豆柴と飼い猫2
- 1 名前:太 投稿日:2006/08/26(土) 07:21
- 前スレ
森板「豆柴と飼い猫」
ttp://m-seek.net/cgi-bin/test/read.cgi/wood/1144064561/
の中の「本当の気持ち(その2)」の続きです。
- 2 名前:本当の気持ち(その2) 投稿日:2006/08/26(土) 07:24
-
「…いしかーが仕事場で気ぃ抜くなんて珍しー」
ずりずり椅子に浅く座りなおして、背凭れに体重を預けた。
「じゃあ、私も行かなきゃ…」
「あー、いしかーの番はまだだよ。誰か呼びに来ると思うし」
「そっか」
それきり黙ってしまった石川。
ちらりと横目で見て、鏡に視線を戻した。
鏡の中で絡んだ視線。
胸の中で疼くモノを無視して私は口を開いた。
「なーんか、いしかー最近変」
「えー?」
「ま、いしかーが変なのは今に始まったことじゃないけど」
静かに笑う彼女。
だけど、その笑顔は、いつもと違う。
- 3 名前:本当の気持ち(その2) 投稿日:2006/08/26(土) 07:24
-
「最近はおかしすぎ。特に今日は、…変だよ」
「そー?」
「そう。ほら、おにーさんに話してみなさい。聞いたげるから」
「おにーさんって、よっちゃん」
時折真剣に彼女の瞳の色を見ながら、言葉遊びを続けて。
無理してる彼女。
少し前の私ならしょうがないなって苦笑するトコロだけど、
今はそんな余裕とてもなくて。私の胸を締め付けるだけだった。
でも、私が何とかしなくちゃ。
――石川を慰めるのは私の役目。
突き動かすのは変な義務感と。
あの頃の私だった。
- 4 名前:本当の気持ち(その2) 投稿日:2006/08/26(土) 07:24
-
「大丈夫?」
視線を外しながら尋ねたら、返ってきたのは予想外の答え。
「よっちゃんは大丈夫?」
言外に含まれる意味に気付いて、鏡越しに彼女を見つめた。
意識とは別の所で心拍数が上がり、頬が熱くなる。
「いきなり…」
「そう?」
一度だけ、私は自分の気持ちを石川の前に晒したことがある。
私の家へ来てごっちんの事で泣く彼女を励ますために、
たった一度だけ、私は、叶わない恋をしていると漏らした。
もちろん、相手の名前を言わずに。
悲鳴を上げる心を押さえつけて、この気持ちを相手に伝えるつもりは無いって、彼女の頭を撫でながらそっと教えた。
だから、石川は一人じゃないよ、って。
- 5 名前:本当の気持ち(その2) 投稿日:2006/08/26(土) 07:24
-
悲鳴を上げる心を押さえつけて、この気持ちを相手に伝えるつもりは無いって、彼女の頭を撫でながらそっと教えた。
だから、石川は一人じゃないよ、って。
自分自身に踏みつけられた心。
私は考えることを放棄した。
その時の私の最優先事項は目の前の石川を慰めることだったから。
「最近どう?」
…気付いた瞬間失恋決定した上に、恋敵の大切さを再認識してして。
自分の卑怯さに打ちのめされましたけど。
心の中で呟いた。決して声にはならない言葉。
微笑みながら問いかけてくる彼女を適当にいなして、
視線を合わせることすら辛くなって、視線を外した。
- 6 名前:本当の気持ち(その2) 投稿日:2006/08/26(土) 07:25
-
「で、何かあったの?」
冗談めかして咳払いを一つ。
まだ視線は合わせられそうにない。
「別れた」
「え?」
「彼氏と別れた。というか、振られちゃった」
取って付けたように笑った石川。
「何故」も「どうして」も、言えるわけがなくて。
「そっか」なんて、どうにもならない言葉しか出てこなかった。
肝心な時に回らない自分の口が嫌になる。
「うん。まあ、当然なんだけどね。最低なことしてたから」
段々と語尾が小さくなる彼女の言葉。
ちらりと鏡越しに見ると、彼女は目を伏せていて。
「素直になれって、言われた」
石川の瞼が僅かに震えて。
掠れた声は私の心を容赦なく締め上げた。
- 7 名前:本当の気持ち(その2) 投稿日:2006/08/26(土) 07:25
-
「…素直になってみる?」
その言葉を吐くのは、酷く労力がいって。
顔は、見れなかった。
言外に匂わせた意味を彼女は敏感に感じ取ったみたいで。
横顔に視線を感じる。
「ごっちんが、好きですって言うの?」
「うん」
頷くことさえ、苦しい。
苦しい。
苦しい。
「…なれたら、いいね」
やっと搾り出したようなその声に、胸の疼きは止まらない。
ねえ。石川。
今誰を思ってるの。
誰を思って、そんな顔をしてるの。
尋ねなくったって、分かってた。
- 8 名前:本当の気持ち(その2) 投稿日:2006/08/26(土) 07:26
-
何だってこんなに私は諦めが悪いんだ。
石川に告白を促したそばから、私はもう後悔してて。
小さく溜め息を吐いて、視線を伏せた。
伏せた視界に入ってきた、ケータイをぎゅうっと握り締めた石川の手。
「いしかーまだその携帯だったんだ」
話題を変えられればなんでもよくて。
そう言ったら、石川の視線がゆっくり動いてケータイを捉えた。
「変えないの?」
尋ねた言葉に他意なんてなかった。
だから。
「そうだね…」
何かに耐えるような、苦しそうなその声音に、驚いた。
「いしかー?」
顔を上げた石川。
鏡越しに視線が絡んで、彼女はゆっくり微笑んだ。
- 9 名前:本当の気持ち(その2) 投稿日:2006/08/26(土) 07:26
-
ずくりずくり。
心が疼く。
そんな顔しないで。
泣きそうな顔で笑わないで。
できることなら震える肩を抱きしめて、髪を撫でてあげたい。
だけど。
石川が苦しんでても、私にはその資格がないんだ。
ぎゅうっと手を握りこむと、突然、肩に何かがあたった。
見ると、私の肩に石川の頭が乗っかってて。
悲しいかな私の心はこんな時でも、大きく高鳴った。
「ひとみちゃんを好きになればよかったなぁ」
安心しきった声。
石川が全部で寄りかかってくるのが分かって。
泣き出したい衝動をなんとか堪えた。
- 10 名前:本当の気持ち(その2) 投稿日:2006/08/26(土) 07:27
-
好きになってよ。
私を好きになってよ。
幸せにするよ。絶対泣かせたりなんかしないよ。
誰よりも誰よりも。
幸せにするから。
声にならない声。
絶対に声にはできない声。
まだこんなにも好きなのに。
好きでたまらないのに。
でも、石川はそんなこと望んでなんかいないから。
(切り替えろ)
頭を切り替えろ。
―――私は、石川の同期の、吉澤ひとみ。
- 11 名前:本当の気持ち(その2) 投稿日:2006/08/26(土) 07:27
-
「ひとみちゃんとか、懐かし」
「新鮮?」
「新鮮すぎて、逆に鳥肌がっ」
「もー」
「おねーさんが言うと嵌りすぎてサムイから」
「てーれちゃって」
大丈夫。私、笑えてる。
ちゃんと笑えてる。
石川が言葉遊びを望むなら、面倒見の良い同期のよっちゃんはそれにのってあげる。
それが、正解。
正しい私たちの距離。
「私も、梨華ちゃんを好きになればよかった」
大丈夫。
(痛い)
声は震えてない。
(痛い)
言えてるよ。
ちゃんといつもの、よっちゃんの声で言えてる。
- 12 名前:本当の気持ち(その2) 投稿日:2006/08/26(土) 07:28
-
「じゃあ両思いじゃーん」
「梨華ちゃーん。あいしてるよぉー!」
「きゃーっ」
ぐりぐり石川の頭に自分のそれを押し付ける。
大丈夫。
大丈夫。
いつも通り。
いつも通りでいいから。
「めっちゃ好きー」
「あはは。告白されちゃった」
「おにーさんが、幸せにしたげるよ」
石川がそれを望んでる。
なら私は、それ以外にすることなんてないでしょ。
ぎゅうっと腕を抱きしめられる感触がして。
心が疼いて、どくりと高鳴った。
私にはもう、何に対しての疼きなのか、高鳴りなのか分からない。
「私もあいしてるよー!ひとみちゃん」
それは、どれだけ望んでも、決して私に向けられることのない、言葉。
- 13 名前:本当の気持ち(その2) 投稿日:2006/08/26(土) 07:28
-
「……っ―――――」
石川が叫んだのと同時に、楽屋の扉が開いた。
そこから顔を出したのは矢口さんで。
彼女は私たちの姿を見とめると、困ったように眉根を寄せた。
「やっぱりお前らか。外までまる聞こえだっての!
恥ずかしいなーもー」
腕を組んで拗ねたように唇を尖らす矢口さん。
私は、彼女の登場に少しだけほっとしてた。
だって多分のあのまま“遊び”を続けてたら、
いつかどこかで私の中の中かが切れてしまいそうで。
石川を傷つけそうだったから。
「矢口さんもやりますー?」
「特別に入れてあげてもいいですよ」
- 14 名前:本当の気持ち(その2) 投稿日:2006/08/26(土) 07:28
-
やらないよ、って言いながらこっちへ近づいてくる矢口さん。
その後ろの扉が開いたままになってて。
扉を閉めるように言った私の言葉に彼女はきょとんとして、扉を振り返った。
「あれ、ごっつぁんは?」
唐突に飛び出した名前に、知らず体が強張る。
「おかしいなー。楽屋の前まで一緒にいたのに…」
ぶつぶつ言いながら扉を閉めた矢口さんの言葉。
どくりと心臓が鳴った。
ごっちんが、いた?
「…ごっちん、来てたんですか?」
「んー?さっきスタジオの方に顔出しててさ。
2人にも挨拶するって言うから一緒にそこまで来たんだけど」
- 15 名前:本当の気持ち(その2) 投稿日:2006/08/26(土) 07:29
-
急用でも思い出したのかな、と矢口さんは首を傾けた。
急用?
そこまで来ていたのに、何も言わずに帰るか。
あの、ごっちんが。
嫌な汗が背中を流れて、私の中に一つの推測が立つ。
「…どこから聞いてました?」
「え?」
「うちらの会話、どこから聞いてました?」
自分の声がいつものそれじゃなくなっていることには気付いていたけど、
それを訂正する余裕なんてなかった。
「えと、梨華ちゃんあいしてるよーとかからだけど…」
その言葉に推測は確信になった。
楽屋の前まで来て、突然いなくなったごっちん。
彼女が聞いてしまった声。
(―――ごっちん…?)
- 16 名前:本当の気持ち(その2) 投稿日:2006/08/26(土) 07:29
-
「あ、石川。順番回ってくるから、そろそろ入った方がいいよ」
「はい」
石川が立ち上がる気配がして、咄嗟にその腕を取った。
驚いたように振り返る彼女。
「ごめん。梨華ちゃん。私、もしかしたら…」
あんな言葉遊び、昔なら日常茶飯事だった。
けれど。
今はあの時とは何もかも違う。
ごっちんはどう思った?
あの会話を聞いて、どう感じた?
もしかしたら。
多分。
きっと。
ごっちんは、勘違いをしてる。
- 17 名前:本当の気持ち(その2) 投稿日:2006/08/26(土) 07:29
-
不思議そうな顔をした石川が何かを言いたそうに口を開いた、その時。
扉のノック音にスタッフさんの彼女を呼ぶ声がして。
私は目を伏せて、彼女の腕を離した。
「ごめん…」
「うん?」
石川は楽屋を後にした。
残ったのは、私と矢口さん。
矢口さんはいつもみたいに、自分の荷物からケータイを取り出してぴこぴこしてた。
何してんだ。
何やってんだ。私は。
これで二人の間に何かあったら、確実に私のせいだ。
石川に想いが通じる日が来るかもしれない。
そう一瞬でも思わなかったと言ったら嘘になるけど。
だけど、それ以上に、ごっちんを想って泣く石川の姿が私の心を占領して。
あんな姿は、もう見たくなかった。
なのに。
そう思ったはずなのに。私は。
- 18 名前:太 投稿日:2006/08/26(土) 07:30
- 急用が…
夕方に再開します。
- 19 名前:本当の気持ち(その2) 投稿日:2006/08/26(土) 16:42
-
ぐたりと上半身を倒して、机の上に額を乗せた。
「どした?元気ないぞぅ、よっしぃー」
言葉と共に、優しい掌を頭の上に感じた。
見なくても分かる矢口さんの感触。
「矢口さぁん…」
どうしよう。どうすればいい。
例えこの気持ちが通じなくたって、彼女を笑顔を奪うようなことはしたくないのに。
泣かせちゃうかもしれない。
慰めるのは私の役目とか、思ってたのに。
私は、石川に何一つ満足にしてあげられないじゃないか。
それどころか。
「迷惑ばっかかけてる気がする…」
髪を優しく撫でてくれる矢口さんの手。
- 20 名前:本当の気持ち(その2) 投稿日:2006/08/26(土) 16:45
-
「よっしぃー、頑張ってるよ。うん。私はそう思う」
矢口さんは事情を何も知らない。
だけど、何とか励まそうとしてるのがその声音から読み取れて。
じーんと目頭が熱くなった。
「でもさ、やっぱ、それだけじゃ駄目な事もあるんだよ。
なるようにしかなんない事とかも、たくさんあって」
ぽんぽん、ぽんぽん。
矢口さんの手も声も言葉も、全部優しい。
じわりじわり、と染み入るように彼女の言葉は私の中に入ってくる。
矢口さんは「でもね」って言葉を続けた。
「それはよっしぃーのせいじゃないんだよ、誰のせいでもないの」
皆がんばってるから、誰も悪くないんだよ。
矢口さんは、ぽんぽんっと撫でるように頭を叩いて。
「何悩んでるか知らないけど、なるようになるもんだよ」
矢口さんはくしゃくしゃと私の髪をかき回した。
「そーんなヘコむなぁー」って冗談っぽく言いながら。
泣きそうなのを堪えてお礼を言ったら、更にくしゃくしゃ撫でられた。
- 21 名前:本当の気持ち(その2) 投稿日:2006/08/26(土) 16:45
-
***
あの時、矢口さんの手に私はすごく救われたんだ。
“なるようになる”
その時の言葉が本当になるのに、それほど時間はかからなかった。
石川に、ごっちんと付き合う事になったって言われたのは、それから数日後のことだった。
報告された時、軽口を叩いて彼女たちの恋に声援を送って。
友人として正しい振る舞いを私は精一杯した。
苦しくないって言ったら嘘で。
悔しくないって言ったら嘘で。
悲しくないって言ったら、嘘で。
でも、苦しくても、悔しくても、悲しくても。
私なら、いい。
どんなに心がじくじく痛んでも、それが私の心ならいい。
だけど、石川は。
石川が苦しむのを見るのは、嫌なんだ。私が嫌だから。
だって、好きなんだ。
好きで好きでしかたないんだ。
自分の心が痛んだって、彼女の苦しむ姿を見るなんてできなくて。
私は、じくじく痛む心に固く鍵をかけた。
- 22 名前:本当の気持ち(その2) 投稿日:2006/08/26(土) 16:46
-
◆◇◆
目の前で美貴が好奇心できらきらと子供のように目を輝かせてる。
「好きだったね。今でも好きだよ。友達だし」
笑顔でそう答えたら、彼女はあからさまに眉を寄せた。
目つき超怖いんだけど美貴さん。
「そーゆー事を言ってんじゃないんだけど」
不機嫌そうな声音に美貴から視線を逸らす。
分かってるよ。
美貴が聞きたいのはあれでしょ。
私が石川に恋愛感情を持っていたか、って事でしょ?
- 23 名前:本当の気持ち(その2) 投稿日:2006/08/26(土) 16:47
-
「さぁてねぇ」
「よっちゃんさんっ」
はぐらかすと、美貴は元からキツイ目つきを更にキツクして私を睨んだ。
好きだったよ。
もうホント恋愛感情丸出しで大好きだった。
でも、それはもう昔のことだから。
あの頃の私は未だに心の中にいるけれど。
心の奥に押し込んで、鍵をかけたその気持ち。
これからも、その鍵を開けることは、ない。
- 24 名前:本当の気持ち(その2) 投稿日:2006/08/26(土) 16:48
-
好きです。
大好きです。
この気持ちを、あなたに伝えることは永遠にないけれど。
あなたが、好きでした。
そりゃもう、渋谷のど真ん中をスッピンで歩けちゃうくらいの勢いで。
今は、あなたの幸せを、心から願っています。
――――でも、そろそろ時効かな。
睨む美貴に苦笑を漏らして、ぽんぽん、といつかの矢口さんみたいに叩いた。
- 25 名前:太 投稿日:2006/08/26(土) 17:14
-
前スレで調子こいて投稿しすぎました…(阿呆)
ここでもいしごまでいきます。宜しくお願いします。
てか、ごめんよ、よっちゃんさん…。
- 26 名前:太 投稿日:2006/08/26(土) 17:16
- >>405さん
レスありがとうございます。
アホみたいなバカップル感と甘さを目指してたので、
そう言って頂けると嬉しいです(笑)
>>406さん
アドバイスありがとうございます。
色々考えた結果、夢に立てることにしました。
こっちでもよろしくです。…更新遅くて申し訳です(汗)
>>407さん
レスありがとうございます。
閉ざされた空間+制限時間付きですから、妄想は広がります(笑)
新スレ立てました。どうぞよろしくです。
>>408さん
レスありがとうございます。
いやー、何の捻りもないタイトルですみません(笑)
アドバイス通り夢に立てることにしました。
>>409さん
レスありがとうございます。
楽しんで頂けたようでなによりです。
更新遅くて申し訳です(汗)
>>410さん
レスありがとうございます。
すみません、下の方に沈んでまして(笑)
ご期待に沿えるかどうか…頑張ります。
- 27 名前:太 投稿日:2006/08/26(土) 17:17
-
もう一本いきます。
いしごま後藤視点。
- 28 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 17:18
-
「見て見てごっちん!すっごく景色きれいだよ」
窓の外に広がる海を指差す梨華ちゃん。
そのはしゃいだ声に、部屋へ案内してくれた仲居さんが苦笑して、
私は、やれやれって肩を竦めた。
仲居さんから部屋の鍵を受け取り、部屋の隅に荷物を置いて、梨華ちゃんの隣に並ぶ。
彼女に倣って窓の外を覗くと、梨華ちゃんの言う通り、
太陽の光を受けた海面がきらきら輝いてすごく綺麗だった。
「だねぇ。天気よくてよかったよね」
雲一つ無い晴れ渡った空。
隣の梨華ちゃんにそう言うと、にっこり微笑んだ彼女。
その笑顔に一瞬見惚れてしまったのは内緒。
早まる鼓動を気付かれないように窓の外に視線を戻した。
- 29 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 17:19
- 鼓動を気付かれないように窓の外に視線を戻した。
相変わらずきらきらした海。
砂浜にはカラフルな水着。
隣には一ヶ月前より随分と髪が短くなった可愛い彼女の姿。
畳の匂いが鼻腔を掠めた。
真夏の昼下がり、私と梨華ちゃんは海へ旅行に来ていた。
もちろん、二人きりで―――。
- 30 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 17:20
-
***
きっかけはコンサートのMCだった。
“海に行きたい”
そう言い出したのはどっちだったっか、もう覚えてないけど、
海で遊ぶ計画を話す梨華ちゃんの嬉しそうな表情は、しっかりと私の瞳に焼き付いてた。
こんな仕事をしてると、普通の女の子みたいに友達とどこかへ遊びに行くなんてことは、なかなかできなくて。
それには色々な要因があるのだけど、一番の問題は時間だった。
普段でさえ休みが貰えるなんてことは少ないのに、
夏に入ると更に忙しくなって、休みは零に等しい。
- 31 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 17:20
-
それは、梨華ちゃんも同じで。
色々なイベントやコンサートが重なって、
最近は会うことさえままらない日々が続いてた。
夏はカセギドキ。
それはアイドル稼業も、海も、同じ。
だから、ここ数年プライベートで海へ行く機会はなくて。
梨華ちゃんと「行きたいね」なんて話をしてても実現させることは難しかった。
だけど。
だけどさ。
やっぱりね。
海でのデートなんて、すごく憧れるじゃん。
それでなくても、普段の行動がかなり制限されてる私たち。
そりゃ、この仕事を続ける以上、仕方が無いって思うけど。
デートだってしたいじゃん。
恋人と、手繋いでさ。
二人並んで浜辺歩いたりしたいじゃん。
普通の女の子がする普通のデート。
そんなことがしてみたかった。
―――大好きな大好きな、梨華ちゃんと。
- 32 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 17:21
-
でも、現実はそんなに簡単にはいかなくて。
今年の夏も、殆ど諦めてた。
駄々をこねるほど子供じゃないけど、
だからって全て割り切ってしまえるほど大人じゃない私は、
梨華ちゃんとの仕事が増えて去年よりは全然会える機会があるって、自分を無理やり納得させて。
そしたら、7月の半ば、それは突然飛び込んできた。
いつものように仕事場に顔を出すと、
苦虫を噛み潰したような顔をしたマネージャーさん。
怒られるようなことをした覚えのない私は、
首を傾げながらもいつも通り挨拶をした。
- 33 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 17:22
-
そしたら。
言い渡された二日間の夏休み。
突然のことにぽかんと口を開けてマネージャーさんを凝視してしまった私に、
スタッフさんの手違いでその二日間はどうしても仕事ができる状態じゃなくなった、と説明をしてくれた。
思いがけない夏休み。
その仕事自体はもちろん無くなったわけじゃないから、
先延ばしという形で後日こなさなきゃいけないわけで。
その分の皺寄せが降りかかってくる先はもちろん私自身。
だから本来ならあまりいい事じゃないんだけど。
今の私には、それは神様からの素敵なプレゼント思えた。
日ごろ恋人にも会わずにせっせと仕事に励む私への最高のご褒美。
- 34 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 17:22
-
だって。
その前日にメールで聞いた梨華ちゃんの休みと、
ちょうどその突然の二日間の休みが同じ日だったから。
そのスタッフさんには悪いけど、私は心の中で大きくガッツポーズをせずにはいられなかった。
そこから梨華ちゃんと連絡を取り合って、まだ予約が取れそうな宿を探して、
何とか見つけた旅館にすぐさま予約。
そして今日。
朝からはしゃぐ梨華ちゃんを連れ、新幹線に乗ってここまでやってきた。
- 35 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 17:23
- ***
海の近くの小さな旅館。
この時期に予約が取れるなんて、あまり期待はしてなかったんだけど。
通された和室は意外にも上品な感じ。
鼻腔をくすぐる畳の香りが懐かしい気分にさせて、私は予想に反して気に入っていた。
梨華ちゃんは気に入ってくれたのかな。
それとなく彼女に聞こうと思ってたら、そんなことをするまでもなく、
旅館に足を踏み入れてから嬉しそうにきょろきょろ周りを見回すその視線が全てを物語ってた。
- 36 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 17:23
-
「海気持ち良さそうだね」
大きな窓の枠に手を突いて、眼下に広がる砂浜を眺める梨華ちゃん。
その目から、抑えきれない好奇心が滲み出てる。
そんな彼女の姿に、私は思わず苦笑を漏らした。
21歳の梨華ちゃんが今だけは小さな子供みたいに見えて、何だか微笑ましい。
できれば、「海に入ろう?」って誘いたいところだけど、それは今はちょっと無理。
これだけの人の中、一応芸能人っていう立場の私たちが自分から入っていくっていうのはジサツコウイ。
十中八九周りに見つかる。
だから今は我慢。
「あっついもんね今日。35度とか言ってたよ、お天気お姉さん」
なんて、意識して話題を逸らしてみると、
それに気付いたらしい梨華ちゃんがちょっとだけ寂しそうな色をその瞳に乗せた。
だけど、それは一瞬のことで。
すぐにいつもの笑顔で「すごいよね」って返事をする。
- 37 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 17:24
-
それは彼女よくする仕草。
自分が正しいと思うことはしつこいほど主張する梨華ちゃんだけど、
何かをお願いしようとしてるときや、逆に自分があまりノリ気じゃないことをお願いされたとき、梨華ちゃんは自分の感情を笑顔の下に隠す。
自制するように、全てを堪えるように。
まるで何事も無かったようににっこり微笑んで。
嘘は下手な癖に、そんなことだけは妙に上手くて。
出会った頃よりもずっと上手になったそれは私に対しても崩れることは無い。
それは梨華ちゃんが大人だから。
同い年の子が学校だ恋だって“子供”を満喫してた頃から仕事をしてきた梨華ちゃんだから。
辛いことも嫌なことも全てを受け入れて、笑顔を見せなければいけない仕事をしてきたから。
梨華ちゃんは無意識に回りに気を使ってる。
それは、必然的に身についた、彼女なりの防衛手段。
(分かってる)
そんなこと全部分かってるんだ。
だけど。
私は、その仕草を見つけるたびに少しだけ心が痛くなる。
だってその仕草を見せる時は、梨華ちゃんが何かを我慢してる時だから。
我慢して、本当の自分の感情を押し殺してる時だから。
- 38 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 17:24
-
体育会系気質がそうさせるのか、彼女は年齢のことに妙に拘って。
もう長い付き合いになるのに、そう簡単にその感情を見せてくれない。
…年下の私には尚更。
でも。
でもね。
お姉さんな梨華ちゃんも、もちろん大好きだけど。
肩の力を抜いて?
ほんの少しだけでいいんだ。
私に頼ってくれてもいいじゃない。
そう思うのは、我侭かな。
- 39 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 17:25
-
「夜さ…」
笑顔の梨華ちゃんを見ながら、ぽそりと呟く。
彼女がその表情の下に隠した感情を意識しながら。
ここは仕事場じゃない。
だから、隠さないで。
声に出して訴えて?
「夜、行こっか」
「どこに?」
きょとんと私を見返してきた彼女。
被ってたキャップをひょいと上げて、笑みを返した。
「うーみ」
夜なら今みたいに人はいないだろうから。
海の中には入れないけど、砂浜を散歩しよう。
めいっぱいさ、楽しもうよ。
二人きりの秘密の海を。
- 40 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 17:25
-
「やっぱさ、ここまで来て、眺めてるだけなんて寂しいじゃん?」
そう言ったら、梨華ちゃんが嬉しそうに微笑んだ。
無邪気な笑顔。
いつものお姉さんじゃないその表情に、彼女の中にある心の扉の鍵が緩んでるようで。
それだけでも、来て良かったって心の底から思えた。
- 41 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 17:26
-
***
「これからどうする?」
とりあえず砂浜を見るのを止めて、お茶を淹れる為に机の上に置かれてた急須にお茶葉を入れた。
きゅっとお茶葉の缶の蓋を閉め、未だに窓に張り付いて、
羨望の眼差しで海を見つめる梨華ちゃんに目をやる。
彼女はこちらに振り向かずに窓の外を見つめたまま「うーん」って唸った。
私からは背中しか見えないけど、その声音から、
梨華ちゃんがあまり本気で考えてないだろうなってのが手に取るように分かって。
苦笑してポットに手を掛けた。
ポットからお湯が出る音を聞きながら何をしようか考える。
お昼ご飯は来る途中で済ませてきたし。
夕食まではまだ大分時間がある。
急須の蓋を閉めて、茶碗にこぽこぽ緑茶を注いだ。
- 42 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 17:26
-
何をしようか。
静かな和室の中、二人でのんびり過ごすのも悪くない。
今まで会えなかった分だけ、いちゃいちゃするのもいい。
急須を机の上に静かに置くと、茶碗から緑茶のいい匂いが香ってきた。
その香りを吸い込むと、心が落ち着く。やっぱり日本人たるもの緑茶だよね。
妙に納得して、一口啜った。
どうしようかな。
ねえ、梨華ちゃん。どうしようか。
(でも、やっぱ旅館ときたら…)
私はこの部屋に着くまでの廊下での仲居さんの説明を思い出す。
ここは新鮮な魚料理が自慢らしい。
浜が近いからすぐに海に遊びに行けるのも自慢の一つで。
―――それから、あと一つ。
茶碗を急須の隣に置いて、窓の外を眺める梨華ちゃんの背中を見た。
「梨華ちゃん、温泉行こっか」
彼女の背中がぴくりと跳ねた。
- 43 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 17:27
-
あの仲居さん、確か温泉も自慢だって言ってたし。
やっぱね。旅館に来たら温泉入らないと。
うんうんって一人で頷いてると、梨華ちゃんがゆっくり振り向くのが見えた。
「いいけど…」
ぽそりとつぶやいた梨華ちゃん。
眉尻を下げて、なんだか複雑そうな表情。
どうしたの?って尋ねる前に、梨華ちゃんが口を開いた。
「ごっちん、変なコトしない?」
「はぁ…?」
間抜けな声が出てしまったのもしょうがないと思う。
だって、何よ。変なコトって。
ん?
……変なコト?
頭の中で梨華ちゃんの言葉を反芻して、彼女の言う変なコトに思い至った。
- 44 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 17:27
-
「…梨華ちゃんがヤラシイこと考えてるー」
指差してそう言ったら、梨華ちゃんが顔を真っ赤にして両手を大きく振った。
「な、ち、違うよぅっ」
「ごとーそんな気持ち全然なかったのにさぁ、普通に温泉入ろって言ったのに」
「だ、だって、ごっちんいっつも一緒にお風呂入ると、その、色々するじゃん…」
…否定できないけど。
でも梨華ちゃん。
温泉だよ?コウキョウの場だよ。
いつ誰が来るか分かんない場所で、そんなことするわけないじゃん。
というか、ごとーのことなんだと思ってんの。石川さん。
どんだけ私ガメツイんだって。
彼女の態度になんだか複雑な気持ちになって、頬杖をついて目を細めた。
窓の枠に後ろ手を突き、赤い頬した梨華ちゃんは、私を見つめ返してきて。
- 45 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 17:28
-
(…そんな顔真っ赤にして見つめないでよ)
困ったように情けない顔をする彼女に、別の感情が湧き上がってくるのを感じた。
そんな気さらさらなかったのに。
…いや、さらさらってのは嘘だけど。
そういう雰囲気じゃなかったのに。
――――苛めたくなっちゃうじゃん。
うずうず、うずうず。
湧き上がってきた悪戯心。
こんな梨華ちゃんを前に、それを抑えるなんて無理な相談だ。
「“色々”って、どういうこと?」
唇の端をひょいって上げて問いかけたら、梨華ちゃんが睨みつけてきた。
だけど、顔赤くして上目遣いで睨んだって、私はちっとも恐くない。
それどころか、悪戯心は煽られる一方で。
- 46 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 17:28
-
「…いろいろだよ」
「そんなんじゃ分かんないし。グタイテキにどーゆーこと?」
「わ、分かってるくせに」
「ごとー馬鹿だから、はっきり言ってくれないと分かんないんだよねぇ」
「ごっちん、オジサンみたいだよ。セクハラ」
抗議の声を聞きながらも、私は頬が緩むのを止められない。
だって、短くなった髪の間から覗く彼女の耳が頬と同じくらい赤くて。
精一杯の強がりを言う梨華ちゃん。
だけど、動揺してるのを隠し切れなてない。
年上で気ぃ使いしいの彼女。
だけど、嘘つくのは、昔も今も、死ぬほど下手。
(かーわいー)
これだから、梨華ちゃん苛めは止められない。
- 47 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 17:29
-
「オジサンでいいもーん」
「ごっちんっ」
「んー?色々の答えは見つかった?」
「もう、遊んでるでしょ!」
「ばれたか」って、悪びれずに舌先をぺろりと出してみせると、
それを見とめた梨華ちゃんが怒ったように眉根を寄せた。
「もういいっ。ごっちんとはぜっったいお風呂入らないんだから!」
「えっ!ちょ、ちょっと待って!」
お風呂入らないって、そんな。
嘘でしょ梨華ちゃん。
私の楽しみを減らさないで。
思いがけない反撃にあって、慌てて梨華ちゃんの方へ駆け寄った。
ぷいっと私に背を向ける梨華ちゃんの隣まで来て、
そろりと顔を覗き込む。
- 48 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 17:29
-
「ごめんって。そんなこと言わないでよー」
謝罪の言葉を述べても、梨華ちゃんは前を向いたまま視線もよこさない。
その唇は、不満ですって彼女の気持ちを代弁するみたいなアヒル口。
その唇を見てたら、なんだか、さっきまでとは別の感情が心を侵食していくのを感じて。
頭の片隅で、やばいなって思った。
こんな時なのに。
今からかって怒らせてる、正に最中なのに。
(やばい)
すごっくキスしたいかも。
ごめん、梨華ちゃん。
私、全然懲りてない。
- 49 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 17:30
-
「梨華ちゃん」
「……」
「りーかちゃん」
「……」
答えない彼女に焦れったくなって、その頬に手を伸ばした。
するりと撫でると、びくりと体を揺らした彼女がやっとこっちを向いて。
怒ったようなその表情。だけど、私は嬉しくて。
何か言いた気に開きかけた唇を、自分のそれで塞いだ。
梨華ちゃんはさっきよりも大きく体を揺らした。
離れようとする彼女に、頬を撫でた手を項に滑らせると、短くなった髪のいつもとは違う感触。
そのまま逃げられないように顔を固定する。
彼女の唇を柔らかく撫でて、ちょっとだけ顔を離した。
「ごっちん、な――」
皆まで言わせず再び塞ぐ。
今度は少しだけ深く。
- 50 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 17:31
-
目を見開く梨華ちゃんを暫く見つめて、ゆっくり瞼を下ろした。
視界を手放すと、梨華ちゃんに触れてるトコロただ一つに全ての神経が集中してく。
彼女のそれは、柔らかくて、熱くて、すごく甘かった。
数え切れないくらいしてるのに、私は甘いそれに触れる度、夢中になってく。
下唇にちゅっとキスを落として、少しだけ顔を離した。
こつん、と彼女の額に自分のそれを寄せて、
閉じた時と同じくらいの遅さで瞼を押し上げる。
視界に入ってきたのは、目を閉じて顔を赤らめてる梨華ちゃん。
だけど、その赤さはさっきとはまったく別の意味を持ってるのを私は知ってる。
緩む頬をそのままに、ゆっくり目を開ける梨華ちゃんを見てた。
ただそれだけの動作なのに、なんだかすごく色っぽくて。
私は、もう一回したいなぁ、なんて思った。
- 51 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 17:31
-
「…いきなり」
吐息まじりに呟く彼女の声に耳を傾ける。
「私、今、怒ってるんだけど」
「うん」
「許してないんだけど」
「うん」
「…ごっちん?」
睨み上げてくる彼女の視線。
目潤んでるし、顔赤いし、すごく可愛いんだけど。
…もう一回したい。怒られるかな。
「だってさぁ。したくなっちゃったんだもん」
梨華ちゃんが可愛いことばっかするから。
そうだよ。
梨華ちゃんが、
「可愛いから、梨華ちゃん」
素直に思ったことを口にすると、
梨華ちゃんは恥ずかしそうに少しだけ目を伏せた。
- 52 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 17:31
-
可愛いなんて一番言われ慣れてる言葉だろうに、
そんな彼女の仕草は私の心を甘く締め付ける。
「…そうやって誤魔化す」
「誤魔化してないよ?さっきのはごめんね。
でも、今のは梨華ちゃんが可愛かったからちゅうしたんだよ」
改めて口にすると、梨華ちゃんはますます恥ずかしそうに困ったように眉尻を下げた。
伏せてた視線をちょこっと上げて、潤んだ瞳で見つめ返してきて。
うわ。
やばいかも。
堪らなくなって、彼女の頬に口付けた。
「ちょ、と、ごっちん、話まだ終わってないんだからぁ」
慌てた様子で私の肩に手を突く梨華ちゃんに構わず唇を滑らせる。
頬を通って、そのまま下へ。
喉元を唇で撫でると、梨華ちゃんの体がぴくりと震えた。
- 53 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 17:32
-
「ちちち、ちょぉっとっ、ごっちんっ」
「なーに?」
首筋から顔を上げずに答えると、梨華ちゃんは肩を強く押してきた。
まあ、そんな力じゃ動かないんだけどね。
「変なコト考えてるでしょっ。や、ヤラシイこと考えてるでしょ!」
…うん。今度はすっごくヤラシイこと考えてたけど。
「昼間だから、いまおひるだから!」
「知ってる」
答えて、ヤラシイこと続行。
だって、我慢なんてできない。
こんな可愛い人目の前に。
誰もいない二人きりの空間で。
首をちゅちゅって啄ばむように口付けていくと、
梨華ちゃんが更に焦った様子で「ごごごごっちん!」って私を呼んだ。
- 54 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 17:32
-
「窓、ほら、外から丸見えだから。見えてるからっ」
「二階だよー?誰もうちらだって気付かないって」
「いや、でも、ほらっ」
「……もー」
尚も言い募ろうとする梨華ちゃんに私は仕方なく顔を上げた。
彼女と視線を合わせると、あからさまにほっとしたような表情。
だけど、梨華ちゃん。
こんなんで安心していいわけ?
嘘が下手で気使いしいの梨華ちゃん。
仕事は完璧にこなさなきゃ我慢ならない人なのに、
それを離れると彼女はいつも詰めが甘い。
- 55 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 17:33
-
「じゃあ、見えないとこならいいのね」
にやりと笑って梨華ちゃんの腕をとった。
そのまま、部屋の奥へ引っ張り込む。
梨華ちゃんが焦ったように声を上げてたけど構わず進む。
窓から十分離れたのを確認して、梨華ちゃんの体を引き寄せる。
ぎゅうって抱きしめたら、腕の中で小さな抵抗にあった。
無駄だよ梨華ちゃん。
本気で嫌なら、もっと強く、拒否をして。
彼女の首筋に頬を擦り寄せて息を吸い込むと、
梨華ちゃんの甘い香りがしてくらくらした。
「ごっちん…?」
暫くそのまま抱きしめてたら(抱きついてたら?)、
梨華ちゃんの訝しげな声が耳元で聞こえた。
- 56 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 17:33
-
彼女の肩に頭を預けたまま考える。
どうしようかな。
さっきの続きしたいけど、このままも気持ちいいしなぁ。
「ごっちん?」
「んん?」
梨華ちゃんの声が彼女の体を振動させて伝わってきてすごく心地いい。
思わず目を閉じて頬ずりすると、するりと彼女の腕が背中に添えられる感触がして。
…やっぱりこのままがいいかも。
「どうしたの、ごっちん?眠い?」
「なぁんで?」
「だって、声眠そうだから…」
眠いっていうか、梨華ちゃんに溶けてるっていうか。
- 57 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 17:34
-
「お布団敷く?」
「布団ねぇ…」
いいの梨華ちゃん。
こーんなシタゴゴロ丸出しのヤツにそんな事言っちゃって。
梨華ちゃんはやっぱり詰めが甘い。
ゆっくり彼女の肩から頭を上げると、心配顔の梨華ちゃん。
「だいじょーぶだよ」
「でも、昨日遅くまでお仕事だったんでしょ?」
「だいじょーぶ。梨華ちゃんいるのに寝てられんないじゃん。もったいない」
「………」
返事の代わりに、梨華ちゃんの頬が桜色になってて。
くすぐったい。
こういうの、すごく、くすぐったい。
- 58 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 17:34
-
「…ごっちん、よくそういうこと平気な顔して言えるね」
こんな彼女が見れるなら、私は何だって言っちゃうよ。
梨華ちゃんが欲しいって言葉、全部あげる。
「顔真っ赤だね、梨華ちゃん」
「ご、ごっちんが恥ずかしいこと言うからでしょぅっ」
恥ずかしいんだ?
ふーん。
恥ずかしいんだ、梨華ちゃん。
彼女の腰に回してた手で、すいっと背筋を撫でた。
びくりと跳ねる梨華ちゃんのカラダ。
「嬉しいくせに」
かあって、梨華ちゃんの頬が一気に赤くなった。
- 59 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 17:34
-
嘘つき梨華ちゃん。
だけど、彼女の目と体は何よりも正直。
それでも、彼女は、毅然と私を見据えた。
真っ赤な顔で。
「違うもん」
「嬉しくないの?」
そう言って、背中に這わせてた手を今度はわき腹に滑らせた。
なるべくヤラシク、できるだけゆっくりと。
梨華ちゃんのカラダがまたびくりと跳ねた。
「…う、嬉しいとか、嬉しくないとか、そういうんじゃ、なくて…」
梨華ちゃんは相変わらずその姿勢を崩さない。
だけど、梨華ちゃん。
キミは自分の顔の正直さを少しは自覚した方がいい。
- 60 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 17:35
-
それにね。
この状況もちょっと冷静に見た方がいいよ。
まあ、私が言うコトじゃないけど。
梨華ちゃんは今、私の腕の中。
ねえ。
本気で逃げられると思ってる?
睨むように私を見据えてた彼女の瞳が、ゆらゆら揺れた。
「…っ」
短く息を吐き出す梨華ちゃん。
少しずつ、その瞳に熱が見えてきて、私は心の中でほくそ笑んだ。
何年の付き合いだと思ってるの?
梨華ちゃんのカラダも、イイトコロも全部知ってる。
「…ご、ごっちんっ」
焦ったような声と供に、背中を這わせてた手を掴まれた。
- 61 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 17:35
-
熱に浮かされたような目で、だけど私を睨みつける梨華ちゃん。
私は心の中の笑みをそのまま顔に出した。
「ごめん、ごめん」
へへって笑って誤魔化して、まだ睨み続ける梨華ちゃんの頬にちゅってキスを落とした。
本当はこのまま続けたいんだけど、
これ以上したら、本当に怒らせそうだし。
今のところは、これで我慢するよ。
- 62 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 17:35
-
「よっしゃ、梨華ちゃん。お風呂行こっか」
「…変なコトしない?」
「しないしない」
「…本当?」
「うん」
“今のところは”。
にっこり微笑んで、梨華ちゃんの手を取ると、
少しだけ安心したのか、梨華ちゃんも微笑み返してくれた。
(夜はこれからだよ、梨華ちゃん)
やっぱり、梨華ちゃんは詰めが甘い。
- 63 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 17:36
-
***
ちゃりんと自動販売機に小銭を入れる。
かしゃんかしゃん、と小銭が落ちる音がしてボタンが光った。
「梨華ちゃん、紅茶でいい?」
振り返って後ろに佇む人に尋ねると、
お風呂上りの梨華ちゃんは浴衣の裾を直しながら、こくりと頷いた。
レモンティーとコーヒーのボタンを押して、出てきた缶を拾い、
黄色いラベルの缶を梨華ちゃんに差し出した。
- 64 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 17:36
-
あの後、タオルと浴衣を持って部屋を出た私と梨華ちゃんは、
仲居さんが言ってた温泉に向かった。
大浴場の中は、時間帯のせいもあってか私たち以外誰もいなかった。
ラッキーって思っていそいそ服脱いでたら、梨華ちゃんがなかなか服を脱ぎださなくて。
どうしたのって聞いたら、どうやら梨華ちゃんは誰もいない温泉に心配したらしい。
私が変なコトを始めないかどうか。
…全然信用されてないんだけど。
ちょっと悲しかったんだけど。
まあ、確かに、誰もいない浴場にラッキーって思ったそのラッキーの中には、
これなら変なコトしてもオッケーじゃーんってのが入ってなかったかって聞かれたら、
…否定はできない。
でもそんなこと言われたらさ。
やっぱここはね。ちゃんとさ。
本当に何にもしないで、ちゃんとお風呂したんだけど。
- 65 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 17:37
-
おずおずって感じで缶を受け取る梨華ちゃん。
その視線はずっと手元に向けられてる。
(なーんにもしなかったんだけどねぇ)
お風呂を出てから、梨華ちゃんは私の目を見ない。
二人並んで部屋までの道を歩く。
ちらりと隣の彼女を窺うけど、やっぱりこっちを見ない。
何かしたのかな。
結局、一言も話さずに部屋の前まで来てしまった。
鍵を開けると、梨華ちゃんは隣をするりと抜けて先に中に入っていってしまった。
…何したんだろ、私。
がちゃりと後ろ手に扉を閉める。
板の間を抜けて、襖で仕切られた畳が敷き詰められてる部屋に入ると、
座布団にちょこんと座った梨華ちゃんがテレビを見てた。
- 66 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 17:37
-
ぱたんと襖を閉めても、梨華ちゃんはこっちを見ない。
首の後ろをぽりぽりかいて思いを巡らすけど、
やっぱり彼女の態度の原因は思い当たらなくて。
仕方なく、恐る恐る隣に座った。
ちらりと横顔を盗み見る。
お風呂上りだから、少しだけ上気した頬。
濡れた髪が色っぽい。
髪乾かさなくていいのかな。
まあ、それは私も同じなんだけど。
でも、そんなことより梨華ちゃんの態度の方が気がかりだし。
- 67 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 17:38
-
「…あのさ、梨華ちゃん?」
「……」
勇気を出して呼びかけてみても、反応なし。
「テレビ、面白い?」
「……」
反応なし。
「梨華ちゃんこの番組好きだよね」
「……」
反応なし。
「この芸人さん、知ってる?
裕ちゃん会ったことあるらしいよ」
テレビの中で笑いを提供してる人を話題に出してみたけど、
やっぱり反応は無かった。
- 68 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 17:39
-
うーん。うーん。
どうしよう。
「…ねえ、梨華ちゃん」
こうなるともう、お手上げなんだけど。
「ごとー、何かした?」
直球ど真ん中。
って、球種は他に知らないんだけどね。
それまで何の反応も示さなかった梨華ちゃんが、すっと頭を下げた。
綺麗な横顔に短くなった髪がぱらりとかかる。
「梨華ちゃん…?」
俯いた彼女の顔を覗き込もうと身を屈める前に、
梨華ちゃんが口を開いた。
- 69 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 17:39
-
「だって…」
ぽそりと、聞き逃しそうな声。
私は静かに続きを待つ。
「だって、ごっちん。ずっと…見てるんだもん」
「…は…?」
見てるって、何を?
「えーと?ごめん。よく分かんないんだけど…」
正直にそのままを言葉にしてみると、梨華ちゃんが、ばっとこっちを向いた。
その顔は、お風呂上りの上気とは違う赤みがさしてて。
やっとこっちを見てくれて嬉しいんだけど、
悔しそうに、ぎゅっと皺が寄る眉間に、
私は心の中で首を捻った。
- 70 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 17:40
-
「だって、ごっちん…私が体洗ってる間ずっと見てるんだもん」
「…ああ」
丁寧に言い直してくれた梨華ちゃんの言葉にやっと合点がいった。
「私むこう向いててって言ったのに!
ごっちん全然聞いてくれなかったじゃない…!」
確かに。
見てたし、そうも言われた。
でも。
目の前に梨華ちゃんいたら見るでしょ、普通。
…おかしい?
- 71 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 17:41
-
「てか、何?そんなことで怒ってたの?梨華ちゃん」
ぽろりと出た言葉。
隣の梨華ちゃんの顔が表情が歪む。
そこに現れてるのは間違いなく怒気。
うわ、やばい。
「そんなことって何よ!」
「いやぁ…」
「私そういうのヤダっていっつも言ってるじゃん!」
「…う、うん」
「ごっちんだって知ってるくせに、意地悪して」
「…うん」
「恥ずかしいじゃん。恥ずかしいっていつも言ってるでしょっ」
赤い頬で、怒鳴る梨華ちゃん。
ちょっとだけ目が潤んできて、相当恥ずかしかったらしい彼女の気持ちを表してた。
彼女の言葉に頷きながら、ちょっと申し訳なくなってきて。
- 72 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 17:41
-
――でも。
そうだね。
恥ずかしいって言ってた、梨華ちゃん。
でもさぁ、すっごく今更だと思うんだよ。ごとーは。
別の感情が頭を擡げた。
「…そんなに怒らなくてもいいじゃん」
「怒るよっ」
そんなこと言ったてさ。
ごとーは。
「梨華ちゃんのカラダなんて、隅々まで見てんじゃん、いっつ…―――」
「いっつも」って続くはずだったの言葉は、かき消された。
梨華ちゃんによって顔に向かって投げつけられた座布団で。
- 73 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 17:42
-
「バカ!最低!デリカシーなさすぎ!!」
叫ぶ梨華ちゃんに、ずり落ちる座布団(私の顔から)。
鼻が痛い。
今、投げる手の動き見えなかったんだけど。
上原もびっくりの早業。
「何すんのさー」
むっとして言い返すと、それ以上の勢いで言い返された。
「ごっちんが変なコト言うからでしょ!」
「本当のことじゃんか。梨華ちゃんだってごとーのカラダ全部知ってるし」
「だからって普通言わないでしょう!!」
段々と頭に血が上っていく。
梨華ちゃんだって、ただちょっと熱くなってるだけだ。
そう冷静な部分が私に告げてたけど。
売り言葉に買い言葉。
- 74 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 17:43
-
心と体は別なように。
頭と口も、きっと別。
「はいはい、どーせ、ごとーは普通じゃないですよっ」
「そういうこと言ってるんじゃないじゃんっ」
止まらない。
「そういう事じゃんか!てか、何?梨華ちゃんだってさ―――」
止まらない。
「梨華ちゃんだって、写真集とかで裸っぽいこと一杯してんじゃん!」
「アレはっ…」
「見られるのとか今更でしょ!」
梨華ちゃんが信じられない物を見るような目で、私を、見た。
――止まらない。
「てかさ」
私は前にも同じ失敗をした。
そして、今、それを繰り返そうとしてる。
「見られたいんじゃないの?ホントはさぁ!!」
私は完全にブレーキを踏むタイミングを間違えた。
- 75 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 17:43
-
最低なのは誰だ。
馬鹿なのは誰だ。
学習しない私の頭は、また同じ事を繰り返した。
やっと自分の放った言葉の意味を理解したのは、
梨華ちゃんの表情が歪んでいくのを見とめた時。
綺麗な顔を歪めて、彼女は唇を噛んだ。
何かを堪えるように。
「っごめっ…!」
中途半端に飛び出した言葉。
続けようとした言い訳を、私は、口にする事ができなかった。
だって、梨華ちゃんが。
梨華ちゃんが、笑ったから。
「ううん。私こそごめん」
それは、あの笑顔で。
全部を隠してる時の、一番見たくないと思った、あの笑顔で。
- 76 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 17:44
-
ぎゅうっと、胸元の浴衣を握り締める。
苦しい。苦しい。
何やってるんだ、私は。
一番見たくない表情を。
一番させたくない表情を。
一番させちゃいけない私が、何してるんだ。
「あはは。ちょっと熱くなっちゃった」
笑顔を見せる梨華ちゃん。
だけど私は知ってる。
それが本物じゃないことを。
「そうだよね。私の衣装けっこう際どいもんね」
梨華ちゃんは今どんな気持ちでそれを言ってる?
梨華ちゃんはさっきどんな気持ちで私の言葉を聞いた?
- 77 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 17:44
-
「でもね。あれ、お仕事で…」
喧嘩するために来たんじゃないのに。
こんな顔、させるために来たんじゃないのに。
「…お仕事、だか、ら…っ…」
笑ってた梨華ちゃんの顔がくしゃりと崩れた。
耐えられなくなったみたいに、ぽろりと落ちた、涙。
その瞬間、すべてが真っ白になって。
思考に関係なく動いたカラダが、彼女を抱きしめてた。
抵抗は無かった。
「…っ…ぅー…」
梨華ちゃんの小さな嗚咽が、彼女の顔を押し付けた肩から聞こえてくる。
- 78 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 17:45
-
「…お仕事、だもん。…っ…そんなの、見せたいとか…っ」
「うん。ごめん、酷いこと言った」
「そんな、こと…思って、ない…っ、違うもん…」
分かってる。
梨華ちゃんがそんな子じゃないってこと。
私が一番分かってる。
自惚れじゃなくて、彼女の一番近くにいるのは私だって確信があるから。
分かってるからこそ。
「…ごめん…!」
だからこそ。
あんなこと間違っても口にしちゃいけなかったのに。
ぎゅう、と抱きしめる力を強めた。
- 79 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 17:47
-
「見て、ほしくないよっ」
涙のせいで掠れた声で、彼女は私に訴える。
「真希ちゃんにしか、見てほしくない」
ただ一人だけ。
梨華ちゃんにとって、ただ一人だけと言われてる気がして。
こんな時なのに、私は眩暈がするほど嬉しかった。
「ごめん。ごめんね。梨華ちゃん」
「…ぅ…っ」
耳元で聞こえる嗚咽はおさまることはなくて。
私は、謝罪するほか何もできなくて。
ごめん、と言い続けた。
- 80 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 17:47
-
「ごめんね。思ってないから。そんなこと思ってないから」
ぽんぽん、と泣いた子供をあやすように梨華ちゃんの背中を叩く。
「ごめん、泣かないで…」
背中に彼女の腕を感じて。
梨華ちゃんが落ち着くまでずっとそうしてた。
- 81 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 17:47
-
***
ごめんね、と呟いて、背中を撫でて。
暫くしてゆっくりと私の肩口から顔を上げた梨華ちゃん。
「へへ。泣いちゃった」
照れ隠しみたいに笑った彼女の目元がうっすら赤くて、心が鈍く痛んだ。
「ごめんね…」
「うん…いいよ。大丈夫」
いいよ、なんて言わないで。
簡単に許すなんて言わないで。
お願い。
もっともっと責めてよ。
- 82 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 17:48
-
「…怒ってよ」
「え…?」
「ごとー、すごい酷いこと言ったんだよ」
「…ごっちん?」
それはただの自己満足。
子供っぽい独占欲だと分かってるけど。
「ごとーさ、頼りないかもしれないけど」
梨華ちゃんの全部を見たいんだ。
「怒鳴られても、罵られても、絶対梨華ちゃんの側を離れないから」
我ながら情けない自信だ。
自分の言った言葉に少しだけ笑ってしまった。
でも、誰にも譲れない自信だから。
梨華ちゃんの目が大きく見開かれた。
- 83 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 17:48
-
「もっと怒ってよ。もっと弱いトコ見せてよ。
もっと、もっ―――」
言葉は不自然に途切れてしまった。
突然、梨華ちゃんに抱きつかれて。
不意を突かれた私は、唐突な彼女の体を何とか受け止めはしたけれど、
その体制を保っていられなくて、背中から畳みに落ちてしまった。
ど、どうしたんだろ。
梨華ちゃんを体の上に乗せたまま振り落とすわけにもいかず、ちらりと横目で窺った。
見えるのは私の肩口に顔を伏せてる梨華ちゃんの短くなった髪だけで。
私はそろりとその背中を撫でてみた。
「梨華ちゃん…?」
呼びかけると、首に回されてた彼女の腕の力が強まった気がした。
- 84 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 17:48
-
「梨華ちゃん?」
もう一度呼びかけてみたけど返事はない。
仕方なくその体勢のまま撫でた手で、ぽんぽん、とその背中を打った。
ぽんぽん、ぽんぽん。
一定のリズムで続けて目を閉じると、
梨華ちゃんの鼓動が服越しに聞こえてくる。
「りーかちゃん」
三度目の呼びかけ。
返事は期待してなかった。
「…あのねっ」
だから、思いがけず梨華ちゃんの声がして、私は思わず打ってた手を止めた。
首を梨華ちゃんの方に傾けて、その顔を覗こうとしたけど、
この体勢からはやっぱり彼女の頭を見るのが精一杯。
- 85 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 17:49
-
大人しく耳を傾ける。
「あのね。ごっちん。私ね―――」
突然、部屋に彼女の声以外の音が響いた。
とんとん、とんとん。
続けて鳴ったそれは、扉を叩く音。
すると、何かを言いかけてた梨華ちゃんの体が強張ったかと思うと、
次の瞬間には、彼女は私の上から降りてて。
こっちに背中を向けて正座してまう。
え、え?
なに、何?
“私ね”の続きは?
呆然と梨華ちゃんの背中を見て、また、とんとん、とノックされる扉を見た。
- 86 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 17:49
-
急に離れた温もりがすごく名残惜しくて、「梨華ちゃーん…」て呼んだんだけど、
背中を向けた梨華ちゃんは何も答えてくれない。
静かに溜め息を吐いて、仕方なくノックされた扉に向かう。
開いた扉の外にいたのは、部屋へ案内してくれた仲居さんで。
彼女は扉から顔を出した私を見るとにっこり微笑んで、
「お食事のご用意が出来ました」と、言った。
部屋の奥にある窓から外を見やると、空が綺麗なオレンジ色に染まってて。
もうそんな時間かと、ぼんやりと思った。
食事を運んでもいいか、と尋ねる仲居さんの言葉に、ゆっくりと頷いた。
- 87 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 17:49
-
***
それから私と梨華ちゃん料理を全て綺麗に平らげた。
お腹と舌は大満足なんだけど、別の不満が一つ。
部屋の置くの大きな窓枠に凭れて部屋の中に視線をやると、
テレビを見てる梨華ちゃんの姿。
最近、面白い面白いって言ってたバラエティ番組に釘付けで、時折楽しげに笑ってる。
ちらりと時計を見ると、短針は八をとおに過ぎてて。
もうすぐ九時を回ろうとしてた。
- 88 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 17:50
-
もう一度、梨華ちゃんに視線を戻す。
「梨華ちゃん、この番組好きだよねぇ」
「おもしろいんだもん」
「ごとー、二回ぐらいしか見たことないかも」
梨華ちゃんがくるっとこっちを向いて、「えー」って不満そうな声を上げた。
「私、毎週録画してるよ」
「……」
…このテレビっ子。
呆れてリアクションをせずにいたら、梨華ちゃんはすぐに視線をテレビに戻した。
- 89 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 17:50
-
ゆるゆる流れる時間。
まるで梨華ちゃんの部屋にいるみたい。
お腹と舌は大満足。
別の不満がもう一つ。…いや二つ。
一つは梨華ちゃんがテレビに夢中でこっちを見てくれないこと。
何かすごいガキっぽい嫉妬。
でも、何年経っても、やっぱりヤなものはヤだし。
もう一つは、さっきの言葉の続き―――。
テレビを見てる梨華ちゃんが、あははって声を上げて笑った。
―――もう聞く雰囲気じゃないよねぇ…。
梨華ちゃんに気付かれないように、私はこっそり溜め息を吐いた。
- 90 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 17:50
-
不意に視線を上げると、時計が視界に入って。
さっきまで十の所にあった長針が、十二に達しようとしてた。
凭れてた窓から外を覗くと、真っ暗な浜辺には人影は疎らで。
部屋の中に視線を戻すと、梨華ちゃんお気に入りの番組が終わる所だった。
「終わった?」
「うん。終わっちゃった」
うわ。何それ。
すげえ寂しそうなんだけど。
私の前でもそんな声、滅多に出さないくせに。
ちょっとおねーさん。
少しだけ寂しくなったけど、すぐに気持ちを正す。
そんな後ろ向きでどうするの。
ポジティブポジティブ。前向きにいきましょー。
- 91 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 17:51
-
「じゃあさ」
立ち上がって、とことこ梨華ちゃんに近づき、
不思議そうな彼女に手を差し出した。
「海、行こっか」
梨華ちゃんがにっこり微笑んだ。
- 92 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 17:52
-
さすがにこの浴衣姿で外に出るのはどうかってコトになって、そっこーで着替え。
財布とケータイをジーンズの後ろポケットに突っ込んで、キャップを二つ持って部屋を出た。
鍵をかけて、キャップを被り、もう一つを隣の梨華ちゃんにぽすっと被せた。
やっぱね。夜って言っても油断は禁物じゃん。
被せついでに、ぽんぽんっと撫でるように軽く叩くと、
キャップの鍔の部分から覗いた彼女の顔がゆっくり笑みの形に綻んで。
その表情があまんまり嬉しそうで、…可愛くて。
キス、したくなった。
だけど、部屋ならまだしも、こんなトコじゃ無理。
その衝動を必死に抑えて、にかっと笑って見せて。
するりと梨華ちゃんの手を取って歩き出す。
- 93 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 17:53
-
キスはさすがに無理だけどさ。
これなら梨華ちゃんも許してくれるでしょ?
予想通り、梨華ちゃんは手を振り払わなかった。
「海行く前にさ、コンビニ行っていい?」
繋がった手の暖かさと、これから行く海に気持ちが浮き足立って、
普段より幾分高い声が出た。
「いいよ。何か買うの?」
私に負けず劣らず、梨華ちゃんの声も高い。
その声音から隠し切れないわくわくが読み取れて。
私はまた嬉しくなった。
- 94 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 17:53
-
「ペプシ買う。ペプシとポッキー」
「まだ食べるの?ごっちん」
「んーペプシは今飲むけど、ポッキーは明日食べる」
「ふーん?」
まあ。
それだけとは限らないけど。
ぎゅうと手を握る力を強めて、ぶんぶん振った。
「ぺっぷしーぺっぷしー」
「何その歌ー」
「ペプシの歌」
ペプシの歌を歌いながら外に出ると、潮の香りが漂ってきて、思い切り深呼吸。
隣の梨華ちゃんを見ると、目を閉じて同じように深呼吸してた。
目を開けた梨華ちゃんの顔を覗き込む。
- 95 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 17:54
-
絡んだ視線。
きらきらした瞳が彼女の気持ちをダイレクトに伝える。
「海の匂いだね」
「うん」
「早く行きたいね」
「うん!」
「よっしゃ、まずはコンビニー」
わくわく、わくわく。
子供みたいに胸が躍る。
梨華ちゃんの手を握り直して歩き出した。
―――いつもより、少しだけ早く。
- 96 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 17:54
-
***
梨華ちゃんと手を繋いで夜の砂浜をゆっくり歩く。
コンビニに寄ってたら時間はいつの間にか、十時を回ってた。
さくり。さくり。
浜辺を歩くたびに、足の裏に感じる砂の感触。
波の音に耳を傾けると、なんだかすごく懐かしい気分になるのはどうしてだろ。
突然手を引かれて、そっちに視線をやると梨華ちゃんがにっこり笑った。
「どうしたの?」
尋ねると、梨華ちゃんは繋いだ手を離して、砂浜にしゃがみこんだ。
離れてしまった彼女の手をちょっと寂しく思いながら梨華ちゃんを見てたら、
すぐに梨華ちゃんが立ち上がる。
- 97 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 17:54
-
立ち上がったその手には、さっきまで彼女が履いてたミュール。
その姿に彼女が何を考えてるのか見当がついて。
私は苦笑を隠せない。
昔から梨華ちゃんは私なんかよりずっと行動的だったから。
寄せて返す波に向かって駆けてく梨華ちゃんの後姿を見ながら、
私もいそいそとサンダルを脱ぐ。
ジーンズの裾をたくし上げて、浅瀬で波で遊ぶ彼女に続いた。
「とりゃーっ」
「わ!ちょっ、ごっちん!飛ぶって水飛ぶっ、濡れるっ」
「んはは。おりゃっ」
「ちょっと…!もー」
調子に乗って、足をばしゃばしゃ海面を踏みつけると、
海水が跳ね上がって、梨華ちゃんにかかった。
もちろん、跳ねる海水の真ん中にいる私はもっと濡れるんだけど。
- 98 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 17:55
-
最初は怒ってた梨華ちゃんも言う事を聞かない私に馬鹿馬鹿しくなったのか、
それとも雰囲気にほだされたのか、一緒になってばしゃばしゃやり出して。
あっという間に、びしょ濡れの女の子(二人)の出来上がり。
仕方なく海を出て、砂浜に腰かけた。
「もう…。ごっちんのせいで濡れちゃったじゃん」
「梨華ちゃんだって一緒にやってたじゃーん」
「ごっちんが先にやったもん」
唇を尖らせて、ぶーぶー言う梨華ちゃん。
まるで子供。
普段見れない彼女を見れるのは嬉しいけど、
それをさせたのはこの海のおかげで、私じゃない。
そこがちょっとだけ寂しかった。
- 99 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 17:55
-
「そーだけどさぁ」
隣に座る梨華ちゃんに視線を向けると、
彼女は濡れたシャツをぱたぱた叩いてた。
水を含んだ布は、彼女の肌に張り付き、
くっきりと彼女の体のラインを強調して。
見えなくてもいいものまで嫌が応にも目に入ってきて。
綺麗な体。
月の柔らかい光に照らされて。
滑らかに曲線を描く。
…なんか。なんか。
(やーらしー…)
私は慌てて視線を夜空の月に向けた。
やばい。やばい。
梨華ちゃんのエロさにヤラレルところだった。
- 100 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 17:55
-
「ごっちん?どうしたの?」
急に黙った私を不審に思ったのか、梨華ちゃんが声をかけてきた。
「ん、や、なんかさ。月きれーだなーと思って」
うわ。何言ってんの私。
月綺麗とか、キャラじゃないだろ。
そんなあまんまりな話題転換に、だけど梨華ちゃんは気にすることもなく、
「そうだね」なんて暢気に同意した。
梨華ちゃんに気付かれないように小さく深呼吸。
心が落ち着いてきたのを見計らって言葉を続けた。
- 101 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 17:56
-
「満月じゃないのがちょっと残念だね」
「そうだね。綺麗だけど…」
ただ空に浮かぶ月の形に対しての希望を無難に口にする。
半分くらい欠けたお月さま。
満月の夜はもう少し後みたい。
ぼんやり眺めてると、梨華ちゃんが「でもね」って呟いた。
区切られたそれ。
続くはずの言葉が中々聞こえてこなくて、何ともなしに梨華ちゃんの方へ顔を向けた。
- 102 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 17:56
-
絡んだ視線。
梨華ちゃんが柔らかく微笑んだ。
「私は、ごっちんと一緒にお月さまが見れただけで嬉しいよ」
月の光に照らされて、そう言った梨華ちゃんは、恐いくらいに綺麗だった。
「……―――」
彼女に見惚れて、何を言われたのか分からなくなる。
だけど次の瞬間にはその意味を理解して。
ちょっと。
ねえ。梨華ちゃん。
なにそれ。なんなのそれ。
―――すごく、嬉しいんだけど。
頬が、耳が。
ココロが。
熱くなるのを自覚した。
- 103 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 17:57
-
「ふふ。ごっちん、顔真っ赤だよ」
立てた膝にちょこんと頭を乗せて、上目遣いに私を見つめる梨華ちゃん。
知ってるよ。
自分が一番よく知ってる。
どこの中学生だって話じゃんね。
一緒に見れただけで嬉しい、なんて言葉に耳まで真っ赤にしてさ。
だけど。
嬉しかったから。
すごーく嬉しかっただもん。
隣に座る梨華ちゃんの肩に顔を伏せた。
梨華ちゃんが笑った気配して。
触れた所から、彼女の体が揺れるのが分かった。
- 104 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 17:57
-
「照れ屋さーん」
「…うっさいよ梨華ちゃん」
「ごっちんってさ、こういうの言ってって強請るくせに実際やられると恥ずかしがるよね」
…そうだけど。
面と向かってそういうことされると、恥ずかしくなっちゃうけどさ。
梨華ちゃんに指摘されると何かちょっと悔しくなるのはなんでだろ。
「違うし。梨華ちゃんが恥ずかしいことするからだよ」
「何よそれ。その言い方だと私が変態みたいじゃん」
「違うの?」
ふざけて言ったら梨華ちゃんの肩が大きく揺れて。
「違う」って大きな声で言い返された。
- 105 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 17:58
-
「だってさ、さっきだって梨華ちゃんいきなり抱きついてきたじゃん」
「だ…。したけど…」
急に勢いがなくなった声。
…私変なこと言った?
梨華ちゃんの体が少しだけ強張った気がして。
不穏な空気を感じ取って、梨華ちゃんの肩から顔を上げて、私は慌ててコンビニ袋を漁った。
ペプシにポッキー。
それから…。
「梨華ちゃん!」
「うん?」
「花火しよ!」
がさりと、彼女に内緒で買った線香花火を袋から取り出して、梨華ちゃんの前に掲げて見せた。
- 106 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 17:58
-
***
ぱちぱち。
二人で砂浜にしゃがみこんで、手の中に小さな小さな花を咲かせる。
きれい。
キレイなんだけどさ。
なんか、買ってきといて言うのも何だけど。
「…地味だねぇ」
ぱちぱち、ぱちぱち。
火の花が広がる。
- 107 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 18:00
-
「そんなこと言って、ごっちん結構楽しんでるくせに」
梨華ちゃんはそう言って私の足元を指差した。
指の先には、殆ど中身の無くなった線香花火の袋。
「梨華ちゃんだってノリノリじゃん」
「うん。懐かしくてさ」
途切れた言葉。
ぱちぱちって火が弾ける音と波の音だけがその場を支配する。
黙ってしまった梨華ちゃんをちらりと窺うと、真剣な表情で線香花火を見てた。
引き結ばれた口元、少しだけ伏せられた目。
花火の斑な光がゆらゆらと彼女顔を照らして。
綺麗だな。
なんて、改めて思ってしまった。
- 108 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 18:00
-
初めて会った時は可愛い子だなって思ったけど、今ではキレイなお姉さん。
どんどんキレイになってく梨華ちゃんに心を奪われてから随分たった。
色気が増したよね。でも笑顔は変わらずあの頃ままで。
彼女の伏せた睫が震えた。
それが、さっきの、お風呂を出た後の泣き顔を思い出させて。
―――泣き顔も、あの頃のままだった。
じくりと胸が痛んだ。
梨華ちゃんは、一緒に月が見れるだけで嬉しいって言ってくれたけど。
私も嬉しかったし、その言葉は少しも疑ってないけど。
- 109 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 18:01
-
ねえ。梨華ちゃん。
私と海に来て、嬉しい?
ううん。
嬉しくなくてもいいんだ。
少しでも、ほんの少しだけでも、楽しかった?
何年経ってもガキなごとーは、こんな所に来てまで梨華ちゃんを泣かせて。
本当にさ―――。
「…ごめんね」
頭の中で呟いたはずの言葉がぽろりと出てしまった。
線香花火に視線を落とすと、梨華ちゃんがこっちを向く気配がした。
- 110 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 18:01
-
「今日の、お風呂出たあとのこと…」
「…ああ」
「なんかさぁ。ごとーホント馬鹿だよね」
ガキみたいなこといっぱい言って。
困らせたくないって私が一番思ってたのに、めっちゃ困らせてさ。
ぱちり、と火花が散った。
「…そんなことないよ」
優しい声が鼓膜を震わせて。
ゆっくりと視線を梨華ちゃんに合わせた。
柔らかく微笑んだ梨華ちゃんがそこにいて。
「ごっちんあの時、もっと弱いトコ見せてって言ったけど…、
私、他人に自分のダメなとこ見せるのとか、すごく抵抗があって。
ほら、こういう性格だからさ」
- 111 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 18:02
-
梨華ちゃんは一度少しだけ目を伏せると、ゆっくり上げた。
「でも、ごっちんにはいっぱい弱いとこ見せてるんだよ?
全部は見せられないかもしれないけど」
彼女が首を傾けると、さらさら揺れる前髪。
「私ね、ごっちんが思ってる以上に、ごっちんのこと頼ってるよ」
キャップの唾の下から覗く彼女の瞳。
ちょっとだけ困ったように照れたように梨華ちゃんが笑って。
多分、心奪われる瞬間ってこういうことを言うんだ。
- 112 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 18:02
-
じわじわ広がるこの気持ち。
泣きたくなるくらい嬉しくて。
息をするのももどかしいくらい、抱きしめたい。
多分、私は、この人から離れられない。
それくらい梨華ちゃんに、私は、目も心も、全てを奪われた。
「…離れないよ」
「え?」
花火を持ってない方の手で彼女の手をぎゅっと握る。
「つーか、離さないし」
この手を。
「梨華ちゃんに嫌だって言われるまで」
―――絶対に。
「離さないから」
目を大きく見開いた梨華ちゃんの眉がふにゃりと歪んで、
下唇を噛んで俯いてしまった。
- 113 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 18:03
-
「ごっちんってさ、すっごい気障」
「…ホントのこと言っただけだし」
「そういうトコが気障だって言ってんのぉ」
俯いてた顔をちょこっと上げて、梨華ちゃんが私を見た。
「うん。でも、私も離さないから…」
繋がった手を握り返されて。
梨華ちゃんが真剣な表情をした。
「離さないで―――」
言われなくても、離す気なんてさらさらないよ。
そういう意味を込めて重ねた手に力を入れると、
真剣な顔をしてた梨華ちゃんがふわりと笑んだ。
つられて私の頬も緩んでく。
こういう話をした後、照れくさいのはお互い様で。
照れ隠しに、繋いだ手をゆるく前後に振った。
- 114 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 18:04
-
「―――あっ」
「へ?」
梨華ちゃんの声に彼女の手元を見てみると、さっきまで綺麗に散ってた花火が小さくなって砂に埋もれてて。
私の花火も同じように落ちてた。
「あーあ…」
梨華ちゃんが心底残念そうな声を上げて。
恨めしそうに、ただの紙縒りと化した線香花火を見てる。
そんな彼女の姿に苦笑して、線香花火の袋を手にした。
残りは、二本。
一本を梨華ちゃんに手渡し、砂浜に半分くらい埋もれてたライターを拾って火をつけようとすると、梨華ちゃんが「待って」って私を止めた。
- 115 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 18:04
-
「んあ?何、梨華ちゃん?」
「―――勝負しよう」
梨華ちゃんが、顔の高さで線香花火を掲げて見せて。
なるほど。
どっちが長く持ってられるかってヤツ?
そっちがその気なら――。
「いいよ」
私も梨華ちゃんに倣って顔の高さまで線香花火を上げる。
「そのかわり、負けた人は勝った人の命令を聞くこと」
やっぱ罰ゲームがないとね。
勝負の意味がないでしょ。
にやりと笑ってみせると、梨華ちゃんは驚いたように目を丸くして、
すぐに、にっと笑った。
- 116 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 18:04
-
負けず嫌いの梨華ちゃん。
ノってこなわけがない。
「わかった」
予想通りの言葉に笑みを深めて、ライターを構えた。
梨華ちゃんの目をちらりと見て。
「スタート!――――」
- 117 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 18:05
-
***
「ねえ…違うことじゃ駄目なの…?」
「ダメ」
弱々しく主張する梨華ちゃんの言葉を即座に切り捨てて、
海水が染みたシャツを脱いだ。
花火を終えて、砂浜から部屋に戻ってきた後、
海水で服も体も濡れたから、もう一度お風呂に入ることになった。
二人で。
- 118 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/26(土) 18:05
-
部屋に付けられた、お風呂の脱衣所にいるんだけど、
梨華ちゃんは「でもさ…」って諦め悪く口を開く。
そんな梨華ちゃんをちらりと見て、私は切り札を取り出した。
「梨華ちゃん負けたんだから、ごとーの言うコト聞かなきゃでしょ?」
線香花火勝負の結果は、私の勝ち。
だから、約束通り梨華ちゃんは私の言うコトを聞かなければいけない。
そこで私が出した命令は、
“一緒にお風呂に入ろう”
っていう可愛いものだったんだけど、どうも梨華ちゃんはそれがお気に召さないらしい。
うじうじと服を脱がない梨華ちゃん。
- 119 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/27(日) 00:50
-
「さっきも一緒に入ったじゃん」
「入ったけど…。部屋のお風呂は…」
信用されてないな、私。
梨華ちゃんの言いたいことは何となく分かるけど、
そんなにがちがちに警戒しなくてもいいじゃんか。
初めてじゃないんだし。
…まあ、そういうとこも好きなんだけどさ。
「さっき何にもしなかったでしょ?」
「…ホントに何にもしない?」
上目遣いで困ったように眉尻を下げてお願いされたら、
そんなの頷かないわけにはいかないじゃん。
ゆっくり頷くと、やっと梨華ちゃんが表情を緩めた。
- 120 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/27(日) 00:51
-
服を脱ぎだした彼女を横目に心の中でほくそ笑む。
まあ、入ってしまえばこっちのもんだもんね。
ごめんね、梨華ちゃん。
あなたの恋人は相当意地汚いです。
- 121 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/27(日) 00:51
-
***
ちゃぷん、と水の音が浴室に響く。
二人で浴槽に入って、私は後ろから梨華ちゃんを抱きかかえるように緩く彼女のお腹辺りに腕を回した。
ちゃぷちゃぷ、水面を叩いて遊んでる梨華ちゃんの手をそっと掴む。
ゆっくり指を撫でて、絡ませた。
「髪切っちゃったね」
私の位置から、髪が短くなった梨華ちゃんの項がよく見えて、口付けたい衝動にかられた。
- 122 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/27(日) 00:51
-
「しんきょーの変化?」
「そんな大それた理由じゃないよ。何となく、夏だし」
「ふぅーん?」
重なった手を湯船に出したり入れたりして、梨華ちゃんが私の手で遊ぶ。
梨華ちゃんが喋る度に彼女の体を通して振動が伝わってきて、ちょっとくすぐったい。
「ごっちんがさ」
「んー?」
「昔、短くしてたことあったじゃない?」
「あったねぇ」
「あの時からちょっと憧れだったんだよね」
「短いのが?」
「うん」
ちょっと意外。
あの頃そんなこと一言も言ってなかったから。
- 123 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/27(日) 00:52
-
ぼんやりその頃のことを思い返してたら、
梨華ちゃんが少しだけ首を回してこっちを見た。
「可愛かったんだもん。ごっちん」
照れたように笑む梨華ちゃんはすぐに顔を前に戻した。
ぱしゃぱしゃ、また手をいじりだす梨華ちゃん。
心音が跳ね上がるのを自覚する。
ホントにさ。
何でこんな可愛いこと言うかな、この人は。
止まんなくなっちゃうよ。
まあ、最初から止める気なんてなかったんだけど。
- 124 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/27(日) 00:52
-
視界にちらちら入る彼女の項に、欲望のまま口付けた。
梨華ちゃんの体が強張って、焦ったような声が浴室に響く。
「ちょ、ごっちん?」
「んー?」
「何にもしないって言ったじゃんっ」
身を捩って逃げる梨華ちゃん。
だけど所詮私の腕の中。完全に私のテリトリーに入ってることに気付いてよ。
逃がすわけないじゃん。
お腹に回した手をゆっくり上に這わせる。
「ごっちんっ」
彼女の言葉を無視して、項から首筋を通って耳たぶに口付けると、
梨華ちゃんが短く息を吐き出した。
- 125 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/27(日) 00:53
-
「な、んにもしないって…言ったじゃん…っ」
「気が変わった」
「なっ…!」
わき腹を撫でて、ゆっくり胸に手を這わせると、
びくりと、それまでとは明らかに違う反応が返ってきて。
ぞくぞくと何かが背筋を駆け抜けた。
「ご、っちん…っ」
懇願するような彼女の言葉。
私は息を少し吐いて、ちゅっと彼女の項に口付ける。
このまま続けても良かったけど、約束しちゃったし。
今日のところはここで我慢する。…お風呂では。
- 126 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/27(日) 00:53
-
耳たぶを甘噛みして、その輪郭を辿るように舐めて。
そっと囁く。梨華ちゃんの脳みそに直接響くように。
「布団行く?」
ゆっくり静かに頷いた梨華ちゃんに、緩む頬。
真っ赤な耳にわざと音をたてて口付けて、私は梨華ちゃんの手を取って浴室を出た。
- 127 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/27(日) 00:53
-
***
ぶるり、と自分の身震いで目が覚めた。
寒い。
ゆっくり瞼を押し上げると、梨華ちゃんの頭が視界に入った。
私に背を向けてすやすや眠る彼女の体を反射的にぎゅう、と抱きしめる。
何も身につけられていない肌の感触に、昨日抱き合ったまま寝てしまったことに思い出した。
視線を少しだけ上げると、障子の向こうがうっすら明るくなってて。
あと数時間で二人だけの時間も終わりかって、妙にしんみりしてしまった。
- 128 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/27(日) 00:53
-
気持ち良さそうに寝息をたてる梨華ちゃんの髪をするりと梳くと、
さらさら流れてすぐに手から滑り落ちる。
落ちたそれをぼんやり見ていたら、冷風が剥き出しの肩を撫でて。
部屋を見渡すと、原因を発見。
クーラーの電源が入ったままになってる。
寒いわけだ。
昨日これを切る余裕もなかったのか私。
掛け布団を引き上げて梨華ちゃん共々すっぽりつつまる。
夢中だった。
梨華ちゃんの肌に、瞳に。
体も心も、全部熱くなって。
何度も何度も、離さないでと呟いた梨華ちゃん。
熱に浮かされたように呟く彼女を、私は夢中で抱きしめた。
- 129 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/27(日) 00:54
-
梨華ちゃんの温もりに甘えるように背中に頬を擦り付け、
項に唇を押し当てる。
―――離さないで。
―――離さないで、真希ちゃん。
「…離さないし」
離れない。
もう、離せないよ。
梨華ちゃんに捨てられたら多分私は生きていけない。
手に入れてしまった温もりは、ゆっくりと、でも確実に私を侵した。
戻ることなんてできないくらいに。
- 130 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/27(日) 00:54
-
でも、それでいい。
戻れなくていい。
今更、戻る気なんてないから。
それがどれだけ破滅的な考えか、分かってるつもりだけど。
彼女に溺れた私の心は、全てを放棄するから。
どうしたって、そういう結論しか出てこないんだもん。
こんなこと言ったら梨華ちゃんが困るのは目に見えてるから絶対口にはしないけど。
離れない。
離せない。
離さない。
梨華ちゃんが嫌だって言うまで、ずっと。
ぎゅう、と梨華ちゃんを抱きしめると、梨華ちゃんの体が僅かに震えた。
(起きた…?)
腕の力を緩めると、梨華ちゃんが身じろいで、ゆっくりとこっちを向いた。
- 131 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/27(日) 00:54
-
「まきちゃん…?」
舌足らずに名前を呼ばれて思わず頬が緩む。
「おはよ、梨華ちゃん」
「…おはよぅ」
梨華ちゃんはごしごし目元を擦り、視線を前に戻した。
「よく寝れた?」
尋ねても、梨華ちゃんから返事が無くて。
不思議になって、上半身だけ少し起こして彼女の顔を覗き込む。
梨華ちゃんは真っ直ぐ前を見てて。
その視線を追うと、障子に辿り着いた。
- 132 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/27(日) 00:55
-
「朝…」
ぽつりと呟いた梨華ちゃん。
「え?」って聞き返すと、続けて口を開いた。
「朝に、なっちゃったね」
…朝だけど。
それがどうかしたの?
障子を真っ直ぐ見つめて、梨華ちゃんは神妙な顔。
「帰らなくちゃ…」
その声に滲み出る、彼女の感情。
それが自分と同じことを考えてると教えてくれて。
胸がじーんと痺れるみたいに震えた。
- 133 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/27(日) 00:56
-
緩めた腕に再び力を入れる。
「来よう」
「真希ちゃん?」
ねえ、梨華ちゃん。
寂しい?
この旅行が終わっちゃうの、梨華ちゃんも寂しいと思ってくれる?
「また、来よう?」
次の夏も。
その次の夏も。
「一緒に」
抱きしめた私の腕にそっと梨華ちゃんが触れて。
梨華ちゃんの手は、少しだけ震えてた。
- 134 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/27(日) 00:56
-
約束するよ。
来年の夏も、再来年の夏も。
私の夏を梨華ちゃんにあげる。
「一緒に、来よう」
こう見えても、ごとー約束は守る方なんだよ。
「…っ、うん」
頷いた梨華ちゃんの華奢な体を抱きしめ直す。
―――あと少し。あと、少しだけ。
頭の中で言い聞かせて、愛しくてたまらない温もりに甘えた。
- 135 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/27(日) 00:56
-
***
次の日から、当たり前に始まった日常。
私は先延ばしになった仕事をしなきゃいけなかったし、
梨華ちゃんは梨華ちゃんで相変わらず忙しい。
まるであの二日間が嘘だったみたいに、仕事に追われ、
連絡を取ることがままらない日々に逆戻りした。
コンビニで見かける線香花火や、テレビや雑誌見かける海の景色に、
時折あの海を思い出しながら、今日も私は仕事に励む。
あの二日間の記憶を、心の中にそっとしまって。
- 136 名前:二日間の夏休み 投稿日:2006/08/27(日) 00:57
-
>>>二日間の夏休み
- 137 名前:太 投稿日:2006/08/27(日) 00:58
-
文章がとっちらかってる上に長すぎる…。
しかも途中で連投規制ひっかかった…(あほ)
ハロパでの海行きたい発言が元ネタです(一応)
もう原型ありませんが。貝殻はちょっと無理っだったよ、ごっちん。
梨華ちゃんの全部を知りたいとか、うちの後藤さんはどうにも子供っぽすぎだなぁ。
目指せカッコイイ後藤さん。
では、お目汚し失礼しました。
- 138 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/27(日) 02:15
- いやー、堪能しました。いしごま。
ちょっとおやじなごっちんも、かわいい梨華ちゃんも、最高です。
2人の想いが熱くて濃くて、酸欠になりそうです。
次回作も楽しみにしています。
ありがとうございました!
- 139 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/27(日) 03:22
- 大量更新お疲れ様でした!
そしてありがとうございました!
太さんのいしごまは本当に最高ですね
- 140 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/27(日) 14:26
- 作者さんのいしごまは雰囲気が本人達そのままなので
二人のやりとりが頭の中にすぐ映像として浮かんできます
楽しませて頂きました
次回作も期待しています
- 141 名前:ばかっぷる 投稿日:2006/08/29(火) 23:05
-
何かさ。
そういう気分っていうの?
うん。そんな感じの気分だったの。
いつも心の中に閉じ込めてるはずのアナタへの気持ち。
今日はどうしてだか、鍵が緩くて。
ぽろりと飛び出してしまっただけ。
- 142 名前:ばかっぷる 投稿日:2006/08/29(火) 23:06
-
「好きだよ、ごっちん」
いつもごっちんが強請る言葉を言ってるのに、何よその目。
ものすごく珍しいものを見る目。
仮にも自分がお付き合いしてる人に対して失礼じゃない?
「り、りりり梨華ちゃんっ?」
どもり過ぎだし。
焦ったような声がちょっと癪に障るけど、
まあ、みるみるうちに真っ赤になってくその頬に免じて今回だけは許してあげる。
それでも格好だけは、不満を表すように唇を突き出してみたり。
そしたらそれをどう解釈したのか、ごっちんがまた焦ったように私の手首を柔らかく包んで、
内緒話をするように、顔を近づけてきた。
- 143 名前:ばかっぷる 投稿日:2006/08/29(火) 23:07
-
「ど、どうしたの?急に」
「何よ。ヤなの?」
「嫌とかじゃなくてさ…珍しいじゃん、そんなコト言うの」
「珍しくないもん。いっつも思ってるもん」
そう言うと、ごっちんは困ったように眉尻を下げて、
「でも」と、呟いた。
「梨華ちゃん。ここどこだか分かってる?」
「モーニング娘の楽屋」
ここは、テレビ番組の収録のためにモーニング娘に振り当てられたテレビ局の楽屋。
収録終わり、後は帰るだけって所に、同じ番組に出演してたごっちんがやってきた。
「一緒に帰ろ」と、いつもの笑顔を浮かべて。
何の躊躇も無しに言い放った私に、ごっちんは益々眉尻を下げて。
いつもとはまるっきり逆の立場に知らず笑みが零れた。
- 144 名前:ばかっぷる 投稿日:2006/08/29(火) 23:08
-
「なーに?梨華ちゃん、ごっちん、コントの続きでもしてんの?」
特徴的な笑い声に、ごっちんが慌てて近づけてた顔を離した。
焦った表情のまま、声の方に顔を向ける。
そんな彼女の一連の動作を見届けて、私も声の方に顔を向けた。
そこにいたのは、にやにや笑う小さな大先輩。
その後ろには、これまたにやにやしてるかおたん。
他にも、まだ楽屋に残ってるメンバーの視線を感じる。
「やっぐつぁんっ、違うの!
…じゃなくて、そうそう。そーなの。稽古、稽古。今度の収録に備えてさー」
言葉に詰まりながら必死に言い訳するごっちん。
いつもならごっちんの方から楽屋でくっついてきて、
私が必死に皆に言い訳するんだけど。
ごっちんの姿に、何だか、いつもの彼女の気持ちが少し分かった気がする。
むくむく湧き上がる、この気持ち。
- 145 名前:ばかっぷる 投稿日:2006/08/29(火) 23:08
-
「仕事熱心なこと。ごっつぁんが珍しー」
「め、珍しいってなにさ。やぐっつぁん」
「いつもしないじゃん、そんなこと」
「…今日はそういう気分だったんだよ」
(うん。そう)
ごっちんの言葉に私も頷く。
私も言ってみれば、“そういう気分”だったの。
拗ねたように言い訳を続けるごっちんを見ていたら、
さっきのむくむくが増してきて。
今度は体がうずうずしてきた。
…ダメ。
我慢できない!
私は何の前触れも無く、やぐっつぁんと喋るごっちんに抱きついた。
彼女の首に腕を回して肩口に顔を埋める。
息を吸うと、ごっちの香り。
彼女の体が、がちりと硬直する。
- 146 名前:ばかっぷる 投稿日:2006/08/29(火) 23:09
-
「りりりり、梨華ちゃんっ」
どもり過ぎなごっちんの声を聞きながら、私は腕の力を強めて、
頬をその首筋に擦り付けた。
途端にびくりと震える彼女の体。
(…なるほど)
こんなリアクションをされると、悪戯心は煽られるに決まってる。
だから、ごっちんはいつも私が慌てる姿を見るのが面白くて、嫌がれば嫌がるほど人前で接近してくるんだ。
彼女を抱きしめながら、私は妙に納得してた。
でもその気持ちも分からなくないかも。
だって、これ、堪らないもん。
――堪らなく、楽しい。
「ごっちん、顔真っ赤ー!!!」
「ち、ちがっ。違う違うこれはちがうんだよーっ」
遠くの方で、矢口さんの笑い声が聞こえる。
それと同時に耳元でごっちんの焦ったような声。
その声音にまたむくむく増す悪戯心。
- 147 名前:ばかっぷる 投稿日:2006/08/29(火) 23:10
-
調子にのって更に首筋にぐりぐりしたら、さすがに我慢の限界だったのか、
ごっちんが私を無理やり引き離した。
絡む視線。
眉尻をこれでもかってくら下げたごっちんは、
矢口さんの言う通り真っ赤だった。
ふふって笑って、キスを強請るように唇を突き出したら、
真っ赤なごっちんは目を見開いて、がしりと私の腕を掴んだ。
「帰るよ、梨華ちゃん!」
って叫んで、自分の荷物と私の荷物を持つと、
私の同意も得ずにずんずん出口へ向かってく。
手首を掴まれたままの私は、抵抗するでもなくその後に続いた。
すれ違うメンバーに向かって、ごっちんに代わって挨拶をする。
楽屋を出る直前、が視界に入った、苦笑する矢口さんの姿。
軽く手を振った矢口さんは、口をぱくぱく動かして見せて。
(ば・か・っ・ぷ・る)
――余計なお世話です、矢口さん。
- 148 名前:ばかっぷる 投稿日:2006/08/29(火) 23:10
-
私の前を歩くごっちんは、私の手を離さず廊下を進む。
掴まれてる手首がちょっと痛い。
文句の一つでも言ってやろうかと思ったけど、止めた。
綺麗な髪から覗く耳が、さっきのごっちんの顔と同じぐらい真っ赤だったから。
緩む頬を自覚する。
心の中が温かくなって、掴まれてた手を離して、今度は私から彼女の手を握った。
言ってみれば“そういう気分”。
ただの気紛れだったのに。
これはやばい。
くせになっちゃいそうだよ。
- 149 名前:ばかっぷる 投稿日:2006/08/29(火) 23:12
-
>>>ばかっぷる
- 150 名前:太 投稿日:2006/08/29(火) 23:12
-
慌てる後藤さんが書きたかっただけなんですけども、
石川さんがおかしい。100質と性格違いすぎる…。
お目汚し失礼しました。
- 151 名前:太 投稿日:2006/08/29(火) 23:13
-
>>138さん
レスありがとうございます。
濃いですか(嬉)すごい褒め言葉ですよ、それ。
てか、酸欠!?気道確保ー!!
>>139さん
大量更新と言えるほどでもないですが、
連投規制ひかかった時はちょっと驚きました(笑)
こちらこそレスありがとうございます。
>>140さん
うあ、こんな拙い文章にそんなお言葉…(焦)
ありがとうございます。
嬉しいです。
- 152 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/30(水) 02:24
- 新作きてるー!見にきて良かった〜!!
いつもと違ういしごまもイイですね〜
楽しませて頂きました。
- 153 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/30(水) 16:22
- わー新作めっちゃ早いですね!
嬉しい限り、ありがとうございます
やっぱいしごまはバカップルですよ
ちょっと『ばかっぷる』の続きも見たかったですw
- 154 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/30(水) 18:43
- 更新早くてうれしいです!
ごっちん可愛いすぎ
ばかっぷる最高!
- 155 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/30(水) 19:36
- 作者さんの小説最近まで知らなくて、一気に読みました!
どれも素晴らしいとしか言い様のない作品です
作者さんはキスの描写とちょっとヤラシイ場面の描写がとても上手だと思います
すみません、変態でww
あと、ごっちんのセリフを漢字じゃなくカタカナにしてるのが
すごくごっちんっぽくて好きです
これからも頑張ってください
- 156 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/31(木) 23:10
- 大量更新お疲れさまです!
本当に毎回毎回楽しみにしてます
これからも頑張ってください
よろしくお願いします
- 157 名前:太 投稿日:2006/09/07(木) 21:35
-
前の更新の時に言い忘れてたんですが、
遅ればせながら、まこち卒業おめでとう。
いってらっしゃい。日本の片隅で応援してるよ。
久々に100質元ネタ。今回は、Q16の酔っ払い梨華ちゃんです。
いしごま後藤さん視点。
- 158 名前:さけぐせ 投稿日:2006/09/07(木) 21:35
-
梨華ちゃんはよく、ごとーの事を「酒癖が悪い」って言う。
確かに、梨華ちゃんの前で飲むのと、他の人の前で飲むのでは、こっちの気の持ち方は違うよ。
なんて言うのかなぁ。
他人の前だと、一応ごとーでも、ある程度は緊張感を持つって言うか?
酔わないようにっていうハイリョとかしてるんだけど、彼女の前だと、どうしてもそういう部分が甘くなる。
いや、只単にごとーが梨華ちゃんに甘えてるってだけなんだけどさ。
だけどね。ごとーは思うんだ。
梨華ちゃんの方がごとーのそれよりよっぽどヒドイ。
そうそう。うん、ヒドイんだよ。
そこらへんさぁ、自覚してる?
――――ねえ、梨華ちゃん。
- 159 名前:さけぐせ 投稿日:2006/09/07(木) 21:36
-
真っ暗な空の下、とあるマンションの一室の前で、私は立ち止まった。
ちょっとだけ心を弾ませながら押したインターフォン。
いつもならすぐにドアが開いて、満面の笑顔の梨華ちゃんが出迎えてくれるはずなのに、今日は何故かドアが開く気配も笑顔もない。
閉まったままのドアを眺め、私はさっき彼女に送ったメールの事を思い出した。
- 160 名前:さけぐせ 投稿日:2006/09/07(木) 21:37
-
仕事帰りのタクシーの中で、今から行くって梨華ちゃんにメールした。
程なくして届いた返信は、“ごめんね”ってタイトルで。
……“ごめんね”?
え、ちょっと待って。
それは、今日の予定、もしかしてキャンセルってこと?
なんて、内心ひやひやしながらそれを開くと、
ディスプレイに表示された内容は私の予想とは違ってた。
『中澤さんにご飯ご馳走になってるから、家に帰るの遅くなるかもしれない』
その文面にほっと息を吐き出した。
うんまあ、裕ちゃんとご飯ってのがちょぉっと引っかかるけど。
とりあえず今日の梨華ちゃんちにお泊りは実行できるらしい。
何だか複雑な気持ちのまま、ぴこぴこ画面をスクロールさせていくと、続く文面が顔を出した。
―――私より早く家に着いたら、勝手に上がっててね。
- 161 名前:さけぐせ 投稿日:2006/09/07(木) 21:38
-
***
被ってたキャップの鍔をひょいと上げて。
カモフラージュの為に掛けてたサングラスを外すと暗すぎた視界が僅かに明るくなった。
『勝手に上がってて』
あのメールには確かにそう書かれてた。
鞄の中をごそごそ探る。目的の物はすぐに見つかった。
この間の誕生日にミキティから貰ったキーケース。
少々値の張る物らしく、知らずにまっつーに見せたらものすごく羨ましがってた。
多分のその羨ましいには、ミキティからのプレゼントって方にかなりの比重が置かれてるんだろうけど。
それを引っ張り出して、四つぶら下がった鍵の内の一つに触れた。
その動作一つにしても、どきどき早まる鼓動。
いや、別に私は鍵愛好家でも、金属マニアでもないんだけど。
鍵相手にどきどきしちゃう、それにはちゃんと理由があるから。
ひんやり冷たいそれをそっと撫でた。
(うん。だってこれ)
――――梨華ちゃんちの鍵なんだもん。
- 162 名前:さけぐせ 投稿日:2006/09/07(木) 21:39
-
***
遡ること一ヶ月。
仕事終わりのデートの帰り、駅の前で梨華ちゃんが急に立ち止まった。
何だか難しそうな顔で私を見つめる彼女。
はて。こんな顔されるようなことをした覚えはないんだけど。
不思議に思いながら私も立ち止まると、梨華ちゃんは「あのね」って普段より一オクターブぐらい高い声を出した。
『ごっちんって、うちに来ること多いじゃない?
遊ぶ時とか、お泊りだって大体うちじゃん』
―――おー。とーとつだねぇ。
―――なになに。それがどうかしたの?
『だからねっ。いや、だからってわけじゃないんだけど…』
―――うん?
段々語尾が小さくなって、それに比例するように彼女の頬が赤くなってく。
なんだか知らないけれど超テンパってる梨華ちゃん。
- 163 名前:さけぐせ 投稿日:2006/09/07(木) 21:39
-
話が見えない。
首を捻りつつも相槌を打ってたら、彼女は何かを決心したように顔を上げて、鞄の中に右手を突っ込んだ。
そこから出した右手を無言で私の胸の前へ突き出して。
『手、出して』
命令してるくせに、弱すぎるその声音。
そんな彼女の頬は今では夜目にもはっきり分かるほど真っ赤になってた。
素直に手を梨華ちゃんの右手の下に差し出すと、ぽとりと掌に何かが落ちて。
生暖かい。固い感触に特徴的なフォルム。
って、鍵じゃん。鍵だけど…何の鍵?
『こういうの、重いかなって思ったんだけど…。でもっ、ごっちんより私の仕事の方が遅いこともあるし』
真っ赤な梨華ちゃんは、私の目を見つめたまま、「だから」って続けた。
『上げる』
――――んぇ?
『うちの、合鍵』
- 164 名前:さけぐせ 投稿日:2006/09/07(木) 21:40
-
――あの時はホント嬉しかった。
抱きしめてさ、ちゅうしてさ。
あのまま梨華ちゃんちまで行こうかなって思っちゃったもん。
そんなの梨華ちゃんが許してくれるわけないけどさ。
しょうがないから彼女の手を握り締めて、ありがとうって言った。
私の精一杯の気持ちを込めて。
- 165 名前:さけぐせ 投稿日:2006/09/07(木) 21:41
-
***
キーケースから飛び出た鍵を人差し指で弾く。
あれから会えない日が続いて、結局ずっとキーケースに眠ってた、この子。
やっと出番だよ。
頬が緩む。
やばいなぁ。傍から見たらごとー超アヤシイ人じゃん。
でもだって。
嬉しいんだもん。
この鍵は梨華ちゃんちので。
それを渡されたってことは、私は梨華ちゃんちに出入りすることを許されたってことで。
それを許されてるのは彼女の家族以外では多分私だけで。
こういうの、胸がね、くすぐったくなる。
特別なんだよ。アナタは、私の特別。
そう、言われてるみたいで。
- 166 名前:さけぐせ 投稿日:2006/09/07(木) 21:41
-
鍵穴にそれを差し込むと、当たり前なんだけどぴったり嵌って。
回すと、やっぱり当たり前にがちゃりと開いた。
そんな事ひとつひとつが、すごく感動で。
じーんとする心のままドアノブを回した。
やっぱり梨華ちゃんは帰ってないみたい。部屋の中は真っ暗だった。
後ろ手に扉を閉めて、鍵をかける。
壁に手を這わせて電気のスイッチを探した。
すぐに行き当たり、ぱちりと押すと、玄関がオレンジ色に染まって開けた視界。
不意に視線を向けた廊下に“それ”は転がってた。
- 167 名前:さけぐせ 投稿日:2006/09/07(木) 21:41
-
「………っ!!!?」
一瞬、体が強張り、思わず息を呑んだ。
さっきとは違う意味で早まる鼓動に、左胸を手で押さえながら、“それ”を改めて見やる。
廊下の床にうつ伏せで転がってる“それ”は、人の形をしてた。
淡い茶色の髪の毛が乱雑に投げ出されてて。
ジーンズにピンクのシャツ。
………。
…あのピンク、見覚えがあるんだけど。
「―――梨華ちゃんっ!?」
間違いない梨華ちゃんだ。
あのピンク、梨華ちゃんじゃん。
- 168 名前:さけぐせ 投稿日:2006/09/07(木) 21:42
-
慌てて靴を脱ぎ捨て玄関を上がり、転がってる梨華ちゃん(と思われる人)に近づく。
その脇にしゃがみ込んで、恐る恐る顔を覗き込むと、
そのピンクはやっぱり梨華ちゃんで、彼女の目は閉じられてた。
規則正しく上下するピンクの背中。
―――寝てる…?
彼女は何故か廊下の真ん中ですやすや気持ち良さそうに眠ってた。
何で梨華ちゃんこんな所で寝てるの。
だって梨華ちゃん、裕ちゃんとご飯行ってるはずで。
私より先に帰ってきたってこと?
聞きたい事はたくさんあって、だけど、当の本人が寝てたんじゃどうしようもない。
私はそっと声をかけた。
- 169 名前:さけぐせ 投稿日:2006/09/07(木) 21:42
-
「…梨華ちゃん?」
…起きない。
梨華ちゃんを見つめて、ぽりぽりと後頭部をかき、
今度は彼女の肩に手をかけて、軽く揺さぶる。
「りーかーちゃーんー」
「……んぅ…」
少しだけ身じろいだ梨華ちゃんは、うにゃうにゃと言葉にならない声を出した。
よっしゃ手応えあり。
更にゆらゆら揺らす。
「りーかちゃん。こんな所で寝ちゃダメだよ」
ゆらゆら、ゆらゆら。
うーって梨華ちゃんが唸って、僅かに瞼が震えた。
そしたら、それがうっすら開いて、その奥から黒目がちな瞳が顔を出す。
- 170 名前:さけぐせ 投稿日:2006/09/07(木) 21:42
-
「梨華ちゃん…?」
焦点の合わなかった梨華ちゃんの視線が、ゆるりと私を捉えて。
彼女がゆっくりと、笑んだ。
…うあ、かわいい。
「まぁきちゃん」
舌足らずに名前を呼んで、梨華ちゃんはしゃがみ込んだ私の膝にちょこんと頭を乗せた。
それから、ゆっくり瞼を下ろして―――。
「おやすみ…ぃ…」
………。
まてこら。
寝るなおねーさん。
「りっかちゃんっ。起きてって。ちょっと寝んなーっ」
私の膝の上で寝ようとしてるお姉さんの肩をさっきよりも激しく揺さぶって。
両肩を掴んで無理やり上体を起こさせる。
- 171 名前:さけぐせ 投稿日:2006/09/07(木) 21:43
-
上半身を(無理やり)起こした梨華ちゃんは、むうっと眉根を寄せて、未だに眠たげな目で私を見ると「なによぅ」ってやっぱり眠たげに言った。
一応起きてくれた彼女の肩を離すと、その体がバランスを失ったようにふらりと揺れて。
私は慌ててもう一度その肩を両手で支えた。
ダメだ。起きてない。
まだ起きてないよ、この人。
仕方なく、私の体に凭れかからせるように彼女を引き寄せて背中に手を添える。
触れる彼女の体がいつもより温かい感じがして、何だかちょっとどきどきした。
「…梨華ちゃん、起きてる?」
「……ん」
「何でこんな所で寝てんの?」
一番の疑問をぶつけてみると、梨華ちゃんは、うーとか、んーとか、唸った。
…ちゃんと考えてんのかな、この人。
- 172 名前:さけぐせ 投稿日:2006/09/07(木) 21:44
-
新たな疑問が頭を擡げてきた時、唸ってた彼女が小さく口を開いた。
「すきぃ」
「………は?」
質問と答えが噛み合ってない気がするのは、私の思い過ごし?
それで、なんだかすごく今の雰囲気に合ってない言葉が聞こえたような気がしたのも、私の思い過ごし?
ぐるぐる考えてたら、するりと首に彼女の腕の感触がして。
気付いたら、ぎゅう、と抱きしめられてた。
な、なに、なになになに!?
突然の事にがちりと硬直する体。
「まきちゃん、だいすき」
今度ははっきりと耳に届いたその言葉。
聞いたこともないような甘ったるい声で、耳元で、囁かれて。
- 173 名前:さけぐせ 投稿日:2006/09/07(木) 21:44
-
心拍数が跳ね上がる。
何度も言われたことあるし。
私も彼女に嫌ってほど言ってる言葉なんだけど。
なんでこんな唐突に。
どきどき、どきどき。
頬が熱くなるのを自覚する。
動けずにいたら、梨華ちゃんの腕の力が弱まって、私と彼女の間に少しだけ隙間が空いた。
至近距離で目が合って、にこりと微笑む梨華ちゃん。
「かお赤いよぉ。かわいい、まきちゃん」
「り、梨華ちゃん…?」
「んー、まきちゃんかわいいから、ちゅうしてあげる」
「は…?え、え?」
彼女の言葉にうろたえてたら、鼻の頭にキスされて。
続けてそれは唇に振ってきた。
思わず顎を引くと、頬を両手で固定されて、彼女の舌が口の中に入ってきた。
熱いそれは口内を舐めて、私の舌に絡みつく。
- 174 名前:さけぐせ 投稿日:2006/09/07(木) 21:44
-
「ふ…ぅ…」
息が漏れた。
彼女の唇に頭の隅がじんじん痺れると同時に、
舌に感じる彼女の味に、いつもと違う何かを感じた。
――――これは。
(…酒…?)
梨華ちゃんの肩を掴んで押し戻した。
小さく息を吐いて、乱れた呼吸を整える。
…今お酒の味がしたんだけど。
視線を上げて彼女を見ると、何故か目を潤ましてる梨華ちゃん。
え。何、なんでそんな泣きそうなの?
それを問う暇もなく、彼女の瞳からぽろりと零れた涙を見とめて、ぎょっとした。
- 175 名前:さけぐせ 投稿日:2006/09/07(木) 21:45
-
「なななな、なんで泣いてるの梨華ちゃんっ」
「だって、まきちゃん私のちゅう嫌そうなんだもん」
そんなことないけど。
むしろ超嬉しいって言うか美味しいって言うか。
おろおろしてたら、梨華ちゃんは本格的に泣き出して。
綺麗な瞳から後から後から涙が零れ出す。
「まきちゃん、私のこと嫌いなんだぁー!」
「そ、そんなことないから!全然っ、大好きだよ」
「だって嫌そうなんだもんっ」
「わわ、ご、ごめんね。嫌じゃないよ。ごめんね、泣かないで?」
何とか泣き止ませようと、親指の腹で彼女の涙を拭って、頭を撫でて。
「ごめんね。梨華ちゃん」
ぎゅって抱きしめて、背中をぽんぽん叩く。
そしたら、彼女の涙が少しずつ納まってきたみたいで、私はほっと息を吐き出した。
- 176 名前:さけぐせ 投稿日:2006/09/07(木) 21:47
-
ぽんぽん、ぽんぽん。
あやすように労わるように、彼女の背を叩きながら、私はさっきのキスを思い出してた。
お酒の味がしたキスを。
いつもと違う彼女の行動。
その理由が私の頭の中でかちりと嵌る。
“酒”という一文字で。
(…お酒入ってるんだ)
梨華ちゃんお酒入ってるから、こんなことを。
でも、優等生な梨華ちゃんは、お酒を飲むなんてよっぽどじゃなきゃしない。
極端にお酒に弱いことを本人が嫌と言うほど自覚してるし。
何より未成年だし。超が付くほど真面目だし。
――――だから。
それは、“よっぽど”なコトがあったってことで。
背に置いていた手を彼女の頭に持っていき、その髪を梳いた。
頭に浮かぶのは、この香りがよーく似合うあの人の顔。
- 177 名前:さけぐせ 投稿日:2006/09/07(木) 21:47
-
「…梨華ちゃん、裕ちゃんとご飯食べてきたんだよね?」
尋ねると、鼻をぐずぐずやってた梨華ちゃんが私の肩口で小さく頷いた。
「そん時にさぁ、お酒飲んだでしょ」
殆ど確信に近い問いを投げる。
けれど、梨華ちゃんは首を縦に振らなかった。
「飲んでないよぅ」
いやいや。嘘でしょ。お姉さん。
飲んでるでしょうが。確実に。
もう一度「飲んだでしょ」って聞いても、梨華ちゃんは首を横に振って。
「飲んでないもん。ジュースしか飲んでないもん」
- 178 名前:さけぐせ 投稿日:2006/09/07(木) 21:48
-
……。
……。
…ジュース?
それって、もしかして。
(チューハイ…?)
ありえる。
超ありえる、あの裕ちゃんなら。
梨華ちゃんにジュースだ何だの言ってチューハイ飲ませて、
ほくそ笑んでる裕ちゃんの顔が容易に思い浮かぶんだけど。
(…裕ちゃんのやろう)
年上だけど、大先輩だけど、元リーダーだけど、すごくすごくお世話になった人だけど。
未成年に酒飲ませて(しかもよりにもよって梨華ちゃんに!)何考えてんだ、あの人は。
心の中で大先輩の事を罵ってると、首に回ってる梨華ちゃんの腕に力が入ったのを感じて。
髪を撫でてた手をするりと下ろして、その腕にそっと触れる。
- 179 名前:さけぐせ 投稿日:2006/09/07(木) 21:48
-
…裕ちゃんの抗議はとりあえずまた後で考えればいいや。
それよりもまず、この酔っ払いのお姉さんをどうにかしなきゃ。
ぎゅうぎゅう力任せに抱きついてくる彼女の背中を私もぎゅう、と抱き返した。
いつもと違いすぎる梨華ちゃんの行動。
廊下の真ん中で寝てたと思ったら、いきなり泣き出したり、いきなりキスしてきたり。
まるで小さな子供みたいな彼女。
ホントに子供なら可愛いなコイツ、で済む話なんだけど。
梨華ちゃんは子供じゃなくて。
もちろん、私も、子供じゃなくて。
だから、困る。
子供じゃないから。
私たちは、もう子供じゃないから。
だからこそ。
困るんだよ、梨華ちゃん。
- 180 名前:さけぐせ 投稿日:2006/09/07(木) 21:49
-
そんな風に、無防備に見つめられて、笑顔を向けられて。泣かれてキスされて。
どきどきしちゃうんだよ。
酔ってる故の行動だと分かってても。
…邪まな気持ちだって、出てきちゃうんだよ。
ホントどうしよう、私。
(こんなんじゃなかったんだけどなぁ…)
前はこんなんじゃなかった。
例え、すごく好きな相手にも、こんな背筋がうずうずする気持ちになったりしなかった。
ましてや酔ってる相手に対して、こんな気持ち持ったりしなかったのに。
「まきちゃんあったかい…」
ぽつりと呟かれた言葉。
私の気持ちなんか知る由もない彼女のそれに苦笑を隠せなかった。
まったく、このお姉さんは。
- 181 名前:さけぐせ 投稿日:2006/09/07(木) 21:49
-
「ねむい…」
そう言った梨華ちゃんの背中をそっと撫でた。
「ベッド行こっか、梨華ちゃん」
囁いて、ふらふら足元がおぼつかない彼女の体を支えて、立ち上がる。
- 182 名前:さけぐせ 投稿日:2006/09/07(木) 21:49
-
まったく、まったく、本当に。
こっちの気も知らないで。
煽るだけ煽ってさ。どきどきさせるだけさせといてさ。
自分の酒癖の悪さ、少しは自覚してよ。
でも。
そう思う一方で。
そういうトコも好きなんだよ。
なんて、自分でも呆れるような感情も、確かに私の中にあって。
悔しいから絶対言わないけれど。
- 183 名前:さけぐせ 投稿日:2006/09/07(木) 21:49
-
ベッドに入って、梨華ちゃんを抱き寄せた。
彼女の顔にかかる前髪を払って、額に唇を落とす。
仕方ないから今日はこれで我慢してあげる。
おやすみ、梨華ちゃん。また明日。
- 184 名前:さけぐせ 投稿日:2006/09/07(木) 21:50
-
―――*
次の日、裕ちゃんに送った抗議のメール。
『梨華ちゃんにお酒なんか飲ませないでよ!』
返ってきたメールに、頭の片隅で何かがぷちりと切れる音を聞いた。
――――石川、酒入るとダイタンやねぇ。昨日の梨華ちゃん、可愛かったわぁ。
梨華ちゃんを裕ちゃんとはもう絶対にお酒を飲ませに行かせないと心に決めた。
- 185 名前:さけぐせ 投稿日:2006/09/07(木) 21:50
-
>>>さけぐせ
- 186 名前:太 投稿日:2006/09/07(木) 21:51
-
100質のQ16で後藤さんが心配してた理由でした。
飲ませた相手は圭ちゃんにするかどうか迷ったんですが、
結局初代リーダーにしました(ごめん…なかざーさん)
中澤さんは石川さんの何を見たのか。永遠の謎です(笑)
ではでは、お目汚し失礼しました。
- 187 名前:太 投稿日:2006/09/07(木) 21:51
-
>>152さん
いつもと違いすぎるので載せるかどうか迷ったのですが、
そう言って頂けて一安心です。
>>153さん
ええ。いしごまはバカップルです。
誰が何と言おうとバカップルなんです。バカップル万歳!
>>154さん
いつも更新遅くて申し訳です(汗)
バカップルばんざーい!
>>155さん
うあ一気に読んじゃいましたか(照)ありがとうございます。
今回はやらしさ控えめですが、気に入っていただければ幸いです。
>>156さん
レスありがとうございます。
これからも頑張りますよー!
- 188 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/09/07(木) 22:26
- 新作ありがとうございます!!
二人共可愛くて読みながらニヤニヤしちゃいました
ごっちんはちょっと大変そうですけどw
太さんのいしごまはホント最高ですね〜
- 189 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/09/07(木) 23:33
- 更新お疲れさまです!
相変わらず中澤さんはひどいですね〜w
ごっちんの梨華ちゃんに何してくれたんだ!
って読者である私もつっこんじゃいました
今回も楽しませてもらいました
- 190 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/09/08(金) 00:20
- 新作キテタ!
永遠の謎ですかー、残念!
すっごい気になりますねーwww
- 191 名前:太 投稿日:2006/09/09(土) 20:50
-
アンリアル、高校生いしごま。
石川さん視点です。
水板に久々に更新きてて嬉しい。
テンション高めで更新いきます。うひょーい!
- 192 名前:夏休みの課題回収係 投稿日:2006/09/09(土) 20:51
-
大きく開いた窓から不意に風が吹き抜けて、
私は攫われそうになる髪を左手で押さえた。
窓に顔を向けると、木の頭が見える。
二階にあるこの教室からも見ることが出来るそれは、
随分古くからこの学校の校庭に座っているらしい。
木の枝の間から見えるグラウンドでは、陸上部とサッカー部がお互いに譲り合いながら練習してる。
しかし、こうなるまでには、紆余曲折があったわけで。
グラウンドを使用したいと言う部活は少なくない。
野球部、ラグビー部、アメフト部、ソフト部、サッカー部、陸上部、フットサル同好会。
それぞれが、それぞれ勝手に使用権をよこせって言うものだから、喧嘩が絶えなくて。
曜日ごとで分けて練習してもらってたんだけど、試合前になるとその関係は更に悪化する。
怒鳴りあってお互いに引かない彼らを見かねて、仕方なく各部長を呼び出し、
生徒会が間に入って話し合わせた結果、今のような形になったのだ。
スポーツマンとしてあるまじき態度で怒鳴り合う彼らを見ながら、
本当にあの時ほど生徒会をやっていて後悔したことはない。
結局キレた美貴ちゃんの一言でその場は納まったんだけど。
グラウンドの周りをひたすらに走る生徒をぼんやり目で追いながら、まあ、結果オーライかなって思った。
- 193 名前:夏休みの課題回収係 投稿日:2006/09/09(土) 20:52
-
そよそよと風が頬を撫でる。
夏と秋の間の匂いがして、目を閉じた。
気持ちいいな。
夏の終わりの独特の香り。
学祭前、本格的に生徒会が忙しくなる前の数日が、私は好きだった。
そよそよ、そよそよ。
陸上部とサッカー部の練習する声が、遠くの方で聞こえる。
…私もそろそろ、帰ろうかな。
そよそよ、そよそよ。
そういえば、駅前のケーキ屋の店員さん、もうすぐモンブランを出すって言ってた。
帰りに寄って行こう。
そよそよ、そよそよ。
「そんな顔してたらちゅうするよ、石川さん」
鼓膜を振るわせたその声に、駅前のケーキ屋さんまで飛んでいた思考が現実に引き戻された。
- 194 名前:夏休みの課題回収係 投稿日:2006/09/09(土) 20:52
-
ゆっくり瞼を押し上げて、声の方、私の目の前に顔を向ける。
そこには椅子に前後ろ反対向きに座った、クラスメイト姿。
「…課題、終わったの?後藤さん」
頭の片隅に浮かぶモンブランの映像を打ち消しながら、
私は机の上に広げられた数枚のプリントに目をやった。
「まだだよぉーん」
名前欄以外白紙のプリントと間の抜けた声を聞いて、
目元がぴくりと引き攣ったのが自分でも分かった。
夏と秋の間。
夏休み明けの放課後。
生徒が帰った後の教室の中で、私は後藤さんと二人、夏休みの課題に取り組んでいた。
“後藤さんの”夏休みの課題に。
- 195 名前:夏休みの課題回収係 投稿日:2006/09/09(土) 20:52
-
***
それは、昼休みのことだった。
私はクラスで集めた現国のプリントを先生の所へ持って行って。
担任に呼び止められたのは、職員室から退室する直前。
三十代半ばの髪を明るい色に染めた男性教師は、
頼みがある、と心底困ったって顔で私に告げた。
『後藤の夏休みの課題を、なんとか明日中に回収してくれ』
嫌だった。ものすごくやりたくなかった。
今日は好きだったドラマの再放送があるし、
久しぶりに生徒会の仕事もなくて、早く帰れるって思ってたから。
でも、悲しいかな、性分なのかなんなのか。
そんな風に頼み込まれて、嫌です、なんてとても言えなくて。
気付いたら私は苦笑しながら頷いていた。
- 196 名前:夏休みの課題回収係 投稿日:2006/09/09(土) 20:53
-
***
ちらりと、黒板の隣の時計に目をやると、
後藤さんとプリントに向かい合ってから、30分が過ぎようとしていた。
「…後藤さん、もう30分経ってるんだけど、どぉおしてプリントに名前しか書いてないのかなぁ?」
「えーもうそんなに経ったの?」
のんびりと言葉を吐き出す彼女、悪びれた様子はどこにもない。
私は、はあと大きく溜め息をついた。
後藤さんこと、後藤真希さんとは、かれこれ五年の付き合いになる。
彼女と初めて会ったのは中学一年生の時。クラスメイトだった。
だけど彼女は、私とはタイプが違うというか、住む世界が違うというか。
普通に生活をしていたら、絶対友達にならない種類の人間だと勝手に思ってた。
現に中一の夏休み前まで、まともに会話をした記憶は私にはない。
- 197 名前:夏休みの課題回収係 投稿日:2006/09/09(土) 20:54
-
そんな彼女と何故私は今、額を付き合わせて、彼女の夏休みの課題をやっているのか?
それは、やっぱり中学一年生の時に遡る。
中一の夏から、後藤さんは毎年欠かさずに夏休みの課題を忘れてくる。
というか、やってこない。
それは別に構わなかった。
やってこないのは彼女の勝手だし、怒られるのは彼女だし。
そりゃ多少は(当時の)委員長として嗜めたりもするけれど、
基本的にそのことに関して、私に害が及ぶことはないから。
だけど、ある日を境にそれでは済まなくなった。
彼女はやり忘れた(もしくは面倒くさくてやってない)課題を提出期限が過ぎてもやる気配を見せなくて。
痺れを切らした当時の担任は、何故か私を呼び出し『後藤の夏休みの課題回収係』に任命したのだ。
意味が分かりません、先生。
ていうか、なんですかその係りは。
抗議した私を、担任は、委員長だろう、の一言でいなした。
横暴だ。職権乱用だ。
言いたい言葉を飲み込んで、私は渋々頷ずくしかなかった。
- 198 名前:夏休みの課題回収係 投稿日:2006/09/09(土) 20:55
-
それから中学校の三年間。
何故か私は後藤さんとずっと同じクラスで。
委員長という肩書きと供に、『後藤の夏休みの課題回収係』という、
ちっとも嬉しくない役職が私について回ることになった。
そして、高校に入学した今でも、何故か、何故か!その仕事は私について回る。
私と同じ学校に進学した後藤さんを責めるべきか、
彼女と同じ学校に進学してしまった自分を責めるべきか。
それとも、考え無しの担任を責めるべきか。
練習中のサッカー部員の掛け声が遠くの方で聞こえる中、
当時の担任の顔を思い出して、なんであの時もっと強く拒否しなかったんだろう私は、と再度深く溜め息をついた。
「一問目、分からないの?」
「分かんないよーな、分かるよーな?」
「もう、真面目にやってよ。明日には提出しろって先生言ってたよ」
再三課題を提出するように(これも毎年)催促するにも関わらず、
彼女はその言葉を聞き入れた試しがない。
そして、期限がぎりぎりまで迫っては、『後藤の夏休みの課題回収係』の私が、
放課後に残って彼女に課題をやらせなければならないのだ。
- 199 名前:夏休みの課題回収係 投稿日:2006/09/09(土) 20:55
-
毎年の恒例行事。始業式とか、消防訓練とか、
私の中で、彼女との夏休み明けの放課後のこの時間も、それらと同じようなものだった。
今年こそは絶対居残りせずに出させる。
そう自分に言い聞かせて、すでに五年。もう五年。早五年。
それが実現されたことは一度もない。
「まったく、どうして毎年やってこなかなぁ…」
ぽろりと漏れ出た本音。
目の前の後藤さんが頬杖を突いた。
「えー?分かんないからじゃん。この問題が」
(嘘つけ)
私は知ってるんだから。
毎年用意でもしてきたように、彼女が課題を少しだけ残してるってこと。
彼女は課題を全部やってこないわけじゃないないのだ。
国語のプリント数枚とか、英語の問題集の残り5ページとか、少しだけ課題を残して学校にやってくる。
その課題は決まって、他の課題なんかよりずっと基本的で易しい問題の所ばかり。
ちなみに今年の課題は英語のプリント5枚。
- 200 名前:夏休みの課題回収係 投稿日:2006/09/09(土) 20:56
-
「分からなくないでしょう?だって後藤さん、問題集の英訳できてたじゃない」
「あれはあれ、これはこれって言うか?」
私の指摘に特にペースを崩すことなく応える彼女は、
右手に持ったシャープペンシルを器用にくるりくるりと回した。
後藤さんは、別にこの問題が出来ないわけじゃないのだ。
(だから、課題を持ってこないのは面倒くさいから。或いは――――)
そこまで考えて、彼女のシャーペンに向けてた視線を机に落とした。
個人的にその続きは、あまりあってほしくない。
(――――或いは、)
私への、嫌がらせか――――。
面倒くさくてやってこないわけじゃないのなら、
彼女と夏休み明けのこの放課後でしか接点のない私には、
それくらいしか考えつかなかった。
- 201 名前:夏休みの課題回収係 投稿日:2006/09/09(土) 20:56
-
「…後藤さんさぁ、私のこと嫌い?」
「はあ?」
―――例えば。
そう言って、私は、眉根を寄せた後藤さんの前に人差し指を立ててみせた。
中一の時に課題を忘れたのはただの偶然で。
その時に何故か自分の課題の世話を焼くクラスメイトが一人。
どうやら先生にその役目を押し付けられた模様。
それでもって、彼女はそれを不服に思ってるらしい。
それを知った後藤さんは、よっしゃそいつ気に入らないから毎年課題やらずに困らせてやれ、って思った。―――とかね?
私が話し終わると、彼女は、石川さん話長い、と遠慮の欠片も見せずに言い放って。
「つーかさ、仮に私がそう思ってたとしても、
毎年課題やらない嫌がらせってかなり効率悪くない?」
と、特に表情を変えずにもっともな事を口にした。
- 202 名前:夏休みの課題回収係 投稿日:2006/09/09(土) 20:57
-
「そうかなぁ」
「そーでしょ。だって、そんなことしなくても嫌がらせならいつだってできるし」
そこで言葉を切って、後藤さんは、くるくる回してたシャーペンをことりと机に置いた。
「てか、あれだよねぇ。普通思ってたしても、本人に言わなくない。そういうコトって」
「そ、そうかな…」
「でしょ。石川さんって頭良いのに変なトコ抜けてるよね」
「そんなことないもん」
むっとして言い返すと、後藤さんはふにゃりと笑った。
太陽のオレンジが彼女を柔らかく縁取って、彼女の長い睫がきらきらした。
それがなんだか、とても綺麗で。
私の鼓動がほんの少しだけ、跳ねた。
夏休み明けの放課後限定の関係の、私と、後藤さん。
教室の中で友人に囲まれてることの多い彼女と、普段、まともに会話をすることは皆無で。
だから彼女に関して私が知ることは少ない。
そんな中で、時折見せる彼女のこの笑顔が、私は密かに好きだった。
ふわふわと、柔らかくすべてを包んじゃえるような雰囲気を持ったその笑みが。
- 203 名前:夏休みの課題回収係 投稿日:2006/09/09(土) 21:02
-
「まあ、当たらずとも遠からずって感じだけど」
え、それって…―――。
彼女の言葉にそれまで感じてた気持ちが、まるで潮が引くように私の中から消えていき、代わりに別の感情が一気に体中を駆け巡る。
がたん、と椅子から立ち上がった。
「やっぱり私への嫌がらせだったわけ!?」
だって、だって!
そういうコトでしょ?
当たらずも遠からずって。
五年間も、毎年毎年、執拗に。彼女は。
なんて、なんて執念深い!
私の勢いに気圧されたのか、後藤さんは僅かに顎を引いた。
- 204 名前:夏休みの課題回収係 投稿日:2006/09/09(土) 21:03
-
「いや、そういう意味じゃないから」
「そういう意味じゃんっ!言い訳なんてしないでよ!」
「言い訳じゃなくてね?てか、落ちつこーよ」
「落ち着いてるよ!!これでもかってくらい落ち着いてるもん!」
落ち着いてるけど怒ってるの。
何よ!五年間も嫌がらせを続けて、今更言い訳?
ぎゃんぎゃん咆える。
彼女がぽりぽりと頬をかいた。
「……石川さんってさぁ、鈍感だよね」
それも、相当重度の。
続いた言葉。呆れたような物言いに、かーっと頭に血が上るのを感じた。
「なによ、なんなのよ、その言い方!
人が親切に放課後の時間割いてまで、付き合ってあげてるのに!」
びしっと彼女を指差して言い放つ。
- 205 名前:夏休みの課題回収係 投稿日:2006/09/09(土) 21:03
-
「後藤さんの為にって。後藤さんの為に今までずっと毎年毎年居残りしてたのに!」
どーいうことよ!
嫌がらせだったんでしょ。
あなたに嫌われるようなことした覚えはないけど。
嫌いだったんでしょ!私の事!
勢いでそこまで言い切り、後藤さんを睨んだ。
だけど彼女はそんな私の態度もどこ吹く風って感じで。
何考えてるか分かんない表情で私を見つめると、
彼女に向けた私の人差し指の先端に、自分のそれをぴとっとくっ付けて、いーてぃー、なんて暢気に呟いた。
そんな態度に苛立って、私はその手を振り払おうとした。
だけど、それより一瞬早く、彼女が私の手を掴む。
「まあまあ、落ち着いて。ね。一回座ろ?」
のんびりした声音に、不思議と私の冷静な部分がひょこりと顔を出した。
一度目を閉じて、ふう、と深呼吸。
目を開けて、静かに椅子に腰を下ろした。
- 206 名前:夏休みの課題回収係 投稿日:2006/09/09(土) 21:03
-
「…なに?言い訳ぐらいなら、やっぱり、聞いてあげてもいいよ」
決してあなたへの怒りが消えたわけじゃないけれど。
後藤さんは、私の態度に苦笑を漏らして、ありがとう、って言った。
机に置いた私の手の上の彼女の手に少しだけ力が入ったような気がした。
「さっきの言葉はね、うん、なんか大筋はあってるっていうかさ」
「はあ!?」
「いやいや。嫌いとかじゃないんだよ。てか、むしろ逆、みたいな」
段々語尾が小さくなる彼女の言葉。
その意味を図りかねて、私は首を傾げた。
―――逆…?
「…どういうこと?」
問うと、彼女は一度目を伏せて、また上げた。
困ったような色をその瞳に称えながら。
「やっぱ石川さん、鈍感だ」
「なっ、失礼なこと言わな――」
「ごとーさ」
私の声を遮るように、後藤さんは語気を強めた。
その音が二人だけの教室に、じん、と響く。
- 207 名前:夏休みの課題回収係 投稿日:2006/09/09(土) 21:05
-
「ごとーさ、これでも結構成績良い方なんだよねぇ。
学年順位とかも、上から数えた方が早かったりして」
それは初耳だった。
なら、やっぱり課題は故意にやってこないんだ。
「なにそれ自慢?それなら課題やってくればいいじゃない。
頭の良い後藤さんならあんなの簡単でしょ?」
「…それじゃ、意味ないんだよねぇ」
手の上に置かれてた彼女のそれに私にも分かるくらい力が入った。
思わず手を引こうとしたら、掴み直される。
「それじゃあ石川さん、ごとーと、こんな風に居残りしてくれないでしょ」
掴む彼女の手は優しく、でも、決して逃げることを許さない、そんな風に言ってるみたいで。
ふわりと強く吹いた風が、グラウンドで練習に励む陸上部の声を教室の中に運ぶ。
「独り占め、できないじゃん」
――――ひとりじめ?
彼女の言葉を頭の中で反芻して。
彼女を見つめ返した私の目に、苦笑いをした後藤さんの顔が映る。
落ちかけの太陽のオレンジがその輪郭を柔らかく包んでた。
- 208 名前:夏休みの課題回収係 投稿日:2006/09/09(土) 21:06
-
「ねえ…それ、どういう…――――」
その意味を問うよりも先に、唇に感じた、柔らかさ。
見開いた目に映るのは、長い彼女の睫。
そっとそっと、まるで、酷く壊れ易い物に触れるように、彼女のそれは私の唇を撫でて。
やっぱり、そっと離れていった。
多分、それは時間にしたら数秒にも満たない一瞬の出来事で。
でも、それだけで、たったその一瞬だけで、それは私の思考を全て奪った。
真っ白な頭で必死に今さっきの出来事の意味を考えても、なんの答えも出てこない。
ただ、グラウンドのサッカー部員の掛け声だけが、やけにはっきりと聞こえた。
気付いたら、後藤さんが席を立っていて。
その肩にはしっかりとスクールバッグがぶら下がってる。
呆然と見つめるしかできない私に、彼女はふにゃりと笑いかけた。
あの、笑顔で。
「そういう、意味だから」
そう言った彼女の頬が少しだけ赤いのは私の気のせいだろうか。
- 209 名前:夏休みの課題回収係 投稿日:2006/09/09(土) 21:06
-
「んじゃ、石川さん。これ、明日までにはちゃんとやっとくから」
机の上に散らばったプリントを拾い上げ、
教室を出て行く彼女の後姿が見えなくなっても、
暫くの間、私はその場から動くことができなくて。
『そういう、意味だから』
後藤さんの言葉が何度も何度も頭の中で繰り返し再生される。
そっと自分の唇に触れると、自分の指がかすかに震えてることに気が付いた。
――――独り占め、できないじゃん。
ゆっくりと唇をなぞる。
風が前髪を揺らした。
――――そういう、意味だから。
「…っどういう意味よっ」
だけど、本当は、それが意味することが分からないほど私は子供じゃなくて。…けど。
- 210 名前:夏休みの課題回収係 投稿日:2006/09/09(土) 21:07
-
でも、だって。
私たちの間にあるのは『後藤の夏休みの課題回収係』という関係だけで。
五年間、夏休み明けの放課後、たった数時間一緒にいただけで。
そんな会話一度だってしたことなかった。
そんな態度一度だって見たことなかった。
「そんな事、言われても困る…」
私は、彼女の事を何も知らないのに。
- 211 名前:夏休みの課題回収係 投稿日:2006/09/09(土) 21:07
-
だけど。
どくり、と跳ねる鼓動。
首から上が、まるで別の生き物になったように、熱くて。
――――石川さん。
鼓動は治まることなく、どんどん、どんどん、早く、大きくなっていく。
頭を過ぎるのは、ふにゃりと笑んだ彼女の顔。
グラウンドで、サッカー部の練習試合開始を告げるホイッスルが鳴った。
- 212 名前:夏休みの課題回収係 投稿日:2006/09/09(土) 21:08
-
>>>夏休みの課題回収係
- 213 名前:太 投稿日:2006/09/09(土) 21:08
-
後藤さん五年間片思い。
作中の彼女に、もう少しやり方はなかったんか?と言いたい(自分で書いたくせに)
気付いたら、もう9月です。
9月といえば、もうすぐ飼い猫さんの誕生日なわけですが。
豆柴さんの時は間に合わなかったので、何かしたいなぁと思ったり思わなかったり。
まあ予定は未定(遠い目)
では、お目汚し失礼しました。
- 214 名前:太 投稿日:2006/09/09(土) 21:09
-
>>188さん
レスありがとうございます。
酒ネタでは散々石川さんに迷惑かけてきた彼女ですので、少しは困ってもらわねば(笑)
>>189さん
本当に中澤さんは、後藤さんに飲ませたり、石川さんに飲ませてみたり…。
こんな役回りが似合うのはこの人だけです(笑)ありがとう姐さん。
>>190さん
気になりますか?
永遠の謎は、作者の気分と場の雰囲気でころころ変わりますよ(笑)
- 215 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/09/09(土) 22:38
- うっわー!!いいなーこれ!!
最高です、ありがとうございます。
いつか気が向いたら続きとか書いていただけると
すごくすごく嬉しいです。
- 216 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/09/10(日) 00:16
- 更新ありがとうございます!&おつかれ様です
アンリアルないしごまもいいですね〜!
太さんのごっちんにやられっぱなしです
- 217 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/09/10(日) 02:06
- 更新お疲れ様です
最近ハイペースですね!嬉しい限りです
アンリアルもまた味があっていいですね
また更新お願いします
- 218 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/09/10(日) 02:59
- 中1日で更新なんて嬉しすぎる〜!
>>190ですが、実はゆゆりかも好きなので永遠の謎が凄く気になりますw
- 219 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/09/10(日) 20:32
- 太さんいつもいつもありがとうございます!
飼い猫さんの誕生日期待してます!
- 220 名前:Liar 投稿日:2006/09/12(火) 04:17
- こんな所にあったとは…!
実は私、作者さんの一つ目の作品を読ませていただいてた者ですが…
途中で『教師〜』が終わっていて、正直かなり落ち込んでいました…。
で、ついさっき『豆柴と飼い猫』と『豆柴と飼い猫2』を発見し、読ませていただきました!
作者さん最高!!
いしごま最高!!
なんでこんなにいい雰囲気を出せるのかがわかりません!
今後も期待してます。
作者さんのペースで頑張ってください!
- 221 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/09/13(水) 18:55
- ごっちん気ぃ長いなぁ〜。w
でも、ま、恋の芽は出たのかな?って感じですね。
個人的にはアンリアルの方がどちらかというと好きなんで
こういういしごま高校生ものをまた書いていただけたら嬉しいです♪
- 222 名前:太 投稿日:2006/09/23(土) 01:23
- 後藤さんおめ!
でもって遅ればせながら、愛ちゃんもおめ!
今回は後藤さん誕生日話。
いしごま、後藤さん視点です。
- 223 名前:ピンクのリボン 投稿日:2006/09/23(土) 01:24
-
『いぇーい!!誕生日おめでとぅ☆★☆21歳になってもいっぱい遊ぼうぜぃ(≧3≦)ノ〜☆゛』
『お誕生日おめでとうございます(≧U≦)後藤さんの21歳が素敵なモノになりますように★☆』
『ごっつぁん誕生日おめでとー!あのごっつぁんが21(゚A゚;!?)若いねっフレッシュだね!!
これから色々あると思うけど、ごっつぁんならぜっったい最高の21歳にできるよ!
お互いお仕事がんばりましょー☆あ、あと今度ご飯行こうね』
―
――
――――
- 224 名前:ピンクのリボン 投稿日:2006/09/23(土) 01:25
-
「若いって、やぐっつぁんもじゅーぶん若いじゃん」
呟いて苦笑い。
手にしたケータイをぴこぴこ操作。
受信ボックスにはよしこを筆頭に、先輩、後輩、メイクさんやらマネージャーさんやらの名前が並ぶ。
タイトルには皆一様に同じ文字。
“おめでとう”
色々な気持ちがその一言に凝縮されてる気がして、
ディスプレイに表示されてるただの黒い点の集まりに、頬が緩むのを止められない。
自分が生まれた日を喜んでくれる人がいる。
おめでとう、と言ってくれる人がいる。
ココロがね。
目に見えない、何か、すごく幸せなモノでいっぱいになる感じがする。
あったかくて、柔らかくて、とてもとても素敵なモノ。
- 225 名前:ピンクのリボン 投稿日:2006/09/23(土) 01:25
-
家族、友達。応援してくれてる人たち。
それは、少しだけ照れくさくて、その何倍も嬉しいことだった。
ベッドにうつ伏せに寝転がって、枕に顔をぐりぐり押し付けた。
ケータイを見つめて意味も無く漏れる笑み。
恥ずかしいような、嬉しいような?
うん。すっごく嬉しいんだけど。
そんな、ぬるま湯につかってるような、なんとも締まらない(すごく幸せな)気分の中で、私は、待っていた。
たった一人のあの人からの連絡を。
「…りーかちゃん」
思わず、口からすべり落ちた言葉。
彼女から、今日はまだ一度も連絡をもらってない。
ケータイのディスプレイに表示された時刻は、もう零時を十分ほど過ぎていた。
- 226 名前:ピンクのリボン 投稿日:2006/09/23(土) 01:25
-
出会ってから毎年、梨華ちゃんは誕生日当日に必ずおめでとうの言葉をくれる。
それはメールだったり電話で直接だったり様々だけど、大抵、零時を過ぎるか過ぎないかくらいの時間帯で。
だから。
(そろそろ、じゃないかなぁって思ってんですけどー)
ケータイを手にベッドで待つこと数十分。
未だに彼女からのおめでとうはない。
別に自惚れとか、そういうんじゃないけど、彼女が連絡をくれるって私は確信してた。
だってほら。考えてもみてよ。
コイビトの誕生日スルーとかありえないじゃん。
それに。
何より梨華ちゃんは、こういうことだけは律儀にこなすんだもん。
…普段は全然まめじゃないくせにさ。
ディスプレイの下の方に並ぶ数字が、また音も無く入れ替わる。
連絡はまだ来ない。
- 227 名前:ピンクのリボン 投稿日:2006/09/23(土) 01:26
-
(仕事かな…?)
だけど、昨日のメールではそんなこと一言も書かれてなかったし。
むしろ早く終わるみたいなこと書いてあった。
それと、明日は家にいるのみたいなことも聞かれて。
ケータイとにらめっこしながら考える。
いるよって答えたら『家族でお祝いするんだ?』って。
メールでのやり取りだったから、その声を聞いたわけじゃないけど。
それには何だか、遠慮してるみたいな響きが感じられて。
でも、電話するぐらい、そんなの何でもないし。
…こっちから電話しようなかな。
いやでも、それってなんか悔しい。
ぐるぐる考えながら、ディスプレイに映るのはメモリから引っ張り出した梨華ちゃんの番号。
親指は通話ボタンの上を行ったり来たり。
何分か続いたにらめっこは、私が通話ボタンを押す決心をした直後、突然終わった。
間の抜けた着信音と、ディスプレイに踊る待ち人の名前によって。
- 228 名前:ピンクのリボン 投稿日:2006/09/23(土) 01:26
-
通話ボタンに乗っけてた指に力を入れて、ぷちっと押す。
ケータイを耳に当てると、『もしもし』って大好きな声が鼓膜を震わせた。
「りーかちゃん」
『あ、ごっちん、こんばんは。今、大丈夫?』
「はい、こんばんはー。だいじょぶだよ」
全然大丈夫。むしろ待ってたから、アナタのこと。
律儀に尋ねてくる彼女に少しだけ苦笑。
ごろりと寝返りを打ち仰向けになって、天井を眺めた。
『あの、ごめんね。12時に電話しようと思ってたんだけど、色々あって…』
「うん」
『でね、あのさ。ごっちん?』
「うん?」
彼女の声が鼓膜を優しく震わせる。
それが心地良くて、私はゆっくり目を閉じた。
『…誕生日、おめでとう』
ずくり、と、体の中の何かが疼いた。
甘い甘い、何かが。
- 229 名前:ピンクのリボン 投稿日:2006/09/23(土) 01:26
-
息を吐き出すように、ケータイ越しの梨華ちゃんの声が、私の脳みそを刺激して。
彼女の言葉が、じわりじわりと心に染み込んでく。
こんな事言ったら、きっと他の人に失礼だろうけど、
誰のどんなおめでとうより、嬉しくて。
「…ありがと」
素直に思ったままを口にすると、電話口の梨華ちゃんの笑む気配を感じた。
閉じた瞼の裏に、照れたように笑み彼女の顔が浮かんだ。
『きっとごっちん、たくさん言われただろうけどさ…』
ちょっとだけ拗ねたような声。
やばい。頬が緩んできた。
- 230 名前:ピンクのリボン 投稿日:2006/09/23(土) 01:28
-
「あは。拗ねてるー」
『………』
…あれ?
からかい半分で言った言葉に、電話口の梨華ちゃんが黙り込んで。
どうしたのって聞こうとしたら、その前に彼女が口を開いた。
『…拗ねてるよ』
「え…?」
『ごっちん、毎年、皆にいっぱいお祝いしてもらからさ、
…だから、私のは別にいいのかなぁとか、思っちゃうんだよ』
「………」
なにその口調。
なにその拗ねた声。
超かわいいんですけど。
心がきゅうって締め付けられて、震えた。
- 231 名前:ピンクのリボン 投稿日:2006/09/23(土) 01:28
-
…やばいなぁ。
顔見たいかも。
顔見て、抱きしめて、頭撫でたい。
しょうがないな、しょうがないな、梨華ちゃんは。
分かってないんだからさ。
「…いくないし」
そりゃさ、いろんな人からおめでとうって言われて、
お祝いされるのは、すごく嬉しいよ。
だけど。
だけどね?
「梨華ちゃんに言ってほしいもん」
欲しいのはたった一言。
誰の、どんな言葉よりも。
「梨華ちゃんのおめでとうが、一番嬉しいよ」
キミのたった一言が、たまらなく嬉しいんだ。
- 232 名前:ピンクのリボン 投稿日:2006/09/23(土) 01:28
-
言い終えて、誤魔化すように笑う。
梨華ちゃんは暫くの間黙ってた。
『…ありがとう』
聞こえた彼女の声に、知らず唇の端が上がる。
お礼を言われるようなことは何も言ってないよ、梨華ちゃん。
『オトナだね、ごっちんは』
「そかな」
どっちかと言うと子供っぽくない?
梨華ちゃんのが一番嬉しいとか。
すっごいうきうきしながら梨華ちゃんからの連絡待ってるのとか。
どこの中学生だよって感じじゃん。
『そうだよぅ。恥ずかしいな、私。子供っぽいね。変な嫉妬してごめんね?』
苦笑して、うん、って一言口にする。
- 233 名前:ピンクのリボン 投稿日:2006/09/23(土) 01:29
-
梨華ちゃんの嫉妬は私にとって少しも負担じゃない。
だって、その感情は好意の裏返し。
私のことを想ってくれてる故の言葉だって分かってるから。
信じてないわけじゃないけど、あまりそういうの見せない梨華ちゃんだから。
時々見える彼女の独占欲に、私はどうしようもなく嬉しくなる。
だから、梨華ちゃんは謝らなくてもいいんだ。
それにさ、そんなコト言ったら私なんてつまんない事でいっつも嫉妬してるし。
『私、同い年なのに』
「今日からね」
『うん。21歳だね、ごっちん』
「…うん」
やっとだよ。今年もやっと同じ所に立てた。
たった八ヶ月、私より早く生まれた梨華ちゃん。
年齢の差なんてあってないようなものだけど、でもやっぱりさ、
はっきりした数字で出されると、年下ってことを実感しちゃう。
だから、梨華ちゃんの誕生日までの三ヶ月は私にとって特別な三ヶ月。
年下の恋人から、少しの間だけ同い年の恋人になる。
小さな変化。
だけど、大きな違い。
私はそれがちょっと嬉しかった。
- 234 名前:ピンクのリボン 投稿日:2006/09/23(土) 01:29
-
『ところでさ、プレゼント何がいい?』
さっきとは声の雰囲気が変わって、少しだけ勢い込むように梨華ちゃんが聞いてきた。
「ええー用意してくれてないの?」
そんなはずないって確信を持ちながら、少しだけ拗ねたように言ってみる。
だって、あの梨華ちゃんがそこを押さえておかないなんてありえない。
『してるけど…。希望とかあったらさ聞いとこうかなーと』
ほらね。
自信なさ気な声に、胸の中で小さく笑う。
その声音から彼女が眉尻を下げて困ったような表情をしてるだろうなってのが容易に想像ついた。
「梨華ちゃんがくれるのなら何でも嬉しいけど」
『……………』
あ、今照れたでしょ。
眉尻下げて困ったように、だけど嬉しそうに、
私の瞼の裏で、梨華ちゃんが視線を泳がせた。
- 235 名前:ピンクのリボン 投稿日:2006/09/23(土) 01:29
-
『……それじゃ聞いた意味ないじゃん』
「だってホントのことだし」
『…ほ、ホントの事って、でも…』
「梨華ちゃんがくれる物が欲しい」
電話口から、は、って少しだけ息の音が聞こえた。
それから、「ごっちん」って私の名前を呼ぶ声が耳に届く。
その声がすごくすごく切なそうに響いた気がして。
心が、締め付けらる。
そこから全身に広がる甘い痛み。
ねえ、梨華ちゃん。
分かってる?
私は、キミに名前を呼ばれるだけで、こんなにも胸がつまるんだ。
「…てかさ、むしろ梨華ちゃんが欲しい」
嫉妬なんて本当は意味ないんだよ。
だって私は、こんなにもキミに夢中。
- 236 名前:ピンクのリボン 投稿日:2006/09/23(土) 01:30
-
『ええっ』
「へ?」
胸の痛みを気付かれないように、わざと茶化して(いや半分ぐらい本気だけど)言った言葉に、返ってきたのは、すっとんきょな梨華ちゃんの声。
思わず、何か変なこと言ったっけって自分の言葉を反芻。
…いつもの会話と特に変わったことはないんだけど。
結論付けて、彼女にそれを問おうと口を開きかけた時、
ケータイから聞こえた彼女の声じゃない、音。
閉じてた瞼を押し上げた。
耳障りな甲高い音が聞こえたと思ったら、直後に何かが通り抜けるような轟音。
それが踏み切りの音だと気付くのに時間はかからなかった。
「梨華ちゃん、今…外?」
もしかしてって思って、半信半疑で聞くと、
梨華ちゃんが息を呑んだのがケータイ越しの私にもはっきり分かった。
- 237 名前:ピンクのリボン 投稿日:2006/09/23(土) 01:30
-
(外にいるんだ…)
確信して、ちらりと部屋の隅の時計に目をやる。
その短針は十二と一の真ん中に来てて、長針は六を回った所だった。
深夜と言って何も差し支えない時間帯。
こんな時間に何をしてるんだ、梨華ちゃんは。
「…一人…?」
一番あってほしくない考えが頭を過ぎって、小さく尋ねると、
梨華ちゃんは、慌てたように、「一人だよ」って言い返した。
その言葉に少しだけほっとして、だけどすぐに違う不安が湧いてくる。
「てか、今何時か分かってる?こんな時間に一人で何してんの、梨華ちゃん」
踏み切りの音があんなにはっきり聞こえるなんて、車の中とか、電車の中じゃない。
どこか歩いてるってことじゃん。
あのね。こんな時間に一人でふらつく何て危ないでしょうが。
いっくら二十歳過ぎてるからってさ。
仮にも女の子でしょ。げーのーじんでしょ、梨華ちゃん。
電話口の彼女が少しだけ怯んだような感じがした。
暫く梨華ちゃん出方を窺うために黙ってると、
何かを決意したように彼女が息を吸った気配。
- 238 名前:ピンクのリボン 投稿日:2006/09/23(土) 01:31
-
『あのねっ』
「うん?」
『あのっ、お願いがあるんだけど…っ』
お願い?
切羽詰ったような彼女の声音に、その言葉を頭の中で繰り返して、
寝転んでた上半身をゆっくり起こして居住まいを正す。
何か深刻なお願いでもあるのかな。
「なに?」って静かに聞き返す。
『うん、あの、無理だったら断ってくれても全然いいんだけど…っ』
「うん」
『えと、今ごっちん家にいるんだよね?』
「…?家だけど」
その言葉に、昨日の梨華ちゃんのメールを思い出した。
「家にいるの?」って聞いてきた彼女。
今のこの雰囲気とその文面がなんだか重なる。
- 239 名前:ピンクのリボン 投稿日:2006/09/23(土) 01:31
-
でも、その問いに何の意味があるんだろう。
梨華ちゃんの言う“無理なら断ってもいいお願い”に何か関係してるのかな。
頭の片隅で考えて、首を傾げた時。
ケータイから当の彼女の声が響いた。
『……今から、ごっちんの家、行ってもいい?』
そっと、静かに、そう言った梨華ちゃん。
思わず私は、もう一度時計を振り返ってしまった。
さっきとそれほど変わらない位置にいる長針。
(12時36分…)
こんな時間に梨華ちゃんがうちへ来たいと言ったのは初めてだった。
そもそも、彼女がうちへ来ることは私が彼女の家に行くよりも全然少ない。
一人暮らしの梨華ちゃん、実家に住んでいる私。
梨華ちゃんしかいない家と私以外に家族がいる家。
どちらに遊びに行くと聞かれたら、そうなるのは至極自然な流れだった。
- 240 名前:ピンクのリボン 投稿日:2006/09/23(土) 01:32
-
それでも、時々は、ほんっとーに時々は、うちに招待することもあったけど、
さすがにこんな時間に誘うなんてことはしなかったし、
梨華ちゃんもうちの家族に遠慮して、来たい、なんて言うことはなかった。
いや別に来てくれても全然構わないんだけどさ。
だから、梨華ちゃんがそんな事を言うのはすごく珍しいことで。
私は再び首を傾げた。
「…今から?」
確かめるように聞くと、電話口の相手が『あの』って口を開いた。
『無理だよね、やっぱこんな時間だもんね。ごめんね、あの』
そう言われるって分かってたみたいに、梨華ちゃんはそう続けた。
その声が何だか少しだけ安心したような響きを含んでる気がして、私はまた首を傾げる。
「や、別に無理じゃないし」
『え!?でも、だって…』
…無理じゃないって言ってるのに、なんでそんな残念そうな声出すの。
お姉ちゃんたちはもう寝てるし、バカ弟は遊びに行って今日は帰ってこない。
あとはお母さんだけど、多分聞かなくたって梨華ちゃんが来ることに反対なんかしないだろうし。
- 241 名前:ピンクのリボン 投稿日:2006/09/23(土) 01:32
-
「ちょっと待ってねー」
『え、ごっちん!でもホント無理なら…!』
まだぶちぶち言ってる梨華ちゃん。
ケータイを持ったまま、部屋を出て階段を下りる。
リビングのドアの硝子から光が漏れてて、まだお母さんが起きてることが分かった。
ドアを開けて、首だけひょこりと中へ。
ソファに座ってたお母さんに、梨華ちゃんを今から呼んでいいかって聞くと、
予想通り、お母さんはにこにこしながら快諾した。
リビングのドアを後ろ手で閉めながら、ケータイを耳に押し当てる。
「梨華ちゃん、今どこ?」
『へ?今?え、どうして?』
「迎えに行くから」
当然の事を言っただけなのに『迎えに来るの!?』って叫んだ梨華ちゃん。
その声を聞きながら自分の部屋に戻った。乱雑に物が置かれてる部屋。
ソファに椅子に掛かった上着を羽織って、ジーンズのポケットに財布を突っ込む。
- 242 名前:ピンクのリボン 投稿日:2006/09/23(土) 01:32
-
「一人じゃ危ないじゃん」
『でも、こんな時間だし…』
「こんな時間だから迎えに行くんでしょーが」
ベッドの上に放ってあったキャップを手に取り、部屋を出た。
『でも、でも、ごっちんのおうちの人のこともあるし…』
「お母さんがいいよって言ったからいいよ別に気にしなくて」
『………でも、ごっちんだって、一人じゃ危ないじゃん』
しつこく言い縋る梨華ちゃん。
彼女が来たいって言ったくせに。
私は気にするなって言ってるのに。
(なんだぁ…?)
彼女のさっきの言葉と今の行動が噛み合ってない気がするんだけど。
「だいじょぶだし。タクってくから」
『でも…』
とことこ階段を下りながら考える。
変な梨華ちゃん。
彼女が変わってるのは、と言うか、他人とちょっとずれてるのは承知してるつもりだけど。
- 243 名前:ピンクのリボン 投稿日:2006/09/23(土) 01:33
-
諦め悪く(…何で諦め悪くなんだろ?)食い下がる彼女の言葉。
埒が明かない。
「でもじゃないから。どこにいんの?」
玄関の前でさっきより強い調子で聞くと、数秒間、ケータイが静かになった。
耳に届くのは、梨華ちゃんの静かな息遣いだけ。
『…あの、ね…』
やっと聞こえた彼女の声。
少しだけ不安気に聞こえる、今日何度目かのその声音。
私は大人しく続きを待った。
『あの…、実は、もうすぐ着くんだけど…』
――――もうすぐ…?
着くって。
え、どこに――――。
そこまで考えて、サンダルをつっかけて、急いで玄関の扉を開けた。
風が頬を撫でる。秋の始めの香りと、アスファルトの馴染みある匂いが、鼻腔を通り抜けて。
玄関の明かりが頼りなく足元を照らした。
- 244 名前:ピンクのリボン 投稿日:2006/09/23(土) 01:33
-
『あ…』
視線を上げる。
道路を挟んだ向こう側の、ちょうど私の家の前にある電柱の下に、彼女は、いた。
「梨華ちゃん…」
『…こんばんは、ごっちん』
困ったような表情をその顔に載せて、
ケータイからは苦笑したような声が響いた。
ケータイを耳から離し通話を終わらせて、ぱたんと折り畳んだ。
玄関の扉を閉めて、ぱたぱた彼女に近づく。
梨華ちゃんは近づく私を見とめて、ケータイをバッグにしまった。
- 245 名前:ピンクのリボン 投稿日:2006/09/23(土) 01:34
-
「…っにしてんの」
こんな時間に、こんなトコで!
近づいた勢いで彼女の肩を掴んだ。
掌に触れたその肩は、ひんやりしてて。
別の疑問が頭を擡げた。
(梨華ちゃんは…)
彼女はいつから、ここに、いた?
「来ちゃった。ごめんね?
あの、ダメ元で来てみたんだけど、無理なら帰ろうと思って…―――」
「いつから」
梨華ちゃんの言葉を自分のそれで遮る。
彼女が不思議そうに首を傾けた。
- 246 名前:ピンクのリボン 投稿日:2006/09/23(土) 01:34
-
「いつから、ここにいたの?」
少しだけ固くなった私の声に、梨華ちゃんが顎を引いたのが見えた。
「あ、さっき来たばっかで」
「うそ」
彼女の言葉を即座に切り捨てる。
だって、触れた肩の冷たさは、彼女がここにいたのは数分じゃないことを私に教えた。
「う、嘘じゃないよ」
「体、めっちゃ冷たいじゃん」
両肩に手を添えて、少しだけ寄りかかるように体をくっつけた。
ちょうど顔の横に来た彼女の耳に、もう一度同じ問いを投げると、
彼女は、はあ、と息を吐き出した。
「…さっき来たばかりっていうのは本当だよ。
ただ、タクシー捕まえる暇なくて、駅から歩いてきたの」
駅って、結構距離あるんですけど、おねーさん。
「言ってよ。迎えに行くし。危ないじゃんか、もう」
そう言って、目を閉じて彼女の肩に額を預けると、
ふわりと彼女がいつも使ってるシャンプーの香り。
- 247 名前:ピンクのリボン 投稿日:2006/09/23(土) 01:35
-
「だって、来ていいよなんて言われるとは思わなかったんだもん」
「なーんでよー、梨華ちゃんが来たいって言ったんじゃん」
「そうだけど…。こんな時間だしさ」
「…こんな時間に、一人で出歩かないでくださいよ」
ゆるゆると、彼女に寄りかかったまま続く会話。
こんな風に、二人での時間は何日ぶりだろう。
考えて、二十日を過ぎたところでちょっと悲しくなって止めた。
息を吸うと、彼女がいつも使ってるシャンプーの香り。
それを懐かしいと思っちゃうコトが何だか寂しかった。
「梨華ちゃん、お風呂入ってきたの?」
何気なく呟いただけだったんだけど。
面白いくらいに梨華ちゃんの体がびくりと固まって、逆に私が驚いてしまった。
思わず顔を上げると、そこには、情けなく眉尻を下げた梨華ちゃんの顔。
暗くてよく見えないけど、その頬がちょっと赤い気がする。
- 248 名前:ピンクのリボン 投稿日:2006/09/23(土) 01:35
-
「ど、どうしたの?」
何か変なことを言ったっけ、私。
焦って言うと、梨華ちゃんは何か言いたげに口を開きかけて、
だけど、すぐに真一文字に引き結んだ。
「なんでもない」
うあ、何それ、超気になるんですけど。
再度、「どうしたの」って尋ねても、返ってきた答えは一緒。
暫くそれを繰り返したけど、梨華ちゃんは頑なに口を開かなかった。
こうなったら梨華ちゃんは頑固だ。
多分本人がその気になるまで絶対喋んない。
口を固く閉じた彼女を見ながら、心の中で溜め息を吐いて、その手をそっと取った。
これ以上聞いても仕方がないし。
「とりあえず、中入ろっか」
玄関へ一歩踏み出した瞬間、ぐいっと繋いだ手を引かれた。
振り返ると、頼りなさそうな表情の梨華ちゃんがいて。
- 249 名前:ピンクのリボン 投稿日:2006/09/23(土) 01:36
-
「…いいの?」
「家に入っても」って、今更なことを聞いてきた。
いいに決まってるじゃん。
何のために、私は梨華ちゃんを迎えに行こうとしたと思ってるの。
「いいよ。てか、じゃなきゃ梨華ちゃん来た意味ないでしょ」
呆れて梨華ちゃんを見やると、彼女は頼りなさ気な表情のまま頭を左右に振った。
「あの、私は別に中入らなくてもいいの。
そういうんじゃなくて、今日ね?来たのは…」
そこで言葉を切ると、彼女は繋がってない手でバッグをごそごそする。
やがてそこから出てきたその手には、小さい紙袋が納まってて。
「これを渡しに来ただけだから」
そう言って梨華ちゃんは、紙袋を胸の前に掲げてみせた。
頼りなさ気な表情のまま少し笑んだ彼女と、その紙袋を交互に見て。
その意味が分からないほど私はバカじゃない。
「それ…」
「プレゼント」
にっこり、今度は綺麗に笑って。
梨華ちゃんは私の前にそれを差し出した。
ゆっくりそっとそれを受け取ると、手に感じる重み。
- 250 名前:ピンクのリボン 投稿日:2006/09/23(土) 01:37
-
私は、何だか、胸の奥が締め付けられるみたいに苦しくなって。
小さく息を吐いた。
「ありがとう」
これを届けるためにここまで来たの?
たったそれだけのために?
会えるかどうかも分からない私の家まで。
「…今日じゃ、なくても良かったのに…」
音になったあとで後悔。
それじゃまるで来るなって言ってるみたいだ。
そんなこと思ってない。嬉しくて胸が苦しいぐらいなのに。
だけど、梨華ちゃんは、そう言われることを予想してたように、苦笑を返した。
- 251 名前:ピンクのリボン 投稿日:2006/09/23(土) 01:37
-
「うん。ね。私もそう思ったんだけど。
…やっぱりね。今日渡したかったし」
そう言って、そっと目を伏せて、「それにね」って続けた。
「それに、直接言いたかったから」
繋がった彼女の手に少しだけ力が入った気がした。
すっと伏せてた目を上げた梨華ちゃん。絡む視線に柔らかく微笑んだ。
「誕生日、おめでとう」
照れたようなその笑みに、一瞬言葉が出なかった。
彼女の言葉一つ一つが心を甘く締め付ける。
苦しくて、でも、何だか、上手く言えないぐらい嬉しくて。
何で、どうして。
たくさん、それこそ聞き飽きるくらい貰った言葉なのに、何でこんな気持ちになるんだろう。
ケータイ越しのそれよりも、大きな波を伴って私の心を揺らす。
- 252 名前:ピンクのリボン 投稿日:2006/09/23(土) 01:37
-
それは、やっぱり、梨華ちゃんだからで。
梨華ちゃんが私の特別だからで。
私は、彼女の手を強く握り締めた。
「…ありがと」
もっといっぱい伝えたいコトはあったはずなのに、
いざ言葉にしようとすると、そんなありきたりの言葉しか出てこなかった。
そんな自分がもどかしくて、知らず眉根に皺が寄った。
こんな時よしこなら、きっともっとたくさんの言葉で、
梨華ちゃんが持ちきれないくらいいっぱいの想いを伝えるんだろうな。
なんて、どうにもならないことを考えてたら、梨華ちゃんが笑みを深めた。
「やっぱり一番じゃなかったよね?」
「え?」
「おめでとうって言うの」
「…ああ。…うん、まあ」
直接言われたのは今日初めてだけど。
梨華ちゃんが悪戯を思いついた子供みたいにくるりと瞳を回した。
- 253 名前:ピンクのリボン 投稿日:2006/09/23(土) 01:38
-
「でもさ、嬉しいんでしょ?」
下から顔を覗き込まれて、少しだけ顎を引く。
「私に言われるのが、一番嬉しいんでしょ」
ふふって楽しそうに笑いながら言い放ったその言葉に、
ついさっきの電話での会話が頭の中でリプレイされた。
――――梨華ちゃんのおめでとうが、一番嬉しいよ。
自分の言葉がやけにはっきり響いて。
頬の体温が急上昇するのを感じた。
「そう言ってくれたじゃん、ごっちん」
言ったけど。確かに言ったけどさ。
冗談交じりのその言葉に、だけど私は、彼女の顔を見ることが出来なくなった。
あれは、ケータイ越しだから言えたんであって。
本人の顔を直接見ながらなんて、とてもじゃないけど恥ずかしくて言えないよ。
顔ごと視線を逸らして、小さく笑い声を上げる梨華ちゃんの手を引っ張った。
「もうっ、部屋行くよ、部屋!」
赤くなった顔を見られないように、玄関に突き進む。
ちょっと乱暴に歩きながら、だけど、プレゼントと彼女の手はそっと持った。
- 254 名前:ピンクのリボン 投稿日:2006/09/23(土) 01:38
-
玄関を上がると、愛想良くにこにこしたお母さんが立っていて。
それに気付いた梨華ちゃんが、素早く手を離した。
仕方がないって分かってるけど、ちょっと寂しい。
名残惜しくて離れていった手を見つめる私に構わず、梨華ちゃんはお母さんに行儀良く頭を下げた。
ゆっくりしていってね。泊まってくれてもいいから。
すみません。こんな遅くに。
そんな会話を一通りする。
お母さんがリビングに引っ込んだのを確認して、
また梨華ちゃんの手を取ると自分の部屋までの階段を上がった。
「部屋汚いんだけど…」
一言断りを入れて扉を開いた。
部屋に入りながら床に散らばった雑誌を適当にまとめて隅よせる。
梨華ちゃんからのプレゼントを机の上において、彼女にクッションを渡し、
飲み物を持ってくるために踵を返して部屋を出た。
今来た階段をとことこ下りて、ペプシと氷を入れたコップ二つ持ってすぐに階段を上がる。
部屋に入ると、梨華ちゃんがこっちに背を向けて正座して、じっと床を見つめてた。
クッションあるし、足崩してくれても全然いいのに。
…なんか、彼女が雰囲気がさっきのそれとは少しだけ違う気がする。
- 255 名前:ピンクのリボン 投稿日:2006/09/23(土) 01:39
-
部屋の鍵を掛けて、梨華ちゃんの前のテーブルにことんとコップを置くと、
梨華ちゃんは私が戻ってきたことに今初めて気付いたように、顔をこっちに向けた。
「ペプシでよかった?」
「あ、うん。ありがとう」
梨華ちゃんの隣に腰を下ろして、ペプシのコップを口につけた。
ちらりと横目で彼女を見ると、コップを持ったまま、やっぱりじっと床を見つめてて。
その眉根に皺が寄って、思いつめてるように見えた。
だけど、その理由が分からない。
仕事で何かあったのかな。
ぼんやり考えながら梨華ちゃんを見てたら、ふと彼女の服装に目が行った。
(あれ…?)
さっきは暗くてよく見えなかったけど、
彼女の服装はいつものそれとは雰囲気が違う。
なんていうの?
いつもより、
(…センスがいい?)
そんな気がするんだけど。
- 256 名前:ピンクのリボン 投稿日:2006/09/23(土) 01:39
-
普段だって梨華ちゃんはそんなに酷い格好をしてるわけじゃない。
昔に比べたら全然オシャレさんな格好するけど。
…まあ、ピンクが強いとこは今も昔もあんま変わんないんだけどさ。
でも今日のは、いつものそれより全然いい。
と、言うか、普段の梨華ちゃんの趣味とは少し違う。
それからもう一つ。
さっきからずっと視界に入るモノ。
梨華ちゃんにしては珍しくピンクくない格好の中で、
たった一つ、ちらちらピンクが揺れていた。
彼女の首に巻かれたピンクのリボンがさっきからゆらゆら揺れてた。
それは、プレゼントとかを包む時に使うようなリボンで。
彼女の服装の中で、そこだけがぽっかりと浮いていた。
…どうしてもピンクが入れたかったのかな?
梨華ちゃんならありえそうな理由に、ペプシを一口飲んだ。
結論付けて、テーブルにコップを置き、プレゼントを手に取った。
- 257 名前:ピンクのリボン 投稿日:2006/09/23(土) 01:40
-
「開けていーい?」
未だにじっと床を見つめてた梨華ちゃんに聞くと、彼女は少しだけ笑って頷いた。
その表情は、まだ少しだけ固い。
そんな梨華ちゃんを暫く見つめて、手の中のプレゼントに視線を落とす。
しげしげ見てたら、視界に入った薄い水色の袋にプリントされたブランドのロゴ。
それはよーく目にするブランド名で。
思わず梨華ちゃんの方を窺うように見てしまった。
視線が合うと彼女はにっこり笑う。
袋から、白いリボンが掛けられた両手に納まるぐらいに小さな箱を取り出した。
その蓋を開けるとと小さなポーチ。
その中から出てきたのは、シルバーのシンプルなデザインのペンダントだった。
- 258 名前:ピンクのリボン 投稿日:2006/09/23(土) 01:40
-
「これ…」
顔を上げて梨華ちゃんを見ると、やっぱりにっこり笑ってて。
手の中の小さなプレゼントと彼女を見つめて、私は眉尻がだんだん下がってくるのを自覚した。
嬉しかった。
梨華ちゃんからのプレゼントはすごくすごく嬉しいんだけど。
でもこれ。
これ、お店で見たことある。
可愛いなって思って、でも、結構な値段がしたからその時は諦めたんだ。
…こんなの、貰ってもいいんだろうか。
「…いいの?」
プレゼントの値段の話をするのはさすがに憚られて、それだけ尋ねた。
いくら誕生日だからって、こんな高価な物を貰うのはやっぱりちょっと気が引ける。
だけど梨華ちゃんは、笑顔のままゆっくり頷いた。
- 259 名前:ピンクのリボン 投稿日:2006/09/23(土) 01:41
-
「ごっちんの為に用意したんだから。貰ってくれないと困っちゃうよ」
「―――……」
梨華ちゃんの言葉は、ちょっとだけ照れくさくて、
それ以上ないくらい、くすぐったいような嬉しいような、そんな気持ちが広がってく。
「ありがとう」
いろんな気持ちを込めて言った言葉に、梨華ちゃんは笑みを深くして。
私の手の中のプレゼントをそっと取ると、つけてあげるって言った。
正面から私の首に手を回して、私に抱きつくように、首の後ろで彼女が金具をかちりとはめた。
私の真横にある彼女の顔。
少しだけ、心が鳴いた。
すぐに離れてく梨華ちゃんを目だけで追って。
名残惜しい。だけど、そんな気持ちは顔には出さないで、
胸元できらきらしてるプレゼントにそっと触れた。
- 260 名前:ピンクのリボン 投稿日:2006/09/23(土) 01:41
-
「…似合う?」
上目遣いに聞いてみると、彼女は微笑んだ。
「うん。すっごく可愛い」
そう言って、私の胸元のそれをそっと撫でた。
その撫ぜる指が時々間違えたように肌に触れて。
ただそれだけの事なのに、背筋が少しだけ粟立つ。
息が漏れそうになって、それを誤魔化すように彼女の肩に額を預けると、
ペンダントを撫でてた彼女の手がするりと肩に置かれたの感じた。
「…気に入ってくれた…?」
今度は梨華ちゃんが尋ねてきて、不安げな声音に私は苦笑を漏らす。
気に入らないわけないじゃん。
梨華ちゃんがくれるのなら、なんでも嬉しいって言ったでしょ。
「うん。嬉しい」
答えると、梨華ちゃんがほっと息を吐いた気配がした。
それにまた苦笑して。彼女の首筋に甘えるように擦り寄る。
肩に置かれてた彼女の手は、いつの間にか私の髪を梳くように撫でてた。
- 261 名前:ピンクのリボン 投稿日:2006/09/23(土) 01:42
-
「よかったぁ。結構悩んだんだよ?」
「ん。…ありがとー」
ちょっと照れくさくて、首筋にぐりぐりすると、梨華ちゃんがくすくす笑う。
「実はね。美貴ちゃんとよっちゃんに付いてきてもらったんだー」
「ああ。なるほど。通りでなんか梨華ちゃんの趣味とは違うなぁと思ったんだよねぇ」
「なによぉそれ。でも選んだのは私だもん」
「…ん」
分かってるよ。
梨華ちゃんはそういうコトきっちりしないと気がすまないもんね。
変なとこ真面目だから。
頭を撫でる彼女の手が気持ちいい。
私はゆっくり目を閉じた。
息を吸い込むと、鼻腔をくすぐるシャンプーと梨華ちゃんの香り。
頬に感じる彼女のあったかさ。
知らず鼓動が早くなる。
- 262 名前:ピンクのリボン 投稿日:2006/09/23(土) 01:42
-
うにゃうにゃと会話のような会話じゃないような状態を続けてたら、鼻の頭を何かが掠めた。
瞼を開けると、梨華ちゃんの首のピンクのリボンが、
彼女の呼吸に合わせてゆらゆら揺れて、私の花の頭に当たってた。
暫くそれを目で追って。
「…梨華ちゃん、これどーしたの?」
尋ねると、何を聞かれたのか分からないのか、
梨華ちゃんが「え?」って聞き返してきた。
リボンの端をそっと持つ。
「こーれ」
つるりとした感触が指の表面を撫でる。
結構良い布じゃん、なんて暢気に思ってたら、
梨華ちゃんの体がびくりと硬直した。
(え?)
静かに顔を上げると、眉尻を下げた梨華ちゃんが私を見つめてた。
その頬が、赤い。
…なんか、さっきも同じようなシュチュエーションがあったような。
- 263 名前:ピンクのリボン 投稿日:2006/09/23(土) 01:42
-
「…どうしたの?」
もしかして変なコト言った?
見慣れないピンクのリボンについて聞いてみただけなんだけど、私。
梨華ちゃんの顔色を窺うように尋ねると、
彼女はますます眉尻を下げて困ったように目を伏せた。
そんな反応に首を傾げる。
「梨華ちゃん…?」
梨華ちゃんは暫く床を見つめて動かなかった。
不安になって名前を呼ぶと、彼女がすっと視線を上げて。
何を思ったのか、急に正座し直した。
膝に両手を置いて、思いつめたような表情で、真っ直ぐに私を見つめる。
思わず、私も居住まいを正した。
- 264 名前:ピンクのリボン 投稿日:2006/09/23(土) 01:43
-
「あのねっ」
梨華ちゃんの勢いに気圧されて、無言で頷く。
「あの、本当はね?ふ、二つあるの…」
「…?…何が?」
恐る恐る尋ねると、彼女が膝の上でぎゅっと拳を握ったのが見えた。
「………プレゼント」
……。
ぷれぜんと…?って、もう貰ったんですけど。
私は胸元のペンダントにそっと指を滑らせて、梨華ちゃんを見返す。
「ええと?貰ったんだけど、これ」
梨華ちゃんがまた眉尻を下げて首を左右に振った。
違うの、そう言って。
「…もう一つあるの」
ああ。そうなの。
なんだそんなこと。
張ってた気を緩めた。
- 265 名前:ピンクのリボン 投稿日:2006/09/23(土) 01:43
-
もう、超びびったじゃんか。
何かすっごい真面目な顔するんだもん梨華ちゃん。
はあ、って息を吐いて、梨華ちゃんを見ると、
未だに切羽詰ったような表情を崩さない彼女。
「あのね」
「うん」
固い彼女の声に疑問を抱きながらも、気楽に返事をする。
「その、プレゼントっていうのはね」
「うん?」
なに。そのプレゼントってのは?
梨華ちゃんが目を閉じた。
ゆっくりと押し上げられた瞼の奥から、何かを決心したみたいな色を湛えた瞳が顔を出す。
膝に乗っけてた私の左手を彼女の右手がそっと掴んで。
そのまま彼女の頬に押し当てられた。
- 266 名前:ピンクのリボン 投稿日:2006/09/23(土) 01:44
-
「プレゼントは、…わたし」
上目遣いに見つめられて、真っ赤な頬の梨華ちゃんは一度瞬きをして。
「わたしを、あげる」
その目に射抜かれたのは私の心。
どくりどくり、と心臓の音がやけに大きく響いた。
あげる。
あげる?
わたしを、あげる。
わたしって?
…りかちゃん?
―――梨華ちゃんを、くれる。
辿り着いた答えに、何かが弾けたみたいに頬に熱が集まってくる。
- 267 名前:ピンクのリボン 投稿日:2006/09/23(土) 01:44
-
私が何か言う前に、梨華ちゃんが声を上げた。
「わー!やっぱなしっ、今のなし!!」
「へ、え?」
「ごめん、忘れて!」
このまま倒れるんじゃないかってくらい梨華ちゃんは顔を真っ赤にして叫んだ。
その普段より高い声がどれだけ彼女がテンパってるかを私に教えた。
私はその声を聞きながら暫く呆然としてて。
私の手の上から離れていく彼女の掌の熱を感じた時、やっと頭が動き出した。
彼女の右手を捕まえる。それはもう殆ど条件反射。
「もらう」
咄嗟に出た言葉は、酷く稚拙で。
それだけじゃ多分、普通なら伝わらないんだろうけど、梨華ちゃんは大きく目を見開いた。
しっかりと意味するところは伝わったみたいだ。
赤い頬。よく見たら耳も赤い。
「もらうし」
今度は梨華ちゃんが呆然とする番で。
目を見開いたまま固まった。
- 268 名前:ピンクのリボン 投稿日:2006/09/23(土) 01:45
-
力の抜けたその手に自分の指を絡ませる。
その手にそっと唇を押し付けて、彼女の目を見据えた。
「梨華ちゃんを、ちょうだい?」
梨華ちゃんの眉が情けなく歪んでく。困ったように、恥ずかしそうに。
潤んだ瞳が私を窺うように見上げてきて。
ぞくり、と背筋に何かが走った。
どくどくと脈打つ心臓。大きく早く。
壊れちゃうんじゃないかって思った。
「……いいの?」
「何が?」
ねえ、梨華ちゃん。
私がその申し出を拒否すると思う?
くっつけてた唇をほんの少しだけ離して、
肌に触れないように細心の注意を払いながら、ぺろりと彼女の爪を舐めた。
びくりと震えた彼女の体。
- 269 名前:ピンクのリボン 投稿日:2006/09/23(土) 01:45
-
私の中で何かが叫ぶ。
じんと疼くのは私の体?それとも心?
「梨華ちゃんを、くれるんでしょ?」
唇の端をちょっとだけ上げて、梨華ちゃんを見る。
彼女が切なそうに眉根を寄せて、俯いた。
「……あげる」
小さく小さく呟かれた言葉。
たったそれだけの仕草なのに、ぞくぞくと背筋が粟立つ。
なにそれ、なにそれ。
なにんでそんな可愛いこと言うかな、ホント。
- 270 名前:ピンクのリボン 投稿日:2006/09/23(土) 01:45
-
貰うにきまってんじゃん。
もらって、それで。絶対に。
胸に溢れるのは、言い表せないほどの幸福感。
梨華ちゃんの肩に、再び擦り寄った。
また震える彼女の体。
今度はその首筋に唇を押し当てた。
「返しってって言われても、絶対返さないから」
絶対に。
これから先、何があっても。
返す気なんてさらさらないから。
梨華ちゃんが、は、って息を吐いた。熱い。
「…うん」
背中に感じる遠慮がちな彼女の手。
何だか堪らなくなって、ぎゅう、と抱きしめた。
- 271 名前:ピンクのリボン 投稿日:2006/09/23(土) 01:46
-
その体温が、声が、眼差しが。
彼女のすべてが。
私の心を容赦なく締め付けて。
でも、広がる甘い痛みは、ただただ私喜ばせる。
高まる鼓動に、背筋を這い上がる、何か。
それを押さえつけるなんて、到底無理で。
首筋に押し当ててた唇を離して、梨華ちゃんの耳元に寄せた。
「今日、泊まってくんだよね」
酷く甘ったるい声が出て、自分のじゃないみたいだ。
背中にある彼女の腕の力少し入った気がして、
私の顔の横にある彼女の頭がゆっくり上下に動いた。
- 272 名前:ピンクのリボン 投稿日:2006/09/23(土) 01:46
-
どくり、どくり。
密着した体から聞こえてくるその鼓動は、
私のモノなのか、梨華ちゃんのモノなのか、もう私には分からなくて。
何故か涙が出そうになった。
「ごめん、梨華ちゃん。声、我慢してね」
予想よりもその声は切羽詰った響きを持ってて。
自分で思うよりも、相当、やばいことになっているらしい。
私が唇を奪うのと、彼女が頷くのと、どっちが早かったのか。
撫でるように、押し付けるように、キスを繰り返す。
何日ぶりにキスするんだろう。
すごく久しぶりな気がする。
数えて、だけど、すぐに止めた。
というか、考えられなくなった。
彼女の唇の甘さに、思考のすべてを、奪われて。
ピンクのリボンの先端をそっと引っ張ると、
それは抵抗なく解けて、するりとシーツの上に落ちた。
- 273 名前:ピンクのリボン 投稿日:2006/09/23(土) 01:47
-
***
間の抜けた電子音が部屋中に鳴り響いて、目が覚めた。
布団の中から手だけ出して辺りを探る。
指先に固い物が触れた。小刻みに震えるそれを自分の下へ引き寄せる。
手の感触だけでケータイを開き、着信音を消すためにボタンをぷちり。
うっすらと目を開けて、ディスプレイを覗く。
強い光が寝起きの目には痛い。
瞬きを繰り返して、徐々に慣れてきた目に映った“メール受信”の文字。
(…誰だろ)
ぼんやり考えて、暫くケータイを見つめてたら、
腕の中のぬくもりが身じろいだ。
慌ててそこへ視線をやる。
背をこっちに向けて、シーツに顔を埋めてる梨華ちゃん。
その茶色の髪がふわりと揺れた。
- 274 名前:ピンクのリボン 投稿日:2006/09/23(土) 01:47
-
今の音で起こしちゃったかもしれない。
じっと見つめてると、私の考えとは裏腹に彼女は華奢な肩を少し竦めただけで。
すぐにそれは規則正しく上下し始めた。
ほっと胸を撫で下ろして、彼女を抱きしめ直す。
片手でぴこぴこケータイを操作。
今さっき届いたメールを開く。
9/23 4:43
from : よしこ
よじよんじゅうさんぷん…。
はやいよ。何でこんな時間に送ってくるんだ。
非常識な時間にメールを打つ友人の姿を想像して眉間に皺が寄った。
すくろーる、すくろーる。
title : よしこ&ミキティ
「……?」
なんでよしこのケータイなのに、美貴ちゃんなわけ?
ディスプレイに映る文字に心の中で首を傾げて。
ぴこぴこ本文までスクロール。
- 275 名前:ピンクのリボン 投稿日:2006/09/23(土) 01:48
-
『いぇーい☆おはっよぅ!!いかがお過ごしでございますか??
きっと石川と甘い夜を過ごされたことでしょう(*/∇\*)やーらしー!!
どやった?どやった?うちらからの誕生日プレゼント!』
―――プレゼント?
貰った憶えないんだけど。
てか、何で私が今梨華ちゃんといるって知ってるんだろ、よしこ。
すくろーる、すくろーる。
『どっちかつーとプレゼン?まあ、どっちでもいいけど。
美貴とさ、ごっちんのプレゼントどうするべって話になって、
やっぱここはベタにいこうってなったのよ』
『石川説得すんの超大変だったんだからね?マジで。
服選んでさ、首にリボン結んでさー。
ごっちんち向かわせるのどれだけ苦労したか( ̄x ̄)』
―――服、リボン?
ベッドの下に視線をやる。
散らばった服の間から見えるピンク色。
昨日の梨華ちゃんの態度と、彼女の趣味とは違う服。
だんだん、メールの意味が分かってきた。
- 276 名前:ピンクのリボン 投稿日:2006/09/23(土) 01:48
-
『どーよ偉くね?うちら超偉くね??
今はゆっくりプレゼントを味わってちょ(*≧∇゚)b
うちらの誕生日のプレゼント期待してっから☆』
なるほど。そいうこと。
まあ梨華ちゃんが進んであーゆーコトするとはあんま考えられないけどさ。
にやにや、笑む友人たちの姿が目に浮かんだ。
ついでに、その二人に言い包められて、
眉尻を下げて困ってる梨華ちゃんの顔も。
私の腕の中ですやすや眠る彼女に視線を落とした。
なーに考えてんだかあの二人は。
でも、まあ、今回だけは感謝かも。
だって。
こんな梨華ちゃん、もう見れないかもしれないし。
- 277 名前:ピンクのリボン 投稿日:2006/09/23(土) 01:48
-
知らず頬が緩んだ。
でも、誰に見らるわけでもないからそのままにしておく。
ケータイに視線を戻すと、文面がまだ続いてることに気付いて。
ぴこぴこ親指を動かした。
『あ、石川今日午後からダンスレッスン入ってるらしいから、あんま無理させんなよぅ』
「…言うの遅いから」
ケータイにつっこんで、ぱかりと閉じて床に落とす。
目の前の梨華ちゃんの項に甘えるように擦り寄りながら、ふと考える。
それを事前に聞かされてても、抑えるのは、無理だったかもしんない。
だって、可愛いし。
もうマジで、顔真っ赤だったし。
超やばかったもん。
…いや、やばかったのは私か。
腕に少しだけ力を入れる。
梨華ちゃんを送り出すまであと五時間は余裕で寝れる。
頭の隅でそう思って、私はゆっくり目を閉じた。
- 278 名前:ピンクのリボン 投稿日:2006/09/23(土) 01:49
-
心地良いぬくもりは、私だけのプレゼント。
甘い甘い、プレゼント。
絶対返さないから、覚悟してよ?
梨華ちゃん。
- 279 名前:ピンクのリボン 投稿日:2006/09/23(土) 01:49
-
>>>ピンクのリボン
- 280 名前:太 投稿日:2006/09/23(土) 01:51
-
プレゼント色々考えたんですが、やっぱりうちの後藤さんが一番喜ぶのはこれかなと(笑)
ベタに古典的にしてみました。
あと、後藤さんちとか家族構成とか、その辺の細かい設定は目を瞑って頂けると嬉しい…。
では、お目汚し失礼しました。
- 281 名前:太 投稿日:2006/09/23(土) 01:51
-
>>215さん
レスありがとうございます。
自分でも書いてて楽しかった二人なので、続き書けたら書きたいです。
>>216さん
アンリアル結構好きなので、読むのも含めて、
なので、そう言って頂けて嬉しいです。
>>217さん
あの更新速度はちょっと異常ですね。ほんとに(笑)
水板のあの作品の更新で相当テンションが上がってたみたいです(笑)
>>218さん
ゆゆりか私も好きです。
永遠が永遠じゃなくなる日も近いかもです(笑)
>>219さん
レスありがとうございます。
飼い猫さんの誕生日こんな感じになりました(笑)
>>220さん
読者さんに不親切な作者で申し訳です(汗)
今後もよろしくお願いします。
>>221さん
気ぃ長すぎです。5年て(笑)
高校生モノ、書くの楽しかったのでまたやりたいです。
- 282 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/09/23(土) 02:01
- キャーッ!
リアルタイムで読んじゃいました。
甘〜いお話、ありがとうございます。
後藤さんお誕生日おめでとう!
私もそんなプレゼントが欲しい…。
- 283 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/09/23(土) 03:21
- 待ってましたっ!
ごっちんの誕生日に新作読めるなんて最高です!
ありがとうございます!!!
- 284 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/09/23(土) 13:09
- 更新ありがとうございます。
作者さんのごっちんは(梨華ちゃんもですが)もうまるで「そのもの」ですね。
読んでいてニヤニヤしてしまいます。次回作も楽しみにしています。
- 285 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/09/24(日) 04:35
- 最高のプレゼントよかったね、ごっちん。
そしていい友達を持ってよかったねー(ニヤニヤ
- 286 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/09/24(日) 05:37
- ごっちんの誕生日にあま〜いお話ありがとうございました!
永遠が永遠じゃなくなる日も近いかも
楽しみにしてマス!w
- 287 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/09/27(水) 23:50
- 23日誕生日の日に読ませてもらいました!
もうまじで最高です。
作者さんのいしごまが1番好き!!
また更新待ってますね!
- 288 名前:太 投稿日:2006/10/05(木) 22:36
- レイカ様を見に行きたい。レイカ様レイカ様!
更新いきます。
いしごま、石川さん視点。
- 289 名前:アナタ中毒 投稿日:2006/10/05(木) 22:37
-
自分の意思とは別の所で思考が引き上げられる感覚がして、ゆっくりと瞼を押し上げた。
ぼんやり辺りを見回す。
何度か瞬きを繰り返すと、無理やりこっちの世界に引っ張られ、
ぼやけてた思考が徐々にクリアになっていくのを感じた。
はっきりしていく頭で、まず始めに視界に入る部屋の内装に違和感を覚えた。
家具や窓の位置がいつもの自分の部屋とは違う。雰囲気が違う。
だけど、それに不思議と嫌な感じはしない。
はて、と首を傾げる。
クリアになったと言っても、まだまだ覚醒しきれない私の脳が、
ゆっくりと、老人が立ち上がるように動き始めた。
- 290 名前:アナタ中毒 投稿日:2006/10/05(木) 22:38
-
ここは、どこ?
そんな問いが、私の頭を二周して、三周目に入ろうとした時、やっと思考が追いついた。
ああ。そう言えば、と。
頭の片隅で呟く。
昨日は、ごっちんの家に泊まったんだ。
そこまで辿り着くと、あとはもう、するすると記憶が蘇り、
半分くらいぼやけていた私を取り囲む世界の輪郭がはっきりとしてきた。
例えば、顔を枕に擦り付けると、私の部屋とは違う香りが鼻腔をくすぐる。大好きな甘い香り。
例えば、私の首の下に回された、柔らかい腕の感触。
例えば、背中に感じるぬくもりと、規則正しい息遣い。
そういうのが、はっきりと感じ取れるようになって。
わざわざ後ろを見なくても、ごっちんがそこにいるのが分かる。
心地良いぬくもりが、全部教えてくれるから。
何とも言えない幸せな気分になって、私の首の下から伸びる彼女の手にそっと自分のそれを重ねた。
息を詰めて、ごっちんの気配を窺う。
特に様子が変わらないのを確認してから、すらりと長いその指をゆっくり撫でた。
起こさないように、慎重に。
昨日はベッドに入るのが遅かったから。
起こすのは可哀想だ。
ゆっくりと撫でる。
人差し指の綺麗に手入れされた爪。長い指。とても綺麗。
私は、は、と短く息を吐き出した。
- 291 名前:アナタ中毒 投稿日:2006/10/05(木) 22:38
-
昨日は、仕事が同じ時間に終わりそうだからって、遊ぶ約束をしてて。
ついでに、次の日は午前中はスケジュール空いてるからって話になった。
仕事場から私の家の方が近いから、だから、今日はうちに泊まっていきなよ。
なんて、彼女からのお誘い。
ごっちんが私を自宅へ誘うのは珍しかった。
遊ぶにしても、泊まるにしても、私の家へ彼女がやって来る方が多いから。
一度その理由を彼女に尋ねたら、弟がどうのお姉ちゃんがどうのって、ぶつぶつ呟いて結局はぐらかされた。
だけど、よっちゃんたちと遊ぶ時は普通に自宅へ呼んでるって知ったときは、
私だけ家に呼ばないんだって、ちょっとへこんだけど。
だから、こんなお誘い私が断るはずなくて。
二つ返事でオッケーした。
- 292 名前:アナタ中毒 投稿日:2006/10/05(木) 22:38
-
仕事を終えて、タクシーの中から彼女に電話をすると留守電に繋がった。
そのすぐ後、メールが一通。
―――ごめん、ちょっと仕事、まだ終わんなくてさ。
シンプルな文面にくすりと笑って、適当に時間つぶしてるから終わったら連絡をしてって、ぴこぴこ返信。
ケータイをぱたんと閉じて、鞄に放り込んだ。
次にそれが鳴ったのは、それから三時間後。
電話に出ると、私の居場所を尋ねるごっちんの焦ったような声。
それに答えると、彼女は「すぐ行くから」と通話を切った。
程なくしてタクシーが着いて、そこから降りてきたごっちんは私を見とめると、「ごめん!」って頭を下げた。
仕事だったんだし、いいよって言っても、謝り続けるごっちん。
そんな彼女と苦笑する私を乗せて、タクシーが彼女の家に着いたのは日付がとうに変わったあとだった。
当然ごっちんの家族は寝てて、私はちょっと気後れしながら、お風呂をもらって。
ベッドに入ったのは、確か、二時過ぎだった。
- 293 名前:アナタ中毒 投稿日:2006/10/05(木) 22:40
-
撫でていた指を止めて、彼女のそれに絡めて握ると、
一瞬、その指が小さく震えて、ゆっくりと握り返してくる。
起こしてしまったのかと思って動きを止めて後ろのぬくもりの気配を窺う。
けど、ぬくもりは相変わらずマイペースにゆっくりと、呼吸を繰り返してた。
規則正しいそれを再確認して、体の力を抜き、私は彼女の手に絡めた自分のそれに力を入れたり弱めたりを繰り返す。
私の指と彼女の指が交互に重なって、彼女の肌の白さをより一層際立たせる。
長くて細い指。自分のとは全然違うそれが、私は大好きだった。
その指で、頭を撫でられると、どうしようもなく頬が緩んでしまうくらいに。
そっと親指で手の甲を撫でると、するりと抵抗なく滑る。
彼女の肌はすべすべしていてとても気持ちが良い。
指に少しだけ力を入れると、折り重なる白い指がぴくりと動いて、ゆっくり力が入るのが分かった。
- 294 名前:アナタ中毒 投稿日:2006/10/05(木) 22:40
-
眠ってるごっちん。
彼女の無意識のそんな反応に、私の心は、どうしようもなく締め付けられる。
こんな些細な瞬間、私は泣きたくなるほど幸福な感覚に襲われて。
改めて、確認させられる彼女への気持ち。
ごっちんの肌が好きだ。
白くて、温かくて、触れるだけで、私はとても幸せになる。
ごっちんの腕も好きだ。それでぎゅうと抱きしめられると、すごく安心する。
その髪も好き。目も、唇も。
彼女を形成する細胞の一つ一つまで、全てが愛しくてたまらない。
でも。
その中でも、一番好きなのは、ごっちんの声かも。
背中のぬくもりに半分ほど思考力を奪われながらも、そんな事をぼんやりと思った。
私より低くて(大抵の人は私より声低いけど)のんびりと流れる彼女の声。
悪戯好きの子供みたいに弾ませたり、甘く吐息のように囁やいたかと思うと、
ののに負けないくらい舌足らずに私を呼んだり。
そんな彼女の声が私は好きで。その歌声も大好き。
だけど、ごっちんの声で名前を呼ばれると無条件で嬉しくなっちゃうのは、ちょっとやばいかも。
- 295 名前:アナタ中毒 投稿日:2006/10/05(木) 22:42
-
自分のことながら苦笑して、何気なく視線を上げると、
ベッドサイドの棚の上にケータイが目にとまった。
今の時間を確認しようと、ケータイを取るためにごっちんと絡めてた手を解く。
上半身をそっと起こして目的の物を手に取った。
ぱかりと開いて時刻表示を見てみると、まだ早朝って言ってもいい時間。
これなら仕事の時間までまだまだ寝れる。
柴ちゃんから届いてたメールを読んで、ケータイを閉じて、棚の上に戻す。
掛け布団の端を持って、もう一度布団の中に潜りこもうとした時、
不意に棚の引き出しが私の視線を止めた。
正確には、中途半端に開いた引き出しの中の物が。
掛け布団の端から手を離して、引き出しにその手をかけた。
ゆっくり手前に引く。
半分ほど出てきたその中には物が乱雑に詰め込まれてる。
写真やプリクラ、四分の一ほどしか中身が入ってない香水の瓶、コスメ類。
その中で、私は視線をただ一つのモノから動かせないでいた。
- 296 名前:アナタ中毒 投稿日:2006/10/05(木) 22:43
-
引き出しの手前に無造作に置かれた、小さな白い箱と100円ライター。
箱の表面にプリントされたアルファベットと緑のイラストには見覚えがあった。
そして、それが何か分からないほど私は子供じゃない。
煙草、だった。
ごっちんの部屋の引き出しの中に煙草があった。
それは、当たり前のようにそこに置かれてて、この部屋に溶け込んで違和感がない。
だけど逆にそれが私には酷く違和感で。
知らず眉根に皺が寄った。
それを手に取る。
案外軽いモノだという事を初めて知った。
それは封が切られてて、中身がいくつか無くなってた。
100円ライターを見て、手の中のそれに視線を戻す。
- 297 名前:アナタ中毒 投稿日:2006/10/05(木) 22:43
-
封が切られて、中身の減った煙草の箱。
それは誰かが中身を吸ったってことで。
じゃあ、誰が?
自分に問いかける。
(…ごっちん……?)
だけど、でも。
ごっちんって、煙草を吸う人だったっけ。
煙草の箱を眺める。
眉間の皺が深くなってくのはこの際仕方がないと思う。
彼女と知り合って、早数年。
結構長い付き合いだけど、彼女が煙草を吸っている姿なんて一度も見たことがなかった。
そりゃ、ごっちんはもう二十歳を過ぎてるし、法律的には吸ってたとしても何の問題もないけど。
- 298 名前:アナタ中毒 投稿日:2006/10/05(木) 22:44
-
(でも、なんか、ちょっと嫌かもしれない)
だって煙草ってあんまり良いイメージないし。
だけど、これがごっちんのって決まったわけじゃない。
本人に直接聞いたわけじゃないし。
でも、
ごっちんのじゃなかったら誰のだろう。
彼女の知り合いの中で、私の知る限り煙草を吸う人っていないし。
―――じゃあ、私の知らない人?
ごっちんが部屋に入れちゃうくらい仲が良くて。煙草を吸って。
頭の中で、見たこともないその人とごっちんが楽しそうに笑い合う。
冷たい風が心を撫でた。
一番あってほしくない考えが頭を過ぎって、不安で心が一杯になる。
ねえ。ごっちん。
それはもしかして、私より大切な人?
- 299 名前:アナタ中毒 投稿日:2006/10/05(木) 22:44
-
煙草を持つ手に少しだけ力を入れると、少しの抵抗もなく、くしゃりと潰れた。
それくらいで潰れるなんて思ってもみなくて。
慌てて元に戻そうと、もう片方の手を伸ばそうとした時。
背中の気配が揺れた。
それに私が気付いたのと、私のじゃない声が部屋の中に響いたのは、ほぼ同時だった。
「変なこと考えてるでしょ」
寝てると思ってた人の突然の声に、体も心臓もびくりと跳ねて。
そろりそろりと首を後ろへ回すと、ベッドに頬杖を突いたごっちんがこっちを見てた。
- 300 名前:アナタ中毒 投稿日:2006/10/05(木) 22:45
-
「お、おはよ、ごっちん」
焦って口から飛び出した言葉。
どもってしまったそれに、ごっちんは特に気にした様子もなくいつも通り「おはよ」って返した。
彼女は私の手に納まる白い箱をちらりと見て、視線を戻すと。
「変なこと考えてるでしょ」
って、また同じ言葉を口にした。
全てを見透かしているよな静かな色を称える彼女の目。
私は、彼女の物を勝手に漁るような事をしてしまった後ろめたさと、
その瞳の強い色に怖気づいて、後ろに回してた首を元に戻す。
「…へ、変なことって?」
「変なコトは、変なコト」
背後から響くごっちんの声は、何だか拗ねているような怒っているようなそんな感じで。
何か言い返そうと口を開いたら、それよりも先にごっちんが言葉を重ねた。
「それ、誰かの忘れ物とか思ってるでしょ」
ごっちんはそれ以上言葉を続けなかったけど、
その声音から彼女が言わんとすることは何となく分かった。
―――それで、そのヒトとごとーの関係をちょっと疑ったでしょ。
- 301 名前:アナタ中毒 投稿日:2006/10/05(木) 22:45
-
でも、だって。
そう思うでしょ?
ごっちんは煙草を吸わないし、それなら、誰か他の人の物だって思うじゃない。
視線を落とすとシーツの皺が目に入った。
「…だって、ごっちん煙草吸わないじゃん」
自分では普通に言ったつもりなのに、何だか拗ねてるみたいな声が出て、慌てて口を閉じた。
だって別に拗ねてるわけじゃないもん。
ただ、ちょっと。
ちょっと、不安になっただけ。
ごそり、と動く気配。
背後から二本の白い腕が伸びて、右手が煙草の箱を私の手ごと包み込んで、
左腕が腰に回り、背中から柔らかく抱きすくめられた。
肩に乗っかる彼女の顔は、その呼吸を数えられるほど近い。
- 302 名前:アナタ中毒 投稿日:2006/10/05(木) 22:46
-
思わず体を強張らせる私に、ごっちんがくすりと笑んだ気配がして。
色んな恥ずかしさが押しよせてきて、頬が熱くなる。
俯くと、首筋に柔らかいモノが押し当てられて。
それが彼女の唇だってすぐに気付く。
触れるだけのそれは、猫が気紛れにじゃれついてくるようなもので、
深い意味はないって分かってるんだけど、心が、小さく鳴くのを止められなかった。
「梨華ちゃんさぁ」
そのままごっちんが口を開くものだから、
触れてる所から声が振動して直接体に伝えてくる。
「なによぅ」
くすぐったっくって身を捩ると、左腕の拘束が強くなった。
「…ごとー、タバコ吸うって言ったら、どうする?」
その言葉に、動きを止めた。
- 303 名前:アナタ中毒 投稿日:2006/10/05(木) 22:46
-
―――ごとー、タバコ吸うって言ったら。
頭の中でたった今聞いた言葉を反芻して。
―――どうする?
眉根を寄せる。
煙草を吸う?
煙草を―――。
……誰が?
右手に納まる煙草の箱に視線を落とすと、
私の手ごと箱を包んでた彼女の親指がそっとそれの表面を撫でた。
ごっちんが、煙草を吸う。
弾かれるように、首を捻ってごっちんを見て。
彼女は「んあ」って、少しだけ、本当にちょこっとだけ驚いたように目を丸くした。
- 304 名前:アナタ中毒 投稿日:2006/10/05(木) 22:47
-
「ごっちん煙草吸うのっ!?」
「へ、え、や、その…」
叫んだ私に、ごっちんは気圧されたように顎を引いたけど、
でも、そんなこと構ってられなかった。
だって、だって!
「吸うの!?でも、だって、ごっちんそんなこと言ってなかったじゃん!」
一度だって、そんなこと言ってなかった。
私の前でそういう素振りさえ見せなかったし。
知らなかったよ、私。
「だって、そんなこと、一回も…」
心臓がずんと重い。息苦しい。
「…言ってなかったじゃん」
「梨華ちゃん…」
どうしよう。すごくショックかもしれない。
ごっちん煙草吸うんだって軽く流せない。
- 305 名前:アナタ中毒 投稿日:2006/10/05(木) 22:48
-
煙草なんて誰でも吸ってる。
私の周りだって、吸ってる人たくさんいる、けど。
煙草って体に悪いじゃん。
肺ぼろぼろになるんだよ。
真っ黒になってさ、ガンになったら死ぬほど苦しいって言うじゃん。
きっと喉にだって良くない。
だから、ごっちんには吸ってほしくないんだ。
彼女が煙草を吸ってるっていう事実を上手く受け止められない理由を並べて。
だけど、分かってた。
そんなんじゃない。
上手く受け止められないのは、ショックだったのは。
―――今までずっと隠されてたってこと?
そこが一番重要で、私にとって一番ショックだった。
- 306 名前:アナタ中毒 投稿日:2006/10/05(木) 22:48
-
「あの、梨華ちゃん…?」
恐る恐るって感じのごっちんの声がして。
視線を彼女に合わせた。眉根の皺はまだ消せそうにない。
ごっちんが困ったように首を傾げてみせた。
「別にね?そんないっぱい吸ってるわけじゃなくてさ」
…やっぱり吸ってるんだ。
心臓の上の錘が一つ増やされた。
隠されてたんだ。隠してたんだ、ごっちん。
そりゃ隠し事は誰にだってあるよ。
私もごっちんに言ってないことあるけど、でも。
煙草くらい、言ってくれてもいいじゃん。
そんなことに一々口出すような女に思われてたのかな。
…面倒くさいって思われてたのかな。
項垂れて、シーツの皺をじっと見つめた。
そうしなきゃ、寂しくて心が潰れそうだ。
- 307 名前:アナタ中毒 投稿日:2006/10/05(木) 22:49
-
「り、梨華ちゃん、タバコ駄目だったっけ?」
頭の上からごっちんの声が聞こえたけど、まだちょっと顔は上げられそうにない。
彼女に気付かれないように、小さく息を吐いて、首を横に振った。
「ううん。大丈夫だよ」
「…梨華ちゃんが嫌なら、もうタバコ吸わないし」
「嫌じゃないよ」
「ホント?ホントにヤじゃないの?」
「うん」
本当だよ。
煙草自体はね。嫌じゃないの。
だけど。
だけどね。
ただ、ね?
「ただ…ちょっと、ね」
腰に回る彼女の左腕に少しだけ力が入った気がした。
- 308 名前:アナタ中毒 投稿日:2006/10/05(木) 22:49
-
「…言ってほしかったなって、思って」
最後の方が少し掠れた。
ごっちんにバレないように、息を吸い込む。
「煙草吸ってるなんて、知らなかったからさ。ちょっと驚いちゃって」
「ごめんね」って言うと、肩口からごっちんが「うーん」って唸った。
「梨華ちゃんに会う時は匂いとか気を付けてたから」
私に、煙草を吸ってるってことを隠すために。
彼女の言葉がすでに錘が重ねられた心臓の上に落とされて。
鈍い衝撃が心を襲う。
「それに、梨華ちゃんの前では吸わないし。てか、吸う必要ないって言うか」
歯切れの悪いその言葉が引っかかった。
「どうして」って聞き返すと、ごっちんがぐりぐりと肩口に額を擦り付けてきて。
彼女の体重が肩を押し、上半身が前に倒れそうになって慌ててシーツに手を突いた。
抗議の声を上げると、彼女は、また「うーん」って唸る。
- 309 名前:アナタ中毒 投稿日:2006/10/05(木) 22:50
-
「今からさ、…すっごい恥ずかしいこと言っていい?」
小さく囁かれたその言葉。
搾り出すようなその声にごっちんの方をそっと向く。
だけど、背後から私の肩口に額を押し付けてる彼女の表情は見れなかった。
「…いいよ」
そのままの姿勢で彼女の頭に返事をした。
私の右手に重ねられてた彼女の手が、ゆっくりと離れて、今度は私の腰へ。
両腕でしっかりと抱きすくめられた。
「ごとーさ、タバコそこまで好きじゃないんだよねぇ」
もごもごと肩から顔を上げずに喋るごっちん。
その内容に私は眉を顰めた。
好きじゃないならどうして、煙草を吸うの。
百害あって一利なしってよく言うでしょ。
- 310 名前:アナタ中毒 投稿日:2006/10/05(木) 22:50
-
「じゃあ吸わきゃいいじゃない」
「ねぇ。ごとーもそう思う」
あっさりと肯定した彼女の言葉に私は益々眉を顰めた。
どういうことなのかさっぱり分からない。
「…でも吸うんでしょ、煙草」
「吸っちゃうんだよねぇ、タバコ」
ごっちんは、さっきとは正反対の言葉をさっきと同じようにあっさりと肯定する。
彼女の言葉を頭の中で復唱しても、やっぱり私には分からなくて。
ついでに、その中に彼女の言ってた“恥ずかしいこと”も見当たらない。
背中にごっちんを貼り付けたまま、首を傾げた。
「でもさ、梨華ちゃんの前ならタバコは必要ないの。…何でだろうね」
肩口から聞こえるくぐもった声。
問いかけとも独り言ともつかないようなそれに、
私はごっちんの頭を見つめるしかなかった。
「口寂しーんだよ」
唐突な切り出し方に、最初それが何を指してるのか分からなかった。
- 311 名前:アナタ中毒 投稿日:2006/10/05(木) 22:54
-
「…口寂しいの」
ぽそりと、ごっちんはもう一度同じ内容の言葉を吐く。
私はどう答えればいいのか分からなくて、黙って彼女の言葉を待った。
腰に置かれたごっちんの腕に力が入った気がした。
「会えないとさ、寂しいじゃん。
でも、そんな事言ったってどうにもなんないし」
「困らせたくないし」って、ごっちんはそう続けて。
「そういう時にタバコ吸うと気紛れるから」
だから、吸ってた。だから、梨華ちゃんがいるときは必要なかったの。
ごっちんの言葉は、心臓の上の錘をすべて綺麗に取り去って。
代わりに、切なくて苦しくて、甘い甘い何かで包み込んでいった。
- 312 名前:アナタ中毒 投稿日:2006/10/05(木) 22:54
-
左手を自分の心臓の辺りに押し付けると、いつもより早い鼓動がそこから伝わってくる。
どうしよう。
私たぶん今顔真っ赤だ。
「ごめんね。梨華ちゃんそんなに怒ると思ってなかったからさ」
「…う、ううん、いいよ」
返事が微妙に上擦って、心の中で焦った。
だけど、ごっちんがそれに気付いた様子はなくて、胸を撫で下ろす。
「てかさ」って、もごもご、もごもご、彼女が喋る。
「ホントにさ、嫌なら言って?止めるしタバコ」
もごもご、もごもご。
ごっちんの声を聞きながら、小さく深呼吸。
「止めるって、そんなに簡単に止められるの?」
冗談のように、できるだけ軽く。
そう聞こえるように慎重に声を出した。
- 313 名前:アナタ中毒 投稿日:2006/10/05(木) 22:55
-
「止めれるよ」
「本当にー?」
「ホントに。だって、」
不自然に切れた言葉。あれって思った。
どうしたのか尋ねようと視線を彼女の頭へ向けると。
「だって、梨華ちゃんに嫌われる方がヤだもん」
―――心臓に、どきどきの限界値が定めてあったら、多分私の心臓は今この瞬間壊れた。
そんな馬鹿な考えが頭の隅を掠めたのと同時に、
私の体は、心の命ずるままに行動を起こしてた。
腰に置かれた彼女の腕を無視して無理やり体を捻る。
驚いたごっちんに構わず、さっきまで私を拘束してた腕を掴んで、そのままベッドに押し倒した。
目を見開いて呆然と私を凝視するごっちん。
何が起こったのかまだ分かってないみたい。
そんな彼女の上に馬乗りになって、顔の両脇に静かに手を突いた。
- 314 名前:アナタ中毒 投稿日:2006/10/05(木) 22:55
-
きょとんとしてたごっちんが一度瞬きをして「梨華ちゃん」って、私の名前を呼んだ。
その声が酷く掠れてて、鼓動が早まる。
「何、してんの、梨華ちゃん」
平静を装ってるけど動揺が完全に隠しきれてない声。
彼女の目を上から見下ろしながら、私は微笑んだ。
「イイコト思いついたから」
ごっちんが僅かに眉根を寄せて、「なに?」って言った。
今度はぶれることなく、落ち着いた声だ。
「煙草は、やっぱりあんまり賛成できないけどね、
無理に止めてとは言わないよ?」
ごっちんが寝たまま首を傾げた。
柔らかい栗色の髪がシーツに広がって、すごく綺麗。
- 315 名前:アナタ中毒 投稿日:2006/10/05(木) 22:56
-
「口寂しいなら、そうならないようにすればいいんだよ」
ごっちんは訝しげな視線をこっちによこす。
それを受け止めて、私は笑みを深めた。
彼女の顔の両脇に置いた腕を、静かに曲げていく。
私の体がゆっくりとごっちんに覆いかぶさるように近づいて。
鼻がくっつきそうな距離で止めた。
「会えなくて寂しいなら、会える時に、寂しいなんて思えないくらい、いちゃいちゃすればいいじゃない」
更に腕を曲げて。
ごっちんの唇に自分のそれを押し付けた。
黒目がちな彼女の瞳が、見開かれる。
長い睫に縁取られたそれは、今まで私が見てきたどんな物よりも綺麗で。
私はいつもそれに囚われる。逃げることなんて叶わない。願わない。
- 316 名前:アナタ中毒 投稿日:2006/10/05(木) 22:57
-
ゆっくりと腕を伸ばす。
唇のぬくもりがなくなるのは名残惜しいけど、
でも、あんな至近距離じゃごっちんの顔よく見えないから。
上から彼女の顔を覗き込むと、彼女は口の方端を上げてみせた。
人の悪い笑み。後藤真希がしちゃ駄目でしょって、そんな顔。
でも、頬がほんのり桜色だから大目に見てあげる。
「梨華ちゃん、誘ってる?」
「ごっちんが誘ってるんでしょ?」
ふふって笑って、もう一回彼女の唇に自分のそれを寄せた。
動物の子供がじゃれ合うように、触れるだけのそれを何度も繰り返す。
気付いたら、ごっちんの腕は私の腰に添えられてた。
- 317 名前:アナタ中毒 投稿日:2006/10/05(木) 22:57
-
「惜しいなぁ、ここが梨華ちゃんちならなー」
「どうして?」
聞き返すと、ごっちんはひょいと片眉を上げた。
腰に添えられてた手がゆっくりと這い上がってきて、
脇腹を撫で、背中を滑り、項に辿り着く。
彼女はその手で、ゆっくりと私を引き寄せる。
彼女の首筋に顔を埋めさせられて、耳に吐息がかかって、どきりとした。
「今すぐ、口寂しいのもどっか行っちゃうくらいに梨華ちゃんを感じられるのに」
内緒話でもするように囁かれた言葉。
心が甘く締め付けられて、ぎゅう、とごっちんに抱きついた。
どうか、私が彼女の側にいられない時に、彼女が寂しくなりませんように。
どうか、彼女が私の側にいられない時に、私が寂しくてなりませんように。
そう、願いながら。
- 318 名前:アナタ中毒 投稿日:2006/10/05(木) 22:57
-
それからたっぷり数時間、私たちは甘ったるい空気を思う存分楽しんだ。
- 319 名前:アナタ中毒 投稿日:2006/10/05(木) 22:58
-
>>>アナタ中毒
- 320 名前:太 投稿日:2006/10/05(木) 22:59
-
ひたすらにいちゃいちゃさせてみました。
後藤さんってタバコ大丈夫なのか分からなかったんですが、…どうなんだろう。
でもあれです。
うちの後藤さんは( ´ Д `)<ニコチンより梨華ちゃん。なので、…まあいいか。
では、お目汚し失礼しました。
- 321 名前:太 投稿日:2006/10/05(木) 22:59
- >>282さん
欲しいですか(笑)
( ´ Д `)<あげないし。梨華ちゃんはごとーの
>>283さん
レスありがとうどざいます。
なんとか誕生日に間に合ってほっとしてます。
>>284さん
そ、そうですか(照)ありがとうございます。
ただいまリアル後藤さんのエロカッコよさを研究中です。
>>285さん
レスありがとうございます。
よしみきコンビにはもっと二人の仲を引っ掻き回させたいです(笑)
>>286さん
誕生日なので後藤さんには楽しんでもらわないと(笑)
甘く甘くと思いながら書いたかいがありました。
>>287さん
レスありがとうございます。
急拵えですが、楽しんで頂けて幸いです。
- 322 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/10/06(金) 13:09
- どんどん甘くなってください(笑)。ごちそうさまでした。
余談ですが、『メロディーズ』のPVがこの2人だったら、
自分は多分直視できないと思います。
でもその前に、照れ屋の後藤さんには撮影自体無理かも。
- 323 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/10/06(金) 23:16
- 更新ありがとうございます!
いや〜甘いっすね!最高です!
いしごまは甘けりゃ甘いほどいいです。
またあま〜い2人を書いてください。
早くごっちんのブログに梨華ちゃん出てこないかな
- 324 名前:太 投稿日:2006/10/09(月) 13:28
- やらしめなのでsageで。
前々スレ「カップリングなりきり100の質問(いしごまリアル編)」
内の>>77>>95あたりの元ネタ、例のスタジオのトイレで話です。
- 325 名前:黒い手 投稿日:2006/10/09(月) 13:30
-
スタジオから飛び出して、楽屋へ続く通路を歩く。
いつもより歩調が速くなる。今の私の心情を表すように。
苛々する。苛々する。
思い当たる原因はたくさんあった。
新曲の振りが覚えられない。ドラマの台詞が全然入ってこない。
ライブの立ち位地も、振りも覚えられない。
そのせいで色んな人に迷惑かけてる。何をやってもダメで。
自己嫌悪でお腹あたりが気持ち悪い。
ぎゅう、と拳を握り締めて、その場にしゃがみ込んだ。
廊下を通り過ぎるスタッフさんとかが不思議そうに私を見ていくけど、
どうしても立ち上がれなくて。
何でできないんだ。どうしてダメなんだ。
頭の中でそれだけがぐるぐる回って、悔しくて悔しくて、
泣き出しそうな感覚に襲われる。
- 326 名前:黒い手 投稿日:2006/10/09(月) 13:30
-
気遣ってくれるスタッフさん達の態度が更に私を惨めにさせて。
その気持ちに応えたいのに応えられない自分が嫌で。
その優しさが煩わしいと思ってしまう子供な自分がもっと嫌だった。
ああ。やばい。泣きそう。
ぐっと目を強く瞑って、開けた。
泣く姿を誰にも見られたくない。
楽屋に戻るために立ち上がると、廊下の先に見覚えある姿を見つけた。
それは、大好きで大好きでしかたない彼女で。
沈んでた気持ちが少しだけ浮上した。
それと同時に堪えた涙が溢れそうになる。
「りかちゃ…―――」
名前を呼ぼうとした直後、彼女の隣からひょこりと飛び出した人影。
それは、私もよく知っている人物で。
梨華ちゃんの仕事仲間で、最近急速に仲が良くなってる人。
――――美貴ちゃん。
心の中で呟いて、出そうになった言葉を飲み込んだ。
二人は私に気付くことはなく、楽しそうに笑いあって。
- 327 名前:黒い手 投稿日:2006/10/09(月) 13:30
-
一人、取り残されたような、置いていかれたような孤独感が私を包む。
呆然と二人の姿を眺めたまま、だけど、もう一度声をかける気力は湧いてこなかった。
だって梨華ちゃん楽しそうなんだもん。
美貴ちゃんに嬉しそうに笑いかけてるんだもん。
俯いて足元をじっと見つめる。
苛々、苛々。
美貴ちゃんといる方が楽しいんだ。
私といるより楽しいんだ。―――何、考えてんだ私。
梨華ちゃんがそんなこと思うはずないじゃん。
被害妄想もいいとこだよ。
だけど。
そう自分に言い聞かせても、言い聞かせても、
暗い所へ転がり始めた私の心は、更に勢いをつけて落ちていく。
同時に、ふつふつと腹の底から這い上がるように出てきたのは、怒り。
でも、分かってた。
これは彼女には関係のない気持ち。見当違いな、怒り。
何て、自分勝手な感情。
- 328 名前:黒い手 投稿日:2006/10/09(月) 13:31
-
(楽屋に戻ろう――…)
頭を左右に緩く振った。
これ以上ここにいたら、私はきっと感情のコントロールができなくなる。
普段もそれほど上手くはないけれど、梨華ちゃんが関わると、私はそれがいつも以上に下手くそになるから。
踵を返そうとした、その時。
「ごっちん」
その声は梨華ちゃんのじゃなかった。
その隣にいるはずの美貴ちゃんのもの。
顔を上げると、美貴ちゃんがこっちを向いて手を上げたところで。
その手前に立つ梨華ちゃんがゆっくり振り返って、私を見とめてふわりと微笑んだ。
それから、美貴ちゃんに向き直って、何事かを彼女に言った。
私の位置からじゃその内容は分からなかったけれど、
美貴ちゃんが小さく笑んで頷いたのは辛うじて見えた。
どくり、と大きく脈打った心を自覚する。
同時に、黒いどろりとしたモノが内臓を、這って。
私は思わず眉を顰めた。気持ち悪い。
- 329 名前:黒い手 投稿日:2006/10/09(月) 13:32
-
彼女たちに気付かれないように小さく深呼吸。
いつも通りの“ごっちん”へ顔を戻して、二人に向かって軽く手を上げると、
梨華ちゃんが笑顔のままこっちへとことこ近づいてきた。
「ごっちん、今日はリハだっけ?」
「うん、そう…」
嬉しそうに嬉しそうに、いつも高い声を更に高くして喋る梨華ちゃん。
笑みを返そうとするけど、ちゃんと笑えてるか自信がない。
這い出てきそうな感情を必死で押し戻す。
「ライブの、だよね。ごっちん大丈夫?無理してない?」
それは、ただの、いつもの、普通の会話。
梨華ちゃんはそれを挨拶のような感覚で言ったに違いない。
だけど、
だけど私は。
大丈夫だよ、なんて言えなくて。
不自然に会話が止まっちゃって。
必死で作った笑顔も少しだけ崩れた気がした。
- 330 名前:黒い手 投稿日:2006/10/09(月) 13:33
-
何も応えない私に、いつも凛々しい梨華ちゃんの眉がふにゃりと歪む。
思わず目を逸らし、やってしまってから、目を逸らしちゃダメじゃんって思った。
これじゃ何かありますって言ってるようなものだ。
「…ごっちん?」
(…ほら)
梨華ちゃんの声音が変わった。
手首を柔らかく、だけどしっかり掴まれて。
視線を戻すと、梨華ちゃんがくるりと後ろを向いた。
「美貴ちゃん、先に楽屋戻ってて。私もすぐ行くから」
廊下の壁に背を預けてた美貴ちゃんが、返事の変わりに軽く手を振ってそのまま背を向けて歩き出した。
どうしてって疑問を口にする暇もなく手首を捕まえていた梨華ちゃんの手が、ぐいぐい私を引っ張って歩き出す。
黙ったまま進む彼女の背中が少しだけ怒ってるように見えて、私はどうしてだか、言葉を出せなかった。
- 331 名前:黒い手 投稿日:2006/10/09(月) 13:33
-
***
廊下の突き当たりのトイレに入ると、やっと梨華ちゃんの足が止まった。
振り向いた彼女の顔は、怒ってるようにも、悲しんでるようにも、困ってるようにも見えた。
何でそんな顔されるのか分からなくて。じっと見られて居心地が悪い。
俯いて視線を逸らす。
「…梨華ちゃん、トイレしたかったの?」
この空気をなんとかしたい一心で冗談のようにそう言うと、
「ごっちん」って、梨華ちゃんの固い声が二人きりのトイレに響いた。
手首を持つ彼女の手に力が入って。
その部分から、熱が、全身に広がっていく。
それは、彼女の体温なのか、私のものなのか、分からなかった。
血液の流れる音が聞こえる。
いつもよりずっと早いそれは、それだけ心臓が早く動いてる証拠だ。
梨華ちゃんといるときはいつもこう。
どきどきする。嬉しくて心臓が狂ったように騒ぎ出す。
だけど。
私は少しでも早くここから離れたかった。
だって、高鳴る鼓動の裏側で、理不尽な怒りの燻りが私にははっきり見える。
自分の精神状態は自分が一番よく分かってるから。
今は、――――ダメだ。
梨華ちゃんと二人きりでいるのはダメだ。
- 332 名前:黒い手 投稿日:2006/10/09(月) 13:33
-
「…何か、あった?」
よしこならもっと柔らかく聞くんだろうな。
美貴ちゃんならもっとさり気無く聞き出すんだろうな。
まっつーならきっとさらりと冗談のように話すんだろうな。
でも梨華ちゃんにはそれができない。
そういうトコ、すごく不器用な人だから。
彼女は、そういう人。
不安そうな声。だけど真っ直ぐな声で。
今は見えないけど、その目もやっぱり、真っ直ぐ私を見つめてるに違いなくて。
一度目を閉じて、顔に笑みを貼り付ける。そのまま上げた。
「なーんにも。順調だよ」
上手く笑えてるかな。
その答えは梨華ちゃんの表情を見れば一目瞭然。
ぎゅうと眉間に寄った皺を見とめて、私は、笑みが失敗に終わったことを悟った。
- 333 名前:黒い手 投稿日:2006/10/09(月) 13:34
-
「…嘘。ごっちん本当はそんなこと思ってない」
思ってないよ。
思ってないけど、他にどう言えばいいの。
「何かあったの?仕事のこと?」
心配そうな声が段々煩わしくなってくる。
裏側の燻りが、少しずつ、少しずつ、だけど確実に表を焦がし始めた。
「ねえ、ごっちん。大丈夫?」
苛々、苛々。
大丈夫じゃない。大丈夫じゃない。
だけど、そんなの。
「私で良ければ話、聞…」
「――――関係ないじゃん…!」
関係ないじゃんか。
梨華ちゃんには何も。
叩きつけるように言い放つと、彼女が驚いたように目を見開いた。
腹の底から這い上がってきた怒りが、私を突き動かす。
――怒り?
怒りって何。誰が誰に怒ってんの。
- 334 名前:黒い手 投稿日:2006/10/09(月) 13:34
-
「ほっといてよ…」
私は、誰に怒ってるの。
美貴ちゃんと楽しそうに話す梨華ちゃん?スタッフさん?
ねえ。
―――――自分?
「…っ梨華ちゃんに話聞いてほしいなんて、思ってないし」
嘘つけ。
聞いてほしかった。
だから、梨華ちゃんの姿を見つけた時、涙が溢れそうになったんだ。
美貴ちゃんと一緒にいるって分かった時、酷く寂しくなったのもそのせいじゃんか。
梨華ちゃんの表情がぐしゃりと歪んだ。
だけど。
「でも…!私はごっちんのこと聞きたい。苦しそうなら何でか知りたい、教えて欲しい」
だけど。
真っ直ぐなその視線は私を見据えたまま、少しだって怯まないんだ。
- 335 名前:黒い手 投稿日:2006/10/09(月) 13:35
-
昔から梨華ちゃんは私なんかよりずっと強くて。
馬鹿みたいに律儀で、一直線にしか進めない人。
不器用で、頑固で、お節介で。でも。
…そういうトコ、大好きだった。
「もっともっと、ごっちんのこと分かりたいから―――」
ぷつり、と頭の奥で何か大事なものが切れた。
その音が頭の中をぐわりと眩暈がしそうなほど揺らす。
私は梨華ちゃんの細い手首を掴み、そのまま一番奥のトイレの個室に押し込んで後ろ手に鍵を閉めた。
困惑したような表情の梨華ちゃん。
その両手首を掴み、壁に押し付けて、
何か言いかける唇に、自分のそれを、押し付けた。
「―――…っ!」
唇の間に舌を滑り込ませて、歯列を舐めた。
壁に押し付けた彼女の腕と体に力が入って逃げようともがいたけど、それ以上の力で押さえつける。
固く閉じた歯列を割って、舌を侵入させて、彼女のそれに強引に絡ませた。
- 336 名前:黒い手 投稿日:2006/10/09(月) 13:35
-
乱暴に、ただ、彼女の口内を、犯した。
酸素を求めて少しだけ唇を離し、再度重ねようとした時。
力が緩んだすきに逃げた梨華ちゃんの手に強い力で肩を押された。
「…っやだ!」
赤い顔で私を睨みつけて、短く言い放つ彼女。
私は、私と彼女の唾液で妖しく濡れるその唇を見つめてた。
「ここ、どこだか分かってるのっ、ごっちん…!」
酷く焦ったように、小さな声で抗議する梨華ちゃんは、
ぞくぞくと背筋を駆け上がるこの気持ちにはきっと気付いてない。
「分かってる」
その唇にもう一度口付けうよと顔を近づけると、更に肩を押されて抵抗された。
邪魔。そんなの無駄なのに。
悪いけど、梨華ちゃんを押さえつけるなんて、少しも苦じゃない。
構わずぐい、と近づくと、梨華ちゃんが目を瞠り、最後の抵抗のように顔を横に向けて。
それを追いかけても良かったけれど、酷く面倒なことのように思えて、目の前に来た耳朶に口付ける。
- 337 名前:黒い手 投稿日:2006/10/09(月) 13:36
-
「…!ちょっ…」
梨華ちゃんの体がびくりと揺れた。
その反応に気を良くして、それを口に含む。
甘く噛んで、耳の輪郭をなぞる様に舌を這わせた。
「…っやぁ」
零れる吐息。
ぞくりと駆け抜ける、何か。
高鳴る鼓動。熱くなる体。
…私は何をしてるの。
頬に唇を寄せて、するりとそのまま下へ。
首筋を舌で撫でた。
「ごっちんっ!だめ、駄目だよ…!止めてっ」
項からゆっくり背中へ手を這わせて、腰の辺りで止める。
抵抗する彼女を自分の体と壁で押さえつけて、唇で喉元に強く吸い付いた。
びくりと跳ねる彼女の体。滑らかな肌に軽く歯を立てて、噛み付く。
- 338 名前:黒い手 投稿日:2006/10/09(月) 13:37
-
「…やめ、て、ごっちん!ごっちん…!」
服の裾からそろりと手を入れるて、彼女の肌に直に触れた。
あたたかい、あたたかい。
そのまま上へ。ブラのホックを外すと、彼女が一際大きく体を揺らして。
私の肩に置かれた彼女の手に、力が入ったのが分かった。
「やだ、待ってごっちんっ。私まだ仕事が…!」
梨華ちゃんの言葉とか、聞いてる余裕、なかった。
何にそんなにも余裕がなくしてるのか、それすらもよく分からなくて。
その肌に夢中で手を、唇を、滑らせた。
服を下着ごとたくし上げて、彼女の胸元に指を這わせる。
梨華ちゃんの焦った声が徐々に短くなってく。
肩を押すその手の力も目に見えて弱くなって。
吐息と供に漏れる彼女の声が熱を持ち始めた。
それを気付かれまいと飲み込む梨華ちゃんは、妙にいやらしかった。
彼女の耳朶に唇を押し付ける。
- 339 名前:黒い手 投稿日:2006/10/09(月) 13:37
-
「梨華ちゃん…」
私の声も熱に浮かされたような響きがした。
答えるように肩にある梨華ちゃんの手に少しだけ力が入った。
「梨華ちゃん」
呼びかけて、頬に唇を滑らせて、彼女の唇に自分のそれを押し付ける。
今度は容易にその中に舌を入れることができた。
項に左手を回して、引き寄せて、彼女の太腿の間に自分の脚を押し込んで、腰を密着させる。
右手で脇腹を撫で上げて、息をするためだけに、唇を少し離した。
もう一度キスしようとした、その時。
トイレの中に私と彼女以外の音が響いた。
梨華ちゃんの体がびくりと強張った。
キスを止めて、そんな彼女をちらりと見て、個室の戸に視線をやる。
ばたん、と扉が閉まる音。
続くように、ぱたぱた、と誰かの足音。
「梨華ちゃーん?」
「…!」
聞こえた声に、梨華ちゃんが息を呑んだ。
美貴ちゃん、って小さく小さく呟いて。
私は、眉間に皺が寄るのを止められなかった。
- 340 名前:黒い手 投稿日:2006/10/09(月) 13:37
-
腹の底から真っ黒な手が伸びて私の心臓を揺さぶった。
熱いそれの温度に、心臓が熱を持つ。ちりちりと、焼け付くように。
その熱は、ものすごい早さで脳に転移して。じん、とそこを焼く。
その手の正体を、多分、私は知っていた。
ぱたぱた、ぱたぱた。
足音と梨華ちゃんを呼ぶ美貴ちゃんの声が広くないトイレの中に響いた。
強張る梨華ちゃんを見下ろして、真っ黒な手が指し示すままに、
私は、彼女の脇腹に這わせていた手を、太腿に滑らせた。
梨華ちゃんが体を揺らす。肩に置かれた手に再び力が入った。
絡んだ視線。
上気した頬で、私を睨みつける梨華ちゃん。その目は私を非難する。
それ見とめて、黒い手が嬉しそうに心臓を撫でた。
ぱたぱた、ぱたぱた。
「梨華ちゃーん」
唇の端をひょいと上げて、ゆっくりと太腿に置いた手を上へ這わせる。
彼女が身に着けている丈の短いスカートは私の進入を拒まない。
- 341 名前:黒い手 投稿日:2006/10/09(月) 13:38
-
ぱたぱた、ぱたぱた。
「梨華ちゃん、いないの?」
いるよ。ここに。
梨華ちゃんの代わりに心の中で答えた。
彼女が私の手首を掴んで止めさせようとするけれど、太腿を撫でる手を止める気はない。
唐突に、足音が止んだ。
ゆっくりと個室の戸に首を巡らすと、聞こえてきた溜め息。
「どっこ行ったんだ、あの子。もうすぐリハ始まるのに」
独り言なのか、そうじゃないのか、判断しかねる言葉を吐いて、
美貴ちゃんは入ってきた時と同じように、ぱたぱた、と出て行った。
もしかしたら、彼女は気付いているのかもしれない。
私たちがここにいること。
一つだけ閉じられた個室。勘の良い美貴ちゃんのことだから、あるいは。
頭の片隅で考えて、だけど、すぐに投げ出した。
どちらでも構わなかった。むしろ、気付いていればいい。
この個室の中で行われてることを勘付けばいい。
- 342 名前:黒い手 投稿日:2006/10/09(月) 13:38
-
黒い手が心臓を握る。
痛くはない。少しだけ息苦しいだけで。
―――梨華ちゃんは、私のだ。
頭を過ぎる考えに吐き気がした。
私のだ。
誰にも、手出しは、させない。
違う、と何かが叫んだ。
(梨華ちゃんは、)
梨華ちゃんは、梨華ちゃんのものだ。
そして、そもそも、その感情を向ける方向は、間違ってる。
鳴り響く警告音。
頭を擡げた訴えを、黒い手が遮った。
警告音をゆっくりと覆い隠す。
- 343 名前:黒い手 投稿日:2006/10/09(月) 13:39
-
戸へやっていた視線を戻して、太腿を撫でていた手を内側へ這わせた。
「……っ…は…!」
彼女の声が、吐息が、私の鼓膜を震わせる。
どくんどくんと大きくなる鼓動。
高ぶる感情。
興奮する心。
すべては、怒りのため?
その問いに答えは出なかった。
違う。出したくなかった。考えたくなかった。
太腿の内側から、そこへゆっくりと移動する。
梨華ちゃんが高い声を上げて。
口元を自分の手で覆う姿が視界を掠めた。
視線が絡んだ。
熱を帯びた瞳は、叫びだしたいくらい綺麗で。
涙が出そうなほど、彼女に対する自分の感情を自覚させられた。
好き。好きだよ。
梨華ちゃんが、好き。
「…梨華ちゃん」
その瞳に映る私以外の人すべてに嫉妬するほど、私は。
ゆるゆると手を動かすと、耐えられないように梨華ちゃんはきつく目を閉じた。
その手の隙間から、閉じ込めきれなかった声が漏れる。
- 344 名前:黒い手 投稿日:2006/10/09(月) 13:40
-
「ねえ、梨華ちゃん」
黒い手が喉に這い出すのを感じた。
「好き…?」
彼女の体を揺さぶる。
熱い。熱い。
梨華ちゃんも、私も、熱い。
「ねえ、ごとーのこと、好き…?」
梨華ちゃんが瞼を押し上げた。
寄せられた眉根が少しだけ緩くなって、ふにゃりと彼女は眉尻を下げて。
片手で頬を撫でられた。
手に覆われた口元から微かに聞こえた彼女の声。
私は、大きく、彼女の腰を揺らした。
「…梨華ちゃん」
彼女の目は再び閉じられて。
頬に置かれた手はいつの間にか首に回されてた。
彼女の腰が震えたのが直に伝わってくる。
その息遣いが、漏れる声が、どうしようもなく、私を焦がす。
梨華ちゃんの耳朶を噛んで、中を舐めた。
「すき」
耳の中に吹き込んで、私は彼女の熱を解き放つことに集中した。
- 345 名前:黒い手 投稿日:2006/10/09(月) 13:40
-
***
熱が冷めた直後、梨華ちゃんの膝ががくりと崩れた。
慌てて抱きとめて、トイレの上に座らせる。
梨華ちゃんは、ぼうっと床を見てた。
私はそんな彼女を突っ立ったまま見つめて。
何、してんだろ。
自分に問いかける。
いつの間にか、そういうのを握り潰していた黒い手はいなくなってた。
彼女から視線を逸らして、目にとまったトイレットペーパーを乱暴に引っ張り出す。
手を拭うとそれはすぐにくしゃくしゃと皺が寄った。
―――何をしてるんだ。
黒い手は嫉妬だった。
怒りだった。苦しみだった。
それは、私の、誰にも見せたくない醜い感情だった。
- 346 名前:黒い手 投稿日:2006/10/09(月) 13:41
-
(それは、何に対して?)
くしゃくしゃのそれを床に落として、新しいペーパーを引っ張り出す。
わざわざ聞かなくたって分かってる。
それは、自分に対しての怒りのはずなのに。
それは、決して梨華ちゃんに向けちゃいけないモノなのに。
たまたま声を掛けてくれた梨華ちゃん。
ただ美貴ちゃんと話してただけの彼女の姿に勝手に疎外感を感じて。
勝手に嫉妬して。
トイレットペーパーを握る。
抵抗なく、それは潰れた。
行き場のない苛立ちが、嫉妬と絡まって、怒りに変わるのに時間は必要なくて。
私は、怒りの矛先を摩り替えた。
理不尽で自分本位な感情。
それを彼女にぶつけて、挙句の果てにこんなことして。
- 347 名前:黒い手 投稿日:2006/10/09(月) 13:41
-
ぎゅうぎゅうと拳を握り込む。
爪が掌に食い込んで鈍い痛みが走ったけど、止めない。
梨華ちゃんが受けた痛みに比べたらこんなの痛みの内に入らない。
彼女の気持ちを無視して、無理やり、こんなこと。
ごーかんじゃん。最低まじで。最悪自分。
大事にしたいんじゃなかったっけ。
傷つけたくないんじゃなかったっけ。
私は、今、何をした?
押し寄せるのはただただ後悔と、梨華ちゃんへの謝罪の言葉。
ごめん梨華ちゃん。ごめん、ごめん、ごめん。
胸の中で馬鹿の一つ覚えみたいに繰り返した。
だけど、声にはならなくて。できなくて。
鼻の奥がつん、として、目頭が熱くなる。
なんで私が泣きそうなわけ。
泣きたいのはきっと梨華ちゃんだ。
私なんかより、梨華ちゃんだ。
奥歯をかみ締めた。口を開いたら、堪えてたものが零れ落ちそうで。
床を見つめる。
握り締めた拳はもう殆ど痛みを感じない。
- 348 名前:黒い手 投稿日:2006/10/09(月) 13:41
-
不意に、視界に手が映った。
それは、ゆっくり私の拳に触れて。
暖かな感触に弾かれるように顔を上げると、心配そうな梨華ちゃんの瞳と真正面からぶつかる。
彼女は私の手を両手で包んで、そっと拳を解きながら言った。
「ごっちん、手、痛くなっちゃうよ」
心臓が、裂けてしまうかと思った。
ナイフで何度も何度も切りつけられるみたいに、鋭い痛みが鼓動に合わせて私を襲う。
梨華ちゃんがその顔に薄く笑みを乗せた。
それを視界に見とめた時、心臓の表面を薙いでいたナイフはぐさりと深く深く突き刺さった。
- 349 名前:黒い手 投稿日:2006/10/09(月) 13:42
-
なんで。なんで。
そんな風に笑うの。
私の顔を見て、私なんかの手の心配をして。
どうして。
だって、私、あんなことしたのに。
酷いことしたのに。
突き刺さったままのナイフはじんじんと熱を持って、心が痛みを訴える。
だけど、抜くことはできない。
それは、許されない。私が許さない。
梨華ちゃんの方が痛かったに決まってる。
梨華ちゃんの方が苦しかったに決まってる。
視界の隅の梨華ちゃんが眉根を寄せて。
私の手首に乗せられてた彼女の手が、静かに顔に近づいてくるのが見えた。
それは、そっと私の目元を撫でた。
「泣かないでよ…」
眉尻を下げて、困ったような彼女の声を聞いて、
その時になってやっと私は自分が泣いていたことに気付いた。
- 350 名前:黒い手 投稿日:2006/10/09(月) 13:43
-
慌てて手で拭う。
だけど、涙は止まるどころか、更に溢れてくる。
「…もう、どうしてごっちんが泣くのよぅ」
その通りだ。
なんで私が泣いてるんだ。
悲しむ資格なんてないのに。
目を閉じて目元を押さえる。
だけど、後から後から、溢れ出る。
涙腺が壊れた水道の蛇口みたいに、涙は止まらない。
「ご、ごめっ…、…」
ついでのように声も壊れた。
嗚咽が邪魔して、言葉がぶつ切れる。
頭の中で自分を罵った。
なんでこんな時に。
どうして今。
肝心な時に自慢の喉は酷く役立たずで。唇をかみ締めた。
目元をぎゅうっと押さえて、涙を止めることだけに集中する。
- 351 名前:黒い手 投稿日:2006/10/09(月) 13:43
-
でも、止まらない涙。
情けなくて、悔しくて、更に目頭が熱くなる。
ちくしょう。ちくしょう。
泣くぐらいなら、最初からこんな事するな。
後悔したって遅すぎる。
閉ざされた視覚を補うように鋭くなった聴覚が、小さな溜め息を拾った。
呆れたように吐かれたそれに、悲しくなって、だけど、悲しいなんて今更思ってる自分に自己嫌悪。
「真希ちゃん」
突然、名前を呼ばれて。
びくりと心臓が跳ねた。
目元を押さえてた両手の甲に温もりと柔らかい感触がして。
それは、手の甲を撫でるように滑ると、目元から手を退けた。
優しく、だけど、有無を言わせぬ力で。
目は、開けられなかった。
- 352 名前:黒い手 投稿日:2006/10/09(月) 13:44
-
両手で頬を包まれて、彼女の親指が目尻を撫でる。
「真希ちゃん」
もう一度呼ばれた名前。
それが何かの合図のように、私はゆっくりと瞼を押し上げた。
溜まっていた涙がぽろりと落ちた。
光を取り戻した網膜が最初に映したのは、こっちを見上げる梨華ちゃんの苦笑した顔。
その笑みは、すべてを見透かしてるような、そんな色を乗せてた。
しょうがないな、って彼女がよくする表情。
お姉さんの余裕。オトナの余裕。
一歳の、余裕。
それは、たった八ヶ月の、だけど、確実な差だった。
私が必死に埋めようとしていた溝だった。
梨華ちゃんの手が、するすると肩まで下がって。
ゆっくり離れていく。
離れたそれは、彼女の腕ごと両側に広げられて。
「おいで」
少しだけ首を傾げて、微笑まれた。
- 353 名前:黒い手 投稿日:2006/10/09(月) 13:44
-
何かが、外れた。
意識とは別のトコロで体が動く。
伸ばした手。
狭い個室の中で、只でさえ無かった私と彼女の距離が一気に縮まる。
梨華ちゃんの首に腕を回して、ぎゅう、と抱きつく。
肩口に顔を埋めた。
「ごめ、ごめん。りかちゃ、…ごめんなさい…っ」
涙と供に零れた感情。
それで、許される、なんて思わなかったけど、馬鹿な私の脳みそは、その言葉しか思いつかなくて。
うわ言のように、ただただ、それを言い続けた。
背中にするりと彼女の腕の感触。
それは優しく私の背を撫でた。
「…いいよ、もう」
鼓膜を刺激したその声に、いかれた涙腺のそれは更に酷くなって。
ぱたぱた、雫が零れ落ちる。
- 354 名前:黒い手 投稿日:2006/10/09(月) 13:45
-
彼女の手の動きと同じくらい優しいその声。
大好きな大好きな声。
お姉さんの声。年上の声。
埋めたくて仕方がない溝の向こう側の声。
だけど、梨華ちゃんの声。
梨華ちゃんに向けた怒り。
理不尽なその方向の理由。
それは、甘えだ。
ガキな自分が嫌だった。
年下扱いされるのも、嫌だった。
なのに、私は、甘えてる。
だから。
だから、梨華ちゃんに向けたんだ。この感情を。
心のどこかで、彼女なら許してくれると、思ったから。
苛立った心。苦しくて寂しくて、情けなくて。
ぼろぼろになったそれは、どうしようもなく温もりを求めてた。
―――梨華ちゃんの温もりを。
- 355 名前:黒い手 投稿日:2006/10/09(月) 13:45
-
嗚咽が声帯を占拠して、もう、まともな言葉をそこから捻り出すことができない。
「しょうがないなぁ、真希ちゃんは」
脳を直接揺さぶるようなその声音。
撫でる掌と彼女の体温の優しいぬくもり。
彼女の存在が、どこまでも私を甘やかす。
ごめん。ごめん梨華ちゃん。
どれだけ謝っても足りないのに、彼女にしがみつくように腕に力を入れた。
嗚咽を言い訳に、私よりも少しだけ小さい体に縋りつく。
お願い、もう少しだけこのままで。
“後藤真希”に戻れるまで、どうか。
ごめんね、梨華ちゃん。子供な恋人で。
ごめんね。
大好きだよ。
- 356 名前:黒い手 投稿日:2006/10/09(月) 13:45
-
>>>黒い手
- 357 名前:太 投稿日:2006/10/09(月) 13:46
- あんまやらしくないや…。
大人の余裕石川さん。自分はこういう彼女が好きらしいです、どうも。
後藤さんは甘えたがりだと勝手に思ってますが、
にしても、やっていい事と悪い事があるだろ後藤さん(自分で書いたくせに)
では、お目汚し失礼しました。
- 358 名前:太 投稿日:2006/10/09(月) 13:46
- >>322さん
PV、元あやみきヲタとしてはうはうはでしたが(笑)
後藤さんはりかまろちゅうでも相当照れてたので、確かに撮影は無理かもですね。
>>323さん
後藤さんのブログは色んな意味でぶっ飛んでて楽しいです。
自分も、プライベートで遊んだとか出てこないかなぁと思ってしまう(笑)
- 359 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/10/09(月) 14:15
- うはっ、後藤さんなんてことを!
でもありますよね、こんな気持ちになること。
石川さんは、母なる海というか、
全てを包み込むような愛情がありそうですよね。
太さんのいしごまの関係性、大好きです。
今回もごちそうさまでした。
- 360 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/10/10(火) 02:08
- 寝る前に見に来て良かった〜!!
私もオトナな梨華ちゃん大好きです
もうマジでいしごま最高!太さん最高!
- 361 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/10/10(火) 15:23
- このエピソードが読みたいとずーーーっと思ってました
ありがとうございます!
楽しませていただきました
次回作も期待してます
- 362 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/10/12(木) 12:53
- このお話、待ってました。
梨華ちゃんの気持ちも知りたいなんて言ってみたりして。
次回の更新も楽しみにしてます。
- 363 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/10/12(木) 13:11
- 更新お疲れ様です!
そしてありがとうございます!
最後はやっぱり甘くなるいしごま
最高です!
作者さんすごい!最高!!
この調子で豆柴と飼い猫10くらいまでいってください!!!
どこまでもついていきますよ!!
- 364 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/10/15(日) 16:27
- sageで更新がもったいな〜い!
楽しませて頂きました
太さんのいしごま大好きです
次の更新楽しみにしてます
- 365 名前:太 投稿日:2006/10/21(土) 01:18
- ガキさん18歳おめ!!
塾長大好き!!
金髪梨華ちゃん可愛いじゃんか。
ネタがまた一つ増えました(笑)
いしごま、石川視点。いきます。
- 366 名前:片思い歴 投稿日:2006/10/21(土) 01:18
-
あなたに初めて名前を呼ばれたとき、私は、泣いちゃいそうだったの。
あなたに初めて好きだと言われたとき、信じられなくて、夢でも見てるんじゃないかって思ったの。
あなたに初めてキスされたとき、どきどきしすぎて、心臓が壊れちゃうんじゃないかって思ったの。
あなたに初めて…触れたとき、こままま死んじゃうんじゃないかって、本気で思ったの。
…それくらい嬉しかったんだよ。
あなたの仕草が、ちょっとした行動が、私の心を激しく揺らすの。
ねえ、あなたは、きっと知らないだろうけど。
- 367 名前:片思い歴 投稿日:2006/10/21(土) 01:18
-
夜空に向かって、は、と息を吐き出した。
夏が終わったと言っても、冬って言うにはまだまだ暖かい季節。
吐き出した息は、白くならずに夜空に消えてしまった。
やっぱりまだ白くはなんないか。
ぼんやりとそんなことを思いながら薄暗い道を歩く。
温かい感触に、左手を引かれながら。
ちらり、と左隣に視線を向けると、真っ直ぐ前を向くごっちんの姿。
薄いサングラスとキャップで表情はよく見えないけれど、
きっとその瞳も真っ直ぐに前を向いている。
二人並んで歩きながら、会話はない。
だけど、不思議と居心地は悪くなくて。
それは、隣の彼女の醸し出す独特の雰囲気のせいなのか、
それとも私たちの付き合いの長さのせいなのか。
多分両方だ、と、やっぱり、ぼんやりと思った。
真っ直ぐに前を向いて、ステージの上で誰よりもきらきらしてる彼女は、
それを降りた途端に、ふにゃりと締まりなく笑う、そんな人だから。
彼女のそんな笑顔は警戒心を和らげる効果があると、私は昔から思ってた。
- 368 名前:片思い歴 投稿日:2006/10/21(土) 01:19
-
ステージ上できらきらしてるごっちんが好きだった。
まぶしくて、憧れて、でも手の届かない人。そんな風に思ってたの。
だけど、いつの間にか私は彼女と同じ場所に立っていて。
いつの間にか、ごっちんは私にふにゃふにゃな笑顔を見せてくれるようになって。
いつの間にか、好きになってて。
絡まる指に少しだけ力を入れると、ほんの少し、
多分私の10分の1にも満たない強さで握り返される感覚。
緩む頬を気付かれないように俯いてアスファルトを見つめる。
こんな風に手を繋げる関係になるとは思ってなかったんだよ。
叶わない恋だったから。願っちゃいけないと思ってた恋だったから。
今が幸せすぎて、私は時々恐くなる。
ねえ。
あなたは、私の事が本当に好き?これは夢じゃないんだよね。
握り返されるこの手の強さは、私の勘違いじゃないんだよね?
声に出して確かめることはしない。できない。
それは、私を好きだと言ってくれたごっちんに酷く失礼だから。
- 369 名前:片思い歴 投稿日:2006/10/21(土) 01:19
-
ぽつぽつと思い出したように建ってる街灯の光が、
アスファルトの上に私たちの形を作り出す。
でもね。思っちゃうんだ。ずっと好きだったから。
本気であなたが好きだったから。
「ごっちんはさぁ――――」
数分ぶりに出した声は、いつもより少しだけ高かった。
左手の温もりの強さが増して、「ん?」って短く続きを促される。
「私のこと…、―――いつから私の事好きだったの?」
ぽろりと飛び出しそうになった本音の上から慌てて違う言葉を被せた。
でも、あまり誤魔化し切れてないかも。ぺろりと心の中で舌を出す。
「いつから…ねぇ?」
一度出た言葉は取り消せないから、大人しくごっちんの反応を待っていると、
独り言のように呟いた彼女が夜空を仰いだ。
- 370 名前:片思い歴 投稿日:2006/10/21(土) 01:19
-
「梨華ちゃんはいつからごとーのこと好きだったの?」
そんな風に切り返されるなんて思ってなくて。
思わず足を止めて、ごっちんをまじまじと見つめてしまう。
突然歩みを止めた私と、歩き続けるごっちん。
繋がった手がぴんと張って、数歩前を行ってた彼女が、
おぅって、あんまり上品じゃない声を上げて足を止めた。
繋いだ手をそのままにごっちんがゆっくりこっちを向く。
薄いサングラスで瞳は見えないけど、私の視線を見とめたらしいごっちんは口の端を少しだけ上げた。
…その表情にむっとした。
「何よ、いきなり」
「梨華ちゃんが先に聞いてきたんじゃんか」
ふって笑みを深めるごっちん。
余裕なその表情が気に入らない。
何よその顔。年下のくせに。
- 371 名前:片思い歴 投稿日:2006/10/21(土) 01:20
-
「…そうだよ?聞いてるのは、私なんだから」
ちゃんと答えてよ、って心持ち睨みながら言うと、彼女が更に笑みを深めた。
繋いだ手をふらふら揺らす。子供をあやすようなその動作も気に入らない。
「じゃあさ」
ごっちんが口を開いた。
「梨華ちゃんが教えてくれたら、ごとーも言ってもいいよ」
にやにや笑いながらごっちんはそう言って、促すように首を傾げた。
(…何それ、何よそれ!)
その表情も動作も言葉も、全部気に入らない。
私のこと舐めてるでしょ、ごっちん。
恥ずかしがって言わないと思ってるでしょ(実際恥ずかしいけど)
…言えるもん。
言えるんだから!
「…いいよ。私が言ったら、ごっちんもちゃんと言うんだよ」
ごっちんを睨みながら言ってやった。
だけど、彼女は少しも怯まずに、にやにやしたままで。
(あれ…)
ちょっと驚くかなって思ってたのに。
予想が外れて、逆にこっちが怯んでしまう。
でも、ここで、やっぱ無理、なんて言えないし。
私は覚悟を決めて、ごっちんの手をぎゅうと握った。
- 372 名前:片思い歴 投稿日:2006/10/21(土) 01:20
-
頬が熱くなってきた。
だって、こういう事、こんな風に面と向かって言うのは初めてだから。
「私が、ごっちんを好きになったのは…」
「なったのはー?」
ごっちんが手を握り返してくる。
でも、その口調はのんびりしたいつものそれで。
…悔しい。
私だけが恥ずかしいんじゃん。
だけど、それを気付かれるのは何だか嫌で。
私は精一杯いつも通りにごっちんに視線を投げた。
余裕の笑みを浮かべる彼女を尻目に、頭の中で当時の記憶を手繰り寄せて。
この気持ちをおぼろげにでも自覚した瞬間は今でも覚えてる。
夜も眠れないぐらい必死になって否定したから。
絶対に違うって。
ごっちんは女の子だもん。
だから、これは、そう。きっと憧れ。
誤魔化して誤魔化して。
笑い飛ばして、否定した。
- 373 名前:片思い歴 投稿日:2006/10/21(土) 01:21
-
だけど、それも長くは続かなかった。
意識してしまった気持ちを、心の中から完全に追い払うことが私には出来なくて。
その気持ちを本当の意味で認めることができたのは、それからずっと後の事だけど。
(でも、)
ごっちんの顔を見つめる。
薄いサングラスに阻まれて見えない瞳。
だけど、その下の唇は締まりがない。
(好きになったのは、多分もっと前)
―――そう、多分。
「…初めて名前、呼ばれたときかな」
モーニングに入って、毎日毎日必死で。
同期の三人がずっと前を走ってるように見えてた。
仕事場に行けば、憧れていた人たちが当たり前のようにいて。
その人たちに失望されないように頑張ってた、あの頃。
一つ年下で先輩の後藤真希という存在は、私には眩しすぎたの。
- 374 名前:片思い歴 投稿日:2006/10/21(土) 01:21
-
遠慮してたのはとは、少し違う。
だけど私は、ごっちんとの間に距離を置いてた。…多分、自分から。
どう接すればいいのか分からなかったの。
年下の先輩と、どういう関わり方をすればいいのか、どれが正解なのか。
あの頃の私には分からなかった。
四期の中で一人だけごっちんと打ち解けるのが遅かったのも、多分それが原因。
今思えば、きっとごっちんも私の扱いに困ってたんだろうなって分かるんだ。
だけどあの頃の私には、それに気付いて年上らしく彼女に対してそれなりの振る舞いをする余裕がなかった。
だから、あの時。
初めてごっちんに「梨華ちゃん」って呼ばれた時。
嬉しかった。泣き出しそうなほど。
あの時、胸に広がった、あの気持ち。
今思えば、そう。
きっかけは、あれ。
ごっちんの締まらなかった口元が、今度は半開きになった。
呆けたように、暫くの間ぴくりとも動かない。
「…そなの?」
やっと動き出したと思ったら、信じられないって感じで聞き返してくるごっちんを睨む。
何よ、恥ずかしいの我慢してちゃんと言ったのに。
- 375 名前:片思い歴 投稿日:2006/10/21(土) 01:21
-
「そーなの!」
少しだけ声を大きくして言い放つと、ごっちんは一度唇を一文字に結んで。
それから、少しだけ俯いてしまった。
キャップの鍔とサングラスで表情は殆ど分からない。
どうしたのって声を掛けようと口を開きかけた瞬間、ごっちんが顔を上げた。
「でも梨華ちゃん、あの頃そんな素振り全然なかったじゃんっ」
「当たり前でしょ。隠してたんだから」
そんなの、そんな素振り少しだって見せちゃいけなかった。
叶わないと思ってたんだもん。
見せたら最後、全部壊れちゃう気がして。
私はごっちんとの関係を壊したくなかった。
ごっちんがもう一度唇を結んだ。
何だか困惑してるようなその表情に、私は少しだけ得意になる。
だって、いつもの飄々とした雰囲気が崩れてる。多分、私の言葉によって。
「ふふ。びっくりした?びっくりした?」
「…びっくりって言うか…」
歯切れの悪い言葉に気持ちがどんどん向上する。
いつもならごっちんが私をからかって、私がしどろもどろになるから。
でも今は逆。それが嬉しくて、頬が緩む。
- 376 名前:片思い歴 投稿日:2006/10/21(土) 01:22
-
「片思い歴なら誰にも負けないもんねー」
考えてみれば、片思い歴約2年。
自分でもよくここまで未練がましく想ってたもんだって思うもん。
ふふんって鼻で笑ってごっちんを見やると、彼女の雰囲気が変わった。
彼女の引き結ばれてた唇が笑みの形に弧を描く。
その笑みに嫌な予感がして、私は慌てて次の言葉を吐いた。
「ご、ごっちんはいつなのよ?私、ちゃんと言ったからね」
それには何も答えずに、ごっちんは笑みを深めてくるりと背を向けて歩き出した。
当然、左手が彼女と繋がったままの私の足も動き出す。
「ちょっとごっちんっ、答えてよ」
小走りして、彼女の隣に並んで抗議。
私から見える彼女の横顔には笑みが乗ったままで。
「いつだろうねぇ」
なんて、はぐらかす。
- 377 名前:片思い歴 投稿日:2006/10/21(土) 01:22
-
「ちょっ、私言ったんだから!ごっちんも言う約束でしょっ」
「約束なんてしてないもーん」
「したじゃん!さっき私も言うからごっちんも言ってって…」
「ごとーそれにオッケーした覚えないんだけど?」
「なっ、ずるい!」
一人だけそんなの。
小学生みたいな言い訳して!
抗議の声を上げても、ごっちんは素知らぬ振り。
気にする素振りも見せずに、とことこ歩く。
街灯と月明かりが、私たちを照らし出す。
何度目かの「ごっちん」って叫びに、やっと彼女は足を止めてこっちを向いた。
「んじゃあ、そんなに知りたい梨華ちゃんにヒントをあげる」
ヒント?
問い返す暇もなく、ぐいっと繋いだ手を引かれて。
完全な不意打ちに油断してた私の体は、簡単に彼女の腕の中に納まった。
耳元に彼女の息遣いを感じて、少しだけ、ほんのちょっとだけ体温が上がった気がした。
道路の真ん中で抱きしめられる。
いつもなら徹底的に避けるシュチュエーションに、どきりと高鳴った心。
- 378 名前:片思い歴 投稿日:2006/10/21(土) 01:23
-
「ごっち―――」
「残念だけど、片思い歴はごとーのが長いから」
言葉の意味を理解する前に体を離された。
抱きしめられた時と同じくらいの素早さで。
そのままごっちんは、私の手を引いて歩き出す。
とことこ、とことこ。
彼女の背中を見ながら私もその斜め後ろに続く。
片思い歴は、長い?
って、え。それって―――。
頭の中で反芻した彼女の言葉。
辿り着いた答えに、私は思わず声を上げた。
「ご、ごっちん、それって…」
―――それって、私よりも、…前?
前を行くごっちんは振り返らない。
- 379 名前:片思い歴 投稿日:2006/10/21(土) 01:23
-
「はいはい、もーごとーヒントは無いですよー」
すごく投げやりな口振りで。
歩みも止めず、歩調も緩めず。
どうでもいいって全身で言ってるくせに。
だけど。
髪から顔を出した耳が少しだけ、赤い。
そんなのは反則だ。ずるいよ。
…何にも、言えなくなるじゃない。
抗議の言葉は音にならずに私の胸へ消えていく。
胸が熱い。ついでに頬も熱い。
繋がった手を、ぎゅう、と握ると、同じぐらいの力で握り返されて。
―――ああ、もう。
ねえ、ごっちん。
あなたの仕草が、ちょっとした行動が、私の心を激しく揺らすの。
ねえ、あなたは、きっと知らないだろうけど。
- 380 名前:片思い歴 投稿日:2006/10/21(土) 01:23
-
好きなる順番って関係ないんだ。
だって私は、こんなにもあなたにヤラレテル。
「ねえ、ごっちん」
「んー、なーに、梨華ちゃん」
「うん。だいすき」
人が行き交う公道で。
そんな言葉が出ちゃうくらいに。
- 381 名前:片思い歴 投稿日:2006/10/21(土) 01:24
-
>>>片思い歴
- 382 名前:太 投稿日:2006/10/21(土) 01:24
-
いしごまMC動画を見たら、どうしても二人の会話が書きたくなりまして。
欲望の赴くままがつがつ書いてみました(笑)
MC全部映像化してくれないかな…。
では、お目汚し失礼しました。
- 383 名前:太 投稿日:2006/10/21(土) 01:24
- >>359さん
レスありがとうございます。
本当に後藤さん何やってんだ、と書きながらずっと思ってました(笑)
>>360さん
大人梨華ちゃんいいですよねー。
後輩の前でお姉さんする彼女が大好きです(笑)
>>361さん
読みたかったですか(笑)
気に入って頂ければ幸いです。
>>362さん
石川さん視点、書くとしたら相当可哀想なことになりそうです。
期待せずにお待ちを。
>>363さん
豆柴10は行けるかどうか分かりませんが(笑)
いしごま熱が続く限りいしごま書き続けますよ!
>>364さん
一応えっちぃ感じかなと思ってsageたんですが、そうでもなかったですね(笑)
自分にエロは無理だな、と実感しました。
- 384 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/10/21(土) 04:52
- 新作ありがとうございます
甘々で雰囲気いいですねぇ
エロは無理じゃないですよ!最高でしたよ!
是非またお願いします
- 385 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/10/21(土) 15:44
- 更新ありがとうございます!
甘いですね〜いしごま
1日中にやけちゃいます
ハロバのDVD見られたんですか?
まだ見てないんですよ…
今から見るのが楽しみで仕方ないです!!
- 386 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/10/22(日) 00:36
- 今日のMフェア凄かったですね
- 387 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/10/22(日) 08:21
- 作者さんのいしごまは甘いのもエロイのも大好きです。
黒い手、石川さん視点マターリ楽しみにしております。
- 388 名前:Liar 投稿日:2006/10/22(日) 13:49
- やばいです…。
マジで文章力すごすぎ…。
甘いのも大好きですが、作者さんの黒いのはもっと好きです!
後藤さんの雰囲気が格好良すぎ!
黒いのに、惚れちゃいます!
私も『黒い手』の石川さん視点が読みたいです。
マターリまってますよ。
- 389 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/10/22(日) 15:51
- ふつう独占欲で黒くなると怖いと言うか気持ち悪い部分が出てくるんですが
太さんのごっちんってどこまでもカッコいいんですよ〜
もう大好きです!
黒い手の梨華ちゃん視点期待して待ってます
- 390 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/10/22(日) 16:32
- ごっちんはひと目惚れ?
2人ともかわいいですねー。
画面から「好き」が溢れてきて、私の部屋までピンク色。
いつもありがとうございます。
- 391 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/11/05(日) 21:51
- 今いちばん動向が気になっているスレといっても過言ではないかもしれない。
作者さん応援してるよ。
- 392 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/11/06(月) 02:55
- 同じく…。
楽しみに待たせてもらってます。
マターリ待ってますよ。
- 393 名前:太 投稿日:2006/11/12(日) 00:20
- まこっちゃん、三好ちゃん、れいにゃ、誕生日おめ!
皆どんどん大きくなるねぇ。
いしごまいきます。後藤視点。
- 394 名前:惚れた弱み 投稿日:2006/11/12(日) 00:21
-
ソファに座って梨華ちゃんが淹れてくれた紅茶を一口飲んだ。
自分で淹れるのよりもちょっとだけ甘いそれは、梨華ちゃんちの味で、私は好きだった。
散らかった生活感丸出しの部屋も、私が来ないと(ほぼ)空っぽの冷蔵庫も、
それが梨華ちゃんのってだけで、何だか好きになれる。
そんな自分の脳みそは、かなりやばいと自分でも思うんだけど、こればっかりはどうにもならない。
なんて言うの?
惚れた弱みってやつ。
隣にいるだけでかなりの確率で緩んでる自分の頬も。
上目遣いで「ごめんね」って言われたら、どんなに怒ってても、
「…いいよ、別に」って言って許しちゃうのも、惚れた弱み。自分の努力だけではどうにもなんない。
(てか、上目遣い+「ごめんね」とか最強コンボじゃん。怒り続けるの無理。ぜったい無理)
でもまあ、一番の問題は、そんな自分も別にいいじゃんって思ってるコトなんだけど。
だから、こうやって梨華ちゃんの部屋のソファの上で、
何ともなしに紅茶を飲んでる時間も結構好きなわけで。
- 395 名前:惚れた弱み 投稿日:2006/11/12(日) 00:22
-
口をつけてた甘い紅茶の入ったカップをテーブルの上にかちゃりと置いて、
ちらりと斜め下を見やると、梨華ちゃんの頭が視界に入った。
うん。だから、彼女の旋毛が見えるこの定位置で、会話もなしに彼女と過ごす時間も好き。
……なんだけど。
今は正直、ちょっと、あの。
そんな好きじゃないかもしんない。
「りーかちゃん…」
ぽそりと梨華ちゃんの後頭部に言葉を投げてみたけれど、
彼女は真っ直ぐ前を向いたままぴくりともしない。
はふ、と溜め息を吐いて、彼女の視線を追って前に目をやると、
テレビ画面に映った栗色の髪の毛をした女の姿に行き着く。
胸元がざっくりあいた衣装を身に纏い歌うその人は…。…いや、私なんだけどさ、あれ。
さっきからずっとこうだ。
久しぶりの梨華ちゃんちお泊りついでに、新曲のPVを持ってきた。
梨華ちゃん、まだ見たことないって言ってたから。
夕食を終えて、食後の紅茶で一息ついてたら、彼女がそれを取り出してDVDプレイヤーにセット。
自分の映ってるPVとか客観的に見るのは何だか気恥ずかしくて。
ましてや隣に梨華ちゃんが一緒ってのは恥ずかしいどころの話じゃないから、
私が帰ってから見てよって止めたんだけど、彼女はそんなの一切取り合わず、再生。
- 396 名前:惚れた弱み 投稿日:2006/11/12(日) 00:23
-
それからずっと、彼女は画面に映る私を見てる。
話しかけてもさっきみたいにシカト。総シカト。これでもかってくらいシカト。
うん。いいよ、もう。
もうこの際、自分のPVを梨華ちゃんと一緒に見る恥ずかしさも置いとくよ。
でもね、シカトとかってどうなのよ。
返事してよ。こっち見てよ。
てか、そんなの見なくても本人ここにいんじゃん。
口には出さないけどさぁ。…恥ずかしいから。
でも。
(でも、寂しいなぁ…)
せっかく二人きりなのにさ。
ねえ、ちょっと。こんな風に過ごすの何日ぶりか分かってる?
確実に両手の指じゃ足んないよ。ねえ。
ねえ、梨華ちゃん。
悶々とそんな事を考えて、もう一度名前を呼ぼうかどうかソファの上で迷ってると、PVが終わった。
思わず身を乗り出す。だって、これで梨華ちゃんもこっちを向いてくれると思ったから。
だけど、その予想は外れた。
彼女がリモコンを弄ると、テレビはぷつりと鳴いて、その動作を止めた。
真っ黒になった画面。だけど梨華ちゃんは一向にこっちを向いてくれなくて。
私の位置からは相変わらず、彼女の後頭部しか見えない。
いつもなら、PVを見たら感想の一つでも聞かせてくれるのに。
今日は黒い画面を見つめたまま一言も喋らなくて、何だか、梨華ちゃんはいつもと雰囲気が違った。
何だろう。ぴりぴりしてるような、怒っているような、そんな感じ。
- 397 名前:惚れた弱み 投稿日:2006/11/12(日) 00:23
-
私は微動だにしない彼女の後頭部を見つめながら、
今日、梨華ちゃんに会ってからの自分の行動について思考を巡らせた。
けれど、怒らせるようなことをした心当たりは全く無い。
それに、梨華ちゃんご飯の時は普通だったし。
考えたけれど分からなくて、私は梨華ちゃんに声をかけるべく口を開いて、
「梨華ちゃ…」
「えっちぃ」
高い声に不釣合いな内容の言葉を聞きとめて、私は自分の耳を疑った。
突然で上手い切り返しもできない。
「へえ…」って、口からは言葉にもならない間抜けな声が零れた。
えっちぃって言った、…よね?今。
なんで、どうして。
梨華ちゃんそんな言葉を呟くようなキャラじゃないじゃん。
てか、今の言葉、私が言われた…?
まとまらない思考。私、相当動揺してる。
だって、かける言葉が見つからない。
- 398 名前:惚れた弱み 投稿日:2006/11/12(日) 00:24
-
「えと」とか「あの」とか言ってたら、梨華ちゃんがこっちを向いた。
ずっと望んでた彼女の行動に、心が頭とは別のところで勝手に浮かれて、
今までの思考を全て放り出しそうになったけど、振り向いた彼女の眉間に寄った皺を見とめて、慌てて手繰り寄せた。
「な、なに?どうしたの梨華ちゃん」
上擦ってしまった声。
梨華ちゃんの眉間に刻まれた皺が更に深くなった。
それは、分からないの?って私を責めてるようで。
何も悪いことはしてないのに、冷や汗が背中を伝って、変な緊張で体が固くなった。
彼女が無言でテレビを指差す。
その指先を追って視線をやってみたけど、
当然ながらそこには真っ黒な画面があるだけ。
「…PV、」
ぽつりと呟かれた言葉。
私は慌ててその声の方にテレビにやってた顔を向けた。
半分ぐらい睨みつけるような視線にぶつかる。
その唇が不機嫌さを表すように尖ってた。
「PV、えっちかった」
…あ、ああ。PVね。うんまあ、あれはね。
結構そういうの狙ってるから。
てか、えっと。
それが感想なわけ?
刻まれた皺をそのままに、むっつりと言い放った梨華ちゃんの言葉で、
「えっちぃ」の理由は理解することができて、ひとまずほっと息を吐いた。
- 399 名前:惚れた弱み 投稿日:2006/11/12(日) 00:25
-
けれど。
安心の代わりにふつふつと別の湧き上がってくる感情。
コイビト放っぽいて、テレビに齧りついて。
一言目が、それ?
それってなんか。
何か、ヤダ。
「…なにそれー」
むっとした気持ちを隠すことなく声に乗せる。
「てかさ、えっちぃって何よ、その言い方」
「えっちぃのはえっちぃんじゃん」
「他に言い方あるでしょ。セクシーとか色っぽいとかさ」
この感情の原因は正確にはそこじゃないけど、
梨華ちゃんに対して文句の一つでも言わなきゃ気が済まなくて私は言葉を続ける。
だって、ホントの原因を口に出すのはちょっと情けないし、恥ずかしい。
「てか、梨華ちゃんだってこういうPVとか衣装とかいっぱいしてるじゃん」
「お仕事だもんっ」
「…ごとーだって仕事だよ」
はあって溜め息吐きつつ言い放つと、彼女がぎゅうと眉根の皺を深くして、唇を真一文字に結んだ。
私を下から見つめる瞳が不安そうにゆらゆら揺れて。…違う。
涙の薄い膜が張って、部屋の照明に照らされて揺れてるんだ。
そう気付いて、私はまた動揺した。
- 400 名前:惚れた弱み 投稿日:2006/11/12(日) 00:25
-
なに、泣くの?なんで。
私そんな泣かすようなこと言ってないじゃんか。
そもそも梨華ちゃんが何か知んないけど、不機嫌で。
私はただ、一緒にいるのに放って置かれて。だから。その。
心の中で言い訳。
急に怒りが萎んで、居心地が悪くなる。
だけど、見つめられる視線を外すわけにもいかず、梨華ちゃんを見返してたら、
当の本人がふいっと視線を外してテレビの方を向いてしまった。
そのまま俯いて黙ってしまった彼女。その後姿はやっぱりまだ不機嫌なオーラに包まれてて。
それを見てたら、何だか急に悲しくなった。
完全に萎えた怒りの代わりに孤独感が私を包む。
せっかく二人きりなのに。久しぶりの時間なのに。
すごく、楽しみにしてたのに。
二人きりの時に見る梨華ちゃんの後姿は好きじゃない。
拒絶されてるみたいで、突き放されてるみたいで、嫌だ。
「…なに怒ってんの?」
そろそろと後姿に投げる。
自分でもびっくりするぐらい情けない声が出た。
「……怒ってないもん」
返事があったことに心の中だけでほっとして。
私は気を取り直して、斜め下に見える梨華ちゃんの頭へ少しだけ近づいた。
- 401 名前:惚れた弱み 投稿日:2006/11/12(日) 00:27
-
「怒ってるじゃんか」
「……違うもん」
「あのPV、そんなに…気に入らなかった?」
「違うよっ…!」
刺々しくならないように慎重に声音を調節しながら言った言葉に、
叫びながら勢い良くこっちを振り向いた梨華ちゃん。
予想以上の大きな反応に、私は近づいた分の距離を元に戻す。
「違うよ、ごっちん。あの…」
勢いが見る間に落ちていって、梨華ちゃんはもごもごと口篭ってしまう。
俯いて、視線を泳がせて。
「気に入らないとか、そういうんじゃないの」
歯切れ悪くそう言った。
じゃあ、何で?分かんないよ。
梨華ちゃんはどうしてあんなに不機嫌だったの。
「じゃあ、なんで怒ってたの?」
私の言葉に梨華ちゃんは俯かせてた顔を上げて、
眉尻をふにゃりと情けなく下げた。
「怒ってたんじゃないよぅ…」
そう呟いてゆらゆら視線を泳がせる。
何かを必死で考えるように暫くそうして私を見つめた。
その瞳からはさっきまでの力強さは感じない。弱々しく私を映す。
- 402 名前:惚れた弱み 投稿日:2006/11/12(日) 00:28
-
「……綺麗だったよ、PV。見惚れちゃったもん」
八の字眉毛の梨華ちゃんの言葉に少なからず心が躍ったけれど、
続いた言葉に、私は緩みそうになる頬を引き締めた。
「…だけどね」
ぽつりとそれだけ呟いて、彼女はその先を言い淀む。
益々下がる彼女の眉尻。
梨華ちゃんは、一度目を伏せて、上げた。
「笑わない…?」
何かとても重大な秘密を打ち明けるような目でこっち見上げてくるから、
私は居心地が悪くなって、ソファの上で身じろいで、こくりと頷いてみせると、彼女は、もう一度目を伏せて。
今度はゆっくりと、視線を上げた。
「あのPV、えっちぃけど、綺麗だと思うよ?
けど、けどさ、」
梨華ちゃんはそこまで言って、唇を結んだ。
「…けど、あれ、売ってるんでしょ…?」
………。
…………ん?
えと、売ってる、けど。
そのために作ったんだし。
「売ってる、…と思うけど」
困惑しながらも応えると、梨華ちゃんが私を見つめ返す。
すごく悲しそうなその視線を、私はどう解釈すればいいの。
- 403 名前:惚れた弱み 投稿日:2006/11/12(日) 00:29
-
「…それって、テレビでも流れるんでしょ…?」
「……うん」
梨華ちゃんはまた唇を結んで俯いてしまう。
彼女の膝の上に置かれた拳がぎゅっと握られたのが見えた。
何か、言ってはいけないことを言ってしまったのだろうか。
言い知れぬ不安が胸を過ぎる。
梨華ちゃんの顔が見えない。どんな表情をしてるのか、分からない。
「…梨華ちゃん…?」
呼びかけると、彼女が「あの、」って小さく声を上げた。
どんな音も聞き逃さないように、私は全神経を梨華ちゃんに集中させる。
「それって、いろんな人が見るじゃない」
「ああいう、何て言うか、ああいうごっちんが色んな人に見られるのって、なんか…」
「…なんか、嫌で」
ぽそぽそと床に向かって呟く彼女を見ながら、
その口から出てきた言葉を頭の中で反芻して。
私は心の中から湧き上がる気持ちを自覚した。
- 404 名前:惚れた弱み 投稿日:2006/11/12(日) 00:30
-
ずくりずくりと心が疼く。
痛い。痛いよ、梨華ちゃん。
それで。それで、すごく。
――――甘い。
甘い痛みが、心を揺らす。
やばい。
頬が緩んできた。
だって、それって。
「……梨華ちゃんヤキモチ妬いてるー」
「なっ…!」
ばっと顔を上げた梨華ちゃん。視線が絡む。
私の顔を見とめた彼女は、可哀想なくらい真っ赤になって、眉尻が面白いように下がって。
その反応が更に私の頬の筋肉を緩めてく。
でも、だって。
梨華ちゃんヤキモチ妬いてるんだもん。
テレビ画面の向こう側の人達に対して。
私を、見せたくないって、駄々こねてる。
滅多に見せない彼女の独占欲は、私の心を躍らせるには十分で。
くふふって自分でも気色悪いなって思う笑い声が漏れた。
それを聞き止めたらしい梨華ちゃんが私を睨んだ。
- 405 名前:惚れた弱み 投稿日:2006/11/12(日) 00:31
-
「…妬いてるよ。妬いちゃ悪い?」
「悪くない」
彼女の視線を真正面から受け止めると、彼女はちょっとだけ怯んだように顎を引いた。
ぽんぽんとソファの私の隣を叩いて、こっちに来てってジェスチャーすると、
梨華ちゃんはその手と私の顔を交互に見て、への字口のまま渋々と上がってきた。
「何よ」
不貞腐れた表情で隣に座った梨華ちゃん。
その視線は私じゃなくて、テレビに向かってる。
だけど、さっきみたいな怒りは湧いてこない。今は彼女の視線の理由が分かってるから。
だってほら。ここから見える横顔が、頬が、ほんのり赤い。
…そういう反応が私の頬の筋肉を更に緩めてるなんて彼女はきっと知らない。
「梨華ちゃん」
くふふと緩んだ自分の頬を直す努力もせずに彼女の名前を呼ぶ。
その声も頬と同じぐらい緩んでた。
「りーかちゃん」
頑なに振り向こうとしない梨華ちゃん。
桜色の可愛い頬に、ゆっくり顔を近づける。
梨華ちゃんの香りが鼻腔をくすぐって、口付けたい衝動に駆られた。
そして私には今、その衝動を我慢しなきゃならない理由がない。
- 406 名前:惚れた弱み 投稿日:2006/11/12(日) 00:31
-
ソファの上に置かれた彼女の手にそっと指で触れた。
ぴくり、と僅かに動いたそれに、唇の両端がへにゃりとなったのが自分でも分かった。
手の輪郭をなぞるように、ゆるゆると指を這わせて。
ちらりと梨華ちゃんを覗き見ると、赤い頬がもっと赤くなってた。
「ぜんぜん、悪くないよ」
彼女の手を自分ので覆って、柔らかく握り、肩口に額を寄せた。
「でもさ、それってあんまり意味ないと思うんだよね」
梨華ちゃんが肩を揺らす。
その気配で彼女がこっちを見たのが分かった。
「だってさ」
ゆっくりと顔を上げると、予想通りこっちを見てた梨華ちゃんと視線が絡んで。
困惑の色を浮かべる彼女に微笑み返した。
「だって、ごとーは梨華ちゃんしか見てないもん」
梨華ちゃんしか見えてない。
できることなら、梨華ちゃんもそうなってほしいと思うくらいに。
彼女が目を見開いた。
「ごっち…」
「それにね」
言葉尻を奪って、彼女の頬にそっと触れた。
逃げるように身を捩る彼女に更に顔を近づけて。
手で触れてたそこに、今度は、唇で軽く触れると、
梨華ちゃんが「ちょっと、もう。ごっちん」って迷惑そうに払おうと(……可愛くない反応ー)するから。
その手を捕まえて、指を絡ませて握る。
- 407 名前:惚れた弱み 投稿日:2006/11/12(日) 00:32
-
「ごっちん離して」
「それにさ」
梨華ちゃんの声を無視して、唇で撫でるようにするすると頬から上へ滑らせて。
行き着いた耳朶を咥えた。
梨華ちゃんの肩が跳ねる。「ごっちんっ」って焦ったような声。
それを聞きながら心の中でほくそ笑んで、口の中のそれをちろりと舐めて。
ちゅってわざと音をたててキスしてから少しだけ離れる。
鼻先が触れそうな距離で止まって、困惑と羞恥と怒りが一緒くたになったような色を浮かべる瞳を見つめた。
「梨華ちゃんにしか、こんなコトしないから」
意味無いんだよ。
画面の向こうの誰に嫉妬したって、私を…見せたくないって思ったって。
だって、私が見てるのは梨華ちゃんだけで、想ってるのも梨華ちゃんだけで。
こんなコトしたいと思うのも、されたいと思うのも、梨華ちゃんにだけで。
そりゃ、色んな人に会って、色んな人の心に触れると、
ああ、この人いいなぁとか、好きだなぁとか、思っちゃう事はあるけどね。
こんなにも激しく心を揺さぶられるのは梨華ちゃんにだけなんだ。
「言っとくけどさーこんなコト、テレビの向こう側の人にはしないんだからねー」
「ごっちん…」
「梨華ちゃんにだけだよ。こんな大サービスするの。だって―――」
――――あなたが、好きだから。
こつんと額を彼女のそれに寄せて目を閉じた。
私のじゃない体温がそこから伝わってきて、ほんのり心が熱を持つ。
肩にそっと添えられる梨華ちゃんの手の感触を感じて、うっすら瞼を押し上げた。
- 408 名前:惚れた弱み 投稿日:2006/11/12(日) 00:32
-
「…もーさぁ、可愛いなぁ梨華ちゃんは」
「何よぅ。だって、……嫌だったんだもん」
「んはは、ごとー愛されてるー」
「そりゃ、」
どうしたの。今夜は妙に素直だね。
そんな梨華ちゃんも、もちろん好きだけど、
「愛しちゃってますから」
だけどさ、心の準備もしてない状態で、
そんな言葉を聞いちゃうと、心が、止まらなくなる。
ずくりと震えたココロから伝わる甘い痛みに、私はすぐに耐えられなくなって。
うっすらと開けてた瞼を下ろして、何も言わずに梨華ちゃんにキスをした。
少しだけ抵抗した彼女は、でも、すぐに大人しくなって。
私は彼女の唇の感触を味わった。
柔らかくて、すごく甘いそれは、いつだって私は夢中にさせる。
下でなぞって、下唇をちょこっとだけ噛んで、唇を離した。
目を開けると、上気した梨華ちゃんの顔。
酔ったようにとろとろした目は幼くて、だけど色っぽい。
こんな彼女の表情を見れるのは今は私だけで。
それと同じように、梨華ちゃんしか知らない私がたくさんある。
テレビの向こう側の人には見せない、もしかしたら私自身でさえ知らない私を、
見ることができるのは、梨華ちゃん、だけ。
- 409 名前:惚れた弱み 投稿日:2006/11/12(日) 00:33
-
「もう。急に…」
「たまにはいいでしょ」
「……たまにならね」
文句を言う唇に視線を落とす。
赤くなったそれは妙にやらしくて。
湧き上がるこの気持ちは、性欲ってより食欲に近い。
でも、本気で噛んだりしたら怒られそうだ。
「……梨華ちゃんしか知らないごとー、見せてあげよっか?」
ふと思いついたように言った言葉。
ベッドへのお誘いのつもりだったんだけど、梨華ちゃんの瞳がきらりと光った。
「うん」
短い返事はさっきまでの雰囲気とは明らかに違う空気を孕んでた。
あれ?って思った時にはもう、柔らかく肩を押されてて。
ソファに押し倒された私は、梨華ちゃんの下から彼女を見上げてた。
「……梨華ちゃん?」
おそるおそる名前を呼ぶと、彼女はにやりと笑んだ。
妙に迫力のあるその表情に鼓動が跳ねる。
こんな顔も多分私しか見たことない。
彼女が私の顔の両脇に静かに手をつく。
- 410 名前:惚れた弱み 投稿日:2006/11/12(日) 00:34
-
「私しか知らない真希ちゃん、じっくり、見せてもらおうかな」
表情の迫力に釣り合わない高い声で、エロオヤジみたいな事を言う梨華ちゃんに、
なぜだかおかしくなって、ふはって噴出してしまった。
「何で笑うのよー」
「いや、今日は積極的だなぁと思って」
「なによ。こういうの嫌い?」
一転して自信なさ気に眉尻を下げる梨華ちゃんに苦笑した。
「ううん。好き」
梨華ちゃんの顔に笑みが広がる。
泣き顔も怒ってる顔もさっきみたいな積極的な顔も、もちろん好きだけど、笑顔はもっと好き。
そんな風に思っちゃう私は、自分でも思うけど、相当梨華ちゃんにやられてる。
だって、エロオヤジみたいな発言をする彼女も、梨華ちゃんが梨華ちゃんってだけで好きになれちゃうんだもん。
惚れてるなぁ、この思考はやばいよなぁ。
ゆっくり近づいてくる彼女を見上げて、普段あまり見ない景色に新鮮さを感じながら、そんなことを思った。
でも、その思考を止めようとはしない。止められない。…止めたくない。
……多分これも惚れた弱み。
降ってきた唇を受け止めて、その柔らかさに酔う。
甘いそれを感じながら、さてこれからどうしようかなって心の中で思案した。
このまま彼女に流されるのも悪くないしなぁ。彼女の髪の中に手を差し入れて撫でる。
とりあえず、この気持ち良い感触が離れたら、お風呂にでも誘ってみようかな。
そんな事を思って、私は、体の力をゆっくりと抜いていった。
- 411 名前:惚れた弱み 投稿日:2006/11/12(日) 00:34
-
>>>惚れた弱み
- 412 名前:太 投稿日:2006/11/12(日) 00:35
-
うちの後藤さんは石川さんにやきもち妬かれた日には飛んで喜びような気がします。
クールビューティーな後藤さんを目指してるのに…。
新曲PV、後藤さん綺麗に撮られてて眼福眼福w
それよりも美勇伝の新曲が何かすごいことになってたw
では、お目汚し失礼しました。
- 413 名前:太 投稿日:2006/11/12(日) 00:36
- >>384さん
肝心なところは何一つ書いてないへたれエロですがw
あんなのにそんなお言葉をかけてくださって、ありがとうございます。
>>385さん
じ、実はまだ見てません。MC部分だけ見る機会がありまして。
あの二人の掛け合いを見ていたら、いてもたってもいられなくなりましたw
>>386さん
ですね!!後藤さんセクシーすぎですよ。
ロックやんな曲を歌う彼女も良いですが、ああいうのもまた良いですね。
>>387さん
エロいのですかww 頑張ります。
石川さん視点、期待せずにお待ちを。
>>388さん
いえ、そんな、ありがとうございます…!
…あの、実は、飼育でのいしごま書きとして一方的に仲間意識持ってます。
>>389さん
後藤さんかなり最悪なことやらかしてるんですが…w
(*´ Д `)<そんなに褒められると照れるぽ
>>380さん
ピンク…梨華ちゃん色ですねw
その調子で頭の中まで梨華ちゃん色に染まっていただきたいw
>>381さん
>>382さん
レスありがとうございます。
そして、更新遅くて申し訳です。
- 414 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/11/12(日) 02:47
- 更新待ってましたっ!
読んでて顔がニヤニヤしちゃいました
もうホント太さんのいしごまは最高です!!
- 415 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/11/14(火) 02:29
- 更新めっちゃ嬉しいです
いつもいつも最高のいしごまありがとうございます!
今1番作者さんのいしごまとごっちんブログの更新が楽しみです
ほんとに甘い!!
顔にやけまくりですよ
何でこんなに上手く書けるんですか?
またこれの逆のごっちんが嫉妬ってのも見てみたいな
書くネタがない時は是非書いてください(笑)
- 416 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/12/06(水) 23:36
- 世界バレーで、久しぶりにいっしょにいるいしごまを見ました。
ちょっと幸せです。
- 417 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/12/07(木) 23:41
- 世界バレーで抱き合ってましたねー
ブログでも2ショットあったし
やっぱいしごま最高ですね
- 418 名前:名無し飼育さん 投稿日:2006/12/27(水) 18:40
- 顔が緩みっぱなしでした。
作者さんの話ホントに大好きです!!
応援してます!!
- 419 名前:名無し飼育さん 投稿日:2006/12/27(水) 18:41
- すいません!!挙げてしまいました!
- 420 名前:太 投稿日:2006/12/28(木) 17:48
-
今更ながらクリスマスネタ。
リアルいしごま石川視点。
- 421 名前:仲直りの仕方 投稿日:2006/12/28(木) 17:49
-
あの日、あの状況で、あんな場所で、…あんな気持ちの中、彼女と出くわしてしまったのは、
運が悪かったと言うべきなのか、良かったと言うべきなのか。
まあ、誤算だったことには違いないのだけれど。
- 422 名前:仲直りの仕方 投稿日:2006/12/28(木) 17:49
-
12月の半ば、あと数日でクリスマスだという時期に、ごっちんと喧嘩をした。
いや、今(冷静に)考えれば、あれは喧嘩とは言わないのかもしれないけど。
この時期(と言うかクリスマスに)二人きりで会えないのは毎年のことで、
それは、そういうイベントのある日に限ったことじゃない。
平日だろうが、祝日だろうが、ごっちんと会うことはままならない。
私にも彼女にも仕事がある。
そんなこと嫌と言うほど分かってるから、会いたいとか、寂しいとか、あまり言わないようにしてた。
けれど。
でも、やっぱり。
本音を言えば、会えない日が続くと会いたくなるし、泣きたくなるほど寂しくなることもあった。
そういうのを埋めるように誤魔化すように、電話やメールで毎日のように彼女の声を聞いてた。
だけど、声だけじゃ寂しさを完全に埋めるなんて無理で。
会いたいって気持ちも、一時的には誤魔化せても、すぐにそれ以上の衝動が私の胸を締め付けた。
- 423 名前:仲直りの仕方 投稿日:2006/12/28(木) 17:49
-
それ(喧嘩とは言えないようなもの)が起こったのは、そんな感情がどうしようもなく心に積もっていた時で。
私は深夜近くにケータイ越しに彼女のちょっとだけ掠れた声を聞いていた。
仕事の話、最近買った服のこと、音楽のこと、友達のこと。
他愛のない世間話の中で、数日後に控えたクリスマスのことに話題が及んだのは、
決して不思議なことじゃなかったと思う。
「もうすぐクリスマスだね」
そんな風に切り出したのは確か私だった。
仕事の帰りのタクシーから見えた駅前のイルミネーションがすごく綺麗だった、とか、そんなようなことを話した気がする。
けれど、そんな話しをする傍ら、日本中の恋人が浮かれるその日に、お互い仕事があることは把握していて、
つまりそれは、その特別な日に二人で会うことができる可能性は(今年も)ほとんどないってことも分かってた。
「あー、そういや、うちの近所の家もなんかキラキラしてた」
電話越しの彼女は、ただ目にした事実を言葉にしたって感じで、特に感慨も無さげにそう言った。
「すごいよねぇ。ああいうの見てるとさ、日本中が浮かれてるみたいじゃない」
「クリスマスの本当の意味とかもう関係なくなってるね、あれは」
「でも、ちょっと羨ましいなぁ」
ぽろりと出てしまった言葉。
その意味を一瞬遅れて自覚して、続けて零れそうになった言葉を慌てて飲み込んだ。
だって、それは今言う事じゃない。
(――― そんな風に、大事な人と一緒に過ごせるなんて。羨ましい。)
そんな言葉、どうにもならない願望を込めたそんなのは、彼女に、聞かせるべきじゃない。
- 424 名前:仲直りの仕方 投稿日:2006/12/28(木) 17:50
-
わがままは言いたくなかった。
八ヶ月だけと言っても私は彼女より年上なんだし、そんな事を言ってごっちんを困らせるようなことはしたくない。
でも、本当は、本当の理由はそういうことじゃない。
困らせたくないってのいうも確かにあるんだけど、本当の理由は違うところにあった。
会えない。寂しい。寂しい。
ねえ、ごっちん?
あなたに、会いたい。
そんな言葉で胸は溢れてて、もう、心は、許容量いっぱいになってて。
こんな状況で、素直にそれを言葉にしてしまったら、私は。
多分、私は、歯止めがきかなくなる。
だから、言わない。言えない。
「え?」
ケータイからごっちんの間の抜けた声が聞こえて。
私は、慌てて「クリスマスは会えないから、私たち」と、できる限り何でもない風に言ってその場を取り繕う。
そしたら、ごっちんは「ああ」って呟いて。
「ま、仕事だからね」
って、言った。
何も感じさせないような声で。いつも通りの口調で。
いつも通りの ―――。
どくり、と心臓が鳴った。
(ごっちんは、)
ごっちんは、何とも思ってないんだ。
クリスマスに会えないことを何とも思ってないんだ。
私と会えなくても、何とも。
頭に、かぁっと血が上る感覚がした。
- 425 名前:仲直りの仕方 投稿日:2006/12/28(木) 17:50
-
「…それだけ?」
「んぅ?」
間が悪かった。
言い訳をするつもりじゃないけど、その時の私は、寂しくて、寂しくて、
どうしようもなくごっちんに会いたくて。
だから、そのごっちんの、そんないつもと変わらない普通の声音が、
大好きなはずのその声が、どうしても、許せなかった。
「ごっちんは、ごっちんは何とも思ってないんだ」
「梨華ちゃん?」
「私と会えなくても平気なんだ」
「…え、何言って…」
「寂しくないんだ」
一度零れ出てしまった言葉は、止められなかった。
「私は、ごっちんに会いたいのに。
クリスマスだって、そうじゃない日だって、ごっちんに会いたいのに」
「…りかちゃ」
「ごっちんは、何とも思ってないんだ!」
「……」
ケータイの向こう側の彼女が押し黙ったと思ったら、はあ、と溜息が聞こえてきて。
心の中がぐしゃりとかき回されたような感覚になった。
「…あのさぁ、梨華ちゃん。うちら今年けっこー会ってると思うんだけど。
仕事とか、一緒のこと多かったじゃん」
呆れたようにそう言われて。
ずくりと心臓が騒ぎ出す。
- 426 名前:仲直りの仕方 投稿日:2006/12/28(木) 17:51
-
確かに、今年はいつもに比べて彼女との仕事は多かった。
多かったよ。多かったけど。でも。
違うよ。仕事じゃなくて、二人で、私はごっちんと二人で。
バレンタインも誕生日も、そうじゃない日だって、私は。
頭の中は、そんな言葉でぐちゃぐちゃになってて。
「そうじゃないよ!」
気付いた時には、叫んでた。
「もう知らない、ごっちんのバカ!!」
言うが早いか一方的に通話を断ち切って。
電源もオフにして、怒りに任せてケータイをベッドの上に投げつけた。
何も言わなくなったケータイはぽんぽんと飛び跳ねて、ぱさりと掛け布団に埋まってしまった。
その掛け布団の埋まった部分を見つめていたら、段々と頭に上った血が引いていって。
それにつれて、押し寄せてきたのは後悔。
ごっちんの言う事が正しい。
あんな事を言って、私は、駄々を捏ねてただけだ。
私と同じように、ごっちんが私と会えなくて寂しいと思ってくれない事が気に入らないと、子供みたいに。
……最悪。
ばさり、と布団の中に潜り込んだ。
頭まですっぽりと、何も聞こえないように。
その拍子に掛け布団に埋まってたケータイが床に落ちて、ごん、と嫌な音を立てた。
- 427 名前:仲直りの仕方 投稿日:2006/12/28(木) 17:51
-
***
それから一週間、私はごっちんの声を聞いていない。
聞く機会はなくはなかった。
会うことは今までと同じで、仕事があってできなかったけれど、
あれから、毎日のように彼女から着信が来ていたから。
聞こうと思えば聞けた。
だけど、私は、年上のくせにあんなことを言ってしまった手前、その着信を素直に取ることができなくて。
それに、彼女に幻滅されていることは明白だったから、もしかしたら彼女は、
もう私の事なんて嫌になったかもしれないって、マイナスな方にばかり考えが及んで。
自業自得だ。
そう頭では分かってても、謝らなければならないのは私だと自覚していても、
私は彼女の着信に答えることができなかった。
私は、怖かった。
- 428 名前:仲直りの仕方 投稿日:2006/12/28(木) 17:51
-
***
鞄がぶるぶる震えているのに気が付いて、私はその中に手を突っ込んだ。
がさがさとかき回すと、目当てのモノはすぐに見つかった。
バイブで着信を報せてるケータイを取り出して、ぱかりと開いたディスプレイには、一週間声を聞いてない彼女の名前。
私は思わず立ち止まってしまった。
「石川さん?」
前からかけられた声に、はっとして顔を上げると、そこには私を見つめる二対の瞳。
一緒に会社に打ち合わせに来ていた三好ちゃんと岡田ちゃんがそろって不思議そうな表情をしてた。
「どうしました?」
右側に立ってる三好ちゃんが首をちょこんと傾げて、
「何か顔色悪いですよ?」
「気分でも悪いですか?」って心配そうに聞いてきて。
…そんなに酷い顔をしていたのかな、私。
慌てて、取り繕うように顔に笑みを乗せる。
「ううん。大丈夫だよ」
彼女の声を聞きたい。きちんと謝って今までみたいな関係でいたい。
どうしてあんなことを言ってしまったんだろう。
何で私は、子供みたいな我侭で彼女を困らせるようなことをしちゃったんだ。
後悔は後から後から、絶えることなく押し寄せてくるけど、それは今考えることじゃない。
自分にそう言い聞かせて、心配顔の二人を促し、会社の廊下を歩き出した。
- 429 名前:仲直りの仕方 投稿日:2006/12/28(木) 17:52
-
エレベーターを目指して歩いてると、私の少し前を歩いてた岡田ちゃんがぱたりと足を止めた。
続くように三好ちゃんと私も足を止めて、岡田ちゃんへ視線を向けると、彼女は真っ直ぐに前を見つめた。
「…唯ちゃん?どうし ――」
三好ちゃんの言葉を遮るように、岡田ちゃんがすいっと腕を上げて、
「後藤さんだ」
そう、言った。
(ごとう、さん…?)
どくん、と鼓動が跳ねる。
「あー、本当だ。後藤さんも打ち合わせだったのかな?」
岡田ちゃんの腕の先に視線をやった三好ちゃんが嬉しそうな声をあげた。
それに岡田ちゃんが答えて、私の耳に弾んだ二人の声が聞こえてくる。
どくり、どくり。
心臓が今までとは比べ物にならないくらい大きく鳴って。
二人の会話を聞きながら、私は、顔を上げられなかった。
ごっちんが、いる。すぐそこに。
多分、すぐ声の聞ける距離に。
顔が見たい。声が聞きたい。
ごっちんに、触れたい。
彼女に謝りたいと思ってた。
けど、こんな場所で、こんな何の心の準備もしてない時に。
ざわざわと騒ぐ胸。
私は手をぎゅうと握り締めた。
- 430 名前:仲直りの仕方 投稿日:2006/12/28(木) 17:52
-
――― ダメだ。
今は、ダメ。
今会ってしまったら、私はまた失敗をしそうだから。
ぐっと奥歯を噛み締めて、私はこの場を離れるために三好ちゃんと岡田ちゃんに声をかけようと、
ごっちんを見ないように注意しながら、顔を上げた。
「ねぇ、三好ちゃ ――」
「ごとーさーん」
「!」
岡田ちゃんの上げた声に、私は思わず視線を岡田ちゃんに向けた。
その拍子に“彼女”の姿が視界を掠めて、私の視線は意識とは関係なく、その姿を追っていて。
――― ごっちんは、こっちを見ていた。
視線がぶつかる。
黒目がちな彼女の瞳が私を射抜く。
何週間ぶりかに見る彼女は、何も変わってなくて。
涙が出そうなくらいいつものままで。
鼓動が早まる。
手が、震えた。
どうしよう。
目を、逸らせない。
- 431 名前:仲直りの仕方 投稿日:2006/12/28(木) 17:53
-
彼女は、隣にいたマネージャーさんに何事か言って、こっちへ向かって歩きだした。
交わる瞳からは何の感情も読み取れなくて。
おかしいくらいに無表情な彼女は、どんどんこっちに近づいてくる。
鼓動が早鐘を打って、逃げ出したい衝動にかられた。
一歩後ずさって、視線を逸らす。
無意識に、私は、隣にいた三好ちゃんの腕を縋るように抱きしめてた。
「…?石川さん?」
不思議そうな三好ちゃんの声。それに答える余裕はなかった。
混乱する。自分の心臓の音がやけに大きく響いた。
早く、ここから、逃げなければ。
そればかりが頭を占めて。
手首に何かが触れた。
その部分を見ると、自分のじゃない、白い手。
その手の持ち主は確認しなくても分かる。
この熱を私は嫌と言うほど知ってるから。
どくどくと血が流れる音が体中に響きわたる。
「梨華ちゃん」
「……っ…」
久しぶりに聞く彼女の声で名前を呼ばれて、変わらないその響きが心を締め付けた。
- 432 名前:仲直りの仕方 投稿日:2006/12/28(木) 17:53
-
壊れたように動く心臓。
意識せず上がる体温。
私は浅く息を吐き出した。
どうしよう。涙が、出そう。
「…梨華ちゃん」
彼女の手に力が入った。引き寄せられるように動いたそれに、私は首を左右に振って拒否をする。
けれど、そんなのに構うことなく力を入れて、ごっちんは三好ちゃんから私を引き離した。
「…ごめん、三好ちゃん。ちょっとリーダー借りるよ」
言うが早いか、ごっちんが歩き出した。
手を彼女に捕まったままの私は彼女に続くしかなくて。
狼狽する後輩二人に「すぐ戻るから」と振り向きもせずに彼女は言った。
- 433 名前:仲直りの仕方 投稿日:2006/12/28(木) 17:53
-
***
されるがままに連れてこられたのは、会社のトイレだった。
そのまま一番奥の個室に押し込まれて、彼女が鍵をかけるのを見ながら、
そういえば前にもこんなことがあったな、と酷く場違いなことを頭の片隅で思ってた。
鍵をかけ終えたごっちんが振り向いて、とん、と私の顔の両側に手をつく。
どうやら、あの時のようにいきなりキスはされないみたい。
だけど。
視線が交わる。
彼女の目はさっきとは違い、苦しそうに歪んでた。
――― まるで、あの時みたいに。
「…どういうこと?」
何かを必死に堪えてるような声音に、ぞくりと、背中を何かが這った。
「な、に…」
「あの時の電話。
それと、ぜんぜん返ってこないメールと、一度も出てくれない電話のこと」
私の言葉を遮るようにそう言ったごっちんは、ぎゅう、と眉根を寄せた。
そんな表情さえ様になってて。
ここから早く逃げ出したいのに、久しぶりに感じる彼女に心が馬鹿みたいに喜んでた。
できることなら、今すぐに彼女に触れたい、そんな風に思ってしまうくらいに。
何を言えばいいのか、もう分からない。
頭の機能が彼女の存在に全部麻痺させられたみたいに上手く働かない。
- 434 名前:仲直りの仕方 投稿日:2006/12/28(木) 17:54
-
私をじっと見つめてたごっちんが、少しだけ顔を下げた。
その拍子に彼女の栗色の髪の毛が揺れて。
ふわりと彼女の香水の香りがして。
心が震える。
涙が出そうだ。
喉の奥が引きつって、言葉が上手く出てこない。
「……寂しくない?」
「え…」
「会えなくても、平気?」
「……」
それが、一週間前の私の言葉をなぞっているのだと気づいて、口を噤んだ。
ごっちんが顔を上げた。
その表情が、今にも泣き出しそうな子供みたいで。
胸が締め付けられる。
「っ……寂しくないわけないじゃん!」
ごっちんが声を荒げて、私は、びくりと肩を竦めた。
綺麗に整えられた彼女の眉が歪んでいく。
「寂しくないわけ、ないじゃんか…。
ごとーだって、ごとーだって…!」
- 435 名前:仲直りの仕方 投稿日:2006/12/28(木) 17:54
-
必死にその先を伝えようとしているような彼女の声は最後の方は掠れてた。
両脇の彼女の手がぎゅうと握り込まれて、その肩は微かに震えてて。
「……会えない日は寂しいよ。会いたいって思うよ。
クリスマスだって、梨華ちゃんといたいに決まってるじゃん」
ああ。
ねえ、ごっちん。
言葉が、出ない。
こんな風に、ごっちんの本音を聞けるなんて思ってなかった。
ごっちんは私みたいに寂しいなんて感じてないなんて、
そんなこと思ってないわけじゃなかったけど、
こんな風に言葉にしてくれるなんて思ってなかった。
こんな状況なのに、胸に広がるこの感情。
それが、喜びだと言ったら、ごっちんは怒るかな。
でも、私は今、泣いちゃいそうなくらい嬉しい。
滅多に聞けないあなたの本音が、嬉しくて仕方がないの。
泣きそうな顔で私を見つめるあなたが愛しくて堪らない。
ごめんね。私、最低だ。
ごっちんは、言い終えると、額を私の肩に押し当てた。
「……寂しいよぅ…」
酷く掠れた声でそう言われて、上昇していく体温と早く大きくなる鼓動。
何かに突き動かされるように、気が付いたら私は、彼女の背中に腕を回してた。
- 436 名前:仲直りの仕方 投稿日:2006/12/28(木) 17:55
-
「…真希ちゃん」
久しぶりに口にするその名前を呼ぶだけで、心が満たされていく。
我ながら、なんておめでたい思考回路なんだろう。
私に寄りかかってた体がぴくりと震えて、彼女が私の肩から顔を上げた。
ぶつかる視線。泣き出しそうに歪む彼女の表情の中に不思議そうな色が追加されてた。
きょとんとする彼女はちょっと間抜で、可愛い。
でも多分、私もそう変わりはしないだろうな、と思ったら、妙におかしくなって。
顔中にへにゃりと笑みが広がるのを感じた。…上手く笑えてるかは分からないけど。
「真希ちゃん」
もう一度呼ぶと、きょとんとしてた彼女の表情が徐々に解けてく。
眉根を寄せたまま、彼女はふにゃりと笑った。
「久しぶりに聞いた…。梨華ちゃんの、声」
ごっちんは、ずるずるとまた私の肩口に額を寄せた。
「良かった…」
ぽそりとそう呟いた彼女の間近に見える栗色の髪に頬を擦り付けて、右手でその髪を梳く。
久しぶりの感触にまた涙が出そうになった。
「…もう梨華ちゃんの声聞けないかと思った」
安心したような声音に胸が熱くなって、私は、ぎゅうと彼女の体を抱きしめた。
ああ。
なんで一週間前、私はあんなことを言っちゃったんだろう。
あんなこと言わなければ、ごっちんがこんな声出すこともなかったのに。
やっぱり私は馬鹿だ。
- 437 名前:仲直りの仕方 投稿日:2006/12/28(木) 17:55
-
「聞けないわけないじゃん。そんなこと絶対ないから」
自分の声に自信はあまりないけれど、ごっちんが望むなら私はいつだって聞かせてあげる。
「…うん。梨華ちゃん…ごめんね?」
「え?」
「ちゃんと寂しいの気づいてあげられなくて、ごめんね」
ごっちんが謝ることなんて何もないのに。
むしろ謝らなければならないのは私の方で。
ごっちんは、あの電話の時から間違ったことは何も言っていない。
謝るべきは、我侭を言って駄々を捏ねて、あの場の感情だけであんなことを言った私。
「ごっちんが謝ることじゃないよ。私が…っ」
「ううん。謝るとこだよ」
彼女はそう言って、ふるふると頭を振った。
「ごとーもちゃんと自分の気持ち言ってれば良かったんだ。
意地張って、かっこつけてさ。ガキみたいなことしてた」
ごっちんは、よく自分の事をガキとか子供っぽいとか言うけど、そんなことない。
こんな風にきちんと相手に向き合って謝れる彼女は、私なんかよりずっと大人だ。
「…私もごめん。あんな我侭言って困らせて」
「…ん」
短い答え。だけど心は満たされてて。
私は、彼女を抱きしめる腕に力を入れた。
ごっちんがぐりぐりと額を寄せてた肩に頬を擦り付けてきて。
彼女の柔らかい髪が頬に当たってくすぐったい。
- 438 名前:仲直りの仕方 投稿日:2006/12/28(木) 17:56
-
「ちょ、ごっちん、くすぐった―――」
「うー。よかったぁ」
さっきと同じ台詞に、私は彼女へ視線をやる。
見えるのは栗色の髪とその間からちょこんと顔を出す耳だけだけど。
「ケータイ出てくれないの、ほんと焦ったんだからね」
「あ…。それは、…ごめんね」
「んはは。このまま終わっちゃうのかなぁって一瞬考えたね、あれは」
「う…」
明るく言い放つ彼女。だけど私は返す言葉もない。
多分私も同じ状況に置かれてたら、きっと同じような事を考えてただろうから。
「それに、さっき」
「え?」
「ごとーのこと見つけて、三好ちゃんに抱きついたでしょ」
抱きついたというか、腕をちょっと取っただけなんだけど…。
「あれはちょっとぐさっときたね」
声音は茶化すような響きを持ってるのに、その奥に真剣な何かを感じて取って。
私は首を竦めて謝罪の言葉を述べるために口を開いた。
「ごめ…」
「だからさ」
遮られた「ごめんなさい」は、形にならずに口の中に消えた。
ごっちんが肩から額を離して、ゆっくりと顔を上げる。
私を見つめる黒目がちな瞳。
彼女の頬は少しだけ赤くて。
「だから、仲直りのキスさせて?」
「なっ…!」
めちゃくちゃだ。
「だから」って、何が「だから」なの?
脈絡ないじゃない。いや、あったけど、なんて強引。
だけど今回は、頬と同じ色に染まってる、あなたの可愛い耳に免じて見逃してあげる。
背中に回してた腕をそっと彼女の頬に添えた。
- 439 名前:仲直りの仕方 投稿日:2006/12/28(木) 17:56
-
「…そういうことは、聞かないでよ」
ふにゃりと笑んだごっちんの顔が見えたと思ったら、次の瞬間には唇に柔らかい感触がして。
私はゆっくりと瞼を下ろした。
久しぶりの柔らかさと熱が否応なく私の理性を奪ってく。
何度も角度を変えて深く口付けられて、溶けちゃいそう。
彼女が唇を開放してくれたのは、彼女のキスの癖を私が見つけられなくなった少し後だった。
ちゅっと音を立てて下唇にキスして離れてくごっちん。
私は浅く早く呼吸を繰り返しながら下ろした時と同じスピードで瞼を上げた。
視界に入ってきたのは、熱に浮かされたような目をしたごっちんの顔。
彼女は私と視線が交差したこと見とめると、ふにゃりと笑んだ。
「…久しぶりだったから、ちょっとやばかったかも」
ちょっとどころじゃないよ。
この熱をどうしてくれるの。
あんまり無邪気に笑うもんだから、ちょっとだけ睨んだら、彼女が眉根を寄せた。
心なしかさっきより頬が赤い気がする。
そんなことを思ってたら、ごっちんの頭が、再び私の肩口に降りてきた。
「ごっちん…?」
「今日」
小さく呟かれた言葉。
いつの間にか腰に回されてた彼女の腕に力が入った気がした。
「今日、梨華ちゃんち行くから」
小さく、だけど、はっきりとそう言われて。
その意味することを理解して、私は、体温が上がるのを自覚した。
- 440 名前:仲直りの仕方 投稿日:2006/12/28(木) 17:57
-
「ケーキ持ってくからさ、クリスマスしよ。ちょっと早いけど」
その言葉に、胸が、ふわりと暖かくなる。
彼女の首に腕を絡めて、私は、何度も何度も頷いた。
重なるお互いの胸の奥の心臓の音を感じられるくらい、ぴたり、と抱きつく。
このまま、一つになれればいいのに、なんて馬鹿なことが頭を掠めた。
「んじゃ、今夜のパーティーのために、さっさとお仕事片付けますかぁ」
からりと明るく言い放つ彼女の言葉に少しだけ笑ってしまった。
それから私たちは唇を軽く触れ合わせるだけのキスをして、
トイレの鍵をがちゃりと開けて、後輩たちの待つ廊下へ歩き出した。
今夜は最高のクリスマスパーティーになる予感を胸に。
- 441 名前:仲直りの仕方 投稿日:2006/12/28(木) 17:57
-
>>>仲直りの仕方
- 442 名前:太 投稿日:2006/12/28(木) 17:58
-
クリスマス話なら甘くなきゃいかんだろうと書き始めて、気づいたらクリスマス終わってた…(阿呆)
それにしても、バレーいしごまは相変わらず可愛いかったです。目の保養、目の保養。
では、お目汚し失礼しました。
- 443 名前:太 投稿日:2006/12/28(木) 17:58
-
>>414さん
ニヤニヤして頂けましたか(笑)
ありがとうございます。
>>415さん
後藤さんの素敵ブログと同じくらい楽しみとは…!こ、光栄です。
ありがとうございます。こ、更新遅くて申し訳。
>>416さん
あ!それ、自分も見ました。
堪らなく幸せな時間でした(喜)
>>417さん
抱き合ってましたね(嬉)何度も繰り返して見てますよー。
ツーショもかわえかったですね。
>>418さん
緩みましたか、なによりです(笑)
応援ありがとうございます。
- 444 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/12/28(木) 22:46
- いしごま、堪能しました。
この雰囲気最高です。
ありがとうございました!
- 445 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/12/29(金) 00:14
- 更新されるのを心待ちにしていたので本当に嬉しいです
最高のクリスマスプレゼントありがとうございました!
- 446 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/12/29(金) 02:36
- 更新きてる〜〜〜〜!!
もう更新されないのかと思ってました。
作者さんの作品ははまったら抜け出せないほど病み付きになります。
また楽しみにしてます!
- 447 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/12/30(土) 13:52
- いしごまごちそうさまでした!w
まじで最高です!
もしよかったら、この後の甘いパーティーも見てみたいですw
よろしくお願いします
- 448 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/12/31(日) 17:26
- 更新お疲れさまです!
またすばらしい内容で楽しかったです。
今年は大量の更新本当にありがとうございました。
また来年も勝手に期待します!
それではよいお年を
- 449 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/01/17(水) 01:25
- 待ってます
- 450 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/01/17(水) 02:26
- 俺も待ってまーす
- 451 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/01/17(水) 14:55
- 私も待ってまっす
- 452 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/01/19(金) 01:07
- 梨華ちゃん誕生日おめでとー!
- 453 名前:太 投稿日:2007/01/20(土) 01:53
- 梨華ちゃんおめ!!
これからも猪突猛進全力投球でがんばってください。
当日には間に合いませんでしたが、梨華ちゃんハピバ話。
いしごまで後藤さん視点。
- 454 名前:残り時間、7分35秒 投稿日:2007/01/20(土) 01:54
-
タクシーの運転手さんにお金払って、タクシー降りて、夜道をダッシュ。
目指すは愛しい愛しいあの子のお部屋。
- 455 名前:残り時間、7分35秒 投稿日:2007/01/20(土) 01:55
-
走りながら腕時計で時間を確認。
0時まであと7分35秒。…梨華ちゃんの誕生日が終わるまで、あと7分35秒。
目の前のマンションを睨みつける。
ちくしょう、間に合え。
(何でよりにもよってこんな日に仕事が長引くんだ)
おかげで、仕事帰りに買いに行く予定だった苺のケーキもクラッカーも買えなかったじゃんか。
家に取りに行くはずだったプレゼントもなし。
誕生日は夕方には仕事上がれそうだから二人きりでお祝いしようねって行ったのは私なのに、
こんな深夜に、プレゼント一つ持たず息を切らせながら走ってるなんて。
仕事の合間に、『遅れる』と書いたメールを打った。『でも絶対絶対今日中に梨華ちゃんち行くから』って。
『無理しないでね』って返ってきたけど、これが無理しないでか。
こんな大事な日に梨華ちゃんに会えないなんてありえないもん。マジで。
エレベーターに飛び乗って、梨華ちゃんの部屋のある階の番号をぷちっと押した。
静かに扉が閉まり、小さな音をたて、一度がくんと震えてから、私を乗せた箱は動き出した。
こんな時間だからかエレベーターの中には誰もいない。
壁に背を預けて、呼吸を整えるために浅く息を吐き出す。
普段から同じ年代の子たちよりは運動してるし、体力には自信があったんだけど、
さすがに全力疾走は疲れた。
おでこに手をやって前髪をかき上げると、肌がちょっと湿ってる。くそう、ファンデ浮くじゃん。
- 456 名前:残り時間、7分35秒 投稿日:2007/01/20(土) 01:55
-
小さな音をたてながらエレベーターは昇っていく。
多分まだ0時にはなってないと思うけど。てか、なられてたら困る。
腕時計をちらりと確認。
(残り、2分24秒)
うーん、ぎりぎりだなぁ。これは。
エレベーター降りたらまたダッシュだ。
いつもより電子掲示板の数字がゆっくりと進んでる気がして、扉の上のそれを睨みつけた。
今日はどうしてもあと2分以内に梨華ちゃんに会わなきゃいけないんだ。
大好きな彼女に、おめでとうを言いたい。
プレゼントもケーキもないけれど、ただ一言それだけを。
きっと、梨華ちゃんは私の大好きなあの笑顔を見せてくれるだろうから。
電子レンジみたいな音をたてて、エレベーターがやっと止まった。
扉が開く時間も惜しくて、隙間から体を押し出して。
(残り、1分00秒)
時間を確認。走り出す。
神様仏様裕ちゃん様、どうかどうか、お願いします。
普段文句も言わずに一生懸命働いてるんだから。
梨華ちゃんに一ヶ月も二ヶ月も会えなくてもきっちり仕事してるんだから。
寂しいの我慢して、局とか会社で梨華ちゃん見つけても抱きしめたいのをじっと堪えてるんだから。
(残り、30秒)
こういう日ぐらい、サービスしてくれもいいんじゃない?
- 457 名前:残り時間、7分35秒 投稿日:2007/01/20(土) 01:55
-
梨華ちゃんちの扉の前で止まって。
すぐさまインターホンを。
(残り、10秒)
腕時計の秒針がかちりと動いて。
同時に、目の前の扉のノブも動いた。
(残り、5秒)
扉が開く、その合間から覗くのは、愛しい愛しい、あの子の姿。
「ごっちん。いらっしゃい」
微笑む彼女の姿に不覚にも涙が出そうになった。
はふっと息を整える。
(残り、――― )
「誕生日、おめでと、梨華ちゃん」
ピンクのジャージを着た私の彼女は、一度目を見張って、ゆっくりゆっくり小さな顔に笑みを乗せた。
- 458 名前:残り時間、7分35秒 投稿日:2007/01/20(土) 01:56
-
「ありがとう」
私の大好きなあの笑顔。
それを見とめた瞬間に、胸の奥がじわりと温度を上げた。
仕事を気合でこの時間に終わらせたのも、タクシーから全速力で走ったのも、
全部、この笑顔が見たかったから。がらにもなく目が潤んできちゃった。
誤魔化すようににへらと笑ったら、梨華ちゃんにゆるく手を握られて、
部屋の中に引っ張り込まれたと思ったら、そのまま、ぎゅうと抱きしめられた。
体格差がほとんどないから、梨華ちゃんの頭が私の耳のすぐ横に見える。
突然の(しかも久しぶりの)彼女の感触に少しだけ焦って、
気づいたら「ごとー汗かいてるよ、めっちゃ走ってきたから」なんて、つっかえながら言ってた。
そしたら、離れるどころか梨華ちゃんはもっと擦り寄ってきて、私の体温と心拍数はどんどん上がってく。
「いいよ。それより、…こうしてたい」
――― ああ、くそう。
やっぱ好きだ、梨華ちゃん。
心臓がぶっ壊れそう。
手に持ってた鞄をするりと玄関の床に落として、私は、彼女の背中にそっと腕を回した。
- 459 名前:残り時間、7分35秒 投稿日:2007/01/20(土) 01:56
-
ねえ、梨華ちゃん。
私さ、感謝してるんだ。
梨華ちゃんが生まれてきた事に、梨華ちゃんに出会えた事に。
あなたが生まれてきたこの日に。
神様仏様裕ちゃん様、それからつんくさん。梨華ちゃんに会わせてくれてありがとう。
梨華ちゃんのパパさんママさん、梨華ちゃんを生んでくれてありがとう。
梨華ちゃん、生まれてきてくれてありがとう。
ごとーを好きになってくれて、ありがとう。
「おめでとう梨華ちゃん」
もう一度耳元で囁いて、私は、抱きしめる腕の力を強めた。
私は、今日も明日も明後日も、これからずっとキミが好き。
キミが生まれたこの日ごと、大好きだから。
来年も再来年も、もっともっとその先も、キミにおめでとうを送るから。
あの笑顔と、この体温は、どうか私だけに。
- 460 名前:残り時間、7分35秒 投稿日:2007/01/20(土) 01:56
-
>>>残り時間、7分35秒
- 461 名前:太 投稿日:2007/01/20(土) 01:57
-
この話の後藤さんと同じようにじりじりしながら書いてたんですが、
結局石川さんの誕生日に間に合ってないでやんの(阿呆)
今年もこんな感じで行きますが、どうぞよろしくお願いしますm(_ _)m
では、お目汚し失礼しました。
- 462 名前:太 投稿日:2007/01/20(土) 01:57
-
>>444さん
レスありがとうございます。
楽しんで頂けたようでなによりです。
>>445さん
お待たせしました。
こんなものにそんなお言葉…ありがとうございます。
>>446さん
こ、更新遅くて申し訳。
とりあえずこのスレは使い切ろうと思ってますので、お付き合い頂ければ幸いです。
>>447さん
お粗末さまでした。パーティーはそれはもうすごい事になってそうです(笑)
期待せずお待ちくださいませ。
>>448さん
昨年はお世話になりました。
今年もいしごまで突っ走りますのでよろしくお願いしますm(_ _)m
>>449-451さん
お待たせしました。
>>452さん
おめでとー!!
- 463 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/01/20(土) 19:47
- 間に合って良かったね、ごっちん。
いつも甘〜い更新ありがとうございます。
今年も楽しみにしています。
- 464 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/01/21(日) 15:32
- 更新お疲れさまです!
いやーよかったねごっちん間に合って!!
またラブラブないしごま待ってます!
- 465 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/01/28(日) 01:15
- ごっちんの想いに、読んでて胸がギュッと痛くなるくらいでした。
やっぱりいしごまいいですねー。
- 466 名前:名無し飼育さん 投稿日:2007/02/06(火) 13:48
- 作者さんのいしごまは心が暖かくなります。
素敵な作者さんに出逢えて良かったです!!
- 467 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/02/06(火) 15:56
- 作者さん、ごっちんが超エロ下着を梨華ちゃんにプレゼントしたみたいですよ!
勝手な妄想がいろいろ膨らんじゃいますねw
これに関する小説も是非書いてください!!
- 468 名前:太 投稿日:2007/02/12(月) 18:59
-
しぇしーな下着万歳!! ごっちんGJ!!
誕プレショックにより、いつもよりも少々いしごまの密着度が高いです。
ご注意を。
- 469 名前:ミルクティ 投稿日:2007/02/12(月) 19:00
-
それを貰った時、正直困った。
うん。嬉しくないわけじゃないんだよ?
ただ、無邪気ににこにこ手渡してきた彼女の真意が図りかねて。
曖昧にありがとうとは言ったけれど。
ねえ、ごっちん。
私はどうするべきなの?
- 470 名前:ミルクティ 投稿日:2007/02/12(月) 19:01
-
昼過ぎに家へやって来たごっちんに、お茶を出すためにキッチンへ向かう。
背中でごっちんの気配を感じながら、いそいそとカップを二つ出して、ヤカンを火にかける。
戸棚の中から紅茶のパックを出して「紅茶でいい?」と彼女に尋ねたら、間延びした口調で「いいよ」って言われた。
滅多に自炊をしないうちのキッチンは、だけど、調理道具だけは一丁前に揃ってたりする。
それは殆どがごっちんが持ってきた物で、私のためじゃなくて、彼女が料理をする時のために我が家に置いてあるのだ。
何故、家主の私じゃなくてお客さんの彼女が料理を作るのか。
理由は至極簡単。
ごっちんの方が料理が上手だから(私が下手っていうのもあるけど…)。
だから大抵うちで会う時は彼女がご飯を作ってくれるんだけど、お茶を入れるのだけは別だ。
初めて彼女がうちへ来た時から、それは変わらず私の役目だった。
……まあ、淹れるっていってもインスタントだけどさ。
で、でもでも愛情たっぷり込めてるし。
この間、三好ちゃんたちにその話しをしたら、笑い飛ばされたけど(失礼しちゃうよ)。
その時の後輩二人の顔を思い出して、ちょっと複雑な気持ちで、三角パックをカップへ。
- 471 名前:ミルクティ 投稿日:2007/02/12(月) 19:01
-
でも、そういえば三好ちゃん、あの後、
(―――いいですか石川さん。料理は少しの思い切りとアイデアです。
どんなに奇抜な取り合わせでも最終的に美味しければOKなんです)
彼女はいつもの柔らかい笑みを浮かべながら、人差し指と親指で“少し”を表現して、
(―――少しで、いいんですよ)
そう言って、『えりか流パック紅茶でおいしいミルクティを淹れる方法』を教えてくれた。
その方法は本当に美味しいのかどうか疑っちゃうようなものだったけど、一度家でやってみやら以外と美味しくて。
…ふむ。
視線を手元にやるとカップの中の三角パック見えた。
『えりか流パック紅茶でおいしいミルクティを淹れる方法』の材料がまだ残ってるはずだ。
今日はそれにしようかな。
美味しいものを独り占めしておくのももったいないし、それに、それを淹れたらごっちんを驚かせそうだし。
いつも美味しいご飯を作ってくれる彼女のせめてものお返しだ。
よし、ミルクティに決定。
- 472 名前:ミルクティ 投稿日:2007/02/12(月) 19:02
-
「ごっちーん、ミルクティでもいーい?」
もう一度戸棚に手をかけながらリビングのごっちんに尋ねた。
「んぁー全然いいよぅ」
彼女の答えを聞きとめて、本格的にがさがさ戸棚を漁り出す。
あの材料、確かこのへんにしまったんだけどな。
「なーに、梨華ちゃん。今日はミルクティな気分なの?」
予想外に近くで響いたごっちんの声に驚いて、びくりと肩が揺れてしまった。
顔だけ声がした方へ向けると、キッチンの入り口に壁に肩を預けたごっちんがこっちを見てて。
……材料探しに集中してて、全然気づかなかった。
目が合うとごっちんはふにゃりと笑った。
いつ見ても見蕩れちゃうその笑顔につられて、自然と私の頬も緩んだ。
「うん。ミルクティな気分なの」
にへへ、と笑って返して、また戸棚へ手を伸ばし捜索再開。
「何探してんの?」
「ひーみつっ」
「えー」
不満そうなごっちんの声に、笑みが深まる。
「ふふ。今日のミルクティは期待しててね。ぜったい美味しいから」
「そーなの?」
「三好ちゃんにね、教えてもらったんだ。“美味しいミルクティの作り方”」
「…………へえ」
がさがさ戸棚を引っ掻き回してもなかなか目当ての物は出てこない。
うーん、違う所にしまったんだっけ?
数日前の事を思い出しながら、戸棚から手を引っ込めて扉を閉めた。
隣の棚へ手を伸ばそうとした、その時。
腰にするりと絡まる柔らかい感触。
背中に感じる温かい、何か。
すぐにそれが何かを理解して、体が固まる。
首筋に、彼女の吐息を感じた。
「……教えてもらったんだ?」
耳のすぐそばで聞こえた彼女の声に、どくりと心臓が小さく鳴いた。
- 473 名前:ミルクティ 投稿日:2007/02/12(月) 19:03
-
彼女のこんな声には覚えがあった。
こんな声を出しながらじゃれついてくる時は黄信号だ。この後のパターンは大体予想がつく。
(この間もこのせいでせっかくのオフをベッドで過ごすはめになってしまった)
お腹に回されたごっちんの白い手に自分の手を乗せた。
「ごっちん、今紅茶いれてるから」
「だから?」
「もう。そんなにひっつかれたら動けないでしょ?」
できるだけ不機嫌そうに言ってみたけど、でも多分ごっちんにはそんなの通用しない。
私が彼女の声音でこの後のパターンが予想できるように、ごっちんも私の声の変化を見抜いてるはずだ。
しかもごっちんは私の何倍も鋭いから、本気で機嫌が悪いのかどうかなんて声を聞いた瞬間にばれてるんだろうな。
その証拠にほら、耳元でくつくつ笑ってる。
うう、息が耳に当たってぞくぞくするよぅ。
「梨華ちゃん冷たい」
「…まだお昼なんだから、変なことしないの」
「ひどーい。変なことじゃないもん」
言葉の内容とは裏腹に楽しそうな声音。
この状況も、彼女のそんな声も、嬉しくないわけじゃないけれど、
このままじゃミルクティも作れないままベッドに直行だ。
そんなことを考えてたら、ちゅう、とほっぺに口付けられた。
「…ごっちぃんー」
本格的にベッドコースへ向かいそうで、精一杯低い声を出して抗議してみた。
- 474 名前:ミルクティ 投稿日:2007/02/12(月) 19:03
-
「ミルクティ作れないでしょ」
「……ん」
「三好ちゃんにこの前教えてもらったばっかなんだけどね。本当に美味しいんだから」
「………」
「だから――― 」
声が詰まった。
首筋に走った、痛みによって。
噛まれた、そう理解して、抗議の声を上げようとしたら、
今度はきつく吸われて。
「!――― っ、ちょっ…!」
(痕が!)
顔をごっちんの方へ向けようと動かしたら、彼女の茶色の頭とぶつかった。
「か、噛まないでよっ」
「――― 梨華ちゃんさぁ」
私の声を押さえつけるような低い声で彼女が私の名前を呼んだ。
その声に情けないくらい体が反応して、動けなくなる。
「ごとーのこと挑発するの、みょーに上手いよねぇ」
挑発?意味が分からない。
あなたを挑発するようなこと私は一つもしてないじゃない。
「なにが…」
「“なにが”?」
腰に回ってたごっちんの右手が服の上から私のお臍のあたりをするりと撫でた。
- 475 名前:ミルクティ 投稿日:2007/02/12(月) 19:04
-
「とりあえず、三好ちゃん三好ちゃん言い過ぎなとこが」
ごっちんが耳元で笑んだ気配。
彼女の吐息に耳たぶをくすぐられ、変な息が漏れそうになって、阻止するために下唇を噛んだ。
「三好ちゃんに、教えてもらったんだ?」
ごっちんは―――。
ごっちんは、私のこと挑発するのが上手いって言ったけど、そんなの私に言わせてみれば、彼女の方が上手いと思う。
今だってほら。
内緒話をするようにそっと囁かれて、体の奥の方がずくずくと疼きだしてる。
「だ、だめなの?」
メンバーと仲良くやってる証拠じゃない。
イケナイことじゃないでしょ、やましい事なんて何にもないもん。
ごっちんだって知ってるくせに。
「ぜんぜんダメじゃないよ。ただ、」
お臍の上にあったごっちんの手がするりと動いた。
私の着てるジャージのファスナーの辿るように彼女の指がゆっくりと上っていく。
そんな動き一つだけで、息が上がりそうになる。
「…っ…ごっちん」
首元まで上ってきた彼女の人差し指と中指が、ファスナーの金具を挟んだ。
「ただ、ごとーが気に入らないだけ」
そう言ったごっちんの声はそれまでとは打って変わって、拗ねたような、子供みたいな声で。
さっきまでの雰囲気が吹き飛んで、思わず噴出してしまった。
だって、それって、
「なぁにそれ、ヤキモチ?」
肩に乗っかってた彼女の頭が小さく揺れた。
- 476 名前:ミルクティ 投稿日:2007/02/12(月) 19:07
-
「…そーだよ。ヤキモチ。会えなかった間に三好ちゃんと仲良くしてたって聞いて拗ねてんのー」
ぐりぐりと肩に頬を擦り付けて、そんなことを言うごっちんはすごく可愛くて。
頬がふにゃふにゃと緩んでいくのを自覚した。
後輩に甘えられるのは嫌いじゃない。
よけいなお世話だと分かっていてもつい世話を焼いてしまうし。
だけど、先輩には甘えられるよりも甘えたい気持ちが強かった。
でも、ごっちんは別なの。
甘えたい時もあるけど、甘えられるのも好き。
だって、こんな風に可愛い彼女が見れるんだもん。
にへら、と笑んでいたら、それまでぐりぐりしてたごっちんが、不意にその動きを止めた。
「責任とってよ」
「え?」
言うが早いか、ごっちんは私のジャージのファスナーを下ろしてて。
気づいたら、シャツの中に彼女の手がもぞりと入ってきてた。
「もう、ごっちん!」
慌ててその腕を掴んで止めさせようとしたけど、彼女はびくともしなくて。
ちゅう、と耳に口付けられた。
「ちょっ…」
「責任とれー」
くすくす笑いながらごっちんは私のお腹をするすると撫でて、そのまま腰へ滑らせた。
その手つきは、色気のあるものじゃなくて。まるで大きな犬にじゃれつかれてるような感覚になった。
自然と口元が緩んでく。
「なんの責任よぅ」
「んん、三好ちゃん三好ちゃんって言ってごとーを寂しくさせた責任」
ちゅ、ちゅ、と髪や頬に軽くキスされてくすぐったい。
妖しい空気はどこかに消えてしまって、私もじゃれついてくる彼女に笑いながら応戦してた。
……んだけど、ジャージのズボンの中に手を入れられた時にはさすがにやばいと思い、
慌ててごっちんの手を掴んだのだけれど、時すでに遅し。
- 477 名前:ミルクティ 投稿日:2007/02/12(月) 19:08
-
気づいたら、ごっちんにお尻の真ん中ぐらいまでズボンを下げられてた。
――― ああ。
ミルクティはもう諦めるしかないか。
「あ」
「え?」
“美味しいミルクティ”と心の中でお別れをしてたら、ごっちんが声を上げて。
顔だけで振り返ってみると、彼女は私の後ろに立ったまま下の方を凝視してた。
(下…?)
何か置いてあったっけ。ごっちんの興味を引くような ―――。
「!!!」
彼女の視線を追って、すぐに見つけた。
ごっちんの興味を引くようなモノ。
半分ずり下ろされたピンクのジャージから顔を出す、せくすぃーな下着。
ごっちんからの誕生日プレゼントのそれを、くれた本人が凝視してた。
誕生日でくれたってことはやっぱり穿いて欲しいのかなって思って、着けるのは勇気がいったけど、喜んでほしくて。
今日初めて身に着けたんだった。
下着って時間が経つと意識しなくなっちゃうから、すっかり忘れた。
「…超似合ってるねぇ」
その声に我に返って視線を上げると、にやにやヤラシイ笑みを浮かべるアイドル一人。
頬が熱くなっていくのが、自分でもはっきりと分かった。
- 478 名前:ミルクティ 投稿日:2007/02/12(月) 19:09
-
「さすがごとー。似合うと思ったんだよねぇ」
「い、いや、これは、その」
何を言っても無駄だと分かってるけど、口からは言葉が勝手に出てきて。
それをコントロールできない事で更に焦る。
「あの、ほら、せっかく貰ったんだし、はかないとさ。悪いかなーって…思って」
「ふぅーん」
「だから、その…」
うう。自分でドツボに嵌ってる気がする。
ごっちんがくすくす上機嫌に笑ってるのが分かって、
恥ずかしくて情けなくて、顔を正面に戻して目をきつく閉じた。
するりと腰を撫でられる感触。
背中に柔らかいごっちんの体がひっついてきて。
心が跳ねる。
「可愛いね梨華ちゃん。ごとーのために着けてくれたんだ?」
脳に直接囁くように耳元で言われて、シンクに突いてた手が僅かに震えた。
「…ちがう」
うそ。
ごっちんのために着けたんだよ。
喜ぶ顔が見たかったの。褒めて欲しかったの。
あなたに。
耳が熱い。
血の流れる音がいやに大きく聞こえる。
- 479 名前:ミルクティ 投稿日:2007/02/12(月) 19:09
-
「すっごいきれい。超可愛い」
掠れた声でそう囁かれた。
熱に浮かされたようなそれは、私の心臓の動きをより一層早くする。
「……誰にも見せちゃだめだよ」
シンクに突いていた手をぎゅうと握りこんだ。
胸が疼く。
痛いくらいに。
ごっちんの他に誰に見せるの?
そんな相手あなた以外にいないの知ってるくせに。
あなただけだって分かってるくせに。
言いたい言葉は吐息と共に飲み込んで、ただ頷くしかできなかった。
項に彼女の唇が触れるのを感じて、少しだけ身じろいだら、今度は腰に置かれてた手がするりと上へ滑ってきた。
お臍の周りを撫ぜて、そろそろ這い上がってくる柔らかい感触に、ぞくぞくと背筋に走るモノをじっと耐えていたら、今度は彼女の唇が項から首へと移動してきた。
さっき噛まれた所をぺろりと舐められて、思わず声が出そうになった、その時。
高い笛の音が部屋中に響き渡った。
目を開けると、火にかけっぱなしだったヤカンがお湯の沸騰を告げているのが見えて。
コンロの火を止めるために手を伸ばしたら、それより早くごっちんがコンロのスイッチを押して火を止めた。
「あ、ミルクティ…」
ぽそりと意識せず口をついた言葉。
中途半端に伸ばされた私の手がごっちんに掴まれて引き戻された。
- 480 名前:ミルクティ 投稿日:2007/02/12(月) 19:10
-
耳たぶに暖かいモノが触れて、一瞬、軽く噛まれた。
思わず眉根を寄せると、ちゅ、と耳に音をたてて口付けられて。
「三好ちゃんのなんかより、もっと美味しいミルクティの作り方、ごとーが教えてあげる」
ああ、もう。
逃げられない。
美味しいミルクティは当分おあずけだろうな。
ヤカンの口から出る白い煙を数秒見つめて、私は、ゆっくりと目を閉じた。
- 481 名前:ミルクティ 投稿日:2007/02/12(月) 19:11
-
>>>ミルクティ
- 482 名前:太 投稿日:2007/02/12(月) 19:11
-
後藤さんは、石川さんへの誕プレを石川さんに穿かせて観賞する気だったに違いないと、私のいしごま脳が言っております。
妄想が広がるプレゼントをありがとう。ごっちん。
では、お目汚し失礼しました。
- 483 名前:太 投稿日:2007/02/12(月) 19:11
-
>>463さん
ええ本当に。更新はかすりもしなほどに間に合いませんでしたが(笑)
今年もよろしくお願いしますm(_ _)m
>>464さん
いしごまは喧嘩してるよりも、いちゃってる方が書き易いですから、
今年もがんがんラブってもらおうと思ってます(笑)
>>465さん
う、うわ(照)こんな拙い文でそんなふうに思って頂けるんなて、嬉しいです。
いしごま万歳!
>>466さん
レスありがとうございます。
こちらこそ、素敵な読者さん方に出会えて嬉しいです。
>>467さん
みたいですねー。妄想膨らみまくりですよ(笑)
ごっちんGJ!!!
- 484 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/02/12(月) 20:45
- 超リアルタイムなネタに大興奮してますw
甘い甘いいしごま最高!
三好ちゃんに嫉妬するごっちん可愛いー!!!
- 485 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/02/12(月) 22:28
- 萌えまくりました。。いしごま最高!
次の更新も楽しみにしています。
- 486 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/02/12(月) 22:47
- 甘ぁ〜〜〜〜い!w
またこんないしごまお願いしま〜す♪
- 487 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/02/13(火) 02:24
- 467ですがこんなに早くに願いが叶うなんてw
本当に更新ありがとうございます
作者さんはいつも理想を越えた作品を作ってくださるのでまじで嬉しいです
またラブラブないしごまの更新待ってます!
- 488 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/02/13(火) 04:09
- リアルタイムなお話ありがとうございました
ラブラブなふたりのやりとりが目に浮かぶようです
太さんのいしごま最高!!!!!
- 489 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/02/14(水) 11:31
- 完全にバカップル。
素敵です。
- 490 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/02/14(水) 17:10
- 更新ありがとうございます。
いつも更新楽しみに待ってます!
いしごまごちそうさまでした。
- 491 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/02/14(水) 20:06
- 更新待ってましたっ!
いいですねぇ〜何度も読み返してはニヤニヤしてます
ところで…
あれ、三好ちゃんに見せちゃってますよねぇ?
大丈夫かな?梨華ちゃんw
- 492 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/02/14(水) 22:45
- またバレンタインネタなんかも書いてくださーい!
いつも楽しく見てまーす!
- 493 名前:太 投稿日:2007/02/27(火) 18:55
- 後藤さん視点。いしごま。
後藤さんぶっ壊れ気味いしごま。
ラブじゃないです。愛はありますが痛いです。不幸せ気味です。
ご注意を。
- 494 名前:私の、いとおしいひと 投稿日:2007/02/27(火) 18:56
-
もう、あなたを、
離さない。
- 495 名前:私の、いとおしいひと 投稿日:2007/02/27(火) 18:56
- かちゃり、と金属が擦れる音が夕日の差し込む薄暗い部屋に響いた。
上着をソファの上に放って、シャツのボタンを上から三つ外し、音の出所に視線をやる。
そこには、小麦色の肌を惜しみなく晒す、愛しい人。
夕日が照らし出す彼女の体には何も身に着けられていない。
ベッドの脇の床に座り込んで、私を見上げる潤んだ瞳に、ぞくぞくする。
それは興奮と、欲情と、彼女への止められない愛のせい。
「真希ちゃん…」
肩辺りまで伸びてきた茶色の髪を揺らして、梨華ちゃんが私の名前を呼ぶ。
ただそれだけのことで、私がどんな気持ちになっているのか彼女は知らない。
ボタンをもう一つ外した。
「真希ちゃん、ねぇ、お願い」
頬の筋肉が緊張する。また背筋がぞくりとした。
彼女の潤む瞳に欲情していることを気づかれないように、
私は勤めて何でもない風を装って彼女へ笑みを向けた。
「なに?」
梨華ちゃんが眉根を寄せるのが見えた。とても、困ったように。
彼女の右手が私の方へ伸ばされて、だけど、それは途中で止まる。
ほっそりとしたその手首に嵌められた、ベッドと彼女を繋ぐ、銀色の手錠によって。
かちゃり、と金属音が部屋に響いた。
- 496 名前:私の、いとおしいひと 投稿日:2007/02/27(火) 18:57
-
「ねぇ、…もう止めて。真希ちゃん」
梨華ちゃんが私を見つめる、可愛くて愛しい、黒い瞳で。
ボタンをもう一つ外して、私は彼女へ近づいた。
「これ外して、こんなのイヤ」
彼女は話しかけてる、私に。私だけに。
その視線は私だけを捉えて、他の人に向けられることはない。
だって、ここには彼女と私しかいないのだから。
今、梨華ちゃんは私の事だけを考えてる。想ってる。
「梨華ちゃん」
彼女の目の前に座り込むと、可愛い瞳が私を追いかけて下がった。
そんなことでさえ、私は嬉しい。
「私、真希ちゃんのこと好きだよ?なのに、」
細い腕を縛る手錠を人差し指でそろりと撫でて、そのまま上へと滑らせた。
肩を過ぎ、首を撫で、柔らかい髪へと指を差し込む。
- 497 名前:私の、いとおしいひと 投稿日:2007/02/27(火) 18:58
-
「…どうして、こんなことするの」
震える声でそんなことを聞く梨華ちゃん。
くつり、と喉の奥で笑ってしまった。
そんなの、決まってるじゃん。
髪へ差し込んだ手で彼女の顔を引き寄せる。
手錠がかちゃり、と音をたてた。
唇に梨華ちゃんの呼吸を感じられる距離まで近づいて、答えてあげた。
「愛してるから」
あなたのすべてが愛おしすぎて。
逃げることなんて許さない。離してなんてあげない。
私だけを見て。
私のことだけ考えて。
ただ、私だけを――――。
- 498 名前:私の、いとおしいひと 投稿日:2007/02/27(火) 18:58
-
>>>私の、いとおしいひと
- 499 名前:太 投稿日:2007/02/27(火) 18:59
-
なんか色々痛いのでsage。
お目汚し失礼しました。
- 500 名前:太 投稿日:2007/02/27(火) 18:59
- >>484さん
レスありがとうございます。
私もこの事実を知った時は大興奮でした(笑)
>>485さん
萌えましたか(笑)なによりです。
いしごま万歳!!
>>486さん
スピワ返しありがとうございます(笑)
小沢さん並みに甘くなったでしょうか。
>>487さん
い、いえ、そんな(照)こちらこそ、素敵ネタ投下どうもです。
…ええと、今回は痛い系話で申し訳m(_ _)m
>>488さん
レスありがとうございます。
いちゃラブ目指したのでそう言って頂けて光栄です。
>>489さん
バカップル最高!!
バカップル万歳!!
>>490さん
レスありがとうございます。
お粗末さまでしたm(_ _)m
>>491さん
レスどうもです。
梨華ちゃんは多分、二日間ぐらいベッドから出してもらえなくなるんじゃないかと思います(笑)
>>492さん
レスありがとうございます。
バレンタインネタ、いつか書くかもです。期待せずにお待ちを。
- 501 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/02/27(火) 20:05
- 更新ありがとうございます!
痛い系のお話も太さんが書かれるとごっちんが堪らなくカッコイイです
- 502 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/02/27(火) 21:34
- この後藤さんめっちゃ理想だったりw
次回の更新も楽しみに待ってます。
- 503 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/02/27(火) 23:11
- ひえ〜
こわいよぉ
- 504 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/02/28(水) 00:10
- こんな危うさがごっちんの魅力のひとつだと思います。
で、それをも含めて愛おしいと思ってしまいそうな梨華ちゃんが、
理想的。
- 505 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/02/28(水) 00:31
- いやーごっちんどうしたの!?
早くいつものごっちんに戻ってー目を覚ましてー!!w
- 506 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/02/28(水) 16:04
- 更新ありがとうございます。
ついにごっちんが壊れちゃいましたねw
でもこんな怖いごっちんでもサマになっちゃうごっちんすごい!
今回の続きで我に帰ったごっちんで甘いいしごまお願いします!w
- 507 名前:太 投稿日:2007/03/10(土) 23:53
- 去年上げた『夏休みの課題回収係』の翌日の話。
前のやつ(>>192-212)読まないとさっぱり意味が分からないと思います。多分。
アンリアル。いしごま。石川視点。
- 508 名前:夏休みの課題回収係2 投稿日:2007/03/10(土) 23:54
-
「からかわれてんじゃん、それ」
パイプ椅子にだらしなく腰掛けて頬杖を突いた美貴ちゃんは、どうでもよさそうに言い放った。
どうでもよさ気、だけど、きっぱりはっきりと断言する彼女の声は、何故だかとても説得力があって。
ああ、やっぱり。
胸の中で一人ごちた。
美貴ちゃんから視線を外して、開け放たれた窓へ向けると、
タイミング良く風が一つ吹き抜けて、私の髪の毛をくしゃくしゃとかき回す。
それに乗って部屋に入ってきた、夏の終わりの匂い。
密かに好きなその香りは、思い出さないようにしてた出来事を、容易に私の中に浮かばせた。
放課後の、あの一瞬のキスの事を。
『そういうことだから』
そう言った、彼女の事を。
眉尻が下がっていくのが自分でも分かった。
昨日、たった一瞬触れただけの唇が、今更のように熱くなる。
キスなんて、初めてじゃないのに。
- 509 名前:夏休みの課題回収係2 投稿日:2007/03/10(土) 23:55
-
頭を左右に振った。
もやもやした思考を一刻でも早く追い払いたかったから。
「やっぱりそうだよね…」
無理やり視線を戻して口を開くと、当然でしょ、と言わんばかりにひょいと片眉を上げる美貴ちゃん。
「てかさ、相手の反応みて面白がってんでしょー、それ。性質わる」
「だよねぇ…」
「罰ゲームとかだったんじゃないの、どーせ」
昨日の放課後の出来事をオブラートに包みつつ、
それとなく尋ねたら(もちろん私の身に起こったとは言わずに)、
美貴ちゃんの意見はあっけらかんとした物だった。
半分は予想通り。
あの後、家に帰ってベッドの中で悶々と考えた私の意見と同じで。
確かにあの状況で、考えられる『あの人』の行動の理由は二つしか思い浮かばなかった。
(本気か冗談、か)
――― からかわれたんでしょ。
ついさっきの美貴ちゃんの言葉を胸の中で反芻する。
からかわれたんだ。そうだよ。悩むまでも無い。
あの後藤さんが、あの人が私に本当に本当の本気でそんなことするわけがないじゃない。
まあ、気分はあまり良くないけれど。
本当の、そういう意味だよって言われるよりも全然いいじゃない。
心の中で呟く。
- 510 名前:夏休みの課題回収係2 投稿日:2007/03/10(土) 23:57
-
だって、本当にそういう意味で言われたとしたら。
そういう意味で…キスされたとしたら。
困る。すごく困る。
どう頑張ったって、応えられるわけ、ないもん。
女同士とか、そういうのを軽蔑してるわけではないけど、私も彼女も女の子っていうのは、事実。
そういう恋愛の形も本人同士が幸せならそれでいいと思うんだけど。
私の“困る”はそういうこと以前の問題。
だって、私は、彼女の事を何も知らない。
私たちの間にあるものは“夏休みの課題回収係”ただ、それだけで。
後藤さんの趣味も、好きな食べ物も、音楽も、メールアドレスも、
私は、何一つ知らないのだから ――― あんなこといきなり言われたって、困る。
(でも、)
どうしてだろう。
困るのに、応えられるわけないのに、美貴ちゃんに改めて言葉にされると、なんだか。
自分の気持ちなのに、よく分からないモノがぐるぐる渦を巻いてて。
視線を下げた。簡素なパイプ机の上に置かれてる数十枚の書類が目に入る。
“学校祭予算”
大きく印字された文字を眺めた。
生徒会三大行事の一つ、学校際がもうすぐそこまで迫ってるっていうのに、
この忙しい時期に何を考えてるんだ、私は。
はあ、と息を吐いて、書類を手にした。
やらなければならないことだけは山のようにある。この時期の生徒会は暇じゃないんだ。
とりあえず、この予算と、提出された資料を見て各クラスごとに割り振る予算額を決めなければ。
頭の中でこれからやらなくちゃいけない事を整理してたら、真正面から言葉が飛んできた。
「それって、そういう意味ですよぅ」
視界に入ってきたのは、相変わらず頬杖を突いてだらしなく座る美貴ちゃん、じゃなくて。
その彼女の隣に座った亜弥ちゃんのくりくりした目。
- 511 名前:夏休みの課題回収係2 投稿日:2007/03/10(土) 23:58
-
「そういうって…?」
書類を持ったまま亜弥ちゃんに聞き返すと、美貴ちゃんにぴったりくっ付いて、
その肩に細い顎を乗っけてた彼女は、人好きする笑みを整った顔に乗せた。
「もぉ分かってるくせにー」
亜弥ちゃんは独特の抑揚をつけて言葉を吐くと、美貴ちゃんの腰に巻きついてた(と思われる)両腕を外して、美貴ちゃんの顔の前に回す。
多分私に、その手をよく見せるために。
指を折り曲げて、ぴとっとその両指の端をくっ付けてみせた。
彼女の指が形作るのは、ちっちゃなハートマーク。
それを見ていた美貴ちゃんが呆れたように半目になった。
「ラブですよ。ラブ」
くりくりのおっきな目を半月型にした亜弥ちゃんはご機嫌にそう言った。
…ラブって。
ラブって、えっと。
答えに困ってると、美貴ちゃんが、はあ、とこれ見よがしに溜め息を吐いて、
頬杖を突いてない方の手で亜弥ちゃんのハートを真ん中から二つに切る。
「そんなわんこいるよね。ミキあれ結構好き」
「ラブラドールじゃないから。てかつまんないよ、それ」
「先につまんないこと言ったのは亜弥ちゃんじゃん」
「つまんなくないし。ラブはラブ。えるおーぶいいーのラブに決まってるでしょ」
真っ二つになったハートの残骸を見ながら亜弥ちゃんは唇を尖らせた。
目の前で繰り広げられる冗談なのか本気なのかよく分からない言い合いをする二人。
よく見かける光景のそれは、彼女たちなりのコミュニケーションだと分かってはいるんだけど、私は何度見ても慣れない。
…口を出していいのかな。タイミングを計っていると、唐突に亜弥ちゃんが私に視線を寄こした。
- 512 名前:夏休みの課題回収係2 投稿日:2007/03/10(土) 23:59
-
「ミキたんのことは置いといて、石川先輩」
置いておかれた美貴ちゃんが、亜弥ちゃんの隣でぶつぶつ文句言ってるみたいだけど、
彼女はそんなこと気にする素振りさえ見せずに、ずいっと私の方に身を乗り出した。
「それって告られてるんですよ」
亜弥ちゃんのくりくり目が私を見据える。色素の薄い茶色の瞳。
人懐こい色を称えた真っ直ぐなそれは、亜弥ちゃんの人となりを余すことなく映し出してる。
その目が自信に満ち溢れてた。
コクラレテル。
美貴ちゃんの言葉と180度違うそれを、どう受け止めればいいのだろう。
自分の眉尻がどんどんと落ちていくのを感じた。
「で、でも、亜弥ちゃん…」
「でもじゃないです」
敬語なのに妙に力強く(偉そうに)私の言葉を切り捨てて、
亜弥ちゃんが口元を引き締めた。
「キスしてそういう意味だから、なんて、そういうこと以外考えられないじゃないですか」
自分の言葉にうんうん一人頷くと、亜弥ちゃんは独り言のように先を続けた。
「てか、むしろそれ以外の意味があるなら教えて欲しい、逆に」
「だから罰ゲームだって」
「あほぅミキたん。そんなん、罰ゲームだからって普通いきなりキスなんかすると思う?」
「知らないよ。そっちのが面白そうだったんじゃない」
「この梨華ちゃんに、だよ?アンタと仲良いのは全校生徒に知られてるんだから。
ミキたん敵に回すような悪戯する人間がこの学校にいると思ってんの?」
「…なにそれ。人をヤクザ屋さんみたいに言わないでくれる」
「同じようなもんじゃん」
「なっ、ちょっと、アンタねぇ――」
ぽんぽん飛び交う言葉は、バトミントンの跳ねのようによく飛び跳ねる。
その内容とは裏腹に、ぴったりとくっ付いたままの二人。
何だかんだ言っても、彼女達は仲がいい。
お互いの悪いところも認めあって、もちろん良い所もたくさん共有する二人の(見た目と違って)気持ちが良いほどさっぱりした関係に、私は少し憧れてたりする。
- 513 名前:夏休みの課題回収係2 投稿日:2007/03/11(日) 00:00
-
だけど、その会話の内容がだんだんずれてきてる気がするのは私の気のせいかな。
いつの間にかお互いの悪口になってるんだけど。
あと、あの、一応、私の身の上に起こったことじゃないという前提での話だったんだけど、ええと、亜弥ちゃん?
「てかさ、亜弥ちゃん何でここにいるわけ?」
美貴ちゃんが眉根を寄せて、至近距離にある亜弥ちゃんの顔を睨んだ。
彼女に何の免疫もない人なら、多分一秒とかからず逸らすであろうその目つき。
普段一緒にいることの多い私でさえ、ちょっと引いてしまうそれを真正面から受け止めて、だけど亜弥ちゃんは、少しも怯まない。
それどころか、ふふん、と挑発的な視線を投げている。
「いたっていいじゃん。ここの生徒だもん、あたし」
美貴ちゃんの眉間の皺が深くなった。
そういうことじゃないでしょ、と呟く。
「ここ一応、生徒会室なんですけど」
普通の教室の半分の広さしかなくて狭い部屋だけど、間違いなくここは我らが生徒会室だった。
そして、私と美貴ちゃんは所謂生徒会役員で。
当然のように美貴ちゃんの隣に座る亜弥ちゃんは、ただの生徒。
確かにこの生徒会室に生徒会役員ではない人がいるのはあまり一般的ではない。
亜弥ちゃんは不敵に微笑んだ。
あの美貴ちゃんを完全に見下してる。
「手伝ってあげてんじゃーん」
その言葉に、やっと私は手に持ったままの書類に目を落とした。
こんなことをしてる場合じゃない、と、さっきと同じ言葉を心の中で呟く。
三大行事の一つ、学際はもう目前に迫ってるんだから。
未だに言い合いを続ける二人を尻目に書類を捲り、ペンを走らせる。
1Bはこのままでよし。1Cは…ちょっと、予算内で納められるのこの企画。
かりかり、かりかり。
暫くそうやって予算表とにらめっこ。
だから、いつの間にか消えていた言い争いの声なんて、気にも留めなかった。
- 514 名前:夏休みの課題回収係2 投稿日:2007/03/11(日) 00:00
-
かりかり、かりかり。
3Dの書類に目を通しているところで、私は部屋の異変に気が付いた。
静かだ。すごく静か。
さっきまでの二人の声が完全になくなってる。
不思議になって顔を上げると、美貴ちゃんと目が合った。
じっと見つめてくるその鋭い目つきに、私は何もしてないのに、ごめんなさい、と言いそうになる。
だけど、大丈夫。
自分に言い聞かせる。
美貴ちゃんの真顔は睨んでるように見えるんだ。
だから、私は睨まれてるわけじゃない。
一年の付き合いにもなると、さすがに本気で怒ってるかそうじゃないかの見分けはつくもん。
「それで?石川先輩」
声を発したのは、美貴ちゃんの隣で美貴ちゃんにぴとっとくっ付いたままの亜弥ちゃんだった。
彼女は瞳をくるりと回す。
「な、なに?」
二人の雰囲気に気圧されて、思わず顎を引くと、
今度は頬杖を突いてた美貴ちゃんがずいっと身を乗り出して。
「んで、誰にされたわけ?そんなこと」
そう言った美貴ちゃんは、唇の片端を上げて、いやぁな笑みをちっちゃな顔に浮かべた。
隣の亜弥ちゃんは、「そーんな命知らずがまだこのガッコにいたとはねぇ」なんて呟くと、
「たんに喧嘩売ってるも同然じゃん。ねえ?」なんて美貴ちゃんに同意を求めて、
「意味分かんない」と当の本人に切り捨てられてた。
そして私に向けられる二つの視線。
その瞳は悪戯っ子のそれ。
――― ああ、
(相談する相手、間違えたかも…)
背中に、嫌な汗が一筋流れた。
- 515 名前:夏休みの課題回収係2 投稿日:2007/03/11(日) 00:01
-
***
自分の教室へ続く廊下で、私は足を止めた。
そろりと後ろへ視線をやって、“あの二人”が追いかけてこないことを確認。小さく息を吐き出した。
あの後、美貴ちゃんと亜弥ちゃんは、にやにやしながら昨日の放課後の事を聞きだそうとしてきて。
「友達のことだから詳しいことは知らない」としどろもどろになりながら、逃げるように生徒会室を飛び出した。
……うう。我ながら苦しい言い訳。
学際の仕事、まだ終わってないけど仕方がない。放課後残ってやるしかないか。
後藤さんのことといい、美貴ちゃん達のことといい、生徒会長とか委員長とかそういう肩書きを貰って、良い事が起こったためしがない。
昨日は後藤さんに、…あんなことされちゃうし、さっきはさっきで美貴ちゃん達にからかわれそうになるし。
その挙句、居残り決定だし。
はあ、とさっきとは違う意味で息を吐き出して、私は教室に向かって歩き出した。
しかも、その後藤さんは学校に来ていないしさ。
お昼休みで生徒会室に向かうまで私は彼女の姿を見ていない。
つまり私は最大の目的の課題も未だに回収できていないのだ。
これは、先生にもぶちぶち文句を言われそうだな。
…まあ、昨日の今日であんなことがあって、顔は確かに合わせ辛いけど(少なくとも私は)、美貴ちゃん曰く「からかわれてんじゃん」だし。
彼女のせいで先生に言われなくていい文句を言われるのは、ちょっとじゃなくて、もの凄く理不尽な気がする。
(しょうがないなぁ。電話してみようかな…)
彼女の番号ならクラス子が知ってるかもしれない。
ぼんやりとそんなことを思いながら、教室の扉をがらがらと開けて、ぐるりと教室内を見回す。
後藤さんの席には本人の姿はもちろん鞄すらなかった。
まだ来ていないみたい。やっぱり電話するしかないか。
(後藤さんと仲が良い人って言えば…)
探し人はすぐに見つかった。
一番後ろの窓際の席。数人の生徒が固まって騒いでた。
派手な髪色に、着崩した制服のその人たち。
用事がない限り積極的に話しかけたりしない、私にはあまり縁のない感じのグループだ。
その真ん中で机の上に腰を下ろす、校則違反だと誰が見ても明らかな、明るすぎる髪色をした生徒。
「吉澤さん」
彼女の名前を呼んだ。
- 516 名前:夏休みの課題回収係2 投稿日:2007/03/11(日) 00:02
-
彼女の周りでお喋りに花を咲かせてた生徒たちが不思議そうにこっちを見て、
口々に「生徒会長だー」とか、「どったのせーとかいちょー?」とか声をかけてきた。
それに愛想笑いで答えてると、机の上の背中がゆっくりと動き、大きな瞳が私に向けられて。
「どーしたの?せーとかいちょーさん」
彼女は人懐っこい笑みを顔中に浮かべた。
吉澤さんは自他ともに認める後藤さんの大親友、らしい。本人に聞いたことはない。
バレー部期待のエースで、運動神経と人懐っこさだけが取り得の馬鹿なんだけど、
ショートカットとなまじ整った顔立ちのおかげで、なにやら学校中の人気者(特に女の子たちに)
と、同じバレー部に所属している美貴ちゃんがもの凄くどうでもよさそうに言っていた。
……私はよく知らないけど。
「うん。あのね。吉澤さん、今日後藤さんから何か連絡もらってない?」
「ごっちんからー?さぁ、特になんも無いけど」
彼女は首を少し傾げた。
その拍子に彼女の髪の毛(ほぼ金色)がさらさらと揺れる。
うーん、確かに綺麗な顔。美貴ちゃんの言ってたこともちょっと納得かな。
周りの人達にも後藤さんから連絡がきたかどうか聞いてみたけど、みんな首を横に振るばかり。
吉澤さんは眉尻を下げて、申し訳なさそうに「ごめんね」と呟いた。
「ごっちんに何か用だった?」
「あ、うん。ちょっと先生から頼まれてて…。
もし良かった吉澤さん、ケータイで後藤さんに今日学校来れるかどうか聞いてみてくれないかな…?」
「いいよん」
彼女は胸ポケットからケータイと何故かチュッパチャップスを二本取り出して、
一本を「せーとかいちょーにプレゼント」って私に差し出してきた。
突拍子もない行動に驚いたけど断る理由もないから素直に受け取ると、
吉澤さんはにこりと笑んで、片手でケータイをぱかりと開きながら、
もう片方の手でチュッパチャップスの包みを器用に剥がして、ぱくりと口に入れた。
それを口の中でもごもごやりながら彼女の親指はケータイの上を素早く動いて。
急にぴたりと動きを止めた。
- 517 名前:夏休みの課題回収係2 投稿日:2007/03/11(日) 00:02
-
彼女の視線が私に向いて、どうしたのって聞く前に口を開いた。
「つーかさ、ごっちんのケータイの番号教えようか?」
「え?」
その言葉に目を見開く。
確かに最初はそのつもりだった。けれど、でも、やっぱり。
本人の了承なしに勝手に番号を教えてもらうのは、あまり気持ちの良いことのようには思えない。
後藤さんのプライバシーもあるし。
――― それに。
彼女に電話をするのは、酷く労力がいりそうだ。
だって昨日の今日で、いくらからかわれたとは言え、なんだかちょっと気まずい。
そう。気まずいだけ。恥ずかしいわけじゃない。絶対に。
そういうような事を吉澤さんに伝えると(もちろん、昨日の事は言わずに)彼女は「大丈夫だって」とあっさり笑い飛ばした。
「んな事で怒んないって、ごっちん」
「で、でも」
「それに、私が電話するよりさ、かいちょーからの電話の方がぜぇったい効果的だって」
吉澤さんは咥えてるチュッパチャップスの棒を上下に振って、「ほらほら、ケータイ出して」と、手を差し出してきた。
渋っていると、彼女はそんな私を暫く見つめて、咥えてたチュッパチャップスを手に持った。
そして、それを私の下唇にぺとっとくっ付けて ―――。
くっ付けて。
くっつけ……?
「っ!!!?!?」
い、いいい今、唇に、吉澤さんのちゅっぱちゃっぷすが、
さっきまで吉澤さんの口に入ってた、ちゅっぱちゃっぷすが……!!
声にならない叫びを上げて、口を両手で覆った。
- 518 名前:夏休みの課題回収係2 投稿日:2007/03/11(日) 00:03
-
当の吉澤さんは、素早く口の中にチュッパチャップスを戻してて。
両手でぴこぴこシルバーとピンクのケータイを操作…って、え、あのピンク、私のケータイじゃ…。
ばっと胸ポケットに手をやると、そこに収まってたはずのケータイの感触は消えていた。
やっぱり、吉澤さんが持ってるのは私のケータイ。
「ちょ、っと吉澤さ…」
「ほいっ」
抗議しようとしたら、彼女は私のケータイをぱたんと畳んで、ぽいっとこっちに投げて寄こしてきた。
私は慌てて手を伸ばしてそれを受け取る。
「ごっちんの番号入れといたから」
「ええ!?」
電話帳を開くと、確かに『後藤真希』の文字。
090から始まる番号に、ご丁寧にメアドまで入ってる。
いいって言ったのに。
しかも、いきなり人のケータイを奪って弄るなんて非常識にも程がある。
それに、…ち、チュッパチャップスを、く、口に…とか、常識、非常識以前の問題で。
そんな思いを籠めて吉澤さんを睨んだら、にかり、と笑みが返ってきた。
「それで電話してみなよ。ごっちんのことだから、びっくりしてそっこー飛んでくるよ」
「………」
「ああそれと、メールとかは見てないから安心して」なんて、笑みを深めた吉澤さん。
私が今睨んでるのはそんなことを気にしてるからじゃなかったんだけど。
あまりも無邪気な笑みに、なんだか怒りが削がれてしまった。
はあ、と一人で溜息を吐く。
多分彼女は、亜弥ちゃんと同じ場所にカテゴライズされる人なんだ。
人懐こい笑みですべてを丸め込んでしまうような、そんな感じが似てる。
ただ、吉澤さんは亜弥ちゃんよりも、打算なくそれを振りまいてるようだけど。
経験上、そういう人にプライバシーとか常識とかについて語り聞かせても時間の無駄。
- 519 名前:夏休みの課題回収係2 投稿日:2007/03/11(日) 00:04
-
「…ありがとう」
ぽそりと、諦めの混じった声でお礼を言うと、吉澤さんは「いいよ、いいよ」って、大きく手を左右に振った。
常に体全体で自分の感情を伝えようとしている彼女は、なんだか道行く人に構って構って!と尻尾を振りまくる大型犬みたい。
ぼんやりとそんなことを思ってたら、吉澤さん越しに見える教室の出入り口に見知った顔をみつけて。
私は、思わず息を呑んだ。
「いいんちょーも大変だね。先生にそんなこと頼まれちゃって。
どーせ、またごっちんが何かやらかしたんでしょ?」
「誰が何をやらかしたって?」
出入り口のその人の声に、上機嫌に話していた吉澤さんの動きが一瞬止まった。
すぐに唇の両端をふにっと持ち上げると、声のした方向へ首を回して。
「ごっちん」
吉澤さんにそう呼ばれた、―――後藤さんは、吉澤さんの声に答えるでもなく、
黙ったまま、無表情で(私にはそう見えた)こっちに向かって歩き出した。
「めっずらしぃ。今日はもう来ないと思ってたよ」
周りからの挨拶に答えながら、後藤さんは吉澤さんが座っている机の端に鞄を乗せて、吉澤さんを仰ぎ見てた。
「来ないなんて言ってないし」
「でももう、お昼過ぎてんですけど、ごとーさん」
「休むよりはいーでしょ」
「…あと、2限のために出てきたわけ?」
「悪い?」
言葉少なに、まるで喧嘩をしているみたい。
だけど、私には、それが喧嘩でも何でもなくて、二人の“普通”だってことが分かった。
だって、そっくりだったから。
彼女達の間に流れるこの空気が、私の良く知るあの二人に。
多分まだ生徒会室でじゃれ合っているであろう、あの二人に。
- 520 名前:夏休みの課題回収係2 投稿日:2007/03/11(日) 00:04
-
目の前で繰り広げられる会話。
教室の中を埋め尽くす喧騒。
その中で一人、私は、動けずにいた。
後藤さんを見とめたその瞬間から、体が言うことを聞かない。
頭の中を昨日の事が駆け抜けて、後藤さんをどういう顔で迎えればいいのか分からなくて。
ただ、吉澤さんに向き合う彼女の横顔を、見ていた。
長い睫。まっしろな肌。
昨日、私はこの人に―――、
後藤さんが、唐突にこっちに顔を向けた。
あの光景が、昨日照れたように笑ったあの彼女の姿が、鮮やかに蘇る。
どくりと、心が、鳴いた。
「石川さん」
「なななぁ、なにっ」
突然呼ばれた自分の名前に驚いて舌が縺れた。
吉澤さんが目を丸くしてるのが視界の端に映って、慌てて口を噤む。
なに動揺してるの、私。
昨日のあれは、からかわれただけなんだから、こんな反応したら後藤さんが困るでしょ。
自分に言い聞かせて、気づかれないように小さく息を吐き、彼女に向き直る。
「なに?後藤さん」
できるだけ平静を装って笑顔を向けると、後藤さんが少しだけ表情を硬くしたような気がした。
…笑顔、引きつってたのかな。
微妙に心配になったけれど、今更それを引っ込めるわけにもいかなくて、
顔に笑みを乗せたまま、後藤さんの言葉を待った。
- 521 名前:夏休みの課題回収係2 投稿日:2007/03/11(日) 00:05
-
「あの、これ…」
後藤さんは鞄の中からプリントを取り出して、おずおずと私の前に差し出した。
それを受け取り、ぱらぱらと中を見ると、答えのしっかりと書き込まれた英語の課題で。
忘れてたわけじゃ、なかったんだ。
少しだけ驚いて後藤さんを見ると、彼女は困ったようにぽりぽり項をかいた。
「朝ちゃんと渡そうと思ってたんだけど、寝坊しちゃって…。
起きたのさっきでさ。これでも、急いで来たんだけど―――」
昨日のふてぶてしい態度はどこへ行ったのか、弱々しくそこまで一気に喋った後藤さんは、
恐る恐ると言うのがぴったりな動きで、私の目を覗き込んできた。
「ごめんね…?」
ぽそりと呟いたその姿が先生に叱られた小学生みたいで。
あまりにもいつもとのギャップがありすぎて、動揺していたのが吹き飛んだ。
代わりに笑いが込み上げくる。
ぎこちなかった頬が、本当に緩んでくのを感じた。
「…今何時だと思ってるの?」
「う」
「朝からずっと待ってたんだけど、私」
「ご、ごめ…」
ごめんなさい、って上目遣いの後藤さん。
そんな彼女を見ながら、頬の筋肉が緩むままに笑顔をつくる。
そしたら、彼女がぽかん口を半開きにしたまま私を見返してきた。
その表情はちょっと間抜けで、ちょっと、…うん、可愛かった。
「いいよ、もう。ちゃんと持ってきてくれたし」
彼女の持ってきた課題のプリントを左右に振る。
後藤さんは、少しだけ間抜けでちょっと可愛い表情で固まって、それから、ふにゃりと微笑んだ。
いつもの、あの笑顔で。
だから。
だから、私は、
私は、何だか安心してた。
- 522 名前:夏休みの課題回収係2 投稿日:2007/03/11(日) 00:06
-
今、目の前で見た彼女の表情や態度は、5年の付き合いで初めて見たけど、
彼女は、後藤さんは、いつも通り笑ってたから。
いつもと変わらず、ふにゃり、と気の抜けたようなあの笑顔を私に向けたから。
私は、安心してたんだ。
昨日の放課後の“あれ”は、やっぱり後藤さんの悪ふざけで。
今更、掘り返す気もないんだって。
安心、してたの。
「なになに、ちょっと。いつからそんなに仲良くなってたわけ?
ごっちんとせいとかいちょーってば」
それまで黙ってた吉澤さんの声にそっちを向くと、くわえたチュッパチャップスの棒を振りながら彼女は私と後藤さんを交互に見比べてた。
「仲良いっていうか…、先生に頼まれごとしてたから」
苦笑しながら、言葉を濁す。
でも、間違った事は言ってないでしょ。
だって、後藤さんと私の間には、仲が良いって胸を張って言えるようなモノは何もないんだから。
「ね?」って、後藤さんに同意を求め振り向いて、私は、思わず息を呑んだ。
だって、後藤さんが。
さっきまで笑ってたのに。
ふにゃりとしてた口元が一直線に引き結ばれてて。
彼女の黒目がちな瞳が、真っ直ぐに私を射抜いてた。
その瞳の色は、昨日、私の事を鈍感と言った、あの時のそれと少しだけ似てた。
胸の奥の奥の方が、ざわり、と騒ぐ。
「せんせーから?なんだ、やっぱごっちん何かやったんじゃん」
吉澤さんの声がすぐそこで聞こえて。
何か言わなきゃって思うのに、私は、後藤さんから視線を逸らせない。
でも。
これ以上見ていたらいけない気がした。
よく分からないけど、これ以上見てたら、私は、――― 私は?
後藤さんの引き結ばれた口が、すっと動き出す。
- 523 名前:夏休みの課題回収係2 投稿日:2007/03/11(日) 00:07
-
「石川さん」
それが自分の名前だと理解するのに、数秒かかった。
後藤さんの腕が動いて、私の左の手首を捉える。
そこまで目で追って、ようやく体と頭が繋がった。
「ちょ、っと、」
「来て」
抗議の声を最後まで上げる前に、後藤さんは歩き出してた。
私の手首を掴んだまま。
「ちょ、ちょっとっ!後藤さんっ」
「………」
彼女は無言で歩き続けて。
腕をがっちりと捕まったままの私も続かざるをえなくて。
教室の扉を通り抜ける時、「昼休み、あと10分だからねー」なんて、
後藤さんの親友の暢気すぎる声を背中で聞いた。
- 524 名前:夏休みの課題回収係2 投稿日:2007/03/11(日) 00:07
-
***
連れてこられたのは、屋上へ続く扉の前の階段だった。
うちの学校は屋上を生徒に解放していない。
学際で校舎をデコレートする時以外は基本的に年中閉まってる。
次にこの扉を開くのは数日後。
生徒会と学際実行委員総出で行うのだけれど、それの段取りもまだ決めてないな。
今週中に上げないと、また実行委員長にお小言を言われそう。
扉の取っ手にぶら下がってる厳つい南京錠を見ながら、ぼんやりとそんな事を考えてた。
そしたら、左手が急に軽くなって。
見ると、後藤さんの手が私の手首から離れてた。そのまま顔を2段上にいる後藤さんへ向ける。
彼女は私に背中を向けていた。扉の窓から入る光がその姿を淡く包み込む。
数秒見つめて、掴まれてた手に視線を落とした。
何度か開いたり閉じたりを繰り返す。
ここへ来るまで何度も話しかけたけど、後藤さんはずっと黙ったままだった。
一言も喋らず、こんな所まで連れてきて、いきなり手を離す。
何がしたいのか、さっぱり分からない。
――― ううん。
何となく、ここに連れてこられた理由は、見当、ついてる。
こんな人気のない所で、彼女が私にしたい話なんて一つしかないもん。
(――― 昨日のこと)
それ以外ないじゃない。
……謝る気なのかな。
昨日はあんなコトしてちょっとおふざけが過ぎた、って。
ちょっとした罰ゲームだったの。だから気にしないで、とか?
でもそれなら、教室で「ごめん」で十分な気もする。
わざわざこんな所に来るってことは、誰にも聞かれたくない話があるからで。
もしかして口止め?
昨日のコトはちょっと魔が差しただけで。だから誰にも言うな、とか。
2段上の彼女の後姿を見つめてそんな事を考えてたら、その後姿がゆっくりと動き出した。
- 525 名前:夏休みの課題回収係2 投稿日:2007/03/11(日) 00:08
-
後藤さんが、振り返る。
逆光で表情はよく見えないけど、彼女の栗色の髪は光を通して金色に輝いて見えた。
「石川さん」
その声がいやに真剣な響きを持ってて、背筋に緊張が走る。
居住まいを正して、「なに?」と応えたら、後藤さんは僅かに俯いた。だけど、すぐにそれは上がって。
逆光でよく見えないのに、彼女の目が私を見てるような気がした。
「昨日の…、こと」
きた、心の中で呟いた。
「その、いきなりあんなコトして、ごめん」
表情が見えなくても彼女がどんな顔をしてるのか分かってしまう、それくらい申し訳なさそうな声音。
「あれはちょっとやり過ぎたかなって思ってる」
やっぱり、ここに来たのは、謝るためだったんだ。
次の言葉は簡単に想像できた。
『ふざけてただけなの』
『だから、忘れて』
頭の中の後藤さんがそう呟く。困ったような、申し訳なさそうな、そんな笑顔を浮かべながら。
私はそんな彼女ににっこり微笑みかけて、『気にしないで。分かってたから』そう言えばいい。
それで全部おしまい。
昨日のことは忘れて、私と彼女は今まで通りの関係に戻る。
夏休み終わりに放課後学校に残って課題をする、それだけの関係に戻る。
ただ、それだけ。
そう考えたら、胸の中が、なんだか、すっぽりと何かが抜け落ちたような変な感覚になった。
褒められるだろうと思って頑張って作った料理をいざ相手に出したら、
「へえ、すごいじゃん」って言われただけで、期待してたリアクションが返ってこなかった、
そんな時の感じに似てる。あれ、――― 私、拍子抜けしてる?
……もしかして、がっかりしてる?
一体、何を ―――。
目の前の現実の後藤さんがちょっと頭を右に傾けた。
金色の髪がぱらりと落ちる。
――― 何を、期待してた?
(まってまって、待って!)
違う、ちがう。期待なんてしてない。
がっかりなんて、してるわけないでしょ!
足元に視線を落とした。けれどそれは、後藤さんのことを見ていられなくなったからじゃない。
絶対違うもん。ちょっと混乱してて、だから。
- 526 名前:夏休みの課題回収係2 投稿日:2007/03/11(日) 00:09
-
2段上の後藤さんの上履きが目に入った。
平仮名で“ごとう”って書いてある。私の知ってる彼女とは不釣合いの小さい女の子みたいな字だった。
その上履きがちょっと動く。まるで、こっちに踏み出そうとしてるみたいに。
「でも石川さん、あたし」
“ごとー”じゃなく、彼女がそんな風に自分の事を呼ぶのを初めて聞いた気がする。
今日は知らない彼女をたくさん知った。今までの5年間よりも、ずっと、たくさん。
5年間とは違う後藤さん。5年間知らなかった後藤さん。
……隠されていた後藤さん。知ろうと、していなかった後藤さん。
私は、逃げ出したくなった。
これ以上聞いちゃいけない。ううん、違う。聞かなくてもいいじゃない。
だって、次の言葉は分かってるんだから。
「あたし」
私は何の期待もしていなかったし、想像した言葉にもがっかりなんてしてないもん。
だったら、これ以上彼女の言葉を聞かなくても別に困らないでしょ。
「本気だから」
後藤さんは、私の想像とは違う言葉を紡いだ。
一瞬その言葉の意味を考えて、顔を上げる。
心臓の温度が上がった気がした。
(――― ほんき?)
やっぱり逆光で彼女の表情は見えなかった。
- 527 名前:夏休みの課題回収係2 投稿日:2007/03/11(日) 00:09
-
「キスとか、やり過ぎたと思ってるけど、あたし本気だよ」
「何が?」とは聞けなかった。
表情は見えなくても、その声や雰囲気がそんな質問させてくれなかったし、
なにより、そこまで言われて、その言葉の意味が、その“本気”の種類が、分からないほど私は馬鹿じゃない。
「石川さんが、好き」
ずくりと心が震えた。
顔に熱が集まってくる。
今ここで、私が「冗談でしょ?」って言えば、後藤さんはいつもの笑顔で「そうだよ」と言ってくれるかな。
でも、そんなこと言ってもきっと無駄だ。だって、彼女の声は冗談には聞こえないほど真剣な響きを持ってたから。
「好き」
はぐらかすことなんて、できないくらいに。
どくりどくりと心臓の音がうるさく響く。
後藤さんにも聞こえちゃうんじゃないかと心配になった。
俯いて、彼女の上履きの“ごとう”の文字を見つめる。
何か言わなくちゃいけない。ううん。“何か”じゃない。
「ありがとう」か、「ごめんね」か。
私が言わなければならないのは、彼女が求めてるのは、そのどちらかだけで。
そして私の答えは、考えるまでもなく「ごめんね」だ。
なのに、私はどうして今。
すぐにそれが言い出せないでいるの。
なんで、どうしよう、なんて思ってるの。
ねえ。……私、迷ってる?
(ちがう、ちがう)
だって、私は後藤さんのこと何も知らない。
自分のこと“あたし”って言ったりすることも、上目遣いで謝ることも、
責められてあんなに項垂れることも、今日初めて知ったばかりで。
どくり、心が大きく跳ねた。
- 528 名前:夏休みの課題回収係2 投稿日:2007/03/11(日) 00:10
-
「わたし ―――」
気づいたら、喋ってた。
「後藤さんのこと、嫌いじゃないけど、」
“ごとう”の字を見つめる。上履きは微動だにしない。
私の言葉をじっと聞いてるみたいだった。
後藤さんは今、どんな表情をしてるんだろう。
何を思って私の言葉を聞いてるんだろう。
――― 石川さん。
何故か、そう言って、ふにゃりと笑った彼女の顔が頭を過ぎった。
「ごめんなさい。あなたの気持ちには、こたえられない」
結局、“ごとう”と書かれた上履きは最後まで少しも動かなかった。
顔が上げられない。彼女の顔を見るのが怖いから。
何故か手が震えてた。まるで、とんでもない事を言ってしまった時みたいに。
これで良かったんだ。私は何も間違ってない。そのはずなのに。
今までこういう状況に陥ったことが何度かあったけれど、いつも気まずくて、
どうやってこの場から脱出しようか、そんなことばかり考えてた。
心臓がどくりどくりと音をたてる。
馬鹿みたいに早く。馬鹿みたいに、大きく。
逃げ出したいとは、思ってた。
だけど、なんで、私、泣きそうなの。
なんで、こんなに苦しいの。
ねえ、もしかして私、後悔してる?
自分で今さっき言った事を、後悔してる?
「あー、あのさ、」
それまで黙ってた後藤さんの声が聞こえて。
びくり、と肩が揺れた。
- 529 名前:夏休みの課題回収係2 投稿日:2007/03/11(日) 00:11
-
「いっこだけ、聞きたいことがあるんだけど。
あの、…できれば正直に答えてほしい」
こくり、と一つ頷く。
さっきまでとは違った平坦な声。そこから彼女の感情は読み取れない。
顔を見れば少しは違うかもしれないけど、どうしても視線を上げることはできなかった。
声も、出せなかった。
けど、後藤さんは少しの間を置いて話し出す。
「それは、こたえられないって言ったのは、あたしが女だから?」
静かに響いたその言葉に、私は思わず首を左右に振ってた。
そんなんじゃない。
確かに彼女も私も女の子だけど、確かにそれも少しは引っかかっていたけど。
それよりも。
「私、後藤さんのこと何にも知らないんだよ。
好きとか嫌いとかそういう対象としてた見たことなんてなかったから。
急に、そんなこと言われても…」
困る。そこまで言って、私は気づいた。
(じゃあ、時間をかければ良かったわけ?)
どうして私、こんな言い方してるんだろう。
ただ『無理』と言えばいいだけなのに。
『そういう対象には見れない』と言えば言いだけなのに。
知らなかったって。見たことがなかったって。
おかしいじゃない。
まるで、これから可能性があるような言い方、してる。
ずっと見つめてた“ごとう”の上履きが動いた。
「そっか」
後藤さんがぽつりと呟いた。
それは、びっくりするくらい、いつも通りの声音で。
“ごとう”の上履きが、こっちに向かって降りてくる。ぱたぱた、音をたてながら。
- 530 名前:夏休みの課題回収係2 投稿日:2007/03/11(日) 00:11
-
近づいてくる後藤さんの気配に体が強張り、ぎゅう、と手を握りこんだ。
どくり、と心臓が鳴って。
彼女は私の左隣を通り過ぎ、ぱたぱた降りていった。
2段、3段、4段、5段…、背中で足音を聞いて数える。
ちょうど6段目で、その足音は止まった。
「石川さん」
彼女の声が私の背中にぶつかる。
いつもの声だった。
「ごめん、課題やってくんの忘れちゃった」って言う時のような、気の抜けたいつも通りのあの声だった。
どうしてこんなにも緊張しているのか、なんだかもう、自分でもよく分からなくて。
ごくりと唾を飲み込み、私はゆっくりと振り返る。
6段下で私を見上げてた後藤さんと視線がぶつかって、この場所に来て初めてその表情をまともに見た。
彼女はいつものあの笑顔を浮かべてた。
「知ってる?あたし、めっちゃ諦め悪いんだよね」
少しだけ早口にそう言って。
彼女は私の反応を待つでもなく、続ける。
「5年も一人の子に片思いしてるぐらい、相当悪いの」
どくり、どくり。
心臓の動きが更に早くなる。
顔が赤くなるのが自分でも分かった。けど、逆光できっと後藤さんには見えてない。
「諦めないから」
そう言った彼女の顔は、何故だか『そういうことだから』と、昨日私に向けた笑顔と重なって見えた。
弧を描いてた彼女の唇の両端が更に上がる。
けれど、それとは正反対に瞳は真剣さが増して。
「片思い暦五年を、なめないでよ?」
冗談めかした口調なのに、それは少しも冗談には聞こえなかった。
どちらかと言えば、それは宣戦布告。
後藤さんは暫く私を見つめて、くるりと身を翻し、階段を降りていった。
- 531 名前:夏休みの課題回収係2 投稿日:2007/03/11(日) 00:12
- 彼女の姿が視界から消えて、やっと私は全身に入っていた力を抜いた。
はあ、と息を吐く。
左手を少しだけ持ち上げて、さっき後藤さんに掴まれた所をそっと撫でる。熱い。
変な感じだ。
さっき私は、告白を断って、なのに後悔して。
彼女に言ったことは本心なのに、……彼女の言葉に胸を高鳴らせてた。
どうしよう。どうすればいい?
ねえ美貴ちゃん。
亜弥ちゃんの言ってたコト当たってた。
――― からかわれてんじゃん、それ。
からかわれてなかったよ。
どうしよう。どうしよう、美貴ちゃん。
私、告白されちゃった。
――― んで、誰にされたわけ?そんなこと。
後藤さんに。
それに何だか私、それが嫌じゃないみたいなの。
多分、それが一番まずいと思わない?
頭の中で美貴ちゃんが、にやり、と笑んだ。ものすごくイヤな感じの笑い方だった。
その隣で亜弥ちゃんが大きな目をくるりと回すと、指を折り曲げて、その両指の端をぴとっとくっ付けた。
作られたのは小さなハートマーク。
――― 石川先輩。ラブですよ。ラブ。
もう美貴ちゃんは、呆れたように半目になることも、
これ見よがしに溜め息を吐くこともしなかった。
- 532 名前:夏休みの課題回収係2 投稿日:2007/03/11(日) 00:12
-
>>>夏休みの課題回収係2
- 533 名前:太 投稿日:2007/03/11(日) 00:13
- 前回より2ミリ(梨華ちゃんの気持ちで1ミリ+ごっちんのちゃんとした告白で1ミリ)ぐらい前に進んだ二人。
まだまだ先は長いね、後藤さん。
お目汚し失礼しました。
- 534 名前:太 投稿日:2007/03/11(日) 00:14
-
>>501さん
カッコイイですかね。相当痛い人ですけども(笑)
>>502さん
理想…。め、めっちゃ痛い人ですけど。
でもありがとうm(_ _)m
>>503さん
同意。
>>504さん
危ういごっちん万歳!!
>>505さん
激しく同意(自分で書いたくせに)
>>506さん
壊してみました。そんでもって壊れました、私が。
ちょっと自分の頭の中が不安になりました(笑)
- 535 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/03/11(日) 00:25
- うわわわ!
どきどきするっす。
次回更新も楽しみにしてます。
- 536 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/03/11(日) 03:48
- いい!かなりナイスです!!
更新お疲れ様です^^
次回楽しみにまってます♪
ごっちんがカワイー!梨華ちゃん鈍感でこれまたカワイー!!
- 537 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/03/11(日) 09:48
- 太さんの書くメンバー達はみんなイメージそのままで大好きです
続きが気になる〜!
次回の更新も楽しみにしています!
- 538 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/03/11(日) 15:08
- 続きが読みたかったのでうれしい!更新楽しみにしてます。
- 539 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/03/11(日) 17:07
- 更新待ってました♪
梨華ちゃんがこれだとごっちんも大変ですねw
続きを楽しみにしています!
- 540 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/04/09(月) 22:29
- お待ちしております。
- 541 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/04/10(火) 22:03
- 僕も待ってます!!
- 542 名前:太 投稿日:2007/04/18(水) 23:11
-
夏休みの課題回収係2、初っ端からやらかしました。
>>508の『そういうことだから』ってのは、
正確には「そういう、意味だから」です。
その後のやつも同じ所を間違ってると思われます。
……うあ、はーずかしー。
- 543 名前:太 投稿日:2007/04/18(水) 23:11
-
ぷち連載します。
石川視点で、家庭教師モノ。
85年組でワイワイした感じでいこうと思います。
お付き合い頂ければ幸いです。
- 544 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/18(水) 23:12
-
さらさら流れる栗色の髪。瞳を縁取る睫は彼女の瞳に影を造るほど長い。
綺麗な横顔を眺めながら、私は、どくりどくりと普段より早い自分の鼓動を感じてた。
(ああ、きれいだなぁ)
心の中で呟いて、また横顔に見入ってしまう。
「―――って、ことなんだけど、分かった?梨華ちゃん」
そんな事だから、突然こっちを振り向いたその人の言葉に咄嗟に反応できなかった。
え、あ、とか言葉になってない声が出て、横顔見てたのバレた?!とか、どうでもいいことが(どうでも良くないけど)頭の中を駆け巡る。
急いで言葉を探したんだけど、そんなの探す前から無いことは分かってた。
だって、私、その人の言葉を全く聞いてなかったんだもん。
……横顔を見るのに夢中で。探す以前に質問の意味すら分からない。
結局、おろおろと「えっと」って声をぽそりと吐くことしか出来なかった。
隣に座るその人は、元々大きな目を更にちょっとだけ大きくして、
「聞いてなかったでしょー」
なんて、ふにゃりと笑う。
その笑みに鼓動が更に早くなるのを自覚して、私は視線を逸らして俯いた。
彼女の笑顔はずるい。
普段あんなに大人っぽくて綺麗なお姉さんの顔を一瞬にして可愛くしてしまうから。
私は、そのギャップにどうしようもなくどきどきしてしまう。
俯いて机の上に広がるノートとシャーペンをじっと見つめていると、
頭の上の方から、特有の笑い声が聞こえてきて。
「しょーがないなぁ」
のんびりとした声は、言葉の内容とは裏腹に全く私を責める響きを持っていない。
その声音にちらりと視線を上げてみると、ふにゃりと微笑んだままのその人と視線が絡む。
「…ごめんなさい、後藤先生」
ぽそりと呟いた私に、隣に座る先生は、笑みを深めた。
- 545 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/18(水) 23:13
- ***
後藤先生こと、後藤真希さんは3ヶ月前に家庭教師としてうちにやって来た。
高校2年の半ば、進路の話も本格的にぽろぽろと出始めたそんな時期。
うちの学校はそれほど進学に力を入れてるわけではなかったけれど、かと言って就職に強いというわけでもない。
学力レベルも生徒の素行も至って普通の(制服が可愛いのが唯一の売りと言ってもいいくらいの)平凡な高校で。
周りがそうであるように、私も漠然と大学に行こうかな、なんてぼんやり思ってた。
そんな最中の期末テストで私は人生の中で最低得点を次々と弾き出してしまった。
内心、やばいなぁとは思いつつも馬鹿正直にそれを親に言うこともせず、期末がんばろ、なんて気楽に構えていた。
その矢先、三者面談で担任にそれを親に暴露された。
更に追い討ちをかけるように担任は、これでは進学は危うい、と遠まわしに母に言った。
その場では愛想笑いを浮かべていた母。その実、相当キレていたらしく家に帰ると、
家庭教師をつける、と据わった目で私に言い放ったのだ。
それでやってきたのが、後藤先生。
もともと勉強よりも運動の方が好きな私は家にまで教師がきて、
勉強を強制的にやらされるのが嫌でしょうがなかったけど、
母の目を見たら何も言えなかった。
でも、それも今となってはお母さんに感謝かな。
―――― だって、先生に会えた。
- 546 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/18(水) 23:14
-
***
机に向かってると、かちゃんと音がした。
背後から聞こえたそれが先生の白いケータイが開かれた音だと私にはすぐに分かる。
だってそれは先生が来る度に聞いてる音。
その“かちゃん”は2時間の授業の終わりを告げる音だから。
慌てて時計を見ると、ちょうど9時を回ったところで。
この後に続く先生の言葉は予想ができた。
この3ヶ月、週2日、火曜と金曜に必ず聞いてきた言葉だから。
聞く度に、切なくて苦しくて、寂しくなる言葉だから。
「…今日はこの辺にしとこっか?」
予想通りの言葉に、ふぅと小さく溜め息を吐いて、
かちかちとシャーペンのお尻を押し芯を元に戻した。
背中で、がさがさと先生の荷物をまとめてる音を聞きながら、
私はいつものように、引き止めたいような、そうじゃないような、変な気持ちになる。
もっと、先生と一緒にいたい。
そうは思うけれど、お菓子食べていきませんか、とか、そんな事は口に出来ない。
先生は優しいから、ちょっと遠慮しながらも、きっと嫌な顔はしない。
いつものようにふにゃりと笑んで、ありがとうって、十中八苦その申し出を受けてくれる。
でも、だからこそ、私は言えなかった。
だって、大人の先生は、迷惑だって思ってても、きっとそれを顔には出さない。
そうなったら、笑顔の下に不愉快さを隠されたら、私は、先生の気持ちに気付けないから。
先生に不愉快な思いはさせたくない。
もし先生に迷惑がられたらって考えてしまって行動には移せなかった。
- 547 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/18(水) 23:14
-
普通に考えて、そんなことで嫌われるなんて、よっぽどのことじゃない限り有り得ない。
先生だって用事があれば断るだろうし、それくらいの付き合いきっとどうってことないと思う。
まあ、“それくらい”の付き合いも嫌なほど先生に嫌われてなければって前提の話だけどさ。
(今のところそこまで嫌われてはいないと思うし。…多分)
そう頭では理解してるんだけど。
だけど、そんな些細なことが気になってしまうくらい、私は。
先生に嫌われるのが、恐かった。
それくらい私は、
先生が、好きだった。
この気持ちを先生に伝える気はない。
だって、先生にこの気持ちを受け入れてもらえる見込みは、ゼロに等しいから。
それなら今のこの関係がいい。
生徒として先生と勉強を教えてもらう、それだけで、もう、いいんだ。
先生に出会えた。
それだけでもう、私は十分だから。
この関係を壊すような事はしたくない。
もう、できない。
荷物をまとめた先生を玄関の外までお見送り。この3ヶ月欠かさず続けてきた。
先生は、別にいいのにって苦笑するんだけど、でもそこはそれ、一分一秒でも長く一緒にいたいって思うから。
恋する乙女にとっては真っ当な心理じゃない?
玄関の外に出ると、もう辺りは真っ暗で。
秋の色が濃くなってきたこの時期、外の空気は少しだけ肌寒い。
体を抱きしめるようにして腕を摩ったら、それに気付いたらしい先生が困ったように微笑んだ。
「梨華ちゃんそんな薄着でー。風邪引いちゃうから、外まで来なくてもいいよぅ」
「だ、大丈夫です」
「じゃないでしょー?寒そうじゃんか」
「大丈夫だもん」
見送りするなって言われてるみたいで、寂しくて、ちょっとだけ悔しかったから唇を尖らせて抗議する。
そしたら先生はふにゃふにゃと笑って、くしゃくしゃと私の頭を撫でた。
先生に頭を撫でられるのが私は密かに好きだった。
宿題が全問正解してた時、小テストで良い点が取れた時、先生はこうやって頭を撫でてくれる。
私は、それをされる度に飼い主に喉元を撫でられる猫ってこういう気分なんだろうなぁって思った。
大好きな飼い主の手で、安心できる体温を感じて。
きっとそれは、すべてがどうでもよくなっちゃうくらい気持ちの良いもので。
思わず目を細めたら、先生の笑みが深くなったような気がした。
- 548 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/18(水) 23:15
-
「今度から上着持ってきなよ」
「…はい」
ぽんって一度撫でるように私の頭を叩いて、先生は手を戻した。
「ちゃんと宿題やっとくよーに」って言い置いて、くるりと背を向けて歩き出す。
先生の手が名残惜しくて、「さようなら」と返しながらも、
私は離れてく背中と手を未練がましくじっと見つめてた。
そしたら、唐突にその歩みが止まった。
え?って思った時にはもう先生がこっちを振り向いてて。
2メートルも離れていない距離で私達はもう一度向き合う。
「…どうしたんですか?」
首を傾げたら、先生は唇の両端を上げた。
「もうすぐ中間テストだったよね?」
確かめるようにそう言った先生。
訝しがりながらも頷いて見せると、「じゃあねぇ」と言葉を続けて。
「中間で90点以上が一個でもあったら、ご褒美あげる」
先生は、帰り際に魔法の言葉を呟いた。
- 549 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/18(水) 23:18
-
***
「…だからなに?」
翌日、先生の“ご褒美”発言の経緯を説明したら、
隣に座る茶色の髪を肩ぐらいまで伸ばした少女は、心底興味なさそうにそう言った。
「もう。今の話聞いてたの?美貴ちゃんっ」
どん、と机を叩くと、その上に置かれてた書類がぱさぱさ揺れた。
美貴ちゃんは「聞いてる聞いてる」って、虫を追い払うように右手を振る。
「つーかさ、大声出さないでよ。梨華ちゃんの声ただでさえキンキンすんのに」
「ちょっと人より高いだけでしょっ」
「かなり高いの間違いじゃん?」
私の抗議もどこ吹く風。
美貴ちゃんは眉一つ動かさずにそう言って。
「一応ここ図書室なんだから」
と付け加えた。ついでのように彼女が自分の背後を指差すのを見とめて、私はぐっと言葉に詰まる。
その指の先を今更確認しなくても、何があるのか分かってる。
『図書室で大声を出してはいけません (図書委員)』
B4画用紙を二枚くっ付けた特大の用紙に、でかでかと赤ペンでそう書かれてるはずだ。
我が図書委員会顧問、飯田先生の独特な字体で。
部屋の中に視線を巡らすと、テーブルと椅子、本棚が目に入るだけで人の気配は無い。
うちの図書室には生徒はあまり来ない。
現に今だって、出入り口に設けられた小さなカウンターの内側に座る私と美貴ちゃん以外は誰もいない。
ちらりと視線を手元にやる。
机の上の、表紙に『貸し出し記録』と書かれたピンクの大学ノートも、
4月頭まで遡らないとまとまった記入がないはずだし。
さっきは条件反射で黙ってしまったけど、図書室で大声を出すなってのは、
図書室を利用してる人に迷惑がかかるからであって、利用者がいない今、赤ペンの注意書きを守る必要はないはずだ。
そう勝手に結論付けて、いつもよりちょっとだけ強気に美貴ちゃんを見つめた。
- 550 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/18(水) 23:19
-
「人いないからいいじゃん。誰にも迷惑かけてないもん」
「ミキが迷惑被ってる」
身も蓋も無く切り返されて、私はまた言葉に詰まった。
つまり彼女はあれだ。
とりあえず「アンタしゃべんな」って言ってるわけだ。
ちょっとだけ強気だった姿勢も気持ちも、するすると萎んでいく。
彼女の言いたい事をすぱっと言う裏表の無い竹を割ったようなその性格は、
内弁慶な私には羨ましくて嫌いじゃなかったけど、時々キツ過ぎる。
本人もそれを自覚してるらしく、親しくない人には自分から話そうとはしない。
(それが逆にまた恐かったりするんだけど)
私も初めて美貴ちゃんと話さなければならない状況に陥った時、
何もしていないのに睨みつけられて、身の縮む思いをしたし。
彼女が、素で目つきが悪い(らしい)というのを知ったのは、
知り合ってから2ヶ月くらいたった後だった。
「…図書委員のよしみでしょ、ちょっとくらい聞いてくれてもいいじゃない」
むうって唇を尖らせたら、美貴ちゃんは半眼になってどうでもよさ気に溜め息を吐いた。
私と美貴ちゃんが初めて会ったのは図書委員会でだった。
図書室の貸し出し係は二人一組なんだけど、美貴ちゃんはああいう性格だから、
委員会の人たちは皆恐がっちゃって、半ば無理やり美貴ちゃんの相手を押し付けられた事がすべての始まり。
押し付けられた時は委員会拒否(?)しようかと思ったけど、そんなことできるわけなくて。
初めの1ヶ月ぐらいは挨拶をするのも命がけ。
まあでも、今ではこんな風に軽口を交わせる(一方的に言われてる?)くらいには仲良くなってるとは思うし、
さっぱりした気質の彼女と話すのは意外に楽しかったから、結果オーライかな。
「なんでミキなわけ?あの子に聞いてもらえばー?
何つったっけ?ほら、…しー、し、しば……?」
「柴ちゃん?」
「そうそれ」
飛び出した親友の名前。確かに、いつもなら柴ちゃんに話す。
美貴ちゃんは仲良くなったとはいえ、顔を合わせるのは委員会の仕事がある時だけで。
週に2、3回。しかも図書室限定でだし。
でも今日はたまたまその“いつも”には当てはまらない日だった。
- 551 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/18(水) 23:19
-
「だって今日、柴ちゃん休みなんだもん」
同じクラスの親友は担任の言葉を借りるなら『発熱で欠席』。
メールで確かめたところ、恋人とデート、って本当にたったそれだけの至極簡潔な答えが返ってきた。
さぼりだ。
そのメールを貰った時、友人の不真面目な行動を咎める感情が湧き上がると同時に、
そんなことを飄々と成し遂げる彼女が少しだけ羨ましかった。
私はきっとそうしたいと思ってても行動には移せないから。
先生を誘えないのと一緒だ。
良心が咎めるのはもちろんだけど、それよりも、自分が“それ”をした後のことを考えてしまう。
クラスの人はどう思うだろう。
美貴ちゃんは怒るかな。委員会の仕事をさぼってしまって。
クラスの係りの仕事は、日直は。
……誰かに、迷惑を、かけてはいないだろうか。
そんな風に思ってしまう。
一度この事を美貴ちゃんに話したら、やっぱり今のように、
『馬鹿じゃない』の一言ですぱりと切り捨てられたことがある。
―――― 梨華ちゃんて、馬鹿真面目だよねぇ。
しみじみと何だか感慨深げに呟かれた彼女の言葉。
だけどそれは間違いだ、そう私は心の中で思ってた。
真面目なんじゃない。ただ、小心者ってだけ。
人の目がどうしても気になってしまう。
だから私は、誰を気にすることもなく、自分を通すことができる美貴ちゃんや柴ちゃんが羨ましかった。
「ほぉーう。つーことは、ミキは間に合わせなわけね」
「間に合わせって…、たまたま今日委員会の仕事だったから…」
「そういうのを間に合わせって言うんじゃないの、おねーさん」
憮然とした表情で言い放って、美貴ちゃんは頬杖をついた。
「……怒った…?」
不穏な空気を感じて恐る恐る聞くと、美貴ちゃんは片眉だけ器用に上げて、はあと溜め息を吐いた。
「慣れた」
呟いて、口元をほんの少しだけ緩めて。
諦めたような、呆れたような、そんな笑顔を浮かべた。
- 552 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/18(水) 23:20
-
「こういう状況、慣れたわ。なんかもう」
「ええー」
慣れたって言い方がすごーく気になるんだけど、美貴ちゃん。
口を尖らすと、美貴ちゃんはにやりと笑んだ。
「んで?だーいすきなカテキョの先生にご褒美貰えるんでしょ。なんか問題でもあんの?」
頭を完全に切り替えたのか、さっきとは打って変わって、
美貴ちゃんは酷く楽しそうな口調で(からかう気満々って感じ)そう言った。
「問題っていうか…」
「うん?」
問題はない。むしろ嬉しい。
それが、生徒にやる気を出させるためのものだとしても、私は嬉しかった。
ただ、ちょっと悩んでる。
「何をお願いすればいいと思う…?」
昨日、先生にご褒美を告げられてからずっと、私の頭からこの疑問が付いて離れなかった。
「はあ?」
美貴ちゃんは意味が分からないと言うように顔を顰めた。
実際、彼女には理解できないんだろうと思う。
だって、自分でも何でこんなことで悩んでるんだろうって思うもん。
でも、だけど、これは重要なことだ。
「だから、何をお願…」
「あー、内容は分かったから」
それ以上言わなくていい、と美貴ちゃんは手で私の言葉を制した。
それからその手で、ぽりぽりと首筋を掻いて。
「なんでもいいじゃん、そんなんさぁ」
どうでもよさそうにそう言った。
「なんでもよくないよぅ」
少なくとも私にとっては、すごく重要なことだ。
だって、こんな機会もうないかもしれないもん。
- 553 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/18(水) 23:21
-
「何か買って貰うとかとかさ、焼肉奢ってもらうとか、いろいろあんじゃん」
「焼肉は美貴ちゃんが食べたいだけでしょ」
「……。じゃあどっか連れてってもらうとかー…」
美貴ちゃんはそこで言葉を切って何かを考えるみたいに視線をあさっての方にやってから、
付いてた頬杖を崩してこっちに上半身を傾けた。
「そーだよ。どっか連れてってもらえばいーじゃん」
その目はすごいでしょって言わんばかりにきらきら輝いてて。
自分の発言にうんうんと頷いてる。
「遊園地とかさー水族館とか」
「遊園地…」
遊園地か。
先生と行ったら楽しいだろうなぁ。ジェットコースター乗って、バイキング乗って。
もちろんお化け屋敷も入ってさ、先生の腕に抱きついたり…は、ちょっと恥ずかしいけど。
最後は観覧車に乗って。
でも、先生って絶叫系大丈夫だったっけ?
遊園地ってそういうの駄目な人にはすっごくツマンナイだろうし。
お化け屋敷も、先生苦手かもしれない。
先生とはプライベートなことはあんまり話さないから、好みとか分からない。
やっぱ、ダメだよ。だって、もし。
もし先生そういうの苦手だったら、きっと楽しくないもん。
先生は大人だから、無理して合わせてくれるかもしれないけど、そんなの嫌だ。
「そういうのは、ちょっと…」
やんわり拒否すると、美貴ちゃんは右の眉をひょいと上げた。
「なんでよ?」
ご機嫌だった目元がすいーっと細くなってく。
ぎろり、と睨まれて、私は思わず唾を飲み込んだ。
「いい考えじゃない?遊園地」
「う、うん。そうなんだけど…」
「いろいろ格好つけていちゃいちゃできるよ?」
「い、いちゃいちゃって……」
私もちょっと想像したけど。いいなって思ったけど。
でもそうやってあからさまに言葉にされると照れるっていうか。
- 554 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/18(水) 23:22
-
「デートの定番じゃんか」
美貴ちゃんは腕を組んで「違う?」と続けた。
「定番だけどさぁ…」
「でしょー」
「でも先生、ジェットコースターとか好きじゃないかもしれないし…」
「は?なに、そー言われたの?絶叫系ダメだって」
「言われてないけどぉ…もし嫌いだったら…」
遊園地なんてつまんないでしょ、それに、先生にそんな思いさせたくないし。
ぶちぶち言ってたら、美貴ちゃんが「はあ?」と声を上げた。
「なにそれまじ意味分かんねえ。嫌いじゃないかもしんないじゃんか」
「そうだけど…もしかしたらさ…」
「もしかしてもさぁ、遊園地はジェットコースターだけじゃないし、
お化け屋敷とか観覧車とか乗ればいいんじゃないの?」
「それもダメかもしれないでしょ」
そしたら美貴ちゃんが目をすぃっと細くした。
「せんせーがそう言ってたわけ?」
「言ってないけど……」
美貴ちゃんの片眉がぴくりと跳ねるのを見とめて、肩がびくりと震える。それは殆ど条件反射。
だって私には、経験上、この後に起こるだろう事が簡単に想像できたから。
(……お、怒られる)
美貴ちゃんが腕組みをゆっくり解いて、がん、と大学ノートが乗っかったカウンターを殴りつけた。
「そんなんじゃどこにも誘えないじゃんッ!」
背後の赤ペンの注意書きもどこへやら。彼女は大声で更に続けた。
「子供じゃないんだから、せんせーも嫌なら嫌って言うでしょ!」
「でも図々しいかなって…」
「なっに言ってんのアンタ!ご褒美なんだからちょっとぐらいワガママ言ったっていいんだよッバカ!」
「で、でもぉ…」
「でもじゃない!!」
叫んだ美貴ちゃんは「うじうじ、いつまでも鬱陶しい!」と付け足して、カウンターを殴った手を私に突き出した。
その勢いに思わず顎を引いて、私は胸の前の手のひらを見つめた。
「ケータイ出せ」
その言葉に慌てて視線を上げると、若干据わった目でこっちを睨む美貴ちゃんとぶつかった。
その瞳は、とてもじゃないけど嫌だとは言えない雰囲気を持ってて。
というか、嫌だ、なんて言ったら絶対殴られる。
背中を変な汗がひとつ、流れた。
- 555 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/18(水) 23:22
-
「…ど、どうして?」
「梨華ちゃん見てたらイライラしてきた。ミキが聞いてあげるからケータイ出して」
「聞くって…?」
――― 何を、誰に、何のために?
美貴ちゃんの目付きが、ぎろり、と音がしそうなほど鋭くなった。
「ミキがせんせーに遊園地大丈夫かどうか聞いてあげる」
だからケータイ出せ。彼女の瞳はそう言ってて。
……こ、怖いよぉ。
美貴ちゃんのそんな目付きには、もう大分慣れたと思ってたけど、
やっぱりどれだけ経っても、怖いものは怖い。
だけど。
すごく、すごく、怖いけれど、私は彼女の言葉に従うことはできない。
「む、無理だよ、そんなの」
「無理じゃない。ミキが聞いてあげるんだから」
「でもでも、美貴ちゃん後藤先生の事知らないでしょぅ?」
「うっさい。どーにかなる」
きっぱりと断言した美貴ちゃんは「ほら」って手を突き出す。
なんでそんなにも自信満々なのか、私にはさっぱり分からないけど、
彼女にケータイを渡すわけにはいかなかった。
――― と、言うより、ケータイを彼女に渡しても、意味がない。
だって、私のケータイは、
「でも美貴ちゃん。私、後藤先生のケータイの番号もアドレスも、知らないよ……」
先生との連絡手段にはならないから。
私の言葉を聞いた美貴ちゃんは一瞬動きを止めたかと思ったら、
「はあぁぁ?」って呆れたように声を上げた。
「え、だって、アンタんとこのせんせーがカテキョに来たのって何ヶ月前だっけ?」
「……3ヶ月前」
そろそろと答えたら、私の胸の前にあった美貴ちゃんの手が、ぱたり、とカウンターの上に落ちた。
「……なんでそんなに一緒にいて知らないんだよぉー」
全身の力が抜け落ちたみたいに、美貴ちゃんは背もたれに上半身を預けると、椅子の上でずりずりと下がってく。
「普通真っ先に聞かない?」とか「つーかむしろ失礼じゃないそこまで聞かないのって」とか、ぶちぶちと呟きながら。
- 556 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/18(水) 23:23
-
だけど、そんなの事言われたって困る。
私だって、何回も聞こうと思ったんだよ。
でも、やっぱり、
「恥ずかしんだもん…」
先生が帰る時、ケータイで時間を確認する音を聞きながら、今日こそは!っていっつも思ってた。
けど、やっぱり、「ケータイの番号教えてください」この一言がどうしても言い出せない。
美貴ちゃんはもう怒鳴らなかった。ただ、「あっそ」って呟いただけで。
私は、視線を伏せて藍色の自分の上履きをぼんやりと見てた。
呆れてるんだろうな。そうだよなぁ、呆れちゃうよ。普通。
まるで初恋真っ最中の中学生だもん(中学生の方がきっともっと積極的だ)。
そんなの自分でも嫌ってくらい分かってるんだけど、先生の前に立つと、どうしてもダメ。
「ケータイの番号教えてください」ってただ言うだけ、それだけの事さえ、できなくなる。
情けないし、馬鹿みたいだけど、でも、やっぱり私、先生の事が好きなんだもん。
自分の足元を見つめながらそんな事を考えてたら、美貴ちゃんが「あ」って突然声を上げて。
視線を戻したら、口の端をひょいと上げた美貴ちゃんの顔が見えた。
美貴ちゃんは私の視線を受け止めて、背もたれに預けていた上半身をこっちへ傾けた。
その瞳が悪戯を思いついた男の子みたいにきらきらしてる。
「梨華ちゃん、ミキ、良いコト思いつちゃった」
ああ、なんだか。
嫌な予感。
- 557 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/18(水) 23:25
-
***
そんな美貴ちゃんとのやりとりがあった2日後の金曜日。今日は週2回目のカテキョの日。
いつもならちょっと緊張して、その何倍も嬉しい時間、なんだけど、今日の私は少し複雑な心境だった。
机の前の椅子に座る私の隣で、後藤先生がさっき私がやり終えた問題集を赤ペン片手に採点してる。
真剣なその表情を横目に、ちらりと視線を卓上時計に移すと、ちょうど8時45分になったところだった。
(あと、15分)
声には出さずに自分の中だけで呟いて、私は、膝の上の自分の手に視線を落とした。
一昨日の美貴ちゃんの姿が蘇る。
『ミキ良いコト思いつちゃった』
そう言って、きらきら笑顔を私に向けた彼女は、
『ご褒美にケー番とメアド教えてもらえばいいじゃん』
って、得意げに言い放った。
無理だよ、そんな事できないって言ったら、美貴ちゃんは私の手首をがしりと掴んで。
『なんか文句ある?』
きらきら輝く笑顔の中で、瞳だけが他とは違う光り方をしてて。
私は、首を縦に振るほかなかった。
不本意な形でさせられた美貴ちゃんとの約束を守らなければいけない理由なんてなかったけど、
でも、彼女のあんな目を見ちゃったら、とてもじゃないけど約束を破るなんてできなくて。
(だって怖いんだもん)
連絡先を聞くなら先生がケータイで時間を確認する時が一番いい。
……なんて言おう。無難に「ケータイの番号教えてくれませんか?」かな。
それとも、「この間言ってたご褒美、先生のメアドがいい」とか?
視線を上げて、隣で赤ペンを走らせてる先生をそろりと覗き見る。
真剣な表情で問題集と睨めっこしてる先生。
その顔を見てたら、なんだかすごく緊張してきちゃって。
どくどく、どくどく。鼓動がいつもとは違う意味で早くなる。
どうしよう。どうしようぅ。
言うの?本当に言うの?ねえ、あたし。
ぎゅう、と固く膝の上で両手を握りこんだ。
- 558 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/18(水) 23:26
-
でも、ここで聞かないと美貴ちゃんが。
きっと私、月曜日に怒られる。
きらきら笑顔の美貴ちゃんの、その中で少しも笑ってない瞳が一瞬脳裏を過ぎって。
私の心は、決まった。
よし。……き、聞くぞ。
先生が、ケータイを出して時間を確認した時に言うんだ。
躊躇ったらダメ。一気に行かないと、きっとまた尻込みしちゃうから。
「先生のケータイの番号、教えてください」って―――。
「梨華ちゃん?」
「は、はいぃっ!」
一生懸命シュミレーション中に突然聞こえた自分の名前に驚いて、思い切り声が上ずった。
目の前には、大きな瞳を丸くして私を見つめる先生の顔。
まずい。自分の中に入り込み過ぎてた。
全く先生の話聞いてなかったよぉ。
がちり、と文字通り固まって、どうすることもできずにただ先生を見てたら(内心焦りまくり)、
目を真ん丸にしてびっくり顔だった先生の表情が、次第にふにゃりと緩んでいって。
気づいたら、いつものあの笑顔を浮かべてた。
「梨華ちゃん、目めっちゃ泳いでるよ」
「ええ!!」
慌てて両頬に手のひらを当てたら、先生がぶはって噴出して、ツボに入ったのか声を出して笑い出す。
「わ、笑いすぎです」って抗議の声を上げても、笑うのを止めてくれない。
先生に笑われたのと、情けないやら、恥ずかしいやらで、顔中に熱が集まってくるのが自分でも分かった。
「せんせぇ…」
「あっは、ごめんね。梨華ちゃん分かり易すぎなんだもん。
“どうしよう!”って顔に書いてあるー」
うう、……恥ずかしいよぅ。ちょっと情けなさすぎて涙出そう。
何でいつも私はこうなんだろう。必死になりすぎて周りが見えなくなる。
それで何度も失敗をしてるのに。どうしてまた同じ事を繰り返すのよ。
恥ずかしいさと情けなさと自己嫌悪で、何だかもう顔を上げていられなくなって、
俯いて、ぎゅう、と目を閉じた。
そしたら、頭の上の方から、ふふって先生の笑い声が聞こえてきて。
ぽん、と頭の上に暖かい感触がした。
「…かわいいねぇ」
そんな、言葉と共に。
先生のその言葉を頭の中で反芻して、私は、閉じてた目を開けた。
何度か口の中でその言葉を繰り返すと、やっとそれの持つ意味が分かってきて。
同時に、頬がさっきとはまったく別の意味で熱を持つ。
何が。どこが。
こんな情けない所を見せてしまっているのに。
(か、からかわないでくださいっ)
- 559 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/18(水) 23:27
-
否定的な言葉が次々と頭に浮かんで、ぐるぐる回る。けれど。
でも、やっぱり、先生にそんな風に思ってもらっていたという事が、
(例えそれが社交辞令みたいなモノだとしても)嬉しかった。
そろりと顔を上げると、微笑む先生と視線がぶつかる。
先生は、ぽんぽんって2回私の頭を撫でるように叩いて、静かに手を引いた。
こんなことで真っ赤になってる私を先生は変に思ってるだろうか。
私が先生に抱いてるような感情で、先生はその言葉を言ったわけじゃないのに。
勝手に一人で浮かれて、真っ赤になって。きっと先生に変に思われてる。
「そういやさ、梨華ちゃん」
嬉しいのに恥ずかしくて情けない、何とも微妙なこの気持ちをどうしようかと、
悶々と考えていたら、笑顔を浮かべたままの先生が思い出したように口を開いた。
「こないだ言った“ご褒美”、何にするか決めた?」
ああ!そうだ!
そのご褒美のために私はさっきからずっと考えてたわけで。
先生の言葉で吹き飛んでた緊張感が舞い戻って、どきどき、と鼓動が早くなる。
言わなくちゃ、先生に。
「あの、それなんですけど、」
「うん?」
先生が、「なになに?」って首をちょこっとだけこっちに傾けた。
その拍子に先生の香水の香りがふわりとして。
緊張で早まっていた心臓の音が、今度は少しだけ大きくなった気がした。
ぎゅう、と膝の上の手を握りこむ。
言え、言っちゃえ、あたし。
「あの…」
躊躇しちゃダメ。こういうのは、さらりと、何でもない風に言わなくちゃ。
「せ、先生の、」
ほら、
はやく。
「先生のケータイの番号、教えてくださいっ!」
い、言っちゃった。私、言っちゃったよ、美貴ちゃん。
先生は少しの間ぽかんと呆けたように私を見てた。
なかなか返事をくれないから、ダメなのかなとか、迷惑だったかなとか、
悪い方へ悪い方へと考えが及んで、段々と聞いたことを後悔し始めた。
- 560 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/18(水) 23:27
-
そしたら、先生が片手を自分の頭の後ろに回して、ぽりぽりとかいて。
「……そんなんでいいの?」
なんて言うから。
とりあえず嫌がられてるわけではないことは分かって、私は先生の言葉に何度も頷いた。
私にとってはそれは全然“そんなん”じゃないもん。
ずっと知りたくて、でも、聞く勇気がなかった。
こんな機会がなければきっとこのまま知らずに終わるんだなって思ってから。
知りたい。
それで、少しでも先生と仲良くなれれば嬉しいの。
先生と想いが通じ合う可能性はゼロに等しいから、せめて、仲の良い教え子になりたい。
「……ダメ、ですか?」
何だか困惑顔の先生にちょっとだけ不安になって、確かめるように聞いてみたら、
先生は顔の前で片手を振って「ダメじゃないよ」って言ってくれた。
「ダメじゃないんだけど、もっとこう、すごいことお願いされるかなって思ってたから、
ちょっと拍子抜けしたっていうか…」
すごいことって…、どんな事予想してたんだろう。
でも、私からしてみれば、このお願いだって十分“すごいこと”なんだけど。
それから、先生は考えこむように視線を宙に少しだけ泳がせて、すぐに私に戻した。
「じゃあさ、こうしよう」
そう言って、バッグの中から黄色い手帳を取り出した先生。
目立つ色のそれは、黄色いカバーだけ取り外しができるようになっていて、
先生はそれがお気に入りで、毎年大切に使っていると言っていたのを思い出す。
年季の入ったカバーの手帳を開いて、何を思ったのか先生はその中の一枚をびりびりと破きだした。
ただの紙切れとなった手帳の1ページにボールペンで何かを書き出す。
「……先生?」
「番号とかはさ、いつでも教えられるじゃん?」
先生はボールペンのお尻をノックして芯を仕舞うと、
今まで書いていた紙切れを、机の上を滑らせて私の前に置いた。
- 561 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/18(水) 23:28
-
ちらり、先生の表情を窺うと、にこりと微笑まれて。
そろりそろり、と視線を下げる。
先生が私の前に置いた紙切れ。
そこには、
「連絡先は教えたげるから、ご褒美はもっと違うことにしない?」
ケータイの番号と、メールアドレスが書かれていた。
驚いて顔を上げたら、ふにゃりと笑んだ先生。
「もっと特別っぽいことしよーよ」
これだけでも、すごく、特別な事なのに。
すごく、すごく。
「でも、あたし…」
言葉は、先に続かなかった。
どうしよう。
どうしよう、美貴ちゃん。私、――― 嬉しい。
白い紙切れに指先でそっと触れたら、かさり、と小さな音がした。
「梨華ちゃん、何がいい?」
「………」
「何か欲しいものある?あ、それともどっか行きたい所ある?」
「……、…」
優しい声に応えなきゃいけないって頭では思ってるのに、声が、出ない。
先生は何も言わない私をちょっとだけ見つめて。
「梨華ちゃんって、ジェットコースターとか大丈夫だっけ?」
この間の美貴ちゃんを思わせるような言葉を口にした。
軽く頷いたら、笑みを深めた先生。
「じゃあさ、ごとーと遊園地行かない?」
先生はそう言うと、有名な遊園地の名前を挙げて、「どう?」って首を傾けた。
- 562 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/18(水) 23:29
-
――― 私は、
先生のそんな提案に、応えるべき言葉を見つけられなくて、ただ、呆然と先生を見つめてた。
(だって、)
だって、そんなこと言ってもらえるなんて思ってなくて。
だって、それは、美貴ちゃんとの会話の中で諦めてたことで。
先生のその言葉に特別な意味なんて無いって、分かってるけど。
ちゃんと、分かってるけど。
そんな言葉一つで、私は、言葉が出ないほど嬉しくて、嬉しくて ――――。
「んあっ、り、梨華ちゃんっ!?」
「え?」
にこにこしてた先生の表情が急に焦ったようなそれになって、慌てたように私の名前を呼んだ。
私は突然の先生の態度の変わりぶりに何が起きたのか把握できず、ぽかん、と先生を眺めてた。
そしたら、先生が、やっぱり焦ったように「ごめんね」って謝罪の言葉を口にして。
「い、嫌だった?遊園地キライだった?」
「え、あの…?」
「ごめんね、ごめんね。ごとーなんかと行っても楽しくないよね」
そんなことない。言葉にしようとして、だけど、それより早く先生が口を開く。
「ごめんね、だから、泣かないで」
その言葉を聞いて、やっと私は、自分が泣いてることに気がついた。
慌てて手のひらで目元を擦る。けれど、涙は止まらない。
なんで、どうして?泣くほど悲しいことなんて何もないのに。むしろ ―――、
(――― ああ、そっか)
悲しいんじゃないんだ。
私、嬉しいんだ。
頭で考えるよりも先に、体が、気づいてた。
慌てた声が聞こえたと思ったら、ぐしぐしと先生が自分の服の袖口で目元を拭ってくれた。
さっきよりも強く感じる先生の香水の香りと、ちょっと乱暴なその仕草。
気遣う優しい声に、どうしようもなく心が反応して。
止めようとしていた涙が、意識とは関係なく溢れてくる。
「違うことにしようか?」
ぐしぐしと先生に拭われるままにされてたら、そんな言葉が聞こえてきた。
いやだ、と口の中で呟く。けど、嗚咽が邪魔して、声にならない。
「どうする?やっぱ何か買ってあげよっか?」
やだ。やだよ、先生。私。
遊園地に行きたい。先生と一緒に。
いっぱい遊んで、いっぱい笑って。
――― それで。
涙がまたあふれて、先生の顔が揺れた。
「……や、です…」
「え?」
それで、私、
「…ゆうえんち、が、いい……」
先生の笑顔、たくさん見たい。
「……せんせいと、…いきたい」
搾り出した言葉は、嗚咽と混ざって酷くたどたどしかった。
- 563 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/18(水) 23:29
-
涙のせいでぼやけた先生の表情が、笑みの形に変わってく。
先生は、ちょっとだけ俯いて、「そっか」ってぽつりと呟いて。
「ごとーも、……梨華ちゃんと行きたい」
そんな風に、言ってくれた。
胸が、震える。
心の奥の、大事なトコが、すごく、熱くて。
涙が止まらない。
先生、ダメだよ。
そんなこと言われたら、私。
先生のこと、もっともっと、好きに、なっちゃう。
(…やばいよぉ、美貴ちゃん)
これ以上大きくしたって、どうにもならないキモチ。
それが、また、大きくなるのを感じた。
先生、先生。どうしよう。
私、好きなの。
きっと一生伝えることはないけれど。
先生が、どうしようもなく、好きなんです。
先生は、私が泣き止むまでずっと涙を拭ってくれた。
- 564 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/18(水) 23:33
-
■□■
- 565 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/18(水) 23:35
-
■□■
- 566 名前:太 投稿日:2007/04/18(水) 23:35
-
>>535さん
よっしゃ!どきどきして頂けましたか!光栄です。
>>536さん
夏休み課題の石川さんの鈍感さは酷すぎるよなぁと思って書いてたのですが、
可愛いと思って頂けたようで……、良かった…(笑)
>>537さん
是非ともこの二人はくっつかせたいと思っているので、
ネタを思いつき次第書ければいいなと思っております。
>>538さん
レスありがとうございますm(_ _)m
喜んで頂けてなによりです。
>>539さん
本当に後藤さんは大変だ(笑)道のりはまだまだ長そうです。
生暖かい目で見守って頂ければ幸いです。
>>540さん
>>541さん
お待たせしました。
- 567 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/04/19(木) 00:49
- 待ってました!!
なんか萌えな展開キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━
家庭教師もの大好物です。続き楽しみにしてます!
- 568 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/04/19(木) 01:23
- 待ってました待ってましたよ太さんっ!
さっそく次回の更新が待ち遠しいです
楽しみにしています!頑張って下さい!
- 569 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/21(土) 00:24
-
「で、どうなったの?」
登校してすぐ、教室に入る直前に私を捕まえて、
人気のない特別室の前まで引きずり、そう言った美貴ちゃん。
何の前置きもなかったけれど、その言葉が私と後藤先生との事を指しているのがすぐに分かった。
真顔で私を見つめる美貴ちゃんに、えへ、と笑んで、金曜日の先生とのやりとりを話した。
(泣いちゃったのは、恥ずかしいから省いたけど)
そしたら、美貴ちゃんは安心したように表情を緩めて「良かったじゃーん」なんて茶化すように言って。
私の背中を、ばしり、と叩いた。
ちょっと痛かったけど、美貴ちゃんのそんな表情や仕草に、気にしててくれたんだって事を感じて。
抗議の声は胸の中に仕舞っておくことにした。
「そっかそっか。結局遊園地行ける事になったんだ?」
「えへへ、うん」
「にやにやして超キモイんですけど」なんて言いながら、美貴ちゃんは私の頭をぐりぐりと撫でた。
けれどその手は、言葉とは裏腹にとても優しくて。私はされるがままに撫でられる。
「ありがとね」
「ん?」
「美貴ちゃんのおかげだよ。先生と遊園地に行けるの」
美貴ちゃんがあの日、私の背中を蹴飛ばしてくれなかったら、
意気地無しの私は、きっと何にもできないまま終わってた。
だから、
「ありがとう」
「…ばーか」
美貴ちゃんはぐりぐり私の頭をさっきよりも乱暴に撫でた。
だけど、そんな乱暴な仕草にも私はちっとも嫌な気分にならない。
だって私は知ってるもん。
美貴ちゃんは言葉も動作も横着な所があるけど、変なとこ義理堅くて、本当はすごく友達思いの子。
私も今までたくさん助けてもらってて、美貴ちゃんのそういう素直じゃない所も大好きだから。
彼女のそんな仕草も、私は嬉しくて、ちょっと、くすぐったい。
「でー?いつ行くことになったの?遊園地」
頭を撫でる手を下ろした美貴ちゃんの言葉に、私は金曜日の先生との会話を思い出した。
- 570 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/21(土) 00:25
-
私がやっと泣き止んだあと、先生は黄色いカバーの手帳をぱらぱらと捲り、
「テストって再来週だよね?」って聞いてきて。
頷いたら、先生はまた手帳を見て、「じゃあねぇ」って言うと、
手帳のスケジュール欄を私に見えるように机の上に広げた。
「梨華ちゃん、この日あいてる?」
先生が指差したのは、3週間後の日曜日。
「あいてます」って言ったら、先生はふにゃりと笑んで。
「じゃ、この日にしよう?遊園地」
そう言った。
その後「あ、もちろん、90点以上取ったらだけどねー」って付け足して。
先生の優しい笑顔とその言葉は嬉しかったけど、泣いてしまった事がちょっと恥ずかしくて。
頷きながらも、先生から顔を隠すようにぐしぐしと目元を擦ったら、
先生はその手首をやんわり掴んで「赤くなっちゃうよ」って苦笑した。
その時の“仕方ないなぁ”って感じの先生の表情を思い出したら、
少しだけまた、恥ずかしいような情けないような、複雑な気持ちが顔を出して。
それを頭から追い払うように、私は美貴ちゃんに向き直った。
「えとね、テスト返し終わった後の日曜日」
美貴ちゃんに伝えると、美貴ちゃんはちょっとだけ考えるように首を傾げて、
「3週間後?」って聞き返してきた。勢いよく頷くと、美貴ちゃんは小さく笑う。
「ったく、嬉しそーにしやがってー」
「ふへへ、嬉しいんだもーん」
美貴ちゃんは「あーっそ」なんて呆れたように呟いてから、
何かを思い出したように私の顔を覗き込んだ。
「そういや、メアドとか教えてもらったんでしょ?もうメールした?」
「したよぉ」
ちなみに先生からのメールは全部保護ってます。心の中で付け足した。
美貴ちゃんにからかわれそうだから口には出さないけど。
「先生ね、顔文字とかすごい可愛いの。見る?見る?」
ツッコまれるだろうな、なんて思いながら詰め寄ると、
予想通り美貴ちゃんは、鬱陶しそうに「見ねえよ」って言って。
すぐにまた、呆れたように苦笑した。――― けれど。
何だかそれは、さっきまでの笑顔とは違う何かを孕んでる気が、して。
「梨華ちゃんてさぁ、」
ほんの少し、胸が騒ぐ。
「せんせーのコト、ホント大好きだよね」
―――― 美貴ちゃん?
その言葉と表情に、抱く違和感。
何だろうこれ。胸の中がざわざわする。
その原因を突き止めるよりも先に、美貴ちゃんが口を開いた。
「今度さ、写メってきてよ」
そう言って「ミキも、梨華ちゃんのだぁい好きなせんせーの顔、見てみたい」なんて続けた美貴ちゃん。
その顔からはさっきの違和感は消えていて、いつもの美貴ちゃんの笑みが浮かんでた。
私は小さく息を吐いた。自分でも気づかない内に緊張してたみたい。
(……あれ?)
どうして私、緊張してるんだろう。美貴ちゃん相手に。
また、違和感を覚えた。
今度は自分に対して。
「無理だよぉ…」
「無理じゃないから。明日撮ってくること。はい決定」
「もう、美貴ちゃん」
ひらひら手を振る美貴ちゃんの姿は、いつも通りの彼女で。
私は、自分の中の違和感の正体を追究するのを止めた。
――― 追究しては、いけない気がした。
だから私も、いつものように彼女の名前を呼んで。
いつものように、私を茶化して遊ぶ美貴ちゃんに応戦する。
人気のない廊下にHRの始まりを告げるチャイムの音が響くまで私達はそうしてた。
いつものように。
- 571 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/21(土) 00:26
-
***
美貴ちゃんとそんな会話をした次の日は火曜でカテキョの日。
だから私は朝からちょっとだけ浮かれてた。だって、先生と3日ぶりに会えるから。
放課後は図書委員会の仕事があって、美貴ちゃんと二人で本の整理。
貸し出しカードと貸し出し記録と本を照らし合わせながら無くなってる本はないかとか、
返却日が過ぎてる本はないかとかを調べる。
(まあでも、もともと利用者が少ないから15分もあればすべて終わっちゃうんだけど)
グラウンドから聞こえる野球部の声を背中に感じながら、
美貴ちゃんと二人、貸し出し記録のノートとカードをチェックしてた、その時だった。
からから、と乾いた音をたてて開いた、図書室の扉。
二人して顔を向けると、そこには、ぎゅう、と口を真一文字に結んだ女の子がいた。
見たことない顔。けど、制服のリボンの色から1年生ってことだよね?
こんな時間に(こんな時間じゃなくてもだけど)ここを訪れる生徒は珍しい。
私は驚いて、なんて言葉をかけようか迷ってた。
多分、隣の美貴ちゃんも私と同じような心境だったんだと思う。
だって私と同じように珍しいお客さんを、ただ眺めてたから。
そしたら、その子は一度視線を伏せて、上げて、私たちを見つめた。
――― ううん。美貴ちゃんを、見つめた。
「ふ、藤本先輩」
その子が美貴ちゃんを呼ぶ。
私みたいに馬鹿みたいに高いだけの声じゃなくて、
女の子って感じの可愛らしいものだったけど、それはどこか硬く響いた。
彼女の緊張をそのまま表してるみたいに。
「なに?」
酷くそっけなく、緊張しながら自分の名前を呼ぶ後輩に応える美貴ちゃん。
愛想も何もあったものじゃない。
あの子が緊張してるのは分かりすぎるほど分かるのに。
美貴ちゃんだって気づいてないわけないだろうに。
もう少し柔らかく聞けないのかな。そういう風だから怖いって言われるんだよ。
思ったけれど、口には出さないでおく。
だって、あの子は美貴ちゃんに用があるわけであって。
部外者の私が、緊張してるあの子に更に追い討ちをかけるように茶々いれるなんてもってのほかだ。
- 572 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/21(土) 00:26
-
「あの…。あの、話したいことが、あるんです、けど…っ」
絞り出すようにそう言って「ちょっと付いて来て、くれませんか?」と続けた女の子。
もちろん、付いていってあげるだろうと思ってたら、美貴ちゃんは「ここじゃダメなの?」なんて言って。
こんなに緊張して、なのに勇気出して声かけてくれてる子になんてコト言うのよ!
思わず美貴ちゃんを振り返ったら、美貴ちゃんは、じっと女の子を見つめてた。
……本気で付いて行く気なさそう。
女の子に視線を戻すと、彼女は困ったように美貴ちゃんと私を見比べてた。
その顔は今にも泣き出しそうで。
(美貴ちゃんのばかっ)
――― いいよ、美貴ちゃんが行かないなら。
立ち上がって女の子に小さく笑いかけて、
私は床に置いておいたバッグを持つと、美貴ちゃんを見た。
「私、飯田先生の所に行ってくるね」
「え……、ちょ、梨華ちゃんっ」
美貴ちゃんが目を丸くしけれど、気にせずに歩き出す。
背後で私の名前を呼ぶ声が聞こえる。けれど、そんなの無視だ。
緊張してる子にあんな事言って。可哀想でしょ。
「鍵閉めておいてね」って言い置いて、図書室を出た。
女の子の隣を通り抜けた時、彼女は、ほんの少しだけ頭を下げた。
- 573 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/21(土) 00:27
-
別に飯田先生に用があったわけじゃない。
それはあそこから出て行くただの口実だから、私はそのまま下駄箱へ向かった。
生徒がいない校舎の中はとても静かで。
音と言えば、遠くの方で野球部のかけ声と、必要以上に大きく響く私の足音くらい。
ひんやりした廊下を歩きながら考えるのは、今さっき見た女の子と、美貴ちゃんの事。
まったく、まったく!美貴ちゃんてば、どうして、ああなんだろう。
せっかく後輩が声かけてくれてるのに、あんなにそっけなくしちゃって。怖がられるに決まってるでしょ。
あの子が可哀想だ。畏縮しちゃって、どんな用事だったかは分からないけれど、
きっと勇気を出して声をかけたんだろうに。
下駄箱に着いて、靴箱からローファー取り出し玄関のタイルの上に落とす。
下を向いてローファーを穿いてたら、視界に入ってきた私のじゃない藍色の上履き。
そこから視線を上げると、落ちかけの太陽のオレンジに全身を包まれた、美貴ちゃんがいた。
その表情は、柔らかいオレンジ色の光とは不釣合いな不満そうなそれ。
もう話は終わったのかな。
ていうか、どうしてこんなに不機嫌そうな顔してるんだろう、美貴ちゃん。
「もう話は終わったの?」
ローファーの爪先で、とんとん、とタイルを蹴りながら聞いたら、
美貴ちゃんは唇を尖らせて「終わった」と呟いた。
「つーか、いきなりどっか行かないでよ」
「あの状況じゃ、私が出ていくしかないでしょ」
隣に並んだ美貴ちゃんが、自分の靴箱から出したローファーを乱暴にタイルに落とした。
「別に……、梨華ちゃんがいてもよかったよ」
「美貴ちゃんはよくても、あの子はよくないの」
靴箱の扉を、ぱたん、と閉めて外へ出る。
グラウンドで練習してる野球部員の姿を横目にしながら、自転車置き場に向かって歩く。
後ろからは美貴ちゃんの足音。とぼとぼとしたその音が何だか心細そうな感じに聞こえて。
突き放した言い方をした事を、ほんのちょっとだけ後悔した。
「……大事な話だったんでしょ?」
気づいたら、そんな風に会話のきっかけを作るように話しかけてた。
でも、後ろの美貴ちゃんは何も言わない。
今さっきの女の子との会話を思い返しているのか、私に話すべきか迷っているのか、
その沈黙の意味は、彼女に背を向けてる私にはよく分からなかったけど、
もう一度尋ねる気にもなれず、そのまま、ぼんやりと歩き続けた。
- 574 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/21(土) 00:27
-
美貴ちゃんが口を開いたのは、ちょうど自転車置き場に着いた時。
「告白された」
それがさっきの私の言葉の返事だと理解するまで、少し、時間がかかった。
「え?」
間抜けた声と共に振り返る。
美貴ちゃんが男の子に人気があるのは知ってた。
黙っていれば美人で通る顔立ちだし、笑うととても可愛らしいし。
告白のために呼び出されたって話を彼女自身から聞いたことはないけれど、
友達からそんな噂を耳にした事は何度かあった。
でも。
さすがに、女の子にそういう意味で呼び出されたって話を聞いたことは、ない。
美貴ちゃんは私から視線を外して、グラウンドの野球部を眩しそうに見つめてた。
「…そっかぁ」
こういう時なんて言えばいいのか分からない。
それだけ呟いて自分の自転車に向き直り、バッグを前籠の中に入れる。
がちゃりと鍵を開けながら、私はあの一年生の女の子が、
あんなにも緊張してた理由に納得してた。
そりゃ、緊張もするよね。
告白するの、すごくすごく、勇気がいるもんね。
しかも相手美貴ちゃんだし。…女の子だし。
何だか、自分と先生の状況を照らし合わせて、少しだけ共感してしまった。
告白するなんて、私には絶対にできそうにないけど。
同時に美貴ちゃんがあの子にどういう返事をしたのか気になった。
けれど、それを尋ねるのはあの子に失礼な気がして。
結局私は、何も聞かないまま自転車のスタンドを上げた。
電車通学の美貴ちゃんとは、いつもここで別れる。
だからいつも通り自転車置き場から自転車を引き出して、美貴ちゃんにバイバイをしようとした。
そしたら、前籠に私のじゃないバッグが押し込まれて。
「駅まで乗っけて」
そう言った美貴ちゃんは、私の返事を待たずに荷台跨った。
「ええ、ヤだよ!ていうか私が漕ぐの!?」
「あったりまえじゃん」
美貴ちゃんを駅まで自転車で送ったことは何度かあるけれど、
一度として彼女が自転車を漕いでくれたことはない。
今日もとりあえず抗議はしてみたけれど、美貴ちゃんに自転車を漕ごうという意思は更々ないみたいで。
「はやくー」なんて荷台から暢気に囃し立ててる。
まあ今更、美貴ちゃんが漕いでくれるとは思ってないけどさ。
でも、美貴ちゃんのその行動で、さっきまでの微妙な空気がどこかへ吹き飛んでて。
不満げな声をあげながらも、内心ほっとしてた。
私はサドルに跨ると、勢いよくペダルを踏み込んで、学校を飛び出した。
- 575 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/21(土) 00:28
-
学校に一番近い駅へ向かい、いつもよりも重いペダルを一生懸命漕ぐ。
さっきまで半分以上見えてた太陽は、もう殆ど沈んじゃった。
それにしてもペダルが重い。
この間美貴ちゃんを乗せた時はこんなにも重く感じなかったのに。
ぜったい美貴ちゃんこないだより太ってる!
次に乗せてって言われた時は美貴ちゃんに漕がせてやるんだから。
心の中で密かに決心してたら、荷台に乗ってた美貴ちゃんが突然動いた。
自転車が左右に大きく揺れて、慌ててハンドルを握り直す。
肩に手が乗せられて、美貴ちゃんが立ち上がった事が分かった。
「あっぶないでしょっ、もう!」
私の抗議に、美貴ちゃんから謝罪はない。
代わりに、ふへへって悪びれる様子のない笑い声が聞こえただけで。
……いいけどね。もう、別に、今更。
抗議するのを止めて、ペダルを漕ぐ。
暫くの間、黙々と漕いでたら、頭の上の方から美貴ちゃんが「ミキさ」って言った。
「断ったんだよねー」
ぽつり、と呟いて、また黙る。
それが、あの女の子の告白への答えだってことは、すぐに分かったけれど、
やっぱり私は何て言えばいいのか分からなくて「そっか」とだけ呟く。
「したらさ、泣かれたー」
「そう」
「なんかさ、ちょっと罪悪感みたいな」
「うん」
「でも、仕方なくない?」
何が仕方なかったんだろう。
女の子だったからかな。もしそうなら、なんか、ちょっと。
私も女の人に恋愛感情を持ってるから、拒絶されたみたいで、ちょっと寂しい。
不意に思った。
美貴ちゃんは、どうして。
「……どうして、断ったの?」
美貴ちゃんに、先生への気持ちが“ただの好き”じゃないって事は言ってない。
恋愛感情の好きだって事をそのまま話すのには色々なリスクがあるから。
美貴ちゃんの事は信頼してるけど、でもやっぱり、ちょっと勇気がいる。
けれど、いつかは話せる時がくるかもしれないって思ってた、ずっと。
それで多分、今が“その時”じゃない?
もし美貴ちゃんが“女の子だから”って言ったら、美貴ちゃんに話すのは止めよう。
胸の中に仕舞って、彼女にはずっと話さないでおこう。
―――― でも、もし。もし、違ったら。そのときは。
- 576 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/21(土) 00:29
-
美貴ちゃんはまた黙った。
自転車のペダルの音と風を切る音だけが響く。
オレンジ色に染まったアスファルト、そこに伸びる自分たちの影を追いかける。
肩に美貴ちゃんの手の温度を感じながら、黙々と漕ぎ続けた。
前から来た大型のトラック。
それとすれ違った直後、
「だって、ミキ、好きな人いるし」
返ってきたのは、そんな言葉で。
「今は、他の人のことなんか考えてらんないもん」
独り言みたいな呟き。
今まで知らなかった美貴ちゃんの好きな人の衝撃よりも、
私は、美貴ちゃんが女の子って理由で断っていなかった事にほっとしてた。……安心、してた。
「初耳ー」
「ったりまえじゃん、言ったことないもん」
「ふーん。それで、どんな人なの?」
美貴ちゃんはまた一瞬口を噤んで、ゆっくりと喋り出す。
「……いっつも超一生懸命で、」
「うん」
「真面目で、」
「うん」
「ミキじゃない人が好きな人」
最後の言葉はとても切なそうに響いて、オレンジ色の空にふわりと溶けた。
片思い、なんだ。
そっか、美貴ちゃんも恋、してるんだ。
深く息を吸い込んで、吐く。
私も、美貴ちゃんに本当の事を言う決心を固める。
「美貴ちゃん」と名前を呼んだら、美貴ちゃんは「んー?」って返した。
- 577 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/21(土) 00:29
-
「私ね、先生の事が好き」
「……知ってるし」
ぶっきら棒な返事。
私はちょっと笑って、もう一度深呼吸。
「あのね、違うの」
風に弄ばれた前髪が、ふわりと浮いて、斜めに流れた。
「恋愛感情の、好き、なんだ」
3度目の沈黙。
周りがペダルの音と風を切る音に逆戻りする。
私も何も言わないまま、自転車を漕ぐことだけに集中した。
気づいたら、駅まであともう少し。
美貴ちゃんが喋らなくなってから何分たったんだろう。
この沈黙に、少しの不安もなかったって言ったら嘘になる。
けれど、不思議と後悔はなかった。
駅の手前の踏み切りが見えてきた。
あれを越えれば、駅はもう目と鼻の先。
よーし、あと一頑張り!勢いよくペダルを踏みしめた、ちょうどその時。
後頭部を叩かれた。
ぺしり、と良い音が響いて。
痛いって声を上げる前に、頭の上から美貴ちゃんの声が落ちてきた。
「知ってるつーの」
美貴ちゃんは、また、ぺしり、と同じ所を叩く。
「そんなこと、とっくに知ってんだよ、ばーか」
ぺし、ぺし、叩きながら、美貴ちゃんはそう言い放って。
叩かれ続けた後頭部はじーんって痛かったのに、私は、何だかそれが、そんな彼女の仕草が、嬉しかった。
叩かれて嬉しいなんて変態さんじゃん、って思ったけど、胸が熱くて。
ついでに目頭もちょっと熱くなってきて。夕日のオレンジが目に沁みる。
- 578 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/21(土) 00:30
-
「美貴ちゃん、痛い」
「痛いように叩いてんだから、痛くなきゃ困る」
「なにそれぇー」
声がちょっと震えたの、気づかれたかもしれない。
けど美貴ちゃんは、態度を変えることもなく喋り続ける。
「てかね、分かり易すぎなんだよ、あんた」
「…うん」
「あんな目ぇして、あんな声で話してたら、誰でも分かるわ、ばーか」
「ばかって言わないでよぅ」
抗議の声を上げても、美貴ちゃんはいつもの調子で「バカだからバカって言ってんじゃん」って、ぺしりとまた頭を叩いた。
何も変わらない、いつも通りの美貴ちゃん。
いつもの、私を茶化すその声が、言葉が、泣きそうなほど嬉しいんだけど。
涙が溢れそうになって、必死に堪えて。それを誤魔化すためにちょっと笑った。
そしたら美貴ちゃんは、やっぱりいつものように「キモイ」って言った。
踏み切りに入ると、車体が、がたがた揺れて。
肩にある美貴ちゃんの手にちょっとだけ力が入ったような気がした。
越えた直後に踏み切りの警告音が響き、赤色の信号機がぱかぱか光って遮断機が下りていく。
自転車を漕ぎながらそれを見てたら、ばしり、とさっきとは比べものにならないくらいの強い力で背中を叩かれて。
「梨華ちゃん電車来る、駅に来てるッ!!」
美貴ちゃんは駅を指差した(背中を叩いた事へのごめんなさいは、もちろんない)。
「急げー!!」って叫んで、今度は肩を叩いて。
この状態の美貴ちゃんに何を言ってもしょうがない。
仕方なしにペダルを漕ぐ足に力を入れて、全速力で駅の入り口へ向かった。
自転車を止めると、美貴ちゃんは慌てて改札へ走っていった。
改札を通り抜けてから、くるりと一度こっちを見ると、「ありがとう」の代わりに、
「せんせーの写メ忘れんなよぉー!」って叫んでホームの中に消えた。
- 579 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/21(土) 00:30
-
***
あと15分ぐらいで授業が終わる事を確認して、机の上に広げた問題集に視線を落とす。
先生は、机の脇で本を読んで、私が問題を解き終わるのを待ってる。
私は、問題を睨みながら、先生に写メの話を切り出すタイミングをじりじり計ってた。
早く言わないと先生帰っちゃう。分かってるけど、言い出せないジレンマ。
この間から、こんな事ばっかりやってる気がする。
どれも美貴ちゃんのせいなんだけど。でも、やらないと怒られるし。
さっきだって7時ちょっと前に『写メ忘れないでよ』メールが来てた。
問題を睨みつけて、シャーペンのお尻をかちかちとノック。
突然、左の肩に温かい感触して。
同時に、机の左端に私のとは違う白くて綺麗な手が見えた。
「できた?」
先生ののんびりした声が聞こえた。
ふわり、と先生の香水の香りが鼻腔をくすぐる。
跳ね上がった心拍数。
耳まで一気に熱くなった。
(わ、わ、うわぁっ)
先生の方を見る勇気なんかなかったけど、見なくても分かる、先生との距離。
「んん?」って唸りながら、先生は問題集を覗き込んできて、更に距離が縮まる。
その拍子に先生の髪の毛がぱらりと落ちて、私の手を少しだけ掠めた。
ずくり、と苦しいくらいに大きく跳ねた鼓動。
思わず目を瞑る。手が震えなかったのは奇跡だ。
これ以上近づかれたら私、死んじゃう。ぜったい死んじゃう。
私の思いが通じたのか(多分違うけど)先生が少しだけ顔を上げた気配がして、
詰めてた息を先生に気づかれないように吐き出した。
早くなった心拍数は相変わらずそのままだったけど。
「全部できてるじゃん。どっか分からないトコあった?」
いつもより近い先生の声にどきそきする。
けれどやっぱり、その顔を見ることはできなくて「ないです」と言うだけで精一杯。
先生は「そか」って呟くと「じゃあ、今日はこの辺にしとこうか」って、
ベッドの脇に置いてあるバッグを取りに行った。
離れていく先生にちょっと残念な気持ちになったけど、それを口に出すなんてできるわけなくて。
ちらり、と未練がましくその背中へ視線を向けただけで、すぐに戻した。
- 580 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/21(土) 00:32
-
「この調子なら、遊園地、行けそうだね」
「あ、はいっ」
上擦ってしまった私の返事に、先生はふにゃりと笑みだけ返すと、
白いケータイをぱかりと開いた。
そのケータイを見てはたと思い出す、美貴ちゃんとの(超一方的な)約束。
言わなきゃ、って思ったら、口が勝手に開いてた。
「あのっ、先生」
完全な見切り発車。
先生がケータイから顔を上げて私を見たけれど、次の言葉は考えていないことに今更気づいて焦る。
けれど、今の言葉を無かったことになんかできない。
「あ、あの、写メ、撮らせてもらっても、いいですか…?」
「写メ?」
「ええっと、ええっと…、あの、友達が!先生の話したら、顔が見たいって言って…!」
なんだその言い訳。
本当の事だけど。間違ってないけど。他にもっと言い様があるでしょ、私。
絶対断られるよ、って覚悟してた。
けれど、先生は一瞬驚いたような顔をして、すぐにふにゃりと表情を崩した。
「あは、ごとーに興味深々だねぇ、その子」
「え、あ、はい…?」
「いいよぅ。写メぐらい撮っても」
「……え?」
今度は私が驚く番だった。
先生はにこにこ機嫌良く笑ってて。
いいって言った?今、先生いいって言った?
「いいんですか…?」
半信半疑で尋ねたら、先生は笑みを深めて、
ベッドの側からとことここっちに近づいてくる。
「いいですよぅー」
言葉と共に頭の上に先生の手が降りてきて、うりうりと撫でられた。
ぽかんと先生を見上げてた私は、すごく間抜けな表情をしてたんだと思う。
先生はふはって笑って、それから少しだけ真剣な目をした。
「てかさ、梨華ちゃんは、ちょっとごとーのこと怖がりすぎだよね」
「こ、怖がってなんか…!」
「うん。けど、なんか硬いっていうかさ」
先生はそこで言葉を止めて、少しだけ何かを考えるように視線を泳がせた。
「…んー、そんなとこあるじゃん?ごとー別に写メくらいで怒んないし、
連絡先聞かれたくらいでぶーぶー言ったりしないよ」
頭を撫でてた先生の手が、私の髪を梳くようにするりと滑り、肩へと落ちる。
「だから、なんてのかなぁ。…ごとーの事、そんなに警戒しなくてもいいよ」
警戒なんてしてない、そう言いたかったけれど、ぽつりぽつりと話す先生の目が、
いつの間にか、見たことないくらい真剣な色を帯びてて。
私は、何も言えなかった。
「うん、だからさ。つまり、ごとーは、もっと梨華ちゃんと仲良くなりたいのさ」
ふへへって、照れ隠しのように先生は笑って、私の肩をぽんぽんと2、3回叩いた。
- 581 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/21(土) 00:33
-
じゃあ今まで私は先生にすごく失礼な態度とっていたんじゃなないって自己嫌悪。
でも、それ以上に、先生の“仲良くなりたい”ってストレートな言葉が嬉しくて。
私は緩む口元と赤くなる頬を見られないように、少しだけ俯いて、ただ「はい」とだけ応えた。
「あ、言い忘れてたけど、敬語もやめよーね」
茶化したような言い方に、一瞬戸惑って。
「……うん」
返事をしたら、肩に乗ってた先生の手が、頭に戻ってきて、
くしゃくしゃとちょっと乱暴に髪の毛を撫ぜた。
(どんどん、どんどん、好きなってく)
ねえ美貴ちゃん。
この気持ちを、私は、どうすればいいんだと思う?
- 582 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/21(土) 00:34
-
そのあと二人で写メを先生のケータイと私のケータイで1枚ずつ撮った。
(先生が梨華ちゃんも一緒に撮ろうって言ってくれたから)
頬同士をくっつけるっていう、嬉しすぎて体が固まっちゃうポーズを、
先生が自然にしてきたから笑顔が引き攣ってしまったけど、あの写メもう絶対消さない。
とことこ、階段を降りる。
先生は帰るために、私はいつものように先生のお見送りのために。
玄関の所まで来て、リビングに続く扉を開けた。
それは、お母さんにカテキョが終わったことを教えるためだったんだけど、
リビングのソファの上にすごく懐かしい顔を見つけて、気づいたら私は声を上げてた。
「真里ちゃん!!」
すっごく明るい色の頭が動いて、くりくりの黒目がちな大きな瞳は私を映すと、にこりと微笑んだ。
ソファの上にちょこんと座っていたのは、従姉妹の真里ちゃん。
真里ちゃんとは、家も近所で小さい頃から仲が良くて、小、中、高と同じ学校に通ってた。
真里ちゃんが大学に入ってからは、以前のようには遊んだりはしていないけど、
それでも、メールをしたり、時々会ったりもしてた。
私の叫びに真里ちゃんは「やっほー」なんて軽く返してくる。
「あ、叔母さん、ちょっとコンビニまで出てくるって言ってたよー」
「そうなの、…って、え、なんでここにいるの?どうしたの、急に?」
時々会っていているとはいえ、こんな時間に真里ちゃんが訪ねてくるなんて初めてだった。
「ちょっと近くまで来たからさー、ちょっと様子見に、ね」
そう言って笑った真里ちゃん視線は、“様子見に”って辺りから私を外れて。
私の後ろへ。
「…ま、ごっつぁんの様子見なんだけど」
「やほー、やぐっつぁん」
後ろから聞こえた声。
振り返ると、先生が私の隣からひょこりと顔を出して、真里ちゃんに向かって片手をひらひら。
- 583 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/21(土) 00:35
-
「おおぅ、ごっつぁん元気ー?」
「あは、元気だよ。昨日も会ったじゃん」
真里ちゃんはソファから立ち上がるとリビングの扉までやってきて、ぱしぱし、と先生の脇腹を叩いた。
先生も先生で背の低い真里ちゃんの頭をぺしぺし叩く。
二人は仲が良い。
それは真里ちゃんと先生は同じ大学に行ってるからで。
そして、そもそも、先生をうちのお母さんに紹介したのは、真里ちゃんだった。
うちのお母さんが家庭教師を探してるって事をたまたま耳にしたらしい真里ちゃんが、
あるお友達さん(名前は忘れちゃった)にぽろりとそれを洩らしたところ、
そのお友達さんの後輩だった後藤先生が紹介されて、うちに来ることになった、らしい。
(そこらへんは後藤先生に聞いても、真里ちゃんに聞いても、
はぐらかされてあまり教えてくれなかったから、詳しくは知らないけど)
だからある意味、真里ちゃんは私と後藤先生を引き合わせてくれた、感謝すべき人。
……なんだけど。
目の前で交わされる、何だか仲良さげなじゃれ合いともつかない会話は、
正直、あんまりおもしろくない。
そりゃさ、同じ大学通ってて、よく一緒に遊んで、
二人が仲良いってことは、よーく知ってるけど。真里ちゃんの事も大好きなんだけどさ。
こんな嫉妬、御門違いだってことも、分かってるけどさ。
……けど。
「もう帰るんでしょ?どっかでごはん食べてかない?」
「えー、もう夜ごはんは食べちゃったよ、ごとー」
「いいじゃん。ごっつぁんならまだイケるでしょ。紗耶香に美味しいお店教えてもらったんだから」
「……しょうがないなぁ」
けれど。
先生の、嬉しそうな表情は、ちょっと心にきた。ぐさっと。
だって先生、私の前ではそんな顔、絶対しない。
だけど口を挟むわけにもいかなくて、成り行きを黙って見てたら、
先生が、ぽん、と私の頭を撫でた。
「じゃあ、梨華ちゃん。やぐっつぁん借りてくね」
そう言って、真里ちゃんと二人で玄関に向かってく。
二人は玄関の扉を開ける前に、リビングの前から動けなくなった私を振り返った。
「ちゃんと課題やっとくんだよー」
「叔母さんによろしく言っといてね梨華ちゃん」
それぞれそう言い置いて「お邪魔しましたー」って家から出て行った。
- 584 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/21(土) 00:36
-
さっきまで浮かれてた気分が、地面すれすれまで急降下。
気分は最悪。ていうか、私、最低。
真里ちゃんに嫉妬って、本当意味分かんない。子供じゃないんだから。
……馬鹿じゃないの、私。
階段を駆け上がって、自分の部屋に入って、ベッドに飛び込んだ。
がたん、と大きな音が鳴って、隣の部屋の妹から文句を言われたけれど、謝る気は起きなかった。
枕に顔を埋めてぐりぐりと擦りつける。意味分からない子供みたいな嫉妬も、
もやもやした嫌な気持ちも、一緒に拭えてしまえばいいのに。そんな馬鹿な事を考えながら。
この気持ちが片想いで終わる覚悟はできていたつもりだった。
先生に私のこの気持ちは99%受け入れてもらえないだろうから。
残りの1%に賭けて告白する気は、先生を好きだと自覚した時からなかった。
よく、当たって砕けろ、なんて無責任なことを言う人がいるけれど、
当たって砕けたあと、どうすればいいの?
もう、元には戻ることはできないのに、そんなリスクを冒してまでそうする事に、
どれほどの価値があるのか、私には分からなかった。
(当たって砕けて、だけど後悔してないなんて、そんなの絶対嘘だ)
だって。
先生に勉強を教えて欲しかった。
先生の生徒でいたかった。
先生の隣に、いたかった。
当たって砕けちゃったら、もうそんな事できなくなる。
――― それなら、できなくなるなら。
私は、今のままでいい。
きっと、その方が楽しいに決まってる。
きっと、その方が幸せに決まってる。
きっと、――――。
(そう、思ってたんだけどなぁ……―――)
静かな部屋の中に、突然軽快なメロディが鳴り響いた。
机の上に置きっ放しのケータイが着信を報せてるのは見なくても分かったけれど。
そのメロディが、先生専用のものだってことも分かってたけれど。
それを確認する気には、なれなかった。
(先生……、)
苦しい。痛い。痛い。痛い。
全然、楽しくない。幸せじゃない。
(もう、やだ)
心が、痛くて、ばらばらになりそう。
その日、私は初めて、先生からのメールに返信しなかった。
- 585 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/21(土) 00:36
-
□■□
- 586 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/21(土) 00:36
-
□■□
- 587 名前:太 投稿日:2007/04/21(土) 00:37
-
>>567さん
家庭教師もの自分も大好物です。
二人きりの閉鎖された空間とか、とても良いと思います(笑)
>>568さん
お待たせを。
さくさく更新できればと思っているので、
お付き合い頂ければ幸いですm(_ _)m
- 588 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/04/21(土) 02:43
- 続けての更新ありがとうございます!うれしすぎます!
美貴ちゃんも気になる〜
- 589 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/04/21(土) 10:09
- ちょっと美貴ちゃんわ応援したくなった
- 590 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/04/21(土) 11:09
- 更新おつかれさまです!
大変だろうな〜と思いつつも更新の間が短いとうれしいですね。
次回も楽しみにしています!
あ、私も美貴ちゃん応援派です。
- 591 名前:名無し読者 投稿日:2007/04/21(土) 13:52
- 更新お疲れ様です。
ごっちんの何気ない行動にドキドキする梨華ちゃんが
純すぎて可愛いです。。。
- 592 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/23(月) 00:48
-
***
次の日、放課後の図書室整理の時間に美貴ちゃんに先生の写メを見せたら、
美貴ちゃんは、私のケータイのディスプレイをじっと見つめて「綺麗な人だね」と、ぽつりと呟いた。
予想とは違う淡白な反応にちょっと拍子抜け。そのまま美貴ちゃんは作業に戻ってしまう。
「え、え、それだけ?」
貸し出しノート片手に、返却日が過ぎた本がちゃんと棚に戻されているか確認する美貴ちゃんの背中にそう言った。
そしたら、美貴ちゃんはちらりと私を見遣って。
「一緒に写ってる梨華ちゃんの笑顔が、キモイ」
「う…、それは言わないで」
「あ、自覚あったの?…っと、本はっけーん」
本の背表紙と貸し出しノートを2、3回見て、美貴ちゃんはノートに赤ペンでチェック。
「だってさ、ほっぺいきなりくっ付けてくるんだもん、先生」
緊張するでしょ。どきどきしすぎて笑顔も引きつっちゃうでしょ。
本棚に背を預けて、次の本を探す美貴ちゃんに顔を向けた。
「そんなこと言っても、嬉しかったんじゃないの?」
「………嬉しかった、けど…」
でも、そのあと真里ちゃんとかの事があって、
正直、嬉しさ噛み締めるてる心境じゃなかった。
美貴ちゃんに向けてた顔を正面に戻す。
大きな窓から入る夕日が眩しくて、目を細めた。
「けど、なに?」
美貴ちゃんの声に、もう一度美貴ちゃんの方へ顔を向けたら、
彼女は棚に並ぶ本の背表紙と真剣に睨めっこ。
「なんか…、子供な自分に自己嫌悪、みたいな」
美貴ちゃんは棚から少しも目を離さずに「ふーん」と言っただけ。
まったくもって興味なさそうなその態度。……だからかな。
気づいたら私は、すらすらと昨日の事を話してた。
真里ちゃんの事も、その時の気持ちも、メールの事も。
誰かに聞いて欲しかったのかな、私。
話し終えて、窓の外に顔を向ける。
夕日は、いつも通りのオレンジ色をしてた。
- 593 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/23(月) 00:49
-
「お、本はっけーん」暢気な声が隣から聞こえて、そのあとに「梨華ちゃんはさ」って私の名前。
「せんせーに告白しないの?」
続いた言葉に美貴ちゃんを見ると、美貴ちゃんは本と睨めっこしたままだった。
「……しないよ」
「なんで?」
(……なんで?)
だって、分かりきってるじゃん。
断られるのは、分かりきってる。
「絶対、ごめんなさいって言われるから、」
だから、しない。
窓に視線を戻した直後、隣で呆れたような溜息が聞こえた。
「なんで梨華ちゃんに断言できんのよ」
「だって、先生、女なんだよ?」
「知ってる」
間を置かず聞こえた美貴ちゃんの声に下唇を噛んだ。
――― 美貴ちゃんは。
知ってても、美貴ちゃんは、それがどういう事か、分かってない。
「ただでさえ両想いとか難しいのに、女の人だと、もっと、もっと、難しいじゃん」
「聞いてもないのに?」
「ぎ、玉砕覚悟とか、私無理だもんっ」
この都合の良い関係を壊してしまうくらいなら、私はこのままでいい。
片想いで、いい。
「別にミキ、当たって砕けろなんて言ってないし」
俯いて、自分の上履きを見つめた。
藍色の上履きは、夕日に照らされても藍色のままだった。
変わらなくていい。変わりたくない。それは、私が望んでること。
「何にもしてないのに、絶対とか、無理とか。
梨華ちゃんがそう思うのは、別にいいけどさ」
小さい子供に言い聞かすように、美貴ちゃんはゆっくり喋る。
「でも、じゃあ、そう思うなら、ぐちぐち言うな」
静かで、どこまでも平坦な声だった。
そこには、怒りとか、軽蔑とか、呆れとか、そういうのはまったく感じなかった。
けれど、胸の奥がずくりと一瞬震えて、冷たくなる。
そんなの分かってるよ。
分かってる、けど。
「覚悟してたんじゃないの?」
制服の上から胸を押さえた。
冷たくなったそこを、必死に暖めるみたいに。
「片想いでもいいって思ったんでしょ。
じゃあダメだよ。そんなこと言ってちゃ」
もう、頷くことさえできなかった。
- 594 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/23(月) 00:49
-
「…ダメだよ、梨華ちゃん」
じっと上履きを見つめる。
藍色のそれは、ずっと藍色のまま。何も変わらない。
こんなにも濃い夕日のオレンジの中にあっても、少しだって。
酷いな、美貴ちゃん。
彼女の飾らない言葉は、ナイフみたいに鋭くて、時々痛い。
でも、相手のことちゃんと考えて発してるって分かるんだ。
それが美貴ちゃんなりの優しさだってことも、もちろん。
「酷いなぁ…」
だから私は、親友の柴ちゃんじゃなくて、美貴ちゃんに、こんな話をしてるんだ。
「酷いなぁ、美貴ちゃん。正論ばっか」
ふ、と口元を緩めてみた。
思っていたよりも随分まともに笑えた気がして、少しだけ安心する。
「友達が苦しんでるのに、少しぐらい慰めてくれてもいいじゃない」
「相談する相手、間違えてんじゃん?」
「ひどーい」
間違えてなんかない。大正解だったよ。
小さく息を吐いて、顔を上げた。大丈夫、私、笑えてる。
「せんせーさ、」
聞こえた美貴ちゃんの声に、一呼吸置いて振り向く。
美貴ちゃんは本棚を眺めたままで、視線が交わることはなかった。
「女の子ダメって言ってないんでしょ?」
美貴ちゃんは、手を伸ばして棚の上の方から本を一冊抜き取ると、
表紙と背表紙を確認して、元に戻した。
- 595 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/23(月) 00:50
-
「聞いてみれば?」
「え……?」
貸し出しノートに赤ペンが走る。
ペンの、きゅ、きゅ、って音がやけに大きく響いた。
「梨華ちゃんて極端すぎるんだよ。
当たって砕けろなんて言わないからさ、まず、そこから始めてみれば?」
そこまで言って、美貴ちゃんはノートを閉じた。
ぱたん、て小さな音と共に、やっとこっちに顔を向けた美貴ちゃん。
「ミキ、諦めるのはまだ早いと思うんだよねぇ」
やっと見れたその顔に浮かぶ笑み。
けれど、それは一瞬、何故か泣いてるようにも見えて。
それを問う暇もなく、美貴ちゃんが歩き出す。
私の横を通り過ぎ貸し出しノートを定位置に戻すと、自分のバッグを肩に掛けた。
「じゃ、ミキ帰るから。鍵よろしく」
「え?え、ちょ、ちょっと待ってよぉ!」
私の制止の声も聞かず、美貴ちゃんはとことこ図書室を出て行ってしまって、
バッグと鍵を片手に慌てて後を追う。
下駄箱の所でやっと追いついて、自転車置き場までいつも通り二人で歩いた。
帰り道、美貴ちゃんは、自転車の二人乗りを強請ってはこなかった。
- 596 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/23(月) 00:51
-
***
「りっかちゃーん」
背後から聞こえた自分を呼ぶ声に、下駄箱への歩みを止めた。
振り返ると、バッグを肩に掛けた柴ちゃんがこっちに向かって走っているところで。
「一緒に帰ろ」
私の隣に来た柴ちゃんはそう言いながら、ぽん、と私の肩を軽く叩いた。
そんな柴ちゃんに笑みで答えて、連れ立って下駄箱へ向かった。
だけど柴ちゃんどうしたんだろう。
今日は図書委員の仕事もなくて早く帰れるから、柴ちゃんと帰ろうと思って教室を探したけど見当たらなかった。
だから、てっきり先に帰ったと思ってたのに。
最近できた恋人さんとまた学校帰りデートだとばっかり思ってたのに。
「今日は、デートじゃないの?」
尋ねると、柴ちゃんは相好を崩して「ええー?」なんて、なんとも締りのない声を漏らす。
「最近ずっとデートだからって早く帰ってたじゃない」
「さすがに毎日じゃないよぅ」
広がる幸せそうな笑みに、からかってやろうって気も起きない。
これ以上突っ込んで聞いても、きっと惚気話されるだけだろうし。
話題を変えようと口を開いた、その時。
肩に掛けたバッグが小さく振動していることに気づいた。
正確には、バッグの中に入ってるケータイが。
柴ちゃんに断りを入れて、ケータイを取り出しぱかりと開く。
メール受信の文字が映し出されたディスプレイ。
誰からだろう、と思いながら、ぴこ、と開く。
from:後藤先生
title:無題
--------------
(先生…?)
とくり、と心が小さく跳ねた。
この間、真里ちゃんとの事があった後、美貴ちゃんと話をしてから、
先生にメールは一応返したけれど。やっぱり少し気まずい。
- 597 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/23(月) 00:52
-
だけど、すぐに疑問が顔を出す。
先生との何回かメールのやりとりの中で、こんな時間のメールは初めてだった。
いつも夕食時とか昼食時とかそういう時間にメールがきてたから。
ぴこぴこ、ボタンを押して、スクロールスクロール。
from:後藤先生
title:無題
----------------
梨華ちゃん今学校に
いる?
-----------------
たった一文それだけ書かれてて。
今何してる?とか、そういうメールならもらった事はあったけど、
こんな風に所在を確認されるようなメールは初めてだ。
なんなんだろう、首を捻りながらも、ぴこぴこ返信メールを作成する。
to:後藤先生
title:はい
---------------
いますよ。ちょうど
今から帰るところで
す。
---------------
打ち込んで、ぴこりと送信。
ケータイをぱたんと畳んだら、ちょうど下駄箱に着いた。
自分の靴箱の中からローファーを出して玄関のタイルの上に落とす。
「メール、誰からだったの?」
隣で同じようにしてた柴ちゃんの質問に、
ローファーを穿きながら「カテキョの先生」と答えた。
「あれ、今日カテキョの日だったっけ?」
「違うけど……」
柴ちゃんは「ふーん」と言って上履きを靴箱の中に入れ、ぱたん、と扉を閉めた。
私も同じように扉を閉めて二人で玄関を通り抜ける。
グラウンドでは野球部と陸上部が練習してた。
野球部の掛け声の間に、陸上部のスタートのピストルの音が響く。
- 598 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/23(月) 00:52
-
柴ちゃんと歩きながら、暫くケータイを見てたけれど先生からの返信はない。
何だったんだろう、とぼんやり思う。
「そーいえば、さっきまいちゃんたちが教室で騒いでたんだけどさ」
「うん?」
突然出てきたクラスメイトの名前に、ケータイから柴ちゃんへ視線を移して、バッグにケータイを戻した。
先生には後でもう一度メールをしよう。
「校門んトコに超ごついバイクとまってるんだって」
「…バイク?どうして?」
「分かんないんけど。誰かの彼氏のお迎えじゃないって、まいちゃんが」
「えー?なにそれ」
「みうなとかと一緒になってきゃあきゃあ騒いでたよ」
バイクでお迎えなんて、なんだかちょっと傍迷惑じゃない。
目立つこと間違いなしだもん。その相手の子、絶対恥ずかしいよ。
柴ちゃんの(まいちゃん?)言うように“超ごつい”なら、尚更。
声を出して笑ってから、そのバイクの相手の子にちょっと同情した。
校門と自転車置き場へ続く道の分岐点。
柴ちゃんも美貴ちゃんと同じ電車通学だから、いつもここで別れる。
だから今日も、柴ちゃんにばいばいを言おうとしたら、
その柴ちゃんが「ああ!!」って声を上げて正面を指差した。
その指の先を追うと、校門があって。
あ、と思わず私も呟いた。
校門の影から半分くらい飛び出した、黒いバイク。
それは、まいちゃん(とみうな)が教室で騒いでた例のバイクに間違いない。
柴ちゃんを見遣ると彼女も殆ど同じタイミングで私を見た。
彼女の瞳はきらきら輝いてて。
なんか、嫌な予感。
「梨華ちゃん」
「……なに?」
「気になんない?あれ」
「気になるって言えば、………なるけど」
柴ちゃんの瞳が隠しきれない好奇心できらりと光った。
「見に行こう」
「ええっ、でも、誰か待ってるんでしょ?じろじろ見ちゃ悪いよぅ」
「じゃあ、遠くから見よ」
言うが早いか、柴ちゃんは校門へ向かって歩き出してた。
「ちょ、待ってよ、柴ちゃん!自転車取ってくるから」
どうせ校門を通って帰るんだし。
遠くからちらりと見るくらいなら、別にいいか。
自分に言い訳をして、自転車置き場から自分の自転車を引っ張り出す。
「はやくー」って急かす柴ちゃんの所まで大急ぎで戻った。
- 599 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/23(月) 00:53
-
自転車を押しながら柴ちゃんと校門まで早足に進む。
近づくにつれて、段々とバイクの形がはっきりと見えてきた。
なるほど。確かに、ごつい。
校門を通る生徒達が遠巻きにその黒いバイクへ視線を送っているのは見えるけど、
周りにドライバーらしい人は、―――……、あ、いた。
バイクのすぐ側に、明るい髪色の頭が見える。
多分あの人がドライバー。その人は、どうも校門の内側を見てるみたいだった。
校門の左側に停まっているバイクを避けるように、私たちは右よりに歩く。
段々、そのドライバーの顔がはっきりと見えてきた。
「…女の人かな?」
こそりと呟いた柴ちゃんに、私は頷いた。
真里ちゃんよりもずっと明るい髪色のその人は、とても整った顔立ちをしてて。
後藤先生とは系統が違うけれど先生に負けないくらいの美人さんだ。
中性的な顔立ちに、ショートカットの金髪がよく似合ってる。
その美人の金髪さんはきょろきょろと忙しなく頭を動かしてた。
まいちゃんたちが言ってた事は当たってるんじゃないかな。
だってその人の動きは、まるで、誰かを探してるみたいだったから。
突然、前籠に入れていたバッグが、ぶぶぶって変な音を出しながら揺れた。
慌ててバッグに手を突っ込んで、ケータイを取り出す。
ぱかり、と開くと、メール受信を報せる文字。
ぴこり、と開いた。
from:後藤先生
title:ごめんね
---------------
ごとー止められな
かったよ…
---------------
何に対して謝られてるのかも、何が止められなかったのかも、
よく分からないその文面に思わず歩みを止めた。うーん、と首を捻る。
先生からメールがくることは嬉しいんだけど。
さっきから先生のメール、なんか、へんだ。
「梨華ちゃん?」
柴ちゃんの不思議そうな声が聞こえて、自分の足が止まってしまっていたことに気づく。
慌ててケータイを閉じて、顔を上げた。
その瞬間。
柴ちゃんの向こうできょろきょろと辺りを見回してた金髪さんと、ばちりと目が合って。
やばい、と思ったら、その人の大きな瞳が更に大きく見開かれた。
(え、なに…?)
金髪さんの表情が崩れて、笑みの形に変わる。
綺麗な人の笑顔はやっぱり綺麗だ、なんて場違いな事が頭を掠めた。
- 600 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/23(月) 00:54
-
満面の笑みを浮かべたままの金髪さんの腕が持ち上がって、びしり、と指を差す。
その先にいるのは、間違いなく私で。
その一連の動作を見てた柴ちゃんが、不思議そうに私を見た。
「梨華ちゃんみーっけ!!」
その人は、グラウンド中に響き渡るような声でそう言った。
大声にびくりと肩を竦める。
金髪さんの手前にいる柴ちゃんの眉間に皺がよるのが見えた。
顔に「どうなってるの?」って書いてある。
けれど。
(そんなの、私が知りたいよぉ…)
あの人は一体誰?
金髪さんに視線を戻すと機嫌良く手を振ってた。私に向かって。
知らない。あんな人絶対知らないよ。会ったこともないと思う。
だって、あんな派手な色の頭の美人さん、会ったことがあるならきっと記憶に残ってるもん。
忘れるわけないよ。
でも、じゃあ、どうしてあの金髪さん、私の名前知ってるんだろう。
混乱した頭で考える。けれど、どんどん混乱していくだけで答えは一向に出てこない。
ぐるぐるしてたら、手を振る金髪さんの後ろからひょこりと誰かが出てきた。
その人は私のよく知る人。
「後藤先生…?」
金髪さんの影から出てきたのは、申し訳なさそうに眉尻を下げる後藤先生だった。
私の呟きは柴ちゃんにだけ聞こえたようで。
柴ちゃんは怪訝そうに眉間の皺を更に深めた。
- 601 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/23(月) 00:54
-
+++++
校門を通る生徒たちの好奇の視線から逃れるように、
金髪さんと柴ちゃん、それから先生と校門の影に入った。
自転車のスタンドを立てて黒いバイクの隣に停める。
先生たちの方へ体を向けると、先生が申し訳なさそうに「ごめんね」と呟いた。
「あのね、ごとー止めたんだけどね、この馬鹿が」
馬鹿、と言って先生は隣の金髪さんを指差した。
相変わらずにこにこしてる金髪さんは、先生の言葉を気を悪くした様子も無い。
「梨華ちゃん可愛いねぇ。写真で見るよりも全っ然かわいー超かわいー」
何故か可愛いを連呼してる金髪さん。
そしたら先生がその金色の頭をばしりと叩いて、また「ごめんね」と謝った。
状況が全く把握できない。
とりあえず、今までのやり取りで金髪さんと先生が知り合いだって事は分かったけれど。
「はあ……?」
口から出てきたのは、そんな生返事。
だって、どうして謝られてるのかすら検討がつかないんだもん。
私ですらそんな風なんだから、隣にいる柴ちゃんは更に何が起きているのか分からないんだろう。
ちらりと隣を見ると、柴ちゃんがちょっとだけ首を傾げて、金髪さんと先生を見比べてた。
先生が急に何かに気づいたように小さく声を上げたと思ったら、
慌てたように金髪さんの肩に手を置いた。
「あの、これ、この頭が派手な人、吉澤ひとみって言うんだけど、大学の友達」
紹介された金髪の吉澤さんは、にこにこしながら「どもー」ってのんびり挨拶。
挨拶されたからには私も名乗らなければと思って頭を下げた。
「えっと、石川です。先生に、…後藤さんに勉強を教えてもらってます」
「うん。知ってる」
聞こえた言葉に吉澤さんを見返した。
さっきも私の名前知ってたみたいだけど、どうして。
疑問が顔に出てたのかもしれない。吉澤さんが笑みを深めた。
- 602 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/23(月) 00:55
-
「ごっちんから色々聞いてるよ」
「え……」
「ちょ、よしこっ」
焦ったように吉澤さんの肩を押す先生。
ごっちんって言うのは先生のあだ名で、よしこって言うのは吉澤さんのあだ名かな。
何だか先生と仲良さそうで羨ましい。先生怒ってるみたいだけど。
それにしても、いろいろって。先生、私の事どんな風に話してるんだろう。
……気になる。
「ごめんね。この間の一緒に撮った写メ、勝手に見られてさ。
そしたら、よしこが梨華ちゃんに会いに行くって聞かなくて」
「………勝手にじゃないもーん」
「よーしーこー」
「余計なこと言うな」って吉澤さんに詰め寄る先生は、
いつも私の部屋で見る先生とは違ってなんだか少し子供っぽい。
可愛いなって思う傍ら、ちょっと、寂しかった。
私には見ることができない先生を知ってる吉澤さんに小さな嫉妬心が働いて。
図書室での美貴ちゃんの言葉が脳裏を掠める。
(――― ダメだよ、梨華ちゃん)
覚悟してたんじゃないの?
ぎゅう、と口を引き結び端を持ち上げて笑みを作る。
言い争いのような、じゃれ合いをする先生たちに向かって言葉を投げた。
「実物見てがっかりしませんでした?」
先生と吉澤さんが同時に私を見た。
吉澤さんの口元が綻ぶ。
「全然っ本物の方がめっちゃ可愛くて、よしざー惚れそう」
そう言って吉澤さんは、私の肩をそっと撫でた。
「梨華ちゃん、よしざーとスタバ行かない?」なんて冗談交じりのその声に、
返事をするよりも早く、先生がぺしりと吉澤さんの手を叩いて振り払う。
「梨華ちゃんに触んな馬鹿よしこ」
「ひっでーひっでーごっちん」
「うっさい、変なもんがうつるじゃん」
「うつんないし、人をバイキンみたいに言ってぇ」
「スケコマシ菌がうつんの!馬鹿よしこ」
また言い合いを始めた二人。
- 603 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/23(月) 00:56
-
ずくりずくり、と胸の奥の方が疼きだす。
制服の上から胸をちょっと押さえた。
(美貴ちゃん…)
やっぱダメだ、私。
覚悟、できたと思ってたのに。
俯いたら、二の腕に暖かい感触がした。
顔を向けると、心配そうな柴ちゃんとぶつかって。
ふへっと笑って見せた、けど、どうやらそれは失敗したみたい。
だって、柴ちゃんがもっと心配そうに眉尻を下げたから。
ごめんね。大丈夫、心配しないで。
深呼吸を一つ。
私は顔を上げて、まだ言い合いをしてる先生たちを見た。
「先生」
私の声に、ぴたりと言い争いが止んだ。
こっちを見た先生と吉澤さんににこりと笑ってみせる。
大丈夫。
今度はちゃんと、笑えてる。
「あの、私たちそろそろ帰りますね」
「あ…、う、うん。ごめんね、引き止めちゃって」
「いえ」
微妙に先生から視線を外していることに多分先生は気づいてない。
先生の目を見ちゃったら、また心が苦しくなりそうで、手早く自転車のスタンドを上げた。
「よしざーの愛車で送ったげようか?」
ぽんぽん、と黒いバイクを叩きながら言った、
冗談のようにも本気のようにも聞こえるその声に「自転車ありますから」とお断りをする。
吉澤さんは「そっか」って呟いて、今度は柴ちゃんに顔を向けた。
「そっちのお友達は?」
「あ、梨華ちゃんと一緒に帰るので…」
柴ちゃんは言葉と同時に、ハンドルを握る私の腕に自分の手を乗せてにこりと笑んだ。
「振られちゃった」と、やっぱり冗談なのか本気なのか分からないような調子で呟いて、
吉澤さんはぽりぽりと首をかく。
- 604 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/23(月) 00:56
-
「じゃあ失礼します」
頭を下げて自転車を押した。
歩き始めて幾らも行かないうちに、後ろから「梨華ちゃん」って名前を呼ばれて。
先生の声に、ぴくりと心が反応する。
足を止めて振り返った。
先生は、ふにゃりと笑ってて。
大好きなあの笑顔を私に向けてて。
「金曜日にね」
その言葉を聞き届けて、小さく会釈。また歩き出す。
今度は、さっきよりも速めに。
一秒でも早く、この場から逃げたかった。
隣から「梨華ちゃん」って気遣わしげな柴ちゃんの声が聞こえる。
けれど、答えられない。今、口を開いたら、みっともない弱音が出てしまいそうだったから。
私の腕に触れている柴ちゃんの手が、暖かくて。優しくて。
それだけの事なのに、泣きそうになる。
(最近、涙腺弱すぎじゃないかなぁ、私)
駅に着くまで柴ちゃんは何も聞かず、ただ私の腕を握っててくれた。
- 605 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/23(月) 00:56
-
***
吉澤さんの事があってから初めてのカテキョの日。
あんな気持ちになってしまった後で、嬉しいはずの先生との時間が今日は少しだけ気まずかった。
2時間の授業の中の15分間の休憩時間。
お母さんが持ってきたウーロン茶を口に運びながら、私は必死に話題を探してた。
先生との時間が気まずいと思うのは、私の気持ちの問題なだけで、先生には何の責任もない。
私の子供みたいな嫉妬心のせいで不愉快な思いをさせるわけにはいかなかった。
「あのさ」
会話の糸口を必死になって考えていたら、ぽつりと聞こえた先生の声。
それまでの思考を中断。慌てて先生へ視線を投げて、
口を付けていたウーロン茶のグラスを机の上に置いた。
眉尻を下げながら私を見る先生。
「こないださ、ごめんね…?学校で…」
「い、いえ、全然、大丈夫です」
申し訳なさそうな先生の声に、すぐに吉澤さんが学校へ来た事だと思い至って首を左右に振った。
大声で名前を呼ばれて恥ずかしかったし、
吉澤さんと先生のやりとりを目の当たりにして子供みたいな嫉妬をしてしまったけれど。
(次の日まいちゃんとみうなに、すっごい形相で問い詰められたけど)
思いがけない場所で先生と会えた事は、それでも嬉しかったから。
尚も申し訳なさそうに眉尻を下げて「ごめんね」と謝る先生。
そんな顔をされたら私の方が申し訳ない気分になってくる。
「あの、でも、私嬉しかったですから」
「え?」
「先生に会えて、嬉しかったですから」
だから、そんなに謝らないでください、そういうつもりでにこりと笑う。
先生は、ぽかん、と口を開けて私を見つめてた。
その顔は普段の大人な先生とは違ってちょっと可愛い。
暢気にそんな感想を抱いてたら、先生のその可愛い表情が段々と引き締まっていって。
先生の白い頬が、うっすらと桜色に色付いていく。
あれ、胸の中で呟く。
……私、何かおかしいこと、言った?
耳まで桜色になった先生は俯いて、居心地悪そうに身を捩る。
それから、机の上に置いてあるグラスを手に取り顔を横に向けて、こくりとグラスを傾けた。
- 606 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/23(月) 00:57
-
変な沈黙が部屋の中に横たわる。
なんだろう、この空気。
未だに明後日の方向に視線をやってる先生。
どうして先生、赤くなってるんだろう。
恥ずかしそうに視線を逸らしてるんだろう。
私別に変なこと言ってないよね。だって、本当の事言っただけだし。
先生に会えて、嬉しかったって。
ただ、それだけ……。
(………!!)
ちょっと待って私。
よく考えてみたら、それってなんか、なんだか。
体中の血流が早まる。
首から上が熱くなった。
……は、恥ずかしくない?
嬉しかった、うん、嬉しかったのは確かなんだけど。
けれど、その言葉には別に深い意味はなくて。いや、突き詰めていけば深い意味もなくはないんだけど。
でも今は、なんて言うの?久しぶりに会った友達に帰り道、会えて嬉しかったって言う感じというか。だから。
ああ、なんだかよく分からなくなってきた。
「せ、先生、今のは、あの」
恥ずかしいから顔を下に向けて、先生をなるべく視界に入れないようにしながら話す。
「変なこと言ってるけど、えっと…」
『誤解しないでください』はおかしい。『変な意味じゃないですから』もおかしい。
何を誤解しないのってなる。変な意味って何ってなるもん。
そもそも言い訳すること自体、おかしい気がする。
でも、だけど、……どうしよう。
膝の上に置いた自分の手を見つめる。
ぐるぐる回る思考は一向にまとまらない。
「うん。なんか、」
そしたら、先生がゆっくりと話出して。
ちらり、と見上げる。
先生は机の上のグラスに視線を向けて、自身の長い髪を忙しなく撫でていた。
その頬はまだ少し赤い。それを確認して私の頬も更に熱を持つ。
「なんか、うん、ちょっと、照れちゃった。
そういうストレートな言葉って最近あんま言われないから」
あははって乾いた笑い声が部屋に響く。
私はそれにどう答えればいいのか分からない。
- 607 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/23(月) 00:58
-
先生がするりと自分の髪を梳いた。
「…………梨華ちゃんに、言われたし」
ぽつりと聞こえたその言葉。
思わず顔を上げたら、先生の視線とぶつかった。
真剣な色を帯びた瞳に、一瞬、息が詰まって。
だけどそれは、すぐにいつもの先生の目に戻る。
「あは、なんで赤くなってんだろうね、ごとー。おかしいね」
先生はちょっと笑って、またグラスを傾けてウーロン茶を飲んだ。
私もグラスに口を付けて、乾いてもいない喉を潤す。
ことり、とグラスを机に置いたら、また変な沈黙が落ちてきた。
さっきの独り言みたいな呟きの意味を問う気にはなれなかった。
気にならないって言ったら嘘だけど、それに特に意味があるとは思えなかったから。
ぐるぐると話題を探して、
「吉澤さんて、綺麗な人ですね」
出てきたのはそんな言葉。
他に何かなかったのか、って自分の貧弱な発想にちょっと凹んだ。
でも先生は、にこりと微笑んで口を開く。
「でしょ。黙ってればホントきれーな顔してんだけどねぇ」
心なしか嬉しそうな声音に、先生と吉澤さんの仲の良さを確認してまた凹んだ。
何やってるんだろう、私。だけど、すぐに落ち込んだ気持ちを隠して笑顔を作る。
だって、そんな所を見せたって先生を困らせるだけだもん。
「でも、中身オヤジ入ってるからさ、損してるよ絶対」
「けど、優しそうでしたよ?」
確かに話の内容は、綺麗な顔とギャップがあったけど、
吉澤さん、仕草も表情も話し方も、すごく優しそうだった。
そう言ったら先生は「梨華ちゃん、敬語ー」って言って苦笑。
「やめよーって言ったじゃん」
「あ、はい」
「はい?」
「え、あ、……うん」
先生は満足そうに笑って、グラスを手に取る。
「よしこは女の子には優しいからねぇ」
「へえ、そう…、なんだ」
「あの顔だから、結構モテるんだよ?あーんな性格でも」
そこで言葉を切ると先生はグラスを少し傾けて。
「……まあ、女の子からばっかだけど」
呟いて、ウーロン茶を飲んだ。
―――― 女の子、から?
聞き流してしまいそうなほどさらりと呟かれた、その言葉。
先生は、そういうのに抵抗がない人なんだろうか。
(――― 女の子ダメって言ってないんでしょ?)
美貴ちゃんの声が聞こえる。
(聞いてみれば?)
聞いたことはなかった。聞こうとも思わなかった。だって、怖かった。
頭の中がオレンジ色に染まっていく。
夕日の光に包まれた美貴ちゃんが本棚に本を戻す。
すとん、頭の中に棚に本の背表紙が当たった乾いた音が響いた。
(ミキ、諦めるのはまだ早いと思うんだよねぇ)
―――― 美貴、ちゃん。
振り向いた美貴ちゃんは笑顔だった。
- 608 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/23(月) 00:58
-
「先生は、」
気づいたら、口が勝手に動いてた。
「そういうの気にならないの…?」
傾けていたグラスを口から放して、先生は私に視線を寄こし、
きょとんとしながら「そういうのって?」と聞き返してきた。
真っ直ぐに先生を見つめる。目を逸らすことはしなかった。
いつもなら焦ってしどろもどろになって、目を合わせる事でさえできなくなるのに。
だって、――― 美貴ちゃんが、いたから。
頭の中で、オレンジ色の美貴ちゃんが、ずっと笑ってたから。
「女の子が女の子に告白するの、とか、……そういうの」
先生は私を見つめ返して、真顔になる。
その表情からは、先生が何を考えているのか読み取れない。
肩に掛かる自分の髪を先生はそっと撫でて。
「あんま、抵抗ないけど…うん、本人が幸せなら、それでいいと思う」
そう言った先生はやっぱり真顔のままだった。
「……梨華ちゃんは?」
「え?」
「無理だーって思っちゃう?」
先生に顔を覗き込まれて、その言葉の調子とは裏腹に妙に真剣な色を孕んだ瞳とぶつかり、
その強さに一瞬言葉を失う。けれど、すぐに口を開いた。
「思わない、よ」
そんなこと少しだって。
だって今まさに私は、女の人に恋をしてる。
先生に恋してる。
「そっか」
先生はふにゃりと相好を崩して、私の頭を優しく撫でた。
嬉しそうなその笑顔に私の頬も緩んでいって、髪の上に感じる優しい温度に身を委ねた。
目を閉じたら、瞼の裏に意地悪く笑う美貴ちゃん。
美貴ちゃんは口の形だけで「ばーか」と言って、ゆっくりと背を向けた。
- 609 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/23(月) 00:59
-
「あー、それから梨華ちゃん」
先生の声が聞こえて目を開けると、先生は私から視線を逸らして明後日の方向を見てて。
ちょっと頬が赤くなってるみたいだけど、……どうしたんだろう。
そんな先生をきょとんと見てたら、先生は言葉を続けた。
「よしこの事なんだけど」
「は、…うん」
「これから、町ん中とかでよしこに会ったら、
あいつ声かけてくると思うけど、ぜぇったい!ついてっちゃダメだからね」
「へ……?」
“ぜぇったい”って所を一際大きく発して、先生は真剣な顔で私を見つめた。その迫力に少しだけ顎を引く。
「どうして?」と尋ねたら先生は私の頭に置いていた手を引っ込めて、ずいっと顔を近づけてきた。
思いがけない急接近に、心の中で叫ぶ。
どきどきと鼓動が早まって、顔も熱くなってきたけど、
自分から離れるわけにもいかず、ぐっと恥ずかしさを堪えて顔を固定した。
「よしこの女癖の悪さはハンパじゃないんだよ」
「……へ?」
「ホントなんだよ!よしこにキスされたら妊娠するってもっぱらのウワサ」
「ええー?なにそれー」
とんでもない事を言う先生に声を上げて笑ってしまった。
そしたら先生は「ホントのホントなんだって!」って必死に言い返してきて。
その表情は必死そのもの。まるで小さな子供が母親に向かって戦隊ヒーローの話を必死で説明してるみたい。
ふふふ、と笑ったら「梨華ちゃん!」って怒られた。
それから先生は“よしこの女癖の悪さ”について力説し始める。
でも。
口では散々酷いことを言ってるのに、吉澤さんの話をする先生の顔は何だかちょっと楽しそうで。
「……仲、良いんですね」
気づいたらそんな言葉が口から零れ落ちてた。
無意識のうちに滑り落ちたそれ。言ってしまってからその意味を理解する。
何言ってるんだろう。今更そんな確認するようなこと聞かなくったって、答えは分かりきってるのに。
- 610 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/23(月) 00:59
-
先生はちょっとだけ困ったように頭をかいて、
「まあ、小中と学校同じだったから」とぼそりと言った。
「……高校は違ったんですか?」
「うん。大学もどこ行ったのかお互い知らなかったんだけど、
やぐっつぁんがね?引き合わせてくれたんだよ」
「真里ちゃんが…?」
先生は「そう、その真里ちゃんが」とにこりと笑んで、
「やぐっつぁんから聞いてない?」って首をちょこんと傾げた。
首を横に振る。聞いてない。
そもそも、真里ちゃんとそんな話をする時間がない。
時々会ったりもしてるけど、それほど頻繁に連絡を取り合ってるわけじゃないし、
最近真里ちゃんと会ったのはこの間のカテキョ終わりで、話をしている暇なんてなかった。
「元々よしことやぐっつぁん、サークルの先輩後輩でね?
ごとーのいっこ上にね、結構可愛がってくれる先輩がいるんだけど、
その人がやぐっつぁんの友達で…、」
なんだか聞き覚えのある話に首を捻る。
先生の先輩の真里ちゃんの友達、……それって。
「その先輩って、真里ちゃんにカテキョの紹介した人?」
尋ねると、先生は「そうそう」と笑顔を見せて「いちーちゃんって言うんだ」と付け加えた。
「いちーちゃんに連れってかれた、やぐっつぁん主催の飲み会で、
ぐーぜんばったり、よしこにあったんだよねぇ」
「だからやぐっつぁんが引き合わせてくれた」先生は嬉しそうに笑った。
そんな偶然あるんだ、そう感心する傍ら、先生の言葉に引っかかる所が一つ。
真里ちゃん、飲み会を主催するって一体大学で何してるの。
小さい頃から皆の人気者で、面倒見が良くて、楽しいことが大好きで、
私とは比べ物にならないくら友達もいたくさんいた真里ちゃん。
大学に行ってもやっぱりあの性格は健在みたい。
「……真里ちゃん、飲み会開いたりしてるんだ」
ぽそりと呟いたそれに答えは期待していなかったけれど、先生は大きく頷いた。
「やぐっつぁんって面倒見良いし、割と上下関係なく話すじゃん。
だからけっこう顔も広くて、そういうのよくやってるんだよ」
小学生の頃、よく私の手を引いてうちまで送ってくれた従姉妹のおねえちゃん。
今では私の方が背が高くなってしまったけれど、あの頃から本質的な部分は何も変わってないんだ。
ぼんやり思って、先生を見ると、先生はウーロン茶が半分くらいまで入ったグラスを眺めてた。
「他人に気ぃ回すのも上手いし、おもしろいし。色々助けてもらってて。
ホント、やぐっつぁんには、」
段々と先生の声の温度が変わってきている気がした。
口元には優しい笑みが浮かんでて、まるでグラスの向こう側にいる誰かに笑いかけてるみたいで。
- 611 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/23(月) 01:00
-
心の温度が下がってく。
誰を思ってそんなそんな風に笑っているのか。
聞きたい。聞きたくない。聞けない。
ううん。
聞かなくたって、分かってた。
「………感謝してるんだ」
愛しむような、優しくて、柔らかい眼差し、その先に。
先生、あなたは、誰を見てるの。
顔を背けた。
見て、いられなかった。
女同士の恋愛に抵抗はないって言った先生。私はちょっとだけ浮かれてた。
チャンスがあるかもしれないって。頑張れば、もしかしたら、なんて。
でも、見てしまった。
その視線の先に誰かがいるのを、私は。
ねえ、先生。
その先にいる誰か、それは、もしかして―――。
机の上に置いてあったケータイのアラームが鳴って、15分間の休憩の終わりを報せた。
- 612 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/23(月) 01:00
-
□■□
- 613 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/23(月) 01:00
-
□■□
- 614 名前:太 投稿日:2007/04/23(月) 01:01
-
………柴ちゃんって、さとたんの事なんて呼んでるんだろう…。
- 615 名前:太 投稿日:2007/04/23(月) 01:02
-
>>588さん
今後もうちの藤本さんを生暖かい目で見守ってやってくださると嬉しいです(笑)
>>589さん
川*V-V)<……お、お礼なんて言わねえからな!
>>590さん
話の大筋は出来ているので、さくさく更新できればと思います。
藤本さん応援派の方思ったよりもいらっしゃるようですね(笑)
彼女にはこれからも(石川さんが)お世話になる予定なので、応援の方、引き続きよろです。
>>591さん
ありがとうございます。そう言って頂けると嬉しいです。
石川さんには今後もハラハラドキドキしてもらいますよー。
- 616 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/04/23(月) 02:33
- 連日の更新お疲れ様です。
梨華ちゃんがんばれ!太さんがんばれ!
- 617 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/04/23(月) 09:01
- あの人も出てきましたね
展開が気になる〜!
- 618 名前:589 投稿日:2007/04/24(火) 21:15
- 美貴ちゃんにレス貰ってしまったw
お礼言われなくても応援するよ〜
- 619 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/25(水) 22:13
-
***
大きな窓から空を見上げた。青くて広い空を。
気持ち良く晴れる、雲一つないまっさらなその青をずっと見てた。
そしたら、右も左も前も後ろも足元も、全部が空になってしまったような感覚に陥った。
一人、青い世界へふわりと投げ出されたような、目が回りそうな、そんな感じ。
一つの汚れもない青。今の私の心とは正反対だ。
先生の顔が脳裏を過ぎる。
優しい目をして、私じゃない誰かを見つめる先生。
思い出しただけで、ずくり、と胸が苦しくなる。
先生が好きだった。本当に大好きだった。
一緒にいたかった。
だから、片想いでいいと思った。
少しでも側にいられれば幸せだったから。
覚悟は、できてたつもりだった。
でも、やっぱり違った。
先生が私の知らない誰かの話をするだけで苦しい。
友達と楽しそうに話をしているでけで、心が痛い。
先生のあの眼差しの先の相手を想像するだけで、もう、どうしようもなくなってしまう。
はあ、と溜息を吐く。
「あのさぁ、人が機嫌良くお昼食べてる横で、でかい溜息吐かないでくれる?」
酷く迷惑そうな調子で投げられた言葉に、私は青の世界から引き戻された。
隣を見やると、迷惑そうに顔を顰めた美貴ちゃんが、卵焼きをぱくりと頬張ったところで。
むぐむぐごっくん。美貴ちゃんがこっちに顔を向ける。
「つーか何であんたここにいんの?」
美貴ちゃんは持っていたお箸を上下させて「図書室に」って付け加えた。
お昼休みの図書室。
図書当番の美貴ちゃんは、図書室に置かれてる大きなテーブルの上にお弁当を広げてた。
本来図書室は飲食禁止なんだけど、うちは利用者がほぼゼロだから、
美貴ちゃんはこうして時々(もちろん内緒で)お昼を取る。
(まあ、こんなことするの美貴ちゃんくらいなんだけど)
「いちゃダメ?」
「ダメじゃないけど、梨華ちゃん当番じゃないじゃん」
図書当番は二人一組、だけど今日は用事があって美貴ちゃんが放課後早く帰らなければならないらしい。
だから、美貴ちゃんは昼休みの貸し出し係を一人ですると申し出ていた。
だから今日、私は一人で放課後の図書室当番。
そんなの分かってる。だけど、でも。
「だって、美貴ちゃん同じクラスじゃないじゃん」
「だから?」
「今日は一回も顔見てなかったじゃん」
「結構なことで」
「私たち、教室の場所離れてるからトイレでも会わないじゃん」
「会っても嬉しくない」
「だからだよ」
「いや、意味分かんねえよ」
眉間に皺を寄せた美貴ちゃんはタコさんウインナーをぱくり。むぐむぐ咀嚼。
「美貴ちゃんの顔見たかったんだもん」
ごくり。美貴ちゃんの喉が上下に動く。
視線を顔に戻すと眉間の皺が一本増えていた。
- 620 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/25(水) 22:13
-
「あほくさ」
美貴ちゃんは呟いて顔を正面に向けてしまう。
お箸をお弁当箱へ。
「どーせまた、何かくだんない事があったんでしょ」
そう言って今度は白いご飯をぱくりと食べた。むぐむぐと動く頬。
自分の眉尻が下がっていくのを感じた。
図星だった。くだらない事じゃないけど、美貴ちゃんに聞いてほしい事がある。
「美貴ちゃんの声聞くと安心するんだもん」
俯いてぼそぼそ呟いたら、はあああってすっごい深い溜息が耳に入ってきて。
そろりと視線を上げたら、呆れ顔の美貴ちゃんがこっちを見てた。
「……で、今度は何があったわけ?」
そっけない声で美貴ちゃんはそう言うと、視線をお弁当箱に戻す。
「なんか話したい事あったんでしょ?」
投げやりな調子で呟いて、美貴ちゃんはミックスベジタブルのグリーンピースをお箸で突いた。
にんじんとコーンとをより分けて顔を顰める。
絶対こっちを見ない、そんな態度なのに、ちょっとだけ胸がじーんと熱くなった。
美貴ちゃんは横着な態度とは裏腹に、その心の真ん中の部分は結構優しいのだ。
ただ、ものすごく素直じゃない。天邪鬼って美貴ちゃんのためにある言葉だと思う。
だって、普段酷い事言うくせに、美貴ちゃんが私を見捨てた事なんて、一度もなかったもん。
唇を引き結んで、美貴ちゃんの横顔を見た。
美貴ちゃんは未だにミックスベジタブルと格闘中。
「良いニュースと悪いニュースあるんだけど、どっちからがいい…?」
尋ねると、美貴ちゃんはグリーンピースを摘んで口に放った。
顔を顰めて「良いニュース」と一言。
「あのね、先生、女の子同士あんまり抵抗ないって」
「聞いたの?」
眉間の皺を深くして、むぐむぐ顎を動かしながらこっちを見た美貴ちゃんに頷いてみせる。
ごくりと彼女の喉が上下した。
「梨華ちゃんにしたら大前進。良かったじゃん」
「……ありがとう」
美貴ちゃんは今度はにんじんを摘み上げた。
渋い表情でそれをを睨んで、グリーンピースと同じように口に放る。
「で、悪いニュースは?」
その言葉に視線を下げた。机の上に突いた自分の手を見つめる。
右手の人差し指で左手の甲をするりと撫でた。そこは少し前に先生の髪が触れたところ。
「先生ね」
「うん」
右手を左手でぎゅうと包み込む。
「好きな人がいるみたいなんだ」
あの頃は、先生を好きだと自覚した頃は、こんな風になるとは思ってなかった。
先生が好きで、ただ側にいるだけでいいと思ってたのに。
先生のあの優しい眼差しが、また脳裏を過ぎって、泣きたくなった。
- 621 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/25(水) 22:14
-
美貴ちゃんは何も言わない。
部屋の中は、壁に掛けられた丸い時計の秒針の音だけに満たされる。
暫くして、美貴ちゃんがぽつりと「そっか」って言った。
「……相手、誰?」
「分からない」
「せんせーが、……好きな人いるって梨華ちゃんに言ったの?」
「言ってないよ、でも、」
でも、だけど、分かるよ。
先生が、あの視線の先にいる人の事をとても大切に想ってることぐらい。
美貴ちゃんいつだったか私に言ったじゃない。
『あんな目ぇして、あんな声で話してたら、誰でも分かるわ、ばーか』って。
私、それ、今なら分かるんだ。あんな目で、あんな声で。
だってあれは、恋してる女の目だもん。
美貴ちゃんは、また「そっか」と呟いて黙ってしまった。
かちこち、かちこち。時計の音がやけに大きく響き渡る。
もうすぐ昼休みも終わっちゃうな、なんてぼんやり思った。
結局私は、美貴ちゃんに話をして、どうしたかったんだろう。
慰めてもらおうとは思ってない。
ただ美貴ちゃんに聞いてほしいと思って、自然とここに足が向かってた。それだけ。
ただ、それだけ。―――― それだけ?
- 622 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/25(水) 22:15
-
突然、時計以外の音が図書室に響いた。
からからと引き戸を開ける乾いた音。
何だか、前にも同じような事があったなって思いながら扉に視線を向けたら、
そこには、あの時と全く同じ女の子いた。
あの時と違うのは、女の子の顔が緊張で強張ってないって事だけ。
目を丸くする。そしたら、その子は後ろ手に扉を閉めて図書室に入ってきた。
とことこ私たちの前までやってきて、にこりと可愛らしく微笑む。
「こんにちは、石川先輩」
女の子は私に挨拶。親しげな態度に、思わずぺこりと小さく会釈した。
それからその子は美貴ちゃんに視線を移して。
「こんにちは、みきたん」
美貴ちゃんににこり。
どういうこと、どうしてこの子は美貴ちゃんに臆することなくのほほんと挨拶してるの。
確か、美貴ちゃんこの子の事ふったんだよ……ね。
まだ諦めてないのかな。でも、それにしては、朗らかに笑いすぎてないだろうか。
ぐるぐる考えてたら、美貴ちゃんがお箸をお箸箱に戻して女の子に視線を向けた。
「はいこんにちは、亜弥ちゃん」
なんて普通に挨拶を返して。
「どうしたの?何か用だった?」
「ううん。何してるのかなって思って。
みきたん今日は図書室でごはんするって言ってたじゃん」
「そうだっけ?」
「うん」
嬉しそうに頷いた女の子(亜弥ちゃんって言うみたい)に、
お弁当箱を片付けてた美貴ちゃんはにこりと笑いかける。
なんだろうこの空気。ふわふわっていうか、ほわほわっていうか。
この間とは180度違う温かい感じ。……なんか、仲良くなってる?
それから二人は二言三言交わして。
亜弥ちゃんは「じゃあ放課後楽しみにしてるね」なんて、
また嬉しそうに美貴ちゃんに言うと、私に頭を下げて図書室を出て行った。
図書室の扉の小さな窓から亜弥ちゃんの茶色い頭が見えなくなるまで目で追って、美貴ちゃんに視線を戻す。
美貴ちゃんはちょうど、お弁当箱を入れた巾着袋の紐を結び終わったところだった。
「美貴ちゃん、今の女の子……」
「んー?」
「こないだの子、だよね?」
「うん」
頷いた美貴ちゃんは、うーんと両腕を上げて背筋を伸ばすと私を見た。
「亜弥ちゃんていうの」
名前は今までの二人の会話で分かったんだけど。
聞きたいのはそんな事じゃない。
美貴ちゃんは、亜弥ちゃんに一度告白されて、ごめんなさい、したんだよね?
なのに、どうして。
「なんか、…仲良くなってない?」
探るように発した言葉に、美貴ちゃんは何でもないことのようにさらりと答える。
「うん。仲良くなった」
拍子抜けするくらいあっさりとした返事に、私は次にかける言葉につまった。
- 623 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/25(水) 22:15
-
仲良くなったって、……なったって。
亜弥ちゃん泣いちゃったんでしょ?美貴ちゃんに断られた時。
すごくすごく、傷ついたはずなのに。
私は少し考えて「美貴ちゃんって、亜弥ちゃんのことふったんだよね?」なんて確かめるように聞いてみる。
そしたら美貴ちゃんは、またあっさりと頷いて。
「なんか、次の日にさ、亜弥ちゃんに下駄箱のとこで捕まって。
友達でいいから、メアド教えてください!って」
頬杖を突いて、その時のことを思い出すように視線を正面の窓に向けた。
口元には、優しい笑みが浮かんでる。
「やだって言ったんだけど、超しつこいんだもん。亜弥ちゃん」
「……そうなの?」
「だってずっと金魚の糞みたいに人の後ろ付いてくんだよ?なんか段々笑えてきてさ。
すごい必死な顔がちょっと可愛いなぁとか思っちゃったんだよねぇ」
おかしそうに笑みを深めて、美貴ちゃんは目を細める。
まるで、その先にその時の亜弥ちゃんがいるみたい。
「恋愛感情とかじゃ、全然ないんだけどさ。
あんまりしつこいから、……教えちゃった」
悪戯っ子みたいに、へへって笑う美貴ちゃん。
―――― 亜弥ちゃんは、
ふられて、泣いて、傷ついて。なのに、美貴ちゃんに想いが届くように頑張ってる。
一生懸命に、自分にできる精一杯の事をやろうとしてる。形振りなんて少しも構わずに。
なんて、なんて強いんだろう。
それは、すべて、美貴ちゃんが好きだから。
美貴ちゃんに見てほしいから。―――― 見て。あたしを見て、みきたん。
(亜弥ちゃん、)
図書室の扉を見た。そこに亜弥ちゃんはいなかったけど、
満面の笑みを浮かべたさっきの亜弥ちゃんの姿が脳裏を過ぎる。
(あなたの気持ち、少しずつ、届いてるよ)
だって、美貴ちゃんの、その眼差しが。
あの時の先生のとは少しだけ質が違うけれど、
優しくて、なんだかすごく、温かい色をしてる。
(――― それに比べて私は)
片想いでいいとか最初から諦めてたくせに、勝手に嫉妬して、勝手に傷ついて、美貴ちゃんに泣きついて。
美貴ちゃんに促されてやっと前向きに考え始めて、
なのに先生に好きな人がいるって知ったら、また、一人で勝手に諦めてた。
先生に近づく努力を一つもしないで。
- 624 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/25(水) 22:15
-
「梨華ちゃん」
図書館の窓をじっと見つめてたら、美貴ちゃんに名前を呼ばれて慌てて振り返る。
頬杖を突いた美貴ちゃんは、ひょい、と片眉を上げた。
「亜弥ちゃんのことは別にいーんだよ。
そんなことより、梨華ちゃんはどーすんの?」
「え?」
「せんせーに好きな人がいるっぽいって知ってさ、」
美貴ちゃんの白い指が、とんとん、と机を叩いた。
「諦める?」
亜弥ちゃんの笑顔と、美貴ちゃんの笑顔が浮かんで、消えた。
(――― そうだよ)
私はまだ、何一つしていない。
まだ、始めてもいない。
先生に受け入れてもらえるかな、と少しでも期待してしまったあの時から、
もう、この気持ちは後戻りできるような状態じゃなかったんだ。
(当たって砕ける、なんて、やっぱり私にはできないけど)
無意識のうちに頬が緩んでた。
まだ、何もしてないじゃない。
「諦めないよ」
少しずつでいい。
前に、進みたい。
頬杖を突いて私を見てた美貴ちゃんが、また片眉をひょいと動かして、にやりと笑んだ。
私もそんな風に笑ってみたいなと思った。
「じゃあ、とりあえず次のテスト、がんばんないとじゃん?」
その言葉に大きく頷くと、一瞬、本当に瞬きをするくらいの短い間、
美貴ちゃんの表情が無くなったように見えて。あれ、と思った。
けれど次の瞬間には、美貴ちゃんはさっきと何ら変わりなく笑んで口を開いたから、
私は、気のせいだと勝手に結論付けた。
「遊園地」
「うん」
「まずはそこから、」
チャイムの音で途切れた美貴ちゃんの声。
けれど、続く言葉は分かってる。
がたがた椅子を戻して、鍵を閉めて、慌てて図書室を後にした。
教室に向かって全速力。
―――― まずはそこから、始めよう。
記念すべき、第一歩を。
- 625 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/25(水) 22:16
-
***
それから、テスト勉強をそれまでより更に頑張った。
だって、具体的に遊園地で何をするか決めてはなかったけど、90点台を出さなきゃ何も始まらないもん。
テスト当日、先生からメールが入った。
がんばれ!って、たった一言。
だけど、その一言が、すごくすごく嬉しくて。
ケータイを、ぎゅう、と一度胸に抱いてから、教室に向かった。
先生。頑張るよ。
私、頑張るから。
***
- 626 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/25(水) 22:17
-
***
今日の授業がすべて終わり、HRのあとすぐに柴ちゃんに「ばいばい」を言って、
私は、バッグを片手に美貴ちゃんの姿を探して走った。
廊下は下校をする生徒でいっぱい。その合間を縫うようにして、美貴ちゃんの教室に向う。
美貴ちゃんの教室の扉から出てくる茶色い頭の猫背を発見。
あの気怠い歩き方は間違いなく美貴ちゃん。
「美貴ちゃーん!」
扉の前の猫背の歩みが止まった。
廊下を歩いてた生徒が何人か振り向いて、その視線がちょっと恥ずかしかったけど、
めげずにその中を進んで美貴ちゃんに近づく。
前にいる美貴ちゃんがゆっくり振り向いて私を睨んだ。
眉間に刻まれた深い皺。いつもなら怖いと思ってしまうけれど、
今日はそんな表情も気にならなかった。
だって。
美貴ちゃんの目の前まで来て、その手を取った。
「大声で人の名前呼ぶの止めて」
文句を言う渋い顔に笑顔を向けて、私は叫んだ。
「行ける!」
「はあ?」
美貴ちゃんの眉間の皺が更に深くなる。
構わず、美貴ちゃんの正面からその両腕をがしりと掴んだ。
「行けるよ!遊園地!」
今日、数学と現国とリーダーのテストが返された。
数学が91点。ぎりぎりだけど90点台に間違いない。
これで、ご褒美の遊園地に、行ける。
渋かった表情が緩んで、美貴ちゃんは大きく目を見開いた。
「マジで?」
「うんっ」
「うっそ、やったじゃん。やったじゃんかー!」
「うん!」
「せんせーにはメールした?」
「うん!」
美貴ちゃんは、がしがしと私の頭を撫でる。
乱暴だったけど、そんな仕草も嬉しくて。
周りの生徒の視線を感じたけど、どうでもよかった。
だって、だって、行けるもん。
遊園地行ける。
先生と、二人で。
それから、美貴ちゃんを自転車の荷台に乗せて、駅まで走った。
美貴ちゃんのご希望通り、全速力で。
先生から「遊園地楽しみにしてる」ってメールが入ったのは、ちょうど家に帰りついた時だった。
- 627 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/25(水) 22:17
-
***
次の日は金曜日で、カテキョの日。
うちにやって来た先生は、お母さんとお出迎えした私の顔を見てにこりと笑った。
階段を昇って、私の部屋に入ると、先生はベッドの横にバッグを置いて、
私は、勉強机の椅子に腰掛けた。
「メール見たよ」
「はい」
「92点?」
私の目を覗き込むように中腰になって聞いてくる先生。その目は微笑んでて。
緩んでいく頬をそのままに、頷く。
そしたら、先生の手が頭に伸びてきて、くしゃくしゃと髪の毛を掻き混ぜられた。
「よくやったー!」
「ふふふ」
「さっすが梨華ちゃん」
くしゃくしゃ、くしゃくしゃ。先生の温かい手。
気持ち良くて、ちょっとだけ俯いて目を閉じた。
よかった。頑張ってよかった。
遊園地に行くんだ、先生と。
たくさん遊んで、たくさん先生の笑顔を見て。
もっと仲良くなる。
もっともっと先生に近づけるように。
くしゃくしゃが止んで、頭の上が急に少しだけ重くなって、両肩に手を置かれた感触。
ふわり、と先生の香水の香りがして、あれ?と思い目を開けた。
視界が暗い。
目の前にある何かのせいで視界が塞がれてるからだ。
そう思って、すぐにそれの正体を理解した。
先生が上に着てた服だ。
(何で、どうして、こんな近くに)
鎖骨の辺りがちょうど私の目の高さにある。
暗くても分かるその肌の白さ。
先生は、私に寄りかかるように上半身を傾けてた。
大きく跳ねる鼓動。
どくどく、どくどく、と心臓の動きが早まっていく。
先生の香りに、固まった。
「せ、せんせっ……」
「梨華ちゃん」
切羽詰った自分の声が先生の声に飲み込まれた。
それと同時に、頭に感じる振動。もしかして、先生、私の頭の上に、顔を乗せてる…?
その疑問を確かめる術は、今の私にはない。
恥ずかしさと緊張に耐えられなくなって、固く目を閉じた。
「行こうね」
行こう?何、なにを?その声に応えられる余裕はなかった。
先生が喋る度に感じる振動に、心臓が爆発しそう。
「遊園地、行こうね。二人で」
どくり。鼓動が跳ね上がる。
じわじわと胸の奥から熱い何かに体が侵食されていく。
その感覚に、泣きそうになった。
暫くして、頭の上の重みが消えて、先生が私から離れていった。
緊張でがちがちになってたくせに、寂しい、なんて思ってしまう。
騒ぐ心臓を落ち着かせながら、恐る恐る目を開けた。
- 628 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/25(水) 22:18
-
そしたら、目の前に先生がいて。
先生は「えへへ」なんて、ちょっと照れたように笑って、
それから、ぽんぽん、と私の頭を撫でるように叩き、私の隣に置いてあった椅子に腰を下ろした。
定位置に座って、私の顔を見てにこり。
「じゃあ、返ってきたテストの直し、しようか」
先生は、いつも通り授業を始めた。
今のは何だったのか、そんなこと聞けるわけがない私は、
未だにどきどきうるさい心臓を抱えながらシャーペンを取るしかなかった。
いつも通り、何も変わらず授業を進めていく先生。
けれど私は、こんな状態で勉強に集中できるわけがなくて。
いつもよりも先生の話を聞き逃す頻度が上がってしまった。
だけど、その度に先生は何も言わず、ただ微笑んでた。
8時45分ちょうどに先生は「今日はこの辺にしとこうか」ってペンを置いて、荷物を取りにベッドの横へ。
私は授業が終わったことにちょっとだけほっとしながら、筆箱にシャーペンと消しゴムを戻した。
今日の授業は散々だった。
集中なんてできなくて、先生の話も半分くらい聞いてなかったし。
ノートとテスト用紙を片付けながら、そんな事を思ってた。
そしたら、先生に名前を呼ばれて。
振り返ると、先生が黄色い手帳をひらひらと振っていた。
「日曜日、どうする?」
先生はそう言って、勉強机まで戻ってきて。
「遊園地、何時から行こっか?」
椅子に座って、机の上に手帳を広げた。
その手帳の日曜日の欄に先生の字で“遊園地”って書かれてて、何だかちょっと嬉しくなった。
「ごとー免許ないからさ、電車でいいよね」
「あ、うん」
全然、なんだって構わない。
だって、先生と一緒ならきっと、何だって楽しい。
先生は顎に手を当てて、この辺りで一番大きな駅の名前を挙げた。
「そこに大きい時計台があるじゃん?」
駅の東口の前にある金色の大きな時計を思い出して頷いた。
確か、あそこは目立って分かりやすいから、よく待ち合わせの場所になってる。
- 629 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/25(水) 22:18
-
「そこで待ち合わせね。10時でいい?」
「うん」
ふにゃりと笑った先生はボールペンを出して、黄色い手帳に10時って書き込んでく。
ぱたん、と手帳を閉じた先生の視線が上がる。目が合うと、先生は笑みを深めた。
「10時に金時計の下で、待ってるから」
その言葉に大きく頷いた。
待ち合わせ場所を決めて、時間を決めて。
今更ながら、先生と遊園地に行くんだって、実感が湧いてきた。
自然と頬が緩んでくるのを止めることもせずに、えへへって笑ってみた。
ちょっとだけ恥ずかしくて、でも、その何倍も嬉しい。
絶対、楽しいものにするんだ。
先生に楽しかったって思ってもらえるように、先生にもっと近づけるように。
今の自分の精一杯を。
- 630 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/25(水) 22:19
-
突然、軽快なメロディが部屋の中に響き渡った。
この曲は私のケータイじゃないな、そう思ってたら先生が慌てて立ち上がり、
「ごめんね」って言いながら、ベッドの横のバッグの中から白いケータイを出す。
ぱかり、と開いて、ディスプレイを見ると先生は途端に表情を渋くした。
そのまま親指をぴこぴこ動かして。
そしたら、突然「んあ!!」って叫んだ先生。
「ごめん、ごとーもう帰るね」
焦ったように乱暴にバッグを取り、先生はそう言って。
もう授業時間は終わっているから先生がいつ帰ったとしても、何の問題もない。
だから、謝る理由なんて何もないのに。
慌てた先生の様子を不思議に思いながら、玄関先まで見送ろうと椅子から立ち上がる。
そしたら、先生が慌てて手を左右に振って。
「今日は、外まで来なくてもいいよ」
「え、でも……」
「ていうか、今日はもう外出ないで」
「へ……?」
「なんか、よしこがそこの駅の近くまで来てるとか言っててさ」
先生は首をぶんぶんと左右に振った。
さっきの着信、吉澤さんからだったんだ、ぼんやり思う。
でも、どうしてそれが外出禁止に繋がるんだろう。
「よしこに梨華ちゃんちは教えてないけど、
見つかると梨華ちゃんに迷惑かけるかもだから」
そう言った先生は、私が何を言っても外まで見送ることを許してくれなかった。
仕方なく今日は玄関で我慢する。
玄関の扉を閉める寸前、先生は「遊園地、楽しみにしてる」って言って。
先生が出て行った後も扉を見つめて、玄関の前に意味も無く突っ立っていた。
頬が緩む。今きっと私は、すごく間抜けな顔をしてる。
にやにや締まらない笑みを浮かべてるに違いない。先生に見られなくてよかった。
でもだって。楽しみにしてる、だって!
なんて言うんだろう?
小さい頃、初めて友達の家にお泊りした時のような、
修学旅行前日にわくわくしすぎて眠れない時のような、そんな高揚感に全身が包まれて。
意味も無く飛び跳ねて、大声で叫びたい気分。
この前まで目も当てられないような心境だったくせに、
先生の言動一つでこんなにもはしゃいでしまう自分の単純さに呆れちゃうけど、でも、いいの。
楽しみなんだもん。嬉しいんだもん。
玄関に背を向けて、にやけながら階段を昇る。
それに今日は、先生に抱きしめられた、みたいな事もあったし。
突然でその理由はよく分からなかったけど、やっぱり嬉しかった。
普通、嫌いな子にはあんなことしないよね。
なんだろう、なんか、ちょっと特別っぽくて。
前よりも少しだけ、先生に近づけた気がした。
- 631 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/25(水) 22:20
-
自室から出てきた妹が、私のにやけた顔を見て「気持ち悪い」と嫌な顔をした。
けれど、今は怒る気なんて起きなくて、更に笑顔を返したら変な物を見るような目で見られた。
気にせず部屋に入る。
扉を閉めて、ふと視線を向けた勉強机の上に見覚えのある黄色を見つけた。
近づいてみると、年季の入った黄色いカバー。
先生の手帳が、ぽつん、と寂しそうにそこに横たわってた。
先生、バッグに仕舞うの忘れたんだ。
吉澤さんのメールを見て、慌てていたから。
そっと黄色の手帳を手に取ってみる。
重厚な見た目と違って軽いことに小さく驚きながら、どうしようかな、と考えた。
先生は今さっき家を出て行ったばかり。
今すぐに追いかければ、駅に着くまでに追いつくかもしれない。
けれど。
「先生、外出るなって言ってたし……」
しかも、すごく真剣な顔で。
明後日にはどんなに嫌でも絶対に会えるから、その時に返せばいいかな。
明日、どうしても手帳が必要な事、あるかな。
一人で考えてても仕方が無い。
机の上に置いてあったケータイをぱかりと開く。
アドレス帳から先生の番号を呼び出して。
あとは、通話ボタンを押すだけ。
そこまできて、深呼吸を一つ。
先生とメールはたくさんしていたけれど電話は初めてだったから。
少しだけどきどきしながら通話ボタンを押した。
ちょうど3コール目で『もしもし』って先生の声。
「あ、あの、先生?」
『はい、せんせーです』
含み笑いがケータイ越しに聞こえて。
ちょっとだけ恥ずかしくなって、こほん、と咳払い。
「あの、先生、忘れモノしてます」
『へぇ?』
「手帳、忘れてる」
『ええ!?』
声を上げたと思ったら、がさごそがさごそ、電話口が騒がしくなる。
それに混じって、『うそー』とか『まじで』とか聞こえてきた。
手帳を求めて、必死にバッグを探る先生の姿が思い浮かび、
ケータイの向こうの先生に気づかれないようにちょっとだけ笑った。
『……ほんとだ……』
電話口に戻ってきた先生の声は、すごく気落ちしたような調子で。
内心慌てる。やっぱり、何か手帳がないといけない事があるのかもしれない。
「あの、今から駅まで持って行きましょうか……?」
『んあ。いいよ、悪いし。
それに駅よしこいるし。明日はバイトあるだけだから』
「でも……」
『あー…、日曜に持ってきてくれると助かる、けど』
言い難そうなその声に、すぐに「わかりました」って応える。
そしたら先生は、ほっとしたように『ありがとう』と言った。
「じゃあ、日曜日に」
『うん、ごめんね。遊園地楽しみにしてるね』
ぷちり、と通話が切れた。初電話、無事終了。
はふっと息を吐く。
ケータイを閉じて勢いよくベッドに座ると、スプリングが軋んで僅かに体が跳ねた。
今日はいろんなことがあった。しかも全部嬉しいことばかり。
先生に頭撫でてもらえたし、褒められたし。
ふにゃって自然にまた顔がにやける。
だらしない顔のままベッドに倒れこんだ。
- 632 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/25(水) 22:20
-
待ち合わせの時間とか決めちゃったし。
電話もしちゃったし。良いことばっか。
カレンダーにハートマークでも書いちゃおうかな。
寝転がったまま顔を横へ倒して、勉強机の隣のカレンダーを見るために視線を移す。
だけど、その途中で視界に入った黄色に、何故か視線を逸らすことができなくなった。
まるで何かに引き寄せられたみたいに、それだけしか見えなくなる。
机の上の、黄色の手帳、それだけしか。
ベッドから降りて、勉強机の前に立つ。――― 黄色い、手帳の前に。
その手帳はカバーの端っこは擦り切れたり所々黒ずんでたりしていたけど、
大きな傷や汚れは見当たらなくて、先生が本当に大切に使っているのが感じられた。
お気に入りなんだって教えてくれた先生の笑顔が脳裏を過ぎる。
(先生は、)
大切な手帳に、何を記してしるんだろう。
無意識の内に手が伸びてた。
手帳まであと1センチの所で、はっとして、慌てて手を引っ込める。
何を考えてるんだ、私は。
人の手帳を勝手に見ようとするなんて、最低なことだ。
絶対にやってはいけないことだ。でも、
ちらり、と手帳を覗き見る。
でも、気になる。すっごく気になる。
一度抱いてしまった好奇心はそう簡単には消えてくれない。
これって先生に言わなければ、バレないよね。
先生はここにいないもん。私と手帳の二人きり。
私が黙っていれば、とりあえず先生に怒られる心配はない。
それに、私の中の好奇心も満たされる。そうだよ。
そろり、と引っ込めていた手を伸ばす。
ちょっとだけ、ぱらぱらっと捲って、すぐに閉じれば。
- 633 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/25(水) 22:21
-
そろり、そろり、近づく手。
その距離、残り4センチ、3、2、1。
「………!」
触れる直前、拳を作って手帳から離す。
やっぱりダメだ。これはダメ。
いくらバレない状況だからと言っても、やっていい事と悪い事がある。これはやってはいけない事だ。
もし私が逆の立場で、例えば、先生にケータイのメールを勝手に読まれたとしたら、
先生のこと、嫌いにはならないだろうけど、きっと失望する。信じられなくなる。
そうなったらもう、取り返しがつかない。
ふう、と深呼吸を一つして、黄色い手帳を見下ろす。
よし。もうこれは見ないし、気にしない。
気にならない。絶対、気にならない。
机の上に置いていたら嫌でも目に入ってしまうから、
どこか、バッグの中とかに入れておこう。
慎重に黄色い手帳を手に取って、辺りにバッグが無いか見渡す。
クローゼットの中に仕舞ったままだったっけ。
手帳を持ったままクローゼットへ向かう。
クローゼットの取っ手に手をかけた、その時だった。
何の前触れも無く、背後でがちゃりと音がして「おねーちゃん」って、声。
びくりと肩が揺れて、気づいた時には手帳が手から滑り落ちていた。
慌てて手を伸ばす。
けれど、もう遅い。
ぺしゃり、と床とぶつかった手帳。
その中に挟まれていたり、ポケットに入っていたりしたモノが飛び散った。
10円玉に1円玉。小さな定規に小さなペン。
何人かで撮られたプリクラ、それから ―――――。
すう、と体の中心が冷えていく。
- 634 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/25(水) 22:23
-
「おねーちゃん?」
背後で聞こえる妹の声。それに応えることができなかった。
床に散らばる手帳の中身。その前に座り込んだ。
10円玉に1円玉。小さな定規に小さなペン。
何人かで撮られたプリクラ。
それから ―――――。
一枚の、写真。
いつの間にか私はそれを手に取っていた。
デジカメで取られたものじゃない。フィルムの写真。
その写真の中には二人の人物が寄り添って笑顔を見せてた。
「……んーっと、辞書借りてくよー?」
背後で扉の閉まる音がする。
写真の中で笑っている人物に見覚えがあった。
左に写っているのは、真新しい制服を着た私。
そして、その隣に写ってるのは。
――――、真里ちゃん。
真理ちゃんと私が、高校の校門をバックに写真に納まってた。
確かこれは、高校の入学式にお祝いに来てくれた真里ちゃんと一緒に撮ったものだ。
覚えてる。コンビニで買ったインスタントカメラで、お母さんが撮ってくれた。
式のすぐ後で、緊張が抜けきれていなくて笑顔が引きつってる私と、
眩しいくらいに笑顔を見せる真里ちゃん。
どうして先生がこの写真を持っているんだろう。
どうして毎日持ち歩く手帳に挟んであるんだろう。そんな疑問は浮かばなかった。
だって、理由なんて一つしかない。
持っているのも、手帳に挟んでいるのも、
その写真の中で笑顔を見せる人を見ていたいから。
眩しいくらいのその人と、写真でもいいから少しでも一緒にいたいから。
真里ちゃんのことが、多分、先生は、好きだから。
下唇を噛んで、手帳の中にそれを戻した。
床に散らばってしまったものも、全て片付ける。
- 635 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/25(水) 22:24
-
覚悟していた事なのに。
前から、先生が真理ちゃんの事を嬉しそうに話してた時からそうじゃないかなとは思ってて。
でも、それでも、先生の事諦めないって決めたんだ。
なのに。
片付ける手が情けないくらいに震えてしまう。
なんとか全て元通りにして、クローゼットの中のバッグに黄色の手帳を押し込んだ。
クローゼットを閉めたと同時に、膝の力が抜けてしまって、ずりずり、と床にへたり込む。
先生の真里ちゃんへの気持ちは気づいてた事なのに、
自分に嫌というほど言い聞かせていたのに。
具体的に見てしまうと、やばい。
自嘲気味に笑ってみる。だけど、頬が引きつって長くは続かなかった。
それどころか、涙が出そうだ。
ずくり、と胸の奥の方が軋んだ。
柔らかな布でゆっくりと締め上げられているような鈍い痛みが、心に走る。
ゆっくりゆっくり時間をかけて。それは、一瞬の激痛なんかよりも、よっぽど性質が悪い。
胸の上に手をのせて、その辺りの服をぎゅうと握り締めた。
もう一度下唇を噛む。
苦しい苦しい、痛い。
だけど、決めたんだ。もう、決めたんだ。
真里ちゃんの話をしていた先生の、あの時の眼差しが脳裏を過ぎった。
本格的に涙が出そうになって、目を閉じる。
瞼の裏には、美貴ちゃんがいた。
美貴ちゃんは片眉をひょいと上げた。
『諦める?』
まるで私を試すようなその問いに、閉じてた瞼をゆっくりと開く。
「諦めないよ」
だって決めたから。努力をしようって。
先生が私じゃない誰を想っていても、少しでも近づけるように。
今の自分の精一杯を。
もう、決めたんだ。
瞼の裏の美貴ちゃんが、少しだけ笑ったような気がした。
- 636 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/25(水) 22:27
-
***
土曜日。私は朝から明日の準備に勤しんでた。
準備と言っても、コンビニで買ってきた情報誌で遊園地の事を調べたり、
明日着ていて行く服を選んだり、その程度の事なんだけど。
昨日のあの写真を見てしまった直後よりは少しは気持ちが落ち着いてきた。
けれど、胸の鈍い痛みは消えることはなくて。
それを誤魔化すように何かをして気を紛らわしていたかったから。
明日は楽しみにしていた遊園地なのに、こんな沈んだ気分じゃ楽しい物も楽しめないもん。
嫌がる妹とお母さんに選んだ服を採点してもらったりして、
明日に向けて、できるだけテンションを上げて、はしゃぐ。
それから、寝る前に鏡の前で笑顔の練習もしてみた。
先生の顔を見たら色んな事を考えてしまって、笑顔ですら上手くできなくなるかもしれないから。
にっと笑う鏡の中の自分に、大丈夫、ちゃんと笑えてる。
明日もきっとちゃんと笑える。
言い聞かせてベッドに入った。
- 637 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/25(水) 22:31
-
***
鏡を見つめる。服装よーし、髪型よーし。
大丈夫、どこにも変な所はないよね。
荷物もオッケー。
財布にケータイ、ハンカチ、ハナカミ、ポーチ。
―――― それから、黄色の手帳。
ゆっくりと深呼吸を一つ。
一昨日のこと、まだ少しだけ引きずっているけど、でも、今日だけは。
今日、一日だけは、忘れることにした。真里ちゃんの事も先生の気持ちの事も。
今日だけは、遊園地を楽しもう。
先生に近づけるように、先生に楽しんでもらえるように。
一人勝手に頷いて、鏡の中の自分に笑いかけてみた。
鏡の私もにこりと笑って。よし、ちゃんと笑えてる。
私は、洗面所をあとにした。
遊園地当日。今日は生憎、少しだけ曇ってる。
雨は降らないでしょうって天気予報のお姉さんは言ってたけど、一応折り畳み傘もバッグに入れておいた。
リビングに入ると、パジャマ姿の妹がソファに座ってのんびりテレビを観賞中。
この時間、おもしろい番組やってたっけ、と思いながらテレビを覗き込む。
厳しい顔したおじさんがニュースを読んでた。
高速道路で玉突き事故発生、おじさんはケガ人の人数を淡々と口にする。
ふーん。日曜日で皆出かけるだろうに大変だな、なんて暢気に思ってたら、
ソファの上で寛いでた妹が「おねーちゃん」と間延びした声で呼んだ。
振り向くと、時計を指差してて。
「こんな時間だけど行かなくていいの?」
時計を見ると、9時33分。自分の目を疑った。
なんで、どうして。洗面所入る前は9時にもなっていなかったのに。
「後藤先生との待ち合わせ、10時なんでしょ?
あそこの駅行くのって30分以上かかるんじゃ……」
「うああ!言わないで!分かってるから!」
ソファの上に置いてあったバッグとジャケットを小脇に抱えリビングを出た。
玄関に向かいながらジャケットを着て、ブーツを履いて。
「いってきますっ」
お母さんと妹の「いってらっしゃい」を最後まで聞かずに家を飛び出し、
玄関前に止めてある自転車に跨って、勢い良くペダルを踏み込んだ。
今日はスカートにブーツだから、歩いて行こうと思ってたのに。
風で広がるスカート左手で抑えながら、できる限りのスピードで地元の駅に向かう。
駅にはもう電車が来てた。
切符を買って、急いで乗り込む。よし、ぎりぎりせーふ。
車内はラッシュ時ほどじゃないにしろ、それなりに混んでいた。
座れそうな所は見当たらない。
ドア付近に立って、ふう、と息を吐き出し、全力疾走で上がった呼吸を整える。
腕時計を見ると、9時40分になったところで。
ここから待ち合わせの駅まで乗り換え無しで20分。なんとか間に合いそうだ。
もう、髪の毛絶対ぐちゃぐちゃになってるよ。
バッグから折り畳みの鏡を取り出して、それと睨めっこをしながら髪型を整えた。
ぱたん、と鏡を閉じてバッグに戻す。
窓に視線を向けると、薄く雲の張った空が見える。
お天気お姉さんの予報は外れるかもしれないな、なんて思った。
- 638 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/25(水) 22:36
-
□■□
- 639 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/25(水) 22:36
-
□■□
- 640 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/25(水) 22:37
-
容量が足りないので新スレ立てさせて頂きました。続きはそちらに載せます。
草板「金時計の下で」
ttp://m-seek.net/cgi-bin/test/read.cgi/grass/1177508079/
- 641 名前:太 投稿日:2007/04/25(水) 22:44
- 落とします
Converted by dat2html.pl v0.2