インデックス / 過去ログ倉庫 / 掲示板
娘草紙
- 1 名前:うちつけなる書き物(突然な執筆依頼) 投稿日:2001年08月16日(木)23時01分51秒
- 先頃女御様(*1)よりたいそう立派な紙をいただいた。
なんでも女御様が当今さま(*2)より頂いたものらしく、当然私は丁寧にお礼を申し上げた上で、頂くのを辞退した。
しかし周りの女房達(*3)が「圭少納言様、ぜひ歌物語(*4)をお書きになって」だの、「物語がお好きでなければ随筆を」だの、御前で申し上げたたため、私も退くに退けなくなってしまった。
女御様も最初からそのおつもりだったらしく、私に「好きなことを書いてくれればいいのよ」などとおっしゃって下さった以上、その紙を素直に頂く他なかった。
とはいえ私は性格的に小説というものが合わないらしく、それは書くこととしても同様であった。
随筆と言われても、私は自然を愛でるような歌(*5)ですら得意ではない。
とんと困ってしまったが、最終的には女御様のご助言通り、自分の好きなことを書くことにした。
私が好きなのは人間の観察である。
もちろんたまに訪れる華やかな公達(*6)を御簾(*7)ごしに拝見するのも楽しいが、それ以上に同僚である女房達を見ているのは本当に飽きがこない。
というわけで今後は稚拙ながらも後宮(*8)の女性たちを描くよう努め、この文章を「娘草子」と名づけることにした。
- 2 名前:注釈 投稿日:2001年08月16日(木)23時03分07秒
- (*1)女御(にょうご)
天皇の奥さんのことで、格としては皇后(中宮)に次いで2番目。
この場合の女御とは圭少納言の仕える麗景殿女御(れいけいでんのにょうご)裕子姫のこと。
(*2)当今(とうぎん)さま
当時の今上天皇、つまりは帝のこと。女御の夫でもある。
(*3)女房
元は御所の中で部屋を与えられている女性を指す。
転じて貴族に仕える女性もこう呼んだが、ここでは本来の意。
(*4)歌物語
「伊勢物語」に代表される、和歌を中心とした物語。
源氏物語以前の物語の典型のひとつだった。
圭少納言が歌の名手であったことは有名で、女房達はそれを期待していた。
(*5)歌
もちろんこの場合は和歌(特に短歌)を指す。以下も同様。
(*6)公達(きんだち)
上流貴族の息子。貴公子。
(*7)御簾(みす)
女性の身を隠すカーテンの役割を果たしたすだれ。
この時代、女性が特定の男性以外に姿を見せるのははしたないとされた。
(*8)後宮
天皇やその奥方達が暮らす所。
- 3 名前:“うちつけなる書き物”解説 投稿日:2001年08月16日(木)23時04分07秒
- 作者がこの作品を書くきっかけを描いている。
作品の序文にあたる文章であり、作品中で最も短い章段のひとつである。
最初の様子からもわかるように、周りの人間たちは圭少納言が面白いものを書いてくれると期待している。
これは圭少納言が歌才に秀で、返歌や恋文の代筆などは全て彼女の役目だったからである。
しかし実際の所、娘草子には圭少納言の周りの人々が時に辛らつに描かれていることから、他人に読まれることを想定した文章はそれほど多いとは言えない。
この章段も例外ではなく、リアルタイムではごく親しい女房の間でのみ公開されていたと思われる。
- 4 名前:作品解説 投稿日:2001年08月16日(木)23時04分45秒
- 娘草子(娘草紙とも)は王朝時代後期を代表する女流文学で、作者の圭少納言が宮仕えをしていた20代に執筆された。
この頃すでに女流文学は円熟期を迎え、「源氏物語」や「枕草子」など、名作と呼ばれる作品が数多く登場していた。
特に平安随筆文学の双璧と言われる枕草子と娘草子は、比較して考えられることが多々あるが、その性格はかなり違っている。
これは娘草子の全てが他人に読まれることを想定した文章というわけではないからであろう。
秘密の日記に近い段、女御他親しい者にのみ読ませた段、広く回された段、と多種多様な文章で構成されていて一貫性には欠けるが、それぞれに作者の本音が見え隠れしていて、むしろ大変興味深い。
また娘草子は序段にもあるように、全体を通して後宮の女性を描いており、枕草子が自然・人・出来事などさまざまな対象を描いているのと対象的である。
つまり娘草子は枕草子ほど内容のバリエーションこそないが、執筆段階では読者を気にすることなく、冷静かつ自由な表現がされた作品なのである。
なお、本書は「日本ららばい古典大全〜ツルネンマルティは鶴念丸亭〜」(民朝書房刊)を原文とし、中高生でも読みやすいよう心がけて現代語訳した。
ただし各章の題名は原文と現代語訳を併記している。
また古文単語も簡単なものも含めてすべて説明している。
更に各章段の後にはより作品理解を深めてるための解説を加え、時折作品全体の解説も挿入している。
同様に短歌は本文中には原文のみとし、現代語解析は章段の解説とともに別記した。
- 5 名前:作者 投稿日:2001年08月16日(木)23時05分36秒
- 名前欄によって内容を整理しています。
「章段名」……………本文
「脚注」………………古語の解説
「解説」………………作品全体の解説
「“章段名”解説」…各段の解説
「短歌解釈」…………作品に登場する短歌の意味の解釈
「作者」………………これを書いてるヤツのフリートーク
基本的に「章段名」「脚注」「“章段名”解説」の3つは章段ごとに入り、他は時々挿入されます。
今作は連載ではなく、短編集的なものだと思ってください。
そのため更新は基本的に章段ごとで、不定期です。
レスは歓迎します。
厳しいこと言ってくれてもかまいません。
脚注等で誤りがありましたら、指摘してください。
但し、sage小説ではありませんが、沈んでいる時はむやみにageないようお願いします。
- 6 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月17日(金)05時56分33秒
- 何か凄そうな感じ。
どんな話になるのか楽しみっす。
- 7 名前:あさましき女東宮のほど(呆れてしまう女東宮の様子−1) 投稿日:2001年08月19日(日)05時22分34秒
- 今日、女御様と彩式部(*1)のすごろくを見ていると、廊下から慌ただしい足音が聞こえ、真里衛門(*1)が息を切らしながら「女東宮(*2)が、依宮様(*2)がおむずかりですっ!」と叫んだ。
他の女房など何事かとざわついたりもしていたが、私たちは「またか」とため息をついた。
しかし女東宮付きの高級女房である真里衛門の顔があまりにも蒼白といていたので、気の毒に思われてそうあきれているわけにもいかない。
女御様が「しょうがない。圭少納言、行ってやりなさい」とおっしゃったので、私は一礼の後、真里衛門に急かされながら梨壷(*3)に向かった。
女東宮の部屋に入ると、畳が水に濡れていた。
真里衛門によると、お手水(*4)を嫌がって桶をぶちまけたらしい。
「女東宮様、どうなさいましたか」とお聞きすると、女東宮はこちらに背をむけたまま「誰のこと?東宮なんて」とのお返事。
「依宮様、何かお気に障ることでも?」と続けて聞くも、「そんな呼び方しないでっていつも言ってるでしょ!」と金切り声をあげられてしまった。
「それでは内親王亜依姫様」と声かけると、女東宮はようやくこちらをお向きになられて、私を睨みつけた。
- 8 名前:注釈 投稿日:2001年08月19日(日)05時23分13秒
- (*1)彩式部(あやのしきぶ)・真里衛門(まりえもん)
二人とも圭少納言の同僚で、前者は麗景殿の女房、後者は女東宮付きの内侍。
彩式部は夫が式部之太夫、真里衛門は父が衛門督、ちなみに圭少納言は亡き父親が少納言の位についていたため、こう呼ばれた。
(*2)女東宮(にょとうぐう)・依宮(よりのみや)
東宮とは皇太子のこと。
この時代は適当な男子がいない場合、女子に皇位継承権が与えられていた。
女東宮は天皇と麗景殿の女御の娘で、依宮は彼女の内親王としての宮名。
(*3)梨壷
女東宮の住まいである昭陽舎の通称。
(*4)お手水(おちょうず)
この場合、洗顔のこと。
- 9 名前:あさましき女東宮のほど(呆れてしまう女東宮の様子−2) 投稿日:2001年08月19日(日)05時23分43秒
- 「お久しぶりでございます」とご挨拶するも、「少納言なんか呼んだ覚えないんだけど」とつれないお返事。
埒があかないので、「畳表は水まきする必要ございませんですよ」と申し上げると、「それくらい私だって知ってるわ」と再び声を荒げられる。
「では水をまくことでカビが発生することもご存知で?」とお尋ねすると、東宮は顔を真っ赤にされて「そっ、それくらい・・・」と声を詰まらせながらおっしゃるのが、まあなんとも幼い。
「それならお聞きしますが、カビが生えてきたらどうするおつもりなのですか」と誘導すると、すぐに「そんなの、掃除司(*1)に言ってすぐに換えさせるわ」と高らかにおっしゃられる。
「ここに入れられているいぐさはとても高価で、そうそうに新しいものには換えられませんよ」などと私が申し上げると、女東宮は自信満々の顔つきで「そうよ、私が東宮だからできることだわ」と仰せになられた。
すかさず「東宮とお呼び申し上げられるのが、お嫌いではなかったのですか?」と、自分でも意地悪だと思いつつも申し上げると、女東宮は歯をくいしばるような表情をされ、そっぽを向いてしまわれた。
その仕草の幼いことと言ったら、本当に呆れてしまう。
女東宮も今年で14歳(*2)になられ、世間で言えばそろそろ嫁ぎ先を探そうかという年齢である。
女なのに東宮という難しいお立場にたたれているせいか、大変幼くひねくれた性格にお育ちになっていることは、文章博士(*3)代わりの私としても心苦しい。
- 10 名前:注釈 投稿日:2001年08月19日(日)05時24分47秒
- (*1)掃除司(かさもりのつかさ)
掃除係の女官のこと。
ただ畳の交換など、もちろん当時の女の仕事ではない。
(*2)14歳(女東宮の年齢)
ここで言う年齢は数え年。
(*3)文章博士(もんじょうはかせ)
漢詩文や紀文などを教授した大学寮のトップ。
天皇や東宮の家庭教師を務めることもあり、主に漢文で政治学などをを教えた。
圭少納言は女性ながら漢文にも明るく、東宮幼きうちより彼女が文章博士の代わりとなっていたようだ。
- 11 名前:“あさましき女東宮のほど”解説 投稿日:2001年08月19日(日)05時25分35秒
- 圭少納言の仕える麗景殿女御の娘で、東宮の位についている依宮内親王(亜依姫)のことを記した章段である。
将来の帝というやんごとなき身分にいるのだし、それでなくても雇用主の娘なのだから、普通ならここまでひどく書かれることはないだろう。
しかしこの段は単なる悪口などではなく、母である麗景殿女御への報告書的な意味合いを持つ文章だったと言われている。
圭少納言が辛らつに女東宮の様子を描けているのは、ひとえに女御からの信頼ゆえのことであろう。
なおこの章段は、後の女東宮に関する幾つか章段と、内容的にも続いている。
- 12 名前:末の子鴨の(末っ子の子鴨のように) 投稿日:2001年08月26日(日)15時26分36秒
- その夜、女御様は真里衛門を麗景殿にお招きになられ、私達側近の高級女房以外は人払い(*1)をさせた。
私が今日の女東宮のご様子をお伝え申し上げると、女御様は美麗な目を細められ、「我が子ながらあの娘はどうもあかんなあ」と呟かれる。
「まあ東宮という難しい立場におられるわけですし・・・」などと彩式部が言うも、「だからこそしっかりせなあかんねん」とため息をつかれては、他になんとも言えない。
そのうちに真里衛門が「私がもう少ししっかりしていれば・・・」と嘆きはじめたので、「そんなに気にすることありませんって。あなたはよくやってるわ」と慰めたのだが、真里衛門は疲れた表情で息をつく。
女御様も「上藹女房(*2)の仕事だけでも大変やろうに、本来ならあんたの仕事じゃなかった(*3)ご機嫌とりまでさせて、ほんま悪かったなあ」とおっしゃるのだが、真里衛門は生返事を返すだけだ。
空気が重くなってしまったのを察してか、彩式部が「まあ幼き頃からよく知っている子供の成長を見る楽しみもありますし」と前向きなほうに話を持っていく。
私も何か言わねばと思い、
東宮の おとなしきこと なしつぼの 末の子鴨の うしろめたなし
と詠むと、女御様も真里衛門も笑顔になってくれた。
- 13 名前:注釈 投稿日:2001年08月26日(日)15時27分13秒
- (*1)人払い
部屋から退出させたということ
普通は宿直(とのい)の女房が隣室に待機しているが、その者たちを自室に戻したと思われる。
(*2)上藹女房(じょうろうにょうぼう)
特に身分や地位の高い女房のこと。
具体的には尚侍・御匣殿・高位の典侍がこれで、真里衛門は従三位の典侍。
ちなみに上藹の反対は下藹で、「藹」は本来は僧の修行年数を表す言葉。
なお「藹」の字は本当は言偏ではなく肉月なのだが、パソコンにない字なので代用している。
(*3)本来ならあんたの仕事じゃなかった
上藹女房は東宮にはたしなみや作法を教える程度で、普通は他の女房の管理をしている。
しかし真里衛門には女東宮のご機嫌とりのようなことまでやらせている、という意。
- 14 名前:“末の子鴨の”解説 投稿日:2001年08月26日(日)15時27分46秒
- 前の“あさましき女東宮のほど”と同日の夜の話で、後の真里衛門を描いた段に関係するだけでなく、以降の女東宮関係の話の伏線にもなっている、重要な章段と言える。
また、それと同時に各人のキャラクターがよくあらわれた章段でもある。
麗景殿女御・裕子姫の台詞をあえて関西弁で訳したのは、彼女の言葉に多少のなまりがあったニュアンスを出すためであり、別に関西弁に固執する必要はない。
これは彼女が幼少時代を京の北西の丹後の国・福知山で過ごしたためである。
彼女は受領階級ではなかったが、幼少の頃は病弱で療養していたらしい。
上藹女房として話の中心におかれている真里衛門は、この場にいる三人の女房の中で最も若いが、従三位という位は最も高い。
このことに関しては続く章段の解説で触れることとする。
この他、彩式部の気の利く性格や、圭少納言自身の歌のうまさも際立っている章段だと言える。
- 15 名前:短歌解釈 投稿日:2001年08月26日(日)15時28分26秒
東宮の おとなしきこと なしつぼの 末の子鴨の うしろめたなし
歌の意味
(東宮には大人びた様子が全く無く、末っ子の子鴨のように気がかりでならない)
・東宮の 女東宮・依宮のこと
・おとなしきこと 大人びているということ
・なしつぼの 女東宮の住まいである梨壷と“無し”の掛け言葉
・末の子鴨の 後の“の”は比喩を意味し、末っ子の子鴨のように
・うしろめたなし 気がかりだ・心配だ
ため息をつく女御と真里衛門を元気づけるべく、圭少納言が詠んだ歌。
女東宮をかわいらしい子鴨に見立て、心配する気持ちを共有することで、二人の気を楽にさせようとしている。
さりげない脚韻・掛け言葉・比喩などの細かい技巧も凝らされている。
- 16 名前:no name 投稿日:2001年08月28日(火)19時16分43秒
- 古典風味でさりげなくメタフィクション。
メチャメチャおもしろいっす!!
書くのがそ〜と〜大変そうですが、頑張ってください。
続きは、首をキリンにして待ってます。
- 17 名前:ながむ心は(歌を詠むということは) 投稿日:2001年09月02日(日)22時58分32秒
- 私がこのようなことを偉そうに述べるのは身の程知らずかもしれないが、率直に世間に申し上げたいことがある。
それは歌合わせ(*1)のこと。
歌は本来、自らの感動や感情を言葉におさめたもので、強いられて詠むものでは決してない。
まあ返し(*2)のひとつもできないのはさすがにどうかとは思うが、唐突に題(*3)だけを出されて作られた歌を競うことに、はたして意味があるのだろうか。
例えば恋という題が出されたとする。
愛しい人を待っているときのような恋焦がれる気持ちを、大勢の人の前で詠もうとしても興ざめでしかない。
昔の恋人を思いだそうにも、昼間の日光は無粋に感傷を邪魔する。
結局のところ、他の人間になったつもりで詠む他なく、これでは筒井筒(*4)のような名歌などそうそうにうまれない。
もちろんこれまで歌合わせで名歌を詠んだ歌人も数多くいるが、詠んだ数が違う。
私がこのようなことを言うのは、なにも歌合わせを催していらっしゃる方々を批判するためではない。
ただ昨今の傾向として、自然な感動を歌にすることが忘れられているようで、大変残念に思っている。
そういう私も、数年前までは歌合わせや歌垣(*6)の常連だったのではあるが。
- 18 名前:短歌解釈 投稿日:2001年09月02日(日)22時59分06秒
- (*1)歌合わせ
左右に分かれて同じテーマで歌を詠みあい、それを競うという遊戯。
(*2)返し
歌を送られてお返しに詠む歌。返歌。
この時代、歌を送られたらその場ですぐに歌を詠んで返すのが常識だった。
(*3)題
歌あわせのテーマ。お題。「恋」「雨」「花」など色々なものがあった。
実際にはその場で提示される当座の他に、前もって提示される兼題があった。
(*4)筒井筒(つついづつ)
井戸の囲いのことだが、ここでは伊勢物語の同名の章段に登場する歌を指す。
風吹けば 沖つ白波 たつた山 夜半にや君が ひとり越ゆらむ
(風が吹くと白波がたつという恐ろしい竜田山を、
今夜あの人は一人で越えているのだろうか)
もともとは古今和歌集に読み人知らずとして掲載されている歌だが、伊勢物語では他の女の所に向かった男を心配して詠んだ歌というストーリーになっている。
(*5)幾千回と詠みあえば
歌合わせは長いものでは千五百番にも及ぶことさえあったという。
(*6)歌垣(うたがき)
一群の男女が歌いあうという風流な行事。
- 19 名前:“ながむ心は”解説 投稿日:2001年09月02日(日)23時00分22秒
- 娘草子で数少ない随想的章段で、具体的なエピソードが描かれていない。
物語が好きでないと言っておきながら伊勢物語を取り上げたり、歌合わせを厳しく批判しておきながら最後に自らのことに触れていたりと、一見矛盾しているように感じられる箇所も多い。
また圭少納言らしい緻密さに欠いた文章も多々見受けられ、大変読解の難しい章段である。
結論から言うと、これらはこの文章が他人に読ませようと書かれているためだと推測される。
全体的に強めの口調で大味に語られているのも読者を煽るためであろうし、最後に自らのことを言ってフォローをしてないことからも説得力を高めるという意図が読み取れる。
つまりこの章段は、若い歌人の妄想への傾倒を正すべく、読み易く書かれた指南書のようなものなのだろう。
- 20 名前:“ながむ心は”解説 投稿日:2001年09月02日(日)23時01分07秒
- 訓示的内容であるため、初読だけでは他の章段に比べて面白みに欠けるように感じられるかもしれないが、ほとんど語られることのない圭少納言自身の人物像をうかがうことのできる、貴重な章段でもある。
まず伊勢物語のロマンチシズムに彼女が賛同していることは大変興味深い。
現在残されている彼女の歌には「〜になったつもりで」詠まれているものがほとんどない。
それでもシチュエーションロマンスを毛嫌いしているわけではなく、彼女の恋歌に対するポリシーの奥深さを知ることが出来る。
また、最後の歌垣という行事は歌あわせとは比べものにならないほど軟派な行事で、我々の持つ圭少納言像を惑わせるに十分な要素となっている。
そして最も興味深いのは「昔の恋人〜」の一節で、後の「覚書」の段に出てくる歌が、実体験に基づいて詠まれたものだということがわかる。
- 21 名前:衛門の幼ぶる辺り(真里衛門の幼く感じられるところ−1) 投稿日:2001年09月11日(火)19時41分20秒
- それは女東宮の講義が終わって、丁度本をたたんだ時のことだった。
明日香掌侍(*1)が梨壷に顔を見せたので、何事かと尋ねると、帝が東宮のご機嫌伺いに来ていて、先導とのこと。
真里衛門はため息をひとつついて立ち上がり、急いで部屋を片付けるよう女童(*2)達に申しつける。
私達も御簾をかたむけてもらい、少し緊張した面持ちで待機していると、程なくして帝がおでましになった。
「少納言、女東宮は真面目にやっていますか?」とおっしゃられたので、何か答えようとしていたら、先に女東宮が「もちろんよ」とすました顔で仰せになられた。
あまりにも女東宮があけすけとしたご様子なので、「講義中は集中しているのですが…」と申し上げる。
すると帝が「では講義が終わるとどうなのですか?」と再びおっしゃられたので、「それはこちらの衛門典侍(*3)に伺っていただきますよう…」と真里衛門のほうにふったのだが、彼女は私のほうに苦笑いを浮かべて口を閉ざし、結局帝のご質問にもろくな返事を返さなかった。
- 22 名前:注釈 投稿日:2001年09月11日(火)19時41分52秒
- (*1)明日香掌侍(あすかのないし)
掌侍(ないしのじょう)は内侍司の三等官だが、実務的には最も重要なポスト。
この明日香掌侍は特に有能な人物で、後の章段にも度々登場する。
(*2)女童(めのわらわ)
女嬬(にょじゅ)とも呼ばれた下位の女官で、女房と区別された呼び名。
(*3)衛門典侍(えもんのすけ)
真里衛門のこと。帝の御前なので役職名も含んだ名前で呼んでいる。
典侍(ないしのすけ)は内侍司の二等官で、有力貴族の娘だけがなった。
- 23 名前:衛門の幼ぶる辺り(真里衛門の幼く感じられるところ−2) 投稿日:2001年09月11日(火)19時42分25秒
- 帝も清涼殿(*1)にお戻りになられ、私と真里衛門も御前から退出した。
「雷鳴壷(*2)まで戻るの面倒だな」と真里衛門が言うので、「どうせまた梨壷まで行くんでしょ?それなら麗景殿によっていきなさいよ」と提案すると、「そうさせてもらうわ」と麗景殿に入っていった。
丁度空いていた部屋があったので、そこに入ってようやく二人とも息をつく。
「さっきは天下の主上(*3)に向かって随分とつれない態度だったじゃない」と切りだすと、真里衛門は「おもうさん(*4)の耳に入ると厄介だから、あんま言わないでね」と苦笑いで体を起こした。
「衛門督さん(*5)はあんたを女御にしようと東奔西走してるってのにねえ」と言ってやると、「だからこそなのよ」と彼女は真剣な顔つきになった。
「あんまりおおっぴらに言えることじゃないけどさ、女御にはなりたくないんだ」と真顔で続けるので、「私はいいと思うよ。そういうのも」と言うと、「やっぱ圭ちゃんは話がわかるなあ」と真里衛門は気が抜けたように笑った。
- 24 名前:注釈 投稿日:2001年09月11日(火)19時42分58秒
- (*1)清涼殿(せいりょうでん)
帝の住居になっている建物
(*2)雷鳴壷(かんなりのつぼ)
襲芳舎の別称。
主に女官の住居となっていた建物で、内侍司から出向していた真里衛門は、梨壷ではなくここに住んでいたようだ。
とはいえ多くの内侍は温明殿(後述)に詰めるため、彼女は何か特別な理由があって雷鳴壷に住んでいたのだと思われる。
内裏の北西の隅に位置する雷鳴壷は、女東宮の住む梨壷から最も離れた位置にある。
そのため圭少納言は梨壷の隣の麗景殿で待機するよう提案したのである。
(*3)主上(おかみ)
帝のこと。
(*4)おもうさん
「お父さん」の意。
(*5)衛門督
真里衛門の父親を指す。
衛門督は宮中の警備をする衛門府の長官で、多くは宰相や納言が兼任する。
- 25 名前:衛門の幼ぶる辺り(真里衛門の幼く感じられるところ−3) 投稿日:2001年09月11日(火)19時43分51秒
- 「でもさ、なんで女御が嫌なの?」と尋ね、不用意だったことに気づいて「別に答えたくなかったら答えなくていいよ」と付け加える。
「だって女御なんかになったらロクに恋愛もできないじゃない」と言ったかとと思うと、真里衛門は他人には聞かせられないようなことを、堰を切ったようにまくしたてはじめた。
「帝のことが嫌いなわけじゃないのよ。ただ準婦人(*1)まであわせて5人も6人もいらっしゃるんだもん。いくらおもうさんが寵愛を得ようと頑張っても、そんなの本当の恋じゃないんあじゃないかって。」
「随分な言い口ね。それじゃ本当の恋ってのは何よ?」と尋ねると、「物語みたいな出会いに決まってるじゃない」と目を輝かせる。
「それじゃそこらの殿上人(*2)との逢い引き(*3)があんたの夢か」と私が言うと、真里衛門はしばらく黙った後「そりゃ殿上人より上達部(*4)のほうがいいけど・・・でもやっぱおじさんじゃなくて、君達(*5)ってのが最高だな」などと小声で呟いた。
- 26 名前:注釈 投稿日:2001年09月11日(火)19時44分21秒
- (*1)準婦人
帝には正式な妻の他に、妾や将来の女御候補者的な準婦人が数多くいた。
(*2)殿上人(てんじょうびと)
四・五位の官人と六位の蔵人で、清涼殿の殿上の間に上ることを許されたもの。
この場合、その中で上達部より位の低い者のこと。
(*3)逢い引き
デート(待ち合わせ)ではなく、ラヴアフェア(情事)の意。
(*4)上達部(かんだちめ)
三位以上の貴族で、名門の家柄の人間以外ほとんどなれなかった。公卿。
(*5)君達(きんだち)
殿上人のうち特に公卿の家柄の若者で、言わば超エリート。
将来の出世が約束され、逆に彼ら以外の殿上人が上達部になることはほとんどなかった。
- 27 名前:衛門の幼ぶる辺り(真里衛門の幼く感じられるところ−4) 投稿日:2001年09月11日(火)19時44分54秒
- 私に幼く思われるのを嫌ったのか、真里衛門は「でも思ったんだけど、出仕(*1)しないで家にいたらさ、今ごろどうなってたのかって」と話題をかえる。
「親の決めた縁談でも受けて、文でもかわして三日の餅(*2)でも食べてたんじゃないかって思うんだ」とせつなげに呟くもんだから、「餅はいくつ食べるの?(*3)」と聞くと、「今年で18(*3)」と返ってきた。
「私なんか21よ」と言ってやると、「結婚諦めてなかったの?」と返しえきたので、蹴りを一発くれてやり、二人で顔を見合わせて笑った。
「あー、本当に物語みたいな出会いがないかなあ」と真里衛門が天上を見上げて呟くので、「でもあんたは女三の宮(*4)みたいよ」と言うと、「私にも柏木(*5)みたいな人が現れるといいんだけど」と苦笑しつつ、彼女は梨壷に戻っていった。
- 28 名前:注釈 投稿日:2001年09月11日(火)19時46分18秒
- (*1)出仕
仕官すること。
多くの男子は12〜14歳で元服をすませ、すぐに出仕する。
女子の場合、同じくらいの年齢で裳着をするが、必ずしも出仕するわけではない。
(*2)三日の餅(みかのもちい)
新婚三日目の夜に新郎新婦が食べる餅のこと。またその儀式。
この場合「三日の餅を食べる」=「結婚する」という意味。
(*3)「餅はいくつ食べるの?」「今年で18」
この時代、三日の餅は男は三つ、女は年の数だけ食べるものとされた。
つまり圭少納言は年齢を尋ね、真里衛門は18歳だと答えたのである。
(*4)女三の宮(おんなさんのみや)
源氏物語の登場人物で、源氏の妻の一人。
柏木との密通が源氏にばれてしまい、その後出家する。
純粋だが、いくつになっても幼い性格だった。
圭少納言の台詞の真意は「あなたの考え方は幼くて女三の宮みたいね」という意。
(*5)柏木(かしわぎ)
源氏物語の登場人物で、源氏から女三の宮を寝取ることとなる人物。
事が露見して源氏の陰湿ないじめにあい、結局若くして病死してしまう。
真里衛門の台詞は「女三の宮と柏木みたいな恋ができるといいのに」という意。
- 29 名前:“衛門の幼ぶる辺り”解説 投稿日:2001年09月11日(火)19時47分47秒
- 女東宮づきの上藹女房である衛門典侍(通称真里衛門)との会話が書かれた章段である。
典侍の中でも上藹女房と呼ばれるのは高位の者だけなのだが、真里衛門は従三位という、その年にしては異例とも言える出世を遂げている。
これにはふたつ理由がある。
ひとつは衛門督でもあり宰相でもある彼女の父親の尽力である。
宰相は定員八名のエリートで、摂関家ではないため娘を中宮にするだけの力こそないが、女御を輩出するに十分な家柄なのである。
もうひとつの理由は真里衛門本人にある。
彼女はこの前年に女東宮付きとして梨壷に出向いたが、ベテランでもない彼女がこの役を賜ったのは実務面での帝からの信認ゆえである。
なお彼女が三位典侍の名を賜った(従三位に処せられた)エピソードは、続く章段でくわしく語られている。
ちなみに典侍は従四位相当の職だが、相当官位より位が二つも高いため、真里衛門は正式には従三位行衛門典侍(じゅさんみのぎょうえもんのすけ)と呼ばれた。
- 30 名前:“衛門の幼ぶる辺り”解説 投稿日:2001年09月11日(火)19時49分05秒
- 真里衛門の所属する内侍司は帝の身の回りの世話をする部署だが、2人の尚侍(ないしのかみ・1等官)は事実上帝の準夫人であり、4人の典侍(ないしのすけ・2等官)もその予備軍的要素が強い。
以上が名門の娘のみの役職であるのに対し、4人の掌侍(ないしのじょう・3等官)は諸大夫の娘のうち有能な者が任についたため、実務的な重きはこちらにおかれていた。
その代表例が百人一首にも歌が選ばれている儀同三司母や小式部内侍、そしてこの作品にも登場する明日香掌侍である。
しかしながら、本来ならば典侍である真里衛門は入内のことを本意として勤めているべき立場にあるのだが、本文でもわかるように彼女にその気はない。
そのため彼女は若い典侍にしては珍しく、実務に熱心な内侍であると言える。
物語の話でいくらかはぐらかしているものの、圭少納言も言う程真里衛門を幼くは思っておらず、むしろ高位ながらおごらないその態度に好感を持っているようだ。
- 31 名前:“衛門の幼ぶる辺り”解説 投稿日:2001年09月11日(火)19時49分38秒
- 物語は好きでないという圭少納言だが、源氏物語を比喩に用いてなかなかエレガントな会話を繰り広げている。
お互いによく知っている物語を取り上げることで、結婚もせずに真面目に働いている自分達のアンチテーゼとして、少女性を展開しているとも言える。
このことからも真里衛門の言う「物語のような恋がしたい」も、どこまで本気かはわからない。
現代で言えば三十路前後のキャリア組OLが、ハーレクインロマンスの話で、自分達自身を皮肉っているような会話だが、それでも彼女達の誇る等身大を見事に表現した内容であろう。
男性優位・結婚重視の社会において、政治的意味合いから例外的に生み出された女房という名のキャリアウーマン。
そんな彼女達の本音がわずかながら覗ける章段なのである。
- 32 名前:作品解説 投稿日:2001年09月11日(火)19時50分16秒
- 枕草子と娘草子の差異としてよく取り上げられるのが、日記的章段における宮廷に対するスタンスの違いである。
枕草子が宮中賛美的、特に自派閥の中関白家の賛美に徹しているのと対象的に、娘草子では男社会の宮中に対する一種の批判的内容も含まれている。
その象徴とも言える代表的人物が真里衛門典侍と桐壷女御(更衣)の二人である。
ふたりとも帝の夫人的立場にありまじき発言を(圭少納言にだけだが)漏らしている。
また圭少納言の仕える麗景殿女御も帝より年上ということもあって、多少軽んじたようにも見受けられる言動も書かれている。
そういう意味でも娘草子は後宮女性の本音を描いた作品であり、ともすれば維新政党・○風あたりに糾弾されそうな作品でもある。
- 33 名前:名無しさん 投稿日:2001年10月06日(土)11時10分49秒
- (;´D`)<かんじばかりでむずかしいれすけど、よんれます…
- 34 名前:豊明かりの舞姫(五節最終日の舞姫−1) 投稿日:2001年10月06日(土)21時53分21秒
- 思いだすのは去年の五節(*1)。
舞姫(*2)に選ばれていた彼女は五節舞(*3)を終えた後、五節の局(*4)ではなく、何故か麗景殿に裳(*5)を引きずり走って来た。
彩式部と示し合わせていたらしく、彼女は麗景殿内の房に入ると、しばし後に殿上童(*6)の格好で出てきた。
驚いて何事かと尋ねると、どうやら宴(*7)の余興で、10才の弟とともに青海波(*8)を踊るらしい。
確かに彼女の背丈ならば10の少年と並んでも違和感ないだろうが、それにしてもいやはや彼女の純真さ(*9)にびっくりしてしまった。
しかしそれ以上に驚いたのは、彼女が泣きながら戻ってきた時のことである。
頬を上気させて、「私、従三位に加階(*10)しちゃった!」と声を震わせたのには、本当に度肝を抜かれてしまった。
すぐにでも詳しく話を聞きたかったが、他の女房の目も気になったので、まずは真里衛門をなだめる。
すると女御様が寝所についてくるよう促されたので、私は入御(*11)される旨を他の女房達にも伝え、彩式部は隣室で真里衛門を着替えさせた。
- 35 名前:注釈 投稿日:2001年10月06日(土)21時53分58秒
- (*1)五節(ごせち)
毎年秋に四日間に渡って開催される華やかな催し。
三日目には収穫祭的意味合いを持つ新嘗会(しんじょうえ)を挟む。
この場合は最終日の豊の明かりの節会(せちえ)の出来事。
(*2)舞姫(まいひめ)
平年は公卿と殿上人又は国司から各々二人ずつ娘が舞姫に選ばれる。
舞姫は雅楽寮(後述)の大歌所で舞を習い、五節の間毎日儀式に参加する。
(*3)五節舞(ごせちのまい)
舞姫の踊る舞のこと。
最終日に正式な五節舞が踊られる。
(*4)五節の局(ごせちのつぼね)
五節の舞姫の臨時の楽屋。常寧殿におかれた。
(*5)裳(も)
成人女性が正装の時に腰から下につけた衣服。
(*6)殿上童(てんじょうわらわ)
公卿の子弟で、元服以前に昇殿を許された少年。
- 36 名前:注釈 投稿日:2001年10月06日(土)21時54分33秒
- (*7)宴
神事を終え、新穀を食した後、酒宴がはじまる。
大歌所別当の大歌、吉野国栖の歌笛、舞姫の舞など、宴会芸のオンパレードとなる。
(*8)青海波(せいがいは)
雅楽の曲名で、舞楽(舞のある曲)のひとつ。
舞楽の中でも最も舞が優雅とされている。
背格好の近い二人が鳥兜をかぶり、剣を持って同じ動きをする。
(*9)彼女の純真さ
男の子のような格好で、弟と一緒に舞を舞うというのは、大変非常識な行動である。
それを典侍という高い地位についていて、ましてや五節の舞姫(主役)に選ばれた者がするのだから、なおさらのことである。
しかし圭少納言は、そんな真里衛門の行動を茶目っ気と評し、一定の理解を示している。
(*10)加階(かかい)
位階(官位とは別)があがること。
通常の昇進の他に、帝から褒美として臨時の加階を受けることもあった。
(*11)入御(じゅぎょ)
天皇や皇后が内にお入りになることだが、この場合は女御に用いている。
- 37 名前:豊明かりの舞姫(五節最終日の舞姫−2) 投稿日:2001年10月06日(土)21時55分09秒
- 興奮している真里衛門から聞いた話によると、真里衛門の青海波を御覧になった帝が、
天つ風 吹き閉ぢまじき 通い路に 目易し替わり 時雨ふらまし
と詠まれたらしい。
それに真里衛門が、
久方の 天つ袖なき 数ならず 天つ空とて いかで見知るまじ
と返したところ、真里衛門だと気付いていなかったらしい帝が、驚いて彼女の顔をみつめ、目があってしまったという。
普段典侍として側仕えしているとはいえ、見つめあうことなどそうなく、先に視線を外された帝が、顔を赤らめられながら「衛門典侍を従三位とする」とおっしゃられたらしい。
女御様もこの話に「初々しくてええな、若いのは」などとおっしゃられるほどで、その時は私も心からの賛辞を送った。
しかし後から考えてみるとこの昇進が、真里衛門の父や派閥の内大臣を入内へ駆り立ててしまったわけで、なんとも皮肉な結果になったものだ。
彼女自身はこんなにも内侍の仕事にやる気を見せているというのに。
- 38 名前:短歌解釈 投稿日:2001年10月06日(土)21時55分44秒
天つ風 吹き閉ぢまじき 通い路に 目易し替わり 時雨ふらまし
歌の意味
(大空を吹き渡る風も雲で閉じることの出来なかった天空の通路から、
舞姫に見劣りしない程すばらしい替わり(青海波の舞子)がやってきた。
かの時のように時雨がふればいいのに)
・天つ風 “天つ”は「空の」の意
・吹き閉ぢまじき (雲で)が省略されている
・通い路に 承香殿と常寧殿の間の廊下(后町廊)の比喩
・目易し替わり “目易し”は見苦しくないの意だが、この場合誉め言葉
・時雨ふらまし “まし”は反実仮想で、実際に時雨は降っていない
- 39 名前:短歌解釈 投稿日:2001年10月06日(土)21時56分23秒
- 真里衛門の舞に感動した帝の歌。
この歌は二つのエピソードに基づいて詠まれている。
ひとつは古今和歌集や百人一首にも選ばれている下の遍昭の歌で、この歌を本歌取り(古い名歌の表現を用いることでその歌の世界観を重ね合わせる技法)している。
天つ風 雲の通い路 吹きとぢよ をとめの姿 しばしとどめむ
(大空を吹き渡る風よ、天女(=舞姫)が帰ってしまわないように、
雲を吹き寄せて帰り道を閉ざしてくれ)
帝の歌には天女(五節の舞姫のこと)を指す言葉はないが、これにより“通い路”や“吹きとぢ”が何を意味しているかがわかる。
そして最後の時雨だが、これは源氏物語(紅葉賀)のワンシーンによる。
『気色ばかりうちしぐれて、空の色さえ見知り顔なるに…』
(少しだけ時雨が降り、空までもが光源氏の舞のすばらしさに感動しているかのように)
という一節で、物語のようにここで時雨が降ればロマンティックだと詠んでいるのである。
- 40 名前:短歌解釈 投稿日:2001年10月06日(土)21時56分58秒
久方の 天つ袖なき 数ならず 天つ空とて いかで見知るまじ
歌の意味
(天女(=舞姫)の衣を脱いだとるに足らない身ですので、
どうして天が感動することがありましょうか)
・久方の “久方の”は「天」にかかる枕詞
・天つ袖なき 帝の歌に同じく天女=舞姫、“袖”は衣を指す
・数ならず 「数ならず身」の省略で、自身をへりくだった言い方
・天つ空とて “天つ空”は天上界のこと
・いかで見知るまじ “見知る”は素晴らしさを認める=感動する
- 41 名前:短歌解釈 投稿日:2001年10月06日(土)21時57分29秒
- 帝の歌に対する真里衛門の返歌。
帝が詠んでいる二つのエピソードを知っていないと、この歌は詠めない。
特に古今和歌集を暗誦していることは、当時の女性のたしなみであったため、この歌は少なからず真里衛門の教養の深さをあらわしている。
“数ならず”はへりくだった言い方で、実際には彼女もエリートの一人である。
しかし相手がこの上なく位が高い身(天皇)であるため、この言い方を用いている。
“天つ袖”が無いのだから、“天つ空”も感動して時雨を降らせるはずがない、と帝の誉め言葉のお礼を言ったことになる。
帝は舞子が普段は側近をしている真里衛門だと気付いていなかったのであるし、彼自身は感動を詠んだだけで、歌を送ったわけではない。
しかし真里衛門はそれに見事な返歌を詠んだので、帝はほうびとして加階させたのである。
- 42 名前:“豊明かりの舞姫”解説 投稿日:2001年10月06日(土)21時58分12秒
- 真里衛門の異例の出世のいきさつが書かれている章段。
前の“衛門の幼ぶる辺り”の段の内容から、彼女の境遇を嘆いている。
真里衛門は典侍ながら仕事熱心な内侍で、それは純粋な帝に対する尊敬の念ゆえであることがわかる。
しかし優秀であるがゆえに、父親から入内という思いもしない望みを託されてしまった所に、彼女の悲劇はある。
純粋に慕い信頼している上司と部下の関係が、公卿間の勢力争いを交えて、揺らいでしまっているとして、圭少納言は真里衛門に同情している。
また麗景殿女御が、帝と真里衛門の初々しい関係を“好き好きし”(原文より)としているのも見逃せない。
この場合は「好色めいた」という品の悪さを伴った意味ではなく、男女のプラトニックな雰囲気、また風流なものを広く指す言葉である。
麗景殿女御からすれば帝は夫なわけだが、むしろ彼女は真里衛門のほうを気に入っており、彼女の行動を風流で良いとしている。
また30を前にした古妻である麗景殿は、帝のことを夫と言うよりは弟のように思っている節があり、名誉職的な女御の位に甘んじた余裕の発言ともとれる。
- 43 名前:作者 投稿日:2001年10月21日(日)04時28分08秒
- >>9-10 で女東宮依宮亜子内親王の年齢を14歳としましたが、その後出てきた圭少納言・真里衛門の年齢と差異が出てきてしまうので、彼女の年齢は13歳に訂正します。
まあそれくらいどうでもいいんだけどね。
- 44 名前:聞こゆるしりうごと(自然と耳に入ってきた陰口−1) 投稿日:2001年10月21日(日)04時28分45秒
- 「ねえねえ、また桐壷(*1)で男が目撃されたんだって」
「また嵐二宮(*2)さん?」
「それがさ、今度は違うらしいの」
「で、誰なの?」
「それがさ、わからないんだって」
「えー、すごい気になる〜」
「でもあの女はやってくれるね」
「弘徽殿(*3)が夜のお召し(*4)の日は必ずじゃない」
「桐壷更衣(*5)が淫乱でいいのかしら」
「まあ誰の子種だろうと女御の子は帝の子よ」
「でもそういう噂って弘徽殿とか御匣殿(*6)とかが流したデマかもよ」
「どういうこと?」
「もし子供が生まれても末の東宮にはさせないためのデマ」
「なるほどねえ」
- 45 名前:注釈 投稿日:2001年10月21日(日)04時29分18秒
- (*1)桐壷(きりつぼ)
淑景舎の別称。梨壷の北に位置し、後宮の一番奥にある。
(*2)嵐二宮(あらしのにのみや)
二宮は2番目の皇子又は皇女。
嵐二宮は前帝の長男で、当時の帝の甥にあたる。
(*3)弘徽殿(こきでん)
後宮七殿の一つ。
特に中宮や特に有力な女御が住んだ。
この場合はここに住む弘徽殿女御のこと。
(*4)夜のお召し
帝と寝所をともにすべく清涼殿に呼ばれること。
(*5)更衣(こうい)
帝の正式な夫人の中では中宮・女御に次いで3番目の位。
この時すでに廃されていたのだが、詳しくは後述。
(*6)御匣殿(みくしげどの)
後宮の中にあり、儀式で用いるもの以外の装束類を調達する所。
この場合は御匣殿の別当とも呼ばれる、女官の長を指している。
御匣殿は上藹女房の代表格とも言え、有力貴族の娘が多く任ぜられた。
事実上の準夫人だが、以降に尚侍や女御・中宮にまで昇ることも少なくなかった。
- 46 名前:聞こゆるしりうごと(自然と耳に入ってきた陰口−2) 投稿日:2001年10月21日(日)04時29分53秒
- 「御匣殿と言えばさ、最近貞観殿(*1)の琴の音(*2)がひどくない?」
「思わしげに掻き鳴らしちゃって、よっぽど帝がお相手になさらないのね」
「あれって本当だと思う?」
「何が?」
「だからさ、帝が御匣殿にお手をつけられてないって噂」
「あー、あまりにも華が無いから、ってやつでしょ」
「なんかホントっぽいよ」
「まあ檪御匣(*3)とはよく言ったもんだ」
「市井の者のみたいな風貌から市井御匣(*4)なんてのも」
「果ては尸位素餐の字で、尸位御匣(*5)とかいうのまで」
「そこまでいくと、同じ女として哀れだよね」
「まったくね」
「笑っちゃ悪いよ。そういうのって、ライバルから大袈裟に言われてるんだし」
「でも彼女自身にもう少し美貌があれば、ここまでボロボロには言われてないよ」
「あれ、あなた御匣殿の素顔を見たことあるの?(*6)」
「ないけど・・・そういう噂だし」
- 47 名前:注釈 投稿日:2001年10月21日(日)04時30分25秒
- (*1)貞観殿(じょうがんでん)
後宮七殿の一つ。
御匣殿はここにあり、当然別当もここに住んでいる。
(*2)琴の音
自らの存在をアピールするために、大きい音で琴を弾いているということ。
(*3)檪御匣(いちいのみくし)
当時の御匣殿のあだ名である。
檪は鋤や鍬の柄にも用いられる硬い木で、あまり華やかな木ではない。
罵りの混じった呼称であろうから、おそらくは他派閥の中でのあだ名だと思われる。
(*4)市井御匣(しいのみくし)
これも当時の御匣殿のあだ名の一つで、これも嘲笑の色合いが強い。
また(*3)檪御匣と合わさり、この字で(いちいのみくし)と読ませることもあったらしい。
(*5)尸位御匣(しいのみくし)
尸位は才徳が無いために高位にいても職責を果たさないこと。
女は子を産むのが役目だという、封建的思想に基づいている。
(*6)素顔を見る
当時の高貴な身分の女性は、むやみに他人に素顔を見せなかった。
御簾ごしでもきらびやかな様がわかる髪と違い、素顔の評判は噂の域を出ない。
- 48 名前:聞こゆるしりうごと(自然と耳に入ってきた陰口−3) 投稿日:2001年10月21日(日)04時31分00秒
- 「でも騒音って言ったら温明殿(*1)のお題目(*2)、あれもすごくない?」
「ああ、織部尚侍(*3)ね」
「あっちは御匣殿と違って美人なんだけどね」
「でもちょっと変わった人だから、、」
「あのお題目って圭織尚侍(*3)だったんだ」
「知らなかったの?」
「藤尚侍(*4)さんのほうかと思ってた」
「あの人は単なる気の良いオバサンだもん」
「今の帝とはあんまり関係無いしね」
「圭織尚侍のほうも良い人であることには変わりないんだけどね」
「未亡人にもかかわらず帝のお声掛かりでの出仕だってのに、少しも高飛車じゃないし」
「その上、誰もがうらやむあの綺麗な御髪(*5)」
「でも、、、やっぱどこか変な人なんだよねえ」
- 49 名前:注釈 投稿日:2001年10月21日(日)04時31分32秒
- (*1)温明殿(うんめいでん)
内裏の中の建物だが、いわゆる後宮七殿ではない。
内侍の多くはここに詰める。
(*2)題目(だいもく)
日蓮宗で唱える南無妙法蓮華経の7字のこと。
この場合はたんに念仏の類のことと思われる。
(*3)織部尚侍(おりべのないし)・圭織尚侍(かおりのないし)
内侍司の1等官である尚侍(ないしのかみ)の一人。
大変髪の美しい女性であったと言われ、彼女が座った時に豊かな黒髪が圭形(和算で二等辺三角形のこと)に広がったことから、圭織尚侍の名でも呼ばれた。
(*4)藤尚侍(とうのないし)
もう一人の尚侍。藤は藤原氏の藤。
尚侍という準夫人的な立場にいるが、彼女は前の帝の世代であり、名誉職の色が強いため、あまり重要な人物ではない。
(*5)御髪(みぐし)
髪の敬称。
さんざ悪口を並べている話し手達が、圭織尚侍の髪にのみ敬称を用いている所に、平安女性の髪に対する思い入れの程がうかがえる。
- 50 名前:聞こゆるしりうごと(自然と耳に入ってきた陰口−4) 投稿日:2001年10月21日(日)04時32分12秒
- 「でも弘徽殿女御は同い年だからか、圭織尚侍をすごいライバル視してるけどね」
「ああ、難産女御(*1)か」
「うわっ、その名前はマジでキツイ」
「まあ略してなつみ女御(*1)ね」
「でも入内して何年だっけ」
「えっと、帝が帝位につかれてすぐに入内したはずだから、、3・4年だと思う」
「それじゃ石女(*2)呼ばわりされてもしかたないか」
「でもうちの女御様も内親王おひとりだけだし、、」
「采女(*3)はもちろん、上藹女房にも皇子皇女はいないよね」
「そう考えると帝のほうに・・・」
「こらこら、むやみに怖れ多いこと言わないの」
「そうそう、誰が聞いてるか分からないしね」
「あら、圭少納言さん、聞いてらしたのですか?」
「まったく、壁に耳、よ。
不注意なおしゃべりはひかえなさい」
「はーい」
- 51 名前:注釈 投稿日:2001年10月21日(日)04時32分42秒
- (*1)難産女御(なつみうみのにょうご)・なつみ女御(なつみのにょうご)
弘徽殿女御の呼称だが、既出の悪口と比べても最も厳しい。
彼女は麗景殿女御に続いて入内しているが、まだ子供を産んでいない。
(*2)の石女のような直接的な罵倒語ではないが、難産死産が多い家系だという吹聴につながる呼称である。
(*2)石女(うまずめ)
子供を産めない女性。とても不名誉なこととされた。
(*3)采女(うねめ)
天皇の食事の世話などをした内侍司所属の女官。
地方の郡の次官以上の娘で、容姿の美しいものが選ばれた。
あくまで下級の側仕えであり、帝の子を産む位ではなかったが、歴代の帝の中には采女にまで手を出す帝もいた。
基本的に帝は在位中には何をやっても許される身だったのである。
- 52 名前:“聞こゆるしりうごと”解説 投稿日:2001年10月21日(日)04時33分15秒
- 比較的下位の女房達の噂話を書きとめたという形式の文章だが、当時の後宮の顔ぶれを順に追う内容となっており、大変興味深い。
麗景殿女御は東宮時代より帝に連れ添っている妻だが、帝より歳が5つ近く上である。
彼女は故中務卿宮の娘で、父の死後は実家も十分な後見ができず、後宮の派閥争いからは1歩退いた形になっている。
もっとも、帝も彼女のことは頭の上がらない姉さん女房として見ているらしく、他の夫人・準夫人達とは全く違う存在となっているらしい。
そういうわけで、麗景殿に仕える女房達は、帝の寵愛を競う女性、そして公卿達の争いを比較的公平な目で見ていると言える。
帝の正式な夫人は麗景殿の他に二人の女御がいるが、上藹女房の中に準夫人的な存在の者がもう二人いる。
なお真里衛門は家柄も官位も年齢も申し分無い上藹女房だが、彼女と帝の関係は非常に微妙で、いわゆる準夫人ではない。
なお帝の正式な夫人の中で位が最も高い中宮(皇后とも)はこの段階ではおらず、このことが女御・上藹女房間が激しく寵を競う要因ともなっている。
- 53 名前:登場人物解説 投稿日:2001年10月21日(日)04時33分48秒
- 前章“聞こゆるしりうごと”をふまえ、麗景殿以外の夫人・準夫人を解説する。
まず最初に話題となっていた桐壷更衣は夫人的立場の者の中でも最も若い。
更衣とは天皇の正式な夫人の中で最も位の低い地位だが、実は娘草紙の時代には既に廃されていた。
彼女の正式な呼び名は桐壷女御であり、桐壷更衣はあだ名なのである。
彼女が更衣などという古い名で呼ばれたのは、源氏物語の桐壷更衣になぞられているからだと言われているが、このことに関しては後述。
なお彼女に関しては続く章段で詳しく触れられている。
次に様々な名で呼ばれていた御匣殿だが、彼女は摂家の出身で、将来の中宮候補のひとりと目されていた。
ただ文中にもある通り、帝の寵愛を受けるには至っておらず、そのためか色々と罵り混じりのあだ名をつけられている。
檪御匣、市井御匣、尸位御匣などがそうだが、その後の章段で市井御匣という名が採用されているため、本書解説でもこの字で(いちいのみくし)と読ませることにする。
- 54 名前:登場人物解説 投稿日:2001年10月21日(日)04時34分22秒
- 続いて二人いる尚侍のうち、現帝の準夫人である圭織尚侍は、本文中にもある通り未亡人である。
彼女は帝の弟の故桃園四宮の妻であったが、宮に伝染病で先だたれた後は義兄であった帝に望まれ、尚侍として出仕している。
ちなみに彼女は内大臣の姪で、後見も内大臣家から受けている。
髪美人として有名な女性だが、宗教がかった性格をしていたらしい。
最後になつみ女御とあだ名された弘徽殿女御だが、彼女も摂家の出である。
しかも将来の関白左大臣と言われる大納言を父に持つため、彼女は中宮に到達する最右翼と目されている。
しかし文中にあるよう彼女はまだ子を産んでおらず、そのことが少なからず他の公卿達の野心に火をつけている要因となっている。
- 55 名前:登場人物解説 投稿日:2001年10月21日(日)04時35分02秒
- 市井御匣となつみ女御の説明に用いた摂家とはいずれも藤原氏の5つの家柄で、関白や摂政にもなる名門中の名門である。
真里衛門の実家は、摂家の下にあたる9つある清華家の一つで、この家柄は最高で太政大臣まで出世できる。
また圭織尚侍は摂家・清華家の下の大臣家の出身である。
そんな中で桐壷更衣は受領階級(国司として地方に赴く階級)の出身であり、近しい親類に殿上人は弟ひとりしかいなかったらしい。
いずれにしろ帝の寵愛を受けることが、公卿の勢力争いもつながっていたのである。
(ちなみに圭少納言は大臣家の養女で、少納言だったのは義父である)
- 56 名前:作品解説 投稿日:2001年10月21日(日)04時35分35秒
- 桐壷女御が更衣と呼ばれているのが、源氏物語の桐壷更衣になぞられているためであることは前述の通りだが、物語中と娘草子中それぞれの桐壷更衣の置かれている立場について検証してみよう。
源氏物語の桐壷更衣について今一度解説すると、彼女は実家は名門でもなく後見がないにも関わらず、あまたの女御・更衣の中から帝の寵愛を一身にうけた女性である。
しかし主人公光源氏を出産後ほどなくして病死してしまう。
娘草紙中で桐壺女御が桐壷更衣に重ねられているのは、彼女が受領階級の出身であり、帝の寵愛を最も(物語中の桐壷ほどではないが)得ているためだとも言える。
この名の微妙な所は、帝の寵妃だと称えている反面、受領層出身者であることを強調してもいることである。
また桐壷は若くして氏した悲劇のヒロインというイメージが強く、あまり縁起の良い存在とは言えない。
敵対派閥による悪口的な呼び名でこそないだろうが、ストレートな賞賛ではなく、彼女の立場を的確に表した呼称であろう。
娘草子には源氏物語をはじめとした様々な女流文学が様々な形で用いられている。
この点は更科日記などに近い性質を持つとも言える。
- 57 名前:パスカル 投稿日:2001年11月07日(水)21時35分25秒
- 続き書いてほしいな
個人的には古典文学大好きなのに。
- 58 名前:扱ふ養い君と頼りある乳母子(扱いづらいお嬢様と頼りになる乳兄弟−1) 投稿日:2001年11月12日(月)22時58分08秒
- 今日もまた梨壷のほうから慌ただしい足音が聞こえ、真里衛門が息をきらして現れた。
「また依宮が何か?」と女御様が聞かれると、真里衛門は本当に慌てた様子で「は、春宮(*1)様が・・・」と口を動かした。
「少納言さん、お早く」と彼女が言うことから、どうやら女東宮の手綱をさばくのは私と決まっているらしい。
ため息をつきつつも、小柄な体に重い着物(*2)を引きずりながら走って来た真里衛門の顔は、汗やら墨やらがにじんで化粧も落ち、その様相は本当に気の毒で、私は早足で廊下を渡った。
梨壷についてみると、女東宮の一室だけがまるで戦でもおこったかのように荒れていた。
今までで最もひどいヒステリーだと思いつつ、女東宮にご挨拶すると、顔をあげたと同時に硯(*3)が降ってきて、なんとかそれを避けたものの、私は頭から墨をかぶることになってしまった。
先ほどから涙を流さんばかりにうろたえている真里衛門が何やら顔を拭いてくれようとしたが、私は構わず女東宮に歩み寄った。
- 59 名前:脚注 投稿日:2001年11月12日(月)22時58分48秒
- (*1)春宮(はるのみや)
東宮(皇太子)の異称。この字で「とうぐう」と読ませることもある。
陰陽思想によると東は春とつながっているため、この異称がうまれた。
(*2)重い着物
一般に平安女性の衣服と言われると十二単を思い浮かべがちだが、無論普段からそんなものをきていたわけではない。
普段は単衣(ひとえぎぬ)と呼ばれる肌着の上に、袿(うちぎ)と呼ばれる室内着を重ね、勤め人の場合は更に唐衣など3枚を羽織って正装とする。
季節は夏に近いはずだが、真里衛門が何枚も重ね着をしているように見えたのだろう。
(*3)硯(すずり)
現在でも書道で用いられる硯だが、当時はたいへん生活に密着した道具だった。
基本の筆記用具だというだけでなく、硯箱のふたは物を載せる台にも使われたし、使わないときも厨子に置いてあったので、すぐ手の所にあったことになる。
別に書き物をしていたと示唆しているわけではない。
- 60 名前:扱ふ養い君と頼りある乳母子(扱いづらいお嬢様と頼りになる乳兄弟−2) 投稿日:2001年11月12日(月)22時59分27秒
- 私は近づくと、東宮に「近寄らないでって言ったでしょ、真里衛門!」と怒鳴られてしまった。
どうやら先ほどご挨拶したのが聞こえていなかったようなので、「私です、少納言です」とあらためて声かけする。
すると東宮は私に一瞥くれただけで視線をそらし、後ろにいた真里衛門のほうを睨みつけると、「おまえは清涼殿に戻れ!」と叫びながら、硯箱から取りだした筆を真里衛門に向かって投げつけた。
私もさすがに驚いてしまい、「どうしたのですか?」と尋ねてみるも、「こいつも、こいつの父親も大っ嫌い!」と全く要領をえない。
仕方なく私は真里衛門を連れて隣の部屋に下がった。
- 61 名前:扱ふ養い君と頼りある乳母子(扱いづらいお嬢様と頼りになる乳兄弟−3) 投稿日:2001年11月12日(月)23時00分03秒
- 真里衛門から聞いたところ、ことの発端は真里衛門の父・衛門督が内大臣(*1)を伴いご機嫌うかがいに参られたことにあるらしい。
宰相の一人と三公(*2)の一人が、まだ成人したばかりの女東宮のもとに訪れるなんてあからさまに怪しい。
ことの次第を聞くに、どうやら二人はご機嫌うかがいと称して、真里衛門が入内(*3)できるよう彼女に発破を掛けに来たらしい。
「それでどっちかが御前で東宮を怒らせることでも言ったの?」と聞くと、どうもそうではないらしい。
「私達が隣の部屋で話しているのを、女東宮が聞かれていたらしくて」と言われては、東宮の盗み聞きの癖が、今更ながら苦々しい。
「それでおもうさんが『東宮が女では国が成り立たない。これはひいては天下のためだぞ』みたいなことを言った時に、突然女東宮が隣の部屋から硯箱を持ちだして、それで・・・・」と、真里衛門が涙ながらに言葉にする様は本当に痛々しく、こんな時に気の利いた歌の一つも詠めない自分が、腹立たしかった。
- 62 名前:脚注 投稿日:2001年11月12日(月)23時00分46秒
- (*1)内大臣(ないだいじん)
太政官(国政機関)の官名で、太政大臣、左大臣、右大臣に次ぐポスト。
この頃太政大臣は空席だったため、事実上のナンバー3である。
(*2)三公(さんこう)
もともとは太政大臣・左大臣・右大臣のこと。
ただこの時代から太政大臣不在の時は左大臣・右大臣・内大臣を指した。
(*3)入内(じゅだい)
天皇の正式な夫人に決まった女性が、儀式を済ませて初めて宮中に入ること。
- 63 名前:扱ふ養い君と頼りある乳母子(扱いづらいお嬢様と頼りになる乳兄弟−4) 投稿日:2001年11月12日(月)23時01分20秒
- 私が突然立ち上がったので、「少納言さん、どちらへ?」と真里衛門がおびえたように尋ねる。
彼女を残していくことに少しばかり罪悪感を覚えてしまったが、「ちょっと桐壷(*1)まで」とだけ言って、私は足早に梨壷を後にした。
桐壷まで来ると、目的の人物は御帳台(*1)の上にはいなかった。
持していた名代(*2)の梨華というえらく若い女房に、「武蔵(*3)はどこにいるの?」と尋ねる。
少々声が苛立っていたせいか、それとも私が“女御様”などと呼ばなかったせいか、梨華は少し焦った様子で「ご寝所でお休みであられますが」などと言うので、「こんな昼間っから男連れこんでないわよね」と確認すると、「は、はあ」と恥じらいながら肯定の返事が返ってきた。
まあなんとも可愛いらしいことだと思い呆れつつ、それだけでも苛立ちを覚えていている自分に気づき、私はひとつ息を吸い込んだ。
- 64 名前:脚注 投稿日:2001年11月12日(月)23時01分58秒
- (*1)御帳台(みちょうだい)
板敷きの床の上に設置された調度品の一つで、貴人の昼の座所。
畳を二つ敷いた大きさで、夜は寝所として用いられる。
ここでくつろがずにいるということは、具合が悪いのか単に面倒なのか、人と顔を合わすのが嫌で奥にひっこんでいるということ。
(*2)名代
数十人の女房の中でも、女御の名代を務めたのは高位の女房だけだった。
にもかかわらず親の位も分からないような名前で、年も若い梨華が名代にたっていることに、圭少納言は少しだけ違和感を感じている。
(*3)武蔵
今の東京や埼玉、神奈川の一部にあたる国名。
ただこの場合は人名。
おそらくは近親に武蔵国司(県知事のようなもの)経験者がいたのであろう。
- 65 名前:扱ふ養い君と頼りある乳母子(扱いづらいお嬢様と頼りになる乳兄弟−5) 投稿日:2001年11月12日(月)23時02分37秒
- 奥の部屋にいた彼女は、思った通りごろ寝をしていた。
「ちょっと武蔵」と声を書けると、「あっ圭ちゃん」とこちらを向いて、「こらこら、女御様に向かってその呼び名はないんじゃない?」と呑気に口元をすぼめた。
ここで苛立ってもしょうがないので、「申し訳ございません、桐壷女御様」と改めると、「何用じゃ」とすっかりその気になった様子でおっしゃられる。
「依宮にてこずってるんだ。悪いけど来てくれない?」と本題を切りだすと、「なるほど、それで墨かぶってるんだ」と臆面もなく言うので、私は無言で髪をかき上げる。
そのまま無言で睨みつけていると、彼女も真顔になって「分かった」と答えてくれた。
体を起こした彼女は薄手の単衣一枚しか身につけておらず、単衣の胸部には乳首の色まで透けて見えていた。
そんな格好で「さっ、行こっか。圭ちゃん」となどと言う様子はとても女御とは思えず、彼女のあけすけな性格が変わっていないことに、私は少し安心した。
残してきた真里衛門が心配だったので、私は「先に行ってるから。何でも良いから一枚羽織って来なさい」とだけ言い置いて、桐壷を先に出た。
- 66 名前:扱ふ養い君と頼りある乳母子(扱いづらいお嬢様と頼りになる乳兄弟−6) 投稿日:2001年11月12日(月)23時03分19秒
- 梨壷に戻り、再び女東宮に対面すると、彼女は目を充血させてひどく消耗した様子だったが、それでも真里衛門に対して罵詈雑言をまくしたて続けていた。
「あんたも私のこと、馬鹿にしてるんでしょ。典侍の癖に真面目に働くそぶりなんか見せちゃって。衛門典侍、これは命令よ。さっさと私の目の前から消えなさい。早く帝のところにいらっしゃい。男皇子でもなんでも生んでよ。生みなさいよ!そしたら私も臣下に下って嫁入りでもなんでもできるのに。あのスケベ親父に尻尾でもなんでも振って子種をもらって来なさいよ!」
最後の言葉に真里衛門は「お、主上に対してなんてことをっ!」と嘆き、うち震えて床にふしてしまう。
女東宮はひるんだように一瞬声を小さくするも、表情をいっそう崩し、「天皇だろうと何だろうと私にとっては父親だし、あんなの弟も作ってくれないダメ男よ」などとのたまう。
それを聞いてさすがに私も手をだしそうになった。
しかし、私が拳を握りしめる前に、真里衛門が女東宮の頬に平手を加え、無言で部屋から走り去った。
- 67 名前:扱ふ養い君と頼りある乳母子(扱いづらいお嬢様と頼りになる乳兄弟−7) 投稿日:2001年11月12日(月)23時04分02秒
- 「あーあ、そんなこと言っちゃって」
背後からそんな声が聞こえたので振りかえると、唐衣(*1)を羽織り、裳も着用した武蔵が、真里衛門と入れ替えに立っていた。
「武蔵……どうしてここにいるの?」と、震える声でおっしゃられる女東宮の様子は、おびえているようにも見える。
武蔵は東宮から目をそらし、「女御様がわざわざ可愛い妹の様子を見に来てあげたのに、つれないね」と私に向かって呟く。
「妹って言ってもあなたは私の乳母子(*2)だし、それに私は東宮で、あなたはただの女御でしょ(*3)」と女東宮はいらだたしげに騒ぎたてるが、武蔵は平然として「だから正装(*4)で来てるんじゃない」とこちらも臆することなく言葉を述べる。
公的には身分の差があろうとも、二人の間では常に不変の強弱関係がはたらいている、なんとも不思議なご関係なのである。
- 68 名前:脚注 投稿日:2001年11月12日(月)23時04分46秒
- (*1)唐衣(からぎぬ)
宮廷女性の正装で、一番上に着る。
普通は単衣・袿・打衣(うちぎぬ)・表着・唐衣の順に着用するが、ここでは単衣の上にすぐ唐衣を着るという、ひどく変わった格好をしている。
(*2)乳母子(めのとご)
乳母(めのと)の実子で、つまりは乳兄弟。
乳母は養い君と親密な関係になることも多く、忠臣として描かれることも多い。
(*3)私は東宮で、あなたはただの女御
女御は正式な夫人の中でも中宮に次ぐ位だが、将来の帝である東宮よりは格段に位が低い。
養い君と乳母子、また東宮と女御という関係を持ち出し、桐壷に自分に対する敬意を見せるよう、勧告しているのである。
(*4)正装
女性の正装は(*1)唐衣の説明にある着物に、裳を着用する。
私的な場であろうとも、敬意を払うべき相手が同席する場合は正装をする。
つまり桐壷は「私はちゃんとあなたを敬ってますよ」と言っているのだが、この時の桐壷の姿は前述の通りだらしない格好をしており、このセリフは女東宮を煽っているのだと考えられる。
- 69 名前:扱ふ養い君と頼りある乳母子(扱いづらいお嬢様と頼りになる乳兄弟−8) 投稿日:2001年11月12日(月)23時05分24秒
- 「それにさ、いずれは私のほうが高位になるよ」と武蔵が続けたため、私も東宮も驚いてしまった。
「どういう意味よ」と女東宮が尋ねると、武蔵は笑みを浮かべ、「私があんたを御預かり宮にしてあげるって言ってるの」と力強くおっしゃる。
女東宮は「私は東宮だからそう簡単には・・・」とまで言って口どもり、どうやら武蔵の言葉の真意に気付いたらしく、うかがうように彼女の顔をのぞく。
すると武蔵は「そゆこと」とおだやかな笑みを見せ、こちらを向いてから「そういうわけで今夜もあのスケベ親父に尻尾振りに行かなきゃね」とおっしゃった。
女東宮には見せまいとしたその表情には寂しげな笑みが浮かんでいて、東宮も敏感に武蔵の様子を察知する。
それを見て「でもま、子種が誰のものであれ、女御の子は天皇の子なんだけどさ」などと場を笑わしてくれるのは、彼女の優しさなのであろう。
私は彼女の乳母子としての頼もしさに感嘆しつつも、一刻も早く皇子を授かれればなどと、身のほど知らずなこと(*2)を願ってしまった。
- 70 名前:脚注 投稿日:2001年11月12日(月)23時05分54秒
- (*1)御預かり宮(おあずかりのみや)
降嫁した皇女のこと。臣下の男性と結婚して、預けられているということから。
つまり桐壷のセリフの表面上の意味は「あなたを臣下の男性と結婚させてあげる」となる。
女東宮は自らの立場からそれが難しいことを言おうとして口ごもるが、これは桐壷の真意が「私が男皇子を産んで、あなたを東宮から解放してあげる」ということを悟ったためである。
(*2)身のほど知らずなこと
圭少納言は麗景殿女御に仕える女房であるのに、桐壷女御が子を授かれるよう願っているため、身のほど知らずと断っているのである。
- 71 名前:“扱ふ養い君と頼りある乳母子”解説 投稿日:2001年11月12日(月)23時07分12秒
- 女であるのに東宮という位に立たされ、普通の皇女のような行動が許されず、しかもそれが周囲から望まれていないという境遇に、ヒステリーをおこしている女東宮依宮。
入内を嫌がりつつも、仕事においては心から帝を敬い、懸命に内侍としての職務を果たそうとする真里衛門。
帝の寵妃であるための周囲からの嫉妬や非難をものともせず、ただひたすら奔放でマイペースな性格と言われながらも、その実乳兄弟である女東宮への愛情を心に秘めている桐壷女御。
娘草紙の中でも長い部類の章段であり、主要人物それぞれの立場と心の内が描かれている。
普段は女東宮や桐壷女御に敬語を使わない圭少納言だが、所々使われる敬語が奥深い。
女東宮と真里衛門、女東宮と桐壷のそれぞれのお互いに対する想いを、圭少納言は第三者の視点から落ちついてとらえているのだろう。
なおこの文章は各人の名誉を考えても、公開されるべき内容ではないが、おそらくは麗景殿及び一部の女房にのみ読まれていたと思われる。
- 72 名前:管弦の遊びのお誘い(音楽の宴へのご招待−1) 投稿日:2001年12月17日(月)20時56分16秒
- 真矢大夫(*1)殿とそのご友人が連れ立って麗景殿にご機嫌伺いに参られた。
「式部大夫(*1)殿、よくぞ参られた」と女御様がおっしゃると、「お久しゅうございます。日ごろより我が妻(*2)がお世話になっております」などと申し上げるものだから、彩式部は顔を真っ赤にしていた。
「あなたの愛妻をこちらに留めておいて申し訳ない思うてます」「いえいえ私も自分の家を持てる(*3)ほどではございませんから」などとしばしご歓談をされた。
その後、真矢大夫殿が「ではそろそろ本題に」とおっしゃられ、お連れの河村右兵衛佐(*4)殿が、「圭少納言殿と呼ばれている女房はいらっしゃいますか」と続けたので、わたしは驚いてしまった。
女御様が「少納言、お声掛かりやで」とお呼びになったので、「ここに持しております」と御簾ごしにご挨拶する。
「何かご用でしょうか」と伺うと、どうやら次の満月に開かれる、管弦(*5)の宴へのご招待で、その宴には帝もご臨席なさるという。
なんでも帝のお妹君の小斎院(*6)殿がこの四月に本院(*7)にお入りになられるということで、その送別会らしい。
その場で琴の琴(*8)を演奏するようにという要請なのだが、突然のことに私は面食らってしまった。
- 73 名前:注釈 投稿日:2001年12月17日(月)20時57分36秒
- (*1)真矢式部大夫(しんやのしきぶのたいふ)
人事や教育などを司る式部省の3等官は式部の丞と呼ばれ、本来は正六位相当だが、そのうち五位に留任している(=殿上が許されている)者を式部大夫と呼んだ。
(*2)我が妻(わがさい)
真矢大夫の妻で、圭少納言の同僚の彩式部のことを指す。
(*3)自分の家を持てる
平安時代の結婚は通い婚が一般で、結婚してすぐに自分の家を持つわけではない。
(*4)河村右兵衛佐(かわむらのみぎひょうえのすけ)
兵衛佐は宮中の警護を司る兵衛府(左右二つある)の次官で従五位相当。
(*5)管弦(かんげん)
楽器、音楽、演奏などの意味を持つ語。
(*6)小斎院(しょうさいいん)
斎院は京都の賀茂神社に仕えた未婚の皇女・女王のこと。
(*7)本院
占いで斎院に選ばれると、賀茂川で禊を行い、その後宮中に設けられた初斎院で2年間を過ごした後、3年目の四月に再び禊を行い、京都の紫野にある本院に入った。
(*8)琴の琴(きんのこと)
七弦の琴のことなのだが、実はこの時代には既に廃れた楽器だった。
- 74 名前:管弦の遊びのお誘い(音楽の宴へのご招待−2) 投稿日:2001年12月17日(月)20時58分09秒
- 「琴の琴と申されますと、七弦の琴のことをおっしゃっているのでしょうか?」と戸惑いつつもお尋ねすると、お二人はさも満足そうに「左様」とうなづいている。
女御様まで「あら、あなたそんなものが弾けたの?」などとおっしゃり出し、私は慌てて「ですが私、心得がございませんで」と否定するも、大夫殿は満面の笑みで「しかし高級女房ともなれば箏(*1)くらいは簡単に弾けるでしょう」などと仰せになる。
その態度はふてぶてしいほどだったが、兵衛佐殿がすぐに私の心を察せられたようで「いやはや、気分を害してしまい申し訳無い」などとおっしゃられる。
「なに、箏の弦が半分に減っただけです。圭少納言ほどのお人であれば数日で会得できますよ」などと無責任にもおっしゃられるが、「古くて廃れつつある楽器ですが復活を図ろうと思いましてね。帝も我々音楽仲間(*2)の言葉に賛同していただきまして、このような宴を催すこととなったのです」と、天下の帝の名を出されてはよもや断るわけにもいかない。
結局麗景殿の私の房には雅楽寮(*3)より運ばれてきた琴の琴が置かれ、数日間私は催馬楽(*4)を練習せざるをえなくなった。
- 75 名前:注釈 投稿日:2001年12月17日(月)20時58分40秒
- (*1)箏(そう)
13弦の弦楽器で男女問わず演奏されたが、特に女性のたしなみの一つとされた。
また箏(そう・13弦)、琴(きん・7弦)、琵琶(びわ・4弦)、和琴(わこと・6弦)を総称して琴(こと)と呼んだ。
(*2)音楽仲間
真矢式部大夫や河村右兵衛佐は名門の出ではなかったが、ともに音楽の才に秀で、帝の覚えめでたく、出世とは違うところで帝から優遇を受けていた。
このように仕事以外で帝から評価されることはいくつかあり、歌人達は勅撰集の編纂、管弦の才人達は今回のような宴の開催、元気な若者達は無柳をなぐさめる蹴鞠の会の開催などを命じられた。
(*3)雅楽寮(うたりょう)
治部省に属する役所で、歌舞の教習や儀式での奏楽を司った。
(*4)催馬楽(さいばら)
もともとは民謡であったが、平安時代には宮廷でも盛んに歌われた古代歌謡。
舞はないが、笛(横笛・笙・篳篥)、琴(箏・琴・琵琶)が伴奏楽器として用いられた他、笏や扇子などもでも拍子がとられた。
- 76 名前:“管弦の遊びのお誘い”解説 投稿日:2001年12月17日(月)20時59分16秒
- 圭少納言の名声の具合をうかがわせる章段である。
この宴は後の段で描かれているが、このような宴に招かれることは滅多と無く、特に帝も臨席する会とのことで、女房にとっては大変名誉なことだったと考えられる。
それでも万事控えめに描かれているのが、なんとも圭少納言らしい。
- 77 名前:後に藤ひく桐(後ろの藤を隠してしまう桐−1) 投稿日:2002年01月08日(火)21時57分35秒
- 先日の礼を言いに桐壷に参上すると、梨華に先客が来ていると告げられた。
なんでも右大臣殿がご機嫌うかがいに来ているらしい。
当代の右大臣と言えば御匣殿の父親でもあり、桐壷に参上するのはいささか不自然だ。
ともかく梨華に来訪をつげてもらうと、思った通り武蔵は臆面も無く私を通した。
「お話の途中にお邪魔いたしまして、申し訳ございません」と右大臣殿にことわると、「いやはや、あの圭少納言さんか。噂はかねがね聞いているよ」などとおっしゃられる。
どうせロクな噂じゃなかろうに。
しばし後に右大臣殿は退出され、御簾のままに用件を済ませる。
儀礼的なそれが終わる頃になって、ようやく梨華が気を回したらしく、女嬬に部屋を片付けさせる。
口にだしては言わないが、正直ここまで桐壷の女房が少ないとは思わなかった。
私が部屋を眺めていると、「どしたの?珍しいものでも見る顔して」と眠たげな瞳に尋ねられる。
「後見はどうしてるの」とストレートに尋ねると、さもありなんとばかりに「別に、普通だよ」と返された。
- 78 名前:後に藤ひく桐(後ろの藤を隠してしまう桐−2) 投稿日:2002年01月08日(火)22時20分48秒
- 「女房も10人強しかいないじゃない」と言うと、武蔵は表情だけで言葉は返さない。
しょうがないので梨華を捕まえてこちらに顔を向けさせ、「この娘、あんたのお気に入り?」と尋ねると、「かわいーでしょ」とのんびりした声がかかる。
梨華のほうは顔を真っ赤にして、慌てたそぶりで何かのたまっている。
「お客さんいろいろ来るんだけどね、梨華にお相手させるとみんな10分も待たずに帰っちゃうんだ」と武蔵が言うのも、なんとなくわかる気がする。
彼女が無責任に梨華にそんな大役(*1)を任せるものだから、この娘も必死になって言葉をつごうとするのだろう。
「後見の申し出うければ、もうちょっとましな調度品だって揃えられるだろうに」と言っても、「いいんだよ。この生活が気に入ってるしね」と武蔵は床に寝そべり、手許の石をかすかな陽光にかざす。
「何?その石」と尋ねると、梨華が「瑠璃(*2)の石だそうです」とご丁寧に説明してくれた。
武蔵は「さっき、右のおっさん(*3)が持ってきた」と、おそらくはたいそう高価なものであろうその石を私のほうに放った。
- 79 名前:注釈 投稿日:2002年01月08日(火)22時21分18秒
- (*1)そんな大役
普通、上達部の相手をする位の高級女房であれば、それなりの知識と品格をそなえているものである。
しかし桐壷は体面など気にすることもなく、下位の梨華に上達部の相手をさせている。
これは梨華が務めるには身分違いの大役であると、述べているのである。
ただし、梨華を見下しているというよりは、同じ女房として同情しているという意味あいが強い。
(*2)瑠璃(るり)
現代で言うガラスにあたるもの。
七宝の一つとされ、珍重された。
(*3)右のおっさん
前出の右大臣のこと。
- 80 名前:後に藤ひく桐(後ろの藤を隠してしまう桐−3) 投稿日:2002年01月08日(火)22時21分54秒
- 彼女が「その石、女御様に私から愛を込めての贈り物」などとのたまうので、「自分が要らないものよこすなんて失礼じゃない?」と言ってみるが、彼女はそんな私を無視して、梨華に双六か何かを持ってくるように命じていた。
「圭ちゃん、やってくでしょ」などという、彼女の変わらぬのんきな声からは、妙に安心感を覚えたりもする。
そこで私が
咲く花の 後にかくさる 藤多し されど五弁花 さてありぬべし
と詠むと、武蔵はすぐには分からないと言った感じで首をかしげる。
「どういう意味?」と尋ねるので、私は笑って梨華に申しつけ、もう一度詠んでそれを書き取らせる。
がらにもなく眉間にしわ寄せている武蔵に「歌の解釈は次までの宿題にしておくわ」と言い残し、私は桐壷を退出した。
- 81 名前:短歌解釈 投稿日:2002年01月08日(火)22時23分04秒
- 咲く花の 後に隠さる 藤多し されど五弁花 さてありぬべし
(咲く花の後ろに隠れてしまう藤も多いというのに、
桐の花にとってはそんなことはどうでもいいようだ)
・咲く花の “花”は下の句で分かる通り、桐の花
・後に隠さる “る”は受身の助動詞
・藤多し “藤”は藤の花
・されど五弁花 “五弁花”は桐の花の形状、つまり桐の花
・さてありぬべし どうでもいいようだ、の意。
- 82 名前:短歌解釈 投稿日:2002年01月08日(火)22時23分45秒
- 桐壷を訪れていた右大臣を見て、圭少納言が詠んだ歌。
この歌は在原業平の伊勢物語中の有名な歌を本歌取りしている。
咲く花の 下に隠るる 人を多み ありしにまさる 藤のかげかも
(咲く花の下に隠れる人が多いので、以前にも増して大きくなる藤の花陰かな)
しかしこの歌は単に花を詠んだだけの歌ではない。
藤は藤原氏を意味し、花陰は藤原氏の栄華を意味しているのである。
つまりこの歌は藤原氏の栄華を賞賛するとともに、それにすがる人の多いことを皮肉った歌でもあるのだ。
そんな歌を本歌取りしているのだから、圭少納言の歌も単なる景気歌(風景などを詠んだ歌)ではない。
業平の歌に習うと、藤は藤原氏、つまり弘徽殿女御や御匣殿を、対して桐は桐壷女御を暗に指していることがわかる。
桐壷が帝の寵を独占して、他の夫人達が目立たなくなっているのに、彼女は特に気にすることもなくマイペースを貫いている、という主旨の歌なのである。
元の歌が隠るる(隠れる)としているのに対し、この歌では隠さる(隠される)となっているのが、なんとも巧妙である。
- 83 名前:“後に藤ひく桐”解説 投稿日:2002年01月08日(火)22時24分55秒
- 前々章のキーパーソンである桐壷女御を描いた章段である。
彼女が依宮の乳母子であったことは既出であるが、彼女と圭少納言の独特の空気感も味わい深く描写されている。
桐壷は麗景殿に仕えていた経験を持っており、女御となって後も圭少納言は基本的には敬語を使っていない。
また武蔵という女房時代の名で呼び続けている。
上達部の壮絶な勢力争いを背景に、なんとものどかな一幕が繰り広げられている。
途中に桐壷の女房の描写が挟まれているが、10人強という人数は驚くほど少ない。
麗景殿の20という人数でさえ、十分な数とは言えないである。
女御が好んで名代にしている梨華という女房の描写を見ても、桐壷が女房にあてている金額は大変少なかったのであろう。
ときめく桐壷である。有力貴族が支援を申し出ないはずがない。
しかし彼女にはそれを受ける様子が全く無い。
彼女は体裁を気にするタイプではなかったと同時に、易きに流れて他人に依存するのを潔しとしない人間だったのであろう。
その背景をふまえると、この章段の各エピソード、そして最後の短歌がより奥深く感じられるのではないだろうか。
ちなみに章題にもなっている歌は、続く章段にも引っ張られている。
- 84 名前:作者 投稿日:2002年01月08日(火)22時38分42秒
- 明けましておめでとうございます。
このぐだぐだ不定期連載も、平成14年最初の更新となりました。
その新年早々から字数制限にひっかかり、慌てて話を分けて書き足すなどということをしてたりします。
今だに512に慣れない俺は逝ってよしでしょうか。
ところで全くどうでもいい話なんですが、“ながむ心は”という段が以前ありましたが、あれは“ながむる心は”の誤りでした。
マ行下二段活用の連体形は“むる”でしたね。ほんとにどうでもいいことですけど。
次章からは4・5章連続で音楽の宴の話になります。
今年度中にそこまで終わらせることを目標でやっていきますので、どうぞよろしくお付き合いください。
- 85 名前:如何に由る召し名(呼び名の由来は?−1) 投稿日:2002年01月23日(水)21時13分42秒
- 大御遊び(*1)の当日、我々は承香殿(*2)に設けられた控えの間に集められた。
私が琴を持って局に入ると、既に二人ほど女性の姿が見えた。
そのうちの一人が明日香掌侍であることに気付き、私は声をかける。
彼女は珍しい竪琴を持っていて、尋ねたところそれは箜篌(*3)という楽器だという。
私も琴を降ろして顔をあげると、私と向かいあって和琴(*4)の前に座っていたもう一人の女性と目があった。
女性というよりは少女という風貌の方で、私が会釈をすると、慣れない様子でおどおどとお返しになった。
明日香掌侍が気をきかして、「こちらは当今様のお妹君で、斎院となられた方であらっしゃいます」と紹介してくれたのだが、小斎院どのは可愛らしく頭をお下げになられる。
続いて「こちらは麗景殿にお勤めの方で、我々は圭少納言さんとお呼びしております」などと紹介されると、彼女は「え、そうなんですか?」と目を見開くようにしてそうおっしゃられる。
多少驚きつつも「あ、はい」と肯定を口にすると、彼女は「お噂は聞き及んでおります」などとおっしゃられ、そしてなお驚いたことに、先日桐壷で詠んだ『咲く花に〜』の歌をそらんじらっしゃるではないか。
- 86 名前:注釈 投稿日:2002年01月23日(水)21時14分17秒
- (*1)大御遊び(おおぎょあそび)
天皇が臨席する宴のこと。
(*2)承香殿(しょうこうでん)
後宮七殿の一つ。
女御などが住むこともあったが、この時は特にいない。
よく内宴の会場となった。
(*3)箜篌(くご)
雅楽で用いる大陸渡来の弦楽器。
現在で言うハープのような形をしており、20本以上の弦が張られていた。
(*4)和琴(わごん)
日本古来の6弦の楽器。
宮廷で雅楽や神楽の伴奏に用いた。
- 87 名前:如何に由る召し名(呼び名の由来は?−2) 投稿日:2002年01月23日(水)21時14分49秒
- あまつ明日香掌侍まで「その歌なら、私も聞いたよ」などと言いだした。
どうやら歌の解釈ができなかった桐壷の連中から、私の歌として後宮中に広まっていたらしい。
「大丈夫なの?天下の藤原氏を敵に回して」などと明日香に言われるが、もとより勤め先からして敵に回すもなにもない。
小斎院どのがおっしゃるには、「でもその歌にちなんで桐壷さんを後藤女御さんとお呼びする者もいるほど、親しまれているんですよ」ということらしいが、後藤女御というのも語呂が良くて、私も悪い気はしない
ふと思い立ち、明日香掌侍に向かって「そういえば、あんたの召し名(*1)も歌からだったわね」と言うと、小斎院どのは「どういう歌なんですか?」などと興味深そうに尋ねられた。
本人は「若い頃の愚詠(*2)ですから」と言うのだが、小斎院どのが是非にとおっしゃるので、私は明日香に断ってからご説明申し上げることにした。
- 88 名前:注釈 投稿日:2002年01月23日(水)21時15分31秒
- (*1)召し名(めしな)
この時代、女性は本名を安易に明かしてはいけないものとされていた。
召し名は出仕した際の呼び名。
(*2)愚詠
自らの詩歌を謙遜して言った言葉。この語は原文よりそのまま用いた。
わざわざ女性には通じにくい漢語を会話で用いるのはいささか不自然だが、これは実際に発せられたセリフそのままなのであろうとされている。
とはいえ、この描写にあるのはペダンチックやら男性主義的やらなどという印象ではない。
無骨ではないが冷静沈着に描かれる明日香掌侍の「恥じらい」を描いているのである。
- 89 名前:如何に由る召し名(呼び名の由来は?−3) 投稿日:2002年01月23日(水)21時16分10秒
- 「彼女が初めて出詠した歌合わせでの歌だったのですが、今のあなたとさして変わらない歳の彼女が“世の中”だの“飛鳥川”だの(*1)詠んだものだから随分と話題を呼びましてね」などと申し上げた。
私はその時彼女が詠んだという歌をはっきりとは覚えていなかったが、無理に大人ぶった歌ではなく、案外良くできた歌という印象を持ったことを憶えている。
つまり、その頃から彼女は随分と枯れた嗜好を持っていたのであろう。
小斎院どのが「それで明日香内侍さんですか」というと、本人は「若い頃の愚詠ですから」と繰り返した。
続いて「圭少納言さんはどのような由来をお持ちなんですか?」と尋ねられたので、「圭復(*2)係りの少納言、という意味です」と短くお返しした。
彼女は圭復の意味をご存知なかったので、手紙を再三詠み返すことだと付け加える。
「他の人の手紙を再三読んで、その人のかわりに歌を詠む係りってことですよ」と明日香掌侍が言うので、私は「昔のことです」と釘をさしておいた。(*3)
- 90 名前:注釈 投稿日:2002年01月23日(水)21時16分43秒
- (*1)“世の中”だの“飛鳥川”だの
飛鳥川は流れが早く、川淵や瀬がめまぐるしく変化するため、無常の象徴とされた。
この記述にある掌侍の歌は、
飛ぶ鳥の 明日香の背子は いつ寄らむ いと変わるらむ 明日も来しかは
というものであり実際にはこれらの語は含まれていないが、詳しくは短歌解説にて
(*2)圭復
この言葉は論語(先進)にでてくる漢語で、女性が名づけたにしては少し不自然。
しかし圭少納言自身漢文に明るかったので、本人が圭復係りと名乗ったとも考えられる
(*3)他の人の〜釘をさしておいた。
自分に来たわけでもない手紙を読み返したり、他人に変って歌を詠んだりする事は、あまりよろしいことではない。
若くて自信溢れるままに行動していた自分を、圭少納言は恥じているのである。
- 91 名前:如何に由る召し名(呼び名の由来は?−4) 投稿日:2002年01月23日(水)21時19分05秒
- その時、真里衛門が箏を運びながら控えの間に入ってきた。
先程と同じように斎院どのに彼女をご紹介しようとしたが、どうやら既にお二方は面識がおありだったようだ。
「衛門典侍さん、お久しぶりです」という小斎院どのに、真里衛門は「この度は無事本院にお入りになられるそうで」と定型的な挨拶をする。
しかし流石に女東宮の御前を退いてほっとしたのか、彼女はくつろいだ様子を見せていた。
主に私と女東宮の話などしていると、明日香掌侍が「真里衛門も大変ねえ」と笑った。
斎院どのもそれが典侍の異名であることにお気づきになったらしく、例によって由来をお聞きになった。
私も本人さえも由来などしらなかったのだが、同じ内侍司務めの明日香掌侍が存じていた。
彼女曰く、「背丈が掛かりの木の枝ほどしかないので、鞠から転じて真里衛門となった」(*1)とのことだ。
調弦(*2)をしながら真里衛門が、「ところで、これで全員集まったの?」と顔をあげずに尋ねた。
和琴、箜篌、琴、箏、、、
「まだ」と明日香は呟く。
真里衛門も顔をあげて部屋を見まわし、合点したらしく、小さくうなずく。
そして「琵琶(*3)なら、そろそろ来る頃でしょうね」と言った。
- 92 名前:注釈 投稿日:2002年01月23日(水)21時19分41秒
- (*1)「背丈が掛かりの木の枝ほどしかないので、鞠から転じて真里衛門となった」
掛かりの木とは、蹴鞠のために障害物として植えられた木々。
一番低い枝は男性が足を上げたくらいの高さに出る。
真里衛門は大変背丈が低い女性であったらしく、そこからこの名前となったらしい。
(*2)調弦
この日持ち寄られた楽器のうち、斎院の和琴、真里衛門の箏、そして琵琶(次項参照)は調弦が必要な楽器。
これらの楽器は宴が始まる前にある低度の調弦をしておき、合奏の直前に再び行う。
ちなみに琴の琴は弦の太さと音高がもともと決まっているので、調弦の必要はない。
(*3)琵琶(びわ)
弦楽器の一種。
箏と並び、当時の女性がおぼえた代表的な楽器。
- 93 名前:如何に由る召し名(呼び名の由来は?−5) 投稿日:2002年01月23日(水)21時20分20秒
- 「琵琶は御匣殿さんがお弾きになられるんですよね」と、斎院どのはやはり彼女の名の由来をお尋ねになる。
とはいえ、彼女が正式な場で彼女が役職名以上の呼ばれ方をされたなど、聞いたことがない。
悪口じみた呼称なら掃いて捨てるほどあるが、それでは少し勝手が違う。
しかし斎院どのはそれが悪口めいていることさえもご存知無かったらしく、「たしか市井御匣さんと呼ばれてらっしゃるかたですよね」などと、声高にお話を続けられる。
間の悪いことに、丁度その時本人が控えの間に入ってきた。
今の話をきいていなかったはずもなく、少しひきつった顔でこちらに近寄ってくる。
面識があったらしい真里衛門と明日香掌侍がご挨拶するが、彼女は表情を崩さずに会釈だけする。
続いて我々をご紹介下さるが、ひどく警戒した目つきでみつめられてしまった。
「なにやら、私の話をしてらしたようですね」と震えたお声。
斎院どのは「ええ、みなさんの名前の由来をお聞きしていたところだったんです」と柔和に微笑む。
知らないことを知ろうという童心は、時にまわりの大人達を困らせるものである。
- 94 名前:短歌解釈 投稿日:2002年01月23日(水)21時20分52秒
- 飛ぶ鳥の 明日香の背子は いつ寄らむ いと変わるらむ 明日も来しかは
(明日香村に縁のあるあなたはいつ私の所を訪れるのでしょう。それは明日でしょうか。
きっとあなたは随分と変わってしまったのでしょう。
明日は来るのでしょうか、いえそうとは思えません。)
・飛ぶ鳥の 明日香(奈良の地名)にかかる枕詞
・明日香の背子は 明日香は明日を隠喩、背子は女性から男性を慕って呼ぶ語
・いつ寄らむ “らむ”はラ行五段活用動詞“寄る”の活用語尾+推量の助動詞“む”
・いと変わるらむ “らむ”は現在推量の助動詞
・明日も来しかは カ変動詞“来”+回想の助動詞“き”の連体形+反語の係助詞“かは”
本文中には記述がなされていないが、内容に深く関連した、明日香の召し名の由来ともなった歌。
圭少納言が“世の中”“飛鳥川”という語で紹介しているのにも関わらず、それらの語が用いられているわけではない。
しかしこれは彼女の思い違いなどではなく、一見恋歌に見えるこの歌に、実は更に深い意味が詠みこまれている。
- 95 名前:短歌解釈 投稿日:2002年01月23日(水)21時21分25秒
- まず、これら二つの言葉を詠みこんだ有名な古歌がある。
世の中は なにか常なる 飛鳥川 昨日の淵ぞ 今日は瀬になる
(この世には不変なものなど何一つない。
名から明日が連想される飛鳥川でさえ、昨日淵であったところが、今日は浅瀬となるのだ)
この歌の影響で、飛鳥川は無常の象徴としてのイメージが完全に定着しているのである。
さて、この歌を背景に明日香掌侍の歌を見てみると、明日香=飛鳥川はもちろんのこと、瀬・岸・川などの飛鳥川を連想させる言葉が数多く盛り込まれている。(この技法を縁語という)
つまり、この歌は恋歌を装った、無常感を詠んだ歌なのである。
しゃれた試みではあるが、いかんせん10代半ばの少女が詠むには渋すぎる歌だろう。
この歌は第四番目の勅撰集、後拾遺和歌集に明日香内侍の名で入集している。
詞書によると、随分と枯れた趣味のルーキーとして、この歌は話題となったらしい。
区切れや韻のふみ方も当時としては斬新なものではあったが、歌自体を忘れていた圭少納言がこの歌の内容だけを憶えていたとしても、なんら不思議ではないのである。
- 96 名前:“如何に由る召し名”解説 投稿日:2002年01月23日(水)21時22分01秒
- 大御遊び体験記の序章にあたる章段で、宴が始まる前、弦楽器の演奏に招待された女性達の控え室が描かれている。
宴に参加した女性陣を紹介することで、話をふくらませているのである。
というのも、女性がこのような宴に招かれることは稀な体験であり、文章の巧い圭少納言には当然なんらかの形で綴ることが周囲から期待されていたであろうからだ。
宴の描写だけでは読み物として不十分だと考えたのだろうか、圭少納言は控え室でのエピソードを書き添えているのである。
また、この章だけでは少し座りの悪い終り方をしているが、これは次の章段に場面的にも連続しているからである。
もともと一つのエピソードを二段に分けた形だが、くわしくは次章で解説する。
- 97 名前:“如何に由る召し名”解説 投稿日:2002年01月23日(水)21時22分41秒
- さて、これら一連の章段で初登場となった二人の人物についてだが、市井御匣殿に関しては次章解説にゆずるとして、ここでは小斎院について触れておこう。
帝の実妹の小斎院だが、彼女は無邪気な知識欲を持つ者として描かれている。
いいかえれば、多少浮かれ気味なのであろう。
圭少納言も彼女のことを決して品格があるとは言わないが、その姿勢を好ましいものとして捉えていたようだ。
ただあくまでも彼女はこの宴に参加している女性陣では最年少ながら最も高位にあたり、他の4人から敬われている様をきちんと描かれている。
ちなみに彼女の小斎院という呼び名は娘草紙以外ではほぼ見られず、一般には紺野斎院の名で知られている。
この名の由来は後の章段で詳しく語られることになる。
- 98 名前:さやかに(はっきりと) 投稿日:2002年02月15日(金)15時30分57秒
- 大御遊びの当日、控え室に入ってきた御匣殿に、小斎院どのはお名前の由来をお尋ねになった。
罪深き無知。もたらしたものは屈辱。
御匣殿はうち震えているようで、しかしそれは怒りというよりも悲しみに近い様相だった。
そこには噂で耳にした気高な印象もなかった。
とっさに明日香掌侍が「聞くところによると、出仕された当初によく身につけていらした蘇芳(*1)のお召し物にちなんでいらっしゃるそうで」などと、機転を利かせた。
そして斎院どのもその説明に満足げでいらした。
しかし御匣殿は「面と向かってその名を呼ばれたことは、一度もありません」とだけ呟かれた。
彼女の声は決して通りの良い声質ではいらっしゃらなかったが、その言葉ははっきりと部屋に響いた。
その明晰な物言いからは、緊張の面持ちも感じ取ることができた。
ゆっくりと近づいた真里衛門が、「その呼び名がお好きではないのですね」と、御匣殿に優しく呼びかけた。
御匣殿はうつむいたまま、「どのような由来にしろ、その名は好きではありません」と、おっしゃられた。
その言葉は幼げで、彼女の横顔は張りつめた糸をいっきに緩めたようであったが、すぐさま袖で顔を隠されてしまわれた。
- 99 名前:注釈 投稿日:2002年02月15日(金)15時31分54秒
- (*1)蘇芳(すおう)
@マメ科の小高木。古くから赤色染料として用いられた。
別名、檪(いちい)。
A襲(かさね)の色目の一種。襲の色目とは衣服などに用いる二つの色の組み合わせ。
表は薄茶、裏は濃赤で、紅葉や落葉に見たてられ、秋に着られることが多かった。
明日香掌侍がとっさに作った由来というのは、蘇芳襲の服→蘇芳→檪→いちいのみくし、というもの。
- 100 名前:“さやかに”解説 投稿日:2002年02月15日(金)15時32分51秒
- 前章“如何に由る召し名”から切り離された、話の続きにあたる章段。
御匣殿別当の一幕を簡潔に描いている。
周りの嘲笑をプライドでおさえてきていた彼女も、幼き小斎院と思慮分別のある一流の女房達に囲まれ、弱い部分をみせている。
この事こそが前章から切り離されている理由であろう。
つまりライバルの陣営にわざわざ彼女の弱さを流布することはないという、圭少納言の配慮なのである。
おそらく圭少納言の意図としては、広く回されるヴァージョンの巻にはこの章段を写させなかったのだろう。
御匣殿自身についてより深く検証してみると気がつくのは、以前に噂話としてひどくけなされていた彼女も、ここでは比較的に好意的な描かれ方をしていることである。
圭少納言は彼女への同情の念をもってこの章を書いているが、それが彼女のプライドを傷つけようことを知っていたからこそ、この部分を切り離したのであろう。
風潮では蔑まれた見方が主流となっている市井御匣観ではあったが、圭少納言はその先入観に触れた上でそれを否定しており、むしろ人間としての弱弱しさなどを短い中で魅力的に描き出しているとも言えるだろう。
- 101 名前:補足解説 投稿日:2002年03月13日(水)04時26分22秒
- 続いての章段“読むものは”は、幾つかの読み物について語られている章段である。
その中で『成信中将は』という、枕草子中の一つの段が話題となるのだが、呼び知識としてこの話について触れておく。
『成信中将は』
清少納言が30代半ば頃に執筆。
一見すると類聚的(ある種の物や言葉などを代表する状況を美意識のもとに書き連ねている)な書かれ方をしているが、内容は極めて私的。
清少納言が恋人の成信中将を同輩に寝取られてしまった時に書かれたもので、文章は大変冷静さに欠ける。
概略
とある女性が「雨の夜に久しく来なかった男性が来訪するのは素晴らしい」などと言っていたが、私はそう思わない。
なぜならそれは雨の日にわざわざ来るという演出にすぎないからだ。
どうせならば月の明るい夜のほうが趣がある。雪の夜もよい。
とにかく雨というものは根本的につまらない。
雨の夜に濡れた男の靴などは汚くて、そんな日にぶつぶつ言いながら来訪されても嬉しくもなんともない。
まあ嵐の日にやってきたのならば、それはそれで頼りがいがあって良いだろうが。
- 102 名前:読むものは(読み物とは−1) 投稿日:2002年03月13日(水)04時26分56秒
- 竹取の翁がとても小さな姫を見つけて(*1)以来、世の中には非常にたくさんの物語が出回っている。
また土佐の守に同行していた女性の思い出(*2)をはじめ、仮名を使って書かれた日記(*3)もたくさんある。
しかし暇な女性の幾度とない再読にたえる作品は少なく、それゆえ名作というものは自然と常識になる。
さすがの師尹殿(*4)でも娘に伊勢物語は暗誦させなかったであろうにも関わらず、読み物はごく自然と女性の話題になるのである。
それはただ知識を共有しているという理由だけでなく、好みの相違もあるからだろう。
- 103 名前:注釈 投稿日:2002年03月13日(水)04時27分29秒
- (*1)竹取の翁がとても小さな姫を見つけて
竹取物語のこと。作者未詳。
源氏物語(別述)にも『物語り出で来はじめの祖』と呼ばれ、日本最古の物語とされている。
(*2)土佐の守に同行していた女性の思い出
土佐日記のこと。
作者で土佐の守であった紀貫之が、同行していた女性の一人の気持ちになって書いた、日本最古の仮名文字による日記。
(*3)仮名を使って書かれた日記
女性が書いた日記という意味。
ただし土佐日記自体は男性によるものという所がポイント。
(*4)師尹殿
女性の教養として古今和歌集全巻の暗記と書道・琴が大事だと説いた藤原師尹のこと。
つまりこの文章は「物語は教養で無いにも関わらず」という意味。
ちなみに師尹のエピソードは枕草子に出てくるもの。
- 104 名前:読むものは(読み物とは−2) 投稿日:2002年03月13日(水)04時28分07秒
- ある種の人々は源氏物語(*1)の好きな章段を語らせると、夜があけてしまうほどに飽きないようである。
特に若い方々はそうで、「私は須磨(*2)が好き」「私は賢木(*2)」などと語らいあっては、好みを同じくする相手を探そうとしているようだ。
何にせよ、源氏物語を嫌いだとかつまらないなどと言う人はそういないだろうが、基本的に物語の好みというものは性別や年齢とは関係無く、その人の性格をよく表したものとなる。
これは歌物語や和泉式部日記(*3)なども同様である。
ところがおもしろいことに、清少納言という方の文章(*4)は好き嫌いに傾向があらわれる。
若い方は興味が湧かない話題が多いと言うことが多く、逆に宮仕えに慣れてきた女性などは話題などと関係無く清少納言という人物におかしいほどに感情移入してしまうこともある。
- 105 名前:注釈 投稿日:2002年03月13日(水)04時28分50秒
- (*1)源氏物語
日本古典文学の最高傑作と言われる長編小説。紫式部・著。
主人公光源氏の百人斬りの一生を描いた本篇と、その不義の息子薫のふられまくりの青春を描いた外伝からなる。
(*2)須磨(すま)・賢木(さかき)
ともに源氏物語の章段名。
須磨は、しばし政争から離れて須磨へと渡った源氏が、都に残してきた恋人や友人を懐かしむ章段。
賢木は、正妻を失った源氏が、年上の古い愛人のもとを訪ねるというシーンが有名。
(*3)和泉式部日記
日記文学の一つ。著者は和泉式部(勅撰集に最も多く入集した女流歌人)自身という説が有力。
式部と親王との恋愛を和歌贈答を中心に物語風に描いたもので、和泉式部物語の異称もあるほど。
(*4)清少納言という方の文章
枕草子のこと。清少納言による随筆で、類聚的・日記的・随想的性格を持つ。
- 106 名前:読むものは(読み物とは−3) 投稿日:2002年03月13日(水)04時29分28秒
- その日話題となったのは“成信中将は”の章段だった。
最近その部分を読んだという斎院どの曰く、「何を言ってるのかわからない」のだそうだ。
「だって雨が嫌いなのは人の好みだからいいけど、それで嵐がいいなんて言われても、ちっとも共感できませんよ」と小斎院君。
御匣殿もその段に違和感を覚えておられたらしく、「雨の日は男の靴が汚いくて嫌だと思うなんて、女としておかしくない?」と少々興奮されした様子でおっしゃっていた。
確かに彼女達がそのような印象を持つのも無理はない。
あの段をまっ正直に読めば、そういう感想も生まれるだろう。
分別盛りの女が取り乱して書いた文章だから面白みがある。
下地となる知識がないと、ちょっとわからないかもしれない。
- 107 名前:読むものは(読み物とは−4) 投稿日:2002年03月13日(水)04時30分03秒
- 私が二人の話を聞いてそんなことを考えている間にも、明日香掌侍が二人にその執筆背景をご説明申し上げていた。
それを聞いて、斎院どのはなるほどと、御匣殿はやはり気に入らないとおっしゃっていた。
明日香掌侍は、見え隠れする私的な話を垣間見るのが面白いのだと、少しばかり嘲笑的に解説していた。
それに対して真里衛門は「掌侍の見方はすこしひねくれてるよ」と言い、「私は素直に共感しちゃうけどね」と付け加えた。
私が「あら真里衛門、あなたも同じような経験が?」と尋ねてみると、真里衛門は「雨じゃないけどさ、男のわざとらしい所ってイヤじゃん」と笑った。
斎院の君が私に対してもお尋ね下さったので、「私は文章がネチネチしてなくて好きよ」とだけ答えておいた。
- 108 名前:“読むものは”解説 投稿日:2002年03月13日(水)04時30分39秒
- 前半の随想的部分と、後半の回想的(日記的)部分からなる章段。
この章段は11世紀後半当時の文学観を知る上で、極めて重要な記述とされている。
それと同時に後半は大御遊びを描いた一連の章段の一つを担っている。
これらはただ話の流れとしてつながっているだけのようにも見えるが、実際には統一的な意図のもとに書かれている。
まず前半だが、ここで注目すべきは若い人についての言及である。
この若い人とは今回居並ぶ面子の中では斎院と御匣殿をさしており、後半でより具体的な話をしていることがわかる。
そして後半では枕草子の一章段に話がしぼられていることから、物語などの叙述は前置きであって、この段の主題は随筆(具体的に枕草子)、メインパートは後半部分であることがわかる。
その後半では各人の読解や清少納言観などから、逆に斎院・御匣殿の幼さ、明日香掌侍の大人ぶった様、真里衛門の思い入れの深さなどを読み取ることができるのである。
- 109 名前:“読むものは”解説 投稿日:2002年03月13日(水)04時31分09秒
- ところでこの章段は若い読者を対称としたインストラクションたる性格も持ち合わせている。
この日の顔ぶれそれぞれの描写を交えることで、若い読者をより引きつける事を意図していると言えよう。
実際に物語が好きでないと公言する圭少納言だが、この章段では特に慎重に述べているのも興味深い。
とはいえ内容的には、源氏物語など物語への傾倒を指摘し、枕草子を例に物語以外の文学作品の楽しみ方を充分に示しているといえよう。
これはつまり、物語の空想にひたるばかりではなく、たまには現実の中の美しさや楽しさを探してみるのも必要、と説いているのである。
- 110 名前:名無し娘。 投稿日:2002年05月08日(水)01時09分39秒
- そろそろ保全しとく?
Converted by dat2html.pl 1.0