饗宴の果て

1 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/02(木) 01:21
    
2 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/02(木) 01:22
 
 亜弥の友人が、ある日、亜弥を散歩に連れ出したのは、2人には馴染みの無い界隈、衛生的とはいえな
い、むしろ汚れているという方が正確であろう界隈だった。路上で眠る人を横目に見たり、赤黒いネオン
が光る店の前を通りすぎたりして、彼女らは街の一角、幅は広いが駐車場ではない街路の隅にタクシーが
一台止まっているのを見つけた。「乗れよ」と彼は言ったが、亜弥は乗らなかった。一日の終わりが近い、
冬の日であった。亜弥は普段のままの服装をしていた。ハイヒールの靴、タイトなスカートのスーツ、白
いブラウス、手袋はしていない、しかし全身を覆う長いコートを着て、皮のハンドバッグにはファンデー
ションや口紅などを入れていた。
3 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/02(木) 01:24
 
 彼が運転手に一言も言わないうちに、タクシーはゆっくりと走り出した。彼は横の窓に顔を寄せ、うし
ろを振り返っていた。それで、亜弥は彼が自分に別れの挨拶をしたいのだと思って、右手を上げ、自分も
相手に別れを伝えようとした。ところが、彼は顔を伏せてしまったのである。亜弥は右手を下ろすと、彼
の乗ったタクシーを見送り、再び街路を歩き出した。亜弥は少々気づまりだった。街は変わらず人で溢れ
ていたが、進むたびに翻るコートの裾から入り込む冷たい風が足に触れて、体の奥深くまで冷やしてしま
うのではないかと気が気ではなかった。
4 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/02(木) 23:56

 亜弥は相変わらず歩いていた。それでも亜弥は、自分がなぜ歩き続け、彼とタクシーに乗らなかったの
か、その行為にどういう意味があるのか、あえて考えようという気にはならなかった。どこへ続くのかも
分からない薄暗い街のなかで、亜弥は柔らかい洋服という無防備な格好に、ハンドバックだけはきちんと
持って、ゆったりと足を進めたまま、黙っていた。
5 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/02(木) 23:57

 「着いた」と亜弥が急に言った。着いたのだ。亜弥は酷くサビついた時刻表があるバス停留所の横の
一本の木の下に止まった。つい目の前に、全体がガラスに囲まれた、駅の構内あたりで見掛けるような、
小ぢんまりとしたファーストフード店が見えた。近くには街灯もなく、店の中はいっそう明るかった。
目を閉じてみると、亜弥はたったひとりで、真っ暗な街のなかに立っているわけである。この街のなか
で、亜弥は30分か、1時間か、あるいは2時間か、それさえ分からない永遠の時間、放っておかれた
ような気がした。 
6 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/08(水) 03:14
 それから、わずかに瞼が開いて、明かりがつくと、自分の立っていたこの街が、ごく平凡な、居心地
の良い、とはいえ奇妙な雰囲気の街であることを知ったのである。足元には灰色のブロックが敷き詰め
られていたが、平坦な所は一つもなく、壁は色とりどりの模様で囲まれていた。ドアを開けたのは2人
の女、ヨーロッパの小間使ような服装をした、若く可愛らしい2人の女であった。彼女たちは、膝が見
えるほど短い、ふんわりとふくらんだスカートを穿き、胸をぐっと突き出させるほど締め付けた、前面
を紐で留めるコルセットを着け、襟ぐりと、肘までの長さの袖の先には、レースの飾りを付けていた。
そして目と口に化粧をしていた。
7 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/08(水) 03:16

 ともあれ、間接的に、この女たちが、ここで縛られそうになっていた亜弥の両足を自由にしてくれた
のであり、空腹と喉の渇きを満たすために、店に入らなければならない事を亜弥に告げたのである。正
面には、天井から床まで届く大きなガラス製のドアがあり、ドアの前には邪魔なもの一つ無かったので、
ドアに目をやるたびに、亜弥には、こんな不釣り合いな格好をした自分の姿が見えるのであった。

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