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モーニング・コーヒー
- 1 名前:作者 投稿日:2001年08月07日(火)01時35分54秒
- 石川梨華が主人公の、パラレルもの。
登場メンバーはかなり少なく、更新もそれほど頻繁では
ありません。あらかじめ、ご了承ください――。
- 2 名前: 1 投稿日:2001年08月07日(火)01時37分14秒
- 東京駅のホームから、1人の少女がまだ見ぬ地へと旅立とうとし
ている。
少女の名前は、石川梨華――。
いろいろあって、現在住所不定のプータローである。
駅のホームに立っていた梨華をチラリとでも見た利用者は、いっ
たい何を思っただろう?
その健康的な肌に似合わず、辺りに発する不幸なオーラ。
おまけに、彼女が両手に大事そうに抱えていたのは遺影と遺骨箱。
このまま飛び込み自殺でもするんじゃないだろうか、誰しもがハ
ラハラしたかもしれない。
だが、少女は電車のホームに飛び込むような事もせず、黙ってう
つむき加減ではあったが無事に(?)入線した電車へと乗り込む
事ができた。
- 3 名前: 1 投稿日:2001年08月07日(火)01時38分44秒
――数時間後。
梨華は、とある町の駅前に立っていた。
はじめて見る町の光景は、ほんの少し梨華の心を落ちつかせた。
地方都市独特の、のんびりとしたムードが漂っているのである。
だが、そうそうのんびりと癒されているわけにもいかない。約束
の時間まであと僅かしかないのである。
梨華は東京の実家を後にする際、親戚を名乗った今まで見たこと
もない「叔母」が教えてくれた言葉を思いだす。
『駅についたら、どのタクシーでもいいからそれに乗って”市井
家まで”って言うの。そしたら、勝手に連れてってくれるわ』
タバコをふかしながら、面倒くさそうにつぶやいた梨華の知らな
い「叔母」。はたして信用できるのか……。
しかし、梨華はその言葉を信じるほかなかった。もうここまで来
てしまったのである。もう、アパートは追い払われてしまってい
る。帰る場所などどこにもない。
今はこれから会いに行こうとしている”知らない父親”に、自分
のこれからの人生を賭けるしかない。
――梨華は強く決心すると、近くに止まっていたタクシーに乗り
込んだ。
- 4 名前: 1 投稿日:2001年08月07日(火)01時39分54秒
タクシーの止まった場所。
市井家。
広大な敷地にそびえるその洋風のたたずまいは、あきらかに周り
の家とは一線を画していた。
梨華はタクシーが家の前に止まるまで、窓の外に見えている建物
は美術館か博物館の類だろうと思っていた。
「つきましたよ」
と、運転手に言われた時、梨華は思わず「え!? ここがそうなん
ですか!?」と訊ねてしまったほどだ。
「すごい……。私、お金持ちの娘になれるんだぁ」
市井家の重厚な門の前に立ち、家を見上げる梨華。
母親を亡くしてからまだ1ヵ月。その悲しみもまだ癒されていな
いはずではあったが、一方で自分にも幸運が舞い込んだのを喜ん
でいた。
これまで、いわゆる中流家庭と呼ばれる水準までの生活を送って
いなかったのでなおさらなのかもしれない。
- 5 名前: 1 投稿日:2001年08月07日(火)01時40分56秒
梨華は肩からずり落ちかけたボストンバッグをかけ直すと、小さ
く咳払いをして、市井家のインターフォンを鳴らした。
しばらくすると、家政婦らしき女性がやってきて、梨華を家へと
案内してくれた。
玄関を入った時、梨華はその目を疑った。今まで見たこともない
ような世界が、そこに広がっていたのである。
いや、見た事はあった。ただし、それはTVの中や幼い頃に母が
読んで聞かしてくれた絵本の挿絵の世界でのことである。
――そこはまさに、お城の舞踏会場のようであった。
「さぁ、どうぞこちらへ」
呆然と立ち尽くしていた梨華は、家政婦の声でハッと我にかえった。
- 6 名前: 1 投稿日:2001年08月07日(火)01時42分32秒
「ここが、梨華お嬢様のお部屋になります」
”梨華お嬢様”という響きに、梨華の顔は緩みっぱなしになった。
つい数十分前まで、自分はこの世で一番不幸な人間だと悲観して
いた。
これまでの人生も、金銭的な問題で色々と苦労してきた。
しかし、貧しいながらも母親と2人で過ごす毎日を幸福だと思っ
ていた。それが、突然の病で母親が他界し、その入院費用やら葬
儀代やらで借金を背負うことになり、あげくに未成年者に部屋を
貸すことはできないとアパートを追い払われてしまったのだ。
”面倒を見る”と叔母を通して連絡をよこすような父親にも、あ
まり期待はしていなかった。
今まで1度も娘に会いに来なかったのである。
どうせ、世話になっても同じような生活水準、もしかするとそれ
よりもさらにひどく、アルコール中毒でギャンブル好きで酒を飲
んで暴れるような、そんな父親がいる生活に自分は飛び込もうと
しているのかもしれない――、自分はやっぱり世界一不幸な16
才なんだと、梨華は半泣きになりながら考えてたりした。
- 7 名前: 1 投稿日:2001年08月07日(火)01時43分34秒
それが……、いざ実際に自分の父親を名乗った”市井”家に来て
みると――。
梨華はフカフカのダブルベッドに腰を下ろしながら、自分は世界
一幸運の持ち主なのかもしれないと、その広い部屋の中をニコニ
コとしながら眺めていた。
ひょっとしたら、これは夢なのかもと疑ったりもしてみたが、何
度頬をつねっても覚めることなく同じ光景が広がっていた――。
「ついに、私も幸せを手に入れるのよ」
梨華は部屋の中央で満面の笑みを浮かべて、少し身をくねらせて
ガッツポーズをした。
――残念だが、そのガッツポーズの振り上げたこぶしは、これか
ら数分後におろさなければならないような事になる。
- 8 名前:作者 投稿日:2001年08月07日(火)01時44分53秒
第1回目の更新は終了しました。
(次回更新予定日は、未定です)
- 9 名前:名無し読者 投稿日:2001年08月07日(火)01時51分45秒
- リアルタイム〜!!&初レス!!
なんかおもしろいっすね!(w
でもいいとこで切られてるのに、次回更新が未定なんて…
ずっと待ってるんで頑張ってください!
- 10 名前: 2 投稿日:2001年08月08日(水)07時29分35秒
ふたたび、家政婦に案内されて梨華は1階にある大広間に通され
た。
そこにはもうすでに、初老の男性がソファに座っていて、何か書
類のようなものに目を通していた。
梨華はてっきり、その初老の男性が自分の父親だと思い込み、
「あ、あの、初めましてお父さん。娘の梨華です」
と挨拶をしてしまった。
初老の男性は、ひょいと顔を上げるときょとんとした表情で、頭
を下げている梨華を見つめた。
いつまでたっても何の声もかけられないので変だなぁと思いつつ
も、梨華は頭を下げ続けていた。
その耳に家政婦と初老の男性の笑い声が聞こえて、ようやく顔を
上げる。
- 11 名前: 2 投稿日:2001年08月08日(水)07時30分42秒
「いやですわ、お嬢様。あの人は旦那様じゃありませんよ」
「え!?」
「申し遅れました。梨華お嬢様。私、先代からこの市井家にお世
話になっております。執事の藤村俊二といいます。藤村とでもお
呼びくださいませ」
と、執事の藤村は笑顔を浮かべて深く頭をさげた。
梨華は顔を真っ赤にしながら、「こ、こちらこそ。よろしくお願
いします」とあわてて礼を返した。
どうやら、もうすぐ学校から戻ってくる三女を紹介するために、
この大広間に呼ばれたらしい。
藤村の話によると梨華のまだ見ぬ父親――、市井正和は現在海外
に長期出張中との事でもうしばらく会うことができないらしい。
長女の”紗耶香”もまた、海外に留学中との事だった。
まずは、これからともに生活をする三女に先を紹介しておこうと
いう事になったのである。
どうやら、これまでは”次女”であったのだが梨華が来た事により、
”三女”になるらしい。つまり、梨華にとっては”妹”となる。
- 12 名前: 2 投稿日:2001年08月08日(水)07時31分57秒
どんな妹なのか梨華は少し気になったが、藤村も仕事が残ってい
るのだろう先ほどから書類の束と格闘している。
聞くに聞けない状況であった。
梨華は、ただひたすら緊張で身を固くして、まだ見ぬ”妹”との対
面を緊張して待つこととなった。
どのくらい時間が経過しただろうか、ほんの5分ぐらいだろうか、
「こちらでお待ちになっております」
と遠くで微かに家政婦の声が聞こえ、梨華の緊張は一気にピーク
に達した。
ドクンドクンと心臓が高鳴っているのを自分でも感じていた。
冷静になれ、冷静になれと何度も唱えているが、鼓動は高鳴るば
かりである。
そして、高鳴った鼓動のまま、その”妹”と対面した。
「お帰りなさいませ、ひとみお嬢様」
藤村が立ちあがり、ゆっくりとした動作で深々と頭をさげた。
梨華は頭ではわかっていた。立ちあがり、藤村のように深く頭を
下げないまでも軽く笑顔で一礼ぐらいしなければ――と、頭では
わかっていたのだが、ドアの前に佇む”妹”ひとみを見て頭の中は
真っ白になった。
- 13 名前: 2 投稿日:2001年08月08日(水)07時32分54秒
いわゆる”お嬢様な妹”を想像していた梨華だが、ドアの前に佇む
その妹はボーイッシュで――。
「へぇー、アンタが私のお姉さんねぇ」
そのバカにしたような微笑と、明らかに皮肉めいたその口調。
とても意地が悪そうな”妹”であった――。
ひとみの上から下へとまるで品定めをするかのようなその冷たい
目線に困り、梨華は思わずうつむいてしまった。
「色、クロっ。ハハ、今頃流行んないって」
と、ひとみは笑いながら去っていった。
「ひとみ、お嬢様……っ。まったく……。申し訳ございません、
少々お口が過ぎるお嬢様でして。ハハ……」
「……」
さっきまで幸福の絶頂にいたはずなのに、はやくも転落しそうな
――そんな予感がする梨華であった。
- 14 名前:作者 投稿日:2001年08月08日(水)07時34分47秒
- >>9
短いですが、ちょこっと更新です。
- 15 名前:名無し読者 投稿日:2001年08月09日(木)04時18分19秒
- 正和って、三村?
- 16 名前:名無し読者 投稿日:2001年08月09日(木)11時06分30秒
- >>15
それを言うなら田村だろ!!
三村はさまーずのつっこみですよ
- 17 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月10日(金)18時14分34秒
- まぁ、三村もマサカズなんだけどね。
- 18 名前: 3 投稿日:2001年08月11日(土)00時03分37秒
- 翌朝。
いったい、皆の前にどうやって顔を出せばいいのか梨華はわから
なかった。
家族と言っても、昨日紹介されたばかりの妹ひとみとはあれ以来
顔を合わせることもなかったし、執事の藤村も必要最低限の会話
しかしなかったし、ひとみとの対面後はすぐに部屋に戻されてし
まったので多くいるはずの家政婦たちにも紹介されないままだっ
たのだ。
「おはようございますって、普通に入ってけばいいじゃない」
と、頭ではわかっているのだが、もしも自分の食事が用意されて
いなかったらとか、もしかしたら誰一人として声をかけてくれな
いなかったらとか――思考はドンドンとネガティブな方向に陥っ
てしまい、なかなか部屋から出られないでいる。
そこへ、助け舟が出された。
家政婦の1人が、梨華を呼びに来たのである。
梨華はホッとして、その家政婦に案内されるまま食堂へと赴いた。
- 19 名前: 3 投稿日:2001年08月11日(土)00時04分29秒
ひとみはもう朝食を食べていた。
新聞のテレビ欄に目を通しながら、ゆで卵を頬張っていた。
梨華からすれば昨日の夕食もそうなのだが、この建物から想像し
た食生活とは違っていることが少々ショックなことであった。
もっとTVなどで見る豪勢な食事を想像していたのだが、以外と、
市井家の食事は質素なのである。昨日の夕食も、とりわけ豪勢と
も呼べない普通の純和風の食べ物だった。
それでも、アパートで暮らしていた頃に比べれば雲泥の差なのだ
が――。
今朝の朝食は、ベーグルにシーフードサラダにゆで卵にオレンジ
ジュースというものであった。
「これって……、ドーナツですか?」
と、梨華は用意されたベーグルを指さして家政婦に訊ねた。
長いテーブルの離れた場所にいるひとみが、プッと笑い声をあげ
た。
「?」
きょとんとした顔をあげてみると、家政婦も笑いを堪えているよ
うであった。
なんで笑われているのか、梨華はわからなかった。朝からドーナ
ツなんて、珍しいなぁと思って訊ねただけである。
- 20 名前: 3 投稿日:2001年08月11日(土)00時06分10秒
「梨華お嬢様、こちらはベーグルと言いまして。ドーナツではご
ざいません」
「あぁ、これがベーグルって言うんですか」
「ご不満でしたら、お取り替えいたしますが」
「あ、いえ。あの、初めてだから食べてみたいです」
珍しげにそして楽しそうにベーグルを眺めている梨華。
家政婦は、少し困ったような顔で一礼して食堂を出て行った。
「あんたよっぽどの貧乏なんだね」
ひとみの声に、梨華は「?」と顔を上げる。
「今時、ベーグルも知らない人なんていないよ。あんた、東京に
いたのにどんな生活してたの?」
梨華は、その言い方に少々ムッとした。たしかに、姉妹なのでは
あるが、昨日会ったばかりで延べ時間にして1分ほどしか顔を合
わせていない。まだお互いに本当に姉妹なんだとそこまで思って
いないのだから、ほんの少しぐらいは気を使ってもいいのではな
いか――。
”あんた”や”貧乏”等と平気で口にするひとみに梨華は少々ムッと
していた。
- 21 名前: 3 投稿日:2001年08月11日(土)00時07分19秒
「だって、知らないものは知らないもの」
梨華の口調も自然と、荒くなってしまう。
「――あんた、それより学校は?」
「あんた、あんたって、呼ばないで下さい……」
「じゃあ、おねえさまぁって呼べばよろしいですか? おねえさ
まぁ」
からかうようにひとみは、声色をかえた。
「……学校は辞めました。だって、借金があって学費……」
「へぇー、すっげー、マジで貧乏だったんだぁ」
「――貧乏貧乏って、バカにしないでよっ」
バンッ、と音を立てて梨華は立ちあがった。
「お金持ちだから何よ。大きな家に住んでるからって何よ。それっ
て、そんなに偉いことなの。母子家庭でお母さん身体弱かったか
らすっごい貧乏だった。でもね、でも、すっごい幸せだったんだ
から。あなたにバカにされる覚えなんて全然ないんだからっ」
と、梨華はひとみの目を見据えながら瞳を潤ませた。
ほんの少しは反省して欲しかった。少なからず目の前に、ひとみ
の言葉によって傷ついたものがいるのだから――。
しかし、ひとみの顔色は変わることなく嘲笑を浮かべている。
- 22 名前: 3 投稿日:2001年08月11日(土)00時08分27秒
「梨華お嬢様の編入学手続きは、すでに済ませておいでですよ」
ひとみと梨華は、声のした方向へと視線を向けた。
ドアの前の藤村が、被っていたシルクハットをとって深々とおじ
ぎをした。
「藤村、今、なんて言ったの?」
「ええ。ですから、梨華お嬢様の編入学手続きを済ませてあると。
――お部屋に一式を用意させておりますので、あとでゆっくりと
ご覧ください」
藤村にそう言われた梨華だったが、なにぶん急な事で展開を今い
ち理解できなかった。
「あ、あの、私、本当に学校に通えるんですか?」
「前校での成績を取り寄せて検討した結果、優秀な成績でしたの
で問題ないとのことです。理事長でもある旦那様が、あらかじめ
そのように手配していたんですよ」
ひとみの顔が曇ったが、浮かれていた梨華はその表情の変化に気
づきはしなかった。1度はあきらめた学生生活。また、学校に通
えるんだと思ったら、自然と笑みが浮かんでくる梨華であった。
- 23 名前: 3 投稿日:2001年08月11日(土)00時10分41秒
「それでは、これで」
と、藤村は一礼して去っていった。去り際に軽く梨華に向かって
ウィンクをして見せた。
藤村が自分を助けるためにわざわざ食堂に顔を出してくれたこと
を察し、梨華はなんだか温かいものを感じた。
しかし、そうは上手くはいかないものであり……。
「――あんた、学校で同じ家に住んでるなんて言わないでよ。バ
レたら、どんなことしてでも、この家から追い出すから」
と、藤村が去った後にひとみが鋭い目をして言い放った。
食事も終わり、ひとみも去った。梨華は広い食堂で一人きりとなっ
てしまった。
学校に通える事はわかった。しかし、そこにひとみがいると思う
と自然と気分も憂鬱になった。
「……はぁ」
今日、初めてのため息が、梨華の口から漏れた。
- 24 名前:作者 投稿日:2001年08月11日(土)00時13分29秒
3回目の更新は、これで終わりです。
>>15 いずれ出たとき、三村を想像するのも可
>>16 突っ込み&フォローありがとうございます
>>17 どっちでもいいので、この話題終了させて下さい(笑)
- 25 名前: 4 投稿日:2001年08月11日(土)23時10分54秒
小高い丘の上にある”私立・朝比奈学園”は、150年の伝統があ
り、これまでに多くの著名人を輩出したことでも有名である。
その名前は、地域のみならず全国的にも知れ渡っている。
――が、梨華は何も知らなかった。
学園の公舎内を教師に案内されながら、いかにこの学園が素晴ら
しいかを説かれていたのだが、どうせひとみのような教養も富も
あるが人格的に問題のある生徒ばかりなんだろうと――梨華は、
あまり聞く耳を持たなかった。
ただ、教師が熱弁しているように素晴らしい”学園”であるのは間
違いないと思っていた。
さすが私立であり、梨華が今まで通っていた公立の高校とは違い、
オシャレな外観や内装が施されている。
- 26 名前: 4 投稿日:2001年08月11日(土)23時11分55秒
歩きながら辺りをキョロキョロと見渡していると、不意にそれま
で熱弁を振るっていた教師が黙りこくった。
先ほどまで聞こえていた生徒たちの笑い声も、いつの間にか聞こ
えなくなっている。
気になって教師を見ると、縮こまったように頭を下げている。
「?」
と、教師の前方に目をやると、ひとみが冷たい目をしたまま歩い
てきていた。
廊下で談笑していた生徒たちも困ったようにうつむいていたり、
そそくさと教室に戻ったりしている。
教師に頭を下げさせている人物は、ひとみ以外にはいなかった。
(なんで? 理事長の娘って、そんなに偉いの?)
ひとみに対しての嫌悪感が、梨華の中でまた一つ増えたようであ
る。そんな梨華の心情を知ってか知らずか、ひとみは梨華に視線
を向けることなく、まるで梨華などは見えていないかのようにそ
の場を通りすぎていった。
- 27 名前: 4 投稿日:2001年08月11日(土)23時13分06秒
(なに、あの態度……)
梨華は、少々ムッとしながら後ろを振りかえった。その様子を見
た教師が、あわてて梨華の身体を向き直させる。
「い、石川さん、あなた編入したばかりで何も知らないと思いま
すけどね、今、通りすぎた生徒にはぞんざいな態度で接してはい
けませんよ」
「……は?」
「あの生徒のお父様は、この学園の理事でもあり、この学園の経
営者でもあります。ご機嫌を損ねるような真似をしたら――。と
にかく、あまり関わらないようにした方が懸命ですわよ」
と、教師は少しバツが悪そうに眼鏡のズレを直しながら、廊下を
歩いて行った。
(あの生徒のお父様って……。私、一応あの生徒の姉なんですけ
ど……。え!? どういう事?)
自分が市井家の人間として編入学をしていないことに、梨華は気
づいた。
- 28 名前: 4 投稿日:2001年08月11日(土)23時14分33秒
市井家にやってきた翌日には、こうして学園の生徒としてこの場
にいられるように準備しているのに、肝心の市井家の娘として手
続きがなされていないという事はどういう事なのか?――梨華に
は、さっぱりわからなかった。
いろいろと難しい準備があるのかもしれないと勝手に納得して、
梨華は自分の不安を沈めさせた。
母親が亡くなってから生活はめまぐるしく変化している。その変
化の一つ一つに戸惑っていれば、もともとネガティブ思考に陥り
やすい性格なのでキリがない。
精神的にもあまりよろしくないので、梨華はもうあまり周りの変
化に関心を持たないようにした。
(ポジティブ、ポジィティブ。負けるな、梨華)
と、梨華は幼い頃からの口癖を心の中でつぶやきながら、教師の
後を追った。
- 29 名前: 5 投稿日:2001年08月11日(土)23時16分22秒
お金持ちの人っていうのはどうしてこうも、ちょっと気取った人
が多いんだろう。
学園で数時間を過ごした梨華が、その学園生活で最初に出した疑
問だった。
編入生として紹介され、少し緊張もしていたが笑顔で挨拶をする
こともできた。
休み時間には勇気を奮い立たせて、自分の方から隣の席の女子生
徒に積極的に話しかけたりもした。
しかし、どれもつんけんとした返事を返されてしまい、梨華は萎
縮してしまうしかなかった。
4時間目が終わり昼食の時間となる頃には、梨華はもうすでに学
校を辞めたい気持ちでいっぱいだった。
ともすれば、心細くて今すぐにでも泣いてしまいそうになる。
朝のポジティブ思考はもうとっくに消えていた。
そればかりか、どんどんとネガティブ思考へと傾斜している。
- 30 名前: 5 投稿日:2001年08月11日(土)23時17分08秒
小学校・中学校と”浮いていた”ことを、思い出した。
何事も一生懸命に取り組んではいたが、いつもから回りして、友
達から苦笑をかっていたこと――。
その”苦笑”されたことを、一つ一つ思い出しながら、梨華は学園
内のカフェで1人黙々と食事をとっていた。
「テニス部の部長だって……、よく考えたら面倒なこと押しつけ
られてただけなんだ……」
梨華のネガティブ思考は止まることなく、ついにブツブツと独り
言をつぶやく段階にまできてしまった。
「そうよね……。ラケットも買えなかったのに、部長なんておか
しいもの……」
梨華は目に涙を溜めて、スプーンでカレーライスの皿をこねはじ
める。
- 31 名前: 5 投稿日:2001年08月11日(土)23時18分46秒
『石川さん』
「……高校はラケット持込だから、入れなかったし」
ブツブツと言っている梨華が、誰かに呼ばれていると認識するま
でに少々の時間がかかった。
ハッと顔を上げると、教室で見たことのある女子生徒がトレイを
持って立っていた。
「隣、いい?」
と、その少女は少しはにかんだ笑顔を浮かべてそう言った。
「あ、はい。あ、うん」
梨華はあわてて、となりの椅子をひいた。少女が椅子に座り、テー
ブルにトレイを置く。トレイの上には、クロワッサンとサラダと
カフェ・オレが乗っていた。
それを見た梨華は、どうして自分はカレーなんかを選んでしまっ
たのかと後悔した。学園内で使用するプリペードカードを事前に
藤村からもらっているので、金銭的に困っているわけでもないの
に、なぜか一番安いカレーライスを選んでしまった。
- 32 名前: 5 投稿日:2001年08月11日(土)23時21分35秒
- 今頃になって何気なく辺りを見渡してみたが、誰もカレーライス
などを選んでいる生徒はいなかった。
つくづく貧乏性の自分が嫌になったし、つくづくこの学園の校風
が自分には合わないと感じた。
「石川さん、カレー好き?」
ほら、と梨華は思った。やはり、自分はどこの場所にいても浮い
てしまう存在らしいとあらためて認識した。
「私も、好きなの。替えてもらおうかなー」
「……?」
少女はずっと遠くの調理場の方を、そわそわと眺めていた。
「でも、もう間に合わないか」
そう言ってクスクスと笑う少女を見て、梨華は直感的に友達にな
れそうな気がした。
「あ、あ、よかったら、どうぞ」
梨華は、バッとカレー皿の乗ったトレイを差しだした。勢いよく
差しだしたので、カレー皿の上に置いてあったスプーンが落ち、
静かな食堂にその音が響き渡った。
梨華は知らない。顔を真っ赤にしてスプーンを拾う自分の姿を、
遠くの席からひとみが眺めていることを――。
- 33 名前: 5 投稿日:2001年08月11日(土)23時22分57秒
学校から戻った梨華の気分は、浮き足だっていた。
このような気分になったのは、市井家に初めてやって来て、輝か
しい未来の姿を妄想して以来のことである。
学園の食堂で出会った少女の名前は、”柴田あゆみ”と言った。
実は彼女も高校からの編入学組で、校風や生徒たちとあまりソリ
が合っていないという事を知った。
「柴田さん……かぁ。あゆみちゃんって呼ぼうかなぁ。柴ちゃん。
あゆ……は、まだちょっと早いよね」
と、梨華はシルク地のクッションを胸に抱きニヤニヤとしていた。
『あんた、ちょっと危ないよね』
不意に声が聞こえ、梨華は思わず短い悲鳴を上げた。
ドアによりかかるようにして、ひとみが嘲笑的な笑みを浮かべて
立っていた。
「きゅ、急に入ってこないでよ。びっくりするじゃない」
「――友達ができて、そんなに嬉しい?」
ひとみは、フッと小さく笑う。その態度に、梨華はカチンときた。
- 34 名前: 5 投稿日:2001年08月11日(土)23時24分29秒
「嬉しいわよ。すっごいすっごい嬉しい」
「……あんたさ、ホントにアタシより年上?」
「何よ。子供っぽいって言いたいの」
ベッドに座ったままムッとして、”すっごいすっごい嬉しい”とピョ
ンピョン跳ねている姿は誰がどう見ても子供だろう――と、ひと
みは思っていた。
今だってそうである。子供のように唇を尖らせているその顔――。
ひとみは思わず吹き出しそうになった。
「な、何がおかしいのよ。で、だいたい何の用よ?」
「――もうすぐメシだってさ」
「え? わざわざ呼びに来てくれたの?」
「は?」
「え?」
きょとーんとしている梨華の顔を見て、ひとみは笑ってしまった。
「んなのするわけないじゃん」
――梨華はただ自分を呼びに来てくれたことで、なんとなく姉妹
としての繋がりのようなものが見え嬉しかっただけなのであるが……。
「ハァ……マジでおもしれー」
と、ひとみはドアの柱をバンバンと叩きながら身をよじらせた。
梨華は、なぜ自分が笑われているのかわからずに、きょとーんと
してひとみを見つめていた。
そして、ひとみもこんな風にして笑うことができるんだと、どこ
か頭の片隅で感心していたりもしていた――。
- 35 名前: 6 投稿日:2001年08月11日(土)23時25分55秒
数日間を学園と市井家で過ごして、梨華にはわかった事がある。
1つ目。
ひとみは、家では梨華をからかいの対象としていること。
2つ目。
学校ではそんな素振りを1つも見せないどころか、無視している
こと。
3つ目。
”市井ひとみ”ではなく、”吉澤ひとみ”と母方の姓を今だに使って
いること。しかし、梨華と違って誰もが”市井の人間”として扱っ
ている。
4つ目。
学園ではほとんど無表情かつ無関心を決め込んでいること。
そして、5つ目がもっとも不思議な事である。
- 36 名前: 6 投稿日:2001年08月11日(土)23時27分56秒
ある日の放課後、梨華はあゆみに連れられて体育館へと赴いた。
どうせ、帰っても勉強以外は何もやる事はない。以前の生活に比
べて、自分の時間というものが多く持てるようになった。
仕事に出かけている母親に代わって掃除や洗濯や炊事に追われる
ことなく――。時間は嫌になるほど余っていた。
文武両道の”朝比奈学園”の体育館というのは、やはりそれなりの
建造物であった。中央のコートを取り囲むように、座席スペース
が用意されている――梨華は中学時代に友達のバスケの応援に訪
れた代々木体育館を思い出していた。
「でも、あれほど大きくないか」
思わずポツリとつぶやいた梨華に、さきほどまでうっとりとコー
トを見つめていたあゆみが「ん?」と反応した。
「あ、ううん。なんでもない。それより柴田さん、バレー部に入
りたいの?」
連れられてきてから約30分、あゆみは特に梨華と会話すること
なくうっとりとした表情でコートで練習しているバレー部員を見
つめているだけであった。
- 37 名前: 6 投稿日:2001年08月11日(土)23時30分06秒
きっと、自分のようにバレー道具が買えなくて、部活に入りたく
ても入れないでいるのだと――梨華は、自分の悲しい過去の姿と
照らし合わせて涙を流しそうになった。
「あゆみちゃん、頑張ろう」
突然、手を握られて目をキラキラさせてうなずきかける梨華に、
あゆみは何をどう頑張っていいのかさっぱりわからなかった。
それよりも、1分1秒でもコートにいる1人の部員の姿を眺めて
いたかった。
「……?」
梨華は自分へと向けられていたあゆみの視線がコートへと移って
いくのを、不思議に感じた。
梨華は、それまでコートにあまり意識を集中させていなかった。
しかし、冷静になって辺りを見渡せば自分たちと同じように、部
員でもないのに体育館に来て、あゆみと同じようにうっとりとコー
トを見つめている生徒たちが多いことに気づく。
しかも高等部専用の体育館なのに、中等部の生徒たちも混ざって
いるようだった。
- 38 名前: 6 投稿日:2001年08月11日(土)23時32分18秒
いったい何があるのだろう? バレーの練習だけで何をそんなに
うっとりとする事があるのだろうかと、梨華は彼女たちの視線が
集中する場所を追った。
「あっ……」
そこには、ひとみがいた。今までまったく気が付かなかったが、
ひとみがコートで練習をしていた。ひとみのスパイクが成功する
たびに、あちこちにいる女子生徒たちから歓喜の声があがる。
あの何事にも無関心なひとみがバレー部に所属しているのも知ら
なかったし、これほどまでに女子生徒から人気があるなどとは思っ
てもいなかった。
どちらかといえば、生徒たちに疎まれているとさえ思っていたの
だが、どうやら違っていたようだった。
- 39 名前: 6 投稿日:2001年08月11日(土)23時34分05秒
いったい、この生意気な”妹”の何がどういいのか……。
市井家の中央階段を上がっていくひとみを、梨華は下から見上げ
ていた。
確かにルックスは、その辺の男よりも勝っているはずである。
しかし、ひとみは女性である。今まで共学でしか学生生活を送っ
たことのない梨華には、女子高のノリはまったく理解できなかっ
た。
(あの見下ろす目……。絶対、またバカにしてる。でも――、大
きくて綺麗な目してるなぁ……。普通にしてたら、美人なのに)
と、梨華はぼんやりと自分を見下ろすひとみを見上げていた。
「アタシの顔になんかついてんの?」
その声に、梨華はわれに帰ってオロオロした。どうやら数十秒、
ひとみのことを眺めていたらしい。
「ホント、あんたって夢見る少女だよね」
ひとみは階段の手すりに背中をあずけて、嫌味っぽく口元を歪ま
せた。
- 40 名前: 6 投稿日:2001年08月11日(土)23時35分11秒
「べ、べつに、あなたに見惚れてたんじゃないんだから」
「誰も、アタシに見惚れてたなんて聞いてないじゃん」
「……ほ、ほくろ。ほくろ多いなぁって見てただけよ」
「……」
梨華の出した咄嗟のいいわけに、ひとみの顔が曇った。
「あ……、ごめん……」
と、反射的に謝ってしまった梨華だったが、よくよく考えればこ
こ数日これ以上の嫌味を数十倍言われていることを思い出した。
「……お互い様じゃない」
ひとみは何も答えず、ただ黙って冷たい目で梨華を見下ろしてい
る。大きくて綺麗な瞳というものは、ただ普通にしている分には
いいのだが、こうして何かの意思を持たれると非常にわかりやす
いものになる。
ひとみの瞳は、あきらかに”怒っている”という意思を表していた。
- 41 名前: 6 投稿日:2001年08月11日(土)23時36分10秒
「……ごめん」
少し腑に落ちない部分もあったが、梨華はその視線に耐えきれず
にうつむいた。
「フフ」と、小さな笑い声が聞こえて、梨華は顔を上げた。
「あんた、やっぱり単純すぎるよ」
と、ひとみは笑いながら階段を上がっていった。
「……」
何を言っているのかを理解するまでに、少々、時間がかかった。
ひとみが笑っていたことに対してホッとしていたので、思考回路
もほんの少し結論を出すのが遅れたらしい。
”からかわれていた”と、理解した時にはもうすでに、ひとみの姿
はどこにもなかった。
「もう……、なに、あの子、すっごいムカツク……」
梨華は頬っぺたを膨らませながら、地団駄をふんだ。人気がある
のは、あのルックスに惑わされているだけなんだ――、梨華は早
く友達の目を覚まさせなければいけないと考えはじめていた。
- 42 名前: 7 投稿日:2001年08月11日(土)23時39分38秒
梨華はほぼ毎日のように、放課後の体育館に足を運んでいた。
別に本人の意思ではなかった。学園で唯一の友人、柴田あゆみに
連れられての事である。
(ダメ……。柴田さんもみんなも、絶対に騙されてる)
ひとみが何か活躍するたびにわきあがる歓声を聞きながら、梨華
は常にそんなことを心の中で呟いていた。
体育館からの帰りは決まって、いかにひとみのプレイがすごかっ
たかを聞かされる。そんな時のあゆみの目は、とてもキラキラと
輝いている。まるで、異性に恋するその眼差しであった。
梨華にはまったく理解ができなかった。理解はできなかったが、
同性に憧れを抱く友人を嫌いになるという事はなかった。
学園で唯一の話の合う友達という事もあるし、なによりも女子高
ではそれが辺り前のことであり、自分だけが少し変わっているの
かもしれないと思っていたからである。
- 43 名前: 7 投稿日:2001年08月11日(土)23時43分26秒
梨華も頭では理解した。そのような恋愛もあっていいと――。
だが、やはり実際に自分がとなると、とてもではないが同性に恋
愛感情を抱くことはできない。
学園の中には自分と同じような考えをしている生徒もいるのであ
ろうが、そのような生徒たちは他でちゃんと異性の恋人を作って
いるので、引っ込み思案の自分とは友達になれそうにない。やは
り自分は、どこか中途半端に浮きあがっていると――梨華の思考
はまたもやネガティブ一直線となった。
「じゃあ、私、この辺で」
あゆみの声に、梨華はハッと我にかえった。いつの間にか、いつも
の別れ道に来ていた。
「? どうかした?」
あゆみが、ボーっとしている梨華の顔を覗きこむ。
「あ、ううん。なんでもない」
「じゃあ、また明日ね」
「あ、うん。バイバイ」
去っていくあゆみの背中を、梨華はいつまでも手を振りながら見送っ
ていた。
あゆみの背を見送りながら、今日もまたひとみの正体を伝えること
ができなかったと少々胸が痛んだ。
- 44 名前: 7 投稿日:2001年08月11日(土)23時45分16秒
夜。
梨華は2階にあるバルコニーに出て、夜風を浴びた。
家に帰ってから、ずっと勉強をしていたので、その少しひんやり
とした夜風はちょうどいい気分転換になった。
大きく伸びをしながら、いつまでここでこんな生活をしなければ
ならないのだろうと考えた。
確かに、市井家というとても裕福な家に住めることになり、生活
には何も困らない。だが、お世辞にもこの市井家からは”家庭”
という感じはしない。
ただ、住まわせて生活させてもらっているだけにしか過ぎないの
である。
金銭的な面では裕福になれた。しかし、他のことでは何一つとし
て以前と比べて良くなったことはない。
貧しいながらも、母親がいた。
浮いていたかもしれないが、自分の好きな友が何人もいた。
ネガティブ思考だが、それでも毎日笑うことはできた。
- 45 名前: 7 投稿日:2001年08月11日(土)23時46分08秒
だが、今はどうだろう――。梨華は自分が、どんどんと無表情に
なっていっていることに気づき始めていた。
どうにかしたいのだが、元来は引っ込み思案の性格である。
自分1人では、どうすることもできなかった。
仮に自分1人で動いたとしても、きっと周りが何も反応しないで
あろう。梨華の生活環境はあまりにも、反転しすぎていた。
「お母さん……、私、寂しいよ……」
梨華は夜空を見上げながら、静かに涙を流した。
本当は寂しくて涙を流したのではない。いつか、自分もひとみや
学園にいる多くの生徒たちのように何事にも無関心になるのが悲
しかったのである。
梨華のホームシックは、帰る家もないので癒されそうにはない。
――ひとみは、その様子を廊下から眺めていた。
たまたま通りかかって、バルコニーに佇んでいる梨華を見つけた
のである。
何やってんだろうと足を止めたら、夜空の明かりにキラキラと反
射している梨華の涙に気づいた。
特に何も感じなかった。何も感じはしなかったが、ずっとその様
子を廊下から眺めていた。
- 46 名前: 8 投稿日:2001年08月11日(土)23時49分11秒
学園へはいつも、ほぼ同じ時間にひとみと一緒に家を出る。
だが並んで歩きはしないし、家の中から外に出るまでの間に会話
もしない。ただ、同じ時間帯に家を出るだけに過ぎない。
最初の頃は、梨華も早く姉として妹として慣れるように気を使っ
て話しかけたりもしていたのだが、徹底的に無視をされるのでい
つの間にか話かける事をやめた。
一歩、家を出ると目を合わす事さえない。
時には梨華が先を歩いたり、時にはひとみが先を歩いたりして適
度な距離を保ちつつ、まるで他人のように学園に到着するのが常
であった。
「あ、あの吉澤さんっ」
この日、ひとみは梨華の数メートル前を歩いていた。学園まであ
と少しという所で、店の看板の脇から中等部なのだろう一人の少
女がひとみの前に現れた。
ひとみが立ち止まると、梨華もなぜか立ち止まってしまった。
少女は顔を赤くして、もじもじとしながらカバンの中から一枚の
封筒を取りだした。
ラブレターだと、梨華はすぐに判断した。ただの憧れ的な存在で
はなく、恋愛感情の対象としてひとみが見られている事を知り、
なんだか姉としては複雑な気分になる梨華であった。
- 47 名前: 8 投稿日:2001年08月11日(土)23時51分33秒
梨華は、軽いため息を吐くとまた歩きだした。
ひとみの横を通過したと同時に、ラブレターを渡し終えた少女は
気恥ずかしくてその場にいられないのだろう、梨華の横を走り去っ
て行ってしまった。
その少女はきっと純粋にひとみの事が好きなのだろう。そんな感
じを受ける梨華であった。
――いったい、ひとみはどんな顔をしているのだろう? あの純
粋な気持ちを一体どう受けとめるのか、梨華はとても気になって、
無意識に後ろを振りかえった。
「!」
振りかえった梨華が見たのは、とても冷たい目をしてたった今、
渡されたばかりのラブレターをビリビリに破くひとみの姿であっ
た。
「ちょ、ちょっと、何やってるのよ」
梨華は思わずそう呟きながら、ひとみへと足を進めた。梨華は決
して同性同士の恋愛を完全に認めているわけではない。しかし、
人を愛する気持ちに男女の差はないと思っている。
たとえ、受け入れられる事ができなくとも、そこまであからさま
に自分を好きな人の気持ちを踏みにじる、ひとみのその行為はと
ても許されるものではなかった。
- 48 名前: 8 投稿日:2001年08月11日(土)23時52分29秒
「まだ、あそこにいるのよ。もし、振りかえったら、どうするつ
もりよ」
梨華の視線の先には、まだ走り去っていく少女の背があった。
「まだ中学生じゃない。そんなところ見たら、ショックで」
ひとみは、まだ文句を言いたそうな梨華をジロリと一睨みすると、
また何事もなかったかのように歩き始めた。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」
駆け出して行きたい気持ちでいっぱいだったが、辺りに散乱した
ラブレターの破片を拾い集める事にした。
渡した本人に破られ、そしてそれを誰かに読まれたりしたら、あ
まりにもあの少女が可哀相だと――梨華はそれらを必死に拾い集
めた。拾い集めながら、やっぱりひとみとはソリが合わない事を
確信した。
- 49 名前: 8 投稿日:2001年08月11日(土)23時54分50秒
- 「ねぇ、石川さん」
1時間目が終わってすぐに、柴田あゆみが声をかけてきた。
「?」
次の授業の用意をしていた梨華は、自然と机の前に立っている
あゆみを見上げる姿勢となった。
「今朝、吉澤さんと話してたんだって? ねぇ、何の話してたの?
吉澤さんと、知り合い? ねぇ」
誰だかは知らないが、今朝のやり取りを見ていたらしい。よりに
もよって、柴田さんに教えるとは――。梨華は憂鬱な気分で、言
い訳を考えた。
「あのね、石川さん……」
「はい?」
「あぁ……、ここじゃアレだから、ちょっといい?」
辺りをソワソワと落ちつきなく、眺めているあゆみ。
梨華は何か嫌な予感がしていた。
- 50 名前: 8 投稿日:2001年08月11日(土)23時58分00秒
あゆみに連れられていかれたのは、人気のない校舎脇であった。
休み時間ももう残りわずかしかないというのに、こんなところま
で連れて来られるという事はよほど大事な話なんだろう――梨華
はその大事な話が”ひとみ”と関係ありませんようにと願った。
「私、吉澤さんのこと好きなんだ……」
あゆみのその言葉を聞き、梨華はため息を吐きたい気持ちでいっ
ぱいになった。ついに、核心を突いた話を切り出されてしまった
のである。
「変かな……やっぱり」
実際にこうして顔を赤くしてもじもじとしたあゆみを目の前にす
ると、とてもではないが”あの子はやめといた方がいい”とは言え
ない梨華であった。
「あ……、うん、どうだろう……」
梨華は身をよじらせながら、必死で次の言葉を考えていた。
もしも、もしもである。梨華の言葉によって触発されたあゆみが、
一大決心なんかをしてしまったら、今朝の中学生のように冷たく
あしらわれるのは目に見えている。
- 51 名前: 8 投稿日:2001年08月11日(土)23時59分17秒
そんな仕打ちを受けるのが目に見えているので、友としては言葉を
選ぶ必要があった。
「入学式の時にね、中等部から彼女が代表して祝辞を述べたの。
私ね、その時に一目ぼれしちゃって……。あ、でも、最初は女の
子なのにカッコいいなあの子って思っただけ。でも、バレーして
る姿見てからは……なんか……」
「そ、そうなんだ……」
「やっぱり、変かな?」
「あ、ううん。変じゃないと思うよ。この学校って、みんなそう
じゃない」
「もてるの。吉澤さんって。すごいライバル多いの。体育館もい
つも凄いことになってるでしょ」
結局、梨華はあゆみの一大決心に油を注いだらしく、延々と恋の
ライバルの話を聞かされた。
「私、決めた。いつまでも悩んでちゃいけない。この気持ち、勇
気を出して打ち明けよう。恥ずかしいけど、頑張ってみる。だっ
て、そうしないといつまでも苦しくて……」
「あ……、でも……」
梨華のオドオドとしたその小さな声は、授業開始のチャイムによっ
てかき消された――。
- 52 名前: 8 投稿日:2001年08月12日(日)00時00分45秒
「はぁ?」
市井家のリビング。
クラブの練習から戻ってきたひとみは、梨華の話を聞いてあから
さまに嫌な顔をして見せた。
疲れて戻ってきて、いきなり「恋する気持ちに性別は関係ないの」
と説かれては不機嫌にもなるし、なによりもまだ今朝のことを言っ
ているのかと思うと、普段は無表情なひとみにもその心情が顔に
出てしまう。
「だから、たとえ同性に告白されても」
「いい加減にしてくれないと、ぶっ飛ばすよ」
ひとみは、立ちはだかる梨華を軽く突きはなすと中央階段へと向
かって歩いた。
いつもの梨華なら、それに怯んで後を追うことはしないだろう。
いや、それ以前に向こうから話しかけてこない限り、声をかける
こともない。だが、今は大事な友達が傷つけられるかどうかの瀬
戸際である。簡単に引き下がるわけにはいかなかった。
- 53 名前: 8 投稿日:2001年08月12日(日)00時02分03秒
ひとみの後をついて行き、初めてひとみの部屋の中に入った。
「……」
女の子らしいものを一切排除した、その殺風景な部屋に梨華は思
わず息をのんでたたずんだ。
そんな梨華を無視して、ひとみは部屋の一角にあるシャワールー
ムへと入っていった。
我にかえった梨華は、あわててその後を追う。
「ちょ、ちょっと待ってよ。まだ、話おわってないでしょ」
ドアを開けると、ちょうどひとみが制服を脱いでいるところだっ
た。インナーの薄いシャツは、ほんの少し汗ばんでブラジャーが
透けて見えていたが、梨華は特に気にしなかった。なぜなら、姉
妹らしくないとは言え、ひとみは妹だからである。
- 54 名前: 8 投稿日:2001年08月12日(日)00時03分05秒
「あんたね、こんなところまで入ってくるなんてちょっと頭いか
れてんじゃないの? だいたい、何? さっきから黙って聞いて
れば、同性の恋愛がどうだとかなんだとかさ。けっきょく、何が
言いたいの」
ひとみは髪をかきあげながら、鏡越しに梨華へと冷たい目を向け
た。
「……だから、もうちょっと」
「――もうちょっと何」
「もうちょっと、優しくしてもいいじゃない。OKするしないは、
あなたの勝手だよ。私だって、そこまで言う権利ないし言うつも
りもない。でも、断るにしてもなんにしろ相手はすっごい勇気だ
してるんだから、それなりに誠意をもって」
梨華は思わず、声を止めた。鏡越しに自分を見つめているひとみ
が、冷笑を浮かべているからである。その冷笑の向こうで、自分
を嘲っているのをここ数週間の生活で熟知していた。
- 55 名前: 8 投稿日:2001年08月12日(日)00時04分12秒
「そんな目で見られたって、別に怖くもなんともないんだから」
ひとみは、冷笑を浮かべ髪をかきあげながら振り向いた。見る人
によっては、その仕種がその冷笑がカッコイイのかもしれない。
でも、私はそうは思わない――。梨華はブツブツと心の中でひと
みを否定した。
「どうせ、あんたの友達が、アタシのこと好きなんでしょ?」
「……ち、違うわよ」
「遠くから見ているだけじゃ物足りない。いっそ、打ち明けてし
まおう。それを聞かされたあんたは動揺した。友達がまた冷たく
あしらわれるんじゃないかって。だから、こうして」
「ち、違う。私はただ……」
「ひょっとして、あんたって処女」
「は!?」
梨華は呆気にとられた。言葉の意味がよく分からないほど動揺し
た。ふつう、姉妹でそんな会話がなされるのか? 今までずっと
母親と暮していた梨華にはわからない。
- 56 名前: 8 投稿日:2001年08月12日(日)00時05分28秒
「っぽいし、そうじゃないような気もする。なんか、あまりにも
単純だからさ、男に簡単に騙されてそうな気がするんだよね」
「だ、騙されてなんかいないわよ」
「じゃあ、処女なんだ」
梨華は顔を真っ赤にして、うつむいた。一体なんの会話をしてい
るのか、なんでこんな小悪魔と2人っきりでいるのかと、この場
にいる事を後悔した。
「恋だとか、愛だとか、そんなのどうでもいいよ。メンドーなだ
け。あんたの友達に言っといてよ。抱かれたいだけなら、いつで
も抱いてあげるって」
ひとみはそう言って、呆然としている梨華をシャワールームの外
へと追いやった。
梨華はシャワールームの前で、ぽつんと佇んでいた。
ひとみは冷めているというよりも、人格的にどこか問題があるの
ではないかと――、梨華は不安になった。
- 57 名前: 8 投稿日:2001年08月12日(日)00時08分15秒
今まで特に姉であると自覚したことはない。ひとみだって、自分
を姉だと思っていないだろう。だが、さっきの言葉を聞いてそれ
ではいけないのではないかと思い始めた。
姉として、人格に問題のある妹をどうにかしなければならないの
ではないかとマジメに考え始めた梨華であった。
『あー、梨華お嬢様、こちらにおいででしたか』
ぼんやりと振りかえると、開けっぱなしにしてあったひとみの部
屋の前に藤村が立っていた。
藤村はぼんやりとした梨華を見ると、なぜかとてもバツの悪そう
な顔をした。そして、不自然な笑みを浮かべた。
「もうすぐ夕食の時間ですので、ひとみお嬢様とご一緒に降りて
ください」
と、だけを言い残すと、そそくさとその場を立ち去った。
何か言いたげで――、でも言えなかった。梨華は藤村から、そん
な印象を受けた。その印象は、夕食中もずっと抱く事となる。そ
して、その印象の答えは――翌日の朝に知る事となる。
- 58 名前: 9 投稿日:2001年08月12日(日)00時10分05秒
翌日の朝。
梨華は食堂で、衝撃的な事実を告げられた。
「臍帯からDNA解析をした結果、市井家のDNAとは一致しな
い事が判明しまして……」
藤村は目を伏し目がちにして、決定的な証拠を述べた。
梨華は驚きながらも、頭の片隅で”やっぱり”という感じもしてい
た。学園で自分の素性を知らせなかったのも、この家の人間が必
要以上に自分と関わろうとしなかった事も、すべてこのような結
果を想定していたのだとすると辻褄があう。
「そう……、ですか……」
梨華には、そう言うだけで精一杯だった。科学的証拠を提示され
れば否定できるわけがない。もっとも、否定したいという気持ち
もなかった。
はす向いのテーブルについているひとみは、涼しい顔をしてさも
自分には関係ないといった感じで朝食をとっている。
- 59 名前: 9 投稿日:2001年08月12日(日)00時11分12秒
梨華は、そんな態度のひとみにほんの少しショックを受けた。
昨日、やっと”姉”のような気持ちが芽生えたというのに、その翌
日にはこうである。
きっと、聡明なひとみにはこうなる事がわかっていたのであろう。
だからこそ、徹底的に他人のように接してきた。
それがわかると、梨華はなんだか無性に切なくなった。
浮かれていたのは、自分一人だけだと分かったら無性に悲しくなっ
た。
「旦那様にご報告してご指示を仰ぐまでは、これまでのようにこ
ちらで生活して頂いて結構ですので……」
藤村の消え入りそうな声を聞き、梨華はますます切なくなった。
頭が混乱して、何をしていいのかわからない。
この後の生活のことを考えたら、梨華の頭はちょっとしたパニッ
クを起こしかけていた。
「あ、あの、ごちそうさまでした」
梨華は、そう言い残すと素早く食堂を後にした。
藤村も朝食の用意をしていた家政婦も、とても申し訳なさそうな
顔をして走り去っていく梨華の背を見送っていた。
- 60 名前: 9 投稿日:2001年08月12日(日)00時12分13秒
梨華は以前のアパートから持ってきていた数少ない自分の荷物を、
ボストンバッグに詰め込んでいた。
家長からの指示があるまで在留してもいいと言われても、ハイそ
うですかとあつかましく居残る事など梨華にはできない。
赤の他人なのである。売り言葉に買い言葉とはいえ、実子のひと
みに対しては酷いことを言ったりもした。
その数十倍、嫌味の雨嵐は受けてきたが、それでも頭のどこかで
”妹”という意識があったから許せてきたし、それなりに受け流す
こともできた。
だが、これからここに数日間でも居残れば”住まわせてやってい
るひとみ”と”住まわせてもらっている梨華”という主従関係になっ
てしまう。そうなると、とてもではないがひとみの嫌味には耐え
られそうにもない。
梨華は一刻も早く、この家から逃げ出したかった。
- 61 名前: 9 投稿日:2001年08月12日(日)00時14分05秒
『あんたで、6人目だよ』
作業している梨華の後ろから、ひとみの声が聞こえてきた。しか
し、梨華は振りかえる事もせずただ黙々と作業していた。
『ここのオヤジは、とんでもないエロオヤジだからね。あっちこっ
ちで遊んでんだ』
ひとみも別に梨華の答えを、待ちわびている風ではなかった。た
だ、ここから去っていく他人に父親のことを聞かせたい。そんな、
印象を受けた。
『優秀な遺伝子は、多ければ多いほどいい。バカな持論で自分の
行動を正当化してる。受け継がれるのは、そのバカな遺伝子だっ
てあるのにさ』
ひとみの苦笑は、どこか切なげだった。梨華は思わず、後ろを振
り向いた。ひとみは、いつものようにドアの柱に腕を組んでもた
れていた。
「別に、今すぐ出ていかなくてもいいのに」
と、ひとみはまたあの冷笑を浮かべた。ほんの少し、同情した自
分がとてもバカらしくなる梨華であった。だが、それは口にも顔
にも出さなかった。
- 62 名前: 9 投稿日:2001年08月12日(日)00時16分00秒
たとえ数週間とはいえ、1つ屋根の下で暮らしていたのである。
たとえ心温まるような事はなかったとはいえ、別れる最後ぐらい
は口喧嘩などしたくはなかった。
黙って、また作業に戻った。
『あ、そうだ――。あんた、学校どうすんの?』
通える事ができないのはわかりきっているのに、そんな事を言う
ひとみに対して梨華はムッとした。
『学校っていうかさ、あんたの友達がアタシに告白するんでしょ?
いいの? アタシに告白させて』
柴田あゆみの顔が、頭に浮かんだ。よくはない。登校時に告白し
た中学生は、ラブレターを渡した後すぐにその場を去ったので、
実際のあの現場を目撃していない。
しかし、あゆみは直接ひとみに面と向って告白しようとしている
のだ。自分とよく似た性格のあゆみが、ましてや1年間も密かに
恋愛感情を抱いていたあゆみが、ひとみの冷たい仕打ちに耐えら
れないのは目に見えている。
断られて、自殺でもしたらどうしよう。断られて、ヤケになって
人生の坂道を転がっていったらどうしよう。等など。
梨華の思考はまたもや、ネガティブ一直線となった。
- 63 名前: 作者 投稿日:2001年08月12日(日)00時20分54秒
暇だったので、4〜9回分を一気に更新しました。
- 64 名前:名無しさん@リアルタイム!! 投稿日:2001年08月12日(日)00時36分04秒
- 凄まじい量の更新お疲れさまです(w
緊張感が凄くあってすっごいおもしろいっす!
これからも頑張って下さい!!応援してます。
- 65 名前:名無し読者 投稿日:2001年08月12日(日)19時05分18秒
一気に読んじゃいました♪
すっご〜く面白いです!!初めてです!こんな
小説!!続き期待してまっす♪
頑張って下さい♪
- 66 名前: 10 投稿日:2001年08月13日(月)23時55分05秒
けっきょく、ひとみの策略というのだろうか、何を企んでいるの
か少し不気味ではあったが、今日だけはと梨華は学園へと向う
事にした。
「おはよう、石川さん」
梨華が少しうなだれ気味に席につくと、すぐに柴田あゆみがやっ
てきた。
「ん? どうしたの? 顔色悪いよ」
「あ、ううん。大丈夫。ちょっと寝不足で」
余計な心配をさせないように、梨華はつとめて平静を装った。
顔色もそうだが、胃の辺りもキリキリと痛みだしてきた。
ここ最近、いろいろな事が起こりすぎているせいで、胃の方もス
トレスによりかなり参っているらしい。
そこへきて、今朝のアレである。このままでは、胃に穴が空いて
しまいそうだった。
- 67 名前: 10 投稿日:2001年08月13日(月)23時55分44秒
「あのね、私、決めたの」
胃の痛む原因の一つに、友人がひとみに告白するということもあ
る。それは、きっと彼女には伝わってないだろう。
「決めたって……?」
「もちろん。アレよ。今日の放課後、体育館の前で待つ事にした」
梨華の胃が、キュッと音を立てたようだった――。
その日の放課後までの間に、梨華は相当やつれた。これからの身
の振り方を考えると、胃は痛くなるしこみ上げてくる涙を漏らさ
ぬよう何度も目をこすっていたので隈もできた。
そして、放課後のイベントでひとみがどのような態度に出るのか
を考えると昼食も満足にとれなかった。
バレーの練習は、もうすぐ終わる。
ついさっきまで緊張と興奮とで、いつもよりテンションが高めだっ
たあゆみもいつの間にか黙りこくっている。
かなり、緊張しているらしい。かすかに、震えていた。
- 68 名前: 10 投稿日:2001年08月13日(月)23時57分03秒
「柴田さん……」
梨華は震えるその手を、ソッとにぎりしめた。
「ありがとう……。でも、大丈夫。ホント言うとね、返事は期待
してないんだ」
「……?」
「だって、やっぱり……ね。いくら周りがそうだとしても、吉澤
さんもそうだとは限らないから」
「じゃあ……なんで?」
「やっぱり……」
言いかけた時、体育館の扉が開きバレー部員たちがゾロゾロと出
てきた。その中に、ひとみの姿はなかった。いくらバレーが上手
くても理事長の娘でも1年生である。きっと、後片付けなどをし
ているのだろう。
- 69 名前: 10 投稿日:2001年08月13日(月)23時58分05秒
「私、どうしよう?」
梨華は、あゆみに問いかけた。いくら心配とはいえ、隣に並んで
告白が終わるまで待つわけにもいかない。本当は、告白を止めた
いのだが、あゆみの並々ならぬ決意に圧されてそれも言いだせな
いでいる。
「ここで、待っててくれる? 私、ちょっと行ってくるから」
あゆみのことを自分とよく似た性格だろうと思っていた梨華だっ
たが、そう言い終わるとすぐに体育館に向って走り去っていくそ
の後ろ姿を見て、自分とは違い行動力のある人だと感じた。
緊張の裏返しで行動へと急きたてているのはわかっているが、自
分なら逆方向に向って駈けだして――逃げ出してしまうんだろう
なぁと梨華はあらためて自分のネガティブさに気付いた。
小・中・高と好きな男の子はいた。
しかし、告白などは1度もした事がない。好きな人に、断られて
傷つくくらいなら、いっそずっと片思いのままで我慢する。
梨華は、そんなタイプだった――。
- 70 名前: 10 投稿日:2001年08月14日(火)00時00分19秒
告白が終わるまで出口で待っているつもりの梨華だったが、やは
りひとみが何をするのか心配だった。
足は自然と体育館内にあるロッカールームへと向っていた。
向かう廊下の途中で、バレー部の1年生部員らしい女子生徒の集
団とすれ違う。
その中に、ひとみの姿はなかった。
と、いう事は、あゆみが告白のためにひとみを足止めさせている
という事である。
どうしようか? 引き返そうかと迷っていると、ロッカールーム
のドアが開き、『話がないんなら、帰らせてもらいますよ』と、
ひとみが汗を拭きながら出てきた。
数メートル離れた廊下で、ウロウロしていた梨華は咄嗟に、廊下
の角へと身をかくした。
- 71 名前: 10 投稿日:2001年08月14日(火)00時01分40秒
『あっ、待って』
息を潜めている梨華の耳に、あゆみの声が聞こえてきた。どうや
ら、いざロッカールームへと向かったもののなかなか話を切り出
せなかったらしい。
ひとみの足音が聞こえない。どうやら、ひとみは立ち止まってい
るらしい。
『あ……、あのね……』
『なんですか?』
(告白するの知ってるのに、なんでそんなに素っ気ないのよ!)
梨華は、こぶしをぎゅっと握った。ひとみは知っているのである。
知っていて、わざと反応を楽しんでいるのである。それは、この
数週間いつもそうされてきた梨華には、すぐにわかる声のトーン
であった。
もしも、このままからかうような態度で接するのであれば、友の
前に出てガツンと言ってやるつもりだった。もう、どうせこの学
園には通えないし、市井家も出なければならないのだ。
梨華は、少々ヤケクソになっていた。
『あ、その……。もしよかったら・・・・・・、もしよかったらでいい
んだけど、お友達になってくれませんか』
- 72 名前: 10 投稿日:2001年08月14日(火)00時02分39秒
梨華は、廊下の角で少しよろめいた。
(え? 告白って、そう言う意味だったの?)
ひとみの微かな、笑い声が聞こえてきた。
(なんで笑ってるのよ! 知ってるくせに!)
『なんだ、てっきり付き合ってって言われるのかと思った』
『……』
『もしも先輩がそういう気で友達になりたいって言うのなら、失
礼ですけどお断りします。私、今、付き合ってる子がいるんで』
(えっ!?)
『そ、そうなんだ……』
『ええ』
(……)
- 73 名前: 10 投稿日:2001年08月14日(火)00時03分30秒
『あぁ、うん。わかった。ごめんね、引きとめたりしちゃって』
『いいえ、こっちこそすみません』
『ううん。正直に言ってもらって嬉しかった。これからも、バレー
頑張ってね。応援してる』
『――』
『じゃあ』
廊下を走り去っていく足音が、静かな体育館の廊下に響き渡った。
梨華は、その場を動けないでいた。いろいろな事が、頭を駆けめ
ぐった。あのひとみが、誠意のようなものを込めて対応した事、
そして何よりも驚いたのがもうすでに付き合っている人がいると
いうことであった。その男が誰なのか、梨華にはわからない。
市井家で過ごした数週間、それらしい気配は全然なかった。
- 74 名前: 10 投稿日:2001年08月14日(火)00時04分35秒
だが、今はひとみの事よりも、あっさりとふられてしまったあゆ
みの事が心配だった。
梨華は、ひとみのいる方向とは別の方向へと廊下を走った。バタ
バタとその足音が響いているのも、お構いなく廊下をひた走った。
正門を出ると、その数メートル先に歩いているあゆみの背中が見
えた。
「柴田さんっ!」
周りにいる通行人などまるで見えていないかのように、梨華はあ
ゆみを呼びとめる。
振りかえったあゆみ。梨華は、涙など流してはいないかと、とて
も心配だったが、振りかえったあゆみはきょとんとして梨華を見
ているだけであった。
「なんだ。もう先に帰っちゃったのかと思ってた」
やってきた息の荒い梨華に、あゆみは苦笑しながら自分の持って
いたハンカチを差し出した。
- 75 名前: 10 投稿日:2001年08月14日(火)00時05分49秒
「あ、ありがとう」
梨華は、受けとると額の汗を拭った。
「ひょっとして、聞いてた?」
「……ごめん。聞くつもりなかったんだけど、心配で……」
2人は、しばらく無言のまま歩いた。
いつもの別れ道に差しかかる時、不意にあゆみが口を開いた。
「なんか、スッキリしたなぁ」
夕闇に染まった空を見上げ、あゆみはすがすがしい笑顔を浮かべ
ていた。
結果的にはあゆみの願いは叶う事はなかった。だが、今のあゆみ
の横顔を見ていると、負け惜しみや悲しみを偽るためでなく、本
当に心の底からそう思っている。あゆみの清々しい笑顔からは、
そんな印象を受けていた――。
(もう、これで思い残す事もないなぁ……)
いつもと同じ別れの挨拶をして去っていくあゆみの後ろ姿を見送
りながら、梨華も清々しい笑顔を浮かべていた。
- 76 名前: 11 投稿日:2001年08月14日(火)00時07分32秒
きっと、こうして市井家への道を歩くのもこれが最後なんだろう
なぁ――と、どこまでも続いていそうな長い塀を指でなぞりなが
ら、梨華はしみじみと帰途へとついた。
門扉まであと数メートルというところで、門の前で佇んでいる少
女を見つけた。
向こうも梨華に気づいているらしい。ずっと、梨華を見つめてい
る。誰だろうと思いつつも、梨華は門扉に向って歩き続けた。
視線を感じてはいたが、梨華は顔を上げなかった。ただ、すれ違
うほんの一瞬、チラリと互いの目が合った。
ボーっとしているようなそれでいて、何か人を惹きつけるような
魅力的な瞳をしていた。
こんな子がアイドルになれば、スターになるんだろうなぁと思い
つつ、梨華は静かに門の横の通用口から中へと入ろうとした。
『ちょっと、待って』
- 77 名前: 11 投稿日:2001年08月14日(火)00時08分23秒
(え……?)
声はその少女から発せられた。それ以外は考えられない。
梨華は、自分がなぜ呼び止められたのかを考えつつゆっくりと振
りかえった。
「あなた……、誰……?」
「え?」
少女はとても不思議そうに、梨華を見つめている。
「誰って……」
「この家に、なんの用?」
少女の表情は、不審人物を見るものに変わった。梨華は何もして
いないのに、その視線にたじろいだ。その視線の向け方は、どこ
かひとみに似ていた。この家にはそぐわない。まるで、そう言い
たげな目をしているのである――。
- 78 名前: 11 投稿日:2001年08月14日(火)00時09分17秒
「あ、わかった。またかぁ――、そうかそうか」
と、1人で納得する少女。
「またか……って?」
「でもなぁ――」
と、少女はまた梨華の容姿を一瞥した。
その様子を見て梨華は思い出した。たしか、ひとみも初めて会っ
たときに同じ視線を向けていた。
きっと、ひとみはあの時から自分の存在を疑っていたのだろう。
そう思うと、今、目の前で同じような視線を向けている少女に
対して苛立ちがわきあがる。
「あなたこそ、誰? こんなところで何してるの?」
「?」
突然口を開いた梨華に、少女はきょとんとした顔を向けた。
「何か用があるんなら、インターフォン押せばいいじゃない」
きょとんとしていた少女だったが、急に大口を開けて笑い出した。
「な、なによ……。私、何か変なこと言った?」
「別に」
と、少女は笑うのをやめて澄ました表情を浮かべた。
- 79 名前: 11 投稿日:2001年08月14日(火)00時10分32秒
『ごっちん……』
学校帰りのひとみが、二人の姿――いや、梨華の前にいる後藤真
希の姿を見て驚いていた。
「おー、よっすぃー、お帰りー」
と、真希は呆然と立っているひとみへと向って駆けていく。
残された梨華は、訳がわからずきょとんとしている。
(なに? よっすぃって……)
そんな呼ばれ方をしている事も意外だったし、なによりもあのひ
とみが戸惑いにも似た表情を浮かべているのが意外だった。
「退院したんだ」
「手術の痕、見せてあげようか?」
「いいよ」
真希は、ひとみの腕にまるで甘えた子猫のように身をすりよせて
いる。ひとみも、苦笑しつつも真希の話を聞いている。
梨華は、そんな2人をぼんやりと眺めていた。
ひょっとして、ひとみの恋人とは真希なのではないだろうかと、
ぼんやりと考えていた。
- 80 名前: 11 投稿日:2001年08月14日(火)00時11分48秒
――身支度。
もう心残りなことは何もない。あるとすれば、友人に最後の別れ
を告げていないことだけだったが、別れが辛くなるのでそれは胸
にしまったままこの地を離れる事にした。
今朝、あらかたの用意はできていたので、身支度はものの3分ほ
どで終わってしまう。
友人に別れを告げる事はできなかったが、やはりいくらなんでも
市井家でお世話になった人たちには挨拶ぐらいはしておかなけれ
ばならない。
ひとみには、簡単に「さよなら」とだけを告げるつもりだった。
だが、よくしてもらった藤村や何人かの家政婦にはちゃんと挨拶
がしたい。
梨華は、ボストンバッグを肩にかけて母親の遺骨箱を持って、大
広間へと向った。
「な!」
大広間のドアを開けると、そこにはとんでもない光景が広がって
いた。いつもそこで仕事をしている藤村の姿はなく、かわりにひ
とみと真希がいた。
真希は背中を向けている。
- 81 名前: 11 投稿日:2001年08月14日(火)00時12分52秒
一瞬、2人はただ向かい合って座っているだけかと思った。
だが、それにしては2人の距離が近すぎる。目を凝らさずとも、
2人がそこで何をしているのか判断できた。
真希がひとみに覆い被さるようにして、熱い口付けをしているの
だった。
ドアの開く音に気づいたのだろう。
ひとみが真希の頭越しに、ドアの方を見た。梨華は、バッチリ目
が合ってしまった。
「あ、ご、ごめん……」
と、咄嗟に謝りつつ素早くドアを閉めた。
ドアを閉めてもその場をしばらく動くことができなかった。ひと
みの言っていた”付き合っている子”が女の子であり、”キスまで
している仲”で”ひょっとしたらそれ以上も――梨華は、顔を真っ
赤にして逃げるように玄関へと向った。
- 82 名前: 11 投稿日:2001年08月14日(火)00時13分55秒
心臓がかなりの早さで鼓動を響かせている。
挨拶はまた今度にしよう――呪文のように何度も呟きながら、梨
華はドアノブに手をかけた。
『待ちなよ』
ひとみの声。梨華は、振りかえらなかった。そのまま、玄関を後
にした。
『待ってったら』
逃げるように市井家の庭を走る梨華。しばらく走ったところで、
その肩を掴まれた。
「は、離して」
「そんな格好して、どこ行くつもり」
「あ、あなたには、関係ないでしょ」
「関係あるよ。藤村の留守中に、あんたがいなくなったなんて事
になったら、ブツブツ文句言われるだろ」
「離して」
梨華は、激しく肩を振ってひとみの手を振りほどいた。
- 83 名前: 11 投稿日:2001年08月14日(火)00時15分10秒
「市井の人間じゃないのがわかっても、親父が帰ってくるまでこ
の家にいなきゃなんないんだよ」
「私には、そんな暇ないの。早く働くところ見つけなきゃ」
「そんなの藤村が見つけてくるよ。今までのやつらだって、みん
なそうしてきた。金だってもらえる。だから、親父が帰ってくる
まで待ってなよ」
ひとみは、そう言って微かに微笑んだ。ひとみとしては、ただ微
笑んだだけのつもりだったが、梨華はどうやらそうは受け取らな
かったらしい。
「――貧乏人だからってね、同情しないで!」
両手を下に突っぱね、アニメ声を辺りにキンキンに響き渡させた。
「誰も同情だなんて言ってないだろ」
「貧乏人、貧乏人ってバカにしてたじゃない」
「だって、貧乏人じゃん」
「くー……。もう、いいほっといて。今までどうもありがとう。
藤村さんと家政婦さんにそう伝えといて」
梨華はボストンバッグを担ぎなおすと、肩を怒らせながら力強い
足取りで庭園を歩いていった。
『勝手にしなよ、バカ』
梨華はひとみの声に振りかえることなく、市井家を後にした。
- 84 名前: 11 投稿日:2001年08月14日(火)00時17分07秒
「呼びとめるなんて、初めてじゃない?」
真希は、見なれているはずの調度品を眺めながらそう言った。
「別に――、そんなんじゃないよ」
外から戻ってきたひとみは、憮然とした態度でソファへと腰を下
ろした。床に落ちていた読みかけの雑誌を手にとる。
「ぜんぜん、似てないから違うってのはすぐわかった」
30センチ程度のブロンズ像を手にとって眺めている真希。
「あんなのと、一緒にしないでくれる?」
ひとみは、雑誌を読みながら吐き捨てるように言った。
「……よっすぃは、よっすぃだよ。いちーちゃんと、比べる必要
ない」
ひとみは、何も答えずに冷ややかな笑みを浮かべて雑誌を読んで
いた。優秀な姉、紗耶香。スポーツしか取り柄のない自分。市井
家の正当な実子で、自分は愛人の娘。家の者や生徒や教師たちの
あからさまな態度。比べるなという方が、どうにかしている。
――ひとみは、冷笑を浮かべながらも内心は荒んでいた。
- 85 名前: 作者 投稿日:2001年08月14日(火)00時23分04秒
- 10〜11回分の更新終了です。
>>64 またも、気まぐれで更新しました(苦笑)
>>65 2回も次分でageてしまい、少々鬱なのでsageた頃にまた
更新します。
- 86 名前: 作者 投稿日:2001年08月14日(火)00時23分55秒
- ↑誤字だし。酔っ払いながらやると、ろくなことはない(笑)
- 87 名前:65 投稿日:2001年08月14日(火)04時32分57秒
-
酔っ払いながら更新ですか(w
実に面白いっす♪梨華ちゃんは
ど〜なるんですかぁ〜?
毎回、凄い量の更新(?)
ありがとうございます!
- 88 名前:名無しやけぇ 投稿日:2001年08月14日(火)13時37分46秒
- 酔っ払い更新お疲れさん。
酒は百薬の長とも言うがそれは2杯くらいまで。
体あっての命じゃ。くれぐれもやり過ぎんように。
俺は酒もタバコもせんから健康そのもの。だから強い。
- 89 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月18日(土)03時09分36秒
- 続き書いてくれ。
- 90 名前:名無し読者 投稿日:2001年08月18日(土)04時15分08秒
- >>89
適当にsageた頃って言ってんのにageんな!
- 91 名前: 12 投稿日:2001年08月20日(月)01時00分03秒
市井家を飛び出したものの、梨華には行く当てなどどこにもなかっ
た。町をうろつくのも恐ろしいので、寝ずに交番のすぐ近くのベ
ンチで一夜を明かした。
何度か、巡回のために交番を出る警察官に見つかりそうになったっ
たが、そのつどベンチの後ろに身を隠していたので、補導される
ような事もなく無事に一夜を明かす事ができた。
「さてと……」
朝食を買ったコンビニの前で、梨華は自分に気合いを入れた。
まずは、仕事先を探さなければならない。朝昼兼用の弁当を買う
ついでに、アルバイト情報誌も買った。
電車賃ももったいないので、とりあえずこの地で仕事先を決める
ことにしたのである。
梨華はひとまず、近くにある公園へと赴いた。昨日の昼から、何
も食べていない。まずは、腹ごしらえが必要だった。
――公園内には、子供連れの主婦や、仕事をサボっているサラリー
マンなどでそれなりに賑わっていた。
梨華は、胸に抱えた遺骨箱の上にコンビニの袋を乗せて、辺りを
キョロキョロと見まわした。時間帯も中途半端で、公衆の面前で
食事をするのがただ単純に恥ずかしく、人気のない場所を探した。
- 92 名前: 12 投稿日:2001年08月20日(月)01時01分18秒
通りに面したトイレの横のベンチは、その場所柄、誰も使用して
いる者がいない。
いくら周りに人がいないとはいえ、食事が目的なので少し躊躇し
た梨華ではあったが、他の場所を探す時間がもったいないのでそ
こで食事をする事に決めた。
ベンチに腰を下ろし、ふぅーとため息を吐いた。若いとはいえ、
一睡もせずに朝から歩き回っていたのでかなり疲れている様子で
ある。
「……早く、ご飯食べてバイト探さなきゃ」
ポツリと呟いてコンビニの袋から弁当を取りだした。
その時、視界の隅に中年男性の姿をとらえた。スーツ姿のどこに
でもいる中肉中背のサラリーマン。
梨華は特に気にもとめずに、弁当のパックのフタを開けた。
- 93 名前: 12 投稿日:2001年08月20日(月)01時02分32秒
ドスンと、軽い揺れを感じた。
フッと横を見ると、先ほどこちらに向かって歩いてきていた中年
のサラリーマンが隣のベンチに座って汗を拭いている。
梨華はてっきり、通りに出ていくのかと思っていた。まさか、す
ぐ横のベンチに座られるとは――。一瞬、食事をするのを止めて
別の場所に移動しようかとも思った。だが、それではあきらかに
あからさまであるし、早く食べなければもうすぐ昼休みの時間帯
に入ってしまう。一刻も早くバイト先を決めて安心したい梨華に
とって、時間は貴重であった。
「……」
あまり気にしないように、梨華は食事をする事にした。
薄い卵焼きを少しかじって、俵がたのおにぎりを頬張る。
コンビニの弁当は久しぶりだったので、とてもおいしかった。
ましてや、ほぼ24時間ぶりの食事である。さきほどまで、気に
なっていた中年サラリーマンのことなど、すっかり忘れて食事に
没頭していた。
- 94 名前: 12 投稿日:2001年08月20日(月)01時03分12秒
缶入りのお茶を飲んでいる時に、何気なく隣のサラリーマンに目
をやった。中年サラリーマンの濁った目が、梨華の口元をとらえ
ている。背筋に悪寒がはしり、条件反射的に中年サラリーマンに
背を向けた。
(なんなの……、気持ち悪い……)
そう言えば、食事をしている間、ずっと視線を感じていたような
気もしてきた。ずっと、見られていたのかと思うと、恥ずかしさ
よりも気味悪さが勝る。梨華はすぐに、その場から立ち去ろうと
残っている弁当にフタをした。
ベンチに散らばった、ソースの袋などのゴミを集めていると背後
から声が聞こえた。
『こんな時間に、何をしているんだ?』
振りかえらなくとも、誰が誰に向かって喋っているのかは判断で
きた。
『この時間、学校じゃないのか?』
やたらと高圧的な喋りかたである。梨華の感じた、どこにでもい
る気の弱そうな中年サラリーマンとは、ずいぶんと印象のかけ離
れた喋り方であった。
- 95 名前: 12 投稿日:2001年08月20日(月)01時03分50秒
梨華は、もう弁当どころではなくなった。染付いた貧乏性で、残っ
た弁当を持ち去ろうとしていたのだが、もうそんな事はどうでも
よく、ボストンバッグと遺骨箱を抱えると素早くベンチを立った。
その前に、スッと男が立ちはだかる。
「まだ、話は終わってないよ」
それでも梨華は、目を伏せがちにその男の傍らを通りすぎようと
した。
「ちょっと、待ちなさい」
再び進路を妨げられた梨華は、少々ムッとしながら顔を上げた。
中年のサラリーマンは、一瞬、梨華の目にたじろいだがすぐに、
余裕の笑みを浮かべた。
「どいてください。でないと、警察呼びますよ」
「君、かわいい声してるね」
中年のサラリーマンは、持っていた上着の胸ポケットをまさぐる。
そして、チラリと黒い手帳のようなものを覗かせた。
- 96 名前: 12 投稿日:2001年08月20日(月)01時04分47秒
警察手帳――。
補導――。
梨華の頭に、2つの単語が素早く駆けめぐった。
「おじさんはね、警察のものなんだよ」
梨華はそのねっとりとした声に、返事を返すことなくうつむいた
ままだった。もしも、補導されれば自分はいったいどうなるのだ
ろう。もうすでに、泣きそうになっていた。
「家出かい?」
「……」
「だったら、おじさんが住むところを見つけてあげようか?」
「……」
「おじさんの言う事さえ聞いてくれれば、悪いようにはしないよ」
「……」
梨華の足はすくんでしまい、そこを動く事ができなかった。
- 97 名前: 12 投稿日:2001年08月20日(月)01時05分55秒
『もう1度、警察手帳を提示してもらえませんか?』
その声は、わりとすぐ近くから聞こえた。誰の声なのかは分から
ない。ただ、梨華には神のような救いの声に聞こえた。
中年男の顔色があきらかに変わったのを、顔を上げた梨華は見逃
さなかった。
『補導するなら最寄りの交番でこの子の身元確認をするのが、普
通なんじゃないんッスか?』
いつ頃からそこにいたのだろう。
通りに設置されている自動販売機の前に、1人の女性がいた。
赤に近いブラウンの髪をした女性。近くに止めてあるバイクは、
彼女のものなのだろう。そのタンクには、大きめのタンクバッグ
がくくりつけられてある。
梨華には、見覚えがない女性――。
- 98 名前: 12 投稿日:2001年08月20日(月)01時06分51秒
中年男は、小さく舌打ちをすると梨華の元を去っていった。
偽刑事――だった、と梨華が認識するまで少し時間がかかった。
てっきり本物の刑事で、これから補導されるものだとばかり思っ
ていた。
「あなた、もう少し注意した方がいいね」
女性がニッコリと微笑み、優しい声でそう語りかけてくれた時、
梨華の膝下は力を失った。
「だ、大丈夫!?」
自動販売機にもたれかかっていた女性は、ヘナヘナとその場に
崩れ落ちる梨華を見てあわてて駆け寄ってきた。
梨華の口は、まるで金魚のようにパクパクと動く。言葉を発し
たいのだが補導されそうになったことや、それが偽刑事でもう
少しで変な事をされるところだったという恐怖や緊張で、言葉
の発し方を忘れてしまったようである。
「ハハ。大丈夫。もう、来ないから安心しな」
と、名前も知らない女性にその小刻みに震えている身体を、優
しく抱きしめられた時、梨華はそこが公園である事も忘れて大
泣きした。
- 99 名前: 13 投稿日:2001年08月20日(月)01時08分50秒
――バイクは、赤信号で停車した。
運転しているのは、先ほど梨華を助けてくれた女性。
リアシートには、梨華が乗っていた。
いくら行きがかりとはいえ、変な事になってしまったなぁと女性
は腕時計に視線を向けた。
まだ泣いているのだろうか、後ろからはバイクのエンジン音に紛
れて鼻をすすっている音が聞こえてくる。
「あ、あのさぁ」
「……グス。はい」
「あー、駅、もうすぐそこだけど」
「……グス。はい」
「――そこから、どこか行くあてでもあんの?」
「……」
「あー、もしあれだったらさ、ちょっと付き合ってもらいたいん
だけどいいかな?」
「……グス。でも、私。グス」
「あ、うん。バイト探さなきゃなんないんだよね。それも手伝っ
てあげるからさ、ほんのちょっと寄り道していいかな?」
「……そんな、初めて会ったのにそこまでしてもらうなんてぇ」
- 100 名前: 13 投稿日:2001年08月20日(月)01時09分45秒
と、今度はなんの涙なのだろうか? 梨華はまた、泣いてしまっ
たようである。
女性は思わず、小さな苦笑をもらしてしまった。
容姿や声から受けた印象通りの女の子だと思うと、ついつい苦
笑がもれてしまった。
女性はもう、それ以上は何も語りかけなかった。
ただ、このように涙が止まらない経験は自分にもあった。母親が
亡くなった時、しばらくは涙する事ができなかったのである。涙
を流す事ができた時、今度は止める術を知らないかのように流れ
続けた。
きっと、後ろで泣いている梨華も何かの理由で涙する事をずっと
堪えていたのだろう。女性は、しばらく思いっきり泣かせてあげ
ようと何も言わずにバイクをゆっくりと走らせた。
- 101 名前: 13 投稿日:2001年08月20日(月)01時11分34秒
医科大学の駐輪場にバイクを止めた時、梨華の涙もやっと止まっ
たようである。
バイクを降りても梨華は恥ずかしくて、顔を上げることができな
かった。ほんの数十分前に初めて出会ったのに、それからずっと
泣き続けていたのである。もちろん、そんな経験は今まで1度も
ない。
「まぁ、あれだよ。たまにはさ、思いっきり泣くのも必要って事ッ
スね」
女性は優しく笑いながら、梨華の頭をクシャクシャと撫でた。
梨華はその笑顔をみて思った。ここ数日、そのような笑顔を浮か
べる人に出会っていなかった事を――。きっと、そのせいで精神
的に不安定になっていたのだろう。
「あ、悪い。ちょっと、ここで待ってて」
女性は、腕時計をちらりと覗くとバイクのタンクにくくりつけて
あったバッグの中から小さな箱のようなものを持ち出し、きょと
んとしている梨華を置いて大学の建物の方へと走っていった。
「名前……」
走り去っていく女性の後ろ姿を見送りながら、梨華は大事な事を
聞くのを忘れていた事に気づく。
それと同時に、あんなに嬉しそうな顔をしてどこに向かっていく
のかが気になって仕方がなかった――。
- 102 名前: 13 投稿日:2001年08月20日(月)01時12分52秒
――十数分後、女性は戻ってきた。
先ほど手にしていた小さな箱は持っていない。
青い空を少し見上げながら、空と同じような清々しい笑顔を浮か
べながら戻ってきた。
梨華はその様子に、ただただ見惚れているだけだった。自分自身
では気付いていないだろう、梨華が女性をボーっと見つめる視線
は、あゆみがひとみに向けていたものに酷似している事を。
「お待たせ。行こうか」
「……は、はい」
けっきょく、梨華は女性に名前を訊ねることも忘れ、リアシート
にまたがった。先ほどまでは別に何も感じなかった女性の腰に手
を回す動作に、一瞬の躊躇があった。どうして、そうしたのか梨
華にもわからなかった――。
- 103 名前: 13 投稿日:2001年08月20日(月)01時15分09秒
ひとみは、頬杖をついて窓外の風景を眺めていた。
授業中はほとんどそうして、窓の外を眺めている。別段おもしろ
いものが見えるわけでもない。
窓外に広がる風景は、なんの変哲もないいつも登下校の際に見て
いる光景である。
市井家の期待に応えようと、授業中はわき目もふらずに授業に集
中していた。それがいつ頃からだろう。こうして、授業中に窓の
外を見るようになったのは――。
不意に梨華の顔が、頭の中に浮かんだ。
何がきっかけで――そう。あの頃の自分と梨華を無意識に重ねて
しまったせいだと、ひとみは冷静に分析した。
今頃、何をやっているんだろう?
変な大人につかまっていないだろうか?
ひとみは梨華が姉ではないという事を、真希の言う通り初めて対
面した時に容姿を見てすぐにわかった。
タイプで別けるのなら梨華は、自分や姉の紗耶香とは対極に位置
する容姿である。
最初から信じてはいなかった。それなのに、浮かれている梨華が
滑稽でありついついからかってしまった。
「フフ。すぐムキになる性格も、違ってるなぁ……」
ひとみは苦笑しながら小さな声で呟いた。
隣の生徒が、ペンを持つ手を止めてひとみの横顔に見入っていた
が、ひとみはそれに気づくことなく梨華のことをぼんやりと考え
ていた。
- 104 名前: 14 投稿日:2001年08月20日(月)01時17分14秒
「い、市井紗耶香さん!?」
午後のオープンカフェ。
梨華は思わず、手にしていたカップを落としそうになった。
「そう。アタシのこと、知ってるの?」
真向かいに座っている紗耶香は、首をかしげながら驚く梨華を見
つめる。
「あ、あー、いえ……」
梨華は、カップをぎゅっと握りしめて紗耶香の視線から逃げるよ
うに、表の通りへと視線を向けた。
「まぁ……、この辺なら知ってても仕方ないか」
知っているも何も、つい昨日まで”市井家”に住んでいたのであ
る。一昨日までなら、自分の姉であったかもしれない人物。そん
な人と、なんでこうして3時のお茶を飲んでいることになってい
るのか、梨華は自分の運命が恐ろしくなった。
- 105 名前: 14 投稿日:2001年08月20日(月)01時18分36秒
「ねぇ、石川さんはさ、どんなバイト経験あんの?」
と、紗耶香がアルバイト雑誌をパラパラとめくった。
あの市井家の長女である紗耶香が、アルバイト雑誌に目を通して
いる姿が梨華には不思議でたまらなかった。
と、同時に気恥ずかしさがこみ上げてきた。
「紹介してあげたいんだけど、まったくの未経験の業種よりか、
やっぱ経験あるバイトの方がいいでしょ?」
「あ、あの、やっぱりいいです。あ、あの、私、これで失礼しま
す。ほ、本当にどうもありがとうございました」
梨華は急にたち上がり、店を逃げるようにして出ていった。
「え? ちょっと、石川さん」
店の前にやってきた時、梨華は自分の顔がかなり赤くなっている
ことに気づいた。
あの市井家の長女の背中でずっと泣き続けていたのである。それ
が、もしもひとみの耳に入るようなことがあるかと思うと顔から
火を吹き出しそうなほど恥ずかしくなった。
- 106 名前: 14 投稿日:2001年08月20日(月)01時19分53秒
「ヤダ、どうしよう。荷物忘れてきちゃった」
かなり動揺していたのであろう。梨華は、ボストンバッグを店の
中に置いて来てしまっていた。
絶対に取りに戻らなければならない。なぜなら、あのバッグの中
にはこれから暮らしていくのに必要なものがすべては入っている
のである。
ダッシュで逃げ出してしまったために、もう店からは数百メート
ルも離れてしまっている。
どうして逃げてしまったのか、梨華は今さらのように後悔した。
肩を落としながらトボトボと、数分間かけて店へと戻る。
――店に戻っても、いったいどんな顔をして対面すればいいんだ
ろう。逃げる理由などどこにもなかったのである。もう、市井家
とはなんの関係もない。ましてや、紗耶香は今まで海外に留学し
ていたのである。梨華とは1度も面識はない。
市井家でも話題に上ることがあるかもしれないが、もう2度と会
うこともないひとみや藤村たちである。
逃げ出さずに適当な理由をつけて切り上げればよかったと、梨華
は重いため息と一緒に店のドアを開けた。
- 107 名前: 14 投稿日:2001年08月20日(月)01時21分33秒
――だが、そこにはもう紗耶香の姿はなかった。
「え?」
辺りを見まわしたが、どこにもその姿はない。座っていたテー
ブルへと駆け寄ったが、紗耶香の姿もなければ梨華のボストン
バッグもなかった。
「お客様が出て行かれた後、すぐに店を出ていかれましたが。え
え、確かにバッグをお持ちでした」
ウェイターの証言通りだとすると、もうあれから10分近くが経
過している。
梨華は、通りに出て左右を見まわした。
バイクを止めてあった場所にも行ってみたが、そこにバイクはな
かった。ボストンバッグを持ったまま、移動されたのである。
移動――。
そのまま自分を探してくれていれば良いが、もしも荷物を持った
まま家に戻られたりしたら……。また、荷物を取りにあの家を訪
れなければならない。また、ひとみと顔を合わせなければならな
い……。梨華は、軽い目眩を覚えた。
「家に帰るまでに、見つけてもらわなきゃ……」
梨華はヨロヨロとしながらも、大通り沿いに向かって走りだした。
きっと、自分を探していてくれるはずである。
もしも、神様がいるのであればもう1度巡りあわせてくれるはず。
梨華は切実なる願いを込めながら、紗耶香の姿を探して通りを走っ
た。
- 108 名前: 15 投稿日:2001年08月20日(月)01時23分27秒
バレー部の練習が長引いてしまったために、ひとみが帰宅する時
間はいつもよりかなり遅かった。
ちょっとしたいざこざを、ひとみが起こしてしまった。
それまで許していた練習の見学を、ひとみが独断で中止してしまっ
たのである。
練習の見学は学校側が許可していた。部活に入ろうとしている生
徒のために、まずはどのような部活動が行なわれているのかを見
学させているのである。
部活動を行なっている生徒たちからも、特に不満の声はなかった。
見学者がいた方が、緊張感があり練習に力が入るともてると好意
的に考えている部員たちがほとんどであった――。
むろん、ひとみも特に不満はなかった。もともと、あまり他人に
は興味はない。見学する生徒たちの大半が、ただのミーハー的な
ものだと知っていたが鬱陶しいと感じるような事はなかった。
- 109 名前: 15 投稿日:2001年08月20日(月)01時24分45秒
それが急に、”鬱陶しい”と感じるようになったのである。
いつものように、練習を始めた。そして不意に、毎日のように練
習を見に来ていた梨華のことを思い出した。
いつ頃から、そこにいたのかはわからない。ある日、フッと観客
席を見たら梨華が友達の柴田あゆみと一緒にそこにいたのである。
ひとみも、梨華が付き合いで見学しているのはわかっていた。
さっさと帰ってくれないかなと毎回のように内心思いつつも、家
に帰ってどんな風にからかってどんな風に反応されるのかを考え
て楽しみにしてたりもした。
「……」
スパイクを決めるたびに、観客席から聞こえてくる黄色い歓声。
不意にそれらが、とても耳障りなものに聞こえた。
練習をストップさせて、監督である教師に告げる。
- 110 名前: 15 投稿日:2001年08月20日(月)01時27分09秒
「今すぐ、あの子たちを外に出してください。気が散って、練習
に集中できません」
「は? どうしたんだ、急に」
部員たちも、観客席の生徒たちも何があったんだろうと、2人の
動向に注目した。
ひとみは、教師の目を見据えた。その鋭い目に捉えられた教師は、
たじろいだ。
「あ、急に、そんな事を言われてもな……。どうした? 何かあっ
たのか?」
教師は、不自然な笑みを浮かべてひとみに言った。
ひとみは教師から目をそらして、うつむいたかのようであった。
それを見た教師は、ホッとした。理事長の娘ではあるが、今は練
習中で他の生徒たちの手前、あまりこれ以上、醜態を晒すわけに
もいかなかった。
- 111 名前: 15 投稿日:2001年08月20日(月)01時31分45秒
教師がホッとしたのも束の間、ひとみがキッと鋭い視線を向ける。
「うるさくて、集中できないって言ってるんですよッ」
ひとみの怒声が、静かな体育館に響き渡った。
その声により、体育館に重苦しい雰囲気が漂った。
――その後、数十分、練習は中断された。
部員総出で、見学している生徒たちを外へと追いやり、教師は事
の顛末を報告しに職員室に戻った。
ひとみの逆鱗に触れ、退職・退学に追い込まれた教師や生徒も少
なくはない。
皆、戦々恐々であった。久しぶりに、ピリピリとした空気が皆の
間に広まった――。
練習も再開されたが、皆の空気は重苦しいものであった。
ひとみも涼しい顔をしていたが、それは肌で感じていた。だが、
特に何も思う事はなかった。いつの頃から、自分の回りではその
ような空気の流れが当たり前になっていたからである――。
- 112 名前: 15 投稿日:2001年08月20日(月)01時32分49秒
いつものように、家政婦の1人が玄関のドアを開けて帰宅したひ
とみを迎え入れる。
ひとみは、「ただいま」の挨拶もせずに憮然とした表情で中へと
入った。
「ひとみお嬢さま」
家政婦は、ひとみの機嫌が悪いのを悟った。できることなら、声
などはかけたくはなかったが藤村からの言いつけなので仕方がな
い。できるだけ、それ以上機嫌を損なわないようにできるだけ感
情を込めずに事務的な声を発した。
「紗耶香お嬢さまが戻ってまいりましたので、あとで大広間の方
にお越し下さいとのことです」
家政婦は、振りかえるひとみよりも先にきびすを返すとそそくさ
と厨房のある方へと移動した。
「帰ってきた……」
ひとみは、誰もいなくなった広い玄関でポツリと呟いた。
- 113 名前: 15 投稿日:2001年08月20日(月)01時33分47秒
大広間のドアを開けたひとみの目に入ったのは、半年ぶりに会う
姉の紗耶香でもなく、目じりを下げて紗耶香の撮った留学先の写
真に見入っている藤村でもなかった。
ソファの上に、置かれているボストンバッグにひとみの興味は引
きつけられた。
そのボストンバッグに、ひとみは見覚えがあった。
昨夜、梨華が肩からかけていたボストンバッグ。
それと同じものが、イギリスでも売っていたのだろうか? 一瞬、
そんな風に思ったがすぐにその考えを否定した。
ベーグルも知らないような子が、イギリスのボストンバッグなど
買うはずがない。し、どうみてもこんなダサいボストンバッグが
イギリスに輸出されるはずもなければ、イギリス製のはずがある
わけないと判断したのである。
- 114 名前: 15 投稿日:2001年08月20日(月)01時34分47秒
「おー、ひとみ、久しぶりー」
振りかえった姉の紗耶香を、ひとみはぼんやりと見つめた。日本
を発つまでは黒髪だったはずなのに……、そんな頭で学校に通え
るんだろうかとぼんやりと考えた。
「あぁ、これ? どう、似合ってる?」
ひとみの視線に気づいた紗耶香は、照れくさそうに笑いながら自
分の髪をかきあげた。
「ささ、ひとみお嬢様もこちらへ。積もる話もあるでしょう」
藤村が席を立ち、ひとみが座るスペースを作った。
だが、ひとみは一歩も動く事はなかった。
「? どうかなされましたか?」
「このバッグ、これ……姉さんのじゃないでしょ……」
”姉さん”のところを、ひとみは小さな声で濁した。
「あ、うん」
「お嬢様のお荷物は、昼に航空便で届きましたが」
「あ、これはちょっとね」
と、紗耶香は困ったようにバッグを自分の元へと引き寄せた。
- 115 名前: 15 投稿日:2001年08月20日(月)01時35分38秒
「どこで会ったの」
ひとみは、紗耶香を見据えたまま言った。
「?」
「石川梨華に、どこで会ったのかって聞いてるの」
「……ひとみ、石川さんのこと知ってんの?」
「お嬢様、石川さんにお会いしたんですか?」
「え? 藤村も?」
紗耶香は何がなんだか分からないといった感じで、藤村の顔とひ
とみの顔を見比べた。
ボストンバッグが梨華のものだと確信したひとみは、無意識に大
広間を飛び出していった。後ろで自分の名前を呼ぶ紗耶香や藤村
の声が聞こえたが、今はそれよりも――。また、あのお人よしで
気の強い単純な梨華をからかうことができるかと思うと、ひとみ
の足は止まることなく外へと飛び出していた。
- 116 名前: 15 投稿日:2001年08月20日(月)01時36分53秒
見慣れた道にさしかかった時、梨華の足は自然と止まった。
この坂道を登れば、高級住宅街へと入る。そうすればすぐに、市
井家という大邸宅が否応無しに目に入ってくる。
長いどこまでも続きそうな塀沿いに歩けば、重厚な鉄の門扉にた
どり着く。インターフォンを押せば――、この時間帯ならひとみ
ももうとっくに帰っている頃だろう。
ひとみが対応することなど万が一にも有り得ないが、対応した家
政婦が報告するかもしれない。
きっと、おもしろがって出てくるだろう。そして、散々嫌味を言
われるのかと思うと、梨華の足はそこから動けなくなってしまっ
た。
「はぁ〜、なんで交番に届けてくれないんだろう……」
あの喫茶店の近くにある交番を、一応は訊ねてみたが、該当する
ものは管轄内のどの交番にもないと言われた。紛失届けを一応は
提出してきたが、きっと紗耶香はあのまま荷物を持ちかえり市井
家に保管してあるのだろうと梨華は推測していた。
市井紗耶香を知っている素振りをしてしまった。本人にも、この
町では名前が知れ渡っている自覚はあるはずである。きっと、家
に取りに来るのを待っているはずである――。
- 117 名前: 15 投稿日:2001年08月20日(月)01時39分12秒
市井家とは縁もゆかりもないのなら、簡単に取りにいく事はでき
ただろう。だが、梨華には簡単には取りにいけない事情があるの
である。
近くにまで来たものの、そこから一歩も動ける事ができなかった。
『何やってんの? こんなところで』
背後から声が聞こえ、梨華は短い悲鳴を上げて振りかえった。
街灯の下に、後藤真希の姿があった。手に大きな紙袋を持ち、きょ
とんと梨華を眺めている。
「……!」
梨華は思わず、背を向けた。
「ねぇねぇ、出て行ったんじゃなかったの?」
と、真希は梨華の気持ちなどお構いなく、梨華が顔をそらす方向
そらす方向へと顔を覗かせる。
「ちょ、ちょっと、もう」
と、梨華は後藤の身体を押しのけた。
「痛いなぁ、何すんのさ」
真希は笑いながら、緊張感のない声を出した。
- 118 名前: 15 投稿日:2001年08月20日(月)01時40分35秒
「手切れ金ってのをもらいに来たわけ?」
「ち、違います」
「なんで? 今までの人、みんな貰ってたみたいだけど」
「知らないわよ。今までの人なんて。一緒にしないで。そ、そう
いうのじゃないんだから……」
「じゃあ、なんで戻ってきたの」
うつむいていた梨華の耳に入ってきた真希の今の声は、若干声の
トーンが低かった。
顔を上げたが、そこにはあまり感情のこもっていない真希の顔が
あった。昨日見たひとみに甘えるあの顔は、自分の見間違いだっ
たのだろうかと思えるほど無表情な顔をしている。
「……戻ってきたくて、戻ってきたわけじゃない。だ、だいたい、
なんであなたに報告しなきゃいけないの? 私もそうだけど……、
あなたもあの家とはなんの関係もないじゃない……」
そう言ってうつむく梨華とは対照的に、真希は不適な笑みを浮か
べた。何かを喋ろうとゆっくりと口を開いたその時、真希は坂道
を駆け下りてくるひとみの姿を見つけ、開きかけた口を閉じた。
- 119 名前: 15 投稿日:2001年08月20日(月)01時42分16秒
「アンタのバッグ、ウチにある」
坂道を駆け下りてきたひとみは、荒い息を弾ませながら、梨華へ
と駆けよった。
手前にいる真希の姿など、まるで目に入っていないかのように。
「……」
なんで、こんな所にひとみがいるのだろう。梨華は、荒い息を整
えているひとみを見つめていた。
自分を探していたかのように、まるで自分が近くにいたのをあら
かじめわかっていたかのように、自然と声をかけてきた。
すべての事情が、ばれてしまっているのを梨華は確信した。
真希は少し離れた場所に移動し、たたずむ梨華とその前で荒い息
を整えているひとみの後ろ姿を眺めていた。
無表情――と、いうよりも、冷めた視線で――。
- 120 名前: 15 投稿日:2001年08月20日(月)01時43分21秒
「ねぇ、バッグだけここに持ってきてくれないかな……」
門の前に立った梨華は、隣にいるひとみに懇願した。ひとみに何
かを頼むのは心苦しくもあったが、中に入って紗耶香や藤村や家
政婦たちに顔を合わせるのはそれよりも心苦しいものであった。
案の定というか、予想通りひとみは梨華の申し出を断り、さっさ
と門を開けて敷地内へと入っていった。
「もう……、ちょっとはこっちの気持ちも考えてよ……」
梨華は半べそをかきながらも、ひとみの後へと続いて敷地内へと
入っていった。ボストンバッグがなければ、生活ができないので
ある。ここまできた以上、入らざるを得なかった。
ドアを開けると、紗耶香と藤村が出迎えてくれた。
ひとみの姿は、中央階段にあった。いつかのように、手すりに背
を預け、じっと玄関の梨華を見つめている。
「急にいなくなったので、心配しましたよ。さ、どうぞ」
藤村は、温かい笑顔を浮かべて梨華を中へと迎えようとした。
「あ、いえ……。ここで、結構です……」
と、梨華は伏し目がちにしてそれでも笑顔を浮かべながらやんわ
りと断った。
- 121 名前: 15 投稿日:2001年08月20日(月)01時44分23秒
「事情はすべて、藤村から聞いた。まさか――って感じで、驚い
たけどね」
きっと、照れくさそうに笑っているのだろう。梨華は紗耶香の顔
を見ることなく、その表情が鮮明に頭に浮かんだ。
「んーと、だから、そのアレだよ。どこにも行く当てがないんな
ら、しばらくここに住んだら? どうせ、部屋はいっぱい余って
るんだし。ね」
「あ、いえ……、そういうわけにもいきませんから……。あの、
そろそろ私、行かないと……。あの……、バッグ……」
「今日はもう遅いので、こちらでお泊りになってください。部屋
もあのままにしておりますので」
藤村が、とても申し訳なさそうな声を発した。
「そうだよ。これから、夕食だし。一緒に、食べよう。さ、入っ
て」
と、紗耶香は笑顔を浮かべて、梨華の手を引いた。
「こ、困ります」
梨華は、無意識的にその手を振りほどいた。
「石川さん……」
「あ、す、すみません……。あ、あの、でも、私……」
なぜか、梨華の目に涙が溢れ出してきた。梨華にもその涙の意味
はわからなかった。ただ、ここまで優しくしてくれるのに、なん
で自分はこうも突っ張ってしまうのかと思ったら、情けなくて惨
めで泣けてきた。
- 122 名前: 15 投稿日:2001年08月20日(月)01時45分16秒
紗耶香も藤村も、言葉を失った。
だが、ひとみだけは違った。中央階段から大広間へと向かい、ソ
ファの上にあったボストンバッグを乱暴に掴み上げると、その足
で玄関へと向かった。
そして、静かにうつむいて涙を流している梨華の腕を掴むと、強
引に中へと入れた。
「ひとみ」
「ひとみお嬢様」
訳がわからずに呆然としている梨華を引っ張って、階段を上がる。
玄関の前で、紗耶香と藤村が自分たちを見ていたが、ひとみは気
にもとめずに自分の部屋へと梨華を連れていった。
ドアを閉めると、ひとみは梨華を突き飛ばすように、ベッドへと
押しやった。
梨華は、何が起きたのかわからずにただただ怯えた目をして、ベッ
ドの上に倒れ込んでいた。
ひとみは、何も言わずに梨華の脇にボストンバッグを投げた。
- 123 名前: 15 投稿日:2001年08月20日(月)01時46分34秒
「やめて。この中には……」
梨華はハッとして、バッグの中の遺骨箱を確かめた。中身は割れ
ていないようである。
「あんた、本当にバカじゃないの?」
ベッド脇に来たひとみは、あきらかに梨華を見下す目線をしてい
た。
「……」
「人の好意は素直に受けとってりゃいいのよ」
「……」
「こんな回り道して、何か得したことがあった? 昨日と今日で、
あんたに何か変わりがあった? ていうか、昨日よりみすぼらし
くなってんだけど」
と、ひとみは微苦笑を浮かべた。
梨華は、無意識にパサついた髪を撫で、目の下の隈に手をやった。
「そんなんじゃ、どこも雇ってくれないと思うけどね」
「……関係ないじゃない、そんなの」
梨華の言葉に、ひとみはピクッと反応した。微かにそらしていた
視線を梨華に向けると、梨華は唇を尖らせてひとみを見上げてい
た。
そう、その目――。ひとみは無性に、嬉しさのようなものがこみ
上げてくるのを実感していた――。
- 124 名前: 15 投稿日:2001年08月20日(月)01時47分29秒
「一日で……、たった一日で見つかるわけないじゃない。それに、
今日は色々あってバイト探す時間もなかったの」
梨華は、自分をずっと見つめているひとみの視線に耐えきれず、
目をそらした。
「住所不定の未青年が簡単に雇ってもらえるなんて、本当に思って
んの?」
ひとみは、軽いため息を吐きながらやれやれといった感じで近くの
壁にもたれた。
「貧乏人で、世間知らずで、お人よし……、可哀相に」
「……」
ひとみは、てっきり梨華が何かを言い返してくるものだと思ってい
た。だが、いくら待っても梨華の声は聞こえない。静まり返った部
屋の中には、やがて梨華のすすり泣く声が聞こえてきた――。
ひとみは、その姿を見て壁から身を起こした。
出会った翌日に、目に涙をためながら言い返してきたあの時の梨華
とは明らかに様子が違っていた。
うつむいてその細い身体を振るわせながら、声を漏らさないように
泣いていた。弱々しいその姿――。
「な、どうしたの……。そんな、泣く事ないだろ……」
ひとみは、狼狽した。何をしていいのか、本当にわからなくなり
意味もなく辺りをキョロキョロと見回した。
「ちょっと……」
- 125 名前: 15 投稿日:2001年08月20日(月)01時49分01秒
「わ……、私だって……、怖いんだもん」
と、梨華は嗚咽して声をふるわせた。
「怖いって、何が?」
「いろいろよ。そんなこと言われなくてもわかってるわよ。でも、
仕方ないじゃない。働かないと生きていけないんだもん。帰る家
なんてないんだもん」
梨華はまるでマンガのように、手を目もとに持っていって大声で
泣いた。
「だから、ここにいなって昨日から言ってるじゃん」
「いれるわけないでしょ。私、あなたのいじめに耐えられるほど
太い神経もってないのっ。もう、ヤダ、なんで部屋に連れ込まれ
てまで苛められなきゃなんないのよー」
「わ、わかったよ。ごめん、謝るから」
と、ひとみは大泣きする梨華の横に腰かけて、なんとかなだめよ
うと必死になった。
「ひとみ、あんた石川さんに何したんだよ」
ひとみが顔を上げると、紗耶香があわてて部屋の中へと駈け出し
てくるところだった。
「べ、別に何も……あっ」
梨華はスッと立ちあがると、紗耶香へと向かって駆けていった。
抱擁する紗耶香。その中で、泣きじゃくる梨華。
ひとみが先ほどまで梨華の肩を抱いていた左手は、中途半端に所
在をなくしてしまった――。その左手でぎゅっと握りこぶしをつ
くり、ひとみは唇を噛みしめ、部屋を後にする2人の背を睨みつ
けていた――。
- 126 名前: 作者 投稿日:2001年08月20日(月)01時52分48秒
- 12〜15回分の更新終了です。
>>87 頻繁ではないので、更新時には大量UPしときます(予定)
>>88 了解。控えめに(素面でも誤字・脱字有り。今回も早速)(笑)
>>89 続き書いてみた。
>>90 ありがとうございます。更新頻度が少ないので、
sage進行がいいかなぁと思ってたりしてるんですが……。
- 127 名前:名無し読者 投稿日:2001年08月20日(月)05時44分21秒
マジですごいおもしれ〜っス♪またまた更新量が半端じゃあない!
疲れないように頑張って!!大期待!!
- 128 名前:JAM 投稿日:2001年08月20日(月)07時01分15秒
- 見るたびにどんどんハマっていきますよ〜♪
やさしいちゃむがいいですネ〜
- 129 名前:名無し読者 投稿日:2001年08月21日(火)11時35分49秒
- よっすぃ〜〜・・・。
そんな不器用なよっすぃ〜〜に感情移入。。。
- 130 名前:レイコ 投稿日:2001年08月23日(木)01時45分53秒
- 今、お気に入りベスト3に入る作品です!
更新お待ちしております!!
- 131 名前:レイコ 投稿日:2001年08月23日(木)01時48分01秒
- ごめんなさい!ageてしまいました…
作者さん、みなさん、ホントすみません…
- 132 名前:名無し読者 投稿日:2001年08月23日(木)04時54分52秒
- 初めて見ました。
素直じゃないよっすぃ〜が可愛くて仕方ないっす。(w
続きに期待!!
- 133 名前:バリボー 投稿日:2001年08月24日(金)02時11分22秒
- 私も今回初めて読みました。
すごい楽しくて、あっという間に小説の中に引き込まれてしまいました。
これからもずっと楽しみにしています♪
- 134 名前:名無し読者 投稿日:2001年08月25日(土)03時05分12秒
- ぜひとも続きを…
- 135 名前:名無し読者 投稿日:2001年08月25日(土)12時35分23秒
- いいっすいいっす♪
- 136 名前: 16 投稿日:2001年08月28日(火)00時30分04秒
鳥の鳴き声で、梨華は目を覚ました。あぁ、とうとう野宿をして
しまったんだなぁと寝ぼけた頭で考えたりもしたが、どうやら様
子が違う。フカフカのベッド、軽くそして温かい羽毛布団。
あ、そうだ……、ここは市井家なんだと理解するまでにそう時間
はかからなかった。
そういえば、昨夜は泣きつかれて眠ってしまったのである。フッ
とどこで眠ってしまったんだろうと疑問に思った。
かつての自分の部屋だったところは、屋敷の南側にあったのでこ
んなにも朝日は差しこまない。
「んー?」
と、伸びをしながら寝返りをうった。すぐ目の前に、紗耶香の寝
顔があり、梨華は思わず悲鳴を上げそうになった。
思い出した。
昨日の夜、ひとみの部屋から出て行った後、紗耶香の部屋でずっ
と泣き続けていたことを――。
(ヤダ……、どうしよう。けっきょく、泊まっちゃった……)
梨華の脳裏に、ほらみたことかと嘲笑するひとみの顔が浮かんだ。
どうして、同じ姉妹なのにこうも性格が違うのか――梨華は紗耶
香の優しい寝顔を見つめ続けた。
- 137 名前: 16 投稿日:2001年08月28日(火)00時30分50秒
(昨日、初めて出会ったばかりなのに……。なんで、あんなに涙
が出ちゃったんだろう……)
自慢ではないが、梨華はあまり人前で涙を流すようなタイプでは
なかった。辛いことがあっても、グッと我慢して後で一人でこっ
そりと涙するタイプだと自分では認識していたのだが――。
現に、市井家に来た翌日からのひとみの嫌味にも涙を堪えて、泣
かないようにしてきた――、苛められて絶対に涙なんか流さない
と踏ん張ってきたのではあるが――、昨日はまるでそのツケを払
う日だったかのように何をされても涙が溢れて仕方がなかった。
(いつ以来だろう……、あんなに泣いたのって……)
ぼんやりと思い出していたら、「う〜ん……」と紗耶香が梨華に
抱きついてきた。
梨華はもう少しで出そうになった声を、あわてて飲み込んだ。
腕だけではない、眠っている紗耶香は丸めたかけ布団か抱き枕ぐ
らいにしか思っていないのだろう、足も梨華に絡ませてきていた。
真っ赤になった自分の顔の熱が――、はちきれんばかりに脈打つ
鼓動が、紗耶香に届くのではないかというほど2人の体は密着し
ていた。
その後、数分間、紗耶香が自然と離れていくまで梨華はカチンコ
チンに固まっていた――。
- 138 名前: 16 投稿日:2001年08月28日(火)00時32分38秒
朝食の時間。
紗耶香は、優雅に食事をとっていた。気品漂うその姿に、梨華は
食事をとることも忘れて見惚れていた。
”食事”はその人の人格を表す――と、何かの本に書いてあったの
を思いだした。その時は別に信じもしなかったが、こうして自然
に背筋を伸ばし目線を少し伏し目がちにして、黙々と優雅に食事
をしている紗耶香を見ると、あの本に書いてあったことを信じる
気になった。
一方、ひとみの方は、確かに紗耶香とは容姿はどことなく似てい
る。しかし、肩肘をついて新聞のTV欄を見ながらの食事はどこ
か気品というよりも大衆臭さが漂っている。
どうして、同じ姉妹なのにこうも違うのだろうか――、梨華は軽
いため息のようなものを吐いた。
「――どうかした?」
梨華の小さなため息に気づいたのだろう、紗耶香が微笑みかける。
「あ、いえ。何でもありません」
梨華はあわてて目をそらしながら答えた。
紗耶香はほんの少し微苦笑を浮かべると、梨華の顔を覗きこむよ
うにして言った。
- 139 名前: 16 投稿日:2001年08月28日(火)00時33分59秒
「石川さんは、学校とかどうしてんの?」
「……え? 学校ですか……?」
「うん」
「あ……、その……」
梨華は、ちらりとひとみを見た。ひとみは、またこれまでと同じ
ように自分とは関係ないと言ったような顔を浮かべて、知らん振
りをして食事をとっている。
「一昨日までは、こっちの方に通わせてもらってたんですけど……」
「あ、そう。じゃあ、大丈夫。しばらくウチから通う事にしなよ」
「え?」
「ひとみも、それでいいよね?」
訊ねられたひとみはは、何も答えずに席を立って食堂を後にした。
「あいかわらず、無口なやつだなぁ」
と、紗耶香は苦笑しながらまた食事へと戻った。
無口……。その言葉を聞いて、梨華は違和感を感じた。確かに、
あまりひとみが誰かと会話をしている姿を見た事がない。
しかし、市井家では梨華は毎日のようにからかわれていた。
どうしてなんだろう……。
どうして、他の人を無視してるんだろう……。
梨華は今さらのように、ひとみの行動を不可解と感じるようになっ
た――。
- 140 名前: 16 投稿日:2001年08月28日(火)00時35分05秒
たった1日、通わなかっただけで――。
市井紗耶香が戻ってきたという噂だけで――。
学園内の雰囲気は一変した。
大袈裟なのかもしれないが、皆の気分が浮き足立っているような――
梨華にはそう感じとれた。
廊下で談笑している生徒たちの話題は、教室へと向かう梨華がす
れ違い様に聞いた限りでは、ほとんどが紗耶香の帰国の話だった。
その紗耶香は、まだ登校していない。何か準備があるらしく、午
後からの登校とのことだった。
「おはよう。石川さん、昨日どうしたの? 風邪?」
席についた梨華に、友人の柴田あゆみが声をかけてきた。
「あ……、うん。ちょっとね」
「やっぱり、一昨日は調子悪かったんだね。ごめんね、付き合わ
せて」
あゆみがひとみに告白したのは、もうずっと昔のように感じる梨
華だった。
「ね、それより聞いた? 市井さんの話」
”市井”という名前を間近で聞いただけで、梨華は今朝のことを思
い出し耳まで真っ赤になった。
「? 大丈夫? まだ熱あるんじゃない?」
「――へ?」
と、向けた梨華の呆けたような顔を見て、あゆみは梨華の風邪は
完治していないんだなぁと感じた。
- 141 名前: 16 投稿日:2001年08月28日(火)00時36分47秒
4時間目も終わり、昼食の時間。
梨華は1人で昼食をとっていた。いつもなら、隣にあゆみがいる
のだが、委員会の打ち合わせがあるとかで隣にいない。
学園内の雰囲気は変わっているように感じたが、あいかわらず梨
華には友達と呼べる生徒は1人しかいなかった。
隅のテーブルで、1人ランチセットを黙々と食していた。
食事もあらかた終わりそろそろ席を立とうかとした時、カフェの
中にざわめきが響き渡った。
「?」
なんだろうと、梨華は振りかえった。
「!」
レモンティーを口に含んでいなければ、他の生徒たちと同じよう
に声を上げたかもしれない。今朝、見た姿とはまるっきり違う市
井紗耶香が照れくさそうに笑いながらカフェの出入り口に立って
いるのである。
セミロングだった髪をバッサリと切り、赤に近かったブラウンの
髪も真っ黒になっている。
- 142 名前: 16 投稿日:2001年08月28日(火)00時37分56秒
紗耶香の周りは、あっという間に黒山の人だかりができた。
「お帰り紗耶香」「市井先輩、お帰りなさい」「髪切ったんだ」
「とても似合ってます」「寂しかった」「あの、一緒にお茶でも」
悲鳴にも近い歓喜の声が、遠く離れた場所にいる梨華にもうるさ
いほど聞こえてきていた。
(いいなぁ……。私も、あんな風にお話したい……)
梨華は、振りかえったままずっと出入り口の人だかりを眺めてい
た。
紗耶香が移動しているのだろう。人だかりが、一斉に動いた。
どこに向かって行くのか気になって、梨華はずっと目で追ってい
た。人だかりの隙間に紗耶香の顔が見えた時、梨華の胸の鼓動が
高鳴った。
そして、その変化に戸惑いを覚えた。
(なんだろう……、この感じ……)
胸が苦しくなるほどの激しい鼓動。でも、反対に胸が温かくなる
ような――。
- 143 名前: 16 投稿日:2001年08月28日(火)00時39分31秒
「あ、石川さん。こんな所にいたんだ。探したよ」
紗耶香の声が聞こえた時、梨華は何となくではあるがそれが”恋
による高鳴り”なのではないかと疑った。だが、すぐに”まさか”
と否定した。そんなはずはない。つい、一昨日までどちらかと言
えば否定派だった自分が、そんな女性に恋をするなんて、しかも
あの市井家の長女に、ひとみの姉に――梨華は必死で否定した。
「あ、ちょっと、ごめん」
人だかりをかきわけて、紗耶香が梨華のもとへとやってきた。
羨望と嫉妬の入り混じった視線が、背中に突き刺さっているのを、
梨華は感じていた。
「ハハ。あの頭じゃ、やっぱマズいからさ。変かな?」
照れた少年のように笑う紗耶香。
「いいえ。とっても似合ってます」
笑顔で答える梨華。その言葉に嘘はなかった。本心からの言葉で
あった。ただ、それよりも普通に言えたことに対してホッとする
部分があった。やっぱりさっきの胸の高鳴りは”恋”ではなく、た
だ単に今朝のアレが尾を引いていただけなのだと――。
それから紗耶香は、梨華のもとで少し遅めの昼食をとった。
留学先のイギリスでの話や、音楽の話などをしながら、昼休みの
時間を満喫して過ごす事ができた梨華であった。
2人っきりではない。
テーブルの周りには、黒山の人だかりのままであり、紗耶香は梨
華だけに話して聞かせているというよりも、皆に報告していたの
かもしれない。
しかし、梨華はそれでもよかった。いろいろと、紗耶香の事がわ
かったから――。
- 144 名前: 17 投稿日:2001年08月28日(火)00時40分42秒
放課後。
ひとみは、バレーの練習をサボった。
昨日の今日であり、ほんの少し気まずいというのもあるが、今ま
でさんざん姉の紗耶香の話題が耳に入ってきて苛ついていたとい
うのもある。
とてもではないが、練習に集中する事などできない。
ムシャクシャとした気持ちのまま、帰宅の途についた。
坂道を上がる手前に、真希の姿があった。
向こうもこちらに気づいているらしく、大きく手を振っている。
――ひとみは、歩調を早めることなく真希へと向かって歩いた。
「どうしたの? 早いじゃん、今日」
笑いながら喋りかけてくる真希に、ひとみの不信感は募っている。
手を振る前、ほんの一瞬だけ戸惑いの表情を浮かべたのを、ひと
みは見逃さなかった。見逃しはしなかったが、それを見つけた素
振りもしなかった。
- 145 名前: 17 投稿日:2001年08月28日(火)00時42分07秒
「ひどいなー、よっすぃは」
一緒に歩きながら、そうやって肘で軽くひとみをつついた。
「……?」
「昨日、あそこにいたんだよ」
と、振りかえって坂道の下に視線を向ける。
「ぜんぜん、気づいてなかったでしょ。アタシのこと」
真希のいう通り、ひとみにはまったく記憶がなかった。昨日、あ
の場所では梨華しか見えていなかった。
「何してたの? あんなところで」
ひとみの言葉に、真希の顔がまた一瞬、戸惑いのような表情を浮
かべた。
「あ、ちょっとね」
「……帰ってきたの、知ってるんだ」
ひとみは、周りの風景を見ながら何でもないことのようにサラリ
と言ってのけた。
嘘をつくかどうかの間は、完全に真希の中にあったようである。
そして、真希はこう判断したようだった。
「う、うん……。藤村さんから、電話があって」
正直に話すことにしたようである。
「で、すぐに――。さすがって感じだね」
ひとみは、冷笑を浮かべた。
- 146 名前: 17 投稿日:2001年08月28日(火)00時42分53秒
「違うよ。ただ、ホント久しぶりだから元気かなーって」
「半年ぶりだもんね」
「違うってば。ホントに、そんなんじゃない」
「別にいいよ。アタシに言い訳なんかしなくても」
その言葉に、真希は足を止めた。
振りかえるひとみ。
夕日の逆光に、目を細める。真希の姿が、ぼんやりと霞んだ。
「……よっすぃだって、昨日、アタシに気づかなかったじゃん」
「……」
「すぐ近くにいたのに、アタシのことなんて全然見てなかったじゃ
ん」
「……」
「……アタシのこと、もう……、飽きた……?」
「……」
「……」
- 147 名前: 17 投稿日:2001年08月28日(火)00時44分42秒
首を少し傾けたその仕種。きっと、もうこれ以上は何も言わない
のだろう。自分が口を開くのをずっと待っている。
いつも、そうだ――。
ひとみは苦々しく唇を噛むと、くるりと背を向けた。
「……関係ないって、前にも言った。あの子は、他のと違って帰
る場所がないから」
「……じゃあ、私にも帰る家がなかったら引きとめてくれた?」
「ごっちんが引きとめてほしいのは、アタシじゃないだろ……」
タッタタタと真希が駆けてきて、ひとみの前に回り込んだ。
だが、何も言わずにひとみを見つめたままであった。
ひとみも、しばらく真希の目を見つめていた。
声が聞こえてきたのは、それからどのくらい経過した頃だろうか。
坂の下の方から、声がした。
『おー、後藤。何やってんの、こんなところで』
- 148 名前: 17 投稿日:2001年08月28日(火)00時45分52秒
真希の視線が、ひとみの肩越しに後ろへと向けられた。ひとみは、
その間もずっと真希を凝視していた。振りかえらなくても声で、
そして戸惑いの表情を浮かべた真希を見ていればわかる事であっ
た。――ひとみは、真希を軽く押しのけると1度も後ろを振りか
えることなく、坂道を上がっていった。
「よっすぃ……」
真希は、後を追いかけることができなかった。傷つけてしまった。
そんな後悔から、その場を動く事ができなかった。
やがて、この場所にまでやってくる紗耶香に対しても、どんな顔
をして言葉を交わせばいいのか――。きっと、自然と笑顔がこぼ
れるのだろう。傷つけてしまった事を詫びる気持ちと、一方でそ
んな自分を見られなくてホッとする部分があった。
- 149 名前: 17 投稿日:2001年08月28日(火)00時47分19秒
夜。
遅く帰宅した梨華は、夕食もとらずに部屋へと直行した。
もう、ただの居候でしかない身。自分1人のために、家政婦の手
を煩わせることはしたくなかったのである。
歩きつかれてパンパンになった足を引きずりながら、部屋のドア
を開けた。
中央に配置されたベッドに、誰かが腰かけている。まだ電気もつ
けていないので、ただの濃いシルエットでしかない。だが、なん
となくではあるが、それがひとみだということは薄々感づいては
いた。
シャンデリアのスイッチを入れる。
――やはり、そこにいたのはひとみだった。
「驚かそうと思ったのに」
と、ひとみはつまらなさそうに呟いた。
「……何やってるの、こんなところで」
「別に。どの部屋にアタシがいても勝手でしょ」
「……」
たしかにそうである。ここは、市井家で自分は――。
そんな関係が嫌いだからこそ、梨華は足をパンパンにして夕食も
とらずこんな時間までバイト探しで街をうろついていたのだ。
きっと、そんなことを説明してもひとみには分からないだろうと
梨華は諦めにも似た気持ちで軽いため息を吐いた。
- 150 名前: 17 投稿日:2001年08月28日(火)00時48分31秒
「――ごっちん、まだいた?」
ひとみは、ベッドに寝転びながらポツリと呟いた。
「え?」
「下」
「あ……、見てない。来てるの?」
「さぁ?」
と、ひとみはごろりと寝返りを打ち梨華に背を向けた。
(なんなのいったい……)
梨華は、また軽いため息を吐いた。これ以上、相手をしていると
また嫌味の矛先がこちらに向かってくるかもしれない――もう完
全に無視を決め込むことにした。汗をかいたので、シャワールー
ムへと向かって歩き始める。
『姉さんと、一緒にいるよ……』
背後から聞こえてきた声に、梨華は足を止めた。
「……」
『ごっちんは、4人目の候補者だったんだ……』
「……え?」
梨華は、ゆっくりと振りかえった。
「姉さんが好きなんだよ、ごっちんは」
いつの間に、そうしたのだろう。ひとみは、いつの間にか身を起
こしていた。そして、悲しげな目を梨華に向けていた。
- 151 名前: 17 投稿日:2001年08月28日(火)00時49分21秒
「好きって……。だって、この前……」
大広間でキスをしていた現場を、梨華はこの目でハッキリと見て
いた。
「キスぐらい、誰とだってできる」
と、ひとみは目をそらしながらフッと笑った。あてつけではなく、
まるで自虐的に笑った――梨華は、そんな印象を受けた。
いったい、何が言いたかったのか――。
ひとみはそれからすぐ、梨華の部屋をなんともなかったかのよう
に出ていった。
ひとみがいったい何をしたかったのか、梨華にはわからなかった。
ただ、やっぱりどこかこのままにしておけない――、もう妹では
ないがあの虚無感を取払わなければならないのではないだろうか
とそんな気になっていた。
- 152 名前: 18 投稿日:2001年08月28日(火)00時51分25秒
市井家に滞在してから5日目に、やっとバイト先が決まった。
それまでの間に、紗耶香や藤村から再三に渡って”バイトなんかし
なくていい”と言われつづけてきたのだが、いつまでも甘えるわけ
にもいかないので探しつづけていた。
梨華の働き口は、以外にもすぐ近くで見つかった。
学園からほどなく近い場所にある、一軒の白いチャペルを連想さ
せるような喫茶店。
行き帰りに通りすぎる場所にあり、働くならこんなところがいい
なぁと足を止めて眺めていたこともあった。
一応、アルバイトは禁止されている。もっとも、生徒たちの多く
はアルバイトなどせずとも親から十分な小遣いを貰っているので、
バイトをする必要はない。
中には、アルバイトをしている生徒たちもいるようではあったが、
社会勉強や友達や恋人作りを目的のような節がある。
どちらにせよ、梨華のように切羽詰った状況ではない。
喫茶店の前に貼りつけてあったアルバイト募集のチラシを見つけ
た時、正直なところどうしようか一瞬迷った。
問い合わせをしてみたかったのだが、断られでもしたら登下校の
際に気恥ずかしいので二の足を踏んでいた。
それに、教師たちに見つかるかもという危惧もあった。
迷ったが、ひとみの顔がチラリと浮かんだらなぜか中に入る勇気
が芽生えた。
- 153 名前: 18 投稿日:2001年08月28日(火)00時52分24秒
「あの、私、アルバイト決まりました」
市井家に帰ると、梨華は真っ先に紗耶香の部屋を訪れて報告した。
ちょうど、勉強中だったらしく机の上にはノートや分厚い参考書
が開かれたままであった。
「あ……、すみません。勉強の邪魔して」
「ちょうど、休憩しようと思ったところ。それより、良かったね。
で、バイトどこに決まったの?」
「あ、はい。学校の近くにあるシャトレーゼって喫茶店です」
「あー、そこなら知ってる。ケーキの美味しい店だ」
「はい」
「そっか。じゃあ、近い内に店に行っていい? どんな風に働い
てるか見てみたいんだ」
「そんなぁ、恥ずかしいです」
と、梨華は顔を少し赤くして身をくねらせた。
「石川さんって」
と、紗耶香はその女の子女の子した動作を見て苦笑した。
「あ、あの」
「ん?」
「その、これからは石川って呼んでもらえませんか?」
「え? なんで」
- 154 名前: 18 投稿日:2001年08月28日(火)00時53分29秒
「なんか、年上の人にさん付けで呼ばれるのって申し訳なくて……。
それにあの、私、中学校の時ずっとテニス部だったから、先輩に
は石川って呼ばれてたんです。そっちの方がなんかしっくりするっ
ていうか……」
「――わかった。じゃあ、これからはそう呼ぶよ? ホントにい
いんだね」
「はい。お願いします」
と、梨華はペコリと頭をさげた。その様子を見て、紗耶香はまた
苦笑した。
過去に5人ほど、この家を訪れた市井家の後継者候補。
1人を除いてはその誰もが、最初は環境の変化に萎縮していた。
しかし、次第にそれらにも慣れ人格は180度変貌していった。
梨華の場合は、萎縮がずっと続いている。もっとも、梨華の場合
は市井家に滞在してわずか数週間で、実子ではないと判明してい
るので人格が変わる暇がなかったのかもしれない――その辺は家
を留守にしていた紗耶香にはわからない。
ただ、ずっとこのまま変わらないでいてほしい――と何となく願っ
てしまう紗耶香であった。
- 155 名前: 18 投稿日:2001年08月28日(火)00時54分51秒
紗耶香の部屋を出た梨華は、藤村にも報告しようと大広間へと向
かった。
だが、そこに藤村の姿はなく、そこにいたのは足を組んでファッ
ション雑誌を読んでいるひとみだった。
「あ……、藤村さんは……?」
スキップしそうな勢いで、大広間へと向かった梨華だったが、ひ
とみの姿を見つけてその勢いもどこかへと消えてなくなった。
「知らない」
雑誌に視線を落としたまま、低い声で呟くひとみ。相当、機嫌が
悪いらしい。梨華は、どうしていいのかわからずにその場でオロ
オロとしていた。
「何の用?」
と、ひとみはやはり、視線を上げずに言う。
「あ……、うん……。バイト決まったから、それを……」
「家賃は月に30万。年間授業料200万」
「へ?」
「この家に住んで学校に通うなら、それぐらいは必要ってこと。
時給たった800円で払えんの?」
「……」
バサッ――。ひとみが乱暴に雑誌を閉じ、その大きな瞳を少し細
めて梨華を見上げる。
- 156 名前: 18 投稿日:2001年08月28日(火)00時56分23秒
「そんな、惨めったらしいことしなくていいって言ってんじゃん。
誰もあんたに金払ってまでここにいろって言ってんじゃないでしょ。
あんたのしてることは、この家に当て付けてんのと同じこと。そ
んなのもわかんないの?」
「そんな……、当て付けだなんて……」
「それとも何? 私はこれだけ働きます。お金も少しだけなら入
れられます。だから、この家に住まわせて下さいってアピールし
たいわけ?」
「……」
ひとみは、自分がサディスティックな感情を煽られていることに
気づいていた。その感情は、帰宅してすぐに2階に向かう梨華を
見た時からふつふつと沸きあがっていた。
止めなければ、また家を出ていく――と、頭では分かっているの
だが、あの時の梨華の表情を思い出すと止めることができなかっ
た。
「だいたいね――」
うつむいて涙をポタポタと落とす梨華に気づいて、ひとみはハッ
と我にかえった。
そして、うつむく梨華の頭越しに、こちらへと血相を変えてやっ
てくる紗耶香の姿に気づいた。
- 157 名前: 18 投稿日:2001年08月28日(火)00時57分57秒
「ひとみ、あんたいい加減にしなよ」
大広間にやってきた紗耶香は、涙を流している梨華をそっと自分
の後ろにやると、ひとみに向かって低いトーンで言い放った。
「石川さ――、石川だって自分の居場所見つけるために、頑張っ
てんだよ」
なぜ、石川と呼び捨てにしているのだろう――、ひとみの頭には
そんな疑問が渦巻いた。
「そんな言い方、することないだろ。謝りな」
ひとみは、フッと笑って窓外へと目を向けた。
「ひとみッ」
今にも掴みかからんばかりの勢いの紗耶香を、梨華は制した。
「いいです。もう、いいですから喧嘩しないで下さい」
と、泣いて行く手を遮った。
「石川はなんにも悪くない。責められる必要なんて、どこにもな
いじゃない。この家に勝手に振りまわされてるだけだろ。ちゃん
とした理由も告げられずこの家に引っ張り込まれて、勝手に学校
に通わされて、挙句に実の子供じゃないって告げられてさ。悪い
のは、こっちの方だろ? この家が、石川を翻弄させてるんじゃ
ない」
- 158 名前: 18 投稿日:2001年08月28日(火)00時59分25秒
「……」
ひとみは、くるりと背を向けて完全に窓の方へと向き直った。
「もう、いい加減にしてほしいよ……。こんなことして、いった
い何の意味があるの……。何人の人生狂わせればいいの……」
紗耶香は、苦々しい顔をしてうつむいた。
梨華は何も言えなかった。きっかけは、自分にある。きっかけは
あるが、この家に充満している変な雰囲気はもっと根深いところ
にあるような気がした。
そして、それは今の自分には決して触れてはいけないような気が
していた。
「ごめんな、石川……。本当にごめん……」
紗耶香は、何度も何度も謝った。
市井家の中に、これほどまでに重苦しい空気が漂ったのは梨華の
知っている限り、これが初めてだった。
きっと、自分が来る前からこの雰囲気はあったのだろうと考える
と、ひとみの性格があんな風になってしまったのもほんの少し理
解ができたような梨華であった。
- 159 名前: 19 投稿日:2001年08月28日(火)01時01分12秒
それからの数日間、ひとみと紗耶香は家でも学校でも目を合わさ
なかった。もっとも、それ以前からも生活リズムが違うので顔を
合わすことなどほとんどなかったのだが――。
梨華もまた、この2人とあまり接触しなくなった。
学業とバイトに追われて、なかなか2人と顔を合わす時間がなかっ
たのである。
そんなある日、バイト先の喫茶店にフラリと紗耶香が訪れてきた。
「いらっしゃ――市井さん……」
「おッス」
「どうしたんですか?」
「そろそろ慣れた頃かなーってさ、ちょっと気になって」
「あ……」
梨華は、照れたような笑みを浮かべてうつむいた。訪れてくれた
事は嬉しいのだが、働いているところを見られるというのは照れ
くさくもあった。
- 160 名前: 19 投稿日:2001年08月28日(火)01時02分28秒
夕方のちょうど店が混みはじめる時間帯だったこともあり、あま
りゆっくりともてなす事はできなかったが、紗耶香は本当に梨華
の働く姿だけを見にきたらしく、テーブルに両肘をついて客のオー
ダーをとったり料理を運んだりせわしなく動いている梨華の姿を
眺めているだけだった。
そうして、閉店までの時間を紗耶香はすごした。
帰り道。
梨華は紗耶香と一緒に帰っている。
「大変だね、働くって」
「……?」
夜空を眺めていた紗耶香の横顔を、梨華はきょとんと眺めた。
「ひとみにも、石川が働いてるところ見せてあげたいよ」
そう言って苦笑する紗耶香。
「ひとみのこと、本当に悪いやつだなんて思わないでね……。
本当はとっても優しい子なんだ……」
つぶやくその声は、どこか優しさと憂いを帯びた声だった。
梨華は、なにも言わずにコクンとうなずいた。
- 161 名前: 19 投稿日:2001年08月28日(火)01時03分42秒
「ウチの家は、普通じゃないから……」
「……」
「みんな、みんな変わってしまう……。どうにかしたいんだけど、
私は当事者の娘だから……。何もすることができない……」
とても、悔しくて悲しそうな声。
梨華の耳には、そう聞こえた。
「ひとみは、6歳の頃にウチにやってきたんだ……。最初の頃は
さ、ほんとマジで可愛かったよ。お姉ちゃんお姉ちゃんって、じゃ
れついてきてさ。ひとみも一人っ子だったし、私もそうだったか
ら、ほんと可愛い妹ができて嬉しかった」
紗耶香は、昔を懐かしみクスリと笑った。
”お姉ちゃん”とじゃれつくひとみを、梨華は想像できなかった。
ひとみと紗耶香が、正当な血筋で繋がっていないことは梨華にも
薄々感づいてはいた。だが、それが今のひとみの性格を作った原
因なのかどうか――その辺は梨華にはまったくわからなかった。
「それがいつ頃からだろう……。あんまり話をしなくなって、い
つの間にかひとみは家でも学校でも笑わなくなって……。気づい
てはいたんだけど、その頃にはもうアタシも家の事情なんかがわ
かっていたから……踏み込むことができなかった」
「……」
- 162 名前: 19 投稿日:2001年08月28日(火)01時04分45秒
「けっきょくさ、ひとみをあんな風にさせたのは、何もできずに
逃げまわってたアタシなんだよ。だから……。ひとみを悪く思わ
ないで……ね」
紗耶香は、笑顔を向けた。
「市井さん……」
梨華は、その笑顔がとても儚いものにみえた。月明かりのせいな
のか、いつか見たキラキラとした清々しい笑顔とはまったく正反
対な――そんな儚い紗耶香を見るのは心苦しかった。
これまで、市井家に関わった事を後悔していた。ブルジョワの世
界。憧れてはいたが、その現実と理想のギャップに翻弄されて、
毎日の生活はとても息苦しいものであった。
それはきっと、自分だけが感じているものだろうと思い込んでい
た。
だが、今は違う。
それはきっと、自分だけが感じているのではなく、紗耶香やひと
みもそうである――いや、むしろ複雑な家族形成でこれまでの人
生を送ってきた2人の方が、自分よりももっと息苦しい思いをし
ているのではないかと思う梨華であった。
その後、2人は市井家までの道を無言で歩いた。
こんな時、いつか自分がしてもらったようにほんの少しでも、紗
耶香の慰めになるようなほんの少し心を軽くするような言葉を発
したかったが、けっきょく家に帰りつくまで何も思いつくことが
できなかった――。
- 163 名前: 作者 投稿日:2001年08月28日(火)01時08分14秒
- 16〜19回分の更新終了です。
>>127 更新作業の後半は、睡魔と格闘です(笑)
>>128 あの頃の市井に、外見を戻しました。
>>129 不器用故に暴走することが多々あります。
>>130-131 気になさらずに。自分でageてしまう事もあるので。
>>132 いつになったら、素直になるんでしょう。
>>133 楽しんで下さい……と、言える自信はありません(苦笑)
>>134 もう1本が終われば、こちらに集中します。
>>135 すっすっすっ♪(←クイズ 正解しても何もナシ)
- 164 名前:名無し読者 投稿日:2001年08月28日(火)01時20分20秒
- リアルタイム♪
いや〜ほんとに面白い!どうなるんだろう・・・
- 165 名前:まちゃ。 投稿日:2001年08月28日(火)02時00分50秒
- >>もう1本が終われば、こちらに集中します。
もう1本ってなに?
- 166 名前:名無し読者 投稿日:2001年08月28日(火)02時10分30秒
- 半端じゃない更新の量に感激っす。
やっぱり、ごっちんもそうだったのね。。。(涙
よっすぃ〜(涙。本人達ではどうしようもないところでしんどい事になってるのが痛い。
助けてあげてくださいね。是非に。続き期待してます。がんばっちょ
- 167 名前:名無し読者 投稿日:2001年08月28日(火)05時12分22秒
更新待ってました〜♪よっすぃ〜と梨華ちゃん…。
めちゃハマってまっす★続き大期待!!
- 168 名前:バリボー 投稿日:2001年08月28日(火)13時20分07秒
- よっすぃとごっちんの関係も複雑なんですねぇ。
市井ちゃんが想っている人は誰なんだろう…。
素直になれないよっすぃ。違う人を見てる梨華ちゃん。
頑張れよっすぃ!
…でも市井ちゃんも好きなんですけどね(ニガワラ
- 169 名前:名無し読者 投稿日:2001年08月29日(水)04時38分28秒
- いいっすいいっす!!
- 170 名前:名無し読者 投稿日:2001年08月31日(金)03時02分44秒
- 吉澤君に是非とも頑張って欲しい!!
- 171 名前:名無し読者 投稿日:2001年09月01日(土)04時35分27秒
- 続き気対してます。
- 172 名前:名無しさん 投稿日:2001年09月01日(土)15時41分59秒
- 続きが読みてーーーーーーーー
- 173 名前:名無し読者 投稿日:2001年09月01日(土)18時03分37秒
- >>172
>>85見ればわかるかも知れませんがなるべくsageた方が良いのでは・・
- 174 名前:名無し読者 投稿日:2001年09月01日(土)18時48分01秒
- てゆーかageんなよ(w
- 175 名前: 20 投稿日:2001年09月02日(日)01時50分38秒
世話になっている市井家に、いや、紗耶香の力になりたい。
そんな梨華が一晩悩んだ挙句に出した答えは、以外と簡単なもの
であった。
――自分が、紗耶香とひとみの潤滑油の役目をすればいい。
それが、梨華の出した答えである。きっと、そんなに簡単に事は
うまく運ばないと梨華自身も承知している。問題はもっと根深い
ところにあるはずだと。だが、何もしないよりはマシだと梨華は
午前4時過ぎにメラメラと燃えた。
朝食の時間。
いつもなら、ただ黙々と食事をしているだけであったが、梨華は
まずそこに大きな声で挨拶をして入っていく事にした。
「おはようございます」
朝食の用意をしていた家政婦が、何事かと顔を向ける。
ひとみは、ちらりと視線を向けただけですぐに読んでいた新聞に
視線を戻した。
紗耶香は、まだ食堂に来ていなかった。
一瞬、冷たい空気を感じ怯んだが、梨華は負けじと笑顔を浮かべ
てもう1度挨拶をした。
家政婦は、笑顔で挨拶を返してくれたが、ひとみはやはり無視を
したままであった。
やはり、問題はひとみである。梨華は、集中的にひとみの心を開
かせることにした。
- 176 名前: 20 投稿日:2001年09月02日(日)01時52分01秒
学園での昼食時、ここのところ柴田あゆみは委員会活動が忙しい
らしく滅多に梨華と一緒に食事をとる事はない。
これは、梨華にとっては大きなチャンスだった。
潤滑油の役目をすることに決めたが、実際のところひとみとは学
年も違うし梨華にはバイトもあるので市井家以外ではあまり顔を
合わす時間もない。その市井家ですらも、あの騒動の後はあまり
顔を合わすこともなくなった。
のんびりやっていては、溝はもっと深まるばかりである。早く仲
直りさせたい梨華にとっては、唯一学園内で顔を合わすチャンス
のあるこの時間を有効に使いたいと考えていた。
梨華は校内カフェで、一人食事をしているひとみを見つけると、
ほんの少し周りを警戒しつつ近くの席へと忍び寄った。
学園内ではまだ、梨華は市井家とは何の関係もないことになって
いる。公言するタイミングも、必要性もなかったので黙っている
ことにしていたのである。
テーブルのはす向かいに席をとった梨華を、ひとみはちらりと一
瞥した。一瞬、何か言いたげな表情をしたがすぐに澄ました顔で
食事へと戻った。
- 177 名前: 20 投稿日:2001年09月02日(日)01時53分50秒
「卵好きだね。いっつも食べてるね」
スクランブルエッグをちょうど口へと運ぶ途中だったひとみは、
「?」と視線だけを梨華に向けた。
梨華は、窓外の方を向いていた。
「1000円以上買い物したらね、卵1パック1円だったんだよ。
私が前に通ってたスーパー」
梨華は、ひとみと目を合わさないようにまるでひとみとは会話し
ていないかのように、食事を口へ運びながらさり気なくつぶやく。
「……」
ひとみは、不思議に思いながらも梨華と同じように関係ない素振
りをしながら食事をすすめた。
数日前、泣かしたあの日からひとみは梨華と会話をしていない。
そればかりか、その姿を見たのもほんの数回しかない。
気まずくて、顔を合わせる事ができなかった。
今まで1度も会話を交わしたことのない学園内でなんで急にこう
しているのか、ひとみには梨華の意図はわからなかったが、思い
がけずに梨華の方から話しかけてくれたのがただ単純に嬉しかっ
た。
だが、そんな考えはおくびにも出さずにいつものように淡々と食
事をすすめるひとみであった――。
- 178 名前: 21 投稿日:2001年09月02日(日)01時56分44秒
今日も、梨華はヘトヘトに疲れてかえってきた。14時半から20
時までずっと立ちっぱなしで仕事をしていたのである。
仕事で疲れたというよりも、学園で球技大会があったので、そち
らで疲れてしまったのかもしれない。
1年はバレーボール。2年はバスケットボール。同じ室内競技で
同じ体育館を使用。
やはり、注目の的はひとみだった。ひとみのクラスの試合が始ま
ると、2年からも大勢の生徒が1年の使用しているコートへと流
れ込んだ。
梨華もまた、あゆみに連れられてひとみのプレイを観戦した。
あの告白以来、あゆみは放課後の練習見学には赴いていない。い
つもそれに付き合わされていた梨華もまた同じであった。
「やっぱり、吉澤さんってかっこいいねぇ」
と、あゆみが目をキラキラと輝かせたが、そこには以前のような
印象は受けなかった。きっと、彼女の中では完全に吹っ切れてい
るのだろうと、梨華はあゆみの横顔を見つめていた。
久しぶりに見るひとみのプレイ。あらためて見ると、他の生徒た
ちとは群を抜いている。
観戦中、何度かコートの中のひとみと目が合ったが、梨華は家に
帰ってまた文句を言われると思い、あわてて視線をそらしたりし
ていた。
- 179 名前: 21 投稿日:2001年09月02日(日)01時58分27秒
「いったい、何がしたいわけ?」
ヘトヘトに疲れて帰ってきた梨華に、ひとみは開口一番そう言い
放った。まだ玄関から数歩しか歩いていない。どうやら、待って
いたようである。
「へ……?」
腕を組み、壁にもたれて見下すような視線。
いつもなら、怯んでおろおろとしただろうがこの日は疲れていた
ので、さほど嫌な感じはしなかった。
それに、昼間、必要以上にコートで目が合ったため、今夜は何か
あるなとあらかじめ予感していたので、”ほら”と思っただけであっ
た。
「こないだから、アタシの周りウロチョロうろついてさ。学校で
は、話しかけないでって言ったでしょ」
「ばれないようにしてるよ」
梨華は、ふくらはぎを揉みながら潤んだ目でひとみを見上げた。
その動作に特に意味はなかった。ただ疲れた足をマッサージして、
疲れ目で潤んだ瞳で背の高いひとみを見上げただけである。
だが、ひとみはその姿にドキッとした。
そのまま見つめられていることが急に恥ずかしくなり、視線をスッ
と玄関に飾ってある絵画に向ける。
「耳、赤いよ。風邪?」
梨華の言葉に、ひとみはあわてて自分の耳に手をやった。
「べ、別に」
「ちょっと、ジッとしてて」
と、梨華はひとみの額にソッと手を当てた。夜風のせいか、アル
バイトで皿洗いでもしていたのか、梨華の手はとてもひんやりし
ていた。
- 180 名前: 21 投稿日:2001年09月02日(日)01時59分41秒
「熱は――、ないみたい。――?」
ひとみがボーっと梨華の顔を見つめていた。これまでに見たこと
のない、とても気の抜けた顔だった。いったい、何があったんだ
ろうか? 梨華の視線に気づいたひとみは、いきなり梨華を押し
のけると2階へと駆けあがっていった。
「な? なんなのよ〜……」
何もしていないのに突き飛ばされるとは、なんでそこまで嫌われ
るのか梨華にはまったくわからなかった。
いい加減にしてほしい、こっちの気も知らないで――と、疲れた
足を引きずりながら藤村に帰宅の報告をするため大広間に向かっ
た。
廊下。
角までやってくると、ひとみは足を止めた。そして、軽いため息
を吐き、倒れ込むように壁へともたれた。
「なんだ……!?」
思わずそうつぶやきながら、胸へと手をやった。ドキドキと鼓動
が伝わってくる。どんなにキツイ練習でも、これだけ心臓の鼓動
が乱れる事はなかった。
梨華の手に触れ、梨華の顔を間近で見ただけで――。ひとみは、
かなり戸惑っていた。
- 181 名前: 22 投稿日:2001年09月02日(日)02時01分27秒
翌日。
練習を終えて帰宅しようとしたひとみの携帯に、真希から久しぶ
りに電話がかかってきた。
今日は梨華のバイトが休みなので、早く家に帰りたかったのだが
適当な断る理由が思い浮かばず妙な間があいてしまい、真希に勘
ぐられかけたので、けっきょくのところ会うことになってしまっ
た。
学生たちがよく待ち合わせに使っている、モニュメントの前で2
人は久しぶりに再会した。
真希はひとみより先に来ていたようで、いかにも待ち合わせ中と
いうようなほんの少しうつむき加減で携帯に目をやったり、通り
の左右を見渡したりしていた。
ひとみは、その様子を少し離れた場所からしばらく眺めていた。
――左右を見渡した真希と目が合う。ひとみは、仕方なく歩を進
めた。
「元気してた?」
気まずい思いをしてたのは、真希も同じだろう。それでも、いつ
もと変わらずに間延びした声を発する真希に、ひとみのわだかま
りは徐々に薄れつつあった。
「よっすぃ――、なんか、変わったね」
立ち話もなんなので、近くにあったファーストフード店に入った。
窓外の雑踏を眺めていたひとみに、真希がそう言った。
「なんか……、ちょっと変わった」
「何が?」
「なんかわかんないけど……」
真希は、つまらなさそうにストローを口に含む。
- 182 名前: 22 投稿日:2001年09月02日(日)02時03分15秒
「……」
ひとみはずっと雑踏に視線を向けていた。たった2週間会ってい
ないだけで、何が変わるというのだろうか――。ひとみは、ぼん
やりと考えていた。
「ねぇ、よっすぃ。この前ね」
と、真希はおずおずと口を開く。
「この前、いちーちゃんとね」
「いいよ。そんな話」
何も変わっていない。紗耶香の名前を聞いてすぐに反応した自分。
きっと、真希の勘違いだとひとみは結論付けた。
真希は、戸惑いを隠すために、微かな苦笑のようなものを浮かべ
たままそれ以上は何も言わずにひとみと同じように雑踏を眺めた。
「人の気持ちって、変わると思うんだけどなぁ……」
数分間、2人の間には静かで乾燥した空気が流れていた。それを
破ったのは、町の雑踏に目を向けたままの真希だった。
「……」
「大切なのは、よっすぃなのに……」
「……」
「なんで、伝わらないんだろう……」
ひとみの見た真希に、何も変化はなかった。いつもと同じように、
ぼんやりと眺めているその横顔は、市井家に4人目の実子候補と
してやってきた2年前と何も変わっていない。
数ヶ月間、その暮らしの中で最初から最後までマイペースを保っ
ていられたのは彼女だけであった。
それ故に好感を抱いていた頃が、もうずっと昔のように感じるひ
とみであった。
- 183 名前: 22 投稿日:2001年09月02日(日)02時04分41秒
「遅いなぁ」
梨華は、市井家の大広間で壁にかかったアンティーク時計を眺め
ながらポツリとつぶやいた。
今日はバイトが休みなので、久しぶりに3人で食事ができるのを
楽しみにしていたのだが20時を過ぎてもひとみも紗耶香も帰っ
てこなかった。
あまり進展らしい進展もないのだが、とりあえずひとみとはここ
へ来た当初のような状態に戻すことができた。
あとは、直接、紗耶香との仲を取りもつだけである。しかし、そ
れがもっとも難しいことだとは自覚していた。
あくまでも潤滑油である自分としては、あまり2人の間に積極的
に入り込むのではなく、互いに2人が手に手をとるようなそんな
風に持っていけたらな――と考えていた。
そのきっかけとして、今日の夕飯を楽しみにしていたのだが、ど
ちらも一向に帰ってくる気配はなかった。
「遅いなぁ」
梨華は、ほんの少し頬を膨らませて窓外を見やった。
- 184 名前: 22 投稿日:2001年09月02日(日)02時06分55秒
通りすぎる車のヘッドライト。
ひとみと真希は、駅までの道を歩いていた。
「はぁ〜……、楽しかった。久しぶりだったからさぁ、なんか喉
が痛いんだよね〜」
と、真希はすごぶる上機嫌である。
ファーストフード店を出た後、近くのカラオケボックスへと赴い
たのであった。
「なんで、よっすぃは歌わないのさ。楽しいのに」
「……別に、歌手じゃないから歌っても仕方ない」
「ハハ。ホントは歌が下手だからでしょ」
「……」
ひとみは、フッと真希に視線を向けた。真希は、笑いながら腕を
組んできた。
「楽しいねぇ、ホンッと楽しいねぇ」
カラオケボックスに入る前に、真希は自動販売機でビールを買っ
ていた。ほんの2本の缶ビール。1本は、ひとみのために用意し
ていたのだが、ひとみが飲まなかったために真希は一人で2本と
も飲んだ。そして、歌い騒ぎ酔いはほどよく回ったのである。
「♪君を守るため、そのために生まれてきたんだぁ〜っ」
真希の笑い声は、車の騒音によってかき消されている。
ひとみは、軽いため息を吐きながらもよろめく真希を支えながら
歩いた。
- 185 名前: 22 投稿日:2001年09月02日(日)02時08分13秒
「ねぇ、よっすぃ。ちょっと、休憩」
「は? 駅はもうすぐそこじゃん。明日も学校」
ひとみの言葉を、真希が遮る。
「休憩しようよ、よっすぃ」
「……どこ?」
「――あそこ」
と、真希の指さす方向に視線を向ける。路地を1本入ったラブ
ホテルの看板が妖しく煌いていた。
「はいはい、もうわかったから。さっさと帰りな」
ひとみは、真希の背中を軽く押しやり無理矢理に歩かせた。
「やめてよ!」
突然、真希がそう叫びながら立ち止まった。通りすぎる人々が、
何事かと振りかえる。
「よっすぃ、アタシのこと好きだって言ってくれたじゃん……」
「……」
「いちーちゃんがいなくなってアタシが寂しいと思ったから?
同情で好きだって言ってくれたの? アタシ、わかんないよ」
振りかえった真希の目には、うっすらと涙が滲んでいた。
- 186 名前: 22 投稿日:2001年09月02日(日)02時09分46秒
(半年前も、そんな目をしてた……)
半年前の空港。
飛びたった飛行機を展望ロビーで、いつまでも見送り続けた真
希。ひとみは、振りかえったあの日の真希と、今の真希の姿を
重ねていた――。
姉妹となる事はなかったが、真希のマイペースな性格を紗耶香
もひとみも気に入り、これまでの経緯は関係なく市井家を出て
行った後も交流を深めていた。
真希は紗耶香を姉のように慕い、紗耶香も真希を妹のように可
愛がっていた。ひとみは、そんな2人をほんの少し距離を置い
て眺めるだけだった。
親友とまでは呼べないかもしれないが、唯一、友人として普通
に接することのできる相手だった。
それに気づかなければ、きっとずっとそのままの関係だっただ
ろう。真希が、紗耶香に恋愛感情を抱いていることに気づかな
ければ――。
- 187 名前: 22 投稿日:2001年09月02日(日)02時10分47秒
「……」
ひとみは、何も言わずにその場に佇んでいた。それが同情でも
なく、ましてや恋愛感情などではないことはひとみ自信が一番
よく知っていた。
ただ、それを口に出してしまうほど真希との関係は希薄なもの
ではなかった――。
通りすぎるヘッドライトがまぶしくて、ひとみは自分を見据え
る真希からスッと視線をそらした。
まるで、それが合図だったかのように、真希は1度も後ろを振
りかえることなく走り去っていった。
残されたひとみの胸の中には、ただただ”罪悪感”が渦巻いてい
た。それはもう癖のように、車のヘッドライトを微かに浴びな
がら、皮肉っぽい笑みを浮かべた――。
- 188 名前: 23 投稿日:2001年09月02日(日)02時12分17秒
「ねぇ、藤村」
と、後ろを振りかえりながら紗耶香が大広間のドアを開ける。
事務仕事をしていた藤村は、老眼鏡をかけたままひょいと顔を
上げた。
さて、いつの間に帰ってきたのか?
藤村は、テーブルの上に置いてある懐中時計に目をやった。も
う午後の10時を回っている。
「紗耶香お嬢様。いくら旦那様がご不在とは言え、少々、夜遊
びがお過ぎですよ」
「別に悪い事してないからいいじゃない。ねぇ、それより、石
川見なかった?」
「? あぁ、ちょっと下のコンビニエンスストアまでお買い物
に行くとか」
「こんな時間に?」
紗耶香は、腕時計に目をやる。
「なんだか、お弁当の材料を買いに行くとかで」
「――ふーん。そっか」
と、きびすを返す紗耶香を藤村が呼びとめる。
「紗耶香お嬢様」
「――?」
「先週、予備校で行なわれた全国模試、平均的に点数が落ちて
おりますよ」
と、カバンから一枚の用紙を出してヒラヒラとさせた。
「くれぐれも、夜遊びはお控え下さい」
紗耶香は、「あぁ」と軽いため息を吐きながら大広間を後にし
た。
- 189 名前: 23 投稿日:2001年09月02日(日)02時14分57秒
『ありがとうございました』
コンビニのドアが開き、買い物袋を下げレシートを確認しなが
ら梨華が出てくる。
「高いなぁ……。やっぱり、やめといた方がよかったかなぁ……」
バイトの給料日前、梨華にとっては二千円近い出費は痛かった。
しかし、それが市井家のためになるのかと思うと、仕方がない
と割り切ることができた。
「まぁ、いいか。うん。頑張ろうっと」
梨華は小さく気合いを入れて、夜道を歩いていった。
コンビニから少し離れると、そこはもう坂の下にある住宅街で
ある。
密集した住宅街という場所柄、その明かりが煩わしいと判断さ
れたのであろう、あまり街灯というのも設置されていない。
家々に、まだ明かりは灯っているものの、住宅街の通りはほと
んど闇に近かった。
家は密集しているので、何かあれば大声を出せば言いのだろう
がやはりしんと静まり返った闇の道を歩くというのはかなりの
恐怖感を伴なう。
梨華は、あまり周りを見ないように足早に住宅街の道を歩いた。
- 190 名前: 23 投稿日:2001年09月02日(日)02時16分24秒
コツコツコツ……。
背後から聞こえてくる足音。
梨華は気づいてしまった。
住宅街の真ん中であれば、何も問題はなかった。しかし、もう
住宅街の外れ、坂の下にまで来ている。ここからは、高級住宅
街に入るため家々もかなりの間隔を開けて点在している。
(ちょっと……。ヤダ……。どうしよう……)
梨華は、泣きそうになりながらも足を止めることはしなかった。
後ろから聞こえてくる足音=不審者。という図式は、あまりに
も自意識過剰過ぎるかなと頭の片隅ではわかっていたが、やは
りまだ16才の女の子である。圧倒的に、恐怖感の方が勝って
いた。
コツコツコツ……。
背後から来る人物の、歩調が変わり靴音の間隔が短くなった。
梨華は思わず、走りだした。しかし、そこは坂道。あまり、速
度に変化はでなかった。
走りながら、後ろを振りかえる。数メートル離れていた後方の
シルエットが、サッと電信柱の陰に身を隠した。
- 191 名前: 23 投稿日:2001年09月02日(日)02時17分31秒
(い、いや……。怖い。怖いよ)
梨華の頭の中で、後方から聞こえてくる足音=不審者100%
になった。もどかしい坂道を、なんとか早く上がろうとしたが
恐怖で足がもつれ、その場に転んでしまった。
後方の足音が、タッタッタッというものに変わった。
もう、声を出すしかない。そう判断した梨華が、口を開く寸前。
『石川、大丈夫?』
と、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「い、市井さん……?」
振りかえると、市井はもうすぐそこまで来ていた。月明かりで、
その姿がはっきりと確認できるほどの距離だった。
「何やってんの、大丈夫?」
と、転んだままになった梨華を抱え起こすと、梨華の服の汚れ
を払って辺りに散乱した冷凍食品を集めはじめた。
「こんな時間に、一人で歩いてたら危ないだろう」
と、紗耶香は優しく微笑みながら、冷凍食品を袋につめる。
「い、市井さん……、なんでここにいるんですか……」
恐怖でパニックになりかけていた梨華は、状況がいまいち飲み
こめなかった。
- 192 名前: 23 投稿日:2001年09月02日(日)02時20分08秒
「なんでって――、心配だから迎えに。どこかですれ違ったみ
たいだけど、追いついてよかったよ」
と、笑った。
梨華は、ぼんやりと紗耶香を見つめていた。その笑顔をみると、
なぜか思考が停止して心地よい感覚にとらわれた。
「ハハ。何? 変質者かと思った?」
「……」
梨華は、コクンとうなずいた。
「この辺も最近は物騒だから、特に石川みたいな女の子は一人
で歩いちゃいけないぞ」
紗耶香は、少しおどけた口調で笑いながら梨華の頭をクシャク
シャと撫でた。
「さ、帰ろう」
と、荷物を手にして歩いていく紗耶香の背を眺めながら、梨華
はフッと違和感を感じた。
先ほど、振りかえった時に見た、電信柱に隠れたシルエットは
もっと背が高かったような――。梨華は、ゾクッとして後ろを
振りかえった。だが、そこには月夜に照らされたアスファルト
が、濃い闇となっているだけで誰の姿もない。
- 193 名前: 23 投稿日:2001年09月02日(日)02時21分38秒
気のせいか――と、梨華があわてて紗耶香の後を追ってから、
数十秒後に電信柱の陰から黒いシルエットが現われた。
そのシルエットの正体は、ひとみだった――。
帰る途中、数メートル先にコンビニから出てくる梨華の姿を見
つけた。驚かせてやろうと、つかず離れずの距離で後をつけた。
わざとローファーの靴音を響かせ、やっとその音に気づいてあ
わてて逃げ出す梨華の後ろ姿を見てひとみは苦笑していた。
もう、いい加減に安心させてやろうと駈け出した時、今度は自
分の後ろから聞こえてくる足音に気づいた。
フッ、と振りかえった時に見えたそのシルエット。
ひとみは、すぐにそれが誰かわかった。
軽い舌打ちをして前を向くのと同時に、梨華がこちらを振りか
えった。条件反射的に、近くの電信柱へと身を隠してしまった。
どうしてそのようにしたのか、ひとみにはわからない。
もしも、あのとき隠れずに梨華の元へと駆け寄っていれば、今
自分が噛み締めているような苦々しさを紗耶香に与えられたか
もしれないと思うと、ひとみは咄嗟に身を隠してしまった自分
の行動を後悔した。
数メートル先を、仲良く歩いていく2人の後ろ姿。
ひとみは、そのシルエットが見えなくなるまで坂道の途中でずっ
と佇んでいた――。
- 194 名前: 24 投稿日:2001年09月02日(日)02時22分51秒
いったい、何があったのか……?
梨華には、その理由がまったくわからなかった。昨日、夜遅く帰
宅したひとみは廊下ですれ違った際にもまったく梨華の目を見る
ことなくその傍らを通りすぎた。
そのような事は今まで何度もあったので、とりわけ珍しいことで
もなかったが、1ヵ月近くを共に過ごしてそのような態度をして
ても、ただ単に無視をしているだけなのか、機嫌が悪くて威圧的
に無視をしているかの区別はできるようになっていた。
昨日、そして今朝のひとみはすごぶる機嫌が悪い。梨華には、そ
のように見えた。
食事もとらずに、乱暴に玄関のドアを閉めて出ていった。
おかげで、梨華は5時起きで作った弁当を渡す事ができなかった。
『なんだ、ひとみのための弁当だったんだ』
振りかえると、紗耶香がパジャマ姿のまま階段を下りてきている
ところだった。
「あ、おはようございます」
「てっきり、恋人に作るのかと思ってた」
と、紗耶香はなんでもないように苦笑した。
- 195 名前: 24 投稿日:2001年09月02日(日)02時23分58秒
「ち、違いますっ。これは、2人に」
「? 2人?」
「もちろん、市井さんの分も作ってます」
「――そ。ありがと」
と、紗耶香は照れ笑いのようなものを浮かべて、食堂の方へと歩
いていった。
梨華は、佇んでいた。
”恋人に作る”
と、いう紗耶香のフレーズが、なんとなく心をドキドキとさせた。
作っている間、そんな事はまったく意識していなかった。
ただ、いつもいつも同じ校内カフェの昼食なので、たまには手作
りのものを食べさせてあげたいと思っていただけである。
できることなら、3人で一緒に食べたかったのだがそれは無理な
事もわかっていたので、せめて3人同じものを――何かのきっか
けでフッと3人、いや、ひとみと紗耶香が共通の話題ができるよ
うにと配慮していただけなのだが――。
「恋人に作る……か」
そう呟いた梨華は、頬をポッと赤くさせ、自然とこぼれる笑みを
隠しながら厨房へと向かった。
- 196 名前: 24 投稿日:2001年09月02日(日)02時25分15秒
ノートにペンを走らせる音。公式を述べながら、黒板にチョーク
を走らせる教師。授業終了のベル。風に揺れるカーテン。
何もかもが、ひとみを苛つかせた。
クラスの生徒たちも、ひとみの機嫌が悪いのを察知しているので
あろう。休み時間になっても、教室で談笑する生徒は少なかった。
それもまた、ひとみを苛立たせる原因の一つであった。
ひとみは、ガンッと乱暴に椅子を引いて立ちあがった。
このまま学園内に留まる事は、とても無益なことのように思え、
さっさと帰る事にしたのである。
教室を出ていくひとみを、生徒たちは何気に確認していた。ひと
みが、教室を出ていくとあちこちからため息のようなものが聞こ
えてきた――。
- 197 名前: 24 投稿日:2001年09月02日(日)02時26分15秒
『あれ、帰るの?』
誰もいない廊下を歩いていると、後から不意に声が届いてきた。
ひとみは、辺りに視線をやり足を止めた。
職員室からの帰り、たまたまその姿を見つけた梨華は声をかけよ
うかどうしようか迷った。
ひとみが手にしたカバンに気づいた時、フッと弁当のことが頭を
よぎり、思わず声をかけてしまっていた。
「……」
声をかけたものの、昨日から不機嫌なひとみである。きっと、足
を止めることなくそのまま歩き去るのだろうと思っていたが、意
外にもひとみは立ち止まった。しかし、その向けられた背中から
はピリピリと不機嫌な静電気が放出されているかのようで、次に
かける言葉がすぐには出てこなかった。
ため息が聞こえてきた。
「ご、ごめん……。でも、誰もいないからいいじゃない」
梨華は唇を尖らせながら、うつむいた。ひとみが振りかえりそう
な気配を見せたからである。
「お弁当作ってきたの……。帰るんなら、家で食べる……?」
梨華は、うつむいたまま喋った。ひとみがどんな顔をして、自分
を見ているのかはわからなかった。
- 198 名前: 24 投稿日:2001年09月02日(日)02時27分33秒
「時間あるなら、ちょっと待っててくれる? すぐに持ってくる
から……」
「いらない」
”やっぱり”と、梨華は思った。だが、紗耶香にはもう渡してある。
せっかく共通の話題ができそうなチャンスなのである。怯むわけ
にはいかなかった。梨華は、決心すると顔をあげた。
「なんでよ」
「……理由なんてない。いらないからいらないの」
冷めた目でそう言い放つと、ひとみはくるりと背を向けてまた歩
きだした。
「ちょっと、待ってよ」
と、梨華はひとみの前に回り込んだ。
冷たい視線を向けるひとみに、たじろぐ事はなかった。せっかく、
仲を取りもとうとしているのにいつもつんけんと突き放すひとみ
に対して、怒りのようなものが込み上げてきていた。
「あなたのこと、もうホントにわかんない」
「……」
「いっつもそうやって、何かあるとすぐに黙り込んじゃって。悪
いことしたなら謝る。でも、あなたはその理由をいっつも言わな
いじゃない。わかんないよ。なんで、そんなに怒ってるのか」
- 199 名前: 24 投稿日:2001年09月02日(日)02時28分26秒
ひとみは、瞬間的に”ヤバイ”と判断した。
両手をピンと下に伸ばしたその姿勢は、見境を無くす一歩手前で
あるのは、この1ヵ月の生活で熟知している。
ここで、大声で喚き散らされれば色々と面倒なことが起きると、
ひとみは判断した。
「別に怒ってなんかない……」
と、ひとみは壁に貼ってあるポスターへと視線を移した。
なおも、ひとみを見据える梨華。その目には、きっと悔し涙なん
だろうそんな涙がうっすらと滲んでいた。
真希の顔が一瞬頭をよぎったが、それよりもここで泣かれるわけ
にはいかないので、ひとみはポスターを見ながら独り言のように
呟いた。
「わかったよ……。食べればいいんでしょ、食べれば」
「ホント?」
ワガママな女だと、ひとみは心の中で呟いた。だが、不思議と嫌
な感じはまったくしなかった。そればかりか、先ほどまで抱いて
いた苛立ちもまったく感じなくなっていることに気づいた。
- 200 名前: 24 投稿日:2001年09月02日(日)02時29分08秒
「じゃあ、じゃあ、ここでちょっと待ってて。すぐに取ってくる
から」
梨華は、身を翻して廊下を駆けようとした。
「あ、いい」
「?」
と、振りかえる梨華。ひとみが、視線を伏し目がちにしてこちら
を見ている。そして、呟くように言った。
「昼休み、体育館で渡して」
ひとみはそう言い残すと、廊下を戻っていった。
その背中からは、先ほど感じたピリピリトした不機嫌な静電気は
見られなかった。
「?」
梨華は、首を傾げてその背中を見送った。よくはわからないが、
これで共通の話題ができ、仲直りのきっかけができるかもしれな
い――ひとみの変化が例え気まぐれであっても、ありがたいもの
だと梨華は思った。
- 201 名前: 24 投稿日:2001年09月02日(日)02時30分36秒
「なに、これ? 冷凍食品ばっかじゃん」
誰もいないひっそりとした体育館に、ひとみの声が響きわたる。
「こんなのだったら、学食の方がマシ」
と、ひとみは弁当のフタを閉じようとした。
「ちょっと待って。よく見てよ、ちゃんと作ったのもある」
と、梨華は立ちあがろうとしているひとみの袖を引っ張った。
「卵焼きでしょ、おにぎりでしょ。そう。ほら、卵好きだから、
多めに焼いたの。ゆで卵もあるよ」
と、弁当の入っていたキャリーバッグの中からゆで卵を取りだし、
得意気に掲げる梨華を見てひとみは思わず笑った。
「?」
「ゆで卵ぐらい、誰にでも作れる」
ひとみは苦笑しながら、ベンチに越しかけた。フッと何気なく、
梨華の弁当箱に目をやった。
そこには、卵焼きがなかった。ひとみの視線に気づいた梨華は、
苦笑しながら口を開いた。
「あのコンビニ生鮮食品売ってないから、冷蔵庫からもらっちゃっ
た。でも、ほら、あんまり使うと悪いから……。あ、もちろん、
お給料貰ったら後で返しとから」
と、梨華は照れくさそうに苦笑した。
- 202 名前: 24 投稿日:2001年09月02日(日)02時33分57秒
「……」
「な、なに……、そんな怖い目しないでよ。ちゃんと、後で返し
とくから」
ひとみは、おもむろに梨華の手から弁当箱を取り上げると、自分
の弁当から卵焼きを梨華の弁当へと移した。
「あ……」
意外な行動に出られて、梨華は正直なところ戸惑った。いったい、
どちらなのかわからなかった。それは嫌味なのか、それとも優し
さなのか――。
ただ、そうして素早く誰もいないコートに向き直り、おにぎりを
パクつくひとみの横顔を眺めていた。
「たかが、卵ぐらい……。いくらでも、使えばいいじゃん」
と、ひとみは耳を真っ赤にしながらつぶやいた。
ああ――と、梨華は初めてその一片を垣間見ることができた。
”本当は優しい子なんだ””お姉ちゃんお姉ちゃんって、じゃれ
ついてきてさ”――紗耶香の言葉を思い出し、そしてあの時は想
像できなかった幼い頃のひとみを想像することができた。
(市井さんの言ってた事は、このことだったんだ……)
クスッ。
梨華は思わず、小さな声を出して笑ってしまった。
ひとみの事を、初めて”かわいい”と思った。
気まずくなったのか、それとも何か他の理由からなのか、ひと
みは「1人で食べる」と言い残して、弁当箱を持ってさっさと
体育館を後にした。
そんなひとみを、梨華はまた可愛いと思った。
- 203 名前: 24 投稿日:2001年09月02日(日)02時34分48秒
体育館を出たひとみは、周りに誰もいないのを確認すると軽いた
め息を吐きながらドアにもたれかかった。
ひとみにとって、梨華はずっとからかいの対象だった。
ただ単に自分に食ってかかる人物が珍しくて、遊んでいてやった
だけである。
それがいつの間にか……、その対象が別の物に変化していると気
づいたのはつい最近のことだ――と、ひとみは分析した。
梨華がいなくなると知った時、柄にもなくほんの少し動揺した。
それは、大事なおもちゃを捨てられそうになった子供の心境に似
ていた。
そのおもちゃが手元を離れたと確信した時、また周りの風景がい
つものように色褪せて見えた。
距離を置いて接する人物は、つまらないただの物言わぬ人形であっ
た。なんの興味もなかった。同時に、つまらない人形だらけの日
常にも、なんの興味もなくなった。
- 204 名前: 24 投稿日:2001年09月02日(日)02時36分54秒
物珍しい人形の小道具を見つけた時、また一瞬にして辺りに色が
戻ったような気がした。
暗闇でもすぐに、その人形を見つけ出すことができた。
いや――、もうその時には人形ではなく。石川梨華という個人と
して認識していた。
できることなら駆けよって力強く抱きしめたかったが、まだ人形
であるとどこかで考えていたようでその衝動を厳しく制した。
梨華がまた去っていこうとした時、姉の紗耶香がいる前で、そん
な目立った行動は普段なら絶対にしなかっただろう。向こうの事
もあまり知りたくなかったし、こっちの事もあまり知られたくな
かった。
それでも、梨華が去ろうとした時、身体は勝手に飛び出し、梨華
の手を引っ張り部屋へと連れこんだ。
そんな情熱的な気持ちが自分にあったのかと思うと、自分でも少
し驚いた。
もう、その辺から誰にも渡したくないという強い気持ちが芽生え
てたのかもしれない。
――ひとみは、そんな風に分析した。
フッと真希の顔と、紗耶香に向ける梨華の笑顔が重なった。
「……」
ひとみは、ブルブルと頭を振って走りだした。
誰にも渡さない。渡したくない。そんな強い想いが、ひとみの中
を駆け巡っていた――。
- 205 名前: 25 投稿日:2001年09月02日(日)02時38分18秒
五時間目の授業中。
どうやら、梨華はずっとニヤついていたらしい。
休み時間に入り、柴田あゆみが心配そうに語りかけてきたところ
を見ると、相当ハタ目にもわかるほど表情を和らげていたらしい。
それもそのはず、あのひとみの意外な一面を見てしまったのだ。
思い出すと、ニヤけてしまって仕方がなかった。
「あ、あのね」
思わずあゆみに、喋ってしまいそうになり、梨華はあわてて口を
つぐんだ。
「なに?」
「あ、ううん。なんでもない」
梨華は笑顔でごまかした。市井家と自分の関係は公言できない。
ましてや、かつてひとみを好きだったあゆみに、ついさっきまで
ひとみと一緒にいて照れたひとみが可愛らしかったなどとは、口
が裂けても言ってはいけないことである。
(危ない……、危ない……)
と、ホッとしたのも束の間。
教室のドアがガラッと勢いよく開き、一学年下のひとみが何の躊
躇もなく梨華のいる教室に入ってきた。
全員が、何事かとひとみに注目した。
ひとみは、教室の入り口で中をキョロキョロと見渡す。
梨華もまるで他人事のように、いったいなんでこんな所にいるん
だろうと言った感じでひとみを眺めていた。
- 206 名前: 25 投稿日:2001年09月02日(日)02時40分20秒
そして、ひとみがパッと表情を輝かせるのを見て、何かとてつも
ない波瀾の予感がしてわれに帰った。
ひとみの視線の先に、皆の視線も集まった。
そこにいる梨華は、ただただオドオドとうつむいているだけであっ
た。
(来ないで。来ないで。あぁ、もう来ちゃダメ)
梨華の願いも虚しく、ひとみは目前に立った。
あゆみが、少し驚いたような顔をして後ずさったのがうつむいた
梨華の視界の隅に入る。
(違うの……、あゆみちゃん……)
ドサッと何かが、机の上に置かれた。
チラリと視線を上げると、机の上に先ほどの弁当箱が無造作に置
かれている。
「練習遅くなりそうだから、先に返しとく」
(え?)
と、顔を上げた梨華はひとみの不敵な笑みも見たし、その後ろで
冷ややかな視線を向けている生徒たちも見えた。
友達は少なかったが、それなりに平穏だった学園生活。
波瀾の波音が、耳の奥でざわざわと聞こえた梨華であった――。
- 207 名前: 25 投稿日:2001年09月02日(日)02時44分17秒
市井家の周りを取り囲むようにある石垣から、名前の知らない小
さな花がちょこんと咲き出ていた。
真希は、ひとみが学校から帰ってくるのを待ちながら、もう30
分ほどしゃがんでその花を眺めていた。
風が吹くたびにゆらゆらと揺れる花に、自分を重ね合わせていた。
この花は、いったい何を望んでいるんだろう。
ずっと、ここに留まりたいのか。それとも風に飛ばされたいのか。
――真希には、わからない。花は自分であり、風は誰かであるの
だから。
『ひとみ、練習で遅いから家の中で待ってなよ』
真希はその声を聞き、しゃがんだまま顔を上げた。
もっと強い風が吹いてくれれば、自分は楽にそちらに行けるのに。
「何があんの?」
学校帰りの紗耶香が、真希の横にしゃがみこむ。
「花か――」
紗耶香はまるでその花を誰かに例えるように、優しい目をして眺
めている。
- 208 名前: 25 投稿日:2001年09月02日(日)02時46分05秒
「ねぇ、いちーちゃん」
「ん?」
と、紗耶香が花を見つめながら返事をする。
「この花の名前知ってる?」
「うーん、なんだろう。――わかんない、教えて」
「――後藤真希」
「は?」
と、笑った紗耶香が、初めて真希に顔を向けた。
真希は、寂しそうな笑顔を浮かべて花を眺めていた。
「でも、いちーちゃんには別の名前があるんだよ」
「――別の名前?」
「そ。いちーちゃんには――、安倍なつみって名前」
「……」
紗耶香の表情が一瞬曇ったのを、真希は横目で感じていた。
だが、何も言わなかった。
またいつもの表情に戻った紗耶香は、苦笑まじりに口を開く。
- 209 名前: 25 投稿日:2001年09月02日(日)02時47分29秒
「なに、訳のわかんないこと言ってんだよ。ほら、こんなところ
でボーっとしてないで家の中で待ってな」
と、制服のスカートのしわを伸ばしながら立ちあがった。
「よっすぃは、なんて名前をつけるんだろう」
小さくつぶやいた真希の声は、どうやら紗耶香には届いていなかっ
たらしい。
「ほら、後藤」
と、紗耶香は真希の腕をひいて、立ちあがらせた。真希は、困惑
した笑顔を浮かべた。
いったい誰が、この花に自分の名前をつけてくれるのだろう――。
いったい誰が、強い風となって運んでくれるのだろうか――。
自分にもわからなかった。紗耶香に手をひかれ心を揺らしている
自分は、やっぱりいつまでも揺れている花なのかもしれない。
最後にはあの場所で枯れていく花を想像すると、真希は無性に寂
しくなった――。
- 210 名前: 25 投稿日:2001年09月02日(日)02時48分26秒
「もうっ、なんで教室なんかに来るのよ」
放課後。
体育館に向かおうとするひとみを、梨華が呼びとめた。どうやら、
そこを通るのを長い間待ちつづけてたみたいであった。
「なんでって、理由言ったけど」
と、ひとみはサラリと言って、再び体育館へと向かって歩いた。
ひとみと梨華の周りには誰もいない。遠くの校庭に練習をしてい
る運動部の姿があったが、誰も2人には気づいていないようだっ
た。
「もう。そうじゃないでしょ。そんなの家に帰ってから、渡して
くれればいいじゃない。もう、私、明日から学校に来れないよ」
と、泣きそうな顔になる梨華。
「大袈裟すぎる」
ひとみは、振りかえって笑った。
「大袈裟じゃないよ。見てよ、これ」
と、梨華はカバンの中から、教科書を取りだした。その教科書は、
ボロボロに破られていた。
「……購買部で買ってきなよ」
「もう。そうじゃないでしょ」
- 211 名前: 25 投稿日:2001年09月02日(日)02時49分51秒
梨華は辺りに目をやり、ツカツカとひとみに駆け寄ってきた。
そして、目の前で破れた教科書をバッと開いた。
そこには、中傷的な単語がマジックで書きなぐられていた。
「さっきまで、みんなに私たちの関係バレないようにしてたのに、
なんでいきなりあんな事するのよ。バレてもいいけど、物には順
序ってものがあるでしょ。あれじゃ、まるで私が……まるで、あ
なたの恋人みたいじゃない」
ひとみは、チラリと辺りに視線を向けると、梨華を校舎の壁際へ
と追いやった。
両手を壁へと伸ばし、その間に梨華を閉じ込める。
「へ? ちょっと……」
梨華は、あきらかに動揺した表情を浮かべていた。
「世間知らずで、お人よしで、おせっかいで、ズカズカとアタシ
の領域に入ってきたあんたが悪い」
「な、なんでよ〜……」
と、梨華は怯えた目でひとみを見上げた。
ひとみは、クスリと笑うと壁から手を離した。
「バイト、遅れても知らないから」
と、手をヒラヒラさせながら体育館へと向かって歩いて行った。
梨華は、呆然とその後ろ姿を見送った。
「な、なんなのよ〜……」
ランニングをしている運動部の掛け声だけが、遠くに聞こえてい
た――。
- 212 名前: 作者 投稿日:2001年09月02日(日)02時55分07秒
- 20〜25回分の更新終了です。
>>164 このスレで完結するのは不可能となりました(苦笑)。
>>165 個人的に書き溜めてるもので、公開は未定。
>>166 外部の人間が必要かも……。
>>167 更新間隔が広がる恐れあり……。
>>168 全員「→」かも
>>169 すっすっす!!(←2回目)
>>170 吉澤くん、暴走
>>171 続きです→ >>175-211
>>172-174
今回、ちょっと個人的な事情があり、スレが上がった状態で
更新してみました。基本的には、ある程度沈んだ状態で更新
するようにしています。理由はこのへん→ >>126
(※更新作業中、自分でageてしまうことも……)
- 213 名前:名無し読者 投稿日:2001年09月02日(日)03時16分10秒
- >そ。いちーちゃんには――、安倍なつみって名前
なんだろ。これ。ドキドキ・・・。
- 214 名前:名無し読者 投稿日:2001年09月02日(日)07時21分54秒
- いしよしうまくいくといいんだけどなぁ…
ん〜先が読めなくていいですね!!
- 215 名前:320 投稿日:2001年09月02日(日)08時23分26秒
- お互いの名前さえいえずにいる2人・・・。
素直じゃない吉澤と鈍感な石川ってイイナァ〜〜。
- 216 名前:名無し読者 投稿日:2001年09月02日(日)09時02分07秒
- よっすぃ〜大胆な行動にでましたねぇ。
これから石川の学校生活はどうなってしまうんだろう・・
次回も期待してます!
- 217 名前:バリボー 投稿日:2001年09月02日(日)15時04分42秒
- 不器用なよっすぃに読んでるこちらも
ハラハラなんだかイライラなんだかさせられます〜(ワラ
でもちゃんと自分の気持ちを認めたみたいだから頑張れー!
- 218 名前:名無し読者 投稿日:2001年09月02日(日)15時30分56秒
- 期待してます
- 219 名前:作者 投稿日:2001年09月02日(日)21時08分59秒
すげ〜!!面白いっす!!
今、一番ハマってます!!
頑張って下さい!!
期待してます!
- 220 名前:JAM 投稿日:2001年09月02日(日)22時23分36秒
- いつもながらの
この大量更新有難うございます。
- 221 名前:名無し読者 投稿日:2001年09月03日(月)03時22分35秒
- いい感じになってきたいしよしですが、ごまはどうなるんだろう〜?
そしてついに、市井ちゃんの想い人(?)らしき名前も出てきて、この先、非常にきになります。
- 222 名前:名無し読者 投稿日:2001年09月03日(月)16時47分55秒
- 続き読みてーーーーーーーー
- 223 名前:名無し読者 投稿日:2001年09月05日(水)00時32分46秒
- (O^〜^O)<え〜良かったっす!えーマジっす!すっすっすっ♪
- 224 名前:名無し読者 投稿日:2001年09月05日(水)15時17分54秒
- 早く下がってくれ
- 225 名前:名無し読者 投稿日:2001年09月05日(水)20時06分57秒
- >>223
なつかすぃー
- 226 名前: 作者 投稿日:2001年09月06日(木)00時40分53秒
- >>213-225
せっかく下がったのですが、容量オーバーにより
次回更新時に新スレに移行します。
sage進行にご協力頂き、ありがとうございました。
- 227 名前:バリボー 投稿日:2001年09月07日(金)23時36分28秒
- 移動先はこの板のままなのでしょうか?
そういえば案内のほうに書いてありましたが
管理人さんが文字は700まで大丈夫ということみたいですが…。
- 228 名前: 作者 投稿日:2001年09月08日(土)01時10分53秒
- http://mseek.obi.ne.jp/cgi/hilight.cgi?dir=sea&thp=999875937
に移行しました。同じ海板です。
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