うすあか。
- 1 名前:名無し猿 投稿日:2006/07/18(火) 11:31
- アンリアル学園ものです。
なるべく多くのメンバーを出そうと考えておりますが、内容的に
3,4,6期の面々が中心になっていくと思います。
スローペースになるでしょうが、少しでも興味の沸いた方は
是非是非お目通しください。よろしくお願いします。
- 2 名前: 投稿日:2006/07/18(火) 11:32
-
寮生規則(平成18年度)
健全な寮生活を営み、一人一人の寮生が充実した寮生活を送れるよう、この寮生規則を定める。
朝陽学園女子高等学校寮桜花館に入寮した生徒は、以下の規則を守らなければならない。
1.寮生は以下の項目を守り生活すること。
(1)寮及び学校の生活等に関すること
・学校及び舎監の先生の指導に従うこと
・寮及び学校の規則を守り、健全な生活をする
・他人に迷惑をかける行動はしてはならない
・日課表を守る
・登下校及び学校生活における身なり(頭髪・服装等)をきちんとする
・無断で外泊をしてはならない。閉寮日に無断で寮に宿泊してはならない
・・・・(中略)・・・・
2.以下の項目に該当したものは退寮とする。絶対にあってはならないことであり、
厳格に対処する。
・舎監の指導に従えない生徒や、学校生活・寮生活において問題行動を起こしたもの
・許可なく部外者を寮内に入れたもの
・飲酒、喫煙をしたもの。または関与したもの
・暴力行為や、いじめに類する行動をとったもの
・・・・(中略)・・・・
4.上記以外のことでも、健全な寮生活を乱したり脅かすような行為は一切禁止とする。
- 3 名前: 投稿日:2006/07/18(火) 11:32
-
1.事件は夜中に幕を上げ、
- 4 名前:1. 投稿日:2006/07/18(火) 11:33
-
「はい、梨華ねーちゃん、読んで。ちゃんと読んでー。読める?」
のんびりとした口調ながら、何処か有無を言わせぬ強さを秘めた妹の言葉に、石川梨華は
胸に抱えた鞄を強く握り締める。
ささやかな勇気を得て、せめてもの反論を試みた。
「…長いよ、これ。全部読むの、無理」
「じゃあ大きい『2』の二行目。読んで」
「………」
真っ向からきっぱり言い返され、気弱そうに眉尻を下げた梨華は渋々と、妹が提示する
生徒手帳 ――― 自分が高校生の頃などは一度も目を通すことのなかったそれ ―――
所謂「校則」に視線を落とした。味気も色気もない、無機質な文字の群れ。
「……許可なく部外者を寮内に入れたもの、」
「はい」
「…これって、でもさ…えっと…」
「部外者、これ梨華ねーちゃん。寮内に入れたもの、エリ。規則いはーん。分かる?」
依然としてゆったり構えた口調は変わらない、けれど妹である彼女が翳す正論には、抜け道も
穴もなく、姉という本来ならば強い立場ながら梨華は今、非常に脆い苦境に立たされている。
季節は7月も後半に差し掛かったところ。
時刻は午後10時ちょうど。
- 5 名前:1. 投稿日:2006/07/18(火) 11:34
-
以前、実家に戻っていた妹がもの珍しい寮生活について面白おかしく語っていた時、寮長の
点呼が午後9時半で面倒なのだと不満げに口を尖らしていたのを覚えていた梨華は、今夜、
その定例行事が終わるのを見計らって、妹に連絡を入れたのだった。
(点呼時には、どうやら生徒手帳の提示が義務付けられているらしい。そうでなければズボラ
な妹が、わざわざそんなものを梨華に見せ付けるなど不可能だ)
“今夜、一晩でいいからここに泊めて”
突然の電話連絡に驚いた風体の妹は、続けて梨華が彼女の住まう寮の裏口にこっそり潜んで
いる現状を伝えると、更に(当たり前だ)動揺した様子だった。
それでも一応姉思いだと自他共に認める妹は、そこで梨華の訴えを頭ごなしに却下することなく、
素直に裏口へやって来た。
…そう、そこまでは良かったのだけれど。
「困るよぉ、エリまだ一年生だよ?いきなり寮生以外連れ込んで目ぇ付けられたくないもん」
「でも、家族じゃない」
「家族でも違反は違反なのです」
「そこを何とかお願い。ほんと、お願いッ」
「…だって、家に1人でいるのが嫌なら友達のところで泊まればいいじゃん」
「それが出来ないから、ここに来てるんだってばぁ」
「梨華ねーちゃん、友達いないの?」
「いるわよっ」
哀れじみた顔を向ける妹に、さすがに梨華は泡食って否定に掛かった。
けれど、声のトーンは図らずも地に落ちた。「………いるけど、今は頼れないの」
楽観的で多少のことは笑って過ごしてしまう妹も、いくら家族とはいえ黙って部外者を寮内へ
連れ込むことにはさすがに抵抗を感じたらしい。大体、梨華の方も正当な理由は述べず、
「1人でいたくないからここに泊めて」と随分無茶な要求を突きつけているのだから、妹が
困惑し、首を縦に振らないのも頷ける話。
でも、――― 家には帰りたくないの、絶対。
- 6 名前:1. 投稿日:2006/07/18(火) 11:34
-
必死と言えば梨華も必死だった。事情を話してしまえば或いは、姉思いの妹はあっさり落ちて
しまうだろうという予感はあるが、そうなると梨華の抱える問題に妹を巻き込んでしまう。
それだけは、防ぎたかった。
少なくとも、今の段階では。
余程、海外赴任中の両親に打ち明けようかとも思ったけれど、突発のトラブルの対処に追われ、
元より普段から山のような仕事に忙殺されている両親を、手前勝手な理由で帰国を促す決断は
到底つかなかった。
第一、もう夜は更けているのだ。物理的にもう、間に合わない。
つまり今現在。梨華は、絶対的に孤立している。
「ねぇ、お願い、一晩だけ、ね?」
「うーん……」
「今夜だけでいいから」
「でも……」
完全に渋い顔で、妹が黙り込む。
様子のおかしい姉を案ずる気持ちと、規則違反者には即罰則という葛藤の中で悩んでいる。
堂々巡りに、梨華は焦り、憔悴していた。
初めて足を踏み入れる、妹の居住空間。
即ち、彼女が通う私立朝陽学園女子高等学校寮、名称「桜花館」の裏口隅。
夜間とは言え気温がそうそう優しくなる筈もなく、蒸し暑さに耐えながら、
こそこそやり合う姉妹2人。
本来ならば同じ寮生の誰かに見つかる危険性を考慮しなければならないところ、幸いというか
何というか、昨日から夏休みに入った今、好んで寮に残っている生徒は実に少ない。
とはいえ、残寮生が皆無という訳ではないから100%安心という訳にもいかないし、
宿直の先生が見回りに来る可能性も考えられる。
じっとりと背中に纏わりつく不快な汗は、何も暑さのせいだけではなかった。
- 7 名前:1. 投稿日:2006/07/18(火) 11:35
-
「ねえ梨華ねーちゃん。ホントは何か、すっごい大変な悩みとか、重大な裏事情とか、
実はあるんじゃないの?」
「えっ」
「話してくれたら、もしかして考え変わるかもよ?」
分かり易く、姉である梨華の顔が瞬時強張ったのを妹は見逃さなかった。
やっぱり。
予想的中。
感情に、ブレが生じる。『規則違反』の文字が揺らぎ始めた。
姉は、ここへ押し掛けて来た理由を話していない。
生真面目な性格の姉であるから、ただの興味本位であるなどといった理由は無論考えて
いないけれど、だからといって誰かに見つかった時の言い訳になると甘くも考えられない。
生来のおっとりした表情と気質を湛えながら、梨華の妹である亀井絵里もまた、実のところ
内心焦燥を抱えているのだった。
「んー、とにかくここじゃ、見つかると困るからぁ、ちょっと外出る?」
「…それは、ちょっと」
今度は姉が渋る番だった。思考は、妹とは別の問題に捕らわれる。
「ここ、門限とかあるんでしょ?外出て平気なの?」
「大丈夫、もう寮長の点呼終わったし、11時までに帰ってくれば鍵開いてるもん。
エリの同室の先輩なんてしょっちゅう門限破ってるんだよ」
「でも、外出て行くとこあるの?」
「近くにコンビにあるから、とりあえずそこでどうかなぁ」
「……学校の先生とかに見つからない?」
「こんな時間に学校の近くで買い物してる先生なんていないよー。って、先輩が言ってたし。
寮の中でこそこそしてるより安心だよ、いいから行…」
- 8 名前:1. 投稿日:2006/07/18(火) 11:35
-
「 ―――― はわっ!」
「あい?」
ふと、話の風向きを変えて。
何時までも蒸し暑い廊下の片隅で頬寄せ合っているにもいかず、かといって夜半のこの時間
姉1人を寮の外へ追い返すのも憚られ、苦し紛れの提案を口にした絵里が言い終える前、
梨華が素っ頓狂な声を上げた。
その姉の視線は、座り込んでいる絵里を通り越して、更にその遥か上。
目線を追って振り向いて、辿り付いた対象を認め、
「ごっ、ごとー先輩っ!」
思わず大声を上げてから、はたと絵里は自身の口元を押さえ込んだ。いや、しかし、遅い。
「……こんなところで、何やってんの亀ちゃん」
「ああああ、いや、あのちょっと…」
怪訝な表情で絵里と(先輩にとっては勿論初対面で誰だか分からないに違いない)梨華を
交互に見下ろしていたのは、丁度話題に上っていたばかりの人物、
同室の先輩である後藤真希だった。
あっちゃー。
何てタイミングの悪い。
額をぽん、と叩いて絵里は天を振り仰いだ(正確には薄汚れた天井だった)。
- 9 名前:1. 投稿日:2006/07/18(火) 11:36
-
◆
- 10 名前:1. 投稿日:2006/07/18(火) 11:36
-
私立朝陽学園女子高等学校は、S県郊外にある半寮制学校で、文武両道を根差した
(一応名ばかりは)伝統ある女子校である。
全校生徒の約1/3が寮生活を送っており、両親が海外赴任中の亀井絵里も例に漏れず、
入学と同時に同学校の敷地内にある寄宿舎へ入寮した。
一昨年建築されたばかりの新館「乙女館」と、築30年は下らないという旧館の「桜花館」。
生徒の割振りを決めるのは校長補佐のほぼ独断によるもので、多数の生徒が希望する「乙女館」
に入寮できるかはある意味賭けも同然であるが、絵里は古い「桜花館」の方に愛着を持っていた。
コンクリートの冷たい匂いより、土と木の温かみを感じる桜花館の方が安心するよね。
何時だったか友人に漏らした時、
「ただボロいってだけじゃん」「絵里って意外と詩人だねー」などとと一笑に付されたので、
一緒に笑っておいた。むきになって主張する程のことでもない。
むしろ気掛かりだったのは、同室の居住者の方だった。
2、3年生は完全個室という「乙女館」に比べ、「桜花館」の人気が落ちるのは居室全てが相部屋
だという理由が占める割合も大きいだろう。
相部屋の割振りもまた校長補佐の仕事であり、生徒の希望は一応考慮されているとの弁は
あるものの、だからといって逐一意見が反映される筈もない。
よっぽどの変人じゃなきゃ、いいや。
高望みをせず、呑気に構えていたら決まった相手は彼の有名な「後藤真希」だった。
さすがに、能天気な絵里も気後れせずにはいられない、そんな相手。
- 11 名前:1. 投稿日:2006/07/18(火) 11:36
-
朝陽学園で知名度を二分する、後藤真希と吉澤ひとみ。
親友にして唯一無二のパートナー同士であるらしい彼女らは、際立った容姿に加え、
実は大富豪の娘だとかヤクザの親分の娘だとか街の不良共を素手で一掃しただとか
原付で日本一週を果たしただとか、貢物だけで生活しているだとか ―――
とにかく噂とも事実とも取れぬ話がついて回る特異な存在で、
それだけで平々凡々を自称する(いやまぁ可愛らしさは別口としてね)、自分が関わる分野の
人間ではないと容易に判断できるような相手であったのだから、それが同室と決まれば驚くのも
無理からぬ話。
しかも、彼女らについて回る噂話で唯一真実だと認識されているのが、
『あの2人ね、海外に行って、ハリケーンに巻き込まれて帰ってこれなくなって』
『更に空港に向かう途中でバスジャックに遭っちゃって』
『出席日数が足りなくなって留年したらしいよ?』
『でもまるっきり無傷で帰ってきたんだってぇ。すごいよねー』
ってな訳で。
嘘のような本当の話、人伝ならば確実に一蹴しそうな話が本当に事実らしく。
実際2人が留年しているのは確かで、アメリカ旅行中に帰国が遅れたのも確かで、
とまぁ裏付けは取られている。ああ、留年の話なのに何だかスケールがでっかいこと。
そんな噂高い2人組みの片割れ、
しかも人当たりが良くオープンな感じの吉澤ひとみならともかく、無口で愛想が悪いと評判の
後藤真希の方と同室になるとは!それも一年間だ!
――――
まぁ、仕方ないよね。決まったもんは。
- 12 名前:1. 投稿日:2006/07/18(火) 11:37
-
開き直ったのが良かったのか、あまり物事に頓着しないある意味淡白な性格が幸いしたのか、
春先からの2人の生活に支障は皆無、交流関係を広く持つのを得意としない後藤に「亀ちゃん」
とあだ名で呼ばれる程度には、良好な関係を築いている。
後藤真希は進んで他人の生活圏に介入してこないし、
そんなドライな我が道を突き進む彼女を亀井は尊重し、尊敬して慕っている。無邪気に自分に
懐く後輩を後藤も憎からず思っている。らしい。お陰で2人の関係は万事オーライ、平和だ万歳。
………が、しかし!
寮に入って以来の大ピンチ到来!エリ、超絶体絶命!どうしよう?
な瞬間が訪れようとは。
ぼぼぼぼっぼ、とポットのお湯が沸く間抜けな音を聞き流しながら、絵里はうろうろと見慣れた自室に
落ち着き無く視線を泳がせている。とにかく肩身が狭い。
目の前の先輩、後藤と隣りに小さく座る姉、梨華に挟まれ身を小さくしている。
こそこそと、音も立てず誰にも見つからず、3階の自室へ戻るのは意外に骨の折れる作業だった。
迂闊にも、寮内の裏口近くで縮こまって侵入者の姉と話し込んでいた絵里。後藤があの場に訪れた
のは、偶然ジュースを買いに1階に下りていただけらしい。
そんな先輩に、(間抜けなことに)速攻で見つかってしまった、この成り行き。
いくら油断が有ったとはいえ、たった数分で規則違反がバレてしまったことが情けない。
彼女に問い質される前に、どうか黙ってこのまま部屋まで、という絵里の必死な懇願は意外に
あっさり聞き入られ、どうにか辿り付いた我が居室で三角形を築いている。
「………」
「………」
沈黙。更に沈黙。
姉の梨華はあまりに容易に発見されてしまったことに少なからずショックを受けているようで、
付け加えれば今にも尋問が始まりそうな予感に身を固くしていて、更にその相手というのが
黙っていれば「絶対に怒っている」と評されることが抜群に多い、悪名高い“あの”後藤真希と
いうのだから。姉の心情、察するに難し。
- 13 名前:1. 投稿日:2006/07/18(火) 11:37
-
俯いて口を噤んでいる姉を横目で見ながら、
それが妹に対して迷惑を掛けたことに関する反省ならいいんだけどな、などとこんな時でも
絵里は自分本位に考えていた。いや、寮生なのだから、これは死活問題だ。
それは、今だからこそそんな風にも思えるけれど。
……
姉の様子が明らかにおかしかったから。
だから絵里は、裏口の鍵を何も考えずに開け放し、飛び込んで来た梨華を受け入れたのだ。
- 14 名前:1. 投稿日:2006/07/18(火) 11:38
-
―――― 1時間前 ――――
それぞれの居室を巡り、寮長が点呼をして回る。夏休みに入ろうが、特例はないらしい。
就寝時間は特に決まっていないし、夏休みに入って時間的余裕が出来たことも相まって、
絵里は級友の田中れいなの部屋へ遊びに行き、彼女が持ち込んだゲーム機で対戦プレイを
楽しんでいた。
と、事件の発端はそこを起点とする。
本気で熱中し始める前に、絵里の携帯電話を着信音が揺らしたのだ。
『お姉ちゃん』
ディスプレイに現れた表示に、絵里は首を傾げた。
直接電話してくるなんて珍しい。何か用事があれば、大概メールで済ませるのが常だった。
「もしもし?」
≪絵里!?……お願い≫
通話ボタンを押すとほぼ同時に、切羽詰った刺す様な声が直接脳を揺さぶった。
「梨華ねーちゃん。どしたの?」
≪今、絵里の寮の、裏口にいるのっ。お願い、中、入れて!?≫
突っぱねる、それも1つの選択肢だ。
けれど、2人は仲の良い姉妹だった。まして両親は海外赴任で長いこと家を空けており、
特に絵里が高校進学と同時に入寮してから、姉はたった1人で広い一軒家で暮らしている。
姉を独りにしているという罪悪感が、常に心の片隅にしこりを残していた。
夏休みに久々に我が家へ帰るのを絵里は楽しみにしていて、梨華もまたそれを待ちわびて
いた筈だ。それが急に予定を延期してしまった。
『英語と数学と生物と現国と古文と地理の成績が悪かったから、夏休みに特別講習があるの、
1週間寮に缶詰だよぉ(>〇<)』
そんなメールを送ったのは、昨日の話か、一昨日だったか。
『多過ぎでしょ、もうバカ』 ―――― そんな容赦ない辛辣な突っ込みメールが返信されたのも、
そう言えば同じ日だった。
- 15 名前:1. 投稿日:2006/07/18(火) 11:38
-
とにかく、罪悪感と共にそんな内容を伝えてその後、姉からの連絡がなく、心配し掛けていた所に
必死な口調の電話だ。ぞんざいにあしらえる程冷徹な人間ではなかった、絵里は。
様々な理由を考慮した結果、ゲームに熱中したままの田中れいなに少し席を外す旨を伝え、
足音を忍ばせて絵里は階下へ滑るように移動した。
「いってらっしゃーい」テレビ画面に集中していたれいなが振り向くことはなかった。
周囲に人がいないのを確認し、鍵を開ける。
裏口の外に、小さな外灯に浮き上がるようにして姉の姿を認めた。
酷く顔色が悪いように見えたのは一瞬だった。ほっとした様子で梨華が泣き出しそうな顔になり、
「絵里。良かったぁ〜、外、虫がすっごい多いんだもんっ」
体当たりせんばかりの勢いで寮内に飛び込んで来たのだ。
―――― 理由は言えない、だけど、今日ここに泊めて
梨華の様子は明らかに尋常でなかった、
けれど、すぐにいいよと即断できるような内容でもなく。
押し問答している間に、後藤真希に見つかってしまった、というそんな事情。
◆
- 16 名前:1. 投稿日:2006/07/18(火) 11:39
-
「あのさぁ、後藤は誰かにバラそうとか考えてないし、怒ってるわけでもないから、
そんなガチガチに怖がらなくていいんだけど」
不意に静寂を切り裂いた同室の先輩の声に、絵里の思考はハッと現在に引き戻された。
隣りの梨華も、同時にぐっと身を強張らせる。
気難しい、というには余りに薄い感情しか帯びていない表情の後藤真希を見て、梨華は少し
不安気に顔を曇らせた。
「緊張するな」と言われてハイそうですか、と気を抜いてしまえる様なら、それは緊張などとは
呼ばないのだ。という訳で梨華は依然、押し黙って固くなっている。
「あ、えーと。とりあえず先に言っとくね、亀ちゃんの同室の後藤真希。亀ちゃんから聞いて
知ってるかもしれないけど、1年留年してるから19歳」
初対面なので、口火を切って律儀に自己紹介を始めたのは後藤だった。
「え、エリ言ってませんよぉ!」
と、慌てて絵里が否定の声を上げる。動じる後輩の姿にうっすら笑みを湛えて後藤は「あそう?」
などと軽く受け流して見せた。絵里は憮然と膨れている。
後藤真希の表情に自虐的な色が見えないので、つまりそれは彼女なりに梨華をリラックス
させようという配慮の下の発言らしい。実際の所、絵里からルームメイトは
“只者じゃない、カッコいい3年生”
という程度にしか聞かされていなかったので正直「留年」というフレーズに驚きはしたものの、
後藤の落ち着きっぷりを見ていると納得できる部分もあった。
佇まいに、幼さが感じられないのだ。
切れ長の瞳は鬱蒼とした森のような、山奥の深い湖のような落ち着いた静けさを湛えていて、
唇の端だけを上げてシニカルに笑んで見せる仕種は、ハッとする程大人びて見える。
…下手すると、膝を抱えて縮こまっている自分よりもずっと。いやはや、情けないけれど事実だ。
(どうして、留年なんて?)
嘘を言っている様子もない。
頭はそう悪そうではないから、多分何かしら事情があるんだろう。脳裏で勝手に結論付けて、
梨華は今度は自分が口を開く番だと判断し、妹の同室者を見据えた。
- 17 名前:1. 投稿日:2006/07/18(火) 11:39
-
「あたしは、この ――― 不肖の妹、亀井絵里の姉で、石川梨華です」
後藤の目がきょとんと疑問を浮かべたのを認め、絵里が慌てて口を挟んだ。
「実はエリ達、血が繋がってなくて……うちの本当のおとーさんとおかーさん、昔事故で死んじゃった
んです。で、両親と仲良かった梨華ねーちゃんのお父さんお母さんに引き取られたわけですね。
エリの両親は駆け落ち同然で家を出てたみたいで、親戚との繋がりはなかったらしくって」
“死んじゃった”
過去の出来事として、割り切っているのだろう。絵里の口調には感傷も蟠りもない。
そこまで一息に喋って、絵里はいたずらっぽく舌を出した。
「でも、今のお父さんお母さんは、仲良かった親友の子供の名前を変えてしまうことに抵抗?が
あったみたいで、正式に養子縁組はしてないんですよ。いい名前なんだから、『亀井絵里』って
名前を残そうって。えへへへ、良い話ですよねぇー。あ、不自由はしてませんよぉ、
お父さんもお母さんも梨華ねーちゃんと分け隔てなく、育ててくれましたから。
うん、確かに『石川絵里』よりね、呼びやすいと思いません?ねー?」
「絵里、話が脱線してる」
咳払いして梨華が小突くと、絵里はいけね、と小さく笑って首を窄めた。
ははっと軽い笑い声に顔を上げた梨華は、思いがけず表情を緩めた後藤と目が合った。
「うん、とりあえず血は繋がってなくても仲が良さそうなのは分かった」
再び思いがけず、優しい声。
『思いがけず』笑って、『思いがけず』声が優しかった、なんて実は相当失礼なんじゃ?
こっそり胸のうちで自問自答して、梨華は勝手に照れてしまった。
(…だって、さっきまで仏頂面してたと思ったら、意外と無邪気に笑うんだもの)
- 18 名前:1. 投稿日:2006/07/18(火) 11:40
-
いけない、いけない。
思春期の中学生じゃあるまいし、妄想で暴走するなんてどうかしてる。
(…………ああ)
重大な問題を抱えていたのを再び意識し、同時に現実に引き戻された梨華の目の前は
途端に暗澹たる重い空間が広がった。
―――― 駄目。考えないようにしたって、どうしたって脳裏を占めるのは ―――
「それで、石川さん。本題に入ってもいい?」
感情が面に出ていたのだろうか、
唐突に悲壮な表情を帯びたことを不審に思ってか、後藤真希が絵里を通り越して直接、
梨華へと真っ向から視線を合わせ、口を開いた。
「はい、」としか答える術のない梨華を、不安そうな絵里が見守っている。
「何でいきなり、この寮に来たの?」
単刀直入に、ごくシンプルな問い掛けを絵里のルームメイトは直球でぶつけてきた。
妹からも、当初から幾度となく振られた質問だった。梨華はきりっと唇を噛む。
言えない ―――― やっぱり、言えない。
可愛い妹にも、まして初対面の少女になど、とても。
「エリにも、教えてくれなかったんです、梨華ねーちゃん」
後藤に対してか、姉に対してか、どちらともつかない助け舟(の様なもの)を絵里が出した。
「家にいたくないから、どうしてもって」
否。助け舟ではなく、泥舟の間違いだ。それではまるで、家出娘の言い分そのものじゃないか。
ちらりと絵里に視線を走らせた後藤は、幾らか逡巡する気配を見せる。
そして再度、梨華へと目線を定着させた。
- 19 名前:1. 投稿日:2006/07/18(火) 11:40
-
「家にいたくない事情って?」
「それは、言えないんだけど…。でも、ふざけて駄々捏ねてるだけじゃないんです、絶対!」
思わず大声を上げかけた梨華に慌てて絵里の手が伸びる。「しーッ、声おっきいよぉ」
姉の甲高い声は、不必要によく響くのだ。
口を塞がれて尚、梨華の真剣な瞳は後藤から外されなかった。
真っ向から見つめ返された後藤は、曖昧な表情で頭をかりかり掻いている。
「そう言えば、お父さんとお母さん、今夜帰国するんじゃなかったっけ?」
「帰国?」後藤が疑問を挟んだ。
「はい、うちの両親、シンガポールに海外赴任してるんですよ。エリは寮に入ってるし、
おねーちゃんはもう大学生だから心配ないだろうって、夫婦仲良く行っちゃってるんです」
ふと、今しがた思い出したばかりの家庭事情を呟いた絵里に、梨華は苦しげな視線を向けた。
「…今日の昼に電話あったの」
口調も重い。
「向こうの工場で原因不明の爆発事故があったって。かなり規模も大きいし怪我人も出てる
から、今月中にはどうも帰れそうもないって」
「そうだったの?」
本当に両親の事情などさっぱり知らされていなかった絵里は、実に子供らしい仕種で
首を傾げてふうんと呟いた。それっきり興味は殺がれたらしい。どちらにしろ、1週間の補習が
終わらなければ彼女は家に戻れないのだから、あっさりしたものだ。
一方の梨華は、当の連絡を受け取った衝撃と、愕然とした気持を一気に思い出した。
- 20 名前:1. 投稿日:2006/07/18(火) 11:40
-
――― すまんな、梨華
『いいよ、お父さん。仕方ないじゃない、仕事なら』
――― そう気遣ってくれるな。無理はしてないか
『大丈夫よ、大学も夏休みに入ってるし。もうすぐ絵里も帰ってくるし』
――― 絵里も元気にやってるのか。あいつはまぁ、マイペースにやってるだろうけど
笑みを含んだ父の言葉に、ようやく梨華も微笑むことが出来た。頬が引き攣っているのは、
海を越えて遠く、受話器の向こう側にいる両親に伝わることはない。
『絵里ならあたし以上に元気にやってるよ。ただ、1学期の成績が悪かったから、夏期講習
受けなきゃいけないみたいだけど。あ、これ内緒にしといてって言われてたんだった』
牧歌的な家族の会話はそこで打ち切られ、ごく平和な笑い声を梨華の耳に残したまま
両親は何の疑問も持たずに電話を切った筈だ。一工場の責任者としてシンガポールに赴任
している父は、これからてんやわんやの業務に追われるのだろう。
だからこれでいい。これでいいのだ。……大人の分別として、自分に言い聞かせた。
真昼の午後。思わず座り込んだフローリングの床が、酷く生温かったことも鮮やかに思い出す。
―――――
- 21 名前:1. 投稿日:2006/07/18(火) 11:41
-
「もし本当に梨華ねーちゃんがここに泊まるつもりなら、どっちにしたってごとー先輩に協力
してもらわなきゃいけないんだから、ちゃんと理由、話してよ」
思い立ったように真剣な顔で、絵里が言う。
「う…」
全く、悉く正論を。
妹の発言に、梨華はしばし反論の弁を失った。
確かに、梨華がこの部屋に泊まることを許されたとして、ここが妹1人の個室ならともかく
相部屋である以上、ルームメイトの後藤真希に迷惑を掛けることは間違いない。
ただでさえ断固として禁止されている「部外者立ち入り」に足を突っ込ませる結果になる上、
事件当人の梨華が正当な理由も訳も話さないとあっては、身勝手にも程がある。
「別に、別に、後藤自身はさー、規則違反するのが嫌だってことでもないんだけど」
不意に、後藤が口を開いた。
「一応、亀ちゃんは今年入ったばっかの新入生で、正直あんま成績も芳しくなくって」
「えー…そんなこと」
「その上後藤みたいな問題児と仲良いってんで教師に若干白い目で見られてて、総合的に
あんまりこの学園内で優位な立場じゃないんだよねぇ」
「…外れでは、ないですけどぉ………」
途中、何か言いたげに絵里が口を開き掛けたが、当然全て事実なので何のフォローも出来ない
と踏んだのか、結局諦めてむっつり唇を結んだ。
それ以上に萎れているのがその姉の方で、
つまり説得され言い含められる側になったと一瞬で悟った梨華は、後藤が遠回しに絵里を
擁護し、自分が寮に留まるのを非難しているのだと理解した。
そりゃ、そうだ。この場合、後藤真希の方が正しい。
馬鹿でも分かる。梨華は馬鹿じゃない(多分)、だから、その読みは正しい。
「で、寮内に。それも教師の監視が緩くなる夏休み入ったばかりのこの時期に、いくら姉妹とはいえ
部外者を勝手に寮内に招き入れたことが万が一バレたら、どんだけ亀ちゃんの立場が悪くなるか、
分からなくはないよね ――― ですよね?」
- 22 名前:1. 投稿日:2006/07/18(火) 11:42
-
後藤の口調は優しかったが、有無を言わさぬ迫力があった。
確かに、「カッコいい」かどうか知らないけれど「只者でない」先輩であるのは認めざるを得ない。
年下とは思えない迫力に、梨華は一方的に圧倒されている。
梨華とて、勝手な言い分を振り翳していることは誰より分かっていた。
闇雲にここまで来てしまってから、どんなに自分が馬鹿で矛盾だらけの行動をしているか、多少
なりとも客観的に見れば気付かない筈がない。
それでも、訳を訊かずにただの一晩でも、我が家から身を置きたいと本能が主張していた。
―――― 怖いんだもの、どうしたって ――――
けれど、梨華はゆっくりと深く、頷いた。後藤真希の言葉に。
「分かって…ます。ごめんなさい、あたし」
ぐ、と言葉が喉に痞えた。一瞬でも気を抜けば、心細さから忽ち泣き出してしまいそうだ。
だから、慎重に、声を絞り出す。
「絵里の立場も考えないで」
「おねーちゃん」
胸が塞がれ、絶望に打ちひしがれながらも顔が蒸気に包まれたように熱いのは、初対面の
少女に完膚なまでに説き伏されてしまったからか。
それとも、迷いのない射抜くような鋭い瞳の前で、自らの行為に羞恥を覚えたせいか。
どちらにしろ、選択肢は無くなった。
前方の道は、行き止まりだ。ならば、選べるのはただ1つ。
「帰ります、うちに」気が変わらないうちに、さっさと駆け出してしまいたかった。立ち上がった
瞬間、立ちくらみを覚え、結局それも適わない。なんて、不甲斐ない。
惨めな思いで鞄を抱え直す梨華の隣りに、絵里もまたすっくと立ち上がった。小さい小さいと
思っていた我が妹は、いつの間にかほぼ目線を並べるくらいになっている。
普段は穏やか過ぎる絵里の目が、今ばかりは心配そうに揺れていた。
- 23 名前:1. 投稿日:2006/07/18(火) 11:42
-
「おねーちゃん」
もう一度、絵里が姉に呼び掛ける。
その顔を正面から受け止めて、梨華はぎこちなく笑った。「ごめんね、絵里。ワガママ言って、
困らせて。ちょっと1人で寂しかったんだ。あと一週間、家で待ってるね」
無理をしているのは、傍目にもはっきりと分かる。けれど、同室の後藤は姉が寮内へ滞在
することを許さず、梨華もそれを受け入れ、絵里はただその流れを傍観するだけ。
「送るよ、梨華ねーちゃん、うちまで」
せめて、とばかりに絵里が提案すれば、梨華は首を横に振った。
「いいわよ、大丈夫」
「送るってば」
「帰り、どうするのよ。門限過ぎちゃうでしょ、1人で帰るには遅過ぎる時間よね?駄目」
さっきまでどうしようも無い程心細い沈痛な顔をしていたのに、いつの間にか梨華の口調は
しっかりと姉のそれに戻っていた。
鞄を持っていない空いた手の先、細い指が細かく震えているのはしかし、隠しようもない。
「後藤も一緒に送ってく」
静かな声で割って入ったのは、勿論この場では唯一の第三者、絵里のルームメイトだ。
はたと顔を見合わせ、姉妹は揃って「え?」と間抜けた声を上げた。
思わず苦笑しながら、後藤は言い含めるように続ける。
「後藤も入れて3人で石川さんちまで行って、帰りは亀ちゃんと2人で戻ってくればいいよ。
それくらいは、後藤も先輩として責任持つから」
「だけど、こんな夜中に!大体、初対面なのに後藤さんにまで迷惑かけるなんて」
「いいんじゃない?少なくとも今は、名前も顔も知らない仲じゃないんだし、
それに、後藤は石川さんをこっから追い出す悪者の役回りだし」
「でも」
遠慮の言葉を吐き出そうとした梨華を制して、あっけらかんと後藤が言った。
- 24 名前:1. 投稿日:2006/07/18(火) 11:42
-
「今夜はどうせ、暇なんだ」
ということはつまり、暇でなければ首を突っ込むつもりは無いということか、まぁ当然。
けれど、いやしかし、と梨華はうじうじ二の足を踏んだ。
―――― どう考えても後藤真希にとっては関係のない話なのに。
梨華にとっては本来歓迎すべき彼女の提案も、素直に受け取れないのは心の奥底に
植え付けられた暗い影のような恐怖感が居座っているからだ。
「やっぱり悪いです、一人で帰ります」と尻込みする梨華の背中を押したのは、
それまで黙って後藤の言い分を聞いていた絵里だった。
「一緒に行ってもらお、梨華ねーちゃん」
「ちょっ、絵里まで?」
「だって、ごとー先輩すごい頼りになるんだよ。それにやっぱり、2人より3人の方が心強い
じゃん。先輩、気紛れでよく人助けしてるし、甘えちゃおーよ」
強力な助っ人をバックに従えたせいか、俄然絵里の表情は明るいものになっていた。
そんな妹の後ろで「気紛れとは失礼な」とむくれる後藤の姿を見て、それでもまだ迷って立ち
尽くす梨華を見かねたのか、絵里が強引に彼女のバッグを取り上げた。
「あっ」
「よし、いこっ」
「ちょっと絵里、返して、一人で帰るから!」
「シーッ!だからおねーちゃん声おっきいってば!!」
「絵里の方が声、大きいんじゃ…」
「本格的に遅くなる前にさっさと行くよ」
「あ、先輩、こっそり行かないと」
「西階段から降りるか、あっちのが人気少ないし」
「ですね」
「ちょ、ちょっ2人とも…」
- 25 名前:1. 投稿日:2006/07/18(火) 11:43
-
鍵も掛けず、とっとと部屋を開け放して遠ざかっていく背中を追って、梨華は小走りに駆け出した。
学校指定のジャージ姿で、電車とバスを乗り継いで梨華の家まで行くつもりか?
いや、そんなことは問題じゃなくて、
本気で、何でもないような顔で、自分と関わりを持つというのだろうか、彼女は ――― 後藤真希と
名乗った、妹のルームメイトである少女は。
「待ってよ、後藤さん、絵里っ」
慌てた声を上げると、前方の2人は同時に振り向いて「シーッ」と唇に指を当てる。
計算された様な、鏡に映した様な彼女たちの仕種に(それも、真面目な顔をしているから尚更だ)、
梨華は自分の置かれた事態も忘れて思わず笑ってしまいそうになった。
それから、少しだけ泣きたいような気分に襲われた。
何も深い訳を訊かずにいてくれる後藤真希の気遣いと、何も知らない妹達の優しさに甘え、
縋るしか手段を持たない自身の心の弱さに、少し。
- 26 名前:1. 投稿日:2006/07/18(火) 11:43
- ◆◆
- 27 名前:1. 投稿日:2006/07/18(火) 11:43
- ◆◆
- 28 名前:1. 投稿日:2006/07/18(火) 11:44
-
たたたたっと軽い足音。
ショートボブの黒髪を弾ませて、亀井絵里は約数ヶ月ぶりに帰った実家を見上げ、歓声を上げた。
「あー、懐かしいっ!ただいま我が家っ」
電車とバスを乗り継ぎ、最終のバスを降りてバス停からてくてく歩くこと数分、ようやく目指す石川宅
へ一行が到着したのは日付も変わった午前0時半近くのことだった。
第一声を吐き出したのは絵里で、先頭を歩いて自宅までの道のりを案内していた石川梨華は、
終始無言だった。それが先ず、後藤の気に掛かった。
強張った彼女の背中に、極度の緊張が漲っている。
横目で、そんな石川梨華の姿に注意を払いながら、立ち止まった彼女の隣りまで後藤もまた、
歩みを進めて肩を並べた。
「ふーん、ここが亀ちゃんちか」
ジャージのポケットに両手を突込み、暗がりにぼんやり浮かぶ一軒家を見上げて、後藤が独り言を
呟いた。それからくるりと首を回して付近の住宅に視線を走らせる。
そんな後藤の仕種や目線に、「探索」の意図を無意識に嗅ぎ取った梨華は、背筋に薄ら寒い予感
を抱いて思わず彼女の顔を覗き込んだ。
「……どうしたの?後藤さん」
「いや、やっぱり、全然知らないトコだなーと思って」
予想以上に気の抜けた回答に、尋ねた梨華はホッとした調子で溜息をついた。
只の思い過ごしだ。必要以上に神経過敏になっている。
「なんだ、誰かいたのかと思っちゃった」
「……いたこと、あるの?誰かが、この辺に」
他人に対する質問としては決して伝わり易いとは思えぬその表現に、明らかにギョッと驚愕を
浮かべて、梨華が振り向いた。目が合う。すぐに、梨華の方から視線を逸らした。
- 29 名前:1. 投稿日:2006/07/18(火) 11:44
-
なんて分かり易い反応。
“誰かがこの辺にいたことがある”、つまり、
“石川梨華の家の付近に、誰かが”、つまり、
―――― 後藤の中でぼんやりとした思想でしかなかったそれが、徐々に現実味を帯びていく。
再び、自分に背を向けてしまった梨華をじっと見据える。むしろその行為は、観察していると
形容した方が正しい。
鞄から鍵を取り出す。震えている指先。桜花館からここへ到着するまで、ずっと。
蒼白な顔。時折周囲を窺う小動物のような目の動き。上擦った声。
理由は話せないと、頑なに拒むその態度。
(怯えてる)
何に。
どうして?おそらく、いや、多分。彼女は、きっと。
- 30 名前:1. 投稿日:2006/07/18(火) 11:45
-
「梨華ねーちゃん、早く早く!エリ暑過ぎて死ぬぅ」
「大袈裟なんだから。ちょっと待って」
「はっやっくー」
思案に暮れる後藤と、俯いて身体を強張らせる梨華に気付くことなく、絵里はステップを
踏むように門扉を擦り抜け玄関ドアの前へ立つ。
先ほど梨華が取り出したばかりの鍵を携えて。
がちゃり
素早く、玄関のドアが開ける。同時に身体を室内に滑り込ませた。
その後ろから、もう1人影のように彼女に寄り添っていた少女が、するりと続く。
「あー、もう、夜なのに外あっつい!クーラー入れよぉっと」
「なっさけなー、絵里、もうへばっとる?」
「へばってない!暑いだけだもん」
「あっそ」
「あっそってなに、あっそ、って!もうれいなの馬鹿ちん!」
家に足を踏み入れるなり愚痴った絵里とやり合ったのは、彼女の級友である田中れいなだ。
先刻の寮内で、石川梨華を家まで送るため人気の少ない階段を下りていた3人は、
丁度絵里を探し回っていたれいなとばったり遭遇してしまった。
どうやら彼女は、ゲームの最中で突如電話片手に姿を消してしまった絵里を心配したらしい。
無事に絵里の姿を認めたれいなは先ずホッと安心した様子を見せ、それから不審点に気がついた。
時刻は門限ギリギリ。
滅多に行動を共にしないルームメイトと、見知らぬ若い女性を従える絵里。
あからさまに怪しく外出しようとする3人を見咎め、止める代わりに黙っててやるから自分も一緒に
連れて行け、との主張の下、勝手に付いて来てしまったのだ。
「れなに内緒で絵里だけ楽しい思いすんの、ずるい」
連れてかなきゃここで大声出して騒ぐ、と脅されては放置する訳にもいかない。
- 31 名前:1. 投稿日:2006/07/18(火) 11:46
-
同じリズムの繰り返し、単調な寮生活の中で刺激が欲しいと考えるのは、そう突飛なことでも
ないのかも知れない。
とはいえ、こうなった経緯を行きずりのれいなに説明するのも面倒なので、彼女には
「遅い時間だから絵里の姉を一緒に送っていく」と、この上無く適当な回答を押し付けてあった。
何故、梨華が寮へいたのか、という理由は頭から省いて。
その割に、さして疑問も持たずにいる所が、田中れいなという少女像を明確に表していた。
「絵里、れいなちゃん、もう時間遅いからあんまり大きな声上げないでね」
「はーい」
「ほーい」
さて、相変わらずきゃあきゃあと場違いに明るい高校1年生の少女達は、梨華の異様な様子に
明らかに気付いていなかった。久々に実家に戻り単純に喜ぶ絵里と、そんな友人をからかって
はしゃぐ2人と一線を引き、現在の家主である梨華の周囲にだけ異質な空気を纏っている。
それを認めたのは、意識して梨華に注意を傾けていた後藤だけだった。
会ったばかりの、彼女におそらくは迫っているであろう尋常でない危機。
いち早く、後藤は感知し、予測している。第六感や単純な勘などではない、石川梨華の態度や
行動が一々それを肯定し、裏付けしているのだ。
もし、後藤の読み通りならば彼女が家に戻った今夜乃し近いうちに、事件は起きる。
――― 何故、こんな積極的に彼女に関わろうとするのだろう?
――― 同室の後輩の姉であるから、それではあまりに理由として不明瞭だ
亀井絵里が揶揄したように、当初は、後藤真希の「気紛れ」がきっかけに過ぎなかった。
確かに、それ以上でも以下でもない、余計な思考は挟んでいなかった。筈だ。
「少し、おかしい」「何か、おかしい」
気を引くきっかけになったのは些細な引っ掛かりだ。そう、その時までは。
僅か数分後、時が訪れて、石川梨華に別の強い感情を、抱くまでは。
- 32 名前:1. 投稿日:2006/07/18(火) 11:47
-
およそ自宅とは思えぬ程おどおどした様子で、梨華は玄関へ上がった。
本人は誰にも気取られまいとしているのだろうが、一度不審点に気付いてしまえば意識せず
とも、逐一彼女の行動が目に付いてしまう。
注意深く観察しているそんな後藤の視線には気付かず、梨華は「どうぞ」とリビングへ誘った。
既に先着していた絵里が早速冷房を付け、部屋には生温い風が吹き出していた。
直ぐに冷風に変わるだろう。夏真っ盛りだ、確かに冷房に慣れた都会っ子では、この便利な
文明の利器を遣わずして今の季節を乗り越えるのは難しい。
クーラーの送風口で「うあー」と無防備に風を受けている絵里に呆れながら、
こちらはさっさとソファに遠慮なく埋まっていたれいなが、リビングへ入って来た梨華を認めて
跳ね起きた。
「おじゃましてまーす」
「ああ、いいえ」
順番が逆だろうとの突っ込みは、梨華の内心に留めておいた。5つも年下の少女の礼儀に
ケチを付けるのはナンセンスだ。それに多少不躾ではあるけれど、率直な態度の田中れいなという
妹の友人に梨華は割と好感を抱いていた。
若干15歳にして世間ずれしてあまり大人びているより、余程接しやすい。
「あ、後藤さんも座って?」
「…あー、ども」
「どーぞどーぞ、ごとー先輩」
「なんよぉ絵里、れなには何も言わんと、贔屓じゃん」
甘えた声を出す絵里に、れいながぷうっと頬を膨らませる。
やだぁ、れーな妬いてる?と絵里が笑うと、慌てて口を噤んだ。頬がほんのり赤い。
「アホか」
「もー、れいなってば素直じゃなーい」
「うっさい!」
「もっと喋ってよ。エリ、れーなの声好きなんだから」
「からかったって、その手には乗らん」
「えへ」
「笑うな」
凄味を利かせてれいなが絵里の柔らかそうな頬っぺたをぎゅいっと引っ張った。
「いひゃい」と喚く絵里は、何故か嬉しそうだ。
- 33 名前:1. 投稿日:2006/07/18(火) 11:47
-
北九州から進学の為この春状況して来た彼女は、標準語を喋ろうと努力はしているものの
何処か自然と訛りが滲み出る。方言に馴染みのなかった絵里などは逆にそれが新鮮で、
興味深いものと捉えたらしく、れいなの訛混じりの甚く口調を気に入っていた。
幼いやり取りに微笑みながら、時々ふと真剣な眼差しを帯びる後藤。
何気なくリビングに隣接する台所に視線を移すと、梨華がかちゃかちゃと涼やかな音を立てて
グラスに麦茶を注いでいるのが目に入った。
田中れいなと小突き合っていた絵里も姉の動作に気付いたようだ。
「梨華ねーちゃん。すぐ帰るから、別にお茶とかいらないよ」
声を張り上げながら、れいなをソファに押し付け、その上を跨ぐように台所へ立つ。
「むぎゅ」と潰れた声を上げるれいなを残して、姉の側へ。
「おねーちゃん?」
無言でせっせとお茶菓子まで用意する梨華の深刻そうな様子に、さすがに絵里も不審感を
抱いたらしい。怪訝な表情で数度姉に呼び掛け、ようやく梨華が絵里の存在を意識して
振り向いた時には、密かに芽生えた微々たる違和感が本物に変わっていた。
「あ…絵里。なに?」
「なにじゃないよ、変だよ、変!」
「変って、何が?」
語彙がもう少し豊富ならば、絵里は『挙動不審』だ言葉を選んで姉に突き付けるだろう。
残念ながら、絵里の成績は文系理系、ともに芳しくない現状にあるけれど。
「梨華ねーちゃんに決まってるでしょ!」
気色ばんで声を荒げる絵里を前に、梨華が困惑気味に眉尻を下げた。
おそらく彼女は、こんな風に妹に威圧的に迫られることに慣れていないのだ ―――
従順で穏やかな妹と、平和に仲良く過ごしてきた今までの生活の中では。
- 34 名前:1. 投稿日:2006/07/18(火) 11:47
-
「何回もエリ、呼んでるのに。大体、こんな夜遅くにお茶なんて出してどうするの、
帰り遅くなっちゃうじゃん。変だよ、なんか絶対…」
絵里の語尾が、みるみるうちに萎んでいった。
不審感が、急速に不安感へと変貌を遂げる。
「でも、今夜は暑いし、後藤さんやれいなちゃんにこんな遠くまで来てもらったのに、何も
出さないのも申し訳ないじゃない」とは、随分と覇気を失っている梨華の抗弁だ。
姉妹の言い争いに口を挟もうとして、後藤は躊躇った。
まだ、この段階で早合点するのはいかがなものか。まして、自分は間違いなく彼女ら姉妹
にとっては只の一部外者に過ぎないのだし。
「どうしたですかね?」とあくまで第三者の立場で様子を見守っていたれいなが、
雲行き怪しい展開に呆気に取られた面持ちで、後藤にぽつりと問い掛ける。
「うん……ねえ、田中ちゃんさ」
「はい?」
「これから徹夜する元気、ある?」
「え?」
唐突な後藤の申し立てに、れいながぽかんと口を開けた。え、どういう意味?
正直な反応の後、これまた正直にれいなが問うた。
「どういう意味ですか?」
いやまぁそりゃ、絶対徹夜しなきゃいけないってんなら出来ないこともないですけど、
どぶつぶつ続けてれいなは後藤を見据えた。
亀井絵里を通して、後藤とれいなは全くの見知らぬ仲ではない。けれど、仲良く夜遊びする
様な仲でもない。れいなにとって、留年した上学校随一の有名人(の片割れ)とは何処か
住む世界が違うと認識している節がある。今、ここでこうして膝をつき合わせているのは
成り行き上、偶然そうなっただけで。
- 35 名前:1. 投稿日:2006/07/18(火) 11:48
-
「これから、徹夜するんですか?れな達」
「うん、そう。世界が波乱万丈に動いているなら、そうなる」
「は…?はぁ…………世界が、平和なら?」
上目遣いに、れいなが答えた。後藤の言い分の半分も理解出来ていないので、その受け答え
で正しいのか判断出来ないが、彼女は直ぐにれいなの言葉の意味を汲み取ったようだ。
「平和なら、きっと」
唇の端に小さく笑みを浮かべる。
「何も起こらず、後藤たちは3人でここから桜花館に戻って、そのまま寝て、朝がくる。
まぁそう、普通にね」
世界が平和なら、普段通りの日常がやってくる。しかし、後藤真希はそうならない可能性を
この時点で嗅ぎ取っているということで、ならつまり、絵里や彼女の姉を含めたれいな達は、
現状で“非日常”に足を踏み入れようとしている、のだろうか?
中途半端な回答は、益々れいなの頭上に疑問符を増やすばかりだ。
「それじゃあ、後藤さんはこれから何かが起きるって予想してるんですか?事件とか」
首を傾げたれいなは、素直に後藤に問い質した。
素直で率直なのが彼女の長所であり、或いは時々、短所になったりもする。
「起きない方がいいんだろうけどね」
対する後藤は、ほとんど独り言のように言い捨てた。その目は、既に言い争いを終えて
リビングへ戻って来る梨華と絵里の2人に向けられている。
彼女ら姉妹が、後藤とれいなのやり取りを耳にした様子はない。
後藤の視線につられて、れいなも口を噤んでお茶を運ぶ姉妹に顔ごと目を向けた。
暗い表情(決して照明のせいではない)に無理矢理ぎこちない笑みを貼り付けた梨華と、
釈然としない表情でその後を付いて歩く絵里の間には、分かり易くギクシャクした雰囲気が
漂っている。あくまで、梨華は自ら素直に口を割る気はないらしい。
- 36 名前:1. 投稿日:2006/07/18(火) 11:49
-
「あの、良ければ冷たいお茶でも飲んでいって」と言い出したのは梨華だった。
後藤とれいなは瞬時に顔を見合わせ、じゃぁ、まあ、と遠慮がちにグラスに手を伸ばした。
ひんやりと冷たい麦茶がこの上なく美味しい。喉が渇いていたことに、その時初めて
れいなは気が付いた。
「すみません。こんな遅い時間なのに、のんびりお茶なんか…」
午前様になっていることも手伝い、苦い反応を零した絵里を諭すように、
「いいじゃん、どっちにしろ門限はとっくに過ぎてるし、遅めに帰った方が誰かに見つかる心配も
少ないよ。多分」
淡々と後藤が口を挟むと、絵里もそっすね、とようやく納得気味に頷いた。
れいなは麦茶を含みつつ、ちらちらと顔色の悪い梨華に視線を走らせている。
若年者2人が異常な雰囲気を察知し始めたことにより、つい数分前とは打って変わった
息詰まるような重苦しさが、場の空気を支配していた。
―――― ?
―――― …
この雰囲気に気圧された絵里とれいなが目線を交錯させ、焦りが生じ始めた。
状況はさっぱり分からない。けれど、不穏な気配だけははっきり感じ取れる。
「あの………」
人間にとって「理解出来ない」事ほど不気味で恐ろしいものはないのだ。姉と、妙に落ち着いた
態度の後藤を交互に盗み見ていた絵里が、隣り脇に座るルームメイトの先輩に、ついに口を
開こうとした途端、タイミングを見計らったように当の人物が口を開いた。
「もしかして石川さん、ストーカーとか、遭ってない?」
単刀直入過ぎる、特攻を。
「 ――――― !」
- 37 名前:1. 投稿日:2006/07/18(火) 11:49
-
発言した後藤以外の全ての人物が、刹那凍りついたように動きを止めた。
殊更に気負いを捨てて、さり気なさを装った声にしかしながら梨華は酷く狼狽して見せる。
「な、なん…っ、なんでっ」
ハッと顔を上げたれいながまじまじと後藤の顔を眺め、
それから梨華の強張った顔に視線を移した。硬直して立ち竦む姿と、青褪めた顔に、それが
事実なのだと素早い判断を下した。
「じゃぁ、さっきの…」
呟いて、つい先刻の後藤の言葉を反芻する。
“これから徹夜する元気、ある?”
何かが、起きようとしているのだろうか?後藤はそれを見越しているのだろうか?
梨華は唇を噛んでいた。金縛りに遭ったように、後藤真希の視線から逃れることも出来ず
ただ、意思を亡くした人形のようにその場に立ち竦んでいる。
呆然とし、最も事態の成り行きに取り残されているのは絵里だった。
ストーカー?
ぽつりと呟いた絵里の言葉は、酷く空虚に響いた。あまりに現実味の無い単語として。
「…なん、で…?」
「やっぱ、ビンゴ?」
「……ちがっ…」
はっと我に返り、梨華は必死に勢い良く首を振った。違う、そんなのは違う、ストーカーなんて
知らない、あなた達には関係の無い話だから、だから違う ――――
「両親は長く不在、家には女子大生が独り住まい、その本人は家に1人帰ることを畏れてて、
友人の所じゃなく、禁止と知りながら高校生の妹が暮らす寮へと助けを求めた。
家に帰れば、周囲を気にする、物音を気にする、行動も言動もぎこちない」
「……そんなことないもん」
- 38 名前:1. 投稿日:2006/07/18(火) 11:50
-
「うん、妹はもちろん他人をさ、巻き込みたくないんだろうってのは分かる。
だけどやっぱり、家に1人でいるのは心細いんでしょ。独りになるのが怖いんでしょ?
久々に我が家に賑やかさが戻ったから、それを手放すのが益々恐ろしくなった。
……たった1人で迎える夜が」
否定の言葉を発する余裕も無く、ただ梨華はぶるぶると首を横に振った。
それしか、出来なかった。
「ねぇ、石川さん。夜とかちゃんと眠れてる?最近、友達と会ってる?ストーカーを意識してから、
あんまりないんじゃないの」
それでも、遠慮なくざっくりと、後藤真希は深く切り込んだ。
言葉を失い、顔色も失い、ただ震える拳を握り締めて梨華は立ち尽くす。寝耳に水といった風の
表情で、絵里が再度「ストーカー…」と呟いた。
激しい後悔が入り乱れる混乱した妹の声が、耳に痛い。
違う。
あたしは、ストーカーなんてあやふやな存在に惑わされたりしない。何の被害も受けていない、
あたしの生活がめちゃくちゃに踏みにじられて、酷い目に遭っているだなんて、
――――― 絶対に認めない!
「多分、事実として認めたくないんだろうとは、思うんだけど」
「……」
「そりゃあ、嫌だよね。自分の生活が、何処の誰とも分からないストーカー相手に支配されて、
脅かされてるなんてさ。理不尽にも程がある」
「………」
梨華は、両手を握り締めた。白っぽくなった拳だけを見つめて、耐える。
何にだ?後藤真希の訥々と繋ぐ言葉にか?彼女が口にしているのは尋問でも詰問でもない、
今や隠す術を失った梨華自身の本心だ。
- 39 名前:1. 投稿日:2006/07/18(火) 11:50
-
そんな所まで正確に言い当てて、けれど後藤はそこで一歩引く様相を見せた。
「……まぁ、余計なお世話かも知れないんだけど」
まさか、後藤真希が梨華が寮へ泊まり込むのを拒み、ここまでやって来たのは、
梨華の抱える重大な秘密を自らの目で認め、確信する為だった?
ようやくそう思い至り、続いて大きな疑問が沸いた。当然の感情だった。
――― 何故?
「今日は詮索しようと思ってここまで来たんだ」
「どうして…」
後藤が理由を告げる前に、事態が大きく動く。
- 40 名前:1. 投稿日:2006/07/18(火) 11:51
-
ピンポ ――― ン
- 41 名前:1. 投稿日:2006/07/18(火) 11:51
-
「!!」
全員が言葉を失い、玄関の方へ視線を彷徨わせた。
れいなは、咄嗟に壁掛け時計を振り仰いだ。時刻は0時36分。
宅配便も、隣近所の訪問も、新聞の勧誘にも遅過ぎる時間。
あまりにタイミングの良すぎる深夜の訪問を告げるチャイムは、自ら「怪しいヤツが来ましたよ」
と大声で宣伝しているようなものである。
「……嘘………だって、そんな、本当に……」
わなわなと震える唇で、梨華が搾り出すように吐き出した。
何とか今まで、気丈さを保っていた努力は結局、徒労に終わってしまった。
もしこれが、「実は事故などなくて今しがた空港からタクシーで帰ってきたんだ」などと、お茶目な
両親の演出などで無い限りは、梨華が最も畏れた瞬間がたった今、訪れたのだ。
――― 本当に、“来た”!?
驚愕と興奮で、れいなは息を潜め、目を見開いた。
「これ、って、そのストーカー?」
ぼそりと低く呟いたのは絵里だった。囁きに誓いそれを聞き取ったのは最も間近にいたれいなで、
出来る限り抑えた声色に真っ当な怒りが込められていたのを察知したのもれいなで、
パッと素早く身を翻して玄関へ駆け出した絵里を慌てて追い掛けたのもれいなだ。
「絵里!待って!」
「絵里!」
同時に名を呼ぶ、梨華のそれは悲鳴に近い。
咄嗟に玄関へ足を向けた梨華の細い腕を、意外な程強い力で後藤が引き留めた。
顔色を失っている梨華を半ばソファに押し込めるように座らせて、後藤が「ここにいて」と言い残す。
梨華がこくこくと2、3度頷くのを見届けるのももどかしく、彼女は素早く玄関へ姿を消した。
「誰っ!?」
ドアチェーンを付けたまま、早くも絵里が玄関を開けていた。外は暗く、誰の姿も見えない。
「亀ちゃん、待って、不用意に開けるなっ」
「絵里!後藤先輩が開けるなって……」
追い縋ったれいなが言い終えるのを待たずして、絵里はもどかしくチェーンを外すと勢い良く
- 42 名前:1. 投稿日:2006/07/18(火) 11:52
-
ドアを開ける。
カチャン、バタン!
リビングまで響いた音に、梨華は身を竦ませた。
(……絵里!)
『開けるな』。
後藤真希の言葉は、そのまま梨華の素直な心情でもあったのだ。
「誰か、いるんでしょ!?隠れてないで…」
「絵里っ」
一瞬の静寂。
「出てき ―――― 」
怒鳴るように暗闇に叫んだ絵里の言葉が途切れた。
状況の見えない梨華を酷く動揺させ、狼狽させるのに充分な沈黙の間が流れる。
れいなの切羽詰った声が絵里の名前を呼び、そして。
「ぅわああぁあっ!!」
音程もへったくれもない純粋な悲鳴に、梨華が弾かれたように顔を上げた。
「絵里っ!?」
「っっっな、なっに、これっっ!!?」
総毛立つような、妹の絶叫。よろよろと覚束無い足取りで、梨華もまた、玄関へ足を向けた。
ドタドタと重く響く複数の足音、ガツンと何かをぶつけた様な鈍い音。
扉は既に閉められている。後に控えていたれいなが、絵里の悲鳴と異変を察知して直ぐに
彼女を玄関の内側へ引き入れ、素早くドアを閉めたのだ。
「……れいなぁ」
「だいじょぶ、だいじょぶ。絵里、大丈夫やけん泣くなって」
れいなの肩に顔を埋めて、絵里が全身で息をしている。青褪めた顔と、腕の鳥肌を見れば
何らかの異常があったのは一目瞭然だった。
「何があった?」
短く訊いた後藤に、絵里は言葉少なに返した。「……鳥が…」
- 43 名前:1. 投稿日:2006/07/18(火) 11:53
-
「鳥?」
聞いていた梨華の方も、瞬時に体全体から血がざあっと下っていくような錯覚に陥った。
苦手なものは幾つか存在するけれど、梨華が最も苦手な何かを挙げるとすれば真っ先に
考え付くのが所謂“鳥”だったのだ。嫌悪感に似たおぞましさが全身を過ぎる。
ひくひくと顔を強張らせて、絵里は切れ切れに言葉を紡ぎ出した。
「にわとり、が…羽、羽を全部剥かれてて、…そこに」
「羽を!?」
眉を顰めて怪訝に聞き返すれいなにしがみ付いて、絵里は口を噤んだ。
目付きを厳しくした後藤が、そんな2人の横をすいっと横切る。その先にあるのは玄関だ。
「後藤先輩?」
「田中はここにいて。ちょっと見てくる」
言い淀むことなくサラリと言い放って、後藤は玄関を細く開けた。外に何があるのか分からず
とも、絵里が目にした「何か」を室内の梨華らに見せまいとする配慮らしい。
感心している場合ではなかった。後藤がしようとしている行為は、無謀にしか見えない。
「後藤せんぱっ…」
目を剥いて、慌てて引き止めようとしたれいなを、絵里が強く制した。
「れいなまで行かないでっ!」
「絵里…」
虚を突かれて、れいなは一瞬戸惑う。けれど結局、絵里をしっかり抱きとめるに留まった
「大丈夫」と数回、繰り返し絵里の耳元で囁いた。彼女はまだ震えている。
ちらりと後輩2人の様子を横目で確認しながら、後藤の半身は、もう玄関の外へ出ていた。
半ば身を乗り出すようにして外の気配を窺っていたが、すっと滑るように外気に身を曝け出す。
迷いのない、俊敏な動きで。
(…嘘……。なんで…?)
何とか、玄関まで続く廊下へ伝い歩いてきた梨華が目にしたのは、物言わぬ後藤の後姿。
梨華はあまりの展開に硬直している。体が震え出すのを、止めることも出来ない。
玄関のドアはもう、閉められてしまった。何があるのか分からない真っ暗闇の外に、彼女が
――― 後藤真希が足を踏み出してしまった。たった1人で、無防備に。
(駄目)
危ない、非常に危ない ――― だって彼女は、この家の周りに潜む危険など何も知らないのに!
玄関の向こうは、物音1つ立たない。後藤真希も、声1つ上げる様子もない。
激しい動悸に突き動かされて、梨華は思わず玄関のドアへ駆け寄った。
(何で、あたしなの?何故、関係ない人たちまで、妹まで、巻き込まなきゃいけないの?)
(戻って…お願い、後藤さん!)
- 44 名前:1. 投稿日:2006/07/18(火) 11:53
-
鶏だ。
後藤の目は、亀井絵里よりも幾許か冷静にその「物体」を見据えていた。
無残に全身の羽根を?がれた鶏の死体が、打ち捨てられた人形のように無造作に、しかし
圧倒的な醜悪さを放って、石川家の玄関先へ転がっている。
よく見れば、鶏の首と胴体がすっぱり切断されていることに気が付くだろう。
絵里はそこまで見ていられなかったのに違いない。尤も、凝視して得な代物ではないけれど。
薄暗い外灯に照らされたそれはどこか非現実的ではあったものの、そこはかとなく漂う不気味さや
秘められた狂気、血生臭さは確かに本物で、その場に存在していた。
全く心構えの無かった絵里が悲鳴を上げたのも無理はない。
ふと、鶏の死体の脇に落ちていた紙片に目を止める。
文房具店で売っているような、何の変哲もない長方形のメッセージカード。普通でないのは
その内容と、筆跡だった。
『お か え り』
紙片いっぱいに書かれたメッセージは十中八九、石川梨華に向けたものだろう。字が赤いのは
――― 否、“赤黒い”のは、間違いなくそれが血で書かれているからだ。
この鶏のものか、何処ぞの犯人の血液か。
不快さに、後藤は顔を顰めた。明らかに、こんなのは異常者の振舞いでしか有り得ない。
おかえりの文字の乱雑さと、
帰宅直後にこんなものを「プレゼント」する用意周到さは何処か噛み合わず、それが逆に
空恐ろしさを増している。カードを拾い上げて、後藤は周囲の気配に用心しながら道路へと
歩みを進めた。
しんと低く淀んだ静寂の中、虫の音だけが、存在を主張していた。
(…誰もいない)
周囲の民家からは点々と、明かりが点って見える。
家々から漏れる明かりが路上を照らし、後藤の視界を若干広いものにしていた。路駐している車
も無ければ、こんな時間だけに辺りを歩く人影も見えない。
- 45 名前:1. 投稿日:2006/07/18(火) 11:53
-
チッと舌打ちして、後藤は軽く頭を振った。
土地鑑のまるで無いこの場所で、逃げた相手を無鉄砲に追うのは確実に得策ではないだろう。
否、すぐ側の物陰に身を潜めて、こちらの様子を伺っているのかもしれない。
石川梨華が恐怖に打ち震えるのを見て、ほくそ笑んでいるのかもしれない。
なんだこれ、……あーちくしょう、胸クソ悪い。
後藤は、手元のカードに視線を落とした。
破って投げ捨ててやりたい様な代物ではあったけれど、少し考えた挙句ポケットに捩じ込んだ。
梨華たちに見せるつもりはない。無駄に怖がらせるだけだろう。
但し、何らかの証拠にはなるかも知れない。
「戻って、後藤さん、いいから……もういいから戻って!お願いっ!」
「!」
どんどんどんどん!
室内へ戻ろうと石畳をUターン仕掛けた途端、玄関のドアを内側から激しく叩く音が聞こえ、
ぎょっと驚きを隠さず振り向いた後藤の耳に、再度石川梨華の声が突き刺さった。
「石川さん?」
(大丈夫だよ、そんな心配しなくたって)
自分の名を必死に呼ぶ彼女の声、その切羽詰った響きに、後藤は戸惑う。
悲痛な声に、どれ程の苦しみを閉じ込めているのだろう。
「今、戻るから」
敢えて平坦な声で告げると、ふっと空気が軽くなった。彼女の安堵が、手に取るように伝わる。
間違いない。梨華が今まで受けてきた仕打ちはいたずらや錯覚などではない、明確な悪意を
――― 若しくは酷く歪み捻じ曲がった愛情だ! ――― 持った所業だったのだ。
- 46 名前:1. 投稿日:2006/07/18(火) 11:54
-
追い詰められている。
我慢している。歯を食い縛って、耐えている。
あんまりな暴挙だ。何処の誰とも分からぬ相手に、一方的な精神的苦痛を受ける。
そんな不条理が許されていいものか。
ふざけやがって。
激しい怒りが込み上げた。姿かたちの片鱗すら見せない、犯人に対して。
心の片隅で、囁きが聞こえる。
“誰に怒ってるの?”
“真希ちゃん”
“それは、贖罪のつもり?”
―――― あの子は、見捨てたくせに
見捨てたくせに。見て見ぬ振りをして……自分のことしか考えてなかったじゃないか
(違う!)
頭を掻き毟って、後藤は唇を噛み締めた。壊れたテープレコーダーのように、陰鬱な言葉が
呪詛のように脳裏で掻き鳴らされている。違う。抵抗して、呟いた。
違う、後藤は………私は……
「後藤さん?後藤さん!!」
「……!」
不意に、視界がはっきりと輪郭を帯びた。自分を呼ぶ石川梨華の声に焦燥が帯びる。
戻らないと。戻って、安心させてやらないと。
- 47 名前:1. 投稿日:2006/07/18(火) 11:54
-
プルルルルル、と静寂を切り裂いて電話が鳴り響いたのは、その時だった。
- 48 名前:1. 投稿日:2006/07/18(火) 11:55
-
“絶望”という感情に色が付いていたら、こんな感じなのだろうか。
蒼白を通り越して紙のように白っぽく色を失った梨華の表情を見て、後藤は考えていた。
ソファに座り膝を抱え、床に視線を落として項垂れる彼女の目に浮かぶのは圧倒的な怯え、
そして時折瞳の中を翳めるのは諦めに似た絶望だ。
“ヤット帰ッテ来タンダネ。キミノヨウナ若イ女性ガ深夜ニ出歩クノハ感心シナイナ”
今にも笑い出しそうな口調で、一方的な通話は打ち切られてしまった。
もう、真夜中と表現しても差し支えの無いであろう、時刻に石川家の沈黙を蹴散らした電話に、
真っ青な顔をしながら気丈さを何とか保っていた梨華は、震える手で受話器を取った。
玄関で硬直していた絵里もれいなも、丁度玄関のドアを開けて室内へ踏み入った後藤も、
誰もが止めることの出来ない狙い済ましたタイミングだ。
勇敢と称されるには聊か無謀過ぎる行動ではあったけれど、考慮する余裕がある訳もない。
機械的で不快なノイズが鼓膜を振動させ、言葉の意味が脳に正しく伝わった時、
『ヤット帰ッテ来タンダネ』
ぬるい汗が背を伝い、梨華は呆然とした心地で、床にへたり込んだ。
昼間、父親からの国際電話の直後に掛かって来た、電話の後と全く同じ反応で。
疑いようもなかった。
電話の主、つまり「ストーカー」は、梨華の行動を逐一見張り、観察しているのだと。
- 49 名前:1. 投稿日:2006/07/18(火) 11:56
-
―――――
ふと、梨華の口の端が引き攣るように歪んだ。自虐的に、彼女が笑う。
「ねえ、後藤さん」
「ん?」
梨華が緩慢に首を擡げ、後藤に顔を向けた。リビングの電話の前、腰が抜けた様に座り込んだ
ままの体勢で最早立ち上がる気力さえも沸かないのか、その場を動く気配は無かった。
どこか焦点が合っていないのは、未だショックが抜け切らずにいるからに違いない。
元より、数分で回復する程度の精神的ダメージを負った訳ではない筈だ。
少しずつ、時間を掛けて擦り傷の上に新たな傷を重ねて、本来の傷はかさぶたの奥深くに
刻まれている。もしかすると、一生消えない痛みを伴って。
「後藤さん、もしかして最初から気付いてた?」
「何を」
「あたしが…ストーカーで悩んでるってこと」
迷いは、時間にして数秒にも満たなかった。表情を曇らせて、後藤はぼそりと答える。
「…多分」
「多分って?」
「最初は、寮に乗り込んできた変な女の子っていうのが、第一印象だったんだ」
苦いものでも含んだような口調で、後藤が口を開いた。
「亀ちゃんのお姉さんだし、あまり邪険にする訳にもいかないなーって思ったの、打算的に。
だけど、別に、後藤としては、寮に泊まりたいんだったら泊まっていけばいいって考えてた。
夏休みだし、一泊ぐらいならバレないよう気をつければ何とかなるし」
「じゃあ、何で…?」
聞いたのは、姉の代わりのつもりか、平常心を持ち直した絵里だった。
『泊めても構わない』との意見なら、何故家へ戻るよう嗾けたのか?疑問はそれに尽きる。
「何か、深い事情があるんだろうっていうのは、想像できたよ。いきなり寮まで押しかけてきた
割に萎縮しまくってたり、やたらビクついてたり。寮に泊めるのは簡単だけど、それだけで事足りる
ようにはとても思えなかった。根本的な問題としてさ。
だから……、確かめてみようかなって。いくら寮内で問い詰めたところで、素直に告白しそうな
雰囲気でもなかったし。理由が分からなきゃ、対処のしようもない」
- 50 名前:1. 投稿日:2006/07/18(火) 11:56
-
自宅に帰るという割には、隠し切れない怯えが見え隠れしていた。まずそれが、尋常でない。
両親の帰国が遅れるという、事情も耳にした上で、ある推測が立った。
“家に居たくない”との理由ならば友人宅でも(いるならば)恋人の家でも、問題はない筈だろう。
何故、敢えて敷居の高い「妹が住まう寮」をセレクトしたのか?
1週間も待てば、黙っていても帰ってくる、妹の元へ?家族への行き過ぎた思慕とは思えない。
おそらく、それなりの理由があるせいだと踏んだ。
―――― 純粋に好奇心が無かったかといえば、嘘になる。
けれど、
“今度こそ”は、近しい人間のサインを後藤は見逃したくはなかったのだ。
梨華は後藤にとって決して親しい人物と言うには程遠い存在だったけれど、SOSの片鱗でも
自分が受け取ってしまったのなら、黙って見過ごせる理由など何処にもなかった。
所謂『偽善』にあたる行為であろうことは、重々承知の上だ。
「何か法的被害を受けた場合、真っ先に浮かぶのは警察への被害届だけど、それが若い
女性の場合、事件として届け出ない出ないケースも多くあるんだって。何でか分かる?」
絵里とれいなは、揃って首を振った。
「理由のひとつとして、後藤が聞いたことあるのが」
梨華だけは、俯いて黙っている。
「報復を恐れるから。犯人からの。すぐに逮捕可能な絶対的な証拠や、犯人の目星でも付いて
いない限り、下手に警察へ届けると後でどんな仕打ちが待っているか分からない。
上手くいけば、被害は収まるかもしれない。でも、相手が逆上して更に酷い結果が待って
いるかもしれない。なら、このまま黙って、自分の胸に秘めておいた方が得策だ。
ひょっとすると、このまま何事もなく、犯人も飽きるかもしれない……」
「………」
「そうなんじゃない?石川さん」
- 51 名前:1. 投稿日:2006/07/18(火) 11:57
-
「………最初は」
項垂れていた梨華が、のろのろと顔を上げた。後藤の鋭い視線に目を合わせる。
言い逃れは出来そうもなかった。もとい、もはやその気力も沸いてこない。
「…無言電話が増えたなぁ、って感じだったの。時々、視線を感じるような気は、
してたんだけど。疲れてるせいだ、考え過ぎだろうって」
とうとう、喉の奥を震わせるようにして、梨華が細い声を絞り出した。
絵里とれいなは、息を呑んで見守っている。いつの間にか、2人の両手はしっかり重ねられ、
きつく握られていた。
高校1年生の少女らには聊か衝撃的に過ぎる話だろう。
「そのうち、変なことに気が付いたわ。無言電話の掛かってくる時間がいつも、同じなの。
決まって金曜日の、夜の9時、ぴったりに計ったみたいに。家の電話が、鳴り出すんだ。
あたしが家にいなくても、9時丁度で無言電話が留守録に吹き込まれてて…。
夜中に、何度もインターフォンが鳴らされたりすることもあったし」
険しい目付きで、後藤は腕を組んでいる。
身を縮めながら、梨華は続けた。一度口を割ってしまえば、全て吐き出してしまった方が
楽になるような気がしていた。身勝手な思惑といってしまえばそれまでとしても。
「1ヶ月くらい前から、もっと変なことが起き始めて…。玄関の脇にね、プレゼントが置かれて
いるようになったんだ。最初は化粧品。次に洋服。ちょっと高めの、フォーマルなワンピ、
あるでしょ?あれとか…靴だとか、段々値段も上がっていって、ブランドものの腕時計とか、
バッグまで置いてあることもあった。何のメッセージもあて先もなくって、ただプレゼントだけ。
新品だったり、中古だったり……本当に、意味も訳も分からなくって、…」
絵里は、たった今鶏が打ち捨てられていた我が家の玄関を思い浮かべた。
高級なブランド品が、無造作に置かれている。狙いも目的も分からない、それ。
「……気持ち悪い」呟いた。少なくとも、自分が陥って嬉しい状況では絶対にない。
- 52 名前:1. 投稿日:2006/07/18(火) 11:57
-
「たった1人で、気味が悪くって。だけど、無言電話と高価なプレゼントだけで警察に駆け込んだ
って、まともに掛け合ってくれると思えないもの。視線を感じるって言ったって、気のせいだと
言われたらそれまでだし。ストーカーの相談ってすごく多いらしいじゃない?
あたしの場合、具体的な被害もないし、相手の見当もつかないし」
気味が悪くても、実害がない。
捨てると要らぬ恨みを買いそうな気がして、
結局、プレゼントは手付かずのまま全て押し入れへ仕舞いこんだ。
誰からとも分からないそれを喜んで受け取れる程、梨華とて警戒心が薄い訳ではない。
まして現在、両親は不在で妹も寮生活、たった1人の暮らしの中で。
「…それに……後藤さんが言った通り、あたしは認めたくなかった」
『どうして、あたしが?』
梨華の中にはそれでもまだ、葛藤があったのだ。
ストーカーの大半は、被害者の顔見知りである可能性が高いという。梨華の方には本当に
心当たりが無かった。差しあたって、周囲との人間関係は良好だったし、ドラマなどでありがちな
「痴情の縺れ」であればもっと見当がつかない。交際していた相手がいないのだから、当然だ。
そして、何より。
自分の勘違いであって欲しいとの気持ちが強かったのは確かだった。ただの懸念であれと。
ストーカーに遭っていると認めるより、思い違いであるほうが余程気が楽で、救いがある。
些細な物音に怯え、人影に狼狽し、夜の孤独から目を背けながら梨華は現実を直視する
ことを頑なに拒んでいた。小さな意地に縋り、意固地になって、耳を塞ぎ目を覆って。
自身を取り巻いた嵐の被害が最低限であるよう祈りを込めて、息を潜めてきた。
それが許されないのだと思い知らされたから、梨華は遂に最終手段として妹の元へ身を寄せよう
と決意したのだ。
「だけど、今日の昼に。お父さんから電話があった直後に、もう一度電話が鳴って」
恐怖がぶり返したのか、梨華の眦に涙が滲む。
ごしごしと強引にそれを拭い、痛みを堪えるように震える声で呟いた。
- 53 名前:1. 投稿日:2006/07/18(火) 11:58
-
「またお父さんだと思って、あたしは何の疑問も持たずに電話に出たの。それまで、昼間に
………その、ストーカー、から電話が来たことなんてなかったから」
『ゴ両親ハ帰国ガ延期シタンダネ。残念ダネ。妹モ、一週間ハ補習デ帰ッテコナインジャ、
寂シイダロウ。デモ大丈夫、ボクガイル。ズット側ニ、ボクガ ―――― 』
小さな悲鳴と共に、梨華は叩きつけるように電話を切った。
しばらくは動悸が治まらず、膝を抱えてそこに蹲るしかなかった。
「あたしが電話を切らなかったら、相手は多分…」
「『ボクが一緒にいるから』とでも言うつもりだった」
冷静な後藤の言葉に微かに頷いて、梨華は顔を覆った。肩が激しく震えている。絵里が、
そんな姉の隣りに寄り添って手を握り締めた。
冷たい、指の先まで包み込むように。
「だって、どうして知ってるの!?お父さんとお母さんが帰ってこれなくなったことも、
絵里が寮に残ることも、あたしが鳥嫌いだってことも、どうして……ッ!」
ただ、覗き見目的というだけではなく。
ただ、自尊心を満たすために贈り物を続けるだけでなく。
『ストーカー』は、無遠慮にも土足で、石川梨華の生活に侵入してきたのだ。それが最も
効果的に彼女の中に色濃く自分の存在を縫い付ける方法だと、冷静に分析して。
「男?女?」
「…分からなかった。…怖くって混乱してたし、変声器?みたいなので、機械的な声、
してたし…怖くてすぐ電話切っちゃったし…」
いつの間にか、後藤は梨華の正面に回り込んでいる。
どっしりとした落ち着きを見せ、理知的な響きを放つ静かな後藤の声は、取り乱した梨華の動揺を
鎮めるのに役立っているようだった。
- 54 名前:1. 投稿日:2006/07/18(火) 11:58
-
ごとー先輩の背中には、安心感がある。
落ち着き払って見える後藤真希の背中に、絵里は当の先輩を一緒に連れ出そうと下した決断が
間違いではなかったことを確信した。
彼女に、この件に首を突っ込ませてしまったことが果たしてどの様な印象と影響をもたらしている
のかはまぁこの際、考えないことにして。
そして、姉の方もまた、同様に。
自身の目を覗き込む後藤の瞳に、真摯な優しさを見出した梨華はそれだけで少し、
久々に胸を満たす感情 ――― つまりは安堵だ ――― を覚えていた。
(なんで?)
「ねぇ、後藤さん」
勇気を奮い起こし、梨華は真正面から自分の姿を捉える少女に、聞いた。
(なんで…)
「ねえ、客観的に見て、今のあたしの状況ってどう思う?これってやっぱり、……
ストーカーに遭ってるって……言えるのかなぁ?」
「そうだろうね。まず間違いなく」
『しかも、相当性質が悪いヤツの、ね』
後の言葉は飲み込んで、後藤は即答した。
血文字のメッセージカードを直接玄関先へ残しておくような相手が、この先大人しく身を引く
とは思い辛いし、狂気に走った行為がエスカレートしていく可能性は充分考えられた。
「……だよね」
まさかこの期に及んで否定の言葉を期待していた、などと甘い考えは抱いていないけれど、
頭から間髪入れずに肯定されると、梨華もさすがに落ち込まずにはいられない。
「…あたし、やっぱりストーカーされてるんだよね」
- 55 名前:1. 投稿日:2006/07/18(火) 11:59
-
苦渋に満ちた表情で笑みを浮かべようと取り繕っても、緊張に強張った梨華の顔の
筋肉は、片頬をぴくぴくと引き攣らせるばかりで到底、笑顔など作れそうもなかった。
再び、梨華は目を伏せる。
俯いた拍子に、耳に掛けていたセミロングの髪がぱらぱらと、顔に降りかかった。それを
払い除けるのは簡単な動作で済むけれど、自身に降りかかった災厄はとても、片手で
振り払える様な代物でも、生易しい状況でもない。
けれど、言うべき科白は心得ていた。
後藤真希の鋭い指摘に、長い間燻っていた悩みを打ち明け、妹が勇気付けるように
隣りに寄り添い、手を握り締めてくれている。
「絵里。れいなちゃん。…後藤さん」
言うべきは、今しかない。
順繰りに顔を見渡して、梨華は深く深く、頭を垂れた。
「……巻き込んじゃって、ごめんなさい」
絵里とれいなは、息を呑んで黙りこくっている。
「こんな最悪な夜になっちゃってごめんなさい」
後藤もまた、固い表情で腕を組んだままじっと、口を結んでいる。
「あたしは大丈夫だから、もう帰って?明日になったら、警察に行くから」
「!?」
全てを投げ出してしまうような心地で、梨華は矢継ぎ早に言葉を繰り出した。
弾かれたように絵里が顔を跳ね上げ、つられてれいなもまた、ぎょっと身体を震わせる。
一度勢い付けてしまえば、何とかなるものだ。「梨華ねーちゃん」妹の声が遠く聞こえた。
それでも、繋いだ手の温もりは離れなかった。それどころか、更に力が込められていく。
「絵里」
戸惑い気味に、梨華は妹の顔を見た。微かに頬を赤く染めた絵里が、睨み付けんばかり
の鋭さで梨華を見据えている。いや、睨んでいるのだ、それは。彼女の目に浮かぶのは
強い怒りの感情なのだから。
- 56 名前:1. 投稿日:2006/07/18(火) 12:00
-
『帰れ、って?』
『こんな、こんな事態を目前にして、たった1人、姉をこんな広い家に残して?』
目が合うと、絵里は首を横に振った。ふるふる、その度に黒い柔らかな髪が舞う。
『そんなの、ダメだよ』 ――― 妹は必死に訴えている。
瞳は、時として口よりも雄弁に物事を語るのだ。今まさに、絵里がそうであるように。
「嘘はよくないよ」
ふと、柔らかな声がリビングの緊張を解き放った。
絵里、梨華、そしてれいなが声の主へ一斉に視線を集める。彼女は、後藤の声色は
穏やかながら絶対的な場の支配力を持っていた。
「今、石川さんは2つ嘘をついた」
右手の人差し指と、中指を掲げて(ピースサインだ、有り体に言えば)、後藤が口を開く。
「1つは警察に行くってこと。すぐ警察に行けるような立場なら、まず真っ先に助けを求めるのが
普通でしょ。何で妹の寮なんかに逃げたの。のっぴきならない事情があったんじゃないの?
先手を打って、脅されてるとか、さぁ」
「………」
ハッと、梨華が口元に手をやった。
今示された指摘が間違っていないのを、それは如実に示している。後藤は構わず続けた。
「それと、2つ目。寮のうちらの部屋で、最初に亀ちゃんの前でも言ってたけど。何度も何度も
言ってたけど。…“大丈夫”なんて言葉は、簡単に口にするもんじゃないよ。
本当に大丈夫じゃない時は、素直に助けを求めることだって、必要だよ」
「な、何よっ」
頭ごなしに物を言われると、反発心が沸くこともある。
核心を突かれて不意に弱気になった梨華は、思わず口調を荒げて食って掛かった。
「どうして、あたしが大丈夫じゃないって、あなたに分かるの?」
「強情」
「なっ…」
「そんな、泣き出しそうな顔で、真っ青な顔色で、大丈夫なんて言ったって誰が信用する?」
「だって…!」
- 57 名前:1. 投稿日:2006/07/18(火) 12:00
-
当然の切り返しに言葉を詰まらせたのは、やはり梨華の方だった。
この件の当事者でない後藤の方が事実を客観的に捉え、正論を述べられるであろうことは、
少し冷静になった頭で考えれば分かることだ。
「だって、巻き込みたくないんだもん。巻き込めるわけ、ないじゃないっ!こんな怖い思い、
あたし以外の、関係ない人に、大事な妹に、させたくないんだもの……なによ、なら他に、
どうすればいいのよっ?どうすればよかったっていうの?」」
「石川さんて馬鹿?」
後藤真希は、容赦ない。冷たく、切り捨てる。
「ばっ、」
(馬鹿!?)
「バカとは何よっ!」
「言っとくけどね、」
対する後藤は、苛立つくらいに冷静だ。
「この場合、田中ちゃんはともかく後藤は石川さんに巻き込まれたって言わないの。勝手に
付いて来て勝手に詮索して、勝手に飛び込んだの。状況見りゃそんなの明白でしょーが。
亀ちゃんにしたって、姉が自分の家に張り付いたストーカーに悩まされてるってんなら、
一週間後に帰省すること考えれば全く無関係、なんかじゃない」
「……ッ!!」
言葉を失って、梨華はそれこそ馬鹿みたいに口をぱくぱくと動かした。
頭に血が上る。久しく忘れていた「怒気」の感情が、唐突に込み上げる。
「なーにを悲劇のヒロインぶってんだか。自分で抱え込んだって、解決する問題じゃないじゃん」
「誰が、悲劇のヒロインぶってるのよ!?」
悠然と構える後藤に、梨華は猛然と、噛み付かんばかりに抗議の声を上げる。
受け流すこともなく、真正面から梨華の反抗を受け止めた後藤が、平坦に答えた。
「違うの?」
「…………」
口を開こうとして、一瞬梨華は止まり唇を噛み締めた。
分かってる。だけど。悔しさと惨めさで、本当に泣きたくなった。堪えたせいで、顔が僅かに歪む。
- 58 名前:1. 投稿日:2006/07/18(火) 12:01
-
「…分かってるわよ、そんなの!あたしだって色々悩んで、考えて、それでもどうしようもないって、
諦めるしかなかったの!本当は、誰かに助けて欲しかったし。縋りつきたかったし!
一緒にいて欲しかったけど、悔しくって仕方なかったけど、だけどっ…」
鞄の中に押し込んである、白い封筒が鮮やかな恐怖と共に脳裏を掠めた。
(友達を盾に取られて、どうしろっていうの…!?)
そう出来なかったのは、周到に逃げ道をふさがれ、気付いたら身動き出来ない状態に陥っていた
せうだ。宛ら、蜘蛛の巣に囚われた蝶の如く。
後藤の強い視線に射抜かれて、身を竦ませながらそれでも、梨華は怯まなかった。
「…なーんだ」
激昂した梨華を見て、何故か後藤が表情を柔らかくした。
「ちゃんと、本音言えるんじゃん」
「……」
「諦めてないじゃん」
「………ッ」
低く落ち着いた声で、真っ直ぐに人の目を見据えて諭すように言われて、心が揺れない少女など
果たして居ようものか。心細さで塞がっていた胸の中に、一条の光が差し込んでくる。
差し伸べられた手を頑なに払い除ける強情さは、氷解しつつあった。
「大丈夫だよ」
(………なっ)
- 59 名前:1. 投稿日:2006/07/18(火) 12:01
-
ぐっと、胸が詰まった。
泣き叫びたいくらい、怖い思いをした直後に。
不意打ちで、ずるい、こんなタイミングでずるいじゃない ―――― 優しくするのは、反則だ。
穏やかな顔して、ヒトの心の中に勝手に、ずけずけ踏み込んでくるなんて。
(ひきょーもの)
毅然と、後藤はきっぱり宣言した。
「寮に戻ろう、石川さん。やっぱり、ここにはいない方がいいよ。わざわざ犯人の前に餌を
ぶら下げとく必要もないし」
「だけど」
“餌”という言葉は多少乱暴ではあるけれど、自身が置かれた状況を考えるとこの上なく当て
嵌まる表現に思えて、反論出来なかった。それが酷く腹立だしくあり、苦しい。
「だけど………」
後藤が「ストーカーだ」と断定した相手に、梨華が握られている弱みがある。
それを言い出せぬうちに、葛藤するうちに、後藤は既に彼女の中の決定事項を淡々と口にした。
「亀ちゃん、タクシー呼んで。帰るよ、桜花館に」
有無を言わさぬ口調に、絵里もれいなも、梨華でさえも反論することは適わなかった。
文句ある?とでも言いたげに少女らに視線を走らせてから、梨華が口を噤んだままなのを
認めて、後藤は無遠慮に彼女の頭をがしがし乱暴に撫で回す。
「もう、肩肘張らなくていいんじゃない?今くらい、頑張らなくてもいいよ」
無抵抗に、されるがままに髪を乱されているのが、梨華の答えだ。
「……なによ、大人ぶって…」
ぐすっと、梨華が鼻を啜り上げた。
「ほんと強情だね、石川さん」苦笑した後藤が呟いて、それが引き金になり、ぷっつりと
大振りの鋏で、強引に緊張の糸が断ち切られた。
けれどそれは、梨華が心の奥底でずっと望んでいたことでもあったのだ。
- 60 名前:1. 投稿日:2006/07/18(火) 12:02
-
「……も、…ばか…」
彼女の目に熱いものが膨れ上がり、ほとんど間を置かずに大粒の涙となって頬を幾つも滑り落ちる。
華奢な両手が、頭を抱えた。
柔らかな髪も、細い指先も、肩も、小刻みに震え出す。
「 ―――― ごめんなさい……」
喉から搾り出すような低い嗚咽が漏れた。
歯を食い縛って、唇を引き結んで、堰を切ったように、梨華は泣き出した。
「やっぱり、ごとー先輩の気紛れで助けてもらえたね」
「時々、ふっと思い出したよーに人助けするって噂は本当やったと」
「うっさい、子供2人っ」
本気で感心した妹たちの声と、憤然と抗議する後藤の声を遠くに聴きながら、
梨華は長い間溜め込んでいた鬱屈とした気持ちが溢れ出すのを感じた。
「ごめ…ん、なさい…」
「なに謝ってんの」
苦笑をぽろっと零しつつ、
真向かいに膝を折って座り込んだ後藤が、声を押し殺して泣く、梨華の背中を軽く叩いてやる。
簡単に認めるのも癪だけれど、温かさが胸に染み入った。
大きな手だと思った。
そうしたら、余計に涙が溢れて止まらなくなった。
(だけど、ありがとう)
- 61 名前:1. 投稿日:2006/07/18(火) 12:02
-
ストーカーの存在を朧げに認めながら、その影に悩まされながら、それでも泣いたりしないと
決めていた。卑劣極まりない、俗悪な相手に負けたと思いたくなかったから。
単純に言えば、梨華の意地が。
けれど心は何度となく挫けそうになった。気付けば自分の周りに、味方はいなかった。
友人を望んで危険に晒せる訳も無ければ、遠い異国の地で働く両親の庇護を受けることも出来ず、
貝のように自分の殻に閉じこもって災難が行過ぎるのを無力に願うばかりで。
――― 毎日が、奮闘と後悔の鬩ぎ合いだった。
誰かに一緒にいて欲しかったし、助けて欲しかった。
自信を持って「大丈夫だ」と誰かが断言してくれることが、こんなに心強いと知らなかった。
自分が望んだものを与えてくれるのが、どうしてあなたなの。会ったばかりなのに、何故。
堤防の決壊は、驚く程呆気なくその時を迎えたのだった。
「梨華ねーちゃん、へーきだよ」
ぽろぽろと涙を零す梨華の元へ、絵里がティッシュを箱ごと差し出した。
「大丈夫、大丈夫」
「大丈夫、大丈夫」
後藤に習い、梨華を囲むように座り込んだ絵里とれいなが、拙い口調で続けた。
励ましのつもりなのか、それとも単純に後藤に追随しているだけか。
だいじょうぶ、だいじょうぶ。
何度となく、自分に言い聞かせてきた言葉を必死に紡ぐ、少女達。
(……バカなんだから、もう……)
不思議と梨華の胸中は一時の圧倒的な閉塞感から開放されていた。
それが、目の前を歩む1人の年下の少女から発せられる静謐な佇まいと、相反する躍動的な
生命力に信頼と安心を覚え始めているせいだということを、彼女はまだ知らずにいる。
次々に新たな涙が溢れ出す瞳は既に真っ赤に充血していて、それでも涙が枯渇する気配は
どうも当分、無さそうだ。
- 62 名前:1. 投稿日:2006/07/18(火) 12:03
-
暗い夜空にぽっかり浮かび、その存在を粛然と主張している月だけが、事の成り行きを黙って
見下ろしている。冷厳に、ひっそりと、口を噤んだまま。
午前1時少し前、
世界はまだ、闇に深く沈んでいる。
- 63 名前: 投稿日:2006/07/18(火) 12:03
-
- 64 名前: 投稿日:2006/07/18(火) 12:04
-
- 65 名前:名無し猿 投稿日:2006/07/18(火) 12:05
- スレ立てしてしまいました。性懲りも無く、のんびりまったり書いております。
(今回分では4人しか出ていませんが;)、前作で書けなかった石川後藤以外の人物を
もっと掘り下げて書くことが目標です。これからもっと増えます。
設定を見て、またありきたりだなぁと感じる方、はい、学園もので事件ものということで
まんまとありがちな展開になるかもしれません。捻ろうとは思っていますけども。
今回も完結を目指して頑張りますので、お付き合いいただければ幸いです。
よろしくお願いします。
- 66 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/07/18(火) 14:59
- 新作おめでとうございます♪
導入部からこの話に引き込まれてしまってまいす。
果たしてこれからどんな展開が待っているのか
楽しみにしています。
- 67 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/07/18(火) 15:13
- 新作すごい嬉しいです!これから楽しみにしてます。
- 68 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/07/18(火) 17:20
- 新作見つけてしまいました!
相変わらずの大量更新お疲れ様です。
続き楽しみにしています。
- 69 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/07/18(火) 19:02
- 待ってました!!
作者さんの新作が読めるなんて嬉しい!
- 70 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/07/18(火) 20:48
- 物語に引き込まれました。
次の更新も楽しみに待ってます。
- 71 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/07/18(火) 23:11
- 新スレおめでとうございます。
もーすぐテストなのに…!!w
- 72 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/07/18(火) 23:43
- 待ちわびてましたよ〜!!
また猿さんの作品が読めるのが嬉しくてたまりません!最後までついてきます!!
- 73 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/07/21(金) 20:12
- 新作発見!待ってました〜
楽しみが増えて嬉しいです。ごっちんカコイイ
- 74 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/13(日) 00:26
- 待ってますよ!!!!
頑張って下さい。楽しみにしてます〜
- 75 名前:Liar 投稿日:2006/08/30(水) 12:34
- さすがです…まだ少ししか話は進展していないのに、
こんなに引き込まれるのは作者さんだからこそです!
楽しみでしょうがない!マッタリお付き合いさせていただきます。
- 76 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/09/06(水) 00:04
- まだまだ待ちますッ
- 77 名前: 投稿日:2006/09/08(金) 13:54
-
2、少女達は丑三つ時に結束を固め、
- 78 名前:2. 投稿日:2006/09/08(金) 13:55
-
帰りのタクシーの中では、誰もが無言だった。
約10分程度で到着したタクシーに乗り込む時でさえ、行き先を後藤が告げただけで、
誰しもが示し合わせたように押し黙り、口を噤んでいる。
絵里とれいなに至っては、互いに寄り掛るようにうつらうつらと舟を漕いでいた。
深夜という時刻を考えれば、無理もない。
タクシーは空いた道路を快調に飛ばしている。
後藤は、助手席に座りじっと窓の外へ視線を走らせていた。一方の梨華は、運転席の後ろに
身を潜めるように腰を下ろして、そんな後藤を密かに見つめていた。
後藤真希の物言わぬ横顔は、1つの完成された絵のように暗がりに浮き上がって見えた。
それはぼんやりと寛いでいるようであり、或るいは一心に何かを思案しているようでもある。
初対面から数時間程度しか経過していない梨華では、どちらとも判断がつかない。
ともかく、後藤が不思議なオーラを纏っていることだけは、身に染みて分かるだけだ。
それでも、後藤真希の姿を視界の中に留めているだけで、何故か強く心の平安を覚えることを
梨華は素直に認めていた。理由など分からない、けれど確固たる事実として。
揺ぎ無い決断と、迅速な行動。
自身の目を覗き込んだ、力強さと心強さ。
「大丈夫」と口にした彼女の言葉は、実際に梨華の中で気力を取り戻す糧となった。
周囲の人間を自らの困難に巻き込むことを極端に恐れていた梨華からすると、初めて本音を
ぶつけ、真っ向からそれを受け止めてくれた相手である後藤が特別信頼に値する存在に成り
代わるのは、当然の成り行きかも知れなかった。
- 79 名前:2. 投稿日:2006/09/08(金) 13:56
-
(…あのまま1人でいたら、きっと何も解決しなかった。恐怖で、パニックを起こしてた)
(あたしは独りぼっちでストーカーに対面することになっていた、かもしれない)
空恐ろしい想像に、梨華はぶるっと身震いする。
隣りで完全に寝入っている様子の絵里とれいなが、それに気付く気配はない。
ブルルルルル、エンジンが静かな唸り声を上げ、
4人を乗せたタクシーは深夜の国道をすいすい駆けて行く。
シートに伝わる微かなエンジンの振動は、普段なら間違いなく眠りの世界へ誘う強力な
演出となるのだろうけれど、あまりに強烈な体験をしたばかりの梨華からすると、当分は
柔らかなベッドの世話になる必要は無さそうだった。
(あのとき)
ぽつんぽつんと等間隔に並ぶ街頭が前から後ろへ流れるのが視界に入る。
(……近くにいたのね。ストーカーが…)
それに伴い、後藤の横顔に光が照らされくっきりと彼女の端整な横顔が輪郭を顕にした。
無気力に唇を噛み締め、梨華は深い嘆息を漏らした。
(あの時間に、あたしが1人になることを予測して、近くに潜んでいたんだ…)
- 80 名前:2. 投稿日:2006/09/08(金) 13:56
-
◆
- 81 名前:2. 投稿日:2006/09/08(金) 13:57
-
激しく泣きじゃくった梨華が落ち着いてから、程なくして。
タクシーが石川家に到着したのは絵里が電話したすぐ直後だった。
深夜料金で割増になるのはこの際、致し方ないと諦めた。元より、バスはおろか電車だって
終電をとっくに過ぎている。後藤と梨華の持ち金を足せば、何とかなると踏んだ。
重要なのは、少女達が外へ出た時の話である。
「 ―――― え、なんでっ?」
動揺した声を上げたのは、先ほどのおぞましい「それ」を直接目撃した、絵里だった。
覚悟を決めた少女が玄関のドアを開けた時、鶏の死体は無くなっていたのだ。
(…いつの間に!?)
後藤の背後から、何の事件性も見受けられない我が家の平凡な玄関先を覗き込んだ梨華は、
一瞬の安堵と拍子抜けを覚えて、直後。急速にぞわぞわと背筋を這い上がるような悪寒が
込み上げるのを感じた。
あのタイミングでそれを回収するチャンスは?
1度しかない。玄関のチャイムの後、絵里がまず「鶏の死体」を発見し、後藤が外を軽く見回り、
結局一度家の中へ引っ込んだ時。
おそらく近くに潜んでいであろう犯人が持ち去ったであろうことは十中八九、間違いない。
つまりそれは、他でもなく、姿の見えない「ストーカー」の存在を裏付ける証拠であり、
陰鬱な気持ちを煽る結果となったのだ。
- 82 名前:2. 投稿日:2006/09/08(金) 13:57
-
――― 負けるもんか
後藤真希に釘付けになっていた自分に気付き、1人顔を赤らめながら視線を無理矢理彼女から
引き剥がし、梨華はくたっと背もたれに頭を倒し、窓の外へ顔を傾けた。
後ろに流れる街頭をぼんやりと眺め、梨華は小さく細く、息を吐き出した。
―――― 負けるもんか。一人じゃ、ないんだから
ふと我に返れば身の毛もよだつ恐ろしい経験をしたばかりであるにも関わらず、梨華が今、
こうして落ち着きを取り戻しているのは独りじゃないという安心感があるから。
妹が固く握り締めた手の感触を、
後藤真希が頭を掻き回した時の大きな掌も、
彼女たちの温かさに、久々に安らぎを覚えた心強さも全て、しっかり胸の中に根付いているから。
タクシーが徐々にスピードを落とし、停車した。
かくん、と首を大袈裟に揺らしたれいなが「あれ?」と寝惚け眼で顔を上げるのと同時に、
それまで窓の外ばかりに視線を向けて黙り込んでいた後藤が、一行を振り返りもせず「着いたよ」
と短く簡潔に呟いた。
- 83 名前:2. 投稿日:2006/09/08(金) 13:57
-
- 84 名前:2. 投稿日:2006/09/08(金) 13:58
-
さすがに寮前で下ろしてもらうのは体裁も都合が悪い為、学校から最も程近いコンビニで
タクシーを降りた時は既に、午前2時を回っていた。
「お嬢チャンたち、夜遊びはほどほどにな」
60歳過ぎと思しき運転手は、人の良さそうな笑みで言った。「はーい」と素直な小学生以上に
良い返事を上げたのは一眠りして元気を取り戻した絵里である。無邪気にニコニコと笑いを湛えて
いる絵里は、相手にあまり警戒心を抱かせない。
「まぁ、夏休みだからなぁ。ハメ外したくなるのも分かるよ」
人懐こい絵里の笑顔に気を良くしたのか、その運転手は「端数はいらんよ」と680円分の
小銭をつき返した。断る理由もないので、ありがたく受け取ることにする。
そうしてから、ようやく。
心的なものと、純粋な体力面の疲労を蓄積した足を引き摺る様にして、少女らは桜花館までの
暗い夜道をのろのろと歩き出した。
否、例外が1人。
真っ直ぐに背筋を伸ばし、全くペースを落とすことなく後藤真希は先頭を大股に進んでいく。
――― バケモノか、後藤先輩って
げんなりとした表情で時々小走りになりながら、れいなは舌打ちでもしたい気持ちになる。
衝撃的過ぎる体験の後にしては、徒労の欠片も見せないのは不自然だ。いや、後藤先輩なら
在りえるかもしれないけど ―――― この先輩と対等に付き合うのは相当、骨が折れそうだ。
それを面白く、何処か楽しみに感じている自分がいることもまた、れいなは気付いているけれど。
誰もが疲れた表情をしているが、それでも眠気を訴える者はいない。
緊張感の方が圧倒的に勝っている。(尤も、れいなと絵里はタクシー内の仮眠が効いているのだ)
「ごとー先輩」
先陣を切ってずんずん歩いていく後藤に追い縋るようにして、絵里が口を開いた。元々の
楽観的な性格のせいか、肝の据わり方が違うのか、随分落ち着きを取り戻していた。
立ち直りは姉よりずっと早いらしい。
とはいえ、当事者かそうでないかの差は大きいかもしれない。梨華は黙って耳を澄ませている。
この地において、自分は部外者であるとの認識を忘れてはいないようだ。
ん?と振り向いた後藤の姿をくるりと丸いどんぐり眼で捉えて、絵里は続けた。
- 85 名前:2. 投稿日:2006/09/08(金) 13:58
-
「この時間じゃ、玄関締まってますよね?どうしましょーか」
口調にも、あまり切羽詰ったものは感じられない。
時間が時間であり、誰に見つかるという心配もない為か、至って気楽なものだった。ただし、
握った掌がじっとりと汗ばんでいるのは紛れも無く内心の恐怖があるからだろう。
それより、当座直面している重要な問題は、たった今絵里が口にした「玄関」の話だ。
桜花館は建物こそ古いものの、一応大事な生徒を預かる健全且つ堅固な寄宿舎ということで、
寮生は勿論外部の人間の出入りを厳格に管理するシステムが出来上がっている。
朝7時から午後11時までは、各生徒に配布されるカードキーで開錠・施錠が可能になるが、
(因みに同宿舎の門限は午後9時であり、大いに生徒陣の不評を買っている)
反対に言えば、それ以降の夜間は完全にオートロックシステムが作動し、外部内部問わず
施錠には手動で暗証番号の入力が必要となる。暗証番号は持ち回り形式の寮監が定め、
おおよそ月一の頻度で番号は変更されている。らしい。(らしいというのは、寮生側に事実を
確認する手立てもそれを行動に移す気概もないからだ)
まぁつまり、学校側の当然の思惑として、夜間は確実に寮から生徒の出入りを防ぎたい故の
手段な訳だ。実際、過去に苛めやら恋人との逢瀬のためやら、脱走したり朝帰りしたなどの
世間的に表沙汰に出来かねる事例が続き、問題となった結果の措置らしい。
ということで、午前2時過ぎ、後藤を始めとした少女ら一行が正面玄関から堂々と帰宅する術は
――― 少なくとも絵里やれいなには ――― 思い当たらなかった。
「まさか、外で野宿とか、ないですよねー」
ぷーんと不快な音を残して耳周りと飛び回る蚊の気配を察知し、顔をしかめながら絵里が
やや不安そうに問い掛ける。
玄関から入れないからといって、まさか1階窓から侵入や脱走を図れば、それこそ警報装置が
作動し本当にマズイ事態になりかねない。
「大丈夫。よっすぃー起こすから」
- 86 名前:2. 投稿日:2006/09/08(金) 13:59
-
事も無げに淡々と答えて、後藤はジャージのポケットから携帯電話と取り出した。
(その時初めて、絵里は彼女が携帯を持ち出していたことに気が付いた)
怪訝な顔をしたのは、れいなだ。学年も交友関係も違うとはいえ、「よっすぃー」こと吉澤ひとみ
の名前と噂くらいは知っている。
しかし。それが、現状打破に繋がるヒントになろうものか?
「でも、吉澤先輩起こしたって………。玄関開けてもらうには暗証番号がいるし、生徒は誰も、
知らない筈ですよね?」
寮生ならば、周知の事実だった。
不思議そうな面持ちの後輩2人に不敵な笑みを見せ、後藤は悠々と言葉を返した。
「だから、よっすぃがいるわけ。あのヒト、独自のネットワーク持ってるから」
「持ってるから?」
「暗証番号、変わるたびにちゃんと押さえてあんの」
「えー?」
「嘘ぉ」
半信半疑の絵里とれいなを他所に、含み笑いを残したまま後藤は携帯を耳に押し付けた。
梨華だけは何の話か分からず、一人きょとんと首を傾げている。
よっすぃって、誰?
その彼女に対する電話は、すぐに繋がった。
1コール。2コール。
3コール目を鳴らす前に、≪もしもーし…≫と、ごく不機嫌そうな声が漏れ聞こえた。
辺りが静まり返っているせいで、背後の3人にも吉澤ひとみのもごもごとした口調はよく響いて
耳に届いた。遠くから、微かに車のクラクションが聞こえる他は会話を邪魔する音はない。
「あー、ごとーだけど。今寮の外にいるんだ。鍵開けて」
何とも単純明快且つ簡潔に、後藤は言ってのけた。
これは命令というのだろうか、要望というのだろうか?ぽかんと口を開けたまま後藤を見守る
他の少女らには、最早言葉もない。
草木も眠る丑三つ時、とはよく言ったもので、吉澤ひとみも寝惚けた声から察するところ、健全に
熟睡真っ只中だったのに違いない。その時間、そんな状態の友人を叩き起こして、尚且つ寮の
玄関を開けろ、とは。それも、一方的に。いやはや紛れも無い、暴挙だ。
- 87 名前:2. 投稿日:2006/09/08(金) 13:59
-
≪はぁ?へぇええ、ごっつぁんが朝帰りたぁー珍しい≫
もしかしたら、吉澤先輩が怒り出すんじゃ?
れいなの心配は杞憂に終わり、絵里の方は興味津々といった風に聞き耳を立てている。
梨華はと言えば、後藤に寄り添うようにして息を潜めて成り行きを窺っていた。
(別に、そこまで用心しなくていいのに)
呼吸まで押し殺している梨華を可笑しく思い、それでも顔が笑い出さないよう気を引き締め
ながら、後藤は手にした携帯電話を握り直した。
「いや朝じゃないから」
≪んじゃ、夜帰り?いやんごっつぁんてば男泣かせッ♪いや、もしかして女泣かせ!?≫
「はいはい」
相手が後藤であることを認識したせいか、俄然、吉澤の声に生気が漲った。
そんな吉澤の軽口を当然のように聞き流し、再度要望を口にする。
「詳しくは帰って話すから、早く開けてよ」
≪んー、ちょっと待ってぇねー≫
のんびりとした口調に被さるように、もぞもぞと衣擦れの音が僅かに届いた。どうやらタオルケット
を払い除け、ベッドに起き上がったらしい。それから髪をかき上げ、ふわぁと欠伸を1つ。
直接目にしている訳ではないのに、後藤にはそんな一連の様子が目に浮かぶ。長年の付き合い
が為せる業の1つだ。自慢になったことは残念ながら一度もないが。
≪あはぁ、事件の匂いがするなぁ≫
低く抑えた笑い声を含ませ、吉澤が呟く。ぺたん、ぱたんと色気のない音も。スリッパを
履いた。がちゃ、ばたん。部屋を出た。
早くしろと言い出したいのを押さえ、後藤は意味ありげに含みを持たせて、言った。
「はいはい、事件ですよぉー。んでもって、美人も一緒に連れてるよー」
≪おうっ!?今、なんと!?≫
「だから、美人サン連れてるって」
≪ ―――― ッ!!≫
- 88 名前:2. 投稿日:2006/09/08(金) 14:00
-
受話器の向こうで、分かり易く吉澤の声がひっくり返った。
まさか「美人」ってあたしのことじゃないよね、と唐突な後藤の言葉に顔を引き攣らせながらも
若干、梨華の表情が嬉しさで綻んだ。本人は意識していない、レベルで。
美人と形容されたことより、後藤がそう発言したことの方に重点を置いて嬉しさを感じたのだとは、
現時点では例え天井が落ちてこようが、星が降ってこようが、梨華は気付かないだろう。
ばたばた、だだだだっ
直後、荒い足音が近付いてきて、絵里とれいなは顔を見合わせた。
「まさか」
「よしざー先輩って、部屋何階だったっけ」
「確か…3階やなかったと?」
「うそぉ。だって」
ばたばたばたばたばたばた
絵里が言い終わる前だ。けれど、言わんとする内容は、理解できた。
――― だって、もうすぐ、そこまで。
「…っ」
あれよあれよという間に、足音は接近し、あっと思った時には、Tシャツに短パンという至極ラフな
恰好ながら、あからさまに目を輝かせ爽やかな笑顔を振り撒いた吉澤ひとみが目の前に、いた。
口角を少し上げて、得意げに玄関横の操作パネルを開ける。番号を打ち込む。
ピー、かちゃん。
淡々と開錠をこなし、吉澤は満面の笑顔で4人の少女を迎え入れた。
「おっかえりー♪」
「9秒、合格」
「おうよ。このヨシザワに不可能はない」
「はいはい」
唖然として開いた口が塞がらないのは、絵里とれいな、それから梨華だ。
何度か瞬きをして、梨華はごく普通に(寝起きとは思えない爽快さで)後藤と談笑している
吉澤を凝視した。透き通るような白い肌が暗がりにも浮かび上がって見え、何より大きな瞳と
それを縁取る長い睫毛に目を奪われた。何と形容するまでもなく、正真正銘、美形な少女。
嫌味なくらい、真っ当な美人だった。先刻、自分が後藤に「美人」だと称されたことなど、後ろめたく
思うどころか頭から完全に消し飛ぶくらいに、強烈に。
- 89 名前:2. 投稿日:2006/09/08(金) 14:00
-
一方で、
(うっわ、吉澤先輩をすっごい掌で転がしちょー、後藤先輩やっぱ只者やないけんね)
などと驚嘆し、素直に感心しているのはれいなだった。
留年し、問題児扱いされ校内では当然の如く異端とされる存在の吉澤と後藤は、只ならぬ
圧倒的な存在感と周囲を惹き付ける吸引力を備えていながら、一般の生徒とは何処か一線を
引いた態度を取っており、本当に打ち解け砕けた付き合いをしている少女は希少だ。
(特に、後藤真希の方は周囲との温度差が極端といえた)
憧れとも畏怖ともつかない羨望の眼差しを向ける者は少なくないが、彼女らの交友関係に
割って入るのは至難の業だというのが大方の見方だった、そして当のれいなも。
――― そんな2人が、目の前でバカを言い合っている!
初めて目にする異端な先輩らの姿に、優越感とも小さな幻滅ともつかない複雑な感情が
芽生え、口を噤んで立ち尽くしていたれいなの方へ、唐突に吉澤が振り向いた。
一瞬、れいなは自分が値踏みされたような心地がして、身体を硬くする。
予想外に軽い口調で、吉澤は「よっ、田中じゃん」と朗らかに笑った。
「どうも」と曖昧に笑うしかない、れいなだ。吉澤ひとみの真っ直ぐな視線は、心の中まで
見通していそうで、何だかむず痒い気分になってしまう。
因みに、愛想が悪いと有名な後藤とは反対に、社交家を絵に描いたような性分の吉澤は、
校内で口をきいたことのない人間を探す方が困難という人好きのする少女だった。例に漏れず、
れいなも絵里も、2人のクラスメイトも吉澤とは気軽に挨拶くらいはしている仲だ。
しかし、とれいなは常々感じていた。
吉澤ひとみは、人付き合いが良く交友関係も広く硬軟をカバーしているように見えて、その実
本当に心を開いて付き合っている相手は稀だと気付いていた。
その点で、根底の部分で後藤と吉澤という少女は、非常に似通った資質を備えているのだろう。
- 90 名前:2. 投稿日:2006/09/08(金) 14:01
-
だからこそ、後藤と吉澤の気の置けないやり取りを目にするのはやけに後ろめたい嬉しさを
覚え、じっと見据えられると居心地の悪さを感じるのだ。
当の吉澤はとっくにれいなからは視線を外していて、絵里に挨拶を込めた頭突きをかまし、
(目覚ましのつもりらしい、絵里は痛いっと当然な反応を返し、涙目で吉澤を睨んだ)
ぐるっと頭を巡らせて最終的に梨華の元へ目線を定着させた。
「ほっ」という形に唇をすぼめ、吉澤は「やーホントに美人じゃん」と呟いた。
「可愛いねぇ」と臆面もなく賞賛を送る吉澤の前、さぁっと顔を赤く染めた梨華は、咄嗟に俯いて
困ったように視線を床で泳がせる。
「名前は?」
「…石川、梨華です」
「へぇ、りか、リカ、梨華ちゃんか。名前も可愛いねー」
「いえ、あの、…その」
あまりにまじまじと顔を覗き込まれて照れているのか困惑しているのか、助けを求めるように
彷徨った梨華の目線は結局、後藤の元へ辿り着いた。
軽い溜息と共に、後藤が片手を顔の前に掲げた。(ゴメンね、このヒト、美人好きだから)
「でも、一応頼りになるんだよ」言いながら、後藤が吉澤の背中を押す。
「なにが、“でも”なんだよぉ。目で会話しちゃって、やーらしーいー」
「うっさいな、早く部屋行くよ、部屋」
「そっかぁ、ごっつぁんってば面食いだもんね」
「よっすぃーに言われたかない」
この程度の言い合いは日常茶飯事なのか。
「こんなところでじゃれ合ってないで、早く行きまっすよぉー」
「「じゃれ合ってねーっての」」
- 91 名前:2. 投稿日:2006/09/08(金) 14:01
-
絵里の突っ込みに、朝陽学園の問題児2人は寸分の狂い無く同時に反論の声を上げた。
思わずケラケラ笑い出す絵里に、れいなが感嘆の眼差しを向ける。
(絵里、強かー)
実は、後藤と同室の絵里にとってそれは珍しい光景でも何でもなく、単純に言えば免疫が
出来ているだけの話なのだけれど。
それよりも、絵里が驚きを感じていたのは別の観点の話だった。
(変なの)
後藤と吉澤がセットになったことで、段違いの落ち着きを取り戻していたのだ。小説の中の様な
特殊な環境から、見慣れた学園生活へ戻って来たという実感が為せる故の錯覚だと言われれば
それまでと言えるが、そんな次元の説明では納得がいかない。
思考ではなく、純粋な感覚が告げている。
…何でだろう、ごとー先輩とよしざー先輩が一緒にいると、凄く、頼もしい存在に思える。
一心同体っていうのかな、こういうの。
二連ともいうべきか、好対照な印象の彼女らは互いが互いの魅力を引き出していて、その定位置で
見慣れてしまっている絵里からすると、2人は揃ってこそ正しい位置に納まったと感じるのだ。
何か、「大丈夫」だって気がしてくる。先輩達が、一緒にいると。
それは不思議な感覚だった。決して予感や勘などとも言い切れない、妙な安心感。
「行こう、石川さん。亀ちゃんに田中ちゃんも」
強引に吉澤の背中を押し出し歩きながら、後藤が振り向いてぼそぼそと言った。
「あ、う、うん」
慌てて、梨華がそれに続こうとし ――― 思い返してサンダルを脱ぎ、しっかり両手に下げる。
そうしてからようやく、追い縋った。絵里が姉を気遣うようにその後ろを付いて行く。
- 92 名前:2. 投稿日:2006/09/08(金) 14:02
-
「じゃ、行こうか」
梨華が隣りに並んだのを横目で見計らって、吉澤が気楽に言いながらさり気なくその細い肩に
手を回した。「!?」びくっと驚いて目を見開き、梨華は吉澤を斜めに見上げる。
「何があったのか知らないけど、美人が暗い顔をしてるのは似合わないよ、安心して……」
言い終える前に、ぱしっと小気味良い音と共に、「うぐー」と吉澤が呷いて頭を抱えた。
問答無用で、後藤が背後から思い切り吉澤の後ろ頭を叩いたのだ。
「いったいなー、ごっつぁんもう」
「知らん」
ごく自然に梨華の肩に手を回せてしまえる気楽さが面白くなかった、
――――― などとは死んでも言えない。
「…あっ、後藤さ、…ま、まって」
やや憮然とした面持ちで先頭を歩いて進んでいく後藤に、梨華は迷わず付いて行く。
背中しか見えない梨華の位置からでは、当然そんな彼女の表情は見えなかった、残念ながら。
置き去りにされた立場の吉澤は全くめげることも気にする素振りもない。
梨華の後ろに控えていた絵里と目が合うと、軽く肩を竦めて見せた。
「ナニ、あの2人相思相愛?」
「えぇー、会ったばっかですよう?」
「なら、まだウチにもチャンスありかぁ。口説いちゃおっかな」
「……エリにも最初、そう言いましたよねー」
若干冷やかな目で自分を見上げる後輩に、吉澤はエヘッと(本人的には)可愛く微笑み掛けた。
無論、見ない振りをして絵里は姉と後藤を追って歩き出す。
- 93 名前:2. 投稿日:2006/09/08(金) 14:03
-
ちぇっ。寂しく舌打ちし、ふと吉澤は背後を振り返った。
ぼんやりしていて取り残された状態のれいなに、吉澤の静かな声が飛んだ。
「田中も」
吉澤は、あっけらかんと続ける。「そんなによしざーのこと警戒してないで、おいでよ」
「え…………………あ、はい」
大して会話を交わした訳でもないのに、警戒心を剥き出しにしていたつもりもないのに、核心を
突かれ全てを見透かされてしまった気分で、れいなは正直敵わないなぁ、と舌を巻いた。
再び、思う。この先輩達に付いて行くのは本当に、冒険かもしれない。
- 94 名前:2. 投稿日:2006/09/08(金) 14:03
-
◆
- 95 名前:2. 投稿日:2006/09/08(金) 14:04
-
神妙な面持ちで、円になって座る少女達。
時計回りに梨華、絵里、れいな、辻、後藤、そして吉澤の6人だ。
―――― ん?何かおかしかったぞ、今。あれ?
「……なんで辻さんがいるんですか?」
怪訝に思い、素直に疑問を口にしたのはれいなだった。
午前3時少し前、普通はトイレなどに起きることくらいはあっても、他人の部屋へ乗り込み
尚且つ、じっと暗闇で目をこらして居住者が戻って来るのを待っているような時間帯などでは、
決してない ―――― ない、筈だ。
ここは後藤と絵里の2人部屋であり、厳密に言えば昨日の夜、梨華の自宅へ赴いたその後は
無人となっていた筈の部屋であり、口に出すのも馬鹿らしいくらい当然の事実として目の前に
横たわっている話の筈、なのだ。
けれど、“彼女”は居た。何故か。辻希美、高校2年生の桜花館寮生。
辻希美に常識は通用しない。
桜花館内はおろか、朝陽学園内外に口伝で広まる噂、というより学園生なら誰もが一度は
耳にするか、目の当たりにしたことのある周知の事実だ。
「しょうがないじゃん、辻なんだから」
「…だよね、仕方ないか。辻ちゃん口は固いよね?」
「へいっ、あったりまえっ」
「何、普通に馴染んじゃってるんすか」
れいなが疑問に思っていること自体が不思議だといった風に、後藤も吉澤も、何時からか
辻希美が部屋に入り込み、深刻な話し合いへ自然に顔を出しているのをさも当然と言わん
ばかりの態度で受け止めている。
「っていうか、辻さん何時からこの部屋に?」
「んっとぉ、10分くらい前に目が覚めて、で、勘」
「勘ん!?」
「え、変?」
「いや、それ変ですって、絶対、ふつうじゃないし」
- 96 名前:2. 投稿日:2006/09/08(金) 14:05
-
必死に反論しているのが自分1人であり、何だか唐突に馬鹿らしさを覚えたれいなは
何だか急激な脱力感を覚え、首を傾けて後藤を見た。
「親切なよしざーが説明してあげるとだねぇ」
後藤はれいなの視線を受けて少し、肩を竦めただけで、代わりに答えてくれたのは彼女の
横に窮屈そうに座していた、吉澤だった。
(本当に2人、ツーカーの仲だ。出来過ぎだ)
「1年生の田中は知らないかもしれないけど、辻の勘の鋭さが尋常じゃないのは当たり前の事
として皆受け止めててるの。もう、理屈じゃない訳。どう考えても説明つかないし、野生児だから、
辻だから、で納得するしかないんだよねぇ。実際のところ」
そうそう、と吉澤の言葉を受けて、くつくつと笑みを浮かべながら後藤が引き継いだ。
「何たって『桜花館の番犬』だからね」
「番犬?」
初耳の言葉に、純粋な興味を覚えてれいなが聞き返す。後藤が質問に答える前に、辻自身が
やや不満気な表情で口を尖らせた。「犬呼ばわりなんて、失礼だよね」
ぷうっと膨らませた両頬が幼い少女のようで、狭い寮室内にどことなく温和な空気が流れる。
寮生ならではの会話に入ってこれない梨華も、先ほどまでの危機感から逃れた反動なのか
寛ぎつつあるようだ。(というのは絵里の一方的な欲目だけれど)
牧歌的な空気を打ち破って口を開いたのは、その梨華を挟んで隣りに座っている吉澤だった。
- 97 名前:2. 投稿日:2006/09/08(金) 14:05
-
「この桜花館は勿論、乙女館も含めてさぁ、花の女子高生が多く住まう学園の近くには危ないヤツが 結構多く出没するわけ。田中もそれは知ってるよね?(れいなは気圧され気味に頷いた)
で、痴漢は勿論、それに次ぐ勢いで多いのが実は、下着泥棒なの。気持ち悪い話なんだけどさ」
うえっと大袈裟に顔をしかめて、絵里が首を振った。
「気持ち悪いよねー」他人の使用済みの下着を盗んで何が楽しいのか理解できない。
何となく身につまされる話題のせいか、梨華の表情が固くなった。
「で、ここにいる辻はさ、その下着ドロの検挙率ナンバーワン☆のスーパー女子高生なのさ」
「………はぁ」
思わず目が点になって、れいなはポカンと口を開けた。
「いや、はぁ、じゃなくて、すごい話っしょ?」
「それ、ホントの話ですか?」
「嘘みたいだけどマジ」
「授業中にいきなり忘れ物したーって寮に戻ったら、物色中の泥棒見つけたりとか」
「部活中におなか空いてつまみ食いしようとしてこっそり練習抜け出したら、下着やら体操着
抱えた泥棒、見つけたりとか」
「校外キャンプで、川に落ちた地元の小学生の女の子、ほとんど勘と勢いだけで、岩場に
しがみついてる所を発見して助けたとか」
「昼ご飯でカレー食べてるのに、『今日の晩ご飯は豚のしょうが焼きだ!』って言い当てたとか」
「選択式のテストで、鉛筆サイコロ使って98点取ったとか」
慌てて弁解する吉澤の話は単純に信用していいものか怪しさ極まりないけれど、後藤や絵里の
フォロー(後半は既に下着ドロとは関係ない話に進出している)を受けて、れいなは半信半疑と
いった風に、吉澤と辻の顔を交互に見比べた。
「辻さん、すごいっすね…」
「えへん。まぁね」
「つうか田中、なぜウチの話だけで信用しない?」
「なんでそんな勘鋭いんですか?」
「んー、なんでだろ?ぐうぜん?」
「………」
「オマエ、よしざーのこと思いっきり無視すんなこんにゃろう」
- 98 名前:2. 投稿日:2006/09/08(金) 14:06
-
どうも後輩からぞんざいに扱われているらしいことに気付いた吉澤が、不満気に口を尖らせる。
「別に……」
答えず、正90度に首を横に捻り、れいなは強引に顔ごと視線を逸らした。
何故、信用しないと問われても。
正直に答えれば、吉澤は余計に激昂しそうだ。(口八丁で有名な吉澤先輩やけん)
「……あのさぁ、そろそろ本題入っていいかな?辻も」
「へいっ」
生温く3人のやり取りを見守っていた後藤が遂に痺れを切らし、急きこんで辻が敬礼を返す。
「そうだね、ふざけてる時間でもない、か」
仮面を取り替えるかの如く表情を真剣なそれに変えた吉澤が、急に鋭さを帯びた大きな瞳で、
身体毎正確に向きを変え、隣りに座る梨華の顔を、まじまじと覗き込む。
う、と条件反射の様に硬直し、正面から吉澤の視線を浴びている梨華は、目に見えて緊張し、
落ち着きを無くし始めた。
「梨華ちゃん」
「…ハイ」
「って、呼んでもいい?」
「は…………え?」
べしっと、割と容赦なく後藤が吉澤の頭を横から張り飛ばした。静かな室内にその音は
しっかりと響き渡り、思わず絵里やれいなの方が痛そうな顔で首を竦めた。
「真面目にやる」
「はいはい」
聊か拍子抜けしたらしい梨華の表情から、必要以上の固さが抜けていることにれいなは
気が付いた。馬鹿なやり取りに見えて、吉澤なりに気を遣っているのだろうか?
- 99 名前:2. 投稿日:2006/09/08(金) 14:06
-
「それで、梨華ちゃん」気を取り直して、再び口火を切った。懲りずに「ちゃん」付けしている辺り、
実は頑固な一面(全く今は不必要にも程がある)を窺わせる吉澤だ。
「ストレートに言わせてもらうけど。何があったのか、話してもらえる?」
「………あ…」
真摯な姿勢を汲み取って、梨華は一瞬口を開きかけた。
が、直ぐに目を伏せて唇を噛みしめてしまう。
「あのさ、石川さん」
名前を呼んで、後藤がそんな梨華へ首を傾ける。囁くばかりの声量で、言った。
「亀ちゃんも田中ちゃんも後藤も石川さんの味方で、協力するって腹は決めてる。
でも、規則違反を承知の上、石川さんをこの寮に匿うとなると、信頼できる仲間は多い方がいい
と思うんだ。この2人……よっすぃと辻が頼りになるのは確かで、事情を話しても口外したり、
逃げ腰になるような連中じゃないから。絶対、それは後藤が保障する」
経過を考えれば、後藤だって梨華が絶対的に信用に値する存在などにはなり得ないという仮定は、
この時点で梨華の中には芽生えなかった。感情の機微に疎い当の2人が、それに気付く気配は
今のところ微塵もないのだけれど。
そんな後藤の説得に背中を押された様に、梨華が口篭りながらも首を擡げた。
「……あたし…」
心なしか、梨華の呼吸が浅くなっているのを、後藤が目敏く察知した。今までの事情を話すに辺り、
脳裏に思い出したくもない恐ろしい一連の出来事が飛び交い、恐怖が渦巻いているに違いない。
「…あの…」
「言いにくいんだったら、後藤が話そうか?」
言い淀んでいた梨華へ、当然の様な顔をして助け舟を出したのは後藤だった。
「ごとー先輩?いいんですか?」
絵里は自分が言い出すべきかと葛藤していたところで、虚を突かれたように顔を上げる。
勿論、最も驚いたのは梨華自身だったけれど、すぐにその表情が安堵で少しだけ綻んだ。
- 100 名前:2. 投稿日:2006/09/08(金) 14:07
-
「…後藤さん……でも…」
「や、後藤もさ、口下手なんだけど。何度も説明するのって嫌だろうし」
言い訳がましく続ける後藤を、吉澤がにやけつつ見守っていた。
「なんだよ、ラブラブじゃん」
「えー、ごっちんたち、ブラブラなの?」
「違う辻、らぶらぶだって」
「らぶらぶぅー」
「うるさい」
どうにも緊張感を保てず、子供のように囃し立てる吉澤と辻を問答無用で一喝し、後藤は円形に
居並ぶ少女達の中、全く状況を把握せずに居る吉澤と辻に対し、視線を向けた。
「実は」一息ついて、重々しく口を開き ―――
「あのさぁ梨華ちゃんが抱えてる問題ってさぁ」
「ストーカー?」
「…………」
前半は吉澤が、後半は辻が。
綺麗に台詞を振り分けて、2人が後藤の言葉を遮った。というより、正解を見事言い当てた。
呆気に取られたのは、薄々そんな展開を予想しており、思わず苦笑いに似た表情を浮かべた
後藤ではなく、膝を抱えて座っていた梨華・絵里・れいなの3人だった。
「何で分かったんですかぁ?」
目を丸くして驚きを体現しながらも、間延びした絵里の喋り方のせいで、室内は何処と無く
緊張感の欠けた雰囲気になる。
その横で、れいなが同感だと言わんばかりに何度も頷いた。
「だってさー、妙齢の美少女が深夜に悩ましげな顔で、事件に巻き込まれたとなればさー。
ストーカーじゃないかって考えるのが普通じゃん?」
と、先ず吉澤の弁。「別に事件に巻き込まれたなんて一言も言ってないんだけど」と、後藤。
「んん、なんとなく」
と、後攻辻。これには一同言葉を失い、曖昧に納得の意を表さざるを得なかった。
(いや何故って、堂々宣言されれば否定のしようもない)
- 101 名前:2. 投稿日:2006/09/08(金) 14:07
-
「だから言ったっしょ。辻の勘の鋭さは普通じゃないんだって」
黙って2人の言い分を聞いていた後藤が微苦笑を浮かべ、小さく肩を竦めた。
妙な特殊技能を見せる年下の少女達に圧倒され、「………」忙しなく瞬きをしながらぼんやり後藤を
眺めていた梨華は、その彼女がふと自分を見つめ返していることに気付いて、ハッと我に返った。
「ね、石川さん」
「えっ?」
静かな声で、後藤が梨華の名を呼んだ。一瞬だけ視線を交差させて、梨華は観念したように
目を瞑り、細く息を吐き出した。
「あ………、…うん、あの、…」それから目を開いて、膝の上で組んだ指先を見据える。
「ごめんね、後藤さん。代わりに、話してもらっても、…いい?」
自分の予想以上に落ち着いた声が出せたことに安堵した。酷く心配そうに梨華を見守っていた
絵里の顔が、少しだけ解れる。大雑把な状況しか把握できていないとはいえ、この少女らの中で
最も当事者にあたる梨華を気遣っているのはやはり、家族である絵里しかいないのだ。
それでも、彼女が直面した事件を説明するという役割を振った相手は、後藤だった。
(…まぁそりゃ、エリよりごとー先輩の方が絶対、頼りになるもんね。梨華ねーちゃんだって、
そう思うのは当然だよね)
絵里自身が意識しきれない底辺の部分で、何処となく釈然としない気持ちが横たわる。
姉である梨華と、同室者の先輩である後藤。自分を介してでしか絡み合うことのない関係性において、
全く絵里を通さない中で少しずつ彼女らが絆を深めつつあることに、薄々気付いているからだ。
突き詰めれば、それが所謂嫉妬にあたる感情であることを絵里は認めざるを得ない訳だけれど、
それが果たして梨華に向けたものか或いは後藤に対してか、現段階で気付く材料は無い。
- 102 名前:2. 投稿日:2006/09/08(金) 14:08
-
絵里の複雑な思惑を他所に、梨華からバトンを受け取った後藤は淡々と、それなりに慎重に言葉を
選びながら一連の出来事を説明し始めていた。
絵里と梨華が義姉妹であること。
数ヶ月前から、その梨華にストーカーらしい行為が始まったこと。
海外の両親が帰ってこれなくなり、すぐに事情を知っている様子のストーカーから連絡があったこと。
昨夜寮に来た梨華を不審に思い、後藤を含めた一行が家まで付いていったこと。
まさにそこへ姿を見せないもののストーカーが現れ、電話も受けたこと。
但し、例の『おかえり』と血文字で書かれたカードの件だけは、独断でその事実を伏せていた。
鶏の死体が消えてしまった今、後藤のポケットに密かに納められているそれは、有力な証拠と
なり得る筈だ。が、しかし、「ストーカー行為」に値する材料に不足しない現状で、無駄に梨華を怯え
させるのは忍びない、後藤としても本意でない。
証拠として必要になる時期がくるまで、表沙汰にするつもりはなかった。
“話が苦手だ”と自称した割に、後藤の話は分かり易く要約されていた。
吉澤と辻は勿論、発端を知らなかったれいなもまた、初めて事の起こりを知らされた訳である。
(但し、辻に関しては完全に内容を把握しているかは疑わしい。何せ授業中、真剣な顔で目を開けた
まま居眠りし続けたことのある経歴の持ち主だ。それでも天性の勘で重要なポイントだけは確実に
覚えているという、羨ましい才能を有しているのだけれど)
- 103 名前:2. 投稿日:2006/09/08(金) 14:09
-
暗い照明の中。
訥々と話す後藤の横顔を真剣に見据えつつ、何やら考え込んでいたらしい吉澤が、話が一区切り
付いたのを見計らって口を挟んだ。
「なんか、かなりヤバい奴っぽいね。そのストーカーって」
「そ」と小さく頷いて、後藤が返す。
「かなりヤバくて、しかも性悪で、陰険なヤツね」
「そんな危ないストーカーが、梨華ちゃんを?確かなの、それって?」
「状況から考えればまず間違いない。梨華ちゃ……石川さん個人を執拗に狙ってるんだと思う」
「何で言い直すのよ、ごっつぁん。梨華ちゃんでいいじゃな〜い」
「別にそこ蒸し返す必要ないでしょうが」
「あら必死」
「うっさいなぁ」
非常に深刻な筈の話の内容が、どうも後藤と吉澤にかかると緊張感が半減してしまう。
気の合った漫才コンビのようなやり取りに、しかし梨華は自分が話題の中心にあるせいで、
笑おうにも強張りきった顔の筋肉は思うように動かせなかった。
俯向き気味に表情を暗くしている梨華へふと視線を向けた吉澤が、
「 ――― ああ、梨華ちゃん!」
「っ!?」
殊更に明るい声を上げて、気遣うようにその顔を覗き込んだ。
完全に虚を突かれて身を引く間もなく、図らずもごく至近距離から吉澤の熱烈な視線を受け止める
形になった梨華は、思わず言葉を失って「えっ?」と裏返った声を上げた。
(な、なんねっ?いきなり吉澤先輩)
一方的にやり取りを見守るだけの絵里やれいなもまた、吉澤が突然裏返った声を張り上げた
ものだから、驚きに目を見開いた。
(幸いというか何というか、再び襲い掛かってきていた眠気はそれで撃退されたが)
「1人でそんな目に遭って、怖かったでしょう!こんな可愛くか弱いレディにストーカーのヤロウ、
なんて汚い真似を!でももう大丈夫、ウチの胸に飛び込んで泣いていいんだよ梨華ちゃ」
「声がデカイ」
- 104 名前:2. 投稿日:2006/09/08(金) 14:09
-
朗々とした口上を吉澤が言い終えぬうちに、間髪入れず後藤がその後ろ頭を思い切り叩いた。
べべしっと鈍い音に重なりながら、「ぐえっ」とおよそ可憐な女子高生とは言い難い呻き声を上げて、
吉澤が目を細めて自身の頭を擦った。
幾らお約束の展開とはいえ、強烈な一撃にはさすがに涙目だ。
「……今のはかなりキたぜごっつぁん。馬鹿になったらどうしてくれるんだよー」
「それ以上馬鹿になるこたないっしょ」
「ああ、それは確かに」
「田中、今なんつった」
「いえ、別に」
「よしざーが馬鹿ってことに同意したろ、今。え?」
「聞き間違いじゃないすか」
飄々と受け答えするれいなは、いきり立つ吉澤の視線など何処吹く風である。
吉澤ひとみという人物が、個人的に思い描いていた想像図とかなり掛け離れた資質を備えている
らしい事実に気が付き始めたれいなだ。雲の上の手の届かない存在、と大袈裟に言えばそんな風に
捉えていた所に突きつけられた現実はしかし、れいなにとって良い意味で裏切られるものとなった。
睨みつけたところで、この生意気な後輩に効果はないと踏んだ吉澤は、スイッチを切り替えた。
「あのさ、梨華ちゃんに1個質問なんだけど」
「…は、はい」
おどおどと、梨華が伏せ目がちに答える。
相変わらず、絵里は心配そうにそんな姉を見守るばかりだ。今度は後藤も口を挟むことなく、黙って
吉澤と梨華へ交互に視線を向けていた。辻はというと ―――― れいなの見る限り、どう贔屓目に見ても、ただぼんやりしているようにしか映らなかった。
「ウチは話聞いただけで現場見た訳じゃないけど、普通さ、そんだけの思いしたら、警察行かない? そりゃ1人で行くには抵抗もあるし、実害がなきゃ警察は動かないってのは誰でも知ってることだけ ど、やっぱ普通の感覚でいったらまず真っ先に頼るもんじゃない、かなぁ」
「………」
- 105 名前:2. 投稿日:2006/09/08(金) 14:10
-
吉澤という人物は、いつでも直球だ。
梨華が僅かに身動ぎしたが、吉澤は全く気にする様子もなく、真っ直ぐ捉えた視線を外さない。
あ、とれいなは改めて思い出した。昨夜、といってもたった数時間前のことだけれど、後藤が今の
吉澤と全く同じ質問を梨華に向けていたではないか。あの時梨華は言葉を濁して答えなかった、
けれど確かに、それは吉澤の言う通りだ。
仮に自分がストーカーに遭っていたとする場合、最も身近に助けを求める筈の両親が海外赴任という
特殊な事情で不在の場合、駆け込むべきは妹が生活する学生寮などではないだろう。
では何故?石川梨華は、絵里の元へと身を寄せたのか。
硬い表情で辛そうに口を閉ざした梨華に、吉澤も少しだけ心苦しげに唇を噛み締める。
でも、と後藤はそんな吉澤を理解していた。それは重要な質問なのだ。もしかすると ――― いや、
大方間違いなく、梨華は「ストーカー」に先手を打たれて逃げ道を塞がれているのだ。
「そんなの簡単じゃん」
「え…?」
「犯人に、警察へ行くなーって脅されてるんでしょ。だから、行きたくても行けないんでしょ」
遠慮せず、はっきり口に出したのはぽけっと口を開けて話に聞き入っていた(らしい)辻だった。
はっと、顔色を変えて梨華が辻の顔を見つめる。
青褪めた表情は、問い掛けに対する正確な答えだ。それでも頑なに、梨華は明確な同意を
示す言葉を発することなく、口を噤んでいる。
- 106 名前:2. 投稿日:2006/09/08(金) 14:10
-
「ストーカーが恐いんだよね」
「………」
「ストーカーされることよりも、誰かに相談したり警察行って逆恨みされて、仕返しされることが
恐いんだよね?」
若干舌足らずな気はあるものの、的を射た質問を辻が羅列する。
返答に窮した梨華は、縋るような顔で後藤に視線を向けた。弱気な視線を受けた後藤が、
安心させるように微かに顎を引いて、頷いて見せる。
(大丈夫だよ。話して)
僅かに、梨華の目が安堵の色を浮かべた。
そうだ。自分は1人じゃないと、教えてくれる人がいる。負けないと決めたばかりだ。
「……こんなものが、届いたの」
強引に落ち着きを取り戻して、梨華が無言で持参した自らのバッグを手元に引き寄せた。
輪になった少女達もまた、固唾を飲んで見守る。淡々とした所作で、梨華は一通の封筒を中から
取り出した。首を傾げるようにして、絵里とれいなが思わず顔を見合わせる。
(ただの封筒に見えるけど…)
――― あ。
真っ白い、飾り気のない封筒。何となく、誰もが嫌な空気を感じ取る中、後藤だけはいち早く、
辻の指摘が的中していたことを知ることとなった。
無意識のうちに、ジャージのポケットに仕舞い込んだメッセージカードに上から触れる。
そこに、犯人の残した明確な悪意を無理矢理に封じていた。しかし、相手が梨華に接触を図った
のは昨夜の一度だけではあるまい。以前の段階で、脅迫という手段に出ていたのだ。
「……これ」
疲弊を滲ませ、それ以上に酷く悔しそうな表情で梨華は迷わず手にした封筒を後藤へ渡した。
最初に見て欲しい、ということなのだろう。
真っ先に梨華が選んだ相手が後藤だったことに、吉澤は若干がっかりした顔を、絵里はそれ以上に
複雑な表情を隠し切れなかったが、幸いそれに気付いた少女は皆無だった。
- 107 名前:2. 投稿日:2006/09/08(金) 14:11
-
「開けるよ」
「うん」
梨華が軽く頷いたのを認めて、後藤は手渡された封筒の裏表にざっと目を走らせた。
宛先も、勿論差出人も記されてはいなかった。(そんなことは予想するまでもない)が、直接これを
投函出来る所に自分は居るのだ、というアピールが見え隠れしている。
かさかさ、
静まり返った2人部屋に、乾いた音だけが小さく響いた。
嫌悪感に突き動かされて、後藤は無造作に封筒を開けた。中から出てきたのは数枚の写真と、
今まさに後藤がポケットに隠しているのと同じタイプのメッセージカードだった。違うのは、書かれている
文章が血文字ではなく、ワープロの様なもので印字されているという点だけだ。
皆が気味悪そうに、それでも真剣に後藤の手元を覗き込んでいるのを意識して、心持ちカードを
輪の中央に翳すように低く掲げた。ざっと、内容に目を通す。
“キミの交友関係は全て把握している。警察へ届けたら一人ずつキミの周りから人がいなくなる”
―――――
「な…」
暑い筈の夏の夜、にも関わらず絵里の二の腕が粟立った。
全身に冷水を掛けられたような怖気が込み上げ、「なに、これ」と擦れ声を搾り出す。れいなは、
そんな絵里の手を思わずきつく握り締めていた。互いの掌がじっとり汗ばんでいることに気付く。
「ご丁寧な添え書きだぁねぇ」
眉を潜め、軽蔑しきった口調で吐き捨てたのは吉澤だ。基本的に直球勝負を好む吉澤にとって、
最も忌むべき存在は、目的の為に卑怯で陰湿な手段を用いる輩だった。
- 108 名前:2. 投稿日:2006/09/08(金) 14:11
-
「写真、それ亀ちゃん写ってない?」
夫々が異なる反応を見せる中、辻が目敏く後藤の手元に顔を近付ける。
「ええ!?うそっ」顔色を失って、絵里が悲鳴に近い声を上げた。
「そうみたい…」
答えながら手にしたメッセージカードを一旦床の上に置き、(絵里はゴキブリでも見つけたかの様に
思い切り目を逸らした)後藤が数枚の写真を広げた。
視界に入った途端に覚える、違和感。その感覚の正体に、後藤はすぐ気付いた。
…隠し撮りだ。これらは、全て。
ピントはしっかり合っているものの、被写体の人物は何れもカメラの存在自体に気付いていない
様子で、繕うことない自然な表情で、小さなフレームの中に存在している。
基本的に若い ――― 少女といって差し支えのない年齢の女性ばかり。その中の1人は当然、
梨華の唯一の妹である絵里だ。
これが、意味するものは。
「全部、あたしの友達。それと…」
罪悪感に塗れた視線で、梨華がちらりと横目で絵里に視線を走らせた。
「なるほどね」
相変わらず冷めた表情の中に怒りを灯らせて、吉澤が毒づいた。
「梨華ちゃんの交友関係は完全に掌握してるって証明したいワケね。警察なんかにチクったり
したら、この中の誰でも自分は手に掛けるぞって脅しのつもりか。
暇人め…………最低だな全く」
憤然と鼻息荒く言い捨てた吉澤の隣り、
後藤が真剣な目で数枚の写真に視線を落としている。
友人と笑いながら歩いている梨華、制服姿の絵里、一様に明るい表情の少女達。
- 109 名前:2. 投稿日:2006/09/08(金) 14:12
-
「石川さん。これ、いつ頃届いたの?」
問われて、梨華は少し眉尻を下げた。考え、否思い出す。「確か、……1ヶ月くらい前…」
梨華の回答に得心した様子で、再度後藤が質問を口にした。
「これが来る前くらいに、友達頼ったりした?」
「……した」
小さな声で、今度は即答する。忘れるはずもない、梨華が何に頼ることも諦めざるを得なく
なった事件を。何も関係のない友人を巻き込み、危険な目に遭わせる結果となったことを。
「この子、なんだけど……」
梨華が手を伸ばして、後藤が手にした数枚の写真のうち一枚だけを選んで抜き出した。
駅のホームらしい景色をバックに、梨華と談笑している少女を指差して。
緩くパーマがかった茶髪に、芸能人並の小顔。遠目の写真からも分かる、凛とした空気感が
伝わってくる。同様に、気の強そうな性格も。
(吉澤が密かに好みだと目を付けていたのは内緒だ。つまり、美人だった)
あっ、と声を上げたのは絵里だ。
「もっさんだぁ」
「おっさん?」聞き返したのはれいな。
「ちがーう、もっさん!藤本さんだからもっさん」
写真から一旦目を上げて、後藤が梨華に問い掛ける。
「大学の友達?」
「正確には、中学の頃からの親友なの」
「うん、昔からよく家に遊びに来てたから、エリも仲良くしてもらってたんですよー」
若干明るさを取り戻した絵里とは裏腹に、梨華の表情は曇る一方だ。
彼女が背負った重苦しさに予感を覚えた後藤が、気遣うように静かに切り出した。
「……もしかして、この藤本さんって人、ストーカーに何かされた?」
びくっと身体を震わせて、それでも素直に梨華がこくりと頷いた。
- 110 名前:2. 投稿日:2006/09/08(金) 14:12
-
「自分では、認めたくなかったんだけど……ストーカーに遭ってるみたいって自覚して、
怖くって、食欲もなくなって、最初にあたしの様子がおかしいって気付いたのが美貴……
その写真の子、藤本美貴っていうんだけど、彼女だったの」
「理由は話した?」
促すと、今度は梨華は首を横に振った。
「とても、言えなかった。…そしたら、家に泊まりに来たの、美貴。あたしのこと心配して。
事情は話せなかったけど、家に誰かがいてくれるっていうのがすごく嬉しくって、頼もしくって、
安心して。それで数日間、美貴が泊まり込んでくれてる間は夜もよく眠れて、ストーカー行為も
無くって、もう大丈夫って思った。ずっとウチにいてもらうのも悪いし、一旦、美貴が家に帰ること
になったんだ。泊まりに来てから、4日後くらいだったと思う。………でも、そしたら」
美貴が我が家を離れたその夜、電話を受けた。
心臓が凍りつくような思いをしたのは、初めてだった。
「駅の階段から、美貴が落ちたって。混雑してたから突き落とされたのか足を滑らせたのかも
分からなかった。幸い、美貴が反射神経良かったのとたまたま手摺の側だったお陰で大事に
ならずに済んで、怪我もなかったんだけど……美貴は、ドジっちゃったって笑ってたけど」
小刻みに、梨華の肩が震える。
後藤は、再び写真の少女に視線を落とした。気丈そうな、意思の強そうな目が印象的な少女。
藤本美貴。――― 真っ先にストーカーに狙われたという彼女。つまりそれ程、藤本美貴は梨華と
近しい関係にあり、犯人からすると最も目障りな存在だったということだろうか。
「まさかって思った。そんな、タイミング良くそんなことって思った。
だけど、その後郵便受けにその封筒が入ってて、確信を持ったの。相手は本気なんだって。
あたしだけじゃなく、友達まで狙われるって」
痛ましそうな目で梨華の告白を聞いていた吉澤が、溜息と同時に呟いた。
「確かに、早々とそんな揺さぶり掛けられたんじゃ警察の門すらくぐれないわな」
「どんな報復があるか分からないもんね」
珍しく難しい顔付きで、辻が吉澤に追随して腕を組んだ。
- 111 名前:2. 投稿日:2006/09/08(金) 14:13
-
(辻さん、報復なんて言葉知ってたんだー)
酷く姉を心配する一方で、関係ないことに小さな感嘆を覚えているのは絵里だ。
「まだ、あたしだけが標的にされてるなら警察へ行くことも考えたわ。
でも、許されなかった。ストーカーの真意が分からない。変なプレゼントを寄越したり、友達にまで
目を付けたり。だから、……仮に警察が事件として受理してくれたとしても、四六時中護衛してくれる
訳じゃない。まして、絵里や美貴たち友達にまで保護を求めるなんて不可能だもの。
……大事な人が狙われるのは耐えられない。傷付けられるなんて考えたくない……」
歯を食い縛って、梨華は泣き出すのだけは必死に堪えた。
つい数時間前の話だ。散々、自分は泣いたはずだ。そこまで脆い人間だと思いたくはない。
「何が目的、なのかねぇ…」
独りごちて、吉澤が顎に手を当てた。それから、視線を後藤に向ける。
「ごっつぁん、推理、よろしく」
視線を受けて、大方の推測を固めていた後藤が言い難そうに、口火を切った。
「多分、犯人は石川さんを孤立させたいんだと思う」
「あたしを…?」
心細そうな顔を浮かべる梨華を直視出来ず、後藤は床に視線を落とした。手の中の写真、話題に
出たばかりの藤本美貴が笑っている。美人の友達はやっぱり美人なんだな、と現状とはまるで
関係ないことを後藤はぼんやり考えた。
(吉澤ひとみに感化されたらしい、と言えば彼女は憤るだろうが)
- 112 名前:2. 投稿日:2006/09/08(金) 14:13
-
「孤立させて、疲弊させて、ストーカーという自分の存在を刻み付けたい。多分、例外に漏れず
そんな目的なんだろうね、今のところは。単純にいたぶるのを楽しむような加虐嗜好の強い人間
なのか、最終的に石川さんをどうにかしたいって思惑の上で行動してるのかは分からない。
大体、どうして石川さんを標的に選んだのか、顔見知りの相手か、ただの通りすがりの変質者に
不幸にも偶然目を付けられたのか…。個人的な予感では、後者はないと思うんだけど」
「結局、お手上げってことかぁ」
「そんなすぐ犯人を挙げられるくらいなら、こんな所で作戦会議しないっての」
あからさまに不服気な溜息を吐き出した吉澤に、ムッとした表情を浮かべた後藤が反論する。
険悪になり掛けている先輩達の口論など全く意に介せず、絵里は素朴な疑問を梨華へ向けた。
「梨華ねーちゃん、言い寄ってきた男の人、こっぴどい振り方したんじゃないの?
二股三股かけたとかさぁ。なんか、逆恨みされるようなこと」
「するわけないでしょっ」
「だよね。おねーちゃん、奥手だし」
半分試しに言ったものの、絵里はやっぱりと肩を竦めた。奥手というより男性恐怖症の気がある
梨華は、女子高、女子大と経て男性との接点は極端に少ないのだ。
「じゃあ、もしかして犯人は女かもしれないってことすか?」
目を白黒させて、れいなが後藤に問い掛けた。女性に対するストーカーは確実に変態男だ、という
偏った認識がある。無論、痴情の縺れからストーカーに発展するケースの多さを考えれば、それは
強ち間違いとも指摘できないけれど。
「そういう可能性もある。…と思う。性的な嫌がらせとか被害とか、受けてないみたいだし」
「………本当に女の人なのかな…」
「今はどっちとも言えないよ。まだ、本性見せてないだけかも知れないし。辻、分かる?」
「わかんない」
八重歯を覗かせて、辻はあっさり答えた。分からない時は分からない。辻が持っているのは単純な
勘の鋭さであって、捜査に有効な超能力などではないのだ。それでも、必要な時にはピンポイントで
活用されるだろう。今はまだ、彼女の勘に頼るには時期尚早ということか。
- 113 名前:2. 投稿日:2006/09/08(金) 14:14
-
「執着心と、独占欲…」
ぽつりと、吉澤が独り言のように呟いた。ちらりと、後藤がそんな親友に目を向ける。
「結局、愛情なんてのは裏返せばすぐに憎しみに変わるような曖昧なものなんだよね」
「………」
(え…?)
酷く乾いた発言を聞きとめた梨華が、戸惑った表情で当の吉澤に目を向けた。
「…吉澤さ…」
「やだなぁ梨華ちゃん、そんな他人行儀な。よっすぃーって呼・ん・で♪」
一瞬、深い憂いを湛えていたように見えた大きな瞳は既に明るい色を取り戻していて、余計に
梨華を混乱させた。(今の……)
僅かな刹那、視線を交錯させた後藤と吉澤、その2人の表情を過ぎった暗い翳りに気付いたのは
どうやら梨華一人だったようだ。
自分1人の過酷な状況を受け入れるのに手一杯な梨華だったが、絵里曰く「学園の問題児2人」
と称される彼女たちもまた、自分と同じように ――― 或いはそれ以上に辛く、重い過去を背負って
いるのかも知れないと朧げながら感じ取った。
「ともかく」
ぴんと糸を張ったような、強い意志と張り詰めそうな緊張感を含んだ声が静寂を破った。後藤だ。
梨華が先ほど見咎めた、暗然とした色は消え去っている。いや、意識して表面に出ないよう繕って
いるのかもしれない。
彼女はきっと、梨華より絶対的に動じることのない強さを地に根差して立っている。
「そんな理由で、後藤や亀ちゃんたちは石川さんを寮へ連れてきた。でも、これで終わりじゃない。
後藤としては、この寮にしばらく石川さんを匿うのが最良策だと思うんだけど」
有無を言わせぬ口調で、後藤は明瞭に言い放った。
当然、反論など出よう筈もない。ただ、面白がった風に吉澤が口を挟んだ。
「勿論、さんせー。だけど、匿って、それからどうするワケ?」
- 114 名前:2. 投稿日:2006/09/08(金) 14:14
-
ツーカーの仲の2人だ。改めて口に出し、確認する必要などない。吉澤は、はっきりと後藤の口
から決意表明を引き出したいのだ。そして後藤は素直にそれに乗った。
「探す。犯人を。言い出したのは後藤だしね」
「なっ、」
咄嗟に言葉が出てこない。目を見開いて、梨華は唖然とした表情で後藤を振り向いた。
安易な嘘や冗談を言っている顔ではない。あくまで、後藤真希は真剣な眼差しでそれを口にした。
梨華の脳裏を、藤本美貴の姿が過ぎる。
優しくて、正義感が強くて、友達思いで ――― そんな大事な親友を、何も知らない彼女を自分の
せいで危険に晒した過去はどうしたって、拭い切れない現実なのだ。
運良く美貴は軽傷すら負わずに済んだけれど、今後怪我ですまされない事態が決して起こらない
などと何故断言できる?犯人の異常性を肌で実感している梨華だからこそ、不用意にこの件に
首を突っ込むことが如何に危険か分かる。
そしてそれを警告すべき立場にあるのは当の梨華だけだ。巻き込みたくない、大事に思うからこそ
余計に強く思うのに、何故、この少女達は進んで立ち入ってくるのだろう?
「そんな、ダメだよそんな犯人探しなんて危ないことっ……」
泡食って反論を顕にしたのは、梨華ただ1人だった。
「あたしは、ここに匿ってもらうだけで充分なの、落ち着くまで、ここへ置いてもらえれば満足なの、
犯人を探して欲しいなんて、捕まえて欲しいなんて誰も望んでないのに!」
「だから声がデカイってば」
ぺしっと、後藤が梨華の頭を弾いた。吉澤への一撃と比べると数分の一、徹底的に加減した力で。
不意打ちで、予想もしなかった後藤の反応に梨華は一瞬痛みも忘れ、ぽかんと口を開けた。
「やっぱり馬鹿なんだから、石川さんは」
「………!」
- 115 名前:2. 投稿日:2006/09/08(金) 14:15
-
数秒経ってようやく、じわじわと痛みが広がる。
但しそれは叩かれた頭部ではなく、胸を中心として、だ。深く染み入るように、じくりと心を刺す言葉。
「大丈夫だって、後藤、言ったよね?」
「………」
「石川さんに巻き込まれたんじゃなくって、この件には自分から飛び込んだんだって、言ったよね?」
「…………」
後藤真希の口調はただ静かで、澱みなく流れ、誰にも口を挟む隙を与えない。
―――― そう、確かに彼女はそう言った。言ってくれた。
それがどれ程嬉しかったか、頼もしかったか。
(だけど、駄目)
後ろ向きに、梨華は自分自身を牽制している。甘えるられるのは、そこまでだと。
未成年で、唯の高校生に過ぎない彼女達に境界線を越えさせてはいけない。あくまで、これは
石川梨華個人の問題なのだ。
寮へ足を踏み入れた時から、心に刻み付けていた。犯人と直接対峙するにしろ逃げ続けるにしろ、妹を含め彼女達とは一線を引いて付き合う覚悟があった。
否、それは義務と言っていい。
なのに、どうして後藤真希は短い言葉だけでこうも梨華の決意を簡単に揺さぶるのだろう?
放っておこうとしないのだろう? ――― 期待を掛けるのは酷だと分かっているのに、助けを求めて
頼りたくなる。救いを求めてしまう。
梨華の側にいれば、ストーカーが黙って見過ごす訳がないのに。
「分かってると思うけど、これは失恋なんかと違うんだよ。時間が解決してくれるような問題じゃないし、 一時的にストーカーの前から姿を消したところで相手があっさり諦める筈ない」
「……そんなこと…」
真剣さと、強い決意を秘めた視線は揺るがない。
- 116 名前:2. 投稿日:2006/09/08(金) 14:15
-
「確かに、その写真に写ってる友達を危険に晒したくない気持ちは分かるから、すぐに警察へ
届けたくないって意思は尊重する。でも」
「……でも?」
「怒ってるんだよね、ごっつぁんは」
にやにや笑いながら、吉澤が横槍を入れた。
憮然とした表情で睨み付けてくる後藤などそもそも視界にすら入っていない様子で、吉澤は続ける。
「周到に逃げ道を塞いで、獲物を追い詰めていくような卑劣な真似して満足してる犯人に対して。
ごっつぁんは ――― ちょっと理由があって、そういう低俗な人間は大嫌いなんだ。
反撃なんて出来ないだろうって軽く見て、好き勝手やってる犯人が許せないんだ。
だから、こっちから行動起こしてやろうっての。ウチだって可愛い後輩の可愛〜いお姉さまが
酷い目に遭ってるのを、黙って見過ごせる程醒めた人間じゃないんだよね」
薄ら笑いを浮かべているのに、吉澤の目は爛々と燃えていて、梨華だけでなく空間そのものを
圧迫する重い迫力を帯びていた。「余計なこと言うな」と言わんばかりに後藤が横目で友人に刺す
様な視線を突きつけたが、吉澤は徹底的に気付かぬ振りを決め込んでいた。
“清廉潔白で品行方正”
なんて言葉とはまるで無縁の朝陽学園の問題児たちは、真っ直ぐ過ぎるが故のエネルギーを持て余しており、そこに必要以上の正義感とそれに伴った行動力まで備わっていた ――― らしい。
輪郭すら曖昧な、つまり本来ならば警察へ任せるのが1番妥当だと判断せざるを得ないような事件を
眼前にして、毅然と自らの信じ進むべき道をきっぱり断言する先輩らの姿を見たれいなは、少なからず感銘を受けずにはいられなかった。
(絵里…)
- 117 名前:2. 投稿日:2006/09/08(金) 14:16
-
窺うように、隣りの友人の少女の顔をちらりと盗み見た。
未だかつて見たことない、苦痛と真剣さを兼ね備えた絵里の横顔はハッとする程儚くて、綺麗だった。
一瞬とは言え、見慣れた友人の顔に目を奪われたことに気が付き、れいなは1人赤面する。
(こんな顔する絵里なんてれなは知らん)
何とかしたい。れいなだって、後藤先輩や吉澤先輩たちと肩を並べるまでとはいかなくても、
力になりたい。………絵里はきっと、姉思いの彼女はきっと、迷わず姉を守る側へ回るだろう。
ならば、その絵里を守るべきは誰だ。
「梨華ねーちゃん」
俄かに熱を帯びる少女達の輪の中、加速する波へ乗り遅れまいと、絵里は双眸に力を込めて姉を
真っ向から見据えた。
言いたいことは、妹の自分にだってある。
「エリもやるからね。ごとー先輩たちと一緒に」
絵里の選択は全くれいなの予想通りだった。
眉を顰めた梨華が、瞬時息を呑む。「馬鹿なこと言わないで、絵里まで!どうして…」
はい、とれいなが白い腕を上げた。
「れなも、やります」
「、な……」
絵里の熱い掌を握り締めた右手にきゅっと力を込めると、れいなは堂々宣言した。ふと視線を
感じたれいなが隣りを振り向くと、ちらりと絵里が唇の端に嬉しそうな笑みを浮かべていた。
(大丈夫。れいなにだって、やれる)
言葉を失った梨華が妹達を戒める言葉を思いつく前に、後藤が再び口を開いていた。
「事情はもう変わってるんだ。誰かを巻き込みたくないとか迷惑掛けたくないとか言う必要ないよ、
そうでなくとも、後藤はこの件に足を突っ込んでるし、引くつもりもない」
「…後藤さん」
「絶対、こんな汚い真似した犯人を捕まえる。決めた、今」
- 118 名前:2. 投稿日:2006/09/08(金) 14:16
-
呆然とした顔で、梨華は居並ぶ少女達を順繰りにその顔を見つめて回った。
絵里、れいな、辻、吉澤、そして後藤。
大胆不敵な薄い笑みを浮かべる吉澤を始め、どの顔にも緊張感と、それを上回る決意を固めた
強い意志が漲っている。そんな目で一斉に見据えられて、これ以上拒めるものだろうか。
「駄目だってば…危ない、って…言って…」
直接背中を鼓舞するような温かみに満ちた視線が、力ずくで梨華から反意の弁を奪い去った。
( ――――― やだ、もう、どうして……)
そして、止めとばかりに。
語らず、ただ深い眼差しを向ける後藤の静かな面差しに、とうとう観念せざるを得なかった。
泣き笑いのような表情で、梨華は力なくゆるゆると首を左右に振る。
「……絶対、危険だって、言ってるのに…」
「もういいって、それは」
能天気とも取れるような呑気な声で、後藤が遮った。
傍らに、やけに自信を携えた吉澤。決して大柄ではない2人の少女は、強い目力と年齢にそぐわない
落ち着いた雰囲気を纏っているせいで実像以上に大きく見えた。
「会ったばっかりなのに、信じろって言うのは無理?」
「……」
答えられず、梨華は口を結ぶ。
信じられないのじゃなくて。頼りたくないわけでもなくて。
- 119 名前:2. 投稿日:2006/09/08(金) 14:18
-
「つーか、もう決めちゃったし」
「え、エリも!エリも一緒にがんばる、おねーちゃんの為に犯人捕まえる!」
「れーなもやる。許せんけんね、女の敵は」
威勢良く自分に追随する後輩2人を見るとさすがに後藤も呆気に取られたが、頼りなくも威勢だけは
勇ましい彼女らの姿に、思わず相好を崩した。勇気があるとか、正義感が強いという単純な理由では
無く、絵里はただ姉が好きで、大事なのだ。そしてれいなは、そんな絵里の意思を尊重している。
それが伝わるからこそ微笑ましい。
無邪気過ぎるが故、姉として巻き込みたくないという梨華の葛藤する心情も分からないではないが。
「ああ言ってるけど、妹たち」
「馬鹿…」
絶句し、口元を覆う梨華を尻目に、辻が止めを刺した。
「だいじょーぶだよ、危ないことなんてしないもん。そうなる前に、ちゃんと捕まえるから」
「 ―――…… 」
目を細め、能天気な口調で楽観的に言ってのける辻からは、どう考えてもこれを大事を捉えている
節は感じられない。けれど、悠然と自信を持って辻希美が言い切ってしまうと、本当にそうなって
しまえるような気になるから不思議だった。
結局、梨華は行き場を失った、感情の矛先を持て余してしまった。
そうして数秒躊躇ってから、溜息にして吐き出した。
「これだけは約束して?無茶は、しないで」
――― おそらく、素直に聞く連中ではないだろうと薄々感じながらも、言わずにはいられなかった。
「少しでも、この中の誰かが危ない目に遭ったら、やっぱりあたし、警察へ行こうと思う。
だけど、それまで………良ければ、皆の力を貸してください。ここに置いてください」
- 120 名前:2. 投稿日:2006/09/08(金) 14:19
-
「合点だ!」
威勢よく承知の意を示した辻を始め、深々と頭を垂れた梨華を拒否する少女は皆無だった。
まぁ大船に乗ったつもりで任せときなさいと吉澤が梨華の肩に手を回しかけた瞬間、後ろから軽く
頭を小突かれ、振り向いた。にっこり笑った後藤と目が合う。
笑顔の後藤真希は恐い。何故か怖い。吉澤が慌ててパッと両手を上げた。降参、降参。
梨華が余計な気を回さないよう、彼女達なりに気遣っているのだろう。声に出さずとも自然と
息を合わせ、絶妙なコンビネーションを見せる後藤と吉澤を微かに羨む気持ちが芽生える。
そして、その輪の中に自分が入れてもらえたと感じる嬉しさ。事件の行方へ馳せる不安。
取り合えずは話が纏まったと、一様に安堵を浮かべる夫々の少女達も、内心では様々な悩みや
恐怖や臆病な気持ちを抱えているのだろう。
(あたしが真っ先に逃げ腰でどうするのよ)
弱気な自分を叱咤し、梨華は腹を括った。大丈夫。その言葉を信じるんだ。
- 121 名前:2. 投稿日:2006/09/08(金) 14:19
-
ガンガンガン!
- 122 名前:2. 投稿日:2006/09/08(金) 14:20
-
「!!?」
暖かな静寂を切り裂いて部屋のドアを激しくノックする音が鳴り響いた。
再度、ガンガンと叩きつけるようなノック音。
「なっ…?」
室内の全員がぎょっと身を竦ませる。強張った表情の梨華が動きを止めた。すぐに、深夜の来訪者に
対する警戒心を色濃くして身構える。
「こんな時間に………」
薄いドアの向こうから、地を這うように低く抑えた怒声が届いた。
「げ」「まず」「やば」
真っ先に反応したのは後藤、吉澤、辻だった。苦笑いに似た表情で3人は顔を見合わせる。
固まったまま声も出ない梨華は、同じく目を見開いて硬直している妹に少しだけ身体を摺り寄せた。
「みんなで集まって大声出してなにやってんですかぁ後藤さん吉澤さん、のんちゃんッ!!
今度という今度はもう許しませんよぉ、寮長の名にかけてーッ!!」
ガチャリと扉を開くのと同時、
鐘を鳴らすように、それこそ深夜の寮内において最も悪質とされる「騒音」をたった1人で撒き散らし
ながら部屋へ侵入してきた人物に、後藤は今夜、初めて少し怯んだ表情を見せた。
相手の姿を確認し、その少女が厄介極まりない存在だと認識し、あちゃーと額に手を当てる。
しまった。コイツを忘れてた。
- 123 名前:2. 投稿日:2006/09/08(金) 14:21
-
「……あは、新垣寮長こんばんわぁ」
「こんばんわ、じゃないっ!今が何時だか分かってんですか!!いくら夏休みに入ったからって
寮の規律は守ってもらなくては困ります!こそこそしてるならともかく、堂々と大声で喚き散らす
とはどういう神経ですかっ寮に暮らしているのはあなた方だけじゃないんです!私は何度も何度も
何度も何度も注意してきましたよね!?もー信じられませんどうしてこう風紀を乱すような」
「分かった分かった、ちょいガキさん落ち着いて、な?」
取り成すように、吉澤がひらひらと手を振って口を挟んだ。
「うん、ガッキーの方が今きんじょ迷惑だよ多分」
「何ですって辻さん!!っていうか誰がガッキーだぁっ!」
「辻ちゃんは黙ってろ、話がややこしくなる〜」
放っておけば機関銃のように際限なく捲くし立てる勢いで後藤と絵里の部屋に乗り込んできた少女は、
学園内の問題児も「番犬」も容赦なく圧倒し、ぎろりと大きな目で睨みつけた。
物怖じしない性格は先天的なものではなく、不運にも妙に個性の強い寮生ばかりが集ってしまった
『桜花館寮長』の席へ就いてから否が応に引き出されてきてしまったらしい(本人曰く)。
新垣里沙、2年生。
この寮を仕切る寮長にして、県内でもトップクラスの成績保持者だ。
(朝陽学園では外部への受験も活発な為、受験生ではなく2年生が寮長を務めるのが伝統だった)
腰に手を当て仁王立ちしていた新垣は、きれいな円形を描いて座る少女達に射るような視線を
向けた。目が合うと絵里はにかっと誤魔化すような笑みを浮かべ、れいなに至っては繕う余裕すらなく
ぼけっと口を開けて新垣と視線を合わせる形になった。
新垣は憤怒の形相で1人1人の顔を確認するように見渡し、
「……あれ?」
侵入者の迫力に飲まれ、思わず顔を隠すことすら忘れて呆然と自分を見つめている見知らぬ女性
――― つまり、梨華だ ――― に目を止めた。
一瞬、怪訝そうに眉を潜めたその顔が、みるみる紅潮し怒りに満ちた瞳が吉澤を捉える。
- 124 名前:2. 投稿日:2006/09/08(金) 14:22
-
「吉澤さんッ!!」
「ハイなんでしょう」咄嗟に、敬語で答える吉澤だ。
「夜遊びだけにはとどまらず、1年生まで巻き込んだ挙句、外部の女性を部屋に連れ込むなんて
どういう了見ですかッ!!後藤さんも辻さんも止めもせず一緒になって遊ぶなんてっ!
吉澤さんはともかく後藤さんは女遊びが酷い人じゃなかったのにっ!まったくもって言語道断です!
ああ、私が寮長に就任して以来、最大の不祥事ですよこれはっ!どうして吉澤さん!?」
「いや待てガキさん、その怒りの方向はおかしいだろ」
「言い訳無用っ」
きっぱり言い切られて、吉澤は憮然とした表情で口を噤む。何故か自分が(新垣からすると最大の
不祥事)この件の首謀者に据えられたことに納得がいかない。当然だが。とは言え過去、寮長の新垣に知られている悪事の数々を思えば、強く反論できないのが弱味だ。
「………と言いたいところですが」
「え?」
「何かワケありとみました。一応、話を伺いましょうか」
不意にトーンを下げ、落ち着いた声色で新垣が発した言葉に一同が首を傾げた。
絵里とれいなが顔を見合わせ、素早く目配せした。
(…いいのかな?)
(寮長が話せゆうが、仕方ないと?)
とは言うものの、事態はおいそれと誰にでも吹聴して回れるような軽い話ではない。
年少組が困惑して様子を見守る中、梨華が気丈に背筋を正した。真っ向から、新垣を見据える。
「石川さん、ちょっと待って」
その梨華が口を開くのを制して、後藤が言った。
「口裏あわせですか?往生際の悪い」
不審そうな目線を寄越す新垣に向かって、後藤が言った。「そんな急かさないでよ、新垣も」
決してふざけている様子ではないと踏んで、新垣が口を閉じた。熱くなりやすいが、全く他人の
言い分をシャットアウトしてしまう程頭の固い人間ではないのだ。
- 125 名前:2. 投稿日:2006/09/08(金) 14:22
-
新垣が口を噤んだのを見計らって、後藤が梨華に向かって口を開いた。
「この子は新垣。ここの寮長をしてる。いわゆる責任者だよね。
で、後藤の意見を言うよ。寮長に見つかった以上、正直に話して納得してもらうのが最良策
かも知れない。新垣の口が固くて意外と人情に厚いのは保障するから」
「……後藤さん」
含みのある目で後藤にチラリと横目で見られ、新垣が若干居心地悪そうに身動ぎした。
梨華は黙って聞いている。これ以上誰かを巻き込むのは憚られる、けれど今の状況では ―――
「まぁ確かに、ガキさんなら充分信用に値するわな。なんたって、ガキさんが寮長じゃなきゃ
ウチらなんか何回退寮になってるか分からないもんね」
「一緒にするなって。ごとーも辻もそうそう規則破ってません」
「なんだよ裏切りものー」
恨めしそうな顔でぶつぶつ呟く吉澤はさておき、
梨華は難しい顔で黙り込んでいる新垣に視線を向けた。なるほど皆の言う通り、早くも頑な
態度に綻びが生じている。確かに、事情を聞こうと申し出たのは非情になり切れない彼女なり
の配慮なのだろう。
「あの、……ごめんなさい」
恐る恐る、新垣の顔を窺うように梨華が頭を下げた。
見知らぬ女性から突然謝罪を受けて驚いたのは新垣の方で、「え。いやあの、あなたを別に
責めてるわけじゃ…」などとしどろもどろに呟いた。
「事情は話します。悪いのはあたしであって、ここにいる皆じゃないの。お願い寮長さん、話を
聞いたらこの件は全て忘れて、皆のことは不問にしてあげてください。
勝手な言い分だっていうのは分かっているんだけど…」
「いや、でも…」
さすがに即承知は出来かねて、新垣は言葉を濁した。
「じゃあさ、」と呑気な声が上がる。当然、辻だ。
「ここは、ガッキーも仲間にしちゃえばいいんだよ」
「え?」
新垣が素っ頓狂な声を上げた。慌てて続ける。「私に、悪事に加担しろと?」
「だから、悪事じゃないってば。何でウチを見るんだよ!」
「…だってこの中じゃ吉澤先輩が1番悪さしてると。寮長の見る目は正しいっちゃ」
「んだと田中までこんにゃろう」
- 126 名前:2. 投稿日:2006/09/08(金) 14:23
-
猛然と食ってかかる吉澤の抗議を物ともせず、れいなはそっぽを向いた。
(……からかうのが面白くなってきたけん)とは口に出せない。吉澤は1人でぶんむくれている。
夫々がああでもないこうでもないと再び騒がしくなる中、収拾がつかなくなる前に決着を付けようと
後藤が静かに息を吐き出した。
「あのさ」
真剣さを帯びた顔に、新垣も表情を引き締めた。
「先に言っておくけど、話を聞いて身を引くか首を突っ込んでくるかは新垣の自由だよ。もしかしたら
怒るかもしれない。まぁ、寮長にはちゃんと話しておく必要はあるかもしれないしね」
「……」
「見つかったのが新垣でよかったよ。信用できる」
暗に口外無用と言っている。今後の措置は話の内容次第だけれど、おそらく自分は決して
他人に話を漏らすことはないだろうと新垣は薄々予感していた。今まで、そうしてきたように。
ただし、今回ばかりは続く話の検討が付かない。それでも新垣は少し緊張した面持ちながら、
どっしりと構えていた。
「とにかく、話を聞きましょう」
「さっすがガキさん、肝が据わってるぅ」
「よっすぃーは黙ってて」
「へい」
「辻には言ってないよ」
「へい」
視線を感じる。
後藤は、一心に自分を見つめている梨華に気付いた。(心配いらないよ)少し口の端に笑みを
乗せて見せると、彼女は微かに頷いた。あたしは平気。ありがとう、ごめんね後藤さん。
少し、背中を押された気分で後藤は改めて新垣に向かい直った。
- 127 名前:2. 投稿日:2006/09/08(金) 14:24
-
―――― まさか、こんな濃密な夜になるとは思わなかったな
脳裏をそんな思いがチラリと掠めていく。苦笑いを飲み込んで、後藤は再び口を開いた。
「あのね新垣。実は…………」
- 128 名前: 投稿日:2006/09/08(金) 14:24
-
外は薄闇。
長い夜は、まだ、明けそうにない。
- 129 名前: 投稿日:2006/09/08(金) 14:24
-
- 130 名前: 投稿日:2006/09/08(金) 14:25
-
- 131 名前:名無し猿 投稿日:2006/09/08(金) 14:26
- 気が付いたら初回更新から早くも2ヶ月が経とうとしています。うわー開け過ぎだ;
と焦って更新したので、誤字脱字が多いかもしれません。申し訳ないです。
最初からこんなにレスをいただいたにも関わらず、相も変わらずマイペースに書き綴って
おりますが、今回も最後までは必ず書き上げたいと思っていますので、どうぞよろしく
お願いします!
では、初のレス返しを…
>>66 名無し飼育さん
ありがとうございます。導入部、やっぱり説明的過ぎる感があるかもしれませんが
続きも気楽に読んでいってやってください。お願いします。
>>67 名無し飼育さん
ありがとうございます!楽しみという期待に添えられるよう頑張りますので、
今後ともよろしくお願いします。
>>68 名無し飼育さん
見つけてくださってありがとうございます!w 相変わらず更新しては間が空き、
という展開が見えるようですが付き合ってくださると嬉しいです。
>>69 名無し飼育さん
ありがとうございます。こちらこそ、温かい言葉が嬉しい限りです。
のんびり進んでいくと思いますが、忘れられないよう頑張ります!
>>70 名無し飼育さん
ありがとうございます!引き込まれてしまいましたか…ありがちな展開っぽくて
少々不安だったんですけども安心しました;今後もよろしくお願いします。
>>71 名無し飼育さん
ありがとうございます。学生さんですか?夏休み中に更新すれば良かったですね;
テストが無事に終わったことを祈っています。で、また読みにきてください。(できれば)
- 132 名前:名無し猿 投稿日:2006/09/08(金) 14:26
- >>72 名無し飼育さん
お待たせしましたか、忘れられてなくて良かったです。ありがとうございます!
最後まで絶対完結させますので、よろしくお願いしますね。
>>73 名無し飼育さん
見つけていただけました。ありがとうございます!楽しみな小説と言われるよう、
日々精進して参ります。後藤嬢を始め、ややはーどぼいるど路線で…w
>>74 名無し飼育さん
お待たせいたしました。頑張りました!というか今後も頑張ります!
一応、少しは話も動いたような感じ(だと思います)がどうだったでしょうか?
>>75 Liarさん
前スレに引き続き、また読んでもらえて嬉しいです。というか、褒め過ぎですよ!!;
今回は登場人物も多めで、早くもしっちゃかめっちゃかになっています。が、楽しみと
言っていただけるのが1番の糧です。マッタリお待ちくださいませ!
>>76 名無し飼育さん
お、お待たせしました!!間に合ったでしょうか!?
という訳で、いきなり初回から間が空きましたがスローペースなりに今後も執筆していきます
ので、飽きずに懲りずに付き合っていただければ幸いです。
登場人物ももう少し増える予定です。よろしくお願いします。
- 133 名前:Liar 投稿日:2006/09/08(金) 14:38
- うわぁ〜!!更新されたばっかりだ!!
待ってました!
今のところ一番楽しみにしている作品ですよ。
褒めすぎなんかじゃないですから!
本当の事です!
最後までお付き合いしますよ!
- 134 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/09/08(金) 15:14
- 初レスですが…
更新キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
続きが気になって仕方なかったのでホントに嬉しいです〜
作者さん応援してます!頑張ってください!!
- 135 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/09/08(金) 17:14
- すごい大量更新、本当に乙です。
前作に続きごっちんよっすぃーコンビがのどかでいいなあ〜
- 136 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/09/08(金) 20:57
- 大量更新お疲れ様です!
どんどん話に引き込まれていきます
次の更新が待ち遠しいですが
いつまでも待ちますのでマイペースで頑張って下さい
- 137 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/09/09(土) 07:01
- れいなが可愛いなぁ
梨華ちゃんの親友のあの人とか、
寮長とか、名前が出るたびにどきどきですw
- 138 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/09/09(土) 23:54
- >>137さんの気持ちすごいわかります。
うお!次はこの人が出てきたかぁ〜!ってw
次回も楽しみにしてます^^
焦らず、マターリ書かれてください
- 139 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/09/10(日) 08:15
- 更新お疲れさまです。
後藤さんとよっさんが全面的に信頼しあってる感じなのが素敵ですね。
次に何が起こるかドキドキしながら読んでます。
更新あるとすごく嬉しいけど、焦らず作者さんのペースで頑張って下さい☆
- 140 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/09/10(日) 16:30
- 登場人物が増えてきて賑やかになってきましたね!
続きがかなり楽しみです
- 141 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/09/24(日) 14:57
- すげー楽しみな展開にワクテカしてまつ
待ってまーす
- 142 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/10/21(土) 22:49
- まってますね
- 143 名前:3. 投稿日:2006/10/29(日) 12:22
-
3,それぞれの朝が、それぞれの思いを抱えて始まりを迎える。
- 144 名前:3. 投稿日:2006/10/29(日) 12:23
-
「ふわ〜」
気の抜けた溜息を1つ。
もう朝だぁ。
微かに身動ぎして、絵里はうっすらと目を開けた。
現実と夢遊の狭間を暫し彷徨い、心地良いまどろみを何とか断ち切って(その間の葛藤を
いざ文面とするには必要以上の手間を要するので、今は省くものとしよう)、むっくりと、
重い体躯をベッド上に起こした。
ふと、巡る違和感。
未だ完全には覚醒し切らない頭をくるりと旋回させ、絵里はその正体を知る。
(…あ、あー……そうだった……)
締め切ったカーテンの向こう、窓に照りつける真夏の強烈な日差しは、まだ朝方という時間帯
にも関わらず室内へと眩しい太陽光を侵入させつつあった。
普段ならば、目を開けるとまず手が届きそうな位置にある天井が今は見えず、代わりに視界いっぱいに
広がったのは薄茶けたベッドの裏側だった ――― 即ち、絵里は二段ベッドの下段にいるのだ。
違和感を覚えるのも当然だった。
通常なら、絵里の寝床は天井に程近い上段なのだから。
そして、
微弱な冷房が程よく効いている中、それでもうっすらと汗ばむ心地なのは。
ほとんど密着していると言っても差し支えない位置で、寝息を立てている人物がいるからだった。
―――――
『これだけは約束して?無茶は、しないで』
- 145 名前:3. 投稿日:2006/10/29(日) 12:23
-
思い出した。
昨夜。否、つい数時間前に当たる今夜の出来事、十数年生きてきた絵里の人生の中で
おそらくはトップ5に入るであろう劇的な事件に直面した(というか巻き込まれたのだ)。
部外者立入り禁止を徹底的に貫いている、絵里の住まう寮へ現れた思い掛けない来訪者。
当の来訪者を中心とした作戦会議を終え、いざ就寝となった場面だ。
『あのさぁ』
絵里の同室者である後藤“先輩”が、異端な来客である彼女と、その妹にあたる絵里を
交互に見比べて、提案したのだった。
『2人で二段ベッドの上ってのはやっぱ危ないでしょ。しばらくの間は、交換しよっか』
本当なら、上の方が他の寮生なんかにはバレにくいと思うんだけど。
多少の渋さを含んだ顔で付け足した後藤は、『寮なんてのは半分プライバシーが無いも同然なんだ
から、徹底的に他の寮生の行動には注意しないと駄目だよ』とご丁寧に畳み掛けた。
つまり、いつ部外者の存在が漏れてもおかしくないと言いたいのだ。
後藤の言葉に、彼女は素直に頷いていた。そして、当の人物 ――― 即ち、
「よく寝てるなぁ、梨華ねーちゃん」
つい先刻まで爆睡していた自分のことは棚に上げて、絵里はぽつりと呟いた。
数時間前の陰鬱なやり取りなど微塵も感じさせない隙だらけの寝顔、枕に顔を埋めるようにして
こんこんと寝入っているのは絵里の姉である梨華だ。
布団の上に身体を起こした状態で、ぐるりと首を回す。ぽきこきと音を鳴らし、満足した絵里は
ようやく行動を開始した。
つまり、着替えをせんとベッドから素足をフローリングの床へと踏み出した。
- 146 名前:3. 投稿日:2006/10/29(日) 12:23
-
◆
- 147 名前:3. 投稿日:2006/10/29(日) 12:24
-
“おいおい泣く”
昔ながらの童話以外で、そんな泣き方を絵里が実際に目の当たりにしたのは初めてだった。
昨夜(何度もくどい様だが、正確に時間を指し示すならば今日の午前2〜3時ということになる
だろうけれど、絵里の現在の純粋な感覚で言えば昨夜というのが1番しっくりくる表現なのだ)、
姉を襲ったストーカーという忌むべき一連の事件、
それに巻き込まれた ――― とうか自ら飛び込んできた後藤、田中、それから輪が広がり顔を
揃えた吉澤、辻らといった桜花館寮生の面々。
取り合えずは当面の危険性を考え、寮で梨華を匿うという結論に終着した一同の前に、
不意打ちで姿を現したのが桜花館寮長・生真面目さには定評のある新垣里沙だった。
優等生で、且つ融通が利かないと思われがちな新垣の登場に身構えたのも束の間、
開き直ったらしい後藤が梨華に降りかかった不幸を説明するや否や、
およよ………
(少なくとも、客観的に見ていた絵里にはそう映った)と、今日び漫画でも使われないような
古風な表現で、泣き崩れたのだ。
“た、たったひとりでそんな辛い目に遭っていたなんて…ッ”
“構いません、この寮に身を隠して、何とか打開策を検討いたしましょうっ!”
問題児の片割れ、後藤真希とは同室に当たるため何かと接点の多い絵里だけれど、直接には
寮長の新垣里沙と面する機会の少なかった身としては新たな、芳しい発見だった。
――― どうやら新垣里沙は、感情移入しやすく涙もろい性格らしい。
正義感が強く、理想に燃えているのは普段の生活からも見て取れることだけれど。
まぁ、そんな寮長の性格は差し引いても、梨華が現時点で置かれた状況は、普通の女子から
すれば同情の余地は充分にあるのだろう。
新垣が、本来ならば規則違反である部外者を寮内に住まわせると認めるに至った経路は、
決して特異でも奇異なものでもないのかもしれない。
そんな訳で、梨華を中心とした「ストーカー対策本部」(命名新垣、本部長は新垣の勝手な独断
により後藤、およそ捻りもへったくれもないくそ真面目なネーミングだ)は深夜発足・活動を開始し、
手始めに必要最低限の休息と称して、各自部屋にて睡眠体制に入ったという訳だ。
- 148 名前:3. 投稿日:2006/10/29(日) 12:24
-
時刻を考えれば、疲労はピークに達している筈だった。それでも絵里(おそらく、親友のれいなも)は
あまりな展開に精神が興奮状態にあり、寝つきは思ったほど良くはなかったのだけれど。
冗談のようにぐっすり熟睡している梨華は、絵里が少々動いたくらいではまるっきり起きる気配も
目を覚ます様子もない。
溜りに溜まった疲れを今こそ浄化せんばかりに、泥の様に寝こけていた。
寝惚けた目でそんな姉を一瞥し、恨めしそうな顔で絵里はもう一度、盛大な欠伸と共に伸びをした。
さて、そろそろ準備しなくちゃ。
夏休みに入ったというのに帰省せず、残寮している理由を忘れた訳ではない絵里だ。
10時からの補習に参加する為には、そう何時までも眠りこけていることも叶わない。
渋々ベッドから這い出した絵里はぺたぺたと床上を裸足で進み、同室者の後藤と共同出資で
購入した茶舞台の上に置きっ放しにしていたペットボトルに手を伸ばした。
(冷蔵庫なら1階の談話室に置いてあるけれど、3階の絵里からすると面倒くさくてわざわざ
使用する気にはならなかった)
「ぷはー、あー」
外気温のせいで常温と化した生温い烏龍茶、を気にせず一口ぐびりと飲み干した時、
がちゃり、と前触れなく部屋のドアが開いた。
「あ。ごとー先輩」
「おう。オハヨ亀ちゃん」
仁王立ちし、勇ましくペットボトルをラッパ飲みしている後輩を気に留めるでもなく、ごく自然な
朝の挨拶を口にして平然と室内へ踏み入って来た後藤を、絵里は半ば感嘆たる気持ちで
迎え入れた。(てゆーか、いつの間に出て行ったんだろ?ごとー先輩)
普段は、睡眠が深く長い後藤が絵里よりも先に目覚めていることなど稀だった。
珍しい心地で後藤に見入っていた絵里は、彼女がぶら下げている白いビニール袋に目を止める。
- 149 名前:3. 投稿日:2006/10/29(日) 12:25
- 「なんですか、それ?」
「朝ご飯」
絵里の視線を追って、問いの対象が自らの買い物袋であると瞬時に判断したらしい後藤の
答えは、実に簡潔にて明瞭だった。
よくよく目を凝らせば、袋越しに紙パックやサンドイッチらしき食料品を見て取ることが出来る。
ああなるほど、確かにご飯だ、朝ご飯か。そうだ、朝だもの。ん?
「亀ちゃんも早いとこ食堂行った方がいいよ、用意されてたから」
「あ、あー!そうでしたっ。エリも、補習で寮に残る間は食事、注文しちゃってたんですよねぇ」
ぺろりと舌を出して、絵里は肩を竦めた。
桜花館、そして乙女館の寮生は校舎内の食堂を共同で利用している。平日の寮生活では勿論、
休祝日や長期休暇内においても事前に注文すれば3食の食事が供給されるシステムだ。
安いとはいえ、料金を支払っているのだから過失の上、注文していた食事を採らなくても食堂側
に非難される謂れはない ――― 理論上、というか屁理屈をこねればそうなるけれど、安易に
そうとは認められない理由がある。
絵里は瞬時に、白い割烹着姿の女性の姿を脳裏に思い浮かべた。
『あんたが食べなかったこのご飯、一体誰が処分するんだべさ!?作った当人に料理を始末
させるってことがどんだけ失礼なことか今からなっちがじっくり教えてやるっしょ』
給仕係のある女性、見かけはほんわかと柔らかい雰囲気で可愛らしい少女、と表現しても何の
差し支えもないその人物が、実は食に関してはかなり頑固な一面を持っているのは寮生ならば
周知の事実だった。
現に絵里などは桜花館の寮生である友人が、用意されていた朝食を寝坊した為食べられなかった
際、上記の通りそれこそ授業に本気で遅れる程たっぷり絞られている場面を目撃したことがある。
まだ、それは記憶に新しい。
ぶるる。
絶対に、注文した分のご飯だけは食べなくちゃ。
半ば強迫観念の様に頭に浮かぶ言葉に、それでも素直に従うことにして(食べ物の恨みは
恐ろしいなんて本当によく言ったものだ、本来はこの様な意味合いで使う場面ではないのだ
ろうが)、絵里はのろのろと制服に着替え始めた。
- 150 名前:3. 投稿日:2006/10/29(日) 12:26
-
「じゃぁそれ、ごとー先輩が買ってきたのって梨華ねーちゃんの為なんですね」
スカートのジッパーを上げながら、目線は卓袱台へ無造作に置かれたビニール袋へ。
封を開けたばかりらしい牛乳に口をつけていた後藤が、ちらりと二段ベッドに視線を走らせ、
ぼそりと呟いた。
幾分、熟睡中の姉を労わるように目を細め、声のトーンを落としたのは分かり易い気遣いだ。
「多分、あの様子じゃ昨日から何も食べてないと思ったから。食欲なくても、何か腹に入れて
おかなきゃ駄目だよ。持久戦覚悟だし……って、これは本人に言わないと意味ないか」
「………そうですよ」
単に同情だとか心配だとか、それだけではない真摯な優しさ。
ごく僅かに読み取れる程度に微笑を浮かべる後藤が発した言葉に、そんな響きを感じ取った
絵里の心にざらりとした異質な感情が生まれる。
「…なんか」
「ん?」
言うつもりなどなかったのに、口が勝手に動いてしまった。は、と咄嗟に唇を噛んだ絵里の前で
不思議そうに後藤が振り返ったのを見て、結局言わざるを得なくなった。
「すごく優しいっていうか、親身になってますよね、ごとー先輩」
流石に『誰に』とは言えなかった。
わざわざ口に出さずとも、会話の内容からそれが誰を名指しているのか気付かない程後藤真希は
無粋ではないし、絵里が直接それと口にした時点で、明らかにそれは“嫉妬”という感情に置き換え
られてしまう気がしたからだ。
「そうかな」
「そうですよ」
「意識してないんだけど」
「だって。普通、会ったばっかの相手にそこまで……」
「放っておけないじゃん、石川さんの現状じゃ」
「……」
- 151 名前:3. 投稿日:2006/10/29(日) 12:26
-
惚けた調子で返される。それ以上突っ込んでも意味のない押し問答になるだけだと気付かされ、
絵里は口篭った。駄目だ、エリってば何言ってんだろう。
――― ごとー先輩が梨華ねーちゃんに味方してくれる、こんな心強いことはないのに。
自身が今、酷く混乱していることを絵里は自覚していた。
吉澤や辻といった、元来の後藤真希の友人達を除けば、ごく近しい関係にいることを自負していた。
同室者というポジションを得て、特に意識もせずに良好な関係を築いてきた。
そこへ介入してきたのが、「ストーカーに遭っている」と特殊な事情を携えた自分の姉だ。
不遇な立場に置かれている姉に救いの手を差し伸べている相手に、絵里が感謝こそすれ複雑な
思いを抱える理由など、持ち合わせる筈がないのに。
2人が急速に接近するのを間近で見ていることに、動揺を覚えているというのだろうか?
どうして。何故、エリが姉と同室者の先輩に、そんな感情を持つってゆーの?
俯いて逡巡する間に、後藤が怪訝そうに口を開いた。
「亀ちゃん、不安になってる?」
「え?」
「大丈夫だよ、危ない目には遭わせない……つもりだから」
若干、自信はなさそうに付け加えて後藤は小さく笑った。温もりのある、笑顔。
姉が巻き込まれた件に対して自分がナーバスになっているのだと判断したらしい後藤に、
敢えてその勘違いを取り沙汰する気にはならず、絵里は「期待してます」と笑い返した。
感情の折り合いは付いていないが、不自然な笑みにはならなかっただろう。
何で。こんな時に、ごとー先輩が妙にキラキラして魅力的に見えちゃったりするんだろ。
ごとー先輩がカッコいいだなんて、今更気付くようなコトじゃない。
おねーちゃんが大変な時に、何で自分のことばっかり、考えちゃってるんだろ。
たった半日前まで、唯の同室者として何の問題もなく、特別な感情も芽生えず、だからこそ
平和に穏便に暮らしてこれたのだというのに?
- 152 名前:3. 投稿日:2006/10/29(日) 12:26
-
唐突に自身の中に芽生え始めた感情を持て余し、
その原因とも言える後藤と同じ空間に居ることが耐え難くなった絵里は、へらへらと笑みを
携えたまま鞄を胸に抱えた。へらへら。そんな感じ。多分、いつもの顔だ。
「そいじゃ、エリ、朝ご飯食べてそのまま補習に行きますんで〜。エヘ、エヘへ」
「あ、うん。行ってらっしゃい」
言うが早いか、スカートの裾を翻して絵里は立ち上がった。そうして、文字通り逃げるように
するりと部屋を抜け出した。
不自然に高鳴る鼓動をを鎮めようと深く息を付いて、それからようやく、静まった廊下を滑る
ように歩き出す。ドアは確かに閉めたけれど、何処か後ろから後藤の視線が追い掛けて
来ている気がして、思わず早足になった。
後藤は、変に思わなかっただろうか。
- 153 名前:3. 投稿日:2006/10/29(日) 12:27
-
(参ったなぁ、マイペースが売りのエリなのに)
どきどき、なのかじくじく、なのか。
寝起きから体験してしまった思わぬ心臓の高鳴りは低血圧気味の絵里にはショックが強く、
「苦しい」と感じるのが果たして生理的な現象なのか感情的なものか、平静を欠いた頭では
判断を下すことなど出来なかった。
3階の自室から玄関へと向かいがてら、早足の絵里はれいなの部屋の前に立ち止まった。
(れーな…)
顔を出していこうかとも一瞬思ったが、彼女の部屋からは物音1つしない。まだ寝ているので
あれば、この時間まで熟睡している理由は自分にも起因している。
絵里は1つ、軽い溜息を付いた。無理に起こすこともないか。
れいなが夏休みに入っても残寮しているのは、実家の方で色々と問題があるからだと聞いた。
絵里のように、要領が悪く補習の為、などという情けない事情ではなかった筈だ。
何より、こと絵里の心情に関しては本人の自覚する以上に度々鋭い指摘を口にする親友。
動揺していることを見抜かれ、あまつさえその背景まで言い当てられてしまうのは遠慮したい。
絵里の個人的なゴタゴタなど、今は議論する必要はない ――― というか、正直恥ずかしいと
いうのが本音だった。
何なんだろ、この気持ち。
『石川さんて馬鹿?』
なんて、遠慮なくキツイこと言うし、ほぼ初対面なのに頭、叩いたりしたり。
およそ好意的とは言い難い対応とは裏腹に、後藤の行動や言動の節々に、気遣いは現れていた。
姉を見据える後藤の優しい視線を思い出し、余計な邪推が脳裏を駆け巡る。
- 154 名前:3. 投稿日:2006/10/29(日) 12:27
-
はぁあぁぁぁぁ…
もう一度、溜息ひとつ。
我ながら、朝っぱらから辛気臭いことこの上ない。心の中で愚痴りながら絵里は歩き出した。
途中、未練がましくれいなの部屋を振り返る。漫画とか小説なら、ここでタイミングよく「どうかした?」
なんて颯爽と助っ人が現れてくれたり、するんだけどなぁ。
廊下はシンと静まり返っている。当然、れいなの部屋もまた然り。
「分かってるってば、そんな都合のいい展開…」
ありえない、ぽつりと呟いて、絵里は鞄を小脇に抱え、駆け出した。
- 155 名前:3. 投稿日:2006/10/29(日) 12:28
- ―――――
一方で、後藤は未だ自室で眠りこける梨華の脇に腰を下ろしていた。
おはよう。口には出していないので、無言のまま梨華の寝顔を見つめている形になる。
枕に顔を埋めた梨華は、ゆっくりとだが規則正しい呼吸音を漏らしていた。
一先ず、安心だ。
珍しく眠りの浅かった後藤は、夜半に梨華が魘されているのに気付いていた。
だからといって安易に起こしてやるのも気が引けて、耳を澄ませたまま二段ベッドの上階から
様子を伺っていたところ、明け方近くになってようやく梨華は深い眠りに落ちたようだった。
後藤が仮眠に近い休息を得たのも、同じ頃だ。
正直、眠気に祟られているのは事実だったけれど、
その誘惑に負けて今日一日のスケジュールを変更してしまう訳にはいかなかった。
もうちょっと、この穏やかな寝顔を見守っててもいいんだけどな、
昨夜出会ってからは困っているか悲しんでいるか泣いているか、の表情しかほとんど目にして
いない後藤にとって、無防備に眠る梨華の寝顔は価値あるものに見えた、
や、ちょっと待て、ごとー今すごく変態っぽくないか?
はっと我に返って、後藤は1人軽く赤面しながらそろそろと静かに立ち上がった。
―― 余計な感情を持ったら、冷静な目で物事を判断できなくなる。大事なことを見誤る。
自身に言い聞かせるように心中で唱えて、頭を軽く振った。
出掛ける準備をしがてら、後藤は再び梨華に視線を向けた。
変わらぬ体勢で、彼女は相変わらず深い眠りの中にいる。体が柔らかな緑に包まれていた。
大丈夫だよ。
おそらく、直接口にして伝えることなど出来ないだろうから、後藤は胸の内だけで呟いた。
絶対、守ってみせるから。
- 156 名前:3. 投稿日:2006/10/29(日) 12:28
-
梨華を包む落ち着いた深緑の色彩は変わらなかった。
うん、大丈夫だ。彼女は間違いなく安眠している。悪夢に悩まされていることもないだろう。
表情にも呼吸にも、苦痛を表す要素は一切現れていない。
―――――
怯えた表情の梨華の姿が、不意に目の前に蘇った。
泣き出しそうな潤んだ瞳。
色を失った頬。
乾いた唇。
――― 後藤さん、もしかして最初から気付いてた?
――― あたしが…ストーカーで悩んでるってこと
全身を震わせていた梨華の姿は、痛々しかった。おそらく、彼女を包んでいたのは絶望。
真夏だというのに、妙に彼女の周りだけ空気がひんやり冷えていたのを覚えている。
絶望に、色はない。
少なくとも、後藤真希が経験してきた限りでは。
「そろそろ行くかな…」
チラリと壁掛け時計を見上げ、誰に言うでもなく呟く。
ドアに向かい足を踏み出し掛けた後藤は、ふと立ち止まった。
一瞬、考えを巡らすように視線を宙に馳せてから、すぐに携帯電話を取り出した。ごく短い
文面のメールを打ち込むと同時に送信、完了。
振り返らずに、後藤はそのまま部屋を出た。1日は長いようで、短い。限られた時間は、
有効に使うべきだ。
- 157 名前:3. 投稿日:2006/10/29(日) 12:29
-
ほんの数分前、絵里が逡巡を抱えて通った廊下を後藤は早足で通り抜けていく。
「うっわ…」
こりゃシンドイ。
玄関から出ると同時に、うんざりするような熱気と太陽の強い日差しが照りつけた。文句を言う
相手もいないし、大体それは筋違いの腹立たしさだ。仕方ない、夏なのだから。
当然の結論を下し、萎えそうになる気持ちを奮い立たせて後藤は歩き出した。
本当は分かっている。
気持ちが折れそうになる原因は、真夏の容赦ない暑さでもなければ、梨華が ―――
ひいては自分が巻き込まれた事件の先行きが混迷していることでもない。
今、自分を包む空気は何色だろうか?
苦笑して、後藤は眉間に皺を寄せる。どうしても、尻込みする気持ちは抑えられない。
“真希ちゃん”
明るい声で自分の名を呼ぶ、無邪気な少女の笑顔が脳裏にちらついた。
どんな酷い言葉で詰られるより、指を突きつけられて非難されるより、少女の残酷なまでに
無垢な態度は後藤の心を深く抉った。
それでも、向き合わなければならない現実がある。逃げるという選択肢はとっくに捨てた。
贖罪、という言葉が頭に浮かぶ。
(しっかりしろ、後藤真希!)
自分自身を叱咤するのに、そうそう豊富なボキャブラリーは存在しない。
陳腐な言葉を念じ、陰鬱な気持ちを振り切るように空を振り仰いだ。雲ひとつない青は、
鮮やか過ぎて目に痛いくらいだった。
- 158 名前:3. 投稿日:2006/10/29(日) 12:30
-
遠くで、ピーと笛の音が響く。
夏休み中でも、活動熱心な運動部はせっせと練習に励んでいる。視界に入る広いグラウンド、
あの中にはサッカー部に所属する吉澤や辻もいる筈だ。
お節介で、友達思いな彼女達。
ふざけた態度の端々に滲ませた、後藤を微妙に気遣った風の吉澤の視線を思い出した。
まだまだ、自分は彼女の庇護対象からは外れていないようだ。それが少し不本意でもあり、
逆に安息を齎した。一人で抱えるには、聊か重過ぎる過去に。
「眠れなさそう?」各々が部屋に戻る時、目立たぬようさり気なさを装って、吉澤が囁いた。
彼女が何を考え、それを口にしたのか分からない程呑気でも鈍くもないつもりだ。
「別に」と呟いた自分の回答に、そっと吉澤は安堵の息を漏らした。
そんなに心配しなくっても平気だって…目で訴えると、聡い彼女はそれで得心したらしかった。
大人しく部屋に戻っていった吉澤の言葉通り、しばらく寝付けなかったことは勿論、馬鹿正直に
伝える気にはなれないけれど。
校庭に、土埃が舞っている。
タフだよなぁ、よっすぃも辻ちゃんも。
汗だくで駆けずり回る少女達を遠目に認め、湧き上がる感情を振り切るように再び歩き出す。
認めたくはないけれど、後藤の胸中に浮かんだ想いは確かに「羨望」に違いなかった。
- 159 名前:3. 投稿日:2006/10/29(日) 12:31
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◆◆
- 160 名前:3. 投稿日:2006/10/29(日) 12:31
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鼻梁の脇を、汗が伝う。
Tシャツの裾で拭っても次から次へと噴出す大量の汗は、何も真夏の日中という暑さを
差し引いても尋常ではなかった。朝陽学園サッカー部は今、午前中の半分の練習を終えて
短い休憩時間にある。不思議なもので、激しく動いている合間よりも立ち止まってしまってから
の方が何倍も疲労に襲われるのだ。
ぐびぐびと喉を鳴らしてスポーツドリンクを流し込む。
吸収されることなく、採った水分がそのまま汗となって体中から発散しているようだ。
「うぁー、あっちー」
引っ切り無しに汗を拭い、ぼやきながらも再びペットボトルに口をつけた。
吉澤ひとみと辻希美は、サッカー部に所属している。勿論、幽霊部員などではなくチーム随一
の戦力として、だ。去年までは吉澤がキャプテンを務めており、本来ならばそのまま問題なく
彼女は卒業していた筈なのだが、諸々の事情により留年した結果、部員として残留している。
因みに、キャプテンの肩書きを継続することは断固拒否した為、現在の部長は辻だった。
ずば抜けた反射神経と動物的勘に優れ、何が何でもボールに食らいついてみせる根性は、
キーパーという絶対要の守備頭として申し分のない辻だ。但し、忘れっぽかったり後先考えない
ゲーム采配などに関してはまだまだ不安が残る ――― と吉澤は思っている。
(まぁ、辻のカラーが出てるよな、このチーム)
形式ばかりの顧問はいるが、所謂コーチとなる存在が居らず、核となる人物が存在しない。
そんな中、部員を率先して引っ張ってきたのは歴代キャプテン達だった。
幼さが残る現キャプテンは年功序列というものをあまり気にしない。
気さくで底抜けに明るい馬鹿気質を持った辻の影響か、朝陽学園サッカー部の団結力は
県下の強豪と比べても引けを取らないだろう。
と、これも吉澤の個人的な見解だ。
- 161 名前:3. 投稿日:2006/10/29(日) 12:32
-
その辻希美は、休憩の合図を出すと同時に大の字でグラウンドに寝転んでいた。
仰向けなのに、何故か鼻の頭に泥がついている。燦々と降り注ぐ太陽光の元だ、あれでは
今日の夜には一段と日焼けしてしまうに違いない。
元々色素が薄く、日焼けしにくい吉澤は木陰に入って一息ついた。
だから、気が付いた。その人影に。
(誰だ、あれ?)
大きな瞳を細めて、吉澤は人影にじっと視線を差し向けた。
校庭をぐるりと被い囲む金網のフェンス越しに、細身の人物がひっそりと佇んでいるのだ。
何度か目を瞬いて、もう一度目を凝らす。おかしいな?吉澤は、眉根を寄せて目を擦った。
――― なんか、ウチの方を見てるみたい
人影をもう一度眺めた。肩下まで伸ばした髪は、日差しを浴びて明るいブラウンを纏っている。
全体的に華奢に見える立ち居姿からほぼ間違いなく、女性であると判断できた。
いや、そんなことより。
「あのさぁー」
ペットボトルに口をつけ、最後の一口分のドリンクを飲み干してから、吉澤は同じ木陰で
腰を下ろしていた年下の部員に声を掛けた。
「はい?どうしたんですか吉澤さん」
「あの人」
「え?」
流石に指を差す真似は出来ず、くっと顎をしゃくってフェンスの方へ後輩の視線を促した。
不可解とまでは言えずとも、気になるのは確かだ。
「誰だと思う?」
「……さぁ…見たこと、ないですよね。誰だろ」
案の定、吉澤が抱いたのと同じ感想を吐いて、後輩は再び意味ありげに立ち尽くす女性
へと視線を走らせた。じりじりと照りつける日差しの向こう。
- 162 名前:3. 投稿日:2006/10/29(日) 12:32
-
「でもあの人、こっち見てますよねぇ」
「だろぉ?」
校庭内では、ソフトボール部や陸上部など他の部も練習に励んでいる。朝陽学園がモットー
として掲げるのは「文武両道」。当然、部活動も盛んだった。
そんな中、フェンス越しの女性が興味を向けているのは明らかにサッカー部の陣地だ。
「もしかして、吉澤さんのファンじゃないですかぁ?」ふざけた口調で後輩が肩を叩く。
思いの外強い力だったので、吉澤は僅かに顔を顰めた。
「いや、最初はウチもそう思ったんだけどさー」
いけしゃあしゃあと返すのは、決してそれが誇張ではないからだった。顔も良く選手として
完成度も高く人当たりも良く、………とくれば学校内外にファンが増えるのも納得だ。
だからこそ、自分に好意的な感情を抱く者とそうでない者との温度差は、肌で感じることが
出来る。フェンス越しに佇む細身の女性は、どうも後者の様に思えた。
…どうすっかな、
別にそこに立ってるだけで、こっちから声掛けに行くとナンパみたいだし、
(それに少し、視線がちくちくと針の様に刺さる気がするのだ)、
もう少しで、休憩が空けてしまうし。そうなったらおそらく、人影のことなど頭から吹き飛ぶ。
「吉澤さん、吉澤さん」
「え?」
顎に手を当てて思案していた吉澤は、揺さぶられてハッと我に返った。
「なんか、あの人呼んでるみたいですけど」
「マジ?」
- 163 名前:3. 投稿日:2006/10/29(日) 12:32
-
目を凝らすと、女性の人影はゆらっと腕を動かし、真っ直ぐ吉澤を指差していた。
きょとんと首を傾げ、唖然とする吉澤の前で今度は掌を前後にひらひらと振る。こい、こい。
恋、な訳ないし(愛の告白ならその方がありがたいんだけど)、
鯉、なんて意味分からないし(まさか一緒に鯉料理でも?んな訳ない)、
濃い、ってどちらかというとよしざーは薄い方だ(何がだと言われると分からないが)、
うん、つまり彼女は「来い」と言っている。そう捉えてよろしいでしょう、はい。
えー、マジっすかぁ?
思わずにへら、と頬が緩む。遠目ではっきりとは断言できないけれど、あのシルエットは美人だ、
確実に美人サンだ。いやいやお姉さん、人を指差しちゃーいけないっすよお。
「うーん仕方ないなぁ、呼ばれたんなら行かなきゃだよねぇ」
「練習、もうすぐ再開しますよ?」
「テキトーに言っといて」
「自分で言ってくださいよ、それに吉澤さん、思いっきり顔ニヤけてますけど」
後輩の非難めいた声が背中から追い掛けてきたが、吉澤のダッシュ力には敵わない。
再び汗が流れ落ちるのも気にせず、女性の方向へ猛突進。女好きで美人に弱いのは自他共に
認める特質で、その吉澤が華奢な女性に手招きされて無視など出来よう筈もない。
条件反射で駆け出した吉澤は、人影が近付くにつれて予感が確信に変わった。
緩くパーマがかった髪の中、驚く程小さい顔に形の良いパーツが配置されている。
気が強そうに少し釣り上がった目も、微妙に不機嫌そうに引き結んだ唇も絶妙だ。見れば見る程
好みな感じ。表情を引き締めようと試みるも、シシっと忍び笑いが漏れるのはどうしよもない。
たたたたっと軽い足音と共に、吉澤はみるみるうちに女性との距離を縮めた。
うん、恰好良く登場、の演出には問題なしじゃね?
- 164 名前:3. 投稿日:2006/10/29(日) 12:33
-
なるべく警戒心を抱かせない様にニッコリ、爽やかな笑顔で(この場合、流れる汗もスポーツマン
チックで効果的なんじゃないだろうか?)、小さく会釈を1つ。
「どうも ――― 」と口を開き掛けたところで、相手がいきなりの先制パンチ。
「あんた、吉澤ひとみでしょ?」
あれ、何かちょっと棘ない?と若干怯んだその隙に、女性は更に右ストレートを繰り出す。
「なんつーか噂通り、キザったらしいのね」
「は!?」
アイタタタタ、登場方法、間違えたか?焦る気持ちに被さって、吉澤はあはは、と引き攣った笑い
を浮かべて立ち尽くす。「まぁ、どうでもいいけど」彼女は付け加えて視線を逸らした。
どうでもいい!?どうでもいいって!!なら言うな!
憤然といきり立った思いそのままに怒鳴り返したいのをぐっと堪え、(女性には優しく寛大に
笑顔を絶やさず、これ大切)吉澤は相手の顔を具に観察した。
見れば見るほど美人だ ――― じゃなくて、あれ、この顔、どこかで?
ふと思い立って、吉澤はフェンス越しに顔を近付けた。
「ちょ、何、あんまりジロジロ見ないでよ」
接近された分だけきっかり身体を引いて、女性は今度はあからさまに攻撃的に言い放った。
いや、そんなに敵意剥き出しにされても、と弁明もせず吉澤は無言でひたすら彼女を見据える。
(おかしいな、つい最近?…見た気が、するんだけど)
「そんな見られると気持ち悪いんだけど」
「き、気持ち悪い!?」
「だから、キモい」
「省略しなくていいしッ!」
流石に抗議の意を含ませて、吉澤が声を荒げた。気持ち悪い、気持ち悪いって!?
言うに事欠いて気持ち悪い!朝陽学園のプリンスとも呼ばれるよしざーに向かって!!
(誰がそんなセンスもクソもないネーミングで呼んでいるのかは、御想像にお任せしよう)
- 165 名前:3. 投稿日:2006/10/29(日) 12:34
-
大体呼びつけたのはそっちが先なんじゃないですか、ご用件は?
などと冷静にやり返せる精神状態は崩壊した。女にモテる、と幼少の頃から自覚して育った
吉澤だけに、これほど一方的に(それも初対面の相手に)やり込められる経験は皆無だった。
ああ、そうきますか。
いくら美人だって言っても、売られた喧嘩は買いますよ。
「つうか、いきなり呼びつけといてその態度はなんだよアンタ!表出ろゴルァ!」
「ここもう表じゃない。馬鹿?」
「ば、馬鹿っつったか今!」
「なにもう一度言って欲しいの?馬鹿ねー」
「うっせコラ、こっちは素直に来たんだから要件話せや!」
「どこのチンピラだっての、それ。大体そっちが下心見え見えの顔で近付いて来るのが悪い」
「なっ…!」
バレてたのか、畜生。
それもこれも条件反射なのだ、
美人を見ると表情が緩む。昔からの癖なのだ、仕方ないじゃないか。
細かに説明すると余計にざっくり切り込まれそうなので、吉澤は思い切り口を屁の字にして黙り
込んだ。言い含められて、グウの音も出ない。
「あのさぁ」
分かり易くしょげ返った吉澤に多少は気を遣ったのか、女性の声が若干穏やかになった。
「本題はこんなこと言いに来たんじゃないんだけど。っていうかアンタ有名じゃん?
女たらしの女子高生って」
「お、女たらしって…」
「違うの?」
「こっちは別にそんなつもりじゃなくて、相手が勝手に寄って来るんですぅー」
急激にムラムラと闘争心が沸いて、吉澤はべえっと舌を出した。
- 166 名前:3. 投稿日:2006/10/29(日) 12:35
-
そんな子供っぽい反応など半眼であっさり流しながら、女性が再び口を開く。
「で、ミキの友達にも泣かされた子がいたからちょっとした仕返しよ」
ふふん、
軽く笑って、彼女は勝ち誇ったような目で吉澤を見据えた。
(ちょっとした、であの口撃かよ!)突っ込みたい気持ちに駆られた吉澤の心中に、何か
引っ掛かるものが芽生えた。
「あれ…?」
「な、なによ」
何だ、何に反応したんだろう自分は今。
「ミキ、さん?」
「……そうだけど」
唐突に勢いを失い、指を差して問い掛けてきた吉澤に女性は遠慮なく気味悪そうな視線を
返す。本来はその態度にまた軽くショックを受けそうなものだけれど、吉澤の脳裏に蘇った
昨夜のやり取りのせいで、女性の反応など気にする暇はなかった。
- 167 名前:3. 投稿日:2006/10/29(日) 12:35
-
“最初にあたしの様子がおかしいって気付いたのが美貴……
その写真の子、藤本美貴っていうんだけど、彼女だったの”
- 168 名前:3. 投稿日:2006/10/29(日) 12:36
-
「あ!!」
天恵のように閃いた。
というか、何故ここに至るまで気が付かなかったんだろう、自分は!?
いくら練習で疲れていたとは言え女性絡みのことではあまりに鈍かった自分自身の頭の
回転の悪さに呆れ、蹴り飛ばしてやりたいような腹立たしさが込み上げる。
「藤本美貴!」
びしっと指を突きつけて、吉澤は断言した。この際、さん付けとか敬称はどうでもいい。
胸を覆っていたもやもやが消えて、さっぱりした顔で晴れ晴れと叫ぶ。
「あーそうだ、すっきりしたぁ! どーっかで見た顔だと思ってたんだよずっと、あーそうだ、そうだ。
藤本美貴だわ、藤本美貴、ミキ、もっさん」
「ちょっと何、人の名前連呼してんの。それより、何で知ってんの」
じろりと迫力のある目付きで凄まれて、吉澤がぎくりと硬直した。
「誰に聞いた?」
鋭く、美貴が詰め寄った。喉に引っ掛っていた小骨が取れたような爽快感のあまり迂闊にも
(年甲斐なく)はしゃいでしまったが、そう言えば、なんて今更。
藤本美貴の正体が割れるということは梨華の言い分もまた、思い出してしまった訳で。
(梨華ちゃん、友達を巻き込みたくないって言ってたんだっけか。しまった!)
まずい、マズイ。
どう言い訳すれば、この場を切り抜けられるんだろう?ハハ、と乾いた笑い声を1つ上げて、
吉澤は釣り目を通り越して既に三角の目で肩を怒らせる「藤本美貴」から一歩、遠退いた。
「いやー、藤本…サン、も、有名なもんでー。
美人な女子大生がいるってことで……あはははは」
美貴は答えない。ただ、挙動不審な吉澤に不審を抱いているのは火を見るより明らかだ。
喋れば喋るほど、墓穴を掘る気がするけれど、何も語らないのも不自然とばかりに、
吉澤が再び口を開こうとするとギロリと一睨みで黙らせられた。
- 169 名前:3. 投稿日:2006/10/29(日) 12:36
-
「この学校に、亀井絵里っているでしょ」
絵里=石川梨華の妹。
つまり、彼女がこんな辺境の学校まで尋ねて来たのは間違いなく梨華ちゃんの為かやっぱり!
再びギクリと跳ねた心臓と動揺を気取られないよう、吉澤は口の端だけで笑った。
「さぁ……生徒、多いですからねぇ、いたようないないような」
「嘘つくと良いことないと思うよ?」
グロスで艶めく美貴の唇が、にっこりと三日月形を描いた。
目が笑っていない所が、余計に怖い。半ば吐き捨てる口調なのも怖さに拍車を掛けている。
「あんた、顔広いんでしょ。呼んできて」
「あの……誰を、でしょうか」
「ぁあ!?」
美貴の整った顔が、歪んだ。これは非情に危険だ、鬼の形相だ。
「もう一度言わせんの?」
「はいはい、分かりましたよ!もう」
ドスの効いた声は、一聞しただけでは可憐な女子大生の発声とは思い難い。
身を乗り出した美貴を前に、吉澤は最早捨て鉢な反応を返した。黙ってにっこり微笑んでれば
文句無しに美人で、そこいらの男共など一瞬で見惚れてしまう魅力の持ち主なのに。
――― 詐欺だ、これは。何でこんなに迫力満点なんだ!
口に出して叫んだら、どんな凄惨な事件が起きるのか予想もつかないので、吉澤は腹の底に
盛大な嘆きを圧し溜める。いやだって、美人だけに凄みが良く効くんだもの。
「あ、それと、アンタさ、何か事情知ってそうだよね?」
イエイエまさか、と慌てて首を横に振ったが、さらりと無視された。
「やっぱ呼んで来なくていいわ、一緒に行くから」
「はいい!?」
空気中に響き渡る様な驚愕の声を上げた吉澤を、美貴はうるさそうに一瞥する。
- 170 名前:3. 投稿日:2006/10/29(日) 12:36
-
「文句ある?」
「イエ別に」
悲しいかな、即答である。
「嬉しいでしょ、こんな美人と一緒に歩けるんだから」
(自分で言うか!?)
言い返すのも馬鹿らしく、喉まで出掛かった言葉は無理矢理飲み込んだ。
この調子で彼女に付き合ったら、消化不良を起こしそうだ。
けれど、自称「美人」だとは随分と傲慢な物言いだが、確かに藤本美貴を“凡人”と称したら
そちらの方にこそ語弊が発声するのは事実だった。
抗うのは諦めて、吉澤はフェンスによじ登る美貴を黙って見ていた。と思ったら、頭上から
「ちょっとそこどいて、」と声が落ちてきた。
慌てて一歩退いた吉澤がふと視線を持ち上げると、デニムのミニスカートを穿いた美貴の
細い足が目の前にあり、更にその先を追っていくと白い下着がちらりと見えた様な見えない様な ――― 瞬間、ひらりと美貴が飛び降りた。
(そもそも、ミニスカートでフェンスによじ登るという時点で普通じゃない、豪胆な気質が伺える)
軽い身のこなしに感心するのと、少しばかり残念に思う気持ちの狭間で、吉澤は複雑な
表情を浮かべていた。
「いいのかなぁ、こんな簡単に部外者入れちゃって」
「いいんじゃない、知人に会いにきたってだけなんだから」
「なら何で正門から入らないんすか」
「警備の人がいるでしょ」
「ホントは駄目だって分かってるんじゃん……」
- 171 名前:3. 投稿日:2006/10/29(日) 12:37
-
限りなく溜息に近い独り言は、幸い美貴には届かなかったようだ。「さ、行くよ」
完全に主導権を握られた状態で、それでも抵抗する程の気力は持ち合わせていなかった。
半ば引き摺られる格好で、吉澤は美貴について歩き出す。
途中、練習を再開した辻と目が合った。
ご、め、ん、れ、ん、しゅ、う、ぬ、け、る
2人にしか通じない合図を身振り手振りで送ると、何が楽しいのか、辻は汗まみれの顔で
白い歯を見せ、目一杯の笑顔を浮かべていた。
長いとはお世辞にも言えない腕で一生懸命に○を作り、
お、っ、け、い、が、ん、ば、っ、て、!
と返してぴょんぴょん跳ねた。「がんばって」、正に吉澤の現状に送る言葉として適切で、
何故辻が激励を寄越したのか思惟する余裕もなく、(おそらく辻のことだから勘、の一言
で済ませてしまえる程度の理由だろう)吉澤は足を速めて美貴に追い縋った。
(ちょっと、悪くないかもしんない)
自分の前を歩く美貴の後姿にぼんやり見とれながら、うっかりそう考えてしまって吉澤は
勝手に慌てていた。いやいや、こんな嘗て無い程自分勝手で強引な女なんて問題外だぞ!
初対面から思い切り喧嘩腰だったんだぞ!…惑わされるな、吉澤ひとみ。
ただし、人間はギャップに弱い生き物だ。
『さ、行くよ』
そう言った美貴の顔に刹那浮かんでいた笑顔に、例え一瞬でも目を奪われてしまったなどと
素直に認めてしまうのは悔しい。
だけど、不意打ちでそんな表情を見せられたらさ。
振り回されている自分を客観的に考えると何だか可笑しくて、吉澤は下を向いて笑う。
「……なによ?」
忍び笑いを聞き付けた美貴が振り向いて、怪訝な顔をした。
乾いて埃っぽい土、グラウンドに降り注ぐ太陽光の元、ちぐはぐな2人組の影は色濃く、
真っ直ぐに校舎へと歩みを進めていく。
- 172 名前:3. 投稿日:2006/10/29(日) 12:37
-
- 173 名前:3. 投稿日:2006/10/29(日) 12:37
-
「今、寮に残っている生徒は通常の半分以下です。終業式には大概が荷物を纏めて
親元に帰っちゃいますからね。残る理由は様々ですけど……」
亀井絵里と後藤真希の二人部屋で、ひそひそを声を潜めて言葉を交わす3人の少女達。
1人は絵里の姉である石川梨華(10分程前に起こされたばかりで、未だ頭がぼんやりしている
ようだ)、そして後藤からメールを送られた田中れいな(やることないなら石川さんの相手しといて、
と強引に指名されたのだった)、そして1人では心許ないと感じたれいなが連れてきた、
桜花館寮長の新垣里沙。
合計、3人。
結論から言えば、れいなが新垣を連れてきたのは正解だった。
口下手な気があり早くからそれを自覚していたれいなよりも、物事を的確に捉え、他人に
指示説明をし慣れている新垣の方が、寮生活の現状を部外者の梨華へ伝える役目は確実に
適任だと言えた。
現に、新垣は順序立てて梨華へ見つからない為の注意事項などを事細かに説明している。
「残寮している生徒の大半は、部活動が忙しい場合ですね。うちの学校、割とスポーツ関連の
活動が盛んなんですよ。吉澤さん、辻さんがこれに該当しますね」
丸い大きな目をぱっちり見開き、梨華の顔を覗き込むようにして新垣が言った。
それが1つ目、と付け加えて目敏い寮長はサンドイッチを手にしたまま梨華が動きを止めている
のを見咎め、
「とりあえずちゃんと朝ご飯は食べてください、体が持ちませんよ」とこれまたハキハキ、促した。
今思い出した風にあ、はいと頷いてサンドイッチに取り掛かる梨華は素直で、場を仕切っている
新垣とは対照的だ。これではどちらが年上なんだか分からない。
時々ぼんやりと覚束ない表情をするのは寝起きだからという理由もあるだろうが、れいなと
してはそれこそ絵里と梨華が姉妹なのだと納得できる要素と思えた。
- 174 名前:3. 投稿日:2006/10/29(日) 12:38
-
(顔は似てんけど可愛い人やけん、やっぱちょっと絵里に似てる…)
卓袱台に頬杖を付き、れいなはジッと梨華の横顔を見つめていた。視線に気付く様子も
無く、梨華はもごもごと口を動かしていた。何だか、リスみたいだ。
レースのカーテン越しに室内へ光が差し込み、蛍光灯を点けなくても部屋は明るい。
自分で持ち込んだアイスカフェオレを啜りながら、明るい部屋で堂々を顔を付きあわせていると
無闇に平和な気分になって、目の前の彼女がストーカーに遭っているなどという陰気な事件が
夢物語のように思えてしまう。
けれど、全てこれらは現実だった。
だからこそれいなは今まで全く無関係に暮らしてきた梨華と出会ったのだし、優等生とまでは
いかないまでもそこそこ無難に、規則正しく生活してきた故接点の少なかった寮長の新垣とも、
こうして同じ部屋で卓袱台を囲む仲にまでなっているのだ。
忘れた訳ではない、れいなとしても。
姉を守ると断言した絵里の力になろうと、自分は決意した。
(遊びなんかやないと、れーな。しっかりせぇ)
掌で、ぱちぱちと頬を叩く。
自身に軽く喝を入れてからゆっくり目を開けると、新垣が「2つ目は」と言って親指に続き
人差し指を折る所だった。
「次に多いのが夏期休暇特別講習に参加する生徒。成績優秀者は学校じゃなく塾の講習に
参加しますからね、うちの学校の場合講習といえば補習。つまり、亀井ちゃんがこれに
該当します。補習の場合は強制的ですから、期間が終わるまでは帰れません」
説明を聞いて、梨華の表情に苦笑いに似たものが走った。
学校に缶詰になってしまった妹を憂えたのか、結果としてそれが自分にとって優位に
働いたことに対する罪悪感の為か。どちらとも取れるし、どちらでもないかもしれない。
- 175 名前:3. 投稿日:2006/10/29(日) 12:38
-
「それから、3つ目です」中指を折ってから、新垣は瞬時、れいなに気遣うような視線を
走らせ、すぐに逸らした。
別に、遠慮することなんてないのに。
れいながそう思ったのを受け取ったのかどうか、言い淀んだことなど無かったかの様に
新垣は相変わらず台本でも読み上げるかの如く、すらすら続けた。演説は、新垣里沙の得意
とする分野だ。
「まぁ、先に挙げた以外の理由ですよね。友達に付き合ってとか、実家が遠いとか、
家に帰りたくないとか、両親が海外赴任中で不在だとか…個々に事情があります。
田中ちゃんとか私とか、それから後藤さんもこのグループです、多分」
「後藤さんも…」
「ちゃんと事情聞いたことないから私の推測ですけどね。聞いてもおそらく、はぐらかして
教えてくれないでしょうし。休みの日なんか、実家に帰ってる訳でもなさそうなのに、時々
ふらっといなくなっちゃうし。学校生活以外の部分、割と謎めいてるんですよあの人」
寮内で、同じ空間に住んでるのに不思議ですよねぇ。
『何処と無く、掴み所がない』
新垣がぽろっと零した言葉を胸の内で復唱する。そして、密かに同意した。
親身になって自分の抱える問題に積極的に介入してきたり、とても頼り甲斐があるように
見えて実際は、彼女こそが深い闇を抱えているのではないかと勘繰ってしまう様な、
影のある表情が見え隠れしていた。
聞いてもおそらく、はぐらかして教えてくれない。
新垣の言い分は尤もで、自分よりも付き合いの長い彼女ですらそう感じるのだから、昨日
会ったばかりの梨華に心を開いて“何か”を打ち明けてくれるなど、想像も出来なかった。
(聞いて、いったいどうするのよ)
ふと、自嘲気味に梨華は自身に問い掛けた。
(後藤さんのことが気になるから、だから事情を教えてください、なんて?)
興味本位の詮索に近い感覚で後藤にそれを尋ねるのはあまりに失礼だし、非常識だ。
自分自身の問題すら解決できず、鬱々と悩み塞ぎこんでしまっているのに、梨華などより
余程強く、逞しそうに見える後藤が人には言えない「悩み」(が果たして存在するのかどうか
も判然としていない訳で、全ては勝手な想像に過ぎないけれど)を自分にだけ打ち明けて
くれたとしても、それで梨華が力になれる保障などない。否、十中八九、無い。
- 176 名前:3. 投稿日:2006/10/29(日) 12:39
-
聞いて、それで自分が足を引っ張るくらいなら最初から耳を塞いでいた方が良い。
それがお互いの為だ。平和な解決策を望むならばそれが1番 ―――――
(それでもあたしは、後藤さんが抱えているものを知りたいと思ってるの?
何で?会ったばかりで、あの人のことなんて何も知りはしないじゃない)
暗闇の中、失意と絶望の底に居た自分を引き上げてくれたのが後藤だから、恩返しをしたい
などと考える心情によく似ているのだろうか。勘違いも甚だしい、自惚れだ。
無論、そんな安直で単純な理由だけでは説明がつかないけれど、ともかく。
ふうっと息を吐いて、梨華は温くなりかけた紙パックのオレンジジュースを啜った。
気持ちを切り替えよう。昨日から、何故か後藤真希のことばかりを考えてしまっている。
問題に直面しているのは梨華で、妹の寮へ逃げ込んだのもそれが発端で、自分はここへ
避暑に来たのでも遊びにやって来たのでも無ければ、色恋沙汰で悩むためでもない
…………
そこまで考えて、梨華はさっと頬に手を当てた。
「色恋沙汰って、何ソレ!?」
きゃーっ、あたしってば何勝手に暴走して変なこと考えてんの?
違う違う違う、あたしは別にそんなつもりで後藤さんのことをあれこれ思ってた訳じゃ…
「あの〜…石川さん?」
「は、はいっ?」
「い、イロコイ……ですか?」
「え、や、あの、はわっ…」
突然甲高い声を上げた梨華に度肝を抜かれた様子で、目を丸くした新垣とれいなの2人が、
腰を引いて揃って口を開けていた。
我に返った梨華の顔が、咄嗟に羞恥に染まる。
- 177 名前:3. 投稿日:2006/10/29(日) 12:39
-
「あ、いえあの今のは何でも……」
別に悪いことをした訳でも特別疚しいことを考えた訳でもないけれど、口に出した単語の意味
を改めて考えるととてつもない恥ずかしさに襲われ、眩暈がした。
何を血迷ったのだか、色恋沙汰なんてはっきり発言してしまう女子大生がどこにいる?
(馬鹿馬鹿ばか、あたしってば何やってるのよもう!)
真っ赤になって慌てふためき、照れる様が可笑しかったのか(可笑しかったのだろう)、
新垣とれいなは顔を見合わせてぷっと吹き出した。しばらく顔を上げられずにいる梨華に、
咳払いを1つした新垣が明るい声で言った。
「とにかくまぁ、ちょっと元気を取り戻したみたいで良かったです。
昨日の石川さん、この世の終わりみたいな顔してましたもん」
「えっ…、そう、かなぁ」
そんなに悲愴な顔をして、自分よりも年下の少女達に囲まれていたのか(今もだけど)。
決まりの悪さから、梨華は肩身の狭い思いで縮こまって俯いた。
「そんなことないと思う…けど」
「いやいやしてましたよ」
もじもじと身体を揺する梨華の挙動を面白そうに眺めながら、れいなは新垣に追従して
「そうそう、真っ暗な顔してました」と続ける。梨華の顔が、僅かに不服そうにしかめっ面を
作った。コロコロと、表情がよく変わる人だ。
絵里だったら、例え動揺してもなかなか笑顔は絶やさない。そうやって、煙に巻いてしまう。
何処と無く和やかな雰囲気になり、笑みを湛えたままの新垣が、正座を崩して座り直した。
右に倣えと言わんばかりに、れいなもまた膝を崩す。ああ、楽チンだ。
そうして、新垣がリラックスした表情で切り出した。
- 178 名前:3. 投稿日:2006/10/29(日) 12:40
-
「じゃぁ、他の寮生に見つからないための方法とか寮内の決まりとかをレクチャーしましょうか。
質問があったら、すぐに言ってくださいね?」
「う、うん。ありがと」
先刻よりも随分硬さの解れた表情で、梨華がこくりと頷いた。
その頬にうっすらと赤みが残っている理由を、この場で取り沙汰するなんて野暮なことは
ひと先ず、止めておいてあげよう。
大学生というのはもっと大人っぽいものだと想っていたけれど、梨華に限ってなのかどうかは
知らないが、一概にそうとも言い切れない様だ。
改めて、冷静に考えるれいなだった。
- 179 名前:3. 投稿日:2006/10/29(日) 12:40
-
――――
絵里はぼんやりと、窓の外を眺めていた。
広々とした校庭を、運動部の生徒たちが所狭しと駆け回っている。
乾き切った校庭の土が白っぽく反射している。眩しさから逃れるようにそっと視線を教室内へ
戻し、遠い目をした絵里はふっと軽い溜息を漏らした。
(いいなぁ、ミンナ。せーしゅんしてる、って感じで)
羨ましさ半分、恨めしさ半分の鬱屈した気持ちでうじうじと考える。
部屋に残してきた姉のこと。
その姉とおそらくは2人きりで居る筈の、同室者の先輩のこと。
(後藤真希が、直後に外出してしまったことなど絵里に知る由も無い)
どうしてか、それを想うと絵里の胸はぎゅっと詰まるように苦しくなった。だから、寮を逃げるように
飛び出して来たその後から今に至るまで、なるべく考えないようにしてきたのに。
ふとした拍子に眠そうな、けれど意思の強そうな瞳を湛えた後藤の顔を思い浮かべてしまう。
余計な感情のせいで美化されているのは確かだけど、
そうだ。ごとーセンパイって普通に格好良かったんだ。それに、頼りになるんだ。
現在自分を支配している曖昧ながら強烈に焦がれるような感情が、一時的な憧れであることを
切に願わずにはいられなかった。仮に絵里の抱いている想いが悪い意味で予想通りだったとして、
何だか色々と、勝ち目が無さそうな予感がするからだ。
誰に?何に?……聞かないで欲しい、そんなこと。
「あーあ…」
(何でエリだけこんなとこで、補習なんて受けてるんだろ)
- 180 名前:3. 投稿日:2006/10/29(日) 12:40
-
答えは簡単。一学期の成績が悪かったからだ。
何故悪かったのか?日頃の努力と帳尻合わせの能力に欠けていたからだ。
後はまぁ、
寮生活なのに寝坊して遅刻したり面倒で部活を1ヶ月で辞めたり教頭先生にぶつかって
鬘を吹っ飛ばしちゃったり……とにかく色々、内申書のプラス査定になるような行動を何一つ、
起こさなかったのだから、仕方ない。
何たることだ!誰に言われるまでもなく自分のせいか!
真剣に考え込むあまり、つまりは自業自得だという真っ当な結論に達し、強烈な
とどめを自身へ突きつけてしまったのだった。
亀井絵里、自爆、撃沈。
(あーバカだぁエリ…だから補習とか受ける羽目になるんだよぉ)
2度目の溜息は、1度目よりも盛大に吐き出された。
眉を寄せて、唇を尖らす。真面目に授業を受ける気にはとてもならないけれど、何となく、
教壇へと目を向けた。
黒板には理解し難い数式や記号が並んでいて、ただでさえ寝不足の絵里にとっては
アフリカ原住民の言語と同じくらい(といったら失礼か)にまるで意味不明の記号が羅列されて
いては、益々眠気が増す一方だ。
あ〜あああああああ。
(これじゃ補習なんて受けてる意味ないしー)
「こりゃ」
真上から男性の声が降ってきたのと、脳天に打撃を受けたのは同時だった。
ばしっと耳の奥に小気味良い音が響き、じぃんと骨まで染み渡る痛みに絵里は思い切り
顔を顰めた。「……いたい」
大分反応が遅れて、搾り出すようにうめいた。
「何すんですかぁ〜」
- 181 名前:3. 投稿日:2006/10/29(日) 12:42
-
情けない顔で見上げれば、教科書を手にした渋面の男性教師の姿。
成る程、さっきの衝撃の正体はエリの不幸の元凶を作った憎き教科書か。いや、別に教科書
自体は悪くない。
悪いのは物覚えが苦手な絵里の頭で、それから分かり易さとか噛み砕いた表現に無縁な
日本の教科書……あ、やっぱ教科書にも原因があるじゃん。
いやいや、そんなことより。
っていうか、先生てば仮にも女の子の頭に向かってなんてことを。
反論しようと口を開き掛けた矢先、それを遮って呆れた口調の教師がぼやいた。
「お前なぁ亀井、いくら補習がつまらんからってそう堂々と溜息何回もつくもんやないぞ。
教師かて人間なんやからな、ナイーブで傷付きやすい心を持っとんのや」
「…はぁ」
演技過剰な言い分に気圧されて、絵里は何となく素直に頷いてしまった。
エセ関西弁のような胡散臭い口調ではあるけれど、
目の前の教師は歴とした大阪出身のバリバリ関西人なのだった。
数学担当の寺田光男(推定35歳、既婚)、学生時代のあだ名を取って、生徒側からは
通称「つんく先生」などと呼ばれている。何故「つんく」なのかは以前授業中に本人が
説明していたことがあったが、興味が無かったのでもう忘れてしまった。
あの生真面目な新垣あたりなら、細かく説明してくれるかもしれないが。
「つんくセンセーがナイーブだとは今の今まで知らぬ存ぜぬだったのでスミマセン」
「謝る気ゼロな謝罪やな?大体言葉の遣い方間違ってんで」
「数学教師が細かいこと気にしないでくださぁい。頭固いですよー」
「一言多いわ」
- 182 名前:3. 投稿日:2006/10/29(日) 12:42
-
苦笑いを1つ零し、寺田は絵里の机を通り過ぎて教壇へ戻っていく。教室内で補習を受ける
のは11人。この少数人数の中何度も溜息をついてれば、それは目立つに違いない。
何だかんだ言っても、関西出身のせいか本人の元来の気質のせいか、会話のテンポが良く
ユーモアに長けた寺田は生徒陣から割とウケは良い。
目尻の垂れた笑顔は影で「エロ親父」と称されることも多いのだけれど、寺田自身は
「男なんてみんなエロや」と軽く受け流しているようだった。
そんな、寺田光男教諭の授業はそれでもやはり、絵里にとっては退屈だ。
内容が理解出来ないので最早これはどうしようもない。学ぶ気がないのだから。
とは言え、姉や後藤に対する正体不明な気持ちを抱えて自分らしく悩むよりは、多分マシだ。
なので、試しに白衣を着た後姿に声を送った。
「センセーも大変ですよねぇ。新婚さんなのに、夏休み初日からいきなり補習とかぁ」
「お、おま亀井っ」
傍目にもはっきり分かるくらい寺田の声が上擦って、一瞬で真っ赤に染まった顔で彼が
素早く振り向いた。他の生徒らから、ひゅーと冷やかしの声が上がる。
引っ掛かった。
にへらと相好を崩して、絵里はしてやったりと言わんばかりの面持ちで照れる教師を見据える。
つまらない授業を長々聞くくらいなら、先生からかって時間潰す方がよっぽど楽しい。
(だから成績がいつまで経っても向上しないのだ、という冷静な指摘には目を瞑ろう)
「奥さん怒ってんじゃないですかー?いいんですかぁ、こんなとこで油売ってて」
「あのなぁ、これは油売っとんのとちゃう、正しく仕事しとんのや。カミさんかてそれが
分からん女やあらへんの。オマエラだって知っとるやないか。からかうな!」
「でも中澤先生の方は、本当はラブラブな時間を過ごしたいと思ってるかもしれないですよ?」
「そうそう、女心は複雑なんですぅー」
「おぉまえらぁ、えー加減にせぇよっ。大体アイツはもう、先生ちゃうやろ」
1人が乗っ掛かれば、あとの生徒は便乗するばかりだ。
寄ってたかって女子高生にうるさく集られ、寺田は顔を赤くしてムキになっている。
- 183 名前:3. 投稿日:2006/10/29(日) 12:43
-
しかし、
凄みも迫力にも欠ける顔は、どう見ても怒っている気配は見受けられなかった。
新婚であるが故、彼も妻に関する話が振られてそう悪い気はしないのだろう。
それに、もう1つ言い訳をするならば生徒側が調子に乗るのも無理はない。
寺田先生の奥さん、と言えば朝陽学園の関係者ならば誰でも知っている人物だったからだ。
「そういえば先生、奥さんのこと何て呼んでるんですかぁ?」
「あー、聞きたぁい」
教師が狼狽すれば、当然付け上がるのは生徒側だ。
1人が言い出したのを皮切りに、矢継ぎ早に一方的な質問攻めが始まる。
「裕子、じゃ普通だしー。裕ちゃん?裕たん?もしかしてゆうこりん?」
「きゃははは、やだー」
「ガッコでは真面目に振る舞って、家に帰ってからはラブラブだったりして!?」
「きれいだよ、ゆうこりん。とか言っちゃったり〜」
「それ、先生のキャラじゃなーい、キモーい」
「お前ら、キモいって…」
寺田教師が発した小さな抗議は誰にも相手にされず、孤軍奮闘にすらならなかった。
団体の少女特有の残酷さが遠慮なしにざっくりと寺田を切り捨てる。
年配の教師が多い中、生徒目線に近い方だと自負しているらしい寺田にしてみたら、
聞き捨てならない軽口だろう。正直に、寂しそうな顔で彼は項垂れた。
ガラリ
前触れもなく引き戸が開かれ、
やいのやいのと教室内が授業から脱線して盛り上がる中、不意打ちで来客は訪れた。
「きゃーっ」
「噂をすればっ!」
「もしかして、愛のパワー!?」
- 184 名前:3. 投稿日:2006/10/29(日) 12:44
-
黄色い声が次々と飛ぶ中、当の来客者である女性は微かに眉を顰めただけで、騒ぎなど
ものともせずに平気な顔で教室内へ侵入した。
生徒たちが色めき立ったのも当然だ。図ったようなタイミングで現れた彼女は、
「なーにをくだらない話で盛り上がってんねん」
「中澤先生!」
わあ、すごい、なんてタイミングの良さ。
懐かしさから浮き足立った声を上げて、絵里は感嘆の眼差しで女性の名前を呼ぶ。
狙っていたとしか思えない素晴らしい登場の仕方だ!
旧姓中澤、現氏名は寺田裕子 ―――― つまり、現在話題に上っていた張本人、寺田教師の
奥方である。6月に挙式したばかりの新婚であるから、「新妻」と表現しても可笑しくないのに
ちっとも新妻らしくないふてぶてしさを存分に発揮していた。
「すごーい、髪がますます金色になってるー」
「亀井、相変わらず観点が微妙に人とズレとんで」
苦笑交じりに絵里に突っ込みながら、裕子は敢えて「中澤先生」と呼ばれたことは特に
気に留める様子もなかった。というより、彼女を「寺田」と新婚の姓で呼ぶ人の方が圧倒的に
少ないだろう。ここ朝陽学園の敷地内においては。
紙袋を手にした裕子は授業中であることなど意に介せず、夫である寺田光男の元まで
ずんずんと歩み寄っていく。
「ほら、忘れもの」白い紙袋を夫に突きつけて、裕子は簡潔な要件を述べた。勝手知ったる
――― ではないけれど、少なくとも彼女にとって朝陽学園はホームグラウンドの感が強いのは
間違いない。その上で、物怖じしない大胆な性格が補習中の教室内へ平気な顔で突貫することを
可能にしている。ようだ。
ちなみに、
今年3月までこの学園の養護教諭として勤めていた(当時)中澤裕子は校内に知り合いも多く、
その勝気で豪快な姉御肌気質は生徒からの信頼も厚く、慕われる立場にあった。
- 185 名前:3. 投稿日:2006/10/29(日) 12:44
- 1年生は彼女の養護教諭時代に直接世話になったことはないけれど、寿退社したその後も
学校行事にちょくちょく顔を出している裕子とは、面識のある生徒が多い。
因みに絵里が初めて顔を合わせたのは確か、4月末の合唱コンクールの時だっただろうか?
年上を年上とも思わない尊大な態度の後藤や吉澤でさえ、裕子に対しては一目置いているようで、
そんな2人を通して些細なやり取りを交わす機会は何度もあった。
「ああ、おーきに。エライ突然やな…」
「なに言うてんの、人が早起きして用意したのに忘れるアンタが悪いんやで。むしろ優しい妻の
行いに感謝して欲しいくらい。こっちかて忙しいんやから、世話やかせんといて」
唐突な展開にどぎまぎしている夫を一方的に叱咤して、裕子はくるりと背を向けた。完全に尻に
敷かれているようだけど、関西弁同士息ピッタリの、なかなか似合いの夫婦だ。
…と、補習など完全にそっちのけの現状に喜ぶ絵里は、勝手に思っていた。
当の中澤、もとい寺田裕子は腕を組み、ぐるりと教室内を見渡した。事情を知らない人間が見れば
睨みを利かせている、と差し替えても問題はないであろう目つきの悪さだ。
「弁当届けるついでによってみたらなんや、随分騒がしいと思ったけど…」
呆れたような表情と視線で、
「情けない亭主を持つと苦労すんで、あんたら。ちゃんと今のうちに男見る目、養っとき」
「生徒の前でなんちゅーこと言うんやオマエは」
「正しいこと教えるのが教師やろ」
新婚なのに酷い言われようだ。寺田が肩を竦めて苦笑いしていることから考えれば、この夫婦
にしてみるとこんな程度の言葉の応酬は日常茶飯事なのかもしれない。
- 186 名前:3. 投稿日:2006/10/29(日) 12:45
-
「あんなぁお前ら、大人になってもこんな風に男をけちょんけちょんに貶すような女になったら
アカンぞ。男は褒めてなんぼや。アホやからな」
「男が阿呆なのに依存はないけど褒めても何も出んのが男やで」
「……オマエ、そんなこと吹聴しておいて後で女子高生にやり込められる亭主の気持ちを
よーく考えみた方がええで。泣くでホンマ」
「あーはいはい」
ほとんど、絵里の口調の二倍近くの早口で関西弁新婚夫婦の会話は進んでいく。
リアル夫婦漫才を目にした感動から、完全に傍観者と化した絵里は呑気におーっと感嘆の
声を上げた。寺田の恨めしげな視線には、完全に気付かない。
一方の裕子は、夫との急ごしらえの漫才(のつもりは本人にはないだろうけれど)に飽きた様で、
髪をかき上げてズバリ、言い捨てた。
「煮るなり焼くなり好きにされたらええわ。捨てられるならちゃんと生ゴミの日にしてな。
じゃ、アタシ帰るから」
ぽかんと口を開けたのは寺田だ。
止めの一言を突きつけた裕子は、反撃も許さずとっとと教室の外へ出て行ってしまった。
取り残され、今のは怒る場面だと寺田が気付いた時にはもう、対象の彼女はそこに居ない。
「………」
「あははははっ」
少女達の笑い声は特有の明るさを放つ。「センセー、呆然としてるー」
同じ補習仲間の他の生徒たちの笑顔に釣られ、絵里も可笑しくなり吹き出した。
- 187 名前:3. 投稿日:2006/10/29(日) 12:45
-
まるで台風一過だ。
あはは、センセイ、あんなに尻に敷かれておっかしーの。
嵐が過ぎ去り呆然と佇む寺田を見て、絵里は思わずクスクス笑った。
それから、平和だなぁとしみじみ感じてしまったことへ、咄嗟に罪悪感に囚われる。
――― 大好きな姉の、泣き出しそうに歪む苦痛の表情を思い出した。
もし、今の呑気な夫婦漫才を見たら、梨華ねーちゃんも普通に笑ってくれるのかな。エリに
気を遣ってじゃなくって、お腹の底から笑えるのかな?
……………
(平和、なんかじゃないよね…)
途端に明るい笑顔は塞ぎこみ、絵里はしばらく神妙な顔つきで、黙り込んだ。
- 188 名前: 投稿日:2006/10/29(日) 12:45
- ◆
- 189 名前: 投稿日:2006/10/29(日) 12:46
- ◆
- 190 名前:3. 投稿日:2006/10/29(日) 12:46
-
静寂。
長い廊下。
リノリウムの灰色の床。白い壁。白いドア。微かに漂う、消毒薬の匂い。
ぎゅ、ぎゅ、と湿った音を立てるのは、底がゴム製のスニーカーを履いているからだ。
遠くから……おそらくは、屋外の庭からだろう、子供のはしゃぎ声が耳に届いた。
音らしい音は、その2つだけだ。付近を歩く人影もない。そういう時間帯を狙って、後藤は
いつもここへやって来る。姿を隠すようにして、目立たぬように。
- 191 名前:3. 投稿日:2006/10/29(日) 12:47
-
ドアの前に立つと、いつもの微かな緊張感が指先から全身へ走り抜けた。
躊躇ってから、断続的に短い溜息を吐き出して、後藤真希は目の前のドアに拳を掲げた。
コン、コン
ノックは2度。返事を待たずに引き戸に手を掛ける。
大した抵抗もなく、するするとドアは簡単に開き、室内へと後藤を誘った。
何度訪れても、この瞬間が1番緊張するのだ。
慣れることはないだろう ――― この先何年経っても、年齢を重ねても。今のこの状態に
変化がないのならば、おそらく半永久的にでも。
室内の簡易な装飾品もまた、廊下のそれに続き白っぽい色で統一されていた。
電気は点いていないけれど、窓枠から差し込む光と室内の白い色調が、実際の光明の度合
よりも部屋を明るく見せていた。
するすると開けたドアを、静かに後ろ手で閉める。
カツン、と木を打ちつけたような音が鳴った。
開け放された窓から流れ込む柔らかい風が、白いレースのカーテンを優しく揺らしている。
静かな室内に、人影は1つだけ。
窓際に置かれたベッドの上に、上半身を起こした少女がぽつんと座していた。
所在無さ気に宙を彷徨っていた視線が、ドアに佇む人物、即ち後藤自身へと向けられた。
「あっ」
目が合うと、少女は急いで上半身ごとドアの方向へ向き直り、それからぱっと花開くような
表情を浮かべた。白い頬に、赤みが差す。
形の良いぷっくりと膨らんだ唇が嬉しそうに綻び、
潤んで見える大きな瞳を細めた。つまり全身全霊で、彼女は邪気無く笑う。
- 192 名前:3. 投稿日:2006/10/29(日) 12:47
-
「真希ちゃん!」
「久しぶり。元気だった?」
「くふふふふっ」
ちんまりと腰掛けたまま、亜弥と呼ばれた少女は幼児のように手をばたつかせて
後藤がベッド脇まで歩み寄ってくるのを喜びを顕に、待っていた。
色身の少ない部屋の中で、更に存在感を主張するようにベッド上で彼女の姿はぼんやり
白く光を帯びている。彼女が纏うのは、無垢だ。
絵に描いたような純真な姿に、後藤はいつも戸惑った。
自分が許されているようであり、とてつもなく重荷を背負わされている気分にもなる。
しかし、目の前で屈託なく笑う少女にその責任があろう筈もない。
悪いのは………
「はい、おみやげ」
手にした小さな箱を掲げると、少女の目はより一層細められた。血色の良い頬は桜色に
染まっており、色素が薄い猫っ毛の髪はさらさらと、少女が身体を揺らす度に肩の上で
無造作に踊っていた。10人いれば9人は美少女だと褒め称えるような、可愛らしい容貌の
持ち主だった。尤も、当人はそれを全く自覚している気配はない。
「わぁい!」
箱を受け取った少女は、華やいだ声で目を輝かせた。「ケーキだ、ケーキ♪」
(こんなことをして、何の罪滅ぼしになるというんだろう)
「1つずつだよ、亜弥ちゃん。慌てて全部食べちゃだめだからね」
後藤の言葉に分かった、と素直に答えながら少女は早速箱を開封し、一つ目のケーキに
被り付いていた。苺のショートケーキ。口の周りに生クリームをたっぷりつけながら、
幸せそうに微笑む彼女の顔を見て、それ以上何が言えるだろう。
ハンカチを取り出して、後藤は少女の口元を拭ってやった。されるがままになりながら、
食べ掛けのケーキを大事に手の中に抱えて、少女は不思議そうな目で、後藤を見上げた。
「真希ちゃん、泣きそうなの?」
「え?」
- 193 名前:3. 投稿日:2006/10/29(日) 12:48
-
酷く心配そうな心許ない声に、内心の動揺を抑え後藤はまさか、と笑って首を振った。
追及するつもりはないらしく、彼女はふうんと呟き、安心した様に再びケーキに取り掛かる。
打ち明けられる筈もない。
少女に、まさか本当に泣きたいんだ、などと言える訳がなかった。
かつてのキミと同じような境遇に置かれた人を、同じような目に遭わせたくないんだ、などと。
助けたいと思ってるんだ、―――――
そんな身勝手な思いを彼女に、伝えられる訳がなかった。
- 194 名前: 投稿日:2006/10/29(日) 12:48
-
- 195 名前:名無し猿 投稿日:2006/10/29(日) 12:49
- 夏にスレ立てし、もう冬が来ようとしています…まだ3回目の更新なのになぁ。
筆が遅いことに理由らしい理由もありませんが、とにかく区切りの良いところまでは
書き上げてから載せていこうと思っていますので、時々思い出した頃にでも読んで
いただければ光栄です。
たくさんのレス、ありがとうございます。何よりの糧になります!
>>133 Liarさん
うわあ〜!本当に更新した直後だ!w あまり読み易い文章ではないし分かり
にくい所も多々あると思いますが、すぐに取り掛かってくれてありがとうございます。
1番楽しみにしてるなんて恐れ多い……でも最後までお付き合い、よろしくです^^
>>134 名無し飼育さん
初レスっすか!ありがとうございます!!続きを気にしてくれていたということで、
初回だけでなく2回目も読みに来ていただけたことが本当に嬉しいです。
応援ありがたく受け取らせていただきます。ぜひ、またお立ち寄りくださいね。
>>135 名無し飼育さん
段々と更新量は減っているんですが、読んでくださってありがとうございます。
前作も読んでいてくれていたようで嬉しいです!よしごまコンビは会話が発展し易い
ので書いてて楽なんですよね。今回新キャラも出ましたが、どうでしたでしょうか??
>>136 名無し飼育さん
応援ありがとうございます!話に引き込まれてくれてますか、作者の思惑にはまって
くださって喜ばしい限りですwただ如何せん、更新が遅いものでまだ付いてきてくださるか
どうか…。願わくば今回の更新も目を通していただけますよう。
>>137 名無し飼育さん
れいなの描写に関しては1番不安が残るところなんです。可愛く思ってくだったようで、
物凄く安心しております;;登場キャラはアンリアルという気楽さから、テレビで見る印象を
かなり誇張して書いてます。前回名前だけだったあの人が登場しましたが、こんな感じも
アリでしょうかね?
- 196 名前:名無し猿 投稿日:2006/10/29(日) 12:49
- >>138 名無し飼育さん
ありがとうございます!ご期待に答えて(?)またまた新キャラが出ました。
収拾がつかないなんてことにならないよう、無い頭を捻って考えながら書いてます;
本当にマターリ進めていますが、どうぞ飽きないうちにまたお越しください!待ってます。
>>139 名無し飼育さん
作者の嗜好がバレそうですが、よしごまの2人は「男っぽい」友情が成り立ちそうだなと。
ですが、あまり考えずに書いていると二人の会話がひたすら延々と続いてしまうこともあり、
よくバッサリ削除してますw気に入っていただけたなら本当にありがたいです!
>>140 名無し飼育さん
ありがとうございます!今回で更にまた、登場人物が増えましたw
続きが楽しみと思われているうちに更新できたのかが心配です。どうぞまた軽い気持ちで
読みにきていただければ幸いです。
>>141 名無し飼育さん
ありがとうございます!前回からまたあちこちに話が飛び火してますが、どうでしょう?
ごちゃごちゃしてきまして、読みづらいかとは思いますけれど、こちらも読みに来て
いただけるのを待ってまーす^^
>>142 名無し飼育さん
ありがとうございます、まことにお待たせいたしました。
更新に気付いていていただければ良いですが…
のんびり待っていてくださる温かい読者様のご好意に甘えて相変わらずマイペースに書いている
不精者の作者ですが、見放されないよう続けていきたいと思っています。
前作よりも登場人物がかなり多いですが、なるべく1人1人に少しずつスポットを当てては
いきたいなと思いつつ書き進めていますので、どうぞよろしくお願いします!
- 197 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/10/29(日) 13:13
- 大量更新お疲れ様です!!
前回といい今回といい更新直後に読めて幸せですw
作者さんのマイペースなところも全部魅力ですよ!
気長に待ってますのでまったり書いてください!!
- 198 名前:Liar 投稿日:2006/10/29(日) 14:03
- キター!!
待ってました!
もう、嬉し泣きしちゃいそうです。
思わず声をあげて「更新キター!」って叫んでる自分がいました(笑
そんぐらい大好きな小説です。
いつまでもゆっくりまってますんで。
- 199 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/10/29(日) 17:26
- 前回名前だけだったあの人は雰囲気そのまんまですね
しかも存在感ありすぎww
これからどう話が転がっていくのか、今からワクワクです
- 200 名前:流れ読者 投稿日:2006/10/29(日) 22:36
- やばい。相当おもしろいです
初登場の美少女に何かありそうですね。続きが待ちきれないよ〜
- 201 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/10/30(月) 00:04
- ごゆっくり、ごゆっくり!最後まで必ず読ませて頂きますよ!
更新ありがとうございました。
- 202 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/10/30(月) 00:44
- 更新お疲れ様です。
今までの中で自分的にはある意味一番のツボです。まさかこの2人がこんな関係で登場するとは…!
漫才、ウケました!是非、彼女にはまた登場して頂きたいものです。
- 203 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/10/30(月) 20:09
- うまい感想が書けませんが、猿さんの書くメンバー達はみんな生き生きしてて好きです
次回の更新はとても楽しみですが、猿さんのペースでがんばってください!
いつも大量更新乙です
- 204 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/11/18(土) 18:40
- 続きが気になってドキドキワクワクしてます
マイペースで頑張って下さい
楽しみにしてます
- 205 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/12/24(日) 14:59
- 続き楽しみにしてますね
- 206 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/01/30(火) 23:17
- まだまだ待ってますよ
- 207 名前:名無し飼育さん 投稿日:2007/02/25(日) 21:30
- 作者さん帰ってきて下さい。
待ってます。
- 208 名前:名無し飼育さん 投稿日:2007/03/16(金) 13:54
- 保全
- 209 名前:名無し読者 投稿日:2007/04/07(土) 19:35
- 帰ってきて下さい〜
- 210 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/04/08(日) 02:08
- まったり待とうぜヽ(´ー`)ノ
- 211 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/04/11(水) 16:50
- 続きが気になるところですよね。
ま、ここまで待ってるんでもう少し気長に待ちましょ。
- 212 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/04/27(金) 14:34
- えっと初めまして
小説を読ませていただきました。
最初は苦手な話かなと思いつつ、取りあえずは一通り読ませていただきました。
そして、はまってしまいました。物凄く面白いです。
キャラの扱い方について、珍しいと言えば珍しい感じが自分の中で
しましたがただ、それが違和感のない感じでイメージがつきやすかったです。
また、自分も小説を書こうとしてたので表現の仕方とか物凄く参考になりました。
ただ、一つだけ不満があったので書かせていただきます。
それは更新についてです。
更新間隔が長くなるのは内容や更新量を見てれば、仕方が無いと思うんですが
今回みたいに長く間隔が空いた状態で音沙汰が無いと正直、不安になります。
ですので、せめて小説の生存報告だけでもと思って書かせていただきました。
今後も楽しみにしてますので頑張って下さい。
最後にいきなりこんな書き込みをした事について謝ります。
- 213 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/04/30(月) 11:59
- 作者さんがモチベーション維持ができてるかが心配だ。
無理だと思ったら放棄宣言だけはお願いします。
- 214 名前: 投稿日:2007/05/03(木) 21:22
-
4,日常と少し違う日常は、過ぎる。
- 215 名前:4. 投稿日:2007/05/03(木) 21:23
-
『っていうか1つ意見したいんだけどいやいや強硬に主張するつもりはないよホント、
だけどちょっと聞いて欲しいんですよねやっぱりマズイと思うんすよ校舎内に堂々と
入ってくとかってのは。…………ほらだって、あのさ、やっぱさ、なんつーかさ、』
(と、ここで言いたいことがあるならハッキリ言えと頭ごなしに一喝された為、仕方なしに
腹を括った吉澤ひとみは、唇を一舐めしてから切り出した)
『つまりですね、
夏休み中ったって、教師だって何人いるか分かんないんだし、ただでさえヨシザワって
校内じゃー上級の問題児扱いされて目ーつけられてるし、
…で、もし仮に誰かに見つかったとして、とばっちりで迷惑受けるのはそっちの方だし
それは不本意でしょアナタも。違います?違わないっすよねそーですよねハイ絶対、
だからここは1つ、亀ちゃんの補習が終わるまで大人しく待つってことで………
っていうか、ホントお願いしますそこは譲れないっすマジで』
腕組みをし、白い目で見据えられながらの演説は、冷や汗と共に幕を閉じた。
ち、と軽く舌打ち(分からないようにやってくれればいいものを、目の前で微塵の遠慮もなく
かましてくれるのだ)しつつ、あからさまに機嫌の悪さを表に出されたら、そう図太い神経の
持ち主ではない吉澤としては萎縮する他ない訳で。
それでも、天は我を見捨てなかった!
ああ、神様ありがとう。
切々と訴えたことが功を奏したのか、藤本美貴は渋々の体で朝陽学園の校舎内への侵入を
諦めたようだった。放っておけば自分が部外者である立場など頭の中から綺麗さっぱり消し去り、
勢いのままに突進していくであろう彼女を止めるのは、並大抵の勇気では務まらない。
とりあえずはこの中庭で待とう、亀ちゃんが補習を終えて寮へ帰るとなればこの渡り廊下を
通る筈だからさ、
…と自分の提案を受け入れた(らしい、無言で睨みつけられたので彼女の本心は推して知るべし、
だけれど)美貴を、自分の体で覆い隠すようにして手頃な木の下へ座り込む。
スカートであるのに、躊躇せずに地べたに直接ぺたりと腰を下ろした美貴を見て、何となく吉澤は
溜息を吐き掛けて、慌てて気付かれないよう飲み込んだ。
- 216 名前:4. 投稿日:2007/05/03(木) 21:24
-
一昔前の典型的な不良さながら、校舎裏の木陰で仲良く肩を並べる吉澤と美貴の2人、
傍から見れば美少女同士の絵になる組み合わせと言えなくもない。
……が、
(せめて、ほんの少しでも愛嬌覗かせてくれたらな〜…)
漂う空気は決して安穏としたものとは言い難かった。
元来短気らしい美貴は、真夏で且つただでさえ日差しの厳しいこの時間に待たざるを得ない
状況に苛立ちを隠せないようで、先刻から眉間の間にくっきりと一筋の皺が刻まれている。
美貴と出会ってから僅かな時間しか一緒に過ごしていないが、その彼女が浮かべる表情の
殆どが不機嫌な顔なのだから、気詰まりに思うのは至極当然な感情に違いない。
けれど、ほんの刹那、美貴の表情を掠った笑みのような表情が脳裏をちらついている。
もう一度、その顔を見たい。だから、吉澤はこの横暴な彼女に逆らうこともなく一緒に付き従って
いるのだ ―――― などと言ったら、少々大袈裟に過ぎる表現かもしれないけれど。
ともあれ、
何となく間が持たないようで、逆に微妙な居心地の悪さを楽しんでいる自分も居て、
呑気な心構えの傍ら、吉澤はふと思いついて田中れいなへとメールを打った。
ぽちぽちぽちぽち
片手の早打ちで簡単な呼び出しメールを送信しがてら、何気なく美貴の様子を伺う。
(相変わらず、……とゆうかコワイ顔してるなぁもう)
腕を組み、無造作に木の幹へ寄り掛ってる彼女は、固い表情ではあるが、端整な顔立ちが
否が応にも目に焼きつく。特にすることもないので、吉澤は美貴が気付かないのを良い事に、
密かにその横顔を観察し続けていた。
ふと、美貴は目の前に手を翳しながら空を振り仰いだ。
(確かに、美人なんだよ。美人なんだけど)
- 217 名前:4. 投稿日:2007/05/03(木) 21:24
-
顔の造作が整っており、スレンダーな体型を持ち(残念ながら胸の膨らみは吉澤と同程度の
ささやかなものだけれど、あくまで目測だが)、
外見的な部分は申し分ない女性であることに異論はない。
けれど、藤本美貴の場合、
風貌・態度それぞれに気の強さが必要以上に押し出されてしまっている気がするのだ。
アイドルじゃあるまいし、常にニコニコ無駄に微笑んでいるのが良いなんて、まさか吉澤とて
思ってなどいないとしても、もう少し柔らかさが見えれば更に魅力が倍増するのに、勿体無い。
そう思う一方で、藤本美貴の鋭さ、即ち尖った部分こそが彼女の洗練された美しさを引き立てて
いるように感じるのも事実なのだから、事態は複雑だ。
(まぁ何だ、口説き甲斐があるって感じ?)
何だかんだと邪まな思いを挟みながら、
吉澤ひとみは猛獣さながらの彼女を押し止めていることに密かな達成感を抱いている ―――
「誰が猛獣だって?」
その美貴が、鬱陶しそうに青空を見上げていた顔を吉澤の方へ向けた。
何で?何で分かるんだ!マジ怖ぇええ!
「えっ?言ってない言ってないそんなこと」
内心の動揺はひた隠し、吉澤は心外だとばかりに目をぱちくりと見開い(て見せ)た。
ついでにアクションは大きく、両手と首まで総動員してぶるぶると横に振って見せた。のに。
美貴の反応は冷やかだ。
「言ったね。声に出してた今」
「うそっ!!しまった!!!」
「やっぱり思ってやがったのかテメェ!」
- 218 名前:4. 投稿日:2007/05/03(木) 21:25
-
慌てて口を塞いだが時既に遅し。
嵌められたと気付いた瞬間に頭に拳骨が落ちた。目の前に星が舞う。
キラキラ光る。お空の星よ〜♪
などと歌ってる場合ではなかった。本気で痛い。親友の後藤真希に突っ込みがてら平手で
叩き倒されることは多々あるけれど、顔をあわせて間もない相手にいきなり拳骨で殴られるのは
非常に貴重な経験なのではないだろうか。勿論、望んだ結果ではないが。
「言いがかりじゃんかよ〜。何もグーで殴らなくても」
「うっさい」
「ひどい、ひどいわアナタッ!離婚してやる〜」
「キモいからやめろ」
「またキモいとか言ってるし!」
……なんてことだ、泣きそうだ。
恨みがましく頭を抱えて呷いたが、一蹴される始末だった。
涙目で訴えても、雀の涙程の効果も無い。(意味合ってるか?)
何せ藤本美貴は、吉澤と目を合わせるどころか、一瞥すらしてくれないのだから。
(今のは苛々の憂さ晴らしだ。絶対そーだ)
反論しようがどう足掻こうが、確実に数倍の反撃と共に容赦なく撃墜されるであろう未来の
自身の姿を仮想し、吉澤は口を噤んで黙り込んだ。
それっきり、2人の間に気まずい空気が漂う。尤も、気まずい思いをしているのが吉澤1人で
ある可能性の方が、間違いなく確実に高いと考えられるが。
相変わらず、徹底した暴君ぶりの藤本美貴である。
真夏の強い日差しは、木陰に避難していても四方から照り返す熱射となって、
じりじりと身体を焦がしていく。
ジジジジ、と情緒も色気もない鳴き声でがなり立てる蝉の大コーラスが余計に暑苦しく、
うんざりした心地に拍車を掛けていた。
季節は夏だ、疑い様もなく夏だ。
ただし、吉澤の背中や額を伝う汗は何も、純粋な暑さのせいだけではないかもしれない。
- 219 名前:4. 投稿日:2007/05/03(木) 21:25
-
沈黙を破ったのは、意外な形で現れた第三者だった。
「あれー?ちょっと、」
よく通る高い声が、空気を割って入った。「よっさんやん!」
「え?」
「何してん、そんなトコで」
背後から飛んで来た声には確かに聞き覚えがあり、吉澤は直ぐに振り向いた。
渡り廊下に、金髪の女性が通り通り掛かった。彼女は校舎裏、しかも木陰という一見しただけでは
見辛い位置にいる吉澤と美貴を、身を乗り出して伺っているようだ。
声の発信元は、どうやらその女性であるらしい。
―― ああ、と相手の姿を正しく察する前に吉澤の口が開いた。
「中澤さん!お久しぶりっす」
吉澤ひとみの交友関係はどう贔屓目に見ても狭くはない。けれど、
“決して声は大きくないのに良く響く関西弁の女性”、
などとある意味特殊なカテゴリーに分類される人物像は、非常に稀有な存在だ。
その中で、吉澤の友人-知人に至る人物図鑑の引き出しから1人の女性を瞬時に認識して、
彼女は女性の名前を呼ぶ。
ミディアムショートの金髪が、光を反射して煌いた。
色白で細身の三十路と思しき女性。が、華奢なサンダルのヒールを鳴らして近付いて来た。
渡り廊下を外れ、小石の敷き詰められた中庭へ。じゃり、じゃりと砂利を踏みつけて。
「よっ。何や意外やなぁ、アンタが夏休み中に学校にいるなんて。
真っ先に外へ遊びに行くタイプやろが、アンタは」
軽く片手を上げて、中澤 ――― つまりは先刻、亀井絵里が補習中の教室にて対面した
寺田教師の新妻である寺田裕子が、吉澤に向かって皮肉げな笑みを寄越す。
- 220 名前:4. 投稿日:2007/05/03(木) 21:26
-
出会い頭の応酬に苦笑しつつ、「そっちこそどうして?」と質問で返す吉澤だ。
彼女とはただの一生徒、教師という関係以上に親密な仲であるとはいえ、それは単なる個人的
な事情であり、3月で学園の養護教諭を退職した裕子が今現在この場にいる理由にはならない。
表情にこそ出ないものの、吉澤はこの偶然に驚いているのだ。まして横には明らかに部外者の
藤本美貴が控えている。
裕子の姿を認めるのと同時に、瞬間サッと胸を過ぎった思いには確かに、
『この事態をどう切り抜けるべきか』、と冷静に状況分析する算段も含まれていた。
瞬時吉澤の中で交錯した思惑など知ってか知らずか、
返された裕子の弁は何とも単純明快だった。「役立たずのダンナが忘れもんしてな」と一言。
この学園の数学教師・寺田が彼女の新婚の夫であることは当然、吉澤も知るところだ。
後はまぁ皆まで言わず、というヤツだろう。口では突き放すも同然な台詞ながら、真夏日の最中に
わざわざその忘れ物を学校まで届けに来たのであれば、何とも甲斐甲斐しい行為だ。
……そんな所が、年上だけど可愛いっすよ中澤さん、
浮かんだ言葉は、流石に美貴の手前、口に出すのを憚った。まだ血を見たくはないし。
「それよりなー」
裕子の興味は、“役立たずのダンナ”よりも吉澤の横に黙って佇む少女へ移ったようだった。
人によっては無礼だろうと指摘されんばかりの勢いで、彼女はジロジロと興味深そうに藤本美貴を
眺め回している。これには、吉澤の方が冷や冷やさせられた。
「あ、あの、何か?」
「ふっふーん。なるほどなぁ」
纏わり付くような視線を断ち切らんと、裕子と美貴の間へ身体を滑り込ませて吉澤が問い掛ける。
対する裕子は、意味ありげな含み笑いばかりで答えようとしない。
何を悟ったというのだろう。(旧姓中澤)裕子が洞察力に優れ、その延長として他人の推察眼に長けて
いるのは知っている。だからこそ、先走って爆弾投下されないかと不安になった。
- 221 名前:4. 投稿日:2007/05/03(木) 21:26
-
幾分引き気味に身構える吉澤を面白がるように、裕子は口元にくっきり笑みを浮かべた。
挑発しているようで、吉澤は自分よりむしろ美貴の動向が気になり、咄嗟に視線を右横へ走らせる。
唇を引き結んでいる美貴は、少し片眉を上げたが特に自ら口を開こうという気はなさそうだ。
一先ずそれで、安心する。
出会ってほんの短い時間しか経っていないというのに、藤本美貴の暴力的な支配力にすっかり
屈してしまっている吉澤だった。
(但し、それと笑顔の魅力のギャップはもっと攻撃力が高いのだから恐れ入る)
「てゆーか何がナルホド、なんですか。1人で納得してニヤニヤしないでくださいよ」
「何やアンタ、説明してええの?」
相変わらず、薄ら笑いで裕子は答える。
畜生、変なこと言われたら困るし。
「……いや、いいっす」
渋々、内心とは裏腹に答えると裕子はひゃらひゃらと声を上げて笑った。
「女遊びは程ほどにせえよ、なぁよっさん?」
「な、なぁにがオンナアソビですか人聞きの悪いッ!」
「何言うてんの、新しい彼女やろ?このコ」
「彼女です」
ごふっっ
答えた瞬間にごく至近距離、つまり隣から容赦ない膝蹴りが飛んで来たため、吉澤は声もなく
ガックリとその場に崩れ落ちた。
目を丸くして若干身体を引いた中澤の視線の先、五臓六腑に染み渡るような痛みに耐えながら、
へへへ、と不敵な笑いを浮かべて吉澤は立ち上がる。
気分はそう、あれだ、「明日の○ョー」だ。ただし、無闇に卑屈に構えた主人公になるが。
「ばっかなこと言わないでください、ただの知り合いですこの方は」
「ほぉ。知り合いか」
「……そーですよ」嘘ではない。
- 222 名前:4. 投稿日:2007/05/03(木) 21:27
-
「便利な言葉やなぁ、“知り合い”か。
どっちにしろ、アンタからしたらガチで好みのタイプやから、これから口説くところやな?」
「ちょ、ちょ、ちょっと!!」
話を逸らせたと一瞬油断した隙を突いて、真っ向から再びサックリ切り込まれる。
思わず声が上擦り、冷や汗がどっと噴き出した吉澤を見据える美貴の目が、何だか嫌に
冷たく見えるのは願わくば気のせいであって欲しい。
「ちゃんと勉強せぇよ。アンタ受験生やろ今年は。本来は去年であるはずの」
「一言多いっすよそれ ――― 大体、彼女はですねぇ」と一旦言葉を切って吉澤は隣りの美貴へ
刹那視線を走らせた。眉間の皺が深くなった様に見えるが、爆発する危険性は無い様だ、今の所。オーケイ、さぁ言い訳だ。
「亀ちゃんの友達で、よしざーはただの道案内ってだけなんすからね。関係ないんすよマジで」
「亀ちゃんて一年生の亀井か?」
問い返して、裕子は予想外と言わんばかりに目を丸くした。
咄嗟に絵里の名前を出してから、吉澤はうっかり口が滑ったことに気が付いた。自分と美貴なら
釣り合いという点で不自然さなど生じないだろうけれど、絵里と美貴では客観的に見た場合
年齢的なものも含めて普通の「友達」というには疑問が芽生えるのも禁じえない。
裕子も、亀井絵里と目の前の少女とのバランスに首を傾げたくなったのだろう。不思議そうな
表情をしているのも無理はない。
「いや、あのーですねぇ」
仕方ない、適当に何か言い繕っておくしかない。
内心の焦りはおくびにも出さず、吉澤は思いつくままにペラペラと口を開いた。その場凌ぎの
マシンガントークならお手の物だ。
「彼女ですね、大人っぽく見えますけどこー見えてよしざーの1コ下で歴とした女子高生っすよ?
実はこのヒト、絵里の中学時代の先輩で今は都内の公立校に通ってるんだけど、
私立の寮制学校ってのに興味あったらしくて夏休みに入ったのを利用してここまで来たは
いいんだけど予想外に勉強のできない亀ちゃんが補習に捕まっちゃったせいで立ち往生、
そこにたまたまウチが居合わせたというか何というかまあ成り行きで、一緒にいるという、
やむを得ない事情を背負ってる訳ですよ、みたいな。
―――― 要約して言えばこんな感じですが何か疑問でも??」
- 223 名前:4. 投稿日:2007/05/03(木) 21:28
-
「……いや、別に」
苦し過ぎる言い訳も、勢いに任せてしまえば相手を沈黙させるのはどうやら可能なようで、
予想通り、食い下がることもなく裕子は黙って納得したようだった。
(むしろ、口を挟ませなかったという方が正しい。そしてそれは吉澤の計算通りだ)
それでも尚、思う所があったのか裕子は何度か吉澤と美貴を交互に見比べていたが、
小さな溜息と共に肩を竦めて笑った。
「なーんか引っ掛かるものはあるんやけどな、今はうちもこの学校の人間やないし、
他人の事情詮索に時間を割くほど暇でもあらへんし。まぁ、寺田には黙っててやるわ、
吉澤が他校の彼女を連れ込んでるなんて、教えたところで得することもないし」
「だから彼女じゃないんですって!」
「ハイハイ」
子供をあしらうように手で諌めて、裕子は踵を返した。
吉澤と美貴に背を向けた状態で、
「もう行くわ。車、日向に停めっぱなしやし。あっという間に蒸し風呂状態になるからな」
「ああ、…え?」
早口にそう言って、裕子はそのまま歩き出す。意外にあっさりと退場を宣言した元教師に、
瞬時呆気に取られた表情を浮かべた吉澤は、慌ててその背中に数歩追い縋った。
「じゃ、中澤さん、気をつけて!」
肩を揺すって「じゃぁなー」と笑みを含んで張り上げた声が、遠ざかっていく。じゃり、じゃり、
の音がカツ、カツと変化して。
「はーいどもー。じゃまたぁ」
戸惑ったのはほんの数秒にも満たない時間で、吉澤は悪気なく素直に安堵の思いを抱いた。
(嵐が去った…)
ああマジで良かった、などとホッとした心地のままヒラヒラと手を振る。
顔は多分、引き攣ってはいない筈だ。いや、…多分。自覚するところでは、おそらく。
思ったより突っ込みも控え目に、割とすんなり裕子が引き下がり退却してくれたことへ素直に
感謝しつつ、ふと感じた予感に吉澤が視線を横に向ければ、
―――― 半眼で腕を組む美女1人。
- 224 名前:4. 投稿日:2007/05/03(木) 21:28
-
「………」
「………ふーん」
「ナニ、なんすかその目」
吉澤の貧しい語彙から選ぶなら「冷やか」、そんな形容が1番当て嵌まる様な目付きの美貴。
何たる不運。一難去ってまた一難。
場違いに、吉澤の脳裏に浮かんだのはそんな諺だった。
「噂には聞いてたけど、」
と突き放す口調で美貴が切り出した。その表情は、確認することが出来ない吉澤ひとみ。
正直に言えば、怖くて直視できない現状だ。
「吉澤ひとみってホントに女好きなんだんだね。ていうかさぁ、ちょっと守備範囲広過ぎない?
今の人どー考えても30越えてるし。ちょい目付き悪いし」
(てゆーか本人目の前にしてフルネームで呼び捨てって…)
言葉の節々に見え隠れするのは、呆れと軽蔑の感が半々くらいだろうか。
どう前向きに捉えても、好意的とは正反対の否定的な口調と態度に磨きが掛かっている。
(大体中澤さんが目付き悪いって、それは貴女も同類ですが)
などとごく控え目に感じたけれど、口に出して無用な危険を冒したい吉澤では無かった。
なので、無意味だろうと察しつつ、一応の弁解を試みる。
「あのねぇ、今のヒトは元、うちのガッコの教師なんだよね。や、養護教諭…?てぇの?
昔っから結構色々お世話になってて、そういう対象じゃないんです、マジで」
「教師ぃ?普通にさん付けで呼んでたじゃん」
「いや、“何とか先生”、とか呼ぶガラじゃないから」
「その中澤さんって、ミキがここにいたこと誰かに喋ったり」
「あ、それはない。……です絶対」
「ふーん。随分信頼してんた?」
「……そりゃ、まぁ、長い付き合いだし…」
- 225 名前:4. 投稿日:2007/05/03(木) 21:29
-
校内で、それも真昼間から美人と論争する趣味はないのに。
とはいえ彼女が信じてくれるかはまた別の話だ。おそらく、可能性としては低いのだけれど。
「まぁそれはいいとして。つまり、じゃぁさ」
…ほらなぁ。
思った通り、芳しくない反応で、美貴が口を開く。
「あんたが女たらしだって、教師にまで知れ渡ってんだ?」
「いや、あの人の場合はちょっと立場が特殊で……何でも相談屋みたいな人だったから」
「へーえ?随分タイミング良く、そんな特殊な関係の人が通り掛かったものねー」
本当なのに。
悪い予感は得てして正しいものだ。
やはり、素直に信じてはもらえないらしい。元々、藤本美貴の中で吉澤は出会った当初から
“友人を弄んだ節操無い女子高生”などと決して喜ばしくない存在として認識されているらしく、
そもそも最初から色眼鏡で見られているのだから分が悪いし、
簡単にポジションが好転するなどと能天気には考えられなかった。
「いや、知れ渡ってるって……
大体何でアナタ、ヨシザワを女たらしって決め付けるんだよぉ」
「何、反論があるなら今まで付き合ってきた女の子の人数と名前と付き合ってた時期をを正確に
挙げてからにしてよね。1人も被ってた時期がないなんて言わせないから」
「……別に、弄んでるとかじゃなくって、来る者は拒まずっていうか…」
ぼそぼそと口答えする吉澤を見る美貴の目が、キッと釣り上がった。(気がした)
- 226 名前:4. 投稿日:2007/05/03(木) 21:29
-
「で、去る者は追わず?そういうのって、弄んでるって言わない?
決まった相手がいたって他から告られてそれが好みならオッケーするんでしょ?
しかも気まずい別れ方したって、相手が自分の前から消えたらフォローも何もしないって
ことでしょ?それっきりってことっしょ。人としてどーなのよそれ」
「………えー…っと、いやぁ…その」
ジト眼で射抜かれて、吉澤は硬直する。
たらっと、背中を嫌な汗が伝って落ちた。暑さによるものではない、勿論。
大体だ、『人として』なんて大仰に前置きされても。
吉澤側は、説き伏せるだけの言葉も過去の実績も持ち合わせていない。元々、そんなに上等でも
崇高な人間でもないのは、自身としても常々承知している身だ、悪いけど。
『来る者は拒まず去る者は追わず、そう公言してるんだしさ。吉澤がそーいう人間だと知ってて
告白してくるんだから、相手にだって責任あるし、自分だけが責められた問題じゃないじゃん』
今まで、胸中にそんな思いがあったのは事実だ。
けれどそれをはっきり悪いと断罪してくる相手はいなかったし(陰では言われてたかもしれないけど)
改めて突き付けられて初めて、罪悪感という感情が胸を覆い始める。
どちらにしろ、猜疑心に駆られた美貴を論破するなど端から勝負は見えていた。
言い返す術を失い、目に見えてうろたえる吉澤に、美貴は追及を緩めない。
「しかもさぁ、さっきあの女の人にミキのこと“こー見えても女子高生”つったよね?アンタ」
予想外の口撃に、吉澤は一転ぱちくりと目を見開いた。
思わず「へ?」と素っ頓狂で間抜けな声を上げる。
(え、今度はそこに食いつくわけか!?)
『こー見えても』を殊更強調した美貴が、口調も荒く突き付けた。
「美貴はどう見ても、女子高生には見えないってことか、アンタはそう思ってるってことか!」
いやいや、
と半笑いで、吉澤はぎこちなく首を傾ける。ついでに、両手を肩の辺りに掲げて降参のポーズ。
但し、美貴はそれを簡単に認める程優しくはないようだが。
- 227 名前:4. 投稿日:2007/05/03(木) 21:30
-
「い、言ったっけ」
「言った」
きっぱり、断言。言い訳無用。手っ取り早く、謝るのが正しい。判断は瞬発力が重要だ。
「スミマセン」
「何で謝るの」
「いや、何でだろう」
「確かにミキは大人っぽいセクシーな女子大生ですが、充分女子高生でも通ると思うんだけど。
なに、アンタは老けてるって言いたいわけ?」
「いやいや、いやいやいやいやいや」
「いやが多い」
「んなこと言われてもっ」
美貴の背後にゆらりと陽炎が立ち昇った気がして、吉澤は目を擦った。
……正直、これはマジで怖い。もしやこれは、人生最大のピンチ!?じりじりと目前の麗しき鬼が
距離を縮めてくるのを、必死で宥めようと吉澤は全力を尽くすことに決めた。
「閻魔様大魔人様藤本美貴さまどうぞ怒りをお鎮めくださいなんまんだぶなんまんだぶ…」
「あんた本気で喧嘩売ってる!?」
「滅相もない!!」
…………
- 228 名前:4. 投稿日:2007/05/03(木) 21:30
-
木陰で押し問答を続ける2人組みを、校舎脇から黙って見つめる影がある。
吉澤と美貴は、密かに佇むその存在には全く気付いていない。
- 229 名前:4. 投稿日:2007/05/03(木) 21:31
-
…なにをじゃれ合っとると、吉澤センパイ?
呼び出され、携帯を片手に駆けつけた田中れいなが怪訝そうにじっと眺めていることに2人が
気付いたのは、もう少し先の話になる。厳密に言えば、補習を終えた絵里がれいなと合流し、
続いて吉澤と藤本美貴の2人を見つけて声を掛けるまで、彼女達は傍観者の存在に全く、
気にも留めなかったのだ。
「へえぇ」
――― 困ってアタフタしてる吉澤センパイなんて滅多に見れんし
くくっと笑いを噛み殺して、れいなは小さく身体を屈めて植木の陰に座り込んだ。
吉澤センパイの盲目的なファンて、こんな一面知っとるんかなぁ ―――
密かに芽生えたのは、ごく小さな優越感だ。
どうも吉澤が一方的にやり込められている印象を受けて、れいなは興味深く、更に言えば
単純に面白がって、しばらく黙って眺めていることに決めたのだった。
- 230 名前:4. 投稿日:2007/05/03(木) 21:32
- ◆
- 231 名前:4. 投稿日:2007/05/03(木) 21:32
-
梨華は、部屋の隅に膝を立てて背筋を丸め、小さくなって座り込んでいた。
膝に軽く顎を乗せ、時々思い出したようにふぅっと放心したような溜息を吐きながら。
田中れいなが携帯で吉澤に呼び出されて、早数時間が経過している。
新垣里沙は、午後から演劇部の舞台練習があるとのことで寮を出て行ってしまった。
妹である絵里は、補習は確か午前中だけだと言っていたのに、未だ帰って来ない。
もしかしたら、外へ昼食がてら遊びにでも行ってしまったのかもしれない。
頼みの綱の携帯電話はとっくに電源が切れてしまっていて、妹の充電器では携帯会社自体が
異なる為、借りることも適わない。
大体、帰宅しないからとてそれで妹を責めるのはお門違いだ。
けれど、困ったものは困った。
通信手段を失い、慣れない空間にたった1人取り残され、梨華は途方に暮れていた。
新垣から享受された情報から推測するに、後藤や吉澤がこんな明るい時間に寮へ戻ってくることは
あまり、期待は出来ないようだ。
ただ、どうも正義感が必要以上に強すぎる節のある彼女達は、梨華の窺い知らぬところで事件の
「調査」を進めている可能性が充分考えられた。
行動力や分析力も申し分無さそうだし。“危険なことはしないで”なんて一方的な訴えを、
果たして奔放な彼女達が一体何処まで汲んでくれるものか。
文句なんて何もない。否、10割無いとは言えずとも、それを口にする権利はないと考えている。
梨華は無理を承知で「部外者絶対立入り禁止」を貫く伝統的な女子寮へ、少女達の純粋な好意で
置いてもらっている訳で、どんな処遇でも甘んじて受ける覚悟はあるのだ。
現在、問題なのは別の話で、
「……喉が渇いた……」
- 232 名前:4. 投稿日:2007/05/03(木) 21:32
-
時期が真夏であり、梨華のいる部屋が“勉強部屋兼寝室”なる個室であり、完全に飲食物を
常備できる機器の類、所謂冷蔵庫などを有していないことだった。
そして午前中、梨華が寝ている間に後藤真希が購入してきてくれた紙パックのジュースは
とうに空になってゴミ箱行きになっており、絵里が卓袱台に残していたペットボトルのお茶は、
最初から空の状態なのだった。
…飲み終わったならちゃんと捨てなさいよ、もう。
いくら冷房が効いているとはいえ(逆に考えればそのせいで乾きを覚えているのかも知れない)、
数時間水分補給無しで過ごすのが辛くないと言えば嘘になる。
トイレの水道なら部屋を出てすぐそこだけど、それはちょっと。
共同の洗面場は階下になる。ということはつまり、誰かに見つかる可能性も上がるということだ。
――― あと少し待てば、絵里が帰って来るかもしれない。
(当然梨華は、藤本美貴が自分を探して学校まで尋ねてきていることなど知らされて
いないし、まして絵里やれいなまでもがそんな理由で呼び出され、付き合わされている
現状など勿論知る由もなかった)
微かな希望を1時間以上も細く繋ぎ続けているなんて、我ながら馬鹿以外の何者でもないと
流石にのんびり屋の梨華でも思い始めていた、そんな時間帯だ。
現在梨華が居るのは3階の居室だった。
1階の談話室になら自動販売機があるらしいというのは、律儀に新垣里沙が手書きで制作
してくれた、桜花館女子寮の見取り図に小さな丸文字で書き込まれていることから知った。
――― 多分、残寮生の子のほとんどは部活の練習で出払ってますから、この時間なら他の子は
あんまり、寮内に居ないんですよ。だから滅多なことじゃ見つからないと思うんですけどねぇ。
顎の下に手を当て、芝居がかった口調の新垣の言葉が脳裏に蘇る。
「みんなが帰ってくるのは、おそらく夕飯前くらいだろう」、とも。
- 233 名前:4. 投稿日:2007/05/03(木) 21:36
-
何度か、階下から「ガチャン」という電子ロック音が響くことには気付いていた。
それが、玄関の施錠開錠音であることには数回してから思い当たった。昨夜この寮へやって
来た時は、吉澤ひとみが内部から特殊な手法で解除していたので、おそらくその「ピー、ガチャン」
こそがカードキーの操作による本来のロック音なのだろう。
それ以外には、一向に少女特有の話し声や騒がしい嬌声も聞こえない。
ということはつまり、玄関の電子音は寮生が外へ出て行った方の音なのだろう、とも。
財布の中には小銭がある。
梨華はちらりと、室内の壁掛け時計を見上げた。3時40分、外界はまだまだ、明るい。
(ちょっとくらいなら…大丈夫、だよね)
少しだけ大胆な気持ちになるのは、細くドアを開けて耳を澄ませても他の階や室内から
物音らしい音も、気配も感じられないからだ。
部屋を出て階下へ降りるなら、1階でも2階でもリスクの面ではほとんど変わらないじゃないか?
だったら、水道水を手で啜るよりも、ペットボトルの1本でも購入した方がその後の手間や面倒を
考えると遥かに効率が良い。……気が、する。
パッと下まで降りて、パッと帰ってくれば大丈夫よ、多分。
今の梨華の格好は、絵里が用意してくれていた学校指定ジャージだ。後ろ姿なら、大方の
他生徒の目を誤魔化せるだろう。これまた、多分。
よし、と素早く決断して財布を胸に抱き締めた。
ドアを開けて、周囲を窺う。やはり、他の寮生の姿は見えない。足音も然りだ。
他の寮生に見つかったら一発アウトな立場であることは重々承知の上だけれど、常に見知らぬ
誰かの存在を強く意識して不安な心地のまま過ごしてきた梨華にとって、堅固な寮の中に
匿われているという安心感は、少しだけ普段より大胆な気質を齎せた。
もう一度慎重に辺りを見回して、
(よし、オッケー)自らに言い聞かせるように呟き、梨華はするりと部屋を抜け出した。
- 234 名前:4. 投稿日:2007/05/03(木) 21:36
- ◆
- 235 名前:4. 投稿日:2007/05/03(木) 21:37
-
そして、梨華が決意して部屋を抜け出す少し前。
桜花館の前へゆらりと現れた人影が、1つ。
―――― やばい、眠い、超眠い
朦朧とした意識の中を彷徨いつつも、
何とかカードキーを取り出し玄関の鍵を開錠できたのは、日々の習慣の賜物といえよう。
欠伸をかみ殺し、鞄を抱えたまま後藤真希は靴を脱ぎ捨て、寮内へ足を踏み入れる。
- 236 名前:4. 投稿日:2007/05/03(木) 21:37
-
急激な疲労感と睡眠欲に襲われたのは予定していた用事を済ませ、朝陽学園へ戻って来て
からだった。あまりに唐突な眠気に抗う術もなく屈する寸前。
ほとんど気力だけで桜花館へと辿り着いた。
しんと静まり返った無音の空間と、日の当たらない玄関のひんやりした空気が、ますます
襲い掛かる眠気に拍車を掛ける。
(……ちょっとヤバいかな)
額に滲んだ汗を拭い、その生温さにあらためて厳しい夏の暑さを実感する。
寝不足であるのを省みず、長々炎天下を歩き通したのが障ったのだろうか。まさか熱中症や
日射病などの重症ではないだろうけれど、確実に体力は削られていた。
たらりと額から顎へ伝って落ちた汗をぐいと拭い、溜息をつく。
――― 日焼け止めを塗ってきた意味、もうないだろうな多分
うっすら感じる顔の火照りから察するに、日に焼けたのは間違いないと確信する。
普段は極力、日に当たる行為を避けているだけに、久々の太陽光は容赦なく後藤の体力も
気力も奪っていた。(さて)
寮の廊下へ一歩を踏み出す数えれば数秒にも満たない短い間に、後藤は今後の行動について
少しばかりの逡巡が脳裏を駆け巡った。
(どうしようっかな)
部屋へ戻るまで我慢できなくもないけれど、絵里との居室であるそこには石川梨華が居る筈だ。
自分は構わないけれど。
でも。
彼女の居たたまれない様な顔を思い出して、ふと考えてしまう。
(後藤がいたら、きっと石川さんは気を遣うし)
何しろ、異質な「侵入者」に当たる梨華は、部屋から一歩も外へ出られない身なのだ。
そもそも、実際は後藤自身の方が石川梨華に対し線引きをし、身構えた態度を取っていること
など自覚してはいなかった。即ち、梨華と同じ空間に2人きりでいることへの「引け目」が、
躊躇や戸惑いとして芽生えていることなど、当然として。
- 237 名前:4. 投稿日:2007/05/03(木) 21:38
-
とはいえ元々、
気さくに初対面の相手と砕けた付き合いが出来る自信など端から持ち合わせていない上、
愛想笑いやその場凌ぎの対応を不得手とする自分が、相手に必要の無い緊張を強いているらしい
ことは、以前から薄々感づいている後藤だった。
ただでさえ、「部外者立入り禁止」の寮へ上がりこんだ時点で負い目を感じている梨華が、そんな
自分と同じ空間にいることに気詰まりを覚えない筈がないし、ゆっくり休息を取れなどと無理難題
にも等しい命題ではないか?
ああそうだ、そりゃそうだ。
中学の頃からつるんでいる親友の吉澤ひとみはその点、他人との付き合いのバランス感覚が
長けていて(逆にそれでトラブルを起こすことも多々あったが)、
結果、自分の無愛想な振舞いをことごとくフォローしてきた親友の存在に甘え、益々人付き合いの
幅を狭めていたことも、しっかり後藤は意識していた。
ただ今更、現状の人間関係を広げる必要性は感じていなかったし、それは後藤真希にとって
デメリットを上回るメリットが存在しない。
気の置けない仲間だけに気を許し、他人の存在を排除してきたツケだ。
申し訳無さそうに、伺うように、自分を見つめていた梨華を思い返し、自嘲気味に笑う。
それでも、人の思いを必要以上に敏感に察知してしまう自分が、このスタイルを変えることは
おそらくないのだろうなとも、感じていた。
(……ばぁか)
あは。
ぼんやりとした意識を抱え、
―――― 何をごちゃごちゃ考えてるんだろう、後藤ってば。アホらしい。
疲れているのは自分ばかりじゃない、ともかく自分は石川梨華を助けようと決めたばかりなのだし、
彼女はしっかり身体を休ませなければならない状態身であるのは一目瞭然だし、
つまり後藤真希は、そうするべきなのだ。
- 238 名前:4. 投稿日:2007/05/03(木) 21:38
-
結局、悩んだ時間すら馬鹿らしいと結論を下し、自室の3階まで上るという選択肢は捨てる
こととした。ふらふらと覚束ない足取りで数歩進んだ後藤は、玄関を入ってすぐ左手の談話室へ
雪崩れ込んだ。ぼふっと音を立ててソファへうつ伏せにダイブした後藤の体は、一度反動で
浮き上がった後、すぐに沈む。
ついでに、辛うじて保っていた意識も無理矢理宙から叩き落とされるように、一気に降下した。
普段なら、授業中や休憩時間を駆使して他人の倍近く(目算だ、あくまで)惰眠を貪っている
後藤だけに、ほぼ1日半に渡ってろくな休息も取らず身体を酷使し、頭を回転させていたのだから
この疲労感と眠気も当然と言えば当然なのだろう。
昨夜からほとんど一睡もしていないことが、今更祟ってくるとは、不覚。
同じ年の少女達に比べれば体力には自身のある後藤だったけれど、今は肉体面よりも精神的な
疲労が深く体調に影響を及ぼしていると考えた方が正解のようだった。
つまり、松浦亜弥と接触した影響だ。
しんと静まり返った長い廊下。
白い壁と、白いカーテンと、日に焼けない白い手足。
真希ちゃん、泣きそうなの?――――― 心配そうに問い掛ける、澄んだ眼差し。潤んだ瞳……
後藤が直視するにはあまりに眩しすぎて、居たたまれなくて、苦しさばかりが胸に募る。
―――― そんなことを、思う自分に気付いて吐き気を覚えた。
- 239 名前:4. 投稿日:2007/05/03(木) 21:39
-
(……うわ、サイアクだ…なに考えてんだ…)
そう思いが及んだことに、愕然とする。無意識のうちに、亜弥に責任を負わせようとしていた自分に
気付き、激しい自己嫌悪が込み上げる。
(そもそも、亜弥は何も悪くない)
(欠片でも、後藤がそんな風に感じる資格なんてない)
以前後藤が体験した「事件」をに関わる様々な感情が呼び起こされ、少なからず石川梨華に
入れ込む気持ちがあったのは事実だった。
ただ、それとは別に自らの無力感に打ちひしがれ、不安と怒りと恐怖に苛まれて苦悩する彼女を、
純粋に助けたいと思う気持ちも確かに存在したのだ。
尋常ではない事態が、後藤真希の心理状態を強く興奮させ、過度に神経を尖らせていた。
「亜弥」に会って改めて過去と向き合い、覚悟を決めたことで何か、張り詰めた糸が切れたのかも
しれない。強引にそう解釈を決め込んだ。
少なくとも、身体を蝕むこの倦怠感が「亜弥に会ったせい」などと少しでも考えてしまうよりは余程
上出来な結論だった。
おそらくはもう、とっくに目を覚まして部屋で待っているであろう石川梨華の心細い顔が浮かぶ。
本当は、顔を見せた方がいいのだろうか。
それともやっぱり、1人にしておいた方が彼女にとっては気楽だろうか。
迷いから、罪悪感のようなものが一瞬芽生えたけれど、この眠気に抗う材料にはならなかった。
(…仕方ない、後にしよう。こんな状態で彼女に会っても、後藤は何の役にも立たないし)
言い訳がましく心内で呟いて、うつ伏せに倒れこんだまま目を瞑る。
と、視界は暗転し、途端にブラックアウトした後藤の思考回路は全ての活動を中断して、
何も考えられなくなる。
- 240 名前:4. 投稿日:2007/05/03(木) 21:40
- ◆◆
- 241 名前:4. 投稿日:2007/05/03(木) 21:40
-
ありがとうございましたーっと威勢の良いお兄さんの声を背に、辻希美は店を出た。
穿き潰す寸前の萎びたスニーカーが、焼けたアスファルトの上で小さくステップを踏んだ。
「うー、あっちぃ」
軽く、ぽんとお腹を叩いて呟きながら、辻は通りを歩き出す。
ぶぅん、と効果音付きでショルダーバッグを振り回して腹ごなしの運動と言わんばかりに。
「なーんかもの足りないなぁ」
特盛りチャーシューラーメン一杯をペロリと平らげておきながらのこの台詞だ。
学校指定の開襟シャツのボタンを2つ目まで外し、人目も気にせず辻は襟元を掴んでパタパタと
仰ぎながら汗を拭う。さすがに、真夏にラーメンは暑い。
辻希美は、全身をたらたらと噴き出した汗が流れ落ちるのを感じていた。
元々化粧気がない上に部活帰りで完全にすっぴんの辻は、半袖の裾で豪快に汗を拭う。その最中にも
じりじりと、熱光線は遠慮なく降り注ぐ。
内側からの熱と外側からの熱で、完全にオーバーヒート気味だ。
質素な造りの店内では微弱ながらも冷房が効いていたのだけれど、新陳代謝が活発な辻は、
食事中から既に額から汗が吹き出し始め、食べ終わる頃には全身が燃えるようだったというのに。
「あっちい〜あちぃ〜」
歌うように節を付けながら、陽気にステップを踏む。
何故なら、今の辻を突き動かすのは辟易するような暑さよりも、ただ純粋な食欲だからである。
どのみち、部活で一度汗と泥まみれになった体なのだ。
学園内で希望者はクリーニングに出すことが可能なシステムになっている。夏休みに入った今、
制服がどれ程汚れようが気にする必要はないし、そもそも辻希美はそんな(彼女に言わせれば)
些細な物事に拘る謂れもない。
それより、その尋常でない食い気が問題である。
辻の言い分としては、サッカー部の練習で体力を消耗したのだからこの程度の量など3時のおやつ
同然なのだけれど、素直に同意する友人は彼女の周りには残念ながら居なかった。
- 242 名前:4. 投稿日:2007/05/03(木) 21:41
-
制服姿の女子高生が1人でラーメン屋に入るのは抵抗があるのが普通だろうに、
辻希美に常識は通用しないのは周知の事実で、店員側にもたった1人で頻繁に顔を出しては
大の大人でも苦戦する特盛りサイズを余裕で完食してしまう辻の存在は、
希少価値の高い大食い女子高生して認知されていた。しかも彼女は、“文武両道”を志とする地元では
割と有名な女子校、朝陽学園の生徒という冠つきである。
率直に言えば即ち、有名なのだ。
「おねえちゃん、相変わらず食いっぷりいいねぇ」
店主が機嫌の良い時はそんなことを言って、煮卵をサービスしてくれたりもする。
行きつけのラーメン屋で、店員の殆どが顔見知りだ。因みに、女子サッカー部が全国に進んだ暁には
部員全員に特製チャーシュー麺を奢ってくれるとの口約も取り付けてあった。
今日もまた例に漏れず、練習に励みこんがり日焼けして来店した辻に、店員が気前良く
2つも卵を振る舞ってくれたのだった。ラッキー。ありがとう、と八重歯を見せて笑う辻希美は
実年齢上に幼く可愛らしく見えるので、辻本人が意識する以上に店側の人間に好かれていることを
彼女は勿論、知らずにいるのだけれど。
しかし、収まりがつかない旺盛な食欲。
何か軽く、あくまでかる〜く腹に入れたい気分で持て余す自身の胃袋。
とは言え、悲しいかな仕送りで遣り繰りする学生の身分、財布の中身との兼ね合いもある。
どうしよう。
お金はないし暑いし、だけど何か食べなきゃ落ち着かないし。
寮へ戻れば友人達が買い込んだお菓子があるが、それは夜食に取っておきたい。寮から一歩も
出られない石川梨華にもあげようと考えていたので。
………うーん……あ、そーだ。
眉を寄せ、他人からするとくだらないと一蹴されそうな問題をごく真剣に思い悩んでいた辻は、
束の間逡巡した後、くるりと方向転換して歩き出した。
閃いた。
(よっすぃーがいた!)
午前中、苦笑いと共に練習を抜け出した吉澤ひとみのことを唐突に思い出したのだ。
そうだ、よっすぃーに奢ってもらお。今日は練習サボったんだから、それくらいいいよね、へへ。
- 243 名前:4. 投稿日:2007/05/03(木) 21:41
-
見知らぬ女性 ――― 遠目だったので、また意識して注意を払っていなかったのでその人物が
昨夜の会合中に写真で確認した“藤本美貴”であることには全く気付かない辻だった ―――
と共に姿を消した吉澤は、結局練習が終わるまでに戻って来なかった。
午前中の練習を終えた各部の生徒たちが大挙して学園の食堂に押しかけた時も、辻が一応
食堂全体に目を走らせたにも関わらず、吉澤の姿は見えなかった。
視力・聴力共に抜群の野生児・辻希美が発見できなかったのだから、確かにそこに彼女は
いなかった筈だ。それには、絶対の自信を持っている。
吉澤ひとみという人物の特性を考えれば、見知らぬ女性と共に連れ立って歩いていることなど
別段気にするような事象ではない。練習中に抜け出してしまうのは珍しいが、それも初めての
行為ではなかった。他の部員から不満が出ないのは、吉澤自身の人柄が作用しているのと、
留年してレギュラーの座を辞退している立場のせいもあるだろう。
そして、その吉澤が食堂に戻って来なかったということは。
(おそらく)外部の女性を連れているのだから、何時までもずるずると校内に留まっている可能性は
低く、実に考え難い。要件がどうであれ、とっくに校外へと連れ出している筈だ。
更に付随して考えると、練習着のままであればそう遠くまではいけないだろう。繁華街である街中へは
バスに乗って移動するしか手段はない。そんな面倒を、吉澤はきっと好まない。彼女の愛車は、実家で
大事に(ガレージの中で)眠ったままだ、寮に滞在中なのだから、勿論。
つまり、総合的に推測を立てると。
「あそこのファミレスかなぁ」
推理と言うよりはむしろ、得意の勘に頼って結論を導き出した辻は、呟いて足を速めた。
学園から程近く、徒歩圏内に位置するリーズナブルな店を思い浮かべる。何となく、そこへ行けば
吉澤ひとみが留まっているような気がした。そしてこういう時の勘が驚く程外れないことを、辻自身も
よく知っている。後藤や吉澤に言わせれば、それこそ単に「野性的」なのだという。
―――― 失礼な。
- 244 名前:4. 投稿日:2007/05/03(木) 21:41
-
思い出したらむらむらと反感が湧きあがってきて、辻は1人ぷっと頬を膨らませながら歩いている。
軽く腹を立てながらも、辻の脳裏には既に当のファミレスに関する食の情報が飛び交っていた。
仮にそこに吉澤が居なくとも、目的の大半は果たせる筈だ。
何て素晴らしい思いつきだろう、ファミレスなら、必要以上の冷房で冷却効果も抜群だ!
パスタもいいし、サンドイッチもいいし、無難にハンバーグも、いいんだけど。
「えびドリア、食べたいなー」
熱々とろとろ、こんがりチーズとぷりぷり海老の絶妙なハーモニー。一瞬でも頭に思い描いたら、
それ以外に考えられなくなった。やはり人間たるもの、本能に忠実だ。
(特に辻希美の場合、それは行動へ顕著に表れる)
「よっし、いっくぉぞー!」
汗を吸って重たくなった練習着を詰め込んだ鞄を難なく振り翳しながら、(これもトレーニングだ、
寮に置いてくるのをうっかり忘れただけではないのだ、絶対に)、辻希美は短いボックススカートが
際どいラインでふわりと揺れるのも気にせず、軽やかな足取りで駆け出した。
街路樹で、蝉が五月蝿く鳴き喚いており、暑さのせいで人通りの少ないアスファルトの道のりで、
ツインテールの小柄な影は少しずつ、その背を伸ばしている。
- 245 名前: 投稿日:2007/05/03(木) 21:42
-
- 246 名前: 投稿日:2007/05/03(木) 21:42
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- 247 名前:4. 投稿日:2007/05/03(木) 21:42
-
そろり、そろりと。
足音を忍ばせ、順調に階下へ降りてきた梨華は、玄関前に差し掛かって歩みを止めた。
玄関ドアは防犯仕様とはいえ、ガラス製だ。透明なのだ。迂闊に通り掛かれば外からでも
見えてしまう。慎重には慎重を重ねないと。
いくらなんでも、避難生活1日目から見つかるなんて事態だけは、絶対に避けたい。
明るい日差しが反射する玄関外の路面、その眩しさに瞬時目を細めた。
視界に入る限り、人影は見えない。よし、大丈夫。
滑るように玄関前の狭いロビーを通過し、梨華は談話室へ音も無く飛び込んだ。スリッパを
履いて来なかったのは正解だった。
細身で体重の軽い彼女の足音は、床に吸い込まれて響かない。
朝からこの談話室を利用した生徒がいないのだろう、部屋のカーテンは引かれたままだった。
微かに外光が差し込んでいながらも薄暗い室内で、梨華が目的とする自動販売機はしかし、
すぐに見つかった。探すまでもない、低いモーター音と共に煌々と自ら発光している物体が目に
入らない程、梨華の視力は衰えていない。
談話室は想像したよりも広かった。
尤も、桜花館が擁する寮生の人数からすると、これでも狭いのかもしれないが、今の梨華に
それを確認する術はないし、またその必要もないので。
西の窓側へ凹型にソファが並べられており、大きめのテレビが備え付けられている。
成る程、確かにここは生徒たちの寛ぎスペースなのだ。
個々の部屋にテレビはないし、大型の冷蔵庫もこの談話室にしか宛がわれていないのだろう。
絵里曰く、家電製品は備え付けのもの以外は持ち込み禁止なのだそうだ。因みに、ここ、一般
家庭のリビングを模った様式の平凡な室内には不釣合いと思われる自動販売機は、正反対の
東の窓際にでんと鎮座していた。
「ふぅ」
- 248 名前:4. 投稿日:2007/05/03(木) 21:43
-
取りあえず、探索対象が予想以上にすんなり発見出来たことに密かな満足感を覚え、
それから忘れていた喉の渇きを思い出し、梨華は早足で自販機前へと移動する。勿論、ここで
不用意に、薄暗いからとて電気を点けるような真似は犯さないよう、心して。
肝心なところでミスをするうっかり者気質を自認している梨華としては、まずまずの運びだった。
行動は迅速且つ、慎重に。
ざっと販売物の内容を見渡して(残念ながらペットボトルは置いていなかったのだ)、梨華は缶の
烏龍茶を選択すると、迷わずボタンを押した。
静かな部屋にガコン、と商品が落ちる音はよく響く。
(うわ、ちょっと!)
予想以上に大きな音を立てる自販機に慌てつつも、
取り合えず目的を達成した密かな安堵感を抱えて、梨華は素早く缶を手に掴んだ。
(なかなか順調、あとは部屋に戻るだけ…)
そろそろと方向転換、明かりの漏れる開いたドアへと足を向ける。
逸る気持ちが、自然と足を小走りにさせた。文字通り、逃げるように梨華は出口へ走った。
そう、誰も戻ってこないうちに ―――――
ごそり。
「ッッッ!」
………ひっ!
完全に油断し切っていた所を不意打ちで突かれ、梨華は心臓が飛び出そうなくらいに驚愕した。
驚き覚めやらぬ間に、ソファからむくりと黒い人影が起き上がり、
「うひゃぁ」と間抜けな声と共に梨華は手にしていた缶ジュースを取り落とした。
ごつ、ごろごろごろ…と静かな室内に落下音は予想外に大きく響き渡り、人影よりもむしろ自身が
立ててしまった大きな音に、梨華は慌てた。
(嘘ッ、ヒトがいたなんてっ!?)
こんな所で寝息も音も立てずにぐうすか眠り込んでていきなり起きるなんて反則じゃない、
あと10秒、寝込んでくれてたら良かったのになんて間が悪いのよ ――――
- 249 名前:4. 投稿日:2007/05/03(木) 21:44
-
さぁっと顔から血の気が引き、ばくばくと心臓が音を立てる。
見つかった、どうしようという焦燥ばかりが脳内を駆け巡り、肝心な対処方法が浮かばない。
規則違反、罰則、退寮、という重たい言葉が錯綜し、梨華は一歩後ず去って息を飲んだ。
相手の顔が見られない。緊張のあまり、自身の心臓の音が聞こえるくらいの静寂の中、
「あれ、梨華ちゃん」
「 ―――― え!!?」
掠れた声が自分の名前を呼んだ衝撃に、梨華は先ほどの何倍も狼狽してしまった。
ぎょっとしつつ目を見開いて、薄暗がりの中、懸命に目を凝らして声の主を見極めるように
息を潜めて、じっと相手らしき人影を見据えた。
そうして正しく相手を識別してから、尚も動揺が込み上げる。
黒い人影が自分を知っている人物だということ、即ちその声から相手が誰であるのか。
そしてもう1つ、こちらが問題だ。
声の主が、梨華を名前で、しかもちゃん付けで呼ぶのを初めて聞いたからだった。
「ごっ、ごっ……!」
「後藤です」
「あ、ハイ、知ってます」
「んー……」
一方は動揺しているせいで、更にもう一方は殊更寝惚けているせいで、出会い頭に向かい合った
まま妙な挨拶を交わす2人だった。
と言っても、後藤の方は果たして何処までこの事態が可笑しいと判断しているか謎な状態だ。
身体を起こしがてら、頭をがりがりと掻いてのんびり周囲を見渡している。
どうやら、自分のことは認識しているみたいだけど……と、梨華は困惑気味に後藤を見つめた。
たっぷり10数秒は経ってから、
「てゆーか、何やってんの?ここで」
ふと、後藤が不思議そうに自分を見つめ返してきたので、梨華は再び購入したばかりの烏龍茶を
取り落としそうになってしまった。え、今更そんな質問!?
「…喉渇いたから、これ」
胸に抱えた缶ジュースを指し示して、続ける。「買いにきたの」
- 250 名前:4. 投稿日:2007/05/03(木) 21:44
-
ふわぁ、と欠伸を1つして、後藤はふぅんと呟いた。
首をぐるんと回して、再び黙り込む。
そんな姿を見ながら、梨華の胸は未だにばくばく波打ち、と動悸が収まらずにいた。
理由はしっかり自覚していた。『梨華ちゃん』なんて、後藤が呼んだせいだ。我ながら、なんて
単純。なんて幼稚。誰だって、少し仲が良くなれば名前で呼ぶくらい当たり前 ―――
え、つまり、
後藤さんはあたしをそういう存在だと認めて呼んだってこと?それって。
思い当たって、梨華は一瞬自分が置かれた現状を忘れてくすぐったいような気分に囚われた。
……ちょっと嬉しい、とか感じちゃってるのあたしってば?
「んーと、とりあえず石川さんがこの場にいるのは結構マズイよね」
「あ……そう、そうだよね」
ようやく夢の世界から覚醒し始めたらしい後藤が、尚も掠れた声で思い出したように呟いて、
(石川さんに戻ってる)
やや憮然とした思いがちらりと胸を掠めたけれど、今はそれに引っ掛かっている場合じゃないと
梨華は同意の声を漏らした。
「とにかく、部屋へ戻ろうか」
もう一度うーんと、ソファから伸び上がった後藤の目が梨華を捉え、きょとんと首を傾げた。
「どうしたの?」
再度呼びかけた梨華の顔が、談話室のドアの向こう、すなわち玄関の方へと向けられている。
死角になっているこの室内からは完全には玄関の様子は伺えないものの、瞬時、数人の人影が
ガラス戸の向こうを過ぎった気がして、梨華の視線は釘付けになっていた。
「石川さん?」
怪訝そうに梨華の名前を呼んだ後藤がソファから腰を浮かし掛けた瞬間だった。
その玄関の方向からピー、と無機質な電子音が響く。
即ち、電子ロックの解除音だ。
「!!」
同じタイミングでぎょっと身体を強張らせた後藤と梨華は、これまた同時に顔を見合わせ、互いの顔に
浮かぶ引き攣った表情からそれが勘違いではないと察し、寮生の誰かが帰還したのだという状況を
正しく察知したのだった。
焦りは、その後で訪れる。―――― いや、これは…まずい、絶対に、マズイ!
- 251 名前:4. 投稿日:2007/05/03(木) 21:44
-
(こっちに入って来ないで、そのまま部屋に戻ってくれますように…!)
どやどやと複数の足音と共に侵入してくる、寮生の少女達が強制的に梨華と後藤の2人を現実に
引き戻した。2人だけの空間だったそこに、賑やかな騒音が加わって、普段通りの女子寮の姿が
今こそ、遅れて姿を現したかのように。
「疲れたねー、」「ね、ジュース買ってく?」「冷たい炭酸飲みたぁい」
「あーいいねぇ炭酸飲みたいかもー」
ぱたんぱたんと断続的に聞こえる音は、下駄箱を開け閉めする動作の為か。
外履き用の靴を室内用スリッパに履き替えたら………おそらく、彼女達は。
願いは、脆くも崩れ去る。やはり普段の信仰もなしに神様に祈るだけでは通じないらしい。
げ、と再び2人は顔を見合わせた。
何処か呑気とも見える若干緊張感に欠ける顔の後藤とは対照的に、梨華は一瞬にして青褪めた。
彼女の場合、自分の失態は即ち妹である絵里に直結してしまう。この寮に隠れて侵入した時点で
それは覚悟し、承知なければいけない部分だ。その点、責任感も重いのだろう。
そして、少女達の会話だ。
つまり、事態は更に由々しき事態へ向かっているということだ。
騒々しい彼女らの交わす言葉の意味が、今後示す行動をを瞬時に理解しする2人。
(つまり、たった今帰寮した少女達は、この談話室へジュースを買いに侵入して来ようとして
いるのだ、他に自動販売機などないのだからまず間違いない)
隠れなきゃ。っていっても、一体どこに!?
個々の部屋よりは広い作りになっているとはいえ、あくまで生活空間の延長に過ぎない談話室は
思春期を過ぎた少女達のかくれんぼに適した場所ではなかった。ソファの影、テレビの後ろ、果ては
カーテンの裏?却下、あからさまに怪し過ぎるし帰って悪目立ちするに決まっている。大体、外に
誰かが通り掛かったら一発で見つかってしまう。
(罰則、退寮……?)
どうしよう。
混乱し、硬直した梨華に対し、後藤の反応は実に素早かった。
一瞬、ちらりと後藤の目が梨華の表情を捉えた。
引き攣り蒼白な面持ちで見つめ返す梨華に対し、後藤はこの場を切り抜ける手段を迷わず行動に
移す、即ち、有無を言わさず手を彼女の首筋に伸ばし…………
ゴメン、と囁いた声に返事をする間もなく、(何が?)なんて能天気に思った直後、
- 252 名前:4. 投稿日:2007/05/03(木) 21:45
-
「――――――――― !ッッッ」
全身を大きな掃除機で吸い寄せられたような、強引な引力に頭が揺さぶられた。
絵里から借りて羽織っていたジャージの襟元をぐいっと掴まれ、背もたれを乗り越えるようにして、
ソファの上へ問答無用とばかり、力任せに引き倒された。
ぐっと胸が圧迫される感覚に、瞬間息が止まる。
「……へッ!?ッ…」
前触れもない、唐突な行為に目を回す中、
梨華をソファへ押し倒した後藤が耳元で小さく声上げないでね、と囁いた。気がする。
“気がする”というのは、ソファへ仰向けへ倒れ込む過程の中で、梨華は一瞬の動きの中でもう何が
何だか分からなくなってしまったからだった。
呼吸を一拍置く間に、つい先ほどまで対面に見ていた後藤の姿を、下から見上げる体勢にいるのだ
から混乱するのも当然だった。
「何飲もっかなー」
ふと、聞き慣れない少女の声がずっと接近して聞こえた
部屋に入ってくる!どうしようバレちゃう ―――― っていうかそれより、こ、こ、こ、この恰好っ!!
ふと我に返って暴れ出そう僅かに身動ぎした途端、物凄い力で押さえ込まれた。せめて、痛いと
一言文句を言おうとしたら、今度はしいっと口元を抑えられた。
その後藤の顔は、梨華を冷静で保たせるにはあまりに至近距離で、視界へ飛び込んでくる。
間近に存在する彼女の姿は却って現実感が無く、梨華はただ目を白黒させるばかりだ。
誰がどう疑うまでもなく、今の自分はソファの上に、後藤真希に押し倒されている体勢なわけで。
「………」
声ばかりでなく、息まで殺して後藤と梨華はソファの上でじっと身を潜め。そして。
「あっ」と、少女達のうちの誰かが、息を飲む気配がした。
気付いたのだ、自分たちに ――― というか、ソファの上で自分の上へ圧し掛かる体勢の後藤に。
事態を認識した梨華の顔は、耳まで染まる勢いで瞬時に真っ赤になった。
『声上げないでね』と囁かれた言葉だけは辛うじて脳裏の隅に留まっており、何とか羞恥による悲鳴
だけは上げずに済んだけれど。
けれど、だけど。
バクバクと口から飛び出さんばかりに大仰に高鳴る心臓の音と、組み敷かれて押さえ込まれた
両手両足の細かい震えは隠しようも無い。梨華はぎゅっと目を瞑った。
(バレちゃう。どうしよう、絶対バレるに決まってる!こんな体勢じゃ)
対する後藤は、そんなパニック状態の梨華の姿を見てはいなかった。
じっと、侵入者達の動向に注意を払っているのだ。タイミングを外したら、効果は半減してしまう。
談話室に入ってきた3人組の寮生のうち、まず先頭にいた少女が後藤の姿を認めて足を止め、
残りの2人の少女もすぐに室内の様子に気付いたようだった。
「後藤さんだ…」「え、後藤さん?」
と囁く短い会話くらいは、何とか聞き取れる。
- 253 名前:4. 投稿日:2007/05/03(木) 21:46
-
少女達が自分たちの姿と状態を認識したであろう頃合を見計らって、少しだけ身体を起こした後藤は
余裕ありげににっと口角を挙げて笑んで見せた。それだけで、少女達は揃ってビクリと動きを止め、
さっと頬を赤く染めてその場に立ち尽くす。
少女達の周囲で、赤みが買った黄色い光がちらちらと明滅しているのを見て取った。
軽い動揺と、大いなる好奇心、まぁ有り体に言えば野次馬根性ってところか。
…まぁ当然、そうなるだろう、
羞恥心を潜める傍ら、頭の片隅に残る後藤の冷静な部分が告げている。
こんな場面、純真な女子高生が前触れなくいきなり目撃しちゃったんじゃ、ねえ。
判断は数秒にも満たない間で、成る程確かに、自分はあらゆる意味で有名なのだな ――― と、
状況を考えず呑気な思考が、後藤の脳裏を掠めていく。
(こーいうの、よっすぃーなら本当に得意分野だろうけどなぁ)
気が進まないからといって、他に方法も考え付かない。ソファに押し付けたままの梨華は、後藤の
言った通り言葉を発するどころか、身動ぎ1つせずにいた。今は混乱の真っ只中だ。
(はぁ、何て言い訳しよう。後で)
渋々の体で、しかし表面上はそれなりに取り繕って、後藤は上体を起こしたまま、告げる。
「あのさ。悪いんだけどー」
雑念は振り払うことにして、開き直った後藤は余裕の笑みを絶やさぬまま、勿体つけた口調で
意味ありげにゆっくりと口を開いた。梨華の髪を撫でる仕種が、実は仰向けの梨華の顔を隠すための
動作であるとはおそらく、彼女らに気付かれることはないだろう。
何たって、騙す方も騙される方も動揺真っ只中にあるのだから。
「今、見ての通り取り込み中なんだよね。後にしてくれる?」
「…………」
ぱくぱくっと、餌を求める金魚を彷彿とさせる表情が可愛らしい少女達は、すぐにハッと我に返った
面持ちで忙しなく頭を下げた。「す、す、すみませんっ!!!」
- 254 名前:4. 投稿日:2007/05/03(木) 21:46
-
(おそらく、スキャンダルな場面を目撃したことによる)些細な優越感だとか、
(おそらく、密かに憧れていた相手の情事を目の前にした)小さな落胆だとか、
(おそらく、見てはいけないものを見てしまったことによる)純粋な後ろめたさだとか、
様々に変化し賑やかに飛び交う少女達の感情の色は、元々後藤の予測を外れない域の現象で、
その後、事態を理解した彼女らの反応もまた、予想通り行動だった。
「すみません後藤さんホントすみませんっ!!」
「失礼しましたぁ〜!!」
それぞれの胸に(後藤も含め)勝手な思惑を宿しつつ、
ジュースを買いに来た筈の少女達は、手ぶらのまま赤い頬だけ携えて、くるりと踵を返した。
「ご、ごゆっくり!」
部屋を出る際、最後になった少女が素っ頓狂な声で勘違いも甚だしい発言を残しつつドアを閉めた。
「うそー」だとか「相手の人顔見えなかったぁー(残念)」だとか、
きゃあきゃあと嬌声を上げながら去っていく足音が小さくなり、階段を上がり、やがてごく遠い所で
ドアの閉まる音を最後に、物音は途絶えた。
(あ〜あ、妙な噂が出回るな。こりゃ)
一気に全身が脱力して、片手で顔を覆った後藤は細く溜息を吐いた。
- 255 名前:4. 投稿日:2007/05/03(木) 21:47
-
少女らが部屋を出て行くまでは何とか顔に貼り付けていた後藤の仮面の笑みも、彼女達の姿が
視界から消え、その声も聞こえなくなると、気が抜けるのと同時に呆気なく剥がれ落ちた。
疲れた表情を隠そうともせず、ぐたりと項垂れる。
そうして、跨いでいた梨華の上から降りると、そのまま滑り落ちるように床の上へ座り込んだ。
「あ〜……焦った……」
今度は大きな溜息ひとつ。同時に吐き出す呟きには、紛れも無い本心が覗いた。
「……?」
ふっと、自分に圧し掛かっていた重力が掻き消えて、硬直の解けた梨華はそろそろとソファの
上に上半身を起こした。
動悸は未だ覚めやらぬものの、幾らか落ち着きを取り戻し始めている。
ソファの上から見下ろせば、右手で額を押さえ、「うー」だの「あー」だの低く呷いている後藤の姿。
「……後藤さん」
「あーもうヤダッ、うわ、もーサイアクだー…」
「ちょ、ちょっと後藤さん?」
呼び掛けに応じない、というより聞こえていない状態であろう後藤は、ガシガシと乱暴に頭を
掻き毟り、尚も一人悶え、腹の底から搾り出した様な低い声を吐き出した。
「あぁちくしょう体が痒いっ!もうムリ、ダメだ、最悪……!」
「ちょ、…なに、それッ」
顔を真っ赤にして呷いている後藤を見つめるうち、呆然とするばかりだった梨華の心に、
メラメラと妙な対抗意識が芽生え始めた。
今日びドラマでも目にしないような展開に、ただ驚愕と狼狽を抱えるばかりだった為、彼方へ
追い遣っていた平常心をささやかながらに取り戻したのだ。
本来なら、何も文句など言える立場じゃない ――― 妹と目の前の後藤という少女の居室で固く
自身に課していた戒めに、少しずつ綻びが生じ始め、反抗心が頭を擡げる。
- 256 名前:4. 投稿日:2007/05/03(木) 21:48
-
「あのね、言わせてもらうけどっ」
「ん?」
梨華の声の調子が変化したことに気付き、顔を上げた後藤に対し、
「なによ、1人だけ被害者みたいな顔してっ!あた、あたしだってすっっっごい恥ずかしかった
んだからねっ、何の説明もないし、いきなり押し倒されて!」
「へ?」
「そりゃ悪いのはあたしだけどっ、すっごい、どうしようもなく迷惑掛けてるのは分かってるけどっ!
何も、本人の目の前でそこまで大仰に迷惑がって見せなくたっていいでしょう!?」
「ちょ、…」
思ったよりも大きな声が出てしまったが、もう勢いは止まらない。
一瞬呆気に取られた表情を浮かべた後藤は、頭ごなしに反論されたことへの反発心からか、
ムッと片眉を跳ね上げて口を尖らせる。
「ちょっと大きい声出さないでよ押し倒されたとか、人聞きの悪いッ」
「だって事実じゃない」
「別にこっちだってやりたくてやったワケじゃーないですから!」
「悪かったわね、やりたくもないことやらせて!」
「ってか声大きいって石川さん!!」
「もっと大きな声出してるのはそっちでしょぉ!?」
睨み合いつつ、ふと口を噤んで周囲の気配に気を配らせる2人の耳には、彼女ら自身の
密やかな息遣いのみが細く響く。ふうっと同時に溜息を吐いて、短い停戦終了、
(幾分声量を絞っているのは互いに僅かな平常心が残っているせいだ)
「……っていうかさー」
再び、意地っ張りな言い争いが幕を開けた。
「何でいきなり後藤は怒られてんでしょう?」
「別に怒ってないし、全然ッ」
「完璧キレてる口調じゃないですかそれ」
「怒ってないってば、何それ言いがかり?その敬語、すっごいわざとらしいんですけど」
「そっちの敬語も嫌味っぽいんですけどー。てか、過剰反応し過ぎじゃないの石川さん?」
「……どうせあたしは被害妄想激しいです!悪かったわねッ」
「そこまで言ってないじゃん、何でいちいち喧嘩腰なわけ?」
「こんな言い方させてるのは、どこの誰よ?」
「いや、…うーん……」
- 257 名前:4. 投稿日:2007/05/03(木) 21:49
-
勢い任せに問答を続けていたものの、当の梨華を刺激しているのはどうやら ――― というか
隠れている人物もいないのだから当然、後藤の他にいない訳で。
必要のない所で負けず嫌いの芽が顔を出し、無用な争いに発展させていたことに気付く。
勢い任せに口を開きかけていた後藤が、一瞬の後悔の後、困ったように初めて押し黙った。
(…怒らせた原因は、多分…後藤だよなぁ)
取りあえずそれは、間違いないとして。
起因がどこに存在したか、すぐに閃くほど敏感な人間ではなかった、残念ながら。
梨華のことを、単に「ストーカーに怯えるか弱い少女」などという偏った認識を抱いていたのは
後藤側の勝手な思い込みで、
尚且つ、彼女を守ってあげよう、助けようというのもその認識の延長で、ある種の驕りというか
上から見下ろす気持ちが心の何処かに無かったと言えば嘘になる。
折角助けてあげたのにどうして怒ってんの ―――― そんな驕り昂ぶった思いが自身の言葉の
節々に滲み出ていたのであれば、彼女が怒るのだって無理はない。
(つまりあれだ、後藤の態度ってもしかして傲慢、だったってこと?)
石川梨華はここへ来てから一度も、「助けて」とは訴えていないのだ。
一方で、
急に大人しく、口を噤んでしまった後藤を前に、逆に梨華は不安を覚えていた。
どう前向きに考えても口が達者とは言い難い梨華だけれど、感情に任せて捲し立てるという
女子特有の武器は、後藤よりも優れているのだろう。(決して自慢にならないのは承知の上だ)
困惑したままの表情で俯いてしまった後藤が口を開かないので、微妙な空気の中流れる沈黙が
気まずい梨華は、独り言のように呟き始めた。
「…分かってるよ、後藤さんが、咄嗟にあたしを庇おうとしてあーいうことしたっていうのは。
だけど、そんなあからさまに嫌がらなくたっていいじゃない」
- 258 名前:4. 投稿日:2007/05/03(木) 21:49
-
何だか泣きそうになって、梨華はぐっと唇を噛んだ。
どうして、こんなことくらいで泣きそうになるの。あたしはもっと、重大な問題を抱えてるのに。
他のことに、意識を傾けたり悩んだりする余裕なんて、とっくに失っているのに。
(あたしだって恥ずかしくってどうしようもなかったけど)
けれど、寮生の少女達に“偽装カップルのフリ”を目撃されるというリスクを回避する為の行為は
恥ずかしかった、確かに顔から火が出そうなくらい恥ずかしかった、だけど
―――― 行為そのものより、後藤がそれを盛大に嫌がり、嘆いていたことが何よりショックだった
のであり、それに気付いてしまったことにより梨華もまた、混乱してしていたのだ。
(でも別に嫌だってわけじゃなかったのに…)
梨華の様子を見守っていた後藤は、彼女の気配が変わったことに気付いた。
怒りから悲しみへの急速な感情の変化。
このままいくと………もしかして、ってか多分、泣かれる!?それは避けるべきだ、絶対に!
助けてやりたいと思う相手を自分の言葉で泣かせるなんて、それこそ最悪の極みではないか。
「“サイアクだ”、とか、言われちゃって、あたしどれだけ魅力ないのとか、思っちゃうじゃない」
「ちが、いや、それは…」
え、なんだ、そういう意味で彼女は怒っていた……のだろうか?
見当違いの解釈で諍っていたらしい状況に思い至り、不意に笑い出しそうになった後藤は、
ここで場違いに声を上げて笑えば元の木阿弥だと、気合で表情を引き締める。
「ほんと、違うんだそれは」
だから目ぇうるうるさせないで、と慌てて言った後藤の顔は先ほどと違う意味で赤くなっていて、
今度は梨華の誤解を解こうと必死な形相を浮かべた。
「なんていうか別に、石川さんが問題なんじゃなくって」
要はまるきり慣れていない“情事”の真似事に勝手に照れていただけの話で、喚いたのはその
照れ隠しの一旦に過ぎなかったのだけど、
どうやら自分の行き場のない感情の吐露が、梨華を傷つけていたらしいと悟って拙いなりに
言葉で伝えようと努力する。と腹の中で定めて、後藤は口を開いた
- 259 名前:4. 投稿日:2007/05/03(木) 21:50
-
「後藤はさっきみたいな、ああいうことサラッとできるようなキャラじゃなくて、そもそも人付き合い
自体が苦手なくらいなのに」
「………」
顔はなおも赤いままだが、神妙な顔つきで訥々と話す後藤を、梨華は黙って聞いている。
一旦口を噤んでしまうと、怒涛のように後悔の念が押し寄せてきてしまったので。
すうっと熱が冷え、若干冷静さを取り戻した頭で考えると、
梨華が後藤に食って掛かる理由も噛み付いた心情も、「八つ当たり」と言うほど単純なものでは
なくて、かといって適切な表現も思い浮かばず、ともかく意味不明なやり場のない一時の感情の
激昂を抑えもせずぶつけたのだから、彼女が困惑しつつも反発した意味が、今なら分かる。
梨華が考える一方で後藤もまた、苦い思いを噛み締めていた。
何故ちょっとしたことにムキになり、更には口論になど発展してしまったのだろう。
どちらかと言えば精神温度が低いところで一定しているタイプの後藤が、少々言い返された
程度で一瞬でも感情的になってしまったのか、
出会って僅か1日の付き合いにしては妙に ――― 何というか、ペースを乱される相手だ。
この、石川梨華という年上の少女は。
「だから結局、他に良い回避策も機転も利かなくて、ああいうカタチになったわけで、傷つける
つもりもなくて、ええとだからホント、ご」
「ごめんなさい」
後藤の言葉を途中で遮るようにして、梨華が搾り出すような声を上げた。
不意を突かれて口を開いたまま動きが止まる後藤に、梨華はもう一度「ごめんね」と囁いた。
「そもそも、あたしが後藤さんに文句言える立場じゃなかったのに、」
事の発端は、梨華が不用意に寮の居室から出て来てしまったことが原因なのだ。
更に遡って考えると、ストーカーに悩む梨華を部外者立入り禁止の桜花館へ避難できるよう
計らってくれた妹を始めとした寮生の少女らに、足を向けて寝られる立場でもない。
そう言えば、おそらく彼女達はこぞって否定し「気にするな」と口々に梨華を励ますに決まって
いるだろうけれど。
だからこそ、一方的な優しさや配慮にただ甘えるのは、自身の心情的に許されなかった。
「ちょっと、混乱してて……馬鹿みたいに」
- 260 名前:4. 投稿日:2007/05/03(木) 21:51
-
思えば、昨夜から後藤の前では泣いてみたり些細なことで衝突してみたり、
大体にして、当初の出会いの場面から秘めた悩み事さえ見抜かれていたりと、梨華の内面を
隠すべくもなく顕にし、弱さも脆さも傲慢さも、全て曝け出してしまっている気がした。
もっと、ちゃんとした部分もしっかりした部分も。
普通の女子大生してるところだってあるのに。
――― 愚痴めいた思いを抱えて、梨華は情けない気持ちになる。そんな「普通のあたし」を
見て欲しかったのにな ―――― そうしたら。
「石川さん」
「な、なに?」
ほんの瞬時、物思いに耽ってしまった梨華の思考を後藤の呼び掛けが現実に引き戻した。
後藤に伝わっている筈もないのに、心の声に驚き、焦ってしまった。
(……そうしたら、って何?)
言葉の反射で勝手に走り出した脳が、その先の内容を導き出す前に、強引に止める。
(ホントに馬鹿か、あたし)
一体何を考えていたのだろうか、と赤く染まった頬を片手で押さえながら自分を叱咤した。
狼狽を気取られた訳でもないのに、後藤が口を開こうとしているのを目にすると、思わず怯んだ。
「…こっちもごめん」
「え?」
「だから…ごめんって」
「なに、いきなり」
予想外の台詞だ。
端的な詫びへの反応が咄嗟に出ず、尚且つ動揺を押し隠そうと微妙につっけんどんな声が
出たけれど、後藤の方は別段気にした様子もなかった。
- 261 名前:4. 投稿日:2007/05/03(木) 21:51
-
「いや、言いたかっただけ」
むしろ、存外素直に言葉が口から滑り落ちたことに、何だかすっきりした心地を覚えた。
爽快さに、後藤は軽く笑う。怪訝そうな顔をした梨華も、つられたように笑みを浮かべた。
「えーと、じゃあ」床の上からソファへと、後藤がもぞもぞと動いて座り直し、
「さっきはお互いに悪かったってことで、万事解決?」
「うん」
殊更あっけらかんとした口調で切り出すと、梨華も頓着なしに大人しく頷いた。
遡って蒸し返したい話でもないし、後藤の提案を敢えて否定する理由はなかった。
恥ずかしさから突っ掛かった梨華と、反射でやり返した後藤と、妙な意地で張り合った経緯から
見ても、似た者同士と呼べなくはない。性格もタイプも全く異なる2人ではあるけれど、案外
相性は良いのかもしれなかった ―――― などと冷静に認める頭は現在、2人ともないけれど。
まぁ、この場で水に流してしまえば後々の面倒もないし、平和に治まる流れを荒立てる必要性は
全くない訳で、けろりとした表情の後藤に倣い、梨華もふっと気の抜けた息を吐いた。
と、不意を突いて後藤が再びぽつりと言い放った。
「今みたいので、いいと思うよ」
思い出したような、気負いのない口調の呟きに、すっと顔を上げた梨華が不思議そうに
少し首を傾げた。澱みの無い瞳は、妙に静かな落ち着きを持っていた。
何が?と切り替えした梨華の目を真っ直ぐに見据えて、再び口を開く。
「今、色々抱えて大変な状況で、怖いことも辛いこともたくさんあると思うけど。
溜め込まないで、吐き出しちゃえば楽になることだっていっぱいあると思うから、さ。
後藤もほら、分かったと思うけど短気であんまり器、広くないけど。でも言われたこと
引きずったりとか、根に持つとか、ないから。だからぶつけてきていいよ、全然」
「………後藤さん」
- 262 名前:4. 投稿日:2007/05/03(木) 21:52
-
ぽつりぽつりと発する言葉の裏に、何故か酷く寂しそうな響きを感じて、梨華は困った様に
眉根を寄せて、ジッと後藤を見据えた。
梨華の視線を受けながら、後藤はある少女の幻影が纏わりつくのを感じていた。
振り払えないのは己の心の弱さ故か。それとも、忘れてはいけないという戒めだろうか。
否、今まさに自分はあの少女と梨華の姿を重ねて見ているのだ。
―――― 彼女は、全てを胸のうちに秘めて、耐え切れずに壊れてしまった
後藤は、自分の特殊な性質を言い訳にして、様々なことから逃げていた ――――
だから今度こそは、そんな身勝手なことを考えずにはいられないのだ。
「ごめんね、ありがとう後藤さん」
「お礼言われるほどのことじゃ…」
自虐的な思いに刹那、善意を取り繕っている態の自身を叩き潰したくなる衝動に駆られる。
すぐに平常心に戻ったのは、固い表情だった梨華が気遣うような、優しげな色を浮かべたのを
見たからだ。閉鎖された「学生寮」という空間の中で、頼る相手も少数であろう梨華にとって、
年齢が近い上、少なからず信頼を置かれる立場にある後藤が、更に彼女の心労を増やすような
行動を取るのはご法度だ。
石川梨華がこの桜花館に居るのは、彼女自身が巻き込まれた「ストーカー事件」を回避する為
なのであって、後藤個人の過去の事情に付き合わせる謂れなどなかった。
大体、他人に軽々しく伝えられるような経験でもなかったし、その苦行は今でも尚続いている
というのに。
放っておけば延々と頭を巡り続ける思考回路を一度中断し、後藤は軽く頭を振った。
「そろそろ、戻ろうか。部屋に」
あまり深刻な、思いつめた状態では要らぬ心配を掛けると、少しばかり声のトーンを上げてみる。
「そうだね、他の寮生の子達がどんどん帰ってきたら困るし」
若干苦笑を帯びた表情で、梨華も同意を示した。
談話室で押し問答をしていたのは数分の間に過ぎないが、先刻の少女ら3人組を皮切りとして、
他の生徒もじき帰寮し始めるだろう。
いつまでもこの談話室に居座っているのは、どう考えても得策ではない。
- 263 名前:4. 投稿日:2007/05/03(木) 21:53
-
「………さて、そいじゃ」
「うん」
「行こうか梨華ちゃん」
「…え?」
「え?」
「今」
「ん、今?」怪訝な顔をして聞き返す後藤は、どうやら自分自身で気付いていない。
梨華はまず自分を指差し、続いて彼女に細い人差し指を指し示した。
「名前で呼んだ」
「何が?」
「後藤さんが、あたしのこと」
えへっと忍び笑って、梨華は続ける。「梨華ちゃんて」
「うそっ」
ようやく平静さを取り戻した筈の後藤の表情に、再び赤みが差した。
「マジで?今、そんな風に呼んだ?」
「そんな慌てること?」
やや呆れた面持ちで、梨華は首を傾げる。こんなにも単純で、些細なことで狼狽する後藤が
何だか可笑しい。込み上げる笑みを何とか圧し止めて、続けた。
「さっき、ソファの上で寝てたでしょ。起き抜けにも、そうやって呼んだよ。ちゃん付けで」
一瞬口を噤んでから、後藤は梨華から顔ごと逸らした。また大袈裟に取り乱せば彼女の
機嫌が悪くなるであろうことは予測できたので、出来るだけ控え目に ―――
とは言え、照れを感じるなというのは無理難題だ。
「うっわー、参った、それはちょっと、いやかなり恥ずかしい」
「ちゃん付けで呼ぶのが?」そんな大きな問題だろうか。
「だって後藤、そーいうキャラじゃないじゃん」
“キャラ”の問題なのだろうか、と内心首を捻らずにはいられなかったけれど、別の疑問が
むくむくと頭を擡げたので、一先ず梨華はそちらを口に出すことにした。
- 264 名前:4. 投稿日:2007/05/03(木) 21:54
-
「でも、妹のことは亀ちゃんって、普通に…」
「だってあのコは年下でしょ」
「それは、まぁ」
「石川さんは年上でしょ」
「…それは、まぁ」
(また石川さんに戻ってる)
やや憮然としながら、上目遣いで探るように梨華は後藤を見据えた。
「それで?」
「だから、いきなり梨華ちゃん、とか馴れ馴れしいじゃん」
「そう?…かなぁ」
「そうだよ」
初対面から人のことを見透かしたような態度で、口を開けば偉そうで、なのに意外な倫理感
を持っているらしい後藤を、梨華は珍しい動物でも見るかのような目で眺めた。
「へぇー…意外」
「何が」ぞんざいな返答は、羞恥心の裏返しだろうか。
初対面から続く遠慮のない物言いから、誰に対してもざっくばらんで年功序列などといった
言葉には全く無縁だろう、と勝手に分析していたことはさすがに胸に秘めて、
「うん、まぁそれはいいんだけど」と濁す梨華だ。
談話室の壁掛け時計をチラリと見上げる。時刻は午後4時を回った。
そろそろ、本当にもう移動しないと。
ソファからの立ち上がり際、何気なさを装って梨華が已然座り込んだままの後藤を
覗き込むようにして、ぽろっと零した。
「いいのに、名前で呼んでくれても」
「いいよ、別に」
「本人がいいって言ってるんだよ?」
「………じゃあ気が向いたら呼ぶ」
- 265 名前:4. 投稿日:2007/05/03(木) 21:54
-
なに、気が向いたらって。
顔を背けてぼそっと言い放った後藤真希の横顔が、何だか子供っぽくて、初めて目にする
彼女の照れ隠しの不貞腐れた姿に梨華は思わずくすりと笑みを漏らした。
意外と、可愛いところあるじゃない。
ふと、そんな気配を感じ取ったのか眉根を寄せた後藤がふと振り向いた。
「今笑った?」
「笑ってないよ」
「ふぅん」
「……ありがと、助けてくれて」
「べっつにー」
精一杯の誠意を込めて、ただ重たくはならないよう何気なさを装って伝えたお礼の言葉は、
彼女の中で一体どのように処理されたのか、梨華に知る術はない。
(ありがとう、色々)
大雑把に表現すれば、今は後藤の存在に救われているのかもしれない。
少なくとも、彼女と対面してここにいる限りは、ストーカーの脅威はここへ届かないのだから。
「さて、……部屋戻るかな」
意識してなのか、後藤は梨華に顔を見せないような角度で立ち上がるとそのまま談話室の
ドアへと滑るように進んだ。もうこれ以上口を開くなとその背中が訴えているようなので、梨華は
口元に浮かんだ笑みを飲み込んで、その後姿を追い掛けた。
しっかりと手に握り締め続けていた烏龍茶の缶は、一騒動の間にすっかり温くなっていた。
- 266 名前: 投稿日:2007/05/03(木) 21:55
-
- 267 名前: 投稿日:2007/05/03(木) 21:55
-
- 268 名前: 投稿日:2007/05/03(木) 21:56
-
石川梨華の自宅の様子を伺っていた「ストーカー」は、朝刊が差しっ放しになっている玄関と、
一向に人気も無く明かりの灯らない室内を交互に見比べて目を細めた。
さすがに、両親が帰って来ないという現実はかなりのダメージだったらしい。次いで、自分が
与えた追い打ちもより一層の効果を挙げたようだ。
――――― 隠れた、となると…
怯え、泣きながら逃げ惑う石川梨華の姿を思い浮かべ、嗜虐的な笑みで唇を吊り上げた
その人物は、肩から下げた鞄から手帳を取り出した。
交友関係が決して広いとは言い難い彼女がまず頼るのは藤本美貴だ。しかし今日の彼女の
行動からして直接梨華と対面した様子はない。
だが、その藤本美貴が訪れた場所は ―――― 接触していた相手は ――――
手帳に挟んだ数枚の写真から、一枚を選別し、抜き取る。
おそらく、ここに。
亀井絵里の写った写真を手に、「ストーカー」の顔から笑みがスッと掻き消えた。
厄介と言えば厄介な場所に逃げ込んだものだ。簡単に手出しは出来ない、けれども。
相変わらず人の気配が皆無な静まり返った石川家を見上げて、くっと笑みを漏らした。
手持ちのカードは、こちらが圧倒的に有利なのだ。
―――― 無駄な抵抗を、楽しんでやろう。少しくらい泳がせてやってもいい。
- 269 名前: 投稿日:2007/05/03(木) 21:56
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- 270 名前:名無し猿 投稿日:2007/05/03(木) 21:59
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先ずは最初にお詫びを申し上げます。半年以上の間が空いてしまい、本当に
申し訳ございませんでした!スレを保全し、尚且つ更新を待っていてくださった読者
の方に改めてお礼申し上げます。
以前に書いたかもしれませんが、作者の家はネットに繋げない環境でございまして
文章は書いているもののうpできないわけでして(言い訳)。
ですので、相変わらず更新は遅いですが話自体は絶対に完結させます。まだ
見限らずにいらしてくれる読者の方がいましたら、どうぞよろしくお願いします。
>>197 名無し飼育さん
続けて更新直後に読んでいただいたようで、感謝しきりでございます!
飽きられずに読み続けていただけるよう頑張ります。あと、こんな駄目作者を擁護して
いただいてありがとうございます。ただ甘やかすと単純故に調子に乗る恐れがあります
のでご注意を…
>>198 Liarさん
前回「更新キター!」と叫んでいただいてから、一体どれほどの月日が流れたやら…
まこと申し訳ございません。自分の小説ごときに嬉し泣きなんて勿体ない限りです、
どうぞ気楽に読んでやってくださいませ。ゆっくり待っていてくれるという言葉に甘えて
こんな時期になりましたが、よろしくお願いします。
>>199 名無し飼育さん
前回名前だけだったあの人は今回(の前半戦)大活躍です。というか書き易いキャラ
ですよね、主役率が高いのもよく分かるなぁと今作で初書きの自分も思った次第です。
一応主役は例の2人ですが、色々な組み合わせで絡ませていきたいなと考えておりますので
これからも出来れば、見守っていただきたいと思います。
>>200 流れ読者さん
応援ありがとうございます!またどこかに流れて行ってしまわれたのでしょうか…
ぜひまたの機会に立ち寄っていただければ幸いです。
(こんなのんびりな話展開なので例の美少女の出番はいつになるやら;)
すみません、続きは相当お待たせいたしました。
>>201 名無し飼育さん
こちらこそ、応援レスありがとうございました!こんなにゆっくりゆっくりになり過ぎている
のにまだ読み続けてくださるか不安ですが、最後まで絶対に書き上げますので、もう
しばらくマイペースな作品にお付き合い頂きますようよろしくお願いします!
>>202 名無し飼育さん
ありがとうございます!ツボにはまりましたか?作者的には意外なところですがw
笑っていただけたなら成功ですね、感想いただけて嬉しいです。
ちなみに彼女は今回も少しだけ出ましたが、いかがだったでしょうか?非常に他キャラと
絡ませ易いので重宝してます。
- 271 名前:名無し猿 投稿日:2007/05/03(木) 21:59
- >>203 名無し飼育さん
いえいえ、感想いただけるだけで何より嬉しく、幸せに思います。
生き生きしてますかね、リアル世界での彼女達が非常に魅力的ですから、それに助け
られている部分が大きいと思いますが、お褒めの言葉をありがたく頂戴いたします。
作者のペースは本当に怠慢とも言えるくらいのんびりですが、これからもよろしくです。
>>204 名無し飼育さん
ありがとうございます!半年も経てばドキドキもワクワクも消失してしまっていそうですが、
もしここの存在を覚えていていただければ読んでやってくださいね。はい、凝りもせず
マイペースに頑張らせていただきますのでよろしくお願いします!
>>205 名無し飼育さん
ありがとうございます!やっと更新できました
>>206 名無し飼育さん
ありがとうございます、本当にお待たせしました!
>>207 名無し飼育さん
すみません、遅くなりまして。書かせていただきました
>>208 名無し飼育さん
保全ありがとうございます
>>209 名無し読者さん
お待たせいたしました、図々しく帰って参りました
>>210 名無し飼育さん
まったりまったりし過ぎて申し訳ありませんでした;
>>211 名無し飼育さん
気になるところで切ったりとか、意図的ではないんですがともかく更新期間が空いた
ことに変わりはありませんね。気長に待っていただいてありがとうございました
>>212 名無し飼育さん
初めまして、丁寧でためになる書き込みありがとうございました、謝るなんてナシですよ〜
読みにくい文章なのに、挑戦して頂けるとは幸せな作者ですね。嬉しいです。
ただ自分は感性が古いタイプの人間ですからw、イメージが違うように感じられるのは
往々にしてあるかもしれませんね。それも個性の1つとして思っていただければ;
更新期間についても、本当に反省しております。音沙汰無さ過ぎですね。これからは
携帯を上手く利用して生存報告くらいはしていきたいと思っています。
(その前に早い更新を心掛けろという話ですが…)
>>213 名無し飼育さん
ちょろちょろと書き続けています、元々モチベーションの維持という程文章力もなく、
小賢しいレベルなんですが…放棄はしないで何とかラストまで書き上げたいと思います
ので、どうぞよろしくお願いします。
前回から半年空いたので、次の更新は1年後か…?ということにはならないよう、次回は
もう少し早い更新をしていきたいと思っております。毎回のことながら、マイペースにどうぞと
優しい言葉を掛けてくださる心の広い読者の皆様、本当にありがとうございます。
よろしくお付き合いいただければ、幸いです。
- 272 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/05/03(木) 23:44
- キタ━━━(゚∀゚)━━━!!!!
前半のコンビの掛け合いも楽しいけど後半コンビもイイっすねー。
照れちゃう後藤さんが可愛いですw
- 273 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/05/03(木) 23:56
- 待ってましたよ!相変わらずの大量更新乙です。
それぞれキャラが強くておもしろいなぁ。
これからも楽しみにしてます。
- 274 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/05/04(金) 00:48
- キタ━━━━(Д゚(○=(゚∀゚)=○)Д゚)━━━━━!!!
好きですこちらのいしごま!
あと美貴様withよっすぃも(笑)
- 275 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/05/04(金) 01:03
- 半年以上ですか、最近一気読みした自分はラッキーでした。
とても面白いし期待している人も多い様です、作者さんのペースで頑張って下さい。
- 276 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/06/03(日) 20:47
- 待ってます保全です
- 277 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/06/04(月) 23:50
- 作者は氏にました。未完ですがここで終わります
- 278 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/06/21(木) 02:14
- 頑張れ!
- 279 名前:名無し 投稿日:2007/06/26(火) 19:03
- お待ちしております。
- 280 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/11(水) 21:24
- 楽しみに待ってます
- 281 名前:名無し読者 投稿日:2007/07/28(土) 20:51
- 保全
- 282 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/08/11(土) 23:38
- 待ってますよ♪
未完なんて嫌だぁ〜!!
(´Д`)
- 283 名前:名無し 投稿日:2007/08/15(水) 23:07
- 楽しみに待ってます。
- 284 名前:名無し 投稿日:2007/09/01(土) 22:30
- ずっとずっと待ってます。
- 285 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/09/22(土) 23:47
- 倉庫落ちギリギリまでジラしてくれるあなたが好きですw
- 286 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/10/12(金) 21:58
- まだ「ネットに繋げない環境」なんでしょうか。
諦めずに待ってます。
- 287 名前:名無し読者 投稿日:2007/11/08(木) 19:39
- 諦めず待ちます!!
お帰りになるのを楽しみにしています。
- 288 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/01/12(土) 00:07
- 色々と事情はあるんでしょうが生存報告か
離脱宣言はして欲しかった・・・・
- 289 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/01/12(土) 19:57
- いつもまとめてドーンな人だからずっと待ってるよ
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