聞いて欲しかった。
「試合、どうでした?」
後ろから声がする。
振り向くと練習から戻った石川がいた。
「柴ちゃん、先行ってて」
だあれ? という顔を隣に見せる柴田に、石川は言う。
ちょっと怪訝な顔をしながらも柴田は荷物を抱え先に部屋にもどって行った。
- 385 名前:第四部 投稿日:2006/05/06(土) 00:29
- 石川は、吉澤の隣に立つ。
自分の隣のスペースをぽんぽんと軽く叩き、吉澤は石川を座らせた。
「練習ですか?」
「はい」
「石川さんたちの大会が始まる前に、もう負けちゃいました」
顔は合わせない。
顔は合わせないで、同じ方向を向いたまま吉澤は語った。
「百点ゲームのぼろ負けでした。手も足も出たけど、それでも、なんかよく分からないうちに点差はなされて、負けちゃいました。通用するとかしないとか、なんか、それ以前のよくわけのわからないうちに負けちゃいました。二つ勝てば、石川さんたちに挑戦できたのに」
吉澤はうつむく。
うつむいて、両のこぶしを握った。
- 386 名前:第四部 投稿日:2006/05/06(土) 00:29
- 「また、冬に、また、来年に試合しましょう」
大して話したことも無い。
プレイ振りを見たことがあるわけでもない。
だけど、この隣にいる悔しそうにしてる、昨日愉快だった人とバスケをしてみたいなって、石川は思った。
「ミーティングもあるんで、行きますね」
「石川さんは、あ、いや、言われなくても当たり前なんだろうけど、その、頑張ってください」
「はい」
「また、今度、挑戦します」
ナンバーワンと、戦ってみたかった。
けれど、それは叶わなかった。
- 387 名前:ピース 投稿日:2006/05/06(土) 14:44
- >連載開始して一年半かけて、ようやく対面してくれました。
ちょっとした達成感ですよね。w
これからもっと接点が増えてくれる事を期待したいです。
それにはよっすぃ達がガンバんないとですね!
次は梨華ちゃん達の全国レベルのプレーを楽しみにしています♪
- 388 名前:作者 投稿日:2006/05/13(土) 00:32
- >ピースさん
後は、吉澤藤本が対面して欲しいんですが、いつになることやら・・・。
それぞれもうちょっと勝ち上がってくれないと・・・。
- 389 名前:第四部 投稿日:2006/05/13(土) 00:33
- 翌日、松江のメンバーは一日の休みを中澤から与えられた。
「うーみー!」
「見たまんまじゃねーか」
「海見ると叫びたくなりませんか?」
「ならないね」
夏だしどこに行く? とアンケートをとったら、ほぼ全員一致で海。
そんなわけで、メンバーそろって海にいる。
おおはしゃぎの松浦は、意外と冷静にしている吉澤につっこまれていた。
「とりあえず泳ぎましょーよー」
そう言って海に駆け込んでいく。
昨日の敗戦はどこへやら、真夏の高校生の雰囲気が前面に出ている。
男子がどこにも見当たらないところだけが、多少違うが。
- 390 名前:第四部 投稿日:2006/05/13(土) 00:33
- 「おい、福田、何一人で落ち着いてんだよ」
一年生集団の中で唯一人海に入らず、浜辺でのんびり座っている福田に吉澤が声をかける。
「いいですよ私は」
「おまえ、日焼けがどうとか気にする柄じゃないだろ」
「そんなんじゃないですけど」
「なんだよ、歯切れわりーなー」
理路整然とバスケ理論を解く福田の姿が見られない。
一人輪に入ってこない福田のほうへ松浦も近づいてくる。
福田は、顔を背けて小声で言った。
- 391 名前:第四部 投稿日:2006/05/13(土) 00:33
- 「泳げないんですよ」
「え?」
「いや、いいです」
「もう一度言ってみろよ」
「いいですって」
「松浦聞いたか?」
「いえ、聞こえなかったですけど」
「こいつ泳げないんだって」
「聞こえてるんじゃないですか」
福田は一瞬吉澤をにらんですぐ目をそらす。
吉澤のにやけ顔を松浦は横からじっと見ていた。
「おい、一年生手貸せ」
そう言って、吉澤は福田の後ろに回りこむ。
背中からがっちり押さえ込んだ。
- 392 名前:第四部 投稿日:2006/05/13(土) 00:33
- 「やめてくださいって」
「足持て足」
「やめてくださいって」
「あばれるなこら」
じたばたする福田を吉澤と松浦を中心にした一年生で抱え上げる。
そのまま海へ。
福田が暴れても、抱えたまま浜の上を運び、そのまま海へ。
「せーの!」
海の中まで入っていく。
左右に振ってそのまま投げた。
- 393 名前:第四部 投稿日:2006/05/13(土) 00:34
- 海に投げ出された福田。
もがいている様が立っている吉澤たちには丸見え。
腹を抱えて笑っていると、咳き込みながら顔を出した。
「げほっ 何するんですか」
「投げただけだよーだ」
「泳げない人にそんなことしておぼれだら、げほっ」
「普通、足が立つとこから投げられたんだから、自分だって足立つのくらいわかるだろー」
普段の冷静さが、かけらも見られなかった。
「明日香ちゃん、パース」
松浦がビーチボールを福田に投げる。
髪が額に張り付いて、それが気になっていじっていた福田はボールをキャッチミス。
「あー、明日香ちゃん、基本のボールキャッチが出来てないー」
「これは、だって」
「だって、とか言い訳してるー」
松浦に遊ばれる福田。
海の中ではみんなのおもちゃ状態だった。
- 394 名前:第四部 投稿日:2006/05/13(土) 00:34
- 「あいつ、泳げないなんて意外やなあ」
「明日香は運動神経抜群とかそういうタイプじゃないですからねえ。バスケ以外のスポーツはほとんど出来ないはずですよ」
「へー。海の中じゃあいつも形無しやな」
浜辺で、中澤と保田はくつろいでいる。
視線の先には海の中ではしゃぐ後輩たち。
それをのんびりと眺めながら、年上風な会話。
「保田、どやった、二年半、このチーム」
「そうですねー。楽しかったですよ。ただ、半年無駄にしちゃったなってのがありますけど」
「半年?」
「吉澤が来るまでの」
「ああ、あれな」
二人の視線は吉澤へ。
一年生を指揮して、自分とあやかをそれぞれの大将に、海中ドッジボールをしている。
- 395 名前:第四部 投稿日:2006/05/13(土) 00:34
- 「あやかとか、あの時来てくれた一年生には申し訳ないことしたなって気持ちがありますよやっぱり」
「こればっかりはなあ、もう取り返しつかんやろし」
「あの半年が無かったら、どんなチームが出来たんだろうって、そんなこと考えるときもありますもん」
「わたしも、あのころはなんもせんと、ダメな顧問やったしなあ」
「先生はしょうがないですよ。顧問引き受けてくれただけでも感謝してます」
「そんなチームが、インターハイまで来たんやなあ」
初戦で負けはした。
それでも、県のたった一校の代表である。
- 396 名前:第四部 投稿日:2006/05/13(土) 00:34
- 「まあ、おつかれさん」
「しっかし、元気ですねえあの子ら」
「もう、あそこに混ざる若さはあらへんか?」
「そんなことないですよ」
保田は立ち上がり、海に向かって歩き出した。
「あんたたち、私も混ぜなさいよ」
「じゃあ、保田さんを鬼にした鬼ごっこで」
「どういう意味よー!」
海で騒ぐ生徒たちを、浜辺で中澤は見つめる。
真夏の太陽が照らす明るい砂浜。
ビールでも一杯やりたい気分だった。
- 397 名前:第四部 投稿日:2006/05/13(土) 00:34
- 一日、普通の高校生として夏を謳歌した松江のメンバー。
その夜、宿では打ち上げパーティーが開かれた。
「まあ、今日は一日自由って言ったから、これも、好きにやったらええは。ただし、酒、禁止。タバコは当たり前やけど禁止。それと、どこの誰であろうと男呼び込むのは禁止」
「先生は守らなくてもいいんですよ、男呼び込まないルール」
「うっさいは!」
始まる前から盛り上がっているパーティー。
アルコールは無いけれど、あとは高校生視点では豪華に見える料理が並ぶパーティー。
中澤の、あまり偉そうでない訓示が終わってとりあえず食べる。
そして食べる。
そしてさわぐ。
- 398 名前:第四部 投稿日:2006/05/13(土) 00:35
- ひとしきり盛り上がった後、三年生たちから一人一人コメントをもらうことになった。
それぞれにこのチームが出来てからの思い出を語る。
今の一年生が入ってきてからはほとんど出番も無かったけれど、それでもこの三年生がいなければこのチームは出来なかった。
そんな存在。
そして最後に、キャプテンである保田が前に立った。
「なんか、こうやって改まって前に立つのって恥ずかしいな」
視線が集まる。
保田は、それぞれを見渡した。
不思議な静寂。
前からちょっと考えていたこと。
今日一日、深く考えていたこと。
ここに立つまで結論が出なかったけれど、全員を見渡して結論が出た。
- 399 名前:第四部 投稿日:2006/05/13(土) 00:35
- 「あのさ、こういう風にセッティングされて言うの、あれなんだけど、冬までやっていいかなあ?」
しんと静まって聞き入っていたメンバーたち。
一瞬、保田の言葉がはっきりと理解できない。
「半年ね、後半年。やらせて欲しいんだ。インターハイに出てくるようなとこってさ、なんか、みんな三年生、夏でやめないで冬までやるみたいじゃない。うちもさ、インターハイ出たことだし。続ける権利あるかな、なんてさ」
ぽりぽりと頭を掻く。
ちょっと照れくさくいいわけじみている。
周りを見渡しても、言葉が返ってこなかった。
- 400 名前:第四部 投稿日:2006/05/13(土) 00:35
- 「なんとか言いなさいよ。結構勇気いるんだからね、こういうこと言うの。吉澤! あんた、言いたいことあるでしょ。おばさんはさっさと出てけとか、これからは自分がチームを絞めるんだから三年生は出てけとか、いろいろあるでしょ」
保田に指名された吉澤に今度は視線が集まる。
吉澤は、顔を背け、首筋を掻きながら考える。
苦そうな顔をして、保田のほうを見、口を開いた。
「いいんじゃないっすか? やりたいなら続ければ」
「不満そうだなあ。吉澤がいやだって言うなら、私は素直にこれで引退するよ」
「別に、そんなこと言ってないじゃないですか。好きにすればいいって」
「よっすぃー、ホントはうれしくてしょうがないくせに」
「黙れ! あやか」
「何度か相談されたんですよ。先輩たちいなくなったら不安とか何とか」
「うっさいって!」
「保田さん残ってくれないかなあって」
「黙れって、もうあやかは、そんなこと言ってねーだろー」
立ち上がって吉澤はあやかのもとへ。
後ろから口を押さえこまれ、あやかはもごもごやっている。
そんな二年生の姿を周りは笑って見ていた。
- 401 名前:第四部 投稿日:2006/05/13(土) 00:35
- 「一年生はどう? 明日香なんか、もうそろそろ私の顔は見飽きたんじゃない?」
「いえ、昨日は私の出来も悪くて負けたけど、保田先輩がいれば冬には勝てると思うし」
「明日香ちゃん、先輩のために勝ちたいって素直に言っちゃいなよ」
「いや、別に、そんな」
口ごもる福田。
県大会の決勝前、中澤にはポツリと言っていた。
「保田先輩とは、もう少し一緒にバスケしたいですから」
シャイな福田が、全員メンバーが集まったところでそんなことを言えるはずも無い。
- 402 名前:第四部 投稿日:2006/05/13(土) 00:36
- 「ええんちゃうか?」
横から、中澤が口を挟んだ。
「保田がやりたいって言うんなら、それでええんちゃうか? 保田が自分で思ってるより、大分人望あるみたいやし。なあ、吉澤」
「私に振ることないじゃないですか」
「みんなもええか? よかったら拍手でこたええ」
ほとんど全員拍手する。
周りの様子を伺って、唯一最初は手を動かさないでいた吉澤も、納得したように拍手する。
- 403 名前:第四部 投稿日:2006/05/13(土) 00:36
- 「なんか、無理強いしたみたいで悪いけど、あと半年よろしく」
引退するはずだった保田が残る。
チームを背負うような覚悟を少しだけ持っていた吉澤にとっては肩透かし。
でも、良かったなと思っていた。
「良かったねえ、よっすぃー」
「別によかねーよ」
「またまたー。吉澤はいつまでもおむちゅがとれないでちゅねー」
「気持ちわるいっすよ」
あやかと保田にもてあそばれる。
インターハイは初戦で負けたけれど、チームは分裂することもなく平和だった。
- 404 名前:第四部 投稿日:2006/05/13(土) 00:36
- 翌日、地元に帰る前に試合を見に行く。
三回戦、富ヶ岡vs桜華学院。
優勝候補の筆頭と、自分たちに勝ったチームの試合。
それを観客席から見つめる。
「どっちが勝つと思う?」
「富ヶ岡かな」
「やっぱり強いかな?」
「優勝候補だし」
あやかと吉澤。
吉澤も、富ヶ岡の強さをよく分かって言ってるわけじゃない。
ただ、優勝候補という評判を知っているだけ。
だけど、なんとなく、優勝候補というチームには力の差を見せて欲しかった。
- 405 名前:第四部 投稿日:2006/05/13(土) 00:37
- 試合開始。
富ヶ岡のスタメンは、高橋、小川、柴田、石川、平家。
県予選の上のラウンド、いくらかの真剣さが必要なレベルに入ってからは不動のオーダー。
松江のメンバーとは違い、出だしから硬さはまったく見られない。
高橋や小川といった一年生にとっては慣れない舞台なはずだが、意識が違う。
勝って当たり前、ただの通過点、というつもりでの試合では硬くなろうはずもない。
強さは圧倒的だった。
桜華は強豪チーム。
それでも、歯が立たない。
一対一を止める止めない以前に、一対ゼロのシチュエーションを作られてしまう。
逆に富ヶ岡がディフェンスの場面では、外三枚が自由にボールを回せず、フリーが作れない。
そうなると、攻め手は自然とソニン一枚になる。
さすがにソニンのオフェンスは破壊力があり、ディフェンスも人並みになったとはいえ石川だけで簡単には止まらない。
ただ、いかんせん、一枚だけでは富ヶ岡に対抗するには厳しかった。
前半終わって、55-30と富ヶ岡リード。
- 406 名前:第四部 投稿日:2006/05/13(土) 00:37
- 「やっぱ違うは、なにかが」
「だから、合わせの問題ですよ。あのレベルでフリーでボールもらったら決めますもん」
「おまえそればっかりな」
「でも、なんか、すごい強いっていうインパクトはあんまり感じなくない?」
あやか、吉澤、福田の順に座っている。
明日香の講釈を聞きながら試合を見ろ、と保田が強引に座らせた。
そうでもなければ吉澤が進んで福田の隣に座ろうはずも無い。
「あんなもんじゃないですよ、まだ」
「福田は知ってるの? このチーム」
「今の二年生以上の試合は見たことあります。一年生だと高橋さん、あの14番のガードの子は試合したことあります」
「あんなもんじゃないってのは?」
「勝負を決めに行くときの爆発力はすごいです。それに、一対ゼロばかり出来るから見えてないだけで、一対一でも相当うまいですよ」
「爆発って、これよりもっと点が開くのかよ。考えたくねー・・・」
吉澤は頭を抱えてのけぞった。
- 407 名前:第四部 投稿日:2006/05/13(土) 00:37
- 後半スタート。
メンバーはかわらない。
ジャンプボールを平家がコントロールすると、ボールを高橋がキープ。
セットオフェンスの形から、柴田石川柴田と回って、フリーの高橋にボールが戻ってスリーポイントが決まった。
「前から!」
オールコートのゾーンプレス。
ボールがプレスの網にかかる。
高橋小川柴田、前三人の圧力でボールが運べない。
山なりのロングパス一本で飛び越そうとすると、待ち構えていた石川や平家にボールをさらわれる。
石川は一対一のディフェンスは苦手だが、半ルーズボール状態のロングパスを奪うのは、スピードもあるし気分いいし、結構得意だ。
そうした形でリードはさらに開いて行く。
- 408 名前:第四部 投稿日:2006/05/13(土) 00:38
- 「爆発って、このことか」
「前から当たられるだけでもいやなのに、それぞれのディフェンス能力が半端じゃないから、いやなんですよ」
タイムアウトを取り、桜華はガード陣を落ち着かせる。
それでなんとか運べるようにはなっていったが、点差をつめるには至らない。
前から当たるのは五分程度で終わり、ハーフコートディフェンスに戻ったが、この段階で勝負はほぼ決した。
オフェンス面でも、ヒートアップしていた。
外で石川が高橋からボールを受ける。
ソニンが正対して前に付いた。
スリーポイントのフェイクを入れて、左にドリブルをつくと、簡単にソニンを抜き去る。
カバーに来たディフェンスはロールターンでかわした。
三人目、ゴール下のセンター。
トップスピードから一転、ストップしシュートフェイクで相手を飛ばせる。
ディフェンスが中に浮いたところを、ピボットでかわし、ゴールに背を向けてジャンプし、手首でボールコントロールしてシュートを決めた。
- 409 名前:第四部 投稿日:2006/05/13(土) 00:38
- 「すげー。なんだあれ・・・」
ぽっかーん、と口をあけてしまう。
石川梨華の個人技。
「これでもインパクト無いですか?」
福田の冷めた言葉。
吉澤は返す言葉も無い。
「あれくらい出来る選手でも、基本は、周りとのあわせで一対ゼロを作って攻めるんですよ」
目の前のプレイに圧倒されて、福田の言葉に反応できなかった。
試合はそのまま富ヶ岡ペースで進む。
最終的には121-63とダブルスコア近い点差で終わった。
- 410 名前:第四部 投稿日:2006/05/13(土) 00:38
- 「帰って、練習すっか・・・」
試合が終わって、吉澤の口からやっと出た言葉がこれ。
自分たちに百点ゲームで勝ったチームがダブルスコアで負ける。
上には上が、いくらでもいる。
そんな光景を目の当たりにして、言葉は少なかった。
挑戦する夏が終わっても、まだ夏は続く。
挑戦も続く。
- 411 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/13(土) 20:20
- さすが保田さん
そうこなくっちゃ!
- 412 名前:ピース 投稿日:2006/05/14(日) 23:49
- 梨華ちゃんをはじめ、全国No.1のチームの実力の片鱗を間近で見れた事はよっすぃー達にとって大きな財産
になったでしょうね。
>後は、吉澤藤本が対面して欲しいんですが、いつになることやら・・・。
もうひとつの楽しみですよね♪
立ち場的には滝川の方が別格って事になるんでしょうけど今はまだそれどころじゃないって感じですもんね。
書き手としては大変でしょうけどw 気長に、そして楽しみに待ってますので頑張って下さい!
- 413 名前:ななし読者 投稿日:2006/05/20(土) 00:35
- 今日一気に読ませていただきました。
試合の合間の緊張感とか、コートに立っている時に感じる妙な違和感とか、
そういうものが丁寧に書かれているので自分が現役だった頃を思い出してしまいました。
技術面・戦術面・精神面などの描写もス バ ラ シ イ !!
選手・監督・作者様にこれからも期待しています。
- 414 名前:作者 投稿日:2006/05/20(土) 00:37
- >>411 現実世界では無いパターンでお届けしてみました。
>ピースさん
作者としても、さっさと対面して欲しいのですが、なかなか・・・。
- 415 名前:第四部 投稿日:2006/05/20(土) 00:38
- インターハイの決勝は、NHK教育テレビで全国放映される。
北海道滝川、田舎といわれる場所でも、NHK教育テレビは見ることが出来る。
午後の練習開始を遅らせて、視聴覚室に集まって全員で見る。
本来なら自分達がいるべき舞台。
「一年が二人もいるのかよ」
「石川、スタメンに定着したんだね」
半年前の冬、最後に対戦したのは卒業生がいた旧チーム。
新チームになってからは初めて見ることになる。
- 416 名前:第四部 投稿日:2006/05/20(土) 00:38
- 「石川、ちょっとディフェンスうまくなったんじゃない? って、言ったそばから抜かれるなよ」
「うまくなったって言うか、やる気になっただけじゃない? 前とって抑えようって頑張ってみました、な感じで。裏とおされたらだめなんだし、それに、やっぱり外に開かれると簡単に抜かれてるし」
「まいには問題ない?」
「裏取ったところで、美貴がきっちりパス入れてくれれば問題ないですよ。ただ、多分そこは平家さんがカバーってルールになってるだろうから、りんねさんがひきつけて外に出るとかして。それでも平家さんがこっちのカバーを優先するなら、りんねさんがミドルあたりから決めないとだめだけど」
「私の問題になるのか」
サッカーの国際試合でよくあるパブリックビューイング。
一見、それと同じような光景だけど、本人達の感情移入の方向性が違う。
自分ならどうするのか、自分達ならどうするのか、どうすれば勝てるか。
誰に言われなくても、試合に出るメンバーはそれを意識しながら見てしまう。
本来なら、自分達がテレビに写っている側であるべきなのだ。
- 417 名前:第四部 投稿日:2006/05/20(土) 00:39
- 「めずらしいよね。決勝まで来るチームでボックスワンって」
富ヶ岡に対する中村学院がしいたディフェンスシステム。
ボックスワン。
五人のうち四人がボックス型のゾーンディフェンスを敷き、残りの一人がマンツーマンでマークにつく。
マンツーマンでつくところが、相手チームの要になるところになる。
決勝までこの形で上がってきた、と解説が述べていた。
「マンマークついたからって、石川は簡単に止まらないでしょ」
最前列中央に座る藤本のいやそうな顔。
イヤだろうがむかつこうが、石川のオフェンス力は藤本だって認めざるを得ない。
それをどう止めるのかは大きな課題である。
- 418 名前:第四部 投稿日:2006/05/20(土) 00:40
- 「フェイスでついたからって、そうそう一試合とめられるものでも無いでしょ」
「だからって、ずっとダブルチームやってるわけいかないんだし。これ以上の選択はないんじゃない?」
「まいならとめられるの? あれで」
「私は、わかんないけど。でも、この七番うまくない?」
会話の中心は藤本と里田。
チームの中心がこの二人だから、戦術トークはこの二人が中心になる。
本人達はあまり意識していないけれど、少し離れた位置に座るりんねは、二人がこんな風に真剣にバスケの話をしているのを見るのは久しぶりだな、と感じていた。
「面取れなくてボール受けられて無いよね、石川」
「あの状態のところに出して取られるのは、出す方がはっきりバカだな」
高橋が無理やり石川に出そうとしてボールをはたかれている。
ルーズボールを拾いなおして事なきを得ているが、リズムに乗りづらい。
- 419 名前:第四部 投稿日:2006/05/20(土) 00:41
- 「ああいうのってどうやって崩せばいいの?」
「横断パスでも出してサイド変えればいいんじゃないですかねえ。あれだけディフェンスがディナイしてると、サイド変えられたら普通ついていけないから」
ボールの側に立ってオフェンスに被さってしまうようなディフェンスをディナイという。
被さってしまっているのだから、ボールが逆サイドに行ってしまうと状況が逆転して、ボールの側にオフェンスが来る形になる。
とは言え、インサイドにいるという前提でしかあまり意味が無いが。
「あさみ、どっち勝つと思う?」
「え? 私? 私ですか?」
突然りんねに振られ、あさみはうろたえる。
藤本や里田のように中心選手なら、自分のポジション視点で中に入り込んで試合を感じられる。
だけど、あさみは、どっちもすごいなー、というだけで、あまり考えてみていなかった。
なんとなく、そんな気がしたりんねが、ちゃんと考えながら見なさいよ、という意味で名指ししたら予想通りの対応だったわけである。
- 420 名前:第四部 投稿日:2006/05/20(土) 00:42
- 「一年がまともなら富ヶ岡が勝つんじゃ無いですか?」
「なんで?」
藤本が横から答える。
足を組んで腕を組んで、上から目線でテレビを見つめながら。
「中村は結局七番しかいないじゃないですか。富ヶ岡は、石川がこの七番につかまったにしても、平家さんも柴田も点は取れるし」
「ボックスで固められて平家さんにボール入れられなくなったら?」
「だから、一年がまともならって条件がついちゃうんですよ。中固められたときに、外の一年二人がまともにスリーが打てれば、それに対応してディフェンスは拡がらないといけないから。そしたら今度は中が広くなるし」
「まともじゃなくあって欲しいけどね」
「富ヶ岡で一年でスタメンで出てくるんだから、それなりには出来るんじゃないですか?」
「藤本が手に負えないくらい?」
「それはない・・・はずです」
「美貴、その間は何」
「うるさいよ」
テレビ画面では、安易な横パスを高橋がスティールしてワンマン速攻を決めている。
負けない自信はあるけれど、楽勝とはとても言えない。
- 421 名前:第四部 投稿日:2006/05/20(土) 00:42
- 「二年生なんか、知らない? この七番」
「聞いたことないですよ」
テレビではテロップで、#7 是永美記、と記されている。
全国レベルのプレイヤーだと、同じ学年なら会ったことも無いのに互いに知っていたりするが、藤本にも里田にも、聞いたことの無い名前だった。
「こんな子いたんですね」
「オフェンスだけならまだしも、ディフェンスが、なんか、石川完全に押さえちゃってるし」
「ひょっとしたらひょっとするのかなあ?」
「石川以外もなんか、点取れて無いですよね」
「十四番が、なんかやけに石川にこだわるから悪いんだよ。石川もむきになって勝負してるし」
「藤本もそういう時あるよね。実際試合してると」
りんねに突っ込まれて、藤本は苦笑い。
周りの、口に出さないけれど醸し出されているそうだよね、な雰囲気にも、反論はちょっと出来ない。
前半は29-25 富ヶ岡の四点リードで終えた。
- 422 名前:第四部 投稿日:2006/05/20(土) 00:43
- 「石川、何点?」
「四点、かな? フリースロー二本入れても」
「点が伸びないわけだ」
前半を両チーム二十点台で終えるというのは、かなりロースコアな展開である。
「代えればいいのに。どうせディフェンスは使えないんだし」
「そうもいかないでしょ」
「なんで?」
「石川下げたら、七番は次に平家さんか柴田あたりにつくでしょ。そうやって一人一人つぶされていったら攻め手がなくなるもん。それこそ十四番の一年、どこにパス出していいかわかんなくなるって。だったら石川はフロアに置いといて、七番と消えてもらって、ボックス相手に四対四でやった方がずっといいって」
「でも、相当へこんでたよね、石川」
「あの顔はテレビじゃなくて目の前で見たいんだけど」
本当ならば、こんなところでテレビで見ているべき試合じゃない。
- 423 名前:第四部 投稿日:2006/05/20(土) 00:43
- ハーフタイムが明け、両チームのメンバーが出てくる。
顔ぶれは代わっていなかった。
石川もフロアに上がってくる。
ただ、マークは代えていた。
前半は是永に石川がついて、一人に十六点奪われていたが、後半は柴田をマッチアップにつける。
ボールを持たれてからでは勝負にならないと、パスコースを消す形でマークにつく。
周りのカバーを捨ててでも、自分と七番と相殺でボールと関係ないところへ消えられるのがベスト、というやり方。
毎日石川を相手にして暮らしているのだ。
ここまで一人だけに集中してディフェンスすれば、ある程度は抑えられる。
- 424 名前:第四部 投稿日:2006/05/20(土) 00:44
- 「ちょっと開き始めたかな」
「これをどう対処するのかなんだよね」
「なんでもないですよこんなの」
富ヶ岡が前からディフェンスで当たってプレッシャーをかける。
その網にはまってボールが自由に運べず失点してしまう。
対戦するとしたら、自分がそのボールを運ぶ立場になる藤本。
なんでもない、と言うけれど藤本はこういう受けに回る場面が少し苦手だ。
「なんなんだろうね? 前から当たるのは別に、うちなんか四十分前からあたりっぱなしなんだけど」
「ディフェンスの質の問題なんですかね?」
「それはありえないでしょ。石川も混じってるんだよ。あの中に」
藤本的には、石川のディフェンスは零点で、それはちょっとうまくなっても変わらない認識で。
でも、自分のマークに付かれる、という前提で見ている里田としては、ちょっとうっとうしいレベルにはなってきたなという認識で。
- 425 名前:第四部 投稿日:2006/05/20(土) 00:44
- ただ、決勝まで来るチームは、さすがにこの一撃だけで試合終了とはいかない。
富ヶ岡が外と中、小川柴田と平家の使い分けで加点して行くのに対し、中村学院は是永が柴田を引きづりながらのドライブインで、もう一人ディフェンスをひきつけて周りにさばくという形でなんとかついていく。
十点差近辺から離れない。
三クォーター終わって47-36
十分勝負になる点差である。
- 426 名前:第四部 投稿日:2006/05/20(土) 00:44
- 最終クォーター。
十点前後の点差が詰まって行ったのは残り五分を切ってから。
是永がゴール下でボールを受けるようになった。
ここまで外からの勝負を中心にしていたのを大きく方針転換する。
これに柴田が対応しきれない。
ディフェンス面でも是永以外のボックスディフェンスがかなり頑張った。
インサイドの平家は狭く囲まれ、是永のマークに神経使いきった柴田はオフェンスまで手が回らず、小川はスタミナ切れと攻め手が見当たらなくなっていく。
三連続ゴール下で決めて残り三分で五点差まで迫ってくる。
- 427 名前:第四部 投稿日:2006/05/20(土) 00:45
- タイムアウトの取りどころであったのだけど、和田コーチはまだここでは取らなかった。
小川がボールを入れて高橋が運ぶ。
ボックスディフェンスはすぐに引くし、是永は石川をキャッチアップする。
フロントコートへのボール運びはほぼフリーで行える。
半径6.25mのスリーポイントラインの外、エンドラインに対して90度の位置までボールを運ぶ。
まだボックスのディフェンスは寄って来ない。
そこから展開、ではなくて高橋はシュートを選んだ。
これがきれいに決まる。
会場では歓声が、視聴覚室ではため息が漏れた。
「空気読めよ!」
藤本が思わず突っ込んだ。
別にひいきのチームとか無いのだけど、なんとなく最後まで競って欲しいし、なんとなく富ヶ岡にまた勝たれるのは癪に障るし。
滝川のメンバー達が口には出さないけれどなんとなく思っていたことがため息の形で漏れた。
- 428 名前:第四部 投稿日:2006/05/20(土) 00:46
- 「そこでいきなりシュートかよ」
「ありえないでしょ」
「もう、せっかく傾いた流れがぶち壊し」
高橋としては、別に奇をてらったわけでもなくて、平家さんもダメ、柴田さんも微妙、麻琴はばてばて、石川さんには出せない、じゃあ自分が、というだけのこと。
とは言え、比較的常識人の藤本からすれば、ポイントガードが一本もパスを出す前にいきなり自分でシュートという選択肢は考えられない。
十一点差からの三連続ゴールで五点差、それに対して一本返しただけならともかく、スリーポイントとなると追い上げる立場からすれば心理的に大きなダメージだ。
高橋、流れに乗るのはあまり得意じゃないけれど、流れを壊すのは大得意だった。
試合はここからもう一度流れが生まれることはなく、69-60で富ヶ岡が勝ち優勝した。
- 429 名前:第四部 投稿日:2006/05/20(土) 00:46
- 「結局富ヶ岡かよー」
「一人ダメでも他があるからねえ」
「あの空気読まない14番、なんかやだな」
「いやでも美貴がつくしかないんだからね」
「分かってるけどさー。美貴、空気読まない女嫌いなんだよね」
「そういう問題じゃないでしょ
足を組んだまま藤本は首をひねる。
ひねりながらも画面を見ていてふと思った。
- 430 名前:第四部 投稿日:2006/05/20(土) 00:47
- 「あれ、石川後半いた?」
優勝して、和田コーチを胴上げ。
その輪の中、高橋や柴田が中心近くにいるのに、石川は一番外側でおざなりに周りに合わせている。
「いた、いた・・・よ。うん。いたはず」
記憶を手繰り寄せる。
どの場面でどんなプレイをした石川がいたか? 思い出せない。
でも、理屈の上では、柴田にも平家にも高橋にも小川にも、是永のマークがついていなかったのだから、石川がフロアにいてマークに付かれていたはず。
だから、いた・・・はず、なのだ。
- 431 名前:第四部 投稿日:2006/05/20(土) 00:47
- 「消されてたよね、完全に」
「なんなの? あの七番。オフェンスもディフェンスも。とんでもないレベルじゃんか」
「名前がいいんだよ。ミキだから」
「はあ? じゃあ、ミキティって呼んどく?」
「それかぶるでしょ」
「じゃあなんにする?」
「コレティかな」
「美貴って、いつもいつもしょーもない呼び名つけるよね」
「しょーもなくて悪かったですね」
チームの中心二人のやり取りに、微妙な和やかムードがつつむ中、放送が終了した。
- 432 名前:第四部 投稿日:2006/05/20(土) 00:48
- 「はい、冬にあっち側に行けるように練習練習。三時半開始にするから。スタートが後ろにづれるだけでいつもの午後練のメニューのつもりで。一年、ここ片付けて用意して」
「はい」
それぞれメンバー達がパイプイスから立ち上がる。
片付けに入る一年生、部屋を出て行こうとする上級生。
真夏だけどクーラーがよく聞いた視聴覚室の喧騒。
一番最後に大きく伸びをしてから藤本が立ち上がった。
- 433 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/20(土) 02:50
- 更新お疲れ様です。
実は毎週楽しみに読ませていただいて下ります。
いや〜、この人が出てくるとは・・・自分が知らないだけかもしれませんが、
この人が出てくる小説始めて見ました。
あと、愛ちゃんへのミキティと作者さんのコメント(流れ云々)に愛ちゃんへの
愛を感じました(笑)。
次回も楽しみにしてます。
- 434 名前:ピース 投稿日:2006/05/20(土) 15:22
- 梨華ちゃんと共に打ちひしがれております…。orz
まさかのダークホース。まさかあの人が出て来ようとは!!
って感じですが、梨華ちゃんの心中はいかばかりか。
でも今回の事が梨華ちゃんの中で意識改革のきっかけになって
くれればいいなと思います。
そして、チームの中心選手として、全国 No.1のエースとして、
ひと皮もふた皮も剥けて欲しいと願っております。
- 435 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/21(日) 02:01
- 更新お疲れ様です。
ほー、そうきましたか、みたいなw
俄然面白い展開になってきましたね。
いや、前から面白かったんですが。
直接対決できるようにみんな練習頑張れ!
- 436 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/21(日) 20:09
- 滝川の面々が前向きになってきてるみたいでホっとしたw
- 437 名前:作者 投稿日:2006/05/27(土) 00:52
- >>433
空気読めよ! いや、なんでもないです・・・。ちょっと言わせてみたかったんです。
>ピースさん
まあ、きれいにシャットアウトされちゃいましたからねえ。
>>435
みんなしっかり勝ちあがってきてくれると助かるのですが。
>>436
そんな、滝川のお話が第四部の閉めになっていきます。
- 438 名前:第四部 投稿日:2006/05/27(土) 00:53
- インターハイが終わると休みを二日取るのが滝川のチームの恒例だった。
だけど、今年はインターハイ自体に出ていない。
それでどうしようか、とりんねは少し考えたけれど、便宜的に決勝の日の翌日と翌々日に休みを入れることにした。
メンバーたちは、実家に帰るものあり、寮で過ごすものあり、それぞれ思うままに過ごす。
- 439 名前:第四部 投稿日:2006/05/27(土) 00:54
- 藤本は、滝川のターミナルから気づいていた。
滝川から室蘭まで行くには大きく分けて二通りある。
高速バスを乗り継ぐか、列車を乗り継ぐか。
列車は、特急を利用すれば早く着くことが出来るが、お金が倍近くかかってしまう。
高校生が、自分のお金で移動することを考えたとき、どちらを利用するかは考えるまでも無い。
イヤなものが見えたからって、バスを回避して列車で行く、というわけには行かなかった。
- 440 名前:第四部 投稿日:2006/05/27(土) 00:55
- 七月の終わりごろ、安倍が札幌から室蘭の地元の病院に転院したと連絡があった。
室蘭も、それなりには大きな町であり、病院等の施設はちゃんと整っている。
それと、回復しない原因は、主には体のほうではないですよ、ということで、地元でゆっくりと治療することになった。
藤本は、休みを利用して、そこへお見舞いに行こうとしていた。
- 441 名前:第四部 投稿日:2006/05/27(土) 00:55
- 滝川から札幌へ、そこでバスを乗り継いで室蘭へ。
夏の帰省ラッシュの直前のタイミング。
夏休み期間中ということもあり、札幌へ出るバスは、自分達と近い年代でそれなりに席が埋まっていたが、札幌から室蘭へ向かうバスは、まだ午前中ということもあり空席が目立つ。
藤本は後部座席の窓側に座った。
後輩が比較的前の方に座っているのが分かっていながら、そこを素通りして。
りんねでも、まいでも、あさみでも間違いなく声をかけただろうけれど、麻美には声をかけようとはまったく思わなかった。
- 442 名前:第四部 投稿日:2006/05/27(土) 00:56
- 滝川から札幌へ、そこでバスを乗り継いで室蘭へ。
夏の帰省ラッシュの直前のタイミング。
夏休み期間中ということもあり、札幌へ出るバスは、自分達と近い年代でそれなりに席が埋まっていたが、札幌から室蘭へ向かうバスは、まだ午前中ということもあり空席が目立つ。
藤本は後部座席の窓側に座った。
後輩が比較的前の方に座っているのが分かっていながら、そこを素通りして。
りんねでも、まいでも、あさみでも間違いなく声をかけただろうけれど、麻美には声をかけようとはまったく思わなかった。
- 443 名前:第四部 投稿日:2006/05/27(土) 00:57
- 藤本は、安倍が入院している病院の名前しか知らない。
一人で来たなら地図を見るなり誰かに聞くなりするところ。
だけど、すたすた歩いて行く麻美の姿を確認できたので、それに少しはなれてついて行くことにした。
麻美にとってここは地元。
地図など見る必要もない。
目的地に向かって迷いなく歩く。
少し距離を離れてついて行く藤本は、それがちょっと苦痛だった。
普段からきびきび動く藤本、一人でいるなら歩く速度は麻美よりもだいぶ速い。
それが、距離を保ったまま歩かなくてはいけないのは微妙にストレスがたまる。
後輩のストーキングをしているみたいでばかばかしくなって、よっぽど声をかけてしまおうかとも思うけれど、それもそれでうっとうしいと思いとどまる。
- 444 名前:第四部 投稿日:2006/05/27(土) 00:57
- 十分、十五分くらい歩いただろうか。
ずいぶん住宅地に入り込むんだなあ、と思いつつ後ろをついて行く。
角を曲がって、一瞬姿が見えなくなることにも慣れてきて、慌てることなく藤本も角を曲がると、麻美がこちらを向いて立っていた。
「あ、お、おう」
お前も来てたのか。
偶然だなあ。
一緒に行くか?
なんだよ。
言葉の選択肢はいくつかあったけれど、藤本がそのどれかを選ぶ前に麻美のほうが口を開いた。
- 445 名前:第四部 投稿日:2006/05/27(土) 00:58
- 「こっち、病院じゃないですけど」
「へ?」
「うちです。こっちにあるの」
鳩が豆鉄砲を食らう、まさにそんな顔を藤本はしてしまう。
実家のある地元なのだから、まずは家に帰る。
そんな当たり前の発想が、藤本から抜け落ちていた。
「あ、いや。なつみさんちも見てみたいなあなんて」
何を言ってるんだ私は・・・。
そう、思いつつも、ごまかすべき適当な言葉が出てこない。
麻美は、くすりと笑った。
「見て行きますか? うち」
「ん? ああ。いいよ」
戸惑っている間に、安倍家同行が決まってしまっていた。
- 446 名前:第四部 投稿日:2006/05/27(土) 00:58
- そこからさらに徒歩三分。
半歩前を麻美が歩いて、横には並ばない。
どこから気づいていたんだ?
病院はどっちにあるんだ?
家は近いのか?
何か会話を繋ごうかと、藤本は頭の中でシミュレーションするけれど、結局口は開かない。
そのまま無言で、安倍家へたどり着いた。
「ここです」
「へー」
うちよりだいぶでかい、と藤本は思ったが言葉にはしなかった。
- 447 名前:第四部 投稿日:2006/05/27(土) 00:59
- 麻美が門を開けてインターホンを鳴らす。
自分の家なのにインターホン鳴らすのか、と若干のカルチャーショックも感じる。
これくらいの家なら、中に盗まれて困るものもあるんだろうな、なんて思っていると扉が開いた。
「ただいま」
「ああ、おかえり」
「えっとー、美貴さん。二年生の先輩」
「あら。娘がいつもお世話になって」
「いえ、とんでもないです。二年生の藤本です」
こいつのお世話は、何もしてないな、と顔には出さず思う。
なつみさんのことは、洗濯とかお世話してたけれど。
「どうぞ、上がってください」
安倍家母に促され、玄関に入る。
中に入って改めて思う、いい家住んでるんだなあ、と。
- 448 名前:第四部 投稿日:2006/05/27(土) 00:59
- 「おじゃまします」
「どうするの? 麻美の部屋行く? それとも、リビングに上がっていただく?」
「うーん」
問いかけられた麻美が、藤本の顔をチラッと見る。
迷いの色が藤本には見えた。
「私の部屋で」
「じゃあ、お茶とか後で持って行くから」
「いいよ、それよりご飯用意しといて」
「はいはい」
麻美はそれだけ行って二階へ階段を昇って行く。
藤本も、軽く会釈してそれに続いた。
- 449 名前:第四部 投稿日:2006/05/27(土) 00:59
- 二階へ上がると部屋が三つあるのが分かる。
一つが麻美の部屋だとすると、もう一つがなつみさんの部屋で、残りが親の寝室なんかだろうか?
だいたい、二階に部屋が三つあること自体が、藤本家の感覚で言えばためいきものだった。
「何も無い部屋ですけど」
麻美に案内されて部屋に入る。
ベッドと机と、それに部屋の真ん中には、冬ならコタツになるのであろうテーブルが置かれている。
部屋を見渡して見るべきものは、壁の高い位置に張られた二枚の賞状があった。
「それ、室蘭の大会でベスト5に選ばれたときのです。ただの小さな地区大会なんですけどね。うちの親、大げさだから」
小さな地区大会の成果が、額縁入り賞状か・・・。
さっきから、少し家庭環境の違いを意識させられてしまう。
- 450 名前:第四部 投稿日:2006/05/27(土) 00:59
- 部屋には他に見るべきものは特に無い。
ぼーっと立っていても仕方ないので、座ろうと思うけれど、どこに座っていいのかも分からない。
「あ、座ってください」
麻美がクッションをコタツ用テーブルの横に差し出してきたので、藤本は大人しくそこに座った。
なんで私はこんなところに来ちゃったんだろう、と思うけれど、それと同時に、こいつにとっても災難なんだろうな、とも思う。
自分が、怖がられていることの自覚くらいは藤本にもちゃんとある。
座ったはいいけれど会話が無い。
藤本と麻美。
同じチームになってそろそろ半年近くなってくるが、二人だけで和やかに会話、などしたことがないのだ。
どうにも座りが悪く、間が持たない。
- 451 名前:第四部 投稿日:2006/05/27(土) 01:00
- 「あ、あの、なつみさんの部屋でも見ますか?」
藤本の顔色をうかがうように麻美が問いかける。
少し考えて、テーブルに頬杖をついて藤本が答えた。
「自分の家まで帰ってきて、なつみさんはないんじゃないの?」
「え?」
「なちねえ、って呼んでたっけ? 自分の家なんだから、先輩後輩しないで、姉と妹でいいんじゃないの? なちねえならなちねえで」
「じゃあ、あの、なちねえの部屋見ますか?」
「本人にいないのにいいのかな?」
「大丈夫ですよ。半分私の部屋みたいなもんですし」
ベッドに座っていた麻美が立ち上がる。
藤本も、ここに座ってたら居心地悪いままだ、と思うので立ち上がった。
思っていた通り、隣にあったのがなつみの部屋だった。
- 452 名前:第四部 投稿日:2006/05/27(土) 01:00
- 「意外にシンプルな部屋なんだな」
入って最初の藤本の印象。
もっとがちゃがちゃと、いろいろなものが置いてあるイメージだった。
だけど、ベッドと机、それに、麻美の部屋にはなかった本棚とCDラックが加わるくらいで、落ち着いた印象を受ける。
他には、麻美の部屋同様に額縁入り賞状が数枚あり、さらにぬいぐるみが二ついるくらいだった。
「なちねえ、もう二年以上いないから」
「そうか。そうだな」
ここには年に一二度戻るだけ。
暮らしの中心は滝川の寮なのだ。
今は、病院ではあるけれど。
- 453 名前:第四部 投稿日:2006/05/27(土) 01:01
- 「半分お前の部屋ってどういう意味?」
「本とかCDとかはこっちに置いてるんです。なちねえの部屋の方が広いから、ものはこっちに置くことにしてるんです」
賞状は、室蘭市の大会もあったけれど、北海道レベルの大会のベスト5のものもあった。
そして机にはメダルも飾ってある。
「なちねえは、中学でベスト4まで残ったからメダルもらえてるんです。私は、16で負けちゃったから何も無いけど」
藤本は、同じ系統でもう少し大きなメダルを持っていた。
二年続けて二位に入っていて、全国大会に進んでいる。
家にあるはずの藤本のメダルは、きっと机の奥に放り込まれている。
そんなこともぼんやりと思い出した。
今度は座り込んでCDラックを眺める。
最近のものは、なつみさんはいないはずだから麻美が買ったのだろう。
そうすると、古い方がなつみさんの方だろうか。
そんな風に思いながら見ていると、麻美が解説してくれる。
- 454 名前:第四部 投稿日:2006/05/27(土) 01:01
- 「なちねえ、ジュディアンドマリーが好きで、いつも聞いてました。なんか元気が出るって。後で持って行ってあげようかな」
古い曲がすきなのは、なんだかなつみさんらしいな、って思う。
それと同時に、そういうなつみさんの話を自分は聞いたことがなかったな、とも思った。
自分のことは結構なつみさんに話したような気がする。
バスケの話は、なつみさんと結構したような気もする。
だけど、なつみさんの普段の生活みたいな、そういう話は、ほとんど聞いていない。
そうこうするうちに、階段の下からごはんできたわよ、の声が届く。
なんとか間が持ったことに、藤本もほっとしたし、麻美もほっとしているように藤本から見えた。
- 455 名前:第四部 投稿日:2006/05/27(土) 01:01
- お手製チャーハンとスープ。
藤本が来たのは突発的な出来事のはずなのに、予定通りのことのように普通にお昼として出てきた。
そういえばなつみさん料理結構上手だったかな、なんて思い出す。
食卓で一番しゃべっているのは、藤本でも麻美でもなく、安倍母だった。
娘が友達を連れてくる、遠く離れている今はめったにありえない機会である。
あれもこれも聞いてみたい。
第三者から見た自分の娘の暮らしぶり。
だけど、藤本と麻美の仲の実際は・・・。
などということを伝えられるわけもなく、二人は今だけそれなりに仲のいい感じを演出する共犯者になる。
藤本のほうは言葉に詰まりながら答えるのに大変だが、麻美の方は簡単だった。
娘の伝家の宝刀、「お母さん、うるさいしつこいあっち行って」で全てを済ませればいいのだ。
せっかく親の目の届かないところにいるのに、そこでの暮らしぶりを聞かれるのは、実際問題、うるさいしつこいあっち行け、と言いたくなる事柄ではある。
- 456 名前:第四部 投稿日:2006/05/27(土) 01:02
- そんな、かしましいお昼を終えて、二人は安倍母の車に乗って病院へ向かった。
今日室蘭まで来たのは、安倍家の家庭訪問ではなくて、病院へのお見舞いが本当の目的である。
安倍母は外で待っていると言う。
お昼ごはんにあれこれ娘のことは聞いても、娘同士、あるいは友達同士と言うか先輩後輩同士の、大人が入らない方がいい対話もある、というのが分からない人ではない。
藤本と麻美は、安倍の病室に二人で入っていった。
- 457 名前:ピース 投稿日:2006/05/27(土) 21:44
- なんだか意外な展開になりましたがこれはこれで良かったんでしょうね。
問題はこれから会う人か…。一番大変かも。
>シャットアウト
その事で梨華ちゃんがさらにオフェンス偏重になるんでしょうか。
個人的にはその辺に注目しています。
- 458 名前:作者 投稿日:2006/06/02(金) 23:58
- >ピースさん
まあ、一番意外だったのは多分本人達だったことだろうと思います。
- 459 名前:第四部 投稿日:2006/06/02(金) 23:58
- 「寝てますね」
「うん」
昼下がり。
北海道とはいえさすがに暑い季節であるが、それを和らげる冷房が効いた部屋。
太陽の光が持つ強いエネルギーが、適度に中和されてこの空間に与えられている。
病院特有の、じめじめした雰囲気を感じないでいられる穏やかな雰囲気を纏った一人部屋。
その部屋のベッドの上で、安倍なつみは静かに眠っていた。
「起こしますか?」
「いいよ。そのうち起きるでしょ」
そう言って藤本はベッドの横の丸いすに座る。
麻美は、花瓶の花とその水を代える為に、部屋から出て行った。
- 460 名前:第四部 投稿日:2006/06/02(金) 23:58
- 「いつ見ても寝顔は天使なんだよなあ」
布団から顔だけ出して眠る安倍。
時々寝息が漏れる。
無防備な、そんな姿が、どうにも天使のように見える。
麻美が花瓶を持って戻ってきた。
「よく寝ちゃってますね」
「なつみさんってやっぱり、平和だよなあ」
穏やかな表情が安倍には似合うと藤本は思っている。
ヒステリックに、帰れ! と枕を投げつけるような姿は、安倍じゃなくて自分のほうが似合っているはずなのだと。
いつになったら、目覚めている安倍の、穏やかな姿が見られるようになるだろうか?
帰ってきてくれるだろうか?
- 461 名前:第四部 投稿日:2006/06/02(金) 23:58
- 「退院の見込みはどうなの?」
「もう少ししたら、リハビリさえしっかり通院してやってくれれば退院出来るって先生は言ってるらしいんです」
「リハビリしないんだ」
「なっちは歩けるようになっちゃいけないんだって、言ってるみたいです」
「歩けるようになっちゃいけないか・・・」
安倍が抱えている自罰意識。
そういうことを感じるのは仕方ないかもしれないけれど、でも、それじゃいけないんじゃないかと藤本は思う。
安倍は目覚めない。
藤本は立ち上がって窓際に向かった。
病院の四階。
窓の外からは海が見える。
北海道中央部で生まれ育った藤本にすれば、窓の外から海が見えるというのはかなり贅沢なものに感じる。
安倍姉妹に背中を向けて、藤本は海を眺めていた。
- 462 名前:第四部 投稿日:2006/06/02(金) 23:59
- 「おはよう。なちねえ」
麻美の言葉に藤本もゆっくりと振り向く。
安倍が目覚めたらしい。
寝起きのぼんやりとした表情で安倍は麻美の姿を認める。
ベッドからずりでて、枕を背もたれにするようにして体を起こす。
そこで気がついた。
「藤本も来てたんだ」
特に咎めるでもなく、反発するでもなく、事実の認識としてそう言っている。
藤本は、窓際に立ったまま軽く頭を下げた。
- 463 名前:第四部 投稿日:2006/06/02(金) 23:59
- 「ずいぶんいい部屋に入院してるんだね」
「うーん。知らないけど、お母さんが全部決めてくれたから」
とりあえずの一言目。
今日は、いきなり帰れとは言われずにすみそうではある。
前に札幌の病院に言ったときは、麻美の方は、藤本となつみが怒鳴りあった直後に部屋に入っていって、まともな会話もないままに帰ることになっていた。
「日当たりいいし、海見えるし、一人部屋だし、いいじゃない」
「うん、なんか、落ち着いちゃってる」
「だめだよ、ここに居ついちゃったら。早く退院出来るように思ってないと」
薄く微笑むだけで、安倍は妹に答えを返さない。
そんなやりとりを、藤本は窓に寄りかかるように立ち、少し離れたところから見ている。
- 464 名前:第四部 投稿日:2006/06/02(金) 23:59
- 「でも、体調は悪くなさそうだね。ご飯とかは食べれてるの?」
「別に病気じゃないし。病院のご飯はおいしくないけど、それなりには食べてるよ」
「逆に動かなくなって太ったりしてね。なちねえ、中学で部活引退した後すごい太ったもんねえ」
「そんなこともあったね、そういえば」
やめてよー、とか言われるかと思っていたのに、麻美としては少し拍子抜けな反応である。
言葉を繋ぎきれなくて少し迷っていると、安倍が先に口を開いた。
- 465 名前:第四部 投稿日:2006/06/03(土) 00:00
- 「二人、仲よくなったんだね」
「二人?」
「藤本と麻美」
二人、と言われて麻身と藤本は顔を見合す。
ちょっと戸惑っている二人のうち、藤本のほうが答えた。
「別に、仲良くなったわけじゃないですよ」
「でも、一緒にここまで来たんでしょ」
「たまたまですよ。偶然こっちで鉢合わせて、それでなつみさんの地元だし、連れてきてもらっただけで、別に仲いいってわけじゃないです」
そこまで言うと藤本は、安倍の横まで歩いてきて丸イスに座る。
安倍と藤本と、二人で麻美の方を見ると、その通りです、という感じでうなづいた。
- 466 名前:第四部 投稿日:2006/06/03(土) 00:00
- 「気になるんですか?」
「何が?」
「チームのこと。私とこの子が仲悪くてどうとか気になってたなら、チームのこともやっぱり気になるのかなって」
安倍のいるベッドを挟むような形で藤本と麻美は座っている。
藤本に問いかけられて、安倍は視線を外してうつむく。
少しの間を置いてから口を開いた。
- 467 名前:第四部 投稿日:2006/06/03(土) 00:00
- 「うん。そりゃあ、ちょっとは」
「そうですか。あれから、私が札幌の病院に行ってから、梓さんがいなくなりました」
「なんで?」
「責任感じてたみたいです。それに、ひろみさんの声が聞こえてここにいるのは辛いって。それから、先生も辞めました。責任取るとか取らされるとか、よくわかんないですけど、とにかく辞めました」
「そっか・・・。みんな私のせいなのかな・・・」
「なつみさんのせいじゃないですよ別に。それで、いまはりんねさんが全部仕切ってやってます」
「りんねが?」
「はい。先生いなくなっちゃったし、キャプテンはどっかのベッドでのんびりごろ寝してるから、りんねさんが一人で全部やってます。すごい大変そうだけど、逃げずに、ホントに全部背負って頑張ってくれてます」
「そっかぁ・・・」
遠くを見る目。
うつむいていた顔を上げて、ソファがわりの枕に深く寄りかかって、白い壁とその向こう、遠くに見えない何かを見つめる。
- 468 名前:第四部 投稿日:2006/06/03(土) 00:01
- 「りんねなら、大丈夫だよ。あの子、責任感あるし、なっちなんかよりずっとしっかりしてるから。だから、支えてあげて」
「ひとごとなんですか?」
「え?」
「ひとごとなんですか? なつみさんは自分が戻ってりんねさんを支えてあげようとは思わないんですか?」
藤本に問い詰められて安倍は目をそむける。
それほど強い口調ではないのだが、藤本がこの表情で迫ってくると責められている気持ちになる。
藤本は、丸イスから立ち上がった。
「なつみさん。私はなつみさんじゃないから、足がどれだけ痛いかは分からない。ひろみさんのことでどれだけつらい思いしたのかも、ホントは分からない。だけど、ここでずっとこうしてたって、誰も喜ばないのはわかります。いつまでもいじけてないで早く帰ってきてください」
藤本の言葉に安倍は答えない。
じっとうつむいて、答えない。
- 469 名前:第四部 投稿日:2006/06/03(土) 00:01
- 「なつみさん!」
ふとんの上にぼんやり置かれている安倍の手。
自分の言葉に反応しない安倍に少しいらだって、藤本はその手を揺さぶった。
「帰れないよ」
口を開いた安倍。
藤本は安倍の手を離す。
「なっち一人帰れるわけないよ。梓も出て行っちゃったんでしょ。気持ち分かるもん。それに、なっちが・・、なっちがちゃんとトラックよけてれば、ひろみは死なずにすんだんだもん。なのに、なっち一人が元気になってチームに戻ってバスケするなんてありえるわけないよ」
「全然違う。全然おかしい。何言ってるのかわかんない。全部トラックが悪いんじゃないですか。なつみさんが悪いわけじゃない。それにだいたい、一人で罪を背負ったみたいな顔してたって誰も喜ばないじゃないですか。迷惑なだけですよ。余計なことごちゃごちゃ考えてないで、リハビリして、歩けるようになって、早く戻ってきてくださいって。その方がみんな喜びますから。私も、チームのみんなも。ひろみさんだって、きっとそう願ってる」
「出来ないよ。歩けなくなるのはなっちへの罰だから」
「なんでそう悲劇のヒロインみたいに浸ってるんですか! リハビリすれば歩けるようになるんでしょ!」
「うるさいよ! 藤本には私の気持ちなんかわかんないよ! バカ!」
- 470 名前:第四部 投稿日:2006/06/03(土) 00:02
- 次第に感情が高ぶって、気づけばまた怒鳴りあいになっていた。
麻美もその場にいるのだが、先輩と姉の雰囲気には割って入れない。
相手に怒鳴られて、先にはっとしたのは藤本のほうだった。
今日は落ち着いて話そう、そう思ってここに来たのに、またやってしまった。
「すいません。ちょっと言い過ぎました」
「あ、うん。ごめん。なっちも、怒鳴ってごめん」
安倍も安倍で、相手が大人しくなると自分も神妙になる。
今の安倍のルールでは、自分が誰かに対して怒鳴りつける、なんてことをしていい立場ではないのだ。
自分は誰かに責められたとしても、じっと耐えなくてはいけない。
そんな立場。
全ては自分が悪くて、全てを受け入れなくてはいけない、そんな立場。
どんなにいらだっても、相手を怒鳴りつけてなどしてはいけないのだ。
- 471 名前:第四部 投稿日:2006/06/03(土) 00:02
- 「でも、これだけはわかってください。ひろみさんがいなくなって、他にもいろいろな人がいなくなって。ばらばらになりそうだったけど、私たちはもう一回頑張ろうって、みんなで決めました。私は、こんないい加減だから、流されるままで、もうダメかなって思ったりもしたけど、りんねさんがもう一回みんなで頑張ろうって言ってくれたから、りんねさんが引っ張ってくれたから、頑張ろうって思えました。みんな、なつみさんのこと待ってます。きっと帰ってくるって。だから、なつみさんはつらいかもしれないけど、私たちや、ひろみさんのために、頑張ってください」
安倍はうつむいて答えない。
藤本の言っている事は分かる。
分かるけれど、答えられなかった。
「私たちは、ひろみさんの分も頑張るって決めました。なつみさんのことは、私たちはずっと待っています。だけど、もう、ここには来ません。なつみさんは、自分の足で寮に、体育館に戻ってきてください」
藤本が語っている間、安倍は視線を合わせてくれなかった。
それでも、話を聞いているのは分かる。
安倍は、結局何も答えてはくれなかった。
- 472 名前:第四部 投稿日:2006/06/03(土) 00:02
- 「それじゃあ、失礼します」
頭を下げて、藤本は出て行こうとする。
少し慌てて、麻美が呼び止めた。
「美貴さん」
「外の、受付あたりで待ってるから」
それだけ言って扉を開けて出て行こうとするけれど、麻美の困ったような顔を見てもう一言続ける。
「家族だけの会話とかあるだろ。私は外で待ってるから」
「でも」
「ちょっと、私も一人になりたいからさ」
頼りないような、少し疲れたような、それでいて後輩を思いやるような、そんな藤本の薄い微笑み。
麻美は、藤本にそんな風に笑みを向けてもらえるのは初めてだった。
「はぁ、分かりました」
「ゆっくりでもいいから。待ってるから」
「はい」
藤本は麻美を残して病室を出て行った。
- 473 名前:第四部 投稿日:2006/06/03(土) 00:03
- 扉を閉めて大きくため息。
なつみさんは戻ってきてくれるだろうか?
言いたいことは言った。
だけど、それに対する手ごたえみたいなものはなかった。
自分が来た意味は何もなかった気もする。
階段を一階まで下りて、受付前に並ぶ長イスに座った。
ふとももにひじをついて頬杖をつく。
長い距離を移動して、なぜだか麻美の家に行くことになって、和やか風な食事までして。
体力なら十分にあるけれど、それとは関係無しにちょっと疲れた。
言いたい放題やっているように見えるけど、それでも藤本美貴だって気を使ったりすることもある。
それはずいぶんと疲れること。
言いたいことを言うのも、相手がそれを言われるのはきっとイヤだろうと分かっていながら言うのは、結構疲れること。
天然じゃないから、分かっていてやっているから、藤本美貴も楽じゃない。
ぼんやりと考え事をしていたら、そのまま眠ってしまっていた。
- 474 名前:第四部 投稿日:2006/06/03(土) 00:03
- 目が覚めたら、隣に麻美が座っていた。
それが分かりながらも、大きくあくびをして、目をこする。
眠い。
「いつからいた?」
「いえ、ちょっと前です」
目をこすりつつ時計を確認する。
藤本が安倍の部屋を出てから四十分ほど経っていた。
「なつみさんと結構話して来た?」
「あ、はい。二十分くらい」
「ちょっと前じゃないじゃんか。起こせよ」
「なんか、気持ちよさそうに寝てたから」
あまり後輩にいたわられたりしたくない。
ましてや、あまり好きでは無い相手ならなおさらだ。
どちらかといえば、怖くて起こせなかっただけだろうな、とは思うけれど。
- 475 名前:第四部 投稿日:2006/06/03(土) 00:04
- 「なつみさん、なんか言ってた?」
「美貴さんは強くていいなあって言ってました」
「私のことはどうでもいいんだけどさ。これからどうするとか。そういうのは?」
「なんか、迷ってるみたいです。私は頑張ってもいいのかなあ? みたいなこと言ってました」
「そっか・・・」
迷うところまで気持ちが動いてくれたなら、自分が会いに来た意味はちょっとはあったのかもしれないと思う。
こんな遠くまで来れるような休みは、もう冬の大会が終わる年末まではきっとないだろう。
後は、待つことしか出来ない。
「帰るか」
「はい」
二人は立ちあがった。
- 476 名前:第四部 投稿日:2006/06/03(土) 00:05
- 麻美が電話で母を呼び、車を出してもらう。
藤本は駅、もしくはバスターミナルへ直行してそのまま帰るつもりだったけれど、安倍母の方は何のためらいもなく家へ車を進めた。
土地勘のない藤本は突っ込みようもなく、気がついたら安倍家前へまた戻っていたという形になる。
仕方ないのでもう一度安倍家に上がった。
- 477 名前:ピース 投稿日:2006/06/03(土) 16:12
- なっちにとってひとつのきっかけになったでしょうね。
人から望まれるという事を知る事で前向きに生きる活力にしてもらいたいです。
そして何故かまた安倍家へと…。w
- 478 名前:作者 投稿日:2006/06/09(金) 23:58
- >ピースさん
そして何故か・・・。どうも藤本ペースとはいかないようです。
- 479 名前:第四部 投稿日:2006/06/09(金) 23:59
- 今度は直にリビングへ案内されて、紅茶とケーキが出てくる。
今日は一日、育ちの違いとか、家庭環境がとか、そんなことを認識させられてばかりだ。
時計はもう夕方近い時間を指し示している。
ケーキも紅茶もおいしいけれど、あまりゆっくりしていられる時間ではなかった。
「あのさ、もうそろそろやばくない?」
「何がですか?」
「時間。バスの時間」
「あら、藤本さん、泊まっていかれるんじゃないの?」
「へ?」
「麻美と一緒にいらしたから、てっきり泊まっていかれるとばっかり」
藤本は怪訝な顔で麻美の方を見る。
- 480 名前:第四部 投稿日:2006/06/10(土) 00:00
- 「あ、私、今日はこっちに止まって、明日帰るつもりだったんですけど・・・」
聞いて無いぞそんな話・・・。
冷静に考えれば想像できることだ。
休みが二日あって、滝川と室蘭にはこの距離があって、一日目にここに帰ってきた。
親子の確執とか、そんなものがなければ、普通に考えれば娘は一泊していく。
ただ、一緒に来たからといって藤本まで一緒に泊まって行くという想像は、何かが違うかもしれないが。
「いいじゃない。藤本さん泊まっていきなさいな」
「そんな、ご迷惑ですよ」
「そんなことありませんって。娘がいつもお世話になってるんですし。着替えも、なつみの置いていった服なんかもありますし。ほら、体型も藤本さんと近いし着られるんじゃないかしら。あ、でも、藤本さんの方がスレンダーでスタイルいいから、体型が似てるは失礼かしら」
「そんなことはないですけど」
体型で似てるのは身長くらいで、後のパーツはいろいろと大きさがなつみさんと比べて足りてないような気がしている。
口に出して言ったりはしないけれど。
- 481 名前:第四部 投稿日:2006/06/10(土) 00:00
- 「じゃあ、決まりね。今日のお夕飯は腕によりをかけて作らなくっちゃ」
「あ、いえ、あの」
「麻美。紅茶足りなかったら、ポットにお湯はあるから自分で作ってね。私は買い物に行って来るから」
「ちょ、ちょっと、あの」
圧倒されて藤本が断りきれない間に、安倍母は本当に買い物に出かけて行ってしまった。
困惑の色を藤本は浮かべるが、麻美の方もどうしたらいいんだか、という表情である。
「美貴、まだ泊まるとか言ってないんだけど・・・」
麻美の方もなんとも答えにくい。
藤本さんと丸一日一緒にいるのは、いろいろな面できびしいものがある。
後をついて来られてるのに気づいたとき、自分だけ家について藤本が途方にくれたらあまりにかわいそうだからと声をかけたが、やめておけばよかったかも、ちょっと後悔したりもする。
- 482 名前:第四部 投稿日:2006/06/10(土) 00:00
- 「なんか似てるな?」
「なにがですか?」
「なつみさんとおばさん。こうと決めたらいきなり人の話し聞かなくなるところが」
藤本のこの言葉で、麻美がぷっと吹き出す。
ずっと一緒に暮らしてきて、それを一番実感してるのが麻美だった。
「美貴さん、帰るって言ってももう聞いてもらえないですよ多分」
「大体、私、外泊許可とか取ってきてないんだけど」
「りんねさんなら、電話だけでも大丈夫そうですけど・・・」
藤本美貴、ため息一つ。
なんでこんなことに・・・。
麻美の後をついて、ストーカーまがいなことをした自分が情けない。
- 483 名前:第四部 投稿日:2006/06/10(土) 00:01
- 「二号はいいの?」
「美貴さんが泊まることですか?」
「うん。だって、私のこと嫌いでしょ」
「そんなことないですよ!」
麻美が藤本に対して嫌いだと言ったことは一度も無いし、そんな態度を示したことも一度も無い。
ただ、藤本的には嫌われることをしてきた心当たりがありすぎるので、そういった認識になっている。
これまで、麻美の側が藤本に対して、なんらかの感情を表に出して示す、という機会そのものが一度もなかったのだ。
なのに、嫌い、と断定されるのはちょっと心外だったりする。
苦手であることまでは間違いないのだろうが。
- 484 名前:第四部 投稿日:2006/06/10(土) 00:01
- エアコンの冷房の音が少し聞こえてくる部屋の中。
藤本はまたため息一つ。
麻美はティーカップを口に持っていった。
夏なんだからホットじゃなくてアイスの方が良かったな、と少し冷静に思う。
藤本の方は、もう帰れる雰囲気じゃない、と覚悟を決めた。
「電話かして」
「寮にかけるんですか?」
「外泊許可取るよ。しょうがない」
しぶしぶ。
口調も顔も、そう主張している。
「そこにあります」
「番号分かる?」
「寮のですか? ちょっと待ってください」
麻美がカバンから携帯を取り出し、寮の番号を開いて藤本に手渡した。
- 485 名前:第四部 投稿日:2006/06/10(土) 00:01
- 「携帯持ってるんだな」
「中学の時の、そのまま契約切らずに使ってます」
「使うって使えなくない?」
「学校は電波来るから」
「なんかむかつく」
今時、電波が届かないところに寮がある、というのもすごいことであるが、ともかく、寮と学校の往復で、濃い仲間は全員一緒に暮らしている藤本としては、携帯は無用の長物である。
寮のメンバーも同様にほとんど携帯は持っていない。
中学のときに使っていてそのまま、という麻美のような数人が例外的に持っているだけ。
滝川生まれ滝川育ちの藤本的には、なんとなく都会を見せ付けられた感じで面白くなかった。
室蘭を都会と表現するのは、一般的感覚とはかけ離れているが、相対比較ではそうなってしまう。
- 486 名前:第四部 投稿日:2006/06/10(土) 00:02
- 「冬とか、遠征の時には連絡係にされるぞ」
「そうかもしれないですね」
ぶつぶつ言いながらも藤本は寮に電話をかけた。
りんねに繋いでもらって外泊許可を取る。
りんねの声がはっきりと、意外だ、という感情を伝えてきたのでさらに機嫌も悪くなるが、それでも外泊許可は取り付けた。
とりあえず、元の席に戻って残りのケーキをつまむ。
セットで出てくるケーキと紅茶は藤本にとっては結構貴重なもの。
最後まで堪能しないといけない。
ゆっくりと味わって食べた。
フルーツタルトは、まあきっと、普通のお店の味なのだろう。
何かを口に運んでいないと間が持たなかった。
少しうっとうしかったけれど、それでも潤滑剤になっていた安倍母の存在。
それがいなくなって麻美と二人にされると、特に会話もなくどうしていいのかこまってしまうのである。
- 487 名前:第四部 投稿日:2006/06/10(土) 00:02
- ケーキ皿も空になり、ティーカップも空になり、さていよいよすることがなくなった。
何か話題を振るにしても微妙なものがある。
いきなりフレンドリーになるのも違和感たっぷりだし、かといって冷たい態度を取るなら話題を振ること自体違和感ある。
空のティーカップを手に取ったり戻したり、藤本は落ち着かない。
「暇だし、ゲームでもしますか?」
「ゲーム?」
麻美が口を開いた。
ティーカップを見つめていた藤本が顔を上げる。
「なんか、ゲーム。暇じゃないですか」
「うん、そうね」
どうしていいのか困ってしまっていたのは藤本だけじゃない。
麻美の側からすれば、怖い先輩と二人にさせられているのだ。
それも、ただ怖いのではなくて、自分のことを嫌っていそうな先輩である。
無難に時間を過ごせる方法を考えた結果、これだ、と思い当たったのがゲームだった。
- 488 名前:第四部 投稿日:2006/06/10(土) 00:02
- 「じゃあ、二階のなちねえの部屋に行っててください。私、紅茶継ぎ足していきますから」
「分かった」
お互いほっと一息。
妙な緊張感から解放された。
藤本はなつみの部屋へ。
なるほど確かにテレビの下にゲーム機が置いてある。
他人の家だし触っちゃ悪いかなと、大人しく待っている。
やがてティーセットをトレイに載せて麻美が入ってきた。
「何やりましょうか」
おもむろにテレビラックを開けてゲーム機を取り出す。
プレイステーション。
そしてソフトも並べる。
選択権は藤本にあるらしい。
- 489 名前:第四部 投稿日:2006/06/10(土) 00:03
- 「なちねえ、ゲームっ子だったんですよ。こっちにいるときはよく夜中までやってたみたいで。全部なちねえが買ったんです。私が選んだのは一個も無いから、よくわかんないのも結構ありますけど」
ロールプレイングゲームが結構多い。
二人でやるのにこれはなぁ・・・、などと思いながら、ソフトのタイトルを眺める。
一つ、人と人が対戦するのに向いているゲームがあった。
ただ、自分がこれをやるとムキになってしまうかもしれないとも思う。
それを手にとってじっと見つめていると、横から麻美が手を伸ばした。
「金太郎電鉄いいですね。これやりましょうよ」
「うん。いいよ」
やろうというなら嫌がる理由は何も無い。
麻美がソフトをセットしてゲームスタート。
- 490 名前:第四部 投稿日:2006/06/10(土) 00:03
- 単なる暇つぶしの間つなぎのはずが、始めてみると、やはりはまってしまった。
勝負事はムキになる。
麻美のほうも、先輩だからといって遠慮はしない。
二人の間に、ゲームの中という仮想空間での会話が成立するので、微妙な空気が流れずにすんだ。
夕食の時間になってもゲームは終わらない。
安倍母がいろいろと話を振るのに、適当にあわせるだけで話題が広がらない。
藤本の頭の中は、自分に取り付いてキングビンボーをいかにして他人に擦り付けるかでいっぱいだ。
貧乏はイヤだ。
藤本の人生哲学かもしれない。
食後、ゲーム再開。
キングビンボーは処理に失敗すると一気に奈落の底まで落とされる。
そのダメージを回復させきれず、藤本は麻美にも、適当に混ぜたコンピューターキャラにも負けてしまった。
「あー、むかつく。すげーむかつく」
麻美は隣で苦笑い。
ちょっと勝ちすぎたかも、と思う。
普段、バスケで勝てないのだから、ゲームくらい勝ってもいいよね、とは思うけれど、ちょっと怖い。
- 491 名前:第四部 投稿日:2006/06/10(土) 00:03
- ゲームが終わった頃、安倍母がやってきてお風呂に入っちゃいなさいと促す。
先に藤本が入って、入れ替わりに麻美が入る。
藤本が上がってくると、麻美の部屋に布団が敷かれていた。
ここで眠れという事なのだろう。
仲良し先輩後輩じゃないのにな、と改めて藤本は思う。
麻美もお風呂から上がってくる。
まだ深夜という時間ではないが、楽しいお泊り会という趣旨ではないし、普段の生活習慣もあるし、髪が落ち着き次第すぐ眠ることにする。
麻美が、自分のベッドの方を使ってください、と言ったが、藤本は、アンタのベッドでなんか寝たくない、と拒否した。
ただ、口調は柔らかかったし、笑みも混じっていた。
- 492 名前:第四部 投稿日:2006/06/10(土) 00:04
- 翌日、朝のある程度落ち着いた時間に安倍母にバスターミナルまで送ってもらう。
そこからは二人で滝川の寮までの道のりを帰る。
行きがかり上、ばらばらになるわけにもいかない。
隣り合って座る。
藤本が窓側に、麻美が通路側に。
バスの中では眠ってしまうので、間が持つとか持たないとか、あまり関係なかった。
札幌までついて乗り継ぎ。
ちょうどお昼の時間帯。
「ここでご飯食べて行くか」
「そうですね」
「あと、買い物でもしてくか」
「買い物ですか?」
「買う金なんかねーけどさー。札幌だし」
「そうですねー」
藤本にとってめったに近づけない札幌という街を素通りして帰るなんてありえない。
隣にいるのが口を聞くのも顔を見るのもどうにも耐えられない相手だったりすれば話は違うけれど。
麻美が笑顔を見せると、藤本も薄く微笑んだ。
笑うと、余計なつみさんに似てるんだな、と思った。
- 493 名前:ピース 投稿日:2006/06/10(土) 19:27
- 安倍母のゴーイング・マイ・ウェイっぷりが素敵です。w
それにしてもチームメイトにコンプレックスを感じる事になろうとは…。(苦笑)
まぁ、でも、苦手な者同士で時間を共有で来た事は結果オーライ、、、なんですかね?w
- 494 名前:作者 投稿日:2006/06/17(土) 01:12
- >ピースさん
いますよねー、人の話し聴かなくなる人って。
- 495 名前:第四部 投稿日:2006/06/17(土) 01:12
- ひろみへ
今はどこにいるのでしょうか?
天国とか、行ったことないからよくわからないや。
そのうち、私にも行けるのかなあ?
でも、どこかできっと、私たちのことを見ていてくれていると思ってます。
- 496 名前:第四部 投稿日:2006/06/17(土) 01:13
- 私たちはみんな元気です、とはちょっと言えないかな。
梓は、チームを離れて実家に帰ってしまいました。
なつみは、今もまだ入院してる。
ひろみを後ろに乗せていたのがやっぱりショックみたいです。
なつみのせいじゃないんだけどさ。
それは分かってるけど、でも、気にしないでいいよ、とは言えないんだよね。
起きてしまったことが、起きてしまったことだから。
なつみは、けがのせいよりも、その、責任感じちゃってる部分とかで、帰って来れないみたい。
だから、私たちは、元気、ではありません。
- 497 名前:第四部 投稿日:2006/06/17(土) 01:13
- それでも、少しづつ、また歩き始めました。
ひろみがいなくなってすぐの頃なんか、ホントに大変だったんだから。
みんな、誰も、何もする気にならないし。
負けたこと無かったのに、北海道の予選なんかで負けちゃってさ。
先生も、いろんな責任感じてなのか、いろいろ言われてなのか辞めちゃうし。
なにもかもなくなってしまいそうで、とても怖かった。
苦しくて、悲しくて、さびしかった。
それで、なんとかしなきゃいけないって思って。
私が、キャプテン代理みたいな感じになりました。
私がだよ。あの、私が。
人の上に立つとかさ、誰かを引っ張るとかさ、そういうの苦手だったのに。
でも、もう、私がやるしかなかったから。
- 498 名前:第四部 投稿日:2006/06/17(土) 01:13
- キャプテン代理にはなったけど、キャプテン部屋には移らずに、元の部屋のままいます。
寮の部屋、狭いなあって思わなかった?
私、最初にきたとき思ったんだ。
うち、別にお金持ちとかじゃないけど、ちゃんと私一人の専用の部屋があって、それが、ここと同じくらいの広さだったんだ。
だから、それを二人で使うって言われて、狭いなって。
でもね、一人になって思うよ。
この部屋は広いなって。
- 499 名前:第四部 投稿日:2006/06/17(土) 01:13
- ひろみがいなくなって、最初、眠れなかった。
なんかね、一人なことが不安で、さみしくて、眠れないの。
おかしいでしょ。
もう、子供でもないのにさ。
でもね、でもね、ずっと一緒にいたじゃない。
高校入ってからさ、遠征のときとか別の部屋になることもあったけど、それでも、一人部屋で一人で寝ることって無かったじゃない。
それがさ、急に、一人で寝ろって言われても、さみしいよ。
最後に電気消すのってひろみだったでしょ。
なのに、今は、私が自分で消して。
それで思うんだ。
ああ、ひろみはもういないんだ、って。
- 500 名前:第四部 投稿日:2006/06/17(土) 01:14
- 今は、もう、ちゃんと眠れてるけどね。
でも、さみしいです。
カギも今は開けたままだからさ、戻ってこない?
なんて、そんなことが出来ないことはわかっています。
だけど、なんとなく、ひろみが戻ってきてくれるんじゃないかって気がして、部屋のカギは夜も開けたままです。
- 501 名前:第四部 投稿日:2006/06/17(土) 01:14
- チームは、冬の選抜に向けて動き出しました。
インハイの予選で、ベスト4にも残れなかったから、今年は国体もなくて、時間をかけてチーム作りが出来そうです。
ずっと、みんなやる気が出なくて、私もそうだけど、何かを目指すなんて気分じゃなかったんだけど、このままじゃいけないって、そう思って、また、練習を始めました。
みんながね、なんとか私についてきてくれるって言うか、後ろから支えてくれるって言うか、してくれるので、何とかキャプテン代理やってます。
もう一度動き出そうって思ったとき、一番気になったのは藤本でした。
うちのチーム、特に、中心になる二年生がさ、藤本の影響受けやすいでしょ。
それで、あの子、やる気ないとすぐ顔に出るじゃない。
だから心配だったんだけど、なんとかやる気は取り戻してくれたみたいです。
おととい、インハイの決勝見てて、空気読めない女嫌い、とか言ってましたし。
かわいい顔してるんだからもうちょっとやわらかい表現すればいいのにね。
- 502 名前:第四部 投稿日:2006/06/17(土) 01:14
- 今頃はこっちに帰ってくるバスの中かな?
藤本は昨日、なつみのお見舞いに室蘭まで行きました。
麻美とは別々にね。
麻美だけ外泊許可だしてて、藤本は日帰りなのかなって思ったら電話かかってきて外泊許可下さいって言うから、どこ泊まるの? って聞いたら、なつみさんちだって。
目的地同じだから途中ではちあわせたんだろうね。
でも、藤本が麻美の家に泊まるって、どういうシチュエーションでそんな風に決まったんだろ。
電話の声はね、ちょっと不機嫌そうでした。
あの二人が仲良くなってくれればいいんだけど。
帰ってくるのが楽しみなような怖いような。
- 503 名前:第四部 投稿日:2006/06/17(土) 01:14
- まいは、ちょっと元気ないかな。
この前、練習終わって、なんか暗い顔して座り込んでるからさ声かけたら、五対五の時、ずっとマッチアップ梓さんだったんですよ、って。
すごいさみしそうな顔して言うんだ。
なんか、何も言えなくなっちゃってさ。
それでね、その後にね、いつまでもそんなこと言ってちゃいけないって分かってるんですけどって。
あの子、年は下だけど、ホントは私なんかよりずっとしっかりしてるんだよね。
だから、自分がしなくちゃいけないことと、自分の気持ちの間に、なんかギャップがあるのが埋められなくて苦しいのかもしれない。
こういうのって、キャプテンはどうして上げるべきなのかなあ?
- 504 名前:第四部 投稿日:2006/06/17(土) 01:15
- あさみは、うーん、あさみですって感じ。
あの子はまだ親離れが出来てない。
だけど、ひろみにも言われたけど、それは多分、私が子離れできてないからなんだろうなって思う。
正直、最近、なにかあるとあさみ相手にぐちを言ってしまってる気がします。
あの子、前はそうでもなかったのに、最近は、私のぐちもだまって聞くようになりました。
ありがたいんだけどさ。
でも、なんか、私までいなくなったらどうしようとか、そういうの怖がってるのかもって思う。
あの子やさしすぎるんだよね。
悪いことじゃなないんだけど、バスケの中ではさ、それはちょっといいこととは言い切れないじゃない。
なんかこう、試合に出るんだー! みたいな気合がなくて、チームが勝てばそれで満足みたいな部分があって。
もうちょっと、きびしく接した方がいいのかな、なんて思ってます。
そのためには、私があさみに頼るのやめないといけないんだけどね。
そっちの方が大変かも。
- 505 名前:第四部 投稿日:2006/06/17(土) 01:15
- インターハイが終わって、夏が半分過ぎました。
明日からは練習再開。
しばらくは、インハイ明け恒例のランランランウィークです。
走って走って走って。
今年は、先生もいないから、私が鬼役だよ。
自分も余裕ないのに、怒ったりとか、きびしく練習出来るのかなあ・・・。
ちょっと自信ないかも。
- 506 名前:第四部 投稿日:2006/06/17(土) 01:15
- 私たちは、まだ、あまり元気ではないです。
だけど、もう一度頑張ってみようと決めました。
ひろみのことは悲しいし、忘れることは出来ないけれど、胸に置いたまま、もう一度、今いるみんなで頑張ってみようって決めました。
私たちは、バスケをする為にここに集まって、バスケをする為に三年間過ごしています。
みんな、ひろみも、多分そうだったはず。
だから、悲しんでばかりいないで、もう一度みんなで頑張ろうって。
その方が、ひろみも喜んでくれるんじゃないかって、勝手に思いました。
- 507 名前:第四部 投稿日:2006/06/17(土) 01:16
- ひろみは、どこかで私たちのことを見てくれていますか?
天国というところがどんなところか私には分からないけれど、そこで楽しく暮らしていますか?
頑張ってみることにはしたけれど、やっぱり私はひろみにもう一度会いたいです。
でも、きっと、いつか会えるよね。
いつか、私が天国へ行って。
行けなくて、地獄行きとかだったらやだなあ。
そうなったらごめん。
でも、ちゃんと天国へいけたら、また一緒に楽しくバスケしましょう。
それとも、バスケはもういいかな?
あ、今思ったけど、私がおばあちゃんになってから天国に行ったら、ひろみだけ若いままで、私はおばあちゃん?
それ、なんかずるいかも。
ひろみも、天国でちゃんと年を取っていてね。
うん。一人だけ若いのなんて許しません。
- 508 名前:第四部 投稿日:2006/06/17(土) 01:16
- いつか、また、どこかで、きっと、会えると信じています。
私は、それまで頑張る。
だから、ひろみは、どこかで、私たちのことを見守っていてください。
ひろみが、天国でいい人を見つけられることを願っています(笑)
それじゃあ、また。
- 509 名前:第四部 投稿日:2006/06/17(土) 01:16
- りんねは、ペンを置き、自分が書いた手紙を眺めると優しい笑みを浮かべた。
決して、届くことのない手紙。
便箋をたたんで封筒にしまう。
封筒には、ただ、ひろみへ、とだけ記されて。
のりで封をして、シールも貼った。
もう一度両手で持って眺める。
それから、自分の机にしまった。
決して届くことのない手紙。
だけど、きっと、届くんじゃないかな、と、そう思っていた。
- 510 名前:第四部 投稿日:2006/06/17(土) 01:16
- 第四部 終わり
- 511 名前:第四部 投稿日:2006/06/17(土) 01:16
-
**********
- 512 名前:第四部 あとがき 投稿日:2006/06/17(土) 01:18
- 第四部あとがき
長かった第四部はこれで終わりです。
結構それぞれに波乱万丈でしたが、ここで一段落にします。
吉澤と石川にようやく接点が出来ました。
この先は、今までと比べれば、三箇所単独という感じから、それぞれが少しは絡んでの話になるでしょう。
第五部の開始は七月になってからの予定です。
一週目か二週目かは分かりませんが。
あと、金曜日夜更新、というのも変えるかもしれません。
冷静に考えてみると、金曜夜はなかなか厳しい・・・。
第五部もここで連載を続ける予定です。
文量は未定。
第四部の半分以下で終わらせるかもしれないし、同程度にまで増えるかもしれないし。
時間軸的にどこまでを第五部に入れるか決まってないのでなんともいえません、
なので、第五部が終わる時期もなんともいえません。
ましてや、全体の完結がいつになるかもなんともいえません。
それでもよければ、また七月からお付き合い下さい。
みや
- 513 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/18(日) 03:37
- 面白い 待ってるよ
- 514 名前:ピース 投稿日:2006/06/19(月) 01:39
- 第四部完結お疲れ様でした!非常に堪能させて頂きました♪
もちろん第五部も引き続きお付き合いさせて頂きたいと思いますので宜しくお願い致します。
それでは、またの再開を楽しみに待っています。ありがとうございました。
- 515 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/21(水) 22:07
- 前スレと比べてかなり動きがあったんで
毎週ワクドキハラハラ見てたw
第五部も楽しみに待ってるよ
- 516 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/07/16(日) 21:40
- もうそろそろかな?楽しみにしていますよ!
- 517 名前:作者 投稿日:2006/07/22(土) 23:04
- 丸々一ヶ月サボっていましたけど、再開します。
第五部です。
更新は基本週一。
第四部は金曜夜だったけれど、第五部は土曜夜のつもりでいます。
都合が悪そうなら適宜かえますが。
>>513
ありがとう。
>ピースさん
またよろしく。
>>515
登場人物増えましたしね。
>>516
そろそろ、うーん、さらに一週間たちましたが、始めます。
というわけでよろしく。
- 518 名前:第五部 投稿日:2006/07/22(土) 23:05
- インターハイから少し時がさかのぼる。
高校バスケットでは大きな大会が三つあった。
インターハイ、国体、ウインターカップ。
夏はインターハイ。
秋に国体。
冬にウインターカップがある。
この三つのうち、インターハイとウインターカップは、各高校の戦い。
それに対して、国体は、都道府県単位の戦いだった。
- 519 名前:第五部 投稿日:2006/07/22(土) 23:06
- 「集まったな」
ある日曜日。
県のお偉いさんと共に体育館に中澤はいる。
目の前には県の代表として選抜された選手たちがいた。
「たまたまやけど、うちが県総体優勝したから、私中澤がこのチームのヘッドコーチになる。まあ、不満もあるやろうけど、我慢してや」
チーム結成初日の訓示。
緊張感のある顔、リラックスしきった顔、さまざまな顔が並ぶ。
インターハイ県予選を終えた一週間後、この国体を目指す島根県の選抜チームが召集された。
- 520 名前:第五部 投稿日:2006/07/22(土) 23:06
- 「ほんじゃ、まあ、最初にキャプテン決めなあかんと思うんやけど、どうしよか?」
秋にある国体に向けて、各校からメンバーが選出された。
県大会で優勝された市立松江からは、保田、吉澤、あやか、市井、福田、それに松浦の六人。
その他に、出雲南陵の飯田や、北松江のミカ、東松江の大谷なんかもいて総勢十二人。
各チームにいるときよりもスタメンの争いも厳しくなり、チームとしてのレベルも当然高い。
普段、別々のチームにいるだけに、キャプテンとしてチームをまとめるのはなかなか大変な役目だった。
「飯田さんにやってもらいたいんだけど、どうかな?」
「え? 圭織? なんで私なんですか?」
「うちのメンバーがやると、コーチが私で、メンバーも多くて、キャプテンもやってになって、なんか変な勘違いが生まれそうだし、よその人にやってもらいたいってのもあるし、一番なんか、引っ張ってくれそうやし。どう?」
飯田は腕を組んで固まる。
じっと中澤を見つめた。
無表情な目で見つめられて中澤はちょっとひるむ。
それでも、黙って答えを待っていたら、飯田が口を開いた。
- 521 名前:第五部 投稿日:2006/07/22(土) 23:07
- 「圭織より、保田さんのがいいんじゃないですか?」
ごく普通の答え。
それでも、名前を出された保田は飯田の方を見る。
「いや、私より、どう考えても飯田さんのほうが実績もあるし」
戸惑い気味の保田。
個人としてのネームバリューで言えば、明らかに保田よりも飯田のほうが上である。
「なんか、決まらんみたいやからええは。後で話し合いで決めて、明日にでも保田から報告して」
「はい」
「じゃあ、ランニングから」
練習はほぼ市立松江の通常のメニューと変わらない。
全員のレベルがそれなりに近くなっているので若干一対一を長めに取ったあたりが違う程度。
初日は顔合わせ、という意味合いが強く、練習中に中澤が口を出すことはあまりない、というか口を出せない。
自分のチームなら最近は少しは格好がついてきたけれど、まだ、よそのチームのエース格に向かって、ああせいこうせい、といえるほどの自信はとても無い。
- 522 名前:第五部 投稿日:2006/07/22(土) 23:07
- 最後の五対五は、まだレギュラー組みとサブ組みを分けることなく、身長の近いものどうしてじゃんけんさせて勝ち組と負け組みに分けた。
目だって活躍したのは松浦。
マークに付いた大谷を完全に力で上回り、福田にてこずってボール運びのおぼつかないミカのフォローまでこなす。
マッチアップで面白かったのは保田と市井がかぶったところ。
ボールを持つと、嬉々として一対一を始める。
現在の力としては保田のが上のようで、市井はちょっとした敗北感を味わうようだ。
吉澤は、飯田と同じチームになり、インサイドでは暇そうだった。
それに対してあやかは、飯田のマッチアップでどうにも止められず苦しんでいる。
まだ、意識としてはポジションを争うというよりも、いつもと違う相手との
いずれにしろ、いつもと違う五対五はそれぞれに楽しそうにこなしていた。
- 523 名前:第五部 投稿日:2006/07/22(土) 23:07
- 練習後、メンバーたちは親睦会を兼ねてカラオケボックスに行った。
「も〜もい〜ろの♪ かたおも〜い♪」
「松浦歌いすぎー!」
借り切った店最大のパーティールーム。
部屋に入るとリモコンを片時も離さずに、ひたすら曲を入れ込んでいく。
十二人いようが松浦には関係ない。
それでも、なんとなく許してしまいたくなる空気を松浦は持っていた。
- 524 名前:第五部 投稿日:2006/07/22(土) 23:08
- 「さっきの話なんだけど」
おとなしく隅の席に座ったのは落ち着きのある三年生。
保田と飯田が並んでいる。
「さっきのって、キャプテンのこと?」
飯田がマイクを握って離さない松浦の方を見ながら答える。
見事な振りで歌っていた。
「やっぱり、飯田さんやってくれないかな?」
「圭織、統率力とかそういうのないよ」
部屋には松浦の歌声が響く。
そんな雰囲気をよそに、深刻な顔をして二人で話す。
- 525 名前:第五部 投稿日:2006/07/22(土) 23:08
- 「私さあ、インターハイで引退しようと思ってたんだよね。それが国体メンバーなんか選ばれちゃって。まあ、夏のミニ国体まではインターハイと十日くらいしか違わないからやろうと思うけど、十月の本大会はちょっとねえ」
「なんで? もったいないよ。選抜でもう一回勝負しようと思ってたのに」
この時点ではインターハイ後も続けるつもりはなかった保田。
八月の後半にあるミニ国体。
十月の国体の前に、各地域で代表を決めるために中国地方で大会が行われる。
それがミニ国体。
そこまでしかこのメンバーに残らないのだから、キャプテンは出来ないと保田は言う。
- 526 名前:第五部 投稿日:2006/07/22(土) 23:08
- 「それはそれとして、やっぱり飯田さんを横において私がキャプテンは出来ないよ」
「なんで?」
「うちのメンバーはいいよ、まあ。でもさあ、よその子にしたら、やっぱり島根を代表するのって飯田さんだと思うんだよね」
「そんなことないでしょ。代表になったのはそっちだし」
「いや、個人としてさ。私なんかは、明日香とか、吉澤とか、あのへんになんとかインターハイに連れて行ってもらうようなそんな立場だから」
チームで勝ったけれど、保田が出たのは二十分少々。
自分が勝ったという印象は無い。
たまたま今はいろいろあってキャプテンをチームではやっているが、本当はそれも違うんじゃないかと思ってる。
紗耶香のサブ、それが元々の自分のポジションのはずだった。
- 527 名前:第五部 投稿日:2006/07/22(土) 23:09
- 「うーん、そんなに言うなら圭織がやってもいいけど。でも、まとめるのとか無理だよ」
「その辺は、私が出来るだけサポートするよ」
「だったら最初からキャプテンやってくれればいいと思うんだけどなあ」
「先頭にいるのが似合う人と、そのサポートにつくのが似合う人といるのよ。私はサポートが似合うタイプ」
「そんなもんなのかねえ」
椅子に深く座りなおす。
飯田の方も、自分が先頭が似合うタイプかというと、そうでもないんじゃないかという気がしていた。
「話し合いはついたの?」
自分のいた席を離れ、市井がやってきた。
- 528 名前:第五部 投稿日:2006/07/22(土) 23:09
- 「話し合い?」
「キャプテン決めてたんでしょ」
「うん、まあね」
市井は保田の隣に座る。
キャプテンは飯田がやることになったと保田が告げると、それでいいんじゃない、と市井は同意した。
「ま、落ち着いたところで、歌ったら?」
選曲表とリモコン。
二つをまとめて市井が保田のひざの上に置く。
「松浦歌いすぎだっつーの。まったく、マイク持ったら豹変するタイプかよ」
そう言いながらも、目を細めて松浦の姿を見つめる。
誰が見ても、松浦の歌う姿は絵になっていた。
- 529 名前:第五部 投稿日:2006/07/22(土) 23:10
- 保田は選曲表を開くとあっさり曲を選びリモコンに打ち込んで送信する。
リモコンと選曲表をセットに、隣の飯田のひざの上に置いた。
「圭織はいいよ」
「なんで、歌いなよ。聞きたい」
「圭織は、生音じゃないと歌わないの」
「うわー、やなおんなー」
横から市井が茶茶を入れる。
言葉を選ぶ保田と違って、まったく遠慮が無い。
- 530 名前:第五部 投稿日:2006/07/22(土) 23:10
- 「そういえば、市井さんって留学してたんでしょー」
試合で何度も顔を合わせていたけれど、飯田が保田たちとちゃんとまともに体育館の外で話すのはまったく初めてのこと。
今までに得ている相手の情報のかけらを頼りに、私的な話をしていく。
イギリスってどんなとこ?
全国レベルってどんなのがいるの?
ほとんどカラオケそっちのけ。
そんな風に話し込んでいて、ふと顔を上げると、相変わらず松浦がマイクを握っていた。
「あやや、歌いすぎ。終了!」
「あ、あやや?」
「そう、あなたはあやや。今日からあやや」
マイクを握った松浦が、つぶらな瞳で飯田を見つめる。
飯田は、立ち上がって松浦を指差し、「あやや、あなたはあやや」と繰り返す。
今まで、先輩には「松浦」と単純に名字で呼ばれてきた松浦が、これをきっかけに「あやや」になる。
- 531 名前:第五部 投稿日:2006/07/22(土) 23:10
- 「保田先輩にマイクを差し出しなさい」
「ははー」
こういうときにきちんと芝居がかって動くのが松浦。
椅子に座っている保田の前までやってきてひざまずき、マイクをささげた。
「殿、どうぞお歌いくださいませ」
「うむ。よきにはからえ」
イントロが流れる。
マイクを持った保田が立ち上がった。
「隠し切れない♪ 移りがが〜♪」
「天城越えかよ!」
吉澤をはじめとした一堂の突っ込み。
それにまったくひるむことなく保田は天城越えをたからかに歌い上げた。
- 532 名前:第五部 投稿日:2006/07/22(土) 23:10
- 「おまえら、国体で優勝するぞー!」
「おー!」
「黙って、飯田キャプテンについていけるかー」
「おー!」
キャプテンになった飯田と、サブに落ち着いた保田があおる。
防音設備の整ったカラオケボックスにもかかわらず、外まで響いてくる声。
ひとまず、一つのチームが出来た。
十分リーダーシップあるじゃんか、飯田も保田も、互いに相手のことを思っていた。
- 533 名前:ピース 投稿日:2006/07/23(日) 19:20
- 第五部スタート待っていました!
国体編が始まるんですね!島根県代表チームが
どこまで勝ち進めるのか、東京都代表と対戦があるかなど
色々と楽しみが出て来ますね♪
- 534 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/07/24(月) 19:41
- このリーダーコンビ懐かしいですね(涙)
- 535 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/07/24(月) 22:13
- 五部開始待ってました
初っ端からおもしろくなってきそうな感じで楽しみが増えます
- 536 名前:作者 投稿日:2006/07/29(土) 23:58
- >ピースさん
長らくお待たせしました。
>>534
そんな二人も今や昔になって・・・。
>>535
選抜チームでいろいろ混ぜてしまったので、何が起こることでしょう。
- 537 名前:第五部 投稿日:2006/07/29(土) 23:59
- 国体に向けての練習は平日には行えない。
各自自分の学校に通っていて、地域もばらばらであるから当然だ。
当然、土・日にまとめて行われるようになる。
国体は国体で大きな大会ではあるのだが、保田たち市立松江としては目の前にもっと大きな価値を見ているインターハイがある。
練習のモチベーションが、目的が、いまいち全員の中で一致してこない。
- 538 名前:第五部 投稿日:2006/07/29(土) 23:59
- 「練習台じゃないんだけどなー」
メンバーがなじんできて五対五の練習が増える。
スタメンチームにほぼ確実に入るのは福田と飯田。
残りの三つのポジションは、インサイドは吉澤とあやかが、外ポジションは松浦市井保田から二人入った。
五人中四人が市立松江のメンバー。
時にはファウルアウトなどを想定して、飯田をあやかに変えることもある。
そうなると、市立松江vsその他の人々、という色がさらに濃くなってくる。
明らかにインターハイに向いている市立松江の選手たちの目。
それは、大谷のように、インターハイは遠い世界で、自分の所属する高校で全国レベルの大会に出ることがほとんど期待できない、この選抜チームに期待をかけている選手は、やはり不満だった。
- 539 名前:第五部 投稿日:2006/07/29(土) 23:59
- 「ミカ、帰ろー」
「あ、いや、シューティング、したいです」
「いいよそんなの。チーム帰ってやればいいって」
練習終わり、大谷がミカに声をかける。
二人ともこの中では外様に当たる。
共にBチームに入って公的に話す機会が多いというのと、選抜に同じ学校のメンバーがいないというのがあって、比較的話す機会も多かった。
ただ、あやかという友人がいるミカは大谷よりはチームに馴染んでいる感がある。
- 540 名前:第五部 投稿日:2006/07/30(日) 00:00
- 「ちっ。なんだよ」
「大谷さん、一対一やらない?」
「インターハイに出るお偉いさんのお相手が出来るほどの実力はありまへんので、帰らせていただきます」
えせ京都弁で、保田に対して馬鹿にしたような返事。
右手で手を振りながら背中を見せ、去っていく。
体育館の入り口まで来て、大谷は保田の方を見て言った。
「練習台帰りまーす。おつかれさまでしたー」
保田は、その背中を苦い顔をして見送ることしか出来なかった。
- 541 名前:第五部 投稿日:2006/07/30(日) 00:00
- その夜、飯田は保田の部屋にいた。
土・日と続けての練習。
出雲に住む飯田は、松江の学校までくるには1時間以上かかる。
通えないというほどのことはないが、せっかくなのでと保田の家に泊まっている。
キャプテンであり、チームの中心となるであろう飯田は、確実にこのチームになじんでいた。
「あんな反発のしかたされても困るよ、まったく」
机に向かった椅子に反対向きに座って保田がこぼす。
机の上にはバスケ雑誌が二冊。
教科書類はまったくない。
- 542 名前:第五部 投稿日:2006/07/30(日) 00:00
- 「気持ちは分かるけどねー」
外様という意味では大谷と同じ飯田。
保田のベッドに横になっている。
この部屋に泊まるのは今日で二回目。
福田家での松浦並みに態度がでかい。
図体はもっとでかい。
期末テストも終わり、まだ学校はあるけれど開放感も少しある。
そんな夜。
- 543 名前:第五部 投稿日:2006/07/30(日) 00:00
- 「圭ちゃんたちがインターハイに目が行っちゃうのはしょうがないけどさ、私たちからしたら、うらやましいというか、ねたましいというか。それに、ミニ国体はインターハイのすぐ後にあるし。無理だろうけど、こっちに集中して欲しい、って気持ちは私もあるよ」
「そんなこと言われても」
「いや、だって、松江のメンバー五人とその他五人で五対五とかやったら、なんかインターハイ向けの調整に使われてるって気分にもなるよ」
「確かに、大谷さん、Aチームの方にいてもおかしくない感じなのに、ずっとBにいるもんね」
五対五の練習では、スタメン組みにあたるAチームに入る保田のマークに、控え組みのBチームとして大谷が付く。
実際にプレイしている感覚として、保田は自分が大谷よりはっきりと上、という気にはなれない。
周りがほぼ自分のチームなので、あわせがうまくいく分優位な立ち位置にいるが、単純な個の能力としては、勝っている自信はなかった。
- 544 名前:第五部 投稿日:2006/07/30(日) 00:00
- 「まだ、ああやって表立っていやな顔される方がいいのかもね」
「なんで?」
「ねちねち裏に回っていろいろされるよりよくない?」
「それはまあそうだけど・・・」
納得しつつも保田は不満顔。
当たられる対象は主に自分になる。
気持ちは分かっても、それを受け止められるほど度量が広いわけでもない。
「明日、ちょっと私から話してみるよ」
「私もいた方がいいのかな?」
「それ火に油だから」
「そっか」
保田はため息。
さすがに飯田には言えないが、選抜チームなんかよりインターハイにもっと目を向けたいのが本音。
この時期に、気持ちを一つにした選抜チーム、というのはやはり無理があった。
- 545 名前:第五部 投稿日:2006/07/30(日) 00:01
- 「国体は、インターハイ終わってからでいいよ」
保田の気持ちを見透かしたような飯田の言葉。
言葉が返せずに、大きな目を開いて保田は飯田を見つめる。
「去年もおととしも、私がそうだったから。気持ちは分かる。ずっと一緒にやってきたチームのほうが、選抜チームより大事に感じるし、予選通ってのインターハイだし」
「なんか、ごめん」
「選抜のことは私にどーんと任せて、圭ちゃん達はインターハイに向けて頑張ってきなさい」
「人が集まるのって、大変なんだね」
「何をいまさら。自分のチームでもキャプテンやってるんでしょ」
飯田にそう言われ、保田は座ってる椅子を回転させて背を向けた。
- 546 名前:ピース 投稿日:2006/07/31(月) 15:40
- そっか、そりゃまとまり難いですよね。
まずはインハイ。梨華ちゃんやよっすぃー達の
再接触もちょっと期待しています♪
- 547 名前:作者 投稿日:2006/08/06(日) 01:20
- >ピースさん
全員完全初対面ならまた話は違うのでしょうけど、各個につながりがあって都合が違うと、全体を一つにというのはなかなか大変なようです
- 548 名前:第五部 投稿日:2006/08/06(日) 01:21
- 翌日の練習も雰囲気は似たようなもの。
市立松江のメンバープラス飯田、がスタメン組み。
他所から来たメンバーと完全にグループ分けが出来上がっている。
それでも、集まったのは各チームのエース。
練習自体はきっちりこなす。
プライドがあるから、負けるのはむかつくから、プレイ自体は真剣にする。
だからこそ、余計に練習台としての価値が増してしまっていたりする。
馴染まない空気がそこにどうしても感じられた。
- 549 名前:第五部 投稿日:2006/08/06(日) 01:21
- 練習後、飯田は大谷とミカを誘った。
「帰らないでゆっくりしてていいの?」
「こっち来るときは遅くなるって言ってるから」
松江駅近くのドーナツショップ。
市内に家がある大谷やミカと違い、飯田の家はここからまだ一時間近くかかる。
この地域では都心と違い、高校生が通学に使うような普通列車は一時間に一本か二本という世界である。
「はぁー、なんか眠い。疲れた」
「がつがつ一対一やってたもんね」
「私のとこしか攻め手なかったから」
五対五の練習。
控えチームでは大谷が積極的に自分で切れ込んでいた。
スタメン組みは上に福田、下に飯田という絶対的な存在がいるが、真ん中は比較的甘い。
- 550 名前:第五部 投稿日:2006/08/06(日) 01:22
- 「あんまり負ける気もしないし」
「大谷さんはAチーム回ってもいいと思うんですけどねえ」
「でしょー。ミカもそう思うでしょ。どうよ、飯田さん?」
「それは、監督が決めることだから」
「あの監督、身内を優遇しすぎだよ」
大谷はそうまくしたてると、アイスコーヒーを口に持っていった。
- 551 名前:第五部 投稿日:2006/08/06(日) 01:22
- 「でも、実際、同じチームで組ませた方が連携がいいのは確かだし」
「そんなの、やってみなきゃわかんないって。ミカもあの生意気そうな一年ぶち倒してさあ、この三人がスタメン組入れば、連携も何も、一から作るからみんな同じ条件になるし」
「あの子、うまい」
「あきらめんなよ。なんとかなるって」
三年生の大谷、二年生のミカ。
なんとなく、大谷としてはこのチームの中でミカを妹分のような扱いをしている。
- 552 名前:第五部 投稿日:2006/08/06(日) 01:22
- 「あのさ」
テーブルでは、大谷とミカが並んで座っている。
体の大きな飯田は、一人、向かい側の席に座る。
「なに?」
何かを言いかけて止まった飯田。
大谷が聞き返す。
少し考えてから、飯田が続けた。
「もうちょっとさ、市松の子と馴染まない?」
市松、市立松江を略して市松。
松江には高校がいくつもあるので、東だ北だと適当に略すが、方角がついていない市立高校の松江は市松。
- 553 名前:第五部 投稿日:2006/08/06(日) 01:22
- 「そんなこと言うために誘ったの?」
大谷の表情が変わる。
声のトーンも変わる。
「せっかく一つのチームになったんだからさ、仲良く出来た方が楽しいでしょ」
「別に。バスケできれば、仲良かろうと悪かろうと関係ないし」
「でも、意思の疎通とかさ、やっぱり仲良いほうがしやすいし」
「どうせ、試合出ないんだから関係ないね」
「そんなのわからない」
「分かるよ。あの監督、飯田さん以外、よそのメンバー使う気ないだろ」
大谷の言葉がヒートアップしてくる。
テーブルにおいてあったアイスコーヒーを一気に飲み干した。
言い合う二人の間で、ミカはおろおろと二人の顔を見比べている。
- 554 名前:第五部 投稿日:2006/08/06(日) 01:23
- 「監督には私からも話してみる。だけど、監督は監督、選手は選手でしょ。選手同士はまずさ、もうちょっとちゃんと馴染んでさ」
「チームのキャプテンがそう言うなら、文句言ったり場の空気壊すようなことはやめるよ。でも、馴染めっていわれたからって、それはなんか気分的に無理。あんな、インターハイへの調整気分を表に出されたらやってられない」
大谷は、足を組み替えて、正面から少し向きを変えた。
軽く舌うちをして、小さく息を吐く。
- 555 名前:第五部 投稿日:2006/08/06(日) 01:23
- 「でもさ」
「もういいよ。分かったから。キャプテン様がそうおっしゃるのでしたら、黙って文句言わずに練習いたしますよ。はいはい」
「そうじゃなくて」
「明日は、大事な大事な、自分のチームでの練習なので、もう帰らせていただきます」
「待ってよ」
飯田が留めるのも聞かず、中世貴族の振る舞いを真似るようなお辞儀をして、大谷は出て行った。
- 556 名前:第五部 投稿日:2006/08/06(日) 01:23
- 同じ頃、少し離れたハンバーガーショップに吉澤とあやかはいた。
気分的にはドーナツだったのだが、中を見たら中途半端に知っている顔があったので気づかれる前に吉澤が引き返していた。
「よっすぃー、何も逃げなくても」
「別に逃げたわけじゃないけどさあ」
「トレイとって、すぐ置いて、慌てて店でたじゃない」
「だってさあ」
飯田、大谷、ミカ。
吉澤からすれば微妙に距離のある相手ばかりだ。
練習中、飯田とコミュニケーションを取ることはそこそこ多いが、大谷やミカとはほとんど会話も無い。
一対二で馴染まない相手のほうが多い。
あやかからすれば、ポジションがかぶって会話の多い飯田と、元々知り合いのミカがいる。
二対一で馴染みのある相手のほうが多い。
- 557 名前:第五部 投稿日:2006/08/06(日) 01:23
- 「おちつかないじゃんか。あの中入ったら」
「まあ、それは分かるけど」
ゆっくりドーナツ食べて、とか思ったけれど、微妙に距離感のある人たち、それも先輩学年が二人もいる。
おちつくとか無理である。
「つーかさあ、なんで選抜チームで練習なんかしてるんだろ?」
「なんでって、国体のためのチームでしょ」
「それは分かってるけどさあ。県の選抜とか、選ばれるのはなんかすごいことだし、うれしいけど。でもさあ、インターハイあるのに、その前にその先の試合のために集まって練習とか言われても、ピンと来ないって言うか」
「まあ、実際、無理あるよねー」
- 558 名前:第五部 投稿日:2006/08/06(日) 01:23
- インターハイ、もし決勝まで残るとこの時点で仮定すると、そこからミニ国体までの間は五日しかない。
よくよく考えると無茶な日程ではあるのだが、全国どこでも共通で、五日が十日になるとかその程度の違いで、この時期にミニ国体という予選に当たる試合が行われる。
そうすると準備の為には、どうあってもインターハイの前から集まりより他にない、という事になるにはなるのだが。
「飯田さんなんかと練習出来るのはありがたいんだけどさ」
「迫力あるよねー」
吉澤がハンバーガーにかじりつく。
あやかはポテトに手を伸ばす。
日曜の夕方、店内はそれなりに混んでいる。
- 559 名前:第五部 投稿日:2006/08/06(日) 01:24
- 「でも、同じチームでやってるとなんか違うよなって。いまこんなことしてる場合じゃないんじゃないの? って思うんだけど」
「まあ、後二回でしょ? 夏休み入ったら選抜の練習はないんだし」
もう一週、日曜日と海の日に集まった後は、インターハイまで選抜チームでの練習は無い。
逆に言えば、その二回の練習で国体向けのチームは形がほぼ決まる必要があるとも言える。
- 560 名前:第五部 投稿日:2006/08/06(日) 01:24
- 「でも、そっか。授業も午前だけになったから、午後は丸々練習だし、いいのかなあ?」
「あさっては野球部の応援でしょ?」
「全校応援ってやつ? 一回戦から。かったりーなー」
「だけど、なんかよくない? そういうの。頑張ってる男の子を応援するのとか」
「決勝に残るくらいになってからにして欲しいよね。うちらのインターハイに、誰か応援に来てくれるのか? っての。まったく」
県の決勝にまで残った人達だから言っても許される言葉ではある。
両手でしっかりつかんでほおばるのはビッグマック。
ポテトと飲み物だけのあやかと違って、いい食べっぷりをしながら言葉は辛らつだ。
- 561 名前:第五部 投稿日:2006/08/06(日) 01:24
- 「よっすぃー、テストはどうだったのよ?」
「ああ? 何? テストって?」
「期末に決まってるでしょ。すぐごまかそうとするんだから」
「ああ。なんか、あややが騒いでたな。福田に、勝ったの負けたのって。あいつ、勉強も要領いいタイプだな」
「で、よっすぃーは?」
「市井さん、留学とかするからすごいのかと思ったけど、そうでもないのな。一個も80点以上で名前呼ばれてなかったし」
「で、よっすぃーは?」
「保田さんとか、受験だしどうなんだろうね?」
「で、よっすぃーは?」
「勘弁して下さい」
しつこく問われ、逃げ場なく、観念して向き合って頭を下げた。
- 562 名前:第五部 投稿日:2006/08/06(日) 01:25
- 「つーか無理。試験とか無理」
「追加課題とか出た?」
「出た。出た。数学と英語と化学と世界史」
「ほとんど全部じゃない」
「神様女神様あやか様。どうかどうかお助けください」
「クーランデールのシフォンケーキとブレンドコーヒーのセット」
「コーヒーだけでお願いします」
「英語だけ」
「分かりました。セットでお付けいたします」
30点以下を取ると追加課題が出される。
提出期限は終業式。
出さないと夏休みになりませんシステムである。
インターハイまでにクリアしなくてはならないハードルは、プレイ面以外にもあるところが高校生のつらいところ。
- 563 名前:第五部 投稿日:2006/08/06(日) 01:25
- 「なんであやかさあ、そんな勉強出来るの?」
「別に、そんなにってほどのことじゃないって。よっすぃーがひどすぎるだけだから」
「普通ね、スポーツ出来る子は勉強できないわけですよ。普通ね、顔の可愛い子は勉強できないわけですよ。なのに、なんで勉強できてバスケ出来て顔まできれいで。ずるくない? 世の中間違ってると思わない?」
あやか、苦笑いだけで答えない。
トレイのポテトに手を伸ばした。
- 564 名前:第五部 投稿日:2006/08/06(日) 01:25
- 「なんでこう、私だけいろいろ降りかかってくるんだー! テストとか課題とか。この前の試合も飯田さんだったし、インハイもなんかエースっぽい留学生私のマークみたいだし」
「逃げまわってるからじゃないの? 英語も数学も全部逃げたんでしょ?」
英語や数学やあれやこれやはともかく、バスケ的にはそういうポジションなのだから仕方が無い。
吉澤とあやかで比べると、吉澤の方が強さがある分、どうしても負担のきつい相手につかざるを得ない。
- 565 名前:第五部 投稿日:2006/08/06(日) 01:25
- 「はいはいはいはい。逃げてましたよ。逃げました。テスト勉強から逃げてマンガ読んでました。その結果がこれでございます」
「どうするの?」
「あやか全部やってよ」
「やだよ。ばれたら私まで怒られちゃうし」
「じゃあ、隣で見てて。聞くから。しばらく夕練でしょ。だから、バレー部が終わるまで図書室で」
「しょうがないなあ」
「よし、決まり。帰ろう」
「ちょっと待って、これも」
あやかがまだ飲み物を持っているのに吉澤がトレイを持って立ち上がってしまう。
インターハイと期末テストの追加課題とクーランデールのシフォンケーキ。
二人の頭から国体、という存在はすっかり消えていた。
- 566 名前:ピース 投稿日:2006/08/08(火) 23:48
- 市松のメンバーはこういう状態は不馴れというか初めてですよね。
練習における気持ちの切り換えがうまくいかないと、どこか集中しきれないまま大会に臨んでしまいそうで心配です。
- 567 名前:作者 投稿日:2006/08/13(日) 01:37
- >>ピースさん
成長速度が速いと、それについていけない部分っていうのがいろいろあるみたいですね。
今まで無かったことをいろいろと経験するわけで。
- 568 名前:第五部 投稿日:2006/08/13(日) 01:37
- 翌週、夏休み前最後の練習、大谷は欠席した。
風邪をひいた、ということらしい。
連絡は、中澤コーチにでも、キャプテンの飯田にでもなく、ミカが受けた。
中澤はともかく、飯田は携帯番号は伝えてあるはずなのに、と少々不満はある。
ホントの理由は風邪じゃないんじゃ、と頭をよぎらなかったといえばうそになるけれど、飯田はなにも思わなかったことにした。
練習は、十一人でも変わらず行われる。
インターハイまで二週間というこの時期。
適度なレベルの練習相手。
調整感覚たっぷりな会話がメンバー間で交わされているのも事実だ。
大谷さんがいたら切れちゃってたかも、と飯田は思う。
- 569 名前:第五部 投稿日:2006/08/13(日) 01:37
- 選抜されたのは十二人。
今日は大谷がいないので十一人。
五対五の練習をしていると一人あまる。
その、あまりに当たっていたとき、ミカがなにやら必死にメモを取っていた。
普通、バスケの練習中には見かけない光景である。
あの子は何をしているんだろう? とプレイ中のメンバーも思う。
五対五からゲーム練に移る合間、飯田が声をかけた。
- 570 名前:第五部 投稿日:2006/08/13(日) 01:38
- 「何それ?」
いまだになにやら必死にノートに取っているミカ。
その正面に立って飯田が問いかけるとミカが顔を上げる。
身長差二十センチ。
「いえ、なんでもないです」
「何? 何? 見せてよ」
「なんでもないですよ」
「いいじゃない」
ミカのノートを取り上げる。
これがTシャツでなく制服で、体育館の中でなく裏だったらまるっきりかつあげの図である。
- 571 名前:第五部 投稿日:2006/08/13(日) 01:38
- 「Fuku、Ayaya、diffence hard steal challenging Ichi、Yasu distance keep Ayaya attention?」
「あ、あの、いいじゃないですか」
なにやら英語。
分かる単語だけ読んでみる。
ミカは周りをきょろきょろ。
市松メンバーはコートの反対側でビブスを受け取っている。
飯田はノートを抱えて笑い出した。
「なるほどねえ。これは、吉澤のリバウンドは二度目が低い、かな? ああ、これはもらい」
「いや、あの、そうじゃなくて」
「気にしなくていいよ。圭織別に言わないからさ。でも、いろいろ書いてあるね」
「そんな、ことないです」
ハワイ出身のミカ。
メモ書きは英語になる。
どうやら練習を見ながらメンバーの特徴などを記してあるらしい。
- 572 名前:第五部 投稿日:2006/08/13(日) 01:38
- 「Fuku→Yoshi→Ayaya 3○ Fuku→Ichi→Ayaya 3× って何?」
「あややは、中の吉澤さんから出てきたボールはスリーポイント打つけど、外を回ってきたボールは打たないんです」
「そっか。言われてみれば、そうかも」
この五対五で吉澤のマークに付いていたのは飯田。
その圧力に耐えかねての外へのパスを松浦が受けてスリーポイント、というパターンは何度かあった。
「圭織、ミカさんも、ゲーム練やるよ」
「はいはい。ミカ、後で見せてね」
「いや、あの」
困惑顔のミカにノートを押し付けて飯田はフロア中央に戻る。
- 573 名前:第五部 投稿日:2006/08/13(日) 01:38
- 要するに、チーム分析である。
個人の能力についてだけでなく、チームとしての戦術的な部分まで含まれる。
五対五のメンバーが一チームに偏っているから出来ること。
冬にはもう一度対戦する相手なのだ。
それをしっかりと見ておくことはプラスになること。
黙って練習相手状態になっているわけじゃない。
ミカだってしたたかだ。
自分の目の前で五対五をやっているということは、公開練習をしているようなものである。
記録しておいて損はなかった。
- 574 名前:第五部 投稿日:2006/08/13(日) 01:39
- 間にインターハイを挟んで、このチームの再結集は国体地区予選の一週間前である。
この日は大谷も休まず参加した。
一つの強烈な驚きが、体育館に広がっている。
その驚きを持ち込んだのは大谷だった。
「すごいね」
「どうしたの?」
恐る恐る、周りは聞いてみる。
ふれていいものなのかどうか。
「ん? これ? 夏休みだし、いっかな、と思って」
「夏休みっていっても、すごいよね」
その圧倒的な雰囲気、今までの微妙な距離感、それらがあいまって二の句がつけられない。
そんな空気を読んでか読まずか、松浦が絡んできた。
- 575 名前:第五部 投稿日:2006/08/13(日) 01:39
- 「すごーい。大谷さん、スーパーサイヤ人みたーい」
「人のこと捕まえてスーパーサイヤ人はないでしょ」
「だって、金髪に染めて逆立てるなんてスーパーサイヤ人そのものじゃないですかー」
「うるさいなー」
「きゃー。刺さる刺さる」
「触るなって。崩れるだろ」
逆立てて固めた髪の先端を、松浦は手のひらに当てる。
周りのメンバーは、大谷相手にそうやってフランクに馴染んでいける松浦が不思議で仕方ない。
うっとうしがって追い払おうとする大谷に、新しいおもちゃを見つけた子犬のように松浦はまとわりついていた。
- 576 名前:第五部 投稿日:2006/08/13(日) 01:39
- 一週間でチームを作る。
もちろん、五人がいれば試合は出来る。
とは言っても、阿吽の呼吸でパスを通す、というようなことは一朝一夕に出来るものではない。
それをどこまで持って行くか?
さらに、チーム内での選手の温度も違った。
さあいよいよ試合だ、という者と、一仕事終えて帰って来たところの者と。
インターハイで戦ったのは、実際はただの一試合に過ぎない。
とは言え、慣れない遠征の疲れもあれば、虚脱感も感じたりもする。
それらメンバーの状況を見ながら、スタメンを固めていく、というのもなかなか大変な作業だ。
- 577 名前:第五部 投稿日:2006/08/13(日) 01:39
- この一週間、調子のよさが見えたのは松浦だった。
インターハイ、すごい舞台だとは思うけれど、一年生の松浦的には苦労してたどり着いたというイメージは無い。
終わってしまえば次が待っている。
気持ちの切り替えはすぐに出来ていた。
それに合わせる福田も悪くない。
普段組むメンバー以外とも合うようにしようと積極的に動く。
保田や市井はいまいちだった。
日を追うごとにコンディションが落ちている。
同じポジションの大谷相手にいいようにやられている。
今は八月、真夏。
体育館で練習をすればするほど、疲れた体はダメージを受けていく。
- 578 名前:第五部 投稿日:2006/08/13(日) 01:39
- そんな状態で国体の地区予選は迎えた。
この地区は島根の他、鳥取、岡山、広島、山口と五県ある。
五県で二日間にわたりリーグ戦を行い、上位二チームが国体の本大会へ進む。
中澤コーチが選んだスタメンは、結局、福田、市井、保田、吉澤、飯田。
これがさっぱり機能しない。
初日は岡山県に終盤突き放されて敗れ、山口には大敗。
あやかが飯田に代わった分、戦力アップのはずなのにどう見てもインターハイの時よりも弱くなっている。
モチベーションとかコンディションとかコミュニケーションとか、スポーツはなるほど難しい。
- 579 名前:第五部 投稿日:2006/08/13(日) 01:40
- 頭を抱えた中澤コーチは、二日目になって保田を松浦に代えて望んだ鳥取戦に何とか勝利する。
この段階でももはや他力に頼らないとどうにもならない島根県。
次の試合、初日に二勝していた岡山が一試合目に続いてここでも広島県に敗れ、地区予選通過のラインが二勝まで降りてきて何とか可能性を繋いだ。
最終戦を残して、山口県が四勝で代表権を獲得、逆に鳥取県は全敗で敗退。
残り一枠が、すでに四試合を終え二勝二敗の岡山県と、一試合残して二勝一敗の広島、一勝二敗の島根で争われる。
最終戦、広島が勝てば出場権獲得。
島根が勝った場合、三チーム二勝二敗で並ぶ。
その時は三チーム間の当該成績で決められるが、岡山に十二点差で敗れた島根は、出場権を得るためには勝つだけでなく、十六点以上の点差を開けることが必要になった。
逆に、広島は、負けたとしても五点差までなら勝ち抜けとなる。
ただ勝てばよい、というわけにはいかない試合。
高いハードルを課されることになった。
- 580 名前:ピース 投稿日:2006/08/13(日) 19:27
- こういう選抜とか限られた期間に集められる代表選手ってコンビネーション以上に
その時、調子が上がっていっている上り調子な選手を使うべきなんですよね。
って、まぁ勝手な持論ですけど。w
条件がついてプレッシャーとなるのか、逆にひとつにまとまるのか。
どちらにしても厳しいし試合になる事には違い無いので頑張って欲しいです。
- 581 名前:作者 投稿日:2006/08/20(日) 00:58
- >ピースさん
どっかにありましたね。
固定メンバーで戦う代表チームと、調子のいい人を集めた代表チームと(笑)
- 582 名前:第五部 投稿日:2006/08/20(日) 00:59
- 「みんな、きついか?」
首を横に振るもの。
薄く笑うもの。
無表情なもの。
さまざま。
「点が必要やから。四十分間とにかく走れ。次々かえていくから、後先考えずにとにかく走れ」
二日で四試合の四試合目。
スタメン組の疲労は極限に達している。
それでも、十六点の点差をつけて勝たねばならない。
「スタート、福田、市井、松浦、吉澤、飯田。それと、保田と大谷、あとあやか、すぐ入れるように準備しとけ」
保田とあやかの返事の声がする。
大谷は、一瞬表情を変えただけで、特に返事はしなかった。
- 583 名前:第五部 投稿日:2006/08/20(日) 00:59
- フロアにスタメンの五人が上がる。
中央で向かい合うと、平均身長はやや島根の方が高い。
ゲームのオープニングは、飯田がジャンプボールを制し、福田がボールを確保して展開し、松浦がミドルからのジャンプシュートを決めた。
ベンチ横のスペースで、保田、大谷、あやかは軽くアップをしている。
会話を交わすでもなく、それぞれにストレッチやボールハンドリングや。
目線は、戦況をうかがっている。
序盤、五分を過ぎて10-8と二点のリード。
思うように点が伸びない。
中澤が早めのタイムアウトを取った。
- 584 名前:第五部 投稿日:2006/08/20(日) 01:00
- 「きついと思うけど、前から当たる」
時間はまだまだある。
それでも、はやくある程度の点差が欲しかった。
点を取るための特効薬。
今の中澤に思い浮かぶことは、とにかく前からあたってボールを取りに行くこと。
これ以外に無い。
「あやかは吉澤と交代。上三人はとにかく外からスリー、下二人はとにかくリバウンドを取れ」
「はい」
中澤を囲むタイムアウト時の輪。
その一番外にいた大谷は、二人名前が出て、その中に自分の名前が無いのが分かると、軽く鼻で息をはき、それから相手ベンチをぼんやりと見つめた。
「どんどん替えていくから、ベンチメンバーも体冷やすなよ」
中澤の言葉も、大谷の耳は素通りしていた。
- 585 名前:第五部 投稿日:2006/08/20(日) 01:00
- ゲーム再開。
松浦が、タイムアウト後最初のシュートを、スリーポイントで放つが決まらない。
跳ね上がったりバウンドも、中途半端にはじかれて、飯田、あやかのリバウンドの強さを生かしきれず相手に拾われる。
それからも、似たような形で、外から市井、松浦、さらにたまには福田が打っていくが、確率が低すぎる。
前から当たれ、スリーを打て、必要な点差が十六点、この三つが、まだまだ試合は始まったばかりだというのに焦りを生む。
焦りがシュートを外し、シュートが入らないので前からも当たれず、ディフェンスリズムも作れない。
一クォーターは、16-18と二点ビハインドを背負った。
- 586 名前:第五部 投稿日:2006/08/20(日) 01:00
- 「ゆっくりやりませんか?」
ベンチに戻ってきて、福田が開口一番そう言った。
「ゆっくり?」
「焦って外から打つ時間じゃないじゃないですか、まだまだ。普通の試合で十六点負けてたとしても、前からあたるようなのって、せいぜい後半になってからじゃないですか?」
冷静になっている福田の言葉。
中澤も、この言葉を聞いて少し考える。
黙って、メンバーを見渡した。
確かに、まだ三十分ある。
誰を、どう使うべきか?
- 587 名前:第五部 投稿日:2006/08/20(日) 01:01
- 「分かった。スリーにこだわるのはやめよう。大谷!」
自分はあまり関係ないか、とベンチの隅に座っていた大谷。
突然呼ばれ、はっとして視線をこちらに向ける。
返事の声は出なかった。
「紗耶香と交代。一対一で引っ掻き回せ。あと、明日香は休憩。ミカ! シュートはいいから、ボール運びしっかりな」
「はい!」
ミカは、大きな声で返事をし、ユニホームの上に着ていたTシャツを脱いだ。
- 588 名前:第五部 投稿日:2006/08/20(日) 01:01
- 「ディフェンスは変えない。前からプレッシャーかける。プレスっていうほどまでしなくていいけど、ガード陣は楽に運ばせないで。オフェンスは通常で。スリーは打てたら打つ。選択肢の一つで、特にこだわらない」
まだ、確かに頼りないかもしれない。
だけど、大分、中澤の指揮もさまになってきた。
大谷は、中澤の指示を冷たい目で見つめながら聞いたあと、ユニホームの上に着たTシャツを脱いだ。
「大谷さん、よろしく」
Tシャツを脱いだ大谷の前に立つのは松浦。
不敵な顔つきをしている。
「足引っ張るなよ、一年生」
「まかせてください」
両手を腰に当てて胸を張っている。
大谷はその姿を見て、鼻で笑った。
- 589 名前:第五部 投稿日:2006/08/20(日) 01:01
- 二クォーター。
フロアに上がるのは、ミカ、大谷、松浦、あやか、飯田。
大谷が望んでいた、ミカ、飯田、とのチームである。
開始すぐ、飯田のゴールで同点に追いつくと、前から当たった。
ボールが入ったところへ、ミカと松浦のダブルチーム。
苦し紛れに長いパスが出たのを飯田がカット。
プレスって言うほどまでしないはずだったのに、その場の乗りでダブルチームに突っ込んだ。
このボールをまわしてまわして、最後はミカのスリーポイントが決まった。
シュートはいいから、だったはずのミカによるスリーポイント。
狙ったイメージとは別に試合が流れ出す。
- 590 名前:第五部 投稿日:2006/08/20(日) 01:01
- ただ、大谷はいまいちその流れに乗れなかった。
試合前に、中澤が全員使うと言っていたものの、大谷は自分が試合に出る意識が無かった。
ゲームに入れない。
一対一でかき回すのが持ち味なのに、踏み込むことが出来ず、ボールを持ってもつなぐだけになっている。
さらに、ディフェンスでも不用意なファウルを二つ犯していた。
それでも、この五人のチームとしてのバランスはよかった。
スタメンの五人の前からのプレスは、かなり楽にかわされていたのに、この五人はよく網にボールをかけている。
ディフェンスで流れを作って、松浦、飯田あたりがゴールを決める。
練習期間の短い選抜チーム。
前から当たるプレスのディフェンスなんて、本格的には練習していなかった。
しかし、前から当たられるのを想定して、ボール運びする練習をスタメンチームにはさせた。
その練習台になるのが控えの五人。
スタメン用の練習が、控え、特にその中でもガード陣に生きている。
前半は、41-31と十点リードで終えた。
- 591 名前:第五部 投稿日:2006/08/20(日) 01:02
- 飯田、12点、松浦10点、福田6点、ミカ5点、吉澤4点、あやか2点、保田2点
市井と大谷は一点も取れていない。
「あいたら、もっと勝負でいいんじゃないですか?」
ハーフタイム、ベンチに一人で座る大谷にミカが声をかけてきた。
大谷は、隣に座ったミカをチラッと見たが、それだけでなにも答えない。
「あと六点ですよあと六点。あと六点でインターハイですよ」
「インターハイじゃないから。国体」
ハワイ出身のミカ。
いまいち、日本の大会のシステムが分かっていない。
そんなミカのボケに、思わず大谷も口を開いて突っ込んだ。
でも、インターハイって英語じゃないのか? と疑問も浮かんだがそこまでは聞かない。
- 592 名前:第五部 投稿日:2006/08/20(日) 01:02
- 「ちょっとつきあって」
足元のボールを拾い立ち上がる。
ベンチ裏、少し空いているスペースで、大谷はミカを相手に対面パスをする。
「なあ」
「はい?」
「主役になるってどんな気分かなあ?」
前後の脈絡無く、唐突に大谷が切り出した。
- 593 名前:第五部 投稿日:2006/08/20(日) 01:02
- 「主役?」
「ん? いや、別に」
それぞれのチームの中では主役級。
だけど、大会では、飯田たちや、保田たちのチームに対する脇役。
この選抜チームの中でも、控えになっている脇役。
口に出して言ってみてから、何を言ってるんだ? と自分の言葉をうやむやにごまかす。
「あと六点ですね」
大谷の言葉と関係なく、目の前の試合だけを見ているミカ。
パスを交換しながら、少しあきれた顔をしつつも、大谷も笑顔を見せた。
- 594 名前:第五部 投稿日:2006/08/20(日) 01:02
- 後半、大谷やミカはまたベンチに下がる。
福田、松浦、保田、吉澤、飯田。
市井と松浦が逆なこと以外は従来のスタメン組。
さすがに力はあるのだが、スタメンで試合に出続けてきた分、ハーフタイムなどで多少休んではいても疲労の色が濃い。
松浦、さらに飯田の足が止まる。
三クォーター、八点リードと点差を明けられないまま五分を過ぎて、大谷とあやかが投入された。
「ボール持ったらどんどん勝負で」
入ってきた大谷に保田が声をかける。
二人は視線を合わせたが、大谷は答えなかった。
- 595 名前:第五部 投稿日:2006/08/20(日) 01:03
- マイボール。
保田がサイドから入れて、福田がキープする。
松浦が下がって、外から打てるのが福田一枚だけ。
広島チームのディフェンスが大分うちに引きこもっている。
そこに、大谷がファーストタッチのボールを持って切れ込んだ。
一人かわして、二人目に立ちはだかれ、前後を囲まれる。
わずかなスペースから吉澤にバウンドパスを送った。
拾い上げた吉澤がフリーのゴール下、簡単決める。
戻り際、吉澤が右手をだすので、大谷は目線は合わせないまでも軽く吉澤の手をはたいた。
- 596 名前:第五部 投稿日:2006/08/20(日) 01:03
- 点差は広がらず詰められず。
結局十二点差で最終クォーターへ進む。
十二点勝ってはいるが、これでは勝ちではない。
両チーム負け。
スタンドで見ている岡山が勝ちあがる。
「もっと足動かさないと」
福田のつぶやき。
誰に言うでもなく、ベンチに座ってつぶやく。
誰に言うでも無くても、ミーティングの輪の中心は福田。
メンバーに声は届く。
視線を集めてから声を張った。
- 597 名前:第五部 投稿日:2006/08/20(日) 01:03
- 「二日で四試合目なのは向こうも同じです。主力がインターハイにでて戻ってきて間が無いのも向こうも同じです」
ベンチに座って視線は床に。
誰に言うでもなく、自分に言うでもなく。
それでも、全員に伝わるように。
「あと十分。足を止めた方が負けやな。両方とまったら、スタンドの上にいるやつらが勝ちか?」
「しつこく、しつこくついていこう。フリーで打たせない。ボール取ったら切り替えはやく」
中澤、飯田、と続けて指示を出す。
保田は、言葉をはさめずに黙って聞いていた。
- 598 名前:第五部 投稿日:2006/08/20(日) 01:04
- 最終クォーターは、ターンオーバーの多い展開になった。
どちらも点がほしい。
どちらも負けている意識でいる。
焦りという面と、疲れという面と、どちらも効いてきてシュートセレクションが雑になっている。
ファウルもかさんだ。
松浦がファウル三つ、飯田も三つ、福田ですら足より手が出て三つのファウル。
さらに、大谷と保田は四つファウルを犯していた。
残り七分、十二点差変わらずの状況で松浦に代えてまた大谷を投入。
ファウルが四つなことは、中澤の頭から消えている。
- 599 名前:第五部 投稿日:2006/08/20(日) 01:04
- ボールを持ったらとにかく切れ込む。
幸か不幸か、前の試合まで出番がほどんど無かったので、今一番元気かもしれない。
やるしかない、そう腹を決めれば強気でいける。
自分のチームのときの果敢さが大谷にも戻ってきた。
単純かもしれないが、とにかくかき回す。
かき回して、自分で点が取れれば最高、ダメでも、崩れて空いたところへボールを落とす。
まわりは、保田、吉澤、飯田、得点力は自分のチームの比ではない。
相手もばててきて、そのかきまわしがさらに有効になってきた。
- 600 名前:第五部 投稿日:2006/08/20(日) 01:04
- 残り五分、残り四分、時計が時を刻む。
三分三十七秒、十五点差で相手タイムアウトになった。
「五点負けてるくらいの意識でいよう」
中澤の最初の一言。
後一点で国体の切符がつかめるところにいる。
「点差広げられなくても、我慢しよう。我慢してればむこうあきらめるから」
経験豊富なキャプテン飯田の言葉にまわりはうなづく。
後一点がポイントなのはこっちだけ。
向こうは十点必要なのだ。
このまま時間が過ぎていけばあきらめムードになってくるはず。
「このメンバーのまま行けるとこまで行くで」
勝負どころ。
スタメンとは少し違うが、流れがいいこのメンバーで押し切りたい。
- 601 名前:第五部 投稿日:2006/08/20(日) 01:04
- 「大谷さん」
ミカがタオルを差し出す。
受け取って、顔をぬぐい、乱れた髪を後ろでまとめる。
「スーパーサイヤ人みたいです」
真顔のミカ。
大谷は思わずふきだした。
「日本のマンガ知ってるのかよ」
ふっと笑ってタオルをミカに投げ返すと、フロアに戻った。
- 602 名前:第五部 投稿日:2006/08/20(日) 01:05
- 相手のエンドからゲームが再開。
体力は、お互い限界近い。
それでも、必死に足を動かした。
福田と保田がダブルチームで相手ガードにつく。
苦しくなって出てきた横パスを、大谷が飛びついて拾った。
そのままゴール下までドリブルで持ち込んでシュートを決める。
ついに、この試合初めて目標の十六点を超える点差をつけた。
「ディフェンス! ディフェンス!」
後は守りきれば勝ち抜け。
そういう意識が生まれる。
しかし、まだ三分以上あった。
サッカーではないのだから、この長い時間をゼロに抑えるという発想は間違っている。
- 603 名前:第五部 投稿日:2006/08/20(日) 01:05
- でも、意識は生まれた。
前からのあたりを突破されてのディフェンス。
とにかく守りたい。
シュートを打たせないイメージで二十四秒使い切らせ、苦し紛れのシュートのリバウンドを拾った。
ただ、速攻は出ない。
守ったことでほっと一息。
ゆっくり上がり、ボールをまわす。
切れ込んでいかずにボールをまわす。
中の吉澤から外の大谷へ。
このゆるいパスがさらわれた。
相手に一人で持ち上がられ、慌てて大谷が追う。
体半分追いつけず、相手のランシューに無理やり飛び込んだ。
当然ファウル。
ゴールまで決められて最悪の形、しかも、ファイブファウルで退場になった。
- 604 名前:第五部 投稿日:2006/08/20(日) 01:06
- 相手ともつれるように倒れ、そのまま座り込んで主審のファウルの宣告を聞いていた。
退場か、とただ思った。
ファウルを取られたのは仕方の無い場面。
ただ、ファウルをするならゴールまで決まれれてはいけなかった。
保田が手を差し伸べる。
その手をつかみ立ち上がった。
何も言わずにベンチに向かう。
代わりに松浦が入ってきた。
「一年。まけんなよ」
「後は任せて下さい」
大谷の方から右手を出す。
松浦がその手をしっかりと握ると大谷は松浦の背中を二度ぽんぽんと叩き、フロアに送り出した。
- 605 名前:第五部 投稿日:2006/08/20(日) 01:06
- 「明日香ちゃん」
代わって入る最初の場面は相手フリースロー。
リバウンドに入らない松浦は、同じくリバウンドに入らない福田に声をかける。
「ボール運びフォローしようか?」
「大丈夫」
「疲れてるんでしょ? たぶん、ホントは明日香ちゃんが一番」
「そんなこと言ってられる状況じゃないでしょ」
「私は大分休んでるし、余裕あるから運ぶって」
「松」
ずっと相手のシューターの方を見ていた福田。
ようやく松浦の方を見た。
「松が空いてたら松に送る。どっちにもマークがいたら自分で持って行く。いつもと一緒。別に変わったことする必要ない。分かる?」
「分かった。残り二分四十九秒、持つの? 体力」
「余計なおしゃべりしてなければ大丈夫」
それだけいやみが言えれば大丈夫そうだ、と松浦はうっすら微笑んで離れて行く。
福田は、誰が松浦をあややと名づけようと、変わらずに松と呼んだ。
- 606 名前:第五部 投稿日:2006/08/20(日) 01:07
- 残りの三分。
結果的に点差は少しづつ開いていった。
モチベーションの違い。
フリースローまで決められて十四点差にされたものの、あと二点国体の出場権を得られる島根。
それに対して、相手は三分で十点詰めなくてはいけない。
四クォーターに入って点差が拡がり流れが島根に来ている状況では、シュートセレクションも無理めになっていくのは仕方の無いところ。
残り一分を切る頃にはファウルをして時計を止めてフリースローが落ちるのを待つ、という形に行くしかなくなっていた。
そのフリースローを飯田や松浦が確実に決めて行く。
終了直前には二十三点まで点差が開き、最後に吉澤がゴール下の一対一で競り勝ってさらに二点加えて試合を終えた。
- 607 名前:第五部 投稿日:2006/08/20(日) 01:07
- 喜びを爆発させるというよりは、ようやくほっとできる、そんな勝利だった。
福田、松浦、保田、吉澤、飯田。
最終的にフロアの上にいた五人は、軽くハイタッチをかわしながらベンチに戻ってくる。
うれしいはうれしいけど、まあほっとしたし、それより疲れた。
そんな面持ち。
それぞれに笑顔を見せながら戻ってくる。
迎えるベンチ。
勝利の喜びはあり、それなりに盛り上がっては迎えるが、特別感はない。
市立松江、飯田、主力のメンバーは、インターハイや選抜などで、全国レベルの大会の土をすでに踏んでいる。
勝ってよかった、それ以上の感慨はそれほど無い。
ただ、試合途中、ベンチに下がらずを得なかった一人だけは違った。
大谷が、ベンチに座って泣いていた。
- 608 名前:第五部 投稿日:2006/08/20(日) 01:07
- 自分の高校が、それほど強くないのは分かっていた。
三年生、残す大会は冬の選抜大会へ向けた予選だけ。
飯田のいる出雲南陵や、吉澤たち市立松江に、自分達が勝って代表になれるとは、あきらめてはいないけれど、どうしても思えなかった。
全国レベルの舞台に立ったことは無い。
これが唯一のチャンスだった。
ここで泣くのは意識が低いということなのかもしれない。
だけど、こらえられなかった。
- 609 名前:第五部 投稿日:2006/08/20(日) 01:08
- 周りが驚いている。
当然だろう、大谷本人が一番驚いているのだから。
やばい、これはかなりかっこ悪いぞ、と冷静に頭で思っていて状況が分かっているのに、涙が止まらない。
「大谷さん、せっかくだから胴上げとかします?」
「うるさいよ」
ミカの言葉に、恥ずかしくなって涙をぬぐった。
二勝二敗で三チーム並んで得失点差での国体切符。
ぱっとしない成績ではあるものの、このチームでの最初の目標は達した。
あと二ヶ月、本大会までこの選抜チームでの練習も続く。
- 610 名前:第五部 投稿日:2006/08/20(日) 01:09
- ***
- 611 名前:第五部 投稿日:2006/08/20(日) 01:09
- ***
- 612 名前:第五部 投稿日:2006/08/20(日) 01:09
- ***
- 613 名前:ピース 投稿日:2006/08/20(日) 22:34
- 更新お疲れ様です!
意外な…って言っちゃ失礼ですかね。w
葛藤ととか色んなものが形を変えて出たんでしょうか。
神奈川選抜としての話もあるんですか?
期待しつつ楽しみにしています。
あと、余談で申し訳ないんですが、市松、富ヶ岡、滝川の
イメージしているチームのユニフォーム(色とかでも)とかあるんでしょうか?
もしあるなら教えて欲しいです。
- 614 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/22(火) 04:23
- 大谷のキャラが生きてきてるねぇ
ミカもおもしろいしw
この凸凹チームが好きになってきた
- 615 名前:作者 投稿日:2006/08/27(日) 01:58
- >>ピースさん
ユニホームは、基本的に二種類あります。
ルールで決まっていて、白とそれ以外の濃色(似た色になると見分けづらいから)。
試合でどちらを着るかはトーナメントで割り振られる番号で決まっています。
ちなみに、前年優勝チームはシードがついて、トーナメントでは1番の位置に入るので、全試合で白のユニホームを着ることに結果的になります。
白じゃないほうの色がどの色かは、まあ、それぞれチーム名モデルになっているチームに従う、とだけ言っておきます。
>614
ミカ、面白いです。いろんな意味で。
- 616 名前:第五部 投稿日:2006/08/27(日) 02:00
- 北海道は夏が終わるのが早い。
北海道は夏休みが終わるのも早い。
まだ、八月も大分日にちが残る頃。
その、二学期が始まるタイミングで、新しい顧問の先生がやってきた。
「石黒彩です。よろしく」
体育館での対面。
必要最小限の簡単な挨拶だった。
ここの卒業生らしい、という情報だけは入っている。
- 617 名前:第五部 投稿日:2006/08/27(日) 02:00
- 「しばらく自分達だけで練習してたみたいなんで、今日はその最近のやり方での練習をしてみて。私は何も口挟まないから。私がメニューとか全部決めるのは明日から」
ちょっと戸惑いつつも、先生様がそうおっしゃるならと、前日までと同じようにりんねが練習を仕切る。
ただ、コーチのことはどうしても気になって、少々やりづらい。
常にコーチの目を気にしながらの練習になったが、公約どおりこの日は一言も口を挟んでこなかった。
口を挟まないことは本当に徹底していて、最後のミーティングさえも、今までと同じようにやって、とだけ言って、感想も何も語らなかった。
- 618 名前:第五部 投稿日:2006/08/27(日) 02:00
- 「あれどう思う?」
観察するのはコーチの側だけじゃない。
初対面なら選手の側もコーチを観察する。
寮に戻れば、当然話題はそこに行く。
「鼻ピ」
「鼻ピアス」
「鼻ピ」
「それしかないのかよ!」
笑いながら突っ込みたくもなる。
藤本にしても、第一印象は確かにそれだったのだから。
高校生をコーチする立場の人間が、鼻にピアスは結構衝撃的だったりする。
- 619 名前:第五部 投稿日:2006/08/27(日) 02:01
- 「なんか、自由にやらせてくれるのかなあ、って感じはしたよね」
「まいもピアス開けてみる?」
「ピアスはいいかなあ? 髪はちょっと、茶色入れてみたいんだけど」
「まいは地でちょっと茶色入ってるからいいじゃーん」
「そうそう。それ以上大人っぽくなるの禁止」
「あさみが言うと切ないねー」
「うるさいよ」
怒る、ところまでは行かず、あさみは苦笑いを浮かべる。
ベッドに横になっている里田を床にあぐらをかいて座るあさみは見上げる形。
世の中不公平だ、と思わなくもないが、まいは嫌いじゃない。
- 620 名前:第五部 投稿日:2006/08/27(日) 02:01
- 「でも実際、ミーティングでまで何も言わないと思わなかったな」
「明日がちょっと怖いよね」
「自由なのはいいんだけどさあ。私とかは、もっと教えてもらわないと、美貴とかレギュラーメンバーに全然追いつけないんだけど」
それぞれに自分の立場があって、それぞれに望むものは違う。
「まあ、やっと先生来てくれてよかったんじゃない?」
「りんねさんが仕切るの、私は好きだったけどなあ」
「あさみはそう言うけどさ、りんねさんはきつかったと思うよ。いろんなこと全部自分で考えて決めなくちゃいけなくて、その上、元々前に出て行くような人じゃなくて後ろで支えるタイプだったのに、私達のこと引っ張っていかなくちゃいけなくなったんだからさあ」
「美貴のいうことはわかるけどー」
「けど?」
「いいよ、分かったよ」
「なぜすねる・・・」
- 621 名前:第五部 投稿日:2006/08/27(日) 02:01
- ここしばらくは、全てをりんねが統率してきた。
先生もいないから練習でも寮でもりんねが本当のトップ。
それは大変だろうとは思うけれど、あさみにとっては過ごしやすかった。
りんねさんが言う事ならばなんでもきける。
新しく来たコーチ、というものはまだこの初日の時点ではチームにとって異質な存在である。
それと比べれば、りんねさんの方がずっといい。
そんなようなことを頭に浮かべたけれど言葉にはしなかった。
チームとして強くなること、ではなくて、過ごしやすい毎日が先行した自分の発想が二人と比べてちょっと子供だな、とかそんなことまで思うと、素直に振舞えなかった。
- 622 名前:第五部 投稿日:2006/08/27(日) 02:01
- 翌日、まだ授業はしっかりと始まらないので午後は練習に全て使える。
二日目だけど、最初の挨拶の形で練習前に石黒が語った。
「えー、今日からは私が指揮を取るから。よろしく。で、最初に言っておきたいことは。私はさ、今までのレギュラーとか、そういうの、知らないわけよ。だから、もう一回まっさらなところからチーム作ることになるから。今までスタメンだった者。いままでベンチに入れなかった者。全部忘れなさい。今日からもう一回チームを作る。メニューも、すこし今までと違うのかもしれないけど、まあ、それはやってればおいおい慣れるから。ああ、あともう一個。自分の頭で考えるように。分かった?」
「はい!」
「よし、じゃあランニングから」
「はい!」
コーチが入ることによって、高校体育会の雰囲気が完全に戻ってくる。
返事は、「はい」、全員でそろえて。
何かが変わる。
期待感と不安感が入り混じった感情をそれぞれに持ちながら、練習が始まった。
- 623 名前:第五部 投稿日:2006/08/27(日) 02:02
- ランニング、フットワーク、ボールハンドリング、対面パス、三角パス、スクエアパス。
ボールを扱う基本的な練習の後、ツーメン、スリーメンと走る練習を入れる。
この辺は、従来のこのチームのこの時期の練習メニューをそのまま引き継いだ。
次、三対二のところ。
メニュー的には今までと同じなのだけど、途中で突然笛が鳴って練習を止められた。
「集合」
「はい」
なんだかよく分からないけれど、集合、とコーチに言われれば返事をして走って集合する。
いままでは、こういうタイミングで練習を止められることはあまりなかった。
- 624 名前:第五部 投稿日:2006/08/27(日) 02:02
- 「三対二って何のためにやる練習だ?」
腕を組んで、目の前に並ぶメンバーを見回しながら石黒が言う。
詰問調ではなく、質問調で。
こういう場面で並ばされるのは、たいてい怒られるシチュエーションなので、普通に質問されても、メンバーたちの緊張感は変わらない。
「んー、安倍」
「はい」
「どう思う?」
麻美は、止められた場面でディフェンスをしていた。
自分が当てられたということは、自分が何か悪いのだろうか? と当然身構える。
- 625 名前:第五部 投稿日:2006/08/27(日) 02:02
- 「速攻の練習だと思います」
「速攻の練習ねえ。まあ、そうだろうなあ。安倍はディフェンス当たって、突破をとめた。パス落とさせた後の動きも悪くなかったな。速攻の練習なんだから時間使わせるのはディフェンスとしていい選択だろう。じゃあ、何で三対二なんだ? 二対二でも三対三でも、速攻の練習ってできるんじゃないか?」
「できると思います」
麻美は即答。
先生の言葉が反語っぽいと読み取ったから、よくわからなかったけれど、即答。
体育会の性質でもある。
- 626 名前:第五部 投稿日:2006/08/27(日) 02:03
- 「できるか。そうか。速攻で上がってみたら二対二だったり三対三だったりする場面もあるだろうしなあ。その場合と三対二の場合、選択肢は同じか違うか? どうだ? 里田」
「違うと思います」
「どう違う?」
「三対二ならアウトナンバーなので、基本的にはシュートに結びつけるようにするべきだけど、二対二や三対三だったら、崩せれば攻めるけど、だめなら味方の上がりを待ちます」
「うん。まあ、そうだろうなあ」
里田は中心メンバーだろうということは練習を見ていてわかっていたが、インサイドの選手なので、この手の質問には答えられないのではないか、と思って聞いたのだが、あっさりと回答が返ってきてしまった。
ちょっと予想外だったので、もう少し話を展開しないといけない。
- 627 名前:第五部 投稿日:2006/08/27(日) 02:03
- 「ということは、三対二はどうしたらいけないんだ? んーー、木村」
「は、はい」
「はいじゃなくてさ。どうしたらいけないの? どうしたらいいの、でもいいや」
「えっとー、時間を使ってはいけないです」
「理屈としてはそうなるなあ。じゃあ、時間を使ったらどうなる?」
「ディフェンスが戻ってきます」
これはあさみでも即答できる。
時間かけたらディフェンスが戻ってくる。
当たり前すぎるほどに当たり前だ。
- 628 名前:第五部 投稿日:2006/08/27(日) 02:03
- 「そうだな。まあ、ディフェンスは戻ってくるだろ。よっぽど試合を投げたチームじゃなければ、速攻で時間かけてたら、ディフェンスは戻ってくる。さっきの三対二。攻め手はシュートまでに何本パスをまわした? 覚えてるか?」
今度は誰かに当てるではなく、言うだけ言って考えさせる。
先ほどの場面を思い出させる。
「五本回してシュート打って、入らなくてリバウンドを取れて、さらに二本回してミドルを決めた。それって、時間かかってないのか?」
メンバー全員黙っているが、これは時間かかってた、とわかっている。
それを考えているというよりは、このコーチは何が言いたいんだろう、というのが今の疑問だ。
- 629 名前:第五部 投稿日:2006/08/27(日) 02:03
- 「時間かかってるよな。速攻で上がってから五本のパスとかありえないだろ。なあ、藤本」
「はい」
「あれは、試合でありえるシチュエーションか?」
「ありえないと思います」
「何でありえない?」
「試合ならディフェンスが戻ります」
「じゃあ、試合でありえないシチュエーションを練習してるのか?」
そう聞かれると、そこで、「はい」とは答えにくい。
藤本としても黙り込んでしまう。
「なあ、藤本。どうなんだよ」
ここにきて、石黒の言葉のトーンが、質問調から詰問調に変わった。
聞かれている藤本も、そのトーンの変化は敏感に感じ取っている。
- 630 名前:第五部 投稿日:2006/08/27(日) 02:04
- 「そういうことになるかもしれません」
「かもしれませんってなんだ? かもしれませんって。どっちなんだよ」
「そういうことになると思います」
分かってて聞くなよ、と思う。
ほかのメンバーなら口ごもったかもしれないけれど、藤本は挑戦的な口調で答えた。
「試合でありえないシチュエーションを練習して意味はあるのか?」
誘導尋問で追い詰めていく。
私に聞くなよ、と藤本は思う。
石黒に対する第二印象は、陰険なやなやつかも、という風にこの辺で刷り込まれる。
そうは思いつつ、でも言っていることは理解できてしまうので、相手の求めていそうな回答を、素直ではない口調ながら答えた。
- 631 名前:第五部 投稿日:2006/08/27(日) 02:04
- 「ないと思います」
「じゃあ、どうしたら意味のある練習になる?」
「三人目のディフェンスが戻ればいいんじゃないですか?」
「そうか。じゃあ、さっきなんで三人目のディフェンスとして入っていかなかった?」
なんでって、そんな決まり無いからだろ、と思うけれど、それは口にはできない。
自分を見つめる石黒の視線を同じ強さで黙って見つめ返す。
「自分は関係ないと思ってボーっと見てただろ」
関係ないと思ってって、実際関係ないし、と言いたいけれど言うわけにはいかず、目で口ほどにものを言ってみる。
同年代のメンバーや先輩くらいならそれでひるむけれど、石黒の貫禄はその程度では揺るがなかった。
- 632 名前:第五部 投稿日:2006/08/27(日) 02:04
- 「意味の無い練習なんかするなよな。意味が無いと思ったら意味が無いって言えよ。意味が無いって気づいたら、意味が出るように変えていけよ。なあ、藤本」
冷たい表情を保ったまま、だから、何で私にばっかり振るんだよ、と思っている。
最初は次々と指名するメンバーを変えていったのに、詰問調になってから、その責めの対象は藤本固定だ。
「どうすればいい?」
「オフェンスは時間を使わずにシュートまで持っていく」
「あほか。あたりまえだろそんなこと。速攻の練習してるんだから。それを時間を使わせるのがディフェンスだろ。そうなった時どうすればいいんだって聞いてるんだよ」
「多少難しくてもシュートまで行く」
「藤本は試合でもそういう選択をするのか?」
「場合によっては」
「場合ってどんな場合だよ」
「点をとらないといけない場合とか、一対一で実力差がある場合とか」
「まあ、それはそれでいいだろう。そういう時もある。でもそれはそれとして、シュートまで行かないときもあるんじゃないか?」
「場合によっては」
素直に「あります」という言葉は出てこない。
でも、それは確かにあるし、否定はできない。
- 633 名前:第五部 投稿日:2006/08/27(日) 02:04
- 「そうなった時を考えて、意味のある練習にするにはどうしたらいいんだ?」
「ディフェンスを・・・、ディフェンスを、入れたらいいと思います」
「そうだな。実際の試合なら、時間をかければディフェンスは戻ってくるんだから、それに合わせればいいだろう。それで、具体的にどう動くかは、話し合って決めろ」
ディフェンスを入れると決めても、実際の練習では、並び方がどうとか、シュートまで時間がかかった、という判断をどのタイミングでするかとか、ルールは決めないと出来ない。
そこは石黒は、明確な指示を出さずにメンバーたちに勝手に決めさせた。
- 634 名前:第五部 投稿日:2006/08/27(日) 02:05
- 練習は、そんな形で時折止められる。
何のために? どうしたらいい? 頭を使え、考えろ。
いつもと同じメニューだったはずが、いつもよりもだいぶ時間をかけて、いつもとは少しづつ違ったものになっていく。
最後の五対五の練習だけは、始める時点からいつもと違った。
いつもはレギュラーメンバーのAチームと、控えメンバーのBチームでのセットオフェンスになるが、ここでは、全メンバーを集めて、背の順で並べ四チームに分けてゲームをさせた。
今年は、インターハイ予選は準々決勝負け。
国体向けの選抜チームはベスト4のチームから選ぶ、という北海道としての方針があるので、このチームは関係ない。
冬の選抜大会は、このチームがまともに戦えば予選程度は難なく通れるはず。
そうなると、幸か不幸か、次の目標となる試合までは四ヶ月ある。
チームの再構成から始めても十分に時間がある、という計算も石黒にはあった。
- 635 名前:ピース 投稿日:2006/08/29(火) 18:47
- 更新お疲れ様です!
>ユニ
なるほどそうですか。
それじゃあ基本的に大会では強豪チームは白を基調としている場合が多いんですかね。
ちなみに、それぞれモデルになっている高校がここに出てくる校名からでは推測出来無かったんで
なんとなく自分のイメージで想像しながら読んでいきたいと思います。w
>滝川
ついに新コーチがやって来ましたね!
まるでオシ●監督のような指導。頭も体もって感じに鍛えていくのでしょうか。
彼女の作り上げていく新チームが楽しみです。
- 636 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/29(火) 22:04
- >ピースさんへ
人違いだったらすみません。
もしかして、前は他の名前を名のられてませんでしたか?
- 637 名前:ピース 投稿日:2006/08/29(火) 23:09
- 私ですか?w
>>636さんの質問の意図がちょっと分りかねますが
前に他のHNを使ってた事はありますよ。
ここではずっと”ピース”を名乗ってますが。
みやさんスミマセン、場違いなレスですが御容赦下さい。
- 638 名前:636 投稿日:2006/08/29(火) 23:34
- そうですか、人違いだったっぽいっすね。失礼しました。
前にここに居たコテの人かと思ったもんで。
みやさん及び他の読者の方々もスレを汚してすみませんでした。
- 639 名前:作者 投稿日:2006/09/03(日) 01:16
- えーと、私からは一言。
けんかだけはしないでね。
- 640 名前:第五部 投稿日:2006/09/03(日) 01:17
- 「すごい疲れた」
「練習量は変わったわけじゃないのにね」
「一つ一つ突っ込まれるから、すごい疲れたよ」
夜、日課のように二年生が集まる。
里田は、疲れた疲れたと繰り返し、自分のベッドに仰向けになった。
「なんか、頭でっかちな感じ。むかつく」
「美貴、ずいぶん狙われてたよね」
「なんで私ばっかり。美貴がプレイしてたところならしょうがないかなって思うけどさ。関係ないところでまで美貴に絡むなよ」
「気に入られたんだよ。きっと」
里田が体を横に向け、ベッドの下に座る藤本のほうをからかうような顔をしてみながら言う。
藤本は、つまらなそうに鼻で笑った。
- 641 名前:第五部 投稿日:2006/09/03(日) 01:17
- 「石黒先生って、若い頃は美貴みたいな感じだったのかもって思う」
壁に寄りかかってぼんやりとあさみの一言。
あさみは藤本のように何度も発言を求められることは無かったが、それでもいつ自分が的になるかと気が気でなくて、疲労感はたっぷりある。
「美貴みたいな感じって?」
「なんか、ちょっと怖い感じとか」
「はぁ? そんなんで一緒にしないでよ」
「先生の若い頃ってイメージしにくいけど」
あさみの言葉に同意の反応はあまりない。
考え込むようにひざを抱えたあさみを、里田はフォローした。
- 642 名前:第五部 投稿日:2006/09/03(日) 01:17
- 「先生の若い頃はわかんないけど、美貴がもっと大人っぽくなって、髪もあんな感じにしたら、鼻にピアスあけたりもするかもね」
「ない。絶対無いから」
「口うるさく突っ込むあたりも似てるかも」
「あんなにうるさくない」
「だから気に入られたのかな」
「もうー。一緒にしないでよ」
似てるとはあまり思わないのだが、里田はなんとなくあさみの側について藤本をからかってみたくなった。
ただそれだけなのであるが、藤本としては面白くない。
- 643 名前:第五部 投稿日:2006/09/03(日) 01:18
- 「ああやって口ばっかりうるさいのはどうせ自分じゃないも出来ないタイプなんじゃないの?」
「それも美貴に似て」
「まい」
「あはは、ごめん」
「むかつくんだけど」
「だって、からかってたら面白くて。ごめん」
「美貴は口だけだって思ってたわけ?」
「だから、そうじゃないってば」
微妙に本気怒りモードが垣間見えたので、里田も少しあせってなだめにかかる。
ベッドから体を起こし、床に座る藤本と同じ位置に降りてきて胡坐をかいて座った。
- 644 名前:第五部 投稿日:2006/09/03(日) 01:18
- 「頼りにしてるから」
「まいっていつもそうやって調子いいよね」
「そんな、怒らないでよ」
「別に怒ってないし」
不機嫌顔が露骨になって、里田と視線を合わせてもくれない。
里田は困った顔をあさみの方へ向けた。
「私が悪かったよ。美貴と先生が似てるとか言って」
「別にそれが問題なんじゃないの。美貴のことを口だけだって言ったことが問題なわけ」
「やっぱり怒ってるんじゃん」
「分かったよ。もういいよ、別に」
もう一度、里田とあさみは顔を見合す。
もういいというのだから、これ以上引きずらないで別の話題に展開しよう。
と、目と目で通じ合う。
これ以上引っ張ると火に油になることは、これまでの付き合いで分かっていた。
- 645 名前:第五部 投稿日:2006/09/03(日) 01:18
- 「こんな感じでこれから練習なのかなあ?」
とりあえず、という形であさみが話を振る。
別の話題なようで別な話題になっていないけれど、いきなり遠くまで話を飛ばすのも変だ。
藤本が怒ったポイントだけはずして、同じ場所に戻す。
「あれだけ口挟んでくるんだから、新しいメニューも入れてくるんじゃないの? どうせ」
「でも、先生だってうちの出身なんだから、メニューは打ちの練習がベースになるんじゃないの?」
口調は相変わらずだが藤本もちゃんと次の話題に乗ってくる。
里田はそれでほっとして会話をつなげるが、どうも意見そのものはあまり合わない。
「別に、練習メニューが変わっても変わらなくてもいいけど。新しいことやって強くなるんなら。だけど、美貴ばっかり集中攻撃するのがむかつく」
だから、気に入られたんだよ、と里田は言いたいのだが、それだとまたもとの展開に戻るのでやめた。
- 646 名前:第五部 投稿日:2006/09/03(日) 01:18
- 「まあそうだけど。でも、言ってることは割と説得力あってさあ。実際美貴も言い負かされてたし」
「だって、美貴関係ないじゃん。七分ゲームで状況設定がなんで無いとか、ガード三人がチームになった三対三はおかしいだろとか言われたって、そりゃそうだけど、何で美貴に言うの? って感じだよ。りんねさんに言うならまだ分かるけどさ」
「ガード三人で三対三は、美貴いたじゃん」
「だって、しょうがないでしょ、並んだ列のタイミングでそうなっちゃったんだから」
「三対三は、私、インサイド三人かぶらないように考えて並んでるけど」
「そんなのインサイドで上に並ぶ人ほとんどいないんだからかぶるわけないし」
三対三の練習は、まずオフェンスを担当し、次にディフェンスを担当し、それから列の後ろに戻って並ぶ、を繰り返していく。
三対三なので列が三箇所あり、そのどの位置に入るかはメンバーの自由だ。
だから、毎回組む相手は違うし、気がついたら同じポジション三人が組むチームになっていた、ということも起きる。
- 647 名前:第五部 投稿日:2006/09/03(日) 01:18
- 「大体、そんな細かいところじゃなくて、突っ込むならもっと戦術的なところに突っ込んでほしいんだけど」
「戦術的なとこって?」
「ボール持ったらすぐ1on1のまいに、ちゃんとボールを展開しろって言うとかさ」
「なんで。ボール持ったら勝負は当然でしょ」
「1on1の前に展開して崩してから勝負の方が絶対いいって。もう絶対」
「ボール持っても勝負しないフォワードなんて、ディフェンスにしたらそんな楽な存在ないって。勝負するでしょ普通」
里田と藤本が話し始めると少しづつヒートアップしていって、すぐにあさみが中に入れなくなってしまう。
特に、バスケットの中身の話になると、試合に出ていない負い目まで加わるのでどうしてもあさみは聞き役になってしまう。
あまり熱くなって本格的にもめられたら嫌だなあ、とあさみが困っているとノックの音がした。
- 648 名前:第五部 投稿日:2006/09/03(日) 01:19
- 「はい」
「麻美です。失礼します」
「ああ、洗濯? そっちにあるよ。あと、これもお願い」
「今脱ぐなよ。ここで脱ぐなよ」
里田は着ていたTシャツを脱いで麻美に投げ渡した。
「恥じらいってものが無いのかまいは」
「いいじゃない、別にいつでも見てる格好なんだし。帰りのバス早く乗ったら、まだ冷房効いてなくて汗かいちゃってさ。まあいいかって思ったんだけど、やっぱり微妙に気持ち悪くて」
別にいいとはいいつつも、さすがに下着姿でそのままいるわけにはいかず、カラーボックスに入ったTシャツを引っ張り出した。
- 649 名前:第五部 投稿日:2006/09/03(日) 01:19
- 「あの」
「なんだよ?」
「美貴さんの洗濯物も」
「はぁ? 美貴のも?」
「はい、今週担当私になったんで」
一年生は自分の指導係についた先輩の洗濯物を洗う。
それだけではなくて、その指導係の上の指導係がいれば、その三年生の分も洗う。
だけど、藤本やあさみのように、人数の関係で指導係を担当しない者もいる。
そういった先輩の分は、一年生それぞれ持ち回りで洗っている。
いままで麻美は、周りの一年生の配慮で藤本の分の担当にはならないようにしていたのだが、もう大丈夫だから、と自分で述べて、ローテーションの中に入った。
それで今日から一週間は藤本分の洗濯物の担当もすることになる。
- 650 名前:第五部 投稿日:2006/09/03(日) 01:19
- 「鍵渡すから持ってって。部屋戻るの面倒だし」
「あの」
「なんだよ」
「美貴さんのわからないです」
「もうー」
今日初めて担当になったのに、藤本の洗濯物が何に入ってどこに置かれているかなんて分かるわけがない。
「いままいに、バスケットとはどんなものかを説いてるのに」
「なに、そんなたいそうな話だったの?」
「あーもう。二号。洗濯いいから座りな。二号もガードの端くれとしてまいに一言言ってやれ」
「何の話ですか?」
洗濯物を取りに来ただけなはずなのに、妙なところに巻き込まれた。
まともに説明する気のない藤本に代わってTシャツをちゃんと着終えた里田が麻美にこれまでの話を説明する。
麻美は里田の洗濯物を横において座った。
- 651 名前:第五部 投稿日:2006/09/03(日) 01:19
- 「ボール持ったら勝負するっていう姿勢を見せるのは大事かなって思います」
「ちょっと待ってよ。なんでそこでまいの味方をする」
「私の教育の賜物です」
「まいはバスケの指導はしてないでしょ」
「美貴だってしてないでしょまったく」
麻美も加わって里田と藤本と三人。
輪の中にいながら蚊帳の外の気分であさみは三人の会話を聞いている。
この二人を相手にためらいつつも自分の意見を言える麻美を一年生なのにすごいな、と思った。
そしてそれよりも、仲の悪かったはずの麻美を、会話の中に引き込んで藤本に驚いていた。
- 652 名前:第五部 投稿日:2006/09/03(日) 01:20
- 「展開して崩してから勝負の方が確率は上がるでしょ」
「崩れるのは展開するだけじゃなくて、勝負されるのが怖いからって部分もあるから。オフェンスが一対一で勝負してこないと分かってれば、ディフェンスは勝手にパスまわしてろって内に引きこもっちゃうんだし」
「それが出来なくなるために、外からスリーを打つんじゃないですか。それが怖いからディフェンスも動かなくちゃいけなくなって隙が出来るから」
「だーからー。別に勝負するなって言ってるんじゃなくて。シュートセレクションをしっかりしろって言うの。美貴だってスリーは打つよ。カットインで切り込んでいくこともある。場合によっては強引にペネトレイトでファウルもらうようなこともあるよ。でも、流れってものがあるでしょ。流れってものが」
とまらない藤本と里田の会話。
そして、それに恐る恐るながらも、所々で加わる麻美。
あさみは、すごいなと黙って聞いている。
三年間繰り返したって結論の出るような話題ではないのだからきっかけがないととまらない。
そのきっかけは、ヒートアップする先輩たちに入っていけなくなってきた麻美が作った。
- 653 名前:第五部 投稿日:2006/09/03(日) 01:20
- 「あの」
「なに、なんかおかしい?」
「いえ、あの、そろそろ洗濯物」
「洗濯? いいよ、あとで」
と言いつつも藤本も一応時計を見る。
すごく遅い時間でもないけれど、これから洗濯して干して、というプロセスをする人間を束縛し続けるのはかわいそうかな、と感じるくらいにはここに座らせている。
だからといって優しい言葉をかけてやる藤本ではないのだが、里田がとりなした。
「美貴、行ってあげなよ」
「しょうがないなあ」
里田に言われたから仕方ない、という態度を見せつつ藤本が腰を上げた。
麻美は里田の洗濯物を抱えてついていく。
「失礼しました」
麻美はきちんと挨拶をして出て行く。
それが一年生。
- 654 名前:第五部 投稿日:2006/09/03(日) 01:20
- 藤本の部屋は里田の部屋と同じ階だけど階段を挟んで反対側。
数十秒分の距離はある。
沈黙、というのも気分悪いので藤本が口を開いた。
「なつみさん、どうしてる?」
気になるのはやっぱりそのこと。
室蘭まで行ってから三週間。
戻ってくる気配はない。
「どうなんですかね。連絡とってないからわかんないです」
「家に電話くらいしろよ」
「なんか、あんまり家に電話するのもあれじゃないですか。寮の公衆電話だと、ちょっと話しづらいし。先輩たちもあまり電話してなくないですか?」
「そうだけどさ。なつみさんのことあるんだし」
「そうなんですけど」
とか何とか言っているうちに藤本の部屋につき、ごそごそと取り出した鍵をあけ部屋に入った。
- 655 名前:第五部 投稿日:2006/09/03(日) 01:20
- 「美貴の洗い物はミッキーの袋に入ってるから」
「ミッキーですか?」
「悪いかよ」
「いえ」
悪くないけど、イメージが・・・、と言えるはずもない。
ミッキーの袋を素直に受け取った。
「まあ、一週間よろしく」
「はい。失礼しました」
麻美は二人分の洗濯物を抱えて部屋を出て行く。
「あー、疲れた」
藤本は自分のベッドに仰向けに転がった。
- 656 名前:第五部 投稿日:2006/09/03(日) 01:21
- 翌日から、同様に練習は続く。
練習メニューは、結局もともとのものをベースにそれを少しづつアレンジした形。
より実戦に近い状況を選んで、というところがこれまでとの違いである。
練習中、所々止められる場面はやはりあり、やたらと藤本が呼ばれている。
「おまえさあ、集中してる? 一本一本」
「してますよ」
「あれが集中してる顔か? 気づいてないのかもしれないけど、お前、気を抜いてるときの顔、わかりやすいぞ」
「気を抜いてなんかいません。集中してます」
「まあ、いいや。全員に言っとくよ。自分がプレイしてないところでも集中すること。練習だと思って気を抜かないこと。常に試合だと思って練習すること。気の抜けた顔なんか見せるやつはベンチにも入れないから。わかった?」
「はい」
だから、集中してるって言ってるだろ、と訴えたいが、藤本でもそこまで強くは出られない。
- 657 名前:第五部 投稿日:2006/09/03(日) 01:21
- 一週間、二週間と経過するうちに、最初は全部ばらばらにしてやり直す、と言っていた主力メンバーも固まってきた。
高校レベルだと、実力差が大きくて監督が変わってもスタメンが大きく代わるということはめったにない。
やはり里田やりんねがはずされるはずもなく、散々言われても藤本はガードとしてチームを引っ張る立場にすえられる。
ただ、細かいところは少しづつ違っていたりする。
BとCの間のような扱いだった麻美は、五対五の練習では常にBチームに入れられるようになった。
Bに入れるかどうかの違いというのはとても大きい。
Bチームに入っていれば五対五のときに自分たちよりもうまいAチームを相手に練習ができるが、C以下の扱いだとそのレベルの五対五に参加できない。
同じチームで同じ練習をしているはずなのに、練習量に差が出てしまう。
- 658 名前:第五部 投稿日:2006/09/03(日) 01:21
- そしてあさみはCチームに入ることが多くなった。
CチームだとAとBの五対五に呼ばれることはあまりない。
CとDで練習するから、CでもDでもあまりかわらなさそうであるが、高校生の試合のベンチ入りは基本的に十五人。
Cチームに入ることは計算上ではその十五人までに入ることになる。
実際には、厚みを持たせたいポジションを多く入れたり、一年生優先、あるいは三年生優先、など監督の方針があって簡単には言い切れないが、本人の気持ちとしてはとても大きなこと。
バスケをするために高校に入った、こういうチームのメンバーにとっては、CとかDとか、そんな下のレベルの傍からみたら些細な違いでも、人生の最重要事だったりもする。
そして今度の新しいコーチは、五対五の練習の後の、実戦形式のゲームも、単純にはやらせてくれなかった。
- 659 名前:第五部 投稿日:2006/09/03(日) 01:22
- 「じゃあ、Bの十二点リードで残り七分。Bだけチームファウル三つ。Aのエンドマイボールから開始」
「はい」
「今日は、罰ゲーム入れよう。藤本」
「はい」
「Aが勝てなかったら、おまえのバストの数値公表」
「はぁ? 私? なんで私だけですか?」
「いや、なんとなく」
なんとなく、で自分だけ罰ゲームをさせられてもかなわない。
「おかしいじゃないですか。罰ゲームなら全員に無いと」
「そう言うなら全員でもいいぞ」
「負けたら全員でダッシュ?」
「いや、種類は変えない。バスト公表」
「それってセクハラじゃないですか!」
「女しかいないんだしいいだろ」
「いいわけないじゃないですか!」
「必死だな。そんなに公表したくないか?」
周りのメンバーの微妙な失笑。
そんな雰囲気を藤本は感じ取る。
- 660 名前:第五部 投稿日:2006/09/03(日) 01:22
- 「別に、別に、そんなんじゃないですけど。セクハラはよくないって言ってるんですよ」
「勝てばいいだろ。勝てば。じゃあ、こうしよう。Bはタイムアウトは使い切ってて、Aはタイムアウトが二つ残ってる。特別に、りんねと藤本。どっちが請求してもいいってことにしよう」
「話しすりかえないで下さい!」
「自信ないのか?」
「そうじゃないですけど」
「まあ細かいこと気にするな。減るもんでもないんだし。減るほどないんだし。いいだろ」
あまりの言葉に、藤本は石黒をにらみつける。
言葉が出てこなくなったのを見て、石黒は涼しい顔でまとめた。
「じゃあ、いつものように、往復ダッシュ二本入れてすぐスタートな。B、早くビブスつけろ!」
話を打ち切って石黒は藤本に背中を向けて立ち去ってしまう。
藤本はその背中をにらみつけた。
- 661 名前:第五部 投稿日:2006/09/03(日) 01:22
- 「ちくしょー・・・」
「やるしかないか」
「どうする? 七分で十二点だってよ」
Aチーム、自然と輪が出来る。
りんねが中心に立つけれど、戦術面で全て仕切るわけではない。
そのあたりはガードの藤本が役割を負うことが多い。
「最初からダブルチーム作るくらいの感じで行きますか?」
「それは五分切ってから位でいいんじゃない? 最初は普通で」
「じゃあ、いつものオールコートマンツーで。オフェンスはインサイド中心かな?」
「いいと思うよ。それで」
「よし、行こう」
藤本案にディフェンスは里田が訂正入れて、オフェンスは同意が入って方針が決まる。
りんねに促され、往復ダッシュ二往復走った。
マイボールでスタート。
絶対に負けられない戦いはここにある。
- 662 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/09/03(日) 23:47
- 更新お疲れ様です。
Aチーム負けるのキボンヌ
- 663 名前:ピース 投稿日:2006/09/04(月) 15:59
- >けんかだけはしないでね。
大丈夫です、別に言い争いでは無いので。w
>絶対に負けられない戦いはここにある。
噴いてしまいました。(笑)
本番(大会)を超えるミキティの本気プレーが見れるか楽しみです。w
- 664 名前:作者 投稿日:2006/09/10(日) 01:10
- >>662
怒られますよ、誰かに。
>>ピースさん
ひとによってそれぞれ失うことのできないものというのがあるようです。
- 665 名前:第五部 投稿日:2006/09/10(日) 01:10
- Bチームも前からオールコートで当たってくる。
AもBも関係ない、このチーム全体に浸透している方針だ。
ボールを運ぶ藤本につくのは麻美。
これも意外とうっとうしい。
七分で十二点。
AとBの力差があれば十分に逆転可能な範囲である。
安倍がいない今、外からの攻撃力が若干不足気味。
自然、インサイド、特に里田が中心での組み立てになる。
出だしは順調だった。
外でしばらくまわしてからいい位置を確保した里田へ。
ボールを受けた時点でほとんど勝負あり、の形でゴール下からシュートを決める。
ディフェンスはきつく当たって、シュートまで持っていかせず、二十四秒ぎりぎりのあたりで、無理なパスをスティール。
速攻は出せなかったが、ディフェンスは揺さぶる。
ファウルを一つもらってから、今度もハイポストの里田にあわせて一対一。
一人交わしてカバーに来たところでりんねにさばいて0度からのジャンプシュート。
一分と経たずに八点差まで詰める。
- 666 名前:第五部 投稿日:2006/09/10(日) 01:11
- しかしながら、ここからが簡単にいかなかった。
Bチームだってざるではない。
二本続けて簡単にやられたら、ディフェンスをしっかりしなくては、という意識は生まれる。
その意識だけでとめられる、というほど単純なものではないが、相手にとってのプレッシャーにはなる。
パスはしっかりと回ったが、シュートに対する圧力が強くなり、点が取れなくなった。
Bのオフェンスも点を取るところまで行かずにターンオーバーでボールを奪われる。
そこから速攻を出そうとするが戻りも悪くなく、三対三の状況でアウトナンバーを作れない。
それでも藤本は無理目ながら一人で突っ込んでシュートまで。
きれいなレイアップを打てるほど麻美を振り切ることが出来ず、ゴール下へ駆け込みざまフックシュートのような腕の使いでシュートを放つが決まらない。
Bチームが攻め上がり、ボールが回されインサイドへ。
そこでりんねが分かりやすいファウルをする。
笛が鳴ってレフリー役の一年生にコールされる前にりんねはコーチに向けてタイムアウト、のサインを送った。
- 667 名前:第五部 投稿日:2006/09/10(日) 01:11
- 「美貴、慌てない」
通常練習時の練習ゲーム。
ベンチなどあるわけも無いので、自陣フリースローライン付近での立ち話になる。
「別に慌てたわけじゃないですよ」
「速攻は、アウトナンバーになってなかったらセットオフェンスにしましょう」
「そうね。美貴もそれでいい?」
オフェンス側の人数が多い局面をアウトナンバーと言う。
人数が多い分当然有利で、速攻でその場面が出来ればシュートまで持っていくが、二対二や三対三など、人数的に五分な状況なら、セットオフェンスにしよう、というのが里田の意見。
個の力で負ける相手ではないのだから、セットオフェンスでじっくり攻めれば点が取れるはず、という自信がある。
ただ、時間がない、というのが藤本の頭には回っている。
四分七秒残して八点差。
劣勢なのは間違いない。
- 668 名前:第五部 投稿日:2006/09/10(日) 01:11
- 一方でBチームも逆サイドで立ち話。
石黒コーチはここに首を突っ込んだ。
「安倍」
「はい」
「藤本にファウルしろ」
「え? はい?」
ファウルしろ、といきなり言われても意味がよく分からない。
ゲーム中に、ファウルになってもかまわない、という感覚で動くことはあるが、タイムアウト中に、八点もリードしているにもかかわらずファウルしろ、と言われて、その意味がそれだけで分かるほどの試合経験は麻美にはない。
「ファウルする目的、分かるか?」
「怪我させる?」
「恐ろしいこというやつだな。藤本に怪我させたいのか?」
「そんなことないです」
「じゃあ、ファウルしたら次に何が起こる?」
「フリースロー?」
「さっきフォーファウルにもなったし、そうだな、次ファウルすればフリースローだ」
一つのピリオドの間に、四回ファウルをすると、その次のファウルからはファウルされた相手に二本のフリースローが与えられる。
- 669 名前:第五部 投稿日:2006/09/10(日) 01:12
- 「藤本がフリースローを二本打つ。 入ると思うか?」
「・・・思います」
少し考えた。
美貴先輩のシュート力は結構ある。
フリースローを打っている場面はあまり見かけないが、入るんじゃないかと麻美は思った。
「速攻出して無理にシュートしてそれが入らないで、先輩にタイムアウトとってもらって、残り時間は四分で八点負けていて、負けたら罰ゲームでバストの値公表、という状況にある藤本がフリースロー入ると思うか?」
そこまで言われて入ると思います、と答える勇気は無いが、かといって入らないと思いますと答える勇気も麻美には無かった。
「まあいいや。入るなら入るであいつのメンタルも大したものだから、チームとしては悪いことじゃない。とにかく藤本にボールが入って上がってきたらファウルでとめろ。決められても文句は言わないから」
「はい」
「それはともかく、オフェンスどうにかしろよな。シュートまで持っていけてないじゃないか。パスをもらえるように動けないやつは試合でなんか使えないぞ」
厳しい一言を残して石黒コーチは去っていく。
- 670 名前:第五部 投稿日:2006/09/10(日) 01:12
- ゲーム再開。
Bチームがサイドからボールを入れる。
ボールは、スムーズではないながらも何とか回った。
シュートを意識しないで、まずはパスをもらうことだけ考えよう。
そう、タイムアウト中に決めた影響で、ディフェンスにとってあまり怖くない形ではあるがボールはつなげている。
マークを気にしながらの多少無理目な形ではあるが、シュートまでは持っていった。
ただ、やはり決まらない。
リバウンドはりんねが拾い、外に開いた藤本へ。
速攻は無理とみた藤本は、ボールを持ったまま味方の上がり、ディフェンスの戻りを待つ。
おちついて、あせらない。
自分に言い聞かせながら待つ。
場が落ち着いたところでドリブルで上がっていった。
麻美は抜かれない程度についていき、フロントコートに入ったあたりで手を出した。
わざとらしくないように感じる形を作ってファウル。
藤本にフリースローが与えられる。
- 671 名前:第五部 投稿日:2006/09/10(日) 01:12
- Aチームとしては難なくフリースローがもらえてラッキーな形。
藤本も、二号はまだまだだ、などと思いながらフリースローラインに入る。
ボールを受け取り、一呼吸置いてから一本目。
リングに当たりはしたが、そのまま決まる。
七点差。
落ちてきたボールをレフリー役の一年生が拾い藤本に返す。
「藤本、フリースロー大事だぞ。こういうのをしっかり二本決めないと苦しくなるぞ。罰ゲームは車座に集まって部員全員の注目の中での発表だからな」
藤本、受け取ったボールを持って、石黒の方をにらんだ。
「残り三分四十五秒か。こういうところで決められないと流れが悪くなるんだよな。負けたら罰ゲームか。大変だなあ藤本」
うるさい、と思って無視を決め込むが、耳にはしっかり入っている。
二本目、少し長めになってリング奥に当たった。
リバウンド、りんねが手を伸ばすがBチームセンターに奪われる。
- 672 名前:第五部 投稿日:2006/09/10(日) 01:13
- Bのオフェンスは、パスはまわせるけれど決定的に崩すところまではいけない。
それでもリードしている側として、最低限必要な時間を使うという形にはなっている。
Aチームに二度ほどファウルをさせた。
その上で、さらに二十四秒いっぱい使って外からシュート。
しかしながら入る気配はまるでなく、リバウンドをりんねが拾った。
セオリーどおり藤本につないでそこから持ち上がろうとすると、今度はすぐに麻美が手を出してファウル。
また、藤本に二本のフリースローが与えられる。
「おまえ、狙ってやってるのか?」
右手をしっぺされるような形で叩かれた藤本。
二度続けてのファウルでさすがに気づく。
麻美は目をそらして答えない。
- 673 名前:第五部 投稿日:2006/09/10(日) 01:13
- とにかくフリースローである。
さっきの一本目はフリースローがもらえてラッキー、という気持ちだった。
今度は、自分が狙われている? という疑念を抱えながら。
心理状態がだいぶ違う。
そして、こういう場面で決められないとどんどん苦しくなっていく、という石黒コーチの野次は、野次ではあるが真実でもあって、それを藤本は分かっている。
絶対に決めてやる。
そう思ってスリーポイントを打つと結構入ることも多い。
しかし、絶対に決めてやる、とフリースローを打つと、なぜか入らなくなる。
藤本は一本目は長めに、そして二本目は短めに外した。
- 674 名前:第五部 投稿日:2006/09/10(日) 01:13
- 点差を詰められない。
ただ救いはBチームの攻撃は抑えているということだった。
点差を広げられる、ということは起きていない。
何とか攻め手がほしいBチームはインサイドで強引に一対一で勝負してきた。
ただ、ボールを受けた時点で優位性がない一対一では、個の力が上のレギュラー組みの方が普通に勝つ。
里田がブロックショットではじき返し、そのルーズボールを藤本が拾った。
速攻狙いで早い攻め上がり、と行こうとしたところでまた麻美のファウル。
「おまえ、いい加減にしろよ!」
「藤本! 黙ってやれ。フリースロー二本もらっておいて文句言うな」
外からコーチが一喝。
それにしても麻美としてはたまったものではない。
後で謝ったほうがいいのか、でも、罰ゲーム後に謝ったら殺されちゃうかもとか、こちらもいろいろ考える。
一方で藤本としてはイライラが頂点に達しつつあった。
仮に罰ゲームなんかがないような試合でも、仮に大きくリードしているような公式戦であっても、何度も自分が狙われてわざとファウルをされるというのはいらつくもの。
その上で今回はいろいろなものが付随している。
- 675 名前:第五部 投稿日:2006/09/10(日) 01:14
- フリースローというのは、流れの中のシュートと違って、いろいろと考える間がある。
狙われているなら絶対決めてやる。
二号のやつ後でしめてやる。
はずしたらまずいんだよ。
負けられないんだよ。
はずしたら・・・。
負けたら・・・。
また、二本はずした。
- 676 名前:第五部 投稿日:2006/09/10(日) 01:14
- 残り時間は三分を切った。
点差は七点。
Bチームは組織として崩すことが出来ない。
ノーマークを作ることが出来ないので仕方なく一対一に頼ることになる。
いろいろと考えながらも麻美が冷静だった。
今の美貴さんになら勝てるかも、とボールを受けて切れ込んでいく。
藤本、抜き去られることはなかったが、ついていくのがやっと。
ゴール下まで駆け込んでの麻美のランニングシュートに体ごとぶつけるような形になった。
豪快にファウル。
公式戦だったら、アンスポーツマンライクファウル、と呼ばれる、お前卑怯者、みたいな単語のファウルになるところだったが、部内の練習ゲームだったのでただのファウルを取られた。
ここでりんねがタイムアウトを取る。
- 677 名前:第五部 投稿日:2006/09/10(日) 01:14
- 「落ち着きなさい!」
まずりんねが一喝。
日常生活では怒鳴りつけるようなことはまずないが、ゲーム中にテンションが上がればこういうこともある。
「落ち着いてますよ!」
「どう見てもぱにくってるでしょ!」
藤本、返す言葉がない。
自分がおかしな状態であることはなんとなく分かっている。
「負けたら困るのは美貴だけじゃないのよ! しっかりしなさい!」
りんねも、そちらの方の自信はあまりなかった。
- 678 名前:第五部 投稿日:2006/09/10(日) 01:15
- 「すいません」
「美貴。麻美も三つだから、さすがにもうやってこないと思うよ」
冷静なのは里田。
里田には、通常の練習ゲームで負けているとき以上に慌てたり困ったりする、という要素は特にない。
三つだからもうやってこない、というのはファウルが五つになると退場なので、わざとファウルが出来るような余裕はせいぜい三回目まで、という意味である。
「とにかく落ち着こう。それからオフェンスはインサイド勝負。いい?」
「面とったらボール入れて。一対一で勝負なら負けないから」
「分かった」
藤本は短く答える。
パスをまわして崩してからシュートまで行くべき、などと言っている場合ではない。
「ディフェンスはスティールまで狙っていきましょう。時間ないしもっとタイトに」
「ターンオーバー取れたら速攻ね。美貴、頼むよ」
「はい」
いろいろな苛立ちを抱えた感情もとにかく押さえつける。
余計なことを考えている余裕は無かった。
麻美のフリースローからゲーム再開。
一本目は外したが二本目を決めた。
これでまた八点差。
いい加減に詰めていかないと苦しくなってくる。
- 679 名前:第五部 投稿日:2006/09/10(日) 01:15
- ボールを運ぶのはやはり藤本。
今度は里田の言ったとおり麻美はファウルをしてこない。
タイムアウトの間に石黒コーチから、もういい、と指示が出ている。
オフェンスはシンプルな選択をした。
藤本から外に開くフォワードへ。
そこからローポストに面を取った里田へ。
外のディフェンスがはさみに来る前に、単純に一対一。
ターンしてフェイクもいれずにジャンプシュート。
単純だが、スピードもあるし、ディフェンスもいろいろと考えていたのでこれだけで点が取れた。
- 680 名前:第五部 投稿日:2006/09/10(日) 01:15
- 「ディフェンス! ディフェンス!」
藤本が声を出す。
苛立ちがあるときはとりあえず声を出しておくと少し落ち着ける。
タイムアウト時の確認どおりタイトについた。
Bチームはパス回しに苦しむ。
一つはファウルはとられたが、ともかくシュートまでは持っていかせない。
選択肢が無くなって、ゴール下、里田の裏にいる味方に無理やりパスを送ろうとするが、通らない。
ターンオーバー。
奪ったボールは藤本へ。
ディフェンスの動きがいいときは、ボールを取ったら走るんだ、というイメージもしやすく速攻も出やすい。
二対一の形になり、最後は藤本がランニングシュート、と見せかけて後ろに戻してミドルからジャンプシュートを決めた。
- 681 名前:第五部 投稿日:2006/09/10(日) 01:15
- 二分を切ったところで四点差。
ここが大事なところ。
このタイミングでもう一度六点差にされると苦しくなる。
そのあたりは、ゲームによく出ているメンバーが主体のAチームはよく分かっていた。
Bチームはやはりパスが回らない。
それでも二十四秒近くまでボールを奪われずにはいたが、結局、外から麻美の、本人も期待していないスリーポイントを打たされる。
大きく跳ね上がったボールは里田が拾った。
流れが傾いてきた。
ボールが確保できないことが目に見えていたのでBチームの戻りが早く速攻は出せないが、あわてることもない。
外でまわしてインサイドで形を作るのを待つ。
トップにいる藤本にボールが戻った場面。
ハイポストにいた里田がローポストに降りてりんねのディフェンスにスクリーン。
それを使って上に上がると見せかけてりんねは逆にゴール下へ。
藤本からすばやいパスが通り、受けたりんねはバックシュートを決めた。
「簡単にやられすぎだろ!」
コーチの声が飛ぶ。
- 682 名前:第五部 投稿日:2006/09/10(日) 01:16
- 一分三十秒で二点差。
十分に射程内と呼べるところまで来た。
あと二回オフェンスのチャンスがあると考えるとほぼ捉えたと言っていい。
この時間帯の二点差はあわてる差ではない。
通常のディフェンスをして普通にとめてオフェンスの番を待つ。
気をつけるべきはファウルで簡単にフリースローを与えてしまうこと。
もう少し点差があれば、ファウルで時間をとめてフリースローが外れるのを信じる、という戦術があるのだが、点差がない場合はそれが逆になる。
ところが、この、ファウルをしないように、というのはそれを強く意識するとディフェンスがどうしても甘めになってしまう部分がある。
- 683 名前:第五部 投稿日:2006/09/10(日) 01:16
- ここ二三分、あれだけパス回しに苦労していたBチームが、すんなりボールを展開できるようになった。
ボールが動けばディフェンスが振られる。
ディフェンスが振られればフリーも出来やすい。
外二人を回って、ボールをローポストでりんねを背負うBチームのセンターへ。
外から藤本がプレッシャーをかけにいくが、センターは勝負ではなくて外の麻美に返す。
正面から来たボール、藤本は自分から離れていて、ここは四十五度の位置、スリーポイントラインの外。
これ以上ないというような条件でボールを受けた麻美は、間髪無くスリーポイントを放ち、見事に決めて見せた。
残り一分十秒で再び五点差。
藤本、天を仰ぐ。
「すばらしい。ナイッシューナイッシュー」
石黒コーチが拍手。
鮮やか、という言葉が適切な展開での得点は、外から見ていても気持ちのよいもの。
また、控えメンバーになりそうなBチームでも、こういう鮮やかな展開をしてくれたのもコーチとしては嬉しかった。
Bチームだって、ただのかませ犬役ではない。
- 684 名前:第五部 投稿日:2006/09/10(日) 01:16
- そして、この時間帯でのスリーポイントのダメージは計り知れなかった。
一分三十秒での二点差ならば、まったくあわてる必要の無いもの。
一分十秒での五点差は、まさに崖っぷちに追い込まれた、というのがふさわしい状況だった。
しかし、藤本たちにもチャンスはある。
これはチーム内のAとBの練習ゲーム。
スタメン候補チームと多分控えになる人たちチームの試合だ。
自分たちの方が実力は上のはずだ、という感覚自体は、たとえ追い込まれていても変わらない。
また、一分十秒を残して現在マイボール。
この時間帯なら、まだ確実に二回の攻撃チャンスが残っている。
その二回で五点を取り、ディフェンスでとめきることが出来れば追いつける。
藤本がそういった状況をどこまで頭で考えたかは分からない。
ただ、天を仰ぎはしたが、すぐにエンドからのボールを受けるために動いたことは確かだ。
絶望はしていない。
- 685 名前:第五部 投稿日:2006/09/10(日) 01:17
- ボールを受けて一人で持ち上がった。
麻美は藤本についてはいるが、手は出してこない。
簡単にさばかせないようにはするけれど、無駄にファウルでフリースローは与えないぞ、という姿勢。
フロントコートまで上がった藤本はスローダウンして、外に開く味方にパスを落とす。
そしてそれからすぐにパスアンドラン。
ゴール下に駆け込むがパスは入ってこない。
インサイドにいる里田あるいはりんねを壁に使って、麻美が引っかかるようにしながら外に切れていく。
すれ違うとき、藤本は里田に視線を送ると、里田は小さくうなづいた。
ボールは、外-中-外-中、とつながれる。
里田で勝負しようか、という意思が見えるが、Bチームもそれは考えている。
普段の試合のチームの得点源であることは誰もが知っているのだから、当然チェックは厳しい。
里田にボールが入ると外の人間もつぶしに来てはさまれる形になる。
無理をせずに外に戻す、の繰り返し。
勝負はしない。
ビハインドのある立場としては早くシュートまでもって行きたいところだが、里田は焦らなかった。
- 686 名前:第五部 投稿日:2006/09/10(日) 01:17
- もう一度里田にボールが入る。
今度は、しっかりとディフェンスを背負っていて、ボールを受けた時点で優位に立っている。
すばやく勝負に行けば、実力差のある控えが相手でもあるし、おそらく勝てたのだが、それはしなかった。
外からもう一人が囲みに来る。
それを待って里田は外にボールを戻した。
受けたのは藤本。
ゴールに対して三十度の位置。
あまり得意な場所ではないが麻美は里田を抑えに行ったので一瞬のフリー。
祈るような気持ちでスリーポイントシュートを放った。
きれいにきまる。
そんな映像を頭に描いて打ったが、実際にはリングに当たって跳ね上がる。
「リバウンド!」
藤本はそう叫んだが、落ちてきたボールはたまたまリングを通過した。
まだつきはある。
残り五十秒で二点差。
- 687 名前:第五部 投稿日:2006/09/10(日) 01:17
- 五点差を追いつくには、二点を三回取るか、二回の攻撃のどちらかに三点を入れるかの二択。
もし、このタイミングで二点を取って三点差になっていれば、次の攻撃は残り時間がわずかなので、スリーポイントシュートは強く警戒されるのが見えている。
それをかいくぐってまでスリーポイントを決める自信はなかった。
だから、先に三点がほしかった。
藤本はその意思を、ゴール下に切れ込んだときに里田に視線で伝えている。
里田は普段なら、それでもボールを受けて自分が優位にあれば勝負に行っている。
ゴールを決めてファウルももらってフリースローで三点、というシナリオを里田は持っている。
だけど、今日は藤本の訴えに従った。
里田の正直な感覚。
もし負けても、自分はたいして困らない、でも美貴はかなり困る。
そっちの方面では自信のある里田。
藤本が自分でスリーポイントを打つというのなら、そうさせてやろう、と思った。
- 688 名前:第五部 投稿日:2006/09/10(日) 01:17
- Bチームのオフェンス。
パスをつなぎながら確実にフロントコートへ。
一番相手にダメージを与えるのは、時間をぎりぎりまで使って点を取ること。
慌てはしない。
まだ二点のリードはあるし、こちらは負けても失うものはない。
しかしながら、ディフェンスは厳しかった。
ここで点を取られたらほとんど終わりという場面。
ファウルをしてはいけないという意識はあるが、それよりもシュートを打たせないという意識の方が強い。
四点差にされると一度の攻撃では取れない点差にされてしまうのだから当然だ。
Bチームも外でパスをまわすことは出来る。
だけど、中には入れられないし、シュートチャンスもない。
時間をかけて点を取る、とはいかず、時間だけかかって二十四秒オーバータイム。
Aチームのボールとなった。
- 689 名前:第五部 投稿日:2006/09/10(日) 01:18
- ボールは取ったが、二十四秒は良し悪し。
残り時間は二十六秒まで経過している。
ここのオフェンスで得点が取れなければ、キープされて逃げ切られる危険が強い。
藤本は一人でドリブルで持ち上がる。
右に開いたフォワードにパスを落とし、自分は逆サイドに降りる。
ボールは藤本と入れ替わりに上に上がったセカンドガードに戻した。
インサイド、りんねはハイポスト、里田はゴールに近いローポストに位置どる。
里田は上に上がってりんねのディフェンスにスクリーンをかける、というそぶりを見せて、実際は逆にターンしてゴール裏へ。
ボールは上から藤本に送られる。
藤本は即座に里田へバウンドパスを通す。
ボールにミートして受けて、そのままのステップでターンして即座にジャンプシュート。
裏へ動く前に振られてはずされたディフェンスがチェックに飛ぶが、その手はボールではなくて手へ当たる。
ボールはバックボードにあたり、里田のイメージどおりにゴールが決まった。
笛も鳴る。
バスケットカウントワンスロー。
ファウルももらった里田はフリースローを一本打つ権利も得る。
残り十四秒、ようやく同点。
藤本、里田に歩み寄り力を込めて両手でハイタッチを交わす。
- 690 名前:第五部 投稿日:2006/09/10(日) 01:18
- 「残り十四秒」
「残り十四秒」
「入っても入らなくてもディフェンスね」
「リバウンドしっかり入って、取られても速い展開させないように」
「シュートは打たせない方針で」
「OK」
ファウルで止まったわずかな時間。
五人で集まって円陣を組む。
残り時間の確認、意思統一。
簡単に済ませて散る。
負けたら罰ゲーム。
現在は同点。
負けなければいい、という意味ではフリースローが入っても入らなくてもいいといえばいいが、練習にもかかわらず、延長もありのルール。
ずるずると先に延ばされるのは藤本の心臓に悪い。
- 691 名前:第五部 投稿日:2006/09/10(日) 01:18
- フリースローラインには里田。
藤本は麻美にしっかりと張り付く。
側にいられるのを嫌って麻美は動くが、藤本は離れない。
審判役の一年生からボールを受け取り里田は二度三度とボールを弾ませてからシュートを放った。
センター陣がリバウンドに入るが、ボールはしっかりとリングに入る。
ここに来てAチーム一点リード。
「ディフェンス! ピックアップ!」
藤本が叫ぶ。
エンドからボールは麻美へ。
藤本は正対する。
自分の方が劣っている自覚のある麻美はパスでつなごうとするが、出しどころがない。
しかたなくドリブルで上がっていくが藤本は振り切れない。
フロントコートまで上がれず、藤本の圧力に負けてボールを持ってしまう。
- 692 名前:第五部 投稿日:2006/09/10(日) 01:18
- 「止まった! 止まった!」
バックコートでドリブルをとめたらダブルチームでつぶす。
一対二の状況にされても麻美はピボットで耐えるが、まだパスの出しどころが見つからない。
ボールを下げたところを藤本に叩かれた。
残り七秒。
点々とするルーズボール。
麻美と藤本が同時に飛び込む。
先にボールに触れたのは麻美だったが、それを藤本が力ずくで剥ぎ取った。
一瞬なのでフェルドボールにはならないし、直接ボールなのでファウルでもない。
奪い取った反動でコートに倒れこむが足だけは動かさない。
トラベリングにはしない。
- 693 名前:第五部 投稿日:2006/09/10(日) 01:19
- 残り四秒。
一番近くにいた味方は里田だった。
倒れたままパスを渡して立ち上がる。
Bのディフェンスが二人追いついて里田を囲む。
里田のスタイルでは勝負するにはこの位置はゴールから遠すぎる。
何とかキープ。
立ち上がった藤本に戻した。
残り二秒。
麻美が藤本に立ちふさがる。
ボールを取れれば最高、ファウルになっても時間が止まればよし、という意思でボールを取りに来るが、それをバックターンで避けて、ボールどころか体にも触らせない。
目の前にあるのは無人のゴールだけ。
その状態で笛がなり、藤本は流れでランニングシュートを決めた。
- 694 名前:第五部 投稿日:2006/09/10(日) 01:19
- 最後のシュートはノーカウント。
しかし、大勢に影響はなく、Aチームの一点差勝ち。
罰ゲームは無しである。
藤本は、シュートを決めてそのまま壁際までゆっくりと駆け抜けると、そのまましゃがみこみ、壁にもたれかかった。
そして、大きくため息を一つ。
そこに、石黒コーチが歩いてきた。
「やればできるじゃないか」
「勝ちましたよ。文句ありますか?」
「よかったよ。最後のディフェンスなんかは。勝ち越してほっとするかと思ったけど、最後まで集中してて」
藤本は答えない。
一年生が持ってきたドリンクボトルをつかみ、口に持っていく。
- 695 名前:第五部 投稿日:2006/09/10(日) 01:19
- 「でもな、最後のあれ。安倍から叩いてボール取ったやつ。ファウルになってたらどうするつもりだったんだ?」
そう言われて藤本、さーっと血の気が引いた。
ファウルをとられたら麻美に二本のフリースロー。
もちろん入らないかもしれないが、もし二本決められたら・・・。
「気合入れればいいってもんじゃないんだよ。集中してたからファウルにせずにボールが取れたって解釈もあるけど。まあ、勝ち方っていうのもちゃんと考えろってことだな」
それだけ言って石黒コーチは去っていった。
「CとD。さっき言ったメンバー。早く準備しろ。二クォーター三分過ぎ。チームファウル一つづつで同点な」
- 696 名前:第五部 投稿日:2006/09/10(日) 01:20
- 壁に寄りかかる藤本は、ドリンクボトルをもう一度口へ持っていく。
何はともあれ勝つには勝った。
里田が歩み寄ってくる。
まだ練習中、これから控えクラスの選手たちのゲーム練習。
座っているわけにはいかない。
里だが手を伸ばすので、それにつかまって立ち上がる。
「何とか勝ったね」
「当然でしょ」
「途中はどうなるかと思ったけど」
「最後に勝てばいいのよ勝てば」
そう答えながら、藤本は、負けなくてよかったと心底思っていた。
- 697 名前:第五部 投稿日:2006/09/10(日) 01:20
-
- 698 名前:第五部 投稿日:2006/09/10(日) 01:20
-
- 699 名前:第五部 投稿日:2006/09/10(日) 01:21
-
- 700 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/09/10(日) 05:21
- 更新乙です。
公式戦よりドキドキして読みましたw
ぜひ怒られry
- 701 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/09/10(日) 08:01
- 残念・・・?!
って言っていいのかな・・・・・
- 702 名前:ピース 投稿日:2006/09/11(月) 19:11
- 更新お疲れさまです!
いやぁ、なんなんだろうかこの紅白戦の緊張感。w
ここまで追い詰められたミキティもなかなか見れませんね。
こうやって濃密な練習に集中出来ていられるのは
チームが良い方向に向いて進んでいる証拠なのかなと思います。
槍玉に上げられるミキティはたまったもんじゃ無いとは思うけど。(苦笑)
- 703 名前:作者 投稿日:2006/09/17(日) 00:16
- >>700
こらこら
>>701
おいっ!
>>ピースさん
なによりも守らなくてはいけないものがあったようで
- 704 名前:第五部 投稿日:2006/09/17(日) 00:17
- 吉澤たちは、インターハイから戻ってきて一週間で新たな目標に向かう必要に迫られて四苦八苦していたが、それよりも厳しい状況にあるチームもある。
インターハイで優勝し、地元に戻って一日休養日を取ってからわずか五日後。
関東地区の国体予選が行われていた。
- 705 名前:第五部 投稿日:2006/09/17(日) 00:17
- ただ吉澤たち島根県チームと比べて楽な部分もある。
神奈川県チームは選抜チームではなくて富ヶ岡高校の単独チームとして編成されている。
新たにチームを作り直す必要がないという面では大分楽ではある。
とはいえ、気持ちの切り替えは容易ではない。
一回戦で負けたチームとは違う。
こちらはインターハイという大きな舞台で優勝してきたチームなのだ。
大きな達成感を得た直後。
当然疲れも出てきて、それを回復するにも用意ではない気温の高いこの季節。
この時期に、地区予選などというレベルの大会に集中して臨め、と高校生に望むのは土台無理という話である。
- 706 名前:第五部 投稿日:2006/09/17(日) 00:18
- 和田コーチはこの問題に対して、毎年単純な解答を用意していた。
インターハイの控えメンバーを中心に据える。
たとえ優勝していても、控えメンバーに疲れは少ないし、達成感が無いわけではないがもっと試合に出たいという思いの方が強い。
そして、ベンチに置かれれば、試合に出たいという欲求もスタメン組みにある程度戻ってくることにもなる。
展開しだいでは当然スタメン組みの出番もあった。
関東大会は八都県が参加して二つの出場枠を争う。
トーナメント戦なので、二勝すればいい計算となる。
控えメンバーが中心とは言え、出場権が得られないなどとははなから思っていない。
- 707 名前:第五部 投稿日:2006/09/17(日) 00:18
- 実際には、一回戦はスタメン組みの出番はなく山梨県相手に百点ゲームの圧勝で通過した。
二回戦の相手は東京か茨城の勝ったほう。
スタンドからその試合を見ていた和田コーチは、東京が上がってきたら高橋はスタメンから使おう、などと思っていたのだが、最終クォーター十点リードから逆転負けして東京は消えてしまう。
東京チームの七番を背負っていた145cmのガードが終盤にファイブファウルで退場してしまったのがその大きな要因の一つであったのだが、そのシーンで高橋が手を叩いて喜んでいたのが、和田コーチとしては少々気に入らなかった。
- 708 名前:第五部 投稿日:2006/09/17(日) 00:18
- その茨城相手の二回戦は、85-60で勝つ。
前半てこずって、高橋を投入するが、相手の突破を止められずにファウルを連発する。
昨日の七番のファウルアウトを笑えないな、と和田コーチに嫌味を飛ばされた高橋は返す言葉もない。
結局、平家と柴田も投入して相手の得点力のある選手を抑えることで後半押し切った。
- 709 名前:第五部 投稿日:2006/09/17(日) 00:19
- 決勝は千葉県が相手。
簡単に勝てる相手ではないのでここは高橋小川という、まだまだ鍛えないといけない一年生と、絶対的に得点力のある石川をスタメンから入れていく。
小川は二試合ベンチから見ていた分元気だし、高橋はマッチアップの相手が二回戦と比べて大分楽になった分調子よくゲームをコントロールしている。
それに対して精彩を欠いていたのが石川だった。
ディフェンスで止められないのはまだしかたないかな、と和田コーチは見ている。
ただ、オフェンスまでうまくいかない、というのはイメージしていなかった。
ここ数日の練習でも調子を落としているのは分かっていた。
それでも試合になればオフェンスだけは大丈夫だろうと思っていたのだがうまくいかない。
止められる、というよりはそれ以前にボールが手につかないといったところが見える。
仕方なく石川は下げ、代わりに柴田と平家を投入することでスタメン組みを四人にして、主導権を握る。
最終的には75-63
この時期の試合は勝てれば十分、という部分はあるが、あまりすっきりした勝ち方ではなかった。
- 710 名前:第五部 投稿日:2006/09/17(日) 00:19
- 国体本戦は十月にある。
それまで、一息つけるという表現は少しおかしいが、組み立てなおすだけの時間はある。
調子が落ちていても、それくらい時間があれば戻ってくるだろうと、長年コーチをしていれば待っていられる。
しかしながら、隣で見ている友人としては、待っていられない。
一緒にいる時間は練習のときだけではないのだ。
バスケの調子の悪さが日常生活での暗さにつながるのがこの人の性格。
そのどんより具合に引き込まれたらたまったものではない。
- 711 名前:第五部 投稿日:2006/09/17(日) 00:20
- 「梨華ちゃんさあ、なんでそんなに分かりやすいの?」
場所はいつもの駅前マック。
八月後半は北海道とは違って関東ではまだ夏休みの時間。
日中に練習が行われるので、授業のある時期よりは大分寄り道がしやすい。
「なに? なにが?」
「なにがって。見たまんまでしょ」
「見たまんまって?」
「だから、一から十まで何からなにまで全部暗いところ」
「そんなことないよ」
「そんなことあるよ」
オレンジジュースのカップをテーブルに置き、柴田は向かい合って座る石川に顔を近づける。
石川は正面のそんな柴田に視線は合わせずに、テーブルに載せたアイスティーを両手で持ちながらうつむいていた。
- 712 名前:第五部 投稿日:2006/09/17(日) 00:20
- 「もう、はっきりしないんだからー」
石川が目を合わせてくれないので、深く座りなおしてポテトに手を伸ばす。
三本まとめて口に持っていく。
石川は両手で抱えていたアイスティーから手を離すと口を開いた。
「なんで柴ちゃんて、そんな何でも分かっちゃうの?」
「なんでって、梨華ちゃんが分かりやすすぎるだけでしょ」
「そんなことないよ」
「そんなことあるよ」
柴田はオレンジジュースに手を伸ばす。
こんな調子じゃ自分のポテトだけ先になくなちゃうなあ、などとのんきに思っていたりもする。
「決勝でひどい出来だったのがそんなに気になるの?」
遠まわしに聞いていっても無駄だ、と思っているので単刀直入に柴田は聞いた。
石川は、またアイスティーを手にとって右手でストローをいじっている。
ストローで、中の氷をかき混ぜつつ答えた。
- 713 名前:第五部 投稿日:2006/09/17(日) 00:20
- 「ひどい出来っていうか、うん、なんだろう」
「出来のいい悪いじゃなくて、実力で負けたとかそういうこと?」
「それも無くは無いけど。でも、私だって自分が一番うまいとか思ってるわけじゃないし」
そう答えられてみると、柴田もそこが一番の問題なわけでもないのかなあ、と思う。
何かで負けるとすぐ落ち込むのは確かだけど、長くは引っ張らないように感じている。
落ち込んだ後、次は勝つ! と過剰に頑張りだす、というのが柴田から見た石川のイメージである。
今回もそのパターンで、押さえ込まれた試合が試合だけに、いつもより落ち込み時期が長くて、そろそろアドレナリン過剰期に移行する頃かな、というのが最初の感覚だったのだけど、そうでないとすると何なのだろう。
とりあえずポテトに手を伸ばす。
減ってきたので一本だけつまんだ。
- 714 名前:第五部 投稿日:2006/09/17(日) 00:20
- 「柴ちゃんは結構抑えてたよね」
「決勝? 七番?」
「うん」
「まさか梨華ちゃん、自分が止められたことじゃなくて、七番止められなかったことで落ち込んでるの?」
「そうじゃないの。そうじゃないのよ。私だって、自分がディフェンス下手なの分かってるもん。止められなかったら落ち込むは落ち込むけどさ。でも、あれだけうまい子は私にはちょっと手に負えないの分かってるもん」
ディフェンスで止められずに落ち込むのだったら、常日頃から落ち込んでいてもらわないと困る。
でも、とにかくなんだかもやもやした何かで落ち込んでいる、というのは確からしい。
柴田は、石川がなにやら考え込み始めたので、もやもやを自分でまとめてるのだろうと、黙って待った。
ポテトに手を伸ばす。
オレンジジュースに手を伸ばす。
何かハンバーガー類もつけとけばよかったなあ、などと思いながら店内を見渡すと、九月からは月見バーガー発売などというポスターが張ってある。
二学期入ったら食べに来なくちゃいけないな、なんて思っていると石川が口を開いた。
- 715 名前:第五部 投稿日:2006/09/17(日) 00:21
- 「私のせいで負けちゃうって思った」
「梨華ちゃんのせいで?」
「うん。最後は勝ったけど、でも、負けたら私のせいだって思ってた」
準決勝までは一試合平均二十点以上取っていた石川。
それが決勝では四点しか取れなかった。
ディフェンスでも、マッチアップを変えてもらうまでは是永にいいようにやられている。
確かにあの試合で負けていたら、戦犯は石川、ということになったかもしれない。
- 716 名前:第五部 投稿日:2006/09/17(日) 00:21
- 「最初はね、何とかしなきゃ何とかしなきゃって思ってた。だけど、途中から、どうにもならないって分かっちゃったんだよね。私じゃどうにも出来ない。ボールも受けられないんだもん。それで、全体的にパスの周りも悪くなっちゃったでしょ。常に一箇所パスコースが無いのと同じだから、スムーズに回らなくて。最後はなんとか高橋なんかが頑張って勝てたからよかったけど」
「そんなこといってもしょうがないんじゃない? あの子うまかったもん。私ついてからも結局二十点近く取られたんじゃないかな。前半梨華ちゃんが取られた以上にやられたと思うよ」
「そんなの後半の勝負どころの方があの子に余計ボール集まったからってだけだもん」
「そうかもしれないけどさあ」
なんて言葉をつないだらいいのだろう。
止めることが出来なくて悔しい、止められてショック、という流れは柴田にもよく分かる。
だけど、落ち込んでいる原因はそこじゃなくはないけど、それだけじゃないと言う。
柴田にも、石川の心の中がいまいち見えてこない。
大体この子は自分を否定する要素を探すのが得意すぎる、とこういう展開になったときにいつも思う。
無意識に柴田はポテトに手を伸ばした。
- 717 名前:第五部 投稿日:2006/09/17(日) 00:21
- 「負けたら私のせいだ、負けたら私のせいだ、って後半はずっと思ってた。どうにかしなきゃいけないんだろうけど、どうにも出来なくて。それで、怖かった」
「怖かった?」
「うん。怖かったんだ。自分のせいで負けるのが怖かった」
そういうことか。
と柴田はようやく石川の心情を理解する。
視線は少し下に落として何度と無くうなづく。
「柴ちゃんは、そういうことってなかった?」
「そういうことって、自分のせいで負けるのが怖いって?」
「うん」
「うーん・・・」
首をひねる。
高校に入ってからは一度も試合で負けたことはない。
中学のときはチームのエースだった。
それほど強くなかったから負けることはよくあった。
そんな昔をいろいろと思い出す。
- 718 名前:第五部 投稿日:2006/09/17(日) 00:21
- 「負けたら私のせいだ、負けたら私のせいだ、って後半はずっと思ってた。どうにかしなきゃいけないんだろうけど、どうにも出来なくて。それで、怖かった」
「怖かった?」
「うん。怖かったんだ。自分のせいで負けるのが怖かった」
そういうことか。
と柴田はようやく石川の心情を理解する。
視線は少し下に落として何度と無くうなづく。
「柴ちゃんは、そういうことってなかった?」
「そういうことって、自分のせいで負けるのが怖いって?」
「うん」
「うーん・・・」
首をひねる。
高校に入ってからは一度も試合で負けたことはない。
中学のときはチームのエースだった。
それほど強くなかったから負けることはよくあった。
そんな昔をいろいろと思い出す。
- 719 名前:第五部 投稿日:2006/09/17(日) 00:23
- 「でも、確かに、よく考えてみると、自分のせいで負けるかもしれないっていうのは怖いよね。そこまで考えたこと無かったけど」
このチームは、柴田や石川が入学してから一度も負けたことがない。
そんなチームが負ける、というのは他のどのチームが試合で負けることよりも重いこと。
その負けを、自分のせいで引き起こすということを考えるのは確かに恐ろしいことではある。
「この間もね、試合に出て思った。こんな地区大会で、もし自分のせいで負けちゃったらどうしようって。一本目、最初のシュートがさ、高橋がいいパス送ってくれて、ノーマークだったのに外しちゃって。どうしようって。レギュラーメンバーで出てるのは三人だけで、高橋も小川も一年生だから私がしっかりしなきゃいけないのに。だめだ、こんなんじゃ私のせいで負けちゃうかもって。実際には負けるずいぶん前に代えられちゃったから大丈夫だったけど」
こんな地区大会、とは言うものの関東大会の決勝は簡単な場所ではない。
国体の出場権は勝っても負けてもすでに得られている、という状況だったので、相手もメンバーを落としていたせいもあり、最終的に問題は無かったが、実際には普通に戦っても手ごわい相手ではある。
- 720 名前:第五部 投稿日:2006/09/17(日) 00:24
- 「自分のせいで負けるかもしれないって思うとさ、練習でちょっと失敗するだけでも怖くて。こんなんじゃだめだって。それで、試合に出るのも怖くて」
そんなことを四六時中考えていれば暗くもなる。
それは分かったけれど、何を言ってあげれば良いのかは柴田には分からない。
「柴ちゃんみたいに何でも出来ればいいんだけどなあ」
「なにわけのわかんないこと言ってるのよ」
この子は本当に自分のすごさが分かってない、と柴田は思う。
柴田に言わせれば自分は器用貧乏のたぐいで、これだけは他人に負けない、というものが無いから、主役になりきれないんだ、と悩んでいるのに。
柴田にとっては石川の性格面でもプレイの面でも、突き抜けた偏り方はちょっとした憧れなのだ。
石川になりたいとは思わないけれど、ほんの少し、石川の持っている一面が自分にもあればな、とはいつも思う。
そんなことを言っても多分理解できないだろう、と柴田はため息を深くつく。
なんとなくポテトに手を伸ばしたら、指に硬いものしか当たらない。
意識してパックを覗き込んでみたら空だった。
- 721 名前:第五部 投稿日:2006/09/17(日) 00:24
- 「何でも出来るようになりたかったら努力しなさい」
とりあえずそう言っておく。
自分が何でも出来る、わけではないと思うけれど。
石川は何を答えるでもなくうつむきつつ、テーブルのアイスティーに手を伸ばす。
「梨華ちゃん食べないんならもらうよ」
「あっ、だめ」
「いいじゃん、たくさんあるんだから」
自分のポテトが無くなった柴田は問答無用で石川のポテトに手を伸ばす。
ダメと言われても二本取って口に持っていく。
石川も、ダメと言いつつも、自分の方を向いていたポテトの箱の口を、向かい合う二人で取りやすいように置きなおした。
- 722 名前:第五部 投稿日:2006/09/17(日) 00:25
- 「梨華ちゃん、夏休みなにかあった?」
「何かって?」
「高校生、夏の思い出、みたいなの」
話題を変える。
試合に出るのが怖い、というのは柴田にもどうにもしてあげられないと思う。
しかたないから、しばらくは石川の暗さにも付き合ってやろうかな、と思った。
どうせ梨華ちゃんの場合、時間が解決するに決まっている、と決め付けている。
「今年の夏は四国に行きました」
「それ試合でしょ」
「今年の夏は群馬にも行きました」
「それも試合じゃない」
「他に何があるって言うのよー!」
「まあ、そっか」
夏休みも後しばらくで終わる。
柴田が石川に向かって夏休みの思い出を聞くことがまず間違っている。
顔をあわせない日など一日も無かったのだから。
柴田あゆみ17歳の夏、すべての思い出は石川とともに。
結局この子と付き合っていくしかないんだろうな、なんて思いつつ、黙ってポテトに手を伸ばす。
- 723 名前:第五部 投稿日:2006/09/17(日) 00:25
- 日の長いこの季節でも、外は大分暗くなっている。
授業のある時期の練習終わりよりはまだ早い時間だけど、遊びなれていない二人がどこかへこれから行くような時間でもない。
柴田に取られてから石川も手を伸ばすようになったのでポテトの減りは早くなり、あっという間になくなった。
「帰りますか」
柴田がトレイを持って立ち上がる。
石川は、自分のアイスティーだけ持って後に続いた。
片付けて階段を下りて外へ。
「あーもうー、外暑いー」
「暑いね」
「でも体育館よりましか」
「そうだね」
柴田の言葉に適切な受け答えだけ。
いつもの元気な石川なら勝手に話題を広げてしゃべりだすけれど、そうはならない。
でも、笑顔は見せている。
- 724 名前:第五部 投稿日:2006/09/17(日) 00:26
- 「おなか空いた。ご飯なにかなあ」
オレンジジュースとポテトMは、練習で消費したエネルギーのどれくらいを補ってくれるものなのだろう。
家に帰れば普通のご飯が待っている。
駅前の信号を渡り、階段を上り、自動改札を通ってホームへ。
二人は駅から逆方向。
先に柴田の乗る電車がやってきた。
「じゃあ、また明日ね」
「また明日」
明日も練習、明後日も練習。
来週には二学期が始まって、それからは授業と練習。
多分毎日、柴田は石川と顔をあわせる。
また明日ね、の挨拶は毎日続く。
電車に乗り、空席が見つけられなかった柴田は、ドア横に立ち外を見つめながら、今日の晩御飯なんだろうな、と考えていた。
- 725 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/09/18(月) 20:30
- しばちゃんがんばれ
- 726 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/09/18(月) 22:07
- 梨華ちゃん、今後に期待ですね。
真のエースになれるか楽しみです。
- 727 名前:ピース 投稿日:2006/09/23(土) 01:34
- 更新お疲れさまです!富ヶ岡編待ってました〜♪
ここのところ完全に自分を見失ってしまっている梨華ちゃん。
いや、自分というものがすごくよく見えてしまったが為の結果なのかな。
そして責任感というものが出て来た証拠でもありますよね。
色々話した事でほんのちょっぴり元気になれたし、
早く梨華ちゃんらしさを取り戻して欲しいです!
頑張れ!梨華ちゃん!!そして柴ちゃん!!
- 728 名前:作者 投稿日:2006/09/24(日) 00:19
- >>725
たぶんがんばるんじゃないかな
>>726
これは今後は分からない
>>ピースさん
この二人、何度も同じことを繰り返してるようにも見えます。
- 729 名前:第五部 投稿日:2006/09/24(日) 00:20
- 石川が落ち込もうが練習は続く。
夏休みが終わり、二学期になる。
生活リズムは、夏休みペースから授業ありペースに変わっていく。
「ちょっとー、石川さん、ノックしてくださいよ。それにさっさと閉めて」
女子バスケ部室。
ドアが開いていれば中まで見えてしまう。
普段はノックして、中で着替えていた場合は死角になる場所に移動してからドアを開けるのだけど、石川はいきなりドアを開け、しかも閉めることすらしなかった。
着替えの真っ最中の小川、困る。
でも、外に男子はたまたまいなかった。
- 730 名前:第五部 投稿日:2006/09/24(日) 00:20
- 「いいからちょっとどいて」
「ぜんぜんいいからじゃないから。今度梨華ちゃん着替えてるときドア開けて出てくからね」
柴田の声もまるで無視。
石川は一冊の雑誌と、なにやら紙の束とセロハンテープを抱えている。
紙の束から一枚を取り出し、壁に貼った。
「何貼ってるのよ」
「是永美記ちゃん」
「はぁ?」
「中村の七番じゃないですか」
「そうよ。美記ちゃん」
美記ちゃんってなんだ美記ちゃんて、と誰もが思うが、突っ込む前にとりあえず壁に貼られたポスターらしき紙を見る。
- 731 名前:第五部 投稿日:2006/09/24(日) 00:21
- 「これなに? 月バス?」
「うん。そのコピー」
今日発売日のバスケ雑誌。
それをわざわざカラーコピーをとったらしい。
石川は同じものを別の壁に貼ろうとしている。
七番をつけた是永が、ドリブルで切れ込んでいくシーンが映っていた。
「これ、抜かれてるの石川さんじゃ・・・」
「いいの」
「写真はいいから月バスの方ちょっと貸してよ」
石川は口では答えずに雑誌を持った手を伸ばしたので、柴田はそれを取った。
今月号は、先月のインターハイの結果が特集されている。
優勝校は見開き二ページ、右に男子、左に女子がユニホームを着たベンチ入りメンバー全員の集合写真を掲載されている。
まずは自分たちの映りをチェック。
納得したらページをめくる。
次のページからは各試合の戦評。
当然、決勝が一番大きく紙面を占めるが、インターハイは全試合、一回戦で大差のついた試合でも、短い評論はつけられる。
- 732 名前:第五部 投稿日:2006/09/24(日) 00:21
- 「決勝は、高橋のおかげで勝ったことにされてるのな」
雑誌を持っているのは柴田。
それをみなで取り囲んでみている。
口を開いたのは後ろから覗き込んだ形の平家。
高橋は照れた笑みを浮かべている。
「確かに、あそこで外が打てなかったらひっくり返されてたかもしれないですからねえ」
最終クォーター、是永へのディフェンスにかかりっきりでオフェンスまで頭が回らなかった柴田が振り返る。
決勝の戦評はさすがに詳しく載っている。
前半のロースコアな展開、是永の攻守での大車輪の活躍、富ヶ岡のエースの不発、ディフェンスのチェンジ、終盤の追い上げ、そして、最後の突き放し。
中村学院のボックスディフェンスが抑えられたのは、ある時間帯はインサイドだけ、ある時間帯はアウトサイドだけ。
このバランスをとって、両方を同時に抑えることが出来れば、冬の大会は逆の結果になるかもしれない。
そう、締めくくられている。
- 733 名前:第五部 投稿日:2006/09/24(日) 00:22
- 「オフェンスもそうだけど、あの七番をある程度止められないと、どうしても苦しくなるんだよな」
「そうなんですけどねえ」
是永を止める、その担当になることはありえないので少々他人事な平家と、実際に当たってみてこれはかなわないと実感した柴田。
そして二人、顔を上げると石川は紙をまだ貼っている。
「全部貼るのか? それ」
「半分は私の部屋に貼ります」
「何枚あるんだよ」
「三十枚」
「貼りすぎでしょ!」
平家と石川の会話、最後は柴田が突っ込んだ。
部室は部員全員のものだ。
そこに、なぜ是永、なぜライバルチームのエース・・・。
マイケルジョーダンだの、コービーブライアントだの、あるいは田臥勇太など、そんなポスターが貼ってあるバスケ部室は普通にある。
しかし、なぜ是永・・・。
そんな冷たい視線が石川に集まる。
- 734 名前:第五部 投稿日:2006/09/24(日) 00:22
- 「一種類じゃないんだな一応」
「三種類十枚づつありますよ」
「ああ、これだ!」
柴田が石川の貼るカラーコピーを見ながらページをめくると、高橋が目ざとく見つけた。
試合の戦評が並んだページの後には大会で目立った選手たちの試合中の表情が映っている。
さらに是永は、大会最優秀選手ということで単独インタビュー記事まで載っていた。
石川が貼っているのは、自分が抜かれているシーン、腰の低いディフェンスで相手を見上げているシーン、そしてインタビューでの笑顔の写真の三種類である。
「なんでそんな貼ろうと思ったの?」
「かっこいいんだもん」
「だったら家でだけ貼ればいいじゃない」
「だめ」
「なんで?」
「練習前にこの顔は見ないといけないの」
「なんで?」
「少しでも近づけるように」
まじめな声でそう答えるが、紙を貼る手は止めない。
返ってきた答えがそれなりにまっとうなものだったので、柴田も二の句がつけられずにちょっと困った。
そこで声を上げたのが高橋だった。
- 735 名前:第五部 投稿日:2006/09/24(日) 00:22
- 「臥薪嘗胆やね」
「ガシンショウタン?」
一同ハモル。
聞きなれない言葉が高橋の口から出てきた。
「たきぎのベッドに寝て、吊るしたレバーをなめるんです」
「なにそれ?」
「戦争に負けた昔の王様が、その悔しさを忘れないようにって、たきぎのベッドに寝て、レバーをなめるんです」
「なぜレバー?」
「苦いからやないですか?」
「それでどうなったの?」
「そうやって頑張って、国をまとめて、次の戦争は勝ったそうです」
「おぉー」
意外な四文字熟語を知ってる高橋に驚くと同時に、それなら石川のやってることもありかなあ、という空気が一瞬流れる。
しかし、高橋はそれから続けた。
「だけど、その戦争に勝って、いい暮らしが出来るようになったら、そのいい暮らしをしすぎて、次の戦争に負けて国が滅んだそうです」
「梨華ちゃん、剥がしなさい」
「えーー」
柴田が雑誌を高橋に預け、実力行使で剥がしにかかるが、石川はその柴田の手首をもって止める。
柴田も本気で力づくで剥がそうと思っているわけではないのでけんかにはならないが、剥がしたいのは本音だ。
- 736 名前:第五部 投稿日:2006/09/24(日) 00:23
- 「愛ちゃん、難しいこと知ってるねえ」
「今日、漢文の授業で習った」
得意気な高橋。
そこに平家が水を差した。
「一年、そろそろ準備しろって」
「あ、はい」
練習前の準備、ボール出し、モップがけ、ビブスも持っていくし、このチームは二十四秒計も練習のたびにセットする。
一年生の準備は楽ではない。
名残惜しげに雑誌を先輩に渡し、一年生は荷物を抱えて出て行く。
「ていうかさあ、梨華ちゃん、この子気にいっちゃったわけ?」
一年生が出て行き、二三年生が残った部室。
石川もさすがにおとなしくなって、紙を貼る手を止め、シューズボックスの上に座っている。
「気に入っちゃったって?」
「美記ちゃんとか言っちゃって。かっこいいとか言うし、目標というより、あきらかになんか気色悪い雰囲気が梨華ちゃんに漂ってるんだけど」
「どういう意味よ」
「意味はいいから。気に入っちゃったの?」
「だって、あんなになにも出来なかったの初めてだったんだもん」
話がつながってるんだかつながってないんだか。
原因と結果の因果関係が柴田には見えないが、ともかく気に入ったのだろう、という理解を柴田はしておくことにした。
- 737 名前:第五部 投稿日:2006/09/24(日) 00:23
- 「だからって、部室中ポスター貼らなくても」
「いいの。美記ちゃんのこともっと知りたいの」
「意味わかんないんだけど」
「シューティングももちろんするけど、ディフェンスフットワークも練習終わってからやります、とか言ってるし。他にもどんなことしてるのかな」
笑顔のポスターに向かって笑みを浮かべてなにやら言っている石川梨華。
怪しげな図である。
怪しげな姿に、一年半も一緒にいれば見慣れてはいるが、付き合いきれないのは変わらない。
「バカはほっといて、そろそろいくか」
「そうですね」
「もう、バカはないじゃないですか、バカは」
「いいから、石川もそろそろ着替えろよ」
「はーい・・」
少々不満顔は見せながらも、石川は自分のかばんを広げ、着替えの準備を始めた。
平家たちは石川が服を脱ぎ始める前に部室を出て行く。
出て行き際、柴田が振り返って改めて部室を眺めると、もうそこらじゅうが是永美記といった感じだった。
- 738 名前:第五部 投稿日:2006/09/24(日) 00:24
- 「いいんですか? あれ」
「しょうがないだろ」
柴田のいいんですか? には、もうちょっと何とか言ってくださいよ、という意味も含まれている。
平家は、石川のことをバカとは言ったけれど、はがせとは一言も言わなかった。
「バカがバカなりに考えた結果があれなんでしょ。あれで石川がやる気出すなら安いもんなんじゃないの」
「でも十五枚ですよ十五枚。貼りすぎですって。こっちがやる気なくしますよ」
「・・・、ちょっと減らすか」
「そうですよ」
力強く柴田がうなづく。
平家は笑いながら言った。
「しかしあいつ、ホント分かりやすいやつだよな」
「ホントですよ」
「馬みたいなもんだ」
「馬?」
「どんなに凹んでても、目の前に目標ぶら下げてやると、鼻息荒くしてそれに向かって走り出す」
「確かに」
柴田はちょっと笑みを漏らした。
是永美記は目の前にぶら下がった目標。
ただ、ニンジンと違って黙ってぶら下がっていないで、本人も走って逃げていくが。
追いつけるかどうかはやってみないとわからない。
- 739 名前:第五部 投稿日:2006/09/24(日) 00:24
- 「柴田も鼻息荒くして走ってもいいんだぞ」
「なんですかそれ」
「柴田だって納得はいってないんだろ。決勝」
「そりゃあ、まあ」
「石川ほど分かりやすく突っ走ること無いけど、たまには感情を表に出して頑張るみたいなさあ」
「まるで冷酷な女みたいじゃないですか、それじゃ私」
「いや、柴田は石川よりはしっかりしてるから、どうしても石川をサポートする感じになっちゃうんだろうけど、別に逆でもいいじゃんか。たまには、柴田のサポートを石川にさせたって。柴田が前に出たってさ」
よりは、という条件をつける単語が入っているのが少々気になるが、平家さんの言っていることは確かにそうかもしれない、と柴田は思う。
石川が前で柴田が後ろ、そういう順列がついたのはいつからだろう。
なんとなく、平家の言葉に柴田はなにも答えられなかった。
- 740 名前:第五部 投稿日:2006/09/24(日) 00:24
- 「別に中村の七番に限ったことじゃないけど、石川だろうが柴田だろうが、他の誰かだろうが、止めてくれればチームとしては誰だっていいんだから」
扉が開け放たれている体育館。
中に入って隅に転がっているボールを拾い上げた平家は、横にいる柴田の頭にぐりぐりと押し付ける。
その圧力に顔を背けつつり、柴田は両手でボールをつかみとる。
平家は、薄い笑みを見せて柴田の元を離れていった。
いつもの自分の定位置にタオルをかけて、その場に座りストレッチを始める。
柴田はボールを持ったまま体育館全体を眺めていた。
「私が前にか・・・」
ぼんやりと考えていた。
- 741 名前:第五部 投稿日:2006/09/24(日) 00:24
- 数日後、石川の貼った雑誌コピーの特製是永美記ポスターは、強圧的説得を受けて、各種一枚づつの計三枚だけが残されて、残りはすべてはがされた。
- 742 名前:ピース 投稿日:2006/09/28(木) 23:39
- 更新お疲れさまです。
動機とキッカケ。そこに自分の闘争本能を刺激する存在。
猪突猛進な梨華ちゃんが盲目的に練習に取り組んだらどこまで成長するのかと楽しみですね♪
それにしても切り換え方が極端だなぁ。w
ユーティリティプレーヤーの柴ちゃんも器用貧乏な現状からひとつ殻を破って
さらに強い富ヶ岡を見せて欲しいと思います。愛ちゃんもまこっちゃんも頑張れ!
- 743 名前:作者 投稿日:2006/09/30(土) 23:59
- >ピースさん
もう一回、富が岡で話が進みます。
- 744 名前:第五部 投稿日:2006/10/01(日) 00:00
- 長期の休み明け、人によっては様変わりして、周りから突っ込みを受けるような生徒もいるが、毎日顔を合わせていたバスケ部員ではそうはいかない。
ただ、生活リズムは代わるし、周りの雰囲気も変わったりするし、これから秋のイベントモードに入っていく時期だったりするし、その影響が出たりもする。
「あれ、高橋どうしたの?」
「私もいいですか? お昼」
「ん? いいよいいよ」
九月も半分くらいが過ぎたころ。
お昼休み。
石川と柴田は南館の屋上でお弁当を食べる。
クラスの普通の友達がいないわけではないけれど、二人はお昼休みもシューティングだけはしているので、周りと一緒にゆっくりは食べていられない。
そこに、食堂の購買でパンを買ってきた高橋がやってきた。
- 745 名前:第五部 投稿日:2006/10/01(日) 00:00
- 「めずらしいねえ。どうしたの?」
「んー、私もシューティングとかしようかなーって思って」
「えらい。それでこそ私の弟子である」
「梨華ちゃん、いつから弟子を持つほどえらくなったのよ」
「半年前から」
半年前、高橋たちが入学してきた頃。
本気で言っているっぽいぞ、と柴田は感じる。
実際、石川さんに憧れてます宣言が入部当時からされていたわけだから間違いではないのかもしれない。
柴田さんに憧れています宣言もあったはずなのに、と柴田は思うと、それ以上突っ込むことが出来なかった。
- 746 名前:第五部 投稿日:2006/10/01(日) 00:00
- 屋上には誰がそろえたか、いすも机も、教室に置かれているのと同種のものがいくつかある。
教室のように整然と並んでいるわけではなくて、適当においてある、という感じなので、高橋は近くのいすを持ってきて、向き合って座る二人の横側に座った。
「いいなあ、お弁当」
「高橋も自分で作ってきたら?」
「あたし、出来んです、料理」
「一人暮らししてるんだから覚えなさいよー」
「梨華ちゃんが人に言えることじゃないと思うけど」
「いいの。私のことは」
料理についてあれこれ言えるほどの腕前は、三人とも誰も持っていない。
石川や柴田のお弁当だって、当然のように本人ではなくて母親が作ったものである。
富ヶ岡の女子バスケ部の朝は早い。
それに向けてお弁当を準備する家は実際大変ではある。
- 747 名前:第五部 投稿日:2006/10/01(日) 00:00
- 石川柴田高橋、という三人で食事をするのは初めてのことだ。
石川柴田、高橋石川、という並びは珍しくも無いが、柴田と高橋は、それほど親しいという言葉が似合うほどの付き合いはない。
実際に話してみると、この子もよくしゃべるは、と柴田は思った。
石川と柴田でいると、無駄話のときは7-3で石川のがよくしゃべる。
高橋もその石川と同じような割合でよくしゃべる。
その上、石川と違って、テンポが速いときにはなに言ってるか聞き取りにくくて突っ込みも合いの手も入れにくい。
気がついたら柴田はほとんど聞き役になっていた。
- 748 名前:第五部 投稿日:2006/10/01(日) 00:01
- お昼は早々に食べ終えて部室で着替えて体育館へ。
富ヶ岡の体育館は、バスケットコートが三面取れるだけの十分な広さがある。
このうち、一面が、いつの頃からか暗黙の了解として、お昼休みでも女子バスケ部が占有できることになっている。
石川や柴田以外にも、バスケ部員がそれなりに体育館に集まっていた。
バスケ部としての練習ではなくて、いわゆる自主練習。
各自が自分の課題を克服するためであったり、楽しいからであったり、一緒に昼休みを過ごす友達がいないからであったり。
それぞれの理由で、体育館に集まっている。
石川は高橋と一緒にシューティングを始める。
基本的にスリーポイントシュート。
二人でシュートを打ち始めると、自然とどちらが入るか比べ始めるようになる。
柴田もシューティングはシューティングであるが、スリーポイントではなかった。
シュートフェイクを入れて、ワンドリブルついてそれからジャンプシュート。
左に顔フェイクを入れて、右にドリブル、一気に加速して、そこからストップジャンプシュート。
静止状態ではなくて、ワンアクション入れてからのシュート、という形を好んで練習している。
練習の一種ではあるけれど、楽しみとしてやっているという比重がそれぞれ高い。
- 749 名前:第五部 投稿日:2006/10/01(日) 00:01
- そんな風に、高橋も石川柴田の屋上ランチ+シューティングというお昼休みの過ごし方に参加するようになった。
お昼休みくらい自分の学年の友達と過ごせばいいのに、と柴田は高橋に対して思ったりする。
でも、高橋は石川とお昼休み終わりにボールをどちらが片付けるかを賭けてシューティングしている。
部としての練習ではないので、一年生片付けておいて、というわけには行かないのだ。
そうしてしばらく過ぎたある日、柴田は屋上ランチは食べたけれど、シューティングには出なかった。
大事な後輩殿からお呼び出しがあった。
「すいません」
「ううん。いいけどさ。どうしたの? 珍しいじゃない」
呼ばれたのは人の多い本館側の屋上。
柴田は屋上から屋上への移動である。
「愛ちゃん、柴田さんたちとお昼食べるようになったんですね」
「え? ああ、うん。私とって言うか、梨華ちゃんとって感じだけど」
「愛ちゃん、何か言ってました?」
「何かって?」
柴田を呼び出したのは小川だった。
何か言ってたか? と聞かれても、柴田には何のことだかさっぱり分からない。
料理は苦手だとか、聖徳太子が好きだとか、多分そういうことではないのだろう。
- 750 名前:第五部 投稿日:2006/10/01(日) 00:01
- 「いや、あの、なんでお昼柴田さんたちのところに来たのかとか」
「ああ、なんか、高橋もシューティングしたいからとかって」
「ああ、そうですか。そうなんですか」
「なに? どうしたの?」
煮え切らない小川。
柴田の方が不振顔になる。
呼び出しておいて要領を得ないというのはちょっと困る。
「いえ、あの、仲良くやってるんならいいです」
「なに、なんなのよ。はっきりしなさい」
「いえ」
「小川! 呼び出しておいてそれはないでしょ。なんなの! はっきり言いなさい!」
なんで私の周りはこうも突っ込まないといけないキャラばかりなんだ、と柴田は少々嘆きたい。
ともかく、目の前にいるのは、最近どうもはっきりしない態度が増えてきた小川である。
「あの、愛ちゃん、クラスで浮いちゃったみたいで?」
「はぁ?」
少々唐突で驚いた。
そしてそれからちょっと考えてみる。
高橋の性格。
大分偏っているので、周りから浮いてしまうこともありえることのような気もする。
同じ偏っている同士で石川とはちょうど合うのかもしれないとか思う。
- 751 名前:第五部 投稿日:2006/10/01(日) 00:03
- 「なに? なんかあったの?」
「いや、あの・・・。文化祭あるじゃないですか」
「ああ、あるねえ」
「愛ちゃんのクラス、劇やるんですね」
「うん」
「それで、練習出てないらしいんですよ」
「練習?」
小川の説明はどうもはっきりつながらない。
柴田は首をひねって聞いている。
「文化祭、夜も、練習したりするじゃないですか」
「ああ、やってるとこもあるみたいね」
「でも、愛ちゃん、部活あって。「私部活だから出れん」とか言っちゃって」
「まあ、うん、あの子、練習後も遅くまでシューティングしてるしね」
「それだけならまだしょうがないかもしれないですけど、だったら、役代えようって話になったらしいんですよ。だけど愛ちゃん、役はやるって言い張ったらしくて」
小川と高橋はクラスが違う。
高橋がこんな話を小川にしたわけではないのだが、バスケ部にも高橋と同じクラスの人間はいる。
そこから小川に話が伝わっていた。
- 752 名前:第五部 投稿日:2006/10/01(日) 00:03
- 「練習しないのに?」
「はい。それでみんな怒っちゃって。なにあの女って感じで。そしたら愛ちゃん、バスケ部なんやからしゃーない、って、また言っちゃって。そんなの言ったら浮いちゃうに決まってるじゃないですか」
富ヶ岡は普通の公立高校である。
いわゆる底辺高でもないし、いわゆる超進学校でもないし、普通の公立高校である。
普通に体育祭があり、普通に文化祭があり、普通に行事がある。
経営者の方針でスポーツに力を入れている私立高校でもないし、行政がモデル高として部活動を促進するために選んだというような学校でもない。
来年には近隣の杉田西高校と合併して単位制高校として生まれ変わらせよう、と決められてしまうような普通の学校なのだ。
そんな学校の中で唯一といえる特徴が女子バスケ部。
これは学校として強化したわけではなくて、和田先生が個人の力で作り上げたチーム。
普通の学校にある全国ナンバーワンのチーム。
当然、少しづつ特別な存在になってはいく。
だけど、周りは普通の学校の普通の生徒なのだ。
文化祭があれば、クラスの一員として何らかの役割を割り振られる。
石川だって柴田だって、それなりの役割がクラスである。
バスケ部大変だもんね、と負担にならないように周りに気を使ってはもらうけれど、バスケ部だからしょうがない、と自分から開き直るようなことはしない。
- 753 名前:第五部 投稿日:2006/10/01(日) 00:03
- 「あの子そんなこといったの?」
「そうなんですよ」
「ちょっと普通の感覚とずれた子とは思ってたけど・・・」
柴田の感覚からすればありえない発言である。
あきれた、というのが正直な感想だ。
石川あたりなら言ってしまうかも、と思わなくもないが。
「なんか、休み時間とか、話できる子いないから、一人で本読んでるらしいですよ」
「しょうがないな」
「それで、お昼休みはどうしてるのかなってちょっと心配してたんですけど、先輩たちと楽しくやってるなら心配要らないのかなって」
「小川が一緒にいてあげればいいじゃない。心配なら」
「いや、あの。私もクラスの友達とか、いろいろあるし」
「そういえば、練習後すぐ帰るようになったのって、あれ? 文化祭の練習?」
「はい」
「小川も劇やるの?」
「ええ」
「どんな役?」
「主役のエリート社員です」
「主役? なんかそんなイメージ無いんだけど」
「いえ、ホントは、そのエリートの妹でちょい役ですけど」
「なんだ」
「しょうがないじゃないですか。部活あるのにそんな、出番の多い役なんかやるわけいかないじゃないですか」
「そうだよね。普通そうだよね」
- 754 名前:第五部 投稿日:2006/10/01(日) 00:04
- 柴田にしたって、文化祭は模擬店の売り子の予定である。
準備段階の仕入れとかいろいろな部分はどうしてもなかなか参加しにくい。
そういうのが大変だけど、そこに参加しないと“高校の文化祭”というのを楽しみきれないというのは分かってはいる。
だけど、自分はバスケをやると選んだんだ、と言い聞かせて、クラスの子達に迷惑をかけないようにするしかなかった。
「それで、小川は私にどうしてほしいのよ」
「愛ちゃんと仲良くしてあげてほしいって言うか」
「仲はいいわよ。別に。変な子だけど私も嫌いじゃないし。梨華ちゃんはああだし」
「なんか、孤独を感じないようにしてあげてほしいなって」
「うーん。別に、私も梨華ちゃんも普通に接するだけだけど。それより、クラスで浮いちゃってることのほうが問題なんじゃないの? そっちどうにかしなさいよ。高橋と同じクラス、いるでしょ。確か。誰だっけ?」
「いや、いるんですけど。それは愛ちゃんが悪いって思ってるみたいで。だから、先輩たちに何とかしてもらえたらなって」
- 755 名前:第五部 投稿日:2006/10/01(日) 00:04
- 「あのさあ。私たちだって出来ることと出来ないことがあるのよ。シュートがうまくなりたいとかディフェンス頑張りたいとかなら付き合ってあげられる。一人暮らしがさびしいとか言うなら、鍋パーティーとかくらい付き合ってあげたりもしてもいいよ。でも、クラスで浮いてるのとかまではどうにも出来ないよ。お昼休み孤独がいやでシューティングするって言うなら、それも付き合ってあげるけどさあ。クラスでのことまでは無理だって。小川が高橋のこと心配する気持ちは分かるけど。いじめられてるって言うならまだ何かやりようもあると思うよ。でも、浮いちゃってるだけでしょ? 話し聞いてると自業自得な気がするし」
- 756 名前:第五部 投稿日:2006/10/01(日) 00:04
- 柴田にしたって友達がとても多いというわけではない。
普通の高校の中の特別なバスケ部の中心選手で、外見的にも魅力がある、となればよってくるクラスメイトは多いが、柴田自身は解放的な性格というわけでもないので、付き合い方は限定されたものになる。
部活の中でも、みんなと比較的仲良くやってはいるが、何があっても友達、と言い切れるとしたらそれはたぶん石川くらいかなと思っている。
でも、まわりに気に触るような言い方をして浮いてしまうようなことはなかった。
友達が多いわけではないから、そういうところは気をつけている。
そんな柴田にとって、高橋みたいな行動は、自業自得のありえないこと、である。
- 757 名前:第五部 投稿日:2006/10/01(日) 00:04
- 「それは分かるんですけど・・・」
「高橋が自分で何とかするしかないでしょ。大体、梨華ちゃんと違って私と高橋ってそんなに近いわけじゃないよ。私が高橋に、クラスで浮いてるんだって? とか聞いたら、それこそ先輩による嫌味いじめになっちゃうし」
中途半端な距離感の先輩から、浮いてるんだって? と言われる立場というのは、なかなかに痛いものだ。
親しい先輩なら、そこから相談につながるかもしれないが、柴田は、高橋から見た自分は、石川先輩と仲のよいチームメイト、という存在だと感じているので、そういう展開は出来ないと思っている。
「小川が心配するのは分かるけどさ。普通に接するしかないんじゃない? まあ、移動教室で一人で歩いてるのとか見かけたら、声くらいかけてあげることにはするけどさ」
なんで私に相談するかなあ、と疑問に思いつつ、結局柴田は小川の求めているような回答はしてやらなかった。
少々不満な顔はしながらも小川は頭を下げて帰っていく。
小川にしたって、割と無茶を言っているのは自覚していたので、しつこく食い下がりはしなかった。
- 758 名前:第五部 投稿日:2006/10/01(日) 00:05
- 「石川と一緒にいると、すごい頼れるしっかりした感じに見えるから不思議だよな」
その日の練習前、柴田が平家にこの話をすると、平家はこう答えた。
柴田はなんとも答えにくいという顔をして、つながる言葉を待つ。
「柴田だけで見ると、それほど頼れるって感じは無くて、まあやさしそうかなあってところだけど、石川と並ぶと、しっかりしてそうに見えるんだよ。だからだね。柴田に相談が行く理由は」
なるほど。
普通に柴田も納得してしまう。
柴田自身でも、自分がそれほどしっかりしているとは思っていない。
「でも、文化祭蹴って自主練するっていうのはチームとしては悪いことじゃないしなあ」
「そうとも言えるんですよね」
「どっちかっていうと、高橋より小川の方が練習量は必要なんだけど」
「そうかもしれないですねえ」
最近は全体練習が終わると、すぐに上がっていく小川。
理由が、クラスの文化祭の練習に合流するため、と分かってしまうと、もっと練習していけとはいえなくなってしまう。
「なんで、柴田にしても小川にしても、いい人っぽい方がわがままタイプのサポートになっちゃうのかねえ」
なんとも答えにくく、手に持ったボールを無駄に空中に投げてみたりする柴田であった。
- 759 名前:第五部 投稿日:2006/10/01(日) 00:05
- 和田コーチがやってきて集合がかかる。
練習前の挨拶、のさらに前にメンバーにシートが回覧された。
「国体の組み合わせが発表になったから」
インターネットで公表された組み合わせをプリントアウトしたものらしい。
部員もそれなりに多いので、それぞれで見られるように四部が渡されて、その組み合わせを中心に四つの輪が出来る。
「福岡は逆サイドか」
「また決勝だね」
福岡=中村学院=是永美記
初戦の相手ではなくてそこしか見ていないのは石川である。
逆サイドということは決勝まで勝ちあがらないと対戦できないが、自分たちも相手もそこまでの過程で負けるとはほとんど思っていない。
- 760 名前:第五部 投稿日:2006/10/01(日) 00:05
- 「かおりん」
先にメンバーに行き渡らせてから、後ろから覗き込むようにシートを見た平家が声を上げる。
「かおりん?」
かおりん言われても周りのメンバーはいまいち分からない。
平家が解説を加えた。
「私の代で、一番怖いなって思うセンターがかおりんなのよね。飯田圭織でかおりん。ひさしぶりだな」
「ああ、あの飯田さんですか」
「去年のインハイでやりましたっけ?」
一回戦、神奈川県チームの対戦相手は島根県だった。
- 761 名前:第五部 投稿日:2006/10/01(日) 00:06
- 平家たちにとって、島根県といえばイコールで飯田圭織である。
昨年のインターハイ、二回戦で当たった。
結果は当然平家たち、富ヶ岡が勝っている。
97-53
点差も大分あった。
ただ、飯田には二十点以上取られ、大分てこずった記憶はある。
まだ、高橋や小川は中学生で知らない世界。
柴田や石川は一軍半といったところで、スタメンとして定着は仕切っていないころ。
当時二年生の平家はチームの大黒柱とまではいかないが、中心選手として飯田と対峙した。
- 762 名前:第五部 投稿日:2006/10/01(日) 00:06
- 外から見た世界では、同世代という言葉を使うとき、一つや二つ年が違っても同じ世代という扱いをする。
だけど、高校生にとって同じ世代というのは同じ学年という意味になる。
周りを見渡したとき、同じ学年の選手、というのがどうしても意識の中心に入ってくる。
平家にとってはポジションまで同じ飯田であったり、また、離脱してしまったが安倍であったり。
そういったところがライバル視する存在だった。
その飯田との一年ぶりの対戦になる。
一年前のインターハイ、チームも自分も勝ったとは思っているが、個人として圧倒したとまでは思っていない。
「あのチーム、周りが貧弱でしたよね、確か」
「そういえば、今年のインハイ、予選で負けて出てきてなかったしね」
「でも、国体だから周りもちゃんとしたメンバーで固めてるかもしれないですね」
平家たちにとっては、飯田圭織がまずいて、そのまわりがいる、という意識になる。
石川、インターハイの宿舎で顔をあわせた「愉快な吉澤さん」の記憶が消えているわけではないが、島根県、というチームと吉澤はつながらなかった。
- 763 名前:第五部 投稿日:2006/10/01(日) 00:06
- 「福田明日香」
「だれ?」
「島根はたぶん、福田明日香がおる」
同じ代の高橋。
上の世代の飯田のことなんか知らないが、自分の代のトップ選手は知っている。
組み合わせ表を見て、先輩たちが飯田を思い浮かべたのと同じように、高橋は福田を思い浮かべた。
「だれそれ?」
「ガードです。どこの高校行ったか知らんけど、中学のときは島根の中学やった」
「うまいの?」
「それなりに」
自分より、とは言わない。
そんなことはチラッと思っても言わない。
上から見てそれなりにうまいと評価してやる、という姿勢をとる。
- 764 名前:第五部 投稿日:2006/10/01(日) 00:07
- 「かおりんにいいガードがつくとちょっとうるさいかもしれないな」
「そんなことより決勝ですよ。是永美記ちゃん」
「梨華ちゃん、決勝までは三つ勝たないといけないんだからね」
「分かってるって。でも、美記ちゃんが大事なの。今度こそ止めてやるんだから」
「ディフェンスメインなのかよ」
お前がディフェンスはないだろ、というニュアンスで平家が突っ込む。
周りも、石川の口から止めてやる、などという言葉が出てきたので、意外すぎてある種失笑、というような空気も流れた。
「まあ、組み合わせ出たけど、あまり意識しすぎないように。普通に練習するから。柴田の言うように、決勝に残るまでには三つ勝たないといけない。それを甘く見てはいけないけれど、でも、常に、決勝で勝てるレベルを意識して練習すること」
「はい」
「じゃあ、組み合わせはあとで部室にでも張っとけ。ランニングから」
和田コーチが締めていつもどおりの練習が始まる。
意識しすぎるな、と言われても、何かを考えながら動く必要のないランニングの間くらいは、それぞれに飯田であったり是永であったりを頭に浮かべていた。
- 765 名前:ピース 投稿日:2006/10/07(土) 21:38
- 更新お疲れさまです!
梨華ちゃんの「止めてやる」発言に意識の変化が垣間見える気がします。w
それにしても初っぱなですか!どんなゲームになるのか今から楽しみです。
愉快な○○さんの心境やいかに!って感じですね。
- 766 名前:作者 投稿日:2006/10/08(日) 00:49
- >ピースさん
初戦といえば初戦ですが、二年近い連載で、ようやくといえばようやくなわけであります。
- 767 名前:第五部 投稿日:2006/10/08(日) 00:49
- 「初戦からとんでもない相手になったもんだ」
組み合わせ表を確認しての中澤の独り言。
国体は各地域の代表十六チームで争われる。
インターハイが五十六チームであることを考えれば、初戦からレベルの高い相手に当たる可能性が高いのは理屈としては分かる。
しかしだからといって、これは予想していなかった。
次の代表練習、この組み合わせ表を中澤は全員分印刷して配った。
今は多少の予備知識さえあれば、先生から渡される前にネットで確認することも出来る。
選手たちの半ば以上は、すでに組み合わせを知っていたが、それでも改めて全員そろって確認すると実感も違う。
- 768 名前:第五部 投稿日:2006/10/08(日) 00:50
- 「初戦から日本一チームとあたらなくてもいいのに」
「いいじゃない。勝ち上がっていかなくても日本一と試合できるなんて最高でしょ」
見方は当然二通り。
前者は吉澤、後者は大谷の言葉。
勝ち上がっていくには厳しい相手になったが、力を試すという意味ではこれ以上ない相手ともいえる。
「まあ、これではっきりいえることは、後のことごちゃごちゃ考えんと、最初の相手だけに集中すればええってことやな」
二回戦以降のことを考える余裕などこの時点でもはやない。
一回戦で日本一のチームに勝てるというのならば、あとはどことやってもそれより力の落ちるチームである。
作戦がどうのこうのはあった方が当然よいが、それがなくたって、力としては勝負が出来ることを証明した後、ということになる。
とにかく初戦。
余計なことを考える必要はない。
「まあ、練習しよか。飯田、よろしく」
練習はキャプテンが仕切る。
中澤も時折口を出すが、基本的には選手に任せている。
このチームは本当に選手とコーチの関係性が対等に近い。
コーチが選手の位置まで降りてきた、というのではなく、ようやく選手の位置まで追いついてきた、という表現の方が近い形ではあるが。
- 769 名前:第五部 投稿日:2006/10/08(日) 00:51
- 練習後、中澤は飯田と福田を国語教官室に呼んだ。
休日の教官室は他の教員もおらず、職員室ほど無駄に広くないし、進路指導室のような、普段人のいない部屋で感じる冷たさもないし、話をするにはちょうどよい。
「実際どうしたらええと思う?」
「どうしたらって?」
「一回戦。いきなり神奈川やんか。普通にやって勝てる相手やないし。二人の知恵をなんか出してよ」
自分の単独チームなら保田を呼んだところ。
このチームではキャプテンが飯田だから飯田の方を呼んだ。
そして福田はやはりなんと言っても頼りになると思っているし、他の二三年生よりもよほど全国レベルのチームや選手の知識があるので呼んでいる。
ここに保田を呼んでしまうと、二人と自分の知っている世界の違いを変に感じさせてもいけないと思って呼ばなかった。
保田と市井は、別のタイミングでその二人をセットにして話を聞こうと思っている。
バスケの知識はいまいちでも、人生経験は高校生より五割以上長い。
その辺のことには気を使う。
ただし、五割以上であって、二倍以上というと怒られるので注意が必要だ。
- 770 名前:第五部 投稿日:2006/10/08(日) 00:51
- 「普通にやるしかないんじゃないですか?」
先に口を開いたのは飯田。
福田は最近、一番最初には口を開かなくなった。
「最初に明日香が何か言ってしまうとみんなが考えなくなるから」
そう福田に伝えたのは保田だ。
最初から福田が決めにかかると吉澤が反発するとか、自分の立場もなくなるとか、いろいろとあるにはあるのだが。
それらもひっくるめて、福田に頼り切りはよくないから、という考えで保田にそう言われてから、福田は少し周りの意見を聞いてから口を開くようになった。
- 771 名前:第五部 投稿日:2006/10/08(日) 00:51
- 「普通で大丈夫なんか?」
「大丈夫とは思わないですけど。いまさら変わったことなんて出来ないじゃないですか。一ヶ月でゾーンディフェンスとかやってみます? 一ヶ月って言っても、毎日練習できるわけじゃないんですよ圭織は」
普通のチームの一ヶ月とは違う。
選抜チームの一ヶ月は、練習回数で言うとせいぜい七八回程度しかない。
それでも、島根県チームは多い方だ。
国体を、選抜チームを重視しないような地域だと、予選にあたる見に国体前から通算して、五〜六回程度で済ませてしまうというところもある。
そういったことまで考えて、勝つために逆に選抜チームではなくて単独チームの編成で出てくるチームもある。
- 772 名前:第五部 投稿日:2006/10/08(日) 00:52
- 「圭織はずして市松の子だけでやるって言うならいいと思うけど、圭織も試合に出たいな」
「そんなことはせえへんって。圭織がおるとおらんでインサイドはぜんぜん違うやろ」
キャプテンやっていても、飯田にも自分が外様組の一人だという意識がないわけでもない。
個人の能力で負けるとはまったく思わないけど、周りとの連携を言われると外されることがないわけでもないと思っている。
自分が周りにとって扱いにくいということ、ましてや周りを生かすプレイというのが苦手だということを最近はわかってきている。
- 773 名前:第五部 投稿日:2006/10/08(日) 00:52
- 「明日香はどう思う?」
「ゾーンは別に。飯田さんなら基礎も出来てるから練習すくなくてもやってやれないことはないと思います。でも、通用するとは思えないですけど」
「通用しない?」
「あのチームは四番まで含めて外のプレイヤーみたいなものだから。ボールはどんどん回るはずです。それで外を捨てられるなら問題ないですけど、そんなことはなくて。そうすると動かされて動かされて、崩れたところから打たれるだけです」
「だめか」
「ダメでしょうね。よっぽど準備つめれば別ですけど」
インターハイ決勝で、中村学院がボックスワンというゾーンを敷いて、ある程度抑えることが出来てはいた。
しかしながら、それは、準備期間が違うし、また、石川梨華に対する是永美記というカードがあったから出来たことだ。
このチームに、石川に対するカードが何かあるか、というと少し厳しい。
- 774 名前:第五部 投稿日:2006/10/08(日) 00:52
- 「国体は、勝つためだけの試合はあまりしたくないって感じがします」
「明日香にしては珍しいこと言うな」
「別に、この選抜チームが好きじゃないとかそういうことじゃないですけど。でも、みんな、この選抜チームのために練習してるわけじゃないじゃないですか。基本は自分のチームがあって、その上でこの選抜があって。もちろん負けてもいい、とかそういうことじゃないですけど。みんな、自分の力を試すチャンス、みたいな位置づけなんじゃないですか?」
「圭織もそう思う。圭ちゃんとかと一緒のチームでやれて楽しいし、このチーム好きだけど。でも、やっぱり自分のチームのが大事かなって。インターハイ出られなくてむかついてたけど、国体で久しぶりに全国出られて、久しぶりにみっちゃんとやれるし。がちがちに戦術組むより、普通に勝負したいって思うな」
- 775 名前:第五部 投稿日:2006/10/08(日) 00:52
- 選抜チームというのは、ある意味でオールスター的な意味合いがある。
中学の大会で言えば文字通り、全中オールスターなどという呼ばれ方をして、県の代表選手たちが競い合う。
その一方で育成、という意味が本質的にはある。
チームとしては都道府県を勝ち抜く力がなかったけれど、個人としては全国クラスの選手というのは各地にいる。
そういった選手に全国大会の土を踏ませて経験を積ませる。
今回の例で言えば、まさに飯田がその例にあたっている。
- 776 名前:第五部 投稿日:2006/10/08(日) 00:53
- 「普通になあ」
「普通って言っても、別に何にも考えないでただマンツーって意味じゃないですよ」
「明日香の言うこと難しいんだよ。今度は何?」
「一対一だけが自分の力を試すって言うことじゃなくて、試合の流れの中でどんなことが出来るのかっていうのが自分の力を試すって言うことだから。たとえば、ハーフのマンツーっていうのが最初の約束事でも、流れの中でガードはスリークォーターから当たっていこうとか、そういう判断もあるし」
スリークォーターとは日本語に訳せば四分の三。
一番前からはあたらないけれど、四分の三まで来たらあたっていく、という意味でハーフよりも四分の一ほど前からディフェンスにつくという意味合いになる。
ハーフではなくて四分の三までこられると、ガードとしてはゲームを作ることだけではなくてボールを運ぶ部分にも神経を使うことになるので楽ではなくなる。
ただ、ディフェンス側も体力を消費することになるわけでお互いさまなのであるが。
- 777 名前:第五部 投稿日:2006/10/08(日) 00:53
- 「結局どうしたらええんよ」
「富ヶ岡ならビデオも手に入るし、そういうのはしっかりと見るけれど、具体的な戦術は変わったことはしない、ってことでいいんじゃないですか? ディフェンスは基本的にハーフのマンツー。オフェンスは、どうしても飯田さん中心になりそうではあるけれど、最初からスリーポイント中心とか偏ったことしないで、個人の判断に任せるって言うことで」
「圭織もそう思う。って言うかそうしたい」
「まあ、そうやなあ。それがええのかもしれんな」
ああやってこうやってこうすれば勝てる、みたいな戦術が自分で組み立てられればこんな相談を選手たちにしないのだが。
そう思って中澤は少し自分がふがいなくなる。
でも、これが現実でその中でやっていくしかないんだろうなあ、と短い間に思った。
- 778 名前:第五部 投稿日:2006/10/08(日) 00:53
- 「それで二人は向こうのチーム結構知ってるんやろ」
「圭織は試合したことあります。去年のインターハイだからずいぶん前だけど」
「どうやの? 実際」
「みっちゃんすごい」
「みっちゃんって平家さんのことですか?」
「そう。みっちゃん。平家さん。圭織、負けてると思わないんだけど、でも、周りの評価はソロとしてはみっちゃんのが高いみたいで。気に入らないから今度は何とかしてやろうと思ってるんだけど」
中澤、腕を組んで考え込んでしまう。
現状、富ヶ岡のことはインターハイの三回戦を見たことがあるだけ。
自分たちに百点ゲームで勝ったチームをダブルスコアで簡単にひねったという強い印象がある。
それでも飯田のところは個人で勝てるんじゃないかと思っていたのだが、本人の口から負けると思わない、という言葉までで、勝てる、という言葉が出てこないというのが相手の強さを物語っている。
- 779 名前:第五部 投稿日:2006/10/08(日) 00:53
- 「明日香はどう?」
「私のマッチアップだけなら問題ないと思います。この前見た限りだと、高橋さん? 14番の子、前も試合しましたけど、それほど厳しい相手じゃなかったし。そこから伸びてはいたけど、割とだましやすいタイプだったから、こっちがボール持ってる分には問題ないですね。ただ、常識はずれなところがあるから、ディフェンスするのにはてこずるかもしれないですけど」
「他のところは? 中三人。うちとの比較で言うと」
「・・・。難しいですね」
福田、考え込む。
インターハイのときに見たメンバー。
自分たちのチーム構成。
頭の中で比較する。
- 780 名前:第五部 投稿日:2006/10/08(日) 00:54
- 「二年生二人。あそこの破壊力はちょっと止められないと思います。ただ、もう一人。十五番だったかな、たぶん一年生。あそこは問題ない。松をつければとめられるとおもう。一対一なら、っていう条件付ですけど。あのチームはその前にボール回して崩して一対ゼロを作るから。オフェンスとしてみるなら二年生のうちの石川さんの方、たぶん、吉澤さんにつくと思うけど、そこはザルだから、インサイドでボール入れれば吉澤さんで勝負できる。あとやっぱり十五番の一年生。松とあの十五番なら松で勝負すれば一対一なら勝てます。ただ、ディフェンスで誰がつくかは向こうが選ぶことだから分からないですけど。どっちにしても、止めるのは大変ですけど、点を取ることなら何とかいけると思います」
- 781 名前:第五部 投稿日:2006/10/08(日) 00:54
- 点を取られる覚悟は必要だけど、同じように点を取っていくことは不可能ではない。
そういう解釈になる。
インターハイの県予選決勝で、延長前までのスコアで75点。
そこにプラスして飯田の得点力が加われば・・・。
とは言うものの、相手のディフェンス力は県の決勝レベルではなくて全国大会の決勝レベルである。
それを相手に何点取れるのか。
光明を見出すとしたらそこしかないとはいえ、中澤もいまいち希望が持ちにくい。
- 782 名前:第五部 投稿日:2006/10/08(日) 00:55
- 「そんな難しい顔しないでくださいよ。圭織がなんとかするから心配しないで大丈夫ですって」
「そうかぁ?」
「前は一人で戦ってみっちゃんに勝てなくて、ソロの力はみっちゃんが上ってことにされちゃったけど、今度は明日香がいるし。大丈夫ですって」
「ホンマ、頼むは」
中澤は懇願するように言った。
とりあえずは資料を集めて検討することはしてみよう、というのがここでの唯一の結論となって解散する。
富が岡のように前年度三冠、というようなチームの資料は集めやすい。
試合のDVDも前年度分は市販品が手に入る。
その上、インターハイ決勝の録画映像も手に入れられた。
この点だけははっきりと相手に対しての優位点だ。
飯田も含めた島根県チームの資料など登録名簿しかないし、中心となる市立松江の記録も、インターハイ一回戦負け以外にめぼしいものがない。
富ヶ岡側は、実質的にデータ無しで島根県に対峙することになる。
そんな、中澤の、そして福田のプランを台無しにする事件が、大会一週間前に起きた。
- 783 名前:ピース 投稿日:2006/10/14(土) 19:09
- 更新お疲れさまです…って、
大会一週間前に一体何が起きたんだぁぁぁぁぁぁぁっ!!!Σ( ̄□ ̄;)!!
よもや、まさか…。嫌ぁなヲカン。;
”事件”という文言に戦々恐々としつつ続き楽しみに待っています!
- 784 名前:作者 投稿日:2006/10/15(日) 00:57
- >ピースさん
前振りがあってそこで切る場合は、たいしたことじゃないというのが世の中のエンタメの相場です。
ここでは果たしていかがでしょう。
- 785 名前:第五部 投稿日:2006/10/15(日) 00:58
- 「あほ! バカ! 能無し! 変態! なんで柔道なんかやるんだよ!」
「しょうがないじゃないですかー。だってー、うち、先祖代々続く柔道の家柄で、家の道場を継ぐためにはー、私がー」
「あほ! 冗談言ってる場合か!」
「痛いじゃないですかー。けが人に暴力反対ですよー」
「せめて剣道を選べ剣道を! キャラに無いのに柔道とかやるな!」
選抜チームが集めれるのは、この人あとは出発の直前練習だけ、というだけのタイミングである。
血相変えて怒っているのが大谷で、松葉杖をついて体育館に現れて怒鳴られているのが松浦だった。
- 786 名前:第五部 投稿日:2006/10/15(日) 00:58
- 「どうせ、男子と寝技をやりたいからとかいう理由で柔道選んだんだろ!」
「そうなんです。もう、みんな、私の魅力にめろめろで、みんな、私と組みたがるんですよって、そんなわけないでしょ」
「一人ぼけ突っ込みやってる場合か! バカ!」
松浦が松葉杖をついている理由。
体育の授業の柔道で足を払われて、無理に踏ん張って素直に倒れず、浮いた足でもう一度体を支えようとした挙句、足首を負傷。
全治二ヶ月、と言われた。
一週間後の大会には、どうあがいても間に合わない。
練習中の怪我、というようなことなら同情しやすいのだが、体育の授業の柔道などという、キャラにないとおろで怪我をされると文句の一つも言いたくなる。
- 787 名前:第五部 投稿日:2006/10/15(日) 00:58
- 大谷も、不機嫌極まりない、という表情で文句を言っているが、怪我した当人をこれ以上責めても仕方ないというような気がしないでもないので、苛立ちを抱えつつ松浦の頭をはたいて去っていく。
ボールを拾い上げて、ありえない距離からゴールに向かってシュートを放つ。
ボールはリングに当たって大きく跳ね上がった。
すでに大会一週間前。
よそのチームから新たに代わりの選手を招集する余裕はないし、市松のメンバーから加えるにも、少々力の差がありすぎる。
結局、松浦の登録は外さずに、松葉杖を着いたままベンチに入れることとした。
- 788 名前:第五部 投稿日:2006/10/15(日) 00:58
- 「ちょっとは慰めてとかもらえるのかなって思ったんだけどなあ」
帰り道、松浦がポツリとこぼす。
隣にいるのは福田だけ。
練習後、一人で黙々とフリースローを打っていた福田を、最後までコートサイドでじっと見ていた松浦が、怪我してるから家まで送って行けと言い出した。
福田は、何わがまま言ってるの? と返したが、部室に戻って着替え終わると、黙って松浦の荷物も自分で持った。
リュックならともかく、肩にかけるタイプのバッグは、松葉杖突きながらでは持ちにくいのだ。
「あれだけ元気振りまいてたら誰も慰める気にもならないでしょ」
「でもさー」
「チームとして迷惑こうむったのは事実だし」
怪我して痛いのは本人だけではないのだ。
大会前に、期待していた選手に怪我なんかされたら、ゲームを組み立てる側の人間としては。自分の方が慰めてもらいたいよ、という気分がないわけでもない。
- 789 名前:第五部 投稿日:2006/10/15(日) 00:59
- 「松が怪我して、大谷さんなんか試合に出やすくなったのに、それでも怒ってもらえるんだから感謝しなさい」
自分のことだけ考えるならば、松浦が怪我したことで、二番三番のポジションを争う人間が一人減る。
大谷としては、保田と市井と二人のどちらかをはじき出せばいい立場になったのだ。
この二人が常に四十分出ずっぱりということはないと想定すると、松浦という存在がいなくなったことで、大谷の試合での出場時間は格段に増える、という計算になる。
「大谷さん、最初はいつもカリカリしてて怖かったのに、変わったよね」
「松のことが気に入ったんでしょ」
「そうかな?」
「そうじゃなきゃ、強引に引っ張って一緒に帰ったりしないでしょ。松だって、悪い気しないから素直につれられて帰ってたくせに」
「あー、明日香ちゃん、嫉妬ですか? 私のこととられちゃったとか思って」
「別に。何バカなこと言ってるの?」
- 790 名前:第五部 投稿日:2006/10/15(日) 00:59
- 福田の表情は変わらない。
松浦は、福田の横顔を見ながらくすくす笑っている。
二人は、少し無言で歩いた。
いつもは、松浦が一方的にしゃべって福田は適当に相手をしている。
福田が黙っていても、勝手に松浦はしゃべっているのだが、今日の松浦は少しおとなしい。
「二ヶ月だって?」
「え?」
「足」
「うん」
信号待ち。
福田は正面の歩行者信号を見ながら口を開く。
今から二ヶ月。
国体の後まで響く怪我だ。
- 791 名前:第五部 投稿日:2006/10/15(日) 00:59
- 「松はベンチにいるとうるさいんだよね」
「なにそれ」
「あっちがあいた、走れ、戻れ。指示だかなんだか、いちいち飛んできて、声でかいからやけに耳に入ってくるし。試合に出てフロアにいてくれる方が、うるさくなくてよかったんだけど」
「どういう意味よ」
「中は飯田さん、外は松で、攻め手が二つあれば、相手が富ヶ岡でも結構何とかなるんじゃないかと思ってた。ディフェンスが大変だけど、飯田さんと松で、それぞれ点を取ってくれれば、何とか付いていけて、最後まで勝負になるかもとか、そんなこと考えてた」
- 792 名前:第五部 投稿日:2006/10/15(日) 01:00
- 信号が変わる。
松葉杖を付いた松浦は、ゆっくりと、一歩一歩渡っていく。
隣を福田は歩く。
右を見て、左を見て。
普段は感じないけれど、松葉杖なんかついてゆっくり歩いていると、歩行者信号が点滅するのは意外と早いし、点滅してるときに目に入る、向こう側から左折しようとしている車のプレッシャーも結構怖い。
福田は、そんな左折車と、松浦を交互に見ながら、松浦にとって盾になる側に立って歩く。
松浦にとって松葉杖体験初日。
まだ、スムーズには歩けない。
歩行者信号は赤になったけれど、なんとか横断歩道を渡りきった。
「松は、まだいろいろな経験が足りてない。だけど、それでも、ある程度通じる力はあったと思うし、その上で経験を積めば、誰からでも点が取れるフォワードになれると思う。そのために、ちょうどいい相手だと思ってたんだけど。でも、多分、またチャンスは来るはず」
- 793 名前:第五部 投稿日:2006/10/15(日) 01:01
- 福田は松浦の方は見ずに、正面を見ながら語る。
松浦は、福田の横顔を見ていた。
「慰めてくれてるつもり?」
「怪我して試合に出られなくても、チームに迷惑かけたとしても、それをなんとも思わないほど松はバカじゃないってことは分かってるよ」
「素直じゃないなー」
「そっちでしょ。素直じゃないのは」
大会一週間前、怪我をした当日に、練習を見ながらコートサイドで松葉杖振り回して、「走れー」「ディフェンスー」「ノーマークは決めましょうよー」などと元気に叫んでみたりする人が素直なのかどうかはよく分からない。
「ありがと、って言っておいた方がいいのかな」
「無駄に怪我なんかするなバカ」
「はい」
怪我をされて困るというのと、あなたのことは必要だ、というのはこの場合、ほとんど同義語でもある。
- 794 名前:第五部 投稿日:2006/10/15(日) 01:02
- 普段よりも大分ゆっくりなペースで歩く。
少し距離の遠い松浦家までゆっくりと歩く。
行く先は松浦家だけど、松葉杖を付いた松浦が少し後ろ、二人分の荷物を抱えた福田が少し前。
いつもより口数が少なかった松浦も、少しづつしゃべりだす。
松浦家が近づいた頃、福田の方が口を開いた。
「それでさ、結局、なんで柔道選択したの?」
「え? なんでって?」
「ホントに男子と寝技したかったのかなって思って」
松浦立ち止まる。
福田も止まって振り向いた。
ゴン。
左手に持った松葉杖で、遠慮なく福田の頭を叩いた。
「ありえないー」
「痛いなー」
「明日香ちゃんでしょ。男子と寝技したいのは」
「私は普通に剣道選んだし」
無表情で結構な質問をした福田も、松葉杖でたたかれて苦笑する。
本気で聞いたわけではないけれど、ちょっと聞いてみたかった。
- 795 名前:第五部 投稿日:2006/10/15(日) 01:02
- 「ほら、ついたよ」
「部屋まで送ってよ」
「甘えない。後は自力で何とかしなさい」
「やだー、おんぶー」
「無茶言わない」
「いじわるー」
「何とでも言いなさい」
福田は抱えてきた松浦のバッグを突き出す。
松浦は、えーとか何とか言いながら、左の松葉杖を右に持って、バッグを左肩に通した。
門を開けて、自宅に入っていく。
自由の利かない体で、ぎこちなく振り向いた。
「早く直しなよ。大会は国体だけじゃないんだから」
「分かってるって」
「じゃあね」
福田は、松浦が手を振り返すのも待たずに背中を向ける。
その背中を見つめて松浦はちょっとため息。
そして、ドアを開けて家に入っていく。
「実際、どうしよう、松抜きで」
福田は福田で、ため息をつくのだった。
- 796 名前:第五話 投稿日:2006/10/22(日) 00:24
- 遠征に出るまでに映像は何度も見た。
DVDだったり、ビデオだったり。
チーム全体で、学校のメディアルームで最初は見たが、吉澤は、昨年の冬の選抜大会決勝のDVDを借りて、家でも見た。
何度も見た。
自分はたぶんスタメン。
そして、自分が付くマークが誰かは分かっている。
リバウンドにも参加するけれど、基本的にはアウトサイドがプレイゾーンらしい。
スピードがあって、ボールさばきもうまく、ジャンプ力があるから、高さでも勝っているとは言い難い。
以前、雑誌の表紙で見かけた顔。
一度、言葉を交わしてみた相手。
石川梨華。
「あれに勝てれば日本一か」
そう、口に出していってみるけれど、実感は伴わなかった。
日本一、その言葉が、自分の手の届くところにあるという感覚がまるでない。
試合なのだから、自分が石川を止める必要がある。
そう認識していても、その手立てはまったく浮かんでこない。
- 797 名前:第五話 投稿日:2006/10/22(日) 00:25
- インターハイの決勝でも見れば、少しはイメージも違ってきそうなものであるが、吉澤はあえてそれは見ない。
あれは、ディフェンスがすごすぎて参考にならないのだ。
今の吉澤ではああはいかない。
もう少し、手の届くレベルのなかでどうにかならないものか考える。
浮かばない。
石川が自分のミスでボールを奪われるところは何度かあるが、ディフェンスが止めた、というような場面が見られない。
- 798 名前:第五話 投稿日:2006/10/22(日) 00:25
- 結局、何の糸口も見つけられないまま、遠征の日を迎える。
前日練習は、会場の隣の市まで出向いて市民体育館を借りた。
メニュー自体は軽めなものに抑えてある。
一応、五対五の練習もした。
スタメン組みと見える方には、福田、市井、保田、吉澤、飯田、というセットである。
体育館は三時間借りていたが、全体練習自体は準備から含めて一時間少々で終えた。
あとは各自で、という形。
それぞれにシューティングなどをしてゆっくりと調整している。
一人一人、クールダウンを終えて、フロアを去っていくものもいる。
そんな中、吉澤は、コートの隅でストレッチをしている福田に声をかけた。
- 799 名前:第五話 投稿日:2006/10/22(日) 00:25
- 「暇?」
福田は足を伸ばしたまま顔を上げる。
何も答えない福田に、吉澤は繰り返す。
「暇かって、聞いてんの」
「ストレッチしてますけど」
「まだ動く余裕はあるな?」
「まあ、一応」
見上げたまま福田が答えると、吉澤は横を向いてボールを弾ませる。
二度、三度、両手でボールを床につく。
最後に拾い上げて、もういちど福田のほうを見ると、吉澤は口を開いた。
- 800 名前:第五話 投稿日:2006/10/22(日) 00:26
- 「あー、あのさ、頼みがあるんだよね」
腰に手を当て、渋い顔をして言う。
福田の方は見ない。
表情も変えず、伸ばす足だけ替えながら福田が答える。
「何ですか?」
吉澤は、ボールを持たない方の手で頭を掻く。
頭をかきむしる。
それから、福田のほうを向き直った。
「一対一の相手してください。お願いします」
二年生の吉澤が、一年生の福田に頭を下げた。
「いいですけど、ポジション違いますよだいぶ」
いたって平静な福田。
確かに、福田と吉澤はポジションが違いすぎる。
「あー、もう。稽古つけてくれ! って言ってんだよ。突破力のあるやつのディフェンス練習したいんだよ!」
- 801 名前:第五話 投稿日:2006/10/22(日) 00:26
- 明日、が一回戦。
対戦相手は神奈川県で、それは実質富ヶ岡高校で、吉澤がマークに付く相手は石川梨華。
破滅的な攻撃力を持つ石川。
それを止めなくてはいけない。
飯田のような、強靭なセンターとは戦った。
しかし、突破力のある、スピード主体の、外からのオフェンスを得意とするトッププレイヤーとまともに戦ったことは無い。
吉澤なりに考えた。
身近で一番突破力のあるやつと練習をする。
それは、頭にくるけど、どう考えても福田だった。
- 802 名前:第五話 投稿日:2006/10/22(日) 00:26
- 「分かりました」
福田は脱いでいたバッシュを履きなおす。
その間、吉澤は手持ち無沙汰に、ボールをついていた。
つきながら体育館を見渡す。
怪我をしている松浦が、ボールを投げてあやかと飯田がリバウンドを争っている。
保田がミドルレンジでシューティング。
ミカと大谷はストレッチをしながら談笑している。
市井は、一人で引き上げていった。
「私がずっとオフェンスなんですか?」
「あたりまえだろ、お前なんか相手に私がオフェンスで一対一やっても意味無いだろ」
「確かに」
冷静に福田が答える。
インサイドでボールを持つ吉澤相手に、福田がディフェンスに入ったって、それは滑稽な図にしかなりえない。
ゴールを背に、吉澤はボールを持って立つ。
福田も、吉澤の意図は分かった。
自分を仮想石川としてなんとか抑えるイメージを持ちたいのだろう。
それくらいは分かる。
さすがに石川になりきることは出来ないけれど、ある程度は付き合ってやろうと思った。
「手加減無しでいいんですね」
「バカにするなよ」
吉澤がボールを福田に渡す。
一対一が始まった。
- 803 名前:第五話 投稿日:2006/10/22(日) 00:27
- まったく止まらない。
外からスリーもある、フェイクは絶妙。
ボールコントロールは抜群で、右からも左からも突破できる。
吉澤が考えていた通り、格好の仮想石川になっている。
なってはいるが、止められないのでは意味が無い。
周りは、一人、また一人とコートから去っていった。
保田が一人体育館の隅に座り見ていたが、それもいつの間にかいなくなっている。
その間、吉澤は一本もとめられなかった。
福田が自分でミスをしてシュートをはずすことはある。
そのリバウンドを拾うことはある。
しかし、自力で吉澤が、止めた! と実感できたことは一度も無かった。
- 804 名前:第五話 投稿日:2006/10/22(日) 00:27
- 「少し休みませんか?」
先に切り出したのは福田だった。
明日が試合。
せっかく軽めに終わらせた練習が、これでは意味が無い。
「とめらんねー」
いらいらがたまっていた吉澤は、答える代わりにコートサイドに転がっていたボールを蹴り飛ばすと、そのまま壁に寄りかかり座った。
福田も、少し離れた場所に置いてあるドリンクボトルを二つ持ってきて、吉澤の隣に座る。
「ああ、サンキュー」
吉澤が、福田からドリンクを受け取り口にした。
- 805 名前:第五話 投稿日:2006/10/22(日) 00:27
- 「しかし、ホントに容赦ないやつだな」
「石川さんレベルでやるには手抜きなんか出来るわけ無いじゃないですか」
「別に、そんなこと頼んでねーよ」
頼んでないが望んでいる。
ふてくされたように言う吉澤に、福田は笑みを漏らした。
「ああー、どうしたら止められるんだよー」
そう叫んで吉澤は、壁から背中を滑らせて仰向けになる。
仰向けになったまま、頭を抱えた。
福田は、その隣で汗を拭きながらドリンクを口にする。
今日の練習、調子がいい自分のプレイ振りには満足していた。
「福田ってさあ、石川梨華よりうまいの?」
仰向けになったままの吉澤の問いかけ。
福田はボトルを置いて吉澤の方を見る。
目線がぶつかった。
「ドリブル突破だけなら、石川さんのが上じゃないかと思います」
「そーでございますか・・・」
お手上げ、という心境だった。
- 806 名前:第五話 投稿日:2006/10/22(日) 00:27
- 「なあ、どうやって止めたらいいんだ? あの突破とか、フェイクかどうかさっぱりわかんないスリーとか」
石川のことか、福田のことか。
福田は、とりあえず明日のことをイメージして答える。
「無理なんじゃないですか」
「いつになっても遠慮の無いやつだなあ」
ほとんど自分でも実感していることを、改めてはっきり言われた。
無理を承知で聞いているところに、無理という返事では何の意味もない。
「そこをなんとかって言ってるんだろ」
「ボールがわたらないようにするしかないですね」
「ボール持たせたら終わりってことか?」
「はい」
「そうか・・・」
体育館の天井に向かってため息をついた。
- 807 名前:第五話 投稿日:2006/10/22(日) 00:28
- ボールを抱え体を起こす。
足の間にボールを置き、それにもたれ抱える。
しばらくけだるそうに体をボールに預け揺らしている。
その隣で、福田は口にしたドリンクを横に置いた。
「取られたら取り返せばいいんですよ」
福田の言葉に吉澤は顔を上げる。
「ディフェンスで止めるのはほとんど無理。だったら同じだけ取ればいい」
「無茶言うなよー」
「そんなに無茶でも無いですよ。夏に見たときは、何とか人並みにはなってたけど、元々ディフェンスはざるって言われてたんですから、吉澤さんでもいい状況でボール受ければ勝負にはなるはずです」
「オフェンスかあ・・・」
「まあ、それでも、総合力ではやっぱり差はあると思いますけど」
「だよなあ・・・」
吉澤はバッシュを脱ぎ始めた。
それを見て、福田もバッシュを脱ぐ。
- 808 名前:第五話 投稿日:2006/10/22(日) 00:28
- 「私と石川梨華んとこはともかく、明日はチームとして勝ち目無いか?」
「松がいれば、チャンスあったんですけどねえ」
選抜チームが組まれてから、飯田が松浦に付けたあだな、“あやや”
ほとんどみんなが松浦のことをあややと呼ぶようになったが、福田だけはかたくなにその呼び名は使わない。
彼女一人、松、と呼び続けている。
「あややが?」
「あのチーム、穴が無いとか言われてるけど、実際は穴はあるんですよ」
「どこに」
「二番の、名前出てこないけど、二番ポジションの一年生が穴です。あそこに松をぶつければ、大分点が取れたと思うんですよね」
「市井さんじゃだめなの?」
怪我で出られない松浦。
そうなると二番ポジションは市井もしくは大谷ということになる。
今までの采配を見ていると、市井がスタメンになるのが濃厚だ。
- 809 名前:第五話 投稿日:2006/10/22(日) 00:28
- 「市井先輩は・・・」
そこまで言って口ごもる。
もう二人しかいない体育館。
会話の声が反響して響く。
「市井先輩は、中学のときのがうまかったような気がします」
福田は、吉澤の方を見ずに言った。
吉澤はこの言葉を聞いて、福田の方を見る。
横顔だけが見えた。
ため息をついて仰向けになる。
ボールを真上に投げ上げ、顔の上に落ちてきたところをキャッチした。
「飯田さんも、似たようなこと言ってたな」
留学に行く前の市井。
一度、飯田たち出雲南陵と対戦している。
結果は、出雲の圧勝。
それでも、飯田には市井の印象が強く残っていた。
選抜チームで練習するようになってしばらく経った頃に飯田が言っていた。
「紗耶香は一年生の頃のがすごかった」
そう言われても、吉澤は、一年生の、中学生の市井を知らない。
- 810 名前:第五話 投稿日:2006/10/22(日) 00:29
- 「福田のマッチアップはどうなんだよ」
吉澤が話題を変える。
市井の話題を、あまり福田が引っ張りたくなさそうなのが目に見えた。
「一年の、高橋って言ったかな、多分その子がつくと思いますけど。簡単にはいかないと思います」
「めずらしく弱気だな」
「負ける気はないですけど、夏に見たときに、中学のときより伸びてたし、自由にはさせてもらえないかなって」
「あー、もうー、お手上げか」
仰向けのままじたばたもがく。
全国のトップっていうのは、いったいどんなレベルなんだ。
そんなことを、改めて思った。
- 811 名前:第五話 投稿日:2006/10/22(日) 00:29
- 「珍しい組み合わせだな」
入り口から保田がのぞきこんだ。
声をかけられて吉澤は体を起こす。
「バス来るから、いい加減着替えろ」
二人はバッシュを抱えて立ち上がった。
- 812 名前:ピース 投稿日:2006/10/28(土) 21:09
- 個人的な用事がやっと落ち着いたので二週分まとめてロム。
怪我は残念でしたが念願の対決はなんとか実現しそうでホッとしてます。って誰かに怒られそうですけど。w
よっすぃーVS梨華ちゃんのマッチアップはすごく楽しみです♪
ふたりの第1ラウンドはどんな結果が待っているのか…。
そして個人的には愛ちゃんVS明日香のガード対決も注目しています。
今夜の更新も楽しみにしていますよ♪
- 813 名前:作者 投稿日:2006/10/28(土) 23:55
- >ピースさん
連載開始二年。ようやく初対戦だー。
- 814 名前:第五話 投稿日:2006/10/28(土) 23:56
- 神奈川県チームと島根県チームは同じ宿に泊まっている。
インターハイのとき、中澤が稲葉を使ってもろもろを整えさせた結果、宿が富ヶ岡と同じ場所になった。
その縁で、中澤が富ヶ岡の監督の和田に挨拶をしている。
今度は、稲葉を使わずに、中澤が直接和田にお願いして宿の調整をしてもらった。
「ありがとうございますー、今度お食事でもー」とか何とか言っておけば、簡単だった。
そんなわけなので、試合前日に顔をあわせようとすれば会えたはずではある。
しかし、メンバー同士は顔を合わすことは無かった。
お互いに意図的に避けていた。
- 815 名前:第五話 投稿日:2006/10/28(土) 23:56
- 試合の日。
体育館ではお互いの存在を認める。
遠めに吉澤の姿を見つけた石川は、軽く会釈だけした。
吉澤も、会釈を返すだけ。
言葉は交わさない。
王者と挑戦者の戦い。
周りも本人たちもそれを認識しているこの一回戦。
ゲーム直前のミーティング。
ただ一人、昨年のチームではあるが、直接に神奈川県チームすなわち富ヶ岡と直接に対戦した経験のある飯田がキャプテンとして口を開いた。
「何があっても驚かないこと。どうなってもあきらめないこと。戦意をなくさないこと」
福田以外のメンバーからすれば、飯田は強大な力を持つ選手。
その選手から出たこの発言。
よし、やるぞ、と思うよりも、どれだけすごいんだいったい、という恐れが先にたった。
- 816 名前:第五話 投稿日:2006/10/28(土) 23:57
- 島根県チーム、スタートは福田、市井、保田、吉澤、飯田。
対する神奈川県チームは、高橋、小川、柴田、石川、平家。
インターハイ優勝メンバーがそのままスタメンに並んでいる。
ゲームは、ジャンプボールを拾った柴田がそのまま持ち込んでのゴールで始まった。
島根県チームのゲームの組み立ては福田が行う。
ボールを運ぶ福田には高橋がついた。
それぞれのマッチアップを見る。
どこも単独で勝っているとはとても感じ難い。
かろうじて、飯田と平家のところが五分と五分といったところ。
ボールは回るが、効果的なパスは出せなかった。
二十四秒計が進み、苦し紛れの保田のシュートが落ちる。
リバウンドを拾った平家から始まる速攻で追加点が入った。
- 817 名前:第五話 投稿日:2006/10/28(土) 23:57
- オフェンスを組み立てたいけれど、福田一人ではどうにもならない。
市井は小川に、保田は柴田に抑えられ、ボールを奪われないのがやっと。
吉澤は、石川との身長差を生かして中でボールを受けようとするが、石川は吉澤に対してボールサイドに立ち、パスを受けさせない。
どこがディフェンスざるなんだ、と吉澤は脳内で憤慨するが、解決策は見つからない。
結局、攻め手は何とか飯田に送って一対一、という形しかなかった。
ディフェンスも崩されっぱなしだった。
適度に動き、スペースを作って、そこに走りこんでボールを受ける。
それを、一人一人がボールを持たずにフェイクをかけた上で徹底しているので、なかなかついていけない。
その上、速攻もすばやく出てくる。
肌で感じるレベルの違い。
圧倒されながらも、少しは慣れて来る。
たまにはディフェンスが対応できることもある。
ノーマークを作らずに、なんとかボールに、オフェンスの動きについていった。
24秒計が進んでいく。
ボールは石川に渡った。
- 818 名前:第五話 投稿日:2006/10/28(土) 23:58
- 石川と吉澤は正対する。
右サイド四十五度、スリーポイントライン付近。
ボールを受けた石川はシュートフェイクを入れる。
吉澤の重心がほんの一瞬浮いた。
その横を、石川がドリブル突破する。
止める間は無かった。
ファウルで止めることすら出来なかった。
意識だけが追いかけて、足がついていかなかった吉澤は、バランスを崩してしりもちをつく。
接触があったわけでもない。
重心を振られて、それでもついていこうと上半身だけ反応しての腰砕け。
吉澤は、石川のシュートが決まるのを見上げるしか出来なかった。
- 819 名前:第五話 投稿日:2006/10/28(土) 23:59
- 「もう一回言うね。何があっても驚かないこと。どうなってもあきらめないこと。戦意をなくさないこと」
タイムアウト。
ベンチに戻ってきたメンバーに飯田の言葉。
たった五分で20-4
奪った四点は、飯田のゴール下個人技で取った二本だけ。
戦意もなくす。
「真ん中三人、もうちょっと何とかなるでしょ」
市井、保田、吉澤。
ここでことごとくやられている。
三人から言葉は返ってこない。
「明日香、何とかして」
飯田は個人技に優れているが戦略眼はない。
打開するには福田の力がいる。
- 820 名前:第五話 投稿日:2006/10/28(土) 23:59
- 「何とかと言われても」
「それ以前の問題やないか?」
中澤が口を挟む。
メンバーが中澤の方を見た。
「紗耶香、ミカと交代。保田は大谷さんと交代。技術とか戦術とか以前に、やる気見せろやる気。名前に飲まれてんじゃないよ、かっこ悪い」
舌打ちして吐き捨てる。
フォワード陣二枚を変えた。
「吉澤、一対一で見事にやられたあんたにはもう一回チャンスをやろう。それでダメならあやかと替える」
中澤に面と向かって言われたが、吉澤は返事もしなかった。
「替わって入った二人もそうやけど、とにかくやる気みせいや。話はそれからや。一発ぶちかましたれ。パンチでもキックでも」
中澤の檄にメンバーは送り出された。
- 821 名前:第五話 投稿日:2006/10/28(土) 23:59
- 一方富ヶ岡ベンチ。
体が温まってきたところでのタイムアウト。
汗を拭くのにちょうどいいかな、というタイミング。
「ガードとセンター。四番と九番の二人だな。あとはいてもいなくてもってところか」
和田コーチの一言。
きつい言葉ではあるが現実ではある。
「高橋。抜かれるのはいいけど、さばかせないように。マークはタイトに。平家は、まあ、ファウルだけはするな。ハイポローポで面とった四番に入ったら、高橋以外は近くにいたら外からはさみに行け」
ハイポローポ、すなわち、ハイポストとローポスト、リング近くの台形のフリースローライン近くとエンドライン近く。
そこで平家を背負うように飯田がボールを受けたら、外からもう一人ディフェンスが付いて前後を挟むようにしろという指示。
平家が万が一ファウルアウトになると、そのあと飯田一人にボールを集めて追い上げられる危険がある。
一対一でも十分互角であるが、そこをさらに優位に立たせようというものであるし、ついでに言えば、そういうシチュエーションでファウルをしでかすのは、外からはさみに来るプレイヤーになるので、たとえファウルアウトになっても、控えで十分対処できるマッチアップであるという読みもある。
- 822 名前:第五話 投稿日:2006/10/28(土) 23:59
- 「オフェンスは自由にやっていいぞ。ただ、高橋。もうちょっとスムーズにパスは捌けないのか?」
「すいません」
「ボールは頭の上に上げとけば取られないから。ドリブル止まってもあまり神経質になるな」
「はい」
一対一で唯一負けているのはここ。
パスがスムーズでなくても、受けての実力差で点が取れているが、だからといって修正しなくてよい点ではない。
「よし、声だしていけ」
「はい」
高橋以外は余裕の表情でフロアに戻った。
- 823 名前:第五話 投稿日:2006/10/29(日) 00:00
- タイムアウト明け、福田がボールを運ぶ。
替わったメンバーを見ても、そこで一対一に勝てるわけではない。
状況は、これから打開する必要がある。
とりあえずボールを大谷にはたく。
柴田のマークはきつく、自由にボールを扱えない。
中央にあがったミカへ戻すだけ。
ミカもパスの出し先が見つからず、左サイドから上がってきた福田に送る。
福田は、自分で動いた。
ボールを受け、そのままトップスピードに乗ってドリブルで突っ込む。
高橋は対応するが、バックチェンジ一つでかわした。
さらに進む。
ゴール手前、カバーに来たのは石川。
そこで止まりシュートフェイクを入れる。
石川を中に飛ばして、福田は吉澤にバウンドパスを送った。
ゴール下のノーマーク。
簡単にジャンプシュートを決めた。
- 824 名前:第五話 投稿日:2006/10/29(日) 00:00
- 福田と吉澤。
戻り際、簡単にパチンと片手を合わせる。
しかし、戻ったのは吉澤だけだった。
「麻琴! 待って!」
福田に張られた高橋が、ボールを入れようとする小川を制する。
しかし、その言葉が届く前に、小川は安易にボールを送った。
福田がそのボールをさらう。
左0度でボールを持った福田にとって、一対二の状態。
常道ならば、味方の上がりを待つ。
福田は待たなかった。
一人目、スピードだけで高橋を振り切る。
二人目、立ちはだかる小川。
左にボールをもちかえ、ライン際へ。
小川がついてくると見ると、ロールターンで切り替えた。
小川をはずし、ゴール下。
三人目、柴田が戻ってくる。
それよりわずかに早く、福田が飛んだ。
ボールはリングに吸い込まれた。
- 825 名前:第五話 投稿日:2006/10/29(日) 00:00
- 「ハンズアップ! ハンズアップ!」
ゴールを決め、両手を二回叩くと、福田はそう叫んだ。
チームの指示でもない。
チーム全体への提案でもない。
ただ、福田は、一人で前からついた。
福田が張り付いたのは高橋。
今度は小川も安易にボールをいれたりはしない。
福田の意図を理解したミカは、下がらずに前目に残った。
小川は、サポートに来た柴田にボールを入れる。
そこにミカがついた。
バックコートで三対二の形。
福田がいようとも、相手は富ヶ岡の精鋭。
冷静に運べばフロントコートまでボールを進めることは出来る。
そこからは五対五のセットオフェンス。
ボールをまわす。
高橋−柴田−高橋−石川。
インサイドに切れ込むと見せかけて、逆サイドから中央を回りこんできた柴田へ。
ややマークの大谷が離れた状態でボールを受けた柴田はスリーポイントを放った。
ボールはリングで跳ね上がり大きく弾む。
吉澤と石川が競り合うが、高さで上回って吉澤がさらった。
- 826 名前:第五話 投稿日:2006/10/29(日) 00:01
- 逆速攻をかけるが、高橋小川の戻りは早く決められない。
ボールをまわしてまわして、ミカのスリーポイント。
これははずれる。
そこからは、テンポよくお互いのオフェンスが流れ出す。
シュート率の違いがある分、点差は開いていくが、島根県チームもそれなりに得点していった。
一クォーター終わって31-14
二クォーター。
メンバーは一クォーター終わりからいじらない。
島根はどうしても攻め手が限定されてしまう。
勝てる、と実感もって福田がパスを遅れる先は飯田しかないのだ。
飯田も自分で分かっていた。
いつもの自分の高校のチームよりも周りのレベルは高いけれど、相手のレベルがもっと高い。
結局、自分がリーダーとして戦うしかない。
- 827 名前:第五話 投稿日:2006/10/29(日) 00:01
- ローポストで福田からのバウンドパスを受ける。
高橋は飯田を挟みには来ない。
背中越しの平家と一対一。
フェイクなしで左足を軸にターンしてそのままシュートの構えへ。
平家を飛ばそうとジャンプのフェイクを入れるがはまらない。
右足を平家の前を横切るように伸ばし、左手でワンドリブル。
そのまま右足を軸にして左足を進めて両足で飛ぶ。
フェイドアウェイのような形でのジャンプシュートは平家のブロックの上は超えるが、ボールはリング根元に当たって落ちる。
リバウンドは石川が拾った。
- 828 名前:第五話 投稿日:2006/10/29(日) 00:01
- 攻め手がいくつもあるときと攻め手が一つしかないのでは、重みも違うしディフェンスの圧力も違う。
ここで勝負してくると頭からかかって守っているから、飯田にボールが入るとディフェンスの集中力が違う。
今度はスクリーンをかけに下りてきた吉澤を壁に使って、ローポストからハイポストに上がって行ってパスを受けてターンする。
フリースローライン上で平家と正対。
右手でドリブル、と見せかけて頭の上でセット。
そのままジャンプシュート、というのがフェイクでこれに平家がかかる。
飛ばした平家の横を右手でドリブルを付いてかわし、そのままランニングシュートと行きたいところだったが、平家の影にいてカバーに入った柴田に体当たりする形になった。
これは飯田のオフェンスファウル。
- 829 名前:第五話 投稿日:2006/10/29(日) 00:02
- 県レベルでは圧倒的だった飯田のオフェンス力でも、ここでは一人で打開は出来ない。
それでも何度でも勝負するしかない。
今度はハイポストで平家を背負って面を取る形で、トップの大谷からバウンドパスを受けた。
背後の平家をどうかわすか。
肩でワンフェイク、を入れた瞬間、下から叩き上げられた。
ボールは中を舞う。
叩いた小川と飛び込んできた柴田、さらに飯田自身、三本の手が伸びるが高さの分飯田がボールを確保する。
それでも背後の平家も加えて三人に囲まれた形。
一人でかわしきることは出来ない。
「外! あいてる!」
囲まれていても、幸い飯田なら頭の上を抜ける。
声に反応してパスを出した。
ノーマークのミカ。
左六十度あたりの位置で丁寧にスリーポイントを放つと、これは決まった。
- 830 名前:第五話 投稿日:2006/10/29(日) 00:02
- 二クォーター、苦労しながらも島根県チームは何とか得点を重ねていく。
しかし、富ヶ岡は少しの労苦でそれ以上の得点を積み重ねていって。
結局点差は開いて50-28で前半を終える。
「かおりん。もっと周り使っていいよ」
「そうだね。うん。かおりもそう思った」
前半が終わり、ベンチに戻ってくるなり口を開いたのは大谷だった。
マッチアップの相手は柴田。
お世辞にも止め切れているとはいえないが、やられっぱなしというわけでもない。
福田が追い込んだ高橋からの安易な横パスをさらってのワンマン速攻と、飯田からのリターンパスをミドルから決めたのとで四点取っている。
- 831 名前:第五話 投稿日:2006/10/29(日) 00:02
- 「飯田さんがゲーム組み立てる感じでいいかも」
「かおり、ガード? なんか頭よさそうでうれしいね」
「私、頭いいですか?」
「英語しゃべれるんだからいいんじゃないの?」
「アメリカ人、みんな天才でーす」
「真に受けるなよ」
ミカと飯田のやりとりに、大谷が茶々を入れてわけの分からない方向に進んでいく。
「飯田さんがディフェンスひきつけて、あいたところに捌いて勝負っていうのが確かに一番得点パターンですよね」
「明日香はいいの? それで」
「好き嫌い言っても仕方ないじゃないですか。それが一番点が取れるなら、私はそれにあわせて動くだけですよ」
「かおりも、本当はパス捌くんじゃなくて、自分で勝負したいんだけど、そうだね。しょうがないよね」
飯田は平家と一対一で勝負がしたかった。
だけど、互いのチーム事情はそれを許してくれないらしい。
だったら、リーダーとしてチームに貢献するしかない。
- 832 名前:第五話 投稿日:2006/10/29(日) 00:03
- 話しこむ四人を横目に、吉澤はベンチに座り込んでいた。
いつもの試合と比べて、それほど動いたというものでもないのだが、どっと疲れは感じている。
そんな吉澤に気づいて、福田が歩み寄ってきた。
「雲の上っていうのはああいうのを言うのか」
前半20分間で、得点4、リバウンド4、アシスト1
マークについた相手の石川は、得点17、リバウンド2、アシスト3
個人の戦いでいえば、圧倒されている。
その実感が、福田を前にこんな言葉をポツリと吐かせている。
「だから、ディフェンスはたいしたこと無いですって」
「そうは言うけどさあ」
「カバーがすぐ来るから、そういう意味では難しいですけど、単なる一対一って意味なら、吉澤さんで十分やれますってオフェンスは」
福田に言われても、まだ半信半疑。
奪った四点は、一対一ではなくて、周りが崩して、その結果フリーになった自分が打たせてもらったシュートで取った点数。
20分経って、まだ、やれるという実感が得られない。
- 833 名前:第五話 投稿日:2006/10/29(日) 00:04
- 「一本勝負してくださいよ、どんな形でも」
「おまえ、いつも一対一やるの止めるだろ!」
「ケースバイケースです。飯田さん以外で勝負してくるって感じれば、少し向こうのディフェンスも変わるだろうし。それに、実際吉澤さんのオフェンスで十分勝ち目はあります」
「まあ、そんなに言うならやってみるよ」
やられっぱなしは腹が立つ。
まだ、戦意は残っている。
「あの五人が頂点なんだよな」
相手ベンチを見やる。
すでにダブルスコア。
余裕の姿で談笑している。
「勝てますよ」
「おまえ、いつもすごい自信だよな」
「今日はきついかもしれないけど、勝てない相手じゃないです」
福田の言葉に吉澤は答えず、薄い笑みを浮かべ立ち上がった。
「夢はでかい方がいいか」
「夢じゃないです。現実です」
「はいはい」
まだ、吉澤はそこまではついていけなかった。
- 834 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/11/01(水) 20:30
- 一ヶ月ぶりにきたらだいぶ話が進んでたw
吉澤の格好いいところが見れるんだろうか
今後が楽しみです
- 835 名前:ピース 投稿日:2006/11/03(金) 18:24
- 明日香のメンタリティーは今後の事を考えると頼もしいですね。
今のところ梨華ちゃんに圧倒されているよっすぃーがオフェンス勝負で
どこまで食い下がる事ができるか見物です。
- 836 名前:作者 投稿日:2006/11/05(日) 00:09
- >>834
一月あると四回くらい更新されるので結構進みますよ。
>>ピースさん
一人くらいこういう人がいないと、いろいろ打開できないですよね。
- 837 名前:第五部 投稿日:2006/11/05(日) 00:09
- 後半スタート。
福田とあんな会話をしたにもかかわらず、吉澤はベンチに下げられた。
代わりにあやかが入る。
ベンチの隅でおとなしく座っていようと思っていたら、保田と市井と三人まとめて中澤に呼び止められた。
自分の隣に座れという。
- 838 名前:第五部 投稿日:2006/11/05(日) 00:10
- 点差は22点。
それでも容赦なく富ヶ岡は攻勢に出てきた。
富ヶ岡ボールで始まるセットオフェンス。
ボールが回って石川へ。
単純な一対一。
突っ込んでくるのを警戒するあやかをあざ笑うかのように、そのまま外からスリーポイントを決めた。
「あたれ!」
前から当たる。
福田に、高橋と小川で二人。
エンドでボールを持った大谷、パスの出しどころが見つからない。
上がっていたあやかがバックコートに戻りボールを受けに来る。
そこに山なりパスを出すも、石川にさらわれた。
また、ディフェンス。
ボールが回ってインサイドの平家へ。
チェックが遅れた飯田がファウルを犯し、二本のフリースローがあたえられた。
- 839 名前:第五部 投稿日:2006/11/05(日) 00:10
- 「ミカさんと二人で運びます」
ファウルで少し間が開いた。
福田が五人を集める。
円陣を組んでの確認。
「大谷さんがボール入れてください。あやかさんと飯田さんは上がりっぱなしで」
「わかった」
「多分、フロントコート入っても圧力きついからおちついて」
福田の言葉に飯田がさらに指示を添える。
場慣れしている二人、場慣れしていない三人。
レフリーに促され、五人は散開した。
- 840 名前:第五部 投稿日:2006/11/05(日) 00:10
- フリースローは二本決まる。
そして、また前から当たってきた。
今度は冷静に対処。
福田がすばやく動いてボールを受ける。
小川と高橋を二人引きずってフロントコートまで。
そこから、パスの出し先を探すが、開いているところが無い。
「動いて! 動いて!」
福田が叫ぶ。
周りも動くがフリーが出来ない。
ドリブルでキープするにも限界がある。
圧力に負け、ドリブルを止めて福田がボールを持った。
高橋と小川に囲まれる。
ピボットでこらえる。
「はい!」
ミカがボールを受けに来る。
狭いところから福田が山なりパスを出すと、柴田にさらわれた。
そのままワンマン速攻。
ミカが追いかけるが届かず、簡単なシュートが決まる。
また、前からのゾーンプレス。
悪循環。
- 841 名前:第五部 投稿日:2006/11/05(日) 00:11
- 福田でさえつかまった。
実際は、周りが悪く、キープして耐えていた福田に罪はあまり無いのだが、周りのメンバーからはそう映る。
福田でさえも、止められた。
「あかん。手の打ち様があらへん」
ベンチでボソッと中澤がつぶやく。
福田でボールが運べないとなると、それを超えるプレイヤーはいないのだから戦術面で何とかしてやりたいところ。
しかし、そんな案は中澤には浮かばない。
「紗耶香、フォローしたって」
とりあえず考えられたのはボールを運べる人数を増やすこと。
あやかに代えて市井を投入する。
身長は多少小さくなるが、マークに付く石川も大きくはないので、そこの問題はあまり影響はないだろう、という判断ではある。
ただ、それで打開できるものでもない。
- 842 名前:第五部 投稿日:2006/11/05(日) 00:11
- 戻ってきたあやかも吉澤の横に座らせる。
フロアでは、ミカや大谷が必死に福田をサポートしてボールを運び、なんとカセットオフェンスの形まで持っていこうとしている。
「みんな必死やなあ、吉澤」
他人事のようなセリフ。
口にしたのはチームを仕切るコーチの中澤である。
吉澤としてもなんとも答えにくい。
「そりゃあ、必死にやらないとボールも運べないディフェンスですし」
「ほう。そういう保田は必死にやっとったんか?」
出だし五分でベンチに下がった保田。
必死も何もそんな時間もなかった、と言いたいけれど、それを言える雰囲気ではない。
「かおりん、何度も一対一っていうか一対二って言うか、囲まれても勝負して。うちら、あの子、すごい選手やって思ってたけど、あれでも勝てん相手っておるもんやな」
「そりゃあ、全国ナンバーワンのチームですし」
「でも、かおりんは勝とうとして必死やな。あれがなかったら、もっと全然点入ってないんやろな」
セットオフェンスになったらとにかく飯田へ。
そこから個人技で勝つときもあるし、負けるときでもディフェンスをひきつけるから捌いてあいたところで勝負。
今日の一番の得点パターンである。
- 843 名前:第五部 投稿日:2006/11/05(日) 00:12
- 「ミカも大谷さんも必死やな。相手のがうまいのわかっとるやろうに、それでも何とかボール運ぼうとして。ディフェンスもくらいつこうとして。出来てるとは言えへんけど」
目の前では富ヶ岡のオフェンス。
速いボールの回りで、最後はゴール下の平家を壁に使って抜けてきた柴田へ。
平家のスクリーンにあって付いていけなかった大谷が必死にブロックに飛ぶが、それより早くミドルレンジからのジャンプシュートが決められる。
「なあ、あんたら、いつからあんな気の抜けた試合するようになったん?」
何も出来ずに五分でベンチに下がった保田。
石川にいいように翻弄された吉澤。
ボールが回ってくるまもなく下げられたのでちょっと立場は違うが、とばっちりで並んで座るあやか。
- 844 名前:第五部 投稿日:2006/11/05(日) 00:13
- 「あんたらよりうまくて強いかおりんがあんなに頑張ってるんやで。あんたらに負けたミカや大谷さんがあんなに必死や。なのに、なんで、あんたらだけあんな気の抜けた感じになるんかな? 自分らより強い相手と試合するのなんて始めてやないやろ。かおりんに何度も負けたけど、すくなくともあんたら必死やった」
福田が一人で高橋と小川をかわしてボールを運ぶ。
フロントコートで四対三の状況になって、石川がカバーとして福田に付くと、サイドに開いた大谷へボールを落とす。
自分は石川を連れたままゴール下まで駆け込み、それによって開いたスペースへミカが走りこむ。
フリースローラインの少し外側、サイドからのパスを受けたミカがジャンプシュートを決めた。
「こんなチャンスもうないかもしれへんもんな。そりゃあミカも大谷さんも必死になるやろ。でも、あんたらだっておなじやないか。こんなチャンスもうないかもしれないっていう部分じゃ。違うか?」
中澤は、ずっとコートを見ながら話している。
隣に座る保田も、試合展開を見ながら聞いている。
お互いに顔を付き合わせながら話しているわけではない。
「点差とか今までの実績とかそんなん考えんと、目の前の相手を何とかぶち倒すこと考えてやってみたらどうや?」
そこまで言って、中澤は立ち上がる。
保田や吉澤の方には一瞥もくれず、コートのサイドライン際まで歩いて行った。
- 845 名前:第五部 投稿日:2006/11/05(日) 00:13
- 「ディフェンス気張らんかい! ボールないところも気抜くな!」
気を抜く抜かないの問題でどうにかなる相手でもなく、なかなか思い通りに止めきれない。
三クォーター、結局89-41と大きく点差を広げられて終わる。
「ラスト、ミカ、大谷、保田、吉澤、あやか。得点板はもう見るな。一本一本勝負。一対一でもいい、周りとのあわせでもいい。なんでもいいから勝負して来や。いまさら見栄貼ったってかっこ悪いだけやから、やれること全部やって砕け散って来い」
あえて福田も飯田も外す。
もう、勝負はついていた。
今後のための十分間。
ただ、メンバーを替えてきたのは、島根だけではなかった。
- 846 名前:第五部 投稿日:2006/11/05(日) 00:14
- 「相手代わってる」
保田がぽつりともらす。
マークの確認をしようとしたら、富ヶ岡のメンバーががらりと変わっていた。
主力で残っているのは高橋一人だけ。
あとは控えメンバー。
「身長順でつく?」
「それしかないかな」
相手のポジションが分からなければ、とりあえず身長にあわせてマークにつく。
- 847 名前:第五部 投稿日:2006/11/05(日) 00:14
- 四クォーターは島根県ボールで始まる。
ゲームを作る役目はミカ。
周りとの連携が出来ているとも言いがたいし、力も福田と比べると少し落ちる。
ボールを回して相手を崩す、とはいかず、窮屈に、取られないことがやっとなパス回し。
二十四秒計が刻まれていく。
外に開いてボールを受けた保田。
低い姿勢でマークに付く十三番に一瞬ひるむが意を決して勝負。
シュートフェイクを見せてから、右手でドリブルを付いてライン際へ。
そのままゴール下までという雰囲気だけ見せてストップジャンプシュート。
十三番を引っ掛けることはできず、完璧なタイミングでのブロックショットに合う。
弾き飛ばされたボールを十四番が拾い、前の高橋へ。
ミカとのハーフコート一対一。
上体を右に左にと動かすことで、ミカの重心を振り、バランスを失わせておいてバックターンで抜き去る。
後は無人のゴールへ向かってランニングシュートを決めた。
- 848 名前:第五部 投稿日:2006/11/05(日) 00:15
- 「先生、私、入れてください」
ベンチで福田が中澤の隣に座って言う。
チラッと顔を見て、それからすぐにフロアに視線を移すと、中澤が答えた。
「あいつとやりたい?」
「ここで叩いておいたほうがいいです」
高橋は、第三クォーターこそ、小川の手も借りて福田を押さえ込んではいたが、それ以外、個人と個人としては、福田にやられた印象がある。
自分がボールを持ったとき、福田のディフェンスがきつく、ゲームメイクが十分に出来ない。
前半は、一対一で突破を許すことも多かった。
そのストレスが、ミカに向けて発散されている。
同学年の二人。
福田としては、自分が上の自信はあるが、ここでもう一度はっきりと叩いて凹ませておきたくなった。
- 849 名前:第五部 投稿日:2006/11/05(日) 00:16
- 「なんかこっち見てるな」
「向こうも待ってるみたいですね」
涼しい顔で福田は答える。
フロアでは、高橋のスピードにミカが圧倒されていた。
「じゃあ、ミカと交代な。保田と吉澤、気合入れてやってや。もうちょっと出来るやろ、あいつらなら」
「もうちょっとどころじゃないはずなんですけどね」
福田は立ち上がりジャージを脱ぐと、オフィシャルに交代を告げた。
保田がファウルをして時計が止まったところで福田が入る。
相手ボールになっているところで、福田がフリースローライン付近にメンバーを集めた。
「向こうはほとんど控えです。アピールしたいから一対一を狙ってくると思うんでそのつもりでディフェンスしてください。こっちも、もうそれで行きましょう。単純に、力と力で勝負。控え相手ならいけますよ」
「おまえ、ホントいつもの主張と違うんだけどどうしたの?」
「たまには、いいじゃないですか」
冷めた顔の福田に、吉澤が鼻で笑った。
「福田がそう言うなら、好き勝ってやってみるかな」
むかつく相手だけど、福田の発言に対しては妙に信頼感を抱いてしまう。
メンバーはそれぞれディフェンスについた。
- 850 名前:第五部 投稿日:2006/11/05(日) 00:16
- 相手はほとんど控えとは言え、それは富ヶ岡の控え。
十二分にレベルは高い。
試合の勝ち負けが見え、ある種吹っ切れたとは言っても、それだけで凌駕できる相手ではない。
ただ、大きな救いがあった。
「高橋! 自分のマークくらいきっちり抑えろ!」
パスの出しどころ。
そこだけは余裕を持ってプレイしている。
なので、ボールを受けるところまでは優位に立てる。
ディフェンスで押さえ込めているわけではないので、点差をつめるまでは行かないけれど、それでも互角に近い展開には持ち込むことが出来た。
残り五分。
試合の最後を締めるためか、両チームともメンバーチェンジ。
島根県チームには飯田が入り、富ヶ岡はスタメンが戻った。
- 851 名前:第五部 投稿日:2006/11/05(日) 00:16
- また、押されだす。
ボールをまわされ、カバーの効かない一対零を作られ、フリーで撃たれる。
試合序盤と同じ展開。
それでも、今度は島根の側も勝負した。
福田がカットインで軽く崩し、小川がカバーに来たところで保田にはたく。
マークに付くのは柴田。
シュートフェイクを入れて抜きにかかる。
コースには入れないが、進路を制限する形で付いていく。
中から石川がフォロー。
二人に囲まれ、保田がつぶされた。
ターンオーバー。
速攻で高橋、小川とつながり、サイドを柴田が走る。
大谷と福田が戻りカバーについた。
吉澤も走る小川に追いつくが、小川はそのまま中まで切れてくる。
四人目として上がってきたフリーの石川へパスが出る。
ミドルレンジ、ちょうどフリースローライン付近から、フリーで石川がシュートを決めた。
- 852 名前:第五部 投稿日:2006/11/05(日) 00:17
- やはり強い。
それでも、一矢は報いたい。
残り時間はわずか。
福田がボールを運び攻めあがる。
福田−大谷−福田。
ボールが戻って、今度は右サイドに開いた吉澤にパスを落とした。
正面に石川、さらに先にはゴール。
飯田は逆サイドに開いていて、マークも引きずられ、石川の後ろには広いスペースがある。
吉澤、勝負。
フェイク無しで、吉澤はドリブルで突っ込んだ。
石川は、懐に入られて一瞬腰が浮く。
そのタイミングで、吉澤はバックターンしボールを左手に持ち替える。
吉澤の動きに、石川は対応しきれない。
半歩遅れて石川は付くが、構わずシュートに行く。
それを強引に止めようとして石川も遅れて飛ぶ。
結果、半ば体当たりするような形になり、二人はもつれ合ってコートに落ちた。
シュートは、満足な形にならず、ボードに当たって跳ね飛んだ。
- 853 名前:第五部 投稿日:2006/11/05(日) 00:17
- 石川のファウルでフリースロー二本。
一対一で突っ込んだら、ゴールは決まらなかったけれどファウルがもらえた。
飯田と、保田と、右手同士を軽く叩く。
石川に柴田が声をかけた。
「やられたね」
「外から勝負してくると思わなかった」
「まだまだみたいですね石川さん」
身長差のある相手。
吉澤が勝負するならインサイドかと思っていたので、外に開いたところでは多少の油断があった。
状況はどうあれ、吉澤が一矢報いた形ではある。
油断というと、それが実力じゃないという意味に聞こえるが、実際には相手がどんな場面で勝負してくるかを読み取ることまで含めてディフェンスの能力なので、いいわけにはなっていない。
それでも、緊迫感がないので、柴田も石川相手に軽口を飛ばせてしまう。
- 854 名前:第五部 投稿日:2006/11/05(日) 00:18
- 吉澤は、フリースローラインに立ち、ボールを受けた。
フリースロー自体は二本決める。
ただ、試合展開に対しては焼け石に水だった。
115-62
大差も大差、53点差。
調子がどうのとか、主力の一人が怪我でとか、まるで言い訳にならない実力差が現れた点差だった。
- 855 名前:ピース 投稿日:2006/11/11(土) 22:17
- 更新お疲れ様です。
島根としては優勝候補大本命のチーム相手だし、
ダブルスコアじゃ無かっただけでも良しとすべきでしょうね。
大会がどう進むのか、健闘空しく敗れてしまった島根のメンバーの心境やいかに。
- 856 名前:作者 投稿日:2006/11/12(日) 00:11
- >>ピースさん
まだまだ勝てる相手じゃなかったようですね。
- 857 名前:第五部 投稿日:2006/11/12(日) 00:12
- 夜、吉澤は大浴場へ続く通路のソファに一人で座っていた。
負けた自分たちは明日帰るのみ。
さっさと風呂に入って寝るもよし、修学旅行気分で枕投げあうもよし。
負けて元々、という感覚で臨んだ試合なので、試合の直後はともかく、少し時間がたてばもう気楽なものだ。
にもかかわらず、吉澤はジャージ姿でソファに座っている。
人通りの多い場所ではないが、浴場へ行くには必ず通る場所。
メンバー達も不思議そうに見ながら通り過ぎたり、隣に座ってしばらくしゃべっていったり。
風呂にゆっくり入って、上がってきてもまだいるものだから、あやかなどは、「のぞき?」 と吉澤に突っ込んだりしている。
- 858 名前:第五部 投稿日:2006/11/12(日) 00:13
- ずいぶん長い間ぼんやりしていたが、島根のメンバーは一巡した後、ようやく待ち人はやってきた。
「ずいぶん遅かったですね」
着替えとタオルとシャンプーセットと、いろいろ抱えてやってきたのは石川だった。
「吉澤さん?」
「名前は覚えていただけたようで」
「覚えますよ。マークにも付いたんだし」
「あはは、マーク。そう。マークですよ。マーク。なんであんなにうまいんですか? スピードあるは、だましのテクあるは、飛べば高いは。外から打っても入るし」
「そんな、全然そんなことないですよ」
「あれでうまくないって言われると、私の立場がないんですけど」
「石川はいつもオフェンスだけで、ディフェンスがざるでって言われるし。今日も、最後に抜かれそうになってファウルしちゃったじゃないですか。吉澤さんインサイドのプレイヤーなのに、外からの突破も止められないでファウルなんですよ、私」
フリースロー二本もらったあのプレイは、自分が勝ったことになっているらしい。
吉澤的感覚で言えば、カウントワンスローなら勝ちだったけれど、ファウルもらっただけではドローみたいな認識である。
フリースローだと、気分的にスカッとしないのだ。
- 859 名前:第五部 投稿日:2006/11/12(日) 00:15
- 「石川さん、今日何点取ったか覚えてます?」
「え、えっとー」
「三十一点ですよ。三十一点。全部私がマーク付いてたわけじゃないけど。じゃあ、私が何点取ったかって、八点だけですよ」
そんなこと言われても石川としては返す言葉がない。
下手ですね、と言えるわけも無いし、私の勝ちです、とか言えるような距離感でもないし。
どうしようかなあ、と思うしかない。
「やっぱーすげーなー、って思いましたよ。ホント。今の私じゃ全然かなわない」
「そんなことないですよ」
「いや。そんなことあります。そんなことあってくれないと困る。あれがすごいんじゃなくて普通だなんて言われたら、吉澤、立場ないです」
ソファに座ったままの吉澤。
大きめな態度で、開いたそれぞれのひざに、ひじを付いて視線を落として話している。
その目の前で石川は立ったまま。
お風呂セットを抱えて、困惑気味だ。
- 860 名前:第五部 投稿日:2006/11/12(日) 00:15
- 「でも、吉澤だって、ちょっとは近づきたいなって思うわけですよ。全国ナンバーワンの石川さんに。雑誌の表紙に載る石川さんに。それでお願いがあります」
「お願い?」
「はい」
指導しろと言われても、そういう眼力みたいなのないし、一緒に練習するには島根は遠すぎるし。
今からと言われてもお風呂入るんだけどなあ、なんてことを頭で考えながら小首を傾げる石川。
吉澤は、視線を落としたまま言った。
- 861 名前:第五部 投稿日:2006/11/12(日) 00:15
- 「携帯番号教えてください」
「え?」
「いや、あの、携帯教えてほしいなあ、なんて」
「え、あ、あの、部屋にあるんで、ちょっと」
「あ、あ、そうですよね。そうだ、そうだ。そうですよ。ごめんなさい。急に変なこといって。いや、忘れてください」
「いえ、そんな、あの。自分の番号って、ほら、意外と覚えてなくて、メモリ見ないとわかんなかったりするじゃないですか」
「いえ、気にしないでください」
ほとんど軟派失敗の図である。
なんとかなかったことにしようと必死な吉澤。
困惑しながらも取り繕う石川。
互いにあたふたしながらも、最後にまとめたのは石川だった。
- 862 名前:第五部 投稿日:2006/11/12(日) 00:15
- 「明日。朝ごはんのときにでも、交換しましょう」
「ホントですか?」
「はい。あ、でも、時間合うかなあ? うち六時半朝食ですけど」
「あ、起きます。うちは明日は帰るだけだから、八時朝食ですけど、起きます。起きて行きます」
大きな大会に出るようになったのはつい最近な吉澤。
対戦相手に携帯番号を聞くだけであたふたしてしまう。
だけど、年中行事として中学の頃から大きめな大会に出ていた石川にとっては、試合が終わった後に、選手同士で携帯番号を交換するのは、よくあることではないが、初めてのことでもない。
お風呂に向かう途中でそんなこと頼まれるのはさすがに初めてではあったが。
「ごめんなさい、なんか、気使わせちゃって」
「いえ、携帯番号くださいって言ったの私だし」
なんとなく視線を落として石川の方を吉澤は見ることが出来ない。
試合をしたもの同士というよりは、ファンと選手、という距離感に近い。
- 863 名前:第五部 投稿日:2006/11/12(日) 00:16
- 「すいません。無理言って。これからお風呂だっていうのに引き止めちゃって」
「いえ、そんな」
「ずいぶん遅かったですけど、ミーティングですか?」
「はい」
「明日も試合ですもんね。今日の反省とかは、ああ、反省するほどのこともないか」
「いえ、そんな。高橋なんかすごい叱られてました。あの、高橋って、ガードの」
「ああ、うち、ガードだけは強いから。あいつがいたから、まだ何とか試合になったって感じで」
石川の言葉から、自分についての感想はなしってことだな、と吉澤も感じ取る。
同じコートの上に立った、というだけで、戦ったというレベルまで行ってないんだろうな、と思った。
- 864 名前:第五部 投稿日:2006/11/12(日) 00:16
- 「ああ、そう。お風呂。お風呂もう行ってください。ごめんんさい、なんか話し引っ張って」
「いえ」
「私、まだ座ってますから」
声をかけたり、立ち止まったり、会話を終えて立ち去って行ったり。
そういう間が取りにくい距離感。
どうしよう、と戸惑いの空気をまといながら、石川は軽く頭を下げた。
「じゃあ、あの、明日」
「はい。明日。起きて行きますから」
「はい」
小さな会釈を何度かしながら、石川は大浴場へと向かっていく。
吉澤はその背中を見送り、石川の姿が暖簾をくぐって消えていったところで、大きくため息をついて立ち上がった。
- 865 名前:第五部 投稿日:2006/11/12(日) 00:16
- 翌日、朝、一人早く起きた吉澤は、石川と携帯の番号を交換した。
六時半にはまだ少し早い時間。
一年生が準備をしている食堂の外で、番号とアドレスを交換する。
別れの挨拶は、「じゃあ、また冬に」
次の大会は、冬の選抜大会。
一年を締めくくる、強豪高では最も重視されている大会である。
寝起きで、学校の統一ジャージを着た石川と、県から支給された国体用のジャージを来た吉澤。
しっかりと握手をして別れた。
負けて今日帰るチームと、これからが大会の本番というチームが、次に会えるとしたら、冬の選抜大会だ。
- 866 名前:第五部 投稿日:2006/11/12(日) 00:16
- 「珍しく寝起きがよかった理由はこれですか?」
石川が食堂に入っていくと、先に座っていた柴田が声をかけた。
吉澤とのやり取りは横目で見ていたらしい。
「なに? これって」
「ファンの女の子とのアドレス交換。どっちがファンだかよくわかんない雰囲気だったけど」
「ファンじゃないよ。昨日試合したでしょ。覚えてないの?」
「覚えてるよ。梨華ちゃんのが小さいのに外からの突破を止められなくてファウルした子でしょ」
「そんな言い方しなくたっていいじゃない」
一年生がお茶をついで行く。
柴田は、なじる石川をそ知らぬ顔でお茶を一杯飲んだ。
- 867 名前:第五部 投稿日:2006/11/12(日) 00:17
- 「なんか、まだ半分素人って感じだったよね?」
「素人?」
「身体能力だけでバスケやってるって感じ」
「そうかなあ?」
「いろいろ雑って言うか。もったいない気がした」
「ふーん。褒めてるのかけなしてるのかよくわかんないけど」
「まあ、梨華ちゃんのディフェンスみたいってことよ」
「どういう意味よそれ」
軽く笑うだけで柴田は答えない。
石川が突っ込もうとしたところで、キャプテンの平家の声が全体にかかって、会話は止まった。
- 868 名前:第五部 投稿日:2006/11/12(日) 00:17
- 大会はまだ続くけれど、吉澤たちは帰郷する。
バスに乗り、一路松江まで。
長い道のりを帰る。
メンバーのほとんどは動き出して早々に眠ってしまった。
吉澤も例外ではなかったが、ずっと眠ってもいられず、うとうとしつつも時折目を覚ます。
手持ち無沙汰で携帯を手に取った。
メッセージを打ち込んで、やっぱり消して。
また打ち込んで、でも消去して。
いきなりメールもおこがましいかなあ、とか何とか考えるけれど、今日送らないと、携帯に登録されているだけで使われないアドレス、になってしまいそうな気もする。
インターチェンジ三つ分考えて、結局吉澤は一通のメールを送った。
「試合頑張ってください。応援してます。また、冬に試合しましょう。今度はもうちょっと頑張ります」
- 869 名前:第五部 投稿日:2006/11/12(日) 00:17
- 送ってから気がついた。
今日の試合はもう終わってないか?
シードナンバー1の神奈川県は、試合も一試合目で、長々バスに乗って移動してきた今の時間だと、試合も終わろうか、という頃。
散々迷った結果これかよ、頭悪いなあ私、と窓の外の流れる景色を見ながらふっと笑う。
でも、きっと明日も試合があるだろう、ということで良いことにした。
それからすぐに眠った吉澤。
次に目覚めたのは、ひざにおいていた携帯が震えたからだった。
「メールありがとう。今日は勝ちました。昨日よりもたくさん点が取れました。選抜楽しみにしてます。吉澤さんも頑張ってください」
当たり障りのない内容。
でも、メールがちゃんと返ってきたということに吉澤はほっとする。
目標までの道のりは遠いけれど、その到達点と自分はつながっている。
吉澤は、ニヤニヤしながら携帯を閉じた。
- 870 名前:第五部 投稿日:2006/11/12(日) 00:18
- 大会は進む。
準々決勝は95-62
準決勝は前半てこずりつつも後半突き放して75-54
神奈川県チームは順当に勝ちあがる。
- 871 名前:第五部 投稿日:2006/11/12(日) 00:18
- 「七番に付かせてください」
「石川にはまだ無理だ」
決勝の前日。
対戦相手をビデオで見ながらのミーティング。
組み合わせはインターハイと同じ、福岡県、すなわち中村学院である。
七番、是永美記。
インターハイの再戦を望む石川が、マッチアップで付かせてくれと懇願するが、和田コーチの返事はにべもない。
「この子に勝つためにこの二ヶ月練習してきたんです。だから、七番に付かせてください」
「二ヶ月でどうにかある相手じゃないのは石川が一番分かってるんじゃないのか?」
二ヶ月間必死に練習してきた。
立派な言葉に一瞬聞こえるが、よくよく考えてみれば高々二ヶ月に過ぎない。
元々高い能力がある人間が、二ヶ月練習をすればそれなりのものにはなるが、それなりとはトップレベルということとは違う。
石川だって当然それは分かっているので、こう言われてしまうとこれ以上言葉は続かない。
「七番には柴田。出来るだけパスを入れないつもりでディフェンスしろ。ボール入れられると厳しいから」
「はい」
柴田は石川の方をチラッと見たが、石川は意外と無表情だった。
- 872 名前:第五部 投稿日:2006/11/12(日) 00:18
- 「凹んでないね」
ミーティングが終わり解散。
一年生は洗濯に向かったり、スタメンの中では平家や高橋はコーチ室に残ってビデオを見たりしているが、柴田と石川はさっさと引き上げてお風呂に向かった。
基本的にその日のスタメンが先にゆっくりお風呂に入る時間を作る、というルールがあるので、浴場には二人しかいない。
体も洗って髪も洗って浴槽につかる。
天然温泉、というわけもなく、単なる大浴場ではあるが、家風呂と違う大きさは、遠征に来る楽しみの一つでもある。
タオルは体に巻かず頭の上に乗せて、壁際に並んで寄りかかった柴田は隣の石川に声をかけた。
- 873 名前:第五部 投稿日:2006/11/12(日) 00:19
- 「うーん、言ってみただけだし」
「言ってみただけ?」
「是永美記ちゃんは私じゃまだ止められないよ」
「そっか」
見た目だけではなく、実際の口調も凹んでいる空気はまとっていない。
気持ちを押し隠しているなら、他のメンバーはともかく柴田なら大体読み取れるが、そんな様子も見られない。
「先生、なんて答えるかなあって興味あったんだ」
「なによそれ」
「ちょっとは迷ってくれるかなって。二ヶ月でうまくなったって自分では思ってる。だけど、先生はどう見てるのかよくわかんないからさ。ああやって言って、ちょっとは迷うようなら、私も少しはうまくなったのかなって思ったんだけど、何の迷いもなかったね」
石川は頭の上のタオルを手にとって、顔の汗をぬぐう。
普段からメイクもしない石川は、ためらいもなくタオルで顔全体を拭く。
- 874 名前:第五部 投稿日:2006/11/12(日) 00:19
- 「私はうまくなったと思うよ、梨華ちゃん。一対一でも結構止めたりもしてたじゃない」
「うん。そうだね」
少し気のない声。
柴田は石川の方を見る。
柴田が言葉をつなごうとする前に、石川が続けた。
「前よりはちょっとはディフェンスできるようになったけど、まだまだ是永美記ちゃんにはかなわない。それが今の私。だから、明日は、まず点を取る。止められないんだから、私も止めさせない」
柴田からは石川の横顔が見える。
その表情と声の調子から、自信七割不安三割、そんな風に読み取る。
柴田は、薄く笑ってお湯をすくい顔をぬぐった。
他人事じゃない。
自分は、その是永美記を抜くことは出来ないのだから、抜かせないようにしないといけないのだ。
- 875 名前:第五部 投稿日:2006/11/12(日) 00:19
- 「まあ、ディフェンスは、裸の付き合いの柴ちゃんがほめてくれたんだから、それで良しとしますか」
「別に褒めてません」
「もう、照れちゃって」
石川は頭に載せたタオルを手にとって立ち上がった。
「明日も勝つぞー。キャ!」
仁王立ちでこぶしを石川が振り上げたところで扉が開いた。
慌てて胸を両手で隠ししゃがみこみ湯船につかる。
入ってきたのは小川。
えらいすんません、とばかりに頭をかきながら、洗い場へ向かう。
柴田は、顔を覆って恥ずかしがっている石川の隣で、声を出して笑っていた。
- 876 名前:ピース 投稿日:2006/11/18(土) 22:11
- 更新お疲れ様です。
>止められないんだから、私も止めさせない
いよいよ個人としてのリベンジですね!
エースの意地が爆発するか、はたまた再び沈黙か。
梨華ちゃんは攻撃こそが似合う!!
柴ちゃんディフェンスよろしくー。w
- 877 名前:作者 投稿日:2006/11/19(日) 00:00
- >>ピースさん
もうちょっと柴田さんも見てやって(笑)
- 878 名前:第五部 投稿日:2006/11/19(日) 00:00
- インターハイの再戦。
チーム名は県名になるけれど、中の人は同じなので、実質的にはインターハイの再戦。
今年の二強、という形である。
「内と外、うまく使い分けろよ。ひきつけて外へ、ひきつけて中へ。スリーポイント、積極的に」
「はい」
「石川は、好きにやってみろ。ただ、周りと重ならないように」
「はい」
「ディフェンス。柴田。とにかく持たせるな。ボール関係なしに、とにかく七番に張り付きで」
「はい」
ゲーム開始直前。
和田コーチが一つ一つ確認する。
前日ミーティングでも決めたところ。
ベンチにスタメンの五人が座り、コーチがそれに向かい合う位置に立ち、他のメンバーはそれを取り囲む。
神奈川県としての出場なので、ユニホームのデザインがいつもと違い、イタリック体ローマ字でKANAGAWAと記されているのが違うが、それ以外はいつもの試合前の光景と同じである。
- 879 名前:第五部 投稿日:2006/11/19(日) 00:00
- 国体はインターハイや冬のウインターカップと比べて少々地味だ。
他の三大大会なら決勝にもなれば、スタメンは場内アナウンスに従って一人づつフロアに上がっていくが、国体の場合、普通に静かに五人がフロアに並び向かい合って試合が始まる。
「高橋」
「はい」
「ボールもらえるタイミング、あまり長くないと思うから、見逃さないで頂戴ね」
「分かってます」
センターサークルに向かう間、石川が高橋に声をかける。
今日の役割はオフェンス。
元々の石川の得意な部分である。
七番にマークうんぬんは、ほとんどこだわっていない。
まず、攻撃面で、四十分出ていたのに四点に抑えられたインターハイの借りを返さないといけない。
- 880 名前:第五部 投稿日:2006/11/19(日) 00:01
- キャプテン同士が握手を交わし、レフリーとも握手をし、試合が始まる。
ジャンプボール、センターサークルでまずは相手をピックアップ。
「十番」
是永が石川のところに歩み寄ってくる。
マークするつもりの相手と、自分をマークしようとしている相手が違うとき、このジャンプボールのピックアップで少し混乱がおきる。
自分が寄っていっても、相手が逃げて、別の人間が寄ってきたりする。
石川は、当初の予定では五番につくはずなので、そちらに向かわないといけないのだが、自分の横に付く是永から逃げなかった。
来るなら来なさいよ、という受けて立つ姿勢。
とりあえず、五番には、頭を掻きながら柴田が付く。
柴田とすれば、少々気分を削がれた形ではあった。
- 881 名前:第五部 投稿日:2006/11/19(日) 00:01
- ジャンプボールは福岡が取る。
相手ボールになった時点でピックアップのやり直し。
是永には柴田が付いて、石川はインサイドに入ってくる五番に付く。
是永と柴田の競り合いは最初から激しい。
柴田としては、ボールサイドに入って是永を陰に隠してしまおうとして動く。
是永は、それをかいくぐって、ボールを受けられる位置に入ろうとする。
今日の鍵は自分だ、と柴田は思っていた。
石川が是永から点を取れるか取れないかは分からない。
だけど、取れなくても攻め手は他にもある。
石川の出来不出来は、チームが楽になるかどうかの違いに過ぎない。
一方、是永を自分が止められなかったら、誰もとめることは出来ないことになる。
自分の変わりはいない。
柴田の出来は勝敗に直結する。
四対四プラス一対一。
そう見えるくらいに、是永柴田のところだけ動きの激しさが違う。
特に、ディフェンスの柴田がボールはどこにあろうと、そこのカバーは無視して是永に張り付いているので、試合の流れと違う空気が流れている。
一本目の福岡チームのオフェンスは、是永にボールが入ることはなく、時間ぎりぎりまで攻めあぐねた挙句の外からの無理やりスリーポイントが外れ、平家がリバウンドを拾った。
- 882 名前:第五部 投稿日:2006/11/19(日) 00:01
- 神奈川のオフェンス。
外れると思いながらのシュートを打った福岡チームの戻りは当然早く速攻の形にはならない。
高橋がゆっくり持ち上がってセットオフェンス。
福岡ディフェンスはインターハイと同じボックスワン。
先ほど柴田是永の所だけ空気が違ったように、今度は石川是永のところだけ空気が違う。
柴田が是永についたときに、ボールを持たれたらやられる、という意識をしていたのと同じように、石川の方も、ボールを受けることさえ出来れば何とかなる、と思っている。
インターハイのときは、そのボールをもらうところまでいけなかった。
今度は最初から考えている。
- 883 名前:第五部 投稿日:2006/11/19(日) 00:02
- 高橋−小川−高橋、と外でまわす。
柴田も中に入って、ゴール下に平家と並ぶ。
石川は、そのゴール下に駆け込んだ。
ボールは上の位置にある。
そこからのパスを抑える意識で是永は付いていて、このままではボールは受けられない。
石川は、ゴール下の平家の肩越しに逆サイドへ抜けていった。
是永はこの平家の壁に引っかかる。
それを避けて石川を追おうとし、回り込むにももう一人、柴田も立っていた。
仕方なく、石川の後ろを追いかける形になったが、当然先に走る石川の方が速い。
外に開いたところへ高橋からパスが落とされる。
左十五度、スリーポイントラインの外、空中でボールを受けながらターンしてゴールの側を向く。
そのままシュートの体勢を取ると、是永が遠目の位置からジャンプしてチェックに飛ぶと見せかける。
石川は、シュートを見せかけにして是永を抜き去るつもりでドリブルを付くが、是永のシュートチェックの方がフェイク。
ライン際へのドリブルに是永は付いてきて、石川はターンしてかわそうとするが振り切れない。
ゴール下、狭いところにはまり込んで石川は囲まれる。
しかたなく外に戻し、受けた高橋はミートしてワンドリブルでディフェンスを外してジャンプシュート。
これはリング手前に当たって跳ね上がった。
リバウンドは福岡の五番が拾う。
- 884 名前:第五部 投稿日:2006/11/19(日) 00:02
- どちらもこの試合はディフェンスの意識が強い。
互いにいつもの得点力は発揮できず、ロースコアな進展となる。
是永にはなかなかボールが入らない。
石川はボールを受けるところまで行くことは出来るが、自由にシュートを打つところまでは行かない。
結果的に、攻め手の多さの分神奈川がわずかに優位に試合を進め、一クォーターを終えて13-10とリードする。
- 885 名前:第五部 投稿日:2006/11/19(日) 00:02
- 二クォーターに入ると、今度は是永の方が少し考えてきた。
一人でディフェンスを振り切れないのなら、味方を使って自分がボールを受けられる形を作ればいい。
石川がやったことと同じようなことである。
神奈川と福岡、富ヶ岡と中村学院の大きな違い、石川は攻撃の中心選手ではあるけれど攻め手の一つに過ぎない。
それに対し、是永はチームの大エースであって、基本的に是永が点を取るための戦術が組まれる。
- 886 名前:第五部 投稿日:2006/11/19(日) 00:03
- 石川は自分がボールを受けるために、周りを使って自分が動かなくてはいけないが、是永の場合は、先に味方が動いてそれを使って自分が動く。
外に開いた是永に柴田はボールサイドに立ってパスが入らないように抑える。
その、かぶさった位置取り、通常より前のめりとも言える形に対して、福岡のインサイドのプレイヤーが外へ出てきてスクリーンをかけた。
通常のディフェンスの位置と比べて、前に出ていてオフェンスに近い分、スクリーンも味方に近い位置になるのでその肩越しを是永が抜けて行きやすい。
肩越しを抜けると、ディフェンスはそのスクリーンに引っかかるために一瞬フリーが出来る。
それを解消するには、スクリーンをかけられる前に動くか、ディフェンスをスイッチして、スクリーンをかけに来たオフェンスに付くマークマンが是永についていくかの二択。
ここでは、間に合わないと感じた柴田が「スイッチ」と声を出し、それに呼応して石川が是永に付こうとするが、スクリーンをかけるオフェンスを追ってきた石川と駆け抜けようとしている是永では動きのベクトルが逆になる。
当然、スイッチしても一歩遅れることになり、フリーになった是永がボールを受けた。
ゴール下、平家がカバーしようとするが、シュートフェイクで飛ばされて、その横を是永がすり抜け、簡単なバックシュートを決めた。
- 887 名前:第五部 投稿日:2006/11/19(日) 00:03
- 二クォーター中盤、22-23と逆転されたところで神奈川県チームがタイムアウトを取った。
「もっと声出して連携取れよ」
戻ってきたメンバーへ和田コーチの一言。
言いたいことは、精神的な問題ではない。
「柴田の視界には他のオフェンスは入ってこないんだからさ、周りが連絡してやらないと」
一人の相手に張り付く、というのは他の動きをほとんど無視するということ。
パスを受けるのを防ぐ、という発想なのでボールのある位置まではある程度把握して動いているが、他のオフェンスがどの位置にいてどういう動きをしているかまでは目に入らない。
柴田のディフェンス力は確かに高いが、背中にも目が付いている、というまでのレベルではない。
ただ、耳はいつでも開いているので、スクリーンがいったという声がかかれば、それに呼応して動くことが出来る。
声を出す、というのは単に精神面を鼓舞するというようなことではなく、現実的に問題点に対処するための手段である。
- 888 名前:第五部 投稿日:2006/11/19(日) 00:03
- 「柴田。スクリーン来たら、基本ファイトオーバーで付いていけ。スイッチはするな」
「はい」
ファイトオーバーとは、スクリーンと呼ばれる壁となっている相手オフェンスを回り込むことなく、マークしている是永にそのまま付いていくこと。
判断が遅れると、この形では付いていけないので、外を回り込むスライドと呼ばれる形で付いていくか、自分で追うのはあきらめて別の誰かにスイッチするかになる。
「石川」
「はい」
「ボール持ったらまずシュートを打て。かわそうとするな。まずシュートだ」
「はい」
「いいか、勝つって言うのは、どんな形でも点を取るってことだからな。一対一で抜き去るっていうのはその手段の一つであって、そんなことしなくても点を取れば勝ちだからな」
「はい」
「おまえはシュートレンジが広いんだから、ボール持ったらまず打て。一本決めれば、突破もしやすくなるはずだから」
- 889 名前:第五部 投稿日:2006/11/19(日) 00:04
- ある相手に勝ちたいと思ったとき、一番気分がいいのはドリブルで抜き去って点を取ることである。
ただ、試合としては、ドリブルで抜こうが外から打とうが、二点は二点。
もっと外から打てば、抜き去ったときよりも点が多い三点が入ったりもする。
負けず嫌いの石川、時折チームとしての試合を忘れて個人としての勝負に走ることがあるので、和田コーチはここで釘を刺しておいた。
「高橋、石川ばっかり使おうとしないで私にもパス頂戴よ」
「すいません」
「なんか、外の方を警戒してるみたいで、意外とハイポストとか余裕あるからさ。一本頂戴」
「はい」
「相手、ボックスのゾーンなんだから、高橋も考えろよ」
オフェンスは石川だけじゃない。
誰がとっても二点は二点、それがこのチームのやり方である。
- 890 名前:第五部 投稿日:2006/11/19(日) 00:04
- タイムアウト明け。
エンドからボールを受けて高橋が持ち上がる。
ゆっくりと上がってセットオフェンス。
平家がハイポストにボールを受けに来たので簡単に入れる。
インサイドのプレイヤーが平家の後ろに付くが、当たりは厳しくはない。
単純にターンして勝負しようとしとするが、ゴール下にもう一枚ディフェンスがいるのでやめる。
外、0度の位置に開いた柴田にはたく。
ディフェンスは遠く、シュートチャンスはあるのだが、0度からのスリーポイントは柴田にとってあまり自信の持てる選択肢ではない。
上に上がった小川に戻し、自分はローポストに降りてきた平家を壁に使ってゴール下を抜けていく。
ディフェンスはゾーンで受け渡すので、それだけで崩れたりはしない。
小川は、隣の高橋に戻す。
柴田は、逆サイド、ローポストの少し外側の位置にいる石川に対して、かぶさる形でついている是永にスクリーンをかけに動いた。。
- 891 名前:第五部 投稿日:2006/11/19(日) 00:04
- 先ほど自分がやられた逆の形だが、連絡が早く、柴田が壁になる前に是永はファイトオーバーの形でスクリーンを外す。
しかし、ここで是永が一瞬石川を見失った。
柴田を壁にしてゴール下へ入ること自体がフェイント。
石川は外へ開いて高橋からのパスを受ける。
一瞬のノーマーク。
是永は少し離れているが、それでもシュートチェックに飛ぶように見せかける。
今度は石川はそれを無視して速いモーションでシュートを放った。
左十五度、スリーポイントラインをわずかに踏んだ形。
やや力が入ったか、ボールはリング奥側に当たって大きく跳ね飛ぶ。
- 892 名前:第五部 投稿日:2006/11/19(日) 00:04
- リバウンドは、逆サイドに開いていた小川のところに落ちた。
それを見て、スクリーンアウトにあって中に入れなかった平家が、逆にそのままの形で面を取ってローポストで小川からボールを受ける。
この位置での一対一なら平家は強い。
単純にターンして、ゴール下に踏み込むと見せかけてフェイドアウェー。
地面に対して垂直ではなく、ゴールから離れる方向、自分の背中の側へジャンプしてシュートを打つ。
ゴールから離れる分、ディフェンスからも離れる形になって、ブロックされにくくなる平家の得意のシュート。
本来は、ゴール下に踏み込んで、ファウルまでもらってゴールも決める、というのが理想だが、確実に点がほしい場面では、こういう選択をすることも多い。
このシュートが決まり再び逆転する。
- 893 名前:第五部 投稿日:2006/11/19(日) 00:05
- 両者ディフェンスが厳しく、シュートまで持っていくのに時間がかかる。
点も伸びずに、あまり素人受けがしにくい展開。
会場も重苦しい雰囲気が覆っている。
福岡は、是永がボールを受けて点を取り始めて周りも生きるようになった。
神奈川ディフェンスが、是永がボールを持つと、どうしても目の前の相手だけでなく、そちらも気にしないといけない。
そうすることで、是永が崩して、開いたスペースで他のメンバーが受けて点を取るという構図も出来てくる。
- 894 名前:第五部 投稿日:2006/11/19(日) 00:05
- 外でボールをまわす。
スリーポイントラインから離れた位置では、ディフェンスもきつくはつかない。
高橋も小川も、ある程度離れた位置にいる。
是永はインサイドにいた。
ゴール周りに狭い状況を作り、味方も敵も、適当に壁に使って柴田を振り切ろうとしている。
ローポストにいる味方のために平家に是永がスクリーンをかける。
呼応して、そのセンターがゴール下を抜けて逆サイドへ抜けようとし、平家はスライドの形でついていこうとする。
スライドでつくためには、なるべく距離を縮めるために、是永のマークである柴田は、スペースを空けて、平家が是永と柴田の間を抜けていく形になる。
このとき、是永は平家を眼くらましにして、先に外へ一歩踏み出す。
慌てた柴田は、付いていこうとするが、実際には是永は逆に動き、外へ動いた柴田の横を抜けて上に上がる。
ハイポスト、上から是永にボールが渡る。
柴田は一瞬振られはしたがついていて、背中に張り付く形になった。
- 895 名前:第五部 投稿日:2006/11/19(日) 00:05
- 一対一。
是永は、左にターンして単純に突っ込んだ。
フェイクが来ると想定していた柴田は後手に周り出遅れる。
ドリブルでゴール下まで駆け込む是永。
強引に止めようとした柴田の手が出てファウル。
是永は、それを意にも介さずシュートまで決めてカウントワンスローになった。
「あ゙ー!」
搾り出すような声を出して、柴田は自分の太ももを叩く。
一クォーター、ある程度うまくいっていたディフェンスが、二クォーターに入って崩されている。
自分のせいだ自分のせいだ自分のせいだ。
何が悪いどこが悪いどうしたらいい。
ひざに手を置いて考える。
苛立ちに流されそうな、自信を失って活力を失いそうな、そんな感情を押さえ込む。
善後策を考える。
勝つために。
- 896 名前:第五部 投稿日:2006/11/19(日) 00:06
- 「ガードにもうちょっとプレッシャーかけてみないか」
ゴール下に集まったメンバーに平家が提案する。
タイムアウトではないのだが、ファウルからフリースローまでの間には、レフリーがオフィシャルにコールして確認するため、数十秒の間が空くことがある。
そんな、ミニミーティング。
「ガードがプレッシャー感じてないから、あいたところに楽にパスが入ってる。少しプレッシャーかけてみよう」
「中のスペース広がらんですか?」
「それは仕方ないだろ。とりあえず残り時間少ないしやってみよう」
「はい」
二クォーターは残り二分を切った。
これでうまく行かなければハーフタイムにコーチを交えて考え直せばいい。
ミニミーティングは解散し、高橋と小川が去っていくなか、平家はリバウンドポジションに入らずに柴田を捕まえた。
「柴田、悪くないぞそんなに。今のままでいい。我慢しろ」
「はい」
肩を組まれて、周りに聞こえないように耳元でささやかれ、柴田は小さくうなづく。
先輩に悪くないといわれれば、少しは落ち着ける。
- 897 名前:第五部 投稿日:2006/11/19(日) 00:06
- フリースローを難なく決めて、福岡がリードする。
神奈川はオフェンスも少し問題が出ていた。
石川は是永に勝ちきれない。
柴田はディフェンスにエネルギーを割かれていて、攻撃面では中心になるのは負荷がきつすぎる。
小川は、元々の能力的に周りの先輩たちより少し落ちるというのもあるが、それ以上に今日は今ひとつシュート確率が悪く調子が良くない。
結果的に、平家一枚に頼る形になっている。
オフェンスは、一枚エースがいればそこで点を取れるので目に見える形でのダメージはまだないが、チームの状態としてはあまりいい状況ではない。
ディフェンスが平家をつぶそう、という形にしてきたときに対応できるかが問題になる。
- 898 名前:第五部 投稿日:2006/11/19(日) 00:07
- 互いに一本づつターンオーバーの形で攻撃チャンスをつぶし、一分を切って神奈川のオフェンス。
石川が外に開いて高橋からボールを受け、シュートの構えを取って是永との一対一、と見せかけたところから、中に駆け込む高橋へパスを入れる。
お手本のような高橋のパスアンドランからの展開だったが、シュートの段階でファウルを受け、それは決められずフリースローをもらう。
高橋は二本目だけを決めて一点差。
- 899 名前:第五部 投稿日:2006/11/19(日) 00:07
- 福岡のオフェンス。
ガード陣もきつくつかれるようになってパスの周りが悪くなった。
高橋小川が、前に出る形になるので、ハイポストのあたりが広く空くのだが、そこはゾーンでもないのに、平家が一人でカバーする。
是永も、柴田を振り切って一瞬フリーになる場面は作れるのだが、そのタイミングでパスが出てこないので、結果的にボールが受けられない。
平家のマークの相手のセンターが、ローポストに入っていく。
そこに無理やり上からの長いパスを入れようとしたのだが、それは平家がカットした。
- 900 名前:第五部 投稿日:2006/11/19(日) 00:08
- 「スタート!」
残り時間はわずか。
ここは速攻で決めたい。
高橋がボールを受けに降りてくるが、平家はそこへ出さずに目に入った石川へ送った。
オフェンス時とディフェンス時でマッチアップが違うので、ボールを奪った直後は、石川と是永の距離は遠い。
ボールを受けた石川は、まず目の前の相手をバックチェンジでかわして抜き去る。
フロントコートに上がって、小川と二人で二対二の形。
アウトナンバーではないので周りの上がりを待つのが一般的な選択肢。
石川はここで、そんな状況にかまわずに突っ込んだ。
左を走る小川の方を見てそこにパス、という雰囲気を作って実際には右にボールを持ち替えてディフェンスを抜き去りに行く。
ここまではディフェンスも対応したが、バックターンして左に持ち替えて振り切った。
スリーポイントラインを超えてゴールへ。
二対一の局面。
ディフェンスがつきにくるので、ストップジャンプシュート、という形を見せてから再加速。
ブロックに飛ぼうと重心を前に動かしたディフェンスの横を抜けてゴール下へ。
体勢が少し崩れていて、簡単とは行かない形であったが、右手のスナップでバックボードに当ててシュートを決めた。
- 901 名前:第五部 投稿日:2006/11/19(日) 00:08
- 小川とハイタッチをかわしてディフェンスに戻る。
わずかな残り時間、福岡はセンターライン付近までつないであとはシュートを投げるが、これは大きく外れてブザーが鳴る。
石川は、気分のいい形で前半を終えた。
27-26 ロースコアながら神奈川の一点リード。
スコアリーダーは12点を取っている平家。
石川は、最後の一本と、一クォーターに周りが崩してカバーに是永が向かって自分がフリーになったところで決めて二本のシュートで6点取っている。
あとは、高橋の3点、小川の2点、柴田もフリースロー二本を含めて4点。
福岡の方は、是永が一人で15点と、半分以上の点を稼いでいた。
- 902 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/11/21(火) 03:11
- 熾烈な争いやね
どうなるのか楽しみ
- 903 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/11/23(木) 03:05
- ( ‐ Δ‐)<作者さんがんばってにぇ
むあた登場も待ってるにゃ
- 904 名前:やじろこんがにーα 投稿日:2006/11/24(金) 00:09
- がんばってください
- 905 名前:ピース 投稿日:2006/11/25(土) 21:55
- 更新おつかれさまです。
うん、さすがはキャプテン!みっちゃんすごい頼もしい♪
梨華ちゃんの本領はまだまだこれから!?
いいカタチで後半戦に入っていけそうですね!
それにしてもひとりフル稼働で王者に対する是ちゃんもスゴイですなぁ。
そんなわけで引き続き柴ちゃんディフェンスよろしくー。w
- 906 名前:ピース 投稿日:2006/11/25(土) 21:57
- うああぁ、すんごい凡ミス…。orz
ageてしまいました。ゴミンナサイ。
- 907 名前:作者 投稿日:2006/11/26(日) 01:15
- >>902
決勝ですのでね
>>903
うわぁ・・・。や、あの、たぶん、そのうち。
>>やじろこんがにーαさん
α? なんかひさしぶりですね。
>>ピースさん
あがっててびっくりしたよ。
- 908 名前:第五部 投稿日:2006/11/26(日) 01:15
- 「上出来上出来」
ハーフタイム。
神奈川はすばやく控え室に帰る。
メンバーを集めて和田コーチが最初に上機嫌で言った。
「ディフェンスはあれでいいぞ。これだけ押さえ込めれば問題ない」
「石川、今までで一番いいんじゃないか?」
石川に振ったのは平家。
是永をどう抑えるか、というのがこの試合の主テーマだが、隠れテーマとして石川のところから崩されないこと、というのもある。
仮に是永を抑えても、他から崩されては意味がないのだ。
石川のマッチアップで取られた点数は4点。
特に問題になるようなことは起きていない。
- 909 名前:第五部 投稿日:2006/11/26(日) 01:15
- 「すいません、一人で抑えきれなくて」
「いや、柴田。あれでいいぞ。あれだけのディフェンスしてまだファウル一つっていうのは上出来だ」
相手のエースに張り付く。
通常、フェイスと呼ばれるこの方のディフェンスで付くと、たとえ前半は得点を押さえたにしても、ファウルがかさんで後半苦しくなる、というのがありがちなパターン。
抑えるということとファウルをしないということを両立させるのは、相手のレベルが上がれば上がるほど難しくなる。
それが、二十分経って一つだけなら、後半も同じようにタイトにつくことが出来、ここで戦術の変更の必要もない・
- 910 名前:第五部 投稿日:2006/11/26(日) 01:16
- 「後はオフェンスだな。後半はインサイド絞ってくるだろ。高橋、小川。勝負どころだぞ」
「打ってええんですか?」
「高橋、あなたガードなんだから、人に聞かずに自分でちゃんと流れ読んで、打つのか捌くのか決めなさいよ」
「石川が流れ読むとか、ずいぶんえらくなったもんだな」
「なんですかそれ。ひどいですよ。それじゃまるで私が流れも空気も読めないみたいじゃないですか」
「違うのか?」
「違わないです」
「もう、柴ちゃんまで」
インターハイ決勝のハーフタイムと決定的に違うこと。
とりあえず石川が明るい。
まだ、是永相手に力で上回って点を取ったというシーンはないが、手も足も出ないというほどひどいやられ方もしていない。
本人が満足しているかどうかはともかく、ミーティングに暗い影が差さない程度にはちゃんと明るく振舞っている。
- 911 名前:第五部 投稿日:2006/11/26(日) 01:16
- 「とにかく。中に絞ってきたら外から打て。柴田も余裕があれば打て。三枚で打ちまくればまた開いてくるから、そしたらまた中に入れればいい」
「無理には打つ必要ないからね。後半もまだ中がゆるくて外に張るようだったら、ハイポでもローポでも、私が受けるから」
「石川さんはどうするんですか?」
「私? どうしましょう」
「自分で考えろ」
どうしましょうと平家の顔を見たら、冷たく返された。
信頼されているんだか、当てにされていないんだか。
このチームは、石川のための戦術、というものは作ってくれない。
全体で崩して点を取る。
一人に頼ったオフェンスはしない。
自分がエースだと言いたいのなら、自分で打開して点を取らないといけないのだ。
- 912 名前:第五部 投稿日:2006/11/26(日) 01:16
- 「前半もそう悪くなかったんだから、そろそろシュートも入るだろ。ただ、一対一にこだわるようなら代えるからな。捌いた方がいい場面はちゃんと捌けよ。二クォーターの高橋に戻してファウルもらったあたりは良かったな」
「私の動きよかったですか?」
「高橋は、あれはシュートも決めてカウントにしなさいよ。せっかくいい形だったのに、私のアシストつかなかったじゃない」
「アシストがどうこう言うガラか」
「えー。だって、せっかくのトリプルダブルが」
「おまえ、アシストとリバウンドの前に、十点取ってからそういうこと言え」
「厳しいですよー、平家さん」
トリプルダブルとは、得点、リバウンド、アシスト、すべて二桁あること。
つまり、得点で言えば、最低十点が必要である。
「あんまり石川をいじめるな平家」
「はい。すいません」
「体力的には問題ないな?」
「はい」
「よし、じゃあ、三クォーター、出だし勝負かけよう」
「はい」
「いつもと今日は少し違って、柴田は七番張り付きは変えないで、石川を前に出す。石川、出来るな?」
「たぶん」
「たぶんじゃない。しっかりやれ」
「はい」
- 913 名前:第五部 投稿日:2006/11/26(日) 01:17
- 適当なタイミングで前からゾーンで当たって、ターンオーバーを頻発させて一気に点差を開く。
このチームの得意とするパターン。
通常は、高橋−小川柴田−石川−平家、という形での1-2-1-1であるが、今回は柴田を是永につけるという点を変えたくないので変則的な形になる。
これを見越して練習は繰り返してきたが、それでもやはり不安要素は元々ディフェンスが余り得意ではない上に、いつもと少し違う位置取りになる石川である。
「よし、後半勝負。自信もって行け」
「はい!」
ミーティングは終わり。
監督は出て行く。
女子のチームの男子の監督というのは、こういうとき、少々さびしい。
控え室は更衣室を兼ねているので、ハーフタイム中にユニホームの内側の汗も拭きたいというような行動を取るかもしれないので、男子の監督は部屋の中にいられないのだ。
マネージャーあたりが監督についていたり、控えメンバーは先にフロアに戻ったり、いろいろとあるが、ひどい場合は、監督一人がぽつんとベンチに戻っていたりもする。
和田コーチの場合は、ベンチにぽつんは寂しすぎるので、コートへ続く通路の壁に寄りかかっていることが多い。
やがて、メンバーたちは平家を先頭に控え室から出てきた。
- 914 名前:第五部 投稿日:2006/11/26(日) 01:17
- 第三クォーター。
神奈川ボールで始まる。
小川がボールを入れて高橋が受ける。
セットオフェンス。
福岡のディフェンスシステムは、是永が石川にマッチアップしたボックスワンで変わらない。
ただ、ハーフタイムの予想通り、インサイドを狭く絞ってきた。
高橋、小川が外に開いている時点では自由にボールを持たせてもらえる。
一方で、平家のエリアはディフェンスが厳しく、一人ではなく、一人半くらいで抑えている印象になる。
高橋-小川-高橋。
とりあえず外でつないで、適当にポジションを替えるが、中の狭さは変わらない。
高橋の第一感では、インサイド平家で勝負と行きたいのだが、ボールを入れられるタイミングが見つけられない。
ハイポストに上がってくれば、上の一人が前をカバーして、裏も下の一人が見ている。
ローポストでは、ディフェンスはボールサイドに立って、もう一人の下のプレイヤーが裏に当たるゴール下をカバー。
ボールが入れば二人が相手でもどうにかしてくれるかもしれないが、平家に渡る前にボールは奪われてしまうだろう。
- 915 名前:第五部 投稿日:2006/11/26(日) 01:17
- ハーフタイムの予想通り。
外から様子を伺っていても、ディフェンスが広がってくる気配もない。
だったら、ハーフタイムの指示通りに動けば良い。
リズムとしてあまり良くはないが、高橋からの横パスを、ゴールに対して六十度ほど、スリーポイントライン少し離れたあたりで小川がシュートを放つ。
ディフェンスは軽く手を伸ばすだけで、ほとんどフリーで打たせてもらった形だが、リング手前に当たって跳ね上がる。
リバウンドは福岡の五番が拾った。
三クォーターもディフェンス優位の展開が続く。
ボールは運べるのだが、良い形でのシュートまでは持っていけない。
福岡も是永を中心にしたいのだが、ハーフで少し休んだ柴田が、しっかり集中し足を動かして付いている。
是永抜きの四対四の形では福岡の攻撃力は半減してしまい、神奈川ディフェンスを破れない。
実際にはボールが渡るだけでもいいのだ。
是永自身が点を取らなくても、切り込んで崩せば周りは動くし、ボールを持つだけでも、他のディフェンスが是永を意識するので、動きやすい。
しかしながら、三クォーター序盤は、柴田のディフェンスが固く、是永につなげない。
バスケットボールでは珍しく、出だし四分ほどスコアレスで進んだ。
両ベンチから声が飛ぶが、フロアの上は膠着状態である。
こういう場合、点を取りたい意識も、点を取られたくない意識も、どちらも強くなっていく。
早く、相手より先に点を取りたい。
相手に先に点を取られてはいけない。
たとえ、少しくらいの無理をしたとしても。
- 916 名前:第五部 投稿日:2006/11/26(日) 01:18
- 福岡はどうしても是永につなぎたかった。
ポイントガードではないので攻撃の基点という表現は少々おかしいが、それでも実際のところ是永にボールが渡ったところから相手を崩すことになる。
ボールは0度の位置。
ローポストで面を取った五番に入れる。
背後には石川。
ゴール下には平家も控えているのが分かっているので、五番は勝負せずに外に戻し、逆サイドへ切れていく。
是永は九十度の位置にいた。
インサイド、五番が切れて外へ出て行くのを見て取って、自分は逆サイドへというワンフェイクを軽く入れて、柴田を揺さぶってから、中へ駆け込んでいく。
柴田は必死にボールサイドを押さえる。
0度の位置にあるボール。
普通につなげば是永には入らず柴田に抑えられる。
この状況で無理やりにパスが送られた。
山なりの、裏へ通すパス。
それも駆け込みながらなので、取りづらい形。
平家がゴール下にまだいたので是永はまずいと思ったが、そこまで目に入っていない柴田はそれ以上にまずいと思った。
パスが通ればゴール下、是永なら簡単に決める。
平家に任せれば取れたであろうボール。
柴田はそのボールを追おうとする。
実際には、是永に飛び掛る形になった。
ゴール下に二人でもつれ合って倒れこむ。
床に叩きつけられる派手な音。
当然笛が鳴った。
- 917 名前:第五部 投稿日:2006/11/26(日) 01:18
- 音が音だけに、メンバーが周りに集まる。
先に体を起こしたのは柴田。
是永は、左肩を抑えて倒れている。
平家が柴田の手をとって立ち上がらせた。
「大丈夫か?」
「わたしは・・・」
自分は大丈夫。
のしかかった側なので、是永がクッションになっている。
だけど、それを「大丈夫」と口にするには目の前の光景が痛々しい。
是永の様子を見守る。
是永は、メンバーが体を起こした。
右手で左の方を抑えて苦しそうな顔をしている。
「てめー! ありえないファウルするなよ! 美記をつぶす気か!」
六番を背負った三年生らしいプレイヤーが柴田に食って掛る。
柴田は何も答えられない。
百パーセント自分が悪いだけに何もいえない。
この試合は、是永が怪我でメンバーチェンジするようならそこで終了である。
それは神奈川のメンバーもそうだが、福岡のチームメイトたちが一番よく分かっている。
エースをつぶす。
怪我をさせてでもつぶす。
勝つための手法としてだけ考えるとあまりにも適切で、ありえなくはない選択肢なので、そういう怒りをもつのはおかしくはない。
- 918 名前:第五部 投稿日:2006/11/26(日) 01:19
- ユニホームをつかみかからんばかりの勢いの六番と柴田の間にレフリーが割ってはいる。
平家が柴田を引っ張って後ろへ下げ、六番も味方に止められて二人の距離は取られる。
是永は肩を抑えたまま立ち上がった。
レフリーがとりあえずインジュアリータイムという形でゲームを止めている。
ドクター、というのがいるわけではないが、ベンチに戻ってコーチに様子を見てもらう。
神奈川メンバーもベンチに戻った。
「柴田、あまり気にするな」
タイムアウトを取ったのとシチュエーション的には同じ。
実際、あまり時間がかかるとタイムアウト扱いにされてしまう。
メンバーがベンチに座り、その正面にコーチが立つ。
柴田はコーチに気にするなと言われても、うつむいて何もいえなかった。
怪我をする方は当然痛いが、させた方もかなり痛い。
まだ、怪我かどうかは分からないが、心情的には裁きを待つ犯罪者の感覚だ。
「スポーツやってればよくある。もちろん良いことじゃないが。必要以上に引きずるな」
和田コーチは、こう言いながらもそれは無理だろうとも思っている。
柴田は比較的善良な方に属する高校生。
相手に怪我をさせても平気でいられるような精神の持ち主でないことは、二年も付き合っていれば分かる。
ここで是永が下がるようだったら、柴田も下げようと思っていた。
怪我をさせた罰、ではなくて、心理的に持たない、と思うからだ。
- 919 名前:第五部 投稿日:2006/11/26(日) 01:19
- タイムアウトに近い状況をもらっているので、和田コーチは冷静に指示も与えるつもりでいたが、福岡ベンチからメンバーが出てくる。
そこには是永の姿もあった。
腕、肩、首、その辺りをストレッチで延ばしたり曲げたりしながら歩いてくる。
神奈川のメンバーもそのままフロアに戻った。
「あ、あの、ごめんなさい」
そのままフロアに戻ったということは、柴田は是永のマーク継続である。
福岡ボールで再開なので、柴田は是永に歩み寄る。
恐る恐る声をかけると、是永はほとんど無表情で答えた。
「怪我は、多分ないから。大丈夫」
そう言って右手を伸ばす。
柴田はその手の意味が一瞬分からなかったが、相手の顔とその右手を交互に見て理解し、自分も右手を伸ばし握手を交わした。
- 920 名前:第五部 投稿日:2006/11/26(日) 01:19
- エンドからボールが入る。
0度の位置で外に開いたところにボールが入る。
是永は逆サイドにいたが、大きく上に回ってそこからのパスを受ける。
そのままのスピードで突っ込んだ。
柴田、動きについては来たが、ボールを受けてからのペネトレイトのような形での突っ込みに対しては少々腰が引けた。
ペネトレイトで突っ込まれるのは、ファウルをしてしまいやすいシチュエーション。
さっきの今、というタイミングでこれを平然と止められるほど精神的に強くはない。
腰が浮いたところを横に抜けられる。
この試合初めて、外からのドリブル一対一で是永が柴田を完全にきれいに抜き去った。
ゴール下にカバーもなく、そのままシュートを決める。
第三クォーターも五分近く過ぎて、ようやく得点が動いた。
- 921 名前:第五部 投稿日:2006/11/26(日) 01:20
- 神奈川オフェンスは、インサイドをきつく締められて仕方なく外でまわす展開。
スリーポイントシュートは、外れれば外れるほど、次のシュートを打つことへのためらいができて、また外れるという悪循環が築かれる。
今日の小川がそうだった。
相手がボックスワンで、そのボックスのゾーンがインサイドを締めているのだから、シューターの自分が外から打つべき。
そんなことは頭ではよく分かっているが、ここまで三本続けて外していると、フリーであればあるほど、また外れるのではないかというイメージがボールを持った瞬間に頭に浮かぶ。
だからと言ってシュートを打たずにパスに逃げる、というほど精神的には弱くはないのだが、決められるほど強くもなく。
リング奥に当たって跳ね上がったボールを福岡のセンター陣にリバウンドでさらわれる。
- 922 名前:第五部 投稿日:2006/11/26(日) 01:20
- 三クォーターはディフェンスで前から当たってラッシュをかけ、点差を広げる、というハーフタイムでの決め事だった。
ただ、その前から当たる、というのは相手のエンドラインからボールが入れられる、つまり、点を取った直後のシチュエーションでのもの。
その最初の得点が取れないと、これは成立しない。
五分をかけてまだノーゴール。
それでも、相手も点が取れていないのが救いなのだが、ここに来てそちらの面も厳しくなってきた。
是永にボールが入って外から一対一。
柴田が抜き去られてゴール下へ、今度は平家がカバーに入るが、シュートフェイクで飛ばされて、そこから一歩踏み込んだ是永が体を傾けながらも平家をかわした位置でシュートを決める。
この段階で神奈川ベンチがタイムアウトを取った。
福岡の三点リード。
- 923 名前:第五部 投稿日:2006/11/26(日) 01:20
- 「柴田、もうそろそろ勘弁してもらってもいいだろ。慰謝料は四点くらいで十分じゃないか?」
是永の動きは、先ほどのファウルの前後であまり変わっていない。
肩を強く打ちつけた影響はほとんどないようだ。
それに対して柴田の動きが明らかに悪くなっている。
精神的な負い目。
それが、激しいディフェンスをしにくくしている。
和田コーチはマッチアップを変えようかと一瞬思ったが、やはり石川や、あるいは小川でも少々この荷は重い。
柴田に頑張ってもらうしかないのだ。
「オフェンス、小川。今のままでいいぞ」
「え?」
「何も考えずに打ってろ。そのうち入る」
「はぁ」
「頭良くないんだからあまり考えずに打てばいい。平家。お前がオフェンスリバウンドもう少し拾ってやらないとダメだろ」
「すいません」
- 924 名前:第五部 投稿日:2006/11/26(日) 01:20
- オフェンスでリバウンドを取る、というのはなかなか難しいこと。
普通にディフェンスをしている限り、オフェンスよりもディフェンスの方が常にゴールに近い位置に立っている。
外からシュートが打たれた瞬間、オフェンスはディフェンスの外側にいるのだ。
その位置関係なのにリバウンドを取る、というのは難しいことであって、それがあまり出来なくても本来は責められるほどのことではない。
しかし、和田コーチは、ここで小川を責めることはできないと思った。
小川にプレッシャーかけてもきっと入るようにはならない。
何も言わなくても自分の心情は通じる平家に、罪をかぶってもらうような言い方になった。
- 925 名前:第五部 投稿日:2006/11/26(日) 01:21
- 「石川も、点を取るだけじゃなくて、リバウンドもちゃんと入れよ。七番のマークはうっとうしいだろうけど、ボールサイドに位置されてるんだから、リバウンドでスクリーンアウト出来る状況は多いだろ」
「はい」
「柴田も高橋も打っていいからな。特に柴田。ディフェンスできついだろうけど、スリーでも決めてちょっとは鬱憤晴らせ」
「はい」
二本続けて抜かれて、柴田としても少し精神的な負い目はなくなった。
四点取られたことの申し訳なさの方が強くなってきている。
「シュート決めたら前からな。三クォーターはラストまでそれで行こう」
「はい」
フロアに戻ってゲーム再開。
- 926 名前:第五部 投稿日:2006/11/26(日) 01:21
- エンドから高橋がボールを受けて持ち上がる。
オフェンスはいろいろ言われたが、要するにハーフタイムでの指示を再確認しただけだった。
やることは変わらない。
自由に外でつないで、一本中の平家に入れたがまた外に戻して。
同じように小川が打った。
同じように入らない。
ただ、リバウンドは石川の目の前に飛んできた。
スクリーンアウトされた形になっていた是永が無理にボールを奪おうとしてファウル。
神奈川ボールでもう一度オフェンスである。
シュート自体が入らなくても、リバウンドを取ってマイボールに出来れば、それはそれでいい。
というところでほっとしたのか、エンドからボールを受けた高橋は、逆サイドの柴田へ長めのパスを送ろうとして途中でさらわれた。
相手のワンマン速攻にあって簡単に決められて五点差にされる。
愚かなミスではあるが、高橋は大体一試合に一二度はこれをやる。
またやっちゃった、という類のものだ。
反省は必要ではあるが、なんで自分はこんなありえないことを、と凹むほどレアなミスではない。
これがレアではないのは悪いことではあるが。
- 927 名前:第五部 投稿日:2006/11/26(日) 01:21
- もう一度持ち上がる。
スリーが全然入らないものだから、福岡ディフェンスは貝のように台形付近にボックスが固まって、もはや外からはご自由にどうぞ、の体勢だ。
最初は石川がそれを見て、じゃあ自分が外から、というような動きを見せていたのだが、それをやると是永がセットで外に出てくるので、小川や高橋が落ち着いていられない場面も出来てしまう。
それで、石川もここのところ内側に入っていくようになった。
石川平家の二人を五人で固めているような形。
そんな状況でまた小川にボールが入る。
福岡ディフェンスは、もうシュートのブロックに動く振り、すら見せない。
小川は自分の一番得意なゴール正面90度の場所を選び、ゆっくりと自分のタイミングでシュートを放った。
三クォーターに入って五本目。
さすがにこれは決まった。
二点差。
前から当たる。
マーク相手をピックアップする。
福岡は、三クォーターの出だしはこれで来ると読んでいたのだが、すでに七分近く経過している。
ここまで経つと点を取られたら前から当たられる、というのは頭からすっかり抜け落ちていた。
エンドから速やかにボールを入れる、ということが出来ていない。
ボールを入れるよりも、タイムアウト時に意思統一をしておいた神奈川ディフェンスのピックアップが早い。
- 928 名前:第五部 投稿日:2006/11/26(日) 01:22
- 前から当たる場合、オーソドックスには1-2-1-1のゾーンプレス、という形になるのだが、今回は柴田は是永に張り付いたままなので、1-2-1のゾーンプラス柴田、という形になる。
柴田は通常、2の中の一人なのだが、そこに、二つ目の1の石川をスライドさせる。
これまであまりディフェンスが得意でなく、また、いつもと違う位置になる石川であったが、ここはよく頑張った。
ディフェンスは通常、受身の立場だが、プレスで前から当たる場合、ボールという獲物を狙う立場に変わる。
石川にとってはその方が向いていたのかもしれない。
ボールが入ったところをダブルチームでつぶすまでの動きが早い。
バックコートで二人に囲まれると、ボールキープに長けたポイントガード以外のメンバーは、心の準備がないとたいていの場合うろたえる。
うろたえて苦し紛れに出したパスを、残りのメンバーがさらう。
- 929 名前:第五部 投稿日:2006/11/26(日) 01:22
- 一本目は、石川小川で囲んだところから出たパスを高橋がさらってそのままゴール下へ駆け込んでランニングシュート。
二本目は、高橋石川で囲んだところから是永に出たパスを柴田が奪い、小川につなぎ、バウンドパスを石川に入れてゴール下のシュートが決まる。
三本目は、エンドから一本長いパスを送ろうとして平家が奪った。
そこからセットオフェンスになる。
ボックスゾーンはまだ狭く、今度は高橋が外から打つ。
小川のときと違い、ディフェンスはシュートの際に軽く圧力をかけるそぶりは見せたが、関係なくスリーポイントが決まった。
ここでタイムアウト。
神奈川五点リードに変わる。
- 930 名前:第五部 投稿日:2006/11/26(日) 01:22
- 「一本儲かったな」
メンバーが戻っての和田コーチの一言。
自分が相手の監督だったら、二本やられたところでタイムアウトを取っているということ。
「一気に行こう。三クォーターラストまでこのまま」
三クォーターは残り一分半。
ディフェンスがはまれば、二桁点差まで開けなくはない。
残り十分で二桁あれば、セイフティーリードとまでは言えないが、大分優位に立てるのは間違いない。
神奈川ベンチは、簡単にディフェンスの意思確認をしてフロアに戻った。
- 931 名前:第五部 投稿日:2006/11/26(日) 01:23
- 時計を止めたので、ディフェンスのマッチアップがしっかり付いた状態でゲームが始まる。
しかし、今度は福岡オフェンスの心理状態が違う。
前から付かれる、ということに対する覚悟が出来ているし、ベンチで対策も取ってきた。
あとはそれがうまく行くかどうか、というだけであって、慌てる要素も驚かされる要素もない。
レフリーの笛が鳴ってゲームが再開される。
ボールは、ガード陣には簡単に入らなかった。
石川や小川、高橋の付き方がいいというのもある。
ただ、ボールをどこに入れるかの選択はオフェンス側が握っている。
エンドからボールを送った先は、是永だった。
- 932 名前:第五部 投稿日:2006/11/26(日) 01:23
- エンドに近いところにはガード陣が二人いるのでパスは長めなものになる。
ゾーンプレスで前からあたった場合、この長めのパスというのは奪いどころ。
柴田も、マッチアップが是永であるというのと関係なしに奪いに行った。
しかし、是永のほうが一歩速い。
そこの状況判断がとっさに出来ずにボールを取りに行った柴田、相手の手をはたく形になってファウルを取られる。
この試合三つ目。
「柴田! 無理はするな!」
ベンチから声が飛ぶ。
ゾーンで前からあたった場合にありがちな光景ではあった。
この後、福岡の五番がインサイドの一対一で石川をかわして一本決めたのと、小川のスリーポイントが外れたリバウンドを拾った柴田のミドルシュート、互いに二点づつ加えて、39-34、ロースコアな展開のなかで神奈川が五点リードして第三クォーターを終えた。
- 933 名前:第五部 投稿日:2006/11/26(日) 01:23
- 最終クォーターに入る。
ここまで互いに激しいディフェンスで疲労の色も濃くなってきている。
その疲労でシュートの精度が落ちて点が取れなくなるか、ディフェンスの足が動かなくなってオフェンスをフリーにしてしまうか。
どちらが強く出るかが勝負に大きく影響してくる。
神奈川は、外からのスリーポイントがようやく入りだしてきた。
福岡ディフェンスは内に狭いところから少しづつ広がってきて、スリーポイントへのケアもしようとしている。
しかし、高橋、小川、それぞれ一本入ったのをきっかけに、なんとなくタイミングが合ってきた。
ディフェンスがくるようになっても、早いシュートモーションで打てていて、加点できている。
福岡はやはり是永が中心。
柴田のディフェンスがそろそろ厳しくなってきた。
動きが衰えない是永に対して、足がついていかなくなってきている。
- 934 名前:第五部 投稿日:2006/11/26(日) 01:23
- コーナーに開いた是永に柴田はついている。
ボールは上でつながって、逆サイドへ回っていく。
「スクリーン行った」
声がかかる。
インサイドの五番が柴田にスクリーンをかける。
是永はそれを使ってゴール下へ。
柴田、反応自体は出来たのでファイトオーバーで五番はやり過ごしたが、スピードがついていかない。
ゴールの向こう側からバウンドパスが是永に入ってくる。
柴田は、それを強引に取りに行った。
是永が両手でボールをキャッチするところへ右手を伸ばした形。
きれいにボールに行ければ問題なかったが、柴田の右手はボールをつかんだ是永の左手にちょうど当たってしまった。
- 935 名前:第五部 投稿日:2006/11/26(日) 01:24
- 笛が鳴る。
同時に和田コーチが頭を抱えた。
柴田の四つ目のファウル。
和田コーチはベンチのメンバーを見渡す。
それからフロアを見直す。
まだ残り時間は大分ある。
五つ目のファウルをしたら退場。
柴田に退場されるわけには行かない。
レフリーがオフィシャルに柴田のファウルをコールしている。
迷っている時間は無かった。
和田コーチはブザーを鳴らす。
メンバーチェンジを要請。
柴田をベンチに下げた。
第四クォーター残り六分十七秒。
神奈川県チームの九点リード。
- 936 名前:ピース 投稿日:2006/12/02(土) 22:28
- 神奈川はこの試合最大の我慢のし所。福岡は勝負所。
両チームともスタミナ的にも精神的にも追いつめられる時間帯ですな。
- 937 名前:作者 投稿日:2006/12/03(日) 00:17
- >>ピースさん
というわけで、大詰め終盤です。
- 938 名前:第五部 投稿日:2006/12/03(日) 00:18
- 神奈川がメンバーチェンジをしている間に、もう一度ブザーが鳴った。
鳴らしたのは福岡ベンチ。
こちらはタイムアウトの請求である。
福岡サイドから見れば九点のビハインドと苦しくなったところで、自分たちのエースのマークがベンチに下がったという場面。
勝負どころと言える。
神奈川のメンバーもベンチに戻ってきた。
- 939 名前:第五部 投稿日:2006/12/03(日) 00:18
- ここでの和田コーチの選択は難しい。
誰を是永につけるか。
小川や石川を持ってくることは選択肢としてありえる。
しかしながら、どちらにしても柴田と比べるとディフェンス能力は落ちる。
それに、是永のマークにつけた上でオフェンスまで頑張れ、というのは酷だが、この二人は現状オフェンスで頑張ってもらわないといけない状況にあるのだ。
和田コーチは悩みながらも、柴田に代わって入る控えの三年生に是永のマークを任せる。
与えた指示は二つ。
抜かれてもいい、二点はかまわない、ただし、スリーポイントだけは打たせるな。
三分だけでいい、とにかく耐えろ。
残り三分を切ったところで柴田を再投入する。
それまで耐えればなんとか、というのが和田コーチの心情だ。
柴田は、ファウルをした直後は、やってしまったという表情をしていたが、ベンチに戻ってからは平静としたものだ。
まだ試合は終わっていない。
残り三分の時点でフロアに戻り、もう一度是永を止めないといけない。
今度は、後一つのファウルで退場、という状況でかつ、点差が迫っているかもしれない試合の最終盤である。
ここで落ち込んで試合から意識を切らせるほど試合経験が浅くはない。
- 940 名前:第五部 投稿日:2006/12/03(日) 00:18
- ゲームは福岡ボールで再開する。
エンドから入るボールは外へ開いた是永へ渡る。
スリーポイントラインの外側、シュートフェイクにディフェンスは簡単に反応した。
それをライン際抜き去り、平家がカバーに入ったところをバウンドパスでセンターへ通してゴール下のシュートが決まる。
神奈川オフェンスは、四クォーター出だしのようには行かなかった。
タイムアウト時の指示があったのか、福岡のボックスゾーンが広めになっている。
高橋も小川も、マークが付いていても平然とスリーポイントを決める、というほどのところには至っていない。
それでも打つならフリーを作らないといけないのだが、結局それも出来ず二十四秒間近になってハイポストの平家につなぎ、時間がなく無理やり打ったシュートが落ちる。
福岡の速攻はアウトナンバーが作れずスローダウンするが、ゆっくり上がってきた是永が外から一対一を仕掛け、簡単にかわすとミドルレンジでジャンプシュートを決めた。
五点差となったところで和田コーチがタイムアウトを取る。
残り五分二十秒。
- 941 名前:第五部 投稿日:2006/12/03(日) 00:19
- 「ディフェンス、なるべく時間使わせろ。とにかくスローダウンさせて、二十四秒使わせろ。七番のところは抜かれると思って後ろでケアしとけ。ローテーションローテーションで、とにかくしのいで、シュートをなるべく遅らせろ」
ローテーションとは、マッチアップをずらすこと。
一箇所抜かれてそこにカバーに入ったなら、カバーに行ったところを別の人間が埋め、さらにそこをまた別の人間が埋め、全体をずらすとフリーはなくなる、という論理だ。
ただ、この場合、確実にミスマッチと呼ばれる身長差がある組み合わせが生じてしまい、そこを使われると得点される率がかなり高い。
和田コーチはそれでもかまわないからとにかく時間を使わせろ、と言っているのだ。
「オフェンスは、私に任せてもらおうかな」
口を開いたのはキャプテン平家。
緊迫した終盤には似合わない穏やかな声だった。
- 942 名前:第五部 投稿日:2006/12/03(日) 00:19
- 「ゾーンが広がったから大分余裕あるし。外が難しくなったなら、私がやるしかないでしょ」
「そうだな。オフェンスはインサイド中心に行こう。外から切れ込んでもいいぞ。ただ、スリーはよほど余裕ない限りやめとけ」
スリーポイントはある種賭けに近い。
フリーなのに打たない、という選択をすることはないが、リードしているのにスリーポイント中心で行く必要も、この時間帯まで来ればない。
それでもかまわずスリーポイント、というのもなくはないが、高橋小川、さらに控えの三年生では、この終盤に戦術の柱にするには心もとなかった。
「石川は無理に勝負するな。周りを生かすように動け」
「分かってます」
四クォーターに入ってからはほとんどボールを触ることもなくなっている石川。
インターハイのときとは違い、今日は最初から相手の力を認めているので、それで腐るということもない。
自由自在に出来る相手ではないということは認めざるを得ない。
「よし、一本一本大事にな」
「はい」
タイムアウトが開けるブザーが鳴る。
フロアに戻っていく間、平家が高橋と石川を捕まえて指示を与えていた。
- 943 名前:第五部 投稿日:2006/12/03(日) 00:19
- 五点差。
大事なところである。
一本決められて三点差になれば、それはもうシュート一本で同点に追いつける圏内に入ってくる。
逆に一本決めて七点差にすれば、スリーポイント二本でも追いつけない。
五点差での攻防というのはこの終盤でかなり重要な局面である。
この点差で耐えていければ、最後まで逃げ切れる。
勝負はとにかくインサイド。
ただ、その素振りは最初は見せずに外でまわす。
タイムアウトを挟んでも、ボックスゾーンが外に広く、自分たちのアウトサイドをケアしていることを確認してから、高橋は中へボールを入れる。
平家の役割は重い。
このチーム、実質的にインサイドで力を発揮するのは平家しかいない。
石川や柴田も中に入って勝負することはあるが、それはあくまでオプション。
ゴール下で勝負する場合、独力で二人を相手にする形にもなる。
- 944 名前:第五部 投稿日:2006/12/03(日) 00:19
- 平家はなるべく二人を相手にするのではなく、一人一人を相手にした一対一の形で勝負するようにした。
そのために石川を使う。
ボックスの下のほうの一人に石川が壁になるように入る。
平家は、そこから遠い側に入って、もう一人と勝負する形。
普通だと、石川のマークについている是永が、平家がディフェンスをかわしたときに邪魔になるような立ち位置を取るのだが、石川のマークを離れないために一対一を作れている。
ローポストでボールを受けた平家は、スピンターンでディフェンスをかわし、そのままゴール下のシュートを決めた。
三クォーターまでのロースコアな展開から打って変わり、点が入る流れになってきた。
福岡も、是永を中心にして崩し、カバーに入ってくる石川や平家のマッチアップのところへボールをつないで加点していく。
五点差-七点差-五点差-七点差、行ったり来たりでそこから点差がつめられない。
残り三分を切って神奈川ベンチは柴田を再投入しようとオフィシャルに申請するが、ゲームが流れて時計が止まらないため、交代が出来ない。
五点リードで神奈川のオフェンス、
- 945 名前:第五部 投稿日:2006/12/03(日) 00:20
- 外でまわしている分にはディフェンスは厳しく来ないが、シュートレンジにまで来るとしっかり付いてくる。
平家は、ハイポストに上がったり、ローポストに降りたり、時には0度の位置で外に開いてきたりもする。
ただ、どこに動いてもディフェンスはしっかり付いていてフリーという形にはなれない。
石川には是永が張り付いている。
崩しにかかったのは小川だった。
かなり外目でボールを受けてゆっくりとシュートモーション。
ディフェンスが一歩前に出てきたところでドリブルで切れ込んでいく。
かわしきることは出来ずに一人ひきづったままミドルレンジまで入っていくと下のディフェンスが一人出てくる。
そこで小川はパスを捌く。
出した先は外に開いた平家。
ややいつものプレイゾーンからは外側であるが、そこからジャンプシュートを放とうとする。
このシュートに飛び込んでブロックしたのは、石川についていたはずの是永だった。
弾き飛ばされたルーズボールを両チームが追う。
同時に手を伸ばし、それぞれがボールを両手でつかみ引っ張り合う形。
レフリーの笛が鳴る。
ジャンプボールシチュエーション。
昔ならばジャンプボールになるところだったが、ルールが変わっていて今ではジャンプボールは試合開始時にしか行われない。
ここでは福岡ボールとなった。
- 946 名前:第五部 投稿日:2006/12/03(日) 00:20
- もう一度ブザーが鳴る。
残り一分五十秒。
神奈川ベンチは柴田あゆみを投入する。
柴田はゆっくりとフロアに入っていく。
「柴ちゃん」
「ゆっくり休んだ分、働かなくちゃね」
柴田は石川に微笑んだ。
エンドからボールが入り、福岡のガード陣が上がっていく。
先ほどまでとは違って、柴田は是永から少し離れて付いた。
ボールと是永と両方視線に入れた付き方である。
是永は、ファウルが怖いんだな、と理解した。
常に密着していると、ボールに関係ないところでも変にファウルを取られることもある。
それを恐れたのだろう、と思った。
ボールを持ってからの勝負なら勝つ自信のある是永としては、望むところである。
- 947 名前:第五部 投稿日:2006/12/03(日) 00:21
- 是永は外へ開いた。
インサイドのプレイヤーはハイポストに一人あがる。
もう一人は逆サイドへ切れていった。
ゴール下、柴田の背後は広く開いている。
是永が勝負しやすい環境を福岡チームは作った。
上を回っていたボール。
そこから、右六十度あたりの位置にいる是永へ単純なチェストパスが送られる。
このボールに、柴田が飛びついた。
- 948 名前:第五部 投稿日:2006/12/03(日) 00:21
- 柴田はベンチで戦況を見つめながら考えていた。
七番にボールを持たれたら自分には止められない。
これは試合前から思っていたことであるが、戦って見て再認識した。
しかも、ファウル四つの身。
是永を一対一で止める自信はない。
ただ、離れて見ていて気がついたことがある。
入ってくるパスが少し甘いのだ。
是永だけ見ているとそれは分からないし、反応も出来ない。
走り続けて足がきつい状態でも、飛びつくのは難しいだろう。
だけど、少し休んで体力も戻っていて、その上で、最初からそこにパスが入ってくると読んで取りに行けばどうなるか?
七番と勝負しても勝てないけれど、パサーの感覚と自分の読みとの勝負ならどうなるか?
一度きりのチャンス。
一度狙って取れなければ、次からはスティールに注意したパスしかやってこない。
柴田は、その一度きりのチャンスをつかんだ。
- 949 名前:第五部 投稿日:2006/12/03(日) 00:21
- まさかここでスティールされると思わなかった福岡の戻りもあまりよくなかったが、まさかここでスティール出来るとも思っていなかった高橋小川も切り替えが遅い。
速攻が出せてもおかしくない場面だったにもかかわらずセットオフェンスになる。
残り時間一分半を切る。
五点リードしている立場としては時間を使うのは悪い選択じゃない、とボールを持ち上がる高橋は、自分に言い聞かす。
ここで七点差にされるのは福岡としては厳しい。
残り時間を考えると攻撃チャンスは二回、自分たちのオフェンスを無理やり詰めて三回、というところ。
絶対に失点できない場面である。
- 950 名前:第五部 投稿日:2006/12/03(日) 00:22
- 四クォーター後半は、高橋小川は単なる牽制で、実際の勝負は平家が中心できた。
どうしてもここで止めたい福岡は、平家にボールが入ることを阻止しようとする。
石川も中に入っていった。
狭いインサイド、味方を壁に使ってフリーを作ろうとする。
福岡は平家につながせたくない。
ローポストの平家はディフェンス相手に面が取れず苦しい形。
ハイポストの位置にいた石川がゆっくり降りていった。
「スクリーン行った」
是永が平家のマークにつく五番に声をかける。
石川は、この五番にスクリーン、ではなくて後ろを通って加速し、そのまま外に開いた。
壁になったのは、石川ではなくて平家の方。
慌てた是永が味方の五番をよけて石川を追おうとしたが、平家が壁になっていて石川がフリーになる。
外に開いた石川に高橋からのボールが下りてきた。
- 951 名前:第五部 投稿日:2006/12/03(日) 00:22
- ボールを受けながらターンしてそのままスリーポイントシュート。
是永の、平家の、フロアーの選手たち、会場全体の視線を集めたそのボールは、元々定められていた軌道に乗るように、リングを通過した。
残り一分十五秒で八点差。
大事な場面で石川のスリーポイントが決まった。
- 952 名前:第五部 投稿日:2006/12/03(日) 00:22
- 四クォーターに入ってから、石川は周りを生かす動きをずっとしてきた。
自分は五人の中の一人。
この試合、攻撃の中心は自分ではない。
そういう姿を見せてきた。
残り時間も押し迫ってきて、実際に平家が攻撃の中心になっている。
福岡としては点を取られるわけには行かない場面。
ここまで来て、是永も、意識が石川ではなくて平家に向かっていた。
- 953 名前:第五部 投稿日:2006/12/03(日) 00:22
- 柴田が下がった後のタイムアウトのとき。
平家から指示を受けた。
「周りを生かす動きをし続けろ。そうすれば、マークが離れだすはずだ」
自分が点を取ることをあきらめて、チーム全体で勝つことを目指しています。
そういう姿勢を是永相手に見せてきた。
高橋も、石川にパスをつなぐなという指示を受けている。
ある種の死んだ振り。
だからといって是永がマークを切り替えるわけでもないが、どうしても点を取られたくない場面では、点を取りそうなオフェンスの方に意識が行くのは当然のこと。
たまたま出来たのではなく、時間をかけて狙って作ったフリー。
この一本を石川はしっかりと決めて見せた。
- 954 名前:第五部 投稿日:2006/12/03(日) 00:22
- この時間帯での八点差は厳しい。
ディフェンスが気をつけるべきは、スリーポイントを打たせないこととファウルをしないこと。
二点を取られるだけならあまり気にする必要はない。
オフェンス面では後は時間を使えばいい。
実際には、福岡がファウルで時間を止めてフリースローが外れるのを祈るという形で進む。
是永が一人で持ち込んで二本決めて追いすがったが、神奈川チームもフリースローで着実に加点する。
最終的には、61-53で神奈川が勝利した。
- 955 名前:第五部 投稿日:2006/12/03(日) 00:23
- 簡単にはいかない試合だった。
後半に入って逆転された場面もある。
終盤ももう一本やられたら危ないというところまで来た。
最後の点差だけ見ればインターハイと変わらないけれど、そこにいたるまでの道のりは大分違う。
それでも勝った。
何とか逃げ切った。
- 956 名前:第五部 投稿日:2006/12/03(日) 00:23
- 勝った方に涙はない。
インターハイ、国体、ウインターカップ。
三大大会の二つ目。
最初と最後と比べて真ん中は少々感動が薄いのは仕方のないところ。
それでも、苦労して勝ち取った勝利はうれしいものだ。
タイムアップの直後、石川は近くにいた柴田に駆け寄り、ジャンプしながらハイタッチをかわした。
平家は、やれやれといった表情でベンチに戻ってくる。
和田コーチと握手を交わしていると、後ろから両腕をそれぞれに捕まれた。
石川と柴田、平家をひきずってフロアの真ん中へ連れて行く。
そこに周りのメンバーを呼び集めた。
そして、胴上げ。
平家は最初は抵抗したが、この人数に囲まれて逃げ出すことが出来るはずもない。
二度、三度と中に舞う。
今日は平家さんに勝たせてもらった、という石川と柴田の共通認識。
ちょっと荒っぽいけれど、感謝の気持ちだ。
- 957 名前:第五部 投稿日:2006/12/03(日) 00:23
- 是永は自分たちのベンチに戻って、じっとその光景を見詰めていた。
仲間たちが引き上げるために荷物をまとめているのに背中を向けて、タオルで涙を拭きながら胴上げの光景を見つめていた。
- 958 名前:第五部 投稿日:2006/12/03(日) 00:23
-
- 959 名前:第五部 投稿日:2006/12/03(日) 00:23
-
- 960 名前:第五部 投稿日:2006/12/03(日) 00:24
-
- 961 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/12/04(月) 00:11
- みやさん応援してますからアッー!アッー!
- 962 名前:ピース 投稿日:2006/12/08(金) 17:58
- 更新お疲れさまです♪
まさに好敵手!心身共に息もつかせぬギリギリの攻防でしたねぇ。
梨華ちゃん達は今回の決戦でまたそれぞれに課題を見つけたのでしょうか。
さらなる成長を期待しています。
- 963 名前:作者 投稿日:2006/12/10(日) 01:07
- >>961
がんばる
>>ピースさん
さすがに簡単に勝てる相手ではなかったようです。
- 964 名前:第五部 投稿日:2006/12/10(日) 01:10
- 帰りの新幹線は、新たな戦いへの片道切符。
それに乗り込んで学校まで帰れば、冬の選抜へ向けての練習が始まる。
勝てば勝つほど試合数が増えるのはスポーツ選手の宿命だ。
乗り込んだのは禁煙指定席。
大会前から、決勝翌日の指定席を予約しておくのは、自信の表れか、何かの願掛けか。
乗り込んだときこそ騒がしかったが、列車が動き出せばおとなしくなる。
特に、試合に出続けたスタメン組みには、安らかな休息の時間だ。
- 965 名前:第五部 投稿日:2006/12/10(日) 01:10
- 「柴ちゃん寝ちゃった?」
「なあに?」
二列席の窓際に座る石川が、隣に声をかける。
柴田はぼんやり寝ぼけ顔で、言葉を返す。
「なんか、疲れたね」
「そうだね」
一回戦から四日で四試合。
いつものことではあるが、当然楽ではない。
「もうちょっと出来ると思ったんだけどなあ」
窓の外を眺めながらポツリ。
見つめる先に映るのは山の景色か、別の何かか。
「次やったら負けちゃうかもね」
柴田もぼんやりと答える。
二人の間に主語はいらない。
- 966 名前:第五部 投稿日:2006/12/10(日) 01:10
- 「柴ちゃんベンチに下がったときはどうなるかと思った」
「私も思った」
「でも、勝っちゃったよね」
「勝ったっていうか、負けずにすんだって感じだったけどね」
新幹線がトンネルに入る。
轟音、というほどではないけれど、穏やかな二人の会話を中断させるほどにはノイズが流れる。
電光掲示板には企業広告が流れ、二人は興味なさげに文字を追う。
トンネルを抜けると、そこは水田地帯だった。
「平家さんが言ってた。チームが勝っても自分は勝った気がしなくて、次頑張ろうって思えるような相手がいるのはきっと幸せなんだぞって」
石川は、柴田のほうを見て、さらにその向こう側の三人席で後輩達が眠っている姿も目に留める。
きっと、前も後ろも、大体みんな寝てるのだろうな、と思う。
- 967 名前:第五部 投稿日:2006/12/10(日) 01:11
- 「平家さんは、いないのかな、そういうの、やっぱり」
「私も聞いたら、そんなこと考えてる余裕も無いよって笑ってた。おばさんは連戦で体ぼろぼろですよ、だって」
「なにそれ。でも、平家さんじゃ勝てない相手はいないよね、うん」
「昨日も、平家さんに勝たせてもらったもんね」
それっきり、二人の会話は続かず、静けさのなかに意識も消えていった。
戦士たちの短い休息。
今日も、学校に戻れば練習があって、軽めだけれど体を動かす。
移動日でも休みは無い。
勝ったけれど勝った気がしない相手と、二ヵ月後にはもう一度戦うことになるのだ。
お互いに勝ち上がっていくことが出来れば、であるが。
- 968 名前:第五部 投稿日:2006/12/10(日) 01:11
- りんねは、複雑な気持ちでメンバーたちの前に立っていた。
いい知らせ、と言うべきなのだろうが、いい、という言葉が感じさせるような幸福感を伴うようなものは無い知らせ。
りんね自身、最初にその知らせを聞かされたときは、うれしいと思うよりも前に哀しかった。
その事実は悪いことではないけれど、哀しい気持ちが巻き起こった。
夕食後のミーティング。
キャプテン代行のりんねからの報告。
「今日、学校の方に連絡があったので、みんなに知らせておきます。ひろみの、あの、ひろみの、ひき逃げ犯、捕まったそうです」
- 969 名前:第五部 投稿日:2006/12/10(日) 01:11
- ひき逃げ犯というのは被害の度合いが大きいほど捕まる率が極めて高くなっていく。
かすっただけ、というような場合と違い、人を、自転車を巻き込んで轢いていった、そんな場合、轢いた車、この場合トラックに、多くの付着物が残る。
それを立証すれば、加害車両が特定される。
また、ひき逃げという犯罪の性質上、事前に逃走経路を想定していたり、逃亡先を確保してから犯行に及ぶ、というものではないので、身柄の確保が比較的容易だ。
この事故の場合、物的証拠が多いものの、客観的目撃者が皆無という地域的事情があって、初期捜査が遅れたが、それでも早い時期に車両の特定までは進んでいた。
逮捕に時間がかかったのは、捜査の手が伸びてきたと感じた直後に、犯人が逃亡したためである。
時期的に、夏のボーナスを掴んだ直後だったことで、それなりの時間逃げることが出来たが、やがて手持ちの現金が尽きる。
銀行預金を引き出したところ、その支店を特定され、そこからは足取りを手繰っていくことで逮捕にこぎつけた。
- 970 名前:第五部 投稿日:2006/12/10(日) 01:12
- 「犯人は捕まっても、ひろみは還ってきません。二度と還ってきません。ひろみは、私たちの中でしか生き続けることは出来ません。だけど、だから、私たちが、しっかりしないといけません。今月の終わりには、もう予選も始まります。ひろみと一緒に戦えるのは、もうそれが最後です。だから、しっかり練習して頑張りましょう」
すすり泣くメンバーもいた。
事故から四ヶ月。
仲間が去り、戻ってこないメンバーがいて、コーチも変わった。
元通りに戻ったように見える生活でも、残した傷跡は深い。
メンバーたちは、事故のことにはあまり触れないようにして暮らしてきたが、忘れ去った者などいるはずもない。
犯人の逮捕。
そんな事実を知らされれば、痛みも悲しみも、リアルによみがえってもくる。
それでも、りんねは気丈に、涙も見せずに振舞っていた。
翌日、メンバーはそろって、事故の現場に向かい、花を供え、犯人逮捕の報告をした。
- 971 名前:第五部 投稿日:2006/12/10(日) 01:12
- 選抜チームとは期間限定で組むもの。
高校のチームなら、最後の試合の後や、進路も決まった卒業式後にお別れ会の一つや二つあったりするが、兼の選抜チームは普通そんなことはしない。
負けて帰ったら、バスを降りたところで解散。
そんなものだ。
ただし、二度と会わないわけじゃない。
形は違えど、絶対に再会するメンバーたちである。
- 972 名前:第五部 投稿日:2006/12/10(日) 01:13
- 「いろいろあったけど、まあ、楽しかったよ」
神奈川チームに負けてバスで地元に帰った。
着いた先はコーチ役の中澤の赴任高。
ここのメンバーが中心だから、バスの発着がここになるのも仕方の無いところ。
一応最後のミーティングということで、なんとなく雰囲気で体育館に上がってみた。
車座になって、なんかそれぞれ一言づつ、と中澤が振ったところ、最初に口を開いたのは大谷だった。
- 973 名前:第五部 投稿日:2006/12/10(日) 01:14
- 「私、三年だけど、全国レベルの大会なんか出るの初めてでさ。選抜選んでもらえなかったら、あんな相手と試合も出来なかっただろうし。腹立つことも多かったけど、楽しかったし、まあ、いいかなって」
「腹立つことって何よ」
「いいじゃない、細かいこと」
「最後なんだし言っちゃいなよ」
このチームとしてのキャプテンだった飯田が大谷に振る。
言わなくたって誰もが大体わかっていることだけど、あえて口にさせてみる。
「正直、試合出たかったからさあ。自分のがうまいと思ってるのに、スタメン組みで使ってもらえないのとか、まあ、むかついたよ。でも、今考えてみれば、同じチームでいつもやってる方がコンビは合うわけで、しょうがないかなって思うから、私の僻みだったのかもしれないけど。でも、インハイ前は、絶対私らのこと調整相手にしてたでしょ」
「そんなことないって」
「いいよ、時効だから。時効だから許すけど、でも認めてよ」
「うーん、正直そんなこともあったかなって、反省はしてます」
「まったく、いいよな、これだから、インターハイ出られるチームは」
保田が一応素直に謝った。
謝る側も、まあ過ぎたこと、という感覚でもあるので、深く凹むと言うようなことも無い。
- 974 名前:第五部 投稿日:2006/12/10(日) 01:14
- 「ああ、あと、松浦。その怪我はしばらく治すな」
「なんですかそれ」
「いいから治すな。時間かけて、一年くらいかけて治せ」
「意味不明ですよー」
日本語に訳せば、選抜の予選大会には出てくるな、という意味になる。
はたから見ると、この二人の関係は不思議だった。
似ても似つかない二人。
それが、いつのまにか松浦が大谷のお気に入りに近いポジションになっている。
一年くらいかけて治せ、はある種の愛情表現というか、能力を認めた発言と言うか、なんだかよく分からないけれど、この二人が仲良くなったことが意外に映っていた。
- 975 名前:第五部 投稿日:2006/12/10(日) 01:15
- 「ミカのパス受けてドリブル突破するの結構気分良かったんだけどな」
「私はシュートと思ってパス出すのに、大谷さんすぐワンオンワンするんだもん」
「息合って無いじゃん」
飯田が突っ込んで、座に笑いが起きる。
結構突っ込みたがる飯田だが、適切に突っ込めるのは珍しかったりもする。
「私も楽しかったです、インターハイに出られて」
「だから、インターハイじゃないっての」
「今度は、このメンバーでハワイに遠征しましょう」
「聞いてないのかよ」
インターハイにしろハワイにしろ、突っ込みどころが多すぎて周りは笑うしかない。
少なくとも、このメンバーでハワイに遠征するには、時間も費用もないので夢物語である。
「次の大会ではみんなに勝てるように頑張ります」
インターハイと国体の区別はついていなくても、次はすぐに何かの大会の予選があって、このメンバーがそれぞれのチームで戦う理解はあるようだ。
- 976 名前:第五部 投稿日:2006/12/10(日) 01:15
- 「圭織も、どうなるかと思ったよ、最初、このチーム。圭織の場合、県選抜って三回目なんだけど、ミニ国体勝ち抜けたのは初めてで、それがうれしかったかな」
ワンマンチームじゃ勝てません、を体現したようなのが昨年までの選抜チーム。
高校単位と違って、県レベルでも選抜チームを組むと、ポジションに一人くらいはいい選手がいる県が多く、そうやって全体のレベルが上がると飯田一人では勝てずにいた。
今回は、その逆パターンで、飯田を含め、各ポジションに一人くらいはいい選手をそろえられる県になって、ミニ国体を突破した。
「本戦も、富ヶ岡と出来て圭織はうれしかったな。それで、またもう一回みっちゃんとやりたいんで、みんなには悪いけど、次の大会は圭織が勝つんでよろしく」
国体が終われば次は選抜大会の予選。
誰もがもう、そこに目を向けている。
実際、学校での各チームの練習は、そこを目標にそれぞれやっているのだ。
- 977 名前:第五部 投稿日:2006/12/10(日) 01:16
- その他のメンバーも各自一言づつコメントし、選抜チームは解散する。
高校生のスポーツチームらしく、最後は、全員でコーチ役の中澤に向かって一礼した。
「ありがとうございました」
一つの区切り。
そして、すぐに次の戦いは始まる。
それぞれが、それぞれの思いを胸に、また、別々の方向へ歩き出した。
- 978 名前:第五部 投稿日:2006/12/10(日) 01:16
- 第五部終わり
- 979 名前:第五部 投稿日:2006/12/10(日) 01:17
- **********
- 980 名前:第五部 あとがき 投稿日:2006/12/10(日) 01:18
- 第五部終わり。
これでようやく半分来ました。
まさか、また半年かかるとは思ってなかったのですが、思ったより長引いてしまいました。
今回は選抜チームという新しい形。
まあ、選抜チーム形式が生きたのは一チームだけでしたけど。
それでいて、一番反響が大きかったのが、滝川のチーム内ミニゲームの藤本、という笑っていいんだか悪いんだか、という事態に。
あれ、でも、今の時代に実際にやったら、教師によるいじめ問題で〜、とかなってしまっちゃうでしょうか。
ともかく、半分終わりました。
半分までくるのに二年かかってしまいましたが。
もう半分あるのかと思うと、ちょっと考えたくないですが。
今年は、第四部、第五部と、週一連載週刊誌方式で来ましたが、なんとか最後まで一度も飛ばすことなく(間で休憩入れたけど)、一年来ることが出来ました。
実は今回含め、何回かあやうい時があったのですが、無事終わってほっとしてます。
第六部は年明け開始の予定です。
散々前振りが入ってますが、秋が終わったので次は冬の大会になります。
ちょっと意外なところからスタートする予定です。
900終盤までスレッドを消費しているので、当然第六部は新スレッドになります。
長編板の水板でこのまま続ける予定です。
今後ともよろしくお願いします。
- 981 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/12/10(日) 01:30
- 第五部終了お疲れっしたー!!!
いやあ、毎週楽しみに読ませていただいてました。
それなのに滝川のミニゲームの時しかレスしなくてすんませんでした!w
また、第六部からも楽しみにしてます。
- 982 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/12/10(日) 18:02
- 第五部終了お疲れさまです。
最近になってここを見つけ、みやさんの作品いろいろ読まさせてもらいました。
どれも面白い話ばかりで、続きが楽しみなものばかりです。
6部も楽しみにしてます。
- 983 名前:ピース 投稿日:2006/12/15(金) 20:04
- 「ファーストブレイク 2nd period」及び第5部完結お疲れ様です!
滝川のあの事件に始まり、そして終わりもその事件の解決?で締めくくったスレでしたね。
中でも梨華ちゃん達とよっすぃー達の初めての接触、対決などがあって見所も多くかんり楽しませてもらいました♪
新スレ&第6部が”意外なところからスタートする予定”との事で早くも来年の更新再開が楽しみです。^^
それでは少し早いですが良いお年を。w 来年も宜しくお願いしま〜す!
- 984 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/12/22(金) 17:06
- 第五部終了お疲れ様です
毎回ハラハラしたり考えたりと
自分なりに楽しませてもらいました
第六部も楽しみにしてます
- 985 名前:みや 投稿日:2007/01/14(日) 00:23
- >>981
胸か! やっぱり胸なのか!
>>982
ありがとう。続きもがんばる。いろいろがんばる。
>>ピースさん
一年間ありがとうございました。次の一年もよろしくお願いします。
>>984
続きもお付き合いください。
というわけで、新スレッド作りました。
ttp://m-seek.net/cgi-bin/test/read.cgi/water/1168701115/
これで三枚目。第六部のスタートです。
まだ、半分なわけですが・・・。
こちらのスレッドはこれにて終了となります。
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