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カテキョ

1 名前:名無し@作者 投稿日:2001年08月07日(火)01時49分56秒
飯田×辻を中心とした物語。
(非娘。物語です)
2 名前:第1話 投稿日:2001年08月07日(火)01時52分10秒

大学が夏休みに入る直前、親の仕送りがストップしてしまった。
なんでも、パパの会社が経費削減とかで給料&ボーナスが大幅に
カットされたのが原因らしい。

そんなのって、もっと前からなんか兆候みたいなのがあったでしょ
う。もっと早く教えてほしかったよ。ホント、マジで。

まぁ、授業料やアパートの家賃なんかは貯金でどうにかしてくれ
るらしいんだけど、その他の生活費まではもう面倒見きれないら
しい。

圭織、自慢じゃないけど今までバイトってあんまりした事ないん
だ。だって、職場の人間関係ってのが面倒なんだもん。
圭織はいっつも、主導権を握っていたいの。ワガママ? そんな
ことないよ。ただ、あれしろこれしろって言われるのが嫌いなだ
け。圭織は平和主義者だから、主導権握って平和にやっていきた
いだけなの。

だから、あんまり人の多いバイトはパス。
掲示板にベタベタ貼ってある求人募集の貼り紙。左からずっと見
てきたけどパスの連続。あーあ、もうあと3枚しかないよ。どう
しようかなぁって思ってたら、最後の1枚になんか良さそうなの
があった。

3 名前:第1話 投稿日:2001年08月07日(火)01時53分54秒

【家庭教師募集

時給2500円
※交通費別途支給

 勤務日:週3日 (月・水・木)
勤務時間:2〜3時間程度(相談応)
指導教科:中学ニ年教科全般

年齢・経験不問
※女性に限る

問い合わせは、学生相談窓口まで
コードNo.3587         】


どうしようかなぁって迷った。ニキビいっぱいの男子中学生っだっ
たらなんかちょっとって思ったし、家庭教師なんて今までした事
なかったし、友達からは大変だって聞いてたし。
でもまぁ、寄り好みしてる暇もなかったから、一応その貼り紙を
剥がして問い合わせてみた。

以外にも、あっさり決まってしまった。
自慢じゃないけど、圭織、頭はまぁまぁいい。小・中・高とそれ
なりに上位をキープしてたし、今もまぁ世間的には一流って呼ば
れる大学に通っている。
4 名前:第1話 投稿日:2001年08月07日(火)01時56分02秒

それが良かったのかわからないけど、すぐに家庭教師としてのバ
イトは決まった。
なんだか、相手は切羽詰ってるらしくできればすぐ来てほしいと
の事で、問い合わせた2日後にはこうして家庭教師先の「辻家」
にやって来ている。

「ふーん……」
東京にしては、なかなかでっかい家。
北海道にある圭織の家に比べると小さいけど、金額に換算すると
まぁ負けてるだろうなぁ。
なんて、ぼんやり考えながら辻家のベルを鳴らした。

「はい」
インターフォン越しに届いた声は、母親だろう。圭織は、ちょっ
と緊張して軽い咳払いをした。
「あ、あの家庭教師の件でおうかがいしました。T大学教育学部
飯田圭織と言います」
「ああ――、はい。少々、お待ち下さい」

気さくな人で本当にホッとした。
”ざます”なんて言葉使いの人だったらどうしようって思ったけど、
ぜんぜんそんな事なくてよく笑うとてもいいお母さんだった。
5 名前:第1話 投稿日:2001年08月07日(火)02時00分57秒

どうやら、娘さんの成績がすごく悪いらしい。
今まで何人もの家庭教師、それこそ元・塾講師なんていうその道
のエキスパートがやってきたけど、全員、自信をなくして辞めて
いったそうだ。

そんな人達ですら手におえない娘さんを、家庭教師未経験の圭織
がどうにかできるなんて……と、ちょっと胃の辺りがキリッと痛
んだ。

断ろうかどうしようか迷ってると、どうやらその本人が学校から
帰ってきたらしい。
母親は、娘を呼びに部屋を出ていった。

「もう、ダメだ……。帰ってきちゃったよ」
リビングで、圭織は思いっきりうなだれた。
しばらくして、母親と娘がやってきた。

「希美。こちらが、新しい家庭教師の飯田圭織先生よ。ちゃんと
ご挨拶しなさい」
母親の後ろに隠れるようにして立っている少女。
白い八重歯を微かにのぞかせて、ぼんやりと物珍しそうに圭織を
見ていた。

「初めまして。飯田圭織です。よろしくね」
と、圭織は少女の緊張を解かそうと、ほんの少し前かがみになっ
てニッコリと笑って挨拶をした。
――のに、少女は一瞬、怯えたような表情を浮かべるとまさに脱
兎の如くその場を走り去っていった。
ショックだったよ……。
6 名前:第1話 投稿日:2001年08月07日(火)02時01分53秒

「こ、こら、希美。――す、すみません。ちょっと、人見知りす
る子でして」
と、母親は引きつった笑みを浮かべていた。
人見知りっていうか、圭織自身も気づいてるんです。よく言われ
るんです。顔が怖いって。
でも、その事は母親には伝えず、圭織も引きつった笑みで「最初
ですから」とかなんとか言ってその場の空気を濁した。

階段を一歩上がるその足どりは、本当に重かった。
さすがに、逃げられるなんて思わなかったし、そんな逃げるよう
な少女とこれから上手くやっていけるんだろうかと考えると、胃
に穴が開きそうだった。

「こっちが逃げ出したい」
って、本当に思った。

母親に案内されて、部屋に通された時。
少女は、もう椅子に座っていた。
そして、圭織の顔を見ると申し訳なさそうにペコンと頭をさげた。

それを見て、圭織は心を癒された。
あぁ、この子はいい子なんだなぁって。
だから、母親に「じゃあ、これから授業を始めますので」って自
然な笑顔で言えることができた。
7 名前:第1話 投稿日:2001年08月07日(火)02時03分01秒

「じゃあ、よろしくお願いします。――希美、先生の言う事、ちゃ
んと聞くのよ」
と、母親は少女の部屋を出て行った。

どっちかって言うと、圭織も人見知りするほう。
だから、少女と2人きりになってもすぐには上手く喋ることがで
きなかった。
でも、圭織がお姉さんだし家庭教師なんだからしっかりしなきゃっ
て、勇気を出して言葉を発したよ。

「リングって映画知ってる?」
少女は、きょとんとした顔で圭織を見上げていた。
「圭織ね、その映画に出てくる貞子に似てるってよく言われるの」
少女は、じーっと圭織の顔を眺めていた。そして、その表情は怯
えたものになった。
――また、圭織はショックを受けた。冗談のつもりだったのに……。

「あ、ジョーク。ジョークなんだよ」
少女は、くるりと背を向けてもう圭織の顔を見なくなった。
「そんな……」
軽い目眩を覚えながら、少女のベッドに越しかけた。
「私の顔って、そんなに怖いのかなぁ……」
圭織は、たまに自分の心の声を口に出すことがある。この時も、
そんな感じだった。決して、口に出したくて出したわけではない。
うつまいたまんま、ポロっと出てしまったの。

『そ、そんなことないれす』
8 名前:第1話 投稿日:2001年08月07日(火)02時04分20秒

小さな声が聞こえてきて、圭織は「?」って感じで顔をあげた。
いつの間に――。部屋に入ってきたときと同じように、ちょっとう
つむき加減で少女は圭織の事を見てた。
「そんなことないれす」
と、少女もう1度ポツリとつぶやいた。

「ホント?」
圭織の問いかけに、少女はこくんとうなずいた。
その姿がとても可愛くて、思わず笑いそうになったんだけどまた
怖がるといけないから「ありがと」とだけ伝えて勉強をすること
にした。

少女の学力は、それはもう凄いものだった。成績が悪く、この道
のエキスパートも匙を投げる程だって聞いてはいたけど……まさ
か、掛け算の九九も満足に覚えきれていないとは……。

――悩んでいる圭織の様子を、敏感に感じ取ったのか、少女はと
ても悲しそうな顔をして笑った。

「辻は、学校でもびりっけつなんれす。すっごく頭が悪いんれすよ」
と、舌っ足らずな喋り方でそう言った。
とてもとても、自分に自信をなくしているような笑顔だった。
9 名前:第1話 投稿日:2001年08月07日(火)02時06分15秒

そんな悲しい笑顔を見るのは、圭織は初めてだった。見たことあ
るのかもしれないけど、それはいかにも同情してほしいって感じ
のものだったから覚えてない。

でも、少女の笑顔は同情なんかを求めてなくて、なんて言えばい
いのかな、もうこんな自分はダメって感じのなんか自虐っぽい悲
しい笑顔だった。

「そんなことないよ。焦ることない。ゆっくりでいいから、一緒
に頑張ろう」
と、圭織は思わず少女の手を握った。
少女は、きょとんとした顔をした。きっと、手を握った時の圭織
の顔は、怖かったと思う。自分でもわかってた。

また、怯えられるのかなぁって一瞬考えたりしたけど、少女はと
ても嬉しそうな顔をして「へい」って大きくうなずいた。
10 名前:第1話 投稿日:2001年08月07日(火)02時07分15秒


【辻――。辻はあの時「はい」って言ってたみたいだけど、圭織
には「へい」って聞こえたんだよ】

11 名前:第1話・終 投稿日:2001年08月07日(火)02時08分36秒

第2話へと続きます。
12 名前:名無し読者 投稿日:2001年08月07日(火)05時14分04秒
このほのぼの感、いいね
辻も作者もがんがれぇ
13 名前:名無し読者 投稿日:2001年08月09日(木)04時46分11秒
ののかおはいいなあ・・・
14 名前:第2話 投稿日:2001年08月09日(木)23時08分09秒

あれから数日が経過して、辻の家に5回目に訪れた時。
あ、そうだった。圭織は生徒である辻希美を、「辻」って呼ぶ事に
した。

最初、圭織は辻のことを「希美ちゃん」って呼んでたんだけど、辻
が「辻でいいれすよ〜」と言ったので、そうすることにした。
圭織はあんまり誰かのことを「〜ちゃん」って呼んだことなかった
から、本当はすごく抵抗があった。辻がそう言ってくれて、ちょっ
とホッとしていた。でも、ご両親の前では「希美ちゃん」と呼ぶ事
にしている。

辻の方は最初「いいら先生」と呼んでいたが(※圭織にはそう聞こ
える)、先生って呼ばれるのもなんだか照れくさいので「先生はや
めてね」ってお願いしたの。

そしたら、辻は「う〜ん」って3分ぐらい腕組みをしたまま考えて
から、「じゃあ、いいらさんって呼ぶことにします」だって。
圭織は思わずズッコケそうになったよ。そんな、時間かけて悩んだ
結果がそれかよって。
でもまあ、辻のそんなところが可愛いので笑っちゃったけどね。

で、5回目。
夕方の6時過ぎにいつものように辻家にお邪魔したんだけど、そ
の日は7時を回っても辻は帰ってこなかった。
15 名前:第2話 投稿日:2001年08月09日(木)23時09分38秒

いつもは7時から勉強開始の時間。
学校は4時頃終わるから、5時すぎには余裕で家に帰りついてい
る。

初日は、ちょっと母親に授業計画の説明なんかをしなければなら
なくて4時すぎにお邪魔したから、辻は圭織より後に帰宅したん
だけど、それ以外はいつも圭織の来るのを玄関先で待っててくれ
た。

「何か、あったんですか?」
心配になった圭織は、リビングに戻ってきた母親に訊ねた。
なかなか帰ってこない娘に痺れをきらし、携帯に電話をしたらし
い。

「なんか、友達と遊んでて時間を忘れてたみたいで、今、帰って
る途中らしいんです」
と、軽いため息を吐いた。遅くなるなら、すぐに電話してくれば
いいのにというニュアンスがそこには含まれているようだった。
「すみません。気の利かない子で」
と、辻のお母さんは苦笑した。

「あ、いえ。いいんです」
ホッとした。事故にでも遭ったんじゃないだろうかと、圭織の心
臓はさっきからバクバクなってたけど、それを聞いて徐々に落ち
つきを取り戻した。
「あの、ちょっとそこまで迎えに行ってもいいですか?」
と、圭織は席を立った。
16 名前:第2話 投稿日:2001年08月09日(木)23時11分32秒

――夏とはいえ、午後7時を回って辺りはもう薄暗くなっている。
辻は幼い。そして、小さい。とてもではないが、中学2年生には
見えない。だから、変なオヤジに捕まってイタズラでもされない
かと、またハラハラドキドキしながら辻の下校ルートを逆に向かっ
て走っていた。

どのくらい走ったんだろう。もう、家よりも学校から近いところ
まで来てしまったみたい。

すれ違いにでもなったかなぁって、どうしよう家に電話してみよ
うかなって思ったとき、フッと何気なくすぐ側の公園に目を向け
たら、そこに辻がいた。

しゃがんで何かに語りかけているようだった。圭織は、目があん
まよくないからこの場所からでは、辻が何をしているのかわから
ない。

――圭織は、「お〜い、辻」って声をかけながら駆けていった。
辻は一瞬、背中を向けたままビクンってその小さな身体を大きく
ふるわせたけど、圭織がもう1度声をかけたらその声でわっかっ
たんだろうね、後ろを振りかえって立ちあがった。
17 名前:第2話 投稿日:2001年08月09日(木)23時13分36秒

「ハァ……、ハァ……。辻、何やってんのこんなところで」
圭織、久しぶりに走ったから息を切らせちゃって。
「いいらさん、どうしたんれすかー?」
と、辻は八重歯を覗かせながら、圭織の背中をさすってくれた。
本当は、圭織はちょっと注意したかったんだ。

こんな時間――って、まだ7時回ったところだけど、約束の時
間に現われずにさ、こんなところでボーっとしてるんだもん。
圭織の授業はいいよ。でも、こんなところでいたら、危ない。
それを注意したかったんだけど、なんか笑いながら背中をさすっ
てくれる辻の顔を見てたら、なんかどうでもよくなっちゃった。

「ありがとう、辻」
「――どういたしましてれす」
と、辻はちょこんと頭をさげた。ツインテールの髪もピョコン
と跳ねたのがなんだかおもしろかった。

「もう遅いから帰ろう。お母さんも、心配してる」
辻は、ゆっくりと首を振った。ツインテールがまるで、デンデ
ン太鼓みたいに揺れた。でも、圭織は笑わなかった。
なぜなら、辻が笑ってなかったからだ。
18 名前:第2話 投稿日:2001年08月09日(木)23時15分46秒

「どうしたの?」
「……かわいそうなのれす」
「かわいそう?」
「辻の家は、犬は飼えないんれす……。お父さんが、犬ア?
ん? 犬ア……ア……なんらっけ?」
「犬アレルギー?」
「へい。それれす。犬が飼えないんれす」

辻が、後ろを振り返った。ん? って感じで辻の後ろを見たら、
辻の足元にダンボール箱があった。
その中に、1匹の子犬がいた。

「かわいい」
圭織、思わずその犬を抱き上げちゃった。犬種っていうのかな、
その子犬はダックスフンドみたいだった。

「学校の近くかられすね、ずっと辻の後をつけてくるんれすよ」
「かわいいね」
「かわいいれす」
って、圭織と辻はしばらくお互いの顔を見合わせて笑った。
子犬も辻も、圭織にとっては同じぐらい可愛かった。

「れも辻の家では飼えないんれす。辻がいなくなったら、わんちゃ
ん1人ぼっちになります。お父さんとお母さん探して、車がいっ
ぱい走ってる道路に行ったら、わんちゃん危ないれす。らから、
辻、わんちゃんが眠るまでずっとここにいたいんれす」
19 名前:第2話 投稿日:2001年08月09日(木)23時17分46秒

辻は、ちょっと泣きそうになりながら話してた。
なんか、圭織は……、圭織もなんかちょっとジーンときた。

犬が可哀相とかじゃなくて、なんかそう考える辻がとても純粋で
なんか圭織が失ったもの持っててとてもうらやましくて……。
でも、圭織は辻の先生だから涙なんか見せられない。
グッと堪えて犬を抱えたまんま、立ちあがった。

「いいらさん?」
辻は、きょとんと圭織を見上げてた。

「わかった。この犬、圭織が飼ってあげる」
「ほんとれすか?」
「圭織のアパートね、小さい犬なら飼ってもいいんだ」
「辻も遊びにいって、いいれすかっ?」
辻は、すごい嬉しそうに笑った。圭織は、「もちろん」ってとび
きりの笑顔で答えたと思う。可愛いのが2ついっぺんも圭織の部
屋に来るんだもん。そりゃ、嬉しいよ。

帰り道、辻は犬に「マロン」って名付けた。
「マロン、マロン」って何度も胸に抱いた子犬に、頬ずりをして
いた。それを見て、圭織は思ったよ。
別に勉強ができなくてもいいじゃんって。大切なのは、やっぱり
なんつーのかな。ハートかな。
なんか、そんな気がした。
20 名前:第2話 投稿日:2001年08月09日(木)23時20分48秒


【辻。マロンも大きくなったよ。早く撫で撫でしてあげたいね】

21 名前:第2話・終了 投稿日:2001年08月09日(木)23時22分22秒
>>12 ほのぼのになればいいなぁ
>>13 いいですねぇ…
22 名前:第3話 投稿日:2001年08月12日(日)00時24分18秒

挨拶がわりにキスなんかすんじゃねーよって思いながら、頭のどっ
か片隅でうらやましいーなーなんて思う自分がいて、大学のキャ
ンパス歩きながら圭織はちょっとした自己嫌悪。

「ちょっと、圭織。聞いてる?」
一緒に歩いていたなっちこと安倍なつみが、圭織の肘をつっつく。
「ん? 聞いてるよ」
ホントは、全然聞いてなかった。ベンチでキスしてた恋人同士が
気になって――。ごめん、なっち。

なっちは、大学に入学した日からの友達なんだ。
圭織と同じ北海道出身。誕生日も2日しか違わくて、しかも、生
まれた病院も同じだって聞いてビックリしたよ。
運命を感じるねって、話てたのがつい昨日のように感じる。
もうあれから2年か……。早いね……。圭織も、歳を感じるわけ
だ。

「ん?」
なっちがいつの間にか消えた。いつの間にか、駅まで来てる。
……また、交信中だったみたい。
”圭織は、たまにどっか遠くいっちゃうね”
圭織の友達は、みんなそう言う。――気をつけようとはしてんだ
けどね。これはもう、クセみたいなもんだから気にしないでって
圭織はいっつも説明する。
23 名前:第3話 投稿日:2001年08月12日(日)00時27分25秒

”圭織は、たまにどっか遠くいっちゃうね”
圭織の友達は、みんなそう言う。――気をつけようとはしてんだ
けどね。これはもう、クセみたいなもんだから気にしないでって
圭織はいっつも説明する。

なっちにも説明した。説明して理解してくれたからこそ、こうし
て交信中の圭織をほったらかして消えてしまった。
理解してくれてるのは嬉しいけど、なんか寂しい……。ちょっと、
ぐらい声かけてくれてもよかったのに……。

アパートまでの道のりを歩いている途中で、圭織はまた交信して
しまっていた。
辻のことを考えていたみたい。
別に、特別何か考えてたわけじゃなくて、学校で何やってんだろ
うとか、ちゃんと授業受けてるんだろうかとか――まぁ、家庭教
師らしいことを考えてたわけよ。
24 名前:第3話 投稿日:2001年08月12日(日)00時28分33秒

そしたら、『いいらさーん』って辻の声が聞こえてきた。
幻聴にしてはリアルだなぁって振りかえったら、制服姿の辻が手
を振りながら走ってきてた。
圭織は、「え?」って感じで時計を見たよ。だってまだ、お昼の
12時少し回ったとこだったから。

あ、そうだった。
辻は圭織のアパートに、ほとんど毎日のようにやってくる。
”マロン”っていう辻の拾った子犬を、圭織が飼ってるからね。
その”マロン”に会うために、毎日、電車に乗ってやってくる。
この日も、来るだろうなとは思ってたけど、まさかこんなに早く
来るとは思ってもいなかった。

「辻……、学校は?」
「先生が、早く帰っていいって言ってくれたのれす」
「は?」
教職員の会議? それとも、短縮授業? なんかよくわかんない
けど、”マロン”会いたさに勝手に学校抜け出したりしたんじゃな
いからホッとした。
25 名前:第3話 投稿日:2001年08月12日(日)00時30分04秒

それよりも……。

「なに、その格好……。泥だらけじゃない。何やってたの?」
って、圭織は辻の制服についた泥の汚れを、持っていたハンカチ
で振り払った。でも、少し粘土質の土だったので、まったく汚れ
は落ちなかった。

「転んだのれす。それより、いいらさん。早く、帰りましょうー」
と、辻は圭織の右腕に自分の腕を絡ませてきた。
ちょっとちょっと、って思ったよ。
だって、圭織が着てた服、今日おろしたばっかの”おにゅー”の服
なのにさ、泥だらけの辻はそんな事お構いなく腕を絡めてくるん
だもん。

「辻、今日はれすね。マロンに待てを教えてあげるんれすよ。マ
ロンは辻と違って頭がいいから、すぐに覚えるんれすよ」
「うーん」って眉をしかめている圭織を見上げながら、辻は言った。

なんか、その目がすっごいキラキラしてて、それ見てたら服の汚
れぐらいなんだいって思えた。
辻は、ホントに不思議な子。――まぁ、圭織も別の意味で不思議
だってよく言われるけどね。
26 名前:第3話 投稿日:2001年08月12日(日)00時32分05秒

――アパート。
辻が恥ずかしそうに笑いながら、洗面所から出てきた。
圭織は、その姿を見て大笑いした。
制服が汚れてたから、洗濯してあげる事にしたの。で、その間、
圭織のジャージを貸してあげることにしたんだけど。
「これじゃあ、辻、タコさんれす」
と、ブカブカの両腕と両足をバタバタとさせて笑っていた。

1分ぐらい辻と圭織は、大笑いしてた。
”マロン”も、楽しそうに辻の周りをグルグルと回ってた。
圭織、笑いすぎてお腹がいたくなって――。
「もう、勘弁。もう、勘弁」って、泣いて謝ったよ。
そん時、小さい頃におばあちゃん家で見た”遠山の金さん”を思い
出してまた笑った。

――いい加減、笑うのをやめて、圭織はお昼ご飯を作る事にした。
冷蔵庫を覗いてみたけど、こんな時に限って食べ物がない。
27 名前:第3話 投稿日:2001年08月12日(日)00時33分15秒

「辻、何が食べたい?」
圭織は、冷蔵庫を閉じて振り返った。
辻は、さっきからずっとマロンに”待て”を教えている。なんか、
聞こえてないみたいだからもう1度声をかけた。
そしたら、辻は「ん?」って感じで振り返った。


「何が食べたい? お昼まだでしょ?」
「うーん」
って、また腕組みをした。圭織、その姿を見て思わずため息吐
いちゃったよ。こうなると長いんだ。答えが出るまで3分ぐら
いかかる。
圭織とは種類が違うんだろうけど、なんかなっちとかの気持が
わかったような気がした。

辻は「やきそば」が食べたいと言ったので、圭織は近所のスー
パーマーケットに向かった。
辻1人にして大丈夫だろうかって一瞬思ったけど、辻も14歳。
そんな子供じゃないだろうって、圭織は自分に突っ込んで苦笑
した。辻のこと、何歳に見えてるんだって。
28 名前:第3話 投稿日:2001年08月12日(日)00時36分08秒

――「ただいま」って、声をかけてドアを開けたんだけど、な
んか部屋の雰囲気が変。変って言うか、静か過ぎる。
どうしたんだろうって、部屋を覗いて見たらそこには辻の姿も
なければ、マロンの姿もない。

「辻?」
見渡すほど広い部屋じゃないから、そんな事しなくてもわかる
んだけど――辻もマロンもどこにもいなかった。
「あれ?」
部屋の真ん中にある小さい食卓テーブルの上に、1枚の書き置
きがあった。

【こうえんにさん歩に行ってきます。すぐに帰ってきます
 辻 希美】

って、すごい幼い字で書いてあった。
文字だけ見ると、小学校低学年のような印象を受けた。
公園はアパートのすぐ近くだから、まぁ、大丈夫かって安心し
て、圭織はヤキソバ作りにとりかかった。
29 名前:第3話 投稿日:2001年08月12日(日)00時37分22秒

30分待っても、辻は帰ってこなかった。
1時間……、あまりにも遅いから迷子にでもなったんじゃない
かって、圭織は辻を迎えに公園に向かった。

なんか、前にもこうして心配して辻を迎えにいったと思う。
あれからもう2週間ぐらいかな? 
毎日のように会ってるから、なんかもうすっごい昔のような気
がする。

『もう、いいよ。僕たちかえるから、じゃあね』
って、公園から学校帰りの小学生3人が出てきた。ぶつかりそ
うになった圭織を、一瞬ちらりと見て「デケー」って失礼なこ
とを言いながら走り去っていった。

人が気にしていることを……、小学生じゃなかったら圭織は間
違いなく説教してたね。人の嫌がる事を言ってはいけませんっ
て。走り去っていく小学生から、視線を公園の中に向けた。

辻が、マロンの前にしゃがみ込んで「待て、待て」って手をか
ざしてる。かざしている方の手は、その動きで捲り上げていた
袖がだらしなく垂れている。
でも、辻はそれに気づかないぐらい真剣な顔でマロンに”待て”
を教えていた。
30 名前:第3話 投稿日:2001年08月12日(日)00時39分13秒

「辻、何やってんの?」
圭織は、のんびりと辻に近づいていった。マロンが圭織に気づ
いてシッポを振ってこちらに来ようとしてたが、ベンチにリー
ドを結び付けられているため近寄る事はできない。

「マロン、待て」
辻は泣きそうな顔で、マロンに”待て”の合図をした。
でも、マロンは圭織にシッポを振っていて、辻の事など見てい
なかった。
「もうっ。マロン。待て」
辻は、マロンをムリヤリ自分の方に向けさせた。固定してあっ
たリードに引っ張られ、首が一瞬絞まったんだろう。マロンは
小さく鳴いた。

「辻ッ」
何をそんなに必死になっているのか圭織には分からないけど、
辻の今の行為は明らかにマロンの意思を無視したエゴな行動。
圭織は、ちょっと強い口調でたしなめた。
すると辻は、涙で潤んだ瞳を圭織に向けた。
31 名前:第3話 投稿日:2001年08月12日(日)00時40分11秒

「嫌がってるのに、そんなことしちゃいけない。マロンが可哀
相でしょう」
「らって」
「この前、お手を覚えたばっかりじゃない。そんなすぐにいっ
ぱい覚えられないよ。なんで? 辻はマロンの親友なんでしょ?」
「らって、みんな自慢すんらもん」
って、辻はいきなり泣き出した。

びっくりした。圭織、最初の一声はちょっと強い口調だったよ。
でも、その後は優しく語りかけたつもりなのに、いきなり泣き
出すんだもん。しかも、意味わかんないし。

「じ、自慢って誰が? 辻と私しか、いないじゃない」
辻の頭を撫でながら、理由を訊ねてみた。すると辻は、泣きな
がら公園の出入り口を指さした。
――さっきすれ違った失礼な小学生を思いだした。

「なんか、言われたの?」
「マロンはバカみたいな顔してるって。辻、そんなことないも
んって」
「……」
「ちゃんと、お手らって1日で覚えたって、マロンにお手って
言ったら、マロンちゃんとお手をしたんれすよ」
「うん。辻、一生懸命、教えてたもんね」
32 名前:第3話 投稿日:2001年08月12日(日)00時41分30秒

「れも、みんなそれぐらいバカな犬れもれきるって。ウチの犬
は、なんれもれきるって、自慢すんらもん」
よっぽど悔しかったんだろうね、辻は声を上げて泣いた。
圭織もなんだか悲しくなったけど圭織はやっぱり大人だから、
黙って何も言わずに辻の頭を撫でてあげた。

「いいらさんがスーパーに行った後、マロン、待てがれきたん
れすよ。2回れきたんれす。らから、辻、みんなに言ったんれ
す。マロンは待てもれきるから、バカじゃないもんって……辻
はバカらけど、マロンはバカじゃないもん……」

きっと、マロンは”待て”ができずに、辻はさっきの小学生にか
らかわれたんだろうね。でも、辻が悔しいのは自分がからかわ
れた事じゃなくて、親友のマロンがバカにされたのが悔しいん
だろうね……。

「ごめんねマロン。辻がバカらから、ちゃんと教えることれき
なくて」
辻は、泣きながらマロンを抱きしめずっと謝りつづけた。
33 名前:第3話 投稿日:2001年08月12日(日)00時42分54秒

「辻はバカなんかじゃないよ。マロンの立派な友達だよ」
「そんなことないもん。辻がもっと頭よかったら、マロンにらっ
ていっぱいいろいろ教えることれきたもん」
って、辻は唇を尖らせて首を振った。

「いい? 辻。いっぱいいろんな事を教える人が偉いんじゃな
いんだよ」
「先生は偉いもん……。辻よりいっぱい勉強知ってるもん」
「偉い人って言うのはね、辻みたいな優しい人を言うんだよ」
「……?」
「教えるんじゃなくて、教えられる人が偉いんだ。圭織は、今、
辻からいっぱいいろんな事を教えられてる途中なの」
「辻が……れすか?」
辻はマロンを抱いたまま、きょとんとした顔を向けた。

「そう。みんなが無くしてしまうようなものを、辻はいっぱい
持ってて、それを無くしちゃいけないって――辻を見てると教
わる事ができるんだ」
「……」
34 名前:第3話 投稿日:2001年08月12日(日)00時44分20秒

辻には意味が分からないみたいだった。圭織にも、ホントのと
ころはよく分からない。でも、圭織にはなんとなくそんな風に
感じたんだ。うまく言葉にできないのがもどかしいから、圭織
は辻の頭をクシャクシャって撫でてこう言ってやった。

「いつまでも泣いてないで。辻の好きなヤキソバ作ってあるか
ら、帰って食べよう。で、お腹いっぱいになってまたマロンと
一緒に頑張んな」
「マロン、お腹が減ってるかられきなかったんれすか?」
「ん?」
「辻は、お腹が減ったらいつもよりもっと勉強れきないんれす」
と、辻はテヘテヘと笑った。なんか、すっごいいい笑顔だった。
さっきまで泣いていたとは思えないほど――。

「よし。じゃあ、帰ってお腹いっぱいヤキソバ食べな。いっぱ
い、用意してるから」
「へい。よーし、マロンもいっぱい食べようねー」
って、辻はベンチに括りつけてあるマロンのリードを外した。
もう食べることで頭がいっぱいで油断していたのか、マロンは
テヘテヘ笑っている辻の手をするりとすり抜け、公園内をダッ
シュして逃げた。
35 名前:第3話 投稿日:2001年08月12日(日)00時45分27秒

「あー、マローン」
追いかけまわる辻とまるでからかうように逃げまわるマロンを、
圭織は微笑ましくみてた。なんか、よくわからないけど、ちょっ
とだけ母親のような気分になった。

でも、それは14歳の娘を持つ母親のような気分じゃなくて、
もっと幼い純真無垢な小さな子供を持つ母親のような気分に似
ているのかもしれない。

――そんなことをぼんやりと考えていると、辻がいきなり転ん
だ。転んだがその両手には、マロンをしっかりと捕まえている。
そして、呆然と見ている圭織に向かってこう言った。

「いいらさーん、捕まえましたー。はやく、帰りましょー」

帰るのはいいんだけど、またジャージを洗濯しなきゃいけない
と思うと憂鬱な気分になった。なんか、交信したくなった。
36 名前:第3話 投稿日:2001年08月12日(日)00時46分20秒


【色褪せたジャージを見るたびに、あの頃の辻を思い出すん
だよ。そして、圭織はまたいつものようにあの頃に戻るんだ】


37 名前:第3話・終 投稿日:2001年08月12日(日)00時48分53秒

更新、終わりました。
38 名前:第4話 投稿日:2001年08月13日(月)23時36分09秒

夏休みに突入した。
突入したけど大学の課題がいっぱいあって、それの資料調べの
ために午前中はほとんど大学の図書館に通っている。

「家庭教師のバイト、どう? うまくいってんの?」
クーラーがガンガンに効いている図書室で、圭織はちょっと寒
いって感じてたほどだったけど、隣にいるノースリーブの圭ちゃ
んは額にうっすらと汗を浮かべているようだった。

「ちょっと、圭織、聞いてんの?」
圭ちゃんに睨まれて、圭織はやっと別世界から戻ってくる事が
できた。

「あ、うん。聞いてる。暑いよね、今日」
「家庭教師、うまくやってんのって聞いたのよ」
「あ、そう。うん。まあ、うまくいってる」

実際のところ、辻の成績は何一つとして上がってなかった。
この前、期末テストがあったんだけど、全部が1桁の点数。

でも別に、圭織はぜんぜん焦んなかった。
だって、まだ勉強を教えはじめて1ヵ月しかたってないし、そ
んなんですぐに成績がよくなるんなら、とっくの昔に辻の成績
は上がってるはずだからね。
39 名前:第4話 投稿日:2001年08月13日(月)23時36分55秒

辻のお母さんにも、その辺の事はちゃんと説明した。
今の勉強に追いつくんじゃなくて、基礎からゆっくりと始めま
しょうって。
結果を出すなら、来年の高校受験の時に出しますからって。
そしたら、辻のお母さんも納得してくれた。

今、辻は掛け算をマスターしようとしている。
それを圭ちゃんに教えたら、圭ちゃんはびっくりして目を丸く
した。

「え? 中2でしょ、その子」
「そだよ」
「……掛け算」
「今、7の段を教えてるの。1〜6までは完璧に覚えたよ」
「……ねぇ、圭織」
「ん?」
「――あ、やっぱいいや。またにする」
と、圭ちゃんは机の上の本をまとめ始めた。
児童心理学の類いの本が、いっぱいあってその中には圭織も知ら
ない専門書がいくつもあった。
まぁ、圭ちゃんは1学年上だから当たり前なんだけどね。
40 名前:第4話 投稿日:2001年08月13日(月)23時38分02秒

――圭ちゃんはけっきょく何が言いたかったのかわかんないけど、
すぐその後にマックのバイトに向かっちゃった。
圭織も、しばらく1人で勉強してたんだけど、なんか急に辻の顔
が見たくなって、午前中の自分の勉強を早めに切り上げる事にし
た。

「あ、もしもし、辻?」
駅へと歩きながら、辻の携帯に電話をした。
――今時の中学生は、携帯を持ってるのが当たり前みたいだけど、
辻の場合は自分が使うんじゃなくて、親が連絡用に持たせてある
だけみたい。今まで、辻が友達と電話しているところを圭織は見
たことないんだもん。

「あのさ、今から、プール行こうか?」
『ぷーるっ?』
電話の向こうの辻は、とても嬉しそうにはしゃいだ。プールといっ
ても、圭織は近所の都営のプールに行こうとしてたんだけど……。
『流れるぷーる大好き』
と、辻があまりにも嬉しそうにはしゃぐので、ちょっと足を伸ば
してYスパワールドっていう最近できたでっかいプールに行く事
にした。
41 名前:第4話 投稿日:2001年08月13日(月)23時38分33秒

――辻、1人で電車に乗れないんだ。
圭織のアパートへ来る時も、最初の3回は圭織がわざわざ辻の家の
ある駅まで迎えに行って、そのたびに「切符はここで、このボタン
を推すんだよ」とか」「ちゃんと5って書いてあるホームに来る電
車に乗るんだよ」って説明した。
でも、4回目からはちゃんと自分で1人で来れるようになった。

心配して迎えにいった圭織に、駅の改札口を出てきた辻は「1人で
電車によれるようになりました」って、テヘテヘ笑いながら言った
んだ。その時の、辻の可愛さと言ったら――。

でも、まぁそれは圭織のアパートまでの話で、初めて行く場所は相
変わらず乗り方がわかんないみたい。
だから、プールの最寄駅で待ち合わせせずに、圭織は辻の家まで迎
えに行く事にした。

電話してから、1時間後。(圭織も、プールの用意してた)
辻はこの炎天下、家の前でずっと待ってたんだろうね。
汗びっしょりになりながらも、圭織の姿を見つけるとテヘテヘ笑い
ながら近づいてきた。
42 名前:第4話 投稿日:2001年08月13日(月)23時39分07秒

「辻、あんたずっと待ってたの!?」
汗びっしょりのまま、辻は笑顔を浮かべてうなずいた。
「ダメじゃない。こんな暑い時に、帽子も被んないで」
「大丈夫。辻、こう見えてもすごいんれすよ」
「――ったく」
ならがすごいのかよく分からなかったけど、そう言って笑ってる
辻を見たら圭織は何にも言えなくなった。

「よし。じゃあ、行こうか」
「へい」

――それから約30分後。
目的地のYスパワールドに到着した。夏休みということもあって、
すごい人出だった。
圭織は、もうそれを見ただけでため息が出る。
なんとかのいも洗いってーの、そんなの圭織あんまり得意じゃない
からさ、正直、勘弁してって思った。
でも、辻はダーッと中に入っていっちゃうんだもん。
仕方ないから、圭織も更衣室に向かった。

一旦、中に入っちゃうと、以外に慣れちゃうもんで、5分後には辻
と一緒にはしゃぎながら流れるプールで流れてた。
ウォータースライダーにも挑戦したし、辻よりも圭織の方がはしゃ
ぎ過ぎってぐらい――。
43 名前:名無し読者 投稿日:2001年08月13日(月)23時39分24秒
こういう話すごい好きっす!
44 名前:第4話 投稿日:2001年08月13日(月)23時40分01秒

「辻、お腹空いてないかい?」
遊び疲れたので、パラソルハウスのような場所で休憩することにし
た。まぁ、辻の方はまだまだ元気いっぱいみたいだったけど、ゲー
ムもそうだけど1時間遊んだら10分休憩しないとね。

「さっき、お昼ご飯食べてきたんれすけど……」
と、珍しく恥ずかしそうにうつむいた。
「けど?」
「う〜ん……」
と、情けない顔をして圭織のことを見上げた。いいんだよ、辻。そ
んな恥ずかしがんなくてもさ。あんだけ遊んだんだもん、腹減るよ。
でも、微妙な年頃。圭織にもそんな時があったからさ、あえてそれ
以上は訊ねなかった。

――圭織が注文した、ハンバーガー4つを2人で2個ずつ食べた。
海の家で食べるラーメンみたいに、めちゃくちゃ美味しかった。
辻が美味しそうに頬張ってるのを見てたから、よけいそう感じたの
かもしれない。
45 名前:第4話 投稿日:2001年08月13日(月)23時41分30秒

「次は、なにして遊びますか?」
満腹で休憩所でグタ〜となっていた圭織に、辻が覆い被さるように
して訊ねてきた。
一緒に休んでたんだけど、どうやらもう飽きてしまったらしい。
「いいらさん?」
圭織、ちょっと本当に疲れてたから無視して目を閉じていた。
そしたら、なんか右手の薬指に感触があって、パッて目を開けたら
辻が圭織のはめてる指輪をつんつんって突っついてるの。

「なに、やってんの?」
「綺麗だなーって」
「――これ?」
「へい」
「なに? してみたいの?」
「いいんれすか?」
「いいよ。その代わり、サイズ合うかな。圭織の指、太いから」

って、指輪を外す圭織の指先を、辻はずーっとキラキラした目で見
つめていた。
大学の入学記念にパパとママからもらったプラチナのリングなんだ
けど、なんかそれよりも辻の目はキラキラしてた。

圭織も、そんな頃があった。ママのつけてる指輪とかイヤリングと
かを自分でもつけてみたくなった時期が――圭織が幼稚園生の頃ぐ
らいかな。

46 名前:第4話 投稿日:2001年08月13日(月)23時42分37秒

「はい」って、辻にリングを渡したら、辻はしばらく空にかざして
キラキラ光るリングを眺めていた。

「はめてごらん」
「え……? いいれすよ〜……」
「いいから。似合うよ、きっと」
辻はほんの少し頬を赤くして、スルスルッと自分の左手の薬指にリ
ングをはめた。そして、またその左手を空にかざして輝きを楽しんだ。

左手の薬指にリング。
きっと、辻はその意味を知らないんだろうな。たぶん、お母さんが
してるのを無意識に真似してんだろうね。なんか、そんな辻がメチャ
クチャ可愛かった。

「そうだ、辻」
「?」
「その指輪は大事な指輪だからあげる事できないけど、もし、今度
の勉強の日までに、掛け算全部覚えたら新しいのをプレゼントして
あげる」
「ホントれすか?」
「後で、見に行こう」
「へい」
47 名前:第4話 投稿日:2001年08月13日(月)23時44分10秒

辻はとびっきりの笑顔でうなずいた。圭織は、辻の後ろに輝く太陽
がまぶしくて目を閉じた。
目を閉じたのはいいんだけど、最近疲れてたからウトウトしちゃっ
て、なんか本格的に眠ってしまってたみたい。

――夢を見てた。
よく分からないけど、コンクリートで囲まれた部屋みたいな場所に
圭織がいて、小さい窓の外に辻がいるの。
辻は窓の外から一生懸命話てるんだけど、圭織には何も聞こえない。
でも、辻がすごい楽しそうに喋ってるから圭織も微笑んでるの。
うんうんって、うなずいてる圭織を圭織は眺めてた。
なんか、不思議な夢だった。

どのくらい眠ってたんだろう。
目を開けたら、辺りはもう夕暮れで、あれほどいた客たちも今では
ちらほらとしか見えなくなっている。
辻――どこ行ったんだろう?

ぼんやりと辺りを見まわしたけど、どこにも辻の姿がない。
圭織、必死になって施設の中を走りまわった。
溺れたんじゃないかって、すっごい怖くなってもう半泣きで走り回っ
てたよ。
48 名前:第4話・前編終了 投稿日:2001年08月13日(月)23時46分33秒
とりあえず、本日はage及びタイトル間違いのショックにより
ここで終了します。ちなみに第4話のタイトルは、次回更新時にて。
「夏祭り」は第5話のタイトルでした(苦笑)。
49 名前:第4話・前編終了 投稿日:2001年08月13日(月)23時50分16秒
>>43 こんな話でずっと続くかどうか……。
50 名前:名無し読者 投稿日:2001年08月14日(火)02時51分28秒
作者様、どうもお疲れさまです。
ところどころにちりばめられた、辻語録がイイ感じです。
ほのぼのと話が進んでいて楽しいのですが、なんだか
各話の最後の1レスが気になります。今回の話のアレも。。
51 名前:名無し読者 投稿日:2001年08月14日(火)05時11分16秒
ほのぼのしててすごくいい!!
けど・・・なんか痛くなりそうでつらい・・・。
52 名前:名無し読者 投稿日:2001年08月14日(火)22時08分12秒
実際のエピソードがたくさん盛り込まれていて、なんだか
嬉しくなります。続きを楽しみにしてます。
頑張って下さい。
53 名前:第4話 投稿日:2001年08月14日(火)23時19分53秒

「辻……」
その姿を見つけた時、本当に全身の力が抜けるような感じがした。
辻は、大プールっていうまぁ普通の25メートルプールなんだけど、
その真ん中辺りで潜ったり出たりを繰り返していた。
もう、周りには3人ぐらいしかいなかった。

「辻」
圭織は、大声で辻の名前を呼んだ。
振りかえった辻の顔は、なぜかとても泣きそうな顔をしていた。
「どうしたの? もう、そろそろ帰るよ」
圭織の呼びかけに、辻はうつむいたまま首を振った。
「何? どうしたのよ」
辻はゆっくりとではあるが、プールサイドに向かって歩いてきた。
圭織も、辻の向かっている方に歩いた。

「もう、寒くなってきたから帰ろう。風邪ひくよ」
圭織は、プールサイドにしゃがんでまだプールの中で顔をうつむか
せてる辻に優しく語りかけた。
でも、辻は何も答えない。
「辻、どうしたの……。何かあった?」
「ごめんなさい……」
「?」

54 名前:第4話 投稿日:2001年08月14日(火)23時20分42秒

「辻……、わかんないよ。何があったの?」
「……指輪」
「指輪?」
「いいらさんの指輪、無くしちゃったんれす」
辻はまるで子供のように、わーって声を上げて大泣きした。
圭織は、それよりも自分の右手を見た。そうだった。辻に指輪を貸
してあげてたんだ。パパとママからもらった、大事な指輪なのに……。

「無くしたって、どこで無くしたのっ」
圭織の強い口調に、辻はビクッて身体を震わせた。怒るつもりは無
かった。だって、辻は反省してこんなに泣いてるんだもん。でも、
やっぱりあの指輪は大切だから、つい強い口調になってしまった……。

けっきょく、その後、1時間ぐらい圭織も一緒になって指輪を探し
たんだけど見つからなかった。
辻もどこで落としたのかわからないらしい。1人で施設内のプール
を全部遊び尽くしてたみたい。

辺りももう薄暗くなり、閉館のアナウンスも流れ始めたから、圭織
はあきらめずに探しつづける辻の手を引っ張って無理矢理プールか
ら上がらせた。
55 名前:第4話 投稿日:2001年08月14日(火)23時22分12秒

「もう、いいよ」
「辻のせいなんれす。ぜったい、見つけます」
「もう、いいって。返してもらうの忘れてた私も、悪かったからさ」
「ぜったい、見つけます」
って、辻は泣きながら圭織の手を振り払って、またプールに向かお
うとした。

でも、圭織はその手を離さなかった。
「本当にもう、いいから」
「らって」
「帰ろう。遅いとお父さんやお母さんが心配するよ」
――圭織、本当にもうどうでもよくなったんだ。これだけ探しても、
見つからないんだもん。仕方ないよ。形あるものはいつか無くなるっ
て、ウチのおじいちゃん言ってたからさ。

なんか、それよりもここまで必死になって探してくれる辻の気持ち
の方が嬉しかった。

泣きじゃくる辻を連れて、2人で施設を出て行った。
電車の中でも、辻はずっとシクシク泣いていた。みんなが、変な目
で見てたけど圭織は別に気にならなかった。
ウソ泣きじゃないから、本当に悪いと思ってるから、ずっと泣き続
けてるの。人前だからって涙をコントロールできるほど辻は、器用
じゃない。あんたらならどうするよって感じで、圭織はどこか挑発
的に、辻を見て笑ってるやつらを見据えつけた。
56 名前:第4話 投稿日:2001年08月14日(火)23時24分45秒

あの時、圭織がちゃんと指輪を返してもらっていれば、辻があそこ
まで責任感じる必要もなかったのに。圭織は、どっか抜けてる……
よく、言われるけど本当にそうだよ。

部屋の電気をつけるとベランダに出していたマロンが、窓の向こう
でク〜ンと鳴いた。そう言えば、今日1日、散歩に連れて行ってな
い。時計を見ると、夜の9時を回ったところ。ちょっと、疲れて面
倒だったけど、散歩に連れていく事にした。

公園内を散歩しながら、2週間ぐらい前の事を思いだした。
辻が悔し泣きをした日。あの後、辻はヤキソバを食べてから家に帰
るまでずっとマロンに”待て”を教えていた。
辻の誠心誠意はマロンに伝わったんだろうね。今ではマロンは、完
璧に”お手”と”待て”をできるようになった。
――今度は、”おすわり”を教えるらしいが、順番から言うと”おすわ
り”が1番最初なんだけどね。圭織は気づいてない事にしてる。

ぼーっと辻とマロンのこと考えながら散歩してたら、ポケットに入
れていた携帯電話がブルった。
びっくりしながらも「はい、もしもし」って出ると、辻のお母さん
だった。
57 名前:第4話 投稿日:2001年08月14日(火)23時25分45秒

『夜分すみません。辻希美の母親ですが』
「あ、はい」
『あの失礼ですが、先生のお宅に希美、お邪魔していませんか?』
「へ? あの――、7時頃、駅まで送り届けましたが」

どうやら、辻がまだ家に帰ってないらしい。
圭織はピンときた。まさか、ひょっとして……。
とりあえず、お母さんには無事に帰らせますからって告げて、電話
を切った。
あわててアパートに引き返し、マロンをゲージの中に入れて財布を
掴んで駅へとダッシュした。

あんなに走ったのは、高校の体育祭以来。
閉館して真っ暗のYメガプールに到着した時、心臓がバクバクなっ
てた。運動不足って怖い。

出入り口は完全に閉じられているから、圭織は中に入れそうな場所
を探した。裏手に入り込めそうな低い鉄柵を見つけて、そこをよじ
登って中へと入った。

圭織は、辻が絶対ここにいるってわかった。だから、すぐにここに
向かったんだ。
だから、薄暗い明かりの中、水面がキラキラ反射しているプールに
辻の姿を見つけても、圭織は別に驚かなかった。
58 名前:第4話 投稿日:2001年08月14日(火)23時27分19秒

驚かなかったけど、潜ったり出たりしている小さなその後ろ姿を見
てたら、涙が溢れ出してきた。
なんでって思った。大事だとは言ったけど、そこまでする必要ない
んだよ。
電車も1人で乗れないのに、怖がりのはずなのに、なんでそこまで
するの……、圭織は心の中で辻の背中に呟いた。

「辻……」
ハッと振りかえった辻に、圭織はわれを忘れて普段着のままプール
に飛び込んだ。
涙なのか、水飛沫なのかよく分からないけど、辻の姿がすっごく滲
んで見えて、それが嫌だから辻の姿をちゃんと見たいから、圭織は
目をゴシゴシと拭った。

「いいらさん……」
「あんた、何してんのこんな時間まで」
圭織の顔はきっと、怖かったと思う。怖いって言うか、変顔だった
かも。辻は、きょとんとした顔をしていた。

「もう、いいって言ったじゃない」
圭織はたまらずに、声を出して泣いた。
だって、辻の顔がさ、凄い青くなってたんだもん。
夜のプールでずっと、圭織の指輪探してくれてたから、身体が冷え
て唇なんか色が変わってた。もう、圭織、それ見たら頭の中がわけ
がわかんなくなって、辻のことを泣きながら抱きしめた。
59 名前:第4話 投稿日:2001年08月14日(火)23時28分43秒

「こんなに冷たくなって、死んじゃったりしたらどうすんの。もう」
「らいじょうぶれすよ……。辻、バカらから風邪ひかないんれす」
って、歯をガチガチ震わせながら笑った。

「自分のこと、バカバカって言わないのっ、もうっ」
圭織は強く強く、辻のことを抱きしめた。その冷えた身体を、ほん
の少しでも圭織の体温で温めてあげたかった。

「いいらさん……」
圭織の胸の中の辻が、ポツリと呟いた。圭織は、グスって鼻をすすっ
て辻を見つめた。
「ん?」
「辻……、大きくなったら、いっしょうけんめい働いてかえします。
らから、いいらさん……、それまで待っててくれますか?」

「あのね、辻。あれはもういいの。形あるものは、いつか無くなる
の」
「……?」
「人の想いは形じゃなくって、心に残るから」
「こころ……?」
「そう。あれをプレゼントしてくれたパパとママの気持ちは、圭織
の心にちゃんと残ってるからいいの。辻のその一生懸命な気持ちも、
ちゃんと届いてるから。もう、それだけでいいの。ありがとう」
「……」
60 名前:第4話 投稿日:2001年08月14日(火)23時30分33秒

辻はあんまり納得してないみたいだったけど、それでも、黙って圭
織の胸の中で抱かれていた。
「帰ろう」って言った時も、もう首を横に振る事はしなかった。
ただ、黙ってうつむいたままプールサイドに上がった。

プラチナのリングは、けっきょく見つからなかったけど、圭織は辻
のキラキラ光る純粋な心っていうのかな、なんかそんなのが見えた
だけでもよかったって思う。

――帰りの電車の中、圭織は乗客から思いっきり変な目で見られた。
一応、辻のバスタオルで水を拭きとったけど、やっぱり服は完全に
乾いてないし、髪もあきらかに濡れてるしで――。

これがもしも、海の近くなんかだとそれなりに理由も見つけてくれ
るんだろうけど、都会のど真ん中じゃない。
この人、何やってたんだろう的な目でみんなは圭織の事を見てた。

辻も、ひどいんだよ。顔を真っ赤にしてうつむいている圭織を見て、
クスクス笑うんだもん。
でも、辻の笑顔はとてもキラキラしてたから。電車内の明かりが反
射してただけかもしんないけど、それを見て圭織はホッとしたんだ。
恥ずかしいのには変わりないんだけど、それもまぁいいかって思えた。

61 名前:第4話 投稿日:2001年08月14日(火)23時31分23秒


【辻。また、でっかいプールに行きたいね。来年も再来年も、ずっ
とずっと待ってるよ】

62 名前:第4話・終了 投稿日:2001年08月14日(火)23時37分11秒
>>50 前回更新分には、ちょっとした遊びを入れてあります。
   どんな遊びなのかは、最終回後に――。
>>51 痛いというか、なんとというか……。
>>52 それも、そろそろ終わるような気が……。
63 名前:51 投稿日:2001年08月15日(水)03時14分32秒
なんか第3話の最後が何か辻との別れを暗示しているような感じだったので・・・。
このままほのぼのでいってほしい。
64 名前:50 投稿日:2001年08月15日(水)05時10分07秒
第4話 後編。
なんだか、ポロポロと涙がこぼれてきました。
二人に幸せな未来がありますように。
65 名前:名無し読者 投稿日:2001年08月15日(水)16時37分37秒
・・・たまらないねぇ・・・

続き期待してます・・・二人にどんなことが待ち受けているのか想像するだけで・・・
まあ、いいや。作者さん、頑張って。
66 名前:第5話 投稿日:2001年08月16日(木)23時53分31秒

夏休みもいつの間にか、もう半分以上もすぎちゃって、けっきょ
く圭織の夏休みっていうのは、アルバイトと大学の課題だけで終
わってしまいそう。

「なっち、この前、ハワイに行ってきたんだー。海とか、すっご
いキレーだったよ」
ほんの少し日焼けしたなっちが、お土産を持って大学の図書室に
やってきた。
ハワイのお土産の定番、マカダミアンナッツだった。
しかも、暑さでドロドロに溶けた……。

隣にいた圭ちゃんなんか、軽いため息を吐いて胸の辺りを抑えな
がら去っていった。

67 名前:第5話 投稿日:2001年08月16日(木)23時54分27秒

「なんだよ、圭ちゃん」
って、なっちは唇を尖らせてブツブツと文句を言った。
圭織も軽く嘔吐をもよおした。
バカンスから帰ってきたばかりのなっちはいいさ、まだまだバカ
ンス気分なんだから。

でも、圭ちゃんも圭織も日本のこの暑さにバテ気味なんだ。
このドロドロのチョコレートはちょっとキツイよ。
ごめんね、なっち。圭織も食べれそうにない。
辻のバイトを口実に、圭織もその場を退散した。

「なんだよー」
って、なっちは頬を膨らませて、自分で買ってきたナッツチョコ
をパクパクと食べた。
なんか、その食べる勢いは辻を見ているようでおもしろかった。
68 名前:第5話 投稿日:2001年08月16日(木)23時55分28秒

――その日の夜。
家庭教師の日。
圭織は、辻に掛け算のテストを行なっていた。

「じゃあ、9×8は?」
「9×8れすか? ちょっと、待ってくらさい」
って、辻は腕を組んで考え始めた。
また、3分ぐらい待たされるのかなぁって思ったけど、数十秒で
辻は「72」って元気よく答えた。

「正解。すごいよ、辻。もう、掛け算は大丈夫だね」
って褒めてあげたんだけど”9×9”で間違えた。
最後の最後で間違えて、辻はすごいしょぼんとなった。

「あのね、辻。わかんなくなったら、この前教えたでしょ。9の
段なら、9ずつ足していってごらん。9×8までできたんだから、
72に9を足すの。そしたら、いくつになる」
「72たす9……。紙に書いてもいいれすか?」
「うん、いいよ」
辻は鉛筆を握って、ノートに書いた。その姿はまるで、小学校の
低学年みたいで、最初はものすごく違和感があったけど、もう慣
れてしまった。辻には辻のペースがある。圭織は、それを尊重す
る。
――1分ほどして、辻は「81」って答えた。
69 名前:第5話 投稿日:2001年08月16日(木)23時56分51秒

「よし、正解。また今度、テストするからね。次はちゃんと覚え
とくんだよ」
辻は、ほんのりすこし額に汗を浮かべて大きくうなずいた。


「2学期のテストは、大丈夫でしょうか?」
休憩時間、辻のお母さんに呼ばれてリビングに向かった。そして、
そんな風にすごい深刻な顔をして訊ねられた。
「希美ももう中学2年生ですので、そろそろ結果を出していかな
いと……」

前々から思っていたけど、辻のお母さんはどこか焦りにも似たも
のを辻の成績に対して抱いている。
早く、平均的な学力に追いつきたいのはわかるけど、それならど
うしてもっと早くから、こうしなかったんだろうって圭織は思う
の。
70 名前:第5話 投稿日:2001年08月16日(木)23時57分55秒

こんな事言ったら辻に悪いかもしれないけど、辻の成績が悪いの
は最近になって現われたんじゃない。
だって、小学校2年生ぐらいで習うはずの掛け算を覚えきれてな
かったんだもん。それなのに、なんでもっと早くに塾に通わせな
かったのか……。
通わせられないほど経済的に苦しいとは思えない。むしろ、辻の
家は裕福な方に入るだろうしね。

「あの……、先生?」
!? ……また交信してたらしい。辻のお母さんが、心配そうに
圭織の顔を覗きこんでいた。

「あ、すみません。あの、大丈夫だと思います」
「本当ですか?」
「前にもお話した通り、急激な成績の向上はないかもしれません
けど、以前よりはよくなると思います」

圭織がそう言うと、辻のお母さんは圭織の後ろを見て一瞬、ハッ
とした表情を浮かべた。
そして、小さな声で気まずそうに、
「……よろしくお願いします」
って軽く頭をさげた。
71 名前:第5話 投稿日:2001年08月16日(木)23時59分48秒

なんだろう、急に……って、後ろを振りかえると、リビングの続
きになっている和室の柱の陰から、辻が寂しそうな顔をしてこっ
ちを見つめていた。
いや、正確にはお母さんを見てた。だって、振りかえってる圭織
にはまったく気づいてないんだもん。

休憩時間も終わって、圭織は2階に戻った。
辻はあの後、すぐに部屋に戻ったから、そこにいるのは当然なん
だけど、なんか椅子に座ってる辻の背中がいつもよりもずっと小
さく見えた気がした。

きっと、お母さんと圭織の話を聞いたんだろう。そんでもって、
また、自分は……ってのになってんだろうね。

だから圭織は、隣の椅子にドスンと腰かけて言ったんだ。
「そうだ、辻。あの約束覚えてる?」
「?」
「掛け算ができたら、辻の好きな指輪買ってやるって」
「……あ」
「覚えてるよね?」
「……」
辻は、さらに深くうつむいてしまった。

……圭織、やっちゃったよ。
辻、きっと圭織のプラチナリングを無くしたこと思い出したんだ。
励ますつもりが逆に、さらにどん底に落ち込ませてしまった。
72 名前:第5話 投稿日:2001年08月17日(金)00時01分56秒

土曜日。
大学の図書館も閉館日なので、ひさしぶりに昼近くまで寝てた。
あまりの暑さに目が覚めて、汗びっしょりのまましばらくボーっ
としてた。

マロンもあまりの暑さに、ぐったりしている。
風通しのいい、ベランダに出すの忘れてた。舌をべローンと出し
たまま、腹ばいになっている。
すぐにベランダの窓を開け、マロンに冷たい水を与えた。
危ない危ない……、もうちょっとで体調悪くさせるところだった。

「ふぅ」
って、圭織はわざと声を出して、ベッドの縁に座った。
何もないってのはいい事なんだろうけど、本当に何もする事が無
いっていうのは退屈なもんだね。

携帯を見たけど、着信履歴は0件だった。
圭織、友達いないのかなって、ちょっと悲しくなった。
そのまんま1時間ぐらい、ぼーっとして過ごしてた。そしたら、
急に携帯がブルって、圭織は交信から戻ってくる事になった。

「はい、もしもし」
この時、ディスプレイを見ずに電話に出た。
でもまぁ、かかってくるのはなっちか圭ちゃんか辻ぐらいだから
その必要もないんだけどね。
73 名前:第5話 投稿日:2001年08月17日(金)00時03分22秒

『もしもし、いいらさんれすか』
ほらねって思った。でも、辻から電話がかかってくるのは、ひょっ
としたら初めてかもしれない。番号教えてたけど、かけるのはい
つも圭織だったような……。

『ん? もしもし? いいらさーん』
なんか、辻が携帯を耳から外してる姿が見えたような気がした。

『もしもーし、いいらさーん』
「はいはい、聞こえてる」
『おはようございます』
おきようって、もう昼の1時回ってるんだけど、まぁいいか。

「はいはい、おはよう」
『あのれすね』
「ん?」
『今日、お祭りに行きませんか?』
「……は? お祭り?」
『辻の家の近くれれすね、お祭りがあるんれす』

お祭りかぁ……、去年の6月になっちと一緒に帰省して”よさこい”
見たなぁ。あ、そういえば今年帰ってないや。ま、いいか。そんな
時間もお金もないし。
『もしもーし』
辻の声を遠くに聞きながら、圭織はお祭りに行くことに決めた。
74 名前:第5話 投稿日:2001年08月17日(金)00時05分09秒

――午後6時半。
辻と駅で待ち合わせをした。
構内から出てきた圭織は、辻の姿を見てびっくりしたよ。だって、
辻、浴衣姿で立ってるんだもん。
周りみんな普通の服着てるのにさ、もう目立って目立って。

「いいらさーん」って駆け寄ってくるんだけど、普段、着なれて
ないからその動作がすっごくぎこちなくて。すごい、笑えた。

「変れすか?」
圭織のもとに駆けよってきた辻は、浴衣の袖をつまみながら顔を
上げる。
「辻ちゃん、かわいい」
辻は、照れ隠しに何か言いたそうだったが、どうやら何も思いつ
かなかったようで「うー」って照れ笑いでごま化した。

圭織も浴衣着てくりゃよかった。
あ、でも、持ってなかったっけ。今、流行りの浴衣も、辻が着て
いる普通の浴衣も両方持ってなかった。
ま、いいや。
75 名前:第5話 投稿日:2001年08月17日(金)00時07分12秒

「ねぇ、辻、お祭りってどこでやんの?」
って、圭織は辺りをキョロキョロ見まわした。お祭りがあるんな
ら、もう少し辻みたいな浴衣姿の人たちがいてもいいはずなのに、
そんな人はどこにもいない。

「ここじゃないれすよ。辻の家の近くなんれす」
「そっか。じゃあ、行こうか」
よく見たら、辻の首からパスケースのようなものがぶら下がって
いた。小学校のラジオ体操を思い出した――。

辻の話を聞くと、どうやら神社の境内で行なわれている小さなお
祭りらしい。圭織、ちょっと先走ってたみたいで、”よさこいソー
ラン祭り”みたいな大きなお祭りを想像してた。どうりで、浴衣
姿の人を駅で見なかったわけだ。

祭り会場の神社に近づくにつれ、やっと浴衣姿の人がチラホラと
確認できた。
さらに神社に近づくと、今までどこにいたんだろうって思えるほ
どの人で神社の境内は賑わっていた。

「すごいね」
「すごいれす」
辻は、口をポカーンと開けてその人だかりを眺めていた。口に虫
が入りそう。圭織は、辻に見られないように苦笑した。
76 名前:第5話 投稿日:2001年08月17日(金)00時08分33秒

辻が迷子にならないように、圭織は辻の手をぎゅっと握って境内
を歩いた。
通り道の両端に、お祭りの屋台が軒を連ねている。
懐かしいお面屋さん、林檎飴、辻の好きなヤキソバ、金魚すくい
にヨーヨー上げ。

いろんなお店があって、圭織なんかはかき氷屋さんに行きたかっ
たんだけど、辻がキョロキョロしながらも圭織の手を引っ張って
どんどん先に歩いていくもんだから、かき氷屋さんを通りすぎて
しまった。

「あった」
しばらく歩いたら、辻が突然そう叫んで圭織の手を引っ張って一
軒の福引屋さんの前に立った。
台の上には、子供の好きそうなおもちゃがたくさん並んでいる。
1等はプレイステーション2だった。
それを見て、時代だなぁって感じがしたよ。

圭織の田舎にも小さなお祭りがあった。そこでも、やっぱり同じ
ような福引屋さんがあった。
1等は確か、アニメキャラクターの大きなぬいぐるみだったと思
う。でも、これって当らないようになってるんだよね。圭織、そ
れを中学1年の時に友達に聞かされて、ショックを受けたのを今
でも覚えてる。
77 名前:第5話 投稿日:2001年08月17日(金)00時10分27秒

「辻、ゲーム欲しいの?」
辻がもしも、プレイステーション2狙いだったら、やめとくよう
に言うつもりだったんだけど、どうやらそうじゃないらしい。
圭織の声も聞こえないぐらいに、真剣に何かを探していた。
祭囃子で聞こえないのかなーって、もうちょっと大きな声でって
口を開けかけたら、辻がまた「あった」って叫んだ。

「おじさーん、くじ1回やりまーす」
って、辻は首からぶら下げていたパスケースの中から300円を
取り出した。

――なるほど。お財布だったわけだ。何をやりたいのか、圭織に
はまったくわからなかったけど、辻がくじを開ける前に手を合わ
せてぶつぶつ言ってる姿を微笑みながら見ていた。
辻に福引屋のからくりを教えるのは、やっぱりやめる事にした。

「あー、はずれたぁ〜」
って、辻は眉を八の字にして、がっくりと肩を落とした。
祭りって人の気持ちを昂揚させる。今日の辻は、まさにそんな感
じだった。
「おじさーん、もー1回」
辻ってきっと、誰の心も朗らかにするんだろうね。お店のおじさ
んもそんな顔をして「頑張りなよ、お嬢ちゃん」って言ってた。
78 名前:第5話 投稿日:2001年08月17日(金)00時12分12秒

3回ともハズレだったみたいで、キティちゃんのキーホルダーが
3種類、辻の手元に渡った。
4回目をやろうとした時、さすがに圭織は制したよ。

「辻、もうやめな。ムダ使いしすぎだよ」
「お金、いっぱい持ってきたんれす」
「ダ〜メ」
「2500円あるんれすよ。あと……1回300円だから……、
2回で600円……、3回で900円……」
「辻」

圭織は辻の手を止めた。
その時、フッと圭織の視線に台の隅っこにある箱が入ってきた。
そこだけ、キラキラと光っていた。なんだろうってよく見たら、
指輪だった――。

「……」
圭織の視線は、その指輪に釘付けだったから、辻にもわかった
んだろうね。
「あの一番右のやつ、いいらさんの指輪に似てるんれす」
って、指輪の並んだ箱を指さして恥ずかしそうに笑った。
「その右にある赤い指輪も、いいらさんに似合うと思うんれす。
辻、絶対に当てるから見ててくらさい」
79 名前:第5話 投稿日:2001年08月17日(金)00時14分56秒

「……」
圭織、何も言えなくなった。
嬉しくてこみ上げてくるものがあって、必死でそれを抑えていた
のもあったし――。それに……。

けっきょく、辻は5回くじ引きに挑戦して5回ともハズレた。
6回目に挑戦しようとした時、さすがにストップをかけた。
見かねた福引屋のおじさんが、おまけだって言って辻のほしがっ
ていた指輪を1つくれた。
辻、超うれしそうな顔をしてた。
もちろん、辻は圭織のためにプラチナリング風の指輪を選んだ。

「この前は、ごめんなさい」
って、辻はぴょこんって頭を下げながら圭織にその指輪を差し
だした。銀メッキでもない、プラスチックに銀色のフィルムを
貼りつけて、その中心にキラキラ光る七色のフィルムを貼りつ
けてあるオモチャの指輪。

辻は、圭織を見上げながらテヘテヘ笑ってた。
その顔見てたら、なんかもう圭織は……。
あわてて、辻から顔をそらした。
「? いいらさん?」
辻の声が背中から聞こえてきて、回り込んで圭織の顔を見よう
としてたんだけど、圭織はまた辻に背を向けて――。

何でかわからないけど、最近、ちよっと涙もろい。
そろそろ、圭織もオバさんになってきたのかな。
80 名前:第5話 投稿日:2001年08月17日(金)00時16分09秒

その後、圭織は照れ隠しもあって、辻の手を引いてあちこちの
屋台をハイテンションで巡った。

午後8時を回った頃、疲れてベンチで休憩していた圭織と辻の
耳に、太鼓の音が届いてきた。祭囃子のテープの音ではなく、
本物の太鼓の音――。

「なんだ?」
って、辻はかき氷を持ったまま辺りをキョロキョロと見渡した。
神社の前に組まれた舞台の上で、お面をつけた男女の舞いが始
まっていた。
「なんれすか? あれ?」
辻がとても不思議そうな顔をして、圭織に訊ねてくる。
圭織、知るわけないよ。この町のお祭り、初めて参加するんだ
もん。

「辻、毎年来てるから見たことあるでしょ?」
「辻は、今年初めて来るんれす」
って、なんでもないことのように言ってのけて、パクッてかき
氷を口に含んだ。
「はじめて?」
「へい。――辻、12月に引っ越してきたんれす」
「そっか――。ねぇ、あっち行ってみようか?」

圭織は辻の手を引いて、舞いの行なわれている舞台へと向かっ
た。あともう少しで、舞台だって時に、辻が急に立ち止まった。
81 名前:第5話 投稿日:2001年08月17日(金)00時17分05秒

「辻?」
さっきまで嬉しそうにかき氷を食べていた辻が、目を伏せても
じもじとしていた。
なんだ? って、思ってたら太鼓の音に混じって声が聞こえて
きた。

『のの〜』

顔を上げると、人の流れとは逆に1人の少女がこっちに向かっ
て駆けてきていた。
辻と同じぐらいの背丈で、辻と同じように髪の毛を頭のてっぺ
んで2つに結んでた。

「友達?」
圭織が声をかけると、辻は何かを言いたげに圭織を見上げた。
でも、その女の子が辻の前に立ったので、辻は開きかけていた
口を閉じた。

「ののも、来てたんだねー」
辻と同じような舌っ足らずな喋り方、黒めがちな瞳をキラキラ
させて辻の手をとった。
「うん。あいぼん――、1人で来たの?」
「友達と来たんだけどね、迷子になったみたーい」
って、無邪気に笑った。
82 名前:第5話 投稿日:2001年08月17日(金)00時18分24秒

圭織は、邪魔しちゃ悪いと思ってほんの少し離れて、2人の事
を眺めていた。
辻の友達を見るのって初めてだったし、なんかその友達の”あ
いぼん”って呼ばれた子が辻ととってもお似合いだったんで、
圭織はなんだかちょっとホッとした。

最初は浮かない顔をしてた辻も、なんか話に夢中になって圭織
のことなんてすっかり忘れて、友達と笑いあっている。
圭織は、ソッと2人から視線をそらして舞台の舞いに視線を移
した。

舞台の上ではお面をつけた男女が、笛や太鼓の音に合わせて舞っ
ていた。日本の伝統芸って感じがして、圭織そんなの見るのっ
て初めてだから、しばらくボーっと見入ってた。

そしたら、突然、辻が腕を組んできて――。
半交信中だった圭織は、ビックリして思わず短い悲鳴を上げた。

「つ、辻……。びっくりさせないでよ」
辻は、圭織を見上げてテヘテヘ笑った。
「お友達、もういいんかい?」
「もう、帰りましたよー」
「そう」
83 名前:第5話 投稿日:2001年08月17日(金)00時19分50秒

圭織が視線を舞台に戻すと、辻もやっぱり同じように視線を舞
台に向けた。でも、背の低い辻にはよく見えないらしくて、何
度も背伸びをしていた。

「あいぼんは、初めてできたお友達なんれすよ」
「?」
辻は、圭織の方を見ないでずっと背伸びしながら舞台を眺めて
いた。

「でも、辻はみんなの前で言えないんれす」
「どうして……?」
「辻みたいなバカな子とお友達だってバレたら、あいぼんもバ
カって呼ばれます」
「……辻」
辻は、圭織の顔を見て微笑んだ。でも、すぐに舞台へと顔を向
けなおした。

「いいらさんは、辻のことバカじゃないって言ってくれます。
れも、辻はやっぱり学校でぴりっけつらから……」
舞台を見ているというよりも、圭織と目を合わせたくなくてそっ
ちを見ている――なんか、そんな感じだった。

きっと、圭織は怖い顔をしてたんだろうね。だって、また辻が
自分のことをバカって言うんだもん。
そんなことないよって、あれほど言ったのに……。
84 名前:第5話 投稿日:2001年08月17日(金)00時21分37秒

でも、辻はそれがコンプレックスなんだ。
勉強ができないって事が、すごいコンプレックスになってるん
だよ。コンプレックスって、簡単に癒せるはずはないんだ。
それ知ってるのに、なんで怖い顔しちゃったんだろう……。

「ごめんね、辻」
「……?」
「辻は勉強できない自分が、そんなに嫌?」
圭織の問いかけに、辻はうつむいたままコクンとうなずいた。

「じゃあ、もうすぐ自分のこと好きになれるね」
「……?」
「だって、辻、今いっぱい勉強覚えていってるじゃん。すぐに
自分のこと好きになれるよ。でもさ、辻がすっごい勉強ができ
るようになっても、これだけは忘れないで」
「なんれすか?」
「今の辻を好きな人も、いっぱいいるってこと」
圭織の微笑みに、辻は首をかしげた。

「素直で、優しくて、友達や家族の事をすっごい大切にする、
そんな辻のことを好きになる人はいっぱいいるよ。さっきの福
引屋のおじさんだってそうだよ。辻があまりにも一生懸命で可
愛いから、この指輪プレゼントしてくれたんだよ」
って、圭織はさっき辻からもらった指輪をかざしてみせた。

辻は、やっと微かに笑った。
85 名前:第5話 投稿日:2001年08月17日(金)00時22分44秒

「もしも、辻が誰かに友達いるのって聞かれたら、胸を張って
言ってやりな。辻には、飯田圭織って友達がいるもんって」
「いいらさんと、辻がれすか?」
「なんだよー、嫌なのかー」

圭織は笑いながら、辻をくすぐった。声を上げて笑う辻は、
「嫌じゃないれすよー」って身をよじった。
辻をくすぐりながら、圭織は思った。辻は、圭織の大切な友達。
圭織は何回だって、叫んであげられる。
こんなに優しくて素直で友達思いの子って、他にいないもん。

このキラキラ光る指輪は、圭織にとってはパパとママからもらっ
たプラチナよりもずっと大切。だって、大切な友達が一生懸命頑
張ってプレゼントしてくれたんだもん。
テヘテヘ笑うおちびさん、圭織の大好きな可愛い友達。
86 名前:第5話 投稿日:2001年08月17日(金)00時23分56秒


【辻のくれた指輪。七色に光るフィルムは剥げちゃったけど、今
でも圭織は大切に持ってるよ】

87 名前:第5話・終了 投稿日:2001年08月17日(金)00時26分28秒
>>63 ほのぼのは第5話まで。でも、底辺にあるものは
   変わらない(と、本人だけは思ってます……)
>>64 現在(最終話作成中)、飯田に頑張ってもらってます。
>>65 へい

いきなり、ageてしまった……。
面倒なので、今回から更新時はageていきます。
88 名前:名無し読者 投稿日:2001年08月17日(金)00時27分25秒
( ´D`)<リアルタイムなのれす!

このコンビほんとにほのぼのしてていいですね。
でも最後に書いてある、圭織の一人語りが痛くなりそうな匂いを漂わせてる…
89 名前:50 投稿日:2001年08月17日(金)00時32分07秒
やたっ。自分もリアルタイムで読むことができたです。

カオリじゃないけど、なんだか涙もろくなりました。
また読んでて涙出ちゃった。
俺も年かなあ。。
続き楽しみにしています。
90 名前:65 投稿日:2001年08月17日(金)00時40分14秒
起きててよかった(笑)
・・・なんかねぇ・・・せつなくなるわ・・・
91 名前:51 投稿日:2001年08月17日(金)00時59分17秒
今、第5話読み終えました。
第4話の最後に言った言葉が実現するような未来がくることを祈らずにいられません。
この物語の2人が一番現実に近いような感じがして、つい感情移入してしまいます。
ほのぼのじゃなくても続き期待して待ってます。
92 名前:名無し読者 投稿日:2001年08月17日(金)04時00分59秒
滅茶苦茶いい話じゃないですか。
この二人すごく好きなんで、この作品を知ることができて
よかった。
作者さん、更新頑張ってください。
93 名前:第6話 投稿日:2001年08月17日(金)23時43分22秒

最近の圭ちゃんは、ちょっと変だ。やたらと、辻のことを訊きた
がる。

「勉強、進んでる?」
「この前やったこと、ちゃんと覚えてる?」
「図形問題と文章問題、どっちが得意?」
とか、大学の図書室で顔を合わせるたびに、そう訊ねてくる。

ついさっきも、訊ねられた。
「3桁の足し算、引き算できる?」って。
圭織、思わずギロって睨んじゃったよ。

「どうせ、圭織の教え方は悪いよ」
「いや、別に圭織の教え方が悪いって訳じゃないんだけどさ」
って、圭ちゃんは苦笑した。
”じゃあ、何さ”って言いかけた時、向こうからなっちが
「圭ちゃーん、今日、ホルモン屋さん半額だって」
と、大学近くのホルモン焼き肉店のチラシをヒラヒラさせながら
走ってきた。
ホルモン大好き圭ちゃん、食べるの大好きなっち、2人は圭織の
ことほったらかして談笑をはじめた。
94 名前:第6話 投稿日:2001年08月17日(金)23時43分53秒

最近の圭ちゃんは、ちょっと変だ。やたらと、辻のことを訊きた
がる。

「勉強、進んでる?」
「この前やったこと、ちゃんと覚えてる?」
「図形問題と文章問題、どっちが得意?」
とか、大学の図書室で顔を合わせるたびに、そう訊ねてくる。

ついさっきも、訊ねられた。
「3桁の足し算、引き算できる?」って。
圭織、思わずギロって睨んじゃったよ。

「どうせ、圭織の教え方は悪いよ」
「いや、別に圭織の教え方が悪いって訳じゃないんだけどさ」
って、圭ちゃんは苦笑した。
”じゃあ、何さ”って言いかけた時、向こうからなっちが
「圭ちゃーん、今日、ホルモン屋さん半額だって」
と、大学近くのホルモン焼き肉店のチラシをヒラヒラさせながら
走ってきた。
ホルモン大好き圭ちゃん、食べるの大好きなっち、2人は圭織の
ことほったらかして談笑をはじめた。
95 名前:第6話 投稿日:2001年08月17日(金)23時45分17秒

なんなんだよ、まったく……。
圭織、ちょっとムッとしながら後片付けをはじめた。
たしかに、圭ちゃんは圭織より1つ年上で、家庭教師のアルバイ
トの経験もあり、何人もの教え子を高校や大学に合格させてるさ。

圭ちゃんから見たら、圭織のようなやり方はもうじれったくて見
てられないのかもしれない。
でもさ、圭織だって辻のために一生懸命頑張ってんだよ。辻だっ
て、そりゃ他の子に比べれば覚えるのは遅いさ。でも、頑張って
勉強してる。いちいち、口出してこないでよって感じだよ。

圭織は、そのまま声もかけずに図書室を出ていった。

――ムッとした気分のまま、アパートに帰りついた。
玄関のドアを開けたら、ムワ〜っとした空気が圭織を包み込んで、
わけもなくイライラした。
ベランダに出していたマロンを部屋の中に入れて、クーラーをつ
ける。
96 名前:第6話 投稿日:2001年08月17日(金)23時46分45秒

送風口から出てくる冷気により、頭に集中していた血流もなんと
か冷まされたみたい。
思い出したように、本棚からファイルを引っ張り出してきて、辻
の勉強カリキュラムを見なおしてみた。
一応、そんなものをつけてるんだ。一応ね。

そこには、辻のお母さんから渡してもらった通知表のコピーも貼
りつけてある。学習面の評価は、5段階評価の1がほとんどだっ
た。そこには数値しか書いていないので、どのような評価基準で
担任がそのような判断をしたのかはわからない。

生徒のやる気を促すような配慮はされておらず、ただただ冷淡に
1が並んでいる。これを見たときの辻は、どんな風に思ったんだ
ろう……。

唯一、2があった。それは、音楽だった。そう言えば、辻は勉強
中よく鼻歌を歌ったりしている。
音楽の担当教師は、その辺を理解してくれたのかもしれない。
97 名前:第6話 投稿日:2001年08月17日(金)23時48分49秒

「二学期、どうなるんだろう……」
正直なところ、圭織にもわかんない。だって、辻はまだ割り算を
習い始めたばかりなんだもの。
国語だってあるし、英語だってあるし、理科だって、社会だって、
地理、保健体育、技術家庭科、音楽……。
勉強しなければならない事は山ほどある。

辻の勉強法に合わせていれば、自然とそのスピードも緩めなけれ
ばならない。いくら、焦らずゆっくりやって行こうと辻と圭織が
2人で決めても、やっぱりご両親からしたらできるだけ早くでき
れば中学校3年生までには結果を出して欲しいよね……。

うーん……。
これからのカリキュラムを、練りなおさなければならない。
辻がマロンと遊びに来た時、勉強するのがいいのかな……。
でも、辻はマロンと遊びに来ているんであり……。勉強しに来て
るんじゃないわけで……。
でも、圭織は家庭教師でもある身で、それなりに結果をださない
といけなくて……。

なんか、圭織、北の国からを思いだした。親に手紙を出したくなっ
たよ……。
あぁ、どうしよーってベッドに寝転がった時、携帯がブルった。
ディスプレイの着信通知を見ると辻からだった。
98 名前:第6話 投稿日:2001年08月17日(金)23時50分05秒

――数分後、アパートのチャイムが鳴った。
辻はこっちに向かっている途中で電話をかけてきたので、到着す
るのも早い。でも、あまりにも早いのでちょっとビックリした。

「マ〜ロ〜ン〜」
って、玄関を上がった辻は、部屋で尻尾をちぎれんばかりに振っ
ているマロンへと駆け出していった。
いつものように、辻はマロンをギューッと抱きしめた。
「ひさぶり、マロン。元気らった?」
辻がマロンを自分の目線の高さまで持ち上げた時、圭織はそれに
気付いた。

「辻、あんた、ケガしてるじゃない」
半袖のTシャツから伸びた辻の左肘は、擦りむけていた。
「ん?」
って、辻はマロンを抱いたまま、自分の左肘を見る。
「あ、ホントだー」
辻は、まるで何でもないように笑顔を浮かべた。

ったく、辻はよく転ぶなぁ。いっつも、どこかに擦り傷を作って
る。手足なんか、よく見るとけっこう小さいかさぶたとか、もう
治ってる傷跡なんかが見える。
99 名前:第6話 投稿日:2001年08月17日(金)23時50分53秒

「まったく、もう」
って、圭織は苦笑しながら、クローゼットの中から救急箱を取り
だした。消毒液を塗る時、辻が目をギュッと閉じていたのがなん
だかとても可愛かった。

それから1時間ぐらい、辻はマロンと遊んでいた。
圭織は、それをずっーとぼーっと眺めていた。勉強のこと切り出
そうかなぁって考えたり、やっぱり止めとこうかなぁって考えた
りしてた。

ドアをノックする音で、圭織の交信は打ちきられた。
――誰だ?
辻もマロンを抱いて、ドアの方を振りかえっている。辻が遊び来
てる時に、誰か来るのって初めてだから、辻もかなり緊張してる
みたい。

「どうせ、なんかの勧誘だよ」
って、圭織は辻に声をかけながらドアへと向かった。
ドアについている覗き穴から外を見ると、魚眼レンズいっぱいに
広がった圭ちゃんの顔があった。
どうやら、向こうも覗いているらしい。
100 名前:第6話 投稿日:2001年08月17日(金)23時53分29秒

「……なんだよ、圭ちゃんか」
圭織がドアを開けると、「なんだよって、なんだよ。せっかく
忘れ物届けに来てやったってのにさ」とレポート用紙をヒラヒ
ラさせながら玄関へと入ってきた。

「あ、ありがと。それより、なっちと一緒にホルモン食べに行っ
たんじゃなかったの?」
「この暑い昼間っから、そんなの食べれっかよぅ」
ホルモン好きの圭ちゃんなら、ガンガンいけると思ってたけど、
以外と繊細な胃腸をお持ちなんだ……。

「あ、お客さん?」
圭ちゃんが視線を落とした。玄関にあった辻の靴に気づいたみた
い。同時に、圭織も圭ちゃんがなんかやたらと辻に執着している
ことを思いだした。午前中のムッとしてた事も、完全に忘れてた。

一瞬、どうしようか迷った。辻が来てるって言おうか、それとも
親戚の子が来てるって言おうか――迷っていると、圭ちゃんはそ
んな圭織の様子から判断したんだろうね、その靴の持ち主が辻だっ
てわかったみたい。

「ねぇ――、辻ちゃん?」
「……う、うん」
「ちょっと、上がっていい?」
「別にいいけど、変なことしないでよ。辻、人見知りする子なん
だから」
「わかってるよ」
って、圭ちゃんは妙に大人っぽい笑みを浮かべて、玄関を上がっ
た。でも、圭ちゃんの笑顔も圭織と同じで、ちょっと怖いんだよ
ね。辻、大丈夫だろうか?
101 名前:第6話 投稿日:2001年08月17日(金)23時55分10秒

――やっぱり……。
「初めまして、辻ちゃん」って挨拶する圭ちゃんを見て、辻は圭
織の後ろに隠れた。
圭織のときはダッシュして逃げたけど、そこはやっぱり児童心理
学を専攻しているだけあって圭ちゃんは、言葉によって辻を繋ぎ
とめた。

「この子犬、名前はなんて言うのかなー? よかったら、教えて
くれない? お姉ちゃんもね、犬が大好きなんだ」

辻は、圭織の顔を見上げてどうしたらいいのか指示を仰ぐような
顔をした。
それがわかったから、圭織はただ優しく微笑んでうなずいてあげ
た。

「マ……、マロンって言うんれす……」
「そう。マロンって言うのか可愛いね。それに、名前がいいね。
この名前は、辻ちゃんがつけたの?」
辻は、ニッコリ笑ってうなずいた。

「マロン、おいでー」
って、圭ちゃんが手をかざすと、辻は抱きしめていたマロンを床
に放した。するとマロンは、自分の名前を呼ぶ圭ちゃんの元へと
駆けていった。
「すごい、ちゃんと自分の名前わかってるんだ。すごいね、マロ
ンは」
102 名前:第6話 投稿日:2001年08月17日(金)23時56分43秒

ちらっと辻を見たら、辻はまるで自分が誉められているかのよう
に嬉しそうな顔をしてマロンと圭ちゃんを眺めていた。

圭ちゃん、あんたやっぱりすごいよ……。
圭織、辻と普通に話せるようになるまで何時間かかかったもん。
それなのに、まだ対面して3分も経ってないんだよ。
やっぱ、心理学ってすごいのかな。

――辻が帰るまでの間、圭織はまるで手品を見ているような気分
になった。だって、圭ちゃん、辻と何気なく会話している風で、
圭織がこれまで長い時間かけて知った辻のこと、全部聞き出しちゃ
うんだもん。
圭織の知らない辻の話なんかもあって、なんかほんの少しだけ寂
しい気分になった。


辻を見送った駅からの帰り道、圭ちゃんから「餃子食べにいこう」
って誘われた。

なんか、あんまりそんな気分でもなかったんだけど、ウンって言
うまで帰してくれそうになかったから、仕方なく近所の餃子専門
店で夕食をとる事にした。
103 名前:第6話 投稿日:2001年08月17日(金)23時58分09秒

料理が運ばれて来るまでの短い時間の間に、圭ちゃんは「単刀直
入に言うよ」って前置きして、とんでもない事をサラリと言って
のけた。

「圭織の話を聞いたときに、ピンと来たんだけど、今日、実際に
会って話をしてわかった――。辻ちゃんは、知能障害もしくは学
習障害のどちらかもしれない」

「は?」
圭織、意味がよくわからなかった。圭ちゃんがビールを飲みなが
ら、なんでもないことのように言ったから余計に混乱したのかも。

「IQテストや脳波の検査をしたわけじゃないから、断言はでき
ないんだけど可能性は高いわね」
グラスのビールを飲干して、「圭織も、気づいてたでしょ」って
圭ちゃんはまるでなんでもお見通しといった感じで、圭織の目を
見据えた。


「いい加減にしてよ、この前からさ」
しばらくの沈黙の後、圭織はケンカ腰で言ってのけた。
別にそんな言い方する必要はなかったんだけど、辻が圭ちゃんと
楽しそうに話をしていたのを思い出したら、なんか急に腹が立っ
てきた。
104 名前:第6話 投稿日:2001年08月18日(土)00時00分14秒

「圭ちゃんの人格、疑っちゃうよ。圭ちゃん、辻を騙してたんだ
よ。辻、ぜったい圭ちゃんのこと好きになった。初対面の人とあ
んな楽しそうに話する辻、圭織はじめて見た」
圭ちゃんの顔が、ぼんやり滲んで見えた。

「でも、圭ちゃんはそうじゃなかったんだよね。辻のこと、冷静
に分析してただけなんだよねッ」
圭織、そこがお店の中だって言うことも忘れて、大きな声を出し
てテーブルを叩いて立ちあがった。

「辻、絶対に次会った時、圭ちゃんの話するよ。そん時、圭織ど
んな顔すればいいの? なんて言えばいいのよッ」
みんな、圭織のことに注目してたみたいだったけど、頭に血が上っ
ていたのであまり気にならなかった。

「圭織……、落ち着いて……」
って、圭ちゃんは優しく呟きながら圭織を席につかようとしたけ
ど、圭織はその手を振り払った。

「もう、いいから2度と辻の前に現れないでッ。辻は圭ちゃんの
モルモットじゃないの」
そう言い残して、圭織は店を飛びだした。
105 名前:第6話 投稿日:2001年08月18日(土)00時01分43秒

――店を飛び出したのは、圭ちゃんの顔を見るのが嫌だったから
じゃない。みんなの好奇な視線から逃れたからだったわけじゃな
い。

圭織は、圭ちゃんに見透かされるのが怖かった。
本当は圭織も、圭ちゃんと同じような事を考えてたんだ。
圭ちゃんのように分析したりはしなかったけど、すぐにそうじゃ
ないって否定はしてたし、そんな事ないって思える証拠もあった
けど、やっぱり一瞬でも圭ちゃんみたいに考える事があった。
それを見透かされるのが、とても怖くて……、圭織は店を飛び出
したの。


翌日の午前中。
ふさぎがちで、大学の図書館に通うのをサボってた圭織の携帯に、
辻の自宅から電話があった。
――辻からではなく、ほんの少しいつもより声のトーンの低い辻
のお母さんからだった。

入道雲がもくもくと空を覆いはじめて、あぁもうすぐ雨が降るん
だなぁって圭織は空を眺めながらぼんやりしてた。
傘を持ってなかったから、ほんの少し早足で辻の家に向かった。
106 名前:第6話 投稿日:2001年08月18日(土)00時06分05秒

用件はわからない。辻のお母さんは、電話では用件を告げてくれ
なかった。もしよろしければ、今すぐ来てくれませんかって――。

ひょっとしたら、クビを宣告されるんじゃないかなぁって思った。
だってさ、なんか最近、辻のお母さんすごく焦ってるんだ。
辻の家に行くたびに、勉強の方はどうでしょうかって訊ねてくる。

辻のお母さんはテストの点を上げて欲しいから家庭教師を雇って
いるわけで――、でも圭織は目先のテストより基礎からの勉強を
ゆっくりとしたペースで辻に教えたいわけ。

そんな話を今までに何回かして、辻のお母さんも納得してくれて
たはずなんだけど、やっぱり完全には納得してなかったのかな。
なんか、解雇宣告を告げられそうな予感がしていた。
昨日、圭ちゃんとのあんな事があってから、圭織の思考はネガテ
ブになってる。

空と同じような暗い気持ちで、圭織は辻家のチャイムを押した。
――出迎えてくれた辻のお母さんは、いつもと変わりのない様子
だったからちょっと安心した。
107 名前:第6話 投稿日:2001年08月18日(土)00時08分05秒

辻は友達の所に遊びに行ってるらしく、家にはいなかった。
”あいぼん”っていう辻の友達の顔が頭に浮かんだ。

あの2人って、いったい何をして遊ぶんだろう? ひょっとして、
ママゴトでもしてるんじゃないのかなって、フッと思ったらなん
だかほのぼのした光景も一緒に想像してしまい、クスって笑っ
ちゃった。

「どうかしましたか?」
って、辻のお母さんがアイスティーをテーブルに置きながら、圭
織のことを不思議そうに見ていた。

「あ。いえ」
焦ったね。焦ったけど、なんでもないですって顔をして、その場
をうまくごま化した。

――庭から聞こえていたセミの声がパッタリと止まった。
リビングを静寂が包み込んだ。
圭織と辻のお母さんは、テーブルに向かい合ったまま互いに黙り
こくっている。
108 名前:第6話 投稿日:2001年08月18日(土)00時09分34秒

「あの……」
カランって、グラスの中の氷が音を立てた。
いったい何を切り出されるのか、やっぱり解雇宣告だろうか?
圭織は、身を引き締めた。

「希美のことなんですが……」
「……はい」
「先生も驚かれたでしょう……」
「何をですか?」
「希美の……、学力です」
って、辻のお母さんは微苦笑を浮かべて目を伏せた。

正直なところ、驚いたし戸惑った。でも、圭織が中学生の時にも、
勉強の苦手な子はいた。

辻が特別って言うような感じはしなかった。
だって、辻はちゃんと掛け算の九九だってマスターしたし、割り
算だって今勉強している最中だし。
英語だって、ちゃんと単語を覚えていってる。
109 名前:第6話 投稿日:2001年08月18日(土)00時11分28秒

だから、けっきょく、圭ちゃんが言った事は間違いなんだ。
辻は、やればできる子なの。
それを伝えようとした。でも、辻のお母さんの方が口を開くのが
一瞬早くて――。

「希美は……、本当は知的障害があるんです……」

チテキショウガイ?
誰が?
辻がですか?
だって、辻はちゃんと勉強できるんですよ……。
いろいろと言いたい事があったけど、圭織の頭は混乱してて……。

「軽度の知的障害で、日常生活に支障はないんです……。普通学
級にも通えます……。でも……」

黒い雲が完全に空を覆い、まだ午後3時だというのに外は真っ暗
になっていた。

「希美は、私の連れ子でして……。今の主人には、その事をまだ」
と、辻のお母さんは口をつぐんだ。
110 名前:第6話 投稿日:2001年08月18日(土)00時12分50秒

『へい。――辻、12月に引っ越してきたんれす』

お祭りで辻は確かにそう言った。
圭織は、その時、別に深く考えなかった。あぁ、そうか――って
ぐらいにしか考えなかった。

「主人は、都議会議員をしているんです。再婚する際にも、いろ
いろとありまして……。これ以上、主人の肩身を狭くさせたくな
くて……。それで、つい……。希美もこの事は知りません」
「……」
「できれば、このまま希美にも主人にも気づかないでもらいたい
んです……」
「……」
「先生……、希美を高校に進学させるのは無理なんでしょうか?」

辻のお母さんが、辻の学力向上に焦っている理由は解けた。
これまでにも何人もの家庭教師を雇い、それらが皆どうして去っ
て行ったのかもなんとなくわかった。

「家のためって事だけじゃないんです。先生もお気づきかもしれ
ませんが……、あの子は何をやるのにも自信がなくて……」
111 名前:第6話 投稿日:2001年08月18日(土)00時18分26秒

圭織、その言葉を聞いたとき、辻のお母さんは間違ってるって思っ
た。だって、辺り前のことじゃん。もしも、毎日、クラスメイト
から勉強ができないってからかわれたりしたら、誰だって自分に
自信なくしちゃうよ。

辻が自信のない子に育ったのは、それを隠しつづけてきたからな
んだと思う。ありのままで受け入れて、辻の長所を伸ばすような
育て方をしてたら、辻はもっと自分に自信を持てたはず。
でも――、そんなこと圭織が言わなくったって、辻のお母さんも
わかってるんだよね……。

「希美のこと、よろしくお願いします……」
そう言って頭を下げる辻のお母さんは、とても小さく見えた。

圭織は、「精一杯、努力します」とだけしか言えなかった。
不意に圭ちゃんの顔が、頭をよぎった。

いつの間にか外は強い雨が降ってた。辻のお母さんから借りた傘
を差しながら、圭織はうつむき加減で駅へと歩いた。
圭ちゃんの言葉や、辻のお母さんの言葉や、笑っている辻の顔が、
頭の中をぐるぐると回っていた。
112 名前:第6話 投稿日:2001年08月18日(土)00時21分34秒

なんだろう、このモヤモヤした気持ち……。
圭織にとって辻は辻であり、圭ちゃんや辻のお母さんの言葉は、
それほど重要なものではないんじゃないか……。

でも、動揺してる……。
動揺してるってことは、辻を今までとは違う目で見ようとしてる
んじゃないだろうか……。
圭織は、そんな人間だったの?
圭織と辻は、そんな関係だったの?

わからない。
これから、辻とどうやって接していけばいいんだろう……。
モヤモヤとした気分は、空と一緒で一向に晴れる気配がなかった。
113 名前:第6話 投稿日:2001年08月18日(土)00時22分45秒


【そんな風に考えていたときもあったんだよ。おかしいね。辻は
辻で、圭織は圭織なのにね。でも、そんな時もあったんだ】

114 名前:第6話・終了 投稿日:2001年08月18日(土)00時26分41秒
>>88 このような展開になりました。
>>89 飯田の涙の質は、これからちょっと変わって
いくような……。
>>90 真夜中に、せつなくさせてしまった……。
>>91 最終回が完成すれば、完全に定期的にUPで
きると思います。
>>92 こちらこそ、知ってもらえて嬉しいです。

※2重投稿の分は、見逃して下さい(苦笑)。
115 名前:名無し読者 投稿日:2001年08月18日(土)00時43分14秒
・・・ただ一言、圭織しっかり!ね・・・・。
すっごくせつなく悲しい結末が待ってそうで・・・。
116 名前:味覚等 投稿日:2001年08月18日(土)02時16分59秒
初レスです。よろしくお願いします。
話の、終わりの飯田さんの語り?がとてもいい感じです。
117 名前:名無し読者 投稿日:2001年08月18日(土)02時47分21秒
初レスです。
私もこのお話、すっごく好きです。
でも、ほんと、痛くなりそうで今からツライんですけど・・・。
でもでも、続き楽しみにしています。
118 名前:第7話 投稿日:2001年08月19日(日)23時40分02秒

辻の家に行った日の真夜中、中学校のアルバムをクローゼットか
ら引っぱり出してきた。
東京に来てからはほとんど見てなかったけど、まだ実家にいた頃
はしょっちゅう開いてたから、ページの繋ぎ目なんかはもうかな
り痛んでる。

繋ぎ目から剥がれないように、ソッとページをめくっていった。
3年3組。圭織がいたクラス。そこに、和夫くんもいる。

和夫くんは、中学校3年のとき同じクラスだった男の子。
あまり詳しい事は知らないけど、和夫くんは小さい頃の病気が原
因で知的障害があるらしかった。

でも、勉強はすごく良くできたんだ。
クラスでも和夫くんより、成績の悪い子は何人もいた。
高校も、本人の希望なのかそれとも学力的な問題なのか、そこま
ではわからないが、工業高校に入学することもできた。

――翌日、大学の図書室でそのことを圭ちゃんに話した。
119 名前:第7話 投稿日:2001年08月19日(日)23時41分03秒

「圭織……」
って、圭ちゃんは読んでいた本から顔をあげた。
隣にいたなっちは、わけが分からないといった顔をして、興奮し
ている圭織を見上げていた。

「だから、辻もやればできるの。和夫くんができて、辻にできな
いわけない」
「いいから、先に座って」

圭織は、大学の図書室で圭ちゃんを見つけるなり、すぐに話を切
り出した。なっちがビックリするのも、あたりまえかもしれない。
圭織、とりあえず軽く深呼吸して2人の真向かいの席に座った。

「何があったの? まず、それから話してもらわないと」
圭ちゃんは、そう言って静かに微笑んだ。なっちの差し出してく
れた缶ジュースを一口飲み、圭織もつとめて平静を保ちながら、
辻のお母さんから聞かされた事実を圭ちゃんに話して聞かせた。
120 名前:第7話 投稿日:2001年08月19日(日)23時41分53秒

「そうか……」
って、圭ちゃんは頬杖をつくと窓の外に視線を向けて、何かを考
えはじめた。
「大変だね……」
なっちも、目を伏せてもじもじと指を絡ませながら呟く。

「圭織、別に大変だなんて思ってない。辻は、やればちゃんとで
きるんだもん。掛け算だってもう完全に覚えてるしさ、割り算だっ
て。――その2つができれば、応用なんて簡単でしょ?」
「うん、そだね」
なっちは、圭織に笑いかけた。

「なんでアタシが、辻ちゃんのこと話たかわかる?」
圭ちゃんが、窓の外を見ながらポツリとつぶやいた。
そのすぐ後に、図書室のどこかからか笑い声が聞こえてきて、圭
織はそっちに気をとられてた。

「ねぇ」
圭織が視線を向けると、圭ちゃんは腕を顔の前で組み、その隙間
から圭織を見つめていた。
「自分の推測が正しいって、言いたかったんでしょ」
数日前の夜を思い出して、圭織はまた興奮してきた。
121 名前:第7話 投稿日:2001年08月19日(日)23時42分43秒

「まぁ、それもあるけどね」
って、圭ちゃんは微かに笑った。「でもね、それよりも辻ちゃん
のことが心配だったの」

「辻の? ――なんで、圭ちゃんが辻の心配なんかするの? こ
の前、会ったばかりでしょ」
「会う会わないは、関係ないよ。圭織の話を聞いてれば、これか
ら辻ちゃんがどんな辛い思いするかわかるからさ」
「辛い思い?」
「そ。圭織、さっき言ったよね。辻ちゃんは、やればできるって」
「……うん」

「たしかに、ある程度まではできると思う。でも、限界があるの」
「んなこと、やってみなきゃわからないじゃない。和夫くんだっ
て、高校に進学できたんだから」
「それが、辻ちゃんに辛い思いをさせることになるんだよ……」

そう言った時の、圭ちゃんの悲しそうな顔。いったい、誰に向け
られてるんだろう……。
122 名前:第7話 投稿日:2001年08月19日(日)23時43分21秒

「程度の問題があってね、和夫くんがそうだったから、辻ちゃん
もそうだって訳にはいかないの。辻ちゃんは今、圭織の授業が楽
しくて仕方ないと思う。やればできるんだって、自信もついてき
てると思う。でもね、辻ちゃんの能力には限界があって、その限
界ももうそろそろ近づいているはず。それは教える圭織のせいで
もないし、習う辻ちゃんのせいでもない。そこが限界なだけ」

「……」

「圭織がいつまでも、やればできるっていう考えを持って接して
ると、辻ちゃんはまた自信を失って自分を卑下してしまう」

「……」

「圭織が一生懸命になればなるほどね」

圭ちゃんは、やっぱり大人だなって思った。圭織、そこまで考え
てなかったよ……。
やっぱり、圭ちゃんはすごいね……。
――自信がなくなった。圭織は、いったい辻の何を見てきたんだ
ろう。
123 名前:第7話 投稿日:2001年08月19日(日)23時44分05秒

その日の夕方、やっぱり空はどんよりと曇っていて、圭織の気分
も同じように曇っていた。
数日前より、ますます曇ったかもしれない。

正直、あまり辻に会いたい気分ではなかった。
圭織は落ち込んでたりすると、すぐ顔に出てしまう。きっと、辻
は心配して訊ねてくる。その時、何て言えばいいんだろう。
圭織は不器用だから、ウソもすぐに顔に出てしまう。

こんなに重い足取りで、辻の家に向かうのは初めてだった。

――辻の家の前に、誰かが立っていた。
一瞬、辻が家の前で圭織のことを待っててくれたのかと思った。
この数日間、ぜんぜん会ってなかったから、そうして待っててく
れたのかと思ったけど、目を細めて確認するとどうやら辻ではな
さそうだった。

辻と同じぐらいの背丈の少女が、辻の部屋を見上げていた。
近づいていく圭織の足音に気づいたんだろうね、その少女はゆっ
くりと振りかえった。
124 名前:第7話 投稿日:2001年08月19日(日)23時45分04秒

圭織は、その少女に見覚えがあった。お祭りで会ったことのある、
辻の友達”あいぼん”って子だ。
向こうも、圭織のことを覚えてたみたい。
でも、なんでかわかんないけど、ダッシュして逃げて行っちゃっ
た。圭織、別にただ普通に見てただけなんだけど……。

ボーっと去っていった方向を眺めていると、ちょうど辻のお母さ
んが夕刊を取りに表へ出てきた。
また、交信中の姿を見られてしまった。
でも、辻のお母さんは少しも変な顔をすることなく、いつもと変
わらない笑顔で圭織を家へと招いてくれた。

きっと、それが辻のお母さんなりの気の使い方なのだろう。
ひょっとしたら、以前の家庭教師は辻の事実を聞かされてから、
家に来なくなったのかもしれない。
圭織の姿を見つけた辻のお母さんは、一瞬、すごく嬉しそうな顔
をした。なんだか、圭織は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

いつもならドアの開く音を聞きつけて、玄関で出迎えてくれる辻
が今日に限っていなかった。
辻のお母さんに軽く挨拶をして、圭織は2階の辻の部屋へと向かっ
た。
125 名前:第7話 投稿日:2001年08月19日(日)23時46分01秒

ノックする前に軽く深呼吸し、ゆっくりとドアを開ける。
辻が机に向かって座ってた。
「入っていい?」って、できるだけいつもと変わらない声を出し
た。辻は振りかえることなくうなずくだけだったが、圭織にはそ
ちらの方が好都合だった。きっと、不自然な笑みを浮かべている
のに違いなかったからだ。

「3日ぶりだね、元気してた?」
圭織は、自分で作成したテキストをカバンの中から出しながら、
辻の背中に語りかけた。――いくら待っても返事はなかった。
たぶん、さっきと同じようにうなずくだけだったのだろう。見て
なかったので、気づかなかった。
――さすがに、不審に思った。

「辻……」
「……」
圭織は、ゆっくりと辻の机の横に近づいた。
いつもは上げて2つに結んでいる髪を、今日はおろしている。そ
れで、側に行くまで気が付かなかった。
辻の左目には、眼帯がしてあった。よく見ると、頬や腕にも擦り
傷があった――。
126 名前:第7話 投稿日:2001年08月19日(日)23時46分42秒

「転んじゃったのれす」
って、辻は圭織を見上げて微かに微笑んだ。

「転んだって……、何してたの、こんな……」
「この前れすね、雨がザーって降ってきて、走って家に帰ろうと
したらツルンって滑ったんれす」

笑う辻を見てたら、圭織はやっぱりあの言葉を思いだした。
このままずっと、辻と向かい合うたびにあの言葉を思い出すのかっ
て考えたらとても辛くなった。
とても、辻に失礼なような気がした――。

その日の授業は、いつになく静かに終えた。辻も圭織も、あまり
言葉を交わさなかった。
127 名前:第7話 投稿日:2001年08月19日(日)23時47分33秒

圭ちゃんに相談しようと思って大学の図書館に行ったんだけど、
たまたま今日はマックのバイトが午前中から入っていたらしく、
残念ながら図書室には来ていなかった。

なっちはいたんだけど、なっちは辻のことを知らないから相談し
ても仕方ないかなぁって思ったんだけど、「圭織はいっつもそう
やって、なっちのこと仲間外れにする」って拗ねるから、仕方な
くなっちに相談する事にした。

「戸惑うのは、当然だよ」
圭織の話を聞いたなっちは、ニコニコと笑いながらそう言った。

やっぱり、なっちに相談したのは間違いだって思った。なっちは、
事勿れ主義だからね。なんでも、”大丈夫”で済まそうとするのは、
これまでの付き合いでわかっていた。

「簡単に言うなって、圭織、今思ったでしょ?」
どうやら顔に出たみたい。なっちは、イタズラっぽく笑った。

「でもさ、難しく考えるほどのもんじゃないよ」
「……なっちは、辻の家庭教師じゃないからそんなこと言えるん
だよ」
128 名前:第7話 投稿日:2001年08月19日(日)23時48分50秒

「そだよ。なっちには関係ないもん」
「……」
「でもさ、圭織も関係なくしようと思えばできるんだよ。圭織は、
辻ちゃんの家族じゃないんだから。いつでも、逃げ出せる」
「逃げるってね、圭織は逃げたりしない」

「だったら、ちゃんと受け止めなさい」
なっちは、急に強い口調でぴしゃりと圭織の動きを封じた。

「戸惑ってもいい。迷ってもいい。理解しようとしてんだから、
当然のことなんだよ。圭織は今、辻ちゃんのことを理解しようと
してる途中なの。どうでもいいと思ったら、そんな迷うことなん
てないもん」
って、なっちは最後にはいつものようにニコニコと笑った。

――なっち、ごめんね。
圭織、失礼だけどなっちのことを誤解してたみたい。もっと、何
も考えてない子だと思ってた。
笑顔の奥で、いろんなこと考えてたんだね。
129 名前:第7話 投稿日:2001年08月19日(日)23時50分47秒

辻……。
そう……。
圭織、辻のこと好き。これからも、ずっとその成長を見届けたいっ
て思ってる。
ずっとずっと、その綺麗な心を持ちつづけて欲しいって思ってる。
どうでもいいなんて、1度も思ったことない。
圭織は、辻の家庭教師。そんな関係でスタートしたけど、今では
妹か娘みたいにとても大事。

「なっち……」
「ん?」
「身体はちっちゃいけど、なっちはでっけー」
「は?」
「圭織、見直した」
「んな、褒められると照れるべさ」
って、なっちは顔を赤くして笑った。別にそれほど褒めてないん
だけど……。でも、なっちのポジティブ思考は見習わなきゃいけ
ない。そう。いつまでも圭織がモヤモヤしてちゃいけない。
130 名前:第7話 投稿日:2001年08月19日(日)23時51分32秒

空はピカーンと晴れていた。
まぁ、ちょっとスモッグで霞んではいたけど、圭織にはピカーン
と晴れてたんだ。
なんか、なっちの言葉を聞いて圭織はスッキリしたから。

戸惑ってもいい、迷ってもいい。辻のことを、もっといっぱい知
りたい。そんな衝動に駆られて、家庭教師の日でもなかったし、
別に約束なんかしてなかったけど、急に辻に会いたくなって大学
の図書室を飛び出したんだ。

辻の家に向かう途中、学校の前を通りかかった。
校庭で運動部が練習してた。青春って感じがしたよ。圭織、つい
自分の中学校の頃を思いだした。
合唱部で、青春してた頃。

そうだ、辻も歌が好きだからカラオケに誘おう。そうだ、そうだ。
カラオケ行って、バーっと一緒になって歌おう騒ごう。

圭織は、交信全開で辻の家へと向かっていた。
でも、その交信も異様なハイテンションも、公園に差しかかって
間もなくして消えた。
131 名前:第7話 投稿日:2001年08月19日(日)23時52分38秒

セミの声がうるさいぐらい聞こえてて、木漏れ日がきれいな模様
を地面に描いてて、遊ぶ子供たちは汗いっぱいで走りまわってて、
そんな公園の中の様子を、圭織は前の道を通りすぎながら眺めて
たんだ。

遠くに清掃道具を保管する小さな建物があって、何気なくそっち
に視線を向けた。
なんで、あんなところに辻がいるんだろうって思った。
建物の陰になって分からないけど、そこにいる誰かと話をしてい
るようだった。

――話をしているというよりも、その建物の陰にいる人物の話に、
辻はうつむいてうなずいたりしている。
うつむいているからだろうか、左目の眼帯がこの前見たよりも痛々
しく感じた。

「辻……」
って、声をかけようと一歩足を踏みだした瞬間、圭織は自分の目
を疑った。

建物の陰から素早く伸びた手が、辻の左頬を平手で殴りつけた。
あまりにも突然のことだったので見間違いかと思ったが、頬を打
つ乾いた音も聞こえたし、辻が左頬を押さえて身体を小刻みに震
わせ後ず去っているのも見えて現実だと認識した。
132 名前:第7話 投稿日:2001年08月19日(日)23時53分53秒

なんで……。
なんで、辻は叩かれたりしたの……。
遠く離れている圭織には、叩かれる理由までは聞こえてこなかった。
ただ、セミの声と子供たちの笑い声だけが、うるさいぐらいに聞
こえていた。

建物の陰から出てきた人物を見て、圭織はさらに混乱した。
辻の友達の”あいぼん”が、出てきたからだ――。
いつか、お祭りの日の夜に見たあの笑顔は幻だったんだろうか。
とてもとても、冷たい目をしてうつむく辻のことをジッと見据え
ながら、ゆっくりと辻との距離を縮めている。

「辻!」
圭織、走ったよ。何があったのか知らないけど、辻が叩かれなきゃ
なんないような理由なんてないと思った。

圭織の姿に気づいた”あいぼん”は、建物の奥へと走って逃げて
いった。そう言えば、昨日も辻の家の前にいて、圭織の姿を見て
逃げ出したんだった。
133 名前:第7話 投稿日:2001年08月19日(日)23時54分44秒

辻のもとに辿りついた圭織は、”あいぼん”って子が逃げた建物
の奥を見た。
もうずっと遠くて、誰が誰なのかわからないけど、”あいぼん”っ
て子だけがこの場にいたんじゃなかった。建物の陰には他に数人
いたようだった。追いかけようかと思ったけど、みんなの背中は
もうずっと小さくなっていて追いつけそうになかったし、それよ
りも辻のことが心配だった。

辻は、うつむいたまんま左頬を押さえていた。
「辻、なんで叩かれたりしたの」
圭織は、辻が頬に当てている手をどけた。指の形が赤く、その頬
に残っていた。
わからないけど、それを見たら圭織は泣きそうになった。

だって、辻は何も言わずにうつむいたまんま、ほんのちょっと笑
ったまんま、ポロポロと泣いてるんだもん。
134 名前:第7話 投稿日:2001年08月19日(日)23時55分30秒


【辻は思い出したくないよね、あの頃のことなんて。いいんだよ、
忘れてしまっても。すべて、夢にしてしまおうね】

135 名前:第7話・終了 投稿日:2001年08月19日(日)23時59分41秒
>>115 あと4回ほどの更新で、すべてが終わります。
(※1話を数回に別ける場合もあるので、↑正確ではないです)
>>116 こちらこそ、初めまして。語りの部分は、「語り」で
正解です。
>>117 はじめまして。ラストまで、もう少しお待ちください。
136 名前:117 投稿日:2001年08月20日(月)03時15分20秒
切ないです・・・。
圭織の「語り」部分が意味深で、いつも胸にグッときます。
今回、圭織が前向きになってくれたのが救いです。
137 名前:第8話 投稿日:2001年08月21日(火)23時35分00秒

空は夕暮れの色を濃くしてたけど、圭織と辻はいつまでもずっと
公園のベンチに腰かけていた。

「腫れ、ひいたみたいだね」
圭織は濡れたハンカチを辻の頬から外し、腫れがなくなったこと
を確認してホッとした。

「辻……、痛くない?」
圭織の問いかけに、あれからずっとうつむいたままの辻が静かに
うなずく。
「……そろそろ、何があったのか教えてくれない?」
今までずっと、この言葉を堪えていた。
逃げ出した”あいぼん”や、何も言わずに泣いた辻を見てれば、
圭織もさすがに気づく。

イジメ。
そんな言葉が頭の中に浮かぶのは、否定のしようがなかった。
でも、辻がイジメにあっているという事実を認めたくないし、辻
も話したくないだろうと思って、さっきからずっと聞けずにいた。
でも、圭織は辻のすべてを受けとめるって誓ったんだから、逃げ
出すわけにはいかない――勇気を出した。
138 名前:第8話 投稿日:2001年08月21日(火)23時38分17秒

「……」
辻は、やっぱり何も答えず、ずっとうつむいたままだった。
「足の怪我とか……、腕とかも、そう……なの?」
「……」
「ねぇ、辻」
「……あいぼんは、お友達なのれす」

「お友達は、叩いたりしないよ……」
「……」
「辻は何も悪いことしてないよね?」
「……」
「だったら、やっぱりおかしいよ」
「……辻が」
辻は、ようやく顔をあげてくれた。でも、その顔はいつか見た悲
しい笑顔だった。

「ん?」
「きっと、辻がバカらかられす。辻、悪いことしても気づかない
から、みんなによく叱られるのれす」

テヘテヘと笑う辻の顔が、あまりにも悲しかった。
圭織は言葉を失ってしまって、ただボーっと辻の顔を眺めていた。
――その後、2人はあまり会話を交わすことなく家路へとついた。
マロンと初めて出会ったあの日、笑いながら辻を家まで送ったあ
の日がとてもとても懐かしく感じた。
139 名前:第8話 投稿日:2001年08月21日(火)23時40分48秒

圭織、辻のために何をしてあげれるのかわからない。苛められた
経験もないし、苛めた経験もないから、どんな風に対応すればい
いのかわからない。

ただ、やっぱり戸惑ってジッとしてるだけだと、辻を一人ぼっち
にさせちゃって、またあの子たちから呼び出されたりなんかしちゃ
うといけないので、圭織は翌日から図書館通いをやめて辻の家に
通いつづけた。

どうしていいかわかんないけど、辻の側にいてずっと守っている
事にした。

辻のお母さんは、圭織の真意を知らない。ただ、毎日、勉強を教
えに来てくれていると思ってる。
圭織は、辻のお母さんにちゃんと話をしようと思ったんだけど、
辻が涙ながらに口止めしてきたので言えずにいた。

圭織がいる間は、別に何も変わった事はなかった。最初は、うつ
むき加減だった辻も、次第にいつもの調子を取り戻してきて、笑
顔が増えるようになった。その頃にはもう、辻の左目を覆ってい
た眼帯もとれていた。

そう。
辻のこの笑顔を見るためだったら、たとえレポートの作成が遅れ
たって、電車賃がかさんじゃっても別に大した事ない。
140 名前:第8話 投稿日:2001年08月21日(火)23時42分49秒

今日も、はりきって辻の家に行こうとした。
アパートのドアを開けると、ちょうど圭ちゃんとなっちが廊下を
やって来ていた。

「はぁ? 何やってんの2人で」
カギを閉め終えた圭織は、ずれかけたバッグを肩にかけなおしな
がら2人に言った。
「何やってんのって、こっちが聞きたいべさー」
「そうよ。ずっとサボりっぱなしで、連絡もつかないしさ。心配
するでしょ」

「?」
パックの中の携帯を取り出して見てみると、バッテリー切れだっ
た。ここんとこ色々あって、充電をし忘れていたようだ。

「どこ行くの? そんな嬉しそうな顔して。ひょっとして、デー
ト?」
なっちが、圭織の腕をつんつんと突付く。
「違うよ。辻の家。辻の家に行くだけだってば」
「またぁまたぁ」
って、なっちは笑っていたけど、その横にいた圭ちゃんはなんだ
か少し眉間に皺をよせた。
141 名前:第8話 投稿日:2001年08月21日(火)23時43分45秒

きっと、圭ちゃんは圭織が必死になって勉強を教えているんじゃ
ないかって思ってるはず。
だから、圭織は「カラオケ行くだけだよ」ってなっちに言いなが
らも、圭ちゃんに聞こえるようにちょっと大きめの声を出した。

せっかく心配して訪れてくれたんだけど、辻との待ち合わせの時
間に遅れそうだったから、2人とはそこそこの会話だけをして、
駅へと向かった。

――駅近くの曲がり角。
走りながらもボーっとしてたので、その少女に気づくのが少し遅
れてしまった。

あっ! と気づいた時にはもうすでに遅く、圭織はその少女とぶ
つかった。圭織は身体がデカイから、別にどうって事なかったん
だけど、細い少女は尻もちをついてしまった。

「ご、こめんっ。大丈夫!?」
あわてて手を差し伸べたけど、少女は「す、すみません」ってア
ニメみたいな声を出しながら辺りに散乱した小物を拾い集めた。
142 名前:第8話 投稿日:2001年08月21日(火)23時44分46秒

よく見ると、圭織の持ち物と少女の持ち物が地面に散らばってい
た。よく見ると、圭織のバッグは肩から外れていた。
圭織も、あわてて拾い集めた。

圭織と同じような色の髪。健康的な肌。
制服を着てるから、女子高生か。今日、学校かな?
って、そんな事を考えながら、その少女と一緒になって辺りに散
乱した持ち物を拾い集めていた。

「ごめんね。ホントに大丈夫?」
立ちあがり、お尻の汚れを振り払っている少女に、圭織は話かけ
た。

「は、はい。大丈夫ですから、気にしないで下さい」
少女はそう言って少し困ったような笑みを浮かべると、頭をちょ
こんと軽く下げて歩いて行ってしまった。

今時、珍しい礼儀正しい子だなぁって思った。
でもそんなゆっくりもしてられない。もうすぐ、電車のつく時間。
辻を向こうの駅に待たせてあるので、遅れるわけにはいかない。
圭織は駅へと、全速力で走った。
143 名前:第8話 投稿日:2001年08月21日(火)23時46分10秒

辻を迎えに行って、その足で駅前にあるカラオケボックスに入っ
た。

辻は、カラオケボックスに入るのが初めてだったらしくて、ワク
ワクしてるのと緊張してるのとがごちゃ混ぜになってんだろうね。
ずっと、圭織の右腕に自分の腕を絡ませたまんま、顔だけをキョ
ロキョロとさせていた。

部屋に通された時は口をポカーンと開けて、部屋の中を見まわし
ていた。
スポットライトやミラーボールが珍しいらしくて、「テレビみた
いれす」って興奮しながらつぶやいた。

「辻、何歌う? どんな歌が好き?」
本をパラパラめくっていると、部屋の入口でずーっとたたずんで
いた辻が嬉しそうに駆けよってきた。

「いいらさん、いいらさん」
「ん?」
「辻、トトロが好きなんれす」
「トトロ? あぁ、アニメのね。♪となりのトトロ トトロって
やつでしょ?」
「もう1個あるんれすよ。♪歩こう 歩こう 私は元気」
144 名前:第8話 投稿日:2001年08月21日(火)23時47分01秒

辻は楽しそうに、笑いながら歌った。
圭織、その歌のタイトルがわかんなかったんだけど、トトロのペー
ジに並んで掲載されてたので、それを入力してあげた。

でも、辻は照れてなかなか歌わなかった。圭織が何度「歌いなよ」
って言っても、妙にはしゃぎながら「嫌れす」って圭織の腕にし
がみついてくるばかりだった。

仕方ないので、まずは圭織が歌うことにした。
聞いたことはあるんだけど、あんまりよく覚えてなかったので、
メロディラインをはずしまくった。
辻は、クスクスと笑っていた。
145 名前:第8話 投稿日:2001年08月21日(火)23時47分53秒

「辻、一緒に歌ってよ〜」
って、泣きついたら、辻はようやく2番から自分もマイクを握っ
て歌いはじめた。辻の声は、歌になってもやっぱりどこか幼くて、
でもその声はこの曲とマッチしていた。

「上手いじゃん、辻」
頭をクシャクシャって撫でてやったら、辻はちょっと「えへん」っ
て顔をして「辻、トトロが好きなんれす」って笑った。

その後は、辻のオンステージになった。いつの間にか、圭織の膝
の上にちょこんって座ってた。ほんのちょっと重いなぁって思っ
てたりしたんだけど、まぁいいかって感じでずっと辻を膝の上に
座らせていた。

楽しそうに歌う辻の横顔を見てて、気づいたんだ――。
辻は画面に映し出されている歌詞を、ぜんぜん見ていないってこ
とに。好きなアニメの歌は、完全に丸暗記しているようだった。
146 名前:第8話 投稿日:2001年08月21日(火)23時48分51秒

たっぷり2時間歌って、その後、近くのファミレスでご飯を食べ
て、本当はそれで帰るはずだったんだけど、辻が宮崎何とかって
人のアニメが好きで、その監督の新作映画をまだ見た事ないって
言ったから映画館に行った。

映画館では、辻はもう本当に子供みたいに目をキラキラさせて映
画に見入っていた。ビックリするシーンでは、身体をビクンとさ
せて圭織にしがみついてきたり、感動するシーンでは小さくしゃ
くりあげて泣いてたり――。

圭織は、映画より辻をずっと見てた。そっちの方が、おもしろかっ
たしメチャクチャかわいかった。

「どう? 辻、面白かった?」
圭織の問いに、通りを歩きながら映画のパンフレットを読んでい
た辻は顔をあげて「はい」って大きくうなずいた。
そしてまた、パンフレットへと視線を落とした。

今日1日、辻は楽しかったかな?
家に帰っても、嫌なこと思い出したりしないかな?
圭織は、辻と別れる頃になると、いっつもそんな事を考えてしま
う。できることなら、ずっと辻の側にいて守っててあげたい。
147 名前:第8話 投稿日:2001年08月21日(火)23時50分03秒

でも、そんなことできない。
もうすぐ、学校も始まる。
学校が始まれば、こうして夕暮れになるまで辻の側にいることは
できない。

あの子たちがいる学校で、1日の大半の時間を過ごさなければな
らない。やっぱり、このままではいけない気がした……。

車のクラクションの音でフッとわれに帰った圭織は、何気なく視
線を道路に向けた。
もう住宅街近くに入っているので、その道路にあまり通行量はな
い。クラクションを鳴らした車が一台、走っているだけだった。

いったい、何にクラクションを鳴らしたのか、なんとなく気になっ
て道路を眺めながら歩いていた。
道路の中央に、1匹のカラスがいる。
走り去った車は、このカラスにクラクションを鳴らしたんだろう。
148 名前:第8話 投稿日:2001年08月21日(火)23時50分53秒

よく見ると、道路には殻の弾けた木の実のようなものがあった。

そのカラスが何をしたかは、すぐに理解できた。前に、TVで見
た事があったから――。
カラスは、走る車を利用して自分では砕くことのできない、固い
木の実の殻を砕いたのだ。

それを、順応とか進化とか呼ぶのかもしれない。
でも、圭織はそれを見て”狡猾”だと思った。だから、とても珍
しい光景だったけど、辻に教えることはしなかった。
なんだか、辻があの木の実のように思えて仕方なかったから……。

――家の前まで送り届けて、圭織はまた駅へと向かった。
辻は圭織が見えなくなるまで、ずっと手を振ってくれていた。
とてもとても、楽しそうに手を振っていた。
149 名前:第8話 投稿日:2001年08月21日(火)23時52分02秒

『イジメか……』
電話の向こうの圭ちゃんは、沈んだトーンでそう言った。

圭織は、あれからずっと考えていた。
学校が始まれば、辻がまたイジメられる。どうすればいいのか――。
でも、やっぱり答えは出なくて、真夜中で迷惑なのはわかってた
けど圭ちゃんに電話をしてしまった。

最初は、メチャクチャ不機嫌だったけど、辻の事だってわかった
ら真剣に話を聞いてくれた。

『これも一概には言えないんだけど、やっぱりご家族に相談した
方がいいと思う』
「でも、辻は家族に心配させたくないから嫌だって」
『イジメを受けている子のほとんどが、そうなの。親に心配させ
たくない、イジメられているのが恥ずかしい、仕返しが怖い。最
初から自分の口で誰かにイジメられてるなんて言える子は、ほと
んどいないんだよ』
「……」
『誰にも言えなくて、1人で抱え込んでしまう。最悪の場合は……
自殺って事にも』
150 名前:第8話 投稿日:2001年08月21日(火)23時52分59秒

もしも、辻が……って一瞬考えただけで、圭織の心臓は止まりそ
うになった。

『とにかく、今日はもう遅いから、明日対策を考えよう』
「でも、圭織、明日も辻の家に行かないといけないし……」
『あ……、そうか……』
「ねぇ、圭ちゃんどうしよう……」

圭織の声は、とてもオロオロとしたものになっていた。自分でも、
なんで辻のことになるとこんなに動揺してしまうのかとても不思
議だった。自慢じゃないけど、圭織はずっと今まで自分を精神的
に強い人間だと思っていた。

でも、なぜか辻の事になるとみっともないぐらいにうろたえてし
まう……。
151 名前:第8話 投稿日:2001年08月21日(火)23時54分09秒

圭ちゃんとは辻の家へ行った帰りに会うことにして、翌日、圭織
はいつもと同じ時間に家をでた。

通りを歩く人の姿がいつもよりも少なくて、そこで初めて今日が
日曜日であることを認識した。
曜日の感覚が、完全になくなっている。

辻のお父さんを、フッと思い浮かべた。
でも、それはうまくできなくて――だって、圭織は辻のお父さん
に会ったことがないんだもん。

勉強を始める時間の午後7時頃には、まだ帰宅していないし、終
わる頃には帰っていないこともあるし、帰ってても圭織の前に姿
を現す事はなかったから。

都議会議員をしてるお父さんって、どんな感じなんだろう。
血は繋がってないけど、娘が苛められるってわかったらどんな対
応をするんだろう。

――圭織はまた、ボーっとしながら歩いてたようで、その少女に
まったく気づかずに前を通りすぎたようだ。

『あ、あの――。あの、飯田さん』
152 名前:第8話 投稿日:2001年08月21日(火)23時55分12秒

名前を呼ばれて、「?」って振りかえったら、昨日、曲がり角で
ぶつかった少女が立っていて、モジモジしながら圭織のことを上
目使いに見ていた。

「あぁ――、昨日の」
少女は、そう言って立ち止まった圭織に軽く頭を下げた。
それにしても、なんで圭織の名前を知ってるんだろうって思った。

「あの、これ」
少女がおずおずと差し出したものは、大学の学生証でそれは圭織
のものだった。
「え?」
「あ、あの、昨日、ぶつかった時に間違えてカバンの中に入れて
しまってたみたいで……」

「ひょっとして、これを届けるためにここで?」
ほんの少し潤んだ目で圭織のことを見上げながら、少女は小さく
うなずいた。
男だったら、イチコロかもしれない。少女の仕種は、女の圭織で
もドキッとするほど可愛かった。
153 名前:第8話 投稿日:2001年08月21日(火)23時57分08秒

「あ、そうなんだ。ありがとう」
って、圭織は平静を装いつつニッコリ微笑んだ。
――男前な笑顔を浮かべたつもりだったが、やっぱり恐ろしかっ
たらしく、少女はうつむいてしまった。
圭織は、朝から軽いショックを受けた。

「あ……、じゃあ、これで。ホント、ありがとね」
電車の時間もあったからなんだけど、やっぱり少し気まずくて圭
織はお礼だけを言うと、逃げるようにしてその場を去った。


――電車の中で圭織は、少女から手渡された学生証を眺めていた。
憮然とした表情で、愛想も何もない圭織の証明写真。
将来、曲がりなりにも教職に就こうとしてんのにこんな無愛想な
顔で大丈夫なのかなぁって思った。

教師と生徒として、辻と出会っていたら――どうなっていただろう。
ここまで深く付き合うことって、できたのかな……。
家庭教師で出会えたことは、辻にとっていい事なのかな……。

そんな事をぼんやりと考えながら、窓の外に目をやった。
――白い鳩が、雑居ビルのベランダで羽を休んでいた。ほんの一瞬、
向かいの雑居ビルの屋上に1羽のカラスがいるのが見えた。

圭織の胸は、なぜか締めつけられた――。
154 名前:第8話 投稿日:2001年08月21日(火)23時58分07秒


【辻の真っ白に輝く羽。毎日、神様にお願いしてるんだよ。もう1度、
見せて下さいって】


155 名前:第8話 投稿日:2001年08月22日(水)00時04分02秒
>>136 飯田1人だと、どうなっていたことやらですね。
※個人的に、新スレ建てずに終われるかどうか心配(苦笑)
156 名前:名無し読者 投稿日:2001年08月22日(水)05時07分01秒
どうか、二人幸せになってくれますように…(祈)
作者様、更新頑張って下さい。
157 名前:名無し読者 投稿日:2001年08月23日(木)05時16分45秒
辻の話ってあんまり読んだ事ないけど、
ここの話は良いね。年甲斐もなく泣いたよ…。
願わくば、二人が幸せでいられますように…。
158 名前:ぺぷし 投稿日:2001年08月23日(木)14時00分36秒
かなり感動します
せつないです
がんばってください
159 名前:第9話 投稿日:2001年08月23日(木)23時40分11秒

日曜日だというのに、辻のお父さんは家にいなかった。
辻に訊ねてみると、どうやら昨日から泊まりでゴルフに出かけて
いるらしい。

正直なところ、呑気なもんだって思った。
いくら再婚した奥さんの子供とはいえ、いくら辻のお母さんが事
実を告げていないとはいえ、いくら辻が苛められていることを知
らないとはいえ、なんにも気づかないで呑気に泊まりでゴルフっ
て……。

「いいらさん?」
漢字の書き取りをしていた辻が、ボーっとしてた圭織の顔を覗き
こんだ。
「あ、ううん。なんでもない。続けて」
辻はまだ何か言いたそうだったが、圭織が家庭教師の顔をしてた
ので仕方なく漢字の書き取りを始めた。

圭織だって、たまには思い出したように家庭教師の顔になるとき
がある。それはだいたい、家の中と外というふうに使い分けてい
る。辻の家にいるときは家庭教師。外にいるときは友達。
まぁ、かなり曖昧なんだけどそんな感じにメリハリをつけている
つもり――。
160 名前:第9話 投稿日:2001年08月23日(木)23時41分18秒

勉強も終わって夕暮れも近くなったから、そろそろ帰ろうかなぁっ
て思ってたら、表に車の止まる音が聞こえた。
何気なく、辻の部屋の窓から表を眺めて見ると、そこに一台のタ
クシーが止まってて、辻のお父さんらしき人がゴルフバッグを肩
にかけて門扉へと歩いているところだった。

「お父さん、帰ってきた」
いつの間にか隣にいた辻が、ひとり言のようにポツリと呟いた。
「迎えに行かなくていいの?」
って圭織が聞くと、辻は「いいんれす」となぜか少し困ったよう
な顔をして首を振った。

初めて見る、辻のお父さん。
50歳ぐらいの、どこにでもいる少し頭の剥げているオジさんだっ
た。

その黒ぶちの眼鏡と都議会議員って肩書きから受けた印象なのか
もしんないけど、ちょっと神経質っぽい。
なんとなく、今まで直に遭遇しなくてよかったってホッとした。

でも、それも束の間の安堵だった。
161 名前:第9話 投稿日:2001年08月23日(木)23時42分27秒

辻のお父さんが家の中に入って時間もかなり経過したので、下で
鉢合わせする事もないだろうなぁって階下におりて行ったら、モ
ロに辻のお父さんと鉢合わせしてしまった。

奥の部屋で磨いていたゴルフクラブを、玄関先に置いているゴル
フバッグに戻しに来たところだった。

「あ、はじめまして。希美ちゃんの家庭教師をやっている飯田圭
織といいます」
って、圭織は緊張してたけどちゃんと挨拶をした。

いったい何がいけなかったんだろう? それとも最初からそんな
顔なのかわかんないけど、辻のお父さんは不機嫌そうに眉間に皺
をよせて「どうも」とだけ言って、さっさと奥の部屋に戻ってし
まった。

隣にいた辻は萎縮して、圭織の腕をずっと強く握りしめたままだっ
た。いったい、この家はどうなってるんだろう……。新たな疑問
と不安が、圭織の中に芽生えた。
もしも、辻のことで家族が一丸とならなければならないようになっ
たら、辻のお父さんはちゃんと協力してくれるんだろうか。
そんな疑問と不安だった。

「……じゃあね、辻。明日、待ってるから」
ドアを開ける間際に振りかえって、辻にそう言った。
いつもなら声をかけてくれるのに、やっぱり父親に少し遠慮して
るみたいで、声を出さずに笑顔でうなずいて見送るだけだった。
162 名前:第9話 投稿日:2001年08月23日(木)23時43分18秒

――辻の家を後にして、圭織はそのまま圭ちゃんとの待ちあわせ
場所である大学近くのファミレスに向かった。

中を見渡したが圭ちゃんはまだ来てないようで、出入り口近くの
席で圭ちゃんを待つ事にした。
圭ちゃんを待っている間、圭織は少し離れた場所にいる中学生の
グループを眺めていた。

その4人の中学生は、デザートを食べながら談笑をしている。
話題までは聞こえてこないけど、あの頃の年齢ってなんでも笑え
るんだよね。
色んな悩みがあるんだろうけど、それでもああして友達といると
楽しくて、悩みなんか忘れて笑いあえるんだ。

圭織、あの頃に戻りたい……。
そしたら、辻とずっといられる。圭織、面白い話ってできない人
なんだけど、それでも頑張って辻にいっぱい面白い話してあげる
んだ。
そしたら辻は……。
163 名前:第9話 投稿日:2001年08月23日(木)23時44分23秒

目の前に差しだされたハンカチ。
顔をあげると、圭ちゃんが微笑みながら立っていた。

「しっかりしな」
って、中学生たちを振りかえりながら向かいの席に座った。
圭織……、いつの間にか泣いてたみたい。
頬を拭ったら、手の甲が濡れていた。

「圭ちゃん……」
「圭織がそんな弱気で、どうすんのよ」
って、圭ちゃんはまた笑った。

「でも……、あんまりなんだよ。辻、可哀相すぎるよ」

『辻ちゃんは、可哀相なんかじゃない』

ニコニコ笑ってるなっちが圭織の視界に入ってきて、圭ちゃんの
隣に座った。
圭織が目を丸くしながらなっちを見てると、「やっぱり、参考意
見は多いほうがいいからさ」って圭ちゃんが微苦笑しながら言っ
た。

「辻ちゃんには、自分のために泣いてくれる圭織がいるんだよ。
ぜんぜん、可哀相なんかじゃないよ」
って、なっちが優しく微笑んだ。
圭織はなんだか嬉しくて、子供のようにわんわんと声をあげて泣
いた。
164 名前:第9話 投稿日:2001年08月23日(木)23時45分35秒

――数分後、なっちに宥められながら圭織はなんとか涙を止める
ことができた。

「辻ちゃんのケースは、ちょっと特殊ね……」
嗚咽しながら、今日までの事をあらためて話して聞かせると、圭
ちゃんは爪を噛みながら低い声でつぶやいた。
「特殊……って、辻ちゃんが障害を持ってるから……?」
「それもあるけど、問題はもっと別のところ」
「……?」
なっちはまるで自分のことのように、真剣な顔をして圭ちゃんを
見つめていた。

「問題は、辻ちゃんのことをお母さんが隠しつづけてるって事な
の」
「でも……、それは」
圭織は、そこまで言って口をつぐんだ。

「認めたくない気持ちはわかるし、もう今さら話すことができな
いのかもしれない。でも――、辻ちゃんのことを考えたら、ちゃ
んと本当のことを話すのが一番大切なことだと思うの。1度、辻
ちゃんのお母さんと相談してみたら」
「そんなの、圭織の口からいえないよ……。圭織は、ただの家庭
教師だし……」

圭ちゃんは、軽いため息を吐いた。
どうしたらいいのか、真剣に考えている様子だった。
「都合のいいときだけ、家庭教師に逃げるんだね」
なっちは、そう言ってチョコレートパフェをぱくついた。
165 名前:第9話 投稿日:2001年08月23日(木)23時47分43秒

「したって」
圭織は、うつむきながら呟いた。
「受け止めろって言ったのは、ただぼんやり手を広げてるだけじゃ
ないんだよ。ちゃんと抱き寄せてあげなきゃ」
「……」

圭織だって、そんな事わかってる。でも、受けとめるって言って
も、何をどうしていいのかわかんない。
もしも、受け止めることができなかったら、辻が頼ってきてくれ
なかったらって考えると、怖くて何もできない……。

「なっちのは抽象的だけど――、けっきょくそうなのかもしれない」
「……」
「このままだと、辻ちゃんはこれから他の人より傷つく回数が多
くなるよ。自分と他人を比べるたびに、傷つくかもしれない。誰
かから傷つけられるかもしれない。でも、もしも仮に自分の障害
のことを知って、自分自信で納得できる答えを見つけ出せたとし
たら……」
圭ちゃんは、なんとなく目を伏せた。

「……それって、自分は障害者だから仕方ないって思えるように
なれってこと?」
なっちが、スプーンを持つ手を止めた。強い視線を、圭ちゃんに
向ける。

「綺麗事じゃ、この問題は片付けられない」
圭ちゃんも、強い視線をなっちに向けた。
「……」
なっちは、その言葉を反芻して納得したのかわからないけど、
さっきまで向けていた強い視線をテーブルの上に落とした。
166 名前:第9話 投稿日:2001年08月23日(木)23時51分03秒

「時には1番の理解者が、心を鬼にするのも必要」
なんだか、そう言った圭ちゃんがとても辛そうに見えた。
この場所では、圭ちゃんがその役を引き受けてくれたんだね……。

「圭ちゃん……、それで、圭織は何をすればいいの?」
圭織の問いかけに、圭ちゃんが顔をあげた。

「まずは……、まずは、ご両親の説得。お母さんでもいい。家族
から、その事実を辻ちゃんに伝えるの」
圭ちゃんは、真剣な目をしていた。その一言は、圭織の胸にとて
も重苦しくのしかかった。

ほんの数分前なら、それが重苦しくて押しつぶされていたかもし
れない。そんなことして辻が傷つくのなら、これまでの関係を保っ
ていたくて、何も実行に移そうとしなかったかもしれない。

でも、圭織は本当の意味で辻のすべてを受けとめる事にした。
これからの辻が、ほんの少しでも楽に生きられるのなら、圭織は
喜んで鬼にでも悪魔にでもなる。
そう、決心した――。
167 名前:第9話 投稿日:2001年08月23日(木)23時53分19秒

翌日、辻は時間通りに圭織のアパートにやって来た。
部屋に入った辻は、中にいる2人を見てサッと圭織の後ろに身を
隠した。

「あれ? 辻ちゃん、私のこと忘れた?」
圭ちゃんの問いかけに、辻はブルブルと頭を振った。
辻は、初めて会うなっちに緊張しているようだった。

だがそこはやはり、保母さんを目指しているだけの事はある。なっ
ちは、お得意のスマイルを浮かべて、「はじめまして、辻ちゃん」
って挨拶しただけで辻の緊張を解きほぐした。

2人はやっぱり凄い……。
圭織なんか、ダッシュして逃げられたもんね。
圭ちゃんとなっちと遊ぶ辻を、しばらく苦笑を浮かべながらベッ
ドに腰かけて眺めていた。

すべての矛盾は受け入れるつもりだったけど、やっぱり心の片隅
に罪悪感があった。
辻は純粋な気持ちで圭織のアパートに遊びに来てくれたのに、圭
織はそれを利用して辻の家に向かおうとしている。
168 名前:第9話 投稿日:2001年08月23日(木)23時54分56秒

最初は、ただホントにいつものように辻をアパートに誘っただけ
なんだけど、昨日の夜に圭ちゃんとなっちと話し合って決心した
圭織は、辻が家にいないこの時がチャンスだって思ったの。

圭ちゃんもなっちも、自分の用事をキャンセルしてまで、こうし
て部屋に来てくれてた。
結果はどうなるのか分からないけど、もう後戻りはできない。
圭織は自分に気合いを入れて立ちあがった。

「あ、そうだ。辻」
きょとんとした顔で、辻が振りかえる。
「ちょっと用事思い出しちゃって、これから出かけなきゃなんな
いんだ。帰ってくるまで、ここで待っててくれる?」

辻は一瞬、「え?」っていう顔をしたけど、なっちが言葉巧みに
辻を誘惑したので、辻は「はい。いいれすよ」って頬を緩ませな
がら答えた。

ちなみに、言葉巧みな誘惑とは――。
「辻ちゃん、なっちと一緒にお菓子作ろうか? なっちね、お菓
子つくるの得意なんだよ。ケーキがいい? クッキーがいい?」

――だった。
まぁ、どうしても辻を引きとめて欲しかったから、前の晩に圭織
がそう言ってってお願いしたんだけどね。
169 名前:第9話 投稿日:2001年08月23日(木)23時56分22秒

――出迎えてくれた辻のお母さんは、娘が遊びに行ったのに何で
こんな所にいるんだろうって顔で圭織を見上げていた。
圭織が、「希美ちゃんのことで話があります」って玄関先で言う
と、それだけでなんとなく察したようで少し戸惑った表情で家へ
と招き入れてくれた。

静かなリビング。
やっぱり、いつかのようにセミの声だけが聞こえていた。

しばらく辻のお母さんと向かい合って座ってたんだけど、圭織は
勇気を振り絞って話を切りだした。
その話は――、圭ちゃんやなっちと話あったことと同じ。
これからの辻のことを考えて、辻本人にすべてを伝えて欲しいと。

「それは……、できません」
話を聞き終えた辻のお母さんは、うつむき加減にそう言った。
「希美がどんな思いをするか……」
「それを支えるのが家族じゃないですか」
「家族……ですか……」
辻のお母さんは、なぜか遠い目をして微かに笑った。
170 名前:第9話 投稿日:2001年08月23日(木)23時57分39秒

「ご家庭の事情があるのは、わかります。でも、このままずっと
隠しつづけてれば、それだけ希美ちゃんが辛い思いするんです」
「……」
「お願いします……」
圭織は、深く頭を下げた。いつまで経っても、辻のお母さんから
の返事はなかった。小さく嗚咽する声が聞こえてきて――、圭織
はハッとして顔をあげた。
辻のお母さんが、静かに涙を流していた。

「……」
圭織の決心は大きく揺らいで、ものすごい罪悪感がのしかかって
きた。――辻のお母さんも、苦しんでいるんだ。圭織よりも、もっ
とずっと昔から……。それなのに圭織は……。

『その話、もう少し詳しく聞かせてくれないかな?』

振りかえると、リビングのドアの前に辻のお父さんがいた。
顔を戻し、辻のお母さんの絶望的な表情を見たとき、圭織はもう
絶対に後戻りできないような気がした。
”誰かが鬼にならなければいけない”圭ちゃんの言葉を、あらた
めて噛みしめた。

運命っていうのは、あるのかもしれない。
圭織と辻が出会ったのも運命なのかもしれないし、こうして辻の
お父さんが忘れ物を取りに戻って事情を知ったのも――。
171 名前:第9話 投稿日:2001年08月23日(木)23時59分47秒

その運命をどう受けとめるか、圭織はまた事情をすべて話して、
辻のお父さんの答えを待った。辻のお母さんの方は、もうさっき
からただただうなだれているだけだった。
それを見て、圭織はまた罪の意識を感じたんだけど……圭織は鬼
になったからすべてを受けとめる……。

「何でそんな大事なことを、ずっと隠しつづけてたんだ」
辻のお父さんは腕を組んだまま、静かに言い放った。
「……隠すつもりはなかったの。だって、希美の障害は言わなけ
れば、わからない程度だから……」
「それでも、障害者には変わりないだろう」
辻のお父さんは、吐き捨てるように言った。

いくら血の繋がっていない親子とはいえ、そんな言い方はないだ
ろうって圭織はムカムカした。

「辻家は由緒ある家柄なんだ。いずれ、私も中央政界に進出する。
それは再婚する時に話ただろう」
大きなため息を吐き、辻のお父さんは頭を抱えた。
「離婚・再婚でただでさえ、一悶着あったんだ。再婚相手の娘が、
知的障害だなんて世間に知れたら……」
「……すみません」
って、辻のお母さんはハンカチで涙を拭いながら頭を下げた。
172 名前:第9話 投稿日:2001年08月24日(金)00時02分46秒

ただでさえ圭織の思考回路はメチャクチャだって言われるのに、
切れてしまった圭織はいつにも増してメチャクチャで……。もう
なんて言えばいいのかわからなくなって、頭を抱えて座り込んで
しまった。

「君、この子を外に出しなさい。近所に知れ渡ってしまう」
辻のお父さんの低い乾いた声が、圭織の耳に届いてきた。どこま
で、自分のことしか考えてないんだろう……。

最悪の結末になってしまった……。
この家に、辻の味方はいない。
間違いなく、この男は辻のことを理解しないばかりか、自分の不
利益になると判断して、辻に冷たい態度をとりつづける。
そして、辻のお母さんも辻にはこの経緯を話すことなく、戸惑う
辻に何もしてやることができない……。
最悪の結末だ……。
173 名前:第9話 投稿日:2001年08月24日(金)00時03分14秒

それを見た圭織は、もうなんかブチンって切れちゃって――、大
声で怒鳴ってしまった。

「いい加減にして!」
辻の両親は、顔をあげた。
「さっきから聞いてりゃ……。お母さん、なんで謝るんッスか!
辻は、こんな自分の事しか考えてないような人に頭を下げる必要
なんてない子です!」
「き、君、家庭教師の分際で何を言うんだ」
「うるさいッ。カテキョだから言ってんだよ」
辻のお母さんも目を丸くして、怒鳴り散らす圭織のことを見てた。

「お母さん、辻のいいところ今までいっぱい見てきてるでしょう。
圭織、たった2ヶ月ぐらいの付き合いだけど、それでも辻のいい
ところいっぱい見てきました。圭織、たった20年しか生きてな
いけど、辻のような綺麗な心を持った人に出会ったことありません」

「知的障害者とは、得てしてそのようなものだ」
辻のお父さんは、バツの悪そうな顔をして呟いた。
圭織は、こんな男、とことん無視してやることに決めた。

「先生……」

「1番理解してるはずなのに、なんでこんな人に謝るんですか……」
圭織は、悔しくてボロボロと泣いた。いつかの、辻のように。
「辻は誰かにバカにされるような、そんな生き方してないのに……。
なんで……」

174 名前:第9話 投稿日:2001年08月24日(金)00時05分41秒

ただでさえ圭織の思考回路はメチャクチャだって言われるのに、
切れてしまった圭織はいつにも増してメチャクチャで……。もう
なんて言えばいいのかわからなくなって、頭を抱えて座り込んで
しまった。

「君、この子を外に出しなさい。近所に知れ渡ってしまう」
辻のお父さんの低い乾いた声が、圭織の耳に届いてきた。どこま
で、自分のことしか考えてないんだろう……。

最悪の結末になってしまった……。
この家に、辻の味方はいない。
間違いなく、この男は辻のことを理解しないばかりか、自分の不
利益になると判断して、辻に冷たい態度をとりつづける。
そして、辻のお母さんも辻にはこの経緯を話すことなく、戸惑う
辻に何もしてやることができない……。
最悪の結末だ……。
175 名前:第9話 投稿日:2001年08月24日(金)00時06分46秒

「先生……」
辻のお母さんは小さな声を出しながら、圭織を立ちあがらせた。
でも、圭織は顔をあげることができなくって、うつむいたまんま、
ずっと泣き続けていた。

圭織を支えていた辻のお母さんの手が、フッと離れて寄り添って
た身体が小刻みに震え始めたのを感じて、圭織はゆっくりと顔を
あげた。

「辻……」
リビングの出入り口、開かれたままになっていたドアの向こうに、
辻が悲しそうな笑顔を浮かべて立っていた。
どうして、そこに辻が立っているんだろう……。
いつから、そこにいたのだろう……。

「希美……」
辻はお母さんの声を聞くと、その場を走り去ってしまった。
圭織の頭の中は、真っ白になった……。
176 名前:第9話 投稿日:2001年08月24日(金)00時08分45秒


【ごめんね、辻――。あの時、圭織がもっと冷静になってたら、
もっと何かが変わっていたのかも知れないね。ごめんね】

177 名前:第9話・終了 投稿日:2001年08月24日(金)00時13分11秒
>>156 更新もあと3回ほど(?)
>>157 そういえば……あんまり読んだことないです。
>>158 路線はもう一回変わります。

◆スレ番号172にご注意◆

174に掲載する分を先に掲載してしまいました。
とりあえず、172に来たら読み飛ばして下さい(苦笑)。
178 名前:136 投稿日:2001年08月24日(金)00時28分10秒
更新早くて嬉しい反面、せつなさも常につきまとうカンジ・・・。
泣きそうです。っちゅーか、泣いてばっかです。
圭織、頑張れー
179 名前:ぺぷし 投稿日:2001年08月24日(金)00時40分38秒
わーーこれからどうなんねん!
圭織の最後の言葉がこの先恐い〜!!
180 名前:50 投稿日:2001年08月24日(金)03時00分07秒
せつないなぁ。。
毎回涙があふれてきます。
がんばれ圭織! がんばれ辻ちゃん!

終わりも近づいてきたんですね。
二人が幸せになれることを祈るのみです。
181 名前:初レスです 投稿日:2001年08月24日(金)18時02分45秒
偶然こちらを見つけました。「一緒に…」の方を楽しませていただいた者です。
こちらは、とても美しくて、せつなくて、綺麗な小説ですね。
悲しい涙、嬉しい涙で混乱中です。
結末が楽しみであったり、つらくもあります。更新頑張って下さい。
182 名前:クロカル 投稿日:2001年08月25日(土)14時35分02秒
はじめましてです。読ませていただきました。
かなり感動ですぅ〜(涙)。

圭織と辻ちゃんが、病んでいきませんように・・・。

183 名前:第10話 投稿日:2001年08月25日(土)23時33分28秒

「なんで、辻のことちゃんと見てくれなかったのよ!」
圭織は辻を探しながら、電話の相手であるなっちに怒鳴った。
『だって、友達から電話があって……。その子の家に遊びに行くっ
て言うから……』
電話の向こうで、なっちはオロオロとしていた。

友達。”あいぼん”の顔が頭に浮かんだ。
「そいつが、辻のことイジメてんだよ。もうッ」
圭織は目にいっぱい涙を溜めて、電話をきった。なんの用があっ
たのか知らないけど、なんで今日に限って……。
まだ、辻には知られたくなかったのに!
圭織は狂ったように、辻の姿を探して走りまわった。

1時間ぐらい、辻の行きそうな場所を探してみたけど、どこにも
辻の姿はなくて……最悪の状況を想像してしまった。

「辻……」
子供みたいにその場にしゃがみ込んで、圭織は泣いた。
圭織のせいで……。
圭織のせいで……。
圭織のせいで……。
そんな言葉が、ずっと頭の中をぐるぐる回っていた。
184 名前:第10話 投稿日:2001年08月25日(土)23時34分58秒

泣いてばかりもいられない。
圭織は、涙を堪えながら――不安を胸の奥に押し込みながら、夕
暮れ近くなった町の中を走りつづけた。

曲がり角をまがったら、圭織の目に不意に”あいぼん”が映った。
友達と歩いているところに、偶然出くわした。

向こうも圭織に気づいたみたいで、一瞬、ハッとした表情を浮か
べた。きっと、逃げれば圭織はどこまでも追いかけたはず。

でも、”あいぼん”って子は逃げ出さなかった。
友達と一緒にいたので、逃げだせなかったのだろう。友達は圭織
に気づいていなく、ずっと”あいぼん”って子に話しかけている。

”あいぼん”が、圭織の脇をうつむいたまま通りすぎようとした。
圭織はその腕を何も言わずに掴んだ。
やっと、異変に気づいた友達が数歩進んだところで振りかえる。

圭織はその視線を無視して、うつむいている”あいぼん”に低い声
で訊ねた。
「あんた……、名前は……?」
「……」
「名前」
圭織のドスの聞いた声に、彼女はうつむいたまま身体をビクッと
震わせた。
185 名前:第10話 投稿日:2001年08月25日(土)23時36分02秒

「か、加護……、加護亜依……」
「なんで辻のこと、イジメてたの? あいぼん……」
彼女の黒目がちの瞳に映った圭織は、とても冷たい顔をしていた。
状況を察した1人は、危険を感じて走り去っていった。

でも、加護は逃げられない。
圭織が、その腕を強く掴んでいるからだ。逃げる気力さえないほ
ど怯えているので、その必要はなかったんだけど、圭織はずっと
強くその腕を掴んでいた。

「逃げてもムダだからね」
って、低い声で念を押してから、その掴んでいた腕をはなした。
加護はうつむいたまま腕を軽くさすっていたが、逃げ出そうとは
しなかった。

「辻と一緒に遊ぶんじゃなかったの?」
圭織は、ちょっと口元を歪ませながら訊ねた。
「……」
「何? 呼び出して、また2人でイジメるつもりだった?」
「……」
「今は時間がないから――。こけだけは言っとく。今度、辻をイ
ジメたら――」
186 名前:第10話 投稿日:2001年08月25日(土)23時37分46秒

圭織は、うつむく加護の顔を覗き込んで言った。
「許さないから」
――加護は何も言わずに、ずっとうつむいていた。

加護を軽く押しのけて、辻を探しに行こうとした時だった。

『ののは……』

後ろから、加護の声が聞こえてきた。その声は、少し震えている
ようだった――。

『のの、いなくなったんですか……?』

……圭織は、何も言わずにその場を立ち去った。
空はもう、かなり夕方の気配を濃くしていた。圭織は、加護の視
線を背中に感じながら辻を探し求めて駈けだした。
187 名前:第10話 投稿日:2001年08月25日(土)23時39分27秒

――午後7時。
辻の家に電話をしたけど、誰も出なかった。
どうやら、まだ辻は見つかっていないみたい。さっきから、辻の
携帯には何度も電話してるんだけど、電源が切られていて連絡が
つかない。

疲労と絶望で、圭織は意識を失いかけて、近くの電信柱によりか
かった。でも、気を失うわけにはいかない。なんとしてでも、辻
を見つけなければ――。
圭織は朦朧としながらも、夕方の町をさ迷い歩いた。

『圭織!』
圭ちゃんとなっちの声が、同時に聞こえた……。
幻聴かとも思ったけど、その声はずいぶん近くから聞こえていて。
次の瞬間には、息を切らせた圭ちゃんとなっちが駆けてきて、圭
織を両脇から支えた。

「圭織、しっかりして!」
「圭織!」
圭ちゃんの顔は相変わらずだけど、なっちも真剣な顔をしたらい
つもの愛くるしい童顔ではなくなるんだ……。
188 名前:第10話 投稿日:2001年08月25日(土)23時40分47秒

「大丈夫……」
圭織は、笑って答えた。

「ぜんぜん、大丈夫じゃないじゃない」
って、圭ちゃんはハンカチで圭織の汗を拭った。
なんか、圭織気を失う直前だったみたい。
なっちは、圭ちゃんに軽く目配せをするとどっかに向かって走っ
ていった。

「圭ちゃんもなっちも……、なんで……、ここに?」
「なんでって、辻ちゃんを探しに来たに決まってるでしょう」
圭ちゃんに支えられて、圭織は店の前にある花壇の縁に座らされ
た。

「こんなこと、してる場合じゃない……。辻、探さないと……」
立ちあがろうとしたら、上から圭ちゃんに肩を押さえつけられた。
「アタシたちも探すから、圭織はちょっとここで休憩してな」
「辻、全部聞いたみたいなの……」
圭織はまるで、救いを求めるように圭ちゃんを見上げた。

「うん……」
「圭織ね、もし説得に失敗したら辻に話すつもりだった。でも、
その前にちゃんと、辻には圭織がいるんだよって教えてあげたかっ
た。それなのにさ、辻にそれ教える前にさ」
「……」
「ねぇ、圭ちゃん。辻が死んじゃったりしたらどうしよう。圭織
のせいだよ。圭織がなんも考えずにあんなことしたから。どうし
よう、ねぇ圭ちゃん」
189 名前:第10話 投稿日:2001年08月25日(土)23時42分38秒

乾いた音が、圭織の鼓膜を振動させた。
意外と、頬の痛みはなかった。それよりも、涙を堪えながら圭織
の頬を打った圭ちゃんを見るのが辛かった。

「しっかりしなさいよ……。アンタがあきらめて、どうすんの」
「でも……」
「そだよ。ハイ、これ飲んで落ち着いて」
戻ってきたなっちが、圭織に缶ジュースを差しだした。

「わざわざ説明しなくても、辻ちゃんにはわかってるよ。圭織が
味方でいてくれるって。――ね」
なっちは、圭ちゃんに笑いかけた。
涙を堪えていた圭ちゃんも、笑顔を浮かべて言った。

「圭織がいなくなった後、辻ちゃん急に元気なくなってさ。いつ
帰ってくるんですかって3分おきに訊ねてくるしさ」
「そ。なっちがお菓子作っても、飯田さんが帰ってきてからでい
いって、すんごい泣きそうだったんだから」

圭ちゃんもなっちも、優しい微笑を浮かべていた。
辻のことを話すとき、圭織もこんな顔をしてたのかなって思った。
今も、きっと2人と同じような顔をしてるんだろうね。顔全体の
筋肉が緩んでるのが、自分でもわかったもん――。
190 名前:第10話 投稿日:2001年08月25日(土)23時44分22秒

炎天下の中ずっと走りまわっていた圭織の身体は、もうずいぶん
前から水分を欲しがってたみたいで、けっきょく缶ジュースを3
本ほど飲み干してしまった。

家の周りを重点的に調べようと3人で話し合い、それぞれの捜索
ポイントに向かおうとした時に、圭織の携帯がブルったの。

辻からの電話かと思い、あわててポケットから携帯電話を取りだ
した。

「もしもし、辻?」
『……あの』
「……誰?」
電波の状態が悪いので声がよく聞きとれない。でも、圭織にはそ
れが辻の声じゃないってのはすぐにわかった。よく似てはいたが、
辻の声ではない。

携帯のディスプレイを素早く見た。
着信表示は、圭織のメモリーに登録されていない番号だった。
191 名前:第10話 投稿日:2001年08月25日(土)23時45分41秒

「もしもし?」
ザッザッと走るノイズの向こうで、その声は言った。
『のの、見つけました。学校の体育用具室にいます』
と、だけを告げると電話は切れた。
「あ、もしもし。もしもし?」
通話音が聞こえてくるまで、圭織はそう叫んでいた。

辻のことを”のの”と呼び、そして辻によく似た声の持ち主。
電話の相手は、加護亜依だとすぐにわかった。
彼女が何で辻の居場所を知っているのか、そしてなんでそれを圭織
に教えたのか、なにも分からなかったが圭織の足は辻の通う中学校
へと無意識に駆けだしていた。

「あ、ちょっと圭織」
「何があったのよ」
って、ずっと後ろの方で圭ちゃんとなっちが叫んでいたが、圭織に
はそれを説明する暇はなかった。
ただもう、辻の姿をこの目で見るためだけに全速力で駆けていた。
192 名前:第10話 投稿日:2001年08月25日(土)23時47分28秒

体育用具室、どこ?
圭織は、誰もいないしんと静まり返った中学校の敷地内を走りま
わった。

運動場にあった野球部専用の用具室を覗いて見たけど、そこには
辻の姿はなかった。
まだ、他にあるはず。でも、どこにあるのか分からない。
圭織の通っていた中学校は、運動場のすぐ脇にあったのに……。
冷静になれ、冷静になれって、圭織は走りながら心の中で唱えた。

校舎の向こうに、体育館らしき屋根が見えて、圭織はそこに向かっ
て駆けだした。
走りながら、体育用具室は体育館にもあったことを思いだした。
圭織の通っていた中学校だけが特別じゃないよね――、もう願い
ながら体育館の重い扉を力まかせに開けたよ。

あまりの静けさに、圭織は一瞬たじろいだけど、講壇のすぐ脇にそ
れらしいスペースを見つけて、そちらに向かってゆっくりと歩きだ
した。

加護の電話が本当なら、辻はこの奥にいるはず。
圭織は、すこし緊張しながらドアノブを回した。そこは、小さな格
子付きの窓が1つしかなく、かなり薄暗かったけど、圭織はすぐに
辻の姿を見つけることができた。

辻は体育マットの上に、横たわっていた。
193 名前:第10話 投稿日:2001年08月25日(土)23時52分18秒
圭織、その姿を見て声もあげられないほど半狂乱になりかけたけ
ど、その声もあげられないってのが幸いしたんだろうね。

辻のス〜ス〜っていう呑気な寝息が聞こえてきて、ハッとわれに
帰ることができた。帰れなかったら、圭織は壊れてたかも知れな
い……。

全身の力が一気に抜けて、その場にヘナヘナと座り込んだ。

――音か気配に気づいたのか、辻はゆっくりと目を覚ました。

「?」
状況がよく飲み込めてないみたいで、辻は目をこすりながら佇む
圭織をきょとんと見ていた。
「――おはよう、辻」
圭織は、引きつった笑みながらもなんとか声を出すことができた。
状況がわかったのか、辻は圭織に背を向けてうつむいた。

「心配したよ」
「……」
「家に――、電話してもいい? お母さん、心配してるよ」
「辻は……」
「ん?」
「もう、家に帰らないのれす……」
辻の声も背も、微かに震えていた。
194 名前:第10話 投稿日:2001年08月25日(土)23時54分39秒

やっぱり、聞いてたんだね……。圭織は何も言わずに、その小さ
な震える背中を見つめていた。

「辻のお母さんはれすね、いっつもお父さんに怒られてたんれす。
勉強ができないのは、お前がしっかりしないせいらからって」
「……」
「お母さんのせいじゃないんれすよ。辻がバカらから……。れも、
辻、一生懸命がんばったんれすよ」
「……うん」

静かな体育用具室に、辻の涙を堪えて嗚咽する声だけが響いた。
悲しいBGMだったけど、圭織はそれも聞き逃さずに全部を受け
とめようと思った。

「辻がもっとかしこかったら、お母さんもお父さんも仲良くなれ
るんれす。びりっけつの辻がいたら、お母さんが怒られるだけら
もん。頑張っても、辻はれきないんらから、いない方がいい」

辻は抱えていた膝に、顔を埋めて泣いた。それでも、声を漏らさ
ないように必死で押し殺しているようだった。
195 名前:第10話 投稿日:2001年08月25日(土)23時56分40秒

抱いて慰めてあげることができれば、圭織はきっとそうしていた。
今までみたいに、”大丈夫だよ”って言葉をかけられるのなら、そ
うしてる。
でも、それじゃ今までと同じ――。

言葉やその場限りの優しさで納得させるんじゃなくて、もっと違
う何かが必要だって思えた。
ちょっと寂しいけど、それはやっぱり当り前のことで、辻はお母
さんのことが大好きなんだ……。

何にも確信はなかったけど、圭織はそうするのが一番いい方法だ
と思った。
――ちょっと乱暴だけど、泣いている辻の手を引っ張ってムリヤ
リ立ちあがらせた。

泣いて抵抗する辻を、圭織はずっと引きずるようにして歩いた。

通りすぎる人たちが振りかえったりしたけど、それでもずっと辻
を引っ張って歩きつづけた。
196 名前:第10話 投稿日:2001年08月25日(土)23時57分52秒

辻の家には灯りがついていて、その前には圭ちゃんとなっちが心
配そうに通りの左右を見渡して立っていた。
なっちが圭織たちに気づき、圭ちゃんと一緒にやって来た。

「なにやってんの、圭織」
なっちが泣いている辻に、庇うようにして寄り添った。
圭ちゃんも圭織に何か言いたそうだったが、辻の無事を報告しに
家へと戻っていった。

「……行くよ、辻」
圭織は、辻の手を引いた。
辻はその場に座り込もうとした。でも、圭織は引っ張る力を緩め
なかった。

「やめなよ、圭織」
なっちが、圭織の前に立ちはだかる。
「どいて」
軽く押しのけて、前に進もうとした。でも、なっちはまた圭織を
睨みあげるようにして前に立ちはだかる。
反対に見下ろす圭織は、とても冷たい目をしてたと思う……。
197 名前:第10話 投稿日:2001年08月25日(土)23時59分25秒

「辻ちゃん、嫌がってるっしょ」
「……」
「なんで? なっち言ったよね。ちゃんと受け止めなさいって」
「言ったよ」
「だったら、なんでこんな事するの。これじゃ、辻ちゃん突き
離してるのと同じことじゃない」

「……」
振りかえると、辻は地面にしゃがみ込んだまま泣いていた。
辻……。
圭織はね……。

「今は優しく労わるのが、圭織の役目でしょうが。こんなに泣い
てるのに」
なっちが、圭織の視線を追うように辻の側に戻った。

「辻……」
圭織の震える声に、辻を慰めていたなっちが顔をあげた。
「……圭織」
あぁ、涙が出てしまう……。止めたいのに、泣きたくないのに……。

「か……、圭織はね……」
辻が涙をぬぐいながら、顔をあげた。でも、その顔は圭織にはよ
く見えなかった。
198 名前:第10話 投稿日:2001年08月26日(日)00時00分46秒

「辻を……、辻を強い子にしたいの……。ずっと、これから先、
泣いてばかりじゃいけない。もっと、強い子になってほしい。自
分の気持ちをハッキリ言えるようになってほしい」
「……」
「辻はお母さんのことが、好きなんだよね。そうでしょ?」
「……」
辻は、嗚咽しながらもこくりとうなずいた。

「辻がそんなに泣いてばっかりいると、お母さんだってどうして
いいのかわかんなくなっちゃう。辻が自分のことバカだって言う
たびに、お母さんは自分のせいだって思っちゃうんだよ」
「……」
辻は、涙を堪えながら首を振った。

「勉強ができるからって、偉いわけじゃないんだよ。生きていく
ためには、人から愛されることが必要なの。辻は、それを持って
る。辻に出会った人は、みんな辻のことが好きになる。それが、
一番大事なことなんだよ」
「……」
「そだよ、辻ちゃん。なっちも、辻ちゃんのこと好きになったよ。
もうね、可愛いーって家に連れて帰っちゃいたいぐらい」
なっちは、辻のことをギューって強く抱きしめた。
199 名前:第10話 投稿日:2001年08月26日(日)00時02分23秒

『アタシも、辻ちゃんのこと好きだよ』

振りかえると、圭ちゃんが辻家の門扉から出てくるところだった。
「お母さん……」って、圭ちゃんは門扉の向こうに声をかけた。
しばらくすると、両手を口で覆った辻のお母さんが姿を現し、圭
織に深々と頭を下げた。

圭織も軽く礼を返した。
そして、もう1度、辻に向き直った。しゃがんで、辻と同じ目線
の高さになり、その涙をぬぐいながら言った。

「辻は、もっと自信を持ちなさい。そうすれば、辻もお母さんも
笑って暮らせるから。泣いてるより、楽しい方がいいでしょ?」
「……へい」
って、泣き笑いだったけど、その目はすっごいキラキラしていた。
「そう。よくできました。――ほら、お母さんのところに行って、
安心させてあげな。ちゃんとごめんなさい言うんだよ。心配かけ
たんだから」

辻は笑顔でうなずいて、お母さんのもとに駆けていった。
辻のお母さんも、娘へと駆け出してきた。
二人の距離が縮まって、もうすぐ2人で抱き合ったりするんだな
ぁって眺めていたら、急に辻の足が止まった。
200 名前:第10話 投稿日:2001年08月26日(日)00時03分31秒

――辻のお父さんが、門扉から出てきてた。
辻のお母さんも、辻の視線を追って振りかえりその姿を確認した
ようだ。どちらも2メートルほどの距離を開けて、立ち止まって
しまった。

「近所迷惑だと言っただろう。2人とも、家の中に戻りなさい」
辻のお父さんの近くにいた圭ちゃんが、ゆっくりとこちらに向かっ
て歩いてきているのを圭織はぼんやり眺めていた。

「まったく、君たちはどこまで迷惑をかければいいんだ」
と、わざと聞こえるように言っているのだろう、大きいひとり言
が圭織の耳にも届いてきた。

ホント、いい加減にしてほしい……。
圭織はまた、ブチンって切れそうになった。
せっかく、辻が自信を持とうとしているのに――、圭織が口を開
こうとしたのよりも、一瞬早く辻のお母さんが辻に歩みよった。

「希美。ごめんね……」
辻のお母さんは、そう言いながら辻を抱きしめた。

「君たち、早く家の中に戻れと言ってるだろう」

「また、2人だけで一緒に暮らそうか? 前みたいに、狭いアパー
トになっちゃうけど」
って、辻のお母さんは優しい笑顔を浮かべながら、辻の頭を撫で
ていた。
201 名前:第10話 投稿日:2001年08月26日(日)00時05分11秒

「おい、聞いてるのか?」
門扉からこちらにやって来ようとした辻のお父さんを、少し離れ
た場所に佇んでいた圭ちゃんがギロっと睨んで「静かにしな」と
低い声で呟いた。

辻のお父さんは、たじろいでその場から動けなくなった。
それを見た圭織となっちは、顔を見あわせて苦笑した。

「将来のことを考えたらね、お母さんなんだかすごく不安になっ
てしまってね……。希美が一生お金に苦労しないのなら、この家
で耐えようって思ったの……。でも、もういいわ。ごめんね、希
美に辛い思いさせて」
辻のお母さんは、立ちあがって圭織にまた頭を下げた。

「本当に、いろいろとご迷惑をおかけしました」
「そんな、迷惑なんてしてませんから……」
「私が弱かったばっかりに、今まで希美に苦労させてきたんです。
――ありがとうございます。希美だけじゃなくて、私も自信がつ
きました。もっと早く、先生にお会いしたかったです」
って、辻のお母さんは苦笑した。

「もういい。好きにしたまえ。――それと、家庭教師は今日限り
クビだ」
辻のお父さんは、そう怒鳴りながら家の中へと戻っていった。

辻がものすごく不安そうな顔で振り向いたけど、圭織は大丈夫だ
よって意味をこめて笑顔で辻にうなずき返した。
202 名前:第10話 投稿日:2001年08月26日(日)00時06分56秒


【圭織ね、もうすべて終わったと思ったの。こんなことになるな
んて、あの時は想像もしてなかったよ】

203 名前:第10話・終了 投稿日:2001年08月26日(日)00時12分10秒
>>178 前に比べたら、とてもゆっくり更新かも。
>>179 どのようなシチュエーションか、もうすぐです。
>>180 飯田はよくやったと思います。
>>181 たぶん、スレ(作者)を間違ってると思うんで
すが……。「一緒に…」というのは、書いた覚えが……。
>>182 はじめまして。次の更新で、辻が(略
204 名前:ぺぷし 投稿日:2001年08月26日(日)00時41分40秒
涙が涙がとまりません〜
ここから先読みたいんだけど読みたくないけど読みたいそんな気持ちです
更新楽しみにしています
205 名前:ちくしょー 投稿日:2001年08月26日(日)02時52分41秒
もう読みたくねえー!
読んだら俺の目は枯れてしまうっっ!!

……更新待ってます。
206 名前:名無し読者 投稿日:2001年08月26日(日)03時00分25秒
どんどんと、話に引き込まれていきました。
すっごい感動しています。
辻は、どうなるのでょう・・・。
一言一言が、本当に重みが有りますね。
頑張ってください。
207 名前:178 投稿日:2001年08月26日(日)03時08分23秒
やっぱり最後の圭織の「語り」が意味深すぎる・・・。
切なすぎて続き読むのがちょっとツライ。
でも読みたい・・・。うう、ジレンマだ・・・。
更新、お待ちしてます。
208 名前:とみこ 投稿日:2001年08月26日(日)13時09分48秒
涙出すぎて脱水症状になるー!!!
でも続き読みたい。
209 名前:名無し読者。 投稿日:2001年08月26日(日)14時05分37秒
本当に痛いけど、感動しっぱなしです。
皆さんの書いておられる「辛いけど続きが読みたい」、
私にもとてもよく分かります……。
作者様、どうぞ更新頑張って下さいね。
210 名前:181 投稿日:2001年08月26日(日)23時39分34秒
失礼致しました。出だしが非常に似ており、作者愛称もカテキョだったもので…
上記に関係なく感想は、その通りです。
人対人の係り方が多角から描かれており、改めて反省、発見もあったり…
今、とても切ないですが、納得感ある喜び、悲しみを期待しております。
更新、大変だと思いますが頑張って下さい。

211 名前:第11話 投稿日:2001年08月27日(月)23時27分15秒

あれから1週間が経過し、辻の環境は大きく変わった。

辻とお母さんは、あの家を出て都内にあるアパートに2人で暮ら
すことになった。
引越しの日、圭織はちょっと遅れてだけどマロンを連れて手伝い
に行った。(もちろん、辻のお母さんが犬アレルギーなので、部
屋には上げなかったけど)

最初そのアパートを見たときは、正直、すごいところに住むんだ
なぁって思ったよ。
細い路地の奥にある、築ウん十年って感じの木造アパート。
階段も廊下もギシギシ鳴っちゃって、昼間でもちょっと怖かった。
トイレも共同みたい。

「辻……、夜とか大丈夫?」
梱包を解きながら、圭織は辻に小さい声で訊ねた。
「?」って感じで辻が振りかえったから、圭織は台所のお母さん
に聞こえないようにもう1度小さな声でつぶやいた。
耳元でつぶやいたのがくすぐったかったみたいで、辻は身をよじ
らせて笑った。

その声を聞いた辻のお母さんは、圭織と辻がじゃれあってると思っ
たんだろうね苦笑しながら眺めてた。
いいね、辻。どこにいても、お母さんが見れるから――。
212 名前:第11話 投稿日:2001年08月27日(月)23時28分10秒

「本当に、先生にはいろいろとお世話になりました」

圭織を駅まで送ってくれる途中、お母さんは急に立ち止まって頭
を下げた。数メートル先を歩く辻は、マロンと遊ぶことに夢中で
気づいていない。

「ご覧のように、あんな汚いところですが、1から始めるにはい
い場所だと思います」
って、辻のお母さんは苦笑した。

「これで、本当に良かったんでしょうか……」
マロンとじゃれあっている辻の背中を見つめながら、圭織は自分
の中にあった後悔のようなものをつぶやいた。
「?」
辻のお母さんが見上げる。でも、圭織はお母さんの目を見ること
ができなかった。

「私、家を出なきゃいけないようになるなんて考えてませんでし
た……。ただ、家族3人で力を合わせていろいろな問題に取り組
んでいってほしい。それが希美ちゃんのためなんじゃないかって
思ってて……」
「気にしすぎですよ、先生」
「でも……」

もうずっと先を歩いている辻が突然振りかえって、大きく手を振っ
た。辻のお母さんは、優しい微笑を浮かべて手を振り返した。
振り返しながら、「気になさらないで下さい」って言葉だけを圭
織に向けた。
213 名前:第11話 投稿日:2001年08月27日(月)23時29分28秒

お母さんの姿に安心したんだろうね、辻はまた前を向いてマロン
と一緒に歩きはじめた。


「打算的な生活でしたから、いずれこうなってました」
「……」
「私は希美のために、あの人は選挙のために――。父の後押しと
地盤が欲しかっただけ。あ、私、こう見えても政治家の娘なんで
すよ」
辻のお母さんは、まるで少女のようにイタズラっぽく笑った。

「でも、私と両親……特に父との確執は普通じゃありませんから……。
あの人は私が自分の役に立たないと判断したんでしょうね。それ
からは――先生がご存知の通りです」
「……」
「希美のためといいながら、希美を一番苦しめてた私は母親失格
です」
「そ、そんなことありません」
「そう言っていただけるように、これからまた一から母親をやり
ます」
そう言った辻のお母さんの顔は、とても清々しい笑顔だった。
214 名前:第11話 投稿日:2001年08月27日(月)23時32分04秒

駅前に到着して、辻と2人っきりになった。
辻のお母さんは気を利かせて、ちょっと買い物にいくと言ったま
まその場所を離れた。

電車が来る時間まで、辻のお母さんが戻ってくるまで、圭織と辻
は2人だけで過ごした。

「辻、今度はここから圭織の家までの電車覚えようね」
「へい」
「辻、新しい学校の話、ちゃんと聞かせてね」
「へい」

微笑む圭織に、テヘテヘ笑って見上げてる辻。
周りの人には、どんな2人に見えるんだろうね。変に見られても、
圭織はぜんぜん構わない。だって、圭織はこの笑顔を見るために、
今まで頑張ってきたんだもん。

職も失ってさ、来月の生活はどうしようとか思うけどさ、それで
もいいんだ。だって圭織には、辻の笑顔が最高のご褒美なんだか
ら。

イジメの問題も学校の転校という事で、とりあえずは解決したし、
もうこれ以上は何もないと思って圭織は安心して辻の笑顔を微笑
みながら眺めてたんだ。

……でも、都会のカラスは狡猾で、2人のことを雑踏に紛れて覗っ
ていた。圭織も辻も、その存在に気づくことなく、互いの家に戻っ
て行った。
215 名前:第11話 投稿日:2001年08月27日(月)23時33分01秒

数日後。
小・中・高にとっては、夏休み最後の日。
圭織は、いつものように大学の図書室にいた。そろそろ、レポー
トの追いこみをかけなければいけない。

でも、その作業はなかなか進まなかった。
レポートの作成が難しいのではなく、今日で辻の夏休みも終わるっ
てことが気になって仕方がなかったからなの。

新しい学校では普通学級に籍を置いてフリースクールに通い、そ
こで辻に合った個別学習を行ない卒業までの単位をとることになっ
ている。圭ちゃんが提案して、辻とお母さんが納得してそうする
ことになった。

イジメの問題もないとは言い難いけど、たぶん大丈夫だろうって
圭ちゃんは言ってた。圭織もそう思う。
もう、辻は一人ぼっちで全部を抱え込む事はない。
辻の周りにはお母さんもいるし、圭織も圭ちゃんやなっちもいる。
何かがあれば、圭織がすぐにすっ飛んでってあげるから大丈夫。

問題なのは……、新しい友達ができるかってこと。
辻は人見知りする子だし、なんかイジメって気づかないで苛めら
れそうな気もしないでもない。
あの加護亜依のように、友達の顔をして近づいてくれば辻は絶対
に受け入れてしまうだろうね――。
216 名前:第11話 投稿日:2001年08月27日(月)23時33分48秒

加護亜依……。

圭織、最初にお祭りの日に会ったとき、まさか辻のことを苛めて
るなんて思いもしなかった。
何か言いたそうだったあの時の辻。ちゃんと圭織が訊いてあげて
れば……。あそこで、ガツンと言ってやれたのに。

でも、おかしいんだ……。
最初は浮かない顔をしてた辻も、次に圭織が見た時はどこにでも
いる中学生同士みたいに2人で笑いあってた。
辻は、愛想笑いなんかできるほど器用じゃない。
それなのに、なんで……?

そういえば、加護はなんで辻の居場所を知ってたんだろう……。
なんで、圭織に辻の居場所を教えたんだろう……。
なんで、圭織の携帯番号知ってんの……。

今さらになって、そんな疑問が浮かんだ。
217 名前:第11話 投稿日:2001年08月27日(月)23時36分35秒

大学から、直接、辻の家を訪れた。そこで、圭織は不思議な錯覚に
陥った。
――前にも、こんな事があった。
加護が、辻の家の前に立って部屋を見上げていたこと。

でも、なんで加護は新しい引越し先を知ってるんだろう。
辻が教えたのかなぁ……。
圭織は、ぼんやりとアパートの前に佇む加護の背中を見つめていた。

でも、次の瞬間にはハッとわれに帰った。
だって、辻を苛めてた加護が引越し先のアパートにまで来てるんだ
もん。なんでこんなとこまでって、憤りに近いものさえ感じる。

あの時は、いなくなった辻を探すので頭がいっぱいだったからすぐ
に解放してあげたけど、今度は逃がさないんだから。なんで、こん
なところまで来たのか、ちゃんと問いつめてやんだから。

って、意気込んでたのが悪かったのかどうか、加護が圭織の気配に
気づいて振りかえった。そして、逃げた。
細い路地をその小さな体をいかして、あっという間に圭織の視界か
ら消えた。
218 名前:第11話 投稿日:2001年08月27日(月)23時37分48秒

追いかけるよりも圭織はあることを思い出して、たまらなく不安に
なった。辻が苛められてケガをしてるんじゃないかって――。
だって、前もこんなことがあって辻の部屋に行ったら、辻は眼帯を
してて――。

辻はその時、転んだだけだって言ったけど、あれは加護がやったの
かもしれない。加護は、辻が親に告げ口しないかどうか監視してた
んだ。

圭織は、加護を追いかけるよりも、アパートの階段を一気に駆けあ
がった。辻が、また眼帯なんかしてたら今度こそ、加護の住所を聞
き出して家に怒鳴り込んで言ってやろうって考えていた。

「辻……」
ドアを開けてくれたのは辻で、別になんともなってないこの前会っ
たままの辻だった。
息を切らせて血相を変えている圭織を、きょとんとして見上げてい
る。それでも、不安は拭えなくて――。

「大丈夫? 加護になんかされなかった?」
「? かご?」
「加護。加護亜依」
「あいぼん?」
「そう」

辻は、やっぱりきょとんとした顔で圭織のことを見上げていた。
219 名前:第11話 投稿日:2001年08月27日(月)23時39分01秒

辻のお母さんは、就職活動に出かけてて留守にしていた。
偶然なんだろうか、それともこんなときを狙って加護はアパートに
やって来たのだろうか……。
どちらにせよ、加護の存在は危険なように思えた。

「辻は、あいぼんって子にここの住所教えた?」
「まだれすよ」
「……」

教えてない……。
じゃあ、なんで知ってるんだろう……。

「いいらさん?」
「――ん?」
「あいぼんは、辻のお友達なんれすよ」
辻は、微笑みながらそう言った。

はっきり言って、圭織には辻の言葉が理解できなかった。
手足に擦り傷をたくさんつけられ、眼帯までしなければならない傷
を負わされ、それでも微笑んで友達と呼ぶ――。

でも、それが辻なのかもしんない。
たとえ嫌なことをされても、相手のいいところだけを見つづけてん
だろうね。なんか、そんな気がした。
220 名前:第11話 投稿日:2001年08月27日(月)23時40分13秒

午後6時過ぎ。
辻のお母さんが帰ってきたから、もう大丈夫だろうと思って圭織も
自分のアパートに戻る事にした。

辻が駅まで見送ってくれることになった。
圭織は、もう遅いからいいよって断ったんだけど、辻はテヘテヘ笑
いながら組んだ右腕を離そうとしなかった。

仕方ないから、駅まで一緒に歩くことにしたんだ。

夕暮れの駅までの道を、2人で腕を組んだまま歩いた。
いろんな話をしたんだ。

辻はなぜか、昔の話をしたの。
圭織が初めて家に来た時、本当は怖かっただとか、プールの話とか、
お祭りの日の話だとか、カラオケにまた行きましょうねとか、映画
のパンフレットは宝物だとか――なんか、圭織との思い出話をずっ
と微笑みながら話てた。

夏休みも今日で終わるから、なんかちょっとセンチメンタルな気分
になってんのかな?
だから、圭織言ってやったんだ。

「辻。圭織はもう辻の家庭教師じゃないけど、ずっと友達だからね」
って。いろんな意味をこめて言ったつもりなんだけど、辻にはわかっ
たのかなぁ。

しばらくボーっと圭織の顔を見上げてたけど、「へい」って笑顔で
うなずいてくれた。
221 名前:第11話 投稿日:2001年08月27日(月)23時41分29秒

「れも、いいらさんは辻の家庭教師れすよ」
「ん?」
「らって、今日も家で勉強教えてくたんれす」

家庭教師ってそう言う意味だったんだっけか?って、圭織もわか
らなくなった。

「辻はれすね、頭が悪くて良かったんれす」
「……?」
「バカらから、ずっといいらさんに勉強教えてもらえるもん」
って、キラキラした笑顔で圭織の腕にしがみついてきた。

「辻……」
なんかわかんないけど、また涙があふれそうになった。でもさ、こ
の前、辻に言ったじゃん。泣いてばかりいちゃダメって。だからさ、
やっぱりそう言った圭織が真っ先に涙なんか見せちゃったりしちゃ
いけないわけで……、でも、必死で堪えてたんだけど勝手にあふれ
だしてきて……。あわてて、上を向いて涙を隠した。
ありがとう、辻。嬉しい、嬉しいよ……。

でも、幸せってそう長くは続かないんだね。
加護が辻のアパートにいた時から、なんとなくそんな感じがしてた。
また、加護は辻の前に姿を現すって――。
222 名前:第11話 投稿日:2001年08月27日(月)23時43分17秒

駅前の雑踏の中、一番最初に加護の姿を見つけたのは辻だった。
あのお祭りの日のように、うつむき加減で歩いていた足を止めた。

圭織もすぐその姿に、気づいた。
なぜなら、駅へと向かう人々の流れとは逆に、加護がずっと辻を見つ
めながらこちらに歩いてきてたから。

圭織は、咄嗟に辻を自分の後ろに隠した。
加護は怯むことなく、やってきた。そして、圭織の後ろからちょこん
と顔を出している辻を、悲しそうな顔で見つめた。

「な、何の用なの?」
不気味だった。加護は何かを決心しているような、なんかそんな雰囲
気が漂っていた……。

「のの……」
か細い声を出しながら、加護は辻に手を差し伸べた。
「ごめんね、いじめたりして……」
加護は、関西弁のイントネーションで辻に話しかけた。
わざとなのか、それとも関西の出身なのか圭織にはわからなかったけ
ど、辻は別段驚くでもなくむしろどちらかと言うとその喋り方に安心
しているようだった。

「のののこといじめるの嫌やった……」
加護はそこが夕方のラッシュを迎え、混みつつある駅前だという事も
忘れて顔をクシャクシャにして泣きはじめた。
圭織には、さっぱり状況が飲みこめない。
苛めることが嫌だった……?
223 名前:第11話 投稿日:2001年08月27日(月)23時45分50秒

辻を見ると、辻はとても優しい表情を浮かべて圭織の後ろから、加護
の前へと出てきた。

「あいぼん」
って、泣いている加護の両手を包み込む。
「辻……、どう言うことなの?」
「あいぼんは、辻のお友達なんれすよ」
「……」
圭織には、それがわからない。だから、訊いてるのに……。もっと別
の訊き方をすればいいんだろうけど、混乱していた圭織にはそんな余
裕はなかった。

もう少し詳しく知りたい……。
その欲求に答えたのは、泣き崩れている加護だった。

「ごめんな……のの。ウチ、もう嫌や……」
加護は涙をぬぐうと、フラフラと立ちあがった。
「い、嫌って……、何が嫌なの」
「あんたが全部悪いんや……」
「な、なんで圭織が悪いのよ」
加護がこっちを向いて話すから、てっきり圭織の事を言ってると思っ
た。でも、よく見ると加護の目は圭織の後ろに向けられていて……。
224 名前:第11話 投稿日:2001年08月27日(月)23時48分23秒

加護の視線を追って、振りかえると見覚えのある少女が圭織の後方に
佇んでいた。
圭織と同じような髪の色をした、圭織の学生証を届けてくれた、アニ
メ声の少女。

「あれ? なんで、こんなとこにいんの?」
圭織は、思わず声をかけた。まぁ、どこにいてもいいんだけど、今ま
では近所で会ってたから、ちょっとびっくりしてね。
――少女は、両手で口を押さえてクスクス笑っていた。

「急に呼び出すからなんだと思ったら、こんなことだったんだ」
「のの……、それに、先生」
加護が、少女を見据えながら2人に声をかけてきた。
辻と圭織は、訳がわからずに互いの顔を見合わせた。

「ののをイジメるようにウチに命令してたのは、あの人なんです」
と、少女を指さした。
「なに言ってんの? あいぼん」
少女は、笑っていた。

「……どういうこと?」
「もう、冗談はやめてよ。あいぼん」
笑う少女を見て、辻が圭織の後ろに身を隠した。本能的に、少女から
何かを感じたんだろうね。圭織も何か、嫌な予感がしていた。
225 名前:第11話 投稿日:2001年08月27日(月)23時53分35秒

「ウチとののは、去年の同じ頃に転校してきたんです」
加護が、圭織に向かって話しかけてきた。幼い喋り方だったが、ひど
く興奮しているのはわかった。

「2人とも友達がいてへんかったから、すぐに仲良くなって……、休
み時間2人で遊んだり、一緒に帰ったり」
――加護は、辻にうなずきかけた。
辻も、加護にうなずき返す。

「そしたら、急にあの人が加護の家に来て……」
加護が、チラリと少女に視線を向けた。
少女は、声もあげずに笑顔だけを浮かべて圭織たちを見ていた。

「ののをイジメるように言ってきたんです……」
「……なんで? あの子、高校生でしょ? 辻、あの子のこと知って
る?」
辻は、少女をチラリと見て怯えながら首を振った。

「けど、ほんまにそうやって言ったんです」
「なんだかよく分からないけど、つまりあいぼんは自分は悪くないっ
て言いたいのね。わかったよ……、あいぼん……。飯田さん、彼女の
好きなようにさせて下さい」
少女が、哀れみにも似た声で語りかけてきた。
なんで圭織の名前知ってんだろうとか思ったけど、そう言えば学生証
に名前書いてあったんだっけ。
226 名前:第11話 投稿日:2001年08月27日(月)23時54分30秒

少女の言うように、加護が責任を転化しようとしている風にとれない
こともない。
だって、圭織はこの目で加護が辻を叩くところを見たんだから。
簡単に信じろっていう方が、どうかしている――、加護にそう告げよ
うとしたら圭織の後ろから声が聞こえてきた。

「あいぼんは、ウソなんかつかないもん……」
「辻……」
「いいらさん、あいぼんは辻のお友達なんれすよ。辻が学校で苛めら
れて体育館に逃げたら、いっつも迎えに来てくれるんれすよ。あいぼ
ん、学校では辻のこと叩いたりしないんれすよ」

その言葉を聞いて、圭織の中で1つの疑問が消えた。
大学の図書室で浮かんだ疑問――なんで加護は、辻の居場所を知って
いたのか……。
加護は辛い目にあった辻が、家以外に逃げ込む場所を知っていたんだ。
ただ苛めるだけじゃ、そんな事を知る必要なんてない。
それに、辻がここまで庇うんだ――。

加護を信じる糸が、1つ結ばれたような気がした。

「加護……、あんたなんで圭織の携帯番号知ってたの?」
「あの人が、教えくれたんです。番号を変えさせるまで、イタズラ電
話しろって」
「……辻の新しい住所は」
「それも」
と、加護は少女を指さした。少女は、もう笑っていなかった。ただ、
虚ろな目でこちらを眺めていた。

結ばれた糸は、新しい答えを見つけたみたい。
227 名前:第11話 投稿日:2001年08月27日(月)23時56分09秒

「ぶつかったのは、偶然じゃないみたいね……」
少女は、口もとだけを歪ませながら「ええ」とつぶやいた。
「……何がしたかったの、いったい」
「保田さんや、安部さんのことを調べてるうちに、計画がちょっと
狂っちゃった」
「圭ちゃんやなっち……?」

「あの人、相手のこと全部調べてから脅迫してくるんや」
加護が少女を指さしながら、泣き叫んだ。
「言うこと聞けへんかったら、弟のこと事故に見せかけて殺すって」
加護の叫びを聞きながら、少女はニコニコと笑った。
「ウチのことかて、ナイフで……」

佳織は、思わず目をそらした。
後ろに隠れていた辻も、同じようにしている。
上着を捲り上げた加護のお腹は……無数の切り傷があった。どれも、
縫合が必要なほど深い傷ではなく、浅い傷ばかりが数十もしかしたら
100近くあるのかもしれない。

「せやから、うち……、怖かったから」
加護はその場に、泣き崩れた。泣きながら、「ごめんな、のの」と何
度も謝っていた――。

「アンタ……、これって犯罪だよ……。こんなことするなんて……。
異常だよ……」
「私がやったなんて証拠は、どこにもないじゃないですかぁ」
少女は、警察には捕まらないって言う、絶対的な自信があるんだろう。
余裕の笑みを浮かべていた。
228 名前:第11話 投稿日:2001年08月27日(月)23時57分49秒

「辻は、アンタのこと知らないって言ってる。それなのに、なんで?
辻は誰かに恨まれるようなことは、絶対にしない」
「ええ。そうですね。私も希美さんに何かされた覚えはありません」
「じゃあ、なんでこんな事すんのよ!」

少女はただ、ニコニコと佇んでいる。
泣きじゃくっている加護。オロオロと加護の側に寄り添っている辻。
通行人は、圭織たちを遠巻き避けて歩いていた。

少女の目的が、見えない。
でも、このまま少女を逃がすわけにはいかない。
また必ず、辻や加護を狙ってくるに違いない。2人だけじゃない。
圭ちゃんやなっちにまで、危害を加える恐れがある。

だけど、どうすればいいのかわからない。
少女は、直接的に辻に何かをしたわけでもないし、加護に対しても
きっと証拠なんかは残していないのだろう。
警察に通報しても、あまり意味がないように思えた。

もう、何もかもが終わったって思ってたのに……。
最後の最後に、いや最初から辻の背後にこの少女はいたんだ……。
怖い。正直、そう思った。

「あいぼん、私を騙した代償は大きいからね」
少女は、クスッと笑って立ち去ろうとした。
加護はその言葉を聞いて、ブルブルと身を震わせた。
「まだ話は終わってない!」
圭織の言葉に、少女は面倒くさそうに振りかえる。
229 名前:第11話 投稿日:2001年08月28日(火)00時01分45秒

「なんですか? もう、いいじゃないですか。話し合いなんて、ム
ダですよ〜」

呼び止めたものの、圭織にはその後の言葉は浮かんでこなかった。
少女の目的が見えないことには、この問題の解決口がわからない。
でも、もし仮に見つかったとしても、はたしてこの少女に圭織の説
得は通用するのかどうか……。

「辻、何をされてもいいれすよ」

辻の声に、少女がピクリと反応した。
対峙している圭織の視界に、辻が入ってきた。少女に向かって歩い
ていこうとしているみたいだったので、圭織はあわててその腕を掴
んで止めた。

「辻、何言ってんの!」
「辻はれすね、イジメられるのに慣れてるんれす」
そう言って、辻はテヘテヘと笑った。
「ダメ! そんなの、圭織が絶対にさせないんだから!」
圭織は、辻をどこにも行かせないようにその身体を強く抱きしめた。

「らって、あいぼんが泣くの嫌らもん」
「だったら、加護も一緒に守ってあげる。圭織だって、辻が泣いて
るの嫌だもの」
辻を抱きしめながら、圭織は不意に閃いた。
――少女の目的が解けそうになった。
229 名前:第11話 投稿日:2001年08月28日(火)00時05分31秒

「なんですか? もう、いいじゃないですか。話し合いなんて、ム
ダですよ〜」

呼び止めたものの、圭織にはその後の言葉は浮かんでこなかった。
少女の目的が見えないことには、この問題の解決口がわからない。
でも、もし仮に見つかったとしても、はたしてこの少女に圭織の説
得は通用するのかどうか……。

「辻、何をされてもいいれすよ」

辻の声に、少女がピクリと反応した。
対峙している圭織の視界に、辻が入ってきた。少女に向かって歩い
ていこうとしているみたいだったので、圭織はあわててその腕を掴
んで止めた。

「辻、何言ってんの!」
「辻はれすね、イジメられるのに慣れてるんれす」
そう言って、辻はテヘテヘと笑った。
「ダメ! そんなの、圭織が絶対にさせないんだから!」
圭織は、辻をどこにも行かせないようにその身体を強く抱きしめた。

「らって、あいぼんが泣くの嫌らもん」
「だったら、加護も一緒に守ってあげる。圭織だって、辻が泣いて
るの嫌だもの」
辻を抱きしめながら、圭織は不意に閃いた。
――少女の目的が解けそうになった。
230 名前:第11話 投稿日:2001年08月28日(火)00時08分50秒

少女は、辻を孤立状態にしようとしてる。
辻から仲の良かった加護を引き離し、圭織も引き離そうとした。

孤立状態になった辻が、最後に頼るべき相手……。
それは、きっとお母さんだろう。
ひょっとして、少女の目的は辻とお母さんさえも引き離そうとして
るんじゃないかって不意に閃いたの。

辻だけが目的なのではなく、ひょっとしたら辻のお母さんも標的に
入ってるんじゃないかって。ううん。少女はさっき、辻には何かさ
れた覚えがないって言った。

「どうしたんですか? くだらないお芝居は、もう終わったんです
か?」
って、辻を抱いたままずっと少女のことを見据えている圭織に、少
女は皮肉っぽく言った。

でも、そうしたらまた新しい疑問が浮かんだ。
なんで、辻のお母さんがあの少女に関係あるんだって――。
その疑問は、少女にぶつけることにした。もしも、圭織の推測が正
しければ、なんらかのリアクションがあるはず。余裕であればある
ほど、不意にその核心を突かれれば動揺するはず。
圭織は、少女の表情を見逃さないようにした。

「あなたの目的は、辻のお母さんね」

圭織は、その一瞬の表情を見逃さなかった。
クスクスと笑っていた少女が、ほんの一瞬だけその笑いを止めた。
231 名前:第11話 投稿日:2001年08月28日(火)00時09分57秒

「は? 何、言ってるんですか? 飯田さん」
クスクスと笑っていたが、圭織にはその笑いがさっきほど余裕のあ
る笑いには見えなかった。

「圭織は、先月から辻の家庭教師になった。でも、アンタはそのずっ
と前から加護を使って辻をイジメてた。そこがポイントなんだよ」
「どういうことですか?」
「アンタの目的は、辻を孤立状態にして、それを辻のお母さんに気
づかせることだった」
「言ってる意味が、わからないですよ〜」

「でも、辻はイジメに耐えた。辻には辻の事情があって、お母さん
には言えなかったの。あんたは、それを知らなかった。まず、第1
の誤算ね」
「……」
「第2の誤算は、ただの家庭教師が辻とこんなに仲良くなるなんて
考えてなかったこと。たぶん、アンタはずっと辻の家を監視してた。
今までみたいにすぐに辞めていくと思ってた。そうでしょ?」
「……言っている意味が分かりません」
少女から、いつの間にか笑顔が消えた。

「あんたの計画になかった圭織が、辻のイジメに気づいた。だから、
アンタは焦って圭織の情報を集めようと姿を現したんだね」
「……」
「圭織が気づいて、辻のお母さんに相談でもしたら、この計画はす
べて白紙になる。だって、辻にもお母さんにも、私という相談者が
できるんだもん。だから、なんとかして辻と引き離したかった」
「……」
232 名前:第11話 投稿日:2001年08月28日(火)00時12分40秒

「そうでしょ?」
「……全部、飯田さんの推測ですよ」
少女は、無理に笑顔を浮かべた。そして、圭織へと向けていた視線
をゆっくりと辻に向けた。

「正解は、あなたを自殺に追い込んで、母親に罪の意識を感じさせ
ることだったりして」
虚ろな目で見つめられた辻は、身体を硬直させた。
まるで、少女から見えない糸が伸びているようだった。その戦慄の
計画は圭織の動きも止めた。

カチカチカチと何かが、圭織の耳に届いてきた。
いつの間にか泣き止んでいた加護が、スッと立ちあがった。
「あいぼん」
辻が、少女へと歩いていく加護の背に向かって名前を呼んだ。

「ウチ、もう嫌やねん……」
歩きながら、ポツリとつぶやいたようだった。
辻が、とつぜん加護に向かって走っていったから、そっちに気をと
られてた。

加護が持っていたカッターナイフで、少女に切りつけようとした。
少女は、それに気づいて身をかわしたんだ。
でも、加護はあきらめなくって何かを叫びながら、少女に向かって
いった。

通行人たちから、悲鳴が上がって――。
大勢の人が、逃げ惑った。圭織は、パニックになった通行人たちの
中から辻の姿を必死に探した。
でも、どこにもいなくって――。
233 名前:第11話 投稿日:2001年08月28日(火)00時14分04秒

押し寄せる人ごみをかき分けて、加護たちの元へやっと向かった。
腰を抜かした少女がいて、その前に加護を取り押さえている辻がい
た。

「のの、離してっ」
「嫌」
「こいつ殺さな、ずっと苛められんねんッ。弟も殺されるッ。離し
て!」
「嫌らー!」
加護はカッターナイフを振りまわしながら、叫んでいた。

「加護ッ」
圭織は、加護に走り寄りその手からカッターナイフを奪い取った。
「何やってんだよ! こんなもん、振りまわして!」
初めて、人の頬を平手で殴った。殴られた加護は、涙の滲む目で
キッと圭織を見上げた。

「殺さな、あかんねん! 殺さな、こっちが殺される!」
「バカなこと、言わないの! そんなこと、私がさせないって言っ
たでしょう!」
「飯田さんは、知らんからそんなこと言えんねん! こいつ……」

少女がスッと立ちあがり、スカートの汚れを払った。
人だかりの中から、電話で警察に通報している声が聞こえた。

「殺人未遂の現行犯ってことでいいかな?」
「だったら、アンタも詳しく調べられるわよ」
「……」
「加護。大丈夫だかんね。圭織がちゃんと証人になってあげる」
警察に通報されて絶望的になったのか、加護はその場にヘナヘナ
と崩れ落ちた。
234 名前:第11話 投稿日:2001年08月28日(火)00時15分47秒

「なんでもあんたの計画通りになると思ったら、大間違いなんだ
から。恐怖で人を支配しても――辻……」
辻が、圭織の袖を引っぱった。

「なに?」
「辻、思い出したんれす」
「思い出したって……、何を?」
辻は、黙ってうつむき加減で少女を指さした。

「お父さんと、一緒にいたのを見たんれす……」
「お父さんって……、あの家の?」
辻は、こくりとうなずいた。最後の糸が結ばれたような気がした。
ううん。きっと、結ばれたんだろうね。これで、少女の目的がハッ
キリした。なんで、辻とお母さんを狙っていたのか――。

「娘……。あの家の娘だったんだ……」
辻のお母さんは、再婚の時、揉めたって言っていた。それと、関係
があるんだろう。

「あなたの母親が、すべてを壊したのよ」
少女は、辻を見つめながら笑顔を浮かべて優しい口調で語りかけた。

「たしかに、私のお母様には何もなかった。でも、一生懸命、お父
様に尽くしてきたの。なんの後ろ盾もないお父様を、支えてきたの
に……。あなたの母親が現われたら、簡単に捨てられたちゃった」
「ちょっと、待って」
圭織は、少女の言葉を遮った。でも、少女は言葉を止めようとはし
なかった。感情も抑揚もない、平らな口調。身震いがするほど、不
気味だった。
235 名前:第11話 投稿日:2001年08月28日(火)00時17分52秒

「お母様は、毎日のように泣いてた。お母様にとって、お父様はす
べてだったのよ。あなたの母親がお父様を誘惑しなければ、お母様
は捨てられなかったし自殺する事もなかった」

加護の側に寄り添っていた辻が、その言葉を聞いて目を伏せた。

「違う。辻のお母さんは、そんなこと」
「そんな事ありますよ。けっきょく、娘のためと言っても、財産が
目的じゃないですか」
少女にはすべて、筒抜けになっているようだった。
きっと、辻の家には盗聴器が仕掛けられているんだろう。

「あの日――、加護に、辻を呼び戻すように指示したのも……」
「そうですよ。ついでに、お父様も呼んであげました。障害のお話
をするのは、飯田さんたちがアパートで話してるのを聞いて知って
ましたから」
「あんた……、狂ってる……」
「そんなことありませんよ〜」
って、少女は口元に手をあてて笑った。

「辻は……」
辻の声に、少女がピクリと反応した。口元に手をあててはいたが、
目は冷静に辻を捉えていた。

「いいらさん、辻はやっぱりイジメられてもいいんれす」
辻は、優しい微笑を浮かべていた。
「やっぱり、ちょっと弱いみたい。何にもわかってないわね」
少女は、皮肉いっぱいの笑みを浮かべた。
236 名前:第11話 投稿日:2001年08月28日(火)00時20分29秒

サイレンの音が聞こえ、パトカーが近づいて来るのがわかった。
少女が、虚ろな微笑を浮かべて音のする方向を眺めた。

「もう、終わりや……」
誰に向かっていった言葉なのか、加護の寂しそうな声が圭織の耳に
届いた。

「――。――――。」
近づいてくるパトカーのサイレンの音が大きすぎて、少女が何を喋っ
たのかまったく聞こえなかった。
でも、少女は何かをつぶやいた。
虚ろな笑みは、消えて、一瞬だけ悲しそうに微笑んだ。
でも、すぐ次の瞬間にはゾクッとするほど表情を無くした。

何を喋ったんだろうって、圭織は考えてて……。
まるで、何もかもがスローモーションみたいだった。

少女が無表情のまんま、辻に向かって走りだしたんだ。
加護が「ののっ!」て、叫んだ。
辻は、きょとんとした顔のまんまで加護の方を向いて――。
そこから、圭織はあまり覚えてない。

少女に突き飛ばされた辻が、車道へと出てしまったのまでは覚えて
る。ほんの一瞬、圭織は辻と目があった。そして、辻は少女に何か
つぶやいた。でも、次の瞬間に――。
ドンッていう鈍い衝撃音と、車の急ブレーキの音が辺りに鳴り響いた。
237 名前:第11話 投稿日:2001年08月28日(火)00時21分58秒


【もう怖いものなんてないんだよ。辻がいつでも戻って来れるよう
に、ちゃんと頑張ったから。いつでも戻ってきていいんだよ】

238 名前:第11話・終了 投稿日:2001年08月28日(火)00時27分15秒
>>204-210 
次で終了します。
うっかりと余計なことを書く恐れがあるので、すみませんが個別の
レスは控えさせていただきました。何卒、ご了承くださいm(__)m

※それと、ここのレス数とindex上段のレス数が合ってないよ
うな気が……。何か不具合でも起きるんでしょうか……。あと、1回
なのに(^^;
239 名前:51 投稿日:2001年08月28日(火)00時30分08秒
次回最終回、幸せな未来がありますように…。
240 名前:ぺぷし 投稿日:2001年08月28日(火)00時38分00秒
最終回楽しみにまっています
続きが気になって夜、寝れません
241 名前:207 投稿日:2001年08月28日(火)00時49分36秒
最終回、楽しみにしています。
この切なさや辛さが救われるような結末でありますように。
242 名前:206 投稿日:2001年08月28日(火)05時33分38秒
辻か無事であると良いなと願いつつ、
最終回、楽しみにしています。
243 名前:■お知らせ 投稿日:2001年08月30日(木)00時32分51秒
200kをオーバーしたので、新スレに移行しようかと思ったのですが、
たった1回の更新分しか使いません。
完全なる駄スレになるので、最終回は自分のHPに掲載する事にしま
した。もしよろしければ、そちらで続きをご覧下さい。

カテキョ・第1話〜最終話(+α)
http://members.tripod.co.jp/a24_box/kate/page2.htm

短い間でしたが、ご愛読ありがとうございました。
244 名前:名無し読者 投稿日:2001年08月30日(木)01時53分26秒
いい話、ありがとう。
泣きました・・・最高です
245 名前:ちくしょー 投稿日:2001年08月30日(木)02時47分45秒
なんと、導かれし作者さんだったのか。
俺って馬鹿……
246 名前:名無し読者 投稿日:2001年08月30日(木)02時53分49秒
感動しました。
久しぶりに泣ける小説に出会いました。
ありがとうございました。
大満足です。
247 名前:名無し読者。 投稿日:2001年08月30日(木)02時59分10秒
作者様、お疲れ様でした。
本当にありがとうございました。
モニタがかすんでよく見えません……。
248 名前:とみこ 投稿日:2001年08月30日(木)15時29分00秒
文章に泣かされたのはこの小説が初めてです。
番外編のB番で辻ちゃんの意識が戻ってよかったです。
作者様、本当にお疲れ様でした。
そして、私だけではないと思いますが、この小説「カテキョ」の読者として
たくさんの感動をありがとうございました。
249 名前:JZA−70 投稿日:2001年08月30日(木)23時15分43秒
感極まり…です。適当な言葉が見つかりません。(ハンドタオル1枚終了)
他の方のレスに同意で、私には陳腐な感想しか言えそうにありません。
その後の、ののがとても気になります。
願わくば、もう一度マロンと好き勝手に戯れさせてあげたい……
「願いは何時かきっとかなうよね?」そう思わずにはいられません。
作者様、大変お疲れ様でした。又、駄レスすいませんでした。

250 名前:名無し読者 投稿日:2001年08月30日(木)23時49分38秒
>248
>番外編のB番で...

これ書いちゃいかんだろ・・・、今から読む人もいるうだろうに・・・
251 名前:名無し読者 投稿日:2001年08月31日(金)00時00分42秒
初めて第1話を見たとき、その設定だけで今後面白くなっていくと直感しました。
そしてそれからずっと、期待以上に楽しませていただきました。
作者さんの作品には泣かされっぱなしです。ありがとうございました。
252 名前:とみこ 投稿日:2001年08月31日(金)08時51分22秒
>>250
すみません・・・(泣)
感動のあまり・・・
253 名前:クロカル 投稿日:2001年08月31日(金)15時44分46秒
感動しました。
実は導かれし娘。でもかなり感涙してしまったのです。
作者さんが同一人物だったとは・・・。
とても優しい気持ちになれる作品ですね。二つとも。
どうもありがとうございました。
254 名前:名無し読者 投稿日:2001年08月31日(金)23時29分40秒
掲示板、無くなってしまった……。
マジレス、返そうかと思ったのに……。
255 名前:名無し読者 投稿日:2001年09月02日(日)18時51分26秒
ほぼ毎回泣いたけど号泣。
作者さん、ありがとう&お疲れ様。
256 名前:名無し娘。 投稿日:2001年09月03日(月)09時05分11秒
導かれし娘。の番外編が更新されていないか
確認をするために「A24 娘。小説置き場」に出向き
この「カテキョ」の存在を知りました。
完結してからの一気読み。

良かったです。
久しぶりに心が温まる話を読みました。

作者さんの文章の上手さにも驚きました。
そのなかでも上で>>248さんが書いている
番外編で第三者の視点から状況を説明しているのが
秀逸だと思いました。

では次回作をお待ちしています。
257 名前:名無し読者 投稿日:2001年09月03日(月)11時25分51秒
感動しました。こんなに泣いたのはどれくらいぶりでしょうか…。
読み終えた後、「導かれし娘。」の作者さんと同一人物だと知りました。
「導かれし〜」も素晴らしい作品だと感動していたので
作者さんには感心するばかりです。

ホントに涙と鼻水でグチャグチャです。
こんな作品を読めたことに感謝しています。
258 名前:初レスです 投稿日:2001年09月03日(月)21時07分21秒
もう言いたい事が殆ど出されてるので、簡単にまとめます。
この小説を読めて良かったです。
259 名前:名無し読者 投稿日:2001年09月16日(日)05時22分15秒
全部読ませていただきました
【導かれし娘。】で悲しくなってしまったのですが、
こっちでハッピーな気分になれました
本当に良かったです
次回作に大期待
260 名前:名無し読者 投稿日:2001年09月20日(木)02時21分18秒
一気に全部読みました。
マジ泣きしました。
感動です。
261 名前:名無しさん 投稿日:2001年09月21日(金)07時34分18秒
今更ですいません。
>>62で作者さんが言っていた「遊び」とはなんなんでしょう??
262 名前:名無し読者 投稿日:2001年10月04日(木)13時38分55秒
読み終えました。
辻ちゃんの一言一言、最初のうちはほんと和んでたんだけど
終わりに近づくにつれてだんだん涙がとまらなくなってきちゃって・・・。
この作品読めて良かった。
次回作期待して待ってます。
263 名前:名無し読者 投稿日:2001年10月06日(土)00時20分16秒
投票のところでこの小説の事を知り、一気に読み上げました。
泣いてしまいました。感動しましたという以外に言うべき言葉が見つかりません。
「強い」小説ですね。本当にありがとうございます。
264 名前:名無し読者 投稿日:2001年10月19日(金)14時42分35秒
すごいいい話っすねー!
番外のほかの人から見た話ってゆーのもなんかいいです!
265 名前:morimori 投稿日:2001年11月09日(金)00時10分14秒
さいこーっす………マジで良い小説です!!!
細かい心理描写も然ることながら、番外編が追い討ちをかけたっす……。

感動です!活字だけでまさかここまでココロを動かされるとは思わなかった…。
作者さんへ一言………ありがとう………
266 名前:名無し読者 投稿日:2001年11月11日(日)21時04分13秒
一気に読み通しました。
仕事の合間だったはずが、仕事なんてそっちのけでした。
小説、ドラマ、映画含めて、感動して泣いたのはひさしぶりです。
上の方のレスにあった『導かれし娘。』も探して読んでみようと
思ってます。
これからもすばらしい作品を書いて下さることを期待しています。
267 名前:名無し読者 投稿日:2001年11月21日(水)15時05分25秒
こんなに素晴らしい話が読めてうれしいです。
作者さん。本当にありがとうございます。
268 名前:M.ANZAI 投稿日:2001年11月26日(月)12時03分53秒
ここ小説を昨日になって知り、
読みはじめたら止まらずに、番外編も含めて一気に読ませていただきました。
はじめはほのぼのとした空気が漂い、微笑ましく読みはじめ、
途中から何度か目頭を押さえつつ、後半では胸が熱くなる思いで
最後まで読ませていただきました。
番外編まで読んだところで、雨上がりの虹を見る思いで、
ようやく晴れ上がる感じがしました。

このような素晴らしい作品を読ませていただき
作者さんに感謝申し上げます。
ありがとうございました。
269 名前:名無し読者 投稿日:2001年12月07日(金)05時18分53秒
よかった・・・
知的障害、言語障害のよる差別は現実にあると思います。
でも、偏った見方をしなければ同じ存在なんですよね。
・・・う〜ん・・・なんといっていいかわかりません。
感想は文章にはできません。
書くと陳腐になってしまいます。
ただすばらしい作品でした。ありがとうございました。
マジレスです。しかし恥ません。
270 名前:名無し読者 投稿日:2001年12月15日(土)14時57分29秒
悲しみを抱えて日々を過ごしている方々に、「圭織」が現れますように。
「圭織」のような人に、少しでも近づけれるよう頑張ります。
駄文失礼しました。

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