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おもいで

1 名前:無名 投稿日:2001年09月08日(土)02時48分14秒
 そっと目を閉じると

 今でもあの時の光景が

 鮮明に蘇る
2 名前:無名 投稿日:2001年09月08日(土)02時49分11秒
 保田圭、17歳。
 長い髪を無造作に結んだ圭は、バイト先のハンバーガーショップのキッチンで、ひたすらハンバーガーを作っていた。
 化粧っけもなく、どこかあか抜けないその横顔には、まだあどけなさが残っている。
 機械的な流れ作業とはいえ、次々に注文がやって来るので、なかなかさばききれないでいる。
「保田さん、カウンター来て」
 店長が呼ぶ声が聞こえた。
「あ、はい」
 圭は急いで接客カウンターへつくと、マニュアル通りに笑顔を作った。
(ここは、苦手・・・・。『ポテトもいかがですか』とか、うまく言えない・・・・)
 客から代金を受け取ってレジを打つと、圭は「ありがとうございました」と頭を下げた。
 顔をあげると、店内にいる幸せそうなカップルが目に入る。
 圭はため息をつく。
 今の自分には、恋なんて全然縁がないんだと。
3 名前:無名 投稿日:2001年09月08日(土)02時50分20秒
 受け持ち時間がようやく終わり、圭は他のバイトの子たちと一緒に控え室で着替えを始めた。
 彼女たちはみんな女子大生。
 ここには遊ぶための小遣い稼ぎに来ている。
「えーっ、保田さんって学生じゃないんだ?」
 バイトの一人、斉藤瞳がびっくりして言った。
「ええ・・・・」
「でも、ここバイトでしょ」
 瞳の友達の大谷雅恵が尋ねた。
「そうだけど・・・・」
「何やってる人なの?」
 瞳に聞かれて、圭はつい答えを言い淀んでしまった。
4 名前:無名 投稿日:2001年09月08日(土)02時51分40秒
 洗いざらしのジーンズと白い綿シャツに着替え、圭は自転車に飛び乗った。
 ぐんぐんペダルをこいでいく。
 初夏の爽やかな風に長い髪をなびかせながら、圭はレッスンスタジオに着いた。
 圭は受付で封筒を差し出した。
「すいません、今月の月謝・・・・」
 圭の夢は、歌手になってステージに立つことだった。
(歌手の卵・・・・なんてあんまり人には言いたくない・・・・)
 実現するかどうかもわからない夢だから、なんとなく公言するのが恥ずかしかった。
5 名前:無名 投稿日:2001年09月08日(土)02時52分44秒
 受付の女性が封筒の中を確かめると、言った。
「あの、5千円足りませんけど・・・・」
「えっ? 5万5千円ちゃんと・・・・」
「今月から6万円になったんですよ」
「あ・・・・そうか。すいません」
 圭はあわてて財布から5千円札を取り出した。
(最近、有名スクールに変わった。レッスン代、教材代、その他もろもろ、・・・・バカにならない・・・・)
 圭の通うレッスンスクールは、本格的な歌手育成を目指すスクールだった。
 レッスンが厳しいことで有名で、今活躍中の歌手も次々に輩出している。
 圭は今のところ、レッスンについていくだけで精一杯だった。
 その上圭は自活しているので、あのハンバーガーショップのバイト代で、生活費とレッスン代の両方を稼がなくてはならない。
 女子大生である瞳たちとは、立場が違うのだ。
6 名前:無名 投稿日:2001年09月08日(土)02時53分51秒
 ポテトを揚げている圭のところに、瞳と雅恵が寄ってきた。
「ねえ」
「えっ?」
 瞳に声をかけられて、圭は思わず自分を指さした。
 勤務時間中に、こんなことは珍しい。
「今晩、空いてない?」
「あ、はい・・・・」
「合コンなんだけど、一人足りないの」
「ああ、そういうの、私・・・・」
 圭が断りかけたとたん、雅恵がさっと顔の前で手を合わせた。
7 名前:無名 投稿日:2001年09月08日(土)02時55分06秒
「お願い!アタマ数合わせないとマズイのよ」
「でも・・・・」
「こら、何喋ってるんだ!」
 店長に見つかってしまった。
「ごめんなさーい」
 雅恵はけろりとして謝った。
「じゃ、7時に駅前でね」
 瞳は念を押すと、さっさと持ち場に戻っていった。
「あ・・・・」
 断るチャンスを失って、圭はしかたなくまた手を動かし始めた。
8 名前:名無しさん 投稿日:2001年09月08日(土)15時18分45秒
ヤッスー主役?
これは期待していいのだろうか。いや、期待するぞ!
9 名前:無名 投稿日:2001年09月09日(日)03時05分39秒
 バイトの後、圭は本屋などで時間をつぶしてから待ち合わせ場所に行った。
 まだ時間前なので誰も来ていない。
 7時少し前に、瞳たちが揃ってやって来た。
「ごめん、待った?」
 瞳は明るく謝った。
 彼女たちは、ブランド物らしい華やかな洋服に着替えている。
 化粧や髪型もきちんと決めて、随分気合いが入っていた。
「ううん‥‥。みんな綺麗‥‥」
 圭だけが、いつものT シャツにジーンズ姿だった。
 これじゃまるでただの引き立て役だ。
 一言言ってくれればいいのに‥‥。
10 名前:無名 投稿日:2001年09月09日(日)03時06分30秒
 全然悪びれず、瞳は言った。
「戻って、シャワー浴びて着替えてきたのよ」
「髪、まだちょっと濡れてる」
 雅恵も前髪を触っている。
「あの、私やっぱり・・・・」
 なんだか気後れして返ろうとした圭を、瞳が引きとめた。
「何言ってるのよ。ここまで来て」
「あ、来た来た」
 雅恵が声を上げた。
 見ると、大通りの向こうから、今日の合コンの相手がやってくるところだった。
 その中にいる、他とは明らかにレベルの違う男の子に、圭の目はひきつけられた。
11 名前:無名 投稿日:2001年09月09日(日)03時07分10秒
 静かで雰囲気のいいバーに入ると、皆は男女交互に座ってテーブルを囲んだ。
「みんな夏休みはどうするの?」
 少し遊び人っぽい幹事の男子が言うと、瞳がうなずいた。
「やっぱり海外旅行じゃない」
「でも、ツアーだったら好きなとこに行けないじゃん」
「そうだよね」
 雅恵も賛成している。
 ここにいるみんなは、何度も海外旅行を経験しているみたいだった。
 外国に行ったことのない圭は話についていけず、一人だけ明らかに浮いていた。
12 名前:無名 投稿日:2001年09月09日(日)03時08分05秒
 さっきの男の子はアキヒトといった。
 その彼が、女の子たちに感じよく言った。
「僕が案内しようか?」
「えーっ、本当ですか?」
 瞳は目を輝かせている。
「あ、駄目駄目。こいつ誰にでも調子いいから。その点、俺なんか見栄え悪い分誠実だよ」
 1番ひょうきんなもうひとりの男子の冗談に、皆は笑い出した。
 しかし、圭だけは笑えないでいた。
 確かに彼はかっこいいけど、調子よさそうだ。
 すると彼が圭の方を見た。
 彼と目が合って、圭は戸惑った。
 彼は微笑を投げかけてくる。
 圭はなぜだかいたたまれなくなって、目を伏せてしまった。
13 名前:無名 投稿日:2001年09月09日(日)03時08分50秒
 化粧室のトイレから出てくると、洗面所の鏡の前に瞳と雅恵が陣取っていた。
 二人とも、化粧直しに余念がない。
 せっせと髪をとかしながら瞳が言った。
「私、アキヒトくんだな」
「あ、私も。でも、彼も、瞳に気がある感じだもんな・・・・。仕方ない、ワンランク落とすかな」
 やっぱり彼が1番人気だった。
 二人は後ろで戸惑っている圭に気付くと、ちょっとどいて手を洗う場所を開けた。
 ファンデーションをはたきながら、雅恵が瞳のつけている口紅を見て言った。
「え、瞳、口紅、シャネル?」
「うん、ちょっと香料が強いんだけどね」
「ねえ、ディオールっていいよ」
 圭はタオルで手を拭くと、後ろに下がった。
 雅恵はすぐにまた鏡の前を占領すると、圭に尋ねた。
「保田さんは、化粧品何使ってるの?」
「えっ?」
 圭は、少し笑っただけで、何も答えなかった。
(私は、ジョンソンベビーオイル。850円)
 シャネルにもディオールにも、全然手が出ない。
14 名前:無名 投稿日:2001年09月09日(日)03時09分35秒
 食事を終えて店の前に出ると、みんなはこの後のことを相談した。
「二次会行くでしょ」
「うん、行く行く」
「俺、いい店知ってるんだ」
 幹事の男子が提案した。
「いいねえ」
「あ、あのー、私・・・・」
 すぐにみんなが流れそうだったので、圭がおずおずと口をはさむと、
「?」
 瞳はチラッと圭を見た。
15 名前:無名 投稿日:2001年09月09日(日)03時10分17秒
「ごめんなさい」
「えー、帰っちゃうの?」
 男子が引きとめようとすると、瞳と雅恵は迷わず言った。
「そうだね、保田さん明日早いし」
「気をつけてね」
 圭は頭数を揃えるために呼んだだけなので、もう用はないのだ。
 なんとなく帰るよう促されて、圭は挨拶した。
「・・・・じゃあ、さようなら」
 ふと視線を感じて顔を向けると、彼が圭のことを見ていた。
 彼はまた笑っている。
 圭はちょっとムッとしてうつむくと、踵を返した。
 あれ以上あそこにいたって仕方がない。
 一人だけ、格好も地味だったし、話にもまったくついていけなかったし、全然楽しくなかったし。
 でも、なぜかあの彼の柔らかな笑顔が、いつまでも圭の目に焼きついていた。

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