紫陽花と、傘と、愛してるの幻化

1 名前:雨宮柩 投稿日:2006/05/28(日) 17:27



雨と夢と


2 名前:雨宮柩 投稿日:2006/05/28(日) 17:27
東京――その空の灰色に、押し潰されそうになる感覚もおぼえた。
3 名前:雨宮柩 投稿日:2006/05/28(日) 17:27
 突然の雨にコンビニで買ってきた安っぽいビニール傘は、雨粒の重みをなんとか押し上げている。
 梅雨前線が北上をはじめ――、朝ぼんやり見ていた天気予報師の言葉を、小さく反復した。
 通り雨になりそうな雰囲気なのだが、誰ひとりと歩いていない路地裏に不安を感じ、
電柱に寄りかかり目を閉じた。そうする間にもまたひとつと、雨は滴りコンクリートを塗り替えていく。
4 名前:雨宮柩 投稿日:2006/05/28(日) 17:28
「ケータイ、梨華ちゃんちに忘れてきちゃったか」
 全体が汚れてどこのスポーツブランドだかも判らないスニーカーで
水溜りを蹴り散らした。
 東京は午後から大雨の恐れが――、屈託ない笑顔を見せて
笑っていたブラウン管の中の女が少し憎たらしく感じる。

 塀の上から垂れ下がっている紫陽花を上手く避けて、
雨はしんしんと降り続けていた。
5 名前:雨宮柩 投稿日:2006/05/28(日) 17:29
 雨は、一向に止み続ける気配を見せなかった。其れどころか、
先ほどからどんどん雨足が強くなっているような気がする。

 ――突然。誰も歩いていなかった細道に、
水溜りを踏みながら歩いてくる足音が聞こえた。
6 名前:雨宮柩 投稿日:2006/05/28(日) 17:29
「……ね、何してるの?」
「え」

 少し高めの声、私が見下ろすくらいに低い身長。
誰かと思えばひとりだけ、心当たりが有る。

「矢口さん?」
「え?」

 でも其れは有り得ない訳で。
私の従姉妹に当たる矢口さんは五年前に交通事故で――
7 名前:雨宮柩 投稿日:2006/05/28(日) 17:30
 沈黙が流れる。大体、雨がぱらぱら、と100回以上落ちる程度には。
相手も気まずいだろうと、なんとか声を絞り出し思ったことを口に出してみる。

「……ど、ドッペルゲンガー?」
「ほへ?」

 少女は気の抜けた声と一緒に、水色の傘と、顔をちょこんと
傾げた。そういう可愛らしいところもまるでコピーしたように
私が知っている矢口さんとそっくりだった。

 いつの間にか、目の前に在る少女のワンピースの裾は傘からはみ出し、雨粒でぽつぽつとみずたまをつくっている。
8 名前:雨宮柩 投稿日:2006/05/28(日) 17:31
「ね、濡れちゃうよ? こっち入りな。っと……貴方の、名前は?」
 少女は何を思ったのか顔を赤らめ、
電柱の私とはちょうど反対側に寄りかかった。

「オイラはマリ、だよ。で、貴方は何してたの?」
 信じられないほどに鼓動が速まっていった。
ぐっと拳を作れば、いつの間にか自分のパーカーの袖が黒く濡れている。
 違うことと言えば、呼び名。
矢口さんは私のことを「よっすぃー」と、そして私は変わらず、
矢口さんのことを「真里さん」と呼ぶのが恥ずかしくいつも
「矢口さん」と呼んでいた。

 だが、矢口さんの可愛い一人称。
それで決定的にパズルのピースがはまった。

 やっぱり矢口さんなんだと。だったら何時かの、あれを。
9 名前:雨宮柩 投稿日:2006/05/28(日) 17:32
 きゅ。
 抑えきれなくなった感情をそっと繋ぎとめるように、矢口さんの
手を握った。思っていたよりも細くて暖かい手のひら。
吃驚、彼女も握り返してきたのだ。あたしの左手を。
べつに特別な感情を抱いたわけではなかった。
其れは本当に心からの「ごめんなさい」の意味を込めていたのだったが
少しだけ、失敗してしまったらしい。
10 名前:雨宮柩 投稿日:2006/05/28(日) 17:32
「私は、吉澤ひとみ。んと……えっとね、雨のダンスを、見てたん、だ」

 頭のなかに疑問符が次々と責めてきた。
 雨のダンスって何だよ? 何だよ? 
もう少し気が利いた答えはないのか? 
何を言ってるんだ、ひとみーッ!
11 名前:雨宮柩 投稿日:2006/05/28(日) 17:33
「……わ、ひとみちゃんってかわいー人だね。オイラも一緒にダンス見たいなあ。いい?」

 頬が熱くなってくるのを感じた。紅潮している肌は、彼女にもよく見えているだろう。
恥ずかしいとか好きだとかいう思いより違う、もやもやした遣る瀬無い雰囲気。

 いつか、ミキティに「お前は顔に出やすい」と言われた。
気を付けろ、と。そして気が付けば、何度も何度も頷きながら
握っている矢口さんの手をぎゅうぎゅうと何度もきつく繰り返していた。
12 名前:雨宮柩 投稿日:2006/05/28(日) 17:34
 華やかな赤いドレス、大胆かつ美しいダンス。
目を奪われるような華麗なステージに溜息をついた。
女がくるりと袖を回すと、突拍子もなく凄い風を感じて目を開けた。

「あ……雨、止んだね。オイラ、そろそろ帰らなきゃ! ばいばいだね、ひとみちゃん」
 真里さんは傘を動かし、私の手をそっと離した。余韻の残る掌が少し寂しい。
 紫陽花の葉から露が垂れた。私の目先で細く、華奢な足が路地裏を
抜けていこうとしている。
13 名前:雨宮柩 投稿日:2006/05/28(日) 17:35
「待って!」
 振り向いた矢口さんはあの時のままだった。
まるで、私の目の前の少女が本当に五年前の矢口さんで
あるかのように、そしてふたりの間にはあの日と同じ雨が
降っているかのように、そう感じた。
14 名前:雨宮柩 投稿日:2006/05/28(日) 17:35


 ――……


15 名前:雨宮柩 投稿日:2006/05/28(日) 17:35
「よっすぃーは、オイラのこと何も考えてないからそんなこと言えるんでしょ?」
「そんなことない、私は伯母さんと、矢口さんのことをちゃんと考えて」
「五月蝿いな!」
16 名前:雨宮柩 投稿日:2006/05/28(日) 17:36
 雨音が沈黙を遮って何もかもを濡らしていく。
 急に矢口さんに持ちかけられたアメリカに在るトップクラスの
芸術大学への留学の話。其れは矢口さんにとって人生最大の
チャンスといっても過言では無かったと思う。
才能を認められ、4年間の留学を経て日本でデビュー。
待遇は、全く悪いものでは無かった。
17 名前:雨宮柩 投稿日:2006/05/28(日) 17:36
 それでも私が止めた理由は、ひとつ。
現実的、金銭の理由だった。
 矢口さんのアメリカでの生活費、入学費、留学費。
合わせれば800万近く。
18 名前:雨宮柩 投稿日:2006/05/28(日) 17:37
伯母さんは矢口さんが小さい頃に離婚、原因が伯母さんにあった為、
高い慰謝料を払い続けながら、倒れるまで矢口さんを養うことだけを
考え仕事を続けた。だが結局は自己破産。
それから伯母さんは狂ったようにギャンブルに更けるようになったのだ。
19 名前:雨宮柩 投稿日:2006/05/28(日) 17:37
其れでも伯母さんは矢口さんを大切に思い、
将来のことも精一杯応援しようと考えていた。
だが今の状態では800万という大金は到底払えるものではない。
だからこそ借金をしてまで――
20 名前:雨宮柩 投稿日:2006/05/28(日) 17:38
「もういいの、決めたことなの! お母さんも許してくれた。あたしは画家になりたいの!」
「いいよ……勝手にしろよ、矢口さんなんて」

半狂乱になって走り出した矢口さんの背中を、
私は拳を握り締めてただ見つめることしか出来なかった。
殆ど其れと同時。高いミラーに眩しい青色がひたすらに反射する。
金切りのようなブレーキ音、女の叫び声、鈍い重低音――
21 名前:雨宮柩 投稿日:2006/05/28(日) 17:38
「矢口さん!」
恐らく矢口さんを撥ね飛ばした犯人であろう黒い自動車が
水溜りを無視して走り去っていく。

「くっそお……」

携帯電話を握り締めたが、もう、遅かった。

――矢口真里、18歳。乗用車に轢かれ即死。
遺体の損傷は幸いなことに少なかった。
22 名前:雨宮柩 投稿日:2006/05/28(日) 17:39
「何? よっすぃー」
確かにあの矢口さんの声。
私を愛称で呼び綺麗に笑う姿に、涙が溢れてきた。

「……あの、私、謝らなくちゃいけないことがあります。矢口さんに」
「うん、うん」
頷きながら頭を撫でてくれる、優しい手。
香水の匂いも全く変わってはいない。
23 名前:雨宮柩 投稿日:2006/05/28(日) 17:39
「矢口さんの夢、壊しちゃったの、私ですよね。本当にごめんなさい! ごめんなさい……」
「オイラも言い過ぎちゃったよねえ。元を作ったのはオイラなんだし。こちらこそ、ごめんね」
「何で矢口さんが謝るんですかあ……」

ぐすん、としゃくり上げると矢口さんは私に歩み寄って、
今までに無いほどに強く抱き締めてきた。
自分より身長の低い相手にこんなことをされるのは、
正直言って少ししゃくだった。
24 名前:雨宮柩 投稿日:2006/05/28(日) 17:39
「矢口さん、ごめんなさいなんて何度言っても足りないんですね……」
「え?」

不意打ちで、私も矢口さんの腰を抱き寄せてまた泣く。
よしよし、と叩いてくれた矢口さんの右手がふいに止まった。
25 名前:雨宮柩 投稿日:2006/05/28(日) 17:40
「オイラ……もう戻らなきゃ、雨が降ってる間だけって約束されちゃったし、ね?」
「……はい……」
「ばいばい、ありがとう。よっすぃー」

太陽が水溜りを照らした。
紫陽花は葉から粒を滴らせ、黒猫がその横を歩く。
其れと同じくらい普通に、矢口さんは細い道を曲がって行った。
26 名前:雨宮柩 投稿日:2006/05/28(日) 17:40
 矢口さん、私は、吉澤はもうハタチを過ぎました。
 あの頃の矢口さんより少しオトナですよ?

 貴方は、雨の降る此処を抜け出して、精一杯太陽を浴びてください。
 そして大好きな夢を追い駆けることだけを、頑張ってください。

 吉澤、応援してます!
27 名前:雨宮柩 投稿日:2006/05/28(日) 17:40



雨と夢と


28 名前:雨宮柩 投稿日:2006/05/28(日) 17:42

第一作目。やぐよしだか何だか。
のんびり更新でいきます。

 あまみや ひつぎ。

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