インデックス / 過去ログ倉庫 / 掲示板

十二番目の娘

1 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)20時40分16秒
外の世界との断絶・・・・自分自身に課した幽閉・・・・。
葬式以来、眠ることと人生の終わりを感じながらソファーにぼんやりと座り続けること以外には、ほとんど何もしていなかった。
電話もファックスも回線を切り、外に通じる扉と窓は、すべてしっかりとロックしてあった。
友人や隣人たちからの同情の言葉は、もう一言も聞きたくなかった。
2 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)20時41分01秒
ただ、家の前に次々と止まっては戻っていく車の流れは、止めようがない。
車が静かに近づいてきては、玄関のチャイムがいたたたまれないほどに悲しげな音を響かせる。
葬式以降それが毎日断続的に続き、あるとき私は発作的に、玄関のチャイムに通じる電線を引きちぎった。
3 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)20時41分33秒
結婚してからの10年間、私はとても充実した人生を生きてきた。
それは、仕事、報酬、愛、成功、達成、笑い声、そして感動に満ちた、本当に素晴らしい10年だった。
しかしその頃の私は、それ以上生きることに何の意味も見いだせなくなっていた。
まだ30歳の誕生日も迎えていないというのにである。
4 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)20時42分14秒
時折ソファーから立ち上がり、部屋の中をあてもなく歩き回ったりもした。
ふと立ち止まっては、壁のあちこちにかかっている家族写真に目をやったりもした。
思い出・・・・どの写真も、過去の幸せなひととき、喜びに満ちた出来事を、あまりにも鮮明に思い起こさせる。
夫と娘の話し声や笑い声が今にも聞こえてきそうだ。
望遠鏡よりも涙のほうが、遠くのものをずっと鮮明に見せてくれる。
5 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)20時42分36秒
その日も私は、黄色の大きなソファーに力なく座っていた。
ただしそれまでとは違い、ある明確な意思を持ってである。
私は意を決し、ソファーから立ち上がった。
そして、タンスの1番下の引き出しを開き、中を見下ろした。
6 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)20時43分42秒
引き出しの中に無造作に置かれた拳銃が目に飛び込んでくる。
その前日、ガレージに積んであったダンボールの中から、ようやく見つけ出した代物だ。
5年程前に銃砲店で購入したものだが、私がそれを買ったのは、当時私たちが住んでいた地区で、押し込み強盗が頻繁に発生していたからだった。
私はその忌まわしい装置をテーブルの上に載せ、じっと見つめた。
急に落ちてきた雨が目の前のガラスを叩き始めた。
7 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)20時44分18秒
「どう?故郷の英雄さん。皆さんに挨拶する準備はできてる?」
「準備なんかできてないよ。緊張は人一倍してるけど。もう何年も会ってない人たちばかりやもん。でも、なんでこんなことするんやろ」
「俺は当然のことやと思うで。地元の人たちはオマエのことをとても誇りに思ってるんや、中澤裕子さん。オマエはここで生まれ、ここで育ち、高校で甲子園に行った。
んでプロに入って今や三冠王を達成した球界を代表する選手として故郷に凱旋してるんやから。」
私の夫でありマネージメントの管理をしているつんくが言う。
8 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)20時44分41秒
元々私たちは同じチームの選手同士だった。
新人として入ってきた私の教育係になったのが彼だった。
私たちが恋に落ちるのにそんなに時間はかからなかった。
その年のシーズンオフには結婚していた。
9 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)20時45分29秒
翌年、彼は現役を引退した。
彼の膝はすでに限界に達していた。
落ち込む私に彼は「俺はオマエの応援団長として生きていく」と言った。
その時から彼は、スター選手への階段を昇り始めていた私の管理を一手に引き受けるようになった。
10 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)20時46分24秒
次の年、私たちは娘を授かった。
球団への説得も子育ても彼が引き受けてくれたおかげで大きな問題にならずにすんだ。
彼のおかげで私はシーズンを3ヶ月休んだ後、復帰することができた。
子供には「望」という名前をつけた。
それからもすべてが順調に進んでいった。
11 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)20時47分12秒
「さてと、確か、式は2時からやったね。そろそろ出なあかんぞ」
「望はどこ?」
「居間におるで。むっつりした顔でな。今日は友達と野球でけへん言うてむくれとるわ」
私は思わず吹き出した。
「さて、それじゃ行きますか。早く終わって、いつもの生活に戻りましょ」
12 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)20時47分50秒
あの日の午後の渋滞は、いまだに記憶に新しい。
故郷ではめったに起こらないことだ。
新しく舗装されたばかりのメインストリートは、朝から押し寄せ続けている人たちの臨時駐車場になっていた。
両側にずらっと並んだ車の間を、私たちの車は、動いては止まり、また動いては止まりつつ、会場に近づいていった。
やがて、マーチングバンドの管楽器と太鼓の音が聞こえ始めた。
13 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)20時48分38秒
式は想像をはるかに超えるものだった。
こんなにも歓迎されるとは思ってもいなかった。
すべての聴衆が立ち上がり、拍手と歓声を浴びせてくる。
隣を見るとつんくは感動のあまり涙を流し、望は一緒になって立ち上がり拍手をしていた。
まさにこの時、私は歓喜の頂点にいた。
14 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)20時49分30秒
私がその歓喜の頂点から絶望のどん底へと一気に転落したのは、それからわずか2週間後の事だった。
つんくと望が、隣町で買い物を楽しみながら国道を走行していた時、同じ道路の対向車線を走行していた小型トラックが、
右のフロントタイヤがパンクしたために突然右に向きを変え、つんくのステーションワゴンに真正面から激突したのである。
つんくと望は即死だった。
15 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)20時50分08秒
私は再び拳銃に向き直った。
これまでだ。
私は死にたかった。
とても死にたかった。
心の中の激しい痛みを止めたかった。
その苦しみを和らげてくれる薬は何1つなかった。
どこにもなかった。
つんくと望のいない人生なんて、もう一瞬たりとも耐えられない。
私は拳銃から空っぽの弾倉を外し、それに弾丸を込め始めた。
16 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)20時50分38秒
さあ、これでいい。
準備は整った。
弾丸を込めた弾倉を拳銃に戻す。
さあ、急ぐんだ!
もう何も考えるな!
やるんだ!
私は拳銃を持ち上げ、撃鉄を起こし、銃口をこめかみに押し当てた。
17 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)20時51分12秒
「つんくさん・・・・望・・・・」
私はすすり泣いていた。
「すぐ行くから、待っててね」
引き金にかかった人差し指に力が入る・・・・とそのとき・・・・ある天使が・・・・そう、まさしく天使が・・・・私の命を救ってくれた。
18 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)20時52分12秒
それは最初、遠くで鳴っている雷のようだった。
私の注意は、指先からそのリズミカルな振動音に向けられた。
雷だ・・・・いや、違う。
雷じゃない・・・・誰かが家の外壁を叩いている・・・・まずい。
だんだん近づいてくる。
間もなくベランダを踏みつける足音が聞こえてきた。
続いて叫び声も・・・・。
19 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)20時53分07秒
「裕ちゃん、裕ちゃん!中にいるんか!お願い、答えてよ!平家みちよだよ!聞こえる!」
平家みちよ・・・・平家みちよ?
本当に彼女なんだろうか。
幼い頃から高校を卒業するまでの間、彼女はずっと私の1番の親友だった。
私たちは、どんな姉妹にも負けないほどの強い絆で結ばれていた。
幼稚園のスクールバスで隣の席に座ったのが付き合いの始まりで、高校時代には、よく2人で授業を抜け出して街中へとくりだしたものだった。
平家みちよ・・・・幼なじみ・・・・チームメイト・・・・無二の親友・・・・。
ベランダで今私の名を呼んでるのは、本当にみちよなんだろうか。
20 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)20時53分28秒
故郷に戻る事が決まってすぐ、私は彼女に電話を入れた。
しかし彼女はこの地にはいなかった。
依然としてこの地には住んではいたが、3ヶ月間の入院生活で別の場所で療養中だったのである。
心臓バイパスを3本も取り付ける手術を受け、家族によれば、その最中にほとんど死にかけたという。
21 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)20時53分53秒
彼女はなおも壁を叩き続けていた。
その音が大きさを増しながらますます近づいてくる。
私は撃鉄を慎重に戻し、拳銃と弾丸ケースを引き出しの中に放り投げた。
引き出しをバタンと閉める。
自殺の現場を目撃されたりはしたくない。
まして親友には、絶対に見られたくない。
引き出しを閉めて振り返ると、彼女は見晴らしの窓のすぐ外に立っていた。
両手で目の上にひさしを作り、なおも大声で叫びながら中を覗き込んでいる。
雨はいつしか上がっていた。
22 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)20時54分54秒
「裕ちゃん!・・・・平家みちよだよ!・・・・答えてよ、お願い、裕ちゃん!」
私は立ち上がり、窓のそばに行った。.
みちよは一瞬たじろいで後ずさりしたが、すぐに体勢を立て直し、微笑を浮かべながら私を指さした。
「なんだ、いるじゃない!私だよ、裕ちゃん!みちよ!・・・・平家みちよ!」
私は無理に笑顔を作って彼女に手招きをし、もっと窓に近づくように促した。
「ベランダの外れに扉がある!・・・・」
右方向を指差しながら私は叫んだ。
「向こうに行って!鍵を開けるから!」
23 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)20時55分49秒
私たちは数分間も抱き合っていた。
身体を離してからも、至近距離で向かい合ったまま立ち続けていた。
彼女が両手で私の顔を叩き続ける。
その間、私の両手の指は彼女の首の後ろでしっかりと組まれていた。
いつしか2人とも泣きじゃくっていた。
24 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)20時56分27秒
最初に口を開いたのはみちよだった。
ハンカチで涙をぬぐい、鼻をかんだ後で彼女は言った。
「しかし、とんでもない再会だね・・・・なんて言ったらいいか・・・・ いや、大変だったね、裕ちゃん」
私も何か言おうとしたが、声にならなかった。
みちよが私の肩に手をかけ、続ける。
25 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)20時57分47秒
「裕ちゃんの出世話は、新聞やら雑誌やらでみんな読んだよ。三冠王だってね。すごい話だよ。歓迎式のことも知ってたんだけど、医者が頑固でね。
家族が大事なら、あと2ヶ月は病院から出るなって言うんだよ。んで、また連絡があって、何かと思ったらつんくさんと望ちゃんの事故の話じゃない。
だから飛んできたんだ。ねえ、裕ちゃん、私にできること言って。何でもするよ」
「みっちゃん・・・・」
私は静かに言った。
「気を遣ってくれて、めちゃ嬉しいよ。ただ・・・・せっかく来てくれたのに、こんなこと言うと気分悪くするかもしれないけど、今の私には、誰にどんなことしてもらってもどうにもならへん。
そんな状態やねん。それからみっちゃん、医者の言うことは聞かな・・・・。そうや、こんなとこで立ってないで居間に行こう。ゆっくりできるから」
26 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)20時59分44秒
私たちは居間のソファーに並んで座った。
2人とも言葉が見つからず、みちよが突然ぎこちなく話し始めるまで長い沈黙が流れた。
「何年ぶりやろ、最後に会ってから」
「高校の同窓会・・・・卒業してからすぐの。アレが最後だったよね、確か。ウチが同窓会に出たのはアレが最後だったっけ。なんか忙しくって」
「ずいぶん昔の話やね。時間が過ぎるのはホント早い。嫌になるわ」
「ああ・・・・でも、今のウチにはどうでもええことや」
27 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)21時00分43秒
みちよは何も聞かなかったような顔で話を続けた。
「ところで、葬式以来、どこにも顔を出してないそうやん。ずっとここに閉じこもりっきりなん?」
「いや、たまには外に出るで。夜になると郵便箱まで歩いていって、手紙を持ち帰ってる。今のところはそれぐらいやけどね。他には外に出る理由がないねん。
冷蔵庫には食べ物がまだたっぷりあるし、ワインだってまだ何本か残ってるし」
「野球の方はどうなん?もうシーズンは始まってるけど・・・・」
28 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)21時01分42秒
私は言葉に詰まった。
「実は葬式の2日後に、球団に、広報を通じて退団届を出したんや。もう以前のようなプレーはでけへん・・・・今のウチは、ベッドから起き上がるのも一苦労や・・・・みたいなこと書いて。
それ書くのは、何でもないことやったよ。全然つらくなかった。ウチの夢と希望は、つんくさんと望と一緒に全部墓の中に埋もれてしまったんや」
「でも中心選手を簡単には辞めさせへんやろ。それで球団は何て言ってきたん?」
「ん、オールスター頃に戻ってきてくれればエエって・・・・」
「そっか・・・・んじゃ8月には復帰するんやね?」
29 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)21時02分19秒
私は答えなかった。
「裕ちゃん・・・・」
私は黙っているしかなかった。
私はもう、プロ野球選手として働くつもりはまったくなかった。
これ以上生きていく気もなかった。
みちよが立ち去り次第、彼女に中断させられた作業を速やかに再開するつもりだった。
そんな事を彼女にいえるはずがない。
うまく質問をはぐらかす機転も、もはや私には残っていなかった。
30 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)21時02分48秒
「裕ちゃん・・・・いや、ごめん。まだとても仕事の話どころじゃないよね。よけいなこと言ったわ。ごめん。こんな話をするために来たんじゃなかったんだ。
少しでも元気づけられればと思ってきたんだけど、かえって混乱させてしまったね」
私は彼女の膝を叩き、力なく言った。
「分かってる。みっちゃん、ありがとう」
31 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)21時03分15秒
みちよは立ち上がり、一呼吸置いてから、私を見下ろした。
「そうや。今日ここに来た理由が、もう1つあったわ。実は頼みたいことがあってん。引き受けてくれると助かる。裕ちゃん以上にうまくやれる人間はいないと思うねん」
「今のウチにできることなんて、ないと思うで・・・・でもまあ、とりあえず言ってみてや」
「この家の前に私の車が止めてあるの。その車で、私と少しの間、ドライブしない」
「え?」
「ドライブ。ほんのちょっとだけドライブ」したいんだ。町の外には出ない。ほんの30分でいいから」
32 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)21時03分46秒
私は首を振った。
「悪いけど、今はそんな気分になれへんわ。霊柩車の後ろを走る尻長のキャデラックに乗って以来、車には乗ってないねん。それに、今のウチと一緒にドライブしたって、楽しくないで」
「別に私を楽しませなくたっていいよ。話したくなければ一言も喋らなくていい。ただ一緒に来てほしいだけなんだ。お願い、裕ちゃん。お願い」
私は行くしかなかった。
33 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)21時04分16秒
私たちが乗った車は、間もなくメインストリートに入った。
家を出て以来、2人ともずっと黙ったままだったが、広場前に差し掛かったとき、みちよが思わず口を開いた。
「歓迎式はずいぶん盛り上がったようだね・・・・」
そう言った瞬間、彼女は顔をゆがめてハンドルを叩いた。
「ごめん、裕ちゃん・・・・」
34 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)21時04分49秒
私は何も言わなかった。
タバコ屋を過ぎたところで、みちよはハンドルを右に切った。
小さな橋を渡り、町営の墓地を通り過ぎる。
すでに私は、みちよがどこに行こうとしているかに気付いていた。
35 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)21時08分23秒
墓を過ぎてから数分で、私たちの乗った車は舗装された駐車場に到着した。
正面に見える高さ4メートルほどの金網フェンスには、錆びれた看板が掛かっていて、私たちにそこがどこなのかを教えていた。
もっとも私たちは、その看板に教えられるまでもなく、その場所を知っていた。
町営第2球場・・・・リトルリーグ用公式野球場である。
36 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)21時11分38秒
ライト側のファウルグランドの金網フェンスは、ライトポールの少し手前で切れており、その金網の端とポールとの間には、小さな扉がついた球場内への入り口がある。
みちよの後をついてその隙間を抜けた瞬間、私の胸は反射的に高鳴った。
ライトポールの下からは、木製のボードが張られた外野フェンスが緩やかな弧を描き、センターのバックスクリーン前を経由して、レフトポール下まで伸びている。
その外野フェンスの両翼の端には、鮮やかな黄色のペンキで「65」という数字が描かれ、ホームプレートから両ポールまでの距離を知らしめていた。
37 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)21時12分05秒
ちなみに、センターの1番奥のフェンスまでは、75メートルである。
それは、私がバックスクリーンにホームランを打ち込んだ次の日に、興奮した叔父が巻き尺を持ち込んで計測した結果、判明したものだった。
私がリトルリーグでプレーした最後の年のことである。
38 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)21時12分38秒
みちよは私の前を歩き、センターの守備位置あたりで立ち止まった。
私を振り返って彼女が静かに言う。
「どう、裕ちゃん。これぞ故郷って感じじゃない?」
私は大きく息を吸い込み、周囲をゆっくりと見回してから、ささやくように言った。
「いや、驚いた。昔と全然変わってへん。ウチらがプレーしてた頃と何にも変わってへんやんか」
39 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)21時13分11秒
続いて私は、センターフェンスのすぐ外にあるスコアボードを見上げ、それを指差した。
顔には自然と笑みが浮かんでいた。
「覚えてる?毎回スリーアウトになるたび、おとんたちがそこの階段をフーフー言いながら登ったっけ。試合前にくじ引きで1人を選び出してさ。
チェンジなるたび板を抱えて、その階段をよじ登ってたやんか」
「今でも同じことやってるよ、裕ちゃん」
40 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)21時13分41秒
私たちは内野に向かってゆっくりと歩いていき、いつしか、私のかつての指定席、ショートの守備位置に立っていた。
すぐにみちよが、私に顔を向けたまま、後ろ歩きでセカンドの守備位置に向かう。
私たちはそれぞれの位置から、互いに見つめ合った。
次の瞬間、私は衝動的に、右手の拳で左手のひらを力いっぱい叩いていた。
膝を曲げて腰を下ろし、状態を前に倒して捕球態勢を整える。
41 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)21時14分06秒
カーン!・・・・強烈なショートゴロ・・・・私は身構え、それを難なく捕球し、2塁ベース上にトス
すでにそこにはセカンドのみちよが待っており、その架空のボールをキャッチする間もなく、1塁に送球・・・・ダブルプレー!
私は思わず拍手していた。
42 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)21時15分04秒
その後、私たちはゆっくりとピッチャーマウンドに歩いていった。
私の目に観客席が飛び込んでくる。
「あの観客席もまったく昔のままやんか。全然変わってない。全部で20列ぐらいかな。あの頃とまったく一緒や。」
みちよが頷く。
「そのとおり。観客の収容能力も昔のまま。1000人弱といったところかな。人口5000人の町の球場としては上等だよ。ちょっと座ろか」
そう言ってみちよは3塁側のダグアウトを指さした。
43 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)21時15分36秒
「お、アレはずいぶん変わったやん・・・・」
私は言った。
「あたし達の頃はベンチしかなかったやん。立派なダグアウトになって。コンクリートで囲まれて、屋根はついて、床もグランドよりちゃんと低くなってる」
私たちはそのダグアウトに入り、幅の広い緑色のベンチに腰を下ろした。
44 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)21時15分59秒
「内外野とも、よく整備されてる。素晴らしいグランドや。ずいぶん手が掛かってそうやな、これは」
私は言った。
「うん。もうすぐ新しいシーズンが始まるから。そのための準備は万端といったところ。今度の土曜日には、選手たちの選抜テストがあんねん。
ただ、子供たちの意気込みと球場の準備は完璧なんだけど、肝心のリーグ自体がね・・・・」
「どうしたん?」
45 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)21時16分26秒
「このリトルリーグは、1チームあたり最低12名の選手で4チームの間でリーグ戦をするじゃない。それで、今年も子供たちの頭数はギリギリ揃ってる」
「それじゃ、何が問題なんや?」
「チームには指導者として監督とそれを補佐するコーチ2人が必要なんよ。んで私もあるチームのコーチをしてたんやけど監督が転勤いなくなってしまった。
つまり我がチームの監督が不在になってしまった・・・・そういうことなんよ」
私とみちよの付き合いは長い。
私は、彼女が次にどんなことを言い出すかを正確に予想していた。
みちよが私に体を寄せてきた。
46 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)21時17分13秒
「ねえ、裕ちゃん。さっき、頼みたいことがあるって言ったやんか?」
私は彼女の顔を見られなかった。
「一緒にドライブに出かけることやろ?」
みちよは吹き出した。
「まあ、それもある。そしてもう1つは、裕ちゃんが今思ってる通りのことや。1シーズン12ゲーム・・・・監督を引き受けてほしい」
47 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)21時17分37秒
「無理やで、みっちゃん・・・・」
私は力なく言った。
「今のウチは、自分の朝食さえ管理できないんや。反抗期の、元気の有り余ってる子供達を、12人も管理することなんかどう考えてもでけへん。絶対に無理や」
「私も手伝うよ。これでも、ちょっと優秀なコーチなんやで。球団からは長い夏休みをもらってるわけやし、これからの2ヶ月間を埋めるには悪くない方法だと思うんだけど。
今の裕ちゃんにとっては、最高の薬かもしれないよ」
48 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)21時18分02秒
私は首を振り、ため息をついた。
「ごめん。ウチには無理や」
みちよは立ち上がった。
良かった。
あきらめてくれたようだ。
49 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)21時18分26秒
続いて彼女は、ダグアウトの階段をゆっくりと登り、ホームプレートの方に歩き出した。
彼女の足が止まった。
こちらを振り向いて彼女が言う。
「ねえ、裕ちゃん。私たち、リトルリーグの最後の年に同じチームだったよね。覚えてる?私たちは無敵だった。リーグチャンピオン!あの時のチーム名覚えてる?」
50 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)21時18分49秒
みちよの最後の説得が始まっていた。
「もちろん覚えてるで。モーニングスやろ」
みちよが頷いた。
「実はね、まだ監督が見つかってないチームの名前が、それなんだ」
51 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)21時19分20秒
私は目を閉じた。
ずーっとそうしていた。
どのくらいそうしていただろう。
思い出せない。
いつしか私は「選抜テストは土曜の朝だっけ?」と尋ねる自分の声を聞いていた。
52 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)21時19分46秒
みちよが近づいてきて、噛んで含めるように言った。
「土曜日の午前9時。ぜひ考えといてよ。その気になった時のために、8時半頃家に寄るから」
「今日は何曜日?」
「木曜日」
53 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)21時20分18秒
私たちは、ライトポール脇の球場の入り口に向かい、深い緑の芝の上をゆっくりと歩いていった。
私の数歩先を歩いていたみちよが、突然何かに足を取られて倒れそうになる
体勢を立て直した彼女が、しゃがみこんで立ち上がった。
彼女の手には、私がそれまでに見た中で、もっともひどく打たれ、傷つき、すり切れた野球ボールが握られていた。
彼女はそのボールを私に手渡すと、何も言わずに私に背を向け駐車場に向かって歩き出した。
54 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)21時23分56秒
みちよと玄関前で別れた後、私は家の中に入る気になれなかった。
私は家の裏側に回り込み、少し庭を歩いた。
私の心に、つんくと望と一緒にそのあたりを歩いた時の事が、鮮明に蘇ってきた。
まだこの家に引っ越してくる前のことだった。
55 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)21時24分23秒
庭には、ちょうど3人が座れるベンチがある。
私はそこに腰を下ろした。
あの日も私は、ここにこうやって座ったものだった・・・・愛する2人を両脇に従えて。
そのとき私は望に約束した。
ママが現役を引退したら、ここで3人ゆっくり過ごそうと。
それを果たす機会はもはや永遠に訪れない。
56 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)21時24分44秒
しばらくして私は家に戻った。
庭を横切って私が最初に向かったのは、家に隣接した車2台用のガレージだった。
横の扉を開けて中に入り、照明のスイッチを入れる。
私のポルシェがある。
もう3週間は乗っていない。
私はその車の周りをゆっくりと歩き、どのタイヤの空気も抜けていないことを確認した。
57 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)21時25分18秒
その車の隣のスペースはぽっかりと空いていた。
オイルの小さな染みが、コンクリートの床に2つポツンとあるだけだ。
ここにあった車が戻ってくる事は、もはや2度とない。
キッチンへの通路と接した壁には、真っ赤な子供用の自転車が掛かっている。
望の7歳の誕生日に買ってあげたもので、まだ傷1つない。
58 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)21時25分47秒
キッチンに入り、まず私はインスタントコーヒーを作った。
いまや常食となった感のある、バターをぬっただけの食パンを流し込むためにである。
私はテーブルに座り、正面の壁に目をやった。
綺麗な額に飾られた母の写真が目に飛び込んでくる。
59 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)21時26分14秒
食パンを頬張り、コーヒーをすすりながら、母の写真をぼんやり見つめていた私の心に、突然、ある思い出が飛び込んできた。
私の父が亡くなった日のことを。
母は気丈だった。
悲しみにくれる私を抱きしめた後で、母は優しく言った。
「もう泣かないで。涙はもういらないわ。お父さんが、今どこにいるのかを忘れないで。いつでもお父さんはあなたのそばにいるのだから」
60 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)21時27分10秒
私はテーブルに肘をつき、両手で頭を抱えた。
「裕子・・・・」
母の優しい声が今にも聞こえてきそうだった。
「もう泣くのはやめなさい。涙はもういらないわ。あなたのつんくと望が、今どこにいるか忘れないこと。いつでも2人はあなたのそばにいるのだから」
61 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)21時27分34秒
私は右側の1番下の引き出しを勢いよく開け、弾が込められたままの醜い拳銃をにらみつけた。
いくら押さえつけてもすぐに浮かび上がってくる自分自身への問いかけが、私の中で破裂し続けていた。
ウチはこれから、何を目的に生きたらいいんや!
何を支えに、誰のために生きたらいいんや!
62 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)21時28分04秒
私の机の上には、すりへった傷だらけの茶色いボールが1つ載っていた。
球場を後にするときみちよがつまずき、拾い上げて私に手渡したボールだ。
私はそれを手にとり、頬に当てた。
誰でもいい、早く私をこの苦しみから救ってください。
私は聞き取れないほどの小さい声でつぶやいた。
63 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)21時28分35秒
土曜日の朝、みちよが家にやってきたとき、私はすでに私道に出ていた。
郵便箱にもたれながら彼女の到着を待ち受けていた私を見て、彼女はまず驚きを露にした。
そしてすぐにも喜びを露にしそうになったが、それは噛み殺した。
言葉は一言も発しなかった。
私を車に乗せて走り出してからも、みちよはしばらく黙ったままだった。
彼女が言葉を発したのは、私を乗せてから5分以上もたってからだった。
64 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)21時29分00秒
前方を見つめたままで、首を何度も振りながらみちよは口を開いた。
「よく来てくれたね。本当はほとんど期待してなかったんだ」
「いや、まだそう言うのは早すぎるで。実際、自分でも何をしようとしてるのか良く分からへんねん。球場に行っても、最後まで付き合えるかどうか自信ないわ。
途中で逃げ出すかもしれへんけど・・・・心の準備だけはしといてな」
みちよはそれには答えず、座席に置いてあったクリップボードを手に取り、私に手渡した。
65 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)21時29分21秒
「選抜テストの応募者リスト作っておいたよ。テスト中にいろんな子供たちを評価しながら、その内容をメモできるようになってる。
これがあれば月曜日の夜の選択会議でスムーズに進められるでしょ」
「なるほど」
どうやら私に優秀な参謀がついたのは本当らしい。
66 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)21時29分57秒
球場の駐車場について車のドアを開けたとたん、私の耳に、甲高い叫び声と笑い声が飛び込んできた。
へえ、子供たちがもう来てるんだ。
子供たちの声に加えて、革のグローブにボールが収まる時のバシッという独特の音が、休みなく響いてもいた。
選抜テストの開始までにはまだかなりの時間があったが、応募選手たちはほぼ全員がすでに集合しており、監督やコーチたちの注意を少しでも引きつけようと、意欲的なデモンストレーションを始めていた。
67 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)21時30分37秒
2日前の午後、みちよと一緒に空っぽのグランドを歩いたときも、私の心は混乱していた。
しかし今回は、それとは比べものにならない。
私の心は混乱を極めていた。
これから何が起こるかまったく予想できない。
68 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)21時31分07秒
ただ、グランドにいる子供達は、私がこの球場を世界中で1番神聖な場所だと信じていたほぼ20年前と、それほど変わりはないようだ。
見た目も、声の出し方も、動き方も、当時一緒にプレーした仲間のそれと、たいして違いはない。
私は目を閉じ、子供たちが放つさまざまな音のコンビネーションに耳を傾けた。
ウチも昔、こうやって選抜テストを受けたんだよな・・・・
いつしか私は、自分がリトルリーグの選抜テストに始めて挑んだときのことを思い出していた。
69 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)21時31分40秒
そのとき、私はわずか数日前に9歳になったばかりだった。
すごく緊張していた。
怖かった。
父の車に乗せられ、私はこの球場にやってきた。
父は駐車場で、私がグランドに向かって走り出す直前、私に握手を求めて言った。
「裕子、いっぱい楽しんできな」
楽しむ・・・・大人になるにつれ忘れていった言葉。
70 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)21時32分08秒
「裕ちゃん・・・・」
私は目を開けた。
5・6メートル先にいたみちよが、心配そうな顔でこっちを見ている。
「大丈夫?」
私は肩をすぼめて頷いた。
みちよが1塁側のダグアウトを指さす。
「まだ時間があるうちに、役員の連中に会っておこうか」
71 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)21時32分38秒
グランドにホイッスルが甲高く鳴り響いた。
小さなプレーヤー達が、投げたり走ったりのウォーミングアップ兼デモンストレーションを速やかに停止し、1塁側のスタンドに向かって、騒々しく大移動を開始する。
観客席全体に散らばっていた親たちも、1塁側に集まってくる。
リーグ会長の挨拶から選抜テストは始まった。
72 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)21時33分11秒
今回の選抜テストで4チームの監督がプレーヤーの能力を評価する。
その評価が、月曜の夜の選択会議の際の重要な資料となる。
その選択会議を経て、例年通り、4チームの陣容が決定する。
73 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)21時33分33秒
選抜テストは昼過ぎまで続いた。
すべての子供が打席に入り、その中でそれぞれ6回のスイングを許されていた。
バッティング投手を務めたのはコーチの1人で、打ちごろの球を必ずストライクゾーン内に投げられるという、貴重な才能の持ち主だった。
また、次々と交代しながら、1度に4人が内野の守備についていた。
それぞれ得意なポジションを守り、打撃テスト中の選手が打つボールを、実践のつもりで捕球するよう求められていた。
74 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)21時34分08秒
さらに、打撃テストが延々と行われる中、少なくとも6人のプレーヤーが交代でキャッチャーボックスに出入りしていた。
言うまでもなく、キャッチャー志願者たちである。
時を同じくして、外野では、ライト側ファウルラインのすぐ外側に陣取った別のコーチが、センターの守備位置あたりに集まっていた別の子供たちに向かって、高いフライを打ち上げていた。
それら一連の活動が始まってから45分ほどが過ぎた頃、内野と外野の子供たちが入れ替わった。
75 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)21時34分33秒
さらに、ライト側ファウルグランドのブルペンでは、もう1つの小さなグループがピッチングを披露し続けていた。
ここのボールを受けていたのも、もちろんキャッチャー志願者たちである。
キャッチャー志願者達は、そことホームプレートの間を、臨機応変に行き来していた。
76 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)21時35分06秒
選抜テストが始まってからみちよと初めて話したのは、お昼少し前のことだった。
「監督、成果はどう?」
彼女にクリップボードを手渡して、私は言った。
「こんなに多くの選手を2時間程度で評価するなんて、至難の業やで。とりあえず10段階で評価しては見たけど。あとは選手の簡単な特徴をできる限りメモしたわ」
彼女はボードを見ながら何度も頷いていた。
「私がアドバイスすることは何もなさそうだね。完璧。んでピッチャーの評価は・・・・」
77 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)21時35分37秒
私はボードを指さし、説明した。
「ピッチャーの評価はここ。これは1番2番で評価してる。しかし、問題は選択会議で何番目のくじを引けるかやね。1番くじを引いた人は、間違いなくこの『1番』を指名するやろ」
みちよが頷いた。
「さすがプロやね。この後藤真希は、リーグ1のピッチャー。その上バッティングもすごい。まあ、誰もがほしがるスーパースターやね・・・・ん?」
「どした?」
「この子はどうしたん?数字が抜けてる」
みちよはそう言ってボードを差し出してきた。
78 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)21時36分12秒
「ああ、これか。なんて言ったらええか、すごくちっちゃな子なんや。それで、動きは鈍いし、バラバラなんよ。どう採点してええか困ってん。
ただこの子はあきらめないねん。めっちゃ遅いんやけど走るのやめへんし、空振りの連続なんやけど全然へこたれへん・・・・知ってる子か?」
みちよがボードを覗き込んで言う。
「辻希美・・・・いや、知らない。この町に来たばかりなのかも」
79 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)21時36分45秒
私は外野を指さした。
選手たちがノックを受け続けている。
「あの・・・・左から3番目の子や」
次の瞬間、その小さな少女が選手たちの群れから離れ、数歩前に出た。
後ろで見ている選手たちは、互いに肘でつつき合いながらニヤニヤしている。
コーチがノックする次のフライを取るのは、明らかに希美である。
80 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)21時37分07秒
その少女は、膝を軽く曲げて上体を少し前に傾け、右手の拳で左手のグローブを何度も叩いた。
「あれっ・・・・」
私は思わずそう言い、息をのんだ。
「どうした?何かあった?」
そう言ってみちよは外野を見回した。
「いや、別に・・・・何でもない」
81 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)21時37分28秒
とても言えなかった。
前傾姿勢でボールを待っている辻希美の姿が、望と瓜二つに見えた、なんてことを言える訳がない。
しかし、あの姿は本当に望にそっくりだった。
体格も、私が愛した7歳の娘とそれほど違わない。
82 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)21時37分58秒
ファウルラインの外にいたコーチが、希美目がけて高いフライを打ち上げた。
希美が上空を見上げる。
前後左右に行きつ戻りつをくり返しながら、両手を天に掲げ、それを不規則に、せわしなく動かし続けている。
あれでは無理だ。
結果は見えている。
83 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)21時38分31秒
やがてボールが落ちてきた。
希美が左に動く。
続いて右に動く。
そして前方に走り出す・・・・と次の瞬間、足がもつれて転倒・・・・芝生に頭からつっこんだ!
後方で見物していたプレーヤーたちは、互いに顔を見合わせ、口や腹を手で押さえながら必死で笑いをこらえている。
84 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)21時38分59秒
数分後に訪れた次のチャンスでも、彼女はボールを捕れなかった。
飛んできたボールは無情にも、彼女の前方2・3メートルのグランド上に落下した。
しかし彼女は、そのボールに必死で走り寄り、それをわしづかみにするや急いでコーチに投げ返した。
ただし、そのボールが飛んだ距離は30メートルそこそこだった。
後方の子供たちがいっせいに背を向ける。
どうやら、笑いを隠す新しい方法を見つけたようだ。
希美は右手の甲で何度か両目をこすりながら、選手たちの群れに戻っていった。
85 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)21時39分29秒
「うーん・・・・」
みちよがため息をついた。
「選択会議では、たぶん最後まで残るやろうな。あの子を預かった監督は大変や。規則で、どの試合ににも必ず出さなくちゃいけないんや。
アウトを6つ取るまでは守らせるしかないし、必ず1打席は立たせなきゃいけない。どこを守るにしても、彼女のところにボールが飛んだら目をつぶるしかないで」
86 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)21時39分57秒
そうやって話しているうちに、またもや希美の番が来た。
今回は、ゆっくりと落ちてくるボールの下を通り過ぎてしまい、ボールは彼女の背後に落下した。
通り過ぎた事に気付いて急ブレーキをかけようとしたために、ボロボロのスニーカーが芝の上で滑り、またもや転倒するというオマケ付きだった。
そして彼女は急いで起き上がって、またもやコーチへの返球を試みた。
ユニフォームについた草を払い、野球帽のひさしをグイと引くと、ボールに向かって全力で走り、それを拾い上げ、コーチに向かって7・8歩の助走をしてから、渾身の力を込めてボールを投げ放つ。
87 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)21時40分18秒
投げたボールは、小さな弧を描いて芝生の上に落下してからコロコロと転がり、ノックをしていたコーチのちょうど足元に停止した。
後ろで見ていた子供たちが、拍手をしながら歓声を上げる。
明らかにからかっている。
希美はボールの行き着いた先を確かめると、野次馬たちを振り返り、帽子のひさしに手をやった。
「見なよ、みっちゃん・・・・」
私は静かに言った。
「あの子、笑ってるよ」
88 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)21時41分03秒
選択会議の日もみちよは家まで迎えに来てくれた。
会場は小学校の教室。
私たちの母校だ。
どうやら私たちが最後だったらしく、席につくと選択会議はスタートした。
89 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)21時41分24秒
始めに各チームの監督の自己紹介から始まった。
私も簡単に挨拶を済ませた。
そしていよいよ選手の選択が始まった。
選択方法は、まず各チームの監督が指名する順番をくじ引きで決める。
『1』と書かれたくじを引き当てた監督が最初に指名し、以下『2』『3』『4』と続く。
そして2巡目は各チームの戦力を均等にするため『4』を引いた監督が最初に指名し、以下『3』『2』『1』と続き、これを12回繰り返す。
指名した選手には監督が責任を持って連絡しなくてはならない。
90 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)21時41分56秒
「それでは監督の皆さん、くじを引いてください」
私は順番が最後だったのでくじを選ぶことなく残りの1枚を手に取った。
「どうぞ」と言う会長の言葉を合図にくじを開く。
私のくじには『1』という数字が書かれていた。
91 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)21時42分32秒
私はいの1番に後藤真希を指名した。
うなり声とうめき声で教室が満たされた。
隣に座っていたライバルチーム「ボンバーズ」の監督、稲葉貴子がニヤニヤと笑いながら、私を見て言った。
「後藤の投げる試合は全部勝てるで。半分は投げるやろうから、あんたはこれで6勝を手に入れたようなもんや。優勝間違いなしやね」
92 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)21時42分59秒
選択会議は、ほぼ2時間もかかった。
監督とコーチが資料を見ながら長々と話し合う光景が頻繁に見られ、時には廊下に出て秘密会議を開く連中までいた。
他チームの監督たちのほうが、選手たちの特徴をはるかに良く知っていることは、明らかだった。
しかし私には、平家みちよと言う強い味方がいた。
私は常に彼女の判断を仰ぎながら、次々と選手を選んでいった。
93 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)21時43分24秒
いつしか私たちは、選手選択の最終巡を迎えていた。
残る選手は4人。
そこに至るまで、どのチームからも指名を見送られてきた選手たちだ。
みちよが体を寄せてきて、リスト内に1点を指さした。
そこには、まだ選択されていない4人のうちの1人、辻希美の名前があった。
私はみちよと顔を見合わせた。
みちよは首を何度も振る。
94 名前:S.S 投稿日:2001年08月12日(日)21時43分56秒
それまでに選択していた11人の選手たちは、とてもバランスの取れたチームを構成しそうだった。
私はその結果に、もちろんまだ紙の上のことだが、充分に満足していた。
そして今、そこにもう1人の選手が加わろうとしていた。
最終巡はあっという間に終了した。
他のチームの監督が、何の迷いもなく最後の選手を指名した。
残るはたった1人。
黒板には、その子の名前だけが消されないで残っていた。
かくして、辻希美が、私の最後の・・・・十二番目の・・・・娘になった。
95 名前:名無し読者 投稿日:2001年08月13日(月)03時16分56秒
最初からすごい更新量ですね!!
続きも期待してますんで頑張って下さい。
96 名前:S.S 投稿日:2001年08月13日(月)23時15分09秒
開幕までの3週間は各チームへの練習期間として与えられた。
そして3週間の練習期間が終わると、いよいよ公式戦のスタートである。
各チームが週2試合のペースで12試合を戦う、延べ6週間のシーズンだ。
他の3チームと4回ずつ対戦することになる。
それぞれのチームが全12試合を戦い終えると、上位2チームによる、リーグ優勝をかけた最後の決戦がくり広げられることになっていた。
97 名前:S.S 投稿日:2001年08月13日(月)23時16分09秒
選択会議の帰途、みちよは、選択した娘たちに電話をかけ、練習日程その他を伝えてやろうかと持ちかけてきた。
しかし私は「監督を引き受ける以上、それは自分の義務」と言って彼女の好意を断った。
みちよは最初、驚いたようだったが、すぐにホッとした表情を見せ、嬉しそうに何度も頷いていた。
最初の練習は、第2球場で、次の週の火曜日、午後4時から行うことになっていた。
98 名前:S.S 投稿日:2001年08月13日(月)23時16分30秒
次の日、夜7時を少し回った頃、私は子供たちに電話を掛けようとして、みちよから貰った名簿に目をやった。
電話がつながると、まず自己紹介をし、プレーヤー本人と話をした。
そして、今年はモーニングスでプレーすることに決まったことと、最初の練習は次の火曜日の4時からだということを伝えた。
プレーヤー本人との話が済むと、親にも挨拶をした。
できるだけ練習や試合を見に来てやって欲しいことをお願いし、電話を切った。
99 名前:S.S 投稿日:2001年08月13日(月)23時18分04秒
私が最後に電話を入れたのは、辻希美の家だった。
電話に出たのは、明らかに希美だった。
「辻希美さんやね?」
「はい」
「モーニングスの監督の中澤裕子なんやけど、あなたが今年、モーニングスでプレーすることになったから、それで電話したんや。よろしくな」
「はい、よろしくおねがいします」
100 名前:S.S 投稿日:2001年08月13日(月)23時18分34秒
「最初の練習は来週の火曜日。場所は第2球場。午後4時から。ちゃんと来れる?」
「はい、もちろんです!必ず行きます!」
「よし。ところで、お父さんはいる?少しお話したいんやけど」
希美の弾んでいた声が、急に何オクターブも下がり、注意しないと聞き取れないぐらい小さな声になった。
「お父さんは一緒に暮らしてないんです・・・・」
101 名前:S.S 投稿日:2001年08月13日(月)23時19分08秒
不意打ちを食らい、私は口ごもった。
「え?あ・・・・ああ、そうなんだ。それじゃ、お母さんと話せるかな」
「お母さんはまだ帰ってきてません。仕事してるんです」
「そっか・・・・分かった、辻。それじゃ、火曜日会おうな」
「はい。あ、それから監督?」
「ん、何?」
「私を選んでくれて、ありがとうございます。一生懸命頑張ります」
「ああ、頼むで。それじゃ」
102 名前:S.S 投稿日:2001年08月13日(月)23時19分39秒
私はゆっくりと受話器を戻した。
心臓が信じられないほどに大きな音を立てていた。
希美と話している間中、私の目は、近くの壁に掛かっていた1枚の写真に向けられていた。
やや大きすぎの野球帽をかぶり、膝を曲げて前傾姿勢を取った娘が、金属バットを右肩の上に寝せて構え、カメラをにらみつけている。
103 名前:S.S 投稿日:2001年08月13日(月)23時20分09秒
最初の練習日を待ちわびながらの7日間は、耐え難いほどに長かった。
その長い1週間の間に、私はしばらく中断していた2つの活動を再開した。
電話に出ることと、車を運転することである。
104 名前:S.S 投稿日:2001年08月13日(月)23時20分39秒
水曜日の朝、電話の回線をつないだとたんにベルが鳴った。
受話器を上げると、みちよが発する驚きの声が聞こえてきた。
その日以来、彼女は用事もないのに毎朝電話してくるようになった。
いや、1つだけ用事があった。
私の様子をチェックするという用事がである。
それと運転だが、これは再開したといっても、ある日の午後に車をガレージから出し、2時間ほどあてもなく乗り回して戻ってきただけのことである。
とはいえ、それで私の長い1週間のうちの2時間は確実に埋まった。
105 名前:S.S 投稿日:2001年08月13日(月)23時21分12秒
このようにして私は、絶望の沼への転落を回避すべく、自分にできるあらゆることをやり続けた。
しかし、それでもなお、1日に1度は引き出しの中身を見下ろしていた。
そう、タンスの右側、1番下の引き出しの中に横たわる、あの拳銃をである。
1度だけだが、それを取り出して両手の上に乗せ、しばらく眺めていたこともある。
その「死の装置」は、まるで氷詰にされていたかのように冷たかった。
106 名前:S.S 投稿日:2001年08月13日(月)23時25分10秒
>>95
ありがとうございます。
毎日更新するつもりでいますので読んでください。
107 名前:名無し読者 投稿日:2001年08月14日(火)03時27分26秒
wakwak!!
108 名前:名無し読者 投稿日:2001年08月14日(火)03時34分09秒
毎日更新するのは大変でしょうけど頑張ってください。
109 名前:S.S 投稿日:2001年08月14日(火)19時09分55秒
ようやく次の火曜日が訪れた。
私が第2球場の駐車場に車を乗り入れると、まだ練習開始までにはたっぷりと時間があるというのに、みちよがすでにそこにいて、車のトランクから2つの大きな袋を出そうとしていた。
片方の袋には、キャッチャー用の防具とボールが、もう片方には、バッター用のヘルメットとバットが詰まっていた。
「手伝うよ」
私はそう叫んでみちよに近寄り、袋を1つ持ち上げた。
110 名前:S.S 投稿日:2001年08月14日(火)19時10分23秒
私たちがライトポール脇の入り口を抜けて球場内に足を踏み入れると、すでにやってきていた子供たちがいっせいに走り寄ってきた。
駐車場からは、車のドアの閉まる音が次々聞こえてきていた。
母親の激励を背に、子供たちが次々と球場に入ってくる。
111 名前:S.S 投稿日:2001年08月14日(火)19時10分46秒
みちよが選手たちにボールを渡し、二人一組になってキャッチボールを始めるよう促した。
すぐに全員が勢揃いし、6名の列ができた。
向かい合ったその2つの列の間を、6つのボールが行き交っている。
ほとんどの子供が笑顔を見せているが、緊張の色は隠せない。
中にはひどく緊張した様子の子供もいる。
112 名前:S.S 投稿日:2001年08月14日(火)19時11分18秒
みちよと私は、彼女らが作り出していた四角いスペースの周囲をゆっくりと歩きながら、1人1人に自己紹介をして回った。
自分が中澤裕子で、隣にいるのが平家みちよであると告げた後で、私は彼女らに言った。
「名前で呼ぶのが面倒ならば、監督、コーチと呼んでくれればええ。それから、あまり丁寧な言葉遣いはいらない。気軽に話しかけてほしい」
最後に、希望する守備位置と、昨年もリトルリーグでプレーしたのかどうかを尋ねて、1つの自己紹介が終了。
それが1つ終了するごとに、チーム全体の緊張が徐々に薄れていった。
113 名前:S.S 投稿日:2001年08月14日(火)19時11分49秒
新生モーニングスの初めての練習は、私の想像をはるかに超えた成果を生み出した。
みちよが、内野守備志望の選手たちを3組に分け、ショート、セカンド、そしてファーストのポジションに向かわせた。
続いて彼女は、ショートとセカンドの守備位置に向けてノックを開始した。
次々に選手たちがボールを捕球し、ファーストに送球する。
ファースト志願者は2名のみだった。
私は1・2塁間の外野寄りに立ち、選手たちのボールさばきを観察していた。
114 名前:S.S 投稿日:2001年08月14日(火)19時12分25秒
一人当たり数回のノックが終了するのを待つまでもなく、機敏さ、正確さの両面において、安倍なつみ、矢口真里、石川梨華の3名が抜きんでていることは明らかだった。
しかし、なつみの上半身はたいしたものだ。
よっぽどの筋力トレーニングを積まないかぎり、ああはならない。
相当の努力を続けてきたに違いない。
そのためか、肩も素晴らしく強い。
2番手ピッチャーの有力候補だ。
115 名前:S.S 投稿日:2001年08月14日(火)19時13分16秒
続いて私たちは、外野守備志望の選手たちにも同じことを行った。
センターの守備位置に集合した選手たちのそれぞれに、みちよがまたもや、フライとゴロを織り交ぜて、一人当たり数本のノックを行う。
選手たちは、捕球したボールをただひとりのキャッチャー志願者、保田圭に投げ返す。
そのバックホーム投球には、真希となつみ以外のピッチャー候補を探し出す目的もあった。
116 名前:S.S 投稿日:2001年08月14日(火)19時13分45秒
外野で目についたのは、飯田圭織と吉澤ひとみの二人だった。
彼女らは動きも鋭く、捕球も正確である上に、肩の強さもずば抜けていた。
外野を安心して任せられる上に、ピッチャーとしても充分に使える選手たちだ。
圭織は内野も守れるという。
117 名前:S.S 投稿日:2001年08月14日(火)19時14分15秒
外野には辻希美もいた。
みちよはまず、希美に向けて3つのフライを打ち上げた。
最初の2つは、希美にまったく触れることなく地面に落下し、最後の1つは、彼女のグローブで大きく弾んで後方に落下した。
続いてみちよは希美に向けてゴロも打ったが、そのすべてが足の間を抜けていった。
118 名前:S.S 投稿日:2001年08月14日(火)19時14分49秒
2度目の練習は、同じ週の木曜日だった。
私たちはまず、最初の練習での観察結果をもとに、全選手を特定の守備位置に着かせた。
みちよが順序正しくノックを続けている間、私は手の空いてる選手たちのもとを次々に訪れ、フライとゴロの正しい捕り方、そして、私が野球選手にとって何よりも大切だと信じるボールの正しい投げ方を、個人指導して回った。
119 名前:S.S 投稿日:2001年08月14日(火)19時15分17秒
その日の練習でもっとも強い印象を受けた選手は、キャッチャーの保田圭だった。
とにかく肩の強さが半端ではない。
彼女のセカンドへの送球には、思わずうならされた。
しかも彼女は、キャッチャーとしての経験をすでに2年にわたって積んでいた。
いいキャッチャーを持たない野球チームは、プロ・アマ問わず、大きなハンデを背負ってプレーしなくてはならない。
わがモーニングスは、圭がいてくれて本当に幸運だった。
120 名前:S.S 投稿日:2001年08月14日(火)19時15分48秒
3度目の練習のテーマは、バッティングだった。
私がピッチャーを務めたのだが、あまりにも多くのボールを、あまりにも久しぶりに投げたために、最後の頃には腕が震え出す始末だった。
一方みちよは、私が投げている間、クリップボードを抱えてバッターの真向かいに立ち、メモを取り続けていた。
もちろん、打席内で明らかな欠点を露呈したときには、そのつど練習を中断し、二人がかりで速やかにその矯正に務めた。
121 名前:S.S 投稿日:2001年08月14日(火)19時16分21秒
われらがスターピッチャー、後藤真希は、バッティング面でも明らかにチーム1の選手だった。
直すべきところは1つもない。
左打席に陣取った真希は、思わずうっとりとさせられるほどの滑らかなスイングで、私の投げたボールを数度にわたって外野フェンスの外に運び去った。
キャッチャーの圭も、なかなかのバッターである。
投げるのと同様、打つほうも素晴らしくパワフルだ。
122 名前:S.S 投稿日:2001年08月14日(火)19時16分53秒
他にバッティングで目立ったのは、安倍なつみと飯田圭織だった。
圭織はチーム1背が高い。
真希が投げている時には1塁の守備に就くことになるだろう。
先日の練習では、外野の守備にも非凡さを発揮していた。
よって、吉澤ひとみが投げるときには、真希にファーストを譲り、外野に行くことになるだろう。
なつみが投げるときには、3塁も守れる。
みちよと私はそう考えていた。
123 名前:S.S 投稿日:2001年08月14日(火)19時17分23秒
3度の練習を終えた時点で、8名のレギュラーがほぼ確定した。
後藤、保田、飯田、矢口、安倍、吉澤、加護、そして石川の8名である。
石川梨華は、打つことに関してはやや難があるが、守りは天才的だ。
守備の要であるショートを安心して任せられる。
もう一人のレギュラーは、大谷雅恵、柴田あゆみ、村田めぐみのうちの誰かになるだろう。
3人とも潜在能力は充分だ。
練習と経験を積むことで、どんどんうまくなるに違いない。
124 名前:S.S 投稿日:2001年08月14日(火)19時17分54秒
そしてもう一人、辻希美がいた。
1番最後に打席に入った希美に、私は、できる限り遅いボールを投げ続けたのだが、いつになってもバットに当てられない。
希美が空振りするたびに、チームメイトたちのクスクス笑いが聞こえてきたが、私が彼女らを睨んだときから、その笑い声は聞こえなくなった。
しかし、あのぎこちない構え方と極端なダウンスイングでは、おそらく、いつになっても当たらないだろう。
あまりにもひどすぎて、アドバイスのしようがない・・・・。
125 名前:S.S 投稿日:2001年08月14日(火)19時18分16秒
私が途方に暮れていると、みちよが私を見ながら自分の腕時計を指さした。
6時まであと5分しかなかった。
私はすべての親に、6時までには必ず練習を終えると約束していた。
それで親たちは、夕食の計画を立てやすくなる。
126 名前:S.S 投稿日:2001年08月14日(火)19時19分04秒
私はグローブを腋の下に挟み、手を叩きながら大声で言った。
「さあ、みんな、今日はここまで!次の練習は木曜日!ここで4時から!ええな!」
娘たちがいっせいに駐車場に向かう。
しかし希美は、バッターボックスに立ち続けていた。
浮かない顔で、手に持ったバットをぎこちなく振り続けている。
127 名前:S.S 投稿日:2001年08月14日(火)19時19分53秒
私はダグアウトに目をやった。
みちよがバットとヘルメットを袋詰めにしている。
他の娘たちは、すでに全員がグランドを後にしていた。
私はゆっくりとバッターボックスに近づき、希美に話し掛けた。
「辻、少し話そうか。時間はある?」
「はい・・・・だいじょうぶです」
少し震えたような声で彼女は答えた。
128 名前:S.S 投稿日:2001年08月14日(火)19時20分25秒
「辻・・・・」
私は言った。
「頑張って練習すれば、きっといい選手になれる。頑張れば頑張っただけうまくなれるんや。よかったら、打ち方や守り方を特別に教えようか。みんなが帰ってからだったら問題あらへん・・・・どうする?」
私はいつしかしゃがみ込み、自分の目を希美の目の高さにして話していた。
129 名前:S.S 投稿日:2001年08月14日(火)19時21分26秒
彼女が半歩前に出たとき、私は一瞬、その小さな女の子が私の腕の中に飛び込んでくるのではないかと思い、ハッとした。
「いいんですか?・・・・」
希美が下唇を噛みながら言ってきた。
130 名前:S.S 投稿日:2001年08月14日(火)19時21分50秒
「お母さんは何て言うやろ?その分、帰りが遅くなるわけやから」
「それならだいじょうぶです。おかあさん、いつも家にもどってくるのは8時ごろですから」
私は、涙を必死でこらえていた。
理由は分からなかった。
131 名前:S.S 投稿日:2001年08月14日(火)19時22分49秒
「よし、辻。それじゃ、やってみよ・・・・そうや、いっそのこと、今日から始めよか?」
希美の大きな目がさらに大きく開かれる。
「はい!」
希美が元気に頷く。
「ただし、辻。他の連中には内緒や。監督が辻だけを特別扱いしてるって、大騒ぎになるかもしれないからね。分かった?」
132 名前:S.S 投稿日:2001年08月14日(火)19時23分21秒
希美が頷いたのを見て、私はダグアウトに目をやった。
みちよがニコニコしながらこちらを見ている。
2人の会話がみちよの耳に届いていないことは明らかだった。
しかし彼女は、私と視線が合うや間髪を入れずに言ってきた。
「バットとボールを置いてくよ。2人でたっぷり楽しんでください。それじゃ、2人とも木曜日に会おうね」
「おやすみ、みっちゃん」
133 名前:S.S 投稿日:2001年08月14日(火)19時25分40秒
>>107 >>108
ありがとうございます。頑張ります
134 名前:S.S 投稿日:2001年08月15日(水)23時08分55秒
我が娘軍団は、本番前10日間に行った3度の練習で、みちよと私の期待をはるかに上回る進歩を遂げた。
どんなスポーツでも、一般にコーチというものは、選手に高等技術を教えたり、高等戦術を叩き込んだりすることに、練習時間のほとんどを費やそうとする。
しかし私たちの仕事は、守備と打撃と走塁の基本と、試合のルールを教えることだった。
しかも、1つのことに5分以上集中できたら大したものだと言われる年齢の、エネルギーのあり余った、活発この上ない娘たちにである。
最後の3度の練習では、毎回、最初の1時間が打撃と走塁に、次の1時間が守備とルールの確認に費やされた。
135 名前:S.S 投稿日:2001年08月15日(水)23時09分31秒
また、真希となつみ、ひとみと圭織の4人には、4回目の練習から他の選手たちよりも30分早く球場に来させ、みちよと私を相手にピッチング練習を行わせたりもした。
彼女らの肩を強化するためと、彼女らのピッチャーとしての能力を、より正しく見極めるためにである。
真希がエースピッチャーであることは、もとより決まっていた。
しかし残りの3人は、真希が投げないときの先発投手の座をめぐって、しのぎを削っていた。
みちよによれば、なつみとひとみはどちらも、前年のシーズンで少なくとも1度は勝利投手になっているという。
圭織も素晴らしく速い球を投げており、無視するわけにはいかない。
136 名前:S.S 投稿日:2001年08月15日(水)23時10分02秒
バッティング練習では、みちよと私が交互にピッチャーを務めた。
片方がバッターに打ちごろの緩い球を投げている間、もう片方はバッターの正面や後方に立ち、ありとあらゆるアドバイスを与え続けた。
みちよが、いまやピッチャー候補でもあるサード、安倍なつみに、構えたときの両足の間隔を肩幅まで広げてみるようアドバイスする。
するととたんに、なつみは、より快適で安定したその構え方から、レフトオーバー、センターオーバーの柵越えを連発。
歓喜、興奮、そしてまた柵越え!
137 名前:S.S 投稿日:2001年08月15日(水)23時10分32秒
チームの名ショート、石川梨華は、バッティングと薪割りを混同していたようだ。
希美も真っ青の、超ダウンスイング。
これでは、空振りするか、目の前のボールを打ち込むかのどちらかしかない。
あんな華麗な守備を見せる選手が、こんなひどいバッティングをするなんて、私は信じられない思いだった。
138 名前:S.S 投稿日:2001年08月15日(水)23時12分26秒
梨華はいつも物事を悪い方向に考える癖があるが、4度目の練習日に打席に入っていたときの梨華は、いつにも増して表情が暗かった。
私たちは、梨華の肩と腰を、構えたときに水平になるよう矯正した。
するととたんに、梨華のバットが、私の投げるボールをまともに捕らえ始めた。
センターとレフトへの大きなフライを3つ続けた後、『カキーン!』
低いライナーで三塁手の頭上を越えていったそのボールはグングンと勢いを増し、やがて、フェンスの少なくとも3メートル上空を越えて球場の外に消え去った。
バッティングを終えて外野に向かうときの彼女は、もはや「ネガティブの梨華」ではなくなっていた。
うつむき加減で走る梨華の顔に大きな笑顔が浮かんでいたのを、私は見逃さなかった。
139 名前:S.S 投稿日:2001年08月15日(水)23時13分05秒
限られた時間の中で練習効率を高めるべく、私たちは走塁練習を守備練習に組み込んで行った。
ランナーは常に積極的に走らなくてはならない。
しかし同時に、ボールの行方をしっかりと確認しながら走る必要がある。
私たちは、特に後者の大切さをくり返し説明した。
140 名前:S.S 投稿日:2001年08月15日(水)23時13分32秒
私たちはまた、全員に基本的なバントの仕方を教えるとともに、本塁から一塁、一塁から二塁へと走らせ、ストップウォッチを用いて足の速さを確かめた。
後藤真希と矢口真里の2人が飛びぬけて速かった。
一方、希美は例外として、1番足が遅かったのは保田圭だった。
圭が一塁から二塁に走っている時、そのあまりの足の遅さに、チームのムードメーカー、加護亜依が言った。
「亀でもまだ速く走るで」
141 名前:S.S 投稿日:2001年08月15日(水)23時15分16秒
練習時間の最後30分は、ルールの確認に費やされた。
ただし、全64ページの『リトルリーグ公式規定』に記されたすべてのルールと付帯条項に触れることは、もとより不可能な事だった。
そこで私たちは、試合中にくり返し発生しそうな状況に的を絞り、それらの状況に関連したルールを重点的に説明した。
たとえば、塁に出たランナーはいつベースを離れることができるか、そして特に、観客や敵の選手、審判たちにどんな態度で接するべきか。
さらには、それに反した態度を取った時はどんな罰を与えられるのか、といったことをである。
142 名前:S.S 投稿日:2001年08月16日(木)23時45分43秒
そして今や私には、自分の心と時間をさらに埋めることのできる、もう1つの活動があった。
チームの練習が終わってから行った、希美への個人指導である。
3回目のチーム練習が終わったばかりの夕方、最初の秘密特訓を始める前に、私たちはまずダグアウトに腰を下ろした。
143 名前:S.S 投稿日:2001年08月16日(木)23時46分13秒
「辻は、野球を始めてからもう長いの?」
希美はうつむき、床に届かない足をぶらぶらさせているだけだった。
「辻?」
首を左右に何度も振ってから、希美はボソボソと話し始めた。
144 名前:S.S 投稿日:2001年08月16日(木)23時46分45秒
「小さいころはお父さんとやってたみたいです。私はよくおぼえていないけど・・・・。私のきおくにはもうお父さんはいなかったし、友達もすくなかったから・・・・」
前に電話で聞いた声とまったく同じだった。
覇気もなければ抑揚もない。
お父さんはいないんだ・・・・もうお父さんの話はさせないでよ!
希美の気持ちが手に取るように分かった。
145 名前:S.S 投稿日:2001年08月16日(木)23時47分20秒
「んじゃ、ほとんど野球したことないんや」
希美の顔に生気が戻った。
希美は元気に頷き、額に垂れていた髪を野球帽の中に押し込んだ。
続いて彼女は、小さな胸を大きく張って両の拳を強く握り締め、それを頭上にかざして大声で叫んだ。
「でも、毎日、毎日、私はどんどんよくなってるんです!」
「ん?今、なんて言ったんや?」
私は唾を飲み込んだ。
「毎日、毎日、私はどんどんよくなってる!」
146 名前:S.S 投稿日:2001年08月16日(木)23時47分51秒
私は自分の耳を疑った。
この言葉を、どうしてこの子は知っているんだろう・・・・
私は深く息を吸い、自分を落ち着かせようとした。
147 名前:S.S 投稿日:2001年08月16日(木)23時48分18秒
その言葉は私が小さい頃、父に教えられた言葉だった。
このフレーズは、私の心を楽観的で希望に満ちた状態にいつも保ってくれていた。
私の心の姿勢は、どんなに厳しい状況の中でも常に前向きだった。
自分は毎日成長しているんだ!
自分は必ず成功する!
148 名前:S.S 投稿日:2001年08月16日(木)23時48分58秒
「辻・・・・」
私はもう1度深く息を吸い、ゆっくりと吐き出した。
「その言葉、どこで覚えたんや?」
「明日香先生におそわったんです。おいしゃさんです。私とお母さんにいつもすごくしんせつにしてくれて、このまえはキャッチボールをしてくれました。そのときおしえてくれたんです。
この言葉をまいにちなんども言いつづけたら、なんでもうまくできるようになるって。それに、明日香先生、私がれんしゅうしてるとこを見にきてくれたりもします」
「そうなんか。それで、今日も来てたんか?」
「はい。一塁側のベンチの上にいました。ときどき私に手をふってました」
149 名前:S.S 投稿日:2001年08月16日(木)23時49分35秒
「それで、教えてもらった言葉はそれだけ?他にも何かあるんか?」
「絶対、絶対、絶対、絶対、あきらめるな!」
私はこれも知っていた。
小さい頃、試合前に父にいつも言われていた、単純だがとてつもなくパワフルなフレーズだ。
「それも言い続けてるんか?」
彼女は頷いて言った。
「私は絶対にあきらめません」
150 名前:パク@紹介人 投稿日:2001年08月27日(月)03時57分27秒
こちらの小説を「小説紹介スレ@金板」↓に紹介します。
http://mseek.obi.ne.jp/cgi/hilight.cgi?dir=gold&thp=994402589&ls=25
151 名前:S.S 投稿日:2001年08月27日(月)22時25分29秒
私たちの秘密特訓の初日は、バッティング練習に費やされた。
まず最初は私が手本を示し、それを可能な限り真似させた。
足の開き方からバットの構え方、そしてスイングの仕方に至るまでのすべてをである。
これは思った以上に効果があった。
152 名前:S.S 投稿日:2001年08月27日(月)22時26分17秒
10分ほどして、私が投げるボールを希美が打つ練習に移行した。
私は1球投げるごとに、足の位置やバットの構え方、振り方などに関する欠点を指摘し、それを修正するためのアドバイスを送り続けた。
それほどしないうちに、希美は、私に向かって左足を軽く踏み出してから上半身を回転させることで、体のバランスを最後までしっかりと保ちながら、バットをほぼ水平に振れるようになっていた。
バットがボールに当たったのは5,6回だけだったが、希美は明らかに、少しずつ自信をつけつつあった。
そして何よりも、私との練習を楽しんでいるようだった。
153 名前:S.S 投稿日:2001年08月27日(月)22時27分06秒
さらに私たちはバントの練習も行った。
最初希美は、正しいバントの姿勢を取れなかった。
と同時に、腕がコチコチだった。
しかし間もなく、ピッチャーに正対して膝を折り、上体をかがめ、腕をリラックスさせた体勢から、三塁側に立て続けに数回のバントを成功させるまでに上達した。
154 名前:S.S 投稿日:2001年08月27日(月)22時27分39秒
その晩、私はみちよに電話した。
「どう、調子は。このままやれそう?」
私の声を聞くなり、みちよはそう言ってきた。
まだ私のことが心配らしい。
「今のところはね」
「あのちっちゃな娘さんはどうだった?」
「悪くない。どんどん良くなってる。それに・・・・」
155 名前:S.S 投稿日:2001年08月27日(月)22時28分20秒
「ん?どうしたの?」
「いや、なんでもない。ところで、みっちゃん。ちょっと聞きたいことがあんねん。明日香先生・・・・医者の・・・・知ってる?」
「この町の人間ならみんな知ってるよ。この町の年寄りからちっちゃい子供の体をたった1人で見てるんだから。でも、なんで明日香先生なの?どこか悪いの?」
「いや、ちゃうねん。実は、辻から聞いたんや。その医者が良くできた人物だってことをね。今日の練習も見に来てたらしいし」
「え?ああ、そういえば一塁側スタンドの上のほうにいたかな。練習見に来るなんて、思ってもみなかったわ」
「辻が言うには、彼女は辻を見にきてるらしいで」
「うーん・・・・どうやろね。一応、全員に目を向けてるんじゃないかな。彼女も元々は選手やったしね。すごいプレイヤーだったで。裕ちゃんも見たら絶対驚いてたわ」
156 名前:S.S 投稿日:2001年08月27日(月)22時28分52秒
2人で行った練習の最後の2回は、守備と走塁がテーマだった。
フライを捕る練習は、私が手でほぼ真上に放り投げたボールをキャッチさせることから始まった。
ボールの下に入ったら、両手をそろえて目線の少し下に持っていき、そこにゆったりと固定する。
そして落ちてきたボールを、それが顔に当たる寸前にグローブでわしづかみにし、間髪をおかずに、下から右手を添えるようにする。
これが私の指示だった。
157 名前:S.S 投稿日:2001年08月27日(月)22時29分26秒
希美は徐々に要領をつかみ、やがて、ボールの捕獲に10回ほど連続して成功を収めた。
よし、もういいだろう。
私はセンターの守備位置に向かわせた。
「辻、もっと前に来な!・・・・もっと前・・・・そう、そこでいい。さあ行くで!」
158 名前:S.S 投稿日:2001年08月27日(月)22時29分56秒
グローブを拳で叩いて待ち受ける希美に向かい、私は山なりの緩いフライを打ち上げ始めた。
すぐに私は、飛んでくるボールに対する希美の反応が、以上に遅いことに気がついた。
ボールが打ち上げられてからその方向に向かってスタートを切るまでに、かなりの間があるのだ。
もしかしたら、目が悪いのかもしれない。
そう思って尋ねてみたのだが、5月に学校で受けた視力検査では正常だったという。
単純に反射神経が鈍いということなのだろうか。
だとしたら、練習あるのみだ。
159 名前:S.S 投稿日:2001年08月27日(月)22時30分33秒
希美はまた、足の遅さも異常だった。
フライを追いかける時にも、ベース間を走る時にも、なかなか前に進まない。
手を抜いていないことは明らかだった。
走っている時の希美の顔は、いつも歯を食いしばり、顔を歪めていた。
160 名前:S.S 投稿日:2001年08月27日(月)22時31分04秒
私は気になって尋ねてみた。
「辻、走るとどこか痛いんか?」
「いいえ、べつに・・・・」
希美は喘ぎながらそう答えた。
「もっとはやく走りたいんだけど・・・・足がなかなかうごかなくて・・・・でも、きっとうごくようになります。まっててください。私はぜったいにあきらめません。ぜったいに!もっとはやくなります!」
161 名前:S.S 投稿日:2001年08月27日(月)22時31分37秒
シーズン本番を前にした最後のチーム練習の後で、選手たちはモーニングスの公式ユニフォームを支給された。
大きな「M」を左胸にあしらった、白地のユニフォームだった。
胸のマークの色は、帽子、およびストッキングと同じ、赤。
ユニフォームの入った箱を選手たちに手渡しながら、みちよが言った。
「サイズはみんなピッタリのはずや。寸法を測ったのはうちやからね。間違いない」
162 名前:S.S 投稿日:2001年08月27日(月)22時32分09秒
さあ、やることはやった。
あとは開幕を待つだけだ。
後ろに希美が立っているのに気付いた時、私はバットとボールを袋に詰めていた。
「どうした?辻」
「かんとく、いろいろおしえてくれて、ありがとうございました。それから、お母さんにもたのまれてるんです。本当にありがとうございました。これはお母さんの分です」
163 名前:S.S 投稿日:2001年08月27日(月)22時32分38秒
私は頷き、微笑んだ。
希美が続ける。
「私は今、前よりもずっとうまくなってます。私にはそれがわかるんです」
「ああ、そのとうりや、辻」
希美がニコッと笑い、私の目をじっと見ながら言う。
「毎日、毎日、私はどんどんよくなっている」
164 名前:S.S 投稿日:2001年08月27日(月)22時34分13秒
私はまた微笑み、希美に握手を求めた。
「そうや。辻はきっといいプレーができる」
希美は目をキラキラさせながら元気に頷いた。
私は希美を両手で持ち上げ、ギュッと抱きしめたかった。
望にいつもしていたように・・・・。
165 名前:S.S 投稿日:2001年08月27日(月)22時34分48秒
「おやすみなさい、かんとく」
「おやすみ、辻。ええか、最初に試合は次の火曜日。相手はボンバーズ。4時までにはここに必ず来るんやで。ええな」
私は、望が駐車場に行き、自転車に乗り、走り出してやがて木立の影に消えていく様子を、そこに立ったままじっと眺めていた。
166 名前:S.S 投稿日:2001年08月27日(月)22時35分27秒
続いて私はダグアウトに入り、腰を下ろした。
間もなく辺りは暗くなった。
しかし私は、しばらくの間そこに座り続けていた。
自分自身を支えるための強さを与えてくれるよう、神に祈りながら・・・・。
167 名前:名無し読者 投稿日:2001年08月29日(水)02時09分28秒
いっきに読ませてもらいました
これからも更新楽しみにしてます
がんばってください!
168 名前:名無し読者 投稿日:2001年09月27日(木)23時52分08秒
元ネタって「十二番目の天使」?
まだ読んだことないけど、もしそうだとしたら読みたくなったよ。
これからもがんばってください。

Converted by dat2html.pl 1.0