あの頃の想い出

 

「はい! 税込みで1635円になります!」
「・・・2,035円お預かりします」
「400円のお返しになります! ありがとうございました!!」

・・・あたしは何をしているんだろう・・・
こんなことしていたくない・・・でも、あそこにも戻りたくない・・・

あたしが「娘。」を脱退してから・・・いや、「モーニング娘。」というグループがなくなってからもう二ヶ月も経っていた。
残りのメンバーのみんなはそれぞれの道を歩き始めていた。

なっちとカオリンはソロとして別のレコード会社でデビューした。
ごっちんは「プッチモニ」のリーダーとして、よっすぃーと新たなメンバーに梨華っちを加えて活動している。
圭ちゃんはソロ活動をしたいために、「プッチ」をやめて今はあちこちのレコード会社をまわっている。
ののちゃんとあいぼんは「ミニモニ」として今では「プッチ」を凌ぐほどの人気を得ている。
そして・・・ゆーちゃんは・・・

あたしは「モーニング娘。」がなくなったときに全てを捨てた。
あちこちからオファーがかかったし・・・事務所も「タンポポ」と「ミニモニ」のリーダーとして、売っていくつもりだったらしい。
でも・・・どうでもよかったんだ。そんなのは・・・どうでもよかった。
あんなことがあったから・・・

どうでもよくなったんだ・・・

「なあ、矢口・・・うちが辞めたら次のリーダーはあんたやで」
「ちょ、何言ってんのよ・・・ゆーちゃんがやめるなんて考えられないよ」
「ここだけの話や・・・なっちは例の男とのスキャンダルがあったし・・・カオリはトークが出来へん。
 センターの経験もない圭じゃかなりキツイ仕事や・・・でも、矢口なら出来る」

・・・あたしは黙ってゆーちゃんの話を聞いていた。
その横顔が凛々しくて思わず視線を逸らして下を向いてしまったが。
やっぱり・・・カッコいいよ、ゆーちゃん・・・

「あ、あたしじゃゆーちゃんみたいにみんなをまとめることなんか出来ないよ」
「だいじょぶや・・・なっちやカオリはきついかもしれへんけど、矢口のあとに入ったメンバーは
 みんな矢口になついてるやん。それはちゃんと人をまとめる力がある証拠やと思うんや・・・」
「・・・」
「ま、うちがおる限りはカンケーあらへん話やけどな。いざって時はホンマに頼むで・・・」
「そ・・・そんな話しないでくれよ。まるで・・・ゆーちゃんがどこかに行っちゃうみたいじゃんか・・・」

すると、不安そうなオレの髪をゆーちゃんは優しく撫でてくれた。
頭を自分の肩のほうに引き付ける。

「うちは・・・少なくとも、矢口の前からは姿を消せへんよ。ただ、うちもトシや。
 何があるかわからへんから話しただけや・・・びっくりしたか?」
「・・・」
「ごめんな・・・」

そう言って・・・あたしにキスをする。
ファーストキスもゆーちゃんにとられた・・・最初はビックリしたけど・・・
今では相手がゆーちゃんですごく嬉しかった・・・

「まりっぺ! 今までどこにいたんだよ!?」
「どうしたの・・・? なっち? ちょっとシャワー浴びてただけだって・・・」
「早く・・・早く来てよ!! ゆーちゃんが・・・ゆーちゃんが・・・」

あたしは・・・目の前が真っ暗になった。
涙声のなっちの声・・・電話を代わった時のカオリンの慌てぶり・・・
全てが事実だと叫んでいる。

信じられない・・・信じたくない・・・

「早く・・・早く来てよ!! まりっぺ! 病院の名前は・・・」
「・・・」
「さっきから・・・うわ言みたいにゆーちゃんがまりっぺのことを呼んでいるんだよ!?
 もしかしたら・・・もしかしたら・・・」
「・・・」

もしかしたら・・・もしかしたら・・・
なっちの声があたしの心にとどめをさす。
事実・・・事実なんだ・・・

「・・・」
「・・・今からカオリがそっちに行く。部屋から絶対出ちゃダメだよ? 分かったね!?」
「・・・」
「まりっぺ!! しっかりしてよ・・・まりっぺがしっかりしないと・・・
 ゆーちゃんホントにダメになるかもしれないんだよ!?」

ダメになるかもしれない・・・ダメになるかもしれない・・・
あたしは・・・持っていた受話器を思い切り投げつけた。
ごんっとフローリングを叩きつける音が響いたが・・・何も変わらなかった。

何も・・・何も変わらなかった・・・

「・・・ゆーちゃん・・・?」
「まりっぺ・・・」

ベットに横たわっているゆーちゃんは・・・白かった。
綺麗でサラサラの髪には痛々しいほど包帯が巻かれていてよく見えなかった。
口許には酸素吸入がつけられていて・・・

「手術は・・・成功したんだって・・・でも、助かる可能性は・・・ゆーちゃん次第だって・・・」
「なんで・・・なんで・・・」
「事務所から帰る途中に・・・車に轢かれて・・・そのままひきずられて・・・」

なっちは・・・下を向くとぼろぼろと涙を流し始めた。
それが嗚咽に変わると・・・カオリンがなっちの背中をさすった。

「轢き逃げした奴は捕まったよ・・・でも、でもそんなことしたって!!」
「圭ちゃん! 落ち着きなよ!!」
「まりっぺ・・・ゆーちゃんはここに運ばれるまで・・・ずっとまりっぺの名前を呼んでたんだよ・・・」

・・・・・・

「とりあえず・・・辻と加護はもう家に帰りな。ここはあたしたちがいるから・・・
 何かあったらすぐに連絡する・・・」
「・・・わかりました」
「まりっぺ・・・あたしたちは外のロビーで待ってるよ。だから・・・だから、ゆーちゃんの側にいてあげて・・・」

・・・・・・

「まりっぺ!!」

圭ちゃんは・・・あたしの頬を引っぱたいた。
一瞬、視界がブレる――すぐにカオリンとごっちんが止めに入る。

「ちょっと! 圭ちゃん・・・」
「まりっぺ!! この中で一番ゆーちゃんと仲がよかったのはまりっぺだよ!
 だから・・・! だから、ゆーちゃんを安心させることが出来るのは・・・まりっぺしかいないんだよ!!」
「・・・」
「何もしなかったら・・・このまま何もしなかったら・・・あたしはまりっぺを許さない・・・」

・・・・・・

「とりあえず・・・みんな出て行こうよ・・・まりっぺ。頼んだよ・・・」

カオリンは泣き崩れているなっちとうなだれている圭ちゃんを連れて部屋を出た。

・・・病室は静かだった。

「・・・」
「ねえ・・・ゆーちゃん・・・起きなよ・・・」

あたしは・・・ベットに横たわっているゆーちゃんを揺り動かした。
その姿はどうしようもないくらいに・・・静かだった。

「ねえ・・・ねえ・・・帰ろうよ・・・明日ジャケ写あるんだから・・・帰ろうよ・・・」
「・・・」
「ねえ・・・ねえ・・・ねえ!! ねえってば!! ゆーちゃん!! 帰ろうよ!!」

オレはがくがくとゆーちゃんを揺すった。
その反動で――布団の中から手がはみ出した。
ぶらりと・・・力なく、落ちる。

「お願い・・・お願い・・・ゆーちゃん・・・目を覚ましてよぉ・・・」
「・・・」
「こんなことに・・・どーしてこんなことになったんだよぉ!!
 約束したじゃんかよ!! オレの前から姿を消さないって・・・約束したよぉ・・・」

落ち込んでいた手を握る。
暖かい・・・いつも握る手と同じだ・・・何も変わらない・・・ゆーちゃんの手・・・
でも・・・でも・・・どこか冷たい。

「お願いだよ・・・お願いだから・・・オレを置いていかないでよぉ・・・」

力強く握り、額に押し付けた。
その手は――握り返されない・・・弱々しくも握り返されない・・・
・・・涙で手の甲が濡れる・・・

「誰でもいいよぉ・・・誰でもいいから・・・助けてよ・・・ゆーちゃんを・・・助けてよ・・・」

・・・どれぐらい時間が経ったのか・・・
あたしはずっとゆーちゃんの手を握りつづけていた。
心配したカオリンが休むように言ったけど・・・できなかった。
休めなかった。こうやって手を握っていないと・・・ゆーちゃんが離れていきそうで・・・

「・・・」

ひたすら祈りつづけることしか出来なかった。
ゆーちゃんの手を握りつづけて・・・祈りつづけて・・・

「・・・お願いだよ・・・何でもいいよ。神様でも悪魔でもいいよ・・・ゆーちゃんを助けて・・・」

不意に――手のひらに何かを感じた。
ごそごそと動く何かを確かに感じた。

「ゆーちゃん!!」

あたしはゆーちゃんの手を握りなおした。
どこにも行かないように・・・あたしだけでも分かるように・・・
両手でしっかりと・・・この世界に繋ぎとめるように握りしめると・・・

ゆっくりと・・・その手が握り返された。

「み・・・みんな!! ゆーちゃんが・・・ゆーちゃんが・・・」

部屋の壁に寄りかかって寝ていた圭ちゃんが身を乗り出すようにゆーちゃんを覗き込む。
椅子に座っていたカオリンもなっちも・・・朝一にかけつけたごっちんも・・・
全員が固唾を飲んで見守った。

「こ・・・ここ・・・は・・・みんな・・・?」

苦しそうにかすれた声を出した――ゆーちゃんの声・・・
ゆーちゃんの声だった・・・まぎれもなく・・・まぎれもなく・・・それはゆーちゃんの声だった。

「や――やったぁぁぁぁっっ!!」

一斉にみんなが大声を張り上げた。
なっちとカオリンはお互い抱き合って喜んだ。
圭ちゃんは大きくため息をついただけだったけど・・・その目には溢れんばかりの涙でいっぱいだった。
ごっちんは驚いたのか、何が起こっているのか分からないのか・・・その場に茫然と座り込んでいた。

「とりあえず、医者を呼んでくる!」
「ゆーちゃん!! ゆーちゃん!!」

個室は・・・病院とは思えないほど大声で盛り上がっていた。

「・・・心配・・・かけた・・・みたい・・・やな・・・」
「・・・」
「助け・・・て・・・くれたんか・・・あんたが・・・」
「ゆ、ゆーちゃん・・・?」
「ありが・・・とな・・・誰だか・・・分から・・・んけど・・・礼は・・・必ずする・・・で・・・」

「中澤を無期限休養にするか・・・それとも思い切って『モー娘。』を解散させるか・・・か」
「・・・ええ頃合やな。最近は『プッチ』や『ミニモニ』のほうが脚光を浴びとる。
 『娘。』の人気は下降気味や・・・解散やな。中澤以外に『娘。』を引っ張る奴がおらへん」
「じゃあ・・・」
「『プッチ』と『タンポポ』、それに『ミニモニ』・・・活動は三つに分かれるな・・・」
「安倍は・・・どうします?」
「後藤をセンター据えている今や・・・適当にレコード会社紹介してソロやな。
 最初の二曲は俺がプロデュースする・・・」

・・・あたしはつんくさんがレコード会社の誰かと話しているのを立ち聞きしてしまった。
『娘。』がなくなる・・・休養ではなく解散・・・それはゆーちゃんを切り捨てることだった。
・・・もう限界だ・・・
ゆーちゃんのいない『娘。』に自分の居場所はない・・・見つかるわけもない・・・

急に、この世界に身を置いていることに圧迫感を覚えた。
ここにいるのが・・・苦しかった。あれほど楽しかったはずの仕事が今は・・・つまらなかった。
当たり前だった。苦しい時・・・つまらないとき・・・支えてくれたのは常にゆーちゃんだった。
でも・・・今はいない・・・
あたしはまるで自分の半身を失ってしまったような脱力感で一杯だった。

「・・・どうして・・・どうして? なんで辞めるとかいうの!?」
「・・・」

楽屋で・・・あたしはカオリンに詰め寄られていた。
他のメンバーは・・・その勢いに圧倒されて黙ってこちらを見ていた。
ただ、圭ちゃんだけが・・・何かを言いたげな瞳で見つめていた。

「まりっぺがいなきゃ・・・ダメじゃんかよ。ゆーちゃんは戻ってくるよ・・・必ず」
「・・・」
「『娘。』に帰ってきたゆーちゃんを出迎えなきゃいけないんだよ? 辞めるなんておかしいよ!」
「・・・疲れたんだよ・・・今のあたしはみんなの足手まといしかならない・・・」

あたしは脱退の意思を告げた。
理由は本当に疲れていたこと・・・まだ、みんなは『娘。』がなくなることを知らない。
ゆーちゃんが元気になっても・・・その居場所はどこにもない・・・
あたしは居場所を完全に失った。
ゆーちゃんのいないところに・・・オレの居場所はない・・・

「そんなことないよ! カオリなら・・・まりっぺと同じ立場だったらこんな風に仕事してないと思うよ・・・
 でも、まりっぺは仕事をしてるじゃん! それって強くなきゃ出来ないことなんだよ?」
「・・・」
「カオリンの言う通りだよ・・・まりっぺはまだ『娘。』を辞めちゃダメだと思う・・・」

ずっと黙ってきていたなっちが不意に口を開いた。

「ゆーちゃんが戻ってきた時にまりっぺがいないでどーするの?
 確かにまりっぺが投げやりになる気持ちは分かるよ・・・でもね、辞めたらゆーちゃんだって・・・」
「・・・だよ・・・」
「えっ?」
「知らないからだよ!! みんなは・・・知らないからそんなことが言えるんだよ!!」

気がつくと・・・あたしは叫んでいた。
頬には涙が伝っている。

「・・・何を知ってるの? 話してごらん? まりっぺ」

やっぱり・・・圭ちゃんは怪しいと思っていたみたいだった。

「聞いたんだよ!! つんくさんは・・・ゆーちゃんがいなくなったのをいい機会だと思って・・・
 『娘。』を解散させるつもりなんだよ・・・」
「・・・」
「みんな・・・『プッチ』と『タンポポ』と『ミニモニ』にいるでしょ・・・?
 これからはそれぞれみんな別で活動していくみたいなんだよ・・・」
「あ、あたしは・・・どうなるの?」
「なっちは・・・ソロとしてデビューさせるみたいなこと言ってた・・・」

あたしの言葉に・・・メンバーの全員が沈黙した。

「・・・知ってると思うけど・・・ゆーちゃんは記憶がまだ完全に戻ってないんだよ・・・
 みんなのことはちゃんと覚えているのに・・・あたしのことは・・・」
「・・・」
「もう何をやっても・・・歌っても、踊っても楽しくないんだよ!!
 みんなの励ましはすごく嬉しいよ・・・でもね、それがあたしにとっては・・・重荷なんだよ・・・
 ゆーちゃんがあたしのことを思い出してくれないと・・・前に進めないんだよぉ・・・」

涙が溢れて・・・視界がぐにゃぐにゃになる。
自分の嗚咽で音が断絶される。
何もかもが・・・イヤだった。ここにいること。歌っていること。踊っていること。
ありとあらゆる・・・全てが。

「もう・・・ここには来ない・・・ごめんね。それと・・・今までホントにありがとう・・・」

あたしは・・・楽屋を出た。
その日、矢口真里という名の『モーニング娘。』というメンバーが・・・
永遠に消えた。

「矢口真里! 失踪!!」
「メンバー内の対立が激化! 休養中の中澤裕子が影響か?」

・・・あたしが辞めた次の日の新聞と週刊誌にはそんな見出しで溢れていた。
髪型とファンデーションを変えて・・・東京をさまよい歩いた。
ケータイの電源は切りっぱなしだ。
ただ・・・会社の方には公衆電話から連絡を入れておいた。

「・・・辞めさせてもらいます。本当にありがとうございました・・・」

ただ、一言だけ告げて・・・電話を切った。
もしかしたら分からないかもしれない。でも・・・思い残すことはない。
ほんとは・・・ゆーちゃんの顔を見たかった。声を聞きたかった。
でも今は動けない。病院にはたくさんの報道陣がいるだろう。

「・・・ゆーちゃん・・・」

実家に帰ろうとも思った・・・
ただ、それも今はできない。もう少し事態が落ち着くまでは家には帰れない。
正直言ってツライ・・・でも、あのままみんなといるほうがもっとツライに決まってる。

何より寝る場所がないのに苦労した。
17歳の女の子を一人で泊めてくれるようなホテルはないし、顔がバレると・・・
昨日の夜はカラオケボックスで一夜を明かした。

「・・・あれ? もしかして・・・まりっぺ・・・?」

かけられた声に・・・あたしは反射的に荷物を抱えて走り出そうとした。
なかなか大きなバックが邪魔をしてうまく走れないけど・・・とまれなかった。

「ちょ、ちょっと待って・・・うちやて!」
「・・・」

聞いたことのある声だった。
ホントは・・・この声を聞けて自分が救われたような気がした。

「・・・みっちゃん・・・」

「しばらく家におるとええよ・・・こんな時に外歩いてたら何されるかわからへんから・・・」

会うなりみっちゃんは何も聞かずにタクシーに乗せてくれた。
そして・・・マンションに着いた。みっちゃんの家だった。

「今、まりっぺの失踪で芸能界は話がもちきりや・・・テレビつけてビックリしたわ」
「もう・・・疲れちゃったんだよ・・・ゆーちゃんがいないから・・・」
「まりっぺはホンマにゆーちゃんっ子やなぁ・・・いつか辞めるとか言い出すと思っとったけど、
 まさかこんな大胆に失踪するとは思わんかった」
「ここには・・・マスコミとかきたの?」
「誰もきてへん。うちは最近ここに引っ越してきたばかりやし。
 ははっ・・・マスコミすらうちのこと忘れてるらしいで・・・」

冷蔵庫を開けて、みっちゃんはミネラルウォーターを渡してくれた。
その心遣いに・・・あたしは涙が出そうになった。

「・・・ありがと・・・」
「昨日の夜はどうしたん?」
「・・・カラオケボックスで寝てた。それから・・・実家の方に帰ろうかと思ったけど・・・
 たぶん、マスコミがいるだろうし・・・ホントにどうしようかと思って・・・」
「困ってるんやったら早ようちのところに連絡くれればよかったのに・・・
 あ、そーか・・・ケータイ切ってるのか・・・」
「・・・みんなには悪いことしたと思ってるよ・・・でも・・・もう『娘。』がなくなるから・・・」

あたしの言葉に・・・みっちゃんは驚いたようだった。

「『娘。』が・・・なくなるやて?」
「・・・うん・・・つんくさんが誰かと話してるの聞いたから・・・多分・・・」
「そんな! じゃあ、ゆーちゃんが退院しても・・・」
「今すぐには解散しないと思う。あたしがいなくなってるから・・・そのことで手一杯だと思うし・・・
 もう・・・どうしていいか分かんないんだよぉ・・・」

最近泣いてばかりだ・・・
思い出しては泣いて・・・現実を見れば泣いて・・・

「・・・ゆーちゃんに逢いたいよぉ・・・声が聞きたいよぉ・・・」
「今は・・・ダメや。ノコノコ病院に行ったらマスコミが黙っておらへん」
「・・・」
「うちが行ってくる。今の状況を話さないかん。きっと・・・ゆーちゃんも心配してるから・・・」
「お願い・・・解散のことは教えないで・・・きっとショック受けると思うから・・・」
「・・・分かってる。後で自宅の方に電話するから。二回鳴ったら出てちょうだい」

みっちゃんが出かけてから一時間ぐらい経っただろうか・・・
電話が鳴った。すぐに切れて・・・二度目が鳴る。

「もしもし!」
「ちょ、早いわ! ビックリしたで!」
「ゆーちゃんは!? ゆーちゃんはなんて言ってた?」

みっちゃんは・・・電話の向こうで黙り込んだ。

「・・・まりっぺ。今テレビ見てる?」
「ううん。電話がかかってくるの待ってたから・・・」
「じゃあ・・・どこでもええから・・・そや、日テレに変えてみ・・・」

何を言っているのか分からなかったけど・・・
あたしはすぐ側にあったリモコンで電源を入れた。
それから・・・番組を変える。

「・・・」

あたしはその画面を見て・・・凍りついた。
その身体だけじゃなくて、心も凍りつくように・・・動かなくなった。
耳が聞くことを拒んでいる・・・目が見ることを拒んでいる・・・

画面は記者会見を映していた。
そこには・・・みんなが、昨日までメンバーだったみんなの姿が映っていた。

『モーニング娘。ついに解散!!』

画面の左下にはポップ体でそんな風に書かれていた。
あたしは・・・受話器を持ったままぺたりと腰を落とした。
・・・断片的に聞こえてくる・・・

「・・・中澤さんの無期限休養と矢口さんの謎の失踪が関係あるんですか?」
「それは・・・関係ありません・・・それぞれのグループの方に専念したいということが・・・
 あるので・・・だから・・・ゆーちゃんもまりっぺも・・・関係ないんです・・・」

会見に臨んでいた圭ちゃんは・・・泣いていた。
休養も失踪も関係ないのに・・・プッチに専念できるはずなのに・・・泣いていた。
それは、みんなも一緒だった。
なっちも、カオリンも、ごっちんも、よっすぃーも、梨華っちも、あいぼんも、ののちゃんも・・・
みんなが・・・泣いていた。

「・・・あたしは・・・なんてことを・・・」
「・・・」

あたしが声を詰まらせているのを・・・みっちゃんは黙って聞いているようだった。

「・・・つんくさんがとった対応は話題性としてはバッチリかも知れへんな・・・
 でも・・・あんまりや・・・やりすぎやて・・・」
「・・・」
「ええか・・・何とかして病院にくるんや。ゆーちゃんがえらい泣いてるんや・・・
 うちが見たことないくらい・・・泣いてるんや・・・まりっぺ。あんたしか慰めることできへんよ・・・」

「そんなこと・・・そんなこと、あたしには出来ないよ!!
 確かに辞めた理由は疲れたことだけど・・・時間稼ぎが出来るかもしれないから辞めたんだよ!
 あたしの話題でごまかして・・・解散を引き延ばそうとしたんだ・・・」
「・・・」
「でも・・・あたしの行動は逆に解散を早めちゃったんだ・・・ゆーちゃんの居場所を壊したんだ・・・
 そんなことしたオレがどのツラ下げてゆーちゃんに会わなきゃいけないんだよ!!」
「いい加減にしいや!! まりっぺ!!!!」

今まで聞いたこともないような声で・・・みっちゃんは叱りつけた。
電話口からもその勢いとか・・・怒りみたいなものが伝わってきた。

「そんなのは結果や! グループっちゅーもんはできたら最後は必ず解散するんや。
 まりっぺのせいやない・・・解散が引き延ばせても一月ぐらいが限界や・・・
 芸能界は流れが早いんや・・・覚えられるのも忘れられるのもホンマにあっという間や・・・」
「・・・」
「いつまで現実逃避するつもりや・・・確かにまりっぺが一番ツライのは分かってるよ・・・
 でも、みんなだってツライんや・・・娘。のメンバーやないうちかて・・・
 みんなまっすぐ現実を見てるやん・・・ゆーちゃんだってそうなんやよ!」

「・・・みんながマスコミと向かい合ってるんや・・・現実と向かい合ってるんや・・・
 なら、まりっぺは・・・ゆーちゃんを慰めないと・・・それが現実やないのか?」
「・・・・・・分かった。すぐに行くよ」

電話を切ると・・・あたしは家を出ようとした。
不意に鏡台の方に視線が流れた。
このまま行けば・・・病院に入れてくれないかもしれない・・・
鏡台の引き出しの中を探る。そこに・・・探しているものが見つかった。
・・・ハサミ・・・

あたしは急いでタクシーを捕まえるとすぐに乗り込んだ。
病院の場所をお願いする。ここから大して距離は離れていない。
今は帽子は被らずにサングラスだけをしている・・・

「お客さんの行く病院って・・・モーニング娘。の中澤が入院してるとこらしいですよ」
「そ、そうなんですか・・・」

個人タクシーに乗ったせいなのか・・・運が悪かったのか・・・
ドライバーは30代ぐらいの若い人だった。
もしかしたら・・・バレるかも知れない恐怖があった。

「誰かのお見舞いにでも行くのかい?」
「え、ええ・・・高校の友達がバイクで事故っちゃって・・・大したことないんですけど、
 まだ行ってないから・・・それで・・・」

とってつけたようなウソだが、自分の中ではうまく言えた。
案の定・・・ドライバーの人も信用してくれたみたいだった。

「そうかい。気をつけたほうがいいよ。何たって命は一つしかないんだからねぇ・・・
 さっきから気になってるんだけどさぁ・・・お客さん、もしかして・・・」
「・・・」

あたしはミラーから自分の姿を見られて、ドキドキした。
この人が・・・娘。のファンだったらきっと誤魔化せないだろう・・・
いくら・・・いくら誤魔化しても・・・顔は騙せない。

「モー娘。の矢口真里・・・に似てるって言われたことあるでしょ?」
「・・・た・・・たまに・・・ほら、彼女はし、身長低いし・・・あたし・・・もそうだから・・・」
「なんか・・・髪形が違うもんね。彼女は長かったような気がするけど、あなたは短いもんね」

誤魔化せた・・・さすがに髪を切るとだいぶ印象が変わるらしい。
毛先まで切るほど時間もなかったけど・・・バッサリ切った。
腰にかかるぐらいまであったのに・・・今は肩よりも上だ。
躊躇はなかった。ゆーちゃんに逢えるんだったら髪なんかいくらでも切れた。

「そういえば解散するんだよね。今日は会見でテレビもラジオも同じことばかりだよ。
 しかし・・・あんなに人気があったのに、解散するって・・・時代かねぇ・・・」
「・・・」

あたしは・・・話を聞くのをやめた。
今することは・・・ゆーちゃんに逢うこと。そうじゃなくても・・・逢いたい。
あの声が聞きたい。あの手で髪を撫でて欲しい。あの唇でキスして欲しい・・・
ラジオのニュースが聞こえてくる。
やっぱり娘。の解散を伝えるニュースだった。
・・・泣き出さないように我慢するのが精一杯だった。

病院の入口には報道関係者の車でごった返していた。
見たことのあるテレビ局や新聞社の車は・・・一種の凄みを感じた。
世間に娘。が浸透している証拠だと感じたのだ。

「こりゃ・・・思ったよりすごいな・・・」
「あ、ここでいいです・・・」
「ここじゃ通常口から遠いよ。ちょっと待ってな・・・」

すると、わずかの車間を縫うようにタクシーが駆け抜けた。
あれだけギッチリ詰まっている車をかすらせずに通り過ぎるなんて・・・映画を見ているようだった。
そして通常口が見えたが・・・そこを通り過ぎる。

「ちょ、ちょっと・・・」
「あんたが・・・ここから入ったら問題になるぜ。髪型変えたぐらいじゃマスコミは騙せないよ」
「・・・」

バレた・・・
このドライバーは・・・気づいていたのだ。あたしが矢口真里であると。
入れないかもしれない・・・ゆーちゃんの顔を見れないかもしれない・・・

「俺は看護婦とかが入れる専門口みたいなのがある所を知ってる。理由を話せば通してくれるだろうよ」
「・・・?」
「俺はな・・・こんなトシじゃなんだが、モー娘。のファンなんだよ。
 中でも矢口真里って言うのは・・・俺の中では別格なんだよ!」

ききっ!
思い切りハンドルを切ると、タクシーが止まった。

「次は・・・中澤だ。その二人がいなくなったら・・・俺の中でモー娘。はあってないようなもんだ。でも、これでなんとかなるんだったら・・・頼む・・・」
「・・・」
「行けよ! 裏口もマスコミが張ってるだろうから・・・時間稼ぎはやってみる。
 お礼は・・・モー娘。の復活でチャラだ」
「・・・ありがと・・・」

ドアが開いて・・・あたしはすぐ側に見える勝手口のようなところに向かって走った。
・・・ファンというものがこれほど心強いものだと感じたのは生まれて初めてだった。

入口で看護婦に止められたものの、あたしが事情を話すとすぐに通してくれた。
病院内にマスコミが張っている可能性はあったけど、ここまでくれば邪魔をされることはない。
エレベーターに乗る時間も惜しいと階段を駆け抜ける。

目的の階に着く頃には息は切れていた。
それでも足は止まらない。
やがて・・・ロビーの辺りでみっちゃんらしき人影が見えた。

「みっちゃん!」

病院だということも忘れてあたしは大声を上げて、手を振った。
向こうは誰だか分からなかったみたいで一瞬驚いたようだけど・・・すぐに駆け寄ってきた。

「ご、ごめん・・・時間がかかっちゃった・・・」
「ま、まりっぺ・・・その髪・・・」
「そんなことより! ゆーちゃんは・・・ゆーちゃんは・・・」

あたしが部屋に向かおうとすると、みっちゃんは腕をつかんだ。

「な・・・何すんだよ!」
「ゆーちゃんは・・・まりっぺに逢いたないってゆーてる・・・」

腕をつかんだまま・・・みっちゃんは苦々しく言った。
あたしは・・・固まった。

「ゆーちゃんは・・・解散したのがまりっぺのせいやと思ってる。
 あたしが来た時は・・・ゆーちゃんはまりっぺに逢いたいわ、ってゆうてたんよ・・・
 でも・・・テレビをつけてから・・・」
「・・・」
「まだ・・・まだ、まりっぺのことを分かってへんから・・・自分の感情が先に立ったみたいや・・・
 今は逢わへんほうがええ。お互いのためや」
「・・・カンケーないもん・・・あたしと・・・ゆーちゃんは・・・そんなに薄っぺらな関係じゃないもん!」

みっちゃんの手を振り切って・・・あたしはゆーちゃんの病室の扉を開けた。

ノックもせずにあたしはゆーちゃんの病室に入った。
ベットから上半身を起こしていたゆーちゃんは・・・抜け殻のようだった。
力なくすぼんでいる手のひらにはリモコンがあり・・・その先にはテレビがあった。
ワイドショー番組で・・・おそらくはここで解散の話を見たんだろう。
でも・・・今は別の事件を取り上げていた。

「・・・ゆーちゃん・・・」

あたしの声にぴくりと身体を動かし・・・うなだれた首だけをこちらに向けた。
凍りつくほど冷たくて・・・ナイフのように鋭い双眸をしていた。
あたしは・・・始めて見るそのゆーちゃんの姿に恐怖を覚えた。

「その・・・なんて言っていいかわかんないけど・・・」

がちゃん!

ゆーちゃんは・・・そのままの態勢でリモコンを窓ガラスに投げつけた。
ものの見事にヒットして・・・砕ける。

「ゆーちゃん!」
「うっさいわ!! あんたは・・・あんたは・・・何てことしてくれたんや!!
 せっかくみんなで積み重ねてきたものを・・・積み重ねてきたものを!!」
「ゆーちゃん! 頼むから落ち着いて・・・」
「気安く人の名前呼ぶな! ホンマにあんたは・・・あんたは何者なんや!?
 なっちやカオリは同じメンバーやて言うけど・・・同じメンバーが娘。を壊すわけあらへん!!」

「ゆーちゃん!!」

窓ガラスが割れた音を聞いたのか・・・みっちゃんが駆けつけた。

「確かに最近の人気は下降気味やったかもしれん・・・でも、うちがデビューできたのは
 娘。のおかげなんや!! それを・・・それを・・・勝手に壊して・・・」
「ゆーちゃん! それは言い過ぎやよ!!」
「みっちゃんは黙っとき! 自覚があらへんからこんなことするんや・・・
 自分が娘。の一員である自覚がないから平気で逃げたりできるんや!!」
「・・・」

ゆーちゃんは苦しそうに胸を押さえながら続けた。
話すその一時も・・・俺から目を離さない。

「明日香は勉強するために・・・彩は結婚と夢のために・・・紗耶香はソロデビューのために・・・
 辞めるには必ず大切な理由があんねん!! それも自分のためや・・・全部が自分のためや!!
 でも・・・あんたのしてることは・・・違うやろ!? ツラくなったから・・・逃げてるだけやん!!」

あたしは・・・何も言い返せなかった。

「ゆーちゃん・・・少し言い過ぎやて・・・」
「・・・うちは・・・あんたのことが分からへん。みっちゃんや娘。のみんなから聞いても・・・
 ホンマに実感が湧かん。今日のニュースで・・・ますます分からなくなった」
「ゆーちゃん・・・!」

みっちゃんが何度もフォローに入ってくれているけど、ゆーちゃんは止まらない。
あたしは・・・じっと立ち尽くしていることしか出来なかった。

「あんたは・・・うちを好きなのは分かる。でも・・・うちは・・・」
「ゆーちゃん! それ以上ゆーたら、あたしだってこれ以上黙ってへんで!」
「・・・嫌いや。あんたが・・・まりっぺが嫌いや! 二度と顔なんか見たないわ!!」

目の前が・・・暗転した。
もう・・・もう・・・何を見ていけばいいのか・・・分からない・・・
何を目指して歩いていけばいいのか・・・分からない・・・

「こんなところで・・・うちも黙ってるわけにはいかへん・・・事務所に連絡とらんと・・・
 みっちゃん・・・すまんが、肩かしてくれへんか・・・公衆電話のところでええんや・・・」
「・・・じっとしてるように・・・言われてるやんか・・・」

みっちゃんは・・・泣いていた。
あたしが泣けないのを分かっているのか・・・代わりに泣いてくれているように見えた・・・

「・・・ならええわ・・・自分で行く・・・」

足を付き・・・ふらふらしながらも立ち上がる。
側にある壁に手をつきながら這いつくばるように歩く。
その視線の先に・・・あたしの姿はない。

「・・・事故で記憶がなくなろうが、無期限休養になろうが・・・うちは絶対諦めへん・・・
 ここまで頑張って来たんや・・・ここ・・・ま・・・で・・・」

あたしの真横を通り過ぎようとして・・・そして崩れ去った。
床に沈んでいるゆーちゃんは・・・動かなかった。

「ゆーちゃん!!」

みっちゃんが・・・ナースコールのボタンを押したのが見えた・・・

ゆーちゃんは静かにベットに横たわっていた。
あれからすぐに医者が来て・・・診察したけど、命に別状はなかった。
ずっと眠っていた身体が興奮した意識について行かなかったのが原因だった。
要は気を失ったままなのだ。

「・・・まりっぺ・・・どうする? 帰るんやったら、カギ渡しておくよ・・・」
「・・・」
「うちは・・・ゆーちゃんが起きるまでここにおるつもりや」

みっちゃんは・・・遠回しにあたしを帰らせようとしているのかもしれない。
そうだろう・・・今、あたしはゆーちゃんの回復を妨げているのだし・・・
それにハッキリ言われたんだ・・・キライなのだ。あたしのことが・・・ダイキライなんだ・・・

「分かった。ロビーで待ってな・・・ゆーちゃん目覚めたら・・・一緒に帰ろう・・・」
「・・・」
「まりっぺ・・・」

どうしたらいいんだろう・・・
ゆーちゃんはあたしがキライなんだよ・・・二度と顔も見たくないんだよ・・・
でも、あたしは? あたしの気持ちは・・・?

・・・何を言われても・・・ダイキライって言われても・・・
あたしはゆーちゃんが好きだ。今でも・・・好きなんだよ・・・

「・・・イヤ・・・帰るのはイヤ・・・」
「・・・」
「このまま・・・帰れないよ。ゆーちゃんにキラわれたままじゃ・・・帰れないよ!
 確かに逃げてたよ・・・ゆーちゃんがいなくなって、不安で・・・逃げてたよ・・・
 でも! 今日ゆーちゃんに言われて・・・変えなきゃいけないって思ったんだ・・・
 だから・・・だから・・・キラわれたままじゃ・・・イヤだよ・・・」

みっちゃんは微笑んだ・・・あたしがそう言うのを待っているようだった。

「・・・らしくなってきたやんか。いつものまりっぺはそんな風に考えるべきや。
 そろそろ、目覚める頃やし・・・うちがロビーで待ってるよ。
 まりっぺがちゃんと言えば・・・ゆーちゃん分かってくれるよ。記憶がなくても・・・」

・・・みっちゃんは部屋を出て行った。
あたしは・・・怒られることを覚悟して・・・その手を握っていた。
ゆーちゃんの手は暖かかった。

しばらくしてから・・・ゆーちゃんは目を覚ました。
目の前にオレがいることが信じられないのか・・・何度もまばたきをして・・・
再び、確認したみたいだった。

「・・・」
「よかった・・・起きた・・・」
「・・・みっちゃんは・・・?」

バツが悪そうに・・・ゆーちゃんはそっぽを向いて全く関係ないことを訊いてきた。
あたしはちょっと笑いそうになって・・・ガマンした。

「うん・・・今、ロビーにいるよ。ゆーちゃんが起きるまでは待ってるって・・・」
「・・・そうか・・・あのさ、悪いんやけど、手を離してくれへんか・・・」

あたしはまじまじと自分の手を見て・・・急いで布団の中に戻した。
顔が赤くなるのが分かる。

「ご、ごめん・・・」
「何でここにおんねん・・・うちが言うたこと・・・分かってへんのか・・・」
「・・・」

「・・・謝ってもどうしようもないことは・・・分かってるよ。
 娘。は解散しちゃったし・・・あたしは多分事務所をクビにされると思う。
 でも・・・逃げないって決めたんだ・・・自分の気持ちに・・・」
「・・・」
「どうしても・・・どうしても、ゆーちゃんが・・・スキなの。ダイスキなの・・・
 キライって言われても、二度とカオ見たくないって言われても・・・でも、スキなの。
 あたしの記憶がなくたって・・・キラわれたって・・・スキなんだもん・・・」

あたしは布団をぐっと握りしめた。
泣いちゃいけないと分かってても・・・ナミダが溢れる。
どうしても分かって欲しかった。あたしの気持ちの何万分の一でもいいから・・・伝わって欲しかった。

「・・・あー!! 分かった! うちが悪かった! そうしとこーや」
「・・・?」
「あん時は・・・娘。の解散でアタマがいっぱいやった。それで・・・まりっぺが来たから・・・
 誰かのせいにせんとやってられへんかった・・・別になっちでもカオリでもよかったんや・・・
 メンバーの誰かだったら・・・よかったんやと思う。ホンマに・・・悪かったな・・・」
「・・・」

ゆーちゃんは・・・あたしのアタマを抱きしめてくれた。
短く切ったあたしの髪を・・・いつものようにやさしく撫でてくれる。

「短くしても・・・カワイイなぁ。ちょっと長さが均等やないけど」
「へへっ・・・急いで切ってきたからね。ついでだから髪を黒く戻そうかと思ってんだ・・・」
「後でうちが切り揃えてやるわ・・・ん? 何や? じっとこっち見て・・・」

記憶がなくても・・・分かってほしい。
いつもしてくれたように・・・してほしい。

「・・・ん・・・」

あたしは・・・何とかやっていける・・・ゆーちゃんさえいれば・・・
ゆーちゃんさえいれば・・・

「よかったねー。散歩できるようになって」

あたしは車椅子を押しながらゆーちゃんと外に出かけた。
外はすでに紅葉が始まっていて、枯れ葉が舞い始めていた。

「そうやな。ホンマは真里と一緒に歩きたいんやけどな・・・」
「何言ってんの! リハビリしてるんだし、すぐに歩けるようになるよ。そしたらさ、どっか行こうよ」
「温泉・・・とかええかもなぁ。寒くなる季節やし」

あの事故で一番ひどくケガしたのは頭だった。
頭蓋骨の陥没骨折をしていて、何よりこのケガが心配の種だった。
他のケガはそれに比べれば大したことなかったのは唯一の救いだった。
右足首の骨折、肋骨の数本に裂傷程度で内臓にダメージがなかったのは奇跡らしい。

ゆーちゃんは、あの日以来・・・あたしが娘。を辞めて以来「真里」と呼ぶようになった。
別にそう呼ぶように決めたわけじゃないけど、いきなりゆーちゃんが言い始めたのだ。
・・・すごく嬉しいけど・・・

「でもさ、何で退院させてくれないんだろうね? もう松葉杖があれば生活できるし、
 あたしが助けられるから・・・記憶喪失って入院しなきゃいけないのかな?」
「・・・」
「ま、でもアタマのケガだから甘く見ないほうがいいかもね・・・ってどうしたの?」
「なあ・・・真里・・・」

ゆーちゃんは車椅子に寄りかかりながら立ち上がろうとした。

「ちょ、ちょっと!」
「そこのベンチに行くだけや・・・」
「肩貸すよ。あんまり無理しちゃダメだよ・・・」

「・・・何でもあらへんわ。うちが今まで頑張りすぎてたから、神様が休みをくれたんや。
 じっくり身体を直すことだけ、考えればええんやな・・・」
「そ、そうだよ。無理しちゃダメだよ・・・」

ゆーちゃんの横顔が悲しそうなカオだったのを・・・あたしは見た。
ひどく憂鬱そうで、悲しくてどうしようもないっていったカンジのカオだった。
何か・・・自分の中で不安が渦巻き始めていた。

「ちょっと出かけてくるわー」
「あれ・・・みっちゃん、今日は出かけるの?」
「事務所にな。なんや、レコーディングのことで話があるゆーてな・・・まりっぺは?」
「ゆーちゃんが歩けるようになったからねー♪ そろそろ退院できるか聞きに行こうと思ってさ」

娘。が解散して二週間が経った。
マスコミの報道はだいぶ下火になってきたけど、週刊誌には連日のように記事になっている。
あたしは・・・髪を黒くした。戻したって言ったほうがいい。
真っ黒のショートヘア。すれ違っても矢口真里だと気づく人はいなかった。

「最近、ゆーちゃんの回復ぶりはすごいよなぁ。スキな人が側にいるって言うのは
 ホンマにええことなんやとつくづく思うわ・・・」
「へへっ・・・まーねーって言いたいんだけど、ここ二、三日熱を出してるみたいなんだよ。
 ずっと身体がだるいって言ってたでしょ?」
「そやなぁ。でもさ、殴り合いした次の日とか熱が出るって言うやん? それとちゃうの?」
「ぶう! ゆーちゃんと殴り合いなんかしてないもん!」
「ははっ・・・でも、入院してるんやから、それぐらいあるかもよ。医者に聞いてみたら?
 でも、車に轢かれても死なんかったんや。だいじょぶだと思うで・・・ほな、行ってくるわ」

みっちゃんの言うとおりかもしれない。
あれだけお酒を飲んでもまるで酔わなかったゆーちゃんだし・・・
風邪をひいてもあんまりダウンしなかったから、だいじょぶかな。

「・・・それじゃ、あたしも出かけようかな。今日は何着てこうかなぁ」

最近の悩みはゆーちゃんと逢う時の格好だ。
やっぱりゆーちゃんの前ではカワイクしていたいもんね。

「すみません・・・お呼び立てするようなことをしてしまって」
「いえ、構わないですよ。ちょうど昼休みでしたから」

病院に着いてから、あたしはゆーちゃんの担当医に会った。
内科の部屋を一つ借りて、話をすることが出来た。

「あの、聞きたいことがあるんです。二、三日ずっと微熱を出してるじゃないですか。
 それってだいじょぶなんですか?」
「え、ええ・・・最近冷え込みがひどくなってきましたから。ただの風邪の症状ですよ」
「・・・」
「・・・」

沈黙。
おかしかった。医者の態度が明らかに変だった。
不自然すぎるのがあたしにも分かった。

「確かにゆーちゃんは記憶がないですよ。あたしのことに関してですけど・・・
 なのに、どうして退院させてくれないんですか? 片足しか骨折してないんだから、
 入院するほどじゃないでしょう? それってやっぱり変じゃないですか?」
「・・・」
「お願いです・・・答えてください。もしかして、何かあったんですか?」

医者は苦々しく机に頬杖をついた。
大きくため息をついて・・・こちらを向いた。

「中澤さんは・・・分かりました・・・」
「・・・」
「落ち着いて聞いてください。一から順に話します・・・」

どくん・・・どくん・・・
医者の真剣な表情で、あたしの心臓は高鳴った。
いい意味ではなかった。恐怖とか心配とか、悪い意味で・・・

「中澤さんが轢き逃げに遭った時・・・検査しました。胸部を強打されたようだったので、
 レントゲンを撮りました。それが・・・ここにあります。見てください」

医者は引き出しの中の茶封筒からネガを取り出した。
それを蛍光版に差し込む。

「これは肺のレントゲン写真です。肋骨の数本にヒビが入っていますが、
 大切なのはここです。ここを見てください」
「・・・」
「肺の下の方・・・ここは横隔膜って言うんですけど、ここに影があります。
 申し上げにくいんですが・・・ここに影がある可能性は一つしかないんです」

どくん・・・どくん・・・
イヤな鼓動は現実のものとなりつつある。
ひどい・・・現実ってホントにひどすぎる。

「ガンです。肺ガンなんですが・・・」
「ここを切り取れば! ここを切り取れば・・・助かるんじゃないんですか!?
 よく言うじゃないですか。ガンはその部分を切除すれば、あとは何とかなるって・・・」

医者は軽く頭を振った。縦ではなく・・・横だった。

「あなたの望みを潰すような言い方しか出来ませんが・・・これだけ大きな影があると、
 横隔膜を全部切除しなければいけないんです。それだけならまだしも・・・」
「・・・」
「おそらくは肺の方へ転移してるはずです。ガンにも種類があります。腫瘍のようにできるものと、
 砂を撒き散らしたように粒にできるものがあります。この大きさで、肺に影がないってことは・・・」

「事故を起こす前に身体の不調を訴えてませんでしたか? 長いこと風邪をひいているような・・・」
「・・・言ってました。なかなか風邪が治らないって・・・」
「典型的な症状です・・・初期症状の。どれぐらい前か分かりますか?」
「ちょっと分かりません・・・でも、だいぶ前から・・・言ってたと思います」
「そうですか・・・」

あたしはアタマの中が真っ白だった。
信じるとか、信じないとか、そう言う次元じゃなくて・・・
許せなかった。神様が。ゆーちゃんに残酷なことをする神様が許せなかった。

「末期ガンなんです。いつどんなことがあってもおかしくないんです。だから、入院していただいて・・・」
「・・・」
「医者のクセに望みのないようなことを言ってしまって、すみません」
「黙っていた方が・・・いいんですね。ゆーちゃんに・・・」

すると、医者の気難しそうな顔がさらに歪んで見えた。
これ以上関わりたくないような・・・親からしかられるのがイヤな子供のような顔をした。

「中澤さんは・・・知っています。自分がどんな状況におかれているのか。
 そして、自分の命が長いこと持たないことも・・・分かっています」

あたしは医者の言葉に耳を疑った。
知ってる・・・ゆーちゃんは自分のことを・・・ガンのことを知ってる?

「・・・諦めてるんです。治療も手術も。自分が死ぬのを・・・ただ、待ってるだけなんですよ」

あたしはすぐにゆーちゃんの部屋に向かった。
知っている。自分を苛んでいる病気を知っている。
じゃあ何で・・・何で諦めてるの・・・?

部屋の扉を開けようとして・・・止まった。
聞こえたのだ。ゆーちゃんの歌声が。
久しぶりに聞くゆーちゃんの歌だった。

せつなさも、優しさも、さびしさも・・・
すべて光にかえて・・・
自分に魔法をかければ・・・

聞いたことのない歌だった。ゆーちゃんがよく口ずさむ歌でもなかった。
その歌声はとても儚そうで、でも美しい旋律を奏でていた。
歌がうまいとかじゃなくて・・・キレイだった。ホントにキレイだった。

「・・・」
「ちょ、なんや・・・こっぱずかしいわ。立ち聞きしとったんかい」

扉を開けるとゆーちゃんは顔を赤くした。
いつも通りだ。事故を起こす前と何も変わらないゆーちゃんの態度だった。
責められないよ。そんな顔されると怒れないよ・・・

「なんや? 何でそんな泣きそうな顔してねん? みっちゃんにでもイジメられたか?」
「・・・違う・・・」
「じゃあどうしたん? 最近、真里は泣きすぎやで。娘。の頃は全く泣いてへんかったやん・・・」

あたしは耳を疑った。
今の言葉は、今のゆーちゃんから出てくるわけがない。
娘。の頃は全く泣いてなかった・・・娘。の頃は。

「記憶がないって・・・それまでウソついてたの?」

ゆーちゃんはしまったといった様子を見せたが、取り繕うことはしなかった。
黙っていた。唇をかんで・・・

「ゆーちゃん・・・ガンなんだってね。それに今の言葉は・・・どういうことなの?」

ベットに半身を起こしたゆーちゃんは落ち込んだ様子もなく、あたしを見た。
その瞳には力があった。末期ガンだとは思えないほどの強さだ。
いつもと同じ・・・ライヴでみんなをまとめる時と同じ強さがまだある。

「医者に聞いたんか・・・まあ、真里には口止めしといてくれと頼んだわけやないからな」
「何で!? 何でそんなに落ち着いてるの!? 自分の命が・・・」
「いつ死んでもおかしないんやろ? 自分の身体は自分が一番よー知ってるわ。
 毎日毎日、少しずつ身体が悲鳴上げてるのがしっかり聞こえるわ」

あまりの落ち着きに、あたしが苛立った。
神様でもないのに、悟っているような雰囲気があった。
諦めているのが分かった。

「諦めないで!! お願いだから諦めないで!! 手術受けて・・・元気になって!!」
「話、聞いたんやろ? 手術しても遅すぎなんや。横隔膜と肺を全部取らなあかん。
 そんなことして生きとる奴はおらへんわ」
「・・・」
「なんてゆーか忘れたけどな・・・肺に出来たガンは取りきれへんほど小さいらしいんや。
 しかもたくさんあるらしいで。分かるかなぁ・・・逸見さんがかかったガンと一緒や」

あたしは誤解していた。そして、医者も誤解している。
ゆーちゃんは死ぬのを待っているんじゃない。準備しているんだ。
諦めたんじゃない。受け入れたんだ。自分の今いる状況を。

「あたしは・・・どうすればいいんだよぉ・・・娘。も失ってゆーちゃんも・・・」
「うちはまだ死んでないわ! でも・・・ごめんなぁ。そんなに長そうやないのは確かや・・・」
「・・・」
「ごめんなぁ・・・ホンマにごめんなぁ・・・」

ゆーちゃんは泣いていた。
初めて下を向いて・・・布団を力いっぱい握りしめていた。

「うちかて・・・死にたない。娘。はなくなっても一からやり直したいわ・・・
 でも、それも叶わない身体や。だから・・・だからじゃあらへんけど・・・」
「・・・」
「真里とはちゃんとやっていきたいんや・・・スキだって言ってくれた真里の気持ちに、
 少しでも答えてやりたいんや。だから、ここまで頑張ってこれたんよ・・・」

「記憶がないってウソをついてたって・・・それは間違いや。
 最近までホンマに記憶がなかったんよ。娘。が解散してから・・・真里が来て、あの次の日に、
 急に記憶が戻ったんや。いつ言おうかタイミングを計ってたって言って欲しいわ・・・」
「ねぇ・・・あたしは、どうすればいいの・・・?」
「・・・ここに来てくれへんか?」

あたしはゆーちゃんに導かれるように近づく。
布団から起き上がったゆーちゃんは・・・めいっぱいあたしを抱きしめた。
苦しくなるぐらい・・・

「一緒にいて欲しいんや・・・真里がおらへん生活なんか考えられへんよ・・・
 イヤでもええんや・・・少しの時間でええんや・・・」
「・・・違うよぉ・・・ゆーちゃんいないと、あたしも生活できないよぉ・・・」

ゆーちゃんは短くなったあたしの髪にキスをする。
まさぐるように首元に小さな手を回す。

「・・・ひなたのカオリがするなぁ・・・真里はいっつもそうやな・・・元気な太陽の匂いがする」
「な、何よぉ・・・それ・・・」

ゆーちゃんがあたしの頬を撫でる。
熱っぽい暖かい手と・・・少しやつれたように見える顔立ち。

「・・・」

キス。
これだけあればあたしは何もいらない・・・ホントに何もいらないんだよ・・・


娘。が解散して三週間経った。
いつも通りに病院に向かうと・・・病室から笑い声が聞こえた。
どこかで聞いた声も混じっている。

「ゆーちゃん?」
「あ、まりっぺだ!? 全然雰囲気違うー」

ビックリした・・・
少し広めの個室だけど、部屋の中は狭く感じられた。
ものすごい久しぶりだった。娘。の・・・いや、元娘。のメンバー。
なっちとカオリと圭ちゃん・・・いわゆる「年長組」のメンバーだった。

「ど、どうしたの・・・みんな・・・」
「ゆーちゃんのお見舞いに来たに決まってるでしょ? マスコミもだいぶ静かになったからね」

圭ちゃんがパイプ椅子に座りながら答えた。
なっちもカオリも同じように頷いた。

「それと・・・報告に来たんだよ。あたしたちの今後の活動の予定だよ」
「圭ちゃんは? やっぱりいつもどおり『プッチ』で・・・」
「いや・・・あたしは『プッチ』を辞めたんだ。娘。があってのプッチだと思ってたから・・・
 まあ、それにレコード会社も辞めてるから・・・まりっぺと一緒なんだけど」

えっ・・・圭ちゃんも辞めたの?
みんな・・・みんな、あたしのせいで・・・

「ち、違うよ・・・まりっぺが辞めたからじゃないよ。あたしはずっとソロデビューしたかったから・・・
 これを機会に自分で会社まわって売り込んでるんだよ。こんなこと出来るきっかけがなかったから」
「・・・」
「なっちとカオリはつんくさんがプロデュースしてくれるけど・・・あたしはちょっとね。
 ちょっとどうなったか話そうか・・・」

娘。がなくなってから・・・
それぞれ個々のグループで活動することが決まった。プロデューサーはつんくさんのままで。
まず、あたしが辞めたことでタンポポは解散した。カオリのソロデビューの件も重なった結果だ。
そして、圭ちゃんのプッチ脱退で、一時は全てのグループがなくなる話も出たそうだ。

でも、結局は人気のあるグループということで・・・いつもどおりのシャッフルが行われた。
なっちはかねてから決められた通り本格的にソロデビューが決まった。
タンポポがなくなったことでカオリもソロデビューが決まる。この辺は予想通りだった。

プッチには・・・梨華っちが入ったのだ。ごっちんをリーダーにしてよっすぃーと梨華っちで。
そして・・・へその企画だったミニモニが本格的に動いた。ののちゃんとあいぼんの二人で。
正直、ここが一番不安だけど・・・じきに慣れるだろう。

みんな・・・ちゃんと残れた。
ゆーちゃんとあたしを残して・・・

「ってこと・・・娘。はなくなったけど、みんなちゃんと頑張ってるよ」

圭ちゃんの言葉にウソはなかった。なっちもカオリも・・・あの頃のままだった。
娘。で活躍していた頃の光が全く失われていなかった。

「よかった・・・あたしが勝手に辞めたことで迷惑かけちゃって・・・ごめんね」
「もう過ぎちゃったことだよ。みんなも頑張ってるんだから・・・まりっぺも頑張って」

なっちが声をかけてくれた。
娘。が解散して三週間・・・たった三週間しか経っていないのにみんなが遠く感じた。

「それより・・・ゆーちゃんちゃんとゴハン食べてるの?」
「ちゃんと食べてるで・・・何や、急に?」
「カオリの見た感じだけどさ、ちょっとゆーちゃん痩せたよね? 入院ってすると太るって言うじゃん?」
「・・・」

ゆーちゃんは黙り込んだ。あたしも・・・つられて下を向いた。

「ど、どーしたの? カオリ何か変なこといった?」
「今、ちょうど年長組しかおらへんか・・・話しておいてええかもな」
「ゆーちゃん!!」
「構わんて。黙っとったっていつかバレるんや。それに長いこと一緒にやってきたメンバーやし。
 黙ってる方が失礼やて」

ベットに据え付けてあるテーブルにあったお茶を飲み干してから、周りを見渡した。
まるで悲しい素振りを見せない・・・ホントに強いよね・・・

「うちな・・・ガンなんや。肺ガン。しかも・・・末期や」
「・・・は?」
「だから・・・肺ガンにかかってるんや。ここから動くことが出来へん」

重苦しい沈黙が流れる・・・
なっちとカオリと圭ちゃんが、あたしの顔を見た。
あたしは・・・下を向いた。

「ちょ、ジョーダンでしょ・・・?」
「・・・」
「ホント・・・なの?」

「・・・ジョーダンでこんなこと・・・言えるわけないじゃん・・・」

喉が詰まる。まぶたが熱くなる。
買ってきた午後の紅茶の缶が・・・少しだけへっこんだ。

「ウソ・・・」

三人は驚きを隠せなかった。
一番、逆境に強い圭ちゃんでさえ、椅子から立ち上がったぐらいだ。

「このことはみんなのところで止めておいて欲しいんや・・・ごっちんたちにはまだ刺激が強すぎる。みんなを信用して言ってるんや・・・頼むで」
「どうして・・・どうして気が付かなかったの? そんな大事なことに・・・」
「全部仕事のせいには出来へんけど・・・ずっとカゼひいてると思ったんよ。
 その時に気づかなきゃあかんかったんや・・・三ヶ月以上もカゼが長引くわけがないって」

「ねえ・・・ゆーちゃんは助かるの? 手術とかすれば治るの?」
「・・・無理や。切除できるようなガンじゃあらへんねや」
「そう・・・じゃあ、何でこんなところにいるの?」

きつい口調だった。
なっちはゆーちゃんのところに詰め寄ると顔を覗き込んだ。

「諦めてるんじゃないの? 短い時間しか残ってないから・・・全部諦めてんじゃないの?」
「ち、違うよ・・・ゆーちゃんは・・・待ってるんだよ」
「何言ってんだよ、まりっぺ! 死ぬのを待ってるってことは・・・諦めてるってことじゃないの!?」

「芸能界に戻って活躍するのは・・・無理かもしれない。でも、どうしてここで寝てるの?
 ここで寝てるだけでゆーちゃんはホントにいいの?」
「・・・」
「全部の可能性を捨ててるんじゃないの!? わずかの望みも放棄して・・・諦めてるんじゃないの!?誰にも迷惑かけないで病院で死んでいくなんて・・・あたし絶対認めない」

あたしは・・・ずっと考えていた。
医者に話を聞いたし、自分なりに慣れない医学書を見てゆーちゃんの助かる方法を探した。
・・・でも、何をしても助からないという事実だけしか分からなかった。
だから・・・

「じゃあ、うちは何をすればええんや・・・教えてくれへんか!?」
「そ、それは・・・」
「そんなもんはあらへんねや!! 何もかもが遅すぎなんや・・・何もかもが・・・」

それでもゆーちゃんは泣かなかった。
布団を握りしめるとその腕が少しやつれているのがはっきり分かる。

「一つだけ・・・あるよ」
「まりっぺ・・・」
「もう病院なんか出ようよ。ここにいても何も見つからないよ。あたしは・・・あたしはね・・・」

「ゆーちゃんと一緒に暮らしたい」

「結構時間かかっちゃったね・・・」
「・・・真里の荷物が多すぎやて。こんなに時間がかかるとは思わへんかった」

新しい生活が始まった。
あたしの望んでいた生活だった・・・ゆーちゃんと離れない生活。

病院側は何も聞かずにゆーちゃんの外出許可を出した。
退院に近い。定期検診はあるものの、そんなことがあまり意味がないことはあたしたちがよく知っている。
残されたわずかの人生を・・・スキなように過ごすようにしろと言わんばかりだった。

「でも・・・案外ええトコやなぁ。びっくりしたわ」
「へへっ、結構探すのに苦労しただけあるからね」

場所は都心から少し離れた小さなアパートだ。
名義はみっちゃんの名前で借りてある。未成年のあたしは承諾がないと家を借りることすらできなかった。
そこでみっちゃんが力を貸してくれた。あと、管理人にはちゃんと事情を話してある。

「ここから・・・何かすることが見つかるとええなぁ。でも、病院おるより気持ちええわ」
「助かればいいとか、長生きすればいいとか・・・そんなことは言わないよ。
 でも・・・一緒に暮らしていこうよ。頑張って一緒に・・・歩こうよ」
「・・・」

ゆーちゃんは後ろからあたしを抱きすくめた。

「ちょ、まだ、片付け終わってないんだよ!!」
「関係あらへんわ。時間なんかたくさんあるし・・・何してええか分からへん。
 でも・・・真里を抱きしめることだけはしてええんやもん」
「もう・・・」

肩越しにゆーちゃんのぬくもりを感じながら、横を振り向く。
そこには・・・ゆーちゃんの顔。

「・・・んんっ・・・」

いつもより・・・激しいキスだ。
そうだ・・・誰もいない。誰も邪魔されない・・・
二人きりの夜が続くんだ。

コンビニでお弁当を買った帰り道に・・・あたしは考えていた。
このまま、ゆーちゃんに身を任せることが・・・ホントに正しいことなのか。
二人にとって・・・あたしにとって本当によいことなのか。

それともやっぱりどこかで・・・後悔しているのかもしれなかった。
娘。を辞めたこと。芸能界を辞めたこと。歌を捨てたこと・・・

せつなさも、優しさも、さびしさも・・・
すべて光にかえて・・・
自分に魔法をかければ・・・

ゆーちゃんの口ずさんでいた名も知らない歌を思い出す。
あたしはせつなさも、優しさも、さびしさも・・・すべてゆーちゃんに見出した。
娘。にいるとき・・・いないときでさえ、すべてがゆーちゃんだった。
光がゆーちゃんだったのだ。

願っていたことなのに・・・二人で暮らすことを願っていたのに・・・
現実になって不安だらけになった。ゆーちゃんは不安から少しは開放されるかもしれない。
でも、あたしは・・・あたしは?

「・・・ただいまぁ」

せつなさも、優しさも、さびしさも・・・
すべて光にかえて・・・
自分に魔法かければ・・・

偶然だった。リビングでお菓子を食べていたゆーちゃんはあの歌を口ずさんでいた。
何の歌なのか分からないけど・・・娘。の頃に歌っていた記憶がない。
意味があるのかもしれない。

「あ、おかえりー。ちょ、来てみ」
「何か面白い番組やってるの?」
「プッチが出てるんや。ほら、何やってんねん!」

せかさせてあたしはゆーちゃんの隣に座る。
確かにそこにはプッチが映っていた。
ごっちんがセンターに左によっすぃー、右に梨華っちがいる。

「・・・何か見慣れない光景だね」
「・・・」

ゆーちゃんはあたしの言葉も聞こえないほど、集中していた。
食い入るように画面に釘付けになっている。

「ゆーちゃん・・・」

プッチの歌が終わってから・・・ゆーちゃんはしんみりと呟いた。

「なんや・・・みんな、うちがいなくてもしっかりやってるんやなぁ・・・」
「・・・」
「そんな顔せんでもええやん。誉めてるんよ・・・みんなを」

「ライヴの前なんか・・・みんな緊張して誰かに助けを求めるような顔してるやんか?
 そんな時、うちが声かけると・・・安心すんねん。それは何も真里だけやあらへん・・・」
「・・・」
「うちの娘。での役割はみんなに安心感を与えることやと思ってた。最後の砦みたいな、
 そんなもんやと思っとったけど・・・いなくなれば、なればで何とかなるもんなんやなぁ・・・」

その姿に苛立ちや怒りは全くなかった。皮肉ではなく本気で感心していた。
まさに母親が娘を送り出したような・・・そんな感じだった。

「いつか真里もそうなるんやろうなぁ・・・うちがいなくなったら・・・」
「・・・」

違うよ・・・とは気軽に言えなかった。
この生活は永遠には続かない。それはゆーちゃんが一番よく知っているし、あたしもそう思う。
ゆーちゃんがいなくなったら・・・あたしは戻るだろう。あの世界に。

「・・・すまんな。うちの最期に付き合わせてしもうて」
「そんなことないよ・・・」
「世界の誰よりも・・・両親よりも、真里に最期を見てもらいたいんや・・・
うちがここにいたことの証明をしてもらいたいんや」

そう言って・・・ゆーちゃんは急にあたしの手を引いた。

「ちょ、ちょっと! 痛いよっ」
「・・・」

無言でゆーちゃんは布団の上にあたしを寝かせた。
組み敷くようにあたしの腕を固定する。

寂しさにも似た目で・・・あたしに訊ねた。

「抱くで・・・真里はそれでもええか?」

底に秘める力強さを感じるその瞳は・・・娘。の頃のゆーちゃんの瞳だった。
本気であたしを愛してくれるような強さと包容力を併せ持っている・・・完全な姿。

あたしは無言だった。
嬉しい・・・言葉で表せないほど嬉しいけど・・・どこか悲しくもある。
身体を合わせないと・・・お互いの気持ちが繋ぎとめられなくなってきたから。

「・・・行くで」

無言の圧力に耐えられないのか・・・ゆーちゃんはあたしの口を塞いだ。
同時に湧き上がる・・・嫌悪感。

「・・・っ! イヤっ・・・だっ!」
「・・・」

ゆーちゃんはあたしの声を無視して舌を入れてきた。
腰に入っていた力が・・・抜け落ちる。

「ダ・・・メッ! ダメだよ・・・あっ・・・ゆ、ゆーちゃ・・・」
「・・・」
「何で・・・何で・・・いきなり・・・はぁっ・・・こんなことすんの・・・」

あたしの懇願は一切ムダだった。
迷いのない手つきで上着のボタンが外されていく。

「ダメだ・・・って、あっ・・・ダメだよ・・・ダメだって・・・ばっ・・・はぁっ・・・」
「・・・」
「な、何か・・・せっ、せつないよぉ・・・」

自分の吐息の熱さと押し付けられるゆーちゃんの身体に意識が飛びそうになる。
身を任せてもいい・・・悪魔の囁きがあたしを飲み込もうとする。
あたしは必死に食いとどまろうと努力する。

それでもゆーちゃんは止まらない。
ジーパンのベルトは緩められて、チャックとボタンが外された。

「や、やめてよぉ・・・あっ・・・こんなことしても・・・嬉しくない・・・」
「・・・」
「せつなくて・・・苦しいよぉ・・・んんっ・・・意味ないよぉ・・・こんなことしても・・・はぁっ! あたしに意味ないよぉ・・・」

半裸にされたあたしは空いている手で顔を覆った。
何を言っても今のゆーちゃんにはムダだった。それが分かって涙が溢れた・・・


顔を覆ってゆーちゃんの顔が見えなくなり・・・あたしは目を閉じて、身構えた。
なすがままになるしかない。でも、これでゆーちゃんが喜んでくれるなら・・・

・・・静かになった。
テレビの音が壁を越えてやんわりと聞こえてくるほど・・・静寂に包まれた。

「・・・ごめんなぁ・・・」
「・・・」

ゆっくりと目を開けて・・・ゆーちゃんが視界に入る。
こっちの方向を向かないで涙をこらえているようだった。

「これじゃ・・・うちのしてること、レイプと変わらへん・・・」
「・・・」
「ホンマは怖いんや・・・みんながうちのことを忘れてるのが・・・すごく怖いんや。
 あの時やってきたことすべてが否定されそうで・・・」

「せやけど分かってる。みんながうちのことを忘れないのは頭では分かってる。
 でも・・・何かはっきりとした証明が欲しいんや。だから・・・真里が・・・」
「・・・分かってるよ。あたしはゆーちゃんを忘れないし・・・キライにならないよ」
「最近分かるんや。もうホンマに長くないのが・・・」

それは・・・あたしにも分かった。
あたしに隠れて痛みに耐えている現場を何度も目撃している。
痛み止めが効かない・・・かといって、モルヒネを打ってごまかすのはゆーちゃんが嫌った。
だから、我慢するしかない。身体を横にして・・・気絶するような痛みに耐えていた。

「変な気分なんやけど・・・真里を抱きたいんや。これ以上ないってぐらい・・・
 娘。の頃から少しはあったけど・・・今はそれを抑え切れんぐらい・・・」
「・・・」
「スキなんや」

再び・・・ゆーちゃんが動き出した。

「あっ・・・んんっ・・・!!」

あたしは・・・抵抗しなかった。
押し留めていた理性が飛んで・・・全てが流れた。

外から子供の騒ぐ声が聞こえて・・・あたしは目を覚ました。
日はすっかり上がっていて、寝過ごしたのが分かる・・・
何だか身体中に重りをぶら下げているようなだるさを感じる。
疲れが取れていない。

「・・・」

あたしの側にはゆーちゃんの寝顔がある。
何度も見た寝顔だけど・・・かわいい。起きているときと違ってどこか幼い。
あたしが起きたのか、小さく喉を鳴らして、寝返る。

急に寒さを覚えてそばにあったトレーナーを着込んだ。
ハダカのままでいるには正直、ツライ季節になってきた。
とりあえず、昨日コンビニで買ってきたコーンスープの封を開ける。

「ん・・・あれ・・・真里・・・?」
「あ、起きた? 今、あったかいコーンスープ入れるからね」
「・・・」

ゆーちゃんはまた布団を被りなおした。
下着姿のゆーちゃんが肘を立ててニヤニヤとこちらを見ている。

「な、なんだよぉ・・・こっち見て・・・」
「・・・どうやった? 昨日の夜」

あからさまにイジワルするゆーちゃんを見て何か言い返したかったが、出来なかった。
顔が真っ赤になるのが分かる・・・

言葉に出来ないけど・・・ホントは嬉しかった。
結局、あたしの大事なものは全てゆーちゃんが持って行ってしまった。
でも、後悔なんてなかった。昨日の夜にゆーちゃんに抱かれたことは・・・
あたしにとってこの上ない喜びだった。

「べ、別に・・・普通だよ・・・」
「ふーん・・・普通ねぇ・・・そりゃすごいわ。あんな真里が普通なんや」
「そ、そーゆー意味で言ったんじゃないよっ! でも、あたしは・・・もうちょっとね・・・」
「もうちょっと・・・なんや?」

「・・・もうちょっとやさしくしてほしかった・・・」

「ぶっ・・・ははははっ!!」

ポツリと言ったあたしの言葉に・・・ゆーちゃんは大爆笑した。
布団を身体に巻きつけるようにその場でぐるぐると転がっている。

「も、もういいもんっ。コーンスープあげないんだから・・・!」
「・・・いや・・・ごめんなぁ・・・? っく!?」

ゆーちゃんの顔が痛みで歪んだ・・・

「っくぅ・・・あっ・・・がっ・・・」
「ゆーちゃんっ!!」


あたしは反射的に携帯電話を握っていた。
救急車・・・!

「だ・・・だいじょぶやっ!! 救急車呼ばへんで・・・だいじょぶや!!」
「何言ってんだよっ! 無理しちゃダメだって・・・」
「発作みたいなもんや!! やっと出れたんや・・・病院なんか・・・戻りとうない・・・」

ゆーちゃんは胸を押さえて肩で息をしていた。
身震いするほど冷え込んでいるにもかかわらず、額には脂汗が滲んでいる。
下唇を噛んだせいか・・・赤い糸のように出血している。

「・・・」

あたしは黙ってゆーちゃんの背中をさすった。
だいぶ落ち着いてきたらしく、呼吸が整ってきた。
蒼白の顔色でこちらを振り向いた。

「すまんな・・・」
「何言ってんの。しょうがないでしょ? あたしは分かってるから・・・ほら、カゼでも引くと
 大変だから上に服着て・・・」

ゆーちゃんは・・・あたしの胸に顔を埋めた。
病気は自分との戦いだ。孤独で激痛を伴うものでもある。
そうとは分かっていても・・・黙って見ていることは出来ない。
ゆーちゃんがスキだから。ゆーちゃんがタイセツだから。

「・・・」

あたしはゆーちゃんの頬を撫でた。
いつもと逆だった。いつもゆーちゃんからしてもらうことを・・・あたしがしている。

「・・・」

キス。
祈りをこめたキスは・・・血の味がした。

ゆーちゃんと同居してから二週間経った。
二人での生活もぎこちないけど、ちゃんと回り始めた。

「・・・ゆーちゃん! いつまでも寝てないのっ!」
「ううん・・・もーちょっとえーがな・・・疲れてんねや・・・」
「寝てるのに疲れちゃうんだよ・・・寝すぎると逆に疲れちゃうんだから。
 医者の人も適度に身体を動かしてくださいって言ってたでしょ?」
「ああ・・・夜動かしてるから・・・ええやんか・・・」

すけべーなこと言ってもあたしは動じない。正直・・・慣れてしまった。
ゆーちゃんの体調にもよるけど、今や生活のサイクルに入り込んでしまっている。
色ボケ・・・なんて言われそうだけど・・・

「バカなこと言わないっ!! 掃除の邪魔なんだから布団を片付ける!!」
「・・・分かったがな・・・」

そう言ってやって身体を起こす。
梳ってないショートヘアは乱れ放題なのにさらにぐしゃぐしゃにするからもっとすごくなる。

「テーブルにパンと昨日の残りのシチューがあるからあっためてどうぞ」
「はぁい・・・何か、だいぶ主婦っぽくなってきたなぁ・・・」

pipipipi・・・pipipipi・・・

「おー、ケータイ鳴ってるよ」
「はいはい。今出るよ・・・」

画面には・・・懐かしい名前が映っていた。

「もしもし?」
「・・・やぐっちゃん? あたし・・・後藤だけど」
「おおっ! メチャ久しぶりじゃん!!」
「ちょっと聞きたいことあるんだけどさ・・・今、どこにいるの?」

こころなしかごっちんの声にいつもの元気がなかった。
どこか追い詰められているような感じがした。

「今、家だよ・・・どうしたの?」
「・・・今日発売の週刊誌にさ・・・ゆーちゃんがガンじゃないのかって報道があったんだよ。
 それで・・・ホントかどうか聞きたくて・・・」

あたしは・・・固まった。
ゆーちゃんがガンであることはなっちとカオリと圭ちゃんしか知らない。
みっちゃんすら知らないのだ。みっちゃんの場合は・・・ゆーちゃんが伏せて欲しいと言ったらしいけど・・・
・・・バレた・・・

「・・・」
「やぐっちゃん・・・ホントのこと言ってよ。娘。はなくなってもね・・・あたしは元娘。のメンバーだよ。
 ゆーちゃんがどうなのか知る権利はあるはずでしょ? みんな心配してるんだよ?
 やぐっちゃんとゆーちゃんが辞めてから何してるのか・・・」
「・・・」
「よっすぃーも梨華っちも・・・きっとののちゃんもあいぼんも心配してるよ。
 だから・・・ホントのことを教えてよ・・・」

「・・・どうしたん?」
「・・・」

あたしは曖昧に笑うしかなかった。
そもそも、ごっちんたちはあたしがゆーちゃんと一緒に暮らしていることすら知らないのだ。
どうやって説明していいか分からなかった。

「・・・でっちあげだよ」
「?」
「マスコミの・・・でっち上げだって。あたしはまだその記事に目を通してないけど・・・
 ゆーちゃんは違うよ・・・だいじょぶだよ・・・」

ごっちんは黙っていた。
小さくため息を吐き出すと・・・いきなり叫んだ。

「どうして・・・どうしてそんなウソつくのっ!!」
「・・・」
「あたしはね、今・・・みっちゃんと病院にいるの。ゆーちゃんが入院していた病院だよ!!
 聞いたんだよ? 心配だから聞いたんだよ!? そしたら・・・ガンだって・・・」

あたしは凍りついた。
初めてゆーちゃんのガン告知を聞いたときと・・・ごっちんは同じ反応をしていた。

「ガンだって知って・・・あたしは圭ちゃんに電話したの。そしたら・・・知ってるって。
 なっちとカオリも知ってるって・・・知らないのはあたしたちだけだって!!」
「・・・」
「なんで・・・なんでそんな大事なことを黙ってるんだよっ!! あたしたちも娘。のメンバーでしょ!?
 年齢とか関係ないでしょ!? ゆーちゃんが心配なのは・・・誰だって一緒だよ!!」

ごっちんの嗚咽で・・・かき消された。
茫然としているあたしを見て、ゆーちゃんも何かに気づいたようだった。

「・・・まりっぺか?」

急に声の調子が変わった。
・・・みっちゃんだった。

「今、そばにゆーちゃんおるか・・・?」
「・・・うん・・・」
「悪いんやけど・・・代わってくれへんか?」

・・・あたしはゆーちゃんに携帯電話を渡した。
全てが明らかになった瞬間だった。

ピーンポーン・・・

来た・・・誰が来たのか確かめるまでもなかった。
あたしとゆーちゃんは・・・その訪問者がくるまで一言も言葉を交わさなかった。

「はい・・・」

玄関には・・・みっちゃんが立っていた。
その目はすでに泣き腫らしているように赤くなっていた。
やっぱり・・・知っちゃったんだ・・・

「・・・入って」
「・・・」

みっちゃんは頭を下げて家に入った。
短い廊下を抜けるとすぐにリビングがある。
そこに・・・ゆーちゃんが座っていた。

「・・・」
「ごっちんは・・・どうしたんや?」

みっちゃんの顔を見るなり、ゆーちゃんは全く関係ないことを訊ねた。
あたしは・・・みっちゃんが飛びかかってもすぐに止められる準備だけはしていた。
でも、それは杞憂だった。静かに椅子に座る。

「ごっちんはラジオがあるから帰ったわ。みんなには・・・報告するらしいで」
「・・・そっか」
「・・・」

再び、沈黙が訪れた。
あたしはコーヒーでも淹れようかと思ったが・・・そんな雰囲気ですらなかった。
みっちゃんはただ、静かにゆーちゃんを見ていた。

「・・・ごめんなぁ、みっちゃん。あんたにはなかなか言い出せへんかった」
「・・・」
「なんちゅーか・・・言い出す機会があらへんかった。ほら、なんせトシが一番近いやんか。
 一緒に酒も飲んだ仲やし・・・辛気臭い話をしとうなかったんや・・・」
「・・・構へんよ。うちは構へん。でもな・・・でもな・・・」

みっちゃんはゆーちゃんを睨みつけた。
その鋭いまなざしには怒りとは別の・・・猛る感情が満ち溢れていた。

「ごっちんたちにどうして教えなかったんやっ!? 同じ娘。のメンバーなのに・・・
 どうして教えなかったんやっ!? 若いからなんて言うのは理由にならへん!!」
「・・・」
「忘れとったんか!? あんたは娘。のリーダーや・・・誰からも一目置かれているリーダーや!!
 うちに言わんでもええ・・・でもな、ごっちんは同じ娘。のメンバーや。うちとはわけが違う・・・」

「あんたは自分が思ってるよりも娘。の中で大切な存在や。ただの歯車一つやあらへん!!
 みんなをまとめ上げて・・・『モーニング娘。』として機能するためにはあんたしかおらへんかったんや。
 それは初めからそうやったやんか・・・なんで・・・それを忘れてんねん・・・」

ゆーちゃんは・・・言葉を噛み締めているようだった。

「娘。の解散が早まったのは何もまりっぺが辞めたことだけじゃあらへんわ・・・
 ゆーちゃんがおらへんから・・・誰もまとめることが出来なかったんや」
「・・・」
「ゆーちゃんがまりっぺのことをスキなのは分かってる。でもな・・・
 娘。の他のメンバーを・・・ないがしろにしたらあかん。まりっぺがゆーちゃんをスキなように・・・
 他の娘。たちもゆーちゃんのことがスキなんやよ・・・」

みっちゃんは泣いていた。
娘。のメンバーじゃないみっちゃんだからこそ・・・誰よりも娘。を見ていたのかもしれない。
あたしがゆーちゃんをスキなように他のメンバーもゆーちゃんがスキ・・・
それは考えるまでもなく、当たり前のことだった。

「・・・そうか・・・うちは・・・とんでもないことしてたんやなぁ・・・」

ゆーちゃんの声は穏やかだった。
諭すように静かに・・・まるで自分に言い聞かせているように・・・続けた。

「娘。にとってうちはタイセツな存在やったんやなぁ・・・みんなが心配してくれるんやなぁ・・・」
「・・・」
「そうか・・・そうなんやなぁ・・・」

声の調子というか・・・素振りが変わる。
あたしとみっちゃんは思わず顔を上げた。
・・・笑っていた。

「すまんな。みんなに世話かけっぱなしやな。ま、それもじきに終わる・・・」
「ゆーちゃん・・・?」
「・・・ホンマ・・・すまんなぁ・・・」

あたしは・・・愕然とした。
ゆーちゃんの顔はすでに蒼白を超えて白くなっていた。
額に滲む脂汗も、握り締めていた拳も・・・全てを見落としていた。

ごとんっ!

テーブルに響いた音は・・・ゆーちゃんが倒れた音だった。

また・・・戻ってきてしまった。
あたしは眠りつづけるゆーちゃんの手を握り締めていた。

無機質な白を基調とした部屋。
ゆーちゃんの口許を覆う無生物的なモノ。
静かに波打つ電子音。

「・・・今の段階では比較的落ち着いてきましたね・・・」
「助かる・・・っていう聞き方はおかしいですね。後、どれくらい持ちますか?」

医者は・・・言いにくそうに頭を振った。

「・・・いつ止まってもおかしくない状態です。目覚めれば分かりませんが・・・
 本人の体力次第でまだ・・・少しは・・・」
「・・・そうですか。家族の人は来られたんですか?」
「そろそろ来ると言ってましたので・・・」

あたしは椅子から立ち上がった。

「頑張るんだよ・・・ゆーちゃん・・・」

部屋を出て・・・すぐそばのベンチにはみっちゃんがいた。
手を組んで静かに下を向いていた。

「みっちゃん・・・」
「・・・まりっぺ・・・」
「運んできた時よりもだいぶ落ち着いたみたいだよ・・・まだ目覚めてないけど・・・
 家族の人が来るみたいだから・・・席を外そうと思って」

「うちのせいや。うちのせいで・・・」
「それは違う・・・みっちゃんが責めたから倒れたんじゃない。もうずっと前から・・・調子を崩してたんだよ。
 越してきて次の日にすぐ発作が起きて・・・しばらく落ち着いたんだけど、
 それからまた熱を出して寝込んでたこともあったから・・・」
「・・・」

あたしはみっちゃんの隣に座った。

「まりっぺはよく知ってるんやな・・・」
「そりゃね、二週間しか一緒に暮らしてないけどさ、それまでの付き合い長いし・・・
 みっちゃんは今日ガンだって知ったけど、あたしはだいぶ前だから・・・心構えもあったし」
「・・・」
「それに・・・ガンについて少し勉強したし・・・また病院に戻ってくると思ってた。
でもね・・・一緒に暮らしてて・・・楽しかったし、嬉しかった。そのとき決めたんだ・・・」

「もう泣かないって。ゆーちゃんの前では・・・ゆーちゃんが生きているうちは元気よく笑ってようって・・・」

「強くなったね・・・まりっぺ」
「ううん・・・強くなってなってないよ。ホントはすっごく泣きたくて・・・ツライけど・・・
 ゆーちゃんが頑張ってるんだもん・・・あたしだって・・・」

すると、みっちゃんは立ち上がった。
あたしを見て・・・何かを決心したようだった。

「うちも黙ってるわけにはいかへん。何かしたいんや・・・何もしてない自分がイヤなんや」
「何言ってるの・・・みっちゃんはあたしを助けてくれた。居場所のないあたしを・・・助けてくれた。
 それにゆーちゃんのお見舞いを欠かさなかったし・・・何より、家を借りる時に助けてくれたじゃん」
「それはそうやけど・・・他にもしたいんや。何かあらへんか? 何でも手伝うで」

突然言われても何をしてもらえばいいのか思いつかない。
何かないかと考えてて・・・ふと思いついた。
ある意味・・・みっちゃんにしか出来ない仕事かもしれない。

「あった。とっても大事な仕事。すごく大変だけど・・・やってくれる?」
「何でもしたるわ! まかせとき」

あたしは・・・ずっと考えてきたことがあった。
ゆーちゃんに送る最期のプレゼントを・・・あたしの上げられる最期のプレゼントのことを。
一人じゃ出来ないことだし、難しいことかもしれないけど・・・無理じゃないと思う。

「あのね・・・」
「・・・」

あたしはみっちゃんに自分の考えを話した。
大胆なプランだ。絵空事とか思われても仕方ない。
それでもゆーちゃんにはどうしても上げたいプレゼントなんだ。

「・・・がやりたいんだ。どうかな? 出来ると思う?」
「す、すごすぎるわ・・・そんな大胆なことするつもりやったんか・・・」
「無理かな? でも、この役は・・・みっちゃんしか出来ないと思う。もちろん、あたしも手伝うから・・・」
「面白いわ!! やったるで。絶対ゆーちゃん喜ぶと思うわ」

しばらくベンチに座っていると・・・ゆーちゃんの部屋に誰かが来た。
女の人だった。見たことのない人だったが、何となく誰だか分かる。
ゆーちゃんのお母さんだろう。

扉を開ける前に目が合って・・・あたしを見た。
誰だか分かったみたいで、近づいてきた。

「・・・もしかして・・・矢口さん? かしら? 隣は平家さんだって分かるんだけど・・・」
「はい・・・」

あたしは立ち上がってゆーちゃんの母親を見た。
どこかゆーちゃんに面影がある。
しゃべりかたは全然違うけど・・・雰囲気はそっくりだ。

「娘から聞いてるわ・・・あの子が迷惑かけちゃってるみたいね」
「そんなことないです・・・あの、ホントは謝らなきゃいけないと思いまして・・・」

そうだ。ゆーちゃんの家族には謝る必要がある。
残り少ない人生を・・・子供の少ない人生を自分のそばに寄せておきたいと思うのは親の考えだ。
あたしはそれを奪っている。だからこそ、謝る必要がある。

「あら? どうして?」
「・・・」
「娘の人生よ。自分の人生は自分で決めるものよ。だから芸能界に入りたいって言ったことも認めたし・・・
 ましてや最期にいて欲しい人のところにあの子がいるんだから何も謝ることはないわ」

「むしろね、矢口さんにはお礼を言わなきゃいけないわ。普通の人だったらとっくに
 逝ってもおかしくないのに・・・まだ動けるぐらい元気よ。これも愛のチカラかしらね?」

みっちゃんを見て笑う。
ゆーちゃんの母親なのに・・・あたし以上に余裕もある。
ただ諦めてるわけじゃない。あたしとは違った種類の信用が見える。

「あたしは無責任な親かもしれないけど・・・あの子の最期は自由にさせてあげてるの。
 あの子が・・・矢口さんと一緒にいたいというから・・・それに従っただけよ」
「・・・ありがとうございます・・・」
「一緒に行かない? あの子も・・・あなたがいなくて不安がってるわ」

ゆーちゃんの母親は・・・やっぱりゆーちゃんの母親だった。
やさしくて、強くて・・・包容力がある。そこを受け継いだと思った。

「・・・真里?」
「ゆーちゃん!!」

部屋に入ってうめくようなゆーちゃんの声にあたしはすぐに近づいた。
苦しげに酸素吸入器の中から声を絞り出している。
あたしはすぐに手を握る。

「・・・なんや・・・また戻ってきてしもうたか・・・」
「・・・」

その声は今日の朝に聞いた声と違ってだいぶかすれていた。
思った以上に身体が悲鳴を上げているのは確かだった。
容態が急変することも考えると…ホントに長くなさそうだった。

「・・・おかん・・・?」
「・・・」
「親が来るようになったんか・・・ホンキでヤバイなぁ・・・」

「あんたは・・・何ゆーてんや」

みっちゃんかと思ったけど・・・違った。
ゆーちゃんのお母さんだった。

「あんたはまだ生きなあかんわ。矢口さんがおるんや。勝手に死んでいくのはあたしが許さんで」
「・・・」
「矢口さんはあんたにまだしてやりたいことがあるそうや。それが終わるまでは・・・何とか頑張りや。
 いつ死んでもおかしないって言われてたんや。しばらくなんとかなるやろ?」

ムチャクチャな理論だ・・・
あたしはその話を聞いてて思った。ただ、同時にこの人がゆーちゃんの母親だということが、
ハッキリと分かった。このムチャもゆーちゃんは受け継いでいる。

「・・・」

ゆーちゃんは・・・泣いていた。
あたしの手を振り払って目頭を抑えて・・・涙を拭う。

「あんたに言われんでも・・・分かってるわ・・・そんくらい」

あたしは早々にみっちゃんと部屋を出た。
邪魔しちゃいけないと思った。
親子水入らずの時間を・・・残り少ない時間にあたしは立ち入ることが出来なかった。

ゆーちゃんが泣いたのは・・・気が緩んだからだと思う。
両親と過ごすことよりあたしを選んだとはいえ、両親であることは変わらない。
病気と闘って・・・一人で戦っていた中に頼もしい味方が駆けつけてくれたようだった。

「・・・なあ、まりっぺ。相手は親やで」
「分かってるよ・・・」

ハッキリ言って悔しかった。
あたしはどんなに頑張ってもゆーちゃんに対して絶対的な安らぎや癒しを与えることが出来ない。
気が揺るんだってことは・・・どこかでずっと気を張っていたのだ。
あたしといても気を張っていたんだ・・・

「ゆーちゃんの母さんの言う通りや・・・まりっぺがおらへんかったらゆーちゃんはもっと早く・・・」
「そんなこと言わないで・・・」
「・・・すまん」

pipipipi・・・pipipipi・・・

「ケータイ切るの忘れてた・・・」
「まりっぺ!!」
「ごめん・・・あ・・・」

着信の画面を見て・・・あたしはため息をついた。
・・・ごっちんだった。

ロビーの電話が出来るところまで走って電話に出る。

「もしもし・・・」
「あたしだけど・・・ゆーちゃんが・・・運ばれたんだってね」
「・・・うん。でも意識を取り戻したから・・・今はだいじょぶだよ」
「ねぇ・・・どうすればいいの? あたしは・・・あたしたちはどうすればいいの?」
「・・・一つだけお願いがあるの」

あたしはみっちゃんに話したことを・・・ごっちんにも話した。
一つの言葉も聞き漏らさないように息を殺して話に聞き入っていた。

「・・・できる? みっちゃんが手伝ってくれるけど、日程を合わせるのが難しいから・・・」
「なんとか・・・やってみる。ちょっとだけ時間が欲しいんだけど」
「ゆーちゃんの体調もあるし・・・あたしは別件でやらなきゃいけないことがあるから」
「・・・頼んだよ?」
「うん・・・でも、きっと出来るよ。みんななら・・・きっとやってくれるよ」

ごっちんの言葉が現実になるように・・・あたしはこれから忙しくなりそうだった。

「・・・もしもし? あたしだけど・・・うん、久しぶりだね。あのさ・・・」
「そうなんだ・・・それでね、ゆーちゃんのこととかあるから・・・」
「ごめんね・・・うん、あたしの方からも言っておくけど、頼むね・・・うん、元気だって言っておくよ」
「詳しい日程は決まってないけど、体調次第ですぐに行こうと思うから、割と近い間に・・・」
「よかった・・・うん、連絡取れたら教えてね。忙しいところごめんね。じゃあ・・・」

とりあえず、一人はだいじょぶみたいだ。
あとは・・・

「・・・もしもし? 久しぶりだね・・・うん、元気にやってるよ・・・」
「そっちは元気? ああ、そのことなんだけど・・・ホントはダメだと思うけどさ・・・」
「ホントに? さすが〜案外暇なんだ・・・へえ・・・それじゃOKだね?」
「も〜本人より楽しみにしてどうするんだよ!? あくまで主役はゆーちゃんなんだからね・・・」
「うん、そっちの方も頼んであるから。日程は割と近くだろうから、決まったらすぐに教えるから・・・じゃあね」

一番ダメかと思ったけど、何とかなった。
意外とヒマなんだろうなぁ・・・動けないんだもんね。
とりあえず二人目もOKが出た。

・・・つくづくゆーちゃんという人が娘。の中で絶大なカリスマを誇っていたことを思い知らされる。
こんなにあっさりみんなを惹き寄せられるのは誰でも出来るわけじゃない。

「ただいまぁ」

帰ってきたのはみっちゃんだった。
ゆーちゃんが再入院してからあたしはみっちゃんと一緒に暮らしている。
これから起こすイベントのためにはみっちゃんと連絡を密で取り合わないといけない。
そこで借りた家を処分して再び転がり込んだ。
・・・ゆーちゃんはやめとけって言ってたけど・・・

「どうだった!? なんとかなりそう?」
「さっき、マネージャーとっ捕まえて聞いた話によると・・・ちょうど一週間後に日程がかぶらんわ。
 そこがちょうど穴なんやけど・・・」
「うん・・・」
「プッチのほうが夜から歌の方があるんや。まあ、CDTVのライヴやからそんなに時間かからへんと
 思うけど・・・一度にはムリかもしれんわ」

やっぱり一度に・・・ってわけにはいかないようだ。
どうせ後で合流することを考えたら・・・それもやむを得ないかもしれない。
残された時間は決して多くないし・・・

「じゃあ、決まり! 一週間後に行こう!!」

「ゆーちゃん♪」
「おっす。遅かったやん」

雑誌を読んでいたゆーちゃんはあたしが来るのを待っていたようだった。
病院に運ばれてから2日後には一般病棟に移された。末期ガン患者としては異例らしい。
今では人工呼吸器もないが、代わりに点滴を打っている。

「へへっ・・・」
「なんや? ニコニコして・・・」

あたしは病院に来て担当医と話をした。外出許可のことだ。
本来は絶対安静なのだが・・・事情を話したらすぐにOKが出た。
もう、医者は諦めているのだろう。好きにすればいいと言う感じだった。

「ねぇ、ゆーちゃん。退院したらどこ行きたい?」
「そりゃ・・・やっぱり温泉やろ? 湯治や、湯治。効くとか効かへんとかあんまカンケーあらへんけど。
 この前行こうかってゆーてたけど・・・引っ越しでダメやったから」
「そう言うと思った。じゃあ行こうか」

ゆーちゃんは・・・あたしを見た。
何が言いたいのか分かる。あたしの言いたいことが分かんないんだろう。
そりゃそうだよね・・・

「・・・訳分からんわ」
「あのね・・・さっき先生に会って外出許可をもらった・・・ってゆーか退院だね。
 一週間後に退院するからちゃんと体調の管理しておいてね」
「ちょ、ちょい待ち!! 話の筋が全く分からん。一から説明してくれへんか?」

「ふふっ・・・あのね、みんなで温泉に行こうかと思ってさ♪ 宿の予約とか完璧だしね」
「へえ・・・ええかもなぁ。それならうちも賛成や。どうせここにおってもしゃーないし・・・
 真里とみっちゃんの三人で行くんならゆっくり出来そうや」
「何言ってんの? みんなだよ、みんな」
「みんなって・・・真里とみっちゃんぐらいやろ?」

あたしはガマンしつづけた言葉を言った。これが早く言いたかった。

「違うよ。みんなだよ・・・モーニング娘。プラスみっちゃんの全員で行くんだよ」

「・・・は?」

ゆーちゃんは思いっきり間の抜けた声で聞き返した。
状況を理解できていないようで・・・目をぱちくりさせた。

「あのね、みっちゃんとごっちんに動いてもらってね、プッチとミニモニの日程が重ならない日を探してたの。
 それで・・・ちょうどそれが一週間後になるの。その時にみんなで温泉に行こうって・・・」
「・・・」
「カオリとなっちはだいぶ前からオッケーもらってたし、圭ちゃんはヒマだからなんて言ってたけど・・・
 みんないろいろ動いてくれたから何とか実現したんだよ」

本当に何とか実現したという感じだ。
しかし、誰一人として無理だということは言わなかったし、ましてやりたくないと言う声はなかった。
みんな絶対やりたいという意気込みで実現したようなものだった。

「みんな、ゆーちゃんがスキなんだって・・・改めて知ったよ」
「・・・」
「ゆーちゃん・・・?」

ゆーちゃんは窓の方を向いていた。
肩が小さく震えている。

「イヤやなぁ・・・最近涙もろくてシャレにならんわ・・・」
「・・・」
「今初めて・・・自分が死ぬのがホンマにヤになったわ。ホンキで死にとうない。
 ホンマに、サイコーの連中に囲まれてるのに・・・死にとうないわ・・・」

「・・・ありがとなぁ・・・真里・・・」
「お礼なら・・・あたしだけじゃなくてみんなにしてよ・・・みっちゃんやごっちん、他のメンバーにも・・・」

ゆーちゃんはあたしを見つめた。何が言いたいのか分かる・・・
近づいていき・・・そして、抱きしめられる・・・

「しばらくは二人っきりでこんなこともできんよーになるんか・・・」
「へへっ。カンケーないよ・・・今度の温泉でみんなの前でしちゃおっか?」
「まあ、隠してもバレてるしなぁ・・・ああ、でもこーしてる時がうちにとって一番の治療や・・・」
「ちょ・・・ん・・・」

・・・・・・
二人だけの甘い時間は・・・終焉を迎えつつあることにあたしは気づかなかった。
まだ、こんな日が続くのかと思っていた・・・

「・・・みんな、ちゃんと来るかな・・・」
「だいじょぶやて。真里が呼びかけたんや。自分に自信を持つんや・・・」

みっちゃんのマンションの側にある公園であたしとゆーちゃんはみんなが来るのを待っていた。
少し大きめのドラム・バックを抱えてベンチに座っている。

すでに枯葉が舞う季節・・・モーニング娘。がなくなってそろそろ二ヶ月目を迎えようとしていた。
世間からモー娘。という言葉が・・・消えてしまった。

「それより、みっちゃんはどうしたんや?」
「うん。ちょっと事務所に用があるって言ってたよ。すぐに帰ってくるって言ったから・・・」
「車を運転できるのがみっちゃんと圭しかおらへんやから・・・」

そして・・・約束の時間の10分前ぐらいになって一台のタクシーが止まった。
二人の人影・・・それも身体に似合わないほどのバックを抱えた二人。
・・・ののちゃんとあいぼんだ・・・

「やぐちさん!」

遠くから右手を振っている・・・その姿を見て、あたしは涙が溢れそうになった。
今はミニモニの辻希美、そして、加護亜依だ。
でも、あたしの中では娘。の辻加護であり・・・あたしがリーダーだったミニモニの辻加護だ。

「おひさしぶりです。げんきそうですね〜、やぐちさん!」
「アホっ! 中澤さんがおるんやで! もうちょっと話す言葉を考えとき!」
「あ・・・そうだった」

相変わらずのいいコンビを見て、あたしだけじゃなくてゆーちゃんも微笑んだ。
特にゆーちゃんはののちゃんがお気に入りだった。
すでにののちゃんの頭を撫でている。

「つじ〜、久しぶりやな。ちゃんと頑張ってるか?」
「はいっ! なかざわさんのぶんまでがんばりまってますよ」
「そっか・・・テレビでしか見てへんけど、だいぶ様になってるで。頑張りや」

「あ、さっき事務所からプッチモニの人たちが出てきたのを見ましたよ。
 何でも夜のCDTVのライヴ、キャンセルしたいとかゆーて・・・暴れてました」
「・・・ホント? あいぼん」
「なんや、マネージャーも振り切って行くみたいなことゆーてました。
 すぐにくると思いますよ。結局、大したTVあらへんからって事務所側も目をつぶるってことで・・・」

そんなムチャまで・・・そこまでして、この温泉に来るのかと思うと胸が痛んだ。

やがて・・・向こう側に一台のタクシーが止まるのが見えた。

タクシーを降りてきたのは・・・案の定プッチの三人だった。
ごっちんとよっすぃーと梨華っち・・・それに助手席からカオリが降りてきた。

「あ、きましたね」

それから間もなく、二台目のタクシーがきた。
降りてきたのは・・・なっちと圭ちゃんだった。

「なんや・・・うち、すごい光景を見てるような気がするわ・・・」
「・・・」

ゆーちゃんの言うとおりだった。
娘。のメンバーが・・・二度と交じり合うことのなかったメンバーがこうして集まっている。
それぞれの顔は同窓会で再会を喜ぶ生徒のような笑顔で満ち溢れていた。

「あ、ゆーちゃんだっ!」
「なんだぁ・・・ののちゃんたちもう来てるよ〜」
「事務所説得すんの、ちょ〜大変だったのに〜」

大変なことをしたと今、あたしは実感している。
ここにいるメンバーの誰もがゆーちゃんの再会を心から喜んでいる。
全てのメンバーの気持ちが共有しているのが分かる。

ゆーちゃんは・・・震えていた。泣いているわけじゃなく・・・事態のすごさに震えていた。

「こんな・・・あははっ、こんなすごい絵になるなんて想像できんかったわ・・・むっちゃ鳥肌立ってるわ・・・」

あたしは電話をした・・・みっちゃんに。
こんなことで驚いてもらっては困る・・・大変なことをしたのはこれだけじゃない。

「・・・みっちゃん、みんな来たよ・・・そっちは?」
「ちゃんといるで。すぐ行くわ」
「・・・うん」

再会を喜ぶみんなを目の当たりにしていると・・・すぐに車が来た。
公園の前に止まる。

「やっと、みっちゃんが来たよー」

車から降りてきたのは・・・一人じゃなかった。
みっちゃんは確認できる。でも、他の降りてきた人は・・・どこかで見たことがあった。

「えっ!?」

あたしを除いたメンバー全員が同じ声を上げた。

「おっす。みんな元気だったかー? ホントに久しぶりだねー」

ショートヘアで活発そうな顔立ち。意志の強さが見て取れるハッキリとした瞳。
・・・紗耶香だ。

「ちょっと! みんなあたしのこと忘れてないでしょうね? ってゆ〜か走っちゃダメか・・・」

相変わらずの金髪ロングにパーマ。一見するとヤンママに間違えられそうな風貌。
だいぶお腹も大きくなっている・・・彩っぺだ。

「なんかあたしだけ場違いみたいだよぉ・・・知らないメンバー増えてるし・・・」

肩まで伸びる黒髪に少しふっくらした頬。だいぶ外見は変わったが、雰囲気はあの時のまま。
・・・福ちゃんだ。

あたし以外のメンバーはその光景を見て固まった。
まさか、引退メンバーまで来るとは一言も言ってなかったからだ。

「真里っ! これは・・・これは・・・」
「言ったでしょ? モーニング娘。のメンバープラスみっちゃんで行くって・・・
 福ちゃんも彩っぺも紗耶香も・・・モーニング娘。じゃん。
 いいでしょ? どーせ今はみんな元メンバーだしさ」

引退メンバーは声をかけようか悩んだが・・・ゆーちゃんのためにどうしても来て欲しかった。
まずは紗耶香に電話して・・・そこから仲がいい福ちゃんにも来てくれるように頼んでもらった。
福ちゃんはちょうど高校の開校記念日で休みらしく、運にも恵まれた。
彩っぺは妊娠中でヒマを持て余してたらしく、絶対行くと言ってくれた。

「ちょっと待ってや・・・すごすぎて状況を理解できんわ・・・」
「そ、そんなの・・・みんな一緒だよ・・・」

ごっちんの声も震えていた。
紗耶香はイタズラっぽく笑ってこっちを見ている。

「なんだよー、市井たちが来たのがそんなに意外かー?」
「・・・」
「ゆーちゃんが・・・もう助からないって聞いたら、絶対に来るよ。
 明日香だってすぐにオッケー出してくれたんだから」

「ゆーちゃんのために思い出を作ろうよ。そのためにみんな集まったんでしょ?」

その答えに・・・みんなは同意していた。声には出さなくても同意していた。
ここにみんなが集まったのは・・・ゆーちゃんに思い出を作ることだ。
そのためだけに、再びモーニング娘。は結成されたんだ。

「行こうよ。こんなところで時間を潰すのはもったいないよ」
「・・・そうだね、話は車の中でも出来るしさ」

総勢14人・・・温泉旅行は幕を上げた。

レンタルされたマイクロバスに乗り込むとさすがにきつく感じる。
それでも場の雰囲気はまるで崩れなかった。
むしろ、遠足に行く学生のように――話題が尽きなかった。

「ほらほら、ゆーちゃんは後ろの真ん中に・・・」
「分かってるがな・・・」

ゆーちゃんを取り囲むようにみんなが椅子の向きを変える。
・・・誰もが言葉を待っていた。

「あー・・・何か言わへんといけないんかな?」
「とりあえずね」
「はいよ・・・」

「あのなぁ・・・うちのために集まってくれてありがとなぁ。まあ、何や・・・
 みんなが知ってるとおりうちは視線が集まるとキンチョーする小心者やから大したことは言えへん」

その場から小さな笑いが起こる。

「はっきりしてるのは・・・こうしてみんなが一同に集まれるのはおそらく最後や。
 みんな娘。を旅立って自分の路を進んでくれてる・・・うちにとってそれは一番嬉しいことや」
「・・・」
「うちは・・・ありがとうとしか言えん。うちの最後の手土産として・・・こんな風に集まってくれたことを
 感謝する。ホンマにそれだけや」

誰もが最後だと思っていた。こんな風に集まるのは最後だと思っていた。
だから・・・これが最後じゃないなんて気休めな言葉をかけるメンバーもいなかった。

「ま、湿っぽい話はこれっきりや。どうせ、みんなもいろいろあって疲れてるやろーし。
 うちに気を使わんでゆっくり温泉にでも浸かって元気だしや」

それから・・・あの頃が戻った。娘。の頃に時間が戻った。

バスの中は水をひっくり返したように騒ぎ出した。
とりあえず、福ちゃんがごっちんや新メンバーの四人に挨拶する。

「あの・・・分かるかな? あたし・・・福田明日香って言うんだけど・・・」

「あたしは・・・会うのは初めてですけど・・・知ってますよ」
「ビデオで見たことあります」
「歌がうまかったって聞いたことあります」
「・・・ごめんなさい。名前だけしか知りません・・・」
「・・・あたしも・・・なまえだけしか・・・」

ごっちん、よっすぃー、梨華っち、あいぼん、ののちゃんはそれぞれ自分の知っていることを口にする。
福ちゃんは・・・肩を落とした。

「・・・そんなもんだよねー・・・」
「ははっ。うちがちゃんと説明したるわ・・・福田明日香。初代メンバーでセンターを任されていた実力派シンガー。12歳でデビュー。なっちとしのぎを削っていた・・・こんなもんかな?」
「ちょ、ゆーちゃん、それはいくらなんでもはしょり過ぎ・・・しかも、言い過ぎ・・・」

それを聞いて・・・目を丸くしたのはののちゃんだった。

「12さいって・・・わたしとおなじとしでセンターでうたってたんですか・・・?」
「そうよ・・・明日香の歌唱力はズバ抜けてた。センターやって当然だったよ・・・」
「なっち、それも言い過ぎ・・・」

ののちゃんとあいぼんはラブマ以降の曲しか印象に残っていないらしい。
当然、福ちゃんのことは分からない。
そうか・・・ののちゃんたちと同じ歳ですでに福ちゃんはセンターやってたんだっけ・・・

「わたしはあいちゃんといっしょにうたってるだけでも、すごいたいへんなのに・・・
 むすめ。のセンターなんて・・・すごいです・・・」
「ははっ・・・そんなにすごいことじゃないよ。しばらくやるうちに辻ちゃんもできるようになるよ」
「ほんとですか?」
「うん。ミニモニだよね? テレビでちゃんと見てるよ」

早くもののちゃんは福ちゃんのことが気に入ったらしい。
これは意外な組み合わせ・・・なんとなく、雰囲気は似てるかもしれないけど。
それよりも・・・こっちの組み合わせはどうなんだろう?

「・・・」
「・・・」

紗耶香とごっちん・・・隣り合って座ってるのに全く会話がない。
たまにごっちんが、そわそわしているのが見えるけど・・・
この二人は娘。のときから、あたしとゆーちゃん以上に怪しかったからなぁ・・・

「そうだっ! ごっちんと紗耶香の方はどうなの? お互いちゃんと連絡とってるわけ?」

まるで鶴の声。
彩っぺのスルドいツッコミにメンバーの視線が一気に集まった。

「な、何だよぉっ! みんなしてイキナリ反応して・・・」
「何ゆーてんねん。ごっちんと紗耶香がどーなったかみんなが一番気にしてるっちゅーねん」
「べ、別に・・・」

紗耶香はテーブルの上のお茶を一気飲みしてみせる。
ごっちんは・・・恥ずかしそうに俯いたままだ。

「で? どうなの、どうなの? やっぱりさ、別れちゃったわけ?」
「彩っぺ!! 失礼なこと言うなっ!! 後藤とはちゃんと連絡とってるし、うまく行ってるよ!!」

・・・・・・
こーなんだよねー、紗耶香の性格って・・・煽られるとすぐにノッちゃうトコ・・・
あ・・・ごっちん、カオ真っ赤だ・・・

「なんやぁ・・・うまく行ってんやったら初めからそう言えばええのに・・・」
「そ、そーゆー、ゆーちゃんはまりっぺとはどうなんだよ!?」

いきなり話題を振られてあたしはしどろもどろになった。
周囲からイタイほどの視線を浴びせられる。
当のゆーちゃんは・・・まるで躊躇もなく、堂々と答えた。

「うまく行ってるに決まってるやろ。同棲したし、すべきことは全部済んだよなぁ?」
「ゆ、ゆーちゃんっ!!」

耳まで熱くなるのが分かる。
周囲から驚きともとれる歓声で湧く。

「えっ〜!!」
「やっぱり、やぐちさん・・・」
「一緒に暮らしてたんですかぁ!?」
「すべきことって・・・やっぱりアレなの〜!!」

「何でそーゆーこと言うんだよっ!!」

周りの声に負けないように、あたしはゆーちゃんを思い切りどついた。
ゆーちゃんは幸せそうに笑っていた。ホントに幸せそうだった・・・

車に揺られることおよそ三時間・・・たどりついたのは新しい旅館だった。
四万温泉・・・湯治で有名な温泉らしい。ただ、年寄りの客が多くて若い人はほとんど訪れない。
だからこそ、あたしはここを選んだ。ここまで来て、ファンに囲まれるのはツライからだ。

「へえー。なかなかいいトコじゃん。空気もキレイだし」
「そうだね。山と川があるし・・・明日の昼は川でバーベキューでもやろうよ」
「あ、それいいね〜。やらせてくれるのかな?」

まるで修学旅行に来たような騒がしさだった。
きっと芸能人というレッテルを剥がせば、ここにいる14人はただの仲のいいサークル仲間かもしれない。
モーニング娘。という名前のサークル・・・

「・・・久しぶりや。みんなに囲まれてると思い出すよ・・・あの時の空気を・・・」
「そうだね・・・」

あたしはとりあえずみんなに号令をかける。

「おーい!! みんな荷物持って移動するよー!!」

「「「はーい!」」」

ホントにあの時のままだ・・・ビックリするぐらい時の流れを感じない。
病院でなっちたち三人に会ったときはたった三週間で遠く感じたのに・・・
みんなで会うとまるで変わっていない。

「辻ちゃん、だいじょぶ? あたしも手伝おっか?」
「だいじょぶです・・・あすかおねえちゃんはさきにいってください」
「半分ずつ持とっか・・・よいしょっと」
「・・・ありがとうございます・・・」

辻ちゃん・・・? あすかおねえちゃん・・・?
あたしとゆーちゃんは聞きなれない言葉に思わず顔を見合わせた。
同時に笑う。

「辻ちゃんだって!! 福ちゃんが・・・あすかおねえちゃんだって!!」
「何や、すごいな・・・でも、明日香も一時に比べるとだいぶ人当たりよくなったなぁ・・・
 めっちゃクールだったけど・・・」
「ののちゃんは別かもね。あの子は・・・いるだけで場の雰囲気を変えられる子だから・・・」
「そうやな・・・そろそろうちらも行くか?」

「うわぁ・・・すっごい広いじゃん!!」
「でも、みんなで寝るんでしょ? まりっぺ!! ここ何人部屋なの?」
「20人用の部屋だよ。15人用がなくって・・・」
「ねぇねぇ、早く温泉に行こうよ!!」

部屋に案内されてもみんなのテンションは下がらない。
おそらく、旅行に行くこと自体が久しぶりなんだろうけど・・・
まるで学校の先生になったような気分だ。

「あ、カオリ枕投げないのっ!!」
「だいたいみっちゃん、何でカオリの分まで荷物を・・・コラっ!」
「・・・梨香っちもいきなりほうじ茶なんか飲んでないで、部屋の片づけをする!」
「ちょ・・・危ないでしょ! こっちは身重なんだから! お腹に当たったらどーしてくれるわけ!?」

・・・収拾がつかん・・・誰か助けてくれ・・・
あたしがゆーちゃんに一声かけようとしたときだった。

「何やってんやっ!!」

久しぶりに聞くゆーちゃんの声だった。
みんなをまとめ上げる時にいつも出している声だった。

「ここは真里が予約したとこや!! なら、真里の言うことにどうして従わへんねん!?
 とりあえず、着いたんや!! 暴れる前にすることがあるやろ?」
「・・・」
「ほら、真里・・・」

一瞬にして場が静まり返る・・・条件反射という奴なのか、ゆーちゃんが叱ると場がこうなる。
普段なら、みんなは下を向いたり、顔をしかめたりするが・・・
あたしは笑ってしまった。ゆーちゃんの地位はみんなの中で少しも揺らいでいない。
それを知ったとたん、笑いがこみ上げてきてしまった。

「あははっ・・・ごめんね〜。笑っちゃって・・・」
「???」
「とりあえずさ、みんなのバックを端に寄せてよ。それから枕の投げっこは今じゃなくて夜ね。
 だいぶ車に揺られたからさ、あいぼん気持ち悪いとか言ってるし・・・少し、お茶でも淹れて落ち着こうよ」

すると、みんながごそごそとバックを持って移動を始めた。
あたしはホントに嬉しくなった。ゆーちゃんはみんなの中でしっかり息づいていると分かったから・・・

ほうじ茶を飲みながら一息つくとみんなはバックの中をがさがさと探り始めた。
いよいよ温泉に入ることになった。

「カオリはちょっと楽しみにしてきたんだよね〜」
「一応、関東県内では有名な温泉場だからね。ちょっと若い人が来ないけどさ」
「でも、あたしたちにしたらそれが一番いいよね? 疲れを取りにきたのにファンに囲まれたらイヤだし・・・
 あれ? 紗耶香は入らないの?」

テーブルでほうじ茶を飲んでいる紗耶香は・・・動いていなかった。
側には・・・案の定、ごっちんもいる。

「あ、市井は後で入るよ。何か久しぶりに車で移動したせいか疲れちゃったよ」
「ふ〜ん・・・あれ? ごっちんは・・・」
「ちょい待ち〜な」

ゆーちゃんが割り込んできて、カオリの言葉を遮る。
何を言いたいのかカオリもゆーちゃんの目を見て察する。

「あっ・・・ごめんね。そうだよね・・・」
「まあね・・・ちょっと、話したいんだ・・・」
「なるほど・・・みんな邪魔やゆーわけや」
「そ、そうじゃないけどさ・・・」

ゆーちゃんはバスタオルをマント代わりに身体に巻きつけると部屋を出て行った。
あたしは・・・なるべく、紗耶香たちのことを悟られないように大きな声を出した。

「みんな行くよ!! 温泉の後はすっごい料理が待ってるからね。期待してよし!!」

ぞろぞろと部屋を出て行く一行。なんか不気味な光景だが・・・
大きな部屋は・・・あっという間に静かになった。
紗耶香とごっちんの・・・二人きりになった。

みんなは・・・ひたひたとその場で足踏みをした。少しずつ小さくして・・・止める。
誰一人温泉に向かうものはいない。二人には死角の位置に集まって話に耳を傾ける。
どちらかがお茶をすする音が聞こえてくる・・・

「・・・ねぇ、市井ちゃんは温泉行かないの?」
「後で・・・行く」
「あっ、そうなんだ・・・」
「・・・なんかさ、あたしが見ないうちに後藤もしっかりしてきたね」
「そうかな・・・? そんなに変わってないよ」

「あたしはさ、娘。がなくなるって聞いて・・・まず最初に後藤のことが思い浮かんだ」
「・・・ありがと」
「ゆーちゃんが病院送りになって、まりっぺがドロップアウトしたけど・・・娘。は頑張れると思った。
 後藤がいるから。後藤がいるから何とかなるって思った」
「・・・」
「でも、ダメだった。つんくさんは話題を選んだんだよ。それはあたしにも分かった・・・
 解散会見をテレビで見て・・・不謹慎なことを思ったんだ」
「・・・えっ?」

がさがさと動く音がした。
・・・どうも紗耶香がごっちんのほうに近づいたのだろう。

「もしかしたら・・・もしかしたらだよ? 後藤と一緒に歌えるんじゃないかって・・・心のどこかで思った。
 一緒にバンドでも組んで・・・ずっと一緒にいられると思った」
「い、市井ちゃん・・・?」
「最近はずっとメールと電話だけだったよね? なかなか逢えなくて・・・ちょっとつらかったぞ」
「・・・」

衣擦れの音・・・きっと抱き合ってるんだろうが・・・見たいぞ・・・
そう思っている側からゆーちゃんは思いっきり覗いていた。

(おおっ! 紗耶香の奴、めっちゃ抱きしめてるで!)
(ほんと!? やっぱりあの二人、出来てたんじゃん!!)
(絵になるなぁ・・・あの二人)

こそこそと周りが盛り上がる。あまり状況を把握していない明日香はしゃがんでいるだけだったが、
隣にいるののちゃんは顔を思いっきり真っ赤にしていた。うあ・・・ウブだなぁ・・・

「ちょ、市井ちゃん・・・苦しいよ・・・」
「あ〜ダメだ・・・こうしてるだけでも、メチャクチャ幸せだ・・・くっそ・・・」
「みんな帰ってきたらどうすんの・・・」
「だいじょぶだって・・・盛り上がってるからしばらく帰ってこないだろ?」

確かに盛り上がってはいるが、まさか自分たちを見て盛り上がってるとは夢にも思っていないだろう。
ゆーちゃんは好奇心旺盛な子供のようにずっとその光景に見入っている。
・・・なんだかチョット嫉妬だな・・・あたしたちがいつもしてることと変わらないじゃん・・・

「やっぱりあたしの居場所はここだ・・・ここにいると一番落ち着く」
「・・・」
「後藤と一緒にいると落ち着く。もしかしたら、メンバーと一緒にいるからかもしれないけど、
 ここにいるのが・・・みんなといるとやっぱり落ち着くんだな、やっぱ」
「・・・あたしだってそうだよ・・・市井ちゃんとこうしてると・・・嬉しいし、落ち着くよ。
 でもね、それを可能にするのはやっぱりみんながいるからって・・・そんな風に思うんだ」

みんなが・・・静かになった。二人の言葉に重みを感じた。

確かにそうだ・・・あたしとゆーちゃんがここまできたのは・・・みんなのおかげだ。
娘。があったから・・・みんながいたから・・・

「・・・ねぇ。市井ちゃん、知ってる? やぐっちゃんとゆーちゃん・・・今じゃすっごい仲いいんだよ?
 あたしたちはずっと前から周りに言われてたけどさ・・・あたしが嫉妬するぐらい、仲いいんだよ・・・」
「後藤だって・・・あたしがいなくなってから、よっすぃーと・・・仲いいじゃん?」
「よっすぃーはね・・・違うんだ、梨香ちゃんと今イイカンジなんだよ」

それを聞いてあたしは梨香っちを見た。
・・・メチャクチャ顔が真っ赤じゃんか・・・

「や、やめてくださいっ!」

場の雰囲気に耐えられなかったよっすぃーが大きな声を出した。

「!?」
「バ・・・バカっ! 何やってんや!! よっすぃー!!」
「えっ・・・あ・・・」

時はすでに遅かった。
よっすぃーの声に光よりも早く身を離した紗耶香が詰め寄ってくるのが分かる。
まずい・・・まずいよ・・・

「ゆ〜ちゃ〜ん〜」
「あ・・・あはは・・・何や、そんな怒らんといて〜な・・・」
「こんなところで・・・・何やってんだよっ!!」
「みんな、逃げるでっ!!」

ゆーちゃんの声を合図にみんなは一斉に逃げ出した。
昔にも・・・ゆーちゃんがごっちんと紗耶香を楽屋に二人っきりにして、覗いて怒られたことがあった。
そんなことを思い出しながら・・・あたしは逃げた。

「結局、みんなで来ちゃったねー」
「ああ、でも、いいカンジ♪ 疲れ取れるー」

湯船に浸かっている14人ははっきり言って浮いていた。
年寄りの人が何人かいるけど、あたしたちを見てもモーニング娘。だとは気づかないみたいだ。

「まだ、怒ってるんか? 紗耶香」
「・・・」

露天風呂の石に寄りかかっている紗耶香は明らかに不満そうだった。
髪を上げているところがちょっと男っぽくてカッコいいが・・・そんなのはおかまいなしだった。

「何や? どーすれば、キゲン直してくれんねん?」
「あんなことしてるところ見られたら誰だって怒るに決まってるだろっ!」
「・・・そうかぁ?」
「ゆーちゃんがおかしいだけだよっ! あたしの知らないうちにまりっぺとデキちゃって・・・」
「しゃあないやん。うちがスキなんやもん」

あけすけなゆーちゃんの発言に一同の視線が集中する・・・最もみっちゃんは呆れたような表情だが。
あたしは・・・湯船に潜った。メッチャ恥ずかしい・・・

「あ・・・あのねぇ、言っておくけど・・・まりっぺといくつ歳が離れてるの?」
「うんとなぁ・・・10ぐらいだろうなぁ。あんまりカンケーあらへんよ」
「・・・」

紗耶香はぐっと黙り込んだ。ゆーちゃんがまるで気にしていないからだろう。
あたしも・・・ゆーちゃんの歳を気にしたことはなかったなぁ。

「・・・もういいよ。あたしの負け」
「何ゆーてんねん。『むちゃ幸せ〜』なんてゆーて、ごっちん抱きしめてた紗耶香だってうちは勝てへんわ」
「う、うるさいなぁ! いいだろ! ホントのことなんだから」

すると、隣にいたごっちんがゆっくり近づいてきた。
あたしと一緒で・・・顔を赤くしている。何も温泉が熱いわけだけじゃないだろう。

「・・・お互い大変だよね・・・」
「まあね・・・」
「でもさ、どうしようもなくスキだよね・・・」
「・・・それも、まあね」
「いつまでも・・・続くといいな。こんな時間が・・・」

あたしはいつも、どこかで願っていた・・・時間が止まればいいと。
でも、今日ほど時間が止まって欲しいと願ったことはなかった。

山の幸で溢れ返る食事を済ませてから・・・
部屋ではみっちゃんを始め、圭ちゃんにカオリそれにののちゃんまでが酒盛りを始めていた。
気になることがあって・・・あたしはこっそりと部屋を抜け出した。

「・・・どこ行ったんだろ?」

お酒の席には必ずいるはずのゆーちゃんがいなかった。
トイレにいくといったまま、戻ってこないのだ。
不安がよぎったが・・・黙っていなくなるとはとても思えなかった。

すでに電気の消えたロビーに一つの人影・・・ゆーちゃんだった。

「もお〜、こんなトコで何浸ってんだよー。みんなお酒飲んで暴れてるよ?」
「あ、真里・・・」
「ビールぐらいならだいじょぶだって病院からOK出てるからだいじょぶだって」

あたしは自販機で午後の紅茶を買った。
ゆーちゃんの隣に・・・座る。

「・・・」
「どうしたの? どっか痛む?」
「ちゃうわ・・・ほら、うちって酒を煽り過ぎると、くにゃ〜ってなってしもうて、寝てまうやんか?」
「そうだねー。その時のゆーちゃんってすっごくカワイイからスキだけど」
「・・・何か、酔って寝てまうのがもったいなくてな」

「みんな・・・娘。がなくなっても・・・娘。だったことに誇りを持って生きてるやんか・・・
 誰一人、うちが辞めたこと、真里が辞めたことに文句を言わへんやんか?」
「・・・」
「何かな、モーニング娘。って中に入れば、歳とか経験とか過去とか・・・全く関係なくなるんやと思った。
 すごい居心地がよくて・・・自分が死ぬことを忘れそうになる・・・」

「真里・・・どうしてくれるんや? この気持ち味わってしもうたら・・・死ねんわ」
「・・・当たり前だよ・・・そのために、あたしは・・・みんなを呼んだんだよ・・・」

ゆーちゃんに寄りかかる。
ちょっと伸びてきた髪を優しく梳いてくれる。ただ、その手のひらはもう・・・やつれている。
長くないのは・・・あたしもゆーちゃんも分かっている。

「そや。今から一緒に温泉に行かへんか? さっきはみんながおったから・・・」
「・・・そうだね・・・一緒に入ろっか・・・」

深夜をまわった時間帯のせいか風呂場には誰もいなかった。
24時間開放されているから入っても構わないのだが、何だか緊張してきた。
ゆーちゃんと二人きりになる時間・・・

「何かやっと湯治に来たって感じがする。結局、みんなうちに頼ってばっかりやから・・・」
「でも、みんなとても楽しそうだから、いいよね」
「まぁなぁ・・・お、ここにあるの、飲みかけのお酒やん?」

なぜか湯殿の側に熱燗とおちょこが盆の上に乗っている。
二本のうち一本は空だったが、もう一本はほとんど飲んでいない。

「ねえ? どーしてこんなところにあるんだろ?」
「分からへんけど・・・この際やから飲んでまうか? だいぶ冷めてるみたいやし」
「やめようよ。何か入ってたりしたらどうするの?」
「どうせ、間もないんや。これ飲んで死んだってあまり変わらへんわ」

ゆーちゃんの行き過ぎたジョークに・・・反射的に顔をしかめてしまった。

「あ・・・ごめんな。そんな意味でゆーたんやないんよ・・・」
「分かってる・・・でも、いっか。あたしも飲むよ。これ飲んで死んだら・・・あたしも一緒だよ」
「ははっ。ま、熱燗やし、だいじょぶやろ?」

湯船にお盆を浮かべて・・・二つのおちょこに日本酒を満たす。

「乾杯・・・」
「・・・乾杯」

露天風呂から見えた空は・・・満天の星々で彩られていた。

「東京からちょっと離れただけなのに・・・夜空が綺麗やなぁ」
「そうだね・・・」

ゆーちゃんはそれを見て一気におちょこの酒を飲み干した。

「真里とこうしてお酒を飲むのすごい久しぶりやな・・・」
「うん。昔はしょっちゅう、ゆーちゃんの家に行って飲まされてたよねー・・・
 でも、最初の頃はちょっとヤだったかな?」
「何でや?」
「ほら、ゆーちゃんってビールしか飲まないじゃん? あたしは甘い方がスキだし・・・
 それに酔っ払うとゆーちゃん、『矢口ー、ここで踊れー』って言うんだもん』
「・・・そうやったっけ?」
「そうだよ〜。だいたいみっちゃんとかもいてさ、『一緒に踊れ〜』って言うんだよ?
 心の中で『なんだよ〜、このヒトは〜』って思ったもん」

逢ったときからゆーちゃんはあたしに目をつけてたのはすぐに分かった。
オフの時は決まって呼び出されていた。しかも、なぜか深夜に・・・
行かないと次の日は口も聞いてくれないので渋々行っていた時期もあった・・・
でも、知らないうちに・・・行かないと不安になってる自分がいた。

「そりゃまぁ・・・真里のことはスキやったし、かわいかったから・・・」
「スキって今のスキと違うでしょ?」
「そうやな・・・ちょっと違うけど、あんまり変わらへんな。どこかで・・・いつも気になってた」
「ゆーちゃんってさ・・・いつからあたしのことをスキだって思ったの?」

「・・・はっきりと分からんけど、最初の頃からずっとだろうなぁ。なんかこう・・・イジめたくなるんや。
 うちの思った通りに反応してくれるから、イジメ甲斐みたいのがあるねん」
「ゆーちゃんって・・・根っからのイジメっこタイプだよね・・・」
「それから・・・何やろ? うちのこと構ってくれるんやよなぁ。堂々と、面と向かって
 『ゆうこ〜っ!!』なんて言うのも真里だけやし・・・殴ってくるのもそうやし・・・」
「あはは。『FUN』の時にメール送ったしね〜。でも、あの時には、あたしは・・・もうダイスキだった。
 気持ちが止まらないくらい・・・ダイスキでしょうがなかったんだよ?」
「うちだってそうや・・・テレビやから『汚い手を使ってイジメてる』なんてゆーたけど・・・
 ホンマはむっちゃ嬉しかったんや。言葉に出来ないぐらい嬉しかったんや」

「でも、他のメンバーにキスするのだけはどうしてもガマンできなかった・・・」
「何回キスするなって言われたか覚えてへんぐらいやな。そのことに関しては」
「ゆーちゃんがキス魔だって頭の中では分かってるんだけどね、もしかしたら・・・
 誰かには遊びのチュ〜じゃなくて・・・ホンキなのかなって思ったら・・・」
「ホンキのキスと遊びのキスは全然ちゃうわ。遊びは舌入れへんもん」
「・・・そーゆー意味じゃなくって・・・」

ゆーちゃんはあたしを見つめていた。少し上気した頬は赤く染まり、瞳は潤んでいる。
おちょこで二杯しか飲んでいないのだから、酔っているわけじゃなかった。

「そんな話してるから・・・キスしたなった。してええか?」
「・・・ダメです。お酒の勢いでキスなんかされても嬉しくないもん」
「何ゆーてんねん・・・うちが酔ってないの知ってるやろ?」
「・・・」

ゆーちゃんはお酒を口に含むとあたしに口づける。
脳までとろけそうになる濃厚なキス・・・唾液の代わりに喉元に流れるお酒。
あたしの意識が少しだけ飛ぶ。
それでもゆーちゃんはキスをやめない。

「・・・はぁ・・・ん・・・んんっ・・・はっ・・・ん・・・」

なかなか唇を離してくれなくてあたしはちょっとビックリした。
体重をかけられて身動きが取れなくなってきている。
腰の力が・・・不意に抜けた。

「はぁ・・・ちょっと・・・長すぎだよ・・・」
「ホンマのキスをしてくれってゆーから・・・しただけや。遊びのチュ〜じゃあらへんやろ?」
「これが遊びだったらあたし怒ってるよ?」
「遊びは・・・ここで終わらへんからな・・・」

ゆーちゃんの指が湯船に沈んだ。
体を覆っているバスタオルに手がかけられる。

「ちょ・・・ここで・・・?」
「どうせ、誰も来いへんよ・・・みんな部屋で酔いつぶれるわ」
「そ、そうじゃなくって・・・知らない人に見られたら・・・んんっ!」
「う・・・んっ! 真里・・・」

ガラガラガラっ!

不意に開いた引き戸の音にあたしとゆーちゃんはその態勢のまま、ぼんやりとしてしまった。

「やぐっちゃん・・・? ゆーちゃん・・・?」

熱燗が載ったお盆を持っていたのはごっちんだった。隣には・・・紗耶香もいる。
あたしたちは思いっきり身を離した。

「な・・・なな、何でここに来てんねんっ!」
「いや、みんな部屋で暴れてるからちょっと温泉に入って落ち着こうかなって思って・・・
 そんなに怒らなくてもいいじゃん・・・」
「べ、別に怒ってへんわっ! イキナリなんで・・・」
「・・・」

ごっちんは不思議そうに首をかしげるだけだったが、紗耶香は違った。
怒っているのかと思ったら・・・恥ずかしそうに顔を赤くして俯いていた。
何してたか分かったらしい。

「市井ちゃん? どーしたの?」
「な、何でもないよっ。後藤は見ちゃダメだからね。こんなの・・・」
「??? どしたの?」
「・・・」
「それより、やぐっちゃん、バスタオル取れてるよ。女同士だけど、ちゃんとしなきゃね」

知らないうちに湯船にバスタオルが浮かんでいることに気づいて・・・
あたしはいそいそとバスタオルを身体に巻きつけた。
正直言って・・・ちょっとだけ、ごっちんのことを恨んだ。
二人が温泉に入ってきたが、その距離は微妙に開いている。

「もぉ・・・ゆーちゃんってサイテ〜・・・」
「ふん、うっさいわ・・・せっかく、人の楽しみ邪魔しよって・・・」
「分かってたらさ、分かってたら・・・来ないよ。そんなことしてるなんて思わなかったんだもん・・・」
「これで貸し一つや・・・今度うちが覗き行くから覚悟しとき」

口元まで潜って話しているゆーちゃんと紗耶香を見ていて・・・
ごっちんは訳がわかっていないようで思いっきり疑問符を浮かべていた。

「ねえ? 市井ちゃんもゆーちゃんもどーしたの? ケンカでもしたの?」
「あ〜・・・それは違うと思うな。ちょっとね・・・」
「どーしたの? 教えてよ」
「う〜ん・・・恥ずかしいからヤダ」

あたしまで恥ずかしくなってきて、おちょこに残っていたお酒を一気に飲み干した。
それを見てごっちんは・・・立ち上がった。

「ずるいよっ! あたしだけ仲間ハズレじゃんかっ!」
「・・・ど〜しても知りたいんか?」
「「ゆーちゃんっ!!」」

あたしと紗耶香の声がハモった。

「ご、後藤にはまだ早過ぎるよっ。ダメだって・・・」
「何ゆーてんねん、もう高校生や。興味ぐらいはあるやろ?」
「ゆーちゃんっ!! どーしてあたしたちがそれを・・・」
「紗耶香にバレとるし・・・もうええやん。見られたうちらが悪いんやから」

理屈にならない理論をこねまわしていたが、ゆーちゃんの顔は明らかに不敵だった。
この状況まで楽しんでいる素振りがある。あたしは・・・頭を抱えた。

「も〜いい・・・好きにして・・・」
「まりっぺっ!! 何言ってんだよっ!!」
「ゆーちゃんがあーゆー顔したら何してもムダだもん・・・それにあたしが悪いのは事実だし・・・」
「まりっぺ・・・ゆーちゃんの影響受けすぎだぞ・・・」

「でさ! 何してたの?」
「う〜ん・・・平たく言えばなぁ・・・」

ごっちんの目はきらきらと光っている。あー・・・そのいかがわしい想像と寸分違わないことを
してるから、何とも言えない気持ちだ・・・

「えっちや」
「・・・は?」
「だから・・・何度も言わせんといて・・・えっちやて・・・」

ゆーちゃんの言葉に・・・ごっちんは思いっきり湯船に飛び込んだ。
反対方向を向いてばしゃばしゃと顔にお湯をかける。

「ちょ、ちょ、ちょっと・・・そんなの・・・」
「期待を裏切ってへんやろ?」
「そんな・・・そんな、ホントに? ホントなの!?」
「まぁなぁ・・・」

ごっちんに詰め寄られて、ゆーちゃんは恥ずかしそうに頭をかいていた。

ごっちんの表情は一気に変わった。
興味津々と言ったご様子だった。

「は、初めてだったの? 今日で何回目ぐらい?」
「あー・・・それはちゃうな。何回なんて数えておらへんし・・・」
「男の人とさ、女の人ってどんなカンジで違うの?」
「それは・・・って、何でそこまで話さなあかんねんっ!! 後は自分で何とかしいや」

ゆーちゃんは乱暴にお酒を奪い取ると、並々とおちょこに注いでお酒を飲み干す。
それは持ってきたばかりの熱燗だからすぐに回っちゃうぞ・・・

「・・・いいなぁ・・・」
「へっ?」
「なんかさ、ゆーちゃんってやっぱりカッコイイよね・・・」

「普通さ、女の子同士だったりするとさぁ・・・いろいろ考えるじゃん? 周りのこととか・・・
 あたしだって・・・今はもう関係ないけど、市井ちゃんのことがダイスキだって分かった時、
 ちょっといろいろ考えたもん・・・」
「・・・」
「でも、市井ちゃんもあたしが・・・その、ダイスキ・・・だって言ってくれたからっ! その・・・
 このままでいいんだなって思って・・・何て言っていいか分かんないけど・・・」

ごっちんの言いたいことはあたしだけじゃなくて・・・三人とも分かっていた。
お互いがスキだって言って支えあわないと・・・たとえ、それが反射的に出るようになっても、
『スキだっ!!』っていう言葉が持つ魔法みたいな要素が大事だって・・・そんな風に思える。

「何や? まだ、二人とも済ませてへんのか?」
「「・・・」」

二人とも顔を真っ赤にして俯いていた。
当たり前でしょ・・・ごっちんのあの反応振りは。

「キスぐらいはしたんか?」
「そ、それぐらいは・・・」
「後藤もすぐに正直に答えない!」
「ははっ・・・何や、紗耶香が出し抜かれてるやんか。うちはてっきり逆かと思ったわ」
「う、うるさいよっ。いいじゃんか、別に・・・」

深夜の時間帯にもかかわらず・・・風呂場は盛り上がっていた。
・・・ここまでは大人の盛り上がりだったのだが・・・

「いちーちゃんっ♪」
「ごと〜♪」

お風呂場は完全におかしくなっていた。
酔ってへべれけになっている紗耶香とごっちんが湯船で抱き合っている。
かく言うあたしもちょっと・・・酔っている。

「何や〜やれば出来るやんかぁ〜」
「へへっ。やぐっちゃんたちには負けないからね〜。あたしだって・・・」
「うわ・・・ちょっと・・・」

どぼぉぉんっ!!

ごっちんに思いっきり抱きつかれた紗耶香が支えきれずに沈む。
それを見てゆーちゃんは心底おかしそうに手を叩いた。

「あはははっ!」
「何やってんだよっ〜。紗耶香」

熱い温泉と回りやすい熱燗のせいで、ゆーちゃんもだいぶ酔いが回っているらしい。
あたしを見て・・・近づいてくる。

「やぐち〜」
「・・・なんだよ〜、へへっ・・・」
「ダイスキやっ!!」

さっきのごっちんのように・・・あたしに思い切り抱きついてくる。
酔うと「真里」ではなく、「矢口」と呼ぶのは以前のゆーちゃんに戻るためだ。
あたしはしっかりと抱き合う。

「ホンマ矢口はかわいいなぁ〜。うちだけのものにしたいわ」
「何言ってんだよっ! すでにゆーちゃんのものだけになってるじゃんか・・・」
「ははっ。そうやったっけなぁ〜。うーん・・・えいっ!」

あたしのあごに手をかけると二人を気にせずに口づける。
ほんのりの甘い香りのするキス・・・少しだけふにゃ〜としているものの、キスのうまさはかわらない。
吐息が口から漏れる。

「・・・はぁっ・・・」

「やぐっちゃん・・・なんかちょっとえっちっぽいよ・・・でもゆーちゃんキスうまいな〜」
「ごとー!! ど〜ゆ〜意味だよ、それ。あたしがうまくないみたいじゃんかっ」
「じゃあ、してみてよっ。それで判断するからさぁ」
「よしっ! それじゃあ・・・」

ガラガラガラっ!!

「四人とも・・・何やってんだよっ! こんなところでっ!」

引き戸の開く音と共に聞こえた声は・・・圭ちゃんだった。
その場が一気に静まり返り・・・少しだけ意識がしっかりした。

圭ちゃんに風呂場から叩き出されて・・・部屋に戻るとみんな酔いつぶれていた。
マイペースに飲み物を飲んでいるのは・・・彩っぺだった。
さすがに身重のせいかあまりお酒は飲んでいないらしい。

「おっ。どこにいたの? 四人とも」
「全く・・・露天風呂で酒盛りして暴れてたよっ! 抱き合ったりキスしたり・・・」

あたしたち四人は風呂場でこっぴどく叱られた。
別に圭ちゃんがやきもちを妬いているわけじゃないのは分かるけど・・・
確かにあの場はちょっと行き過ぎたかもしれない・・・とか思ったりして。
そのせいか、ごっちんや紗耶香はもちろん、ゆーちゃんまでもしゅんとしている。

「でも、ゆーちゃん、元気そうでよかったよ」
「?」
「末期でいつ逝ってもおかしくないなんて言われてるから、少しは陰でも背負って
 暗くなってるかと思ったら・・・前と全然変わってないどころか、むしろはじけちゃってんだもん」
「そりゃ・・・まぁなぁ・・・いろいろあったけど・・・」

「真里のおかげや・・・全部が全部、真里のおかげなんや。うちがこうして今までこれたのは・・・
 みんなと会ってご飯食べたり、酒飲んだり、風呂に入ったり出来るのは・・・全部真里のおかげなんや」
「・・・やぐっちゃん、カッコいい〜・・・」
「ご、ごっちんっ!! 茶化さないでよっ。恥ずかしい・・・」
「なるほど・・・まりっぺなら、それぐらいやるかもね・・・」

彩っぺはすぐそばで酔いつぶれて寝ているみっちゃんの髪を触りながら、話した。

「みっちゃんがね・・・ずっと言ってたよ。まりっぺがいるからゆーちゃんは生きてられるって。
 こんな風にみんながお酒飲んで、ゆーちゃん祝福して・・・元気づけられるのはまりっぺのおかげだって」
「・・・」
「人の生き死になんて・・・ホントに表裏一体だと思った。ゆーちゃんがいついなくなるかもしれない・・・
 でも、あたしからは新しい命が生まれてくる・・・そう思ったら何が悲しいのか、何が嬉しいのか、
 それだって・・・表面的に決められないと思った」

「もし・・・元気だったら、ゆーちゃんとまりっぺはここまで行かなかったかもしれないし・・・
 お互いを深く愛し合ったり、好きになったりしなかったかもしれない・・・
 だからさ・・・ゆーちゃんが幸せそうな顔をしていれば、きっと・・・死とか関係ないんじゃないかと思った」

せつなさも、優しさも、さびしさも・・・
すべて光にかえて・・・
自分に魔法をかければ・・・

ゆーちゃんはいきなりあの歌を口ずさんだ。
あの時・・・病室で、マンションで歌っていた歌。
キレイな旋律を奏でている反面・・・どこか儚げに聞こえる。

「・・・何? その歌?」
「うちがな・・・入院してた時にラジオから流れてきた曲なんや・・・
 うちにタイセツなことってもしかしたら・・・自分に魔法をかける事なんやないかって思ったんや」
「・・・」
「また、この歌の題名が分からんやけど・・・知らんままでいたほうがええような気がしてな。
 ごめんな、いきなり歌いだしたりして・・・」

「・・・それじゃ、そろそろ寝ようか? 明日は川でバーベキューやるんでしょ?」
「そうだね。みんな寝ちゃってるけど・・・どうせ、一晩寝ればみんな元気だもんね」
「少し片付けた方がいいかな?」
「ええよ。かったるいし。布団持ってきて適当にかぶって寝ようや」

それから・・・酔いつぶれているみんなに一枚ずつ布団をかけていく。
福ちゃんとののちゃんは一緒に寄りかかって寝ているし・・・梨香っちとよっすぃーもそうだった。
見事にカップリングされた光景を見てあたしは運命を感じた。
娘。の中で惹かれあう糸は・・・決してあたしたちだけじゃないのだと思った。

「・・・一緒に寝ぇへんか?」
「・・・もちろん・・・」

寒さをしのぐように・・・あたしたちはお互いを抱きしめた。
死の抱擁から取り払うように・・・あたしは自分の身体を一杯に広げてゆーちゃんを包んだ。
それに答えるように抱きしめるゆーちゃんは・・・怯える子供のようにしがみついてきた。

離れたくない・・・別れたくない・・・
その意志がしっかりと伝わってきてあたしは泣きそうになった。
ゆーちゃんの吐息が寝息に変わるまで・・・あたしは片時も抱きしめている手を離さなかった。

「・・・うおーい・・・みんな起きろ〜」

布団の中から誰かの声が聞こえてあたしは目を覚ました。
暖かい布団から這い上がろうとすると・・・ふと、差し伸べられた手につかまえられた。
・・・ゆーちゃんだった。

「・・・おはよ〜・・・」
「何や、まだ起きておらんかったんか?」
「うん・・・ゆーちゃんが寝つくまで起きてたから・・・ふぁ・・・」

すると、ゆーちゃんはあたしの頬に手を伸ばした。
そのまま・・・口づける。

(ちょ、ちょっと・・・寝起き一発目から・・・あっ・・・ヤバ・・・)
「・・・何かドキドキするなぁ・・・見られてるかも知れへんで」
「な、何言ってんだよぉ・・・ちょ・・・」

ゆーちゃんの手がするするとTシャツの中にもぐりこむ。

「こんなトコで・・・バレたらどーすんの・・・はぁ・・・」
「・・・知らんわ。バレたらバレた時やて・・・」
「・・・」

ブラが半分ほど上まで押し上げられて、あたしは急に息苦しくなった。
朝からこんなことになるのは・・・初めてじゃなかったけど、見られているかもしれない、と
思うだけで、力が入らなくなる。

「う・・・んんっ・・・どうして・・・はぁ・・・朝イチで・・・」
「圭と紗耶香のせいや。温泉で邪魔されたからな。ここでしとかんと・・・うちがイヤや」
「・・・」

あたしは耐えられなくなって布団を端を掴む。
声だけが漏れないように・・・必死に息を飲む。

ばさっ!!

急に掴んでいたものが取り払われて、あたしは愕然とした。
・・・カオリが上から見下ろしている。どうやらさっき聞こえた声はカオリだったらしい。

「えっ・・・あっ・・・」
「まりっぺ〜・・・朝から何してんだよ〜」
「いや、その・・・」

ゆーちゃんは・・・隣でくすくす笑っている。
起きて周りを見回すと・・・みんながニヤニヤとこっちを見ている。
あたしは・・・状況を理解した。

「ゆ〜ちゃ〜ん〜」
「へへっ・・・どうや、みんな? ゼッタイ拒まへんやろ?」

あたしは・・・思いっきり枕をゆーちゃんに投げつけた。

「・・・」
「そんな怒らんといてな。軽いジョークやて」
「・・・(ずるずる)」

あたしは無言で朝ゴハンの味噌汁をすすっていた。
さっきのは・・・いくらなんでもヒドすぎる。あーゆーことはジョークにされるとすごくツライ。
ましてや、みんなに見せつけるために一芝居打っていたのだから・・・余計にツライ。

「ほら・・・だから、やめようって言ったんや。まりっぺは真面目なんだから・・・」
「何ゆーてんねん! みっちゃんかて賛成してたやんか」
「でも・・・わたしは何か悪いことしたって気がします・・・」
「梨華ちゃん・・・」

あたしは誰にも目もくれずにもくもくと朝ゴハンを食べ続けた。

「やぐちさんがかわいそうです・・・やっぱりあやまらないといけないですよ」
「辻ちゃんの言うとおりかもね・・・」
「何や、何や!! そもそもこれをやろうってゆーたんは誰なんや?」
「・・・あたしだけど・・・」
「ちょ、ちょっと待て!! 確かに後藤が提案したけどさ、ノリ気だったのはゆーちゃんだろ!?」
「うちかて、朝からあんなことフツーはせえへんわ!! 多分・・・」

「ちょっとっ! あたしを挟んで訳わかんないことで議論しないでよっ!!」

耐えられなくなってあたしは騒がしくなったみんなをぴしゃりと黙らせる。
その声に・・・周りは水を打ったように静まり返った。
あたしは何だかその沈黙に耐えられなくなって・・・箸を置いた。

「・・・朝風呂に行ってくる・・・」

バスタオルをハンガーからむしりとると大股で部屋を出て行った。
あたしを止めようとするメンバーは・・・誰もいなかった。

「ふ〜んだ・・・」

朝と言ってもそんなに早い時間じゃないせいか、風呂場には結構な人がいた。
そのほとんどが老人で、あたしを見ても声をかけてくる人は誰もいなかった。
湯船に身体を預けて・・・くつろぐ。

「・・・何であんなことしたんだよ・・・」

ゆーちゃんがあたしを求めることに関しては何も言わない。むしろ、嬉しい。
でも、あたしなりにそのことを考えることもある。つまり・・・人前で見せるかどうかという問題だ。
あたしは断じてノーだ。あんな状態を他人に見られるのはゼッタイに・・・シラフなら耐えられない。

でも、ゆーちゃんは違う。大雑把で明け透けで、むしろ周りに見られることがスキらしい。
性格は微妙に繊細に出来ているくせに、そーゆーことは全然だいじょぶらしい。
あたしからすれば・・・悪く言えば、ヘンタイ以外の何者じゃない。

「ゆーちゃんのばか・・・」

あたしはぶくぶくと顔を湯船に潜らせた。少し眠かった頭も今やはっきりしている。
でも・・・それでも、あたしはゆーちゃんがスキでしょうがない。テレくさいけど・・・愛してる。
ゆーちゃんはあたしを見て「愛してる」って言うことが多い。道の真ん中でも平気で言う。
自分の気持ちにものすごく忠実で真っ直ぐだ。あたしも真っ直ぐな方だけど、ゆーちゃんには適わない。
あたしの顔はいっつも真っ赤になってばかり・・・

(なんだよ・・・あんなことされても・・・ゆーちゃんのことばっかり考えてる・・・)

何だか少し言い過ぎたような気がしてきた。
もしかしたら、悲しんでいるかもしれない。心の中では泣いているかもしれない。
あたしが謝らないといけないのかもしれない・・・

(そうだね・・・謝らないといけないのかもね・・・)

そう思って、顔を湯船から上げて・・・あたしは思わず目を疑った。
ゆーちゃんがいた。気まずそうに頭をかきながら・・・あたしの側に入ってきた。
・・・しばらく、あたしたちの間に気まずい間が生まれた。

あたしはそっぽを向いていた。
少し熱いお湯のせいで半分のぼせていたが、じっと上を見て・・・晴れ渡る空を見ていた。

「・・・あのぉ・・・ちょっと話をしまへんか?」
「・・・」
「まあ、ええわ・・・あのな、こー見えてもうちは芸能人やったんです、はい」
「へえ・・・そうなんですかぁ?」
「ま・・・まぁ、しがないグループのリーダーやってたんですけどね・・・」
「結局、どーだったんですかぁ? 解散でもしちゃったみたいですねぇ」

あたしは思いっきり白々しく答える。
ゆーちゃんは・・・たじろいだ様子で話を始めた。

「まあ、その通りなんですわ。リーダーのうちが事故っちゃいまして・・・
 記憶が飛ぶほどで・・・まあ、戻ったんですけど、それからいろいろあって解散ですね」
「・・・大変ですね・・・」
「そーこーしているうちに身体にガンが見つかりまして・・・末期やゆーんですよ。
 助からないなんて言うんで・・・どーしよーかと思いましたよ」

あたしは耐えられなくなってきた・・・お湯の熱さだけじゃなく、話の内容にも・・・
ゆーちゃんはいかにも他人に話す素振りであたしに話し続ける。

「でも・・・こんないつ死んでもおかしくないうちの身を案じてくれるメンバーがいるんですわ。
 その子はむっちゃ歳が離れてるし、女の子やけど・・・うちのことがスキだって言ってくれるんよ。
 うちだってその子が・・・言葉に出来へんぐらいスキでスキで・・・」
「・・・」
「うちのグループって歳の差が結構あるんですわ。その子とだって・・・10ぐらい離れてます。
 でも、その子がおらんかったら・・・うちはもう死んでますね。確実に」
「・・・」
「今はその子がいない生活が考えられないってゆーか・・・いないと生活じゃないんですわ。
 命の次に大事とかじゃなくて・・・うちの命なんです」

あたしは・・・いよいよ耐え切れなくなって、ゆーちゃんに抱きついた。

「ごめんねっ!! ゆーちゃんっ!!」
「ははっ・・・構へんよ。ホンマに謝らあかんのはうちのほうなんやから・・・ごめんなぁ・・・」
「違うよっ! 違う・・・違うんだって・・・」

あたしは・・・急に目の前が白くなっていくのが分かった。

「ま、真里・・・?」
「・・・のぼせた・・・」

あたしの意識は飛んでしまった。
気分が悪かったけど、ゆーちゃんの本心が聞けて・・・わだかまりが解けて・・・
嬉しかった・・・

「だぁ〜・・・あ〜つ〜い〜」
「・・・バカだよね〜、まりっぺ」
「う、うるさいっ・・・って、ああっ・・・」

あたしはゆーちゃんに部屋まで運ばれて季節外れにウチワで顔を煽がれていた。
ゆーちゃんの膝枕・・・気持ちいいけど、みんなの注目を浴びているのが何とも恥ずかしい。

「まだ、大声出したらあかんわ。このままじっとしとき」
「何だかんだ言ってさぁ〜、結局、一番見せたがり屋ってまりっぺなんだね〜」
「違うよぉ・・・たまたま、こーなっただけだって・・・」
「意外と大胆やから。キスもえっちもな」
「ゆ、ゆ〜ちゃん・・・」

あたしは側に置かれていた午後の紅茶を口に含んだ。
まだ、言い返すほど身体が戻って来ていない。情けないが・・・立ち上がることも出来ない。
のぼせて失神したのは生まれて初めてだった。

「・・・気持ちい〜・・・」
「あんな熱い湯船にずっと浸かってたらのぼせて当然や。うちが行ってよかったよ、ホンマに」
「ごめんね・・・」
「・・・構へんよ・・・」

ゆーちゃんの手があたしの前髪を梳った。
温かいゆーちゃんの手は・・・微熱を持つ独特の温かさだった。

「こらこらっ! ここはゆーちゃんとまりっぺの愛の巣じゃないんだぞっ!」
「あ、ごめん・・・」
「・・・とりあえず、出かける準備しようよ。テーブルの上を片付けて・・・みんなお風呂に行ったね?
 まりっぺが元気になったら出かけるよ」

こんな時にリーダーシップを発揮するのはやっぱり圭ちゃんだった。
やはり、次期モー娘。のリーダーと囁かれただけのことはある。

「ほらほら・・・カオリっ! 枕投げは夜にさんざんやったでしょ!
 梨華ちゃんもお茶ばっかり飲んでないで片付けて・・・ああっ、辻は寝てるし! 福ちゃんまで・・・」
「・・・何か、みんな好き放題やってるね・・・」
「ええんちゃうか? 楽屋の中ってこんなもんやったし・・・」

20人部屋という人数の割には意外と狭く感じる部屋だが・・・
みんながその中を縦横無尽に駆け巡っている。
あと、どれくらい・・・何時間この光景を見ていられるのだろうか・・・
少なくとも、今日の夕方までにはここを発たなければいけないのは確かだった。

「すっご〜い・・・キレイな川じゃん〜」
「あ、魚も泳いでるし。釣りとかできそうだよー」

バーベキューセットを持ち込んで川でアウトドア気分に浸っているのは・・・あたしたちだけだった。
もともと湯治目的で訪れる地にこんなことをする人はあまりいない。
でも、なぜかホテルでは道具の貸し出しをしていた。それを理由でここを選んだわけだが・・・

「ねえねえ! さっそくだけどさ、準備して・・・」
「釣り竿とかあるじゃん! なっちもやらない?」
「あ、やるやる・・・カオリやったことあるの?」
「ううん。知らない。でもやろうよ」
「・・・つ〜か誰も聞いてないし・・・」

誰一人としてあたしの言葉に耳を貸してくれない・・・と、思ったら、よっすぃーがコンロを出し始めた。

「わたしが手伝います。梨華ちゃんも・・・」
「ありがと・・・あれ? ゆーちゃんは?」
「・・・あそこで折りたたみの椅子出して座ってます。ほら」

よっすぃーの指差したところに・・・ゆーちゃんは座っていた。
みんなから少し離れた場所で・・・みんなが見渡せる場所で頬杖を突いて見ていた。
あたしはたまらず声をかける。

「ちょっと〜! ゆーちゃんの見てないで手伝ってよ〜」
「・・・あ〜分かってるがな・・・何かちょっと眠いんや。一眠りしたらな〜」
「もお〜・・・ホントにどうしよっか・・・」
「・・・わたしたちだけでやりましょうよ・・・」

がたがたと重たいコンロを持ち上げてながら・・・あたしたちは悪戦苦闘した。
全ての準備が整うのにするのに・・・20分ぐらい時間がかかった。

「ふぃ〜・・・出来たよー。ほら、みんな焼くのぐらい手伝ってよ〜」
「はぁい!」

釣りにハマっているカオリとなっちは返事をしなかったが、焼く事になるとぞろぞろと集まってくる。
・・・見てるだけなら、手伝えよ・・・

「お肉はそこにあるから・・・ほら、先に油引かないと・・・」
「あれ? キャベツはどこにあるの?」
「野菜は向こうの袋に入ってますよ。取ってきますか?」
「あ〜、悪いんだけど、ゆーちゃん呼んできて。出来たからさ」

よっすぃーが野菜を取りに行き・・・ゆーちゃんのところに近づいた。
あたしは偶然にその光景を見てしまった。ゆーちゃんを揺さぶっているよっすぃーの姿を。
そして・・・頬杖が崩れるその光景を・・・

「・・・ゆーちゃんっ!!」

あたしは持っていた箸を放り捨てて・・・ゆーちゃんのところに全力で走った。
よっすぃーは・・・その場でぺったりと腰を落としていた。

「中澤さんが・・・中澤さんが・・・」
「・・・ゆーちゃんっ!!」

あたしは崩れているゆーちゃんの腕を取った。まだ温かい・・・でも、脈がない。
力なくうなだれる首元に手をやる。まだ温かい・・・でも、脈がない!
あたしは・・・頭の中が真っ白になった。

「みんなっ!! 救急車・・・救急車呼んでっ!!」
「・・・まりっぺ・・・」
「何してんだよっ!! みっちゃん、救急車を・・・」
「・・・よく顔を見てみいや・・・ゆーちゃんの顔を・・・」

みんなが集まってきた。
あたしは・・・ぐったりとしているゆーちゃんを見た。

微笑んでいた。
いつもと同じように・・・あたしに微笑みかけるように・・・笑っていた。
苦しさなんか微塵もないその姿は・・・幸せを象徴している笑顔そのものだった。

あたしは・・・水をかけられたように落ち着いた。

「・・・行っちゃった・・・」

あたしは・・・静かにそうつぶやいた。
その姿が何だか酔いつぶれてふにゃ〜としている姿に似ていて・・・あたしは驚かなかった。
不思議と・・・悲しくもなかった。

「・・・まりっぺ・・・」
「とうとう行っちゃったね・・・みんな・・・ゆーちゃんが・・・ゆーちゃんが・・・行っちゃったよぉ・・・」
「・・・」

あたしは・・・力なく崩れているゆーちゃんを身体を抱きしめた。
ぼんやりと所在なさそうに固まっている腕は・・・あたしを抱きしめようとはしなかった。
いろいろな想い出が・・・頭を巡り、巡り行き、消える。

「うっ・・・うっ・・・ゆーちゃん・・・」
「やっと・・・旅立てたんやなぁ。思い残すことなく、やり残すこともなく・・・みんなに見送られて・・・」
「みっちゃん・・・」
「まりっぺ・・・よう頑張ったな。ゆーちゃん、ちゃんと旅立てたで・・・」

あたしは・・・肩に手を置いていたみっちゃんに抱きついた。
みんなが・・・メンバーのみんながゆーちゃんを取り囲んでいた。
でも、誰も目を背けていない。全員が・・・しっかりとゆーちゃんを見ていた。

「これじゃ・・・ゆーちゃん、風邪引いちゃうよ。ちゃんと温かくしないと・・・」

なっちが着ていたコートをゆーちゃんにかけた。

「じゃあ、カオリは・・・手袋だね。ほら、ゆーちゃん・・・」
「あたしは・・・」

それから・・・みんなが自分のものをゆーちゃんに身につけさせた。
指輪やサングラス、手袋やマフラー・・・持っているものを一つずつ、ゆーちゃんに持たせた。
みんなの祝福を受けたゆーちゃんは・・・幸せそうな顔をしていた。

「・・・あたしは・・・あたしは・・・」

あたしは・・・ゆーちゃんの前髪をかきあげるように頭を持ち上げた。
ゆーちゃんとするキス・・・数え切れないほどキス・・・そして、ラストキス・・・

最期のキスまで・・・ゆーちゃんは温かかった。

          ★ ☆ ★ ☆ ★ ★ ☆ ★ ☆ ★

「はい! 税込みで1635円になります!」
「・・・2,035円お預かりします」
「400円のお返しになります! ありがとうございました!!」

・・・あたしは何をしているんだろう・・・
こんなことしていたくない・・・でも、あそこにも戻りたくない・・・

あたしが「娘。」を脱退してから・・・いや、「モーニング娘。」というグループがなくなってから
もう二ヶ月も経っていた。
残りのメンバーのみんなはそれぞれの道を歩き始めていた。

なっちとカオリンはソロとして別のレコード会社でデビューした。
ごっちんは「プッチモニ」のリーダーとして、よっすぃーと新たなメンバーに梨華っちを加えて活動している。
圭ちゃんはソロ活動をしたいために、「プッチ」をやめて今はあちこちのレコード会社をまわっている。
ののちゃんとあいぼんは「ミニモニ」として今では「プッチ」を凌ぐほどの人気を得ている。
そして・・・ゆーちゃんは・・・

あたしは「モーニング娘。」がなくなったときに全てを捨てた。
あちこちからオファーがかかったし・・・事務所も「タンポポ」と「ミニモニ」のリーダーとして、
売っていくつもりだったらしい。
でも・・・どうでもよかったんだ。そんなのは・・・どうでもよかった。
あんなことがあったから・・・

どうでもよくなったんだ・・・

「――はいっ!! オッケーですっ!!」

ディレクターのかかった声にあたしは自分自身を元に戻した。
役者というのは思ってもいないことを考えながら演技しないといけないらしい。

「いや〜、矢口さん、役者としてでも十分やっていけるよ」
「ありがとうございます!! でも・・・」
「ああ、分かってるよ。こんなモー娘。脱退の真相をドラマ化するのがイヤなんだろ?」
「え、ええ・・・まあ、こんなキャスティングまるっきりウソじゃないですか?」

今度、春の特番で、モー娘。のメンバーでスペシャルドラマが行われるのだ。
モーニング娘。の解散をドラマにするらしいが・・・事実は正反対だ。
特にあたしは急に脱退をしたために、ウェイトレス役なんぞをやらされてる。
急に仕事をなくしたから、フリーターとして働いているという設定らしい。

「まあ・・・わたしたちは事実を知らないし、メンバーの誰一人としてその事実を話そうとしないしな」
「・・・」
「ま、この話はフィクションというコトで作っているからな。事実は関係ない。あまり気にするな」
「そうですね・・・」

あたしは・・・芸能界に復帰した。
事務所は違う。アーティストとして復帰したかったが、いきなりそういうわけにもいかないらしい。
ドラマのエキストラをやったり、脇役をやったり・・・こんな役までやったりしている。

でも、歌手になることを・・・あたしは諦めない。
モー娘。のメンバーだった誇りと、歌いたくても歌えなかったゆーちゃんの遺志を・・・継いでいる。
くじけそうな時、つらい時にはあの時の歌を・・・ゆーちゃんが歌っていたあの歌を思い出す。

せつなさも、優しさも、さびしさも・・・
すべて光にかえて・・・
自分に魔法をかければ・・・

無限大の力になる・・・

あたしの中からあふれる無限大の力の源は・・・ゆーちゃんだ。
せつなさも、優しさも、さびしさも・・・すべてはそこにある。

あの頃の想い出に・・・

−FIN−