八月の空に

1 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/13(金) 22:16
1
2 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/13(金) 22:17
木曜の午後、三コマ目が終わったこの時間帯は、普段からバス停にも人が少ない。
吉澤は悠悠とした足取りで停留所まで歩いていた。
バスを待っているのは、一人だけだった。

赤い目印が近づくにつれ、その横に立っている人物の姿かたちもはっきりと見えてきた。
同じ大学の女子学生であるらしいことは、すぐにわかった。
それから右手に、杖。
すぐに、わかった。
3 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/13(金) 22:18
バスが来るまでの数分間、吉澤は迷った。
あまり迷わない性格だが、こればかりは迷った。
横に並ぶことはせず、そこから三歩ほど離れた場所で杖持つ彼女の背中を眺めながら、
どう声をかけたものかと思った。

が、腹を決めた。
吉澤は彼女の隣に立ち、やや大きな声で話しかけた。

「あの!」
「はいっ?」

並んでみるとだいぶ小さいその人が、目を見開いている。

「あーすんません、あのーひょっとしてもしかして、
 先月ーに、財布拾って、学生課に届けませんでした?」
「あぇ?」

今度は頓狂な声を出した。

「あれ違うかな。だったらごめんなんですけど、せんげ」
「っああー!」
4 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/13(金) 22:18
ひどいタイミングで思い当たったようだ。
目といい口といいこれ以上ないくらい大きく開けて、それからうんうんと頷いた。

「黒いの、拾いましたわ!」
「……おぉ、そうそう、んでもしかして、拾ったんこれでしょ?」

ジーンズのポケットから縦長の黒い財布を取り出してかざすと、財布に向かって指さして
そうそうそれそれそれやーと楽しげだ。
少し、かしましい。

「これあたしのだったんだ。拾ってくれてありがとう」
「そうやったん、わー、良かったですねえ!」
「ですねえって、あんたが拾ってくれたんでしょ?」
「あはっ、ほやけども、良かったですねえ」

何でこう他人事かな、と吉澤は調子が狂う。
しかし純粋に喜んでいることがわかったので、黙っていた。
5 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/13(金) 22:19
バスが来たので吉澤はいつもどおりに乗り込もうとしたが、足を一歩前に出したところで、
先に並んでいた恩人のことを思い出す。

「あごめん」

その一歩を引いて促したが、お先にどうぞと言われてしまった。
杖。
吉澤は心の中で舌打ちして、ごめんね、ともう一度謝った。

「他に待っとらんし、いいですから先に入ってください」

恩人はなおも先に行けという。
返す言葉も見つからず、言うとおりにした。
一番後ろの座席に誰も座っていなかったので、そこに向かう。

途中振り向くと、恩人はステップを上ったばかりだった。
ドアのすぐ傍にある、色の違う座席に恩人は座らなかった。
通路を挟んで奥にある、二人掛けの後部座席に一人で座った。
車内は空いていたし、そうすることに何の問題もないのだが、座席に腰を下ろした時の、
恩人の大きなため息がなんとなく引っかかった。
吉澤はさっと踵を返し、恩人の後ろの席に座る。

バスは出発した。
6 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/13(金) 22:19
「ねえねえ、うちのガッコの人なんだよね」
「へ、あらっ、後ろやったんですか」
「話そうと思って。あ、あたしは吉澤っていうんだけどさあ」

後部座席から身を乗り出して、まるで隣席で話すような距離感だ。

念のため、確認。他学部でひとつ下の学年。
学生課では名乗らなかったが、事務員が杖のことを覚えていて、喋り方に特徴がある
ということまで教えてくれていたので、自信はあったのだが。

恩人の名は、高橋というらしい。
7 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/13(金) 22:20
「ヨシザワのヨシって、上短い方ですか、長い方ですか」
「あっ?」

ガクン、高橋の質問とバスの急ブレーキが重なり、吉澤は前の座席の背もたれに
顎を打ちつけそうになった。

「あるやろ? あ違う。ありますよね? ほらあのヨシって漢字、二種類」
「あ、あ〜あ〜!」

その説明でようやく質問の意味が理解できた。
それにしても

「あんまないよね、初対面でそれ聞くの」
「あスイマセン。あれや、さっきヨシなんとかいう先生の授業やって」
「へーそうなの。その先生はどっちだったのさ」
「普通の。普通てか、上長い方の」
「ふ〜ん」
「どっちですか?」
「どっちだと思う?」
「ええ? わからんから聞いたのに」
「ほんとに?」
「ほんとに」
8 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/13(金) 22:20
とぼけている様子もない。
拾った時に、財布の中身を見ていないんだろうか?

実際、手元に戻ってきた時に確認してみたが、現金も減っていないしカード類も
全て揃っていた。
奇跡だと思った。
自分超ラッキー、と思った。
まさかこのご時世、馬鹿正直に拾った財布をそのまま届けるような人種が存在するとは、
思っていなかったのだ。
自分なら間違いなく、最初に中身を見る。

「……あんたなんか、いい感じだね」
「? なにがですか」
「まっすぐでいい感じだ」

すると高橋は、たてかけた杖に視線を落として言った。

「ヨロヨロですけども」
9 名前:作者 投稿日:2007/07/13(金) 22:22
八月までに終了、を目指します。
10 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/13(金) 23:07
わ、どうしよ。すっごい楽しみ
11 名前:名無し飼育さん 投稿日:2007/07/14(土) 10:35
スゴく期待。
夏の楽しみが増えてウレシス。
12 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/15(日) 17:07
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13 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/15(日) 17:07
翌週、吉澤はまた高橋とバス停で会った。

「あれ?」
「あー、こんにちは」
「なに、そっちも木曜って三コマ目で終わり?」
「はい、そうですよ」

そうなんだ、と相槌を打ってから沈黙。
はっと思い出して、話しかけた。

「こないだ言ってた、ヨシなんとかって先生に会ったよ」
「授業でですか?」
「違うけど偶然エレベーターで二人きりになってさ。ヨシミネっていうんだね」
「どうして知りました?」
「携帯鳴ってさ、ハイヨシミネですつって出たんだよ。
 いやーしかし、見事だった。見事なダイヤモンドヘッド」
「あっひゃ」

笑ってくれた。
独特の笑い声だった。

バスでは、お互い先週と同じ座席に座った。
14 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/15(日) 17:08
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15 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/15(日) 17:09
もしやと思った。その予想は今週も的中して、吉澤はまた例のバス停で高橋と会った。
二度目はどこか偶然が続くなという気がしていたが、三度目のこれはもう偶然ではない。

「あ、こんにちは」

先に挨拶されるとは思わなかった。

「おー、はいこんにちは」

じめじめする。
空気と背中と手のひらが。

「……あのさー」
「はい?」
「気に障ったらごめんだけど、その杖珍しい形してんね。
 握ってるとこレバー? みたいな」
「これ? ああ、これはロフストランドクラッチて」

早口でよく聞き取れなかった。
16 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/15(日) 17:10
「……って名前なんだ?」
「そうですよ」
「赤いの、かっこいいね」
「青とか黄色もありますよ、あとシルバー」
「赤好きなの?」
「緑のが好きなんやけど」
「え、ちょ、じゃ何で緑にしなかったんだよ」
「無かったんです四色だけしか」
「緑無かったか」
「緑無かったんで」

むっとした風が二人の髪を凪いで行った。

「こーゆー天気の時ってさ、汗で手が滑ったりしない?」
「いまんとこは。あでも、手外れても腕のわっかあるし」
「ひっかかるか」
「ひっかかると思うで」
「あーまー、なら大丈夫か、うん」

高橋は不思議そうな顔をしていた。
吉澤は、バッグのサイドポケットにあったハンカチに伸ばした手を、引っ込めた。
17 名前:作者 投稿日:2007/07/15(日) 17:10
>>10
恐縮です。

>>11
案外早く終わるかもしれません。
18 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/16(月) 22:33
4
19 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/16(月) 22:34
土砂降りの雨。木曜日。

「ついに来たか梅雨、って感じだね」
「はあ、ほんとですねえ……」

この時間のバスではもはや指定席となった二人掛けの座席の前後で、ありきたりな
世間話を交わす。
高橋の右肩は傘から外れていたらしく、深緑のカーディガンに黒い染みが広がっていた。
吉澤は慌てて水滴だらけのバッグからハンカチを取り出し、ひとつ咳をしてそれから、

「ちょっとそれ、貸してくれる?」

と、高橋の隣席にたてかけてある杖を示した。
水浸しの傘に重ねてあったので、結構濡れている。
当然高橋は、怪訝な顔をして杖を握った。
渡してくれる気配は無い。

「取ったりしないって」
「何でですか?」
「まあまあいいから」
「……」
「すぐに返すって! ほらほら」
「……何でそんな強引なん」
20 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/16(月) 22:34
怒った。
慌てた。

「いやそんな怒んなって! これさこれ、滑りそうだからさ」

顔の前にバッと広げたハンカチと、指で示す杖のグリップを交互に見る高橋。
背中にたらりと冷たいものを感じる。

「ここにぎゅっ、と、結んだら滑らないかなって……」
「そういうのは最初から言ってください。あと、要りません」

まだ怒っている。
自分から背を向けてしまった。

「何よ、悪かったって……」
「……」
21 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/16(月) 22:35
5
22 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/16(月) 22:35
気まずくなったからと言って、時間をずらして逃げるようなことはしたくない。
堂々としていればいい。吉澤は今週も、三コマ目を終えてバス停へ赴く。

そこに高橋はいなかった。

「嫌われたか」

何の勘違いか、勝った、という呟きが漏れる。
バスが来るまで、あと二十分もあった。
携帯を取り出してメールチェックをし終えても、まだ時間が余っている。
近くにあるコンビニで暇を潰そう、と考えた。

そこに高橋はいた。

菓子コーナーに入りかけたら居たので、くるっと回れ右して雑誌のコーナーに
向かってしまった。
何を動揺している。堂々としていればいいんだろう。

でも吉澤は見てしまった。
一番下の棚にある商品に向かって、腰をぎこちなく曲げて精一杯腕を伸ばしている
あいつを。



財布を拾った時も、あんな感じだったのだろうか?
23 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/16(月) 22:37
高橋が会計を終えてコンビニを出て行ったので、読んでいた振りをしていた雑誌を放り
投げるようにして後を追った。


……改めて見る彼女の右足は、少し内側に曲がっている。
小指側が地面に付いていて、それを引き摺るように歩いているのだ。
両足で体を支えられないので、杖に頼ることになるのだが、あのレバーみたいな杖だと
相当腕の力が必要なんだそうだ。
おかげで右腕の腕力だけは相当ですよ、と笑って。

それでも。
その後姿はかなり華奢だし、杖のせいでちょっといかり肩になっている右肩なんか、
何かに意地張ってる、って感じ。
プライド高そー、な。いやこいつ絶対高いだろ。

「財布開けたら、自分も犯罪者と一緒っぽくて許せんかった」

とかなんとか前にしかめっ面して言ってたから!
財布イズプライベートとかでたらめな英語使ってんなよ、ったくさぁ……
24 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/16(月) 22:38
苦笑いしていた吉澤の前に、高橋の背が近づいてきていた。
声をかける前に一度、頬を叩く。

「……あら、高橋のお嬢さんでないの」
「!」

以前見たようなびっくり顔で振り向かれたが、吉澤だとわかるとすぐに前を向いた。

「あーえー、先週のことは」
「知らん」
「いやいや、ちゃんと謝らせてよ」
「知らんて」
「じゃいいや。すいませんでしたね」
「何がや、ムカつくわ」
「自己満足だから」
「鬱陶しいが」
「こんな奴の財布拾って損した?」
「……」
「ちゃんとさ、聞いてなかったから聞きたいんだけど、
 あたしの財布ってどこに落ちてたの?」
「……講義室やけど」
「あー、うんその辺は学生課に聞いたわ、具体的にどこだった?」
「……213、机の下」
25 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/16(月) 22:38
213教室のことを頭に思い浮かべた。
古い教室で、木造の机と椅子はベンチのように固定されているタイプだった。
消しゴムやペンを床に落としてしまうと、椅子を引くことも出来ないので、拾うのに
相当窮屈な思いをしなければならない。

「……誰かが拾ってくれたんじゃなくて、高橋が拾ったんだよね?」
「そうですけど」
「ヨロヨロですけどって言ってた高橋が、だよね」
「……」
「ほんとにありがとう。大変だったでしょ?」
「そんなことないです」
「そんなことって、そんなこと言うなよ。
 お礼! そうだお礼するって。何がいい?」
「別に要らん」
「食事に行くか! 甘いもんでもいい」
「今日は無理です」
「じゃあまた今度でいいからさ! 遠慮すんなよ?」

もういいや、これで仲直りってことにしておこう。
26 名前:作者 投稿日:2007/07/16(月) 22:39
続。
27 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/17(火) 00:08
あー、いいなぁ。こういうの待ってたのかもしれない。
28 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/17(火) 04:15
ジレッタスな吉愛が大好きです
29 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/17(火) 15:11
うまいですね
これは気になってしまう気持ちがわかる
30 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/17(火) 21:54
6
31 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/17(火) 21:55
「よっ」
「よく会いますね」

ズコー

「お前、いまさらそれ言うのかよ」
「へ?」
「あーいい。いーよもう。バス来たほれ乗った乗った」
「?」

ドアが開いたので、吉澤は高橋の背をポンと軽く叩いてから、先に乗り込む。
いつも通りの座席へ向かおうとした。
が、高橋の席に母子、吉澤の席には老婆が既に座っていた。

戸惑いを隠せない吉澤が思わず高橋の方を振り向くと、彼女は先客を一瞥してから、
表情を変えずに歩き出す。
遅れて吉澤がついていき、二人はドア側の、いつもとは逆の席に腰を下ろした。
杖を隣の空席に立てかけて、ふと、高橋が独り言を漏らす。

「なんも、もう片方あるんやし」

ひどく自虐的に聞こえた。

「……まあ、いつもと違う席もたまにはいいよね」
「あ、ヨシザワさん、窓側居らん方がいいですよ」
「え? 何でよ」
「そっちは西日がきついです」
「マジ? 日焼けしちゃう?」
「ほやでぇ、まっかっか」

やべっ、と小さく叫んで、吉澤は座りジャンプで通路側に避難する。
木曜の学校帰りは、前の座席に高橋の背中があるのが当たり前の光景になってきた。
32 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/17(火) 21:56
毎日毎日片道二十数分のバス通学。
今日はいつもの席ではないから少し落ち着かない。
気のせいか乗客の話し声もいつもより多いような……

……話し声?
声じゃない。……これは音だ。

後ろの方から耳障りな音が聴こえる。
吉澤の席からだろうか?
高橋は思い切って上半身を捻って背後を見てみた。
吉澤は眠っていた。
耳から黒い線が出ている。
音の正体はこれらしい。



周りにも自分にも迷惑だ。
声をかけようにもイヤホンから音が漏れるくらいの音量だし、気付いてくれそうにない。
でも迷惑だ。



…………



左手、届け!
33 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/17(火) 21:57
上半身を捻っただけの無理な体勢で、指の先までピンと伸ばした高橋の左手は、
座席に深く座っていた吉澤には届かなかった。

「……?」

けれどもちょっとした風が起きて、吉澤はそれに気付いた。
目を開けると、耳まで真っ赤にした女の子が、座席から身を乗り出してこっちを睨んでいる。
鼻の穴が全開だ。
これは……なんだ?



耳から脳に響いていた雑音がだんだんと『音楽』になってきた。
猿っぽい女の子は赤い顔のまま、自分の耳を指差して何か言っている。

「……これ?」

真似てみたら、耳に何かあることに気付いて引っこ抜いた。

『……丁目、お降りの方はお知らせくだ「漏れてます、音!」
34 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/17(火) 21:58
>>27
迎えに来たかも。お待たせしました。なんて。

>>28
今んとこヨシ高ですが。ジレッタス

>>29
ありがとうございます。今後もお付き合いください。
35 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/19(木) 19:19
8
36 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/19(木) 19:20
まちがい
37 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/19(木) 19:22
7
38 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/19(木) 19:22
木曜日。この日の午後は小雨。
玄関前でショルダーバッグを下ろし、折りたたみの傘を取り出そうとした高橋の前に、
吉澤が現れた。
構内で会ったのはこれが初めてである。
吉澤は高橋の隣で傘を広げ、二人とも傘の下に入るようにと、柄を持ち替えた。

「あ、ありがとうございます」

高橋が礼を言うと、顎をついとあげて行こう、と示す。
杖と一歩を踏み出した。
39 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/19(木) 19:24
五分ほど歩いたが、吉澤が喋らない。
妙だな、と高橋は思った。

「今日はあんま喋らんですね?」
「……いやー、頭痛くって」

不機嫌な答えが返ってきた。

「雨だからやろか」

独り言なので、返事がなくても気にしない。
そのままバス停に着いてしまった。
今日は何人かの先客がいたが、全て自分のところの生徒のようだった。
傘を差したまま、みな無言で携帯電話を操作している。不気味だ。

頭痛の原因は色々あると思うが、吉澤の場合はなんなのだろう?
無言の時間一杯いっぱい、高橋は考えた。
バスがくるまで。
そして。
40 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/19(木) 19:26
「ヨシザワさん」

手のひらに水色の包みを載せて、見えるようにかざした。
吉澤はうつむいてそれを見、少し口を開いて何か言いかけたところで

「飴。甘いの食べると治るんもある、って聞いたことあります」
「……あー」

その返事がまるで赤ん坊のようで、失礼ながら高橋は声を出して笑ってしまった。
幸い、その悪意のない笑いに吉澤は反応しなかった。
よっぽど頭痛がひどいのかもしれない。

「食べますか?」
「…………んー欲しいけどさ、やめとく」
「? なんで?」
41 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/19(木) 19:28
返事はなく、吉澤は軽く上半身を振った。
上からボタボタと水滴が落ちたのがわかった。
はっとして、傘を持つ手の反対側を、覗き込んで確認する。
今日は手提げ鞄だったか。

「ほうか、手がふさがっとる」
「うん…………あそうだ、高橋が口ん中入れてよ」
「はっ?」

これはとんでもない要望だ、と瞬時に気付く高橋。
思わず隣に並ぶ生徒達をチラ見すると、相変わらず携帯電話を操作していた。不気味だ。

「ほらほらバス来るって早く早く」
「は! はいっ」

ころん



飴は甘くて美味かったが、頭痛と一緒に熱も出た。
42 名前:作者 投稿日:2007/07/19(木) 19:28
続。
43 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/20(金) 01:03
徐々に徐々に。これぞよしあいクオリティいいっすね。
44 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/20(金) 02:33
不覚にもさりげない所で萌えてしまった
小さな幸せが降り積もって行く感じが心地いい
続き待ってます
45 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/20(金) 20:37
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46 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/20(金) 20:37
吉澤は完全に風邪を引いてしまった。
一週間前はやけにだるくて、いつでもどこでも眠りこけてしまっていたが、
今週木曜の夜に、とうとう熱を出した。
金曜は病院に行って薬を貰い、とにかく安静にとの診断を受けた。
アルバイトも厳禁。

吉澤自身は大した事がないと思っていたが、みるみる熱が上がり、
そのうちベッドから起き上がるのも苦労するようになった。

それでも、退屈だからとたまに起き上がって歩くと、地球の重力がめちゃくちゃに
なってしまったかのような、制御できないふらつきで、何度か膝から崩れてしまう
こともあった。
そんなことが何度も続くので、とうとう家族から下手に動くなと叱られてしまい、
風邪薬の眠気もあって夢見心地のまま多くの時間を過ごし、



ある時気がついたら、一週間後の土曜日だった。
47 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/20(金) 20:38
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48 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/20(金) 20:38
「ひぇっくしい! ヴぁー」

流石に一週間以上休んだだけあって、ほとんど熱も引いた。
たまにくしゃみが出るが、大した問題じゃない。

先週一週間全ての授業を休んでしまったので、月曜からは友人にノートを借りるなど
して東奔西走していた吉澤だった。
ようやく全ての目処がついた……と言いたいところだが、木曜三コマ目だけが
問題であった。
この教科は、去年うっかりテストに出席し忘れて単位を逃し、今年取り直したもので、
吉澤以外は全て下級生が履修している。
去年全く同じことを習ってきたから、と友人を作らなかったツケが、こんな時に
回ってきた訳だ。

始まってみれば微妙に異なった学習をしていたので、去年の応用は危険である。
下級生なんて意識せず気軽に声をかければいいのだが、なんとなくプライドが邪魔して
無理だった。
喋ってる途中にくしゃみを浴びせそうだし。

「こーれはもう……来週の自分に期待」

本調子でないことを言い訳に、授業が終わるとすぐ教室を出た。
そういえば今日は。
49 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/20(金) 20:39
「あ、終わりですか」
「うぃっす。やー先週は悪かったね」
「先週ですか? ……なんかありましたっけ」
「おいおい忘れっぽいな。あたし熱出して休んだんだよね」
「あ、私も休みましたけども」
「えっ」
「休講やって」
「……へえー……そうだったの」

残っていた風邪のだるさ以上に、脱力を感じた吉澤だ。

「今は治りました? 風邪」
「もうほとん……ふ、ふぇ、っくしょい!」
「あっは! 治っとらん」
「いやいやもう平気平気」
「ほうや、のど飴あげますで。今日は自分で食べてくださいね」
「うぉ、せんきゅー。なに、高橋っていっつも飴持ち歩いてんの?」
「そうですね。たまに、イライラするんで」
「……何か悩みあったら、話してみ?」
「あいや、これ気分やし、悩みあるわけじゃ……ねぇわけもねぇけど」
「あるだろ、そりゃ」
50 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/20(金) 20:40
高橋はそれ以上答えなかった。
こういうところがもどかしい。
どうしても壁を感じる瞬間だ。
言ってくれなくてはわからない。

「……話変わるけど、休講って、前からわかってたんじゃないの」
「その前の授業の時に知りました」
「なんであたしに教えてくれなかった?」
「え? あー、いや……」

吉澤は深くため息をつく。

高橋が答えにくいのも当然だ。
そもそも、帰るタイミングが一緒だった、そういう偶然が必然になった数週間の間に、
一緒に帰ろうと約束していたわけでもないのだから。
それは頭ではわかっている。
でも、残念だ。
とにかく残念だ。
51 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/20(金) 20:40
「あのぉ……怒ってますか?」
「……いいや、だるいだけ。やっぱまだ風邪残ってんだわ」

どうしてこんなに気持ちを揺さぶられるのか?
自分が変になってしまったのだろうか?

無い!
そんなことは無い。
変なのは……そう。

この関係の方だ。
曖昧で不安定で、だから変なんだ。

「……あんたさ、この時間に帰るのは前期だけなの」
「え、っと……や違いますよ。一応通年やし。
 でも後期に四コマ目入ったらズレちゃいますね」
「あーそう……」

蒸し暑いな、と空を仰ぐ。
52 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/20(金) 20:41
風はあるけど、やはりまだ湿度が高い。
視線を戻すと、ぶおん、と大きな音をたててトラックが通り過ぎていくところだった。
置いていかれた排気ガスに顔をしかめる。
またくしゃみが出るじゃないか。

「どうしてですか?」
「んっ、どうって、いやーまー」
「?」
「どうせ毎週、顔合わせるなら、友達っぽくなってもいいんじゃねーかな、っと」
「へっ」
「んやっ、あーあーほらあれだ、高橋っ、子供の頃習い事したことってない?」
「……足こうなる前なら、バレエ教室行ってましたよ」

右足を見ながら答えた高橋の、声色が完全に変わってしまう。
ミスった。
大ピンチ。

「ああああたしはさ水泳やってたことあって、小学生で週に一回水曜日、水曜に
 水泳てギャグみたいだけど行っててさほんとに。でそこに友達何人か居た訳。
 でもさ週イチにしか会わないの。それでも胸張って言える。あいつら友達だったって」
「へえ、いいですね」
「たた高橋はそのバ、……教室でだけ会う友達ってさ、居なかった? かな……」

暑い。暑い暑い。
なんたる酷暑。
53 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/20(金) 20:42
「そいや、居ったわ。週に二回やったけど」
「だろっ? それだよ! それそれ」

彼女の口から出てきた明るいニュースに、思わず泣きそうな顔で体ごと横を向いて
反応してしまった。
高橋は道路に体を向けたままだったが、急に全身で自分の方を向かれたので、
驚いてほんの少し上半身が吉澤から逃げる。
だがそれからゆっくりと、先輩を見上げた。

吉澤からは、そんな高橋の呼吸が止まっているように見えてしまった。
喋って息吸ってもらわないと危ない!

「もうさ、ぶっちゃけ友達になっちゃおうって」
「…………誰がですか」
「うちらに決まってるじゃん。何か曖昧でさ、気持ち悪いんだよ。はっきりしなくて」
「でもヨシザワさんは先輩じゃないですか」
「そうだけどそんなん気にしなくていいって」
「私は気にしますで」
「しませんでええです。遠慮はなしよ!」
「もう、何でですかあ。訳わからん!」

それはそうだろう。
吉澤自身、どうしてこんなに固執するのか自分でもよくわかっていない。

ただ思うのは、友達になれたら、彼女を色んな場所に連れて行けるような気がするのだ。
学校からバス停、バス停から終点の駅までの短い距離ではなくて、電車に乗って一時間でも
二時間でもかかる場所に。どうせなら空気のおいしいところに。
54 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/20(金) 20:43
もっと近くてもいい。終点の駅を降りたらいつも左右で別れるから、そうじゃなくて
高橋に付いて行って左の道を歩いて、まっすぐ家に帰らせないで、適当にまたどこかへ行く
バスに飛び乗って。
きっと楽しい時間になるはずだ。

「とにかくさあ、今より仲良くしようよ、ってことを言いたいんだよ……」
「……それでも私、先輩後輩は変えられんですよ?」
「ああ、もういいそれはもう。あんたが超真面目なのは知ってる。好きにしなよ」
「それでええなら」
「うん」

言いたいことを言えてほっとした。
拒絶されなかったのがとても嬉しくて、頬が緩む。

と、その時。

「……!」

何か思いついたのか、高橋が動く。
杖を基点にして、まるでコンパスのようにくいっとこちらを向いた。

「ヨシザワさん!」
「……はい?」
「ヨシザワのザワって、難しい方ですか、簡単な方ですか?」
55 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/20(金) 20:44
10
56 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/20(金) 20:46
「ヨシは、上が短くて下が長いやつ」
「はい。……あれ、ヨシおらんな」
「あ?」
「ヨシ澤さんのヨシが、携帯の辞書に入っとらん」
「ああ、携帯には無いんだよ。ある吉の方で登録しちゃいな」
「なんで? 無いんですか」
「なんで? ……高橋JISって知ってる?」
「じす? なんやろ」
「知らないか。まあ実は吉澤自身もよく……知らないんだけどね」
「あっひゃー! 本人も知らんやってー」
「っておいちょっと! あんたこそタカ橋のタカって、確かもう一個あるやん?」
「あそれは、普通ので」
「……ハシって字も違うのあるんですけど、どっち?」
「渡る橋の方です」
「あーそうなの。高橋、でいいのか」
「吉・ざーわー……沢違う、澤や。登録ー、次は……」

『あ、名前!』



この時初めてお互いの名前を知った二人。
そんなわけでアドレス帳には、律儀にフルネームで登録することとなった。



[No.0105 吉澤ひとみ]

[No.0366 高橋愛]
57 名前:作者 投稿日:2007/07/20(金) 20:47
>>43
ちょっとレベルアップしました。

>>44
むしろ、さりげない所に反応してもらえたことの方が嬉しいです。
58 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/22(日) 01:47
これからの展開が楽しみですね
59 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/22(日) 05:23
ああもう吉愛が好きすぎる自分がキモイorz
いつもニヤニヤしながら読んでます。すいません。
60 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/22(日) 19:55
11
61 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/22(日) 19:56
『教室でだけ会う友達ってさ、居なかった?』

就寝前の読書中に、高橋は突然、吉澤の言葉を思い出した。

通っていたバレエ教室で出来た友達の中で、今も交流を続けている同い年の女の子がいる。
中学二年の時に引っ越したのでだいぶ離れてしまったが、電話やメールのやり取りは
ずっと続けていた。
もっとも去年はお互い大学受験だったので、自主的に回数を減らし、冬には完全に連絡を
絶っていた。
その後は、合格した時に電話したのが最後だ。

「電話してみよ!」

ハードカバーを勢い良く閉じて、枕元に放ってあった携帯を取った。
何となく緊張して、ベッドの上で正座してしまう高橋。



息を呑んで電話をかける。
懐かしい友人の声が聞こえた。

「スーちゃんかぁ? アタシ、高橋」
62 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/22(日) 19:56
12
63 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/22(日) 19:57
メールのやり取りをするようになってからというもの、色々とお互いのことを
知るようになった。

吉澤はアルバイトをして貯金をしていること。
貯金の目的は、スカイダイビングのライセンスを取得するためであること。
ベーグルが好物であること。

高橋は宝塚が大好きで、バレエ教室に通っていたのも宝塚に入るためであったこと。
交通事故で右足が犠牲になった後も、変わらず宝塚を愛し、公演を観に行っていること。
以前は苺が好きだったが、最近は抹茶味の食べ物が好きであること。

そして、これは吉澤にとっての棚ボタ。木曜三コマ目を受講している下級生の中に、
高橋の友人がいたこと。



ある日吉澤から高橋に、こんなメールが届いた。
[次の木曜、駅んとこのカフェに行こう]
64 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/22(日) 19:58
>>58
お楽しみに……と言いつつ、実はもう書き終わっています。

>>59
いつもニヤニヤしながらレスしてます。すいません。
65 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/23(月) 00:13
初めまして。
作者様のお作りになる雰囲気がとっても好きです。

スーちゃんw
66 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/23(月) 01:10
スーちゃんキタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!

どうなる?どうなるの?四試合に焦らされ作者さんに焦らされ(;´Д`)ハァハァ
67 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/23(月) 21:11
13
68 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/23(月) 21:11
「いやあ助かったわ。おかげでノート貸してもらえたよ」
「ほんとですか? 良かったですねえ」

『駅んとこのカフェ』は、ある大手チェーン店のひとつで、二人が通学で利用している
バスターミナルのすぐ傍にあった。
木目調の内装と適度な賑わいでとても居心地がいいのだが、ターミナルからの発着
アナウンスがなんとなく聞こえて来るところだけが唯一の欠点だった。
人によっては気にならないのだろうし、乗り遅れることが無くて便利だと感じる人も
いるのだろう。だが、以前入店した時に気付いて以来、吉澤はなんとなく、一人でここに
来る気になれなかった。
ゆったりくつろいでいたいのに、現実に引き戻される気がするからだ。
話し相手がいれば、それを避けられる。

高橋は初めてこの店に入ったらしく、最初のうちは店内をキョロキョロ見回していたが、
アイス抹茶ラテと抹茶クッキーを手にしてからはすっかり落ち着いた。
時々幼稚なところがあるよな、と吉澤は思った。

会計は、随分前の財布を拾ってくれた礼として、吉澤が全て払った。
最初飲み物だけだった高橋のオーダーに、もっと頼んでも構わないよ、そう言って
肩に触れたところ、何故か顔を赤らめながら抹茶クッキーも追加したのだった。
それと吉澤のベーグル。
抹茶にハマってるのがそんなに恥ずかしいのかな、と吉澤は思った。
69 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/23(月) 21:13
「もうすぐ夏休みやなあ」

珍しく高橋の方から話題を振られ、いやもしかしたらこれは独り言だったのかもしれないが、
吉澤は嬉々としてそれに食らいつく。

「楽しい楽しい夏休みー♪ どっか遊びに行く予定?」
「福井に帰ります」
「エ? 福井、県?」

声がひっくり返ってしまった。
高橋が微笑みながら答える。

「わしもともと福井生まれの福井育ちやざ。訛りでわからんかったかの」
「……ああ、や、訛ってんなこいつとは思ってたけど、大学って地方から来る奴多いしさ」
「あーみたいやね。ほんな突っ込まれんし関西の子とか居るし」
「んじゃ里帰り、すんだ」
「ほなとこっす。バァバの家に泊まって友達に会って来るで。こないだ電話したんやよ」
「夏休みいっぱい?」
「今んとこそんつもりでおるわ」

吉澤は面白いことに気が付いた。
方言を喋りだすと、高橋は敬語を忘れるらしい。
だが、その代わり早口になってしまって、理解するのに時間がかかる。
惜しい。実に惜しい。
70 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/23(月) 21:14
「こっちに来たのは大学から?」
「いいえ。足やっちゃったのが中二ん時で、そっからです」

話題が地元から離れると、途端に方言を止めた。
吉澤はアイスキャラメルラテを一口、若干多めに飲み込む。
高橋は続けた。

「福井田舎ですから、いいお医者さんが居らんかったんですよ。なんで家族でこっちに」
「一家で来たんだ。……結構プレッシャーだね」

吉澤が極めて真剣に答えると、高橋は一瞬動きを止めた。

「……吉澤さんすげえ。プレッシャー、わかりますか?」
「そりゃーだって、それのために家族……何人? 四人? キョーダイいるんだ」
「妹が一人」
「の、人生動かしちゃった訳でしょ。あと多分、就職も期待されてそうな感じだし」
71 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/23(月) 21:14
まっすぐ目を見ながら淡々と答える。
その一言一言に、高橋が力強くウンウンと頷いていた。

それに加え、実際には一切言われていないが、かかった治療費もいつか返さなくては
いけないと思っている、という。

「辛い?」
「……ですね。先も見えん……でもこんなすぐわかってくれる人居るとは思わんかった」
「お前そら、話してくんなきゃ〜わからんべ?」
「そうですけど、あえて話すことでもなくて……」
「まあしょうがないよね。これからもあたしで良かったら話聞くからさ、何だって」
「はい。でも何か、えらくスッキリしました!」

いい意味で、初めてちゃんと高橋の笑顔を見られた気がする。
72 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/23(月) 21:15
「吉澤さんは?」

高橋が少しはにかみながら尋ねると、吉澤は待ってましたとばかりに膝を叩いた。

「スカイダイビング! のためのバイトオンリー」
「……それだけですか?」
「そっ、いいんだ。夢のため」

元気ですねえ、高橋は苦笑い。
ライセンスを取るためのスクールに通う学費がウン十万円とかで、
夏休みほぼ全部の日程に、飲み屋での皿洗いバイトを入れたそうだ。

「皿洗いて、吉澤さんならもっと明るいバイトできますよ?
 昼にコンビニとか……」
「接客とかより、皿洗って綺麗にする方が気分いいよ。
 四月から続けてるけど、向いてると思ってるし」

けして愚痴を言わない吉澤の眼差しには、嘘が無かった。
勘が鋭かったり、たまに強引な時もあるけれど、基本的には気持ちのいい人だな、
と高橋は思う。
73 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/23(月) 21:16
「スカイダイビングって、テレビでしか観た事ないんやけど、どんなとこが魅力ですか?」
「あたしも同じ。テレビ観て惚れた」
「あれっ?」
「でもあれで充分じゃない。雲より上からポーンって飛んじゃってさ、周りなんもなくて、
 たまに雲突き抜けちゃったりとかして、普通に生きててそんなんできないよ?」
「でも怖いですよ、さすがに」
「怖いだろうなって思う。でも怖がってみたいな」
「怖がりたいんですか?」
「うん、怖がってみたい」
「あっは、なんか、女の子ですね」
「ちゃんと女の子だっつの! どういう意味だよ」
「お化け屋敷怖い怖い言いながら結局入っちゃう女の子みたい」
「いやいや、だいぶ違うだろそれ。命懸けだよ?」
「死んだらあかんで。怪我しても生きれますけど」
「それは……うん」
74 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/23(月) 21:18
「……んー、こんクッキーってどやって作っとるんやろ。おいしすぎ」
「…………ごめん、何か無神経なこと言った」
「え? あいや、何かなっても生きれますよ! って、いう意味やさけ」
「でも色々苦労してきたんだよね。言わないけどさ。
 ホンット、高橋も水臭いけど、吉澤も肝心な時鈍いよなあ……」
「よ吉澤さんっ、顔上げてください。大丈夫ですからほんと。諦めんで」
「一度決めたことだから、諦めたりはしない。……でももうこの話はしないでおくね」
「んな……私ほんま気にしとらんですから、ああーえっと、どうしよどうしよ、あの、
 ライセンス取れたら、それは教えてくださいね?」
「わかった、一番最初に教えるから。……クッキーもっと買って来ようか?」
「う、」
「いいよ買って来てやるよ。飲み物もいるなら、そっちも」
「あ、あの、吉澤さん」
「うん?」
「……キャラメルラテおいしそうなんで、そっちがええな、なんて……」
「おっけおっけ。ダベり延長入りマース」
75 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/23(月) 21:19
>>65
スーちゃんに気付いてもらえて良かったです。スルーされるかなって思ってました。

>>66
スーちゃんに(ry ちなみに、最後の台詞も放送と同じように書いています。



次回最終回。
76 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/23(月) 23:33
さ、さ、最終回…ついにきてしまうのですね…
楽しみなような、寂しいような…ううう…
77 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/24(火) 20:13
14
78 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/24(火) 20:14
八月は暑い。
福井県も勿論、例外ではない。

祖母の家に厄介になってから、一週間が経過した。
家事手伝いの他はのんびりと過ごす。
今はもう無い、バレエ教室の跡地を見に行ったり、通っていた中学校にも行った。
天気さえ悪くなければ、すすんで外に出るようにした。
明日は数年ぶりに友人と会うことが出来るので、期待半分、不安も半分。

「アイスええなあ」

青空と照り付ける太陽の下、散歩に出ていた高橋は、途中立ち止まって吉澤からきた
メールを読んでいた。
最近は夕方からのバイトまでだらだらしていて、アイス二個をぺろりと食べる毎日だ、
という近況報告だった。

「おし、買って帰ろ」

二つ折りの携帯電話をパタンと閉じて、再び歩き出す。

福井と向こうとでは、杖が地面を叩く音が微妙に違っていた。
トントン、がトツトツ、に聞こえるのだ。
けれど、こんなこときっと誰もわかってくれそうにない。

それでも高橋は、帰ったら吉澤にはこのことを話してみようかな、と思う。
79 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/24(火) 20:15
「夏はやっぱりスイカバー、だよなあ」

左手にアイスをぎっしり詰めた袋をぶら提げた吉澤は、帰りの坂道を下りていた。

[抹茶ですよ]
高橋は相変わらず、メールの文体でも敬語が抜けない。

[抹茶もいいよね。外太陽カンカンで溶けそーだよ]
折りたたむのが面倒になって、携帯電話を開いたまま右手で持つ。

今日は湿度も高くないので、とても気分がいい。
汗もそれほど体に纏わり付く感じがしない。

深く息を吸うと、視線が少し上向いた。
色濃い夏の青空。いつまでもずっと続いてほしい。

[こっちも天気良いですよ。もくもく雲とかあって]
[なんだっけその雲]

その雲はこちらでも出ていた。
ビル群の先からでっかいわたあめが出来ているような雲。
名前が思い出せなくて、返信してからもずっと、吉澤は考えていた。
80 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/24(火) 20:16
「昔習ったよなあ。なんか名前が二つあるて……」

山に張り付くように出来ていた大きな雲の塊を眺めながら、高橋は必死に記憶を遡る。

額に出来た汗の玉が、つうと流れていく。
やかましかった蝉の声は気にならなくなった。

頭の中は今、中学校の教室の風景が見えている。
窓側から数えて二列目、後ろから三番目の席から見た風景。

場面は変わり、開かれた教科書。
横書きの明朝体。大切な単語は太ゴシック。
それに重ねてある蛍光マーカー。
緑のが好きだった。

雲の写真。
乱層雲、高積雲、あとひとつ、これが思い出せない……

「らんせき、違う、せ、せ、せき……あ!」



[積乱雲です!][入道雲だっけ?]

送信完了と同時に、吉澤からも送られてきた。
お互い両方正解なのだとすぐに気付いて、空に向かって一緒に笑う。
八月の空に!
81 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/24(火) 20:16






終。
82 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/24(火) 20:17
>>76
短い間でしたが、そのように言っていただけてとても嬉しいです。



一スレ一タイトルっていうのを一度やってみたかったので、
達成できてハッピー☆彡

お付き合いいただき有難うございました。
83 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/24(火) 22:05
最後までryッタスw
独特の世界に引き込まれましたねえ
また読みたいです
84 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/24(火) 23:33
いい世界を堪能しました。
ごちそうさまです。
85 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/25(水) 01:18
とても素晴らしいよしあいでした
86 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/27(金) 07:29
なんでもない会話をしているだけのようなのに
とてもポワポワポワワしながら読ませて頂きました
最後のすれ違いっぷりこそが吉愛の醍醐味な気がしますw
ありがとうございました
87 名前:作者 投稿日:2007/08/24(金) 22:53
恥ずかしながら帰って参りました。今日だけ。
いただいたレスをお返しします。

>>83
卒業以降進むことはないと踏んでジレッタスを貫いたのですが……
リd*’ー’)<大好きです! って。
そうですか。びっくりしました。
四試合でラブラブは想像できないのでここでギブアップです。

>>84
お粗末さまでした。
幻のデザートが戸棚の中にあるわよ。

>>85
ストレートにありがとうございます。
まっすぐが嬉しくてレスに困る複雑なミキモチ

>>86
どういたしましてです。
なんでもない会話に何十分もかけてることもあるので、
嬉しいです。
最後はちょっと成り行きもありつつ、夏空で締めること
だけは決めていました。

当時反応あったのでホッとしてそのままにしていましたが、フォローをひとつ。
「スーちゃん」は高橋さんの地元の友達の名前です。本当の。
88 名前:作者 投稿日:2007/08/24(金) 22:56
リd*’∀’)<アヒャッ「の」が多すぎやったの〜

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