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今宵の晩餐

1 名前:ふるる 投稿日:2001年08月29日(水)11時26分13秒
はじめまして。「ふるる」という者です。
マターリした短編を書きます。
短編ですが、いくつか続けるかも知れないんで、こちらの板に。
掲示板での連載は初めてで、
至らない点もあるかと思いますが、よろしくお願いします。
2 名前:ふるる 投稿日:2001年08月29日(水)11時26分55秒
第1話は、某HPに寄贈した短編に加筆したものです。
タイトルは「人生の命題とイタリアン」
3 名前:ふるる 投稿日:2001年08月29日(水)11時27分40秒
ドラマの撮りが珍しく順調にいき、日付が変わる前に帰ることが出来た。
それだけでも、ちょっと嬉しい。
部屋に帰ると、暑さで汗ばんだ服をちゃっちゃと脱ぎ捨ててTシャツ姿に着替え、
中澤はまず、溜まりに溜まった洗濯物をほいほいと手早く洗濯機に放り込む。ついでに、風呂の湯も入れ始める。
メイクを落とし、コンタクトを外したあとは、そのまま風呂場に直行、
隣の脱衣室にある洗濯機の音を聞きながら、ささやかな安らぎを味わう。
長風呂は苦手だ。頃合いを見計らい、完全に身体が温まってしまう前に上がる。
すると、ちょうど洗濯物の脱水が終わるか終わらないかという具合だ。
そのまま寝られるようなラフな格好になり、ドライヤーで髪を乾かしたあと、
部屋の中に洗濯物を干していると、電話が鳴った。
この番号を知っているのはひと握りの人間だけ。とは言え、
最近は再びイタ電が増えてきたから、そろそろ番号の変えどきかなあと思う。
電話機のディスプレイを見て、中澤の口許が自然と綻ぶ。迷いなく子機を取り上げる。
4 名前:ふるる 投稿日:2001年08月29日(水)11時28分26秒
「もしもし、あ、あたし・・・・・・うん、ええよ・・・・・・・・・
・・・うん・・・・・・うん、ホンマぁ? わざわざありがとう・・・
うん、仮歌聞いたときから、やっと『来た』なあ、って思たんよ・・・・・・ぁはははっ
・・・・・・いや、ちゃうよ、そういうイミやなくて・・・ははっ・・・・・・
でも、他ならぬ、他ならぬよ、あんたがそう言うてくれんのが嬉しいんよ・・・・・・
「え?・・・・・・ああ、まあ、ボチボチやわ。やっぱりほら、ちゃんとした演技なんて初めてやん?
セリフとかトチッたら、ほら、いわゆる大物俳優さんなんかも出てはるやん、そらもう・・・
・・・え? はは、まあ、そういうコトもあるわ、ココだけの話、な。
せやけど、現場の雰囲気はええし、ラッキーやったなあって思うよ。
5 名前:ふるる 投稿日:2001年08月29日(水)11時29分02秒
「そっちの方はどうなん? ダンナ、グループ解散してからどないしてはんの?
・・・・・・ふーん、そうなんや、よかったやん・・・ああ、それは大丈夫なんちゃう?・・・・・・うん・・・
「・・・うん、分かるけどさぁ、
せやけど、今どきそれぐらい頑固なダンナの方がええんとちゃうのん? 
ミョーに聞き分けがええよりは、よ?・・・・・・
・・・んー・・・え? はははッ。それは分からへんよ、うち。結婚したことないもん
・・・まあ、夫婦喧嘩はちょっとぐらいあった方が健全やって・・・
「・・・おらへんよ、相変わらず・・・・・・ははッ、うっさいわっ・・・
いや、欲しいとは思てんのよ、モーニングも抜けたわけやし。
せやけど・・・うーん、なかなかなあ・・・・・・
「・・・ああ、ごめん、ほな、育児も頑張ってな。今度顔見に行くし
・・・うん、うん・・・・・・ほな・・・うん、おやすみー」
6 名前:ふるる 投稿日:2001年08月29日(水)11時29分40秒
小1時間ほど喋った。電話を切ると、部屋にしんとした静寂が這い上がってくる。
電話中に冷蔵庫から取り出したビールのロング缶はすでに空になっていた。ぺこッと握り潰すと、
すでに何日か分の空き缶が溜まったビニール袋に放り込む。カラン、という音がやけに物悲しく響いた。
洗面所で歯を磨く。チューブが残り少なくなっていた。明日、忘れずに買っておかないと。
仕事は、当初の不安がバカらしく思えるほど順調。ミュージカルもあるし、ドラマもある。
新曲もそれなりに売れていて、歌番組からも呼んでもらえている。
レギュラーのテレビやラジオは秋以降も続くみたいだし。
しかし、胸には微かな苛立ちがくすぶっているように思えてならない。
――なにが不満なんやろう。
――いや、不満っていうんとは、ちょっとちゃうよなぁ。今の状況で不満やなんて、贅沢やもんなあ。
――なんかなあ・・・。
7 名前:ふるる 投稿日:2001年08月29日(水)11時30分24秒
娘。を卒業したことに後悔はしていない。楽屋の静けさも、最初は流石に少し戸惑ったものの、
今では風通しがいいぐらいと思えるぐらい快適だ。それに、ヒマなら娘。たちは気兼ねなく遊びに来てくれる。
――このまま、どうなっていくんやろ・・・。
芸能界に入る前に付き合いのあったコたちは皆、仕事であれ家庭であれ、
それなりに自分の居場所をしっかりと見つけて落ち着いている。余裕があれば、いくつかの披露宴にも出た。
こっちに来てから知り合ったひとたちも、ちゃんと進むべき道を持っているように見える。
8 名前:ふるる 投稿日:2001年08月29日(水)11時30分58秒
30まで好きなことをやろうと決めたはずだった。なのに、付きまとうのは漠然とした不安だ。
堂々とテレビでは振舞ってはいるものの、ときどき思い出したようにふっと浮かぶそれは、
その度に中澤の気を少し滅入らせようとする。
このところ、こういう漠然としたことを考える夜が多くなった。
そしていつも、納得のいく結論が得られないままになかなか寝付けず、
いつの間にか朝、熟眠感もなく目を覚ますといった風だった。
明日もまた早い。思考を中断させるように電気を消す。
目覚し時計のスイッチを入れ、タオルケットを胸元まで引き上げると、大きく息をついた。
9 名前:ふるる 投稿日:2001年08月29日(水)11時31分36秒


収録が終わって楽屋ですっかり着替え終わると、ドアから顔だけ出して石川を呼んだ。
「このあと、なんかあんの?」
石川はまるで親鳥を見つけたヒナのように、なんですかなんですか?と言って
嬉しそうに擦り寄っていく。
やや身を引きながらも中澤は、「このあとゴハンでも行かへんかなあ、思て」
思いもよらないその言葉に、石川は首を傾げて心配そうに、
「どうしたんですか? なんか辛いことでもあったんですか? あ、ちょっと目の下にクマ・・・」
べしッ☆
「いった〜い!」
石川の甘い悲鳴が楽屋に響き、他のメンバーたちが笑った。
10 名前:ふるる 投稿日:2001年08月29日(水)11時32分15秒


中澤が連れて行ったのは駅前のビストロ。繁華街の反対側、少し寂れた一角に、その店はひっそりとあった。
以前いちど、中澤は友人と来たことがあり、機会があったらまた来たいと思っていた。
ドアを開けると、控え目の柔らかな照明に包まれる。
中は一枚板の見事なカウンターが横たわっていて他にテーブルはなく、小ぢんまりした印象。他に客はいなかった。
おそらく夫婦でやっているのだろう、中年の男女がカウンターのなかから「いらっしゃいませ」と、にこにこ出迎える。
「こんばんは」
中澤に続いて石川も、「あ・・・こんばんは」
並んでカウンターに据え付けられたスツールに腰掛けると、
石川は差し出された革張りのメニューを開き、えっとぉ・・・と、しばらくの間悩んだあと、
同じくメニューを眺める中澤に顔を寄せ、「あのぅ」と、耳打ちする。
11 名前:ふるる 投稿日:2001年08月29日(水)11時33分02秒
「ん? どうしたん?」
「イシカワ、フレンチってよく分かんなくって・・・お任せしてもいいですか?」
「今どきのコやないなぁ」
と、中澤は苦笑して、カウンターの中にいる主人に手馴れた風に矢継ぎ早にオーダーしていく。
だいたいココ、イタリアンなんやけどなぁ、と、中澤は内心苦笑しながら。
「でもホントに、なんで急にイシカワを食事なんかに誘ってくれたんですか?」
石川が尋ねる。
「なに? そんなにわたしが石川を誘ったらおかしい?」と、ちょっと意地悪な口調になる。
「いえ、いえぇっ」と、石川はこうべをふるふると振り、「それにイシカワも嬉しいですよ。でも、なんでかなあ、って」
すると中澤は指先を伸ばして石川の額を、とん、と軽く小突き、
「ときどき石川を苛めんと、調子出えへんのよねぇ」と、肩こりをほぐす仕草をして見せる。
12 名前:ふるる 投稿日:2001年08月29日(水)11時33分47秒
「えー?! 苛めないで下さいよう」
急に切なげな声になる石川に、あはは、と中澤はひとしきり笑うと、
「ホンマはな――」と、やや落ち着いた口調になる。
「今日の収録のとき、なんか石川、ずっと浮かん顔しとったからさ、なんかあったんかなあ?って」
ちゃんと新しいリーダーとサブリーダーがいるのに、こんな真似は差し出がましいなあ、と思う。
しかし、それは単なる口実に過ぎず、実際は、訳もなくちょっとだけ凹み気味な気分を忘れたいだけに違いなかった。
その相手に、石川は最適だと思ったのだ。わたしって、結構エゴイストかもなあ、と、思う。
「顔に出てました?」
そう言う石川の表情に蔭りが差した。
店の主人がカウンターに、中澤には黒ビール、石川にはピーチジュースを差し出した。
ひとまず会話が途切れ、互いのグラスを手に、
「お疲れさん」「お疲れさまです」
ちん、と、小気味いい音を鳴らしてふたりはグラスを煽る。
13 名前:ふるる 投稿日:2001年08月29日(水)11時34分22秒
ピーチの甘さとほのかな酸味に、グラスを置いた石川は嬉しそうに口許を緩める。
中澤もグラスの3分の1ほどを空けたところで、程よく冷えた苦味に、ふぃ、と小さく息をつくと、
「いや、そんな露骨に、やないけど、展開に対して反応が鈍かったっていうか。
石川ってほら、いつも結構リアクション分かりやすいから」
グラスを置き、「そうですか・・・」と石川は呟くように言って、しおれた花のようにしゅんと俯いてしまう。
「ダメですね・・・気をつけてても、やっぱり顔に出ちゃうんですね・・・」
そんな石川の様子を見て取り、
自分の気分を紛らわせるために石川を誘ってしまったことを少し後悔した。自分って、イヤなヤツやなあ、と嫌悪した。
「なんかあったん? よかったら、やけど、聞かせてぇな。わたしかて力になれるかも知れへんし」
申し訳なく思って、親身になって尋ねる。せめてもの罪滅ぼしだ。
14 名前:ふるる 投稿日:2001年08月29日(水)11時35分15秒
石川は微かにためらいを眉間に浮かべたあと、口を開いた。
「実は、ゆうべ、あんまり寝れなくて・・・」
「あかんやん。ちゃんと、寝れるときには寝とかな」
と、決して怒る風でもなく、さらりと中澤は言った。大体、ひとのことは言えない。
「イロイロ考えてしまってですねぇ、ついつい・・・夜更かしになっちゃいました」
「悩み?」
「はい、まあ・・・」
「よし、裕ちゃんが解決したろ。なんやの? 悩みって」
そう言って中澤は、身体ごと石川の方に向く。
「でも・・・」と、どうにも煮え切らない態度に、中澤は、「ええから」と、少し語気を強める。
そしてようやく石川はぽつりぽつりと口を開いた。
「最近思うんですよ。わたし、モーニングに入って1年以上経ちますけど、
このままイシカワ、どうなるんだろう、どうなっていくんだろう、って」
「うん」
言葉を選んで話す石川に、真剣に相槌を打つ。
15 名前:ふるる 投稿日:2001年08月29日(水)11時36分10秒
石川の不安は分からなくもない。
メンバーの誰もが時折抱く不安だろう。もちろん、ソロとなった中澤自身も。
中澤は耳を傾けながら、びっしりと汗をかいたビアグラスを手に取る。
石川は続ける。「夕べもお布団に入ってから、そんな風にイロイロ考えてしまってですね、
歌とかダンスのこと、自分のこれからのこと、
わたしってモーニングにとってどういう存在なんだろうとか
・・・あと、ひとは何のために生きてるのかなあって」
ぶー、と、危うく口の中のビールを吹き出すところだった。
中澤は辛うじて含んだだけの苦味を喉に流し込むと、
「ちょっと待って。最後のだけ、急に飛躍してるやん」
「飛躍じゃなくて、そこまでの間にたくさんのことを考えたんですけど、
結局、辿り着いた疑問がそこなんですよ」
「はあ」と、少し生返事になってしまう。なんでそうなっちゃうのかなあと思いながら。
16 名前:ふるる 投稿日:2001年08月29日(水)11時37分03秒
とりあえず、ここまでに。続きはまた明日にでも。
17 名前:ふるる 投稿日:2001年08月30日(木)00時06分16秒
すみません、1話のタイトル、いきなり間違ってました。
正しくは「人生の命題と睡眠不足とイタリアン」でした。
まあ、どっちでもいいか(笑
ってなワケで、日付も変わったし、更新です。
18 名前:ふるる 投稿日:2001年08月30日(木)00時06分59秒
「今日のスタジオライヴでも、たくさんのお客さんがいましたけど、みんな、楽しそうでした。
でも、みんな、いずれ死ぬんです。そう思ったら、なんのためにいったい生きて、
なんのためにここで楽しんでるんだろう、わたしだって、一生懸命歌って踊ったりしても、
いずれ死ぬんですよ。そうしたら、人間ってなんのために生きてるのかなあ、
生きることにどんな意味があるのかなあ、って・・・思い悩んでたら、
なんだか怖くなっちゃって、眠れなくなっちゃいました」
「それはやな――」
と、中澤がすでに話を聞きながら考えていた「模範解答」を口に出そうとしたとき、
「あの」と、慌てて石川は付け加える。「それを見つけるために生きる、って答えはナシですよ」
19 名前:ふるる 投稿日:2001年08月30日(木)00時07分41秒
石川にしては――と言うと失礼だが――深い疑問に、
いわゆる「オトナの意見」でお茶を濁そうとしていた中澤は、
先回りした石川によってすっかり出鼻を挫かれてしまった。
石川の眼差しは真剣だ。中澤を試すようなところはなさそうだった。
苦笑して、中澤は、
「そういうコト考える年頃なんやろねぇ、石川は。
わたしもあんたぐらいの頃、そういうコト考えてたかもしれへんなぁ」
一瞬、眩暈のようなフラッシュバック。
それは、中澤が生まれ育った町。懐かしい川原、放課後の黄昏色の教室、高い建物がない広い空。
そして徐々に甦ってくる、当時の心の風景。
心地いい風が心のなかを、ほんの一瞬、駆け抜けたような気がした。
カウンターのなかでは夫婦が料理を仕上げていく。食欲をそそる匂いが徐々に漂ってくる。
20 名前:ふるる 投稿日:2001年08月30日(木)00時08分14秒
しばらくの間視線を宙に泳がせていた中澤だったが、うん、と、納得したように小さく頷くと、
「例えばな・・・」と、やおらカウンターの奥に置いてあったナプキンを一枚引き抜き、
セカンドバッグからはボールペンを取り出した。
何が始まるんだろう?と、石川の好奇の視線が中澤の手元を追う。
まず中澤はナプキンのど真ん中より少し下に、小さな黒い点を描いた。
そして石川の方をちらと見遣ると、
「ひとは、生まれる前は、何もない・・・要するに――『無』、っていうヤツな。分かる?」
「はい」こくりと石川は頷く。
「それで、生まれたら、人生を生きて――」と、黒い点からそのままぐるりと円を描き、
ペン先は再び元の点に戻る。「やがて死んで、またなんもなくなる」
「何もないところから始まって、また何もなくなる・・・」
石川はいちいち呑み込むように、繰り返す。
21 名前:ふるる 投稿日:2001年08月30日(木)00時09分25秒
「そう。まあ、この、なんもない、っちゅうコトを突き詰めると難しいから、
ちょっとそれは置いとこ。問題はやな、この円やねん」
「円ですか」
「そう。円」
「でも、円って・・・どういうコトですか?」
眉を潜めて石川は尋ねる。
「例えばな、ひとによって、いろんな円を描くわけやん? こういう円のひともおれば――」
と、今度はさっきとは違って少し小さい円。
「こういう円のひともおるわ」次は、さっきよりも少し大きい円。
「ちょっと変わったひとやったら――」と、今度はぐにゃぐにゃと歪な円を描いて、
「こういう円のひともおるかもしれへん」
「はい」
中澤の言おうとしていることが、まだ見えてこないのか、石川はどこか腑に落ちない表情で相槌を打つ。
22 名前:ふるる 投稿日:2001年08月30日(木)00時09分57秒
「どうせな、また同じところに戻るんやったらやな、こういう円よりも――」
と、最初に描いた小さな円をなぞってから再び元の点に戻り、
「こういう円の方がええと思わん?」
と、同じ点から今度はその円を中に容れて、もうひとつ、ひと回り大きな円を新たに描く。
「うーん・・・」
と、石川は唇を窄めるようにして小さく頷く。
「人間っていうのは、生まれたら、あとは生きて死ぬだけやん?
せやったら、楽しんだモン勝ちやと思うワケよ。意味とか考えるよりも、よ?」
「それで、いいんでしょうか?」と、石川は視線を上げる。
「楽しんだモン勝ちっていうのは、ちょっと違うか。
それでも、自分が納得いく人生なら、それはそれでええと思うんよ」
と、そこで中澤は思った。なんか、自分に言い聞かせてるみたいやなぁ・・・。
23 名前:ふるる 投稿日:2001年08月30日(木)00時10分35秒
しかし、どうやら石川は、完全に納得いく答えを中澤からは得られなかったようだった。
まだどこか浮かない顔をしている。
そんな石川の表情を見て取り、あー・・・と、中澤は何かを取り繕うように、
「せやけど、そういうことでいちいち悩む石川っていうのは、
なんか上手く言われへんけど、素敵やと思うよ」
と、付け加える。
その言葉を聞いた途端、石川はそれまでの沈みがちだった表情がウソだったようにパッと輝き、
「中澤さんって、イシカワのコト好きなんですね」
「えぇッ?!」
思わず声が裏返ってしまう。なんでそうなんの?!
24 名前:ふるる 投稿日:2001年08月30日(木)00時11分14秒
「だって、だってですね――」と、石川は畳み掛けるように言う。
「今日だって、イシカワのコト、イロイロ心配くれるじゃないですか。
本番のときも見ててくれてたってコトだし、
今みたいに悩みも進んで聞いてくれるし、一生懸命答えてくれるし。
だから、イシカワ、愛されてるなあって思うんですよ」
満足げに石川は笑みを浮かべる。
いかん、石川のペースに持っていかれる、と、
本能的に危機感(?)を覚えた中澤が「弁解」しようと口を開きかけたとき、
「カプレーゼです」
ある意味、絶妙のタイミングで主人が皿を出す。
そこには鮮やかなトマトの赤、モツァレラチーズの香ばしい匂い。
すべてはこの一枚の皿に絡め取られてしまう。
25 名前:ふるる 投稿日:2001年08月30日(木)00時11分50秒


どうやらいつの間にか高尚な悩みは解決されたようで、
すっかり心の平安を取り戻したのか、石川は皿に盛られたパスタを勢いよく啜っている。
いや、コレって解決になるん? 人生の意味って、その程度のものなん?
そんなことを思って中澤は、
「ちょっとちょっと。さっきまでの悩みはどうなったん?」
半ば呆れたように言う。
「あー、なんかもう、いいんです。悩み事を話したら、それだけでスッとしちゃいました。
あ、中澤さん、コレ、イケますよ、ホントに。温かいうちに食べた方がいいですよ」
目の前にはさっきのカルパーゼに加え、すでにイカ墨パスタ、魚介類を使ったマリネ、
黒トリュフ、きのこのリゾットが所狭しと並び、魅惑の香りを立ち昇らせている。
「コレももらっていいですか?」と、石川の華奢な指先がリゾットの皿を差す。
中澤は笑って、「どうぞ、なんぼでも。でも、残しといてよ、ちょっとは」
「ハイ♪」
歌うような返事の傍らで石川はリゾットの皿を引き寄せる。
26 名前:ふるる 投稿日:2001年08月30日(木)00時12分28秒
中澤は、そんな石川の様子を眩しそうに見遣った。
リゾットを嬉しそうに小皿に取り分ける石川の形のいい唇は、
すっかりイカ墨の黒で染まっている。
なんだかその様に微笑ましさを覚えて、ま、ええか、と、中澤は自嘲気味に笑うと、
「すいません、黒ビール、もひとつお願いします」
と、カウンターのなかで軽快に包丁を鳴らしている主人に空のグラスを掲げる。
久々にビールの苦味が美味しいと思った。
今夜はすぐに眠れるかもしれない。なんとなく、そんな予感がする。

27 名前:ふるる 投稿日:2001年08月30日(木)00時13分24秒
ひとつ目の話、終わりです。
次回はいつになるか分かりませんが、
そのうちに。またそのときは、よろしくです。
28 名前:名無し読者。 投稿日:2001年08月30日(木)02時42分53秒
ゆうりか良いっすね〜。
29 名前:名無し読者 投稿日:2001年08月30日(木)15時31分31秒
ふるるさんの小説大好きです!!
某小説、かなり泣きましたよ。
30 名前:ふるる 投稿日:2001年08月30日(木)21時41分54秒
性懲りもなく、ふたつ目の話です。
タイトルは、「星降る夜のフレンチとお茶漬け」
相変わらずテキトーやな(笑
31 名前:ふるる 投稿日:2001年08月30日(木)21時42分34秒
振りの確認をしてスタジオを出たところで、一足先に帰ろうとしている飯田を見かけ、
「カオリ、明日、覚えてる?」
保田は尋ねた。
「えっ? えーッ?! なんだっけ?」
いきなり言われて足を止め、飯田は狼狽する。
娘。のスケジュールでなにか重要なことでも入っていただろうか?と、
必死に頭の引出しを探しまっているようだ。
リーダーになってからこんなことはしばしばで、その度にひそかに保田は助けている。
飯田の慌てぶりを察して、「違うよ」と、保田は苦笑し、
「ゴ、ハ、ン」くっきりとそれだけ言うと、
「ああ、ああ!」と飯田はぽんと両手を叩いて、「奢ってくれるんだっけ?
32 名前:ふるる 投稿日:2001年08月30日(木)21時43分07秒
忘れてたでしょぉ、と、じーっと睨むと、
「あのぅ、うん、覚えてたよ、うん、ちょっと忘れてただけで」
などと、訳の分からない言い訳をする飯田に、吹き出してしまう保田なのだった。
先週は飯田の誕生日だった。
中澤が娘。を卒業してから、娘。のなかで成人しているのは保田だけになった。
普段はそんなことは大して気にも留めないが、ちょっとした仲間が増えるようで、
やはり嬉しかった。だから、せめてもの誕生日プレゼントとして、
いつもよりもちょっといいモノを食べに行こうという話をしていたのだ。
「ちょっといいカッコして来てね」という保田の言葉に、
「どこ行くの?」と、飯田は訝しげに眉を潜める。
「お楽しみ♪」
33 名前:ふるる 投稿日:2001年08月30日(木)21時43分37秒


タクシーが止まったのは、閑静な住宅街のなかに落ち着いた佇まいを湛えた白い洋館の前だ。
敷地の周囲を青々とした蔦がびっしりと覆った煉瓦造りの塀が囲っている。
保田が料金を払って釣りを待っている間に、飯田は外に降り立った。
もう日が暮れる。うっすらと沈む夕闇のなかで、
レストランの灯りが穏やかに浮かび上がっている。
保田の話では、流行りのフレンチレストランとのことだった。
なんでも、パリにある老舗の支店で、最近、本店から中堅のシェフを連れて来るという
力の入れようなのだという。
わざわざグルメ関係の本を買い求めて決めたというところが、いかにも勉強家の保田らしい。
タクシーが走り去って、ふたりは門の前に立った。
34 名前:ふるる 投稿日:2001年08月30日(木)21時44分09秒
飯田はノースリーブの黒いワンピースにシースルーのカーディガン。
決して気張った格好ではないが、フォーマルな場所でもおかしくない出で立ち。
すらりとした長身が綺麗に映える。保田に言われた「いいカッコ」という言葉を意識してか、
胸元には、東京に出てくるときに母親から譲り受けたというパールネックレスが輝いている。
一方保田は、ボーダー柄のベアトップにネイビーブルーのカーディガン、カプリパンツという、
至ってシンプルなモノトーンのコーディネート。
「うわぁ・・・っ、なんっかキンチョーするぅ・・・」
高い門を見上げて、飯田は、これからここに入って行くんだと思うと、
その店が湛える圧倒的な風格に、ごくりと唾を呑み込む。
一方の保田も、思っていたよりも立派な門構えに、決めたのは自分でありながら、
微かに気後れを感じた。こんな高級レストランなんて入ったことはない。
それでも、
「行こっか」
保田が努めて軽く促して、ふたりは門をくぐった。
35 名前:ふるる 投稿日:2001年08月30日(木)21時44分42秒


「いらっしゃいませ」
ドアを開けると、折り目正しい会釈でメートルがうやうやしく出迎えた。
クーラーが程ほどに効いた店内は、微かにひんやりした程度で心地いい。
予約している保田です、と告げると、お二人様、承っております、
と、台帳を見ることなくメートルはふたりをテーブルまで案内する。
テーブルが20個ほど等間隔に美しく並び、
控え目な間接照明が落ち着いた雰囲気を醸し出している。気取りのない内装は好感が持てた。
客の入りはまばらで、5分といったところ。あちこちで密やかな話し声が開いている。
案内されたテーブルは窓際にあった。純白のクロスの中央に立てられた素っ気ない一輪挿しは、
却って飯田の緊張感を幾分和げた。
一輪挿しの脇に立てられていた「Reserved」と書かれた札を取ると、メートルは椅子を引き、
ふたりを差し向かいに着席させた。ふたりにメニューを渡し、テーブルの脇に控える。
窓の外にはこぢんまりした庭が淡い照明に照らし出されている。
綺麗に切り揃えられた深い緑が端正な石庭を囲んでいる。
36 名前:ふるる 投稿日:2001年08月30日(木)21時45分22秒
まずシャンパンを頼むと、すぐにメートルが突き出しと一緒に持って来てくれた。
突き出しは、茹でたアスパラガスと玉ねぎをさっぱりしたクリームソースで
簡単に和えたものだ。少し摘んでみると、仄かな甘味が食欲をそそる。
シャンペンをちびちびしながら、ふたりはメニューを眺めた。
しばらくして飯田がそっと顔を寄せ、不安そうに、
「ねえ、圭ちゃん。ちっとも分かんないんだけど・・・」と、メニューをひょいと掲げて言った。
「堂々としてりゃいいのよ。わたしだって、実はチンプンカンプンなんだから」
と、保田は肩を竦める。「美味しそうな語感で選ぶとかさ」
メートルを再び呼び、注文する。
保田は、アラカルトから選んだ肉料理と魚料理を頼み、
あとはメートルが勧めたものにした。飯田も同じものを頼んだ。
料理を頼んだ次は、ワイン選び。しばらくすると、ぴしっとスーツで決めた、
30台ぐらいの女性のソムリエがワインリストを持ってやって来た。
保田は素直に、こういうところ慣れないんで、お任せしてもいいですか?と尋ねた。
すると、ソムリエは小難しい銘柄と何年ものか、そしてその味わいを丁寧に説明してくれた。
37 名前:ふるる 投稿日:2001年08月30日(木)21時45分57秒
「あ、はい。じゃあ、それで」と答えたあと、「いいよね?」と、飯田にも一応確認する。
ワインなんかにはもちろん明るくない飯田は、こくこくと振り子細工のように首を縦に振る。
ソムリエが立ち去ったあと、飯田は、
「なんかさー、すごいねー、ドラマかなんかで見たのと一緒だ」
と、大きな目をぱちくりさせている。
「っていうか、そういうドラマがこういうトコを取材して使ってるんだろうけどね」
そこで急に、飯田は俯いてクスクスと笑い始めた。
「なに? どうかしたの?」
保田が尋ねると、あのね、と飯田は言った。
「圭ちゃんのことだからさ、多分ホルモンかなあって思ってたの」
それなら、わざわざいいカッコで来てっていわないじゃんかー、と言って保田は、
「いや、正直、それでもいいかと思ったんだけどさ、それじゃ、いつもと一緒じゃん」
「うーん、そっだね、たまにはこういうのもイイかも」
と、飯田は改めて店内をぐるりと見回した。
38 名前:ふるる 投稿日:2001年08月30日(木)21時47分04秒
不意に会話が途切れる。微かに店内に流れていたゆったりしたジャズが浮かび上がる。
タイトルは知らないが、どこかで聴いたことのある曲。
あのね、と、飯田が口を開いた。「圭ちゃん、ありがとね」
ワイングラスを口から離し、「なによ、改まって」と、保田は肩を竦める。
「だって・・・圭ちゃんさ、カオリのためにこんな・・・」
「カオリが喜んでくれたんなら、わたしはそれでいいよ。リーダーとして頑張ってるしさ、
いや、ホント、これからメンバーも増えるし、誕生日オメデトウってのだけじゃなくて、
激励を兼ねて、ってトコかな」
それは本音だけれど、柄でもないことを言ってるな、と思いながら、
保田は照れ臭そうに伏目がちに話していた。
ずっと沈黙していた飯田にふと視線を上げると、俯いたまま肩を小刻みに震わせている。
「ちょっと・・・どうしたの?!」
目を丸くして保田は尋ねた。
「カオリ、圭ちゃんがハタチになったとき、なんもしなかった・・・・・・」
嗚咽混じりに飯田は言った。
39 名前:ふるる 投稿日:2001年08月30日(木)21時47分44秒
取り繕うように保田は、
「あのぅ・・・な、なんでよ。プレゼントくれたじゃん。イヤリング。
ほら、あの青い綺麗なやつ。圭ちゃんには青が似合うと思うから、とか言ってくれてさ。
あれ、嬉しかったよ、すごく」
すると飯田は縮こまるように、ますます俯き加減になる。
どうしたものか、と、保田が継ぐ言葉を選びあぐねていると、
飯田は顔を上げて手の甲で涙を拭き、「あれはぁ――」
と言いかけて飯田は少しためらうように視線を泳がせる。
保田が、「・・・あれは?」と、優しく続きを促すと、飯田は伏目がちに続けた。
「あれはね、前日になっちから電話があってさ、それは別の用事だったんだけど、
圭ちゃんの誕生日の話になって、プレゼント何にした?って。
カオリ、圭ちゃんの誕生日をすっかり忘れてて、それで慌てて買いに行ったんだよ。
だから、心のこもり方が違うんだよ、圭ちゃんはさ、今夜のために、
前から予約してくれてたんでしょ? イロイロ調べてくれたりしてさ。
だからさ・・・だから・・・」
徐々に嗚咽は収まってきたものの、飯田の言葉は途切れ途切れになる。
40 名前:ふるる 投稿日:2001年08月30日(木)21時48分16秒
「泣くなよぉ、カオリ、わたしが好きでやってるんだからさ」
「でもカオリ、なんかね、申し訳ないっていうか、
なんか、自分がみっともないっていうか、恥ずかしいっていうか、そんな気がしてさぁ・・・」
なんでそうまで言う?!
「なんでよ、汚れてなんかないよ。なんでよ? カオリ。
あのプレゼントはとにかくわたしは嬉しかったし、気に入っちゃって、時々付けてるしさ」
すんすんと洟を啜る飯田を見ながら、
今日、あのイヤリング付けて来ればよかったなあ、と保田は少し後悔した。
ソムリエが再びやって来た。半透明の緑色のボトルが2本、小脇に抱えられている。
慌ててハンカチで目の辺りを拭くと、飯田はかしこまった。
その仕草がなんだかおかしくて、保田は笑いそうになった。
保田のワイングラスに、たっぷりとした透明な輝きがわずかに注がれる。
もっともらしくテイスティングをしてみようかとも思ったが、
やり方が間違っていたら恥ずかしいし、なにより、そんなことをしたところで、
酒の味をロクに知らない自分に分かるはずもないと思って、やめた。
あっさりとひと口含んで頷いて見せる。
同じように、次は赤ワインだ。
41 名前:ふるる 投稿日:2001年08月30日(木)21時48分57秒
ワイン選びが終わると、「ではこれで」と、
ソムリエはワインをふたりのグラスに注ぐと、また去って行った。
ソムリエの足音が遠ざかったのを見計らって、飯田はわずかに保田に顔を寄せ、
「すごいね、なんか慣れてるっていうか、オトナってカンジ」と、
半ばソンケーの眼差しで言った。
保田は慌てて手刀をぶんぶんと振り、「慣れてない慣れてない!」
とりあえず、乾杯することになる。
「じゃあ、ハタチの誕生日おめでとう、カオリ」
「ありがと、圭ちゃん」
かちん、と、短くグラスを交わすと、ふたりはひと口ずつ飲んだ。
42 名前:ふるる 投稿日:2001年08月30日(木)21時50分15秒
口を離すと飯田は、「甘〜い。あ、それに結構酸っぱいね」と、グラスをやんわりと傾け、
色をまじまじと見た。
確かに、酸味が少し強い白ワインだった。
「あれっ? カオリ、お酒って飲んだことあるよね?」
「んー、ちっちゃいころにアソビでね、お父さんに飲ませてもらったかな。
あと、コンサートのあと、裕ちゃんが飲んでる缶ビールをちょっと飲ませてもらったぐらい」
「そっか。じゃあ、これがまともに飲むのは初めてってワケだ」
「うん。でも、ワインって美味しいね」
今度、家に一本買っちゃおうかな、と嬉しそうに言う飯田を見て、
来てよかった、と、保田は思った。
そんなことを話していると、前菜がやって来た。フォアグラとトマトのサラダだ。
43 名前:ふるる 投稿日:2001年08月30日(木)21時50分48秒


それからテーブルには、レタスの冷たいコンソメスープ、オマール海老のソテーがやって来ては、
それらの皿はすっかり綺麗になっていった。いまは、鴨肉のステーキがふたりの前にある。
ナイフを入れると、じゅわっと肉汁が皿に鮮やかに赤く広がる。
「あ、これ、すっごいいけるわ」
ひと口、口に運ぶと、保田の表情が綻んだ。
「甘くて美味しいね」と、飯田の頬も緩む。
上品な味付けだった。それに乗るように、会話も弾んだ。
「なんかね、すごく昔のことのような気がするよ。娘。に入ったころ・・・
レコーディングのときかな? カオリに励ましてもらったのが」
「え? なにそれ? あったっけ? そんなコト」
「裕ちゃんに怒られてさ、わたしが。それで凹んでトイレで泣いてたら、
カオリが『元気出そうね』って言ってくれてさ」
「ああ! 思い出した。圭ちゃん、それで、手紙くれたんだよね。『頑張ります』って。
あの頃の圭ちゃんは、なんか可愛くってさあ・・・」
しみじみと睫毛を伏せる飯田に、
「っていうか、なんで、あの頃の、って限定なんだよ。聞き捨てならないわ」
44 名前:ふるる 投稿日:2001年08月30日(木)21時51分28秒
飯田は笑って、「だってほら、いまはモーニングの裏番だからさ」
「裏番とか、そういうコト言うのやめてよー。
また他のみんなにからかわれちゃうんだからさぁ」
眉をハの字にして保田は言った。
「でもさー、もし裕ちゃんの次にリーダーが決まるとしたらー、
カオリ、圭ちゃんかなぁ、って思ってたの」
「えー? なんでよ? わたしはカオリだと思ってたよ」
「だって、圭ちゃん、しっかりしてるじゃん。一生懸命だしさー。だから」
「そんなコト言ったら、カオリだって一生懸命じゃん」
「でも・・・なんか頼りなくない?」と、飯田は眉を潜める。
「そこいらへんの匙加減がね、抜群なのよ、カオリは。
みんなさ、完全におんぶに抱っこじゃなくて、自覚を持って自分もがんばらなくちゃな、
って、思っちゃうんだよ、きっと」
「えっ? えー? どういうコト?」
飯田は少し身を乗り出すようにして訊いた。
45 名前:ふるる 投稿日:2001年08月30日(木)21時52分02秒
「――だからさ、リーダーに完全に頼るんじゃなくて、みんなで頑張らなきゃ、って」
「なんかさー、それって誉められてんの?」と、飯田は苦笑する。
「え? まあ・・・誉めてるんだよ」と、保田も笑った。
「もぉー。今日はカオリの誕生日なのにさ、圭ちゃん、相変わらず毒舌だよねー」
「わたし、好きなひとにしか毒舌は言わないよ。
だから、わたしの好意の表れだと思っといてよ」
「んー、まあ、いいけどさー。なんっか都合よくからかわれてるだけのような気がするよ」
あはははと、保田は笑いながら、添えられたキノコで皿に残ったソースを拭って口に入れる。
46 名前:ふるる 投稿日:2001年08月30日(木)21時52分42秒


わざわざワゴンで運ばれ、デザートとして出てきたキウイのシャーベットは、
とろりとした触感が絶妙で、飯田は「ほっぺが落ちそうで痛いよ」と興奮気味に言った。
そのあとに出てきたエスプレッソも、至福という言葉を思い出させてくれた。
カップの底が見えると、店を出ることにした。
外で待ってて、と飯田に言い、保田はレジカウンターへ行く。
店の格式の割に、分別のある値付けで済んだ。カードで支払いを済ませ、
ドアを開けると、外はすっかり夜の帳が下りている。
飯田は言われたとおり、玄関を出たところで待っていた。夜空をボーっと見上げている。
「あっ。交信してるし」
保田の声に、「あ・・・」と、飯田が気付いて振り返る。「ああ、うん。久々に連絡とってみた」
「何とよ!」
笑って飯田の肩をぽん、と叩く。
「んっとねえ、今夜はさー、結構星が見えるなー、って思ってさ」
そう言われて保田が見上げると、月の光が薄いせいか、晴れ渡った夜空に星が、
思ったより明るくいくつか見えた。東京でも暗いところからなら、
こんなに見えるもんなんだなあと、今さらながら少し感動した。
そう言えば、こっちに出てきてから、夜空を見上げることなんてあったかなあ。
47 名前:ふるる 投稿日:2001年08月30日(木)21時53分18秒
「あ、そだ。今夜はどうも、ごちそうさまでした」
丁寧にぺこりと――いや、大柄だから、
なんだか、ぐぅんという風になるが――お辞儀までして飯田は言った。
「あ、いえいえ、どういたしまして」
そう言って、タクシーを呼ぼうと携帯を取り出した保田の手をそっと制して飯田は、
「ねえ、ここからちょっと歩かない?」
「? いいけど、なんで?」
「なんとなくね、圭ちゃんと一緒に、ゆっくり歩きたいなあ、って」
保田は俯いて、「なんだよー、急に」と、笑う。
門を出ると、路地の少し先に大通りの眩い光が細く見えた。そちらに向かってふたりは歩き出す。
「なんてゆうかさ、圭ちゃん・・・カオリね――」
保田の方を見て、飯田はふわりとした口調で言った。
街灯の加減のせいか、瞳が微かに潤んで見える。少し酔っているのかも知れない。
「圭ちゃんに会えてよかったよ」
そんなこと、面と向かって誰からも言われたことがなかったから、
保田はにわかな頬の火照りを感じながら、
「なによぉ、ちょっと酔ってるの?」と、ぎこちなく笑った。
48 名前:ふるる 投稿日:2001年08月30日(木)21時54分00秒
「ちょっと、そうかも。あのワイン、口当たりよくて美味しかったからさー」
うっすらとした街灯に照らされた色白な飯田の頬は、微かに朱が差しているように見えた。
「でもさ――」
保田は言った。「数少ないオフを、こんな風にカオリと過ごせて、わたしもほんとうによかった」
すると飯田はいきなり保田の肩に手を回し、
「カオリね、今夜のコト一生忘れないよ」
飯田の髪から心地いい石鹸の匂いが仄かに漂うのを感じながら、保田は、
「・・・なぁに安っぽいテレビドラマみたいなこと言ってんだか」
と、飯田の頭を軽くはたく。
あはは、と、飯田は明るく笑った。「だって、ハタチなんて、一生に一回しかなれないんだよ?」
保田も、一生のうちにこんなコと出会えることなんて、もう二度とないだろうなと思った。
いや、同じひととなんて巡り会えない。それは飯田だけじゃない。誰であろうと、だ。
二度と来ない瞬間の積み重ねを、今もこうして生きてるんだ。ふとそう思うと、
ちょっとだけ切なくなった。今夜のことも、思い出して懐かしむ日がいつか来るのかもしれない。
49 名前:ふるる 投稿日:2001年08月30日(木)21時54分33秒
「あー・・・なんかさあ、気持ちいー。
よく晴れた夏の夜と、素敵な友達と、美味しい料理。も、サイコーだね」
と、飯田はたたっと先に行き、その場で手を大きく広げると、くるっとひと回り。
栗色の長い髪がしゃらん、と、しなやかに舞う。
上機嫌なカオリを見ていると、不思議とこっちも気分がよくなってくる。
明日からも頑張れるなあ、と、なんとなく保田は思った。
「ねえ、これからウチ来ない?」
先を歩く飯田が唐突に言った。
「えー? なんで?」
「・・・お茶漬け食べたくない?」
「もしかして・・・美味しくなかった? 今日のトコ」窺うように保田は尋ねた。
50 名前:ふるる 投稿日:2001年08月30日(木)21時55分08秒
「ううん。美味しかったよ。うん、すごく美味しかった」と、飯田はかぶりを振り、
「でもね、食べたくない? お茶漬け」
言われてみれば、なんだかだんだん食べたくなってきた。
やっぱ、フレンチよりもお茶漬けのが似合うんだろうなぁ。
それはそれで、ちょっと寂しくもあり、なぜか嬉しくも感じられた。
「なんかねえ、カオリ、圭ちゃんと、お茶漬け食べたい気分なんだよねー」
保田は笑い、「どんな気分だよぉ?」
51 名前:ふるる 投稿日:2001年08月30日(木)21時55分42秒
「だって、食べたいんだもん」と、真面目な顔で飯田は言う。
「でも、いいねえ。食べたいなあ、お茶漬け。梅茶漬けがいいな」
「じゃあ、近所のコンビニで梅干買って行くね。
カオリは鮭茶漬けがいいかなあ。さらさらーッと食べたいなー」
「さすが道産子だね」
そう言って、保田は笑った。
実は、今夜は「あいのり」の続きがとても気になっていたのだが、
カオリの家で見せてもらおうと思う保田なのだった。

52 名前:ふるる 投稿日:2001年08月30日(木)21時57分19秒
以上、ふたつ目の話、終わりです。
また気が向いたら、三つめを書くかもしれません。

>>28
ありがとうございます。次、書くなら、いしよしかもしれません。
>>29
めちゃ長い某小説、ご苦労様でした。
こちらはかなり趣が違いますが、読んでくださって嬉しいです。
53 名前:ふるる 投稿日:2001年08月30日(木)23時12分20秒
ミス発見。すみません。
>>40
保田のセリフ
× 汚れてなんかないよ。
○ 恥ずかしくなんかないよ。
54 名前:名無し読者 投稿日:2001年08月30日(木)23時22分21秒
食事自体が、すごく美味しそうに描かれているのが素晴らしい。
食欲をそそられる。
55 名前:名無し読者 投稿日:2001年08月31日(金)00時54分28秒
凄い…

以前のも第一話も素晴らしい作品に違いないのですが、
今回の「星降る夜のフレンチとお茶漬け」は、
情景描写と二人の台詞回しが絶妙で
店内の隣の席に、本物の保田と飯田が座っているようでした。

つか、ふるるさんが隣の席にいた二人を
ビデオカメラで隠し撮りされていたのでしょうか?
いやほんとに(w

次回も楽しみにしておりますので、ぜひともよろしくお願いします。


56 名前:ラークマイルドソフト 投稿日:2001年08月31日(金)03時09分40秒
描写そして展開が素晴らしいとおもいました。
読み終わった後なんだか温かくなりました(謎
57 名前:弦崎あるい 投稿日:2001年08月31日(金)23時35分22秒
ふるるさんの小説はHPで前から見ていたんですけど、
そのときから巧いなぁと思っていました。
今までになかった作品で、読んでいてとても新鮮でした。
ここで見られると思っていなかったので、とても嬉しいです。
次回作も頑張って下さい。
58 名前:名無し読者 投稿日:2001年09月01日(土)00時39分35秒
>>57
ここで書いている作者ならsageで書いてる小説は
あげないと言うことぐらい知ってると思うんですが?
59 名前:ふるる 投稿日:2001年09月01日(土)01時20分51秒
ちょっと、レスだけです。

>>54
食べたことも見たことすらもないんで、薄氷を踏む思いで書いてます(薄笑。
読んだらお腹が空いたっていうのは、誉め言葉のひとつですね。
>>55
ありがとうございます。できるだけ自然な感じを大切に書いてます。
でも、ちょっとセリフが全体的に多過ぎたと反省。
ちなみに盗撮の趣味はありません。
>>56
せっかく時間を割いて読んでいただくので、
読み終えてから、ちょっぴり得した気持ちになって頂けたら嬉しいです。
>>57
あ。以前からいくつか読ませて頂いてました。
こういう読み物は、こちらでは浮かないかと思って不安だったんですが、
少なくとも不評ではないらしいので、正直、ホッとしています。
>>58
作者が最初に、sageで、と書けばよかったですね。

次回は、また気が向いたらテキトーに(笑)書いていきますので、
そのときまたよろしくです。
60 名前:名無し読者 投稿日:2001年09月01日(土)05時56分52秒
何気ない設定に何気ない会話。
それでここまで読ませる作品はさすがですね。
これからも楽しみです。
ちなみに私も某小説特別編まで読ませていただきました(w
61 名前:名無し娘。 投稿日:2001年09月02日(日)04時16分51秒
ふるるさんの他の作品も読んでみたくなりました。
美しい作品世界ですね。
それも実際にありえるというのが気持ちいい。
自分の妄想(?)も刺激されます。
62 名前:ふるる 投稿日:2001年09月03日(月)01時42分07秒
またしてもレスだけですみません。
今月いっぱい、忙しくなりそうなんで、しばらく新作は出せそうにないです。
でも、レスをいくつか頂けたので、いい気になって、書けるときには書きます。

>60
普通の話なら省くべき要素を丹念に書くことで、
なにかしらの趣のある雰囲気を出せれば、と思っていて。短編だからできる事けれど。
でも、読んで頂くのは難しい(笑
にしても、某小説、って、別に伏せる必要もありませんが(笑。
>61
今まで書いたものは、こちらに置かせて頂いてます。
マターリしたものばかりではありませんが、お暇なら。
ttp://www.geocities.com/rika_hitomi/index.html
63 名前:ふるる 投稿日:2001年09月09日(日)18時31分54秒
更新です。
今回のは、自分で言うのもナンですが、ユルユルです(T_T)。
さくっと読み流してください。まあ、たまには恥も晒しとけってな具合で、
しばらく新作が書きにくい状況なので、載せちゃいます。
あ。いしよしだと思ってた方がもしいらしたら、ごめんなさい。
64 名前:傷心のココナッツ・アイスクリーム 投稿日:2001年09月09日(日)18時32分39秒
まだたった13年間の人生とは言え、これまでこんなに緊張したことはなかった。
ある意味で、去年のオーディション合格発表のとき以上にドキドキしている。
局のロビーでひとりソファに座って紙コップのコーヒーを飲んでいる吉澤の後ろ姿を見掛けると、
いったん通り過ぎたあと、加護はしばらくして立ち止まり、今日こそは、と思い直して踵を返した。
歩調に伴って、徐々に吉澤の背中が近づいて来る。あまりの緊張で、自然と呼吸まで浅くなってしまう。
と、気配に気付いて吉澤が振り返った。加護の顔を認めると、すぐに怪訝そうに小首を傾げ、
「どうしたの? 加護ちゃん、なんか顔色悪いよ」
「え? あ、そーかな? そんなコトないけど・・・」掠れた声になった。
「ふーん。だったらいいけどさ」
えへへ、と、加護はちょっと頬が緩む。少しでも心配してくれたことが嬉しかった。
65 名前:ふるる 投稿日:2001年09月09日(日)18時33分15秒
すると吉澤は形のいい眉を潜め、
「ちょっと加護ぉ、ホントにだいじょぶ? 顔、青くなったり赤くなったりして、なんかヘンだよ」
と、少し可笑しそうに言う。
「あんな、よっすぃー・・・」
まともに顔を見られない。視線をぎこちなく彷徨わせながら加護は窺うように言う。
「最近、映画、とか観た?」
「映画? 映画館の? あー、そういや、しばらく観に行ってなあ」
その言葉を聞いた瞬間、加護の顔がパッと輝く。かすかな上気と共に。
「行かへん?」
「映画? 加護ちゃんと?」と、吉澤はぴたっと加護の胸元を指差す。
「うん」と、加護は強く頷く。
66 名前:ふるる 投稿日:2001年09月09日(日)18時33分47秒
胸の早鐘がひと際大きく跳ね上がる。
イヤなん? イヤなんか? そんなコト言わんといてぇな。ええやん、絶対楽しいって! 行こ。な? 行こうな。
胸の辺りで、早口でそう念じた。
吉澤は飲み干した紙コップをくしゃりと潰してゴミ箱に放り投げると、加護の方に向き直り、
「なんの映画?」
このひと言に、加護の気持ちは多少沈んだ。バケツいっぱいの冷や水をぶっ掛けられたような気分だった。
そーか・・・よっすぃーにとっては、カゴといっしょに行くことよりも、どんな映画かが大切なんやなぁ・・・。
でも、まあ、それはしゃあないか・・・。
加護は気持ちを口調には出さず、この夏でいちばんヒットしているアニメ映画のタイトルを挙げた。
「あ、行きたい行きたい。実はそれ、観たかったんだよねー」
吉澤は弾んだ口ぶりで言う。
67 名前:ふるる 投稿日:2001年09月09日(日)18時34分23秒


天にも昇る思いというのは、こういうのを言うのだろうか。
いつも子ども扱いされる自分に嫌気が差していた。好きな気持ちに大人も子供もないと思っていた。
それでも、こっちが遊びに行こう、と誘っても、辻と行きなよ、と上手くあしらわれるのがいつもの落ちだった。
その度に加護は密かに軽い失望を繰り返さなくてはならなかった。楽屋などでいつも抱きついてしまうのは、
少しでも吉澤の関心を引きたいから。ささやかな喜びだけれど、それが精一杯だった。
ところが今日は、思いもよらずいっしょに行ってくれるという。吉澤とふたりだけで過ごす時間。
好きなひとを独り占めすることの、なんと贅沢なことか。
68 名前:ふるる 投稿日:2001年09月09日(日)18時34分59秒
カッコいいよっすぃー。面白いよっすぃー。
そんなよっすぃーが、その時間、誰にも邪魔されずにカゴの傍にいてくれる。
手元には、生まれて初めて自分で買った映画の前売り券2枚がある。それは今の加護にとっては幸せ行きの切符だ。
もちろん、吉澤を誘う口実のために購入したものである。
目に見える世の中のすべてがバラ色に見える。ぴかぴか輝いて見える。足取りも軽くなる。
スタジオまでの廊下をスキップしてしまう。なにも知らない辻が合わせて楽しそうにスキップして、
ふたりして矢口に怒られる。
「辻加護〜!廊下は走らないのッ!」
かくして、その日の「ミニモニ世界照準」の収録は、いつもにも増して加護のハイテンションが炸裂した。
矢口やミカはおろか、辻までもがその様子には多少唖然としていた。
69 名前:ふるる 投稿日:2001年09月09日(日)18時36分19秒

今日の収録の最後はミニモニの歌撮りになっていた。
「ねえねえ、あいぼん、なんかいいコトあったの?」
音合わせ、ランスルーが終わって本番を待つ間、
スタジオの後ろのパイプ椅子に座ってセットのスタンバイの様子を何気なく見ていると、
隣に座っていた辻が顔を寄せてこそっと尋ねた。
「え〜?・・・う〜ん・・・」
誰かに言ってしまうと、幸せが少し薄れてしまうような気がして、
加護は、「今日、なんか気分ええねん」などと、適当に誤魔化した。
それに、好きなひととのふたりだけの秘密が出来たみたいで、なんだか楽しかった。
70 名前:ふるる 投稿日:2001年09月09日(日)18時36分55秒
「ふ〜〜ん???」と、辻がまだニヤニヤと加護の顔を窺うものだから、加護は膝元で開いていた雑誌の誌面を指差し、
「うわっ、これ美味しそう!」
「えっ? なになに?」
と、辻はくるりと視線を雑誌に落とす。予想通り辻は食いついてきた。口の形を「O」にして釘付けになっている。
雑誌の見開きには季節柄、アイスクリームが特集され、いくつもの写真が誌面を飾っていた。
なかでも、半分に切ったココナッツの実をくり抜き、そこにアイスクリームが詰められているものを自分の指先が差していた。
適当に指差しただけだったが、ちゃんと見てみると、なかなかに美味しそうだ。
店の写真も添えられており、加護はその店の前を何度か通ったことがあった。
「じゃ、本番おねがいしまーす!」
丸めた台本を掲げた女性のADの声がスタジオに響く。
「おねがいしまーす」という矢口の声に続いて3人も、「「「おねがいしまーす」」」
4台のカメラがそれぞれ所定の位置に動いていき、ミニモニの4人が照明のなかに入っていく。
71 名前:ふるる 投稿日:2001年09月09日(日)18時37分32秒

収録が終わり、すっかり楽屋には誰も残っていないと思っていたが、ドアのノブに手を掛けたとき、
ふと、中から声が聞こえた。
――それで加護ちゃんがさぁ・・・
ハッとした。
吉澤の声だった。
カゴの話・・・? どんな話? 誰と話してんの?
いけないことのような気持ちを抱きながらも、なんとなく耳をぴたりとドアに寄せていった。
――もうね、かわいいんだよ。いつもと違って、モジモジして、『映画、行かへん?』って。なぁんかねえ、
すごく緊張してるってカンジだったよ。いつもだったら、びたーん!って抱きついてくんのにさ。なんだろうねー?
――ふーん。ああ見えて、あいぼんも純情なトコあるのねー。
――純情? なにそれ?
――ああ・・・ううん、なんでもない。それで一緒に映画行くんだ?
――うん。観たかったしね。あ、梨華ちゃんも行く?
「加護? なにしてんの? こんなトコで」
突然背後から掛かった声に、息が詰まる。口から心臓が飛び出してしまうかと思った。
同時に部屋のなかの声がぴたりと止んで、しんと静まり返った。
72 名前:ふるる 投稿日:2001年09月09日(日)18時38分39秒
振り返った加護の表情に、「ちょっと加護、泣いてんの?」と、矢口が眉を潜めた。
ドアが開く。今度はそっちに顔を向けると、吉澤と石川が立っていた。
「加護ちゃん?」
吉澤が見下ろして言う。さらにその肩越しに、
「あいぼん・・・?」
きょとんとした表情の石川が声を掛ける。
前からは吉澤と石川、後ろからは矢口が怪訝な表情で加護を見ていた。どうしていいか分からず、
加護は弾かれたようにその場を飛び出した。
「加護! どうしたのっ?!」
気持ちが動転していて誰の声か分からないが、背後から聞こえた。
行き交うひとを避けながら廊下を走りつつ、念の為に目許に手をやってみた。涙は流れていなかった。
しかし、今にも泣きそうなほど瞼は熱かった。
アホ! よっすぃーのアホ! 無神経!
走れば走るほど、惨めな気分になった。
途中で楽屋に向かっている辻とすれ違った。なにか声を掛けられたが、
脇目も触れずに、ただ、走り抜けた。
73 名前:ふるる 投稿日:2001年09月09日(日)18時39分15秒
トイレに飛び込む。洗面台の前で、鏡に映った自分の顔を見た。酷い表情だった。顔を洗った。
別にふたりだけの秘密ということではなかったが、そういった気分を味わって楽しかったのだ。
できれば誰にも言わないで欲しかった。言うなら、行ってからにして欲しかった。
せめて、話す相手が後藤ならばこんなに失意に沈む事はなかったかもしれない。
それが、よりによって石川梨華だなんて。それで、ふたりでそのことを話題の種にして楽しむなんて。
しかも、「梨華ちゃんも行く?」と、きたものだから。
映画行かへん?というひと言を搾り出すのにどれだけの勇気が必要だったか、誰にも分かりはしないだろう。
幼いプライドの傷は深かった。
いっつもふたりで楽しそうにしてるやん。もぉええやん。たまにはカゴとも遊んでくれたってええやん。
ペーパータオルを乱暴に引き抜いて濡れた顔を拭いていると、ドアが開いた。そこから顔を出したのは吉澤だった。
「加護ちゃん・・・」
心配そうに掛けられた声に、
「急に、なんか気分悪なったから・・・もう、大丈夫やから・・・」
そんなことを訊かれた訳でもないのに、加護は言った。
74 名前:ふるる 投稿日:2001年09月09日(日)18時40分17秒
「あ・・・そう・・・」決まり悪そうに吉澤は言って、「映画・・・」
ぽつりとした吉澤のひと言に、
「え?」
「さっきさ、一緒に、って言ってた映画・・・いつ行く?」
沈黙とばつの悪さを埋め合わせるように、吉澤が言った。
「あー・・・あれ、前にののと一緒に行く約束してたん忘れてて・・・せやから・・・ごめん」
そう言って、くしゃくしゃになったペーパータオルをゴミ箱に捨てる。
もちろん、辻とはそんな約束はしていない。ふたり以外に話が漏れたことで、
なんだかその約束が汚されたような気がした。だからもう、一緒に映画には行きたくなかった。
75 名前:ふるる 投稿日:2001年09月09日(日)18時40分49秒
そんな加護の気持ちを知ってか知らずか、吉澤はさらに言った。
「じゃあさ、代わりに、なんか美味しいもん食べに行かない?」
思ってもいない誘いだった。なるほど、どうやら加護の微妙な気持ちを察し、
勝手に石川に話したことについて、悪いことをしたと自覚しているらしい。
大体、後を追ってきたということは、そういうことなのだろう。
加護は精一杯にイタズラっぽい笑みを浮かべると、
「よっすぃーのオゴリ、な?」
ここぞとばかりに言った。
「しっかりしてる!」
機嫌を直した加護の様子に安心したのか、吉澤の顔にようやく笑みが零れた。
76 名前:ふるる 投稿日:2001年09月09日(日)18時41分24秒


そのパーラーはひっそりとした裏通りに面していた。ありきたりな民家が続くなかで、
突如として現われる白いペンキ塗りの木造2階建て。どこかの上等なペンションのような店の洒落た外観は、
周囲の街並みからはやけに浮き立って見えた。
席の半分はオープンカフェになっていて、軒先に伸びた折り畳み式の大きな日除けの下にいくつかのテーブルが出されている。
雑誌の広告効果だろうか、殆どの席が埋まっていた。
加護と吉澤は外の真ん中に空いている席を見つけると腰掛けた。すぐにウェイトレスが水とおしぼりを持って来てくれる。
吉澤がテーブルに立ててあったメニューを見ようと手を伸ばしたとき、
「ココナッツ・スペシャル・クール」
いきなり加護が言った。
「げ。マジ?」
メニューを見た吉澤がぽそりと漏らした。
加護が頼んだアイスクリームは、ひとつ3000円の代物であった。このパーラーの商品の中で最も高価だ。
どうしたん?と、加護が尋ねると、吉澤は、いや別に・・・と、言葉を濁し、「じゃあ、アイスレモンティー」
ウェイトレスが立ち去ったあと、吉澤がすかさず顔を寄せて囁いた。
「すげ、高いねぇ・・・カゴが頼んだの。どんななの?」
77 名前:ふるる 投稿日:2001年09月09日(日)18時42分13秒
「えっとねえ・・・」と、加護は回りのテーブルを軽く見回すと、「あ、アレ」と、さり気なく指差した。
吉澤が見ると、隣のテーブルで差し向かいに座った若い女性ふたりが、
真ん中に置いたココナッツの実の中身を長いスプーンで突付いている。
「でか・・・っ」
見た瞬間、吉澤が思わず漏らす。ラグビーボール程はあるじゃないか。すかさず加護に、
「アレ、全部食べんの?」
「ウン」平然と加護は答える。
「無理だって。手伝ったげるよ」
「無理やないもん。あんなん、すぐやん」
「ダメだってば」
「よっすぃーも食べたいんやったら、頼んだらええやん」
「違うよ、そーじゃないって。そりゃーさ、ちょっとは、どんな味かなあ?って思うけど、
でも、加護ひとりじゃ、あれはとても無理だって」
「無理無理って言わんといて。やってみな、分からんやん」
頑なな口調になってしまう。
78 名前:ふるる 投稿日:2001年09月09日(日)18時42分49秒
吉澤は頬杖を突いて、すーっと深く吸い込むと、「あんたさ――」と、言った。「なんか意地張ってない?」
「別に」
こうべを振りながらも、加護は困ったことになったと思った。今日が来るのを楽しみにしていたのだ。
せっかくの吉澤との初めてのデート。楽しくなればいいなと思って、せいいっぱいのお洒落もして来たつもりだった。
「まあ、いいけど」と、吉澤は肩を竦める。
昼下がり。日除けがくっきりと黒い影を落としている。とは言え、コンサートで地方を回っていた頃に比べれば、
だいぶしのぎやすくなっている。それにビル街が近いせいか、時折さわやかな風が通りを吹き抜けて心地いい。
しばらくして、まずはアイスレモンティーがやって来た。
吉澤はいっしょに運ばれてきた砂糖壺からひと匙掬うと、細長いグラスに落とした。
79 名前:ふるる 投稿日:2001年09月09日(日)18時43分19秒

実際に目の前に来ると、それは遠目に見た別のテーブルに置かれているものよりもずっと大きく見えた。
吉澤はぽかんと口を開けている。さすがの加護も目を見張った。
外観は雑誌にあった写真の通りだ。半分に切ったココナッツの実の中身をくり抜き、
そこにココナツミルクのアイスクリームを詰め込んである。
さらに表面には豪快にぶつ切りになったメロンやパパイヤのスライスといったフルーツがデコレートされている。
「いただきま〜す」
加護がスプーンを手に取り、さっそく大きく掬ってみる。
「んッ!」
スプーンを咥えたまま、加護が顔を上げる。
口の中に入れた途端、ふんわりと軽く冷たい甘さがいっぱいに広がった。
加護の手元を視線で追っていた吉澤が、どう? どうなの?と、興味深げに訊く。
「おいしいよ」
満面の笑みで加護は答えると、もうひと匙、またひと匙。
堪えきれないように吉澤は、
「ねえ、ちょっとだけちょうだいよ」
と、顔を寄せて口をあーんと開ける。
加護がしょうがないなあというように、ひと匙掬って白い柔らかな塊を口の中に入れてやる。
80 名前:ふるる 投稿日:2001年09月09日(日)18時44分01秒
ん〜〜っ!と吉澤は両の拳を丸め、「おいっすぃー!」と、肩を震わせた。
その仕草は決して大げさではない。決してしつこくない甘さが冷たさの中からゆっくりと現われてくる様は、
熱い盛りには、なかなかにたまらないものがあった。
食べ進めるうちに、より美味しく食べる方法が分かった。
クリームだけじゃなく、それを囲むココナッツの果肉を合わせて掬って食べると、一段と引き立つのだ。
仄かな酸味を孕んだ果肉は、クリームの甘さを妙に引き立てる。
だが、ペースが早かったのは最初だけだった。中身の半分も達しないうちに、加護の目の輝きが失われてきた。
添えられていたフルーツもすっかりなくなってしまい、残りはひたすらに真っ白なクリームだけになった。
ともすれば、行く手を阻む砂漠の山のようだ。
吉澤のアイスティーが空になってしまってしばらく経つ。
ねえ、残したら、としつこく言う吉澤の言葉を聞き流して、
加護はただ黙々とスプーンをココナッツと口の間に往復させる。
81 名前:ふるる 投稿日:2001年09月09日(日)18時44分37秒
「ねえ、ホント、無理しない方がいーよ」
覗き込むように見詰めるが、「だいじょうぶ」と、聞く耳を持たない加護に、さすがの吉澤もとうとう閉口し、
頬杖を突いて加護が食べ終わるのを待つことにしたようだ。
もはや、味なんて分からなくなっていた。舌の感触もなくなっていた。
ただひたすら、このココナッツの中身を寸分残さず腹に収めることだけを考えていた。冷たさに、頭のなかがじんじんと痺れる。
どうして全部食べなきゃいけないような気がするのか、自分でもよく分からない。でも、殆どそれは使命感のようなものだった。
82 名前:ふるる 投稿日:2001年09月09日(日)18時45分13秒


不意に音楽が止まった。みんなの動きがぴたりと止まる。
夏まゆみの怒声が飛んだ。
「加護! あんた、みんなの足引っ張ってんの、気付いてる? もうすぐ新メンバーが入ってくるんだから、そんなことやってるようじゃ、あっという間に抜かれちゃうよ!」
窓の外はすっかり夜の帳が下りて、すでにレッスンは予定の時間をオーバーしつつある。
「あ、あのう・・・」
加護がおずおずと言った。
「なに?!」
「ちょっと・・・トイレ行って来ていいですか?」
今日はもう、これで3度目になる。
夏まゆみは深々と長くため息をつくと、
「あんたさあ、コレ、仕事でやってるんだよ。健康管理も仕事のうちなんだからね」
と呆れ声で言い、手をシッシッと振って、行けと合図した。
加護がすごすごと、やや前屈みになりながらレッスンスタジオを出て行く。
そんな加護の様子を、吉澤が心配そうに見詰めていた。
83 名前:ふるる 投稿日:2001年09月09日(日)18時45分48秒

結局、加護だけが大きく遅れを取ったまま、レッスンが終わった。
解散し、みんなが引き上げるなか、加護だけが呼び止められた。
「加護ぉ、あんた、どうするよ?」
両手を腰に、夏まゆみが両眉を吊り上げて睨む。
加護は俯いた顔に悔しさを滲ませていた。
そのとき、
「あのっ――」
突然、加護の背後から声がした。吉澤だった。
「ヨシザワのせいってのも多分にあるんで、うちが責任持って加護に教えます」
しばらく加護と吉澤の間を視線で行き来していた夏まゆみはやがて、
「なんかよく分かんないけど・・・じゃあ、連帯責任ね」
と、まるで学校の先生みたいなことを言って出て行った。
スタジオには加護と吉澤だけが残される。
は〜〜〜っと深く息をついて、空気が抜けた風船よろしく加護はへたへたと座り込んだ。
疲れていた。体調不良と、こうなった理由が自分自身にあるということとに。
「大丈夫? 加護ちゃん・・・」
片膝を突いて加護の視点に合わせると、吉澤は柔らかく尋ねた。
「なんで・・・カゴを助けるん?」視線をフローリングに落としたまま、弱々しい声で加護は呟いた。
84 名前:ふるる 投稿日:2001年09月09日(日)18時46分23秒
「え・・・? だって、加護ちゃんがこうなったのもうちのせいってのもあるし・・・」
「責任? なんの責任? よっすぃーにはなんの責任もないやん。カゴは勝手にやる。せやから、大丈夫・・・」
「加護ちゃんさー、なんでそんな風なのさ? 昨日にしたって今日にしたってさ、ナニそんな意地張ってんの?」
誰よりもそれを訊きたいのは自分自身だ。
なんで、こんなことになってしもたんや。
なんで、こんなことになってしもたんや。
なんで・・・・・・
自然に涙が込み上げてきた。
伝えたいことは、ただひとつだった。
「カゴは・・・わたしは・・・な、よっすぃーのコト好きやねん・・・」
惨めな告白だった。
下腹がしくしく痛んだ。
カッコ悪過ぎる。そう思った。目も合わせられなかった。
85 名前:ふるる 投稿日:2001年09月09日(日)18時46分59秒
一方、吉澤は少し驚いた様子で、黙って、肩を震わせる加護を見ていた。
「せやけど――」と、加護はか細い声で続けた。
「よっすぃーはいっつもカゴのコト、ちゃんと見てくれへんやん・・・それが悔しいねん・・・」
どうして昨日、あのココナッツのアイスクリームを意地で食べ切ったか。
それは、もっと心配させてやりたかったからというだけではない。
あれを全て平らげて、無理無理、と連発していた吉澤を見返してやりたかった。
どんな手段であれ、なんとかして、吉澤にちゃんと自分の方を見てもらいたかったのだ。
「ねえ、加護ちゃん――」と、吉澤は薄い微笑を浮かべて言った。
「・・・うちにはよく分かんないよ、加護ちゃんが言ってるコトが。
でもさ、いつも好きでいてくれてるんなら、それはすごく、嬉しい」
「ホンマに・・・?」
顔を上げると、その弾みで涙がぽろッとひと雫落ちて、加護のジャージの膝元に丸い小さな染みを作った。
「うん、ホントに」
吉澤は真剣に、しかし優しく言って、頷いた。
加護の中で、なにかがゆっくりと融けていく。
86 名前:ふるる 投稿日:2001年09月09日(日)18時47分31秒


その翌日、スタジオにはまたふたりの姿だけがあった。午前中の柔らかな光がスタジオの窓際を輝かせている。
静かなスタジオには吉澤のカウントの声だけが、かすかな木霊を伴って響いていた。
すっかり体調を取り戻した加護が、隣でカウントしながらゆっくりと踊る吉澤の動きを鏡越しにしばらく見ていると、
すぐにその動きをトレースした。加護は決してダンスは下手な方ではない。吉澤よりもむしろセンスはある方だった。
覚えも早い。吉澤が教えたステップを、砂地が水を吸い込むように自分のものにしていく。
スタジオを使える時間は限られているから、一応目途となる時間は決めていたものの、
吉澤が思っていたよりもかなり早い時間に、束の間の「課外授業」は終わった。
このあと加護は、歌番組でのミニモニの収録が待っている。
シャワーを終え、更衣室で着替え終わると、
「よっすぃー、今度いつか、ヒマな日ってある?」
左右の髪を束ねてツインテールを作りながら、加護が尋ねた。
87 名前:ふるる 投稿日:2001年09月09日(日)18時48分01秒
吉澤はバッグの中から手帳を取り出すと、スケジュールを確認し、
「んー? えっとねえ・・・来週の木曜日、午後はオフだよ。なに?」
「映画行こ」
「こないだの? あれっ? ののと行くんじゃなかったの?」
「やっぱ、よっすぃーといっしょがええ」
「そう? いいよ、うん、行こう」
「それから、またあのアイスクリーム食べたい」
「えー? あのココナッツの? またお腹壊しちゃうよ」
「せやから、今度はふたりで食べたらええやん」
88 名前:ふるる 投稿日:2001年09月09日(日)18時48分42秒
果たして、これから吉澤との間に新しいなにかが始まるかどうかは分からない。
しかし、差し当たって、あのアイスクリームはふたりなら、きっとぜんぶ食べ切れるだろうし、
今度はきっと、最後までおいしく食べられるだろう。今は、それでいい。
加護は事務所の階段を下りながら、あのココナッツミルクの甘さに思いを馳せる。

89 名前:ふるる 投稿日:2001年09月09日(日)18時49分40秒
 
90 名前:ふるる 投稿日:2001年09月09日(日)18時50分18秒
忙しさでどうかしてたんです、きっと(汗。うん、そうに違いない。
おまけに早くもネタ切れで、晩ご飯は出てこず、デザートになっちゃってるし。
申し開きもありません。見逃してやってください。
ほろろ・・・いい訳ばかり・・・次こそは頑張りましゅ・・・いつになるか分かりませんが(涙
91 名前:名無し読者 投稿日:2001年09月10日(月)02時13分42秒
どーも、ココでは初めましてですね、某いしよしサイトではかなりお世話になりました。
ってか、こういうの好きっすわ、いしよし好きだったけどサクっと読めましたよ、コレ。
次も期待してますんで、頑張ってください。
92 名前:名無し読者 投稿日:2001年09月12日(水)00時15分12秒
いやいや、とってもいいですよ。
ワインのような大人の味もいいですが、
アイスのように甘くとろける感じも美味しかったです。
93 名前:名無し読者 投稿日:2001年09月17日(月)03時04分14秒
ここでやってるのを知らなくて、他所で教えてもらって、初めて全部読みました。
食事シリーズですか。冷たい飲み物だとか、温かい料理なんかでの雰囲気の切り替わりが
綺麗ですね。「傷心の〜」は、なんというか、ちょっと童心のようなものを思い出しました。
都合のいいときにぽつぽつとでもいいので、続けて欲しいシリーズですね。
94 名前:名無し読者 投稿日:2001年09月20日(木)02時29分06秒
ここでははじめてです。
私も某小説を読ませていただいてました。
次は誰が出てくるのか楽しみです。
95 名前:パスカル 投稿日:2001年09月20日(木)09時38分01秒
読ませていただきましたよー、某小説の特別編、「over」。
痛かった…。

こっちも楽しみにしてます。
96 名前:ふるる 投稿日:2001年09月27日(木)01時36分45秒
今月中の更新は無理っぽいんで、レスでお茶を濁しておきます。

>>91
いや、期待は…広い心で見守る方向で(汗。
>>92
「傷心の…」は、食材は良かったけど、調理法を間違ったってカンジで。
次はもうちょいマシなものを用意できればと思ってます。
>>93
グルメとは縁遠い作者なんで、どうしても調べた事をそのまま
出してしまって、装飾に流れちゃいますね。
次からは背伸びしない料理でいきたいと思います。
>>94
次は…いや、書き出してやめちゃうのが多いので、
やめておきましょう(笑。
>>95
ありがとうございます。こちらもよろしくです。
97 名前:ONE OF 読者 投稿日:2001年09月30日(日)22時26分55秒
「over」読ませていただきました。
HTMLファイルで直接いただいたんですが、ありがとうございました。
前の作品とは違い、ハッピーエンドで最高でした。
次の作品も楽しみにしてます。
98 名前:名無し読者 投稿日:2001年10月01日(月)02時57分25秒
 
99 名前:名無し読者 投稿日:2001年10月01日(月)02時58分01秒
 
100 名前:名無し読者 投稿日:2001年10月01日(月)02時58分31秒
 
101 名前:ふるる 投稿日:2001年10月01日(月)19時55分16秒
まず、レスを。
>>97
そちらの作品のレスは、出来ればメールか、HP(レス62)のBBSにカキコの方が…。
でも、ありがとうございます。
102 名前:ふるるシフォンケーキのつくりかた 投稿日:2001年10月01日(月)19時55分52秒
ステンレス製の深底のボウルに、その表面にゆったりとした輝きを宿した黄身が落ちる。ひとつ、またひとつ。
まだちょっと少ないかなと思い、石川は、「よっすぃー、卵、もうひとつお願い」
「あいよ〜♪」
隣にいた吉澤は、さっそくパックのなかからLの卵をもうひとつ取り出すと、
腫れ物に触れるような慎重さで手のなかで割る。さっき石川から教えてもらったように、
卵黄だけを指先で優しくかき分けると、そろっと殻からこぼすようにしてボウルのなかに落とす。
殻のほうに残った卵白は、カップのなかへ。
柔らかく形を歪ませながらボウルの底でひっそりと身を寄せ合う卵黄を見て、
「ああ〜っ…すぃあわせぇ〜」
思わず満面の笑みを浮かぶ。ボウルを震わせると、卵黄がぶよぶよとひしめいて踊る。
「卵、好きだもんね、よっすぃー」
「んー、好きさぁ」
「じゃあねえ、コレ、混ぜといてくれる?」と、石川がボウルを差し出すと、
「いいよ」
受け取った吉澤はもう一方の手に泡だて器を取り、懐にボウルを大事に抱くようにして、ちゃかちゃかと混ぜ始めた。
お世辞にも滑らかな手つきではないが、ひたむきだ。
103 名前:シフォンケーキのつくりかた 投稿日:2001年10月01日(月)19時56分33秒
独り暮らしの部屋にしてはなかなかによく出来たシステムキッチンがついていた。
ただ、ふたり並ぶとやはり手狭で、吉澤と石川は並び寄り添う形になる。
石川は次に、グラニュー糖と紅花油を戸棚から取り出した。
やがて、むらなく卵黄が混じりあったところで、
「お砂糖入りま〜す」
石川が、文字通り砂糖のような甘い声で、匙に掬ったグラニュー糖をボウルのなかへ、ぱさっ、ぱさっと素早く落とす。
吉澤は泡だて器を持つ手を止めて、卵黄のスープの表面に落ちた砂糖がじわじわと染み込んでいく様に視線を落とす。
「はい、終わり」と、石川が匙をグラニュー糖の袋に戻すと、
「また混ぜたらいい?」吉澤が尋ねる。
「うん、もっとこぅ…ぐちゃぐちゃにしちゃってもいいよ。お砂糖入れると、卵黄って固まってきちゃうから」
「りょうか〜い」
104 名前:ふるる 投稿日:2001年10月01日(月)19時57分10秒
吉澤は泡だて器を再び回し始める。
先週、石川が焼いて楽屋に持ってきたシフォンケーキを吉澤はすっかり気に入ってしまい、
今日はレシピを習うために石川の家までやって来ていた。
百聞は一見にしかず、だ。それに、正直なところ料理に関してそんなに大きな関心はないが、
石川のように料理をときどきやってみるのは、実に女の子らしくて素敵じゃないかと思う。
そのケーキはほんわりした食感と香ばしさがあまりに素敵で、
口にしたときは半ば尊敬の眼差しで石川を見てしまった。もちろん、トイレの芳香剤の匂いはしなかった。
学校が終わって直接やって来たので、制服姿だった。ただし、ブレザーを脱いでタイを取り、
腕まくりしたシャツの上から、石川に貸してもらった黄色いエプロンを着けている。
105 名前:ふるる 投稿日:2001年10月01日(月)19時57分42秒

最寄駅の改札口で待ち合わせ、道すがらにあるスーパーマーケットに寄って、
予め、材料で切らしているという卵とベーキングパウダーを買った。
「あぁ、梨華ちゃん、こっちのが安いよ」と、吉澤が卵売り場の端に積んであったものを籠に入れようとすると、
「ううん、高いやつがいいの。やっぱり黄身も卵白も高いやつの方がしっかりしてるし、
焼き上がりがしっとりしたカンジに仕上がるのよ」と、石川は1パック289円のものをわざわざ選んだ。
「なんかさあ、勉強してるんだね、梨華ちゃん」
スーパーを出て石川の部屋に向かう途中、吉澤にそう言われて、「付け焼刃だけどね」と、石川は照れ臭そうに笑った。
106 名前:ふるる 投稿日:2001年10月01日(月)19時58分16秒
実はHOW TO本と首っ引きで、何度か失敗したそうだ。吉澤が食べたシフォンケーキに至るまでには、
さまざまな無残な失敗作の数々があったという。ここだけの話ね、と、石川は声を潜めて付け加えた。辻加護に知られると、
また何を言われるか分かったものじゃないから、と眉をハの字にして。
部屋に来ると早速ケーキ作りに掛かったわけではなく、ふたり、リビングで、
「すっかりしのぎ易くなったね」「なんてゆーかさぁ、秋だねぇ」から始まって、
他愛のない話――例えば最近聴いたあのアーチストの曲がよかっただとか、タンポポのラジオの収録であった話、
加護の新作モノマネの話など――をして、しばらくまったりと過ごした。毎日のように仕事で会っていても、
それでもふたりでゆっくりと話す機会は意外なほど少なく、話の種は尽きるのを知らない。
気がつくと、もう小1時間以上過ぎていて、
いよいよケーキ作りに取り掛かかるべく、すっかり重くなった腰をどちらからともなく浮かせたのだった。
107 名前:ふるる 投稿日:2001年10月01日(月)19時58分53秒

「あ。そこ、だまになってる」と、目敏く見つけた石川がボウルのなかを指差す。
その先には、さっき入れたグラニュー糖が歪な塊となって小さく浮かんでいた。
「らじゃあ」
吉澤が塊の辺りを集中的にかき回す。
「代わろっか?」窺うように石川が訊くと、
「ううん、大丈夫」と、吉澤は答え、
「なんかねぇ、オモロイね、コレ」と言ったあと、うはははぁ〜、と、急に込み上げるように笑った。
年頃の女の子が野太い声で「うはははぁ〜」はないと思うが、でも、吉澤のこういうところが楽しい。
やっぱり、よっすぃーといるのは嬉しいなあと思い、石川はつられて笑った。
徐々に卵黄が白っぽくなって、泡だて器に粘り付いてくるようになる。
「じゃあ、次、紅花油で〜す」
石川が言って、紅花油のボトルから手にした匙に満たすと、ボウルへ。金色のオイルがどろりと滑らかな糸を引いて垂れていく。
108 名前:ふるる 投稿日:2001年10月01日(月)19時59分26秒
「梨華ちゃん、まだ混ぜるの?」
「あ、手、だるくなってきた?」
「ううん、ぜんぜん大丈夫だけど」
「言ってくれたら、いつでも代わるけど…」
教わっている手前、代わって欲しいと言いにくいのかも知れない、と、石川は気を遣ったのだが、
「ありがと。でもホント、大丈夫だから」
そう言って、吉澤はまた豪快に泡だて器を動かし始めた。
始めのうち表面にうっすらと広がっていた油の層が完全に黄色に呑み込まれると、
続いて石川が計量カップに入れた水を静かに流し込んだ。
少々混ぜたあと、最後は薄力粉とベーキングパウダー。粉を入れた粉ふるいの柄を片手で持ち、
もう一方の手で軽くとんとん叩きながら粉の雨をまんべんなく降らせる。
ボウルを石川の方に向けて受けていた吉澤はその動作を見て、
「かっけ!」嬉々とした声を弾ませる。「梨華ちゃん、まるでホンモンのケーキ屋さんみたいじゃん」
へへっと笑い、「でしょお?」と、得意そうな石川。
薄力粉が終わると、また撹拌。最初は慣れない作業に興味しんしんで面白がっていた吉澤の顔にも、
さすがに飽きの色が浮かんできた。
109 名前:ふるる 投稿日:2001年10月01日(月)20時00分03秒
「はい、じゃあ、こっちはいったんここでストップしまーす」
すっかり料理研究家気取りの石川のその言葉に微かにホッとして、吉澤は流しの端にボウルを置く。
次にまたボウルをもうひとつ取り出すと、「次はメレンゲね」と、
石川はさっきカップに取っておいた卵白をボウルに流し入れる。
次いで、半分に切ったレモンをぎゅうっと搾る。果汁の微細な粒が四方に散る。
ぽた、ぽた、と果汁が数滴入ったところで、吉澤が使っていたのとは少し形状が違う泡だて器を取り出した。
柄から先端にかけて伸びる幾本ものワイヤーが先端で球状に膨らんでいるものだ。メレンゲ用の泡だて器なのだという。
「よっすぃー、ちょっと疲れたでしょ? 少し休んでて」
そう言って、石川はメレンゲを細やかに混ぜ始める。
「ねえ、さっきレモン入れたじゃん。あれってつまり、レモン味のシフォンケーキにするってコト?」
吉澤は尋ねた。
「ううん、それだとたぶん、もっといっぱい入れなきゃいけないと思うの。
さっきのはね、メレンゲが泡立ちやすくなるための隠し技なのよ」
「へぇ〜。隠し技かあ…」
隠し味なら聞いたことあるけど、隠し技ってのもあるんだなあ。吉澤は密かに感心した。
110 名前:ふるる 投稿日:2001年10月01日(月)20時00分38秒
それからしばらく沈黙が続いた。狭いキッチンには泡だて器とボウルがかち合う音だけがかちかちと響いた。
石川はかき回すリズムを変えない。ボウルのなかに視線と注意をじっと集中し、規則正しく撹拌する。
「梨華ちゃんってさ、こうやってかき混ぜてるときも、一生懸命だよね」
一向に変化のないボウルの中身から時折石川の横顔を見ていた吉澤は、
長い沈黙に、胸の辺りの座りが悪くなり、口を開いた。
「えー? そう?」
「うん、一生懸命だよ」
お仕事といっしょでね、と吉澤は続けた。
すると、ふふふふっ、と石川は手を休めないまま、嬉しそうに少し笑う。
「どうしたの?」
ちらと吉澤に視線をくれると、「よっすぃーに誉められると、なんか嬉しいなあ、って」
そして、すぐにまたボウルのなかに注意を集中する。
「それにねえ、何かに集中してるときの梨華ちゃんって、鼻の下がヌーッて長くなってくる」
と、吉澤は自分でオーバーにやって見せる。
「えッ?!」と、石川は顔を上げる。「うそぉっ!」
そして、口の周りをほぐすようにふにゃふにゃと動かした。
その仕草が可愛らしいというか、どこか可笑しくて、あはははと吉澤は笑う。
111 名前:ふるる 投稿日:2001年10月01日(月)20時01分09秒
「なによー」石川が唇を尖らせて、じとっと睨むと、
「もぉねぇ…イシカワさんってホント、面白過ぎ」
「もぉぉ…」
最初は一向に変化がなかった卵白だが、徐々に細やかな泡が増えてきて、いかにもメレンゲっぽい白色になってきた。
「よっすぃー、さっきのお砂糖入れてくれる?」
えっと…、と、やや散らかり出した流しを見渡して、「これ?」と、さっきのグラニュー糖の袋を取り、
石川に言われた分だけ匙に取ってボウルに落とした。
砂糖を入れてもなお、石川は手を休めない。むしろ、その激しさは増しているように思えた。
見ると、石川の額とこめかみに小さな汗の粒が光っている。
「梨華ちゃん、代わろっか?」という吉澤の言葉にも、「あのっ、大丈夫だから…っ、あと少し…」
と、石川は作業に没頭し続ける。
とは言うものの、手持ち無沙汰な吉澤は流しに丁寧に畳んで置いてあったタオルを見つけると、石川の額に軽く当てる。
と、「きゃッ?!」と、石川が悲鳴を上げた。
「なッ、なに? どうしたのッ」吉澤も飛び上がって尋ねる。
ふーっ、と長く息をついて、「それ、雑巾だよぉ…」石川が眉根を寄せて、言った。
112 名前:ふるる 投稿日:2001年10月01日(月)20時01分43秒
「うおぉ、ごめーん」
慌てて流しに置くと、今度は吉澤はプリーツスカートのポケットから自分のハンカチを取り出し、
改めて石川の汗を拭いてやる。
「ごめん、ホントに」
「ううん、いいよ」
「首筋も拭くね」
「ありがと……ああッ!」
また石川が叫ぶ。
「今度は何ッ?!」
「大変…」
いつしか石川の手が止まっていた。慌てて再び手を動かし始める。
「ちょっと固まっちゃったよー」情けない声で石川が言う。
「あー…ごめん…代わるよ、梨華ちゃん」と、手を伸ばそうとすると、
「いいッ、せっかくここまでやったんだもん」
多少投げやりになったのは吉澤に対する当て付けでは決してなかったのだが、
いつにない石川の真剣な口調に、つい、吉澤の肩は落ちてしまう。聞こえないように、静かにため息をつく。
「ねえ、梨華ちゃんさ、これからまたお菓子作ったりするんだったら、アレ買ったら?」
「アレ?」
「ほら、あの、電気で回るやつ。ウィーン、ってかき回すやつ」
と、吉澤は広げた両手をかざし、細かくくるくる回した。まるで「ミラクルナイト」の振りみたいだったが、
どうやらハンドミキサーのことを言っているらしい。
113 名前:ふるる 投稿日:2001年10月01日(月)20時02分18秒
その仕草にくすくす笑って、石川は、「ハンドミキサーでもいいけど、そんなにたびたび作ることもないだろうし、
たまにやるんだったら、こういう手作業の方が気持ちこもってるっていう感じがしない?」
気持ちが最高の調味料というのは、いかにも石川の考え方らしい。
しかし、そう考えるのが石川にとっては自然なのだろうし、石川のそういうところが吉澤は好きなのだ。
もちろん、わざわざそんな照れ臭いことを口に出して言ったりはしないが。
「ここがポイントなのよ」
急に石川が得意そうに言った。
えっ?と、吉澤は虚を突かれて、「ポイントって?」
「これ」と、石川は泡だて器をそっとボウルの底から浮かせる。
すると、泡だて器の先端からメレンゲが下を向いたツノをすらりと作った。ボウルに残ったメレンゲの表面からも、
泡だて器の存在の名残を惜しむようにツノが上を向いてピンと滑らかに立っている。
「ボテボテしたりしたら固まり過ぎだし、ドロッとするようだったらまだ泡立てが足りないの」
「じゃあ、今のコレは、ちょうどあのう、あれあれ…あ!アルデンテみたいなもん?」
「パスタじゃないんだから」と、石川は笑う。「でも、今ぐらいがちょうどいいカンジかな」
114 名前:ふるる 投稿日:2001年10月01日(月)20時02分52秒
じゃあ次は、と、石川はさっき吉澤が混ぜた卵黄のボウルを手に取り、
メレンゲのボウルにゆっくりと半分ほどを流し込んだ。
「また混ぜ?」
「うん」
「うちがやるよ」
「そう? じゃあ、お願いしちゃおうかな」
吉澤にボウルと泡だて器を渡すと、石川は手首をコキコキとやった。
「今のところ、大丈夫? 上手くいってる?」
混ぜながら、不意に微かな不安が込み上げてきて、吉澤は尋ねる。
「うん、大丈夫だと思う」
数分間混ぜ合わせたあと、さらに半分残っていた卵黄を流し込む。
もう、そんなに慌てて混ぜなくてもいいらしい。吉澤はゆったりとした動きでむらなく生地をかき混ぜていく。
ケーキ作りというのはすなわち、混ぜることなんだなあと、なんとなく悟ってしまう。
石川は今度は、シフォンケーキのためにわざわざハンズで買い求めたというシフォンの型を戸棚から持ち出した。
フッ素樹脂加工が施されているというそれは、滑らかなグレイのボディにたっぷりと光をたたえている。
頑丈なボウルの中央が細く棒状に盛り上がり、ちょうど生地が太いドーナツ状に焼き上がるようになっているものだ。
生地か完全に混じり合ったところで、型に流し込む。
115 名前:ふるる 投稿日:2001年10月01日(月)20時03分24秒
「ゆっくりね、ゆっくり」
生地が型をどろりと満たしていく様を、石川が心配そうに息を呑んで見詰めている。
ここまで来たら、最後までなんとか上手くいって欲しいのだろう。勢いよく入れると気泡が内部にたくさん入ってしまい、
焼いている途中でそこが膨れ上がった挙句、生地を割いてしまうのだという。
ゆっくりとボウルを傾けながら、吉澤も自ずと息を殺してしまう。
全部流し込んだところで、型の底を軽くトントンと流しの角に打ち付ける。入ってしまった気泡を少しでも抜くためだ。
オーブンレンジは前もって石川が加温のスイッチを入れていた。
170℃の内部に鍋掴みをはめて型をそっと入れ、温度が下がらないようにすぐに扉を閉める。
116 名前:ふるる 投稿日:2001年10月01日(月)20時04分08秒
焼き上がるまで、しばらくリビングで過ごすことにした。
「梨華ちゃんはさあ、いいお嫁さんになるよねー」
唐突に吉澤が言った。
「えー? なに? いきなり」
「だって、男のひとが、こんなに一生懸命料理してる梨華ちゃん見たら、絶対クラッ…ってきちゃうと思うよ」
「えー? そうかな? そう思う?」
満更そうでもなく石川は嬉しそうに言う。
「うん」と、吉澤は頷き、「うちが男だったらさ、絶対ねぇ、さっきキッチンで抱き締めてたね」
「えーっ?」
「もぅね、胸キュンってカンジだったもん」と、吉澤はお祈りでもするように手を胸元で組み、純な乙女を演じてみせる。
胸キュンという言葉が思わぬツボに入ったのか、石川は身を捩じらせてきらきらと笑った。その様子に、吉澤もつられて笑う。
117 名前:ふるる 投稿日:2001年10月01日(月)20時04分40秒
ひとしきり笑いがおさまると、「でもね、よっすぃーだって、いい奥さんが貰えるよ、きっと」
「えー? そうかなあ?」と言ったところでようやく吉澤は気付き、
「ちょっと待って。なんでうちが奥さんを貰うんだよぉ?!」
石川は慌てて口に手を押し当て、「あ、間違えたっ」
「ひっどーい! わざと? 梨華ちゃん、今の、わざとでしょ?」
「違う、違うよぅ」
急に身を乗り出して吉澤は、
「この口かぁ! この口が言うたんかぁ!」
うろ覚えの関西弁のイントネーションでふざけて言いながら、石川の両頬をうにっ、とつねる。
「あええぇ、お、いー(やめてえ、よっすぃー)」笑いながら石川は言葉にならない声を上げる。
「あははっ、ヘンな顔〜! 梨華ちゃんのヘン顔はっけ〜ん」
「いああぁ!」
そのあと、オセロゲームの盤を石川が箪笥の上から持ち出した。
白は吉澤、黒は石川。もちろん肌の色で、吉澤が「分かりやすいじゃん」ということで決めた。
「分かりやすい」もなにも、ふたりしかいないじゃない、と石川は少し不満そうだったが。
118 名前:ふるる 投稿日:2001年10月01日(月)20時05分10秒

いつしか、香ばしい匂いが漂っていた。
キッチンに行き、顔を寄せ合ってふたりでオーブンを覗き込むと、
「あーっ、すっごいっ」
吉澤が嬉々と声を上げる。
オーブンの薄く赤い光に照らされて、型の表面に生地が丸く盛り上がってきているのが見えると、
妙に心が浮き立つような感動を覚えた。
「ね? ね? ねー?」
石川も声を弾ませる。吉澤が自分と同じ気持ちを抱いてくれたのが、何だか少し嬉しい。
「いぃ〜ねぇ〜」
吉澤の口許がいっぱいに緩む。
119 名前:ふるる 投稿日:2001年10月01日(月)20時05分45秒
さらに時間が流れ、焼き上がりの時間となる。
テーブルに置かれたオセロは白が8割方を占め、空いているスペースはあとわずかというところで、ふたりは席を立った。
その際に石川が盤を引っ掛けて、白と黒の丸がフローリングにばらばらとこぼれた。
「こらぁーッ」と、吉澤が後ろから逃げようとする石川を抱き締める。「今度はわざとでしょ?! 今度は!」
「ええッ?! ち、違うよーっ」
きゃあきゃあ笑いながら、吉澤の腕の中で石川はもがく。
すっかり勝負はついているのに、面白がって、
ねちねちと焦らすように追い詰めていく吉澤のやり方が少し面白くなかった。してやったりといった風だ。
120 名前:ふるる 投稿日:2001年10月01日(月)20時06分22秒
それはともかく、オーブンの扉を開けただけで、
むわっとした熱気と共に、甘さが部屋全体に広がり、鼻腔を心地よくくすぐった。
「おおーぅっ!」と、再び吉澤が声を上げ、満面の笑みを広げる。
「やったねっ」と、か細い腕でガッツポーズをとる石川。それはどこか芝居がかっているのだが、
もっとも、それは地なのだし、石川だからこそ可愛く見えてしまうところがある。
型から盛り上がった生地の表面は鮮やかなキツネ色に程よく染まり、よく見ると、細やかな亀裂が無数に走っている。
大き目の皿に型を逆さまに置き、冷ましたのち、シフォンナイフと竹串で型から生地を丁寧に剥がし取ると、皿に移した。
改めて出来上がりを見ると、それはそれで吉澤には妙な感動があった。
121 名前:ふるる 投稿日:2001年10月01日(月)20時06分55秒

「なにかトッピングする? 生クリームとかシナモンとか」
「んー…別に、こないだはプレーンでも美味しかったから、このままでいいよ」
リビングでテーブルを差し挟んで座り、ふたりでシフォンケーキを食べる。
さっくりとフォークを入れると、その感触は驚くほどの軽さで、その粗い割面からは、ひと際深い香ばしさが溢れ出した。
焼き立てでしか味わえない、至福。
適当な大きさを切り分けて、綻んだままの口に運ぶ。
吉澤のその様子を見ていた石川は、「…どう?」窺うような、控え目な声で尋ねた。
「ん〜〜っ!」
口に含んだまま、吉澤は頬を両手で包み込む。焼きたてがこんなに美味しいものとは、予期していなかった。
石川もひと口、食べてみる。ん!と、目を見張った。意外なほどの上出来。口の中でまだ温かく軽いふわふわ感が融け、
にわかに甘味に変わっていく。卵を多めにしたせいか、以前に作ったものよりも奥行きのある程よい甘さ。
しばらくのあいだ、自然とふたりの口数が少なくなる。
122 名前:ふるる 投稿日:2001年10月01日(月)20時07分38秒

やがて、ふたりの皿はすっかり綺麗になっていた。最初は見た目、ふたりで食べきれないかも、と思っていたが、
食べ始めてみると、どうにも止まらなかった。
すっかり外は夜の帳が下りていた。開けておいた窓からは、涼しいと言うには少し肌寒い風が時折吹き込んで、
薄手のカーテンを揺らした。
石川が窓際に行き、窓をもう少し閉めようと手を掛けたとき、
「あ――」
短く声を発した。
「ん? どうしたの?」
「すごい綺麗な満月が出てるよ」
どれ、と、吉澤も窓際に、石川に寄り添うように立つと、夜空を見上げ、
「あー、綺麗だねぇ…」
と、感嘆した。
いつになく柔らかな光をまとった、ほぼ完全な満月が、深く青い夜空にぽつんと浮かんでいた。
123 名前:ふるる 投稿日:2001年10月01日(月)20時08分17秒
会話がなくても、なんだか平気だった。ふたりでボーっと月を見上げているだけで、
胸の辺りを澄んだ静けさが座りよく満たしていた。
「ねーえ、よっすぃー」
石川が言った。
「んー?」
「今ね、何考えてる?」
「んー…」と、吉澤は目を細めた。「――なんかねえ、幸せだなあ、って」
「幸せ?」
「だってさぁ、買い物してー、うちらで作ったケーキがあってさ、食べたら美味しくてさぁ、
静かで、夜風が心地よくてさ、月が綺麗でさ、
……こういうささやかなモノだけで、けっこう幸せになれるんだなあ、って」
しみじみとした口調で吉澤は言った。梨華ちゃんもそばにいるしね、と続けようとしたが、
なんとなくためらわれて、その言葉を呑み込んだ。
「まあ…最近、ずっと忙しかったもんね…こんなにのんびりと、何かイロイロしたのって、久しぶりっていうか」
「うん。だからねー、こうしてるだけで、結構充実してるかも」
124 名前:ふるる 投稿日:2001年10月01日(月)20時08分52秒
そして、吉澤は瞼をそっと伏せた。
前髪を柔らかな夜風が撫でていく。
カーテンが揺れて、小さく膨らむ。
石川の息遣いが微かに聞こえる。
ふと、吉澤は思った。他の娘。のメンバーは今頃、何してるだろう。みんなも、こういう幸せな気分だったらいいな。
「ねえ――」目を閉じたまま、吉澤が口を開いた。
「ん?」
「なんか、眠くなってきちゃった…」と言って、小さく笑う。
「あ。泊まっていく?」石川がひっそりと言った。まるで、今のこの静かな空気を震わせないように。
「ジャージでよければ貸すよ。お布団ももうひとつあるし」
母親が泊まりに来たときのために、布団をもうひと組置いてあるのだという。
「ホント? うーん、どうしよっかな…」
もっとも、吉澤の答えはもう、決まっている。
125 名前:ふるる 投稿日:2001年10月01日(月)20時09分34秒
*補遺っ
当初の考えでは、結局ケーキは失敗して、
――その口直しにふたりは別のデザートを食べた。
という風に終わるつもりだった。そしてさらに、
――どんなデザートか、とか、味はどうだったか、というのは、ふたりだけの秘密。
というフレーズで締め。
しかし、ある種のためらいがあって、全体的にこのようなタッチの内容になった。
126 名前:ふるる 投稿日:2001年10月01日(月)20時10分12秒

127 名前:ふるる 投稿日:2001年10月01日(月)20時10分46秒
内容的にはもう、完全にわが道を行ってますが…もう、いいんです(苦笑
こういうヘンなスレがひとつぐらいあったって、ねえ?(誰に?
128 名前:ふるる 投稿日:2001年10月01日(月)20時13分35秒
そんな訳で、更新です。
>>102-126
最初、タイトルを間違えて入力したのは、見逃してね(涙
129 名前:名無し読者 投稿日:2001年10月01日(月)21時22分51秒
あー、もうなんと言ったらよいのか……。
普通の会話なのにこっちの顔がにやけてしまうのはなぜだ(w
個人的には今一番更新を楽しみにしているスレです。
これからもがんばってください。
130 名前:名無し読者 投稿日:2001年10月02日(火)11時57分24秒
すばらしい。
この一語に尽きる!
131 名前:名無し読者 投稿日:2001年10月02日(火)21時57分18秒
桃板の更新情報のおかげで発見できた。マターリいしよし良い感じでした・・
132 名前:名無し読者 投稿日:2001年10月03日(水)04時54分24秒
「よっすぃー」、「らじゃあ」
ってな感じの二人のやり取りがいいですね。石川の行動にいちいち反応する吉澤の
語り口もらしいです。
>〜実に女の子らしくて素敵じゃないかと思う
特にこの文なんか気に入りました。
何でって事もなくそれだけで申し訳ないですが。
133 名前:ふるる 投稿日:2001年10月05日(金)00時04分43秒
>>129
ある意味、どんどんマニアックな読み物になりつつあるのに、
来てくださるだけでありがたいです。
このスレに関しては、次の新作までちょっと待って下さいね。
>>130
ありがとうございますー。
>>131
そうなんですよねー。頼まれてもいないのに、書く!って書いちゃったんですよね。
久々に、いかにも、というカンジのカップリングモノを書きました。
お気に召していただけたのなら、よかったです。
>>132
何気ないことをちゃんと書きたいなぁと思っていて。
「実に女の子らしくて…」というくだりは、最後に付け加えた一節なんで、
気に入ってもらえて嬉しいです。
134 名前:ふるる 投稿日:2001年10月10日(水)07時30分33秒
次回更新は、一身上の都合で10月下旬になりそう。
誰もが忘れた頃に、ひっそりと再開させてもらいます。
ってか、すでに誰も見てないかもしれませんが(苦笑)、念の為。
135 名前:名無し読者 投稿日:2001年10月10日(水)12時06分04秒
見てますよ。10月下旬まで首を長くして待ってます。
136 名前:オムライスな関係 投稿日:2001年10月27日(土)09時50分56秒
たとえば冷蔵庫に卵と玉ねぎの残りしかなかったら、なにを作る?
昨日のご飯の残りもあるからチャーハン――でもいいんだけれど、それじゃ、あまりにフツー。
それで、ここはひとつ、オムライス。なっち、オムライスけっこう得意なんだよね。
でも、オムライスってさ――
137 名前:ふるる 投稿日:2001年10月27日(土)09時51分56秒


コンサートも新曲のレコーディングも終わった。これからしばらくはプロモーションでテレビ出演が多くなるけど、
実は、世間に顔が出てる時期ほど、わたしたちには時間に余裕があったりする。
今回はいきなり3日間、ごそっとオフをもらえたりして。でもまたすぐに、
年末のドラマとか特番の収録がすぐに始まるわけで、ほんの束の間のお休みだ。
特にやることもなかったから、前の日、仕事が終わったあと、同じくオフだというごっちんを誘って
温泉サウナに行く約束をした。
138 名前:ふるる 投稿日:2001年10月27日(土)09時53分13秒


コンサートも新曲のレコーディングも終わった。これからしばらくはプロモーションでテレビ出演が多くなるけど、
実は、世間に顔が出てる時期ほど、わたしたちには時間に余裕があったりする。
今回はいきなり3日間、ごそっとオフをもらえたりして。でもまたすぐに、
年末のドラマとか特番の収録がすぐに始まるわけで、ほんの束の間のお休みだ。
特にやることもなかったから、前の日、仕事が終わったあと、同じくオフだというごっちんを誘って
温泉サウナに行く約束をした。
サウナのなかでごっちんは写真集撮影のときのことを話してくれた。ロケでどこへ行っただの、
こんなショットがあるんだよ、と言って、わざわざセクシーポーズを取ってくれたりした。
139 名前:ふるる 投稿日:2001年10月27日(土)09時53分59秒
それは、笑わそうとしているのかしら?というものだったけど、不意に垣間見せるその視線は、
汗ばんでくっきりした顔立ちと相まって、ともすれば、わたしよりも年上にさえ見えてしまい、
わたしは迂闊にも、どきりとしてしまう。一瞬、呆気に取られたわたしの表情をごっちんは目敏く見て取り、
「なっち、もしかしていま、ときめいちゃった?」などと、イタズラっぽく訊くもんだから、
「ばーか」と、笑って誤魔化した。
サウナのあと、ふたり並んで垢すりをやってもらって、
それから、バスローブのまま温泉のなかにあるカフェでお茶をした。
140 名前:ふるる 投稿日:2001年10月27日(土)09時54分33秒
そのうち、話の流れでわたしの部屋に来ることになった。近くのレンタルビデオ屋に寄って、
新作のアクション映画を借りてきて、そのユルユル具合とくだらなさに、ふたりであれこれいちゃもんをつけながら見た。
秋の暮れは早い。見終わった頃にはもう窓の外は夜がすっかり帳を下ろしていた。
画面にエンディングクレジットが流れ始めると、ふう、と、ごっちんはため息をついて、
「お腹空いた」と、切なげにわたしを見た。なんか作ってくんないかなー?というワケだ。
「しょーがないなー」と、わたしが腰を浮かせると、ヘヘ〜、と無防備な大輪の花のような笑みをパッと満面に広げる。
141 名前:ふるる 投稿日:2001年10月27日(土)09時55分48秒


ごっちんと親しくなってから気付いたことは、彼女はびっくりするほどふつうだ、ってこと。
テレビに出てるとき。楽屋でみんなと過ごしてるとき。ラジオで喋ってるとき。ハイエースで移動してるとき。
どんなときも、いつもと同じ。冷静でいる。それがときにクールに見えたり、冷たく映ったりするらしくて、
そのことを彼女は少し、悩んでいる。
ふつうでいることのすごさ。それを彼女自身は気付いておらず、そんな彼女をわたしは羨望にも似た眼差しで見てしまう。
だって、わたしはいつも、自分を少しでもアピールしたくてイロイロと面倒なことを考え過ぎてしまうから。
にも関わらず、空回りが多いけど。
142 名前:ふるる 投稿日:2001年10月27日(土)09時56分34秒
わたしは、ごっちんに言ってあげる。
「ごっちんは、そのままでいいんだよ」
本当にそう思うから。ごっちんは、そのままでいることが、ごっちんらしさなんだから。
「ホント? ごとー、このままでいい?」擦り寄るように、ごっちんは確認する。
「うん。そのままでいいよ」頷いて、言う。
わたしとふたりだけのときは、ごっちんはやけに甘え屋さんだ。それは、不思議な安心感をわたしに与えてくれる。
それに――
「なっちの笑ってるトコ見たら、なんかねえ、これからも生きていけるぜ、って気がする。上手く言えないけど」
ごっちんが言った。まるで、愛の告白だ。
――実はごっちんって、母性本能をくすぐるタイプ。
――かも。
143 名前:ふるる 投稿日:2001年10月27日(土)09時57分17秒


ここ数日、買い物に行くヒマなんてなかったから、当然ながら冷蔵庫はがらんどうだ。
とりあえず、玉ねぎの残りと卵を取り出す。
ごっちんは隣のリビングでテレビを観てる。ときおりテレビの笑い声がこっちに小さく漏れてきて、
ドアのすりガラス越しに映るごっちんのセーターの茶色がかすかに動く。そこにごっちんがいる、
というだけで、なぜだか少し安心する。
まず、玉ねぎを采の目切りにして、ほどよく温まったフライパンへ。玉ねぎで沁みた目をこすりながら、
フライパンに焦げ付かないように、しゃもじで手早くかき混ぜながら炒める。軽く、塩コショウ。
あぁ、お塩少ない。こんど買っとかなきゃ。
144 名前:ふるる 投稿日:2001年10月27日(土)09時57分49秒
やがて玉ねぎは飴色に色付いてくる。よしよし、と、自然と顔が綻んでしまう。料理っていうのは、
こうして段々と形になっていくプロセスが嬉しいし、料理を待ってくれてるひとがいると、ワクワクする。
ケチャップだけでもいいのだけれど、なっちとしては、それだけだと甘味がしつこいと思うから、
トマトピューレと半々にして混ぜ、さらに隠し味として、ウスターソースと麺つゆ、日本酒を少々。
箸の先でそれをすっかり柔らかくなった玉ねぎに絡める。さッと入れて、強火で手短に。
すると、たちまち玉ねぎとトマトの甘味と酸味が溶け合って、絶妙に香ばしい匂いが立ち昇る。
ホントは、あればシイタケとかも入れるんだけど――いや、それ以前に、チキンライスというぐらいだから、
鶏肉は入れるべきなんだろうけど、ない袖は触れない(使い方、合ってるよね?)。
145 名前:ふるる 投稿日:2001年10月27日(土)09時58分33秒
炊飯器からご飯をしゃもじでこなしてからフライパンへ落とし、具と混ぜ合わせる。
具のケチャップが徐々にご飯にも染み渡り、白から赤に染まっていく。
他の料理にはないカンジがオムライスには、ある。懐かしくて、優しくて、温かくて、
相手に出すとき、なぜか、ほんのちょっぴり気恥ずかしい気がする。
そういう、微妙なカンジがオムライスには、ある。
ただ、確かなことは、それはオムレツじゃダメで、誰がなんと言おうとオムライスってこと。
それは絶対なんだけど、でも…なんでなんだろう?
計量カップに卵を割り、菜箸でちゃかちゃかとかき混ぜて、溶き卵を作る。混ぜすぎたらダメ。
ふんわり感が出るように、緩やかに、適当に。
146 名前:ふるる 投稿日:2001年10月27日(土)09時59分15秒
「なっつぁん、なに作ってんの?」
ごっちんがリビングから顔だけ出して、尋ねてきた。
「んーとね、オムライス。いいっしょ?」
「へえぇ〜、オムライスねー。そういや、オムライスなんて食べるの、ホーント、久しぶりだよ」
「そう? じゃあ、よかった、オムライスにして。もうおなかペコペコ?」
「いい匂いしてきたからさ、なんかだんだんおなか空いてきちゃった」と、ごっちんは笑う。
147 名前:ふるる 投稿日:2001年10月27日(土)09時59分46秒
「もうちょっと…んー、あと5分ぐらい待っててねー」
「ごとー、なんか手伝えることある?」
「んーん。ホントに、だらだらしてていいよ」と、わたしはこうべを振ると、
そう? なんかごめんねー、と言って、ごっちんはまたリビングへ。
あ。
と、思い立って、わたしはまたドアを開けて、
「おウチのひとに電話した? 今日は晩ご飯食べて行く、って」
わたしが言うと、テーブルに片肘を突いたままでごっちんはクスクス笑い始めた。
「え? なに? なんかなっち、ヘンなコト言った??」
ごっちんは顔を綻ばせたままで、「なっち、お母さんみたい」
「それって誉め言葉なの?」と、苦笑すると、
「なっちはねぇ、毛布みたいなの。温かくて柔らかくて夢みたいな毛布」
唐突にそんなことを言われて、わたしはなぜか妙にドギマギしてしまった。
148 名前:ふるる 投稿日:2001年10月27日(土)10時00分17秒
もうひとつのフライパンを温めて、バターをたっぷりと落とす。細かな泡を自分の周囲に弾けさせながら、
黄色の塊はふにゃりと崩れ、ゆっくりと泳ぎ始める。
バターをまんべんなくフライパン全体に行き渡らせると、続いてさっきの溶き卵を流し込み、
緩やかに傾けて卵の膜を広げる。
なっちのオムライスは、硬めの正統派オムライス。半熟なのもいいけど、
なっちがお母さんから教えてもらったのは、この、しっかりと卵が固まった方だ。半熟なのは、やっぱりしっくり来ない。
膜の端の卵白がくっきりと白く焼き上がってきたところで、卵の余白をそっと折り返し、
徐々に全体をフライパンの端にずらしていく。そして手首のスナップを利かせてフライパンを動かし、
ひっくり返して完全にご飯を包み込む。そうして、ようやくオムライスが姿を現す。
わたしは一瞬、想像する。このオムライスをごっちんが美味しそうに食べているところを。
149 名前:ふるる 投稿日:2001年10月27日(土)10時01分18秒
そのとき、わたしは突然分かった。なんでオムライスは特別なのか。
オムライスってのは、“包む”って作業がある。それが、他の料理とは違うんだ。
“包む”っていうのは――愛情のしるし。
ただ、ロールキャベツだって同じ「包む」ってことになるんだけど、
ロールキャベツはちょっぴりお高くとまってる感じがして
(でも、お母さんが作ったロールキャベツは好き♪)、
やっぱり、黄色に赤いケチャップというシンプルなオムライスの方が、なんて言うか…優しいっていうか。
いよいよオムライスを皿に移す。フライパンを軽く掲げ、ほんの少しだけ息を詰めると、
――せーの。
口の形だけで、
――よ…っ
ぱすっ。
型崩れすることなく真っ白な皿に移せた。フライパンを上げると、夢のように鮮やかで滑らかな黄色から、
ほこほこと膨らんだ湯気が上がる。
150 名前:ふるる 投稿日:2001年10月27日(土)10時01分48秒
ペーパータオルをあててほっこりと形を整えたあと、最後にケチャップをとろりとかけて出来上がり。
たとえば文字を書いたり、なにか模様を描くのも悪くないけど、
単純にどろりと真ん中にかけるだけの方が、素朴な感じがして、好きだ。
「ハイ、出来たよ〜っ」
オムライスの皿とウーロン茶を入れたグラスをトレイに載せて、いそいそとリビングに持って行く。
テレビのバラエティーを観ていたごっちんは、わたしが部屋に入ってくるとすぐに、
「あぁ、オムライスだぁー」
目を輝かせ、トレイに載った皿を覗き込むようにして、見たままのことを言う。
「お待ちどうさまでした」と、わたしはごっちんの前に皿を差し出した。
「あれっ? なっつぁんのぶんは?」
「あ、なっちのぶんも今から作るよ。先に食べてて」
するとごっちんは、平然と、「ううん。待ってる」と、こうべを振る。
「でも、冷めちゃうから。ね?」
「んー…いっしょに食べようよ。ひとりで食べたってつまんないもん」
151 名前:ふるる 投稿日:2001年10月27日(土)10時03分04秒
キッチンに戻り、もうひとつ作る。同じように、丁寧に。
出来上がりをごっちんのぶんに、先に出来た、少し冷めたぶんを自分のにする。
ごっちんは、こっちでいい、と言ったけど、熱いのを食べてもらいたかった。
スプ−ンの凸の方でケチャップをオム全体にぐりぐりとまんべんなく伸ばし、
それからオムライスの端をひと口サイズにスプーンで切り分けると、ごっちんはひょいと口に運んだ。
こっちが「どう?」って訊く前に、
「おいひー」
ごっちんは口をモグモグさせながら声を上げる。
こういう反応をふつうにしてくれるから、すごく作り甲斐がある。だからわたしは、
ごっちんの「作って」というお願いも、ほいほいと引き受けてしまう。
「なっつぁんさ――」ごっちんは言った。「なんかねー、いいよね」
「うん? なにが?」
「こういうの」
「こういうの、って?」
「だから…オムライスをさー、いっしょに食べるってゆうのは――」
152 名前:ふるる 投稿日:2001年10月27日(土)10時03分41秒
「うん?」
するとごっちんは少し口をつぐみ、出掛かった言葉を呑み込むように、
「――ううん、なんでもない」
そう言って、ふふ〜ん、と、口許を綻ばせると、またオムライスにスプーンを入れる。
どこか、ちょっとだけ照れ臭そうに見えた。素直な笑顔だった。
「え? なに? なにさぁ?」
わたしが訊いても、「んー、あんえおあい」なんて、はふはふしながら言うものだから、その様子がおかしくて、
「食べるか喋るかどっちかにしなさい」
「あーい」
口をモグモグして呑み込むと、ごっちんは、「でも、ごとー、コレすっごい好きだよ」
「ホント? だったら、よかった」
にっこりと笑い、わたしもスプーンを手にする。
さっき、ごっちんが言いかけたこと。なっちにはなんとなく分かる。
嬉しい。ごっちんがそう思ってくれたことも、なっちがそれを分かることも。
オムライスにしてよかった。
わたしはひと口、まず、入れてみる。
うん。在り合わせで作ったことを考えれば、我ながらなかなか上出来だ。控え目に甘くて、
素朴な味わいが口のなかに広がる。
153 名前:ふるる 投稿日:2001年10月27日(土)10時04分33秒
「ねえ、なっつぁん」ごっちんが言った。
「んー? なに?」
「コレさぁ、こんどまた、食べたくなるかも」
可愛らしいごっちんの笑顔は、尻尾を振ってる子犬を思わせた。そして、胸のあたりに、ふわりと広がる温かさ。
それは、イロイロある日々の面倒臭いことを忘れさせてくれる。
「いいよっ」
気前よく答えて、ふと、わたしは思った。
包んでるのはどっち?
包まれてるのはどっち?
でも、ごっちんが嬉しそうに食べているのを見てると、
まあ…どっちでもいいか、と、心のなかで呟いて、わたしはもうひと口。

154 名前:ふるる 投稿日:2001年10月27日(土)10時05分33秒
当初はちょっと小洒落た連作のつもりが、徐々に所帯じみたものになりつつありますね。
やっぱり、作者の生活の質が反映してきてる(ニガワラ。
もしかしたら、次は、食べ物とは関係のないものになるかもです。
いつになるかわかりませんが、末永く温かい目で、ぜひ。
155 名前:ふるる 投稿日:2001年10月27日(土)10時06分37秒
当スレのこれまでの作品のリンクを以下に。
「人生の命題と睡眠不足とイタリアン」 >>3-26
「星降る夜のフレンチとお茶漬け」 >>31-51
「傷心のココナッツ・アイスクリーム」 >>64-88
「シフォンケーキのつくりかた」 >>102-126
「オムライスな関係」 >>136-153
156 名前:ふるる 投稿日:2001年10月27日(土)10時07分28秒
そんな訳で、更新であります。
157 名前:ふるる 投稿日:2001年10月27日(土)12時19分58秒
>>135
おまちどうさまでした。
待って頂いてた甲斐はあったでしょうか??

訂正が2箇所。
まず、重複の137は、無かったことにして下さい(落涙。
それから、卵のフライパンにご飯を入れる描写がなかったです(あぁ、自己嫌悪…。
158 名前:名無し読者 投稿日:2001年10月27日(土)22時39分40秒
お待ちしてました! しかも「なちごま」。
変な意味ではなく「なちごま」ってなんかいいですよね。
今回もご馳走様でした。
159 名前:名無し読者 投稿日:2001年10月28日(日)03時44分44秒
あー、これまでは文章がとか、ここの雰囲気がとか感想を書いてましたけど、
これは自分にとってど真ん中直球のストライク、思いっきりつぼで、なんだか
まともに感想が書けません……なんだか、たがが外れてしまったかもしれん。
訳わかんないレスでごめんなさい。
160 名前:ふるる 投稿日:2001年10月28日(日)09時37分00秒
さっそくレスがついててよかった…(流涙

>158
話には聞いてましたが、やはり、風は密かになちごまに吹いているのか?!
でも、いっぱいいっぱいです。ふるる、最初で最後のなちごまになるのは間違いなく。
にしても、「変な意味」っていったい…?(微笑

>159
今回は、すごく不安でたまらなかったので
(長編含めて、これまで書いたもののなかで最も苦労の密度高し)、
こんなに喜んでもらえるひとがいて、ホントによかったです♪
161 名前:a_ru 投稿日:2001年10月28日(日)22時12分19秒
はじめてカキコいたします。
a_ruといいます。
いつも楽しく読ませていただいていました。

いつもながらふるるさんの小説を読むと
お腹がものすごく空きます(^-^;
やっぱ、いしよしとなちごまがいいっす!

まったく感想になっていなくて申し訳ございません。
感想は今度ゆっくり熟読させてもらってからでお願いしますっす。
162 名前:名無しさん 投稿日:2001年10月29日(月)16時19分47秒
こんにちは。夕べ某サイトでチャットした際に教えていただいて、早速読みに来ました。
『なちごま』もしかしたら初めて読んだかもしれないですが、いいです。
オムライスという題材がまた、温かさに拍車を掛けている感じで。
ふるるさんの作品ていつも思うのですが、どきりとするような言い回しをさらりと忍ばせて、
心にじわじわと染み入ってくる感じ。上手いなぁ、って思います。生意気ですみません(笑)。
新作アップされたらまた読ませていただきますね。
163 名前:名無し読者 投稿日:2001年10月29日(月)18時17分24秒
>>162
ここではage,sageというものがありまして、
sageで作者が書いているものは、読者が書き込む時もsageるのが
マナーとなっています。
作者の名前が紫の場合、sageで書き込まれているので
感想等を書き込むときにはsageにチェックしてから投稿をして下さい。
お願いします。
その他くわしい事はこちらをお読みください。
「★★小説板自治スレ(初心者案内)★★」
http://mseek.obi.ne.jp/cgi/hilight.cgi?dir=imp&thp=986141452&ls=50
164 名前:名無し読者 投稿日:2001年10月29日(月)20時05分43秒
162にカキコしたものです。
ルールのほう良くわからずに失礼いたしました。
以後気をつけます。ごめんなさいでした。
これでいいのかな?
165 名前:名無し読者 投稿日:2001年11月02日(金)03時25分01秒
一気に全部読みました。
ほのぼのした感じで萌え萌えです。(w
おもしろかったですぅ。
166 名前:ふるる 投稿日:2001年11月05日(月)04時52分28秒
>>161
あまり熟読されるとメッキが剥げてしまうので、ほどほどに(笑。
いしよしとなちごま。最後の二品ですね。
ちょっとフツーのカップリングモノに戻そうと思って書いたものです。
「微熱」っぽさを心掛けてみました。その匙加減が上手くいっていればよいのですけれど。
>>162
上げてしまったのは、お気になさらず。
ちょうど書いているとき、ヤンタンでなっちが「オムライス得意なんですよ」なんて
言っていたものだから、なんてタイミングがいいんだ!と、ガッツポーズしちゃいまいました(笑。
>>165
ほのぼのしていただけましたか。萌え萌えですか。
よかったですー♪

このスレは、これでひとまず終了に。
読んでくださったみなさん、
拙文に付き合って頂き、どうもありがとうございました♪
167 名前:名無し読者 投稿日:2001年11月07日(水)05時57分15秒
正直、名作集で読んでるのこのスレだけだったから、終了宣言に萎え。
168 名前:名無し読者 投稿日:2001年11月07日(水)07時06分27秒
>167
ひとまずって書いてあるからそのうち再開してくれるよ…多分
169 名前:ふるる 投稿日:2001年11月08日(木)03時39分29秒
>167、>168
お気持ち、ありがとうございます。
実は、HPを立ち上げたので、今後はそちらで書いていくことに。
ttp://members.tripod.co.jp/fu_ruru/top.htm
もし次に掲示板に書くとしたら、コテハンではないと思います。

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