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後藤真希殺人事件
- 1 名前:名無しさん 投稿日:2001年05月09日(水)00時05分16秒
- プロローグ
その日、市井紗耶香は成田空港に降り立った。
十八歳になっていた。
モーニング娘。は三年前にやめたはずだ。そして留学もした、まだ、私は一人前になれたわけじゃない。シンガーソングライターとして、一人立ちしたわけじゃない。
なのになぜ・・・。
今私は日本にいる。
戻ってきた。
モーニング娘。を救うために。
事務所から打診があったとき、私は即座に断ろうとした。私は、私の道をもう歩き始めている。今更、モーニング娘。に対して出来る事などないし、その手の問題には私よりむしろ、専門家が必要だと思った。
でも、私は、戻ってきた。なんのために?
「後藤を救いたかったから・・・」
- 2 名前:名無しさん 投稿日:2001年05月09日(水)00時05分55秒
- これは伝え聞いた事だけど、後藤は過密スケジュールで精神的に参ってると言う事だった。その姿があまりにも痛々しく、裕ちゃんが事務所に直談判したらしい。
「紗耶香を連れ戻すべきだ」って。
後藤は私の知らない間に生長し、ソロ活動さえ行っていた。そこにモーニング娘。プッチモニ、が重なるのだから、その消耗は半端ではないはずだ。
ところで、裕ちゃんは、モーニング娘。を二年前にやめた。が、いまは「ハロープロジェクト」のリーダーとして、ソロとしてがんばっている。おまけにドラマやバラエティーにも出演し、なかなかの活躍らしい。一躍、事務所の中の出世頭になっている。そんな裕ちゃんの意見を事務所側も無視できなかった。
そんな裕ちゃんに、よばれ、私は今、ここにいる。
- 3 名前:名無しさん 投稿日:2001年05月09日(水)00時06分39秒
- 後藤にどんな顔をして合えばいいんだろう?
後藤は堪えているのに、私はのこのこ戻ってきてしまった。しかも原因が後藤なんて言ったら、あのこは自分を責めるに決まっている。
もちろん、私はモーニング娘自体に戻る訳ではない。あくまで、応急的に呼ばれた人間なんだ。私がいったい何をすれば善いか、それは裕ちゃんに聞いてみよう。
私は混乱する心を抱えながら、タクシーに乗った。
高速で見えた空は、紫色で不吉だった。
- 4 名前:名無しさん 投稿日:2001年05月09日(水)00時07分11秒
- 「おう、紗耶香」
裕ちゃんは、3年前と変わらない調子で出迎えてくれた。部屋も変わっていない。
「大人になったなあ」
「裕ちゃんは相変わらずだね」というと、
「悪いなあ」と、皮肉った調子で返してきた。
私はベッドに座り、裕ちゃんが持ってきてくれたビールを飲んだ。
「乾杯」の一言が小さな部屋に響いた。
単刀直入に裕ちゃんは切り出した。
「あのこなあ、限界やで」
私は、苦いビールを一口飲んだ。「あのこ」誰だかわかっている。後藤だ。でもあの頃いっしょに活動していたメンバーから改めて聞くと、心が、自分でもどうしようもないほど痛くなった。
「あたしとなあ、楽屋で二人っきりになると紗耶香の事ばっかりはなすんや、あの時市井ちゃんはこうしてくれた、こうしてくれたって・・・」
胸がズキリと痛む。
「それでもまだよかったんや、最初の1年は、でも、でもな、人って弱いもんやねん。緊張の糸がとぎれたんやろなあ、段々、楽屋でも一人でいることが多くなって・・・これは矢口に聞いたんやけど・・・・紗耶香、これは紗耶香にしかできへん仕事や、後藤を、後藤を立ち直らせてやってくれへんか?」
「そんなに後藤は・・・わるいの?」
「・・・洒落にならへんのや、仕事はなんとかこなしてるみたいなんやけど、楽屋でもよく揉め事起こすし、なんかよく分からん事口走ったりしてみてて、いたいたしいんや」
「休ませてあげなきゃ」
後藤、後藤。
そんなに辛いのなら逃げ出したっていいんだよ。私のとこに来たっていいんだよ。私の頭は、ショートした。アメリカにいたニ年間、後藤が苦しんでいるなんて、後藤が、救いの手を待ってるなんて、考えもしなかった。
「それで実はな、あたしが、つんくさんに直談判して、明日から一週間、休みもらえる事になっとんねん、しかもつんくさんの知り合いが持ってる別荘へ連れていったくれるんだって。その別荘な、豪華な洋館なんやで」
流石に裕ちゃんは手回しが早かった。
「あんたのことも言ってあるから、それに、いっしょにきい、ほんで、後藤を慰めてやってほしいんや」
知らないうちに涙が流れていた。裕ちゃんはやっぱり凄い。
いつまでも嗚咽していると、裕ちゃんが恥ずかしそうに言った。
「うち、あんたらには幸せになってもらいたいんよ」
その言葉で、私はいっそう泣いた。
そして、そのときは気付きもしなかった。
それが最大の悲劇になるとは・・・
- 5 名前:名無しさん 投稿日:2001年05月09日(水)00時08分43秒
- 後藤と私との関係は私が後藤の教育係になったときから始まった。
私は、今思えば最初から後藤にひかれていたんだろう。そして同時に嫉妬もしていた。その才能に。そしてそれが娘。をやめる遠因ともなった。
後藤は・・・後藤はなんで私にひかれたんだろう。聞いたことはない。
ともかく、私は後藤が好きだったし、後藤は私が好きだった。
御互いの傷をなめ合いながら、一つベットで眠った夜もあった。
「いつまでもいっしょにいようね」後藤は甘えた調子で言った。
後藤と私はそんな関係だった。孤独を埋め合うように、癒し合うように、いつもいっしょにいた。
その蜜月の頃、裕ちゃんはひょんな事から私たちの関係を知った。驚いてはいたが、その後も優しい眼で私達を見てくれた。
しかし、そんな楽しい時間も長くは続かなかった。私が脱退の決意したからだ。それを告げた時、後藤は三日間口を利いてくれなかった。四日めに私の部屋にやってきて、やだよぅ、と泣き崩れるまでは。
みんな、もう遠い過去のことだ。
私は、実家には戻らず、その日は裕ちゃんの部屋で寝た。
「とまってく?」という言葉に甘えた。
裕ちゃんが寝物語に後藤の近況を話してくれた。言葉の一つ一つを噛締めながら、後藤の泣き顔を思い浮かべていた。
- 6 名前:名無しさん 投稿日:2001年05月09日(水)00時12分11秒
- 第1日目
私は日本海の小さな漁村にいた。裕ちゃんによるとその洋館は小さな孤島にあるらしい。そこまでは漁船をチャーターしていく。
その小さい港にはまだ私と裕ちゃんしか来ていなかった。タンポポはどうしても抜けられない仕事をこなしてくるから、遅れるそうだ。圭ちゃんと吉澤は後藤を連れて向かっている。こちらは車なので、渋滞につかまり、遅れている。圭ちゃんの運転だそうだ。こわそうだな。なんて、ぼんやり思いながら潮風に涼んでいると裕ちゃんが話しかけてきた。
「あっちではなみんなで自炊するんやで」
「え?マネージャーは?」
「休息やもん、メンバー以外は誰もおれへん、ま、島には一人、その館の持ち主がいるらしいけど」
「そっか・・・いいね、裕ちゃんが事務所、説得したんでしょ。ありがとね」
「おっ、久しぶりにわろたな、そや、紗耶香には笑顔が一番や」
「おわー、気持ち悪いなあ、裕ちゃんもまるくなったね。男?」
「まあねぇ」
「うっそマジ?誰?どんな人?」
「そんな、いそがんでも、一週間もあるやん。酒でも飲みながらはなそうや」
「そうだね」
「紗耶香ももう覚えたやろ酒の味」
「へへへ・・・」
裕ちゃんは明らかに私を元気づけようとしているようだ。私はそんなに厳しい顔をしていたんだろうか?
しっかりしなきゃ。私の役目は後藤を慰める事なのに、そんな顔してちゃ出来る分けない。それでなくともあの子は敏感なのだ。裕ちゃんが昨日言っていた。
「あの子は今、膨らみすぎた風船なんや、ちょっとの刺激でもすぐ、割れてしまう。割れたらどうなるか、あんたよう知ってるやろ」
大胆に見えるが実は、後藤の神経は脆く、危うい。私の脱退のときも細いテグス1本で持ってるような物だった。
「あっきたで!」
- 7 名前:名無しさん 投稿日:2001年05月09日(水)00時13分31秒
- 顔を挙げると、なっちが手を振っていた。隣に辻もいる。
なっちは歓声をあげて、私に走りよって来た。私の、元気にしてたという問も耳に入らない様子で、抱き着いてきた。私も腕をまわして応える。少しやせた様だ。
「久しぶりだね」
「久しぶり、なんか大人になっちゃってるね」
「そーお?なっちそんな自覚ないよぉ」
私は、笑ってしまった。まだ自分のことなっちっていってるんだ。顔つきは大人でも、まだ子供みたいだ。
「市井さん、お久しぶりです」
「おっ、辻、きちんと挨拶できる様になったんだ」
「はい」
「まあ、この子も、もう二年もやってるんやもんこれくらいできんと困るわ」
「そっか」
久しぶりの再会は和やかだった。
- 8 名前:名無しさん 投稿日:2001年05月09日(水)00時14分35秒
- 船長さんが船に荷物を積みこみ始めていた。もうあれから、二時間経つ。集合時間はとっくに過ぎていた。少し前、裕ちゃんの携帯に圭ちゃんから連絡があった。裕ちゃんに聞くと、少しごたごたがあって、こちらに着くのがさらに遅れるということらしい。予定では、タンポポを除いたみんなが、先に島に行くことになっているので、私達は港を出る事にしたのだ。
裕ちゃんが、おっきなダンボール箱を、引きずってやってくる。見かねて、手を貸してあげるとこれが重い。聞くまでもなくお酒だろう。
「こんなに飲むの?裕ちゃん」
「みんなの分や、カクテル用のシェイカーとかはあるみたいやけど、向うにはお酒、あんまりないらしいから」
船長さんは、なっちの大きなビトンのバックや辻のスポーツバックを積みこんだあと、私と裕ちゃんの鞄を積み込み、さらに食料品、飲料水などを運んでいた。
なっちと辻は、もう船に乗りこみ、おおはしゃぎしている。辻に至っては、すぐに荷を解き、おかしを口に運んでいる。みな一様に、この休暇をうれしがっている様だった。無理もない。私がいた頃もこんなにまとめて休める事なんてなかった。
乗りこんで出港を待っていると、辻が、おかしたべますか?と話しかけてきた。活舌のよい明瞭な発音だ。うん、と応え、ポテチを一枚もらう。私がやめてからの二年。裕ちゃんはもう大人になっていたからあんまり変わらないけど、やっぱり十代のメンバーにとっては大きな時間だったみたいだ。辻も、お子様の雰囲気が抜けつつある。やっぱ思春期はいいね。と、なっちに言うと
「紗耶香も大人になったべさ」と、冷やかしてきた。
応えに窮していると、
「むこうで、なんかあった?」
と、小声でなっちがいった。
「なんにもないよー」と、私は少し膨れた。なっちはあやしー、と大笑いした。
「中澤さんどこに行ったんですかねー」
辻が唐突に言った。そう言えば、さっきから姿が見えない。そのとき船長さんが顔を出し、もう船出だと言うような事をみんなに伝えた。方言で少し聞き取りにくい。私は、裕ちゃんを探しにいったん船から下りた。
- 9 名前:名無しさん 投稿日:2001年05月09日(水)00時15分05秒
- すぐそこの角に裕ちゃんはいた。携帯で誰かとしゃべっていた。
「裕ちゃ―ん!もう出発だよ」
裕ちゃんは振り返り、慌てて、携帯をきり、船の方へ歩き出した。
「なにしてたの?」
「ごめん。ごめん、ちょっとな」
「モーしっかりしてよ、リーダー」
「へへん、あたし、もうリーダーちゃうからね」
「・・・でも、年長」と言い私は逃げるように走る。
「なにお、こらっ!紗耶香!待て」
軽口を叩きながら、私はさっきの裕ちゃんの表情を思い出していた。明らかにしまった、と言う顔をしていた。私に聞かれてまずい事でもあるのか。まさか、後藤のことじゃあ。
「誰と話してたの?」と聞いてみる。裕ちゃんは、にやっと笑って、
「お・と・こ」といった。でも、続けて、
「さあ、いこう」と言った、あとの眼は、笑っていなかった。
- 10 名前:名無しさん 投稿日:2001年05月09日(水)00時18分30秒
- 午後三時、船は、目的の洋館がある黒岩島に向かって日本海を進んでいる。
だいたい二時間ぐらいで着くと、船長さんはいう。五十ぐらいの海の男って感じのその船長は、無駄口を叩かず、私達に話し掛ける事もない。ただ、時折、怪訝そうな眼で私達を見る。興味を持ったなっちが必死に話しかけていたが、普段はいか漁をしている事ぐらいしか聞き出せなかった。裕ちゃんは早々と缶ビールを飲み、いい気分みたいだった。
「あれ?」辻が素っ頓狂な声をあげた。どうしたの?と聞くと、
「メールが送信できないんです」との応え。
辻の携帯を覗き込むと、圏外の表示が出ていた。当たり前だろう、見渡す限り、みんな海なのだ。アンテナなんかどこにもない。都会育ちの辻には携帯がつながらないと言う事が、えらく不思議に思えるらしい。だからこそ、疲弊しきった後藤の神経を癒すのにはちょうどいい。裕ちゃんはそう思ったのだろう。私も、ぴったりだと思う。
でも、私はそのとき、なんだか分からない不安に襲われた。それは、おなかのそこから突き上げるような、確かな実感と不快感を持っていた。空を見上げた。そこには成田に降り立ったとき見たあの紫色の空が広がっていた。
「市井さん、市井さん、どうしたんですか?」
辻が私の体を揺らしている。私の様子を見て不審に思ったらしい。
「大丈夫、大丈夫」
「でも、でも・・」
と、辻は泣きそうな顔をしている。ちっちゃいなあこの子は、とのんきに思った。
- 11 名前:名無しさん 投稿日:2001年05月09日(水)00時19分10秒
- 「辻」
「はい」
「辻とは短い間しかいっしょにいれなかったから知らないかもしれないけど・・・かあさんは、強いのだ」
「はいっ」と、いって、辻は微笑んだ。
それで辻は安心した様だ。しきりに、ムースポッキーを私に勧める。つんくさんが辻のことを一瞬で雰囲気を変える力を持っていると言っていたが、本当だ。今まで得たいの知れない不安で一杯だった私の心をたやすく変えてくれた。この子には天性があるのかもしれない。もうすでに、私になついているし。
「みえたよー」
なっちが叫んだ。みんな、興味しんしんで船首に集まる。遥かな水平線の上に小さく、黒い点が浮かんでいた。それこそが黒岩島らしい。私達はこれから一週間、あの島で暮すのだ。私にとっては、後藤を癒すために、あの島に行くのだ。難しい仕事だけれど、後藤に会えることは、うれしい。私に、愛(少し照れるけど)と勇気をくれた後藤を、今度は私の愛で癒してあげるんだ。きっと後藤は甘えてくるだろう、うん、力いっぱい甘えさせてあげなきゃな。
「君ら本当にあの島にいくんかい?」
さっきまで押し黙っていた船長さんが不意に声を出した。
みんな一斉に振り返る。
きょとんとした表情で裕ちゃんが聞く。
「どういうことですか?」
「ああ、物好きだなあと思ってね、あんななんにもねえとこにねえ」
「なんにもないからいいんじゃないですかー」
なっちが笑っていった。
そこでみんな笑った。
- 12 名前:名無しさん 投稿日:2001年05月09日(水)00時19分40秒
- 「お嬢さんによろしく」
船長さんは、そう言って帰っていった。
黒岩島には港がなく、1ヶ所だけある砂浜にボートを下ろして、上陸する。島の三百度くらいは岩場だ。直径は2キロぐらいだろうか?本当に小さな島だ。砂浜から続く森林が、島の大部分で、海からは目的の洋館を発見できなかった。
私が、岸辺に荷物を下ろしていると、裕ちゃんが近づいてきて、
「さっきお嬢さんゆうとったなあ、ここの住民ていうのは、女の人なんやろか?」
と聞いてきた。裕ちゃんが知らないものを私が知っているわけがない。
「こんなところに住んでるんだから、お嬢さんていっても四十過ぎのおばさんなんじゃない」と茶化して応えてみた。
裕ちゃんは、ぴくっと、片眉を挙げたが、いつもの様には攻撃してこなかった。それを私は酔っ払ってるからだと思った。
「それにしても、出迎えもなしかいな」
「もしかして、歓迎されてないのかもね」
と、なっちは自分の荷物を、重そうに担ぎながら言った。
それを聞いた辻が
「そうですねぇ、あんまり世間と関わりを持ちたくないから、ここに住んでるんだろうし・・」
と、さかしげに言う。
裕ちゃんは抱えていた、お酒入りのダンボールを落としてしまった。
「どうしたん辻?熱でもあるんちゃうの?」
「ありませんっ」
- 13 名前:名無しさん 投稿日:2001年05月09日(水)00時20分26秒
- 砂浜から続いている、一本道を歩いていくと、じょじょに「お嬢様」が住んでると言う洋館が見えてきた。それは立派な物で、みんなしばしあっけに取られていた。全員に共通する感想は「なんでこんな所に、こんな物が?」。
明らかに場違いだった。しかし、辺りの森林とあいまって、強烈な個性を発揮しているその館は、そこにある事が、当然とも思われた。
「納豆カレーみたいやな」
そんな裕ちゃんの言葉も、みんなすんなり受け入れてしまったほどだ。
洋館の前の広場についたときには皆、雰囲気に飲まれていた。
突然。両開きの立派な玄関が開いた。
そこには一人の少女が立っていた。
部屋の中が暗く、はっきりと顔は見えない。
「ようこそ」そう少女が声を発したとき、背筋がぞくりとした。
やっぱり、来ては行けなかったんだろうか?
私は私自身に問い掛けた。
踏み込んではいけない領域がそこにあるように思えた。
しばらく動けなかった。
少女が、一歩進み出た。
皆、いっせいに息をのんだ。
「どうして?」
かすれる声でそうつぶやくのが精一杯だった。
陽に照らされ明らかになった彼女の容貌は、私の愛する人の物。
彼女は・・・・
彼女は後藤その物だった。
- 14 名前:名無しさん 投稿日:2001年05月09日(水)00時21分24秒
- 「そうこそいらっしゃいました。お迎えに行けなくてすみません。到着の時間がはっきりしない物ですから・・・」
最初に、我に返ったのは辻だった。
「後藤さん、先に着いてたんですかぁ?」
と、駆け寄っていく。
違う。後藤ではない。
後藤はあんな、話し方はしないはずだ。それに、私を見てもなんの反応もない。もしあれが後藤だったら、私は無視されたも同じだ。
「裕ちゃん・・」
裕ちゃんはまだ、ぼんやりとしていた。
「へっ?」と、間の抜けた返答をし、ようやく自体を飲みこめたらしく、
「辻ぃ、その人は後藤とちゃう、ここのお嬢さんや」
と、辻を制した。
なっちは、青ざめている。
少女は当惑していた。
客の驚きが理解できないらしい。この日本でモーニング娘。の後藤を知らない人間なんているのだろうか?ましてや年頃の女の子、直接見ないまでも人の口には上るはずだ。でもこの子はまったく私達を意識していない。後藤を意識していない。ただ、私達に、好奇の目を向けられることに戸惑っている。知らないんだ。後藤真希と言う自分と相似の存在を。
裕ちゃんが一歩進み出て、戸惑いながらも挨拶をした。
少女も何事もなかった様に取り繕い、私達を居間に導いた。二十畳ぐらいの大きな広間で、備え付けの暖炉まであるが、夏なので火は入っていない。少女は、私達を、中央に据えてあるソファーへ促し、自分はキチネットでお茶を入れているようだ。
私は、その仕草を一つ一つ、丁寧に観察していたが、それも無駄だとわかり、やめた。やはり、後藤ではない。服装は、黒のロングスカートと、白シャツ。黒髪。まさにお嬢然としていた。正真証明の別人だ。
私達は完全にのまれていた。突然現れた後藤にそっくりの少女とこの洋館に。島と洋館で二重に封印された空間に現れたもう一つの世界に。目の前にいる少女がその創造主だ。彼女がこの世界を創り出している。私が船上で覚えたあの感覚はこの事を告げるための予兆だったんだろうか?
今、少女は洗練された動きで、紅茶を私達の前に出し、暖炉を背にしてソファーに座った。
- 15 名前:名無しさん 投稿日:2001年05月09日(水)03時02分40秒
- 題名だけが、わたしの心を暗くしてしまう……
はたして、どういう物語が語られるのだろうか……
- 16 名前:名無しさん 投稿日:2001年05月09日(水)03時58分09秒
- かなり読み応えがありそうな感じですな。
サスペンスものかな?
この先楽しみです。
市井よ後藤を救ってやれよ!!
- 17 名前:名無しさん 投稿日:2001年05月09日(水)09時30分58秒
- 市井がんばれ〜!!
- 18 名前:ブラック 投稿日:2001年05月10日(木)00時41分24秒
- 今までにない話っぽいだけに楽しみ
- 19 名前:藤次 投稿日:2001年05月11日(金)01時36分25秒
- レスありがとうございます。
作者です。
前回、HN入れ忘れました。
今夜、少し更新します。
- 20 名前:藤次 投稿日:2001年05月11日(金)02時23分17秒
- 「ようこそいらっしゃいました。黒岩島へ。私はこの館の持ち主で東儀眞子といいます。出きるだけ人が少ない方がよいと伺いましたので、お手伝いさんには帰ってもらったんですけど、私は行くところがないので・・・。なにぶん、一人ですので大したお構いも出来ませんが、気になる事があれば何なりとお申し付けください」
東儀眞子はよどみなく話す。そこには、あまり少女らしさはない。いっそ、懐古趣味的でもある。中澤はまたもや呆然としかけたが、すぐさま年長としての任を思い出した。
「ええっと、こちらが、無理いうて、つかわせてもらうんやさかいそんなこと、全然気にせんといて下さい」
「そう言っていただけるとありがたいです」
東儀眞子は上品に微笑む。あんな笑みは後藤には絶対に出来まいと紗耶香は思った。
「それでは、館の中を案内しましょう」と眞子が立ち上がりかけるところに安倍が声をかけた。
「東儀さん」
「眞子でいいですよ」眞子は中に浮かせた腰をソファーに下ろした。
「眞子さん」安倍は相当思いつめた顔をしている。それは皆同じだ。いや、辻だけが、目の前の少女に違和感を抱いていないかのように泰然としている。安倍はあの質問をするのだろうと、市井は思う。知らずに握っていたこぶしの中は汗で一杯だった。
「後藤真希という子を知っていますか?」
安倍はいきなり確信に近い言葉をはいた。
眞子はしばらくあっけに取られ、何を聞かれているのかわからないといった表情を浮かべた。
- 21 名前:藤次 投稿日:2001年05月11日(金)02時24分09秒
- 「いいえ」
紗耶香は演技ではないと思った。と、同時に少しほっとした。なぜなのか良くは分からなかったが。皆も気持ちは同じようだった。濃密だった空気がパッと晴れた。皆、「後藤」に似ていることで、神経質になっていたようだ。安倍の表情も和らぎ、いつもの調子に戻った。くすくす笑いながら、「もうすぐ分かりますよ」と言うと、眞子が首をかしげた。
「なっち、失礼やろ」中澤が苦笑しながら制する。
眞子は、腑に落ちないながらも、客達の緊張が解けたことに満足しているらしい。
とりあえず、部屋を分ける事になった。裕ちゃんが気を利かせて、私の部屋を二人部屋にした。加護と辻も同じ部屋になる予定らしい。
裕ちゃん自身は、「子供にはつきあっとれへん」と言う事で一人部屋。一人部屋は二つしかない。この洋館は、ホテル用に作られたわけではないが、ゲストルームが四部屋あるので、寝泊りには問題ないらしい。しかし、紗耶香に振り分けられたのはかつて、夫婦の寝室だったらしい、二階のダブルベットが置かれたシンプルな部屋だった。
皆、部屋で荷をほどいたあと、居間に集まった。テーブルの上には、ケーキと紅茶がのっていた。辻がそれをうれしそうに食べていると、眞子が先ほど電話があったことを告げた。タンポポとプッチモニのメンバーが今、港を出港したらしい。
「五時ぐらいにはこっちにつきそうやね」
「そうですね。それまで皆さんにこの島を案内しましょうか?」
「うーんどうする?」
皆考え込んでいたが、安倍が夕食の用意をしようと言い出した。
「そうだね、一日目だもんね、バーっと豪華にいこうよ」
「おー、いいねー」
紗耶香の提案にみんな、乗気である。
- 22 名前:藤次 投稿日:2001年05月11日(金)02時25分31秒
時刻は五時になっていた。日が沈みかけている。この館が林に囲まれているからだろうか?もう薄暗い印象だ。
中澤がみんなを迎えに行こうと提案する。
紗耶香はどきりとした。
後藤と、会えるのだ。三年ぶりに。
胸と高鳴りと同じにこみ上げてくる不安もあった。
船に乗る前の中澤の電話が心に引っかかっていた。
留守番をしていますという眞子を除いた四人は浜へと続く林道を歩いていく。
安倍と辻は純粋に楽しそうだ。
手をつないで「さんぽ」を歌っている。たしかにトトロでも出そうな森だ。
紅い木漏れ日の中を歩く事はいっそ幻想的でさえある。
モーニング娘。としてアイドルとして忙しく東京で働いていると、こんな体験さえ貴重になる。
紗耶香は中澤と並んで歩いていた。電話の事を聞こうと思っていた。中澤は、前を歩く二人を見て笑っている。紗耶香の様子から何かを察した様だ、紗耶香の方をみようとしない。紗耶香がそれでも意を決して「裕ちゃん・・・」と話しかけた時、あれ、と言う辻の素っ頓狂な声が響いた。安倍がどうしたの?と聞く。普段なら気にもしない中澤だが、機を得たりとばかり辻に近づいていく。
「人がいたんです」辻は暗い森のなかを指して言う。
「見間違いでしょ、眞子さんも他には誰も住んでないって、いってたし」
安倍はさして気に求めていない。
「ほら行くよ」と安倍は歩き出す。中澤も気にはしていない様だ、辻の頭をぽんぽんと叩いて安倍を追いかける。それでも、不思議そうに森を見ている辻に、紗耶香は話しかけた。
「ほんとにいたの?」
「ほんとです。白い服来てました、女の人みたいでした」
「ふーん」と言いつつも紗耶香はまったく信じていなかった。
まだ立ち尽くそうとする辻の手を取り、さあ、いこうと言って歩き出した。
- 23 名前:藤次 投稿日:2001年05月11日(金)02時28分01秒
- 浜に着いたときにはもう太陽が半分海に沈んでいた。
ちょうどその光の中を、船は向かってきている。四人は立ち尽くしていた。あるいは、これから始まる一週間の休暇に思いをはせているのか、遠い眼をしているメンバーもいる。紗耶香が、中澤にもう一度聞こうとするまもなく、船は碇をおろし停止する。見る間にボートが下り、こっちにやってくる。乗っているのはタンポポのメンバーだ。矢口と加護が、「おーーい」と手を振る。辻と安倍は、波打ち際まで進み、手を振り返している。矢口が待ちきれず、ボートを降り、濡れるのもかまわず駆け出した。中澤が、ホラ、と紗耶香の背中を叩く。紗耶香は、浜辺にかけ出す。
「紗耶香ー!!」
矢口は紗耶香に飛びついた。矢口は会いたかった、と連発した。紗耶香が照れて身をねじっても、離さなかった。矢口は相変わらず小さいなあ、と紗耶香は思った。
ボートは静かに戻っていった。いつのまにかみんな降り、紗耶香を取り囲んでいる。加護と石川は遠慮しているようだ。無理もない。少ししか活動をともにしていない。紗耶香は二人にも声をかけた。飯田が挨拶をしたままだまりこんでいた。
ボートが再びやってきた。今度はプッチモニ。
「これでメンバー全員やな」と中澤が言う。
「裕ちゃん、娘。じゃないじゃん」
「まあなぁ」二人は今でも中が良い様だ。
- 24 名前:藤次 投稿日:2001年05月11日(金)02時28分33秒
- ートが停留し、保田がまず下りてきた。紗耶香に近づき、
「よう」と、軽く挨拶をする。紗耶香も、よう、と簡単に答える。気心の通い合ってるもの同志、ライバル同志の挨拶だった。しかし保田の胸には、不安があった。これから、紗耶香の目の前に現れる現実。紗耶香にしか癒せないが、紗耶香にとってもっとも衝撃的であろう現実。
後藤は吉澤に支えられ、ボートを降りてきた。不安げな吉澤を尻目に、後藤は必死に手を振っている。紗耶香は、いきなり静まり返っているメンバーを気にしながら、手を振り返した。
「後藤ー」紗耶香は精一杯明るい声で叫んだ。
中澤と保田は、お互いの耳元で何かささやきあっていた。保田は、中澤から離れると、ごめん裕ちゃん、お願い、とつぶやいた。流石の中澤も、躊躇している。
後藤が、吉澤の手を振り切り、駆け出した。中澤は、頭を抱え保田に目顔でしかたないな、と伝える。
紗耶香は駆けだす。堪え切れなかった。後藤を迎え入れ、両手で包み込む。後藤はもうしゃくりあげていた。よしよしと、髪を撫でる。後藤は泣いていた。こらえていた緊張の糸がぷつんと切れたらしい。そんな後藤を紗耶香はいとおしく思う。
「元気だった」紗耶香は聞く。後藤は頷く。ただしゃくりあげるだけの後藤に、紗耶香は「どうした?なにかはなせよ」という。それでも後藤はもどかしげに、口を動かすだけだった。
- 25 名前:藤次 投稿日:2001年05月11日(金)02時29分15秒
- 「後藤は失語症を発症したんや」いつのまにか紗耶香のそばに来ていた中澤の口から、その事実は告げられた。保田と吉澤、それに、リーダーである飯田以外は聞かされていなかったようだ。みんな唖然としている。空気が凍りついた。
紗耶香はずいぶんかかって、その意味を認識した。後藤に眼をむけ問う。後藤はゆっくりと頷いた。今度は紗耶香が後藤に抱きつく番だった。そうか、裕ちゃんが隠していたのはこれだったのか。紗耶香は後藤がどんな状態でも受け止めるだけの覚悟は出来ていた。そう、どんな風になっていても私が救ってあげる。そう思っていた。
しかし、他のメンバーはただ、今告げられた事実に愕然としていた。皆、言葉を失っている。
そんななか、吉澤は市井を睨みつけている。許せなかった。この事態は市井が引き起こした事なのだ。そう信じて疑わなかった。吉澤は年齢が近くプッチでの活動をともにしている事もあって、後藤の一番近くにいた。しかし、後藤を救えなかった。どうがんばっても、後藤の中に市井が幻想として残っている以上仕方ない事だ。そう想いそうになったこともあった。でも、それは違う。市井にはその資格がない。後藤は解き放たれなければならない。そしてそれは私の役目だ。
もう日は沈んでいた。
- 26 名前:藤次 投稿日:2001年05月11日(金)05時06分31秒
- 過剰にはしゃぐ後藤の相手をしながら、紗耶香達は洋館へ戻ってきた。先に来ていた四人は、眞子の話を遅れてきたメンバーにしなかった。ちょっとした悪戯のつもりなのだが、今の後藤には刺激が強すぎると思い、紗耶香は後藤にだけ彼女の話をした。後藤は、ポケットに入れていた、メモ帳をとりだし、「ほんと?楽しみ!」と相変わらずの丸文字を書いた。
表面上は普段と変わらない後藤を見て、みんなは少し安心した様だ。すっかり普段の娘。モードに入っている。だが、先頭を行く中澤と保田はしきりに、何かを話している。紗耶香はそれが気になったが、とりあえずは後藤だった。
森を抜け、洋館が浮かび上がった時、メンバーから歓声があがった。屋根には月がかかって、雰囲気が倍増している。眞子は、料理にかかりきりになっているらしく、迎えには出てこない。
L字型をしたその洋館の直交した長い方の根元にある玄関を矢口が、先陣を切って開いた。
- 27 名前:藤次 投稿日:2001年05月11日(金)05時08分53秒
- 「うおー、すげー」矢口が悲鳴に近い声を出す。
たしかにここの調度は凄い。ほんとになんで好き好んでこんな所にたてたんだろう?まるで中世の博物館である。それでいてオドロオドロしい感じがないのは、武具や武器が、一切見られず、壁にかかった絵画や、シャンデリアや壷などの装飾品だけで彩られているからだろうか?
「なんか、貴族って感じよね」飯田が嬉しそうに見渡す。
加護は、いきなり走りまわり、中澤さ―ん、と中澤に飛びつく。
「ここ、中澤さんが用意してくれたんですよね、ありがとうございます!!」
「ええやろ」
「はいっ!」
「しかし、こういうのは石川がが似合うよねえ」
「ちゃお、チャ―ミーの館へようこそ」
石川がソファーにしなだれかかりながら言う。
「なんで、お前の部屋やねん!」と矢口が、無理矢理、石川を押しのける。
保田や、吉澤も呆然として、あたりを見渡している。
加護は、辻を連れ、暖炉の中をかきまわして遊んでいる。
一応、みんな気に入ってくれたみたいやな、と中澤は満足げだった。
紗耶香は後藤の手を握りながら、大きな窓の際に立つ。二人は顔を見合わせ、あはははは、と笑い会った。笑うしかないよね。紗耶香はそういった。後藤は頷き、でも気に入ったとメモ帳に書いて見せた。
「辻ぃ」中澤の声が響いた。「眞子さん呼んできて」
「はい」元気善く返事をして、とことこっと、奥にきえる。
「ええかぁ、みんなこれから一週間は、仕事がないっ!!」
「いいぞう、裕子!」矢口があいの手を入れ、娘達の歓声がとぶ。
「ただし、飯は自分らでつくらなあかん」
「えー」
「それぐらい我慢せぇ、ただし!酒はいくらでもある!姉さんが責任持って調達してきた」
- 28 名前:藤次 投稿日:2001年05月11日(金)05時09分50秒
- 「私まだお酒飲めません!」石川が非難の声をあげる。
中澤はにやっと笑い「事務所には内緒やけどな、未成年も飲んでええでぇ!」
「おおーー」とまた歓声が上がる。
「つってもあんたらもう飲んでるやろ、こないだのハロプロのときみたでェ、なあ石川」
「ちゃお!!」
「ちゃお!ってあんた・・・まあええわとにかくそう言う事やから、みんな仕事の事は忘れてゆっくりしようや、それでな、ここのお嬢さんに一応挨拶や、みんな、御世話になるんやから、そこんとこだけ忘れずに!!」
「はーい」
久しぶりに古巣に戻った様で、なにか気分がいい中澤だった。
紗耶香の肩口を後藤がちょんとつついた。みると、メモが差し出されている。
「ありがと、きてくれて。楽しいね」
紗耶香はくしゃくしゃっと後藤の頭を撫でた。
「中澤さ―ん、眞子さん連れてきました」唐突に辻が帰ってきた。
みんな、ドアの方を向く。
白いシャツと黒いロングスカートに着替えた後藤が立っている。と、少なくとも六人は思っただろう。一瞬呆然として、本物の後藤の方を向く。後藤自身、ここまで似ているとは思わなかったらしい、きょとんとしていた。ほんと?というような表情を見せ、紗耶香の方を向く。紗耶香はこくりと頷いた。情況を飲みこめないメンバーに笑いながら、中澤が眞子に近づきみんなに紹介する。
- 29 名前:藤次 投稿日:2001年05月11日(金)05時10分31秒
- 「ここの持ち主の眞子さんや、みんな、なかようするんやで」
ようやく、はじめましてやよろしくの声が上がった。
「ようこそいらっしゃいました。黒岩島へ。私はこの館の持ち主で東儀眞子といいます。なにぶん、一人ですので大したお構いも出来ませんが、気になる事があれば何なりとお申し付けください」と眞子は紗耶香達にしたのと同じような挨拶をする。
みんなそのお嬢っぷりに驚嘆した様だ。
「しっかりしてるね、後藤とは大違いだわ」保田がため息混じりに言った。
「ごとうさん?」眞子は困惑した様に中澤の顔を見る。
「昼間、おっしゃってた後藤さんですか?」
「ええ」と中澤は頷く。
後藤は、一歩進みでた。眞子はやっと後藤の存在に気がついたようだ。髪の色や服装が見なれた自分のものとは違うからだろう。顔だけで人を捉えることなど普段はしないから、その相似性をみいだすのに時間がかかった様だった。
後藤と眞子はお互いを見詰め合ってる。
「しっかし変な画やでこれ」
眞子が、笑顔になり、後藤に近づき、はじめましてと礼をする。
後藤は慌てて、ぴょこんと頭を下げた。
おかしさに堪えかねた矢口が大声で笑い出し、みんなに広がった。
「んじゃあ、部屋割り発表するでー」
紗耶香が昼間感じた不安はもうなかった。
- 30 名前:藤次 投稿日:2001年05月11日(金)05時11分40秒
- 新着メンバーは部屋にいき、紗耶香をのぞいた先着三人は料理の続きをしている。
部屋割りは、一階のシングルルームにそれぞれ、中澤、保田、二階のL字の天辺の突き当たりの娯楽室の隣から、矢口、飯田ペア、石川、吉澤ペア、市井、後藤ペア、安倍のみ、階段の近くに辻、加護ペアと言う並びだ。
- 31 名前:藤次 投稿日:2001年05月11日(金)05時12分15秒
- 紗耶香は、後藤をいざなって長い廊下を歩いた。二人の部屋は二階なので突き当たりの階段を上がる。
後藤は紗耶香の手をしっかりとつかみ、へへへぇと、いつもの笑みを浮かべている。こうしてみるといつもの後藤だ。だが、部屋の前まで来て、紗耶香が鍵を取り出そうと、握り合っている手をほどこうとした時、後藤ははなさなかった。
紗耶香が振り返ると後藤の顔はもう崩壊寸前だった。あわてて、鍵を取り出し、部屋の中に駆けこんだ。後藤は、据付けてあるサイドテーブルの椅子に座った。紗耶香は慌てて、コーヒーを淹れる。ちらと見ると後藤はメモ帳に何か書きつけている。後藤の前にコーヒーを運んで紗耶香は、向かいに座る。部屋の中は程よく冷房が効いている。メモ帳を見ると、後藤の震えた字が並んでいた。
いちいちゃんに、・・・きいてもらいたいことが・・・。
そこには大きくばってんがしてある。
ごめんね、ごめんね、いちいちゃん・・・。ぽたっと後藤の涙がメモ帳に落ちた。後藤の体が震えている。紗耶香と同じ空間に二人きりだという、安心感が起こした感情の決壊。言いたい事がたくさんあるのに、伝えられないもどかしさ。鉛筆を持つ手も覚束無くなり、クシャっとメモを握りつぶす。
紗耶香は席を立ち、後藤の体を後ろから包み込んだ。
後藤は久しぶりの感覚に、少し、体をこわばらせた。だが、すぐに3年の時の壁を二人の体温が溶かしていく。
「分かってる。わかってるよ、後藤」紗耶香は優しく微笑んだ。後藤は必死に首を振り、次第にしゃくりあげ、紗耶香に体重を預け、二人はベッドに倒れこんだ。
やっぱり、後藤はぎりぎりだった。紗耶香は後藤のおでこをなで上げ、そこにキスをして、頭を胸に抱き込み、後藤の体を優しく包み込んだ。しゃくりあげる後藤の振動が、鼓動の様に繰り返し繰り返し、紗耶香の胸を叩き、傷だらけのその心が皮膚になってしまったかのように痛々しい。
ふと紗耶香の目から涙が流れた。紗耶香自身も限界だった。現実との間に張っていた薄い膜がぱちんとはじけて消え、剥き出しの心があらわれた。
- 32 名前:名無しさん 投稿日:2001年05月11日(金)08時41分23秒
- やぁばいほど面白そうです。
っていうか既に感動です。
・・雰囲気的にレス控えた方が良いのかな。
- 33 名前:名無しさん 投稿日:2001年05月11日(金)08時41分52秒
- やぁばいほど面白そうです。
っていうか既に感動です。
・・雰囲気的にレス控えた方が良いのかな。
- 34 名前:名無しさん 投稿日:2001年05月11日(金)08時45分43秒
- 二重カキコすみません・・
- 35 名前:名無しさん 投稿日:2001年05月11日(金)22時21分39秒
- 一週間の隔離された空間、なぞの少女、それぞれの想い。
どんな物語が始まるの?
- 36 名前:名無しさん 投稿日:2001年05月11日(金)23時10分55秒
- これは面白いっす!!!!!
続き大期待です(^^)
作者さん頑張って下さい!
- 37 名前:名無しさん 投稿日:2001年05月12日(土)02時24分28秒
- まじ面白いですね。
この先の展開が非常に気になります。
中澤と保田は何を隠しているのか・・・
- 38 名前:藤次 投稿日:2001年05月12日(土)04時20分54秒
- レス、ありがとうございます。
期待を裏切らないようにがんばりたいと思います。
作者です。微妙に更新です。
- 39 名前:藤次 投稿日:2001年05月12日(土)04時22分48秒
- 「こらっ辻!どこいくんや」
辻は、キッチンにあるいわゆる勝手口から外に出ようとしたところを中澤に呼び止められた。
「散歩です」辻は、ほんとのことを言うと、馬鹿にされそうだったので適当に応えた。
「散歩ってお前、もう暗いやろ、危ないから、やめとき。それにサンドイッチ、作りかけやろ」
「ちょっと、その辺を見たいだけです」と、中澤の制止を無理矢理振り切って走り出す。
見た。
たしかに見た。白い服をきた女の人。
お勝手は、L字の先端にある。そこから、今日目撃した地点、あの道に向かうには森を抜けるのが一番いい。辻はそう思い、洋館の裏手にある森の中を走っていた。
日はもう沈み、モノクロの世界になっている。段々と森は深くなり、走る事も出来なくなった。持ってきたペンライトを着け、ゆっくりと歩いていく。十分ほどで、洋館と浜をつなぐ小道に出た。
中澤さんのいうこと聞いておけば良かったかな。辻は後悔し始めていた。こんなに暗くなってしまっては、いくら何でもあの人を見つける事は出来ないだろう。辻は多少落ち込みながらもひき返し始めた。
中ほどまできたときだった。
光が見える。洋館の光だろうか?それにしては弱々しく、ぼんやりとしている。なにより、こんなに早く戻れるはずはなかった。
- 40 名前:藤次 投稿日:2001年05月12日(土)04時23分47秒
- ズキン。
突然頭痛がした。脳がゆれるような・・・何かと共鳴するような・・・。頭を抱える。だが、それは続く事はなく、すぐに消え去った。
なんだったんだろう今のは?
辻は不思議に思いながらもその光の方へと近づいていった。
なんだろう?そう心の中で、思っているときだった。辻の視界にふと白い物がよぎった。慌てて、しっかりと見定める。何せ暗く、ペンライトの光量も充分ではないので、目を凝らさないと、何がなんだかわからない。
あの女の人だ。そう思ったときにはすでにその白い影は光源の近くで消えていた。
辻は急いで、光源に近寄る。そこは、小さな小屋だった。と言っても、洋館と同じように煉瓦造りで、しっかりしている。
あの女の人はここに入ったんだ。辻はそう確信した。
壁伝いに、小屋の周りを探ってドアを見つける。
木製のそのドアはギーと音を立ててしまった。中は雑然としていた。裸電球がうすらぼんやりと点いている。辻はペンライトを振り回してあの女の人をさがしたが、その姿はどこにもなかった。
小屋は、物置だった。斧や、のこぎり、荒縄などの道具が無造作に置いてある。土間と板の間。中身は洋館ではなく、昔の狩り小屋その物だ。囲炉裏さえある。辻はそこ近づいていった。煙は立っているが、皆灰になって、くすぶっている。
誰かいたんだ。
間違いない。辻が、入って来る直前まで誰かいた。
あの女の人を待っていたのな?
だがどう探しても、辻が入ってきたドア以外に出入り口は見つからない。辻は思索をめぐらせた。
あの時。辻がこの小屋に入った時。ドアが鳴った。
だけどそれ以前にその音は?
鳴らなかった。あの女の人はここには入らなかった。すっと辻の背中に冷たい物が走り、同時に、またあの頭痛が辻を襲った。
辻は頭を抱えながら、壁を探る。一つのレンガがぐっと沈んだ。ずず―っとの素質他のレンガが、せり出してくる。そこにはニューナンブがしっかりと収まっていた。
いくら、辻にでも分かる。それは拳銃だ。辻は怖くなって、それをレンガごと押し戻し、無造作にドアを開け駆けだした。もう一度頭痛がした。
- 41 名前:藤次 投稿日:2001年05月12日(土)04時25分05秒
- 後藤はひとしきり泣いて、紗耶香の胸の中で眠り込んでしまった。沙耶香は、胎教の様にずっと後藤に話しかけていた。わびる様に、慰める様に。
シャツに染みこんだ涙はもう乾いていて、着替えなきゃなと紗耶香が思ったときだった。ノックの音がした。
「紗耶香、あたし」と、保田の声。紗耶香がどうにかして後藤を起こさない様に抜け出そうとしていると、じれた様に「あんたにいっときたいことがあるの」と響く。
どうにか、後藤を起こさずにベットから抜け出した沙耶香は、保田を中に迎え入れた。彼女は、椅子に座り、「後藤の泣き声が聞こえたから、もう寝てる頃だろうと思って」といった。紗耶香がどう言う事?と聞く。
「後藤には聞かれたくない話なの?」
「そうじゃないけど・・・うん、あんまり・・聞かれたくない」
保田は外で話そうというと、市井は後藤が起きたとき寂しがると行けないからという。
「それにぐっすり寝てるし、大丈夫だよ」
保田は、躊躇したが、やはり早く伝えるべきだと思い、話し始める。
「紗耶香、後藤がどうしてこうなったか原因を知りたくない?」
「やっぱり・・・過労じゃないのね」
- 42 名前:藤次 投稿日:2001年05月12日(土)04時25分47秒
- 保田は静かに首を縦に振る。
「いくらこのこでもそんな事で声が出なくなったりはしないよ」
「じゃあ他に原因があるの?」
「そうでなきゃ、なんでこんな病気になった後藤をこの島につれてくる必要があるの?」
保田は幾分声を荒げていった。
「一つにはあんたが利権争いに巻き込まれて、やめた事があるのよ、後藤は長い間それを知らなかったの、教育係がそんなことでやめていったのを後藤が知ったら、混乱するって言う事務所の考えね、緘口令がしかれて私と裕ちゃんしか知らなかったわ。
でも後藤は聞いちゃったらしいのよ・・・これは多分誰も知らない。私だけ、知ってるのは。と言っても最近の後藤の言動から推察しただけなんだけど。ホラあたしって、プッチとかで後藤といる時間が多いじゃない、それに後藤、プッチのメンバーといるときはなんか油断してるみたいで、感情が表に出やすいのよね」
たしかに、私が止めた裏には利権の問題がある。でもそれは、付加的な物であくまでやめる事を決断したのは私自身だ。
「二つ目はここんとこ、娘。の人気が下がり気味で、それが後藤と直結して捉えられてる事があるのよ、実は安定して来たってことなんだけど事務所はそう捉えてなくて、短に売上が下がったとかしか見てないの、当然、センターに立つ後藤の責任問題になる、これは事務所の考えだけどね。事務所はそこで後藤の稼働率をもっと上げようとした、人気が下がったのはお前のせいだ、もっと働けってね。そんなプレッシャーかけられてこの子が普通でいられると思う?紗耶香や裕ちゃんが抜けたあと、私はモーニング娘。でがんばらなきゃって思ってたこの子にとってその事実がどれだけショックだったか、後藤は図太いって言われてるけど、それはメディアに向かったときだけだってこと、紗耶香はよく知ってるでしょう?」
紗耶香は頷くしかなかった。
- 43 名前:藤次 投稿日:2001年05月12日(土)04時26分20秒
- 「三つ目は・・・」といいかけて、保田は今までの歯切れのいい口調から一変した。
よほど言いにくい事らしい。
窓の外では雨が振り出していた。沈黙に雨音がひびく。
「台風が来てるらしいよ、荒れるって。ラジオで聞いた」
「うん」と保田が上の空で頷く。ちらちら、後藤のほうを見る様子から、言っていいのかどうかを迷っている事が分かる。保田らしくない、曖昧な態度。
「圭ちゃんが今まで言った事は、後藤がいたって言える事だよ。その三つ目がほんとにあたしに言わなきゃ行けない事なんでしょ。それぐらいわかるよ、何年いっしょにいたと思ってんの?それに後藤の事なら、なに聞いたって覚悟ができてるから平気。それぐらいの気持ちで帰ってきた。そんな事より、後藤が今どんな状態なのかなにを思ってるのかがしりたいのよ。そして、その原因を取り除かなければ私の帰ってきた意味がないのよ」
「そうね、あたしも結局あんたに甘えちゃったみたいね。そうやってあんたが問いただしてくるのを待ってたんだろうだろうね。自分から話し出すのがいやで・・・これは、メンバーの中でも知っているのはプッチのメンバーだけなんだけど・・・」
- 44 名前:藤次 投稿日:2001年05月12日(土)04時26分59秒
- 紗耶香が渡米して一年、後藤は急激な環境の変化にさらされた。プッチモニのメンバー交代、ソロデュー。ゆれが激しい後藤の心がマイナスに振り切れるのにそんなに時間がかからなかった。同年代で、仲の良い吉澤も、支えにはならなかった。後藤に必要なのは上位の存在だった。母性と存在感を持つ頼るべき人間。市井紗耶香と同類項の人間だったのだ。そして後藤は気付かない。後藤がモーニング娘。加入したときから存在した紗耶香。ユニットデビューでセンターボーカルを勤めた紗耶香。後藤の教育係として、後藤を叱ることができ、また、甘えさせてくれる存在であった紗耶香。後藤にとっての上位の存在。紗耶香に認めてもらえることが全てであったと言っても過言ではないくらいの存在感を紗耶香は発していた。後藤の中で、紗耶香は全てだった。全ての感情、愛情も、友情も、尊敬も、癒しも全てが紗耶香にあった。
そこまで依存してしまった分、ぶり返しは激しかった。表面上は、紗耶香が教えた事を忠実に守ってる様に見えたが、後藤の中が、揺れ動いていた事を保田はつい最近になって知る。
後藤にはね、ボーイフレンドがいたのよ。
保田は絞り出すように言った。表現の仕方に悩んだ様だが、「ボーイフレンド」という選択肢を選んだ保田は苦渋に満ちていた。
- 45 名前:藤次 投稿日:2001年05月12日(土)04時27分45秒
- なんにもなくなった(少なくとも後藤はそう思っていた)後藤には市井への感情も含めて、話せ、頼れる存在が必要だった。そんな後藤の心の隙間にすっと入ってきた男は市井のファンだと言った。後藤の中に入り込むのにこれほど容易い文句はなかった。
実際その男は、後藤と同じくらい市井の事を知っていた。男は、以来後藤にとってなくてはならない存在になった。市井の事を認め、自分と同じように尊敬し、しかもメンバーではない。後藤は、次第に彼への依存を深め、気が付いた時にはひくことのできない関係になっていた。しかし、後藤は肉体関係を拒みつづけた。しかし・・・
そう、保田は手短に語った。そしてそこで言葉を切った。
後藤に男がいた。その事実を紗耶香は冷静に受け止めたつもりだ。仕方ない、そう仕方ない事。裏切りなんて言えるわけがない。紗耶香自身が、後藤をそんな仕方のない情況に後藤を置き去りにしたのだから。そんな後ろむきの認識しかできなかったけど。
けど、保田の話はまだ終わらない。彼氏がいたこと自体は、後藤の声が失われた前提でしかない。紗耶香にとっては、重大な事だけど・・・
「それで?」紗耶香は、保田の目を真っ向からみ返した。保田が目をそむける。よほど言いにくいことなのか?
- 46 名前:藤次 投稿日:2001年05月12日(土)04時28分24秒
- 二人の話はそこで途切れた。後藤が起き出したからだ。保田を確認して、にこりと笑う後藤を健気だと思ったのは紗耶香だけではなく、保田も同じだったろう。
「今夜、プッチモニバージョンワン、やろうよ。久しぶりに」
保田は、そう言って部屋を出ていった。すぐに、後藤が、圭ちゃん、何しにきたの?とメモを書いて見せた。「三年ぶりの挨拶」紗耶香はそう応えて見せる。うそだと分かっているのか、気付いてないのか後藤は、そっと微笑む。紗耶香は3年まえと変わらない表情で後藤に応える。
紗耶香は、しかし動揺を隠せない。この事を後藤に悟られてはならない。
- 47 名前:藤次 投稿日:2001年05月12日(土)04時29分02秒
- 紗耶香は後藤を伴って部屋を出た。時刻は七時になっていた。もうそろそろ、夕食の時間だ。紗耶香が中澤が持ってきた食材の話をすると、後藤はおなかを鳴らす。あまりのタイミングの良さに紗耶香が大笑いすると、後藤は頬を膨らませた。
「後藤はお酒、飲んだことある?」
後藤は、ちょっとテレながら頷き、紗耶香の方を指差してきた。市井ちゃんはどう?という意味なんだろう。紗耶香は頷き返す。
「あるよ、ッていうか、結構飲める口なんだよねあたしって。多分裕ちゃんより強いと思う」
「よっすぃーも強いんだよね、あたしとか梨華ちゃんとおんなじお酒飲んでたんじゃあ、酔えないとか言って、スコッチとか飲んでた」と後藤はメモで返す。
「へえ」
「圭ちゃんはビール好きだよ」
後藤が返答にメモを書くのにもなれてきた。
「それで、みんなのんだらどうなるの?」
それはお楽しみじゃない?そんなメモが後藤の微笑みとともに帰ってきた。
その笑顔に辛くなった紗耶香は立ち止まり、後藤を真正面から見つめた。
「あたしには、なんでも言ってくれていいんだよ」
それは紗耶香の正直な気持ちを充分過ぎるほどこめた一言だ。しかし後藤は、微笑み返しただけだった。いこう、と言う風に後藤は紗耶香の手を取り、歩き始める。
紗耶香には後藤が無理をしている事がいたいほど感じられた。
- 48 名前:藤次 投稿日:2001年05月12日(土)04時29分35秒
- 二人が、リビングに入るともう夕食の用意は整っていた。テーブルに並べられた手料理の数々、いずれも素人が作ったと一目で分かる物だったが、その分、気取りがなくておいしそうだ。また、後藤のおなかが、ぐう、となった。今度はその場にいた飯田と石川、加護が大笑いした。その傍らでたたずんでいた眞子も釣られて笑った。
- 49 名前:藤次 投稿日:2001年05月12日(土)04時30分20秒
- 部屋に戻った保田は後悔していた。年長ということで割り当てられた一人部屋のベットに倒れこみ、自らの判断が間違った事を呪った。後藤が起きたせいで、中途半端にしか話せなかった。紗耶香に話そうとしたことは吉澤から伝え聞いた事で、後藤本人も保田が知っている事を知らない。吉澤はその話をした時、鬼のような形相をして、市井さんを許しませんと憤った。
トラブルの起こらないうちに収拾しようとしたのだが、それも無駄になってしまった。夕食の時、皆が一同に会するとき。なにもしなければいいだけど。
吉澤は、瞬発力がない分、持続力が卓抜している。今はその力が後藤を守る事に向けられている。砂浜で目撃した、吉澤のあの表情が保田の心に引っかかっていた。
もう一つ、心配事がある。出掛けに事務所で聞いたことだ。裕ちゃんにだけは知らせておいたが・・・
- 50 名前:藤次 投稿日:2001年05月12日(土)04時33分38秒
- レス、励みになります。
物語が動き出すまで、もう少しありますが、ご辛抱ください。
作者。
- 51 名前:名無しさん 投稿日:2001年05月12日(土)06時22分56秒
- じゃあちゃんとレスしよっと。
既に痛すぎなんですが続きめちゃめちゃ楽しみです。
結構長編になりそうな雰囲気ですが頑張って下さい。
ごまの、喋れないけど市井に頑張って伝えようとする様子がキャワイイ・・(不謹慎?
- 52 名前:名無しさん 投稿日:2001年05月12日(土)11時40分06秒
- 後藤に何が起こったか考えると激痛が…
私が思いついたことじゃないことを祈るばかり。
いちごまに幸あれ。
作者さん、頑張ってください。
- 53 名前:名無しさん 投稿日:2001年05月13日(日)01時05分33秒
- なんかムッチャ面白いです。
ただ、ごっちんに一体何が・・・・・・嗚呼
続きが楽しみです。頑張ってください^^
- 54 名前:名無しさん 投稿日:2001年05月13日(日)15時08分01秒
- 初めて読みました。三年ぶりの再会、後藤の病気、絶海の孤島の閉鎖された空間、後藤とうり二つの少女、これから起こるであろう事件、市井に寄せる吉澤の憎悪、この設定のうまさにまず脱帽です。
これからどうなるのか、目が離せなくなりました。
ところで、どうでもいいことなんですが、後藤の症状は、正確にいうと「失語症」ではなくて「心因性発声障害」というべきものでしょう。失語症では言葉そのものが思い出せなくなるので、筆談もできなくなりますし、心理的な問題が原因で起こるということもありません。この場合には、発症の経緯と現在の様子から見て、心因性発声障害とした方が妥当でしょうし、後の展開もラクだと思います。
スレの雰囲気を乱しそうで、どうしようか迷ったのですが、症状によるできることとできないことの違いや治り方の違いなどの、具体的な知識があったほうが、この後の、市井の動き方とか、後藤が治る治らない、等のことをお考えになるうえで参考になるかと思い、あえてコメントいたしました。
一応、私、この方面の専門ですので、もし何か具体的にお知りになりたいことがありましたら、レスして下さい。
- 55 名前:藤次 投稿日:2001年05月13日(日)17時23分29秒
- >54
ご指摘、ありがとうございます。
改めて、作者から訂正。
後藤は『失語症』→『心因性発生障害』です。
凡ミスです。申し訳ない。
- 56 名前:名無しさん 投稿日:2001年05月13日(日)20時33分35秒
- 54です。
54でコメントしたことは、専門的なことですので、藤次さんがご存じなくても当然のことです。症状についての具体的なことをある程度ご存知になっておいた方が、このあとの展開をお考えになるうえで、何かの参考になるかと思っただけで、ミスを指摘といったつもりはまったくなかったのですが、そのように受け取られてしまったとしたら、申し訳ありませんでした。よけいなことをいってすみません。気にせずに、お続け下さい。楽しみにしています。
- 57 名前:藤次 投稿日:2001年05月14日(月)00時31分57秒
- >54さん
前回、敬称忘れ、すみません。
54さんこそお気になさらずに。
告白すると、違いは知っています。単純にチェックミスなんです。
だからなおさら恥ずかしい。続き楽しみにしててください。
- 58 名前:名無しさん 投稿日:2001年05月18日(金)23時42分58秒
- 続き楽しみです
- 59 名前:藤次 投稿日:2001年05月20日(日)19時40分09秒
- ・・・雨音が耳に障る。
吉澤は、自室のベットに仰向けになっていた。隣のベットに石川はいない。今ごろ居間の方で加護達とはしゃいでいるだろう。自分で追い出しておきながら、吉澤は少し石川の事がうらやましかった。石川はなにも知らない。その事でさっきは少し口論をしてしまった。
荷を解いているうちに、石川は吉澤の表情が曇っている事を指摘した。「せっかくの休暇なんだから楽しまなきゃ、そりゃごっちんがあんなことになってしまったのが気にかかるのは分かるけどさ、よっすぃーがそんな顔してたらごっちんも悲しむと思うな。ポジティブに行かなきゃポジティブに」石川にしてみれば、吉澤を元気付けるために口を突いて出たセリフだったろう。
ポジティブ。前向き。石川の口癖が吉澤の胸にむなしく突き刺さる。前なんか向けないよ。吉澤の心にふと浮かんだ言葉。でもそれは口には出来なかった。かわりに「うるさい」と言う当てこするように言ってしまった。
よほど怖い目をしていたのだろう。石川は悲しそうに目を伏せた。それっきり会話はなかった。石川は、いそいそと荷物を片付け、服を着替えると部屋を出ていった。一言もなかった。
- 60 名前:藤次 投稿日:2001年05月20日(日)19時40分59秒
- 前向き。そんな言葉は私には不釣合いだ。吉澤は思う。
吉澤には欠けてるものがある。コンサートや歌番組のとき、後藤は言うに及ばず、歳が近く、一番のライバルでもある石川にも圧倒される事がある。それは一瞬の輝き。歌やダンスの技術では、けして補えない何か。それが自分にはかけている。そしてそれこそが前向きと言う言葉を口に出来る条件。そう吉澤は思っている。
以前、いや今でもそうかもしれない、吉澤は孤独だった。どうしようもなく。
あの頃。新メンバー四人が加入した時、私には他の娘。負けない自信があった。事実、ダンスも歌もこなせていた。しかし、なぜか本番では一歩づつ遅れをとる。トータルでは勝っていても、ポイントでは負ける。最初はそんな違和感だった。
「違い」について、石川に相談した事もあった。が、彼女は心底分からない様だった。他のメンバーも同様の反応した。月日がたつに連れ、吉澤は娘。にいる事が辛くなった。いつかはと待ち望んだ光も吉澤には訪れなかった。どんなにがんばっても、負ける。そんな勝負はしたくなかった。ましてや、相手がその事を感じていないだけに惨めだった。
違和感は孤独となった。
輝きを知っている他の娘。達には絶対に分からない惨めな孤独だった。吉澤は自分で自分の居場所をなくしていた。そんな時、後藤は吉澤が隣にいる事を求めてくれた。吉澤を頼り、居場所をくれた。そのとき、吉澤は気付いた、彼女達は輝きを持っている反面、危うさをはらんでいることに。
吉澤がここにいる理由、それは彼女達を支える事だ。宝石をゆびに留めるリングの様に、小さな輝きを固定するために。それは吉澤にしか出来ない事だ。
「私に居場所をくれたごっちんを守らなきゃ」知らずに声に出ていた。
吉澤は、起きあがり、一度強くこぶしを作って着替え始めた。
- 61 名前:藤次 投稿日:2001年05月20日(日)19時42分03秒
- 辻が駆け戻ってきたとき、中澤はローストビーフの入ったオーブンをにらんでいた。辻は振り出した雨のせいでびしょびしょだ。なあ、だからゆうたやろと、中澤はふりかえらずにいった。ところが辻の返事はない。いつもならこんな時、必死で言い訳するはずだ。見ると辻はドアノブを後ろ手につかんだまま、うつむいている。
「どないした?」そう中澤が問いかけても、辻は首を振るだけだ。
「なんかあったんやろ?」中澤は子供の悪戯を叱るように強く言ってみる。辻の動きが止まる。
辻はじっと唇をかんでいた。口に出すと何か恐ろしい事が起こりそうな恐怖を感じていた。中澤はため息をつき、隅にたたんであったタオルをとった。そのタオルでとりあえずと言う感じで辻の頭を拭く。
「うわー、服もびしょびしょやな、こら着替えた方がええわ」
辻は顔をぬぐわれて、少しほっとした事もあり、こくりと頷いた。中澤はタオルを辻にわたし、ホラいっといでという風に辻の背中を叩くが、辻は動く様子がない。変りに辻は、中澤の手をにぎり、引っ張り出した。
「あたしもいくんかい?」
辻はまた頷く。その目は真剣その物だった。いくらなんでもこれは何かあると思った中澤は仕方なく辻についていった。
玄関ホールに出たところで、中澤は、居間をのぞき、石川にオーブンを頼み、まだ食うなよと、捨て台詞を置いてきた。
- 62 名前:藤次 投稿日:2001年05月20日(日)19時42分45秒
- 暖かい湯が、辻を叩く。それが萎縮しきっていた辻の体を和らげ、神経を解凍した。
ホッとする。なんだかあんなに怯えていたのがウソみたいだった。中澤さんには話しておこう。そんなに大したことじゃないし。それに、良く考えてみると、本物だったのかなあ?と疑問がわいてきた。ほんものなわけないか、ここはにっぽんだもんね。辻はとたんにあんなに慌てた自分がおかしくなって少しだけ、声を出して笑ってしまった。
辻が、シャワーを浴びているあいだ、中澤は加護のベッドに座っていた。ものの五分ほどで辻はバスルームから出てきた。ペッシャンコになった髪をタオルドライしながら辻は、話しはじめた。
「ええっと、辻は、ですねえ、白い服の女の人を探そうと思って、森にいったんです」
やっぱり、中澤がそう言うと辻は少し膨れた。見ぬかれてたことが悔しいらしい。
「それで?」
「小屋があって、そこにピストルがあったんです」
「ピストル?」中澤は辻の口をついて出た余りにもとっぴな単語に呆然としてしまう。
とたんに辻は小さくなる。でも・・・偽物だったかも、そういう辻の言葉は中澤に届いていなかった。
すでに中澤の心は別のところに飛んでいた。まさかな・・・。本気にはしてなかったけど・・・あんなこと・・・・
辻は中澤の反応に驚き、偽物だったかもと繰り返した。
辻に肩を揺すられ、われに帰った中澤は、一言だけ「そのこと、だれにもいうたらあかんで」といって部屋を出ていってしまった。辻はそんな中澤の行動を不審に思いながらも、髪を乾かして、居間に向かった。
- 63 名前:藤次 投稿日:2001年05月20日(日)19時43分22秒
- 居間にはみんな揃っている。あと足りないのは吉澤だけだった。石川は、みんなにせかされて吉澤を呼びに、居間を出た。小走りになっているが、この館の廊下は全面じゅうたん張りになっていて、足音は響かない。最近の吉澤の変化に石川は気付いていた。いつも何処か虫の居所が悪そうにしている。そのせいか、石川に辛くあたる事も多い。吉澤は同期で歳も近いためか、メンバーといるときは、見せない表情を石川には見せる。
階段を上り、まっすぐ進んで角を曲がると石川達の部屋だ。
そんなとき、吉澤はいつも、思い詰めた顔をしている。理由を聞いても話してはくれない。でも、想像はつく。後藤のことだ。
石川は部屋の前に立って、ついノックをしてしまった。自分の部屋でもあるのだからそんな事はしなくても善いはずなのだが、いつのまにか、吉澤に気を使っている自分がいた。
「はい」吉澤の低い声が返ってくる。石川は静かにドアを開ける。
「梨華ちゃん・・・」吉澤はジーンズとざっくりとしたシャツに着替えていた。石川は少し緊張しながら、晩餐が始まる事を告げた。
- 64 名前:藤次 投稿日:2001年05月20日(日)19時44分06秒
- 夕食会が始まった。
紗耶香は漠然と長ーいテーブルでかしこまって食べるところを想像していたのだが、もちろんこのメンバーではそんな事ができるはずもなく、あちこちの部屋から集めてきたソファーと机が長方形に並べられ、円座になった。
裕ちゃんと佳織の「乾杯」で、ごく普通に、始まりを告げた。二人は上座で、ビールを一気に飲み干し、上機嫌だ。テーブルの上には実に様々な、料理が並んでいる。クラブハウスサンドに、ローストビーフ、冷奴に、鯛の刺身、カルパッチョ、ピラフ、えびのチリソース、ウィンナーに、フライドポテト。真中にはパンのバスケット。
紗耶香は後藤の隣に座り、後藤とともに赤ワインを傾けながら、パンをかじり、ローストビーフをつまんでいる。後藤はもう顔を真っ赤にしている。
紗耶香の正面にいる吉澤は、あまり食べものには手をつけず、ナッツをかじりながら早くも、バーボンなど傾けている。
辻加護は、酒のことなどより、おなか一杯食べる事の方が先に立っているようだ。クラブサンドのトレイを手前に引き寄せ、競い合う様に詰め込んでいる。
そうこう言ううちに、ビール一杯で気を良くした矢口が手当たり次第に絡み出す。けれども、紗耶香の目には矢口の行動がきわめて不自然な物に想えて仕方なかった。
あれ?矢口ってこんなだっけ?
何か異様な物が辺りを包んでいるのを感じた。何がしかの緊張感。その正体を捉えようと意識を集中させようとしていたとき、後藤が紗耶香の腕をつついた。
酔っちゃった、膝かして。
「いいよ」
後藤が、ゆっくりと頭を預ける。3年前ならなにいってんの?と言うところだが、今は許す。背中を撫でて、大丈夫と問う。こくりと後藤が首を折る。それで安心して、もう一度先ほどの異物感の正体を捉えようとしたが、それはもう消えていた。
紗耶香は後藤の寝顔を見ながら、先ほどの保田との会話を思い出していた。
そうか、男か。後藤も大きくなったんだな。なんか嬉しいような悲しいような。不思議と男に対する嫉妬は浮かんでこなかった。そうだよね、あたしのせいなんだもんね。
- 65 名前:藤次 投稿日:2001年05月20日(日)19時44分47秒
- 保田が、さっきから吉澤の隣に座っている。保田は周りにはビールによって絡むふりをしながら、目で吉澤を抑制してくる。保田の言いたい事ぐらい、吉澤にだって分かる。休養に来てるんだからなにもこんな場で。他のメンバーには関係ない事なのだ。しかし、後藤の目を覚ますには、必要なのだ。吉澤はそう確信している。私だけが知っている事実。それを他人の目のあるところで、市井に認めさせてこそ、後藤を市井から解き放つ事ができる。早い方が善い。
しかし、後藤の顔を見ている間にその決意が揺らぎそうになる。ふと虚構の幸せも善いんじゃないかと思ってしまう。全てはまやかしだと知っていながら。
- 66 名前:藤次 投稿日:2001年05月20日(日)19時46分40秒
- 気分の良くなった、矢口と中澤、安倍の三人はバカ話に興じていている。
辻加護は、眞子を相手に自分たちの曲を披露している。ミニモニだ。眞子は手を叩いて喜んでいる。それを見た矢口が、「おまえら、あれやれよ、なんだっけあの、そうぶりんこ○んこ!」
「ああ、あの二十七って奴ね」と飯田。
「はいっ」と、勢いに任せて最敬礼する加護。だが、辻は尻込みをしている。
「あははは、そうか、辻ももう十五才やもんな、そりゃ恥ずかしいよな」
「それにもう、中澤さんは二十九ですもんね」と、石川。
「相変わらず、お前は一言多いな」
「そう言えば、裕ちゃん。男出来たっていってたっけ?」紗耶香は、唐突に思い出した事を口に出してみた。
「本当?」安倍がすぐに食いつく。
「うわっ、紗耶香、お前はなんつーことをいうんや。そういうのはな、最後までとっとくもんやろ?」
「見栄張ってんじゃないの?」と矢口。
「なんでそんなことせんとあかんのや、おるよ」と中澤は少し威張っていう。
「マジ?誰?どんなひと?」とは、保田だ。
「まあ、おいおい話すわ、この島にいるうちにな。ちょうどええ機会やし」
「もったいぶんなよー」紗耶香はそうつついてみるが、中澤は、そのうちな、と言ったきりその件に関しては口をつぐんでしまった。
- 67 名前:藤次 投稿日:2001年05月20日(日)19時47分22秒
- 「つまんねーの」と、矢口は吉澤にちょっかいを出し始める。
「よっすぃーなにのんでんの?」
「バーボンですよ」
「ちょっと頂戴」と、矢口は吉澤のグラスを奪い取り、一気にあおった。
吉澤も呆然としてみている。
「うえっ、なにこれー、にがーい。よっすぃーこんなの良く飲めるね」
「矢口は、おこちゃまだからね」と保田がからかう。
「ちがうわい。じゃあ圭ちゃん飲んでみてよ」
「あたしは、ビールが好きなの」
二人のやり取りを楽しそうに見ていた紗耶香に、吉澤が突然、声をかけた。
「市井さん、飲みます?」
一瞬、保田の意識が、向かってくるのを、吉澤は感じた。
「うん、これで」紗耶香はゆびを三本たてて見せる。スリーフィンガーの合図だ。
吉澤は、目顔で頷き、グラスに、ボーボンを注いだ。紗耶香はそれを、一息で半分ほど飲み干す。
「うまいね」
「でしょう」と、二人は微笑みあった。保田は胸をなでおろし、他のメンバーはあっけに取られている。飯田が、私も飲むといいだし、中澤が止めたが、言い出したら聞かない彼女は、自分で、ロックをつくり、みんなが止めるのも聞かず、一気に飲み干してしまった。
そこまでは良かったが、すぐに、座り込んで眠り出した。
三十分もすると、もうわけがわからなくなっていた。みんな、酔っ払っている。辻と加護も、中澤にリキュールを飲まされて、いつも以上に、テンションがあがっている。平静なのは吉澤と紗耶香ぐらいだ。後藤は起き出し、辻、加護に混ざって、眞子さんと遊んでいる。
- 68 名前:藤次 投稿日:2001年05月20日(日)19時48分32秒
- 紗耶香はトイレに立った。それを追いかけてくる姿があった。安倍だ。トイレ?と聞いて来る。応えると、私もと安倍は言う。トイレに行くには、居間をでなければならない。紗耶香は、廊下へ出るドアを開けた。
小用を済ませると、安倍が紗耶香を外に誘った。
「少し、覚まさない?」
「いいね」
玄関を出て、少し庭を歩く。嵐の前の静けさか、さっきから雨は小休止だった。雨後のひんやりとした夜気が、アルコールで火照ったからだに涼しい。
居間から、喧騒と光が漏れている。復活したらしい飯田と中澤の盛大な歌声が聞こえてくる。紗耶香は安倍と、顔を見合わせ、くすくすっと笑った。そのあと安倍はすこし寂しそうな表情を浮かべた。
「どうしたの?」
「あっごめん、ちょっとボーっとしてた」
安倍はすぐわれに帰り、すわろっか、とベンチに紗耶香を誘う。
安倍が、ハンカチで滴を拭い、二人は備え付けてあるベンチに腰を下ろした。
「紗耶香、最近、どう?」
「どうって、そうだな、たいへんだよ、色々。英語の勉強、音楽の勉強、生活。みんなと同じ、毎日大忙し。でもね、なんか自由だね。なんにも私を縛る物がないって言うかさ、まあ裏を返せば、なんにも持ってないってことなんだけどね」
「そっか・・・」
安倍は、そのまま黙り込んでしまった。その沈黙に時折聞こえる笑い声と波の音が心地よく、紗耶香は星を探した。雲の切れ間に一つだけ見つける事が出来た。
「ねえ、紗耶香、正直、脱退ってどう言う気分だった?」
「え?・・・うんそうだなあ」なんでこんなときにそんな事聞くんだろうと紗耶香は想う。
「あの時はね、それが一番正しい道だって信じてたから・・・」
- 69 名前:藤次 投稿日:2001年05月20日(日)19時49分30秒
- 「今は?」
「今は、今はそうだなあ・・・信じてるよ、いまでも。信じる者は救われるってね」すこし茶化していってみたが、安倍は笑わなかった。
「そっか、良かったんだねそれで」
安倍は、ポケットから毛糸の煙草入れを取り出した。紗耶香が驚くと、佳織のよ、と言う。
「吸う?」紗耶香は頷いた。普段は吸わないが吸えない事はない。なにより安倍に付き合ってやる事が必要に思えた。
紗耶香がタバコをくわえると、安倍はそっとマッチをすって紗耶香の煙草に火をつけたあと、自分のタバコにも火をつけた。
安倍が大きく煙を吐く。
「私、娘。やめようと思うんだ」
「え・・・」紗耶香は、思わず聞き返す。
「なんで?どうして、・・・もしかして事務所に言われたの?」
安倍はゆっくりと首を振る。
「そうじゃないの。事務所にも言ってないんだけどね、言ったら確実に止めらるだろうけど・・・」へへへ、と笑って安倍は続ける。
「落ち目のグループからの脱退はあんまり善い話題じゃないからね」
落ち目ってそんな事ないでしょう、と紗耶香は思い、喉から言葉が出そうになる。
安倍はそんな紗耶香と目を合わせることもなく、自分に話すようにもう一度言葉を継いだ。
「もちろん私もそう思っているわけじゃないよ、なっち、モーニング好きだしね。セールス的にも下降線をたどっているわけでもない。ただ、ほんのちょっと刺激が減っただけ、事務所だってそう思ってるんじゃない?って、この話、なっちの脱退とは関係ないね」
- 70 名前:藤次 投稿日:2001年05月20日(日)19時50分43秒
- 「なっちは、モーニングにいなきゃだめだよ。だって・・・」
紗耶香はそう言いかけ、それ以上は自分は口にできない事に気付く。
言葉に詰まった紗耶香に安倍は優しく微笑み、立ちあがって、ゆっくりと二三歩、歩く。まるで、舞台から降りるようなその背中を紗耶香は止める事が出来ない。
「もうきめたの」安倍は静かな声でそう宣言した。
「なっちね、モーニングに入って色々あったでしょ、っていっても紗耶香は五人の頃は知らないか、裕ちゃんにも迷惑かけたし、佳織とも色々あった、全部なっちが悪いんだけどね、それに後藤とも・・・正直言ってうらんだ事もあったかもしれない。
サマナイ、抱いて、でちょっと天狗になって、ふるさとでへこんで・・・その直後でしょ?いくらなっちでも辛かった。気にしないで置こうと思ってもセンター取られたって世間は騒ぐし・・・でも、今はみんな善い仲間、みんな。
でも・・・やっと気付いたんだー、このままじゃ、なっちはいつまでたってもなっちのまま、モーニングにいる限り。みんなはねえモーニングのなかにいても変わっていける。後藤も吉澤も辻も加護も圭ちゃんも・・・みんな。紗耶香だって化けたもんね。みんな、なにかを変えるために選ばれたんだもんね。でもなっちは、なっちは変わっちゃいけなかった。自分で言うのもなんだけどオリジナルメンバーのシンボルとして、ずっと純粋でワガママな、なっちを演じなきゃならない。・・・変れない」
- 71 名前:藤次 投稿日:2001年05月20日(日)19時51分14秒
- 一服しただけの煙草の灰が一塊、紗耶香の膝に落ちた。
安倍はまだ振り返らない。
「当然事務所にも反対されると思う、でも事務所を辞めてでも、私はモーニングから脱退する。なっちがなっち自身であるために」
安倍はそこで振り返った。微笑んでいた。
「だから、紗耶香とおんなじだよ。脱退って言っても歌う事をやめるわけじゃない。歌うためにやめるんだ」
紗耶香は頷くしかなかった。やめる理由は同じではないが、目的は紗耶香と同じ物だったから。だがそれでもやはり、安倍にはモーニングにいて欲しかった。紗耶香のなかでも安倍は古き良きモーニングの象徴だった。自身が脱退したとき、それでも、モーニングが健在でいられると思ったのはやはり安倍がいたからなのかもしれない。
「紗耶香には言っておこうと思って・・・」
「・・・ありがと、そんな大事なこと話してくれて・・・」
安倍はゆっくりと首を振る。
「・・・あたしも多分、紗耶香と同じような形でやめる事になると思うから・・・ほんとはちょっと怖いけどね」
安倍は、ベンチに座り直り、もう一度、煙草に火をつけた。
紗耶香ももう一本もらった。
そして、二人で、一本分の時間を灰にした。
- 72 名前:藤次 投稿日:2001年05月20日(日)19時51分45秒
- 「さ、そろそろもどろっか?」
「そうだね、なかはどうなってる事やら・・・」
「紗耶香はごっつぁんのそばにいてあげなきゃね」
安倍の言葉に紗耶香は少し照れながらも、そうだねと、云う。二人して、腰を挙げたとき、玄関が開いて辻が、出てきた。
「安倍さーん、市井さーん、何してるんですか?」と心配そうな顔で駆けてくる。
「なんでもないよー、ちょっと涼んでたんだー」といって安倍は、辻の手を取って、戻っていく。辻はそれでもまだ、何か心配そうに安倍を見ている。
紗耶香はその少し後ろをついていった。もしかしたら、辻はなにか感づいてるんじゃないかと思いながら。
- 73 名前:藤次 投稿日:2001年05月20日(日)19時52分29秒
- 居間にはもうだれもいなかった。辻によると、みんな娯楽室に移ったとかで、紗耶香達は、二階に上がった。
娯楽室に入ると矢口がデジタルビデオカメラを振り回して紗耶香につめよってきた。
「んもーどこいってたんだよ、紗耶香。せっかくよっすぃーと遊んでたのにぃ」と、云って抱き着いてくる。
「なにいってんのあんた?」紗耶香がそう言うと、今度は泣き真似。ハイハイ、いいこいいこ。適当にあしらって、紗耶香は後藤の隣に座った。
「眞子さんは?」誰ともなしに聞くと、石川が、寝ました、と応えた。
娯楽室にはビリヤードと、ボックス席、カウンターバーがあり、プールバーのようなつくりになっている。ビリヤード台では吉澤と保田がナインボールをしていた。
中澤は当然のごとくカウンターバーにいて、飯田を相手にカクテルを舐めながら、ナインボールを観戦している。他のメンバーは、ボックス席でトランプをしたり、思い思いの遊びに興じていた。
矢口はビデオカメラでみなの様子を撮影してまわっている。
後藤は嬉しそうに甘えかかってくる。どこいってたの?とのメモ。「外で涼んでた」と応える。後藤は少し膨れた。それが紗耶香にはほほえましく、ソファーの上にある後藤の手を優しく握ってやる。
えへへ。後藤はそんな声が聞こえてきそうな表情をになる。それを見た紗耶香は改めて後藤がしゃべれない事を認識し、胸が締め付けられるような思いにとらわれた。そして、後藤に起こった事の衝撃の強さを思った。
あの時、保田が云いかけた事の続きを想像する。しかし、紗耶香の脳はそこより先に進めない。フリーズしてしまう。いや、紗耶香自身が拒否しているのかも知れない。
突然、紗耶香の目の前にメモが突き出された。よほど、ボーっとしていた様だ。メモには、交信中?とある。
「ごめんごめん、ちょっと考え事してた」
不思議がる後藤をごまかして、紗耶香達はトランプをしている輪の中に入った。メンバーは、辻、加護、安倍、矢口。六人で大富豪をする。紗耶香は最初は手札が悪く、苦労したが、すぐに大富豪になり、その後は一度も落ちる事はなかった。他のメンバーが単純過ぎるのだ。みんなすぐ顔に出る。それでも充分過ぎるほど楽しい時間だった。
そしてそれはあっという間に過ぎ去った。
- 74 名前:藤次 投稿日:2001年05月20日(日)19時53分17秒
- 「はいみんなー、そろそろ寝る時間やでー」
ええーっと一番最初に声をあげたのは矢口だった。
「そないにあせらんでも明日も明後日もある、今日は長旅で疲れてるやろから、ゆっくり休んで明日に備えようやないか」
「はーい」今度は年少組が声を合わせる。それがきっかけで皆、自室に戻り始めるが中澤と飯田はカウンターバーでまだ飲んでいる。矢口がそれを指摘すると、酒がもったいないから、杯を空けてから帰ると中澤は返した。紗耶香が後藤の手を取り、娯楽室を出ようと立ちあがると、
「市井さん、少しやりませんか?圭ちゃん弱くって、やった気にならないんですよ」と 吉澤が声をかけた。保田は、あっと思ったがもう遅かった。
「いいよ」市井は頷くと、後藤、先にお風呂にはいってなと、後藤を促した。後藤は、無邪気に頷くと部屋を出た。
パタンとドアがしまると部屋の空気が一変していた。
吉澤は保田がものすごい目でこちらを見ているのを感じた。中澤と飯田もなにかを感じているのだろう、見てはいないが、こちらに意識を向けているのをかんじる。仕方がない。しかしやらなければ。そんな、状況の変化に気付いていない紗耶香はキューを選び、3ゲームだけねと、吉澤にいう。充分だ。ビリヤードは口実に過ぎない。
- 75 名前:藤次 投稿日:2001年05月20日(日)19時53分58秒
- 1ゲーム目は吉澤が取った。紗耶香は感が戻らず、四苦八苦していた。それでもなんとか2ゲーム目は紗耶香がとり返した。
「うん、なんとか感が戻ってきたかな」
「市井さんやっぱ、強いっすねー」
「吉澤だって相当だよ。そう言えば、なんであたしがビリヤード出来るのしってんの?」ごっちんに聞きました、そういって吉澤は笑う。保田がその言葉に反応した事が背を向けていながら吉澤には分った。
「さ、最後のゲームやろっか、イーブンだからこれで決まるね」紗耶香が、チョークを塗りながら云う。
ブレイク権は吉澤が取った。吉澤は前傾姿勢をとり、何度か素振りをする。そうして、キューを引き絞り固定する。そこで、大きく息を飲む。
「市井さん、この勝負に私が勝ったら、ごっちんから手を引いてください」吉澤は静かに、押し殺した声で矢を放った。
同時に放たれた白球は、乾いた音とともに九つのボールを散らばらせ、紗耶香の、え?の声を掻き消した。三番がポケットに落ちる。
吉澤は紗耶香の問いかけを無視して、丁寧に一番を沈める。
紗耶香は、床についたキューを握り締め、息を殺して問いを発する機会を図っている。今、聞いた吉澤の言葉の真意を紗耶香は理解しかねていた。しかし、重くのしかかるような吉澤の低い声は、言葉その物の意味以外にはとりようがなかった。
吉澤は、四番も沈めた。そこで一息つき、キューにチョークを塗りなおす。
「どう・・・いうこと?」紗耶香は、しっかりと吉澤の目を見据えてその思いを言葉にした。
- 76 名前:藤次 投稿日:2001年05月20日(日)19時54分50秒
- 吉澤は、気にもしていないかのように、五番に狙いを定めながら、
「市井さんにはその資格はないってことです」といって、白球をつく。五番は、勢いがありすぎて、ポケットに嫌われた。
吉澤は、ちっと軽くしたうちをして、さ、市井さんの番ですよと、何事もなかったかのように台から離れた。
保田は二人の雰囲気にすっかり飲まれてしまい、声が出なかった。止めなければ、そう思いながらも、足が前に出ない。
紗耶香は、立ち尽くしたまま、顔をあげ、吉澤に問う。
「どういう意味?」
吉澤は、にやっと笑った。イヤな笑い方だ。自分でもそう思うが、止められなかった。
「わからないんですか?ごっちんがああなったのは貴方のせいです。貴方にごっちんは救えない。いいですか?貴方があんな事しなければごっちんはあんな男に・・・」
そのとき、保田が、吉澤の頬を打った。
保田は、ぼろぼろと涙を流している。保田の口から出たのはおよそ彼女らしからぬ、感情をむきだしにした悲鳴だった。
「やめて!もうやめて!後藤だってこんな事望んでないよ、二人とも後藤にとって大切な人なのに・・・よしざわ・・何でこんなことするのごとうを、ごとうのためにきたのに・・・・・・」保田はそこまで言って泣き崩れた。細い肩が激しくゆれている。
ゲームはそこで中断された。
- 77 名前:藤次 投稿日:2001年05月20日(日)19時56分18秒
- 中澤と飯田は、突然のことに呆然としている。
「すみません」吉澤は、流石にばつが悪い様で、泣きじゃくる保田を抱えドアに向かう。その間、けして紗耶香と目は会わせなかった。
紗耶香は、部屋を出ようとするその後姿に最後の問いを発した。
「吉澤、私がしたことってなに?」
吉澤は、少しだけ躊躇して、
「自分の胸に聞いてください」とざらついた声で云い、ドアを閉めた。
部屋の中はしんと静まり返り、ずっしりとした重い空気が紗耶香をつつんだ。
- 78 名前:藤次 投稿日:2001年05月20日(日)19時57分57秒
コンコンと、ドアを叩く音がして、安倍はベットから離れた。誰だろう?紗耶香かな?あんな事云っちゃったし・・・そんな事を思いつつドアを開けると、パジャマ姿の辻が立っていた。
「辻、どうしたの?」
「亜依ちゃん寝ちゃいました」と言って辻は部屋の中に入ってきた。
- 79 名前:藤次 投稿日:2001年05月20日(日)19時58分57秒
- 安倍はアイスココアを淹れ、二人でベットにすわって飲んだ。
「そっか、加護が寝ちゃったんで寂しくなってお姉ちゃんのとこにきたのか」
辻は、黙って首を振った。じゃあなんで?と安倍は聞く。
「安倍さんの事が心配になって・・・」
「しんぱい?なんで?」
辻は答えられなかった。
最近の安倍の変化に辻は気付いていた。そのときは少し気にかかった程度だったが、あるテレビ番組で、辻はモーニング娘。のデビュー曲、愛の種のPVを久しぶりに見る機会を得た。そして、辻は理解した。「今の安倍さんはこの頃と同じ目をしている」。それがなにを意味するか、辻は言葉に出来ない。
それから二人は、どちらからともなく始まった思い出話に花を咲かせた。辻と安倍はタンポポにもプッチモニにも所属していないので、案外いっしょに仕事をした経験が多い。辻は昔はミニモニに所属していたのだが、企画もののユニットだったのですぐに消滅してしまった。安倍もソロの話があったのだが、立ち消えになっていた。
「昔、安倍さんと二人でラジオ出たことあったじゃないですか」飲みきったカップを置いて辻が話し始める。
「ああー、あったねーつってもいっぱいあるけど、いつの話?」
タンポポとプッチモニに新メンバーが入った頃と、辻は答える。
「ああ、あのころね、辻ちゃん、落ち込んでたもんね、どっちにも入れなくて・・・」
辻はこくりと頷く。
「でも、そのあとすぐ、安倍さんと二人だけのお仕事が入って、立ち直りました。どっちのユニットにも入れなかったけど、安倍さんといっしょにお仕事できる機会が増えるならいいかなって・・・」
「そうだったの?」安倍はテレ気味に髪をかきあげる。この子は気付いているかもしれない、安倍はそう思った。
- 80 名前:藤次 投稿日:2001年05月20日(日)19時59分42秒
- 「だから安倍さん・・・」辞めないでくださいね、と言葉を継ごうとしたときだった、辻はまたあの頭痛に襲われた。
突然頭を抱え出した辻に驚いた安倍は、うろたえて大丈夫?と繰り返している。
「だい・・じょうぶです」その頭痛はこれまでにない激しい物だった。辻の魂を体から揺さぶり出すような、そんな痛みだった。
ふっと意識が遠のき、安部の声もかすれ気味しか聞こえなくなったとき、辻の体を、ふわっとあたたかいものが包んだ。そのおかげで辻はなんとか、意識をつなぎとめる事が出来た。
安倍は辻を抱いていた。優しく。辻の顔色もなんとか元に戻り、うっすらと目を開けている。
「大丈夫?」
辻は一瞬泣きそうになり、両手で安倍にしがみついた。安倍は、少し驚いたが、辻の頭を優しく撫でてやった。
「・・・へへへ、あったかい」
その後、辻は無理しないでねと安倍に怒られた。けれども、辻は満足だった。安倍はこんなに近くにいる、こんなに自分のことを心配してくれている。その安倍がいなくなることなんてない。
早く寝なさいと、部屋を追い出され、振り返った辻が見た安倍の目は、けれども、変わっていなかった。
- 81 名前:藤次 投稿日:2001年05月20日(日)20時00分44秒
- 飯田は静かに自室の扉を閉じた。それでもいくらか音はする。その音が洋館全体に拡散し、吸収されると、しんとした静寂だけが残った。この雰囲気の中ではそんな当たり前の事さえ薄ら寒く感じてしまう。飯田は隣にある娯楽室に向かった。
「矢口寝たよ」
飯田は、娯楽室のドアを開けながらそういった。カウンターではまだ中澤が飲んでいる。
「そうか」中澤は背を向けたまま返事をした。飯田は、中澤の隣に座り、ウーロン茶をグラスに注いだ。
娯楽室にはさっきの重い空気がまだ残っている。あのあと紗耶香は、一言も残さずに部屋を出ていった。ビリヤード台にはまだボールが転がったままだ。
「あの時、吉澤は何を言おうとしたんだろうね」飯田は中澤に問い掛けたが、中澤はカクテルグラスを眺めて、口をつぐんだままだ。先ほどの名残だけではない。中澤自身が発している雰囲気もまた、重苦しかった。
飯田は、沈黙に我慢できず、口を開いた。
「ねえ、はなしってなに?」
中澤の反応はない。
「ねえってば」飯田は軽く中澤の肩を揺する。
「ん?・・ああ、なんや?」垂れ下がった金色の前髪の間から弱々しい目がのぞいた。
「なんやって、裕ちゃんいったんでしょ、話があるって」
「そうやったな、まあ、あんたには話とかなあかんとおもってな、リーダーやし」
中澤はグラスをあおり、一気にモスコミュールを飲み干した。
「つんくさんが失踪したらしいんや、昼間、圭ちゃんから聞いた」
「つんくさんが?なんで?どうして?」
「わからん、事務所の方でも詳しい事はまだわかってへんらしい」
それっきり会話は止まってしまった。いまここでそんな事実を告げられても、なにも出来ない。飯田は、ウーロン茶を口に含んだ。そうでもしないとこの沈黙がいつまでも続く気がした。
- 82 名前:藤次 投稿日:2001年05月20日(日)20時01分16秒
- 「・・・ほんまに、ようわからへん」うつむいた中澤がぼそりと云った。
「ゆう・・ちゃん・・・?」
中澤は慌てて顔をあげ、ああ、ごめんごめんと、取り繕う。
「ほんまやったら、楽しい休暇のはずやのに、いらん心配ごとさしてわるいなあ」
いつもと雰囲気の違う中澤に、飯田は少し戸惑った。
「そんな心配しなくて善いよ、佳織、リーダーだしね、知っとかなきゃ行けない事だもん。話してくれて嬉しいよ。だから裕ちゃんがそんな事気にする必要ないよ、あっ」
突然思いついたように、飯田が云う。
「つんくさん、一週間もやすみもらったあたしらの事、うらやましくなったんじゃん?そんでどっかでサボってんじゃないの?」
中澤は弱く微笑んで、せやったらええなあと、云って、席をたち、もうやめときなよという飯田の忠告を無視して、薄い水割りを作った。中澤は、飯田のことなど気にしていないかのように、席に戻り、遠い目をして水割りをあおったあとうつむいてしまった。
飯田も、二の句が継げず、ぼんやりと溶けていく氷を見ていた。
「・・・こないだおおたとき、つんくさんがいってたんや」不意に中澤が話し出す。
「物事には必ず終りが来る」
「・・・なにそれ・・・」
中澤がわれに帰ったときはもう遅かった。飯田が、敵でも見るような目をして中澤をにらんでいた。中澤は自分の不用意な発言を悔いた。
「裕ちゃん、それどう云う事」
中澤はここは強気に出るしかないと思い、「しらん」と突っぱねる。それでも飯田にひく気配はない。
「こたえてよ、ゆうちゃん」しつこく聞いてくる飯田がいらだたしく、中澤はつい語気を強めて云う。「しらんもんはしらん!」大声になってしまった。
飯田は中澤の恫喝にも似たセリフに、呆然とした。いくら、モーニング娘。のリーダーと言っても、飯田はまだ二十一歳だった。中澤の迫力に勝てるはずもない。中澤は、カウンターを離れ、大きくため息を吐いたあと、「かおり、ごめんな、うちつかれてるんや、またあしたにしてくれんか?」といって、部屋を出た。
飯田の頭の中ではまだあの言葉が回っていた。つんくが云ったというあの言葉。
「物事には必ず終りが来る」
- 83 名前:藤次 投稿日:2001年05月20日(日)20時01分51秒
- 部屋の中にシャワーの音が響いていたが、紗耶香には聞こえていなかった。どうやって部屋まで帰ってきたのかも覚えていない。気がついたら、ベットに腰掛けていた。吉澤の言葉がぐるぐると頭の中を回る。明らかにあれは告発だった。後藤の声が出なくなったことにあたしが関係している?それは、男が市井のファンだと言って後藤に近づいたという事だろうか?後藤の事をおいて、脱退した事が後藤にダメージを与えたという事だろうか?次々と浮かんでは消える無数の考え。・・・違う、吉澤は、そんななまやさちいことを言っているのではない。
「後藤の声が出なくなった直接の原因は貴方だ」。
吉澤はそう言っているのだ。私は・・・何をしたんだろう・・・、紗耶香は自分に問うた。吉澤の言葉をもう一度、思い返した。わからないんですか?ごっちんがああなったのは貴方のせいです。貴方にごっちんは救えない。いいですか?貴方があんな事しなければごっちんはあんな男に・・・。
今度は違う場所で引っかかる。ごっちんはあんな男に・・・。紗耶香は、さっき保田もそこで言いよどんだ事を思い出す。云いにくそうな保田の顔。まさか?・・・いやだ、考えたくない。そしてその原因がわたし?二つのキーワードは紗耶香の頭の中を回るばかりで、つながらない。そのせいで、シャワーの音が止まった事にも気付かった。
- 84 名前:藤次 投稿日:2001年05月20日(日)20時02分36秒
- 後藤が、バスルームを出たことにも気付かない様だった。
後藤は笑顔で迎えてくれる物だとばかり思っていた紗耶香がうつむいているのをみて、ちょっとした悪戯を思いつき、そっと紗耶香の前に立った。
ペシッ。デコピンをした。
紗耶香は我に返ったように顔をあげる。目の前にはパジャマに着替えた後藤が立っていた。紗耶香は今までの逡巡を隠すべく、とっさに悪態をついた。
「ってえ、なにすんだよぉ」
後藤は、もう、と言った表情で、腰に手を当てたあと、パジャマの袖をつまんでくるりと回って見せた。
「あ。それ・・・」紗耶香が気付いたとたん、後藤の顔が緩む。
「まだ持ってたんだ」
うん、と後藤は元気良く頷いてベットに飛び乗り、脱ぎっぱなしの服の中から、メモ帖を引っ張り出す。それを持って、紗耶香の背中に張りついた。紗耶香が、戸惑っていると、後藤は紗耶香の目の前に、手を回して、メモになにかを書きはじめた。
とっといたんだよ。
「・・・そうなんだ」紗耶香の言葉は少し震えていた。
紗耶香は、回された後藤の腕にかかるパジャマの袖をあらためて見た。それは少し色あせていたけれど、あの頃、後藤が紗耶香の部屋に来た時だけ着ていた、お泊まり用の赤いパジャマだった。紗耶香が後藤を注意するたびに後藤の涙で濡れたあのパジャマだった。そのパジャマを後藤はまだ持っていた。紗耶香はそれが、嬉しくもあり、少し照れくさくもあった。
- 85 名前:藤次 投稿日:2001年05月20日(日)20時03分26秒
- また、後藤がゆっくりとメモを書き始める。
ずっと、・・・・ずっとこうしたかったんだ、・・・・あのころみたいに・・・。
「あたしもだよ、後藤」紗耶香は堪えきれずにつぶやき、振り返った。
後藤の顔はすぐ近くにあった。まだ少し濡れた髪から、シャンプーの匂いがした。後藤は、良かった、という風な安堵の表情を浮かべ、紗耶香の背中に顔を埋めた。
紗耶香は、背中に柔らかな後藤を感じた。ゆっくりと時間だけが流れる。紗耶香はなぜか急に不安になった。貴方にはその資格がない。吉澤のセリフがフラッシュバックする。
不意に後藤が、顔を背中から離して、紗耶香の背中をつついた。なに?と紗耶香が振り返ると、メモが差し出される。
いちーちゃん、ちょっと汗臭いよ・・・。にんまりと笑顔を見せる後藤。
「もうー、ばかぁー」さっきまでの感傷に浸っていたことが照れくさくなり、紗耶香は、後藤を小突くと、着替えを手にバスルームに向う。ドアの前で立ち止まり振り返って、ベットの上で三角座りをしている後藤に、
「まってろよ」というと、後藤は微笑を返した。
- 86 名前:藤次 投稿日:2001年05月20日(日)20時04分01秒
- 紗耶香がバスルームから出ると、後藤はもう眠っているようだった。少し残念だったが、疲れてるから仕方ないか、そう思い、起こさない様にして、そっとシーツのなかにもぐりこむ。清潔なシーツは肌に心地よかった。
紗耶香は、すぐ眠る気になれなくて、規則正しい寝息をしている後藤の顔を覗きこむ。安らかな寝顔だった。大人っぽい後藤だが、寝顔は無邪気な子供だ。後藤の顔にかかっている髪をそっとかきあげる。こんな純粋な後藤を、無邪気な後藤を、もうこれ以上、泣かせるようなことはしない。紗耶香はそう決意した。吉澤が何を言おうと、後藤は今、私を必要としている。それだけは、紛れもない真実だ。
「必ず私が、救ってあげるからね」
紗耶香は、後藤にそう優しくつぶやいた。
すると、眠っているはずの後藤が目を開けた。
「おき・・・てたの?」
だって、まってろって・・・・。唇の動きだけでは、はっきりとは分からなかったが、後藤は確かにそう云った。紗耶香は後藤を抱きしめた。
そして、二人は一つに溶け合って眠った。
- 87 名前:藤次 投稿日:2001年05月20日(日)20時05分00秒
・・・・・・・・・
夜中。
紗耶香は、なぜか、目を覚ました。
隣を見ると、後藤がいない。
トイレかな?とも思ったが、変りにシャワーの音が聞こえてきた。
こんな時間に?
不安になり、バスルームのドアをノックしてみる。
反応はない。
もっとも後藤は声が出ないのだから、返事は期待していない。
しかし何らかの反応はあるはずだ。
まずいかな、と思いつつも、ノブを回す。
鍵はかかっていない。
「後藤?」
ドアを少し開きながら、紗耶香は覗きこんで、驚いた。
「なにしてんの!」
後藤は、パジャマを着たままシャワーを浴びていた。
紗耶香の声にも気付かない様子で、必死に体をこすっている。
紗耶香は、濡れるのもかまわず、後藤に抱き着いて止めようとした。
しかし、後藤は狂気じみた力で、紗耶香を振り払う。
そして、なおも体をこすりつづける。
呆然とした紗耶香は、めくれあがった袖からのぞく後藤の腕を見た。
白いはずのその腕は、真っ赤になっていた。
後藤は、泣いていた。正気ではなかった。
「後藤、後藤!」
紗耶香は、必死に後藤に組み付き、いや、いや、と首を振る後藤の名前を呼んだ。
何度叫んだか分からない。
やっと我に返った後藤は、助けを求める様に紗耶香にすがり付き、泣きじゃくった。
- 88 名前:54 投稿日:2001年05月20日(日)20時13分39秒
- 54です。すごいです!藤次さん。
最近、しばらく更新がなかったので、私がよけいなことを言ったばかりに、嫌気がさしてしまわれたのではと、
ひそかに心配していたのですが、一度にこんなにたくさんの更新!
ずっと書きためておられたのですね。ありがとうございます。
急いで目を通しましたが、相変わらず目の離せないストーリーですね。
これから、もう一度読み直します。まずは、お礼を。
- 89 名前:あるみかん 投稿日:2001年05月20日(日)22時50分27秒
- 情景描写や細かいディテールを端折らずに書いてらっしゃるのに脱帽。
キャラクターを用いた二次創作ってついついそうなりがちですが全く普通の読み物と
して楽しめました。
綾辻行人の「館」シリーズがすごく好きなんで館ものみたいなので嬉しいです。
頑張ってください。
- 90 名前:名無しさん 投稿日:2001年05月21日(月)00時09分53秒
- ごまがカワイイ・・・・
いちーちゃん救ってやって!!
- 91 名前:Hruso 投稿日:2001年05月21日(月)00時20分37秒
- 市井、後藤がらみ以外のメンバーの事情も注目ですね。
これからどういう展開になるのか、全く読めないです。
- 92 名前:53 投稿日:2001年05月21日(月)02時48分09秒
- ムッちゃ面白いっす
一体どうなるんだ・・・
紗耶香、ごっちん、よっすぃ〜、なっち、のの、そして姐さん・・・
ムッちゃ楽しみにしてます、頑張ってください!!
- 93 名前:名無しさん 投稿日:2001年05月21日(月)03時07分04秒
- すごい!!の一言。
久々に超大作に出会ったという感じです。
市井VS吉澤に期待!!
- 94 名前:藤次 投稿日:2001年05月21日(月)03時58分55秒
- 作者です。
あれから一年。市井紗耶香に幸あらんことを・・・
- 95 名前:名無しさん 投稿日:2001年05月30日(水)09時30分05秒
- 続き期待っす!
- 96 名前:名無しさん 投稿日:2001年06月06日(水)00時02分00秒
- つ〜づ〜き〜・・・
- 97 名前:藤次 投稿日:2001年06月08日(金)04時03分46秒
某モーニング娘。小説板より抜粋
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
195 名前 : 名無しさん 投稿日 : 2001年05月21日(日)20時13分39秒
それが自然であるとでも言うように彼女はそこに横たわっていた。
やわらかな頬を一筋の涙が伝ったあとがある。
血色の良かった肌は、今では氷の様に白い。
腕は剥き出しで、彼女を手にかけた者がなんのつもりか、みぞおち辺りで手を組ませていた。
聖者が眠りにつくときの様に。
真っ赤に染まった彼女の体はあくまでも崇高で、その瞳は閉じており、安らかな寝顔さえ伺える。その事がいっそう現実の凄惨さをひきたてていた。胸には、刺し傷があり一見してそれが彼女の命を奪った原因だと推察される。心臓の近く、しかも、ひきぬいたと見え、刃物自体はそこにはない。周りに流れ出た血は、その刃物をひきぬいた時点で溢れ出した彼女の命その物。しかし覆水盆に帰らずの諺どおり、それらは凝固していて、再び彼女に帰る事はない。
彼女の命は何者かによって奪われた。この洋館の庭で。
彼女は解放を感じる事が出来たであろうか?縛られた物語に終止符を打ち、彼女自身の物語を語る事は出来たであろうか?
そんな問いかけもむなしく響く。ことは一瞬であったろう。それが今の状態から容易に想像できる。薄れていく意識のなかで彼女はなにを思ったろう?再び意味のない設問が心の中に浮かんでくる。閉じた生命に感傷は無用だ。彼女はここで結実した。それだけが、事実であり真実だ。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
- 98 名前:第2日目 投稿日:2001年06月08日(金)04時05分12秒
- 第2日目
朝にふさわしくない薄らぼんやりとした光の中、矢口は雨音で目を覚ました。とうとう、台風の暴風圏内に入ったらしく、洋館のあちこちから窓枠のきしみが聞こえて来る。
しかし、矢口自身の覚醒は決して不快な物ではなかった。豪雨が耳に心地よく、二日酔いの後はない。当たり前だ。一応セーブして呑んだのだから。
隣のベットで飯田が寝苦しそうに、体を返した。
サイドテーブルにある携帯の時計で時間を確認するとまだ七時だった。お酒を飲むと翌日の目覚めが早い事は幾度か経験済みである。二度寝は出来そうになかったのでシャワーを浴びる事にしてベットから滑り出す。じっとしてるのは好きじゃないし、せっかくの休日なんだから、早起きして楽しまなきゃね。今日はなに着よっかな?
隅に片付けてあったバックを引っ張り出して、なかを掻き回す。オレンジ色のシャツを選択して、手に取ると、どさっと何かが落ちた。テレビ番組の台本だ。
そっか、持って来ちゃったんだ。ああそうか、ごっつぁんがあんなことなったから、中止になったんだ。これ。いきなり中止を告げられたときは、良くわかんなかったけど。・・・しかし、朝いちでやなものみたなぁ、と矢口は、それを無理矢理、バックの一番奥に突っ込んで、バスルームに入った。
シャワーを浴びると、矢口は空腹を感じ、多分まだ誰も起きてはいないだろうけどと思いつつ、一階に降りる事にした。
- 99 名前:第2日目 投稿日:2001年06月08日(金)04時07分05秒
- 居間では、紗耶香がダイニングテーブルでトーストをかじっていた。
「よう」と挨拶を交わし、矢口は紗耶香と対面して座る。そのままもじもじしていいると、待ってるだけじゃなにも出てこないよ、と紗耶香が云った。
「ここはホテルじゃないんだから、朝食の準備くらいは自分でしなきゃ」
あ、そっかと、矢口は思い、席を立ってキッチンに向かった。紗耶香にごっちんは?と聞くと顎で、ソファーを指す。入口からでは、見えなかったが後藤は、ソファーに横になって寝ていた。
矢口は、トースターに食パンをセットしながら、どうしたんだろう、紗耶香と後藤は?と要らぬ心配をしていた。紅茶はあるよ、と紗耶香の声が聞こえてくる。うん、ありがと、と答えながら再びさきほどの疑問に立ちかえる。紗耶香はともかく、後藤がこんな時間に起きてるなんて珍しい・・・いや、起きてはいないか、寝てたもんな。
きっと紗耶香に引っ張り出されたんだな。矢口がそんな事を考えて云ううちに、チ―ンと、トースターがなり、小麦色に焼けた食パンをはじき出す。冷蔵庫を探ると、バターと蜂蜜があった。二つとも矢口の好きな味だ。
居間に戻ってこんがり焼けたトーストにバターを塗り、蜂蜜をかけて、口の中に放り込む。
おいしい。糖分の多幸感に満たされ、思わず顔がほころぶ。紗耶香はそんな矢口を見て、微苦笑を浮かべた。
「変ってないね、矢口」
「どういう意味だよぉ」
矢口は、昨日はあまり紗耶香とは話さなかった。紗耶香もそれを気にしていた様だ。
「いつでも、美味そうに物を食うってこと」
「それじゃなんか、矢口がいやしいみたいんじゃん」と矢口は、頬を膨らませて云う。
紗耶香は、くすくすと笑い、そうじゃないよと否定した。一瞬の沈黙のあと、二人は笑いあう。紗耶香も変っていない、矢口は安心する。
「なんで、今ごろ起きてんの?」矢口が、二枚目のトーストをほおばりながら聞く。紗耶香は、目頭に手を当てて、なんかまだ時差ぼけみたい、と云った。
「早く目が醒めちゃってね、仕方なく起きたら、後藤を起こしちゃって、で後藤も起きるって云うから・・・二人で朝食食べたんだけど、おなかいっぱいになったみたいで後藤また寝ちゃったってわけ」
「なるほどね、ごっつぁんなら有りそうな話だわ」
矢口は、手についた蜂蜜を舐め、甘ったるくなった口の中に紅茶を流し込む。程よい苦味が利いて清涼感が広がった。
- 100 名前:第2日目 投稿日:2001年06月08日(金)04時07分59秒
- 紗耶香は、ぼんやりとガラスに雨が叩きつけられ、景色の輪郭がぼやけるのを眺めていた。窓の向うは視界ゼロに等しい。黒い空と森の緑が歪んで溶け合っている。
矢口はそんな紗耶香の横顔をしばらく眺めていた。
「ねえ、紗耶香一つ聞いてもいい?」矢口は頬杖をつきながら紗耶香に話しかけた。
「いいよ」紗耶香は横顔のまま答えた。
「あたし達と顔合わせづらかったのにここに来たのはやっぱりごっつぁんのことがあったから?」
紗耶香がぴくりと反応した。
矢口は紗耶香の性格は知っている。矢口自身はそう思っている。前進を志して、勝手な(紗耶香自身はそう思っているだろう)脱退をしたのだから、シンガーソングライターになるまでは、メンバーとも会いたくなかったに違いない。なにも成していない、そんな姿をモーニング娘。に見せる事はプライドが許さないだろう。負けん気の強い、紗耶香らしい意地の張り方だ。それでも、のこのこ顔を見せたのは後藤の事があったからなのだろう。
紗耶香が、そうかもしれない、といったあと、
「矢口には見破られてたんだね」と少し、微笑んだ。嬉しさと寂しさが入り混じった笑みだった。紗耶香は、すこし肩の荷が下りたような気分になり、矢口に感謝した。分かってくれてたんだね矢口。ありがと。心の中でそう思った。
矢口は、紗耶香の心中を察してそれ以上はなにも云わなかった。
- 101 名前:第2日目 投稿日:2001年06月08日(金)04時08分42秒
- 加護は辻の呻き声で目を覚ました。見ると辻はうなされていた。尋常ではない辻の様子を気にかけた加護は、ベットをおり、辻の枕下に立った。辻の額には脂汗が浮かんでいた。よほど怖い夢でも見ているのだろう。加護は、辻の肩を揺する。
「のの?のの!」
辻は激しく寝返りを打つ。加護の行為が逆に辻の不安をあおっている様だ。加護がささに一オクターブあげた声で叫んだ。「のの!!」
その一喝で辻はようやく、泥沼の夢の世界からもどることができた。現に引き戻された辻は加護の顔を確かめるように見た。
「あい・・・ちゃん?」
加護は、そうや、と答えたあと、
「どないしたんや?」と辻に問うた。加護は、この島に来てから辻の様子が変なことには気がついていた。ふさぎこむ事が多い。さらに昨日は頭痛を訴えていた。それでも辻は精一杯の強がりなのか、なんでもないよ、怖い夢見たの・・・、そう答えて見せた。
「しんどいんやったらいつでもうちにいいや、いくらオフやからて体壊したらなんにもならんわ」加護にはその言葉がが精一杯だった。
辻は、嬉しそうにこっくりと頷いたあと、気をつけてね亜依ちゃんと呟いたが、加護に耳には届かなかった。
加護は、着替え始める。
辻はまだベットに横たわったまま、夢の内容を思い返していた。あたしの頭は変になっちゃたんだろうか?頭痛がするたびに、目の前に薄い膜がかかり、現実の比重が軽くなっていく。しかし、夢は、辻の頭の中では、現実と認識されるほどのリアリティーをもち、今も夢は夢ではなく、事実としての重さを持っている。そしてその内容。それはあまりに悲しく、辻の目からは一筋の涙が流れた。
- 102 名前:第2日目 投稿日:2001年06月08日(金)04時09分36秒
- 居間の静寂を打ち破ったのは中澤だった。のしかかる様に入り口のドアを開け、頭を押さえて、居間に入って来た。転がりこんだと言っても過言ではない。
「うー甘い酒のみ過ぎたせいやろか・・・」中澤は誰ともなしにつぶやく。
「普通に呑みすぎ」矢口が、あきれたように答えた。
中澤は恨みがましく矢口の方を見たが、返答はせず、後藤が眠っている隣のソファーに寄りかかって、矢口ぃ、ポカリ、とせがんだ。
「なんでやねん!!」矢口が大声で返すと、中澤は勘弁してくれと頭を抱えた。矢口はニヤニヤして紗耶香にこれぐらいいじめてやらないとね、と云いつつも立ちあがって冷蔵庫をあけた。
中澤はポカリを呑んで、だいぶ気分が良くなったみたいだった。
「それにしてもあんたら早いなあ」
紗耶香は、中澤に矢口のときと同じ説明をした。
「ふーん、それで後藤はまだねとるわけやな・・・」中澤はソファーで丸くなっている後藤に視線を移しながら云った。
「でもまあ、まだ八時やし、みんなねとるやろな」
「それもいいんじゃない、台風だし。・・・今日は外で遊べないね」矢口が少し残念そうに言う。
「まあ、休暇らしい休暇やな、ゆっくりするんもええやろ」
「そうだよ、疲れてるんだし、もっとゆっくり寝てればいいのに、裕ちゃんも矢口も」紗耶香は、二人にそう云った。すかさず矢口が、
「そう云うわけには参りません。矢口は寝るより遊びたいの、付き合ってもらうからね」と云う。それを見た中澤が、ほんま元気やなあ、とあきれたように呟いた。
紗耶香と矢口は顔を見あわせ、笑いあった。
- 103 名前:第2日目 投稿日:2001年06月08日(金)04時10分21秒
- そのとき静かにドアが開き、眞子が入って来た。
「皆さん、お早いですね」上品に微笑みながら、おはようございますと礼をする。
紗耶香と矢口もおはようございますと礼を返した。
中澤は、ドアを背にしていたので、振り返った時に頭に衝撃を与えてしまったらしく、言葉にならない礼を返した。それを見て眞子は、大丈夫ですかと心配そうに声をかけるが、矢口が大丈夫ですと代わりに答えた。
「皆さん朝食はお召し上がりになりました?」と眞子が聞くので矢口が、自分と紗耶香はもう食べたと答えた。眞子はそれは残念、と言った。
「それでは、他の皆さんの分は、私が用意しますね」と、思いついたように眞子が言う。中澤は慌てて辞退したが、眞子は、昨日楽しい思いをさせてもらいましたからお礼です、と云うとキッチンに消えた。
しばらくすると、うっすらとコンソメらしい、いい匂いがしてきた。スープでも作っているのだろうか?紗耶香は、匂いの正体を色々と想像してみたが、後藤が起きたのはその匂いのせいに違いない。
- 104 名前:第2日目 投稿日:2001年06月08日(金)04時11分01秒
- 飯田は、目が醒めたときの態勢のまま、ぼーっとしていた。何かを考えているのかもしれないし、何も考えていないのかもしれない。飯田自身にも分からない。ただ、ボーっとしているのを自覚した時、突然心の中に何かが浮かんでいる事がある。飯田の目には今、窓と、窓の外の雨と、きのう矢口が寝ていたベットが写っている。あれ?飯田は我に返る。矢口がいない。飯田はやっと体を起こした。
矢口はもう起きたようだった。部屋の中にもいない。やっと働き始めた飯田の脳を昨日の出来事がいっぺんに襲った。なんかのんびり寝てられる気分ではない。そうあせる必要もまたないのだが、飯田は急いでパジャマを脱ぎ捨てた。
- 105 名前:第2日目 投稿日:2001年06月08日(金)04時11分34秒
- すっかり着替えて、飯田が一階に降りたとき食欲をそそる匂いが辺りに立ち込めていた。もうみんなそろってるのかな?そう思いつつ、居間へのドアを開ける。
「おはよう」
居間には紗耶香と後藤、中澤、矢口がいた。後藤はまだ目を覚ましたばかりのようで、ソファーの上で目をこすっていた。ふと、中澤と目が合うが、他にメンバーがいるため、昨日の事はおくびにも出さない。他は?と矢口に聞く。まだだよ、と矢口の返事が返ってきた。
「じゃあ、このいい匂いはなに?」この質問には紗耶香が答える。
「眞子さんが朝ご飯作ってくれてるの」
紗耶香のその答えは後藤もはじめて聞いたようだった。後藤は嬉しそうに急いでテーブルについた。紗耶香はそんな後藤をからかって遊んでいる。その光景に少しだけほっとした飯田も、矢口の隣に座って、紅茶をカップに注いだ。とりあえず、紗耶香は大丈夫みたいだ。昨日のショックは表面には出ていない。問題は・・・
「裕ちゃん、眞子さんに迷惑かけてんじゃないの?朝食作ってもらうなんてさ」飯田は何気無さを装って、中澤に声をかけた。中澤は頭を押さえたまま、まあええんちゃうか、お礼やいうとったしと答える。矢口が、飯田の耳元で裕ちゃん二日酔いと、囁く。
「しょうがないね、あんな呑みかたしたんじゃあ」茶化して云ってみるが、その後返って来る筈のいつもの中澤の減らず口はなかった。昨日のことを喚起させた様だ。中澤の反応を見るに、根は深い。飯田は気を引き締めたが、眞子が朝食を運んできて、その不安は後回しになった。
- 106 名前:第2日目 投稿日:2001年06月08日(金)04時12分08秒
- 紗耶香の予想した通り、匂いの正体は野菜のスープだった。後藤は、二度目の朝食を良く食べた。そんな後藤を見て紗耶香は嬉しくなった。食欲があるのはいい傾向だ。同時に眞子の料理の腕にも感服した。紗耶香自身、後藤の勧められてスープを一杯、食べてしまった。飯田はトーストをかじりながら、スープを飲み、おいしいを連発している。一番喜んだのは中澤で、効くーっといいながら、野菜がたくさん入ったそのスープをお代わりまでしていた。
- 107 名前:第2日目 投稿日:2001年06月08日(金)04時12分55秒
- 辻は加護にせかされてシャワーを浴び、寝汗を流した。起床のための段階を一つ踏むたび、畏れが増していく。一歩ずつ現実に近づいていく。辻は確認するのが怖かった。夢を夢のままにしておきたかった。
加護が扉を開ける。
辻の心臓は大きく脈打ち、すぐに悲鳴を上げ始める。加護が、のの、ほんとに大丈夫と聞くが辻の耳には入らない。辻の中では全ての音がフェードアウトしていく、雨音も加護の声も。
辻は吸い出される様に、扉の外に出た。静まりかえった廊下を辻は歩いていく。加護は、辻を心配そうに見守りながら、ついていく。玄関ホールに下りると加護は、朝食の匂いに気付き、辻に笑いかけ、居間に入ろうとした。
しかし、辻の視線は玄関に向けられていた。加護の視線に気付く事もなく、そちらに歩き始める。加護は慌てて、辻の手を取り強引に居間に連れ込んだ。
- 108 名前:第2日目 投稿日:2001年06月08日(金)04時13分41秒
- 「おはよーございまーす」
加護はなるたけ元気良く挨拶をした。辻にとりついた陰を取り払う様に。
ダイニングテーブルで和やかな朝食会が繰り広げられている。飯田が二人に気付き、おはようを云う。加護は辻の手を引き、テーブルについた。眞子が辻と加護の前にスープと、トーストを差し出した。向かいにいる矢口が、
「眞子さんが作ってくれたの、むっちゃ美味いよ」と云う。加護はその匂いに誘惑され、食べ始める。
「ほんまや、おいしい!!」加護の少し大げさなぐらいの言葉で、食卓は笑いに包まれた。加護はあっという間にたいらげ、お代わりをした。
「ほんまうまいなあ、のの」と、隣りにいる辻を見ると、ほとんど食が進んでいない。
「やっぱり、食欲ないんか?」
辻は、頷き、亜依ちゃん食べて、といって席を立った。飯田が大丈夫か?辻、と声をかける。辻は少しだけ微笑んで大丈夫ですと返した。
辻はゆっくりと、窓の方にうつむいて歩いていく。窓の向うを直視できない。もしそこにそれがあったら・・・。
後ろで珍しいこともあるもんやなと云う中澤の声が響く。
辻は頭をふる。そんな事があるはずがない。夢はやっぱり夢のはず。だがそれはむしろ辻の願いだった。それは辻自身が良く分かっていた。悪夢のような確信。
窓はもう辻の目の前にある。辻は、あきらめたように顔をあげた。雨でぼやけた風景を食い入る様に見つめる。辻は心の中で祈っていた。それはすでに、神への願いなのか、死者に対する物なのかさえ分からなかった。やがて、風が向きを変え、景色が輪郭を取り戻していく・・・
「やっぱり・・・」
知らずに涙があふれていた。
- 109 名前:第2日目 投稿日:2001年06月08日(金)04時14分13秒
- 皆が談笑している中、紗耶香は辻に気を取られていた。眞子が、一度皿を下げに、キッチンに消えたあとも、じっと窓の外を見たまま、立ち尽くしている辻。心なしか震えている様にも見える。紗耶香は、後藤とつないでいた手を離し、後藤に断って、辻に近づいた。
「辻、どうしたの?」後ろから声をかけると、辻は感電でもした様にビクッとした。辻は恐る恐る振り返える。辻は泣いていた。紗耶香は驚き、どうしたのと繰り返す。辻が、震える手を差し出すので、紗耶香は握ってやる。なんだろう、この不吉な予感は。
辻が、まだ震える手で、窓の外を指し示す。
紗耶香は、その指し示す方を見た。雨の中にそれはあった。
「え?・・・・・」世界が反転した。
紗耶香がそれを理解するのには少し時間がかかった。いや実際には、映像として認識できただけで、その出来事の持つ本当の意味は、まだ把握できていない。それほど、信じがたい光景だった。呆然と辻の顔を見る。辻はその事をずいぶん前から知っていたかのように、声をあげることもなく、諦めの涙を流している。紗耶香はもう一度窓の外を見た。今度は恐怖がわきあがってきたが、紗耶香はそれを無理矢理押さえつけ、辻の手を引いて、早足で歩きだす。
「裕ちゃん、佳織、ちょっと来て」扉を開けながら、そう叫ぶ。尋常ならざる紗耶香の様子に、居間に緊張が走る。
「ちょっと、紗耶香、どないしたん」中澤が聞く。
「いいから来て」
紗耶香は、そう云って居間を飛び出した。
- 110 名前:第2日目 投稿日:2001年06月08日(金)04時14分53秒
- 吉澤は、バスルームの鏡で自分の顔を見た。ひどい顔だった。目は充血しているし、浮腫んでいる。眠ったのか眠らなかったのか良く分からない不快な睡眠のせいだ。昨晩、保田を送ったとき、保田は吉澤を問い詰めてきた。吉澤はなにも答えなかった。ただ、すみませんと繰り返した。自分のしている事が保田をも苦しめている事はわかっていた。だが、辞めるわけにはいかない。ごっちんはもっと苦しんだはずだ。
蛇口を全開にしてバシャバシャと顔を洗う。これで少しは浮腫みが取れるはず。もう一度鏡を見る。皮膚に浮かんでいた油が落ち、少しはましになった。
「眠れなかったの?」鏡の中の石川が聞いた。
吉澤が驚き振り返ると、石川は黙ってタオルを渡した。弱みを見せてしまった気まずさで、吉澤は礼も云わずにタオルをひったくってバスルームを出た。無造作にベットに腰を下ろし、顔を拭く。
「ひとみちゃん・・・」石川は、立ち尽くしたままでもう一度吉澤に声をかけた。
「どうしてそんなに無理するの?ひとみちゃんだって辛そうなのに・・・」
「梨華ちゃんにはわからないよ」
「いつもそれだね、でも私だって心配してるの。ひとみちゃんの悩みは・・・」石川はそこで一度言葉を切る。
「ごっちんのことでしょう?」石川にして見れば、とびきりの爆弾を投げたつもりだったが、吉澤の様子に変化はない。至極当然のような顔をして、そうだよと答える。それくらいの事はメンバーなら誰でもわかるはず。石川は続ける。「気付いてた?みんなと居る時は、ひとみちゃん上手く隠してるけど、私と二人のときは、不機嫌になるの・・・。ごっちんの様子がおかしくなり始めてから・・・・」
吉澤は思わず、顔に手を当てていた。吉澤は自分の迂闊さを呪った。自分では上手く隠していたつもりだった、そんなに前から石川に負担をかけていたなんて知る由もなかった。
「だから、私心配なの・・・」石川が搾り出すように云った。
その時、切り裂くような悲鳴が聞こえて来た。
- 111 名前:第2日目 投稿日:2001年06月08日(金)04時15分29秒
大きな雨粒がひっきりなしに彼女の体を叩いていた
一つ大きな稲妻が光り、彼女の白い肌を青白く浮かび上がらせる。
聖者が眠りにつくときの様に、彼女は腕を組んでいた。
苦悩の表情はなく、むしろ微笑みさえうかがえる顔。
胸に大きな刺し傷。
雨が洗い流したのか、血の痕跡は消えている。
ただ、うっすらとピンク色に染まった白いパジャマだけが、彼女の命の跡をうかがわせている。
彼女の名前は、安倍なつみ。
- 112 名前:第2日目 投稿日:2001年06月08日(金)04時16分00秒
- 激しく叩きつけるような雨の中、紗耶香はただ呆然と、見つめていた。やはり来てはいけなかったのだこの島には。思わず、手に力が入る。その手を握っていた辻が小さな声で痛いと呟く。その声は雨音にかき消され紗耶香の耳には入らない。
ここは玄関先の庭、昨日の夜、紗耶香と安倍が、煙草を吸った場所。そこに今、横たわっているのは安倍だった。
辻はそれでも、泣き叫ぶ事も、安倍から目を離す事も出来なかった。悪夢の現実が今ここにある。それを予見してしまった自分が恐ろしい。現実が悪夢と成って現れたのか、悪夢が現実となって現れたのか?そんな自問を繰り返していた。
音を立てて玄関が開き、飯田と中澤が飛び出してきた。
「どないした・・・」中澤が中途半端に云いかけてすぐに口をつぐむ。飯田が安倍に近付き、呟く。「なっち?」濡れるのも構わず、ひざまずく。中澤が口を押さえて涙を浮かべる。紗耶香と目が合う。しんでるの・・・?雨音にかき消されたはずの言葉が紗耶香の耳に届く。紗耶香は、小さく頷いた。飯田の肩が震えている。
もう一度玄関が開くと、居間に残っていたはずの三人が出てきた。視線はひきつけられるように、横たわった安倍に注がれる。駆け寄ろうとする後藤を、中澤が切りつけるように「ごっちん、見たらあかん」と叫び、腕をつかんで視線をさえぎる。その横を怒ったような顔をした矢口がそっと、すり抜けた。飯田の肩越しに、安倍を覗きこむ。加護は、玄関前で震えている。
時間の流れがゆっくりになったようだった。みなの中には、緊張があった。心の中に感情の決壊を止めようとする、小さな小さな砦があった。人は大きすぎる衝撃を受けたとき、受け入れる事が出来ず、麻痺状態になるという。
矢口がぺたんと座りこむ。次ぎの瞬間、皆の砦は崩壊した。
「いやーーー!!」
- 113 名前:第2日目 投稿日:2001年06月08日(金)04時16分54秒
- 吉澤と石川が、悲鳴の元にたどりついた時、そこにはすでに弛緩した悲しみだけがあった。石川が加護を問い詰めると、
「安倍さんが・・・安倍さんが・・・・」と要領を得ない返事しか返ってこない。吉澤は、ただ一人、正気を保っているらしい紗耶香に駆け寄った。それで全ては事足りた。
「あべ・・さん・・・」吉澤に追従した石川も気付いたらしく、肩を震わせている。やがて、石川の頬を涙が伝った。矢口は、なんで?なんでだよ・と叫びながら、安倍の体を必死に揺すっている。その隣では保田が涙声で、矢口、やめなようと、矢口の肩にむしゃぶりついている。後藤は中澤と体を寄せ合って嗚咽している。飯田はただ、安倍を見つめて、雨ともつかない涙を流している。加護が石川に抱きついて大声で泣き始める。紗耶香と辻は、手を握り合ったまま、ただ呆然としていた。
それはほんの二三分のことだったかもしれない。しかし、メンバーには気の遠くなるような時間だった。
- 114 名前:第2日目 投稿日:2001年06月08日(金)04時17分39秒
- 「吉澤」飯田が突然、吉澤の名を呼んだ。吉澤が声も無く飯田を見ると、
「手伝って」と言い、安倍の体を起こし始める。吉澤は、それで飯田の行動を理解し、手伝おうとすると、中澤がそれを見咎めた。
「ちょっと圭織、どないするつもり?」
飯田は、中澤の顔も見ずに云う。
「なっちをこんなとこにはおいておけない」
「気持ちはわかるけど警察が来るまで、そのままにしといたほうがええんちゃうか」
警察?皆の動きが一瞬止まる。
「そんなのまってられない」飯田は空気の変化にも気付かず、吉澤、お願い、と促す。
「圭織、あんたもみたやろなっちの胸の傷」
「そんなの関係無い」飯田は頑ななまでにその態度を崩そうとしない。
中澤は一瞬の躊躇を見せ、それでも続けた。
「これは、殺人事件や!!」言葉にした中澤の方が今にも崩れ落ちそうだった。
そう、皆が、今まで悲しみに気を取られ、気付かなかった事。
「・・・なっちは・・・殺されたんや・・・誰かに」
恐怖とある種の緊張が走りぬける。
殺人。安倍は誰かに殺されたのだ。
飯田は泣いていた。先ほどの頑なな態度はどこにも無い。
「分かってる。でも、圭織には堪えられない。ごめん、裕ちゃん」
もう、中澤は止めなかった。
飯田は吉澤に手伝ってもらって、安倍を洋館の中に運び入れた。
紗耶香はそれを呆然と眺めていた。他のメンバーも同じようだった。
殺人事件。その言葉が皆の心を縛り付けていた。
遠くでゴロゴロと雷が鳴った。
- 115 名前:藤次 投稿日:2001年06月08日(金)04時29分48秒
- 作者です。
レスありがとうございます。
遅筆御免です。
- 116 名前:茄子 投稿日:2001年06月08日(金)06時36分03秒
- 更新されてる。
早起きして得した気分。
これから読みます。
- 117 名前:名無しさん 投稿日:2001年06月08日(金)11時23分36秒
- こんなに凄いのにメンバーの言葉遣いがむっちゃ巧いのがイイですなんか。
作者さん頑張。
応援しとりますです。
- 118 名前:名無しさん 投稿日:2001年06月08日(金)22時28分45秒
- なっち……(悲
けどどっかで、なっちでよかったと思った俺は飯田オタ(ニガワラ
- 119 名前:53 投稿日:2001年06月08日(金)23時08分44秒
- ついになっちが……(泣
しかし、ごっちんにはいったい何があったのか……?
それが気になって眠れない俺は、
作者さんの書くごっちんにはまってます。
頑張ってくださいね。
- 120 名前:名無しさん 投稿日:2001年06月09日(土)03時49分29秒
- ついに、犠牲者がでましたね・・・
この先どうなっていくのか非常に気になるところです。
- 121 名前:名無しさん 投稿日:2001年06月09日(土)12時35分09秒
- 題名通りになるのかなやっぱ…恐い。
- 122 名前:名無しさん 投稿日:2001年06月13日(水)23時47分15秒
- 気になる。ホンとに、・・・
- 123 名前:名無しさん 投稿日:2001年06月14日(木)17時51分52秒
- とうとう1人目の犠牲者が・・・
- 124 名前:名無しさん 投稿日:2001年06月15日(金)06時55分31秒
- つづきーーーーーーーー
- 125 名前:名無しさん 投稿日:2001年06月16日(土)15時41分33秒
- リアリティがありすぎて、読むのがつらかったんだけど、
犠牲者がでることによって、やっとフィクションとして読める…
- 126 名前:名無しさん 投稿日:2001年06月16日(土)18時46分55秒
- 更新してくれ〜!!
- 127 名前:名無しさん 投稿日:2001年06月17日(日)01時25分50秒
- マターリ待とうよ
せかしてもしゃーないよ?
- 128 名前:名無しさん 投稿日:2001年06月17日(日)02時44分33秒
- つづきーーーーー
- 129 名前:名無しさん 投稿日:2001年06月18日(月)02時51分56秒
- 茄子さんって
あの「茄子」さん?
あと途中で飯田の名前が直ってる。
流石ですね。
- 130 名前:藤次 投稿日:2001年06月20日(水)00時00分54秒
- 作者です。
レスありがとうございます。
鋭意執筆中です。
まことに申し訳ございませんが、しばらくお待ちください。
- 131 名前:116 投稿日:2001年06月20日(水)00時18分51秒
- マッチまーす (サム
>> 129
違う (たぶん)。
私はその "あの" を知らないので。
紛らわしくてスマソ。
- 132 名前:名無しさん 投稿日:2001年06月20日(水)02時06分15秒
- >>131
http://www.tsujinozomi.to/mari/kaz7.cgi
- 133 名前:名無しさん 投稿日:2001年06月20日(水)03時20分13秒
- 集中力イパーイ使うと思いますがガムバッテ下さい
楽しみに待ってます。
- 134 名前:名無しさん 投稿日:2001年06月23日(土)10時01分08秒
- 気長に待っとりますので、無理しないで下さい。
- 135 名前:名無しさん 投稿日:2001年06月28日(木)07時40分46秒
- さすがに間隔開きすぎだろ。。。
- 136 名前:名無しさん 投稿日:2001年06月28日(木)23時53分40秒
- >>135
いいじゃないか。作者には作者の都合があるんだ。こっちは読ませてもらって
るってことを忘れないほうがいいんじゃない?
文句つけるくらいなら、ageるな。
- 137 名前:名無しさん 投稿日:2001年06月29日(金)02時58分37秒
- それはそうと、ブブカですごいことになってるね。
- 138 名前:ごなつよっすぃ〜 投稿日:2001年06月29日(金)03時58分54秒
- >137
え!?なんですか?
- 139 名前:無名 投稿日:2001年06月29日(金)09時20分59秒
- >>137-138
ネタスレじゃねーんだからさ…
と、言いつつ貼ってみる。
http://www.bc.wakwak.com/~milky/bubka1.jpg
http://www.bc.wakwak.com/~milky/bubka2.jpg
http://www.bc.wakwak.com/~milky/bubka3.jpg
- 140 名前:藤次 投稿日:2001年07月04日(水)00時22分44秒
- まったく個人的に鬱でした。
- 141 名前:第2日目 投稿日:2001年07月04日(水)00時58分23秒
時折走る稲妻だけが唯一、硬直した場を刺激する。
みな思い思いに座り、深海の底にいるような圧力に耐えていた。
安倍の遺体は、自身の部屋に安置してある。飯田が、服を脱がせて、安倍の濡れた肌を拭き、新しい服を着せてベットに寝かせた。
紗耶香は、それを少し手伝った。シャツのボタンを掻けるとき見た、豊かな胸の谷間の血の気が抜けた白い肌にまだ赤く光る傷跡が脳に焼き付いていた。
安倍は殺された。昨晩、紗耶香に脱退の決意を告白した安倍は、殺された。もう、安倍が脱退する事はない。もう、安倍は変わる事は無い。モーニング娘。のなっちのまま、安倍の時間は止まった。いや止められた、誰かの手によって。
場違いな音を立てて、扉が開き、中澤が眞子を連れ、居間に戻ってきた。
いっせいに視線が集まり、一瞬、緩みかけた空気が中澤の表情で打ち消される。
中澤は、パニックを引き起こさない様にゆっくりと話し始めた。
「よくないしらせや、・・・電話が・・・通じへん」
一瞬にして場が騒然となる。だが、紗耶香は別段驚かなかった。なんとなくそんな気がしていたからだ。あの時感じた不安、それがついに現実の物となってしまった。
そして、もう逃げられない。
眞子が、申し訳ございませんとすまなそうに頭をさげた。館の主人としての責任を感じ、客達に突然訪れた不幸に困惑しているのだろう。どう対処していいかわからないようで、おろおろしている。
「別に眞子さんのせいやないよ」と中澤がなだめる。
意を決した保田が、やっと中澤に問い掛けた。
「通じないってどう言うこと?」
「わからん、コードが切れてるとかそんな事はないんやけど・・・・・ただ、通信音がせえへんから、どっかで回線が切れとる事は間違い無い」
飯田がふいに立ちあがり、吐き出す様に云う。
「じゃあ、迎えの船が来るまで、この島から出れないってこと?」
「・・・そや」中澤はその問いを肯定した。
みんなが絶望した瞬間だった。
- 142 名前:第2日目 投稿日:2001年07月04日(水)00時59分48秒
ここは絶海の孤島だ。通信手段を断たれ、殺人犯が闊歩する島だ。電話回線を切断したのは、安倍を殺した犯人の仕業だろう。ただ・・・なんのために?・・・まさか、いやでそうでなければ・・・・。
紗耶香の思考はここで中断された。
加護が、恐怖に堪えきれず泣き出したのだ。辻が必死になだめるが、だだっこのように泣き叫びつづける。矢口もおかしかった。居間に入って来たときから、誰とも視線を合わせることなくうつむき、ぼそぼそとなにか呟いている。
いつもは、手早く場をまとめる中澤でさえ、今の状況では困惑し収拾し得ない。
紗耶香自身、頭の中ではさっきまでの思考の断片と恐怖が渦巻いていた。後藤の変化に気付かなかったのは仕方なかったのかもしれない。
気がつくと添えられた手が、ぶるぶると震えていた。後藤は酸欠の金魚の様に口を半開きにして、喘ぎ、その目は大きく見開かれてすでに現実を見ていない。明らかにパニックによる発作だ。慌てた紗耶香が、肩を揺するが、いっこうに収まる気配が無い。
「後藤!だいじょうぶ!!」
その声で、異変に気付いた吉澤が、駆けつけるがなにも出来ない。
今更悔やんでも仕方ないが、もっと気をつけておくべきだった。島に来てからの後藤は、声が出ない事以外はそう変わったところが無く、油断してしまった。後藤は重篤な心身症を負っているのだ。紗耶香はなにも出来ない自分にいらだった。後藤を救うために来たのにこのざまだ。肩を揺すり、名を呼ぶ事しか出来ない。
- 143 名前:第2日目 投稿日:2001年07月04日(水)01時00分21秒
「後藤!後藤!・・・・・・・・・・」
やがて後藤は糸の切れたマリオネットの様にソファに崩れ落ち、失神した。
それを見た矢口がつんざくように泣き叫んだ。
「いやー!もうかえる、わたしかえる!!」平静を失った矢口が放ったその言葉は帰れないことを強調している様に、皆には聞こえる。矢口はのろのろとその場を立ち去ろうとする。
「もうかえる。もうあたし知らない!!」
見かねた中澤が哀れむ様に、「やぐち」と、矢口の肩に手を置く。
「さわんないで」矢口は、激しく反応し、中澤の手を振り払い、またのろのろと歩き出す。中澤は何が起こったか理解できないらしく呆然としている。それは皆も同じだったが、一人だけ、冷静な者がいた。
飯田は大きなスライドでつかつかと矢口に歩み寄り、腕を取って正面を向かせた。
「さわんないで・・」矢口が叫びかけた時、飯田は矢口の頬を張った。その残響が消え終わらないうちに、矢口、いい加減にしなと飯田は云った。正気に返った矢口は頬を押さえてうつむいた。その様子を見て飯田が安心した時、
「圭織には・・・みんなにはわかんないよ・・・」
その呟きを聞く事が出来たのは飯田だけだった。
矢口は、駆け出した。飯田が後を追った。
- 144 名前:第2日目 投稿日:2001年07月04日(水)01時01分47秒
「まあ、ひとまず解散やな・・・」中澤の落胆したような言葉で、その場は幕が降りた。
紗耶香は、保田に手伝ってもらい、気を失ったままの後藤を背負って部屋に運んだ。そのあと保田は、紗耶香に渡す物がある云い、一度部屋に戻った。
紗耶香はベットに寝かされた後藤にそっとシーツをかけてやり、サイドテーブルに添えてある椅子を枕元までひいていき、座った。
静かだった。
雨音すら紗耶香には聞こえなかった。
紗耶香は微動だにせず、人形の様に横たわっている後藤を見た。血の気がひいて蒼白だがやすらかな寝顔をしている。紗耶香にはそれが救いだった。少なくとも意識を失っている間は、理不尽なストレスにさらされる事はない。紗耶香はそっと手を伸ばし、後藤の手に触れる。ひんやりと冷たかった。まるで・・・。
紗耶香の頭の中で、安倍と後藤の像が重なる。そんなはずはないと必死に否定しても一度生まれた不安は消えない。紗耶香は、思わず立ち上がり、その不安をかき消すために後藤の胸に手を置いた。鼓動とぬくもりを感じる。
「よかった・・・」
紗耶香は、椅子にへたり込み呟いた。そんなはず無いもんね。相変わらず静かに眠っている後藤を見ると紗耶香は、うろたえた自分が急に恥ずかしくなった。大丈夫、後藤は生きてる。死ぬわけないよ。紗耶香の手はまだ後藤のぬくもりを感じていた。
- 145 名前:第2日目 投稿日:2001年07月04日(水)01時02分53秒
ノックの音がして保田が入って来る。紗耶香は、慌てて姿勢を正した。
保田は椅子に座ると、紗耶香に薬袋を渡した。
「精神安定剤と睡眠薬が入ってるから、あんたが持ってて」
紗耶香は、無言で後藤真希様とかかれたその薬袋を受け取った。
「あたしが持ってたのは、後藤が無茶に使うと危ないからなのだから、そこんこと気をつけてね」
「うん、分かった」
紗耶香がいっこうに後藤から目を話さないのを見て、保田は後藤に視線を向けた。
「静かに眠ってるね」保田は少しほっとした様に云った。紗耶香は、頷いた。
それは、切り取ってみれば日常の一部にしか見えない平和な光景だった。保田はそう思った。が、それは違う。
「ねえ、紗耶香。どうして・・・」
紗耶香が保田の腕を少し痛いぐらいにぎゅっとつかんだ。
「圭ちゃん、後藤の前でその話しはやめよ・・・」
安倍の死の話は・・・。
紗耶香だって気付いてはいる。安倍を殺した悪意の存在があることを。ただ、今は平静な後藤の前で、そんな話はしたくなかった。
- 146 名前:第2日目 投稿日:2001年07月04日(水)01時04分30秒
中澤は解散を告げた後も居間に残っていた。ゆっくりとソファに腰を下ろすと、眞子が珈琲でも淹れましょうかと云った。中澤は、悪いと思いながらもお願いしますと頷いた。
眞子がキッチンに消える。
落ち着いている。中澤はそう思った。さっきの眞子の態度である。
他人とはいえ人死にが出たのだ、年頃の女のこなら、いや、その人死には殺人と云う形を持っているのだから、刑事でもない限り、もっとうろたえていいはずなのだが。
だが問題はそんな事ではない。安倍が殺されたと言う事実がある以上、殺した人間がこの島にいる事は明白だ。誰が?なんのために?
中澤はそれ以上考えられなかった。考えたくなかった。代わりに、あの言葉が頭に浮かんだ。物事には全て終りが来る。そういった時、つんくは全てを諦めたような表情を一瞬だけ浮かべた。まさか、この事を指していったわけではないだろう。
でも、なっちは死んだ。終わった。
「お待たせしました」眞子が、銀のトレイにカップを載せて戻ってきた。どうも、すみません、と中澤は慌てて思考を中断させて云った。いいえ、と言いながら眞子はカップを置くと、中澤の前に座った。
「さっきは、どうも、見苦しいとこみせてしまって、すみません」中澤は云った。
「いえ、とんでもないです。安倍さんが、皆さんのお仲間があんな事になってしまわれたんですもの、しかたありませんわ。本当に、悲しい事です」
そういった眞子のいでたちは昨日と変わらないのだが、中澤には安倍に対する弔意を表しているように感じた。しかも、後藤そっくりの顔をしていることが、なおさら中澤の悲しみを誘った。
しかし、責任感から感情に身を任せる事は出来ない中澤は、苦虫を噛み潰したような顔で眞子に聞いた。
- 147 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月04日(水)01時05分04秒
- ( ´ Д `)いちーちゃん・・・いつの間にユウキと・・・?
- 148 名前:第2日目 投稿日:2001年07月04日(水)01時05分20秒
「ほんまに、この島には眞子さんしかおらへんのですか?」
「え?」眞子は一瞬問いの意味がわからないようだった。
「つまり、他にこの島に住んでる人はおらへんの?」
「え、あ、そう云う意味ですか。はい、住んでいるのは私一人です。正確に言うといつもは、お手伝いさん達と三人なんですが・・・」
「裏手にある小屋に誰かおるってことはない?」
「あそこ、いかれたんですか?」
「辻がやけどな。それで辻の言う事には、誰かおった形跡があったらしいで」
「私の知る限りでは、誰もいないはずです。でも・・・」
いくら小さい島でも、誰もいないと断言するには大きすぎる。そう云うことなのだろう。誰かがこっそり上陸している可能性だって無いわけではない。中澤がそう云うと眞子は頷いた。何のためにそんな事をするのかと言う問いは今は意味を成さない。安倍を殺す動機など、どんなに探しても見当たらないからだ。
とにかく、危険を回避する必要がある。それだけだ。
「さめますよ」と眞子が云った。中澤は、スプーンで黒い液体を混ぜて、クリームを注いだ。それが渦を巻いて、とけていくのを見ながら中澤は思った。モーニング娘。もこうやって時の流れに巻きこまれていったのだと。
それは終りの始まりに見えた。
- 149 名前:第2日目 投稿日:2001年07月04日(水)01時06分17秒
「ねえ矢口、いったいどうしたの?」
飯田はなだめる様に云うが、矢口は、ベットに突っ伏して泣きじゃくるだけだ。
矢口はそんな飯田をうらやましく思っていた。圭織は、直情的ではっきりしている。いいことはいいこと悪い事は悪い事と計算する事なく、感覚で云えるだけの強さを持っている。頑固で融通が利かない。矢口は反対だ、善いか悪いかではなくどっちが得か、計算してしまう。融通が利く。それが長所だと自分では思っていたが、まさかそこにつけ込まれるなんて夢にも思わなかった。
まさか、まさか本物の殺人事件が起こるなんて夢にも思わなかった。
「ぶったのは御免、謝るよ。でもああしないとみんなパニックになるでしょ」
そうじゃない。矢口は心の中で呟く。私は、みんなを裏切った事に堪えられないんだ。矢口は飯田に全てを打ち明けたい衝動にかられた。誰かに許してもらいたかった。
「ごめん、一人にして」
だが、矢口の口を突いて出たのは、そんな言葉だった。強がっているわけじゃない。ただ、冷静になる時間が欲しかった。そう、飯田は寂しそうに云って、部屋を出た。
やっぱり圭織にはかなわないや、矢口は思った。矢口は策を労するが、飯田には策はない。強固な感覚があるだけだ。矢口は、ベットから顔を離して隅においてある鞄を見た。きっと、圭織なら一も二も無く、断ったろう。
矢口は立ち上がり、鞄を開けた。中身を外に出し、今朝、一番奥に押しこんだばかりのあの台本を取り出した。
- 150 名前:第2日目 投稿日:2001年07月04日(水)01時06分51秒
「のの、どこいくん?」
辻は、部屋を出ようとしていた。一人にされることを畏れた加護は、上ずった声で辻の名を呼んだ。
「安倍さんのところ・・・」辻が答えると、加護はなんでぇと悲鳴に近い声をあげた。正直、加護は死んだ安倍を見ることさえも怖かった。
「なんでって・・・」安倍さんが呼んでいるような気がする、と云いかけたが辻は止めた。おびえきっている加護をこれ以上混乱させる事は出来ない。
「すぐ戻ってくるから」辻はそれだけ云う。
「ほんまやなぁ?」加護は普段からは想像できないような弱々しい声をだした。
「うん、まっててね、すぐ戻ってくるから」辻はなるたけ明るく云って、部屋を出た。
- 151 名前:第2日目 投稿日:2001年07月04日(水)01時07分23秒
安倍は怖いくらいに白い肌を除けば、今にもおきあがりそうなくらい綺麗だった。
なんでなんだろ?なんで人は死ぬんだろう。なんで安倍は辻の前からいなくなったんだろう。辻があんな夢を見たせいなのだろうか?
辻はベットにのって、安倍の体を包んでいたシーツを捲くった。二十一歳の若い体が無防備に投げ出されていた。たぶん・・・辻は思う。安倍はモーニング娘。をやめようとしていた。理由はわからない。安倍自身、苦渋の選択だったに違いない。安倍がやめたら、辻は悲しんでいただろう。きっと泣くはずだ。
しかし、もう安倍の卒業を悲しむ事も出来ない。
辻は安倍の体をそっと抱きしめた。昨晩、安倍がしてくれた様に、安倍を包んだ。その体は冷たかった。辻を救ってくれたやわらかなぬくもりは消えていた。それが悲しくて、辻は始めて声をあげて泣いた。
- 152 名前:第2日目 投稿日:2001年07月04日(水)01時08分16秒
吉澤は、石川を残して部屋を出て、隣室の戸をノックする。吉澤は、居間での後藤の様子を思い返していた。あれは明らかに、フラッシュバックだ。この情況は後藤にとって考えうる限り最悪だ。弱りきった後藤の神経は、ストレスで簡単に切れてしまう。
「開いてるよ」中から紗耶香の声がした。
吉澤が中に入ると、紗耶香の隣には保田がいた。紗耶香は吉澤を見ることは無く、じっと後藤を慈しむような顔で見ている。その横顔に吉澤は、かすかに動揺を覚えた。紗耶香のその表情は今まで吉澤が見たことのないものだった。
「どうしたの?」紗耶香に目を奪われ、突っ立っていた吉澤に保田が声をかける。
「え、あの、ごっちんが気になって・・・」
「今は落ち着いてるから大丈夫」紗耶香が、やっと顔をあげた。昨日の事などまったく気にしていないかのような澄んだ目に、吉澤は気圧される。そんな自分に気付いて、少し吉澤はいらだった。
後藤は静かに眠っていた。体の力が抜ける。しかし、後藤はあと六日間、この緊張状態を耐えなければならない。
「どう・・・するんですかこれから」吉澤の問いに保田がピクリと反応した。
考えたくない。それが保田の本音だった。しかし、ここは年長である自分が、しっかりした態度を取らなければならないこともわかっていた。これ以上無用の混乱を招く事は避けたかった。
「とりあえず、裕ちゃんと相談しなきゃね」本当は相談したところで、善い案が浮かぶはずもない。八方塞なのだ。そう思いながらも保田は、云った。保田も自暴自棄になっていた。
- 153 名前:第2日目 投稿日:2001年07月04日(水)01時10分27秒
ノックの音がして、飯田が顔を出した。
「圭ちゃん、紗耶香、裕ちゃんが呼んでる」
紗耶香はすっと立ちあがり、どこ?と飯田に聞く。
「居間にいる、私もいくから」そう飯田は答えて、後藤は大丈夫なの?と小声で聴いた。紗耶香は目顔で答え、保田を促す。
「私も行きます」これからについての話し合いだろう。吉澤は、いても立ってもいられなくなり、飯田の顔を見ていった。
すると、部屋を出ようとしていた紗耶香が振り返った。
「吉澤、あんたは後藤のそばにいてあげて、目、覚ましたとき寂しがると可愛そうだから」そう云われ、なにも云えなくなった吉澤をおいて、紗耶香と保田は部屋を出ていった。
吉澤は紗耶香が座っていた椅子に腰を下ろした。後藤の寝顔を間近で見ていると、なんだか安心して、一気に睡魔が襲ってきた。
- 154 名前:第2日目 投稿日:2001年07月04日(水)01時12分52秒
中澤の前にはすっかり冷めてしまった珈琲があった。居間のソファには紗耶香、保田、飯田がそろっていたが、沈黙が続いている。誰かが始めないと、いけないのはわかっていたが、皆なにから話して善いのかがわからない。
口火を切ったのはやはり中澤だった。珈琲を口に含み、苦味に顔をしかめて中澤は話し始める。
「みんな、あたしが今からどんな話するかわかってると思うけど・・・・」
「裕ちゃん、前置きはいいよ」紗耶香が中澤を制した。
「・・・そやな、みんなわかってると思うけど、なっちを殺した人間がこの島の何処かにいる。おまけに電話は通じへん。外と連絡をとる方法は何もない」
「ちょっと、待って、本当になにもないの?」保田が異を唱える。
「無線とか・・・あってもいいんじゃない?」
中澤が、少し離れて座っている眞子に、視線をふる。眞子は静かに首を振って答えた。
「むかしはあったんですが、父が死んだときに一緒に処分してしまいました・・・」
「そう・・・じゃあ狼煙でも挙げてみようよ」保田が滑稽なほど必死になって云う。
「雨ふっとんのにか?」中澤があきれる。
「でも、いいかもしんない。近くを通る漁船とかがあれば見つけてくれるかもよ」と飯田は言った。紗耶香が、眞子を見ると眞子は首を振っていた。
「この辺りの海は、漁場にはなっていないんです。浅瀬が多くて、座礁するらしく、船は近づいていません」眞子は残念そうに言った。
そこで中澤は先ほどの眞子との話を皆に説明した。あらためて浮き彫りになった悪意の第三者の影に皆、顔をしかめる。
- 155 名前:第2日目 投稿日:2001年07月04日(水)01時13分34秒
「圭織、その小屋に行ってみる」飯田が静かに口を開く。
「あかん」
「なんで?だってそこになっちを殺した人がいるんでしょう」
「今日は雨やから視界が悪い。あんたまで殺されたらうちは責任もたれへん。それに本当に人がいると決まったわけやない。辻の事やから見間違いかも知れへん」
「じゃあなっちはだれに殺されたっていうの?」飯田は煮え切らない中澤にしびれをきらして立ちあがった。
「その人に決まってるじゃない、他に誰がいるって云うのよ」
「圭織!」保田が諌める。
「落ち着いて、リーダーでしょ。あんたが頭に血のぼらせてどうすんの」
「そんな事はわかってるよ圭ちゃん、でも、じゃあどうしろって言うの?なんにもしないなんて圭織には耐えられないよ」飯田は口早にまくしたてる。
「そんな事あたしにもわからないわよ。だいたいあんたメンバーの事考えてんの?不安なのはみんな同じよ、あんたがあおってどうすんのよ」
「やめえっ」中澤の一喝で二人はやっと口をつぐんだ。
「感情的になったらあかん。二人がぴりぴりしてたらメンバーにも伝染するやろ、そんな事もわからんのか?そんな状態で六日間も耐えられるとおもってんのか?後藤もおるんやで、冷静になれや」
広い居間に中澤の声が響き渡る。気まずい雰囲気の中、二人は、腰を下ろした。
すると、今まで黙っていた紗耶香が口を開いた。
「裕ちゃん、スタッフは?一週間もまったく連絡が取れないとなると、流石に心配するんじゃない。誰か来るかもしれないよ」
- 156 名前:第2日目 投稿日:2001年07月04日(水)01時15分12秒
「・・・多分それはないやろ、完全オフってことにしてもらってるから、連絡いれる約束もせえへんかったし」
「そう」と紗耶香は、大して期待していなかったように頷いた。
「とにかく、眞子さんにいうて、しっかり戸締りしてもらってるから、外へは出ない事。それだけや・・・。後ろむきやけど、それぐらいしか出来る事あれへん」
中澤は、飯田は辻と加護に、保田は吉澤と石川に伝えておく様に云い、体を投げ出してソファに寄り掛かった。
それを機に、紗耶香は気にかかっていた事を飯田に聞くことにした。
「圭織、矢口は?」
「ん・・・まあさっきよりは落ち着いてるみたい。でも一人にして欲しいって部屋追い出されちゃった」
飯田も矢口の事は気になっていた。あの時、圭織には、みんなにはわからないよと矢口は云った。矢口は何か知っていると云う事なのだろうか。それは安倍が殺された事になにか関係があるのだろうか。
「紗耶香、あとで矢口の様子見に行ってあげてよ、多分、圭織が行くより紗耶香が行ったほうが・・・」
「わかった」
飯田は早速立ちあがって、部屋を出た。中澤がその背中にくれぐれも怖がらせんようになと言葉を投げた。
紗耶香は深深とため息をつく中澤にある疑問を投げた。
「裕ちゃん、なっちはなぜ殺されたんだろう?」
「・・・なんでって、そんなもんわかるわけないやろ。人殺さなあかん理由なんて、わからんわ」中澤が投げやりに云う。
紗耶香は、さっきから同じことばかり考えていた。なっちはなぜ殺されたんだろう?物取りや、通りすがりなんて考えはここでは通用するはずもない。それに安倍の遺体がとらされていたポーズ。たんに安倍を怨んでの殺人だとしたらあんな事をする必要はない。それに、なんで安倍は館の外にいたんだろう?
- 157 名前:第2日目 投稿日:2001年07月04日(水)01時16分10秒
「そういや後藤は?」
「吉澤に見てもらってる・・・」
「そうか、元々、後藤のための休暇やったのにえらい事になってしもうたな・・・ごめんなぁ」
中澤が謝る筋ではないし、自分に謝られても困るのだが、辛そうに目を閉じる中澤に、紗耶香はなにも云えない。
おまけに吉澤は・・何を考えとるんやろ、そう中澤は呟いた。
「ねえ、裕ちゃん。あたし達がここに来る事を知っている人ってどれぐらいいるの?」
中澤は体を起こして、なんやいきなり、と拍子抜けした調子で云う。
「だってさ、この島に他に人がいるとして、その人は何のためにここにいるの。その人がもし、なっちを殺すために、こっそりこの島に来たんだとしたら、なぜ、あたし達がこの島にいる事を知ってるの?」
「・・・紗耶香、いうてることがようわからん」
「つまりね、あたし達がこの島にいる事を知ってなきゃなっちを殺しには来れないって事」
「・・・娘。の関係者や云う事か?」
「そう」
「それは考え過ぎやろ、情報っちゅうのはもれるもんや、それに関係者やったらなんでなっちを殺さなあかんのや」
「それは・・・でも、なっちのポーズ見たでしょ、ただの殺意でやった事じゃないような気がする・・・」
突然、中澤の視線が固まる。
「裕ちゃん?どうしたの」紗耶香はその指し示す方を見た。
いつのまにか矢口が立っていた。
- 158 名前:第2日目 投稿日:2001年07月04日(水)01時17分13秒
一人、部屋で雨音ばかり聴いていた石川は急に不安になった。
もしかしたら、この館には自分一人しかいないのではないのか。吉澤の帰りも遅い。そんな孤独感を感じた石川は、部屋を出た。とにかく誰かと話がしたい。
石川は後藤と紗耶香の部屋をノックした。
返事がない。誰もいないのかな。そんな事ないよね、後藤が寝てるはず。そう思って石川が、ドアノブをまわすと、ドアはなんの抵抗も無く開いた。石川にとっても先ほどの後藤の様子はショックだった。元々調子を崩していた事は見て取れていたが、あんなに悪くなっていたとは知らなかった。痛々しくてとても見ていられなかった。
部屋の中を覗きこむと、やはり後藤が眠っていた。
起こさない様に、そっとドアを閉める。絨毯張りなので本当はそんな事をする必要はないのだが、そっと足音を殺す様にして、ベットに近付くと吉澤がそこに突っ伏して眠っていた。
こんな時まで吉澤は後藤だけを気にかけている。そう思い知らされた様で石川は後藤に少し嫉妬した。それにしてもなにが吉澤をかりたてるのだろう。そこが石川には理解できない。吉澤は自分を投げ出して後藤を気遣っている。
「自分をもっと気遣わなきゃだめだよ・・・」石川はそう呟いて、着ていたカーディガンを脱ぎ、吉澤の肩にかけた。よく眠っている二人を見ていると、なんだか虚無間を覚えて、石川は急いで部屋を飛び出した。ここには、いられない。
- 159 名前:第2日目 投稿日:2001年07月04日(水)01時18分11秒
飯田が、階段を上がると、紗耶香たちの部屋から石川が出てくるのが見えた。石川も飯田に気付き声をかけて来る。
「飯田さん・・・」石川は安堵の表情を浮かべている。何かあったのだろうか、飯田は直感的にそう思った。紗耶香達の部屋から出てきたときの石川の様子は何か変だった。飯田はそんな思いを押し殺して、この館から出ないようにと告げる。石川は、素直にはいといった。
「吉澤は?」
「その・・・ごっちんの部屋で寝てます」
「ふーん」飯田はなるべく興味がなさそうに云う。さっきの石川はそれで変だったんだと思いながらも。
「じゃあ、あとで吉澤にも言っといてこの事」
「はい」そう云って石川は、踵を返した。まだ孤独感を引きずったままだったが、それは会話で解消されるようなものでは無くなっていた。
飯田は石川の後姿を焦燥感にとらわれながら見送った。吉澤か、飯田は呟き、閉じたドアから目を離す。何とかしてやりたいが、飯田にはどうしようもない。
- 160 名前:第2日目 投稿日:2001年07月04日(水)01時18分47秒
飯田は長い髪をかきあげて、辻たちの部屋の前に立った。
同時に加護が血相を変えて飛び出してきた。どうしたの、と飯田は聞くが、加護は半分錯乱していて要領を得ない。とりあえず、部屋の中を指差し、ののがののがと繰り返しているので辻の事だとわかり、部屋の中に入った。
辻はベットに突っ伏していた。飯田が体を揺すっても反応がない。加護にどうしたの、辻はと聞いてみるが加護は青い顔をして引きつった声をあげるばかりで、発する言葉は意味にならず、飯田にも何が起こったのかはつかみかねた。
とりあえず、辻の体を仰向けにして、呼吸器のそばに耳を持っていく。良かった、息はしている。顔色も正常で外傷も見当たらない。飯田は少し安心して、加護をベットに座らせ、肩を抱いてやり、
「どうしたの」と優しく聞く。加護はガタガタ震えながらも少しずつ話し出した。
辻が安倍の部屋に行った事、戻ってくると呆然とした様子だった事、泣いたらしく目が赤かった事、のどが乾いたと立ちあがったとき、ふっと糸が切れたように倒れた事。
辻の様子が朝から、いやこの島に来たときから変だった事。加護は知っていたのに何もできなかった事。
「ののまで、ののまでしんでしもたら・・・」加護は今にも泣き出しそうに云う。飯田は、大丈夫だって辻は生きてるよ、きっと疲れがたまっただけだよ、と諭した。
飯田自身、辻の死を考えないでもなかったが、今は加護をなだめる事が先だった。飯田は左手で加護の頭を撫でてやりながら、右手ではシーツを思いきり握っていた。何でこんな目にあわなければいけないのか、そればかり考えていた。
- 161 名前:第2日目 投稿日:2001年07月04日(水)01時20分55秒
あの時、体がゆっくりと倒れていったとき。辻は魂を引っぺがされるような感覚を味わった。落ちていくような、昇って行くような。快感のような、鈍痛のような。
目の前が暗転し、次の瞬間にはもう夢の中にいた。
辻は洋館の前に立っていた。雨も降っていないし、暑さや寒さも感じない。それは夢だからではない。
この世界はそれが当然なのだ。
そんな言葉が辻の心に浮かぶ。だが辻自身が意識して考えた結論ではない。
なにか思念のようなものが流れ込んできたような感覚だった。
頭も痛くない。辻は自分が本当に生きているのかどうかさえわからなくなった。
それは夢ゆえの強迫観念だったのかもしれないが、足元が覚束無くなるような喪失感にとらわれた辻は、助けを求めて洋館の重い扉を開けた。
中には誰かいるはずだ。メンバーがいるはずだ。
そう思って飛びこんだ居間はがらんとしていて、無人だった。ただ、食卓には出来立ての暖かそうな料理が並んでいた。
辻はその光景に薄ら寒くなり、廊下に出た。
- 162 名前:第2日目 投稿日:2001年07月04日(水)01時21分35秒
やっぱりなにかが違う。夢だからと言うのではなく、この洋館と現実の洋館の間には微妙な差異が存在している。空気感とでもいうのか、隅々まで見ても瑣末なところまで造りと装飾はおなじなのだが、何かが決定的に違う。
おまけにさっきから辻がなにかを認識するたびに現実感が増していく。
いや辻によって現実感が作られていくような感覚。
怖い。この夢は醒めるのだろうか。辻はそんな不安に襲われた。
それを解消すべく、手近にあった中澤に部屋をノックする。
いくら強く叩いてもその音は洋館に吸収されてしまう。辻は返事を待っていられなくなり、ドアを開いた。中澤さんと叫ぶが、それさえもこの世界では無効化されてしまうようだ。
当然、辻はなぜか当然と思った、中澤はいない。
手当たり次第にメンバーの部屋を回るが誰一人として存在していない。娯楽室にも誰もいなかった。
- 163 名前:第2日目 投稿日:2001年07月04日(水)01時22分06秒
最後に、なんとなく後回しになっていた眞子の部屋に向かった。
眞子の部屋には鍵がかかっていた。つまりドアは開かなかった。辻はようやく誰かを発見した気になって、思いきりノックしたのだがなんの反応もなかった。それでも辻はドアの向こうにこの閉塞した世界を打ち破る鍵があるように思えて、両手で思い切り叩きつづけた。それが徒労だとわかったのは、その感触からだった。冷静になってみるとなんだかスカスカしていて、手も痛くない。
無駄なのだ。それがわかったとき、辻はその行為を止めた。
ふわふわと浮遊感にとらわれながら歩いている途中、なぜだか辻には分かった。
ここは時が止まっているのだ。
なんとなく居間のほうに足が向いていた。閑散とした部屋の中にいるよりは、まだ昨日の賑わいを感じられる居間にいたほうがましだ。
居間のドアを開けると、そこは何処か先ほどとは違っていた。何が違うのだろうと思い、目を凝らして見渡す。食卓からソファへ、ソファから窓辺へ。辻の目はそこに釘付けになる。
窓のそばには安倍がいた。
ぼんやりと指しこむ光の中、窓の外に目を向けて立っている安倍の後姿は、なんだか泣いている様に見えた。
辻は安倍さん、と呆けた様に云った。
安倍はゆっくり振り返ると、辻の顔を見てその寂しそうな表情を微笑みにかえた。
辻は、死んだはずの安倍に会えた事と、孤独から救われた事の両方で嬉しくなって、安倍の元へ駆け寄っていく。
必死に走っているはずだが、浮遊感のせいかなかなか前に進まない。
あと五メートル。
あと二メートル。安倍は辻に向けて腕を差し伸べた。
あと一メートル。辻は安倍の腕を思い切りつかんだ。
次の瞬間。
辻は闇に引き戻された。
- 164 名前:第2日目 投稿日:2001年07月04日(水)01時22分54秒
目の前が徐々に明るくなっていく。
誰かが、私を覗き込んでいる。そう思いながら辻はぼやけた像を捉え様と眼の焦点を合わせるがなかなか上手く行かない。それでも無理矢理試みると、頭に鈍痛が走った。その刺激で目が冴える。
「あいちゃん・・・」
「よかった。のの、大丈夫か、どっこも痛くないかあ?」
「ん、頭がちょっと・・・」
「そやから無理すんな、いうたのに。まあでもしゃあないか・・・」加護はそこで言葉を濁す。安倍が死んだという事実は認識していても、口には出したくないらしい。
「辻、おきたの?」飯田がシャワールームから顔を出す。
「飯田さん、なんでいるんですか」飯田は手に絞ったタオルを持っていた。
「あんたの事心配してたに決まってるじゃん、ばか」
辻は、自分の額に濡れタオルがのっているのに気付いた。
「これ飯田さんが?」
飯田は頷いて、加護から頭痛いって云ってたのを聞いたから、といった。
「ありがとうございます」
辻は、寝起きで呂律が回らないらしく、昔のしたったらずな口調で礼を云った。
辻は夢の中の安倍を思い返した。せっかく会えたのに、なんの話しも出来なかった。 でも、あの時、掴んだ安倍の腕は暖かかった。
- 165 名前:第2日目 投稿日:2001年07月04日(水)01時23分55秒
矢口はもう落ち着いていた。先ほどの錯乱の跡はどこにも見られない。
しっかりとした足取りで、紗耶香と中澤の前、保田の隣に座る。
紗耶香は矢口の目を見た。かなり泣いたらしく、真っ赤に充血している。それでも、涙で流れたはずのメイクをきっちり直しているところは矢口らしかった。
「聞いて欲しい事があるの」矢口はいつになく、真剣な口調で云う。
「なんや」中澤が、優しく応じる。小さい子をなだめるように。
確かに、矢口がこんな改まる事は珍しい、それだけ重大な事なのだろう。中澤もそれを察している様だ。
矢口は、手に持っていた冊子のようなものをテーブルの上に置いた。中澤がなんやのこれと、その冊子を手に取った。
「丸秘ドッキリ、モーニング娘。殺人事件?!。孤島の瀟洒な洋館で休養中の娘。達に魔の手が・・・ってなんやこれ?」中澤は、保田に視線を送る。
保田は首を振って聞いていないと答える。
ポカンとしている中澤に裕ちゃん、撮影予定日見てみて、と矢口は静かに云った。中澤は慌てて、表紙を見る。撮影期間は丁度、休暇の期間と重なっていた。絶句する中澤を尻目に紗耶香は、どう云う事、と矢口に聞いた。
- 166 名前:第2日目 投稿日:2001年07月04日(水)01時24分52秒
「予定では、そうなってたの」矢口が目を伏せて呟いた。
「多分、ごっつぁんがあんな事にならなきゃ、今ごろ撮影やってたの。矢口が、仕掛人で・・・」
保田が身を乗り出す。
「・・・だってあんた、そんな事一言も話さなかったじゃない」
「一応ドッキリ企画だったからね。ばれたら意味ないじゃん」
「なんでいってくれなかったの?」
保田ははっきりと怒りを表した。
「みんな楽しみにしてたのにそんな水を差すようなこと云えると思う?無理だよ、矢口だって何回も口に出しそうになったけど、みんなの嬉しそうな顔見てたらいえなくなっちゃったんだよ」
「じゃあ、本当ならこの島で待ってたのは休暇じゃなくて仕事だったってこと?しかもこんなくだらない」
保田は中澤から台本を奪い取り、矢口に投げつけた。
矢口は避けなかった。それは矢口の胸の辺りに当たって、クシャリと落ちた。
矢口は、唇をかんで、そうだよと云った。
「あんたこんなの良く承知したわね、よっぽど事務所になにか言われたんだろうけど、これは裏切りだよ。あたし達メンバーに対する裏切りだよ。それわかってんの!」
「分かってるよ、わかってるけど。だから悪いと思ったから、一週間じゃなくて三日にしてもらったんだよ、撮影期間」
「そう云う問題じゃないよ、どうして断らなかったのさ」
「それは、休暇自体つぶすって言われたから・・・これやんなきゃ休暇自体つぶれるって・・・」
「なっ、それ社長に言われたの・・・」
矢口は、首を振る。じゃあ誰なのと保田が問い詰める。
「・・・・つんくさん・・に、なるのかな・・・」
- 167 名前:第2日目 投稿日:2001年07月04日(水)01時25分52秒
十日ほど前、矢口は事務所に呼ばれた。
マネージャーは、ただ打ち合わせとだけ云った。不審に思い、問いただしてみたが、マネージャー自身、詳しい内容は知らないのか、言葉を濁すだけだった。
指定された会議室に入ると、社長ともう一人見たことのない男が座っていた。矢口はとりあえず、挨拶だけして、促されるまま二人の前に座った。
その男はテレビ局のプロデューサーだと自己紹介したあと、おもむろに構成台本を取り出して、矢口の前に置いた。
「矢口さんにね、仕掛人になってもらいたいんですよ」男はニヤニヤ笑ってそう云った。
矢口は、タイトルを見ただけで気勢をそがれたが、社長の前と言う事も在って一通り目を通した。しかし、その内容のあまりの陰湿さに、やる気はとっくに消えていた。
こんな企画を持ってきた目の前の男に軽蔑を覚えるだけでなく、話しを通した事務所の無神経さにも腹がたった。後藤の様子だっておかしいのに出来る訳が無い。第一、オフのはずじゃなかったのか。こんな所にも仕事突っ込んでくるのか。
「出来ません」矢口はそれだけ云って、部屋を出ようとした。
「ちょっと待ってよ、やぐっちゃん」
お前にやぐっちゃんなんて呼ばれる覚えはない、そう思いながら矢口は足を止めた。
「実はさあ、これ、受けてくれなかったら、休暇自体無くなっちゃうんだよ」
「そんな撮影があるんだったら、オフなんて無いようなもんじゃないですか」
矢口は、引きつった微笑を浮かべながらいった。
「こっちはちっとも構わないんだけど、なにせこの企画を持ちこんできたのはあのつんくさんだからねえ」男はそこで意味ありげに言葉を切った。
矢口はほんの少し動揺した。
- 168 名前:第2日目 投稿日:2001年07月04日(水)01時26分40秒
「でもさ、撮影自体はそんなにきつくないから、合間に骨休み出来るよ、それにやぐっちゃん以外はこの事知らないわけだから、向こう行っちゃえばただの休暇じゃん」
そんな、甘すぎる言葉に矢口の心は動いた。
思えば矢口は最初からはめられていたんだろう、飯田や保田ならどんな事があっても突っぱねるだろうし、安部は顔に出てしまう。打算的な矢口の性格は、利用する方にとっては、くみしやすいものだった。
結局、矢口は四日間の完全休養を条件に、その企画をひきうけた。今思えばそれも計算に入っていたのだろう。
企画自体は、選ばれたメンバーが矢口の目の前で殺される振り、または殺された振りをして、矢口のカメラにおさまり、それを見せてメンバーを怖がらせるといった内容だった。
三日後にはビデオカメラが届けられ、なんでも善いからとっておく様にと指示が出された。憂鬱だったが、三日耐えるだけで、四日間の休みがとれるのだ。大丈夫。みんな分かってくれる。矢口はそう思う事にした。
そして、三日前、急に中止を告げられたのだ。
そこでは理由は説明されなかったが、今思えば後藤の事がひきがねになっているのだろう。後藤の体を思ってというより、番組にならないのが中止の理由なのだと思う。
しかし、結果的に企画は中止され、休暇だけが残った。矢口は純粋に喜んだ。
そうして、矢口は残ったビデオカメラだけもってこの島にやってきた。台本を持ってきてしまったのは手違いだ。
島では芸能界の喧騒から解き放たれた平和が待ってるはずだった。
- 169 名前:第2日目 投稿日:2001年07月04日(水)01時28分26秒
「でも、なっちは本当に死んじゃった・・・」
矢口の告白はそこで終わった。
あれほど激昂していた保田も、深いため息とともに沈黙した。驚いたのは中澤が泣いていることだった。
「ちょっと、裕ちゃん。なんで泣くの?」矢口が慌てて云った。中澤は首を振って、別に泣いてへん、と強がり
「なんか、矢口がかわいそうでな・・・」と云って微笑んだ。
「それじゃあさ、最初から休暇と撮影はワンセットだったてこと?」保田は、誰とも無く口にする。紗耶香は、そうみたいだねと答えた。
「しかもその企画はつんくさんのさしがねなの、なんで」
「・・・そこは信用できへんけどな。局側のブラフかも知れへんし。第一、あたしがつんくさんに直談判したときは、つんくさん、本気で後藤の事心配してくれはった」
紗耶香はそうだねと頷いた。
矢口が昨日からおかしかった理由は、その事がずっと頭に在ったからなのか。紗耶香は思った。偽物の殺人事件が行われるはずだった島で、本物のそれがおこったのだ、驚かないはずはないし、なにかしらの恐怖を覚えるのも当然だ。
「それで、矢口は今朝、あんなに取り乱してたの」紗耶香は云った。
矢口はこくんと頷き、みんな、許してくれるかなあと云う。
「大丈夫だよ、事情を説明すればみんなきっと分かってくれるよ、だって、なっちのことは矢口とは関係無いんだもん」
そう保田は、云ったが、矢口の顔がとたんに真っ青になった。
「・・・ちがう・・・」
保田が気の抜けたような表情をして、なにが、と聞いた。
「ちがうんだよ、圭ちゃん・・・」
紗耶香は矢口のその様子から只事で無い雰囲気を感じ、
「矢口、落ち着いて説明して、何が違うの?」と云った。
矢口は、紗耶香の目を見て、関係あるんだよ、と云う。
「なっちが殺された事と関係あるんだよ」
「どうして?この企画と実際の殺人じゃあ・・・」
「だって、だってこの台本でも、なっちはあの場所で、ああいう風に殺される事になってんだよ」
矢口は、掻き毟るような声で云った。
- 170 名前:藤次 投稿日:2001年07月04日(水)01時34分21秒
- 作者です。
レスありがとうございます。
遅筆、乱筆及び冗長御免です。
金髪市井の写真のみ、喜んでおります。
- 171 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月04日(水)01時38分00秒
- リアルタイムで読ませてもらいました。
今後どうなるのか!?
次回更新期待sage
- 172 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月04日(水)04時23分56秒
- 凄いです!!この小説。
まじで引き込まれる感じです。
続きが気になってしょうがない!!
- 173 名前:無名@貼ったひと。 投稿日:2001年07月04日(水)10時52分01秒
- 面白いYo!!
てゆ〜か、ノリで貼ってまったけどよかったんでせうか?
- 174 名前:セプ 投稿日:2001年07月04日(水)21時39分47秒
- すごい、大作デスね。
待ってます。これだけ、すごい作品は、そうは、読めません。
時間かかるのも当然です。頑張ってください。
スレが、増大してたのでまさかと思った。
この、小説の雰囲気が、なんとも言えない・・
傑作だーーーーーー!
- 175 名前:84mo弐 投稿日:2001年07月07日(土)23時56分51秒
- 映画化します
- 176 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月12日(木)22時06分49秒
- 再開キボンヌage
- 177 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月13日(金)16時22分19秒
- >>176
だからさあ、そういう時はsageてくれよ。あがってると更新されたのかと
思っちゃうだろ。
- 178 名前:藤次 投稿日:2001年07月20日(金)03時06分09秒
- 作者です。
更新が遅くて、本当に申し訳ありません。
某作者さんの爪の垢でも煎じてのみたい気分です。
週末にはなんとかなると思います。
- 179 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月20日(金)22時10分26秒
- 待ってました!
- 180 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月20日(金)22時17分54秒
- 某作者って……?
- 181 名前:藤次 投稿日:2001年07月22日(日)23時56分44秒
つまり、安倍はその構成台本に見たてられていた。
その構成台本では殺され役が振られているのは三人。
安倍、加護、吉澤だった。それぞれの殺害方法は刺殺、絞殺、銃殺となっている。
ただ、本来の順序は、加護、安倍、吉澤だった。
「裕ちゃん、これはやっぱり、関係者以外に考えられないよ・・・」
紗耶香は重い口を開いた。
「事務所か、テレビ局か、・・・考えたくないけどつんくさんの関係者が・・・」
保田の鼓動が速くなる。つんくが失踪した事実を知っているのは中澤と飯田と保田の三人だ。この異常な事態に対するつんくの関連性の有無は、保田には判断出来ない。話した方がいいのか、それともただ混乱を広げるだけなのか?
気がつくと中澤がこちらを見ていた。保田の逡巡は見ぬかれていたらしい。
中澤は保田と眼が合うと、小さく首を横に振った。今はまだ話すべきではない。それが中澤の判断だった。中澤はすばやく、目線を紗耶香に戻すと、
「つまり、関係者の誰かが計画性を持ってなっちを殺したていうことか?」
紗耶香が頷く。
「情報は漏れるものっていっても、この構成台本を手にいれる事が出来る人間はほんの一握りしかいないよ、げんにみんなだって知らなかったんでしょ」
「そんなこというても、なっちを殺したがってる人間なんて、思い当たれへんなあ」
紗耶香は、昨日の安倍の話を思い出していた。安倍自身は話していなかったが、事務所側と何らかのトラブルがあったのかもしれない。
「事務所の人間とかは・・・?なにかのプロジェクトになっちが邪魔だったとか・・・」
「紗耶香」中澤があきれ返る。
「あんた、あほか?事務所の方が力関係では娘。より上なんやで、自分の時のこと忘れたんか?」
「あ・・・」そうだった。事務所側からすれば、タレントは活かしてなんぼだ。殺してしまっては価値がない。それに、価値が無くなれば遠慮なく切り捨てれば済むことだ。何らかの個人的関係がない限り・・・
じっと二人のやり取りを聞いていた保田が突然口を開く。
「ねえ、矢口、この台本の中でも当然電話は繋がらなくなるんでしょ」
「うん」
「そこまでやる以上やっぱりさ・・・」
保田は言葉を濁す。
- 182 名前:藤次 投稿日:2001年07月22日(日)23時57分21秒
「・・・加護や吉澤が殺される可能性があるってことじゃないの・・・」
自分で云っていて嫌になったらしく、最後の方は消え入るような声だった。
矢口は錯乱こそしないものの、さらに悪い可能性の提示に血色をかえている。
「・・・でもな、よう考えてみぃ、なっち、加護、吉澤やで?なんの共通点がある?その三人を殺す動機っていうのは考えられん・・・。だいたい、なっちの死がその台本を見たてたものやとして、なんで吉澤、加護に繋がるって云える。電話線を切ったんかて、ただ、警察への連絡を出来るだけ遅らせたかっただけかも知れんし」
中澤は云い終わった後、大きくため息をついた。
「つまり現時点では、そこまで考えられないってことだね、可能性がありすぎて・・・」
紗耶香がため息の正体を見ぬいたように云った。
「そうや、今は犯人を類推するよりに意味はあらへん、危険から逃れる方法を考える方が先や」
「そうだね、でも一つだけ確認させて」
紗耶香は、人差し指を立てて、皆を見渡した。
「なんや、一つって」
「当然、眞子さんは知っているはずだよね、撮影の事」
みんな、ポカンと口を開ける。
まさかゲリラ撮影ではない。れっきとした局の企画だ。あちこちに隠しカメラを設置するはずだし、そうとなれば、当然家主の許可が要るはずだ。
「そら、そうやな・・・」
中澤は、保田に眞子を呼びに行かせた。
- 183 名前:藤次 投稿日:2001年07月22日(日)23時58分28秒
「知りません」
体の調子を崩したらしく、部屋で寝ていた眞子は青白い顔でそう云った。
「もし、そう云う事が行われるのであればお断りしました」
紗耶香は、眞子の目をじっと見ていた。質問に対する反応を見るためだ。だが、少し気分を害した様に視線をそらす眞子の仕草が、あまりに後藤そっくりで、紗耶香は動揺してしまい、真偽を見極める事が出来なかった。
口調からは、偽りの匂いは毛ほども感じられない。
紗耶香は、それを信じるしかなかった。だが、するとどう云うことなのだろう。事務所までかんでいる以上、張ったりの企画だとは考えられない。企画自体は、本当に存在していたと考えるしかない。だが、現場となるはずの家主に了解を得ていないというのは・・・。
紗耶香は、一つの可能性に思い当たった。企画は途中で、しかもかなりはやい段階で頓挫した。眞子への連絡もする前に。だが、何らかの事情で矢口への連絡が遅れた。それならあり得る。飽くまでも可能性だが。
「もう、善いでしょうか」といって眞子は立ちあがった。その毅然とした態度に、引き留める術は無かった。
ただ、去り際に、視線を自分になげたのに紗耶香は気付いていた。
暗い沈黙の後、矢口が、何が起こっているの、と皆に聞く。
矢口の言葉は、深い池に投げられた小石の様に少しだけ波紋を残してすぐ消えた。一番通じているはずの矢口に分からない物を、企画自体知らなかった三人が説明できるはずもない。
- 184 名前:藤次 投稿日:2001年07月22日(日)23時59分24秒
結局、矢口の告白はなんの進展ももたらしていない。警句にすらなっていないかもしれない。
「とにかく、もし、次があるなら、危ないのは吉澤か加護ってことね」保田が回りくどく云った。
「一概にそうとはいえんけどな・・・」
保田自身は、そうは思っていないらしく、まあね、と生返事で場の空気のためだけに頷いた。
「で、矢口。みんなにはどうやって伝えるの」
保田は、攻撃的な目線を矢口に送った。どうやら、撮影の事を黙っていた事がまだ引っかかっているらしい。
「年少組には黙っといた方がええ」
「でも加護は・・・」
「今朝のあの子、見たやろ。次に殺れるのはあんたかもしれんて、そんな事云えるわけないやろ。取り乱すのが目に見えとる。矢口が謝るのは六日無事に過ぎてからでもおそうない」
「・・・」
「矢口が、圭織に云ったことにすればええ。それを聞いたサブリーダーの圭ちゃんが伝えるってことにしとけば一応筋は通るやろ」中澤は、うつむいてしまっている矢口を見ていった。もう、十分辛い思いはした。これ以上は矢口を無為に苦しめるだけだ。
- 185 名前:藤次 投稿日:2001年07月23日(月)00時00分01秒
保田は納得いかないような顔をしていたが、腰を挙げると、
「吉澤には、台本の内容のこといってもいいの」
「ん、あんま意味ないと思うけど、吉澤なら大丈夫やろ。まあ、このこと話したらどの道突っ込んでくるやろけどな・・・圭坊、矢口の事情もちゃんというんやで」
保田は、目顔で頷き、居間から出ていった。
「裕ちゃん、とりあえず話しはここで終りだね」紗耶香も、そう云って保田の後を追った。後藤のことが心配なのだろう。
中澤は矢口の肩を叩いて、元気付ける様に、矢口は圭織にだけ云えばええ、と云った。
「少なくとも、なっちが殺されたの矢口のせいやない。ただ、責任は果たさんとなあ。それぐらい、できるやろ」
矢口は消え入りそうな声でうん、と頷く。
しゃあないなあ、中澤はそう思い、ペシッと矢口の頭をはたいた。
「ほら、しっかりせえや」
矢口は、ぼんやりと戸惑いを浮かべた顔をあげる。
中澤はその目を覗きこみ、矢口らしないで、と云った。
しばしの沈黙の後、「・・・うん、分かった」と、矢口は頷いた。
「よし、ほな、はよ圭織のところにいって来い」
頷き、部屋をでていこうとする矢口に中澤は、
「少なくとも、あんたのせいやないんやからな」
と、念を押した。矢口は、ありがと、と小さく呟き、扉を閉めた。
- 186 名前:藤次 投稿日:2001年07月23日(月)00時00分58秒
ふたたび、一人だけになっただだっ広い居間で、中澤は矢口の置いていった構成台本をにらんでいた。
刺殺、銃殺、絞殺か・・・。刺殺や絞殺は、ともかく銃殺は日本ではあまり考えられない殺害方法だ。本来なら、鼻で笑い飛ばしても一向に差し支えないのだが。
・・・この島には銃がある。
もっとも、それは辻の云っていることを信じればの話しだが。
この島にきてから、いやくるまえからか、多くのことが起こりすぎている。それらは点在し、散見できるが、けして結びつける事は出来ない。混沌としすぎている。
ただ、そのベクトルは明らかにモーニング娘。に向かっているような気だけはする。
中澤は、銃の事を伏せておく事にした。
もうこれ以上なにも起きない事を期待して。
- 187 名前:藤次 投稿日:2001年07月23日(月)00時01分58秒
控えめなノックの音で吉澤は目を覚ました。冷房が効きすぎていたためか、体が重く、頭がぼんやりとする。後藤はまだ眠っていた。
寝起きのかすれた声ではい、と返事すると保田と紗耶香が入って来る。
紗耶香がいきなり、後藤は、と聞く。
「まだ眠っています」
「そう」紗耶香はそう云って、ベットの端に腰を下ろした。吉澤はその所作にいらだった。自身は気付いていないかもしれないが、それは、居場所を簡単に奪ってしまう紗耶香に対しての妬みだった。
反射的に紗耶香から、目をそむけると視界に入って来た保田が手招きをしている。
「吉澤、ちょっと話しがあるの」
保田はいつになく真剣な表情(保田はいつも真剣だが)を浮かべている。
・・・恐らく、話し合いの結果についてだろう。
二人は廊下に出た。
「石川は?」と保田は切り出す。多分部屋にいるはずだ。吉澤がそう答えると保田は、娯楽室を指差した。どうやら、石川には聞かれたくない話らしい、吉澤は、そうぼんやりと思いながら、保田の後をついていった。
- 188 名前:藤次 投稿日:2001年07月23日(月)00時02分41秒
娯楽室に入ると保田は、吉澤をカウンターに促した。吉澤は言われるままに、背の高い椅子に腰を下ろす。保田は、カウンターの中に入って、備え付けの冷蔵庫をあけ、ポカリスエットをだした。
「のむ?」
寝起きでのどの乾いていた吉澤は頷いた。
保田は二本、缶をカウンターの上に並べると、回りこんで吉澤の隣に座った。その間、何か考えているらしく、吉澤の目を見ることは無かった。
保田は、無造作にポカリを開けると、話し始めた。
- 189 名前:藤次 投稿日:2001年07月23日(月)00時05分36秒
保田の話しはまとめると四つの要素に分けられた。
休暇の日程が終わるまで迎えが来る可能性が無い事。
辻の証言から、第三者がこの島にいる可能性がある事。
吉澤はそこまで黙って聞いていた。ある程度は推測できた事の裏づけでしかなかったからだ。吉澤が驚いたのは次からだった。
矢口の告白。つまり、この島で、テレビの撮影が行われる事になっていたこと。
「・・・矢口さんが?」吉澤は思わず呟いていた。
しかし、思い返してみると、矢口は確かに妙だった。その心の動きに気付いたのか保田が、朝、少し変だったでしょと云う。
「さっき、圭織に話したらしいの、それで、ね・・・・・」
黙りこむ吉澤に、保田が、許してやってねと囁いた。もとより、吉澤には矢口をうらむ気持ちなど無い。そんな事よりも気になることがあった。
「その台本の中で殺される事になっているのは安倍さんと、誰なんです?」
吉澤には確信があった。矢口さんがあそこまで取り乱した以上、矢口さんが企画のことを飯田さんに話した以上、殺人というキーワードだけでは片付けられない何かがあったはずだ、そうでなければ打ち明けたりなんかしない。黙っておくはず。私でもそうする。吉澤はそう思っている。
- 190 名前:藤次 投稿日:2001年07月23日(月)00時06分16秒
案の定、保田の顔には狼狽が浮かんでいた。保田はもっと遠まわしに云うつもりだったが、吉澤に先んじられ、確信を突かれたのだ。その戸惑いが表情に表れてしまったことを悟ったときはもう遅かった。
保田は観念して、安倍の死に様が、矢口の持っていた台本と酷似していた事を告げた。そして、そこに挙がっていた、三人の名前も。
吉澤はポカリの缶を置いた。もうほとんど無くなっている中の液体がちゃぷんと軽い音を立てた。
「それで、あたしはどこでどんなふうに殺される事になっているんですか」
吉澤の言葉には恐れや、動揺は感じられない。
「森の中で銃殺」保田は苦虫を噛み潰したような顔をしていった。
保田は立ち上がると、ごみ箱につぶした缶を叩きこんだ。
「梨華ちゃんには云わないですよね」
「当たり前」保田は怒った様に返す。
「年少組にも云っちゃダメだからね」そう云って保田はその場を去ろうとしたが、思い返したように足を止めた。
「ねえ、吉澤」
「なんですか?」
「・・・怖くないの?」
「別に」吉澤はそう断じた。
保田は納得いかないといった顔をして、そう、と呟いた。まったく保田らしくない仕草だったが、つづけて、紗耶香に絡むのはいい加減やめなさい、こんな情況だからね、と云った時には元に戻っていた。
- 191 名前:藤次 投稿日:2001年07月23日(月)00時07分03秒
独りになった吉澤は保田を真似て、缶をつぶし、捨てた。吉澤は恐れなどまったく感じていない。吉澤の立脚点は後藤であり、それ以外は自分自身を含めて全て瑣末な事だ。曖昧な推測などに興味は無く、犯行の動機や手順などどうでもいい事だ。
たとえ、犯人が誰だかわかっても、目的がなんだかわかっても、捕縛しない限り、安堵する事は出来ない。吉澤はそう思っていた。
吉澤が願うは後藤の不安の元凶を取り除く事のみ。その手段として、悪意の正体を暴くこと、つまり犯人を捕らえることだ。それは言わば攻撃性だ。吉澤は受身になることを良しとはしない。たとえ、こんな悲劇的な情況であろうとも。いや、このような情況だからこそ、それを創り出した者に対する怒りが噴出しているのかもしれない。
そして、その怒りが、恐怖を凌駕している。
- 192 名前:藤次 投稿日:2001年07月23日(月)00時07分33秒
吉澤はなんとなく立ち上がり、窓の外に目を向ける。雨はまだ振り続いている。思えば、今朝の出来事は雨のせいで凄惨さを欠いていた。安倍の死体が血まみれだったら更に後藤に対するストレスは大きかったろう。吉澤は少し雨に感謝したが、今、まさに行動しようとしている自分を足止めしているのもまた、雨だった。吉澤も雨やそれに伴う霧で視界の悪い森に入り込むほどの蛮勇は持ち合わせていない。
吉澤はガラスに額を押し付けて、森を見た。薄暗いせいで陰湿に感じる。あの木々の間から、今にも悪意が飛び出してきそうな気がする。
この疎ましい雨さえ上がれば、辻が見たという小屋に行ける。視界さえよければ辺りを見て回れる。何かがわかる・・・・。
ふと、ガラスに映る自分の姿に違和感を覚え、窓から離れる。
吉澤が羽織っていたのは石川のカーディガンだった。多分、梨華ちゃんがかけてくれたんだろう、と吉澤は思った。ぼんやりと映る程度でも分かる鮮やかな薄桃色。
吉澤は今朝、石川に云われたことを思い出した。
・・・気付いてた?みんなと居る時は、ひとみちゃん上手く隠してるけど、私と二人のときは、不機嫌になるの・・・。ごっちんの様子がおかしくなり始めてから・・・だから、私心配なの・・・。
石川が、自分の事を本気で心配してくれているのは分かった。しかし、石川の気持ちに甘える事は出来ない。
吉澤は、ガラスに映った自分の姿を見てクスリと笑った。
・・・ピンクは似合わないなあたし。
- 193 名前:藤次 投稿日:2001年07月23日(月)00時08分44秒
- 後藤がようやく目を開いた。
紗耶香は、その目を見返して微笑むが、寝起きでぼんやりしているのか後藤はなにも反応しない。紗耶香は、不安を覚え真顔に戻ると囁くように後藤の名を呼んだ。
・・・いちーちゃん。後藤の唇はそう動いた。
紗耶香は、目を細めて、何度も頷く。後藤は身を起こして、ベットに座った。
「ちょっとまっててね、今紅茶入れるから」そう云って立ち上がろうとする紗耶香の服を後藤がふいに掴む。
「ん?なした?」紗耶香は、一度挙げた腰を再び下ろし、後藤の横顔を覗きこむ。
後藤は、サイドテーブルにおいてあったメモ帳を見つけると、ゆめ?と書いて紗耶香を見る。
そう、思いたくなるのも無理はない。いや、後藤の姿はまるでそう信じ込もうとしている様だ。痛々しいぐらいに。
が、紗耶香は首を横に振る。現実から逃げて済ませられるほど軽いことではない。
後藤は、希望を失ったような表情を浮かべ、そうだよねというふうにうな垂れた。紗耶香は、何か言葉をかけてやるべきだと思ったが、どんな言葉も見当たらなかった。
シーツにぽたりと涙が落ちた。恐怖からか、悲しみからか後藤の肩は振るえている。
紗耶香は後藤の隣りに座って、大丈夫だよと囁く。
その声が聞こえているのかいないのか、後藤は体を紗耶香に預けてくる。
紗耶香は、後藤の頭を抱きもう一度、はっきりと云った。
「あたしが守ってあげるから」
- 194 名前:藤次 投稿日:2001年07月23日(月)00時11分39秒
後藤はしばらくして落ち着いた。紗耶香が思うに、後藤が泣いたのは安倍が死んだことの衝撃が、深い悲しみに昇華した故なのだろう。紗耶香の腕の中にいる間、後藤はただ淡々と涙を流していた。それは後藤の心が安倍の死を受け止めた事を意味する。
紗耶香は、キチネットに立って紅茶を入れていた。後藤は要らないと言ったのだが、気分を落ち着かせるには、なにか口に入れるのが一番だし、紗耶香自身、昼食もまだだった。小皿にビスケットを開け、アイスティーとともにトレイに載せる。
それを窓の近くに据えてあるテーブルにおいて、後藤を呼んだ。
後藤は渋々シーツから這い出し、スリッパを突っかける。そこで気付いたらしい、驚いた顔で紗耶香を見る。シャツから伸びる後藤の白い脚は剥き出しだ。
「ジーンズ穿いたままだと苦しいと思ってね」紗耶香は頭を掻きながらそう答えた。
後藤は少し照れたが、感謝の表情を浮かべると、気にするでもなくそのまま椅子に座った。紗耶香も、向かいに座り、ビスケットを齧る。後藤は一気にグラス半分ほど紅茶を飲み干すと、ビスケットを凄い勢いで食べ始めた。
「やっぱり、お腹すいてたんじゃん」
後藤はプックリと膨れると、紅茶を一口飲み、ビスケットの粉のついた手を掃い、メモ書きを始める。
ずっと市井ちゃんが見ててくれたの?罫線を超えて乱雑な丸字でそう書かれたメモが市井の前に差し出される。
「途中で一度、裕ちゃんに呼ばれて、その時は吉澤が・・・」
後藤はふうんと云うふうに唇を尖らせる。
- 195 名前:藤次 投稿日:2001年07月23日(月)00時12分21秒
紗耶香は後藤を刺激しない様に警戒の必要性だけを説明した。
後藤は無造作に投げ出した足を組替えて、かすかに相槌を打つ。紗耶香は場違いにもそんな後藤に艶っぽさを見出して、赤面してしまった。
黙りこくっているとどうしたの、と書かれたメモが目の前でゆれている。
紗耶香は動揺しながらも、照れ隠しに、寒くないと云う。部屋は冷房が効いていて、ちゃんと服を着こんでいる紗耶香でも少し涼しい。
後藤は子供の悪戯を見つけたような、笑みを浮かべて、えっち、と書いて寄越した。そして、冷やかしのつもりか、シャツの裾をチラッとめくって見せる。
「ちがわい」紗耶香は慌ててそう云い、窓の外に目をやる。
後藤が立ちあがった気配がする。やはり少し寒いのだろう。ベットの横においてある鞄でも探っている様で、ごそごそと音がする。
ショックからくる反動なのだろうか、やけに後藤は明るい、紗耶香は、いつしか窓を伝う雨水に目を奪われ、そんな事を考えていた。それとも空元気なのだろうか。後藤の笑顔が見られるなら、どちらでも善いと紗耶香は思う。
突然、白い光が瞬く。紗耶香は雷だと思い、続くはずの雷鳴を待っていたが一向に聞こえてこない。
見ると、後藤がポラロイドカメラを持ってなにやら不満げに立っていた。
「どうした?後藤」と紗耶香が聞くと、ますます口を尖らせて、今度は紗耶香の目の前で、シャッターを切った。同時にフラッシュが光り、紗耶香の目の前は真っ白になる。
「こらっやめろ」と紗耶香が嫌がると、後藤はやっと思った通りの反応が得られたのが嬉しいのかニヤニヤ笑って、部屋中、紗耶香を追い掛け回してシャッターを切る。
「ほんと、おこるよ」
紗耶香がいい加減痺れを切らして、本気で怒ろうとしたとき、後藤の腕が絡みつき、二人はベットに倒れこんだ。
「もう」紗耶香は、隣にある後藤の頭を軽く小突く。後藤は、へへっと笑い顔を見せ、頭をくっつける。なんだよという紗耶香を無視して、そのまま、右手を挙げ、ポラロイドのレンズをこちらに向ける。
まばゆい閃光がはしり、二人の一瞬を切り取った。
- 196 名前:藤次 投稿日:2001年07月23日(月)00時14分09秒
気がつけば、もう、薄暗かった。空一面が雲に覆われているので、昨日のような夕焼けも無く、ただ、どんよりと暗くなることで、日暮れを告げている。
時計を見ると、五時を少し回っていた。
紗耶香は、後藤が夕食の準備を手伝いたいと言い出したので送っていった。キッチンには、保田と石川、それに加護がいた。皆に大丈夫なのと聞かれ、後藤は照れ、頷いた。
「後藤がね、手伝いたいんだって」
保田が、嬉しそうな顔をして、後藤がいるなら十人力ね、と云う。それを聞いた後藤が、ちからこぶをつくって見せると、皆が笑い声を上げた。
少しだけど、みんな落ち着いてきている様だ。後藤が、加護とともに早速料理にとりかかる。
紗耶香は、眞子の姿の見えないことに気付き、
「眞子さんは?」と聞くと、
「まだ、体調悪いらしくて」と、保田が答えた。
「そう」多分、神経が参ってるんだろうと紗耶香は思った。
「じゃあ、後藤お願いね」といって紗耶香が、キッチンを出ようとすると
「あんたは手伝わないの?」と保田が聞いてくる。
「ちょっとね」と答えを濁すと保田が、矢口達の部屋には行かない方がいいわよ、今話してるらしいからと耳打ちしてきた。
紗耶香の目的地は違うのだが、とりあえず頷き、キッチンを出る。
- 197 名前:藤次 投稿日:2001年07月23日(月)00時14分45秒
紗耶香は足音の鳴らない廊下を薄気味悪く思いながら、片方ではある事を思考する。
なっちの部屋には、なんの不審な点も無かった。つまり、なっちが殺されたのは部屋ではない。と云う事は、庭先までなっちは自分の足で歩いていったと云う事だろう。
もちろん、犯人が何らかの方法で、例えば気絶させて、なっちをあそこまで運び殺した可能性も無いとは云えないが。とにかく、どちらにしてもなっちと顔見知りである事が重要になる。気絶させるにしても、まったく知らない人物より、顔見知りの方が油断させやすい。
昨晩、誰も物音を聞いたものがいない事実がそれを裏付けている。
・・・いや、しかしあれほどの豪雨では誰も気付かなくても仕方ないかもしれない。そう考えると、顔見知りと言う前提はあっけなく崩れる。
昨晩なら、部屋をノックするだけで誰でも簡単にドアを開いただろう。孤島と云う舞台の性格上、警戒心は無かったのだから。
ただ、顔見知りであった方が、容易であるだけだ。限定する材料にはならない。
階段を上りつつある紗耶香の脳に嫌な考えが浮かんだ。
メンバーだったら・・・。もしメンバーが犯人なら、犯行は至極簡単だ。
・・・だが。
紗耶香は、その考えを打ち消した。
無理だ。これだけは云える。その根拠は矢口の持つ構成台本にある。その内容と企画は、メンバーに伏せられていたのだ。つまり、メンバーは台本に見たててなっちを殺すことは出来ない。矢口を除いては。しかし、矢口は、台本の事を告白した。なにより、矢口の落ち込み様は演技とは思えない。
そこまで考えて紗耶香はひどい自己嫌悪にとらわれた。
メンバーを疑うなんて・・・。どうにかしている。第一動機が無い。そんな事より、この閉ざされた島の中で頼れるのはメンバーだけなのに・・・・。
第三者の存在は辻がはっきりと証言してるし・・・。
自覚は無かったが、自分自身、そうとうなストレスを感じているのだろう。そうでなければこんな事考えるはずもない。
なにやってるんだ。あたしがしっかりしなきゃ、後藤に負担がかかるのに・・・。
紗耶香は気を引き締めるために軽く自分の頬を叩くと、辻の部屋の前に立った。
ただ一つ、現実的な疑問を解決するために。
- 198 名前:藤次 投稿日:2001年07月23日(月)00時19分49秒
- 作者です。
レス本当にありがとうございます。
励みになります。
遅筆、乱筆及び冗長御免です。
2日目終了まであげる予定だったんですが、
都合により途中で切らせていただきました。
なので次回更新は早めにします。
- 199 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月23日(月)04時43分43秒
- やばいくらい本格的な推理小説ですね。
完全に惹きこまれてしまいました。
続きが非常に楽しみです。
- 200 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月23日(月)08時36分54秒
- こんなに本格的なのに甘いのも書けるなんて。
こういう状況だからこそ甘いとこが余計に甘く感じてサイコーです。
失語症ごま萌え・・!!!
- 201 名前:名無し。 投稿日:2001年07月23日(月)19時33分47秒
- 待ってるから。がんばってくれ。
- 202 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月24日(火)19時28分27秒
- 頑張って!
- 203 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月03日(金)12時04分33秒
- 待ってるよ〜
- 204 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月03日(金)15時59分36秒
- 俺は待つぞ
- 205 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月03日(金)23時33分16秒
- すきだ!
- 206 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月04日(土)01時04分04秒
- 僕も待ちます。
- 207 名前:藤次 投稿日:2001年08月08日(水)19時45分23秒
- 早め・・・すみません。
待ってくれている読者さんがいるのは嬉しいです。
ありがとうございます。
- 208 名前:藤次 投稿日:2001年08月08日(水)19時48分22秒
辻はベットの上で枕をクッション代わりにして壁にもたれかかっていた。
紗耶香は、隣にある加護のベットに座った。
「ねえ、辻」紗耶香は出来るだけ優しく話す。
「はい」辻はこれから聞かれることの内容を察しているのか、怯えたような声を出す。
紗耶香は、少し可愛そうな気がしたが、お互い認識済みの設問だ、辻もそれを察しての反応だろうそう思い、一気に踏み込む決意をした。
「辻はまっすぐ窓の方へ歩いていったよね、なんで?」辻にはそれで通じるはずだ。
紗耶香の疑問は今朝の居間での辻の行動だった。それまで、誰も気付かなかった惨劇の証を、紗耶香が見るに、辻はそこにある事が当たり前であるかのように振舞った。つまり、安倍の死体がそこにある事を知っているかのような行動をとっていた。辻の視線は終始窓の外に向けられていた。
・・・知っていた。
紗耶香にはそうとしか考えられなかった。問題はなぜ辻が知っていたかだ。
辻はまっすぐに紗耶香を見返してきた。
「・・・夢を見たんです」
- 209 名前:藤次 投稿日:2001年08月08日(水)19時49分26秒
「夢?」紗耶香は辻の口から出た突拍子も無い言葉を思わず繰り返していた。
紗耶香の現実的な疑問は、最も非現実的な答えひきだしたのだ。
「安倍さんがあそこで殺されている夢を、見たんです」
紗耶香は、なにも口にする事は出来なかった。どう考えても辻が嘘を云っている様には見えない。そんな器用な事は出来ない子の筈だ。だがしかし・・・
・・・夢?予知夢だとでも云うのか。
そんな、紗耶香の困惑を見抜いたかのように辻は言葉を継ぐ。
「この島にきてから、時々頭痛がするんです。それも、我慢できないような。なんだか、脳がゆれるような。そのたびに、何処からか呼ばれているような気がするんです」
辻は頬にかかった髪を掻き上げて、微笑んだ。
「変でしょう、変ですよね。こんな話し、信じてもらえないですよね」
「そうだね、確かに変だね」その時、紗耶香は言いようのない不安を感じたのだが、辻に調子を合わせる。
- 210 名前:藤次 投稿日:2001年08月08日(水)19時51分49秒
「・・・でも、辻はたしかになっちがあそこで殺されているのを知っていた」
「はい、安倍さんが殺されている夢は、その日の朝、見たんです。夢の中で辻は、気付くとあそこに居たんです。安倍さんはもう、死んでました。あとで実際に見たのと、まったく同じ格好で、辻は安倍さんを助けようとしたんですけど、あ、死んでるのに助けるってなんか変ですよね、でもなんだか自分のからだが透明になっちゃったみたいで、存在感がないんです。いくら安倍さんの手を掴もうとしてもすり抜けてしまって・・・・。それで、うなされているところを亜依ちゃんが起こしてくれました」
「でもさ、夢なんて普通信じないじゃない、あの時の辻ははっきり分かってたみたいだった」
「・・・夢じゃなかったんです、目が醒めたときには安倍さんはもうこの世にはいないんだって確信してました」
「はあ?矛盾してない?」
「辻にも良く分からないんです。でも、見ている時から分かってたんです。これは夢じゃないって、現実なんだって」
辻の目は、その言葉が真摯であることを訴えている。が、紗耶香には理解できない。と言うか飲み込めないのだ。その困惑がいつのまにか顔に出ていたらしい。
- 211 名前:藤次 投稿日:2001年08月08日(水)19時52分34秒
「・・・・へへへ、ちょっと辻、おかしいですよね。いるはずのない女のひと見ちゃったり、頭痛がしたり、へんな夢見たり・・・やっぱり疲れてるんですね」
嘘だ。紗耶香は思った。辻は自分がおかしいとは少しも思っていない。誤魔化しているだけだ。
「・・・御免、辻。辻は真剣に話してくれてるのにね、なんだか、その・・・」
「いいんです、辻も、なにがなんだか分からないんです」
辻のことが信じられないんじゃない、辻の云った事が信じられないのだ。
「・・・怖いんです」
紗耶香が二の句が継げず、押し黙っていると辻がポツリと呟いた。
「さっきも、急に頭が痛くなって、気を失ったらしくて・・・、また夢を見たんです」
辻は先ほどの夢を詳細に話した。
紗耶香は、一度も口を挟むことは無く、しかし、真剣に辻の話を聞いた。
しかし、辻からすれば、夢は言葉にする事で、どんどん意味をなくしていって、その時感じた恐怖を半分も伝えられた様には思えなかった。
「なんだか・・・・怖いんです」
- 212 名前:藤次 投稿日:2001年08月08日(水)19時54分44秒
紗耶香は、大丈夫、とは云えなかった。何かが起こっている。そんな確信めいた不安だけがあった。辻が見た、安倍が死んでいる夢と、生きている夢。辻のように感覚的に捕らえることは出来ないが、紗耶香にとっても充分すぎるほど、不可解で現実を見失ってしまいそうになる。
辻は違った形で何かに巻き込まれているのかもしれない。紗耶香は漠然と、そう思った。
そんな思念のぬかるみからようやく抜け出した紗耶香は、
「辻、夢の事については、あたしはなにも云えない。あ、信用していないわけじゃないよ、けど、夢を調べるわけには行かないでしょ。けど、女のひとを見たって言うのは、ほんとでしょ?無理に嘘つかなくても善いから」と、辻に問うた。
辻は、しばらく紗耶香の顔を見たあと、目をそらして頷いた。
紗耶香は、眞子にその事を問いただすことを決意した。考えてみれば、この洋館について、知っていることはあまりにも少ない。皆無に等しい。それが、なにかの役に立つとは思えないが、知っておいてそんはない。最も単純な疑問はなぜこんな所にこんな洋館が建っているかだ。
- 213 名前:藤次 投稿日:2001年08月08日(水)19時57分12秒
「辻、あとでさ、眞子さんに聞いてみようよ、その女の人のこと」
紗耶香はそう云って無理矢理、辻に納得させた。
「じゃあ、あとで」といって紗耶香が部屋を出ようとしたとき、
辻が、紗耶香を呼びとめた。
「市井さん、昨日安倍さんとなに話してたんですか?」
紗耶香は、躊躇したが辻の顔を見ていると思わず言葉が漏れてしまった。
「・・・脱退するって、なっち云ってた」
辻は、目を潤ませて、やっぱり、と云った。
「・・・辻、気付いてたんだ・・・」
辻はごしごしと目をこすると、なんとなくですけど、と云った。
紗耶香は、そんな辻を見て、なにも云う事が出来ず、黙って部屋を去ろうとすると、もう一度辻に呼びとめられた。
- 214 名前:藤次 投稿日:2001年08月08日(水)19時57分42秒
「あの、市井さん」
辻は、もう先ほどとは違った表情を見せ、もじもじしながら云う。
「朝、安倍さんを見たとき、怖くて、なんだか辻の見た夢のせいで安倍さん死んじゃったような気がして・・・でも、市井さんに夢の話、聞いてもらえて辻、少し気が楽になったんです。また、へんな夢を見たら、話して善いですか?」
紗耶香は、微笑とともに答えた。
「うん、いいよ。でも、メンバーには内緒にしておこうね、あ、それとももう誰かに話した?」
「怖くて誰にも話してないです」
「そっか、みんなも怖がるから、話しちゃダメだよ、その代わりなんでもかあさんに云いなさい」
紗耶香のキャラを作った云い方に、辻はクスリと笑って、
「へい」と答えた。
- 215 名前:藤次 投稿日:2001年08月08日(水)19時58分17秒
夕食が始まっても、眞子は部屋から出てこなかった。
後藤達の努力で食卓は賑やかだったが、一つ空いた席は嫌でも目に付く。
皆もそれを意識してか、そうに違いはないのだが、通夜のような雰囲気だった。中澤に至っては、弔意を表すためか黒いシャツをきている。
その中澤が、中座して、ビールの栓を開け、自分の席に戻ってグラスに並々と注ぎ一息に飲み干した。皆の視線はそこに注がれる。
「・・・みんな、怖いんはわかるし、なっちの事で騒ぐ気になれへんのも分かる。けど・・・」中澤はそこで言葉につまり、もう一度からになったグラスを満たしてそれを空けた。
「あたしは、芸能界入ったときからなっちと一緒やった。よう怒ったりもしたけど、その分なっちにいろんな事教えられた気もする。なっちと一緒に成長してきたんや。今はあたしはソロでやってるけど、ずっとなっちは仲間やった。いや、これからも仲間や、メンバーや・・・」
- 216 名前:藤次 投稿日:2001年08月08日(水)19時58分57秒
訥々と話す中澤に、皆、手を止めて聞き入っていた。
「ああ、もうなにしゃべってんのか、ようわからんけど・・・せめて、楽しく、おくってやりたいんや・・・」
場は水を打ったように静まり返った。
中澤はからりと云った。しかし、その言葉は裏腹にメンバー達の涙を誘った。
表情を変えないのは吉澤と飯田ぐらいだ。
「みんなに聞いてもらいことがあるんだけど」
紗耶香は、中澤の独白を聞いた瞬間、安倍の代弁者になることを決めた。安倍が何を考え、どうしようと思っていたかを伝える事が出来るのは自分だけだ。安倍の最後の意志をみんなに伝えたい。そう思った。
みなの注目が紗耶香に集まるなか、辻だけは下を向いていた。
「昨日の夜、なっちと二人で外に涼みに行った時、聞いたんだ」
- 217 名前:藤次 投稿日:2001年08月08日(水)19時59分33秒
隣にいる後藤が、紗耶香の腕をそっとつかむ。緊張に耐えられないのだろう。紗耶香は、後藤にそっと微笑むと、続けた。
「なっちは娘。をやめるって云ってた」
全員が、驚愕した次の瞬間、
「・・・うそだよ」と、うめくようにもらしたのは飯田だった。
「なんで、なっちがやめなきゃいけないの」その言葉には、殺気にも似た凄みがあった。
「圭織、落ち着いて、ちゃんと聞いて。なっちが何を考えてたか・・・」
- 218 名前:藤次 投稿日:2001年08月08日(水)20時00分08秒
紗耶香は、出来るだけ正確に、出来るだけ安倍の言葉で安倍が娘。をやめようとしていた理由を伝えた。
「そうだったんですか」辻が、涙をこらえて微笑みながら云った。その微笑みは明日のための一歩を踏み出そうとしていた安倍に向けられた物だ。
「許せない」飯田がポツリと云い放った。
「絶対に許さない」
「圭織、気持ちはわかるけど、なっちは自分自身のために・・・」
「ちがうっ」
保田の言葉を飯田が激してさえぎる。
「なっちの気持ちは、圭織、一番分かるつもり。だから、だからこそ、なっちを殺した奴は絶対に許せない・・・なっちを佳織達から奪った奴は」
飯田は大きな目を一層大きくして見えない仇を見据えている。飯田にとって安倍は本当の意味での盟友だった。中澤は卒業したが、安倍とはずっと娘。で歩みをともにして来たのだ。その安倍の未来を奪った人間を許す事は出来ない。
そして、先ほど聞いた矢口の話。反吐が出るような業界の裏。
・・・得体の知れない何かが起こり始めていることに飯田は気付いていた。
- 219 名前:藤次 投稿日:2001年08月08日(水)20時00分50秒
「リーダーとしてみんなに話しておきたいことがあるの」
保田が、あっというように立ちあがったがもう遅かった。
「つんくさんが失踪しているらしいの」
飯田は、島での出来事につんくが関係していると直感的に思っていた。皆に話したこと自体には意味はない。いや、なるべくフェアーにいくべきだと思ったからだろうか。
しかし、直接は関係ないと思っているメンバーが多いのか、安倍の話ほどには大きな反応はない。目の前にある安倍の死と比べれば些細な事かもしれない。確かにそれがもたらす意味は不明だ。
それでも石川が、
「もっと詳しく説明してください」と聞く。
「なんにも分からないの、ただ、失踪したとだけしか」
結局、夕食は楽しい物にはならなかった。
- 220 名前:藤次 投稿日:2001年08月08日(水)20時01分37秒
食後、洗い物を買って出た後藤と石川はキッチンへ消え、飯田と吉澤は部屋に戻った様だった。
残ったメンバーは、もてあました時間と不安を共有する事で出来るだけ早く消費しようという思いなのだろう。中澤がだらだらとビールを飲んでいる以外は皆、とりたててする事もなく、かといって積極的に話題を提供しようとする事もない。
ただなんとなく時間をつぶしている。
ちょうど紗耶香が、どうせなら皿洗いでも手伝おうと、ソファから身をはがした時、保田が声をかけてきた。
「ちょっと付き合ってよ」
紗耶香は、いいよ、と軽い返事をする。
二人は、連れだって居間を出た。誘われた紗耶香は保田に追従する形になるのだが、保田の足は、自室を通り過ぎ、階段を上がる。
「なにか飲もうよ」と、保田は振り返り云った。
「お酒?圭ちゃんも好きだねぇ」
「なにいってんの、あたしだって紗耶香があんなに強いとは思わなかったわよ」
紗耶香は久しぶりに聞く保田の憎まれ口にクスリと笑った。
- 221 名前:藤次 投稿日:2001年08月08日(水)20時02分28秒
「なっちのことだけどさあ・・・」保田はそこで足を止めた。
「あたしね、正直うらやましいと思ったんだ。勇気も要るけど、やっぱり相当の自信がなきゃ、脱退なんて決意できないと思うんだよね。・・・で、紗耶香の話を聞いてなっちはやっぱり、メジャーだったんだって思った」
紗耶香は、保田が何を云いたいのか理解できなかったが、
「でも、圭ちゃんだって考えないでもないでしょ、脱退」となだめるように云う。
保田は振りかえり、首を振った。
「あたしは、マイナーな実力派だからね」と、猫のような目を細めて笑う。
窓辺に持たれかかりながら保田は話を続けた。
「なっちみたいなタイプはこうと、自分で決めれば目の前に道が開けるんだよ、そして、その道を堂々と胸を張って歩けば善い。そんな力がなっちにはあった。でもね、あたしはそうじゃない。あたしは、地を這う様にして進んで行かなきゃならない・・・。まっそのぶん気楽だけど。だからね、脱退なんて決意できるなっちが少しうらやましい」
- 222 名前:藤次 投稿日:2001年08月08日(水)20時03分06秒
「そんな事ないっしょ、圭ちゃんだって・・・」
保田はもう一度笑って首を振った。
「いいよ、気使わなくって、これが私のいきる道ってね。紗耶香だってメジャーだからね。脱退したし・・・」
そうじゃない。あたしにはそんな力はない。なっちのように道を拓くことも、圭ちゃんのように地を這って生きていくことも出来ない。メジャーでもマイナーでもない。
紗耶香の目から見れば、二人とも勝者だ。自分の道を一片の疑いもなく歩んで行く事の出来る力は自分にはない。いつも迷い、怯えながら、明け暮れている。
紗耶香はそんな自分の思考を誤魔化すべく、
「まあ、みんな多かれ少なかれいろんな事考えてるんじゃない」と保田の話を受け流す。
保田も、これで終りとばかりに、そうだね、と答えた。
紗耶香は、それを見て赤い絨毯の上を娯楽室へと進んでいくが、保田の気配が続かないのに気付いた。
- 223 名前:藤次 投稿日:2001年08月08日(水)20時03分40秒
保田はまだ窓辺にいて、その目線は上を向いていた。紗耶香が、圭ちゃん、と声をかけると、あ、うん、とはっきりしない返事をする。
「らしくないね、どうしたの?」
「ちょっと、思い出したんだ、吉澤が前に云ってた事。今でもそう思ってんのかどうか知らないけど、まえにね、云ってたんだよく」
保田は、紗耶香から視線を外した。
「自分には光りがないって」
保田は、あ、でもあたしはそうは思ってないよ、とまるで弁解の様に呟いた。
紗耶香は、沈黙してしまった。
光がない、その挫折感は私に似ている。あの頃の私もそう思っていた。他の娘。達には分からないであろう惨めな孤独感。私もそれを抱えていた。
だが、いっとき、私は光を得た。
そして失ったのだ。脱退と同時に。
「吉澤はあたしに似てるかも知れない・・・」紗耶香はほとんど無意識にそう呟いていた。
紗耶香の思いなど、読み取れない保田が、
「ボーイッシュってイメージだけじゃん」と、当たり前のように云った。
紗耶香は、曖昧に笑うしかなかった。
- 224 名前:藤次 投稿日:2001年08月08日(水)20時04分31秒
娯楽室の扉を空けた保田が、一瞬凍りつく。紗耶香が覗きこむとそこには、キューを持った吉澤が立っていた。
保田は躊躇いながらも中に入る。紗耶香と吉澤、それに娯楽室がそろうといやでも昨日の事を思い出す。吉澤は、それを見透かしたかのように薄い笑みを浮かべると再びビリヤードに興じ始めた。
保田は、吉澤を警戒しながらもカウンターについた。さりげなく、紗耶香の方を見る。紗耶香は吉澤などまったく気にしていない様子で、カウンターの内側に回りこんだ。
「なにのむ?圭ちゃん」
目の前よりも背中越しの吉澤に気が行っていた保田は、どもりながら、何でもと答えた。
紗耶香は、サーバーとかないんだね、と云いながら背の高いグラスを取り出した。冷蔵庫から瓶ビールを取り出して、なれた手つきで栓を抜く。次にグラスを斜めにして、七割ほど注ぎ、その後、グラスを立て、綺麗に泡を作る。
保田はその手付きを見て感心する。
- 225 名前:藤次 投稿日:2001年08月08日(水)20時05分16秒
「はい、好きでしょ、ビール」キチンとコースターを敷いて保田の前にグラスが差し出された。
「なんでしってんの?」
「後藤が云ってた」紗耶香はそう云って笑った。
不意に出た後藤の名前に吉澤が反応するのではないかと思い、保田はグラスを引き寄せながら、気が気ではなかったが、カコンという打撃音とボールがポケットに落ちる音しかしなかった。
「昨日も飲んで云ってたしね」
「あ、そっか・・・」
保田はビールを一気に半分ほど飲んだ。
「おいしい」保田が感動を素直に言葉にすると、紗耶香は笑って、
「でしょ、注ぎ方にね、コツがあるの」と、云った。
紗耶香は保田の憂慮は分かっていたが、もう、動揺しない自信があった。吉澤がなんと云おうと、後藤が求める限り、自分はそこにいる。ただそれだけの純粋原理が紗耶香の中にはあった。
吉澤は、七番をクッションさせて、九番をポケットに落とした。その技は紗耶香から見ても、難度が高く、それをこなした吉澤の手際は鮮やだった。
- 226 名前:藤次 投稿日:2001年08月08日(水)20時05分55秒
吉澤は腰を伸ばすと、紗耶香の視線に気付き、ごく自然に
「昨日の続きやりますか」と云う。
保田が、びくりとして振りかえった。
「って云いたいところですけど、保田さん、が怖いんでやめときます」
吉澤はそう云って、キューを台に置くとカウンターについた。
昨日のような剥き出しの敵意は消えている、紗耶香は吉澤を見てそう思った。
「あたしにも下さい、市井さん」
「ビール?」
「はい。コツがあるんでしょ?」
紗耶香は、保田のときと同じ手順で、ビールを注ぎ、グラスを吉澤の前に置いた。
吉澤は、ゆっくりと口をつけると、
「ほんとだ、違いますね」と、楽しそうに云った。
しばらくの間、三人は雑談をした。保田も、吉澤が紗耶香に噛み付く気配がない事に安心したのか、とりとめもない事を良く話した。そうは云っても、安倍と後藤の名が出る事はなかった。意識的に避けられていた。もちろんそんな会話が長く続くわけもなく、吉澤のグラスがあいた頃、訪れる沈黙。
「吉澤」破ったのは紗耶香。
- 227 名前:藤次 投稿日:2001年08月08日(水)20時06分44秒
「あたしさ、いろんなことを思い返してみたんだ、でも、分からなかった」
吉澤はまだ沈黙している。
「でも、あんたにこれだけは云っとく、どんな事があろうとも後藤が私を必要としてくれる限り、私はそれに答える」
「・・・市井さん自身がその原因だったとしてもですか」
紗耶香は、頷いた。だが、吉澤の言葉は、喉の奥に引っかかった骨のように、紗耶香を不安にさせた。
「ちょっと、吉澤、」保田が、上擦りそうになる声を必死に落ち着かせて云う。
「そりゃ、確かに紗耶香の事は原因の一つかもしれないけどそれが全てじゃないでしょ、昨日も云っていたけど、その云い方は語弊があるわ」
吉澤は、視線を保田に向けた。なにか、哀れむような目をしていた。
「・・・保田さんは知らないんですよ。あたしが云っているのはそのことじゃないんです」
そう、誰も知らない。吉澤以外は誰も。保田にも云っていないのだ。
- 228 名前:藤次 投稿日:2001年08月08日(水)20時08分06秒
「原因は市井さんです」吉澤はそういいきった。
紗耶香は吉澤の目を見て、それがただの脅しでないのがわかった。いやそんなことは、すでに分かっている。
ただ、もう一度確かめたに過ぎない。
もう、十分だ。
教えてほしい。
後藤に何が起こり、それが私とどう関係しているのか。
「・・・吉澤、教えてもらえるかな、・・・・その理由を」
その問いを吉澤は予想していた。
そして、それに対する答えはずっと前から決まっていた。
「いやです」
- 229 名前:藤次 投稿日:2001年08月08日(水)20時08分42秒
・・・苦しんでください。ごっちんと同じように。心の中で吉澤はそう続けた。
「そっか」紗耶香は苦く笑った。
吉澤はそれを機会にして席を立った。
「ビール、おいしかったです」
そういって立ち去ろうとする吉澤は、紗耶香にはなぜか切なく見えた。
「吉澤、光は訪れた?」気が付くと紗耶香はそう口にしていた。
吉澤ははっと振り返ると、一瞬惚けたような表情を見せ、顔を真っ赤にして呻いた。
全く予期しなかった紗耶香の言葉に、思わず素直に反応を示してしまったことが屈辱だった。
吉澤は振り切るように、顔を背け返答することなく部屋を出ていった。
紗耶香はその苛立った背中になぜだか少し、親近感を覚えた。
- 230 名前:藤次 投稿日:2001年08月08日(水)20時09分20秒
紗耶香は、吉澤のグラスを片づけると、大きく息を呑んで、
「後藤に何が起こったの・・・・、昨日の続き、話して圭ちゃん」と保田に云った。
保田と目が合い、しばらく沈黙が流れる。保田の視線は泳いでいた。躊躇している。
怖い。吉澤に告発されることよりも、後藤の身に起こったことを聞く方が何倍もつらい。紗耶香はそう思った。
なおも、躊躇し続ける保田をみて、紗耶香の心は揺ぎ始めた。
今は聞かない方がいいのかもしれない。そんな弱さに囚われた時、保田が口を開いた。
「・・・さっきのやり取りみてて分かると思うけど、あたしにも、はっきりしたことは分からない。あたし、吉澤が紗耶香を憎んでる・・・いやな言い方だね・・・のは、紗耶香が後藤をおいて脱退した、無責任さを責めているんだと思ってた。それが後藤をあそこまで追い込んだ原因だと・・・でも違うみたい。そう、あの云い方だとまるで、後藤の事件に紗耶香が直接関わってるみたいな・・・」
保田は、その後、ぶつぶつと自問自答を繰り返すばかりだった。
- 231 名前:藤次 投稿日:2001年08月08日(水)20時10分40秒
紗耶香はこらえきれなくなって、保田の名を呼んだ。
「あ、ごめん」保田は我に返って、そう云った。
「いいよ、別に。もうさ、覚悟できてるから、あたし」
だから、はやく話して。
「・・・・・・・・ごめん、紗耶香。明日でいいかな。あたしも、話すのがつらい・・・それに簡単な話じゃないし」
「圭ちゃん!!昨日は話そうとしてくれたんじゃなかったの?だったら最後まで聞かせ・・・」紗耶香は思わず大声を出した。
「ごめん!ごめん紗耶香。今日はもう勘弁して、朝からいろんな事があって、疲れてるんだ」
保田はそう云って逃げるように席を立つ。
- 232 名前:藤次 投稿日:2001年08月08日(水)20時11分21秒
「だったら、だったら一つだけ答えて!」
紗耶香の叫びにも似た言葉に、保田は足を止めた。
保田はゆっくりと振り返る。だが、けして紗耶香とは目を合わせようとはしない。独特の低い口調で、保田は、なに、と云った。
紗耶香はごくりと唾を呑んでそれを言葉にした。紗耶香が想像した最も悪い事態。後藤と男というキーワードから拾い出した、考えたくない最悪のストーリー。
「・・・後藤は、後藤は・・・レ・イプ・・・されたの?」
からからに乾いた喉が言葉を引きつらせた。
保田が紗耶香と目を合わせる。
圭ちゃん、はやく答えて。
お願いだから。
- 233 名前:藤次 投稿日:2001年08月08日(水)20時12分06秒
保田は娯楽室を出て、重い足を引きずり、廊下の角を曲がり、安倍の部屋の前で足を止めた。暗い照明の中で、朝に出来事がよみがえってきた。
なっち。
不思議と悲しみは湧いてこない。もう、流すべき涙は枯れたのだろうか。ただ、不条理な暴力に対する憤りを感じていた。何の前触れもなく、すっぱりとその存在を断たれた安倍。
喪失感だけが、保田を包む。
すっと目を閉じると、洋館の庭先で死んでいる安倍のイメージが保田の頭の中で明滅した。
あれ?
何だろうこの感じは?既視感でもない。一度、通ったような感覚。
昔、これと同じイメージを描いたことがある。どこかで・・・
保田は大げさに頭を振った。だめだ、思い出せない。保田はあきらめて、階段を下っていった。
- 234 名前:藤次 投稿日:2001年08月08日(水)20時12分47秒
十一時には皆、自室に戻ったようだった。
中澤は一部屋ずつ戸締まりを確認してまわった。といっても、二階の窓はほぼすべてはめ殺しになっており、各部屋の一番大きい採光用の物だけが、左部が斜めに開く仕掛けになっている。しかしそれもたかだか十五センチぐらいであり、廊下の窓にいたっては全く開閉ができない。
それでも、万が一を用心して、眠るときはドアの錠を掛けるように指示してまわった。眞子によると、父親が生きていた頃には各部屋の鍵は全部あったらしい、だが一つにまとめた鍵束を父親の死後、紛失してしまい、今は錠だけが残り内側からしかかけられないが、それで十分用は足るのでそのままにしていたと云う事だった。
最後に安倍の部屋の窓の鍵を確認する。中澤は静かに祈りを捧げた。
- 235 名前:藤次 投稿日:2001年08月08日(水)20時14分09秒
一階も部屋に関しては同じだった。ただ、眞子の部屋に関してはどうなっているのかわからない。中澤が、ノックをすると、どうしたんですかとドア越しに聞いてきたので戸締まりをするようにと伝えただけだ。返事は返ってきたが、姿は見せなかった。そんなに体調が悪いのかと心配になったが、何ができるでもなく。
キッチンにある裏口も施錠を確認し、玄関の重厚な扉にも錠を下ろした。
それで、この館は大きな密室になった。
部屋に戻って一息ついた中澤を保田が訪ねてきた。
「どないしたんや?怖いんか、一人で寝るの」
と、中澤がしれっと云うと、保田は笑って、
「裕ちゃんこそ」と返す。
保田が、ベットに腰を下ろしたので、中澤は改めて訪問の目的を尋ねた。
「それ」保田はサイドテーブルを指す。
「借りてもいい?」
- 236 名前:藤次 投稿日:2001年08月08日(水)20時15分08秒
みるとそこには、あの構成台本がおいてあった。あの後、処分するわけにもいかず、何となく中澤が預かる形で、持っていた。
「ええけど、どないするんそんなもん」
「ちょっと気になることがあるのよ、どっかでね、みたような気がする」
中澤は、台本を手に取ると、
「ほんまか?どこでみたんや」と、問いつめるが、保田は首を振るばかりだ。
「わからないんだけど・・・・なんとなくひっかかるの。だから、もう一度よく読んででみたいんだ」
「そうか、ならもってってええ」
中澤はそれを保田の前に差し出した。
保田はそれを受け取ると、あたしたちさあ、どうなるんだろねといい残して部屋を出ていった。中澤はなんやそれ、と軽く受け流し、
「ちゃんと、鍵しめろやー」と、保田を見送った。
だが、ベットに倒れ込んだとき、
「どうなるんやろうな、圭坊」
そう、呟いていた。
- 237 名前:藤次 投稿日:2001年08月08日(水)20時15分58秒
後藤を寝かしつけると、紗耶香は、軽くシャワーを浴びて疲労感を洗い流そうとしたが、温かい湯で弛緩した体は、より重くなった。その体を引きずって、部屋を出た。
向かったのは安倍の部屋だった。目的の物はすぐ見つかった。テーブルの上に置いてあるバッグの中に入っていた。
昨日、一緒に吸った煙草。
安倍の鞄を整理したのは飯田だが、本来、飯田の持ち物であるべきシガレットケースはそのまま、その中に収められていた。飯田がそのとき考えていたことは紗耶香にも同感できる。
紗耶香は、一本だけ煙草を取り出すと、一緒にライターも拝借し、ケースを元に戻して部屋を出た。
- 238 名前:藤次 投稿日:2001年08月08日(水)20時16分30秒
居間の大きな窓の前で紗耶香は煙草に火をつけた。照明の反射で見えないが、目の前には安倍が死んでいた場所があるはずだ。それは一種の安倍に対する弔いだった。
一息に大きく吸い込むと、特有の目眩とともに、張りつめていた緊張の糸が切れるのを感じる。押し殺していたいくつもの感情があふれ出し、とどめようもない。
あの時、保田は首を横に振ったのだ。
少なくとも紗耶香が考えていた、最悪は後藤に起こらなかった。紗耶香はそのことを素直に安堵した。
幾度か頭に浮かべてしまった、悲惨な光景。後藤が陵辱されるシーン。
紗耶香はその度に、必死でその心象を否定したが、それは悪夢のようにまとわりついて離れなかった。
だが、保田はそれを否定してくれた。
紗耶香はやっと、悪夢から逃れることができたのだと錯覚していた。そして、その錯覚を自覚もしていた。ただ、張りつめた緊張が、保田の答えでふっつりと切れた。
それ故の安堵だった。紗耶香はそれに身をゆだね、省みる事は先送りにして、ただ、安堵していた。
涙がにじむ。
紫色の煙がガラスに白く映っていた。
- 239 名前:藤次 投稿日:2001年08月08日(水)20時17分48秒
「泣いてらっしゃるんですか」静かな、空間によく通る声だった。
紗耶香が振り返ると眞子は、こんばんは、と会釈した。
「いつからそこに」紗耶香は思わず聞いた。
「ついさっき」眞子はそう答えて微笑み、紗耶香に近づく。
その動作は流麗で、紗耶香は目を奪われてしまった。後藤と相似の存在が創り出すあまりにも浮き世離れした空気が紗耶香を覆った。
後藤とはまた違ったオーラを持っている。紗耶香はそう思った。
眞子は紗耶香の目の前まで来ていた。
いつの間にか根本まで灰になった煙草が紗耶香の指を焦がした。
「あちっ」
- 240 名前:藤次 投稿日:2001年08月08日(水)20時18分39秒
灰が落ちる。我に返った紗耶香は、雰囲気に呑まれまいと、
「ごめんなさい。煙草、吸ってもよかった?」といいごまかそうとした。
眞子はくすっと笑って大丈夫ですよと云い、紗耶香の手を取りまじまじと見て、云う。
「火傷してません?」眞子の顔がすぐそばにあった。紗耶香は、目をそらせない。
鼓動の高まりをを感じる。
眞子が振り返った。目があった。
唇がうっすらと開く。
「市井ちゃん・・・」
ふたつの像が重なる・・・・・。
次の瞬間、紗耶香は背筋に寒気を感じてその手を振り払った。
眞子は小さな悲鳴を上げる。
トクトクトクトク。絶え間ない動悸。
境界線がぼやける。
目の前が白い。
眩暈。
・・・後藤。
- 241 名前:藤次 投稿日:2001年08月08日(水)20時19分17秒
ついさっきまで、起きていた加護だが、今はもう眠ってしまった。
辻は、寝付けなかった。昼間、寝ていたせいなのだろう。幾度となく寝返りを繰り返し目を瞑っているのだが、眠らなきゃと焦れば焦るほど、眠りのしっぽは遠のいていく。
のどの渇きを覚え、身を起こして冷蔵庫を探ったが溶けないように入れておいたムースポッキー以外には何も入っていなかった。常備していたはずのジュース類は、空き缶になってテーブルの上に転がっている。
とりあえず、眠りをあきらめた辻はキッチンに行き、飲み物を探すことにした。
加護は相変わらず眠っている。その寝顔を見て、辻は思い出し笑いをする。
辻が気を失って目をさましてからの加護はまるで保護者みたいだった。辻が、もう大丈夫、と起きようとすると、
「ねてな、あかん!」と怒ったように云って、辻をベットから離れさせなかった。
- 242 名前:藤次 投稿日:2001年08月08日(水)20時19分51秒
中澤が来た時も、心配せんといてください、うちがしっかりやります、ののの面倒もみます、とかいって息巻いていた。おかげで辻は少々窮屈ながら、加護に甘えて病人気分を味わった。何のかんのいって構って貰えるのが嬉しかった。同い年なのに母親のような口振りをする加護がおかしくて、辻は時々ふとんをかぶって笑っていた。
しかし、辻より先に寝てしまい幼い寝顔をさらしている。そのギャップがおもしろかった。
「起きちゃった、ごめんね亜依ちゃん」
辻はそういい残して部屋を出た。
- 243 名前:藤次 投稿日:2001年08月08日(水)20時21分29秒
「どうなさったんですか?」
『どうしたの?』
紗耶香は自分の目を耳を、頭を疑った。
後藤と眞子がだぶって見える。
その像は紗耶香の困惑など気にせず、近寄ってくる。
「あ、ごめんなさい、痛かったですか?市井さん」
『ごめんね、痛かった?市井ちゃん』
・・・まただ。
紗耶香は大きく頭を振り、幻を追い払おうとした。眞子に取り付いた後藤の幻を。
そして、一瞬、本当に一瞬だけ夢と現の境目を見失った。
・・・ほんとうはどっちなのだろう。
- 244 名前:藤次 投稿日:2001年08月08日(水)20時22分13秒
振り払おうとしたのは、それとも、眞子にだぶった後藤の幻なのか、後藤にだぶった眞子の幻なのか?
目の前にいるのは眞子?それとも後藤?
泥沼のような煩悶に引きずり込まれた次の瞬間。
眞子は眞子に戻っていた。紗耶香は、息を荒げて喘いだ。眞子が心配そうに、大丈夫ですかと云う。紗耶香はぜいぜいと喉をならしながら、
「その・・・その呼び方は・・・どうして・・・」
紗耶香の目つきが冗談にならない事を物語ったようだ、眞子が申し訳なさそうな表情で、とまどいながら、
「え、あの後藤さんが・・・」と云いかけたとき、辻の声が居間に響いた。
「何してるんですかー」少々脳天気なぐらいのその声は曖昧だった境界線をはっきりと区切ってくれた。靄がかった幻惑的な雰囲気をぬぐい去り、生身の現実を浮かび上がらせるのに十分だった。
- 245 名前:藤次 投稿日:2001年08月08日(水)20時22分53秒
紗耶香は、よろける体をソファに深く沈める。駆け寄ってきた辻に、大丈夫、心配しないでと云って、横に座らせた。
「どうしたの?こんな時間に」そう聞くと、辻は、
「のどが渇いて・・・」と語尾を濁らせた。どうやら、遅い時間に一人で館内をうろついていることを咎められると思っているようだ。紗耶香が、そう、と答えると、急に気の抜けた表情を見せる。
「何か、お飲物お持ちしましょうか?」黙ってみていた眞子がそこで口を挟んだ。
辻はきょとんとした顔で、眞子さん、体の調子は、と聞く。
「少しぐらいなら平気です」眞子はいたって平静に答え、居間を出ていった。
紗耶香は突然、辻の話を思い出した。
・・・辻にも良く分からないんです。でも、見ている時から分かってたんです。これは夢じゃないって、現実なんだって・・・
なぜ急にそんなことを思い出したのか紗耶香にも分からなかった。ただ、辻の見た白い服の女。その存在を確かめる善い機会を得たことは確かだった。
- 246 名前:藤次 投稿日:2001年08月08日(水)20時23分29秒
グラスにたっぷり入っている程良く冷えた麦茶は紗耶香にとってもありがたかった。少し口を付けるだけのつもりだったが、一気に飲み干してしまった。自覚はなかったが余程喉が渇いていたのだろう。辻も嬉しそうだった。
トレイを両手で持ち、その光景を眺めていた眞子は、それでは、と一礼し立ち去ろうとしたが、紗耶香が引き留めた。
「とりあえず、座って貰えませんか」紗耶香がそういうと、眞子は怪訝な表情を浮かべながら、紗耶香達の前に腰を下ろした。
ピンと背筋を伸ばし、目は真っ向から見据えてくる。
目の前にいるのは後藤ではない。
この洋館の主、東儀眞子なのだ。
紗耶香は自分にそういい聞かせて、切り出した。
「聞かせてください」
- 247 名前:藤次 投稿日:2001年08月08日(水)20時24分26秒
「何をですか」眞子は身じろぎもしない。攻撃的ではないが、凛とした態度を崩さない。
「この子が確かに見たと云っているんです。白い服を来た女のひとを。本当は誰か他に人がいるんじゃないですか?」
「白い服の女の人・・・ですか」眞子はしばらくポカンと口をあけていたが、突然、なにが可笑しいのかくすくすと笑いだした。紗耶香にはそれが嘲りのように思え、思わず語気を荒げた。
「やっぱりなにか隠してるんですね。隠さずに云ってください。人が殺されてるんですよ」
- 248 名前:藤次 投稿日:2001年08月08日(水)20時25分05秒
-
だが、眞子は一向に構わず笑いつづけながら、
「それは、母かもしれません」と、口に手をあてて云った。
「おかあさん?お母さんがいるんですね、どうして黙ってたんですか今まで」
「いえべつに・・」眞子は悪びれた様子もなくそう言いかけたが、その言葉じりを紗耶香がくう。
「いえべつに、じゃないですよ。どこにいるんです?やっぱりあの小屋ですか?」
眞子はやっと落ち着きを取り戻し、いいえ、あの小屋には誰もすんでいません、と云って首を振った。
「じゃあどこにいるんです、お母さんは」
眞子は目を細めてゆっくりとかぶりを振る。
「もう、どこにもいません」
紗耶香が意味がわからず、黙っていると、眞子はこう続けた。
「母は、亡くなりました」
- 249 名前:藤次 投稿日:2001年08月08日(水)20時25分40秒
「皆さん、なぜこんな所にこの館があるのか不思議にお思いでしょう、実はこの館は、元々本土にあったものを父が移築したのです。
父は地方の素封家の息子でした。祖父が亡くなるまで、東京で小さな芸能事務所をしていたそうです。実家にはかなりの財産があったそうで、その事務所も言ってみれば、遊びのような物だったらしいのですが、父はそこで母と出会いました。母は、まあ云ってみれば、売れないタレントだったそうです。
どちらかと言うと父のほうが母に熱心だったそうで、最初、母は乗気ではなかったのですが、父の必死の口説きで二人は結婚する事になったそうです。
ですが、祖父は旧弊な人間で、母のことを快く思わなかったそうで、二人は半ば駆け落ちのような形で、結婚しました。その一年後に私が生まれるのですが、父の家からの支援はまったくなくなり、事務所の台所は火の車で、その間の生活はけして楽な物ではなかったと聞きます。そんなとき、母が、元の場所にあったこの洋館を見て、こんな所に住んでみたいと云ったそうです。
- 250 名前:藤次 投稿日:2001年08月08日(水)20時26分13秒
そして、私が生まれ、初孫の可愛さに祖父は怒りを解きました。
父は、すぐにこの洋館を買い求め、母と私と三人で暮しました。と云っても私にそのころの記憶はありません。ですが、父にとっては最も幸福な時間でした。
一年後、母は亡くなりました。急性骨髄性白血病だったそうです。
母を溺愛していた父は人との付き合いを断ち、半年間、半病人のような生活をしていたそうですが、祖父が亡くなったのを機会にこの島に洋館とともに移り住んだのです。
その時から父の奇行が始まりました。
まるで、母の死を無かったかのように暮し始めたのです。
母の部屋を設け、食事も三人分を用意させ、母の死については一切ふれませんでした。
お手伝いさん達も、最初は父を哀れんでいました。最愛の人を失ったのですから多少は仕方のない事だと思っていたそうです。
ですが、父は段々、エスカレートして行きました。
- 251 名前:藤次 投稿日:2001年08月08日(水)20時26分48秒
ある日、食事中、誰も座っていない母の席に向かって話しかけたのです。それを契機にして、あたかも母がそこにいるかのように振舞い始めました。寝室であろうが、庭であろうが、父のそばには母がいるようでした。私に対してもそれを求め、母の誕生日には、虚ろな空間に向かって、花束を贈らせたりしました。
―――ほら、眞子が綺麗なお花を摘んで来てくれたよ―――
―――そんな、泣くほど喜ばなくてもいいじゃないか―――
―――眞子の誕生日にはなにを贈ろうかねえ、母さん―――
父にとっては母ははっきりと存在している様でした。子供心にも空恐ろしくなったのを覚えています。
父には母が、見えたのでしょう。その父も死にましたが・・・」
- 252 名前:藤次 投稿日:2001年08月08日(水)20時27分30秒
「父に見えていたものが、辻さんにも見えたんじゃないでしょうか?父によると母はいつも白いワンピースをきていたそうですから・・・」
紗耶香は眞子という人間がわからなくなった。
- 253 名前:藤次 投稿日:2001年08月08日(水)20時28分03秒
眞子は語り終えると、早々に辞した。紗耶香には引きとめる気力もなかった。あまりにも現実離れした話に頭がくらくらした。眞子の表情を見るに冗談ではなさそうだ。
辻は、呆然としたままだ。眞子の話のショックが大きかったらしい。
「市井さん、辻が見たのは幽霊だったんですか?」惚けたまま辻がいう。
紗耶香は答える事が出来ない。肯定も否定も出来ない。いや、夢の話を聞くまでだったら、即座に否定してただろう。しかし、辻の奇妙な夢の話を聞いてしまった後では、否定を躊躇ってしまう。
もう、今日は考えるのをやめよう。もう寝よう。
紗耶香は辻にそう云い、二人は、二階へと戻った。
- 254 名前:藤次 投稿日:2001年08月08日(水)20時28分41秒
辻は、言い知れぬ不安を抱えながら、シーツの中に潜り込んだ。眞子の話を聞いたことで、今朝の事を思い出し、夢を見ることが怖くなったのだ。
また、誰かが死ぬ夢を見たらどうしよう。亜依ちゃん・・・。
辻は、頭から覆い被せたシーツの隙間から加護の方を見た。加護もまた、シーツの中に潜り込んでいた。
ちょっと、冷房、効き過ぎかな・・・。
辻は、ベットから這い出して、窓の下にある空調を弱に設定した。
目を上げると、うっすらと月明かりに照らされた森林が見えた。
雨はいつしか上がっていた。
静寂の中、空調の唸りにも似た作動音が耳をつき、黒い森が辻に迫って来るような錯覚を覚えさせた。辻は空恐ろしくなり、よっぽど加護を起そうかと思ったが、どうせ笑われると思い、シーツの中に急いで逃げ込んだ。
そうして、いつしか眠りについた。
- 255 名前:藤次 投稿日:2001年08月08日(水)20時30分06秒
-
―――第2日目終了―――
- 256 名前:藤次 投稿日:2001年08月08日(水)20時31分32秒
- 作者です。
レスありがとうございます。
早めと言いながら・・・・。
申し訳ない。
- 257 名前:名無し読者 投稿日:2001年08月08日(水)23時41分17秒
- 待ってました!
- 258 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月09日(木)09時40分17秒
- あぁ、やっぱり最高!
- 259 名前:名無し 投稿日:2001年08月09日(木)15時13分00秒
- 一気に更新してくれるんならば、長い間待っても全然オッケーっす!!
やっぱおもろ〜。
- 260 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月09日(木)16時07分54秒
- すげー!超いっぱい更新してる!!
サンキュー作者さーん!
- 261 名前:名無し読者 投稿日:2001年08月09日(木)21時52分26秒
- お盆休みでさらに更新、てわけにはいかないかな?
- 262 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月14日(火)12時29分23秒
- ガンバレ!藤次さん。
- 263 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月14日(火)22時42分40秒
- 頼むから上げないでよ・・・更新と勘違いするから・・・
- 264 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月15日(水)00時22分58秒
- ゴメンナサイ!気をつけます。
- 265 名前:マイセン 投稿日:2001年08月22日(水)12時03分42秒
- まだかなぁ?がんばれ
- 266 名前:藤次 投稿日:2001年08月26日(日)05時26分53秒
- 申し訳ないです。
書いています。
がんばります。
- 267 名前:名無し読者 投稿日:2001年08月26日(日)11時46分13秒
- 催促な人々は毎度なわけでしょうが、大半の読者はマッタリ待ってます。
藤次さんが納得できるものを藤次さんのペースで書いていただければ。
これだけの作品を無償で読ませてもらってるという時点でひたすら感謝です。
- 268 名前:267 投稿日:2001年08月26日(日)12時02分28秒
- 駄レス増やして申し訳無い & 巨大なお世話だったりするのですが、
ここのスレって200KB の目安に到達してると思われますがもしかして
今ちょうど次から新スレに都合のよいタイミングだったりします?
他でもここよりかなりでかいスレもあるし、最終的にはどのくらいの分量に
なるかは藤次さんのみぞ知る、なんでしょうけど。
- 269 名前:マイセン 投稿日:2001年08月26日(日)13時10分42秒
- 催促したみたみたいなので、謝ります
藤次さんゴメンナサイ、
- 270 名前:藤次 投稿日:2001年08月27日(月)00時16分11秒
- 気にしないで下さい。
放棄ではないことを言いたかっただけなので。
- 271 名前:名無しさん 投稿日:2001年09月14日(金)17時44分19秒
- 気長に待っとります。
- 272 名前:名無しさん 投稿日:2001年09月16日(日)07時38分44秒
- 終了しちゃった訳じゃないよね!?
- 273 名前:マイルドセブン改めセーラム 投稿日:2001年09月17日(月)13時50分43秒
- きっと、大丈夫ですよ!藤次さんを信じて待とうよ
- 274 名前:ななしめ 投稿日:2001年09月23日(日)20時30分11秒
- 信じて待っとりますから。
- 275 名前:藤次 投稿日:2001年10月01日(月)03時58分53秒
- 海板に移転します。
http://mseek.obi.ne.jp/cgi/hilight.cgi?dir=sea&thp=1001874903
長期にわたる放置、申し訳ありませんでした。
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