水晶の棘

1 名前:関田。 投稿日:2006/02/14(火) 16:46
ある作者さんから、設定とシーンイメージをいただきました。
書いてもいい?と問いかけて、書いて!と言われて書きおろし。
ある意味プロデュース?はてはコラボレート?

アンリアル柴村柴。
FTで、「エロ」ということで。
性質上ochi進行。一気にいきます。

2 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 16:48

 ひっさびさに来るけども、相変わらずけったいなところやなぁ――。
 苦い言葉をこぼしながら、紫紺のローブを着込んだ派手な女が周囲を見渡している。
 つい昨夜、王と王妃の間に第一子である王子が生まれた。
 まだ名前もなく祝福も受けていないため、男の赤ん坊というコトしか伝わっていない。
 その報せが国中をかけめぐり、どの町も例外なく、なにより城下大変な賑わいを見せていて。
 国外からも祝福の使者が到着し、祝いの品が届きはじめている。
 警備を敷くほうとしては頭を抱えるほど忙しい。
 しかも、これから大司教による洗礼である。あぁ、せわしない。ったら、ありゃしねぇ。
 そこにきて、妙に綺麗で、派手な女。
 不審人物にも見えようし、声をかけずには居られない。
 国も民も、王もあるが限りに守り通すのが、我々騎士の務めなのだから。
 折角の昼休みも省みないのは、その責任感の重さというか、まぁ、彼女がそんな立場だからであった。
3 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 16:51
「もし、そちらの御婦人。
 何か王城へ御用がおありでしたら、こちらでお取り次ぎ致しますが」
 不審者が居ても、最初から不審そうに観てはいけない。
 それは騎士の礼儀であり、強さを証明する一端である。
 今は外套と長衣の間に薄い帷子があるだけで、防具らしい防具もなし。
 もし相手が騒乱を起こす輩であっても、その状況を補って余る剣術を、彼女は持っている。
 五部隊からなる騎士大隊の頂点にある、誉も高き王騎士団「翡翠の槍」。
 正装時に翡翠色のマントと、紋入りのサーコウトを着込むことから、宝石の名が冠されている。
 剣の刃と槍を高く合わせた盾、それに狼を描いた紋入り。
 あまりの凛々しさに子供の誰もが一度は夢見る職業として、上位に食い込む常連である。
 その中でも若手にして最大の信頼を得ている、筆頭騎士。
 まぁ、筆頭騎士とは言っても上に騎士長と大隊長が居るので、発言権は少ないものだが。
 彼女の名を、柴田あゆみと言う。
 貴族でありながら、気さく、しかも責任感も強し。という、騎士の鑑のような人であった。
4 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 16:52
「お姉さん、騎士?だったら知ってるかなぁ」
 女は妙になれた口調で、あゆみに向かって問いかけた。
「教団の人間が帰るのってどれくらいの日付なん?
 あんたっとこの王様から守護の魔術とか頼まれてるんやけどな?
 教団の人間が居るとやったら煩くってイヤなんですよぉ」
 王様からの魔術の頼まれ物――?
 直々におおせつかっていた予定表を、頭の中でバラバラと音をたてて捲る。
 引っかかったのはただ一つの事項。
 王が懇意にしているという魔術師が来るが、彼女は教団の一派と仲が悪いということ。
 なるほど。納得しながら、ちょっとだけ警戒を解く。
5 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 16:52
 教団というのは国の国教にあたる、「カドラ聖教」の教会のことである。
 多神教であるが故、その信仰対象は多岐にわたり、願いをもらすところが無い。
 数多の英知を司る神を至高神とさだめ、その下に仕える武神・商神などを置き、幅広い信仰を集めている。
 魔術は至高神とは異なる下級の神に連なるものが多いため、聖教は魔術を異なるものとして認めていない。
 一般的な奇跡を起こす聖職者も多く居るが、たいがいは――司教を含めて生臭坊主である。
 最上級の奇跡はまず使えないらしい。
 噂の域を出ないのは、その奇跡を使わずに済んでいるからだ。
 それでも、彼らも一応は大人だし、魔術師を表立って糾弾することはしない。
 が、鉢合わせをしたなら「どんな小言をもらうか」わからないのだろう。
 国教ということで熱心な信者も居り、カドラ聖教は栄えてはいるが、民衆の間では魔術師のほうが親しみやすい。
 教会はすがるもので、魔術師は頼むもの――という不文律が出来上がっている。
 いつの世の中にもある、本音と建て前のステキなハーモニーだった。
6 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 16:53
「あぁ。貴女が紫紺の魔術師殿ですか。
 遠路はるばる、ようこそこの都まで。
 我が王も、教団の方との関係があると、そうおっしゃってました。お察しします」
 礼儀を取るよりも苦笑混じりに肩を竦めて、言い渡されていた予定を告げる。
「教団の方々は昼に、祝福の儀式を施される予定でして。
 明後日、昼の会食後に出立されますので、それ以降であれば問題無いと思われます」
「あぁ。じゃぁ、三日くらい街中でゆっくりしてるわ。またな、可愛いお嬢さん」
 ひらり。と、手を振る外套がはためいた。
 視界の中に一瞬ひらめく、外套に裏打ちされた精緻で絢爛たる刺繍。
 金、銀の糸に、細かく砕かれた宝石の屑。
 まるで天球儀を塗りこめたかのような、一つの宇宙のように見えて。
「あの…。失礼ですが、それは全て…?」
 思わず呼び止めてしまうのに、スマートさが足りないと自分で苦笑する。
「あぁ、そう、全部術式。
 騎士ってのは頭が固いのだけかと思ったけど、好奇心アリなのも居るんやな」
 に。っと口元を笑ませて、彼女はチラリとその端を持って持ち上げて見せてくれた。
7 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 16:53
 一見なんの「律」も無いように見えるが、きっと常人にはわからないレベルなのだろう。
 無礼も、何も構うことはないと、無言で微笑んでくれる。
 見た目は怖いができた魔術師らしい。
「たいがいの術はこれで補えるようにしてあってな?
 これ一枚全部で破壊の術式を組んだら、山一個くらい吹き飛ばしたついでに、湖一個くらいなら干上がらせられる」
 イ?あまりに物騒なコトを紡ぐものだから、騎士は真正面から食らってしまう。
「ま。盗まれたところで、私にしか使えんから安心しぃ」
――常人なら羽織った途端に、どれかに食われて死んでしまうわ。
 ど。どれかって、何を指してどれかなんだろう。しかも食うってどういうコトだろう?
 思わず眩暈がするけれど、これで倒れるわけにもいかない。
 王騎士には仕事が沢山残っている。
 お昼休みが終わったら、いよいよ教団のお出迎えなのだ。
「あー!こんなトコロに居たよ。
 ちょっと裕ちゃーん?圭ちゃん怒ってるよッ」
 童顔なのに不可思議な色気をもった、冴えない魔術師のローブに身をつつんだ女性が大きく手をふる。
8 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 16:54
「あかん。呼ばれた。別にはぐれたわけやないっちゅーに」
 声の方を一瞥してから、女は軽く「なぁ、煩いやっちゃなー?」と肩を竦めた。
 思わず笑んでしまうのは、見た目の怖さよりも毒っ気が無いからだろう。
 しかし。ジっと視線を向けられて、一瞬たじろぐ。
 目じりのやわらかな線とは裏腹に、その瞳は海の底までも見通しそうな深さを見せる。
 ぱちり。と瞼をおろして、世界を一度隔絶してから。
 「裕ちゃん」と呼ばれた彼女は小さく笑った。
「親切してもらったついでに、今見得たものを言っておくけど…。
 あんた、ナクシタモノが出てくるっちゅー星が来てるな。
 物理的なものか、心理的なものかまでは、見た目だけじゃ見えないけど、一個諦めたもんがあるはずや」
――数日中に出てくるけど、悪いようにはならんから。心配せんでえぇよ?
 時間もないし、しっかり占ってやれんで悪いな。
 今度こそ後ろ手に手を振りながら、紫紺のローブが遠ざかっていく。
9 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 16:55
 ナクシタモノ――?
 そんなもの、無いんだけどな…。
 諦めたものならば、それこそ数え切れないほど沢山あるけれども。
 サワリとあゆみの髪を風が撫ぜていく。
 追従の行軍で落としたネックレス。
 小さなころ好きだったぬいぐるみ。
 なくしたもの。
 諦めたもの――。
 そんな、存在しないものが、数日中に出てくるだなんて…。
「ったくもう、どうしようもないねぇ、ごっつぁん?」
「まぁまぁ、師匠はいっつもコンナんじゃない」
「うっわぁ、ひっどぉいアンタたち。なっちはともかくあんたまでッ!」
 ぎゃいぎゃいと言う魔術師一行が遠ざかるのを、ぼんやりと見つめてしまう。
 まるでその唐突さと勢いは、春先に降りてくる、山風の吹き下ろしのようだった。
10 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 16:55



11 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 16:56

「っと、居た居た。王騎士がこんなところで何してんのさ」
 ポン。と肩を叩かれ、我に返ると、目の前には見慣れた顔があって。
 翡翠に並べてこちらは瑠璃。
 王城の騎士の内でも曲者ぞろいの四隊に属している友人、大谷雅恵であった。
 彼女はすでに正装を終えていて、隊色のバイアスで縁取られた制服に、羽飾りのついたベレーをかぶっている。
 騎士の位があれば獲物は各自自由なのだが、式典なので統一されたサーベルが佩かれていた。
 普段の彼女は長剣と湾曲の短刀、二刀を用する、超絶テクニシャンである。
 彼女が紛争地に行くと、その背には血煙の翼が生えると言う。
「あぁ。ごめん、ちょっとぼーっとしてた」
「ちょっとじゃないでしょうよ。もう集合時間近いよ?」
――あゆみんは騎士正装しないといけないんでしょ?
 昔からの愛称で呼ぶ彼女に、苦笑する。
 騎士大隊での見習い中に、沢山の技術を共に磨いた戦友の一人である。
 そう。騎士正装。通常の制服ではなく、甲冑にサーコウトで式に臨まなければならない。
 責任者の重責に等しい、地位の証でもある。
12 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 16:56
 ボーっとしすぎたか。
 と、苦笑まじりに髪をかきあげて、一緒に移動することにした。
「えっと、王城の広間の警備って?ウチの王騎士隊と?」
「ウチの四隊と、ひとみんとこの三隊」
 ひとみん――斉藤瞳も戦友の内の一人。
 三人は城の衛視としても騎士隊の中としても、女性の中では群を抜く能力を持っている。
 王城への入り口にさしかかって、二人は目を丸くした。
 すでに王子の誕生を聞きつけた各国の使者たちの入城事務処理が追いつかず、黒山の人だかりができている。
 お世辞程度の使節団でも、十名単位なのだからどうしようもない。
 高位魔術師を雇い、空間転移で来る者も居るので、予想しない遠方からの使者も居る。
 一人ずつ身分をあらためていては、自分たちが入るまでに日が暮れてしまうだろう。
「っと、これじゃ素直に入れそうに無いなぁ」
「通りすがるはいいけれど、もっと人を増やせ!とか文句言われてオシマイだよね」
 肩を竦めて二人は顔を見合わせた。
13 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 16:57
 どうしよう。間に合わないな。
 でも、間に合う術なら知っているな。
 お互いに思いつくことが一緒だったらしく、抜け道使うかぁ…というコトに落ち着いた。
 無言でそんなヤリトリができるほど、彼女たちの付き合いは長く深いのだ。
 今まで来た道を半分ほどまで戻り、城をぐるりと取り囲む堀に向かう。
 門があり、小さな橋がかかっていて、通用口があるのだが、そこは衛視たちが固めている。
 二人の顔を見て慌てて道をあけるのに、「悪いね!急ぎなんだ」とあゆみが笑って走りぬけた。
 門をくぐり、すぐさま石でできた欄干に足をかけ、一気に跳躍。
 堀の水めがけて?かと思いきや、その足は水路際の敷石に着地した。
 時折水苔で長靴が滑りそうになるのを、バランスひとつで切り抜ける。
「そういえば、この抜け道使うのは久々だねぇ」
 イシシ。悪戯ついでのように雅恵が笑うから、あゆみも苦笑した。
14 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 16:57
 昔は朝帰りや訓練に間に合わないのに、怒られるのを覚悟でここを抜き足差し足したものだ。
――前に読んだ文献ですけどね。ここの堀の際と、練武場の地下が繋がってるんですよ。
 初めてこの抜け道を見出した人間の言葉が、不意に心をよぎる。
 無くしたものなんて、どこにもない。
 何も無い――。
 ぐっと拳を握り締め、あゆみは走る。
 無くしてなんか居ない。
 諦めたものは、多すぎて数え切れない。
 まったく。早く着替えなければ、怒られてしまうじゃないか。
 いったい、なんだって、あんな声を思い出さなければいけないんだ…?
 軽く眉を顰めたまま、あゆみの腕は木製の扉を乱暴に開け、体を地下へと躍らせたのだった。
15 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 16:57



16 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 16:58

 装飾が施された、祭事用の甲冑。
 通常の戦闘で使われる愛用の胸部鎧とはまた違う、格式にのっとった、関節の動かしにくい逸品である。
 首は首周りのガードで動かしにくいし、いやぁ、慣れないうちには苦労したものだ。
 大隊長と騎士団長なんざ、フルプレートの鎧にフルフェイスの兜を装着している。
 …正直な話、そんな位置には上がりたくない…。本音だけれど。
 魔を払うとされるキツイ匂いの香木が焚かれ、小さな鎖つきの香炉が司祭の手でかざされている。
 彼はゆっくりと部屋の入り口から四隅をまわり、全ての場から魔を払う役目を終えて下がった。
「では。大司教殿より、祝辞をたまわる」
 宰相である御老体の声が朗々と響き、部屋の中の静寂が際立つ。
17 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 16:59
 深い深い緑色の絨毯。
 荘厳さ漂う大広間の中心に、今、王子がすやすやと眠っている。
 王は一人、王座に座してわが子の姿に目を細めっぱなしだ。
 いいねぇ。幸せなのは良いことですよ。
 乳母や女官長たちが騎士隊の背後にビッシリと並び、そーれはもう、目から大粒の涙を流して感動している。
 それにしても。
 生まれながらにして、この異様な厳粛さに眠れてしまうのだから、王子は豪胆かよほどの天然かどちらかだろう。
 成長過程が楽しみだ。
 王色として賜る深緑は、周辺を囲む山々や森林の現れであり。
 我々の地が後世豊かに栄えるようにとの祈りが込められているという。
 王は剣技よりも学識に溢れた方で、広くを見渡す目を持っておられる。
 だからこそ、貴族の血筋があるとは言え、あゆみのような若者でも、身近に登用するのだ。
 才がある者を登用して何が悪い。
 とは、あゆみが王騎士に上げられた時の王自身の言葉である。
18 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 17:00
 まぁ、それにしても、長い長い祝辞だこと。
 毎度のことなので面を食らうわけでもないが、さすがにもう聞き飽きた。
 この大司教はむかしから、時候の挨拶から始まって世界の始まりまで遡る。
 そこまで遡ってから、今日この日取りが至高神によって決められていたことなのだ!と帰結するわけだが。
 必ずだ。ほら、今日も饒舌さは好調で、やばいな、長くなるコースを一直線。
 すでに十分ちかくになり、さすがの騎士団も来賓もジリジリしはじめている。
 どうしたものか。
 とは言いながら、ひたすら耐えるしかないのだけれども。
19 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 17:01
 「教団」は、この周辺国の沢山の場所にパイプを持っている。
 長きにわたり緊張を持ち続けている、東の強国とも。山脈を越えた北の雪国とも。
 反感を持たれてしまったなら、国のいろんなことあんなことソンナコト!?までも筒抜けだろう。
 難しい。肩入れする場所が違えば、勢力図がことごとくに変ってしまう。
 だからこそ、教団にはいろんな国が袖の下を渡している。
 この国が国教として聖教を擁護しているのは、背にした山脈にその総本山である聖域があるからだ。
 聖域の通過を許すなんてコトをされたら、ウチの国はたまったもんじゃない。
 民衆の人気とはまったく関係ないあたりが問題なのが、教団の汚いところなんだけれどね。
 と、顔にはまったく出さずに思っていたところに、御挨拶の終わりが見えてきた。
20 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 17:01
「さぁ、新しい命に、王家の血筋に祝福を与えましょう!
 この場に我らの神と連綿とつづく時の祝福を――!」
 礼式にのっとり、全ての騎士隊員がサーベルを抜き放つ。
 シュンという刃の空を裂く音がはしり、ジャキッ!と胸元で皆が柄を止めた。
 柄飾りの房が隊色ごとにゆらいめいて、非常に美しい。
 もちろん。あゆみの剣も同じく陽光をひらめかせる。
 午後の日差しがやわらかく差し込むなか、刃が光の波のようにさざめいた。
 そのまま大司教は「祝福の儀」にはいり、教団のある山で湧き出た水に祈りを捧げたもので王子の体が清められる。
 聖水の冷たささえも体に障らぬのか、キャキャキャと楽しそうな声をあげて。
 あぁ、こりゃ豪胆なのだろうな。
 思わず苦笑しそうになるのを、奥歯を噛んでガマンした。
21 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 17:02

 と。聖水の盃を取りにくる段取りだったのだろう。
 静々と、教団の濃紺のビロードの司祭服に身を包んだ人物が、歩み寄ってきた。
 両手で恭しく、聖杯――当然総本山にあるもののレプリカだが――を受け取る。
 ぴくり。と、コメカミに微かな痺れが走った。
 静かすぎる、深い一礼。
 フードにかくれて完全には見えない、その表情。
 しかし。全てが見えなくても、わかるほど、近しかったその面。
 はらりと落ちる、結びそこねた髪のサイドラインがおりて表情を隠す。
 が。その隠された表情こそ、いつも見つめていた面影で。
 な…。
 一瞬だけ垣間見えた、その視線、瞳に宿る光。
――ナクシタモノ。
 どこかワケ知りのように紡がれた、魔術師の声が耳の奥をかき乱す。
 思わず視線だけをめぐらせると、司祭の直線状に居た瞳の視線が見開かれている。
22 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 17:02
 まさか。
 するり。と、身を翻すのにこちらに向かい体が動く。
 見間違える、はずがない……。
 どっと背中に汗がふきでる。
 感情は行く筋にも裂かれ、綯われて、直立不動を保つだけで精一杯になる。
 王騎士ともあろう者が、膝が震えそうなほどの…混乱を抱いていた。
 騎士登用試験後の選抜を目の前に、その資格を返上し、聖域へと消えて行った…友人……。
 今まさに、彼女が、そこに、居る。
 
 むらっち…。

 心の底でかつてのように呟いて、あゆみはコクリと息を飲み下したのだった――。
23 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 17:03





24 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 17:04
「打ち込みの力が弱いわけじゃないんだから、角度でしょう」
 ギチ。鍔元を拮抗させながら、お互いに力を比べている。
 練武場は騎士団が持つ地下と、一般兵士と共用する王城内のグラウンドと二つ。
 周囲にできる野次馬の壁――みな衛視であったり、兵士の卵ばかり。
 自分たちもその内だが、通常の兵士たちよりはすでに階位は高い。
 騎士見習いというのは、そういうモノなのだった。
 二人は青空の下で模擬剣をかちあわせている。
「前はここで押されたんだっけ?柴田くん」
「あーあー、聞こえないッ。憶えてないッ」
 ニっと口元を笑ませる相手に、負けを認めたくないあゆみは口を尖らせる。
「相変わらず可愛いねぇ、君は」
 ふざけて顎を軽く突き出すのに、「タダじゃあげませんって」とふざけて笑った。
 クイ。柄の頭を軽く押しだし、角度を変えて剣を振り切る。
 下段から大きく振り上げるのに、間合いは大きく開く。
 体にして五つ分。
 剣を振れば、お互いの刃が触れ合う距離。
 この緊張感が、一番体にクる。
25 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 17:05
 エァ!気合一閃、小さな振り付けでお互いに一歩を進めた。
 足し引きゼロで応酬される連打に、ギャラリーは固唾を呑んで見守っている。
 剣術の形は一通り同じものを習う。
 かつて英雄と呼ばれた人が作り上げた、古典流派がお互いの体には叩き込まれていた。
 式典の動作を含む片手用のサーベルと、両用のバスタードスウォード。
 体躯にあわせてツヴァイハンダーという選択肢もあるが、二人とも女性なのでバスタードスウォード止まり。
 その両方の免許を得て、初めて自身が持っていたスタイルを「足す」ことが許されることになっている。
 二人は最近になって免状を得て、ようやく自身の形を足しはじめている時期だった。
 形どおりの剣術では見えてこなかったお互いの癖、そして長・短所が随所に見えてくる。
26 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 17:05
 この時期になって、あゆみの剣は、一歩のところで彼女にはぐらかされることが多くなった。
「剣が直情的すぎるんだよ、いっつも」
 チ。という音をたてて、剣がそらされる。
 意図的にやわらかく保たれたスナップ、滑っていく剣の軌道。
 これは――。
 結果を見なくてもわかる。
 勢いがつきすぎた、あゆみの剣の切っ先が宙へと落ちる。
 このままでは普通に負ける。事実だけが脳内にこびりついて、許しがたい。
 どうにか剣の遠心力を振り切り、柄頭だけでもその腹部に届かせなければ、完敗。
 奥歯をかみ締めるも、それは、ほんの数ミリ分届かなかった。
27 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 17:06
 模擬剣とは言え、刃を潰しただけの剣だ。
 通常の勢いで振り切られた時には、打撲どころか本当に裂傷を起こす。
 実際、太目の根菜一本、スパンと音を立てて真っ二つにできる。
 初心者の頃には止めることすらかなわずに、訓練のたびに怪我人が出ていたものだった。
 その刃が、首筋にぴたりと寄せられている。
「ハイ、柴田くんの負け」
 剣を翻すために張った肘すらも、掌底で押し止められていた。
 実戦。短剣で一矢を報いようとしたところで、腕を傷つける程度で終わってしまう…というところだろう。
 体の運動作にともなう汗とは違う汗が、タラリと首筋を伝う。
「訓練後の水分は、キミのおごりだ」
 シンとした空気の中でプカリと微笑みながら、相手は剣を引き、そして収めた。
 緊張感からの解放に、思わずため息がこぼれた。
「むらっち強すぎだよ」
「キミの剣が直情的すぎるだけでしょう。私はそんなに強くはないよ」
――はぐらかしてるだけですよぉ〜?
 ふにゃふにゃと肩から力を抜いて言うものだから、悔しさを通り越して笑いがこみ上げてくる。
 手を差し出され、それを握り、立ち上がって。
 人垣のあいた部分から、ギャラリーに手を振りながら二人は騎士用の練武場へと帰ることにした。
28 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 17:06


29 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 17:07
「ひとみんだったら、五分取れるんだけどなぁ」
「パワーヒッター同士だから、得物が違わないかぎりはキミのが強いだろうね」
――早く自分流を見つけて、しっかりやらないと。
 首をかしげて、苦笑するのに、優しい言葉が返ってくる。
 練武場に併設されている、女子更衣室。
 むらっちと呼ばれた彼女は、苦笑混じりに自らの汗をふき取っている。
 細い、体…。
 視界の端にうつったその体躯に、思わず視線をとめた。
 お互い鍛えてはいるけれど、彼女の少し骨ばった気配さえする薄い体は壊れそうに思える。
 どちらかと言えば、騎士というよりは剣士の趣のほうが強い人。
 基本の剣術をすでにマスターしていた自分と、五分のセンスで訓練を切り抜けてしまった。
 自分は…、貴族だから、剣術の基礎訓練が成っていただけなのに。
「なにか?そんなに見られてたら恥ずかしいんだけども」
 不意に問われて、ビクリと肩が揺れた。
30 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 17:08
「え?あッ、や、なんでもない。
 別に見てたわけじゃないよ。ただ…、うん。やっぱり敵わないなぁって」
 気づいたら彼女を視界に入れたままぼんやりと考えて居たらしい。
 失礼千万、きわまりない話で恥ずかしくなる。
 こぼれてくるのは苦笑だ。
 自分の自信を小さく欠けさせる、ちょっとしたコンプレックス。
「大丈夫だよ。柴田くんは強くなる」
 ふ。目を、細めて微笑う。
「強くなれる人だよ。保障する――」
 真面目にそんなコトを、いつもより強い声で言うもんだから…。
「じゃぁ…、むらっちが言うんだったら、信じてみるよ」 
 信じたくなって、貰った言葉を胸にしまって、あゆみも微笑った。
31 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 17:08
「あーら?なんか良い雰囲気じゃない?」
 ニヤリ。柱の影から視線を覗かせて、「五分取れるひとみん」こと斉藤瞳が二人を窺がっていた。
「残念でした。そういう雰囲気じゃありませんよ」
 ふふん。と口元を持ち上げて、めぐみは長衣を頭からかぶる。
 皮ひもで編んだ胸部をしっかりと締め、首元はリボン結び。
「今日は柴田くんのおごりなのでね、頭の中は何を飲もうかと贅沢な悩みで一杯なんです」
――エールもいいなぁ。そう言えばシェリーの良いのが入ったとも聞いたなぁ。
 そう追い討ちをかけるものだから、「うわぁ!折角忘れてたのにぃ!」とあゆみも頭を抱えた。
「おうおう。そりゃイイコトを聞いちゃったー。なに?ランチの水分おごり?ありがとー」
 丁度備品を返しに来たらしい、大谷雅恵も合流してしまう。
 このままでは水分四人分という大ピンチだ。
 今月の小遣い大丈夫だったっけ?と頭の中で財布の中身を計算するのに、めぐみが笑いながら近づいた。
「悪いけど、私と柴田くん、二人のカケなんでね。キミタチは次の機会を待ちたまえ」
 ぐ。と、守るような言葉とともに、腰を引き寄せられた。
 まだ胸部の汗をぬぐいを下着で覆っただけなので、腰元は素肌のまま。
 ズボンの少し上の素肌に、細い腕がそわされている。
32 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 17:09
 二人だけの約束だから。と、牽制する。
 助け舟を出してくれたことへの感謝と別に、特別扱いなのだからという秘密めいた気分が胸の中で踊る。
 なんでだろう。
 昔から、ちょっとした言葉の端にある「二人の関係の対等さ」がくすぐったいコトがあった。
 剣術では敵わないのに。お互いを尊重してくれる、と言うか。
 対等に見てくれているのが、とても心地よくて。
 そういう時の軽いスキンシップが、何故か可愛がられている気分で嬉しかった。
「ちぇーつまんなーい」「ねー、つまんないねぇ〜?」
 水分すいぶん〜!と騒ぐ二人に、「あーもー。次ッ、この次私に勝ったらね」とめぐみが笑っている。
 ね?と顔を覗き込まれて、思わず笑いを堪えきれなくなった。
 そう。他意の無い、笑顔を重ねて。
 そこには、そらぞらしさも、嘘も何もなくて。
 ずっと、そんな関係が続くのだと――心の底で思っていたのだ。
 あの日、あの時まで。
33 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 17:10

「配属決まったよー!」
 見習いの宿舎は王城のすぐそばにある、騎士隊の宿舎の並びに建てられている。
 すでに叙勲を受けている騎士たちのそばにつき、礼節やその武を学び取り、時には紛争地へ赴き二年。
 あゆみたちを含む同期は、いよいよ初めての選抜の時期を迎えていた。
 各騎士隊長たちが会議を開き、ほしい人材を引き上げていくのである。
 勢い込んで走ってきたのは、雅恵だった。
 バスタードスウォードの力強さと、片刃曲刀のトリッキーさをあわせた超絶技巧。
 自らも変わり者と称される四隊の長が、ゼヒに!と声をかけてくれたと大騒ぎである。
「あぁ、予想通りの四隊だねぇ。おめでとー」
「希望通りで嬉しいかぎりだね!」
 えへん!と鼻の線をサムアップでグイっとやりながら、子供のように笑う。
 二人部屋の同室だった縁もあり、向かい合わせのベッドに腰をおろして話を持ち寄ることにした。 
34 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 17:10
「なんか、ひとみんは三隊の騎士長が事前に通達してるらしいし」
「長柄物得意だもんねぇ、ひとみんは」
 力技にも通じる瞳の腕は、近頃長柄の槍を扱うことに慣れてきていた。
 基本は佩いた剣を使うのだが、翡翠の槍の下には、槍のスペシャリストが揃う隊がある。
 長柄モノならばなんでもござれ。
 ポールアックスからパルチザン、投擲用のハンドジャベリンまでまかしとき!というのが三隊だ。
 剣術も乗馬技術も、ある程度の腕が無くては入隊できない。
 彼女の選抜も、願ったり叶ったりだった。
「得意分野が別れてからさぁ、やっぱりみんなお互いに負けなくなったよね」
「そうだねぇ。でも、王騎士隊に決まってる人には、やっぱり敵わないけどね」
 あらお世辞。いやいやご謙遜を。
 言外に言い含めながら、お互いに笑う。
 と、そこに瞳も顔をのぞかせた。
「今日明日は休みなので、こんなものをもってきました〜」
 祝賀用に饗される、小さな酒瓶であった。
35 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 17:11
「ところでさぁ、あゆみん。むらっちの話、聞いた?」
 すでに成人を迎えている彼女たち――現実とはまた違う、16の成人である――の頬はあかい。
 ん?と情報の無いところの話をむけられ、あゆみは一瞬戸惑う。
 そういえば、所属の部隊が決まったという話は聞かない。
 いったい、なにを聞くと言うのだろう。
「あぁ、なんか聞いた。私も」
 瞳の声は幾分ふさいでいる。
 さっきまでお酒の勢いで歌ったりしていた
 ――寮の規律にはもちろん反するが、皆所属の決まった祝いで黙認してくれている――のに、だ。
「なによ。急にそんな、神妙な顔しちゃって」
 アルコール分よりも果実の甘味が勝るぶどう酒。
 静かに舌にのせて、飲み下す。
 何を言われても、いいように…と、思いながら。
 しかし、次の瞬間に紡がれた言葉は、その予想の範疇を大きく超えていた。
36 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 17:12
「むらっち、選抜拒否して『山』に行くんだって」
 宿舎の北向きの窓。
 ガラスの向こうに広がる樹林、その彼方の山脈。
 この都で山と言えば、その山脈に決まっているし、その山が指す言葉といえば……目的はひとつしか無い。
「ま、待って!選抜拒否って…なんで?
 だって!私も強くなったけど、むらっちの方が自律できてて、ちゃんと剣も強くて…ッ」
 そんな彼女が、どうして――カドラ聖教の総本山である「山」へ出奔してしまうのだ?
 ヤバイなぁ。知らなかったのか。と、二人は顔を見合わせる。
 が。ココまで言ってしまってから、嘘で上塗りできるはずもない。
 話を振った責任からだろうか。
 雅恵はぽつりとこぼした。
「なんか、あれ。どんなに頑張っても、上が知れてるからだって…」
37 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 17:12
 ガツン。と、頭を殴られた気がした。
 打撃を受けたときのように、悪い興奮で頭が一杯になる。
 だって。そんな、上が知れてるって…言うことは。
 出世をしようと思っても、「先に王騎士に配属される自分の上へ行けない」というコトへの、あからさまな揶揄でしかない。
 そんな。そんなことを思って居たのだろうか。
 近くに居て。笑いながら、そんなことを――?
「私だってさぁ、そんなコトを言う人じゃないって思ってるよ?
 でも、実際…そういう言い方だったらしいし……」
――他に事情があるにせよ、ちょっと突然すぎて、私も混乱してんだけどさぁ。
 雅恵の話の内容に、怒りに似た興奮が沸き立ち、腕を震えさせる。
 任務とは言え、初めて賊を切り捨てた時と、似たような激しさが胸でたぎる。
 あゆみはギチリと唇を噛んでから、深くため息をついた。
「ゴメン。ちょっともう、飲める気分じゃないや」
 コツ。とゴブレットを置き、自らのテリトリーにあるクローゼットから外套を取り出した。
――出かけてくる。
 少し、一人になりたい。
 あゆみの無理もない言葉に、残された二人は何も言えないで居た。
38 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 17:13

 カドラ聖教は国教である。
 多神教であるが故、その信仰対象は多岐にわたり、願いをもらすところが無い。
 数多の英知を司る神を至高神とさだめ、その下に仕える武神・商神などを置き、幅広い信仰を集めている。
 おかげさま、生まれた子供はまず洗礼を受け、成人する頃になって自らの神を決めることになっている。
 騎士と言えば武神のようにも感じるが、秩序と潔白を契るために至高神の信仰を定めていた。
 あゆみも、当然その神に信仰を持っている。
 神を信じていることが全てである聖職者とは違い、誓いは立てるが生活を縛られることは無い。
 朝夕の祈りがあり、多少の禁忌があるくらいだ。
 が。しかし。
 その神に仕えるために、友人は総本山へのぼってしまう。
 その友人は、自分を妬んで居たという。
 本当かは、わからない。
 問いたださなければ、何も知れない。
 一緒に、騎士隊にあがるのだとばかり思っていた。
 そう。思っていたからこそ、こんなに驚いているのだし。
 こうして驚くのは――自分が、そう、思いこんで居たからだ。
39 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 17:14
 ザクザクと足元で鳴る青草を、踏みしだいて脚をすすめる。
 見えてくるのは小さな湖。
 昼間でもあまり人の近寄らない、王城近くの憩いの場所だった。
 ここでよく、四人で昼食を摂ったりしたものだから。
 きっと、ここに居ると思ったんだ。
「あれ。珍しい…キミがこんなところに来るなんて」
 不意の訪れにも表情を崩さない、めぐみの姿がそこにあった。
 自分が、何も知らないと思っているんだろう。
 …バカにして。
 ぐっと拳をにぎり、唇を引き結ぶ。
「どう…して?」
 睨み付けるように向けた視線と、情けないほど震える声に、事情を悟ったらしい。
 めぐみは一瞬だけ眉を持ち上げて、それから嘲るように表情を変えた。
「どうして?って、聞いたんでしょう?だから、私を探してココに来た」
 補足はない。
 足すことも引くこともせずに、聞いたかどうかだけの事実を問いかえす。
 それじゃぁ、まるで…。
40 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 17:14
「どうせキミより強くても、私はキミの上には行けない」
――貴族の正統なる血筋に、誓いのままの潔癖さ、気高さ!
  腕だけでは、どうにもならないコトがあることくらい、知っているでしょう?
 言葉をさがしてさ迷う視線を断ち切るように、めぐみの言葉があゆみの思考を断ち切る。
 それは、妬み。憎しみ。まるで、憎悪…。
 淡々と紡がれた言葉の意味が、深くあゆみの心を沈める。
 どうして?と、愕然とみつめる目の中、めぐみの姿が少しずつ大きくなる。
 近づいてくるのが解っているのに、微動だにできないまま、その姿を見つめるしかできなくて。
「コレ以上ここに居て、君が先を行くのを見ているだけなのは辛い。
 そして、自分の中にそういう…嫉妬があるのも許せない」
 ぐ。と、外套を纏っただけの、防具の無い肩に指がくいこむ。
「自分の方が、強いのに?」
 あぁ。これはまるで、子供の質問だ。
 問いかけながら、自身の愚かさに苦笑したくなる。
「ずっと?ずっとそう思いながら一緒に居たのッ?」
 肩をつかんだその腕を、力の限りに振りほどく。
 挑むように睨み付ける視線の中、めぐみの微笑みは色を失った。
41 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 17:15
「私は私のために、神の下で邁進する道を選ぶだけ。
 もう、そう、決めました。
 スカウトに来てくださった、一隊長にも、そう、申し上げましたから」
 一隊。騎士の中でも凄腕ぞろいで、実質は王騎士隊をしのぐ実力を備えている。
 憧れだったはずの部隊への入隊を拒否してまで…。
「わかんないよ!理解できないッ」
 なんで、出て行こうとするの?
「自分のこの醜さを抱えたまま、真っ当な騎士として生活できるとは思えませんよ」
 嘲笑。あゆみへの?自身への?見えない。
 まったく、悟らせてくれない。
 太刀筋が逸れるように、言葉すら、いなされてしまう。
「神を信じるのみであれば、いずれは、自分の醜さも飲み込めましょう?
 英知を持たれる至高の神が、迷いをお許しくださる、その時にでも」
 肩を竦め、めぐみは肩先をすり抜けようとする。
「むら…ッ」
 腕をつかもうとして、体を翻した。
 でも、そこに腕はなくて。
 おもいがけぬ衝撃が体を包んで、息がつまった。
42 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 17:16
「キミは、立派な騎士になりなさい。
 そして、こんな愚か者が居たことなど、すぐに忘れてしまえばいい」
 呼気が耳元で鳴る。
 静かな、呼気の昂りが、感情を制御しているのだと教えてくれる。
 別れ際の抱擁にしては、強くて。強すぎて。
 奥歯を噛んで、その強さを感じてしまう。
 本当は、去りたくないんじゃないか?と、勘繰らせる。
 だけど、もう、彼女は決めているのだ。
「うらぎりもの…」
 息詰まる腕の中で紡ぎきれた言葉は、幼稚な響きの、これまた稚拙な言葉だった。
 簡単に意味の受け取れる言葉でありながら、そこにある感情は幼くて。
 この発言が、本心とはかけ離れた位置にあることを、声だけが饒舌に語っていた。
「そう思ってくれたほうが、私も去りやすいよ」
 本心ではないと解っていながら、言葉を是と取り、受け流す。
43 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 17:16
 違う!と言えたならいいのに、衝撃はあゆみの語彙を極端に制限していて。
 呆然と見つめる中で、めぐみの表情は薄暗いままだった。
「さようなら、翡翠の槍を持つ騎士になろう方。
 アナタは私の中で、誇りであり、光であり、そして、負蝕の種だったよ」
 冷たい風の奏でる、物悲しい歌のような、音。
 それが声として、言葉を紡いでいると、頭では理解できたのだけれど。
「認めない!こんなの認めないからッ」
 体が離れ、二人の間に静かに気体が入り込む。
 熱がほどけ、接点が無くなる。
 腕を伸ばすこともできない落胆と、混乱と、絶望的な思いがあゆみの中で逆巻いていた。
 激情に似ている。
 けれど、激情はその行方を決められるのに、この思いは出口すらもてずに居る。
 一歩、また一歩と距離がひらき。
 取り戻せなくなる。
44 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 17:17
 貫かれるような視線を背中に感じながら、めぐみは暗い笑みを解けずに居た。
――好ましいと思えばこそ、その片腕で居ることが辛い時もあるんですよ。
 そう、伝えられたら良かっただろうか。
 彼女が自分を忘れてくれたらいい。
 嫌いになって、忘却の彼方へ追いやってくれればいい。
 そうしたら。いつか、自分の「負の感情」も神への祈りに紛れて消えていくだろう。
 自分の中に降り積もり、すでに本心を覆い隠してしまえるほどになった、愛情ごと…。
 気づかれぬまま、触れること。
 じゃれつくように、唇を近づけること。
 その行為が単純な「好ましさ」だけではなく、「愛情」や自身のエゴを含むと感づいてから、めぐみの心は大きく揺らぎはじめた。
 同じくして騎士に上がり、いずれは隊を率いるだろうそれぞれが、個人の愛情に縛られていることはできない。
 いずれは誰か伴侶ができて、騎士の道を外れる者も居るだろう。
 しかし。あゆみがそうなった時に、正気で喜んでやれるかどうかは疑わしかった。
 気づいたとき、それほどまでに、彼女を欲していた自分自身に愕然とし、そして動揺した。
 一言も漏らさぬこの利己主義的な思い込みが、混乱をもたらした。
 喉もとまでせりあがる「想い」が、夜毎彼女をかき乱していた。
45 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 17:18
 あゆみの存在は、透明で無垢な水晶の棘。
 破片は最初小さかったのに、突き刺さった結晶は、時を重ねるごとに大きさを増した。
 抜けるものなら抜いてしまいたい――。
 ずっと、痛みにさいなまれたまま思い続けていた。
 物理的な棘ならばすぐさま、消毒した針ででも抜き出せるだろうに。
 抜けない。苦しくても抜けるわけがない。
 それは胸の奥に突き刺さり、水晶のように多角的に光を反射し、一瞬をきらびやかに彩るから。
 笑顔。仕草。声。
 なにもかもを、世界に一つしかない色彩を放つ宝石にしてしまう。
 そしてその光は、自分の中の欲望でできあがる影を濃くし、長くし、大きくしてしまう。
 そばに居るだけで嬉しいと思えた日はもう、すでに遠い。
 時間が経ち、出来事が重なるほど、できあがる影は巨大化する一方。
 告げられない愛情が、本当の憎しみに変る前に。
 闇の色に堕ちてしまう前に。
 彼女を、汚してしまう前に――。
46 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 17:19

 嫌って。
 憎んで。
 忘れて?
 いっそ、キミの優しさを裏返して、封印してほしい。
 沢山の思いを胸に秘めたまま、村田めぐみは、王城を後にした。
47 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 17:19





48 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 17:20





49 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 17:21

――なんだって、あんな夢を。
 柴田あゆみの目覚めの気分は最悪だった。
 仮眠室で徹夜を含む夕方までの勤務後の、仮眠をとったその目覚め。
 起き掛けに見た夢は、最後にめぐみに会った時の、その回想だった。
 すでにもう、五年近くが経とうとしている。
 その間に父親が無くなり、あゆみはすでに爵位を得た。
 もう、関わることもない、人だ。
 明日、教団の人間が帰っていく。
 その中に、袂を別った人が居る。
 それだけのコトじゃないか。そう、それだけの、コトだ。
 大きく息を吐き出して、頭をかるく振る。
50 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 17:21
 すっと外に目をやると、もうとっくに日がくれ、あたりは暗くなっていた。
 無駄に寝すぎたらしい。
 せっかく夕刻までの勤務だったと言うのに、無駄に時間を過ごしてしまったようだ。
 早く帰ろう。明日はせっかくの非番なのだから。
 長靴に脚をとおし、紐をきつく結んで、かけておいた外套をまとう。
 長衣の下には護身用の細い編みこみの鎖帷子を纏っていて、さらに守護魔術が施されている。
 弓に対しての防御率が高くなる、優れものだ。
 胸元には薄い板が継がれていて、胸部への剣突にも対応できるようになってる。
 これも、自らの地位でしか頼めない、高位の品であった。
 重たい木目のドアをあけ、廊下に出た。
「おー。お疲れ様」
 これから夜勤に入ろうかという、瞳が廊下をやってきた。
 挨拶がわりにきゅっと、軽くハグする。
 胸部鎧の冷たさに顔をしかめると、わざとぎゅぅぎゅぅと押し付けてきた。
 悪い子だよ。お互いに頬を突きあいながら、くすくすと笑う。
51 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 17:22
「ねぇ、昨日のあれ…見た?」
 神妙な切り出し方で問いかけられ、不意打ちに呼吸すら忘れる。
「あぁ、うん。見たよ。村田めぐみだったねぇ」
 思わぬ方向からほっくりかえされて、思わず眉をしかめた。
 やっぱり。と、お互いに思うのは仕方が無いだろう。
 見間違えたくても、見間違えることができないほど、見慣れた顔なのだから。
「会わなくていいの?」
 みな、あゆみが彼女に懐いてたのは知っている。
 そして、彼女があゆみを甘やかして居たことも知っていた。
 その間に何があるのか、当事者たちしか知らないとは思いながら、誰も何も問わずに居るくらいには。
52 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 17:23
 しかし。あゆみの姿を見ているかぎり、「特別」は存在しないようだった。
 感情の中での特別は存在していただろう。けれども。
 五年という月日のなかで、何かが変ってしまったのだと思う。
 あゆみには見てわかる程の感傷はないし。
 特別、会わなければいけないと考えているようには思えなかった。
「別に。会って何が話せるってワケでもないし」
――話せても、近況ぐらいしかないからね。
 苦笑を見せるのに、瞳は軽く眉をさげる。
 取り付く島もないその気配に、話題の続きを彼女は諦めた。
53 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 17:24
「明日非番で、明後日入りだっけ?」
「そう。まぁ、イレギュラーで忙しかったしね。ゆっくりするよ」
 問いかけられて、理由の無いトゲトゲしさを脱ぎ捨てる。
 それがいいね。と微笑まれて、肩の力を抜いた。
 あぁ。ちょっと待った。伝えることがあった。大事ヤツ。
 一歩踏み出したところで、後ろ髪をツイとひかれた。
「そういえば、見慣れない輩がうろついてるって、居酒屋さん情報入ってるよ」
 見慣れない輩――?
 そう騎士が騎士に対して言うのだ、悪い話に決まっている。
54 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 17:24
 居酒屋というのは「銀狼亭」と呼ばれる街中の宿屋のことだ。
 だいたい、居酒屋は宿泊施設を兼ねた店構えをしており、夜は盛況この上ない盛り上がりをみせる。
 しかもここ数日は王子誕生の祝賀ムードの真っ只中。
 出入りが激しいのは仕方が無く、そこを全て監視するにはムリがあって。
 冒険者たちの情報交換の場となる宿・兼、居酒屋という店には多数の情報が集まるのだった。
 加えて瞳は、銀狼亭の若い女将である有紀と仲が良い。
 善良な市民であれば、悪そうな者の気配にも気づくことに聡いのだろう。
 しかも居酒屋さん情報にはあまりはずれが無いので有名だった。
 当然。冒険者ギルドの仲介もしている分、沢山の噂話が舞い込みやすい。
55 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 17:25
「五人くらいの集団みたいなんだけど、発音に北の癖があるって。
 一人は騎士クラスじゃないか…って、身なりもきっちりしてるから、そういう話もあるみたい」
 ふむ。精細な情報に、思わず口元に指をあてる。
 いやな匂いがするのは確かだ。
「じゃぁ、その話を、三隊長殿に一応伝えてください。
 王騎士に相談したら伝えるようにと進言された、と言えば納得するでしょう。
 警戒レベルを上げるのはシフト上ムリだから、王城内に大事が無いように…と」
「かしこまりました。確かに、わが隊の長にお伝えします。王騎士殿」
 スイとお互い職務中の顔になり、軽く敬礼をかわす。
 職務の内ならば、会話はこうなる。
 思わず苦笑するのは、お互いの素性が解っていればこそだ。
「あと、一般衛視たちの疲れがあるから、明日なんか差し入れさせるから」
「あ。それは…、じゃぁ伝えておく」
 うん。よろしくね。
 軽く片手をあわせて、今度こそ別れる。
 イヤなところに、不審の種が出てきたな。
 あゆみは眉をしかめ、難しそうな顔のまま隊舎を後にしたのだった。
56 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 17:25



57 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 17:26

 夜、王城周辺を離れてしまうと、世界は暗い。
 あゆみは自らの邸宅がある北側へと脚をむけていた。
 途中街中をはずれた宿屋なども存在するが、住宅や商店が王城南側に集中するためにやはり閑静さを纏っている。
 街中の祝賀ムードとは、少々の隔たりがあるようだ。
 まるで平常の時を持っているようで、あゆみの体は力を抜いた。
 しかし。頭のなかは打って変わってフル稼働。
 北部のなまりをもった、五人ほどの集団――?
 正式な使節はこちらに来ているし、別働隊で来るとしても、王城内へ顔を出すはずだ。
 北部というのは山を越えた厳寒の大国、バーロフスクを指す。
 永年「教団」を挟んで牽制しあっている、強国である。
 東の国と陸続きである欠点にさいなまれ、小さな紛争や戦を繰り返している中で、この気配は見過ごせない。
 ボディーガードとは違う役割で来たとすれば、国内を探るためか、何かの機会を狙っているとしか思えない。
 参ったな。
 ふむ。と息をついた、その足が止まった。
58 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 17:27
 丁度、あの湖の入り口近くだった。
 ふと視界の中に光がはいり、不審さに目を疑う。
 月の灯りあるものの、その色味がまったく違う光。
 こんな夜更けに、いったい誰が、何をしているのか。
 やましいことが無いのなら、相手はちゃんと答えるだろう。
 薄く息を吐き、愛用の長剣の手触りを確かめる。
 人数が本当に五人程度ならいいな。
 ほんのちょっと物騒なことを思い描きながら、あゆみは湖に向かい、気配を殺した。
 ひそやかな、静かなやりとりが耳に届く。
59 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 17:28
――教団の方とお見受けしますが?お一人でいかがされました?
 女の声だ。やわらかな、聞くだけならばなめらかな布に包まれるような、心地よい声。
 しかし。気配は穏やかではない。
 流暢なコモンタン――共通言語で喋っているが、山を越えた匂いまでは消すことができないらしい。
 灯りをとっているのだろう、松明の焼ける匂いがして、その灯りには金属の銀光がひらめいている。
 明らかに、害しようという殺気が満ちていた。
――問いかけたいのは私ですよ。教団の人間だと解っていながら、どうしてつけて来たのです?
  見ればまわりには刃だらけで、穏やかさなど無いじゃないですかッ。
  神殿騎士として上位に上がらなければ、刃も持てないコトを承知してるようですし。
 息があがっている。もしかすると、少しばかり傷を負っているかもしれない。
 国とは不可侵、不干渉の「表向き」を纏っている教団。
 パワーバランスを考えれば、教団を害することは「不利」を背負い込むことに他ならない。
 何が狙いなのか?
 相手が隠密だとしたら、害する刃に毒がある可能性もある。
 ギチリと奥歯をかみ締め、機会を窺う。
60 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 17:28
――アナタはまだ教団でも下の地位でしょう?それでも、教団の使徒は、使徒。
  警備がしっかりと敷かれている中で殺害されたとあれば、それはこの国の警備の落ち度とされる。
  アナタのような下位の人間の死でも、教団にとっては、国の上に立つための美味しい餌にしかならないでしょう。
 ぐ。と、世界に重い空気が降りてくる。
 下級司祭を、パワーゲームの駒として屠ろうと言うのか?
――そうすれば、大司教の怒りはこの国に向き、責任追及の糾弾が始まる。
  審議の後、天空の門はその扉をあけ、神はわが祖国のために温暖な楽土を用意してくれるはずだ。
 そこまでを聞いて、あゆみの中で正常の箍がはずれた。
 天空の門。それは、教団による山の通行許可を意味する。
 そうすれば、この国に攻め入る大義名分が手に入る――と、そう、言いたいんだろう。
「嘘で塗り固めた後、教団の通行許可が下りる。とでも、言うのか?」
 自身、ここまでドスの聞いた声がでるのかと、驚いた。
 ザァ!と、風がわたるように、気配が波立つ。
 腰にためた短剣の切っ先を、四人の男たちがあゆみに向けた。
61 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 17:30
 存在に気づいた相手は、ゆうらりとコチラを見た。
「おや。これは……、翡翠の槍の若き狼だ」
――よくないところを見られてしまった。
 ニィ。面覆いをしているものの、その口調は愉悦に満ちている。
 予想外の立ち聞きだろうが、混乱を招くほどではなかったようだ。
「あぁ、私も案外名前が通ってるんだね。知らなかったよ」
 顎をあげ、相手をねめつける。
 ザクと深い草をふみしだき、賊と教団の司祭との間に割ってはいった。
「司祭どの、お助けしましょう。
 少しばかりのお目汚しを致しますが、アナタの神に、お許しを」
 トンと、その細い肩に触れた。
 触れた瞬間に感じた、その熱。
 体の一点から全身をめぐり、噴出すだけになりそうだった闘志は、瞬時に凪いだ。
 それは、落ち着き。冷静さ。
 確認なんかしなくても、すぐにわかった――。
 確かな、生きている温度だった。
 嬉しくなって、ふっと息を吐く。そうしないと、笑ってしまいそうだった。
62 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 17:31
「来いよ」
 振り向きざま、ニィと口元をもちあげ、指先一つで挑発をくわえる。
 幾分年齢の高そうだったヤツが、そのかすかな制動でひっかかった。
 主格らしき女は、一言も発しない。
 見世物?上等じゃんか。
 面覆いの下にひそむ視線に一瞥をくれて、あゆみは体を捌いた。 
 相手の左にためられた刃を、鞘で受け取る。
 ずるりと滑るその突き刺す動作に、横からの圧力を加えてそらす。
 鎧が無いぶん、動きは軽い。
 一歩を踏みつける動作ひとつで、右脚の足刀を男の横っ腹に突き刺した。
 ウガァっとうめき声を上げて転がるのに、鞘を纏ったままの剣をたたきおろす。
 刃は当然凶器だが、鞘をまとっていれば打撃用の凶器。
 ゴス。という鈍い音とともに、男が撃沈する。
63 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 17:32
 ついで、二人。
 右の前方に向けてスラリと刃を鞘ばしらせた。
 片刃の曲刀。刺客が振り切る速度は、友人のソレに遠く及ばない。
 相手の剣が振り切れるまえに、鍔元を叩きつけ剣を落とす。
 取り上げられぬように踏みつけた刃。
 慌てる刺客の首筋に手刀を落とし、二人目を轟沈させる。
 ようやく一斉に動いた二人のうち、もう一人が攻撃レンジに入って来る。
「遅いんだよ!」
 刃の軌道を一目で見切り、体を左に開く。
 その間に腰から短刀を抜き放ち、刃を持つ相手の腕につきたてた。
 二の腕に突き刺さった刃を伝い、鮮血が滴り落ちる。
 刺客は腕の腱を切られ、二度と刃を振るうことはできないだろう。
 痛みに気をとられ転がった三人目を、容赦なく一度蹴りつける。
 あとは、主格の女と、松明を掲げるもう一人。
 静かに呼気を整えるあゆみの目の中で、主格の女がゆっくりと足を進めてきた。
64 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 17:33
 腰に佩かれた剣。
 幾分大振りの、ブロードスウォード。
 しかし、相手の身長の高さを思えば、あゆみの得物と役割は大差ないのだろう。
「翡翠の若き狼。なるほど、王騎士として名高いことはある」
 楽しそうな声。
「刺客は置いて帰りますよ。いろいろ調べるといい」
――その代わり、少しばかりの手合わせを願いましょうか。
 ぐ。と、皮手袋の手が面覆いにかけられる。
 外された、覆いの下から、やわらかな髪が流れ落ちる。
 厳冬の地に生まれているからか、その肌は白く、柔和に見えるその面には厳しさと悦楽が同居していた。
 まるで、人形のようだ。
 現実味すら薄く感じる、白磁の肌。
「黒の鉄槌と言えば、全てを名乗らずとも解っていただけましょう?」
 ニ。人懐っこくも見える微笑。
 彼女がもし令嬢の姿をしていたなら、貴族のお嬢様として見逃してしまうだろう。
 それだけの美しさも、備えている。
 しかし。黒の鉄槌…。
 名乗り上げられたその固有名称は、バーロフスクの騎士団でも鬼神のごとき強さに与えられる称号。
 この凪ぎ。研ぎ澄まされた、一枚布のように場を押さえてしまう殺気。
 嘘、偽りは無さそうだ。
65 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 17:34
 こくりと、喉が鳴る。
「相手に不足はありませんが。
 それより、刺客はなんの役にも立たないので、どうぞお連れください。
 これ以上は国家間の展開になりましょうし。
 なによりこの時期、大事にしてしまうのはお互いによろしくないでしょう」
 スイ。切っ先をむけ、額に一度柄頭をあてる。
 試合での、礼儀作法。 
 あくまで、試合のだ。
「国の密命よりも、貴君への興味に駆られるとは。
 自分もまだまだ、子供ということか」
 黒き鉄槌と呼ばれる騎士――彼女も、静かにその構えを正した。
 
66 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 17:35
 
 結果。
 数分の拮抗した打ち合いの後、一筋ずつの軽い傷をつけてお互いが引いた。
 痛みとしてはかすり傷程度。
 手加減必至の、完璧な技巧。
 力強さには相手に分があったが、あゆみにはそれを耐え忍ぶことができる、的確さと柔軟さがあった。
 しなやかに保たれたグリップに、相手の剣は弾かれることなく、よく宙をすべり落ちた。
 柔よく剛を、制するというよりは、捌くと言ったほが良かろう。
 かつて、親愛を抱いた剣士に、あゆみがされたように…。
 手ごたえの無さを驚くというより、その剣技の巧みさに感心したようだ。
 漆黒の使者は満足したように剣を収めた。
 刺客たちは顔を見せず、静かに主格の騎士の裁量に従うことにしたようだった。
 国家間の争いにするには、まだ時期が早いという結論を、主に伝えると笑いながら。
 隣国の騎士の誉れも同時に伝えましょうと、苦笑を交えながら。
 彼女たちは夜の闇に紛れて消えた。
 取り残されたのは、二人だけだ。
 そう。
 スケープゴートに成り果てるはずだった、司祭と、それを防いだ王騎士である。
67 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 17:36
「おケガは…?」
 松明の灯りが去り、残されたのは木々の影を縫う月光のみ。
「大丈夫…。心配は要りません」
 聞き覚えのある、聞き間違えるはずのない声。
 近づいて、不意に詰った距離に驚く相手の、腕を取った。
「っツ」
 と、あからさまな痛みを堪える呼気があり、あゆみはズイと顔を近づけた。
 腕に、この暗がりでもわかるほどの傷ができている。
 見ればその服装にも、血でできた滲みが幾つかできあがっていた。
 このまま戻られたら、何かをどやされるのも、目に見えていて。
 大仰に息をつき、あゆみは提案した。
「司祭どのには申し上げにくいが、今このまま戻られて大事になるのは、わが国にも、北側にもよろしくない。
 私の邸宅がこの近くにありますので、そちらでお休みになられませんか?
 夜が明けてからでも、王城へお連れしますゆえ」
 言外に「今このまま戻るな。迷惑だ」といわれているのコトを悟るのは容易い。
「父上は、どうされました?」
 ふと、プライベートに言葉が及び、司祭が邸宅での保護を許したことを知る。
68 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 17:37
 思いがけぬ再会に、軽く目を伏せた。
「一昨年、亡くなりました。後は私が継いで、今は一人ですから」
 数人の使用人と、巨大な邸宅。
 いずれ引き払うつもりでは居るが、友人たちの溜まり場にもなっているし、すぐには動かせそうにない話。
「では、お連れしましょうか」
 にぎりつけてしまった腕を放し、そっと、手を取る。
 幼い頃の自分の手を、彼女がしてくれたように。
 拒絶は無い。そのかわり、にぎり返してはくれない。
 同じ場所で、別れた。
 別離と同じ場所で、再会った。
 針を振り切るはずだった興奮を、たった少しの熱が冷静さを取り戻させてくれる。
 自分よりも高位に居ると、そう信じていた剣士の熱が、自分の冷静さを――命を繋ぎとめてくれた。
 そして、その彼女の温度が、ナクシタモノを連れてくる。
 仕舞いこんだはずの、記憶の中から。
 塞ぎこんだ、心の底から。
 もう、会えないと、諦めていた時間の向こう側から。
 繋いだ手の接点が、沢山のシーンを再生させる。
 自分の中の子供は膝を抱え、頭からかぶった毛布の隙間から、彼女を盗み見ることしかしないけれども。
 黙ったまま、口を一文字に結んで歩む帰り道は、昔よりも、なんだか照れくささで満ちていた。
69 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 17:39




70 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 17:39


 本当は、自分が無くしたものが、何なのか知っていた――。


71 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 17:39



72 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 17:40

 村田めぐみが王城から居なくなって、最初に実感したものは熱だった。
 騎士隊にあがり、雅恵や瞳ともふざけあう中で、その熱と感触だけが欠落していることに気づいた。
 忘れようと思って、裏切られたのだと思って、沢山の痕跡を消そうとした。
 貰った言葉も、触れられた感覚も。
 でも、そのどれもが忘れようとすればするほど、鮮明によみがえり、あゆみにまとわりついた。
 記憶というより、それは思い出という名前の亡霊のようだった。
 そしてある日、その亡霊の名前を知る――。
 その亡霊が、今になってあゆみを悩ませるのと同じように、きっと、当時のめぐみをも悩ませていたのだろうと気づいた。
 なるほど。彼女のとった行動は、どこかきっと、正しかったのだ。
 あの時の暗い微笑みの意味が、ようやくわかる。
 鏡に映る自分の顔が、おなじような笑みを浮かべていたから。
 夜毎の熱。
 時折衝動的に自分を食らい尽くす熱に、頬がそまった。
 思い浮かべることの後ろめたさと、そう、夢の中であっても思い描いてしまう羞恥と。
 そしてその妖しい熱は、起きぬけの騎士に、決まって絶望を連れてきた。
73 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 17:41
 もう。彼女は遠い。
 二度と、会うことができない。
 その現実が全て。
 息苦しいほど抱きとめられた、あの最後が、自分と彼女の全て。
 少しずつ遠くなる最後の瞬間。
 なにかを堪えるように紡ぎだされた声、言葉、飲み込む息遣い。
 忘れたくない。憶えていたいッ。
 でも、時間はただただ前向きに過ぎていき、つかまれた肩の痛みすら遠くする。
 だから。忘れていようと、決めたのだ。
 彼女が「騎士になれ――」と言った、縛り付けられた魂のまま、生きていくことに決めたのだ。
 実際。そう心に決めてから、時間が経つのは早すぎた。
 紛争地で幾度と無く刃をかざし、力を揮い、時には東の国境付近で「虎狩り」とも畏れられる蛮勇とも剣を交えた。
 骨を折り、静養を要されたことだってある。
 五年という月日は、気づいたときに何もかもを飲み込んでいた。
 昨日、あの魔術師が予見をしたのか、それとも予言をしたのかは知れない。
 が。その言葉を得たあとも、気づけぬくらいには忘れられていた。

 思い出して、だから、どうなるわけでもない。
 だけど。一つの答えは、出るだろう。
74 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 17:47



75 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 17:47

「お久しぶりですね」
 そう、穏やかな声で他人行儀に紡がれる。
 あゆみの住まう邸宅。
 その客室に、二人きり――。
 古くから仕える執事たち、手伝いたちの手により、あまり帰宅できない主人が放っておいても、美化はなされている。
 父親が豪奢を好む人ではなかったので、近隣の貴族の中でも随分と大人しい装飾がなされた家になっていた。
 金や銀でかざるより、石に施された彫刻が、洗練された美を伝う。
 湯浴みの後、傷の大事ないことを確かめ、ようやく椅子に落ち着いた。
 灯りの下にあって、ようやく司祭の確かな表情と、被害状況が知れる。
 打ち付けられたであろう傷が幾つか、そして、腕に小さな切り傷がある。
 先刻腕をにぎった瞬間に、この傷が障ったのだろう。
 悪いことをした。と、素直に思う。
 でも、それだけではないだろうことも、予測がついていた。
「思うよりも、強くなられた。
 黒の鉄槌と言っていましたが、それと互角に渡るとは…」
 感心。それも、どこか空々しい。
 視線は床をむき、こちらに持ち上がることがない。
 心底そう思ってくれているのはわかるが、この場に身を置くことの不自由さを声が紡いでいる。
 確かに、落ち着くことなどできないだろう。
 騎士自身、少し浮ついている。
76 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 17:48
「そうだ。良ければ、いかがです?」
――どうせ本山でも、戒律はあって無きに等しいでしょう?
 ニ。と笑いながら、あゆみは客室にあるワインセラーに脚を向けた。
 あって無きに等しい。という言葉に、肩を張っていた司祭の力が少しだけ解ける。
「もう今月の規定酒量を越えているのですがね…」
 苦笑混じりにつぶやいて、彼女はゴブレットを両手で受け取った。
 手持ちのナイフで器用に蝋をとき、コルクを持ち上げる。
「それに、王騎士ともあろうかたが、戒律を無きに等しいなどと言ってはいけませんよ?」
 感心しません。
 まるで教師のような口調で言うから、思わず笑まずに居られなくなる。
「そう…ですね。
 以後気をつけますが、今日はお目こぼし願いましょう」
 血色のような深い赤。
 すでに甘さなどをなくしてしまった、自分のようなワインだと思っている赤。
 ゆるやかに銀の杯を満たし、請うように杯をかかげ、近づける。
77 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 17:49
「えぇと…?」
 祝されるべき乾杯だとはわかるのだが、どう祝したらいいのかがわからない。
 言いよどむ司祭の顔を真正面からみつめて、あゆみは静かに微笑んだ。
「まだ子供だった私たちと、今の再会に――」
 思いがけぬ言葉に、杯のふちがゆれる。
 礼儀であれば、献杯のその言葉は唱和されるべきだ。
 明らかに動揺している表情。
「困らせるわけじゃないよ?ただ、ほら…私も貴女をなじった事実があるし」
 本意を包み込んで言えるようになった今なら、その表情も和らげてあげられる。
 あの時の謝罪も含めてね?と昔の口調で杯を傾けると、ようやく口元が笑んだ。
 あの頃、貴女が私にそうしていたように。
 やわらかな自身への嘘で包んで、本意を覆い隠していたように…。
「では…、幼かった我々と、今の二人に」
 司祭の穏やかな声が紡ぐ。
 ィィン。軽くあわされた杯が、穏やかな音色を奏でた。
78 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 17:53

 懐かしかっただけなんですよ。と、司祭――村田めぐみは微かに苦笑った。
 酒気が満ち、二人でありながら、ゆったりと二本目のワインを開けている。
 給仕に頼んで軽い食事をつくらせ、穏やかにつまみながら、先ほどまでの胸の悪さを吐き出していた。
「それでも、教団に入ってまで、国家間のパワーゲームに巻き込まれるとは思わなかった」
 そう。肩を竦める。
 微かに杯を持つ手が震えているのは、思わぬ展開に巻き込まれた現実と、「下級司祭とは言え」との口上のせいだろう。
 これからの彼女は、きっと見えない何かに怯えて過ごすことになる。
「私の自覚も足りなかったのだし、今回は勉強だと思って飲み込みますけどねぇ」
――まぁ、以後しばらくは山篭りだし。いずれ神殿騎士に上がりますよッ。やられっぱなしは頭に来る。
 教団の神に武勇の神が居るように、教団の中にも武に属する部門がある。
 彼らは神殿騎士と呼ばれ、自警や自衛、及び教団の表向きの「説得」…、いわば脅迫など暗い部分をも背負っている。
 彼女なりの、悪い冗談と本気の綯い交ぜらしい。
「それにしたって、素手で反撃してたの?」
「さすがに木の枝くらい使ったよ。ナイフ相手ならどうにかできた」
 怒りに任せて素を見せるのに、思わず笑う。
79 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 17:54
「木の棒だけでナイフの相手五人は、やっぱり尋常じゃないね」
「一応志願するだけして、下で働いてるんでね。神殿騎士の」
 あぁ。そうだったのか。
 離れて行ったのに、武を捨ててはいなかったのか。
 胸がジクリと痛む。
「でも、柴田くんが…本当に強くなってて驚いた。
 今の自分なら、敵うかどうかもわからない」
 穏やかな、声。
 ぐ。と、拳に力がこもる。
 それは、めぐみのミスタッチだった。
 嫉妬していると、そう言った唇で、そんな穏やかな言葉を紡がないで…。
「そうかな…?」
 コトリ。サイドテーブルにゴブレットを置き、深く息をついた。
「それでも、五分にしかならないんじゃないかな…」
 本当は、伝える必要は無いと知っている。
 だけど。そんな穏やかさで言われたら、まるであの頃が嘘みたいに感じるじゃないか。
80 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 17:54
 
 貴女の逃げて通った現実が、夢で、幻だったみたいじゃないか。
 私の気づいた暗闇が、虚実として砕けてしまうじゃないか。

81 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 17:55
 喉もとまでせりあがる、声。声、こえ。
 急に言葉の数を失ったあゆみの変化に、めぐみは首を傾げる。
「しばた…くん?」
 向かい合わせの椅子。
 拳数個分しかない、距離。
 燭台の灯りは、やわらかく、自分の影を色濃く映し出す。
「五分にしか、なれないよ…。私はあなたを追い越せない…」
――貴女の…、村田めぐみの中にあった、嫉妬の原因に気づいてしまったから。
 同じ闇を、自分で抱えてしまったから。
 ぴくり。杯を持つ指先が、微かにこわばる。
 細く骨ばったその指の、わななきを感じとってあゆみは視線を上げた。
 元々色の薄いめぐみの表情から、血の気が引いている。
 あの時と同じ、白い、何も感じさせないその面。
「嫉妬?残念ながら、もう忘れてしまったよ…そんなもの」
 小さな呼気でリズムを整えながら、薄い唇が紡ぐ。
82 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 17:56
 しかし、騎士は唇を曲げ、先ほどの敵にしたように不敵な笑みをつくりあげた。
「嘘だ。忘れられないよ。
 私でさえ憶えていられるモノを、貴女が忘れることなんてできない」
 傲岸不遜な物言いだった。
 決め付けて、煽って、挑発するための言葉。
 一種の賭け。司祭の中にあるはずの、虚空を呼び覚ますための、言質。
「じゃぁいったい、何が嫉妬の原因だって言うんです?
 コンプレックス一つとって、相手に対して自分の腹を見せるようなことが、あなたに出来ますか?」
 自分から弱みを見せることができるんですか?
 そう、紡ぎ返す彼女の視線は冷え切っていて、ヘタをすれば切り捨てられそうな気配すらする。
 でも。まだだ。まだカードがある。
「私の熱を、おぼえてるでしょ?」
 ピシリ。と、部屋の中に緊張がはしる。
 まるで薄氷を踏みつけるような、危うさと緊張感。
「その手で。この髪の匂いも、体の厚みも…剣の腕も、なにもかもを…」
 五年前の私のまま、あなたは憶えてるはず――。
「柴田くんッ」
 ガコン。と、重厚な音をたててゴブレットがサイドテーブルに打ち据えられる。
 まだ少量残っていたワインが、切りつけた鮮血のように天板に飛び散った。
83 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 17:57
 言葉を断ち切りたい。
 話題を切り捨てたい。
 そう思い願う視線を感じながら、愕然としている表情が胸を突いて嬉しくなる。
 せっかく放り投げた。もしくは、祈りの日々に追いやったはずの記憶が、逃げてきた相手で暴かれるのなら。
 それは確かに、絶望的だよね?司祭殿。
「私もね、気づいてからは大変だったよ。
 むらっちの温度が私を縛ってるって、そう気づいてからは気が狂いそうだった!
 腰に触れられた腕を思い出して、それが競りあがってくる幻に苛まれる」
 吐息を思い出して、苦しげな言葉を反芻して、夜毎の夢にうなされる――。
 ただただ、そうなれと思い願う、欲望だけがよりそう夢。
 だけど、永遠に叶うことのない夢。
 現実の腕、熱が存在しないなら、それは単なる悪夢でしかない。
「さっき腕をつかんだとき、咄嗟に腕を引いたのは、傷の痛みだけじゃないでしょう?
 私に触れられるのが、怖かった…!違う?」
 あぁ。これで、勝った。そう、思った。
 視線が逃げる。
 微かに顎をひき、床にむかい睫毛が揺れる。
 突きつけたカードすべてが、彼女の胸の中で踊っているだろう。
84 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 17:58
 そろり。腕を伸ばす。
 ハっと現実を取り戻した目が、拒絶の色を示して。
 拳数個の距離という、現実味だけの幅を、椅子を蹴倒して縮めた。
 今。ここで逃したら、本当に何もかもが嘘になる。
 彼女の嘘に、飲み込まれてしまう。
 嘘だなんて、言わせない。
 この体に触れた手の、本当の意味。
 ふざけて突き出されたくちびるの、伝えたかった言葉。
「嘘になんか、させない」
 逃げたがる体をつかまえて、押さえ込む。
 サイドテーブルにうつぶせに押し付け、暴れる体を後ろから抱きすくめた。
「嘘だなんていわせないよ…」
 耳元に唇をよせ、曖昧に噛みながら吹き込む。
「こ、こんなことを、我が神はお許しになりませんっ!」
 解ってる。同意無き姦淫が罪なことくらい。
 この睦事が、地の獄で裁かれるべき忌み事だということくらい…ッ。
85 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 18:01
 あぁ、きっと。暗い笑みを浮かべているだろう。
「許される気なんか毛頭ないよ。
 あたしは…、傷を癒すこともできない神なんて信じない」
――この空虚を埋められぬ神など信じないッ。
 新しく与えた長衣の裾から、指先をしのばせる。 
 細い腰。絹よりも、なめらかな肌。
 じゃれあう中で無意識に触れていたことに愕然とした、その確かな温度。
「神を侮辱すると天罰が下りますよ…っ」
 夜毎の夢に誘われたように、てのひらを上へと滑らせる。
 薄い体。そのふくらみに、手が届く。
 びくりと怯えるように揺れた体を抱え、引き寄せた椅子に腰を下ろした。
 口元に長衣の袖をあて、噛み付くことで声を漏らさぬように堪えている。
 なおも抵抗しようという体。
 長衣の裾から力任せに引き裂いて、暖色の灯りの下に肌をさらす。
「受けてたちましょう?」
――あなたが手に入るなら、神に背くことぐらいたいしたことじゃない。
 言葉が届かぬ距離ではない。聞き損じられる距離でもない。
 激しすぎる決意と、強すぎる言葉。
 一瞬の躊躇いが、めぐみの抵抗をあゆみに押し切らせた。
86 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 18:02

 艶かしさを漂わせる首筋に、舌を這わせる。
 指先で髪をはらい、輪郭をたどり、耳に舌先を突っ込む。
 つま先で、触れることなく固くなった果実を、優しさを省いて強めにしごいた。
 ふあッ――。サイドテーブルに上体を伏して、喘ぐ。
 細い、細い体。
 ストイックにも見えるその体に、無数の傷が見える。
 先ほどついたのだろう、真新しい傷以外にも、打ち身や擦り傷が沢山あった。
 腕についた傷に指先をはわせ、血の色を舐め取る。
 痛みに身をよじる体に性的な刺激を加えると、こらえきれない声がこぼれ落ちた。
 膝に座らせたその下肢を、みずからの脚で割りながら、体をそえる。
 背中に頬をよせ、唇で背筋をたどる。
 時折音を立てて吸い上げては、濡れた舌で薄くついた桜色を舐めとる仕草を加える。
 夢の中よりも、想像だけよりも、罪作りなリアリティ。
「胸、自分でして?できるよね?」
「なッ」
 思いがけぬ羞恥を煽る提案に、めぐみの声が上ずる。
 でも、文句なんか言わせない。
 こっちはしてあげるよ。と、まるで簡単なことのように、艶然と微笑みながら。
 シュルリと腰の帯をとき、ズボンの中にゆっくりと忍び込む。
 下着の上。明らかに熱を持った部分が、指先にしとりと絡みつく。
87 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 18:03
「しないの?それとも、できないの?」
――したことがないわけじゃないでしょ?
 やわりと押し付けながら、悪戯な言葉を吹き込んで。
「そんな…ッ」
 羞恥心と、言えるわけがない言葉に髪が左右と揺れる。
「じゃぁ、このまま止めていい?」
 言葉と一緒に押し付けた指先に、めぐみの細い体がガクガクと震える。
「し…しばたくん…、もう」
 もう?こんなことはやめよう?もう、ガマンできない?どっち?
 ねぇ。肝心なことは何一つ聞いてないよ?
 奔放に指先を動かしながら、仕方がなしにまだ易しい提案を吹き込んだ。
「じゃぁ、言って?私の名前を、呼んで?
 強請って?ずっと、何を思っていたのか、教えて?」
 まるで水の袋に押し込むように、液体が絡みつく。
 嬌声の隙間にこぼれる、声。
 言葉。
 吐息、告悔。
88 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 18:03

 あゆ…み。あゆみ…ッ
 おね…がいだか…ッら――ッぁ。
 
 強請られて、満たされる。
 欲しいと、そう思われていることが、欲望を満たす。
89 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 18:04
 して?もっと――。
 ずっと、ずっと…もう会わないからって…おもってた。
 許されないけど、幻に触れられた夜もあったよ。
 あゆみと…一緒だったよ。

 あぁ、やっと白状するなんて。
 強情な、なんて愛しい、すごく憎らしい…たった一人の女性。
90 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 18:05
 許してください。神様。
 わたしに必要なのは、あなたじゃない。
 お願い。もっと。
 胸に刺さった棘を、抜いて?
 ゆるして、おねがい。
 あゆみ、わたしを――ッ

 許す?許さないよ。
 許せるわけが無い。
 だから、この狂いそうなほどの飢えを満たして。
 今夜。全てを償わせてあげる。
 あの時の裏切りで涙を流した、あの日の私に償って。
91 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 18:06
 あいして…。

 あぁ、満ち足りる。何もかもが満たされる。
 乾いた心。失った涙。なにもかも。
 あの日ナクシタモノを、すべて、キミから奪い取る――

 その胸を貫く棘があるのなら、同じ痛みで貫けばいい。
 同じ痛みを。同じ罪を。同じ苦しみを。
 あなたごと、抱いてあげる。

 快楽で満ちたその体を横抱きに、客室の寝台に歩み寄り。
 際限の無い罪の深遠へ、ゆっくりと体を落とした。
92 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 18:06





93 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 18:07

「じゃあ、件の黒い一団は鉄槌の手下たちだったってわけ?」
「まぁ、そうなるね。
 ちょっと大変だったけど、退けるくらいはできたし。たぶん、しばらくは平穏だと思う」
 翌朝。
 司祭をともなって王城を訪れた王騎士の進言は、国王にも王城にも、大きな衝撃を与えた。
 下位とは言え教団の司祭が襲われたこと。
 賊に襲われたショックの大きさを鑑み、大事をとって、王騎士が一晩保護していたこと。
 相手が、バーロフスク周辺の賊を名乗ったこと…など。など。
 ちょっとした脚色を付け加え、あゆみは王へと奏上もうしあげたのだった。
 それが、きっとあの騎士にも、自分にも好ましく、そして正しいのだろう。
 バーロフスクの使節団には何の連絡も無いままだったらしく、彼らは非常に混乱した面持ちで青ざめるばかり。
94 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 18:08
 かわいそうに。
 彼らこそ、ヘタをしたら贄の子羊になるところだったはずだ。
 後から鉄槌の仕業だと知るだろうが、賊と思っているのも良かろうて。
 騎士の信頼にかけて、と、王騎士隊がバーロフスクの使節団を国境の峠まで責任を持って送り届けることになり。
 昼前にその使節団が出立して行った。
 それは、北国への牽制であり、王国の紳士さと真摯さを見せるデモンストレーションでもある。
 今回の出来事を連ねた王の親書も持たされているあたり、完璧な効果をもっているはずだ。
 あゆみは気だるさにあくびをかみ殺しながら、非番の夕暮れをぼんやりと見ていた。
「でー?なんか、図らずも再会できたみたいじゃないの」
 徹夜明けの瞳の顔は、少々疲れている。が、話の興味に負けるのだろう、どこか浮き足立っていた。
 会う気が無いと言っていた、王騎士が司祭を助けたのだ。
 共通の友人であれば、その言葉も思いやりも当然だろう。
95 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 18:09
「まぁ…ね」
 ふっと、微笑む。
「和解、したの?」
 和解…。そうか、そういう単語になるのだな。
 あゆみは少し考えて、それから噴出した。
「そうだねぇ。和解なのかな。これも。
 ナクシタものが、全部戻ってきた感じ…だね」
 うん?真意のつかめないその言葉に、瞳は軽く首を傾げる。
 ゆっくりと、隊舎から外を見遣る。
 あゆみは非番のせいで、その見送りに参加することはできなくて。
 じっと、新しい法衣に身を包んだ司祭を見つめていた。
96 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 18:09
 あゆみは知っている。
 あの法衣の下にある、細い体躯を。
 その体が放つ艶の色を。
 かすり傷や痣にまぎれた、秘め事の痕。
 真新しい桜色。
 シーツを汚した、鮮血の色。
 彼女は汚れてしまった。自分の、この手で…汚された。
 自分の潔癖は破られた。彼女の、あの細い指先で引き裂かれた。
 なんて。なんて…ひそやかで、完璧な神への裏切りであろうか。
 たった一夜の、人間同士の契りでしかない。
 だけど、曖昧な信仰よりも、その現実がかたく、お互いを結んでいる。
97 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 18:10
「もう、むらっちも…私も、迷わないんじゃないかな」
 何もかもを飲み込む言葉に、瞳は肩を竦めた。
「あー。仕事じゃなかったらなぁ、会いたかったんだけどなぁ」
 ゆっくりと、教団の隊列が動きはじめる。
 大司教と十数人の使者。
 そして、国の騎士による警護の列。
 微かに、司祭の視界がめぐる。
 見ているとは、感じないだろう。でも、見ていると、思っているだろう。
 彼女は微かに隊舎に向け会釈をして、自らの馬を歩かせはじめた。
 教団への使者にでもならぬかぎり、もう、二度とは会えない。
 それでも、かまわない。
98 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 18:12
 ふと、こぼれた笑みを押さえきれずに、あゆみは小さく肩を揺らす。
 めぐみの胸に突き刺さっていた水晶の棘。
 恋情の痛みの具現。
 今、半分に折れたその破片が、あゆみの胸にあって。
 この先、彼女を思い出すたびに、その棘は光を増し、自分の影を大きくするだろう。
 欲望や、嵐のような感情、なにもかもを。
 でももう、自分は置いていかれた子供ではない。
 ただただ脅威に脅かされる日々は終わった。
 虚実から伸びる腕に犯される日々は終わりを告げた。
 悪夢はもう、この私の夢を冒さない。
 二人に、この夜の現実があるかぎり――。
 明日、例の魔術師に出会ったら、礼を言わなければならない。
 確かに、ナクシタモノが…諦めたものが手に入ったと。
 隊列が北の門をくぐるその瞬間を見届けてから、王騎士は静かにその席を立った。

99 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 18:12





100 名前:水晶の棘 投稿日:2006/02/14(火) 18:13





【水晶の棘:完】
101 名前:ある作者 投稿日:2006/02/14(火) 21:41
ブラボォ!

思い描いたのは私でも、あなたでなければ描けない世界がここにあります。心から脱帽します。
ありがとうごさいました。
102 名前:関田。 投稿日:2006/02/15(水) 00:08
うおぉ!連投規制かかって後書き書けなんだ。
と、いうわけで、メロン記念日。
村田さんと柴田さんの、ファンタジー世界でエロあり。でした。
>101
まずはあなたに感謝します。
キッカケを与えてくれてありがとうございました。
得意分野だった。というのが一番の鍵でしたが、
気に入っていただけたようでよかったです。

蛇足ながら、鉄槌はよっちゃんでした。
虎狩りは里田さん。
無駄に翼を広げすぎると、沈没するので控えます。

ではまた。飼育のなかの、いずれの機会に。
ごきげんよう。
103 名前:名無し飼育 投稿日:2006/02/20(月) 21:54
とても良かったです。
続きを考えたくなるようなこのままにして置いて欲しいような。
素晴らしい物語をありがとうございました。
104 名前:関田。 投稿日:2006/04/02(日) 21:45
>103
ありがとうございます。
すばらしいと言っていただけたことが物書き冥利であります。
しかしながら、自分もこのままにして置いておこう…とは思ったのですが、
三月の声を聞いてから事情がかなり変わりました。
少し別の形を継ぎ足しますので、御笑覧ください。

と、言うわけで後日談…というか、ちょっと別のお話をお届けします。
勢いと神懸りがある、というわけでもありません。
ちょっとしたシリアスと、半蔵門とクリスマスコンDVD、
そしてミュージカルを受けてミキサーにかけるとこうなりました。
FTの続きです。どうぞ。
105 名前:緋色の翼 投稿日:2006/04/02(日) 21:46





 
106 名前:緋色の翼 投稿日:2006/04/02(日) 21:46





 
107 名前:緋色の翼 投稿日:2006/04/02(日) 21:47

 カドラ聖教総本山である聖域がある北方は、長く険しい山脈に守護されている。
 大軍を送り込めば大差で自国を蹂躙するであろうバーロフスクが、王国を攻めあぐねているのはそのせいだ。
 時折小規模な紛争はおきるが、聖教のある手前、お互い山を血で洗うことができずにいた。
 それに比べ。
 東、樹林の大国ラジャイナとの国境は、巨大な河が流れているだけで、乾期で水かさが減るたびに殴り合いになっている。
 何があっても対応できるように。
 衛視を多く含む国軍分隊が常駐し、騎士団が持ちまわりでこの地を訪れては、国境を監視していた。
 時は晩秋へ向け、氷の吐息と呼ばれる山越えの風が吹き始めるころ。
 王国は冬の支度をはじめ、男も女もせっせとその寒さへ対抗する手段を講じている。
 そろそろ、また、何かが起きそうなんだよねぇ――。
 嫌な予感を胸に抱き、騎士は普段着で馬を駆っていた。
 普段着の長衣の下には、護身にあてる鎖帷子が一枚。
 胸部は革でかためているが、それは短衣の下になっているために、外からははかれない。
 営舎はこれから南に半刻ほど馬を走らせた場所にある。
 この周辺は山脈に連なる小山が国を覆う最東の地域だ。
 大河をはさみ、ラジャイナではあるが、誰かがすぐにこれるような場所でもない。
 周囲をぐるりと見渡して、吐息をつく。
108 名前:緋色の翼 投稿日:2006/04/02(日) 21:48
 食事のついで。いや、見回りのついでに食事…だろう。
 せっかくの非番でも、こんな気を利かせたくなるくらいに物騒――ってコトだよね。
 野営地から直接出かけてくるのだ。
 持たされたパンは望んで下級兵士たちと同じようにしてもらった、かたいパンと干し肉の戻したサンドイッチ。
 薄めた果実酒に甘さを足した飲料水をともにし、ようやく噛み砕いた。
 そして馬上にて背筋を伸ばし、今現在。
 嘆かわしい…。と現状を憂い、額を覆うに、不意に気配を感じた。
 うん?これは、確かに、人の気配ではあるけれども。
 いったい…。
 と、なにやら怪しい気配を放ち始めたほうへと、馬首をめぐらせる。
 蹄鉄がカコ…っと小さな音をたてるのは仕方がない。
 確かに、この周辺は山の陰になる場所がおおく、街道からは影になる場所が多数できている。
 何かしら隠れてするとすれば、この周辺は目に付きにくい。
 なんか…?と、見つめる世界で、騎士の目の前には信じられない光景が広がっていた。
――空間転移ッ!?
 引き伸ばされた飴が練りこまれるように、光が収束する。
109 名前:緋色の翼 投稿日:2006/04/02(日) 21:48
 待て!待って?騎士の思考能力は細く裁断され、一気に綯われる。
 確かに、魔術師たちのなかでも高位の者については、空間転移などを行う者も居るというし。
 現に、去年。王子の誕生にあわせて、えらい遠くの国から、魔術で跳んだ使者も居た。
 大金を払い、上位の魔術師や、術の使用に見合う数人の魔術師を雇って…。
 て、こんな辺境の地へいったい、誰が降り立つと言うのだ?
 いぶかしさを前面に押し出し、馬を光の死角へと寄せる。
 光はゆるやかに鈍くなり、その輝かしい粒を人の形へと戻していく。
 はるか砂漠に西を抱かれる国があり、その砂粒で世界が黄色く見える現象があるというが。
 それよりも、視覚的には美しい。
 でも、そんな幻に見とれている場合でもない。
 騎影。そして、術者らしき人間の影。
 …騎馬としてか、馬上にも人影があり。
 光がいよいよと収まり始め、それは完全に姿を現した。
110 名前:緋色の翼 投稿日:2006/04/02(日) 21:49
 馬体に沿わせるように、ちょっとばかり物騒なモノが佩かれている。
 幾分長くつくられた柄と、幅のある反った刃を据えた蛮刀。
 見た目は古美術商にも見えなくもない、女と術者だが、気配は完全に玄人のソレだ。
 季節よりも焼けた肌に纏われるのは、少しばかり厚手の衣服。
 相手の弱さを底まで見透かし、縫いつけるかのような瞳が、周囲を見渡している。
 どこかで――?と騎士は思うが、確証が得られない。
 どうしたものか。ここで、声を掛けてみるべきか。
 すぅと呼吸をととのえ、意を決す。
 仮に、相手が、あまり関係のよろしくない国の人間だとしよう。
 これで、遠距離での魔法で応戦されたり、攻撃されたら実はひとたまりもないのだけれど。
 やっぱり、そのまま通したりして、大事があったら大変だ。
 去年、ほんとうに、王城の近くにバーロフスクの賊――実は騎士本人の一派が、出たことだし。
 思い切って、声をかけた。
111 名前:緋色の翼 投稿日:2006/04/02(日) 21:50
「もし。そこのご婦人。魔法で降り立つとは、どうやらお急ぎの様ですが。
 よろしければ、……、急ぎに役立つ道筋もお教えできますよ…。いかがですか?」
 に。と、騎士は静かに微笑む。
 一応、営業スマイルは心得ているつもりだ。
 彼女の姿を視止めた二人は、大仰に驚いた顔をして目を瞠る。
「っと、なにあれ。
 座標確認したときには、居なかったんだよね?」
「ハイ。かような人物の姿は確認できませんでした」
 さすがに相手も驚いているのか、馬上の女の言葉に、魔術師も困惑気味にうなずく。
 私の不備じゃないですよ?と、ふるりとかぶりを振るくらいで、魔術師にしても想定外だったようだ。
「残念ですが、こちらも通りかかりでして。
 ちょっとばかり逃せない匂いがするのに、立ち止まってしまいました」
 穏やかにも聞こえる声にふくまれる、不審を暴こうという色。
 その正しさを身にあびて、女は少しばかり不満そうに鼻を鳴らした。
「ずいぶんと、真正面から決め付けてくれるねぇ。
 まぁ、そっちの鼻が良いってコトなんだろうけど」
――タイミングが悪かったんだね。仕方がない。
 肩をすくめ、馬首をこちらに向けて軽く顎をあげる。
 女は穏やかな笑み――実際の気配は洒落にならんほど逆立っている――を見せながら、こちらに向かってきた。
112 名前:緋色の翼 投稿日:2006/04/02(日) 21:51
「あんた…、騎士?」
 直球で問われた言葉が、頭部を掠めて消えていく。
 危険球も良いところだ。
「そういう貴女は、いったい、どちらのどなたです?」
 問う。なんとなくではあるが、見等はついていて、その見等は恐ろしく受け入れがたい相手なのだけれど。
 でも、きっと、そうだなぁ。
 背筋に悪い汗が吹き出る。
 ゾワリと動く、粘質の悪寒。人はそれに、恐れとか恐怖とか名前をつけている。
 恐怖に背中から引きずり倒されそうなのを、懸命にこらえて背筋を正した。
「名前?聞いたら帰せなくなっちゃうんだけど、いいの?」
 薄い唇が美しい弧をえがき、挑発的にも思える強い視線が騎士を煽る。
「や。なんとなく分かってるんですがね。その…得物で」
 幅広い片刃の蛮刀、持ちようによってはレンジの長くなる柄の長さ。
 両手で持ち振り回すのが基本だが、相手の腕はそれを片手で振り回す。
 幾度か見たことがある。
 一騎打ちになった翡翠の若き狼――柴田あゆみの、周囲を払う護衛に回った時のこと。
 あのときの相手こそ……。
113 名前:緋色の翼 投稿日:2006/04/02(日) 21:52
「虎狩りさん。と、お見受けしますが」
 推測。断定。重ねるようにつむいで、騎士は力なく笑った。
「ふぅん?これでも、ちゃんと身元がわからないようにしてんだけどなぁ…。バレちゃうか」
 長い髪を布地でまきあげ、幾筋かを長くたらしている。
 一瞬の見た目ならば、艶のある旅芸人か踊り子のようにも見えるし。
 最初の見当よろしく、行商人のようにも見える。
 が。その美しい表情の仮面は、見事にはがされた。
 彼女の名前が大きな斧となって騎士の背筋を襲う。
 虎狩り――。
 女でその称号を得た者は、彼女が最初。
 ラジャイナの国の中でも殊更、勇猛果敢。
 武での勲功を多くたてた者で、さらに王の心添えが無ければ与えられないと言う。
 細い体に無駄なくまとわれた筋肉。
 お隣では精悍なる獣王の化身とまで歌われる、蛮勇であった。
114 名前:緋色の翼 投稿日:2006/04/02(日) 21:53
「こちらの身分がばれている以上、このまま帰すわけにイカナイね。
 名乗ってもらうよ――」
 不遜に顎をしゃくり、促す。
 シィン。と、世界に静寂が落ちてくる。
 穏やかな昼下がりだ。
 出征中。非番の日。昼食を遠くに食べに来ただけだったのに。
 エライことに巻き込まれてしまった。
 だけど、みすみす見過ごしてやるわけにもいかない。
 こっちだって、王国の騎士だからね。
 覚悟を決めて、静かに視線を上げた。
 鐙に力をかけ、一気に馬から飛び降りる。
 鞘は腰に据えたベルトで回転し、静かに左手寄りに柄が位置をとった。
 左手の中に、長剣の柄。
 軽く長剣の柄を引き上げ、反動ひとつで片刃の曲刀を右に添える。
115 名前:緋色の翼 投稿日:2006/04/02(日) 21:53
 二刀の使い手。
 その超絶技巧は属する師団長からも一目置かれていた。
 一瞬でも力の具合をかえれば、銀光ひらめく刃が舞う。
 一たび二本の剣を抜けば、その背中には血煙の翼が生えると言う。
 相手が虎なら、彼女は猛禽というところだろう。
「緋色の血を刷く翼をまといし。
 王国騎士団、瑠璃色の四隊。副長、大谷雅恵と申す」
――以後、お見知りおきを。
 丁寧に頭を下げるのに、馬上の女がかすかに眉をひそめた。
「二刀…」
 不機嫌をひきずりだして、鼻筋にしわをよせる。
「あぁ、下級兵士がずいぶん切られた。覚えてるよ」
 羽飾りある兜があるわけでもない。
 旗印があるわけでもないから、私服でそれぞれを見分けろとは言いにくい。
 しかし。もうすでに、彼女たちには戦功と名前があった。
「その分、ウチも失ってたんで、おあいこでしょう?」
――それに、そっちの下級兵、隷属階級じゃないですか。
 視線も険しく肩をすくめるに、虎狩りの気配がゾワリと波立つ。
116 名前:緋色の翼 投稿日:2006/04/02(日) 21:54
 静かな憤怒を踏みつけるように、鐙にぐいと力がかかった。
 ふわりと舞い降りるその脚は、まさに密林を駆ける柔軟な獣のよう。
 細めのパンツに革靴。そして、防具。
 見た目には装飾品のように見えるが、その精緻な細工とは裏腹にかなりの上級な金属でつくられている。
 カシャンと軽い音をたて、数枚の板で組まれた脛あてが揺れた。
 戦場で見かけたことはある。
 踊るようなその体と、扇のようにも見える幅広い刀。
 虎を狩るほどの猛者と言いながら、その艶は女神ということか。
 防具すらも舞具に見える。
 それに対して、こちらの装備はいたって貧弱。
 護身用に着込んだ帷子程度では、あの厚い刃は受け止め切れまい。
 二度も打たれれば、肩口から裂けるに決まっている。
「神槍の守護を賜りし友の声、死神の刃をしばし遠ざけよ」
 ボソリとあきらめるようにつぶやいて、雅恵は半歩前へ半身に構えた。
「神に祈るほど?」
 揶揄するように首を傾げる女に、騎士は小さく首を振る。
「まぁ、事情はそれぞれ」
――この国でもね、神じゃないものに祈る人間も居るんですよ。
 パチリと指先ひとつで剣の制御ベルトをはずし、雅恵は左の指を柄に巻きつけた。
117 名前:緋色の翼 投稿日:2006/04/02(日) 21:56
「魔術師、帰還の呪文を」
――見つかっては、密偵も何もないからさー。帰ろ、かえろ。
 虎狩りの少しばかり不機嫌な声に、慌てて外套を一度はためかせ、術者は文言をつむぎ始めた。
 不可思議な韻律と不規則な言葉。
 それはまるで神を誘う歌のようにも聞こえ、悪夢を呼ぶ呪詛のようにも感じられる。
 呪文の使役者を見るのは初めてではないけれど、大掛かりな術を見るのは初めてだ。
 しかし、関心を寄せるべきはソコじゃない。
 「虎を狩るほどの勇猛さと武技」を持つ女が、大剣の柄を握り締め、馬体に沿わせた鞘から剣を抜き放った。
 装飾のなされた分厚い曲刀が、陽光をきらめかせる。
 少しばかり毛足の長い虎をモチーフに、柄飾りから何からが作られている。
 王の寵愛なくしてその拵えをするとなると、長者でも難しい逸品だろう。
 それだけ、相手が厚遇されているのがわかった。
「へぇ。時間制限アリ?」
 呪文が途切れないのに、帰還の準備を悟る。
「それまでにアンタを片付けたら、…だけどねぇ」
 ふむ。ならば、耐えるのみ。
「誠心誠意努力します。
 戦いに終わりがあると分かっていて、死に急ぐほどバカでもないし」
 一言。言い切らぬかどうかの瞬間に、相手の靴底が小石を食んで弾き飛ばした。
118 名前:緋色の翼 投稿日:2006/04/02(日) 21:56
 実際に見たことのある術ならば、どれくらいの時間なのか悟れたはずだ。
 しかし。先刻思い返したとおり、雅恵の記憶の中に今つむがれている術は存在しない。
 大掛かりなのは分かる。
 しかも、術者は一人だ。
 かなり時間がかかるのだろう。
 と、いうことは。
「よそ見ができるほど、余裕ないんじゃない?」
 ボン。という爆発するかのような音が空気を裂いて、刃が飛んでくる。
 騎士は巻きつけた指に力をこめ、ズラリと長剣を抜き放つ。
 まずは両腕。
 しかりと斧のような刃を受け流し、斬戟の雨に踊る。
 というか、やっぱり目の前の女の剣は質量を無視しているように世界を凪ぐ。
 確かに鍛えこまれた体。その腕は鞭のように柔軟で、かつ、強い。
「そこまで切羽詰まってない」
 キン。っと火花を散らす。
 刃を受け止めるまま、自らの頭上をすべらせるように肩口から落とした。
 大きな力を要する武器は振り切るための力が違う。
 一たびガンと振り切れば、止めることは不可能に近い。
 質量がなにかしらの力で制御されていても、武具の長大さと取り回しの難しさはかわらないだろう。
 ならば。
119 名前:緋色の翼 投稿日:2006/04/02(日) 21:57
 すい。と肩口で行き先を狂わせた刃をかいくぐり、小さく剣を振り回した。
 柄頭が鮮やかに光り、刃が相手の体に向かう。
 テクニシャンと言われるその腕。
 機転と技術の、成せる技――。
 盛大な舌打ちがひびき、振りつけられる腕に対して、苦し紛れの蹴撃が持ち上がる。
 このまま振りぬいても、相手の打撃範囲に突入してしまうのは明らかで。
 打ち込んで剣を手放し、不利になるのなら、しないが吉。
 踏み込みをどうにかこらえ、逆に距離を開けた。
 靴底にたつ砂埃が、青空の下ですぐに消える。
 ガシャ。許された屈辱を奥歯でかみ殺しながら、虎を狩るほどの女は自らの剣に手をかけた。
 軽く地面に突き刺さった剣。
 やはり何かしら守護が施術されているのだろう。
 刃こぼれは、無い。
 お互いの危機を乗り切ったあと、剣士はお互いに視線をぶつけた。
「あー。なに。あの狼が馬鹿正直ってだけ?それとも、あんたがはぐらかすだけ?」
 刃を肩に担ぐ。
 鷹揚で不敵で、そして思うより憎めない女。
「まぁ。王騎士隊は貴族中心だし、彼女の剣は古典剣技に深い傾倒がある。
 基本に忠実であればこそ、崩せる剣の持ち主だから。打ち込みも分かりやすいでしょう」
――それに比べたら、我々は曲者扱いの、アウトローなんで。
120 名前:緋色の翼 投稿日:2006/04/02(日) 21:58
 狼の剣についてサラリと欠点を言ってのけると、騎士はニヤリと口元を持ち上げた。
 なぜか彼女たちに共通した、強気の笑み。
「ま。狼よりも、私の剣が貴君に向いていたと。それだけのコト」
 スチャ。正段の切っ先は虎狩りの胸をさして、ピタりととまった。
 朗々とした歌が世界を包み込む。
 呪文の光が、使役されるべき人間を、うっすらとボカシはじめて。
 それは精霊を引き寄せるための粉だとか、精霊が振りまく魔法の力だとか、諸説があると言うが。
 そんなもんは関係ない。
 今、この相手の殺気は煮え立つように沸いている。
 傷つけるために。
 自分を、害するために。
「私たちは一般兵卒よりも責任が重い。
 その重たさの、大仰な飾りの部分を負ってもらってるだけでも、王騎士隊には頭が上がらない。
 行事や、対一般市民。
 通常の武功をあげるだけでいい騎士たちよりも、矢面に立たされる機会も多い。
 その中で私たちを労わってくれる王騎士も居るからね、お互い様だと思ってやれてる」
――これでも王国の騎士は、上手にやってんだよ。
121 名前:緋色の翼 投稿日:2006/04/02(日) 21:58
 一人だけが英雄じゃなくて。
 確かに輝かしい戦功を持つ者も居る。
 それでも、お互いが尊重しあう不可思議な帰来があって、それはそれで結束を強くしていた。
「だから。こんな時に死ねないなぁ…とかね、余計に思う」
――みんなに心配かけちゃうし。
 なんで。
 しゅ。吐き出した息が尖る。
 まるで先刻のやわらかなイナシが嘘幻かのように、騎士の気配はかたくなになった。
「さっさか、帰ってもらおっか」
 ショートサーベルの柄に手をかけ、もう一枚の翼を抜き出す。
 ゆうらりとゆれる変則的な構えが、虎狩りの表情を愉快にさせる。
「どっちかって言ったらウチの仕官みたいだよねぇ」
「だから、異端児……。曲者の、四隊なんだっての」
 仕掛けられたファーストインパクトを押し切るように、騎士はザンと足元を踏み切ったのだった。
122 名前:緋色の翼 投稿日:2006/04/02(日) 21:58


 
123 名前:緋色の翼 投稿日:2006/04/02(日) 21:59

 打ち込みは一を足し、一を引き。
 気迫は球状を思わせるように膨張し、その世界を切り取っていく。
 緋色の線が幾筋と奔り、そのたびに痺れるような痛みをもたらす。
 魔術の韻律は深みと上下の振幅を増して、少しずつ虎狩りの影をぼやけさせるけれども。
「やっぱ、あんたの方が強いよ」
「やぁ。狼の強気とッ、成長の度合いには、ッ!誰一人、勝つ者は――居ないよ」
 呆れるような言葉に本気でつむぎ返しながら、連打で打ち込む。
 揶揄すらも許さない。
 愚弄ならば、断つ。
 苦楽をともにし、痛みを分かち合う仲間だからこそ。
 賞賛も、補完もいとわずに立ち振る舞える。
 騎士である前に、剣を持つ者の誇り。
 剣を持つ前の、友の誇り。
 仲間をつなぐ、確かな絆――。
「虎狩りさんには、わからないかもしれないけどね」
「ほざけッ」
 ガキンとすりあった刃が、鈍い音をたてる。
 ザリ。靴底が砂を食み、軸が回転する。
 金属板で補強されたブーツと、相手の脛あてが仰々しい音をたててぶつかり、半身が開く。
 蹴りの一瞬すらも引けをとらぬお互い。
 その間隙を突き、翼の細く鋭いきらめきが喉元を切り裂こうと空を裂いた。
124 名前:緋色の翼 投稿日:2006/04/02(日) 22:00
 薄皮一枚に届くかどうかの間合いで届かず、逆手にした刃を振り戻すことはできない。
 自然、体はねじられたようになり、引き戻しは厳しくなった。
 瞬間。
 狩る者の視線がギラリと光る。
 一瞬の隙も見逃さぬ、強い、強い視線。
 腰に佩かれた護身用の短刀。
 剣士であろうとなかろうと、当然のように備えられているべき最後の武器。
 やばい。と思う間もなく、世界がスローモーションにかわった。
 見開かれた視線の中、抜き放たれた刃が右腕に向かって牙をむく。
 切り返すまでの余裕は無い。十字に長剣を振り上げて、逆手で防げるかどうか。
 おぉおおぉぉぉぉおおぉおッ。
 やべ。腕が、とぶかも。
 そう思考で考えるよりもはやく、左手が曲刀を順手にひらめかせる。
 振りなおして、届くか?届くのか?
「とどけぇッ!」
 無理な体勢から刃を振り上げ、逆袈裟に閃光がひらめいた。
 相手の顔が苦悶にゆがみ、畜生という怒号が降り注いだが。
 視線がその声に追いついたとき、すでに、その場に虎狩りの姿は無かった。
 呪文が完成したらしい。
 転移はなされた。
125 名前:緋色の翼 投稿日:2006/04/02(日) 22:00
 鈍い、痛み。
 頬に触れる、ぬるみのある液体。
 自分のものだけじゃないとわかるから、まだシャンとしていられるけれど、痛みがひくわけじゃない。
 くるりと長剣の柄をかえし、薄くぬれた血を振り払い鞘に収める。
 その衝撃ひとつすら、ジンと傷に障る。
 革のグローブに金属板を挟み込んでいても、防護範囲は意外と狭い。
 深く切れ込んだ腕の傷から、とうとうと血が流れ落ちる。
「なんだよ…。可愛いうちの子、誘拐されちゃったじゃんか」
 苦し紛れにつぶやいて、痛みから思考を引き剥がそうと必死になる。
 相手の肩に突き刺さった短刀が、相手ごと消えてしまった。
 次に会うときにでも返してもらわなければ。
 それよりも、先に、血を止めなきゃ…。
 腕を情けなく掲げ、奥歯をかみ締める。
 怒るかな。怒られるかな。シ――ッと歯列から呼気をつむいで、痛みに耐える。
 怒るのも、怒られるのも一緒だな。
 思い浮かべる二人の顔を脳内でかき消す。
 これで帰らなかったり、復職できなかった日のほうが怖い。
 今の痛みより、よほど怖い。
 腕一本で必死に馬体に沿わせたバックパックをこじ開ける。
 応急用の布地を口と手で引き裂き、腕をきつく結びこむ。
「っしゃ。帰るッ。か…ッえって――、傷、癒すぞッ」
 ゴメン。よろしく。
 そう愛馬の鬣をやわらかく撫で、雅恵はその首にすがりついた。
126 名前:緋色の翼 投稿日:2006/04/02(日) 22:01




 
127 名前:緋色の翼 投稿日:2006/04/02(日) 22:01



 
128 名前:緋色の翼 投稿日:2006/04/02(日) 22:01

 チャ…。ギィ。
 と、開錠、扉の開く音がして、眠っていた雅恵はうすらと視界を開いた。
 国境の様子見に訪れていた紫紺の魔術師さんに、強制的に王城へと送り返され、気づけば隊舎のベッドの上。
 しかし。魔術師というのは、能力ひとつでこんなに違うものなのかと思い知った。
 もし虎狩りのつれていた魔術師が、紫紺の魔術師ほどの能力を持っていたなら…。
 一撃重ねるまえに解散だっただろうに。
 呆然とイキサツについて述べたら「余計な術式ばっかり組んだんだろうよ。金をふんだくる常道やな」と鼻で嫌がったか。
 良薬を施され、しかりと医術を施されたものの、完全なる腕の回復と剣を振るうまでには二ヶ月ほどかかるというコトだった。
 腕が治る前に季節は巡り、今度は一隊と三隊の半分が国境に入ることになる。
 情けない。けど、これは現実だ。
 剣を振るえない剣士など、役には立たないし、そんな役立たずが大きな顔をしていられるほど、世界は優しくない。
 しかも五日ほどはベッドの上で過ごさなければいけないし、その後にもすぐさま普通に動けるわけじゃない。
 厳しい。
 そぉっと閉じられた扉の気配。
 カチャリという施錠の音。
 危険さを伴わないこの隊舎の中で、部屋の主に無断で部屋に鍵をかけるような人など、数えるほども居ない。
 持ち上がった意識の中で、馬上でのあせりを思い出した。
 怒るかな。怒られるかな――。
 ずっと、彼女のことを思い浮かべていた。
 その予感は今、上掛けの上からジリジリと降り注ぐ。
 こくりと飲む息使いさえも、届きそうな夜のしじま。
129 名前:緋色の翼 投稿日:2006/04/02(日) 22:03
「ばか」
 呆れている声。
 だけど、怒っても居る声。
「ばーかッ」
 ポス。っと枕が沈んで、その場に置かれた手が震えているのがわかった。
「仕事終わってさ?湯浴みして戻ってきたらさ?
 あゆみから、緊急事態で戻ってきたって聞いて。
 今、交替してきたばっかりなのにさ…」
 耳に届く声はかすかに荒い。
 呼吸の整わないあいだに、この部屋に駆け込んできたのだろう。
 雅恵の自室に。
 自室の鍵をやり取りしている、相手のもとに。
 暗闇。明かりはない。
 でも、起きているだろうことを感じ取って、彼女は自分に声をかけている。
 床に跪く気配。
 シュルという布の音は、きっと衛兵と同じように衣服を整えているからだろう。
 湯浴みはできても、自室に戻らなければ着替えられない。
 でも、その衣服で来てくれるということは、言葉を多くすることなく理由が分かるだろう。
 胸が、ジンとする。
 眠ったフリをほどいて視線をめぐらせると、斉藤瞳の表情が間近にあった。
 唇を難しく結んで、こちらをのぞきこんでいる。
130 名前:緋色の翼 投稿日:2006/04/02(日) 22:04
「正直ね、かなり焦った…」
 目をつむり、開き。思い出す生々しい感触と、あの恐怖。
 あの瞬間に魔術が成立しなければ、自分の腕は切り離され、その返し刀で地に伏して居ただろう。
 どうにか反撃はできただろうけれど、反撃での傷の度合いも確かめられないほどのタイミング。
 とうとうと流れる血を抑えることはできても、止めることまではできずに。
 このまま失血死したらどうしようとか。
 みんなに怒られるなぁとか。
 どうしよう…って。
 愛馬の栗毛の鞍に座して。
――そんなことばっか、考えてた。
 紡ぐ自らの音声の細さ。
 そうしてようやく、思い知る。
 心細かった事実。
 怖がった自分。
 今、感じている、安堵も。
 病人ではないけれど、戦闘の疲労と痛みへの抵抗で、体は弱っていて。
 瞳の手がそうっと伸びて、指先が髪の中へうずもれる。
 確かな熱。
 生きている人間が感じる温度。
「ね。腕…大丈夫?」
「魔術も施されてるし薬も効いてるから、かなり楽だけど。なるべく動かさないように…て言われた」
――ま。どっちにしろ、今は動かしたくもないけどね。
 そう、苦笑まじりに左の半身を起こした。 
 表情が、向かい合う。
131 名前:緋色の翼 投稿日:2006/04/02(日) 22:04
「一緒に眠っていい?」
 望まれることは多くない。
 この状況で何がどうなるわけでもないし、欲望ひとつが走るわけでもない。
 でも。許されるなら。
 そう、思っているのはお互い様のようで。
 髪を撫でた手が子供をあやすように額を撫ぜる。
「なんか、変なんだけどね?」
――温度、感じたくて仕方が無いの。
 へへ。と、てれくさそうな微笑を浮かべて、口元が結ばれる。
 不安の大きな形。
 いつでも覚悟ができているはずの自分たちに、不意に訪れた現実の刃。
 怖い。
 切り取られるのが怖い。
 切り離されるのが怖い。
 私から、彼女を奪わないでほしい。
 滲み出す願いと、訪れたら覆せないという恐怖と。
 死が、いま、身近にあって包んでいる。
「や。ダメだったらいい。
 ゴメンね?こんな…大変なのに」
132 名前:緋色の翼 投稿日:2006/04/02(日) 22:05
 傷ついた左腕。上掛けの上から、そっと手が添えられる。
 痛さは無い。
 神の奇跡は滅多に起こらないけど、魔術師はそれを皮肉るように医術と組んでマシにしてくれた。
 神の奇跡は稀に起きて世界を覆すほどだといわれるけれど、魔術はもっと身近にある。
 この国は、そういう国だ。
 この世界は、そういう世界だ。
 神に近づく者は、遠くなる。
 我々の、友人のように…。
 それに比べて、紫紺の魔術師。
 あゆみにとっては恩人なのだそうだが、自分でそれを実感することになろうとは。
133 名前:緋色の翼 投稿日:2006/04/02(日) 22:05
 泣き出しそうな顔をしている瞳に、そっとうわがけをめくってやった。
 ずる。と体をズラし、広いベッドの上で彼女の眠る場所を確保してあげる。
 えへへ。無条件のはずの幸福と、縛り付ける死のイメージが、微笑みすらにごらせる。
「いいよ。おいで?」
 言うだけ言って、体を倒した。
 さすがに、着替えの合間でじっと見てるのも失礼だろうし。
 瞳は複雑な笑みをはりつけて、静かに立ち上がると背を向けた。
 シュルリと飾り帯を解く音とか、普段つけているアクセサリを外した鎖の音とか。
 耳に、いやに残る。
 視線だけで伺う背中。
 女らしい体つきの、ゆるやかな線を持つ背筋と。
 ちょっと腰悪いんだよねぇ。……、でも頑張ってるんだよねぇ。
 ツラツラと思っていたら、彼女の体がこちらに翻った。
 慌てて視線を外したけれど、どうやら感づかれていたらしい。
 クスりと笑まれる。
134 名前:緋色の翼 投稿日:2006/04/02(日) 22:06
「見てた」
「見てないよッ」
 うそつき〜。見とれてたくせにぃ。
 ぜーってぇ見とれてねーッ!
 子供みたいなヤリトリで布団にもぐりこんでくる瞳が、雅恵の体に腕を巻きつける。
「ホントはもっと見たいくせに〜」
「無理なの分かっててそういうコト言わない」
 自身の状況に不機嫌さを覚えながら、ボフ。っと片手で瞳の頬を枕にうずめさせ、息をつく。
 衝動の色香はしない。
 ただ、ただ…。
 不意に襲った恐怖をぬぐいたい。
 遠ざけて、ほしい。
「うん。分かってる…。そうだよね」
 そろりと上体を起こし、瞳が枕に肘をついて表情を覗き込む。
 直接的に訴えようかとも思ったが、なんだかそれも癪で。
 幾度か曖昧に言葉をさがしたあと、見つけた糸口をするりと引いた。
「あゆみんはさぁ、ホントに強いね」
――死の影も切り捨てる強さが、今はある…。
 自らを労わる視線の中で、少しばかり論点をズラした。
 言葉を途中で切らずに聞いてくれる、優しい人。その、気配。
 甘えてる。と、雅恵は自分に苦笑する。
135 名前:緋色の翼 投稿日:2006/04/02(日) 22:06
「時々、誰かが寄り添ってるように感じるんだ。
 馬上でも、剣を振るう一瞬でも」
 背中合わせの誰かが、彼女を支えてるような幻想が付きまとうような――。
 言いたいことを読み解くように、静かに呼気を紡ぐ。
 瞳の飾りある指先が頬にそえられ、雅恵は視線だけをめぐらせた。
「なんだ。まぁしぃも感じてたんだ。私もね、時々感じるコトがあるのよ。
 あゆみが剣を抜いてるときの、ひどく挑発的な態度とか」
――背中合わせの気配って言うか、誰かが彼女の剣を支えてる感じ。
 ふ。と紡がれる笑みは、同じ人物を思い浮かべているだろうイメージ。
「あの日からかな。
 艶とか、男前度とか…なんかウナギノボリって言うか…」
 あの日。
 遠く離れて行った旧友が一度だけ里帰りした、あの夜の密かな大事件。
 隣国の騎士が潜入し、悪事を働こうとした事実。
 その危機を救った王騎士あゆみと、司祭として救われた…村田めぐみと。
 翌日の匂い。立ち上るような、密やかな…何かが壊れた気配。
 雅恵も瞳も、何も言わなかったけれど、勘付いていた。
 だからこそ。
 幾度も確認した共通の考えに、薄く唇をむすび、笑む。
136 名前:緋色の翼 投稿日:2006/04/02(日) 22:07
「守っていかなきゃ…って、思ってたはずなのに」
 苦笑は堰をつくれない。
「実際、彼女が一番強くなった。紛れも無い事実だけど」
――私たちが居てくれるから…とか、可愛いこと言うんだろうね。
 瞳の苦笑に、「言えてる」とふきだす。
「もし許されるなら、もう一度一緒に剣を取りたいもんだけど」
「会って…ね」
 うん。
 司祭の顔を思い浮かべながら、薄い息を紡ぐ。
「そのためには、まず腕を治さないといけないんだよ?」
 強い口調でつきつけられて、思わず雅恵は顎を引いた。
「話をはぐらかされて、優し〜く、黙っててあげる人も居るんだから。
 私のためにも、はやく治して戻ってきてよね」
 あ。バレてら。
 口元がこわばるのを隠しきれないのに、ズイと表情が近づく。
「だって。腕が使えるようになる頃にはさ、私…前線だから」
 え。待ってソレ、初耳なんすけど。
 驚きに開かれた目の中で、瞳は表情を俯かせる。
137 名前:緋色の翼 投稿日:2006/04/02(日) 22:07
「決まってなかったでしょ?ウチの隊からの選抜。
 次の一隊の同行班でね、私も一緒に行くことになったのよ。
 だから…。現地で交代するんだったら、もうちょっと雰囲気も違ったんだろうけど」
 あぁ。そういう、こと…だったの。か。
 一隊が、戦力的に一番強い。
 出奔してしまった村田めぐみは、本来ならばこの隊に所属が決まっていた。
 それほどの、ツワモノだった。
 普段飄々としていたり、どこかズレたりしていたワリに、キメるときには誰よりも芯が見える人だった。
 自信が無いわけじゃない。だけど、過信するほどは驕れない。
 人間にはどこかかならず不足があって、完璧なんてありえなくて。
 瞳はソレをちゃんと知っていた。
 奥ゆかしさと堅実さが、彼女を強くする。
「だから、さ。こうなっちゃって…」
 言葉尻が曖昧ににごる。
 コワイんだ――。
138 名前:緋色の翼 投稿日:2006/04/02(日) 22:08
 ……。
 沈黙が、落ちてくる。
 難しい顔と、いつもより自信の無い表情。
 つきあわせるには、情けなさがつのるばかりで。
 痛みの無い腕を持ち上げ、髪に指先を通す。
「今日は、触れられないけどさ…。抱いてるよ」
 抱きしめてる。抱きとめてる。キミを。
 コクリと頷くかわりに、額が落ちてきて、肩に力なくそえられた。
 流れる髪の香り。
 いつもどんなときも、女の子の愛らしさを失わない瞳は、騎士の中では特異であり華であり。
 あゆみの持つ気高さが凛と呼ばれるのなら、彼女は優として記される人だった。
 優れているということよりも、優しい人として。
 優しさは、彼女の強さにつながり、彼女は優れた騎士と称されている。
「ほんっと、時々ずるいくらい男前だよね」
 てれくささを濁すように苦笑し、瞳の指が雅恵の頬に触れた。
139 名前:緋色の翼 投稿日:2006/04/02(日) 22:08
 一瞬の沈黙。
 こくりと息を飲み下し、緋色の翼が小さく息をつく。
「帰ってくるまでに、腕治すから。
 そうしたら…………」
 ぐ。と、雅恵の顎が持ち上がる。
 ――――。
 驚きに身を引くけれど、耳元に声が届く方が早くて。
 ポソリと紡がれた言葉を受け取り、一瞬目を見開いてから、頬を染めた。
「やくそくする?」
 問いかけるまなざしは滲むように潤んで、艶を持つから。
 言ったままの唇を一度ふさがれて、恥ずかしさから、発言をはぐらかした。
「えぇっと。うん。腕はかならず治す」
「言ったそばから、はぐらかすのかい」
 笑んで。
 もう一度だけ、口付けて、瞳は体を離した。
 熱がお互いの間にあって、静かに呼吸を繰り返している。
 背中であったり、その生きているモノの温度が、いやに強くしみる。
 ジリ。と、体の芯を焦がす色。
 触れられると分かっていて、分かっているからこそ触れられなくて。
 触れることに対して腕の負傷という障害があって。
 腕の負傷へ心を添える、優しさがあって。
 お互いに分かっていて。
 どうしようもなく、触れたがってる体。
 なんて、密やかな感覚。
 生きて、生き延びて、たった一度があるのなら。
 必死こいて頑張ったり、生き延びるのに汚かったりするのも、悪くないかなぁって…そう思うんだけども。
140 名前:緋色の翼 投稿日:2006/04/02(日) 22:08
「うそついたらハリセンボンのーますッ」
 たまらず抗議する瞳の声に、雅恵は思わず肩を揺らした。
「私ら今指切ってないから」
 ちぇ。と膨れる気配。
 たまらず、雅恵は白旗を掲げた。

――うそなんかつけないよ。

 つける、わけないじゃん。
 背中越しに紡がれた声に、瞳は上掛けで口元を覆い隠した。
 君も、同じように思ってくれているだろうか。
 思ってくれていたらいいな。
 触れたくちびるの特別を、同じように…今この温度で感じてくれていたらいい。
 薬と魔法のせいだろうか。
 穏やかさで包まれた体は眠りを欲している。
 朝、目が覚めて君が居なくても、忘れたりなんかできない。
 この熱と。
 この欲と。
 焦げ付くような、喉の渇きは――。
 
「ねむった?」
 ほんの小さなささやく声が、とても遠くに聞こえる。
 答えることができなくて意識を手放すのに、最後に届いたのは「おやすみ…」という、穏やかな笑みだった。
141 名前:緋色の翼 投稿日:2006/04/02(日) 22:09

 朝の光にまぶたを焦がされ、そろりと目を覚ます。
 気がつけば無傷の腕は大きく伸ばされていて、彼女の眠っていた位置を占領していた。
 案の定、彼女は、居なくて。
 まるで夜の熱が嘘だったかのように、朝の空気に全てがほどけていた。
 書置きもない。
 残されているのは、実感した熱と、自分自身の中にある記憶だけ。
「腕…治さなきゃなぁ……」
 薬効が切れて痺れ始めた腕に、軽く眉をしかめる。
 緋色の翼は折れていない。
 千切れていない。
 彼女と一緒に跳ぶための翼。
 失っては、いけない。
 失うなんて、できない。
 決心に口をかたく結び、肩で一つ気合を入れた。
 そのときだった。
 コン。とノックの音がして、様子を伺う気配がする。
 雅恵はそっと扉に視線を向ける。
「はい、どちらさま?」
 放つ声の微妙なブレに自ら笑いをかみ殺しつつ、問いかけると。
「副長殿。朝のお食事と、薬を魔術師殿から」
 と。運ぶだけならどうにか…と、あゆみが来てくれたことがわかった。
 下級仕官でも見ているのだろう。
 わざとらしい口調に、思わず笑ってしまう。
「どうぞ」
「おはよー。マサオくん」
 器用に片手でトレイを支え、翡翠の若き狼こと柴田あゆみが入室する。
 チャラリ。と腰で鍵を鳴らすのは、お互いの鍵をヤリトリしているから。
 万が一の時のために、三人ともが鍵を渡しあっていた。
142 名前:緋色の翼 投稿日:2006/04/02(日) 22:10
「なんか、副長の昇格の話で呼ばれたみたいよ」
――おじさま方、朝まで飲み会議してたみたいでさ。
 トン。夜は瞳の衣服を受け止めていたサイドテーブルが、トレイを受け止める。
 誰が?と問わなくても分かる。
 明け方まで居たはずの彼女を思い出して、雅恵は一度まばたいた。
「昇格…?」
「三隊の御大がね、いよいよ引退なさるんだって。
 で。現副長の隊長昇格にともなう、後任人事で対象になってるそうですよ〜」
 食べられそう?と首を傾げるのに、起き上がり器を受け取る。
 寝っぱなしで、薬を飲まなければいけなくて。
 やっぱり食事は消化が良くないといけないようだ。
 スープで炊かれたリゾット。
 そろそろと口に運ぶ。
「じゃぁ、むこう行ったら責任者じゃん」
「んー。でも、下の子の信頼もあるし、やっぱり頼れるお姉さんできるんじゃないかな」
――上役さんにも可愛がってもらってるしね。
 くすりと微笑みながら、デキャンタからコップに水をうつす。
143 名前:緋色の翼 投稿日:2006/04/02(日) 22:10
 煎じられた薬は粉薬で、とても特殊なのだそうだ。
 なんでも。魔術師の薬は魔法そのもので、服薬することで魔術式が成立するのだと言う。
 剣士には難しい話なので、聞いているだけなのだけれど。
 あゆみは前に受けた予言もあってか、紫紺の魔術師には素直に従っている。
 王の信頼も寄せられている方なので、好意も甘んじて受けているのだけれども。
 さすがに、うん、飲むのに覚悟の要る感じでねぇ…。
 一瞬の間を置くため…でもなく、心配も手伝って声がこぼれた。
「背負いすぎなきゃ、いいんだけどね…」
 生真面目な瞳を思って、紡ぐ。
 どこか訳知り顔な表情で眉をあげ、あゆみが言を継いだ。
「だいじょうぶ。そのための私たちなんだし。
 だから、マサオくんは早く腕を治さないといけないよ?」
 ニ。男前な笑みを前面に、あゆみは薬の包み紙を添える。
 なんか昨日の夜、同じようなことを言われたなぁ――。
 情けない苦笑を貼り付けながら、雅恵は最後の一口を穏やかに収めた。
144 名前:緋色の翼 投稿日:2006/04/02(日) 22:10
「あと。今度ヤツに会ったら、私が放っておかないから」
 イシシ。
 いたずらな小僧のような笑みを見せて、あゆみが自らの腕を指差す。
 この腕にかけて。
 ヤツを、叩きのめしてくれる。と。
「女の子の言うセリフじゃないよ」
「でも、信頼が置ける仲間の居る、騎士のセリフではあるよ?」
 お互いに苦笑して、解く。
 雅恵は苦い薬を飲まなければいけない。
「やっぱ、強くなったね」
 しみじみと呟かれ、あゆみは照れたらいいのかどうしたらいいのか分からぬ顔で頬を赤くする。
「だっ、いきなりそういうコト言わないでよ」
「おー。誉も高き翡翠の狼殿でもテレるのかね?うん?かわいーねー」
 ようし。こっちのペースだ!と揚げ足をとって、雅恵は豪快に笑う。
「もうッ。薬飲んでさっさと寝ちゃいなさい」
 空になった器と薬を交換し、あゆみはトレイをとりあげた。
「失礼だなぁ。人を酔っ払いみたいに〜」
「酔ってないから、性質が悪いの」
 キッパリと言い切られて、笑みは重なる。
――お大事にー?
 ヒラヒラ。指先で可愛げに挨拶を送りながら、戦場での猛々しさを微塵も感じさせずに彼女は部屋を出た。
145 名前:緋色の翼 投稿日:2006/04/02(日) 22:11

 苦い苦い薬。
 薬のかける魔法。
 本当なら信じないんだけど、ね。
 縋ってでも、前へ行ってやる。
 薬の包みをひらき、その少しばかり毒々しい色味に眉をしかめて。
 緋色の翼。
 折らない。挫けない。
 飛べなくなる時は、自分で決める。
 今は、まだ、その時期じゃない…。
 こくり。動揺までも嚥下し。
 彼女は一思いに薬を呷った。
146 名前:緋色の翼 投稿日:2006/04/02(日) 22:11





 
147 名前:緋色の翼 投稿日:2006/04/02(日) 22:11
 三隊の帰還日――。
 すでに四ヶ月が経とうとしている。
 今期に限って、ラジャイナとの接触はなかったらしい。
 どうやら内密のうわさだが、虎狩りがかなりの深手を負っていたようだ。
 おかげさま、雅恵の剣は今回は戻ってこなかった。
 それは仕方がない。
 国内では、今年は例年にない雪の多さで、寒さによる害が多数あった。
 兵卒を率いて災害対策に乗り出したこともあったし、その指揮くらいしかできなくて歯噛みもした。
 本当にゆっくり腕を治せたかというと、そうでもなかったし。
 でも。うん。ずいぶんと、よくなった。
 だって、今こうして、手合いで狼の剣を受けることもできるのだから。
「左だけで受けられる?」
「んー。そろそろ、普通に流せてると思うんだけどね」
 スイと振り上げて、本気の一撃を流す。
 手首を返すのにほんの少し違和感を感じるけれど、力を込めて具合が悪くなるわけでもない。
 復調と言って、差し障りのない状態だろう。
148 名前:緋色の翼 投稿日:2006/04/02(日) 22:11
「じゃぁ、ちょっと無理してもらうかな」
 くん。不意にあゆみのスタイルが変わる。
 下段に構えることが少ない彼女が、剣の切っ先を体の後ろに下げている。
「え?ちょ、それ…」
「スタイルを崩さないのは作戦でねー?
 できない!って、わけじゃないんですよッ」
 それじゃぁまるで、虎狩りさんみたいじゃないのさッ!
 慌てる雅恵を視界におさめながら、あゆみは大きく一歩を踏み込んだ。
「カムフラージュは大事だよ」
 悪戯な子供の目を見せながら、狼の剣は縦横に殴りつけてくる。
 普段見せていないだけで、亜流の剣術も手の内というコトのようだ。
 味方にも見せていなかったとは、なんと人の悪い。
 左手一本で受け流すのも、調子は悪くない。
 なら。刃が当たる瞬間に、軽く引く。
 鍔元から受け入れて、強引に角度を変える。
「もらったぁ」
 クリンという軽い返しのままに、あゆみの剣が下方にそれる。
 げ。と、少しばかり乙女らしくない慄きを見せるあゆみの胸に、銀光がひるがえった。
「と、言うわけで。ご心配をおかけしましたが、復調したようです」
 ありがとうございますッ!と、ビシっと敬礼してみせる。
 雅恵の動作につられて敬礼を返しながら、あゆみは肩をすくめた。
149 名前:緋色の翼 投稿日:2006/04/02(日) 22:12
「まぁ、ひとみんの帰ってくる日で完治したんなら、言うことないか〜」
 ニヤリ。どことなく訳知り顔で笑うから、ごまかすように眉を上げる。
「いやぁ。ねぇ。ほら。まぁ」
 言いよどむ言葉をものともせず、あゆみは紡ぐ。
「そろそろ到着する時刻だけど、迎えに行かなくていいの?」
「えー?わざわざ出迎えとか…」
 そう幾分面倒くさがる手前を見せてから、雅恵は体を返す。
 訓練用の剣を鞘に収め、壁のフックにかけようかと足を進めたその瞬間だった。
 ズバン!と扉がひらき、たった今話しの種になっていた相手が走りこんできた。
「おぉ、ひとみん。おかえ…ッ」
 雅恵の言葉がとまった。
 あゆみの口も確かに、「おかえり〜」と紡ぎたかったのだろう。
 が。「お…、おぉ」という微妙な発音でとまった。
 だって。
 だってさぁ。
 たっぷり十秒はあろうかという重ねるだけのキスとか、見せられた日には黙るだろ。
 しかも。なぁ、一応…分かっちゃいるけどさぁ、女だしさぁ、同僚だしさぁ、お友達だしさぁ。
 思わず衣服の胸元を握って、冗談にできない誰かさんを思い浮かべる。 
150 名前:緋色の翼 投稿日:2006/04/02(日) 22:12
「ただいま!」
 強引なキスを奪ってから、順番バラバラながら、瞳は告いだ。
「あ、あぁ。うん、おかえり」
 なにか大事なモノでも奪われたような表情をワザとつくりながら、雅恵は髪の毛をかきあげた。
「約束覚えてる?」
 ものすごく急ぐように問われて、とるものあえず、頷く。
「今日夜行くからね!定例報告終わったら、絶対いくからッ!」
 待っててよ!?
 と。ギ!と指をさして風のように去っていくではないか。
 再び取り残された二人は、なにかを犯されたかのような呆然をまとって口をあけた。
「えっと。なんか、邪魔だったのかなぁ?とか思うし、今日は部屋には近寄らないから安心してね〜」
 あは。あはははぁ。乾いた笑いを止められず、あゆみはヒラヒラ〜と指先をふりつける。
「あは。あははははー。そりゃぁ、どうも」
 もう返す言葉もございませんよね。乾いた笑いしか出ない。
 確かにさぁ、約束はしたけどさぁ。
 おかえり!って男前に決めるつもりだったんだけど、ペース崩されちゃったな。
 でも、あの腰を受け止めていたのが左腕だったって、気づいたかな?気づいたかもね。
 雅恵はフフンと思わず微笑む。
「あれは到着の礼式を行う前に来たな…?」
 王騎士さまの呆れた笑い声に、緋色の翼を持つ騎士も苦笑する。
 明日明後日、休み申請してて良かったなぁ――。
 密かに思いながら、遠くに聞こえるラッパの音色に目を閉じた。
151 名前:緋色の翼 投稿日:2006/04/02(日) 22:13

 帰ってくるまでに、腕治すから。
 そうしたら……、こんなんじゃ終わらないから。

 うそなんかつけないよ――。

 つけるわけないじゃん。

 自分で口にした言葉を思い出して、腕をさする。
 今日はもっとちゃんと伝えないと、彼女に失礼だろう。
 きっと彼女は、この腕の傷に口付けて思いをささげてくれるから。
 自分になにができるかな。
 その巧みな腕を翼にする騎士は、静かに口元を持ち上げた。
152 名前:緋色の翼 投稿日:2006/04/02(日) 22:14




 ++END++
 
153 名前:関田。 投稿日:2006/04/02(日) 22:22
緋色の翼 をお届けしました。
容量の関係で途中詰め込んでしまいました。
読みにくいかと思いますが、全画面見開きでお願いします(殴)。

「肉体は…」の私的歌詞解釈がモチーフでした。
触れたいけど触れないとか、触れられないとかジリジリする感じ。
今年に入って彼女たちに触れる機会に恵まれていて、気づいたらどっぷりでした。
まぁ、えぇ。生ぬるく見守ってください(笑)。
このスレッドはこれにて終了。
お付き合いいただきまして、ありがとうございました。
154 名前:名無し家こん平 投稿日:2006/04/03(月) 00:35
すごく余韻の残るお話ですね。
ファンタジーは、あまり好きではないのですが一気に読んでしまいました。
素敵なお話を有難うございました。
155 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/04/03(月) 21:16
>154
それはいいけどageないように。
156 名前:名無し家こん平 投稿日:2006/04/05(水) 17:01
すいません。度々失礼しました。
157 名前:103 投稿日:2006/04/11(火) 21:08
今回も楽しく読ませて頂きました。
やっぱり続きっていいですねw
是非是非また続編を!なんて思ってしまいます。
スレに関係なく恐縮ですが、作者さんはサイトをお持ちなのでしょうか?
158 名前:関田。 投稿日:2006/04/12(水) 18:52
>103
こんにちわ。レスありがとうございます。
今回も楽しんでいただけたようで何よりでした。
ところで。
>作者さんはサイトをお持ちなのでしょうか?
とのことですが、あるにはあります。
が、あまりに停滞気味なので、日記だけのtopを置いていきます。
それを読んでからでも、あぁ覗いてみるか…と思ったら連絡ください。

tp://sekitaxx.fc2web.com/

それでも去年九月から更新がありません(笑)。
退屈しのぎには癖がありますが、どうぞ御笑覧ください。

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