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ともだちのうた
- 1 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月09日(月)03時04分30秒
わたしはなぜここに来たんだろう?
目の前で歌っている後藤を見て、急に考えた。
テレビの収録中。照明に当たっている彼女とそれを暗い場所から、何人
ものスタッフさんたちと一緒に見ているわたし。その落差にそう考えてし
まったのかもしれない。
光の中に包まれている彼女はとても綺麗だ。
プロにメイクされて、プロに服を選んでもらって、プロに自分の姿を撮
ってもらっている。もちろん元がいいと言う事もあるのだが、これだけの
人達が彼女に手を加えれば、誰が見たって美しく見える。
耳に入ってくる音楽。それに乗せて伝わってくる彼女の声。
茶色い髪を振りながら、体を前後に揺らす。何だが十五歳とは思えない
変な色気が出ているような気がした。
- 2 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月09日(月)16時25分53秒
わたしは腕を組んで壁に寄りかかりながらため息をついてみる。
一瞬だけ気持ちが軽くなるが、すぐに後悔した。
わたしはなんでここにいるんだろう?
そう思ってしまったから。
別に誰を恨むわけではない。ここに来たのは自分の意思だ。
確かに変な話を持ってこられた。もちろんそれを聞いたわたしは戸惑い、考え、ここに来ると決めたのだ。
あの人は別に強制はしていなかった(様に思える)。
照明の中で唄を歌う彼女を見て、嫉妬らしい物が浮かんだ。まぁ負けず
嫌いだと回りの人が口を揃えて言うだけのことはあって、わたしもそれを
否定しない。だから少なからず、まだわたしは後藤に負けたくないと言う
気持ちはあったらしい。
ふと気が付くと、音楽に合わせてリズムを取っているわたしがいた。さ
すが二年間、そう言う世界に居た習慣は消えないようだ。
- 3 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月09日(月)16時33分06秒
-
苦笑いをしてみる。
多分、あの頃のわたしの表情ではない。
重く淀んだ、表情だろう。
ああ、誰も見てなくて良かった。
スタッフさん達はみんな後藤を見ているから、誰一人わたしになんてそ
の視線を注いでくれるはずが無い。
気が付くと後藤の唄が終わりに近づいていた。わたしは壁から離れると
彼女のマネージャーの元に近づく。
ああ、後藤と話すのヤだな。
そしてまた思う。
何でわたしはここに来たんだろう?
- 4 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月09日(月)16時43分46秒
その日わたしはベットに横になって、昨日買ってきたマンガの本を見て
いた。
まったく何も変わらない、ダラダラとした時間が流れる。散らかりっぱ
なしの部屋を片付ける気にはならなく、脱力感だけが空気となって漂って
いるような気がした。だからそれを常に吸っているわたしは、毎日同じよ
うな生活をしている。
「あはは」
マンガのギャグに笑った。
うん、このシュールさが好きなんだよね。
- 5 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月09日(月)16時48分04秒
それでも楽しい現実逃避は一時間もしないうちに終わってしまう。
適当に本を投げ捨てて、ベットの上でゴロゴロと転がってはため息を付
く。おもむろに置きあがって時計を見てみるが、まだ昼を少し過ぎただけ
だと思い、また体を倒した。
適当に友達にメールを入れる。
三人に入れて返ってきたのは一人だ。それも内容は『今授業中』。
「何だよ……つれない奴」
そう呟いて、携帯も適当に投げ捨てた。
横目で部屋を見渡すと、埃をかぶっているギターが目に入ってきた。そ
の周辺には関連の本。一度通して読んでから、その後はページさえ捲って
いない。新品同様だよ、返品できるかな?
出来るはずねーだろ、と自分で突っ込んでみてから、ゆっくりと置きあ
がってギターに手を伸ばした。埃を指でなぞると、ゆらゆらとした線が現
れる。
別に弾けないわけじゃない。簡単な物ならぎこちないけど何とかなる。
でもそれ以上になると根気が続かなかった。
- 6 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月09日(月)16時50分41秒
曲を作るのは難しい。もちろん詩も同様だった。
比較的速めに詩だけは作り溜めしていた。その時は満足したものが書け
たと思っていたし、文章もそれなりに納得していた。まぁだてに読書はし
ていないよと言う事だ。
しかし後から読んでみると、まるで何処かで読んだ事があるような内容。
好きだのキライだの、あの頃はそれで満足だったが、今のわたしにはまっ
たく興味がない。
大体、こういう物は自分を表現しなければ行けないのだ。似たり寄った
りな物で満足していた自分に気が付いて、スランプに入った。
オリジナリティってなんだよ。
詩も書けないのに曲なんて作れるはず無いじゃん。
と言う具合に今に至ったりする。
- 7 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月09日(月)16時54分03秒
いつの間にか、鼻歌をさえも歌わなくなった。
もちろん娘。の曲も。
テレビを付ければわたしより才能ある人が、ヒットチャートに載って消
えていく。使い古されていく音楽たち。
別にわたしが歌う意味があるのだろうか?
……多分、無いや。
と、いうような事をずっと考えている間に時間は過ぎて、年も開けて、
雪も溶け出してしまっていた。
わたしの時間は何時の間にか止まってしまったらしい。
「サヤー?」
- 8 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月09日(月)16時57分33秒
ふとお母さんの声にわたしは我に戻った。適当にギターを置いて返事を
する。
「なあにぃ?」
「お客さん来てるわよー」
「お客さん? わたしに?」
わたしはそう言って部屋のドアを開けた。
一階でお母さんが誰かと話している。友達が遊びに来る予定にはなって
いないが、取り合えず上げてもらおう。
「入ってもらってよ」
わたしはそう声をかけてから、自分の部屋に入って適当に片付けをする。
まぁ友達なら座れるスペースがあるだけで充分だろう。
ギシギシと階段を上る音が聞こえる。座布団を弾き終わった調度にドア
がノックされた。
「はあい」
わたしは声を上げてドアを開く。
「よっ」
その人はわたしを見るなりそう声をかけた。
しかしあまりにも意外な人物だったため、わたしは反応を返す事が出来
ない。
- 9 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月09日(月)17時01分06秒
「なんだあ、この汚い部屋はぁ」
「わ、わ、和田しゃん!」
あまりにも驚いたようだ。『さん』が『しゃん』になってしまった。
「ど、ど、どうして和田さんが居るんですか!」
「おまえは女の子なんだから、もう少し部屋を綺麗にしろよな」
「お仕事は? 今日は休みなんですか?」
「曲がり仮にも元モーニング娘だろ。誰に見られても恥ずかしくない生活
ぐらいしろよ」
「え? でも、どうしてここに居るんですか?」
「お前も十七になったんなら、少しは大人の女性としてだな……」
「和田さん!」
わたしは溜まらず声を上げると和田さんは黙り込んだ。
「話し、かみ合ってないっす」
その言葉を聞くと彼は苦笑いをした。
- 10 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月09日(月)17時04分26秒
ただ唖然と立ち尽くすわたしは、和田さんの変わらない顔を見ているう
ちに、段々と部屋が散らかっている事に恥ずかしさが沸いてくる。
「ちょ、ちょっと……下で話しませんか?」
部屋のドアの前で、中が見えないように背伸びしながらわたしは言った。
まあそんな事をしても遅いと言うのは分っていたが、一応女の子である。
少しは悪あがきをしてみた。
和田さんはわたしの戸惑っている顔をしばらく見てから、何が言いたい
のか気がついたらしい。さすが大人だ。
「ああ、そうだな。もう十七歳になるんだから、男を無闇に部屋に上がら
せるのはまずいよな」
「そうっす。まずいっす」
わたしが必死に首を縦に降ると、和田さんは納得したらしく階段を下っ
ていく。
その途中急に彼は足を止めると、悪戯っぽい笑顔を作って言った。
「部屋ぐらい片付けておけよ」
わたしはその一言に顔が真っ赤になった。
- 11 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月09日(月)17時07分32秒
お母さんは何やら町内の話し合いがあるからと言って出掛けてしまっ
た。だから今家にはわたしと和田さんの二人だけだ。
和田さんにお茶を出すと、わたしも椅子に座る。
テレビも付いていなく、居間は静かだった。入りこんでくる太陽の日差
しに時計の秒針の音。テーブルを挟んでわたしと和田さん。
わたしの日常に、和田さんと言う存在だけが違和感だった。
わたしは口を開く。
「あの……一体どうしたんですか?」
和田さんはお茶に口をつけると、ふむ、と言って何かを考えているよう
な顔をした。ついさっきの悪戯っぽい雰囲気など今は消え去っている。何
か大事な話が始まるのだろうと言う事は、薄々気がつき始めていた。
でも何だろう? 何か怒られる.事したかな?
まるで先生に呼び出しをくっている心境になった。年上の人がそんな真
剣な顔をしたら、怒られると直結してしまうのはわたしだけだろうか?
- 12 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月09日(月)17時11分10秒
「最近どうだ?」
「ふぇ?」
意外にも普通の言葉にわたしは気が抜けた返事をしてしまう。慌てて言
葉を見繕ってみた。
「変わらないっすね」
ニャハハ、と愛想笑い。
わたしはどうやらまだ緊張しているみたいだ。
「そうか……歌の勉強はしてるのか?」
「あっ……はい……ちょこちょこと」
嘘をついた。
でもこの嘘をつくのには慣れていた。モーニング娘を止めてから、会う
人会う人同じような事を聞く。その度にわたしは同じような言葉を言った。
はい、少しずつですけど。
無難で別に全てが嘘ではない、そんな答え。
- 13 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月09日(月)17時16分01秒
和田さんはその事について深くは聞いてこなかった。少しだけ、わたし
はホッとする。
「実はな……今度後藤がソロで歌を出すんだ」
「あ、知ってます。テレビでやってました」
「……知っていたか」
和田さんはまた黙り込んだ。
何だろう? 一体何が言いたいんだろう? 後藤のソロとわたしが何
か関係あるのだろうか?
取り敢えず沈黙に耐え兼ねてわたしは言った。
「でも後藤なら大丈夫なんじゃないっすかね? 何かもう立派にモーニ
ングの顔って感じだから……」
「それに関しては何も心配してないんだ」
和田さんの言葉にわたしは少しだけ、胸がチクッとした。ソロデビュー
に心配ないか……期待されているんだね、あの子は。
「あの……それとわたしが何か関係あるんですか?」
「そのことなんだが……」
和田さんの歯切れが悪い。何か奥歯に物が詰まっている感じで、変にも
どかしくなってくる。しかしこの時のわたしは、黙って言葉を待ちつづけ
る事だけ。
和田さんは言った。
「後藤にストーカーがついているらしい」
- 14 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月09日(月)17時19分48秒
わたしは黙って和田さんの顔を見ていた。
多分、まだあまり言葉が頭の中で繋がっていない。どうしてソロの話し
からストーカーになってしまうのだろう。必死でその二つを繋ぐ糸を頭の
中で探してみたが、見事に見つからなかった。
「あ、はい……ストーカーですか」
「そうだ。ストーカーだ」
「大変っすね……怖いっすね」
「あまり大事にしたくないんだ」
ふむ。それはそうだよなあ。
わたしは冷静を装って(と言うか反応を取りづらくて)お茶をすすって
みた。
- 15 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月09日(月)17時22分33秒
少しの苦味が感じると、わたしはやっと冷静になれたらしい。
「あ、でも和田さん今EEJUMPのマネージャーですよね? もうモー
ニングは関係ないんじゃないんですか?」
「まあそうなんだがな……大人の世界は色々とあってな……」
「はぁ……まぁわかりますけど……」
わたしも伊達に二年間業界にいたわけではない。
もう一度お茶を啜ってからわたしは聞いた。
「えーと……で、それとわたしが何か関係あるんですか?」
和田さんはその言葉を聞くと急に勢いのある目線でわたしを見た。一瞬
口説かれるのだろうかと、バカなことを考えてしまうわたしに、意外な言
葉が飛んでくる。
「後藤を助けてやってくれ」
「はあ?」
わたしは思わず声を上げた。
「後藤をおまえが守ってやってくれ!」
- 16 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月09日(月)17時26分12秒
和田さんはそう声を上げると、急に頭をテーブルに押し付けた。わたし
は大人が自分に頭を下げている事と、後藤を守ってくれと言うあまりにも
意外な言葉に頭が混乱して、思わず立ち上がっていた。
「ちょ、ちょっと! え? どう言う事ですか? っていうか頭を上げて
くださいよぉ」
「頼む! この通りだ! おまえしか頼れる奴はいない!」
「む、無茶苦茶ですよ!」
「大事にはしたくないんだ……だからおまえに頼んでいるんだ!」
「ちょ、ちょっと勘弁してください! マジでそんなこと出来るはずがな
いっすよ!」
「どうせ暇なんだろう? 勉強として少しの間業界に戻ってきてみない
か?」
暇なんだろうって言葉にムッときてしまった。まぁ確かにその通りだけ
ど、決め付けられると頭にくる。
しかしそう思った瞬間、少しは冷静に戻れたらしい。和田さんがわたし
に会いに来てくれた理由がわかった。
- 17 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月09日(月)17時29分37秒
和田さんなら、わたしが言う事を聞いてくれると事務所のお偉いさんは
思ったのだろう。だからモーニングとはあまり関わりのなくなったが、説
得係として送りこまれたわけだ。
何か少しだけ大人の世界に気がついて嫌な気分になった。
「付き人みたいな感じで後藤の傍についてやってほしい。出来るだけ、ス
トーカーから身を守ってほしいんだ」
「い、いやでも……そう言う事は警察に……」
「だから、大事にはしたくない」
「大事にしたくないってそんな……」
ふとわたしはその時、違和感のようなものに気がついた。
本当にストーカーだけだろうか? もし、本当にストーカーならばわた
しが傍についていたって役に立たないことぐらい、和田さんにもわかるは
ずだ。それならちゃんとしたボディーガードでも雇えばいい。それなのに
どうしてわたしにそんな事を頼みに来たのだろうか?
ストーカーとは別に、わたしにしてほしい事があるのだろうか?
ならば、一体どんなことだろう?
結局、その後散々に和田さんに頼み込まれ、わたしは少しだけ考えさせ
てくれとだけ言った。そうでもしないと、和田さんの気がすまないと感じ
たからだ。
和田さんが帰っていって、わたしは考える。
- 18 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月09日(月)17時32分51秒
業界、か。
正直、あまり興味が無くなっていた。二年間死ぬほど働いて、良い思い
出も悪い事も全て経験してきた世界。多分、同年代の人とは倍に近いぐら
いの時計を進めてきた場所。その世界はとても厳しいものだと肌で感じて
きたのだ。だから戻ったとしてもそこでやっていく自信が無かった。
そう、自信が無いと言うのが大きな理由だ。
戻る自信も、やっていく自信も今のわたしには無い。
――勉強として、少し業界に戻ってこないか?
ふと和田さんの言葉を思い出した。
別に復帰をするわけではない。見学のようなものだ。
本当に軽い気持ちで、わたしは承諾しようと思った。
でも多分、その軽い気持ちの奥では、自分でも気がつかない数々の感情
があったのかもしれない。
わたしは、まだそれに気が付かなかった。
- 19 名前:名無し読者 投稿日:2001年07月09日(月)21時55分02秒
- お!入りが面白いッス。期待!
- 20 名前:名無し読者 投稿日:2001年07月10日(火)03時51分42秒
- あまりない感じで面白そうですね。
自分も期待させていただきます。
- 21 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月10日(火)17時56分25秒
テレビの収録が終わると、今度は雑誌の取材だ。
テレビ局からタクシーに乗りこむと、わたしは後藤に向かっていった。
「お疲れ様……がんばってるね」
「……ありがと」
わたしの横に居る後藤は黙ったまま窓の外に視線を向けている。唇を尖
らせて、愛想笑いの一つも無い。
そう、今日後藤と会ったときからこんな反応だった。
どうやらマネージャーからわたしが数日間、付き人のように傍に付くと
言う事は知らされていたようで、わたしが目の前に現れても驚きは無かっ
た。
- 22 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月10日(火)17時58分36秒
-
よっ、元気にしていたか?
わたしは満面の笑みでそう話しかけた。
元気だよ。
後藤はその一言だけしか言わなかった。
短い間だけど、宜しくね。
わたしがそう言うと、彼女は小さく頷く。
元々わたしが脱退してから、メンバーと連絡を取り合っていなかったわ
けではない。やめた後など毎日頻繁に色んな人からメールが届いていた。
わたしはそれが嬉しくして、全てに返事を書いていたし、時々かかって来
る電話も喜んで出ていた。
もちろん、後藤ともそうしていた。
やめた当初、一番メールをくれたのは後藤だった。
寂しい、辛い、でも頑張るね、そんな同じような内容が毎日送られてき
て、わたしも毎日同じような返事を書いていた。
- 23 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月10日(火)18時00分29秒
しかしそんな仲良しごっこも終わりが来る。多分、メンバーはスケジュ
ール的に忙しいと言う事があって、あんなに送ってくれたメールが徐々に
日にちが開いてくようなった。わたしも気を使ってこっちからは送り辛く
て、時々届いてくるものに適当に返事を書いているだけだった。でもまあ、
今でも一週間に一度くらいはやり取りしている人も居るのだから、落ち着
いたと取るべきだろう。
しかし、後藤は例外だった。
一度、メールで喧嘩した事がある。
理由は他愛もない事。
しかし、その日わたしは機嫌が悪かったらしく、いつもは喧嘩になりそ
うな一歩手前で自分から謝っていたのだが、その時だけムキになって反論
をしていた。メールが相手側で途切れて、それでもまだ気が収まらないわ
たしは電話をしたのだが、着信拒否にされていた。
もちろんその次の日、冷静になったわたしはごめん、と謝って、相手も
ごめんなさい、と言ってくれた。
だからその喧嘩は尾を引いているとは思えないのだが、それを最後に後
藤とは連絡を取らなくなった。
- 24 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月10日(火)18時02分45秒
わたしは背もたれに寄りかかって、窓の外に視線を移す。次々と流れて
いく景色をとても懐かしく感じる。
そうだ、テレビ局から移動する時、よくこの道を通ったのだ。メンバー
と時にはふざけあっていたり、疲れ果てて眠っていたり……あの時と見る
景色は何も変わらない。
わたしは苦笑いをする。
何か女々しいぞ。未練だらけだ。
「市井ちゃん」
ふとわたしは後藤の言葉に我に戻る。
「え? 何?」
わたしは後藤に視線を移して言った。
- 25 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月10日(火)18時04分36秒
「歌のベンキョーはしてるの?」
チクッと胸に刺さる言葉。
後藤の顔は相変わらず無表情。
「……してるよ」
わたしの言葉に後藤は、ふーんと頷いた。
「……どんな?」
「はあ?」
わたしは声を上げる。
「どんなベンキョーしてるの?」
「どんなって……色々だよ」
「……色々って?」
「色々って……だから詩を作ってみたりさ、そう言うの」
「ふーん」
多分、後藤には何の興味も無いのだろう。ただ沈黙が嫌だったから適当
に出てきた言葉。そんな感じがした。
- 26 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月10日(火)18時08分58秒
しかしその後、後藤に気を使ってわたしは色々と喋ってみるが沈黙を作
ろうとしているのは、逆に彼女の方だった。わたしの言葉を、うんとかふ
ん、などと簡単に返す。その返事の奥には何かとげとげしい物を感じてし
まったわたしは、何時の間にか黙り込んでいた。
そう、今日会ったときから後藤とはこんな繰り返しばかりだった。
わたしを慕ってくれて、甘えてきてくれた後藤はそこには居なかった。
あの頃からもう一年も過ぎ様としているのだから、当たり前かとわたし
は胸の奥が痛むたびに言い聞かせた。
もう、あの頃の後藤はいないんだから。
車内には重苦しい空気がただ流れるだけだった。
- 27 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月10日(火)18時11分13秒
◇
「ごめんね、圭ちゃん」
わたしは靴を脱ぎながら目の前に居る圭ちゃんに向かって言った。
「何言ってるのよ……遠慮しないで上がりな」
わたしはうん、と頷いて部屋の中に上がりこんだ。
玄関を抜けると真っ直ぐに居間があった。赤い絨毯が敷き詰められてい
て、丸い小さなテーブルが中央に位置している。そのすぐ横にはソファ。
テレビはその向かい側にあった。
まだわたしがモーニング娘を続けている時に何度か来た事があるが、そ
の時より心なしかサッパリとしているような気がした。
- 28 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月10日(火)18時12分32秒
「部屋片付けたの?」
うん、と台所でお茶を汲んでいる圭ちゃんの声がする。わたしは荷物を
適当に置くとソファに腰を下ろした。
部屋を見渡して思う。わたしの散らかった部屋とは大違いだ。なんだか
漂っている空気も、新鮮に思えてくる。
お茶を汲んできた圭ちゃんがテーブルにそれを置くと、わたしの向かい
側に座って息をついた。
「元気そうね。少し大人っぽくなった」
わたしはお茶を啜りながら苦笑いをした。
「何? 誉めても今のわたしはビンボーだよ」
「あんたはプータローだからねぇ」
「何気にひどい事言うね」
わたし達はクスクスと笑い合う。
- 29 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月10日(火)18時15分21秒
時刻は夜の十一時を回っていて、ご飯は適当に外で食べてきた。圭ちゃ
んには電話を入れて置いたため、テレビの横にあるごみ箱にはコンビニの
弁当の殻が一つだけ捨てられているのが見える。
「本当に、迷惑かけてごめん」
「迷惑じゃないよ」
圭ちゃんはリモコンを握ると、テレビの電源を入れる。映った番組は何
かのバラエティーだった。
「でもビックリしたよ」
「何が?」
「あんたがごっちんの付き人するなんてさ」
わたしは苦笑いした。
「わたしもビックリした」
「どう? 勉強にはなったの? まあごっちんから学ぶ物なんて紗耶香
には無いでしょう? 教育係だったんだから」
そう、圭ちゃんはわたしが勉強の一環として後藤の付き人をしていると
思っている。現にわたしはそう言う風に言った。まさかストーカーから後
藤の身を守るためにやってきた、と言うような説明よりもそのほうが簡単
に話が通ると考えたからだ。
それにわたし自身、ストーカーと言う怪しい理由に納得していないと言
う事もあった。
- 30 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月10日(火)18時16分43秒
「そうでもないよ」
わたしは言った。
「きちんと挨拶してるし、ちゃんと芸能人ぽかった」
「芸能人なんだよ」
圭ちゃんは笑いながらそう言うと、おもむろに立ち上がって台所に消え
ていった。どうやら簡単なものを食べ様としているらしく、袋を漁ってい
る音が耳に届いてきた。
- 31 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月10日(火)18時18分02秒
わたしは数日間圭ちゃんの家に泊まらせてもらうことになっていた。ま
さかホテルに泊まるお金も無いし、和田さんや事務所の方からはそう言っ
た予算は出してくれない。まあ期待していたわけではないのだが、その対
応で嫌でも今のわたしは部外者なのだと思い知らされた。
そして目を付けたのは圭ちゃんだった。
圭ちゃんとは今でもメールや電話をする仲だし、第一メンバーの仲で一
番気が合った。後藤のスケジュールに合わせる都合でも、プッチとモーニ
ングの両方に所属している彼女はあらゆる面で都合が良かった。
でも多分一番の理由は、わたし自身、圭ちゃんと一緒に居たかったから
だ。
- 32 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月10日(火)18時19分37秒
圭ちゃんはお菓子を持ってきてそれをテーブルに広げた。太るよ、とわ
たしが忠告すると彼女はまだ十二時過ぎてないから大丈夫、と笑った。
「ごっちんの新曲はもう聞いたの?」
圭ちゃんの言葉にわたしは頷いた。
「うん、今日収録の時に歌ってた。ちゃんとした歌だったね」
「ちゃんとした歌ってどう言う意味よ」
わたしは笑いながらお菓子を口の中に入れる。
わずかな沈黙が開いて、わたしは異様な心地よさを感じていた。まるで
自分の家にいるかのように、それでも確実にあの散らかった部屋ではない、
昔の希望だけがあった部屋。
そこに居るような感覚がした。
わたしはぽつりと呟いていた。
- 33 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月10日(火)18時21分01秒
「後藤、綺麗になってたよ」
今日彼女に会ったときのことを思い出して、わたしはいった。
黙ったまま言葉を待つ圭ちゃん。
「後藤ってもうすぐ高校生だっけ? 初めて会ったときはまだ中二だっ
たのにね……夏になったらもう二年も経つんだよ」
わたしは言葉を口にしながら、今日の後藤の事を思う。
「紗耶香……」
圭ちゃんはわたしを見ている。多分、何が言いたいのか何となくわかっ
たが、わたしの口は止まらなかった。
「何か、あの時は可愛いって感じだったじゃん。それだけ時間が経とうと
しているんだから後藤だって変わるよね。歌っている時なんかさ、もうプ
ロ意識の塊って感じで……とても綺麗だったよ」
- 34 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月10日(火)18時22分29秒
多分わたしは自分に言い聞かせていたんだ。
後藤が変わって当たり前だと、その言葉を強調する事によってわたしは
自分を守っていた。
今日の後藤の対応。
どこか冷たく、その一言一言に胸が痛む。
それら全てをわたしは、後藤が変わって当たり前、と言う言葉で片付け
様としていた。
ふと気が付くと部屋にはテレビの音しか聞こえていなかった。
圭ちゃんはゆっくりと立ち上がってわたしに言った。
「……お風呂沸いているから入りなよ」
わたしの言葉が無かったかのように、圭ちゃんは言った。
「……ありがとう」
圭ちゃんはにっこりと笑うとわたしにバスタオルを渡した。
- 35 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月10日(火)18時24分05秒
◇
その夜、わたしは布団の中に入ってため息を付いた。
心には重いものがのしかかる。
横ではベットで圭ちゃんが既に寝息を立てていた。静かに時計の秒針と
交互に聞こえる彼女の息。そして時々それに混じるわたしのため息。
明日、大変だからもう寝ようか。
圭ちゃんのその一言でわたし達は布団の中に入った。少しの間だけ二人
で会話をしたが、どこか途切れ途切れになってしまう。多分、彼女はわた
しの気持ちに気が付いているようだが、深くは入ってこようとはしなかっ
た。
- 36 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月10日(火)18時25分08秒
昔の圭ちゃんなら、優しい言葉をかけてくれただろう。
多分、昔とは違くなっているのだ。わたしの時計はあの時からまったく
動こうとしないが、逆に後藤や圭ちゃん、そしてメンバーの中の時計は人
の倍のスピードで今でも動いている。
置いていかれちゃったか。
そう思うたびに、胸には重いものが押し寄せる。
明日はメンバーと会わなくては行けない。
今のわたしにメンバーと会う勇気など無かった。
わたしと彼女達の出来た溝を感じるのが怖かった。
わたしはまた思う。
どうしてここに来てしまったのだろう?
- 37 名前:訂正 投稿日:2001年07月10日(火)18時49分21秒
- >33
「……夏になったらもう二年も経つんだよ」
じゃなくて一年でした。すいません
- 38 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月10日(火)18時55分19秒
- うわ・・おもしろい。漂う哀愁が何ともいえない。
でも二年でいいんじゃ?
- 39 名前:訂正の訂正 投稿日:2001年07月11日(水)06時40分29秒
すいません。二年でOKでしたね。
>38さんありがとう。
- 40 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月13日(金)04時28分57秒
「紗耶香ぁ!」
一番に声を上げたのは矢口だった。
まるで楽屋にわたしが入ってくるのを知っていたかのように、一歩足を
踏み入れた瞬間に声を上げていた。
メンバーが一斉にわたしに視線を向ける。
みんな驚いた顔をしている。横にいる圭ちゃんは何事もなかったかのよ
うにわたしから離れて楽屋の中に入った。
「どうも、市井紗耶香でーす」
わたしは苦笑いをしながら頭を下げた。
- 41 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月13日(金)04時30分19秒
電車で圭ちゃんと共に移動する時から、わたしは緊張で胸が一杯だった。
何度もため息が出て、その度に心配ないよ、と同じような言葉で励まして
くれた。
別にメンバーが恐かったわけではない。
ただ、会いたくなかっただけ。
電話やメールで接する分には、全然平気だった。しかし顔を合わせると
なると、そこにはわたしが時間を止めてからも走りつづけているメンバー
達がいる。やはり引け目があった。
- 42 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月13日(金)04時31分48秒
「そっかぁ……勉強しに来たんだっけ?」
矢口は楽しそうに声を上げてわたしの元に近づいてきた。小さい体には
収まりきらない勢いがわたしを刺激した。
「相変わらず小さいね……短い間だけど、お邪魔します」
「小さい余計だゾ」
まだ集合時間から三十分も前だ。メンバーは全員揃っているわけではな
かったが、予想道りわたしはみんなの質問攻めに合い、適当に笑い合った。
それでも、やはり二年間一緒に活動をしてきた仲間だ。わたしの気分は
その間だけ軽くなっていた。
祐ちゃんの脱退の話し、新しくゴールデンでレギュラーを持つ話し、数
ヶ月後に始まるミュージカル。
忙しそうだけど、とても充実していそうだ。
- 43 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月13日(金)04時33分15秒
それから数分して小さい二人がやってきて、楽屋はうるさくなる。そし
て眠そうななっち。みんなわたしを笑顔で迎えてくれた。
しかし、ふと気が付くと後藤がまだ来ていない。
「後藤は遅刻癖まだ治らないの?」
わたしは矢口に聞いた。彼女は笑顔を崩さないまま言う。
「ソロが忙しくて寝坊してるんじゃない?」
「まだ中学生なのに大変だね」
何気なくそう口に出すと、彼女はほんの一瞬だけ顔を引きつらせたが、
すぐに無邪気な笑顔に戻して言った。
- 44 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月13日(金)04時35分07秒
「あの子は期待されているからね」
あの子?
自然に出た彼女の言葉に、わたしは突っかかる物を覚えた。
まるで突き放すように、仲間ではない人物のような言い方に思えた。し
かし矢口の発言に周りの者は自然な顔をしている。前からみんなの中では
当たり前の事だったみたいに、何の反応も無かった。
一瞬だけ、胸の奥に何かが引っかかる。
多分、昨日の後藤の事を思い出してしまったからだろう。
わたしの知っている後藤とは変わってしまった姿と態度。それなのにメ
ンバーは、外見は変わってはいるもののその仕種や表情はあの頃のままだ。
その中で後藤は一人だけ浮いてしまっているのではないだろうか?
それともあの態度はわたしだけなのだろうか?
苦笑いをしてわたしは思った。
考え過ぎ、か。
- 45 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月13日(金)04時38分38秒
小さな歓迎会は、リハーサルの時間が迫ってくる頃にはもう終わってい
た。元々あまり親しい訳ではない、四人組みは各々でカップルになって話
をしていたし、裕ちゃんは何やらスタッフの人達と打ち合わせしている。
なっちやカオリは台本に目を通し、圭ちゃんは一人雑誌を読んでいた。
しかし矢口だけ、わたしの隣に座って楽しそうに話しかけてきていた。
まぁ元々仲の良かった一人ではある。彼女が忙しくなって連絡は途絶え
気味ではあったが、こうして顔を合わせるとブランクが無かったかのよう
に距離を縮めてくる。それが彼女の魅力でもあった。
「……おはようございます」
その時、消えてしまいそうな弱々しい声と共に後藤が入ってきた。
- 46 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月13日(金)04時41分05秒
「あ、おはよう」
わたしは気が付いて声を上げる。
一瞬後藤と目が合ったが、すぐに彼女は視線を変えて楽屋の奥のほうに
歩いていった。
メンバーからの挨拶は無い。
話しかけるものも居ない。
後藤はそれが当たり前だと受け止めているようで、奥のパイプ椅子に座
ると、MDを取り出して一人の世界に入り込んでいた。
多分、気のせいであって欲しい。
後藤が楽屋に入ってきた瞬間だけ、重い空気が流れた事。
わたしは楽屋を見渡して、メンバー達を見た。
彼女達は何事も無かったかのようにまた雑談を始めた。
まるで後藤が入ってきた事さえ忘れされた様に、数秒前と変わらない景
色と声。
- 47 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月13日(金)04時44分43秒
「それでね紗耶香――」
矢口も何事も無くわたしに話しかけてきた。
「矢口……」
わたしは呟く。
これは何?
どうして後藤の挨拶に誰も返さないの?
どうして後藤は誰にも話しかけないの?
ねえ、これは一体何なの?
そう声に出したかったが、わたしは喉までこみ上げたものを飲みこんだ。
- 48 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月13日(金)04時49分08秒
わたしの勘違いかもしれない。
わたしが知っているメンバーがそうであるはずが無い。
しかし、楽屋の奥では黙ってMDを聞いている後藤が、確かに存在して
いる。
自分の存在を消そうとしているかのように、肩を狭めて、目を閉じて、
黙り込んでいるその姿がある。
でもわたしはその存在に気がついているのに、その間、後藤に話しかけ
ることは無かった。
何故か話しかける事が出来なかった。
「でね、紗耶香――」
矢口の口調は何も変わらなかった。
- 49 名前:名無し読者 投稿日:2001年07月14日(土)03時02分07秒
- 孤立無援の後藤を救えるのは市井しかいない!!
頑張れ市井ちゃん!!
- 50 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月15日(日)03時57分52秒
収録が始まっていた。
何かのスペシャル番組らしい。最近出たモーニング娘関係の新曲を全て
歌っている。歌っている時もトークの時も、メンバーは笑顔を絶やさない。
みんないつものように振舞っていた。
わたしが脱退してからテレビで目にするメンバー達と何も変わらない。
その中では後藤も番組に参加しているし、さっきの楽屋のように一人の
世界に閉じこもってはいない。まあ、全国に流れるテレビだ。もうプロ意
識がある後藤がそんなマネをするとは思えないが。
わたしはさっきの楽屋よりメイクアップされているメンバーにみとれ
ていた。
後藤のソロの収録でも思ったが、数十分前とはうって変わっていったメ
ンバーが羨ましく思える。
- 51 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月15日(日)03時59分48秒
それに比べてわたしは帽子を深くかぶって、スタッフさん達とも離れた
場所にたたずむだけ。女の子なのだから、綺麗になったメンバーを見てい
るだけと言うのは、少し悲しい。
照明の中で楽しそうに笑っている彼女たちをみて、わたしはまた憂鬱に
なる。
わたしもあの場所にいたんだ。
目の前にしている距離はそんなに離れているわけではない。簡単に歩い
て、あの光が差す世界に行けるのだ。そう数メートル先。たったそれだけ
の距離。
それなのにとても遠い。
- 52 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月15日(日)04時00分50秒
きっと今のわたしにはあの場所に歩く事も出来ない。後悔ばかりしてい
るわたしには、その場所に立つ事は出来ないんだ。
悔しいと言う感情は無かった。
ただ、情けなかっただけ。
今のわたしには、人に何かを伝えようとする力も魅力も無いだろう。あ
の散らかった部屋で、埃にまみれていくギターと一緒で、わたしも重く沈
んでいった。
誰からも触れられず、見られず、埃が体を埋めていく。
そんな自分が情けなかった。
- 53 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月15日(日)04時02分14秒
◇
テレビの収録が終わってからも、まだ彼女達の仕事は続いていた。
わたしはちょこちょこと後ろを着いて回るだけ。出来るだけ邪魔になら
ないように、出来るだけメンバーに気を使わせないように、そう言う思い
だけで自分の居場所を確保しようとしていた。
でも実際わかっていた。もうわたしにはここに居場所など無い事を。
それでもモーニングの忙しさに、わたしは余計な事を考えずにすんだ。
こうして着いて回っているだけで大変なのだ、メンバーのことを考えるだ
けで気が遠くなってくる。
昔は自分がその立場だったのにね。
後藤は相変わらず、控え室などでは一人になる事が多かった。時々吉澤
などか話しかけてはいたが、会話のキャッチボールは後藤自ら拒否してい
るのだと、遠目でもわかった。
仕事が全て終わったのは、夜中に近づく頃だった。
- 54 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月15日(日)04時03分43秒
「お疲れ様」
誰となくそう言うと、ホッとした空気が流れる。
事務所に一度集まりみんなが帰りの用意をしているのを、ボケッと眺め
ていると矢口が満面の笑みを浮かべて近づいてきた。
「紗耶香! この後ヒマっしょ?」
わたしを見上げながらそう声を上げる。さっきまで疲れていた様子など
今は無い。
「何か食べに行こうよ。久しぶりにさ、色々と語ろーぜ」
あ、それならわたしも行く、と言いながら何人かのメンバーが話しに乗
ってきた。わたしは苦笑いをしながら謝る。
「ごめんね」
わたしがそう言うと、矢口の表情が曇る。
- 55 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月15日(日)04時04分58秒
「何だよー、プータローなんだろー」
「プータローゆうな」
「じゃあ何だ? カレシか?」
わたしは首を横に振った。
「違うよ。後藤を送るんだよ」
何気なくそう言った言葉に、部屋の中の空気が一瞬凍ったのに気がつい
た。もちろん矢口の表情も変わる。
- 56 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月15日(日)04時06分42秒
「どうしてそんな事しなきゃいけないさー」
「頼まれているからさ……だからごめんね」
わたしがそう言うと、何人かのメンバーから落胆の色が見えた。でも一
番落ち込んだのは矢口だ。
「……市井ちゃん」
話を離れた所から聞いていた後藤が、か弱い声で言った。
「あたしの事は別にいいよ……」
後藤はそう言って鞄を持ち上げた。どうやら一人で帰ろうとしているよ
うだ。
しかしわたしの本来の仕事は、ボディガードである(いまだに納得して
いなくても)。後藤をそのまま一人で帰すわけには行かなかった。
「そう言っているんだからさ、紗耶香が気にする事じゃないよー」
「いや……本当にごめん」
苦笑いをしながらまた謝った。
- 57 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月15日(日)04時08分10秒
わたしの気持ちが変わらない事を悟ると、矢口は唇を尖らせて不満そう
な顔をした。
後藤が鞄を持って出て行こうとするところを、わたしは手を伸ばす。
「後藤、疲れているでしょう、わたしが持つよ」
「いいよ……そんなことまでしなくても」
しかしわたしは強引に鞄を奪った。後藤は迷惑そうな顔をしていたが、
呟くように、ごめん、と言った。
「じゃお疲れでし――」
「ごっちんはいいよね」
わたしが挨拶をしようとする言葉に、矢口が被せてきた。
- 58 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月15日(日)04時09分31秒
「矢口……?」
矢口は顔を下げたままで、その表情を伺う事が出来ない。しかし逆にそ
れに救われたのかもしれない。
メンバーの動きが止まっていた。どこか諦めとも似た空気が流れる。し
かしそれが何に対して諦めているのかわからない。
「後藤は期待の星だからね、全部持っていくんだ」
それはとても尖った皮肉。
- 59 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月15日(日)04時11分10秒
「矢口、何を……」
矢口の声は冷たく鋭かった。まるで手を触れるだけで、確実に切れてし
まいそうな、そんな声だった。
後藤は顔を下げたまま何も言わない。
もちろん他のメンバーも何も言わなかった。
静かな静寂が訪れる。
一瞬にして刺々しい空気が流れた。
わたしがモーニングにいた時はこんな空気など流れた事はなかった。も
ちろん喧嘩などもあったし、重くなる時もあった。それでも必ず誰かがフ
ォローしていたし、喧嘩した本人達もすぐに謝った。
だからこんな空気など感じた事がない。
「あたしたちが大事にしようとするものも、全部持って行っちゃうんだ」
矢口は依然として顔を下げているが、その声はとても冷たかった。
「ちょ、ちょっと矢口……」
わたしがそう声をかけた時、素早く後藤は鞄を奪い去って部屋から飛び
出していった。
「後藤ッ!」
- 60 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月15日(日)04時12分48秒
わたしは声を上げる。
しかし後藤は足を止める事はなく、足音がどんどん遠のいていった。
わたしは矢口を見てから少しだけ迷い、後藤を追うことにした。
部屋を出て行く時、気のせいかもしれないがメンバーはホッと息をつい
たような気がした。それが後藤が出ていった事に対してなのか、わたしが
後を追ったことに対してなのかはわからない。
廊下を走り抜けて、事務所の外に出ると冷たい空気が体を刺した。わた
しは袖で手を隠すと辺りを見渡す。
車が目の前を通っていき、ヘットライトが次々と踊る。
ガードレールに沿いながら歩道を歩いていくと、事務所からそう離れて
いない場所で後藤が顔を下げて立ち尽くしていた。
- 61 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月15日(日)04時13分55秒
「後藤……」
わたしはそっと後藤の肩に手を伸ばす。
「行けば良かったじゃん」
彼女はそう言ってわたしの手を払った。
「後藤……」
「みんなと会うの久しぶりなんでしょ? だったら行けば良かったじゃ
ん」
後藤は振り返らない。彼女の背中はとても小さく感じた。
「そう言うわけには行かないの……わたしは頼まれているんだから」
そう言うと後藤はゆっくりと振り返る。その顔はいつものように表情は
無かった。
- 62 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月15日(日)04時14分58秒
「市井ちゃんって矛盾の塊だよね」
「なにそれ?」
「そう言う意味」
「全然わかんないや」
「後藤は分っているからいいの」
「ふーん」
わたしはそう言うと、後藤の手から鞄を取った。
「帰ろっか」
後藤は何も言わずにわたしの後ろを歩いてきた。
- 63 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月15日(日)04時17分42秒
タクシーの中、後藤は窓の外を見て黙り込んでいた。
窓から時々入る街中の光が彼女の髪を茶色く表す。黙ったまま外を見て
いる彼女の顔を見ながらわたしは思った。
メンバーはどうしてしまったのだろう? どうして誰も後藤の事を庇
おうとしないのだろうか?
彼女は嫌われているの? 後藤が一体何をしたんだろうか?
そう考えて、わたしは思いついた。
ソロデビュー、か。
多分、それだけじゃないのだろうが、確実にそれが理由に挙がるのは確
かだ。歌を唄いたくて入ったメンバー達。ソロデビューは確かに目指すも
のなのかもしれない。事実わたしもそうだった。
- 64 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月15日(日)04時19分23秒
後藤はあらゆる面で恵まれていただろう。全てがライバルだと言うメン
バー内で、優遇されつづけてきた後藤への不満が溜まっていったのかもし
れない。
そして多分、メンバーもおかしくなっているんだ。
ただでさえこの仕事量。ライバルで仲間だと言う関係。その他諸々の売
上の事や雑誌などでの中傷。業界でやっていくだけでもプレッシャーが常
に付きまとうのだ。普通なら耐えられるはずがない。
「市井ちゃん」
ふと後藤が喋りかけてきた。
「なに?」
わたしは呟くように答える。
- 65 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月15日(日)04時20分42秒
しばらく短い間が開くと、後藤はゆっくりと言った。
「……脱退するってどんな感じ?」
後藤の目線は変わらない。外を見たままだ。
「……裕ちゃんの事?」
「…………」
黙り込む彼女。
わたしはため息を付いた。
「……後藤、疲れているんだよ」
「…………」
「今日は速く寝るんだよ……少しでも体を休めなさい」
「…………」
後藤からの返事は無かった。
- 66 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月15日(日)04時23分20秒
- ◇
後藤を送った後、圭ちゃんの家に帰ってきた。
圭ちゃんとはさっきの出来事について話そうとは思わなかった。多分そ
んな事をしても意味がないだろうし、余計な波風が彼女との間にできる事
は避けたかった。
圭ちゃんがお風呂に入っている間に、テレビではモーニング娘が映って
いた。わたしは何気なくそれを見ながら考える。
- 67 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月15日(日)04時25分03秒
わたしがどうして呼ばれたのか、今日でわかった気がする。
ストーカーからではなく、ただたんに後藤を守るためだったのだ。後藤
が脱退するかもしれないと言う危うさが、事務所は気がついたのかもしれ
ない。それでなくともメンバーといる時の後藤の立場は、嫌でも目がつく。
だからその現状を何とかしたかったのだろう。
そしてわたしに白羽の矢が立った。
教育係だったわたしなら、何とかできるのではないかと思ったのだろう。
だから適当なストーカーなどと言う理由を使ったに違いない。
でもわたしには無理だ。
今のこのわたしにそんな大役など荷が重過ぎる。
現に後藤と会うことも、メンバーに会うことも怖いと言うのに、その関
係を何とかするなんて考えられない。
- 68 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月15日(日)04時26分27秒
みんなおかしいんだ。
メンバーも後藤も、そしてわたしも。
みんなおかしくなったんだ。
そう思うと、テレビの中で笑っているメンバーの笑顔が凄く、うそ臭く
感じた。
でも、きっと一番うそ臭いのはわたしだ。
嘘で身を包んだわたしだ。
- 69 名前:フセフオ、キニノシヤ 投稿日:2001年07月16日(月)00時51分02秒
- オラ。ケ、ヒ・、・、コノハ、ホヘスエカ、ャ。ト
- 70 名前:名無し読者 投稿日:2001年07月16日(月)00時52分24秒
- 久々に大作の予感
- 71 名前:名無し読者 投稿日:2001年07月16日(月)03時58分40秒
- うわぁ〜、面白いですなこの小説。
微妙にリアリティがありそうで怖い。(w
- 72 名前:名無し読者 投稿日:2001年07月16日(月)05時10分45秒
- おもしろい……
作者さん、マイペースで頑張って下さい
- 73 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月21日(土)03時43分24秒
- ゆず・・・。
- 74 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月21日(土)09時14分28秒
「あんた本当にわかってんの!」
スタジオに圭ちゃんの声が鳴り響いた。
たまらず肩をすくめる後藤。その二人の中間辺りにいた吉澤さえも驚
いた様子で口を堅く閉じていた。
プッチのラジオの収録終わり。スタッフさんたちがわたし達をちらち
らと見ていたが、すぐに席を外してくれた。取りあえずそれなりの期間
続けている番組だ。スタッフさん達は圭ちゃん達の事を理解しているよ
うだ。
わたしは黙ったまま圭ちゃんの後ろから様子を伺っていた。自分もス
タッフさん達と一緒に立ち去れば良かったな、などと少し思ったりもし
てみたが、その場の空気はわたしの些細な考えも不謹慎になるだろう。
圭ちゃんが怒る事はなんとなく予想していた。
- 75 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月21日(土)09時15分44秒
だから、彼女が後藤を呼んだ時、ああやっぱり、という思いだけで直
接関係ない吉澤がびっくりしているような反応はわたしにはなかった。
それほど、今日の収録の後藤はボロボロだった。
収録の時、わたしはガラス越しに喋っている彼女達をマネージャーと
共に見ていたのだが、スタジオに鳴り響く三人のお喋りには、いつもの
元気良さを感じなかった。
それは主に後藤に原因があった。
- 76 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月21日(土)09時17分43秒
話しを降られても答えない、進行の段取りを忘れてしまっている、他
の人が喋っていても相槌さえも打たない。
ガラス越しにでも圭ちゃんがイライラとしているのが、わかったのだ
から、直接接している吉澤や後藤がそれに気がつかないはずが無い。し
かしやはり予想していたとは言え、目の前で怒られると萎縮してしまう
ようだ。
「……ごめんなさい」
後藤が消えそうな声で謝った。
しかしそれが反省していると言う感じではなく、ただ口に出してみた
だけだと言う事は、熱を上げている圭ちゃんでも気がついたらしい。
「謝るんだったらはじめっからそう言う事しないでよ!」
ふとその時、わたしは後藤と目が合った。
ほんの一瞬だけだったが、すぐに彼女は視線を床に向けた。
ため息をつく。
収録中、わたしは何度も後藤と目が合った。
まるで小学生が好きな子と授業中に目が合ってしまう感じで、すぐに
彼女はわたしから視線を逸らす。その度に圭ちゃんはイライラしていた
ように思えた。
- 77 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月21日(土)09時19分50秒
わたしが原因なのかな?
さっき目が合ったときに思った。
一度やめた人間が目の前に現れたのだ。落ち着かなくなって当たり前
だろう。それに昨日の事だってある。
「あ、あの……ごっちんも謝っている事ですし……保田さん」
吉澤が恐る恐る声をかける。どうやら後藤を庇っているようだった。
圭ちゃんは睨みを効かせた目で吉澤を見たが、今日の収録ではまった
く悪いところが無かったため何も言えないようだ。
言葉が詰まった圭ちゃんは後にいるわたしに振り向くと言った。
「ちょっと紗耶香からも何か言いなさいよ」
「え? わたしが?」
「元教育係でしょう」
って言われてもねぇ。
わたしは頭を掻きながら考える。
部外者のわたしが何か言ったところで、それは本当に意味があるのだ
ろうか? それに今のわたしが後藤に何が言えるだろう?
自分より確実に頑張ってきた後藤に、何かを言う事はわたし自身が惨
めになるような気がした。
顔を下げていた後藤とまた目が合う。わたしは困ったように苦笑いを
してみた。
「後藤も反省してるみたいなんだから……もういいんじゃないかな?」
「……本気で言っているの? 紗耶香」
圭ちゃんが呆れた視線を向けて言った。
その視線は確実にわたしの胸を刺した。
それでもそれが顔に出ないように、わたしは気を使った。
- 78 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月21日(土)09時22分07秒
「もう過ぎた事だよ……次から頑張ってもらえばいいじゃん」
圭ちゃんは少しの間黙っていたが、ぽつりと呟いた。
「……あんた変わったね」
「…………」
わたしは黙り込んだ。
しばらくの間誰も喋らない時間が続く。
誰もが顔を下げて、何を口に出していいのか分らない。浮かんだ言葉
さえ、場違いなのではないだろうかと考えていた。
しばらくして、その空気が耐えられなくなったかの様に後藤がスタジ
オを飛び出していった。
「ごっちん!」
吉澤が声を上げる。
彼女はしばらくわたしと圭ちゃんを交互に見ていたが、すぐに後藤の
後を追っていった。
- 79 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月21日(土)09時24分12秒
圭ちゃんと二人きりになる。もちろんどちらも沈黙のままだ。
後藤が出ていったドアを見る。
わたしは彼女の後を追う事は出来ない。自分と後藤との間には、大き
な時間の溝がある。
常に前を見て走りつづけてきた後藤の時間と、後ろばかりを見ていた
わたしの時間。
そんなわたしは彼女の後を追う資格など無いのだ。
少しだけ、吉澤が羨ましくなった。
- 80 名前:名無し読者 投稿日:2001年07月23日(月)00時25分07秒
- いいっすねえ…この暗い感じがいちごまオタを萌え〜っと
- 81 名前:名無し読者 投稿日:2001年07月23日(月)03時21分32秒
- 市井には後藤の教育係だったころの自信を取り戻してもらわねば!!(w
- 82 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月24日(火)04時25分29秒
プッチの仕事はまだ続いた。
ラジオの収録が終わると雑誌の取材。何社も無難にこなしていく彼女
達を離れた場所から見ていたが、少なからずさっきの出来事を後藤は引
きずっているらしい。吉澤には別だが、圭ちゃんとはどこかよそよそし
かった。まあ、わたしがその現場にいたと言う事があって、そう見えて
しまっている事も否定できないだろう。普通の人が見て、違和感がない
ように後藤は振舞っている。
偉いな、と思うと同時にかわいそうになった。
確実に仕事の時は別の顔を作らなければ行けない。もちろん当たり前
の事なのだが、まだ中学生にそれをやらせるのは酷のような気がした。
- 83 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月24日(火)04時27分15秒
そう考えてわたしは気がつく。
そう思っているのは、わたしがこの業界から抜けたせいか。
昔だったら当たり前だと確信していただろう。何万人の目に晒される
のだ。それぐらいのことが出来ないで、何がプロだと思っていた。
――あんた変わったね。
圭ちゃんの言葉を思い出した。
わたしから、何か一言後藤に注意をしたほうが良いのかもしれない。
ラジオの収録で圭ちゃんが言っていたことは間違っていなかった。時間
を見つけて、後藤にその事を分かってもらおう。
- 84 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月24日(火)04時28分45秒
しかしそう思っていても次のテレビの待ち時間、後藤の横には吉澤が
ぴったりと付いて、その機会をうかがうことが出来なかった。
わたしは部屋の隅に座りながら、彼女達を見る。
二人は楽しそうに笑い合っていた。
確か吉澤とタメだっけ。
わたしは思ってみた。
本当に仲が良いのだろう、圭ちゃんの説教の時、後を追ったのも彼女
だった。
孤立してしまっている後藤の唯一の理解者なのかもしれない。メンバ
ーといる時は周りに気を使って話しにくいのだろうが、プッチとなると
それも無くなる訳だ。
- 85 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月24日(火)04時29分59秒
何となくわたしは嫉妬らしきものを感じていた様だ。
何だか居辛くなったわたしは、おもむろに立ち上がって楽屋から出た。
まだ収録時間には時間がある。その頃になったら戻ってくれば良いだ
ろう。
それともわたしが戻らなくても、何の支障は無いか。
楽屋を出て、長い廊下を適当に歩く。すれ違う人達に気を使って、顔
を下げながら自分の存在を消そうと思った。
わたしは何て場違いな場所にいるのだろう?
考えたくなくても、どうしてもそう思ってしまう。
「市井さん!」
- 86 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月24日(火)04時31分13秒
その時、わたしを呼ぶ声がして後に振り返った。そこには小走りで近
づいてくる吉澤の姿があった。
「どうしたの?」
わたしがそう言うと、彼女は目の前で立ち止まり少し戸惑った顔をし
た。
「……どこに行くんですか?」
「どこって……その辺をぶらぶらっと」
「……そうですか」
吉澤は顔を下げてまた何か迷っている表情をした。
多分遠慮しているのだろう。わたしと吉澤はそんなに仲が良い訳では
ない。それでなくとも彼女からは、わたしは先輩にあたるわけだ。
わたしは黙ったまま彼女の言葉を待とうと思った。もちろん横を通り
過ぎていく人達の視線は気になったが、それに困るのはわたしではない。
みんな吉澤を見ていた。だから、わたしが市井紗耶香だと気がついてい
る人は、多分いないだろう。
- 87 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月24日(火)04時32分13秒
「市井さんは……何しに戻って来たんですか?」
ぽつりと吉澤が呟く言葉に、またわたしはキズを付けられる。
しかし何事も無かったような顔をして、わたしは言葉を返した。
「何しにって……勉強だよ。そう言う風に聞いてない?」
「聞いていますけど……」
わたしは頭を掻きながら言った。
「何だろう? 別に迷惑かけてるつもりはないんだけど……」
多分吉澤はこのことが言いたいのだろうと思った。わざわざ追いかけ
てまで、言う意味が彼女にはあるのだろう。
- 88 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月24日(火)04時34分03秒
吉澤はつぶやいた。
「かけてますよ……」
わたしは少しの間を空ける。
「……どんな?」
「……ごっちんの心を乱してる」
「なんだそれ?」
わたしは言った。
乱れているのはわたしの方だよ。
しかし吉澤の表情は変わらない。どうやら本気で言っているらしい。
わたしはため息をついて言った。
「後藤は普通なんじゃないの? わたしは離れていたから分からないけ
ど、昨日のメンバーは誰も不思議な顔はしてなかったよ」
吉澤は顔を下げたまま、何度も首を横に振った。まるで聞き分けのな
いような子供の様で、わたしより大きいのに頼りない感じに見えた。
- 89 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月24日(火)04時35分17秒
「違います。市井さんが現れてから、ごっちんは様子が変です。わたし
には分かるんです」
「……だから、わたしが何をしたの?」
「市井さんが居るだけで、ダメなんです」
「キツイこと言うね」
吉澤は謝らなかった。
「ごっちんは今大変なんです。ソロだってあるし、プッチもある。ただ
でさえこんなに忙しいのに、その上市井さんまで現れたらごっちん疲れ
ちゃいます」
吉澤の言っている事はある程度分かった。確かに彼女は今一番忙しい
だろう。疲れてしまうと言う事も分かる。でもどうしてわたしがその理
由の一つにならなければ行けないのだろうか?
- 90 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月24日(火)04時36分47秒
「吉澤の言っている事はよく分からないけどさ……まあわたしも気を付
けてみるよ」
「…………」
「後藤の傍からは離れられないんだ。わたしの勉強のこともあるし、頼
まれているからさ……だから、それを踏まえた上で、後藤の重荷になら
ないようにするよ……」
実際何をすればいいのか分からないが、吉澤の納得の行くような言葉
を選んでみた。うわべだけの言葉でも、彼女が満足すれば良い。そう思
った。
しばらくの沈黙が空いて、吉澤がわたしの言葉に満足したかどうかは
わからなかったが、彼女は黙り込んでいた。
わたしはさっきの楽屋での光景を思い出す。
後藤と楽しく笑いあっている姿。
ため息をつくと、わたしは小さく呟いていた。
- 91 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月24日(火)04時37分40秒
「吉澤は後藤と仲がいいんだね」
顔を下げている彼女は黙ったままその言葉を聞いている。
「後藤の事、ちゃんと考えてあげてるんだね」
「…………」
「たぶん、後藤は吉澤がいないとダメなんだよ。だから、いつまでも仲
良くしてあげてよ」
そう自分で言いながら、わたしは胸の奥にもどかしさを感じた。
- 92 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月24日(火)04時38分51秒
わたしでは、ダメだから……。
わたしには今の後藤は重いから……。
だから吉澤に押し付ける。
吉澤はちらりと腕時計を見てから、一瞬だけわたしと視線を合わせた。
しかしすぐに体を翻して楽屋に向かって小走りをする。
その際、彼女は小さい声で呟いた言葉が何故だか印象に残った。
言われなくても分かってます。
それはわたしに吐き捨てるような言い方だった。
- 93 名前:名無し読者 投稿日:2001年07月25日(水)03時12分21秒
- 後藤をめぐる攻防戦か!?(w
- 94 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月25日(水)15時01分11秒
テレビの収録もやはり後藤の笑顔は途切れたりして、番組中それが維
持することはなかった。
長い収録時間だ。確かにずっと笑っていられるものなんていないのだ
ろうが、センターに位置する彼女には、愛想笑いの一つでもしようと言
う自覚が感じられない。
圭ちゃんはもう注意することはなかった。それは明らかに諦めている
という事がわかって、わたしは密かに危機感を抱いた。
目に付くところはお互いに注意しあって、わたしたちは成長してきた。
どんなに納得のいくような収録でもレコーディングでも、次はそれ以上
を見せようと話し合ってきたのだ。
それなのに明らかに引っかかる後藤の態度に、注意も出ない。
それは次に期待していないような感じがした。
- 95 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月25日(水)15時02分17秒
テレビの収録で、この日の仕事は終わる。
お疲れさま、と挨拶が飛び交って、各々帰り支度をする。わたしは昨
日のように後藤を送るため、彼女と共にタクシーに乗り込んだ。
「お疲れ、後藤」
「…………」
後藤は返事を返さずに、いつものように頬杖をついて窓の外を見てい
る。
わたしは運転手に行き先を告げると、背もたれに寄りかかった。ずっ
しりとした疲れが体中を暴れ始める。
たぶん体が疲れていたわけではないようだ。ラジオの事など気を使う
ことがあって、神経的に疲労がたまっているみたいだ。
- 96 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月25日(水)15時03分14秒
わたしはちらりと後藤を見てから思う。
そう言えば今日一日彼女とは何も話していない。挨拶さえも無視され
た。
エンジンの振動を体に感じながら、流れる景色を見る。外はまだ肌寒
いが、確実に春が訪れようとしているのはわかった。
車から外を見ると、確かに存在しているはずの人たちも一つの風景の
ように思える。恋人と笑いあったり、携帯で話していたり、確かに生き
ているのに、まるで無機質なコンクリートの風景と同化してしまったよ
うに見えた。
車内にはラジオの音。
その他には私の体を揺らすエンジン音だけだ。
- 97 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月25日(水)15時05分24秒
わたしはもう一度後藤を見る。
ラジオの件にしても、あれから吉澤の存在が気になって後藤に何も言
えなかった。それにテレビ収録のこと。
圭ちゃんが諦めてしまって、多分他のメンバーも彼女に注意はしてく
れないだろう。
それならばわたしから何か言ったほうがいいのかもしれない。
そう言う思いは確かにあるのに、今になっても言えないのは、わたし
を確実に侵食している後ろめたさのせいだ。
わかっている。わたしには後藤を注意することができないことくらい、
自分が一番わかっている。
しかし周りを見ても、後藤に何か言って上げられるのも、わたししかい
ないと言うことも理解できた。
そのためにわたしはここに来たのだから。
わたしは小さく決意すると言った。
- 98 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月25日(水)15時06分42秒
「後藤……」
わたしの声に彼女は目線だけを向けた。
「あのさ……」
「…………」
彼女は黙ったままわたしを見ていた。しかしその視線は確実に決意を
揺らがせる。
言葉に詰まったまま、わたしは後藤の視線から顔を外した。
「……何でもない……ごめんね」
「…………」
また車内はラジオの音が支配する。
わたしは後悔で自分を締め付けた。
- 99 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月25日(水)15時08分36秒
後藤に言わなければいけないのに。注意をできるのはわたしだけなの
に。
今しか機会がないということはわかっていた。明日になってしまって
は、今日の事を注意するには時間が経ちすぎてしまう。
だから今しかない。
そうわかっているのに。
しかしわたしは後藤に話し掛けることができなかった。
タクシーは確実に目的地に近づき、後藤は降りる用意をしている。わ
たしは焦りだけを感じて、何もできない。
- 100 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月25日(水)15時09分43秒
目的地に着くと、ドアが開いて後藤がゆっくりと降りていく。外の冷
たい空気が車内に流れ込んできて、暖房で熱ったわたしの頭を刺激した。
「後藤ッ」
わたしは降りていく彼女に向かって声をかけた。
茶色い長い髪を手ですくいながら彼女は答えた。
「……なに?」
「あのさ……」
わたしはつぶやく。
「あの……あ、明日も大変みたいだから……」
「…………」
「だから……今日は早く寝るんだよ……」
わたしはそう言ってまた彼女から視線を外した。
しばらく黙ってわたしを見ていた後藤は、小さく、うんと呟いて車か
ら離れた。
- 101 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月25日(水)15時11分26秒
バタンッとドアが閉まる。
わたしは我に戻って顔を上げた。
タクシーはゆっくりと走り出して、わたしは身を乗り出して後ろの窓
から小さくなっていく後藤を見た。
彼女はしばらくわたしが乗っていたタクシーを見ていていたが、諦め
たように背中を向けて歩き出していた。
ダメだ。
このままじゃいけないんだ。
こんな小さなことなのに、今のわたしには大事なことだ。
このままじゃ、わたしも後藤もダメになる。
だからダメなんだ。
- 102 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月25日(水)15時12分32秒
わたしは声をあげていた。
「すいません! とめて下さい!」
わたしの声に驚いたようで、運転手はブレーキを勢いよく踏んだ。そ
の衝撃で体が前後に揺れたが、わたしは言う。
「すいません! ここで降ります!」
事務所から渡された交通費からお金を払って、わたしはタクシーを飛
び出す。冷たい空気に吐く息が白く出た。
タクシーがそのまま遠のいていくと、わたしは一本道を走った。後藤
の姿は見えている。充分間に合う距離だ。
「後藤!」
わたしは走りながら名前を呼んだ。彼女は一瞬ビクッと肩をすくめた
がゆっくりと振り返った。
息を弾ませながら後藤の前で立ち止まる。周りは商店街のようだが、
さすがにこの時間となると人はいなかった。
- 103 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月25日(水)15時13分44秒
「……どうしたの?」
後藤が不思議そうにわたしを見て呟いた。
一瞬冷たい風がわたしたちの横を通り抜ける。彼女の髪がパタパタと
なびくと妙に艶っぽい表情だとわかった。
わたしは息を整えながら言った。
「はは……久しぶりに走っちゃった」
「……運動不足だよ」
「……たったこれだけの距離で息が続かなくなるなんて、わたしも歳を
とったかな」
「市井ちゃん、オバさんみたい」
「自分が言うなら良いけど、他人に言われるとむかつくね」
「……だってその通りじゃん」
後藤はそう言ってわたしから視線を外す。
- 104 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月25日(水)15時15分38秒
静まり返った辺りに今ここにいるのは二人だけ。街灯の光だけでは全
体を照らすことはできないようだが、確実に目の前にいる後藤の姿だけ
は確認させてくれた。
「……どうしたの?」
後藤はまたつぶやいた。
わたしはゆっくりと彼女を見て言う。
「……なんか……言い忘れてたことが一杯あったんだ」
「…………」
「主にダメだしが二つほど」
後藤の目線は地面に向けられたまま。頼りなく鞄をつかむ力が強くな
っていることに気が付いた。
後藤だって何を言われるのかわかっているだろう。彼女だって自覚は
しているはずだ。
- 105 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月25日(水)15時16分56秒
それでもわたしは言った。
「一つはね……圭ちゃんが言っていることは正しいって事」
「……ラジオのこと?」
「……うん」
「…………」
「二つ目はね……もっと笑え」
「…………」
後藤は掴んでいた鞄を持ち上げて、胸の辺りで抱きしめた。まるで一
人で眠るのが心細い子供が、ぬいぐるみを抱いているようだった。
「……言われなくてもわかってるよ」
後藤はつぶやいた。
「……後藤」
「市井ちゃんに言われなくても、そんなの後藤にもわかってるもん」
「…………」
わたしは後藤を見て思う。
後藤ってこんなに小さかったっけ?
- 106 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月25日(水)15時18分12秒
目の前で鞄を抱いている後藤の姿からは、ソロで歌っているときのよ
うな雰囲気がない。吉澤と楽しそうに笑いあっている十五歳の雰囲気が
ない。
まるで小さな子供が怯えているような気がした。
「どうして……市井ちゃんに今更そんなこと言われなくちゃいけない
の?」
その言葉はわたしが一番気にしていることだった。
そう、今更わたしが後藤に何が言えるの?
でも、とわたしは思う。
わたししか、後藤に言ってあげる人間がいないじゃない。
タクシーでした葛藤が再び胸の中で始まった。
- 107 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月25日(水)15時19分52秒
「圭ちゃんや他の人たちに言われるならわかるけど……市井ちゃんから
今更何も教わることなんてないもん」
「……後藤……でもわたしはあなたの教育係だったわ」
「…………」
「ラジオで黙り込むことや、テレビで表情を作らないことをわたしは教
えた覚えはないよ」
「…………」
後藤は完全に俯いた。わたしの視線から彼女の表情が見えなくなる。
なんだかとても痛々しく思えた。
「ねえ? 後藤どうしちゃったの? 昔の後藤はもっと楽しそうに笑っ
ていたよ……わたしが知っている後藤は――」
「昔とは違うよ」
- 108 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月25日(水)15時21分07秒
後藤の声は小さいのにもかかわらず、わたしの中に響いた。
昔とは違うよ。
何かが否定された。わたしの何かがその一言で否定された。
それでも後藤は言った。
「市井ちゃんが知っているモーンニグって何? 昔って何? 市井ちゃ
んがやめて、モーニングは変わったんだよ……昔の事を引っ張りだされ
たって、今のモーニングでは通用しないんだよ」
「……後藤」
「それに――」
- 109 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月25日(水)15時22分41秒
後藤は顔をあげる。そこにはいつもの後藤の顔。
成長した後藤の顔。
「それに市井ちゃんは笑うことなんて教えてくれなかったよ」
「…………」
「挨拶の仕方とか……そんなの市井ちゃんじゃなくても教えてくれる。
誰に教わったって同じだよ……市井ちゃんからは結局どうでもいいこと
しか教わってないもん」
「…………」
わたしは何も言えなかった。
後藤が言う一つ一つのことが胸に突き刺さる。あの頃の自分。自信を
持って後藤の教育係をしていた自分。
それが否定されていた。
後藤はまた顔を下げた。
長い髪がまた彼女を隠す。わずかに見える口元には、自嘲気味な笑み
が浮かんでいた。
- 110 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月25日(水)15時23分44秒
「……どうしてみんな笑っていられるんだろう?」
その言葉は彼女自身に言っているようだ。
「…………」
「あたしより年下なのに、辻や加護は上手に笑ってる……どうしてあん
なに楽しそうに笑顔を作れるのかな……?」
消えてしまいそうな声。
すごく、彼女の存在が小さく感じた。
- 111 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月25日(水)15時24分51秒
また風が吹く。
今度はさっきより弱々しい。
それでもわたしの体は冷たさを感じることはなかった。多分、今のわ
たしには何も感じないのだろう。
後藤の声以外、何も感じない。
彼女はゆっくりと顔を上げてから、わたしをしばらくの間見た。何か
言葉かけてほしいと言うことは、表情を見てわかっていたはずなのに、
頭の中には気の利いた言葉一つ浮かんでこなかった。
後藤はわたしが何も言ってこないとわかると、一瞬落胆の表情を浮か
べてから体を翻した。
「……市井ちゃん……今日はお疲れ様でした」
「……後藤」
- 112 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月25日(水)15時26分08秒
わたしが言ったのと同時に彼女は走り出していた。
もちろんわたしは後を追うことはなかった。
後藤の小さくなっていく背中を見て、わたしは気がついた。
そうだ、過去の自分がわたしの全てだったのだ。
夢も希望も自信もあったあの頃の自分が自分であったと言う、確かな
事実でわたしは存在していたのだ。
それが頼りない存在意義だということはわかっている。でもそれに頼
らなければ、わたしは自分を保てないのだ。
――市井ちゃんからは結局どうでもいいことしか教わってないもん。
でもその言葉は確実にわたしの存在意義を否定した。
わたしの唯一の存在を、後藤に否定された。
- 113 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月25日(水)15時27分04秒
気が付くと後藤の姿は見えなくなっていた。一人闇の中にたたずむわ
たしを照らしてくれたのは、頼りない光の街灯。
昔のスポットライトとは大違いだ。
あの頃のわたしは――。
あのスポットライトを浴びていたわたしは――。
そう考えて、わたしは苦笑いした。
その頃のわたしは幻なのかもしれない。
もしかしたら、この街灯のようにわたしにだけ頼りない光が射してい
ただけなのに、あの頃のわたしはそれに気がつかなかっただけ。
じゃあ、あの頃のわたしと今のわたしは同じか。
心から確実に何かが弾けたのに気が付いた。
- 114 名前:名無し読者 投稿日:2001年07月25日(水)18時16分26秒
- 痛いっすね。
笑えない後藤も、自分で手一杯で後藤にまで気がまわらない市井ちゃんも…。
久しぶりに、なんか考えちゃう小説を読ませていただきました。
これからに期待してます。
- 115 名前:名無し読者 投稿日:2001年07月26日(木)01時57分51秒
- 痛い、痛い、胃がずきずきする・・・
- 116 名前:名無し読者 投稿日:2001年07月26日(木)02時56分33秒
- ネガティブな市井ちゃん。
後藤よりも心配です。
- 117 名前:名無し読者 投稿日:2001年07月28日(土)01時15分44秒
- 後藤よ、強くなってくれ。
そして市井ちゃんはもっっと強くなってくれ。
- 118 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月28日(土)04時10分44秒
「今度のオフの日さ――」
わたしは矢口の声に我に戻る。
テレビ収録の控え室はいつものように賑わっていた。色んな人が入っ
てきては出て行き、小さい二人がどたばたと走り回り、祐ちゃんがキレ
る。わたしは椅子から腰を浮かせると、テーブルに置かれていたペット
ボトルを取って中身を紙コップの中に入れる。
隣にいる矢口の分も渡すと、彼女はそれに口をつけながら言った。
「もう少ししたらオフだからさ、そうしたら紗耶香一緒に遊ぼうよ」
「でもやっとのオフでしょう? わたしとでいいの?」
わたしがそう言うと、矢口は満面の笑みを浮かべた。
「あったりまえじゃん! 紗耶香と久しぶりにイチャつきたいんだか
ら」
「……イチャつくって」
わたしは苦笑いをした。
- 119 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月28日(土)04時12分09秒
こうしていると、自分もメンバーの一員に戻ってしまうような感覚に
陥る。スタッフさんが用意お願いします、と言ってきたら自分も彼女た
ちと声を合わせて、はーい、と返事してしまいそうな気がした。
何もかも全て夢で、現実で過ごした事も忘れてしまう。この空間にい
るときだけ、わたしは別人になれるのではないだろうか?
ふと視線を向けると、一番奥に後藤が一人椅子に座っていた。
この騒がしい空間の中で、注意をして見ないと気が付かないぐらい、
彼女は自分の存在を消していた。
わたしは後藤を見て思う。
- 120 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月28日(土)04時13分41秒
でも、全てが現実だ。
昨日の後藤の事も実際にあったことだ。
わたしが娘を抜けて、ギターを買って、色んな人の歌を聞いて、いつ
しか散らかっていく部屋の中で、鼻歌さえも歌わなくなって……そう全
ての事実がわたしなのだ。
「――ッピングに行ってさ……紗耶香? 聞いてる?」
矢口はそう言ってわたしの腕を引っ張る。小さいこともあってその様
子はまるで子供のようだった。
「え、うん……聞いてるよ」
わたしはそう言って微笑むと、彼女はうれしそうにオフに何をするか
喋った。
矢口もメンバーも、わたしがそうであったのと同じように、確実に時
を過ごしてきた。
――市井ちゃんがやめて、モーニングは変わったんだよ。
じゃあ彼女たちはどんな時間を過ごしてきたのだろう?
- 121 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月28日(土)04時15分35秒
◇
収録が終わって、次の仕事まで移動しようとメンバーが車まで歩いて
いるとき、わたしは一番後ろにいる後藤に話しかけた。
「後藤……」
後藤はゆっくりと顔を上げるとわたしを見る。その表情にはどこか覇
気が感じられないのは毎度のことなのだが、顔色が悪いことはなかなか
ない。
「なに……またお説教?」
弱々しい声は、多分周りを気にしていたのかもしれない。わたしと話
をしているところを、この前のこともあったのだから見られたくないよ
うだ。
- 122 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月28日(土)04時16分39秒
「違うよ……調子……悪そうだよ」
「……なんで?」
「なんでって……顔色悪いもん」
「メイクしてないせいだよ……」
後藤はそう言ってわたしの前を通り過ぎて、メンバーの後を追う。わ
たしはすぐにその背中に声をかけた。
「あまり……寝てないの?」
「…………」
後藤は一瞬だけ足を止めたが、またすぐに歩き出した。
- 123 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月28日(土)04時17分39秒
テレビ局の外に出ると、メンバーが入り口前に停めてある車に乗り込
んでいく。わたしも小走りで後藤の後を追った。
「ちゃんと……寝てるの?」
わたしはもう一度聞く。
後藤の髪が太陽の光を浴びて金色に輝く。一瞬だけなびいたその髪が
わたしの鼻にシャンプーの匂いを届けた。
後藤は無言のまま車に歩いていく。わたしはその冷たい態度に少しだ
けイラつきを感じて、彼女の腕に手を伸ばそうとした。
その時わたしのポケットから高い音を上げて携帯が鳴った。
- 124 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月28日(土)04時18分43秒
ビクッとわたしは手を引っ込める。着メロからメールだと言うことは
わかっていたが、このタイミングの良さに驚いてしまったようだ。
ポケットから携帯を抜き出そうとしたとき、後藤が足を止めてわたし
を見ていた。
「……市井ちゃんの?」
「あ、うん……ごめん」
そう言って彼女の顔を見たとき、わたしはその変化に気がついた。
後藤の目が一瞬だけ怯えていて、わたしの携帯が鳴ったのだと知ると
みるみる内に安心していく変化。
「市井ちゃん、収録中だけでも携帯切ろうね」
後藤の皮肉にわたしはカチンと来た。
しかしその言葉通り、収録中も電源が入れっぱなしだったため何も言
えない。
携帯を見ると、迷惑メールだった。
- 125 名前:名無し読者 投稿日:2001年07月30日(月)01時10分43秒
- 後藤はストーカーに!?
- 126 名前:名無し読者 投稿日:2001年07月30日(月)03時01分48秒
- ストーカーなのか、それともメンバーが・・・
- 127 名前:名無し読者 投稿日:2001年07月30日(月)03時30分41秒
- メールはあんまり意味ないのでは…
- 128 名前:名無し読者 投稿日:2001年07月30日(月)07時29分43秒
- それにしても続きが気になる
作者さんがんばって
- 129 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月30日(月)08時24分08秒
仕事が終わっても、メンバーにはツアーのダンスレッスンが残ってい
た。
この先ハードスケジュールの彼女たちには、数回のレッスンしか用意
されていなく、その為一回一回のレッスンは数時間にも及ぶ。
メンバーはすでに仕事などで消耗してしまっていて、その上ダンスレ
ッスンとなると疲れの色を表すようになった。
広いフロアの中で動きやすいような格好に着替えた彼女たちが、夏先
生の話を聞きながらレッスンをしている。鏡の前で自分たちの動きを確
認しながら、何度も同じ振りを練習していた。
- 130 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月30日(月)08時26分30秒
わたしはフロア中流れる彼女たちの歌を聞きながら、部屋の隅で様子
を見ていた。体は正直なもので、音楽に合わせてリズムをとっている。
振りも長い間踊っていないとはいえ、二年間猛練習した名残があるよう
で、部分部分はいまだに覚えていた。
音楽が止まる。それにあわせてメンバーの動きも止まった。
彼女たちの視線が一人の人物に向けられる。
原因はまた後藤だった。
- 131 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月30日(月)08時28分48秒
夏先生から注意されている彼女を見ながら、わたしは昔のことを思い
出す。
そう言えば昔も後藤よく注意されていたっけ。
しかしその頃と今とでは決定的に違うのは、彼女は明らかな練習不足
と言うことだろう。
ダンスレッスンが始まって、一番注意されていたのは後藤だった。そ
の度に彼女は周りの視線に気を使いながら夏先生の話を聞いていた。
怒られている後藤を見ているメンバー。少しだけ気まずい雰囲気が流
れると、どこからともなく声がした。
「後藤はソロで忙しいから、練習もできないなんて大変だね」
クスクスと辺りから笑い声が聞こえる。
後藤は小さく顔を下げた。
- 132 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月30日(月)08時31分42秒
長い髪の毛でわたしがいる場所からは表情を伺うことはできなかった
が、彼女がどう言う気持ちになっているか、その小さく肩を狭めている
姿を見て察することはできた。
しかし後藤に向けられた言葉は正しかった。事実、ソロのレコーディ
ングやらテレビの収録やらで後藤だけダンスレッスンに参加できないこ
とがあったらしい。だから彼女が他のメンバーから遅れをとってしまう
のはしょうがなかった。
でも、お金を払ってくれる人たちにそんな言い訳が通用しないのも、
本人も周りもわかっている。
後藤はそのジレンマの間に立たされているようだ。
その彼女に向けられる、メンバーからの皮肉。
- 133 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月30日(月)08時33分55秒
わたしは黙ってその様子を伺っている事しかできない。
もちろん、後藤がかわいそうだと言う気持ちはあった。しかし逆にメ
ンバーの気持ちも多少なりとも理解できてしまう。
彼女たちもそれぞれのジレンマの間に立たされているのだ。
それからも続くダンスレッスン。後藤は何度も注意を受け、何度も練
習を止めてしまっていた。その度に言葉をかけようとして周りが気にな
ってやめてしまう吉澤や、ただ同情の眼差しを向けている圭ちゃんが印
象に残った。
結局、ダンスレッスンが終わったのは、夜中の十二時を回っていた頃
だった。
- 134 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月30日(月)08時37分37秒
彼女たちは簡単に着替えると、次の日のスケジュールをマネジャーに
確認して各々解散していく。ちびっこ二人は眠そうに、事務所の人に送
られていった。
矢口は体に似合わないほど大きな鞄を持つと、わたしの元に近寄って
きて言った。
「紗耶香ぁ……疲れたよぉ」
わたしは微笑みながら言葉を返す。
「お疲れさま。よくがんばるよね。偉いよ」
「じゃあご飯食べに行こうぜい。この前みたいに断るのは無しだよ」
わたしは首を横に振った。
「勘弁してよ……疲れたんなら休んだほうが良いよ」
「ちゃんと休むよ。でも紗耶香とご飯食べてから休む」
「でもわたしは後藤を送らないと――」
わたしがそう言った時、近くで鞄に服を詰め込んでいた後藤がすかさ
ず言葉をはさんだ。
- 135 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月30日(月)08時40分36秒
「あたしなら大丈夫だよ……もう子供じゃないんだから一人で帰れる」
「でも後藤――」
「……大丈夫だから」
矢口が交互にわたしたちを見ている。その視線に後藤はどこか落ち着
かない様子で、顔を下げたままだ。
何となく、彼女の言いたいことがわかった。また断って後藤を送って
もメンバーから反感を買うのはわたしではなく後藤なのだ。多分それが
迷惑なのだろう。
ストーカーなんていないことはわかっている。あれはわたしをここに
呼ぶための嘘だったのだから。
わたしは矢口の顔を見た。
「後藤もそう言ってるし……行く?」
「ほんとっ!」
矢口の声がフロア中に鳴り響く。
- 136 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月30日(月)08時42分39秒
その声につられて、なっちとカオリも一緒について行くと言い出した。
わたしはどこでなにを食べるのか、全て三人に任せながら後藤に視線を
ける。
多分、わたしがみんなと一緒に行くのは後藤から離れたいと言う気持
ちがあったからかもしれない。
また二人きりになって、昨日のように傷つけられたくなかったから。
他のメンバーとはすぐに昔のように戻れるのに、どうして後藤だけこ
んなに距離が開いてしまったのだろう?
どうして彼女とだけ、昔の関係に戻れないのだろうか?
後藤は一人座り込みながら、ずっとバックの中をいじっていた。
わたしたちが出て行くときも彼女は一人だった。
- 137 名前:名無し読者 投稿日:2001年07月30日(月)08時47分50秒
- やた、リアルタイム!!
後藤が切ないっす!!
つづきが気になる!!
- 138 名前:名無し読者 投稿日:2001年07月30日(月)23時19分49秒
- う〜ん。リアル。
何か現実の後藤もこんなんなのかなぁなんて…
- 139 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月31日(火)03時57分14秒
結局こんな時間に開いているのはファミレスぐらいだろうと言うこと
になって、わたしたちはダンスレッスンしたスタジオからそう離れてな
い店に行った。
適当にご飯を頼んで、わたしたちは下らないお喋りをする。
周りには数人の客がいたが、気が付いているのかいないのか、誰もわ
たしたちに話し掛ける者はいなかった。もちろん彼女たちは周りを気に
してサングラスは店内でも外そうとはしなかったが。
カオリやなっち、矢口とこうして時間を過ごすのは久しぶりだった。
ダンスレッスンで疲れているとは言え、みんな明るくて、笑顔が絶えな
い。明日も仕事があるというのに、わたしたちは二時間ほどそこでお喋
りをしていた。
- 140 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月31日(火)03時59分35秒
店を出るとき、割り勘にしようとわたしが財布を出すと三人は口を揃
えて奢るよ、と言った。
「なんだあ、いくらわたしでもそれくらいのお金は払えるぞぉ」
と言ったが遠慮なく財布をしまっていた。
店を出て、お疲れと言いながらわたしたちは別れた。
ふらふらと暗い歩道を一人で歩きながら、わたしは久しぶりに楽しい
気持ちになったことに気が付く。
ここに来て落ち込んでばっかりだったけど、少しの時間だったが楽し
い時間を過ごせたのはすごく嬉しいことだ。
- 141 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月31日(火)04時01分59秒
冷たい風を感じる。ガードレールの向こうには車が何台も通り過ぎて
いく。顔を上げると星は見えなかったが、広い闇がわたしを見下ろして
いた。
信号を渡ってわたしはスタジオの前を通った。
何気なく建物を見上げると、ダンスレッスンをしていた二階にまだ明
かりが付いているのに気が付く。
こんな時間に誰か残っているのだろうか?
わたしはふとそう思い、何気なくスタジオのドアを開けて中に入る。
ゆっくりと廊下を歩いて、静まり返った階段を上るとその音が山彦とな
って辺りに響いた。
一部屋だけ明かりがついている。わたしは泥棒のように恐る恐る歩き
寄るとドアをこぶし二つ分ほど開けた。
その瞬間、耳にはモーニングの曲が届いた。
- 142 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月31日(火)04時03分58秒
わたしは中を覗き込む。
キュッキュッと靴の音を鳴らして、鏡に向かってダンスレッスンして
いる一人の少女の背中が見えた。
長くて茶色いその髪で、それが後藤だということはすぐにわかる。
「後藤……」
小さく呟く。しかし彼女はわたしに背を向けている状態だったため、
気が付くはずがない。
わたしはしばらく彼女の姿に見入った。
- 143 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月31日(火)04時06分30秒
音楽と同時にダンスの振りの練習をしている。時々納得がいかないの
か、首を横に向けてはテープを巻き戻して同じところを確認していた。
シャツには汗が染み込んでいる。多分わたしたちが出て行った間も後
藤一人レッスンを続けていたのだ。
彼女が一人で練習をしているのを知るのは初めてだった。わたしがモ
ーニングに居たときはそんな事一言も喋ってなかったし、第一彼女は努
力と言う言葉が好きではない。
だからこんな後藤を見るのは初めてだった。
――後藤はソロで忙しいから、練習もできないなんて大変だね。
ダンスレッスンのときの皮肉を思い出した。
顔を下げてしまった後藤の小さな姿。
ただでさえ具合が悪そうなのに、長時間のダンスレッスン。後藤の体
はもうボロボロになってしまうのではないだろうかと言う不安がわたし
を襲った。
- 144 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月31日(火)04時08分30秒
彼女のせわしなく動く背中を見ながらわたしは思う。
そんなに悔しかったの?
それともまたメンバーに迷惑をかけるのが恐いの?
段々と痛々しくなった。
いつからメンバーの前で、失敗をすることを恐れるようになってしま
ったのだろうか? その事は体を削らなければ回避できないと言う状況
に後藤は追い詰められているのだろうか?
わたしは彼女に何もしてあげられない。
それならなぜわたしはここに戻ってきた?
- 145 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月31日(火)04時10分29秒
「だれ?」
ふと気が付くと後藤の動きが止まっていた。その視線は彼女の正面に
ある鏡に向けられていて、どうやらドアが開いているのに気が付いたよ
うだ。
わたしは一瞬のためらいと共にドアを開けて中に入った。
「……市井ちゃん?」
後藤は振り返らない。どうやら鏡に写っているわたしを見ているよう
だ。
「うん……ごめんね、練習止めちゃったね」
「……どうしたの?」
「別に……電気がついてたから来てみただけ」
「ふーん」
- 146 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月31日(火)04時12分49秒
フロアにはモーニングの曲が鳴り響きつづける。わたしは彼女と一定
の距離をとりながら窓際まで歩くと外に視線を向けた。
外は確実に暗いはずなのに、頻繁に通る車のヘッドライトで深夜とい
うことを忘れ去られてしまいそうだ。歩道を少し肩をすくめて歩くカッ
プルの表情が笑顔だということが遠目だが確認できた。
わたしはゆっくりと後藤の背中に視線を向けた。彼女はまったくさっ
きの体勢を変えない。
「自主レン? 偉いね」
わたしはフロアに鳴り響く音楽にかき消されないように、後藤に向か
っていった。
彼女は何も答えず黙ってわたしに背中を向けるだけ。
- 147 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月31日(火)04時15分15秒
「わたし知らなかったよ。後藤がこんなに努力家なんてさ……」
「…………」
「あれかな? 二人も年下ができたから責任感が芽生えたとか……」
「…………」
「もう後藤も一人前だからね……自分の事は自分でやらなきゃ……」
「――える」
「え? 何?」
わたしがそう言うと、後藤は歩いてカセットを止めた。
「……帰る」
フロアが一気に静かになる。
まるで二人の息の音が聞こえるのではないかというぐらいの静寂。ラ
ジカセの前で立ち尽くす後藤は一向にわたしと視線を合わせようとはし
なかった。
- 148 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月31日(火)04時17分50秒
「わたしが来たからやめるの?」
どんなに小さく呟いても、二人の距離は開いているが確実に言葉はフ
ロアに響く。
「……そうだよ」
「…………」
「市井ちゃんが来たからやめるの」
後藤は『市井ちゃんが』と言うところを強調するように強く言った。
「じゃ、わたしはお邪魔虫だったね」
はは、と苦笑いをしながらわたしは言った。
「でもいいタイミングで来たと思わない? このまま練習しつづけてい
たら、明日の仕事に響くからね」
「…………」
「後藤……」
「…………」
わずかな間を空けてからわたしは言った。
「少し自分の体を大切にしたほうがいいよ。練習するのも良いけど、た
だでさえ体調悪そうなんだから、無理して体を壊したら大変だよ……」
- 149 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月31日(火)04時20分05秒
後藤はその言葉を無視して、フロアを歩きながら帰りの支度を始めた。
わたしは壁に寄りかかりながら彼女の姿を目で追う。
鞄に物を強引に詰め込んでいる後藤を見ながら、わたしはさっきまで
一緒に過ごしていた矢口たちの事を思い出していた。
吉澤は別として、他のメンバーとは昔のように戻れるのに、どうして
後藤だけこんなに距離が開いてしまったのだろう?
沸き起こった疑問が、矢口たちと過ごして強く表面に現れていた。
後藤とはどうして元に戻れないのだろう?
昔のようにただ笑い合うだけの関係に戻るには、あれだけの時間を一
緒に過ごしてきたのだからそう難しくないはずなのに。
- 150 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月31日(火)04時21分53秒
「後藤……送ろうか?」
彼女は鞄のファスナーを閉めると言った。
「……いい」
「…………」
「市井ちゃんと帰るなら……一人のほうがいいもん」
「……キツイ言葉だね」
「…………」
後藤は鞄を持ち上げて、ゆっくりと出口に向かって歩き出した。わた
しは視線で彼女を追いながら言う。
「なんだか後藤に傷つけられてばっかりだよ」
その声はさっきよりも強く言ったせいか、大きくフロア中に鳴り響い
た。もちろん後藤の足は止まる。
- 151 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月31日(火)04時24分07秒
「……矢口たちとは昔のように戻れるのに、後藤はわたしを傷つけてば
っかりだね」
「…………」
後藤の背中にわたしの声はどれだけ届いているのだろうか? 表情が
見えないため、何もわからなかった。
「……仕事が大変なのもわかるし、わたしが居た頃より変わったって言
うのも、なんとなく理解できるよ……それでも他のメンバーとは笑いあ
うことができる。下らないお喋りをして、笑いあうことができるよ……
でも後藤だけは違うね」
後藤は何も言わない。わたしはゆっくりと壁から背を放して彼女の元
に歩み寄る。
- 152 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月31日(火)04時26分19秒
「わたし、まだ後藤と一緒に笑ってないよ……後藤の笑顔がまだわたし
に向けられてないよ?」
わたしはそう言って彼女の肩に手を置いた。
後藤はビクッと一瞬だけ体を硬直させる。
「ねぇ後藤――」
「…………」
「わたしはあの頃に戻したいの」
「…………」
「あの頃のように、後藤と友達だった頃の関係に戻したいの」
そう、後藤とあの頃のように戻れればどんなに気持ちが救われるだろ
う? メンバーや後藤と過ごしているときだけ、あの散らかった部屋の
わたしを忘れることができるなら、どんなに気持ちが楽になるだろう
か?
- 153 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月31日(火)04時28分46秒
彼女はゆっくりと振り返った。
初めて後藤と目が合う。わたしは肩に置いていた手を放した。
「――りだよ」
唇を最小限に動かして、彼女は呟くがわたしの耳には届かなかった。
「……後藤?」
後藤の視線は、どこかわたしの胸をエグった。
変わらないいつもと同じ表情なのに、視線は鋭かった。
後藤は言った。
「無理だよ」
「…………」
わたしは言葉を詰まらせる。刃物で切りつけられるような感覚が全身
を襲った。
鋭くて冷たい言葉――。
彼女の視線はわたしから離れる。またいつものように俯くと今度は小
さな声で言った。
- 154 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月31日(火)04時31分30秒
「あたしと市井ちゃんに、昔から友達って言う関係なんてなかったじゃん」
「…………」
「元々無かった関係に戻したいって言ったって、そんなの無理だよ……」
元々友達としての関係が無かった――。
その言葉に、わたしは理解するのに時間がかかる。
彼女はそう言うとわたしの元から離れてフロアを出て行った。
すぐにわたしは彼女を追いかける。後藤はすでに階段を降りていてス
タジオから出ようとしていた。
わたしは少しだけ離れた場所で立ち止まる。後藤は出口で一回だけわ
たしのほうに振り向く。
しばらくの間、無言のままお互いを見る。わたしはまだ頭の中で後藤
の言葉を理解しようと必死だったが、この時の彼女は何を考えていたの
だろうか?
- 155 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月31日(火)04時33分36秒
相変わらずの無表情のまま後藤はスタジオを出た。
ゆっくりと廊下を歩いて、わたしもスタジオから出ると、右手側の歩
道を歩いている後藤の背中が見えた。
冷たい風に吹かれる彼女の姿。わたしはだまってそれを見ているしか
なかった。
あの頃のわたしたちが友達ではないというなら、一体どんな関係だっ
たの?
小さくなっていく背中を見ながらわたしは思う。
一緒に笑いあって、一緒に努力しあって、一緒に悩みあったあの時間
を過ごしてきたのだ。それなのに後藤にとって、わたしの存在はどれだ
けの意味があったのだろう?
- 156 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月31日(火)04時35分49秒
わたしは暗い空を見上げてため息をついた。
過去の自分も否定され、友達の関係も否定され、わたしと後藤を繋ぐ
ものはなんて無くなってしまった。
苦笑いをしてみる。
本当に今の自分が惨めに思えた。
後藤に深く話を聞けない自分も、彼女の言葉を素直に吸収してしまう
心も……すごく惨めに思えた。
わたしは後藤と反対側に背を向けると、圭ちゃんの部屋に戻るため歩
き出す。
- 157 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月31日(火)04時37分47秒
もう帰ろうか?
わたしは何となく思った。
わたしはここに戻ってきてはいけなかったんだ。
あの散らかった部屋に、帰ろうか?
そう思った時だった。
車が一台、わたしの横を通り過ぎていき、排気ガスの匂いを巻き散ら
かしていったのと同時ぐらいのタイミングで悲鳴を聞いた。
わたしは振り返る。
歩道が長く続いていて、その遠くにはさっきまで小さく見えていた後
藤の姿が無い。いや実際には見えなかった。
わたしは目を凝らして二三歩後藤が帰っていった方向を歩く。
「後藤……?」
- 158 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月31日(火)04時40分06秒
空耳ではない。確かに悲鳴は聞こえた。それは後藤のものであること
は、周りに誰も人が居ないことからいって明らかだろう。
血の気が引いていく。わたしは思わず走り出していた。
さっきのスタジオを通り過ぎていき、しばらくすると彼女が地面に倒
れているのが見えた。
「後藤!」
わたしは声をあげる。しかし後藤は左腕の肘の少し下あたりを抑えた
まま動かない。
「後藤!」
もう一度声をあげて、ふと見上げた先には黒い小さな人影が走って遠
くに消えていく姿が見えた。
- 159 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月31日(火)04時42分03秒
後藤のもとに駆けつける。彼女が持っていた鞄が二三メートルほど向
こうに転がっている。中身は散らばってはいないようだ。
「後藤! どうしたの!」
わたしはしゃがみこんで彼女の顔を覗き込む。しかし後藤は何も答え
ず、苦痛の表情をしていた。
押さえ込んでいる左腕に目線を落とす。
抑えている右手の指の間から血がにじみ出ていた。
「ちょ、ちょっと後藤……それ……」
ゆっくりとわたしは手を伸ばして、彼女の左腕を抑えている右手を取
ってみた。
上着の袖がパックリと切れてそこからは真っ赤な血が溢れるように流
れ出していた。
わたしは思わず言葉を失う。
- 160 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月31日(火)04時44分34秒
どうして?
どうして後藤が怪我をしているのだろうか?
そう考えて、さっきの悲鳴と遠くに消えていった人影を思い出した。
ストーカー。
ぞくりと背筋が凍った。
本当にいた……の?
嘘ではなく……本当にいたの?
「……ご、後藤」
わたしは彼女の名前を呟くことしかできなかった。
驚きと恐怖が同時に押し寄せてきて、頭の中にこの状況での適切な行
動が浮かんでこない。
後藤は何かにすがるような視線をわたしに向けていた。
- 161 名前:名無しさん 投稿日:2001年07月31日(火)04時46分47秒
- ごっちん大丈夫か!?
続きが気になる…
- 162 名前:名無し読者 投稿日:2001年07月31日(火)05時19分32秒
- おいおい市井〜
少しは自分の事だけじゃなくて後藤の事も考えてやれよ〜(w
そしてごっちん、本当に大丈夫だろうか…
- 163 名前:名無し読者 投稿日:2001年08月01日(水)23時24分26秒
- やっぱしストーカーがいるのか…
市井ちゃ〜んいいとこみせてくれ!!
- 164 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月04日(土)05時12分15秒
病院に駆けつけてきたマネージャーに、わたしは散々怒鳴られた。
わたしがどうしてここに呼ばれたのか知っているのだから、当然とい
えば当然なのだが、後藤を一人ダンスレッスンさせていたマネージャー
の責任もないわけではない。
しかしわたしへ向けられる言葉は、責任転換とも聞こえるようなもの
だった。自分の責任をわたしに押し付けようとしているのはわかってい
たが、目の前で後藤を守れなかった事への後悔で何も反論はしなかった。
冷たく明かりが落とされている病院の廊下。わたしは後藤のマネージ
ャーの説教が終わると、壁際の椅子に腰をかけた。
マネージャーは現状を事務所に報告するために公衆電話を探しに行っ
て、一人になる。
- 165 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月04日(土)05時15分07秒
わたしは両手を組んで頭を下げた。
後藤が襲われたのはわたしの責任だ。
彼女から離れて、一人にしてしまったわたしが悪いのだ。
どうしてストーカーの件が嘘だと思ってしまったのだろう? どうし
て頼まれた事もわたしは守れなかったのだろう?
理由はわかっている。
自分のことしか考えていなかったからだ。
後藤といると辛いと、わたしは自分のことしか考えていなかった。彼
女がどれだけの恐怖と戦っていたのか、気が付いてあげることもできな
かった。
- 166 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月04日(土)05時17分07秒
移動のときの一件を思い出す。
後藤の調子が悪そうだと思い話し掛けたときのこと。
わたしの鳴った電話に怯えていた後藤。すぐに皮肉を言われて深くは
考えなかったが、あれは明らかな信号でもあったはずだ。
そのはずなのに、どうしてわたしは気が付いて上げなかった?
その考えは無限にループしていく。
その行為は確実に、自分自身を追い詰めているだけだと言うことはわ
かっていた。後悔をするたびに惨めになっていくのに、わたしはそれを
やめることが出来なかった。
静けさだけの冷たい廊下。わたしはゆっくりと椅子から立ち上がって、
後藤が入っていった診察室を見た。
あの後、わたしは救急車を呼ぼうとしたのだが、後藤はそれを止めた。
騒ぎになっては困るからとタクシーでこの病院まで運んできたのだ。
その行動だけでも、彼女が業界で生きている人間なのだと思い知らさ
れる。刃物で襲われたのにもかかわらず、ちゃんと自分の立場を理解し
ていた。
- 167 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月04日(土)05時19分11秒
ガチャと音を立てて診察室のドアが開く。わたしはすぐに部屋から出
てくる後藤の元に歩み寄った。
「……後藤」
彼女は静かにドアを閉めると、わたしの顔を見た。
「大丈夫?」
後藤は黙ったまま袖を捲った。そこには細くて白い彼女の腕には不似
合いな包帯が巻かれていた。
「しばらくは長袖しか着れないや」
「……痛い?」
その言葉に後藤は首を横に振った。
「……あまり痛みは感じない。綺麗に切れたんだって」
わたしたちの会話は静かな廊下に響き渡る。病院だということもあっ
て、その響く声は確実に辺りの気温を下げているような気がした。
後藤はゆっくりとわたしの横を通り過ぎて椅子に腰をかけた。その視
線は何度も巻かれている包帯に向けられた。
- 168 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月04日(土)05時20分56秒
「顔とか……見た?」
呟くわたしの声に、後藤は首を横に振る。
わたしは立ったまま小さく座っている後藤を見下ろしながら、胸が締
め付けられる思いを感じていた。
色んな問題を彼女は抱えていた。決して一つ一つが軽くはない事なの
に後藤はそのことを顔にも出さなかった。
わたしは思った。
ねぇ? 後藤――。
その小さな体に、何を背負っているの?
こんなことにあってまで、後藤はどうして頑張っていられるの?
- 169 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月04日(土)05時23分11秒
わたしとは対照的な彼女。
後藤は強くなったんだ。
昔の後藤から大きく成長したんだ。確実にわたしとはまったくの別の
時間を過ごしてきたのだ。あの頃の、無邪気な微笑をわたしに向けてい
た後藤は、いつしか自分の力だけで立っていられるようになったのだろ
う。
わたしは顔を下げると、小さく呟いた。
「ごめんね……後藤……」
「…………」
「傍についてあげなくて……」
「……別に……市井ちゃんのせいじゃないよ」
その言葉にわたしは首を横に振る。
「わたしのせいなんだよ……後藤をストーカーから守ってくれって頼ま
れたのに……」
「……市井ちゃんじゃ、そんなの無理に決まってるじゃん」
「……でも……傍についてあげる事はできたよ」
「…………」
「後藤の身代わりになることはできたよ……」
「…………」
わたしの言葉に後藤は黙り込んでいた。
- 170 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月04日(土)05時25分16秒
そうだ、確かにストーカーから守ることなんてわたしには無理だろう。
でも後藤の身代わりにならなれる。多くの人から好かれている後藤の身
代わりになれるなら、今のわたしには光栄なことだ。
また苦笑いをした。
なんだか凄く悲しい。
「わたしにはもう何もないんだよ……」
「…………」
「なんかさ……やめてからわたし抜け殻になっちゃったみたいでさ……
何もなくなっちゃったんだ……」
「…………」
- 171 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月04日(土)05時27分18秒
後藤にこんなこと話してどうなるのだろう、と頭の片隅で思ってはい
たが、一度出た弱音は止まることはなかった。多分、わたしの限界の容
量をすでに越えていたのだ。
「自分で歌を作りたいとか大きなこといってやめたのにさ、いざそうな
ると何をしていいのかわからなくて……その間にはさ、メンバーが活躍
してるのをテレビで見ていて……自分の可能性を信じられなくなってい
って……」
「…………」
「……いつの間にかこんなのになっちゃった」
「…………」
「……だから、わたしができることは、後藤の身代わりになることぐら
いだよ」
「…………」
「……後藤が流す血をわたしが代わりに流すの。後藤が感じる恐怖をわ
たしが代わりに感じるの……そう言うことでしか、多分今のわたしは自
分を感じることができないから……」
「…………」
「……多分、それがわたしがここに来た理由なんだよ」
- 172 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月04日(土)05時29分05秒
今まで後藤に弱音を吐いたことがあっただろうか? あの頃の守る立
場だった自分が、後藤にだけは弱音を吐くことだけは禁じていたはずだ。
常に彼女の手を引っ張っていかなければいけないと、必死で自分の弱い
ところを隠しつづけてきた。それなのに、わたしは目の前の彼女にこん
なことを喋りつづけている。
多分、そんなことないよ、と言う言葉をわたしはどこかで期待してい
た。守らなければいけない人物に、わたしは助けを求めてしまっていた
のだ。
しかし後藤からわたしが期待した言葉は出てこなかった。
- 173 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月04日(土)05時31分08秒
「……知らないよ……そんなの……」
後藤の声はどこか震えていた。
「……後藤」
「……そんな話、あたしに関係ないよ」
「…………」
後藤は顔を上げる。わたしを見る視線はどこか虚ろで、焦点が定まっ
ていないような気がした。
「市井ちゃんがどうのこうのって……あたしには関係ないじゃん。スト
ーカーから守るために来たんでしょう? だったらそうすればいいだけ
じゃん。理由とかそんなの、なんであたしが聞かなきゃいけないの?」
「…………」
「何かやさしい言葉求めてるなら、後藤、何もいえないよ……そんなの
圭ちゃんにしてもらいなよ」
「……後藤」
- 174 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月04日(土)05時33分11秒
後藤はそう言ってまた包帯が巻かれている左腕に視線を戻した。
背中を丸めて、小さくなっている彼女を見てわたしは後悔した。
弱音を吐きたいのは、むしろ後藤の方だったのではないだろうか?
どれだけのことに彼女は耐えつづけていたのか、少しでも理解できるな
ら、こんな状況で弱音なんか口に出していいのか判断できるはずなのに。
「……ごめんね」
「…………」
後藤は何も答えなかった。
しん、とし静まり返った廊下の空気が張り詰めているのに気が付く。
もしかしたらわたしたちはすでに後戻りできない場所まで来ていたのか
もしれない。
- 175 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月04日(土)05時35分15秒
時計の時刻は深夜の三時を過ぎていた。
外は相変わらず闇を落としているようだ。確実に夜の時間は短くなっ
ているはずなのに、それを確認することが出来ない。
春は……近づいているのだろうか?
わたしの季節はちゃんと変わってくれるのだろうか?
全てを覆う闇と静寂の中で、わたしと後藤の気持ちはどこに向かいつ
づけるのだろう?
わたしはただ感じたかっただけだ。
あの暖かい陽射を……感じたかっただけだ。
- 176 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月06日(月)00時06分28秒
- いや〜。めっちゃ続きが楽しみな話です!
でも、市井&後藤&吉澤以外のメンバーが嫌いになりそう・・・(w
- 177 名前:名無し読者 投稿日:2001年08月06日(月)01時24分46秒
- いちいちゃんも後藤も弱さをぶつけあっていて
痛々しいっす…
- 178 名前:小説ヲタ 投稿日:2001年08月06日(月)02時40分28秒
- 凄い‥‥凄いツライ‥‥出口が遠ざかってゆく‥‥
- 179 名前:名無し読者 投稿日:2001年08月06日(月)04時25分06秒
- 深い闇の中を二人は無事に抜け出せるのでしょうか……
- 180 名前:名無し読者 投稿日:2001年08月12日(日)04時05分52秒
「ダメ……出ない」
圭ちゃんはため息をついて携帯を切った。
ざわざわと人が込み合う廊下の中、すぐ目の前にあるドアの向こうに
はメンバーたちが仕事に向けて控えていた。わたしたちは控え室から出
て、後藤に電話をしたのだが圭ちゃんの言葉通り、彼女は出てくれない
ようだ。
「寝ているのかもしれない。帰ったの朝方でしょう?」
わたしは小さく頷く。
結局あれからわたしが圭ちゃんの家に戻ったのは、朝の四時を少し過
ぎたときだった。彼女から予め合鍵を渡されていたため、疲れて眠って
しまっているところを起こすことは無かったのだが、圭ちゃんは律儀に
わたしが帰ってきたことを物音で気が付いて、ベットから抜け出してき
てくれた。
- 181 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月12日(日)04時07分07秒
始め、圭ちゃんは説教をしようと思ったらしい。矢口たちと行動をし
ていたのはわかっていたのだから、こんな時間までメンバーを拘束して
いたら仕事に支障が出るだろうと、そう言おうと思ったようだ。しかし
帰ってきたわたしの顔色を見て、圭ちゃんはすぐに何かあったのだと気
が付いたようで、わたしの話を聞いてくれた。
その時、わたしは初めてここに来た理由を説明した。
後藤をストーカーから守ること。
それを聞いた圭ちゃんの顔は、鳩が豆鉄砲を食らったと言うのはこう
言う顔なのだろう言うような表情をした。
そんな無茶なこと、和田さんが言ったの?
『無茶』を強調して彼女は言った。
わたしはただ頷くだけ。
- 182 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月12日(日)04時08分01秒
その後圭ちゃんは散々和田さんと事務所の悪口をいい、そんな理由で
のこのこやってきたわたしのことも責めた。多分、圭ちゃんは勉強の一
環として戻ってきた、と言ったわたしの言葉が嬉しかったようだ。わた
しとまた歌いたいといつも言っているのは彼女だ。だからわたしが付い
た嘘は、少しだけ彼女の希望が近づいたと思っていたようだった。
それなのに、その理由は嘘だった――。
圭ちゃんがわたしを責める気持ちも理解できた。
- 183 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月12日(日)04時09分01秒
「後藤……大丈夫かな?」
わたしは小さく呟く。
圭ちゃんはわたしを見下ろしながら、またため息をついた。
「そのための休養でしょう? 今ごろスヤスヤ寝ているよ」
「でも……」
わたしはそう言って圭ちゃんと目を合わせたが、すぐに言葉を切った。
きっとまた口から出てくるのは、自分を責める言葉だと言うことが、彼
女は気が付いていたらしく、その目の奥にはわたしの言葉を遮る同情心
みたいなものを感じた。
「……なんでもない」
わたしはいつから、一番の親友に弱音を吐けなくなってしまったのだ
ろうか?
歌を作ることへの苦しさ、挫折、業界へ戻る不安。わたしはあの散ら
かった部屋の中で、常に押しつぶされるプレッシャーに負けてしまった。
多分、そうなっていくうちに弱音を吐くことは、押しつぶされた惨めな
自分の姿をさらすようで恥だと思ってしまったのだろう。
辛い。寂しい。
そんなメールを圭ちゃんに素直に送れれば、わたしはまだいくらかは
マシになっていたと思う。
- 184 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月12日(日)04時10分14秒
ふとそう思って気が付いた。
辛い。寂しい。
そんなメールを後藤から送られていた事。
毎日、同じような言葉。わたしは自分なりに励ましの言葉を返してい
たが、後藤がどう言う気持ちでそんなメールを送ってきたのか、考えた
ことがあっただろうか?
メンバーではなく、どうしてわたしにそんな弱音を吐いたのか、考え
たことがあっただろうか?
「紗耶香……」
わたしは圭ちゃんの言葉に我に戻った。
- 185 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月12日(日)04時11分02秒
顔を見ると、考え込んでしまっているわたしを心配しているようだっ
た。
わたしは無理に笑顔を作っていった。
「わたしは大丈夫だよ……」
「…………」
「大丈夫だから……」
「…………」
「……大丈夫」
わたしの気持ちとは裏腹に、騒がしい廊下は静かにはなってくれなか
った。
- 186 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月12日(日)04時12分59秒
- ◇
始め、マネージャーから後藤が一日の休暇を与えられた理由を説明し
た時、少なからずともメンバーは動揺しているようだった。
しかしすぐに何事もなかったかのように、いつもの賑やかな声が聞こ
え初めて後藤の話題は上がることはなかった。わたしはその様子をいつ
ものように第三者的に眺めながら、冷たいなと感じると同時に、どこか
不気味さみたいなものが沸き起こった。
いくら嫌っている人物でも、襲われて休暇を与えられるほどの事が起
きたというのに、後藤の『ご』の字も出ないのは異常ではないだろうか?
少なくとも、嫌っているならある程度の悪口が出てもおかしくはないの
に。
そう考えて見て、わたしは気が付いた。
そう言えば、わたしがここに戻ってきて、メンバーから後藤の名前を
ほとんど聞いたことがない。話を振られれば答えることぐらいはあった
が、まるで彼女たちの口から『後藤』という名前がタブーにされている
ような印象があった。
多分、意識的にそうしている訳ではないだろう。
無意識にそうなってしまっているんだ。
それがとてもわたしには不気味に思えた。
- 187 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月12日(日)04時13分46秒
それでも仕事のときのメンバーはいつもと変わらない。
後藤がいなくても、無事に進む収録。十人もいるのだから、一人いな
くなったところであまり変わらないと言うことはわかるのだが、冒頭で
今日は休みです、の一言ですまされてしまうことに言い知れない寂しさ
を感じた。
そう言えば、わたしがやめて、テレビで見るモーニング娘も何も代わ
らなかった。それを見て、わたしの存在はどれぐらいの意味があったの
だろうと、考えていた時期のことを思い出す。
取替えの利くパーツ。
嫌な言葉だな、と自分で思った。
- 188 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月12日(日)04時14分50秒
無事にこの日の収録をこなしていき、いつものように事務所に戻って
次の日のスケジュールを聞きながら各々帰りの準備を始める。
時計を見ると午後の十一時を回ったところで、数人のメンバーがこの
後どこかに行こうかという相談が聞こえてきた。
「あの……」
わたしが圭ちゃんの元に近寄って、一緒に帰ろうとしたとき、部屋の
隅でマネージャーに話し掛けている吉澤の声が耳に届いた。わたしは何
気なく振り返って様子を伺う。
「ごっちんのお見舞いに行きたいんですけど……」
吉澤は後藤が家にいるのかと言う事を聞いていた。多分、どこかの病
院いるのかもしれないと思っていたようだ。
家にいるだろうとマネージャーの言葉に、吉澤は頷き、急いで帰りの
準備を始めた。
- 189 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月12日(日)04時15分43秒
わたしは上着に袖を通しながら圭ちゃんを見た。彼女はどうやらわた
しが言いたいことがわかったらしく、ため息をついて言った。
「行ってらっしゃい」
「……うん」
圭ちゃんはしょうがないように笑みを作ると言った。
「紗耶香、あんまり遅くならないように帰ってきなよ」
「うん」
「最近のあんた、顔色悪いからね……ろくに睡眠も取ってないんだから」
「ありがと」
わたしはそう言うと、圭ちゃんから離れて吉澤に話し掛けた。彼女は
すぐにわたしが付いていくと言うことに気が付いたらしく、迷惑そうな
顔をしたが、面と向かってはそう言うこともいえないようで、渋々頷い
た。
- 190 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月12日(日)04時16分30秒
おつかれさまでしたー、と挨拶を交わして、事務所の前に止めてあっ
たタクシーにわたしたちは乗り込む。後藤の家付近の住所を運転手に告
げると、ゆっくりとタクシーは動き出す。ほっと息をつくと体が座席に
埋まっていくような感覚に襲われた。
それは吉澤も同じだったようで、掛けている色の薄いサングラスの奥
の瞳が閉じられていた。
吉澤と二人っきりになるのは、圭ちゃんの説教の後ぐらいだ。別にそ
んなに仲のよかったわけではない彼女と、こうして二人で移動すること
に気まずさのようなものがあったが、自分から間をつなぐために話し掛
けようとは思わなかった。
それは多分、彼女がわたしに対して好印象を持っていないと言うのが
わかっていたからかもしれない。何か話し掛けても、後藤と同じような
反応が返ってくるだろうと、何となくわかっていた。
- 191 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月12日(日)04時17分15秒
しかしわたしのその考えとは余所に、話し掛けてきたのは吉澤の方だ
った。
「……どうしてごっちんの事、守れなかったんですか?」
呟くような声だったが、それは彼女が胸の奥に溜めていた不快感を外
に出さないように気を使っているのだとわかった。
「……ごめんね」
「答えになってませんよ」
吉澤の声は刺々しく、弱った胸を刺激した。返す言葉も見つからず、
黙り込むわたしに彼女はその鋭い言葉をぶつけてくる。
- 192 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月12日(日)04時18分43秒
「わたしが傍にいたら絶対こんなことにはならなかった。絶対ごっちん
を守ってあげられたのに……」
「…………」
「市井さん、ごっちんがストーカーに狙われているのを知っていたそう
じゃないですか……それなのにどうしてこうなっちゃったんですか?
このままじゃごっちんが可哀相ですよ」
彼女はその後何度も、自分が傍にいてあげたら、と呟いていた。
わたしは流れる風景を見ながら思った。
吉澤の後藤への気持ちは、異常なほど強かった。彼女が友達に対して
そう言う性格なのかどうかはわたしにはわからないが、これだけ思われ
ている後藤はきっと幸せなのだと思う。
メンバー内の唯一の友達。
吉澤も、多分そのことを理解しているのだろう。だからこれだけ執着
しているのだ。
自分が守ってあげなくちゃ。
自分しか守れないんだから。
- 193 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月12日(日)04時19分30秒
あの頃のわたしもそう言う気持ちだったような気がする。
しばらくして目的地に到着してタクシーから降りる。暖房で熱った体
が外の空気に冷やされていく。袖で手を隠すと、わたしたちは後藤の家
に向かった。
後藤と会って、どんな話をしよう? と考えてはいたが何も頭には浮
かんでこなかった。
わたしの前を歩く吉澤の表情は不機嫌なままだ。ため息をつきながら
とことん人に嫌われるな、と自嘲してみた。
後藤の家に着くと、吉澤がインターホンを鳴らす。しばらく静かな間
が開くと、ドアの向こうから返事と共にどたどたと近づいてくる音がし
た。
ドアが開く。出てきたのは後藤のお母さんだ。
「こんばんは」
わたしと吉澤は同時に頭を下げた。彼女の顔からはさっきの不機嫌な
表情は消えていた。
- 194 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月12日(日)04時20分11秒
「あら、吉澤さん」
「どうも。こんな遅くにすいません」
「いーえ、いつも真希がお世話になってます」
「いえいえ、こちらこそ」
そう言って二人は同時に頭を下げた(ついでにわたしも下げて見た)。
「真希ならまだ帰っていないのよ」
「帰ってない?」
吉澤の後ろでわたしは思わず声をあげた。今更ながらに後藤のお母さ
んはわたしの存在に気が付いて、びっくりするような表情をしていた。
「帰ってないって……どういうことっすか?」
わたしは吉澤の横から顔を出して言った。
「お仕事が休みだからって、遊びに行っちゃってねぇ」
「それでまだ帰ってないんですか?」
今度は吉澤が言った。
後藤のお母さんは心配そうに頷いた。
「ほら、昨日の事もあるし、さすがに心配なんだけど……真希は友達に
送ってもらうからって言って出て行っちゃってねぇ……」
「はあ」
「まったく電話も繋がらないし……何やっているんだか」
- 195 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月12日(日)04時20分48秒
わたしと吉澤はお互いに顔を合わせて、後藤がいないならここにいて
もしょうがないと言う結論にたどり着いた。こんな時間にすいませんで
した、とわたしたちは言って後藤のお母さんと別れた。
二人で帰り道を歩きながら、わたしは言った。
「こんなときに遊びに出かけるか? フツー」
なんだか少しだけ後藤に呆れているのに気が付いた。多分、それは吉
澤も同じだっただろうが、わたしの言葉にいちいち反論しないと気がす
まない彼女は後藤を庇うように言った。
- 196 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月12日(日)04時21分35秒
「ごっちんだって羽を伸ばしたい時だってあるんですよ」
「……羽を伸ばす、ね」
「今まで頑張ってきたんです。こう言うときぐらい、息を抜いたって罰
はあたりません」
「…………」
わたしは吉澤の顔を見た。どこか彼女の言葉にはそれが本心だという
感情が感じられなかった。わたしに向けられているはずのその言葉は、
自分自身に言い聞かせているように思えた。
独占欲が強いのかな。
わたしは吉澤を見て思った。
相手にとって自分が一番でありたい。そう思うから、自分以外に向け
られる思いが気に食わない。後藤が遊びに行ったと言う友達にも、そし
てわたしにも彼女には気に障るだけの存在でしかないのだろう。
別にわたしにもそう言う経験がなかったわけではない。だから吉澤の
気持ちは何となく理解できた。
- 197 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月12日(日)04時22分27秒
「でも……少し時間が遅すぎるね」
腕時計を見てわたしは言った。
「……そうですね」
吉澤の表情が曇る。
「……いくらなんでも、こんな時間まで帰ってこないのはどうかと思う
けど」
ストーカーに襲われたのは、日付にしてまだ一日もたっていない。そ
れなのにこんな時間まで姿を確認できないとなると言い知れない不安が
芽生え始める。
- 198 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月12日(日)04時24分14秒
「電話した方がいいかな?」
わたしは吉澤に聞いてみた。彼女はすぐにバックから携帯を取り出し
て後藤の番号を探していた。
どうしてもわたしに電話をさせたくないらしい。
「でも……」
吉澤は通話ボタンに指を置いたまま言った。
「ごっちん最近電源切ってるから、繋がらないかも」
「後藤のお母さんもそんなこと言ってたね……無言電話対策かな?」
「多分そうだと思います」
それでもとりあえず吉澤は電話を掛けて見た。しばらく携帯を耳に当
てたまま、無言になるが、やはり後藤とは繋がらなかったようだ。
吉澤の表情は曇ったままだ。その様子を見て、わたしも不安が芽生え
る。
本当に何かあったのではないか? そう一度思ってしまうと、いい加
減な想像が飛躍していき、ますます不安になっていく。
しかし何の確証もない。後藤本人に連絡が取れないなら、わたしたち
にはできることなどなかった。
- 199 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月12日(日)04時26分15秒
「大丈夫だよ……」
その気持ちを胸の奥に閉まって、このまま二人とも不安に陥ってはい
けないと思い、わたしは吉澤を勇気付けるように言った。
「友達に送ってもらうって言ってたみたいなんだからさ」
「でも……」
「後藤だってもう一人前なんだよ……自分の事は一番わかっているはず
だよ」
「…………」
吉澤はわたしの言葉には納得がいかないようだ。
彼女は呟く。
「市井さんはごっちんの事を心配してないんですね」
その言葉にわたしは何故かカチンと来た。
思わず吉澤を見上げる。
心配してない?
わたしが後藤のことを心配していない?
- 200 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月12日(日)04時27分40秒
いつもなら飲み込んでしまう言葉を、わたしは口に出そうとしたとき
だった。
まるで自分の言葉を遮るように、ポケットから携帯が高い音を出して
鳴った。
わたしは思わず出てきた言葉を、喉を通り過ぎる前に止める。しばら
く反応を取る事が出来ないわたしに、彼女は呟くように言った。
「……市井さん……鳴ってます」
「わかってるよ」
わたしはそう言ってポケットから携帯を取り出す。こんなときに一体
誰から電話だろうと液晶を見た。
わたしは息を呑む。
液晶には『後藤真希』と言う名前が表示されていた。
- 201 名前:名無し紗耶香 投稿日:2001年08月12日(日)12時45分47秒
- おお!更新されてる!
はじめまして作者さん。
今までずっとROMってましたが、あまりに面白いので
思わずカキコしてしまいました。
続き楽しみにしてます。
- 202 名前:名無し読者 投稿日:2001年08月13日(月)01時27分40秒
- ちょっと市井ちゃんの視界が開けてる感じ…
作者さんガムバッテ!!
- 203 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月18日(土)04時03分21秒
時計は十二時を過ぎている。
圭ちゃんの約束を守れそうにないことをわたしは悔やんだ。
タクシーで揺られながら隣の吉澤を見ると、その表情はずっと曇った
ままだ。多分、色んな感情が彼女の胸の中に存在していたのだろう。
わたしは携帯を取り出して、着信履歴の『後藤真希』と言う名前を何
度も見ていた。
後藤から最後に電話が来たのは、まだ冬が始まる前だったような気が
する。わたしの電話の中には、リダイアルにも履歴にも彼女の名前は存
在していなかったし、メールもすでに消えてしまっているからおぼろげ
にしか覚えていない。
結局、メールで喧嘩して以来、連絡を取っていなかった。もうどんな
理由で喧嘩したのかわたしは忘れてしまっている。
- 204 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月18日(土)04時04分12秒
「……何でごっちんは学校なんかにいるんだろう?」
隣にいる吉澤が呟いた。それはわたしに聞いているのではなく、彼女
自身に向けられていると気が付き言葉を返さなかった。
――今? 今学校にいるよ。
わたしは後藤との電話の内容を思い出していた。
今どこにいるのかと言う質問に、後藤は学校だと答えた。始めどこの
学校なのかわからなかったわたしに、彼女は自分の中学だと言った。
もちろんわたしは何でそんなところにいるのか聞いた。
――何となく来てみた。
次にわたしは彼女が一人であることを確認した。どうやら友達と別れ
た後、一人で家に帰る途中に学校の前を通りかかったらしい。何気なく
彼女は校庭に入り、そこからわたしに電話したようだった。
- 205 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月18日(土)04時04分58秒
――今日、久しぶりに友達と遊んだの。
後藤は呟くように言った。その声と共に風の雑音が混じっていた。
――変わったって言われちゃった。
吉澤はわたしを複雑な表情を浮かべて見ていた。多分、どうして自分
ではなくわたしに電話がかかってきたのかと言う感情と、単純に後藤を
心配している感情が交じり合っていたのだと思う。それは今も隣に座っ
ている吉澤の表情が変わらないことから言って間違いないだろう。
――多分、後藤のフツーの時間はここで過ごさなきゃいけなかったんだ
よ。でもお仕事が忙しかったし、全然学校の記憶がないの。だからかな
ぁ……あたしが頭悪いのは。
わたしは黙って後藤の言葉を待った。彼女の声がどこか強がるように
明るいことにわたしは異常性を感じた。
- 206 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月18日(土)04時05分47秒
――もしモーニング娘になってなかったら、あたし、どんな時間が過ご
せたのかな? あの頃のあたしはどうなっていたんだろう?
あの頃、と言う言葉にわたしの胸は反応した。
あの頃のわたし。
あの頃の後藤。
――市井ちゃん、迎えに来てよ。あたしのボディガードなんでしょう?
すぐ横で、吉澤が電話を替わってほしそうな顔をしていた。
――あたしを一人にしてたら、また襲われちゃうよ。
市井さん、と吉澤が声を出す。どうやらそれは電話の向こうの後藤に
も聞こえたらしい。
――市井ちゃんだけじゃないの? よっすぃーと一緒なの?
わたしがそうだと答えると、後藤はすぐに言葉を返した。
――市井ちゃん一人で来てよ。絶対だからね。
- 207 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月18日(土)04時06分29秒
プツン、とそれきり電話は切れた。
切れちゃった。
わたしが苦笑いして言うと、吉澤はすぐに自分の携帯を取り出して後
藤に電話をしたが、その時にはすでに電源が落とされていたらしい。
わたしも行きます。
一人で来い、と言われた事を告げると吉澤はそう言った。
心配なんです。だからわたしも行きます。
多分、何を言っても吉澤は付いてくるだろうと思った。だからわたし
は何も言わなかった。
後藤と吉澤の仲を考えて、付いて来たところで何の支障もないだろう
と考えていたし、地理的に後藤の学校がどこなのかわたしにはわからな
かったため、一人だと不安だと言うこともある。
でも一番の理由は、吉澤のわたしを見る視線には、嫉妬のようなもの
が含まれていたのに気が付いていたからかもしれない。一人で行って、
これ以上彼女を刺激したくなかった。
- 208 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月18日(土)04時07分20秒
「……どうして学校なんかに」
吉澤はまた呟いた。
それを聞いてわたしは思った。
――後藤のフツーの時間はここで過ごさなきゃいけなかったんだよ。
その言葉には、どんな意味があったのだろう? 言葉通りにモーニン
グをやめたいとも取れたが、その口調にはどこか違うものが混じってい
たように思える。
多分、後藤は自分の過ごした時間の象徴として、学校を見ていたのだ
ろう。
――あの頃のあたしは……。
彼女にとって、メンバーの中に『あの頃のあたし』と言う時間を見つ
けられなくなっているのだ。だから過ごすはずだった仮の時間に、何か
を求めていたのかもしれない。
- 209 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月18日(土)04時08分40秒
タクシーは五分もしないうちにわたし達を目的地に届けてくれた。こ
んなに近いとは思わなく、二人とも場所がわからなかっただけでタクシ
ーを呼んでしまった事に後悔した。
ドアが開くと吉澤が勢いよく飛び出していった。わたしは財布からお
金を取り出して運転手に渡す。
お釣りを貰ってから、わたしもタクシーから出ると、すでに吉澤の姿
が見えなくなっていた。
わたしはため息を付いて、校門から学校の中に入る。広く続く校庭を
歩きながら、街灯もない場所の闇を実感した。
その中ではわたしだけ一人になってしまったような感覚がした。目の
前には昼の存在感を消して、ただ不気味にそびえ立っている校舎が異様
な雰囲気をかもし出している。その大きな存在以外、周りを見ても闇だ
けがあって、一人だと言う孤独感を少しの間だけ味わった。
風がわたしを通り抜ける。
耳にはその音と共に、小さく人の声が聞こえた。
- 210 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月18日(土)04時09分31秒
振り返って目を凝らすと、闇の向こう側に微かだが人影らしきものが
二つ見えた。
わたしはゆっくりと小走りをして、彼女たちの元に駆けつけようとし
たが、徐々に近くなるうちにつれて、その足はスピードを緩め、いつし
か止めていた。
二人の姿はすでに確認できる位置までいた。微かにだが、話している
声も聞こえてくる。
しかしその話し声は、友達と会って嬉しさに弾んでいるものではなか
った。
後藤がわたしに声を掛けるときのように、鋭く尖っていた。
わたしはゆっくりと歩いて彼女たちの元に近づく。徐々に聞こえてく
る二人の声。
「わたし……心配……ごっちんが……トーカーに……」
- 211 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月18日(土)04時10分19秒
-
吉澤が必死に後藤に話し掛けている。しかし後藤からは何の返事も無
く、顔を下げたまま首を横に振っていた。
わたしは二人から数メートルしか離れていない場所で足を止めた。多
分吉澤はわたしが近づいてきた事に気が付いていたようだが、後藤に話
し掛けることだけで手一杯になって一度もこっちに視線を向けない。
「なんで……よっすぃーも来たの……」
後藤が小さく呟いた。
吉澤は少しだけ胸を痛めたようで、眉を一瞬だけ動かした。
「だから、何度も言ったでしょう。わたしはごっちんのことが心配だっ
たから来たんだよ。ストーカーに襲われたって聞いたときから、ずっと
心配していたんだよ」
後藤はずっと首を横に振っていた。まるで吉澤の言葉を全て頭の中か
ら消し去ろうとしているようにわたしには見えた。
後藤はまた呟く。
「なんで……よっすぃーも来たの……」
「ごっちん……」
- 212 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月18日(土)04時10分53秒
どうやら吉澤に向けられていた言葉はずっと同じ物だったらしい。そ
の同じ言葉に、吉澤は必死に答えていたようだ。
わたしは一歩前に踏み出して言った。
「後藤……」
わたしの言葉に、後藤はすぐに顔を上げて視線を向けてきた。
通り過ぎた風に、彼女の髪の毛が顔にかかった。
後藤はその髪の毛を昨日、切りつけられた左手ですくい上げる。
「市井ちゃん……なんで……」
後藤が言いたいことはわかった。どうして一人で来なかったのかとそ
の表情は物語っていた。
- 213 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月18日(土)04時11分42秒
わたしは、一人で来ようと吉澤がついてこようと、そんな事はあまり
重大な事ではないと考えていた。むしろ後藤と二人きりでいるよりも一
番の仲良しの吉澤がいた方が彼女には良いとも思っていた。
でも、それは少し無神経だったのかもしれない。
わたしが黙っていると、後藤は言った。
「市井ちゃんは約束も守れないんだね」
その言葉は闇の中に響く。
吉澤はようやくわたしに恐る恐る視線を向けた。
みんな臆病になっていた。
自分の行動を、必死に頭の中で正当化しようとしていた。
後藤はわたしを呼んだ事。
吉澤はわたしに付いてきた事。
そしてわたしは吉澤を連れてきた事。
- 214 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月18日(土)04時12分29秒
「約束なんてしてないよ……後藤が一方的に電話を切っただけじゃん」
「……じゃあ、頼みも聞いてくれないんだ」
自分が付いて来てしまった事で後藤が不機嫌になってしまったと気が
付いていた吉澤は、わたしと後藤の顔を交互に見ていた。
多分、吉澤は後藤の反応が意外にも冷たい事に驚いているのかもしれ
ない。後藤は自分が傍にいればいつも笑ってくれるのだから、今もきっ
とそうなるはずだと考えていたようだった。
「ねぇごっちん。わたしは本当に心配だったの」
吉澤は後藤を見て言った。
しかし後藤の視線はわたしに向けられたまま。
- 215 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月18日(土)04時13分23秒
-
「最近ごっちんの様子が変だったのにわたし気が付いていたから、スト
ーカーに襲われたって今日聞いてこの事だったんだって。ごっちんわた
しに何の相談もしてくれないから……気が付いてあげられなかったから
……仕事が終わってお見舞いに来たんだよ」
「…………」
吉澤がいくら喋っても、後藤の視線はずっとわたしに向けられたまま
だった。どうやらそれが気に入らなくなってきたのか、吉澤の声は段々
と大きくなっていった。
「ねぇ、本当にわたしは心配したんだよ。誰よりも、一番ごっちんの事
を心配していたんだよ。わたしが近くに居たら、ごっちんのことを守っ
てあげられてた。ごっちんに恐い思いもさせなかった。だからね……ご
っちん、だからね……わたしは誰よりも一番ごっちんの事を考えている
んだよ」
- 216 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月18日(土)04時14分18秒
後藤はその言葉にも何の反応も示さなかった。自分の言葉が無視され
ているとでも思ったらしい吉澤は、段々とヒートアップしてきて、後藤
の元まで歩み寄ると彼女の両肩を掴んだ。
「ねぇ! 何で市井さんなの!」
その声は暗い闇の中でこだました。
吉澤の声に後藤はわたしから視線を外した。しかしそれでも彼女を見
る事は無く、顔は下がったまま目が閉じられていた。
「何でわたしに電話してくれなかったの!」
わたしは黙ったまま二人の様子を伺う。
後藤から電話が来たときの吉澤の表情を思い出す。
彼女ではなく、わたしにかかってきた電話。
- 217 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月18日(土)04時15分09秒
「ねぇわたしいつもごっちんの傍にいたじゃん! プッチでも娘でも!
一緒にオフとかも過ごしてきたじゃん! それなのに何でずっとごっち
んのことほったらかしにしてた市井さんなの!」
吉澤の声は周りに響き渡った。
わたしはその声を聞きながら、ぼんやりと吉澤はずっとこう言うふう
に思っていたんだと、冷静になっている自分に気が付いた。
一向に自分を見てくれない後藤に吉澤はイラつきを感じているようで、
掴んでいる肩を前後に動かす。その度に後藤の体は力ない人形のように
揺れた。
――市井さんが居るだけ、ダメなんです。
いつか吉澤に言われた言葉を思い出した。
あの言葉は、後藤だけではなく吉澤自身の事でもあったのだろう。
- 218 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月18日(土)04時15分55秒
「ねぇ! ごっちん何か答え――」
「ウザい」
ぽつりと呟いた後藤の声に吉澤の動きが止まった。
「後藤……?」
わたしは声を掛ける。
後藤はゆっくりと顔を上げて吉澤を見た。
吉澤の表情は凍りついたままだ。
「よっすぃー、ウザいよ」
「え……?」
- 219 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月18日(土)04時16分35秒
「何でも自分がって……あたし、よっすぃーに守られなくても大丈夫な
のに、いつもおせっかいばっかり」
「……ごっちん?」
「よっすぃーはあたしを思ってここに駆けつけたんじゃないんだよ。自
分を守りたいからここに来たんだよ。あたしが心配って言って、自分の
事、いい人だって思いたいだけなんだよ」
「……わたし……そんな事……」
「だからウザいんだよ、よっすぃーは」
後藤の言葉に吉澤はショックを受けたようで、握っていた両肩から手
を離していた。ぼんやりとその後藤を見る眼は虚ろで、何も言葉を返す
事が出来ないようだ。
多分、吉澤の中で、何度も後藤の言葉がリピートされていたんだと思
う。鐘のように、一度鳴ったら何度でも響いてしまう。
放心状態になっている吉澤を見てわたしは我に戻った。
- 220 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月18日(土)04時17分14秒
「後藤、言いすぎだよ」
「…………」
「吉澤は本当に後藤のこと心配していたんだよ」
「……そんなの関係ないもん」
後藤は拗ねるように唇を尖らせて言った。
その態度にわたしは頭に来た。彼女の元に歩み寄りながら思わず声を
張り上げる。
「後藤! 吉澤がどう言う気持ちでここに来たのかわかってるの!」
「そんなの関係ないって言ったじゃん!」
後藤の声はどこか悲鳴とも近くて、わたしは足を止めた。
- 221 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月18日(土)04時18分12秒
冷たい風がまた通り過ぎて、その後に残ったのは静寂が続く世界。ま
るで時間が止まってしまったのではないだろうかと錯覚してしまうよう
な、静寂だった。
その時間を切り裂いたのは吉澤だった。
何かに怯えるように一歩二歩と後ずさりをしながら、弱々しく声をあ
げる。
「あ……ごめん……ごめんなさい……」
「吉澤?」
「ごめん……わたし……ごめんなさい」
「吉澤? どうしたの?」
- 222 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月18日(土)04時18分58秒
吉澤はしばらくの間首を横に振りつづけた。そしてわたしと後藤を交
互に見てから、もう一度小さく、ごめんなさい、と呟いて逃げるように
走り出した。
「吉澤!」
わたしは後を追おうと二三歩駆け出して、足を止めた。
振り返ると後藤が顔を下げたまま立っている姿が見えた。
また一人にして、襲われてしまったら――。
吉澤の姿が闇の中に消えて、足音もしなくなった。彼女が心配だった
が、後藤を一人にする事はもう出来なかった。
「……帰るよ」
わたしは後藤の腕を握る。
しかし彼女はその手を振り払った。
「後藤」
彼女は顔を上げて小さな声で言った。
「そっちの腕、怪我した方だよ」
そう言って後藤は目の前を通り過ぎて歩き出した。
わたしはため息を付いて後を追う。
その頃には、完全に吉澤の姿はこの近くには無くなっていた。
- 223 名前:名無し読者 投稿日:2001年08月18日(土)14時31分06秒
- よっすぃ・・・・・。
後藤、醜い。
- 224 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月19日(日)01時46分37秒
- ごっちん素直になってくれ・・・
- 225 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月19日(日)02時04分58秒
- 後藤がすごく痛い・・・
- 226 名前:名無し読者 投稿日:2001年08月19日(日)07時32分19秒
- いや、むしろ市井くんがむばって…
- 227 名前:名無し読者 投稿日:2001年08月19日(日)10時33分01秒
- 吉澤までも破滅の予感…
- 228 名前:名無し読者 投稿日:2001年08月20日(月)02時34分01秒
- やっぱり、この小説の結末は市井しだいだな。
- 229 名前:名無し読者 投稿日:2001年08月25日(土)00時14分52秒
- 続き待ってます。
- 230 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月25日(土)13時32分34秒
無言のまま後藤と暗い道を歩く。
気まずい空気が流れて、なおかつ吉澤の事を気に掛けていたわたしは、
一刻も早く後藤を送ってしまいたかったが、学校から彼女の家がそんな
に離れていない事は確認できていたし、金銭面で節約しなくてはいけな
かったためタクシーは呼べなかった。現実的な問題の方が優先される事
に、少し嫌な気分になりながらも、わたしは徒歩と言う選択をした。
隣で歩いている後藤は、大事そうに鞄を抱いたまま顔を下げていた。
横でわたしが歩いていなければ、きっと自分がどこに向かっているのか
もわからないだろう。
- 231 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月25日(土)13時33分41秒
――ウザい。
後藤の言葉が頭を過ぎる。
彼女は吉澤の事をそう思っていたのだろうか? 互いに笑いながら話
しているのに、後藤はずっとウザい、と思っていたのだろうか?
心配してくれた相手になんて事を言うんだ、と言うような説教を昔の
わたしならしたかもしれない。いや、それぐらいなら今でも言える。た
だこうして無言のまま歩いているのは、その言葉が本当に今の後藤に必
要なのかわからなかったからだ。
後藤にとって、何が必要なんだろうか?
他人の気持ちを理解する事は無理だろうが、ある程度察する事はでき
る。例えばわたしを嫌っている吉澤や、期待を寄せている圭ちゃん。言
葉や態度でそう言った事がわかるはずなのに、今の後藤は何が必要で、
わたしに何を求めているのかまったくわからなかった。
- 232 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月25日(土)13時34分32秒
-
「後藤……一人でいるのは危険だよ」
後藤の行動に対してわたしは言った。
「……今日は大丈夫だもん」
後藤は呟く。
「そんなの後藤が決める事じゃないでしょう? また襲われたら、今度
はそんな怪我じゃすまないかもしれないんだよ」
「……そうなったら、あたし娘やめる」
冗談で言っているような口調ではなかった。しかし思い詰めて口に出
したわけでもない。まるで会話の流れでその言葉が出てくる事が必然だ
ったかのように、後藤の口からやめる、と出た。
「…………」
わたしは何も言葉を返さなかった。
多分、後藤もわたしの言葉に何も期待ななどしてない。
わたしは黙って後藤を見た。
- 233 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月25日(土)13時35分32秒
唇を少しだけ尖らせて、目線を地面に落としている表情。鞄を大事そ
うに抱きかかえているため、肩が小さく丸められているようだった。
まるで、母親に叱られた後の子供だ。
彼女の家はいつの間にか近づいていて、数十メートルほど前まで来る
と後藤は上目遣いにわたしを見て言った。
「ここでいいや」
「…………」
後藤は駆け足で家に向かった。
ドアを開けて家の中に消えていく姿を見ながら、わたしはぼんやりと
考える。
そう言えば、後藤が大事そうに持っている鞄、わたしが選んであげた
やつだ。
昔、オフの時に一緒に買い物したんだった。
どうでもいい事なのに、何故かそんなことを思い出していた。
- 234 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月25日(土)13時36分45秒
- ◇
吉澤に電話をしてみた。
彼女の番号はわたしがやめる前に聞いたもので、今でも繋がるのか不
安だったが、コールが数回なると弱々しい声が耳に届いた。
「吉澤?」
わたしは携帯を持つ手を直しながら言った。
あても無く歩きつづけて、わたしは車通りが多い歩道に出ていた。街
灯が数十メートルおきに配置されている上に、通り過ぎるヘッドライト
や自販機の光で、今が深夜だと言う事を忘れ去られてしまう。
車道と歩道を分ける柵をなぞりながら歩きつづけると、電話の向こう
側も車通りが多いのだと気がついた。
「市井……さん」
吉澤が呟いた。
その後ろには通り過ぎる車の音。
- 235 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月25日(土)13時37分32秒
「吉澤……今、どこにいるの?」
吉澤の弱々しい声が後ろの車の音で聞き逃さないように、わたしは強
く携帯を耳に押し当てる。
「ごっちんは……大丈夫ですか?」
何に対して彼女が心配しているのかわからなかったが、わたしはうん、
と頷いた。それを聞いた吉澤は、気のせいかもしれないがため息みたい
なものを付いたような気がする。
それがどう言う意味を持っていたのか、わたしにはわからない。
「後藤はちゃんと家に帰ったよ……吉澤、あんたはどこに居るの?」
- 236 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月25日(土)13時38分17秒
吉澤はなかなか自分の居場所を喋ろうとはしなかった。もしかしたら
わたしと顔を合わせることが嫌だったのかもしれない。そう気が付いて
いても、吉澤をほっておく事が出来なかった。
わたしはもう一度言った。
「今、どこに居るの?」
その時一台のトラックがわたしの横を通り過ぎていった。
重々しい音が体に響く。それと同時にわたしは気が付いた。
電話の向こう側にも、今のトラックが通り過ぎた音がした事に。
わたしは顔を上げる。
「……目の前にいますよ」
わたしが居る歩道側の道路を挟んだ反対側に、吉澤は携帯を耳に当て
ながら立っていた。
「吉澤……」
彼女はずっとわたしを見ていたようだった。
- 237 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月25日(土)13時39分26秒
- ◇
「どっちがいい?」
わたしはベンチにうな垂れて座っている吉澤に、両手に持っているジ
ュースを見せながら言った。
吉澤はゆっくりと顔を上げて呟く。
「……どっちも同じじゃないですか」
わたしたちは車通りが多い所から離れて、路地に入り込んだ中の小さ
な公園にいた。人の姿は一切無く、一つだけある街灯の光も切れ始めて
いるのか点滅していた。
ここがどこの公園なのかわたしたちにはわからなかった。それでも一
応芸能人の吉澤がそばに居るのだから、人目が多い所は避けなければい
けない。そう考えて迷い歩いた挙句、こんな寂れた公園を見つけて中に
入ったのだ。
- 238 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月25日(土)13時40分29秒
わたしは隣に座ると、ジュースのプルタグを開ける。プシュという小
さな音でさえも、辺りに響くのではないかと言うぐらい、静まり返って
いた。
ジュースに口をつけると、炭酸が喉を刺激して疲れた頭を蘇らせてく
れた。ホッと息が出て、今日始めて安堵しているのだと気が付く。
吉澤はジュースに口をつけることは無く、それを両手で挟みながら頭
を下げている。少し前までのわたしを責めるような勢いは、見る形もな
くなっていた。
- 239 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月25日(土)13時41分14秒
「吉澤……」
わたしは遠くに広がる闇に視線を向けながら呟く。
横では彼女の息遣いが微かだが聞こえた。
「後藤の事はあまり気にしない方がいいよ」
「…………」
「後藤、疲れているんだよ。ストーカーの事とかで疲れちゃっているん
だよ……だから、気にすることは無いよ」
「…………」
吉澤はわたしの言葉に何も答えなかった。
わたしの言葉が単なる慰めの言葉であることは、自分でも理解してい
た。それも当り障りがない内容の言葉だ。それをわかっていながらも、
そういったことを喋ったのは、吉澤にどんな言葉が本当に必要なのか、
わたしにはわからなかったからだ。
吉澤にとって、後藤がどれくらいの存在だったのか、わたしにはわか
らなかった。
- 240 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月25日(土)13時42分08秒
「ごっちんは……大丈夫なんですか?」
小さな風が通り過ぎると、吉澤は顔を下げたまま呟く。わたしは彼女
に視線を落としながら、その言葉の意味を理解しようと頭を働かせるが、
それが終わる前に言葉が続いた。
「ごっちん……今大変なんです……」
「吉澤?」
「……だから……わたし……」
その後の言葉は吉澤の中で消えた。
わたしは背中を丸めて顔を下げている吉澤を見て、段々と痛々しくな
る。
こんなにも自分を傷つけてまで、どうして後藤を庇おうとするのだろ
うか?
仲の良い間柄だったのはわかる。それでも必死で心配をしている相手
に、後藤は拒絶するような言葉を吐いたのだ。吉澤の落ち込み方を見る
と、わたしに嫌悪を向けていたのにもかかわらず、同情心が沸いてきた。
気が付くと後藤のした事に腹が立っている自分がいた。それは多分、
吉澤だけを思っていたわけではない。後藤に付き添いながらも傷つけら
れてきたわたしのやり場の無い気持ちも含まれていた。
- 241 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月25日(土)13時42分52秒
「なんで、そこまでアイツに執着するの?」
わたしがそう呟くと、気のせいかもしれないが吉澤の息遣いが、一瞬
の間だけ止まったような気がした。
「後藤にそこまで執着する意味があるの? そこまでの価値がアイツに
あるの?」
「…………」
「自分の思い通りにならないからってあんなことを言う奴だよ。心配し
てくれた相手を、自分のわがままで傷つける奴だよ……最低じゃん、そ
んなのってさ」
そう言いながら、わたしは訳のわからない重さを胸の奥に感じていた。
後藤のことを悪く言うたびに、まるで自分を追い詰めていっているよう
な、そんな感じだ。
わたしは持っていたジュースをベンチに置く。手がいつの間にか冷え
ていたのに気が付かなかった。
- 242 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月25日(土)13時44分06秒
「……でも……ごっちんが言っていた事はあってました」
「…………」
カチンカチンと吉澤はジュースのプルタグを弾きながら言った。
「ごっちん、気が付いていたんだ……ずっと気が付いていたんだ」
「……気が付いていた?」
また風が吹いて、吉澤の髪がなびいた。その揺れる髪の毛からわずか
に覗かせた彼女の顔は無表情で、目の焦点はどこにもあっていない。
「わたしが自分を守るためにごっちんと仲良くしていた事に、気が付い
ていたんだ……」
「…………」
「モーニング娘で一番人気のごっちんとわたしは仲良しだって、優越感
に立っているわたしに、ずっと気が付いていたんですよ」
「優越感って……それは違うでしょう」
- 243 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月25日(土)13時44分53秒
吉澤はわたしの言葉にただ首を横に振りつづけた。
「友達なんだから、後藤だって吉澤と仲良くする事で楽しかったんだよ。
吉澤だってそうでしょう? 後藤と一緒にいると――」
「違うんです」
わたしは思わず言葉を切る。
何が違うと言うのだろう?
吉澤はわずかな間を空けると言った。
「ごっちんにはわたししか居なかった。でもわたしにはみんなが居た。
梨華ちゃんも矢口さんも保田さんも……わたしの周りにはみんなが居た。
でも、ごっちんにはわたしだけだった。そのことにわたしは優越感を感
じていたんです」
「…………」
クスッと吉澤は笑った。しかしそれは自嘲的な笑みだ。
- 244 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月25日(土)13時45分38秒
「ごっちんはわたししか仲良く出来ない。プッチでも娘でもセンターを
張っているあのごっちんが、わたしとしか仲良く出来ないんですよ……
嬉しいじゃないですか……わたしにはみんなが居る。ごっちん一人だけ
じゃない。わたしはごっちんとの間に優位な立場で関係を築けていた」
「……吉澤」
「きっとごっちんはわたしを求めている……わたしが居なくなったら、
ごっちん一人になるから。だからわたしを必死で求めているって……そ
う感じるだけで嬉しいじゃないですか……でも……」
吉澤はそこで言葉を切る。それはわたしへの躊躇いではなかった。多
分、その後の言葉を言う事で、その事実を認めてしまうと思ったようだ。
しかし彼女はそれでも呟いた。
「……でも……市井さんが現れて変わった……」
「…………」
- 245 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月25日(土)13時46分17秒
「ごっちんに、市井さんが現れた。わたし以外の人が現れた。なんだか
そう思うと追い詰められていくようで……」
――市井さんが居るだけ、ダメなんです。
またあの言葉を思い出した。
吉澤のジュースを持つ手は力が無くなってきている様で、滑り落ちて
地面を転がる。
わたしは転がるジュースの缶に視線を向けた。
二人とも、それを拾おうとは思わなかった。
「ごっちんから求められなくなったら、わたしは何を頼りにすればいい
のかわからない。せっかく手に入れた自信が、突然現れた市井さんに持
っていかれるんだって……恐くて……わたし……恐くて……」
- 246 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月25日(土)13時47分03秒
ああ、そうか。
わたしはやっとでわかった。
吉澤にとって、後藤とは自分の存在意義だったんだ。
わたしが過去の自分に依存していたように、吉澤は後藤が自分を求め
ていると言う優越感に依存していたんだ。
厳しい環境の中、何かに依存しなければきっと仕事を続けていく事が
出来ないのだろう。それはわたしにも理解できる。昔のわたしは、メン
バーの全てに依存していたし、逆に彼女たちがわたしにそうしてくれる
事を望んだ。
あの頃のわたしは一人ではなかった。
きっとメンバーそれぞれも、一人ではなかった。
だからわたしたちはやってこれたのだと思う。
- 247 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月25日(土)13時47分54秒
でも、昔とは明らかに変わってしまったメンバーたち。
その中で自分を守ろうとするには、吉澤のように優越感などを利用し
ないといけないのかもしれない。
何だか、そう思うと胸の奥が苦しくなった。
わたしが愛した場所は、いつの間にそんなふうに変わってしまったの
だろう?
――市井ちゃんがやめて、モーニングは変わったんだよ。
後藤が言った言葉を思い出す。
こう言うことだったんだ。
ふと気が付くと、吉澤が立ち上がっていた。
- 248 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月25日(土)13時48分43秒
「吉澤……」
彼女は一歩二歩と歩きながら言った。
「もう……帰らないと……」
わたしは腕時計を見る。深夜の一時を回っていた。
「吉澤……」
「大丈夫です……大丈夫……」
ベンチから立ち上がる。吉澤は大丈夫、と自分に言い聞かせるように
何度も呟きながら歩き出していた。
わたしは後を追って声を掛けた。
「圭ちゃんの所に泊まっていかない?」
許可は取っていないが、圭ちゃんならきっと快く承諾してくれるだろ
う。しかし吉澤は振り返らないまま首を横に振った。
「大丈夫です……わたし……大丈夫……です……」
「…………」
- 249 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月25日(土)13時49分26秒
わたしは立ち止まって歩いていく吉澤の背中を見る事しか出来なかっ
た。
今の彼女にどんな言葉を掛けてあげたらいいのか、まったくわからな
い。小さくなっていく背中を見送りつづける事しか出来なかった。
風が吹く。
コロコロと吉澤が落としたジュースの缶が転がっていた。それはわた
しの足元まで来ると、靴にあたって止まる。
ゆっくりとかがんでそれを拾う。
顔を上げると、吉澤の姿は闇の中に消え始めていた。
わたしはその消えていく背中を見ながら、言い知れない危機感を吉澤
に感じていた。
- 250 名前:名無し読者 投稿日:2001年08月25日(土)16時50分02秒
- ちゃむ…早く気づけ…
- 251 名前:名無し読者 投稿日:2001年08月28日(火)02時14分56秒
- よっすぃ〜を救え!!
- 252 名前:名無し読者 投稿日:2001年09月05日(水)01時41分37秒
- 痛みを乗り越えヒーローになるのだ!ちゃむ〜!!
- 253 名前:名無しさん 投稿日:2001年09月06日(木)04時11分30秒
- 多分、第三者から見れば今の楽屋の雰囲気はいつもと変わらなく写るだ
ろう。
ざわざわと賑わっていて、笑顔が絶えない。
そんな感じに見えるはずだ。
わたしはいつものように矢口に捕まりながら、明日のオフの予定を話し
ていた。正直、疲れてしまったわたしはせっかくのオフなのだからゆっく
りと過ごしたかったが、矢口の楽しそうな顔を見ていると断る事が出来な
かった。まあ気分を変えるという意味で、久しぶりに遊ぶのもいい事かも
しれない。
そう思いながらも、わたしは楽屋の雰囲気の異常さを感じていた。
いつものように後藤がMDを聞きながら一人でパイプ椅子に座ってい
る。もちろん彼女に話し掛けるものなんて一人も居なく、後藤自身もそれ
を期待しているようには見えなかった。しかし今の楽屋の雰囲気をおかし
くしているのは彼女の存在ではない。
わたしは楽屋のドアに視線を向けた。
数分前、吉澤は裕ちゃんに呼び出されて楽屋から出て行った。それはメ
ンバーたちも予想していた出来事で、誰も驚きの表情は無く、黙って楽屋
から出る二人を見ていた。
雰囲気をおかしくしていた原因は、吉澤の存在だった。
- 254 名前:名無しさん 投稿日:2001年09月06日(木)04時12分59秒
それは二本撮りのテレビの収録。いつものように集合時間に集まるメン
バーたち。わたしは圭ちゃんと共に行動していた。
ほとんどのメンバーが集まっている中、いつも時間ぎりぎりに現れる後
藤が少し早めに現れる。わたしはその後藤と視線を合わせると、彼女はい
つものように小さな声で挨拶をしてから壁際に自分の居場所を作ってい
た。
後藤は何も変わっていなかった。メンバーからストーカーに襲われた事
に対して心配した声も上がらなかったし、長袖で隠れている包帯の存在も
彼女たちは気が付かなかっただろう。
収録の時間が迫ってきている中、楽屋に突然マネージャーが慌てた様子
で入ってくる。どうやら吉澤がなかなか姿を現さないらしい。確かに楽屋
に吉澤の姿は無かった。メンバーはすでにメイクも済ませていて、衣装に
身を包んでいる中、こんな時間になっても現れない彼女にマネージャーは
あたふたと動き回っていた。
もちろん携帯にも実家にも電話を掛けたらしい。しかし予想通り吉澤を
確認する事が出来なかったようだ。
- 255 名前:名無しさん 投稿日:2001年09月06日(木)04時14分10秒
収録時間が過ぎても吉澤は現れない。スタッフさんたちも慌てだして、
裕ちゃんが何度も頭を下げていた。三十分ほど待っても現れない彼女に、
これ以上時間を押す事は出来なく、メンバーは九人で仕事をする事になっ
た。もちろん適当な理由で吉澤は休みだと言う事にする。
収録の様子を見ているわたしの横では、次の二本目には吉澤を間に合わ
せるためにスタッフさんとマネージャーが外に出て行ったりして、色々と
慌しかった。
――大丈夫です……大丈夫……。
昨日の吉澤の言葉を思い出した。
どこが大丈夫なんだよ。
一本目の収録が終わる間際になって、吉澤はふらりと現れた。スタジオ
にマネージャーと共に現れた彼女は、色んな人に頭を下げていて、それが
終わるとメンバーに視線を向けた。しかしその表情はまるで覇気が無く、
目の下には隅みたいな物が出来ていた。
- 256 名前:名無しさん 投稿日:2001年09月06日(木)04時15分06秒
あれから寝てないのか。
わたしは遠巻きから吉澤の姿をみながら思った。
すぐに楽屋へと一人移動していく彼女に付き添っているマネージャー
は、怒りの色を口には出さなかったが顔には浮かべていた。多分、二人っ
きりになったら説教が待っているのだろう。
吉澤は二本目の収録から参加した。
カメラの前に立つ吉澤の顔は、見事にメイクアップされていて、目の下
の隈も綺麗に隠されていた。パッと見ただけではいつもの吉澤と変わらな
く見える。
しかし収録が進むにつれて、それが間違いである事が明らかになってい
く。
- 257 名前:名無しさん 投稿日:2001年09月06日(木)04時15分52秒
いつも通りなのは見た目だけで、仕事への姿勢はまったく違った。まる
で前に圭ちゃんが後藤を怒った時のラジオ収録のように、吉澤はセットの
中で呆然と立ち尽くしているだけだった。
話を振られても答える事が出来ず、笑顔一つ作らない。カメラを不思議
そうに見たかと思うと、ぼんやりとその視線を空中で泳がせていた。
遅刻して、色んな人に迷惑を掛けた人物の取る態度ではなかった。
スタッフの人たちも含め、メンバーも吉澤の様子がおかしい事に気が付
いていたが、収録を止める事は出来ない。多分、オンエアではうまく編集
される事だろう。
収録が終わって、お疲れさま、と挨拶をする事もメンバーは、吉澤の事
があったためいつもの元気が無かった。
戻ってくる吉澤を、わたしはおつかれ、と声を掛けてみる。しかし彼女
は一瞬だけ鋭い視線を向けると返事も返さないまま、メンバーの一番後ろ
について楽屋に戻っていった。
わたしはため息をついた。
- 258 名前:名無しさん 投稿日:2001年09月06日(木)04時16分45秒
一瞬の間だけだが、向けられた鋭い視線には、昨日までのように嫌悪が
含まれているものではなかった。もちろんそんな視線を感じる事自体、歓
迎できる事ではないのだが、あの一瞬の視線には憎悪みたいな物を感じた。
どうやらわたしは吉澤に憎まれたようだ。
憎まれる事と嫌われる事では、その違いは大きいものだとわたしは思う。
少なくともこれまでの人生で、直接関ってきた人達の中に嫌われた人は居
たが、憎まれていたと言うような人物は居なかった。
わたし、吉澤に何をしたんだろうか?
わたしはただ、あの子を心配しただけだ。
しかし、そう思ってみても彼女があの後家に戻って、今日ここに現れる
までの間にどんなことを考えていたのかわたしには想像できない。吉澤の
中で、わたしの存在がどう言う位置付けにされたのかは、本人しか知らな
い事だ。
- 259 名前:名無しさん 投稿日:2001年09月06日(木)04時17分44秒
楽屋に戻ると、メンバーの話している声は聞こえてこなかった。衣装を
着替えたりと各々の行動をしているのにもかかわらず、聞こえてくるのは
その物音だけ。
理由はわかっていた。
吉澤がその空気を作っていたからだ。
ただでさえ、空気のような存在の後藤がいて、その上明らかに様子がお
かしい吉澤の存在だ。そんな雰囲気の中、誰も口を開く勇気はなかった。
衣装を着替えた吉澤を見計らって、裕ちゃんが声を掛けていた。それは
多分リーダーとしての義務だったのかもしれない。注意をする事も、どこ
か裕ちゃんは疲れているような感じに見えて、義務感だけで動いているよ
うだった。
- 260 名前:名無しさん 投稿日:2001年09月06日(木)04時18分25秒
裕ちゃんは吉澤を連れて楽屋から出て行った。
それを見ていたメンバーたちは、少しの間だけ沈黙していたが、どこか
らともなくいつものような会話が始まる。
吉澤が居なくなっただけで、楽屋の空気はガラリと変わる。それでも底
のほうでは、いつこの空気が変わってもおかしくない、と言う緊張感がひ
っそりと存在していた事に、みんな気が付いていた。だからこそ、どこか
無理に明るくしていると言う印象をわたしは感じていた。
「――トみたいにしようよ。明るく楽しくさ」
矢口の言葉にわたしは我に戻る。話を聞いていなかったことが、すぐに
彼女は気が付いたらしく、不機嫌な表情をするとわたしの胸を軽く叩いた。
「何? 紗耶香はあたしとオフを過ごすのが嫌なのかよー」
「違うよ。そんなことないって……明るく楽しくね。ちゃんと聞いていた
よ」
そう言うと矢口はすぐに満足そうに微笑んだ。
- 261 名前:名無しさん 投稿日:2001年09月06日(木)04時19分07秒
「デートみたくしようぜ」
「週刊誌に撮られたら大変だね」
「あたしは相手が紗耶香だったら構わないけどね」
「光栄なお言葉ありがとうございます」
わたしがそう言うと、矢口はキャハハと笑った。
ガチャリと楽屋のドアが開いて裕ちゃんが入ってきた。一瞬だけ静かに
なったが、すぐにまた声が聞こえ出す。空気を変えないように、どこか無
理をしているのだな、と冷静に思っている自分がいた。
楽屋に入った裕ちゃんとわたしは目が合った。
「裕ちゃん……」
わたしが何を言いたいのかわかったらしく、裕ちゃんは無言のまま首を
横に振ってわたしの横を通り過ぎていった。
- 262 名前:名無しさん 投稿日:2001年09月06日(木)04時19分57秒
それからしばらくして、顔を下げたままの吉澤が楽屋に戻ってくる。今
度は周りは静まる事は無かったが、誰も吉澤に声を掛けようとするものは
居なかった。
吉澤は一番奥に移動すると、後藤のようにみんなから離れた場所でパイ
プ椅子に座り込んだ。顔は下がったままで、丸まった背中のせいか、凄く
小さく写った。
裕ちゃんは疲れてしまったのか、椅子に座ったまま腕を組んでしまって
いる。誰とも話そうとしないのは、多分吉澤のことを考えていたのだと思
う。考えてみれば裕ちゃんはもう少しで娘をやめていく人だ。それなのに
最後までリーダーの役割を忘れないのは、やはり大人なのだと思う。
でも、それは尊敬に値するほど凄い事なのだとわたしは思っているのに、
その裕ちゃんの姿をみて、まるで膨らみすぎた風船を目の前にしているよ
うな危うさを胸の奥に感じていた。
いや裕ちゃんだけではなかった。わたしがここに戻ってきてからのメン
バー全員に、もしかしたらわたしはその危うさを感じていたように思う。
何かきっかけがあれば、みんな弾けてしまう。そしてきっと元には戻る事
は無い、そんな漠然とした不安が芽生えていた。
- 263 名前:名無しさん 投稿日:2001年09月06日(木)04時20分40秒
「……よっすいー」
ふと気が付くと、比較的吉澤の近くに居た石川がゆっくりと歩み寄りな
がら声を掛けているのが聞こえてきた。わたしは思わず視線を向ける。
「……大丈夫?」
「…………」
吉澤は何も答えずただ首を下げているだけ。気が付くとみんなは話をし
ているのにもかかわらず、その二人に視線を向けていた。
「具合が悪いの? 顔色悪いよ……」
石川はどこか腫れ物を触るような感じで吉澤に話し掛けていた。心配し
ているのだが、どう言う風に声を掛けていいのかわからないと言う戸惑い
を感じる事が出来た。
「ほっといて」
吉澤がぽつりと呟く。
- 264 名前:名無しさん 投稿日:2001年09月06日(木)04時21分25秒
「……よっすぃー」
石川は眉間に皺を寄せる。
「遅刻とか……そう言うのって誰にでもあることだと思うから……」
必死で慰めようとしている石川の気持ちが、誇張された彼女の仕草で理
解する事が出来た。
「一人にさせて……」
また吉澤が呟く。しかしその声を聞くたびに石川は不安になっていくよ
うで、声を掛ける事によって自分を安心させているように見えた。
- 265 名前:名無しさん 投稿日:2001年09月06日(木)04時22分15秒
「遅刻はいけないことだと思うけど、もう過ぎちゃった事なんだからこれ
から頑張ればいいと思うよ」
「……ほっといてよ」
「よっすぃーはもっと元気じゃないと、何かいつものよっすぃーって感じ
じゃなくなっちゃうから……」
「…………」
「かっこよくさ、元気で……やっぱりよっすぃーは落ち込んでいちゃいけ
ないと思うんだ……だから――」
「ほっといてって言ったでしょう!」
突然吉澤は声を張り上げた。石川だけではなく、周りのみんながその声
に驚いて口を閉じる。
- 266 名前:名無しさん 投稿日:2001年09月06日(木)04時22分54秒
「さっきからごちゃごちゃ……一人にさせてって言ったの聞こえなかっ
た?」
「よ、よっすぃー……」
「これから頑張ればいいって何? わたしはいつも頑張ってるよ! い
つも自分の位置をみつけようって頑張ってるよ!」
「…………」
「梨華ちゃんはただ笑っているだけでいいからわたしの事わからないん
だよ! 黙っていたってみんな梨華ちゃんのことかまってくれるんだか
らさ!」
「わたし、そう言う意味で……」
「だからほっといてって言ったじゃん! 梨華ちゃんの声を聞くだけで
うんざりなの!」
石川は完全に黙り込んでいた。
- 267 名前:名無しさん 投稿日:2001年09月06日(木)04時24分15秒
心配して声を掛けただけだと言うのに、どうしてそこまで言われなくて
はいけないのかと言う感じで、目には薄っすらと涙が浮かんでいるのに気
が付いた。
楽屋は完全にまた静かになり、まるでさっきの空気をひっくり返したか
のように、息苦しい雰囲気が流れる。
吉澤は何かに気が付いたようにゆっくりと顔を上げた。
しばらく石川と視線を合わせる。
吉澤の表情には、やっと冷静さを取り戻して、自分が言ってしまった言
葉の重さに気が付いた後悔の念が浮かんでいた。
重くなる空気が自分のせいだと気が付く吉澤。しかしその頃にはもう遅
すぎた。
石川は吉澤の元から無言のまま離れていく。何か声を掛けようとした吉
澤は一瞬だけ表情を変えて、口を閉ざしたのにわたしは気が付く。
- 268 名前:名無しさん 投稿日:2001年09月06日(木)04時24分57秒
その理由は吉澤の視界に後藤の姿を見つけたからかもしれない。後藤は
冷ややかな視線を吉澤に向けていた。
まるで興味が無いテレビを見ているように、遠い者に向ける視線だった。
吉澤はその視線から逃げるようにまた首を下げる。両手で顔を覆いなが
ら、また体を小さくさせていた。
それから誰も吉澤に話し掛けようとするものは居なかった。
- 269 名前:名無し読者 投稿日:2001年09月08日(土)00時08分47秒
- う〜ん。先が気になる…
吉澤は崩壊か…
- 270 名前:名無しさん 投稿日:2001年09月08日(土)03時05分34秒
仕事が終わり、事務所にいつものように集まる。明日のオフのことや、
次の集合時間などを確認していた。
ぼんやりとわたしは圭ちゃんの横に座りながら、数分前彼女から呼び出
された事を思い出していた。
吉澤の件に対して、わたしが何か関っていると言う事を圭ちゃんは気が
付いていた。それは昨日、吉澤と二人で行動をしていたのを知っているの
だから当り前なのだが、圭ちゃんはどこか勘が鋭く、わたしのことを見て
いて確信したらしい。
事務所に集まってから、ぞろぞろと部屋の中に入っていくメンバーたち
とは余所に、わたしは圭ちゃんに呼び止められていて廊下で人が居なくな
るのを待っていた。
ドアが閉まって、わたしたちは二人きりになる。何となく居心地の悪さ
をわたしは感じていた。それは確実に吉澤の事を話さなくてはいけないだ
ろうと、気が付いていたからだ。
圭ちゃんは腕を組んでわたしを見下ろす。まるでこれから母親に怒られ
る子供のように、わたしは顔を下げていた。
- 271 名前:名無しさん 投稿日:2001年09月08日(土)03時06分20秒
「紗耶香……昨日何があったの?」
予想されていた言葉に、わたしはうまい言葉を探し出せないでいた。困
り果てて、顔を上げて苦笑いをしてみる。
圭ちゃんは呆れた様子でため息をついた。
「あんたねぇ、何でもかんでも全部自分で解決しようって言う考え、相変
わらず変わってないね。やめてから、何も成長してないんじゃないの?」
多分圭ちゃんは何の悪意も無かったに違いない。わたしはその言葉に過
剰なほど心が傷つけられるのは、それを自覚して何も出来ない事に常に自
分を責めていたからだ。だからその事を知らない圭ちゃんの言葉には、悪
意など含まれてはいなかった。
そして、圭ちゃんの言葉正しい事にわたしは気が付いていた。
- 272 名前:名無しさん 投稿日:2001年09月08日(土)03時07分02秒
あれはいつぐらいだろうか? 確かプッチを気合を入れてやっていた
頃、わたしが引っ張っていかなくては行かないとずっと張り詰めたまま活
動をしていた。それを傍で見ていた圭ちゃんが、今の言葉と同じような事
を言ったのを、なぜだかわたしは覚えている。
それはわたしをあの頃に帰してくれた。
いつの間にか、わたしは圭ちゃんに昨日あったことを喋っていた。自分
一人で何も出来ない事を理解していたから。
圭ちゃんは話を聞くうちに顔色を変えていく。昨日、帰ってくる数時間
の間にそんなことがあったのかと言う驚きと、後藤が吉澤に対して言った
言葉に怒りを感じていたようだった。
- 273 名前:名無しさん 投稿日:2001年09月08日(土)03時07分44秒
「でも圭ちゃん」
話を聞き終えた圭ちゃんが、みんなが居る部屋へと戻ろうとしている背
中に向けてわたしは言った。
「後藤の気持ちも理解してあげて……」
「…………」
「わたしは正直、よくわからないけど……」
「…………」
「後藤は無闇に人を傷つける子じゃないはずだよ……」
圭ちゃんは何も答えないままみんなが居る部屋に戻っていった。
- 274 名前:名無しさん 投稿日:2001年09月08日(土)03時08分42秒
それが数分前の出来事。隣に居る圭ちゃんを見ると、ずっとその視線は
吉澤に向けられていた。
一通りマネージャーが話し終えると、裕ちゃんが解散、と言葉を掛けて
メンバー内に安心した空気が流れる。各々が帰りの仕度をして、矢口がわ
たしの元に近寄って声を掛けた。
「紗耶香、明日忘れないでよ」
わたしは愛想笑いをして手を上げた。
後藤の元に近寄ろうとわたしは椅子から立ち上がる。しかしいち早く隣
に居た圭ちゃんが行動を起こしていた。
圭ちゃんは後藤の前に立ちはだかると、無言のまま腕を掴む。
「ちょ……何?」
後藤が困惑気味に言う。わたしは圭ちゃんが何をやろうとしているのか
わからなく、呆然と二人の様子を見ているだけだった。
圭ちゃんは強引に後藤の腕を引っ張って、部屋の隅で帰りの仕度をして
いる吉澤の元に歩み寄っていく。その行動は、帰ろうとしているメンバー
たちも気になって、立ち止まりながら視線を向けていた。
圭ちゃんは後藤を強引に吉澤の前に連れて行くと言った。
- 275 名前:名無しさん 投稿日:2001年09月08日(土)03時09分20秒
「誤りな」
「……なんで?」
後藤が不満そうに言う。吉澤は困惑気味に二人を見ていたが、何をした
らいいのかわからなくなったらしく、顔を下げた。
「あんた吉澤にひどい事言ったんでしょ? だったら誤りなさいよ!」
「圭ちゃん!」
わたしは思わず声を上げて彼女たちの元に走り寄る。
「こんなのやめてよ!」
「紗耶香は黙って!」
圭ちゃんの声にわたしは驚いて口を閉ざした。
- 276 名前:名無しさん 投稿日:2001年09月08日(土)03時10分03秒
「吉澤に誤りな!」
圭ちゃんは乱暴に後藤の腕を引っ張って、吉澤の目の前に突き出した。
後藤は首を横に振りながらつぶやいた。
「……ヤだ」
その呟いた声は確実に圭ちゃんの耳に届いた。すぐに彼女がボルテージ
を上げていくのがわかって、わたしは思わず圭ちゃんの腕を掴む。
「圭ちゃん!」
しかし圭ちゃんは乱暴に腕を振り解いて、声を上げる。
「大事な友達を傷つけておいて誤らないなんて最低だよ! 吉澤は心配
して後藤に会いに行ったんでしょう?」
- 277 名前:名無しさん 投稿日:2001年09月08日(土)03時10分46秒
顔を下げていた後藤がゆっくりとわたしを見た。その視線は鋭くて、何
故だか胸の奥が刺激された。
「市井ちゃんってお喋りだね」
ズキ、と痛みを感じた。
わたしが圭ちゃんに助けを求めたのは間違いだっただろうか?
わたしは後悔の念に襲われる。
「紗耶香のことはどうでもいいでしょう! あんたが吉澤に誤るのが先
なんだから!」
気が付くと吉澤は苦痛の表情を浮かべながら、後藤を見ていた。圭ちゃ
んのこの行動は、吉澤を追い詰めているだけだと言う事がわかった。
「もうやめてよ!」
わたしは声を上げる。
- 278 名前:名無しさん 投稿日:2001年09月08日(土)03時11分37秒
きっと後藤は謝らないだろうし、吉澤だってそれを期待しているわけで
はない。
後藤が圭ちゃんの言葉を拒否しつづける事によって、吉澤はどんどん追
い込まれていく。それでなくともメンバーの目の前で、こんな争いを晒さ
せるものではないと思う。一向に謝らない後藤を見て、みんなどう言うふ
うに思うのか予想できる。
わたしは思わず声をあげていた。
「こんなやり方、酷すぎるよ!」
わたしの声は、この空間に一番大きく響いた。圭ちゃんはゆっくりとわ
たしに視線を向けて、口を閉ざした。
どうしてこんな事になるんだろう?
どうしてわたしたちの気持ちは通じることなく、すれ違ってばかりなの
だろうか?
- 279 名前:名無しさん 投稿日:2001年09月08日(土)03時12分16秒
しん、と部屋が静まり返っていた。
誰も部屋から出る事は無く、体を動かして音を立てることを恐れている
ような空気が流れる。
吉澤は両手でまた顔を覆い、後藤は誰とも視線を合わせないように空中
を見ていた。
わたしが取る行動は全部間違っているのだろうか?
後藤のことや吉澤にしてきた行動は、ただ彼女たちを追い詰めているだ
けなのではないだろうか?
どれが正解なのかわたしにはわからない。どういったことをすればいい
のか、まったくわからなかった。
- 280 名前:名無しさん 投稿日:2001年09月08日(土)03時13分15秒
クス。
ふとそんな声が聞こえて、わたしは顔を上げた。
クスクス。
わたしはゆっくりとその声がした方向に首を向ける。そこにはメンバー
たちがいて、みんな視線をばらばらに向けていたが、口元には笑みが浮か
んでいた。
クスクス。
クスクス。
笑っているのだとわかった。
わたしたちの行動を見て笑っていた。
- 281 名前:名無しさん 投稿日:2001年09月08日(土)03時13分51秒
背筋にゾクリと鳥肌が立つ。
こんな状況でどうして笑えるの?
彼女たちの笑い声には、どこか病的な雰囲気が含まれている事に気が付
いた。まるで自分たちが場違いな所で笑っているのだと言う自覚が無いよ
うだった。
今までメンバーに感じてきた不気味さを思い出す。
わたしが感じてきた、違和感。
ああ、もう弾けていたんだ。
わたしはぼんやりと思った。
- 282 名前:名無しさん 投稿日:2001年09月08日(土)03時14分28秒
もう、風船は弾けていたんだ。それにわたしはただ気が付かなかっただ
けなんだ。
笑い声に包まれながら、誰も行動を取るものは居なかった。
まるで動物園の動物になったかのように、晒されものにされた感じがし
た。
わたしは、戻ってきてメンバーに初めてあった時の事を思い出す。テレ
ビに映るメンバーたちを見て、その笑顔がうそ臭く感じた時の事。
――みんなおかしくなったんだ。
なぜか、胸の奥から吐き気が込み上げてきた。
- 283 名前:名無しさん 投稿日:2001年09月08日(土)03時15分29秒
- ◇
駅に向かう時も、電車に乗っている時も、後藤とは一言も会話をしなか
った。
二人で彼女の家に向かう道を無言のままで歩く。比較的今日の仕事が早
く終わってはいたのだが、辺りは暗くなっていた。
いつものように、いつもと同じ道を後藤と共に歩く。わたしがここに戻
ってきてまだ一週間も経っていない。それなのに、体の芯に溜まっている
疲れは、一体どこから来たのだろう?
後藤の家が近づいてくる。顔を下げたまま一向に口を開かない後藤を見
る。いつものように大事そうに抱きかかえられている鞄が視線に入ってき
た。
- 284 名前:名無しさん 投稿日:2001年09月08日(土)03時16分18秒
「後藤……」
目の前から自転車に乗っているおじさんが近づいてきて、わたしたちの
横を通り過ぎると後藤はゆっくりと顔を上げた。
「鞄……あの時の奴だね」
「…………」
後藤はゆっくりと鞄を持ち直す。
「まだ……使っていたんだ?」
わたしはその鞄を買ったときのことを思い出す。確かあれはまだ肌寒か
った頃だ。そう今のように、春を忙しすぎて実感できなかった頃。わたし
たちはやっとで出来たオフを利用して買い物をしたのだ。あっちこっちは
しゃぎ回る後藤を、周りにバレないかとひやひやした事を思い出す。
後藤は始め、サングラスを買いたいのだといったのだ。わたしが掛けて
いたもののように、ブルーのサングラスがほしいからと言って、オフを利
用して探す事になったのだ。でも結局買ったのは、後藤が今もっている鞄。
わたしが選んだ奴を、彼女は悩みもしないで即レジに持っていった。
- 285 名前:名無しさん 投稿日:2001年09月08日(土)03時16分58秒
その事を思い出すと、胸が苦しくなるのを感じた。
仕事だけではない、その頃にはメンバーの間でも後藤とも楽しく過ごせ
ていた。それなのに、どうしてこんなにも、わたしたちはおかしくなって
しまったのだろう?
「――くないもん」
後藤が呟いたのと同時に風が吹いて、わたしは言葉を聞き逃す。
「……後藤」
わたしが名前を呼ぶと、彼女は消えてしまいそうな声で言った。
「……あたし、悪くないもん」
- 286 名前:名無しさん 投稿日:2001年09月08日(土)03時17分42秒
さっきの一件のことを言っているのだとすぐに分かった。吉澤に誤れと
言われた事に対しての答えなのだと理解する。
隣で同じぐらいか少し背が大きいはずの後藤が、凄く小さく感じる。わ
たしは真っ暗な空に顔を向けると、ため息を一つだけ吐いた。
「……そうだね」
「…………」
空は雲が覆って、星も見えない。遠くの方で月が光を照らそうとしてい
たが、黒い雲に覆われてわたしたちの元には降りては来ない。
「わたしが全部悪いんだよ……」
「…………」
後藤から肯定する言葉も否定する言葉も聞けなかった。
ただ無言のままの彼女。
多分、闇は確実にわたしたちを覆っていた。
- 287 名前:名無し読者 投稿日:2001年09月08日(土)03時50分41秒
- いったいどうなってしまうんだ!!
もう、後藤と吉澤だけのことだけですまされる状態じゃないな。
市井一人じゃ荷が重すぎる。
- 288 名前:名無しさん 投稿日:2001年09月08日(土)13時02分18秒
- 切ないっす・・・光をください
- 289 名前:名無しさん 投稿日:2001年09月08日(土)22時30分56秒
- ・・・市井
- 290 名前:名無し読者 投稿日:2001年09月09日(日)00時24分41秒
- 怖い…
怖すぎる…
皆修復不能なのか?
- 291 名前:名無し読者 投稿日:2001年09月09日(日)08時22分47秒
- 市井の立場もつらいよなあ
- 292 名前:名無しさん 投稿日:2001年09月10日(月)17時20分37秒
「ただいま……」
わたしは玄関で靴を脱ぎながら、奥に居るであろう圭ちゃんに向かって
いった。しかし返事は返ってくることは無く、ため息をついて靴を脱いだ。
居間に行くと、圭ちゃんはソファに腰をおろしながらビールを飲んでい
る。視線の先にはニュース番組をやっているテレビがあった。
「……ビール?」
わたしは上着を脱ぎながら言った。
「……うん」
圭ちゃんは缶ビールに口をつけながら答える。
わたしが戻ってきてから、圭ちゃんがお酒を飲んでいる姿を見たのはこ
れが初めてだった。もう二十歳になっているのだから、いけないことでは
ないのだが、何だかさっきの一件が絡んでいるように思えてわたしは憂鬱
な気分になる。
- 293 名前:名無しさん 投稿日:2001年09月10日(月)17時21分16秒
「紗耶香も飲む? 冷蔵庫に入ってるよ」
「遠慮しておく。わたしはジュースでいいや」
そう言ってわたしは冷蔵庫からジュースを取り出した。
プルタグを開けて、一気に喉に流し込む。食道を冷たい物が通っていく
のを感じて、少しだけ疲れが取れた感じがした。
テレビのニュースを見ている圭ちゃん。たいして気を引くようなことは
やっていないはずだが、彼女は一向にテレビから視線を外す事は無かった。
それは多分、わたしと視線を合わせたくなかったからに違いない。
わたしはぼんやりと居間の入り口で立ち尽くしながら、ジュースに口を
つけていた。
ニュースでは政治がどうのこうのとやっている。背広を着たオヤジが赤
い絨毯の上を歩いている映像が流れていた。
- 294 名前:名無しさん 投稿日:2001年09月10日(月)17時21分50秒
コトッと圭ちゃんはビールの缶をテーブルの上に置いた。音からまだ中
身が入っているのだとわかる。
「……紗耶香」
圭ちゃんの視線は置かれた缶ビールに注がれていた。
「……何?」
わたしは圭ちゃんの横顔を見ながら言葉を返す。
「……あたしたちはプロなんだよ」
「…………」
「……あたしたちはそれでお金を貰ってる」
「…………」
「……だから、あたしたちはプロなんだよ」
「……そうだね」
- 295 名前:名無しさん 投稿日:2001年09月10日(月)17時22分41秒
圭ちゃんはどこか言葉を選んでいるように見えた。でも多分、彼女から
出る言葉はかなり前から築かれていた、圭ちゃんなりの考えなのだと思う。
それをわたしに伝えるために、言葉を選んでいるのだと思った。
「……楽屋での雰囲気なんてどうだっていいの。みんながおかしくなった
って、仕事に影響しなければどうだっていい」
その言葉を聞いて、圭ちゃんもメンバーがおかしくなっているのだと自
覚している事がわかった。
わたしはジュースに口をつける。
舌の上で微妙に甘さを感じた。
「ねえ、わかっているならなんで止めたの?」
圭ちゃんの声の大きさはさっきと変わらないはずなのに、その奥には苛
立ちを押えているような気がした。
- 296 名前:名無しさん 投稿日:2001年09月10日(月)17時23分23秒
「……止めるよ。あんなの酷すぎる」
わたしは呟いた。
圭ちゃんは首を横に振りながら答えた。
「あたしたちはプロなの。メンバー内のゴタゴタをテレビに映すなんて失
格だと思わないの?」
「……わかってるよ。圭ちゃんが言っていることはよくわかるよ」
「だったら何であの時止めたの?」
「みんなの目の前で、強引に誤らせたって何もならいじゃん」
「ああでもしないと、また仕事に影響するじゃない。あのまま二人を帰ら
せたって、何の解決にもならなかったわ」
「でも圭ちゃんがした事によって、もっと酷くなったよ」
「…………」
わたしの言葉に圭ちゃんは言葉を切る。
- 297 名前:名無しさん 投稿日:2001年09月10日(月)17時24分20秒
「後藤だって吉澤だって……何も考えてないわけじゃないはずだよ……
それをわたしたちが無視していいはずが無い」
その言葉は誰に言っていたのだろうか? 圭ちゃんに向けていったは
ずなのに、何故だかわたしの胸が痛んだ。
「……考えてるって……何をあの子達は考えてるの?」
「……圭ちゃん」
「仕事を遅刻して、テレビじゃ笑顔一つ作らないあの子達が何を考えてる
っていうのよ!」
圭ちゃんの声は、テレビの音を掻き消して居間に響いた。
わたしはなぜか胸の奥が苦しくなってくる。
「そんなのわたしだってわからないよ!」
気が付くと圭ちゃんに対抗するように、わたしも声を張り上げていた。
- 298 名前:名無しさん 投稿日:2001年09月10日(月)17時25分03秒
「あの子達から直接何かを聞いたわけじゃないもの! そんなのわたし
だってわからないよ!」
わたしの言葉に圭ちゃんは口をつぐむ。すぐに目の前のビールを一口だ
け飲むと、呟くようにいった。
「あたしたちはプロだわ。子供じゃないの……あの子達はその自覚が無さ
過ぎる……」
わたしの持っていたジュースの缶が少しだけ凹んでいるのに気が付い
た。知らないうちに手に力が入っていたようだ。
わたしはその缶に視線を落としながらいった。
「でも圭ちゃん……あの子達はまだ子供だよ……」
「…………」
「プロである前に……子供だよ……」
- 299 名前:名無しさん 投稿日:2001年09月10日(月)17時26分02秒
それは、どこかで後藤たちの行動を肯定していたのかもしれない。色ん
なことがあって、それを仕事に引きづらいな方がおかしいのだと、わたし
はそう思おうとしていたのかもしれない。
でも実際圭ちゃんの言葉が正しいという事はわかっていた。
あの子達はそれでお金を貰っていたのだ。
圭ちゃんはまたビールに口をつけた。
「紗耶香……あなたは違ったよ」
「……圭ちゃん?」
「紗耶香は一切そんなこと仕事じゃ見せなかったじゃない。それだけじゃ
なくて、仲間のあたしたちにもそんな素振も感じさせなかった……そんな
紗耶香をあたしはライバルだって思うと同時に、尊敬してたんだよ」
「…………」
「あの子達も、あの頃のあなたと同じ年齢になるんだよ……あたしはあの
頃の紗耶香のように、あの子達を尊敬できない」
「…………」
- 300 名前:名無しさん 投稿日:2001年09月10日(月)17時26分43秒
テレビはわたしたちの気持ちとは余所に、明るいニュースをやっている。
誇張されたナレーションが、なんだかこの時だけ疎ましく思った。
「今の紗耶香は変わりすぎたよ……」
圭ちゃんの呟いた言葉に、わたしは視線を床に落とした。
「あの頃のように……あなたから強さを感じないもの……」
わたしは苦笑いをする。
- 301 名前:名無しさん 投稿日:2001年09月10日(月)17時27分54秒
「圭ちゃんはわかってないよ」
「…………」
「あの頃も、わたしは強くなんてなかったよ……」
「…………」
「みんなが居たから、わたしは胸を張れただけ……わたし、一人じゃダメ
だった……」
わたしは何に支えられていたんだろう、と考えた時があった。それはメ
ンバーだったり、世間での評価や売上など、一つ一つがわたしの自信へと
繋がっていった。でも一番大きかったのは、後輩が出来た事だったのかも
しれない。後輩が出来て、やる気にも繋がったし自分が何事にも先人をき
らないといけないと思っていた。
気が付くと部屋にはテレビの音しか聞こえなかった。
黙ってビールの缶に視線を向けている圭ちゃんの横顔には、どこか暗く
影が落とされているような気がした。
わたしはあの子達に何ができるのだろう?
今のわたしに何ができるのだろう?
体の奥から、疲れとは別に重いものを感じ始めた。
- 302 名前:名無しさん 投稿日:2001年09月10日(月)17時29分07秒
わたしは圭ちゃんに声を掛けようと口を開く。
「圭ちゃ――」
しかしそれを遮るようにテレビの横に設置されていた電話が高い音を
上げて鳴った。
わたしは口を閉じる。
圭ちゃんが一瞬だけわたしに視線を向けたが、ゆっくりとソファから立
ち上がって電話の元に移動する。
「はい、もしもし」
受話器を取る圭ちゃんの後姿をわたしは見ながら、ゆっくりと絨毯の上
に腰を下ろした。缶ジュースは汗をかいていて、手が冷たくなっている。
ゆっくりとそれをテーブルの上に置いた。
「え! 本当ですか?」
圭ちゃんが声を上げた。わたしは驚いて彼女に視線を向ける。
「はい……はい……」
頷く圭ちゃんの表情は険しかった。一体何の電話なのだろうと、わたし
は疑問に思い始める。
- 303 名前:名無しさん 投稿日:2001年09月10日(月)17時30分08秒
なんだか嫌な予感がした。体中を不安が覆うような、漠然としているの
だが確かに胸の奥に違和感が存在する。そんな感覚が圭ちゃんの背中を見
るたびに自分の中で大きくなっていく。
「……わかりました……すぐに向かいます」
そう言って受話器を置いた圭ちゃんにわたしは声を掛ける。
「……圭ちゃん、どうしたの?」
圭ちゃんはしばらくの間、置いた受話器に視線を落としていたが、ゆっ
くりと振り返ってわたしの顔を見た。
「紗耶香……」
「……どうしたの?」
圭ちゃんは一つ大きく深呼吸をして言った。
「ごっちんがまたストーカーに襲われたって……」
その言葉を聞いて、何かに殴られたような衝撃がわたしを襲った。
- 304 名前:名無しさん 投稿日:2001年09月10日(月)23時37分41秒
- ドキドキ!!続きが気になる!
山場が来るのかな!?
- 305 名前:のぉねぃむ 投稿日:2001年09月11日(火)12時11分14秒
- すっげー、続きが気になる!!
がんばってください!!!
- 306 名前:名無し読者 投稿日:2001年09月12日(水)00時22分15秒
- ごとぉ〜!
皆不幸だ…
- 307 名前:名無しさん 投稿日:2001年09月13日(木)07時50分52秒
後藤の家に着くと、家族とは別に数人の背広を来た男の人たちが居た。
わたしと圭ちゃんは、後藤のお母さんに頭を下げて家の中に上げてもらう。
居間に案内されると、そこにはさっきの背広の男たちが険しい顔をして
後藤の家族と話していた。どうやら事務所の人間と、マネージャーだと気
がつき、わたしたちは簡単に頭を下げた。
「……他のメンバーは?」
わたしは誰となく聞く。しかしその返事はマネージャーの首を横に振る
行為だけで終わった。
不安になってわたしは圭ちゃんを見る。彼女は険しい顔つきで、居間の
入り口にたたずむだけだ。
- 308 名前:名無しさん 投稿日:2001年09月13日(木)07時51分32秒
話によると、後藤はわたしが送った後、家族にコンビニに行って来ると
言って家を出たらしい。ストーカーのことがあったが、コンビニぐらいな
ら大丈夫だろうと思った家族は、誰も傍につけずに後藤一人だけにさせた
ようだ。
しかしいくら経っても帰ってこない後藤に心配して、家族はコンビニに
向かう道を探しに行ったらしい。携帯電話はいつものように電源が落とさ
れているため、連絡を取る事が出来なかったようだから、それしか方法は
なかったようだ。
後藤のお母さんが、コンビニへと続く道にある交差点に出ると、そこで
何台かの車が止まっているのを見つけたらしい。不審に思って近づくと、
横断歩道の上に呆然と座り込んでいる後藤の姿があったようだ。買ったコ
ンビニの食べ物が辺りに散乱して、ヘッドライトに照らされたまま動こう
ともしなかったようだ。
家に運んできた後藤の話では、信号待ちのとき後ろから誰かに押された
といった。そこに来た車に轢かれそうになるが、数メートル前で止まり、
後藤はそれを呆然と見ていることしか出来なかったという事だ。そこを後
藤のお母さんが見つけたらしい。
- 309 名前:名無しさん 投稿日:2001年09月13日(木)07時53分09秒
確実に、後藤は命を狙われたのだ。
わたしはショックを受けて、思わず視線を下げた。またわたしが居ない
時に狙われた。そう考えると罪悪感が体を支配していく。
「紗耶香……」
隣にいた圭ちゃんが呟きながら、そんなわたしの背中を撫でた。
「紗耶香のせいじゃない……あなたのせいじゃないからね……」
わたしはその言葉に慰められた。
胸の奥で、圭ちゃんの優しさと背中に感じるぬくもりが罪悪感を小さく
させていってくれる。
「ありがとう……圭ちゃん」
多分、その声はあまりにも小さすぎて圭ちゃんには届かなかっただろう。
実際、わたしでさえ聞こえなかった。でも今のわたしにはそれが精一杯だ
った。
- 310 名前:名無しさん 投稿日:2001年09月13日(木)07時54分21秒
「警察には知らせないでおきましょう」
事務所の人が、話し合いをしている家族に向かっていった。家族は困惑
をしていたが、しょうがないと言った感じで頷いた。
わたしはその姿を見て、あまりの無責任な決定に腹が立つ。思わず圭ち
ゃんの元から離れると言った。
「警察には知らせないってどうしてですか?」
「紗耶香」
後ろでわたしを止めるように圭ちゃんが声を掛けた。しかしわたしは言
葉を続ける。
「二度も襲われたんですよ」
「大事にはさせたくないんだ」
事務所の人が言った。
その言葉は、確か前にも聞いたことがある。それを思い出すと、またわ
けもわからない苛立ちが込み上げてきた。
「下手したら死んでいたかもしれないんですよ!」
「紗耶香」
圭ちゃんはわたしの肩を握った。
どうして圭ちゃんまで止めるのだろうと、わたしは険しい顔つきで振り
返った。
- 311 名前:名無しさん 投稿日:2001年09月13日(木)07時55分18秒
「今だけだよ……今はダメなんだよ」
圭ちゃんはそんなわたしに向かって言う。
「今って、だったら警察にはいつ――」
そう言ってわたしは気が付いた。
ああそうか。
わたしは圭ちゃんの顔を見た。
後藤はもう少しでソロデビューをするんだ。だから今は大事にさせられ
ないんだ。
それでなくとも裕ちゃんの脱退もある。ツアーに向けて、この出来事は
マイナスでしかないのだ。
- 312 名前:名無しさん 投稿日:2001年09月13日(木)07時55分58秒
わたしはもどかしさで悔しくなった。
もし、後藤が殺されたどうするの? ソロとかそんなの全部関係なくな
っちゃうんだよ。
――あたしたちはプロなんだよ。
圭ちゃんのさっきの言葉を思い出した。
多分、それが全ての答えなんだと思う。こうして事務所の人たちが集ま
っているのは、人間としての後藤を心配しているんじゃなくて、商品とし
ての『後藤真希』が心配なだけなんだ。
わたしは乱暴に圭ちゃんの手を振り払っていた。
別に圭ちゃんが悪いわけじゃないのに。
「紗耶香……」
「……ごめん」
圭ちゃんは少なからずともわたしの気持ちを理解してくれたのだと思
う。だから、何も言わずにいてくれたんだ。
- 313 名前:名無しさん 投稿日:2001年09月13日(木)07時56分43秒
後藤のお母さんがゆっくりとわたしの元に近寄ってきた。ちょっとした
空気の重さからか、恐る恐る声を掛けてくる。
「市井さん……」
わたしは黙ったまま頭を下げた。
こんな姿見せてすいません、という意味を込めていたが、後藤のお母さ
んはそんなことを気にする様子はなく言った。
「真希が……市井さんと会いたいと……」
「……わたしとですか?」
「……はい」
わたしは圭ちゃんの顔を見る。彼女は行って来なさいと、小さく頷いた。
「後藤は……真希さんは部屋に?」
わたしが言うと、後藤のお母さんは無言のまま頷いた。
- 314 名前:名無しさん 投稿日:2001年09月13日(木)07時57分35秒
居間を抜けようとした時、気のせいか集まっている人たちから息が漏れ
たような気がした。わたしは一瞬だけ振り返って、自分が場違いな場所に
いたことに気が付いた。
大人たちの中で、わたしはまだ子供だった。
彼らの話し合いには、わたしは不必要な存在なのだ。
もしかしたら後藤のお母さんはそれに気がついていたのかもしれない。
だからあの場所からわたしを追い出すために、後藤が会いたいと嘘をつい
たのかもしれない。
そんなことを考えながら、後藤の部屋の前に来た。ゆっくりとドアをノ
ックするが中からは返事が返ってこなかった。
- 315 名前:名無しさん 投稿日:2001年09月13日(木)07時58分26秒
「後藤……わたし」
ドアの前で言ってみる。しかし耳を済ませても、中からは物音一つしな
く、本当に人がいるのか怪しくなってきた。
「……入るよ」
そう言ってドアを開けると、その隙間から光が漏れてくる。どうやら電
気がついているようで、人がいないのではないかという疑心はそこで打ち
砕かれた。
後藤の部屋の中に入る。
そこにわたしは何度か遊びに来ている。勉強机があって、鏡台があり、
タンスがある。壁にはポスターが貼ってあって、窓には常にカーテンがひ
かれている。
後藤はぽつりとベットの上で体育座りをしていた。
「後藤……」
わたしがそう声を掛けても、後藤は何も答えない。ゆっくりと彼女の元
に歩み寄りながら、部屋中に漂う息苦しさにわたしは何度も唾を飲み込む。
- 316 名前:名無しさん 投稿日:2001年09月13日(木)07時59分35秒
少し冷静になろうと、わたしは部屋を見渡した。
ベットの脇にはいつもの鞄が投げ出されていて、中が開いていた。化粧
道具を入れるポシェットやら財布に混じって、小物がその鞄の中に散乱し
ていた。後藤はいつもこんなものを持ち歩いているのかと、一歩足を踏み
入れてわたしは気が付く。
その小物の中にどこかでみた事があるような『お守り』が混じっていた。
どこでみたんだっけと、わたしはぼんやりと視線を泳がせる。
勉強机の上には後藤がいつも使っている携帯が置かれていた。もちろん
電源が落とされていて、こんな状態では携帯の意味がないのではないだろ
うか、と思ったのと同時にわたしは別のものに興味をひかれた。
その置かれている携帯から数十センチ横に、もう一つの携帯があった。
型は古いものだとわたしは気が付いたのだが、なぜか興味がひかれて思わ
ず手を伸ばそうとした時、後藤がポツリと呟いた。
「……市井ちゃん」
わたしはもう一つの携帯に触る前に手を引く。
- 317 名前:名無しさん 投稿日:2001年09月13日(木)08時00分17秒
ゆっくりと後藤の元に視線を戻すと、彼女は依然として顔を下げたまま
だった。
「……怪我とか……大丈夫?」
怪我はまったくなかったと聞いているのに、わたしは言葉をうまく見付
けられなくそんな事をいった。もちろん後藤から返事は返ってこなく、わ
たしはゆっくりと彼女の元に歩み寄る。
「このまま死んでもいいかなって……思った」
後藤がぽつり呟く言葉に、わたしは足を止めた。
依然として折り曲げている膝の上に額を乗せているような感じにさせ
ているため、彼女まで二三歩の距離なのに後藤の表情が見えなかった。
- 318 名前:名無しさん 投稿日:2001年09月13日(木)08時01分10秒
「死んでもいいって……何言ってるの」
微かだが、居間で大人たちが話している声が耳に届いてきた。もちろん
どんな事を喋っているのかわからないが、逆にいえばそれだけ後藤の部屋
は静まり返っていたのだと思う。
ジーッと言う蛍光灯の音も聞こえた。
「ヘッドライトが近づいてきて、全部真っ白になったの……上も下も、右
も左も……全部真っ白だった……何だかそんなのを感じてたら、バカらしくなっちゃった」
「……後藤」
弱々しく体を小さくさせている後藤を見て、わたしは必死で言葉を探し
出そうとする。でも結局わたしはそれを諦めて、黙って彼女の言葉を待と
うと思った。
「何であたしはこんな事を続けなくちゃいけないの?」
「…………」
「こんなに嫌な事ばっかりなのに……なんで娘を続けているの?」
- 319 名前:名無しさん 投稿日:2001年09月13日(木)08時02分01秒
後藤がそう思ってしまっている事を、わたしは気が付かなかったわけで
はない。何度か、彼女の口から脱退を匂わせるような言葉を聞いた。その
度にわたしはその言葉をはぐらかせてばかり。
真剣に、後藤の気持ちを聞くのをわたしは避けていた。
「後藤……でもあなたはソロデビューだってするし、これから先だって娘
では重要な人物になるよ……後藤は期待されてる」
「……そんなこと、あたし頼んでないもん」
「辛い事だって一杯あるかもしれない。でも後藤のようになりたいって言
う人たちだって一杯いるし、メンバーだってソロデビューができるって羨
ましいと思っているよ……仕事の面じゃ、後藤はいい事ばっかりだよ」
「……だからあたしはそんなの望んでない」
「後藤……」
- 320 名前:名無しさん 投稿日:2001年09月13日(木)08時02分52秒
「何でこんな思いまでして、あたし頑張りつづけなくちゃいけないの?
みんなから無視されて、でもテレビじゃ笑わなきゃいけないし……あたし、
そんなに上手に笑顔作れないよ……」
――どうしてみんな笑っていられるんだろう?
いつか後藤が言った言葉を思い出した。
――あたしたちはプロなんだよ。
それと同時に頭を過ぎる圭ちゃんの言葉。
正直、わたしには圭ちゃんの言葉は重すぎた。
今の後藤の姿を見て、その一言だけで片付けるには安易なような気がす
る。後藤だってわたしだって生きている。だから、その言葉は重過ぎるの
だ。
- 321 名前:名無しさん 投稿日:2001年09月13日(木)08時03分48秒
あの頃の後藤は楽しそう笑っていた。それが作られた笑顔なのかわたし
にはわからないが、少なくとも今の彼女が笑顔を作れないと言っているよ
うな悩みは抱えていなかったと、わたしはなぜか断言できる。
あの頃のわたしはちゃんと後藤を見ていたから。
笑った顔も、泣いた顔も、不機嫌な顔も、眠そうな顔も、もちろん寝顔
も……わたしはちゃんと後藤を見ていた。
だから、こんなにも追い詰められた後藤を、あの頃のわたしだったらも
っと早い段階で気が付いてあげられたのではないだろうかと、後悔が押し
寄せてくる。
笑えないと、自嘲気味な笑みを作った後藤のことをもっと真剣に考えて
あげられていたら――。
わたしはそんなことを思いながら、痛々しく体を小さくさせる後藤を前
に立ち尽くしていた。
本当に静かだった。確かにこの空間には音が存在しているのに、わたし
には全てが無音のように感じる。
目に写る少女は今にも壊れてしまいそうなほど、胸を切なくさせた。
- 322 名前:名無しさん 投稿日:2001年09月13日(木)08時04分33秒
「もう疲れちゃった」
後藤は小さく呟いた。
「…………」
「市井ちゃん……もうあたし疲れちゃったよ」
「…………」
「……いつまで頑張ればいいのかな?」
「…………」
「まだ……頑張らないといけないのかな?」
「…………」
「もう……足が動きません」
「…………」
「もう……体が動きません」
「…………」
「市井ちゃん……」
「…………」
「あたしはまだ、頑張らなくちゃいけないんですか?」
- 323 名前:名無しさん 投稿日:2001年09月13日(木)08時05分20秒
小さくなった彼女の背中が小刻みに揺れた。
静かな、この狭い空間にすすり泣く声が聞こえ始める。
後藤の表情はわからなかったが、わたしはそれを見れなかったことに少
しだけ安堵していた。
後藤の泣き顔を見たらわたしはまた自分を責める。
何も出来ない自分を責める。
多分、今必要なのはそんなことではない。
でも何をして上げられるのか、わたしにはわからなかった。
だから、後藤のことを考えた。
わたしには、それしか出来なかったから。
ふと視線を向けた先に、バックの中のお守りが視界に入り込んできた。
- 324 名前:名無しさん 投稿日:2001年09月13日(木)08時06分04秒
ああ、思い出したよ。
これ、わたしがあげたやつじゃん。
脱退する時に、あまりにも泣き止まない後藤にわたしがあげた奴だ。
後藤? 覚えてる?
このお守り、本当は自分を勇気付けるために買ったんだよ。
最後のコンサートでちゃんと歌えるように買ったんだよ。
でもあの時、あまりにも後藤が塞ぎ込んでいたから、大事なお守りをあ
なたにあげたんだ。
後藤……ずっとそれを持っていたんだね。
こんな安物を持っていてくれたんだね。
ごめんね、後藤。
わたしはもうあの頃のように胸を張られなくなったんだ。
ごめんね、後藤。
わたし、変わっちゃったね。
- 325 名前:とみこ 投稿日:2001年09月13日(木)09時16分44秒
- せつねー。市井がんがれ。
- 326 名前:名無しさん 投稿日:2001年09月13日(木)11時10分46秒
- 最後の二行が悲しすぎる
- 327 名前:名無し読者 投稿日:2001年09月13日(木)23時44分27秒
- 弱った市井は立ち上がれるのか…
- 328 名前:のぉねぃむ 投稿日:2001年09月17日(月)18時48分13秒
- 後藤も市井もがんばれ・・・!
- 329 名前:名無し読者 投稿日:2001年09月18日(火)04時41分50秒
- ああ…もどかしい…
そんな事言ってる前に動こうよちゃむぅ…
- 330 名前:名無しさん 投稿日:2001年09月21日(金)03時01分47秒
お風呂から上がると、居間ではさっきのように圭ちゃんがビールを飲ん
でいた。テレビは深夜の通販の番組。
「また……飲んでいたんだ」
わたしはタオルで髪を拭きながら言った。
「眠れなくて……」
「そう……」
わたしはテーブルの上から携帯を取ると、明日起きる時間にセットする。
気持ちは重く沈んでいるくせに、こう言うことは忘れない自分が少しだけ
嫌になった。
「明日……矢口とだっけ?」
圭ちゃんはビールに口をつけていった。その目線はずっとテレビに注が
れていたが、多分そこでやっているものに何の興味もないのはその表情か
らわかった。
「……こんな時に不謹慎かな」
圭ちゃんはわたしの言葉に口元に笑みを作った。
でもそれはすぐに消える。
- 331 名前:名無しさん 投稿日:2001年09月21日(金)03時02分45秒
- 「行って来なよ……矢口楽しみな顔してた」
「……してたね」
「紗耶香と遊ぶの久しぶりなんでしょ?」
「最後はいつだったかな? 最近忘れっぽくなって思い出せないや」
「……十七歳がそんなこと言わないの」
はは、とわたしは笑ってみるが、すぐに部屋は静まり返った。圭ちゃん
はゆっくりと缶をテーブルの上において、浮き出ている滴を指でなぞって
いた。
わたしは寝室に向かうために歩き出す。
「紗耶香……」
そんなわたしに圭ちゃんが声を掛ける。振り返ると彼女は相変わらずテ
レビに視線を向けていた。
- 332 名前:名無しさん 投稿日:2001年09月21日(金)03時03分35秒
- 「あまり、気を使わないで……」
「…………」
「紗耶香だって息抜きは必要なんだよ……」
「……ありがとう」
わたしはそう言って圭ちゃんの背中を見る。
まだ二十歳だというのに、その背中には変な哀愁を感じた。
「圭ちゃん、渋い背中してるね」
わたしがそう言うと、ちょっとだけ圭ちゃんは笑った。
「ホレたか?」
はは、とわたしは笑って言う。
「わたしはずっと前から圭ちゃんにホレてたよ」
「バーカ……わかりやすい嘘をつくな」
少しだけ二人で笑った。
でもすぐに部屋は重い空気に包まれる。わたしは時計に視線を向けてか
ら圭ちゃんに言った。
- 333 名前:名無しさん 投稿日:2001年09月21日(金)03時04分40秒
「おやすみ……あまり飲みすぎるなよ」
「……おやすみ、紗耶香」
わたしは背を向けて寝室の引き戸を開ける。ひっそりとした空気が流れ
てきて、少しだけ気持ちが沈んだ。
「あたしはね――」
その時、圭ちゃんが声をあげた。
わたしはまた振り返る。
「あたしはね、あの子達の事が嫌いなわけじゃないの」
「……圭ちゃん」
多分あの子達、とは吉澤と後藤の事を言っているのだ。
圭ちゃんはずっと背中を向けたまま。だからどんな表情を浮かべている
のかわたしにはわからない。
- 334 名前:名無しさん 投稿日:2001年09月21日(金)03時05分31秒
- 「あたしは、あの子達のことを大事に思ってる」
「…………」
「特に後藤のことは大好きだよ」
「…………」
「紗耶香と一緒にプッチをやってきたんだもの……」
「…………」
「……嫌いになれるはずがないじゃん」
圭ちゃんはそう言ってビールを一口だけ飲んだ。表情は見えないが、き
っと今の彼女は照れているのだと思う。なぜかわたしはそう言うふうに確
信していた。
わたしは少しだけ口元に笑みを作った。
- 335 名前:名無しさん 投稿日:2001年09月21日(金)03時06分37秒
「うん……」
「…………」
「わたしも、後藤のこと大好きだよ」
その一言だけを言ってわたしは寝室に入る。ゆっくりと引き戸を閉める
と、居間の光が遮断されていき、闇が支配した。
携帯を枕もとに置くと布団の中に潜り込む。まだ温まらないその中で、
少しだけ体を丸めて目を閉じた。
時刻は十二時をすでに回っている。
わたしがここに戻ってきて、一週間が経ったのだ。
まるで何ヶ月も経っているような気がしていたが、実際にはそれくらい
の時間しか経っていない。
- 336 名前:名無しさん 投稿日:2001年09月21日(金)03時07分22秒
- その間わたしが見てきたのは、闇に迷い込んでしまった人たち。
それはきっとわたしも含まれているだろう。
ただ歌が好きだと言う気持ちだけで入ってきたこの世界。その単純な気
持ちだけなのに、わたしたちはいつの間にか知らない場所に迷い込んでい
た。
正しいと思い込んできた、その道を歩きつづけていたはずなのに、いつ
の間にか知らない場所にいる。周りを見ても闇だけで、何も存在しない。
どうしてそんな場所に迷い込んでしまったのだろう?
ただ歌えるだけでよかったのに。
どうしてそんな場所に迷い込んじゃったんだろう?
わたしはそんなことを考えつづけて、いつの間にか眠りに付いていた。
居間で圭ちゃんがテーブルにビールを置く音だけ印象に残っていて、そ
のほか目を閉じた闇だけだった。
眠りについても、わたしは夢を見ることさえ出来なかった。
- 337 名前:お知らせ 投稿日:2001年09月21日(金)03時15分04秒
- まずレスを下さっている方に感謝します。励まされます。
話も佳境に入ってきたのですが、どうやら完結までしばらくかかりそうです。
その為、切りがいい所で次の更新から新しいスレを立てようと思います。
どうか、もうしばらくの間、不器用な二人を見守ってくれるとありがたいです。
- 338 名前:名無し読者 投稿日:2001年09月21日(金)03時31分40秒
- 最後まで頑張ってください。
市井……ガンバレ!
- 339 名前:名無し読者 投稿日:2001年09月21日(金)03時33分24秒
- もちろん見守り続けます。
- 340 名前:名無し読者 投稿日:2001年09月21日(金)23時20分41秒
- 最近は全盛をすぎたのかクオリティが全体に落ちている中
この作品は非常に素晴らしい。
- 341 名前:名無しさん 投稿日:2001年09月22日(土)02時11分00秒
- 最近読んだ中では、白でやっていた「ふたり」と、
この作品はダントツだと思います。
作者さん頑張ってください。
- 342 名前:名無しさん 投稿日:2001年09月22日(土)10時15分58秒
- まだ当分続くようなので嬉しいです。
- 343 名前:パク@紹介人 投稿日:2001年09月26日(水)14時58分03秒
- こちらの小説を「小説紹介スレ@青板」に紹介します。
http://mseek.obi.ne.jp/cgi/hilight.cgi?dir=blue&thp=1001477095&ls=25
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