夏が好きな理由

1 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/18(木) 20:00
それが2006年の4月だか5月だか忘れてしまったけど
あのときからあたしら四人の関係は変わってしまった。
あたしらは世の中には変わるものと変わらないものが
あるってことに気づいてしまったけど、
それをすんなりと受け入れられるほど大人じゃなかった。

やがて夏が終わりあたしらはまた一つ年をとる。
さらにまた夏が終わり夏が終わり夏が終わり夏が終わり夏が終わり・・・
あたしらは二十歳を過ぎ三十を過ぎ四十を過ぎ五十を過ぎ・・・
いつの間にかあたしらは全てを受け入れられるような大人になる。

夏はあの頃と変わらずいつものように暑い。
変わらない夏を眩しそうに眺めながらあたしらは
年を取るたびに変わっていくものに振り回されながら生きていく。
そう、あたしらは変わりながら生きていく。
でも今の人生が輝いているかどうかなんて大した問題じゃなかった。

大事なのはあの頃のあたしら。
一番輝いていた―――あの夏のあたしらの中にあった真実。
2 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/18(木) 20:01
★ ★ ★ ★ ★
3 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/18(木) 20:01
事務所の連中の辛気臭い顔にはいつも辟易させられていたので
やつらとは事務的な会話以外を交わすことは避けてきたが、
さすがにそのときは声を荒げずにはいられなかった。
がつーん。がらがらがっしゃん。破綻はいつもアクシデントから。
いや、これは十分すぎるくらい事務的な会話だよねと
自分に言い聞かせれば、これまでの法則に則った行動だと
解釈することは可能だったが、その時はこれ以上ないくらい
感情的になっていたのでそんな冷静な思考をすることは不可能だった。

それでもあたしが声を荒げるのとほぼ同時―――
「ほぼ」ということはつまり全然同時じゃなくて
あたしよりも余裕で先に新垣が奇声を発していたわけだが
どっちが先だったかなんてことはここではさほど重要ではない。

重要なのは事務所の人間がしれっと言った、
この夏に紺野と小川がモーニング娘。から卒業します。
ああそうそうハロプロからも卒業することに決まったんだけどね
っていう言葉が事実なのかどうかということ。
そしてそれが二人の意思で決まったことなのかってことだった。
4 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/18(木) 20:02
なんでえぇどおしてえぇ。などと日本語としてはわかるんだけど
この状況ではほとんど意味をなさない言葉を発し続ける新垣を
軽くいなしながら、事務所の人間は嘘臭さ丸出しの神妙な顔で、
まあ高橋と新垣はもう少しモーニング娘。の中で頑張れやー
的なことを言う。あたしは「高橋」という固有名詞が指している
人間が自分であることに気づくまでに少し時間がかかる。

これまでの人生で何回くらい「高橋」という言葉を
言われてきたのか想像もつかないが、間違いなく今まで
一番たくさん他人からかけられてきた言葉だろう。高橋。
いえすあいあむ。あいむたかはし。その高橋という言葉が今はやけに遠い。
5 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/18(木) 20:02
気がつくと椅子から立ち上がっているのはあたしと新垣だけだった。
みんな下を向いて何も聞こえないんですといった仕草をしている。
ボケが。カッコつけやがって。誰に何をアピールしとるんや。
何が気に入らないのかこれ以上はないといった不機嫌な表情を
している事務所の人間を、あたしは噛み付かんばかりに睨む。
事務所の人間は虚無主義的な笑みを浮かべながらあたしを鋭く射る。
おめえよぉ死ぬまでモーニング娘。なんかにいるつもりなのか?
と焼けたアスファルトに唾を吐き捨てるように言葉を放つ。

ケッ。その言葉があたしの中で憎悪に変換されるほんの一瞬の間に
あたしは唾よりも痰よりも相手の脳を不快にさせる言葉を探す。
おめえはそんな娘。が稼いだ金で食ってる一般人なんやろが。この無能が。
6 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/18(木) 20:02
事務所の人間はあたしから目を逸らすことなくニヤニヤと笑う。
あたしが叩きつけた無能という言葉は相手の胸にいささかの動揺も
与えなかったようだが、それはおそらくこれまで何度も何度も
あちこちで繰り返し言われ続けてきた言葉だからなのだろう。

無能が。無能が。この無能が。よく考えてみればこの言葉は
あたし自身も繰り返し自分に対して使ってきた言葉だった。
おそらくは紺野と小川も。そして新垣も。
がつーんと椅子を蹴るあたしに向かって事務所の人間はご丁寧にも
高橋もいい加減こういうことに慣れろよとのたまう。
慣れろ?慣れろ?慣れろ?慣れろ?慣れるかボケ。

あたしは部屋を見回し鬱憤の捨て場所となる人間を探すが
そこにはいつもいるはずの紺野と小川はおらず、
新垣も既に部屋を出た後で、部屋の中には
ただ後輩達が所在なげにたむろしているだけだった。

後輩達の存在感は限りなくゼロに近く、あたしががつーんと蹴った
安っぽいパイプ椅子は、そんな後輩達の空っぽな心と体を通り抜けて
部屋の角にぶつかり、ガラガラと転がってあたしの視界から消えた。
7 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/18(木) 20:02
★ ★ ★ ★ ★
8 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/18(木) 20:02
   
9 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/18(木) 20:02
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
10 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/18(木) 20:03
新垣里沙と自分の名前を呼ばれた瞬間、あたしは幾千幾万の人間が
超えたいと望んで止まない障壁を己の実力でクリアした気がしたが、
それが甘い錯覚だと気づくまでそんなに時間はかからなかった。

あたしがモーニング娘。に選ばれたというのは確かに間違いのない
事実だったが、そこで重要なのは「選ばれた」という言葉であって、
あたしは大人から与えられた場所で遊んだり勉強したりするという
あくまでも受動的なお子様人生から一歩も踏み出してはいなかった。
11 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/18(木) 20:03
目の前にあった壁は自分の力でぶち破ったわけではなく、
あたしの知らないどこかの誰かがひょいとあたしを
つまみあげて壁の内側に放り込んだというだけのことだった。
まるで縁日の片隅で胡散臭いおっさんが売っている、
嘘出しのカラーリングを施されたカラーひよこのように。

ぴよぴよと鳴くことしかできないカラーひよこは誰かに買われるまで
限られた狭い箱の中をうろうろと彷徨うことしかできないわけだが、
だからといって買われていくのが幸せなのかなんてことは誰にもわからない。
どっちにしたって頭の悪そうなガキに買われていくカラーひよこが
真っ白な鶏になれる確率なんて天文学的な数字に違いなかった。
12 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/18(木) 20:03
合格後、一つ年上の紺野と小川そして二つ年上の高橋と
改めて話し込んだ時に、あたしは生理的にこいつら三人とは
やっていけないと感じていきなりどよよーんと重い気持ちになったが、
それは先輩達と本格的に付き合うようになるまでのほんの短い間だけだった。

煌びやかな衣装を体だけではなく心にもまとった、
傲岸不遜な嘘つきカラーひよこの先輩達と話しても、
精神的な苦痛を感じないように己の心を抑えつけて対応すること。
それがこの世界に入ってあたしが最初に学ばなければならないことだった。

同期で入った人間と細々とした心理的な駆け引きをする余裕はとてもなく、
そしてそれは他の三人も同じだったようで、最初はお互い牽制し合っていた
あたしたち四人は、人間がいかに楽な方向へと流されていく動物なのかを
体現するかのように、あっという間にお互いを助け合う仲になった。
13 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/18(木) 20:04
要するに緊急避難的な場所としてお互いを利用し合っていただけだったのだが、
生きるか死ぬかの状況において体面など気にする余裕があるわけもなく、
高橋の嫌な部分も紺野の嫌な部分も小川の嫌な部分もあたしは全て黙認した。
あいつらがあたしを嫌っていることは気づいていたし、
あたしが気づいていることにあいつら三人が
気づいていることも知っていたけど、まあそれはお互い様だった。

あー、暑い。いやホント暑いね。
あたしはそんな暑い夏がとても好きだったけれど、今年の夏はバカみたいに暑い。
いや、いくら暑い暑いと言っても、もう10月を過ぎ季節は秋に
なろうとしていたが、あたしの2001年の夏はまだ終わってはいなかった。
暦がどれだけ過ぎようともあたしの心は2001年の8月で止まったままであり、
そこから己の意思で時計の針を進めるにはもう少し時間が必要だと感じていた。
紺野が怪我をして仕事から離れたのはそんな10月の半ばのことだった。
14 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/18(木) 20:04
「うざったい」という言葉を体現しているかのような小動物的オーラを
発していた紺野は加入当初から先輩達の格好のおもちゃとなっていたが、
その時に起こった出来事はうざったいという域など遥かに超えていた。
TV収録中の些細なミスから起こった事故。
最初はみんなそれを軽く見ていたようだが、そこで負った
紺野の怪我は意外と重く彼女はしばらく仕事を休むことになった。

どばどばとソースがこぼれるように止め処なく流れ出る紺野の血を見ながら
あたしが感じていたのは、紺野に対する心配でも同情でも嘲笑でも怒りでもなく、
これでまたあたしら5期メンバーがまとめて「こいつら本当に使えないやつらだ」
とか思われてしまうんじゃないかというバカげた不安と、自分一人だけでも
そこからどうにかして逃れられないかという保身の気持ちだった。
15 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/18(木) 20:04
だが紺野がいなくても別に大きな支障もなくモーニング娘。の仕事は回り、
そして大した感動的な再開のシーンもなくあっさりと紺野は仕事に復帰する。
事故の責任の所在は公にされることなく曖昧なまま全てが元に戻る。
あたしがあの事故の時に感じた不安は一体なんだったんだろうか。
紺野の事故はあくまでも紺野の人生に属すべきイベントであって、
他人でしかないあたしには何の関係もないはずだし、事実全く関係なかった。

なぜ自分が紺野と一蓮托生的にまとめて否定されるかもしれないと思ったのか。
紺野の責任はあたしの責任?同期の責任はあたしの責任?あーバカバカしい。
あたしは8月から止まっていたあたしの時計を進めることを決断する。
誰にも頼らずにこの場所で生きていくのは難しいかもしれないが、
いつまでもそんな甘ったれたことは言っていられない。
いつか必ず夏は終わる。バカだろうが無能だろうが誰に対しても平等に。
16 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/18(木) 20:04
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
17 名前:誉ヲタ ◆buK1GCRkrc 投稿日:2006/05/18(木) 20:05
続きます。

もし感想等がありましたらこのスレに直接書き込んでください。
よろしくお願いします。
18 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/19(金) 00:17
おもろいっすねぇ。
先が見えなくてわくわくします。
続きも期待してます。
19 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/19(金) 02:31
なによりまず誉ヲタさんのお名前をここで見てびっくり
二人の卒業を踏まえてのこのテーマ、真正面からの取り組みになるのでしょうか
これからどう展開していくか楽しみです
20 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/19(金) 19:23
★ ★ ★ ★ ★
21 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/19(金) 19:23
あたしは夏が好きだ。
生まれ育った福井の片田舎だろうがオーディションを受けるために電車で
えっちらおっちらと半日かけてやってきた東京だろうが夏は同じように暑い。

あたしは最初、福井とはとても同じ国とは思えないくらい
攻撃的な空気に満ちた首都東京の街並みに気圧されていたが、
オーディションは街中で衆人環視の中行われるわけでもないので、
すぐにいつもの自分のペースを取り戻した。

東京という街の喧騒も室内の張り詰めた緊張感も、むわーんとした
暑い夏の空気に覆いつくされているという点では全く同じであり、
それはあたしが15年間過ごしてきた場所と何も変わらなかった。
22 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/19(金) 19:24
やがてこの中から勝者と敗者が選別され、その両者の間に生まれる
深く暗い溝を埋める機会はもう二度と訪れないのだという
悲壮な思いがオーディション参加者の間に漂っていたが、
あたしはにはそんな思いは皆無であり、真っ白な顔をして死に物狂いで
歌ったり踊ったりしている他の参加者を蹴落とすことを純粋に楽しんでいた。

オーディションを受けていた人間は皆、福井の片田舎ではとても
見たことがないような華やかさを身にまとった美人美女ばかりだったが、
ここは福井じゃないんだから福井で見ないような人間がたくさんいるのは
当たり前なわけで、あたしが動揺する理由とはなり得なかった。

あたしは最初、田舎町で身に付けた他人を不快にさせるテクニックが
この場で意外なくらい大きな効果を挙げられることに驚いていたが、
他人を蹴落とすために手段を選ばないという考え方が
生まれつき大好きなあたしは、嬉々としてその技術を活用して
心理戦としての裏のオーディションを制覇していった。
23 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/19(金) 19:24
他人と争うときに最も有効なのは、自分の持っている力を最大限に
発揮することではなく、相手の持っている力を削ぎ落とすということ。
さらに人間がいかに精神的に弱くて脆い動物であるかということ。
この二点をあたし以上に熟知している子はその場にはいなかった。

オーディションが終わってみると、有力候補と思われていた子らは軒並み
不合格の憂き目を味わい、合格したのはあたしと、なぜ合格したのか
よくわからないようなレベルの子が三人の計四人ということになっていた。

一つ年下の紺野と小川、そして二つ年下の新垣。
どう見ても人数合わせとしか思えないこいつら三人のことなど
あたしの眼中にはなかったが、それでも同じ五期メンバーという
くくりで見られることの多さに気づいたあたしは、
三人の精神面に対してそれなりに介入していくようになった。
24 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/19(金) 19:24
あたしは気に入らないことがあった時はその感情を隠さなかった。
そういうことがある度に、小川はもうちょっと我慢しようよ的な言葉を
実に小川っぽいオブラートに包んであたしの前におずおずと差し出してきたが、
あたしはそれに一瞥をくれることもなく、ただぽーんと蹴り上げるだけだった。

あたしが同期の三人と繰り返したのは会話のキャッチボールではなく
一方的なフリーバッティングであり、あたしは小川や紺野や新垣を
ちゃんとしたローテーションピッチャーとは認めずに
練習相手のパッティングピッチャーのように扱っていた。

そんなことを繰り返しているうちに新メンバーとの距離感を計っていた
先輩達は、紺野や小川や新垣に対しては軽く見下すような態度をとるようになり、
あたしに対しては徹底して無視するという戦略でもって相対するようになった。
上等や。あたしはあんたらのお友達になるためにここに来たんやない。
25 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/19(金) 19:25
やがてあたしの好きな夏はあっという間に過ぎ、暗くて寒い冬が来る。
今日も紺野はいつもと同じように楽屋でめそめそと泣いているが、
もちろんあたしはそれを慰めるようなことはせず、
小川の方に向かって紺野が泣いている理由を問いただす―――
―――ような振りをして小川に精神的な圧力をかける。

暗い暗い暗い。何がモーニング娘。としてやっていく自信がないやねん。
アホかお前は。ほんの数ヶ月で何がわかるというんや。

あたしは自分が100%正しいと信じてやまない人間だけが
発動させることのできる、矛盾した剛直な理論でもって紺野を
説き伏せようとするが、えんえんと泣きながらも必要最低限の
知性と理性を失わずに持っている紺野はあたしの発する理論の矛盾を
遠慮がちに指摘しながらいかに自分が無能であるかを解説する。
26 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/19(金) 19:25
うるさいわボケと紺野を座っている椅子ごと蹴りながらあたしは、
泣き止まんのならとっとと北海道に帰ってジャガイモでも食ってろ
と叫ぶが、一向に泣き止まない紺野は
まるで悪いのはあたしの方と言わんばかりの表情で
ぐがぼこええええと言葉にならない獣のような叫びを上げる。

ばたん。
と音がしてどかどかと先輩達が数人部屋に入ってくる。
あたしが何を言っても絶対に従わなかった紺野は何事もなかったように
おはようございまーすといつものように先輩に向かって挨拶をする。
先輩達は転がっている椅子と紺野を見て一瞬怪訝な表情を浮かべるが、
おい紺野今日の収録はあんたにかかっているんだからちゃんとやってよね
と紺野の方を見もせずに言ってテーブルの一角に腰を下ろす。

うっせえよこのチビと椅子を蹴りつけようとするあたしの腕を持って
じゃあちょっとあっちの方へ行こうかとあたしと紺野と小川を促す新垣。
お前いつからそこにいたんだよ。
27 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/19(金) 19:26
先輩らの心配をよそに、言われたことを従順にこなすということにかけては
高い能力を持っている紺野は大きなミスをすることもなく、収録は順調に進む。
13人でけらけらと笑いながら進む仕事はとても仕事とは思えないほど
くだらなくて楽しいものであり、あたしは久しぶりに心が高揚する。だが。

お前こそモーニング娘。なんだよ!

収録中にとある芸人が紺野に叫んだ瞬間、胸の中に真っ赤な嫉妬心が広がる。
ああそうですか。よかったですね紺野さん。まあ羨ましいですわ。
でもてめえみたいな芸人なんかに言われたくねえよ。ていうかおめえ誰だよ。

こんないかにも作られた台本で感動しているらしい紺野もアホだが、
その言葉を聞いて自分がモーニング娘。である資格があるのかどうか
改めて心の中で自問自答してしまったあたしも相当なアホだ。
28 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/19(金) 19:26
確かに今日の紺野は普通にモーニング娘。だったかもしれない。
それはなろうと思ってなれるもんじゃないし、紺野も自分が既に
モーニング娘。になっていたという事実にその時初めて気づいたようだが、
あたし自身もそんな単純な事に気づいたのはその時が初めてだった。
その言葉を紺野に発するのがなぜ自分じゃなかったのかと思うと、
屈辱と悔しさで心が壊れそうになった。

暗い暗い暗い。
紺野に嫉妬するってのも耐えられないほど最悪なことやけど、
それ以上にどこぞの無名芸人に対して嫉妬してしまうとは。
人の心というものは自分のものであっても思うようにはならないもんやね。
あたしはいつものように小川でも蹴り飛ばして鬱憤を晴らそうとしたが、
紺野ととろける様な笑顔で話している小川の顔を見ていると
それもアホらしくなり、ロッカーをがつーんと一蹴りして家路につく。

ところであたしはモーニング娘。なんやろうか?
29 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/19(金) 19:26
★ ★ ★ ★ ★
30 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/19(金) 19:26
  
31 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/19(金) 19:26
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
32 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/19(金) 19:27
泣こうが喚こうが事務所の下した決定は絶対に覆らないということは
これまで何度も経験してわかっていたので、どんなに理不尽な決定であっても
逆らおうなんて気は起きなかったが、さすがにモーニング娘。のメンバーの
卒業決定という事実は、何度経験しても慣れるような種類のものでもなく、
ましてやこれまで苦楽―――ていうか単に苦しみ?―――を共有してきた
同期の人間の卒業決定を耳にして、あたしは自分の感情を持て余していた。

あたしは何度も紺野と小川に電話をしようとしたけれど、
なぜか二人に連絡を取る前にプッシュしたのは高橋の連絡先だった。
高橋のあほんだらーは事務所の人間が二人の卒業を告げた時に一瞬だけ
見せた狼狽を微塵も感じさせることなく、自分勝手な言葉を並べ立て、
毅然とした態度でもってあたしと感情を共有することを拒絶した。
33 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/19(金) 19:27
なあ新垣君。あの時、事務所の人間があたしに言ったこと覚えとう?
悔しいけどあれが事実やで。
ほんであの時、あたしが事務所の人間に言い返したことも覚えとうか?
あれが全てやで。もうなんも考えたくないで。切るわ。ばいばい。

五年近くの長い付き合いを経てもこのあほんだらー高橋の
考えていることだけは全く想像も理解もできないのだが、
皮肉にも嘘をついている時だけははっきりとわかるようになっていた。
何がなんも考えたくないでーだ。嘘つけこのあほんだらーが。
時間を無駄に費やしたことを少し悔やみながらあたしは紺野に電話をかける。
34 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/19(金) 19:27
電話で話すようなことじゃないでしょ。
などという刺々しい言葉を携帯電話の向こう側の紺野から
投げかけられたあたしは持てる限りの語彙を動員して紺野を罵った。
紺野の言葉のトーンは明らかにあたしを挑発しており、
あたしはそれを受けて黙っていられるほど
優しい人間でも臆病な人間でもなかった。

人生が大きく動いた日であるにも関わらず相変わらず頭のとろい紺野は
あたしの会話のペースに全くついてこれなかったが、
やつはここしかないという絶妙のタイミングで電話を切る。
そしてあたしが再び紺野の番号をプッシュしても
その日はもう二度と紺野につながることはなかった。
都合が悪くなると貝になる紺野。いつもそうだ。バカじゃねーのかお前。
35 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/19(金) 19:28
当たり前のことだが、たとえ携帯の電源をオフにしたとしても
紺野の卒業が決まったという事実をデリートすることはできない。
でもあたしはわざわざ紺野の家なんかには行かない。遠いもん。
遠いもん。きっと高橋ならそう言うだろう。

確かに今なら高橋と意見が一致するかもしれない。
あたしは過去に同期の人間と意見が一致した時のことを思い出そうとするが、
改めて思い出すまでもなく四人の意見が一致したことなんて一度もなかった。
あたしら三人の意見が一致するといつも喜んで高橋が逆の意見を言うからだ。
そんな高橋の性格についての考察は脇に置いてあたしは小川の家に向かう。
36 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/19(金) 19:28
にわかには信じられなくてあたしは何度も同じ質問を
繰り返し訊いてマンションの管理人を不愉快にさせてしまったが、
そんな表情は毎日のように不愉快な顔を見せる高橋で
散々見慣れていたので、委細構わずあたしは
本当に引越したんですかと同じ質問を繰り返していた。

小川は用意周到にも卒業発表と同時に引越したのかと思ったが
よく考えてみれば小川の卒業は八月であり、まだ四ヶ月以上も先のことだ。
そして何かを管理する立場の人間としてはやや口の軽い管理人の話を信じるなら
小川が引越したのはもう半年も前のことであり、確かに思い返してみれば
あたしは一年以上もこのマンションへは来ていなかったわけで、
おそらく引越したのは今回の卒業とは全く関係がなかったのだろう。
37 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/19(金) 19:28
いくら口の軽い管理人でもさすがに新しい住所までは教えて
もらえなかったので、あたしは仕方なく小川の携帯に電話をかける。
この番号は先週もかけたばかりだし変わっているってことはないだろうと
思っていたのだがどうやら小川は紺野同様に携帯の電源を切っているらしく、
結局あたしは小川と連絡をとることができなかった。

紺野も小川も携帯の電源切ってるのか。
あたしも電源切ってやろうか。意味ねーか。
なんの脈絡もなくあたしはもしかしたら高橋も電源を切っていたりしてと
思って試しに再び高橋の携帯に電話してみたが、
当然、高橋は電源など切っておらず、
あっさりと電話に出て嬉しそうにやあやあ新垣君お久しぶりなどと仰る。
38 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/19(金) 19:28
やあやあ新垣君お久しぶり。

おめえよう。携帯の電源切れよ。

は?電源?なに言っとんじゃ?

うっせえ。黙って携帯の電源切っとけ。

アホかお前。なんで切らなあかんのよ。

切れっつったら切れよ!このあほんだらー!

あー、新垣君。そういえばさっき小川と紺野から電話あったよ。

うそ?まじ?

うそ。

おまえ殺すぞ。

あぁ。どうせ明日になったら会うじゃんかよ。

じゃあ明日殺すから。
39 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/19(金) 19:28
携帯での会話を打ち切ることにかけては紺野の100倍下手くそな高橋は
それからもだらだらと今回の卒業についての雑感を話したがっていたが、
話すべきことは全て話し終わったあたしは一方的に電話を切る。
やっぱりさっきの「もうなんも考えたくないで」ってのは嘘じゃねえか。

そしてあたしはさっき高橋が言った短い嘘を反芻する。
もしかしたらあたしがかける前に高橋も小川に電話をかけて
つながらなかったのかもしれないし、嘘というのも嘘で
本当に紺野か小川と電話で話したのかもしれないが、すっかり
疲れきっていたあたしは、もうそんなことを確認する気にならなかった。
どうせ明日になったら会うんだし。
40 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/19(金) 19:28
ステージに立って幕が上がったら、あたしらは否も応もなしに
お客さんの前で完璧なモーニング娘。を演じなければならない。
それは何年もやってきたことであって、あらゆる仕事の中ではある意味
最も簡単な仕事であったのだが、それでもコンサートの前は緊張する。
そしてそのコンサートの前のリハーサルの時には紺野とも小川とも
当然顔を合わせることになるし、顔だけじゃなくて歌や踊りも合わせて
一個のグループとして連動していかなければならない。
いつものように。いつもっていつさ?

あたしは二人と会って一体何を聞こうとしているのだろうか。
答えのわかりきっている質問をして何がどうなるっていうのだろうか。
あたしの質問に対して紺野と小川が真摯に答えてくれる可能性は限りなく
ゼロに近かったが、それでもあたしは二人に面と向かって訊くつもりだった。

たとえ二人の胸の内の真実がわからなかったとしても、
もしその時二人が嘘をついたなら、それを見抜く自信はあった。
41 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/19(金) 19:29
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
42 名前:誉ヲタ ◆buK1GCRkrc 投稿日:2006/05/19(金) 19:30
>>18
レス一番乗りありがとうございます。
飼育で書くのは初めてなので私自身もわくわくしてます。
続きも頑張るので期待しててください。
43 名前:誉ヲタ ◆buK1GCRkrc 投稿日:2006/05/19(金) 19:31
>>19
どうもありがとうございます。
羊からやってきました誉ヲタです。
飼育にも知ってる人がいてびっくりです。
こっちでも頑張るので楽しみにしていてください。
44 名前:誉ヲタ ◆buK1GCRkrc 投稿日:2006/05/19(金) 19:33
書き始めた日からいきなりレスがついて嬉しいです。
レスが一つもつかなかったら書くの辞めようかと思ってました。
うそです。
明日からも頑張るので読んでくださる方は
もう少しの間お付き合いください。

よろしくお願いします。
45 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/20(土) 11:07
★ ★ ★ ★ ★
46 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/20(土) 11:07
事務所からのある意味極めて事務的な紺野小川卒業決定報告を聞いた翌日。
翌日なのにコンサートなんかがあるあたしはとろとろと会場に向かう。

あたしは会場に着くといつものようにまず紺野と小川の姿を探した。
やつらとの会話は多くの場合、ストレスの発散というか
単なる時間潰しであり、特に毎回話したいことがあるわけでは
なかったのだが、さすがに今日は二人の卒業決定を聞いた翌日であって、
それ以外の会話や喧嘩で無駄な時間を潰すつもりはなかった。

会場に先に着いていた新垣がこちらに向かって歩いてくる。
あたしはいつもとは明らかに違う新垣の雰囲気を感じて身構える。
大体新垣の方からあたしに向かってくるということ自体が
珍しいというかあり得ないことであって、さらに二人で何らかの
時間や言葉を浪費し合うなんてことは最近ではまず考えられなかった。
47 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/20(土) 11:08
あたしはいつものようにパイプ椅子をがーんと蹴って
新垣との会話が始まる前の緊張感を緩和しようとしたが、
思っていた以上に軽かったパイプ椅子は河原の石切りのように
鋭いステップを繰り返した後に新垣の向こう脛をしたたかに叩き、
大袈裟な悲鳴を上げた新垣の周りには変に殺気だったスタッフの
やつらが数人わらわらと集まり即席の人垣ができる。

おい!高橋!とか叫ぶスタッフを無視してあたしは控え室に入る。
元々あたしの方から新垣と話したいことなんて
何一つなかったし、脛を軽く打ったくらいでコンサートの
パフォーマンスに支障が出るなんてこともあり得ないわけで、
あたしが新垣の下へ駆けつける理由なんて一つもなかった。
48 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/20(土) 11:08
バタンと思いっきり乱暴にドアを閉めた直後に、
あたしの意思に逆らうかのようにバタンと丁寧にドアが開く。
見てたよ。ちょっとあんたなにやってんのよ。
と言う言葉の主が紺野であることはドアの方を見る前に、
苛立ったその声を聴く前に、ドアの開け方ですでにわかっていた。

あたしは紺野の方へ向き返り、昨日事務所の人間が
言っていたことの真相を問いただそうと、とろい紺野にも
わかるように噛んで砕いた言葉で話しかけようとしたが、
口から出てきたのは「わかるわけないよ」という一言だけだった。

紺野は無言だったがその目は強くあたしのことを責めており、
その叱責の対象が新垣に椅子をぶつけたことではなく、
これから共にステージを作り上げていく仲間に対しても
一切コミュニケーションをとろうとしないあたしの
態度にあることは明らかだった。まあいつものことやけどね。
49 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/20(土) 11:08
そう。
紺野と顔を合わせた瞬間、あたしは自分でも
驚くほど紺野に対して無関心になっている自分に気がついた。
昨日、一瞬感じた紺野小川卒業に対する憤りは跡形もなく
あたしの心から消え失せており、紺野に対して質問したり
祝福したり慰めたりといったことをする気は全くなくなっていた。

それどころか、なるほどこれがあのとき
事務所の人間が言っていた慣れるということなのかと、
経験豊富な人生の先輩のお言葉に感動していたくらいだった。
50 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/20(土) 11:08
それでもあたしはいつものように、控え室にあった椅子の側面に
回り込もうとしたが、それよりも先に紺野はあたしが蹴ろうとした
椅子が絶対に飛んでこないであろう位置にあった机の上に腰掛ける。
行儀悪いぞお前。

蹴り上げようとした足の行き場を失ったあたしは、
それでも構わずにがつーんと椅子を蹴る。
空を舞う椅子は全く反対方向に座っていた人間にぶつける。

それが道重だか久住だかはよくわからなかったが、
青い顔をしてパタパタと控え室から逃げ出すように
飛び出していったそいつが開けたドアから、
入れ違いに小川が藤本と一緒に入ってくる。
51 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/20(土) 11:09
どういう理屈だかはよくわからないが、藤本の顔を見た瞬間に
あたしの心の中に再び紺野と小川の卒業に関する疑問を本人達に
直接ぶつけてみたいと思う気持ちが湧き上がってくる。
多分それが藤本じゃなくても誰でもよかったんだと思う。
きっとその時のあたしには同期以外の人間が必要だったんだ。

おめえよう。新垣にちゃんと謝っとけよな。
などと憎憎しげに言う藤本の目を見ながらあたしは
ごめんなさい。といかにも「これは演技してるんですよ」
ということが嫌味なくらいきちんと藤本に伝わるような口調で謝る。
そして。
52 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/20(土) 11:09
紺野。あんた本当に勉強のために辞めるん?
小川。あんたも本当に自分から辞めたいって事務所に言うたん?

あたしはこれ以上はないくらい素っ気無い口調で
二人に一番訊きたかったことを質問したが、
それは別に本当に素っ気無かったわけではなく、
演技の仕方なら何パターンも知っているが、
本心の晒し方は一つも知らないという、
長年のアイドル生活の果てに変遷した己の性質のせいだった。

紺野も小川も―――そしてご丁寧に藤本も―――何も答えなかった。
ただ小川は新垣にちゃんと謝っておいてよとあたしに言って
その場の沈黙を振り払い、その後で付け加えるかのように
あんた、椅子に当たるのはいいけど田中にあたるのはよしなよ
と優しい先輩を演じるかのような口調で言った。

小川も演技が上手くなったね。
でも演技だとわかる演技ってはたして上手いんだろうか。
あたしには少なくとも小川が演技をしていることだけはわかった。
その傍らで、いつになっても演技するのが下手クソな紺野は
ただ俯いてあたしという名の台風が去るのを待っているだけだった。
53 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/20(土) 11:09
★ ★ ★ ★ ★
54 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/20(土) 11:09
   
55 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/20(土) 11:09
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
56 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/20(土) 11:10
大好きな夏がやってきて、あたしがモーニング娘。に加入してから
もうすぐ一年になろうかという2002年の7月にそれは唐突に発表された。
青い空を高く貫く夏の太陽はあたしがモーニング娘。に入った後も
入る前と同じように膨大なエネルギーを地球に放ち続けていたが、
太陽がやっていることは、規格外な大きさであることを除けば
あたしたち人間がやっていることとそう変わりはないんだなって―――

うなだれている卒業発表記者会見の主役後藤真希を見ながら、
あたしはそんなことを考えていたが、それにしてもあたしとあの人が
規格こそ違え、同じモーニング娘。というグループの一員なんだって
ことに関しては加入から一年が経っても実感することはできなかった。
57 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/20(土) 11:10
モーニング娘。という大きな流れのど真ん中にいた後藤真希は
あたしにとって太陽よりも遠い場所に存在している人であり、
決して直視することなど許されない人間であったが、
それがあたしの一方的な思い込みなのだと気がついたのは、
もう二度と活動を共にすることはできないんだって悟った瞬間だった。

遅い。遅いんだよ。
あたしはいつも大切なことに気づくのが遅い。
58 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/20(土) 11:10
後藤保田卒業というショッキングな発表と同時に、
現存するいくつかのユニットの大幅な再編成も発表され、
あたしは紺野とともにタンポポに入れられることになった。

いよいよあたしたち五期メンバーもそんな新しいステージの中で
これまでの一年間に積み重ねてきたことの成果を問われることと
なりそうだったが、そんなシビア状況を前にしても、
高橋はギラギラとした目で新しく与えられた獲物を
どう料理しようかと算段していているだけのように見えた。

今年の夏も暑くなりそうだ。
いや、暑くなるに決まってる。
あたしの人生がぐらりと大きく動くのは、
いつもバカみたいに暑い夏だった。
59 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/20(土) 11:10
一メンバーの卒業なんてどうとも感じないだろうと
思っていた他の先輩達が、予想以上に動揺していることに
あたしは驚いたが、それもほんの数日の間だけのことで、
モーニング娘。は来たるべきカタルシスに向かって疾走を始めた。

あたしは先輩達の胸の内を計りかねていた。
それはいつものことといえばいつものことだったのだが、
あたしはどうしても後藤卒業に対する先輩達の本心が知りたくて、
何人かの先輩に向かってズバリ聞いてみようと思ったが――――
それと同時に自分がそんなことを聞けない人間であり、
絶対に聞かないだろうということもわかっていた。
60 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/20(土) 11:11
あたしは紺野や小川に何度もこの人事について語りかけたが、
紺野や小川のハロプロ再編成に対するスタンスは、
基本的には能天気にギラついていた高橋と同じだった。
もっともその表現方法は天と地ほども離れていたのだけど。

あるべき場所でやるべきことをやるだけだ。
そんな当たり前すぎる意見を、さも自分の人生経験の中から
築き上げたんだと言わんばかりの紺野の態度にブチ切れたあたしは、
紺野に対してこれまで抑えてきた感情を解放して、
一片の躊躇いもなく、言葉を選ぶこともせずにただひたすら罵倒した。
61 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/20(土) 11:11
あるべき場所でやるべきことをやるなんていうことは
ド素人にだってわかりきった大前提であり、あたしたちは
それをやるためにオーディションを受け、同じような思いを秘めた
ライバル達のあるべき場所を潰し潰し潰してここにいるんだろうが。

あのオーディション合格から一年が経ち、
さらにエース格の先輩が卒業しようとしている段階にもなっても
それを理解しようとしない紺野に対してあたしは全身全霊罵倒した。
やるべきことをやれは誰でも成功できるのかよ。
そんなわけないじゃん。頭悪いんだよ。このバカが。
62 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/20(土) 11:11
そんなあたしの苛立ちとは何の関係もなく、夏が終わり、
後藤真希17歳の誕生日がやってきて全てのイベントが終わる。
やっぱり今年の夏はバカみたいに暑かった。
あたしは好きな季節と好きな先輩が去ってしまった悲しみを、
芸能人らしく極めて事務的に心の引き出しにぱぱぱっと片付ける。

嘘。
心を事務的に処理するなんてことはできないし、
忘れようとすればするほど感傷的な気持ちになる自分がいたが、
あたしらには空気を吸うように当たり前にこなさなければ
ならない仕事が波のように押し寄せていたわけで、あたしは
何も考えずにその波の上でゆらゆらと揺られているだけだった。
63 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/20(土) 11:11
あたしはまだトサカも生えない嘘つきカラーひよこのままだった。
事務所の人間がひょいと開けてくれた後藤真希の居場所を、
残された12人は奪い合うようにして分け合い、潰し合い、
食い尽くし、誰もがにわかエース気分を満喫していたが、
あたしは高橋や小川や紺野ですら参加していたその戦いに
参加することはなく、ただぼーっとそれを見つめているだけだった。

あたしは誰かを罵倒したり、感傷的になったりすることに疲れて、
ただ自分の動物的な生存本能に従って、己の心が傷つかないように
地中深く埋め、自分や他人に嘘ばかりつきながら生き長らえていた。
モーニング娘。に入った頃の、あたしと出会った頃の紺野のように。

気がつくとあたしは紺野のことを許していたが、
それと同時にあたしの中の人生の時計は再び完全に凍結してしまい、
いつ動くともしれないような状態になってしまった。
64 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/20(土) 11:11
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
65 名前:誉ヲタ ◆buK1GCRkrc 投稿日:2006/05/20(土) 11:13
続きます。

飼育って意外と行数制限厳しいですね。
実際に書きこんでみるまで気づきませんでした。
行数というより1レスに書き込める文字数が決まっているのかな?
よくわかりませんが明日からも頑張ります。
66 名前:SN 投稿日:2006/05/21(日) 01:24
追いつきました
確かに収束の形がまったく見えなくて気になります

タイトルが意味深ですね
67 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/21(日) 10:02
★ ★ ★ ★ ★
68 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/21(日) 10:02
あたしは昔から夏が好きだったけど、それは単に暑いからとか
太陽が輝いているからとかそういう単純な理由じゃないんだって
気づかされたのは東京に来てこの仕事を始めてからだった。
後藤真希が卒業して9月が終わり10月が来ても今年の東京は
やけに暑かったけど、あたしの中では2002年の夏という季節は
とっくに終わりを告げており、暑さはだた不快でしかなかった。

あたしがターゲットにしていた先輩はあっさりと
卒業してしまったけど、きっとそこから何かが始まるはずだ!
と思っていた新しい時代はやって来ず、何をしたらいいのか
わからないあたしらは、ただまごまごとしているだけだった。
69 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/21(日) 10:02
あたしは事務所の人間が有能か無能かということを評価しようと
思ったことはなかったし、ただひたすら目の前に広がっている
無限の可能性とは名ばかりの何もない荒野を開拓することに
専念していればいいと思っていたけど、後藤卒業後の初っ端に
ごまっとうとかいうふざけた名前のユニットの結成が
発表された時は自分の考えを改めなければならないと強く感じた。

ごまっとうだってさ。ふざけてますよね?
ここで気づかなくてどこで気づくんや。
こんなユニークな形で喧嘩を売られたのは
初めての経験だったので若干の戸惑いは隠せなかったが、
戦いはいつだって小さな戸惑いから始まるのだ。
70 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/21(日) 10:03
そんなときもどんなときも好戦的なあたしは
平和ボケした小川に対する攻撃を止めようとはせず、
周りの人間が軽く、いや思いっきり引いてしまうくらい
徹底的に自分のやり方を小川に押し付けた。

あたしにとって戸惑いとは次なる戦闘への導火線の役割を
果たす感情だったが、小川にとっての戸惑いとは精神的な
破綻を先送りにするための緩衝材的な役割を果たす
感情でしかなかったようで、あたしの攻撃を受けた小川は
まず戸惑い、次に戸惑い、さらに戸惑い、そして最後まで戸惑っていた。

次第にあたしに対して注意や干渉をする人間はいなくなっていった。
あたしはそれも気に入らなかった。
嫌なことは見て見ない振りをして、結論を先送りにしても
問題が消えてなくなるわけじゃなくて、いつか必ずそのツケは
自分らが払わなければならないってことは、8月の30日辺りまで
夏休みの宿題に手をつけないバカな小学生にだってわかることなのにさ。
71 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/21(日) 10:03
あたしは輝かなくてはならない。
あたしがこの世界においてどれくらいの価値がある人間なのかってことを
バカにもボケにも先輩にも紺野にも小川にも新垣にもそして
あたしが自らの意思で蹴落とした人間たちにもはっきりとわかるほどに強く。
そのためだったらあたしは自分に嘘をつくことも
小川を蹴ることもメンバー全員に無視されることも厭わない。

だけどこの世界はあたしの決意など過去の彼方に押し流してしまう。
この時からとてつもない速さで回りだしたこの世界の歯車を、
あたしは加速させるべきだったのだろうか。それとも―――。
72 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/21(日) 10:03
あたしが小川を蹴ったり紺野を蹴ったり新垣を無視したりしている間にも、
ハロープロジェクトという地方から出てきた人間にはヤクザにしか
見えない会社組織はごうんごうんごうんと音を立てて大きく動いていた。
モーニング娘。の6期メンバーを募集いたしますと組の若頭が言った瞬間、
あたしは自分でも驚くほどに動揺していることに気づき、
そして一瞬、自分が立っている座標軸を見失いそうになった。

あたしは自分についている5期メンバーという肩書きの5という数字が
お飾りではなく、4の次の数字であり6の前の数字であることに気づく。
この数字は時計の針のように律儀に歩を進め、決して逆に進むことはないのだ。
うわー、あたしたちにも後輩ができるんだねー、
などと無邪気にはしゃいでいる紺野をいつもよりも
やや強めに蹴り飛ばしてあたしは自分の心を落ち着けようとする。

あたしは前に進まなければならないんだ。
だから誰も邪魔しないでくれ。
73 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/21(日) 10:03
ミニモニ。という今となってはモーニング娘。と同じくらい有名な
ユニットにくっつきながらあたしは歌う。誰に向かって?知るかボケ。
あたしは4という数字がついている人間を追い越して、
3を踏み潰し、2を蹴散らし、1を切り倒して輝かなければならない。
できるとかできないとか好きとか嫌いとかお金とかステータスとか関係ない。
やらなければならない。戦い続けなければならない。

なぜならそれはあたしがモーニング娘。だから。
モーニング娘。の5期メンバーだから。
理由はそれだけで十分だった。
74 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/21(日) 10:04
★ ★ ★ ★ ★
75 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/21(日) 10:04
   
76 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/21(日) 10:04
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
77 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/21(日) 10:05
本当のところは大して痛くなかったけれど、パイプ椅子が
当たった脛を押さえてあたしは大袈裟にのた打ち回っていた。
駆け寄ってきたスタッフが本気で心配してるのがわかったけれど、
そんな気遣いは完全に無視してあたしは叫びたいだけ叫び、
転がりたいだけ転がり、のた打ち回りたいだけのた打ち回った。

泣き叫びたい時は誰にだってある。
だけど一人で泣き叫ぶことほど情けなくてさらに落ち込むことはないし、
かといって大勢が見ている前で泣き叫んで慰めてもらうなんてことも
みっともなくてとてもできたもんじゃない。
高橋が蹴った椅子はそんなあたしの心を見透かしているかのように、
あたしを好きなだけ泣き叫ばしてくれた。
78 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/21(日) 10:05
高橋が蹴った椅子だってもしかしたら避けようと思えば
避けられたのかもしれないと思ったのは、あたしがすっかり
泣き止んで、高橋の姿を探そうと思い立ったときだった。
あたしはちょっとした悲劇のヒロインになりたかったんだけど、
それは単に傷ついた自分がちやほやされたいからじゃなくって、
本当に悲劇のヒロインにされてしまった紺野と小川に同情したり
感情移入したりするのが煩わしかったからかもしれない。

面倒臭いんだよ。
人はいつだって楽な方へと流されていく。
流されて流されてたどり着いた場所がどんな過酷な場所だったとしても
流されている間は楽なんだから文句を言ってはいけないのだろう。
あたしはそうやっていつものように高橋に対する憎悪を
機械的に処理しようとしたが―――無理だった。
79 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/21(日) 10:05
控え室に入ると高橋だけではなく紺野も小川もいて
さらには吉澤藤本亀井道重田中久住と全員勢ぞろいしていた。
今のモーニング娘。が総勢で10名であり、そしてその数は
あたしらが入ってから最も少ない人数であることはわかっていたが、
たとえ5人だろうが10人だろうが15人だろうが、
そこに紺野や小川やそして高橋がいる限り、あたしにとっては
いつものうざったいモーニング娘。であることに変わりはなかった。

紺野と小川の周りには亀井道重田中といった面々がまとわりついて
今回の卒業劇についてあーでもないこーでもないと喋っているようだった。
この雰囲気では紺野と小川とはシリアスな話はできないと判断し、
あたしはそれと同じくらい重要な問題を先に片付けることにした。
80 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/21(日) 10:05
大丈夫だったの?
といつものようにあきれた表情で聞く吉澤に軽く目で応えて、
あたしは部屋の隅で一人たたずんでいる高橋の下へと歩み寄る。
一歩。二歩。三歩。今度は高橋はあたしから目を逸らさなかった。
がっ。がっしゃーん。がらがらがら。しーん。

部屋にいた人間全員の視線があたしと高橋のほぼ中間点に注がれ、
うるさいくらい賑やかだった控え室にはいつもと違った緊張感が走る。
転がっている椅子を挟んでにらみ合っている新垣と高橋という構図は
さして珍しくもない日常風景だったが、いつもと違うのはそこに
転がっている椅子を蹴ったのが高橋じゃなくてあたしだということだった。
81 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/21(日) 10:06
高橋はギラギラとした目であたしを見つめていたが、
その表情は憤怒というよりは歓喜という方に近い気がした。
そうだよ。そうなんだよ。こいつはいつだってそうだ。
誰よりも何よりもあり得ない状況が好きなんだ。

あたしはそんな意外性の女王高橋の期待に応えるように
くるりと高橋に背を向けて、ほんじゃあそろそろ準備すっかと
独り言を言いながら紺野と小川を手招きして外へ出るように促す。
我ながらまずまずの意外な行動なんじゃないでしょうか。
それにもうこれ以上高橋と椅子とか言葉とかを交わす気にはならなかった。

高橋に対する用事はこれで完全に済んだし、
後は紺野と小川と話をつければ、同期の卒業なんてことは
どうってことない問題として片付けることができると信じていた。
いつものようにそうできると信じていた。
82 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/21(日) 10:06
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
83 名前:誉ヲタ ◆buK1GCRkrc 投稿日:2006/05/21(日) 10:09
>>66
レスありがとうございます。
タイトルの意味に目をつけるとは鋭いですね。
最後の収束やタイトルに関する作意については
完結した後でゆっくり話せると思います。
84 名前:誉ヲタ ◆buK1GCRkrc 投稿日:2006/05/21(日) 10:10
まだまだ続きます。

最後上手く収束できるかはわかりませんが
これからも頑張ります。
感想があればこのスレに直接書き込んでやってください。

よろしくお願いします。
85 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/22(月) 19:18
★ ★ ★ ★ ★
86 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/22(月) 19:18
あたしは新垣が派手に椅子を蹴り飛ばし、いかにも芝居がかった
口調で紺野と小川を部屋の外へと連れ出していくのを見て爆笑した。
げらげらげらげえあがえれがげあげらげらげら。

窒息せんばかりに喉から湧き出てくる笑いにむせ返りながら
あたしは、新垣が紺野や小川とともに今回の
卒業について語り合っている場面を想像してみたが、
きっとまたいかにも芝居がかった口調で慰めたり励ましたり
してるんだろうなと思うと、さらに波のように笑いがこみ上げてきた。
87 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/22(月) 19:18
新垣は嘘をついたりつかれたりするのが好きな子だった。
あたしはあの子に対するたった一つのサービスとして、
しばしば安倍と松浦は本当は仲良しで昨日も偶然見たんだけど
代官山のカフェで二人でお茶してたよとかいうあたし自身にも
リアリティがあるんだかないんだかわからない微妙な嘘をついて
新垣の複雑かつ不愉快な表情を見て楽しんだりしていた。

あたしが蹴って新垣の脛にぶつけた椅子も嘘だし、
新垣があえてあたしにぶつからないように蹴った椅子も嘘だ。
はいはいはい。うそうそうそ。げらげらげら。
少し笑いすぎたかもしれない。
気がつくと一筋の涙があたしの頬を伝っていた。
88 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/22(月) 19:18
まだ19歳とはいえ一介の社会人として五年近く
仕事をしてきたあたしは、このまま控え室でただ笑ったり
泣いたりし続けるわけもいかないことはわかっていたので、
そそくさと暗がりに消えていった新垣たちとは
反対方向の明るい照明が照らすステージの方へと向かった。

人生はいつだって予想通りには進まないんだよ―――
と神様があたしに試練を与えるのは自由なんだけど、
それにしたって時と場合というものがあるじゃないかよ。
神様にそう愚痴ろうとして、あたしはこういう最悪な時にこそ
試練というものはやってくるのか、それともこの最悪な状況を
試練と呼ぶべきなのだろうかとか考えていた。
89 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/22(月) 19:19
まあ何を言いたいかというとてっきり暗がりでめそめそ泣いている
とばかり思っていた三人がなぜかステージの最前にちょこんと
腰掛けて話し込んでいるのに気づいてしまったってことよ。
それに気づかない振りをして通り過ぎるかどうかを検討する暇もなく、
三人があたしが来たことに気づく。

三人はまるで入念な練習をしたかのようにぴったりとタイミングと
動作を揃えて右肩越しに振り返りあたしを見つめる。見るなよバーカ。
あたしは周りに蹴りつけることのできるパイプ椅子がないことに気づくが、
人生にはそんな椅子などないシチュエーションの方が多いわけで、
別に気にもとめずに一気に間合いを詰めて直に小川を蹴る。
90 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/22(月) 19:19
小川はまたかよといった表情でぱーんとあたしの足を振り払う。
てっきり自分が蹴られると思っていたらしい紺野は小川以上に
オーバーなリアクションであたしの足を避けようとして、
よろよろと腰掛けていたステージから落ちる。なにこのとろい生き物。

どんな状況においても、まずどうでもいい問題から片付けようとする
小川はステージに再び上がろうとする紺野を気遣うこともせず、
それを助ける新垣に一瞥もくれることもなく、あたしに向かって
ちゃんと新垣にさっきのことを謝ったの?などと確認してくる。

あたしは小川が言ったことの意味が理解できず
数秒間ぼーっと立ち尽くすが、それが今日の一番最初に新垣の脛に
椅子を蹴り飛ばしたことを言っているんだってことに気づく。
たった数十分前のことなのにやけに遠い昔のように感じられるが、
それも無理もないことでその後には小川と紺野に話しかけたり
新垣があたしに椅子を蹴り返したり色々あったわけで・・・・・

あれ?たったそれだけ?
意外と何もなかったな。
なんでこんなにも時間が経つのが速く感じられたんやろね。
91 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/22(月) 19:19
あたしは新垣の目を見てごめんなさいと一言詫びる。
それは藤本に謝ったときほど露骨ではなかったけれど、
やはり全然あたしの本心じゃなくて、
きっと新垣だったら簡単に見破れる程度の見え見えの嘘だった。

新垣はそれを聞いてもいつものように何も反応しないだろうと
あたしは思っていたが、そんな予測はあっさりと裏切られ、新垣は
もういいよ。大した怪我じゃないし、気にしてないから。
などと友達に接するかのような態度であたしの言葉を受け止める。
本当に今日は予想通りに進まない。神様は試練が好きやね。

勿論あたしは新垣の言ったことが嘘であることは一瞬で
わかったし、その嘘があたしに対する思いやりなんかじゃなくて
この場で一番話しておかなければならない大切な話を
先に促すための方便だってこともわかっていた。
わかった。ありがとう新垣。
92 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/22(月) 19:20
あたしは心の中で新垣に感謝する。
思えばこいつらに感謝するときは
―――それは極めて少ない機会だったけれど―――
いつも表には出さずに心の中だけで処理しているのはなぜだろう。

なぜだろうっていうか考えなくても答なんてわかりきっていて、
それは単純に恥ずかしいからという本当に単純で
再確認するまでもないアホな理由だったんだけど、
今一番確認しなければならないことはそんなことじゃない。
それはバカな新垣だってわかってることじゃんかよ。
そう。今日は特別な日なんだ。きっとあたしらにとって。
93 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/22(月) 19:20
あたしは真っ直ぐに新垣を見つめて「それでいいよね」って
語りかけるが、極端に言葉を省略したあたしの意思が
新垣に全て伝わるわけもなく、新垣から返ってきたのは
「なにが?」という極めて常識的な返答だった。そらそうやわな。

もうええか。時間は限られている。今日が特別な日じゃなくても。
あたしはあたしと新垣が今一番聞きたいことを再び聞く。
再び?ああ、そういえばさっき控え室でも同じことを聞いたんやね。
もしかしたらさっきと同じように答は返ってこないかもしれない。
でも聞く。また聞く。答が返ってくるまで何度だって聞いたるわ。
少なくとも―――これまで紺野と小川を蹴ってきた数くらいは。

なあ。紺野。小川。あんたらなんで辞めるん?
94 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/22(月) 19:20
★ ★ ★ ★ ★
95 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/22(月) 19:20
  
96 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/22(月) 19:20
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
97 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/22(月) 19:21
2003年も年が明けて早々に6期メンバーの加入が発表されたが
その面々の初々しげなルックスはあたしに何の高ぶりも与えなかった。
オーディション特番で見られた過剰な演出から判断すると、
どうやら事務所はこの子らをこれまでのモーニング娘。の雰囲気を
壊そうとしている問題児としてプロデュースしていくようだった。

バカじゃねえのとこれまで何度も事務所に対して思ってきたけれど、
モーニング娘。をよく知らない人でも気づいているような破綻すら
事務所の人間は全く気づいていないという事実は、
もはやバカというのを通り越して滑稽という領域に達していた。
98 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/22(月) 19:21
新しく入った子らを問題児という言葉で表現することは
5期メンバーを優等生という言葉で表現することと同じくらい
嘘臭いことであり、あたしはそんな事務所のあからさまな嘘の前で
どう立ち振る舞っていいかわからず、ただただ笑うしかなかった。

こういうときに笑顔という表情は便利だ。
何の感情もなかったとしても何かを表現しているように見える。
あたしは困ったときは新垣里沙という名の笑顔の仮面をかぶって
あらゆる芸能界的な嘘に対して嘘でもって対応するのが常となり、
そんなことをしているうちに笑顔だけは上手な人間になっていった。

そうやってニコニコと笑うことでしか自分の中の時間を
進めることはできなかったけれど、まあそれはそれでいいじゃんか。
笑顔は人をハッピーにさせるし、心の内は誰にも見えないんだ。
99 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/22(月) 19:21
5月の本格的なデビューを目指して6期の子らはレッスンを開始した。
あたしたちがしっかりとこの子たちを教えてあげなくちゃね。
などとまるであたしらが入ったときの先輩達の振る舞いなど
完全に忘れてしまったかのような暢気な表情で小川は言う。

あたしらが入った頃は親切な先輩など存在しなかったし、
そんなものに頼ることは許されなかった。
その結果あたしら5期はモーニング娘。という存在から
切り離された埋立地のような存在になってしまった。
孤立というよりは殺風景。あれは一体なんだったんだろう。

でも小川はそんな過去を必然の出来事と受け入れることは
できなかったようで、あの頃の先輩に対するあてつけのように
積極的に6期メンバーに関わり、ある時は優しく、ある時は厳しく
懇切丁寧にアイドルとして今後やっていくべきことを教えていた。
100 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/22(月) 19:21
滑稽だった。
あたしは表面上はそれに付き合いながらも心の中では小川を軽蔑していた。
小川は6期を肯定することで過去のあたしらの失敗を正当化しようと
しているように見えたが、たとえどんなに過去を正当化したって
今のあたしらが過去の失敗の責任から逃れることはできないんだよね。
どうしてそれがわからないんだろう。どうして。

どうしてかって?
改めて自問しなくても答えはわかりきっている。
小川が、そしてあの頃のあたしらがバカだったからさ。
真実はいつだってシンプルで、ありきたりで、そしてくだらない。
まるであたしの笑顔のように。
101 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/22(月) 19:21
6期加入決定から間を置かずにモーニング娘。が
さくら組とおとめ組に分割されることが発表された。
あたしは高橋と紺野とともにさくら組に入れられることとなり、
おとめ組となった小川とは一時期距離を置くことになった。

高橋や紺野よりも扱いやすい人間だと思われていたあたしは
色んな人から亀井のことをちゃんと面倒見てあげてね
なーんて言われたが当然のようにそんな言葉は無視して
あたしなんかより適任だと思う紺野に全てを押し付けた。
どうせ二つのユニットが始動するのはまだ先のことなんだ。

あたしはいつの間にか嫌なことを先送りするクセがついていたが、
周りは右も左も前も後ろも上も下も嫌なことだらけで、
一体何を先送りして何を真っ先に片付けなければならないのか、
そんなことすらよくわからなくなっていた。
102 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/22(月) 19:22
そんなあたしを置き去りにしてモーニング娘。は
5枚目のアルバムをリリースし、春のツアーをスタートさせる。
予定されている保田卒業6期加入という一つのエンディングが
ハッピーエンドなのかバッドエンドなのかはよくわからなかったけど、
もちろんそれはエンディングなんかじゃなくて、モーニング娘。という
グループの途中経過のほんの一部分でしかないってことはよくわかっていた。

あたしは屈託のない笑顔を見せる6期メンバーに対して
この先に待ち受けている過酷な未来を突きつけてやりたい衝動に駆られたが、
やめた。やーめた。
あたしはまるで高橋のような天邪鬼さでもって6期に接し、
彼女らに向かってはバラ色の未来のみを示した。しーめした。
103 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/22(月) 19:22
あたしがやっていることは一見、正反対のようで実は小川の
やってることと同じだったのかもしれないが、それはともかく
あたしの中にあったのは6期に対する純粋な悪意のみだった。
6期なんて知らねえよ。地獄に落ちろよ。本気でそう思った。
そんなあたしの悪意に気づいているかどうかはわからなかったが、
紺野も高橋もあたしとは一定の距離を置き、決して近づこうとしなかった。

あたしは紺野や高橋と行動を共にしたかった。
たとえそれが最低最悪にネガティブな理由であろうと、そんなことを
思ったのは初めてのことであり、そしてきっと最後なんだろうなと感じた。

だってあたしはこれ以上同期に嫌われるような
―――そして同期を嫌いになれるような―――
最低最悪の行動を見つけることはできなかったから。
104 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/22(月) 19:22
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
105 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/23(火) 19:22
   
106 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/23(火) 19:22
     
107 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/23(火) 19:22
★ ★ ★ ★ ★
108 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/23(火) 19:23
6期が本格的に活動を始め、モーニング娘。は
15人という大所帯で動くこととなったが、そんな異質な
環境に慣れる前に安倍なつみの卒業がさらっと発表された。

やばいよやばいよ安倍さん辞めちゃうよ
とか今更ながら危機感丸出しでおろおろとする小川を
あたしは椅子ごとがーんと蹴りつけた。はい加減なしで。
小川はアホの子のように毎日毎日心の中の不安を隠さずに
晒すことによって将来への不安を薄めようと必死になっていたが、
それは逆にただ不安を増幅させているだけのように見えた。
109 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/23(火) 19:23
そんな小川を見ても他のみんなはただ黙っているだけだった。
大体小川のやっていることは本人の意図と逆の結果になることが
多かったから、小川以外の人間は自分の直感を信じるよりも
小川のやっていることの逆の道を信じて進んでいけばよかった。
そうすれば失敗することもない。
まあ、成功することもなかったんやけどね。

そんな他人任せ?な生き方を強いられている?不愉快さ?を
かき消すようにあたしは毎日毎日飽きもせずに小川を蹴った。
小川は毎日のように愚痴り、あたしは毎日のように小川を蹴った。
椅子を蹴り机を蹴り小川を蹴り、その合間に紺野を蹴って一休み。
そんなあたしを見ても新垣は何も言わなかった。
110 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/23(火) 19:23
もちろんあたしは新垣も蹴った。
新垣は紺野や小川と違ってあまり隙をみせなかったが、
隙がなかったとしても理由がなかったとしても意味が
なかったとしても、そんなことはおかまいなしに新垣を蹴った。

もう限界だった。
あたしたちの馴れ合い関係も、モーニング娘。の未来も、
可能性というものはひとかけらも感じることができなくなっていた。
オーディションが終わってからもうすぐ2年が経とうとしていたが、
後藤や4期の人間たちがデビューしてから2年の間に
成し遂げた実績をずらりと並べて5期と比べようとしても、
5期にはそこに並べられるような実績など何もなかった。

本当に何もなかったんやで。あはは。
111 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/23(火) 19:23
2年経っても光り輝く成功という名のゴールは全く見えず、
目の前にはただ高くて分厚い壁だけが聳え立っており、
成功ってのはその壁の向こうにあるんだけどねーなどと
底意地の悪い微笑で話す先輩達の言葉に反論することなどできなかった。
あたしはそんな先輩を蹴った。後輩も蹴った。同期はその8倍くらい蹴った。
つまりあたしはあたし以外の全てを蹴った。躊躇わず蹴った。

あたしはそれがあたしに与えられた当然の権利である
ということを一片も疑うことなくモーニング娘。の先頭に立ち、
高く厚い壁をぶち破るべく孤軍奮闘したが、多くの場合は―――
いや、全ての場合においてその試みは失敗した。
112 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/23(火) 19:24
あたしは5期の人間の立ち位置の微妙な変化に過敏になっていた。
紺野や小川や新垣を意識するなんて入った頃のあたしからすれば
とても耐えられないような屈辱だったが、同程度の屈辱だったら
この2年で数え切れないほど味わってきたのでどうってことなかった。

どうってことなくなってきてたんだ。
なんだか自分の人生を粗末に扱っているような気がしたけど
たとえ自分を大切に扱ったって他人から大切に扱われるわけじゃないし、
無茶苦茶をやっているときの方が楽しかった。
たとえ周りの人間がどんなに引いてしまっていても。
ええやんか。あたしはあたしやし。
113 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/23(火) 19:24
小川は保田卒業以降なぜかその後釜的なキャラを割り当てられて
微かながらもチャンスを与えられていたが、その光はあっさりと消えた。
あたしはなぜか、おそらく人生でたった一度のチャンスを、逃すどころか
与えられていることにすら気づいていないような態度の小川を見ても
いつものように小川は本当にアホやねえと小馬鹿にする気になれなかった。

あたしは小川に望むものがあったのだが、
小川がそれに応えてくれることはただの一度もなかった。
114 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/23(火) 19:24
あたしと小川の人生は一度も重なることななかったし、
この先も絶対そうなることはないだろうと思っていた。
それでもあたしがモーニング娘。として輝くためには
小川が必要であり、紺野や新垣が必要であると考えていた。

あたしが欲しいのはあたしの役に立つ人間。
たとえ見かけがグズでのろまであっても構わないし、
むしろそういう人間であった方があたしが引き立って見えるので
好都合なのだが、本当にリアルにグズでのろまな人間などいらないのだよ。

今のあたしには目標を達成するために必要としているものが
山ほどあって、使えるものはもう体裁など気にせずに
何でも使わなければならないと思っていたけれど、
可能な限りハードルを低くしても小川はそれをクリアできなかった。
もうええわ。もうそろそろええやろ。
これ以上低くしたら、それはもうハードルではないやろ?

気がつくと2003年の夏は終わっていた。
大好きな夏が過ぎても何の感慨も湧かなかった。
夏が来たことすら気づかずに―――
何一つ達成することができないまま夏は終わった。
115 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/23(火) 19:24
★ ★ ★ ★ ★
116 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/23(火) 19:25
 
117 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/23(火) 19:25
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
118 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/23(火) 19:25
高橋はいつだって素っ気無くて適当でいい加減で困る。
一番困るのは、その適当さがあまりにも意味不明で
解釈のしようがない時ではなくて、高橋本人が思っている以上に
ダイレクトに物事の核心を突いているときだった。
そんな時でも皆は苦笑いを浮かべて高橋のことを無視するんだけど、
いたたまれない気持ちになるのは無視したあたしらの方だった。

なあ。紺野。小川。あんたらなんで辞めるん?

高橋の言葉はこれ以上ないくらいシンプルに
紺野と小川の心に深く突き刺さったと思う。
まったく滅多に会話らしい会話をしないくせに
たまに喋ったかと思うとこれだから高橋は怖い。

高橋という存在は逃げても逃げてもあたしたちを追いかけてくる。
だってそうでしょ?
今のこの場面で高橋の質問を無視することなんてできない。
きっと高橋は本能でそういうことに気がついているんだ。
小川も紺野もいつものように苦笑いを浮かべているけれど―――
この質問からは絶対に逃れることはできない。
119 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/23(火) 19:25
なんでって。あたし本当は辞めたくないし。

じゃあなんで辞めるんよ。

さあ。なんでだろう。

なんでだろうやないやろ。続けたらええやん。

もうそれはできないんだってさ。無理なんだって。

事務所にそう言われたんや。

うん。

紺野もそうなん?

うん。

辞めたくないのに辞めさせられるん?

うん。辞めたくないよ。

あの理由は嘘なんや。

ははは。
120 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/23(火) 19:25
5期メンバーとしてこいつらと接するようになってから
これほど緊張感のない会話もなかったんじゃないか。
高橋と小川紺野との会話を聞いていてそう思った。なにこれ。
それからも高橋は何度も何度も同じようなことを
紺野と小川に聞いていたけれど、二人の答えはまるで
前もって示し合わせたかのように揃って曖昧なものだった。

あたしは紺野と小川が嘘をついていると思った。

これまで紺野や小川がついてきた数多の嘘に接して
きたけれど、今回ほどその嘘に驚かされたことはなかった。
会話に会話を重ねるほどに虚しさが襲ってきて
4人を取り巻く全ての言葉が嘘のように感じられてきた。
いや、全部嘘なんだけどね。それは昔からそうだったはずなんだけどね。
わかっていたはずなのに。わかっていたはずなのに。

本当は辞めたくないの。事務所に無理矢理辞めさせられるの。
本当に辞めたくなったの。辞めると決めたのは自分の意思なの。

どちらの答えが出てきたとしてもあたしには嘘だと感じられたと思う。
121 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/23(火) 19:26
高橋は二人の答えを聞いてどう思ったのだろうか。
それを知ることは二人の卒業の真意を知ることと同じくらい
難しいことだとわかっていたけれども、あたしは二人の
卒業の真意と同じくらい高橋の心の中を知りたいと思った。

あたしは高橋の真似をして素っ気無い口調で
紺野と小川が言っていること、本当だと思う?
と聞こうと思ったけど、高橋ほど無神経ではないあたしが
そんなことを聞けるわけもなく、全てが曖昧なまま4人の会話は終わった。

あああああああああああああああああ
辞めたくねえええええええええええええ
辞めたくないよおおおおおおおおおおおお

そんな小川の芝居がかった咆哮ももちろん全部嘘だった。
見え見えの下手っくそな嘘だった。
高橋は目の前にある椅子を片っ端から蹴っ飛ばしていた。
誰も傷つけずに転がっていくその椅子も全部嘘だった。
紺野は高橋と新垣はあたしたちの分も頑張ってねと言った。
吐き気がするくらい気持ちの悪い嘘だった。

あたしの頬には一筋の涙が流れていたけれど、
きっとそれも3人には嘘の涙と映ったに違いないだろう。
122 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/23(火) 19:26
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
123 名前:konkon 投稿日:2006/05/24(水) 01:12
すごく続きが気になります
ちょっと悲しくなってきた・・・
124 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/24(水) 19:11
★ ★ ★ ★ ★
125 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/24(水) 19:12
5期メンバーの四人が、それぞれに与えられた
キャラクターを演じるようになったのはいつからだろう。
当然、出会ったばかりの頃はそんなことはしてなかったわけで、
それぞれがこれまでの人生で表現してきた素に近い人間性を
見せていたはずなのだが、あれから四年以上が過ぎてしまった
今となっては、当時の記憶などほとんど残っていなかった。

殻の中に詰まっているはずの真実は少しずつ少しずつ
加えられた打撃によっていびつにゆがみ、もはや原型などない。
どこや。どこにあるんや。本当のあたしらはどこにあるんや。
どこ?あたしは見たいんか?真実のあたしらを。
真実のあたしらって何や?
価値があるんか?
126 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/24(水) 19:12
気がつくと周囲にはもう椅子はなかった。
蹴り散らかした椅子はそこら中に転がっていたが、
いつもなら速やかに虚しさに変換されるはずの苛立った感情は
さらに暴発する場所を求めてあたしの心の中で暴れ狂っていた。

あまりの感情の高ぶりにあたしは眩暈がした。
ふらふらふらと新垣に抱きつき、寄りかかり、その場に腰を下ろした。
少しくらい休んだってええやんか。なあ新垣くん。
あたしは昨日から一睡もしてないんや。
127 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/24(水) 19:12
なあ。新垣くん。

どーした。高橋。わけわからんぞ。

このままここで寝ていい?

はあ?

あたしめっちゃ眠いんよ。

あのなあ。椅子片付けろよお前。

そんなんスタッフがやったらええんや。

あんた昨日あたしが言ったこと覚えてる?

おう。めっちゃ覚えてるって。

嘘でしょ?

うん。完璧忘れたわ。

お前殺すぞ。今ここで。

ふは。おっかねー。
128 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/24(水) 19:12
げらげらげらげらげらがれあがえれあげらげら。
こんなにも心の底から笑ったのは久しぶりだよと
思ったけれど、よく考えればさっきも控え室で死ぬほど
笑っていたわけで、こんな最低最悪な状況の中で
人生でもトップ5に入るほどの笑い声を二回も上げるなんてさ。

――― 己の最悪を笑い飛ばせることを余裕という

こんな名言を残したのが一体誰だったのか
全く思い出せなかったし、よく考えればこの言葉を
初めて雑誌か何かで見た時もその言葉を覚えこそすれ
その言葉を書いた人間の名前には見向きもしなかったわけで、
何万回己の心を探ってもその名前が出てくるわけはなかった。
129 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/24(水) 19:12
あたしは眠い目をこすって紺野と小川を見つめる。
紺野と小川。
この二人の名前なら知っているよ!
あたしが世界で一番多く蹴り飛ばした人間と
二番目に多く蹴り飛ばした人間。
僅差の三位には新垣くん。
表彰台は5期が独占。

たった19年の人生とはいえこの偏りはなんなんやろね?
130 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/24(水) 19:13
本当はたった一晩の徹夜くらいどうってことなかったけど
一度口にした以上は一応やるべきかなと思ったし、
何よりぴーんと張った緊張の糸が切れたあたしは
とにかく全てを忘れたくてすやすやと新垣の胸で眠ろうとする。

おい高橋。あんた本当に寝ようとしてるでしょ?
つれない新垣の一言であたしの眠りは簡単に妨げられる。
こいつはいつから嘘以外のことも見抜けるようになったんや?
小川と紺野はあたしら二人を見ながら苦笑いを浮かべている。
苦笑いとはいえ笑顔は笑顔。アホやでこいつら。
なんで笑っていられるんや。クビにされたんとちゃうんか。
一体なんなんよこの懐かしい憎たらしさは。
131 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/24(水) 19:13
脳内にフラッシュバックするあの頃の記憶。
そういえばそうやった。
出会った頃の―――素に近い―――紺野と小川は
いつもこんな他人の気持ちを推し量りかねているような
気持ちの悪い苦笑いを浮かべていたっけ。

ああホンマ進歩してないんやね。
鶏が先か卵が先か。そんなことはどうでもよかった。
もうこの二人にはモーニング娘。として
やらなければならないことってないんやろうな。
あたしはそうやって無理矢理に二人の卒業を受け入れようとしていた。
132 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/24(水) 19:13
★ ★ ★ ★ ★
133 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/24(水) 19:13
    
134 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/24(水) 19:13
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
135 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/24(水) 19:14
辻と加護がぐいんぐいんと回しているフラフープの音もまだ耳に
残っているような2004年の年明け早々に、常に何かを起こさないと
この世界では生きていけないという強迫観念に支配されている
我らがクソ事務所さんは唐突に辻と加護の卒業を発表した。

そんな発表は安倍が卒業してからにしろよベイビー。
などという正論を言う気はとっくの昔になくなっていた。
モーニング娘。はもはやじわじわと真綿でクビを締められている
ような状況ではなく、きりきりとピアノ線でもって確実に、
力強く息の根を止められようとしているような状況だった。
もう逃げ場はないんだ。
あたしたちには安倍や辻加護のように逃げることすら許されない。

15人から14人になり、さらに12人になろうとしているモーニング娘。は、
確実に活動のフィールドを縮小していったが、
そんな悲惨な状況もあたしには全然関係なかった。

そして畳み掛けるように飯田と石川の卒業が発表された。
136 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/24(水) 19:14
何かを起こさないとこの世界では生きていけない。
それは決して事務所の勝手な思い込みなどではなく、
この世界で生きている人間にとっては当たり前すぎる常識だった。

そう。あたしが生きている場所がそういう場所だって
いうのはバカで無能なあたしにだってよくわかっていたけど、
そんな戦場であたしが出来たことといえば、
身を屈めて姿勢を低くして頭を下げて、
そんでもって無様に命乞いをして―――
ただ銃弾に当たることなくその場をやりすごすことだけだった。

あたしは銃弾に当たって前のめりに死ぬべきだったのだろうか?

少なくとも高橋は銃弾に当たって死んだように思える。
小川も撃たれて死んだのかもしれない。
紺野だってそうだ。
でも5期の中であたしだけが誰も傷つけることなく
何も得ることなくのうのうと生き延びていた。
137 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/24(水) 19:14
先輩がほとんどいなくなっちゃうね。
と小川に言われるまでもなくあたしら5期が
モーニング娘。の中でも中堅になろうとしていることは
よくわかっていたが、同時にこんな場所に留まっていて
一体何が起こるんだろうという疑問も感じていた。

もはやモーニング娘。を卒業するということは、
以前とは大きく意味が変わっており、
それと同時に、いやそれ以上にモーニング娘。を
卒業しないできないさせてもらえないということも、
以前では考えられなかったくらい大きな意味を持つようになっていた。
それでもあたしらはここから逃げ出すことはできない。
何も残していないあたしらが卒業なんてできるわけがなかった。
138 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/24(水) 19:14
それを思うと何だか急にモーニング娘。に入った頃のことが
懐かしく思えてきて情けない気持ちになったが、
同じ情けないという気持ちでも、それは入った頃にしばしば感じた
己の無力さに対する情けなさとはまた違った重く暗い感情だった。
あたしは「一体自分は何をするためにモーニング娘。に入ったのか」
という最も根本的なことを見失っているように感じていた。

モーニング娘。を愛したかった。
モーニング娘。から逃れたかった。
モーニング娘。から愛されたかった。

あたしはモーニング娘。に入ってから初めて誰かから理解されたいと望んだ。
誰でもよかったのだろうか。いや誰でもよくはなかったのだろう。
そのとき問いかけたのが同期の小川だったというのは
偶然ではなかったと思う。思いたい。
139 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/24(水) 19:14
ねえ。あんたモーニング娘。好き?

はあ?なに言ってるの?

後藤保田安倍辻加護飯田石川。みーんな卒業しちゃうじゃん。

新垣さん、あなたいきなり何言ってるの?

もうあたしらが入った頃のモーニング娘。じゃないよね。

そうだけどさ。モーニング娘。はモーニング娘。じゃん。

そうじゃなくってさ。

そうじゃなくって?なに?

モーニング娘。から卒業したいって思ったことない?

ないない。卒業してどうすんのさ。

モーニング娘。になるの。本当の意味で。

はあ?意味わかんない。

あたしは今のモーニング娘。は好きじゃないのよ。

なんか今日の新垣さんは高橋みたいだね。

あんな意味不明なやつじゃねーよ。

でも言ってること、全然わかんないよ。
140 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/24(水) 19:15
小川が全く理解できないのも無理はなかった。
あたしはあまりの恥ずかしさから本当に言いたいことは
口に出さず、極端に言葉を省略して会話をしていたからだ。
本心は心の一番深い場所で言葉にされることを待っていたが、
小川に向かってむき出しの本心を見せることはできなかった。
だって小川はあたしと同じモーニング娘。だったから。

高橋に似てるだって?
冗談じゃないよこのバカ。だからバカは嫌いなんだ。
何もわかってないくせして核心を突くから嫌いなんだ。
バカはバカらしく的外れなことだけ言ってればいいんだ。
141 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/24(水) 19:15
あたしは小川じゃなくて紺野に相談すればよかったかなと思いながら
それでも紺野も案外小川と同じような答しかくれなかっただろうと
勝手に一人で納得しながらこの会話を忘れることに決めた。
いつだって本心は自分の心の中だけにある。

いつだって人間は一人だ。
入るときも卒業するときも一人だ。
理解してもらうのは偽りの心だけで、嘘の心だけで十分だ。
そんな風にしてあたしは、自分の嘘も他のメンバーの嘘も
そして事務所の嘘もすんなりと受け入れられるようになっていった。
142 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/24(水) 19:15
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
143 名前:誉ヲタ ◆buK1GCRkrc 投稿日:2006/05/24(水) 19:21
>>123
感想ありがとうございます。
読んでて「悲しくなってきた」ということは
作者としては喜ぶべきことかもしれませんが、
ちょっと申し訳ないような気もします。
144 名前:誉ヲタ ◆buK1GCRkrc 投稿日:2006/05/24(水) 19:21
もう少し続きます。
読んでくださってる方、
もうしばらくのお付き合いをお願いします
145 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/24(水) 21:14
切ないんですけど引き込まれます


あと、高橋さん蹴りすぎw
146 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/25(木) 19:07
★ ★ ★ ★ ★
147 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/25(木) 19:07
三度目の夏。
あたしがモーニング娘。に入ってから三度目の2004年の夏も
いつもの夏と何ら変わることなくギラギラとあたしらを照らし、
汗を搾り取り、乾きを与え、欲望を増幅させ、闘争心を奮い立たせる。
戦いを止める理由を見つけることは髪を切る理由を見つける
ことくらい簡単だったが、放っておいてもまた伸びてくる髪を
切るように簡単には戦いを止めるわけにはいかなかった。

髪なんてこの三年間に何度切ったか記憶にないくらい
何度も何度も切って来たしこれからも切るだろう。
でもまた伸びてくる。
目的は何や。まあ目的なんてないやろうね。

今年の夏も暑い。
でもその暑さも、肩にかかる髪にじっとりとしみこんでくる汗も、
街の熱気も全然不快じゃなかったし、あたしが好きな夏そのものだった。

上等や、夏。あたしは負けん。
自らの意思で戦いを放棄するわけにはいかんのや。
それだけはできん。たとえ何が起こったとしても。
148 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/25(木) 19:08
あたしは戦い続けなければならない。

夏が真っ盛りを迎えようとする少し前に辻と加護の卒業コンサートが
無事終了し、モーニング娘。は二人減り12人体制へと以降するが、
もちろんそんなことはグループの活動にはほとんど影響を与えず、
あたしらはいつものようにあっという間にその状況に慣れる。

あたしは戦い続けなければならない。
149 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/25(木) 19:08
あたしは戦い続けなければならない。

そしてモーニング娘。の7期メンバーの募集を行います
という事務所のアナウンスを聞いた時もあたしはいつものように
げらげらと笑いながら紺野や小川を蹴り飛ばして気を紛らわせ、
よくある事務所の性質の悪い冗談の一つとして聞き流していた。

あたしは戦い続けなければならない。
150 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/25(木) 19:08
あたしは戦い続けなければならない。

さらにもはやその冗談のクオリティは嘲笑という域を超え、
畏怖にまで達しようとしていた我らがクソ事務所さんは
石川を中心としたユニット美勇伝を結成させたり、後浦なつみという
誰からも支持されることを拒んだ名前のユニットを結成させたりと忙しい。

あたしは戦い続けなければならない。
151 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/25(木) 19:08
あたしは戦い続けなければならない。

もう誰もあたしたちのことを真剣に見つめていないということは
とっくにわかっていたけれど、それはあたしたちの責任だったのだろうか。
全てを事務所の責任にすることは、髪を切ることと同じくらい簡単だったが、
あたしは自分の人生を誰かの責任に委ねるなんてことはできなかった。

あたしは戦い続けなければならない。
152 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/25(木) 19:08
事務所に対する畏怖はモーニング娘。の24枚目の
シングルについての説明を受けたときにピークに達する。
これからのモーニング娘。の看板を背負っていくのがあたしでは
なかったとしても、それは事務所の決定だから受け入れるしかないと
思っていたが、それでもシングル曲のセンターかつメインシンガーに
紺野を選ぶという決定を受け入れることは難しかった。ていうか無理やって。

あたしは本気でこれまで紺野を蹴った数を数えようと思った。

一日三回蹴ってきたとして三年で約3000回くらいになるが、
蹴っていない日はほとんどないにもかかわらず、
多いときは10回20回くらい平気で蹴ってきたわけで、
おそらく3000という数は大きく上回るんじゃないかと思ったが、
それ以上正確な数を出すことは不可能だった。

24枚目のシングルがリリースされる頃には
あたしの大好きな夏は去り、あっという間に秋が来ていた。
夏は輝くのも去るのもあっという間だ。
でもええやん。輝くんやから。
153 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/25(木) 19:08
夏が消えてなくなると同時にあたしは戦いの対象を見失っていた。
高橋愛という名前はモーニング娘。の中にあっても
別に特別な存在じゃなかったし、悲しいかなその他にも
特別な存在と呼べるようなメンバーなど一人もいなくなっていた。
はいはいどうもどうもー、その他大勢オールスターズでーす。

紺野の歌声は大嫌いだったが、何度も何度もリピートして聴いた。
どうしても紺野の歌声が特別なものとは思えなかったし、自分よりも
勝っているとも思えなかったが、もはやモーニング娘。のセンターが
そんな存在ではないということはわかっていた。結構前から。
でもきっとこれまではそれを認めるのが嫌だったんだろう。

でももういい加減その事実を受け入れなければならない。
紺野が終止符を打ったんや。
こ・ん・の・がやで。3000回のシンデレラ紺野さんがやで。
これ以上ない終止符やんか。
それでもあたしは紺野に対する敵意を隠すことはできなかった。
154 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/25(木) 19:09
あたしは打ち合わせをしている紺野めがけてがつーんと椅子を蹴る。
椅子は遠く何メートルも離れている紺野に当たるわけもなく
ガラガラと転がり二人の中間地点辺りで勢いを失う。
おはよう。相変わらずバカなことやってるね。
と眠たそうな笑顔で話す紺野に向かって中指を立てる。
本当はそのゼスチャーの意味はよくわからない。

紺野が歌が下手なんていうことは昔からわかっていたし、
今も進歩がないことに関してどうこう言うつもりは
なかったけれど、最初っから下手でもいいじゃないか、
下手でも一生懸命に歌うことに意味があるんだ。
なーんていう義務教育的な生温い発想が気に入らなかった。
155 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/25(木) 19:09
あたしらは戦い続けなければならない。

モーニング娘。は決してB級アイドルなんかやない。
それを受け入れることはできん。
笑われることを良しとして笑われることに慣れて
笑われることによってお金をもらうなんて耐えられない。
たとえモーニング娘。が、世界中の全ての人に
そういう存在でいてほしいと望まれているとしても、
あたしはそんな生き方など拒絶する。

紺野はそんなB級アイドルの象徴だった。
あたしはあいつみたいに負けを受け入れることはできない。
負けるくらいなら死ぬ。戦って死ぬ。3000回でも4000回でも死ぬ。
そのためになるかどうかはわからないけど今日も明日も明後日も
その先もずっときっとあたしは紺野を何千回も蹴り続けるだろう。
156 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/25(木) 19:09
★ ★ ★ ★ ★
157 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/25(木) 19:09
    
158 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/25(木) 19:09
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
159 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/25(木) 19:10
耳が割れんばかりの前奏とそれに負けない大歓声がホールを包む。
2006年春の娘。コンツアーも半ばを過ぎ、この大阪公演が終われば、
後は埼玉スーパーアリーナでの最終公演を残すのみとなるが、
そんなことはこれまでも何度も何度も繰り返してきたことだった。
紺野と小川にとって最後の娘。コンツアーということを除けば。

コンサートの場数だけはかなり踏んできたという自負があるが、
今回のコンサートほど茶番に感じられたコンサートもなかった。
幕が上がる前から二人の卒業の公式発表を知ったファンたちは
口々にコンコンだとかマコだとか二人の名前を連呼し、
会場に来ている同じ娘。ファン達と感情を分かち合おうとしていた。
160 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/25(木) 19:10
会場にいる人たちがどれほどモーニング娘。を愛しているかは
痛いほどよくわかっているつもりだったけど、
それでも彼ら彼女らはモーニング娘。ではないわけで、
そこには超えられない一線というものが厳然と存在しており、
その線の内側にいるあたしらには
彼ら彼女らに真実を伝えるなんてことはできなかった。

曲の合間にふとがきさーんという叫びが耳に入る。
ファンが呼ぶ名前は紛れもないあたしの名前。得がたい真実。
あたしはそれに得意の笑顔で応えるが、それ以上のことはできない。
できないんだ。できたとしてもやるつもりはないんだ。
161 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/25(木) 19:10
数曲歌い終わりあたし達は横一列となってMCを始める。
いつもならみんなが少しずつ喋るはずなんだけど
今回は吉澤がまず紺野と小川の卒業の経緯について触れ、
その後に紺野と小川が一言ずつコメントをすることになっていた。

そこで紺野と小川が喋ったことは既に事務所の方から
発表されていた公式コメントとほぼ同じで、
彼女らが自分の頭で考えた言葉など一つも含まれておらず、
その言葉は嘘か本当かを吟味する価値すらないものだった。
162 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/25(木) 19:11
ていうか、うそじゃねーか。

あたしは紺野を小川を高橋を吉澤を藤本を田中を亀井を道重を久住を
つんくを事務所をスタッフを先輩を後輩を世間を世界を全てを呪った。
何も見えないし何も聞こえないし何も話したくなかったし、
この瞬間に世界の全てが吹っ飛んで消えてしまえばいいと思った。
あたしが5期メンバーだったことも紺野と小川が同期だったことも
モーニング娘。なんていうふざけた名前のアイドルグループが
存在していたこともそしていずれ解散して消えていく過程すら
全部全部全部全ての人間の記憶から消えてしまえと心の中で叫んだ。

自分の全てを否定することは想像していたよりも気持ちよかった。
きっとあたしは負けたんだ。
あたしが挑んだ人生で一番大きな戦いに。
163 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/25(木) 19:11
MCは事務所が用意した文章そのままだったけれど、
それを喋っている紺野と小川はさすがに緊張した面持ちで、
いつも以上にたどたどしい口調で丁寧に丁寧に喋っていた。
二人のMCが終わった瞬間にあたしの中で今回の
コンサートは終了していたけれど、そんなこととは
関係なくいつものようにコンサートは進行していってた。

小川はいつものように切れのあるダンスを淡々と披露し、
紺野もいつものように数少ない歌パートを丁寧に歌っていたが、
それらも全てあたしの中では既に意味をなしてはおらず、
終わった過去の記憶のように灰色に映っていた。
164 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/25(木) 19:11
曲と曲の合間―――
というかくだらないコントが終わったその後にあたしは
幕の裏でいつもの高橋のように小川をがつーんと蹴ってみた。
ええ!?という表情を一瞬だけ浮かべた後に小川は
ニヤリと笑って同じようにあたしをがっつーんと蹴ってきた。

てめえこのやろうと意味もなく逆切れマジ切れしたあたしは
周りを見回して手頃な椅子を探そうとしたが椅子蹴りの本家本元
高橋さんのように慣れていないあたしはそんな短い時間で椅子を
見つけることもできず、ただ憮然とした表情を浮かべるだけだった。
165 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/25(木) 19:11
苛立った顔で舌打ちしているあたしの視界にふっと高橋の表情が
目に入ったが、その顔はいつものコンサートの時のような鉄面皮な
無表情ではなく、今にもあたしを蹴り付けてきそうな悪魔の笑みを
たたえた表情だったので、あたしは高橋への警戒感も露に身構える。

がつーんとしたたかにあたしの腰を打った椅子がいつも以上に
痛く感じられたのはその椅子が予想していた高橋の方からではなく、
あたしの死角となっていた場所から鋭く飛んできたからだった。
誰だよお前と確認するまでもなく、高橋と小川のふざけた表情から
その椅子を蹴ってきたのが紺野なんだろうということは想像がついた。
166 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/25(木) 19:12
なんだこりゃ。バカじゃねーのかおい。
くだらないくだらないあまりにもくだらなさすぎるじゃないかおい。
次の曲の段取りをすることなど一片も残らず吹っ飛び、
あたしの頭の中はただ真っ赤な一色の怒りに染まる。
お前ら。ぶっ飛ばす。三人とも。残らず。

あたしはたった数分前に心の中で認めたはずの負けを全面撤回して
目の前に広がる世界の全てに宣戦布告する。負けなんて認めないから。
まず手始めにお前らからだ。お前ら5期メンバーの三人からだ。
三人を血祭りに上げた後もあたしはきっと戦いを止めない。
気づいたんだ。やっぱり最後まで戦うしかないって。
椅子を蹴ることくらい紺野にもできるような簡単なことなんだって。
同期が卒業しようとしている時になって気がつくなんてね。

あたしはいつも大切なことに気づくのが遅い。
167 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/25(木) 19:12
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
168 名前:誉ヲタ ◆buK1GCRkrc 投稿日:2006/05/25(木) 19:14
>>145
感想ありがとうございます。
「引き込まれる」という感想は嬉しいですね。
決して読みやすい物語ではないかもしれませんが、
よかったら最後までお付き合いください。
169 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/26(金) 19:12
★ ★ ★ ★ ★
170 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/26(金) 19:13
紺野と小川の卒業が発表されてから数日が過ぎ、
春の娘。コンも予定通り終了して再び先の見えない
戦いの日々が始まり、2006年の春は終わろうとしていた。

モーニング娘。として活動できる残り少ない時間を
紺野も小川も精一杯過ごそうとしていたが、
それは残されたあたしと新垣にとっても全く同じことで―――
あたしら二人に残された時間も少ないってことはわかってた。

モーニング娘。がこの先何年活動するかは知らない。
もしかしたら紺野や小川が卒業する前にあっさり解散してしまう
可能性だってこれまでの事務所のイカれたやり方からすれば
低くないし、逆に惰性でだらだらと20年30年続くという
悪夢じみた可能性だってゼロとは言えないだろう。

だけどこれまでの10年近い活動の歴史だけを見ても
紺野と小川の存在感と、あたしと新垣の存在感なんて限りなく
等しいわけで、あたしら二人に残された時間も紺野と小川に
残された時間も限りなく等しいんだってそう思うようになった。
そう思うようにしてた。
171 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/26(金) 19:13
あたしは相変わらず紺野を蹴ったり小川を蹴ったり
椅子を蹴ったり新垣を無視したり後輩を蹴ったり
自分に与えられた仕事をこなしたりしながら戦いを続けていた。
卒業が決まってからも紺野や小川に対する苛立ちは消えることなく
あたしの内側から無限に湧き上がってきたし、それを解消できる
方法は一つしか知らなかったので、あたしは躊躇わずそれらを蹴っ飛ばした。

苛立ちのない満たされた人生を夢見ることがないとは言わないが、
戦い続けることを選んだあたしには倒すべき敵が必要であり、
紺野と小川は、そして新垣は、高橋愛という人間を奮い立たせ、
戦場へと立ち向かわせるために必要不可欠な存在だった。
172 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/26(金) 19:13
だってそうやろ?
敵に立ち向かうときに必要なのは味方なんや。
あたしは一人なんかじゃない。モーニング娘。なんや。
それを運命と呼ぶか、偶然と呼ぶか、
あるいは意味なんてない強引なこじつけと呼ぶか、
そんなことは本質的な問題やない。

あたしは紺野も小川も新垣も嫌いだし好きだし
受け入れるし拒絶するし、そういった感情や人間関係は常に
変わりゆくわけで何が絶対なんだってことは誰にも決めることは
できないんだけど、たった一つだけ変わらないことがある。

あたしらは同期なんよ。
173 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/26(金) 19:14
高橋愛と紺野あさ美と小川麻琴と新垣里沙は同じ日同じ場所で
モーニング娘。に入った同期メンバーなんだというたったそれだけの
理由で、あたしはドジな紺野を蹴ったりアホな小川の考え方を否定したり
新垣の嘘を嘲笑ったりする権利があると信じていたし、たとえそれが
先輩であったり後輩であったり人事権を持っている事務所の人間で
あったとしても、その間に入ってくることはできないと信じていた。

もうすぐ夏になろうとしていた。
あたしの大好きな季節。
暑い暑い夏。
174 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/26(金) 19:14
テレビ東京のスタジオに入ってきた紺野に対してあたしは
相変わらず朝っぱらから可愛らしい顔しとるねなんでなんで
と嘘丸出しで話しかけるが、紺野はふふふんと勝ち誇ったような
顔をして颯爽とあたしの目の前を無言で通り過ぎようとする。
こんのさん あなた なかなか いいこんじょうを していますね。

いつものように、紺野への怒りが頂点に達した瞬間にあたしは
紺野に対する興味を一気に失い、座っていた椅子を両手で持ち上げて
ぐるんぐるんと回しては周囲の人間の緊張感を高める。
今、小声でまたやってるよって言ったやつは誰や。投げるぞこら。
175 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/26(金) 19:14
椅子を回すのにも飽きてあたしは新たな興味の対象を
探して部屋を見回すが、そこにいるいつもの面々は
あたしと目を合わそうとはせずに好き勝手に喋っていた。
まあこれがいつものモーニング娘。やね。

そんなことを思いながらあたしは小川が座っている椅子を
小川ごと持ち上げて意味もなくぶーんと投げ飛ばす。
たたらを踏んでよろめく小川はモーニング娘。に入った頃のように軽い。
お前ちょっと痩せたんか。
176 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/26(金) 19:14
まるであたしを注意することが自分の存在意義の一つとでも
思っているような新垣の叱責を右の耳で聞きながら
あたしは左の耳で小川を気遣う紺野の言葉を聞いていた。
まあ高橋のこれも夏までのことだから。
その場にいる誰に対しても冗談だとわかる口調で紺野はそう言った。

そうや。
夏が来たら紺野と小川は立て続けにこの場所から去り、
そしておそらくは芸能界からも去り、そう長くない時間を経て、
特に友達っていうわけでもないあたしの前から完全に消える。
「完全」っていう言葉の意味、説明しなくてもわかるやんな?
もう二度とあたしに椅子をぶつけられることも、がつーんと蹴られることも
くだらない冗談を言うことも、つきたくもない嘘をつくこともなくなるんよ。

だからさあ。夏まではつきあってよ。この意味もないやりとりに。
177 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/26(金) 19:14
★ ★ ★ ★ ★
178 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/26(金) 19:15
   
179 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/26(金) 19:15
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
180 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/26(金) 19:15
嘘みたいな話だけどいやいや本当にあたしは7期メンバーの
オーディションが行われていたっていうことを素で忘れていた。
年々質素になっていくモーニング娘。の活動を反映してか
オーディション関連の番組も大幅にスケールダウンしており、
あたしらが受けた時のように大々的に報道されることもなかった。

そんな世間の無関心っぷりを知ってか知らずか、
今回のオーディションで我らが愛する事務所の下した判断は、
「該当者なし」という、妥当なのかどうかを判断しようとする
試みすらばっさりと切り捨てるような素敵なものだった。
もうあたしにも事務所の何が嘘で何が真意なのかわからなかった。
181 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/26(金) 19:15
やがて飯田が卒業し、さらに再び7期を募集しますなんていう
事務所の面白アナウンスが公式に(公式にだよ?)発表され、
モーニング娘。はさらなる輪廻転生を強いられることとなる。

輪廻転生って言うとまるで死んだり生き返ったりを繰り返してる
ように感じられるかもしれないけど、そのモーニング娘。の
変遷の真っ只中にいるあたしに言わせれば、今のモーニング娘。
なんて死んで死んで死んで死んでただの一度も生き返ることなく
腐臭を撒き散らしている巨大な死骸みたいな存在でしかなかった。

そりゃいくつになっても夢は見続けていたいけどさ。
やっぱり死んだものってのは絶対に生き返らないんだよ。
それでもあたしらはファンに向かって夢を見せなければならないの?
182 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/26(金) 19:16
夢ってなんだろうという子供じみた自問をするつもりはなかったけど、
写真週刊誌に撮られた醜聞を大して醜聞とも感じないままあっさりと
娘。を去る決断をした矢口を見て、あたしは自問せずにいられなかった。

矢口って面白いことするねえ。あんまり意外性ないけど。
などときゃっきゃっきゃと擬音語でもつけてやりたいほど
明るい表情で話す高橋にあたしは椅子でも投げつけてやりたい
気分になったけれど、まあ反論はしない。不本意ながら同意見だし。
183 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/26(金) 19:16
本当に面白いのはあんただよと言ってあたしは高橋を見つめる。
そんなあたしの嘘丸出しの誉め言葉?を耳にした高橋が
さっと表情を変えて椅子をこっちに蹴りつけてくる前に
あたしは紺野の後ろ側にささっと移動するが、がつーんと
飛んできたのは椅子ではなくて高橋らしい素っ気無い言葉だった。
新垣は本当に面白くないけどさ、それはわざとやってるん?
げらげらげらげれあがあれらがべらえあげらげら。

ああ。
一体あたしはどれくらいの時間を高橋と過ごしてきたんだろう?

そこにいた紺野を連れ出し気分転換したいんだよねとか何とか
言いながらジュースをおごらせて礼を言う代わりに一つ聞いてみる。
今のモーニング娘。に昔みたいな夢を見ることできますか?
184 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/26(金) 19:17
今のモーニング娘。にさあー

うん?

昔みたいな夢を見ることできる?

難しいね。今と昔は違うもん。

娘。も落ちぶれたもんよねえ。

違う違う。そんなの関係ないよ。

でももう夢を見ることはできないんでしょ?

それはね。あたしがモーニング娘。になったからなの。

娘。になったからっていっても良い事一つもないじゃん。

あたしたちにとってモーニング娘。は現実だから。

なにその変な理屈。

夢じゃなくて現実なの。

夢から醒めて現実に気づいたってわけか。

だから違うって。娘。に入った瞬間、夢が現実になったの。

それで終わり?それであんたの夢は終わったの?
185 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/26(金) 19:17
紺野との会話はいつものようにあたしの一方的な
攻撃に紺野が沈黙でもって応えるというラストを迎えた。
都合が悪くなると黙る紺野。またそれかよお前。バカじゃねーの。
お前の沈黙をかゆいところに手が届くような優しさでもって
いちいち推し量ってやらなければならない義務なんてないぞ。
義務なんてないぞ。推し量らないぞ。絶対にしないぞ。

はあ。
きっとあたしと紺野を決定的に分け隔てているのは、
自分の考えを言葉で表現するという技術的な問題じゃなくて
単に紺野は今のモーニング娘。がまあまあ好きで、
あたしは今のモーニング娘。が大嫌いっていう
嗜好の違いでしかなかったんだと思う。
186 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/26(金) 19:17
あたしも昔はモーニング娘。が好きだった。
モーニング娘。が好きで好きでたまらなくてそのためなら
死んでもいいとすら思えた時期と、モーニング娘。が嫌いで嫌いで
たまらなくてそのために死にたくなる時期を分ける境界線が
どこにあったかってことは自分にもよくわからない。

境界線が曖昧だから?いや違う。
曖昧なんかじゃなくって、二つの時期がコインの表と裏のように
背中合わせに一つになっていたからなんだよ。きっと。
だってコインの表もコインの裏も同じコインじゃんか。
何も矛盾しない。どこにも嘘なんてない。裏と表は共存している真実。

その明確な証拠が今のあたしの心の中にある。
あたしはモーニング娘。に入る前と全く同じくらい、
今もモーニング娘。のことを愛している自信があった。
それは何も矛盾しない、どこにも嘘のない、共存している真実だった。
187 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/26(金) 19:17
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
188 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/27(土) 08:29
   
189 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/27(土) 08:29
   
190 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/27(土) 08:29
★ ★ ★ ★ ★
191 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/27(土) 08:29
後輩と呼べる存在があたしらの前に現れたのはキッズの
時も入れるならキッズ6期7期と三回目になるのだろうが、
初々しい素人さんがハロープロジェクトに加入するたびに
あたしは自分が薄いながらも芸能人なんだなって実感する。

新しく入った久住も不安な表情を浮かべて所在なさげにふらふらと
しているようでいて、その実は興味津々といった感じで先輩達を
入念に観察しており、そのぎらぎらとした野心的というにはやや悪意が
足りないように思える視線も、入った頃のあたしらとあまり変わらない。

湧き上がってくるレベルの低い優越感を理性の力で打ち消して、
あたしは先輩としてごく普通に後輩に接する。
あたしにも理性くらいあるんよ。
まあ、接するって言っても後輩を蹴っ飛ばすことくらいなんやけどね。
192 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/27(土) 08:30
そして先輩と呼べる存在がモーニング娘。から卒業していくのが
これで何回目になるのかなんてことは全くもって数える気もしないが、
それは後藤・保田・安倍・辻加護・飯田・矢口・そして今回の
石川とこれで7回目になるわけだけど、その度にあたしは自分が
芸能人として薄い人間なんだなってことをがつーん思い知らされる。

ラストコンサートでファンの声援に手を振り笑顔で応える石川は
人間として壊れているとしか思えないような部分を多く抱えていたが
芸能人として生きていくっていうのはどうやらそういうことらしい。
勿論、そんなことは誰も教えてくれないし口にも出さないし
事実じゃないのかもしれないけれど、自分の中にあるものを
晒さず壊さず守り続けてきたあたしら5期メンバーが
芸能人として成功していないってことは紛れもない事実だった。

あたしらは何を壊すべきだったんだろう。
193 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/27(土) 08:30
なあなあ。石川ってホンマ壊れてたよな。

ははは。まあね。あの人はね。でも高橋ほどじゃないよ。

なんでーな。あたしは壊れてないよ。小川と同じくらい。

あたしは壊れてないけどさ。高橋は結構きてると思うよ。

ふーん。小川は壊れてないんや。自分は壊れてないと思うんや。

壊れてないよー。もう全然。

これからもなんも壊さへんの?

壊さないよ。なんで自分で自分を壊すのさ。

じゃあ、何も変わらないの?変わらへんやん。

変わらないよ。ずっと。

それやったらアカンやろ。

アカンも何も、変わらないものは変わらないの。

変われや、自分。

変わるよ。変わったし。でも変わらないものは変わらないじゃん。

なんか自分に都合のええ理屈やね。
194 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/27(土) 08:30
これまでの小川との会話で、あたしの期待するような
答が小川から返ってきたことなど一度もなかったのだが、
この時返ってきた答は不思議とぴたりとあたしの心と一致した。

あたしの好きな小川。
あたしの嫌いな小川。
グズでのろまで無能な小川。
あたしが期待する小川像を演じる小川。
ああ、あたしの目の前にいるお前は間違いなく小川やで。
あたしが保障してやるわ。

げらげれげらげらと笑うあたしは小川が期待している高橋愛なんやうか。

小川は変わらないものは変わらないと言う。
その変わらないっていうものが何を指しているかは
グズでものろまでも無能でもないあたしにはわからなかったけれど、
ただ一つなんとなく感じたのは、小川はモーニング娘。に入ってから
あんまり変わっていなくて、そして小川はこれからも
何も変わらない未来を思い描いているんじゃないかってことだった。

そんなアホな。永遠に変わらないものなんてあるんやろうか。
195 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/27(土) 08:31
また夏が来る。
数えるなんてことは無意味だし面倒臭いから絶対にしないけど
あたしらがモーニング娘。に入ってから五回目の2005年の夏が来た。
「バリバリ教室〜小春ちゃん いらっしゃい!〜」などという
新メンバーを歓迎しているのか嘲笑っているのかよくわからないような
ツアータイトルを掲げていつもと変わらないモーニング娘。生活が始まる。

7期メンバーの久住はミラクルとかいう冠を被らされて、
あたしらの時とはまた違ったやり方で晒し者になっていた。
6期が入って7期が入っても小川が言うように変わらないものは
見事なまでに何も変わらないもので、あたしら5期は相変わらず
四人でうだつの上がらない芸能人生活をまったりと過ごしていた。
196 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/27(土) 08:31
そんなゆるやかな生活の中で、いつしかあたしは小川が言った
「変わらないもの」という言葉に恐怖を感じるようになっていた。
本当にこのままあたしらは何も変わらないんやろうか?
四年の月日を経てたどり着いた今の場所が安住の地なんやろうか?
小川は、紺野は、新垣はそれで納得するんやろうか?

今のあたしらにはそれを受け入れるしか道はないんやろうか?
197 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/27(土) 08:31
★ ★ ★ ★ ★
198 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/27(土) 08:31
  
199 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/27(土) 08:32
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
200 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/27(土) 08:32
2006年の春が過ぎても首都圏は肌寒い日々が続き、
あたしの好きな夏はなかなかやって来ようとしない。
まあ焦ることはないさ。
きっと今年の夏はバカみたいに暑くなる。
冷夏なんか許さない。今年の夏は特別なんだから。

紺野小川の卒業発表から実際の卒業まで紺野の場合は三ヶ月、
小川の場合は四ヶ月ほど間があったが、その間もあたしらは
これまでとほとんどと変わらない人間関係を続けていた。

二人が卒業した後はきっとその関係はあっさりと消えて、
赤の他人の四人になるんじゃないかと予想していたが、
こいつらの事に関する予想なんて一度も当たった試しはなかったので、
先のことについてはあまり真剣に考える気にならなかった。
201 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/27(土) 08:32
あたしにはやるべき仕事がまだまだたくさんあるんだ。
歌を歌って踊りを踊って台本を読んで覚えて演技してそしてそしてそして。
とにかくたくさんあったし、仕事をしている間は歯車のように
小気味よく機能している自分に充実感を覚えることができたので、
あたしを取り巻く色々な問題を忘れることができた。

案外、問題を忘れること忘れさせることがあたしの仕事なのかもしれない。
202 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/27(土) 08:32
あたしは丸めた台本をぽーん上に投げてキャッチしたり
お茶を啜ったりしながら先輩や同輩や後輩と他愛もない時間を過ごす。
アホなことばかり言って後輩に突っ込まれている小川はパッと見た感じでは
卒業することが決まったようには見えないが―――まあ当然か。
発表があってからもう一ヶ月くらい経っているわけだし、
いくら嘘臭いとは言っても表向きは卒業して新しい道を
進むというのは自分で決めた事になっているわけなのだから。

それでも思う。思わずにはいられない。
なぜ小川はこの卒業を受け入れることができたんだろう。
小川は卒業が決まってからあたしと高橋に本音で語ったことはない。
おそらく紺野との間ではかなり突っ込んだ会話がされたんだろうということは
容易に想像できたけれど、そこにあたしや高橋が加わることはないだろう。
無理だ。
もうあたしと小川は同じ世界で生きていくことはできない。
203 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/27(土) 08:33
あたしは自分が小川よりも劣っていると思ったことは一度もなかったけれど、
自分が小川よりも勝っている部分を見つけることは、
自分が小川よりも劣っている部分を見つけるのと同じくらい難しかった。
なぜ卒業するのが新垣じゃなくて小川なんだ?
と言われてもはっきりとした答を出すことはできないでいた。

笑われることに慣れきってしまった怠惰な小川の表情を見ても、
あたしは、小川が心の中で小川自身があたしや高橋よりも
劣っているということを認めているとはとても思えなかった。
204 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/27(土) 08:34
小川も紺野もあたしと大して変わらない。そして高橋も。
モーニング娘。の中で積み上げた挑戦も失意も歓喜も憤怒も絶望も
全ては2001年のあの夏から重ねてきた同じ時間の中にあるんじゃないか。
失意の中で立ち止まり、絶望の中を再び動き出してきた、
あたしの人生の不連続性は全てあの夏から始まったんだ。
止めたのはお前らだ。動かしたのはお前らだ。5期メンバーだ。

でもそれもこの夏が終わるまでのこと。
205 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/27(土) 08:34
2006年の夏が終わればあたしらはもはや5期メンバーという
ありふれたくくりでまとめられることはなくなるだろう。
それはあたしらがモーニング娘。に加入してからずっとずっと、
一秒でも早くそうなってほしいと願ってきたことなんだけれども、
まさか誰かが卒業するまで5期5期言われるなんて思ってもみなかった。
勿論それは喜ぶべきことじゃなくて、己の無力を恥じるべき
情けないことなんだけど、今となってはもうどうでもよかった。

だってあたしらは四人は5期メンバーなのだから。

何年経ってもモーニング娘。の中でアイデンティティを見出せなかった、
あたしら5期メンバーのたった一つのアイデンティティ。
誰も勝っていない。誰も劣っていない。モーニング娘。の小さな4つの歯車。
206 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/27(土) 08:34
あたしらは事務所の単なる歯車にしかすぎなかったかもしれない。
個性も実力も華も毒も運もなかったモーニング娘。の小さな4つの歯車。
あたしらはそれを認めたくなくてお互い競い合いいがみ合い憎み合い寄り添い
やってきたけれど、そろそろそれも終わる時がやってきたってわけよ。

ああ、終わるんだ。

事務所の人間から初めて二人の卒業のことを聞いた時でもなく、
紺野と小川に会って初めて卒業のことを問いただした時でもなく、
卒業のその瞬間の時でもなく、こんな他愛もない時間にそれを感じるなんて。

普通はあり得ないことなんだろうけど、こいつらの事に関しては
いつだってあり得ない事、予想もしない事ばかりが起こってきたわけだから、
最後の瞬間もこんな風に思いもしなかった時にやってくるのかもしれない。
207 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/27(土) 08:35
あたしの中で止まっていた時間が動き出す。
それを感じて初めてあたしはあの瞬間から
―――事務所の人間が二人の卒業決定を告げた瞬間から―――
あたしの時間が止まっていたことに気づく。
そうね。どうやら当の小川本人だって動き出しているんだから、
あたしがいつまでも止まっていちゃおかしいよね。

他愛もない会話が頂点に達しようとするその瞬間、
立ち上がってすっと椅子の脇に回り込もうとする高橋の手をあたしは握る。
このあほんだらーとの付き合いはもう少し続く。
それが同じ5期メンバーというくくりの中じゃなかったとしても。
こいつが何千回も椅子を蹴るというのならあたしは何千回だって止めてやる。
あたしに意味不明な言葉で噛み付く高橋を小川と紺野は苦々しく見つめる。

そんなこいつらの表情には一片の嘘も感じられなかった。
208 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/27(土) 08:35
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
209 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/27(土) 08:35
   
210 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/27(土) 08:35
★ ☆ ★ ☆ ★
211 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/27(土) 08:35



そしてもうすぐ2006年の夏がやってくる。


   
212 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/27(土) 08:36
夏はきっといつものように
あたしらに数え切れないくらいたくさんのものを与えて、
同じように数え切れないくらいたくさんのものを奪って、
あっという間に去っていくだろう。

あたしはそんな夏が好きだった。
夏が与えてくれたものが大好きだったし、
夏が奪っていった後の悲しい気持ちすら好きだった。
213 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/27(土) 08:37
そしてあたしはきっと―――
2006年の夏があたしから奪っていくものも大好きになる。
2001年の夏があたしに与えてくれたものと同じくらいにきっと。

夏はあたしに生きていく喜びを与えてくれる。
夏はあたしに消えていく悲しみを教えてくれる。

そんなことを繰り返しながら
何も変わらないように見えるあたしの人生は
山を越え谷を下り歓喜に沸き辛酸を舐め延々と続く。

まだもう少し、まだもう少しあたしは戦いを続けなければならない。
幸せ。不幸せ。成功。失敗。出会い。別れ。
夏が与えてくれたもの。奪っていったもの。全てを背負ってあたしは戦う。
214 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/27(土) 08:37


さよなら紺野。



さよなら小川。

   
215 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/27(土) 08:38
あたしは心の中で二人に別れの言葉を言う。

いつものように本心を口に出すことはしなかったが、
それは恥ずかしさからくる照れ隠しのためではなく、
口に出してしまえば全部嘘になってしまうように感じたからだった。


そして同じようにあたしは二人に最後の言葉を贈る。

その言葉はもちろん、私の心の中にある真実。
216 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/27(土) 08:38


ありがとう紺野。



ありがとう小川。

  
217 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/27(土) 08:38
☆ ★ ☆ ★ ☆
218 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/27(土) 08:39

     夏が好きな理由






         完
219 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/27(土) 08:41
  
220 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/27(土) 08:41
special thanks to





新宿なっち

どこかの名無し娘。

顎オールスターズ
221 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/27(土) 08:41
ご愛読ありがとうございました。
222 名前:誉ヲタ ◆buK1GCRkrc 投稿日:2006/05/27(土) 08:46
この物語はこれにて完結です。
お付き合いいただいた読者の皆さんありがとうございました。
感想や疑問などがあればこのスレに直接書いてやってください。
223 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/27(土) 21:40
甘くなくていいですね。
リズムがよくて、一気読み。
ありえないことの間に垣間見える真実
とかそんな感じの言葉が浮かびました。
レベル高いなー。
面白かったです。
224 名前:konkon 投稿日:2006/05/28(日) 02:21
現実と非現実が交じり合って、それでいて人間性というものを
考えさせてくれましたね。
ちょっと皮肉れた愛里沙がよかったです♪
また書く時には読ませていただきますね。
完結お疲れ様でした〜。
225 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/28(日) 12:39
完結お疲れ様でした。
うまく感想は書けませんが、いろいろなことを感じさせてくれるお話でした。
読めて良かった。
ありがとうございました。
226 名前:誉ヲタ ◆buK1GCRkrc 投稿日:2006/05/28(日) 18:22
>>223
なるべく甘くならないように意識して書きました。
あと「リズムがよい」と言われるととても嬉しいです。
決して読みやすい文章ではないかもしれませんが、
自分なりに読みやすくなるように努力したつもりです。
227 名前:誉ヲタ ◆buK1GCRkrc 投稿日:2006/05/28(日) 18:25
>>224
どこまで現実的かは読む人によって違うと思いますが、
私なりに現実的に5期を描いてみたつもりです。
表層はかなりネタっぽいですが、中身に関しては結構現実的に書いたつもりです。
まあ「こうあってほしい」という作者の願望なんですけどね・・・・・
228 名前:誉ヲタ ◆buK1GCRkrc 投稿日:2006/05/28(日) 18:28
>>225
読んでくださってありがとうございました。
私も書きながら色々なこと考えさせられました。
自分なりに新しい発見のある作品でした。
この物語を読んだ人にもそういう発見があれば嬉しいです。
229 名前:SN 投稿日:2006/05/29(月) 22:59
こちらこそ切なく淋しい話ありがとう(●´ー`●)

流れるようにすいすい読めました
途中から高橋のキックがまるでスト2春麗の
百裂キックみたいに思えて面白くなってしまいました
ガキさんのちょっと違うキャラも良かったです
230 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/05/29(月) 23:48
爽やかだけど切ない気分にさせる夏という季節感、タイトル、話の雰囲気が
ピタッと一致していて面白かったです。
231 名前:誉ヲタ ◆buK1GCRkrc 投稿日:2006/05/31(水) 20:27
>>66
えー。
この小説はこういうお話でした。
読んでいる人が納得できるような収束だったかどうか・・・・・
タイトルの意味も自分なりに考えたつもりですが
伝わったかどうかはかなり不安です。
232 名前:誉ヲタ ◆buK1GCRkrc 投稿日:2006/05/31(水) 20:29
>>229
読了ありがとう(●´ー`●)

すいすい読めましたか!
そう言ってもらえると嬉しいです。
後で自分で読み返してみるとちょっと読みにくかったもので・・・・・

高橋さんのキャラはちょっと作りすぎかなあとも思いましたが、
新垣さんに関しては自分なりにリアルなキャラのつもりで書きました。
私にとっての新垣さんってあんな感じなんですよね。
233 名前:誉ヲタ ◆buK1GCRkrc 投稿日:2006/05/31(水) 20:31
>>230
感想ありがとう(●´ー`●)

タイトルの通りこのお話のテーマは「夏」でした。
夏が醸し出す色々なイメージを感じてもらえたなら嬉しいです。
ちなみに私も夏は好きです。
234 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/03(土) 21:25


>今年の夏も暑くなりそうだ。
>いや、暑くなるに決まってる。
>あたしの人生がぐらりと大きく動くのは、
>いつもバカみたいに暑い夏だった。
235 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/03(土) 21:28

すみません…間違って書き込んでしまいました

引用部分のフレーズに、夏特有の
暑苦しい感じが出ていてすごく好きです
236 名前:誉ヲタ ◆buK1GCRkrc 投稿日:2006/06/04(日) 20:10
>>234-235
感想ありがとうです。
夏をどうやって表現するかは悩ましいところでした。
それさえ上手くいけば良い雰囲気が出せるかなと思ってましたし。
読んだ人に伝わっていれば嬉しいです。
237 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/07/02(日) 22:46
デビュー前のガキさんが好きだったモー娘。のメンバーが総入れ替え状態な今でも、ガキさんは今のモー娘。が好きなのかどうか聞いてみたくなりました。


238 名前:誉ヲタ ◆buK1GCRkrc 投稿日:2006/07/02(日) 23:27
>>237
非常に難しい質問ですね。
ガキさんの中でも色々と紆余曲折あったのでしょうが、
最終的な結論として「好き」なんじゃないかと思います。

でも小説として書くなら「好きじゃない」という
立場で書くのも十分にアリだと思います。
ちなみに私は「誰よりも好き」という感情と「誰よりも嫌い」という感情は
かなり近いものだと思っています。

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