温かな皿

 

プロローグ

 

後藤の前には、温かなシチューが湯気をたてている。
そして、真向かいの少女はニコニコと座っている。

(−なんであたしがこんなとこでシチュー食べなきゃ行けないんだろ)

それが、後藤の素直な気持ちだった。

「じゃ、食べよっか」
相変わらず、ニコニコと少女は言った。

 

1.保田圭

 

(あぁ、また見てるよ)

ダンスレッスンの休憩中、保田は石川と話していてその後方に立っている後藤に気づく。
「で、保田さん・・・聞いてます?」
石川が不満げに言う。
「えっ、あーゴメン」
後藤の視線に気づいてから、自分が全く石川の話に集中していないことに気がつく。
「もう、いいです」
石川は、ちょっとふくれてみせて他のメンバーの元へと走っていった。
それと入れ替わるように後藤が保田の前にやってくる。

「けーちゃん!」
声を弾ませながら後藤は保田の腕に自分の腕を絡ませる。
「なに、後藤」
保田は、つとめてクールに答える。
「トイレ、ついてきて」
保田は、上手く断る理由が思いつかず後藤に引きずられていった。

連れてこられたのは、ビルの端にある人気のないトイレだった。

「それで?なんか話があるの?」
保田は、なるべく強がってみせる。
「一緒に入ろうよ」
後藤は、その目に歪な輝きを覗かせる。
「イヤよ」
即答する。
後藤は、そんな保田に笑いかける。
「ふ〜ん、別にここでもいいよ、後藤は」
後藤は、そう言うなり、壁に保田を押しつけるようにしてキスをする。
ムリヤリに舌がねじ込まれた。

「・・・痛ッ!!」

不意に、唇を強く噛まれる。
保田は、あまりの痛さに後藤を押しのける。
口に血の味が広がる。

「ちょっと・・・ごと・・んっ」
文句を言いかけていた保田の唇を後藤は、再びふさぐ。
じくじくとした痛みが保田を襲う。
何秒かのあと、唇が離された。

「ねぇ、さっきあたしが見てたの気づいてたでしょ?」
静かな口調だった。
保田は、まっすぐ自分を見つめてくる後藤から目をそらす。
「なんで、あたしの前で梨華ちゃんと楽しそうに話すの?」
急激なトーンダウン。

(また、コレだ・・・)

「別に、普通に話してただけでしょ」
突き刺さるような視線を感じながらも保田は言う。
「ふ〜ん、そ〜ゆ〜こと言うんだ」
後藤の手が、保田の胸に触れるか触れないかくらいのところで円を描く。
「ちょっ、なに考えてんのよっ!」
保田は、このあと後藤がなにをしようとしているのか気づき暴れる。
しかし、保田を押さえつける後藤の左腕はまるでなにかに固定されてでもいるかのようにびくともしない。

「声、だしてもいいよ〜」
後藤は、間延びした声でそう言いながら、保田の体をまさぐる。
「・・・うっ・・ん」
保田の口から少しだが快楽の声が漏れ始めた。
その様子を見て、後藤は満足げに微笑む。
「けーちゃんは、あたしのなんだからね・・・」
後藤の手が、保田の下腹部へとのびていく。
その時、廊下から誰かの声が聞こえた。

「矢口さん、ごっちんと保田さん、知りませんか?」
「さー、トイレとかじゃないの」

(吉澤だ)

その声は、保田にとってまさに天の助けと言えるものだった。

保田は、うかがうように後藤を見る。
後藤は、肩をすくめ大きく息を吐くと「続きは、今度ね」と囁き、トイレから出ていった。

トイレに1人残された保田は少しの間、呆然と後藤の出ていったドアを見つめる。

これからプッチのダンスレッスンなのにひどく疲れてしまった。

いつからだろう?
後藤があんなふうになったのは・・・
どうして、あそこまで自分を求めるんだ?
彼女は、私を好きだと−誰にも渡したくないと言う。
私も少なからず後藤のことは好きだった。
でも、それは決して恋愛感情などではないが・・・

それなのに、どうしてあの目に逆らえないんだろう?

保田は、乱れた服をなおしレッスン場へ向かった。
使用中になっている個室があったことも気づかずに・・・

「保田さん、どこ行ってたんですか〜?」
レッスン場に行くと、吉澤ののんびりした声が飛んできた。
「ゴメンゴメン」
保田は、素直に謝る。
「なにしてたの、けーちゃん」
後藤が、吉澤の隣でイタズラっ子のように微笑む。

あんなことをしたあとなのにどうして笑えるの?

保田は、後藤の言葉に曖昧に笑う。
「あっ夏先生、今日来れないらしくて自主練になったんですよ〜」
吉澤が言う。
「・・・そう」
「あと、さっき梨華ちゃんが探してました」
「石川が?」
「はい、なんかちょっと顔色悪かったかも」
「そ、そう」
保田は、そこまで言って後藤の方を見る。
「梨華ちゃん、さっきもけーちゃんと話してたのにね〜」
後藤の顔は、能面のように無表情だ。

−私にだけ見せる表情

「教育係だからね・・・はは」
保田は、ひきつりそうになる口元をゆるめる。
後藤は、保田を責めるように見ていた。
「ごっちん、やきもちやいてるの?」
何も知らない吉澤は、からかうように言う。
「ヤダ〜、なんであたしがやきもちやくの〜」
後藤の顔にいつもの笑顔が戻る。
「ちょっと言ってみただけじゃん」
後藤が言う。

その声に、棘はない・・・と思う。

「・・・じゃ、じゃぁ、ちょっと行ってくる」
保田は、後藤と目を合わせることなくレッスン場を出た。

レッスン場を出ると、すぐの所にある談話室に向かう。
タンポポのメンバーは、多分そこにいるだろうと保田は思っていた。
「キャハハ、なにしてんの加護ーっ」
部屋に近づくと、矢口の声が聞こえてくる。
その中に、石川の声も混じっている。

「石川ー、なんか探してたんだってー?」
保田は、談話室の入口から石川に声をかける。
「あーっ、保田さんだー」
加護が、保田に気づいて走ってくる。
保田は、笑顔で加護を抱き締めながら石川が来るのを待つ。

「練習は終わったんですか?」
開口一番、石川が心配そうに言う。
吉澤が言っていたように、心なしか顔色がさえないみたいだ。
「うん、今日は自主練になったみたいだから・・・それで、話ってなに?」
保田の言葉に、石川は少し躊躇った様子をみせる。
「・・・ここじゃ・・ちょっと」
確かに加護はいるし矢口はいるし、交信中のカオリもいる。
まぁ、話しにくいこともあるかもしれないわね。
保田は、そう思い屋上に行くことにした。

屋上は、少し風が強いがそれも心地いい。
2人は、手すりによりかかるようにして並んでいる。

「それで?」
保田は、黙ったままの石川を促すように見る。
石川は、保田をまっすぐに見つめ返す。
(すいこまれそうな瞳よね〜)
なんとなく気恥ずかしくなって風景に視線を走らせる。

「話ってなんなの?」
もう一度、言ってみる。
「・・・ごっちんとのこと・・だけど」
石川は、保田をうかがうように上目遣いで見ている。
「後・・藤・・・?」
努めて平静に対応する。

(動揺してないわよね、私)

「私、さっき・・・トイレいたんです」

(・・・え?)

石川は、保田をただ見つめている。
「さっき、その・・・ごっちん、と」
石川の顔が赤くなっている。

目の前が真っ白になった。

聞かれてた・・・石川に?
そんな・・・

保田は、ロボットのように石川の方へ視線を戻す。

(きっと軽蔑されてる・・・)

しかし、石川は保田の予想とは逆に聖母のような微笑みを浮かべていた。


「私、分かってます」
熱っぽい口調で石川が言う。

分かってるって・・・なにが・・?

「保田さんは、優しすぎるから−だから、ごっちんにあんなことされても我慢しちゃうんだって・・・」

−そうなのかな?

保田は、意識の回線を切ってただぼんやりと熱論する石川の口を見ていた。

「ねぇ、保田さん」
石川が、妙に媚びを含んだ口調で保田に近づく。
その気配で、とんでいた意識が戻る。
「私が、ごっちんに言ってもいいですか?」
「・・・なにを?」
石川の意図が分からなかった。
「保田さんは、迷惑してるって」
石川はそう言って、白い歯を覗かせて笑った。


「そうなの、けーちゃん?」

その声は、保田たちの背後から聞こえた。
後藤だった。

キーーーーッ・・・

彼女の入って来たドアが、まるで今の保田の心境をあらわしているかのように痛々しい悲鳴をあげて閉まる。
後藤は、笑っていた。
へらへらとさもおかしそうに笑っていた。

−−怖い

心臓が早鐘のように脈打つのを感じる。

どうしてだろう
後藤は、ただ笑っているだけなのに−−

ふと、保田の手にあたたかな手が重ねられる。
(イシカワ・・・?)
保田は、顔を隣に立つ石川へと向ける。
「大丈夫です。私が守って見せます」
そう言った石川は、いつもの弱々しいイメージなんて微塵も感じさせなかった。


「アレ?けーちゃん、何してんの??」
後藤が、握りあった手に気づいて近づいてくる。
「ご、後藤・・・」
情けないくらいに声が震えている。
後藤は、保田にむかってゆっくりと手を伸ばそうとした・・・
その時、石川が後藤の前に保田を守るようにして立ちはだかる。

「・・・なに、梨華ちゃん」
明らかに、今までとは違う物言い。
そう、敵意を含んだ・・・

あの口調だ
いつも私を苦しめる・・・あの後藤だ

「保田さんを苦しめるのはやめてよっ!」
石川は、精いっぱいドスを利かせたつもりなんだろう
でも、やっぱり彼女の甲高い声は人を脅すためのものじゃないな、と保田はぼんやり思っていた。
もはや、なにが起こっているのかこれから起こるのか直視したくなかった。

「あたしが、けーちゃんを苦しめてるって?」
後藤が笑う。
「そんなことないよ〜、けーちゃんだって楽しんでるよ、ねぇ?」
後藤は、石川の後ろに隠れるようにして立っている保田に向かって言う。

「ごっちんのやってることは、レイプだよっ!!」
石川の叫ぶ声が聞こえた。
後藤の目が怒りのせいか大きく見開かれた。


コマ送りのように断続的に映像が映る。
後藤が、石川の胸ぐらを掴み力一杯投げ飛ばす。
石川が倒れる。
後藤は、それでも石川を殴りつけようと動く。
(・・・止めな・・きゃ・・・)
しかし、意識とは裏腹に保田の足はその一歩を踏み出さない。
石川のお腹を後藤が蹴る。
石川は、エビのように体を丸める。

「フフ・・・アハハ・・・」
後藤は、そんな石川を見て狂ったように笑う。

(とめなきゃ・・・)

「ご、と・・う・・やめ・・・」
保田の声は、恐怖でうわずっている。
しかし、再び石川を蹴ろうとした後藤は、その声にぴくりと反応する。
後藤は、肩にかかる髪をうっとうしそうに掻き上げながら振り向く。
「アハッ、けーちゃんのこと忘れてた」
そう言って、舌を出す彼女は
まるでいま自分のした行為など覚えていないかのように笑っている。
そして、ゆっくりと保田の方へと近寄る。
「ゴメンね」
後藤は、少し横に首を傾けて保田を上目遣いで見る。

この後藤は、普通の後藤・・・?


(そうだ、石川は・・・っ?)

保田は、石川のうずくまっている方へ後藤をよけて歩み寄る。
「石川、大丈夫?」
「・・・ださん・・・うっ」
保田は、石川を抱きかかえる。
顔に傷はない−そこは後藤もちゃんと考慮していたようだ。
つまり、あれだけのことを冷静にしていたともとれる・・・

「ゴメン、私のせいで・・・」
悔しくて泣きそうになる。
「・・・保田さんのせいじゃ・・ないです」
石川は、柔らかく微笑みながら健気に言う。


「っ!?」
背後から突き刺さるような後藤の視線を感じた。

強い強い視線。
威圧的で圧倒的な憎悪・・・
これは、自分に向けられているんだろうか?
それともっ・・・


ゆっくり、振り返る。
逆光のせいか後藤の表情はよく分からない。
しかし、それが保田にとっては少し救いだった。
いつも仮面を取り外すかのように入れ替わる後藤の表情に
−−ただただ恐怖を感じていたからだ。
この状況なら、はっきりと拒絶できるかもしれない。

「・・・いい加減にしてよ、後藤っ」
なるべく冷たく聞こえるように言う。
後藤の顔は、相変わらずよく見えない。
しかし、変わらずに自分を見ていることだけは感じる。
−今、どんな顔をしているんだろう?


「なんでそ〜ゆ〜ことゆ〜かな〜、後藤はこんなにけーちゃんのこと思ってるのに」
抑揚のない単調な声が耳に届く。
−−拒絶したところでムダなのかもしれない
保田は、諦めに似た思いを抱く。

後藤は私の感情などおかまいなしにただ求めてくるだけだ。
いつも、いつも、いつも・・・・

「梨華ちゃんのせいなのかな〜」
後藤の足音が近づいてくる。
「石川は、関係ないっ!」
そう言おうとした瞬間、後藤の手が保田の肩に触れる。
そして、そのまま保田を突き飛ばし石川から引き離す。


「・・・ねェ、梨華ちゃん、人のモノ盗っちゃダメだって習わなかったの?」
後藤は、口を三日月のように歪めて石川を見下ろしている。
「じゃぁ、ごっちんは、人の嫌がることをしちゃいけないって習わなかった?」
石川も、負けじと素早く反論する。
その言葉に、再び後藤の瞳に怒りが宿るのが分かる。
石川は、まだ起きあがっていない。
後藤が、足を振り上げる。

「後藤っ!!」


−−ガツッ!!

肩に鈍い衝撃が走る。
「・・・ッ」
痛みで顔をしかめる。
石川が泣きながら何かを言っている。
それでも、きっと後藤は攻撃するのをやめないだろう
保田は、石川をかばうように両手を広げ後藤と対峙する。
こんな風に、対等に向かい合ったことがいままであっただろうか・・・

「もう、やめてよ・・・ごと・・ぅ」
涙が出そうだ。
それに耐えながら、後藤の様子をうかがいみる。


−−えっ?
−−どうして・・・?


保田の視界には、明らかに狼狽の色を浮かべ涙をそのアーモンド型のキレイな瞳に浮かべた後藤の姿が映る。

どうして、後藤がこんな顔をしているの・・・?
泣きたいのは、私の方なのに−?

「けーちゃんはぁ・・・んなに・・・梨華ちゃ・・がいいの・・?」
そう吐きだした後藤の顔はまるで子供のようだ。
「ご、とう・・・??」
これは昔の・・後藤・・・
今の普通じゃなくて−−昔の泣き虫だった後藤・・・

冷たい風が私たちの間を吹き付け、静寂が訪れる。


キーーーーッ・・・

静寂を破るかのようにドアが開く。

「石川ぁーっ、うちらレッスン始めるよー」
小柄な矢口が顔を出す。
矢口のいるところからは、3人がどんな表情をしているのか分からないのだろう。その声は、妙に場違いな気がする。
「・・保田、さん」
石川がゆっくりと立ち上がる。保田は、その声に振り返る。
後藤は、それをめずらしいモノでも見るかのように見ている。
「・・・一緒に行きましょう」
石川は、力強く保田の手を握る。
「・・でも、後藤が・・・」
保田は、口ごもる。

「そう言う優しさが命取りなんですよ」

・・・え?
なんだか石川の声が冷たく聞こえた。

「さっき言ったじゃないですか、私が守って見せますって・・・
 このまま保田さんを後藤さんのそばにおいていけません」
そうか、心配してくれてるんだ・・・

保田は、チラッと後藤を見る。
後藤は、傷ついた獣のような瞳で2人を見つめていた。
間違っているんだろうか・・・
あの後藤は、放っておけない気がする・・・

「石川ぁーっ!!」

矢口の怒鳴り声が聞こえる。。
「それに、保田さんにダンス教えてもらいたいとこあるんですよ」
まだ迷っている保田に石川は言う。
「えっ、私、タンポポのフリなんて知らないわよ」
「もちろん、娘。のですよー」
そっか。そうゆうことね。
「じゃ、行くわ」
保田は、石川と一緒に行くことに決めたがそれでもまだ後藤が気になっていた。
後藤は、うなだれているようにも見える。

あとで、電話しよう・・・
保田は、なんだか今ならちゃんと向き合って話せそうな気がしていた。

 

2.

 

「・・・5、6、7、8っ」
石川がキレイなターンをする。
「うん、いいんじゃない」
「ホントですか〜」
石川の嬉しそうな声。
レッスン場には、もう2人だけしかいない。
夏先生がいないことを知って、久しぶりの臨時オフにみんな早めに帰ったのだ。
「じゃぁ、そろそろ私たちも終わりましょ」
保田は、時計を見る。時刻は17時半。
「はいっ」
石川は、タオルで汗を拭いている。

「ねぇ、石川」
保田は、後ろから声をかける。
「何ですか?」
石川が振り向く。
「あのさー、さっきのホントに大丈夫?痛くない?」
ダンスを教えているときからずっと気になっていたことを保田は聞く。
その顔は、申し訳なさでいっぱいだ。
「大丈夫ですよー」
石川は、保田に気を使わせないように明るく言う。
「それにっ」
石川は、保田の方に顔を寄せる。
2人の距離は互いの呼吸が感じられるほど近い。
「な、に・・・?」
保田は、驚いて体を引こうとした。
それを、グイッと石川が引き寄せる。
その行動に、一瞬後藤の影を感じ体をこわばらせる。
しかし、その後に来たのはいつもの笑顔だった。

「私は、保田さんのことが大好きなんですよっ」
「え!?」

思いもかけない石川の告白・・・
いや、そう考えれば身をていして守ってくれたりあの聖母のような微笑みといい、全て納得がいく。
(・・・どうして気づかなかったのかしら?)
やっぱり、後藤の存在が大きかったのだろう。
保田は、常日頃からどこからしらに後藤を感じ、それに神経を使っていた。
だからこそ、今日まで石川の気持ちに気づかなかったのかもしれない。

「あっでも、私はいつまでも待ってますから・・・そんなにすぐ返事しなくていいんで」
保田の沈黙をネガティブな方向にとったのか、石川は保田から体をひきながら慌てたように言う。

「そ、それじゃ、お疲れさまでしたー」
そそくさと退散するその顔は少し赤い。
保田は、またもや1人、取り残された。


石川を別れ帰路に就いた保田はぼんやりと考え事をしていた。
(それにしても・・・石川が私をね・・・)
確かに石川はかわいい子だと思う。
素直だし、甘えられるとちょっと弱い。

でも、女同士だ−−−
そりゃ、娘。内でラブラブバカップルな2人もいるけど−−
それは別にいいんだけど・・・自分自身となると話は違う。
認められないのよ、石川には悪いけど・・・・・・
保田は、ため息をつく。

(そういえば・・・・・・)
後藤に電話しようと思っていたんだ。
保田が携帯を取り出そうとした瞬間、狙っていたかのように着信音が流れ出す。
保田は、驚いて携帯を落としそうになったディスプレイには『後藤』の文字。
(ちゃんと話しなきゃ・・・)
保田は、ごくりとつばを飲み込む。
そして、ゆっくりと通話ボタンを押した。


「もしもし?」
『あ、けーちゃん、後藤だけど』
「うん」
『実は〜、話があるんだよね』
気のせいかテンションが高い。
「私も、話したいことがあるんだけど」
『え〜、も・し・か・し・て、愛の告白ですか〜!!』
少し声を大きくして後藤は笑う。
それに混じって、ゴォーッと風の音が聞こえる。
「アンタ、今、どこにいるの?」
妙な胸騒ぎ。
こんな時間になにしてるの?
『どこでしょ〜?』
「ふざけてないで、どこにいるの?1人なの??」

少しの沈黙。

『・・・梨華ちゃんと一緒』
明らかに今までの軽い感じがなくなる。
スイッチが入れ替わったように
・・・ざわざわ・・・ざわざわ・・・
体になにかがまとわりつくような感覚

『けーちゃんも来てよ・・・あたし、どーしたらいいか分かんない』
ワケの分からないことを言いだす。
その声は、まるで涙を堪えているかのようにも聞こえる。
「だから、どこにいるの?」
『・・・屋上・・・』
「屋上?・・・・・・さっきのところね」
『うん・・・早く来て』
プツッと一方的に電話が切れる。
「ちょ、ごとっ・・・」
(なんで、石川と後藤が一緒にいるの?)
保田の胸に、最悪の事態が浮かんでくる。

保田は、急いでうわぎをはおると家を飛び出した。


屋上へと続く階段は地獄へ続く道。
屋上へ入るためのドアは地獄への入口。
保田は、ドアノブに手をかけそこで少し躊躇う。
なにも聞こえない。
(本当にココに後藤はいるんだろうか?)
少し不安になってくる。
しかし、彼女がココにいると言った。早く来てと・・・
保田は、ごくりとつばを飲み込むとドアを開けた。

振り向く影。
月に照らされたそれはさながら女神のように見えた。
「後藤・・・」
「来てくれたんだ〜」
後藤は、嬉しそうに顔をほころばせる。
「一体、なにしてんの、こんな時間に、こんなとこで!」
つい怒っているような口調になる。
「それに・・・石川は?」
後藤は、なにも答えない。
そこに立っているのは後藤ただ1人だ。
セミロングのサラサラの髪を風になびかせ、手にはなにか棒状の物を持っている。
(・・・棒っ!?)
その時はじめて保田は、気がついた。
後藤の服に血のような染みがついていること−−そして、足下にはぐったりとしているなにか・・・

「・・・石・・川?」
石川が、倒れている。
「・・・あんたが、したの?」
声が震える。しかし、それは恐怖のためじゃない。
それは−−純粋な怒り。


「だって、梨華ちゃん、けーちゃんを盗ろうとしたんだもん」
後藤は、口をとがらせる。
その言葉を聞いた保田の中でなにかが弾けた。

「後藤ーーーっ!!!!」

保田は、後藤につかみかかる。
後藤は、あっけなく倒れる。怒りにまかせて、後藤に手を上げようとした瞬間、後藤と目があった。
その目には、いつもの狂気はない。あったのは、小動物のような怯えだった。
「ど・・・しよ・・・けーちゃん・・・」
下になったまま、後藤が震える声で言う。
「梨・・ちゃ・・・死んじゃ・・・」
途切れ途切れの言葉。
涙をためて自分を見つめる瞳。
子供が自分のしてしまったイタズラを後悔しているかのような後藤。

保田は、後藤を解放し石川の元へと急ぐ。
石川の胸が規則正しく上下に動いている。
目立った外傷はないが、後藤からあの棒で殴られたんだろう。
どうやら気絶しているだけみたいだ。
「石川っ!石川っ!!」
石川の体を抱き起こし名前を呼び続ける。
「・・・んっ・・・や・・すださん?」
石川が薄く目を開ける。
石川は、保田の姿を認識し微笑む。
「・・・もう、大丈夫よ。・・・立てそう?」
石川は、頷くが体を起こそうとして痛みで顔をしかめた。
保田は、早くこの場から彼女を逃がしてやりたかった。
「肩、つかまって」
そう言って、石川に肩をかす。

「けーちゃん、待って・・・」
後藤の縋るようなかすれた声がした。
しかし、今は石川をどこかに落ち着けないと−−−
保田は、後藤の声を無視してドアへと石川を連れていく。


「けーちゃんっ!!」

後藤の足音が背後で聞こえた・・・と、思った瞬間、頭に衝撃が走る。
(・・・なにっ?・・・・・)
急に自分の体を支えきれなくなり、石川をかばいながら膝をつく。

−−殴られた・・・?

後頭部に触れると生ぬるい感触。
(ご・・・後藤・・・・・・)
「保田さんっ、大丈夫ですか、保田さんっ!!」
石川が、泣き叫んでいる。
−−そんなことしてる場合じゃないでしょ、石川は・・・
「私の心配より、自分の心配しなさいっ・・・て・・・」
保田は、石川に弱々しく笑いかける。
「いい?・・・病院、1人で行けるわね」
「で、でも、保田さんはっ!?」
「・・・私は・・・・・・」
保田は、後ろに虚ろな目をして立っている後藤をチラリと見る。
「あの子に、話があるのよ」
石川は、眉をひそめる。
「そんなっ危険ですっ!!」
「いいから、早く逃げてっ!!」
保田は、つい声を荒げる。
石川は、そんな保田に不安そうな視線を残し、ふらふらと屋上から出ていった。


「けーちゃん、かっこい〜」
うずくまる保田に、後藤は両手を叩きながら近づく。
「王子様は、体を張って悪魔からお姫様を守りました・・・
めでたし、めでたし・・・アハッ」
後藤は、またいつもの後藤に戻っている。
保田は、後頭部から流れる血を押さえながら後藤を睨む。
「こっわーいっ。そんな顔しないでよ」
後藤の顔がゆっくりと近づく。
それから逃れようと体を反転させようとしたが体が動いてくれない。
なんの抵抗もせずにあっというまに組み敷かれてしまう。
「あれ・・・?今日は、抵抗しないんだね」
後藤は、首を傾げる。
その仕草は、あまりにも子供っぽくてかわいらしい。
とても、こんなことをするようには見えない。
「・・・・・・そういえば、けーちゃん、なんか話あるって言ってたね。
 −なに?ついにけーちゃんからの愛のコ・ク・ハ・ク?」
後藤は、おどけている。
「・・・んで、こんなことする・・・の?」
保田の口から出た言葉は、ずっと聞きたくて聞けなかったことだ。
保田は、後藤を見つめる。
その瞳からは、さっきのような怯えもなにも感じ取れない。

なんでこんなことが出来るの?
私だけじゃなく、石川まで傷つけて−−
・・・・・・なんで?


「当たり前のこと聞くね〜」
後藤は、肩をすくめて保田を見下ろす。
少しだけ、保田を押さえつけていた後藤の力が緩む。
「けーちゃんのこと、愛してるからじゃん」


愛・・・して・・・る?

私、を---こんなことまでして・・・?


「こんなことしたら・・・嫌われる・・・って、思わなか・・ったの?」
「----思ってるよ」
後藤は、あっさり答える。

嫌われると分かってて・・・こんなことしたの?
分からないよ、後藤−−

「どうして?」
後藤は、保田の真っ直ぐな視線から目をそらす。
「けーちゃん、私のこと憎んでる?」
保田の疑問には答えず、彼女は言う。
「憎んでるよね〜、だって、憎まれようとしたんだもん」
後藤は、うつむいたまま言う。
保田の頬に、ぽたりと温かい滴が当たる。
(−−涙?)

・・・・・・泣いてる?後藤−−


「けーちゃんがさ〜、あたしの気持ち、認めてくれないから
 −−あたし、いっつも本気で言ってたんだよ。
 けーちゃんのこと、好きだって・・・本気で」
相変わらずうつむいたまま保田の存在を忘れたように言葉を紡ぐ。
確かに、後藤はこうなってしまう前に、何度も私を好きだと言っていた。
でも、私は、メンバーとして友達としての好きだととらえた。


・・・・・・違う

−−多分、本当は気づいていた。
自分を見つめる後藤の熱っぽい視線のワケを−−
ただ、気づかない振りをしていたんだ。
私は、後藤から・・・目を背けた・・・・・・


「あたしがどれだけけーちゃんが好きか、見せられるんだったら見せてあげたいよ。
 あたしの中が、けーちゃんで一杯だって−−−」
(−−そんなことしなくても知ってるよ)
「でも、けーちゃんは後藤のこと見てくれなかったよね。
 だから、あたし、バカだけど考えたんだよ。どうしたら、けーちゃんは
 あたしのこと見てくれるかなって・・・どうしたら、けーちゃんの中、あたしで一杯になるかなって・・・」
そこまで言って、後藤は不意に顔を上げる。
「今、けーちゃんは、あたしを憎んでる」
(こんな子を憎めるワケないのに・・・)
後藤は、泣き笑いのような顔を近づける。
「けーちゃんが、あたしのこと憎めば憎むほど
 けーちゃんの頭の中、あたしで一杯になってるでしょ」

−−私のせい・・・
後藤が、こんな風に歪な形で愛を押しつけるようになったのは・・・
私の・・・せい、だ・・・・・・


「けーちゃん、前よりあたしのこと見てくれるようになったじゃん」
後藤が笑う。
今までのなんらかの感情を含んだ笑いじゃなくて、ただただ笑っている。
その笑顔は、キレイだけど・・・どこか哀しい。
「さっきだって、けーちゃん、あたししか見えてなかったでしょ」

(さっき・・・後藤につかみかかった時−−)
本当は、後藤じゃなくて自分自身に怒りを覚えていた。

・・・・・・私は、後藤にココまでさせてしまったんだって

「私、嬉しかったよ」
後藤は、ゆっくりとかみしめるように言う。
ボロボロとその瞳からは堪えていた涙があふれ出している。
「けー、ちゃんが、あたしを・・・見てくれ、て」
保田は、そうやって泣く彼女をただぼんやりと見ていた。


---あぁ、どうしてこの子はこんなにも純粋に私なんかを・・・・・・
私が認めたくなかったのは、この子の気持ちじゃないのに---

私が、認めたくなかったのは
私の後藤への気持ち・・・・・・同性への恋愛感情−−

---それを認めてしまったら、私の今までの価値観180度変わっていまいそうで・・・

だから、後藤から逃げた。
自分の気持ちからも逃げた。
それが、後藤をココまで追いつめてしまうなんて−−思わなかった。

私は・・・バカだ----------

きっと---もう、ずっと、ずっと---
---それこそ、いつからかなんて分からなくなるくらい


--------後藤が、好きだったのに・・・・・・


保田は、自分の上で子供のように泣きじゃくる後藤の頬にゆっくりと手を触れる。
後藤が、ビクッと怯えたように保田を見る。

こんなに泣かせちゃって−−


「・・・・・・ごめんね、後藤」
泣きじゃくる後藤をなだめるように微笑む。
「ごめん・・・」
「・・・けーちゃん?」
後藤は、少し驚いたように目を大きくさせる。
その瞳に自分の姿が映る。

あぁ、私、泣いてるんだ・・・
そりゃ、ビックリするわよね、後藤−−

保田は、自分の涙を誤魔化すように後藤の首に手を回し
震える体をしっかりと抱き締める。後藤の体は温かい。
その温もりにとても安心して、それで一層泣きそうになった。


「後藤が・・・好きだよ」


ずっと言えなかった言葉がすんなりと口をついてでた。
そう口にすると、今までいろんなことに縛られていた体が
心なしか軽くなったような気がする。

「後藤が、好き」

もう一度、言う。
唇に後藤の感触と温かい液体。
今までと違う、優しい感触−−


---私は、この子に愛されて この子を愛して 生きていける---

満点の星の下、そんなことを思いながら保田の意識は遠くなった。

 

番外編 休日

 

-----ピーンポーン。

せっかくのオフでゆっくり眠る保田を起こすチャイムの音が響く。
「・・・ん、誰よ、こんな朝っぱらから・・・」
時刻は、とうに12時をまわっているが、
保田はそんなことを言いながら、ベッドからもぞもぞと這い出た。


「いやー、けーちゃんちってはじめてだね〜」
突然の訪問者、後藤が、妙に年寄り臭い口調で言う。
「そうね」
「あっ、けーちゃん、今、ちょっとクールぶってたね」
「はぁっ?」
「ま、そこがいいんだけど」
後藤は、そう言いながら少しの遠慮もなく部屋の中へと入っていく。
片手には、買い物袋。

『明日、一緒にご飯食べよーね』

昨日、仕事帰りに後藤がそう言った。
そして、それをホントに今から実行するらしい。
(・・・っていうか、連絡してから来いっての)
保田は、ボケーッと後藤の背中を見る。
後藤は、鼻歌をうたいながらエプロンを付けている。
幸せそうな顔。
(---ま、いっか)
保田は、その顔を見れるだけでもよかった。


「じゃーんっ、後藤特製ミートなオムレツNEWヴァージョン!!」
後藤は、ワケの分からないことを言いながら皿をもってくる。
(ホント、後藤ってつかみにくいわよね)
保田は、ニコニコとしている後藤を無意識に見つめながら、
そのつかみにくい後藤の気持ちを探ろうとしていた。
「早く、食べてよーっ」
後藤が、口をとがらして言う。
「あっ、そうだね。じゃ、いただきます」
保田は、自分が後藤を見ていたことに気づいて少し赤くなる。
それを誤魔化すように、後藤のミートなオムレツ(以下略)を口に運ぶ。
意外にそれはおいしい。
(って、後藤って料理得意だったわね)
後藤は、保田の食べているところばかりを見ている。
「後藤も食べなさいよ」
今、気づいたけど後藤の分のお皿はない。
まさか、保田が食べているところだけ見て自分は食べないつもりなんだろうか?
なんとなく、食べているところを見られているのは気恥ずかしい。
そう思った保田に、後藤がニコッとする。
「?」
2人の視線が交差する。


「あーん」

後藤が口を開けた。
「は?」
思わず声が出る。
つ、つまり食べさせろってこと??
なっ!そんな恥ずかしいことできるわけないでしょ
保田は、心の中でツッコミをいれる。
「けーちゃ〜ん」
--でも・・・でも、後藤のそんな甘えた姿見てたら、なんか-----
「ガラじゃないのよね」
言い訳を言いながら、自分のスプーンを後藤の口にもっていく。
「ん〜、おいし〜。けーちゃんの味がする〜」
後藤は、もぐもぐと口を動かしながらそんなことを言う。
それから、またなにかたくらんでいるような顔になる。
「けーちゃんのスプーン貸して」
後藤は、保田の手からスプーンをとると、今度は自分でオムレツにスプーンをいれる。
そして、保田を上目遣いでチラッと見る。
「けーちゃん、あ〜ん」
「はぁっ?」
保田は、さっきよりもさらに大きな声を上げた。
(こ、今度は私が食べろって言うの!?)
後藤は、そんな保田をおもしろそうに見ている。
「早く〜」
後藤が、スプーンを近づける。
「ご、後藤、あのね、うっ@×*!!!」
保田が言葉を発そうと口を開けたところに、スプーンがねじ込まれる。
「後藤の味がするでしょ?」
後藤は、ウィンクした。
保田は口をモグモグ動かしながら、怒るのを忘れて呆れてしまった。


食事の後かたづけもすみ、保田はなにをするでもなく
ソファにゆったりと体を預けていた。
TVの前にいた後藤が、その隣に座ってくる。
「っていうか、あんた、今日泊まる気?」
保田は、気になっていたことを尋ねる。
「当たり前じゃ〜ん」
後藤は、ニコッと笑うと体ごと保田にのしかかる。
「ちょっ、ちょっとっ!!」
保田は、後藤の突飛な行動にいまだに慣れない。
慌ててその両肩を押して体を引き離そうとする。

次の瞬間、後藤に唇を奪われていた。
後藤の舌が、迷うことなく保田の中に滑り込んでくる。
「・・・んっ・・・ぅんっ・・・」
甘い痺れ。
酸欠気味の息苦しささえも、それを増幅する。
(や、ヤバイ・・・)
保田は、ともすればなくなりかけそうな理性を総動員して
後藤の唇を自分から離す。
しかし、後藤は少し息を吸って再び唇を近づけようとする。
それをとっさに片手で制止する。
「・・・も〜、なんでそう素直じゃないかな〜」
後藤が、髪を掻き上げながら不満の声を漏らす。
「そういう問題じゃないの」
保田は、顔をしかめる。
「じゃ、どーゆー問題?」
後藤は、そう言いながらも保田の胸に手を伸ばす。
(・・・全く、この子は)
「あのねー、いい加減にしなって」
保田は、思いっきり不機嫌な声を出す。
それに驚いたのか、後藤が不安そうに上半身を起こす。
下半身は、相変わらず保田を押さえつけているが-------


「--怒ってる?」
後藤が、おずおずと聞いてくる。
「怒ってない」
「ウソ、怒ったんでしょ?」
「だから、怒ってるんじゃないって」
「じゃぁ、なんでダメなの?」
後藤は、真剣だ。


ホントに、相変わらず自分勝手なヤツ・・・まぁ、そんなとこも好きなんだけど
でも、それは絶対に言わない。言ったらすぐ調子に乗るし・・・
じゃなくて・・・そんなことよりも、先にしなきゃいけないことあるでしょ


「あのね、あんた、石川に謝ったの?」
保田の頭には、いつもそれがあった。
だからこそ、後藤とそうすることが躊躇われるのだ。
案の定、後藤は保田から目をそらす。
「まだなんでしょ?」
「・・・し、仕事があわなくてさ〜」
後藤は、言い訳がましく口をボソボソと動かす。
「まぁ、謝りにくいわよね。それは、分かるわよ」
保田は体を起こし、後藤の髪を優しく撫でる。
「でも、謝らなきゃいけないの。2人でね」
後藤が、微かにうなづく。
「よしっ。じゃ、ちゃんと謝るまではキスまでね」
保田は、そう言ってすぐにしまったという顔になる。
それとは対照的に、後藤は満面の笑みに変わる。
「ってことは、謝ったらこの続き・・・アハっ」
「あのねー・・・」
(本当に反省してるんだろうか?)
保田の頭に疑問が浮かぶ。
後藤は、そんな保田の顔を見て真面目な顔になる。
「分かってるって。あたしだってバカじゃないから、自分のしたことがどれだけ悪いかって・・・
 反省もしてるし・・・だから梨華ちゃんには、ちゃんとしっかり謝る。
 ただ、ちょっと怖いからさ・・・」
そこまで言って、口ごもる。
(ふーん、そういうこと・・・) 
怖いから終わった後の楽しいことを考えてたいってワケか。
保田は、納得する。
(カワイイとこあるじゃない・・・やることはアレだけど・・・)
保田は、右手を後藤の首にまわし、左手を腰に回す。
「私も一緒に謝るからね」
そう、後藤の耳元で囁いてしっかりと抱き締めた。

 

番外編 キスまでの距離

 

「矢口さんのこと、好きなんです」


そう告白してから、丁度1ヶ月がすぎた。
なんかいつのまにかメンバー全員に知られちゃってるし
それというのも、矢口さんがところ構わず、あたしに抱き付いてくるからなんだけどいや、それは全然いいんだけどね。
ただ、なんか最近ちょっとだけ・・・
ホントにちょっとだけ物足りないかな〜なんて思ってたりして


「よっすぃー、なにボーっとしてんの?」
後ろからおぶさるように矢口が抱き付いてくる。
「えっ!あー、いや〜」
「なんか怪しいー」
矢口は、耳元で囁く。
「そんなんじゃないですって」
吉澤は、あわてて矢口の方に向き直る。

チュッ

「へ?」
唇に柔らかい感触。
気づくと、矢口はいつのまにかイスのうえに立ってる。
そっか、じゃないといきなりキスは出来ないもんな〜
(カワイイっ!)
吉澤は、さっきまで考えていたことをすっかり忘れて矢口を抱き締める。
「ちょ、ちょっと、よっすぃー」
矢口は、焦ったようにポカポカと背中を叩く。
「あいてててっ・・・すみません」
吉澤は、素直に矢口を抱き締めていた腕の力を緩める。
「もぅっ、よっすぃーのH」
矢口の顔は、真っ赤にしながら楽屋を出ていった。


吉澤は、困ったように頭をポリポリとかく。
(矢口さんっていっつもこうなんだよな〜)
いっつも自分から抱き付いたりキスしてくるクセにあたしがしようとすると、嫌がるんだよな。
たまには、あたしからキスしてみたいんだけど・・・

最近の吉澤の悩みはそれだった。
付き合いだして1ヶ月。
その間に何度もキスはしたものの、それはいつも矢口からだった。
だからといって、矢口が吉澤を嫌いというわけではないことは分かっている。
矢口は、見た目と違ってかなりの恥ずかしがり屋だということだ。


「今度こそっ!」
吉澤は、天高く拳を振り上げた。
「なにが今度こそなの?」
ソファから声が聞こえた。
「げっ!!ごっちん!?」
「げってなに〜、ひどいな〜」
後藤は、体を起こしながら言う。
「イヤ、あの、いつからいたの?」
さっきまで気配すらなかったのに。
っていうか、矢口さんと二人きりかと思ってたのに・・・
「え〜、最初からいたよ〜。今、起きたけど」
後藤は、目をこすりながらあくびをする。
「そ、そう。寝てたんだ」
少し安心する。
さすがにバカップルとして公認されてても、
キスしてたりするとこ見られるのは恥ずかしい。
「で、なにが今度こそなの?」
後藤は、興味津々という風に吉澤を見上げる。
「えっ、いや・・・」
待てよ、ここはごっちんに相談にのってもらうのも手かもうん、
なんかごっちん、こーゆーこと得意そうだし吉澤は、頭の中でそんなことを考える。


「実はさー、かくかくしかじか・・・なんだよね」
----日本語って便利だ(by作者)
「へ〜、やぐっつぁんって意外にシャイなんだね〜」
「でしょっ。どーしたらこう自分からキスできるかな〜?」
そう頼りなく言う吉澤に後藤はニヤッと不適に笑う。
「そんなの、簡単だよー」
「えっ?」
「ムリヤリしちゃえばいいじゃん」
こともなげに後藤は言った。
「はぁっ!!?」
吉澤は、当たり前のように危ないことを言う後藤に驚いて声を上げる。
「なにっ!?なんでそんな驚くの〜?」
後藤は、眉間にしわを寄せている。
「なんで・・・って、そんなことしたら嫌われるに決まってるでしょ」
「そっかな〜」
「そうだよ」
吉澤は、ドサッと後藤の隣に座る。
(ごっちんに相談したのが間違いだった)
後藤は、まずいと思ったのか少し考えたような顔をしている。

「よっすぃ〜」
「ん?」
「さっきのは冗談だよ」
いや、思いっきりマジだったでしょと、突っ込もうかと思ってやめた。
後藤が、その前に口を開いたからだ。
「あのね、やっぱり正直に言うのがいいんじゃない?」
「えーっ!キスしたいって!?」
吉澤は、そう叫びながら後藤を見る。
「カップルは話し合いだよ」
後藤は、吉澤の顔の前に人差し指をたてる。
「話し合い・・・ね〜」
あんがい、いいかもしんない。
ちょうど、明日はオフだし、矢口さんの家に泊まりに行ってみよっかな。
「それじゃ、あたし、撮影あるから」
後藤は、ソファから立ち上がり妄想モードに入りかけた吉澤にそう声をかけた。


「えーと、今日、泊まりに行ってもいいですか?」
仕事帰り、矢口にメールを打ってみる。
「メール送信、ズキュン・・・」
吉澤は、1人でぶつぶつと馬鹿なコトをしていた。

「なにしてんの、吉澤」
「ふへぇっ!!」
またしても、後ろから声をかけられる。
「なに、ふへぇって?」
保田だった。
「えっ、いや、あのその・・・」
しどろもどろになる吉澤を見て、保田はフッと笑う。
「また、矢口のことー?」
「あ〜、まぁ、そんなとこです」
「なに?相談にのるわよ」
保田は、けっこう相談相手としては適しているような気がする。
(ごっちんにも聞いたけど、ここは年の功って感じだし)
吉澤は、さっき後藤に話したことをそっくりそのまま保田に言ってみる。
保田は、少し難しい顔をして
「矢口って、あれでけっこう恥ずかしがり屋だからね〜」と、言った。
(おっ、さすが保田さん)
吉澤は、少し2期メンのつながりを見た気がした。
「まぁ、口でイヤって言ってもホントはイヤじゃないと思うわよ。
 そうね〜、暗闇とかあんまり顔が見えないとこだったらいけるかもね」
「はぁ」
暗闇か・・・でも、2人で暗闇ってそれはそれで怪しい気が・・・
それに、顔がすぐ赤くなっちゃう矢口さん見たいんだけどな〜
「ま、最初はそんな感じで攻めてけばいいんじゃない」
(そっか、最初はそうかもな)
で、だんだんとムフっ・・・ムフフ・・・
「吉澤・・??」
「へっ!!」
吉澤が気づくと、心配そうに保田が覗き込んでいた。
(やばいやばい、つい妄想が・・・)
「ともかく、焦りは禁物よ」
そう言って、保田は去っていった。


「焦りは禁物・・・うん」
吉澤が、納得したように1人うなづくと、メール着信を知らせる音が響く。

『いいよ。待ってるぴょん
 よっすぃーの愛しのハニー』

「よーしっいっくぞーっ!!」
月に向かって叫ぶと吉澤は矢口の元へと足をすすめた。


「いざ来てみたけど、緊張するな〜、二人っきりって・・・」
吉澤は、インターフォンを鳴らす。
中から足音が聞こえてきて、笑顔の矢口が飛び出してくる。
「よっすぃー!!」
ガバッて音が聞こえそうな勢いで抱き付いてくる。
「うわっ!」
思わず後ろに倒れそうになるのを堪える。
「もー、危ないですよ〜」
「そんなこと言って、顔、にやけてるー」
「えっ!!」
「ウ・ソッ」
そう言って、矢口は部屋の中へ入っていく。
「も〜、矢口さ〜ん」
吉澤も、情けない声を出しながら後へ続く。


しばらく2人でテレビ見ながら、矢口の買ったお菓子を食べてダラダラする。
しかし、吉澤の頭の中は矢口にどうキスするかで一杯だった。
「ねぇ、よっすぃー?」
吉澤が、いつにもましてボケーッと矢口を見ていることに気づき
矢口が声をかける。
「ふぁ、ふぁいっ?」
吉澤は、予想以上に驚いて奇妙な返事をする。
「なんか、今日変じゃない?」
「えっ?」
「なに考えてるの?」
矢口は、くりくりとした目を吉澤に向ける。
(うっ、マジやばいっす)
吉澤は、咄嗟に目をそらす。
「いや、その・・・」

『カップルは、話し合いだよ』
『暗いとこならいけるんじゃない』

後藤と保田のアドバイスが頭の中を駆け巡る。
(よしっ、暗闇で話し合いだっ!!)
吉澤は、その2つを合体させた。


隣に座って訝しげに吉澤を見ている矢口を後目に吉澤は立ち上がって、電気を消す。
「ちょ、よっすぃー?」
矢口の焦った声が聞こえた。
「--矢口さん」
吉澤は、再び矢口の隣に座る。
「な、なに?」
「実は、聞きたいことがあるんです」
「・・・うん」
吉澤は、深呼吸をする。
「矢口さんは、あたしのことどう思ってるんですか?」
「はぁっ!!??」
吉澤の言葉に、盛大に矢口が声を上げる。
それは、驚きというよりかは怒りに近かった。
「いや、そ、そんなに怒らないでくださいよ」
吉澤は、そんな矢口の様子にかなり慌てる。
「そんなこと聞く?普通っ!」
その口調から、矢口は、本当にキレているみたいだ。
(もう、カルシウム足りないんだから・・・)


「だって、矢口さん・・・・」
「なにっ?」
「だって・・・」
「だから、なに?」
矢口は、なかなか話を切り出さない吉澤にイライラしてくる。
「だって、キスさせてくれないじゃないですかー」
「はぁっ!!!????」
さっきよりもさらに盛大に矢口は声を上げる。
「だって、いっつもキスするのって矢口さんからだし、それもあんまりしてくれないし・・・
 それにあたしがしようとしたら嫌がるじゃないですか〜
 ホントは、あたしのこと嫌いなんですか〜?」
吉澤は、ついグチっぽい言い方になってしまう。
「ちょ、ちょっとよっすぃー?」
「たまには、あたしからだってしたいのに〜、あたしだって・・・」
吉澤は、矢口の呼びかけに全く耳を傾けていない。
言いだしたら止まらなくなってしまったんだろう。
「んもぅっ!!」
矢口は、まだなにか言いかけている吉澤を力一杯抱き寄せる。
「やぐ・・・・んっ」
吉澤の唇に矢口のあたたかい唇が押しつけられる。
しばらくの間、2人はそうしていた。


「・・・ん・・・ぷはっ」
矢口の唇が離れる。
「矢口・・・さん・・・」
「バカじゃん、よっすぃー」
「え?」
「矢口が、よっすぃーのこと嫌いなわけないでしょ。
 だから、余計な心配しなくていいの」
矢口は、そう言いながらも照れているのか吉澤に背中を向ける。
(電気消してるから、大丈夫なのに----)
吉澤は、そんな矢口をやはりカワイイと思い、その小さな背中を後ろから抱き締める。
「変なこと言ってすいません、矢口さん」
そう矢口に囁く。
「あたしも、矢口さんが大好きです」
「・・・知ってる」
矢口が、照れたようにぼそっと呟く。
「ですよね〜」
吉澤は、そんな矢口が愛おしくて笑った。
そうして、2人の夜はなにごともなく過ぎていった。


「っていうか、矢口さん、昨日うまく誤魔化しましたねっ!」
「はぁっ!?なんのこと??」
「だって、結局、あたしからキスしてないじゃないですか〜」
「まだそんなこと言ってるの?いいじゃん、よっすぃーは、それで」
「よくないですよ〜、あたしだっ・・・んっ・・・」

次の日の朝、そんな会話がかわされたことは言うまでもなく
相変わらず、主導権は矢口にある。
一体、いつになったらあたしからキスできるんだろう?
と、吉澤は心の底から思うのだった。

 

3.

 

今日はタンポポとプッチのPV撮りがあっている。
「よっすぃー!」
矢口が、タンポポのPV撮りから戻ってくるなり、プッチで待機中の吉澤に体をあずけるように抱き付く。
「うわっ!・・・・矢口さん」
吉澤は、慌てて矢口を受け止める。
「もう危ないじゃないですか〜」
そう言いながらも、吉澤は満面の笑みを浮かべている。
「悪かったなー」
そうふてくされながらも矢口の顔は嬉しそうだ。
「い、いや、いいんですよ。いくらでも抱き付いて---ただあのいきなりは・・・」
矢口の顔が見えない吉澤は、しどろもどろに弁解する。
(相変わらず、尻に敷かれてるわねー)
保田は、ソファに座ってのんびりその様子を楽しんでいる。

「よっすぃーは、矢口のこと嫌いなんだね」
矢口は、ワザとらしく鼻を鳴らす。
いかにもウソ泣きというウソ泣きなのに。
「そっ、そんなことないですよ〜」
と、慌てる吉澤。
(アラアラ、またひっかかっちゃって・・・)
「あーっもうっ、すいません。いつでも好きなときに抱き付いてください」
「ホントっ!!」
矢口は、パッと顔を上げる。
「ホント、ホント」
「じゃっ」
矢口が、ギュッと吉澤に抱き付く。
吉澤も、そんな矢口を包み込むように抱き締めた。
「--ホント、バカップルだね〜」
後藤ののんきな声がした。
(そういえば、さっきから静かだったけど同じように見てたのね)
保田は、チラッと後藤に目をやる。


「あっ、ごっちん、もしかしてうらやましい?」
吉澤が、後藤の方を見て言う。
「べ〜つに〜。だって〜、あたしにはけーちゃんがいるもんっ」
かわいくそう言ったかと思うと、後藤は矢口のマネをしたのかソファに座っていた保田に思いっきり飛び付いた。
「へ?」
少しも構えていなかった保田は、そのままソファごと後ろに倒れる。

「・・・・ったーっ!!」
不意の痛みに思わず声を上げる。
保田は、思いっきり床に頭をぶつけていた。
「も〜、けーちゃん、ちゃんと受け止めてよ〜」
そんな保田の気も知らずに、後藤はブーブー文句を言っている。
「・・・ハイハイ、私が悪ーございましたっ」
保田は、適当に相づちを打つ。
「あっ、なにその言い方は〜」
「ホラ、いい加減どきなさいよ」
保田は、上に馬乗りになっている後藤の肩を軽く叩く。
「あっ、は〜い」
と、案外、あっさりお後藤は起きあがった。
保田も体を起こす。
起きあがった保田にはいくつかの視線が浴びせられていた。
不審に思って後藤を見ると、後藤もばつの悪そうな顔をしている。
(---な、なに?)
保田は、その視線にうろたえる。


「そーゆーことだったんだー」
矢口がにやにやと笑いながら言う。
「保田さんも、やりますね〜」
吉澤も矢口と同じくにやにやと笑っている。
「へ?」
それを皮切りにいつのまにか戻ってきたタンポポのメンバーが口を開く。
「カオ、リーダーなのに2人のこと気づかなかったよ。
 あのね、2人とも、カオは全然OKなんだよ・・・だからね---」
「カオリ、長いって」
矢口がツッコミまで入れている。
「ええもん見さしてもらいましたー」

保田は、隣にいる後藤の方に再び視線を動かす。
後藤は、やっちゃったって感じに舌を出す。
(そういえば、まだ私たちが付き合ってることは誰にも言ってなかったんだ)
保田は、盛り上がってるタンポポをよそに呆然としていた。


「いずれは、あたしたちのように・・・ね、よっすぃー」
「ね、矢口さん」

元々の原因になった2人は、バカップルモード一直線だ。

「・・・はぁ」
保田は、深くため息をつく。
「・・・けーちゃん、ゴメンね、つい」
後藤が、保田にしか聞こえないぐらいの声で呟く。
「・・・しょうがないわよ。いつかは言おうと思ってたし」
保田は、しょんぼりする後藤に苦笑する。

その時、保田と後藤の話題で盛り上がっている中、
1人だけ悲しげに眉をひそめ自分たちを見ている少女の姿が眼に入る。
「・・・っ!!」

(---石川っ)

私たちのことを一番に言おうと思っていた。
ちゃんと謝りに行こうと後藤と2人で決めていた。
電話やメールじゃなく直接----しかし、実際には今日まで
なかなか彼女と話をする機会がなかった。

「いしか・・・」
保田が彼女に声をかけるよりも早く、石川は楽屋を飛び出していった。
「石川っ!!」
保田は、その後ろ姿を追いかけるように楽屋を飛び出した。

 


「・・あ・・・えっと〜、その・・・いいの?」
飛び出していった石川を追いかけて
同じように飛び出していった保田を見つめる後藤に吉澤が気を使いながら言った。
「・・・いいの」
後藤は、短くこたえる。

「あー、ほらっ!圭ちゃんは石川の教育係だったしねー」
静まりかえってしまった楽屋内を盛り上げようと、矢口が明るい声を出す。
それにつられるように飯田と加護も口を開いた。
後藤は、そんなメンバーの優しさにふれ少し微笑む。

(梨華ちゃんか・・・・・・)

本当は、一番に言わなきゃいけなかった人。
この間、保田にも謝りに行こうと言われていた。
あれだけのことをしてしまったんだから、それは当然のことで
---だけど、あれだけのことをしてしまったから顔を合わせるのも声をかけるのも怖くて・・・・・・
結局、今まで逃げていた。
石川は、きっとものすごく自分のことを怒っている。
謝っても許してもらえないかもしれない・・・

(それでも---)

けーちゃんが戻ってきてから、梨華ちゃんのこと聞いてそれから、ちゃんと謝りに行こう・・・

後藤は、そう決意していた。


「・・あ・・・えっと〜、その・・・いいの?」
飛び出していった石川を追いかけて
同じように飛び出していった保田を見つめる後藤に吉澤が気を使いながら言った。
「・・・いいの」
後藤は、短くこたえる。

「あー、ほらっ!圭ちゃんは石川の教育係だったしねー」
静まりかえってしまった楽屋内を盛り上げようと、矢口が明るい声を出す。
それにつられるように飯田と加護も口を開いた。
後藤は、そんなメンバーの優しさにふれ少し微笑む。

(梨華ちゃんか・・・・・・)

本当は、一番に言わなきゃいけなかった人。
この間、保田にも謝りに行こうと言われていた。
あれだけのことをしてしまったんだから、それは当然のことで
---だけど、あれだけのことをしてしまったから
顔を合わせるのも声をかけるのも怖くて・・・・・・
結局、今まで逃げていた。
石川は、きっとものすごく自分のことを怒っている。
謝っても許してもらえないかもしれない・・・

(それでも---)

けーちゃんが戻ってきてから、梨華ちゃんのこと聞いて
それから、ちゃんと謝りに行こう・・・

後藤は、そう決意していた。

 

「石川っ、待ってって!!」
保田の伸ばした腕は、彼女の細い手首を掴んだ。
2人とも息が荒い。
あまり足を踏み入れたことのない妙に薄暗い場所まで来ていた。
「・・・石川、その・・・あのさ」
石川は、泣いているのか顔を下に向け保田を見ようともしない。
「ホントは、もっとちゃんと言いに行こうと思ってて
・・・それなのに、こんな形になっちゃって・・・」

--なにを言ってるんだ、自分は。
--こんなんじゃ、全然ダメだ。

保田は、自分の口べたさがはがゆくてたまらない。

「保田さんは---それでいいんですか?」
「・・え?」
思ったよりも、はるかに石川の声は力強い。
でも、顔を上げた彼女はやはりムリをして微笑んでいるようにも見える。
「ごっちんとのこと・・・もう、いいんですか?」
石川は、自分と後藤の間にあったことを知っている、唯一の人物。
---そして、彼女は私のことを好きなんだ・・・・・・
「・・・石川、ゴメン」
保田は、深く頭を下げる。
自分にはこうして謝ることしかできない。
「私、ずっと気づかなかった・・・ううん、気づいててそれをムシしてたんだ
 私は、後藤のこと好きなんだって---でも、今は自信もって言える。
 石川には、いろいろ迷惑かけて・・・ホントに私がバカで・・・」
「分かりました」
石川が、保田の言葉をさえぎる。
「え?」
よく聞き取れずに聞き返す。
「保田さんの気持ち、分かりました」
石川は、そうはっきり口にした。
思わず、保田は顔を上げる。石川は、微笑んでいた。

「その中に、私のはいるすき間はありませんよね?」
口だけに作られた笑顔。
保田を見つめる目は真剣だった。
「それは・・・・・・」
保田は、一瞬、躊躇する。
彼女の瞳が少しだけ揺れたのが分かったからだ。
でも----はっきりと言わなければ余計に彼女を傷つけてしまうだろう。
保田は言いかけた言葉を続ける。
「ない・・・と思う」
「・・・そう、ですか」
そこではじめて石川の笑顔に翳りが宿る。
「残念だな・・・・・・」
宙に視線を向けポツリと呟く。
「私も、ごっちんみたいに積極的に行けばよかったのかな・・・」
それは、保田にではなくただ思ったことを口に出している---そんな感のする喋り方だ。


「・・・ねぇ、保田さん」
不意に石川が視線を戻しながら言う。
「私、ごっちんのこと怒ってませんよ」
「怒って・・・ない?」
保田は、石川の意外な言葉につい同じことを繰り返す。
「ええ、少しも---」
石川は、ゆっくりとうなづく。
「・・・なんで?」
目の前にいる石川はすごく落ち着いた瞳をしている。
「だって、私とごっちんって似てる気がするから---」
石川が答える。
(石川と、後藤が似てる・・・)
どういう意味だろう。
保田は、その眉をややしかめる。

「私も、もしかした暴走しちゃうかもしれませんよ」
石川が、怪しげに保田を見つめる。

---ゾクリッ

それは、きっと冗談の筈なのに、なぜか、背筋が凍りつくような感覚。
保田は、驚いて石川を凝視する。
そんな保田を少し眺めるように見て、石川は言った。
「−冗談です」
「・・・・・・冗談?」
保田は、ポカンと口を開ける。

一体、どこからが冗談だったんだろう・・・
そして、どれが真実なんだろう・・・・・・


「そうそう、1つだけお願いがあるんですけど--聞いてくれます?」
そんな保田を気にもせずに、石川は、口に手を当てて上目遣いで保田を見る。
その仕草は、他の誰かがすればものすごくわざとらしく見えるようなものだったが、
彼女にはぴったりくるものだった。
「お願い・・・って?」
「私と一緒にご飯を食べてください」
「・・・ご飯?」
「はいっ。私、憧れてたんです。
 すごく好きな人に、手料理を食べさせてあげること」
よく見ると石川の手が、少し震えている。
きっとすごく勇気をふりしぼって言っているんだろう--

「じゃあ、喜んで」
保田は、そんな石川を気遣い了解する。
「・・・よかった。じゃぁ、今日の夜に」
石川は、嬉しそうに笑う。保田は、うなづく。
その時、メールを知らせる着信音が鳴り響いた。

『もうすぐ、撮りはじまるよ〜、戻ってきてねっ!』

(----そういえば、プッチのPV撮りがあったんだ)
保田は、ディスプレイから石川に視線を移す。
「ゴメン、そろそろ撮りだから、あとで連絡するわ」
「--分かりました」
石川はうなづく。
「それじゃ」
保田は、その場を急いで後にしようとした。

「保田さんっ」

そんな保田に石川が声をかける。
「・・・っ!!」
保田は、反射的に振り返り、息を呑む。

石川は、微笑んでいた。
あの聖母のような笑顔に変わりはないはずなのに
----その奥にはとても冷たいなにかがあるような気がして保田は、その場に立ちすくむ。
そんな保田に「がんばってください」と、石川は笑顔を深めた。
保田は、ぎこちなくうなづいてその場から逃げ出すように走り出した。


「はいっ、おつかれー」
「おつかれさまでしたーっ!」
ようやくPV撮りが終わった。
3人は、いったん楽屋へと戻る。

「ねぇ、けーちゃん、梨華ちゃんの様子どうだった?」
後藤が、さっそく保田に詰め寄る。
吉澤は、矢口からのメールチェック&返信で2人の深刻な様子には気づかない。
保田は、なんと答えようか少し考えてから口を開く。
「・・・私たちのことは、ちゃんと話したわよ」
「-----で?」
後藤は、真剣にというよりは不安そうに保田の次の言葉を待つ。
「それで、今日、一緒にご飯食べることになった」
「・・・ハァっ!?」
話しにつながりがない。
後藤は、怪訝そうに保田を窺う。
「まぁ、そんな感じだから」
保田は、ワザと多くを語ることを避けているようだった。

「ほらっ、吉澤もさっさと帰る支度しなさいよ」
不意に話を振られ吉澤は納得のいかない顔をで2人を見るが、
すぐに気を取り直し帰り支度をはじめる。
今日は、後藤意外、ここで仕事は終了だった。


「・・・けーちゃん、なんか隠してる?」
後藤が険しい目をしていった。
「そんなことないわよ」
保田は、かぶりをふる。
「あんた、これから雑誌のインタビューでしょ。そんなふくれっ面してたらダメよ」
保田は、笑いながら後藤の両頬をいーっと引っ張る。
「それじゃ、先に失礼しま〜す。お疲れさまです」
そんな2人をにやにやと見ながら吉澤が楽屋を出ていく。
「さてっと、私も帰るわ」
保田も荷物を持って立ち上がる。
「えーっ!!」
後藤が不満の声を上げる。
「これから、ちゃんと石川と話して、あんたも謝りやすいようにしてあげるから、ね」
よしよしと子供の頭を撫でるようにしながら、保田は言う。
「・・・・・・分かった。気を付けてね」
「なにに気を付けるのよ」
保田は、苦笑する。
「---なんとなく」

全く、かわいいんだから・・・
心配しなくても石川と何かするワケないわよ、全く・・・

「帰ったら電話するわ。じゃーね」
保田は、ヒラヒラと後藤に手を振って楽屋を後にした。


後藤には、ああ言ったけど内心すごく不安だ。
さっきの石川の笑顔---そこに隠されたなにか・・・
(・・・いや、気のせいだ)
石川にかぎってそんなことはないと思う。

保田は、いつのまにか石川の部屋の前まで来ていた。
深く息を吸い込み、思い切り吐きだす。
そして、インターフォンを鳴らした。
中からパタパタという足音が聞こえてドアが開く。
「保田さんっよかったー、来てくれたんですね」

(やっぱり気のせいよね)

石川のあまりの喜びようをみて、さっきまでの不安が薄れる。
「シチューつくったんですよ」
石川は、そう言いながら保田を室内へと案内する。
通された部屋には、二組の食器が用意されたテーブル。
石川は、いそいそとコンロにかかった鍋をかき回す。
「なんか手伝おっか?」
手持ちぶさたな保田は、石川に声をかける。
「お客さんは、座っててください」
石川は、少し保田の方を振り返りウインクする。
保田は、仕方なく椅子に腰掛けた。

(・・・ホントに、ピンクが好きなのね〜)
保田は、ぼんやりと部屋を見回す。
部屋は全体的にピンクで統一されている。
「お待たせしましたーっ」
いかにもアツアツといったお皿をもって石川が席に着く。
「あっ、じゃぁ、いただきます」
「どうぞ、めしあがれー」

不思議な気分の夕食だった。
石川は、普段よりも饒舌に喋り続け、そんな雰囲気の中で食事も終わりかける頃には、
保田の感じていた罪悪感や不安も消えていた。


「じゃぁ、最後はこのワインどうですか?」
石川が、高そうなボトルのワインをグラスに注ぐ。
「お酒はダメよ、アンタは」
つい、いつもの調子でそれを咎める。
「もちろん、保田さんの分だけですよ--ハイッ」
石川は、笑いながら保田にグラスを渡す。
血のような赤ワイン。
(食事中に飲みたかったとこね)
そう思いながらも、グラスを口に運ぶ。
口に広がる微かな甘み。なかなかいいワインだ。
「----今日は、来てくれてありがとうございました」
石川が言う。
「・・・そんな、私の方こそごちそうになっちゃったし・・・それにごと--」
「保田さんっ!」
保田の言葉を止めるかのような鋭い声。
保田は、はっとして石川を見る。
その黒目がちな瞳には涙がたまっていた。

「私、やっぱり保田さんが好きなんです」
「・・・いし・・かわ?」
「ずっと・・・ずっと、保田さんのこと見てきたんです---ずっと、ずっと・・・」
石川は、壊れたスピーカのようにずっとずっとと繰り返す。

「でも---」

それを不意に止める。
「保田さんは、ごっちんを選ぶんですね」
抑揚なくそう言った彼女の瞳から一筋の雫がこぼれる。
石川の細い肩が震えている。
緊張の糸が切れたように・・・彼女は泣いていた。


「---石川、ごめ・・・」

「・・・だから」

保田の言葉にまたしても石川の言葉がかぶせられる。
まるで意図的に保田の言葉を避けているみたいだ。

「だから、仕方ないんです・・・」

(・・・アレ?)

なんだか随分、石川の声が遠くに聞こえる。
石川が席を立つのが見えた。
「私、本当に保田さんのためならなんでも出来るんです」
石川が近づいてきているのに、その姿が少しずつぼやけて見える。
「保田さんもきっとそう思ってくれてるって信じてたのに-----」

---なにを・・・彼女はなんて言っているんだろう?
言葉が頭の中でエコーしてキレイに聞き取れない・・・

不意に視界が揺れた-----------

ア・・・レ・・・・・

驚いて声を出そうとしたはずなのに、その思いは声にならない。

「大丈夫ですか?」
石川が力を失って椅子から倒れた保田の体を抱き起こす。

----なん・・で??
起きあがろうとしているのに力が入らない。

「私、言いましたよね」
石川の口が動く。

・・・なに、を?

「暴走しちゃうかもしれないって・・・」

ボウ・・・ソウ?
・・・・・・イ、シカワ・・・ドウシテ・・・・・・

石川が再び笑った。
もうすでに気の遠くなりかけた保田にはなにがなんだか分からなかった。
ただその聖母のような美しい笑顔に心の底からぞっとしていた。

「・・・ずっと一緒にいてくださいね」

・・・ズット・・・ズット・・・・・・

そんな声が頭上で聞こえた気がした。

 

 


なんだかずっと胸騒ぎがして、仕事に集中できなかった。
だから、仕事が終わってすぐに連絡を取ろうとした。
「・・・ただいま電話にでられないところに・・・」
何度かけても繋がらない。
後藤は、電話を切る。

「・・・なにしてるんだろ?」
いつもならすぐにかけなおしてくれるのに----
そう思いながら夜空を見上げる。
保田がはじめて好きだと言ってくれたときと同じような満点の星空。
「けーちゃん・・・」
後藤の呟きに答えるかのように、携帯の着信音が鳴り響く。
「もしもしっ、けーちゃんっ!」
後藤は、発信者を確かめもせずにでる。
相手が保田だと信じていたからだ。


『あっごっちん?』

通話口から聞こえてきたのは、保田の声ではない。

「り、梨華ちゃんっ・・・?」
後藤は、思わず携帯を落としそうになる。
『びっくりしたー?』
石川が笑いながら言う。
びっくりどころじゃない。
まさに心臓が凍りつくとはこのことだ。
「え、うん・・・・あ・・・えっと」
後藤は、意味の分からない言葉で答える。
それに石川は微かに笑ったみたいだった。
『ごっちんっておかしいね。それよりさー、仕事終わったかな?』
「えっ、うん」
後藤がなにを話せばいいのか分からずに黙っていると、石川が声をかけてくる。
『それじゃー、今から私のうち来れる?』
「梨華ちゃんちっ!?なんで?」
後藤は、素っ頓狂な声を上げる。
(・・・そういえば、けーちゃんも梨華ちゃんち行くって言ってたっけ)
だんだん、混乱してくる。
『シチューつくったんだけどあまっちゃって・・・ごっちん、まだご飯食べてないでしょ?』
「そりゃ・・・食べてないけど」

どうして梨華ちゃんはこんなに明るいんだろう?
もっと怒ってるかと思っていたのに---

『じゃ、来てね、待ってるから』
石川は、一方的にそう言うと電話を切った。
「--けーちゃんが、なんか言ってくれたのかな・・・?」
どっちにしろ謝るなら今日がベストかもしれない。
後藤は、タクシーに乗って石川の家へと向かった。


「ふーっ」
後藤は、石川の部屋の前で大きなため息をつく。
---怖い。
さっき久しぶりに話した石川の声は、以前と変わらなくて
・・・だから、余計に怖かった。
(なんて言おう・・・なんて言おう・・・)
保田には、相変わらず繋がらない。

(どうやって謝ろう・・・)
いや、許してもらおうと思ったらダメなんだ。
ただ、自分の気持ちを精一杯、梨華ちゃんに言うしかない・・・よね?

「けーちゃん、後藤がんばるっ」
小さくそう呟くと、後藤はインターフォンに手をのばした。


「いらっしゃい、待ってたよ」
石川が満面の笑みを浮かべてでてくる。
「あ、あの梨華ちゃん」
「さっ、入って入って」
石川は、後藤の呼びかけを聞かずにすたすたと室内へと向かう。
お風呂を入れているのか、脱衣所のほうから微かに水の流れる音が聞こえた。
(・・・まさか、泊まれとか言わないよね?)
後藤は、石川の背中を見ながらそんなことを思う。

「ごっちん、お腹空いたでしょ、そこ座っててね」
後藤に背を向けたまま石川が、キッチンで鍋をかき混ぜながら言う。
「う、うん」
後藤は、戸惑いながらもすすめられ席に座る。
それにしても・・・と、後藤は部屋の中を見回す。
(ほんとにピンクだらけだ・・・)
と、後藤が落ちつきなくキョロキョロしていると
「ごっちん、保田さんとおなじことしてるね」
と、いつのまにか石川が後藤の前に皿を置きながら微笑する。
「へっ?けーちゃんと!?」
後藤は、石川の口からでた保田の名前に、一瞬、ドキッとする。
「うん、さっき同じようにキョロキョロしてた」
石川は、ゆったりとした動作で席に着く。
「そ、そう。で、けーちゃんは?」
「・・・もう帰っちゃったよ」


(--なんだ、帰っちゃったのか・・・)

ってことは、あたしをここに呼ぶように梨華ちゃんに言って謝りやすいようにしてくれたってこと・・・かな?

(・・・でもな〜)

梨華ちゃんの料理って「・・・・・・」って、やぐっつぁんが言ってたような---
しかも、肉デカっ!!
あたし、肉あんまり好きじゃないし・・・
コレって間接的な嫌がらせだったりして・・・

後藤は、チラッと石川を盗み見る。
「はぁ・・・」

(なんでこんなとこでシチューなんて食べなきゃいけないんだろ・・・)

それが、後藤の素直な気持ちだった。


「ん?」
石川と目があった。
後藤は、あわてて目をそらす。
石川が心配そうに「食べないの?」と言った。
「え・・・あ、じゃぁ、いただきます」
(まさか・・・死にはしないよね・・・)
後藤は、覚悟を決めてシチューの中にスプーンを入れる。
(・・・けっこう、ドロッとしてるな〜)
と少し躊躇っている後藤を石川はただニコニコと見つめている。

「・・・んっ」
後藤は、スプーンを口に運ぶ。
「おいしい?」
すぐさま石川が聞いてくる。
「・・・うん・・・」
後藤は、モグモグと咀嚼を繰り返し飲み込む。
その様子を見て、石川はさらに笑顔を深める。


(今、言えそう、謝らなきゃ)
後藤は、しばしシチューを見つめて
「あ、あのさ、梨華ちゃん」と、顔を上げた。
「・・・なーに?」
相変わらずの満面の笑み。
「あ・・・・あのね、ゴメンっ!!」
勢いよく立ち上がり頭を下げる。
「あたし、その少しおかしかったって言うか・・・その、あんなことしちゃって」
後藤は、必死にお詫びの気持ちを表そうとしていた。
しかし、石川はそんな後藤を見てはじかれたように笑い出す。
「プッ、アハハ・・・やだー、ごっちんらしくないよー」
「・・・え?」
後藤は、その甲高い笑い声に驚いて顔を上げる。
「それに、私、怒ってないし」
石川は、小動物のように目をクルクルさせる


「それよりも、シチュー美味しい?」
さっきから石川は、そればかりを聞いてくる。

そんなに、料理に自信がないんだろうか・・・

「---おいしいよ」
別に気になるほどまずくもない、
かといって特別に美味しいわけでもないが、後藤は、気を使ってそう答える。
「やっぱりね」
後藤の言葉に、石川は今までとちょっと違う笑い方をした。
それは不敵な笑いというのがぴったり来るような、彼女らしからぬ笑い方。
「・・・な、なんで、やっぱりなの?」
後藤は、明らかな態度の変化に戸惑う。

「ごっちんは、気に入ってくれると思っただけだよ・・・フフ」
「そ、そう・・・」
後藤は、シチュー皿を見る。
石川は、頬杖をついてそんな後藤を楽しそうに見ていた。


(なんか変・・・絶対、変だよ、梨華ちゃん)

まだ、お風呂を入れているのだろうか・・・水の音が聞こえる。
それがより一層、この沈黙の奇妙さを醸し出している。
目の前のシチューと石川の視線。
段々、全てが奇妙なことのようにも思えてくる。

──だいたい、なんでけーちゃんはいないの?
さっきは、梨華ちゃんの言うこと鵜呑みにしちゃったけど
──けーちゃん、帰ったら電話するっていって多・・・
けーちゃんが、約束破るわけないし・・・あたしならあるけど・・・

(じゃぁ、梨華ちゃんがウソついてる・・・?)

────なんのタメに?

後藤は、石川に視線を動かす。
・・・っていうか、なんでこんなに楽しそうなの?
よく考えたら、さっきからずっとおんなじ顔じゃん。


かすかに、溢れるような水の音。
いい加減うるさい。

「梨華ちゃん、お風呂の水出しっぱなしだよ」
後藤は言う。
「えっ?・・・あー、いいの、あれは」
石川は、一瞬の動揺を見せ、それを隠すように手を大きく横に振った。
「なんで?水道代のムダじゃん」
後藤は、そんな石川を不審に思い少し強めに言う。
石川はため息をつき腕を組む。
「・・・もうっ、意外に細かいね、ごっちんは。
 じゃぁ、止めてくるからシチュー食べててね」
そう言って石川は、座ったときと同じようにゆっくりと脱衣所へと向かった。


後藤は、シチューをスプーンでぐちゃぐちゃとかきまわす。
不意にスプーンが肉にぶつかる。

(そういえば・・・)

──この肉ってなんだろ??
実は、食べてないから分かんないけど、ちょっと変わった肉のような気がする。
牛じゃなさそうだし、豚、羊・・・・・・
でも、なんか違うような──────

・・・・・・
・・・

カシャンッ!!

スプーンがしぶきをたててシチューの皿の中に落ちる。
後藤は、今、自分の思いついた考えに呆然となる。
そして、無意識に石川のいる浴室へと立ち上がる。

 


────ご飯を食べに行ったけーちゃん

                      ────突然、誘われたあたし

────出しっぱなしのお風呂の水

                  ────シチューの味にこだわる梨華ちゃん

────梨華ちゃんの満面の笑顔

               ────いなくなった、けーちゃん

 

まさか・・・ 

    まさか・・・

         まさかっ!!

 


浴室のドアは閉じられている。
水音は相変わらずだ。
ドアに微かな赤。

(これは・・・なに・・・?)

────開けちゃ、ダメ・・・

頭がガンガンする。
第六感から来る警告。
それとは、逆に後藤の手は誰かに操られているように動く。

──ガチャッ

ダメ・・・ッ!!


「──────ぁっ!!」

自分の声とは思えないほど微かに声が漏れた。
ともすれば、叫びだしそうな口元を抑押さえて浴室から目を背ける。 

──あれは、なに・・・あれは、なに・・・あれは・・・・・・

血?

赤い、赤い、赤い死体・・・・・死んで・・・・

   あれは────

  
         けー・・・ちゃん・・・・・・?

 


「・・・ぅっ」
胃の中のもの全てが逆流してくる。
後藤は、洗面台にもたれかかるようにして吐いた。
次から次へとこみあげてくる嘔吐感。
もう胃液の味しかしない。
頭の痛みもピークに達して・・・・・・

「大丈夫ー?」
背後で、脳天気な声がした。
鏡に映ったその人の顔には確かに溢れんばかりの微笑みがこぼれている。
だが、後藤にはそれが中身のない作り物のように見えた。
ガタガタと全身が震え出す。
それを見て、さらに石川はぎこちないぐらい不自然な笑顔をつくる。

「私ね、やっぱり保田さんが好きなの。
 保田さんとずっとずっと傍にいたかった。
 ごっちんに渡すなんて嫌だったの。だから────」

石川が後藤の首に手を回す。
ガチガチと歯と歯がぶつかりあい、唇をかみ切ってしまう。

(だから・・・なに・・・・・・?)

────────イヤだ、イヤだ、イヤだ
────聞きたくない────聞きたくない────

「でも、ごっちんも私と同じだから・・・狂うほど愛してたんでしょ?
 あんなことしちゃうぐらい愛してたんだよね、保田さんのこと。
 だから、ごっちんにも権利があるよ。そう思ってココに来てもらったの」

耳元で囁かれる。

権利・・・? なんの?

    ソンナノイラナイ・・・・・・


後藤の頭は、もう恐怖で真っ白になっている。
抵抗する気力さえそがれてしまっている。
首にまわった手が、徐々に呼吸を圧迫してくる。
鏡に映る石川の片目。後藤の肩ごしにそれはある。
そして、その目を三日月に歪めて彼女は言った。

「──シチュー、おいしかったでしょ?」


後藤の思考は、完璧に止まった。

 

   ────タダ ヤスダサンガ スキナ ダケナノ────


石川の声が遙か遠くに聞こえた。

 


 ────────

 


優しい人が好きなんです。

でも、あなたは誰にでも優しすぎですよ。

あなたは、私だけに笑顔を見せてくれないと・・・
あなたは、私だけに愛を与えてくれないと・・・

こうしないと すぐにどこかへ行っちゃうでしょ・・・


────


でも もう安心

これで あなたは ずっと 私と一緒です

ずっと ずっと 一緒ですね

ねぇ 保田さん・・・・・・