夏の終わりとうさぎのヒカリ唄。
- 1 名前:名無し亀さん 投稿日:2007/08/02(木) 12:12
- 別板で書かせて頂いている名無しです(汗)
少しずつ書いていたモノを一気に行きます。
たぬきとうさぎとリスなあの3人がメインです。
- 2 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 12:13
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うさぎの唄を聴いたことはある?
弱虫で真っ白なうさぎの唄
いつも泣いていたから、うさぎは目が真っ赤なんだ。
それでも笑っていたんだ。
その唄は、限りなく近いソラのはじっこで鳴り響き、そして願った。
今でも星屑となって、セカイへと舞い落ちる。
- 3 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 12:14
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=夏の終わりとうさぎのヒカリ唄。=
- 4 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 12:16
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今日も普通の朝がやってきた。
モゾモゾと動き回るベットの中でそう呟く。
7月ともなると部屋が熱を充満させるのか
意識があるまま毛布の中にいるとさすがに蒸し暑さを感じる。
梅雨の季節が懐かしくさえ思えてしまう。
時計をセットする習慣を身に付けないことで、いつもは母親が
起こしにやってくるのだが、今日は少し遅いような気がする。
ふと思い返すと、今日は朝早くから近所の人達と出かけている事に気付く。
ムクリと、身体を起こして伸びをした。
亀井絵里は大きく欠伸をすると、ボサボサと乱れる髪を手ぐしで簡単に整える。
棚に置いてある携帯の時間表示を見て、ようやく今が何時なのかを把握した。
現在8時を丁度経った頃。
本人はこれが早い時間の部類に入ることを自覚している。
朝型だとはいつも友人に言い続けているものの、18才になった今でも
母親に起こしてもらっているほどだ。
ごちゃごちゃした部屋をかいくぐり、途中小物などで足元をすくわれながらも
絵里は部屋を出て、1階へと降りていった。
- 5 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 12:16
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- 6 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 12:17
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身だしなみを整えたものの、絵里はソファでウトウトとし始めていた。
起床して歯磨きや髪のセットをし、母親が作っておいてくれたご飯を食べ
部屋の中で一人ファッションショーをしながら今日の服を決めてそれからものの30分。
最近知ったという両手を顔に添えて眠る体勢はバッチリだ。
ちなみに今日の服装のタイトルは自称「下町のお嬢様」
白と黒でまとめた、本人曰く清楚なお嬢様風。
薄手の黒いコートのような上着は腹部辺りをリボン状に結び。
中は白の胸元にフリルと縦状にボタンが付いたワンピース。
それほど外出準備は万端だというのに、インドア派な彼女は大半が睡眠で事足りようとする。
個人でその状態は異なるものの、絵里はその症状が大きく出やすい。
本人曰く、予定はあるものの、それを上手くコントロールできないことが起因している。
つまるところ、そのコントロールを誰かが行ってくれないと絵里は動けないのである。
まるでロボットのようではあるが、その症状があるときを見計らうように、操縦士はやってくるのだ。
- 7 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 12:19
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ピンポーン…。
ロボットの出動要請が鳴り響く。
瞼が視界を遮ろうとした寸でのところで、絵里の脳はクリアしたかのように覚醒する。
身体を起こすと、いつもやってくる来客者を思い浮かべながら鍵を開ける。
すでに付き合いは4年以上になるであろう親友の見慣れた眉をひそめた表情。
「カメ、また寝てたでしょ?」
「ねてないですよぉ、ちょっとよこになってたんですぅ」
「それが寝てるっていうの、声だって眠たそうだし」
同い年である彼女、新垣里沙は時間を見計らっているように絵里の家へと
週に何度か立ち寄ってくれている。
行動を示すことが出来ない絵里にとっては有り難いことであり、母親も
彼女の存在をしっているからこそ絵里を1人にすることが出来る。
「あがります?」
「ううん、今日はちょっと用事があって」
「ようじですかぁ?」
「カメを誘おうと思ってね」
- 8 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 12:21
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里沙によると、知り合いが近くの病院に数日前から入院をすることになった。
他県の病院に居たのだが、専門医が居なくなってしまってこの街に移ったのだと言う。
その手には、その知り合いが好きだという飴とチョコの袋があった。
その付き添い相手として絵里を誘いに来たという。
絵里は一通りその話を聞いた瞬間、あまり乗り気ではなかった。
第一に、『病院』という単語が好きじゃないのだ。
当然その場所に行くのも。
好き好んで行く人間などこの世にはいないかもしれないが、絵里にとっては
行きたくない場所ランキングの上位である。
だがやはり先輩として、とくに親友としての頼み。
渋々行く事になった絵里は、唇を尖らせながらも外へと足をつける。
肌に貫く日差しは、紫外線防止にクリームを塗りこんで防ぐ。
顔や足にも、それは怠らない。
その意図を知っている里沙は何も言わず、太陽の下、アスファルトを歩き始めた。
- 9 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 12:21
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- 10 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 12:23
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院内の人は疎らで今目で把握できる範囲ではごく数人だ。
平日だという事もあるのだろうし、この街の人口面にも関係はあるのだろう。
現代の医療も発達し、例えば風邪をこじらせたとしても薬1粒で程度には回復する。
手術も移植や困難だった病気の対処方法も次々と編み出され
数十年前よりも死亡者は急激に激減している。
高齢化社会というのが問題になっているほどだ。
絵里や里沙もこの病院には何度か通ったことがある。
それは時には病気であったり、生活で負った怪我であったり。
だがここ数年は何事もなく生活が出来ていたので、来ることは無かった。
そしてこの病院の利用者も数年前から激減した。
もしかしたら近い未来、廃墟になるかもしれない。
絵里はぼんやりと、その病院の周りを見つめる。
「カメ、こっちだよ」
案内所で病室を聞いた里沙に呼ばれ、絵里は待合の椅子から立ち上がった。
奥に行くほど、徐々に強まるのは消毒と、病院の独特な雰囲気。
絵里はどうしてもこれに慣れることは出来ない。
慣れようと思っても、身体が慣れてくれない。
- 11 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 12:25
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覚えてしまった感覚は聞こえることは無いから。
頭の中で消えてしまっても、感覚はずっと残り続ける。
それが自分自身にとって何の意味を成さないものだとしても。
まるで一生傷のように、ただただ覚え続ける。
エレベータの到着音が鳴り、絵里と里沙は個人病棟である3階へと足を下ろす。
あぁ、やはりそうなんだ。
絵里は無意識に呟き、里沙はそれに対して何の反応も見せない。
しかも彼女は「専門医」と言った。
反応することが出来ないのだろう。
説明したところで、絵里はそれに対して反応できないのと同じだからだ。
だから何も言わない、言えない。
ガラリと開けられたセカイには、ベットと棚があるだけの無機質で真っ白な部屋。
ただ一般病棟と違うのは。
窓や主に太陽の日差しが入ってくるはずの場所に特殊なフィルムが貼られている。
蛍光灯にも同じくフィルタで包まれ、あたりは少し薄暗さを感じさせた。
それがたった1人の生命線ともなるものであるのなら仕様が無い。
そう思ってしまう絵里は悲しくなった。
- 12 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 12:25
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そこに佇んでいるのは長い黒髪の女の子。
口元の黒子が印象的で、里沙が「さゆ」と呼ぶとこちらに顔が振り向いた。
真っ白な装束に身を包んで。
だけど可愛らしい、女の子だった。
ベットの隣にある棚には、里沙の所持していたチョコと飴玉の入った小物入れがある。
ピンクと苺の柄が入った女の子らしい箱。
記憶の隅っこに追いやっていた光景と重なり、無理やり遮断する。
「この前話してたカメだよ」
「こんにちわ」
「…こんにちわぁ」
サラリと、お辞儀をした拍子に髪が流れた。
まるで野原に咲いた草が風に乗って流れた景色を思い浮かばせる。
ベットの上に居る彼女はニコリと笑って見せた。
同時に、その痩せこけた頬を印象づかせる。
目は進行しているのか、黒いはずの瞳孔が黒く濁り、赤みがかったように見えた。
- 13 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 12:28
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「さゆみ、ひらがなでさゆみっていうの」
「…ぇり、絵の具の絵に里って書くんだょ」
「絵里…絵里って呼んでもいいの?」
「じゃぁ、さゅって呼ぶね」
絵里の文字が想像できるほどの知力は持ち合わせている彼女。
未来に歩んでいけたはずの彼女。
里沙は、知ってて呼んだのだろうか。
知ってたからこそ、自分に何を見てほしかったのか。
世界の残酷さなんて、とっくに分かっているというのに。
本人に視線を向けても、ただジッと目を見つめるだけ。
目の前の彼女は、何も無いように笑顔を振りまいている。
自分のようだと、思った。
- 14 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 12:28
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- 15 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 12:33
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絵里の部屋のだらしなさは以前からだ。
「開けたら閉める、出したらしまう」という親友の言葉も実行できない。
そうしている内に部屋の中は服や小物で埋め尽くされ、まるで物置としか言いようが無い
凄まじい場所へと変貌してしまったのだ。
数日前、携帯に送られてきた写メを思い出す。
絵里からのメールというのは本当に久しぶりで、少し嬉しかったりもした。
だけど。
「えりりんはどこにいるでしょう?」とまたふざけた言葉と一緒に送られたその画像。
当時の光景は、今よりもマシだったかもしれない。
「家でできるかくれんぼ」と言い訳をされたが、今思い出してもとにかく壮絶。
結局、確認メールをして発見した絵里の姿は人間じゃないと感じたのは鮮明に覚えている。
その時に話していたクレープのチョコをこぼして隠してしまったと言う
真っ白な服がまだこの部屋にあると思うと、絵里の母親に同情してしまう里沙であった。
- 16 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 12:34
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その写真と同じベットの場所でまだ眠りこけている彼女を見て無意識にため息。
とりあえず見る限りゴミだと判別できるものはゴミ箱へ。
ペットボトルやお菓子の袋まであるのだから大変だ。
服やその他は手で隅のほうに押しやり、ようやく足場が確保されてベットへと近づく。
「カメー、起きな」
毛布を揺らすと、呼応するように中の彼女は身体をモゾモゾと動かす。
頭のみが出ているのを見るとまるで本当に亀を相手しているような気分になる。
そんな姿をこれまで何度も見てきた事があるものの、最近は
こうして自分が起こすことも少なくなってきたことで久しぶりだった。
- 17 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 12:35
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眠気眼の絵里が「ガキさん?」と呟いたのを「おはよう」と言い返す里沙。
「あさ?」
「もう9時回るよ、そろそろ起きて準備しな」
「…うん」
里沙が促すと、絵里はまだ寝ぼけているのか、ゆっくりと起き上がると
散らかり放題の道を危なっかしい動きで避けながら部屋を後にする。
操縦士が自分のロボットをこうも困難に扱うことはそうそう無いだろう。
同じく部屋から出ようとした途端、里沙はふと気付く。
開けられたままのタンスの一番下の棚。
重さによって傾いてしまっている不注意極まりないその中。
ちらりと見える四方形の何か。
里沙はそれを感知したように釘付けになる。
ゆっくりとそれを見えるまでに引き出しを広げると、一瞬眉をひそめた。
- 18 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 12:37
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上手だとも言えないが、それでも彼女の考えが詰まれた―――絵だった。
何十の束に積まれ、見覚えの無いものまであった。
捨てられないのだろう。
そう思いつつ、そこにある景色をじっくりと目に焼き付ける。
まるで夢のような描写と、現実が折り重なっているかのようで。
彼女の不器用ささえも垣間見せるその景色は、切なくなると同時に悲しくなる。
そういえば昔、美術の授業で絵里は1つの不思議な絵を描いた。
自分が好きな景色を書いてみようという学生ならではの野外授業。
里沙は花壇に咲いていた色とりどりの花を描いた。
赤、青、黄、紫、さまざまな色を取替え、緑の中にさまざまな花を添える。
それはダレが見ても綺麗だと思っただろう。
まるで虹のように、色という色が重なって出来上がる景色の一部分。
- 19 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 12:37
-
「カメは何にした?」
「…そら」
「そらって、空?」
絵里はさまざまな色があるセカイの中で、たった1つの色を描いた。
何も無い、ただの空を描いた。
里沙のと比較しても、その空は無機質に水色を塗っただけ。
最初は。
適当な彼女だから。
絵が下手な彼女だからの絵、つまり落書きだと思った。
何でそれにしたのかと問うと、絵里はアッサリとした滑舌の悪い声と共に
首をかしげてこう言った。
- 20 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 12:38
-
「こぉすればほら、何か見えて来ませんか?」
ふにゃりとした笑顔を浮かべて、絵里は笑った。
ただその時の笑顔だけは、不器用で。
どこか一生懸命で。
何も無い空の中、里沙は何も見えなかった。
だけど、そこには何かがあるのだろう。
絵里にとっては。
それは、まだ見えない"未来"が見えたのかもしれない。
まだ何も分からない"未来"を想像したのかもしれない。
夢というキャンパス。
ほんの少し、まだらに白いところがあるけれど。
それを塗りつぶさないのは、どこか空にヒカリが灯ったようだった。
願い、だったのかもしれない。
- 21 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 12:39
-
考えすぎかもしれないけれど。
本人はそう思っていないかもしれないけど。
それでもどこか、その青い空は、何かを問いかけているように思えた。
それが、里沙が初めて見た絵里の"夢"だった。
タンスの中に入れる発想も彼女らしいと苦笑いを浮かべ。
ゆっくりと棚を押し、閉めた。
- 22 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 12:39
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- 23 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 12:45
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2人が出会ったのは中学校の2年から。
そして周りからは絵里は脱力系、里沙は活発系。
部活でも茶道部に入っていた絵里とバスケット部に入っていた里沙。
小学校も違う上に中学1年の時はクラスのあった棟までも違う。
全くといって共通点も接点も無いと思われた。
ただ1つ。
1年に1度のクラス分けでのこと。
以前はどこか消極的であり、力の抜けた自然体の絵里とは裏腹に
面倒を自ら突っ込んでいく落ち着かない里沙は委員長を務めることも何度かあった。
実行委員にも積極的に取り組んでいた。
その繋がりに芽を結んだのが季節に行われる体育大会や球技大会。
いつも記録係として務めていた里沙はそのイベントが行われるたびに驚愕した。
短距離の記録が次々と書かれる中、人際活躍を見せる絵里の姿。
1年ごとに記録は更新させ、中学3年になる頃には校内での最高記録を塗り替える。
中学2年にして始めて同じクラスになった彼女。
少し、気にはなっていた彼女。
- 24 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 12:45
-
一見ぼんやりとしているはずの彼女にここまでの才能があったなんて。
教室の中でもそれほど目立つわけでもなく、授業中はどこか眠気眼を浮かべる彼女なのだ。
そのどこか自分とは違った自然体の彼女に、里沙はどこか惹かれるようになった。
話してみると絵里は他人に無関心かと思われるかもしれないが、里沙よりも人懐っこい。
口数は少ないながらも初対面であっても気兼ねに話すことが出来るし。
自分に与えられたことはきちんとこなす上に最後までやり遂げる。
ただそれなのにどうして里沙とは正反対に見られがちなのか。
「だっておしつけるとか、イヤじゃないですか?」
という事である。
つまるところ、何かに首を突っ込むという事は責任が伴う。
それを強要される、強要するのが嫌いだった。
自分がやりたいことをし、やれるだけの事はやる。
- 25 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 12:47
-
それを聞いて里沙は笑った。
面白い奴だと。
本人はきょとんとし、首を傾げている。
確かにそうだった、辻妻は通っていた。
ただそれだけの、何の変哲も無い彼女の言葉で、どこか安心できた。
それは多分、彼女だからだったのかもしれない。
ただただ責任をまっとうしようと努力する里沙とは違う。
羨感だったのかもしれないけど。
ふにゃりと笑った笑顔が、とても綺麗だった。
「おーい、ガキさん?」
- 26 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 12:47
-
2人の視線が私の目と交差する。
ハッとあたりを見渡すと、ここが病院なのだと思い出した。
どうやら意識を飛ばしていたらしく、「な、何?」と問い返す。
それを無邪気に笑う絵里。
「ガキさん、きょどぅふしんー」
「あんた、意味分かってないでしょお」
「知ってますよぉ、ホントに変だったよねー」
「ねー」
呼応するように言葉を返す彼女は楽しそうに笑顔を浮かべる。
棚に置かれていたチョコの包みを取り除き、口に入れた。
里沙の手にも同じものがある。
道重さゆみと、亀井絵里を会わせて数日が経った。
- 27 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 12:48
-
真っ白な病室の中、真っ白な装束で身を包み、全てから遮断するように存在した。
特殊なフィルムによって病室は薄暗い。
部屋の中に入れることを拒否せずに受けて入れてくれた彼女。
それが同姓だったからなのか、または里沙の友人だったことで安心したのか。
それとも…。
彼女の表情は笑顔しか見た事が無い。
初めて会ったときから崩さないことは防衛反応なのかもしれないけど
それでも長きに渡るこの部屋の窮屈さと退屈さはここ何日かでほぐれたらしい。
いつもの人形のような笑顔ではなく。
"人"としてキモチを現した笑顔で。
絵里も、この数日は何事も無く通い続けている。
里沙の意図はすでに知っているはずなのに。
- 28 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 12:49
-
「ぁ、この本しってる」
「読んだことあるの?」
「カメは図書室っていうのはむしろ休憩所だったよねぇ」
「休憩所?」
「ち、違ぅもん、勉強してたときもぁったもん」
「聞いてよ、本で顔を隠しながら寝てて先生に怒られたんだよ、普通にバレてるってば」
今年、絵里と里沙は学校を卒業した。
共に18才、都内に行けば大学もあるし、就職する場所もあったりする。
でも何もしていない。
将来の夢というのが持てなかったのだ。
小学や中学ではいろいろと想像を膨らませて絵で表現したこともあったけれど
それを現実にさせようと思ったことは一度も無い。
全てが夢の中で、理想だった。
綺麗なままで。
自分の描くものは穢れの無い、綺麗なままで。
知ってしまった現実の穢れに汚れないよう。
- 29 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 12:50
-
今でも部屋の中にはその時に描いた未来の図形が残っているはずだ。
里沙は何度も捨てようとしたが、捨て切れなかった。
絵里も同様。
「じゃあ貸してあげるの」
「いいよぉ、なんか、失くしそうだし」
「そうそう、私なんて貸したマンガとかまだ返ってこないからね」
「ぁっ…」
ハッとした絵里の表情に気付いた里沙は「忘れてたのっ!?」と驚愕した。
「た、多分ぁの棚の中にぁりますょ」という答えに「あの棚ってどれよぉ」とうなだれる。
それを見つめながら、さゆみは笑顔を浮かべ続けた。
心底楽しそうに。
里沙は徐々にではあるものの、安心していた。
少しずつ、変化があることに嬉しさが募っていた。
平穏な日常。
もしかしたら――――――と感じるほどに。
- 30 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 12:51
-
空が夕方になると絵里と里沙は帰る時間となる。
看護師の呼びかけもあって、渋々2人は椅子から立ち上がった。
病室には時計という時間を表示させるものが無い。
さゆみが取り外させたのだ。
"必要がないから"と。
「じゃぁまた来るね」
「うん」
「それを言う前にちゃんと起きれるようになってよね」
笑いが響き、2人はドアの中へと吸い込まれた。
それを見送ったさゆみは、数秒間ドアを見つめた後はベットに身体を預ける。
特殊なフィルタ越しから空を見た。
赤く染まった夕日が、闇へと移り変わろうとしている。
ただ彼女には、その夕日のみが浮かんでいる。
チョコを口の中に含んだ。
程好い苦さと甘さが口の中で広がっていく。
昨日里沙が買ってきてくれたものだ。
うさぎの絵が描いてあるさゆみのお気に入りチョコランキングの上位である。
- 31 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 12:52
-
先ほどまでの会話を思い出していた。
さゆみは一度も「学校」というものに行った事が無い。
通いたいと思った事も一時期あったが、年が経つことでその願いも諦めた。
いつだったか、両親が学校や教育委員会という場所でお願いをしに行ったことがある。
それでも、入学許可は下りなかった。
だからもう良いと思った。
これ以上、迷惑も掛けられなかった。
自分のセカイには「学校」というのは"必要がない"と判断して。
父親が以前から趣味として集めていた本を読んで、独学でさまざまなことを覚えた。
そこに描かれた景色を見てはそれが一体なんなのかを想像した。
モノクロだったことで色が無かった。
だからさまざまな想像が出来て楽しかった。
瞼を閉じ、物語の続きを考える。
- 32 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 12:53
-
海であればそれはどんな色なのか。
森林はどうやって草をなびかせているのか。
風というのはどこから流れてくるのか。
海に入った想像を浮かばせる。
里沙や絵里の証言と照らし合わせ、その冷たさや綺麗さを鮮明にする。
次はどんな魚が泳いでいるのか。
縞模様であったり平面だったり、さまざまな色や形をした魚達がさゆみの隣で泳ぎまわっている。
仰向きで泳いでみると、そこは幻想的な世界。
水面は明るく、蛍光灯よりも自然の輝きが見えた。
その先へと進むと、今度は森の中へと景色は変わる。
- 33 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 12:53
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森林の中では動物が動き回っていた。
ふとそこにはリスとタヌキが居る、あの2人に似ていて、つい笑ってしまった。
どんどん森の中へと誘い込む二匹を、さゆみは後を追う。
走っていた。
どんどん、駆け巡っては景色は流れていく。
まるで水の流れのように。
風が全てをなびかせる。
絡まった木の葉は1回転したのち堕ちた。
雨のように舞い落ちる。
ふわりふわり。
ザワザワと森の声が聞こえた気がした。
空に舞うことを強要させる風は身を包む。
身体に感じる風の心地よさと優しさは、全ての汚れを無くしてくれるかのようで。
- 34 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 12:54
-
気付くと服装がワンピースへと変わっていた。
リスとタヌキの姿はなく、さゆみは開けた場所へと出てきていた。
本の中で見た光景と全く同じの、円形の広場。
そのまた中心にある円形には水が満たされていた。
これが湖。
海よりも小さく、水溜りよりも大きい。
そこから、何かが伸びていた。
雑草で作られたその場所は、光のカーテンと優しい風を吹かせて佇んでいる。
だけどその光だけは、どうしても分からなかった。
何色にも彩られたその光。
- 35 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 12:55
-
絵里や里沙の証言どおりに想像しているはずなのに、全く理想のものにならない。
それが自分に何をもたらすのかを知っているからなのか。
それとも一度も感じた事がないものだからだろうか。
それならばこの風は、さきほどの海はどうなのだろう?
そのカーテンを触れようとした。
触れようとした途端、体中から力が抜ける。
鮮明だったものが全て抜け落ちていくかのようで。
一瞬、皮膚が焼け爛れたように赤く染まる。
あの夕日のように。
痛みが襲った。
あの光に当たることで負ってしまう、激痛と恐怖。
- 36 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 12:55
-
痛みを訴える腕を抱くように掴み、地面に膝から崩れ落ちた。
優しかった風が止む、満たされていた水が乾ききったように無くなる。
景色や全てが消えていった。
何も無い。
同時に、2人の気配も消えていく。
―――行かないで!
そう言いたくても、言葉は出なかった。
痛みは消えたが恐怖は拭えない。
ぬくもりだけのやりとりで。
触れる温度だけのやりとりで。
ただの言葉だけを並べて、まるでドミノ倒し。
- 37 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 12:56
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光が照らさないと、影は出来ない。
影がないと、自分は生きていけないんだ。
きっと、ここにあるのは"無"だけ。
真っ白な"無"
それだけが私の何か。
光が塗りつぶした世界。
光が塗り替えた世界。
さゆみはそれを見たことが無いけれど。
これからもずっと、それは見られない。
それは、何も無い世界だから。
見たときが、"無"だから。
2人の気配が消え入りそうになる。
また明日も来ると言っていたのに。
一瞬の内に襲われる。
ヒカリに襲われる。
何もかもが見えない。
- 38 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 12:56
-
ハナサナイデ。
ハナシタクナイヨ。
コワクナル。
フアンニナル。
サミシクナル。
クルシクナル。
嫌。
嫌だよ。
もうこれ以上。
――――――ヒトリハイヤダヨ
- 39 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 12:58
-
*******
- 40 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 12:59
-
話の途中から、さゆみは泣いていた。
本当に突然、目から流れてきた涙を絵里達はギョッとした。
さゆみ本人も、何なのか分からずに拭い続けるが効果も無く。
目を真っ赤にさせて、うさぎのようだと思った。
そういえばうさぎは、一匹じゃ生きられない動物だと聞いたことがあった。
それをぼんやりと考えながら、絵里は慰める里沙を見つめていた。
記憶の隅に置かれていた光景が今目の前に鮮明にある。
神様は残酷だ。
「さゆ、どうしたの?身体がダルいの?」
「…怖い夢を、見ました」
- 41 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 13:14
-
痛みと恐怖に苛まれる中。
ダレも居なくなってしまう夢。
全てが無くなってしまう夢。
叫んでも怒っても、現実が変わらない夢。
情緒不安定な彼女には、夢でも現実なのだろう。
不鮮明にしか見えない世界は、今在る世界となんら変わりは無い。
絵里は一歩近づくと、さゆみに問いかける。
「さゆ、唄を歌おう」
「うた?」
「そう、唄」
どこでも覚えていられる簡単な唄。
以前、絵里が"彼女"から教えてもらったオリジナル。
誰にも教えた事のなかった、優しい唄。
同時に、哀しい唄。
- 42 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 13:17
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声から奏でるメロディは少し不恰好ながらも、懸命に音質を思い出す。
歌詞は無い、鼻歌で奏でていた中途半端な曲。
それをラララで音程を刻み、歌う。
"彼女"よりも下手だとは絵里も自覚している。
それは自分のキモチで作ったものではないから。
だけど今ふと、あの子の事が頭を過ぎったとき、ホコリを被ったままの
この曲がすぐに思い浮かんだ。
メロディ。
記憶と残像。
微かに、それは。
思い出せなかった。思い出したくなかった。
昔の面影。
その理由は多分…。
- 43 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 13:17
-
「なんだか、不思議な音なの」
「絵里も不思議、歌詞だってないのに」
「でも、落ち着くの」
言葉どおり、さゆみの容態は落ち着いていた。
流れていた涙を拭ってあげる。
そして棚のピンクの箱からチョコを取り出して、包みを剥がしてからそれを渡す。
口の中に入れたさゆみは笑顔を浮かばせて、絵里も同じく笑った。
里沙は2人のその姿を見て、眉をひそめていた。
その繋がりを持たせたのは自分自身なのだ。
だからこそ、"その時"が来るまでの間、願い続けていた。
どうかこの時間が1日でも長く―――と。
すでに動き続けているのは、何も今この場所だけではない。
それを知っているのは里沙だけではない。
永遠なんてものは無い。
- 44 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 13:18
-
永遠なんてものは今この世界が証明している。
永遠なんていうのは虚像で、想像で、理想で。
愛しいほどに捜し求めているモノ。
それでもないのだ。
悔しい。
もしも1つだけ、永遠のモノがあるのなら。
この結末は変わってくれるだろうか?
歌声が聞こえる。
遠くで、笑い合う2人が見えた。
綺麗な音が鳴っていた。
同時に、哀しみの堕ちる音がした。
願いが叶うようにと、祈る声がした。
離れては、近づいていく透明な空の中で響き合い。
- 45 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 13:18
-
やがてその音を惹かせたのはダレ?
結末を変えたくて。
叫びたくてもダレも変えてくれなかったから。
とても哀しい声が聞こえたんだ。
そして泣いてしまった。
―――変えたい。
自分の声に反応した自分が起こした変化。
それで何が見つかったのか。
はじまりの終わりと。
終わりのはじまり。
「ガキさん?」
泣き出した里沙を心配し、絵里は首を傾げる。
震える腕に彼女の優しい感触が滲む。
それがジワリと里沙の何かを溶かし、また溢れ出させる。
終わりは近い、と、思った。
- 46 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 13:19
-
「カメぇ、ごめん」
「何が…」
「ごめんね」
絵里は気付く。
その涙のわけを。
そして、唇を噛み締めたあと、熱をこもらせる目を無理やり閉じて止めた。
全ては唐突にやってきて、結末だけを残して去っていく。
まるで風のようだと、絵里は思った。
そして以前から何も変わっていない風向きに、苛立ちを覚えた。
さゆみは突然の里沙の異変に気づいていたが、一度家につれて帰る
ことを絵里から告げられ、静かに頷く。
「また明日、来るね」
- 47 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 13:19
-
いつもと同じ言葉を残し、絵里と里沙は部屋を出る。
残されたさゆみはまた空を見つめ、身体を預けると目を閉じた。
口内のチョコは暖かさと優しさが甘さとなって広がっていく。
自然と、頬と口角が綻んだ。
数分ほど経つと、さきほどのメロディを奏で始める。
優しくて、不思議な音が病室に響き渡った。
もうすでに、視界の中には夕日と同じ色で広がっている。
2人の気配だけを身体で感じながら、さゆみは闇の中へ溶け込んだ。
- 48 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 13:20
-
******
- 49 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 14:00
-
七月七日。
この6日後、幾億の星がソラへ瞬いた十七年前の夜の元で生まれた。
宇宙の端に、天の川が延々と流れ続ける。
母親は願っただろう、生まれてくる子供に願っただろう。
星が見えたような気がする。
キラキラと、まるでカノジョのようで。
見えないのに、そう思えてならないその輝きたち。
少女は手を伸ばし、ギュッと散らばる星屑を掴む。
それでも何も無い、見つからない。
唇が震え、メロディが聞こえた。
優しくて、悲しいそのメロディは、カノジョのココロのよう。
思い、想う。
- 50 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 14:00
-
ソラの果て、ソラの端で響きあい、惹き合うメロディ。
あの人が初めて見せたもの。
私の為に与えてくれたもの。
思いは膨らみ、同時に感じる自身のキモチ。
ずっとずっと想い続けたココロは弾けんばかりの鼓動を鳴らす。
確かな証。
手を伸ばし、星屑を掴んだ。
それでも何も無い、見つからない。
なぜならまだ手に入れてないから。
ほんの小さなココロを。
- 51 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 14:00
-
******
- 52 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 14:01
-
アスファルトの上には絵里と里沙の二人だけが歩んでいる。
他には誰も居ない。
ダレも居ない世界を、2人はただただ歩いていた。
意味のない世界を。
それでも意味を成そうと一歩一歩。
「やっぱり、そぉだったんだぁ」
「…」
「ガキさん、ウソ下手だよねぇ」
ふにゃりと笑った絵里を、里沙は見る事が出来ない。
不器用に、懸命に作ろうとしている笑顔を。
冗談交じりに出る言葉さえも。
滑舌の悪さなんてものも気にできないくらい。
- 53 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 14:01
-
夕闇が2人の影を作る。
ヒカリが2人分だけ。
もう1人の影は作ることはないそのヒカリ。
絵里はほんの一言、唇を一瞬震わせて。
「…バカ」
一喝するその言葉。
里沙は全身でそれを受け止め、動きを止める。
同時に絵里も歩みを止め、言葉を続ける。
その表情は歪んでいた。
「ホントに、バカ、なんで…っ、ホントに、ガキさんはバカ」
「中学のときだって、高校のときだって、ガキさんは…ホントに
余計なことに首突っ込んでさっ…」
「何で、絵里なんてほっといてほしかったよっ、この、バカガキっ」
- 54 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 14:02
-
対して怖くもない言葉たちを、それでもチクチクと胸に痛みを抱かせる言葉を。
里沙は受け止めていた。
ただジッと。
滑舌の悪い親友の泣いた表情は全く見えない。
ただ、全ての言葉たちを吐き出させる為に。
辛いはずなのに、彼女は全てを隠し通す。
昔からそうだった。
辛いこと、哀しいこと、何から何までを塗りつぶしてしまう。
里沙は知らない。
怒った絵里を知らない。
何かを訴えようとする絵里を知らない。
自然体で、笑顔で、そんな絵里だからこそ、全てを隠そうとする。
自己否定。
理解してもらおうなんて思わない。
第一、解かりっこないからだ。
仮面を被った彼女。
刻まれた傷を隠し、もしもそれを取り除いたとしたら。
封じ込められた彼女の歪んだ顔は。
- 55 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 14:03
-
このセカイの醜さと美しさを知っている。
「絵里は…絵里はただ…」
「…吐き出しなよ」
あの日でさえも、絵里はただ泣いていた。
雨音の中で、あの唄を口ずさむだけで。
ヒカリさえも何も無かった、あの日。
失くして初めてわかって、見つかった。
永遠だと思っていた夢から覚めると、そこはたった独り。
美しさの中の醜さ。
醜さの中の美しさ。
触れていたはずの暖かさは冷たかった。
何から何まで、全てがおとぎ話。
- 56 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 14:03
-
ようやく思い出したあの唄の理由さえも、今では真っ暗。
さっきまで泣いていた親友と立場も逆転。
そんな自分に、彼女は吐き出してしまえと訴えかける。
震える身体と、揺れる気持ち。
それでも絵里の瞳に、涙は映らなかった。
「吐き出したらいいじゃん、全部さ」
「ガキさんに、ぃわれたくないょ」
「…どっちもどっちだよね」
世界が永遠なんてのは真っ赤な嘘。
崩壊が進み逝く先は、何も無い。
ただ何も無い場所へと帰っていく。
元の場所へと帰っていく。
だからこそ、意味のあるものがほしいと。
ダレかは懸命に泣いている。
ダレかは懸命に叫んでいる。
そしてそれは、どこへ向かうのだろうか。
- 57 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 14:04
-
「もう、目の視力が無いんだって」
「うん」
「下半身も全部ダメだって」
「…うん」
「思ったより進行が早くてさ、専門医の人も
この先どうなるか分からないって」
「…」
ギィ…ギィ…。
ブランコの軋む音があたりを包む。
公園に人の気配は無い。
どこかに見失ったように、そのセカイは虚ろだった。
里沙から聞いたさゆみの容態は、思わしくない。
それは絵里にとって、"彼女"の症状と全く同じものであり。
その結末は、あまりにも残酷すぎるものだ。
- 58 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 14:05
-
遺伝子の異常からなる先天性の病。
光には決して浴びることは無い。
それがさゆみの病気だった。
日焼けをしても修復酵素というものが働き、肌の皮が剥がれ落ちても
その下からまた新しい肌が生まれるようになっている。
しかしこの症状を持つ事により、その働きが停止してしまっている状態になる。
その為、万が一日焼けをして皮を修復しようとしても完治せず
皮膚がんへと進行し、その確率は現段階でも通常の二千倍。
その進行を止めるには紫外線を浴びない、というのが最善の治療法だった。
決定的な治療法はまだ無い。
だけど他の患者と違うところは全く無く、受け入れられないことは無かった。
病院内でも人との交流も出来たし、両親とも面会は可能なのだ。
- 59 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 14:06
-
あの"報告"が無かった以前は、である。
数年前、身体との接触感染の報告が一件だけされたことで
患者と一般人の間には溝が出来てしまった。
さゆみの両親達も例外ではない。
空気感染の可能性は0に近い上にそのたった一件しか感染報告はなかったが。
治療法が見つからない難病の信憑性は根強く、早々受け入れる人間は少ない。
確率は約5%も満たなかった。
未知の病は時として人々に恐怖を根付かせる。
たった1つ。
たった1つの報告のみで。
それをより深くさせたのは哀しい噂。
独りの人間の中で生まれ、大勢の人から吐き出された。
信じる人がいればそれはその人の事実となる。
例え噂だとしても。
小さな子供が幽霊を怖がるようなものだ。
- 60 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 14:06
-
人体の影響ともなれば1つの街には充分すぎるほどの事実。
だが入院費などの手続きは毎月してあるらしく、程度には心配をしているそうだ。
罪悪感。
自分達の娘なのに、自分達のせいなのに、それでも病の恐怖が勝るのか。
その事実を認めたくないのか。
畏怖感。
彼女は苦笑いをうかべて"また"言うだろうか。
「さゆみが悪いの」
そう言って笑って見せるだろうか。崩れそうで、泣きそうな表情で。
それでも必死に笑って。
哀しくて。
悔しい。
- 61 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 14:07
-
彼女の場合。
血液の一時的な循環によって視力が低下する病にまで侵されていた。
原因はストレス。
悪化すれば失明にまでなりうるその病。
彼女は受け入れてしまった。
治療法があったのに。
何もかもが無くなってしまえと願って。
眼球はすでに赤く、瞳孔だけはまるでガラスのように透明色。
それを見る看護士や専門医は、どんな表情と気持ちを浮かべるのだろう。
考えるだけでも苛立たしさが襲う。
「異端」だと判断するそれは手に取るように分かった。
野原に駆け回りたいのに、あのセカイからは出られない。
まるで檻。
身動きが取れず、ただジッと空をみつめるウサギのようで。
- 62 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 14:08
-
何の意味も得られないまま。
ただ独りのセカイで生きていく。
何の意味も見つからないまま。
ただ独りのセカイを見えなくした。
服の袖から見たリストカットの傷は、それを物語っているようだった。
偶然見つけた、彼女の自己破壊の傷跡。
包帯でその痕跡を隠していたが、里沙は気付いているのだろう。
気付いた事で、絵里に助け舟を出したのかもしれない。
里沙も助けようとしたはずだ。
絵里が犯した自己破壊のように。
それでもダメだった。
そして苛まれて行き着いた先が、絵里だった。
いっそうの事、壊れてしまえば良いのに。
真っ白な肌に、ミミズ腫れのような痣の傷は赤く。
自分自身で駆け回れなくしてしまった。
- 63 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 18:11
-
うさぎのように、赤い目を浮かばせていた。
だけどそれを不気味に思わなかったのは。
里沙と絵里だったからかもしれない。
傷と傷は引かれあい。
広がるかもしれないと。
塞がるかもしれないと。
それでも。
だからこそ。
可能性があると信じて。
「ホント…もう、どうすれば良いんだろうね」
里沙はブランコを止めた。
彼女の場合、さゆみは親友からの頼まれ事だった。
大切で、大事な。
- 64 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 18:11
-
絵里は止めようか迷ったものの、無機質な鉄の音でも、このセカイ
の存在に意味を成すならと、止めなかった。
ギィ、ギィと音は響き、そして風に持っていかれる。
空は夕日と共に首をかしげ、どこか心配しているようにさえ見えてくる。
それとも現状を分かっていない疑問からか。
絵里はぼんやりと見つめた。
自分の影と、夕日を。
ヒカリがあるから、影がある。
影は全てを遮ってしまう。
でも影があるから、生きていられる人が居る。
影があるからヒカリは在るのだ。
ダレが悪いのか。
何が悪いのか。
そんなものを決める権利なんて無いけれど。
- 65 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 18:17
-
ヒカリが悪いわけじゃない。
影が悪いわけじゃない。
だから悔しい。
だから哀しい。
何を責めても、現実を折り曲げられない自分に苛立ちを覚えてならない。
始まりのおわり。
おわりの始まり。
どこまでもどこまでも、夕日は見つめ、傾げ、そして消えた。
- 66 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 18:17
-
*******
- 67 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 18:18
-
1日だけ、里沙が家の用事によって一緒に行けなかった日がある。
前日に渡されていた飴とチョコを袋に詰めて、病院へと向かった。
初めて1人で向かった。
咽返るような暑さと、アスファルトの地面から伝わる熱気。
ジリジリと頬を焼くヒカリは、どこか絵里を見下ろしているような気がして。
小さくため息をする。
正直言えば、吐き気がした。
この熱も、ヒカリも、頬に伝う汗の感触も。
何から何までが鬱陶しい。
家に居ても何もすることは無いが、屋根がある分、この鬱陶しさを
凌ぐ事は出来るし、苛立ちも覚えずにストレスを溜めない。
だから自分が何の為に毎日親友と病院へ向かうのか。
一瞬分からず、違和感や理解不能を訴える思考。
- 68 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 18:18
-
それでも、やっぱり現実へと引き戻される。
あの檻のような場所で、彼女は1人佇んでいる。
想像するだけで、さまざまな感情がぶつかって背筋を凍らせる。
絵里が感じていたものは。
"諦めた人間の姿"
絵里は初めて、己の両眼で見据える事が出来た。
里沙のキモチが分かったような気がし、耐えるように目を細くさせる。
夢も希望も何もかもを捨て、見えなくし、絶望の果てに見えるものを
まだかまだかと待ち続けている彼女の横姿。
眼球は血だまりのように紅く、瞳孔はガラスのように透明色。
病室へと入り込むと、一気に薄暗さが増した。
今日もまたさゆみは見えない絵里の気配だけで感知し、ニコリと微笑む。
それに呼応するように、絵里も浮かばせた。
首を傾げ、もう1人の気配を探って出た結果に疑問を持つように。
- 69 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 18:19
-
「ガキさんは?」
「家の用事で来れないんだって、夜に帰ってくるみたいだけど」
「そうなんだ」
袋から飴とチョコを差し出すと、さゆみは嬉しそうに1つの包みを
取り除き、口の中に含む。
見るとピンクの箱の中身は空っぽで、さゆみの食べるスピードと
数量を的確に判断した上で絵里に託したのだろう。
同級生ながらも委員長であったしっかりものな
彼女の行動では当たり前の事のように思えた。
自分よりも相手の事を考え、与える事が出来る優しい親友。
余ったチョコや飴をその箱に入れ替えようとした。
ふと、その隣には何かチューブのようなものがある。
歯磨き粉のモノとは少し違う形状と大きさで、それを手に取る。
そこには「消炎鎮痛剤」書かれていた。
- 70 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 18:20
-
「さゆ、このチューブみたいなのって…」
「あぁ、それね、痛みを抑える鎮痛薬」
「鎮痛薬…?」
「肌に塗るの、絵里も知ってるでしょ?」
ドキリと。
胸が飛び跳ねた。
何も躊躇無くあっさりと言いのけてしまった。
見えない両目を絵里に向けるさゆみ。
対して絵里は動揺する気配を隠すように平然とした視線を交差させる。
見えないはずなのに、見えているような気がした。
さゆみは、分かっていた。
絵里がここに居る理由を。
絵里がどういう人物なのかを。
心臓が、うるさい。
- 71 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 18:21
-
「な…にが?」
「れいなも、ここに入院してたよね?」
「っ…」
「れいなとはあっちの病院で面識があったから」
あぁ、なるほど。
だから絵里が分かるんだ、納得する。
彼女の出身地を知っていれば、すぐに気付けるはずだった。
納得していながらも、心臓の鼓動はうるさい。
彼女の目が見えなくなる前の話だろう。
実際、"彼女"がこの世を去ってから、数年が経っただけだ。
そして絵里の傷もまだ、その数年の時を費やしても直ることは無い。
「いつから…?」
「ガキさんが名前を出した時だから…夏が始まる前かな?」
「…そうだったんだ」
「あと、あのうた」
「え…」
「れいなが鼻歌交じりで歌ってた、「歌詞が無いから変っちゃろ?」って」
- 72 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 18:23
-
アッサリと。
さゆみは口の中に広がるチョコの甘さに浸りながら、笑顔を浮かべる。
絵里は痛々しいと思った。
知っていながらも、どうして自分を受け入れたのかが分からない。
演技、だったのだろうか?
今までの事を思い返し、笑顔を思い返し。
全身が震えているような気がする。
つまるところ、さゆみから全てを奪ったのは絵里だ。
何かをしたわけではない。
それでも、"彼女"がこの世を去ったことで、さゆみの生活が一変したことは事実。
独りになってしまった。
その矛先をダレかに向ける事も出来ずに。
目を見えなくし、自己破壊と自己防衛をし続けてきた彼女。
- 73 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 18:23
-
初めは同情のようなキモチだった。
自分のような彼女に対する哀れみと、助けなければという義務感。
そしてもしかしたら彼女を少しでも救えたなら、自分も救われるような気がした。
そんな事をしても、治せないことは自分が一番分かっているはずなのに。
自分の傷を判ってあげられるのは、自分だけだと思っていたから。
「…憎いよね」
「え?」
「絵里達が、さゆのいろんなものを奪った」
「……」
「最低だよね」
ジワリと滲み出るのは何の涙なのだろう。
罪悪感?恐怖?傷跡?
悪い夢から覚めたような気分の悪さと、吐き出したくなる数々の想い。
さゆみは何も言わず、ただただ見つめてくる。
その紅い両目で見据える何かが、"彼女"と同じで思わず逸らしたくなる。
同時に真剣な眼差しを向けたあと、ニコリと浮かべた不敵な笑みは。
絵里の固唾を呑むには十分な美しさを感じさせる。
- 74 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 18:25
-
トドメの一撃。
それが彼女の口から発しだされるのをただただ見つめるだけ。
これで終わると思った。
まだ出会って日は浅い。
まだ引き返して、違う道も選べる。
それは、絵里とさゆみの為でもあった。
一瞬の静寂の末。
震える唇に形作られた言葉は声音と共に空間を響かせる。
「絵里やれいなは、別に何もしてないでしょ?」
空気が、静まり返った。
今彼女は、なんて言ったのだろう?
ナンテイッタ?
思考が大渋滞を起こし、全く理解が出来なくなっている。
フッと眩暈がし、倒れそうになるのを堪えて立ちすくむ。
さゆみは何も知らず、笑顔を浮かべ続けていた。
- 75 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 18:26
-
「え……あの………は?」
「だから、絵里やれいなは何もしてないし、憎む理由も無いの」
「だって…だって絵里は」
「それにこれはさゆみ自身が原因なんだから、絵里は何も思わなくていいの」
「さゆみが悪いの」と、無表情に近い笑顔は疑問よりも恐怖が勝る。
どうして、そんな表情が出来るんだろう。
どうして、そんな言葉を投げかけるのだろう。
どうして、過去を消したように平然と出来るんだろう。
どうしてどうしてどうしてっ…。
何も思わなくても良いなんて、出来るはず無い。
それでもどうして?
何度も疑問を積み重ねても、滞在するキモチが崩れることは無い。
消化しない疑念を抱くキモチの悪さに、絵里はチューブを手で握り潰す。
さゆみは平然とした態度で、チョコの包みを取り除き、口に含む。
- 76 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 18:26
-
「さゆ、言ってること分かってる?」
「分かってる、分かってるから今言ったことは本当の事なの」
「本当に、思ってる?」
「思ってるから、絵里を病室に入れてるっていう理由はダメ?」
「でも………あの……」
「…じゃあ、絵里はなんて言ってほしいの?」
さゆみの声が低さを増した。
初めて聞く声に、絵里は一瞬たじろぎながらその視線を受け止める。
どこか威圧を感じるさゆみの視線に、唇を噛んで堪える。
- 77 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 18:27
-
「絵里が見てきたものは、さゆみには分からない
だけどそれがどれほど辛かったのかは、分かるような気がする」
「…だから、怒らないの?」
「怒って、絵里には何が見つかるの?ただずっと傷を隠したままで生きていくの?
私が怒ったところで、それで何が変わるの?
絵里に怒ってしまえば、自分で自分を甘くするって考えないの?
そんなの…逃げてることと一緒なの」
ズキズキと、一言一言が胸に貫いていった。
さゆみの言葉は最もだった。
ただ辛かった。
その向けられる笑顔が、キモチが、ココロが。
あの彼女のようで、苦しかった。
楽になりたかった。
疲れてしまった。
仮面の中は息苦しいと叫んでいる自分が居た。
ココロは脆く、壊れやすい。
―――ワタシガワルインダ
- 78 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 18:29
-
イカナイデ。
ヒトリハコワイヨ。
ダカラ、ヒトリニシナイデ。
―――ワタシガワルインダ
そんな気持ちだけが、絵里の中で駆け巡っている。
今も、あの時も。
それが悲しくて、辛くて、苦しくて。
仮面を外しても、無理しないように。
いつもそうだったんだから。
崩れて行きそうになるのを止めるには、相手からの一言が一番良い。
だけどそれは甘いと、逃げだと彼女は言う。
- 79 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 18:36
-
「そんなの、絵里判んないよ」
「違う、絵里が一番判ってて、一番判ってないの
ただ気付いてないだけ、隠してるだけ」
「…さゆは、苦しくは無い?辛くない?」
「…もう慣れちゃったの、ただ…私には何も無いから」
「…それは諦めじゃないの?絵里のせいだって思わなかった?」
「違う…とは言い切れないけど、それが私だから
それにもし絵里がさゆみに罪悪感を覚えているなら…」
絵里がさゆみを殺してくれるの?
ここから、この苦しみから解放してくれるの?
彼女の言動を、真に受けたわけじゃない。
キュッと強く締めるように力を込めるのも。
さゆみ自身が手探りで絵里の腕を取り、自分の首にへと両手を這わせる行為も。
その所為でコンッと堕ちるチューブが足元を弾いて倒れる。
驚きとかじゃなく、ただ納得だった。
- 80 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 18:37
-
さゆみの決意は諦めからじゃなく、何か強い意志があってこその
だと確信するためには十分なものだった。
絶望に近い哀しみと自嘲と共に存在する何か。
そして悟る。
なんて絵里は弱いんだろうか。
まだまだ生きていられるはずの自分が、生と死の境目に立つ
さゆみよりもまるで煙のような存在に思えてならない。
さゆみも生きたいと願っている。
さゆみも死にたいと願っている。
あの背筋を凍らせる感情は諦める人間に浮かばせるものではないと気付いた。
ただその揺ぎ無い何かを、絵里は身をもって知ったのだ。
なんて…自分は小さい人間で、弱いのだろう。
死にたいことに怖がって、生きたいことに怖がってた。
ただただ逃げるだけの、臆病者。
- 81 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 18:37
-
「…ごめんね」
「別にいいの」
さゆみが何もかもを失くして、ようやく手に入れた何かに対してのモノ。
それは絵里の所為でもあり、"彼女"の仕業。
絵里は気付かない。
弱くなってしまった自分が敏感に反応したそれは、一体なんなのだろうかと。
絵里はまだ知らない。
本人に聞けば言ってくれるだろう。
だけどそれは、どうしてか自分で見つけなければならないと思った。
- 82 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 18:38
-
両手をゆっくりと離すと、さゆみはフッと表情を緩ませ、箱の中にある
チョコを手探りで2つ取り出し、絵里に差し出した。
フルフルと震える手は、すでに障害が起きている証だった。
笑顔を浮かべるさゆみに、絵里は不恰好な笑顔を返した。
"死"を望むものと"死"を痛むもの。
隠せなくなっている傷跡は、涙となって絵里の頬を伝う。
さゆみに聞こえないように、絵里は声を押し殺して泣いていた。
口の中で広がる甘さは、酷く優しかった。
- 83 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 18:38
-
******
- 84 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 18:39
-
今日も普通の朝がやってきた。
セカイはそうやって何事も無く動き続けている。
モゾモゾと、絵里はベットの中から顔を覗かせ、窓を見つめる。
ヒカリの中で青い空はなんの変化も起こさずに漂っていた。
ごちゃごちゃとする部屋の中、絵里は携帯の時間表示を見ずに
今が何時どきなのかを感じる事が出来た。
今日も母親の気配は無い。
そういえば昨日夕食時に、もうすぐ夏祭りがあると言っていたのを思い出す。
- 85 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 18:39
-
夏祭り。
今年も里沙と一緒に行くことになるんだろう。
そういえば小さい頃、"彼女"と従姉妹のお姉さんと一緒に
「あんず飴」を食べたような気がする。
あんず飴というのは、甘酸っぱいあんずという果物に水あめで包んだもの。
梅干の味と似ていて好きだった。
当時の絵里はべっこ飴だと勘違いしていたが。
お姉さんはそれを知らなかったが、絵里の嘘はお見通しだった。
ほんの少しの動揺が顔に現れたのかもしれない。
"彼女"も笑い、皆で笑った。
夜で、遮るものは何もないセカイの中で。
好きなことをしようと。
楽しもうと。
そうすれば何かが、変わると信じて。
そうすれば何かが、見つかる気がして。
- 86 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 18:41
-
普通の"人間"なんだと実感できるかもしれないから。
だから。
だから。
さゆみも一緒に行かせてあげたい。
そんなキモチが、湧き上がってくる。
だけど。
「やっぱり…ダメだよね」
一人呟き、ベットから降りるとゴミだらけの部屋にある微かな道を通る。
だが一瞬意識が揺らいだのが引き金だった。
「イダッ」
幸い無造作に置かれていたぬいぐるみのクッション効果によって強打することは無かった。
絵里は「いた〜ぁ…」と身体を起こし、何につまづいたのかを確認する。
そこにあったのは、いつ置いたのかも忘れてしまった教科書の山。
多分中学校のか高校のだろうと盛られた教科書の1つを取る。
それは美術のだ。
- 87 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 19:14
-
パラパラと、適当に捲って目に付いた文と掲載された絵しか見ない。
元々、絵は苦手だった。
描くよりも見る専門。
作るよりも飾る専門。
あの親友はその作業を誇りに思うほど単純だったという。
それを完成して家に帰って見せ、褒められて喜ぶ子供。
絵里が家庭科の授業で作ったモノ達は、どこか縫い目が広がっていて不恰好で。
でも一番クラスの中で終わるのが遅かった。
不器用で。
今でも言われてしまうことだけれど。
あー、反論できないなぁ、とか。
ほんの少し、自覚してしまっている自分も単純だな、なんて。
- 88 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 19:15
-
マイペースだと学校の友人にも何度も言われたものだが、本人はあまりピンと来ていない。
以前携帯のメール欄を見ると、数時間前に送られてきたらしい里沙のメールを発見した。
それを返答すると、「カメ遅いっ」と少し怒られたことがあった。
あとは遊びに行ったときでも、絵里は里沙に頼ってばかりで。
どこから仕入れてくるのか、新しい情報はすぐ彼女の頭の中に収納されている。
流行りモノや、最先端を突っ走っているものには敏感なのかもしれない。
絵里もそれを把握できないわけじゃない。
ただ、流れに乗ろうと思っても、なかなか乗れないだけなのだ。
興味が無いわけではないのだが、どうもあと一歩が詰めれない。
それでも流されても逆らっていても、結局はそれに乗っていることなのは確かだ。
- 89 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 19:15
-
自然体になろうと思ったわけでもない。
ほぼ"彼女"の影響を受けたからこそのだと絵里は思っている。
これも流されているのだろう。
そう。
変わらないことを望みながら、変わるのを恐れて。
変わることを望んで、変わらないことを恐れた。
その頃の自分は、石ころみたく誰かに蹴られて、道の一番端っこに
在る方がずっと楽だと思っていた。
そこが自分の居場所ならそれでよかった。
ココロを失くして、居場所を失くしたから。
- 90 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 19:16
-
仕様がないと。
そう言ってしまえば終わるのだ。
でも当たり前になってしまっている。
だから気付かない。
慣れてしまって、それを遮ってしまう。
決められるのに。
自分で決めようとしない。
決めた。
彼女は自分自身で決めた。
全てを決めたんだ。
投げ出したくなるセカイの中で。
自分で決めたキモチを抱いて。
それでも絵里は何も決めていない。
それが逃げだと知っているのに。
認めたくないから。
認めたくないから逃げるなんてバカげてる。
それでも。
それでも…―――――――――。
- 91 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 19:16
-
あの時もこんな暑い日で。
暑さにうなされたセカイは、変わることが苦しくて、変わらないことが哀しくて。
見送ることしか出来なかった。
たった1つの命を。
本当は出会ってすぐに気付いていた、さゆみの症状も、里沙の意図も全部。
それはひとつの賭けだったのかもしれない。
絵里が意味の無いセカイだと思い始めていた日々。
そこに居たのは、紛れも無く里沙の存在があった。
あの日からずっと、その存在は絵里にとってはかけがえの無いものではあったが
同時に哀しい過去が傷のように浮かび上がった。
変わることが怖かった。
変わらないことが怖かった。
どこにも行けないと思っていた場所から見えたのは、伸びる何か。
言葉も何も無い、ただその優しい何かが、絵里を引き上げていた。
- 92 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 19:17
-
パタン。
教科書を閉じ、絵里は立ち上がると部屋を出た。
今日も彼女は来るのだろうから。
来かなければいけないと思っているから。
それが親友の性格だ。
落ち着きのない、おせっかい焼きの委員長が第一印象。
中学の球技大会や体育大会でも。
走っても走っても。
ゴールにはいつも居る委員長の姿。
彼女は笑顔で自分のことのように喜んだ。
それがちょっと嬉しかった。
だけど。
他人を放っておけない。
親友を放っておけない。
ダレでも一緒なんだと思ってた。
だから。
- 93 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 19:18
-
あの"報告"が自分も関わっていたことに気付いて。
罪悪感。
この行為は自分のエゴ。
自己への復讐。
あの時。
フラッシュバック現象を起こす記憶の中で。
失おうとした自分の命。
虚ろな視界。
一瞬の思考。
近くに感じた―――――――――死。
- 94 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 19:18
-
自動車が紙一重で走っていった。
自分の命を運ぶためのそれが、視線から消えた。
なびいた風が全身を包んでいた。
暖かい何か。
後ろへと追いやられる引力。
同時に力強くダレかに抱きしめられた。
まだ動き続ける命。
もう1つの鼓動。
今まで聞いてきたものの中では一番高速でなり続けていた。
ドクドクドク。
ドクドクドク。
まるで生きている証のようで、ココロが弾けるような響音。
挟むように、気付かせるように、包んで、泣いた。
同時に頬の熱と痛みが鮮明になった。
- 95 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 19:19
-
叩かれたのだと、気付いた。
"彼女"を失くして、ダレとも真っ直ぐに向き合った事が無かった。
それでもその視線は強くて、真っ直ぐに、貫く。
繋がっている。
繋がっていけるから。
繋げてあげるから。
気付かせるように。
里沙は絵里を助けた拍子に、足に傷を負った。
バスケをする彼女にとっては、大切なもの。
ついこの間も、最後の大会で活躍する部員達を想像し、気合を入れていた。
「あんたの傷はあんただけのものじゃないでしょうがぁっ」
- 96 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 19:20
-
それは独りを知っている人の嘆き。
それは過去に追いかけられている人の弱音。
それでも、独りじゃないと言い聞かせてくれる大切な人の言葉。
怪我を堪える痛みだったのか。
泣いて、雫が服に滲んだ。
赤く染まる足元。
夕日のような血だまりを作って。
傷から溢れ出す涙。
それでも。
大切なモノを失おうとしてまでも。
彼女の怒って悲しみが混じった表情が見えていても。
嬉しかった。
生きてて良かったと。
生きて、彼女の目の前に居られて良かったと。
そう思った。
- 97 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 19:20
-
泣いて泣いて。
気付いたときは失っていたけれど。
それでも見付けたもの。
大切な想い。
親友の想い。
だけど今はそれでやっと立ち上がっている状態。
彼女の存在が居なくなれば、自分はまた自己破壊をしかねない。
恐怖と不安。
傷跡を隠し続けて。
空虚と後悔と嫌悪と自虐と忘却に咽ながら。
すでに数年の月日。
今では仮面を身に付ける術を手に入れて、日々を過ごしている。
早めに準備をしてしまおう。
さきほど見たあの青い空が、赤へと染まるように。
日々は変わっていくのだ。
例え未来という先が見えなくとも。
- 98 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 19:21
-
そう。
全てが変わらず、――――――――――――変わっていく。
- 99 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 19:21
-
*******
- 100 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 19:22
-
病院にはあまり人気が無い。
平日と、人口面での問題。
そしてたった一件の感染報告。
受け入れないから。
受け入れられないから。
隔離。
監禁。
拘束。
全てを閉じ込める為に。
キモチを。
感情を。
- 101 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 19:27
-
稀に夜外出するヒトもいるが、進行が早まるとそれも出来なくなる。
神経障害。
数万人に1人の確率の病。
奇病にはいつか終わりが来るように時限装置がある。
早ければあっという間に。
場合によっては遅くなると何年かもつ事が出来る。
さゆみも同じで、違った。
今年の春から神経障害が出始め。
この空間に佇む前から、人との交流がそれほど多くも無く、友達も居ない。
"いつどうなってしまうか分からない"と生を受けた瞬間から病院生活を強いられ。
ある1人の報告によって全てが狂い始める。
1人、姉の存在を除いては。
数年前に感染報告があった以降は、絵里と里沙のみ。
目が見えなくなった瞬間、全てが消えた。
- 102 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 19:27
-
ダレも聞こえない。
ダレも見えない。
自分がどこで、何をしているのかも把握できない。
痛み出す肌に消炎鎮痛剤を塗っていても。
結末は同じ。
何年もとうがもたないが、結果は同じだ。
すでにこの夏が最後なのだとも知っていた。
だから意味の無い、"必要の無い"セカイだと思い始めていたその時に。
里沙に会ったときも戸惑いはあった。
それでも傍に居て欲しいと思った。
絵里に会ったと同時に、それは膨れ、溢れ続ける。
自分の全てを奪ってしまった存在でも。
優しさと暖かさに飢えていた。
- 103 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 19:28
-
ハナレナイデ。
ハナシタクナイヨ。
憧憬。
羨感。
嫉妬。
固執。
執着。
唯一。
止め処頃無く蠢いて絡み付いていた"死"以外の。
―――"生"。
不安だってあった。
だから精一杯、笑顔を振りまいた。
優しい印象を植え付けていった。
絵里の仮面とは違う、もう1つの仮面。
いつからか、それも関係なくなってしまった。
- 104 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 19:37
-
2人と1つ年下というだけの年齢の少女。
そしてもうすぐ2人と同じ年齢にたどり着いてしまう。
自分が今世間的にどんな人間なのか、という事にも気付いているだろう。
拒絶されるのは当たり前。
それでも欲しいものがあった。
触れられることも危険だと迫害され、傷つかない人間など居るのだろうか。
そんなセカイに、彼女はたった一人佇んでいた。
真っ白なセカイの中で。
傷を負い、それをダレにも見せられずに。
癒すことも、癒されることも出来ずに。
もう見えることは無いヒカリを見つめていた表情は、彼女しか分からない。
- 105 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 19:38
-
―――――――――。
- 106 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 19:38
-
優しい音が病室に響き、鳴り続けた。
対して上手くは無い歌は、それでも存在していた。
ところどころ掠れるように音程が外れてしまっても。
歌詞の無い曲でも。
懸命に、意味を成そうとしている。
子守唄のようだと、絵里は思った。
ヒトの心に触れるように。
ゆっくりと。
それでも知ってほしいと。
ココロとココロを引き合わせるように。
"彼女"から教えてもらった曲。
- 107 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 19:39
-
だけど時々。
ほんの一瞬、彼女は自分自身を否定しようとすることがあった。
居なくなってしまえば良いと。
自分なんて居ても居なくても一緒なんだと。
それは今鳴り続ける彼女も同じ。
そのキモチを知ってほしいと、"彼女"が泣いていた。
寂しくて。
哀しかった。
自分の目の前に居るのに。
自分が居るのにと。
どうして気付いてあげられなかったのか。
里沙のように、もっと人との交流をすれば良かったのか。
責めてせめてセメテ。
自分を追い込んでも、答えは見つからず。
空っぽのセカイの中では。
思うだけの言葉は、決して届きはしない。
- 108 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 19:41
-
どうして言えなかったのか、今でもハッキリとは分からない。
ただその眼差しが。
絵里の"生"に対しての眼差しを。
どうすれば良いのか、分からなかった。
気付けなくて。
気付いてあげられなくて。
逸らしてしまった、遮ってしまった。
目の前の微かなモノを。
「この曲、なんだか気に入っちゃったの」
そうさゆみは歌い終えると、大好きなチョコを口に入れる。
絵里達はオレンジとメロンの飴を1つずつ口に含んでいた。
笑顔で言われると、どこかこの曲も意味を成したように鮮明になった気がする。
元々彼女も知っていた曲。
ふと、絵里は里沙に気付かれないように自然に、平然を装って。
- 109 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 19:41
-
「あげる」
「いいの?」
「さゅに唄ってもらぅ方が、喜んでるょぅな気がするし」
それに、今日誕生日なんでしょ?
里沙から聞いていたものの、結局決められなかったことで
ありきたりながらも絵里は頬を書きながら呟く。
さゆみは一瞬驚いて、そして喜んで、何度も何度もその曲を口ずさんでいた。
言葉として現さないと、分からない事だってある。
だけど彼女には、流れる音だけで感じることができるかのようで。
それはもしかしたら、何も見えないからかもしれないけれど。
何一つ自分のモノがないからかもしれないけど―――。
- 110 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 19:42
-
「そういえばあと少ししたら、夏祭りがあるんだよ」
「夏、祭り?」
「ここからでも花火見られるかな?」
――――――ただ静かに、大切なモノだと受け入れくれた。
3人で一緒に見よう。
そう提案したのは、絵里。
そう約束したのは、3人。
見られないことを知っていながら。
残酷だと思われるかもしれないけど。
それでも、何か1つでも約束事があれば。
何かが変わるかもしれないと思った。
すでに時間が無い事が分かった今、もう何も拒むものなんて無い。
意味を成すことは、何も1人じゃないのだから。
里沙は「それも悪くないね」と言って、さゆみに促す。
- 111 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 19:42
-
さゆみは嬉しそうに笑った。
約束を受け入れてくれた。
その笑顔は、いろんなキモチの中で浮かんだものだった。
幸せそうにしている自分を見て、神様は見逃してくれるかもしれないと。
不幸だと思っていた自分が、こんなにも幸せを感じているのだから。
精一杯笑って。
幸せを感じて。
2人の傍にいつまでも居られたら。
神様は自分が死ぬのを、取り消してくれないだろうか。
さゆみは心の底で願った。
ここに居たいと。
ここに居て、もっともっと幸せを感じていたい。
そう願わざるにはいられない。
叶わないことを知っていても。
何も無い自分には何もする事が出来ないけれど。
何もいらないから。
せめて。
- 112 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 19:43
-
この2人だけは、平穏な日常を送れますように。
特に彼女は。
「ねぇ、2人とも」
「「ん?」」
「…ありがとう」
- 113 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 19:44
-
さゆが初めて、絵里と里沙に言った言葉。
掠れてて、聞こえにくかったけど、言葉の中で、とても力強かった。
里沙と絵里はきょとんと顔を見合わせ、「何、急にー」と笑って見せた。
笑っていないと、崩れそうだった。
さゆみも笑顔を浮かべていた。
ただそれは本当に透明がかったように真っ白で。
赤い両目はその白をより彩らせた。
真っ赤な目の真っ白なうさぎ。
黒い髪と、黒いホクロが印象的な、カワイイ女の子。
そう、普通の"人間"の女の子がそこにいる。
それが失われたのは、ほんの数週間後のことだった。
- 114 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 19:44
-
******
- 115 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 19:45
-
揺れる日。照らされた陽射し。
ななめに輝くのは、ヒカリ。
影の伸びた、ヒカリ。
言って、消えた。
笑って、枯れた。
唄って、死んだ。
狂って堕ちたのは、風に吹かれて舞う木の葉。
人の命だと、ダレかが言っていた。
彼女は思う。
何も見えない視界の中で、2人の顔が見えたような気がした。
でももう何も視えない。
赤く染まった何かは、いつも見つめていた夕日に似ていて。
哀しくなって、切なくなった。
- 116 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 19:45
-
そして気付いたのは、自分の命の灯火。
自分が死ぬ、という実感を持ったのは、これが初めてだった。
死んでしまおうって思ったことは何度かあったのに。
どうしてか、寂しさが募った。
どうしてか、痛みが襲った。
腕に刻まれた傷には何も感じなかったのに。
多分2人とも、さゆみの事は知っていただろう。
知ってて、2人は自分の手を硬く握っていてくれている。
暖かいのかも冷たいのかも、麻痺をしてしまった腕では
認識することも出来なかったけど、嬉しかった。
すごく、優しかった。
ココロが暖かくなったような気がした。
傷に触れるその手は、いっそう暖かい錯覚を感じさせる。
- 117 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 19:46
-
何も言わずに、ただ一人の"人間"として慕ってくれた2人の気配。
見えなかったことが、良かったのかもしれない。
もしかしたら、その面影を思いながら、後悔しながら、泣きながら。
2人と別れる事になったかもしれない。
そんなのは、絶対にイヤだから。
「…っ」
すでに言語障害が発症していた事に今更気付く。
それでも2人はそんなさゆみの行動に気付いたのか、顔を近づける。
すでに力が入る状態ではないのに、それに呼応するように口が動こうとする。
それをただ2人は、見守った。
「……絵里……」
- 118 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 19:46
-
声が出ず、言葉になっていたのかも分からない。
口をパクパクと動かし、何とか文字へと変換させる。
どうしてか、彼女の名前だけが浮かんだ。
意識が朦朧としている。
だけど2人はちゃんと傍に居た。
さゆみの言葉を聞き逃すまいと。
「なに?聞こぇないよぉ」
絵里の声が聞こえた。
相変わらず、滑舌の悪い声で、それでも泣きそうで。
- 119 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 19:47
-
「……ごめん………」
「…っ、謝んなぃで、約束したでしょ?一緒に…花火見るんでしょ?」
「………っ…」
どうやらもう口を動かす力も残されていなかった。
だけど伝わった。
ほんの少しの嬉しさと、ほんの少しの寂しさ。
あと一言、あと二文字だけで良いから。
ようやく、言える人が見つかった。
さゆみは懇願する。
カラダでは無くココロで願った。
もっと、早くに言えればよかったのにって思うけど。
でも怖かった。
壊れるのが、短い時間がこの一言で壊れるのが怖かった。
だけど、一度だけ、絵里を怒らすような言動をしたことがある。
- 120 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 19:47
-
ヒヤリとした自分の体温よりも、絵里の腕は温かく、優しかった。
首に触れる彼女のキモチは、痛くなるほど哀しかった。
それでも暖かく感じたのは、自分のココロだったのかもしれない。
あの"報告"が彼女の所為だなんて微塵も思わなかった。
いつまでも変わらず、愛せるモノがあった。
いつまでも消せずにいられる想いがあった。
全てを失くしても、想いは決して消えない。
だからただこのセカイの端で感情を失くして漂い続けるのなら。
変わりに愛を持って居たいと。
- 121 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 19:48
-
道重さゆみは、亀井絵里が好きだった。
紛れも無い、恋愛感情。
- 122 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 19:48
-
出会う前から、"彼女"の話に耳を傾け、人物を想像させた。
だからあの日、絵里の言葉は苦しく、辛かった。
"憎んでるよね"
聴いた瞬間、絵里も同じだったのだと悟った。
確かに恨んだりもしたし、怒りの矛先を向けることもした。
同時に、愛しくも思えた。
記憶の中で想い続けていた彼女。
何も無くなってしまった自分に対する、唯一のキセキ。
だから自分を傷つける絵里を。
だから自分を憎み続ける絵里を。
癒す事が出来ず、深くなっていく傷を負ったままの絵里を
そのまま放って置けるはずが無かった。
だからほんの少し、ほんの少しだけ突き放した。
このセカイに囚われるように、一時的に縛られるように。
- 123 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 19:49
-
思い悩んだ末の言動。
誰にも話せず、誰にも理解されないと思い苦しんだ言葉。
そうでもしないと、彼女はきっと壊れてしまうと思った。
さゆみはその気配が消えてから静かに泣いた。
愛する人に生きててもらいたいと願って。
虚ろな時間の中。
思い出し、鳴り続けるのはあの唄の音色。
耳が聞こえていて良かった、なんて。
いろいろと悲しい音も聞こえたけれど。
それでも、今の今まで聞こえることが出来た。
当たり前だと思っていたこと。
当たり前すぎて、気付かなかった。
- 124 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 19:49
-
だから泣いた。
干乾びるかと思うほど、精一杯泣き明かしたこともある。
- 125 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 19:50
-
今、さゆみの姿はどうやって見えているだろう?
綺麗だろうか、どうせなら可愛い方が良いな。
無理かもしれないな。
それでも。
嘘でも良いから。
見せなくていいものまで、見せてるんだろうな。
見えなくていいものまで、見えてるんだろうな。
「…………っ…」
- 126 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 20:31
-
私の口の動きを間近で見て、彼女の気配が一瞬揺らいだような気がした。
伝わったのかな、伝わらないほうが良いのかな。
自分が居なくなったあと、絵里はそのキモチの所為で苦しんでしまうかもしれない。
それでも、こうして愛されていたから。
愛されてたかな?
でも、そう思いたい。
だって笑えてたんだから。
笑って、彼女も笑ってくれたんだから。
最後のわがまま。
赤い目、白いうさぎの細い糸。
それでも長く、その目で見てみるとその色が赤い。
"彼女"が言っていた話。
「赤い糸で繋がれた2人は必ず結ばれる」
- 127 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 20:31
-
それがいつか解けてしまうものでも。
繋いでほしい。
繋がれた手の感触は曖昧だけれど。
ココロは絶対に離れない、離したくない。
思い、想う。
愛されてたと。
こんなときに恥ずかしくなるけど。
そういえば、お姉ちゃんの名前とおんなじだな、なんて。
多分頬が赤くなっているかもしれない。
そんな事を今この瞬間にも心配しているさゆみは。
変なの、と。
笑えたような気がした。
- 128 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 20:32
-
彼女は覚えていてくれるかな?
あの唄、もっと歌いたかったな。
あぁ、でも天国でも、歌えるかもしれない。
そしたら、彼女は、聞いてくれるかな。
あ、でも居ないんだっけ。
それはちょっと、寂しいな。
もう少しだけ、ここにいたいのに。
彼女の唇まであともう少し。
優しくて、暖かい吐息を感じて、瞼を閉じた。
―――――――――。
- 129 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 20:33
-
- 130 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 20:33
-
- 131 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 20:34
-
それから二日後。
昏睡状態に陥ったまま、彼女はこの世を去った。
残された日々を精一杯笑って。
2人の中にはその笑顔しか記憶には無い。
ただ、最後の涙だけは、戻れない日々を感じさせた。
- 132 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 20:34
-
******
- 133 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 20:35
-
湿った水。
頬に濡れた感触は、雨。
ザァザァ。
時間は午前12時。
- 134 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 20:35
-
告別式に立ち尽くしているのは、残された家族と、2人の少女。
遺影の中には、病室での彼女の笑顔。
真っ白な装束のままで、この姿しか見た事が無い。
誰かの頬に伝うのは雨なのか、それとも…。
里沙は泣いていた。
傘も差さずに立ち尽くして俯いて。
すすり泣く声が耳についてはなれない。
持っていた傘を差し、里沙の頭上へと掲げる絵里。
何も言わずに、ただただその声を聞く。
ふと、こっちを見つめていた女性が頭を下げる。
家族の中で、たった一人。
雨の中でも涙だと認識できるほどの量を流している女性。
里沙に我が妹を頼んだ姉。
彼女とは対照的に真っ赤な目をした白うさぎ。
- 135 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 20:41
-
結末は変わらなかった。
それでも、意味はあったと思う。
さゆみの存在は、強い意味を持った。
少なくとも、絵里はそう思う。
だからこうして、セカイは在るのだろう。
だからこうして、私たちは在るのだろう。
そう思いたい。
絵里はぼんやりと、遺影の笑顔を見つめていた。
雨は次第に強くなる。
その雨が何もかもを流していくかのように。
崩れたモノ。
失くしたモノ。
2度目の別れ。
感情の渦。流れ出す光景。
動き出した時間、止まった時間。
- 136 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 20:43
-
ソッと、自身の唇に指で触れてみる。
幸福、だったのかもしれない。
全てじゃなくても、今目の前にある幸福。
さゆみが感じた暖かさや優しさだけは耐えないようにと。
自分のため。
ダレかのため。
絵里は気付いてしまった。
さゆみのココロを、キモチを、里沙からも聞かされて。
困惑し、ココロが泣いた。
頬に流れることは無かったのは、まだ認めていないからかもしれない。
彼女の口から聞きたいと、訴えていたのかもしれない。
もう一度。
もう一度だけ。
そして気付く。
ダレもが傷ついて、それでも優しさや、ぬくもりがほしくて。
傷つく事に怖がって、変わる事に怖がっていた。
だけど、それはあの子守唄のように。
- 137 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 20:44
-
誰かの為に、という想いが違うのであれば。
受ける痛みも、違ってくるのかもしれない。
あの唄はもうあの子にあげてしまった。
それは、きっかけだったのかもしれない。
歩き出すための。
うしろを振り返りながらでも、しっかりとヒカリを見つけられる様に。
あの曲は鎮魂曲(レクイエム)だった。
"彼女"のモノであり、絵里のモノであった曲。
だけど結局、絵里自身も気付いていた。
それは自分のキモチで作ったものではないから。
最後の最後に、押し付けた風になってしまったけれど。
それでも自分が決めたこと。
初めての。
それを、彼女は受け止めてくれた。
ココロを、受け止めてくれたのだ。
- 138 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 20:44
-
ウサギとカメのおとぎ話。
自分は足が速いんだとカメに見せつけて。
あぁ、なんだか自分のような気がした。
必死に駆け回って、必死にもがいていた。
今だってそう。
そしてそれを、ダレでも良いから見てほしかった。
そして…さゆみが見ていた。
うさぎとかめ。
まるで絵里のようだった。
同時にさゆみのよう。
二人はどこか似ていて、そして傷を負っていた。
それは里沙も同じ。
だけど違った。
- 139 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 20:45
-
ウサギは、もしかしたらカメのゴールを、姿を見たかったのかもしれない。
想像だけれど、想像好きだった彼女はなんて言うだろう?
「きっと、お昼寝の時間だったのかも」
なんてことを真剣な表情で言うだろうか。
そしたら3人で笑って、里沙が突っ込んで。
そんな他愛のないセカイが続いていたような気がした。
今ではもう見られない、彼女の笑顔。
あの子は、ちゃんとヒカリを探すことが出来ただろうか。
意味を求め、掴むことは出来ただろうか。
見つけたはずだと、願いたい。
何故なら絵里はさゆみのココロに気付いた。
願うことしか出来ないけれど。
それでも―――。
- 140 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 20:45
-
――――――――――――。
- 141 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 20:46
-
いつかの唄が聞こえたような気がした。
言葉が弾け、温かさや、大切さが溢れ出した。
永遠なんて無いけれど。
見えるモノだけが全てじゃないから。
見えないモノが確かなものになる時もある。
想いは風に乗り、ヒカリとなる。
光あれ。
幸あれ。
時間は少しずつ動いていく。
貴方が生まれた始まりの夏と、夏の終わり。
- 142 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 20:46
-
******
- 143 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 20:48
-
夢を見た。
風に誘われて、森林の匂いが鼻を刺激する。
走っていた。
どんどん、駆け巡っては景色は流れていく。
まるで水の流れのように。
風が全てをなびかせる。
絡まった木の葉は1回転したのち堕ちた。
雨のように舞い落ちる。
ふわりふわり。
- 144 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 20:48
-
ザワザワと森の声が聞こえた気がした。
空に舞うことを強要させる風は身を包む。
身体に感じる風の心地よさと優しさは、全ての汚れを無くしてくれるかのようで。
絵里はふと、走るのを止めた。
いつだったか感じていた風の匂いと感触が消え、目の前にあるものを見つめる。
数え切れないほどの雑草で描かれた円形の広場。
そのまた中心にある円形には水が満たされていた。
真ん中に立ってみようと水の中に入る。
冷たい感触が足から伝わり、空高く視線を上げた。
パシャリと、雫が舞い、静かに堕ちる。
- 145 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 20:49
-
真ん中に立っているはずなのに、もしかしたら中心には
程遠い位置に居るのかもしれないと考える。
それも一瞬で、ふとさきほど入ってきたところから一匹のうさぎ。
笑ったように見えた。
真っ赤な目の白いうさぎは、絵里を見つめ、引かれあう。
まるで引力があるかのように、距離は短くなった。
うさぎは水の上を平然と歩いていた。
シタシタと、歩いた道には丸い円形が描かれる。
「こんにちわ、たぬきさん」と白いうさぎ。
「こんにちわ、うさぎさん」と茶色のたぬき。
- 146 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 20:50
-
ザワザワと風によって森がざわめく。
いつだったか、修学旅行で行った竹林を思い出させた。
真下から見たセカイは美しく、幻想的で。
この世のものとは思えないと、本気で感じていた。
だから、目を閉じてしまった。
とても強いヒカリの日差しは、全てを見透かそうとするから。
「どうしてここに居るの?」と白うさぎ。
「なんだか、呼ばれた気がしたんだ」と茶色のたぬき。
白うさぎはどこか首を傾げ、困ったような表情をしている。
絵里も呼応するように首を傾げるも、その意図がわからない。
「どうしたの?」と問いかけると。
- 147 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 20:50
-
「ダレに呼ばれたの?」
「大切なダレかに呼ばれたんだ」
「大切って何?」
「たくさんのもの、この両手に抱えきれないほどのもの」
「でも、何も無いよ?」
ふと絵里は考え、ハッとして気付いてしまった。
両手には、何も無かった。
何も無くて、泣きそうになった。
気付きたくなかった、知りたくなかったと訴える。
両手で顔を隠す。
見たくないと、とっさの判断に身体はアッサリと行動した。
ギュッと、何かが腕に触れる。
- 148 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 20:52
-
「ずっと隠してきたから、落としてきたのかな?」
「違うよ、ただ、気づかなかっただけ」
「なんだか、すごく悲しいよ」
「違う、ただ判らなかっただけ」
くぐもった声の答えを、白うさぎは茶色のたぬきに言った。
不思議な気分。
初めて会った白うさぎ。
あれ?初めてだったかな?会ってないよね?
- 149 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 20:53
-
「どうだろうね?」
「それじゃあ判らないよ」
「なら、顔を隠している手を離してみようよ?」
嫌だ。
不意にそう思った。
これを離してしまえば崩れてしまうかもしれない。
何かが、何かが壊れてしまうような気がする。
変わってしまうかもしれない。
怖いんだ。
「貴方は貴方、私が私であるように、ちゃんとあるよ」
- 150 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 20:53
-
優しい声の白うさぎ。
絵里はふと、手の力を抜いて、徐々に下げていく。
腕を掴む手を見上げていくと。
目の前には笑みをうかべる白うさぎ。
自分の顔はどんな表情をしているのか、見えないけれど。
でもどこか、笑っているような気がした。
隠さなくても、彼女のように笑ろうとしている。
「それが、貴方だよ、良いの、胸を張っても」
強がっていても大丈夫。
それが勇気の一歩なんだから。
絵里は気付くと、声を上げた。
- 151 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 21:10
-
「ある…あるよ、うさぎさんっ、ちゃんとあるよっ」
だけど以前のものとは違った。
変な感じ。
以前と一緒のように浮かべているはずなのに
どうしてか、掠れたようなものじゃなく、鮮明に感じる事が出来る。
まるでメガネのレンズを取り替えたような、そんな感じ。
あっさりとそれは変わらずに、変わった。
絵里は知っていると、思った。
その笑顔を、そのココロを。
ふっと腕から消えた感触と共に、白うさぎが距離を取る。
- 152 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 21:11
-
「また、逢える?」
「逢えるよ、その日まで、いつまでも貴方を待ってるの」
「…うん」
メジルシは確かに在るのだから。
絵里は去っていく白うさぎを見つめた。
白うさぎは見つめ続ける茶色のたぬきをココロで感じた。
ふと、絵里は叫ぶ。
「本当に…ありがとうっ」
ヒカリが通り過ぎていく。
風さえも通り過ぎ、そこには絵里のみが佇んでいる。
自分の閉じていた両目を夏色の世界に向けて。
円形の湖を覗き込んでみる。
私がそこに居た。
私は此処に居た。
いろいろな色彩を持つヒカリが、ソラへと駆け上がった。
やっぱりセカイの端だったんだと苦笑する。
- 153 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 21:12
-
振り返ると、そこには小さなリスが待っていた。
白うさぎが去っていた反対側へと、絵里は駆けていく。
そのリスの元へ。
導かれた重力は引力に。
絵里はリスを両手で包み上げると、頭に乗っけて走り出した。
共に駆け巡るセカイの中。
惹かれるヒカリはまたヒカリへ進み、歩み始める。
- 154 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 21:12
-
******
- 155 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 21:13
-
あれから2週間が経った。
もうすぐ夏が終わろうとしている。
絵里はぼんやりと、自分のセカイに輝くヒカリを見据えた。
チョコの味が口の中に広がって小さくなり始めている。
その手には、幾度もなく描いた絵の数々。
タンスの奥、闇の中に放り投げてしまった夢たち。
湿った場所に置いていたせいなのか、色は滲み、乾き。古ぼけ。
綺麗なままでと思っていたはずなのに。
それは儚く、そして理想だけを追い求めての結末だ。
破った。
- 156 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 21:13
-
綺麗に一枚一枚を。
中心を縦に一線の切れ目を入れて、破る。
ビリビリと音が響く。
得意とはいえないモノを必死に描いて。
意味を成そうと懸命に描いてきた夢たち。
だけどそれが、どこかで遮っていたのかもしれない。
どこかでそれを理由にして、壁を作って見えなくしていた。
窮屈と息苦しさで窒息してしまいそうなほどに。
本当のヒカリ。
――――道重さゆみがこの世を去った。
- 157 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 21:13
-
"彼女"と同じく、このセカイから消えた。
だけど、ヒカリだった。
さゆみは気付いていたのか。
自分自身が絵里や里沙のヒカリだった事に。
絵里が、さゆみと同じキモチを抱いていた事に。
同じように思い悩み、自身の想いのみを告げて逝ってしまった。
絵里も悩んだ。
受け止められず、疑問だけが残って苦しくなったりもした。
ヒカリが押しつぶして来ようとしているかのようで。
でも。
痛いくらいに眩しくて、時々目を閉じてしまいたくなったけど。
でももう閉じることは無い。
今度は、真っ直ぐに見れるはずだから。
ピンポーン…。
- 158 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 21:14
-
あぁ、また彼女がやってきた。
絵里は破いた絵をベットに置き、部屋を出る。
彼女も、もしかしたら同じことをしているかもしれないと。
どこかで期待をし、頬がほころんだ。
ドアが開け払われたとき、里沙の隣には女性が立っていた。
それがさゆみの姉だと分かったのはあの日だけじゃない。
遠い、遠い昔の記憶の中。
絵里は薄っすらと思い出さなかった記憶のトビラを開ける。
女性は泣きそうな表情で、切なそうに笑った。
ショートの髪が風でなびく。
その姿に、彼女と重なって、納得した。
- 159 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 21:14
-
渡してほしいと頼まれたものがあるという。
四方形のそれは、ついさきほどまで見ていたものと似ていて。
見て、一瞬視界がチカチカした。
ヒカリの絵だった。
自分が持っているような寂れたものではない。
筆の勢いも、光線も、全てはその笑顔を抱きしめて慈しむように。
ベタ塗りで、不恰好だけれど。
今まで見てきた夢の中でも輝く色彩を、絵里はゆっくりと手で包み上げた。
- 160 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 21:16
-
虹だ。
半円形に彩られた虹がヒカリの中で輝いている。
泣いた。
初めて泣いた。
彼女がいなくなって、初めての涙。
里沙が頭を撫でる。
ただ静かに、何も言わずに。
得意じゃないって話していたはずなのに。
「一緒だね」なんて笑ってたのに。
腕ももう動かないって言ってたのに。
目も見えなかったはずなのに。
唄だって、あんなにも下手な人は初めてだったのに。
それなのに、意味を成そうとした。
一生懸命に。
その姿を見せようと懸命だった。
彼女ために。
そして、自分のために。
醜さの中の美しさ。
- 161 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 21:16
-
決めた。
彼女は自分自身で決めた。
全てを決めたんだ。
投げ出したくなるセカイの中で。
自分で決めたキモチを抱いて。
確かに、道重さゆみはこのセカイの中で。
同じセカイに居て。
同じセカイに暮らして。
同じセカイで呼吸していた。
ただ愛する人のもとで生きたいと願って。
信じることを諦めずに。
ヒカリは生きている色だ。
ヒカリは、生きていて初めて分かるもの。
生きているから、感じるから気付いて、気付かない。
気付かせてくれたのは、里沙であり、さゆみだった。
気付かせたのは、絵里であり、里沙だった。
- 162 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 21:19
-
あったかい色。
やさしい色。
しあわせな色。
触れる色。
そして、――――勇気の色。
嬉しくて、哀しかった。
そのキモチが、今ようやく涙で溢れ出てくる。
雨のように降りしきる、透明の雫がヒカリに吸い込まれた。
彼女の意味がたくさんつまったその優しさ。
どこまでもどこまでも持ち続けたいと想った。
絵里を愛してくれた、彼女の優しさを。
優しくなるのは、傷付くことなのだろう。
でも独りじゃない。
みんな同じように弱くてダレかを必要としている。
- 163 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 21:20
-
手を広げて、その指先に触れて。
ココロの壁に、指を押し付けてみる。
死んでしまった彼女に何て言えばいいかなんて、今でも分からない。
それでも笑い飛ばしてやろう。
何もかもを、偽りの仮面を外して、ヒカリを笑い飛ばしてやるんだ。
彼女達に届けと願いを込めて。
過去でもない未来でもない、今、この場所で。
戸惑いなんていくらでもある。
それでも目を閉じて、耳を澄ましながら、両手を広げて。
笑い合って、触れ合って。
生きていこう。
あぁ、今なら分かる。
遅くなってしまったけれど。
その分、生きてやるんだ。
もう怯えることなんて無い。
生きて生きて、この気持ちを確かにする為に。
- 164 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 21:21
-
そしてもう一度、挑戦してみるのも良いかもしれない。
闘争心というのは唐突に現れるもので。
手の中にある絵を追い抜いてやろうと思った。
瞼の裏側には何も描かれていないセカイがある。
そこにはいろんな星が輝く。
あの唄を口ずさみながら、物語が浮かび始める。
記憶は点。
ヒカリの軌跡で線を繋ぎ、描いていけば。
どんなに下手な絵でもきっと笑顔を浮かばしてくれる。
笑って、意地を張って、夢の話、日常の話。
平穏な生活は時間が何とか元に戻してくれると信じて。
全ての色が分かった今なら、描けるような気がした。
頑張ってみよう。
"夢"は、ゆっくりと築き上げていけば良いのだから。
- 165 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 21:22
-
ねぇ、今日も晴天だよ。
夏祭り日和だ。
この虹のように、空はいろんな色で満たしてくれる。
しかも半分じゃない、確かな円形の色が。
「なんか、さゆらしいね」
「そうだね」
絵里は笑顔を浮かべて呟き、里沙も頷いた。
視線が交差し、どうしてか恥ずかしくなる。
姉、高橋愛はそんな2人を見守るように微笑んでいた。
里沙がおもむろにポケットから大きな飴を3つ取り出し、それを2人に分ける。
包みを外した飴玉は、ヒカリを受けてピンクに輝いた。
絵里は持ち上げた飴玉を見て、笑顔を浮かべる。
- 166 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 21:22
-
仮面を外したセカイは、全てを鮮明に映し出したけど
同時に、ヒカリを真っ直ぐに見つめる事が出来た。
うさぎの唄を聴いたよ。
弱虫で真っ白なうさぎの唄。
それは、雨に溶け込んだ。
涙の雨に溶け込んだ。
雫となり、数多くの雨となってそれはこの世界へ舞い落ちる。
ヒカリという優しいココロと共に。
- 167 名前:- 投稿日:2007/08/02(木) 21:26
-
end.
The end and the Hikari song of the rabbit of the summer.
thank you -all over.
- 168 名前:名無し亀さん 投稿日:2007/08/03(金) 01:20
-
- 169 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/08/10(金) 21:04
-
- 170 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/08/10(金) 21:04
-
- 171 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/08/16(木) 06:49
- 何も言えない…批評とか感想とか…そんなモノは、この作品を貶める気がして…
- 172 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/08/17(金) 01:01
- ↑sageてね、↑でも同意。文才の無い読者には…だだ良いとしか…
- 173 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/08/17(金) 07:38
- ↑
文才の無い読者とはあなただけ?それとも私達読者皆でしょうか?言葉には気を付けたほうが…
- 174 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/08/18(土) 00:43
- ↑私だけです、言葉足らずで不愉快に差せすみません。
- 175 名前:- 投稿日:2007/08/22(水) 23:51
-
セカイの終わりを知ってるかい?
世界の終わりに立ってみよう。
何が見える?
何が変わった?
セカイの終わりを望んで。
セカイの何かを感じて。
立っていれば。
感じていれば。
何かが変わるかもしれないと。
そうして時は過ぎて、セカイはようやく変わっていく。
その中で失くしてしまったモノは、もう戻らない。
- 176 名前:- 投稿日:2007/08/22(水) 23:52
-
=猫と吸血鬼と夢の終わり。=
- 177 名前:- 投稿日:2007/08/22(水) 23:52
-
激しい雨が降り続いている。
ザァザァザァ。
耳について離れないその雨音をヘッドホンで遮断させて。
自身が好きな宝塚の音楽で世界の中に入り込む。
落ち着く態勢。
落ち着く思考。
机の棚に並列していた本の中から適当なものを選んで。
ただジッと、豆粒のような文字を淡々と読み上げていく。
父親が趣味として買っていたことで、真似事のように集めた本達。
ほぼフィクションのものばかりだったものの。
それでも気分転換にはなった。
今の時刻は夕方を通り越して夜。
- 178 名前:- 投稿日:2007/08/22(水) 23:53
-
パタン。
本を閉じ、闇の中で降り続ける雨をぼんやりと見つめた。
高橋愛はヘッドフォンを耳から取り外し、携帯を取り出す。
用事があるわけでもない。
ただ暇な時間を持て余すには本や音楽鑑賞では足りないようだ。
二、三度の呼びかけ音が続いた後、プツンと接続音が鼓膜を響かせる。
『もしもし?』
「マコト?あーしやよ」
『愛ちゃん?どうしたの、こんな時間に』
「んー意味は無いンやケドの」
『何だそれ』
ただこの意味のない通話でも、相手の話が始まると結構続くものだ。
愛はそれにただ相槌を打ったり、少しの反応を示すだけ。
それだけで話が続くというのは不思議なもので。
愛は一通りの話に区切りを付けると、明日の事を考えて話を終える。
- 179 名前:- 投稿日:2007/08/22(水) 23:54
-
「じゃ、明日も早いから」
『うん、じゃあおやすみ』
「おやすみ」
プツン。
他愛の無い話だったものの、疲労を訴える思考が頭を過ぎり。
携帯をベットに放り投げると同時に自分の身体さえも倒れこんだ。
ボフンという音とベットの軋む音が聞こえる。
反動で愛の顔は枕の中心に埋もれる形になってしまったが
少しの息苦しさだけで何も変化は無い。
そう、何も変化は無い。
変化というのは単純なもので。
例えばさっきまで聞いていた宝塚の音楽を聴いていると、雨音は聞こえない。
本を読んでいれば、その豆粒を一文字読むことで時間が何.何秒かの動きをする。
友人に電話をすることで、その通話料金も0から10へと変わる。
- 180 名前:- 投稿日:2007/08/22(水) 23:54
-
それが変化。
何の変哲も無い、他愛のない変化。
そして明日も、何もない一日が始まる。
まず朝目が覚めると、雨は止んでいる。
顔を洗い、髪を整え、母親の作ったご飯を食べて学校へ行く準備をする。
学校へ行ったら、部活の朝練があったから音楽室へと向かって。
友人の挨拶と共に先生が入ってくるだろう。
歌い終えた後、チャイムのベルと共に教室へと入って、皆への挨拶。
そうして授業を続け、昼食を食べ、また授業を受ける。
眠くなるかもしれないけど、その時はその時。
そしてチャイムが鳴って、すぐに帰る準備をして教室を出る。
部活があるから音楽室へと向かうと、ふと見覚えのある影。
ほら、あの子が笑顔で迎え入れてくれる。
その繰り返し。
- 181 名前:- 投稿日:2007/08/22(水) 23:55
-
今まで送ってきた日常とは何の変わりも見せない。
平穏とは呼べないながらも、愛に対しては何もかもが同じものだった。
ただ一人の。
自分の妹の病気でさえも。
パジャマに着替えていたことで、愛はそのままベットに眠りに付く。
夏真っ盛り。
布団を被ることにも億劫になってしまうほど、湿気が耐えない。
早く冬になってしまえば良いのに。
そうセカイの変化を願いながら、眠りの中へと落ちていく。
雨音はまだ止むことはなかった。
- 182 名前:- 投稿日:2007/08/22(水) 23:55
-
******
- 183 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 00:02
-
雨は予想通り止んでいて、晴天だった。
ただその湿気からなのか、アスファルトにはその痕跡と、熱が溢れ出ている。
日差しが肌に付きまとうも、紫外線防止クリームは塗ってある。
予想外だったのは、愛の家まで「一緒に行こう」と誘った彼女の存在。
昨日の電話の続きのようで、愛はぼんやりと聞いていた。
今年入学してきた新入生は、人懐っこいという言葉を超えて、変な子。
とにかく良く笑う子だ。
何も面白い箇所がないところでも笑顔で語りかけてくる。
それを見ているとつい笑顔になるのだが、変な子だと同時に思ってしまう。
湿気のおかげでジメジメと湿気を溢れ出すアスファルトの上。
笑い袋を連想させる彼女は、いつでもどこでも付いてくる。
紐でカバンに飾っているわけでもない。
それでも、その笑顔を浮かべて愛を慕う。
それがどこか不思議で、変だと思わない人がいるのだろうかと考えるほど。
学校のチャイムが聞こえて、私は彼女が全力で走り出すまでの間
自分が寝坊していることにも気付かなかった。
- 184 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 00:19
-
靴を履き替え、スリッパ履きのようにかかとを踏みながら小走りで走る。
今年になって2階へと教室が変わって、階段を踏み外しそうになりながらも駆ける。
先生の姿は、無かった。
まだ来ていなかったのだろうと胸を撫で下ろし、心の中で「セーフ」と呟いた。
そのせいで部活の朝練にも行けず、予定はどんどん崩れていく。
少し落ち込むものの、仕方が無いと自分に言い聞かせた。
くたびれた表情で席に着くと、同級生から「危なかったね」と言われた。
それを苦笑いで受け止めると同時に、教室のドアが開いた。
心臓が軽く跳ね上がったものの、平然とした表情を浮かべてみる。
乱れた呼吸を静かに整え、上下する肩を止めようと深呼吸。
高校生になってからというもの、ほぼ睡眠時間が足りなくなってきているようで
こうなるといつ遅刻をしでかすのか、愛にも分からなかった。
- 185 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 00:20
-
生徒の点呼を終えると、先生が「それじゃあ、いつものするよ」と生徒全員を促す。
点呼のあと、決まって始めるのは、この学校のちょっとした習慣だ。
「読書習慣強化期間」
つまるところ、現代の学生は読書をするという習慣を持たない、という事で
今では他校でも実施しているものだ。
十分間だけ、図書室や自分の家から持ち出した本を読むという単純な期間。
当然、マンガや風景画などが記載されているものはNG。
ちなみに愛は家から持ち出してきた歴史モノの文庫本。
すでに最終章までたどり着いていて、クライマックスの部分。
だがその物語は以前に何度も読み返していたことで、最後は読まずに
言葉にしてしまうほど記憶し、熟知している。
主人公はまるで呟くように虚空の下で言った。
「姿変わりてその背の繊く 星の正座に 君の声聞く」
- 186 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 00:20
-
その言葉が、どうしても忘れられない。
何かが強く残ったというわけでもなく、たった一言、一行の言葉。
作者が何を訴えかけているのか、それには関心は無い。
ただこの主人公になったとき、気持ちがどこかで引き合ったようで。
変わろうとして、変われなかったことの何か。
変われなかったことが、何かを気付かせるかのような文面。
だけどそれを知るにはまだ分からなかった。
―――変化が、無い。
なんて事は無い。
変化が無いから、願う。
普通の、何の変哲も無い変化ではなく。
唐突で、突拍子も無い本当の変化が、ほしい。
だから、世界の終わりさえも願うのだ。
- 187 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 00:21
-
******
- 188 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 00:21
-
愛の家族は3人。
小さい愛にとっては一緒に居るこの人数が"家族"だと認識していた。
自分は長女。
そして次女が居る。
妹が居た。
だけど一緒に居ることは少なく、"家族"としての認識が難しかった。
名前はひらがなで三文字のその名前。
愛の妹。
姉妹の名前。
それでも認識が難しい。
彼女は笑っていた。
何も知らずに笑っていて、愛の方が逆に首を傾げるほどだった。
それでも次第にその認識が濃くなって、一緒に笑えるようになった。
手は小さい。
それでも暖かく、存在している形だった。
- 189 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 00:22
-
そして日々が経つと、家族は4人へと変わった。
さゆみは愛が歌った曲を真似て歌うのが好きだった。
上手だとは言えなかったが、愛はそれでも嬉しかった。
慕ってくれている妹が愛しく思えるほどに。
翌日も、期間中は十分間の読書をする。
いつものように本を開き。
いつものように思考を駆け巡らせるのだ。
あたりはページを捲る音と、ゆっくりとした静寂だけが包んでいる。
愛はどこかこの雰囲気が好きだった。
自分の時間が好きだった。
自分の世界では、自分の好きなことができる。
例え十分と言う短い時間の中でも、いろんな考えが浮かんでは消える。
考えと言うのは1つの星のようなもので。
時には流れ星のようにどこかへ行ってしまうけど
何事も無くまた違う考えを巡らせている。
なにがきっかけで考えが思いつくのか分からないもので。
愛はぼんやりと、空を眺めた。
- 190 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 00:23
-
この空が青から黄色へ、黄色から赤へ。
そして赤から黒へたどり着き、黒からまた青へ変わるのは。
全く普通の事だ。
その普通の変化で、可能性を探ることができるのだろうか。
だけどよくよく考えてみると、普通の変化とはなんだろう?
例えば愛がここで大きくあくびをしたとして、それだけに変化は無い。
例えばここでため息を吐いて見せたり。
窓の外で小鳥がじゃれて飛び回っていても、変化は無い。
もっと大きな、人がすぐに分かる変化はないのだろうか?
降水確率80%でも一滴も降らないとか。
空から巨大な隕石が落ちてきて、地球が滅亡する。
…そこまで突拍子の無いものでも、確かに変化にはなるモノだ。
- 191 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 00:24
-
そうなると、今ここで叫んだとしたら、先生には呼び出しを喰らうだろうし
他の生徒には影で笑われて「変な人」という印象を付けられる。
変化は変化だけど、それは少し嫌。
みっともないし、恥ずかしい上に自己嫌悪に陥る。
そういうのは変化じゃない。
そう。
そんな変化ではなく、もっと世界全体が変わりそうな奴。
世界の終わり。
いつかはやってくるんだろうけど、そんなのを待つ時間が勿体無い。
早く、早く。
そう考えているうちに、十分という時間はあっという間に過ぎていく。
ふと、ポケットの中に入れていた携帯のバイブが震えた。
Re:お昼一緒に食べない?
タイトル名にそれだけの言葉。
だいたいの予想はしていたが、了承する言葉を打ち返し、ポケットにしまう。
愛は本を片付けようとしたところ、ふとある事に気付く。
本にしおりとして応用していた紙の位置が数日前から全く変わっていない。
- 192 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 00:24
-
物思いにふけっていたことで当然の事だが、どうやら結末を
知っているこの本に少し飽きが来ているらしい。
他の本なら部屋にたくさんあるものの、一瞬あの子の事を考える。
愛と同じく父親の本を読みふけっている彼女。
もうすでに全部の結末を知っているだろうその本たち。
帰り道、本屋に寄ってみようか。
新作か何かあるかもしれないし、面白ければ
薦めてみても悪くない気がしたからだ。
ほぼ数ヶ月も会っていない彼女は、受け入れてくれるだろうか。
あの一件の"報告"によって家族もあまり会いに行けなくなってしまった妹。
何も変化を見せることは無い、たった1人の…。
- 193 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 00:25
-
正午。
ザァザァと外から雨音が聞こえ始める。
梅雨真っ盛りのこの時期はどうもテンションが下がってしまう。
愛はモグモグとお弁当の中身を収めていると、昨日の電話の相手がやって来た。
高校というのはどこか年季の入った校舎で、いろんな七不思議の話も多い。
小学や中学とは少し違うリアルさが愛はあまり好きじゃない。
怖いものは基本的にNGだ。
だが隣に座ってイソイソと袋からお弁当を取り出す彼女はその中間。
笑いながら話している姿を見るとどこか本気にしていないような錯覚まで感じてしまう。
だけど他の人が話すことには真剣な表情で耳を傾ける。
ちょっと…変な子。
「嫌だよねぇ、こういうジメジメしてるの」
「水泳部、水止めてくるやよ」
「水泳部は今お休みですから」
- 194 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 00:25
-
アハハと彼女は笑って言いのける。
それを愛は頭に軽いチョップ形の鉄槌を喰らわすと、お弁当に視線を向けた。
水泳部部員の期待の星とまで言われる小川麻琴は、愛の1つ年下だ。
つまり今年入学してきてその実力なのだから、もともとの才能なのだろう。
ヘラヘラしているのは従姉妹の影響だといっているが、その人物もよっぽど
ヘタレな人なのだろうと愛は認識している。
クールで大人しいという印象の強い愛とは違い、スイッチが入ると温厚でハイテンション
に変身する麻琴はクラスではちょっとしたムードメーカ。
そんな彼女との仲は、ほんの偶然の産物。
妹が入院する病院に同じく、麻琴が入院して来たのだ。
部活途中に筋肉を傷め、3週間の安静とまで言われた。
すると、度々妹の病室に遊びに来るようになった彼女の通う中学校が
愛と同じ事が発覚し、友好関係が築きあがったというわけである。
麻琴は上級生にも慕われるほどだったので、愛にも甘えられるようになっていた。
- 195 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 00:26
-
敬語からタメ口へ。
名前も「愛ちゃん」「麻琴」へ。
愛自身、それにあまり嫌な気分ではなかったが、少し違和感を覚えている。
人と接してきたことは何度もあったし、和の中に入れないわけじゃない。
だけどどうしてか、麻琴には妙な違和感があった。
それが何か分からない愛は戸惑いを感じていたこともあったものの
今では普通に接しようと努力をしている。
「あ、でもさぁ、この前同級生が見たんだって」
「…何を?」
「ダレも居ないはずのプールの更衣室に怪しいヒカリが「はい、終わり」
「え〜〜〜っ」
「今からが面白いのにぃ」と、ニヤニヤしながら語りかけてくる彼女。
何が面白いんやっ、などと悪態をつきながら、愛は口の中におかずを詰め込んでいく。
麻琴も大好物のかぼちゃをパクパクと食べている。
その幸せそうな表情がどうも愛は苦手で、思わず目を背けてしまう。
- 196 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 00:27
-
本当に実際この学校ではいろんな話が囁かれている。
単なる噂話だと分かっているものの、人は日常の中で"恐怖"というものを
感じないからこそこういったホラーの類を作成する。
つまりはワザと怖がって、実際にどんな気分なのかを試しているのだ。
悪趣味だが、それが本質なのだろう。
レンタルビデオ屋にはその証拠物件が並列しているのだから。
今思い出しても考えたくない。
フルフルと頭を振って、思考の中身を消そうと躍起になる。
そんな時、麻琴は思い出したように話題を変えてきた。
「今日さ、例のCDが発売されたんだって」
「えっ!?ホンマ??」
「丁度部活も無いから、寄っていかない?」
- 197 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 00:29
-
こいつ、あーしの部活が休みやいうのも知ってたんか。
確かに麻琴のクラスにも後輩は居るが、顔の広さは人一倍だ。
そこが少し羨ましいところでもあるが。
それは愛と麻琴の微かな共通点としても適している趣味。
音楽は2人にとっては思い入れがたくさんある。
何度か薦め合ったりもしたりと、大半はこの"音楽"で
気があっているといっても過言では無い。
そしてその例のCDは2人が待ち侘びていたモノでもある。
ふと、彼女の事が脳裏に過ぎった。
最近は予定が狂うのが多いなと呟きながら。
天秤に乗せて重さを量っている自分はどこか優柔不断だ。
そんな姿を麻琴は首をかしげ「何か予定あった?」と聞いてくる。
「今日、本屋に行こうって考えたんやざ」
「本屋?」
「妹に…」
「あ、そうなんだ」
「行きたいけど…ごめんな」
「じゃあ、私愛ちゃんの家に届けようか?」
「へっ?」
- 198 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 00:30
-
麻琴は愛の家とは確かに帰り道は同じな上に、何度か
一緒に帰ったりもしていて、両親とも面識がある。
だけど。
どうしてか、今日だけは抵抗力が働いた。
麻琴に対しての。
「え、ええよ、そんな気つかわんでも」
「大丈夫だって、お金はもらうけどね」
「いや、そういうわけや無くて…」
軽いパニック状態へと陥っている愛。
何でそうなってしまうのか、愛自身も分からなかった。
ただの高校生の後輩が家にやってくる。
それだけなのに。
深呼吸を一度、大きく。
「ほ、ほら、今日家にダレもおらんから」
「え?でも愛ちゃんのお母さんが今日夕方までには帰るって」
- 199 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 00:30
-
今日も昨日と同じく、彼女は家にやってきた。
半分焦りと忙しさで頭が一杯だった愛が母親の言葉なんて聞いているはずもない。
ハッと気付けばココロの中で軽い舌打ち。
どうしてこんなにも一生懸命になっているのか、愛には分からなかった。
自分が何をしたいのか。
自分が何を止めたいのか。
結局、麻琴は家に立ち寄ることにしたようで、きっちりとそのCDの代金を
払ってしまった愛だった。
それと同時に学校のチャイムが鳴り響き、急いで教室へと向かう2人。
「またね」という麻琴の手に。
愛は気付く事が出来なかった。
- 200 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 00:30
-
******
- 201 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 00:31
-
異常気象。
そんな言葉が脳裏を過ぎる。
今日は顧問の先生の事情によって部活が中止になった。
音楽室は教室の隅に作られていて、中を覗き込めるように2つの窓が付いている。
ソッと中を念入りに見て回るけれど、ダレも居なかった。
ふぅっとため息が出る。
夏には近くの文化会館でコンクールが開かれるらしく、もしかしたら
ダレかが隠れて練習しているのではと思っていたものの、予想は外れた。
朝には部員全員に聞き渡っていた中止の件だったため、あまり期待はしていなかったが。
もうひとつため息をつき、愛はタンタンと階段を下りていく。
この学校ではそれほど部活に力は入れていないことは分かっていた。
本当に通うはずだった学校では音楽科コースがあり、きちんと勉強するはずだった。
だが不運が重なり、不合格。
通知が来たときの自分の表情はどんな感じだったのか。
あまり思い出したくない記憶を頭を振るって追い出す。
- 202 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 00:31
-
ザァザァ。
今日はずっと雨が降り続いている。
傘を生徒玄関口の差し入れから抜き取ると、スイッチ式の傘は大きく広がった。
生徒の姿は疎らで、何度か挨拶を交わして愛もその中へと交ざっていく。
麻琴の姿は無い。
そういえば彼女は人が良いのか、何かと同級生に頼まれごとを
されるとすぐに請け負ってしまう。
多分それをしているのだろうと思うと、どうしてかため息が出た。
本人は特に嫌でもないという表情を浮かべるものの、愛にとっては少し心配する一面。
しっかりしていそうなのにヘタレな後輩。
それでもやっぱり放って置けなくなるのは、単なる母性本能だろうか?
薄っすらと浮かぶ水溜りをパシャリと音を鳴らす。
そしてふとポケットを漁ってみるとMDプレーヤーに挿入されたイヤホンが顔を出す。
愛は授業中にも隠れて音楽を聴いているほどこの時間が好きだった。
本と音楽。
幸せの時間というのはこのことを言うのだと頷く。
- 203 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 00:32
-
麻琴のクラスでも10分間読書は行われているらしいが、本人曰く。
「なんか、眠くなっちゃうんだよね」
読書は嫌いではないのだが、漫画や文字を見ている時間というのが
苦手なのだと言う。
体育会系な人柄も影響しているのか、落ち着きも全く無い。
愛とは正反対ながらも、ちゃんと眠らないように対策は考えているようだ。
つまるところ、「音楽を聴く」のである。
愛は想像を浮かべたり思考を巡らせる事に集中するために音楽は
聞かないようにしているが、一度先生にバレてしまった事も起因している。
髪でイヤホンとコードは隠しているのだが、学校では地獄耳で有名な先生という事もあり。
無意識にため息がでた。
音楽は風のようだな、なんて事を考える。
見えないのに、どこか歌っている人のココロが見えてくるようで。
惹かれあうように、風になった音楽は世界に鳴り響く。
気付いたのは、世界の終わり。
- 204 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 00:33
-
変化を願うたびに、世界の終わりを考える愛は、音楽でさえも
消えてしまうのだろうかと考える。
それは少し、寂しい気がした。
それでも、聞いた歌声は決して消えないと思う。
本当に世界が消えてほしい、などとは考えていないからだ。
ただ変化が欲しい。
矛盾してるな、と自分に嘲笑する愛。
そんな事を考える内に、本屋へと足は動いていた。
街の中ではちょっとした「古本」を携える本屋さんだが、"その手"の人達にはかなりの人気店だ。
そしてここを営んでいるのは愛と2才ほどしか変わらない女性。
常連のような愛をどこか可愛がってくれる。
が、今は居ないらしい。
愛は順番に棚を調べていき、タイトル面で面白そうな文庫本を品定める。
セカイの中で音楽が弾け、表現される。
気分にもよるが、本というのも結構気分屋なのである。
- 205 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 00:35
-
相手がこの本を読んでみたいと思い中身を見ていくものの
最後の結末が初めに思っていたものよりも全く違ったモノに変化している。
感じることも人それぞれかもしれないが、愛はその物語の変化が好きでもあった。
だから願い続けているのかもしれない。
世界の変化を。
「あれ?高橋?」
振り返ると、本が何十冊も詰まれたダンボールを抱えている女性が声をかけた。
とっさにイヤホンを取り、ポケットにしまう。
愛は「こんにちわ」と挨拶をすると、へらっと笑って見せる。
後藤真希は愛の学校のOGである。
頭脳明晰とは言わないが、それなりに成績では上位をキープするほどだったが
ある出来事によって大学進学を諦めた。
- 206 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 00:35
-
今では母方の祖母が寝込むようになり、変わりにこの本屋を切り盛りしているが
本人曰く、ここで一生を遂げることは無いらしい。
少し勿体無いような気がした。
価値なんてものは予想だが、父親の本を読み漁っているからだろうか。
かなり貴重な古本も置かれているのだから不思議な場所だ。
だからかもしれない、ここに立ち寄ろうとした理由は。
「今日は早いね」
「後藤さんこそ、妙に暇そうやよ」
「この雨だからね、人の歩みも家に帰っちゃうよ」
「そうなんですか」
ドスン。
ダンボールを位置に置くと、真希は腰をトントンと叩いて「イタタ」と呻く。
中には科学や哲学、洋学の書物なんてものの普通に入っていた。
ふと、表紙が不意に気になって手に持ってみる。
ズシリとした分厚い本だけれど。
- 207 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 00:38
-
「吸血、鬼…ですか」
「結構古いやつなんだけどさ、有名な本なんだって」
「へぇ…」
「…そういえばあったね、昔」
真希が本を棚にしまいながら問いかけてきた。
愛がまだ小学生の頃、1つの怪奇事件が世間を騒がせた事がある。
夏の怪談では打ってつけと言わんばかりのノーフィクション。
"猟奇"ではなく"怪奇"というのはつまるところ、"体内の血液が失われた変死体"が1つの要因。
首筋には注射器を刺したような跡が2つ。
まるで吸血鬼が吸い、飲んだように見せかけている不可思議な心理を感じさせた。
そしてその現場となるのが完成直後に工事が止まってしまったビルの廃墟。
その真下に死体は倒れていた。
まるで大きな衝撃を受けたように頭や顔は潰れ、両手両足は投げ出されていた。
小鳥の羽根のように、血飛沫は広範囲の地面を赤く染めていた。
- 208 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 00:40
-
警察は当然そのビルを調べる事にした。
「立ち入り禁止」と書かれたプレートと金網の柵でバリケートのようなもので封鎖。
その隙間を掻い潜ると敷地内へと簡単に入れる。
多分同じように若い衆が夜な夜な集まっていたらしい。
至る所に描かれたさまざまなアートと、その落書きの元となったラッカースプレーの
缶が散乱し割られたガラスの破片はその自己主張の塊としてあるようだった。
歩き続けると、不法投棄されたと見られるゴミ袋が積まれていた。
取り除いていくと、そこには2階へと続く階段がヒッソリと佇んでいる。
夏真っ盛り。気温は日差しが上がるごとに上昇する。
警察官の何人かは長い階段とフロアの数によっても肉体的な息切れを起こす。
死体の位置から真上にあるフロアを1つ1つ調べ、8階へと差し掛かった頃に
何か異様な匂いが漂い始めた。
だけどそれが何なのか、知る由も無い。
ここには誰も近寄らなかったのか、ガラスもそのままで、壁にも落書きは無い。
疲労を伴いまでしてここまでやってくる方が余程珍しいという事か。
そして9階。
- 209 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 00:40
-
一足先に上がっていた警官が嘔吐した。
中にはその場に居るのも耐え切れず、下の階へと降りていく。
異臭と共に生ぬるい風が鼻を刺激させ、目眩を起こす。
地面には赤い絨毯のような血液がこびり付いている。
壁にもまるでペンキを塗りまわしたように。
それは動物の死骸だった。
鳥、犬、猫、鼠、全ての命が一塊になり、絨毯の上に積まれている。
見ると壁の一部には文字があった。
書き殴り、このセカイに知らしめ塗り替えるように。
キャップの取れた赤いマジックがその下で転がり、先端は干からびている。
下の階で見つけた自己主張のアートとは違い、"人間"としての最後の言葉。
遺言のようで、この世界に対しての嘆きともとれた。
「朝が来て、夜が来るのを待って、また怯え続けるなんてくだらない。
知っているはずなのに知らない振りをする世界なんて吐き気がする。
だったらいっそうの事、ヒカリの中に飛び出してやろう。
闇の中で生きるのは、もう飽きてしまった」
- 210 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 00:41
-
ハッと、真希が頭の中で浮かべる文字を並べて愛は驚く。
被害者が書いたものなのか、それとも加害者が書いたのか。
いずれにも、そこは今では警察の事後処理のため、もう何も残っていない。
犯人は未だ見つかっていない。
当の本人はへらっと笑顔を向けると、何気ない平然とした口調で言う。
「人の終わりなんてあっという間、だから最後にヒカリを求めようとしたのかもね
窮屈なセカイの中じゃ、飛びさえも出来ないから」
「…死ぬことが、ヒカリなんやろか?」
「ヒカリは死なない、永遠である限り、吸血鬼も、ただ永遠へと還っただけだよ」
「後藤さんは、本当にそう思いますか?」
- 211 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 00:41
-
終わりは永遠。
永遠を歩く吸血鬼は、この世の終わりを知った。
変わり変わる変化を知った。
それを知って感じたのは、ヒカリ。
だけどそれは"無"なんだ。
何も無い、温かみも、優しさも、嬉しさも何も無い。
何も感じない。
そんなヒカリを求め続けて、一体何の意味があるのだろう?
真希は見つめる愛に笑顔を浮かべ続ける。
まるでその答えを自分で探せとでも言うように。
しまい終えて空っぽになったダンボールを持ち上げると、一冊の本を差し出した。
タイトルも作者も聞いたことが無い。
「それ、結構面白いから持って行ってあげなよ」
「えっ?」
「ごとーのオススメ品だから、サービスってことで」
「え、でも、ええんですか?」
「もしかしたらきっと、気付けるかもしれないよ」
- 212 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 00:42
-
意味深しい言葉をかける真希に、愛は何も言えずに視線を交差させる。
気付いて、持っていたもう1つの本を返すと、真希は空いている本棚に
それをしまい、奥へと戻っていった。
「またね」と笑顔を浮かべて。
突然の事だったために愛は受け取ってしまったが、予想以上に軽い。
愛は本屋を出るといつの間にか晴れている事に気付いた。
傘を手首に吊るし、両手の中に納まった本を見つめる。
あまり歩きながら読むのはダメなのだが、その本のあらすじだけでもと
興味と好奇心が疼いて仕方が無かった。
ペラリと、表紙を捲って綴られた文字を読んでいく。
内容は、ある1人の少女の物語。
- 213 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 00:42
-
******
- 214 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 00:43
-
病院へ着くと、愛は本を片手に病室へ歩み続ける。
すでに夕方へと変わろうとするセカイを窓から見つめ、思い浮かぶのは
さまざまな景色とMDに入っている曲のメロディ。
ヘッドフォンから流れるそれを、ほんの小さな声で口ずさんでみる。
風が愛の髪を揺らし、また声も響き渡る。
ゆったりとした時間だった。
木の葉一枚が堕ちる微かな時間よりももっと長い。
変化の中の変化はその僅かな時間さえも短く出来るだろうか。
夕日が堕ちると夜になり、夜が堕ちれば朝になる。
他愛の無い光景。
窮屈で、退屈すぎる光景をここでは変化ではなく習慣のようだ。
愛は嫌だ、と思った。
日常で行われていることでも変化は伴うというのに、ここはまるで
時間が止まったように何も無い。
寂しい、と思った。
同時にここに居るあの子に対しても。
可哀想、と思ってしまった。
- 215 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 00:44
-
その言葉が一番辛い事だというのに。
ゴンゴンという扉の叩く音が響く。
愛は「入るよぉ」と呼びかけ、ドアノブを開けて中に入った。
と、"あの子"だけかと思っていたがどうやら来客らしい。
猫のようなその小さな姿は、彼女と同じ年齢のようだと分かった。
「愛ちゃん?」
「あ…」
細い腕に細い身体。
まるでそのまま折れてしまいそうな姿の少女は、軽くお辞儀をする。
黒い髪を片端で束ね、回転椅子に座って妹の隣に佇む。
腕にはテープで固定された点滴針が付けられ、先にある管を辿ると
点滴パックが揺れていた。
同時に身に付けられた青いパジャマ姿。
少女は「田中れいな」と名乗った。
愛の予想通り、妹とは同い年。
- 216 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 00:46
-
「あの、き、今日、入院してきて…」
「れーな、そんなに緊張しなくても良いと、ね」
「べ、別に緊張しとらんとっ」
「それが緊張しとるって言うとよ」
れいなという少女はポリポリと頭をかく仕草をし、視線を下に向ける。
どうやら初対面の人との会話は照れくさいらしい。
妹、さゆみはそんな彼女を宥めて笑顔を浮かべる。
「そうだ、さゆこれ」
「なぁに?」
「新しい本、買ってきたやよ」
差し出すと、さゆは嬉しそうにそれを受け取った。
れいなも気になるのか、横からそれを除くと、意味深そうに眉をひそめる。
ふむ、どうやらこの子もあまり読書はしない方だな。
そう考え、ついあの後輩の表情が浮かんで頬を綻ばせる。
見ると、棚の上に置かれていたさゆみの愛用する箱には何も無かった。
- 217 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 00:47
-
彼女は昔から飴とチョコが好きで、よくその箱の中に入れていたが
どうやらすでに食べ終えてしまったらしい。
今度来るときには買っておこうと思う愛だった。
「お姉さんも、本が好きと?」
「愛ちゃんは宝塚も好きなんよ」
「へー、何か渋いっちゃ」
「宝塚はバカにできんやざ」
その十何分間、愛は宝塚が何なのかという解説をする事になる。
れいなはポカンとその話を聞き、さゆみは苦笑を浮かべる。
気付けば、愛とさゆみはれいなを受け入れていた。
受け入れられないことを知っているのなら尚更の事なのかもしれない。
だけどそれが大きな穴だったと愛は思う。
後々、れいなが背負う"秘密"はそれ以上の事だったのだから。
- 218 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 00:47
-
******
- 219 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 00:50
-
愛が帰る時間になり、れいなも病室へと帰る事になった。
ベットの中でさゆみは2人の後姿を見送ると、ソッと本の筋を触れてみる。
感触はある。
ゴツゴツとした、本の感触。
匂いもある。
古本の独特な匂い。
キモチがあった。
作者や、さまざまな人たちの溢れるキモチ。
そして自身の姉に対しても。
家族ではカノジョしか最近は来てはくれないが、両親は
共働きだという事は知っていたため、仕方が無いと言い聞かせる。
自分自身に、―――そう言い聞かせては無理やり納得させるのだ。
引き出しの中から取り出した長方形のモノ。
チキチキ、中心を上下させて中のものを引き出していく。
ゆっくりとそれを手首に押しやり、息を小さく吸って痛みを堪える。
チリっと一瞬の痛みはやがて広がり、現実を見せ付けるだろう。
- 220 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 00:51
-
手首からは赤く染まった一直線の傷が浮かび、液体が滲み出る。
何度も感じた安心感と、充実感。
はぁっ、と息を吐き出し、手首に舌を這わせてみる。
鉄の味がした。
生きている味がした。
絶望の色。
希望の色。
さゆみは、これが事実だと笑顔を浮かべ続けた。
自己の破壊衝動。
外部からの呼びかけではなく、内部からの衝撃だった。
感情を全てこの傷へと封じ込めるように。
夕闇へと姿を変える中、さゆみの時間は変わらず、変わっていく。
- 221 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 00:51
-
******
- 222 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 00:52
-
愛はれいなの細い身体をまじまじと見つめる。
それに気付いたのか、れいなはチラリチラリとその姿を伺っている。
階段を下り、2階へと差し掛かっていたところだった。
意を決したのか、れいなは愛へと問いかける。
「あの…なんですか?」
「いや、凄い細いなぁって」
「お姉さんだって、じゅうーぶん細いっちゃよ」
「そうかなぁー」
愛は少し空気が読めないところがある。
俗に言うと「天然」なのだが、本人は否定したがっているのが現実だ。
今のように場所にもよる言動も普通に発言できる。
校内でも友人の言葉を捉え間違えることもざら。
そんな愛だからこそ、人から突っかかり易いタイプとしても適任されているが
本人が否定しているのだから知る筈も無い。
- 223 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 00:53
-
「ここの近くに住んでるの?」
「福岡です」
「へぇ、じゃあとんこつラーメンだ」
「うまかですよ」
「美味しいよねぇ」
れいなは愛とは違い、どこか大人びた子供だ。
体型や顔立ちは幼さをしっかりと持ち合わせているが
つまるところ思考能力というところだろう。
考える事が大人なのだ。
ほんの数時間前は緊張で言葉が裏返っていたはずなのに、今では
順応できたのか、普通に対応が出来ている。
今時の子供は凄いなぁ…などという愛の胸中をれいなは知らない。
「じゃあ、れいなはこれで」
「あ、あのさっ」
「?」
「これからもさゆの事、付き合ってあげての」
「…はいっ」
- 224 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 00:53
-
無表情ながらも、しっかりと頷いてくれたれいな。
ドアが閉るまでの間、愛はどこか、安心感を覚えながら見つめていた。
何か、身体にあった違和感がほぐれたようで、腕や首を捻ってみる。
ようやくの変化。
ほんの些細なことだけれど、ようやくセカイが動き出したようだった。
心なしか、身体が軽くなった。
〜♪〜〜♪
瞬間、愛は初めてこの世の維持を願った。
ヘッドフォンから流れる曲。
携帯電話の着信音。
すべてを思い出した。
自分が想ったこと、言ったこと、知ったこと。
セカイの終わりは唐突にやってくる。
- 225 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 00:53
-
******
- 226 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 00:54
-
音楽が好きだった。
それだけでも人生が送れそうな気がするほどに。
言ったら彼女は笑った。
プールサイドに二人で座り、夏の暑い日差しを受けながら。
水面に映った彼女の顔は凄く綺麗で。
手を伸ばして、触れようとした。
でも届きはしない。
ずっと。
もう。
戻ることの無いあの日を思い浮かぶ。
だから、今は嫌いになりたかった。
今年中学最後の音楽コンクール。
そこに彼女の姿を見ることは無い。
- 227 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 00:54
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- 228 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 00:54
-
小川麻琴が死んだ。
その事実だけを聞きつけ、走り出した先にあったものは
ひどく現実味の無い、悲しい現実だけ。
彼女は愛の家へとやってきた。
購入したてのCDを手に、それは母親の手へと渡った。
ほんのちょっとした不注意だった。
彼女が何かに気を取られている隙に、暴走車が衝突した。
酒酔い運転。
電信柱にぶつかり、自動車は90kmの速度で走行していた。
ほぼ即死だったと言う。
思い出したのは、数年前に起こった怪奇事件。
頭や顔は潰れ、両手両足は投げ出されていた。
小鳥の羽根のように、血飛沫は広範囲の地面を赤く染め上げる。
麻琴は心無いたった1人の不注意によって死んでしまった。
殺されたといっても過言じゃないほどに。
- 229 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 00:55
-
車のガソリンの匂いと、部品故障による噴出した煙の異臭。
想像しただけでも、背筋に悪寒を感じるほどで。
運転手は全身を強く打ったものの、一命を取り留めた。
それを母親から聞いたときには、すでに病院へと搬送されて霊安室へと運ばれていた。
愛は行く事が出来なかった。
悲しみに沈んで、翌日には何の変哲も無い朝がやってくる。
それでもいろんな事が変わっていった。
彼女に対してのものが、まるで消えてしまった。
学校の登校にも彼女の姿は無い。
携帯に登録されているアドレスからのメールも来ない。
他愛の無い話も出来ない。
ヘラヘラと笑う彼女の笑顔も。
それを突っ込むことも。
時には怒ったり、泣いたり、甘えることも何もかもが。
消えて、失くした。
- 230 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 00:56
-
お葬式にも行く事が出来ずに、愛の中での彼女の存在は
本当に空気のようなものになっていった。
そう思おうとしたのかもしれない。
変わってほしいと思った結果が、これ。
たったひとりの、何の変哲もない高校一年生の女の子の命。
それが呆気なく、何の前触れもなく消えてしまった。
何なんだろう?
どういうことだ?
おかしい、おかしいよ。
終わってしまえば良いのに。
全て終わってしまえ。
- 231 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 00:56
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- 232 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 00:57
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気分が悪いと言うと、担任の先生はすぐに了承した。
愛が彼女の事で落ち込んでいると思ったのかもしれない。
クラスでも、そんな愛に同情の眼差しを見せる生徒は少なくなかった。
階段を下がると、そこには彼女が居たクラスがすぐ目の前にある。
小川麻琴が存在していた教室。
かつてその人が夢を育て、そして居続けていた場所。
消し忘れた黒板の文字に壁の落書き。
今は体育の授業なのか、制服が机の上に置かれている。
目を引いたのは、彼女が座っていた席。
机にはさまざまな傷を残している。
静かな空間の中で、机には色とりどりの花が飾られていた。
他には何もないが、どこかそこに彼女の面影があるような気がした。
- 233 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 00:58
-
ふと、彼女の席に座ってみたくなる。
愛しかった人の机に、愛は微かに触れてなぞってみる。
ガタガタと椅子を引き、着席をすると周りのセカイを見回してみた。
机の中には何もない。
フックにもカバンは置かれておらず、ヒヤリと机は佇み続ける。
ヘタレだけどしっかり者で頑張り屋。
物事を見て、何か揉め事があればすぐに輪に入っていける。
将来はさまざまな事に挑戦したいと笑顔を浮かべていた。
嬉々として毎日を送っていた麻琴の様子に愛はさまざまな感情を向けた。
嬉しさや。
羨ましさや。
悔しくもあった。
自分の歌声にスランプを覚えたときでも、根気よく励ましてくれた。
まだまだ伸びるはずだと勇んでくれた。
「一緒に頑張っていこう」と。
それでもやはり先輩としての面子もあり、素直にはなれなかった。
いつだって前向きだった、ひたむきだった彼女の姿。
- 234 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:00
-
花瓶を隅にどけると、愛はその机に頬を付けて突っ伏すような態勢になる。
彼女がこうやって眠っていたのかと思うと、ぬくもりが残っているような気がした。
ムードメーカーだった彼女は、よく先生にも怒られたりしたはずだ。
そして同級生からは喝采を浴びただろう。
そんな姿がハッキリ思い返せるのは多分、愛は麻琴を見続けていたからかもしれない。
気付いていたことだ。
彼女が自分自身に向けていたキモチも、すでに知っていた。
以前から、このキモチに対して向き合おうとも思った。
だけどこれが、麻琴に対するものが、今回の発端だったのかもしれない。
机には何のぬくもりもない。
瞼を閉じても、そこには真っ暗な宇宙が見えるだけで、何もないセカイ。
これが"無"なのだろう。
全ては光があるから影の存在を知る。
世界の終わりを信じようとした愛は、結局のところ変化が欲しかった。
満たされた光のセカイに影を落としたかっただけ。
- 235 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:01
-
だけど光は止まることをせずに通り過ぎていった。
結果、何もなくなってしまった。
どこに行けば良いのか分からずに。
この意味さえも不鮮明な状態で捜し求めている。
ここにどれだけ麻琴の想いを残したか。
どれだけ夢や希望や、すべてのヒカリを見つめていただろう。
考えれば考えるほど、最初から全て判っていたこと。
ただ、今想うのは。
―――彼女に対しての、恐怖。
埋もれた闇の中で、愛は独り佇んでいる。
この世の終わりを願って。
キーンコーンカーンコーン…。
- 236 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:01
-
チャイムが鳴り響き、愛は目を開けると教室から出て行った。
もうすぐクラスの生徒が帰ってくる頃だろうから、その時に上級生で
事故に遭った女子生徒の机で眠っている姿を見られるのは本能的に避けたかった。
十分間の読書をするときにも彼女の事ばかりを考えている。
思い出すだけでも息が詰まるほどなのに。
愛はこの日から、徐々にヘッドフォンを耳に入れる事が多くなった。
先生の忠告でさえも遮って。
まるでセカイを切り離すように。
それだけが唯一の方法だと言いたげに。
- 237 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:01
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- 238 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:02
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愛は母子家庭の中で育てられた。
彼女が生まれたのは、母親が高校生のとき。
相手は同級生で、知ったときにはすでに下ろせないところまでになっていた。
学生の身分として、相手や周りに話せなかったのが原因だった。
だが徐々に大きくなるお腹を隠しきれず、ついに知られてしまった。
世間の目は冷たかった。
高校生の身分でありながら、後ろ指を指される母親の姿を想像するのは難しくない。
一層の事、お腹の中の子供と死んでしまおうか。
今では笑い話として語る母の姿を、愛はジッと見つめていた。
精神的に追い詰められていた当時の事。
だけどそれを思いとどまらせたのは生まれてくる子供への愛情と、想い。
母親はひとりでも育てると言い放ち、男との関係を終えた。
彼女も、母子家庭だった。
彼女の母親は何も言わず、ただただ自分の娘を抱きしめたと言う。
十六の秋、1人の女の子を生んだ。
それが愛である。
- 239 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:03
-
自分が与えられた母親の優しさ。
そんな母親になって、家庭を、家族を作って行きたいと願い続けた。
いつまでも笑っていられるような、ささやかな物でも良いから。
大切な幸せを願って。
愛を生んだ後、母親は笑っていた。
幸せはヒトリのものじゃなく、手にし、感じるモノなのだから。
子供が笑えば、自分自身が笑顔になるように。
仕事で疲れていても、愛と一緒に音楽を聞くことで癒された。
自分が好きな音楽を、娘は笑ってくれた。
母親はそれだけでも嬉しく、幸せだった。
そして愛が小学校へと上がった頃。
母親はひとりの男性と……その娘に出遭った。
働いていたお店の常連客でもあった男性、2人は自然と惹かれあうようになった。
だが決定的になったのは、その男性の表情はいつもひどく沈んでいた。
- 240 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:03
-
何をしてやれば良いのか分からず、自分の娘が深く傷ついていることに気付いているのに。
男性は責め続けていた。
病気なのだと、男性は小さく呟くように告げた。
酒の勢いだったのかもしれない。
母親はまるで自分自身を見ているような気がしていた。
母親なのに、軽い気持ちで我が子を宿してしまった事に後悔をした事だってある。
だけど、だからこそ埋められるのは自分ではないのか。
新しく家族になる女の子。
愛と母親が初めて逢ったとき、彼女は小さくベットの上でお辞儀をした。
生まれたときから病院生活を強いられた女の子の髪の長さ。
黒く、純粋なそれが、この空間の時間を物語っているようで。
母親の愛情を知らずに育った女の子。
- 241 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:06
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傷跡は深い。
この子の本当の母親は、罪悪感に苛まれて逃げ出した。
何も知らない、女の子の名前は「さゆみ」と言った。
愛とは2つ違いで、まだ4歳だった。
笑顔を見せることは無い。
まるで人形のようにお辞儀をした女の子は、ただジッと窓を見ている。
愛はぼんやりと、その女の子を見ていた。
なんで、この子は笑わないの?
なんで、この子は笑ってくれないの?
つまらないのかもしれない。
こんな場所に居るから。
それとも…お母さんが嫌い?
そうだったら、なんかイヤだな。
- 242 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:07
-
そんな事を考えていたと愛は思う。
たった今会った、妹の存在は未知だった。
何も判らず、何も知らず、初めは少し…怖かった。
今でも、彼女の本当の笑顔を見ることは叶わない。
あの日から、すでに10年の月日が経とうとしている。
だが両親は籍を入れなかった為に娘2人の姓は違う。
1人は高橋愛。1人は道重さゆみ。
それでも家族だと、思おうと務めていたはずだった。
- 243 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:07
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- 244 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:08
-
家族。
姉妹。
そんな距離を縮めようと務めて、ようやく形が出来上がっているような状態だ。
目の前に居る妹は、愛が持ってきた本を読みながらチョコを食べている。
暢気。
そう思いながら、苛立ちを覚えている。
取り残されてしまった事実を、彼女はまだ知らない。
ダレもそれを言う人が居ないから。
愛を除いては。
「…今日、あの子は?」
「れいなのこと?今日、検査に行ってるの」
「あの子、何が悪いんや?」
「んー…心臓、かな」
「ふーん…」
- 245 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:08
-
パラリ。
一枚一枚丁寧に読み上げているさゆの視線は、ずっと本に釘付け。
妹として彼女は、今この場所に居る。
友達でも、後輩でもない。
たった1人の妹。
だけど、あの日からすでに10年以上も月日が流れているのに。
この距離感は、今でも微妙なままだった。
家族であり、姉妹である彼女。
だけど血の繋がりもない、もしもその関係が無かったら赤の他人だった。
だからだろうか?
無意識のうちに、踏み込むのを怖がっている自分が居た。
この微妙な距離からまた一歩踏めば、何かが変わるだろう。
あの時から、愛は変化を恐れていた。
足が震え、一歩踏み出す度にキモチの悪さと、苛立ちを覚えた。
- 246 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:09
-
イライラする。
これ以上ないほどの気分の悪さ。
「なぁ、さゆ」
「ん?」
「…なんでも無い」
「愛ちゃん?」
「…」
「愛ちゃん」
本を閉じ、愛の異変を感じたさゆみは顔を伺う。
特別なフィルタが貼られた窓からは、紅い夕日がセカイを染める。
そこには無数の雲が覆うように漂っていた。
今日の夜から雨だと、天気予報で言っていたのを思い出す。
愛は俯く顔を上げ、さゆみの顔を見つめる。
自分には似ても似つかない、真っ黒な髪と真っ白な肌。
貫く視線は黒く純粋な瞳孔が輝く。
イライラする。
全て消えてしまえば良いのに。
- 247 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:10
-
寂しげな瞳は、あの頃から全然変わらない。
だから、放っておけなかった。
麻琴には何も言えなかった。
バイバイも言えなかった。
だから、あの日、本屋さんに寄った。
後藤さんと話して、本を貰って。
病院に行って、本を渡して。
それから麻琴の死を知って、泣けなくて。
そうだ。
麻琴は、死ぬはず無かった。
麻琴が死ぬことはなかったんだ。
悪いのは…悪いのは……。
愛の中で、何かが沸きだった。
自身の所為を相手へと変換させて、目の前に居る彼女へと。
傷を癒すためには。
傷を守るためには。
ごまかしたかった。
何かを恨み、妬み。
何をしても、彼女が帰ってくることなんて無いのに。
子供だった。
- 248 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:11
-
幼いココロは脆く、崩れ易い。
そして弱いココロは、一瞬の内に―――壊れる。
愛は、さゆみの首にへと手を掛けていた。
押し倒すようにベットへと押し付け、力いっぱい握り締める。
細い首は今にも折れそうなほど細い。
自分自身よりも大きな身体の持ち主ではあるものの
やはり運動をしない事が原因なのか、ほとんど鍛えられていない。
簡単なことなんだと、思った。
人が死んでしまうことは。
消えてしまえと願って。
セカイなんて消えてしまえ。
壊れてしまえ。
変化なんていらないから。
元に戻らなくても良いから、消えてしまえ。
- 249 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:11
-
「…がっ……………っ…」
「麻琴が…死んだやよ、この本を渡しに来た、あの日に」
腕を解こうとさゆみは抵抗していたが、驚いたように
目を見開き、そして徐々に力を緩め始める。
最後にはベットへと両腕を放り出し、成すがままになった。
愛の意図が分かったかのように、その表情は悲しげだった。
口から流れる唾液が口角から流れ、手にへとそれは付着する。
涙で濁るさゆみの表情と、苦しそうに唸る声だけが空間を覆った。
放り出された本はベットの隅に追いやられ、あと少し腕の力を強めれば
その本はダレのものでも無くなってしまうだろう。
愛は呟くように、口を動かし始める。
「…何でこんなことになったんやろ」
「ただ普通の生活が出来たらそれでよかったのに」
「あーしが、麻琴を好きになってから、セカイが変わったように見えた」
「でも何にも変わってない、変わってほしいのに、何も、何にも変わらん」
「だから、変わってほしかった、ほんの小さな事でも良いっ」
- 250 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:12
-
でも、結果的には変わりすぎた。
本当はセカイの終わりなんて、どうでも良かった。
ただ今の全ての現状に、変化をもたらして欲しかった。
ただあの子が、あの子のセカイが終わっただけ。
愛が思っていた世界の終わりなんて子供のうわ言だ。
ゲーム中でのリセットボタンを押したらまた始められるような。
そんな単純な世界の変化。
本当の世界の終わりを知らないから望み、願うのだ。
知っていたら、思う事なんて無かった。
ただ――――――失くして、消えてしまっただけ。
何が分かるというのだ。
このセカイが、あーしに何を与えたのと言うのだ。
神様なんて居ない。
判るはず無い。
消えてよ、何もかも。
消してよ、ダレか。
いっそうの事。
- 251 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:13
-
――――――高橋愛を、消してよっ。
- 252 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:13
-
溢れる涙が幾度と無く流れ落ちる。
雨よりも残酷で、悲しすぎるそのキモチ達。
首を握っていた手の力が抜け、身体さえも抜けるように崩れ落ちる。
妹の胸の中に、顔をうずめるような態勢で、愛は泣いた。
それでも首を掴む手は、いっこうに離さない。
心臓が聞こえた。
ドクドクドクと脈打つそれは、生きている証でもあるそれは。
まさに今、自分自身の中にもあるもので。
だけどもうあの子の心臓の鼓動も、笑顔も、感触も。
全てが消えて、無くなった。
悲しい。
寂しい。
どうしてこんなセカイが出来てしまったんだろう。
神様は残酷だ。
消えろ消えろ消えろ消えろ消えろっ。
消えてしまえっっ。
- 253 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:14
-
「――――あんたが死ねばよかったんやざっ」
- 254 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:14
-
ドンッと、何かの衝撃が加えられるまで愛は願い続けた。
目の前には、猫が威嚇するように立っている。
田中れいな。
さゆみと引き剥がし、怒りを露わに愛へと詰め寄った。
「なんしようとっ!?」
検査が終わり、下の売店で買ってきた飴とチョコを持って病室に立ち寄ると
首を握り締め、意識が朦朧としているさゆみを押し倒す愛を見つけた。
第三者側としては、その光景は異常なモノにしか見えなかっただろう。
姉が妹を殺そうとしている。
兄弟が居ないれいなは、その関係は羨ましい対象でもあった。
そしてさゆみの話す会話の中でも、その存在は大きいものだと認識できた。
- 255 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:15
-
それなのに、だ。
一体何が起こっていたのか、れいなは軽い混乱状態に陥りながらも
さゆみを助けようとした。
ナースコールを押し、看護士が愛を廊下へと追い出す前の間。
れいなはただジッと、さゆみを抱いて離すことは無かった。
- 256 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:15
-
*******
- 257 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:16
-
机には麻琴が買ってきたCDが置かれていた。
母親が何も言わずに置いていってくれたらしい。
だが一度もそれに触れることはせず、放置されていた。
ヘッドフォンからはいつものBGMが流れてきた。
音が漏れていても構うことは無い。
すでにその曲もこの時間内にいくら聴いたのかも覚えていなかった。
ぼんやりと、愛は自分の部屋のベットの上で天井を見あげる。
いろんな事が頭の中で駆け回り、グルグルと観覧車状態で映像は変わり変わり。
あの後、愛は病院を去り、入ることを厳しく禁じられる事になった。
当然の事だと、愛は内心自嘲する。
姉が妹の首を絞めて殺そうとしたのなら、病院側は黙らないだろう。
虚しい。
悔しい。
- 258 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:17
-
なんであんなことをしたんだろうと何度も何度も繰り返し呟き、答えは返ってこない。
気付いているのに、気付かないフリをして。
さゆみに申し訳なかったな。
彼女の幸せも願っていたはずなのに。
だから自分のキモチも押さえ込めると思っていたのに。
もう、見る事は出来ない。
彼女の笑顔も、愛は失ってしまった。
バカだ。
最悪で、頭の悪い子供だ。
臆病者で、逃げることしか考えていない。
誰か叱ってくれれば良いのに。
病院の看護士は何も言ってくれなかった。
逆にしょうがないというような表情だった。
そして気付いた。
自分よりも、さゆみには初めから何も無かった。
- 259 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:17
-
叱って欲しい。
罵ってほしい。
その方がずっと楽なのに…。
でもどうすれば良いのか分からない。
父親も、こんな感じだったのだろうか。
どうすれば良いのか、自分の傷と、娘の傷を癒すには。
母親がとった行動。
愛はふと考え、それには至らないと考えてしまった。
自分は母親じゃない、何も出来ない、弱い人間。
助けてくれる人なんて、居ないよ。
〜♪〜♪
- 260 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:18
-
そんな時だった。
イヤホンの音の隙間に入り込むように鼓膜を響かせた音。
不意に鳴り始めた携帯の着信音に心臓が止まるかと思うほど驚く。
瞬間硬直する身体と、まさかと思う考え。
彼女から……な訳が無い。
心臓が打つ速度が速まり、鳴り続ける携帯を掴む。
深呼吸をすることも忘れ、ゆっくりと画面を見る。
彼女の名前が表示された。
よりいっそう早くなる心臓の音がうるさい。
カチンと折りたたまれた状態を開き、通話ボタンを深く押す。
そんなはずが無いのに、そんなわけが無いのに。
耳に付ける携帯の冷たさが、現実へと戻した。
『あ、高橋?』
- 261 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:18
-
違った。
彼女の声じゃない。
当たり前の事なのに。
心臓はまだ鳴り続ける。
「ご、後藤さん?」
『うん、ゴトーだよ』
「なんで、この携帯…」
『実は何日か前…確か高橋が来てくれたときかな
その日に小川が来たんだよね』
「麻、琴が?」
『落してったらしくて、どうしようかと思ってたんだよね』
どうやら用事を早く済ませた後、愛の後を追うように真希の
お店へと向かったらしい。
事故現場もそこから対して遠くは無い場所だった。
徐々にまた、涙腺が緩み始めて無理やり拭った。
無く資格なんて、自分には無いんだと言い聞かせて。
- 262 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:19
-
「じ、じゃあ、あーしが貰いに行きます」
『ホント?じゃあ今から来てくれる?』
「い、今から…ですか?」
『小川も携帯が無いと大変だろうし、出来れば早く渡して
あげた方が良いと思うんだけど…』
どうやら真希には麻琴の事は聞かされていないらしい。
今はすでに夜を回り、雨が降り始めていた。
ここから本屋までは数十分の事。
愛は意を決して、真希へと答える。
「…分かりました、今から行きます」
『じゃあ待ってるね』
プツン。
真希は愛の家を知らない。
電話で連絡をとっても、万が一迷子になってしまっては元も子もなかった。
母親には友人の家に行くと伝え、傘を持って外へと出る。
湿気の強い日々。
雨は暗い闇の中で、懸命に冷やそうと躍起になっているような強さを覚えた。
そういえばふと、明日は土曜日だという事に気付く。
- 263 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:20
-
あの日も、こんな雨の日だった。
愛は元々「雨女」だと言われることが多かった。
小さい頃から、小学校の特別な行事などでは絶対に雨になって中止になり。
その所為であまり友達と遊ぶ事が出来ず、母親と父親の本と音楽を楽しむ事が多かった。
次第に音楽が楽しくなり、バレエを一時期習っていたこともある。
いつか、憧れていた宝塚へと入る為に。
だけど自分自身の身長が規定まで届かず、その夢はあえなく潰えてしまった。
それが受験一週間前の出来事。
二次志望のこの学校は難なく合格し、そして彼女と出会った。
なんて事だろう。
彼女に会えたのは、紛れも無くさゆみのおかげだったはずなのに。
当たり前になっていた事で、気付けなかった。
本当に、自分の弱さに苛立ちを覚える。
- 264 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:20
-
激しい雨は土を、アスファルトさえも削り取ろうとしているようで。
この時間では、子供達の声が絶えず聞こえてくる隣の公園でさえも
土砂降りの雨で人影はおろか、数メートルの視界さえもままならなかった。
明日も降り続きそうやな。
そんな事を考える内、ストロボが焚かれたような電光が遠くで瞬間視界に入る。
遅れて轟音がけたたましく響き、キーンと耳鳴りを覚える。
身体は正直なもので、今の雷で心臓がバクバクと騒いだ。
足が速くなり、ぼやける視界の中、愛は目的地へと先を急ぐ。
まるで、セカイが愛に怒って泣いているようにも思えてしまったから。
- 265 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:21
-
*******
- 266 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:21
-
目的地に着いた時には服はずぶ濡れだった。
お店の女主人はすぐに愛に風呂へ入るように薦める。
まさかここまで雨が強くなるなんて事は予想外だったらしく、女主人は
愛に何度も頭を下げて謝った。
携帯1つでこれほどの代償を払う事になってしまった愛だったが、これも
まるで自分に与えられた罰のようだと自嘲する。
風呂場からあがると、代えの服を着込み、女主人の真希が居る部屋へと入る。
古本屋の後ろに立てられた家は、大昔の屋敷だった。
1人で住んでいると真希は苦笑いをし、どこか寂しげな影も見え隠れする。
タオルで濡れる髪を拭いながら、愛はペタンと畳みに座った。
真希が座るソファがあるにも関わらず、だ。
- 267 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:22
-
「こっちに座れば良いのに」
「…ええんです」
「何か、あった?」
「……」
愛が黙っていると、真希はポケットから長方形のモノを取り出し、それを差し出す。
麻琴の携帯だった。
愛が誕生日にとあげたストラップが付いていて、確かだった。
だけど所々、愛が知らないうちに幾つもの傷が出来ていた。
擦り傷と、打痕。
真希が落としたり、傷つけるなんて事は在り得ない。
という事は…。
「これ、道路に落ちてたんだ」
「落ちて…た?」
「小川、車に轢かれたんでしょ?」
…真っ白になった。
真希は動揺も表情を歪ませることさえもしない。
ただ平然と、そう良い、携帯を掴ませた。
- 268 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:22
-
「近所なんだから、分かるよ、救急車のサイレンだって筒抜け
ゴトーびっくりして起きちゃったもん」
「…知って、たんですか」
「まぁね、ついでに言うと、高橋が時々"あのビル"に入ってることも」
「!?」
数年前の怪奇事件。
その犠牲者の数は5人。
ほぼ全員が、そのビルから飛び降りて命を落としていた。
"体内の血液が失われた変死体"
それは全て――――――愛と同い年の子供達だった。
麻琴が居なくなってから、愛はその場所に立ち寄るようになった。
ダレも近づかれることの無くなってしまったそのビルにたった1人で。
咽返りそうなほどの暑さを無視し、愛は9階へと上る。
乱れた呼吸が鬱陶しい。
- 269 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:23
-
積み上げた想いを揺らすように、強い風が吹き込んでいた。
窓枠へと近づき、掴むと、半身を外に出して空気を肺の中へと命一杯吸い込んだ。
遥か真下を見下ろせば、眩暈を起こすほどの高さを思い知らされるだろう。
そこは世界から切り離されてしまったセカイだ。
空を飛ぶための羽根なんて存在しない。
だから皆、堕ちてしまった。
終わりのセカイを見つけて、気付いて、知ってしまって。
消えてしまえ、無くなってしまえと呪いを掛けて。
―――くだらない。
そして飛んでいった。
偽りのセカイから、自身のセカイへと。
それを垣間見えるには、その場所は十分だった。
異常だと思えるほどに、そこへ行けば安心し、救われるような気がした。
"夢"が、あるような気がした。
狂気の色に染まった子供達の"夢"
それがどれほど誰かが悲しむものでも、自身たちにとっては"夢"だった。
批判されても、それしか方法を見つけられなくしたのはダレだ?
- 270 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:23
-
何も無いけれど、愛は生まれた場所に帰ってきたような錯覚さえも感じた。
そんな場所に行っていることは、ダレも知らない。
それなのに…。
「なんで…っ」
「それは、復讐?自分に対しての」
「…そうなのかもしれない」
「それが、高橋の望むことなの?」
「あーしは、別に死ぬことなんて怖くない」
「それって、強がりじゃない?それとも、逃げだね」
真希の言葉に、愛は表情を歪ませる。
平然とする真希の考えは、全く読めない。
「死んでどうしたいの?何かしたいことがあるわけ?」
「…何も、ただこのセカイに居たくないだけです」
「違うセカイに居たって、またイヤになるんじゃないの?」
「どういうことですか?」
「中途半端で死ぬなんてこと、言っちゃダメだと思うよ?」
「っ…後藤さんに分かるわけ無いっ」
「じゃあ、」
- 271 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:24
-
―――――――ゴトーが殺してあげよっか?
- 272 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:24
-
全てを鎮めるように、真希の声は愛の鼓膜を響かせた。
迫力や威圧が、静かに触れ出ている。
硬直したように動けない身体は、愛の思考と共に一時停止のまま。
リモコンを持つ真希は、台所へと向かっていた。
スイッチを付け、光によって包まれた空間は普通だった。
だが食器の数、流しに洗い物は一切無い。
台所にあるコップや調理器具など何もかもが、お店から
買ってきてそのまま使用されずに飾られているかのよう。
この家での生活感と言えば何も無いように思えた。
そして真希の足はそれを通過し、冷蔵庫へと歩いていく。
扉を開けるとき独特な、密閉されていたものを引き剥がす音が響く。
一定だった心臓の音が、よりいっそう鼓動を増した。
鼻に宿る聴覚が、異様な匂いを嗅ぎ取っていた。
腐食し、食べ物の域では無い。
まるで牛や生物が腐敗したような鉄くさい匂い。
- 273 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:25
-
そう。
中には袋詰めにされた赤い液体が5つ。
それは赤黒く濁り、冷えた空気の中、ランプに照らされたそれらは
並列になって保存されていた。
しかもそれを摂取した日時と、量まで事細かに記されたシールを貼って。
学校の科学準備室を思い出す。
死人の血液。
そして犯人の言葉であろうあの文字。
「朝が来て、夜が来るのを待って、また怯え続けるなんてくだらない。
知っているはずなのに知らない振りをする世界なんて吐き気がする。
だったらいっそうの事、ヒカリの中に飛び出してやろう。
闇の中で生きるのは、もう飽きてしまった」
平然とした笑顔を浮かべて愛を見つめていた。
息を呑むほど端麗な姿の吸血鬼。
感情的なものは一切無い。
ただ内部から溢れ出てくる衝動に身を任すだけの行為。
- 274 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:25
-
簡単なことだ。
人間が死ぬことなんて。
吸血鬼の手には小さな注射器が見えた。
思い出すのは、まだ幼い頃の自分自身。
子供の頃、母親の母親、つまり愛の祖母は本当に元気な人だった。
心の広い人で、笑顔を絶やすことの無い。
愛に対しても、凄く可愛がってくれていた。
だけど、死んでしまった。
癌だった。
身体全体に腫瘍が転移し、病室のベットの上で静かに息を引き取った。
「ずっと元気のままで居るよ」と笑いかけていた祖母。
老人と言うのは嘘をつかない人たちの事で、何でも知ってるんだと言う
認識と共に、ずっと居るんだと思っていた。
でも本当は、嘘をつかない人なんて居ないんだ。
人間はみんな嘘をついて、赤ん坊の頃からそれは分かっているのだ。
母親の気を引くために嘘泣きをする姿がそれ。
- 275 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:27
-
世界は嘘だらけだ。
そして何の変化も見出さない、維持だけをただただ守っているだけ。
そんな世界はいつかは壊れるものだ。
形あるものはいつか壊れ、崩れて消える。
あぁ、何だかもうどうでもいい。
訳が分からない。
いっそうの事、ここで楽にしてくれるなら。
それでも良いと本気で思った。
ゆっくりと視線が反転し、天井が見えた。
ソファへと押し倒され、首筋を指で撫でていく。
細い指は血管を確認するためのものだろうか。
ゆっくりと這うその感触に、愛はピクリピクリと反応させる。
それでも自分から首を差し出すようになんの抵抗もしなかった。
さゆみがした様に、自身への復讐だった。
本当は怖い。
死ぬというのはどんなものなのかは分からない。
それでも彼女が、小川麻琴が死んでしまったあの時から。
独りだった。
何もかもが嘘にしか見えなくなっていた。
- 276 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:27
-
偽りの世界。
借り物の世界の中で、生きるのは辛かった。
ならば殺すよりも、殺された方が良い。
母親はいつも言っていた。
幸せはひとりでものじゃなく、手にし、感じるモノ。
ダレかの幸せになるのだったら、こんな自分を悪魔にだって捧げてやる。
そして今、吸血鬼が目の前に居る。
あと少しで………彼女に会える。
だが、首にあった感触はすぐに無くなった。
同時に目の前にあった気配すらも遠のき、愛は閉じていた目を開く。
真希は注射器をテーブルへと置いていた。
ニコリと笑顔を浮かべて、愛と視線を交差させる。
「…やっぱ、ダメか」
- 277 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:28
-
笑顔は悲しそうに揺らいだ。
その言葉を理解する前に、真希は頭を掻く動作をしてソファへ座りなおす。
混乱しきっていた。
ただ分かるのは、殺されることは無いという事。
愛は首元に触れながら起き上がると、真希へと問いかける。
「…殺してくれるんじゃないんですか?」
「中途半端な子供には興味ないよ、ゴトーは」
「中途半端って…」
「だって、ホントは死にたくないんでしょ?」
グラリと眩暈が襲う。
視界が揺らぎ、頬には生暖かい水の感触。
初めて愛は、自分の状態に気付いた。
泣いていた。
- 278 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:28
-
ボロボロと。
大きな水の雫が頬から真下へ落ちていく。
無理やり拭い、目尻が痛みを訴えるほどに拭い続けて。
愛は真希を見つめると、呟くように問いかける。
「でも、他の子達は殺したんですよね?」
「殺した…そうかもね、でも生きてるよ」
「…?」
「あのままだったら、この子達はいつまでもあの状態だった」
答える。
経緯をゆっくりと噛み締めるように。
どこまでも透き通る表情の中で、笑顔が浮かび続けている。
- 279 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:29
-
真希は吸血鬼などではなかった。
子供達は自ら自殺を図ったのだ。
ただそれだけでは、この子達の意味なんてものが無い。
そんなのはあまりにも哀れで、悲しいことだ。
最後の最後まで自身の存在がなんなのか分からず見つからず。
それでは本当に死んでしまう。
意味を成してあげるのは、残された人間達だ。
だけど今では自殺者を哀れんで終わってしまうセカイになってしまった。
人が死ぬことを笑える風景が存在してしまうセカイになってしまった。
仕様がない。
当たり前。
- 280 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:30
-
そんな気持ちが習慣的に発生したことで、全てがマヒを起こしている。
だから真希は考えた。
どうしたら子供達の意味を成すことが出来るか。
このセカイに知らしめるには。
そして考えたのが、吸血鬼と言う幻の存在。
もっとも知名度が高く、外国ではそれが元となった事件もたくさんある。
居ないはずの存在は時として恐怖の対象として根付かせられる。
方法は簡単だ。
"ただ人間の血液を吸い取れば良い"
それを実行できる道具もすぐに手に入る。
そして真希は吸血鬼となった。
- 281 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:30
-
「まさか、自殺者が増えるなんて思いもしなかったけどね」
「でも、そんな事をしたら後藤さんが追われますよっ?」
「ん…まぁ何度かここにも警察の人が来てね、もしかしたら
疑いがかかってて近いうちに逮捕されるかも」
「そこまで、そこまでする必要があったんですか?」
「…残念ながら、ゴトーにも分からない」
でも、人はいつ死ぬのか分からない。
真希の父親は裏の世界で牛耳る祖父の息子だった。
だが家族を裏の世界へ引き込むこともせず、平穏な暮らしをしていた。
4人暮らし。
兄弟には弟が居た。
- 282 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:31
-
高校に入るまでは、何事も無く。
そして唐突に来たのは、祖父が無くなったという報せ。
あとに残ったのは組織の跡取りを狙う数十もの敵。
真希は母方の祖父母へと預けられた。
母親と父親と弟の最後は、今でも忘れることが出来ない。
当時は跡取りはほぼ男がやるものだと思われていた。
そしてその後に生まれる血統さえも根絶やしにするのは当然だった。
羽交い絞めにされて車の中に押し込まれ
全身を縛り上げられて何度も殴られていた。
粘着テープで口を塞がれ、呻き声しか出す事が出来なかった母と弟。
暗闇の中で父親はバットや硬いもので何度も何度も殴られ、顔は変形し
歯も何本も何本も砕けて口から血たまりと共に吐き出される。
息絶えたことを確認すると、コンクリート塗りの六畳ほどしかない空間に火を放った。
- 283 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:31
-
鍵を掛けられた扉は決して開くことは無い。
叫び声でさえも、その炎に焼かれるようにセカイの中で消える。
あとに残ったのは、全ての皮膚や肉を名残惜しそうに付着させる骸骨が3つ。
もう笑顔を見せる事の無い3人の亡骸。
ただそこに真希は存在しない。
だから初め聞いたとき、真希は現実感が乏しいことで悲しむ事が出来なかった。
それでも徐々に。
徐々にではあるものの、物足りなさを感じるようになった。
寂しいと、悲しいと、独りなんだと分かるようになった。
何も無い、何も掴めない、何も見つけられない。
どうしてなのか。
ただ思うのは、両親が死んだと言う場所が、あのビルが建てられた場所だった事。
あのビルを止めたのは真希がさまざまな人間に噂を広めたからだ。
家族3人が殺された場所だ、と。
- 284 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:32
-
そして愛が1年の頃、真希がある事件を起こした。
受験を控えた約1週間前に、ボヤを起こしたのだ。
幸い鉄の一部分だけが焼けただけだったが、その所為で内定にも大きく響いた。
だが学校側は何とか進学させようとしたが、真希本人から、断りの申し出が来た。
今では、古本屋を切り盛りして生計を立てている。
もしかしたら、まだ敵は自分が復讐しようとしているのかと想定し、今でも
自分自身の事を探し回っているかもしれない。
それでも真希自身、そんな事をする気はサラサラ無かった。
戦う術なんてものも持っておらず、どうやって相手をするのかも分からない。
だから逃げることしか出来ない。
傷つくのは、いつも自分じゃなく、他の誰かで。
その度に思ったのは、何故自分じゃないのだろうって。
そうして日々が過ぎていく。
意味の無い日常の中で、魚のように漂い続けて。
ただバカに笑って、笑顔を浮かべ続けていた。
- 285 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:33
-
慣れないと疲れるときもあったけど、そんな自分を自分で今笑っている。
笑い飛ばしてしまいたかった。
セカイを全てを。
出来る限り、残された時間の中で。
ただ今それだけが頭の中で駆け巡っている。
だから犠牲になった。
だから吸血鬼と言う人外のものにもなった。
そして、愛に出逢った。
マイナーな小説ばかりを見に来るのは、中年の男性か老人が数人。
しかもどこか自分を関心する人はダレも居なかった。
そんな中で、愛は特に異端だった。
自分自身にさえも興味を示し、会話を交わすまでになった。
寂しかった、のかもしれない。
両親と弟が死に、新聞でも取り上げられたあと、急激に学校での
友人は減り、ダレも近づくことをしなくなった。
そしてそれだけじゃない。
- 286 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:33
-
愛は人の死を知っている。
両親が居るあのビルへと入り、救われた気分になるのだと。
彼女が居れば、変われるような気がした。
死んだとしても、救われるような気がしたんだ。
「…高橋になら、殺されてもいいかな」
「えっ……」
「冗談だよ、本気じゃないから気にしないで」
「…死んだら、終わりですよ」
愛の小さな声に、真希はきょとんとした表情で見つめる。
そして気付き、自分とセカイを自嘲した。
始まっていないと思っていた世界だったけれど、すでに始まっていた。
始まって、終わりへと突き進んでいく。
それが良い事なのかは分からないけれど。
この世界も、自分自身のような気がして、居ても良いのかも知れないと思えた。
- 287 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:34
-
「高橋は可愛いね」
「うぇっ??」
「ホントに、殺しちゃうのがもったいないよ」
「…あんまりその言葉は使わないほうが良いですよ」
「あぁそか」
2人の中では、まるで日常的な会話をするような雰囲気が漂っていた。
赤い血。
黒い影。
母親と弟の声。
暖かいぬくもり。
冷たい死。
幼い記憶が、今の真希に"死"を重いものだと認識させ、軽いものだと認識させる。
自由を奪っている。
ようやく、傷を見せられる人物へであったと言うのに。
潮時、というのか。
「あれは、本物ですか?」
「ん?」
愛は冷蔵庫の方向へ視線を送ると、少し眉をひそめた。
ニコリと笑顔を見せ、真希は小さく頷いた。
- 288 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:34
-
「可笑しいかもしれないけど、何か子供たちが支えてくれてるんだって思えるんだ
それに事件が消えないように、何かしらの証拠もあったほうが良いしね」
「几帳面な、吸血鬼さんですね」
「だから可笑しいでしょ?」
「…分かる気も、しますけどね」
真希はその袋の中に詰まれた液体を見つめ続けた。
そして、子供達の心の一端を垣間見た気がした。
普通の人間には理解できないことだろうけど。
異常かもしれない光景だけれど。
それでも愛は、真希がダレも居ない台所で一人、欲を言えば6人で。
孤独を癒している容姿が容易に思い浮かんだ。
世の中には自分以外に理解者の存在を信じないものはたくさん居る。
良く言えば科学者、悪く言えば殺人者。
だけど全てが、人間だった。
吸血鬼なんていう、人外の仕業じゃない。
独りを知り、臆病な自分を知っている"人間"だった。
- 289 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:35
-
そして少なからず、愛もそれを理解しうる者だった。
妹を殺そうとした事実。
それが消えることは無いが、怖かった。
もしかしたら自分が殺したんじゃないのか。
小川麻琴を。
そう思う節が、いくつもあって抱えきれなくなった。
自身の思考を恨んだ。
さゆみの事を思う前に、まず自分があんな約束をしなければ良かった。
"じゃあ、私愛ちゃんの家に届けようか?"
あの時に、どうしてムリにでも断らなかったのか。
どうして彼女はあーしなんかを追ってきたのか。
どうしてあの車はあんなところを走行していたのか。
そんな偶然が何も無ければ、麻琴は死なずに済んだのに。
身体は震え、どうしようもなく膝が笑っていた。
ギュッと握り締める拳は予想以上に汗ばんでいる。
- 290 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:36
-
怯えて、怖くて仕方が無かった。
ひどく寒気が襲い、愛は自分自身を抱くように腕で身体を締め付ける。
濡れる髪はまだ乾くことをしない。
真希はそんな愛を見つめ、そして問いかける。
「世界の終わりはやってきた」
「望みは叶った?」
静かに、その言葉は愛の中へと染み渡る。
望んで何が悪いのだろう?
失くすくらいなら、全部終われば良いのに。
だけどそれを失っての悲しみを知っている。
例えば本を読んで考えを巡らせているとき。
例えば音楽を聴いて世界の景色を描いているとき。
そんな時にでも本当になる日が来る。
- 291 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:37
-
そんな時になったら、あーしはいくつもの失くしたものを腕に抱えて。
泣き崩れて世界の終わりを垣間見るのかもしれない。
通り過ぎたものたちへ戻らないことを悟りながら。
返答の無い愛を、真希は笑顔でこう切り出した。
「…今日はどうする?泊まる?」
「襲われても、文句は言えませんね」
「んーまぁ別の意味で襲っちゃうかも」
「あはは」
別に、それでも良いかもしれない。
こんな人間らしい吸血鬼になら、血を吸われて死んでも本望だ。
そんな事を愛は笑い、そして真希も笑った。
雨はまだ止む気配を見せない。
ただその音が、どこかこの世界の終わりを感じさせるかのようで
愛はこの場所に居心地のよさを覚えていた。
まだもう少し生きてても良いかもしれないと、思ったのかもしれない。
- 292 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:37
-
*******
- 293 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:37
-
吸血鬼は1人の人間を愛した。
自分を受け入れてくれる人間と出会った。
だが吸血鬼はヒカリの中へと飛びだって居たことを悟る。
このままではもしかしたら本当に殺してしまうかもしれない。
死んだ人間の意味を背負う吸血鬼。
いつかは、人間から離れなくてはいけないと考えていた。
愛する人のためにも、自分は消えなくてはいけない。
吸血鬼は触れるか触れないかの口付けを交わす。
それが意味をなすのか2人にも分からない。
ただそれを意味にするのは自分達だ。
吸血鬼は愛した人間に意味を託す。
そして吸血鬼は、愛する人間から姿を消した。
始まりの終わり。
終わりの始まり。
またいつか会えると共に願いながら。
- 294 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:38
-
*******
- 295 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:39
-
数日後。
愛を包む世界は暗い。
だから月のヒカリと星の瞬きをいつもより近くに感じる事が出来た。
愛は水面に仰向けになるように浮かんでいる。
服を着たまま、学生服のままで水の中に居た。
それ自体に何の意味もないけれど、とりあえず、入ってみたくなった。
場所は学校のプール。
今日もまた母親に友人の家に行くと嘘をついて。
仕方が無さそうにため息をする母は、それでも何も言わなかった。
見付からないように注意して、この場所に忍び込んだ愛。
時刻は把握できていないが、余程の時間なのは想像できた。
蒸し暑さが支配するセカイは夏休みに入っていた。
それとは逆に、木の葉のように漂う愛は水のひんやりとした気持ちよさを感じている。
- 296 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:39
-
放課後、部活が終わって教室の窓から見たプールよりも、実際ここにこうして浮かんでいると
更にこの場所を広く感じる事が出来た。
警備員の見回りは校内だけなので、ほぼここに人が来ることは無い。
しかも数日も前に1、2年生が掃除をした為に水は清潔で、ごみひとつなく佇んでいた。
ここにはよく彼女、麻琴と共に立ち寄っていた。
その時はプール開放の時期でもなく、落ち葉やゴミで荒れ放題だった。
だけどここが一番落ち着く場所なんだと分かると、そんなことも気にしなくなった。
道路に面した、グラウンドの隅にあるプールで、他愛の無い話をし続けた。
あの日も、ここでお弁当を食べながら2人のセカイがあった。
プールで泳ぐことを愛に教えたのは、まぐれも無く麻琴だった。
水泳部のエース。
朝練の時には決まって、そうしていたらしい。
ただこうして漂い、空を眺めるだけの行為。
麻琴はのんびりとした口調でその意図を答えた。
- 297 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:40
-
「なんだろう…なんかね、私達が居る場所のほかにもう1つ、水面があるんだ」
「それってなんか、宇宙を見てるんだって思ったら、まるで宇宙を泳いでる気分になるんだよ」
何が言いたいのか、何を言いたかったのか、今ひとつ理解できなかった彼女の言葉。
それでも懐かしい思い出。
微かに吹く風に、水が揺れた。
その度に愛の身体もゆるやかな波に上下し、気持ちのよさを感じた。
「麻琴もやれば良いのに…あ、でも何度もしちゃってるんやね」
呟いた言葉はセカイへ吸い込まれる。
ダレにも届きはしないそれは、何の意味も成す事は無かった。
もう一度、風が吹いて愛の身体を揺らす。
ヒヤリと、さきほどよりも寒さを感じた。
やはりただ浮かんでいる上に夜は急激に気温を下げてくる。
もう上がったほうが良いのかもしれない。
パシャン。
音を波立たせて、愛はプールサイドへと向かった。
その時である。
1つの影と、1つの気配。
- 298 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:40
-
「えっ………」
息を呑む声が聞こえ、愛はその人物と目を交差させる。
見慣れない女の子だった。
キャミソールにデニムのズボン、キャップのような帽子を被り、足はサンダル。
夏場のラフな、涼しげで今風の姿だった。
都会に行けば居そうな、そんな感じの女の子。
「………なに、してんの?」
女の子は目の前にいる制服を着たまま水につかっている変な女の子に問いかける。
愛は自分の意識の中に入りすぎていてプールサイドに居た彼女に気付かなかった。
しかもこの時間に、自分よりも年下であろうその人物に愛は。
「そっちこそ、ガキがなにしとんや?」
「ガ、ガキぃ??」
意外だった。
焦ることもせず、平然とこの水面に居る女性は答えた。
しかもガキ扱い。
予想外の事で、女の子の方が逆に驚いてしまう。
そして愛は開き直ったかのように付け加える。
- 299 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:41
-
「…言いたかったら、勝手に言えば良いやよ」
「?何に?」
「警備員」
「や、私も捕まっちゃうって」
あ、そうか。
愛は観念したようにそう呟いたものの、この目の前の女の子も
自分と同じように不法侵入をやらかしたのだ。
今言えば同じく説教をくらい、もしかしたら内定にも響くかもしれない。
それは少しマズイか。
「で、貴方はなんでそこに居るの?」
「水の中で漂ってただけ」
「服のまんま?」
「そう」
「もしかして…高橋愛さん?」
- 300 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:41
-
…女の子から自分の名前を呼ばれて、愛は一瞬ドキリとする。
同級生から言われたならまだ良かった。
見ず知らずの、しかも今偶然知り合ってしまった女の子。
当然、在り得ない事だ。
誰かが話したりしない限りは。
「なんであーしの名前…」
「そっか、あーだからここに、なるほど」
「こらそこ、勝手に解釈せんと教えるやよ」
「私、新垣里沙」
「小川麻琴のんーまぁ友達、かな」
「あと、田中っち…田中れいなとも」
新垣里沙、当時は中学生で受験生だった。
夏休みの機会を狙い、麻琴の思い出の場所を立ち寄っていた。
そして彼女が泳いでいたであろうプールの中で、愛を見つけた。
麻琴がこちら側で一番親しみのあった人物。
同時に、れいなが一番心配していた人物。
- 301 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:41
-
葬式の時に現れなかった唯一の、小川麻琴の初恋の人。
だが今それを責めることはしない。
本人が許さないだろうからだ。
プールサイドへと上がった愛は、タオルで全身を拭いながら里沙の
話に耳を傾けていた。
最小限に物音を小さくして。
「もうマコっちゃんの友人関係は広すぎて困っちゃうよ
ま、それなりに楽しめたけどさ」
「あんた、どこに住んでんの?」
「神奈川」
「…都会人」
「高橋さんは田舎っぽいよね」
ムカッ。
一瞬だったが、平常心を保ちつつ里沙へと問いかける。
- 302 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:42
-
「…で、もう帰るんやろ?」
「うん、明後日には、ね、でもその前に高橋さんに言わないとって思って」
「?あーしに?」
「…田中っち、あっちの病院に移る事になったんですよ」
「えっ…」
嫌味に行った言葉を、里沙は意外な言葉で返してきた。
田中れいなが、居なくなる。
すぐに思い浮かんだのは、さゆみの事だった。
今では出入り禁止にされて、全く会えない妹の事。
「…心臓が、悪いんやろ?」
「あ、知ってるんだ」
「さゆ……妹から、聞いた」
「そっか…、で、原因不明な病気にもかかってて」
「何それ?」
「分からない、ただ言えることは」
貴方の妹、道重さゆみの病状と同じ事だけ。
- 303 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:43
-
濡れた身体によりいっそう冷たい風が貫いていった。
訳が分からない。
理解できない。
そんな言葉を飲み込ませるほどの冷たい風だった。
接触感染。
だけどそんなものがある病気じゃない。
さゆみの、妹の病気は人を不幸にする病気じゃないっ。
「ホントに、そう思う?」
「…何が言いたい?」
「高橋さんは、妹の病気を本当に人に不幸をもたらさない病気だと
そう信じて疑わなかった?一度も?」
ふと、考えてハッと気付いたときにはすでに遅かった。
悲しげに見つめる瞳。
細い首の感触。
簡単なことなんだと、思った。
人が死んでしまうことは。
- 304 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:43
-
そう初めて気付かされた、あの日。
もしかしたら。
愛は悟り、そして里沙に詰め寄った。
すでに周りの事を気にしていられなかった。
思い、想う。
膨らみは弾け、その言葉はセカイへ。
「れいなの病状の悪化の原因はさゆやと言いたいんかっ」
「そうは言ってない、でも可能性は高いって先生が…」
「じゃああーしは…なんで生きてるんや?」
「それは…」
「あーしはいつも見とった、さゆの笑顔、さゆの姿、さゆの感触
さゆの声にさゆの話、そんな近くに居たあーしは何でっっ」
「…空気感染と、接触感染は違うよ、言えばその…」
れいなは受け入れてしまった。
さゆみの病気を、さゆみの悲しみを。
見ていられなかった。
姉に殺されそうになった妹の姿。
- 305 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:44
-
それをより深くさせたのは哀しい噂。
独りの人間の中で生まれ、大勢の人から吐き出された。
れいなはそれを聞き、知っていた。
だから長くは無いと思っている自身の中に、受け入れてしまった。
方法は簡単だ。
接触感染。
愛も来なくなってしまった病室。
怖いと寄り付かなくなってしまった真っ白な空間の中で。
押し倒して愛の無い行為に走りさえすれば可能なこと。
罪悪感はあった。
東京に住んでいる幼馴染の事。
いつか彼女の元へと行く事になるだろう。
その時にこのことを話すことは出来るだろうか。
答えは、Noだ。
- 306 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:44
-
その傷を背負い、自身は彼女の元へと戻る。
我慢できるのか。
己のその傷を見せずに、隠し続けられるか。
だが多分、出来るはずだ。
長くは無い日々。
偽の仮面を被り、自身の傷を隠すマントを被る。
大丈夫。
もう命が無いと分かれば、怖いものなんて無い。
そんな間違いの回答のみを刻ませて。
さゆみも、何が何なのか分からずに受け入れていた。
姉の気持ちによってココロは引き裂かれ。
れいなによって傷を塗り替えられる。
後にその精神的なショックから、世界を見えなくしたのは知るはずも無い。
- 307 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:45
-
だがそれでも、さゆみは、愛を恨むことはしなかった。
その上自分自身を不幸だと思った事が無い。
これまでの毎日が当たり前だと思っていた。
だから特に疑問を持つことも無かったし、自分の置かれた状況というモノが
それ以上でもそれ以下でもないと考えていた。
当然、そこから抜け出したい、どこか遠くへ行ってしまいたい。
少しも思わなかった。
生まれたときから存在する真っ白な世界。
これが現実で、日々である以上は、その中で生きていくのは当然だと確信している。
自分の立っている場所は、中心なんかじゃない。
ダレの声も聞こえないずっとはじっこの方だと。
だけど自己破壊のあとは日々が経つごとに増えていく。
生と死の境に立たされた自身を呪う事によって。
それでも、死にたいわけじゃなかった。
逆に生きる実感を持とうとする行為だ。
自分を知り、自分を頑張らせるためのもの。
そう思えるようになったのは、少なからずれいなのおかげでもある。
れいなから聞かされた少女に会う為。
- 308 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:45
-
だからだったのか。
今沸き立つこのキモチは、きっと変わってしまうかもしれない。
それでも忘れる事は無い。
彼女に会うまでに死んでしまっても、日々大きくなっていくだろう。
酷く曖昧な感情。
それでも酷く鮮明な愛の形。
行為が終わったあと、れいなの口から聞いた事の無い音が鳴り響く。
彼女を知り、唯一さゆみ自身と向き合うことの出来る女の子。
茜色に染まる街。
鳴り、形となる、部屋の隅で。
映り、鬱り、濁るソラ。
絡み合うメロディは、全ての事柄を知っている。
そしてこれからも、さゆみの中では大きなモノへと変わる。
少女、亀井絵里によって。
- 309 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:47
-
君に贈ろうと懸命に鳴り響く、歌詞も無い曲の旋律。
「歌詞が無いから変っちゃろ?」
とさゆみを元気付かせるように。
そして吸い込まれるように少女は、彼女の居る部屋に導かれた。
さまざまな感情が揺れるセカイへと。
「…会いに、行かないの?」
「…行けん、外出禁止になってしもたし」
「だからって、このままで良いの?後悔しない?」
後悔。
そんなの、生まれてからずっと背負ってきた。
麻琴の事、真希の事、そして……さゆみの事。
あーしはいくつもの失くしたものを腕に抱えて。
泣き崩れて世界の終わりを垣間見る。
通り過ぎたものたちへ戻らないことを悟りながら。
- 310 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:48
-
だけどそれは本当は、とても寂しく、悲しく、辛いことだ。
失くすことは悲しい、消えることは寂しい、独りは辛い。
嫌だ。
怖い。
何にも無い自分自身なんて。
「…でも、どうしたらええのか分からん」
「明日、病院に行こう」
「でも…」
「私も、行ってあげるから」
「……」
非常に厳しい話だ。
非常に微妙な話だ。
ジョークでも、冗談では済ませない。
カタン。
ハッとして気付いた愛の耳に聞こえた微かな響音。
おかげで現在の場所を把握し、背筋に悪寒が襲う。
自身の声で誰かが目撃するなんて事は簡単だった。
里沙もどこか真っ白な表情をし、愛と視線を交差する。
そして聞こえたのは警備員の怒号――――――ではなかった。
- 311 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:48
-
ニャー。
プールサイドから聞こえた小さな鳴き声。
里沙と愛はまた交互に視線を向けあうと、一気に身体の力が抜けるのを感じる。
猫、だった。
しかもまだ小さい、黒い毛並みに黄色い両眼を輝かせた、子猫。
どうしてこんな所に居るのだろうと意外な考えを浮かべながら、愛は手を差し伸べる。
ニャー、と鳴いて、子猫は愛の手を確認するように鼻で嗅ぐと、甘えるように顔を摺り寄せた。
ソッと撫でるとゴロゴロと喉を鳴らすその姿を見て笑顔が浮かぶ。
まるで彼女のような、愛しさを覚えた。
「うわぁ…カワイイー」
「飼い猫やないみたいやの」
里沙は何の躊躇も無く猫の頭に愛撫し、愛は首元を見て、首輪が無い事を確認する。
抱き上げると、ふと考えるのは彼女の言葉。
"ダレも居ないはずのプールの更衣室に怪しいヒカリが"
- 312 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:49
-
その猫が歩いてきた道を辿り、見つけたのはくたびれた段ボールの箱と敷かれたタオル。
どうやら誰かが隠れて飼っていたらしい。
プールの掃除で来た生徒も見つけて謝って逃がしてしまったか。
子猫の家となる箱は雨避けに大木の下にあったが、体勢を崩したように倒れていた。
その隣には更衣室の中で緑色に光る異様な電灯。
飼い主が子猫が寂しがらないように付けていたのかもしれない。
そこまで考えて、飼い主の人物が容易に予想できた。
全く、ホントにお人好しやの。
だがここからが問題だった。
愛の母親は動物アレルギーで、父親も許してくれるか微妙なところ。
だが彼女がこの世に残してしまったこの子猫を放って置けるほど鬼でもない。
ふと考えたのは…隣で愛撫を続ける里沙の姿。
「なぁ、この猫飼ってあげて」
「えっ?」
「麻琴の、…忘れもんやから」
「…良いの?私が飼っても」
「あんたなら、何があっても殺しはせんやろ」
「………?」
- 313 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:49
-
月明かりは流れの速い雲にさえぎられ、途切れ途切れに地上を照らしていた。
水面にはそのヒカリが反射され、まるで鏡のようにそこには宇宙が広がる。
愛は思い、想う。
狂気の色に染まった子供達の"夢"
だけど夢は簡単に壊れてしまうものだと判っている。
判っているからこそ、願い、そして崩れていった。
それでも大切に、生きることよりも大事に持ち続けていた。
そして意志を意味のあるものへと変えたのが真希。
思うと、愛は許せなかった。
子供達の行為を、死んでしまった人を冒涜するように。
子供達の無邪気な姿を消した大人たちの無責任さ。
そして自分自身。
- 314 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:50
-
自分自身は他の子供とは違うところが1つ。
生きている。
死んでしまったことで意味を成すものがいても、自身は生きている。
だから後は自分次第だった。
そしてそれを愛自身が消してしまっては、彼女がしてくれたことさえも消えてしまう。
だから生きよう。
自分自身のためではない。
想いと背負うものの為に。
それをする為に、この子猫が居てはダメだ。
人を殺す想いを知っている愛だからこそ。
彼女の想いを殺すことはしたくなかった。
まだまだ弱い人間である自身。
彼女になら託せると思ったのは、あともう1人の事。
いつからなのか、何の音もしなくなっていた。
風の音も、木々の音も、虫の音も。
ただ、隣に、傍に居る人間の気配だけは鮮明に。
- 315 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:50
-
「明日、あーしと、一緒に来てくれる?」
「それ、さっきの私の言葉を聞いてなかったって事?」
「あぁ、そうやったね」
猫を差し出し、あーしは濡れた制服を簡単にタオルで拭い、歩き出す。
後ろの方で何かぶつくさと言う彼女は、走って隣で歩き出した。
雰囲気がとても柔らかい。
口調や仕草はいちいち面倒そうなのだが、素直な子なんだろうな。
数時間も経っていない初対面の人間が、自分自身に力を与えている。
ソッと握ってくれた手は温かく、夏の暑さの所為じゃない。
プールの水で冷え切った身体が、優しさで包まれたような気がした。
彼女は、愛よりも小さいながらもたくさんの事を受け止めている。
それでもこうして。
優しくあるのは、どうしてなのだろう?
あーしも、こんな風になれるだろうか。
- 316 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:51
-
まるで、ダレかが連れてきてくれたかのようで、いくつかの顔が浮かぶ。
今日は長居をしてしまった。
随分遅くなって、母親は心配しているだろう。
家に、少なからず自身の居場所へと帰ろう。
「なぁ、あんたはどうやって帰るんや?」
「ここからそれほど遠くないから歩いてでも帰れるよ」
ニコリと笑った彼女、新垣里沙を愛は呼応するように笑った。
小さく「ありがとう」と呟いた言葉はココロの声。
やがて風になり、微かな光を頼りに足音を鳴らす。
ヒカリを見付けて。
歩き続けるための足音が鳴り続ける。
- 317 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:51
-
******
- 318 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:51
-
夜はなかなか眠れない。
身体が拒否しているのか、それとも明日の事で緊張しているのか。
目を閉じると、目蓋の裏には今でも彼女たちの笑顔が浮かべる。
ようやく眠れたとしても涙と一緒にすぐに目が覚めてしまう。
情緒不安定というのかもしれない。
考えを浮かんでも嫌なことばかりが過ぎる。
そしてすぐに朝がやってきた。
繰り返し続けて。
巻き戻しなんて事は出来るはずも無く。
進み続けるならば、変化をください。
一分、一秒の変化でも良いから。
もうセカイの終わりなんて望まないから。
- 319 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:52
-
ベットから降りると、明かりを点けずに机の前で立ち、見下ろす。
薄暗い部屋でも愛は徐々に慣れた視界であるものを引き出しから掴み取る。
窓の外から雨音を聞きながら。
バタバタと窓を叩く音が妙に鮮明で、遮断させたセカイの中は覆われる。
家の前の道路を一台の車がゆっくりとしたスピードで駆けていった。
そのヘッドライトが部屋の中でも照らし出される。
ヒカリの軌跡が、目の前のものを確認させるように輝かせる。
ジャケット写真は何かを訴えかけるように愛を見据え。
開けるとそこには虹色に輝くCDが一枚。
麻琴が死んで、初めて聞くその音楽。
棚に置かれたコンポにそれを挿入し、専用に購入したヘッドフォンを耳にはめる。
本当は一緒に聴くはずだったそのメロディ。
死んでしまった人間は何も出来ない。
妹、さゆみに叫んでしまった言葉を思い出し、後悔する。
本当は言うつもりも、殺すつもりも無かった。
- 320 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:52
-
生きてて欲しい。
嫌いにもなれるはずがない。
明日、言おう。
許してもらえるなんて想わないけど。
それでも、知ってほしい。
全てを抱えて生きられるように。
さゆみという存在の事も。
気付けばヘッドフォンから聞こえていた曲は終わり
次の曲へと変わっているところだった。
終わっては始まり、始まっては終わる。
机の隅に置かれた、妹の好きな飴とチョコレートの袋。
舌の上、転がすといちごミルクの味がするそれ。
夕焼け子やけ。
幼い子供が、母親に手を引かれて歩いている。
その手に掴まれた袋には飴とチョコレートが詰まっている。
小さな少女は笑顔で母親へと何かを話す。
ふたり。
通りの真ん中で。
手を繋げて歌を歌ったあの頃の自分。
- 321 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:52
-
たった1人の妹、家族の為に歩き続けた道。
あの時のように出来るだろうか。
明日はまだか明日はまだかと願いながら。
今ではそうも思えられなかった。
セカイの終わりを願っていたから。
大切なものが無くなる様な気がしたから。
だけど今は違う。
――――明日が来なければ、ずっと進めない。
ずっと今日のままで、泣き続ける事になるから。
何かがあっても、歩き続けよう。
真希が愛へと託したあの本。
さゆみの病室にへとあるだろうあの不思議な本は
どこかで愛への忠告だったのかもしれない。
- 322 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:53
-
内容はフィクションながらも現実味溢れた海外の話。
主人公は十六歳である女の子。
母親と共にある街へと向かって出会った1人の少女との生活。
両親の居ない少女は、主人公と共に歌を歌うのが好きな子だった。
愛情を持って自分に接してくれる少女を、主人公はいつからか妹
のような関係を築き上げていくようになった。
だが少女は死んでしまう。
持病が悪化し、最後には主人公の前から姿を消し、この世を去った。
最後に言葉を残すのだが、主人公はその意味を知る為に旅に出る。
新たなストーリーはそこには記されていなかった。
どうやらシリーズものだったらしい。
あとは自身で決めていけ、というような気持ちがあるようだった。
- 323 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:53
-
"もしかしたらきっと、気付けるかもしれないよ"
カタン。
音を止め、愛はヘッドフォンを取るとベットへと倒れた。
明日、彼女へと告げる為に。
いつか、自分達がお互いに貰った"大切"をあの子にも…。
瞼を閉じ、さきほどまで聞いていたメロディを口ずさんで眠る。
雨のBGMと共に緩やかな時間を感じた。
天気予報では、明日は晴れだと知らせていた。
- 324 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:54
-
*******
- 325 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:54
-
雨がやんだ夕暮れと帰り道。
並んでいる二つの影。
そして1人は隣の女性の表情を伺っている。
雨によって蒸し暑さを訴えるアスファルトは身体さえも侵食し。
歩くことで額には丸い汗を浮かべていた。
少女、新垣里沙はココロの中でため息を吐く。
まさかあんな結果になろうとは想わなかったからだ。
それは触れると壊れてしまいそうなくらい儚くて。
だけど、生きていけるような気持ちになるには十分で。
それを隣に居る彼女、高橋愛に持ってほしかった。
だがセカイは受け入れてくれなかった。
れいなの症状が悪化したことで、さゆみは以前よりも
部屋の外出が難しくなった。
同時に面会することも。
原因は接触感染による病気の進行。
- 326 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:55
-
そして病院内での愛の行動は、大人には受け入れられないものだった。
両親でさえも、病院からのその報せを受けて面会を
する事が出来なくなってしまった。
母親は本当の我が子ではないながらも、大いに泣いた。
父親は膝を崩し、泣くことを耐えていた。
運命なのかもしれない。
そうポツリと言った愛を、里沙は見つめた。
運命は人の身の上に巡る、幸不幸の成り行きだ。
運命は長い一生を支配するモノ。
そしてその元となる人生は道のり。
道はひとつじゃなく、さんざん迷って、やっと其処へたどり着いた。
その結果が、これだった。
- 327 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:57
-
もうこれ以上の変化は起きないだろう。
愛はピタリと足を止めると、里沙へと視線を向ける。
そして――――頭を下げた。
里沙は驚きながらも、次の愛の言葉によって胸を締め付けられる。
「さゆみを、お願いします」
「やっぱり、あーしには何も出来ない」
「でもきっと必ず、あーし、会いに行くから」
「もう少し大人になって、絶対に会いに行くがし」
今は両親を助けなくてはいけないけれど。
それでも、いつか絶対に会いに行く。
だから懇願する。
目の前の少女に。
ずっと昔。
またはずっと未来。
来ない日、来る日、ある日の事。
言葉、嘘、本当、幻と現実。
- 328 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:57
-
さまざまなことが起こった。
そしてこれからも続く。
冷たい手。
それに被さるのは、温かい手。
そして温かい心と、泣き出した顔。
多分明日には無くなってしまう笑顔だけど。
ずっと笑っていこう。
まるで音楽のように。
昨日聞いたメロディのように響き合い、セカイへ広がる。
何処にも無い此処から、繋がっていなかった場所へ、繋がる。
ぐるぐると廻り、巡る。
紡いでくのは、ひとつの物語。
ダレかの声が聞こえた。
優しくなる声だった。
繋がっていく。
全てを忘れずに。
繋がり、巡り、生きていく。
- 329 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:58
-
******
- 330 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:58
-
――――あれから数年が経った。
大きな七色の花火がソラを舞う。
下弦の月が宇宙を泳ぎ、そして今日も闇夜で輝いている。
何が変わったのだろう?
何が変わってないんだろう?
だけど1つ判るのは、あの頃から全く変わっていない自分自身。
妹が、さゆみが亡くなって一週間も経っていない。
また1つのセカイの終わりがやって来た。
空気が揺れて、ぼんやりとしていた愛の隣にドスンと座る人物。
光の衝撃波が空を覆いつくした。
空間を何色にも染めて、通り過ぎる。
「…美貴ちゃん、それなに?」
「あんず飴」
いや、見れば判るのだが。
皿で落とさないように食べている女性、藤本美貴。
彼女も、妹同然の少女を亡くしている。
そしてその人物を愛は知っている。
- 331 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 01:58
-
猫のような彼女は、さゆみを必死に守ってくれた。
白うさぎとネコの姿。
それを知るのは愛ともう1人。
大学で知り合った彼女は、外見は怖いと恐れられるが
繊細でダレよりも人の気持ちを知っている。
だからかもしれない。
愛と同じく肩を並べてくれたのは。
永遠の過去は見つめる未来よりも鮮明で、酷く悲しい。
こちらの街へと滞在してそろそろ一週間。
もう少ししたら、両親にここの大学へと進学することを頼む事にしている。
歌を歌う為に。
数年前に渡していた本が、膝の上で広がっている。
ある少女がある言葉で旅をするお話。
「愛ちゃん、大好きだよ」
- 332 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 02:00
-
無邪気に笑う少女の姿。
もう声が届かないことを知っている。
もう触れられないことを知っている。
ただ、もう一度。
それでも良い。
もうあっちでは彼女の存在は消えてしまった。
幸せだったのか、判らないけれど。
きっと、このセカイには幸せがあったんだろう。
確かにここに存在していたのだろう。
「そういえばあの2人来るって?」
「何でもカメちゃんが寝てたみたいで、無理やり起こして来るって」
「言ってなかったの?」
「「カメだから」だって」
「訳分かんないし」
此処を濡らした雨は、いつか乾くのだろうか。
人間というものは不思議なもので。
人間観察が好きな愛にとっては、このセカイは全て不可思議なものだ。
今思うと、セカイの終わりを願ったのはその所為かもしれない。
- 333 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 02:01
-
きっと正しいことじゃないと思うけど。
間違いでもないんじゃないかと思う。
そんな気がして、愛は自分自身に笑った。
あの日の想い出。
あの頃の、自分。
あの頃にあったもの。
目の前に見えたのは眩しきセカイ。
七色に鮮やかな光に焦がれ。
其処に立っていた。
その刹那だけでも、真実でありますようにと願って。
何かが変わると信じ。
何も変わらないものがあると信じ。
此処から何処かへ。
此処から…。
この日々が確かなものでありますようにと願う。
「なぁ、美貴ちゃん、明日どこかへ行かん?」
「どこかって?」
「んーどこでもええわ」
「はぁ?愛ちゃん計画性無さすぎ」
「あはは、そうかの?」
- 334 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 02:01
-
全く。
そう呟く美貴の表情は、どこか心配そうに歪んでいる。
そんな美貴に、愛は大丈夫だよと答えるように笑った。
冗談ぽく首元に顔を埋めた。
美貴は驚いて、あんず飴を落としそうになる。
「な、何してンの?」
甘い匂い。
そのまま噛んでしまったら、あの人の元へと行けるだろうか。
吸血鬼として、人間としてセカイを見るあの人。
まだ、何かを意味のあるものへとしているのだろうか。
口を広げて、自分の歯をむき出そうとするも、止める。
「ごめんの」謝ると、少し怒ったように「急にとか止めてよね」と
言葉を張るも、あまり愛には効果は無い。
- 335 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 02:02
-
優しい声の鳴る場所。
変わり続ける今日が、唯一の刹那。
変わらないものがあるんだと笑って、笑い続けた。
広いソラに、白い光と、淡い音。
かすかに、鳴って消えた。
変わっていくのは自分自身。
置き去りにされた日々の悲壮。
置き去りにされた今の希望。
変わりながら、全ては、変わらずに。
ヒカリがある此処で。
愛は笑う。
此処に在ると、今日も、あの日も。
- 336 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 02:02
-
ニャー。
どこからか鳴き声が聞こえた。
振り返ればそこには、あの頃よりもたくましくなった黒猫の姿。
その後ろには数日前にも会った2人の姿。
セカイの終わりを知ってるかい?
世界の終わりに立ってみよう。
何が見える?
何が変わった?
セカイの終わりを望んで。
セカイの何かを感じて。
立っていれば。
感じていれば。
何かが変わるかもしれないと。
- 337 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 02:04
-
そうして時は過ぎて、セカイはようやく変わっていく。
その中で失くしてしまったモノは、もう戻らない。
それでも、確かなものがあると気付いて。
今日もセカイは巡り、変わることを信じ、願った。
- 338 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 02:09
-
end.
cat and a vampire and the end of the dream.
thank you -all over.
- 339 名前:- 投稿日:2007/08/23(木) 02:09
-
- 340 名前:名無し亀さん 投稿日:2007/08/23(木) 02:18
- 補足として、1つ目のお話が今年の事。
2つ目のお話が細かいところの文面です。
中学にしようか高校にしようか迷い、結局高校生という事に
しましたが、誤字などがありましたら見ぬフリをしてください(マテ
コメントも有難うございます。
レスの方はこのスレが完結した時にまとめて。
- 341 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 01:52
-
終わる理由ってなんだろう。
前世とか、そういった根本的なものじゃなくて。
自身のセカイの終わり。
果てなく続くその理由はなんだろうか。
例えば夢。
だけど夢には続きがある。
その夢が終わりに来たとき、何かを掴んでいるだろうか。
一度見た夢をまた見ることは出来るだろうか。
満足感と喪失感。
夢の欠片。
どこか臆病で、弱くて、俯いて、振り返って。
終わる理由は分からないけれど。
それでも目が覚めて、私たちは思うのだろう。
夢のはじっこに置かれた想いを。
- 342 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 01:53
-
=てのひらの夢と夕焼け空の物語。=
- 343 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 01:53
-
晴れる青空。
深呼吸をすると、朝の冷たい空気が肺いっぱいに流れ込む。
雨上がりのにおいと、キラキラ輝く水玉。
やっぱりキライじゃないな。
好きだった。
この空間。
このセカイ。
だが少し…暑い。
長い夏が続いている。
十月に入っても、真夏日を知らせるセミの声が聞こえる。
テレビでは最高気温が炎天下並みの数字を表す。
そんな時に雨なんてものが降ると、ムシムシとする熱が発した。
- 344 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 01:54
-
亀井絵里は額から汗を滲ませながらベットに倒れている。
暑さのせいでもあるのだが、動く気にもなれないのだ。
唯一動かせることが出来る"彼女"も居ない。
来るはずの彼女が"今日も"来なかった。
約束をしている訳ではないので電話で文句を言えるはずもなく。
それでも最近つれない"彼女"がどうにも気になってしまう。
せっかく見せてやろうと準備していた"コレ"も見せる機会が無く、放置のまま。
ふらりと家に立ち寄ってくれる"彼女"だが
この数日、何度か置いてけぼりにされた事もあった。
元々、それは絵里自身にあったものだが、どうもぼんやりと考え込む時間が増えている。
故意で避けているわけでもないが、意識しての行動でもない。
今手の中に収まる携帯は一向に使用されないのを苛立っているかのように熱を持つ。
多分暑さの所為。
もやっとするこの感覚。
絵里はふぅっとため息を吐き、ゴロリと寝返りを打った。
- 345 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 01:55
-
チリリン。
風鈴の音と扇風機が起こす風。
―――ぁー、もぉー
バスバスとベットを叩き、絵里は心の中で叫んだ。
そして、彼女が気にしてやまない本人はというと。
- 346 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 01:55
-
******
- 347 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 01:56
-
「あーつーいーっ」
熱気の篭るアスファルトを歩く影。
ジリジリと太陽の日差しは身体を貫き、皮を焼いていく。
まるで焼肉になったような思いで、牛が少し可哀想になってきた。
直射日光を手で遮ろうとするが、全く効果は無い。
休みたいのだが日陰さえも見付からず、ため息が出た。
頬に流れ始めた汗を拭いながら、ただただ歩いていく。
新垣里沙は何も用が無いからそうしているわけではない。
というかすでに頼まれていたりする。
ふと"彼女"を思い出し、今日は立ち寄ろうかと思っていたところだった。
だが目的地は反対側。
約束している訳でもないので、本人には連絡もしていなかった。
だがこれほど遠い道のりであれば2人で行っても良かったかもしれない。
そう思わずにはいられない里沙であった。
と。
「あ、新垣さんっ」
- 348 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 01:57
-
突然背後からの声。
振り返ると、黒髪の長髪で、正規品の制服を着込んだ女の子。
後ろに結んだ髪の毛は以前見たときよりも長くなっている。
タカタカと走り、笑顔を浮かべて。
久住小春を里沙は笑顔で出迎えた。
「なんだ、小春かぁー」
「今日は学校午前中で終わったんですよっ」
「へぇ、そうなんだ」
「あと、高橋さんが呼んでました」
「…は?」
あの人、代役使うなら自分が来れば良いじゃないかっ。
そう悪態をつきながら、里沙はうなだれた。
小春は現状を詳しく知らされていないのか、首を傾げるばかり。
あれから2ヶ月が経った、10月のある日のお話。
- 349 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 01:58
-
******
- 350 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 01:58
-
「あのさぁ…何であたしが愛ちゃんの忘れ物を届けるの?」
「やからごめんって、謝っとるやんか」
「しかも家とかガキ閉めなよっ、無用心なぁー」
「えっ、高橋さんドア閉めないんですか?」
「やからぁ…」
「愛ちゃんにそんな期待はムリ」
「…なんかあーし、いっつもそんなことしてるみたいやん」
「「事実」」
駅前にあるオープンカフェで、4人は昼食を取っていた。
長方形のテーブルにはそれぞれが頼んだ料理が並べられ
4人は雑談を含ませながら口に運んでいく。
その中で猛攻撃を受けた高橋愛は頭をうなだれている。
自身が大学へと提出するレポートを忘れてしまったことから話は始まるのだが。
独り暮らしをするようになってからは何かとまだ慣れていないらしく
身の回りの事が「だらしない」と里沙が注意しているのだ。
それは彼女、愛も女性の1人。
生活の中ではどんなことがあるか分からない。
里沙達もそれを見越して言っているだけであり、憎んでいるからそうしているわけではない。
つまるところ、愛のムチという奴だ。
- 351 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 02:01
-
隣には藤本美貴、向き合うような形で小春と里沙が座り、陣を作る。
お昼時というのもあってか、他の席にも次々と人が座り、歩道では忙しなく人が歩き続ける。
セミの声が聞こえた。
里沙はまだ冷えることの無いセカイの事を少し考える。
「それにしても、全然涼しくならないねぇー」
「チキューオンダンカって奴ですね」
「セカイの終わりって、こうしてやってくるんかなぁー」
「何?いきなり…」
「セカイの終わりって…例えば滅亡とか?」
「「あー地球滅亡かぁ」なんて冗談に思っても、ホントに来るときは来る。
朝起きて目が覚めた瞬間にセカイが終わってるかもしれないやよ」
「えー…と、つまり、愛ちゃんにとってのセカイの終わりっていうのは唐突に起きるってこと?」
「簡単に言えば」
「…初めからそう言えば良いのに」
「やって今でもこうやってのんびりしとるときに隕石が来とるってテレビで」
「あー分かったから、落ち着きなって」
- 352 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 02:02
- 愛の話のまとまりはこの空間に居る全員がよく理解している。
ただ本人の自覚症状が無いため、ほぼ直る見込み無し。
里沙は軽いため息を吐くと、ズズーとグラスの中身を飲み干す。
と、こんな暑い中、いつも家の中で引きこもりの"彼女"を思い出す。
夏バテでベットにでも突っ伏しているだろうから、たまにはどこかに遊びに行こうか。
ないがしろにしている訳ではもちろん無い。
ただ若干いろいろなことのタイミングが合わない。
間が悪いというのか、外出するのも以前より減ったような気がする。
それに、あの子がこの世を去ってからまだ2ヶ月しか経ってないのだ。
今はまだソッとしておいた方が良いのかも、という気持ちも無くは無い。
"彼女"が不安を浮かばせているなら、里沙はすぐに駆けつけた。
だがまだ気付いていない。
「そういえばガキさん、カメちゃん元気?」
突然、美貴がハムエッグを口に運びながら問いかけた。
里沙は「んー」と唸りつつグラスをテーブルへ。
- 353 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 02:03
-
「どうなんだろ」
「何?最近会ってないの?」
「私にだって用事がありますから」
「あー見えてもちょっとした事に敏感やよ?」
「カメってあんまり人のこと気にしないよ」
「ふーん…」
「小春、亀井さんの家とか行ったこと無いです」
「あ、じゃあ一緒に行けば?」
ふむ、里沙は考える。
"彼女"も人とあれから人と接することも無くなった。
誰か気の合う子でも連れて行けば多少は良くなるかも。
それが良い事なのかは分からない。
あの子と会わせた事で、"彼女"は傷を見せ、深くし、癒し。
ただそれが良かったかという問いも、"彼女"しか知らないものだ。
だから里沙自身は気付かない。
「じゃあ…一緒に行こうか?」
「はいっ」
「大事にするやよ、ガキさん」
「えっ?」
愛は残りのご飯を食べる事に専念する。
小さく聞こえたのは独り言かと、里沙はその場では深く考えなかった。
- 354 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 02:03
-
生きていることは「大切」なモノが増えるという事。
いつか抱えきれなくなって、落っこちそうになって。
それを拾ってくれるダレかも、「大切」になるのだろう。
大切なモノを想うということ。
ただそれだけのはずなのに。
ただそれだけなのに、こんなに難しい。
それを痛感したのは、もう少し後の話。
- 355 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 02:04
-
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- 356 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 02:04
-
それはわずかな時間かもしれない。
過ぎ去ったのは些細なモノで。
それでも、"彼女"にとっては、とても大きなもので。
出会い、夏が過ぎ、秋の姿は見えているのか見えていないのか。
だけどあの"ヒカリ"を見つめることが出来て。
今を、生きてみようと想った。
生きてみたいと、心の底から想えた。
傷に触れ、ココロを全て見せて、受け止めてくれたあの子。
朝は来るのにずっと悪夢の中にいるような毎日を抜け出せた。
そうすると――――――今度は"彼女"が鮮明に見えて。
ピリリリリリ…
ビクリと、絵里は突然の振動に目を覚ます。
部屋の中は真っ暗になっていた。
一気に気温が下がったように暑さは感じられなくなっていて。
まだ鳴り続ける携帯。
その表示された名前に、頭は一気に覚醒…はしなかったが。
自分が思いのほか、笑顔を浮かべているのは分かった。
ボタンを押し、通話を開始する。
- 357 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 02:05
-
「ガキさん?」
『あ、アンタまた寝てたでしょっ?』
「ち、ちょっとだけ…」
『ちょっとじゃなくて、アタシ5回以上掛けてたんだからね』
「え”っ…」
『あ、それでさ、明日土曜日でしょ?家行っても良い?』
突然の里沙の声に驚いたが、その言葉で嬉しさが込上げる。
ようやく"アレ"を見せられる。これまで話せなかったことが話せる。
大半は里沙の会話を聞くのだが、それを突っ込むのが好きだったりするのだ。
絵里は承諾した。
『じゃ、明日ちゃんと起きてるんだよ』
「はぁーい」
プツン。
短い時間だったが、それよりももっと短く感じた。
絵里はゴロリと体を倒すと、枕にバスバスと手の平で叩く。
「うへへぇー」などという声も美貴が聞けば「キモイ」と一喝されるだろう。
それほど、絵里は楽しみだった。
そのキモチを、彼女自身は気付いていない。
そして「土曜日」という休日が何を意味するのかを。
- 358 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 02:05
-
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- 359 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 02:06
-
自然なキモチが"彼女"にとって喜ばせていることを知らない里沙。
だから非常に面倒くさいところだ。
携帯を折りたたみ、ベットに倒れこんで背伸びをする。
今日は疲れたな…。
「あー、明日はカメのところか」
呟きは天井へと吸い込まれる。
里沙はぼんやりと、ソラを眺めるように視線を漂わせる。
"大切にするやよ"
そういえば、どうして愛はあんなこと言ったんだろう?
ウトウトとする頭の思考に、雲のような霧が発生する。
同時に、里沙の瞼はゆっくりと閉じた。
―――――夢の中で、あの頃を思い出している。
明日はまた今日だった。
「大切」な人たちが笑っている夢。
何がそんなに可笑しいのか、分からないけれど。
何処か寂しくて、酷く優しかった。
- 360 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 02:06
-
その中に、"彼女"とあの子の姿もある。
今はもう居ないあの子と、今も生きる"彼女"の姿。
その中で、自分は悩みを抱え続けていた。
ふと、夢の中でしか会えなくなったあの子が目の前に立つ。
会話は無い。
だけど、生前も持っていたあの優しい雰囲気があった。
里沙が何か言葉を言おうとすると、あの子は悲しいのか、笑っているのか。
人差し指を口元に当てて、言葉を制してしまう。
もう、話すことが出来ないんだと認識させるように。
それが酷く悲しかったけど、受け入れるしかなかった。
ただ、"彼女"の想いだけでも伝えようと想うのに…。
それさえも、制してしまうのは、自分がもう居ないから?
想いを告げられても、あの子にはもう何も出来ないから?
それは寂しくて、悲しかった。
だけど、それ以上に悲しいのだろう。
同時に、"彼女"も。
- 361 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 02:07
-
――――――あの子は吸い込まれていった。
そして朝がやってくる。
目が覚めると、みっともないほど泣いていて、ココロの中の
ぽっかりと空いた穴に切なさが流れた。
だけど。
それでも、生きなければいけない。
目を開けて。
涙も笑顔に変えて。
今日もまた、当たり前に生きていこう。
- 362 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 02:07
-
******
- 363 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 02:09
-
絵里はまたウトウトとしていた。
予定よりも早く目が覚めてしまうなんて珍しいことだ。
最近はドラマを見たり眠気を覚ませてから眠るようにしているが
どうも体が「睡眠」態勢に変化しているらしく、すぐに眠ってしまう。
「子供じゃんっ」と言われるだろうが、絵里にとっては仕方の無いこと。
体が重い気がした。
それは精神的なものなのか、単に鈍っているからなのかは分からない。
ただ、いつも眠れば見ていた彼女の姿が見なくなった。
もうあれから数年と経つが、ぱったりと無くなってしまったのだ。
強がったように笑顔を浮かべていた彼女。
その雰囲気はあの頃のままだった。
心臓が悪くて都内の病院へと移ってきた彼女は、いつだって笑顔だった。
それは心配させないため?
それとも、やせ我慢?
意図は分からない。
ただ、最後のときが近くなっても、彼女は涙1つ見せることは無かった。
自分には「生きる」ということに未練が無いとでも言いたげに。
どうしてだったのか、未だに分からない。
聞きたいのに、彼女は何も言ってくれなかった。
- 364 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 02:10
-
私は、貴方の何だったんだろう?
夢の中でしかもう会える事の無かった彼女。
それももう会えなくなっていて…。
ほんの少しだけ、寂しさが募る。
人の命や、存在や、想いや、価値や、理由や、記憶や、世界…。
たくさんの物事と直面してきた。
それでも、慣れることが出来ない別れの一瞬。
一気に怖くなった。
もしかしたら、"彼女"も、なんて。
ピーンポーン♪
インターホンが鳴り響き、絵里は目を覚ました。
ムクリとベットから起き上がり、目向け眼を擦っていると、母親の声。
どうやらやってきたらしい。
急いで乱れた服を整え、下へと向かう。
リビングに待たせてある、という母親の言葉どおりにドアを開けた。
- 365 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 02:10
-
「久しぶりー、カメ」
「お邪魔してますっ」
「…へっ?」
いつも遊びに来たときには定位置だった絵里の場所に見知らぬ少女。
それに少しムッと来たが、渋々向き合うように座る絵里。
誰だったろう?
何だか見たことがあるような気がしたが、顔と名前が一致しない。
母親が出したお茶をゴクゴク飲み干していく。
「多分覚えてないだろうけど、こっち久住小春ちゃん」
「会ったこと…あった?」
「結構前だったし、カメ挨拶だけだったからね」
「ヨロシクお願いしまーす♪」
お辞儀をし、満面の笑顔。
「よ、よろしくね」その押しに負けそうになる絵里は、笑顔だけは精一杯だった。
元気な子だな。
小春の第一印象はそれだった。
まるで、ひまわりみたい。
- 366 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 02:11
-
「今日は学校も休みだし、小春も連れてきたんだけど…」
「あ、うん、絵里は別に良いですよ」
「じゃあ何しよう?どっか行く?」
「んーガキさんどこか行きたいところありますか?」
「えー私ぃ?私はぁ………ん?」
里沙が小春の視線に気付いて話が止まった。
絵里も見ると、そこにはぽっかりと口を開けた小春の姿。
ちょっと抜けたようなその顔で噴出しそうになったが耐える。
「小春ちゃん、どうしたの?」
「…新垣さんと亀井さんって同い年ですよね?」
「…?うん」
「なんで、敬語なんですか?」
ふと。
些細な疑問。
小春の考えでは、同級生は親しめば親しくなるほどタメ口になるものだ。
里沙と絵里は数年も前からの付き合いになる。
だが、まるで上級生と話しているような感覚の絵里に首を傾げた小春。
前から見ると、確かにそう想われても不思議じゃないのだろう。
里沙と絵里は顔を向き合わせる。
- 367 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 02:19
-
「結構前からだよね」
「えー…と、ま、まぁ良いじゃないですか」
「えー気になるっ、気になるよね、小春っ」
「はいっ」
「だ、だって、今治せって言われても簡単に治せないですもんっ」
本当のところ、絵里にも分からない自分の癖。
どうしてか、里沙と出会ってから敬語は治らない。
否、同い年では"里沙のみ"である。
委員長である威厳もあったからなのか。
それとも…。
「別に、徐々に治してくれれば良いんだけどね」
「あ、うん、すみません」
「ほらまたぁー」
「あ、アハハハ…」
何とか笑って、絵里はごまかした。
里沙も何かとすぐ納得する方なので、あまり深くは聞いてこない。
それが唯一の救いだった。
少し単純な面を持っているのだ。
- 368 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 02:19
-
「あ、あのぉ…遊びに行きましょうよっ」
「ぇ?あ、そういえば話飛んだ」
「なら、お昼ご飯食べに行きませんか?」
小春の言葉によって、里沙が美味しいお店へと案内した。
ダレの影響なのか、ほぼ3人は食べる事になると盛り上がる。
それは数ヶ月前の光景と同じ。
ズキンと、何かが痛みを訴えた。
それは、何かを止める音。
止めて、始めた音。
意識の向かう先の彼方へあるのは――――――"彼女"
「ほら、カメ置いてくよ?」
そうして触れた手は、酷く暖かい。
- 369 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 02:19
-
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- 370 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 02:20
-
絵里は屋上に居た。
透き通るような青空の下で。
ただその日も夏の声と暑さがピークに達していた。
もうすぐ夏休みというとき。
中学3年、里沙と親しくなって1年が経った頃。
「あーつーいー」
「ガキさんが屋上で食べようって言ったからですよ」
「だってぇ、勿体無い無いでしょうがぁ、こんなに晴れてるんだし」
「なんか、急激にお茶が熱くなってるんですけどぉ…」
「じゃあアタシのあげるから、ほら」
そう言ってペットボトルを差し出す里沙。
「全然変わらないんですけど…」と思いつつ、それを一口。
快適に過ごせる日陰ポイントを同級生から知っている里沙に
絵里は初めて屋上へと連れてこられた。
高校への受験真っ盛りな夏の空。
しかもここはほぼ立ち入り禁止の場所でもある。
- 371 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 02:24
-
それを知らない2人はそのポイントへと座り
持参した包みから弁当箱を取り出し、正座を崩す膝へと乗せた。
それは2人の母親が早朝に起きて作ったモノ。
里沙の弁当には丸いオニギリが半分、もう半分にはほうれん草のおひたし。
厚焼き玉子と茹でたソーセージにはケチャップがおまけとして付添う。
から揚げの上にはレタスとトマト。
絵里も似たようなもので、間違い探しであればソーセージが
アスパラベーコン包み焼きになっているだけ。
簡単ではあるが、2人の胃袋はすでに水分の量にとって満たされ
これが十分な量であったりする。
そんなおかず達に箸を伸ばし、会話をしながら減らしていく。
里沙は話していることが多いからなのか、絵里よりも量の減り具合が遅い。
絵里と里沙はほぼ昼食は教室でとることが多い。
委員長である里沙は、友好関係は築くことが上手く、クラスメイトと
騒いで過ごしている。
ただ、絵里はほぼ脱力系な上に、自分から人気の多い場所に行くことは好まない。
そのため、里沙に手を引かれて昼食をとることが多かった。
- 372 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 02:25
-
絵里は渋々と言った感じでその輪の中に居たが、里沙以外の
クラスメイトに会話をすることは極限、少なかった。
そんな絵里を、里沙が気晴らしにここへ連れ出した事には気付いていない。
「あーでも、アタシ達もそろそろ卒業だねぇ」
「そうですねぇ」
「でも勉強とかヤダよねぇ、やっぱり」
「うん、頑張らないと…」
ほぼ受け答えな会話でも、里沙も絵里も何も言わなかった。
長い黒髪と清楚な雰囲気が良く似合う絵里。
見た目で物静かな印象を持たれているが、実際は人懐っこい
性格の持ち主であることは里沙は知っている。
徐々にではあったものの、絵里の笑顔が最近見れていない。
何があったのか、それも少し気になっていた。
ここに来ても、絵里はぼんやりとご飯を食べ続けている。
食べ終わると、里沙は壁に背中を預けると、空を見上げた。
悠々と動く雲の動きを目で追ったり、形を何かに連想する。
- 373 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 02:27
-
「…あ、アレって何かネコの形してない?」
「そうですかぁ?」
「アタシね、ネコ飼い始めたんだよ」
「カワイイですか?」
「チョーカワイイよ、今度見に来る?」
「えっ……?」
初めて絵里は驚いた表情を見せた。
それにしては少し悪いという気持ちも働いているようで、歪む。
里沙はそれに気付かずに、話をし続ける。
「そういえば、アタシって亀ちゃんの家にも行ってみたいな」
「あの……えと…」
「ここからそう遠くないんでしょ?だったら行っても良い?」
「……でも」
「なんか、イヤだったりする?」
「そんな事ないですけどっ……その」
この時、里沙はふと過ぎった顔を思い出す。
"彼女"の事。
里沙はここ数日、バスケ部の大会が近い所為で会いに行っていない。
茶道部であった絵里は普段と同じく通い詰めていただろう。
何か、あったのかもしれない。
- 374 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 02:28
-
「何か、あった?」
「…」
「…例えば、田中っちとかと」
「……………」
「何か言われたり、とか?」
里沙は絵里、れいなの出会いを思い返す。
それはほんの偶然の出来事。
絵里とれいなが幼馴染というのを知ったのは、こちらに帰ってきてからだ。
病院へと足を運んだ時、絵里と鉢合わせになった。
その時の表情は、今でも忘れられない。
何の関係も無いと思っていたクラスメイトが自身の幼馴染を知っていたという事実。
それが一気に距離を縮める事になったのは言うまでも無い。
だがどこかで、絵里は里沙に感じていた事。
短い生涯である幼馴染と、自分の所為で、と。
「…一人で抱えられなかったら、言っても良いんだからね」
だが絵里は、殆ど口に出すことは無かった。
自分の言いたいこと、自分が感じていること。
不安、恐怖を。
ギュッと掴まれた手の感触。
- 375 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 02:28
-
震えた2つの手。
なんでこんなに私に構うの?
なんでこんなに私の心に触れようとするの?
なんでこんなに私の事で必死になってくれるの?
「大丈夫ですよ」
「なら、良いけど、ね」
ヘラッと笑った絵里の笑顔に、里沙はまだ納得していないようだったが
これ以上の散策は止めておいた。
酷く優しい、手の平。
離れてほしくないという意思表示のように、絵里は掴んだ。
矛盾の中で溺れてしまいそうになるのに。
"彼女"も、ただジッと笑顔を崩さなかった。
叫びたいと思うのに。
助けてと思うのに。
言えなくて、悲しくて。
ただただ酷く優しい、暖かい手だけを感じて、絵里は小さく泣いた。
- 376 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 02:29
-
******
- 377 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 02:30
-
いつの間にか夕方になっていた。
絵里はぼんやりと、揺れる電車の中でそれを見据える。
チラリと、隣へ視線を向けた。
里沙が、小春へと微笑みを向けていた。
ドクンと小さく、鼓動が鳴った。
それが何を表しているのは分からない。
ただ、その表情が自分に向けられていないと思うと、悲しくなった。
詰まる電車内。
人が人の中に埋もれているような状態。
その左右に備わった椅子に腰掛ける3人。
ガタンと、隣の人が態勢を崩したのか、絵里へと重心を掛けてきた。
「きゃっ」
「イタッ」
ごつん、と。
絵里の額が里沙の後頭部にぶつかった。
悲痛を訴える2人がそのまま視線を向き合い、一方は表情を歪ませる。
ハハと、小さな声を上げる絵里。
- 378 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 02:31
-
「アンタぁ、起きて早々何やってんの」
「す、すみませぇん…」
「まったくぅ」
頭を擦りながら、里沙は可笑しそうに笑った。
何がそんなに可笑しいのか分からないが、人間というのは
痛みを与えられた場合、笑ってしまうらしい。
絵里が思うに、里沙はそれほど我慢強いというほどではない。
軽いものだったが、絵里も気付けば笑っていた。
「何笑ってんのさ」
「何ででしょうね」
電車内にも限らず、絵里と里沙は笑っていた。
里沙と居ると、そんな自分が現れるようになっていた。
待っていた両親の元へ小春を送り、絵里と里沙は帰路へ。
夕暮れと共に浮かび上がる2つの影。
ふと絵里は、あの頃を思いだした。
"彼女"が居て、その帰り道を。
それはまだ二ヶ月前の事。
- 379 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 02:32
-
「そういえば、なんかこうやって歩くの久しぶり」
「…そうですねぇ」
「何か、今日はぐっすり眠れそうだよ」
「アハハ」
普通に笑えた、筈だった。
里沙は絵里へと視線を向けると、瞼を二度、開閉させる。
分からずに「何ですか?」と問いかけると、里沙は首を傾げた。
「んー…別にぃ」
「何か、付いてます?」
「いや、別に何も付いてないけどさ」
何かを言いたげにしていたが、里沙は歩き始めた。
絵里は一瞬、無表情でその背中を見つめる。
気付いてるのかもしれない。
それでも、里沙は何も言わなかった。
ただ、手に掴まれた手の感触が蘇る。
酷く暖かく、そして優しいあの手を。
「何なんですかぁっ?」
冗談のように、追いつくようにその手へと手を伸ばす。
あと数十センチ。
……。
絵里は腕に力を込めると、手を動かすのを止めた。
何がそうさせたのかは分からない。
ただ、触れる事に戸惑いを感じた。
- 380 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 02:33
-
触れることを、怖がった。
里沙は何の抵抗も見せずに、受け入れてくれるだろう。
だが絵里はその前に自分自身で。
"彼女"はまだ絵里に対してのものだった。
だからいろんな事を受け入れてくれた。
だが。
里沙は、絵里に対してそういった感情を持っていないだろう。
だから軽蔑するかもしれない。
恐怖。
でも、里沙も悪い。
貴方が救ってしまった命。
なんでこんなに私に構うの?
なんでこんなに私の心に触れようとするの?
なんでこんなに私の事で必死になってくれるの?
そんな疑問をその手で救ってしまったから。
絵里はまだこんなにも…闇の中に居る。
「あ、カメっ」
「えっ?」
「今度さ、愛ちゃん達と一緒に遊びに行くんだけど、行かない?」
- 381 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 02:35
-
ほら。
絵里の気持ちを無視して、すぐに他の人の名前を持ち込む。
里沙は悪くないのに、歪んだ気持ちが溢れる。
いろんな事への想いを強くすれば強くするほど。
里沙が、遠くなったように思えて。
何故か、変な感情に覆われそうになる。
また、家には遊びに来てくれるだろう。
来てほしいと、懇願する。
絵里は、こんなだっただろうか。
自分自身が、少しずつではあるものの、また暗いものに包まれる。
ただ笑顔のまま。
「…うぅん、絵里は良いよ」
「何か、用事でもあった?」
「…ちょっと……」
「カメ?」
里沙はまた絵里の顔へと視線を近づけた。
それは重く、痛い。
夕日は堕ち、闇がやってくる。
風は秋を鳴らす。
公園に生える木々の軋む音。
かすれた葉っぱの音。
稲穂が囁く。
風が鳴らし、持って行くように通り過ぎていく。
- 382 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 02:36
-
――――――。
途端に聞こえた。
封じ込めていた歌声が、絵里を貫くように。
ビクリと体が飛び跳ね、周りを見渡した。
「カメっ?」
「今…っ!?」
夕日の中で、絵里は見た。
長髪の黒髪。
口にはホクロ、大きな目をこちらに向けて。
真っ白な装束の姿。
――――――さゆみが、居た。
表情を歪ませて。
酷く哀しそうなその瞳は、真っ直ぐ絵里を見つめる。
何かを言うわけでもない。
ただジッと、絵里と里沙を見つめるさゆみの姿。
絵里は走った。
里沙の声が聞こえたが、五感が正常に働いていない。
息を荒くし、足を前後に漕ぐ様に駆け続ける。
全身の筋肉が悲鳴を上げている。
でも、足は止まらない。
- 383 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 02:36
-
「ハァ…ッ! ハァ…ッ!」
家にはすぐ着いた。
だが絵里の場合は、すでに数十分も走り続けていたように
疲労感が通常の倍を持っていた。
ガタガタと床の荷物に脚を取られながらも。
ベットに体を放り出すように倒れこむ。
母親の声も聞こえたが、今は心臓の鼓動しか分からない。
ドクドクドクドクドク。
心拍数がこれでもかと言う程に動き回っている。
夢なんかじゃない。
確かに居た。
さゆみはあの時のままで、ただジッとこちらを見ていた。
有り得ないと思うのに。
やっぱりそうなんだと思った。
――――離れてほしくない。
記憶の中からでも、その人から自分を消したくない。
――――忘れてほしくない。
あまりにも執着心の塊のような独占欲。
それが先ほどのさゆなのか?
- 384 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 02:38
-
どうすればいい。
方法ならある。
さゆみも、"彼女"も。
殆どの繋がりが消えてしまった今。
あるとすれば、絵里自身。
会えば会うほど、想えば想うほど。
感じれば感じるほど、触れれば触れるほど。
感情が、気持ちが、全てが膨張する。
重い。
全てが重い。
抱える感情、死、闇の中、暗い暗い暗い暗い――――――。
カタン。
鳴らした額は布を被ったまま、その存在意義を失くしている。
彼女がこれを受け取るか、見てくれないと、眠ったまま。
あぁ、まただ。
あの時のような喪失感。
でも今度は誰にも支えられない。
誰にも助けを呼べない。
- 385 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 02:38
-
瞼を閉じ、暗い底へと落ちるように眠りへと入った。
グラグラと揺らぎ、一瞬、風の気配を感じた。
走っていた。
どんどん、駆け巡っては景色は流れていく。
まるで水の流れのように。
―――いつか見た夢と酷似する。
風が全てをなびかせる。
絡まった木の葉は1回転したのち堕ちた。
雨のように舞い落ちる。
ふわりふわり。
―――そしてこの先は…。
ザワザワと森の声が聞こえた気がした。
空に舞うことを強要させる風は身を包む。
身体に感じる風の心地よさと優しさは、全ての汚れを無くしてくれるかのようで。
絵里はふと、走るのを止めた。
いつだったか感じていた風の匂いと感触が消え、目の前にあるものを見つめる。
数え切れないほどの雑草で描かれた円形の広場。
そのまた中心にある円形には水が満たされていた。
- 386 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 02:39
-
―――まるで自分のように何も変わらず、佇む。
真ん中に立ってみようと水の中に入る。
冷たい感触が足から伝わり、空高く視線を上げた。
パシャリと、雫が舞い、静かに堕ちる。
真ん中に立っているはずなのに、もしかしたら中心には
程遠い位置に居るのかもしれないと考える。
それも一瞬で、ふとさきほど入ってきたところから一匹のうさぎ。
―――もう会える事は無いと思っていた。
真っ赤な目の白いうさぎは、絵里を見つめ、引かれあう。
まるで引力があるかのように、距離は短くなった。
うさぎは水の上を平然と歩いていた。
シタシタと、歩いた道には丸い円形が描かれる。
―――言葉は無かった。
ザワザワと風によって森がざわめく。
とても強いヒカリの日差しは、全てを見透かそうとする。
思わず手で遮る。
すると、白うさぎはそんな自分を悲しそうに見つめていた。
- 387 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 02:40
-
「…どうして、そんなにも悲しい顔をするの?」
「………」
「ねぇ」
白うさぎは困ったような表情をしている。
同時に、その顔を一瞬俯かせた。
「なんで、何も言ってくれないの?」と問いかけると。
何も言わずに、横へ首を振った。
ふと絵里は考え、気付いてしまった。
―――もうダレも、存在しない場所。
何も無くて、泣きそうになった。
気付きたくなかった、知りたくなかったと訴える。
「…絵里、もう気付きたくない」
「掴みきれないほどのキモチなんて、重いだけ」
「何も見たくない」
嫌だ。
分かっていたことだ。
これを離してしまえば崩れてしまうかもしれない。
何かが壊れてしまうような気がする。
変わってしまうかもしれない。
怖い。
―――キモチガ、コトバヲシンショクスル
- 388 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 02:41
-
「鮮明に気付くほど、自分の事が分からなくなる」
「強がっても、何にもならない感情が溢れ出てくる」
「どうしたら良い?どうすれば良いのっ?」
絵里は半ば叫んでいた。
ふと視線の先には、自分自身が居た。
以前の―――仮面を被った亀井絵里が居る。
ここに置き去りにしていたままの自分が。
片隅にまだ眠っていた自分自身の姿が。
「…絵里、もう疲れたよ」
流れ出したコトバは仮面に呼応するように吸い込まれる。
一歩一歩と、絵里は"亀井絵里"へと近づく。
虚ろな視界の中で、仮面は絵里の頬に手を添えた。
全ての音が掻き消えた。
渦巻きのように呑み込んでしまう。
白と黒。
何処かで見たことがあった夢の中で。
- 389 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 02:43
- 茜色、夕陽の下に佇んでいる。
自分の―――過去。
"彼女"が居なくなっても、世界は変わらなかった。
変わったものは、ほんの些細なもの。
たくさん感じたもの。
遠くとか、近くとか。
いろんなものに、それでも自分は1人。
みんなそうなんじゃないかとも思った。
でもみんな、笑ってた。
自分も同じく、笑ってた気がする。
別れを繰り返しながら。
――――――里沙も。
全てに身を預けようとした途端。
絵里は、何かの音を聞いた。
瞼を開くと、風に吹かれた花びらは粉雪のように。
宙に舞い踊っては、絵里へと降り続けた。
今の季節では考えられない。
異様な空間。
それでも、何かを示すように。
- 390 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 02:44
-
徐々に聞こえ始める微かな反響。
耳鳴りのように、頭を覚醒するような音。
気付けば、絵里は現実へと戻っていた。
目の前には振動と共に音楽を鳴り響かせる携帯電話の姿。
いつの間にか、辺りは本当の闇で覆い包まれていた。
そんな中で、携帯電話のヒカリだけが鮮明に。
表示名は―――里沙だった。
絵里はゆっくりとそれを取り開くと、耳に当てる。
「…ガキさん?」
『あ、やっと出たな、もぉー』
「どうしたんですか?」
『どうしたのじゃないでしょうが、あんたが急に走ってったから心配したんだよっ
もぉ、家に行こうかとも思ったけど、時間も遅いし電話にしたけど…』
「そう、ですか」
- 391 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 02:45
-
珍しく冷静な口調の絵里に気付いたのか。
里沙はほんの少し間を置くと「…どうしたの?」と問い掛けてきた。
気付くと、心臓の鼓動が鳴り響き、うるさい。
平然を装い、絵里は口を開いた。
「もう、会わないでおきませんか?」
『はぁ?何いきなり…』
「ガキさんが一緒に居てくれたのは、れいなとさゆが居たからですよね」
『!?』
里沙は一瞬言葉をためらった。
2人の名前が出てきたのが予想外だった。
あれからまだ2ヶ月しか経っていないのだ。
まだ時間が足りない、そんな時に。
「絵里のこと、弱いって思ってるんですよね」
『…ッ!?そんなことっ』
「絵里を助けて、優越感にでも浸ってるんじゃないんですか?」
『カメッ!』
「絵里は、ガキさんが思ってるほど子供じゃないっ!」
- 392 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 02:46
-
反響。
絵里自身も、ここまで激しく強い言葉を発したことは無い。
だが、その口調に込められた感情はまさに…「怒り」
里沙もそれに驚いたのか、戸惑ったように一瞬の沈黙が出来る。
「…絵里は、ガキさんのおかげでいろんな事に気付けた。
多分れいなの事も、さゆの事も、絵里、ずっと悩み続けてたかもしれない」
「でも…」絵里は言葉を詰める。
心臓が鼓動を揺さぶる。
痛かった。
ココロが、痛かった。
その事実を受け止め切れなくて、感情が高ぶる。
こんなにも必死になって、里沙に訴える必要があるのか、とか。
躍起になって、口を動かして。
「絵里は、ガキさんが居ることで、前に進めない」
「れいなとさゆを知っているガキさんだから」
「迷惑なんです」
- 393 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 02:46
-
感情に翻弄されている私は、その声にも半ば苛立ちも露に言葉を綴る。
半分は本当で、半分は嘘。
そう思うのは、まだ背後には"絵里"が居た。
無様で、情けなく、臆病。
自分がこんなにも感情的だなんて思ってもいなかった。
――…違う、忘れていたんだ。
自分の中に、こんな感情があったこと。
ただそれを、人にぶつけなかっただけ。
離れてほしくないと願っていたから。
『…じゃあカメは、アタシの事は仕方なくだったんだ』
里沙の言葉は冷たく、それでいて鋭い。
絵里は張り詰めたような雰囲気を電話越しで感じた。
彼女のこんな声を、初めて聞いたような気がする。
いつでも、里沙は絵里に対して暖かく、優しかった。
手の感触、瞳の輝き、発せられる優しい口調。
それが一瞬で、崩れ落ちた。
- 394 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 02:47
-
絵里は俯き、小さく呟いた。
震えようとする口を必死に押さえて。
里沙に気付かれないように。
「…うん」
『そっか、じゃあ、もぉ良いよ』
バイバイ。
プツン。
一瞬の事。
切って、携帯をベットに放り出した。
辺りの静けさが重い。
それは本当に、出口の無い夜の荒野。
自責の念が、絵里の中で溢れ出すように生まれだす。
「…ぅっ…うぅぅ…」
嗚咽が漏れた。
搾り出すように悲しむココロが泣いた。
頭の芯が熱くなって、ぐにゃりと視界が歪んでいく。
頬を伝う一筋の熱いものに。
気付けば、絵里は泣いていた。
- 395 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 02:48
-
いつからなのかも分からなかった。
もしかしたら通話前からその状態だったのかもしれない。
だがもうそんな事は関係ない。
体を丸め、絵里はベットの隅で泣き続けた。
膝小僧には熱い、悲しみや怒りの雫がボタボタと落ちていく。
苦しい、痛い、辛い。
暗い、どこまでもどこまでも果てしなき闇の中で―――
不器用なんだって、分かってる。
絵だって、そうだった。
描くよりも見る専門。
作るよりも飾る専門。
それが、"亀井絵里"だから。
怖がりで、臆病な自分だから。
だから鮮明に見えても、長くは続かない。
それに、絵里の気持ちなんて。
キモチを知った途端に、皆離れていく。
絵里の言葉も聞かないで、遠くへと行ってしまう。
- 396 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 02:49
-
変わらないことを望みながら、変わるのを恐れて。
変わることを望んで、変わらないことを恐れた。
―――重い。
空虚と後悔と嫌悪と自虐と忘却に咽ながら。
"私"が居る。
仮面を持った、"亀井絵里"が其処に。
好きになる事が重い。
好きになってもらう事が重い。
鮮明に見つめた先のヒカリが、重い。
- 397 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 02:50
-
******
- 398 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 02:52
-
里沙は呆然と、繋がりが切れてしまった携帯を見つめる。
初めての彼女の怒号。
「…バカ」
里沙は呟いて、携帯を折りたたんで机に置いた。
不意に、"彼女"の姿が思い出される。
あの子が絵里に対して冷たい態度をとっていた時期がある。
それは自分の寿命に負けそうになって、八つ当たりしたのだ。
真っ青な表情で、彼女はベットの上に居た。
震える小さな体には、耐え切れない感情と恐怖の渦。
触れた手はまるで冷たい、氷の様。
それでも必死に、掴もうとする強さ。
知っている。
優しい人間だからこそ傷ついて、悲しむ。
だからこんなにも、人は弱くなる。
離れてほしい、離れたくない。
それは、紛れも無く人の優しさから生まれた感情。
- 399 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 02:53
-
泣きそうになる彼女の表情。
それは、今の絵里のようで。
電話越しでも分かる、脆くて、今にも崩れそうなそのココロ。
でも、その本人から繋がりを切られてしまった。
確かに、彼女が言っていたことは嘘じゃない。
でも、全てが本当の事じゃない。
さゆみの事や、れいなの事もあったが、徐々に時が経つにつれ
里沙は個人の亀井絵里を見ていた。
さゆみの時は確かに助け舟を出した。
逆に絵里を追い詰めた事になったのかもしれない。
そうなれば、謝るのは里沙の方だった。
―――追い込んでしまった。
全部が手遅れになってしまった時に、初めて気づく。
自分が相手を傷つけているだけでしかなかった。
そして…自分に勇気がなかっただけ。
「ホント…バカだよ…っ」
- 400 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 02:53
-
倒れこんだベットの窓越しに、月が見えた。
酷く眩しいほどのヒカリの中で。
里沙は、目尻に伝う熱いものを感じた。
押し殺して泣き続ける2つのセカイは、脆い。
重い何かを抱えるだけの力が、1人1人に備わっていなかった。
だからこそ、喪失感がどこまでも付いて回る。
どうしてこんなに苦しいのか。
どうしてこんなに寂しいのか。
不安じゃなかったのは、彼女のせい?
寂しくなかったのは、彼女のせい?
寂しいのは。
不安なのは。
怖いのは。
―――彼女が、絵里が居なくなってしまうから?
当たり前になって、気付かなかった気持ち。
里沙は意識を飛ばす。
眠りたい。
何もかもを忘れて。
今は。
今だけは――――――眠ろう。
- 401 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 02:54
-
******
- 402 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 02:54
-
また、彼女が夢に出てきた。
ぼんやりと見える視界の中で、その表情は少し暗い。
言葉を交わせないというのは分かってる。
だけど、何か言いたげにしている事は、察しがついた。
大丈夫だと、彼女に伝わるように見据える。
笑ったような、気がした。
それでも、顔に浮かぶ影が消えることをしない。
ただ里沙は、想い、願う。
判ってた。
彼女が、さゆみが絵里の事を好きだったことぐらい。
里沙が何度か口にした彼女の名前に、幾度と無く反応した。
眠っているときでも、多分夢の中には絵里が居ただろう。
幸せそうに。
そんな彼女が、ほんの少し…羨ましかった。
だから良いと、思えた。
里沙でもダレでもない、彼女なら、いいと初めて思えた。
それが、もしかしたら同情か何かのものでも。
自分の気持ちを押さえ込めるならという自己中心的な考えで。
さゆみを、絵里に会わせた。
- 403 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 02:55
-
だが今、彼女は、笑っていない。
幸せそうなあの笑顔を浮かべていない。
それが少し寂しくて、ココロが痛む。
だから、思い、願う。
彼女のココロは彼女を望んでいると、思っていた。
さゆみが居たらもしかしたら、彼女はまだ笑っていてくれただろうか。
里沙はまだ気付いていない。
全てを押さえ、人の為にとキモチを押さえて。
それをより絵里を―――追い込んでいる事を。
何も無い中で、さゆみの瞳はただジッと、悲しそうに揺れていた。
- 404 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 02:55
-
******
- 405 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 02:56
-
それから数日。
絵里は外出することを極限控えるようになった。
体の重さが起床する度に増している。
喉がやけに渇き、それでいて鈍ったように思考が回らない。
絵里は洗面所で顔を洗いながら、自分の顔を見据えた。
真っ赤に充血した両目と、瞼の薄紫に変色するクマ。
可愛くないと、胸中で悪態をついた。
ご飯を食べ、服に着替えた後、ぼんやりと空を見据えた。
青く、秋の風に流される雲を目で追いながら。
これで、里沙が来てくれる事は無い。
それでも少し、期待する自分が居る。
バカみたいと、思った。
瞼を閉じればそこに、"亀井絵里"が仮面を持って立っている。
ただ絵里は、それを取れずに居た。
- 406 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 02:57
-
どうしてか、また全てが曖昧になりそうで、怖かった。
だから、変化なんてキライなんだ。
変わらなければ良いのに。
変わらない日常が、欲しい。
ソファの上に乗り、もたれる様な体勢のまま、ジッと窓辺を見渡す。
ふと見つけたのは、棚の上に飾られた観覧車の模型。
以前、里沙の親と絵里の親と共に行った遊園地のお土産。
2人共、絶叫マシーンは苦手だった為、これに乗って
自分達の安堵する表情に噴出して、笑った。
風も無いのに、観覧車は微かに揺らいでいる。
夕日を見つめ、ゴンドラから見える景色に感動して。
帰る頃には陽が沈み、夕暮れは長い影を作り、家路にへと着かせた。
模型の観覧車は、風も無く回り続ける。
何度も、何度も。
変わらない景色を変わったように見せてくれる。
ささやかな変化を与えてくれる。
2人はその変化を喜んだ。
- 407 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 02:58
-
絵里は景色を見つめ、隣の彼女と共に笑っていた。
純粋に。
ただ、彼女と見るその景色がただただ嬉しかった。
それなのに。
目の前には、彼女が居る。歩いて、歩き続けて。
息苦しかった。
暑くも無いのに、体中から汗が噴き出してくる。
早足でもないのに、呼吸が乱れた。
それでも彼女は、里沙は、歩みを止めない。
その背に追いついて。
背中に抱きつくだけでも、苦しくなくなるのに。
出来ない。手も、もう掴んでくれない。
表情は、暗い。
「―――バイバイ」
里沙の口から発せられた言葉。
時が止まってしまった街や、自分自身。
ダレも居なくて、さむしくて泣きそうになった時には
いつだって彼女が居たから、泣かなかった。
- 408 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 03:00
-
喧嘩をするときも。
喜びを分ち合うのときも。
その背中を。
その手の感触を。
何も無かったけど、彼女が居るだけで―――。
ふと、母親の声が遠くから聞こえた。
瞼を開けて、ようやく自分が眠っていたことに気付く。
友達…一瞬彼女を思い出したが、その顔を見て一気に脱力する。
「お邪魔します」
「おじゃましまーす」
「…高橋さん、藤本さん」
友達、としては少し年が離れている女性2人の姿。
だが成人しているとは言え、その容姿は高校を
卒業した絵里と比べても差はない。
愛は今でも高校生に間違われているほどらしいからだ。
先ほどまで絵里が居たソファに腰掛けた愛と美貴。
何だか、妙な組み合わせになってしまったと絵里は思う。
前者も後者も、今思い返した人物とは接点が多すぎるのだ。
- 409 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 03:00
-
母親はテーブルに銀色のマグカップを置くと、出掛けていった。
どうやら買い物らしい。
少量の砂糖で苦めに仕上がったコーヒーを啜り、眉をひそめる美貴と。
大量の砂糖で甘く仕上がったコーヒーを啜り、笑顔を浮かべる愛。
2人が来るなんていう事は、今まで無かった。
絵里は何故か愛に牛乳を入れられてコーヒー牛乳と化した飲み物を飲んで、一息つく。
悪戯か何かとも思ったが、違ったらしい。
「亀ちゃんさ、何か嫌なこととかあったでしょ?」
驚いたが、首を傾げてその意図を探る。
「…気分が沈んだときって、甘いものが良いんだって
ほら、美味しいものを食べるとしたら、ケーキとか、甘いものを連想しない?」
「んー…まぁ」
「やから、嬉しいことに直面すると、人の疲れは取れるもんやろ?」
「…そうだっけ?」
「あれ?そういうもんやろ?」
…解説はともわれ、絵里は妙に納得していた。
ズズと再度傾けるも、やはり甘い衝撃は変わらない。
- 410 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 03:04
-
そういえば、里沙もコーヒーは飲めない派だったかもしれない。
コーヒーよりも紅茶で、よく好んで飲んでいた。
ふと考えて、首を横に振り回す。
気を抜くと、思い出すのは彼女の事。
「で、ここ最近何かあった?」
「べつに…何にもないですってば」
「嘘、ヘタだよね」
「え…?」
「さすがガキさん、癖もよく分かってるやよ」
ビクリと、彼女の名前が上がって全身が反応する。
そうなんだろうとは、薄々感じていたことだったけれど。
本当にそうなんだと思うと、思わず戸惑いが隠せなくなる。
「人の顔を見ないっていうのは致命的だよね」
美貴はため息をつく。
愛は困った表情で視線を伏せていた。
絵里はいつの間にか無表情になっていた。
「最近、ガキさんが上の空なんやよ」
「突っ込む人が居ないとミキ疲れる」
「別に突っ込んでもええがし」
「…突っ込まれる本人が言っても説得力ないから」
- 411 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 03:06
-
気付けば、辺りは静まり返っていた。
時計の動く音のみがセカイをセカイと認識させた。
美貴の視線が、痛い。
「ガキさんと、何かあった?」
絵里に向けてのその言葉は、全てを知っているからだろう。
否、知らなくても、里沙の姿を思い出せばすぐに判る。
いつも隣に居た人物を、2人は知っている。
だけど。
「…何でも、無いですよ」
「なんでも無いっていう方があるんだよ、言いな」
「美貴ちゃん、顔がコワイで」
「愛ちゃんは黙って」
絵里は美貴の何かを感じた。
初めて、の感覚ではないが、全身が一瞬、震えを起こすほどのモノ。
それは「恐怖」であり、微かな「不安」
「変わったって言われた?」
「え?」
「れいなが居たとき、ショートにして茶髪にした事、あったよね」
「…あぁ…」
「あの時、ビックリしてたけどさ、凄く明るくなったねって話してたよ」
- 412 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 03:09
-
いきなり、美貴は昔話をするように話し始める。
その意図がわからない。
愛も同様にではあるものの、その表情は険しい。
「それでもずっと…変わらないものがある」
「?」
「今でもまだ、自分に言い訳してるでしょ」
「言い、訳…?」
「そう、しかも、相手の所為にしてる」
相手の所為。
…違う。
絵里は何も相手の事を責めてなんていない。
悪いのは自分で。
何もかもが自分の所為。
それなのに美貴は、相手の所為にしていると言う。
何故?
「意味が、分からないですよ?」
「じゃあ簡単に言うね。れいなが居たことで、いつも言い訳して殻に篭ってたんじゃないのっ?」
「…っ、美貴ちゃ」
「相手の所為だと言いわけして引き摺って、バカだね」
「…そんなカメちゃん、はっきり言って見たくないよ」
- 413 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 03:09
-
震える。
痛む。
傷が。
全てが。
思う事が。
重い。
言葉が一旦切れると、美貴の息が微かに上がっている事に気付く。
テーブルを回り、美貴は絵里の近くに寄る。
気配が、重い。
「言いたい事があるなら言いなよ、なんの解決にもならないって
カメちゃんも分かってるんでしょ?」
―――ムリしなくても、良いんだから
最後の言葉は、その歪む表情が語った。
絵里はただジッと、テーブルに置かれたカップを見つめ、俯く。
否定しなければという気持ちが大きく。
"以前"の絵里が持っていた仮面が、薄っすらと顔に重なって。
笑って、否定する。
笑うことにも否定しながら。
- 414 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 03:11
-
笑えない。笑ってくれない。
一度外した仮面はズルリと顔から抜け、床に堕ちる。
―――パリン。
反響し、仮面は衝撃に耐え切れずに割れた。
ガラスの仮面。
変わることの無い顔。
視界が歪み、パタタと床を濡らした。
「…違うんです」
「え?」
「絵里は、ずっと思ってました。
れーなが居なくなっちゃったら、絵里は1人だって。
ホントはそんなこと無いのに、何もかもが分からなくなっちゃって」
心の奥、深くに刻まれた何かに縛られて。
笑顔の裏側に、どれだけの涙を閉じ込めてきただろう。
それが分からなくなるほどに、絵里は笑い続けた。
何かが壊れてしまわないように。
何かが崩れてしまわないように。
「ずっと笑っててほしい」と言った、あの言葉どおりに。
それでも。
- 415 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 03:11
-
その言葉が、重い。
罪悪感が、重い。
孤独が、後悔が。
―――この命も、生きる事にも。
まるで押し潰されるかのように。
背負うものが重い。
何かに変えない限り、全てが、何もかもが見えなくなる。
それはまるで。
―――人殺しにでもなったかのよう。
「それでも違うんだって、思えたんです」
止まることをしない言葉たち。
それは想いも同じ。
拭うことも出来ない雫たちは、ただただ雨のように堕ち続ける。
美貴にじっとみつめられ、ただただ俯いて。
息が詰まるような感覚に、喉を鳴らしながら静かに目を閉じて。
「ガキさんは、知っててもこんな絵里の近くに、居てくれたから…」
- 416 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 03:12
-
嗚咽を漏らす。
思い出すのは、彼女の温もり。
里沙は純粋に、絵里の事を慕ってくれていた。
判っていた事。
それはれいなと会う前からであって、決して同情でもなんでもない。
以前から繋がっていた関係で接してくれた。
だから、1人じゃなかった。
夢であの子が出てきても、怖くなくなった。
それでも罪悪感は今も消えない。
悪夢だとも思った。
真っ白のセカイの中で、れいなは静かに息を引き取る。
安らか過ぎて、一気に喪失感と孤独感が襲った。
蘇生する為の機材が次々と運び出されて、一気にセカイは"無"へと帰る。
何の言葉も言えないまま、立ち尽くしていた絵里の背後から聞こえた声。
- 417 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 03:13
-
「…カメ」
氷のように冷たいセカイの中で、太陽を見た。
それでも、眩しすぎてそれを直視することは出来ない。
何もかもが重たい。
痛くて、辛くて、寂しくて、悲しくて。
暗い。
それでも―――傍に居てほしい。
「わがままなんです、絵里は」
手の暖かさは酷く優しかった。
一緒に手を引いた日々。
繋いでくれた証拠だと思わせるようなその感触。
居なくなってほしくない。
傍に居て。
離れないで。
駄々っ子のようなその感情は、「必要」とされたがる。
そんな時。
―――――――さゆみと出会った。
- 418 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 03:13
-
「…さゆ?」
驚いた声の主は愛。
一本の線が、繋がれた瞬間。
それはまるで、綻んでいたものが一直線になったようで。
絵里は、空間が張り詰めたように思えた。
「さゆが、絵里のこと好きだったって事、知ってました?」
「!?…っ」
「れーなから絵里のこと、聞いたそうです」
それがどれほどの希望だっただろう。
一番近くに居たれいなや愛ではない。
まだ見た事も無い、絵里を求めたさゆみのココロ。
別のセカイに生きている人。
立っている場所が全く違う2人。
不安と恐怖と孤独の世界の中に居ない人。
そして、その可能性を持っていると思っていたのが―――絵里だった。
いつまでも変わらず、愛せるモノがあった。
いつまでも消せずにいられる想いがあった。
- 419 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 03:14
-
まさに憧憬。
強い感情に支配されたさゆみのココロは、ただそれだけだった。
自分の存在している価値など、それで十分だった。
絵里が居るからこそ、さゆみは居た。
だが今では、絵里は居てもさゆみは居ない。
では絵里はどうすれば良いのだろう?
片身を失ってしまった今。
さゆみはそれで良かったかもしれない。
でも絵里は?
「時々、さゆが居るような気がするんです。
泣きそうな顔で、絵里をジッと見てるような気がして…」
「…それってさ、カメちゃんがこんなだからやないの?」
「え…?」
「ダレだって、好きな人が悲しんでるところは、見たくないがし」
本当は前に進みたい。
それでも、後ろも振り向けずにただその場所に立っていた。
罪悪感が、嫌悪感が消えない。
どこにも居ないような虚無感は、忘却を誘うように変化を望む。
惨めで、悔しくて。
どうして絵里だけ、こんな所に居るんだろう。
- 420 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 03:17
-
里沙に対しても、八つ当たりだった。
ただもがけばもがくほど、苦しくなって辛くなるから。
大切なはずなのに。もう辛くならないように、突き放した。
それでも、ずっとココロが痛い。
―――会いたい。
「…絵里の前から居なくなるなら、会わない方がいいと思って」
「それって、ガキさんの事?」
小さく、頷く。
隣で呆れたようなため息を吐く声が聞こえた。
テーブルを挟んだ隣のソファからは、「アハッ」と笑う声。
「ガキさんはそんな人じゃないやよ、いつでも自分の事では
パニックを起こすけど、相手の事になると必死やからね」
「ミキが見る限りだと、あれは絶対にいいんちょー系だね」
「ガキさんならやりかねんわ」
確かに里沙は中学時代の3年間ずっと学級委員を務めていた。
あまりやる人が居なかったこともあるが、それでも嫌な顔を1つせずにこなす。
ただどこかで、"責任感"を覚えていたのかもしれない。
努力して、それでもダメなら時には反発する意見を放つこともあった。
- 421 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 03:18
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多分、同じタイプだったと思う。
何に対しても責任を負えば負うほど、その後の遣り遂げれなかった時が怖い。
余裕が持てなくなる。
それでも里沙は、他人の事やモノをないがしろにはしない。
絵里も分かっていた。
里沙は絵里ではないし、絵里も里沙ではない。
ただ、タイミングが、間が悪いだけ。
判っている。
判っていたのに、絵里が先走ってしまった。
「このままで、ええの?」
いつの間にか、愛までこちらに近寄っていた。
絵里は止まらない雫から顔を上げると、それが一瞬、驚愕の色へと変える。
心臓の鼓動が、五月蝿い。
ドクン、ドクン。
フッと、全身の力が抜けたような気がした。
ただ抜けたのではない、両手両足が一瞬で動かなくなったのだ。
ドクン、ドクン、ドクン。
鼓動がいっそう増す。
それは疼きへと変わり―――痛みへと変わった。
- 422 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 03:19
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「うぁ…っ」
「カメちゃん…?」
ドクン、ドクン、ドクン、ドクン、ドクン。
これ以上に無いほどの痛みをココロに感じる。
否、これは紛れも無く…………心臓だった。
震える鼓動は全身を響かせた。
胸を抑え、絵里の体は床へと崩れ落ちる。
徐々に額から汗が滲み、心臓の鼓動は全身を震わす。
痛みは呻き声へと変わり、絵里はうつ伏せに縮こまったままで倒れこんだ。
「カメちゃん!」
「…、…っ、」
ドクンドクンドクンドクンドクン―――
絵里の耳には鼓動のみが蠢いて、鳴く。
美貴と愛が何か叫んだり、視界から居なくなる美貴の姿。
唇を噛み切って広がる鉄の味が鮮明に。
目を見開かせ、痛みを必死に堪えていた表情が一変に驚愕の色を見せる。
―――其処に―――さゆみの姿があった。
――――――声が――――――
――――――――――――――聞こえた――――。
- 423 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 03:20
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- 424 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 03:21
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―――暗転。
目覚めては眠り、眠ると目覚める。
目を開けていても眠っているし、目を閉じていても醒めていた。
変な気分。
脳裏にちらつく幻。
それでも現実。
風の残像。
何も無い。
それでも見下ろした世界には、人々が居た。
泣いている。
真っ白い女の子が、それを悲しげな瞳で眺めている。
それは自分であり、同時に"彼女"だった。
人間と人間が交差する。
だがそこには"生"も"死"も存在しない。
嘘のセカイ。
嘘の自分。
仮面を被った自分は、何も無かった。
現実の中で、幻を見つめている。
- 425 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 03:22
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刹那―――嘘も本当もなくなった。
成す術なく真っ白な女の子は堕ちて行く。
何もいわずに、ただその世界へと下り立つ。
―――暗転の末。
1つの箱を持っている事に気付く。
何か入ってるのは判るのに。
それを開けようと思えなかった。
どうしてなのか判らないけれど。
どうしてなのか、悲しいことのように思えて。
それでも、手放すことが出来ない。
なんだろう。
答えはまだ暗い場所。
それでも、たった1つの忘れ物。
―――暗転。―――暗転。
- 426 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 03:22
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思考が巡る。
はっきりするまえに絡まって、堕ちた。
何がしたいんだっけ?
何がしたかった?
判らない。
知っている。
意味が無い。
それでも。
奥の中に封じ込んでいたものが、溢れ出す。
ずっと、抱えてきたもの。
それは言葉へ。
「―――死にたい」
自然の叫び。
耳元で鮮明に。
亀井絵里は静かに雫を流し―――自身の"セカイ"の終わりを願う。
- 427 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 03:23
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- 428 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 03:24
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里沙が病院へと辿り着いたのは、それから数十分。
息を荒くして病室へと駆け込んだ。
真っ白な部屋の中で、無機質な機械の音だけが聞こえる。
丸天椅子に腰掛け、両目を真っ赤に腫らせた愛が振り向く。
息を整え、一歩、ゆっくりと歩き始める。
心臓が息を吐くたびに大きな鼓動を弾ませた。
里沙は、愛の前へと立ち、口を小さく開く。
「…何が、あったの?」
消毒の匂いと、微かな異端の匂いがする。
それは自身の生の匂いなのか、それとも…。
あるはずなのに、その面影は存在しなかった。
夢であってほしいと、私は始めて自身に願う。
夢なのだと、ダレかが笑い飛ばして欲しい。
だけど現実で。
だけど事実で。
頬に汗が伝うものの、拭える余裕すらない。
- 429 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 03:24
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この現実を。
目の当たりにしてしまった真実を辛く感じた。
痛い、鼓動が先ほどよりも大きく跳ね上がり、痛みを感じさせる。
――――亀井絵里は、ただただ眠っている。
緑色の酸素マスクと点滴を付けられ。
真っ白なベットの中で、ただただ目を閉じる。
一体何があったのか。
先ほどまであったはずの疑問は当に消えている。
身体が震えていた。
両目が痙攣しているのを感じる。
ふと聞こえたのは、背後から風に乗ってやってきた声調。
弱弱しく、本当に微かな声と共に、その言葉は聞こえた。
「急に、苦しんだと思ったらそのまま動かなくなって…っ」
「美貴ちゃんが救急車を呼ん、で、…っ……」
「…今、カメちゃんのお母さんを呼んだよ」
愛の嗚咽の中で別の声が響く。
美貴は愛を椅子へと腰を降ろさせると、里沙に言う。
それが耳に届いているのか、本人しか分からない。
- 430 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 03:25
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里沙は動かない。
ただジッと、呼吸器をつけて目を閉じる絵里を見下ろす。
動いたのは、その数十秒後。
震えたままの手は開かれると、撫でるように絵里の頬へと添えられた。
嗚咽が響く。
手の震えはまるで全身を伝染するように身を震わせた。
里沙のそんな姿に耐え切れず、思わず抱きしめようとする愛を。
美貴は制し、静かに首を振った。
自分のココロの内。
その笑顔で鈍らせて、ただ隠し続けた。
絶望の淵に立たされていた人のココロ。
それは決して…軽いものじゃない。
里沙も、それは身をもって知っていた。
ただ、またその気持ちを抱くのは、嫌だった。
"いつも"の日々。
当たり前の日常は、こんなにも脆くて崩れ易い。
たった1人の人間が居なくなった事で。
セカイは、あっという間に変わってしまうように。
ただ逃げる事に必死だった臆病者。
それは何も、絵里だけではない。
- 431 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 03:26
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もしかしたら、どこかで分かっていたのかもしれない。
絵里は2人も大切な人を失った。
一度は希望を持ってくれたが、すでに1人では立てない状態になっていた。
それに本人は気付かない。
たとえ1つの生きる希望を見つけても、負った傷を1人では治せない。
徐々に時間が経つことで。
いろんな大切なものが増える事で。
怖くなるのだ。
恐怖はココロを犯し、弱さを思い出させる。
また、自分の目の前から居なくなってしまうんじゃないか。
その不安が自身の業になって、全てを失くしてしまうんじゃないか。
何にも感じない。
指先が麻痺をしているわけでもないのに。
彼女、絵里が感じれない。
頬の暖かさに想いを乗せても。
不安になる。
悲しくなる。
こんなにも早く。
真っ白な雪の中で凍えそうになるほどの寒さ。
そうやって何も感じられないまま。
- 432 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 03:26
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彼女と、別れてしまう事になる。
そんなの、
――――――――絶対に、イヤだ。
「ガキさんっ」
ピクリと、手が震えた。
美貴が後姿に問い掛ける。
その表情は苦々しく歪んでいたが、ハッキリとした言葉で。
「もうお母さんが来るから、場所変えよう」
「…」
言葉は病室全体に反響し、3人の鼓膜へと明確に響く。
振り向く里沙の表情には困惑の色が浮かんでいたが
どこかで諦めたかのように目を伏せる。
途端、頬には一筋の涙が流れた。
- 433 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 03:27
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- 434 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 03:27
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ファーストフード店へと立ち寄った3人は、ただ
無言のままで席へと座った。
ただ他の来客からは死角になるテーブルへ。
この時間になると、来客の人数も多くなるらしい。
ガヤガヤと人と人との会話が飛び交う。
まるで先ほど居た病院の空間が嘘のよう。
「愛ちゃん、何かテキトーに頼んできて欲しいんだけど」
「…わかったやよ」
懸命に笑顔を作る愛は席を外し、美貴と里沙の二人だけ。
ボゥッと、ただただテーブルを見つめる里沙。
その目は虚ろに濁り。
本当にこれがあの"新垣里沙"のかと疑いたくなるほどの弱体。
ハァ。
そんなため息のような空気の揺れを聞いた。
「…ガキさん、そのままで良いから聞いて」
- 435 名前:- 投稿日:2007/11/02(金) 03:28
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美貴はジッと里沙を見つめる。
携帯の時間表示を確認すると、そろそろ彼女の母親が
病院へと到着するだろうと思う。
絵里は美貴の車で運ばれた。
救急車を呼ぼうかと思ったが、住宅街の中では人の目もある。
大事にはさせないための配慮でもあった。
その所為で母親へと報せる時間が遅れたことは否めない。
ただ命に別状は無いという報せは、美貴達も安堵した。
「愛ちゃんから、だいたいの話は聞いた」
里沙は動かない。
「道重さゆみって子の事や、それにれいなが関係してること」
淡々とした口調で美貴は語りかける。
「ガキさんって、ホントーに面倒くさい事に関わるよね」
肩肘をテーブルに置き、顎へと掛けた姿勢になる。
カリカリと、爪の先をイジりながら美貴はまた小さくため息を吐いた。
「…なんで、相談しなかった?」
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