インデックス / 過去ログ倉庫 / 掲示板

小説 「サッカー娘。」

1 名前:コピ男 投稿日:2001年06月26日(火)22時35分46秒
ひっそりと
2 名前:コピ男 投稿日:2001年06月26日(火)22時39分44秒
ねえ、矢口、あんたどこ行くのよ。
後半27分、稲妻にでも打たれたかのような勢いで走り出した矢口真里を見て、東京ディーバの攻撃的MF宇多田のマークに腐心していた保田圭は、こう思った。
保田からすれば、行けるはずのない状況だった。
立ち上がりこそ抑え目だったディーバだが、0−0のまま時間が経過するにつれグイグイとプレーの質を上げてきていたからである。
相手の背番号9に食らいつきながら、保田は到達したかと思った海の底に、さらなる深淵が隠されていたことに気付きつつあった。
宇多田ヒカルは、おそらく女子サッカー選手として、最も名前の知られる選手だろう。
決して恵まれた体格を持っているわけではないのだが、一瞬のスキをついて放つスルーパスはデビュー前から注目されており、
すでに代表としてもプレー経験のある選手だった。
しかも、来期からは女子サッカーの本場アメリカに活躍の場を移すことが決まっている。
3 名前:コピ男 投稿日:2001年06月26日(火)22時40分19秒
ねえ、矢口、あんたどこ行くのよ。
後半27分、稲妻にでも打たれたかのような勢いで走り出した矢口真里を見て、東京ディーバの攻撃的MF宇多田のマークに腐心していた保田圭は、こう思った。
保田からすれば、行けるはずのない状況だった。
立ち上がりこそ抑え目だったディーバだが、0−0のまま時間が経過するにつれグイグイとプレーの質を上げてきていたからである。
相手の背番号9に食らいつきながら、保田は到達したかと思った海の底に、さらなる深淵が隠されていたことに気付きつつあった。
宇多田ヒカルは、おそらく女子サッカー選手として、最も名前の知られる選手だろう。
決して恵まれた体格を持っているわけではないのだが、一瞬のスキをついて放つスルーパスはデビュー前から注目されており、
すでに代表としてもプレー経験のある選手だった。
しかも、来期からは女子サッカーの本場アメリカに活躍の場を移すことが決まっている。
4 名前:コピ男 投稿日:2001年06月26日(火)22時41分30秒
宇多田を自由にすることは、そのまま敗北を意味する。
そう考えた中澤裕子監督は、彼女のマーカーとして保田を指名した。
高校を中退して天王洲モーニングへと入団した保田は、本来は左サイドバックの選手であるものの、
日本人には珍しく馬力と速さを兼ね備えた選手でもあるため、マンマークの能力にも極めて高いものがあった。
保田を本来のポジションに置いてチームの良さを前面に押し出すか、それともこちらの良さは消えてしまうものの相手の良さも消す策をとるか。
ギリギリまで考えた末、中澤は後者を選択した。
保田には宇多田に密着する任務が与えられ、左サイドバックには石川梨華が入った。
急な役割変更だったにもかかわらず、前半の保田は与えられた任務をほぼ忠実にこなしていた。
完全に見失ってしまったのは1回きりで、その1回はGK飯田圭織のファインセーブによって事なきをえた。
前半が終わった時点で、保田はまずまずの手応えを感じていた。
5 名前:コピ男 投稿日:2001年06月26日(火)22時42分08秒
だが、後半が始まるとすべては変わった。
保田が全力を挙げて封じてきた相手は、実はまだ実力の何割かを温存していたようだったのである。
やっと本気になってきたな、と思ったとたん、宇多田はプレーのスピードをアップさせた。
死に物狂いで追いつくと、スピードはさらに増した。
前半を0-0で折り返した時、チームメイトと「なんだ、私たちでもやれるじゃん」などと軽口を叩いたことを、保田は本気になって後悔しはじめていた。
もはや攻撃のことを考える余裕などどこにもなかった。
あったのは、未知なる世界に引きずり込まれていく得体の知れない感覚であり、腹の底から湧きあがってくる畏怖の念を、
保田は宇多田にしがみつくことで打ち消そうとしていた。
6 名前:コピ男 投稿日:2001年06月26日(火)22時43分09秒
やっぱり、ディーバには勝てないのか。
苦く、そして当然の思いが、選手たちの胸に湧き起こってきていた。
そもそも試合前は、モーニングが勝利を収めるどころか、後半の途中まで無失点でいくことすら考えられなかったのである。
東京ディーバには代表でプレーした経験のある選手が数多く含まれていた。
到底、モーニングが太刀打ちできる相手ではない。
事実、モーニング戦の直前に彼女らは今年度のJリーグチャンピオン、ジュビロ磐田と対戦し、観戦した中澤を驚愕させるほどのサッカーを披露している。
Wリーグ(ウーマンリーグ)サッカーの取材に携わる者で、モーニングがディーバを前半だけでも無失点に抑えると予想した者は、まずいなかったに違いない。
7 名前:コピ男 投稿日:2001年06月26日(火)22時43分50秒
言うまでもなく、モーニングの選手たちもディーバに勝てるなどとは誰も考えていなかった。
だが、前半は0-0で終わった。
ここで選手たちの心に欲が出てくる。
憧れていたスーパースターたちが、急に手の届く存在に思えてくる。
ところが、さあ手を伸ばそうと思った瞬間、スターたちは突然遠いところへ離れていこうとした。
すでにモーニングの選手は全力を振り絞っていた。
当然、相手も全力だと思い込んでいた。
それが、どうやら間違っていたらしいことがわかってきた・・・・。
モーニングの選手たちは、精神的にも肉体的にも、極度の疲労感を覚えつつあった。
少なくとも、保田はそう感じていた。
8 名前:コピ男 投稿日:2001年06月26日(火)22時46分35秒
そんな時、保田と同じ守備的MFの矢口が、マークする選手はおろか守備のバランスに対する配慮もかなぐり捨てて走り出したのである。
矢口本人に言わせれば「匂った」ということになる。
だが、保田には矢口の行動が理解できなかった。
かれこれ3年のつきあいにもなる仲間の行動が、この時の保田には理解できなかったのだ。
だが、突如として矢口は自陣を飛び出した。
しかも、あろうことか、矢口の動きにつられるように右サイドバックの辻希美もタッチライン際を駆け上がろうとしていた。
9 名前:コピ男 投稿日:2001年06月26日(火)22時47分17秒
1週間前まで、辻はディーバ戦で自分が先発することはまずないだろうと考えていた。
それが、ディーバを想定した最初の練習で主力チームに組み入れられ、「たまたまだろう」と思っていたら翌日も同じチームに入れられた。
ディーバ戦の先発を言い渡されたのは、試合前日のことだった。
その際、辻は中澤から「とにかく相手の左サイドバック、倉木麻衣の良さを消すように」との指示を受けた。
倉木麻衣は、左足の1発にとてつもない破壊力を秘めた攻撃的サイドバックである。
倉木が攻撃専門の選手であれば、ディフェンダー1人を密着マーカーとしてつけ、その良さを封じることもできる。
しかし、左サイドバックとなるとそうはいかない。
そんな難敵対策として、中澤はタテへの突破を抑える策を考えた。
「倉木がボールを持ったら、とにかく中央に追い込むように」との指示が辻には与えられた。
倉木は左利きのため、左タッチライン沿いのコースを切って中央へ追い込めば、左足でシュートを打つことが非常に難しくなる。
そして、右足しか使えない倉木であれば、さほど危険な存在ではない。
中澤は、そう考えたのだった。
10 名前:コピ男 投稿日:2001年06月26日(火)22時47分50秒
先発と控え、その紙一重のところに位置している自分の立場をよく理解していた辻は、中澤の指示をできるだけ忠実に実行しようと決心し、
実際、前半は相手にスペースを与えることにもなる攻撃参加を完全に自重していた。
しかも、後半開始早々、最も警戒していた倉木のタテへの突破を許して決定的なピンチを招いてしまったことで、本気になったディーバの怖さを強烈に思い知らされていた。
保田がそうだったように、辻もまた、後半に入ってからのディーバからは底知れない強さを感じ取っていた。
にもかかわらず、辻は矢口とともに、魅入られたかのように前線へと飛び出していったのである。
天王洲モーニングの右サイドはがら空きになった。
11 名前:コピ男 投稿日:2001年06月26日(火)22時49分18秒
先発と控え、その紙一重のところに位置している自分の立場をよく理解していた辻は、中澤の指示をできるだけ忠実に実行しようと決心し、
実際、前半は相手にスペースを与えることにもなる攻撃参加を完全に自重していた。
しかも、後半開始早々、最も警戒していた倉木のタテへの突破を許して決定的なピンチを招いてしまったことで、本気になったディーバの怖さを強烈に思い知らされていた。
保田がそうだったように、辻もまた、後半に入ってからのディーバからは底知れない強さを感じ取っていた。
にもかかわらず、辻は矢口とともに、魅入られたかのように前線へと飛び出していったのである。
天王洲モーニングの右サイドはがら空きになった。
12 名前:コピ男 投稿日:2001年06月26日(火)22時52分20秒
test
13 名前:コピ男 投稿日:2001年06月26日(火)22時53分13秒
タッチライン沿いで安倍なつみからパスを受けた左サイドバックの石川は、そんな反対サイドの動きにまったく気付いていなかった。
前日、保田から「私、宇多田のマーカーかもよ」と伝えられた時、石川はまだ半信半疑だった。
すでに中澤の頭の中では、保田を宇多田のマン・マーカーとして起用する方向で固まりつつあった。
試合前日の直前練習で、左サイドバックではなく中盤に起用されたことで、保田はその意図に薄々気付いていた。
だが、石川は、自分がそれまで完全なサブの位置に甘んじていたこと、そして左サイドバックとしての保田がどれほど優秀な選手であるかをよく知っているだけに、
保田の代わりに自分がそのポジションに入るのだと信じることができなかった。
試合当日の朝がくるまで、出場のチャンスはよくて五分五分だろうと考えていた。
14 名前:コピ男 投稿日:2001年06月26日(火)22時54分27秒
突然の指名に石川は奮い立った。
東京ディーバという名前に怖じ気づくこともなかった。
キックオフまでの短い時間の中で、石川は2つのことを自分に言い聞かせた。
自分と対面する右サイドバックの鬼束ちひろは、本来のレギュラーである鈴木あみほどの選手ではないから、さほど怖がる必要はない。
難しく考えるのはやめて、常に突破していくイメージを持とう。
そう、保田がそうだったように。
試合開始早々、石川はそのイメージを忠実に実行した。
前半3分、ちょっとしたスペースを利用してタテに抜け出し、中央へドンピシャのセンタリングを合わせたのである。
この場面以降、攻撃に参加するチャンスは訪れなかったが、苦しい状況にあっても虎視眈々とその再現を狙っていた。
そして、ついにその時は来た。
15 名前:コピ男 投稿日:2001年06月26日(火)22時55分22秒
安倍からパスを受けた瞬間、石川の目は、前線で待つ加護亜依の姿に釘付けになった。
マーキングに入ろうとしている持田香織の顔も目に入ったが、ただ、2人の間にはまだちょっとしたスペースがあった。
前半に1度突破からセンタリングというパターンを成功させていることもあって、対面の鬼束は突破を警戒してやや引き気味のポジションを取っている。
あの2人の中間点にボールを落とそう。
瞬間的にそう判断した石川は、プレッシャーを受けずにプレーできるギリギリのゾーンまでドリブルで持ち上がり、そこでとっさに本来の利き足でなはない左足を使った。
使おうとして使ったのではない。
いつの間にか出ていたのだ。
狙いは、加護と持田との間にある、そして今にも失われようとしているわずかなスペースだった。
石川の左足から放たれたボールは、パッサーの狙い通りのコースに、しかし狙いとは異なる豊かな放物線を描いていった。
石川としては、もう少し直線的なクロスを送るつもりだった。
それでも、ゆったりと飛んだボールは夢のようなタイミングで加護と持田の間に吸い込まれていく。
16 名前:コピ男 投稿日:2001年06月26日(火)22時56分24秒
いいところに落ちたのはわかった。
加護が走っていくのも見えた。
だが、石川が覚えているのはそこまでだった。
石川には、ここから先の記憶がない。
石川だけではない。
後方で見守っていた保田は、ボールが石川の足を離れたとたん、ミスキックだと思い、ほんの一瞬ではあるが目を離してしまった。
最後尾に構える飯田圭織も同様だった。
嵐のようなディーバの猛攻を真っ正面から受け止めていた飯田は、チャンスがついえそうだと見て取った瞬間、すぐさまマーキングの確認に入っていた。
彼女ら3人は、試合が終わるまで得点をあげたのは加護だと思い込んでいたほどだった。
17 名前:コピ男 投稿日:2001年06月26日(火)22時57分18秒
だが、矢口と辻はまだ走っていた。
石川からのクロスが自分たちに向けられたものではないとわかっていても、彼女らはまだ走っていた。
理由は本人たちにもわからない。
あの状況で攻撃参加しようとした自分が信じられない、とまで辻は言う。
本能の奥深いところがささやくわずかな可能性のために、右サイドの2人は走った。
そして、神の見えざる手が下された。
18 名前:コピ男 投稿日:2001年06月26日(火)22時58分16秒
加護は石川のセンタリングに届かなかった。
だが、ボールを支配下に置いたかに見えた持田は、若いGKシェラと信じられないような交錯をしでかしてしまう。
東京ディーバの中盤と最終ラインは、猛烈な勢いで突っ込んでくる2人の小柄な選手に、全く気付かずにいた。
相手が石川の突破を警戒してやや引き気味になっていたという必然と、狙い通りのコースに狙いとは異なる球質のクロスが飛んでいったという偶然、
2つの要素によって生まれたチャンスに、ここしかないというタイミングで相手のミスという3つ目の要素が加えられた。
シェラと持田、2人の間からボールが目の前にこぼれてきた時、矢口真里がやらなけらばならないことはさほど多くなかった。
Wリーグを揺るがした衝撃のゴールは、おそらく世界中の誰がやっても外さないであろう形で生まれた。
19 名前:パク@紹介人 投稿日:2001年06月30日(土)15時00分34秒
こちらの小説を「小説紹介スレ@銀板」に紹介します。
http://www.ah.wakwak.com/cgi/hilight.cgi?dir=silver&thp=992877438&ls=25
20 名前:名無し読者 投稿日:2001年06月30日(土)22時55分21秒
test
21 名前:コピ男 投稿日:2001年06月30日(土)22時57分00秒
「俺が見た中では間違いなく最高の才能を持った選手だ。でも本人がそのことにちっとも気付きやしない。
自分の才能に気付いてくれれば、もっと凄い選手になるとおもうんだけどね・・・・」
天王洲モーニングのユースチームのコーチである和田薫が言う。
彼が言っている「最高の才能を持った選手」とは、矢口のことだった。
小学校時代、矢口はモーニングユースのセンターフォワードとして夏の全国少年サッカー大会に優勝し、矢口自身も得点王のタイトルを獲得している。
この時、矢口のプレーが周囲に与えたインパクトは大変なもので、関係者の中には「この娘が日本女子サッカーの歴史を変える」と口にする者も少なくなかった。
矢口にはラストパスのセンスがあった。
得点能力もあった。
アタッカーに必要な才能をすべて兼ね備えた選手、それが当時の矢口だった。
22 名前:コピ男 投稿日:2001年06月30日(土)23時33分08秒
中学に入ってからも順調に成長していった矢口だったが、唯一成長しなかったものがある。
身長である。
そして矢口はFWから、いつの間にかズングリとしたMFになっていた。
それでも依然として矢口のサッカーセンスは輝きを放ち、関係者の期待を一身に背負っていた。
様子が変わってきたのは、高校に進んでからである。
ジュニアユースからユースへと上がるのと同時に背番号10を与えられた矢口だったが、チームはどうしても勝てなかった。
矢口・保田・市井紗耶香の3人を揃えながら、どうしても勝つ事ができなかった。
そして多くの場合、その原因は矢口自身にあった。
練習では素晴らしいゲームメイクをするにもかかわらず、試合になるとなぜか流れから消えてしまうケースが多かった。
また、同期の市井紗耶香が急成長し、この年代のスーパースターと呼ばれるようになったことで、次第に矢口の名前は忘れられていった。
23 名前:華守 投稿日:2001年09月15日(土)16時23分43秒
おもしろいのに、もう書かないんですか?

Converted by dat2html.pl 1.0