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あなたの声が聞こえる。

1 名前:G3HP 投稿日:2001年08月24日(金)01時08分38秒
市井と吉澤が主人公です。いちよしではないです。
いちごま+よしごまといしよしが少しってとこです。

2 名前:1.市井紗耶香・ベイルート 投稿日:2001年08月24日(金)01時11分37秒
日中の肌を突き刺すような陽差しは、漸く一日の仕事を終え、
束の間の眠りに入ろうとしていた。
地中海から吹く涼やかな風が、あたしの肌に心地よい感触を運んでくる。
その感触が、あたしの脳波をベータ波に変え、時間の流れを遅らせていた。

夕日に染まるこの海岸沿いの歩道は人々で埋まり、お祭りのような賑わいだ。
日が暮れるこの時間はいつもそうだが、ラマダーンのこの時期はまた格別だ。
この街の全ての人が、ここに集まってきているのではないかというほど、
人々に溢れかえっている。
その多くが、一日のラマダーンが明けるこの時を待ちわびているのだ。
テーブルの上に並べられたご馳走を前に、人々は生唾を溜め込み無言のカウントダウン
を始めた。

一瞬の静寂が流れる。

あたしは、この滑稽な時間が好きだ。
アッラーに“おあずけ”されている人々の情けない顔こそが、
人間の本質なのかもしれない。

そして、今日最後のアザーンが流れる。

その声を合図に、この国の食事が一斉に始まった。
一体この国の何パーセントの人が、今食事をしているのだろうか?
大量の食料が一斉に噛み砕かれ、たんぱく質やカルシウムへと名前を変え、姿を消している。
人々の食欲の前に、アッラーさえも姿がかすんでいくようだ。

3 名前:1.市井紗耶香 投稿日:2001年08月24日(金)01時13分04秒

「やはり、こちらにいらしたんですか。」

白髪の老人が、流暢な日本語で話しかけてきた。

「礼拝は、よろしいんですか?」
「あなたが気になりましたので。」

日は完全に沈み、闇が辺りを支配し始めていた。

「お腹空かれたでしょう。何もあなたまでラマダーンをする必要は・・・」
「好きでやってるんです。」

老人が持ってきたカークと呼ばれる直径20センチもある胡麻をまぶしたパンを頬張る。
乾燥した舌ざわりと、胡麻の香りが口に広がる。あたしは老人が作るこのカークが好きだ。
路上で売られているそれとは、また一味違う老人独自の味がする。

「相変わらず退屈そうだ。踊りにでも行けばよいのに。」
「今は、踊る気分ではないので。」
「何か心配事でもお有りかな?あなたがこの街にこられて二年になるが、
このところ、またお会いしたころのお顔立ちに戻られてしまっている。」

あたしにはその原因がわかっていた。ここ最近あたしの鼻が、妙にひくつく。
危険が迫っていると、あいつがこの国に近づいていると警告していた。

4 名前:1.市井紗耶香 投稿日:2001年08月24日(金)01時13分50秒

内戦の後を色濃く残すこの街も、この2年の間で急速に復旧をしてきた。
弾痕だらけの建物は、あちこちで取り壊され、その場所に新たなビルが建てられていく。
その象徴となる街の中心部の商店街は、内戦前の街並みをそのまま復旧したものだ。
古いヨーロッパ調の街並みは、まだ店が入っていないためか、
遊園地内に再現された街並みに似ていた。
空の店舗の窓ガラスは、すでに埃で汚れており、そのガラスのひとつに
“平和”と日本語で落書きされている。
この国にも、日本人のパックツアーの波は押し寄せているのだ。
たぶん、そこからあたしの情報も流れていったんだろう。
この国への日本人旅行者は年々増えているが、あたしのように住み着いているものは稀だ。
事実この街では、あたしはちょっとした有名人だ。
あたしのうわさが人伝いに伝わり、知られたくない人へと届いていったのだろう。

5 名前:1.市井紗耶香 投稿日:2001年08月24日(金)01時14分59秒

その街並みを抜け、再び弾痕だらけの街並みに入ると老人の家が見えてくる。
この街では珍しい一戸建てに住む老人は、その昔老人がそれなりの地位を得ていた
ことを示している。
その老人の家にも内戦の傷跡が残っている。白い壁にも、無数の弾痕の後があった。
角の部屋は壁が崩れ、その上の屋根が今にも落下してきそうだ。
「老人一人が住む家だ。直す必要はない。」
そういう老人の体にも、弾痕が幾つも残されていた。

あたしは、その老人の家に間借りをしている。
部屋には窓が一つ、ベッドが一つのシンプルな部屋だ。
部屋に入ると蒸せるような暑さが待っていた。
日中に日が差し込むこの部屋は、日が暮れてからも暫くは暑さが籠ったままだ。
慣れたとはいえ、堪える暑さだ。

6 名前:1.市井紗耶香 投稿日:2001年08月24日(金)01時15分52秒

あたしはベッドの下に隠した油紙に包まれた拳銃を取り出す。
黒光りするその金属が、2年ぶりに眠りから覚まそうとしていた。

弾奏をはずし、ネジを一つづつ外していく。
全部のパーツを分解して、机の上に並べる。
2年の月日が、部品を錆びさせていた。
いくつかのネジとばねは、使い物にならないだろう。
でも、この国で銃の部品を調達するのは、それほど難しいことではない。
ついこの間まで内戦をしていたこの国には、何百万丁もの銃が残っているのだ。
政府や国連は躍起になり銃を回収しようとするが、ただ戦争ではないという消極的な
この平和は、人々から銃を奪えずにいた。
一度銃を持ったものは、銃を持つことで得られる安心感とその魔力から
逃れられなくなってしまっているのだ。
隣人が隣人を殺し、友を殺し、恋人をも殺した銃が、今も人々の後で
束の間の休息を取っている。

あたしもまた、その魔力に取りつかれ、あたしの後で2年の歳月を眠らせ続けていた。

そしてまた、銃を手にしている。

7 名前:1.市井紗耶香 投稿日:2001年08月24日(金)01時16分54秒

階段でわずかな足音が聞こえた。
この家の2階へと上がってくるのは、老人だけだ。
老人の足音とは違うその音で、あたしの戦闘モードのスイッチが入った。
あたしはポケットに入れていたナイフを取り出し、ドアの横へと身を隠す。

よりによって、銃を分解中に来るとは・・・

足音は確実にこの部屋へと向かってくる。
大股であるく足音は硬く、力強い足音だが、男性の革靴とは違う響きを持っている。
あたしより背が高く、引き締まった体の若い女性の靴音だ。

彼女ではない。

少しだけ、緊張感が緩む。
少なくとも、いきなり殺される可能性は低い。

ドアが開かれた。

中に入ってくる気配はない。

「それ、しまってくれないかな。」

ドアから現われた顔に見覚えはない。
面長の顔に堀の深い整った顔立ち。黒いストレートな髪は背中の中ほどまであった。
この国には、意外とモデル系の美人が多いが、この女性もその典型だった。

8 名前:1.市井紗耶香 投稿日:2001年08月24日(金)01時18分02秒

「あんたが、じいさんの家の居候か。」

女性が長い手を伸ばし、あたしの顔を触ろうとした。
顔を後に引き、その手首を掴む。

しばしの睨み合い。

「ふ〜ん。変わってるね、あんた。」
「どこが。」
背の高いこの女性に見下ろされているのが不愉快だ。

「日本人は結構見てきたけど、あんたはその誰とも違う。
 異質なにおいがする。
 あんた、何かを忘れるために日本を逃げ出して来たんじゃないの?
 ・・・そんな匂いがする。」
「何を根拠に!」
「悪いことは言わない、さっさと日本に帰りなさい。」
「大きなお世話!」
言うこと全てに腹が立つ。
「あなたはまだ日本でやり残したことがあるんでしょ?
 誰かそこで待っているんじゃないの?」

9 名前:1.市井紗耶香 投稿日:2001年08月24日(金)01時18分54秒

悔しいが、その通りだ。
あたしは組織から逃げ出したのだ。

そして彼女からも・・・

あのとき、あたしは彼女に銃口を向けたのだ。
それでも、彼女は微笑んでいた。

震える指で引き金を引く。
弾丸が銃口からゆっくりと吐き出され、彼女の体を貫いていく。
飛び散る血飛沫、苦痛に顔を歪める彼女、ゆっくりと倒れる身体、舞い上がるほこり、今でも鮮明に覚えている光景だ。
倒れる彼女の後にして、あたしはその場から逃げたのだ。

「ごとう・・・」

あたしは、愛しいあたしの分身の名前を口にした。

10 名前:1.市井紗耶香 投稿日:2001年08月24日(金)01時19分30秒
   
11 名前:1.市井紗耶香 投稿日:2001年08月24日(金)01時20分32秒

「ここを出ることにしました。」

その日の夕食の後に、あたしは老人に話をした。
老人は自慢の口髭を擦りながら、あたしの話を聞いている。
アラブ諸国の多くが、男子たるもの髭を生やすものと考えている。
もっとも、この国の若い者は、そんなことはカッコ悪いと思っているらしい。
老人の孫と名乗った女性が、食後のコーヒーを運んできた。
ミルクと砂糖がこれでもか!というほど入っているコーヒーだ。

「そうですか。最近のあなたの様子を見ていると、何か悩んでいるということは知っていましたが・・
 そうですか。残念です。私どものために、ずいぶん尽くしてくださったが・・・。
 よろしかったら理由を教えていただけないかね。」

「あたしを殺ろそうとする者が、この国に向かっています。」
「あ、あなたを・・・」

老人は落ち着くために、ソファーに深く掛けなおし、水タバコに火をつけた。
独特の濃い臭いが、部屋に立ち込める。
老人は深く煙を吸い込み、ゆっくりと息を吐く。
大量の煙が鼻や口から溢れ出し、老人の顔を隠す。
暗い部屋の中の照明はロウソクだけだ。
ゆらゆらと揺らめくその光が、老人の顔を一層老いらす。

12 名前:1.市井紗耶香 投稿日:2001年08月24日(金)01時21分11秒

「――あたしは、ある組織に所属していました。
たぶん、その組織のものが。」
「でも、なぜ?」
どう話したらいいのだろう。
あたしは目を瞑り、やたらやわらかいソファーに体を投げ出した。
「あたし組織の人間を撃ったんです。」
「あなたが?・・・殺してしまったのですか?」
老人がソファーから身を乗り出した。
「いえ。たぶん負傷しただけで、生きています。」
「では、その人があなたを狙って?」
「・・・わかりません。でも、その方が良いのかも・・・」

13 名前:1.市井紗耶香 投稿日:2001年08月24日(金)01時21分46秒

後藤は、あたしがなぜ撃ったのか、解っていたのだろうか。
いや、解らなくても彼女はそれをも受け入れようとしていた。
あたしを微塵も疑っていなかった。
だから、あのとき微笑んでいたのだ。
だから、
だから、あたしは彼女を撃ったのだ。
あたしを憎んでほしかった。

14 名前:1.市井紗耶香 投稿日:2001年08月24日(金)01時22分42秒

「あなた一人ぐらい、私が守ります。」
「いえ。あたしの問題ですから。」
「そうですか・・・」
老人は淋しそうに呟いた。
たしかにこの国で、人一人ぐらい隠れようとすれば容易であろうが、
これ以上老人に迷惑も掛けられなかった。
「この国は素敵でした。人も文化も全く違うこの遠い国にいると、組織のことを
 忘れることができました。ここなら、あたしは違う自分になれると思ったのですが。
 でも、それももう終わりです。やがてあたしを殺しに誰かがやってきます。」

「その人と戦うつもりですか?」
老人があたしを見つめる。老人は多くの死を見てきたのだろう。
人が人を殺すむなしさを老人も知っているのだろう。

「戦いたくはないですが・・・避けては通れないことなんで。」
「また、戻ってきてくれますか?」
「・・・たぶん・・・」
戻ることはないだろう。あたしはまた、元の世界へと戻るのだから。

15 名前:1.市井紗耶香 投稿日:2001年08月24日(金)01時23分55秒

翌朝、老人の家を出た。わずかな時だが休まる場所を与えてくれた老人に感謝をした。
「今日で一ヶ月のラマダーンが明ける。
 あなたも、今日の最後のお祈りをしていかれるべきだ。」
「アッラーを思う気持ちに場所や方向はない。というのがあなたの台詞では?」
「たしかに。でも、人には方向が必要です。祈る方向、そして自分の進む道にも
 方向は必要なのです。
 あなたも、自分のための道を見つけることを祈っています。
 きっとアッラーのご加護があります。」
「ありがとう。あなたにもアッラーのご加護を。」

16 名前:1.市井紗耶香 投稿日:2001年08月24日(金)01時24分51秒

国境を越えるバスが来た。あたしは荷物を担ぎ、その古びたバスに乗り込む。
席に着き窓を開けると、老人がカークを渡してくれた。
このパンとも、これでお別れになるだろう。

「結局、あなたの本当の名前を聞く機会がなかった。
 よかったら教えていただけないか?」

そういえば、お互いに名前を聞いていなかった。

「紗耶香。 市井 紗耶香。」

あたしは老人の厚ぼったい手と握手しながら答えた。

「紗耶香か。いい名前だ。」
老人もまた、自分の名前を名乗ったが、あたしには聞き取れない名前だった。
老人は笑い、名前などどうでもよい。といった。

バスは粉塵を上げ走り出し、老人を過去へと追いやった。
「インシアッラー。」
あたしは老人とアッラーに最後の挨拶をした。

17 名前:名無し読者 投稿日:2001年08月24日(金)02時30分40秒
期待大
18 名前:2.市井紗耶香・バールベック 投稿日:2001年08月25日(土)11時56分56秒
バスは国境に向けて殺伐とした風景の中を走っていた。
鼻がひくつく。国境に近づくにつれ、あたしの神経が張り詰めていく。
いや。国境ではない。
さあ、どうしよう。

「会いに行くか…」

あたしは途中でバスを降り、バールベック神殿に向かうバスに乗り換えた。
バールバックは、ベカー高原の中央に位置するこの国最大の遺跡だ。
今は、その遺跡でオペラを行うために客席が組み上げられているはずだ。
6本の連なる支柱が、乾いた青空にどっしりと聳え立つ写真をこの国にいると
目にすることが有る。
19 名前:2.市井紗耶香 投稿日:2001年08月25日(土)11時57分47秒

バスが小さな町に着いたときには、あたしの警戒心はピークを迎えた。
ここにいるのは、確実だ。殺気が伝わってくる。

あたしは、チケットを買い、神殿への階段を昇っていく。
階段を昇りきって、六角形の前庭に入る。彫刻された大きな石が転がっている。
あたしはその影に隠れながら、大庭園へと向かった。
いるとしたらこの先のジュピター神殿だ。

大庭園を覗くと、やはりオペラの客席様の足組みが組まれていた。
列柱殿をバックにしたオペラは、優雅で壮大なものだろう。
見てみたいが、今はそんな余裕はない。

あたしは客席の陰に隠れ、左側のバッカス神殿へと進む。
40度を超える暑さだが、湿度が低いため影に入ると涼しい。

あたしは銃を取り出し、セーフティを外す。
錆びたままの部品が気になるが、今回は使う予定はない。
持っているというだけで、安心感がある。

20 名前:2.市井紗耶香 投稿日:2001年08月25日(土)11時58分52秒

階段を下りながら背後の列柱を振り返ると、観光客らしき団体が目にはいてきた。
日本人の団体だ。
カメラを手にあらゆる角度から、遺跡を撮ろうと撮影大会が始まっていた。
一体彼らは遺跡を見に来たのか、絵葉書の写真でも作成しに来たのかわからない。
所詮素人の写真が、プロの絵葉書に勝てるわけがない。
写真をとる暇があるなら、自分の目でしっかり見事のほうが大事だと思うのだが・・・

彼女が、その団体の中にいるのは間違いない。銃を持ったまま国境を越えるなら
日本人のツアーに紛れ込めば、荷物検査なしで簡単に銃を持ち込めるのだ。

いや、彼女に銃はいらないか。
あたしは最悪の人物を思い浮かべた。
もし彼女なら、勝てないかもしれない。
でも、時々感じられる殺気は、ここに来ているものが、その人物ではないことを
物語っていた。
彼女なら、殺気立つことは決してない。

21 名前:2.市井紗耶香 投稿日:2001年08月25日(土)12時00分00秒

あたしは階段をおり、バッカス神殿の階段を昇った。
バッカス神殿の外回廊へとまわる。天井のみごとに彫刻された大きな大理石が
崩れ落ちてきそうだった。実際に落ちてきた大理石が壁に立てかけてある。
クレオパトラをモチーフにしたといわれるリリーフが、日差しを受けて白く輝いていた。

緊張が走る。

あたしは支柱に隠れ、ジュピター神殿を見やる。


“いた。”


この位置からでは、ジュピター神殿に立つ人の顔まで区別はつかないが、
あたしにはわかった。
でも、彼女ではない。


「市井ぃ!!!」

突然、大きな声が神殿に木魂する。

吉澤・・・

あたしは影から抜け出し、吉澤に微笑んだ。

吉澤が動く。

あの場所からここまでは、100メートルぐらいだろう。でも、あの場所からここまで
来るのには、その倍の距離を移動しなければならない。
雑魚相手に、これ以上ここにいる必要はない。顔は見せたのだ。あたしの目的も済んだ。
あたしは出口に向かって走った。

ふいに銃声が聞こえた。

吉澤だろう。
あたしは振り向きもせずに、出口へと向かった。
馬鹿なやつだ。
あの位置からあたしを撃ち抜くことができるはずがない。
しかも、あの銃声でライフルを担いだ遺跡警察が飛んでくるのは確実だ。

22 名前:2.市井紗耶香 投稿日:2001年08月25日(土)12時02分03秒

出口を抜けると、売り子が連なった絵葉書を持って寄ってくる。
その一人を捕まえて、ベイルートに行きたいけどタクシーは何処だ?となるべく
周りに聞こえるような声で聞いた。
タクシーの方向を指差す少年に礼を言ってタクシーに向かう。

値段の交渉をする間もなく、タクシーに乗り込む。

「国境まで。」

吉澤はどうするだろう。
うまく、警察を撒くだろうか?
この国に留まってくれればいのだが・・・

23 名前:3.吉澤ひとみ・東京 投稿日:2001年08月25日(土)12時03分45秒
あたしは暗闇が好きだ。
見なくてもいいものを、暗闇は包み隠してくれる。
多くのものが見えなくなるかわりに、見えるものをより多く感じとることができる。
闇は五感を鋭くし、その五感が闇へと拡大していく。

「梨華ちゃん、もう眠った?」
梨華ちゃんが自分の名前に反応して、寝返りを打つ。
ずれた毛布から、彼女の滑らかな背中が覗いた。
あたしは梨華ちゃんを起こさないようにベッドを降り、タバコに火をつけた。
暗い部屋の中にタバコの赤い火が灯る。
あたしはたばこの煙を深く吸い込み、ゆっくりと吐く。
眠気がゆっくりと遠ざかり、徐々に神経が研ぎ澄まされていく。
あたしは鏡台の前に座り、引き出しから銃を取り出した。
手のひらに伝わる重みと冷たい金属の感覚が、あたしに現実を突きつける。

恐い。

何度も何度も射撃の練習はした。
でも、人に向けたことはない。
本当に撃てるのだろうか?
あいつに向けて本当に引き金が引けるのだろうか?
シミュレーションではない。
TVゲームでもない。
リセットも復活の魔法もない。
一瞬の遅れが、そのまま死に繋がる。

でも、あいつは許せない。

「市井 紗耶香・・・」

ごっつぁんをあんな目にあわせた女。

24 名前:3.吉澤ひとみ 投稿日:2001年08月25日(土)12時05分05秒

ごっつぁんの知らせを聞いたとき、すでに彼女は病院に収容されていた。
あたしはごっつぁんのいる病院へとバイクを走らせた。
暗闇に連なるヘッドライトとテールランプの隙間をすり抜けながら、
あたしはバイクを疾走させた。

通常、うちらが仕事なんかで怪我をした場合は、行き付けの病院へと送られる。
若い女性が、弾痕や刺し傷で普通の病院に運ばれれば、それだけで大事件になる。
組織の息が掛かっている病院にいくのが当たり前で、このときのようにほかの病院へ
運び込まれることはまずない。あるとすれば、理由は1つしかない。
生命の危機を伴うような重症で緊急を要する場合のみだ。
それも、あたしのような新人ではそのまま捨てられて死を待つだけだ。
ごっつぁんの場合、それだけ重要で腕が立つということだ。

25 名前:3.吉澤ひとみ 投稿日:2001年08月25日(土)12時05分56秒

病院は都内の大学病院だった。
あたしは、そこに着くまでに3回の信号無視と2回の逆走をした。
コーナーを廻るたびに、バイクのステップが派手な火花を散らしてた。
警察が追ってきていたのかもしれないが、病院に一刻でも早く着くことに
集中して気がつかなかった。病院が見えたころにはステップどころか
あたしの左膝も削れていた。破れたジーンズの膝の部分には血が滲み出しているが、
不思議と痛みは感じられない。

26 名前:3.吉澤ひとみ 投稿日:2001年08月25日(土)12時06分53秒

あたしは、夜間緊急口にバイクを着けるとサイドスタンドを立てる間も無く
入り口へと向かった。
この病院には何度か来たことがあるから、手術室の場所はわかっている。
救急の場合の手術室は、入り口からそう遠くない場所にある。
廊下の突き当りを右に廻ると手術中の赤いランプが見えた。
そこまでのわずか20メートルが、永遠に続くかのように長く感じられた。

「ごっつぁぁ〜ん!!!」

勢いのまま手術室へと走りこもうとするあたしを、後ろから羽交い絞めにして
止めるものがいた。

「吉澤!落ちつけ!落ちつくんや!」

振り返ると中澤さんがいた。
興奮しているあたしを中澤さんがおさえている。
両腕を抑えられても、手術室に無理やり突進しようとしたため
お気に入りの服のボタンがはじけ飛んでしまった。

「くそー!誰がやったんだ!誰がやんだんだよ!」

あたしは振り返り、中澤さんの胸倉を掴み激しく詰め寄る。
あたしの大声が夜中の病院中に響き渡っていた。
その声を聞き、看護婦が走りよってきた。

パンッ!

「自分、いいかんげにしぃや!ここは病院なんやで。」
中澤さんに叩かれた頬を抑える。
彼女もまた泣いていた。彼女の目から頬にかけて化粧が落ち、黒く汚れている。
組織のトップとしての中澤裕子は強く冷酷な人間だが、本質は、非常に涙もろい弱い人間なのかもしれない。あたしはこの涙で冷静さを少し取り戻すことができた。
それでもやはり体の底から次々と湧いてくる興奮と怒りは抑えきれない。

27 名前:3.吉澤ひとみ 投稿日:2001年08月25日(土)12時07分44秒

「今、後藤はむちゃくちゃ大変な手術中なんや。静かにしいや。
 あいつは、扉の向こうで頑張っとるんやから、あんたもしっかりしいや。」
「ごっつぁんはどうなんですか?助かるんですか?」
「わからん。肩と頭を撃たれとる。肩はたいしたことないんやけど
 頭のほうが、どうにも良くない状態なんや。」
中澤さんの言葉が、頭の中をぐるぐる廻るが、その意味を理解するのに時間が掛かった。
「そんな・・・」
「待つんだ。吉澤。今うちらにできることは、それしかあらへんのや。」
中澤さんがあたしを抱きしめる。その体が小刻みに震えていた。

「だ、だれがごっつぁんを?」

「わからない。」
中澤さんの固い声が響く。
「・・・でも、絶対見つけたる。後藤をこんな目にあわせたやつを
 うちはゆるさへん。」

28 名前:3.吉澤ひとみ 投稿日:2001年08月25日(土)12時08分24秒

手術中の赤いランプは、それから3時間経っても消えなかった。
あたしは、手術室の前のそっけないソファーに中澤さんと座っていた。
二人とも無言のまま、何処を見つめるでもなく、ただ時が過ぎるのを待っていた。
何かを考えれば、直ぐに悪いほうへと思考が進んでいく。
左膝の痛みが、何とかあたしを現実の世界に繋ぎとめていた。

中澤さんが、時々思い出したように涙を流している。

29 名前:3.吉澤ひとみ 投稿日:2001年08月25日(土)12時08分58秒

深夜の病院というのは、静かのようでそうではない。
一定間隔でリズムを刻む心拍計。ナースコールの味気ないメロディ。
看護婦の歩き回る音。そして、無数の痛みが廊下を走り回っている。
その廊下は、必要最小限に燈された蛍光灯で暗く照らしていた。
病院の廊下というものは、どうしてこうも殺風景なんだろう。
白と灰色のツートンは、多くの苦痛を壁にしみこませて薄汚れていた。
ただでさえ、病気を背負い込んでしまって重い気分の患者たちは、この殺伐とした
病院の廊下で癒されることはないだろう。
薄気味悪い病院の夜の時間が、ごっつぁんの生気をじわじわと食っていく気がした。

30 名前:3.吉澤ひとみ 投稿日:2001年08月25日(土)12時10分43秒

「中澤さん。市井さんは?」
「いや。連絡つかへんのや。こんなとき、あいつが一番後藤のそばにいてやらな
 あかんのに・・・なにしとんのやろ。」

悔しいけど、ごっつぁんと市井さんとの間には、あたしとの間にはない不思議な
力があった。市井さんがこの異変に気づかない筈は無いのだが・・・
市井さんが居れば、それだけでこの手術も成功する気がする。
この場所に来て、逃げ出したくなるこの時間を縮めてほしかった。

「中澤さん。誰が病院に連絡したんですか?」
あたしは、不意に浮かんだ疑問を尋ねた。
ひょっとしたら、市井さんが連絡したのではと思ったからだ。
「・・・なんや匿名で連絡があったんやと。女の子やったらしいで。」
「女の子?」
「そや。」
「・・・・」

市井さんではないのか。
でも何だろう?この違和感は。

・・・第一発見者が女の子だったら、その子が連絡するだろうか?
いくら携帯が普及していても、まず大人を呼びに行くのが普通ではないだろうか?
子供が、冷静に判断できるものだろうか?

やはり、市井さんが・・・
でも、だったらなぜ今ここに・・・


「吉澤!」

振り返って中澤さんを見ると、彼女の目は正面を見つめていた。

手術中のランプが消えたのだ。



31 名前:3.吉澤ひとみ 投稿日:2001年08月25日(土)12時11分35秒

心臓が鼓膜の横で脈打っているかと思うぐらい、激しく脈打っている。
ドアがなかなか開かない。
開かれるまでの時間が、本当に長かったのか、そう感じただけなのかわからないが、
あたしにしてみれば、死ぬほど待った感じだった。

漸くドアが開かれて、中から医者が現われた。

「セ、センセ。」

中澤さんが、搾り出すようなかすれた声で尋ねた。
すでに、目には涙が溢れている。

「命は取り留めました。」

その声で、腰が抜けそうになる。

「ただ、意識が戻る可能性は極めて低いです。」

あたしの時間は、そこで停止してしまった。
やがて出てきたストレッチャーの上に横たわるごっつぁんの姿を見ても何も感じない。
ごっつぁんの頭は包帯とネットで覆われ、口や鼻にはチューブが差し込まれ、
両腕には点滴のチューブやら、計測機が取り付けられていた。
人というより、“もの”であった。
あたしは、“もの”としてその光景を見つめていた。

32 名前:3.吉澤ひとみ 投稿日:2001年08月25日(土)12時12分17秒

そこから、どうやって戻ってきたのか覚えていない。
再び、あたしの時間が動き出したとき、梨華ちゃんの部屋にいた。
彼女の部屋の照明は割れ、床にはあらゆるものが散乱していた。
部屋はアルコールの臭いが充満していた。
そして部屋の片隅に、震えながらカーテンに包まっている梨華ちゃんがいた。

泣いていた。
唇が戦慄ていた。
鼻から血が流れていた。

そして顔には痣があった。

なんて馬鹿なんだろう。
あたしは自分の愚かさに絶望し、その場にしゃがみこんだ。

「よっしぃー・・・大丈夫?」

梨華ちゃんは包まっていたカーテンから這い出し、震える手であたしの顔を包んだ。
あたたかいその手が、あたしの涙で濡れていった。


33 名前:名無し読者 投稿日:2001年08月25日(土)23時20分30秒
ごっつぁんに意識がもどりますように…。
34 名前:4.吉澤ひとみ 投稿日:2001年08月26日(日)14時02分06秒

それから、一ヶ月が経ってもごっつぁんの意識は戻らなかった。
あたしは毎日病院に通った。
病室で眠るごっつぁんの顔は穏やかだ。この人がNo.1ヒットマンとは
誰も思わないだろう。何処にでもいる16歳の女の子に他ならなかった。
この細い腕が銃を握り、一発必中で相手を倒していく。
その力強く、繊細な腕は今、意志を持たない唯の肉の塊になってしまっている。

「ごっつぁん。今日は顔色良いね。今度、外出許可とってさ、一緒に買い物に行こうよ。
この間、梨華ちゃんと渋谷に買い物行ったんだけどさ――――」
あたしは、ごっつぁんの手を擦りながら、毎日毎日その日にあったことを話しかける。
無駄なのかもしれない。彼女に刺激を与え続けたところで、彼女が目覚めるわけでは
ないのかもしれない。それでも、1%でも、いや、0.0000001%でも可能性があるなら、
あたしは何年であろうと諦めない。

指を動かし、
腕を擦り、
頬に触れ、
耳元で話しかけ、

そして・・・
そして、唇を指でそっと触れる。

あたしは、王子様にはなれない。
ごっつぁんに無断でくちづけする資格なんて・・・あたしには・・・。


“市井紗耶香”

彼女の名前がいつも頭の隅から離れない。
市井さんならお目覚めのくちづけで、ごっつぁんをこの深い眠りから覚まして
くれるのかもしれない。市井さんなら・・・
あたしがいくら頑張っても彼女の変わりになれない。

そんなことは解っている。

あたしは、市井さんがいまこの場所にいない怒りと、彼女への強い嫉妬を感じていた。
そして、そんなことをくよくよ悩んでいる自分自身の不甲斐なさに、絶望していた。

35 名前:4.吉澤ひとみ 投稿日:2001年08月26日(日)14時02分56秒

昨日と変わらない今日が過ぎていく。
ごっつぁんは、今日も何も話しかけてくれなかった。

「じゃあ、ごっつぁんまた明日来るわ〜。ちゃんと看護婦さんの言うこと聞くんだぞ!」

あたしは笑顔で彼女の手を取り、握手をする。
意思を持たない手との握手が、あたしの中に悲しみを募らせていく。
その悲しみが、表情に表れないように必死で笑顔を保つ。
眠ったままの彼女は、瞑ったままの目で、あたしの表情をつぶさに観察している
気がするからだ。

「ごっつぁん、そんなに見るなよ!」

あたしは、少しおどけて見せた。空しさがまた一つ積み上げられていく。
あたしは手を離し、その手に毛布を掛けた。

「じゃあ。」

もう一度挨拶をして部屋を出る。
ドアを閉めてから、深いため息を一つついた。



36 名前:5.石川梨華 投稿日:2001年08月26日(日)14時03分54秒

よっしぃーが私の名前を呼んだ。
私はそのまま眠ったふりをして、寝返りを打つ。
彼女は私を起こさないようにベッドからそっと降りた。
部屋の電気もつけずに、鏡台まで行き、引き出しを開け、銃を取り出す。
いつからだろう、よっしぃーのこの一連の行為が始まったのは・・・。

私はその度、ただ、眠ったふりをしていた。
彼女に背を見せながら、背中で彼女を見つめる私は、消極的な情けない女の子に
戻ってしまっている。

(よっしぃー・・・
  ねえ、そんなこと止めてほしいの・・・)

云えない言葉が、今日も涙となって流れ出す。


物心ついたとき、私とよっしぃーは養護施設の中に居た。
一つ年上の私を、妹のように扱うよっしぃーは、私の憧れだった。
いつも明るく、物事をはっきりと言う彼女と比べて、泣いてばかりいる私は
いつも彼女の背中かに隠れて生きてきた。

「本当は梨華ちゃんだって、頑張れば何だってできるんだよ。」

彼女の励ましの言葉が、いつも私を悩ませた。
(私に何ができるの?)
私はいつもネガティブだ。解ってはいるんだけど・・・

37 名前:5.石川梨華 投稿日:2001年08月26日(日)14時05分06秒

性格って、どうやって形成されるんだろう?
よっしぃーと私の性格を分けたのは、なに?
私もよっしぃーみたいになりたい。
いつもいつもそう思っていた。
もっと強くなって、よっしぃーを守ってあげたい。
それが、私の今のゆめ。

いまが、その時なのかもしれない。
よっしぃーを止める事ができるのは、私だけなんだもん。

起き上がって、よっしぃーを見る。
鏡台の前に座り、銃を手入れするよっしぃーの背中が見える。
時々見える横顔は暗く、瞳だけが赤く光っていた。

「よっしぃー・・・」

私が声を掛けると彼女の背中が“ぴくん”と動く。

「どうしたの梨華ちゃん。」

平静を装いながら、彼女が振り向く。
不自然な笑顔が、彼女の顔に張り付いている。
左手が彼女の後で銃を隠そうとしている。

「・・・えっ、、、えっと・・・」

漸く搾り出した勇気が、消し飛んでしまった。

「えっと・・・」

掛けられた毛布が滑り落ち、胸が露出した。
私は毛布を拾い胸を隠す。

「起しっちゃったね。」

彼女のぎこちない笑顔が、暗闇の中で揺れていた。
私も悲しい笑顔で答える。
闇が私たちの笑顔を曖昧にしていく。

「死なないでね。」

長い沈黙の後に、私は口を開いた。
それが、私の精一杯の勇気だった。

38 名前:G3HP 投稿日:2001年08月26日(日)14時09分45秒
>17 >33 さんレス有難うございます。
この話は、後藤がキーパーソンです。
今後、彼女がどうなるかは、はっきり決めてないのですが・・・
書いていると、話が一人歩きする傾向があるので(技量不足か?)
そうなるかわかりません。
39 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月28日(火)12時43分19秒
>38 じゃあ後藤は死なない方向でお願い。
40 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月29日(水)02時27分50秒
とりあえずベイルートってどこ?
41 名前:名無しさん 投稿日:2001年08月29日(水)18時06分09秒
>40 レバノンでしょう。中近東です。
42 名前:G3HP 投稿日:2001年08月30日(木)08時57分06秒
>>40 レバノンです。
レバノンからシリア、トルコに抜けてこうと思ってます。
43 名前:6.市井紗耶香・ダマスカス 投稿日:2001年08月30日(木)09時23分05秒

ダマスカス。
この街は旧約聖書が書かれた時代から続く、現存する最古の都市のひとつだ。
今ある街の地面を掘ると、一昔、いや、二昔前の街が現われる。
その下にはもっと古い街があり、その下にもまた、古い街が存在する。
この街はそうやって、何千年もの間、人々の生活や思いを幾つもの層にして存続している。
月日を重ねた街にも近代化の波は押し寄せていた。
高層ビルが立ち並び、型の古い車が真っ黒な排気ガスを撒き散らしながら走り回る。
渋滞する車からは、絶えずクラクションが鳴り響き、その合間を縫うように、
車道に溢れ出した人々が歩き回っている。
東京にはない喧騒と秩序が、あたしを圧倒する。

44 名前:6.市井紗耶香・ダマスカス 投稿日:2001年08月30日(木)09時23分54秒

あたしは駅に近い新市街の安宿に向かった。
嘗て定宿にしていたホテルは、商店街が並ぶ通りの一角にある。
小鳥屋の通りを奥に入ると、目的のホテルがあった。

「相変わらず、きったね〜ホテルだな。」

あたしは毒づきながら階段を昇る。
フロントにいる従業員に見覚えは無いが、この汚いホテルに懐かしさと安堵感を感じる。
銃を持っているので、ドミトリーに泊まるわけにはいかないのでシングルの部屋を取った。
部屋にシャワーもトイレもついている。日本円にして一泊700円のホテルとしては上出来
の部屋だが、この灯油をぶちまけたかのような匂いは、なれるのに時間がかかるだろう。

45 名前:6.市井紗耶香 投稿日:2001年08月30日(木)09時24分35秒

あたしは部屋に落ち着くと、まず、荷物の確認をする。
三畳ほどの長細い部屋の殆どを占めているベッドに、バックの中身をぶちまける。
多くの荷物を持ったままでは、突発的な襲撃に対応ができない。
組織が吉澤を送り込むはずが無い。あれが別口と考えるなら、少なくとも
二人に狙われていることになる。
あたしは荷物を広げて、持ち物を吟味する。
現金も少ない。今のままでは日本に帰れる額は残っていない。

この国から日本に帰るには、第三国を経由しないと日本には辿り着けない。
今の予算からして、デリー、バンコクまでは何とかいけるだろうが、その先に行くには
資金が足りない。旅行代理店で相談するしかないようだ。

46 名前:6.市井紗耶香 投稿日:2001年08月30日(木)09時25分09秒

あたしは必要最小限の荷物を選び出し、バックに詰めた。
さてと、代理店に行くか。そう呟いて立ち上がった。
フロントに行くと、ロビーに2,3人の日本人のバックパッカーが雑談をしていた。
みんな一様に汚い身なりをした若者だ。あたしは一言二言挨拶をしてホテルを出た。

バックを背負って一人気ままな旅をするもの、パックツアーで団体旅行をするもの
旅のスタイルにはいろいろある。バックパッカーは団体旅行の人を毛嫌いする傾向が
あるが、どちらが良くてどちらが悪いとは一概に言えない。その人にあったスタイル
を選べばいいのだと思う。大事なことは何を感じて何を学んだのかということなのだ。

よく、こういうマイナーな地を旅行するものは、自分を見つめ直すとか、ロマンだとか
口にするが、子供のころ、おばあちゃん家の2階に行くのが大冒険であり、そこから色んなことを学んだはずだ。こんな最果ての地までこないと、自分を見つめなおすことが
できなくなった自分を悲しむべきなのだ。

あたしも偉そうなことは云えない。組織に追われ、何も解決させないで、この地に
逃れることを選んだ。問題の解決を先送りする代償として、大事な人に銃口を向けて
しまった。

(ごとう・・・)

吉澤ではなく、後藤に追われたかった。
憎まれても良いから、後藤には生きていてほしかった。
そしてなにより、追うものと追われるものに分かれても彼女に、
後藤に会いたかった。

47 名前:6.市井紗耶香 投稿日:2001年08月30日(木)09時25分44秒

つんくさんにつれられて現われた後藤を初めて見たのは、今から4年近く昔のことだ。
金髪で鋭い眼光の後藤は、見るもの全てを破壊つくさずにはいられない感じがした。
鋭く、繊細で、臆病な感情を消化しきれずに、感情の赴くまま暴発を繰り返す後藤は、
肉体ばかり成長してしまった赤ん坊のようだった。
その後藤の教育係を言い渡されたときは、はっきり言って迷惑以外の何者でもなかった。
そのころのあたしは、うだつの揚がらない下っ端の殺し屋に過ぎなかった。
自分のことで精一杯のところに、狂犬病にかかったような野良犬のお守りなど、
冗談ではなかった。

「あたしは、人を殺したいんだよ。」

後藤が初めて云った言葉がこれだった。あたしはその言葉に腹を立て後藤を殴り飛ばした。
後藤もまた、あたしを殴り飛ばし、殴り合いは中澤さんが止めるまで続いた。
殴り合っても何も理解しあえない後藤と、人を殺す理由の正当性が見出せられない苛立ち
が、後藤への憎悪に変わっていった。

48 名前:6.市井紗耶香 投稿日:2001年08月30日(木)09時26分17秒

それでも、あたしは教育係から外されることは無かった。
いやいやながらも後藤の教育をしていくあたしを、後藤の存在能力の高さが打ちのめして
いく。銃やナイフの扱いから、爆弾の知識や解剖学にいたるまで、あたしが教えることを
乾いたスポンジに水が吸い込まれかのごとく、全てを吸収していった。

後藤の鋭い眼光はますます光り輝き、感情を持たない殺人兵器なっていく様は
あたしに戸惑いを覚えさせた。

「後藤、あんたは間違っている。」

そういいきれないあたしは、後藤に辛くあたっていた。
その関係が、あたしと後藤の関係として定着すると考えていたのだが、
それは、後藤の初めての仕事をきっかけに変わっていった。

49 名前:6.市井紗耶香 投稿日:2001年08月30日(木)09時27分05秒

あたしらの仕事は、依頼されたターゲットを、いかに必要最小限の接触で殺すか
ということのみに重点が置かれ、その人物がどんな人で、なぜ殺されるのかは解らない。
中澤さんにターゲットのスケジュールを渡されて、期日までにターゲットを仕留める。
唯それだけだ。仕事が終われば全てを忘れる。そのひとが、殺された結果どうなったかは
考える必要は無いのだ。

それでも、疑問は蓄積していく。

「殺される理由は幾つもある。人が死ぬことは悲しいことや。できれば、うちかて
 世界中の人が仲良うやってけるんなら、それに越したことは無いと思うんよ。
 でもな、その人が生きていることで、何人もの人が苦しむのは、ほっとけれんやろ?
 あたしらは、あたしらの道義で、依頼を受け取るンや。まあ、うちらかって神様じゃ
 ないから、間違いもあるんや。正直な話。それをあんたらが、なるべく気にせんよう
 配慮してるんや。うちらは正義のためにやっているとは云えへん。ただ、悪の手先じゃ
 ない。そんなこと、うちがゆるさへん。あんたは、気にせんで自分の仕事をすりゃ
ええんよ。」

中澤さんの言葉を鵜呑みしたわけではないが、それでも、あたしらは納得をし、
自分の仕事に専念していた。
でも、ふと頭をよぎる疑問と不安は、そんな言葉では完全に拭い去れるものではない。
後藤の初仕事は、そんな疑問を投げかける仕事であった。

50 名前:6.市井紗耶香 投稿日:2001年08月30日(木)09時28分22秒

後藤は初仕事にもかかわらず、穏やかな表情をしていた。
うれしくて舞い上がることも、緊張して硬くなることも無かった。
そのとき、そうあたしには感じられた。

ターゲットは19:08にバスからおり、自宅に向かって歩いてくる予定だった。
後藤は銃に消音機を取り付け、ターゲットが現われる角を狙っていた。
角までは約10メートル。後藤の腕ならまず撃ち損じることはない。
あたしは、後藤の後に立ち、まわりの気配を伺う。
住宅街のこの場所に到着したのが19:10。
ターゲットがバス停からこの場所に来るまでに約3分半。
この場所に来てから、ターゲットを仕留めて立ち去るまで2分弱。
19:12までには全てを終えているはずだった。

静かな街並みに、12月の冷たい風が吹く。温かい光が窓からこぼれてくる季節だ。
ピンと張り詰めた空気が、ターゲットの足音を運んでくる。

(あと5メートルか。)

聞こえてくる足音が、あたしに異変を知らせていた。

ターゲットが、あと少しで角を廻ろうとしている。

「中止だ。」

あたしは、小声で後藤に命令をする。
後藤が動かない。
角に照準をあわせたまま、そのときをまだ待っていた。

51 名前:6.市井紗耶香 投稿日:2001年08月30日(木)09時29分04秒

角からターゲットの頭部が見えると同時に、後藤の指が引き金を引いた。
小さな銃声と共に弾丸が発射される。
弾丸はターゲットをそれて、塀にあたった。

「ちぃっ!」

後藤が舌打ちをして、あたしを睨む。
後藤が引き金を引く寸前に、あたしが後藤の銃の向きを変えたのだ。

「いくぞ!」

あたしは、再度照準を合わせようとする後藤を引っ張り上げた。

52 名前:6.市井紗耶香 投稿日:2001年08月30日(木)09時29分52秒

逃げていく途中で案の定、後藤が噛み付いた。

「なんで邪魔すんの。」

あたしを見下し、軽蔑をするような眼差しだった。

「気づかなかったの?」
「なにを?」
「こどもだよ。」
「それがどうしたの?」
「どうしただと?」

あたしはこの狂犬をここで始末したくなった。

「子供の目の前で、親を殺す気か?」
「当たり前よ。それが、あたしらの仕事でしょ。」
あたしは車を止め、後藤を殴った。

「市井さん、あまいですよ。」
後藤は頬を抑えながらも、まだあたしに噛みつこうとしていた。
後藤の言うようにあたしは甘いのかもしれない。

「お前には感情というものが無いのか!」
「そんなもの必要ないよ。」

後藤は、何かが掛けていた。その掛けているものが、あたしを苛立たせている。

「後藤、あたしらは殺人マシーンじゃないんだよ。
 殺さなくてもいいなら、それに越したことは無いんだ。」

爆発しそうな自分の感情を必死に抑え、ゆっくりと話す。

53 名前:6.市井紗耶香 投稿日:2001年08月30日(木)09時30分45秒

「あ〜うざいな〜。あたしは人を殺したいの!
 それに、あたしらが失敗したら、ほかの誰かがやっぱり殺しちゃうんでしょ。」
「ちがう。」
「なにが?」
「だから・・・」
「だから?」
年下の後藤に圧倒されてしまう自分が情けなかった。
「だから、あ、あたしが、殺さなくてもいい方法を見せてやるよ。」
でまかせだった。
「へぇ〜。」
後藤が、ほくそ笑んでいる。

54 名前:7.市井紗耶香 投稿日:2001年09月08日(土)05時24分19秒

今考えると、それは自分のための試練だった。
それまでは、言われるがままに人を殺していた。
たしかに、そのことで苦しんではいたけど、結局、仕事だと割り切っていた。
そして、その痛みが少しでも増えないために、ターゲットのことは知ろうとしなかった。
射撃手がターゲットとの事を知っても、苦しみが増えるだけだと思っていたからだ。

55 名前:7.市井紗耶香 投稿日:2001年09月08日(土)05時25分22秒
でも、このときは違っていた。兎に角、殺さないでいい方法をあたしは探さなければ
ならなかった。それは、後藤のためであり、あたしのためだった。
ターゲットを殺さずに済む方法を探すには、ターゲットの情報が必要だった。
通常、ターゲットに関する情報は、飯田圭織率いる情報班が全ての情報を収集していた。
その情報の全てが、我々実行班に知らされるわけではない。
まず、このターゲットの情報が必要だ。

56 名前:7.市井紗耶香 投稿日:2001年09月08日(土)05時27分19秒
あたしは横浜へと向かって車を走らせた。
湾岸を走り、横羽線を通り、守屋町出口を降りたころには、すっかり日が暮れていた。
国道から離れ、300メートル程いくと目的の店が見えてきた。
人気の無いこの通りにポツンと建っている二階建ての建物が、あたしらの支店だった。
秘密基地、アジトと言ったほうがよいのだろうが、なぜか、“支店”と呼ばれていた。
この建物があたしらの支店になったのは、それほど昔のことではないのだが、
建物自体は、戦後直ぐに立てられたものらしく、古く寂れていた。壁は、黒いしみと
その上に書かれたいくつかの落書きが占めていた。窓ガラスは、埃っぽく汚れており、
外から中が良く見えない。やたら大きい木の扉の上に、古びた看板が掛かっていた。
その看板に“BAGDAD CAFE”という文字が微かに読める。

57 名前:7.市井紗耶香 投稿日:2001年09月08日(土)05時28分09秒

「あっ。お帰り。」

薄暗い店内に渋いJazzが流れていた。
店内はカウンター席と数個のテーブルしかない、小さな店だ。
客は誰もいなかった。

「圭織、お前一体いつ家に帰ってんだよ。」

カウンターの奥では、長い黒髪をアップにした圭織が珈琲をいれていた。
暖房の入れすぎのためか、白いシャツの袖を捲くっている。

「どうだったの?今日やってきたんでしょ?」
圭織はあたしと後藤に淹れたての珈琲を出してくれた。

「中止だよ。」
「え〜。だって、銃で撃っちゃって良いんでしょ?
 ぱ〜ん って。」
圭織は両手で銃の形を作って、私めがけて発砲した。

「まあね、いまどき銃で撃つように指定してくる依頼人も珍しいけど、
 ターゲットが子供づれだったんだよ。それで、中止しちゃった。」
あたしは、後藤のほうをチラリと見て言った。
「ふ〜ん。じゃあ後藤の初仕事は延期なんだね。」

58 名前:7.市井紗耶香 投稿日:2001年09月08日(土)05時28分54秒

この店はいつも閑散としている。夜になれば、族まがいの連中が来ることがあるが、
場所が場所だけに繁盛することは無い。どちらかといえば、圭織の趣味で開いている
店だった。薄暗い店内、石造りの壁、手垢に塗れてテカっているカウンターやテーブル、ながれるJazzのなかで、カウンターに置かれている30cmほどのキティーちゃんが
異彩を放っていた。

59 名前:7.市井紗耶香 投稿日:2001年09月08日(土)05時29分54秒

あたしは、キープしてある安いバーボンを舐めながら、頃合を見て
圭織に本題を切り出した。

「ねえ、今回の依頼者って誰?」
「えっ?・・・圭織いえないよ〜。」

圭織は、後藤に4杯目のオレンジジュースを出しながら眉をひそめた。

「それは分かってるんだけどさ〜。あたし、今回このターゲットを殺さないで
 依頼人が納得する方法を考えてるんだよ。だからどうしても教えてほしいんだ。」
「なんで?」
「あのさ、あたしら、上に言われるまんま人を殺していていいのかなあと思わない?
ねえ、あたしらって、単なる殺人好きの集団じゃないでしょ。」

「ん〜〜、紗耶香もそういう時期になったんだ。」

妙に納得をしたような顔で、圭織があたしの顔を覗き込む。
「なんだよ〜。その知ったかぶりの顔は。」
あたしは少しすねたような声で、圭織に抗議をした。
「みんなね、やっぱり、そういうことを言い出す時期があるんだよね。
 みんな、そうやって大きくなっていくんだよ。
・・・でもね、例えば、雨の日にね、あたしが傘を忘れたとするじゃない・・・・。」
「お願い!」
圭織のよく分からないたとえ話がはじまる前に、あたしは彼女の言葉を遮った。
60 名前:7.市井紗耶香 投稿日:2001年09月08日(土)05時31分13秒
「ターゲットを殺すていうことは、一緒にいた子のお父さんがいなくなるっていうこと
なんだよ。」
あたしは圭織の弱いところを突いてみた。
圭織の瞳を見つめながら、後藤へと神経が注がれる。
後藤は、横でオレンジジュースを飲みながら、にやけた顔でこちらを見ていた。
「あたしは、それを証明したいの。殺さないで、且つ、依頼者が納得する方法を探し
たいの。お願い。」
圭織は、あたしと後藤を交互に見つめて、大きなため息を一つ吐いた。
「裕ちゃんに聞かないとね。」
「裕ちゃんがOKするはず無いじゃん。
 ・・・だから・・・圭織、お願い。」

圭織は、暫く黙ったままグラスを磨いていたが、やがて店の奥に消えていった。

61 名前:7.市井紗耶香 投稿日:2001年09月08日(土)05時31分56秒

「後藤。あんたも手伝いな。」
あたしは後藤の方に向きなおし、我関せずという顔で、ポッキ―を咥えている
後藤に声をかけた。
「え〜。だって市井ちゃんが、お手本見せてくれるんでしょ〜?あたしに。」
「市井ちゃん??」
小馬鹿にされたようなその言い方が定着するとは、そのときは考えもしなかった。
「あんたもやるんだよ。あたしはあんたの教育係なんだから、あたしの
 言うことを聞きなさい。」
後藤は何も答えず、上目使いで一度あたしを一瞥した。
むかつく態度だ。

圭織が店の奥から出てきた。その手には、資料が握られていた。
あたしは、お礼も言わずにその資料を食い入るように読みいった。

「依頼人の名前は教えられないよ。」

圭織の言葉に、あたしは少し失望しながら、読み終えた資料を後藤に手渡した。

62 名前:7.市井紗耶香 投稿日:2001年09月08日(土)05時32分37秒

「このおっさん。やっぱ殺してもいいんじゃないの?」

後藤は、一通り資料に目を通し、資料をテーブルの上に投げ出していった。
ターゲットの中山秀征は、由民党の和田議員の秘書をやっていたが、
ご多分に漏れず、裏で脱税から賄賂から人身売買に近いことまで手がけていた。
その殆どが、和田議員の命令によるものなのは、明らかである。
当然トカゲの尻尾切りで、和田議員が中山を切り捨てるための依頼だと思うのだが、
その確証はない。もし違っていたら、依頼主から依頼の取り下げはされない。
あたしらは、依頼失敗ということとなり、次のチームがターゲットを仕留める
手はずになっている。つまり、あたしの幼稚な野望は失敗となり、あたしはこれから
ずっと後藤に馬鹿にされていくことになるのだ。それだけは避けなければならない。
あたしはバーボンをなめながら、無い知恵を絞っていた。

63 名前:7.市井紗耶香 投稿日:2001年09月08日(土)05時33分27秒

「だいま〜。あ〜やだやだ。何でこんな遅くまで働かなくっちゃいけないんだよ〜。」
突然ドアが開かれて、入ってきたのは矢口だった。寒さのために頬が赤く紅潮している。
「おかえり〜どうだった?」
「えっ?まあ、一通り調べ上げたよ。レポートは明日でいいでしょ?
 それよりお腹すいた。圭織なんか作ってよ。」
矢口はそう言うと、背の高い椅子によじ登るように腰掛けた。足をぷらぷらさせている
小さな矢口は、何処にでもいる普通の中学生に見えた。

64 名前:7.市井紗耶香 投稿日:2001年09月08日(土)05時34分31秒

圭織が矢口の注文のホットケーキを作り始めると、店中に甘い臭いが広がった。
後藤が、圭織が作っているホットケーキを見つめて「あたしも。」と請求していた。
矢口は、出来上がったホットケーキに、シロップをおもいっきりかけて頬張る。
のほほんとした時間が、店を支配していた。この集団が、人を殺すために集まっている
と考えると可笑しかった。

65 名前:7.市井紗耶香 投稿日:2001年09月08日(土)05時35分13秒

「ねえ、紗耶香なにしてんだよ〜。矢口もまぜてくれよ〜。」

ホットケーキを平らげた矢口があたしに興味を示して近寄ってきた。
あたしは矢口を見た。いたずらっぽい大きな目があたしを見つめている。
好奇心の強い矢口は、ときどき突拍子も無い発想であたしの良きブレーンとして、
今まで大いに助けてくれていた。

「そうだな。矢口もたまには、あたしの現場見学するのも良いかもな。」

立場上、圭織が相談に乗ってくれるはずは無いので、この際矢口を巻き込んで
しまうことにした。

66 名前:7.市井紗耶香 投稿日:2001年09月08日(土)05時35分47秒

「あはっはは。まあ、偶には、あたしのカ・ン・ペ・キな情報収集の結果を確認をする
のも良いかもね。」
矢口が自慢げに言った。
「あはっ!よくいうよ。まあ、足手まといにならないようにしてよね。」
あたしがそう言うと、矢口は膨れてあたしに向かって舌をだした。

67 名前:8.市井紗耶香 投稿日:2001年09月08日(土)05時36分26秒

翌日のお昼、あたしは後藤と矢口を連れて、永田町へと向かった。
改札を抜けて、出口をあがると、古びた建物が仰々しく連なっていた。
そのなかで一際古びた建物が、由民党の党本部だ。
薄汚れたビルは、そこに巣食う人々のカラーを象徴しているように思えた。
その場所に矢口を残し、あたしらは、その斜め向かい側のビルに潜入した。
そこは、どこにでもあるオフィスビルだった。1階にドコモショップがあり、2階から
上がオフィスになっていた。時々暗い色のスーツに身を固めたサラリーマンが出入り
している、何の変哲も無いビルだ。
あたしらは、狭いエレベータで3階まで上がった。エレベータの正面には英語で
書かれた会社のドアがあった。中からは電話の音が、わずかに聞こえてくる。
こんな、部屋の中で一日中仕事をするなんて、あたしには絶対無理だ。
閉じられた扉は、そのまま、閉じられた世界での生活を意味しているように感じた。

68 名前:8.市井紗耶香 投稿日:2001年09月08日(土)05時37分09秒

あたしらは、3階の奥にある女子トイレに向かった。今回ここが現場だ。
入り口に“掃除中”の看板を掲げ、突き当たりの窓を開けると、
そこから、由民党本部の玄関が見えた。
大通りに面していないので、狙える角度は限定されるが、
この距離からなら問題は無かった。
後藤がバッグからライフルを取り出し組み立て始めた。
14:28
そろそろ中山らが出てくる予定だ。

69 名前:8.市井紗耶香 投稿日:2001年09月08日(土)05時37分50秒

「お〜い、さやか〜出てくるよ〜。」

緊張感の無い矢口の声が携帯から聞こえてきた。
あたしは後藤に合図を送る。
ライフルを構える後藤は、漸く人が撃てる喜びに目を輝かしていた。

「分かってると思うけど、頭撃つんじゃないよ!」

再度、後藤に釘をさし、双眼鏡に目を戻した。後藤は、あたしの予想に反し、
不服そうな顔もせずに、頷いた。

70 名前:8.市井紗耶香 投稿日:2001年09月08日(土)05時38分46秒

党本部の玄関に人垣ができ始めていた。
SP数人を引き連れた和田が出口に向かっている。
あたしは中山に電話を掛けた。

プルルル・・・プルルル・・・
2度目の呼び出し音の後に中山が出た。

「ターゲットは変更になった。あんたじゃなくて、和田を今から撃つことになった。」

それだけを言って電話を切った。
和田はすでに建物から出ていた。
その後を青ざめた顔の中山が走り出てきた。

「撃て!」

“ぷすっ”という小さな音を残して発射された弾は、予定通り中山と和田の間をすり抜け、後にいたSPに当たった。一人が倒れると同時にSPが一斉に動き和田を囲む。

「こっちだ。こっちに来い。」

71 名前:8.市井紗耶香 投稿日:2001年09月08日(土)05時40分35秒

党本部の玄関に人垣ができ始めていた。
SP数人を引き連れた和田が出口に向かっている。
あたしは中山に電話を掛けた。

プルルル・・・プルルル・・・
2度目の呼び出し音の後に中山が出た。

「ターゲットは変更になった。あんたじゃなくて、和田を今から撃つことになった。」

それだけを言って電話を切った。
和田はすでに建物から出ていた。
その後を青ざめた顔の中山が走り出てきた。

「撃て!」

“ぷすっ”という小さな音を残して発射された弾は、予定通り中山と和田の間をすり抜け、後にいたSPに当たった。一人が倒れると同時にSPが一斉に動き和田を囲む。

「こっちだ。こっちに来い。」

72 名前:8.市井紗耶香 投稿日:2001年09月08日(土)05時41分07秒
あたしは祈るように双眼鏡を覗いた。
中山が和田とあたしらのライン上に立った。
中山が、あたしらを探している。

「つぎ!」

後藤が2発目を撃つ。
弾は、真っ直ぐ中山の心臓に向かって飛んでいった。
弾が当たった中山は仰け反った。
あたしは中山のリアクションを注意深く観察した。
中山は一度倒れそうになったが、体制を建て直し、和田の前に立ちはだかった。
あたしの考えが当たった瞬間だった。
73 名前:8.市井紗耶香 投稿日:2001年09月08日(土)05時41分42秒

「OK。次。」

今朝あたしが中山に「今日あんたを射殺する。」と電話したため、
中山は防弾チョッキを着たのだ。あたしは、それにかけたのだ。
元SPの中山の正義感と、持っているであろう防弾チョッキの着用にかけたのだ。

後藤がその後、立て続けに撃つ。
3発目、4発目とたてつづけに中山の胸部に命中する。
中山は地面に倒れるが、周りの誰も中山を助け起こそうとはしなかった。
SPは訓練通り、和田を囲みながら車の中へと消えていく。
車が急発進し、その場から離れていった。
その車の後部に後藤が放った最後の一撃が打ち込む。
党本部玄関口には、撃たれて倒れているSPと中山、それを取り囲むと数人の秘書らしき
ものが残されていた。

74 名前:8.市井紗耶香 投稿日:2001年09月08日(土)05時42分23秒

「撤収。」

騒然としている党本部の玄関前から確実に、このビルに向かって人が向かっているだろう。
後藤はすばやくライフルを分解し、コーチのバックに隠していた。

携帯が鳴った。

「そっちに向かってるよ〜。」

矢口の声だった。
あたしと後藤はトイレから小走りで階段へ向かった。階段を下りて、そのビルを出る
ころには、警察が何人もビルになだれ込んでいた。
それを、強張った芝居をして見送る。いつもの事ながら、警察は射撃者が、あたしたち
みたいな女の子だとは思ってもいないのだろう。あたしらの姿を見ても、何の反応を
示さずに通り過ぎていった。そのために、仕事をするときは必ずブランド物の服を
着ていた。ブランド品を身につけたスカート姿の少女が、携帯片手に歩いていれば
疑われることはまず無かった。

75 名前:8.市井紗耶香 投稿日:2001年09月08日(土)05時43分25秒

これで成功だろう。あたしはそう思っていた。
中山は身を呈して和田を守ったのだ。和田が依頼人なら依頼を取り下げるだろうし、
そうでない場合でも、中山に対する警備が厳重になるだろう。
その後、中山が殺されたという話は聞かなかったので、たぶんあたしの作戦は成功だった
といえた。そして、そのときは、この中山や和田と2度と関わることは無いと思っていた。

76 名前:名無し読者 投稿日:2001年09月08日(土)07時52分57秒
かなりハードだね。
面白いです。
77 名前:G3HP 投稿日:2001年09月09日(日)04時05分59秒
>>76 さんレス有難うございます。
ハードで重いですけど、良かったら読んでやってください。
78 名前:名無し読者 投稿日:2001年09月24日(月)09時23分54秒

市井紗耶香・ダマスカス

あたしは、結局イスタンブールまでのバスチケットを購入することにした。
イスタンブールまで陸路でいき、そこからトルコ航空で日本までの
格安チケットを購入する以外に、手持ちのお金では日本に辿り着けそうに無かった。
トルコ航空の乗り心地の悪い椅子とサービスには・・・・なのだが、この際贅沢は
いえない。後は、以下に安くチケットを購入するからだ。

あたしは、知り合いの旅行会社に向かうために、旧市街地とやってきた。


79 名前:名無し読者 投稿日:2001年09月24日(月)09時24分58秒

市井紗耶香

旧市街で一番の賑わいを持つウマイヤド・モスクへと続く道は、観光のメッカでもあり、
人が溢れていた。
アス・サウラ通りにある城塞の右手から、屋根の掛かった道が続く。
この道が、スーク・ハミディーエといわれるアーケード街だ。この街最大のスークであり、
両側には、お土産屋や革製品、貴金属店から日常品に至るまで、所狭しと品物が
並んでいる。イスラム圏特有の匂いとほこり、それに、所々破れた鉄製の屋根から
木漏れ日のように射す日が、欧米にはない異国を演出していた。
黒いベールを覆っている女性やカフィーヤといわれる布を巻く老人、欧米や日本からくる
観光旅行の団体、日本語で必死に呼び込みをおこなっている店の者で、スークはごった
返していた。このラッシュアワーの駅のようなアーケードを600m程いくとウマイヤド
・モスクが現われてくる。イスラム教第4番目の聖地といわれるこのモスクの右手を暫く
歩くと、旅行会社が見えてくる。

80 名前:名無し読者 投稿日:2001年09月24日(月)09時25分56秒

旅行会社の前まで行くと、人垣ができていた。
地元のおやじ達が、あたしの姿を見つけると、その人垣が解けた。
人垣の中心には、うずくまっている一人の少女の姿が見えた。

「ヤパーニ、ヤパーニ。」

周りにいるおやじが、あたしとその少女を指差して騒いでいる。
少女は顔をあげ、あたしを見た。
小学生ぐらいの日本人らしき子供だった。
団体ツアーから逸れたのだろうか?

「ひ〜〜ん。こーわい〜。」

少女はあたしに抱きついてきた。

「どうしたの?はぐれたの?」

あたしの問いに、彼女は首を振った。
彼女が泣き出した所為で、人垣はますます増え、好き勝手に何か言っていた。

81 名前:名無し読者 投稿日:2001年09月24日(月)09時27分33秒

「このコ、ニモツぬすまれました。」

その中で、日本語の話せる人が、あたしに声をかけた。

「このコの保護者は?」
「ひとり・・・ひとりで来たんや。」
女の子が、か細い声でそう答えた。


82 名前:名無し読者 投稿日:2001年09月24日(月)09時29分31秒

「ひとりって、あんたいくつ?」
「14や」
「14?」
サラサラの髪の毛を左右で団子にまとめた姿は、どうみても小学生だった。
どちらにしても、14の子が一人でこんな辺鄙な異国に来るはずが無い。
「どっかのツアーできたんか?」
「一人で来た。」
少女は、なおもあたしに抱きついたまま泣いていた。
「なあ、とにかく警察にいきなよ。あたしは、ちょっと用事があるから、
 このおっちゃんに連れてってもらいな。」
そういって、日本を話すおやじを見た。あたしが警察になんかいけない。
これでも、国際手配されている身なのだ。
「警察はいやや。荷物はもうええんよ。パスポートは盗まれてへんから、
 警察はいきたない。」
「そんなこと言ったって・・・」
「いやや!いやや、いやや、いやや〜。」
少女はいっそ大きな声で泣き出した。その声につれて、野次馬が増えていく。
たまったもんじゃない。どうにかこのガキを置いて逃げ出せないか考えた。
「とりあえず、アタシの店おいで。」
おっさんが、そう言うと少女はあたしの手を引っ張り、おっさんの後をついていった。

83 名前:名無し読者 投稿日:2001年09月24日(月)09時30分34秒

おっさんの店は、観光客相手のビッフェ式のレストランだった。
壁際には、アラビア風の飾りや置物がわざとらしく陳列されていた。
店の中央に、これもまたアラビア風の料理が並んでいた。
そこに、いわゆる先進国のお金持ちが並んでいる。ここで払うお金の1/10で
この店の何倍もおいしい料理が食べれるのを知っているのだろうか。

84 名前:名無し読者 投稿日:2001年09月24日(月)09時31分52秒

あたしらは、おっさんに進められるがままにテーブルにつき、アラビアンコーヒー
を飲んでいた。少女は死ぬほど甘ったるいケーキを山ほど皿に盛って帰ってきた。

「あんた、名前は?」
「加護です。加護亜依です。」
サラサラの髪と悪戯っぽい目が、あたしを見つめる。
「なんで、こんな辺鄙な国に来たの?」
「お父さんが、ここに住んでたんです。」
「外交官だったとか?」
「そんなような・・・」
「じゃぁお金持ちなんだ。」
お金持ちのお嬢さんが、ちょっとした冒険をしにきたのかと思った。
「あたし、隠し子なんで・・・」
加護は、少しすまなさそうに頭を掻いた。
「そう、変なこと聞いたね。ごめん。」
「みんな、そう言うんだな。可哀想だなんて思ってないのに・・・」
あたしは思わぬ反撃に、戸惑ってしまった。
85 名前:名無し読者 投稿日:2001年09月24日(月)09時32分32秒
「えっと、ケーキ食べます?おいしいですよ。えっと・・・」
「あっ。えーと、一応この国では、保田圭ってことになってるんだけど。
 まあ、色々とあるんで、深く聞かないで。」
「あっ、はい。保田さん、これ食べてくださ〜い。」
加護が、ケーキをフォークに刺して差し出した。今にもケーキが落ちそうになっている。
「ねえ、あたしの話し聞いてる?」
そう言って、差し出されたケーキを食べた。
「うっ!なに!この味。」
「チーズケーキにマヨネーズつけました。」
86 名前:名無し読者 投稿日:2001年09月24日(月)09時33分30秒

吉澤ひとみ・ベイルート

あたしは、ベイルートのホテルのラウンジで、しこたまお酒を飲んでいた。
ラウンジから見える街並みの光が、酔いの所為か揺れている。
イスラム世界のこの国で、女性が酒によって荒れる姿はめったに見れないだろう。
あたしは、周りの奇異な視線のなかで、すでに何杯目かわからなくなったテキーラを
煽りながら、目の前のバーテンを睨んでいた。

87 名前:名無し読者 投稿日:2001年09月24日(月)09時34分23秒

愚かなことをしてしまった。
あの位置から、市井が狙えるはずが無かったのだ。

一発必中。

ごっつぁんに教えられたこのことを、あたしは改めて痛感している。
市井を探してきたこの2年近くの日々を、あたしはあの一発で無に返してしまったのだ。

88 名前:名無し読者 投稿日:2001年09月24日(月)09時35分26秒
あたしが放った弾丸は派手な発射音を残し、市井の遥か手前の遺跡にあたった。
市井の後姿が、見る間に小さくなっていく。あたしは、市井の後を追った。
市井が逃げていった出口までは、直線距離では200mほどだが、大きく廻って
いかなければ追いつかない。ちょうど階段を下りたときには、すでに地元の警察が
ライフルを担いで走ってくるのが見えた。
「くそっ」
あたしは踵を返し、階段を昇り反対側の絶壁から身を投げた。

89 名前:名無し読者 投稿日:2001年09月24日(月)09時36分08秒

森へと逃げ込んだあたしは、ベイルートへとおめおめと逃げ帰ってきたのだ。
ごっつぁんに誓った市井への復讐を成し遂げるたまに、こんな最果ての地まで
やってきたにもかかわらず、自分自身の未熟が上の過ちのため、その約束を
果たせず、愚かなる日々をまた重ねていかなければならないのだ。

90 名前:名無し読者 投稿日:2001年09月24日(月)09時37分09秒

市井は、すでにこの国にはいないだろう。あたしは、また、全てを初めから
やり直さなければならないのだ。今度、市井の情報が手に入るのは、
何時になるのだろう。それでも、あたしは諦めない。あたしが、市井への復讐を
諦めたとき、ごっつぁんは本当の植物人間になってしまう気がした。

91 名前:名無し読者 投稿日:2001年09月24日(月)09時38分13秒

「相変わらず、感情のコントロールが甘いな。」
不意の日本語に振り返ると、保田さんがいた。
「いくら落ち込んでいるからといって、酔うことでしか自分の気持ちを昇華できない
 なんて、あたしの弟子として失格だよ。」
保田さんは、そう言うとウイスキーを注文して、あたしの横に座った。
「何しに来たんですか?」
あたしは、保田さんを睨む。
「まあ、随分じゃない。あんたを指導しに着てあげたのに。」
「指導なんていりません。」
「よく言うよ。」
そういうと、保田さんは笑った。

92 名前:名無し読者 投稿日:2001年09月24日(月)09時41分56秒

「なあ、吉澤。なんで、紗耶香は後藤を撃ったんだと思う?」
「それは、それはわからない。・・・けど、あいつは、ごっつぁんを裏切ったんだ。
 そう、中澤さんのレポートに書いてあったじゃないですか。」
「でも、どうして、裏切ったんだろう?」
「それは・・・」
「あたしは、どうしても解せないんだ。もし、本当に裏切るなら、本当に後藤を殺す
つもりなら、なぜ外したんだ?」
「頭を狙っているじゃないですか。」
「あんな小さな銃口で頭狙ったところで、確実に死なないよ。本当に殺すんなら、
 もっと大口径の銃を、口ん中に突っ込んで、後頭部を脳みそごと壁にぶちまけるように
しなきゃ確実には死なないよ。」
93 名前:名無し読者 投稿日:2001年09月24日(月)09時42分39秒
「じゃあどうして?」
「それを、聞くためにここまで来たんだけどね。あんたが、変なことするから、
 逃げちゃったんじゃないの。」
保田さんが、あたしの頭をつつく。
あたしは、つつかれて傾いた頭をそのまま戻さずに考え込んだ。

94 名前:名無し読者 投稿日:2001年09月24日(月)09時43分17秒
「あの一件は、おかしなことばかりだとは思わない?
どうして、紗耶香は後藤を撃ったのか?だいたい、あの場所であの二人は何を
していたの?紗耶香が呼び出したの?裕ちゃんのレポートは本当に裕ちゃんが
作ったの?変じゃない?裕ちゃんがレポート作成するなんて。
あたしはさ、紗耶香さえも全てを知らないんじゃないのかと思ってるんだ。」
「どうして?」
「あいつは、後藤の頭なんか撃たない。後藤を殺すなら、もっと別な方法で
 やっているよ。そして、それが真実なら、頭を撃ったやつが存在するってことだよ。
 兎に角、あたしは紗耶香に会って話をしたいんだ。」
「でも、市井・・さんは、何処にいるかわからなくなってしまったんですよ。」
あたしのミスで・・・
「あいつは、いま、シリアにいるよ。シリアの常宿に泊まっているよ。」
「本当ですか?」
あたしは、驚いた。市井が消えてからまだ何日も経っていないのに、すでに保田さんは
情報を掴んでいた。
95 名前:名無し読者 投稿日:2001年09月24日(月)09時43分58秒
「紗耶香も腕が鈍ったよね。吉澤に狙われているのをわざわざ確認しに来たのに
 常宿を利用するなんて、あたしを見つけてください。って言っているようなもんだよ。
それとも、相手が吉澤と見て、甘く見てるのかもね。」
そう言うと、保田さんがウィンクをした。


96 名前:名無し読者 投稿日:2001年10月05日(金)13時37分21秒
更新お待ちしてましたよ。
今後の展開に期待!!
97 名前:11.ダマスカス・市井紗耶香 投稿日:2001年10月08日(月)05時51分58秒

翌朝、目を覚ますと横に加護が眠っていた。
あたしは、彼女を上手く撒くことに失敗してしまったのだ。
この先のことを考えると、この子は連れて行けないのは当然なのだが、
どうにも、あたしから離れてくれない。
今も、眠りながらもあたしのシャツをしっかりと握ったままだ。

「加護。起きろ!朝だよ。」
加護の身体を揺するとわずかながら反応をするが、また深い眠りへと沈んでいった。

後藤も朝は苦手だったな。

あたしは、後藤の寝顔を思い出しながら、二人で過した短い日々を思い出していた。

98 名前:11.ダマスカス・市井紗耶香 投稿日:2001年10月08日(月)05時52分57秒

「市井ちゃん。なにボーっとしてるの。」

加護がいつのまにか目を覚まし、あたしを覗き込んでいた。

「市井ちゃんって。あんた、あたしのほうが年上だってことわかってるんでしょうね。」

あたしは、顔を赤らめながらも、その「市井ちゃん。」という響きに酔っていた。

「市井ちゃんは止めてくれ。」
「なんで?市井ちゃんでええやん。めっちゃかわいいやぁ。
 ・・・トイレ行く。」
そういうと、加護は部屋を出て行った。

99 名前:11.ダマスカス・市井紗耶香 投稿日:2001年10月08日(月)05時54分33秒

加護をこのまま連れて行くわけにいかない。このホテルには、あたしのほかにも
日本人はいる。あたしがいなくなればそいつらについていくだろう。
あたしは、荷物をそっと担ぐと扉までいき、外の様子をうかがった。
加護がトイレに入るところが見えた。
あたしは、ドアを開けフロントへと急いだ。

100 名前:11.ダマスカス・市井紗耶香 投稿日:2001年10月08日(月)05時55分45秒

街は相変わらず暑い日ざしと人ごみと車のクラクションで溢れていた。
あたしは、その雑踏に紛れて、ゆっくりとバスターミナルへと向かった。
ダマスカスのバスターミナルは行き先別に3つに別れている。
そのうちのアッバスィー広場に近い、ガラージュ・ハラスターへと向かった。

ターミナルには、既にバスと人でごった返していた。
人々は、どうやってそれだけ持ってきたのだろうかと考えてしまうほどの
荷物をそれぞれが抱えてバスに乗り込んでいた。
あたしは、その大きな荷物と人を掻き分けて、アレッポ行きのバスを探した。

バスは大きく分けて三つのクラス分けができた。
一番ぼろいバスは、この国の多くの人の足となるバスであり、
世界中のバスの墓場のような状態だ。日本製の中古ならまだましで、
それこそ、動いていること自体不思議なくらいボロボロのバスまである。
その上のクラスは、運がよければ冷房が効いていることもあるというクラスで、
ベンツの中古バスが中心である。
その上のクラスは新車であり、日本で普通に走っている観光バスになるのだ。

101 名前:11.ダマスカス・市井紗耶香 投稿日:2001年10月08日(月)06時02分18秒

あたしの乗るバスは、ミドルクラスのバスのはずだ。
あたしはそれらしきベンツの中古バスを中心に、バスを探した。
アイドリングストップなんか関係なく、排気ガスを撒き散らすバスの中を
行き先さえも書かれていない目的のバスを丹念に調べるのは結構つらい。
漸く、アレッポ行きのバスを見つけて乗り込んだのは、
それから30分も過ぎたころだった。

102 名前:11.ダマスカス・市井紗耶香 投稿日:2001年10月08日(月)10時24分56秒

「市井ちゃん!こっちだよ。」

バスのステップをあがり、空席を探そうとしたときにバスの奥から声が掛かった。

加護だった。

加護は、うれしそうに両手をふっていた。
あたしは、ずかずかと加護のいる席まで行くと加護をにらんだ。

「何であんたがここにいるの!」
「・・・ごめんなさい。」
加護が小さな声で謝った。
「でも、市井ちゃん一緒に日本までいってくれるって言ったやん。」
「・・・それは、そうなんだけど。」

ただ普通に旅をしているだけなら、それも良いのだが、今のあたしは
吉澤に、ひょっとしたら圭ちゃんにも狙われているかもしれないのだ。
そんな状況下で、彼女を一緒に連れて行くわけにはいかない。

「あのさ。悪いんだけど、あんたに構っている暇ないし、はっきり言って
邪魔なんだよ。悪い事言わないから、他の人と一緒にいきなよ。」

そういうと、加護は悲しそうな目であたしを見つめる。
黒目が大きく、白目に濁りのない赤ん坊のような目をしている。

「邪魔しないから、一緒にいってほしいんです。」
「どうして?」
「・・・市井ちゃん、おかあさんみたいです・・」

103 名前:11.ダマスカス・市井紗耶香 投稿日:2001年10月08日(月)10時25分29秒

まただ。
この加護は、どこか後藤と似ている。
『市井ちゃん、おかあさんみたいだよ。』
後藤の声がよみがえる。
顔も性格も違う後藤と加護が、あたしにはどこかでダブってしまう。

104 名前:11.ダマスカス・市井紗耶香 投稿日:2001年10月08日(月)10時26分16秒

「あんたさ、一人でここまで来たんだろ?」
「うん。」
あたしが横に座ったのがうれしいのか、あたしの腕に絡んできた。
「だったら日本に帰るぐらい簡単だろ?だいたいあんた金いくら持ってるんだよ?」
「うんと・・・ほとんど盗られちゃったから・・・」
「いくらあるんだよ。」
加護はシャツを捲り上げて、お腹の腹巻き型隠し財布を引っ張り出した。
「おまえ、その隠し場所、あまりにも定番だな。」
そういうと加護は、少し膨れながら財布の中身を数えていた。

「えっと、800ドルぐらい。」
「おめー、それだけじゃ日本まで帰れねーぞ。」
「でも、カードがあるから。」
そういうと、JCBのゴールドカードを取り出した。
「使えねーよそんなカード。しかもゴールドかよ。複製作ってくださいって
 言ってるようなもんだよ。」
「知ってる。この国で、カードなんかほとんど使えなかったもん。」
加護はそういうとカードを財布に隠す様にしまった。
実際観光地を除けば、JCBどころかVISAすらつかえない国なのだ。

105 名前:11.市井紗耶香 投稿日:2001年10月08日(月)10時27分29秒

「まあ、有名観光地なら使えんことはないけど・・・。
 あんたカード持ってるなら、ここから、飛行機に乗ればいいじゃんかよ。
 なにも、あたしに付き合ってバスになんか・・・
 って、聞いてる?人の話。」
加護は腹巻き型の財布がしっくりこないのか、その腹巻きとシャツまで脱いでいた。
「馬鹿!いくらなんでも服脱ぐやつがいるか!ここはイスラム圏だぞ。
 いくらガキでも女がそんな格好したら・・・」
あたしは焦って、加護を他の席のものから見えないように立ち上がり隠した。

「ごめんなさい。」

今日二度目の陳謝を聞いたとき、バスが何の前触れもなく動き出した。
あたしは、動き出した外の景色を眺めながら、加護の同行を許してしまった。

「まあ、仕方ないか。」

そういうと、加護はうれしそうにあたしの顔を見上げた。

「ありがとございます。」

加護の変なイントネーションの言葉に、右手の甲で答えながら、
あたしは、他にも客はいるから大丈夫、襲ってこないだろうと考えていた。

106 名前:11.市井紗耶香 投稿日:2001年10月08日(月)10時28分28秒

なぜだろう。

自分に言い訳をしているような感覚を覚えた。
このときあたしは、襲ってくるかもという不安より、
この加護と一緒に旅をする喜びのほうが大きかったのかもしれない。

「はい、市井ちゃん。」

服を着なおした加護は、自分の荷物からサンドイッチを取り出して
あたしに手渡した。

「あ、ありがとう。」

ホテルで朝食用に作っているものを持ってきたのだろう。
あたしは、結構あのホテルを利用していたが、気まぐれで作られる
無料サービスのサンドイッチは1,2度しかお目にかかれなかった。

「まずいな。」

そうつぶやきながら、あたしは流れ行くダマスカスの市街を見つめていた。

107 名前:12.ハマ・市井紗耶香 投稿日:2001年10月08日(月)10時29分40秒

バスは、砂漠の中の一本道をもう2時間も走っていた。
砂漠といっても、サラサラの砂が一面に広がるような砂漠ではなく、
“荒野”と表現したほうが、イメージしやすいだろうか。
見渡す限り、石ころばかりの世界を舗装道路が坦々とまっすぐ伸びている。

乾いた大地。

あたしは、この地が好きだ。
草木もなく、倒れた動物の死体もただ白い骨を残すだけの砂漠は
どこまでも厳しく、それうえに、今という一瞬を強く感じさせてくれる。

この一見荒れ果てた地にも、生きているものはいる。
厳しい環境の中で、生まれ、育っていき、やがてこの地のほかを知らずに死んでいく。
喜びも、悲しみもこの地の中で終えていく生き物たちは、どこまでも強く、
それでいて、坦々としている。
自分の置かれた環境を呪うこともせず、過ぎた過去を悔やむことをせず、
見えない未来を愁うこともなく、その瞬間を生きることのみに徹している此処の
生き物たちとこの環境は、あたしを不思議に癒してくれるのだ。

108 名前:12.ハマ・市井紗耶香 投稿日:2001年10月08日(月)10時43分41秒

冷房が効きすぎているバスの中には、イスラムの音楽が流れていた。
甲高い女性の声と独特の音楽が、この風景にマッチしている。

あたしの横で、加護は外の風景を見ては、その都度あたしに報告をしていたが、
やがて、どこまで行っても変わらぬ風景に飽きたか、眠ってしまった。
お菓子の袋を握り締めて眠るその姿は平穏であり、
この旅が何事も無く、終わりを迎える事を暗示しているかのようだっだ。

109 名前:12.ハマ・市井紗耶香 投稿日:2001年10月08日(月)10時44分38秒

バスは、ダマスカスを出てから3時間で漸くハマという町に停車した。
ここで、バスは昼食をとるために2時間の休憩をとるのだ。

110 名前:12.ハマ・市井紗耶香 投稿日:2001年10月08日(月)10時45分43秒

バスを降りると、“ギイィーギイィ”という大きな音が聞こえてきた。
ハマは水車の街だ。直径20メートル近い木でできた水車がいa
111 名前:12.ハマ・市井紗耶香 投稿日:2001年10月08日(月)10時47分50秒

バスを降りると、“ギイィーギイィ”という大きな音が聞こえてきた。
ハマは水車の街だ。直径20メートル近い木でできた水車がいくつもあり、
それが、廻るときに出すときに出す“ギイィー”という音が、昼も夜も響き渡っている。
水車から滴り落ちる水しぶきが、熱い太陽の光を受け、眩く輝いている。
しかし、熱い。
水辺のそばだから、涼しげなイメージだったのだが、この地域はダマスカスと違い
幾分湿度が高かった。東南アジアほどではないが、バスを降りた途端、
焼けるような日差しと湿度で、汗がどっと沸いてきた。

112 名前:12.ハマ・市井紗耶香 投稿日:2001年10月08日(月)10時51分17秒

あたしと加護は、水車を望むことのできるレストランに入った。
風通しのいいテラスに席を取り、ケバブと水を注文した。
行き慣れた庶民的なレストランとは違い、ウェイターがそれなりの服装と
流暢な英語で、対応をする。周りを見ると、欧米諸国からの客がのんびりと
ランチを摂っていた。目的の無い本当の意味での休暇楽しんでいるようだ。
ゆったりとくつろぐ風景が、絵になっている。
悔しいが、どう頑張っても、日本人がこれほど絵になることは無いだろう。

「市井ちゃんは、どうして旅行をしているんですか?」

加護が、ケバブを頬張りながら尋ねる。

「自分を見つめる旅さ。」
水車を見つめたまま、答える。
「えぇ〜?うっそー。」
「なんでだよ。」
「市井ちゃん、そんな人でないもん。」
今度は、加護が水車を見つめたまま答えた。

113 名前:12.ハマ・市井紗耶香 投稿日:2001年10月08日(月)10時52分48秒

「市井ちゃん、2年間日本を出てたんだよね。」
「ん?」
「2年前に日本で何があったの?」
あたしは、加護に釘付けになった。
加護はケバブを飲み込めず、いつまでもクチャクチャ噛み続けていた。
「旅行してる人って、何かを求めて日本を出てくる人と、
何かから逃げてきたって人がいるけど、市井ちゃんは逃げてきたんでしょ?」
こいつは、何を云っているのだ?
見た目はどう見ても小学生なのだが、年齢以上に大人びたところがある。
「な、なんでそう思うんだ?」
「わかりませーん。」
そういうと、加護はクチャクチャ口を動かしながら、二カッと笑った。
その顔は、やはり小学生のようだった。

「トイレ行ってこいよ。また、トイレ休憩なんかなしで走り続けるだろうから。」
加護はクチャクチャを続けたまま、トイレへと立っていった。

114 名前:12.ハマ・市井紗耶香 投稿日:2001年10月08日(月)10時54分32秒

あたしは、食後の紅茶を飲みながら、他の観光客と同様に木陰で水車を眺めていた。
地元の子供らが、水車につかまり次々と上へ登っていく。4〜5メートル登ると
水車から水面へと飛び込んでいる。それをあきもせずに延々と繰り返している。
度胸ダメしか水遊びなのだろうが、中には観光客からチップをせびる姿もみられる。
ダマスカスに比べるとのどかな光景である。
あたしが、水車を眺めていると、視界の片隅に人影が映った。

「早かったな。」

そう声を掛けようとして、あたしは振り返ったあたしは、
そのまま、腰に隠している銃へと手を伸ばした。

「やめなよ。」

あくまで、おちついた声であたしの肩に手を置いた。

「け・・・い・・・ちゃん。」

保田圭だった。

115 名前:12.ハマ・市井紗耶香 投稿日:2001年10月08日(月)10時55分34秒

「探したよ。2年もね。」
そう言うとあたしの向かい側の席に座った。
圭ちゃんは、現地イスラム教の女性がきているような肌を露出しない黒いベール
を着て、頭にスカーフを巻いていた。圭ちゃんの大きく釣りあがった目と顔立ちが、
違和感無くその姿を、周りの景色に溶け込ましていた。

「どうしてここが・・・」
圭ちゃんが姿を見せたということは、何か話があるのだろう。
あたしを殺すつもりなら、あたしは圭ちゃんの姿を見ることなく、
死んでいただろう。

116 名前:12.ハマ・市井紗耶香 投稿日:2001年10月08日(月)10時57分05秒

急に水車の音が聞こえなくなった。
だまったまま、見詰め合っている。
二人とも笑っているが、張り詰めた空気が二人を包む。

「市井・・・」

いつのまにか、加護が戻っていた。
あたしらの雰囲気に圧倒されたか、加護は固まったまま立っていた。

「あっ。知り合い。」
喉が張り付いて声が上手く出なかった。
加護が、錆び付いたロボットのように頷く。
「あんた先にバスに戻ってな。」
「でも・・・」
加護が心配そうに呟く。
「ちゃんと時間までには戻るから。」

117 名前:12.ハマ・市井紗耶香 投稿日:2001年10月08日(月)10時58分06秒

圭ちゃんは加護が店を出て行くのを確認すると、あたしに向き直った。
「あんた、すっかり平和ボケしちゃったね。お子様連れて旅行だなんて?」
「なに、行く方向が同じだっただけだよ。」
店の外を見ると、加護がこちらを盗み見ているのが見えた。
あたしと目が会うと素早く加護が隠れる。
子供のかくれんぼに、あたしは笑いがこみ上げてきた。

118 名前:12.ハマ・市井紗耶香 投稿日:2001年10月08日(月)10時58分50秒

「吉澤に会ったでしょ?」
「うん。・・・相変わらずだね、吉澤は。」
あたしがそう言うと、圭ちゃんは乾いた笑い声を上げた。
「あれはあれで、結構優秀なんだけどね。熱血漢なのが欠点でね。」

吉澤はあたしがフリーになろうと決めたころに、あたしらに加わってきた。
あたしが知っている吉澤は、まだ幼くてボーイッシュな子供だった。
あたしが抜けた後、後藤と圭ちゃんと組んで、それなりの成績を挙げていたことは
知っていたが、彼女自身の性格を知るほど接触は無かったし、
たまに来る後藤のメールに、吉澤の名前が頻繁に書かれるようになったころは
あたしは例の事件に巻き込まれ始めていて、それどころではなかった。

119 名前:12.ハマ・市井紗耶香 投稿日:2001年10月08日(月)11時00分57秒

「吉澤は?」
「シリアに入ってるよ。」
「この場所は?」
「さあ。あいつの情報収集技術は素人だからね。」

それから、暫く沈黙が続いた。
再び、あたしの耳に水車の音が聞こえ始めた。

「ねえ。」
「・・・」
「なんで後藤を撃ったの?」
「・・・・・」
「その答え次第では、あたしも容赦しないから。」



「――― 後藤は元気にしてる?」
「あんた何言ってるんだ!」
圭ちゃんは大きな目を更に見開き、声を荒立てた。

「後藤はねえ」


圭ちゃんが、そこまで言ったときだった。
あたしの全身に鳥肌が立った。
鋭い刺すような殺意があたしを襲った。

それは、圭ちゃんも同様だった。
あたしらは、殺意を放つ方向に一瞥するより早く、
テーブルをひっくり返して、川へと飛び込んだ。

120 名前:12.ハマ・市井紗耶香 投稿日:2001年10月08日(月)11時02分42秒

弾丸が、身体の横を通り過ぎていく。
水の中に入ってもその弾丸の雨がやむことが無かった。
川底まで約3メートル。
あたしは視界の悪い水の中を川底まで行くと、川下へと這うように泳いでいった。

1分…2分……
息が続かなくなったころ、レストランの川下側にあった水車の近くに辿り着いた。
あたしは、ゆっくりと水車の横に顔を出し、辺りを見回した。
周りには水車で遊ぶ地元の子供たちがいた。
殺気は感じられない。
彼らは、突然川から現われたあたしに驚き、騒ぎ始めた。

まずいな。

あたしは素早く岸に上がり、口に人差し指を当てて騒がないように
合図をすると同時に、リーダーらしき一人の子供にお金を握らせた。
その子は、直ぐにあたしの意図を理解し、騒ぐ周りの子供らを黙らせた。

121 名前:12.ハマ・市井紗耶香 投稿日:2001年10月08日(月)11時04分10秒

ザバァー

そのとき、川から人が上がってきた。
あたしは、ぬれて使い物にならない銃を引き抜き、その人物に向けた。

「a
122 名前:12.ハマ・市井紗耶香 投稿日:2001年10月08日(月)11時05分16秒

ザバァー

そのとき、川から人が上がってきた。
あたしは、ぬれて使い物にならない銃を引き抜き、その人物に向けた。

「a
123 名前:12.ハマ・市井紗耶香 投稿日:2001年10月08日(月)11時06分47秒

「なんだ、あいつら?」

圭ちゃんだった。圭ちゃんが、濡れガッパのような姿で川から上がると、
また子供たちが騒ぎ始めた。
なぜか、石を投げる子供までいた。

「ストップ、ストーップ。」
圭ちゃんが叫びながら、子供たちの方へ向かっていくと、
子供たちは怯えながら、逃げていった。

「なんだよー。」

圭ちゃんは一瞬悲しい顔をした後、すぐ厳しい顔に戻りあたしを見た。

124 名前:12.ハマ・市井紗耶香 投稿日:2001年10月08日(月)11時08分22秒

「3人だね。」
川に飛び込むまでの短い時間に、圭ちゃんも相手を確認していた。
「うん。全員日本人の男の子だった。」
「Jr.だ。」
圭ちゃんが断定した。

Jr.は、18歳未満の少年を集めたヒットマン集団だ。
あたしが所属していたUFAと同様に、ターゲットが油断しそうな子供を
利用したヒットマン集団であり、歴史はUFAより古いのだが、
金のためなら、依頼されたものが子供であろうが容赦なく仕留めていき、
やくざの傘下としても、一部機能しているようないやな集団だった。

「あんた、Jr.に狙われるようなことしたの?」
「・・・いやぁ・・・・」
圭ちゃんの問いに曖昧に答えた。
狙われる理由はわかっていた。
そのために、あたしは一人でずっとJr.と戦い続けていたし、
後藤をも撃ってしまったのだ。
125 名前:12.ハマ・市井紗耶香 投稿日:2001年10月08日(月)11時10分39秒

「Jr.が海外に出てくるなんて・・・」

Jr.にしろUFAにしろ、所詮ならず者の集団であり、英語ができるものが
殆どいなかったためか、海外での仕事は受けていなかった。
もっとも、そちらはまた他の集団がいるという話は聞いたことはあるのだが。
兎に角、あれは間違いなくJr.だった。

「まずいな。紗耶香は知らないかもしれないけど、最近のJr.はますます過激に
 なってるんだよ。銃どころか、爆弾を使うようになってるんだ。」
「日本で?」
「そう。それだけ、日本も危険になったってこと。
あいつら、目的のためなら一緒に何人死のうがかまわないって考えなんだよ。」
「手段は選ばないってわけね。スマートじゃないね。」
「どうする?」

あたしは、この近辺の地図を思い浮かべ、暫く潜伏する先を考えた。

126 名前:12.ハマ・市井紗耶香 投稿日:2001年10月08日(月)14時57分24秒

「あっ。あの子は?」

圭ちゃんが言うまで、あたしは加護のことを忘れていた。

「バスに戻ってるはずだよ。」
「違う。あいつら、彼女を見てるんじゃないの?」

血の気が下がった。手段を選ばない連中が、加護という無防備な人質を
そのままにするとは考えられなかった。
あたしは、死ぬほど後悔をした。
あたしは何をやってるんだ?
人を巻き込まないようにすればするほど、無関係な人を巻き込んでしまっている。
あたしは、圭ちゃんが止めるのを振り払ってバス停へと走った。
バス停は、レストランの目と鼻の先にある。
さっきの騒動に加護がバスを降りていなければいいのだが。
濡れたズボンが足にもとわりついて、上手く走れない。
気ばかりがあせってしまう。
緩やかな坂を登りきると、曲がった下り坂の先にバス停が見えた。
人々が騒然としているのがわかる。
あたしは、バス停まで一気に走ると、あたしらが乗ってきたバスが見えた。

127 名前:12.ハマ・市井紗耶香 投稿日:2001年10月08日(月)15時02分58秒

バスの窓ガラスが割られている。

「加護!!!」

あたしはJr.に見つかることなんか気にせずに、バスへと駆け寄った。

バスに乗り込むと人の気配は無かった。
「加護!」
叫んでみるが返事は無い。
割られているのは、ちょうどあたしらが乗っていた席のところだ。
「くっそ!!」
あたしはバスから飛び降りると、加護の姿を探してレストランの方へ走った。
「加護! 加護!」
叫びながら辺りを見回す。
人々が水車の方へと野次馬となって集まっている。
「加護!加護!」
喉が痛くなるほどの何度かの叫び声に、返事があった。
128 名前:12.ハマ・市井紗耶香 投稿日:2001年10月08日(月)15時06分58秒

「市井ちゃん。」

声のする方向を見るが、人垣で姿が見えない。
「くっそ!」
こんなとき、やはり背の低いのは不利だ。
「加護!!」
あたしは叫び続けた。
「市井ちゃん。」
声が近づいている。
人垣のわずかな隙間から、赤いシャツが見え隠れしている。
加護だ。

「加護!」

あたしは、人々を掻き分けて加護の元へと辿り着いた。

「市井ちゃん。」

加護が、濡れたままのあたしにしがみつく。

129 名前:12.ハマ・市井紗耶香 投稿日:2001年10月08日(月)15時10分17秒

「良かった。市井ちゃん無事で。」
加護は、唇を震わせ泣いていた。
「ごめん。心配かけて。加護こそ無事で・・・」
あたしは、加護を強く抱きしめながら、辺りを見回した。

殺気は感じられない。

でも、まだ近くにいることは確かだ。
いつ撃たれても可笑しくない。
あたしは、先ほど呪った背の低さを利用して、人ごみの中に紛れた。
広場から道を渡るときに、圭ちゃんが運転する車が目に入った。
あたしは加護を抱えながら、その車へと走った。

「急いで。」

圭ちゃんはあたしらを見つけると、ドアを開けた。
あたしらが転がり込むように来るもに乗り込むと、圭ちゃんは車を反転させ
人の少ない方へと、走らせた。

130 名前:12.ハマ・市井紗耶香 投稿日:2001年10月08日(月)23時28分54秒

クラクションを鳴らしっぱなしだった圭ちゃんの運転が落ち着いたころ、
あたしたちは、デザートハイウェイの近くまで来ていた。

「何処に向かう?」
圭ちゃんの問いにあたしは答えた。

「カミシリに向かって。」

カミシリはトルコへの国境検問所なある街だ。
トルコへ向かうときに普通利用するBab Al-Hawaに比べると通行量が少なく、
また、トルコ側の国境に近い街がないうえに、その辺一体が、クルド人の地帯であり、
戦闘も珍しくない危険地帯だ。
それが、あたしの狙いだった。クルドのゲリラにあたしは何人も知り合いがいるのだ。
暫く潜伏するなら、その場所以外は今は考えられなかった。

「カミシリって何処よ?」
圭ちゃんが不服そうな顔で尋ねる。
「とりあえず南に向かって、ダマスカス方面よ。
 次のホムスって町まで行って、そこから東のパルミラに向かって。」

131 名前:名無し読者 投稿日:2001年10月09日(火)00時37分31秒
このままいちかごでもいいんじゃないかという気がしてきた・・・
加護が言う市井ちゃん・・・師匠の呼び方を真似しただけあって、(・∀・)イイ!!
132 名前:13.パルミラ・市井紗耶香 投稿日:2001年10月11日(木)17時44分04秒

ハマを出てから、車は順調にカミシリに向かっていた。
容赦なく照り続ける日差しは、車の冷房の能力を超えていた。

加護が、あたしの膝に頭を置いて眠っている。

走り出してもう3時間になるが、誰も口を開こうとしなかった。
車のエンジン音だけが聞こえてくる。

前の席で、運転に専念している圭ちゃんも、眠っている加護も
あたしに聞きたいことは山とあるだろう。
でも、誰も口を開かない静かな瞬間だった。

窓の外は、相変わらず荒れ果てた台地が広がっていた。
所々で、竜巻が発生している。直径1メートルぐらいの竜巻の奥に、
その10倍ぐらいはある竜巻も発生していた。
竜巻は、周りの砂埃を上空へと吸い上げ、辺りに撒き散らしている。
あたしもまた、後藤や加護らを巻き込み、辺りに撒き散らしている。
あたしは、近づくものを全て巻き込み、撹乱させなければ前に進めないのだろうか?

133 名前:13.パルミラ・市井紗耶香 投稿日:2001年10月11日(木)17時45分14秒


「市井ちゃん・・・」

あたしの膝の上で、目を覚ました加護が心配そうにあたしの顔を覗き込む。

「なに?」
「・・・服・・・乾いてないね。」

加護の手が、あたしの服の裾を掴んでいる。

「うん。荷物置いてきちゃったから着替えが・・・」
「市井ちゃん、寒くない?」
「・・・大丈夫だよ。」

加護が、あたしを気遣ってくれている。
あたしは、加護のその気持ちに安らぎを感じていた。
加護は、不思議な子だ。
人の気持ちを正確に感じ取り、的確な言葉を投げかけてくる。

134 名前:13.パルミラ・市井紗耶香 投稿日:2001年10月11日(木)17時46分27秒

「あのー。あたしもずぶ濡れになったんだけど。」
圭ちゃんが、不服そうに言う。
「おばちゃんは、丈夫そうだから。」
「誰がおばちゃんや!!」
あたしは、苦笑した。
「ねえ、紗耶香。こいつシメちゃっていい?」
圭ちゃんがそう言うと、加護は怖いといって、あたしの後に頭を隠した。
「だって、名前知らないし・・・」
「保田・・・保田圭って言うんだよ。」
「あっ。市井ちゃんのパスポートの名前だ。」
「そうだよ。紗耶香があたしの名前使うから・・・」
「すまん。あまり、他の人に迷惑掛けたくなかったから。」
「あたしならいいんかい!」
「まあまあ。」

加護の一言を発端にして、場が和んだ。
ハマから続いた緊迫した雰囲気が一掃された。

135 名前:13.パルミラ・市井紗耶香 投稿日:2001年10月11日(木)17時47分36秒

「今回、あたしは中澤裕子なんだよ。」
圭ちゃんが、左手で髪をかきあげながら言った。
「えっ?裕ちゃん?」
「パスポートの名前。」
「裕ちゃんって誰ですか?」
加護が尋ねる。
「あたしらの親分・・・かな?」
「保田さんの親分さんですか。おばちゃんのおばちゃんだな。」
「はは・・、裕ちゃんも形無しだね。」

136 名前:13.パルミラ・市井紗耶香 投稿日:2001年10月11日(木)17時49分10秒

知らないということは、時には強みになる。
加護は、圭ちゃんを知らない。祐ちゃんも知らない。
UFAきってのヒットマンとそれを仕切るリーダーだと知っていれば、
軽口を聞けないかも・・・
いや、加護は知っていても言えるかもしれない。
それが、加護なのだろう。

「おばちゃん。おばちゃん。」
加護が運転席に乗り出して、圭ちゃんに暴言を吐いている。

やはり、加護だから許されるのだろう。

「お前絶対シメてやる!」

圭ちゃんが涙目で叫んだ。

137 名前:13.パルミラ・市井紗耶香 投稿日:2001年10月11日(木)17時52分17秒

日が暮れるころ、車はパルミラまで来た。
パルミラは周囲を山脈とパーム椰子に囲まれたオアシスである。
ローマ時代には、隊商都市として栄えた歴史深い場所だ。
峠を越えると、夕日を浴びバラ色に染まる巨大な遺跡が見えてきた。
遺跡といっても、建物の石の柱だけ残る殺伐とした遺跡だ。
でも、この広大な大地にそびえる遺跡を実際に目のあたりにすると、
かつての輝かしい栄光を感じさせられてしまう。

138 名前:13.パルミラ・市井紗耶香 投稿日:2001年10月11日(木)17時53分19秒

「ねえ、どうする?」

圭ちゃんが、遺跡が見える高台で車を止め、後部座席を振り返った。

「このままカミシリに行っても、国境開いてないんだろ?この時間じゃあ。」
「たぶん。」
「カミシリの街で宿を探すより、ここで探した方が安全じゃない?」
ホテルの多い地で宿を探した方が、それだけリスクは少なくなる。
まして、観光ホテルで観光客に紛れてしまえば、より安全だろう。
「いいけど。」
あたしは答えた。
「じゃあ決まりだね。」
「・・・あのさ。」
「なに?」
「・・・荷物無くってさ。」
「だから?」
「・・・お金も無くってさ。」
あたしは、頭を掻きながら言いにくい台詞を吐き出した。

139 名前:13.パルミラ・市井紗耶香 投稿日:2001年10月11日(木)17時54分15秒

「身体売る?」
「やすだ〜。加護いるんだから。」
「冗談だよ。金ならいくらでもあたしが貸してあげるよ。」
「そっちの方が怖いな。」
圭ちゃんが睨む。
「市井ちゃん、加護が貸します。」
加護が服を捲りあげ、腹巻から財布を取り出していた。
「ありがとう、加護。
 でも、圭ちゃんから借りるよ。」
加護の頭を撫でてやると、加護がはにかみ、てへてへと笑った。
「はい。わかーました。」
舌ったらずな返事をしながら、カクカクと頷く姿がなんともかわいかった。

140 名前:13.パルミラ・市井紗耶香 投稿日:2001年10月11日(木)17時55分27秒

あたしらは、遺跡の入り口に建つ高級ホテルに部屋を取ることができた。
金持ちの観光客用のホテルだけあって、値が張る。
玄関を入ると奥行き100メートル程のロビーが広がっている。
右側にフロントがあり、きれいなユニフォームを着た従業員が
にこやかに立っていた。
左側には、レストランがあるようだ。階段を4,5段上がった
奥の部屋には真っ白なテーブルクロスが掛けられたテーブルが
いくつも並んでいる。
加護は、チェックインをするあたしらを尻目に、ロビーに連なった長いソファーを
端から順々に座っていく。

141 名前:13.パルミラ・市井紗耶香 投稿日:2001年10月11日(木)17時56分10秒

「加護!あんたもこっちに来て、名前書きな!」

あたしが大声で加護を呼ぶと、ロビーの奥から両手を広げて走ってきた。
ドタドタと上下動の大きい走り方は、幼稚園児のようだ。


「あんた14だろ?」
あきれて、加護に聞いた。
「14だな。」
悪びれもせずにそう言い放つ加護に、あたしは崩れそうになった。
142 名前:13.パルミラ・市井紗耶香 投稿日:2001年10月11日(木)17時57分57秒

部屋は、いつもあたしが泊まっていた安宿と比べるまでも無くきれいだ。
部屋にトイレもお風呂もあるし、シャワーからはお湯も出る。

あたしと加護が同じ部屋に、圭ちゃんは隣に部屋をとった。

「あんたと一緒の部屋でなんか、寝られない。」
そういって圭ちゃんは、一人で部屋をとったのだ。
「おばちゃん、きっとメチャクチャう○こ臭いんだよ。」
加護が、あたしの耳元でささやいた。
悪意が無いだけ、始末に終えない。
あたしは失笑した。

143 名前:13.パルミラ・市井紗耶香 投稿日:2001年10月11日(木)17時58分45秒

部屋のカーテンを開けると、既にあたりは暗くなっていた。
遠くで、遺跡が月明かりを受け静かに輝いている。
月明かりで落とす影は青白く、歴史を刻んだ列柱を神々しくさせていた。

その向こう側に、ポツリポツリと頼りない光がいくつも灯っている。
生活の光りだ。
裸電球の黄色い光りの下で、それぞれの生活が営まわれている。
ひとつの光りに集い、片寄せあって生きていく姿は、強くたくましく
思えるのだが、本当は、ただ淡々と生きているだけなのだ。
おかれた環境に身を任せ、その中で淡々と生きることこそ強くて、
重要なことなのかもしれない。
144 名前:13.パルミラ・市井紗耶香 投稿日:2001年10月11日(木)17時59分34秒

あたしは、加護と交代してシャワーを浴び、川での汚れを洗い流した。
久しぶりの暖かいシャワーが、肌に心地よさを運んだ。
リンスを使うのも1年ぶりぐらいだろうか。
大きなラシャバサミで適当に切った髪は傷み、荒れ果てていた。

後藤が見たら怒るだろうな。
あたしは、リンスを洗い流しながら、おせっかいを焼く後藤の膨れっ面を
思い出していた。後藤は2,3度あたしの髪を切ってくれたことがある。
床に新聞紙を広げ、ゴミ袋を首に巻きつけたあたしを前に、後藤がカリスマ
美容師を気取り、思案する姿は、今思い出しても笑える。
後藤がカットすると必ず左右のどちらかが短くなってしまった。
「そういうのが流行ってるんだよ。市井ちゃんは知らないだけだよ。」
後藤はそういっては、いつも誤魔化していた。
145 名前:13.パルミラ・市井紗耶香 投稿日:2001年10月11日(木)18時01分44秒

「市井ちゃん・・・か。」

今また自分のことを“市井ちゃん”と呼ぶものが現われた。
そして、そのものと一緒にいることで、あたしは安らぎを感じていた。

巻き込みたくない。

そう思えば思うほど、愛しい人たちを巻き込んでいく。
後藤だけは・・・
加護だけは・・・

あたしが守らねば・・・
何かしなければ・・・
思う気持ちが焦りを生み、ことを悪い方向へと運んでいる。

そんなことわかってる。
でも・・・
だったら、あたしは一体どうすればいいんだろう。

後藤・・・

何が正解なんだよ。
あたしは正しかったんか?

なあ、後藤・・・
146 名前:13.パルミラ・市井紗耶香 投稿日:2001年10月11日(木)18時03分18秒

「アチッ」

出しっぱなしのシャワーの温度が急に変わり、あたしを現実に戻した。
あたしはシャワーを止め、タオルで身体を拭いた。
扉の隙間から、冷たい風が入り込み身体に鳥肌を立たせる。
TVの音と加護の声が聞こえた。

TVに話し掛けてんかよ。
あたしは、加護に借りたニンジン模様のはずかしい下着を着け、
シャワールームを出た。

147 名前:13.パルミラ・市井紗耶香 投稿日:2001年10月11日(木)18時04分08秒

「加護、何見てんだ?」

髪を拭きながら部屋に戻ると、加護は驚いたように受話器を置いた。

「電話?」

誰からだ?

「け・・い・・ちゃん?」

声を詰まらせながら、尋ねた。

「あ・・・日本に・・・おばちゃん・・・心配してる・・から。」

加護もぎこちなく答える。

「・・・そう。」

でも、あの驚いた顔は何?

「両親には?」
「・・・ふたりとも・・・死んじゃった。」
「あっ・・・」

148 名前:13.パルミラ・市井紗耶香 投稿日:2001年10月11日(木)18時04分47秒

数秒の沈黙の後、加護の顔に笑顔が戻った。
「市井ちゃん、ニンジン似合う〜。」
えへへと笑いながら、加護が寄ってきた。
「ブラ、でかいんだけど・・・。」
情けない返事をすると、加護はでへへと笑いながら、ブラを押した。
ブラが加護の指に押されて、へこんでしまった。
・・・情けない。
「加護。髪の毛、ちゃんと拭けよ。」
そういって、照れ隠しにタオルで加護の頭をワシワシと拭く。
加護は頭を支点にふらつきながら、相変わらずでへへと笑っていた。

149 名前:13.パルミラ・市井紗耶香 投稿日:2001年10月11日(木)18時05分26秒

あたしらは、フロント近くにあったレストランで高い夕食をとった。
白いテーブルクロスのかかるレストランだ。
テーブルは4〜50を数えるほどの規模を誇り、奥側一面の大きなガラス窓
からは、月の明かりに照らされる遺跡が一望できた。

ファミレスのような味のフルコースの食事は、それでも、安いものしか
食べていなかったあたしには、懐かしく、おいしく感じた。
ただ、一人60ドルもとった上に飲み物代が別なのは、納得がいかなかった。
60ドルといえば、5〜6日分のホテル代だ。
もっとも、支払いは圭ちゃんだから知ったこっちゃぁないのだが。
150 名前:13.パルミラ・市井紗耶香 投稿日:2001年10月11日(木)18時06分39秒

「One more Beer.」

白い目で、あたしらを見ているボーイを捕まえて、
圭ちゃんとあたしは、10杯目のビールをオーダーした。
海外でアルコールを飲むのは、結構面倒だ。
あたしみたいな未成年や圭ちゃんでも、必ず身分証明が必要になる。
その点、今もっているパスポートは24歳ってことになっているから、
これさえ見せれば、堂々と飲めるのだ。あたしは、このパスポートと圭ちゃん
のお金で久しぶりに飲んでいた。

しこたま飲んでいるあたしらの横で、やたら“臭い”を連発する加護は、
ビュッフェのケーキをしこたま食べている。
このホテルのケーキはなかなかいけていた。やたらと甘ったるく、
毒々しい色のケーキをだすところが多いこの国で、これほど上品な味の
ケーキはなかなか味わえないだろう。
あたしらも、ビールのつまみにケーキをつまんでいた。

151 名前:13.パルミラ・市井紗耶香 投稿日:2001年10月11日(木)18時07分28秒

「紗耶香、後でちょっといいかな。」
赤い目をした圭ちゃんが尋ねる。
「あ・・・うん。」

避けては通れないだろう。
ハマでは中途半端になってしまった話を、ちゃんとしておかなければならない。
Jr.が出てきてしまった今となれば、圭ちゃんに納得してもらわなければ、
圭ちゃんのヘルプは望めないだろう。

あたしは、11時に約束をして部屋へ戻った。
152 名前:13.パルミラ・市井紗耶香 投稿日:2001年10月11日(木)18時08分21秒

何の話かしつこく聞く加護に、「大人の話だよ。」とごまかし、
部屋を出たのが11時を過ぎたころだった。
2階にあるテラスへ行くと、既に圭ちゃんは来ていた。

153 名前:13.パルミラ・市井紗耶香 投稿日:2001年10月11日(木)18時09分13秒

「おそい。」
そう言って圭ちゃんがフリースを手渡してくれた。
「ありがとう。」
あたしは礼を言ってフリースを着た。
砂漠では日が落ちると非常に寒くなる。今も多分12〜3度になってるだろう。
ロビーのお土産屋で買ったTシャツ一枚ではさすがに寒い。

「ニンジンなんだって?」
圭ちゃんが顎であたしの胸の辺りを指して言った。
「へへ、ブラでかくて・・・」
お互いに顔を見合わせた後、二人とも噴きだした。


「で、どうして後藤を撃ったん?」

あたしは目を瞑り、一度ゆっくり深呼吸をしてから、圭ちゃんを見た。
青白い月明かりが、あたし達を包み込み、長い影を落としていた。
154 名前:作者 投稿日:2001年10月11日(木)18時11分57秒
祝!!! 市井紗耶香復活!!!
ってことで更新です。

>>131 さん 自分もそう思ってしまいました。
でも、次からいちごまです。いちかごはしばらくお休みです。
155 名前:作者 投稿日:2001年10月11日(木)18時13分38秒
Ageてしまっていた・・・
まあいいか・・・
156 名前:名無し読者 投稿日:2001年10月13日(土)22時48分22秒
本当に面白いですね。次はいちごまですか。楽しみにしてます。
157 名前:名無し読者 投稿日:2001年10月18日(木)01時01分16秒
初めて読みました。面白いです。
頑張って下さい。
158 名前:市井紗耶香・横浜 投稿日:2001年10月19日(金)17時41分59秒

あたしは、UFAを抜けた。
理由は・・・
理由は、自分が納得する仕事だけをやりたいからだ。
仮にも人の命を奪うこの仕事、できれば、あたしが信じる
正義を守るための仕事をしたかったのだ。
必殺仕事人といった感じだ。

159 名前:市井紗耶香・横浜 投稿日:2001年10月19日(金)17時42分40秒

言うのは簡単だが、やるとなると難しい。
特に情報の収集にかけては、やはり、矢口や圭織にはかなわなかったし、
ヒットマンとしての実績はあるものの、名前は売れていなかった。
仕事が仕事のため、宣伝して廻るわけにもいかないし、イエローページ
に乗せるわけにもいかなかった。
それでも、裕ちゃんなんかの口添えで、わずかではあるが、仕事の依頼が
来るようになってきた。
もっと名を売りたい。そのためには、何か大きな仕事をしたい。
あせるあたしの気持ちが、一つの仕事に出会わせた。
160 名前:市井紗耶香・横浜 投稿日:2001年10月19日(金)17時43分22秒

それは、後藤の初仕事で関わった和田の暗殺であった。
依頼人は、若い女性だった。和田の秘書をしていた男の娘だ。
父親は、和田の汚名を被り、自殺という形で殺され、
母親は、父親の死後、金のために和田に身を売り、そのまま薬漬けになり
廃人にされた娘だった。

あやか

彼女はそう名乗った。
引き締まった顔と強い光を放つ瞳が印象的な美人だった。
161 名前:市井紗耶香・横浜 投稿日:2001年10月19日(金)17時43分58秒

あたしは指定された東神奈川の駅前に、車を止めて彼女を待っていた。
車は裕ちゃんに借りた赤いローバーミニだ。
裕ちゃんが、ちゃんと手入れをしていないため、エンジンの音がおかしい。
圭ちゃんか矢口が知ったら、ブリブリ怒るだろう。
車内もごみだらけになっていた。灰皿からはタバコがはみ出し、
後の席には、雑誌やらお菓子の袋やらが散乱していた。
こちらは、なっちが激怒するだろう。10本の指と両目を大きく開いて
裕ちゃんに怒っている姿が目に浮かぶ。
162 名前:市井紗耶香・横浜 投稿日:2001年10月19日(金)17時44分40秒

駅前は、国道から外れているものの通行量は多い。この場所には、そう
長くは停車していられないだろう。先ほどから、タクシーの運ちゃんが
こちらをやたら見ている。

約束の時間まで後2分。
あたしが、時計を覗き込んでいると助手席の窓をコンコンと叩く音がした。
助手席に乗り出し窓を開けると、前に垂れる髪を左手で抑える女性の顔が現われた。

「あなた、市井さんの・・・」

いぶかしげな顔で、あたしを覗き込んだ。

「あっ、はい。どうぞお乗りください。」

あたしは助手席を開け、彼女を向かい入れた。
黒い皮のスカートに胸元が大きく開いた白いシャツ、
その開けられた胸元にシルバーの十字架が光っていた。
育ちのいいお嬢様という印象だ。
163 名前:市井紗耶香・横浜 投稿日:2001年10月19日(金)17時45分22秒

「はじめまして、市井です。」

あたしが挨拶をすると、険しい顔つきで、あたしをじろじろと見た。
「あなたが?
・・・あの、おいくつなんですか?」
当然の質問が来た。
「16です。」
そういうと、彼女はドアを開けて車を降りようとした。
「あっ、ちょっと待ってください。」
あたしは彼女の手首を捕まえた。
「話だけでも・・・」
そう言うと彼女は助手席に座りなおし、シートベルトを締めた。
164 名前:市井紗耶香・横浜 投稿日:2001年10月19日(金)17時46分23秒

あたしは車を出し、近くのファミレスへと向かった。
「あなた免許は?16でしょ。」
車が国道へと出たころで、彼女が、突然思い出したように尋ねた。
「大丈夫ですよ。正規の免許は持ってないですけど、
運転は小学生のころからしていますから。」
彼女を安心させるつもりだったのだが、彼女はあたしを凝視した後
右手がサイドブレーキを握っていた。

165 名前:市井紗耶香・横浜 投稿日:2001年10月19日(金)17時47分35秒

「あの〜。あなた本当に市井さんですか?」
「心配ですか?こんなガキでは。」
営業スマイルで彼女を見ると、彼女の顔が引きつっていた。
「そこが狙いなんですよ。だれも、こんなガキがヒットマンだとは考えませんから。」

あたしは、彼女を取り込みたかった。
ヒットマンとしては、やはり、顔を見せることは最小限にするべきなのだが、
今回は違った。彼女の父親は死んでしまったとはいえ、政界では結構顔の利く
秘書だったのだ。そして、彼女もまた秘書になるべく勉強をしているのだ。
166 名前:市井紗耶香・横浜 投稿日:2001年10月19日(金)17時48分20秒

この仕事の7割は、やはり、政界に繋がったところからの仕事だ。
政治の世界には、正義もあれば悪もある。正義だけで推し進めようと
すれば、時間もお金もかかる。それだけではなく、それによって犠牲になる
無実の人の数も増加するだけなのだ。

必要悪。

これをいかにコントロールできるかが、政治家とその秘書等の腕の見せ所なのだ。
さじ加減を間違えれば、それは、ただの悪になる。
正義と信じていたものが、状況によって悪になる。
信頼が裏切を呼び、政治改革のために、裏金が飛び交う。
そして、その矛盾の皺寄せを背負うのが秘書という仕事なのだ。
そして、そこにあたし達の仕事が発生するのだ。
167 名前:市井紗耶香・横浜 投稿日:2001年10月19日(金)17時49分02秒

あたしは、彼女を手がかりに、あたしのうわさが秘書の奥底で広がる様にしたいのだ。
そのために、彼女とは依頼者とヒットマンという関係以上の関係を作りあげて
おきたかった。友情とはいかないまでも、確固たる信頼関係を結びたかった。
そのために、彼女と面と向かって依頼を受けに来たのだった。
168 名前:市井紗耶香・横浜 投稿日:2001年10月19日(金)17時50分25秒

昼食の時間を当に過ぎたファミレスは、主婦を中心とした客層で、賑わいでいた。
あたしらは席につくと、まず、ケーキセットを頼むa擢
169 名前:市井紗耶香・横浜 投稿日:2001年10月19日(金)17時51分50秒

昼食の時間を当に過ぎたファミレスは、主婦を中心とした客層で、賑わいでいた。
あたしらは席につくと、まず、ケーキセットを頼むんだ。

「あやかさん、ケーキは好きですか?」
あたしは、とりあえず当り障りの無い話題から入った。
「ええ。」
「横浜の美しが丘にある“ベルグの四月”っていうケーキ屋さん知ってますか?
 あそこのイチゴのミルフィーユ、あたし好きなんですよ。
 食べたことありますか?」
後藤の情報だ。
「えっ?あそこ知ってるの?あそこ、実家の近くで、あたし、
 高校の時よく行ってたのよ。」
知ってるもなにも、そこまで調べてあるのだ。
もっとも、ミルフィーユは後藤に、ほとんど食われてしまったのだが・・。

「「お〜いしいよね。」」
あやかとハモった。彼女は初めて、屈託の無い笑顔を見せてくれた。
それから、ケーキを食べ終わるまでの時間は、ずっとケーキの話で盛り上がった。
それは、普通の女の子たちがする会話だった。
彼女は明るく、何処にでもいるお嬢様だった。
かわいくって、大事に育てられた一人娘そのものだった。
その彼女が、いま犯罪に手を染めようとしていた。
170 名前:市井紗耶香・横浜 投稿日:2001年10月19日(金)17時52分39秒

「今日は、あやかさんの気持ちについて色々と知りたいの。
 どうして、この仕事を依頼しようと思ったのかとか。
 和田をどうしてほしいのかとか。」
あやかはコーヒーカップを両手で包み込みながら、じっとコーヒーを見つめていた。

「殺してほしいの。」

くちびるがわずかに開き、悪魔の言葉がこぼれてきた。

171 名前:市井紗耶香・横浜 投稿日:2001年10月19日(金)17時53分33秒

周りのお客は、お互いの話に夢中で、その悪魔の言葉は聞こえていなかった。
旦那の悪口、子供への不満、自分の浮気の話、昨日のドラマの話、
どれも、取るに取らない、くだらない普通の会話だ。
そのなんの変哲も無く繰り返されている平穏な毎日が、あたしらを囲んでいた。

「なぜ?」
「ひどすぎる。」
「・・・どうして?」
「あいつのために、何人の人生が犠牲になったと思う?」
あやかは相変わらず呟くような小さな声で話していたが、
その口調には、押さえ込まれている感情の高ぶりが含まれていた。
あえて、両親のためと言わないのが、彼女なのだろう。
172 名前:市井紗耶香・横浜 投稿日:2001年10月19日(金)17時54分38秒

「少なくとも、7人の人が命を絶ったり、病院送りになったりしているのよ。
 ―― 7人よ。」
「必要悪だとは?政治には犠牲がつきものじゃないですか。」
「知ってるわ。でもあいつは違う。あいつは、政治のためじゃなく、
 自分のためにやってるのよ。」

あやかは目を硬く閉じ、気持ちを抑えていた。
両肩に力が入っていた。
173 名前:市井紗耶香・横浜 投稿日:2001年10月19日(金)17時55分23秒

「依頼を完了したら、あやかさん、あなたはその後どうするの?」

2〜3分の沈黙が流れる。
周りのおしゃべりとお笑い声が、また一層大きなり、
あたしの耳に響いてくる。

「彼の基盤を継ぐわ。すぐには無理だけど、彼の基盤を継ぐ者をへし折っても
 その地位を継ぐわ。そして、その腐った基盤を、自ら破壊してやる。」
「どんな犠牲を払っても?」
「・・・必要悪よ。」
「あなた自身が腐った悪に染まらない?」
「そのときは、あたしを・・・殺して。」

穏やかで不思議な笑顔だった。
強い信念と絶望を併せ持った表情とは、こんな感じなのかもしれない。
瞳孔が絞りきった瞳からは力が感じられた。
174 名前:市井紗耶香・横浜 投稿日:2001年10月19日(金)17時56分30秒

あたしという悪魔との契約をしてまでも、自分の信じている正義を守る
彼女の前に、ひれ伏してしまいそうだった。

胸が苦しかった。
そんな彼女を利用しようとしている自分が恥ずかしかった。
あたしの信じている正義が、自分のしていることへの言い訳に
過ぎないのではないかと感じられた。
そして、平静を装いながらも、おどおどする自分が恥ずかしかった。
顔が硬直しているのがわかる。
175 名前:市井紗耶香・横浜 投稿日:2001年10月19日(金)17時57分10秒

「わかりました。あたしが、お力沿いいたします。」
あたしは、無理やり彼女の目を見ながら笑った。
「もう、戻れませんよ。」
あたしは、ありきたりの用意していた台詞を言いながら、
一片の紙切れを渡した。

“1000万円”

紙にはそう書かれていた。大物政治家を狙う金額としては一桁
違っているが、今後のことを考えての値段だ。
「現金でお願いします。」
彼女は、一瞬躊躇してからその紙を受け取った。
176 名前:市井紗耶香・横浜 投稿日:2001年10月19日(金)17時58分26秒

「期限は一ヶ月で。 ――できますか?」
「もちろん。」
「あたし、和田の私設秘書として彼に近づくつもりです。
 そこで得られる情報は、メールで送りますから。」
「わかりました。」
「なるべく早くね。エロ親父の相手なんか、あまりしたくないから。」
彼女はレシートを取り、立ち上がった。

「ミルフィーユ・・・
 ミルフィーユ、もう食べれなくなるかもしれないですね。」
あたしは、去っていく彼女になにか言わなくっちゃと思ったのだが、
出てきた台詞はくだらないものだった。

「もう、甘い時間は終わったわ。」

彼女は、そう言って去っていった。
177 名前:市井紗耶香・横浜 投稿日:2001年10月19日(金)17時59分50秒

あたしが支店のBAGDAD CAFEに行くと、
いつものように、店には圭織一人がいた。
圭織はグラスを拭きながら、じっとグラスの一点の見つめていた。

「久しぶり。」

また、交信中なのか。
そう思いながらあたしが再び声をかけると、グラスを拭く手を止めて
あたしをぼんやりと見た。
やはり、意識がここにない。
178 名前:市井紗耶香・横浜 投稿日:2001年10月19日(金)18時00分34秒

「どう?元気だった。」

三度、声をかけると、徐々に感情が顔に表れてきた。

「あれ?紗耶香じゃん。」
「紗耶香じゃんって・・・相変わらずだな〜圭織。」
「そんなことないよ。」
圭織が少しむくれながら、グラスを棚へとしまった。
179 名前:市井紗耶香・横浜 投稿日:2001年10月19日(金)18時01分52秒

「今日はどうしたの?」
圭織が作り置きの珈琲をあたしに入れながら聞いた。
「後藤にバイトの話を持ってきたんだよ。
 それで、ここで、待ち合わせなんだ。」
「ふ〜ん。実行班は今日仕事してるから、いつになるかわからないよ。」
「うん。知ってるよ。それまで、ここで待たせてもらうよ。」
圭織から、珈琲を受け取りながら答えた。
「ミルク切れてるんだけど、良い?・・クリープならあるよ。」
「いいよ、ブラックで。」
「珍しいじゃん。苦いの苦手なんじゃなかったっけ?」
圭織が、クリープのビンの蓋を持ち、振っている。

「甘い時間は終わったのよ。」

あたしは、あやかの台詞を真似てみた。
「ぷっ。なにそれ〜、変なの。」
圭織が笑い転げている。
180 名前:市井紗耶香・横浜 投稿日:2001年10月19日(金)18時02分37秒

8時を過ぎても、後藤は戻ってこなかった。
あたしは退屈をもてあまし、地下室にある射撃練習場へと赴いた。
重い防音扉を開けて中に入ると、物音ひとつ聞こえない
真っ暗な闇の世界が広がっていた。

この雰囲気が、あたしは好きになれない。
恐怖さえ感じてしまう。
人を殺すための訓練所に広がる闇には、殺されてしまった人の魂と、
それを貪り食う魔物が潜んでいる気がした。
181 名前:市井紗耶香・横浜 投稿日:2001年10月19日(金)18時03分15秒

あたしは、すぐに電気のスイッチを入れる。
部屋の奥から順番に電気がついていく。
部屋の奥行きは20メートル、その突き当たりに人型のターゲットが
ぶら下がっている。
コンクリート剥き出しの部屋は冷たく、全ての生を拒否しているようだ。
182 名前:市井紗耶香・横浜 投稿日:2001年10月19日(金)18時03分54秒

あたしは部屋の奥にある銃保管庫へ行き、あたしの銃と弾丸を取り出した。
弾奏に弾を込め、イヤーホーンをつける。

ぱん、ぱん

小気味良い、発射音が響く。

頭の中を無にして、単純な作業に集中することで、
頭をリフレッシュさせることができる。
183 名前:市井紗耶香・横浜 投稿日:2001年10月19日(金)18時04分46秒

全弾撃ち尽くすと、ターゲットを引き寄せた。
弾痕は、中心にほぼ集まっているが、全体的に右側にずれている。
あたしの癖だ。
この癖があるほうが、調子がいいのだ。
オリンピックで点数を競うわけではないし、
映画のように、相手の銃だけを正確に弾き飛ばす必要も無い。
体のどこかに当たれば、かなりの衝撃を与えることができる。
まして、ターゲットになる人物の大半は、撃たれた経験なんか無いだろうから。
体の一部が、銃によって傷をつけられたという事実だけで、
完全にターゲットの動きを止めることができる。
仕留めるのは、それからでも良い。
まあ、もっとも銃を使用する場面なんか、年に数回しかない。
それでも、毎日のように射撃の練習を重ねる。
それは、仕事を遂行するためであり、自分が生き抜くためでもある。
184 名前:市井紗耶香・横浜 投稿日:2001年10月19日(金)18時05分33秒

あたしは、休憩を取りながら100発ほど撃ちこんだ。
後になるほど、命中率は下がってくる。

「筋力不足だな。もう歳か?」
あたしは、自分の肉体にきつい言葉を投げかける。
2時間ほどの射撃訓練で、汗をびっしょりかき、腕がしびれるようでは
あたしも、まだまだだ。
今はもう隠居の身である裕ちゃんや明日香やあやっぺには、到底かなわない。
185 名前:市井紗耶香・横浜 投稿日:2001年10月19日(金)18時07分17秒

あたしは汗を流すために、シャワールームへと向かった。
部屋の片隅に、簡易的なシャワールームが作られたのはこの1〜2年のことだ。
シャワールームの扉を開けると、カビ臭いが鼻をつく。
床にはごみが散乱して、埃もたまっている。
壁には、“使用後には必ず掃除をすること!!”と張り紙がある。
なっちの字だ。
このシャワールームを作るのを、経理のなっちは最後まで反対していた。
その、理由が目の前に広がっている。

186 名前:市井紗耶香・横浜 投稿日:2001年10月19日(金)18時08分12秒

あたしは服を脱ぎ、熱いシャワーを浴びる。
熱いお湯が、疲れた筋肉の疲労を洗い流していくようだ。

ガバッー

あたしが目を瞑ってシャワーに身をゆだねていると、
突然ドアが開かれた。
あたしは、咄嗟にシャワーのお湯を相手に掛けながら、身を低くして
相手の腹部に向けて、けりを放つ。

はずれた?

空を切った足をつかまれてバランスを崩す。
187 名前:市井紗耶香・横浜 投稿日:2001年10月19日(金)18時09分05秒

「市井ちゃん、ひっど〜。」

後藤だった。
片足を後藤につかまれたまま立ち上がると、思い出したように後藤は
足を離してくれた。

「市井ちゃん、ひどい。服ぬれちゃったじゃんかよ。」
そういって、後藤は裸のあたしに抱きついた。
「後藤が驚かすからだろ〜。それに、服ぬれるのいやだったら
 抱きつくな〜。」
「いや。」
後藤は即答し、よけいに、べっとりと抱きついてきた。
後藤のキスを受け止めながら、後藤の格闘能力の高さに改めて驚いていた。
一昔前なら、さっきの蹴りを避けることはできなかっただろう。
後藤の成長の早さに、あたしは舌を巻いた。
188 名前:市井紗耶香・横浜 投稿日:2001年10月19日(金)18時10分21秒

ますます磨きの掛かる技術と引き換えに、後藤の性格はどんどん普通の女の子に
変わっていく。初めのころのクールで尖がった後藤は、あたしとの日々を積み
重ねるうちにすっかりなりを潜めてしまったのだ。

「後藤、ちょっと離れて。服着させてよ。」
「ぃや〜。離れない。」
「何言ってんだよ。後藤も服ぬれるだろ。」
「だって、市井ちゃん一ヶ月も会ってないんだぞ。」

そうか、そんなにあってないのか。
後藤が、メールを一日に何通も送ってくるので、
いつも会っているような気がしていた。
189 名前:市井紗耶香・横浜 投稿日:2001年10月19日(金)18時11分11秒

あたしは後藤をなんとか引き離し、服を着た。

「ほら、後藤も髪の毛拭きな。」

後藤にタオルを渡すと、後藤はタオルで髪と腕を拭いた後にタオルを床に放った。
「おまえか〜。」
壁の注意書きを拳で叩いて注意すると、でへ!っと笑った。
190 名前:市井紗耶香・横浜 投稿日:2001年10月19日(金)18時11分57秒

1階に上がると、圭ちゃんと吉澤が、圭織の作ったビーフシチューを食べていた。
「よっ!ひさぶり。」
あたしが挨拶をすると、圭ちゃんが口一杯にパンを入れたまま、左手を上げた。
吉澤は椅子から立ち上がり、挨拶をした。
「吉澤〜。固いな。」
「いや、自分はまだ下っ端っすから。」
体育会系の乗りの吉澤は、初仕事を終えて間もない新人だ。
ちょうど、意気込みだけが先走ってる時期なのだろう、
体に力が入りまくっている。
191 名前:市井紗耶香・横浜 投稿日:2001年10月19日(金)18時12分37秒

カウンターに座る圭ちゃんの隣に後藤と座り、圭織の作ったシチューを頬張る。
「ふむ。おいしいよ。」
後藤が、珍しく誉めている。
「ほんと?」
圭織の顔が見る間に、でれでれに崩れていく。
「圭織、頑張ったんだよ。本当?圭織うれしいよ。
 あのね、あのね、このジャガイモ北海道の新じゃがなんだよ。」
圭織がうれしそうに説明をはじめた。
192 名前:市井紗耶香・横浜 投稿日:2001年10月19日(金)18時13分22秒

「ねえ圭ちゃん、今日どうだったの?」
あたしは、圭ちゃんの方を振り向き尋ねた。
「今日は、下見だからね。」
「そっか。じゃあ実行日は?」
「明日か、明後日かな。」
「そっか、じゃあ今週末、後藤借りられるよね。」
「市井ちゃんのためなら、いつでも手伝うよ。」
圭織との話に夢中になっていた後藤が、あたしの腕に抱きついて言った。
「そうもいかんだろ。」
「なんで〜?市井ちゃん後藤のこと嫌い?」
「いや。そうじゃ・・」
「じゃあいいじゃん。」
「そうじゃなくて。」
「圭ちゃん。良いでしょ?」
あたし圭ちゃんも、後藤の迫力に負けていた。
「明日の仕事が、それまでに終わればね。」
「簡単だよ。ぱっぱっぱっとやっちゃうよ。」
後藤は、まかせなさいと親指を立てた。
「雑な仕事するなよ。」
あたしが言うと、後藤はわかってると言い、また抱きついた。
吉澤が、黙って後藤を見つめていた。
193 名前:市井紗耶香・横浜 投稿日:2001年10月19日(金)18時14分09秒

あたしは、後藤を部屋に呼んだ。
仕事の話をするためだ。
後藤に言わせると「半年振りぐらいかな?」だそうだ。
あたしの部屋は、神奈川の駅から近い小さな川のほとりの一軒家だ。
昭和40年代に建てられたその家は、長年の排気ガスで黒ずんでおり、
見た目以上に古く感じられる。

庭も門もなく、玄関が道に面している。玄関を開けると、右側に6畳の和室と台所。
廊下の奥にはお風呂とトイレがある。手垢で黒光りする階段を昇り二階に上がると
やはり、6畳の和室が一つあるだけだ。
194 名前:市井紗耶香・横浜 投稿日:2001年10月19日(金)18時14分48秒

あたしと後藤は二階の部屋へと上がった。
窓を開けると、目の前に川と向こう岸の倉庫郡がみえた。
あたしは、窓辺に腰を掛けて部屋を見る。
後藤が、床にコンビニで買ったお菓子を広げていた。

「市井ちゃんは、ビール?」
「おう。」

後藤が、ビールを投げてよこした。
プルトップを開けると、泡が溢れ出してきた。
慌てて口をつける。その勢いで、ゴクゴクと一気に飲み干す。
「あっ。市井ちゃんヒドイ。乾杯してないのに。」
「ごめんごめん。」
と言い、後藤に近づき乾杯をする。
195 名前:市井紗耶香・横浜 投稿日:2001年10月19日(金)18時15分35秒

あたしは、ビールを飲みながら、仕事の内容を説明した。
後藤は、ウーロン茶とポッキ―を交互に口に運びながら、話を聞いている。
もちろん、あやかの名前や彼女の目的は伏せたままだ。
彼女には、情報収集のためのアシストをしてもらう予定だ。
和田の人間関係の調査と和田の事務所に忍び込むときの見張りをお願いした。

「それで市井ちゃん、いくらくれるん?」
「500かな。」
「え〜。後藤、最近仕事少なくて、お金ないのだな。」
「なに言ってんの。稼いだお金どうしたのよ?」
「ん〜?貯金してるよ。」
「じゃあ、それ使えば?」
「なんだよ。市井ちゃんの意地悪。」

後藤が、ポッキ―を投げつけてきた。

「あーわかった、わかった。1000万でいいか?」
「しょうがないなー。」

満足したのか、後藤はうれしそうに乾杯の仕草をする。
196 名前:市井紗耶香・横浜 投稿日:2001年10月19日(金)18時18分48秒

♪一人ぼっちで少し・・・♪

3本目のビールが開くころ、後藤が急に歌い始めた。

「なんだよ後藤、ウーロン茶で酔ったか?」
「ちがうわい!」
「はははっ・・・で誰の歌?」
「市井ちゃん知らないの?おばちゃん入ってきたんじゃない?」
「何言うか。このうら若き乙女に向かって。」
「そんなこと言うこと自体、歳だよ。」
「うっさいなー
 んで、誰の曲?」
「モーニング娘。って知らない?」
「えっ?しって・・るよ。」
――名前だけね。
「あやしいなあ。」
「でなんていう曲なの?」
「“I wish”っていうんだ。市井ちゃん気に入った?」
そう言うと、後藤はまた歌い始めた。
197 名前:市井紗耶香・横浜 投稿日:2001年10月19日(金)18時19分39秒

♪一人ぼっちで少し 退屈な夜 私だけが淋しいの Ah Uh・・・♪

「えらいベタな曲だな。」
「なーんだよ。市井ちゃん気に入らなかったのかよ〜。」
「後藤の歌声じゃあな。」
「市井ちゃん、酷い。」
後藤のトーンが下がった。冗談が過ぎたようだ。
「後藤、冗談だよ。」
「ホント?」
「ホントホント。後藤歌うまいよ。」
「ホントにホント?」
「ホントにホント。」
子供のやり取りだと思った。それでも、なぜか後藤だと許せた。
「やった!じゃあ後藤は歌手になります。」
「あ〜、はいはい。」
あたしは、後藤の足元に転がるビールを拾って、プルトップを開けた。
「じゃあ、後藤の輝かしい歌手生活に乾杯。」
そう言って、乾杯した。
198 名前:作者 投稿日:2001年10月19日(金)18時22分29秒
書いたところまで、更新しちゃいます。

>>156 >>157 さん、どうもありがとうございます。
更新ができる今月中に、なんとか一杯更新したいと思っておりますので、
よろしくお願いします。
199 名前:名無しさん 投稿日:2001年10月19日(金)20時39分07秒
なんかもう、本気で面白くて、
わくわくしっぱなしです。
200 名前:名無し読者 投稿日:2001年10月23日(火)00時21分21秒
後藤の変わり様がすごいな(w
続き期待!
201 名前:市井紗耶香・横浜 投稿日:2001年10月24日(水)22時40分24秒

翌日、目を覚めたときには、既に陽は高くなっていた。
後藤はとっくに仕事へと出かけていた。

「ちゃんと、蒲団ぐらい畳めよな。」

あたしは、ぐしゃぐしゃのままの後藤の蒲団を畳んだ。
「さて、はじめますか。」
あたしは、自分に気合を入れてから、部屋の片隅に置かれたPCの電源を入れた。
立ち上がったのを確認してから、支店のコンピューターにつなぐ。
そこには、情報班が仕入れた莫大な情報が、支店のコンピューターに入力されている。

普通の人と違い、和田についての資料は豊富だ。
一般のデータ―バンクでも、ある程度情報は入手できるが、
そこで入手できる公的な部分の情報は、さほど役に立たない。
ほしいのは、――― プライベートな部分。例えば、健康状態とか癖、
愛人の部屋のような、安心してくつろぐ場所についての情報が重要なのだ。

202 名前:市井紗耶香・横浜 投稿日:2001年10月24日(水)22時41分34秒

あたしは、支店のデータ―ベースから容易に和田の情報を手に入れることができた。
健康診断の結果から、使用している歯磨き粉の種類まで記載されている。
血圧が125~190mmHg、血糖値も高いし、コレステロールも高い。
娘が二人、どちらも既に結婚している。
愛人が一人、隠し子が一人。元愛人の子が養護施設にいる。
アルコールはあまり強くないが、白ワインの収集をしている。
愛人の家に、収集したワインのための地下室があるほどだ。

一通りデータ―に目を通すと、あたしは和田の事務所の図面と愛人の住所、
それと、和田の主治医の名と常備薬の種類をプリントアウトした。
由民党の次期党首である和田を、派手に射殺するわけにはいかない。
そんなことしたら、警察に差し出す犯人を用意する必要がある。
警察の上層部は、あたしらの存在を知っているものもいる。
そんな連中の中には、あたしらの存在を消そうとするものもいるのだ。
そいつらに、ネタを提供するわけにはいかない。

病死か?事故死か?
それとも、社会的に完璧に葬るか?

まあ、調査をして、そのどれかに決めよう。
203 名前:市井紗耶香・横浜 投稿日:2001年10月24日(水)22時42分33秒

あたしは、プリントした用紙を掴むと、それを鞄に押し込み階段を下りた。
玄関脇のげた箱の上に、黒いヘルメットがある。
メットの後ろ側に、“いちごま”と白い文字が書いてある。
後藤が書いたものだ。
下手な字だ。
一字一字の大きさがマチマチで、ばらばらの方角を向いている。
このなんとも格好が悪いメットが、あたしのお気に入りだ。
204 名前:市井紗耶香・横浜 投稿日:2001年10月24日(水)22時43分06秒

あたしは、そいつとグローブを手にとり、表のバイクに跨った。
古い薄汚れた街並みに、バイクの赤が映える。

どぉるぅ〜ん

ドゥカティ 851 ストラーダ。
ドカ特有の野太いエンジン音が、内臓を直撃する。
静かな町並みに、不似合いなほど大きな音を撒き散らしながら
騒音が似合う街へと駆り出していく。
205 名前:市井紗耶香・横浜 投稿日:2001年10月24日(水)22時44分23秒

あたしは、国道を山手へと走らせた。
山手の外れの坂の途中に、愛人の家があった。
外人墓地近辺ほど高級ではないが、それでも、数億はする家が
建ち並んでいる高級住宅地だ。彼女の家も小さくはあるが、洗礼された
上品な家だ。その茶色い瓦の二階建ての家は、和田の秘書の名義になっていた。

あたしは、その家の前をゆっくりと通り過ぎて、坂を登りきる。
そこで、Uターンし、エンジンを切り静かに坂を下りる。
再び彼女の家の前できた。

“稲葉”
表札を確認すると坂の下まで行き、エンジンをかける。
なんともまずい位置にある。
張り込みを行うにも、長時間隠れていられる場所が無い。
「侵入するしかないか。」
206 名前:市井紗耶香・横浜 投稿日:2001年10月24日(水)22時45分24秒

「で、何の情報がほしいの?」
「えっ?もう繋がったの?」
矢口がPCの前に座って、30秒も立たないで侵入は終了していた。
「えと、帳簿かな。できれば、裏のやつを。」
「裏は無いよ。表なら・・・・こいつかな?」
矢口は探しだしたファイルを開く。
「いえ〜い。あったり〜。」
ファイルをダウンロードしてもらう。
「裏は手書きか?」
「たぶんね。侵入するの?」
「後藤とね?」
「大丈夫?後藤、紗耶香と組むのは危ないんじゃない?」
「わかってる。だからもう一度教育する必要があるのよ。教育係としては。」

後藤は、あたしと組むと的確な判断ができないことが稀に有る。
――― 理由は、あたしだ。
優先順位の一番があたしなのだ。もちろん、あたしだって後藤が一番だ。
しかし、それは時と場合による。臨機応変に優先順は入れ替わり、
上手く立ち回らなければ、この世界では生きていけない。
それが、正解なのだ。少なくともあたしはそう信じている。
でも、後藤は違った。どんなときでも、あたしのことがNo.1なのだ。
自分のことより、あたしがいつも優先する。
それは、プロとしては失格なのだ。
207 名前:市井紗耶香・横浜 投稿日:2001年10月24日(水)22時46分28秒

「紗耶香、気をつけなよ。」
「わかってるって。」
「そうじゃなくって。」
「そうじゃなくって?」
「紗耶香自身だよ。わかってる? 紗耶香のミスが後藤を死なすこと
 になる可能性があるってことなんだよ。」
「・・・でも。」
「“でも”じゃなくって、わかってるのかって、聞いてるんだよ。」
矢口の迫力に負けてしまう。
「・・・うん。」
「紗耶香って、後藤と解りあってるって、後藤のことはあたしが一番の
 理解者だと思ってるでしょ?」
「・・・・」
「あんたたちは、あまりにも近づきすぎてるんだよ。近づきすぎて
 見えなくなるあんたたちを、あたしらは一杯見てきているんだよ。
 何かあったら、二人とも・・・。」
「わかってる・・・・。ありがとう。」
208 名前:市井紗耶香・横浜 投稿日:2001年10月24日(水)22時47分32秒

後藤のことは自分のことのようにわかる。
なぜなら、自分と同じだから・・・。

そう思い込んでいるだけなのかもしれない。
自分と似ていると思い込んでいるから、自分とのわずかな差を見逃して
いるのかもしれない。

「気をつけるよ。」

そう言うと、矢口は「もう本当にわかってんだか、なんだか。」とブツブツ
言いながら、部屋を出て行った。
209 名前:市井紗耶香・横浜 投稿日:2001年10月24日(水)22時48分55秒

日が昇り始めたのだろう。周りが急速に明るくなってきた。
あたしは、和田の愛人、稲葉の家の庭に身を隠していた。
塀を背にして、木の陰に隠れる。

「後藤、居るか?」
「――― うん。」

ヘッドホーンから後藤の声が流れてきた。
あたしに遅れること1時間、後藤は時間通りに、坂の下に逃走用の車を用意してきた。

「もうすぐ、侵入するよ。」
「市井ちゃん、後藤も行こうか?」
車の中で待機だけでは、体躯なんだろう。
「だ〜め。」
「けち。」
210 名前:市井紗耶香・横浜 投稿日:2001年10月24日(水)22時49分43秒

6:30
もうそろそろのはずだ。
玄関を見ると、稲葉が出てきた。右手にごみの袋を持っている。
稲葉は、そのまま鍵をしないでごみを出しに行った。
あたしは、周りを伺い、玄関の中へすり抜けた。
211 名前:市井紗耶香・横浜 投稿日:2001年10月24日(水)22時50分28秒

家の中は、香水の臭いで満ちていた。
甘いこの臭いは、和田の本妻が着けている香水の銘柄と一致する。
あたしは、靴の裏は拭き、そのまま部屋に上がった。
玄関脇の和室に入る。
ここは、来客用に使用しているのだろう。
大きな座卓と座椅子しか置いていない、シンプルな部屋だ。
「市井ちゃん。稲葉、いま門くぐったよ。」
押入れを開ける。来客用の蒲団が二組と座布団が入っている。
その他にも色々あるが、人が隠れるのには充分のスペースがそこにあった。
あたしは、稲葉が玄関を開ける音を耳にしながら、押入れの戸を閉めた。
212 名前:市井紗耶香・横浜 投稿日:2001年10月24日(水)22時51分13秒

稲葉の足音は、和室の前を通り過ぎ、奥のリビングへと消えていった。
この後、稲葉は朝食を食べ、化粧をし、出かけるはずだ。
和田に資金を出してもらっているブティックへ行くのだ。

「市井ちゃん。まずいよ。」
「なに?」
小声で返答する。
「家の前に車が止まった。男が一人、そっちに向かってるよ。」
「和田?」
「ううん。若い男だよ。」
「じゃあ、大丈夫。」
はずだ。
213 名前:市井紗耶香・横浜 投稿日:2001年10月24日(水)22時51分52秒

ピンポン

チャイムが鳴った。

「は〜い。」

稲葉は返事をし、バタバタと玄関に走っていく音がした。
ドアが開き若い男の声がする。稲葉の甘い声もする。
「いま、キスしてるんだよ。」
後藤が絶妙のタイミングで話し掛けてきた。
稲葉が、再びリビングにバックを取りに戻る。
214 名前:市井紗耶香・横浜 投稿日:2001年10月24日(水)22時52分31秒

「出かけたよ。」
「OK。」
後藤の連絡を合図に、あたしは押入れを出た。
「市井ちゃん。そっち行っていい?」
後藤が甘えてきた。
「だめ。あたしが心配なら、そこでちゃんと見張ってってよ。」
「うん〜。」
後藤がすねている。稲葉が直ぐに戻ってくる可能性は殆ど無いから
後藤を呼んでも良いのだが、後藤の教育ことを考えると、
やはり、仕事の優先順位を守りたい。
いまの状況下で後藤がやらなければならないことは、外での見張りなのだ。
215 名前:市井紗耶香・横浜 投稿日:2001年10月24日(水)22時53分33秒

あたしは、階段を上がり2階の寝室へと向かった。
予め、部屋の見取り図は頭に叩き込んであるので、迷わず寝室に着くことができた。

寝室にはピンクのベッドカバーの掛かったダブルベッドと、
馬鹿でかいドレッサーが置いてある。
ドレッサーには、そこから零れ落ちそうなほどの化粧品が並んでいる。
引き出しを開けると、そこにも化粧品が並んでいた。

「市井ちゃん、クローゼットの中は。」
「いまから。」
「鞄の中探してみて。」

後藤に言われるまでも無く、クローゼットへと向かった。
そこには、一着でサラリーマンの数か月分のサラリーが、ぶっ飛ぶぐらい高い
毛皮のコートや、高級ブランドの鞄が詰め込まれていた。
216 名前:市井紗耶香・横浜 投稿日:2001年10月24日(水)22時54分27秒

「悪趣味。」
「仕方ないよ。あーいった連中は、ただ金を持っているというだけで
 所詮は庶民なんだよ。むなくそ悪くなる下品な連中だよ。」

後藤が、そういうのもわかる。あたしらが相手にしている連中は
この手のものが多い。金を持ったことで、くだらないちんけなプライドが
芽生え、それが、他の人を傷つけていく。

「そういう、後藤は上品なのかよ?」
「上品じゃないけど・・・あいつらみたいじゃないよ。」
「はいはい。」

あたしは、後藤との会話を楽しみながら、鞄の中身を確認していく。
殆どの鞄には何も入っていないのだが、たまに中身が入ったままのものもある。
その多くにお金が入れっぱなしの財布が入っていた。
217 名前:市井紗耶香・横浜 投稿日:2001年10月24日(水)22時55分04秒

「鞄の中が、後藤と一緒でグチャグチャだな。」
「なんだよ〜。」
「後藤と一緒で単純だってこと。
 隠す場所も単純だってこと。
 後藤だったら、何処に隠す。人から預かった内緒の書類。」
「ん〜。お米の中とか、冷蔵庫とか。」
「べただな〜。」
「どうせ後藤は単純だよ。」
「怒んない怒んない。
 で、他には?」
「んと、使ってない鞄とか服の中とか?」
「そんなところかな。」
218 名前:市井紗耶香・横浜 投稿日:2001年10月24日(水)22時55分55秒

クローゼットに犇く鞄をあさっていると、場違いなほど安っぽい
鞄が見つかった。
「多分これだよ。」

黒くシンプルなそれは、リクルート活動中の学生が持っていそうな
何の変哲も無い鞄だった。
多分、それが本来の稲葉の姿なのだろう。他の鞄が稲葉自身を偽りの
人物に仕立て上げるための鎧なのに対して、この鞄は、その昔、
普通の女の子であった、稲葉自身を表していた。

中を開けると、やはりその中に帳簿とフロッピー等が入っていた。
銀行の通帳と貸し金庫の鍵もある。
まず帳簿を手に取り、中を確かめるが、表の帳簿とそれほど差が無かった。
とりあえず、記憶にある表帳簿との違いのある箇所を写真に収める。
銀行の通帳に記載してある入出金先も写真に収めた。
あとはフロッピーだが、さて、どうしよう。
あたしは、辺りを見回した。
どうも、この部屋にはノートパソコンもなさそうだ。
219 名前:市井紗耶香・横浜 投稿日:2001年10月24日(水)23時45分04秒

「まっいいか。」

あたしは、持っていた空のフロッピーとすり替えた。
鞄を元の場所に戻し、おかしなところが無いか確認する。
それから、自分の持ち物を再度確認をする。
持ってきたもの、持っていくものを全て確認してから、後藤へ連絡する。

「後藤、帰るよ。車用意しといて。」
「もういいの? 車玄関につけるまで待ってて。」

その後に、車のエンジンが掛かる音がした。
あたしは階段を降り、玄関のノブに手をかけた状態で待機した。

「市井ちゃん。いいよ。」

その合図で私は外に出ると、車の中に居る後藤が確認できた。
身体を低くしながら、素早く車の中へと滑り込む。
220 名前:市井紗耶香・横浜 投稿日:2001年10月24日(水)23時45分49秒

「どうだった?」
後藤は、車を走らせながらあたしに聞いた。
「うん、まあまあかな。」
「夜、和田の事務所に行くの?」
「その予定だよ。」
「じゃあ、それまで時間有るんだ。」
「でも、こいつの分析しないとね。」
そう言って、盗んできたフロッピーを後藤に見せた。
「そんなのやぐっつぁんに頼めばいいじゃん。」
「そのつもりだけど、あたしも一緒にやるの。」
「んん〜。市井ちゃんに見せたいものがあったんだけどな。」
「なんだよ。」
「内緒だよ。今度ね・・・。」

“今度”
後藤は、何を見せたかったのだろうか。
結局、あたしはそれを見る間もなく、日本を逃げ出すことになってしまった。
221 名前:作者 投稿日:2001年10月24日(水)23時51分10秒
更新です。
明日、千葉から熊本に引越しです。
プロバイダー探さなくては・・・

>>199 さん そう言っていただけると光栄です。
      来月から、更新スピードが落ちそうですが、
      気長にお付き合いください。
>>200 さん そうなんですよ。まあ、見逃してください。
      上手く、文でカバーできなかった部分です。反省・・・。
222 名前:15.横浜・市井紗耶香 投稿日:2001年10月28日(日)02時21分16秒

稲葉が死んだのは、あたしが彼女の家に入ってから3日後のことだった。
車ごと、海に飛び込んだのだ。
車止めの手前には、ブレーキ痕が無かった。
自殺と事故の両方で調査をされたが、結局、警察は事故で処理された。

事故?

冗談じゃない。
彼女が一人で、そんなところに行く理由が無い。
まして、ペーパードライバーの彼女は、もっぱら助手席の花になるために
努力をしていたのだ。
車は運転するものではない。
彼女は、そう思っていたに違いない。
223 名前:横浜・市井紗耶香 投稿日:2001年10月28日(日)02時22分35秒

殺されたんだ。

理由は、あたしが持ち出したフロッピーだろう。

3日だ。

あまりにも、早い。タイミングが悪かっただけなのだろうか?
いや、それでも、早すぎる。

しかしなぜだ?持ち出したフロッピーは確かに裏帳簿だったし、
金の流れも把握できた。
でも、即、稲葉を抹殺するほどのものだろうか?
あの帳簿に何が隠されているんだ。
224 名前:横浜・市井紗耶香 投稿日:2001年10月28日(日)02時23分11秒

あたしはPCを立ち上げて、ファイルを開いた。
Excelで作られた表に、日付、取引先の名前、入出金の額が並んでいる。
名前別でソートする。
大手銀行、海外の銀行、和田名義の会社、名のある政治家たち、
その政治家の秘書、もちろん、和田の秘書である中山の名前もあった。
身元がわからない名前もあるが、動いた金額が少ない。
数万程度のやり取りが、稲葉の命を奪ったとは考えられない。

ただ、わかっているのは、稲葉は和田に殺されたということ。
そして、裏帳簿を利用して、和田を社会的に葬るなんていう
呑気なことをしていると、あたしが、和田に消される。
225 名前:横浜・市井紗耶香 投稿日:2001年10月28日(日)02時23分54秒

あたしなら、何とかなる。運が悪くても死ぬだけだ。
大したことは無い。
ただ、後藤にその矛先が向けられることだけは耐えられない。

とっとと、殺すしかないようだ。
事故に見せかけるなんて、言ってられないのかもしれない。

あたしは、あやかの携帯にメールを送った。
和田のスケジュールを教えてもらうためだ。
226 名前:横浜・市井紗耶香 投稿日:2001年10月28日(日)02時24分47秒

2時間ほどすると、あやかから返事が来た。

スケジュールが箇条書きされている。
それをタイムスケジュールに書き直す。

分単位で、スケジュールが埋まっていく。
明日、明後日、明々後日、会議、打ち合わせ、講演会。
毎日、朝の8時から夜中の1時2時まで、隙間の無いスケジュールだ。

脂ぎったおっさんじゃなきゃ、やってけないわけだ。
妙なことに感心しながらも、あやかのメールを読み進める。
四日目の夜、スケジュールは夜の9時半にホテルチェックイン、就寝で終わっていた。
しかし、そのあとに、和田はあやかとその麻布のホテルで落ち合う手はずになっていると
あやかの追記があった。そこから、近くの割烹料理屋に行くらしい。

あやかも頑張ってるじゃん。

あやかには悪いけど、目の前で殺らせてもらいます。
あたしは、割烹料理屋近辺の地図をPCで検索する。
227 名前:横浜・市井紗耶香 投稿日:2001年10月28日(日)02時25分23秒

割烹料理屋の玄関先。
車が玄関直ぐ横に着けられるとすると、狙える角度は限られる。
地図を見ていくと、6箇所ほど候補地が挙げられた。
後は、現地で確認するしかない。

あたしは、日が暮れるのを待ってから、麻布へと出かけた。
現地は、あたしが思っていた以上に建物が高く建っており、
候補地から、狙える場所が無かった。
228 名前:横浜・市井紗耶香 投稿日:2001年10月28日(日)02時26分01秒

遠距離から、狙撃できないなら、近距離で殺るしかない。
一人では、難しい。
しかし、ここで後藤や他の連中に手伝ってもらうのはまずい。
失敗したら、即、そいつまで狙われる。

誰かを犠牲にするぐらいなら、一人でやって失敗する方がいい。
あたしは、今UFAの外部の人間だ。
あたし一人でやるなら、組織のものまで、害は及ばないだろう。
もっとも、組織が危なくなれば、つんくさんが容赦なく、
あたしを切り捨てるだろう。

この麻布で目立たない車を用意しなければいけない。
しかも、運転と狙撃を同時に行うには、左ハンドルが必要だ。
和田の車とすれ違いざまに、狙撃するのだ。
229 名前:横浜・市井紗耶香 投稿日:2001年10月28日(日)02時26分48秒

黒塗りのベンツがいいか。
平家さんが持っているやつだ。
あたしは麻布からの帰り際に、平家さんに連絡をとった。

「BAGDADにいるよ。」

平家さんは、酔って呂律が廻らなくなるほど、飲んでいるようだった。
後から、裕ちゃんの声も聞こえた。

BAGDADか・・・。
後藤も居そうだな。

後藤に会いたくなかった。
この仕事を片付けたら、そのまま、後藤に黙って海外に身を隠すつもりだった。
後藤も、あたしがこのままそばにいたら、成長は無いだろう。
いや、あたしが居なくなることで、
できれば、後藤にはこの仕事から足を洗ってほしかった。

黙って消えることで、後藤はあたしを恨むかもしれない。
でも、このまま彼女のそばにいると、後藤はいつまでも中途半端なままだ。
超一流のヒットマン、アサシンとして一生過すか、堅気に戻るかどちらかを
選択するのにいい機会だ。
230 名前:横浜・市井紗耶香 投稿日:2001年10月28日(日)02時27分42秒

できれば、会いたくない。
会えば、未練が残る。

そう思いながら、BAGDADの扉を開けると、
平家さんの横で、カクテルを舐めている後藤がいた。

「市井ちゃ〜ん、おかえりなさい。だははは〜。」

後藤も出来上がっている。


「平家さん。表にあるベンツの鍵、お願いします。」
あたしは、後藤を無視して平家さんに話し掛けた。
「市井ちゃんも飲め!」
後藤が、服の裾を引っ張る。
「おう、紗耶香も飲め。」
裕ちゃんが、ビール瓶を振り回している。
「まあ、車使うの明日なんやろ?今日は飲みなよ。」
平家さんまでが、酒をすすめる。
「しゃやか。裕ちゃんのお酒を飲め。元上司の命令だ。」
ふらつく裕ちゃんを、矢口が支えた。矢口が、裕子、飲みすぎだ。と注意する。
ごめんね。といいながら裕ちゃんが矢口にキスをする。
昔ながらの酒盛りだ。
231 名前:横浜・市井紗耶香 投稿日:2001年10月28日(日)02時28分24秒

「悪いけど、明日までにやら無いといけないことがあるから。」

手伝ってよ。
いつものように気軽に言えない。
後藤が、こちらを向いた。
手伝うよ。
後藤の顔が、そう言っている。
232 名前:横浜・市井紗耶香 投稿日:2001年10月28日(日)02時28分57秒

あたしは視線を外し、表に向かった。

「市井ちゃん。」

玄関を開けるあたしの後腕を、後藤が掴む。

「手伝うよ。」
「いらない。」

あたしは、勤めて冷淡な口調で返事をした。
233 名前:横浜・市井紗耶香 投稿日:2001年10月28日(日)02時29分28秒

「だって、お金もらってるし。」
「後藤、金返せ。」
「えっ?だって。」
「お前には失望した。」
後藤は、あたしの腕を取ったまま立ちすくんでいる。
「こないだお前名にやった?」
「あれは・・・。」

234 名前:横浜・市井紗耶香 投稿日:2001年10月28日(日)02時30分11秒

和田の事務所に押し入った夜。
稲葉宅のときのように待機をしていた後藤は、あたしの命令を聞かずに
あたしの元へとやってきた。
だははは。と笑う後藤を叱り、直ぐに見張りに就かせようとしたときには
既に遅く、和田の秘書が事務所に入ってきた。

容赦なく、撃ち殺そうとする後藤の横顔には、
あたしと初めて組んだころの、悪魔のような笑みが滲んでいた。

なんということだ。

結局、後藤が変わったのは、あたしら仲間との態度だけなのか。
内に秘める“人を殺したい。”という気持ちまで、あたしは変えることが
できなかったのか。
235 名前:横浜・市井紗耶香 投稿日:2001年10月28日(日)02時30分47秒

そう思い、気を落としたのは事実だった。
でも、それは、うすうすわかっていたし、あたしも、後藤への教育が
完全に終わっていたとは考えていなかった。

また、教育をし直しか。
それぐらいだったのだが・・・

236 名前:横浜・市井紗耶香 投稿日:2001年10月28日(日)02時31分41秒

「後藤、あんたは邪魔なんだよ。」

後藤の顔から表情が消えた。
もともと表情を表に出す方ではないのだが、
心を許したものの前ではよく笑うし、あたしの前では泣くこともあった
それでも、表に出さない気持ち。

怒り。

怒りというと大げさだが、すねたり、ムッとするようなとき、
その表情を押さえ込もうとして、無表情になる。

「だって・・・」

頑固なところも治ってないな。
自分の理論をなかなか曲げようとしない。
まあ、そこで、議論をしないで、すねてしまうところが、
まだ子供なんだろう。
237 名前:横浜・市井紗耶香 投稿日:2001年10月28日(日)02時32分15秒

あたしは、後藤の手を振り払い、後藤の肩を軽く押した。
閉まりゆく扉の向こうに、後藤がたたずむ。
その向こうから、あたしの名を呼ぶ矢口の非難めいた声が聞こえた。
戸惑う後藤の姿を、あたしの背中が感じ取っていた。
238 名前:16.横浜・市井紗耶香 投稿日:2001年10月28日(日)02時33分41秒

車を自分の家まで走らせたあたしは、部屋に戻り、偽造パスポートと
ありったけの現金をかき集めた。
といっても、たかが20万ちょいだ。

部屋を見渡す。
もう帰ってくることは無いかもしれない。
部屋に、後藤が置いていった漫画が散乱していた。
あたしは、それを拾い上げ、棚に並べた。
239 名前:横浜・市井紗耶香 投稿日:2001年10月28日(日)02時34分11秒

この家には一年と半分の月日を過した。
初めの、半年は殆ど後藤と一緒だった。

後藤と一緒に部屋を探し、後藤と一緒にカーテンを買いに行った。
一つ一つのものに、後藤との記憶がある家だ。
離れるには、惜しいほどの愛着がある。

あたしは、軽く家に向かって会釈をして家を出た。
240 名前:作者 投稿日:2001年10月28日(日)02時35分37秒
更新です。
熊本に引越し後、初更新。
241 名前:名無し読者 投稿日:2001年10月28日(日)13時16分02秒
お疲れさまです。
大変でしょうが頑張って下さい。
242 名前:17.麻布・市井紗耶香 投稿日:2001年10月29日(月)00時49分11秒

あたしは、料亭が見える角を一度通り過ぎ、辺りを一周した。
料亭の前には大きなちょうちんが吊り下げられている。
翁と書かれたそれは、古びてはいるが、上品な雰囲気を演出していた。

銃を確かめる。
消音器を取り付け、安全装置をはずした。
243 名前:17.麻布・市井紗耶香 投稿日:2001年10月29日(月)00時50分06秒

再度、料亭の見える角に来たとき、和田とあやかが乗るリムジンが
反対側の角をまわった。
少し遅れて、あたしの車が料亭へと角をまわった。

リムジンは料亭の前に止まり、まず、あやかが降りてきた。
ゆっくりと車を近づける。

和田が降りてきた。
あたしは、窓を開けて銃を構える。

和田は、あやかの背中に手を置き、お上らしき女性に話し掛けている。
あたしは、和田に狙いを定めて、引き金を引く。

パン。パン。パン。パン。

和田が倒れ、続いてあやかが倒れた。
244 名前:17.麻布・市井紗耶香 投稿日:2001年10月29日(月)00時50分47秒

あたしじゃない。

あたしは、アクセルを強く踏み、その場から逃げ出した。
運転手が慌てて、和田の下に走っていくのがバックミラー越しに見えた。

あたしは、一発も撃っていない。

だれが?
何処からだったんだろう?
銃声は近くで聞こえた。

あたしは、予定していた逃走経路を走りながら、混乱していた。

なぜ?
なぜ、あたしの犯行にあわせたように・・
この計画は、誰にも行っていない。

だれが?


245 名前:17.麻布・市井紗耶香 投稿日:2001年10月29日(月)00時51分28秒

夜中の東京を逃走すること20分、ネオンと喧騒が無くなり、
街灯の色が白から橙色に変わるころ、あたしはつけられている事に気づいた。
ついてくる車は、一台ではない。
何台の車が入れ替わりながら、後を追ってきている。
2つ先の交差点を曲がると、行き交う車がいなくなり、
尾行が不可能になるだろう。

あたしは、バックミラーを見る。
4台後に尾行する車が見えた。白のワゴンだ。
車種までは確認できない。
中には、少なくとも3人は乗っている。

警察か?

そんなはず無い。
警察ならパトカーがサイレン鳴らして捕まえようとするだろう。

Jr.か?

和田は、Jr.と昔から繋がりがあった。
まずいな。
数にものをいわせるJr.相手にするには、一人では圧倒的に不利だ。
246 名前:17.麻布・市井紗耶香 投稿日:2001年10月29日(月)00時52分07秒

あたしは、交差点を曲がると同時に、アクセルを全開にした。
車が加速する。
あと、200メートルでボートに辿り着く。

角をまわった追跡者たちの車も加速する。
2台…3台。
3台の車があたしを追いかけてきた。

あと10メートル。

あたしは思いっきりブレーキを踏み、ハンドルを切る。
車は横滑りしながら岸壁ぎりぎりで止まる。

シートベルトを外し、ドアを開けようとした瞬間。
やつらの車が、反対側のドアに衝突するのが見えた。

ドン!!

すさまじい音と共に、体が車の中で躍る。
そして・・・
そして、車は海の中に落下した。
247 名前:17.麻布・市井紗耶香 投稿日:2001年10月29日(月)00時52分52秒

左肩が痛い。
どこかに打ち付けたのだろう。
痺れてはいるが、動ける。
頭から血が流れ出しているんだろう
顔に暖かいものが流れる感覚がある。

床から、どんどん海水が入ってくる。
ドアは既に開かない。外からの海水の圧力で開かないんだ。
窓を開けようとするが、ショートしているのか全く動かない。

その間にも海水の量は増え、
車はエンジンのある前方から先に、海に沈んでいく。
248 名前:17.麻布・市井紗耶香 投稿日:2001年10月29日(月)00時53分29秒

ボスッボスッ。

天上に穴を開いた。
続いて、リアウィンドウ、後部座席の窓が割られる。
やつらが、車に向かって発砲をしてきた。
あたしは、海水の溜まっている足元にうずくまった。
浮きそうになる身体を、必死で海水の中に押し込めた。

祈るしかない。

海水は、どんどん増えてくるし、銃撃もやむことは無い。
連中は消音器もつけずに発砲を続けている。
派手な発射音が倉庫街にこだましている。

「くそっ!一体あいつら何なんだ。」
沈み行く車の中で、悪態をついた。
249 名前:17.麻布・市井紗耶香 投稿日:2001年10月29日(月)00時54分20秒

既に車はの80%は、沈んでいるのだろう。
あたしは、背もたれにしがみ付きながら、わずかに残る空間に
顔を出して呼吸をする。

銃撃が、まだやまない。
こうして、呼吸をするために海面に出している顔の横を
銃弾が通り過ぎていく。

心臓がバクバクと脈打つ。
それに負けないくらい早く、呼吸をする。
息が吐けない。

「く、くそ!くそ、くそ、くそ、くそ。」

しゃべることで、息を吐き出す。
250 名前:17.麻布・市井紗耶香 投稿日:2001年10月29日(月)00時55分11秒


車が沈む。



「はっ、はっ、はっ、はっ、はぁーっ。」


最後に大きく息を吸うと、車が完全に海に沈んだ。
あたしは、車もろとも海の奥底へと引きずり込まれていく。
パニック寸前の極限状態の中、なんとか、あたしはドアのノブに手をかけて
引っ張ることができた。

カチャ。

ロックが外れた。
そのままドアを押すと簡単にドアが開いた。
あたしは、開いたドアをする抜けて海の中へと脱出した。
251 名前:17.麻布・市井紗耶香 投稿日:2001年10月29日(月)00時57分39秒

真っ暗だ。

海の中は無重力状態と似ているというが、
浮上していく体の方向を感じ取らなければ、
どちらが海面なのかわからない。

このまま、直ぐにでも海面へ出て呼吸をしたいのだが、
そこには、あたしを狙い撃ちしようと待ち構えている連中がいるのだ。
あたしは、方向がわからないままに海面下を息が続く限り泳ぐ。

服を着たままの水泳は、恐ろしいほど体力を使う。
意図的に潜ったままで泳ぎつづけるのが難しい。
息が続かない。

限界に近づいたとき、あたしの手に、コンクリートがあたった。

岸壁だ。

あたしは、コンクリートを背にし、ゆっくりと海面から顔を出す。
その上を、人が走る足音が響く。

まだ、近くにいる。

あたしは、再度大きく息をすると海に潜った。
252 名前:17.麻布・市井紗耶香 投稿日:2001年10月29日(月)00時58分21秒

右手でコンクリートを触りながら、横へと移動する。
近くに用意したボートがあるはずだ。
あたしは、時々海面に顔を出しながら、ボートへと移動する。

9月の終わりの海の水は、既に冷たい。
海に投げ出されて、もう、どのぐらいの時間が経過したのだろう。
手足の感覚が、なくなってきた。
連中はまだいる。
このままでは、自力ではボートに這い上がることができない。

は、はやく。はやく。早くいなくなれ。

あたしは、自分の運に頼るしかなかった。
気を失いそうだ。

はやく、はやく。

話し声が聞こえる。
何を話しているのか、理解する力が残っていない。

ごとう、ごとう、ごとう、ごとう、ごと・・・

いつのまにか後藤の名前を口にしていた。
253 名前:17.麻布・市井紗耶香 投稿日:2001年10月29日(月)00時59分30秒

車が発進する音が聞こえる。
3台。
3台分のエンジン音を残し、車が去っていった。

ゆっくり、ボートの縁を掴む。
呼吸を整えて、一気にボートへよじ登る。
上半身をボートの中にねじ込むと、ボートが大きく揺れて、
全身がボートへなだれ込んだ。

たすかった。

あたしは震える手で、ボートのエンジンをかける。
エンジンは一発でその唸り声を上げた。

ぱんぱんぱん。

銃声がした。
振り向くと、20メートルほど離れたところから、男が一人こちらに向けて
発砲をしながら走り寄っている。

あたしは、ボートを発進させた。
発砲された弾丸が、ボートに何発かあたる。
あたしは身体を低くしながらも、ボートの速度を上げて脱出をした。
254 名前:18.芝浦・市井紗耶香 投稿日:2001年10月31日(水)22時29分13秒

濡れた服が夜風にあたり、凍える。
ボートにおいてあったボロ布で体を拭ったが、
風によって体に押し付けられた服は、氷のように冷たく感じた。

入組んだ埠頭の中を走りぬけながら、漸く、一つの川を見つけた。
速度を落とし、川を上る。
255 名前:18.芝浦・市井紗耶香 投稿日:2001年10月31日(水)22時29分59秒

両岸には、倉庫と古びた民家が並んでいる。
民家から洩れる明かりが、川面を照らしていた。
その上をボートが通ると、灯りはあたしの身体を照らして後へと流れていく。

暖かい。
そんな灯りさえ、今のあたしには、暖炉の炎のように感じられた。

やがて、目的の倉庫を発見し、その川岸にボートをつける。
あたしは錆びついた梯子を昇り、倉庫へと入っていった。
256 名前:18.芝浦・市井紗耶香 投稿日:2001年10月31日(水)22時32分05秒

倉庫の中には、木枠で梱包された荷物が並んでいる。
海外から送られてきた機械などが、一時保管のために、
この倉庫に置かれているのだ。
それが、UFAの表の顔の一つだ。

あたしは、倉庫の奥2階にある事務所に向かい、濡れた服を乱暴に脱ぐ。
全裸になったあたしは、ロッカーを次々に開けていく。
何個目かのロッカーにツナギがあった。
あたしはそれを着た。それで少しは寒さが収まっていった。
257 名前:18.芝浦・市井紗耶香 投稿日:2001年10月31日(水)22時33分22秒

「一体あいつらは誰なんだ?」

本当にJr.なのだろうか?
どちらにしても、あたしは誰かの罠にはめられたのだ。
何のために?
和田は死んだのだろうか?
あやかは?

誰にはめられたんだ?
あたしを殺すために?
わからない事だらけだ。

でも、謎解きは後だ。
あたしが狙われているという事実は、何よりも優先される。

戦うか、逃げ出すか。
答えは簡単だ。相手の戦力がわからない場合、戦ってはいけない。
予定通り、明日の便で日本を離れよう。
今のところ、狙いはあたし一人だ。

本当にそうなんだろうか?

あたしは、灯りを消し、暗闇の中でソファーに寝転がった。
目を瞑ると、疲れが出たのだろうか、睡魔が襲ってきた。

からだが・・・すこし・眠ろう。
258 名前:18.芝浦・市井紗耶香 投稿日:2001年10月31日(水)22時34分25秒

どのぐらい経ったのだろうか。
あたしは、倉庫のドアが閉まる音で、目が覚めた。
倉庫の電気が点いた。

「市井ちゃ〜ん。」

後藤の声がする。

「やっぱ、いないよ。」

矢口の声もした。

「絶対、市井ちゃんここだと思ったんだけどな。」
さすが、後藤だ。あたしの行動パターンを読んでいる。
「紗耶香、お〜い、いるんならとっとと出てきなよ。
 いないよね?帰りますよ〜。」
矢口は明らかに、めんどくさそうに声をかけた。
「後藤、ここに紗耶香いないよ〜。
 もう、帰ろうよ〜。」
259 名前:18.芝浦・市井紗耶香 投稿日:2001年10月31日(水)22時35分25秒

後藤、帰れ!
今、あんたに会ったら、絶対あんたはあたしを離さないだろう。
自分のことなんか全く考えずに、あたしを助けようとするだろう。

ありがとう。

今だって、後藤はあたしの異変を感じて、探し回っているんだろう。
後藤を巻き込むわけにはいかないんだ。
これは、あたしが引き起こしてしまった問題なんだ。
あたし一人で何とかするから、後藤は早く帰るんだ。

「後藤、ここにはいないよ。」
「・・・うん・・・。」

矢口に引きづられるように後藤が帰っていく。
倉庫の電気が消えた。
あたしは、事務所の窓から、入り口を覗く。
260 名前:18.芝浦・市井紗耶香 投稿日:2001年10月31日(水)22時36分13秒

開けられたドアから光りが差し込み、後藤の姿を浮かび上がらせていた。
振り向いて、倉庫を見回す後藤。
表情は陰になって見えないが、心配そうにしている。
黒目が、真ん中と右側を往復する。
口元を筈かに“への字”にする。
見えなくても、後藤の表情が感じ取れた。

「いこっ。」

矢口の声で、後藤はドアを閉めた。
261 名前:18.芝浦・市井紗耶香 投稿日:2001年10月31日(水)22時37分10秒

それから、しばらく後藤の顔を思い浮かべていた。
後藤の声を思い出していた。

「市井ちゃん。」

後藤の声が、今のあたしに安らぎを与えてくれる。
そして、あたしに力を与えてくれる。


静かだ。

遠く離れた国道を通るトラックの音まで聞こえてくるのに、
とても静かに感じた。
あたしの神経は研ぎ澄まされ、そして、緩和されていく。
それを繰り返し繰り返し行うことで、あたしは、戦闘態勢を作り上げていった。
262 名前:18.芝浦・市井紗耶香 投稿日:2001年10月31日(水)22時38分11秒

近くにいる。

さっきから纏わりつくような殺気が、この倉庫を取り囲んでいた。
素人でも感じ取れるほどの強烈な殺気を隠そうともせずに近づいてくる輩を
歓迎するために、あたしは銃を取り出した。

予備の弾も含めて、35発。
外にいる連中を何人なのだろう?
あたしを埠頭まで追ってきた車が3台。
一台に3人いたとして、9人か。

この場を切り抜けるには、ぎりぎりの弾数だ。
―― 逃げるんだ。
まずは、戦うことより、この場から逃げることを考えるんだ。
自分自身に再度言い聞かせる。
263 名前:18.芝浦・市井紗耶香 投稿日:2001年10月31日(水)22時38分58秒

微かにドアが開かれる音がした。
光りを背に、人影が現われる。

10人か。
外で、待機しているものが2、3人はいるはずだ。
全部で、12、3人。多いな。
そう思いながら、事務所の窓越しに照準を定める。

ぱんぱんぱんぱん。

連射して、すぐ頭を引っ込めて移動を始める。

3人は撃ち取った。
264 名前:18.芝浦・市井紗耶香 投稿日:2001年10月31日(水)22時40分03秒

激しい足音が近づいてくる。
事務所への階段を昇り、事務所のドアごしに弾丸が打ち込まれる。

ガラスのテーブルが割れ、ビニール皮のソファーから中身のクッション材が
撒き散らされていた。

あたしは暗闇の中、物陰に隠れながら部屋の片隅の床を開けた。
万が一の場合の脱出口だ。
倉庫の床が、ぼんやり見える。3メートル以上はあるはずだ。
いくら目が慣れてきているからといって、この真っ暗の中で飛び降りるのは怖い。

だんん!

自分でも驚くほどの大きな音がして、着地をした。
足が少し痺れる。
その音に反応した連中が、こちらの方角に向けて発砲をする。
暗闇の中、発砲するたびに火花が一瞬見える。

1.2 の3

あたしは掛け声をかけ、荷物の影から飛び出し、火花が見えたところへ撃ちこむ。
悲鳴がひとつ聞こえた。

ちくしょう。3発も無駄にしたか。

出口は、正面のほかにもう一箇所ある。
そちらに向かって走り出す。
265 名前:18.芝浦・市井紗耶香 投稿日:2001年10月31日(水)22時40分52秒

ぱんぱん。

倉庫の中を、いく重にも銃声がこだましていた。
あちらは、弾丸の予備が豊富と見えて、やたらめったらと撃ってくる。
下手な鉄砲も。。か。
そのうちの一つが、あたしの髪の毛を千切り取っていった。

足がもつれ、転がる。
直ぐに立ち上がって、走り出す。

前方にいるのか?

あたしの感は、そのまま直接手足に命令を下だし、あたしを横っ飛びさせた。
荷物に激突しながらも、銃弾をかわした。

まだ、9人いるのか。
銃弾は残り26発。
266 名前:18.芝浦・市井紗耶香 投稿日:2001年10月31日(水)22時42分08秒

男たちは、声を掛け合って近づいてくる。
その声は、どれも10代の声だ。

Jr.だ。

一流とはいかないまでも、人を殺した経験はある連中だ。
やっかいだな。
無鉄砲なガキを相手に、一人で何処までもつかな?

諦めそうになる。

ダメだ。少しでも弱気になったら負けてしまう。
唇を噛みしめた。

後藤、後藤、後藤、ごとう、ごとう・・・

吐く息と一緒に呪文のように後藤の名前を呼ぶ。
あたしの一番のおまじないだ。

ごとう、ごとう、ごとう、ごとう・・

267 名前:18.芝浦・市井紗耶香 投稿日:2001年10月31日(水)22時43分13秒

明かりが点いた。

立ち上がりながら、辺りを素早く見回す。
視界に一人入った。

ぱん。

同時に発射された弾丸は、両者ともはずれ、梱包された荷物へと飲み込まれていった。

「うおぉぉぉぉぉー!」
ぱんぱんぱんぱん。

相手に向かって走りながら、撃つ。
何発目かの弾が相手にあたり、崩れる。

あと少しで出口だ。

発砲を繰り返しながらも、全速力で出口に突進した。
出口は、
出口に、すでに4人いた。
268 名前:18.芝浦・市井紗耶香 投稿日:2001年10月31日(水)22時44分10秒

あたしは踵を返し、正面の出口へと走る。

くそくそくそくそ!!!

弾奏はすでに、銃にセットされている分しかない。
それも、すでに何発か撃っている。
残りの弾数がわからなくなってしまった。

それでも、なんとか出口近辺まで来た。

くそ!こちらにも2人いる。
あたしは、その二人に向かって発砲する。ひとりが倒れた。
269 名前:18.芝浦・市井紗耶香 投稿日:2001年10月31日(水)22時45分20秒

ん?おかしい。

「市井ちゃん!!!」

後藤だ。
後藤が戻ってきたのだ。
残りのもうひとりが近距離で、後藤に撃ちぬかれる。

「後藤! なぜ?」

後藤は、笑っていた。

「だって市井ちゃんのことだもん。」
「ダメだ。帰れ。直ぐ逃げろ。」

あたしは、後藤に向かって走り出した。
横から後から弾丸が飛んでくる。
270 名前:18.芝浦・市井紗耶香 投稿日:2001年10月31日(水)22時46分19秒

「うわっ!」

左肩を弾が削り取っていった。
「市井ちゃん!!!!」
転がるあたしに駆け寄ろうとする後藤。
距離にして10メートルに満たない。

あたしに向けられていた銃口が、後藤に向けられた。

「くるなー!!!!!!!!」

叫んでも無駄なことは良くわかっていた。
あたしは、立ち上がった。
ダメだ。間に合わない。
あたしは、後藤に銃口を向けた。
271 名前:18.芝浦・市井紗耶香 投稿日:2001年10月31日(水)22時47分15秒


時間が、やけにゆっくりと進んでる。
後藤の動きがスローモーションになる。
周りの銃口の向きが後藤に向けられているのを、肌が感じ取っていた。

構えた指が、やけに重い。

後藤が立ち止まろうとしていた。
あたしは、後藤の肩を狙い引き金を引く。
周りのJr.の銃からも、後藤に向けて撃たれた。
272 名前:18.芝浦・市井紗耶香 投稿日:2001年10月31日(水)22時48分00秒

あたしの撃った弾丸は、後藤の肩にあたり、後藤を後へと倒れこませた。
後藤の体があった空間を、何十発の銃弾が通り過ぎた。

振り向きざまに、Jr.に向けて発砲をする。
右腕に弾丸が食い込んだ。

「ぐわっっ!」

銃が床に落ちる。
激しい傷みが、あたしを襲った。
床に落ちた銃は、かなりはなれた場所まで転がっていった。
273 名前:18.芝浦・市井紗耶香 投稿日:2001年10月31日(水)22時48分52秒

あたしは転がりながら、後藤の元に近づき、後藤の銃を拾い上げて撃つ。

「後藤!後藤!」

呼びかけるが、返事が無い。
気絶しているようだ。

「後藤!」

体を揺するが、反応が無い。
直ぐ後が出口だ。
あたしは、まだ動く左手で後藤の襟首を掴み、後藤を引きずった。
274 名前:18.芝浦・市井紗耶香 投稿日:2001年10月31日(水)22時50分09秒

出口を出ると、そのまま、川の方へと向かった。
Jr.が出口から出てきた。
あたしは、ありったけの力で後藤を川へと投げ込んだ。
態勢を崩しながら、殆ど動かない右手で発砲する。
後藤が川に落ちる音がしないかわりに、ゴトンという何かにぶつかる音がした。
ボートの中に着地したようだ。

あたしは後藤を投げ飛ばした勢いのまま、倒れこんで銃を左手に持ち替えた。

ぱんぱんぱん。

飛び出してきた2人を倒した。
あと4人。

あたしは、倉庫の大扉に手をかけ開く。

「こっちだボケ!!」

叫びながら闇雲に撃つ。

カチッ。

何発か撃ったあとに、弾切れの音が聞こえた。
275 名前:18.芝浦・市井紗耶香 投稿日:2001年10月31日(水)22時50分49秒

「さあ来い。こっちだ。」

あたしは、連中との距離を測ってから、やつらの車へ走った。
ドアを開けて、中に入るとキーは刺さったままだった。
キーをまわしてエンジンをかける。
バックミラーを見ると、4人とも倉庫から飛び出してきていた。

リアガラスが割られた。

首を反射的に引っ込めると、車の速度が落ちた。
後で車のエンジン音が聞こえる。
2台の車が追ってきている。
4人とも車の中だ。

「やった!」

あたしを追って来い。
後藤から離れろ!

追って来る2台の車を、サイドミラーで確認しながら、
あたしは笑っていた。


276 名前:名無し読者 投稿日:2001年11月04日(日)23時29分20秒
こんな事があったのか・・・。
毎回楽しみにしてます。頑張って下さい。
277 名前:19.パルミラ・市井紗耶香 投稿日:2001年11月09日(金)22時06分33秒

話し終えても、圭ちゃんは暫く話し掛けてこなかった。
月光に照らされたプールサイドから、アベックの笑い声が聞こえる。

風が吹くと、少し肌寒い。
あたしは、圭ちゃんに借りたフリースのうえから両腕を擦った。

「後藤を撃ったのは、一度だけなの?」

「うん。」

圭ちゃんの髪が風になびき、彼女の頬を撫でていた。
昔に比べれば、彼女の髪は長くなっていた。
そう、あたし達が出会ったころ、
彼女の髪は今ぐらい長かった。
278 名前:19.パルミラ・市井紗耶香 投稿日:2001年11月09日(金)22時07分52秒

「・・・ほんと?」
「うん。」
「肩を・・・?」
「うん。」
圭ちゃんが顔をしかめた。
何が引っかかっているんだろう。

「ねえ、後藤は、どうしてるの?」

圭ちゃんが、あたしの両肩を掴んだ。
圭ちゃんの大きな目が、ますます大きくなっていく。
その大きな瞳に、あたしの姿が映っていた。

「・・・・ねえ、紗耶香。
あんた後藤が今どうなってるか、ホントに知らないの?」
「・・どうっ・・て?」
不安が過ぎる。
あたしの肩をつかんでいる圭ちゃんの手に力が入る。

後藤が・・なに?

「頭撃たれて・・・、後藤ずっと意識が戻らないんだよ。
 ・・・・紗耶香、 あんたが撃ったんじゃないの?」




「えっ?」



「・・・ な・・・ えっ??」


圭ちゃんが言っている意味が、理解できない。

「紗耶香が撃った弾丸は、直接脳に当たらなかったけど、
 砕かれた頭蓋骨のかけらが、脳を傷つけたんだ。
 ――― それで、後藤は、それっきり目を覚まさないんだよ。」

279 名前:19.パルミラ・市井紗耶香 投稿日:2001年11月09日(金)22時08分39秒

長い時間が過ぎた。
それが、10秒なのか10分なのかわからない。
あたしの頭の中で、圭ちゃんの言葉の意味が、少しずつ理解されていく。
その量が増えるにつれ、あたしの体の震えが激しくなり、力が抜けていく。

膝が突然崩れた。

「・・あたし?・・うった。
 ・・・ごとうを。」

両手を床についた。
その腕さえ、崩れ落ちてしまいそうだった。
280 名前:19.パルミラ・市井紗耶香 投稿日:2001年11月09日(金)22時09分33秒


―― 後藤・・・、イグアナ飼ってたんだよな。
なぜか、そんなことが、フッと浮かんだ。
―― えさ・・もらってるのかな。

気がつくと、涙がこぼれ落ちていた。
コンクリートが次々に、黒く色を変えていた。
泣いている感覚は無いのに、自然と涙が溢れてきた。

悲しい?

そんな感覚はなかった。

絶望?

・・・なの?

とっくの昔に、自分が死んでいたことに気づいた、間抜けな幽霊は、
悲しいのだろうか?

あたしは、間抜けな幽霊だ。

後藤は、あたしなのだ。
あたしは、とっくに死んでいたのだ。
281 名前:19.パルミラ・市井紗耶香 投稿日:2001年11月09日(金)22時11分48秒


「紗耶香・・・」

圭ちゃんが、しゃがんであたしを覗き込む。

「あんた肩を狙ったの?それとも・・・」
「か・・た・・?」
自分の声が、遥か遠くから聞こえる。
「後藤は、肩と頭の二発撃たれたんだよ。
 紗耶香、本当に肩を撃ったの?」


肩・・・?

あたしの撃った弾は肩を・・・。


あたま・・・?


あたまって?・・・えっ?



「誰だよ。」

どすの利いた低い声が、響く。

停止していた脳が動き出し、感情が湧きあがってきた。
あたしは立ち上がり、圭ちゃんの胸倉をわし掴みして迫った。
圭ちゃんの顔が目の前に迫る。
282 名前:19.パルミラ・市井紗耶香 投稿日:2001年11月09日(金)22時13分19秒

「誰が、“あたま”撃ったんだよ!」
歯が折れそうなほど喰いしばった口から、言葉を吐き出す。
「紗耶香、あんたじゃない・・・の?」
「Jr.か?あいつらか!」
「でも、頭の弾丸と、肩の弾丸は一致したんだよ。
 間違いなく、あんたの銃で、後藤は撃たれてるんだよ。」
「ちがう。・・・そんなはずは・・・
圭ちゃんが、いきなりあたしの胸を突き飛ばした。

ヒュン。


あたしの体が有った空間を、何かが勢い良く通り過ぎた。

弾丸?

「吉澤!待て!」
圭ちゃんがあたしの前に立ちはだかった。
283 名前:19.パルミラ・市井紗耶香 投稿日:2001年11月09日(金)22時14分21秒

「どけ!」

ピシッ

圭ちゃんの足元に、吉澤が威嚇をする。

あたしは、吉澤を凝視した。
吉澤の顔は、怒りに溢れていた。
目は飛び出しそうなぐらい見開かれ、髪は逆立っているようだ。
それでいて、瞳は冷たく静かだった。

吉澤の気持ちが、弾丸より速く、すさまじい勢いであたしを貫いた。

「吉澤落ち着け!紗耶香は後藤の肩を撃っただけだ。」
「関係ない!」
吉澤は銃を構えたまま、大股で近づいてくる。
284 名前:19.パルミラ・市井紗耶香 投稿日:2001年11月09日(金)22時15分35秒

――そうだよな。
肩を撃ったのは間違いなく、あたしだ。
それが無ければ、後藤が頭なんか撃たれるはずは無い。

後藤を殺したのは、あたしだよ。


「吉澤。撃てよ。」

あたしは、圭ちゃんを押しのけて吉澤の前に立った。

圭ちゃんが、無理やりあたしの身体を吉澤から隠そうとする。

「吉澤。撃ってくれ。」
圭ちゃんの肩の上から、顔を突き出す。
「馬鹿野郎!」

圭ちゃんが、あたしの身体を投げ飛ばす。
同時に、吉澤が撃つ。

ピシッ。

弾が反れた。
圭ちゃんが身を翻し、近づいた吉澤の銃口を素早く抑える。
吉澤がそれでも、無理やり銃口をあたしの方へ向け発砲する。

ピシッ。

消音器付の銃は、小さな音で発射され、
あたしの手前のコンクリートが、砕け飛んた。
285 名前:19.パルミラ・市井紗耶香 投稿日:2001年11月09日(金)22時16分33秒


あたしは、吉澤に撃たれなければならない。
眠り続ける後藤が、吉澤の指を動かしているのだ。
あたしは立ち上がり、吉澤の前に立った。
しっかり吉澤の瞳を見、両手を広げた。

「さあ、・・・後藤、撃ってくれ。」

驚くほど、静かな気持ちになっている自分がいた。
怒りも悲しみも、何も無く、無心で吉澤・・後藤に撃たれるのを待った。
「後藤、すまなかった。」
涙が頬をつたっていた。
悲しいわけではない。
この涙は、後藤の涙だ。
後藤の涙が、あたしの両目を使って泣いているのだ。

圭ちゃんが押さえ込んでいる銃口を、後藤が力で振り払い、
あたしに狙いを定めた。
286 名前:19.パルミラ・市井紗耶香 投稿日:2001年11月09日(金)22時18分29秒


「だめ!!」

突然、あたしは抱きしめられた。
暖かくて、軟らい感覚があたしを包んだ。

「市井ちゃんを撃つな!」

か・・ご・・?

加護の小さな体が、あたしにへばりついている。

「市井ちゃん・・・。撃つな!加護を撃て!加護が悪いんだ。」

あたしの胸に顔を埋めたまま、加護が叫んでいる。

「加護、か、加護が・・・市井ちゃん・・・。」

震えている。

加護が、歯をガタガタ鳴らしながら、震えていた。

「加護・・・いいんだ。」

287 名前:19.パルミラ・市井紗耶香 投稿日:2001年11月09日(金)22時19分51秒

加護の顔を両手で包み込み、あたしに向かせた。
大きな黒目が、涙で濡れていた。
あたしは、加護のおでこにキスをすると、そっと加護を横へと押しのける。

「いやや!やや!や〜っ!」
加護が必死にあたしにしがみつこうと、腕を伸ばしている。

「さあ、早く。」

右手で加護を抑えながら、吉澤を見る。

「吉澤、落ち着け!落ち着くんだ。子供を巻き込むぞ。」
圭ちゃんが、全身の力をこめて銃を取り上げようとしているが、
吉澤の力には及ばない。

吉澤が発砲する。
吉澤の足元のコンクリートが弾け飛んだ。

「加護を撃て!!!!」

不意に加護があたしの元を離れ、圭ちゃんと絡んでいる吉澤へと走る。

「加護!!!!!!!!!」

追いかけるが、間に合わない。

吉澤が続けざまに発砲した。
吉澤には、加護の姿は映ってなかった。


「加護!!!!!!」

加護の体が、あたしの指の数センチ先をすり抜けて倒れる。

「加護!」

加護を抱き起こした。
288 名前:19.パルミラ・市井紗耶香 投稿日:2001年11月09日(金)22時20分51秒

吉澤に一瞬の隙ができた。
圭ちゃんが、それを見逃さなかった。
吉澤の銃を取り上げ、みぞおちに左拳をめり込ませている。

加護の体に銃痕はなかった。何処からも血が出ていなかった。
気絶しただけだった。

あたしは、加護をきつく抱きしめた。
何をやってるんだろう。
何でこんなに、みんなを不幸にしてしまうんだろう。
あたしは、人の不幸を糧に生きているのか?

あたしは、生きているべきではない。

・・・でも・・・
でも、この加護を残して死ねない。


―― 自分勝手だ。

解ってる。

―― 死にたくない。――

それが、本音じゃないのか?


でも、どうしたら・・・。

289 名前:19.パルミラ・市井紗耶香 投稿日:2001年11月09日(金)22時21分29秒

騒ぎを聞きつけたホテルの従業員が、2、3人駆け寄ってきた。
圭ちゃんが、必死に誤魔化している。
この大騒ぎだ。宿泊客の多くが、やり取りを目撃しているだろう。
圭ちゃんの誤魔化しが、何処まで通用するのだろうか。

吉澤はお腹を押さえた格好で、くの字に地面で気絶している。
加護も、あたしの腕の中で気を失ったままだ。

圭ちゃんが、従業員に何かを手渡している。
現金だろう。
圭ちゃんが、従業員の向きをホテルの方に向け、背中を押している。
それでも何かいいたげな彼らに、再度現金を渡すと、渋々ホテルの中へと消えていった。

「紗耶香。加護を部屋に連れて行きな。」

圭ちゃんが、吉澤を肩に担ぐと、ホテルに入っていった。
290 名前:19.パルミラ・市井紗耶香 投稿日:2001年11月09日(金)22時22分31秒

あたしの腕の中に加護がいる。
抱きしめると、赤ん坊のようにミルクの匂いがした。
―― 牛乳嫌いなのに。
フッと笑いがこみ上げてきた。
―― もう直ぐ、15なのに。


今は、もう、何も考えられなかった。
いや、考えたくなかった。
加護の寝顔だけを見つめていたかった。

「後藤、必ず会いに行くよ。あんたに殺されるために。
 ・・・だから、もう少し待っててくれ。」

あたしは、加護を抱き上げた。

「加護を日本に届けるまで・・・。」

291 名前:作者 投稿日:2001年11月09日(金)22時23分58秒
>>276 さん いつも有難うございます。
なんとか、更新できました。
292 名前:名無し読者 投稿日:2001年11月10日(土)02時26分12秒
今日初めて読みました。面白いですね!
市井と後藤の再会に期待します。
293 名前:名無し読者 投稿日:2001年11月13日(火)20時35分19秒
加護がかわいいっすね。
更新、マターリお待ちしてます。
294 名前:20.パルミラ・吉澤ひとみ 投稿日:2001年11月17日(土)12時19分47秒

目を覚まして辺りを見回すと、ホテルの部屋にいた。
カーテンの隙間から、強い日差しが差し込んでいる。

何時だ?

時計を見ると、2時を過ぎたところだった。
立ち上がると、頭がふらつく。

睡眠薬でも飲まされたか。

あたしは、ふらつきながら部屋のミニバーから、ミネラルウォーターを
とりだして飲み干した。
295 名前:20.パルミラ・吉澤ひとみ 投稿日:2001年11月17日(土)12時20分40秒

昨夜のことを思い出していた。
保田さんから連絡を受けて、あたしはパルミラのこのホテルまで来たのだ。

「あたしが呼ぶまで、そこから出てくるな。」

保田さんは、あたしを物陰に押し込めて、テラスへと向かった。
あたしに何を聞かせようと無駄だ。

銃を取り出し、安全装置をはずした。
予備の銃だ。
ここに来る前に、保田さんにいつも使っている2丁の銃は取り上げられた。
これは非常用の小さな銃だ。保田さんが、市井に会わせると連絡が来たとき、
銃を取り上げられることは予想していた。
296 名前:20.パルミラ・吉澤ひとみ 投稿日:2001年11月17日(土)12時21分20秒

市井だ。
市井が現われた。

黒の短パンに、白いTシャツを着た市井が、保田さんの隣へ行き、
フリースを受け取った。

距離が遠い。
この銃で、確実に仕留めるには10メートル、いや、5メートルまで
近づかないと、当たらないだろう。

あたしは腰をかがめ、ゆっくりとテラスの中へ入る。
テラスには、テーブルや植木、ベッドなどが置かれており、
彼女らに気づかれずに近づくことができた。
話し声が聞こえる。
297 名前:20.パルミラ・吉澤ひとみ 投稿日:2001年11月17日(土)12時22分10秒

何が、話だ。
保田さんは、この話をあたしに聞かせたかったのかも知れない。
でも、それがなんだって言うんだ。
ごっつぁんが、市井に撃たれたという事実は変わらない。
市井の口からごっつぁんの名前が出るたびに、怒りが増幅していく。

ごっつぁんと市井は、双子のようにお互いの気持ちが通じ合っている様に見えた。
あたしと話をしていると、いつも市井の名前がごっつぁんから出てくる。

――― 市井ちゃんがね。
――― 市井ちゃんはね。

いつもいつも、
ごっつぁんは楽しそうに市井の話をする。
あたしの気持ちなんか気づいちゃくれない。

―― そういえば、市井ちゃんたらね。

まただ。

市井の話をするごっつぁんの笑顔が、あたしを苦しめる。
表面はごっつぁんにあわせて、驚いたり、笑ったりしていても、
いつも悲しい思いをしていた。
298 名前:20.パルミラ・吉澤ひとみ 投稿日:2001年11月17日(土)12時23分36秒

ねえ、あたしは?

あたしは、いつもごっつぁんの傍にいるんだよ。
市井はUFAを辞めたじゃない。
あたしは、目の前にいるんだよ。

それでも、縮まらないごっつぁんとの距離。
299 名前:20.パルミラ・吉澤ひとみ 投稿日:2001年11月17日(土)12時25分10秒

―― 「ねえ、後藤は、どうしてるの?」
市井の声が聞こえてきた。

どうしてるって?

ふざけんな!何をいってるんだ。

あんたの所為なんだよ。
肩を撃ったって?
だから何なんだよ。
こうなるに決まってるじゃんかよ。
ごっつぁんが、あんたの異変に気づかないと思ったのかよ。
あんたが、ごっつぁんに手伝いを依頼しなければ、
ごっつぁんは、こんなことに巻き込まれなかったんだよ。
あんたはひとりでやるって、UFAを飛び出したんじゃないのかよ。

なんで・・・

300 名前:20.パルミラ・吉澤ひとみ 投稿日:2001年11月17日(土)12時25分54秒

あんたに何か有ったら、ごっつぁんがどうなるか考えたことあるのかよ。

巻き込みたくないだって?

ごっつぁんは、あんたに出会ったときから、あんたの人生すべてに
巻き込まれてるんだよ。

あたしには・・・・あたしは・・・
あたしは、そんなごっつぁんを黙ってみているしかできないんだよ。

それなのに・・・

301 名前:20.パルミラ・吉澤ひとみ 投稿日:2001年11月17日(土)12時26分56秒

市井が、しゃがみこみ涙を流している。

ふざけんな。
いまさら、泣く権利なんかあんたに無い。

ふざけんな。ふざけんな。

ふざけんな!!!!!


立ち上がって、市井を狙う。
一発、二発。
保田さんが止めに入る。
関係ない!!

三発、四発。

突然、市井の体にガキが抱きついた。

なんだ、こいつは?

「市井ちゃんを撃つな!」

市井ちゃんだと!?

こいつは、もう、次の犠牲者を選んでいたのか。

ゆるせない。


「加護を撃て!!!!」


ガキが走ってきた。

市井!あんたが悪いんだ。
いつもいつも、あんたが周りを不幸にしているんだ。

ぷすっ、ぷすっ、ぷすっ、ぷすっ。

連射するが、保田さんに邪魔されて上手く狙えない。
ガキが倒れた。

えっ?

一瞬、動揺した。

うぐっ。

保田さんにみぞおちを殴られた。
意識が遠のいていく。

くそ!
ごっつぁん・・ごめ・・。


302 名前:20.パルミラ・吉澤ひとみ 投稿日:2001年11月17日(土)12時27分40秒

あのガキは誰なんだ。
あいつさえいなければ・・・

「市井ちゃん」

そう呼んでいた。
自分を撃てと言っていた。

なんで・・・なんであんなやつが・・
市井ばかりが・・・

ごっつぁんも、あのガキも、保田さんも、矢口さんも、
みんな市井に迷惑をかけられているのに、なんで、そんなに・・・

なんで、あたしには・・・・

303 名前:20.パルミラ・吉澤ひとみ 投稿日:2001年11月17日(土)12時28分25秒

窓の外には、パルミラの遺跡群が広がっている。
嘗て繁栄したその都市も、いまでは観光で細々と生活を営んでいる。
海外からやってくる金持ちにあこがれて、それでいながら、そいつらを馬鹿にしている。

憧れと嫉妬。

あたしは、市井を尊敬していた。
いや、多分、今も。
ごっつぁんと市井のコンビが好きなのだ。
二人の関係にあこがれたのだ。
304 名前:20.パルミラ・吉澤ひとみ 投稿日:2001年11月17日(土)12時29分48秒

市井が抜けて、ごっつぁんと組むようになったあたしは、
当然、あたしとごっつぁんの関係も、それに負けないぐらいの
蜜な関係になると信じていたし、張り切ってもいた。
でも・・・

――― 市井ちゃんがね。

二人の関係に、あたしが入り込む余地は無かった。
ごっつぁんとの関係は、あたしの片思い。

嫉妬。
――そして怒り。

そんな関係を、自らの手で破壊する市井が許せなかった。
あたしが、どんなことしても手に入れられなかったものを、自ら壊し、
それに匹敵する新たな関係を、意図もたやすく手に入れる。

市井が許せない。

あのガキも、ごっつぁんと同じように捨てられるんだ。
捨てられた者の気持ちを考えたことがあるのか。

市井が許せない。

あたしを捨てた両親と市井が重なる。
自分勝手な奴ら。

305 名前:20.パルミラ・吉澤ひとみ 投稿日:2001年11月17日(土)12時30分44秒
あたしらは、あんたらにどれだけ苦しめたらいいんだ。

――― 絶対に許せない。
306 名前:21.カミシリ・保田圭 投稿日:2001年11月17日(土)12時32分03秒

パルミラを出てから、2時間。いや、正確には昨日の夜からだろう、
あたし達は、殆ど口を利かなかった。

あたしが運転をする。
後の席で、紗耶香と加護が離れて座っている。
紗耶香は、パルミラを出てからずっと外の景色を見ていた。
加護は、ずっとウォークマンで音楽を聞いていた。
多分、この国で買ったその一昔前のウォークマンは、ガチャガチャと音を立てて
テープを巻き戻しては、再生を繰り返していた。
――同じ曲をずっと聴いているのだろうか?

307 名前:21.カミシリ・保田圭 投稿日:2001年11月17日(土)12時32分46秒

「加護、お前さっきから何の曲聞いてるんだよ。」
バックミラー越しに加護の顔を見た。

「・・・うん。」

一瞬、驚いたような顔をした後、噛み合わない答えが返してきた。
ハマからの移動のときは、加護の笑顔にあたしらはどれだけ助けられただろうか。
でも、今の加護にその笑顔は無い。

加護には、悪いことをした。
素人が、目の前で銃を発砲されれば、驚かない方がおかしい。
まして、加護はまだ子供だ。
あたしらから逃げ出しても、おかしくは無い。
でも、今あんたをひとりにすることは、非常に危険なんだ。
Jr.は、紗耶香を狙ってる。
だから、いまとなっちゃあ、紗耶香にくっついていたあんたも、
その対象になっちゃったんだよ。

ごめんな。

やつらは、そういうやつなんだ。
紗耶香は、加護、あんたを巻き込んじまったんだよ。

でも、あんたも後藤と同じように、それでも良いって思ってるんだろ?
だから、あんな夜があっても、何も聞かずについて来るんだろ?
308 名前:21.カミシリ・保田圭 投稿日:2001年11月17日(土)12時33分38秒

加護が、またテープを巻き戻した。

再生が始まると、紗耶香が加護のヘッドホーンを取り上げた。
加護は、あっと小さな声を上げるが、直ぐに小さく縮まり、
固まった。

「・・I wish ・・・か。」

紗耶香は、寂しそうに呟くと、ヘッドホーンを加護に投げ返した。
309 名前:21.カミシリ・保田圭 投稿日:2001年11月17日(土)12時34分39秒

紗耶香と目が合う。
気まずい雰囲気が流れ、お互いに目を反らす。

紗耶香、あんた、自分自身を許せないんだろ?


―― ねえ、紗耶香、あんたに罪なんてないんだよ。
わかってる?
自分を責める必要なんか無いんだ。
310 名前:21.カミシリ・保田圭 投稿日:2001年11月17日(土)12時35分31秒

無駄かな?
あたしが言っても、意味無いんだろ?
後藤に許してもらうまで、あんたは自分を許さないんだ。

あんた、馬鹿だよ。

後藤は、あんたが悪いなんて思っちゃいないよ。
あのこは、あんたのために身を捧げたんだ。
それは、後藤の意思でやったことで、
紗耶香、あんたが謝ったら、後藤はきっと悲しむよ。
わかってる?


紗耶香は、窓の外を見ていた。
―― 窓の外には、相変わらず不毛な大地が続く。

乾いた大地に、あたしらの湿った空気が、流れ出していた。

311 名前:作者 投稿日:2001年11月17日(土)12時40分15秒
更新です。

>>292 さん よろしければ、今後ともよろしくお願いします。

>>293 さん 加護がこんなに活躍する予定ではなかったのですが、
       今後も活躍しそうですね。
312 名前:名無し読者 投稿日:2001年11月17日(土)14時49分54秒
何だか切ないですね。
頑張って下さい。
313 名前:シュルナク・保田圭 投稿日:2001年11月24日(土)13時15分14秒

国境を越えて、進路を東に取ると標高が、どんどん高くなっていった。

「寒いね。」

相変わらず、後の二人とも返事をしない。

「あんたらいいかげん、なんか言ったらどう?
 あたしひとり気を使って、馬鹿見たいじゃんかよ。」



「・・・おばちゃん。 服買おうよ。暖かい服。」

加護が、無理に明るく振舞っている。

「そうだな。結構寒くなりそうだし。」
「あたしピンク〜。ピンクの服買う!」

加護が、はしゃぐ。

「紗耶香も買うだろ?」
「じゃあ、あたしもピンク。」

紗耶香が、おどけた。

「ピンクは、うちが着るの!」

加護が膨れながらも、紗耶香の腕に抱きついた。
優しい言葉が、あたし達を包む。

314 名前:シュルナク・保田圭 投稿日:2001年11月24日(土)13時16分54秒

(ねえ、あたしたち・・)
危ない言葉を飲み込んで、みんなが芝居を演じていた。
自分の気持ちに嘘をつき、優しい芝居を演じていた。


「じゃあ、3人でお揃いにするか!」
「え〜。おばちゃんはダメ!」
「なんでだよ!あたしだってきた〜い。」

甘えた声でふざけるあたしの頭を、加護がぽかぽか殴る。

「加護、こら!やめ!かご〜。」

315 名前:シュルナク・保田圭 投稿日:2001年11月24日(土)13時17分37秒


通りがかった小さな町で、あたしたちは市場へ寄った。
小さな町の小さな市場は、数こそ少ないものの、この町を賄うには
充分の品数が並んでいた。

「市井ちゃん、アイス食べていい?」
「加護、お前あほか?こんなくそ寒いのにアイス食うのかよ?」

表面上だけでも、加護と紗耶香が普通の会話をしていた。
あたしは少しはなれて、二人を眺める。

後藤みたいだな。

顔も雰囲気も似ていない加護に、後藤の姿が重なる。

「寄ってく?」
あたしは、二人の背中を押しながら、チャイハネに入った。
加護は、アイスクリーム、あたしと紗耶香はチャイを頼んだ。
インドのチャイとは異なり、ミルクは入っていないし、やたら甘くもない
なんてことない紅茶だが、ヨーロッパで行儀良くのむ紅茶より、
あたしに良く合った。

316 名前:シュルナク・保田圭 投稿日:2001年11月24日(土)13時18分09秒

「すご〜い。」

加護がさっきから、水あめのように粘るアイスクリームと格闘していた。

「それ、美味いのか?」
「うん、おいしい!」
「あたしにもくれよ。」

加護から、アイスクリームをもらう。

「あまっ!」

濃厚で甘いアイスクリームは、口の中でなかなか溶けずにいた。

「アイスクリームを、噛んで食べるなんて初めてだよ。」

加護が、口を大きく開けて、噛みかけのアイスクリームを見せた。

「見せるな。」

でへへへ、と笑う笑顔で紗耶香を見ている。
紗耶香が加護の頭と顎を手で押さえて、無理やり加護の口を閉じさせていた。
それでも、無理やり口を開こうとする加護の口の端から、解けたアイスが垂れてきた。

「加護きったね〜。」

紗耶香の顔にも笑顔があった。
悲しい過去も、不確かな未来も、笑っている間は消えてなくなっている。
みんな分かっているから、この一瞬が輝いて見えた。

317 名前:シュルナク・保田圭 投稿日:2001年11月24日(土)13時18分55秒

でも、やがて笑いは修まり、笑顔で崩れた顔は元に戻さなくてはならない。
笑いは自然に顔の表情を作るが、笑い終えた顔を戻すには
自分の意思を必要とする。
特に今は、そうだ。

いつまでも笑っていたいという気持ちと、
いつまでも笑っていられないという気持ち、
そのバランスが崩れたときに、
笑顔が終わる。

自分の意思で、終わらせた顔に、強張る表情が浮かび上がってきた。
それを、お互いにばれないように大急ぎで繕った。

「さあ、服買いに行くか。」

あたし達は立ち上がり、店を出た。

318 名前:シュルナク・保田圭 投稿日:2001年11月24日(土)13時20分12秒

あたしの前を紗耶香が突き進む。
少し遅れたところを加護が歩く。
あたしは、彼女らの後ろ姿を眺めながらついていく。


加護が、紗耶香の元へ駆け寄り、何度か躊躇したあとに、
紗耶香と手をつないだ。
紗耶香は、足をとめ加護の顔を見た。
加護が上目遣いで、恐々紗耶香の顔色をうかがう。
表情の無い紗耶香の奥から、加護は紗耶香のやさしさを感じ取ったのだろう。
加護が、満面の笑顔で答えた。

319 名前:シュルナク・保田圭 投稿日:2001年11月24日(土)13時21分12秒

市場の通路は狭く、あたし達は人を避けながら進まなくてはならなかった。
肩をすり抜け、ぶつかりながらも進んでいくあたしらに、
あちこちから声が掛かった。
「ジャポン?」「ニッポ〜ン。」
嘗て、トルコの宿敵ロシアを打ち負かした国、我々亜細亜のエース
――日本。
この国は、親日家が多い。
親切で、親日家の多いこの神秘の国は、多くの日本人女性を呼び、
多くのお金を落としていく。
それがまた、新たな親日家を生み出していた。

あたしらは、そういった人たちに囲まれ、質問攻めにあう。
「何処から来た?」「何がほしいんだ?」「家に遊びに来ないか?」
「何かあったら俺に連絡しな。」「何か売ってくれ。」
親切心と好奇心に商魂が入り混じった言葉が、あたし達を包む。

紗耶香が適当にあしらい、適当に答えていく。
さすが、2年も出てると、その辺の扱いが上手い。
必要な情報を、的確に聞き出していく。
その傍らで、両手一杯にお菓子をもらって、ご満悦な加護がいた。

320 名前:シュルナク・保田圭 投稿日:2001年11月24日(土)13時22分07秒

あたし達は、冬服を買うのに3時間は掛かった。
加護のわがままに付き合った結果だが、紗耶香もあたしもそれが苦ではなかった。
むしろ、加護のわがままを楽しんでいた。
加護はその間、紗耶香の手を離そうとはしなかったし、
紗耶香も離さなかった。

紗耶香。
加護。

あんたらがうらやましいよ。
この関係は、短命かもしれない。でも、それゆえに濃厚で甘味だ。

321 名前:シュルナク・保田圭 投稿日:2001年11月24日(土)13時23分25秒

こりゃあ吉澤でなくても、嫉妬してしまうな。

紗耶香、あんたの魅力ってなんだろう。
後藤と加護、そしてあたしらを巻き込んでしまう。
それでいて、誰一人迷惑だなんて考えもしない。
なんで?って言われると分からないんだけど、
それでも良いというか、そうしたい、あんたに巻き込まれたいと思ってしまう。
不思議だよな。

加護、あんたも不思議な子だよな。
わがままで、やることなすことガキなのに、
なぜか、許せてしまう。まあ、たまに許せないんだけどな。
それと、たまに、あたしらより年上に思えることがあるよな。
普通の人より、多くの人生経験を積んでいるあたしらよりだよ。


あたしの前を紗耶香と加護が歩く。
あたしは、彼女らの後ろ姿を眺めながらついていく。

「シュルナクへ急ごう。」

紗耶香が振り向き、あたしに言った。

322 名前:シュルナク・保田圭 投稿日:2001年11月25日(日)00時00分11秒
323 名前:シュルナク・保田圭 投稿日:2001年11月25日(日)00時00分58秒

シュルナクはクルド人が90%を占めるクルドの町だ。
その昔、トルコ政府から、その存在すら否定されていたクルド人は、
この東アナトリア地方の山奥に隠れ、トルコ政府と長い間戦っていた。

あたしらは、そこに一時避難することにしていた。
Jr.を相手にするには、あたしと紗耶香だけでは戦えない。
国境を越える前に、銃器類は全て処分してしまった。
カミシリの国境はクルドのゲリラを警戒しているため、
荷物のチェックは厳しい。
入念な荷物検査から、車の下側まで入念なチェックは、
賄賂さえ効かないため、あたしらは事前に銃を処分したのだ。

324 名前:シュルナク・保田圭 投稿日:2001年11月25日(日)00時01分55秒

シュルナクに着くと、町で1つしかないホテルに部屋を取った。

「紗耶香、クルドとの連絡は?」
「町の飲み屋を何件か当たってみる。」
「ひとりで大丈夫?」
「加護もついて行く!!」
加護が間髪入れずに言った。
「飲み屋にガキは連れてけないんだよ。」
「加護14だから、大丈夫。」
「何が大丈夫だ。加護はおとなしくホテルで待ってな。」
そういう紗耶香だって、まだ、18じゃないか。
「大丈夫だから。」
紗耶香は加護の両肩を抱き寄せ、ゆっくりと言い聞かせた
325 名前:シュルナク・保田圭 投稿日:2001年11月25日(日)00時02分44秒


「う・・うん。」

初め加護は紗耶香に抱きしめられたことに驚いたが、
直ぐに、幸せそうな顔へと変わっていった。
それから、紗耶香から開放されると、少し寂しそうな切ない表情をする。

326 名前:シュルナク・保田圭 投稿日:2001年11月25日(日)00時03分22秒

あたしは、紗耶香にドルの束を渡した。
彼女はそれをポケットにしまうと、買ったばかりのダウンを羽織った。

「市井ちゃん、無理しちゃいややからね。」

心配する加護に、紗耶香はウィンクをして、ドアを出て行った。

「加護、心配するな。」

あたしも加護にウィンクをした。

「おぇ〜!おばちゃん気持ち悪いよ〜。ウィンクできてないし〜。」

なんでいつもあたしは、加護にいじめられるんだよ〜。
げんなりしているあたしの周りを、加護が走り回っていた。

327 名前:シュルナク・市井沙耶k 投稿日:2001年11月25日(日)00時05分35秒

あたしは、加護を抱きしめた。
後藤より小さいその体は、後藤と同じように、あたしに勇気と力を与えてくれる。

後藤。

彼女のことを考えると、心臓は押しつぶされ、全身の血液が凍りつく。
なぜ、あたしは生きているんだろう?
なぜ後藤の異変に2年の間、気づかずにいれたのだろう?

後藤は、あたしだった。

あたしの一部が、瀕死の重症を負っているというのに、
のうのうと生き、お腹を空かせ、惰眠を貪っていた。

今、自分が生きていることが、許せなかった。

ただ・・・

ただ、加護が、あたしを生かしていてくれた。
加護の、この温もりだけが、あたしの許しがたい罪を、
生きていることを、許してくれているように思える。

328 名前:シュルナク・市井沙耶 投稿日:2001年11月25日(日)00時06分29秒

「市井ちゃん、無理しちゃいややからね。」

加護の言葉が、温かくあたしを包む。
加護を抱きしめている指が、そこから離れるのを拒んでいる。
何度か痙攣するかのように戸惑う指を加護の肩を離すと、
あたしのなかで罪がまたひとつ増えた。


あたしは、加護を後藤の代わりにしようとしているのだろうか?
後藤を傷つけ、そのことで壊れそうになる自分を支えるために、
今度は加護を利用しようとしている。

自分勝手だ・・・


後で閉まるドアの音が、重く心に響いた。


329 名前:名無し読者 投稿日:2001年11月27日(火)20時23分02秒
この3人のトリオもいいなぁ。
頑張って下さい!
330 名前:名無し読者 投稿日:2001年11月27日(火)22時07分56秒
超ドキドキです。心理描写とかがたまんなくいいです。
毎回すんごく楽しみにしてるので、
これからも頑張ってください。
331 名前:名無し読者 投稿日:2001年12月02日(日)22時09分29秒
名無し読者 「なんや、今週は更新ないんか。」
作者    「すまん。ちょっとスランプというか・・・」
名無し読者 「スランプやなんて、贅沢やないけ。」
作者    「いや〜、コロニー状に色んな場面をいくつも書いてあるんだけど、
       繋げるための文章というか、言葉が出てこなくって。」
名無し読者 「言い訳すんなよ。」
作者    「そろそろ新スレ立てないかんし、区切りとか考えると難しいんよ。」
名無し読者 「ほ〜、っで新スレは何処に立てるンや?」
作者    「まだ、考えてへん。まあ、まっとってちょ!」
名無し作者 「お前何処の人間や?」


ってわけで、今週はUPなしです。

>>329 >>330 さん 読んで頂いて有難うございます。
のろのろと頑張りますので、お待ちくださいませ。

とりあえず、次の更新は、このスレです。
332 名前:名無し読者 投稿日:2001年12月04日(火)20時48分36秒
作者さんの都合のいい時でいいですよ。
ゆっくりお待ちしてますんで。
頑張って下さい。
333 名前:23.シュルナク・市井沙耶 投稿日:2001年12月09日(日)02時15分21秒

あたしは、加護を抱きしめた。
後藤より小さいその体は、後藤と同じように、あたしに勇気と力を与えてくれる。

後藤。

彼女のことを考えると、心臓は押しつぶされ、全身の血液が凍りつく。
なぜ、あたしは生きているんだろう?
なぜ後藤の異変に2年の間、気づかずにいれたのだろう?

後藤は、あたしだ。

あたしの一部が、瀕死の重症を負っているというのに、
のうのうと生き、お腹を空かせ、惰眠を貪っていた。

今、自分が生きていることが、許せなかった。

でも・・・

加護が、あたしを生きていることを許してくれていた。
加護の、この温もりだけが、あたしの許しがたい罪を、
生きていることを、許してくれているように思えた。

334 名前:23.シュルナク・市井沙耶 投稿日:2001年12月09日(日)02時16分25秒


「市井ちゃん、無理しちゃいややからね。」


加護の言葉が、温かくあたしを包む。
加護を抱きしめている指が、そこから離れるのを拒んでいた。
何度か痙攣するかのように戸惑う指を、無理やり引き剥がすと、
暗い思いが、あたしをまた支配していった。

あたしは、加護を後藤の代わりにしようとしているのだろうか?
後藤を傷つけ、そのことで壊れそうになる自分を支えるために、
今度は加護を利用しようとしている。

あたしは、自分勝手なだけなのだろうか。

後で閉まるドアの音が、重く心に響いた。

335 名前:23.シュルナク・市井沙耶 投稿日:2001年12月09日(日)02時17分30秒

ホテルを出ると、街灯のオレンジ色があたしを照らし、
全ての色を、そして、あたしの心をも曖昧にさせていた。
山から吹き付けてくる風は、凍えるほど冷たく、
あたしの足を速めさせた。

ホテルを出て、町のメインストリートの石畳を100メートル程行くと
右手に一軒のバーが見えた。
以前、クルドのゲリラ、ミカと出会ったバーだ。
建物は、1年半前と同じく、その場所に建っていた。
ただ、そのとき、あたしが白く塗った壁のペンキは剥がれ、
建物は、この古い町並みに溶け込ませていた。

336 名前:23.シュルナク・市井沙耶 投稿日:2001年12月09日(日)02時18分12秒

安っぽい板でできた軽い扉を開けて入ると、
水たばこの煙と、民俗音楽の甲高い女性の声が聞こえてきた。
暗い店内には、先客が何人かいたが、ミカは見当たらなかった。

トルコはイスラムの国だ。イスラムでは飲酒は禁止されている。
でも、この国では、飲酒は個人の自由なのだ。
どの町にもバーやビヤホールがあり、そこで、誰もが自由にお酒を飲んでいる。

「RAKI」

あたしはカウンターまで行き、トルコの酒を頼んだ。
バーテンが、透明な酒に水を入れると、酒は白く濁った。
“ライオンのミルク”の異名を持つその酒は、癖のある臭いと
強いアルコールで、あたしの脳天を叩きのめそうとしていた。

「ぐふっ。」

あたしが咽ると、周りのクルド人が笑った。
337 名前:23.シュルナク・市井沙耶 投稿日:2001年12月09日(日)02時18分58秒

「ニッポ〜ン?」
屈託の無い笑顔でクルド人が聞いてきた。
「Yes.」
そういいながら、周りを見る。
髭ずらで、申し合わせたように厚手のセーターに、これもまた厚手のジャケット
を羽織ったおやじたちの顔が、あたしを見ていた。
どの顔も、深いしわが刻まれており、ふぞろいの歯を除かせながら笑っていた。
グローブのように厚い手で、隣に座る老人があたしの背中をパンパン叩く。

労働者の手であり、時にはゲリラの手でもあった手は、厚く熱く
あたしの背中を叩き続けた。

あたしは、暇つぶしがてら、その老人の話し相手をした。
老人の片言の英語と、大げさなジェスチャーは一時間を超えたころ、
老人は上機嫌のまま、カウンターで眠ってしまった。

338 名前:23.シュルナク・市井沙耶 投稿日:2001年12月09日(日)02時19分40秒

この国のこと、自分たちの生活、家族の話、自分の健康のこと、
そして、日本への憧れ。話はレバノンにいたころによく聞かされた話だ。
ただ違うのは、クルドの話だ。

いくつもの国に別れて暮らすクルドの民は、自分たちの国を持たず、
それゆえに、多くの偏見と差別の中で暮らさざるを得なかった。
あるものは、不条理にも殺させ、あるものはゲリラと化し銃を手にし、
不幸が不幸を呼ぶ、子供が親を亡くし、親が子供を亡くし、
憎しみが、新たな殺戮を生んでいく。

ミカから昔聞かされたこともあったが、やはり、老人の口から聞かされると、
話に重みがあった。

バーに居る多くのクルド人が、深い悲しみを懐の奥にかくし、
静かなときを楽しんでいた。

その僅かな安息の場所に、あたしも身を任せ、
静かに酒を飲んでいた。

339 名前:23.シュルナク・市井沙耶 投稿日:2001年12月09日(日)02時20分34秒

それから、一時間を過ぎても、ミカは来なかった。
今日はもう来ないのだろうか?
それとも・・・。
そうであっても、少しも不思議ではなかった。
あたしらより、確実に死というものを身近に生きているものにとって、
死は、日常の一部でしかなかった。


「紗耶香。」

あたしの名を呼ぶ声に振り返った。

「圭ちゃん。」
ミカではなかった。
圭ちゃんは、あたしとお揃いのダウンのポケットに両手を突っ込み、
顔を少し強張らしていた。

「おう。」
右手をポケットから出し、軽く上げ、あたしに合図した。
「そのおっさん何?」
そういいながら、圭ちゃんは老人と反対側の席に座った。
「いや、さっき友達になったんだ。」
横で、鼾をかき始めた老人を振り返ってあたしは言った。
340 名前:23.シュルナク・市井沙耶 投稿日:2001年12月09日(日)02時21分27秒

「加護は?」
「眠ったよ。――― 連絡は?」
「・・今日は来ないのかも。」

圭ちゃんが、タバコに火をつけながら頷いた。
どちらかといえば、嫌煙家だった圭ちゃんが口から
溜息と共に煙が吐き出されていく。
煙が圭ちゃんに絡まりながら、立ち昇っていった。

「いつから吸うようになったの?」
「あんたが、居なくなってからだよ。
 ・・・色々あったからね。」

そう言うと、圭ちゃんが笑った。

中指と薬指の奥深くにタバコを挟み、
口を覆うように吸う姿が、妙に板についていた。

――― 圭ちゃん、ごめん。
圭ちゃんにも、迷惑かけっぱなしだよね。

灯りの少ないこのバーで、タバコの光りが圭ちゃんの顔を
僅かに紅く照らし出させていた。

ば〜か。
親友だろ。

煙りの向こうで、圭ちゃんの横顔が答えた。

341 名前:作者 投稿日:2001年12月09日(日)03時04分15秒
ここまで、読んでくれた方に感謝いたします。
新スレを海板に作りましたので、今後もよろしくお願いします。

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