亜依ちゃんと私

 

第1話

 

「後藤さん、後藤さん」
加護が、私の服の裾を引っ張る。
「私のダンス、見てください」
(またか)と私は、内心、ガックリくる。

加護の教育係に任命されてから、三ヶ月が過ぎた。
私たちは、コンサート用のダンスの、自主練習をしていた。

「じゃあ、やってみ?」

あんたにゃ、もったいない、と口ずさみながら、加護は、ぴょこぴょこ動いた。全然ダメだ。

「加護のパートはそうじゃないでしょう? ほら、こっちはこうやって」
私は、自由時間を自分の練習に使って、スタジオでは、加護のダンスを教えていた。

(なっちや裕ちゃんはいいな。自分の時間がたくさん持てて)
(今までだったら、私が手取り足取り教えてもらってたのに)

加護は、うーんと、と呟きながら、動きを止めてしまった。

「ねえ、加護。あんた、ヤル気あるの?」

イラだちが、口調をキツいものにする。
加護は、うつむいて、しゅん、となってしまった。
彼女が悪いんじゃない、ってことは分かってる。

でも、

「あとは自主トレしてな。通しで出来るようになったら、また見せにおいでね」

解散、解散〜、と手をパタパタさせて、私は立ち上がった。ジャージのホコリを払い落とす。
加護は何かいいたそうだったけど、無視してリハーサルスタジオから出た。
ちら、と振り向くと、加護は、まだ立ち尽くしたまま、こっちを見ていた。

自動販売機の前で、よっすぃをつれたやぐっちゃんと会った。
「よお、ごっちん」
元気良く、やぐっちゃんは片手をあげて私のあだ名を呼んだ。
「ちょっとさ、ごっちんと私、二人きりで話したいから、あんたはあっちに行ってな」
と、よっすぃに通路の奥を指し示した。

「はい。じゃあ、また後で、矢口さん」
「おう」
よっすぃは、やぐっちゃんと話をするとき、心持ち中腰になって、視線を同じ高さにする。
やぐっちゃんの方が年上なのに、そんな二人の様子を見てると、なんだか立場が逆に見える。

向こうへ歩いていくよっすぃを眺めていた私の横顔に、やぐっちゃんが話しかけてきた。
「ねえ、ごっちんさ。加護にキビしく当たりすぎてない?」
腰に手を当てて、私を見上げて、やぐっちゃんは云う。
「そんなこと、ないですよ」
不服そうな声を出して、返事する。

「ごっちんは、新人の頃、そんな風に、されてた? もっと、優しく教えてもらってたハズだよ」

表情がこわばるのが分かる。

「紗耶香ももういないんだしさ、ごっちんはもう一人前だ、って自覚持って貰わないとね」

得意げに話を続けるやぐっちゃん。

「……私が頼んで教育係になった訳じゃないもん」
やぐっちゃんの眉がぴくりと動く。
「──ごっちん!」

強い口調。

「私だって、まだモーニング娘。に入って、一年たってないんだよ。
もっと、市井ちゃんに教えて欲しかったこと一杯あったのに、どうして私だけ、こんなしんどい目して、加護の相手してやらないといけないのさ」
ヤバい。泣きそうだ。

目を丸くしているやぐっちゃんを置き去りにして、私はその場から走って逃げた。

角を曲がったところに、加護が立っていた。私は、彼女を突き飛ばして、そのまま走った。
尻もちをついて、首だけこっちを向けている加護の姿が視界の隅に映った。

「亜依ちゃん、だいじょうぶ?」
辻が、加護に手を差し出す。
ごめんな、と、加護は辻の手を借りて、立ち上がる。

「後藤さん、私のことキライなのかな……」
加護は、小さな声でつぶやく。
「もっとダンスの練習をしてから、後藤さんに見せてあげるといいのよ」
辻が、加護の肩をポンポン叩いて言う。
「そうだね、ありがとう」
加護は、なんとか笑顔を作って、返事する。

「ほら、辻。あんましサボってちゃダメだよ。16ビートの練習、すんだの?」
飯田が、辻の頭を押さえつけるように現れる。そのまま、ぐりぐりと撫でる。
辻は、身体を縮めながら、嬉しそうに顔をくしゃくしゃにする。

「飯田さん、はい、ちゃんと終わりました」
「じゃあ、あと10回、ここでやってみ?」
辻はニコニコと、奇妙なステップで歩き出す。

加護は、二人からそっと離れ、そのままとぼとぼとリハーサルスタジオに戻っていく。

(もうみんな帰っちゃったかな)
2時間ほど、楽屋でうじうじしていた。
みんなのトコロに戻るのもなんだか恥ずかしいし、今日はタクシー券もらってたから、別々に解散することになっていた。

別に、懐かしんでるとかじゃなくて、ただ、楽屋に、ちょこっとLOVEのジャケットが置いてあったんで、何の気なしに、ぼんやり眺めていた。

「……ごっちん」
がちゃり、と楽屋の扉が開く。1人でいた私に、裕ちゃんが話しかけてきた。
裕ちゃんは、ちら、と、私が見ていたジャケットに視線を落として、
「あんたな、ひどいこと言うようやけど、もうそろそろ、紗耶香から卒業せなアカンで」

かっ、と頬が赤くなるのを感じた。
きっと、やぐっちゃんが、裕ちゃんにチクったんだ。

がたん、と私はイスを蹴って、立ち上がった。
裕ちゃんが、心持ち、後ろに下がった。

みんなみんな、市井ちゃん、市井ちゃん、って。
私が、ずっと、市井ちゃんをひきずってるって思ってるんだろうか?

「裕ちゃんはいいよ。自分のことだけやってればいいんだから。私はタイヘンなんだよ。
今でも精一杯なのに、加護の面倒なんて見てられないよ」

「ごっちん、それは違うで。教育係っていうのはな、新人の世話を通じて、自分自身が、いろんなことを覚えていくんやで。
いつまでも、そんな甘えたこと言うてたら、紗耶香も悲しむで」

また市井ちゃんだよ。
もういいよ、その名まえは。
誰も、私の気持ちなんて分からない。
誰も、分かってくれようとはしない。

「市井ちゃんが、モーニング娘。をやめなきゃ良かったんだ。そしたら、私はまだいろんなことを教えてもらえたんだ。
あの四人のせいだ。あの四人が入って来たから、市井ちゃんは辞めちゃったんだ」

「ごっちん、あんた言ってることメチャクチャやで──」
「加護なんて、大っキライ!」

ぱあん、と。
裕ちゃんは、私の頬を叩いた。

「あんた、言うてええことと、悪いことがあるで」

「裕ちゃんも、大っキライだあ!!」

叫んで、楽屋を飛び出した。
どうして、こんなに泣けてくるんだろう。
どうして、こんなに悲しいんだろう。

きっと、私のことを誰も分かってくれないからだ。
私がこんなに悲しくてツライのに、みんなは理解してくれないからだ。

泣き顔を見られたくなくて、私は、電気のついていないリハーサルスタジオに飛び込んだ。

先客がいた。
私の足音に、びくっ、と身体を硬直させたのは……加護だった。

「後藤さん……?」

窓から差し込む月明かりを頼りに、ずっとダンスの練習をしていたんだろうか。

「加護、あんたまだいたの?」

加護からは、私の泣き顔は暗くて見えてないみたいだった。

「えっと……後藤さんに、上手になったところを見てもらおうと思って、一生懸命、練習してました」

照れてるのか、えへへっ、と笑う。
私は、また涙が出てきた。
今度は、私自身が情けなくて。

くうぅぅぅっ、と鼻を鳴らして泣きだした私に、加護はビックリして走り寄ってきた。
「後藤さん、どうしたんですか。ごめんなさい、泣かないでください」

それでも泣きやまない私につられて、加護も泣き始めた。
「ごめんなさい、後藤さん、ごめんなさい」
加護はちっとも悪くない。
私は、加護が謝るのをやめさせようと、鼻声で必死で話した。
「私のほうこそ、ごめんね。一緒に、ダンスの練習しようね」
「はい」

その日は夜遅くまで、二人で居残り練習をした。

 

第2話

 

「後藤さーん後藤さーん」
コンサートリハーサルのまっただ中である。
加護は、ふらっ、といなくなった後藤を捜して、衣装室やらスタジオやらをうろついていた。

別に後藤に用事がある訳ではない。
ただ、飯田にべったりの辻を見ているウチに、後藤に甘えたくなっただけだ。

加護は、楽屋を覗いてみる。誰もいない。
出ていこうとして、加護は、後藤のカバンを見つけた。だらしなく口のチャックが全開になっていた。

(後藤さんのカ・バ・ン〜♪ 後藤さんのカ・バ・ン〜♪)

きちんと閉めてあげようと、チャックに手を伸ばし、ふと、カバンの中に、可愛いハンドタオルを見つけた。
加護は、このタオルに見覚えがあった。
後藤は、このタオルをとても大切にしていて、汗をかいてもこれは使わないのだ。
ただ、毎日毎日、カバンに忍ばせているだけで。

加護は、悪いことをするみたいに、キョロキョロと辺りをうかがった。
そーっ、と、ハンドタオルを、取り出してみる。

繊細な飴細工を取り扱うようにおずおずと、顔に近づけ、匂いをかいでみる。

(石けんのニオイだ)

なんだか、加護は嬉しくなった。
くんくんと、笑顔でニオイを嗅ぎ続けた。

「ふわああ、暑いねえ。汗でビチョビチョだよ気持ち悪い」

どかどかと、楽屋に騒がしく入ってきたのは保田だ。
加護は、文字通り、飛び上がった。
イタズラを見つかった子どものように、オドオドと、

「あ、あの、保田さん、おつかれさまです」

後藤に教わった挨拶をする。
保田は、加護の不審な挙動には気付いていないようだ。

「ん、加護もお疲れだね。お、タオルあるじゃん、貸してよ」

ひょい、と加護の手から、保田はハンドタオルを取った。そのタオルで、汗だらけで、メイクも崩れてきている顔を拭こうとした。

「ダメですっ」
加護は、保田が苦手だった。もっと言うと、怖かった。でも、勇気を出して、保田の手に飛びついた。

「おっ、反抗するのか。いいじゃん、減るもんじゃなし」
保田は面白がって、タオルを高くかかげた。

「返してください。おねがいです、返してください」
「返して欲しくば、私から奪いとるがいい」

加護はぴょんぴょん飛び上がって、なんとか取り返そうと奮闘した。
空中で、指先がタオルに触れ、ぎゅっ、と掴む。

びりっ。

「あっ」
「ああっ」

びーーーーーっ。

加護の体重に引っ張られて、ハンドタオルはキレイに二つに裂けた。

「ああああああっ」

加護は、真っ青になった。

「破けちゃったね……ゴメンゴメン」

保田は、少しバツが悪そうに言った。
加護は聞いてはいなかった。

(後藤さんのタオルを破っちゃった)
(後藤さんは、すごく大事にしてたのに)

茫然としている加護に、保田は、ああ〜そうだ、忘れ物忘れ物……とか言いながら、楽屋を出て行ってしまった。

「ほら、5分後に、ステージで通しやるで」
「トイレトイレ〜」
「あれ、加護ここにいたんだ」

モーニング娘。のメンバーたちが、ぞろぞろと楽屋に戻ってきた。
加護は、血の気が引く思いだった。実際、軽いめまいを覚えていた。

絶望的な気持ちで、自分の名まえを呼びながら歩いてくる後藤の笑顔を見ていた。

「あれ、加護ここにいたんだ」
練習ちょこっとサボっちゃってた。加護をほったらかしにしちゃったな、と、少し反省しつつ、楽屋に向かうメンバーたちと合流した。

んん? って思った。
どうして、加護は泣きそうな顔してんだろ?

「どうしたのさ加護」

加護は、いやいやをするように、首を振った。
そして、彼女の手元を見た。

「ああああああっ!」

大声で叫んだ。
メンバーたちが、みんな、どうした? って顔で私を見た。
のぼせたように、頭がふらふらした。

「加護、それあんたやったの? 加護、それ、あんたが、マジでやったの?」

早口で、二回、加護に問いただした。
加護は口を半開きにしたまま、立ち尽くしていた。
身体じゅうの血が、一気に沸騰した。

「バカーーーッ!!」

渾身の力を込めて、加護の横っ面を張り倒した。
加護は、すっ転んだ。
そして、びーっ、と泣き出した。

「加護のバカ、加護のバカ、加護のバカーッ!」
泣きたいのは私の方だ。

「ちょ、ちょっとあんた」
慌てた様子で割り込んできたのは、裕ちゃんだ。

肩をぐい、と掴んで、無理やり私を振り向かせた。本気で怒っていた。
「あんた、いきなりなにすんのや。顔叩くて、ウチらはみんな、プロやねんで、あんた一体──」

裕ちゃんの言葉は途切れた。私は、怒りでブルブル震えていた。

「そのタオルは、市井ちゃんが最後に私にくれた、ずっと大事にしてたお守りだったんだ。
ホントに、ホントに大事にしてたんだ。それ、もう売ってないんだよ。ああ〜〜〜ッ!」

私は半分、パニックになっていた。
地団駄を踏んで、叫んだ。
加護が、怯えたように、私を見ている。私は、加護を睨み付ける。
びくっ、と、加護は全身をケイレンさせるように震わせた。

口を開いて、何か言おうとして、
でも、嗚咽しか漏れなかった。

ただ、悲しかった。

別に、市井ちゃんのことをずっと引きずっていた訳じゃない。
でも、想い出くらいは、大事にしてたっていいじゃんか。……もう、昔みたいに、一緒に歌ったり踊ったりは、一生出来ないんだから。

メンバーのみんなは、同情めいた目で、どこか私を遠巻きに見ていた。
それは、これまで心のどこかで感じていた、あの感覚をハッキリと意識させた。

つまり、私は、独りなのだ。

市井ちゃんが、私とメンバーをつないでいてくれた。私は、1人では、メンバーにとけ込めない。

今だって、だから、みんなは腫れ物にでも触るように私のことを見ている。私は、独りなんだ。

歯を食いしばって、泣くまい、と思ったけど、ダメだった。ぽろぽろと涙がこぼれた。

私は楽屋を飛び出した。

誰にも何もいわないで、私は家に帰った。
コンサートのリハーサルをすっぽかすカタチになってしまった。でも、今の、こんな精神状態じゃあ、とても練習なんて出来ない。

(いいや、もうどうなったって)

なげやりな気持ちで、ベッドで毛布にくるまっていた。

(私にとって、モーニング娘。ってなんだったんだろうな……)

確かに、私は自分で望んで、モーニング娘。になった。
メンバーのみんなは大好きだ。
でも、じゃあ、どうやって仲良くなったらいいのか、私には分からない。
これまで、ずっと1人でやってきた。自分には才能もあると思ってた。だから、1人は淋しい、なんて考えたりすることはなかった。

なかったのに。

でも、今は……例えば、やぐっちゃんが裕ちゃんに甘えたりする場面を見ると、羨ましく思う。
辻が飯田さんにつきまとってるトコロを目撃したりすると、なんだかチクリ、と胸が痛む。
それは、私が初めて、甘えたい、って感じた人のことを思いだしちゃうから。
もうあの人はいないってことを、思いだしちゃうから。

(……あのタオル、向こうに置きっぱなしにしちゃったなあ……)

悲しいな。
淋しいよ。

夜の十二時を過ぎてから、家に私を訪ねてきた人がいた。
圭ちゃんだ。

こってりと怒られるんだろうなあ、と思ったんだけど、圭ちゃんは、私の部屋に入ってきて、二人っきりになった途端に、
「ごっちん、ゴメンっ!」
床に額を押しつけて、ホントに土下座したのだ。
ビックリした。

「どどどどうしたのさ圭ちゃん、なんで謝るの、やめてよおお」

私は、なんとか起こそうと、圭ちゃんの頭をつかんで引っ張ったけど、びくともしなかった。

「ごっちんの大切なタオル破ったの、私なんだ。私がふざけて、加護をからかったから、
加護は一生懸命取り返そうとして、だから、悪いのは私1人なんだ」

えええっ! と私は硬直した。
しばらくは、頭が真っ白になった。

そして、圭ちゃんが言ってたことを、ようやく理解してきたとき、もう一度、私は驚いていた。

「ごっちん、私を殴っていいよ。私さ、バツが悪くて、楽屋に行かなかったんだ。
そしたら、後からこんなことがあった、って裕ちゃんから聞いてさ、もうどうしていいか分かんなくなっちゃって、
でも、とにかく謝らないと、って思って、でも、加護も帰っちゃうし、とにかくごっちんに先に誤解を解いておこうって思って、
リハーサル終わったら、すぐにここにすっ飛んで来たんだ」

私は、さっきから、全然怒ってなかったんだ。
圭ちゃんの告白を聞いても、なにも、怒りは湧いてこなかった。

(そりゃあ、あの時はめまいがするか、ってくらい怒り狂ったけど、でも、もう収まっちゃった。
それよりも、想い出が無くなっちゃったことと……私は、モーニング娘。の中でも独りなんだ、ってことの方が悲しくて、それで……)

圭ちゃんの話を聞いてみたら、なんだ、加護は全然悪くなかったんだ。

加護も、帰っちゃったのか。顔、叩いたからね。ショックだっただろうな。

そうだ。
私はふいに、気付いた。
加護は、私のことを慕ってくれていた。
後藤さん、後藤さんって、こんなろくでもない私に、ついてきてくれてた。

(私は、取り返しのつかないことをしちゃったんじゃないだろうか)
(私のことを信頼してくれてた加護に、ひどいこと……)

明日、加護は出てくるだろうか?
その時、謝ったら、許してくれるだろうか?

「ね、圭ちゃん……加護、怒ってた?」

圭ちゃんに、こわごわと訪ねる。
圭ちゃんは、そっと顔をあげて、

「ん、落ち込んでたって話だけど、怒ってはなかったみたい。ゴメンね、私、あれから加護には会ってないんだ。
みんな、裕ちゃんから聞いた話なんだ」

「そっか」

もう、加護は、私が教育係でいることをイヤがるかも知れない。……それは、仕方ないことだ。
私は、いつだって、自分から独りになっていたんだ。

「圭ちゃん、ありがとね。とりあえず、明日、加護に謝るよ」

きっと許してはくれないだろうけど。

「ほんっとに、ゴメン、ゴメンね、ごっちん」

もう一度、圭ちゃんは、頭を床につけた。
私はもういいからさ、と圭ちゃんを立たせた。本当に、もうちっとも怒っていなかったから。

圭ちゃんが帰ったあと、私は、もやもやした気持ちのまま、眠りについた。

お母さんが、私を起こしにきたのは、午前六時だった。
「……なんて時間に起こすのよ、もう」
ぶつぶつと、文句を言う。もう一度寝ようとして、
「加護ちゃんが玄関に来てるのよ」
ってお母さんの言葉に、跳ね起きた。

どうして加護が?

私は、どたどたと足を鳴らして階段を下りた。隣りの部屋のユウキが「うるさいよ、真希ちゃん」って文句言ってた。無視だけど。

「加護、どうしたの、こんな朝から」

息せき切って言う私に、

「後藤さん、昨日は、ホントにごめんなさいでした」

加護は、ペコリと頭を下げた。私は、むしろ、加護の手から目が離せなかった。
加護の手は、バンソウコウだらけで、見るからに痛々しかった。

「なに? ケガしたの?」

加護は、腰のポーチから、タオルを取り出し、両手で私に差し出した。
ぐねぐねと、下手クソに、縫い合わせてあった。

「ごめんなさい。キレイにできなくて。いっしょうけんめい、縫ったんですけど。こんな時間になっちゃいました」

そのタオルを見てる視界が、ぐにゃぐにゃと揺れた。
ぽたぽたと、涙がこぼれた。

(加護は、朝まで、裁縫してたんだ)
(こんな私のために)

「こんなんじゃダメですか?」

不安げに私を見上げる加護。

私は、教育係失格だよ。私は、人にモノを教えられるような人間じゃないよ。だって、いっつも、加護に謝らせてばかりいるんだもの。

「ごめんね、ごめんね加護」

私は、加護をぎゅっ、と抱き締めた。

「ありがとうね、加護。このタオル、一生大切にするよ。ゴメンね」

市井ちゃんがくれたタオルを、加護がキレイにしてくれた。
すっごく嬉しいよ。
一生の宝物だよ。

リハの反省会。
みんな、夏先生の話を真剣に話を聞いている。
でも、加護だけは、うつらうつらと頭が舟を漕いでいる。

夏先生は、めざとくそれを見つけ、

「こらぁ、加護ッ──」
「ダメっ」

私は、加護を起こさないように、つかつかと歩いてきた夏先生の間に立ちはだかる。

「今日は、加護は寝かせてあげてください。私がちゃんと話は聞いて、あとで加護に言ってきかせますからっ」

夏先生は、私の剣幕に、うーん、じゃあ、後藤、あんたに頼むよ、と引き下がる。

「なんやねん、あんたら」

裕ちゃんが、あきれたような声で言った。

私は、たはははっ、と小声で笑った。

 

第3話

 

「ちょっとごっちん、加護さあ、なんとかしてよ」

朝、まだ半分寝ぼけていた私に、圭織がいきなり不満げな声をかけてきた。

「ふぇ? 加護がなんかしたの?」
「なんかしたのじゃないよ。昨日さ、加護が、辻のことをいきなり殴ったんだよ。持ってたマイクで」

うわ、痛そうだ。

「なに、ケンカなの?」
圭織の後ろに隠れるようにしている辻に、話しかける。
「ケンカじゃないです。話してたら、いきなりゴンて。そのまま、走って帰っちゃいました」

ふーん。昨日は、加護、仕事終わったらすぐいなくなっちゃった、って思ったら、そんなことしてたんだ。

「おはようございまーす」

話の途中、ちょうど加護がやって来た。加護は、私と圭織と辻の三人がたむろしてるのを見て取ると、逃げようとした。

「コラ、加護。こっちおいで」

すでに背中を向けていたけど、びくり、とその場に止まった。
おそるおそる、といった風情で、私たちを振り向く。私は、唇だけで笑って、手招きする。

笑顔のまま、問いただす。
「ねえ、加護。あんた、昨日、辻のこと、殴ったんだって?」
「え……でも……」
「殴ったの?」
「はい……」
加護は、俯いて答えた。

「辻に、謝りな」
とりあえず、そうしないと話が進まない。

「イヤです」
加護はハッキリと言った。
「いいから、謝りなさい」
「イヤですー!」
叫んで、その場から走り去った。

う……。
圭織と辻の視線が痛い。
一応、私は加護の担当だからさあ、謝らせることさえ出来ない、ってのは、ヤバいよなあ。
私がナメられてる、ってことになっちゃうんじゃないかなあ。

「たははは……」
適当に、愛想笑いしてみる。圭織と辻は、真顔のままだ。
「じゃーねぇ」
そのまま、バイバイ、と手を振りながら、後ろ歩きで、フェードアウトした。これじゃあ、加護とたいして変わらないな、とか思いながら。

        ◇

圭ちゃんと私は、会議室で待ってるように言われていていた。この二人、ってことは、プッチのことなのかな? って思った。
市井ちゃんが抜けて、二人になってしまったプッチモニは、これからどうなっていくんだろう。

「なんだかさあ、自信なくしちゃうよ」
私は待ち時間の間、圭ちゃんに今朝の出来事について話した。圭ちゃんも、石川さんの教育係だ。
同じ悩みを持つものとして──でも、石川さんは、圭ちゃんの言うこと、ちゃんときくからなあ。

ぐちぐちとこぼす私に、
「ごっちんさあ、加護の話、ちゃんと聞いてあげたの?」
圭ちゃんが言う。私は、肩をすくめて、答える。

「そんなの、殴った方が悪いに決まってるじゃん。圭ちゃんだって、石川さんが辻に同じことしたら、とりあえず謝れ、って言うでしょ?」
「そりゃそうだけどね……」

まだ、内々の話だけど、加護は、今は二人しかいないタンポポに入ることが決まっている。
このままじゃあ、圭織と雰囲気が悪くなってしまう。

それは、加護にとっても、つらいことだ。
私が、なんとかしないといけないんだけど……。

「あ〜あ」

私は、頭の後ろで腕を組んで、大きくのびをする。

(市井ちゃんだったら、こんな時、どうするんだろうなあ。やっぱ、ケジメをつけて、ビシッ、とキビシク注意してくれるんだろうなあ)

でも、私は、いいコだったから、市井ちゃんは楽だったに違いない、うん。

「ごっちんへの教育についてさ、紗耶香はけっこう気苦労多かったみたいだよ。
私もいろいろ相談されたもん。こんな風に指導したいんだけど、いいかな、とか」

圭ちゃんが、私の頭の中を覗いたみたいな返事をしてきた。どうやら、考えていたことを口に出してたみたいだ。

「加護はさ、私のこと、どうみてるんだろ。友だちの延長なのかな?」

私が、市井ちゃんを尊敬していたみたいには、加護は私のことを思ってくれないのか?

私は、首をがっくりと下げて、ため息をついた。

落ち込む出来事は、その後も続いた。

二人が呼び出された理由が分かった。
プッチに、吉澤を入れて、活動を再開する、とマネージャーから告げられたのだった。

「……それは、プッチモニじゃないとダメなんですか? 違うユニットにする訳にはいかないんですか?」

私も、ええっ、と思ったけど、圭ちゃんが受けたショックはよほど大きかったみたいだ。
マネージャーさんに、まるでくってかかるような勢いで、いろんなことを聞いていた。

私は、なんか、茫然と、圭ちゃんとマネージャーさんの会話を聞いていた。

(いろんなことが、どんどん変わっていく)

過去を、過去のままで、置いておく訳にはいかないみたいだ。大切な思い出も、どうでもいい記憶も、同じように、どんどん上書きされていく。
急き立てられるように走って、走って、私たちは、一体どこへ連れていかれるんだろう。

しなくちゃいけないことは山積みで、でも、休んでるヒマはなくて、大問題が次々とやってきて、

(あの頃に帰りたいよ……)

ガラにもなく、弱音を吐きたい気分になっていた。

「後藤さん……」
扉の外に、加護がいた。
小声で、私を呼んでいた。
今のプッチ増員の話、聞いていたのかな?

私は、疲れていた。
今は加護の相手をするだけの気力がなかった。

あっちに行ってな、ってカンジで、加護に向かって手をひらひらさせた。加護は、ぎゅっ、と唇を噛んで、いなくなってしまった。

(もういいよ。私は市井ちゃんみたいには出来ないよ。加護にとっても、こんな教育係、役立たずなことこの上ないよね)

自虐的に、そう思った。

マネージャーさんとの打ち合わせも終わり、楽屋へ向かう道すがら。
「ねえ、圭ちゃん。これからどうしようか」
圭ちゃんは聞こえていないのか、ブツブツと口の中でなにかつぶやいていた。

「ちょっと、ごっちん、ここにいたんか」

楽屋から、裕ちゃんが顔を出した。
すごく慌ててるみたいだった。

「加護がな、タイヘンなことしでかしてん。つんくさんの襟首締め上げて、モーニング娘。なんか、やめたるねん、とかわめいたらしいで。
そのことでな、あとでごっちんに、つんくさんから話あるみたいやで」

なんだか、めまいがする思いだった。
神さまは、私に、なにをさせたいんだろう。

(問題児加護)

そのフレーズが、脳裏にどーん、と鳴り響いた。

「加護おぉッ!」
私は、裕ちゃんに、加護のコトを聞いてすぐ、スタジオを走り回った。そして、ついに、喫茶コーナーで小さくなってた加護を見つけた。

「ちょっと加護、私と一緒に来な。いいから、一緒に来るんだよ」
襟首をつかんで、ひきずるようにして、つんくさんのトコロに連れていった。

「おう、後藤。なんやもう……加護も一緒か」

つんくさんは、一人で、スタジオにいた。
タバコをふかしながら、コーヒーを飲んでいた。

「加護、今度こそ、謝るんだよ。ほら、つんくさんに、ごめんなさい、って言うんだよ」
加護は、ぷい、って感じで横を向いてしまった。

情けない。
私はなんて情けないんだろう。

結局、私は、加護にとって、教育係でもなんでもなかったんだ。

私は、つんくさんに頭を下げた。
「ごめんなさい」
もうダメだ。
今日で、加護の担当を外させてもらおう。

頭を上げられなかったのは、下を向いたまま、泣いてしまっていたからだ。
私ってダメダメだ。

(ごめんなさい)

私、市井ちゃんみたいになれなかったよ。
前から薄々気づいていたけど、やっぱり、私には教育係なんてムリだったんだ。

「ごめんなさい。ごめんなさい」

頭を下げたままの私につられたのか、加護も、ペコペコ謝りだした。

つんくさんは、びっくりしたような声で、
「いや、ちゃうねん。ちゃうねんて。後藤を呼んだんは、謝って欲しかったからと違うで」

とにかく、なんか飲んで落ち着いてや、と、コーヒーを出された。加護は、ホットミルクを甘くしたヤツをもらってた。

つんくさんによると、こういうことらしい。
加護が、スタジオにいきなり乱入してきて「プッチモニはずっとプッチモニのままにして下さい」とつんくさんに懇願したというのだ。

なんの話や、と答えたつんくさんに「プッチモニはずっと3人なんです。後藤さんと保田さんと市井さんは、仲良しなんです」と。

つんくさんが訳が分からないまま黙っていると、エキサイトしてきたのか、関西弁まるだしで
「代わりに、私もタンポポには入らへん。後藤さん、イヤがってるから、だから、私たちが入らへんかったら、
市井さん帰って来るんやったら、ウチがモーニング娘。を辞めるねん」と、わめき散らしてしまった、ってのが、コトの顛末らしい。

「テンパったら、訳の分からんこと言い出すんは、後藤そっくりやな」

つんくさんに、苦笑い混じりに言われて、私は赤面した。
昔、似たようなことを、裕ちゃんに言ってしまったことを思い出していた。

もしかしたら、そんな気持ちが、加護への態度として現れてしまっていたのかも知れない。
敏感にそれを感じ取った加護が、こんな行動に出たとするなら、半分くらいの責任は、私にあるんだろう。

新しいプッチモニを作ることを、私たちに無断で決めてしまって、悪かった、と、つんくさんは、しきりに詫びた。

「私たちがどうこうする問題じゃないですから」
そう言うと、後藤と保田の気持ちを考えないままに物事を決める、ってのは良くないことやな、やっぱり、と、つんくさんは答えた。

スタジオから出て、加護と二人っきりになるのを待って、

「私のことを心配してくれるのは嬉しいけど、暴走する前に、私に一言相談してよね」
「……はい」
「でも、ありがと」
頭を撫でてあげると、加護はようやく笑った。

その足で、加護を辻のトコロへ連れていった。

加護の話はこうだ。
辻は、飯田さんのことを、加護に自慢したらしい。自分の教育係は立派だと。
最初からモーニング娘。にいるメンバーに教えてもらってるのは自分だけで、彼女はいろんなことを知ってる。

それに引き替え、と、加護の教育係のことを(つまり、私のことだ)を言おうとしたので、
思わず手にしていたマイクで殴った、と言うのだ。

なにかを言い出す前に、ってのは、つまりは加護も充分私の頼りなさを実感してるという訳で(……面目ない)
確かに、そんな理由だったら「どうして辻を殴ったの?」って質問にもその場では答えられないだろうなあ、とは思う。ますます面目ない。

「とりあえず、ちゃんと謝っておこうね」
「はーい」

辻は、飯田さんと一緒にいた。
そりゃあ、飯田さんは頼りになるよ。辻が自慢したくなる気持ちも分かる。

飯田さんは、私たちの顔を見るなり、先に謝ってきた。
「ごっちん、ごめんねー、辻から聞いたよ。なんか、失礼なコト、言ったんだよね」
言ってないと思うんだけど、辻は、飯田さんに、どんな失礼な台詞を告白したんだろ?

「ほら、加護も謝るんだよ」
「ごめんなさい」
私たちの様子を見ていて、飯田さんはぽつりと、
「彼女がどれだけごっちんのことを大事にしてたか――今の二人を見てると、よく分かるよ」
と、こぼした。

(ねえ、加護)
そっと、加護に耳打ちする。
(加護も、飯田さんが教育係だったら良かったのにね。そしたら、自慢出来たよね――)
ぶー、と加護はふくれっ面になって、私の服の裾をつかんで、
(後藤さんがいいです)
そう言い切った。

私は、そんなにイイもんでもないんだがなあ、と思うのだが。
(これからもイロイロ教えて下さい)
素直にしている加護は、とても可愛い。
ついつい甘やかしてしまいそうだ。
まあ、頼ってくれてるんだから、それなりに私も気合い入れて、頑張んないとね。

        ◇

「後藤さあ、加護の教育のことで、悩んでるみたいだよ」
楽屋に保田は一人、携帯電話で話をしている。

『私だって、昔はメチャクチャ悩んでたこと、圭ちゃんも知ってるじゃん。
ホントはさ、私なんて、全然、人にモノ教えられるようなニンゲンじゃなかったんだよ』

「うん。そんなこと、言ってたよねえ」
保田は、懐かしく、その頃のことを思い出していた。

『でもさ、心細そうな声で頼ってこられるとさ……ガンバんないとダメだ、って思って、自分に気合い入れてたよ。
私さ、教育係だったけど、いっぱい、いろんなことを教えてもらったよ。その点については、あの子に感謝してる』

保田はふう、とため息をつく。
ホントは、後藤の話をするつもりじゃなかった。
保田も、保田なりの悩みがあって、電話をかけたのだ。
でも、言い出せなかった。これは、もう、彼女とは関係のない話だから。

「それをさ、一回、あいつに言ってあげなよ。そしたら、きっと、元気出ると思うんだ」
『ダメだよ。私は、後藤が自分で乗り越えられるように、教育したつもりだよ。
いつまでも、私に頼ってちゃダメなんだし。これはね、後藤と加護の問題なんだ』

「相変わらず、キビしいね、紗耶香」
私も、紗耶香に頼ってちゃあダメなんだよね、と、保田は受話器から唇を離して、つぶやいた。

楽屋の外に、人の気配がした。
「じゃあね。ガンバってね」
『うん。圭ちゃんもね』
携帯を切る。

同時に、石川が、不安げな表情で、楽屋の扉から顔を出した。
「よう、石川、どうしたの。そんな泣きそうな顔しちゃってさ」
「保田さ〜ん」
パタパタと、保田に走り寄ってくる石川の姿を見、保田はため息をつきながら、笑った。

        ◇

忙しい一日が終わった。
「後藤さんッ」
加護はまだまだ元気そうだ。タックルをかけるように、私の腰にしがみついてきた。
「今日も、頑張りましたぁ」

偉かったねえ、と、適当に誉めてあげて、頭をくしゃくしゃと撫でてやる。
「やーん」
イヤがっているのかそうでないのか、曖昧な抵抗を見せて、加護は、結局は私の手に頭を
擦り付けるようにしてくる。

ははは、加護、可愛いなあ。
ホント、可愛いよ。

なんとなく、
小声で、ぼそりと、
(――亜依ちゃん)
と呼んでみた。

加護は、聞こえなかったらしく、目をぱちくりさせて、

「はい? 後藤さん、何かいいました?」

ははは、聞こえなかったか。まあいいや。

「ううん、なんでもない。一緒に帰ろっか」
「はい」

荷物を背中にしょって歩き出した私の隣りに、加護は、スキップしながら並んだ。

(私が、あの人のことを、市井さんから市井ちゃんって呼ぶように変わったのって、いつ頃からだったっけ)

そんなことを考えながら、
二人で、手をつないで、帰った。