いぎょう≠怪物、その類
- 1 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/10(水) 22:39
- 色々謝るべきことが多分にありますけども、
一番大切だと思うことを、ただ一言。
再びこちらで拙作を書くことをお許しください。
名前も晒す勇気すら無いわたくしですが、
お付き合いいただければ幸いです。
更新は遅くなります。
- 2 名前:気付く 投稿日:2006/05/10(水) 22:42
- 何か、歯がギザギザしてる。
以前友達を噛んだ時、気付いたこと。ふざけあったりじゃれあったりしていて、何気なしに一人の友人の耳を噛むと、鮮やかな血が噴出して、その子の耳が無くなっていた。
無くなった耳の所を押さえながら泣きじゃくる友人を見おろして、彼女は何もできなかった。ただ呆然と目を見開いて、自分の歯に指先を当てる。すると、ちくりとした痛みの後、見ると指先に血の玉。
何だ、これ。何なんだ、これ。
混乱した。まだ幼かった心身が混乱して、次に恐怖した。
いまだ泣き叫ぶ友人を見て、その子の指の間から流れる鮮血を見て――それを、自分がやったんだ。そう理解すると共に、恐くなった。
誰でもない、自分が。
そして彼女は理解した。
わたしは、皆とは、違うんだ。
- 3 名前:_ 投稿日:2006/05/10(水) 22:43
-
- 4 名前:_ 投稿日:2006/05/10(水) 22:46
-
<一話 マスクの少女とギプスの国語教師>
- 5 名前:一話 投稿日:2006/05/10(水) 22:49
- ―――***
雨の中。傘も差さずに疾走する。ノーガードな顔には、雨粒が精力的に襲撃してきて少々痛い。それでも田中れいなは気にしない。否、気にしている余裕など無い。
「待てやグルァ! 美貴の店から万引きなんていい度胸だけどヤルからにはそれなりの覚悟ができてんだろうなああん?!」
「――っ!」
振り返って直後、顔の向きを前に戻す。れいなは瞳に、怯えの色を浮かべた。
長時間直視ができない。それほどまでに追走してくるコンビニ店員の表情は恐ろしかった。何というか、もう、あれは夜叉、といっても既に生易しい。
生きとし生けるもの、万物、森羅万象――それら全てすらも凌駕する、恐ろしい存在。れいなにとって、まさにそれだった。
「逝けっ!」
「コンパスッ!?」
「テメエのかっぱらった罪は死に値する!!」
「、百円のチューイングガム一つや、なかねっ」
「ガム舐めんなっ!」
「酒瓶っ??!!」
ひっきりなしに、応酬はやってくる。
「って、そっちのほうが損害やろっ?!」
「美貴は良いんだよっ!!」
「コピー機ッ!!!???」
- 6 名前:一話 投稿日:2006/05/10(水) 22:52
- T字路を右に曲がる。両脇に民家が連ねるこの区域は、雨のためかいつも以上に人通りが少ない。好都合だった。――そう思った。
「ウルァア!!!」
そうでもなかった。
人通りが少ない=自分にとって走りやすい状況=相手にとっても走りやすい状況、となることに、れいなは今更気付いて、振り返った。
恐怖の顔が、先程よりも迫ってきていた。
「ヒィッ」
さっきの路地は幾らかの雑踏もあり、小回りのきくれいなが有利だったのだ。しかし、純粋な脚力では、あの恐怖には劣るらしい。二人の距離が確実に縮まってきている。
心身ともの疲労感に、息が荒くなる。追いつかれれば、何をされるか解らない。解りたくもない。今の恐怖からは、そんな感触すら漂ってくる。
ほんの出来心の万引きで死にたくなどない。強く、心内でそう叫ぶが、それで奮起するほど、人間の体の構造は簡単ではない。限界に近かった。交差する脚はガクガクするし、前後に振るう腕は鉛をつけられているかのように重い。小さな胸は苦しいし、瞼もれいなの意志とは関係なく降りようとしている。
ああ、チクショウ。
元々それほどまでに運動神経が良くないれいなの短躯。逃走という激しい運動により、急激にエネルギーが消耗していく。
そんな、スタミナの無い自分の体が、いつも以上に怨めしかった。
「舌を抜きぃ、鼻をもいで眼球抉りぃぃい、五臓六腑を穴だらけぇえ♪」
物騒な歌が、愉しげにやたらと凄まじい歌唱力で奏でられ、れいなの全身にまとわりつく。恐い。無駄に語呂が良いところが、また恐い。
だから逃げた。必死に。一歩ごとに上がりにくくなっていく脚を、とにかく動かして。
すると――神は、れいなに味方してくれた様だ。
「脳漿掻き分けひたすらに――いいいいぃぃぃぃ………!」
- 7 名前:一話 投稿日:2006/05/10(水) 22:55
- 突然。狂喜を多分に載せて、近くで響いていた恐怖の声が遠くなり、ピタリと途切れた。
れいなは目を開き、脚を止めて振り返る。
居ない。
もはや追いつかれるかと思っていた距離にいたはずの恐怖の姿が、忽然と消えていた。
周りを見渡す。連なる民家に、それらを囲む石塀。電信柱に、そこに描かれた不可思議なラクガキ。地面には――。
ああ。理解した。れいなの目の前。蓋の外れたマンホールが、ぽかりと口を開けている。恐怖はどうやらそこに落ちたらしい。
ホッと。安心のため息一つ。それと同時に胸を撫で下ろして、れいなはチューイングガムの封を開けた。ピリッと、微かな音がする。
『ア゛あ゛ぁ゛嗚呼あ亜ァあああ!!』
突然、上がった絶叫。
封を完全に開けた状態で、れいなは固まる。冷や汗が、額に首に鎖骨に背中に。様々なところから噴出し流れ、または衣服に吸収される。ギチギチと。そんな擬音がしそうなほどぎこちない動作で、れいなはマンホールの、開け放たれた口を見た。
- 8 名前:一話 投稿日:2006/05/10(水) 22:56
- 『…………………開けたな?』
絶大なる怨嗟が乗りに乗った、低い音色。
響いてれいな、回れ右。マンホールの口に、背を向けた。
『………封を………開けたな?』
心なしか、声が近くなってきている。
いよいよ生命の危機を感じたれいなは、
『買ってもいないガムの封を…………』
脱兎の如く駆け出した。
その刹那の後。
「貴様は、開けたなぁあぁぁあぁあぁぁああ!!!!」
マンホールの口からロケットの如き勢いを持ちつつ、恐怖は復活した。
- 9 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/10(水) 23:09
- ホラー系かと思ったら面白いじゃないすか。w
これからどう展開していくのか楽しみです。
- 10 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/11(木) 01:41
- 好きな種類のお話かも
続きを期待してます
- 11 名前:一話 投稿日:2006/05/14(日) 02:22
- 「ケタケタケタケタケタ………」
奇妙な笑い方をしながら走り抜けていった恐怖をこっそりと視認し、れいなは石塀にもたれかかって、溜め込んていた重苦しい吐息を吐き出した。そのまま背中を滑らせ、地べたに腰を落とす。
前。見上げると、西洋風の館がドンと佇んでいる。本来なら荘厳な空気を醸し出すはずだが、長い間手入れがされていないのか所々が汚れ、まるでお化け屋敷のような風貌に成り果てている。
いつもなら確実に近寄らないような場所だが、今回は緊急事態だ。仕方が無い。
フッと、諦めにも似たため息をつきながら、れいなは洋館に向かってぺこりと会釈した。そして、雑草が生い茂る地面を軽く叩き、起き上がる――
「…………ゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラ」
直後、蛙のように石塀に張り付いた。だが、あまりにも慌てていた為、あってはならない失態を犯してしまった。
「ゲラ?」
それは、微弱だけども音を立ててしまったことだ。
案の定、不気味に笑っていた恐怖はそれを聞き取ったらしく、洋館の前で笑声を消した。しばしの間、流れる静寂。
れいなにとっては、生きた心地のしない時間。胸の奥がキリキリと締め付けられるような感覚を覚えていた。冷や汗が噴出し、呼吸も荒くなる。
この呼吸音……必死で抑えているが、聞かれているだろうか?
考え、恐れながら出来うる限りに自分から発せられる音を抑えようと努める。降り立った静寂は、未だ破られず、周囲に展開していた。
「――――」
微かな呼吸音が聞こえる。れいなのものではない。だから、これは、恐怖のものだろう。
鉄柵と石塀で遮られている洋館と路地。おそらく、恐怖は鉄柵の隙間から庭の中を覗き込んでいる。そちらに目を向ける勇気は無いけど、そんな気がした。
「……誰、ですか?」
- 12 名前:一話 投稿日:2006/05/14(日) 02:22
- 恐怖が突入するかもしれないという予測に慄いていると、声がした。
恐怖のものではない。なら、誰だと疑問に思う前に、その人物は姿を見せた。
洋館の大きな扉、その前の小さな階段。そこに佇む、一人の少女。顔を半分ほど覆ってしまうような大きなマスクを着用し、吊り上がり気味の瞳でこちらを見つめている。その瞳の中にある色を見て、れいなはゾッとなった。
「……うちに、何か用ですか?」
か細く訊ねながら虚ろな足取りで、その少女は進んでくる。何故だか、その華奢な体からは、生気というものが希薄であるように思えた。
「あ、いや、そのー」
戸惑うような声色は、恐怖のものだ。
少女の瞳は塀に張り付くれいなではなく、鉄柵の向こうからこちら側を観察していた恐怖に対してのものだったらしい。その証拠に、少女は欠片もれいなを見ようとしない。
空虚な瞳で、真っ直ぐ前――この場合、鉄柵の向こうの恐怖を注視している。
- 13 名前:一話 投稿日:2006/05/14(日) 02:23
- ピタリ――。鉄柵の一メートルほど手前で、少女は、停まった。
「こ、こっちに、一つ髷の小さな女の子、走ってこなかったかなぁって――」
「いませんよ。この家にはわたしだけです」
「あ、ああ、そう。そうでしたか。すいません、お邪魔しましたぁー」
パチャパチャと、雨の中を駆けていく音を耳に入れ、れいなは一先ず安堵する。胸を撫で下ろし、ホッとため息を吐き顔を上げると――ギクリと。今度は別の意味で体が強張った。
虚ろな瞳との、交錯。
その状態のまましばし膠着してから
「大丈夫?」
少女は、和やかな微笑みをれいなに渡した。
- 14 名前:一話 投稿日:2006/05/14(日) 02:24
- ―*
一人で暮らすには充分すぎるほどの広さを持った、洋館の中の一室。洋館というだけあって、もっとこう、シャンデリアとか真っ赤な絨毯とかを想像していたれいなは、眼前の光景に面を喰らった。
十数畳もある広大な部屋一面に敷き詰められた畳。その部屋にはテレビや電話はおろか、タンスや机すらも存在せず。在るのは中央にポツンと置かれた炬燵だけ。
洋館のイメージがガラリと崩れる、趣あるを通り越してなんというか殺伐としている。
イ草の香りが鼻をついた。
「今って、もう五月……」
貸してもらったスウェットを着て、今しがた浴び終えたシャワーのために湯気だつ頭をタオルで拭きながら、れいなは呟く。
「うちはね、炬燵はしまわないんだ」
目を細めてそう言ってマスクの少女はれいなを炬燵へと促した。
呆気にとられながらも、指示通り炬燵へともぐるれいな。流石に電源は入っていないようで、炬燵の中はひんやり冷たかった。
「ミカンどうぞ」
「どうも……って、完全に時期おわっとるよね?」
「? お店にいつも売ってるよ」
「いや、まあ……よかね」
- 15 名前:一話 投稿日:2006/05/14(日) 02:24
- オレンジ色の皮を剥き剥き、れいなは疲れたようにため息をついた。筋をとって果実を頬張る。うん。この季節のミカンも割かし悪くない。などと思いつつ、降ろしていた瞼を持ち上げる。そこで首を傾げた。
少女は嬉しそうにミカンを食していた。が、マスクを外さずにだ。
「?」
俯き加減になってマスクを下から僅かに持ち上げ、ミカンを放り込んでいる。傍目から見ると七面倒な行為であるけれども、当人は満面の笑み。マスクに隠れた口をもごもご動かしながら、両頬を手の平で押さえたりなんかしている。
「マスク取らんと?」
しかし、見ていてどうにももどかしかったれいなは、そう訊ねていた。すると見るも明らかに少女の体がビクリと震える。
俯き加減だった顔を上げて、見開いた目でれいなを見つめ返し――かと思ったら、彼女の黒瞳はいきなり宙を泳ぎ始めた。右へ左へ、上へ下へ。取り留めなくうごく瞳は時折れいなを捕らえて、即座に泳ぎを再開する。
いよいよ、ワケが解らない。眉根を寄せたれいなは、先程とは反対方向に首を傾げた。
それを見、少女は視線を右斜め上に一瞬固定した後、れいなへ苦笑を向けた。
「あ、あのね。実はわたし、風邪引いちゃってて……鼻かみすぎて、鼻の下が真っ赤だから、ね、だから恥ずかしいんだ、ごめんね」
「……別に謝るほどのことでもなかよ」
挙動不審。明らかなそれ。少女の言った言葉がおそらく嘘だろうということは、れいなにも容易に悟ることができた。
- 16 名前:一話 投稿日:2006/05/14(日) 02:25
- 「あ、そういえば」
けど、あえて深入りしなかった。
「さっきは匿ってくれてありがと。あと、シャワーと服も。言うの忘れとった」
向かい側に座る少女へと、れいなはこうべを垂れる。
れいなが顔を上げたその時には、少女のぎこちない笑顔は消え、最初に見せた和やかな微笑みが浮かんでいた。
少女はその笑みのまま、顔を横に振る。
「だいぶ、困ってたみたいだったから」
「うん、まあ、正直ここまでの勢いで死の確信に迫られたことは無かったとね……」
れいなの顔から血の気が引く。ざぁっという音が、確かに発せられた。
少女の微笑みが、苦笑へとシフトする。
- 17 名前:一話 投稿日:2006/05/14(日) 02:25
- 「そんなに恐かったんだ」
「そりゃあもう。恐いなんてもんじゃなかよ……」
そこまで言い切り、れいなは胸に溜まっていたため息を、どさりと吐き出す。それが炬燵の上に落ちて消え、乾いた笑いが耳に届いた。
それからしばらくはのほほんとした時間が流れる。
ミカンを食べ、少女が持ってきたお茶をすすっては安穏としたため息を吐き出す。そんなれいなを、少女は目を細めて見つめていた。
が。
ふと、二人は同時に「あ」と短い声をあげ、互いを見た。そして、これも同時に
「「名前、何ていうの?」」
同じことを尋ねていた。
- 18 名前:一話 投稿日:2006/05/14(日) 02:26
- キョトンと二人は目を丸くしてから、れいなは照れたように苦笑し、少女はマスクの奥で細く笑った。
「……命の恩人に、名前聞くの忘れるところだったばい」
「大げさだよ」
ふふっと。もう一つ笑って少女
「わたしは絵里。亀井絵里」
「亀井さん、ね。あたしは田中れいな。よろしく」
炬燵に入れていた手を出して、軽く握手を交わす。見た目と同様、触れた感触も華奢な手だった。
「あ」
互いに簡単な自己紹介を終えたとき、れいながふと一声を上げる。背筋を伸ばしてキョロキョロと忙しなく顔を動かす。
その、明らかに何かを探しているような仕草を見、絵里は訝るように眉根を寄せた。
「どうしたの?」
- 19 名前:一話 投稿日:2006/05/14(日) 02:26
- 「時間っ、時計どこ? 今、何時?」
軽い混乱状態のれいなに戸惑いながらも、絵里は右手側の窓から未だ泣きはらしている外を見やり、そして自分の腹部に手を置いて
「六時、十分くらいかな」
「げっ、バイトがっ」
時刻を聞き入れると同時、れいなの混乱は錯乱へとシフトした。頭を押さえて立ち上がったかと思うと、挙動不審にキョロキョロしだして「ごめんっ」と短く絵里に謝ってから、部屋の出入り口まで駆けていった。
その脚が、扉の前でふと停止する。そしてくるりと振り返り、驚き眼の絵里を見、微笑んだ。
「また来てよか?」
元気の良いれいなの言葉が届くと、絵里の目が一層見開かれた。けど、それは一瞬のことで。瞬き一つにも満たない時間の後、絵里の顔には満面の笑みが咲いていた。
「よかよ」
優しい響きの絵里の答え。それを受けとり、れいなは口角を更に吊り上げ、右手を上げた。ばいばいまたね、の意味が含まれたその仕草を置き土産に、彼女は弾丸のように室内から飛び出していった。
きぃきぃ、と。蝙蝠が鳴く様な、蝶番の音が広い室内に反響している。
絵里は微笑みながら、開きっぱなしだった扉を閉めた。微笑みながら――だけどその笑みは、儚げで、哀泣しているようにも見て取れた。
- 20 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/14(日) 02:34
- >>9 さま
レスありがとうございます。
面白いですか? 良かった(安堵
自己満足だらけの拙作ですので。
飽きられぬよう、展開はなるべく捻りたい、という願望です。
よろしければ、これからもよろしくお願いいたします。
>>10 さま
レスありがとうございます。
嬉しいお言葉に感謝です。
期待を裏切らぬよう精進していきたいと思いますので
これからもお付き合い頂けると幸いです。
- 21 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/15(月) 20:43
- 更新お疲れ様です。
なんというか、ホっとしましたw
次回も期待しています。
- 22 名前:一話 投稿日:2006/05/21(日) 23:47
- ――**
学校の授業を面白いなどとほざく者は、人間ではないと思っている。窓際最後尾の席に位置をつけたれいなは、頬杖をつきながらそう思う。
教師の言うことはどれも難解だ。彼らは自分が解るようにしか説明していないのではないか。そう推測しても行き過ぎでないぐら、難解だ。だから、今日もれいなは聞くフリをする。
無精髭を生やした数学教師がこちらを見た。
その時既にれいなは自分のノートに視線を落としている。時折顔を上げたり下げたりし、板書をする、フリ。騙された教師は、れいなから視線を外した。
ふと。ため息が出る。このつまらなさは裁判沙汰だなぁ、と憮然とした表情は口よりも饒舌にモノを語っていた。
「今日はここまで」
授業終了の予鈴がなって、無愛想に教師は言い残し、教室を出て行く。
同時に、教室に活気が戻る。喋くり、席を立ち、じゃれ合っては笑いあう。
教師もそうだが、彼らも充分単純だ。けど。
「れいなっ、新しい先生が来るんだって!」
「マジ? どんな人?」
自分もその内の一人だから、これは良いと思う。だって、この姿こそが、学校本来の姿だろうと、れいなは完結した。
- 23 名前:一話 投稿日:2006/05/21(日) 23:48
- 「つーか、何でアンタがそんな事しっとーと?」
「さっきの休み時間職員室行ったら先生達が話してたの。ずいぶん若い、だとか、綺麗だとか」
「ふーん……」
なぜそこまで興奮できる。教師の話で。心内、倒置法で突っ込んでみるが、自身としても気にはなっていた。先程の数学教師のような輩は勘弁だが、面白い教師なら歓迎だ。けど、あからさまなギャグとかで人気を取りに来ていると判るような輩は――無愛想よりも、性質が悪い。そういう奴だけは来ないでほしい。
「どんな人かは見れなかったけど、国語の先生ってことだけは聞いたよ」
「国語――次やなかね」
「そぉなの、そぉなのお!」
友人Aは興奮している。一見すれば眼鏡に三つ編みという、懐古的なガリ勉キャラだが、彼女はその定石を無視し、良く喋る。波に乗らずとも一時間はざらで、この間電話したときなど五時間はお喋りに付き合わされた。携帯の通話代金が悲惨なことになったことを、未だによく覚えている。
「どんな人かなぁ、気になるなぁ、綺麗で面白くて優しくて穏やかで、そんな人だったらいいなぁ。欲を言えば、髪は長くて目は綺麗で胸は大きくて手足は長い、そんな人だったらいいなぁ」
夢見る乙女の目だ。キラキラと輝いている。
祈るように手を組んで、天井を見上げる友人Aを尻目に、れいなは嘆息する。そっちのケがあるという噂は、どうやら本当らしい。
「期待通りの人だと良いね」
しかし人の嗜好に対してどうこう言うつもりもないし、同性同士の恋愛も別にいいのではないかと、他人事のようにれいなは捉えていた。好きあっていれば良いではないか、子供が産めない、それだけがデメリットなのだから、損はしていない……と思う。
「うんっ」
元気良く友人Aが返事をしたところで丁度、授業の開始を告げる鐘が鳴った。自分の席に戻る者もいれば、まだお喋り中の者もいる。十人十色、人それぞれだ。ちなみに、友人Aは目を輝かせながら自分の席へと戻っていった。廊下側最前列、丁度れいなと対角線に位置する席だ。
彼女の動向を見送り、れいなは頬杖をつく。視線は、入口へと固定したまま。視界の中で、友人Aが背筋を伸ばして、れいなと同様に入口を見つめている。
そんな友人Aの頭に苦笑を投げかけ、それと同時。入口の扉が、音を立てて開いた。
- 24 名前:一話 投稿日:2006/05/21(日) 23:48
- 教室内の喧騒が一気に静まり、教室内の全ての視線がそちらへと向いた。そこで、先程までとは違う意味の、小さな喧騒が生まれ出でる。
入ってきた人物は、端的にあらわすと綺麗だった。美人だった。
ポニーテールにされた髪の毛は栗色、くっきりした目鼻立ちの顔だが、ほんのり魚を連想させる。背はそれほど高くは無いが、悠然と佇む様はとても凛々しい。出るところは出て、引っ込む所は引っ込む、そんな理想的な体型を淡い紺色のスーツドレスで包んだその女性は、何故か右腕にギプスをはめ三角布で固定していた。
何だろう、疑問に感じるれいなの思考を遮るように、スーツの女性は教壇まで移動し、ニコリと微笑んだ。
「始めまして」
笑みを崩さず、女性が言う。
「今日からここに赴任してきました、後藤真希です。どうぞ、よろしく」
後藤が会釈する。栗色の髪の毛が揺れた。
「担当は――もう判るよね。国語。主に現代国語を担当します」
若干、間延びした感があるが、うん、悪くない。第一印象は良だ。
その証拠に
「先生っ!」
「んあ? 何ですか?」
「ダーリンと呼んでもよろしいですかっ?」
友人Aがはっちゃけている。
- 25 名前:一話 投稿日:2006/05/21(日) 23:49
- いきなりの爆弾投下に、クラス内で苦笑が上がる。友人Aの嗜好はクラス、いや校内公認のためこのような発言をしても驚くべきことではないが、外部からやってきた生徒・教師にとっては、まさしく面食らうような発言だろう。
だかられいなは観察していた。教壇からキョトンと目を丸くして友人Aを見つめている後藤を。どう答えるのだろう、と。引きながら答えるのだろうか、あしらうのだろうか、流すのだろうか――その答え方で、れいなの中の第二印象は決まる。
「いいよ」
室内がにわかに沸いた。困惑と驚愕が入り混じったささやきが、静かに飛び交う。
れいなも耳を疑っていた。結局、どう転んでも拒絶するだろうと、踏んでいたから、だから
「じゃあごとーも君の事、ハニーって呼ぶね」
ここまでにこやかに、ここまで純粋に。
優しく肯定するものだから、ただただ驚いていた。
それは、同級生達にとっても同じだったようで。しん、と。水を打ったかのように教室内は静まり返った。しかし刹那、絶叫とも取れるような歓喜の声が、静寂の帳を突き破る。
「ダーリィイン!!」
歓喜の涙を流しながら、後藤の胸に飛び込んだ友人Aを皮切りにして、教室内が沸きあがる。
口笛や歓声が飛び交う中、後藤は友人Aの頭を優しく撫でている。
「うーん」
できるな。
その微笑ましい光景を眺めながら、れいなは一人、巻き起こる歓喜の中、後藤という人物を冷静に分析していた。
- 26 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/21(日) 23:52
- 少ないですが、五月二十一日の更新は了です。
>>21さま
レスありがとうございます。
ホッとしていただけたようで、良かったです。
期待にこたえられる程の技術もないと思いますが
頑張りたいと思います。
- 27 名前:konkon 投稿日:2006/05/22(月) 00:58
- 恐怖、怖いです・・・ブルブル
とても面白いですね
次回更新待ってます
- 28 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/22(月) 02:15
- どう展開していくのか…そして先生の腕の原因は…?
続きが気になります!
- 29 名前:一話 投稿日:2006/05/31(水) 22:08
- ―*
下駄箱で靴を履き替えていた時、ふと思い出す。
「…………あれ?」
何も無かった。
後藤真希という新しい教師が来た以外、何も。
「何でやろ?」
昨日のことは、夢じゃない。だって、あの恐怖も、その後できた新しい知り合いも、しっかりとれいなの海馬に残っているし、こうやってしっかり引き出せる。
説教、最悪停学なども覚悟していたというのに――何も無かった。
これは、一体、どういう――
- 30 名前:一話 投稿日:2006/05/31(水) 22:11
- 「っぎ!?」
首を傾げつつ、校門までの道のりを歩き出し――理解した。
校門に寄りかかる一人の人物は、れいなに捻り潰されたような悲鳴を出させるには充分すぎた。
固まった体を必死に動かし、踵を返す。離れている為、立てる音は聞こえないはずなのに、なぜか校内へと戻る足取りは、地雷原を歩くよりも慎重になっている。
「あれ? れいな、どうしたの?」
「――っ! シー!」
抜き足で歩く、どこからどう見ても不審なれいなに、とある友人が声を掛けてきた。れいなは慌てて、静かにというジェスチャーを取る。とある友人ははてな顔。
「……ちょっと、校門の所に、モンスターがおるとね」
「? 校門なんだからここの声は聞こえないでしょ」
正論だ。
それでも慎重な歩みを止めないれいなに、とある友人は首を傾げながら別れを告げた。
あの恐怖は、自分で食い殺すことしか考えていないんだ。だから学校側にも告げ口せず、ああやって、校門のところで見張っている。その目はきっと――見てはいないが、確実に肉食獣のそれであると、確信する。だから、れいなは慄然と震えた。
- 31 名前:一話 投稿日:2006/05/31(水) 22:12
-
- 32 名前:一話 投稿日:2006/05/31(水) 22:12
- 裏口から出ようとも思ったが、何だかそれさえもあの恐怖には通じない気がして、れいなは現在教室の自分の席でつっぷしていた。日が落ちていき、オレンジ色の世界に薄っすらと闇が射してきた。
恐る恐る、窓から外を見おろし、塞ぎこむ。
校門の所、壁に寄りかかって、恐怖はいた。降りつつある薄闇の中、灯り始めた外灯よりも、恐怖の眼光は煌々と輝いている。ひどく、恐ろしかった。
「あれ?」
机につっぷし震るえているれいなのもとに、扉の開く音が響く。顔を上げると、ぱちりと小気味いい音が響いて蛍光灯が点灯する。
入口の扉を後ろ手で閉め、後藤が居た。
「田中さん、まだ帰ってなかったの」
後藤はキョトンと目を瞬かせれいなを見ている。
れいなは力ない苦笑を返した。
「……ちょっと、事情があって」
首を傾げる後藤に、れいなはあからさまに話題をかえようと「それより」投げかけた。
- 33 名前:一話 投稿日:2006/05/31(水) 22:14
- 「後藤先生こそ、どうしたんですか? 忘れ物?」
「ああ、いやぁ」
端整な顔立ちをくしゃっと歪めて照れ笑い。そんな仕草でも様になっていて、れいなは少しだけ羨ましいと思った。
「ここ、ごとーが最初の授業したとこでしょ? なぁんか、感慨深くて」
「つい来ちゃった」と、後頭部を掻いてみせる後藤。
その様子がとても可愛らしくて、れいなは思わず頬を緩めた。なんか、あの恐怖とは対極にあるような人だなと、とりとめもなく思う。
「田中さんはさ、学校楽しい?」
ふと投げられたその言葉に、一瞬れいなは面食らう。何だろう、説教でも始まるのだろうか――いや。軽く首を振る。
目の前に座った後藤を見て、到底そんな考えは浮かんでこない。むしろ、浮かんできてもこうして否定してしまうぐらいだ。それぐらい、後藤は無邪気に微笑んでいた。口角を少しだけ上げ、瞳に優しさを灯してれいなを見つめ、自然にただ自然に。
だから、れいなも思っているとおりのことを答えるわけだった。
「そうですね……正直、あまり楽しくはなかですよ」
「まあ、そうだろうね。でもさ、友達と毎日会えるじゃん。それも楽しくないの?」
大して怒らない後藤に、れいなは驚くことは無かった。
だから、次がれた質問に対する答えを、「んー」と唸りながら考えて
「………………楽しくなくは無いですけど、はっきりいって、辛いとこもあります」
「辛いとこ?」
「はい。昨日まで同じようなレベルだった友人が、今日会ったら突然あたしを追い越してた、とか。時々あることです。イヤでも焦りますもん、流石に」
「なるほどー。深いねぇ」
- 34 名前:一話 投稿日:2006/05/31(水) 22:15
- そんな大層なもんでもなかですよ。言ってれいなは微苦笑した。
後藤は感心したように、鷹揚に首肯を繰り返している。そして、若干前屈みになりつつ、れいなの目を覗き込んで、訊ねてきた。
「前例があるの? そういう友達がいる、って」
それに対し、れいなはしばし考え込むような仕草をとって「まぁ」歯切れ悪く、言葉を始めた。
「いますね。何かいきなりテストの成績が上がった裏切り者が。うようよと」
んはは。短く笑うと後藤は、れいなを見つめてきた。相も変わらず柔和に微笑んでは、訊いてくる。
「そういう交友関係も大事だと、ごとーは思うな。おたがいに切磋琢磨してさ、うん」
「……まあ、そうとも取れますね」
「他に、友達はどんな人がいるの?」
「あたしの、ですか? うー……………ん」
考える。
このようなことを訊ねられたことはあまり無い為、改めて考えてみる。
牛乳を鼻から飲むヤツ、夜中に奇声を上げ自分のそれで目が覚めたヤツ、ビックマックを二口で食うヤツ……結構、個性的かつ変態的な面々だった。
- 35 名前:一話 投稿日:2006/05/31(水) 22:16
- 思わず苦笑する。すると――あの子の顔が浮かんだ。
恐怖から逃げ回っていたとき匿ってもらった家で、大き目のマスクを着用した少女。ミカンを食べるときでもマスクを外さなかったこと以外、一番まともな友人。だがそこで。れいなはふと躊躇する。
友人? と。
昨日会ったばかりの少女。絵里という名前の、マスクの少女。名前を知って、住む場所を知って、少し話して――それだけだ。彼女に対する情報があまりに少なすぎるし、付き合いもたった一日と、短く浅い。
そんな彼女を一人の友人と呼んでも良いのか。
れいなは思考を巡らせる。
「…………」
そんなれいなを、後藤は探るように鋭い視線で見つめていた。
だけど、思案のため外界の情報をシャットアウト、さらに俯きがちになっていたれいなは気付かない。
「ここにいたのね」
れいなのでも後藤のでもない、第三者の声は、教室の出入り口から。
れいながハッと意識を掴んで引き戻すと、出入り口付近に立つ、壮年の女性が見えた。
縁無し眼鏡の奥から吊り気味の目でこちらを睨んでいる。確か、この学校の教頭だったはず。教頭はフッと息を吐くと、手招きをした。
- 36 名前:一話 投稿日:2006/05/31(水) 22:16
- 「会議があるわ。来なさい」
「あ、はいはーい」
それはどうやら後藤を呼んでいたようだ。
朗らかに返事をすると、後藤はゆるりと立ち上がった。去り際に
「お話はまた今度ね。じゃ、帰り道には気をつけて」
にこやかにそう残していった。
気の抜けた返事をれいなが返すと、後藤は教頭と連れだって教室を出て行った。
ポツンと。誰もいなくなった教室は、寂然と静まり返っていて、何だか無性に物悲しい気持ちになる。
「帰ろ」
外を見ると、ずいぶんと暗くなっていた。
時計を見上げる。なるほど。いくら日が長くなったからといっても、午後七時を回ればそりゃ暗くもなる。そんなに話していたのか。
「……不思議な人っちゃ」
後藤に対する、一日目の総評だった。
さっきまでの雑談の内容を顧みて、改めてそう思う。赴任一日目で、学校の事を質問してくるなら解るが、何故か彼女はれいなの友達についてを重点に訊ねてきていた。
何故だろう、そう思う。
- 37 名前:一話 投稿日:2006/05/31(水) 22:17
- ……。
まさか――。
「れいなの友達を品定めした、とか……?」
電灯のスイッチを落として教室を出、少し行った所で立ち止まる。閑散とした廊下には、れいなの声が響く。
「うぅん」
友人Aに「ダーリン」と呼ばせることを容認した懐の持ち主、後藤真希。
けど、もしかしたら、それは容認したのではなく、そういうケが有ったからではなかろうか? そして、もしかしたら、飢えているのではないだろうか? そういう、何というか、言うも恥ずかしい――愛に。
「う、ぅぅぅうん……」
腕を組み、首を傾げながらの歩み再開。
電灯の明るい廊下を歩いて進み、薄暗い階段を慎重に進み、玄関で靴を履き替えた。
――れいなは忘れていた。
後藤の事に気を取られすぎて、出てくるとき教室の外を確認しても、アレを確認することを忘れていた。アレはまだいたのだ。校門に背を預け、爛々と目を輝かせ、執拗な性根で、今か今かとれいなを待っていたのだった。
つまり。
- 38 名前:一話 投稿日:2006/05/31(水) 22:18
- 「ウェルカム」
「ん……ぎゃああああ!!」
リアル鬼ごっこの再開というわけだ。
- 39 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/31(水) 22:24
- 五月三十一日の更新はこれにて了です。
>>27 konkonさま
レスありがとうございます。
何せ恐怖ですからw
面白いといっていただけて、とても嬉しい限りです。
>>28さま
レスありがとうございます。
なにぶんプロット作成が苦手な不肖なわたしです。
それでも、一応先生の腕のことは考えてありますです。
- 40 名前:konkon 投稿日:2006/06/01(木) 00:17
- 読むたびに胸が激しく暴れ周りますw
ある意味、ホラー小説よりも怖いです・・・(汗)
- 41 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/05(月) 20:35
- おもろい笑
ほんとにリアルだ…田中さん命だけは守り抜いてね
- 42 名前:_ 投稿日:2006/06/09(金) 23:38
- だから、れいなはもどかしい。
「……ごっちんだなぁ」
――とにかく、違和感。
「ちっがーう、のおおお!!」
「殺しちゃったらどうしよう?」
- 43 名前:_ 投稿日:2006/06/09(金) 23:39
-
- 44 名前:_ 投稿日:2006/06/09(金) 23:41
-
<二話 躊躇う少女と訊ねる国語教師>
- 45 名前:二話 投稿日:2006/06/09(金) 23:52
- ―――***
日曜日。バイトの無い休日に、れいなは亀井宅へ。
相変わらず片付けられていない炬燵に脚を突っ込み、絵里と向かい合っていた。
一区切り話し終えたれいなはふかぶかとため息をつき、紅茶をすすった。
美味。脳内に浮かんだ二文字。
「大変だったんだね」
「地の利をフルに生かして逃げのびたけど、次会ったら逃げきれる自信はなか……」
マスクの奥で微笑する絵里を見ながら、先週の中ごろ、帰り道に入る前に展開されたリアル鬼ごっこを思い出し、れいなは身震いした。
- 46 名前:二話 投稿日:2006/06/09(金) 23:53
- 「そういやさ」
紅茶を一口すすって、ふとれいなは言う。カップを置いて、視線を絵里に固定させてから、湧いて出た疑問を投げかけた。
「ここ時計無かね?」
対する絵里は湯呑みを両手で持ちながら、れいなの問いに一つ頷く。
「前来た時、れいな、時間訊いたとよ」
頷く。
「そしたら亀井さん、案外自信もって時間教えてくれたと。何で?」
バイトの時間が迫っていた前回、れいなが亀井宅を出て行くとき訊いた時間は六時十分くらい。急いでバイト先へ行ったとき、時計を見ると六時二十一分だった。亀井宅の辺りからだと、バイト先まで十分程度で行けるから、大体は当たっていることとなるわけだ。
「ああ」
しばし黙考し、絵里は回顧の先にあった事実を思い出したようだ。ふわりと微笑み
「いつもおんなじ様な感じで生活してたから。体内時計、っていうのかな? それがイヤに正確になっちゃったんだ。ちなみに今は――十四時五十七分、頃かな」
「おお、すごかー。正解や」
今日は時計をしてきていたれいなが、表示されているデジタルな時刻を見て、感嘆の声を絵里に送る。
絵里は眉毛をくにゃと曲げて、照れ笑い。
れいなはその反応を見、ハハッと軽快に笑う。
- 47 名前:二話 投稿日:2006/06/09(金) 23:54
- それからは他愛も無い話を交わした。交わした、というより、れいなが一方的に喋っていたといったほうが正しい。それは何故なら、絵里が自分の事を喋ろうとしないから。訊かれても
「亀井さんのお父さんとお母さ――」
「あ、そうそう。昨日ケーキ作ったんだ。二人で食べよ?」
はぐらかされ。再度訊いても
「学校はどこに――」
「このお茶ね、結構いい葉っぱ使ってるんだぁ」
どこか寂しげな笑顔で遮られ。
だかられいなは訊くことをやめた。わざわざ心を弄ぶこともするまい。うん。心中れいなは頷いて、紅茶の残りを全て自分の中へ流し込んだ。美味い。
「先週、れいなんとこのクラスに新しく先生が来たとよ」
あからさまと判っていても、あえてれいなは絵里の態度を咎めずに、話を切り出した。
絵里はホッと安心したように目を細め、れいなの言葉に頷いて先を促す。
- 48 名前:二話 投稿日:2006/06/09(金) 23:54
- 「綺麗で優しくて、でも何だか不思議な先生でさ」
「不思議な?」
「うん」
炬燵机の上にポツンと置いてあるお椀にこんもりと盛られた煎餅の山から一枚抜き、バリッと噛み砕く。穴を掘るときのような音を響かせ咀嚼し、飲み下す。程よいしょうゆ味が、うん、れいなのみらいを優しく突いた。
続ける。
「たまに教室来て、皆と駄弁ったりお昼食べたりするんやけど、そのどの時間にも必ず、友達のことを訊いてくるとねバリゴリ」
「不思議なの?」
「だって、赴任してきたばっかムシャムシャとよ。普通、このガッコガリッはどんな感じとか〜さんの趣味は何でガリガリすか、的な質問が多くゴクンなると思わん?」
「……田中さん、食べるか話すか、どっちかにして」
ゴクリと嚥下して「ごめん」と呟いた。
絵里は眉を下げて苦笑し、ふと思案するように天井を見上げた。うぅんと唸ってから、視線を戻し
「ごめん、良く分かんないや」
「やー。そげん真剣に悩まんでもよか。れいなのちょっとした疑問やけん」
やけに申し訳なさそうに瞳を揺らめかせて謝ってきた。そんなもんだから、れいなは戸惑い、慌て、突き出した両手の平を左右に振った。
ごめん、ともう一つ謝って、絵里は寂しげに笑った。
よか、と手を下ろして、れいなは笑う。食べかけの煎餅を噛み砕きながら、手をひらひら振って絵里を気遣った。
絵里は同じ言葉を繰り返して――沈黙した。ちょっと気まずい。
「そういえば、冷静に分析してみると、れいなの周りは変人が多かね」
そんな状況を打破すべく、れいなは言う。
「ん」絵里が首をかしげる。れいなは続けた。
- 49 名前:二話 投稿日:2006/06/09(金) 23:55
- 「友達。例えばさ、ガッコまで後ろ向きで走って通ってるやつとか、豆腐の角に頭ぶつけて本当に死にかけたやつとか――」
「ああ。……えっと、その」
答えに窮しているようだ。それもそうだろう。れいなの言う友人は絵里にとって知らない人に当たる。れいなは面白おかしく語っているが、彼らのことを知らない絵里がうな頷いてしまっては、それは侮辱にならないだろうか。知らない人のそれに、安易に同意することはできない。
そのニュアンスを感じ取ったのか、れいなは苦笑し、別によかと呟いた。
「笑い話やけん。本人おる前でも言ったりするし、別にここは肯定してもよかよ」
「あ、うん」
おずおずといった感じで頷いた絵里を見、れいなは小さく笑いを漏らした。
「他にもおるよ。音のうるさい車(赤)の色を真緑に変えたやつ、寝ぼけてバック転で町内を一周したやつに卵を電子レンジにかけるのが趣味なやつ――…………なんやこの面子」
述べていって、あまりにも尋常ならざる面々がそろっていた為、れいなはガックリとうな垂れる。自分の周りに、普通の者はいないのか? そんな不安さえもが浮かんできた。
これじゃあ、自爆にしかならない。あまりにも滑稽で、れいなは恥ずかしくなった。
「な、何で落ち込んでるの?」
「ハハハ……ナンカヤタラコセイテキナメンメンガソロッテルトネ……ソノナカニイルレイナッテイッタイ」
俯き、ぶつぶつと経でも唱えることかのごとき声量で呟くれいなに、絵里はあたふたと戸惑っている。しきりに「大丈夫? 大丈夫?」かけてくれる労いと、心底からの心配の声が、ハッとれいなにある思いを抱かせた。
普通?
顔を上げて、眼前の絵里を見る。眉が下がって、どうしたらいいか判らないといった表情。
……普通だ。
- 50 名前:二話 投稿日:2006/06/09(金) 23:56
- れいなの知り合いの中で唯一普通の少女。大きなマスクを決して取らない以外は、とにかく普通だ。
けど、それも知り合いの中で、だ。ここで、れいなは再び悩む。
知り合いを友達に昇華させても良いものだろうか。いや――まだ、足りない気がする。否、足りないのだ。
遊びに来て、駄弁りながらお菓子を食べ、これほどまでをこなしても、れいなはどうしても絵里を友人の部類に入れることができない。
それは知らなすぎるからだ。彼女の事を。亀井絵里の事を。
絵里は全く話してくれず、訊こうとすれば彼女はそれを嫌い遮る。知れるはずもない。
だから、れいなはもどかしい。
キョトンとれいなを見つめてくる絵里を見て、れいなはムニュっと唇を曲げた。
- 51 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/10(土) 00:02
- 六月九日〜六月十日にかけての更新はこれにて了です。
いよいよストックが少なくなってきててんてこ舞いです。
>>40 konkonさま
レスありがとうございます。
この拙作にはわたくしめの偏った思考がごったりと
詰まっています。用法用量にはお気をつけくださいませw
>>41さん
レスありがとうございます。
おもろいといっていただき、ありがとうございます。
何気に、ちゃっかりと彼女は生きていますw
- 52 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/10(土) 00:03
- 初めてリアルタイムで読めた…感動\(T_T)/
- 53 名前:二話 投稿日:2006/06/14(水) 22:56
- ◇ ◇ ◇
腹立たしい。腹の奥底から湧き出てくる怒りに苛立ちながらも、藤本美貴は輝かしい営業スマイルを浮かべて、業務を真っ当していた。
「ありがとうございましたぁ」
鼻にかかる声は、わざとだ。だって、そうした方が大半の男は喜ぶようだし。女性は分からないが。
「ふぅ……――」
笑顔のまま固まってしまいそうな顔をぐにぐにと指先でほぐして、首を軽く横に振る。コキコキと、小気味いい音が、内側から響いてくる。
ふと。藤本は菓子類が陳列されている棚に目をやった。コンビニエンスストアと名付けられただけあって、品揃えは上々。ポテチにチョコ、飴に――ガム……。
ギリリ。噛み締めた歯列が、悲鳴を上げる。
憎らしい。そして同時に、不甲斐ない。
前者はガムを盗んでいった少女に対するもの。後者は――それを捕らえきれなかった自分に対するものだ。
坊主頭でやけに体格の良いヤツも、
身長が二メートルを越す外国人も、
関西弁を操るおばさんも、全て、この裂帛の気迫のもと、万引きを犯したことを後悔させてやった。その凄まじく荒々しい様から、“轟雷”と忌み名を取り、恐れられていたのに。
それなのに、それなのに……!
- 54 名前:二話 投稿日:2006/06/14(水) 22:56
- 屈辱だ。
あんな小さな、それこそ胸も第二次性徴を迎えていないような、青臭い小娘に。いいように撒かれ、逃げられた。――この上ない屈辱だ。
藤本は、決してこの辛酸を忘れない。
次会う時などとはなまっちょろい。こちらから攻めていき、必ずやその短躯を追い詰め、制裁し、泣かせ、後悔させてやる。万引きをしたこと――生まれてきたことにさえ。
「いらっしゃいませー……って、んん?」
藤本が獰猛な決意を心中で掲げた時、入口の自動ドアが開いた。気だるい音が、来客を報せる。地獄の鬼すら土下座して全財産を差し出しそうな形相を、即座に営業スマイルに変え、藤本は入口を見た。
客人が、微笑んで左手をひらひらと振っていた。現在店員も他の客も居ない為、必然的にその行為は藤本へと向けられていることを意味している。
「……ごっちん? ごっちんなの?」
客人と、記憶の中にある少女の姿・名前を脳内で並べてみる。近似していたので確認してみる
「久しぶりーミキティ」
――一致した。
- 55 名前:二話 投稿日:2006/06/14(水) 22:57
- 「ごっちん!? どうしたの、え、その前に今までどこ行って――つーか今何してんの??」
「んはは。ミーキティ、質問は一つずつでお願いしたいんだけど」
ああ、やっぱり、と。この間延びした、どこまでも緩くマイペース、だけど人に不快感を与えることは決してない口調は、自分の知っている後藤真希そのものだった。
当惑し、ぐるぐると回る思考をどうにか落ち着かせようと、藤本は息を吐いた。
それに被せるように、「んー」後藤の間延びした唸り声が聞こえてきた。
「まあ、順に答えていけばいっか。まずはねぇ、ここに来たのはミキティがまだ働いてるかなと思ったから。次に今までは外国の大学に通ってたんだ。教員免許とったんだよぉ。そういうわけだから、今は高校で国語の先生やってまーす」
「あ、わざわざどうも――って、教師?! ごっちんが!?
……まぁ、まず、 嘘 を つ け」
「恐っ、そして酷い。前言ってたでしょ、教師が夢だって」
驚き眼で後藤を見つめる藤本は、胡乱げにコクリと頷く。
「まあ、言ってたけどさ。あの、教師泣かせのごっちんが、本当に教師になるとは思わないじゃん。絶対」
その言葉に、んははと愉快げに笑う後藤。
「また懐かしいあだ名出してくれるねぇ」
- 56 名前:二話 投稿日:2006/06/14(水) 22:58
- レジカウンターまで歩み寄り、後藤は微笑みを絶やさない。
藤本はその笑顔を見て、何とも懐かしい感覚に胸を浸し、しかし次いで視線を下へとずらすと、痛々しく眉を下げた。
その変化に気付いた後藤も目を落とす。頑強な純白が後藤の右手をすっぽりと覆っていた。
「怪我、まだ治ってないの……?」
心を握り締められたかのように。苦しそうに悲しそうに、藤本は後藤に問う。轟然なる雷などという、大仰でありそうで大衆から見た藤本を的確に表現していそうな忌み名とは、全くかけ離れたこの姿。
しかし、後藤は何ら戸惑うことなどなく。――まさに、今の藤本こそが、後藤の知る藤本美貴そのものなのだろう。
「まあ、うん。不治の病、もとい不治の怪我、だけど語呂がいいから不治の病、略してフジヤマだからね。しょうがないよ」
戸惑うことはなくとも、旧知の仲である彼女のこんな顔を見るのは――やはり心が痛むのだろう。後藤は、困ったような笑顔を見せた。
「だから、そんな顔しないでよ。別にミキティのせいじゃないんだしさ」
「まあ、そりゃあ、そうだけど……やっぱり、嫌じゃん。友達が大怪我してるなんて」
思い返してみる――
「そんな大袈裟な。別に痛くなんかないし、――それに、これってごとーの一種のアイデンティティだからさ」
後藤は学生の時も、毎日欠かさず右腕にギプスをつけて来ていたな、と。仰々しいギプスは、結局後藤がいなくなるまで外れることはなく、いつだったかそれどうしたのと訊いた事もあったが、先程と同じような答えが返ってきた。
『大丈夫だぁいじょうぶ。これは、ごとーの一種のアイデンティティみたいなもんだから』
変わっていない。
外見はやはり幾らか大人びてずいぶん綺麗になった印象だけど、中身は後藤真希彼女のもの。それが懐かしくて微笑ましくて、藤本は思わず頬を緩めては言うわけだ。
「……ごっちんだなぁ」
- 57 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/14(水) 23:01
- >>52さま
レスありがとうございます。
感動していただき、ありがとうございます。
- 58 名前:konkon 投稿日:2006/06/15(木) 00:28
- ぬぉっ、知らない内に新しい話しが・・・
こっちのキーはこの人ですかw
待ってますんで更新がんばってください
- 59 名前:二話 投稿日:2006/06/17(土) 13:11
- ―*
バイト時間にクッチャラぺちゃぺちゃ話しているのも気が引けたし、店側にも失礼極まりないと考え、現在休憩時間、藤本は後藤と向かい合って雑談に身を投じていた。
「ねぇミキティ、このコーヒーなんか濃くない?」
「そう? 粉末入れたの、コップの半分くらいだよ」
「それ多いよ、確実に。ま、いいけどね」
レジの後方、そこにある扉を開けて入った休憩室は、まったり時間が流れていく。
部外者である後藤は、本来ならこの休憩室に入ってはいけないのだが、そこはご愛嬌。というより、このコンビニでは、藤本が法律なのだ。最強で覇王で神なのだ。店長など、足下にも及ばない。
「そういえば、ミキティさ」
後藤が手に持ったカップに入っている、とてつもなく暗然とした液体を一口すすって、言う。
藤本はカップを置きつつ、聞き返した。
「何?」
「尊敬されてるんだね、ここで」
キョトンと。藤本の目が丸くなる。
そんな藤本の反応を見て、後藤が優しく、そして誇らしく笑った。
「さっきの子」
「さっき……? ああ、アルくんね」
- 60 名前:二話 投稿日:2006/06/17(土) 13:15
- ほんの数分前。本日夕方から出勤となっていたアルバイト店員、アル=バイトのことを、藤本は思い出す。アメリカ人の彼は入って間もなく、日本に来たのも間もないらしく言葉もたどたどしい。けど、この店に、この業務における位置関係は重々理解しているようで
『God.Fujimoto! ココはボクにマカセテ、ヤスンデてクダサイマシっ!!』
入ってくるなり、気合のエプロン姿と裂帛の声調でそう告げた。
藤本としては好都合で、それに彼の厚意を無駄にするのも失礼だと思い、お言葉に甘えさせてもらったわけだ。実際なら、休憩時間はまだ一時間ほど後である。
「いい子だからね、彼。美貴の苦労を解ってくれてるから、さっきみたいな態度で接してくれるんだよ」
「……そこに若干の畏れが混じっていることに、後藤は気付いていた」
「ん? 何?」
「んぁあ。何でもない」
曖昧に笑って、後藤は一口、コーヒーをすする。ハフゥと安穏とした吐息を、宙に流した。
首を傾げては藤本、テーブル中央に置いてある菓子を手に取り、口に取る。
- 61 名前:二話 投稿日:2006/06/17(土) 13:16
- 「モシャ……ところでごっちん、いつ帰ってきたの?」
「あー……とねー。今年の冬場」
「幅広いから。具体的には?」
「二月?」
「訊くなよ」
「でも、そんぐらい。帰ってきたら結構町の概観が変わってて、びっくりしたよ」
「そう?」
うん、と後藤は頷き、左手を上げた。手の平を藤本に見せ、指を一本折る。
「コンビニが増えた」
藤本は苦笑する。「前が少なすぎたんだよ」と答えると、後藤もそれには納得したようで「まあねぇ」と感慨深げに苦笑した。
続けて、後藤は二本目を折る。
「人が冷たくなった」
これには、藤本は目を丸くした。
「そう?」
確認するように後藤の目を覗き込む。
後藤の瞳には、どこか淋しげな色が宿っていて、思わず藤本はむぅと唸った。
- 62 名前:二話 投稿日:2006/06/17(土) 13:17
- 「道を訊いても素っ気無いし、スーパーのレジの子なんかお釣り投げて渡すんだよ。そこに来てたお客も、大抵は列つくって歩いてて、邪魔だからなるべくオブラートに包んでその事指摘したら、こっちにも聞こえるように嫌味言われるし……」
もう一つ、藤本は唸って腕を組む。美眉を歪めて思い返してみた。
……言われてみれば、藤本のコンビニに来る者の中にも、そういう輩は居る。いかにもという恰好をし、明らかに違法な改造バイクに跨って、喧しく入店してくるヤツが。しかもその後、店前にたむろして騒ぐものだから堪らない。
そういう馬鹿で阿呆でポンツクな集団には、God藤本より、優しく撫でるような制裁を受けてもらう。そうすれば、一時間後には皆心を入れ替えているだろうから。
けど、問題はそこではない。そういう暗愚な者共が現れたこと、それ自体が問題なのだ。何故なら。
「……まぁ、冷たいかどうかは判んないけど、クソヤロウ共は増えたかもね。迷惑な話」
そういうことなわけだ。
「先行き不安。。。」
「よくそこまで落ち込めるね」
俯き、がっくり肩を落とした後藤に、藤本は半ば呆れ混じりの笑みを投げかけた。
「でも、ここに来るそういう輩は少ないね。たまに変わった人が来るけど……たいていは普通か、まあそれ以上か……美貴、偉そう?」
いんや、と後藤は首を振る。
ホッと一息。藤本は安心した。
- 63 名前:二話 投稿日:2006/06/17(土) 13:18
- 「ていうかさ、変わった人ってどんな人よ?」
何気なしに、問われたその言葉。しかし何故だろう。僅かだが、極々僅少でしかないのだけれども、微妙な違和感があったような。漠然と藤本はそう感じた。
それは後藤の表情か。否、言葉に含まれたニュアンスか。それとも仕草か。それともそれとも――とにかく、違和感。
「んー別に、冬場なのにタンクトップとか、巫女装束で全力疾走してくる人とか、そんな感じだよ」
「確かに、変な人達だね……」
違和感が消えた。
後藤の顔をジッと見つめてみる。そこに違和感の正体があったのかと問われれば判らなかったが――今、判った。
「何、ミキティ?」
「あ、ううん。ごめん」
怪訝な瞳を向けてきた後藤に、慌てて藤本は謝った。
「?」頭上に幾つものクエスチョンマークを浮かべて小首を傾げた後藤だが、藤本に「いいから」と促され、話を続けた。
「んで、ぎゃおっぴが無くなってたよ」
「町の概観ですらないししかもマイナーでいつの話だよオイ」
突っ込みながらも藤本は思考する。
- 64 名前:二話 投稿日:2006/06/17(土) 13:18
- ゆらゆらと揺らめく、タンポポの綿毛のような柔和な雰囲気。形容すれば、後藤が持つ雰囲気はそれに一番近いのではと藤本は思っている。怒っても、泣いても、拗ねても、もちろん笑っていても後藤の発する空気は決して大きく変化しない。これは、学生時代の付き合いから得た、藤本の持論で、後藤への見解だ。
しかし、違和感を得たつい先程。その空気が、僅かながらも何処かへ飛んでいった、そんな感じ。つまるところ、後藤は笑みの中にも、極小な真面目さを混ぜ込んだ。――それが、違和感の正体だろう。
「あとね、お母さんがニートになってた」
「ニートって言葉は知ってるんだ――ってずいぶん変化の範囲が狭まったね。……つーか、おい! 何やってるんだよごっちんママはっ!!」
「毎日ごろごろんあんあ。サイコーだって」
「ウワァ。。。ダメ人間だぁ」
とりとめなく交わされる雑談に猥談が混じりこんできた頃、アル=バイトが恐る恐る藤本に声を掛け、休憩時間の終了を報せた。
ギン、と。それだけで地割れを発生させそうなほどの視線を受け、怯え財布を差し出すアル=バイトを見、後藤はふわりと苦笑した。
「ちゃんと働かなきゃだよ。ミキティ」続けて、「あんまり長居するのもアレだね」と言い残し、左手をひらひらとなびかせて去っていった。自然な――いつもの、ふわりとした笑みを浮かべて。
それを、同じ動作で見送りつつも、藤本は内心小首をかしげていた。後藤の姿が完全に消えたのを確認し、ふむぅと唸ってみる。……そんなことで、後藤の違和感の正体がわかるわけでもなく。
「ごっちん……変わった?」
「エ? ナンですカ? God.Fujimoto」
「何でもないよ。――いらっしゃいませー」
半ば投げやりにそう答え、業務用の絶世スマイルを、入店してきた客に送る。業務に集中しようと気持ちを切り替えてみても、どうしても先程の、後藤が一瞬うかがわせた真剣さ、それがどうも頭にちらついて
「店員さん、可愛いね。ボクとお茶しない?」
「寝言は今から二秒以内にあたしの前から消えて、帰宅した後熟睡してからほざいててくださいな。この短小優男が」
つい、客にキツク当たってしまった。
- 65 名前:二話 投稿日:2006/06/17(土) 13:19
- ――**
わたし……まだ人間かなぁ、……
ッビキ――!
「ちっがーう、のおおお!!」
ひいだのきゃあだのうわあだの。教室内から折々の悲鳴が上がる。それに伴って、稽古は一時中止となった。
「な、なんね?」
窓の外をぼんやり眺めてカッコつけていたれいなも、思わず現実へと意識を戻す。それほどまでに大きく、怒気がちりばめられた、怒声の全くに合わない人物の声。声のでどこに視線を飛ばす。
教室後方に下げた机のおかげで、行動範囲が狭まった教室内。その中心。腰に手を当て、怒りのオーラを振りまく少女が一人。
「ど、どうしたの、しげさん」
「どうしたの? じゃないのっ」
噛みつかんばかりに、道重さゆみは吼えた。
「成ってない! まったく全然これっぽっちも成ってないの!! みんな、これが練習だと思って力抜いてるでしょ? 気持ちがちっとも入ってないのがビシバシ伝わってきて切ないの!」
怒るさゆみの肩越しに見える幾人かの男女は、皆同じく怯えた表情を浮かべている。
どんな顔をしているのだろうか。普段が普段で、のほほんふにゃふにゃんとしているさゆみだけだけに、本気で怒った顔というのが想像できない。かといって、それを覗き見る勇気も無い。
「いい?!」
- 66 名前:二話 投稿日:2006/06/17(土) 13:20
- ずばっとさゆみが腕を掲げた。その先に、一冊の本を掴んで、声を張り張りこう叫ぶ。
「さゆの演劇友達が書いたこの『淋しげ魔王』ははっきり言って駄作なの! 展開も陳腐、キャラも陳腐、しかも常に状態が鬱更に言えば泣かそうとする空気がぷんぷんしてる!」
……なんか、さゆみがキャラにあっていない声を出しているような、そんな気がしてならないれいなだが、恐くて何も言えない。
「でも、でもね! 駄作を名作に変えることができる、それが演劇! 人が演じるというのは動きがある! 外面はもちろん、内面も。だから、たとえ展開が陳腐でも、キャラクターが陳腐でも!! 演じる人によっちゃ、心を込めて演じれる人によっちゃ、人を感動させられる名作になりえるのっ! わかる? わかるでしょ? 解れ!」
常では考えられないぐらい、まるで壊れた蛇口から噴出する水のような勢いを持って発奮するさゆみに、教室内の生徒はがたがたと震えている。ただし、れいな以外。
れいなはというと、またかと言った様な表情もって、ため息などをついていた。
「スゴイね、道重ちゃん。ホントに演劇が好きなんだ」
いつの間にか隣にいた後藤がのほほんと、しかし感心したように話しかけてきた。
「……まぁ、度が過ぎると、いつも思いますけどね」
若干投げやりに返すれいなは、早くも二度目のため息をつく。そしていまだ、何やら生徒達に指導中のさゆみを眺めつつ、さゆみという人物を復習する。
道重さゆみ。同校同学年、クラスは二つ隣。小学校からの腐れ縁。ナルシスト。しかし、演劇のことになると熱血スパルタ。何でも、中学入学のとき新入生歓迎会で見た当時の先輩達の演劇に、荒れ狂う海よりも激しい衝撃を受けたのだとか何とか。それ以来、彼女は演劇に粉骨砕身のごとき精神で挑み続け、高校生となった今では、全国でも名の知られた猛者となった。
うぅむ、すごい。
そこまで熱中できるものがあるというのは素晴らしいことだし、他の事を疎かにしてもしっかりとそれで結果を残しているのも賛嘆してあまりないことだが、ものには限度というものが――。
- 67 名前:二話 投稿日:2006/06/17(土) 13:21
- 「いい?! ちゃんと見とけよっダンゴ虫ども! ここは『わ、たし……疲れた……。もう、疲れたの……お願い、貴女が、殺して……』なんというか、こう――もう身近で一番大切な人の死の数日後をリアルに想像して、陰鬱とした思いが我慢しながらも漏れ出すような、そんな感じ! はい、やって!!」
「えっ!? え、えと……わ、わたし、疲れ――」
「ちげーっつってんだろ!!」
「ひぃいい!?」
「……さゆ、その子魔王の居城に行く時ちらりと主人公が振り返った先にいたおばあさんが住んでる民家の壁Dの役だよ」
とっくに限度など超している。
凶暴化の一途を辿るさゆみにおざなりなツッコミをいれつつ、れいなはしみじみと思う。しかし、スイッチの入ったさゆみに届く声は無く。さらに高々と吼えて、鬼軍曹も真っ青な程のレッスンを開始した。
「てめーらなっちゃいねー! だから今日は基礎に帰って発声+かつぜつ+肺活量増加練習っ! ウザダージを 四 十 秒 以内に 歌 い き れ 。呼吸して良い場所はさゆが定めたこことこことここ――」
「五箇所だって。酷だねぇ道重ちゃん」
「……救急車、用意しとったほうがいいかもしれん」
嘆き、絶望しながらも律儀に課された刑をこなしていくクラスメイト達に、哀れみの視線を投げつつれいなは呟く。その隣の後藤は、あいも変わらずのほほんと笑顔。
柔らかな笑みを見上げ、疲れた表情でれいなは訊く。
「もうちょい、後でも良かったんじゃないですか?」
「でも、『そんな悠長なこと言ってたら、ハリウッドなんか行けないっ』って、道重ちゃんが言うもんだからさぁ」
「行く気は、きっとほとんどの人が無いですよ。――っていうか、そんな文句で丸め込まれんでください」
「まあ、良いじゃない」ほんわりと後藤。
- 68 名前:二話 投稿日:2006/06/17(土) 13:22
- れいなは参ったようにうな垂れた。あまりにも邪気なく微笑むものだから、咎める気が失せてしまった。
「あと五秒〜。寸前で辞めた人には、さゆがとっても素敵なプレゼントを上げるから。そのつもりで」
いつの間にやら教壇の所に横二列にならんでいた生徒群から、ひぃと短い悲鳴が上がる。ウザダージを歌いながらなのに、器用なものだなと感心、するはずもなく、れいなは彼らを憐れに思った。
「はぁ……」
学芸会がある。それは知っていた。だって毎年あるわけだし、昨年一度経験済みだ。そういうわけだから、行なわれる月も知っている。二学期初め――夏休みがあけて、すぐ。九月の創立記念日、その日。何でも、学校ができたという素晴らしい日に、様々な催し物をして楽しもうじゃないか、という、受け継がれてきた校長の計らいらしい。休みにしてくれという意見は、無視して。
たいてい、その練習は六月終盤の期末テストが終わってから始まる。断言してもあながち、というか全く間違いは無い。
それなのに――早すぎだ。げんなりと、れいなは胸中ぼやく。
現在、五月中旬であるが――何気にこの演劇の練習、始業式の次の日から始まっていたりする。しかし、それもこれも。
「田中さん、睨まれてるね」
「え……ヒギッ」
- 69 名前:二話 投稿日:2006/06/17(土) 13:23
- 微苦笑と共に降りてきた後藤の声に顔を挙げ見てみると、サウダージが終わって休憩に入っていた生徒達が一斉にれいなを睨んできていた。その眼光たるや、あの恐怖を彷彿とさせるほど。それがしかも×二十数人分。
このやり過ぎな早期練習は、れいなに責任の一端――否。全責任がある。それは、始業式が終わった後、クラスは違ってしまったが腐れ縁らしくれいながさゆみと一緒に歩いていた帰り道。何気ない一言。
『うちのクラスって、演劇なんやって』
学芸会の出し物は、クラスによってあらかじめ決められている。それは教室後方の黒板にも書いてあり、誰でも容易に知ることができるのだ。
そして、それを公言するのも、とても容易だ。それこそ、朝飯を食らうよりも。
『! へぇ……演劇』
中学→演劇無し、またさゆみの部活動を一切見たことない。
昨年、つまり高校一年時→れいなのクラスは合唱だった。
上記の通り、れいなにはさゆみの裏面を知る機会が、幸か不幸か今まで無かったわけだ。だから、そう何気なく、本当に「今日晴れてるね」ぐらいの軽さで言った言葉に、言ってしまった言葉に、次の日、後悔と罪悪感、それに恐怖を同時に味わうなんて思ってもいなかったという事、だった。
『自分たちも、お客さんも満足できる演劇をするには、一に練習二に練習、三、四も五もどこまでも練習あるのみなの! さゆも協力するの』
さゆみが訪ねてきたときは、れいな良くやったとかすげえよれいなとか後で首下撫で撫でしてあげるとか、クラス中から賞賛を浴びたのだが――六秒後に、それはれいなに対する怒気と怨念に変わった。
『貴様ら、そんなんで演劇できると思ってんのかぁ!!』
丁度、今と同じような状況である。
- 70 名前:二話 投稿日:2006/06/17(土) 13:24
-
おのれれいなこの恨みはらさでおくべきか
沈めてやる……絶対に沈めてやるんだから
その前にポニーテールにさせてくれ
ならアタシはアイツの前髪を全部切らせて。デコ娘にしてくれる
なんにせよ
一日一回は屈辱に塗れさせて殺す!
戦慄が疾駆して背筋が凍って不可視の万力がめりめりとれいなの心臓を締め付ける。ヤバイ、このままだと天に召されそうだ……――。あの目は本気と書いてマジとしか取れない。命の危機を感じ取る。だかられいなには、魔王の怒号が、神の助けのように感じてしまった。
「てめーら何してやがるっ! まぁだまだ練習は終わってねーんだぞグラァ!!! 次は鶏長鳴き選手権よろしく、2−等活長鳴き選手権やるのっ! 一番長く鳴いてられた人にはご褒美あげるの。一番早く脱落した人がどうなるかは、さゆだけが知ってるの。では、始めろ」
さゆGJ。小さく親指を立てたが
殺す
……見つかった。
- 71 名前:二話 投稿日:2006/06/17(土) 13:25
-
死を。
死を。
田中れいなに、死による制裁を(・∀・)
死を。
死を。
田中れいなに、我らによる制裁を(゜∀゜)
眠りを。
眠りを。
田中れいなに、安らか過ぎる眠りを。
……というかもういっそお仕置きさせてぇ!
もう勘弁してぇと半泣きで小さな体を更に小さく縮める、大道具係のれいななわけで、音もなく消えていた後藤を気にする余裕は、当然のごとく無かった。
- 72 名前:二話 投稿日:2006/06/17(土) 13:26
- ―*
◇◇◇
「――はいもーし? んあ? ああごめんごめん。ちょっと下調べしてたから」
「分かってるって、そんなに怒らないでよ。休日ふらふらーっと回ってみて、大体の目星は付いてるから」
「ていうかさ、思ったんだけど、別に新しい人なんて要らなくない?」
「え? だって、今いる人達も、大分アレじゃん」
「性格? 不適切ばっかり?? そんなの――あはっ。うちらに求めないでよぉ」
「だってうち等“異形”なんだよ? 形が異なるんだよ? 普通じゃないって事なんだよ」
「んぁあ? 口ごたえじゃないよ。思ったこと言っただけ」
「まぁまぁ。とにかく、近いうちに捕るから。そしたら、しばらく仕事まわさないでね。ん。オケー」
「……あ。ごめん、ちょっと待って」
「あのさぁ」
「殺しちゃったらどうしよう?」
- 73 名前:二話 投稿日:2006/06/17(土) 13:26
-
- 74 名前:_ 投稿日:2006/06/17(土) 13:27
-
<二話 躊躇う少女と訊ねる国語教師> おしまい
三話へ続く。
- 75 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/18(日) 07:43
- 昨日は慌てていた為できなかったレス返し。
……というか、いつも以上に致命的なミス。
もっと推敲しようorz
>>58 konkonさま
レスありがとうございます。
キーとは、大それた事をいっていただけて
恐縮です。
- 76 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/24(土) 22:30
- こそっと毎回ロムってます。
コンビニ店員のあの人と田中ちゃんの鬼ごっこ、爆笑でした。
てか、最後の電話とか超気になるんですが…!
- 77 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/25(日) 19:04
- きっと戻ってきてくださると信じていました。
あなたの娘小説を読むことが出来て、心底、嬉しい。
おかえりなさい。
- 78 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/09/16(土) 03:36
- おかえりなさいませ
- 79 名前:_ 投稿日:2006/09/23(土) 18:23
- 「あのさ、あの子も不幸だったくらいに捉えたほうが楽だよ」
「っ、うるさいっ」
「ごとー、手加減って意味、辞書で引いたことないから」
「――……せんせい?」
- 80 名前:_ 投稿日:2006/09/23(土) 18:24
-
- 81 名前:_ 投稿日:2006/09/23(土) 18:24
-
- 82 名前:_ 投稿日:2006/09/23(土) 18:26
-
<三話 マスク少女と国語教師のそれぞれの裏>
- 83 名前:三話 投稿日:2006/09/23(土) 18:27
- バイトを休みたい、人間なんだからそう思うことがあっても不自然じゃないさ。はぁはぁやれやれとため息を零しながら、れいなは宵闇虚ろう帰り道を歩いている。今日もいつもの如くハードメニュー。大道具のれいなにはあまり関係ない気がしないでもないのだが、以前そう言いかけただけで二つに折られかけた。
それ以来、練習終わりまでれいなは残るようにしているわけで、だからこそ気疲れするわけで、つまりバイトを休むわけで。
うん、妥当な判断。
こじつけの言い訳を脳内で繰り返しながら、薄暗い帰路を歩いていく。人通りは皆無に近いほど少なく、空気は静謐。外灯に群がる虫がたてるジジという音すらも、れいなの体を震わせるほど大きく響く。
ヤバイ、とれいなは背中を丸め、鞄を胸に歩行を早めた。信じていない、信じていないがお化けとかそういった類のモノは苦手だった。なんというか、何か分かんないし。だから信じていないとうそぶくのだけれど、それを理解していながら認めないのは恐がりれいなの最後の意地。
「っひ?!」
数歩いくごとに早くなり、既に走り出していたれいなの足がふと止まる。そして短い悲鳴を漏らした。数メートル先。なぜか続けざまに外灯が切れている、幽暗の空間。そこにぼんやりと浮かぶ、一つの、ふらふらと定まらない足取りをした影。
でも――バチリと頭上の電灯がはじけた音をたて瞬いた時、それは見覚えある女性、というかれいなのクラスで現国を担当している後藤真希だと気付いて、だからこそれいなは驚きにいささか裏返った声を上げるのだった。
「ご、後藤先生っ!?」
「ん、ぁー? おー田中さん。ばんこ」
いつもと変わらぬ穏やかさで、軽やかに手なんか上げてみせる後藤に、れいなは慌てて近づいていく。二人が、互いに手の届く距離にまで近づいた。示し合わせたように頭上の電灯が輝き、後藤の姿を照らした。
紺色のスーツ。でも右肩は赤かった。
「そ、そそ、それ、血……っ!? ど、どげんしたと、ですかぁ!」
右肩口に滲む血だけではない。よく見てみるとスカートの裾は千切れているし、左腕なんか完全に露出していて、切り傷やら擦り傷やらでボロボロだし。降ろされた栗色の髪の毛はぼさぼさで、これまたよく見ると、左の脇腹も紺色とは違った。肩口より黒ずんでいるが、これも血だ。
何事何事? 事件か事件だ、と忘我し慌てるれいなに、それの原因であり、かりにも怪我人の現国教師は、あいも変わらず
「んはは。落ち着けー。ごとーは何もないぞーしょーじょー」
緩やかに言ってのけるのだ。
そのあまりにも代わり映えしない後藤の風姿に、毒気を抜かれたかのようにれいなは動きを止めた。
- 84 名前:三話 投稿日:2006/09/23(土) 18:28
- 「……れいなは猿じゃないです。っていうか、案外ダイジョブそうですけど、本当にどうしたんですか?」
この問いに、後藤はたははと笑った。
「亀と戯れてたら噛みつかれちゃって。ムカついて殴り返したら、これがけっこー強いんだよ。ごとーもーびっくり」
「亀……?」
「そ。そしたらこんな時間で、いやぁ参った参った。決着つかなかったから、また今度ねって行って帰って来たわけ」
あれか? 新種の電波か?? 怪訝な視線をびしびしと後藤に送る。
後藤は頬を膨らませて、若干ムッとしたようだ。
「田中さん、ごとーの頭がおかしくなったとか、そんな風に思ってるね?」
「だって、そんな亀いるわけなかし」
「うわっ。否定しないよこの子……ごとーは傷つきましたうぇえん」
全くの棒読み。ツッコム気力も失せるというもの。
れいなは長い長いため息を、薄明かりの下に流した。それに気付いたのか、後藤がれいなの頭を手の平で軽く叩いた。痛いという衝撃はない。ぽふぽふと、心地よかった。
「こーらこら。そんな『終わっちゃってるよこいつ。はぁどうしよう』みたいな顔はしないの。ごとーも人並みに人の子です」
連ねた言葉とは裏腹に、小さく笑う後藤は全く気に留めていないし、外見とは裏腹に傷ついていない様子。れいなは上目遣いに後藤を見上げ、先ほどと同じ質問を投げた。というより、放った。
「で、ホントにどうしたとですか? 肩とか脇とか、結構痛そうなんですけど」
でも、後藤。これには心外だといわんばかりに唇を尖らせて
「や、だから、亀と戯れて云々だって」
「先生。同じボケは二度使っちゃいけませんよ。しらけるから」
「信じてよー……んあっ」
- 85 名前:三話 投稿日:2006/09/23(土) 18:28
- 拗ねた顔から、ほとんど泣き顔にシフトし、次いで何かを発見したような驚き顔で声を挙げた後藤が、霞むような速さで左腕をれいなの鞄に忍ばせてきた。
後藤の声に一瞬動きを止められてしまったれいなが気付いたときには、後藤は既にれいなのケイタイを手にとり、液晶をジッと見つめていた。れいながわずかに声を荒げる。
「ちょ、れなのケー」
「やっばあ! 『残酷少年』終わっちゃうっ! ビデオ予約してないのにぃ!!」
れいなの言葉を遮って、愕然としたように後藤は叫んだ。ビクリとれいなが、小さな体を震わせる。後藤はそそくさとケイタイを返し、数箇所にも及ぶ傷・傷痕もなんのそのの足運びで走り去ってしまった。その際に
「また来週がっこーでぇえ! 夜道には気をつけてねーしょーじょよ!」
大仰に手を振り叫び残していって。
だばだばと暗がりに消えていく後藤を、まん丸眼で見送りつつ、れいなは眉を歪めて首を傾げた。何か、小さく和やかな嵐が過ぎ去った後のような、そんな虚脱感。和やかという時点で嵐でない気もするが、まぁ、その辺はれいなの感じる所だ。
そんなこんなでかくしてれいなの中での後藤の評価は、不思議な人、から不思議そのものへと降格だか昇格だか解らない変化を遂げたのだった。
「というか、『残酷少年』って始めて聞いたばい」
- 86 名前:三話 投稿日:2006/09/23(土) 18:29
-
―――***
- 87 名前:三話 投稿日:2006/09/23(土) 18:29
- 『残酷少年』は単刀直入に言うと、クソゲーならぬクソアニだった。タイトルのまんま、残酷な少年がひたすらに残酷なことを好き放題やりまくる、というホラータッチのコメディアニメ。番組開始からスプラッタ、CMあけてもスプラッタ、次回予告もスプラッタ。時折くだらない漫才が挟まる。ろ過してもできないような、クソみたいなものだが。
でも、あまりにくだらなすぎて、逆に面白かったという感想を持ったと、れいなは学校で友人Aに語ってみた。「へぇ」と。何とも興味津々に友人Aは目を輝かせていた。恐らく……いや、絶対。
「ダーリンが見てるアニメかぁ……今度見てみよっ。ねぇねぇいつ何時から?」
ああ、やっぱりそういう理由か。
眩いばかりに光を放つ友人Aの瞳を見上げ、れいなは呆れたようにため息を吐き出した。というか、こいつらの関係はまだ続いていたのかと、ほのかに感心していたりする。
「ていうか、れいな。何帰り道でばったりダーリンと出会うっていう羨ま状況に遭遇しちゃってるわけ??」
「……偶然やろ。……っちょ! おかしいって、何その目! 自分が死ぬ光景がはっきりと見えるんですけどっ! 待て待て待ってって!」
「んあーい。今日もはりきってじょぎょーいってみよーかー」
れいなの眼球に触れるかとうほどの至近距離で止められていた友人Aの指先が、瞬時に引いた。嫉妬と怒りと羨望に引きつった笑顔を、輝かしい笑顔に変えて、友人Aは地を蹴った。
窓側最後尾という、入口からもっとも離れた位置から、数々の障害(机、椅子、生徒達)を蹴散らして、友人Aはついに愛しいダーリンに抱きついたのだった。
- 88 名前:三話 投稿日:2006/09/23(土) 18:30
- 「ダーリン! 会いたかっ……いやああああ!!」
「ハニー? どうしたの?」
抱きつき、顔を上げたと同時に、友人Aはかけている眼鏡が割れるのではというくらいの甲高い声で叫んだ。教室内の所々からも長短様々な悲鳴が漏れ、その後一様に後藤を気遣うような言葉を投げかかけている。
「せ、先生! 大丈夫ですかっ?」「何があったんですか?」「事故、ですか?」「ていうか、学校来てても大丈夫なんですかっ?!」
それもそうだろう。
いつもと同じ調子で入ってきた後藤は、いつもの風貌とかけ離れていた。頭をすっぽりと覆うように巻かれた包帯、首を覆うのも包帯、スカートから覗く右足を覆うのも包帯。包帯包帯包帯。時折眼帯に絆創膏、湿布。満身創痍この上ない状態だった。そんな格好してくれば、後藤を取り巻く生徒達という光景ができあがるのは、必然だろう。
友人Aなんか、後藤の腕の中で気絶してしまっている。
昨日会ったときより怪我が増えている気配満々なので、れいなも驚き、後藤に近寄っていった。訊いてみる。
「……後藤先生。なんか、昨日会ったときより怪我が増えてるみたいなんですけど……」
すると、後藤に対する心配の声達が、
「えっ? 後藤せんせー昨日から怪我してたのっ??」「っていうかれぇな! そうだったらその時救急車なり何なり、手当てとかしてやれよ!」「この薄情者がっ」「胸だけじゃなくて情も薄っぺらいのね……」「この外道っ」「幼女っ」「罰として今のままで成長とめる呪、かけてあげるから」
れいなを非難する声に変わった。瞬時にしてれいなの周りに、怒る生徒達の輪ができる。れいなは彼らの突然の方向転換に戸惑い怯え、首をぶんぶんと振っては弁解を試みる。
「え、え、あの、そ、それはえと、違う、と……っ。う、ー、何を、言ったらいいのやら……」
でも、上手い言葉が出てこない。確かに怪我人である後藤を放っておいたのは、人間としてどうだろうとれいなも思うが、それは後藤が平気、とからから笑って言ったための行動であって、だからといってもそれを正直に述べたら「平気なわけねーだろうがっ」「YOU、体だけじゃなくて脳も幼いのかNE!?」「もうアレだ。真性幼女と呼ぶしかあるまいて」とか、火に油な気がぷんぷんするわけであり――八方ふさがりだ。
「あー、みんな、ちょっ
- 89 名前:三話 投稿日:2006/09/23(土) 18:30
-
「れ ぇ な」
- 90 名前:三話 投稿日:2006/09/23(土) 18:31
- 地底深くから響いてくるような、極低音。後藤に呼ばれ振り返った生徒達が一斉に肩を震わせ、散っていく。
低音に呼ばれたれいな本人も教室の四隅、否、教室の外へと緊急脱出を図ったが――低音の主は、それよりもはるかに素早く、れいなの体に巻きついた。それこそ、アナコンダのごとき動作と、力で。
光の屈折具合からか、眼鏡の奥にある、いつもなら優しげな瞳が見えない。……今は見たいとも思わないが。
「あのねれいな。わたしおもうんだけどじぶんのせんせいがけがしててほんにんがへいきだっていっててもそこはおしきっててあてしてあげないといけないなって。まちがってるかな? ん?」
ピーチの口臭が、れいなの鼻先をくすぐる。
何ら変わりない。眼鏡に三つ編み、化粧っ気のない綺麗な肌。いつもと何ら変わりない、友人Aだ。だが、その艶やかな唇かられいなへと投げられる声は、どこまでも何よりも低く響いていて。呂律の芳しくない旋律で区切りも最小限に抑えた文章が、余計に恐い。いつの間にか首の後ろに回ってきている手の平にも、恐怖をかきたてられる。
……えーとつまり、今の状況は?
- 91 名前:三話 投稿日:2006/09/23(土) 18:31
- 「え、えと、あの、その……怒ってる」
友人Aはニコリと微笑んで
「まさか」
「ぐ、ぇ……っ!!!!」
れいなの首を、締め上げた。
「殺したいと思ってるんだよクルァ」
今の状況→とっても危険★
「……っ……っ! ぃ……ぃっ! ……!?(シャレになってないっ! マジ苦しいってっ! ねぇホントゴメンだから許してぇ! ぐぇぇぇ……!?)」
「こぉらこら」
れいなの前面に張り付き微笑む夜叉の背中をバシバシ叩いて逝きそうと顔で訴えるれいな。そんな彼女に構わず微笑み続ける、首を絞め続ける友人A。微笑ましくも荒々しい両者の間に、後藤はあいもかわらずの調子で割って入り、
「ケンカ両成敗だよ」
ほんわか怒った口調で告げるとともに、れいなと友人Aの頭を優しく小突いたのだった。
- 92 名前:三話 投稿日:2006/09/23(土) 18:32
- それで我に帰ったのか、友人Aの戒めがフッと解かれた。即座に、はよよこせや酸素よこせやと訴えていた肺に、これでもかいう程酸素を送り込んで、その勢いのためれいなは咽た。目尻に薄っすら涙を浮かべながら咳き込んでいると、前から後藤と友人Aの会話が聞こえてくる。
「考えてもみてよ、ハニー。田中さんが昨日の時点でごとーに手当てしてても、結局の所、今みたいな格好に近くなってたはずだよ? 怪我なんて、そんなすぐ治るモンでもないんだからさ」
「違うのダーリンっ! そういうんじゃないの気持ちの問題なのっ。れいなが昨日、怪我してたダーリン放って帰ったことが許せないのっ」
それは……実際の所、突かれると痛い。昨夜の後藤は、正直軽傷と呼ぶにはいささか首を捻る怪我をしていたし、だからこそもっと深く突っ込んで強引にでも手当てするべきだったのかもしれない。――いや、待て。そもそも件の行動に入る前に、後藤が強引に話を切って、去っていってしまったのではないか。それを弱々しくも言おうと顔を上げたれいなだったが、友人Aの爬虫類みたいな瞳孔に睨まれすごすご退散する。ヘタレだった。
「こーらこら」
そんな友人Aに気付いたのか、後藤は先ほどとさして変わりない調子で友人Aの頭を小突いて、眉根を寄せた。眉尻が少々、1mmにも満たない数値だけ上がっている。怒っている、のだろうか。
「ハニー、事情も聞かないで一方的に田中さんをいじめちゃダメ。そんなちょっとイケナイハニーは、ごとーは嫌いだな」
“嫌い”。
その単語が飛び出したときの友人Aの反応は、凄まじかった。顔色はサッと蒼に染まり、唇は震えだし、動悸がするのか胸を抑えている。辛うじて、後藤の顔を見上げて首を振っているさまだけが、弱々しい拒絶の意志だった。
- 93 名前:三話 投稿日:2006/09/23(土) 18:32
- そういえば、とれいなは思い出す。
友人Aはその性癖から、以前より何度か教師生徒問わず、好きになった子に告白してきているらしい。らしいというのは、風の噂で聞いたためで、れいなにもそれほど確信があるわけではない。だが、本当だろう。案外に、友人Aは積極的なのだ。
だからこそ友人Aは精力的に、その口で自分の想いを告げて――その全てが、玉砕したという。まあ、こればっかりはその人の嗜好の問題の為、どうにもならないが。そんなこんなで、想いを告げても報われない経験ばかりしてきた友人Aにとって、後藤は初めて彼女を受け入れてくれた人なのだ。そんな後藤に嫌いと言われ、拒絶されるのが、悲しい上に恐いのだろう。
でも、この反応はちょっとオーバーじゃないか、ともれいなは思っていたりする。
「うそうそ。嫌いになんかならないよー。ごとーはいつでもいつまでもハニーが好きさ」
だから、穏やかに届いたその言葉に、友人Aは大層安心したようで。膝から崩れ落ちて安堵のため息をつき、拗ねたように口を結び、後藤を睨み上げたのだった。
「ダーリンっ! そんな冗談言わないでよっ。心臓止まるかと思ったよぉ……」
「わ。そりゃ大変だ。ごめんねハニー」
なでなで。後藤がぐずる友人Aの頭を撫でる。安心しきった顔で友人Aは、後藤の胸に頬をすりよせている。
何だろう。ちょっとぴんくな香りがしてきたのは気のせいだろうか。
- 94 名前:三話 投稿日:2006/09/23(土) 18:33
- 「でもねハニー」
正直、ルァブシーンとか二人きりのときやれ、と内面でれいなが毒づいた時、後藤が穏やかな口調でぽつりと。
れいなは後藤を見る。友人Aも、後藤の胸の中から後藤を見上げた。
「ハニーが田中さんとケンカしてるとき、ごとーも同じくらい悲しかったんだよ」
言われて、友人Aは僅かに俯いた後、小さく首肯した。そして、れいなへと向き直りちょっと拗ねた風に「ごめん……」簡素な謝罪だった。
れいなは首を振る。「よか」とこちらも簡素に返して、後藤を見上げた。
「あたしも昨日ちゃんと後藤先生を止めなきゃだったなぁ、って。ちょっと自己嫌悪しとったけん。すいませんでした。……後藤先生のいうとおり、喧嘩両成敗ですよ」
罰が悪そうに、れいなは後頭部をかく。
それを見おろして後藤は、「んあんあ」満足そうに2、3度頷いて
「円満が1番。自分の悪いところを素直に認めて謝れる子って素敵だね」
- 95 名前:三話 投稿日:2006/09/23(土) 18:33
- 後藤が言葉を一端区切った。そこで後藤はれいなの頭にやさしく触れて、自分のほうへと引き寄せる。
れいなは抵抗することなくしたがって、後藤の胸元へと納まった。隣には、心地良さそうに表情を緩める友人Aがいた。
「そういうキミたちが、ごとーは大好きさ」
いやっほーうとかごとーせんせーさいこーとか我らが女神様とか、教室のあちらこちらから歓声が沸き起こり、それがだんだんとれいなたちに近づいてくる。やがて、自分たちを囲んだ円陣がやんややんやと騒ぎ出す。盆踊りやフラダンス、ドジョウ掬いに阿波踊り。生徒達が後藤をたたえる。
すごいな。柔らかな感触に包まれながら、れいなは思い、
計算し、先を見越した上での行動――では到底無いんだろうな、と推測する。
ふわふわと笑う後藤に、その様な邪推など本当に邪推でしかない。第一、件のような性格なられいなたちはこんなにもバカみたいに騒ぎだてたりしない。初見から願い下げだ。
れいなたちが素直になれるのは、皆がバカになれるのは、後藤が素直に真っ直ぐに。ただひたすら純粋に、れいなたちと接してくれるからだろう。だかられいなは後藤を受け入れる。だから皆は後藤を尊敬する。だから――誰もが彼女の――。
バカ騒ぎを見て楽しげに笑い声をもらす後藤を感じれいなは、後藤がいつまでも先生でいてくれたらなと、心の底から願い――。
そう願うれいなもまた、後藤の裏を見ようとしていないのだ。
- 96 名前:三話 投稿日:2006/09/23(土) 18:34
- ―*
その日は珍しく演劇の稽古が休みだった。何でもさゆみが「今日はちょっと演劇の初公演を見に行くという野暮用があるの」とか。とても分かり易い彼女のセリフに、2−等活組の面々は久々の安穏に涙を流して喜んでいた。ちなみにれいなはその時、そんなクラスメイトに苦笑していて、数秒後十数人の手によって私刑にされた。まだちょっとブルーだったりする。
「ネタの尽きない毎日っちゃ」
水滴浮かぶグラスを両手で掴んで、麦茶をすする。炬燵の向かいに座った絵里が、和やかな笑みを返してきた。
「いい先生だね」笑顔のままに、ハジケタれいなのクラスメイツの話を無視して、マスクの奥から絵里は言う。
れいなは、なぜか得も言われぬ恥ずかしさに頬を染めて、一度首肯した。自分が最高だと思っている先生を褒められて、でも公にそれを認めてしまうのは、何だろう、自分が褒められたような錯覚を覚えてしまう。
この照れくささを紛らわす為、れいなは麦茶を一気に飲み干した。ふはっと息をはき、グラスを置くと、絵里が忍び笑いを洩らしながら流れるような手付きでおかわりを注いでくれる。「ありがとう」そう礼を言おうと口を開いた時、気付いた。
麦茶の入れ物(自家製)をもつ絵里の手が震えている。小刻みで小さくではあるが、確かにかたかたと震動している。そういえば、ともう一つにれいなは着目した。肌の色が、いささか白すぎる。白色ワンピースからすらりと伸びる華奢な腕は雪のような、そんな綺麗な白ではなく、まるで死人のような不気味な蒼白さを醸し出していた。
どうしたのだろう。れいなは絵里の顔を見つめる。
- 97 名前:三話 投稿日:2006/09/23(土) 18:34
- どうしたのとでもいいたげに首をかたげた絵里は、絵里の額には汗で濡れた前髪がくっついていた。
きっと答えてくれないのだろう。れいなに気付かれないと振舞っている様子からもまじまじとわかるし、自分でも解っているのにとぼけている。でも、だからといって。
「どうしたと? 亀井さん? どこか具合悪いと?」
放っておけるわけがない。
こんないかにも衰弱しているような知人を、放っておけるほどれいなは薄情ではなかった。昨夜後藤を逃してしまったという失敗談もあることだし、ここは絶対に下がらない。
「え、どうして? 別にどこも、何とも無いよ」
予想通りの答えが返ってこようとも、れいなはしつこく食らいつく。
「ここは正直に言って。黙ってても何の得もなかし、れいなも心配やし」
ずずずいと炬燵の上に身を乗り出す。
絵里は弱々しく後ずさった。
- 98 名前:三話 投稿日:2006/09/23(土) 18:35
- 「ホントに、大丈夫、だから。心配しないで」
「亀井さんっ」
辛そうな笑顔で、絵里はれいなの配慮を拒む。
その頑なな態度がとても痛ましくて悲しくて、れいなは声を荒げ絵里の腕を掴んだ。だから、愕然とする。
「あ、つっ」
「っ! はな、して……っ」
れいなは、自分の腕を振り払った絵里を唖然と見つめた。
熱かった。蒼白く不健康な色を帯びた腕からは想像もできないほど、異常な熱さだった。そう。それは語弊も何もなく、“異常”な熱さだったのだ。人間は風邪を引いた時、抗体が風邪の菌を殺す為に熱を発しているとか聞いたことはあるが、今感じた絵里の熱は、確実に人の致死量を超えていそうだった。まだ手の平に、熱の余韻が残っているほどなのだから。
「全然何もないことなかよっ。ひどい熱やん!」
一瞬でも激しく動いたからなのか、絵里の呼吸は荒くなってきている。
それでも。それでも、この苦しむ少女は。
「だい、じょうぶ、だよ。何とも、ない……」
依然として頑なにれいなを拒絶している。衰弱した体でここまで強く拒み続ける彼女の意図。それは意地とかでは無いような気がしたが、今はそれよりも大事なことがある。
「ダイジョブなわけなかっ! 病院行くよ!」
意地でも連れて行くから。そういうニュアンスを含んだ強い力で、れいなは絵里の手首を掴んだ。
あ、と切なげに怯えたように絵里が一声洩らし、腕を揺らした。だけど、その力は赤ん坊よりも弱いんじゃないかというくらい微弱。
れいなは肩を怒らせる。
- 99 名前:三話 投稿日:2006/09/23(土) 18:35
- ここまでの熱があるのに微笑んでれいなを迎え入れてくれた絵里に、ではない。
ここまでの熱があり苦しんでいる絵里に気付くことなく、軽々しく亀井宅に上がりこんでしまった自分に、だ。ちょっと注意を払えば、気付けただろう、それぐらいの症状なのに……情けない。
己への悔恨に身を震わせながらも、れいなは絵里の腕を肩で支え立ち上がらせる。
後悔よりも、今自分ができうる最良のこと。
自分に3度ほど言い聞かせて、絵里の腰に手を回した。細い。そして、やっぱり熱い。布越しにでも、彼女の体温はれいなの肌をちりちりと刺激してきた。
「いい、からっ、ホン、と―――っ! ぁっ、だめっ、田中、さ・んっ」
変化は急激にだった。
「ど、どうしたと?! 亀井さん!」
「い、たい、! あ、つ、い・! だめ、だ、めぇ……たなか、さんっ にぃ、げ……」
突然れいなに支えられた絵里が、言葉も途切れ途切れになるほどに苦しみだした。小刻みに震えていた体も、もはやその場に止まれないほど大きな震動へと変わっている。
慌てふためきながらも、れいなは懸命に絵里を抑えようと、彼女の痩身に手を回す。でも、それだけでは、れいなの細腕だけなんかでは絵里の発作みたいな震えは止まらない。
震えつづける絵里。絵里の体に廻した腕に力を込めるれいな。
両者の攻防が続いて、数秒後。
絵里の喉がピンと張りつめ、天上を仰いだ双眸が極限まで開かれた。
「ぁ、だ、め っ く る よ ぉ !」
- 100 名前:三話 投稿日:2006/09/23(土) 18:36
- 「亀井さん! 亀井さん!」
絵里の目尻から、透明な雫が下っていく。れいなはしきりに彼女を呼んだ。
絵里の口からマスクが落ちた。
「ぅ わ ぁ
……ぁ あ!!」
- 101 名前:三話 投稿日:2006/09/23(土) 18:36
- 何が起こったかと、自問して
「かめい、さん……?」
自分の首筋に顔を埋める絵里と、そこからくる激痛に、彼女に噛みつかれているんだと自答した。
だけど次に、どうしてこんなことが起こっているのかという疑問が湧いてきて。それはどう考えても分からずじまい。
というよりも、首筋からくる激痛が思考を邪魔している。
痛い。凄く痛い。歯は人間の外に出ている部位で1番固いらしい。それを考慮しても、何だこの激痛は。痛くて痛くて。右腕が動かせないではないか。
ふーふーと荒い息が肩に掛かる。
亀井さん辛そうだ、とぼんやり思う。
血が流れてきた。
亀井さんが血を吐いてるみたいだな、と取り留めなく思う。
絵里が口を離した。血と唾液が混じった粘液が、絵里の口とれいなの肩を一瞬だけ繋いでいて
ぷつりとあまりにもあっけなく切れた。
それに誘われたかのように、れいなは絵里を半瞬見つめて、気絶した。
絵里の目は、孤独に沈む子供の目の色とよく似ていた。
- 102 名前:三話 投稿日:2006/09/23(土) 18:37
- ◆
傷が治るときは痛いんだ。凄く痛くて、それでいて熱いんだ。何かを壊してなきゃ、耐えられないんだ。
自分を抱きしめるように腕を回した絵里は、自分のしてしまった凶行に反駁する。子供のいいわけのごとき幼稚な屁理屈。絵里はそんな事をしても何にもならないと知っていた。
「う、ぅぅ、ぁ……田中、さん……」
その場に膝を折った。
肉が欠落し右肩から止め処なく血を流して田中れいなは倒れている。このままでは失血死も、普通ならありえなくは無いだろう。しかし、その可能性は、絵里がれいなを噛んでしまったその瞬間に消え失せてしまったこともまた、事実だった。
「っ、っ、たなか、さん……」
涙が止まらない。
口を半開きにして、絵里はれいなの小振りな胸に顔を埋めた。
……。
- 103 名前:三話 投稿日:2006/09/23(土) 18:38
- 何か歯がギザギザしている。何の気なしに友人の耳を噛んだら、その子の耳は無くなって――それから彼女も自分と同じになってしまった。
その日から絵里は化け物だった。親からさえ嫌われる、孤独な化け物だった。
絶望もした。自殺も考え、リストカットなんて数えられないほど実行した。けど、死ねなかった。それが余計に自分を化け物だと認識させて、絵里はよく泣いた。
そんなときに、だ。
真っ先に自分を化け物扱いしてもいいはずの、耳の無くなった友人が絵里へと近づいてきて言ったのだ。
――アタシラ、いつまでもトモダチだぞっ! オマエがバケモノだとかいって逃げても、アタシはどこまでも追いかけてってトモダチやってやるぞっ!
……その子がいたおかげで、絵里は立ち直ることができた。
その子がいたおかげで、絵里は他人を憎まずにいられたのだ。
それでも、立ち直るには結構な時間がかかってしまったけど。
- 104 名前:三話 投稿日:2006/09/23(土) 18:38
- ……。
そして。
ようやくできた、友人としては認めてもらっていないかも知れないけど――少なくとも、絵里はれいなのことを友人だと思っていた。この、数年間、化け物になってから憧れ望んだこの関係を、他でもない自分が壊してしまうなんて……救いようが、ない。
「ごめ、んねぇ、たなか、さぁん……っ」
謝って済むようなことでは、ないよ。自らをひたすらに責めた。
「辛いんだよねぇ」
不意打ちなる介入だった。
のんびりとマイペースな、澄んだ声がどこからともなく出現する。
「痛いよね、熱いよね。傷が完全に治るとき、何かにすがらないと耐えられないよね。うん。その気持ちは、あたしもわかるな」
その声に、絵里は覚えがあった。途端に、怒りが湧き上がってくる。
何故なら、今この、れいなが倒れている事実の元凶を作った張本人の声なのだから。
涙を乱暴に拭い、尖った歯をかみ合わせ剥き出しにし、絵里は顔を上げて――そこに被さるように、声の主の異形の右腕が、絵里の首を掴んで持ち上げた。
- 105 名前:三話 投稿日:2006/09/23(土) 18:39
- 「ごとーも同じだからとってもよく分かるよ。ま、今はどうでもいいけどねー」
のんびりと言い、声の主――“アブノーマル”である後藤真希は、絵里を高らかに持ち上げ、畳の上に叩きつけた。
強かに背中を打ちつけ、その加重に耐えられなくなったのか絵里の周りの畳が爆ぜる。それでも勢いは止まらず、絵里は畳とその下の板張りをつきぬけ、1階のロビーに落下した。骨が軋む音がする。呼吸が苦しい。
でも、立つ。
ふらりとおぼつかない足取りで、絵里は降り立った後藤を睨みつけた。
「あのさ、あの子も不幸だったくらいに捉えたほうが楽だよ」
「っ、うるさいっ」
ひたすら淡々と述べられた忠言を、絵里は大声を出して振り払う。
そんな、そんなこと、思えるわけが無い。
「全部、あなたのせいだっ! あなたが、わたしを――わたしの所に、来たから、!」
「そりゃあ、逆恨みもいいところじゃない? 亀井さん」
- 106 名前:三話 投稿日:2006/09/23(土) 18:39
- 後藤が右腕を上げる。
女性のそれとは思えないほど太く、人間のそれとは思えないほど黒く。赤黒い血管のようなものが、しきりに蠢く、不気味で禍々しい右腕を。
「ごとーも仕事なの。それに、こうも考えらるんじゃないかな? 君が大人しく、昨日の夜後藤についてきてくれたら君は怪我をしなかったし、あの子もノーマルを捨てることも無かった。どう?」
刃物のような爪の伸びる五指を、後藤が開く。硬い質感の手の平から、筒が現れた。
絵里は後藤の言葉に1度俯き、それでも否定する。
「違うっ! あなたが真っ先にわたしを襲ってきた! 話す間も与えてくれなかったっ!!」
「ありゃ。ばれた。まあいいや。今は、君を捕まえることが優先だからね」
後藤の無表情に、亀裂が入ったかのごとき笑みが浮かぶ。そこに合わさり、どこからともなく唸り声のようなものが聞こえてきた。
憎々しげな視線を後藤に向けながら、絵里は口を半開きにし獰猛な息を吐き出しながら、警戒する。
すると後藤が、にこやかに問うてくる。
「じゃ、今回は話し合おうか? ごとーは君を捕まえてって言われてる。だから素直にごとーについてきてくれれば嬉しいなと思うんだけど、どう?」
色んな所が省かれすぎだ。
何故絵里なんだ? 捕まえてどうするんだ?
これは話し合いなんかじゃない。絵里は警戒をとくことなく、1歩だけ身を引いた。
すると、後藤は苦笑する。ぉんぉんと唸り声が大きくなった。
- 107 名前:三話 投稿日:2006/09/23(土) 18:39
- 「うん。そうだよね。こういうときって、嫌がるのが定石だもんね。おーけーおーけー。なら仕方ないよ。覚悟決めてね。正直」
ぉぉんぉおん……唸り声。後藤の手の平の中心に穿たれた筒が放つ。
後藤が艶やかに微笑んだ。
「ごとー、手加減って意味、辞書で引いたことないから」
- 108 名前:三話 投稿日:2006/09/23(土) 18:40
-
―――――――――――――――――――――――――――――――――ッ
- 109 名前:三話 投稿日:2006/09/23(土) 18:40
- れいなが目を覚ますと、耳を劈くような、それでいて何よりも閑寂な音が聞こえた気がした。
畳に腕をつき力の入らない体に無理を言って起こし、座る。何だろう。全身がだるい。手もフルフル震えるし、視界も少々霞みがかかっている。それは目を擦ればやがて払拭された。
何があったんだっけ。おぼろげな思考の中で、れいなは考える。
倒れた。その前。絵里に、肩を噛まれて――思わず目を丸くする。
右肩に触れてみても、そこは何も無い。制服が破れて、白い肌が露出しているだけだった。
れいなは眉間を揉みながら、思い出す。
絵里が噛んで、口を離して、その時自分の肩の傷をれいなは確かに見た。血塗れで肉がごっそり抉られていて、酷く痛くて酷く非現実的な光景だったと、れいなは鮮明に記憶している。
なのに、何もない。傷も血も。欠片ほどの形跡も見つけられないと、あの体験は夢だったのかと推察してしまう。でも――でも、あの痛みと、絵里の苦しそうな顔は――
「……亀井さん?」
考え中、ふと気付く。
絵里がいない。
- 110 名前:三話 投稿日:2006/09/23(土) 18:40
- 周囲を見渡してみるも、意識を失う前と変わったところは別段――一目瞭然に、あった。
れいなの目の前。数歩歩くほどの距離をあけたところに、ぽかりと穴が開いている。触れたらダメは触れたくなり、穴があれば覗きたくなる。人間の危険な好奇心は、れいなを動かす。
しかし。膝をすりながら移動していくその道中、れいなは眉を歪めて動きを止めた。
穴を覗けば、絵里がもしかしたらいるかもしれない。何をしているかわからないが、そこに立って、もしくは座っているかもしれない。そうすれば、あれは夢じゃないんだという確認と、自分を噛んだ理由を訊く事はできるだろう。でも、そうすることに躊躇いがある。
れいなは右肩に触れた。絵里の顔を思い浮かべる。
ズクンと。肩の皮膚の奥で、何かが疼いた感じがした。
れいなは右肩を掴む手に、力を込める。れいなはこの疼きがなんであるかを、うすうす自覚していた。
端的にいってしまえば、恐いのだ。
半分夢と思っているれいなは、それでも半分は現実だったと、疑りながらも思っている。突然噛まれ肉を抉られ気絶してしまった映像が、どうにも脳裏に焼きついて離れない。そして、その後の絵里の表情だ。れいなの薄い記憶の中では、絵里は悲しげに目を伏せていた覚えがある。だけども、同時に、口元。注意して見なければ解らないようなささやかな笑みが浮かんでいた様な――気のせいだと思いたいのだが、れいなの捉えたその光景は、どうにもれいなの根源を縛り付けているようだった。
そもそも……あれが現実だと言われたら、れいなは――
- 111 名前:三話 投稿日:2006/09/23(土) 18:40
-
――――――――――――――――――――――――――――――――――ッ
- 112 名前:三話 投稿日:2006/09/23(土) 18:41
- 泥沼に入りかけていたれいなの鼓膜を、何かの音が揺るがした。
耳鳴りのような、透きとおった鈴の音のような。でも、それでいて、たまらなく不快になる音だった。それだけでは、その正体不明の音調だけでは、れいなの体を動かすまでには至らなかったが、次いで聞こえてきた微かな呻き声にれいなは息を呑んで、階下へと続く穴を覗きこんだのだった。
「……………………………………………ぅ………………………ぁ………………」
どうしてここまで動悸が早くなるのか解らない。気がつけば体が動いていた。
苦しげにもれた聞き覚えのある声は、しかし大して長い付き合いがあったわけでもないのに。
「っ」
眼下に広がる光景は、れいなを驚愕させるには充分すぎた。
呼吸を忘れた。瞬きを忘れた。言葉を忘れた。ただ見つめた。
スーツ姿の女性と、その対面に、……赤く汚れた何かがある。
れいなは「かめ、い……さん?」自分に言い聞かせるように、赤い絨毯の上に横たわる赤い何かを見て呟いた。
- 113 名前:三話 投稿日:2006/09/23(土) 18:41
- 「亀井さん!?」
焦る気持ちが体を動かした。れいなは穴から身を乗り出し、下の階へと飛び移る。
結構な高さがあって、しかも運動は中の下という成績のれいなは、着地を上手く決められず、両脚をついた後無様にも背中から転んでしまった。息の詰まるような痛みにも構っていられない。れいなは唇を引き結んで、倒れたままの赤へと駆け寄った。
そこで、しっかりと認識する。してしまう。
綺麗な黒髪にこびりついた赤、純白のワンピースに染みる赤、白い肌を汚す赤。絨毯にも負けないほどの鮮やかな赤色に蹂躙された彼女は、亀井絵里だった。
気を失っているのか、目を閉じている。もともと白かった肌は、血を失いすぎて生気が無い。
れいなはこの状況を整理できない。何で絵里がこうなっているのか。何が起きて倒れているのか。
「田中さん?」
予期せず自分の名を、後ろから呼ばれた。
錯乱一歩手前にあったれいなは大袈裟なほどに体を揺らして、勢いよく振り返る。その行動でついに、れいなの思考は真っ白に染め上げられた。
「――……せんせい?」
なぜどうしてどんな因果でなにがおこっているのか。
「ごとー、せんせい?」
れいなの振り返った先。れいなの名を呼んだ人物。彼女はれいなのよく知る人物。
だって、れいなが通う学校の現代国語担当であるのだから。
- 114 名前:三話 投稿日:2006/09/23(土) 18:41
- 「田中さん。嘘、……」
後藤真希。何事に対しても、風に揺れる柳のように悠然と構えている彼女が今。
れいなと向き合い、愕然と顔を青褪めさせている。形のいい唇も冷気を当てられたかのように痙攣し、れいなに向かってかざしている――異形を象る右腕もその手首を押さえる細い左腕も、この世の終わりが来たような震えようだった。
- 115 名前:三話 投稿日:2006/09/23(土) 18:43
-
- 116 名前:_ 投稿日:2006/09/23(土) 18:44
- <三話 マスク少女と国語教師のそれぞれの裏> おしまい
四話へ続く。
- 117 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/09/23(土) 18:56
- 3ヶ月以上あけてしまい、申し訳ありません。。。
放棄はしません。
というか……スレッド整理があったの知らず
保全し忘れました。。やばかった。。。
>>76さま
レスありがとうございます。
爆笑していただき、感謝です。。
いつか終始あんなノリのものを書きたいなぁとか
思っておるしだいですw
>>77さま
レスありがとうございます。
優しいお言葉に感謝です。
>>78さま
レスありがとうございます。
ただいま、……と言ってしまっては
ふてぶてしいかもしれませんね。。。
- 118 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/09/24(日) 02:38
- お待ちしていました。
放棄はしないとおっしゃってくださってうれしいです。
つづきが予測できなくて、ほんとうに楽しみです。
- 119 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/09/24(日) 02:39
- ageてしまいました…すみません!
- 120 名前:名も無き読者 投稿日:2006/12/30(土) 20:58
- ストーリーといい文体といいすごく好みで素敵です。
更新ひっそりと楽しみにしております。
- 121 名前:作者です 投稿日:2007/01/11(木) 12:45
- 年が明けてしまいました。。。
申し訳ありません、作者です。
現在、自宅のパソコンからm-seekにつなげないという
不可解なエラーに見舞われております。
(これは会社から書いています)
ですので、更新はもうしばらくお待ちください。
お願いいたします。
- 122 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/02/02(金) 22:53
- 久々に飼育へ来て、スレをざっと見て……おかえりなさい、でいいんですかね。
炬燵の中で正座をしてミカンを頬張りながら、大人しく続きを待ってます!
- 123 名前:_ 投稿日:2007/03/06(火) 22:40
-
- 124 名前:_ 投稿日:2007/03/06(火) 22:40
-
- 125 名前:_ 投稿日:2007/03/06(火) 22:41
-
<四話 儚い笑顔の少女と逃げ出す少女>
- 126 名前:四話 投稿日:2007/03/06(火) 22:43
- 不可解な光景だった。
だかられいなは棒立ちで、苦しげに悶える後藤を見つめている。
「なんで、そんな、うそ、ごとーは、あたしは、じぶんの、せいと……を……」
両腕で、自身の頭を抱えて、目を見開きながら懊悩している。その右腕は、太く異形。薄黒く硬質な印象の皮膚の上を脈打つ血管。指先には刃物をくっつけたかのような爪が伸びている。到底女性のもの、それ以前に人間のものとは思えない。
その常識破りな腕を見てしかし、れいなにも分かることが1つあった。
ちらりと、背後に顔を向ける。ところどころの服ごと肉を抉られた傷痕の中、縦に斜めに横に走る裂傷。
後藤に向き直る。彼女の爪はこの程度の傷なんか、朝飯前にもつけてしまいそうなほど凶悪だった。
つまり――亀井さんは――後藤先生に……。
「っ! やめてっ!」
信じがたい。その意を込めた視線を、れいなが後藤に送っていたところ、ふと俯き加減だった後藤が顔をあげ、即座に顔色を蒼白に変えた。そして、悲痛に叫ぶ。
「おねがいっあたしを、ごとーを、そんな目でみないでっ! おねがいっおねがい……」
「ごとう、先生?」
「やぁ……ごとーは、なんて事を……」
呟き後藤はくずおれた。
弱々しく腰を、赤い絨毯の上に下ろして、細い肩を細かく震わせている。
何故だろう、声もなくれいなは思う。
今、現在、この時この状況。被害者はれいなたちのはずだ。
何をどうしたのか判らないが、亀井絵里はきっと、後藤のあの右腕にやられたのだろう。
でも――なんだこの、後藤真希の憔悴した姿は。
- 127 名前:四話 投稿日:2007/03/06(火) 22:43
- 「――の、誰も、傷つけたくなかった、のに……」
後藤の紡いだ言葉に、れいなはピクリと反応する。
ふつふつと沸き起こるそれに応えるよう、れいなは口を開いた。
「なら」その一言を聞きとめたのか、後藤の視線がれいなへと向く。怯えた小動物のような、儚い瞳。
構わず、れいなは続けて、
「なら、どうして亀井さんを傷つけたんですか?」
知らずの内に、一歩を踏み出していた。
無論、恐い。
あの腕が。鈍く脈打つ、若い女性のものとはかけ離れすぎた、後藤の兇器が。
そして、この推測が。後藤が絵里を傷めつけたという、事実に近い推測が。
「答えてください後藤先生!」
「……っ、ち、がうっ!」
- 128 名前:四話 投稿日:2007/03/06(火) 22:44
- れいなが後藤へむけて声を張り上げたとき、それを遮るように後藤が立ち上がり、右腕の砲口をれいなへと向けた。
ぉんぉんぉんと唸りを上げ続ける異形の右腕に、れいなは息を呑む。
アレが後藤先生の凶器だと本能的に悟った。
後藤が叫ぶ。
「ごとーは悪くないんだよっ。頼まれたから、その子を連れてこいって頼まれたから、――」
言い訳を。
必死に連ねていく。
「でもっ、その子が抵抗するから、ごとーは……」
「違うとよっ!!」
それが悲しくてやるせなくて。胸を掻き毟りたくなるほどムカついて。
れいなは首を激しく横に振ってから、その切れ長の目を細めて、後藤をにらみつけた。
- 129 名前:四話 投稿日:2007/03/06(火) 22:44
- 「そんな事訊いとらん! れなは、あんたが自分の意思で、絵里をいじめたかって訊いとるとね!」
「だって! 、ごとー知らなかったんだもん!」
れいなの哀泣にも似た絶叫が届いたのか届いてないのか。
後藤尚も言いわけを止めようとしない。
右腕を横に薙いで、縋るように潤んだ瞳をれいなに向けてくる。そして、こう続けたのである。
「その子が田中さんの友達だって、知らなかったんだもん! 知ってたらごとー、こんな事してないもん!」
その言葉の終わりと同時に、れいなは制服の上から胸を強く鷲掴み、
「ぅ、げぇ……っ!」
胃の内容物を、胃酸と共に吐き出していた。
「田中さ――」
そして絨毯の上に膝をつくれいなに、後藤が心配の色を表情に浮べ近寄ろうとした。
「……っ寄るな!」
しかしれいなは、そんな後藤の行為をにべもなく拒絶した。
ビクリと体を痙攣させ、後藤が止まる。
れいなはそれからも幾度か咳き込みながらも、世の全てを憎んでいるような、そんな鋭利で煌く眼光をもってして後藤を睨みつけたのである。
「つまり、あんたは、自分の意思で、絵里を虐めたんやね?」
「……ぁ」
- 130 名前:四話 投稿日:2007/03/06(火) 22:44
- 知っていたらやっていなかった。裏を返せば、知らなかったから、自分の意思で、やった。そう解釈できる。後藤はそれに気付いたようで、顔面を蒼白に染め、更に何か言葉を重ねようと口を開いたものだったが。
れいなの眼光によって、それは遮られる。
悲しげに口を噤んだ後藤を尻目に、れいなは覚束ない足取りで立ち上がり、絵里へと振り向いた。
未だ血溜りに伏す絵里にれいなは近づき、ひざまずく。そして、スカートのポケットからハンカチを取り出すと、黒ずんだ赤色で汚れた絵里の顔を優しく拭いていった。
乾いてこびり付いた血は完全に取り払えなかったものの、絵里の穏やか過ぎる寝顔がしっかりと現れて――れいなはそこで表情を消した。
「れなには、好きだった先生がおった」
汚れたハンカチを握り締め、れいなは幽鬼のように立ち上がる。
「飾らなくて朗らかで。友達みたいな先生で、――それは、周りからみるとあんまし良くないことかもしれんけど……れな達は、そんな先生に惹かれてた」
まるで、文面を読み上げていくかのように機械的。
「でも、その先生はもうおらん」
れいなが首だけで振り返る。切れ長の視線に、憐憫と侮蔑を同時に載せて。彼女のそれは、的確に後藤を捉えていた。
後藤の血の気が引く瞬間が、手に取るように分かった。
それでも、れいなは言う。吐き捨てる。後藤から焦点を切り、呪詛の様に今の気持ちを。
- 131 名前:四話 投稿日:2007/03/06(火) 22:45
- 「……サイテーサイアクの化け物や、あんたなんか」
「っ……! ぅ、っ……ぃぅ… !… 。 っ」
背中側から、苦しげな途切れ途切れの悲鳴が聞こえてくる。
それは泣いているようにも取れて、結局は悲しんで絶望しているとしか取れなかった。
だけどれいなは振り向かない。そんな中途半端な気持ちなら、先刻の台詞など紡ぐ資格も無いのだから。――れいなは今ここに、後藤に対して冷酷を決め込んだ。
「どっか行け……」
「っ……ぅ……ぁ――――――――――――――――――」
れいなも自分の口から突いて出た言葉に驚いていた。
人間、どうしても許せないと思うと、普段尊敬していた人にすらこんなにまで冷たく接することが出来るのか。改めて考えればゾッとする事実だが、れいなに悔いは無かった。
……これでもオブラートに包んだ方なのだ。
本当なら、今、れいなは、後藤真希という存在に、れいなの視認できる世界というより、この世の全事象から外れてほしいと、願っていた。
――ややあって。
れいなの背後から気配が消える。
声にならない慟哭が、広々とした室内とれいなの鼓膜に反響していた。
- 132 名前:四話 投稿日:2007/03/06(火) 22:45
- ――**
- 133 名前:四話 投稿日:2007/03/06(火) 22:46
- 疲れきったように目を瞬かせ、れいなは絵里を看ていた。
いつもの居間には押入れすら存在せず、布団の在り処が分からなかった為、横たわる絵里を覆っている掛け物は炬燵を分解して取り出したものだ。
「亀井さん……」
絵里の呼吸は苦しそうだった。
実際苦しいのだろう。絵里の頬に触れた指先から、異常なほど高い熱が感じ取れた。
でも、今となっては目立つ症状はこれだけで。不可思議なことに、絵里を蹂躙していた幾多もの傷は、痕すら残さず消えていた。彼女の全身にこびり付いた血を拭き取ったあと、その事実に気付いてれいなも些か驚愕していた。
同時に、ちょっと恐いとそう思う。
呼吸のたびに、薄く開閉する絵里の唇。そこから覗く、鋭利に尖った歯の列。
数分前だったか、数十分前だったか。それにれいなは噛まれた。
今と同じように凄絶な熱を発し、苦しそうに息づく絵里によって。
れいなは右肩を掴んで力を込める。痛い。そこに肉はまだある。
しかし、噛まれたという事実は鮮明にれいなの脳裏に焼きついてしまっていた。
絵里がいきなり起き上がって、再びあの痛みを与えてくるのではないかと邪推してしまうのだ。
「……ぅ……き、さ」
「――亀井さん?」
- 134 名前:四話 投稿日:2007/03/06(火) 22:46
- 絵里が何事かを呟いた。
声が掠れて小さくて、何を言ったのか分からなかったけど、何やらうなされているのだろうか。苦痛に歪む表情に、少々淋しさの色が射してきた。
そして、うっすらと絵里の瞼が持ち上がる。
「、田、中……さん」
「亀井さん! 大丈夫?」
焦点の合わない瞳を、絵里は弱々しく泳がせる。
「あの、女の、人、は……?」
明らかに無理やり起き上がろうとする絵里をやんわり制止し、れいなは「帰ったよ」と微苦笑して答えた。
絵里がれいなを見上げる。半開きになった唇からは、刃物のような歯列が覗いている。
「田中、さん、は……無事?」
「――うん。大丈夫と」
その光景にちょっぴりれいなは怯えるも、平静を努めようと笑ってみせる。
さいわい絵里は感付いていないようだった。「よか、った……」と安堵に衰弱した顔貌を綻ばせて、目を瞑る。
れいなもつられて目を細めた。
が。
- 135 名前:四話 投稿日:2007/03/06(火) 22:47
- 次に絵里が目を開いた瞬間、れいなは表情を引き締めた。引き締めざるを得なかった。
――れいなを見つめる絵里の瞳に、感情の色は灯っていない。
「なら、もう、いいよ。帰っ、て……」
突き放すような、絵里の言葉。
れいなは一瞬、何を言われたか分からずに「え?」呆けた一声を上げてしまう。
絵里は、丁寧にも繰り返す。
「わたし、は……もう、大丈夫、だから――田中、さ、んは、もう、帰って」
「な、何言うとや?!」
強がりであることは白日の下にさらされるよりも、明らかである。
顔色は青白いし、呼吸も荒い。目も虚ろだし、手も震えてる。
これでどうして大丈夫と言えるのか。れいなは絵里に対し、やり切れない怒りを覚えて叫んだ。
「れなは確かに頼り無いかもしれん、そんなん自分でもわかっとぅ……けど! せっかく知り合った友達、見捨てるなんて出来るわけなかよ!」
――その人に対して、あまりも無知である。だからまだ、友達とはいえない。
なんて、ワケの分からない壁を心に作っていたんだろう、とれいなは思う。つまるところ、れいなは友人を作ることに対して、臆病だったのだ。昔、仲の良かった友達と離れ離れになってしまったことが頭の片隅に焼きついていて――余計な神経を使ってしまっている。
実際、今のクラスに溶け込むのにも時間がかかった。
バカじゃないか、と。
- 136 名前:四話 投稿日:2007/03/06(火) 22:47
- 結局は、友達と言っても他人。互いを知らないことは当然で。
互いにだんだん自分をさらけ出し、知り合っていくのこそ友達ではないのか。
笑いあって悲しみあって喧嘩して。そうして日々親睦を深めていくのが友達では無いのか。気を遣いあう知人同士では、それが出来ない。
相手を知りえないということは、至極当たり前だった。
だかられいなはここに宣言する。
田中れいなは、亀井絵里の、友人となることを。なりたい事を。
「友達なんだから、もっと頼ってよ――!」
「友達、だから……っっ」
それを、絵里も認めてくれた。だけど、それでも絵里は――。
「友達、だから……帰って、って、言ってる、の……」
絵里は拒絶した。
「……わからん」
だから、れいなは俯き肩を震わせる。
怒りにではない。必死に強がる絵里への寂しさから。
- 137 名前:四話 投稿日:2007/03/06(火) 22:48
-
「ワカランと! どうして亀井さん、あんたそげん強がるとよ! さっきだってそうや! 酷い熱あるのになんも言わんで……そんな事しても、余計心配になる! れなは全く嬉しくなか!」
吐き出した。今持っている自分の思いを、赤裸々に。
ふっふと短いスパンで息をして、涙すら浮かべた目でれいなはじっと絵里を見つめる。
これで絵里の気持ちが少しぐらい動いてくれることを期待したれいなは、だが次の絵里の言動に身を震わせ――言葉を失う。
「見て、よ。田中、さん」
虚ろな黒瞳がれいなを捉えて、瞬間、絵里の口が裂けた。
比喩ではない。事実、耳まで裂けたのだ。
れいなの頭すら丸齧り出来そうなほどに大きな絵里の口は、猛獣のそれより鋭い牙が上下共に2列形成していて。薄暗い部屋の中においても、それらは獰猛に煌いている。
ずくり、とれいなの右肩が疼いた。
呼吸が苦しい。
鼓動も早い。
手足が動かない、瞬きも出来ない。
半開きになった唇からは、「ぁ、ぁァ」と声にならない悲鳴がもれでる。
れいなのその反応が示す先は1つ。明白である。
絵里は、口を閉じて、儚げに微笑んだ。
「わたし、化け物、だよ……」
- 138 名前:四話 投稿日:2007/03/06(火) 22:48
- 囁くように優しい声もまた、ひどく儚げで。
「あの、女の人とか、も、そう。わたし、何か、狙われてるみた、い、なんだ。だから、わたし、の近くに、いたら、田中さ、ん、危ない、んだよ――」
触れれば壊れてしまいそうで。
「でも、ね。一番、危ないの、わたし……さっきみたい、に、理性、なくして、田中さん、傷つけちゃ、うよ……」
絵里の口が閉じられて、小刻みに震えていたれいなは慌てて口を開いた。
「だ、だいじょう――」
「……田中さんは、何も、できない」
それすらも、絵里は遮ってしまう。
「田中さん、今の、わたし見て、震えてた。怯えて、た。わたしのこと、恐い、って、そう思ってた」
「……っ」
「だから、田中さんは、何も、できない。わたしに、襲われたら、もう――」
- 139 名前:四話 投稿日:2007/03/06(火) 22:49
-
死んじゃう、だけ。
- 140 名前:四話 投稿日:2007/03/06(火) 22:49
-
衰弱した声色は、れいなの耳に深く浸透して、クリアな衝撃を与えた。
何も言い返すことが出来なかった。なぜなら、先の絵里の口を見て、恐いと思ったことは事実だから。また肉を抉られる映像がフラッシュバックして、心を軋ませたのだから。
絵里へと伸ばした手が、途中で止まってしまっている。
動かそうにも動けない。しかも、その手がまた震えてきていた。
情けない、そう思う前にも、絵里のその口唇が恐ろしい。
絵里が微笑んでいる。
れいなは困惑している。
絵里がれいなの手を優しく掴んだ。
れいなは大きく体を震わせる。
絵里が悠然とれいなを見つめる。
れいなは絵里を呆然と見つめた。
絵里は、言う。
「もう、ここで、お別れ、しよ。田中、さん」
衰弱しきった笑顔で。冷や汗の浮ぶ笑顔で。
絵里は唐突に別れを切り出して、れいなの手を離した。
- 141 名前:四話 投稿日:2007/03/06(火) 22:50
-
れいなは何も言い返せない。
YESもNOも無く、ただ黙って呆然と絵里を見つめるだけ。
分からなくなった。自分の気持ちが。
絵里のことを、言ったどう思っているんだろう。
友達――YES。彼女といると楽しかった。
結構自己犠牲――YES。自分で何でも抱え込もうとしてる。
そういうとこ、ムカつくし悲しい――YES。だからこそ、放っておけない。
でも。
でも、それでも。
あの口、あの牙、あの――痛み。
絵里は、絵里は――バケモノ?
「っ、っ……! ? っ……!!」
頭の中がグチャグチャになって。
胸の中もグチャグチャになって。
自分が分からなくなって、絵里も分からなくなって。
頭を抱えて痛切な叫び声を室内に残響させ――れいなは絵里のもとから逃げ出した。
- 142 名前:四話 投稿日:2007/03/06(火) 22:57
-
- 143 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/03/06(火) 22:58
- <四話 儚い笑顔の少女と逃げ出す少女> おしまい
五話へ続く。
- 144 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/03/06(火) 22:59
- 卒業の時節にコンバンハ。
最早何もいえないです。。ハイ。。。
それでも放棄はしませんっ!!
>>118さま
レスありがとうございます。
放棄しないといったのにこの体たらく。
深くお詫び申し上げます。。。
>>120 名も無き読者さま
レスありがとうございます。
お褒めに預かり光栄です。頑張りますです。
>>121
遅いよ、自分_| ̄|○
>>122さま
レスありがとうございます。
もう炬燵の時期は過ぎてしまいそうですね。。。
すみませんです。クフゥorz
- 145 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/05/27(日) 15:01
- いま全部読みました。
なんというか・・・すごく惹き込まれますね。
亀更新でも待ってますよ^^
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